艦隊これくしょん・蒼海へ刻む砲火 (月龍波)
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プロローグ

二〇六〇年一月二十日、時刻はマルマルサンマル。

 

東京に存在するとある格納庫内にて一人の青年が一機の戦闘機を見上げていた。

 

――こいつも、もう駄目だな……エンジンにガタが来ている。

 

青年が悲観とも取れるような言動を胸中にこぼしてため息をついた。

 

吐く息は真冬の冷気に当てられ白く色付き、数秒と経たぬ内に霧散していく。

 

心当たりはある、ありすぎて無いほうがおかしいくらいなのが笑えないところであった。

 

毎日が多忙極まる連続出撃によってまともに整備を設けることができなかったからなのか、自他共に認めるほどに無茶苦茶な急降下爆撃を行った代償なのか、いずれにせよ先週から自身の見上げる戦闘機は異常を示していた。

 

こうなってしまっては何時爆散してもおかしくない危険極まりない鉄くず同然の物体であり、解体をするしか道はなかった。

 

――とは思ったが、今の日本にこいつを解体するほどの余裕があるかどうか……。

 

またとなく青年がため息をついた時に、自身の後方に位置する格納庫と外の境界を務める鉄扉が錆びついた音を鳴らしながら開かれていく。

 

念のために腰に装着されているホルスターから自身の愛銃である【ベレッタM93R】のグリップを握り何時でも抜き放てるように警戒するが、それはすぐに杞憂に終わる。

 

「隊長、まだ此処にいたんですか?」

 

「……中尉か。貴官こそ、此処で何をしている」

 

呆れた様なため息をつきながらグリップを握る手を離し、自身が中尉と呼んだ者へと振り返る。

 

中尉と呼ばれた者は男で、呼んだ青年より一回り年齢が上に見える。

 

その男は良く鍛え上げられた身体を背筋からピンと伸ばし、青年へと口を開いた。

 

「はっ、小官は隊長のお姿が見えず、もしやと思い此処へ参った所存です」

 

「そうか……楽にしていいぞ」

 

中尉の報告を聞き、一つ頷いたところでそう言うと、面白いぐらいに中尉はだらけたような立ち方になり、先ほど凛々しく背筋を伸ばしていたのが嘘に見える。

 

青年としてはそれで楽ならば別にかまわないといった風に特に何も言うことはなかった。

 

「……それで、【火龍】の具合はどうなんですか?」

 

「……駄目だな、エンジンが完全にガタが来ている。解体した方がいいレベルでな。……もっとも今の日本にそれだけの余裕があるかどうか……」

 

【キ201火龍】

 

今の日本軍が大日本帝国軍であった第二次世界大戦時末期に計画されたジェット戦闘襲撃機だ。

 

終戦により完成に至らなかった機体が現在の発達した技術を持って復活し、それを青年が使っている。

 

だが青年の言葉に中尉は予想をしていたかのように、やっぱりと呟く。

 

副隊長を務める彼には青年の愛機の状態を傍で見ている事からある程度の状態を把握している。

 

普通ならば即オーバーホールでの整備を行うべきではあるのだが、青年が言ったようにそれほどの余裕がある訳ではなかった。

 

「これも海の化け物の仕業ってやつですかね……」

 

「そうだな。それに対抗する海軍に物資を優先的に回されているためか、我々陸軍の肩身も狭いが致し方ないだろう」

 

青年はため息をつき、自身の愛機に背を向けて中尉が開け放った扉へと歩み外へと出る。

 

真冬の外気を直に受け身震いを起こしながら、ポケットから青い紙箱からタバコを一本取り出して咥え、金で龍が彫られたオイルライターで点火しゆっくりと吸い上げる。

 

煙を吐き出しながら空を見上げると、月が高く上っており、青年の纏う深緑の軍服と黒髪を照らし出した。

 

五年前、突如として現れた詳細不明な謎の生態兵器群によって年を重ねるごとに陸軍の地位は落ちて行った。

 

何しろ歩兵の運用は海では行えず、航空部隊もレーダーに映らなければ一方的に攻撃を受ける。

 

それに対して海軍は生態兵器群に対処する為の力を手に入れ、既に戦果を挙げているともなれば陸の地位が落ちるのも必然といえた。

 

「……隊長は、どうするのですか?」

 

「……質問は明確にするように。いつも言っているはずだが?」

 

突如後ろから投げかけられる中尉の質問に青年は振り向くことなく背中越しにそう伝え、また一口タバコを吸い上げる。

 

聞くことを戸惑っているような様子が気配で分かり、どうやら口にし辛いことを聞こうとしているようだ。

 

「失礼しました。隊長は【火龍】が使えない今はどうなさるのですか?」

 

「……どうするも、機体が直るまで何もできん。いくら我々が上位組織の部隊とはいえ現状がこれではな……」

 

「お言葉ですが、機体が直る見込みはないと思われます。奴はこれを機に隊長を――」

 

「中尉」

 

言葉を遮るように呼びかけた青年の声に、彼は口を紡いだ。

 

青年は呆れるような表情で濁りきった青い瞳を中尉に向け、ため息をついた。

 

「それ以上は言わない方がいい。どこで誰が聞いているのか分からん」

 

「しかし、隊長……いえ、少佐殿も感じ取っておられるでしょう?このままでは散々使い潰されて終わりだということに」

 

中尉の問いに青年は答えない。

 

中尉の言うことは薄々ながらも自分も分かっている事であり、最悪は使い物にならなくなる【火龍】と共に特攻にでも出されて死ぬだろう。

 

だが、だからと言ってもどうすれば良いかなど分かる訳でもなかった。

 

軍を辞めたところで日々貧しくなっていくこの日本で他の職など見つけるのも困難であればコネもない。

 

せめて祖国の華として散る、という程愛国心がある訳でもない。

 

「少佐殿、小官は海軍へと異動する事を提案します」

 

「……海軍に?陸の私を受け入れるほど海軍に余裕がある訳でもないだろう。それに海の事は全く分からん」

 

「ですが、歴史を顧みても陸軍から海軍に異動した者は多数いますし逆も然りです。それに少佐殿はまだ若いではありませんか」

 

――確かに若いとは思うが……。

 

中尉の言葉に青年は困惑していた。

 

確かに歴史上、陸軍から海軍に移ったものは多数いて自分は中尉と比べて年齢も一回り下ではあるが、そう簡単にうまくいかないのが世の中だ。

 

「そうは言うが……私はコネなど無いし、海軍の方も陸の足手まといを引き取るつもりなど無いと思うがな……」

 

「それについては勝手ながら小官が独自に接触し、横須賀鎮守府の司令長官殿が『その気があれば是非とも来て欲しい』とおっしゃっていました」

 

中尉の言葉に絶句し、思わず咥えていたタバコを落としてしまう。

 

いったいいつの間にそんな事をしていたのか、それよりも何故自身にそこまでするのかはっきり言って分からなかった。

 

そんな青年の心境を読むかのように、中尉は微笑んで見せた。

 

「自分は少佐殿のように若い人間を無駄死にさせたくないのです。それに、少し気恥ずかしいですが少佐殿は小官の憧れでもありますので」

 

「……年が一回りも下な若造にか?」

 

「年など関係ありませんよ、少佐殿。まぁこの気持ちはまだ若い少佐殿には難しいでしょうけど。それに海軍に行けば仇を打つ事もできます」

 

「…………」

 

中尉の言葉は青年にはよく分からなかった。

 

落としたタバコを拾い、携帯灰皿へと突っ込む時間を使いながら考えても分からない。

 

だが、最後の仇を打つ事ができるという言葉には魅力的なものを感じる。

 

どうせ散らされる命であれば、辛酸を舐めさせられた相手に少しでも痛手を加えるのも悪くないと感じ始めた。

 

「……苦労を掛ける中尉」

 

「苦労を掛けられるのは少佐殿が我々の隊長となってからいつもですよ」

 

「それもそうか……貴官の思いはしかと受け取った」

 

「はい。こう言ってはなんですが、あいつの仇は必ず打ってください」

 

「あぁ……やれるだけやってみよう」

 

深夜の寒空の中、月明かりを受けながら青年と中尉は別れの握手を済ませる。

 

新たな決意と共に、青年――龍波優翔(たつなみゆうしょう)少佐は海軍への異動を決めた。



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1話:陸から来た男

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騒音が殆ど聞こえない、漆黒の闇が天井を埋め尽くす真夜中。灯台の灯りが広大な海を照らす。その静寂の中、コンクリートで作り上げた地面を叩き擦る音が聞こえる。

 

灯台の光が音の主を照らし、それが人間だと分かる。だが、帽子を深めに被っており顔まではわからないが、身体の骨格からして男だろう。

 

二月の肌を突き刺すような寒さを運ぶ風に煽られ、紺の混ざった長い黒髪と身に纏った新緑色の軍服が揺れる。

冷風に身震いをしつつ、彼は左胸のポケットからふたつ折りにされた一枚の紙を取り出す。

 

それを開き短く読むと、折り戻しポケットに戻す。

 

ふうっ、と短く吐き出す吐息は白く、目の前で霧散する。

 

消え失せる吐息を見送った彼は、何かを確認するように周囲を見渡す。

 

そして彼の目に写ったのは港に座り込む少女だった。

 

氷を思わせるような、儚くも美しい長い銀髪は風に当てられ揺らめき、その髪と同じ色をした瞳は真っ直ぐ海を見つめていた。

 

――間違いない……。

 

彼は一つの確信を持つと、目を細め彼女へと近づく。

 

自身に近づく靴音に気がつき、彼女は立ち上がり音のする方向へと体を向ける。

 

見下ろす様に自分を見つめる彼は頭三つ分程大きい。

 

「……お前が(ひびき)で間違いないか?」

 

「はい、暁型駆逐艦2番艦【響】です」

 

静かな声音で発せられた言葉に彼は頷くと、彼は深めにかぶった帽子を押し上げる。

 

響は顕にされた彼の素顔に目を引かれることになる。

 

彼の顔には眉間から右上頬まで走る細い切り傷があったが、それは些細なことで本当の理由はドブ川の様に酷く濁った目であった。

 

「少し遅れてすまないな。私が本日付でこの横須賀鎮守府へ勤務する事となった者だ。よろしく頼む」

 

「……ようこそ、おいで下さ――」

 

はっ、と我に返った響は少し慌てて挨拶をする様に言葉を紡ぐ。

 

しかし、それは彼の出した左手によって遮られる。

 

「小難しい挨拶はいらん。それと、敬語もできれば止めてくれ」

 

「……分かった」

 

「ン、早速で悪いが鎮守府への案内を頼む。此処の地理は詳しくないのでな」

 

「了解、付いて来て」

 

そう言うなり響は背中を向け、彼を先導する様に歩き始める。

 

弱めの風が彼らに吹きつけられ、男は目の前に揺らめく銀髪を細めた目で見つめる。

 

ふと、ズボンのポケットから青色の短い長方形の紙箱を取り出し、タバコを一本抜き取るなり金色の龍が掘られた黒いオイルライターで点火する。

 

一つ吸い込み、少し貯めた後にゆっくりと煙を吐き出す。

 

ずっと歩き続け肉体が疲れたのか、ニコチンによって頭の中にモヤが掛かるような、目眩に近い感覚を覚えたが、冷気が肌を刺激し直ぐに収まる。

 

「……どうしたんだい?」

 

「……あぁ、すまん。少し疲れただけだ。直ぐに向かう」

 

響に声を掛けられ、ゆったりと返事を返す。

 

彼女との距離を見ると、随分と離れていることに気がつく。

 

――少し呆け過ぎたみたいだ……。

 

ため息を短く吐きながら、また一口タバコを蒸しつつ響の元へと向かう。

 

彼女は首をこっちへ向けたまま、じっと彼を見つめたまま動かない。

 

手の届く距離まで近づくと、ようやく彼女は視線を前に戻し、歩み始める。

 

なるほど、基本的に良い子みたいだ。と勝手に推測しつつ、彼女の後を追う。

 

 

 

あれから、二十分程歩いただろうか。響の案内にて、彼は白色の大規模な施設の入口とも言える場所に立っている。

 

今日から此処が新しい自分の“仕事場”だと脳が語りかけているが、特に何の感情も浮かばなかった。

 

「少し良いかい」

 

「…………?」

 

突如、自身の目の前にいる響が語りかけてくる。

 

何か重要な事でも有るのかと彼女の言葉を待ったが、返ってきたのは。

 

「このまま、貴方の執務室まで案内するけど。その前に他に行く場所はあるかい?」

 

という事だった。

 

確かに重要と言えば重要ではあるが、予め此処の司令長官から着任の報告は明日、ヒトマルマルマルに総司令長官室にて報告する様に言われている為、今日までにやることは特になかった。

 

その旨を響に伝えると、彼女は小さく頷いた後、付いてくるように促す。

 

携帯灰皿に、先ほど吸っていた二本目のタバコを潰し入れ、自身も響の後へとついていく。

 

自動ドアのセンサーが認識し、機械音が低く唸りながらガラスで作られた戸が左右に開かれる。

 

夜中とは言え、中には人気が多い。だが、その男女比率は圧倒的に女性が多かった。

 

だが、それは必然であった。

 

艦娘(かんむす)”どういう経歴で海軍に投入されたのか、彼は知らないが突如現れた謎の敵対艦船群へ対抗する為とは聞いている。

 

予め資料で知識を得てなければ驚いていたであろう、と今更ながらに思う。

 

今自身を案内している響も彼女達と同じ艦娘だ。

 

――世の中分からない事ばかりだ。

 

そんな事を思いつつも、響があるドアの前で立ち止まったことにより、自身も歩みを止める。

 

「此処が貴方の執務室だよ」

 

男の方へと向き直った響は、鍵を彼に渡す。

 

「ありがとう。ずっとあの場で待っていて身体が冷えただろう。良ければ少し休んで行け」

 

Спасибо(スパスィーバ)

 

聞きなれない単語を耳にし、一瞬顔を(しか)めるが、ロシア語だという事を思い出し、渡された鍵を使い部屋のロックを解除する。

 

ドアを開けて見えた部屋は、少し年季の入った暖炉に、青いクロスが敷かれた執務机、机を挟むように設置された書斎棚、執務机と違った小さいテーブル、その上には電気ケトルが置いてあった。

 

特になんともない、質素な部屋であるが綺麗に整っていた。

 

この部屋にある物の殆どは彼が前の勤務地から送っていた物で業者が直ぐに使える様に用意しておいたのだろう。

 

そして彼は、電気ケトルのコンセントに接続し、自身が予め持っていた未開封のミネラルウォーターをケトルへと入れる。

 

「湯が沸くまで、そこの椅子にでも座って待っていろ」

 

「分かった」

 

ケトルの置かれたテーブルの傍にある椅子を指しながら、彼はぶっきらぼうに座るように促す。彼女はまた小さく頷くと、言われるまま静かに椅子に腰を落とす。

 

男はそれを確認するなり、テーブル横に設置された小さな食器棚からマグカップを2つと、カバンの中から彼の好みなのか、インスタントのココアの袋をテーブルへと置く。

 

スプーンで中の粉を適当にマッグカップへと放り込み、彼は湯が沸くまでその場から腕を組んで待っていた。

「……あの」

 

「……何だ?」

 

「貴方が立っているままというのはどうかと思う……」

 

だから、と響は立ち上がり席を譲ろうとするが、男は肩に手を置きそれを阻止する。

 

妙に力の篭った彼の手は、まるで「自分に構うな」と間接的に伝えているようであった。

 

響は暫く彼の濁った瞳を見つめ続けるが、やがて諦めたかのように腰を落ち着かせる。

 

彼も手を離し--カチッ、と音が鳴ったケトルへ目を移す。

 

ケトルを台から取り出し、2つのマグカップへと均等な量になるようにお湯を注ぐ。

 

マグカップから白く立ち上る湯気が現れては霧散していき、見るだけでも暖かそうである。

 

続けてスプーンでゆっくりと中身を数回かき回し、粉っ気がなくなる事を確認すると、一つのマグカップを響に渡す。

 

「……ありがとう」

 

渡されたマグカップを手に取りお礼を言うが、彼は頷くだけで何も答えなかった。

 

必要以上のことは喋らない人なのかも知れない。そう自分で完結させ、ココアを口につける。

 

ほんのりとした甘味が口腔内を満たし、後から来るカカオ特有の微量な苦味が絶妙なバランスを保っている。

 

インスタントの物とは言え、バカにできない味でもあり、何よりも先ほどまで冬の外に居た為か冷え切った体にはちょうど良かった。

 

ほうっ、と溜め込んだ息を吐き出し、マグカップを見つめる。

 

自分の目の前に居る男は、視線を虚空に向けながら同じものを飲んでいるだけで何も喋らない。

ふと、彼女はある事を思い出す。

 

「そういえば……」

 

「……どうした」

 

虚空を見定めていた男の目が彼女へと向けられる。

 

どうやらこの男は、自分に関係あることしか興味を示さないように見える。

 

だが、そんな事は、今は関係なかった。

 

「まだ、あなたの名前聞いてなかった」

 

ぽつり、と発せられた言葉に、男は暫くの沈黙を纏う。

 

やがて、あぁっ。と何かを思い出したように言葉を漏らしてマグカップをテーブルに置く。

 

「確かに、まだ私の名前を教えてなかったな」

 

ふむっ、と何か納得したような声を漏らしながら、彼は一度姿勢を正すと、濁ったその目を彼女の瞳へ向けて教材に取り上げられそうな程綺麗な敬礼を見せた。

「私は、”元” 陸軍独立第10飛行団隊長。龍波優翔(たつなみゆうしょう)少佐だ」

 

独立第10飛行団。その部隊名に響は怪訝な思いを隠せなかった。

 

陸軍に関することは詳しくはないが、飛行団については聞いたことがある。

 

通称FBと称される飛行団は飛行戦隊を筆頭に各飛行部隊の“上級部隊”として存在し「陸軍航空部隊」を組織している。

 

その中でも独立飛行団、通称FBsは飛行師団ではなく更なる上級部隊、高級指揮官の直属となる部隊だ。

 

その隊長と自称する男が目の前にいる。それが一番不思議であった。

 

隊長というのが本当ならば、何故海軍に移ることになったのか、見当もつかない。

 

「……よろしく、龍波少佐」

 

あえて響は返礼を返しながら名前だけを聞いたような口ぶりをする。

 

こういう訳ありの人間の過去を聞くのはよろしくない事だと、感覚が理解している。

 

それが幸をなしたか、彼は若干満足そうに頷く。

 

 

 

「それじゃ、龍波少佐。私は帰るね。ココアご馳走様」

 

「あぁ、ご苦労だった」

 

そう言うと、響はドアを静かに閉める。

 

――……一人居なくなっただけで桁違いに静かだな。

 

一人残った部屋で優翔は執務机に備え付けられている椅子に腰を下ろす。

 

元々彼女自体は騒がしくはなかった、というよりも外見から察するの年にしては静かな方とも感じられる。

 

先ほど感じたのは静けさよりも、虚しさの方が近いかも知れない。

 

自身の考えを否定するわけでもなく、自分を笑うように息をこぼす。

 

懐から銀色に輝く懐中時計を取り出し、開く。

 

時刻は二十一時を刺している。

 

秒針がゆっくりと動くのを見る彼の目は、濁りの中に僅かな哀愁を漂わせる。

 

やがて、懐中時計の蓋を閉めると、懐へと押し込む。

 

こんな夜は寝てしまったほうがいい。

 

そう思った彼は上着をハンガーに掛け、備え付けのベッドに向かう。

 

多少就寝には早いが、明日は早起きせねばならない。

 

やる事がない今は、明日に備えたほうがいいと判断したまでだった。

  

備え付けのベッドへ潜り込み、見慣れない天井を暫し見つめ、やがて目を閉じる。

 

疲労も手伝ってか、意外と直ぐに睡魔が襲ってくる。

 

そのまま睡魔に体を委ね、意識を深い闇へと手放す。

 

 

 

次に優翔の見た光景は、狭いコクピットに押し込められ、計器を見ながら空を飛んでいた。

 

――あぁ、またこの夢か……。

 

幾度見たのか覚えてないほど、何度も見た夢であった。

 

慣れた手の感触を味わいながら自身が搭乗しているのは、先日までの愛機であった試作戦闘爆撃機【キ201火龍】だ。

 

第二次世界大戦に設計された日本初のジェット戦闘機だが、開発が間に合わず、ロールアウトせず終戦を迎えた幻と言われた機体だ。

 

何らかの目的があったのか、現在になって近代的な部分を取り入れて開発され、完成した物を今自分が乗っている。

 

「……こちら、龍波少佐。目標の撃破を完了。帰投する」

 

丁度今しがた、いつもやっている急降下爆撃で“所属不明艦”を轟沈させたところだ。

 

どんな艦であろうと、音速のスピードで叩き込む800kg爆弾の一撃に耐えられる鑑は存在するはずがない。

 

当初は所属不明という単語に怪訝な思いが浮かんだが、日が増すごとにそれらは多くなって気にしなくなっていた。

 

(こちらも目標の轟沈を確認した。よくやった龍波少佐。直ちに帰投したまえ)

 

スピーカーから少しばかり不機嫌そうな上官の声が聞こえてくる。

 

この男の声は不愉快極まりなかった。

 

一年前から私の部隊の上官となっては、無茶な任務ばかり押し付けてきた。

 

私が任務に成功すれば不機嫌になり、また無茶な任務を叩きつける。

 

そのくせに任務に失敗すれば嬉々とした表情で、無能だの、クズだの好き放題言ってくれた物だ。

 

だが、それはまだ許せた。一番許せないのは私の部下にも同じ仕打ちをするどころか、こいつの無茶な任務によっ

て部下が失った時、こいつの顔は……。

 

本気でこいつの脳天に爆撃してやろうかと何度思った事か。

 

「聞いたとおりだ、帰投するぞ」

 

(了解)

 

(イエッサー)

 

通信を入れ、後続する部下に伝えると、若い男と女の声が聞こえる。

 

男の名前は“佐藤中尉”私の部隊で最古の部下であり副隊長を務める気さくな男だ。

 

そして女の名前は“竹本准尉”前に任務で亡くなった部下の代わりに入った真面目な女性だ。

 

本当によく付いて来たと感心する。

 

(……?隊長、レーダーに不可解な反応が――)

 

「……どうした准尉?」

 

ザザッ、と耳障りなノイズを聞いた直後に准尉の機体が爆散したのは、今でも忘れられない。忘れられる訳がなかった……。

 

 

 

「……最悪な目覚めだ」

 

瞼をゆっくりと開けつつ、優翔はポツリと誰に言う訳でもなく呟く。

 

あの時から一年以上も立つというのに、あの光景は今でも夢に出てくる。

 

縛られているとでも言うのか、はたまたトラウマになったのか、むしろその両方かもしれないと最近は思う。

 

上体をゆっくりと起こしながら、懐に入れた銀色の懐中時計の蓋を開ける。

 

時刻はマルハチサンマル。

 

身支度を済ませ、朝食を取るには十分な時間だ。

 

蓋を閉め、元の場所に懐中時計を戻し、優翔はベッドから身を下ろす。

 

朝食を取るも、食堂に向かうのも面倒だと思ったのか、自前のレーションを取り出し齧り付く。

 

ちょうど良く昨日沸かしたケトルのお湯も保温されてそのままだったので、昨日の夜と同じようにココアを入れる。

 

そろそろ中身が無くなってきたのか、若干中身が少ないように感じる。

 

また買ってこなければならないようだ。

 

「…………」

 

マグカップを執務机に置きながら優翔は昨日見るはずだった書類を今更ながら読み上げる。

 

その資料は艦娘に関する詳しいデータが纏められた物だ。

 

駆逐艦から正規空母、艦種による装備の規格、その装備に関する詳しい情報etc.枚数だけで言うなら一部で何十ページも束ねられている。

――面倒くさい……。

 

と思いながらも優翔は注意深く読みながらページを進めていく。

 

面倒な事は嫌いではあるが、これからは艦娘と言う新たな部下を従える事になる。

 

彼女達は命も感情も有る。人間と殆ど同じなのだ。

 

面倒だからと言って、基礎知識を怠れば彼女達の命が危ういだけでなく、そのせいで命を散らせてしまえば、軍人としてではなく、人間として最低だと彼は思っている。

 

命を預かる立場であるのならば、それ相応の覚悟を持たなければその資格は無い。

 

何よりも、陸軍に居た頃と比べればこれぐらいの面倒は我慢できる。

 

「……駆逐艦に関してはこれで最後か」

 

一つの書類を読み終わり、懐中時計を取り出し時間を確認する。

 

時刻はマルキュウサンマル。

 

そろそろ総官室へ向かう時間だ。

 

結局、一番枚数の少ない駆逐艦の事しか頭に入らなかったが、着任早々戦艦など預かる訳でもない。

 

おそらく、駆逐艦を宛がわれるだろう。

 

そう、半分推測で済ませるとすっかり冷えきったココアを胃の中へと流し込み優翔はハンガーに掛けた上着を着込み、執務室を後にした。

 

 

 

その男は、大きく開け放たれた窓から見える海を見渡しながらある人物を待っていた。

 

いかにもと言う風な豪華な装飾が施された執務机を撫でつつ、平静を保ち待っていた。

 

ふと、壁に掛けられた時計を見ると、召集時刻まで後10分だ。

 

その時、扉を叩く、軽く乾いた音が室内に響いた。

 

「入りたまえ」

 

扉越しに伝わる、背後からの気配に見向きもせずに彼は、ただ一言投げかける。

 

「失礼します」

 

一拍置いてから、低い男性の声が聞こえ、その声の主は扉を開け部屋に入る。

 

紺が混じった黒髪をうなじ辺りで結い、濁った眼には何も映っていな。

 

入室したのは優翔だ。

 

「元陸軍独立第10飛行団隊長、龍波優翔少佐、只今到着致しました」

 

部屋に入った途端に微かな違和感感じながらも姿勢を正し、敬礼と共に未だに背を向けている男に告げる。

 

男は一度頷くとゆっくりとこちらを見やる。

引き締まった肉体を白い軍服で纏い、左腰には紅色の鞘に収められた軍刀、所々白髪が混じった角刈りの黒髪に同じ色の軍帽を乗せている。

 

その表情は決して老いを感じさせない鋭い眼光を放ち、幾度の修羅場を超えた表情(もの)を感じさせる。

 

そして一際目に映るのは両肩に装飾された、黄色い布地に上下の端には黒いラインが入り、銀色の桜紋が3つ等間隔に並べられている。

 

「よく来たね、龍波少佐。私がこの横須賀鎮守府の総司令官“景山玄一郎(かげやまげんいちろう)”大将だ」

 

大将、その階級に嫌でも緊張が走る。

 

本来なら自分程度の者なら滅多に口を開くことはできない人物だ。

 

意識してなくとも背筋が伸びる。

 

「まぁ、いつでも敬礼しているままでは疲れるだろう。楽にしたまえ」

 

「はっ、失礼します」

 

彼の言葉と手の動きを見て優翔は右手を下げ、両腕を背中に回し腕を組む。

 

静まる部屋の中、生唾を飲み込み優翔は再び口を開く。

 

「閣下、このたびは私のような下士官をお招きいただき、ありがとうございます」

 

「なに、君の活躍は海軍にも伝わっていてね。君が海軍への異動を希望した時には正直喜ばしかったよ。まだ海軍は慣れないだろうが、君の活躍を期待している」

 

「はっ、ありがとうございます。小官、閣下のご期待に応えられるよう尽力を尽くす限りであります」

 

優翔の言葉に満足したのか、玄一郎は、うむっ、と大きく頷き、ふと視線を落とし執務机を撫でる。

 

その視線を辿ると、ほのかな悲しみと怒りが混じっている。

 

「しかし、陸の奴らの考えは全く持って分からん……。何故君のように若く才能ある物を潰そうと考えるか理解に苦しむ……」

 

「…………」

 

この言葉に彼は何も答えない、いや答えられなかった。

 

元居た上官を非難している者が目の前に居たとしてもそれに肯定すれば上官侮辱罪となる。

 

着任早々そんな事で独房入りなんかされたら堪った物じゃない。

「まぁ、そんな事はどうでも良い。……して、貴官には――」

 

そこで彼の言葉は遮られた。

 

タイミングが悪く、この部屋の扉を叩く音が聞こえたからだ。

 

一瞬、ムッとした表情をした玄一郎は低く、入りたまえ、と言うとその人物は入ってきた。

 

「失礼しまぁす。司令官、お茶をお持ち致しましたぁ」

 

甘ったるい、舌足らずな声と共に入ってきたのは、茶髪のセミロングに黒い制服とミニスカート、左襟には三日月の飾りが付いている。

 

睦月型駆逐艦7番艦の文月だ(ふみづき)。が二人分の緑茶の入った湯呑をお盆に乗せやってきた。

 

――何て間の悪い奴だ……。

 

優翔は背中に嫌な汗が伝うのを感じつつ、彼女を見やった。

 

先程、玄一郎はあれだけ不愉快そうな表情をしたのだ。

 

次の瞬間には怒号がこの部屋に響き渡り――。

 

「おぉ!文月、お茶を持って来てくれたのかぁ。お茶はこの机に置いておくれ」

 

「はぁい、司令官」

 

――……はっ?

 

口に出さない様にするのがやっとだった。

 

聞こえてきたのは怒号では無く、まるで祖父が孫娘に会って喜ぶような声だった。

 

「文月は良い子だなぁ。言ってもいないのに、ちゃんと来客分まで持ってくるとは」

 

「えへへ、司令官もっと褒めて~」

 

「おー、よしよし。良い子だなぁ」

 

先程とは違う嫌な汗が身体中から吹き出てくるのが分かる。

 

玄一郎は優翔の事を放っておいて、文月に夢中になっている。

 

自分の中で目の前の大将という人物の威厳がガシャガシャッと音を立てて崩れ去っていくのが聞こえてくる。

 

とは言え、下手に動いたり、喋ったりすればどうなるのか知った事ではない。

 

動けば死、動かなくとも地獄。

 

ある意味、陸軍に居た時に行われた対G訓練よりも辛い空間であった。

 

今すぐにでも逃げ出したい。

 

そう思いながらも、耐えろ、と左手の甲を抓りながら、唇を噛み、必死に耐える。

 

「司令官、さっきからお客さんがそのままだけど、いいのぉ?」

 

「あっ」

 

――あっ、じゃねぇよ!

 

心の中で盛大に叫びながら、優翔はそれとは別に文月に感謝をしつつ更に背筋を伸ばす。

 

一瞬の沈黙の後、玄一郎は大きく咳払いをし、姿勢を正し彼と向き合う。

「して、貴官にはこの鎮守府にて勤務してもらい、これから渡すであろう任務を遂行してもらいたい」

 

「……了解いたしました」

 

一瞬で元の表情へと戻り、そのまま何もなかったかのように続ける玄一郎の姿と言葉に危うく吹き出しそうになるのを堪え、再度大物は格が違うことを実感した。

 

今度は黙って頷く彼は執務机に備えられた電話に手を伸ばす。

 

「あぁ、私だ。彼女を此処へ来るよう伝えてくれ」

 

それだけ言うと、受話器を戻し、部屋の隅に置かれたダンボールを漁る。

 

彼が取り出したのは、海軍で着用を義務付けられた軍服だ。

 

「もう直ぐ君の秘書となる艦娘がやってくる。そして今日からは君はこれを着たまえ」

 

優翔に渡されたのは、ビニールに包まれた真新しい軍服一式だった。

 

自分の秘書艦も気になり、できれば癖のない者が望ましい。

 

すると、ちょうど良くこの部屋の扉を叩く音が聞こえた。

 

「入りたまえ」

 

「……失礼します」

 

先ほどと同じように玄一郎が言うと、一泊置いてから細い女性の声が聞こえる。

 

そして、彼女はこの部屋に入ってきた。

 

「暁型2番艦、響到着しました」

 

昨日、優翔の案内役を努め、執務室にて別れた響だった。

 

彼女が此処にやってきたことに優翔は若干驚きを隠せなかった。

 

「うむ、響、彼が君の司令官となる者だ。よろしくやってくれ」

 

玄一郎の視線の先を追い、彼女も若干の驚きを見せ、直ぐに素の表情へと戻る。

 

そして、優翔の隣へと歩いていき、彼を見上げる。

 

「……昨日ぶりだね、龍波少佐」

 

「あぁ、そうだな」

 

二人のやり取りに、玄一郎は意外そうな表情を見せる。

 

「おや、既に会っていたのか」

 

「えぇ、昨日此処へ案内してくれたのは彼女ですので」

 

なるほど、と優しい目を見せた彼は何かしら感じたのかもしれない。

 

だが、優翔は彼に何を感じたのかは全くわからなかった。

 

「それは、ちょうど良かったな。既に面識のある者ならやりやすいだろう」

 

「はぁ……」

 

勝手に納得されたが、相槌を打つ以外彼には何もできない。

 

面識があるといっても昨日会ったばかりでそんなに上手く行くものなのか怪しいところである。

「では、改めて、指令を出す。”龍波大佐”は暁型2番艦、響を秘書艦として迎え、この横須賀鎮守府にて勤務を全うするように」

 

「はっ!了か――。……お待ちください」

 

再度敬礼をし、了解を唱えようとしたところで彼は目の前の大将の言った一言に引っかかり、つい待ったをかけてしまった。

 

その張本人は怪訝そうな表情で彼を見やる。

 

「ん?どうしたかね」

 

「あの、“大佐”とは?小官の階級は少佐であります」

 

玄一郎は、何だそんなことか、と言いたげな表情をしてから一度ため息をつき、こちらに背を向ける。

 

一泊置き、彼は落ち着いた口調でこちらに語りかける。

 

「今までの君の戦果等を考えれば、とっくにこれぐらい昇進してもおかしくはない。そう判断し、そうしたまでだ」

 

「はぁ、しかし……」

 

不意に玄一郎と目が合い言葉を遮られる。

 

口答えはするなと言うような目つきに心臓が飛び上がりそうになる。

 

「……要するに、陸軍としての君はもう死んだと思って、これからの勤務を全うしろ。という意味だよ」

 

「あぁ、戦死した人にも二回級特進したりしますもんねぇ。司令官お上手ぅ」

 

「んー?そうだろう、文月」

 

そんな、物騒な理由で自分の階級を上げないで欲しい。

 

またもや文月に甘い姿を見せた玄一郎に呆れながら、そう思ったが、実際は先ほどの言った言葉の通りなのだろう。

 

やがて、諦めたかのように小さくため息をつき、優翔は再び敬礼をする。

 

「了解しました。これより、龍波大佐として任に付きます」

 

「うむ、頑張りたまえよ」

 

玄一郎の了承と共に、優翔は海軍大佐として新たな任に就くこととなった。

 

今までとは180°違う方針に、果たして上手くやれるのか、そんな不安が無いかと言えば嘘となる。

 

だが、もう二度と陸には戻らないのだ。

 

選択肢など、とうに一つしかない事が分かっている以上やり切るしかないのだ。

 

 

着任の挨拶を済ませた優翔は、自身の秘書艦となった響を連れ、自分の執務室へと戻っていた。

 

着任してから早々に任務が無く、響とのコミュニケーションを取る時間が有る事に景山大将に感謝すべきかも知れない。

 

と、思いながらも自身の秘書艦を見やる。

 

「……?司令官、何だい?」

 

その視線に気がついた響は、不思議そうに優翔を見る。

 

「いや、昨日会って、少し話をしたぐらいなのに、私の秘書艦となるとは、これは運命ってやつなのか?っと、思ってな……」

 

自分で言っておいてキザな台詞だ。と苦笑しながらも響の問いに答える。

 

それに釣られてか、彼女もまたクスリッと笑みをこぼす。

 

「司令官は意外とロマンチストなんだね」

 

「ロマンチックな事とはかけ離れた職業で食っているけどな」

 

冗談を半分交えた言葉を、先ほどとの苦笑とは違った、柔らかい笑みを浮かべながら、彼女へ言う。

 

そんな彼の笑みに響は若干驚いたように眉を上げる。

 

「司令官、笑うことできたんだね」

 

「……酷い言い草だな。私は機械ではなく人間だ。笑いはする」

 

彼女の言葉に一瞬ムッとした表情を浮かべるが、実際自分でも少しとは言え笑ったのは久しぶりだったかも知れない、と心の奥で思う。

 

そんな彼の反応が面白かったのか、響は押し殺してはいるが、声を出して笑っていた。

 

「ごめんね。司令官の目を見た時は、笑う事は無いような人だと思っていたから」

 

「…………」

 

優翔は苦笑を返すだけで、反論はしなかった。

 

というよりも、できなかったのかもしれない。

 

実際に陸にいた頃を思い出せば、笑う余裕など無かった。

 

整備不良が少しでも存在すれば、即死に繋がる空の勤務は正直に言えば楽ではなかった。

 

だがそれでも、ここに来るまでに続けていたのは、空を初めて飛んだ時の感覚と、軍人としての責務があったからだった。

 

「……司令官?」

 

「ん、いや。何でもない」

 

――少し熟考しすぎたか。

 

今でも陸のいた頃に縛られている自分に嫌気を感じながらも、彼女に相槌を打つように返す。

 

それと同時に、もう自分は陸軍の人間じゃないと言い聞かせる。

「さて、響。明日から本格的に任務が言い渡されるだろう。正直、私は艦隊指揮など知識でしか無く、経験なんざ全くない」

 

「…………」

 

執務机に膝を置き、口の前で手を組むような体制に入りながら優翔は響に語りかける。

 

彼女も彼の目が真剣な物となったのを感じ、黙ってそれを聞く。

 

「当然、戦うのはお前達艦娘で、私は指揮をするだけだ。お前からしたら、訓練などを積んでない陸上がりの軍人に自身の命を預けることに不安があるだろう。それでも私に付いていってくれるか?」

 

「貴方の秘書艦となった事でそれは分かりきっているし、嫌だったら景山大将の部屋で『嫌だ』って言っているよ。私は司令官に付いて行くよ」

 

「ありがとう」

 

本心でも思いながら、彼女に言う。

 

分からないことだらけではあるが、そんなもの直ぐに分かる様になれば良い。

 

そう心の中で決め、優翔は椅子から腰を上げ、彼女の前に立ち右手を差し出す。

 

「まぁ、未熟者だがよろしく頼む」

 

「こちらこそ、龍波司令官」

 

彼女が手を握り返したのを感じ、握手を済ませると、優翔は窓から見える海を見渡す。

 

明日から未知なる者達との戦いが始まることを受け入れるかのように。

 

――お前達の敵は必ず取る。それまで墓参りは今しばらく待っていてくれ。

 

目を固く閉じ、過去に失った部下達の顔を思い浮かべ、懐の懐中時計を握り締め、優翔はそう誓う。



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2話:その少女はつむじ風の如く

時刻はヒトヒトサンマル。あと四半刻程で昼となる時間に、一人の男が自身の執務室にて一枚の資料を険しい表情で見つめている。

 

濁った目で流すように資料に刻まれた文字列を左から右へ、また左から右にと繰り返す。

 

半分以上読み上げたところで、男は大きなため息をつき、被っている帽子を脱いで机に置く。

 

「……こんなの、私の所に押し付けてどう言うつもりだ……」

 

ガシガシと自身の黒髪を強めに掻きながら、龍波優翔大佐は誰に言うわけでも無くぼやく。

 

そんな彼の横から、彼がいつも使っているマグカップが差し出される。

 

差し出した者を見やると、自身の半分位の身長の小柄な、銀髪の少女、響だ。

 

「司令官、そんなに荒れてどうしたんだい?」

 

「荒れてる……ねぇ。確かにそう見えるかもな」

 

彼女からマグカップを受け取り、中身を一瞥する。

 

ダークブラウンの色合いをした液体が湯気を登らせながら、甘い香りを出している。

 

自身の私物のココアパウダーを溶かしたものだと直ぐに分かった。

 

若干匂いが強いように感じるのは、響がパウダーを多く入れたせいであろう。

 

一口飲んでみると、やはり少し甘さが強いようにも感じる。

 

だが、甘いものが好きな自身の味覚のおかげかすんなりと飲める。

 

「それで、何であんな大きなため息をついていたんだい?」

 

ゆっくりと液体の表面を息で吹きかけつつ、響は優翔に問う。

 

ふうっ、と小さいため息を吐き、彼は机に置いた資料を響に渡す。

 

それを左手で持ち、資料に書かれている文字を読み上げる。

 

それは“一人”の駆逐艦に関する資料であった。

 

「これは、“島風”に関する資料だね。何故、彼女の資料が司令官に?」

 

「……彼女が私の指揮下に入るからだ」

 

優翔の言葉に一瞬我が耳を疑った。

 

島風と言えば、数ある駆逐艦の中でも突飛つした最高峰の性能を誇る者だ。

 

駆逐艦の中でも火力、雷装共に高水準であり、中でも速度に関しては駆逐艦どころか全艦を見ても最速クラスを誇り、スピードで彼女に勝るものはいないとも言われている。

 

しかし、高性能な反面駆逐艦の中では燃費の悪さに加え、タービンが一点物となり整備性に何があり、量産されず、ワンオフどころかオンリーワンとなった。

 

そんな高級艦もとい一人しかいない彼女に何故、海軍に異動してから一日目の優翔の元に来ることになったのか検討がつかない。

 

当の本人も何故そうなったのか分からないような表情をしている。

 

というよりは、思い当たるフシがあるというような顔であった。

 

「……それで、何故彼女が司令官の元に?」

 

「……厄介払いだろうな」

 

険しい表情でココアを啜り、彼が一言発したのはそれだった。

 

――厄介払い……?

 

彼の発した言葉の意味が良く分からなかった。

 

彼女は最高峰の駆逐艦だ。そんな彼女が艦隊に加われば大きな力になる。

 

自身が知っている中でも、この横須賀鎮守府に勤務する多くの提督の二十人以上は彼女を欲している者がいるはずだ。

 

そんな彼女が厄介払いというのはどういう事なのか詳しく聞きたかった。

 

「……一人だけ性能が他と突出していても意味がないという事だ」

 

そんな彼女の考えている事を見通したのか、優翔は再びため息をついて言う。

 

だが、それだけでは伝わらないのか響は頭の上に疑問符を浮かべたままである。

 

――まぁ、彼女らは詳しく知らないだろうから致し方あるまい。

 

一から説明することになる事も仕方ない、と割り切り、彼女と正面を向かい説明を始めることにする。

 

「基本的に艦娘は艦隊を組むことは六人と決まっているのは知っているな?」

 

「うん、学校の実践訓練でもそう教わった」

 

「その艦隊を組む上で重要視されるのは、火力面や艦種よりも速度差の均等化が一番重要となっている」

 

艦娘に学校等があることに若干驚きはしたが、そんなこと今はどうでも良く話を進める事にする。

 

「考えてみろ、トップスピードで進軍している六人の中で五人の速度が五だとして、一人だけその倍の十だったらどうなる?」

 

「それは、残りの五人を置いていって一人だけどんどん先に進むね。……あっ」

 

ここまで説明して響は何かに気がついたように、声を上げる。

 

その様子を見て優翔は首をゆっくり縦に振る。

 

十の内、三しか言ってない状態で察するのであれば相当優秀な方だと一人で評価しながら。

 

「そうだ、一人だけ速度が速くても、それで孤立しては意味がない。むしろ孤立している分、残りが援護しに行くのも遅れるがそこは島風が速度を調整すれば良い。問題は戦闘状態では常に速度を出しつつ右往左往するんだ。彼女のスピードに付いてこられる奴など居ないし、陣形も崩れるわ仮に衝突しそうになれば、避けるのも難しい」

 

そこまで言うと、優翔はココアをまた一口と飲み、ため息をつく。

 

そのため息は落ち着きか、もしくは憂鬱によってかは、響は知る余地もない。

 

「……それで、司令官は島風をどうするの?手に余るって言って、返還を申し込む?」

 

そう響が問うと、彼はマグカップをわざとらしく音を出しながら机に置く。

 

「冗談を抜かすな。他の奴が扱えないなら、私は扱って見せるさ」

 

そう答える彼は、口端を釣り上げ不敵に笑う。

 

よほど自信があるのか、それともただの負けず嫌いか、どっちとも取れるようであった。

 

「大きく出るね、海軍に入ったのは昨日の今日なのに」

 

「こういうのは、要するに戦い方次第だ。まぁ、陸に居た頃はじゃじゃ馬と有名な【火竜】を使いこなしてみせたんだ。やってやるさ……」

 

――艦娘は戦闘機と違うと思うけど……。

 

危うくそう言いかけたが、心の中に押し込めることにした。

 

下手に口出しをして、一週間トイレ掃除なんて言われたら洒落にならない。

 

今はその自信が続くまで見届けよう。と、響は思うことにした。

 

 

 

――今度はどこに行かされるんだろう……。

 

防波堤へ腰を下ろし青い海を眺めながら露出の高い服装、金髪のロングヘアーの頂点から伸びる様に突き出たトレードマークとも言えるウサギの耳の様なリボンを揺らしながら彼女、島風は連装砲に顔が付いた謎の生物、連装砲ちゃんを抱きしめながら思いふけていた。

 

何度目になるか分からない部隊異動の指令。

 

三回目から既に数えていなかった。

 

自身が配属されると知り歓喜した者は多数居た、だがそれは直ぐに落胆とも悲観ともいえる事になり配属がどんどん変わっていき遂にはどこの艦隊にも所属せず一人になってしまった。

 

――私が悪い訳じゃないもん、私に追いつけない遅い子達が悪いんだもん。

 

連装砲ちゃんを抱きしめている腕の力を強めながら視線をぽつりと落とした。

 

不意にこちらに近づく様に聞こえる靴音が聞え、ピクリッとウサギの耳の様なリボンと首を動かす。

 

高い背丈に海軍の軍服を纏う男が、暁型2番艦の響を連れて歩いている。

 

ふぅっと彼の口から吐き出た煙は、吐息によるものでなく右手の指に挟んだタバコが見えその煙だと理解した。

 

「……お前が駆逐艦【島風】であっているか?」

 

「……誰?」

 

いきなり現れた男に怪訝な思いをあらわにしながら島風は男に問う。

 

男は一度タバコを口にし煙を吐き出すと彼女に目を合わせる様に、濁った眼を向ける。

 

「上官に対して随分な口の利き方だな。まぁ良い。私は今日からお前の司令官となる龍波優翔大佐だ」

 

「……龍波大佐?知らない」

 

「だろうな、私事態は昨日陸軍から海軍に入った者だからな」

 

その言葉で島風の疑心感をさらに強くさせた。

 

――そんな右も左も分から無い人が私の提督?

 

そう思考した所で彼女は「あぁ、私は捨てられたんだな」と思った。

 

「……はぁ?何それ、そんな素人も良いところの人が私の提督?馬鹿にしないでもらえない?」

 

「……島風、彼は上官だよ。口を慎んだほうが――」

 

「関係ないよ、どうせ私より遅いんだもん」

 

小馬鹿するような物言いに、流石に不味いと思ったのか響は止めに入るが、それを遮る様に彼女はそういう。

 

――なるほど、どうやら性能意外に性格にも問題ありそうだな。

 

一度小さくため息をついた優翔は携帯灰皿に吸っていたタバコを押入れ、彼女へと向き合う。

 

「どうやら納得していないみたいだな」

 

「当たり前でしょ……素人さん!」

 

抱きしめていた連装砲ちゃんを置いて立ち上がったと思えば、彼女は驚異的な瞬発力で優翔へと突貫した。

 

何をするのか見当が付いた響は優翔を守るために前に出ようとするが、差し塞がれた彼の左腕で前に出られなかった。

 

乾いた音がその場に響き、一瞬の沈黙が場を支配した。

 

反応できないだろう速度で打ち込んだ蹴りは彼に届かず、その細い脚首を握り受け止めていた。

 

島風は何が起こったのか理解できず目を白黒させ、彼の濁った眼とぶつかった。

 

「良い蹴りだが、甘い」

 

「おぅっ!?」

 

そう言い放った優翔は振り払うように右手を振り、彼女を地面へと叩き付ける様に投げる。

 

背中から伝わる衝撃に変な声を洩らし怯んだ彼女に優翔は懐に手を入れながら近づく。

 

――撃たれる……!

 

動作で拳銃を抜くと判断した島風は身体を強張らせ目を瞑る。

 

次に聞こえたのはバサッと何かを広げる様な音で痛みなどは襲ってこなかった。

 

恐る恐ると目を開けた彼女の目に映ったのは一枚の書類だった。

 

「これが横須賀鎮守府最高司令官、景山大将閣下からのお前の指揮権と保有証明の書類だ。私の指揮下に入るからには私の指示に従ってもらう。響、このじゃじゃ馬を連れて執務室に先に戻るように、私は閣下からの召集命令を済ませてくる」

 

「了解」

 

書類を島風の目の前に落とし、後ろの響へ指示を出すと優翔はその場からスタスタと歩き去って行った。

 

自身の目の前に落とされた書類を拾いながら島風は呆然と彼の背中を見ていた。

 

「大丈夫?島風」

 

「……何なの、あの人……」

 

響の問いに答える訳でもなく、島風は譫言の様に呟くのだった。

 

 

 

広い廊下に十分すぎる程響くため息を漏らしながら歩いて行く。

 

――閣下め……相当なじゃじゃ馬を寄越してくれたものだ。

 

まるで年頃の女の子の面倒を任されたような気分に陥り気力が右肩下がりになっていく。

 

一際大きい木の扉の前に立ったところで先程までの気分を振り払い、気を引き締めながら服の乱れを直す。

 

一度大きく深呼吸をし、準備を終えると扉を三回ノックする。

 

「入りたまえ」

 

「失礼します。龍波大佐、ただ今到着いたしました」

 

扉越しに伝わる声を聴き、扉を開け入室すると執務室の傍で腕を組みこちらを見やる彼に敬礼をする。

 

彼も返礼し腕を下ろした所で自分も敬礼を止め、背中で腕を組み待機する。

 

「うむ、昨日の今日で召集を掛けてすまないな」

 

「いえ、閣下のご尊顔を拝見でき光栄でございます。して小官にどのようなご用件でありましょうか?」

 

「そうだな、とりあえず座りたまえ、立ちっぱなしは疲れるだろう」

 

景山はそういうと、来客席へと移動し、豪華なソファに腰を落ち着かせる。

 

「失礼します」

 

彼が座ったのを確認してから自身も席に着き彼の言葉を待つ。

 

数秒の沈黙がその場を満たし、重苦しい雰囲気が流れ出る。

 

「それで、島風とは会ったかね?」

 

口を開いた景山の言葉に今回呼ばれた理由が島風に関する事も含んでいると言うのが分かった。

 

「はい、先程会いました」

 

「して、彼女の印象はどうだった」

 

自身の中での印象はかなりの低評価だが、少し考える素振りを見せて言葉を選ぶ。

選んだつもりではあったが……。

 

「……かなりのじゃじゃ馬です」

 

どんなに脚色しようともこれは絶対にはずせなかった。

 

「じゃじゃ馬か、君が以前に乗り回していた【火竜】とどちらが扱いにくいだろうかな?」

 

「……【火竜】より扱い辛いかもしれません。出会いがしらに蹴られそうになりました」

 

「それはまた、災難だったな」

 

冗談交じりでどちらが扱い辛いかを聞いてみたが、蹴られそうになったという言葉に景山は誤魔化すかのように苦笑を浮かべた。

 

優翔はただ肩を竦めて肯定を示すだけであった。

 

「それで彼女、島風の処分はどうするのかね?」

 

「……処分、とは?」

 

「君への暴力行為を行った島風に対する処分だ。もっとも士官学校の頃から対人戦闘、特に近距離戦闘に秀でた貴官のことだから赤子の手を捻るように返り討ちにしたと思うが」

 

「過分な評価を頂き光栄であります。して……処分、ですか」

 

苦笑の後に顎を指でなぞり考える素振りを見せる。

 

別に処分をどうするか等考えていなかった、確かに軍に身を置くものにとって上官に対する暴力行為は減給だけで済むようなものではない。

 

――とは言え……相手は艦娘だしな。

 

これが普通の人間であれば処分などいくらでも考えられるが、相手は艦娘というのが悩ましいところであった。

 

というよりも赤子によだれを掛けられた程度にしか考えていなかったこともあって、別に罰則を与える様なことは考えてもいなかった。

 

「閣下、小官としては彼女――島風への処罰は不問とさせて頂く所存であります」

 

「それでは他に示しが付かないのではないのかね?」

 

――ほら来たよ、示しという面倒なものが。

 

若干ながら鋭くさせた景山の眼光を受けながらそんな事を考えながらも、すでに用意をしていた切口を切ることにした。

 

「閣下、お言葉ではございますが……私自体に大した怪我も無ければあの場に居たのは私と響、島風の三人のみで他の者は見ておりません。むしろ私は彼女を地に叩き伏せたのでそれで水に流そうと思います」

 

「ふむ、既に体罰を行ったことでそれ以上の処罰は行わないと?」

 

「はい。それにこれこそ言葉が過ぎますが、あの程度で一々処罰を与えるほど、今の日本に人的にも物的にも余裕はございませんので」

 

「そうか……どちらにしても島風は貴官の者だ、好きにすると良い」

 

「ありがとうございます」

 

優翔の言葉に納得の表情を見せた景山は礼と共に頭を下げる青年を満足げに見やる。

 

もっとも処分をしないならそれで実際にはどうでも良くて、彼の余裕のないという現実を聞けば些細なことに時間を割くのはバカバカしいと感じるのも同感だからだ。

 

そう、余裕などない。深海棲艦の登場によって領海域での活動が極端に狭まった今の時代は他に現抜かすようなことは害悪であった。

 

今まで海路による貿易が主だったのが深海棲艦によって困難となったのだ。

 

できる事と言えば空路による貿易、艦娘による鼠輸送程度だがそれぞれ問題が生じる。

 

前者は撃墜される危険性を考えると頻繁に行えない事と撃墜された時には貴重な物資が大量に失う事、SSTO等さらに高度を取れる物であれば撃墜される心配はさらに少ないがコストが割に合わない。

 

後者に至っては人間の少女と同サイズの艦娘が持ち運べる物資の量などたかが知れている。

 

短距離であれば有効となる事もあるが、他国等長距離となれば運べる物資は少なく深海棲艦との接触によって轟沈の危険もあれば輸入先の国で鹵獲などされたら貴重な戦力に加え機密の漏洩につながる。

 

この様な状況から各国は鎖国状態が強いられる事となっている。

 

この日本に至っては江戸時代ぶりとなるものであろうか。

 

「閣下……?」

 

「む、すまん。少し考え事をしていた」

 

「はぁ……左様でございますか」

 

――我ながら熟考していたものだ。

 

優翔の声に現実へと引き戻された景山は姿勢を正して再び彼の方へと向き直る。

 

目の前の青年はずっと姿勢を正したまま自身の声を待っており、軍人としては良いのだろうが見るだけで堅苦しいと思える。

 

ずっと肩筋を張っていて疲れないのだろうかと何とも場違いな感想を抱く。

 

「それで閣下、小官を招集いただいた本当の訳はどのようなものでしょうか」

 

「ふむ、流石に疑り深い……いや、用心深いといったところか」

 

「……お言葉ですが、島風に関しての事であれば報告書で済む話です、閣下が時間を割いてまで小官に招集を掛ける理由には薄いと感じておりました」

 

「結構、では本題に入るとしよう」

 

大体は上官が招集を掛けて呼び出した時に他愛もない世間話から始まる場合は重要な事を伝えるためのクッションの場合が殆どだ。

 

それも、大抵が面倒くさい方向であることが多い。

 

目の前で足を組み、先ほどまでの優しそうな目が嘘のように鋭くなる。

 

これも一種のサインであり、余程の事を話すから覚悟しろと意味でもある。

 

「いきなりではあるが、翌日ヒトマルマルマルより海軍中央本部にて会議が行われる。それに私も出席する事となる、龍波大佐は私の副官候補として共に東京へと出向いてもらう」

 

「私が……失礼しました、小官が閣下と共に東京にございますか?閣下、お言葉ですが私は海軍に入って日が浅い、それに閣下の副官は――」

 

「言わんとしていることは分かる」

 

優翔の言葉を手で遮り、景山は周りを見渡し誰も居ないことを再度確認した直後に重苦しい表情を浮かべる。

 

目も先ほどの鋭い眼光は消えうせ、追い詰められているかのようなものになっている。

 

「貴官が言いたいのは、副官には椎名(しいな)少将が既にいるという事であろう?」

 

身を乗り出して優翔だけに聞こえるように小さく呟くような言葉に優翔は声には出さず頷いて肯定を示す。

 

大将という事実上の海軍のトップである人物に付く副官と言えば将官の者が付いているのが殆どであり、それは彼も変わらない。

 

「実はな、公には椎名は横須賀鎮守府ではなく別の泊地にて任務を行っているとなっているが実際は違う。椎名は現在負傷しており軍病院にて入院して動けないのだ」

 

声に出さないようにするのが精いっぱいだった、総司令である者の副官が入院など寝耳に水もいいところだ。

 

だが、よく思い返してみれば着任の挨拶の時に居たのは景山だけで居るはずの副官である椎名少将が見えず、今更ながら違和感の正体に気が付いた。

 

「……少将のご容態は?」

 

「峠は越えた様であるが、未だに気が抜けない状態だ」

 

――これは、かなりまずいな。

 

本来副官というのは指令の多忙な業務を補佐する役割として配置されているが、椎名少将はそれだけに留まらず、この横須賀鎮守府の副司令を兼任している。

 

その人物が入院しているということは今のこの横須賀鎮守府にはトップである者が一人欠けているようなものだ。

 

「中央での会議で大将である私が副官を連れずに参加するのは周りに不審ならまだましも変に不安を煽る事になる。そこですまないが、椎名が不在の中で現在横須賀鎮守府に居る軍人で私以外に階級が一番高い貴官に副官候補として共に出席してもらいたい。会議が始まったら沈黙も発言も自由にしていい、ただ私の隣へ座って貰いたい」

 

「……了解しました、小官ごときが椎名少将閣下の代役に務まるか不安ではございますが閣下のお役に立てれば、と思います」

 

「すまんな、面倒をかける」

優翔の言葉に小さいながら重く謝意を示した景山はソファから腰を浮かせ自身の執務机へと歩み寄る。

 

その引き出しから数枚の書類を纏め上げた束を一部取り出すと、優翔の前に差し出した。

 

「これが明日の会議の議題を纏めた書類だ。後で目を通しておくように」

 

「はっ、執務室に戻り次第拝見させていただきます」

 

「よろしい。それと椎名少将については他言無用で頼む。この事を知っているのは貴官を含めほんの一握りだ」

 

「心得ております。秘書艦の響にも口を割らない事をお約束いたします」

 

言い終わった直後の絶妙なタイミングで戸をノックする音が室内に響いた。

 

――あぁ、このタイミングはもしや……。

 

ノックの音に若干のデジャブを感じながら影山が入室を許可し、入室してきたのは茶髪のセミロングに黒い制服に左襟の三日月の飾り、睦月型7番艦の文月が姿を見せた。

 

「失礼しまぁす。お茶をお持ち致しましたぁ」

 

その舌足らずな声を聴いて昨日の記憶が一気に呼び起される。

 

違う点といえば、昨日と違いタイミングが良いことぐらいで、それ以外は殆ど同じであり、そこから容易に思い浮かぶ次の光景は……。

 

「おおっ!いつもすまないなぁ文月」

 

――ほらな、予想通り。

 

昨日とほぼ同じ様な反応を示す景山にあまりにも予想通りすぎる展開に苦笑を堪えて無表情を貫くのが精いっぱいだった。

 

どうも景山は文月を孫娘のように特に可愛がっている様に見える。

 

「龍波大佐もどうぞぉ」

 

「あぁ、ありがとう」

 

差し出された湯呑は淡い色の緑茶が湯気を立てており、柔らかい茶葉の匂いが広がり鼻孔を刺激する。

 

景山は既に茶を飲んでおり、ならば自分もと湯呑を取り一口飲みこんだ。

 

――なるほど、これは美味いな。

 

緑茶はあまり詳しくないものの、良い茶葉を使い丁寧に淹れられたと分かるくらい美味しいものだった。

 

「どうだね、龍波大佐」

 

「はい、美味しゅうございます。茶葉の旨味を殺さないように丁寧に淹れられているのが分かります」

 

「そうだろう。文月の淹れるお茶は美味いからなぁ。何杯でも飲める」

 

「えへへぇ、嬉しいです」

なるほどな、と心の内で呟きながら景山と文月を交互に見やる。

 

海軍大将であり横須賀鎮守府の総司令官ともなればその身に降りかかる激務は想像を絶するものだ、それを一時の猶予として差し出されるお茶も次の執務の励みとなる。

 

本質は兵器なれど、人としての思考をもって配慮もできる艦娘は良い者だと思える。

 

女子供を戦場へと向かわせているという罪悪感などは別にしてではあるが。

 

「さて、文月がせっかくお茶を持ってきてくれたのだ。募る話も茶を飲みながら話そうではないか」

 

「はい、よろしくお願いいたします」

 

茶を交えながら、明日の会議に関する会話が再開された。

 

持ってきた本人である文月は話が再開したとたんいつの間にか退室している。

 

いったいどのタイミングで出て行ったのか分からなかったが、そんな事よりも集中しなければならない事が目の前にある事からそれらの思考を切り捨てた。

 

 

 

「おっそーい!!」

 

優翔の執務室から扉越しに外にも届くような声が響く、声の主は島風の物だった。

 

彼女は執務室に設置されているソファに腰を落ち着かせながら両足をバタバタと振って不満をぶちまけていた。

 

不満の理由は優翔が中々執務室に戻ってこないからだ。

 

優翔が島風に渡した書類は本物であることは彼女も理解しており、そのため指令を受けるためにこうして執務室で待っているのだが、一時間以上待っても戻って来ないことで彼女の口から不満が漏れたのだ。

 

もっとも、一緒に執務室に戻った響は彼が上官の招集命令を受けて司令長官室に向かって、なおかつ景山大将と話していると知っており長くなるだろうと予想していた事から地団太踏んでいる島風に肩を竦めて見やるのだった。

 

「景山大将の元に向かっているんだ、長くなっても仕方ないと思うよ」

 

「それにしてもおっそーい!!」

 

元々の短気も相まってどうやら投げ飛ばされた事もあって不満が収まらないようだ。

 

――と言っても、投げ飛ばされたのは島風が悪いけどね。

 

小さくため息をつきながら、食器棚からマグカップを二つ出してその中にココアパウダーを数杯入れ、電気ケトルのお湯を入れかき混ぜる。

 

「とりあえずこれを飲んで落ち着いたら?はい、ココア」

 

「……ありがとう。って、これ龍波大佐の私物だよね?勝手に使っていいの?」

「問題ない、司令官からは飲みたかったら勝手に使っていいと言われている」

 

「ふーん……」

 

許可を得ているなら良いか、と思いながらビターブラウンの色合いの液体を啜る。

 

甘いながらほんのり苦味を交える味わいは確かに落ち着くには丁度良いと思える。

 

「でもさ、響ちゃん。龍波大佐っていったい何者なの?」

 

「元陸軍独立第10飛行団隊長と本人から聞いた事しか私も良く分からない」

 

「秘書艦なのに?」

 

「私も司令官に会ったのは一昨日が初めてなんだ」

 

「それなら仕方ないかぁ」

 

口ではそう言いつつも、実際のところは疑心感で胸中はいっぱいだった。

 

陸軍から海軍に異動する事は別に珍しくもなければ逆もありえるものだが、詳しくはないものの飛行団の隊長にまで上り詰めている人間が何故海軍に異動したのかも気になるところではある。

 

だが、それよりももっとも気になるのは別の部分であった。

 

「でもさ、なんか変じゃない?」

 

「……変って?若い外見で階級が高い事?それとも目が濁り過ぎていること?」

 

「違―う!確かに階級も妙に高いし、目も死んでる魚みたいに濁っているけど、艦娘の蹴りを余裕の表情で受け止められるのが変だって言っているの。私達艦娘って普通の人間より身体能力が高いんだよ?陸軍に居たからっておかしくない?」

 

島風の疑問には響自身も薄々感じていたことだった。

 

重量のある艤装を装備しても軽々と動け、艤装によって海上をスケートの様に滑る事が出来るほどのバランス感覚。

 

細身の身体に似合わない主砲の反動に耐えられる筋力など、艦娘の身体は人間の身体能力を軽く凌駕している。

 

ともなれば、艦娘の放つ体術は殺人的なものであり、おまけに島風は自身が自負するほどスピードが自慢で普通の人間が反応するのは難しい。

 

まともに受ければ大の成人男性を数十メートルは吹き飛ばされるような蹴りを優翔は受け止めるどころか投げ返して反撃している。

 

島風が手加減しているような様子は見えなかった事もあり、言われてみれば謎ばかりが浮かぶ。

 

そんな響の様子に良しと思ったのか、島風は不敵な笑みを漏らした。

 

「ねぇ、気になるなら調べてみない?」

 

「調べるって、どうやって?」

 

「丁度いいのがあるじゃん」

 

そういう島風はあるものを指で指し示し、その指先には執務机に配置されているノートパソコンだった。

 

提督達が事務仕事などに使うために海軍から支給されているパソコンであり、その中には重要な機密や情報が内包されている禁断の箱に等しいものだ。

 

「……まずいよ、司令官のパソコンを下手に触るのは」

 

「平気だよ、海軍のデータベースだったら龍波大佐のパスで閲覧できるし怪しまれないよ。それに響ちゃんも気になるでしょ?」

 

制止の声を掛けるも、島風はそう言いながら椅子に飛び乗るように座り電源ボタンを押す。

 

丁度スリープモードだったからか、ディスプレイは直ぐに点灯し冷却ファンの駆動音が静かに音を鳴らし始めた。

 

こうなったら止まらないと察した響はいざとなったら自分も一緒に怒られる事を覚悟して島風の隣に立った。

 

「えっと、データベースは……これかな?」

 

備え付けられているマウスを弄り、マウスポインターを右往左往させながらデスクトップの数あるアイコンの内「JND」(Japanese navy databaseの略)と書かれたアイコンをダブルクリックする。

 

瞬時に読み込まれた画面には各鎮守府や泊地の状況、連絡用のBBS、マイページ等のクリック一つでそれぞれのページに飛べるボタンが配置されており、島風は鎮守府の状況のページに飛ぶボタンをクリックする。

 

次のページにはそれぞれの鎮守府や泊地の名前が並んでおり、その中で「横須賀鎮守府」を選択する。

 

そこには鎮守府全体の身通り図が表示され、昨日から現時間までに起きた状況が左から右へと流れている。

 

上部には所属の軍人、過去の状況、所属の艦娘の一覧、鎮守府専用のBBS、があり迷わず所属の軍人をクリックする。

 

そこには顔写真と共に名前がリンク付きで載っており、最上部には景山大将が、その下には椎名少将が載っている。

 

だが今目当てとしているのはその二人ではなく、優翔の情報であり少し気が惹かれるもマウスホイールを下へと転がしてページをスクロールさせる。

 

数回転がした時に階級順に並んでいるのか顔写真は載っていないものの、その下に「龍波優翔」とはっきりと名前がリンク付きで直ぐに出てきた。

 

「顔写真がないね……」

 

「一昨日所属になったばかりだから用意ができてないだけかも」

 

他愛もない会話を交えながら名前をクリックすると、そのページはまっさらに近く「二○六○年二月一日:日本陸軍より日本海軍『横須賀鎮守府』へ異動」とのみ書かれていた。

 

「……これだけだね」

 

「待って、下の方に経歴って書いてある」

ページ内の何もなさに呆れる様な声の響に対して目敏く島風は別のページに行くためのリンクを見つけ出し、それをクリックする。

 

クリックした時に先ほどと違い、何かを読み込むかのように少しばかりの間が空いてページが表示された。

 

その中には優翔のこれまでの軍人としての経歴が記載されていた。

 

「おぉ、色々載っている」

 

「……良いのかな、軽く個人情報を盗み見しているような……」

 

「今さら言いっこなしだよ」

 

二人は気が付いていないが、こうも容易く優翔の経歴にアクセスすることができたのは、優翔のパスコードを使用して自身の経歴を閲覧しているからであり、他の者の経歴を見るとなれば司令長官及び副司令長官である景山と椎名の二名以外はパスコード入力が必要である。

 

それを知らないまま二人は優翔の経歴を上から順番に読み始めた。

 

「えっと、二〇三七年六月一八日生まれ、血液型B-型、身長182cm、体重71kg……えっ?二〇三七年生まれってことは……」

 

「……現二三歳で次の六月で二四歳だね」

 

「それで大佐って若くない!?」

 

明かされた優翔の年齢に驚く二人はしばらく呆けるようにディスプレイを見つめ続けていたが、先に我に返った島風が次へと進んだ。

 

「えっと……二〇五五年に日本軍に志願、百八期生として士官学校入学。二〇五六年士官学校次席にて卒業。陸軍に所属し少尉階級を授与ってことは一八歳で士官学校に入って一九歳の卒業時点で既に少尉か」

 

「……将校過程みたいだね」

 

「士官学校の教育プランが変わって昔より短くなったって聞いたけど、一年で卒業するものなのかな……」

 

「たしか五年前と言えば丁度その時期に深海棲艦が出現した時期で、急遽軍の人手を増やす為に研修時期を短くしたはずだよ。その頃はまだ余裕があったみたいだけど念を入れて」

 

丁度五年前の世界情勢が一気に変わった年頃での軍部では隣国との衝突や正体不明な深海棲艦への対策として色々と試験的な意味合いを含め余裕があるうちに準備を整えていた時期だ。

 

その中でも優翔が軍に志願した年は例年よりもはるかに志願する者が多かったと聞く。

曰く国のため。曰く軍に入って家族を優遇させたいから。曰く私利私欲等色々な思惑が交えていたようだ。

 

「士官学校時代では、座学も常に上位だったみたいだけど、それ以上に実戦訓練の成績は殆ど主席だね。特に白兵戦による対人戦闘の部門では教官を打ち負かしたりしているね」

 

「……本当に陸軍向きの成績だね。海軍に移ったのが不思議なくらいに」

 

「確かに。それに正式に陸軍として配属になった初期の段階で選抜射手として活動しているね」

 

「選抜射手って何?」

 

「【マークスマン】とも言われている兵種で、簡単に言うと一般歩兵と狙撃兵の中間みたいな兵士だね」

 

「なんか、いよいよ化け物染みてきたね……」

 

響の説明にとても本人を前にして言えないような暴言をげんなりとした表情で言い放ちココアを飲み干した島風に苦笑し、自身もココアの残りを胃に流し込み続きを読み始める。

 

「えっと、数々の任務をこなして二〇五七年に中尉に昇進……えっ、その五か月後に大尉に昇進している」

 

「嘘ッ!?いくらなんでも昇進スピード早すぎない!?」

 

通常ならばありえない昇進の速さに島風が声をあげたところで、ガチャリと執務室の扉が開かれる音が聞こえる。

 

その音に身を硬直させた二人は振り返るように扉へ見やると優翔が気難しい表情で片手に資料束を持って入ってきた。

 

「……ん?お前達、私の執務机で遊ぶのは良いが、書類とかを破るなよ?」

 

入室して開口一番に放ったのはその一言だった。

 

どうやら自身の机で遊んでいると勘違いをしての発言のようで、二人は頷きながら内心で胸を撫で下ろした。

 

「しかし響、お前が勝手に人の机を漁るとは思わなかったんだがな……」

 

「ごめんね、少し気になったことがあって」

 

「……ネットでも使っていたのか?」

 

歯切れの悪い返事に疑心感を表に出した優翔は机に近づくと、二人が動揺するような仕草を見せ始めた。

 

更に疑心感を強くさせ、パソコンの画面を覗くと、どこかで見たことのある経歴が画面上を埋め尽くしている。

 

断片的に見ても身に覚えのある記録である事から、どうも二人は自分の経歴を漁っていたのだと理解した。

 

二人を交互に見やるといたずらがばれた子供の様にバツの悪そうな表情を浮かべており、ため息が自然と漏れた。

 

「なんだ、私の過去を調べていたのか。それならそうと正直に言えばいいものを」

 

「……怒らないの?」

 

島風からの問いに優翔はその質問の意図があまり理解できなかった。

 

少しばかり間をおいて考えて、自身の過去を盗み見した事を怒られると思ったのだと理解した。

「怒る必要性が見当たらないな。上官が何者なのか分からずに使われることに不安を覚えるのは私にも経験がある。むしろ自分から情報収集を行うその意欲を褒めるべきだと私は思うがな」

 

――とは言ったところで、限度自体はあるが。

 

と付け加える優翔に、二人は目を丸くして唖然とするだけであり、小さなため息をついた彼は椅子に乗っている島風を持ち上げて隣に下し、自身がその椅子に腰を落ち着かせる。

 

「さて、招集命令を終えてこうして戻ってきたわけではあるが、生憎と任務がまだ入ってきていない」

 

「司令官が保有している艦娘は現在、私と島風の二隻だから仕方ないね」

 

「まぁな。そこで一つ連絡事項がある。よく聞け」

 

二人を正面へと移動させ、先ほど持ってきた資料束を二人の前に置く。

 

その資料は機密事項扱い故か、表紙には特秘と赤字で書かれ、海軍の印鑑が押されている。

 

「司令官、何だいこれは?」

 

「明日ヒトマルマルマルに海軍中央本部にて会議がある。私は影山大将閣下と共に中央へ向かうことになったのでな、その資料だ」

 

平然と言い放つ優翔と裏腹に二人の反応は驚愕に等しいものだった。

 

普通ならありえない事ではあるのでその反応は予想していたかのように彼の表情は無反応のままであり、さらに説明を加える為に口を開いた。

 

「本来なら大将閣下と行動をするのは副官である椎名少将閣下ではあるが、少将閣下は別任務で動けない状況の為、他に階級が一番高い私が選ばれたという理由らしい。人手不足というのは嫌なものだな」

 

冗談交じりの彼の言葉に苦笑を誘われる二人ではあるが、言外にただ事ではないという意味を含めているのは薄々ながらも感じ取れた。

 

そこで確認のために彼女たちは質問を投げかけた。

 

「司令官が中央に行っている間、私達はどうすればいいのかな?」

 

「訓練を行った後、私が戻るまでは好きに過ごしていい。戻り次第に指示を出す」

 

「鎮守府内での緊急があった場合は?」

 

「閣下と私が不在の時は小山中佐が鎮守府を預かることになり、他の提督達も対応にあたる。私の指揮下にある二人に指令が下りる場合はその都度確認を通すことになっているから私の指示待ちということにして貰いたい」

 

どちらにしても優翔が居なくては動けないという事を知りえた二人は互いの顔を見合わせ、どちらが先か定かではないが苦笑に似たため息が二人分漏れた。

 

――まぁ、何とかなるだろう。

 

その二人の様子に小さく笑みを浮かべた優翔は心内でつぶやいた。

 

「さて、私は明日の事もあるので”これ”を読み老けてなければならない。二人は今から自由時間として明日に備えて英気を養ってほしい」

 

「了解」

 

「はーい」

 

二人だけしかいないとはいえ何ともバラバラな状態で少しばかりか不安を感じるが、出会ったばかりの上司は海軍に異動したての新米で指揮下の艦娘も二人のみであればそれも致し方ないものだろう。

 

――せめて、艦隊を組める人数の六人は欲しいな……。

 

とは心では思うものの、そんなに簡単に艦娘は手に入らないのが現実だ。

 

今回の島風の様な例は例外中の例外であり、地道に任務を達成し艦娘の所有権を手に入れるか、保有する個人資材を使って建造するしかない。

 

優翔も鎮守府に所属する司令官の一人である為、工廠を使い建造する事は可能ではあるが海軍に異動したての身で保有する資材は雀の涙程度だ。

 

彼女達が任務で出撃することになれば、補給の為に使わざる得ない現状ではうかつに使えないのも泣ける懐事情である。

 

「あぁ、そうだ。重要な事を忘れていた」

 

「……?」

 

「大事な事?」

 

思考を巡らせているか、突如としてそんな声を上げた優翔に駆逐艦の二人は首をかしげながら彼の続きの言葉を待った。

 

「私の部隊にようこそ、島風。まだまだ始まったばかりではあるが、私は貴艦を歓迎する」

 

優翔は口の端を持ち上げ、不敵に笑いながらそういう。

 

唐突なことで島風は一瞬唖然とした表情で彼を見やるが、直ぐに不敵な笑みを浮かべ言い放った。

 

「言っておきますけど、私はまだ大佐を認めてませんからね」

 

「上等だ、直ぐに認めさせてやるさ」

 

穏やかとは言い難い笑みを浮かべる両者を交互に見つめながら、響は肩を竦めた。

 

朝方と同じほどの自信を持っている優翔に、警戒心もあることからか認めようとしない島風、どちらが先に折れるか見ものではあるが、できることであればさっさと仲良くなってもらいたいものであった。

 

何せ秘書官である自分は板挟みに近い状況に立っているような物で、二人の仲が良くなればその状況もなくなるのだから。

 

――それもまぁ、追々という事かな。

 

細やかながらの祝いの為、優翔のマグカップを取り出し、先ほどまで自分達が使っていたマグカップにココアパウダーを入れて作りながら響はそう思うのだった。。



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3話:中央本部へ

二〇六〇年二月三日、マルナナサンマル。

 

執務室内に存在する寝室にて優翔は目を覚ました。

 

自身以外の気配で目覚めた訳ではなく普通の目覚めではあるが、用心深く視線を左から右に、更に右から左と流し誰も居ない事を確認して上体を起こす。

 

左手にはオンタリオン社製の SP2 Air Forceを握っている。

 

航空隊に所属になってから肌身離さず持っている愛用品だ。

 

サイバイバルナイフなので戦闘用に作られた物では無いものの、刃の耐久性があり長く使えることと、戦闘なら他のナイフを使うのであくまでも護身用に近いものだ。

 

普通はナイフを握りながら眠ることなど無いが、陸軍に居た頃にはゲリラ戦はおろか大規模な白兵戦なども行って居た事から長時間安心して眠ることなどできなかった。

 

その為か気配を感じれば直ぐに覚醒できるように長く寝ても三時間で一度目を覚ましてはまた三時間寝て、いつでも迎撃できるようにナイフを握りながら寝る事になっていた。

 

海軍に移った今ではそんな事になるのはまずないことではあるが、習慣というものは中々抜けないものである。

 

等と自身に呆れながら、ナイフを手放してハンガーに掛けられた海軍の制服を取り、羽織るように肩に乗せて寝室から出た。

 

扉を開ければ直ぐに執務室となっており、スムーズに業務に移れるのは中々素晴らしいものだと思い始めて来ている。

 

陸軍に居た頃では、そこらの岩を机代わりにすることの方が多かった。

 

それと比べたら、比べる方が失礼なほどだ。

 

電気を付け、椅子へと腰を掛けて机に置いたままである資料を再度目を通す。

 

今日の議題が乗っている大事な資料であるから、何度も目を通して確認するのは必要な事ではあるが、いささか面倒くさくも感じるが大将と共に行動するとなれば失態は避けなければならない。

 

――コンコンコンッ。

 

何行目か目を運んだ時に戸を叩く音が聞こえる。

 

この時間帯で執務室に入室する者は一人しか居ない為、立ち上がり出迎える用意をする。

 

「入れ」

 

「失礼するよ」

 

戸を開け、入って来たのは秘書官の響だ。

 

彼女は左腕にトレイを持っており、持ったまま敬礼をする。

 

多少不躾に見えるがトレイを置く所がない事もあり、敬礼をするのであれば別にとやかく言うつもりは無いため返礼を返し、先に手を下げる。

 

「おはよう、司令官。さっそくだけど朝食を持ってきたよ」

 

「あぁ、ありがとう。机に置いてくれ」

 

海軍に入って驚いた事の一つではあるが、毎朝秘書艦となる艦娘が朝、昼、晩と必要ではないとき以外は三食持ってきてくれることだ。

 

陸に居た時には全くもって考えられない事で、あの時はレーションを齧るか、野生の動物を狩って調理するか、もしくは何も食べないかであった。

 

と思い出しながら、響が持ってきた朝食を見るとトースト(ブルーベリージャム付)、スクランブルエッグ、ミニサラダ、紅茶と質素なものだ。

 

だが、自分には丁度良い量であり、そもそも陸軍では粗食で良しとしていた風習がありそれを経験している身としては十分に豪勢だ。

 

「今回は丁度良い量だな」

 

「昨日は多すぎるみたいだったから、かなり少なめで平気かな?って思ったけどよかったよ」

 

「元々、私自身が小食でもあるし、陸軍ではこんな豪勢なのは出なかったからな。いただきます」

 

その言葉を聞いて、響は少し呆れるような表情を見せる。

 

何を呆れているのか優翔には分からなかったが、とりあえずとトーストを齧りながら書類を読み進める。

 

「聞いている限りだと、陸軍はだいぶ酷かったみたいだね」

 

「少年兵とかがないのが救いなレベルだ。よく齧っていたのが一ブロックで一日分のカロリーを摂取できる化け物カロリーブロックだな。……味はコンビニの健康食品の方がはるかに美味いが」

 

「それは悲しいね」

 

実際に相当悲しい部類だろうと、心の中で呟きながらカロリーブロックの味を思い出していた。

 

平ったくいえば、生焼けのクッキー生地みたいなものでボソボソしている。

 

それが嫌で休日中にコンビニに行って、例の健康食品を買い溜めする兵士も多かった程だ。

 

自分自身は特に気にしていないので、暇がない時はよく齧っていたが部下に味覚が平気なのか聞かれたときは僅かに精神的にダメージを受けた覚えもある。

 

「それで、司令官」

 

「何だ?」

 

「司令官はマルハチマルマルには此処を出るとは聞いてるけど、帰りは何時頃になるんだい?」

 

「大凡ではあるが、遅くともヒトヨンマルマルには戻るだろう。会議とはいえ、各鎮守府の司令長官が担当を長く離れる訳にはいかないからな」

 

「了解、その時間帯に合わせて訓練の内容でも考えておくよ。昼食はどうする?」

 

「中央でそのまま取ってくるので必要ない。訓練の内容に関しては任せる」

 

先ほどの雑談から打って変わって如何にも事務的な会話内容だと思わされる。

 

食事を取りながら書類を読み進むには支障の無い会話の密度ははっきり言って嫌いではない。

 

しかしながら、幾ら普通の人間の少女とは違う艦娘とはいえ見た目の割には大人し過ぎる様にも思えるのはそれはそれで些か疑問に思う。

 

大抵は年齢にそぐわない精神構造している者は過去に何かしらの傷を抱えている事が多いものではあるが、それがなんなのかは優翔には分からない。

 

とはいえ、それに土足で入り込むのもモラルに欠ける行動である為、無関心そうに思われるであろうが触れない事が一番だったりする。

 

一通りの思考を纏め上げた直後に、執務室の扉が勢いよく開け放たれる。

 

バタンッと騒がしい音に、二人は扉の方へ目を向ける。

 

「おっはよー!……オゥッ!?大佐、銃を出してどうしたの?」

 

扉を勢いよく開け放ったのは島風であり、彼女の言葉に響は優翔の方へと視線を向けると。

 

左手に【ベレッタM93R】を握っており、銃口は島風の額の少し上を向いていた。

 

大きなため息をついた優翔はゆっくりとベレッタを下げ、懐のホルスターへとしまい気分を落ち着かせるためか紅茶を一口飲みこんだ。

 

「……島風、今後は執務室に入室するときはノックをしてゆっくりと扉を開けるように」

 

「なんで?」

 

「……第一に騒がしい。第二に敵襲と勘違いする。撃たれたくなければ次からそうしろ。私も部下を撃つようなことはしたくない」

 

「はーい……」

 

眉間を抑えながら言う彼の言葉に島風はげんなりとした表情に変えた。

 

――まったく、大丈夫なのだろうか……。

 

少しばかり頭痛を訴える自身の額に対して更に眉間を強く抑えながらも不安を心内で呟く。

 

それでも昨日会った時には蹴りを入れてきた時を比べれば、ちゃんと返事をするあたりはまだマシだろうと無理やり納得し、時間が無くなっている事に気が付き急いで残りを胃の中に流し込むのだった。

 

 

 

時刻はマルハチマルマル。

 

身支度を整えた優翔は軍帽を深めに被り鎮守府正面口へと移動した。

 

既に門前には黒塗りのリムジンが待機しており、おそらく景山は既に車内だろう。

 

「では行ってくる。留守中は頼んだぞ」

 

「了解、いってらっしゃい」

 

「いってらっしゃーい」

 

それぞれの反応を示しながら敬礼する二人に微笑を交え返礼し、リムジンへと向かう。

 

傍に近寄ると運転手が待機しており、座席のドアを開け向かいいれる。

 

中を覗けば運転手の後ろの座席に景山が座っており、視線をこちらに向ける。

 

「閣下、遅れて申し訳ありません」

 

「気にするな、私も今しがた乗ったところだ。座りたまえ」

 

「はっ、お隣を失礼させて頂きます」

 

優翔が乗り込み、数瞬後にドアが静かに閉められ運転手が席にへと戻る。

 

運転手が戻り、シートベルトを装着したところでリムジンはゆっくりと静かに動き出し、横須賀鎮守府から離れて行った。

 

なんとなく窓から鎮守府正面口を見やれば、未だに二人は敬礼をしたまま直立不動しておりこちらが完全に見えなくなるまで動かないつもりみたいだ。

 

不意に横から抑えるような笑い声が聞こえ、視線を向けると景山がクツクツと笑い此方へと向いた。

 

「出発前に見送りとは、慕われているではないか。特に島風は昨日とは大違いではないか」

 

「……彼女たちは義務と感じて行動しただけでしょう。小官を慕うにしては、小官には時間と実績が足りません」

 

「謙遜するな。響はともかく、島風を扱った者から見れば彼女が見送りをするなど前代未聞だぞ。何せ命令無視は当たり前であの性格だ。煮え湯を飲まされた者は多い」

 

そう言われれば少しは喜ばしいが、完全には喜べないのが現状であった。

 

島風との出会いは正直、彼女からすれば自分の第一印象は最悪そのものだろう。

 

陸軍からの異動者で海軍については素人同然の男が、反撃の為とはいえ地面に叩きつけたのだから。

 

優翔から見れば、あれは慕うという感情とは真逆の畏怖のようなものだ。

 

大人が子供を力づくで言う事を聞かせている、彼女はそう捉えてもおかしくもなんともない。

 

「誤解です、閣下。彼女は……島風はただ怖いから従っているだけでしょう。大の男が顔色一つ変えずに女子供を投げ捨てれるのですから」

 

「ふむ……まぁ、貴官がそう思うのなら今はそれで良いだろう。私にはそう思わないがな」

 

景山の後半の言葉には何も言えなかった。

 

景山と自身の年齢差は親子くらいの差が有るため、見える部分が違うのだろうとは思う。

 

人生経験という観点でいえば天と地の差があれば、彼女達の接している態度である程度分かるのだろう。

 

――もっとも、今の自分では考えたところで分からず終いだろう。

 

優翔にとって年頃の少女というのはどうしても苦手な部類ではあった。

 

陸軍時代でも女性と接する事はあるといえども、それは部下と上司という真柄での話でつい最近の事でいえば故人である竹本准尉が当てはまるが、プライベートで接した事はほとんどない。

 

おまけに彼女は若いが大人の女性だ、今部下として接している艦娘である響と島風の外見年齢はもっと幼いし性格も外見年齢相応のようなものだ。

 

方向性が違ければ、接し方もどうすれば良いかなんてわかるはずもなかった。

 

「ところで、今日の議題の資料は読んできたかね?」

 

「はい、議題の内容も全て頭に入っております。ただ……」

 

「ん?何だね?」

 

突如問われるも、何とか冷静に返す事が出来たのは幸いだったが、そう聞かれて一つだけ腑に落ちないところがあり書類を取り出す。

 

そんな優翔の態度に景山は興味を示したのか、僅かに優翔の方へと身体を寄せて資料の方へ見やる。

 

その中で優翔はある一点を指を指して質問を投げかけた。

 

「この議題一覧の最後の所ではありますが、これには議題の内容が書いておらずどのような事になるのかが想定が付きません」

 

「ふむ……確かに、ゲリラ戦等を行って居た貴官からすれば内容が不明な要点は避けたいところか」

 

そう答える景山ではあるが、その顔には僅かに冷や汗が混じっている。

 

何か、とても嫌な予感がすると感じた時に彼の口が開かれた。

 

「実はな、私にも知らされていないのだ」

 

「……馬鹿な、大将である閣下にも知らされていない項目など……」

 

「そう、普段ならあり得ない。だが現にこうなっているという事は……元帥、または参謀本部……最悪は陛下が判断し会議の場まで内密にしたいという事なのだろう」

 

景山の言葉に、優翔は思わず目を鋭くさせた。

 

まず、第一として天皇陛下がそのような判断を下すはずがなかった。

 

今の日本は第二次世界大戦の時と比べ天皇による絶対的な権力は皆無だ。

 

公には日本最高人物として宛がわれて最高権力者ではあるが、その実態は参謀本部となった首脳陣によって思うままに操られる傀儡となっているのだ。

 

――天皇のクソジジイがそんな判断ができるとは思えん。とすれば参謀部が濃いな……。

 

決して人前では絶対に言えないような暴言を心の中で呟きながら、更に思考に老けると浮かび上がるのは参謀本部であった。

 

優翔ら前線で戦う者からすれば目の上のたんこぶ、とも言えるような存在であり、彼からすれば天皇よりも嫌な存在だ。

 

そもそもの時点で鎮守府等の前線と後方に位置する軍本部の認識の相違が今の時代になっても酷いのだ。

 

どれだけ前線側から嘆願を書類でダース単位で送った所で、後方の本部は所謂”大人の事情”で全て、もしくは殆どを有耶無耶にするのだ。

 

そうなる原因はただ一つであり、現場との認識が違うのも有れば本部が現場の状況を知らない事から始まる共通の認識というものが欠けているから他にならない。

 

元々参謀本部に行くようなものは大体が士官学校卒業した直ぐ、もしくは首脳陣の身内等で実戦を経験した事のない者が集まっており直接机上理論の塊なのだ。

 

珍しく実戦の経験がある者が参謀本部行きとなった所で、一人の考え等大多数の意見の前では無意味なのだ。

 

そのような所から、後方は当てにならず訳の分からない事まで命令が来るのが前線組の泣き所なのだ。

 

「先に謝っておく、すまない龍波大佐」

 

「……いきなりどうされたのですか、閣下」

 

「……貴官は既に認識しているであろうが、この会議には参謀本部も交えられている。貴官には海軍に入って早々に醜い汚点を見せる事になってしまう」

 

見ていて此方の胸が苦しくなるような悲痛な表情であった。

 

分かりきっている事ではあるが、改めてそう言われれば覚悟せざる負えない。

 

だが、優翔にとって幸いとも言えるのは大将という普通であれば参謀本部へと異動となってもおかしくない最上階級の人物が前線へと留まりこうして若い自分と共に居てくれることであった。

 

「後方の無能さ加減は陸の頃からでも分かりきっている事であります。私が心配しているのはただ一つです」

 

「何だ?」

 

「……会議中にタバコを吸えますでしょうか?場合によっては吸い貯めて置かなければならないので」

 

優翔の言葉に一瞬呆けた表情を見せた景山は直ぐに車内の外にまで響くような笑い声を上げた。

 

苦し紛れのジョークではあったが笑ってもらえただけ良しとすることにした。

 

「全く、この大事にタバコの心配とは、余程の大物か馬鹿者かのどちらかだな?」

 

「恐れ入ります」

 

「安心したまえ、会議に使われる部屋は喫煙可、どころか大体が喫煙者だ。存分に会議の席で吸うと良い。私に煙を掛けぬようにしてくれればな」

 

「細心の注意をもってして吸わせていただきましょう」

 

 

 

「うあー……響ちゃん、訓練少しきつ過ぎない?」

 

「きついって?それはすまない。だけど島風は少し全力を出し過ぎるきらいがあるから、余力を残せる様にするのが今後の課題だね」

 

優翔が海軍中央本部へと向かって一刻半が過ぎるか否かの時間、訓練を終えた島風は心底疲れた様子で工廠のベンチで伸びていた。

 

訓練の内容としては、海上移動中における射撃訓練であり、絶え間なく動いて砲撃を交える砲雷撃戦での基礎中の基礎であり最も重要な内容だ。

 

それを優翔が鎮守府を出てからずっと続けていたのである。

 

島風がこんなにも疲労状態なのかと言えば、訓練中に常に最大船速で移動し砲撃を行う事を続けていた為、訓練を初めて僅か三十分で燃料が切れて一時中断をする事になった。

 

補給を済ませて十分の休憩を置いてから訓練を再開したが、やはり最大船速のまま行うため、所々で中断を交えてまた再開と繰り返した結果が動けなくなる程のスタミナ切れであった。

 

響は困っていた、彼女……島風が猪突猛進気味であることは知っていたが、それにしても度が過ぎている。

 

一回目の中断で最初から全力を出し過ぎないように注意しているが、直る見込みがない。

 

スピードに対する絶対的な自身から来るアイデンティティの確立の為による最大船速での行動なのかは分からない、分からない……が。

 

――……厄介払いだろうな。

 

不意に先日の朝方に言った優翔の言葉が頭によぎった。

 

今のこの時間で一緒に訓練を行って、ようやく優翔の言葉の意味が真の意味で理解できた気がする。

 

一応報告書に纏める予定ではあるが、内容を見たところで優翔が彼女を手放す事はないと思えるので、後は自分がどう上手く付いていくかというところであった。

 

「お、島風に響。此処にいたか」

 

急に自身達の名を呼ぶ男性の声を聞き、その方へと視線を向けると、中肉中背の黒髪の短髪の、中佐の階級証を身に着けた男が居た。

 

景山大将が留守の間、横須賀鎮守府の司令代理を務めている小山中佐だった。

 

ベンチで休んでいた二人は立ち上がり、敬礼を行い要件を聞くことにした。

 

「中佐、私達に何か御用ですか?」

 

「あぁ、実は木更津駐屯地に物資の輸送をしなくてはならなくなってね。君達二人にお願いしたいんだが、君達は龍波大佐の指揮下だから大佐殿に連絡を取って欲しいんだ」

 

「他の駆逐艦達は?」

 

「生憎と警戒任務と他の輸送任務で、手が空いているのが君達だけなんだ。勝手に上官の指揮下の艦娘を動かすわけには行かないから急ぎ連絡を取ってもらいたい」

 

「少々お待ちを」

 

島風の不躾な質問を気に留めることなく、さわやかな笑顔で返す小山に響は端末を取り出して優翔へと通信を始める。

 

数秒程TEL音が鳴り響き、通話が繋がったときに聞こえたのは周りの騒音に混じった優翔の声だ。

 

(……響、どうした?)

 

「忙しい所ごめんね司令官。小山中佐が司令官に用事だって」

 

(……なるほど、中佐に代わってくれ)

 

了解、と一言添えて響は端末を小山へと渡す。

 

彼は謝るように小さく首を下げ、端末を受け取る。

 

「お疲れ様です、大佐殿。会議中に大変申し訳ございません」

 

(いえ、丁度小休憩の所でしたのでお気にせず。どうしましたか?)

 

「えぇ。実は急遽、木更津駐屯地より物資の輸送を依頼されまして、大変恐縮でございますが大佐殿の指揮下に置かれている艦娘二名をお貸しいただけませんでしょうか」

 

(……なるほど、木更津であれば海を渡れば一直線で距離も遠くないか。そう言うことでしたらお使いください)

 

「ありがとうございます大佐殿。木更津からの報酬は大佐殿へ届くよう手配させていただきます」

 

(別にそこまで気を使わずに良いのですが、受け取れる物は受け取りましょう。それではそろそろ会議が再開しますので、失礼します)

 

「はい、お忙しい所申し訳ございませんでした」

 

声を聞いていると、どうやら許可が下りた様であった。

 

端末を切るなり、小山は大きく息を吐き出し安堵するような表情を見せた。

 

「すまないね、おかげで正式に許可を頂けた」

 

「いえ……丁度命令書が届きましたね」

 

端末を受け取るなり、直ぐにメール着信が入り、それを開くと添付ファイルが付属している。

 

添付ファイルを開くと急遽作られた命令書が映り、以下の内容が書かれていた。

 

[輸送任務命令書。発効日:二〇六〇年二月三日10時35分。

暁型駆逐艦2番艦『響』 駆逐艦『島風』

上記両艦は木更津駐屯地への輸送任務を従事する事を横須賀鎮守府所属日本海軍大佐及び横須賀鎮守府司令長官第二副官候補『龍波優翔』の名の元に命令する]

 

急造で作られた命令書故に簡潔かつ判子が押されていないが、この命令書があるか否かで大きく違う為一先ずは正式な手続きとして受理される。

 

それを確認した小山は再び安堵の表情を見せた。

 

「大佐殿が話の分かる方で良かった……すまないが二人共よろしく頼む」

 

「了解」

 

「はーい。……中佐、聞いてもいいですか?」

 

「ん、どうしたんだい?」

 

突如として質問を投げかけた島風に小山は目を丸くして質問の内容を待った。

 

響としては少し嫌な予感をした。

 

「中佐、許可が下りた時安心したような表情してましたけど、どうしてですか?」

 

投げかけた質問は地雷を踏む事に近いような内容だった。

 

表情は崩してはいないものの、響はコメカミ付近に嫌な汗が流れるのを感じた。

 

しかしそれとは裏腹に小山の表情は少し照れくさそうなものだった。

 

「いや、恥ずかしながら龍波大佐には少し畏怖の念を抱いていてね……」

 

「畏怖の念?」

 

意外な言葉が彼の口から発せられ、つい響は口に出してしまう。

 

彼は更に恥ずかしがる様に自身の後頭部を掻きはじめる。

 

「あぁ、龍波大佐殿は陸軍に居た頃は【邪龍】という二つ名で海軍の耳にも届く程の戦果を挙げた事で有名だからね。正直すさまじく恐ろしい方だと思っていたんだが、さっきちゃんと話してみてそのイメージが消えてね」

 

「【邪龍】に戦果……かぁ」

 

「悪いけど、その話は僕からは話せない。他人の過去を勝手に暴露するのは頂けない。詳しく聞きたかったら大佐殿に直接聞いてくれ」

 

「了解、それでは輸送任務に入ります」

 

意外な形で優翔に関する謎が増えた事に、二人は尾を引く気分に陥る。

 

そもそも分野が違う海軍で陸軍の者が噂になる事は珍しい事ではあるが小山の言い方では少なくとも優翔の挙げた戦果と言うのはかなり広まっている様だ。

 

どんな事をすればそこまで噂になるのか不思議ではあるが、今は目の前の任務を集中する為に二人は思考を切り替えて港へと向かうのだった。

 

 

 

響からの突然の電話に横須賀鎮守府の事情を知った優翔は瞬く間に命令書を端末で打ち込み、今しがた送信を終えたところだった。

 

かなり急造で作った物で判子などは押されておらず、効力の薄い物ではあるが隣に居る景山曰はそれで十分だそうだ。

 

「ふむ、作り上げるのが早いな」

 

「何せ寛容な物ですから、直ぐに終わらせれました。しかし……」

 

感心するような景山に苦笑を返しつつ端末を閉じる。

 

ただ、優翔には少しばかり気がかりな部分が存在していた。

 

「小官の肩書が『横須賀鎮守府司令長官第二副官候補』というのは些か度が過ぎるのでは?」

 

海軍では何の実績もなく、異動してから三日目の新人にしては大きすぎる肩書の事であった。

 

幾ら階級が高いとは言え、これでは自分よりも圧倒的に長く鎮守府に努めている小山中佐などの面目が立たない様に感じて仕方がないのだ。

 

とは言うもの、景山事態は特に気にする素振りではないのが何とも言えない状況だ。

 

「間違っては無いだろう。現に貴官は私の副官候補として会議に出席しているのだから。それにな、私は元々貴官を何れ第二副官として向かいいれるつもりで陸から引っこ抜いたのだ。それが今に副官候補として早まったというだけだ」

 

「左様でございますか……」

 

つまりは遅かれ早かれ、自身には第二副官としての肩書が付いてくるのが決まっていた事だったようだ。

 

あまりにも大きすぎる大役に、胃がキリキリと痛み始めるのが感じ取れ、そっと胃を抑える。

 

――今後に備え胃薬を買うべきであろうか……。

 

過酷な状況で戦ってきたことでメンタルには自信はあったが、予想以上の物であり帰りに薬局に向かう事を視野に入れ始めた。

 

「さて、そろそろ小休憩は終了だ。……もっとも、再開した所で最初の出だしから良い物になるとは思えんがな」

 

「…………」

 

言葉には出さないものの、頷いて同意を示す。

 

最初は各鎮守府または泊地の近状報告に加え今後の方針の提示であったがそれは酷い物であった。

 

何を提示しようが、資材面、経済面での事を参謀本部所属の者から突っ込みが入り、何をどう方針を提示すれば納得するのか謎で仕方がなかった。

 

何よりも、景山の提示した鎮守府周辺の安定化に向かい各司令、艦娘の練度の強化し何れは鎮守府近海だけでなくパラオやタウイタウイなど海外泊地への戦力の安定化についての突っ込みだ。

 

曰は経済面の余力を考えたか、曰は戦力の余力の無さ、曰はその行動によっての『深海棲艦』の行動激化等失笑を通り越して呆れて物が言えない状況だった。

 

ようは無理に動かず私服を肥やしたいという思考が丸見えであり、それで会議を設ける時間と場所がもったいなく感じるのだ。

 

あまりにも苦痛でしかない会議という名の何かにその時間だけでタバコを吸う本数が十を超えるほどだ。

 

隣に座っていた景山もストレス故か、自身にタバコを求めるほどだった。

 

――後方がこれでは、状況の改善の見込みなど立つはずもないな……。

 

おそらく各鎮守府や泊地から来た各司令長官全員が思っている事を心中で呟きながら重い足取りで会議室へと向かう。

 

 

 

「それでは、会議を再開致します」

 

議長を務める、参謀本部次長である飯村中将の一言で会議は再開された。

 

だが、場の空気は重く大抵の鎮守府司令長官の者はさっさと帰りたいと思っているところだろう。

 

優翔事態も、さっさとくだらない会議ごっこを終えて横須賀に帰りたいと思い始めていた。

 

「三番目の項目へと参りたいと思います……君、資料を各員に」

 

「はっ」

 

――……なんだ、雰囲気が変わったぞ?

 

三番目の項目は優翔が車内で景山に質問した、内容不明の項目だ。

 

その事を触れた時、飯村の様子が打って変わったのが誰しもが感じ取れたのだ。

 

とてつもなく、嫌な予感しか感じない。

 

大体当たる嫌な予感という物を感じ取った時、副官の者が回した資料が手元に届き、一部を取って隣へと回す。

 

それが全員が渡るまで待ち、飯村が資料を見る様に促し表紙を捲った時、重く静まり返った室内が騒然とした。

 

「何だ、これは!?」

 

「これは、深海棲艦なのか!?」

 

誰が言い始めたのかは定かではないが、おそらくは全員が共通した心境だろう。

 

一枚目の資料に添付された写真に写るのは。

 

「まるで人間……いや、艦娘ではないか……!」

 

はっきりと分かる女性の身体つきに黒いフード一枚を着込み、更には隠す気がない様に思える尻付近から伸びる長大な尾。

 

まるで艦娘の様だと、誰が言ったのか分からないがそう思えるようなものが写っていたのだ。

 

「これは……龍波大佐?」

 

景山すらも絶句せざる負えない内容に、どう反応を示せばいいのか分からない。

 

だが、景山の意識は隣に座る優翔によって削がれる事になった。

 

資料を引き千切るのではないかと思う程端を折り曲げ、目は今まで見せた事がない程に殺意を宿らせている。

 

身体が小刻みに震えているのは、怒りからである事に間違いはなかった。

 

他が騒然としている中でただ一人、優翔はその写真に写る謎の人物に溢れんが如くの殺意を向けていた。

 

「龍波大佐、どうした」

 

「……すみません、少し気が動転としておりました」

 

身体を小突き、小声で呼びかけてようやく我に返った優翔はその場凌ぎにしか取れない言い方をして、落ち着かせるためか資料を机に置きタバコを吸い始めた。

 

誰が見てもこの写真に写る謎の人物と関係があると分かるほどの反応だが、幸いなことにこれに気付いたのは景山だけであった。

 

「この正体不明の『深海棲艦』一隻により……岩川基地が壊滅的な被害を受けたと報告があった……」

 

「馬鹿な!私はそんな事何も聞いていないぞ!!」

 

飯村の絞り出すように発した言葉に、音を立てる程立ち上がり反論したのは佐世保鎮守府司令官の者だった。

 

岩川基地と佐世保鎮守府の距離は近く、確かに佐世保側が何も聞いていないのはおかしなことであった。

 

「……陸軍が噛んでいるな」

 

「何か分かるのか?」

 

「えぇ……九州には『陸軍第6師団』が存在してます。あそこは海軍と特に仲が悪いので情報操作を第6師団の連中が噛んでいる可能性は高いでしょう」

 

元より海軍と陸軍の折り合いの悪さは今になっても続いており、互いの足を引っ張り合うような行動が目に見えているレベルで行われている。

 

元身内の悪事が露見しているようで複雑な心境ではあるが、此処でようやく今の今まで謎であった第3項目の内容が明らかになったのが分かった。

 

陸軍の情報操作、または妨害の可能性がある以上この日まで内密にしなければならないという後手を踏まざる得なかったのだ。

 

――しかし、どういうことだ。海軍の妨害を行ったとしてもこれが露見されれば更に陸の立場は危ういというのに。

 

腑に落ちない、とはまさにこの事であろうと思いながらも優翔は自身でグシャグシャにした資料を再び手に取り写真を見やる。

 

見れば見るほど怒りが湧き上がるが、それは今は抑え思考を纏める。

 

そもそも今の時代で立場が薄い状況である陸軍が、この写真の未確認生物の存在情報を海軍へ渡らせる事を遅らせる意味が薄い。

 

幾ら仲が悪いとは言え、これ以上余計な事を行って更に立場を危うくさせる必要性が見当たらない。

 

それは呆けきっている陸軍の上層部でも分かりきっているはずだ。

 

いったい何故……どれだけ思考を巡らせても、きっかけが分からない以上は答えは見いだせない。

 

「龍波大佐、大丈夫か?」

 

「ッ……失礼しました。熟考し過ぎていたようです」

 

どうもこの議題に関する会議は集中できていないようだ。

 

自身の側頭部を軽く数回叩き気を入れなおして周りを見渡すも、資料の公開から随分と静まり返ったようだ。

 

直ぐに静まったのか、それとも静まるまで熟考し続けたのか否かは分からないが気を抜きすぎたと思い直す。

 

「諸君、この岩川を襲った未確認深海棲艦を我々本部は『戦艦レ級』と呼称する。この議題は『戦艦レ級』の対処についてを議論するものとする!」

 

戦艦レ級、未確認深海棲艦の仮の呼び名が決まった瞬間に優翔の目は再び鋭さを戻した。

 

名前などどうでもよかった、今は一刻も早くこの深海棲艦の情報が欠片でもいいから欲した。

 

有益であろうとくだらない物であれ何でもよかった、少しでも多く情報を持って帰らなければ帰れない。

 

そうで無ければ此処まで来た意味がないと、ようやく会議ごっこに等しい物に価値を見いだせたのだ。

 

胸中に蠢くような殺意と怒りを必死に抑えながらも、誰かが発言し情報が出るのを待ち続けた。

 

そんな彼を危うげな物を見る景山の視線を優翔は気が付かなかった。



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4話:中央本部へ2

二〇六〇年二月三日、ヒトフタフタマル。

 

海軍中央本部では会議を終え、各々自身の所属する鎮守府に戻る者も居れば今回の会議で得た情報を纏めるもの、昼食を取ってから戻ろうとする者と各自自由に動いている。

 

優翔と景山の二人は今は昼食を取る所であり、『食事処・間宮』へと訪れていた。

 

「わーお……」

 

普段発しないような呆けた声が優翔の声から漏れた。

 

原因は自身の目の前に置かれた食事にある。

 

まず、松坂牛のおそらくA5のヒレ肉200gのステーキ、味付けは肉の味を最大限に引き出すために最低限の塩と胡椒のみで焼き加減はミディアムレアだ。

 

付け合せのサラダとスープも香りが引き立っており、おそらく普通の代物ではない。

 

止めとばかりに、右手側に置かれたワイングラスに並々とワインが注がれている。

 

――シャ、シャトー・マルゴー……じゃねぇか……。

 

チラリとワインを注ぐソムリエの手から見える銘柄を見れば、五大シャトーと呼ばれる高級ワインその物であった。

 

流石に何年物か見る事は出来なかったが、おそらくボトル一本十万は下らない物だ。

 

あまりにも自分が食してきた物との桁違いなレベルの代物がこうもズカズカと並べられ、激しい眩暈に襲われている様だった。

 

「どうした、遠慮せずに食べるといい」

 

そう言うのは、自身の目の前でニコニコと良い笑顔を浮かべながら此方を見やる景山だった。

 

――いい機会だ、飯を奢ろう。本部は腐っておるが飯は最高だぞ。

 

そう言われ、せっかくの機会という事で喜んで随伴した結果がこれだった。

 

蕎麦かうどんだろうかと予想をしていたのが斜め上どころか天井を突き破るレベルで裏切られたのだった。

 

曰は、若い男なのだから肉が良いだろうという事で自身の意見を無視して注文されたのがこれだ。

 

因みに景山も同じものを頼んでいる。

 

「本当にどうしたのかね?具合でも悪いのか?顔色も少しばかり悪いな」

 

「は、はぁ……すみません。あまりの食事の豪華さに恐れ戦いておりました」

 

「そういえば貴官は元陸軍だったな。あそこの食事事情は酷い物と聞く。いかんな若い男が粗食で満足するなど」

 

「は、はぁ……」

 

実際粗食で有名な事であったのでその部分は否定はできないが、だからと言っていきなり此処まで豪勢な物を出されても困るものであった。

 

先ほどから小さいながらも胃がチリチリと痛みだしており、自身の身体が目の前の食事を否定しているのが分かる。

 

とは言え、せっかく大将閣下が自身の為と思い奢ってくれたものである以上は食べないのは失礼である。

 

観念して優翔はナイフとフォークを手に取りステーキから手を掛けようとした。

 

「景山大将、隣失礼するよ」

 

肉にナイフを差し込む寸前に目の前に女性の声が聞こえ、ドカリと景山の隣に妙齢の美しい女性が座った。

 

肩と襟首を見れば中将の階級章を身に着けている。

 

「石神中将か、久しいな」

 

「ほんとだねぇ、前に会ったのは半年前か?」

 

目の前で繰り広げられる将官同士の会話に全くついていけない。

 

いや、こちらに話しかけられた訳ではないのだからついていくこと自体不毛なのではあるが。

 

ただ、階級が上である景山に対して敬語を使わず、彼がそれを許しているという事は深い仲なのであろうという事までは考察できる。

 

「紹介しよう、大佐。彼女は呉鎮守府司令長官を務める石神中将だ」

 

石神景(いしがみけい)中将だ。よろしく頼む」

 

「横須賀鎮守府所属、龍波優翔です。海軍大佐を拝命しております。お目にかかり光栄であります中将閣下」

 

「あぁ、いいっていいって。大将と中将の前だからってそんな堅っ苦しい真似しなくて良い。せっかくの飯がまずくなるぞ?」

 

「は、はぁ……失礼いたしました」

 

ナイフとフォークを一度テーブルに置き、立ち上がり敬礼し挨拶をするも、石神は一笑に伏すように手をヒラヒラと振り言い放つ。

 

アバウトすぎる彼女の姿勢に若干困惑しながらも、優翔は敬礼を止め椅子へ再び腰を落ち着かせる。

 

それを見た石神はニカッと口の端を吊り上げ満足そうにする。

 

――これは……曲者だ……。

 

優翔が石神中将に抱いた第一印象はそれだった。

 

良くも悪くも実直な彼にとって、彼女の様にフレンドリーに接するタイプの上官は苦手だった。

 

軍という規律を重んじる組織に身を置いて、それを実直に熟してきたから余計にだ。

 

「しかし、閣下……ねぇ。そんな大層な呼び方をしたのはお前さんが初めてだよ。海軍だと閣下なんて使わんからな」

 

「中将、彼は元陸軍に所属していたのだ。その名残だろう」

 

「元陸軍?……あぁ、という事は大将が引っこ抜いた噂の【邪龍】ってお前さんか!」

 

「そのような二つ名は存じませぬが、確かに小官は大将閣下に拾って頂いた身の者です」

 

聞き覚えのない二つ名に眉を潜めながら答えるも、石神は逆に納得したかのように何度も頷く。

 

何をそんなに納得しているのか分からないが、そもそも何時の間に【邪龍】などという二つ名が広まっているのか不思議でしょうがなかった。

 

いや、ある程度思い当たる節がないと言えば嘘になるが、確信は得ていない状態だった。

 

「なるほど、【黄河の殺戮】の英雄殿がまさか目の前に居るとは思いもよらなかった」

 

「懐かしいな、もう三年前の事だな」

 

【黄河の殺戮】と聞いて知らぬ間に付けられていた二つ名が広まった理由がようやく理解した。

 

当時中尉だった優翔は黄河付近での軍事行動にて分隊長として任務を行っていた。

 

その時の事を思い返せば生きているのが本当に不思議な事だった。

 

あまりにも必死過ぎて、どうやって生き延びたのかうろ覚えだが、数えきれない程敵兵を殺した事ははっきりと覚えている。

 

――なるほど、それで【邪龍】か。私にぴったりだな。

 

原因もさながらあまりにも禍々しい二つ名に思わず失笑してしまう。

 

「しかし、大将も随分と優秀そうな人間を引っこ抜いたなぁ。嫉妬するよ」

 

「中将には橘大佐がいるだろうに」

 

「いやぁ……橘は悪くないんだが、もっと出世欲を出して欲しいと思ってな」

 

橘と聞いて、優翔の脳裏にある人物が過った。

 

名前を聞くのも久しくて、懐かしいと感じてしまったところだ。

 

「……橘とは、橘広也(たちばなひろや)の事でありますでしょうか?」

 

「んあ?あぁ、そうだ。知ってるって事は、お前さん百八期生か?」

 

「はい、私は百八期卒業生で橘とは同期にあたります」

 

「……なるほど、そうか」

 

百八期と言う単語に石神はあからさまともいえる程に表情を曇らせた。

 

その表情を見て優翔は自嘲するような笑みを浮かべた。

 

百八期卒業生は軍上層部の者であれば誰でも知っているような、言わば日本軍の闇でもある。

 

その闇の部分の体現者である者が目の前に居るのは引け目があるのだろう。

 

「……ところで、龍波大佐。一つ聞いて良いか?」

 

「……?はい、小官が答えられる範囲であれば」

 

話の流れを切るように景山は会議の時に気になっていた事を優翔に聞こうと思っていた。

 

今の優翔は穏やかな表情そのものであり、聞こうとしている内容を聞けば会議の時に見せた様な顔に戻るのではないかと一瞬戸惑った。

 

だが、聞かなければ分からないというのは事実であり、意を決して聞くことにした。

 

「貴官は会議の時にレ級の写真を見たときに随分と殺意に満ちた顔をしていたが、あれは何故だ?」

 

「…………」

 

穏やかだった表情が一瞬にして無表情へと切り替わった。

 

表情には熱はなく、鋭利な冷たさを漂わせる様で彼の濁った瞳が更に濁っていくように感じる。

 

とてつもない地雷を踏んだと景山は確信する、現にそれは当たりであり優翔は何とか無表情に務めているだけだった。

 

「あぁ……あの時に感じた阿保みたいな殺気はお前からだったのか。良ければ私も聞いて良いか?」

 

「……それは、命令で御座いますでしょうか?」

 

更に駄目だしとも言えるように石神からも問われ、優翔自身が失敗したと感じるまでに低く冷たい声で問う。

 

景山にはその言葉は、命令という名分で話す口実を手に入れたいのだろうと感じていた。

 

「いや、私個人的な興味故の質問だ。貴官が命令としての義務で話すことが楽であれば命令で良い。話すかは貴官が決めろ」

 

そこまで言われ優翔は表情を曇らせ、右手側に置かれたワイングラスを見やる。

 

――酒を飲みながらなら、まだ気楽に話せるか?

 

別に話す事自体は構わないのだが、どうしてもレ級と呼称された深海棲艦を思い出せば思い出すほど腸が煮え返りそうな程の怒りが湧き上がってしまうのだ。

 

それを見せながら上官に話すなど軍人としては最悪に極まる。

 

ならば酒で酔って少しでも酔って陽気な精神状態で話す方が良いだろう、と考えグラスを手に取り中身を一気に煽る。

 

高級ワインを一気飲みするその姿に石神から口笛を吹く音が聞こえるが、無視してグラスの中身を空にする。

 

「……レ級については、私の部下の仇なのです」

 

「仇?」

 

「えぇ、正しくは陸の頃の部下ですが」

 

仇、その言葉に景山はおろか石神の目つきが鋭くなる。

 

その変化に気付きながらも優翔は補足を交えるが、いかせん酔いも回ってない故か胸の中で憎悪が沸き起こりそうになる。

 

必死にそれを押さえつけながらも優翔は続きを話そうと、記憶を掘り出していった。

 

「ちょうど一年程前でしょうか。陸軍で独立飛行団の隊長だった時、私は【火龍】に搭乗し領海内を徘徊する未確認輸送船を爆撃した時の事です」

 

そこから優翔の独白が続いた。

 

一年前の十一月、陸軍飛行団所属の少佐に昇格したばかりの時だった。

 

【深海棲艦】の出現によって海での動きが制限された中、僅かな領海内にて不審な輸送船が発見されたとの報が入った。

 

大凡今や完全に敵国である中国か北朝鮮の物であろうと推測され、何度か警告を出しても反応は無く領海侵犯の可能性有りと判断され自身の隊に出撃命令が下された。

 

なにも独立飛行部隊である自分の隊が出撃するほどの物では無いと思っていたが命令故に特に異論を挟まずに出撃したのだ。

 

目標にたどり着き、規則に従い三度警告を行うものの無視され、本当に人が乗っているのかすら怪しい物だった。

 

撃墜命令が下され急降下爆撃を試みた所、意外にも呆気なく目標は切断炎上を起こして撃沈した。

 

腑に落ちないながらも帰還命令を受理し、帰還する所で自身の部下がレーダーの不明な反応を示した時に彼女の機体が爆散したのだった。

 

「それから、共に出撃していた副隊長の機体の底部カメラの記録を見たら今回の詳細不明な【深海棲艦】である【戦艦レ級】と思わしき黒いフードらしき物を被った人型が写っていたというわけです。あれだけ小さければレーダー反応なんて誤作動と思えますし、砲撃にも気づきませんね」

 

「つまり、貴官は既に【レ級】と遭遇していたわけか」

 

「そういう事になります。そして奴が私の部下の仇と言うのも十中八九間違いないでしょう」

 

景山の問いに優翔は頷きながら、いつの間にか新しくワインを注がれたグラスを手に取り一口含む。

 

さっきまで胸の内に蠢くドス黒い感情もアルコールによって多少は中和されるのか何とか落ち着いていられそうだった。

 

「解せぬな。なぜ陸の奴らはその時点でこちらへ報告しなかった……一年前など既に我々が【深海棲艦】とドンパチやって、多少なりとも好機が見いだせた時期でもあるぞ」

 

「中将閣下、それは簡単な事です」

 

「あん?」

 

自嘲するような笑みと共に言い放つ彼に石神は鋭い視線を投げつけるが、優翔は軽く受け流す様に続きを言葉にする。

 

「陸と海は他国の軍ともいえる程に仲が悪いのです。小官は記録を上官に叩きつけ、海軍へ報告し協力すべきと進言しましたが、その時に彼はこう言いましたよ。『これ以上海の連中にデカい顔をさせられるか、この件は他言無用』と」

 

「クソッタレ……」

 

――本当にクソッタレだと思う。何が悲しくて自国の軍と争わなければならないのやら。

 

舌打ちと共に発せられた石神の一言に大いに同感を示しながら優翔は更にグラスの中身の飲み進めた。

 

話す事に集中して目の前の肉を食べておらず、胃が空になっているためかアルコールの回り方がかなり早く感じる。

 

だが、今はこれで十分なのかもしれない。

 

「しかし、もう一つ腑に落ちぬ点がある。一年前に貴官が目撃した事と、つい最近になってレ級は岩川基地を壊滅的被害を出した。この間はなんだ?何故奴は一年の間何も行わなかった」

 

「……それについては小官には何とも。一年前の私が目撃した時は奴らにとっての試験的運用なのか、それとも別の何かなのか検討が付きません」

 

結果は何も分からない、レ級の空白の一年が何を示すのかは【深海棲艦】側にしか分からない事だろう。

 

だが、一つだけ分かっている事があるとすれば【戦艦レ級】は最優先撃沈対象だという事だけだ。

 

単艦にて基地を壊滅させるほどの【深海棲艦】など前代未聞だ。

 

放置すればどれだけの被害を生む事になるのか想像は図りえない。

 

今回の会議も最終的には【戦艦レ級】を発見した時は各鎮守府総力をもって撃沈を狙うという事になったのだ。

 

できる事ならば、自分の指揮する艦隊でレ級を始末したい気持ちが強い。

 

だが、今現状では自分の指揮下に置かれている艦娘は響と島風の2隻のみだ。

 

戦艦級のレ級に対して、たった2隻の駆逐艦で轟沈するなど自殺行為もいい所だ。

 

そんなことで貴重な戦力を浪費するのはただの無能のやる事でしかないのだ。

 

どんなに憤怒に駆られようとも、無謀な事だけはさせまいと必死に理性を保たなければならないのだ。

 

それが海軍大佐という肩書を背負い、一部隊を預かる者としての責任でもあるからだ。

 

「ところで龍波大佐、一つ聞いてもいいか?」

 

「はい、中将閣下。小官が答えられる事であれば」

 

「今回の会議でレ級は、発見次第全鎮守府が協力体制の元で排除する方向になっている。貴官はどうするつもりだ?」

 

質問を投げかける石神の視線は刃物のように鋭く、刺すような視線だ。

 

嘘は許さないが、ふざけた回答も許さないという類の物で陸に居た頃にもよく浴びせられたものだ。

 

とはいえ既に答えは決まっていて、その答えは軍人としては適切な物であろう事から迷わず出すことにする。

 

「私は海軍大佐を拝命する軍人です。全鎮守府の総力を持ってレ級を打倒するというのであればそれに従うまでです」

 

「意外だな。それ程の憎悪を宿らせているならばてっきり自分が打倒する。とでも言うと思ったのだがな」

 

「……いくら憎かろうが、戦力の差は分かっております。奴は戦艦級であり、私の保有する艦娘は駆逐艦二隻のみ。到底敵いません。無駄な損害を出すのであれば他と共に被害を抑え確実に打つべきです」

 

「なるほど。それを聞いて安心したよ。ありがとうな」

 

納得したように頷く石神に優翔は頷いて答える。

 

丁度その時に優翔から端末の着信を知らせる音が鳴り響いた。

 

失敗したと思いながらも端末を取り出すと、響からの着信であり、何かしら有ったのかもしれない。

 

「申し訳ございません、響からの着信の様です。少し席を外します」

 

「あぁ、構わんよ」

 

景山から許可を得た優翔は、立ち上がり二人に頭を下げて壁際の方へと離れた。

 

二人に背を向ける様にしながら通話を始めた彼の姿に石神は景山の方へと目を向ける。

 

「大将、気づいているかい?」

 

「うむ、相当感情を押し殺しているな」

 

二人の将官が感じ取っていた優翔の歪みとも言える部分。

 

理性を保とうとして感情を無駄に押し殺している、という所であった。

 

軍人としては感情の処理を貫徹している理想な人物ではあるが、人間としてみればそれが正しいと言えるものでは絶対ではなかった。

 

「……どうするんだい、大将。あいつまだ23だろ?あの若さでアレじゃあ……」

 

「皆まで言わんでも分かっている。奴の闇の部分、どれが少しでも和らげれば……あるいは……」

 

「問題は、切っ掛けが皆無、という事か……」

 

二人が頭を悩ませているのは優翔の中に存在する憎悪の根本を和らげる切っ掛けという物が皆無である事だ。

 

軍人としては珍しい部類であろう人情家である二人にとって、百八期生の存在そのものが海軍の闇とも言える存在なのであり、それが未来ある若い人物ともなればその闇は計り知れない。

 

深いため息が景山から漏れ出したのを石神は見逃さなかった。

 

長い付き合いである事から、彼のこの仕草が負い目をかなり持っているという事は直ぐに分かった。

 

「元はと言えば、私が悪かったのだろうな……あのような計画に同意を示したのが……」

 

「それは言いっこ無しだ大将。あの時、日本はおろか世界全体が狂っていた。とんでもない物だとしても縋るしかなかった。免罪符にもならん言い訳だがな……」

 

「…………」

 

優翔の背中を見ながら語り合う二人の目は悲哀に満ちているものだった。

 

ただそれを彼に見せる訳にはいかず、背中を向け離れているからこそ言い合えるようなものだった。

 

どれだけ己を責めても、後悔しようとも、過去は二度と変えられないのだから。

 

「あぁ、分かった。警戒を怠らずに帰ってこい。私も直に戻る」

 

丁度その頃、優翔は通話を終了させ端末をポケットへと突っ込み席へ戻っている。

 

自分の席へと戻るなり、小さいため息をはいて椅子へと腰を落ち着かせた。

 

「おう、どうだったんだ?」

 

先ほどまで見せていた悲哀に満ちた目を無くし、石神はいつもの表情に戻った。

 

この切り替えの早さを、景山は時折うらやましく感じると思うが、こればかりは性格上の問題だろう。

 

そしてその事を知らない優翔は特に疑心感を表さずに、穏やかに言うのだった。

 

「いえ、特に問題はございません。私の指揮下にある響が任務を終了させこれより鎮守府へと戻るという報告でした」

 

「ふむ、木更津駐屯地への輸送任務を終了させたか。なら我々も早めに戻らなければならないな」

 

「そうですね。その前に、これらを胃の中に押し込まなければもったいない」

 

優翔の言葉に同意を示すように頷いたり、小さく息を漏らした二人の将官は今更ながらも目の前に並べられた料理に手を出し始めた。

 

それを確認してから、優翔は今度こそ目の前に置かれているステーキ肉にナイフを差し込み、丁度いい大きさに切り分け一口放り投げた。

 

――あ、やべぇな。冷めても美味い肉とか久しぶりに食ったな。

 

冷めても味わいが楽しめる本物の肉を舌で転がしながら優翔は懐かしいと思える感覚と共に、比べるのが失礼な程の陸軍時代の食事を思い出していた。

 

比べるだけで天罰が下りそうで想像するのは止めようと思いながらも、いずれは響や島風にも食べさせてやりたい。

 

そう思えるくらいに、この肉は極上のものだった。

 

 

 

時刻は、ヒトサンヨンマル。

 

最初に予定していた帰還時間よりも少し早めに横須賀鎮守府へとたどり着いた。

 

鎮守府へと着くなり、景山は事務仕事の関係で早々に執務室へと戻る事となり、優翔はそれを見送って今は鎮守府の入り口で一人立ち尽くしているだけであった。

 

回りを確認し、誰も居ない事を確認すると、ポケットからタバコを取り出して一本を口に咥える。

 

愛用のオイルライターで火を付け、ライターの蓋を閉じ深く吸い込み、吐き出す。

 

タバコを吸っている時が一番心が安らぐ一時なのではないのかと、思い込んでしまいそうだ。

 

陸軍の時ではそうでもないのだが、海軍に身を置いている今は特にタバコを吸う機会が少しばかり減っている。

 

何せ、自分の隣には幼い少女とも言える外見の響が傍にいるため、彼女の健康面を考えるとむやみに吸えないのが痛いのだ。

 

自身の執務机には灰皿はあるが、それも使える時は響が居ない僅かな時間のみであるし、ニコチン中毒者と自身で認めてる身には自由に吸えない環境は中々厳しい物がある。

 

とはいえ、陸軍に居た頃と比べれば比較しようのない程の待遇なのではあるが。

 

――……あれ、そういえば響や島風って今幾つなんだ?

 

重要そうでどうでも良さそうな事を思いながら煙を吐き出した瞬間、端末から音が鳴り響いた。

 

また響からの着信だろうかと思い端末を取り出し画面を見やるが、全く知らない番号だった。

 

怪訝な表情を表に出しながらも優翔は通話を選択し端末へ耳へと近づけた。

 

「はい、こちら龍波……」

 

(龍波大佐ですか!?こちら通信室の『大淀』です)

 

大淀という名前を聞き、記憶を巡らせて直ぐに思い当たった。

 

艦娘が戦闘を行う時に通信室にてオペレーティングを担当している艦娘だ。

 

まだ自分の指揮下にある響と島風は艦の少なさから実戦を避けていたのでしばらくは世話にならないだろうとは思っていたのだが、此処で彼女から通信が入るのは些か不思議であった。

 

「大淀か。いったいどうした?」

 

(緊急事態です!大佐の指揮下である響より入電。『ワレ輸送任務カラノ帰路ニテ、敵【駆逐イ級】一隻ト遭遇。島風ノ独断行動ニヨリ交戦状態ナリ』です!)

 

「何だと!?」

 

大淀から告げられた内容は体内に僅かに残っているアルコールが全て吹き飛ぶような衝撃だった。

 

――見通しが甘かったのか……?

 

響が付いている事から島風の突出気味な性格はある程度抑えられるだろうと信じて木更津駐屯地への輸送任務を受理したのだが、その予想は裏切られた。

 

だが、それは間違いだと思い直す様に首を横に振る。

 

――いや、こればかりは私の思い上がりによるものか……。

 

考えてみれば、島風の性格であれば響の静止があっても飛び出す事など、少し考えてみれば分かるはずの事であった。

 

直ぐに戦闘への思考へと切り替える。

 

「分かった、私はどうすれば良い?」

 

(直ぐに第一通信室へと赴いて響と島風にご指示を!)

 

「了解した。直ぐに向かう」

 

一度通話を切り、今まで口に咥えていたタバコを携帯灰皿へと押し潰す様に入れてその場から駆け出した。

 

――深海棲艦め……これ以上部下を殺させてたまるか……。

 

いつの間にか中央本部で暴れ出しそうになっていた憎悪が心の中で燻っていた。

 

「……いや、それでは駄目か」

 

走りながら自分に言い聞かせるように呟き、心の中の憎悪を無理やり押さえつける。

 

少なくとも今は平常心を取り戻さなければまともな指示を出すことなど不可能だ。

 

自分の指示で響と島風の行動が大きく変わるとなればその責任は重大なのだから。

 

――第一通信室は三階だったな。

 

エレベーターを使うにも待つ時間が惜しいと感じ、階段を見つけるなり直ぐに駆け上がる。

 

「うおっ大佐殿?!」

 

「すまん、急いでいる。非礼は後で詫びる」

 

「は、はぁ……」

 

途中で降りてきた小山中佐にぶつかりそうになり、一瞥してから短くそういうと直ぐに駆け上がり第一通信室へと向かう。

 

階段を駆け上がるのは中々に苦であるが、陸の頃の訓練と比べればだいぶ生温い物と思える事からノンストップで駆け上がっていく。

 

三階まで上がり切り、直ぐ右へと曲がり三部屋先にある「第一通信室」と書かれたドアを開き入室する。

 

室内は入って正面に巨大なモニターが鎮守府付近の海域を映し出しており、その左右に挟み込むように小型のモニターが設置されている。

 

その巨大なモニター、通称『正面モニター』の前でヘッドフォンを装着している”大淀”がデスクに設置されているモニターと睨み合っている。

 

「大淀、現状はどうなっている」

 

「少しまずい状況になっています大佐。大佐が到着するつい三分前に島風が敵【駆逐イ級】を撃破しましたが、突如出現した【軽巡ホ級】一隻、【駆逐イ級】二隻の奇襲にあい、現在響は無傷ですが、島風が小破です」

 

――三対二……そして島風は小破。少しマズイな。

 

数は不利、島風小破したという状況から残りの三隻は最初からその海域に存在したものと考えられる。

 

速度自慢である島風なら数が多いとは言え正面切って被弾するのはまず考えられない。

 

おそらくは最初の一隻は囮、もしくは偵察がてら単独行動をして本隊が合流したに過ぎないだろう。

 

とにかく、まずは響と通信を取らなければならない為、通信機を設定して受話器を手に取る。

 

「響、聞こえるか?」

 

(司令官?……ごめん、島風を止められなかった)

 

通信は直ぐに繋がり、爆発音を背景に響から申し訳なさそうな声が聞こえる。

 

とりあえずは無事なようで安堵するが、直ぐに思考を切り替える。

 

「その件については後だ。今は状況を打破するぞ。島風を含めて現在の状況と艤装状況等全て教えろ」

 

(了解。まずこっちの状況だけど、私は無傷で主砲の残弾はまだ余裕があるし魚雷も二射分残っている。島風だけど、連装砲の一部が損傷して島風自身も傷を負ってるけど魚雷は健在。そして敵部隊は【軽巡ホ級】無傷、【駆逐イ級】二隻も健在……ン、今【駆逐イ級】一隻に島風の砲撃が着弾、中破した)

 

爆発音混じりで聞き取り辛いが、状況事態は大分見えてきたところだった。

 

先ほどの敵の【駆逐イ級】一隻が中破したというのは多少なりと状況が好転してきているものだ。

 

だが、それで全て丸く収まるのであれば苦労はなく、早急に策を立てる必要がある。

 

「分かった、少し待っていろ。大淀、今までの交戦状況のデータを全て写せるか?」

 

「分かりました。少々お待ちください」

 

通信を一度切り、データの開示を指示すると、大淀は手元のキーボードを操作して正面モニターに幾つもの小分けされた交戦区域の状況データが横並びに浮かび上がった。

 

「左から八分前、五分前、三分前、一分前、そして現在です。」

 

「分かった」

 

並べられたデータを見て優翔は思考に老ける。

 

八分前は丁度大淀から通信が入った頃のデータで、響と島風、【駆逐イ級】の位置データが写っている。

 

五分前は丁度交戦しているところであろう部分で、響と島風の距離は大きく空いており、島風と【駆逐イ級】の距離が近い。

 

三分前は【駆逐イ級】一隻を撃破した所で、最初のデータと位置情報がかなりずれて、尚且つ深海棲艦が更に三隻追加されている。

 

一分前は響は島風と付かず離れずの距離を保ち、深海棲艦は固まって行動している。

 

そして現在のデータを見て優翔は小さくだが違和感を感じた。

 

――動きが単調、というよりも島風がずっと追う方向と同じ方向に距離を取っているな。

 

敵の動きはただ単に追いかけて来るものから逃げる単純な動きをしながら応戦しているようなものであった。

 

「……大淀、今の一番新しい状況をモニターに」

 

「了解」

 

更に大淀に指示を出し、新たなデータが開示されて優翔は確信を持った。

 

――やはり、敵は単調な動きだけしかしていない。

 

再び受話器を手に取り、響に連絡を入れる。

 

「待たせた。状況は?」

 

(ちょっとマズイかな。私も被弾したけどかすり傷程度で余裕。だけど島風が被弾して中破。魚雷は無事だけど連装砲もあと三射できて良い所かな)

 

「分かった、今から指示を出す。島風は今は聞ける状況ではないだろうから少しばかり響に負担が掛かると思うがいけるか?)」

 

(やるさ。司令官指示を)

 

「オーケーだ」

 

口端を少しばかり持ち上げて響に指示を出しながら優翔は心の中で呟いた。

 

――今度はこちらが狩る番だ。



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5話:鎮守府近海遭遇戦

木更津駐屯地は今の日本国が大日本帝国であった頃から存在する拠点である。

 

元々は当時帝国軍海軍の航空基地として埋め立てられた場所であり、時代が流れ軍が自衛隊となった時も陸自、海自、米海軍と幅広く使用されている。

 

だが、2060年の今は深海棲艦の脅威に対抗すべく現在は日本海軍の拠点の一つとなり殆ど基地として改造されている状況であり、駐屯地という名は時代の名残から使用されているだけにすぎなかった。

 

そして龍波優翔の秘書艦である暁型2番艦【響】は【島風】と共に横須賀鎮守府からの物資輸送任務の為に訪れていた。

 

現在は物資を届け、運搬業務も終えた事を責任者に報告をしているところであった。

 

「――以上、全ての物資をお渡し致しました」

 

「あぁ、確認したよ。しかし相変わらず凄いな、艦娘というのは」

 

「……というと?」

 

責任者の男の言葉に首を少し傾げて問う。

 

男は少しばかり照れくさそうな表情で頬を掻いて周りを見渡す。

 

「なに、俺達男手でも手こずる荷物の量を軽く運搬できるものでな。ここにも艦娘は何人かいるが、その働き具合をいつ見ても驚かされるばかりだ。しかもこんな小さいのになぁ」

 

今回運んだ者はコンテナやドラム缶に積まれた鋼材や燃料が主であり、かなりの重量があるのは響にも分かっていた。

 

ドラム缶の燃料はともかく、コンテナの鋼材などは人間が運ぶには何人もの人手が必要どころか重機が必要だ。

 

それを海を滑走していたとはいえ、響と島風は人力で運び出しているのだから人間からすれば信じられないような物だろう。

 

それを可能にできる程の力を発揮できるのが艦娘なのだから。

 

とは言え、それほどの力を出すには艤装を装備している必要があり、装備を外している平時では人間よりも多少身体能力が勝っている程度なのだ。

 

「私達は艦娘ですから……それでは私たちはこれで」

 

「あぁ、またよろしく頼むよ。せっかくだ燃料の補給を済ませてから行くといいよ」

 

Спасибо(スパスィーバ)

 

男にお礼を言い、踵を返して歩き出し、島風が待っている湾岸部へと向かう。

 

帰り際に補給を受けられるの助かる事だった。

 

残りの燃料自体は帰りまで充分持つのだが、最悪を考えると補給ができるのならしておく必要があるためだ。

 

――軍人というのは、最悪な状況を常に想定し装備品、兵糧、水等これらの要素を全て万全な状況で挑まないと話にならん。例えば、極端だが準備を怠って全ての装備が半分程度の状況で補給の目途が付かなくなったら

もうその時点で負けだよ。結局は人は永久機関でも何でもないからな。

 

島風を迎えに行く時に自身の司令官である優翔が突如ぼやく様に呟いた言葉が脳裏に蘇る。

 

今の状況というのは、その最悪を考えるべきの絶好のタイミングとも言える。

 

残りの燃料は帰路には充分に残っていると言えども、もし深海棲艦との戦闘になればおそらく足りないだろう。

 

――もしかして、司令官はこういう状況になる事を理解してるから教えてくれたのかな?

 

実のところでは響は自身でも思っているぐらいに実戦経験が少なく、それは資料を読んでいる優翔も知れている事だ。

 

特に旗艦として行動する事など、駆逐艦がたった二隻だけとはいえ経験したことがない。

 

ともなれば、今回の輸送任務は良い経験になるという意味合いも兼ねての事なのかもしれない。

 

そこまで考えていたとするのであれば、優翔には頭が上がらない。

 

――あ、そうだ司令官に報告しないと。

 

思い出したように携帯端末を取り出し、履歴から優翔へと繋げる。

 

TEL音が鳴り響き、彼が通話に出るのを待つが少しばかり出るのが遅い。

 

もしかしたら、今は出られない状況なのだろうかと少しだけ不安な気持ちになってくる。

 

(私だ、どうした響?)

 

「司令官、今は大丈夫?」

 

(あぁ、大丈夫だ。それで要件は?)

 

どうやら、通話する分には問題ないようで少しばかり安堵できた。

 

だが、報告を済ませるために直ぐに気分を切り替えて口を開く。

 

「うん、輸送任務を終えたからこれから帰投するよ。ただ、受取先の責任者の好意で補給を済ませるから少しだけ遅れるかも」

 

(なるほど、了解した。補給については受けられるなら受けておけ。島風が駄々捏ねたら旗艦命令、もしくは私の名を出しておけ。備えあれば憂い無しだ)

 

「了解、それじゃ切るね」

 

(あぁ、分かった。警戒を怠らずに帰ってこい。私も直に戻る)

 

通話が切れ、端末をポケットの中へと押し込みため息を小さく付く。

 

口調からして、やはり最悪な事態を考慮している様であった。

 

彼から学ぶ事はこれからも多々ありそうであるが、優翔の性格からして教えを乞えば快く教えてもらえるだろう。

 

それよりも、旗艦としての立場とこちらの指示は優翔の名を出す許可を貰えた事で島風が文句を言っても切り返す事ができるのは大きい。

 

「響ちゃん、どうしたの?ボーッとしながら歩いて」

 

右側から声を掛けられて、ハッとしたように振り返ると、防波堤に座り込んで両足を揺らしている島風だった。

 

考えている間に島風の元にたどり着いたようだった。

 

「何でもない。運搬作業も終わったから補給をして帰ろう」

 

「えー?充分燃料残ってるし、補給していたら帰り遅くなるよ?」

 

やはりそう来るか、と予想をしていたが故にため息を我慢できず漏らしてしまう。

 

だが、こちらは既にカードを手にしているのだからさっそく使うことにした。

 

「ダメ。旗艦の立場としての判断で最悪の事態を想定して補給を受けるよ。燃料だけだし、そこまで時間掛からないから」

 

「えー……此処は鎮守府にも近いから大丈夫だと思うけど……」

 

「ダメ、さっき司令官にも報告したけど『補給を受けられるなら受けろ、備えあれば憂い無しだ』って言っていたからね」

 

「うっ……大佐の指示があるなら、分かった」

 

どうやら、優翔の名が出ると彼に叩き伏せられた事が記憶に新しいからか大人しく従うようにしたようだ。

 

――まぁ、逆らったら怖いというのは身を以て知っているからね……。

 

若干脅迫染みた事になったのは気分がよくないが、必要悪と考えるしかなかった。

 

「さて、それじゃさっさと補給を済ませて戻ろうか」

 

「りょーかい」

 

座っている島風に手を伸ばし、それを掴み立ち上がった島風を連れて補給所へと足を向ける。

 

此処からだと歩いて十分くらいかかるのだが、その代わりとして横須賀鎮守府へと一直線に帰れるのだ。

 

今の場所からでも鎮守府にたどり着く事は可能であるが、少し迂回しなければならない。

 

それを考慮すれば補給所へ向かうのは選択としては良い方なのだ。

 

 

 

 

四十分後、時刻はヒトサンサンマル。

 

補給を終えて鎮守府への帰路を辿っている二人は雑談も交えながら移動していた。

 

速度は比較的緩やかであり、消費を抑えながらの移動であった。

 

これも響の判断であり、無駄な燃料の消費を抑えるのと周囲警戒も交えての事だった。

 

「ねぇ、響ちゃん。速度上げて早く帰らない?」

 

「無駄に消費をするのは良くないよ。速度を上げると危険も伴うから安全第一だ」

 

後頭部で腕を組む島風の言葉を一刀両断し、響は周囲を警戒しながら進む。

 

後ろで島風が不満げな声が聞こえるが、一切無視する事にした。

 

「……ッ!!」

 

「どうしたの?」

 

「シッ……!」

 

突如止まった響に怪訝な表情で島風が問うも、前を塞ぐように片手を伸ばし周囲を改めて見やる。

 

――今、センサーに僅かな反応があった。

 

明らかに自分達では無い反応に、こめかみから嫌な汗が伝うのが嫌でも分かる。

 

このまま杞憂で終わればよかったが、現実はそう簡単な物では無かった。

 

響を中心として2時の方角に、僅かに見える黒い物体があった。

 

【駆逐イ級】深海棲艦の駆逐艦の一つであり、所々姿を現す先兵の様な存在だ。

 

「深海棲艦……!」

 

「……嫌な事って本当に起こりやすいものだね」

 

軽口を叩く響であったが、その思考は既に別の段階へと移っていた。

 

現状取れる選択枝は二つ、戦闘を行うか迂回して鎮守府へと帰還するかだ。

 

目視できる範囲とセンサーの反応から、相手はイ級一隻のみであり、こちらは二隻と数では勝っている。

 

戦力的に轟沈(おとす)事は十分可能であるはずだ。

 

――だけど、何か引っかかる……。

 

その選択に乗り切る事に躊躇しているのは響が感じている違和感が原因だった。

 

ただ単純な理由で、本当に一隻のみなのか分からないからだ。

 

この海域では横須賀鎮守府の近くという事もあり【駆逐イ級】が一隻のみで偵察活動染みた行動をとるのは知れているが、艦隊を組んで行動する深海棲艦も存在する。

 

仮にもし他にも深海棲艦が存在するのであれば、数の有利は直ぐに崩れ去ることになり一気にこちら側が不利となる。

 

そして迂回して鎮守府へと戻る選択だが、十分に可能だ。

 

今此方は二人とも停止している状況で、敵との距離もかなり遠く見つかっていない状況だ。

 

このまま距離を取り迂回する進路を取れば戦闘を行わずに鎮守府へと戻ることも可能だろう。

 

――……戦闘を行うにはリスクが高いかな、迂回して鎮守府に帰ろう。

 

リスクの事を考えると、戦闘を避ける事ができるのであればそれを取るに越したことはなかった。

 

臆病風に吹かれたと言われたらそれまでであるが、今は生き残る事が第一だ。

 

「……島風、敵はまだこちらに気が付いていない。迂回して鎮守府に戻ろう」

 

「何で!?相手は一隻だよ!?」

 

「冷静に考えて島風。敵は本当に一隻とは限らないんだよ。もし他にもいたら私達が不利だ。私達の任務はあくまでも輸送任務。敵と交戦するのが目的じゃ――」

 

「もうっ!臆病風に吹かれ過ぎだよ!!他が居たとしても私一人で倒せるよ!」

 

「島風ッ!!」

 

痺れを切らしたのか、響が言い終わる前に飛び出して【駆逐イ級】へと駆け出した。

 

何とか止めようと咄嗟に手を伸ばすが、僅かに届かずその手は空を切った。

 

島風の愚直過ぎる行動に思わず響は奥歯を噛み締める。

 

こうなってしまえば彼女はもう止められないし、止まる余地もない。

 

島風の独断行動だとはいえ、戦闘は始まってしまった。

 

まず取るべき行動は鎮守府へと通信を入れる事からだった。

 

「鎮守府第一通信室、聞こえるかい?こちら暁型2番艦【響】」

 

(こちら第一通信室、担当【大淀】です。どうしましたか?)

 

大淀に繋がったのは幸いだった。

 

彼女は戦闘時におけるオペレーターを勤めている為、今しがた戦闘になった現状は多いに助かる。

 

「現在、響、島風の両艦は木更津駐屯地への輸送任務からの帰路にて、深海棲艦【駆逐イ級】一隻と遭遇。島風の独断行為により現在戦闘に入った」

 

(えぇっ!?)

 

大淀から返ってきた反応は驚愕に満ちたものであった。

 

輸送任務が終わったと思えば、独断行為による戦闘開始の知らせなど誰でも驚くだろうから仕方ないと言えば仕方ない。

 

「これから私は島風の援護に向かわなければならない。指示できる者が居れば呼んでもらいたい」

 

(……分かりました。たった今、景山司令長官が戻られましたから同行している龍波大佐も戻られているはずです。大佐をお呼びしますので暫しの間耐えて下さい)

 

Спасибо(スパスィーバ)。お願いするよ」

 

予定されていた時間より若干早く優翔が戻っているのは不幸中の幸いだった。

 

既に鎮守府に戻っているのなら、通信室に向かうのもそんなに時間はかからない。

 

それならば今やるべき事は島風を援護して被害を出さない様にするべきだ。

 

「響、戦闘に入る……!」

 

誰に告げる訳でも無いが、気合いを入れるかのように宣言した響は正面を睨み付け、その場から飛び出した。

 

――大分離されている、急ごう。

 

この際、消費など考えている暇などなく、最大戦速で島風の元へと向かう。

 

現在、島風とイ級は響から見て9時の方向に向かって進んでいる。

 

島風の抱えている【連装砲ちゃん】から砲撃が放たれ、砲弾が真っ直ぐイ級へと迫る。

 

だがその砲弾は狙いが甘いのか、イ級の直ぐ真横に至近弾として着弾するだけに終わった。

 

着弾の衝撃でイ級の動きが僅かに鈍くなった所を響は見逃さなかった。

 

目付きを鋭くさせ、装備されている12.7cm連装砲の照準を調整する。

 

射程内に踏み込んだ瞬間に砲撃体制を整え、連装砲が火を吹いた。

 

イ級の僅かに前方へと打ち出された砲弾は弧を描きながら飛来し、至近弾の影響で速度が落ちたイ級の横腹に直撃し、ノイズのような悲鳴に似た音響いた。

 

「ッ……響ちゃん?!」

 

「島風、今ッ!」

 

こちらに注意を削いだ島風に対して響は声を張り上げて追撃を促した。

 

短く頷いた島風は【連装砲ちゃん】の照準を合わせ、動きを止めたイ級に対して砲撃を発した。

 

対して着弾によって動けなくなったイ級は避けられる筈もなく、後部へと直撃を受け、身体を傾け静かに海へと沈んでいった。

 

沈んで行くイ級を見やり、安堵の息を漏らす島風に響は周囲を警戒しながら近づく。

 

「響ちゃん、おっそーい」

 

悪びれる様子もなく、ニカッと笑いながら言う島風に響は片眉をピクリと動かした。

 

だが、それも直ぐに呆れの感情が大きく上回り、盛大なため息と変わった。

 

「……人の静止を聞かず飛び出したのはーー島風、避けて!

!」

 

「えーーきゃあっ!!」

 

突如見えた光に言葉を区切り、叫ぶように呼び掛けるが、間に合わなかった。

 

光は島風の【連装砲ちゃん】へと直撃し、その爆風が彼女へと襲いかかった。

 

煙が晴れて島風の姿が良く見えるようになると、彼女自身は怪我を負ったが軽症と言える程度だが、被弾した【連装砲ちゃん】は使えないだろう。

 

「島風、大丈夫か?」

 

「うっ……私は平気。【連装砲ちゃん】が一体壊れちゃったけど、他の武装は無事」

 

運が良かったとしか言いようがなかった。

 

これほど軽症で済んだのは、イ級を追いかけながら砲撃を行い残弾が少なくなった連装砲に被弾したからだろうと、響は推測した。

 

これが別の連装砲、最悪魚雷に被弾でもしていればこの程度で済まなかっただろう。

 

――でも、攻撃されたということは敵がまだいる証拠だ。

 

響の考えている事はよりによって最悪の形として実現した。

 

センサーに反応があり、島風の後方へと視線を向けると彼女を攻撃したであろう機影が見えてくる。

 

「嘘っ?!」

 

「……最悪だね、これは」

 

姿を現したのは、【軽巡ホ級】一隻、【駆逐イ級】二隻、全三隻と先ほどの三倍の数であった。

 

先の三倍の数と言う時点でもマズイ状況だが、【軽巡ホ級】の存在がだめ押しとなり最悪の状況だ。

 

一概に軽巡と言えども駆逐艦からすれば充分に驚異だ。

 

何せ装甲、火力共に此方を上回り、少しの被弾が命取りとなる。

 

唯一マシなのは、駐屯地で補給を受けて戦闘を続行する分には問題が無いことぐらいであった。

 

「……島風、此処まで来たら逃げる事はもう無理だ。何とか切り抜けるよ」

 

「分かってる。どうする?」

 

「もう直ぐ司令官が指揮に来る。それまで耐える。島風はとにかくやられない様にしながら敵を攪乱。私は援護に回る」

 

「分かった!」

 

響の言葉に島風は敵艦隊に向かって全速力で突貫した。

 

――さて、こちらも仕事をしなければ。

 

全ての武装の状況を確認し、いつでも使えるようにアクティブにしておく。

 

響自身も敵艦隊へと向かう寸前に通信が入り、回線を開く。

 

(響、聞こえるか?)

 

「司令官?……ごめん、島風を止められなかった」

 

待ち望んだ者の声が聞こえ、場違いながらも口元が緩くなり口角が僅かに上がる。

 

だが、直ぐに島風を止められなかったことを思い出して少しだけ声のトーンが低くなる。

 

(その件については後だ。今は状況を打破するぞ。島風を含めて現在の状況と艤装状況等全て教えろ)

 

救いだったのは自身の司令官である人物は前提は二の次にして、現状の事を考えている事だった。

 

だとすれば、優翔の求めている回答は艤装状況も含めた全ての状況であるため、それを伝えるのが先だ。

 

「了解。まずこっちの状況だけど、私は無傷で主砲の残弾はまだ余裕があるし魚雷も二射分残っている。島風だけど、連装砲の一部が損傷して島風自身も傷を負ってるけど魚雷は健在。そして敵部隊は【軽巡ホ級】無傷、【駆逐イ級】二隻も健在……ン、今【駆逐イ級】一隻に島風の砲撃が着弾、中破した」

 

爆音が混じったため、後半部分が良く伝わったのか分からないが、自身から見ても【駆逐イ級】一体が中破となったのはかなり良い状況だと思えた。

 

しかし、島風だけに負担を強いる訳には行かない為、自身も連装砲の照準を合わせて砲撃する。

 

放たれた砲撃は【軽巡ホ級】へと真っ直ぐ伸びていくが、砲撃を察知したホ級は回避行動を取り砲弾は海へと着弾し水柱を上げた。

 

(分かった。少し待っていろ)

 

短い一言と共にそこで一度通信が途切れた。

 

おそらく今までの戦況データを整理して作戦を考えるのであろう。

 

――なら、私がやるべきことは……。

 

すなわち、島風の援護を行いながら時間を稼ぐことだった。

 

止めていた足を再び動かし、連装砲を放ちながら移動する島風の元へと向かう。

 

島風との距離は少し離れているものの、援護を行うには十分な距離だ。

 

再び連装砲の照準をホ級へと合わせ、砲撃を開始する。

 

砲弾はホ級の真正面へ、丁度進路を妨害するような形で着弾し、僅かにホ級の動きを止めた。

 

だが、良かったと言えば此処まででついにホ級からの反撃の砲弾が自身へと放たれた。

 

「ッ……!」

 

身体中から汗が噴き出るような感覚を覚えながら、直ぐにその場から退避するように真横へと進路を取る。

 

砲弾は自身の居た位置へとそのまま着弾し、大きな水柱を上げると共に大量の海水が響へと降りかかった。

 

砲弾の熱によって多少の熱を持った海水は、響の顔へと掛かり、反射的に一番多く降り注いだ左目を瞑ってしまい、見える右目の視界の端から光るものが見えた。

 

見える右目から僅かに見えた光を捉えたのが幸いし、投げ出すようにその場からがむしゃらに動き間近まで迫った砲弾を何とか回避できた。

 

だが、無傷とは言えず右腕をかする様に抜けて行った砲弾により、服が破けたのはともかく二頭筋の部分が妙に熱を籠っており、確認すればかすめた所から血が流れ始めた。

 

「きゃああっ!!」

 

「島風……!」

 

右腕の痛みに気を取られている間に島風から悲鳴が聞こえた。

 

左目は既に回復しており、両目で捉えれば、彼女は被弾してしまったようだった。

 

――傍から見た状態だと、中破……。これ以上はマズイな……。

 

これ以上被弾を重ねれば島風は本当に轟沈(おちて)しまう。

 

それだけは絶対に避けなくてはならず、覚悟を決めた時だった。

 

(待たせた。状況は?)

 

待ち望んでいた男の声が突如聞こえ、思わず口元を緩めてしまった。

 

「ちょっとマズイかな。私も被弾したけどかすり傷程度で余裕。だけど島風が被弾して中破。魚雷は無事だけど連装砲もあと三射できて良い所かな」

 

素早く現在の状況を伝えながら島風の元へと急ぎ、自身も連装砲を放ち島風に迫ろうとする【駆逐イ級】への妨害を始める。

 

(分かった、今から指示を出す。島風は今は聞ける状況ではないだろうから少しばかり響に負担が掛かると思うがいけるか?)

 

「やるさ。司令官指示を」

 

今の島風が指示を聞けるような状況ではない事は自身でも把握している為、必然的に自分の方へと負担が掛かるのは承知の上だった。

 

だからこそ、響は短いながらもそう答えた。

 

(オーケーだ)

 

自信満々に聞こえる自身の司令官に対して、本当にどこからそのような自信が現れるのか本当に不思議でしょうがなかった。

 

だが、そんな思考は直ぐに彼の指示を出す声によって掻き消されたのだった。

 

(響、魚雷を一射分使うぞ。まず、魚雷を10時の方向に発射、そして連装砲を【軽巡ホ級】に向け4時の方向に一射、その後5秒後にやや上に向けて7時の方向に打て)

 

「えっ?司令官、それだと――」

 

(良いから打て。面白い物が見れると思うぞ)

 

「……了解」

 

優翔の指示する方角はどれも敵には当たらない方角であり、それを指摘しようとするも彼の声によって阻まれた。

 

だが、彼が自信満々に言うからには何かあるだろうと信じ、言われたとおりに魚雷を10時の方向へと放ちその後連装砲をホ級に向け4時の方向へと放った。

 

丁度その方角へと移動していたホ級の目の前へと着弾する形となり、ホ級は直ぐに左方向へと転身し移動を開始した。

 

――3……2……1……今!

 

次に指示された通りに照準調整しホ級へと向けたまま7時の方角へと連装砲を放った。

 

放たれた砲弾はやや大きく弧を描き、移動を始めたばかりのホ級の目の前へと着弾する事となり、ホ級は焦ったかのように12時の方向へと進路を変えたその時。

 

急な進路変更に対応できなかった最後尾の中破したイ級が遅れ、最初に放った魚雷が既に眼前へと迫っていた。

 

「ギュイイイイイッッ!!」

 

魚雷の爆発音と共に、鼓膜を揺さぶるような甲高い悲鳴がイ級から発せられ、魚雷の直撃を受けたイ級はそのまま海へと静かに沈んでいった。

 

「……当たった」

 

(所謂、置き撃ちというやつだ。島風がこれを機に突貫しようとしているな……西側から回り込むように移動し、ホ級の移動方向に砲撃。とにかく動きを止めろ。島風にも通信入れないといけないからな)

 

「了解、やってみる」

 

優翔が指示した方向は丁度島風の進路方向からして挟み込む様な動き方になり、最終的には合流する形だ。

 

島風が中破している今の状況では確かに自身も前に出る必要があるが、挟み込む事で狙いを一つにさせない思惑なのだと気が付いた。

 

それならばと、速度を最大にして移動を開始するのだった。

 

 

 

「響ちゃんが一隻沈めたんだ……私も……」

 

響が敵艦を一隻沈めた事に対抗心を燃やした島風の元に通信が入った。

 

送信側の相手が予想できた事で顔を引き攣らせ、思わず無視したくなる気持ちが芽生えたが、無視する訳にもいかず怒鳴られることを覚悟して通信に出る。

 

(やっと繋がったか……まったく、馬鹿やらかしやがって……)

 

「た、大佐……」

 

聞こえてきたのは予想通り優翔の声であり、顔が見えていないにも関わらず盛大に呆れている様子が声音から十分に聞こえる。

 

てっきり怒鳴り声が開幕一番に聞こえるのかと思えば、呆れた様子の声音であり拍子抜けに近い感覚を覚えるが、場違いにも程があるので気を緩めず、次の彼の声を待った。

 

(色々と言いたいことはあるがそれは後だ。中破しているようだが、タービンはまだ持つか?)

 

「……うん、大丈夫。持たせるよ」

 

此方を心配するような声が聞こえ、あまりにも予想が違う為に一瞬反応が遅れた。

 

だが、直ぐに気を取り直してはっきりと返事をした時に僅かに聞こえたのは彼の笑うような息遣いだ。

 

(良いだろう、今は目視している通り響が西側から回り込む様に敵を追っている。第四船速にて北北西に進路を取り挟み撃ちにするぞ。言っておくが最大船速じゃないからな?)

 

「分かった!」

 

念を押すような言い方に少しばかり気になったが、それは直ぐに捨てて指示された方向へと進路を取り移動を開始する。

 

敵艦隊の方を見れば徐々に響が接近しており、連装砲を放つ姿が見えた。

 

照準の合わせ方からしてその砲弾は当てる為の砲撃ではなく、敵進路上に着弾させることによる妨害だと一目で分かった。

 

だが、響なりに少し欲張ったのか着弾した場所はホ級の後部の位置となり、当たった様ではあるが入りが浅く軽傷もいい所ではあったが動きを鈍らせること自体には成功している。

 

(島風、五連装酸素魚雷を敵艦隊に向け発射しろ)

 

「了解!」

 

急な攻撃指示に身体を強張らせるが、直ぐに魚雷の安全装置を解除し身体の左側面を敵に見せつけるようにターンをして、体をくの字に曲げて魚雷を発射させた。

 

魚雷接近を感知した敵艦二隻は直ぐに回避行動を行うが、目の前に飛来した砲弾によって進路を阻まれイ級に三本、ホ級に一本の魚雷が命中する事になった。

 

結果一本の魚雷を受けたホ級は中破となり、三本もの魚雷の直撃を受けたイ級がそれに耐えられるはずもなく、爆散しながらも海に沈んでいくのを島風は見た。

 

(良い妨害行動だ、響)

 

хорошо(ハラショー)、此処までうまく行くとは思わなかった」

 

いつの間にか合流していた響は、帽子のつばを指で摘み深めに被り直している。

 

抑揚のない言葉とは裏腹に、僅かに見える口元は少しだけ微笑んでいるように見え、意外にも高揚しているのかもしれない。

 

(残り一隻だ、気を抜くな。響、前に出て右から回り込む様に動け。島風、お前は私の合図があるまで待機)

 

「了解、先に行くよ」

 

優翔の指示が終わると響は直ぐにその場から駆け出しホ級へと迫った。

 

中破した事によって速度が落ちている今のホ級に食らいつくことは容易く、射程内にたどり着くのは直ぐだった。

 

それを見ている島風は直ぐにでも飛び出したかったが、優翔の待機命令を無視する訳にもいかずただ待つだけだった。

 

(島風、響はお前の連装砲は後三射できて良い所と言っていたが、実際は後何発だ?)

 

「うっ……あと、一回が限度かも……」

 

(やはりか)

 

バツの悪そうな表情と共に発する島風の言葉に、優翔は既に予想していたかのように返す。

 

中破した時点で連装砲の一部が損傷し、今は無事な方を使っているといえどその前にも何回も砲撃を行っている様子が響との通信で分かっていた。

 

だが、そんな事は今はどうでもよく今は一発でも打てるのなら充分だった。

 

(一発撃てるのなら充分。待たせたな、島風。北北西に最大船速)

 

「了解!」

 

優翔からのGOサインが入った瞬間、爆発的な瞬発力を以てその場から飛び出した。

 

弾丸の如く鋭く、最速の名に恥じぬその速度は遅れて飛び出したにも関わらず瞬時にホ級の眼前へと迫った。

 

挟み撃ちにされる事を悟ったホ級は、転進し挟まれる前に北の方角へと逃れようと加速を掛けた。

 

(響、魚雷を北東に向けて発射、進路を塞げ。魚雷発射後、ホ級の前に移動するんだ)

 

「了解、魚雷を発射する」

 

指示された方向へと魚雷を発射し、回り込む様に大きく迂回する様に全速力で移動を開始する。

 

進行方向先にて魚雷が迫ったことにより、ホ級は急停止を掛けるしかなくなり、そこで止まったことにより前方には響が、後方には島風が連装砲を構えていた。

 

(止めを刺せ)

 

優翔の指示と共に、二人の連装砲が火を噴いた。

 

近距離にて放たれた二つの砲弾は、ホ級を挟む様に着弾し、爆炎が舞った。

 

「やった?!」

 

「分からない、現在確認中」

 

着弾によって浮かれたように笑みを見せる島風に響は窘める様に砲撃によって起きた煙を見つめる。

 

自身と島風が放った砲撃は確かに命中したが、煙の中は全く見えず警戒を解く事は出来なかった。

 

その時に煙の奥から微かに何かが動くような影が見えた気がして、目を細める。

 

突如、煙の中より死に体も同然なホ級が飛び出し、響へと迫った。

 

「響ちゃん!!」

 

「ッ……!」

 

島風が叫ぶとほぼ同時に、響は身体を投げ出すように横へと倒れこみ何とかホ級の突進を避ける事が出来た。

 

――入り方が浅かった……。

 

最後に二人が放った砲撃は直撃弾とはなっていなかった。

 

最後の最後でホ級が身を捩じるなりをして、直撃から避けた可能性が浮かび上がり自身の詰めの甘さに思わず舌打ちを鳴らした。

 

「このっ……!」

 

(待て島風。そんなボロボロな状態で追ったところで何ができる)

 

「ッ……!」

 

優翔の静止に飛び出しかけた島風は寸前で踏みとどまった。

 

彼の言うとおり自身は中破、弾丸も切れて燃料も残り僅かでこのまま追った所で轟沈させられるのが目に見えている。

 

(……仕留めきれなかったものは仕方ない、二人共帰投しろ。響、負担を掛けるが島風に手を貸してやれ)

 

「了解」

 

身を起こした響が返事すると、通信が切れた。

 

戦闘が終わった安堵感からため息をついた響はゆっくりと島風に向かってその肩を貸した。

 

「ごめん、響ちゃん」

 

「謝るのなら、司令官に謝ろう。私たちの落ち度は全て司令官に降りかかるんだから」

 

「うっ……それはもちろん謝るけど……いっぱい怒られそう……」

 

「大丈夫、私も一緒に怒られるから」

 

バツの悪そうな表情をする島風に対し、響は微かに笑ってゆっくりと鎮守府へと向けて進路を取った。

 

駆逐艦一人背負っての移動となるため、そこまで速度は出すことは敵わない為、時間がかかりそうだと思いながら。

 

 

 

 

「戦闘終了です。響、島風両名は鎮守府へ帰投中。お疲れ様です大佐」

 

「あぁ、悪いが戦況データを纏めて後で私に届けてほしい。私は此処を離れる」

 

戦闘の終了を笑顔で労う大淀に対して、優翔の目は冷たいものだった。

 

そして優翔はそういうなり、彼女に背を向けて通信室から退出しようとする。

 

「どうするのですか?」

 

「二人を迎えに行く。……ついでに”ゴミ掃除”もな」

 

言い終わるや否や、優翔はさっさと通信室から退室し姿を消した。

 

最後に彼の言った言葉の意味を大淀は理解できず、首を傾げるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鎮守府の防波堤に生気を感じられない、青白い肌をした手が捕まった。

 

力が思ったよりも入らないのか、痙攣させるように震えさせながらも何とか陸へとその身を投げ出した。

 

それは満身創痍である【軽巡ホ級】であり、響と島風が交戦した個体そのものだった。

 

砲撃を受けた傷から青黒い液体を、おそらく深海棲艦の血液を身体中から流しながら荒く呼吸を繰り返している。

 

突如――パチンッと何かが閉じるような音が聞こえ、その方向へと視線を向ける。

 

ゆっくりと近づいてくるのは、白い軍服を纏い、肩まで伸ばした黒髪を首元で結った青い目をした人間の男だ。

 

男は触れるか触れないかの距離まで近づくと、ピタリと足を止めてホ級を見下ろしている。

 

一体、人間が自身に何の様であるのかは全く分からなかった。

 

分からなかったが、背筋は凍りつき、呼吸は浅く早く繰り返している自身に気が付くのは時間が掛からなかった。

 

「忌々しい深海棲艦が……此処は貴様らが身を置いて良い場所ではない」

 

低く、冷たい、異様なまでの殺気を込めた声だった。

 

ようやく全身の寒気や息苦しさは自身が死を目の前にしている事への反応だとホ級は気が付いた。

 

そして、ホ級はありえない物を見る事になった。

 

男の青い瞳がぼんやりと光を放った、人間がそんな事をできるなど聞いた覚えもなければデータにもない。

 

男が片足を上げたところまで見て、ホ級の意識は闇へと引きずり込まれた。

 

 

 

時刻はヒトナナヨンゴ。

 

すっかり夕暮れとなり、響と島風はようやく鎮守府へとたどり着いた。

 

予定していた時間とは遅すぎる帰還だった。

 

「ようやく戻ってきたか」

 

聞き覚えのある声が聞こえ、その方向へと顔を向けると優翔がタバコを片手に此方を見ていた。

 

持っているタバコを一口吸い込んだ彼は携帯灰皿に押しつぶすように持っているタバコを入れ、二人へとゆっくりと歩いて近づいた。

 

「響、良くやった。ご苦労様」

 

Спасибо(スパスィーバ)

 

「さて……」

 

まず響に労いの言葉を贈った優翔は本題である島風へと顔を向ける。

 

彼女はバツの悪い表情を見せ、つい顔を背けてしまい、逃げれる物なら逃げたかったが、響に肩を貸して貰っている今では逃げる事も出来ない。

 

彼女を見る優翔の目は濁りきっており、ゆっくりと腕を彼女へと伸ばした。

 

――あぁ……殴られる……。

 

殴られるようなことをしでかした後のため、いっそのこと島風は痛みを覚悟し目を強く瞑った。

 

「……大丈夫か?」

 

「ふぇ……?」

 

だが、自分に投げかけたのは怒号でも拳骨でもなく、自身を心配するような声と共に頭を撫でられている感触だった。

 

あまりにも予想外過ぎて、瞬きを数回繰り返して彼の顔を覗き込む。

 

「大丈夫か、と聞いているんだ」

 

「え、うん……大丈夫」

 

「なら、良い」

 

「あの、大佐。怒ってないん……ですか?」

 

島風の問いに優翔は盛大なため息をついて、懐から新しいタバコを一本取り出して吸い始めた。

 

妙に間が空いており、釈然としていないが、彼の言葉を待つ以外なかった。

 

「無論、怒っている。旗艦の指示を無視した挙句に勝手に突っ走りやがって……その結果がお前自身中破に加えて響も損傷と来た」

 

「うっ……」

 

「だが、お前事態は反省しているんだろう?」

 

「そりゃあ……大佐にも響ちゃんにも凄い迷惑かけたから……」

 

「ならこれ以上は良い、失敗は誰でも有るもんだ。次からは私の指示はもちろん旗艦の指示には従うように。二人とも速やかに入渠しろ。入居後は今日は終わりだ、好きに過ごすように。私は先に戻っている。報告書もやる事も溜まっているんでな」

 

それだけ言うと優翔は二人を置いていくかのように歩き出し、残された二人、特に島風は唖然としながら彼の背中を見つめ続けていた。

 

「じゃあ、行こうか島風」

 

「……うん」

 

 

 

時刻はフタマルヒトゴ

 

報告書の作成と提出を済ませ、業務を全て終わらせた優翔は、横須賀鎮守府内に存在する飲食店【居酒屋・鳳翔】の中に居た。

 

報告書の提出を景山に済ませた後、彼に教えてもらい執務室に帰るついでに立ち寄ったのだ。

 

正直なところは今日だけで色々な事が起きすぎた為、飲まなければやっていられなかったのだ。

 

「……鳳翔さん、熱燗もう一本頼む」

 

「はーい、少々お待ちください」

 

店主を務めている軽空母【鳳翔】に先ほど飲んでいた熱燗が空となったことで、追加の注文をする。

 

何故、彼女をさん付けなのかは、此処を利用する軍人も艦娘も皆がさん付けをしている為、郷に入っては郷に従えの精神で自身もそう呼んでいるのだ。

 

その時、戸を開ける音が聞こえて来客を知らせる。

 

「あれ、司令官?」

 

「……響か、此処は居酒屋だぞ?」

 

「知ってる。私も飲みに来たんだ」

 

響の言葉に眉間を皺を寄せざる負えなかった。

 

どう見ても子供で、未成年しか見えない彼女が飲酒など大人としては止めなくてはならない事案だ。

 

たとえそれが生と死の瀬戸際で戦っているとしてもだ。

 

「……お前は子供だろ、未成年が酒を飲むんじゃねぇ」

 

「あぁ、龍波大佐。私達艦娘は人間と身体の作りが違いますので、アルコールによる悪影響が殆ど無いので駆逐艦の子達がお酒を飲んでも大丈夫なんですよ」

 

「……そうなのか?」

 

「そうだよ、司令官は知らないだろうけど」

 

知らないも何も、初耳だった。

 

だが、確かに明らかに人間よりも優れた身体能力など艤装装着能力等見れば作りが違うのだろう。

 

「……なら、良いか。いい機会だ、今日は私が奢ってやるよ。鳳翔さん、熱燗と猪口をもう一個くれ」

 

「はぁーい」

 

「良いのかい?遠慮なくいただくよ?」

 

「こういう機会は中々ないからな。今日は頑張った褒美も兼ねてだ」

 

「ありがとう、ごちそうになるよ」

 

微笑を浮かべた響が隣に座るのと同時に注文していた熱燗と彼女の分である徳利と猪口が置かれた。

 

自身と響の猪口に熱燗の中身を注ぎ、どちらが先か互いの徳利を打ち合わせ静かに二人は飲み始めた。



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5.5話:それぞれの休日・島風編

二月四日、時刻はマルロクヨンゴ。

 

とある六畳間の一室でモゾモゾと布団から這い出てくる物体があった。

 

金髪の長髪を隙間から覗かせたと思えば、ガバッと急に起き上がる。

 

「……朝かぁ」

 

欠伸を交えながら呟く言葉には覇気が全く籠っていなかった。

 

彼女は駆逐艦【島風】、日本に存在する駆逐艦にて自他共に認める最速を誇る艦娘だ。

 

そんな彼女の朝は早く、いつもこの時間には起床している。

 

彼女のモットーは「速さ第一」であり、それは起床時間、戦闘、食事、はては就寝時間までも変わらない物であった。

 

そして此処は鎮守府に勤務する艦娘達が宿泊する寮の一室であり、鎮守府や泊地には必ず存在する建物の一つだ。

 

基本的には寝室の割り当ては同じ艦隊を組む者同士でありエリアで分かれている。

 

規模が大きくなればなるほど、相部屋が多くなるのだが、島風が所属する【龍波艦隊】は現在駆逐艦二隻と極小規模の始まったばかりである為に今現状は一人部屋である。

 

隣の部屋では響が未だに寝付いており、大きな音を出して眠りを妨げる訳にはいかないのだが、今日に限っては都合が違う。

 

いつもは速さが第一で布団を畳むのも高速で済ませる彼女であるが、今日に限ってはノロノロと布団を畳んでいる。

 

――今日一日、お休みかぁ。急だったから予定がないなぁ。

 

島風がいつもより遅く支度している理由は、今日が一日休暇だという事についてだった。

 

昨日は自身の上官である優翔は此処【横須賀鎮守府】の最高司令官である景山玄一郎大将と共に中央本部に出頭し会議を行っていた。

 

それに追い打ちをかけるように自身が原因で起きた戦闘の指揮をぶっつけ本番で行う羽目になった為に身を案じた景山が休暇にしたのだ。

 

休める時は休むべきと判断した優翔はそれを受理し、それによって彼の指揮下にある響と島風にも突然の休暇となったのだ。

 

正直に言えば、昨日の戦闘で中破となり疲労も溜まっている為に休める事は嬉しい事ではあったが、急な休みと言われても何も思いつかないのである。

 

まだ、昨日の失態の後始末として何かしら業務を行わされるという方が分かりやすいのだが優翔自身は特に罰するつもりもないのだ。

 

そして手元にはいつも居るはずの【連装砲ちゃん】は昨日の戦闘で破損した為に修理中である。

 

完全に修復が完了するには今日の昼までかかる予定だ。

 

――駄目だ、とりあえず外に出よう。

 

何も思いつかず、遂にはため息をついた島風は着替えを手早く済ませて自室から出た。

 

流石に早朝という事もあり、起きている艦娘は少なく居たとしても自身の提督の朝食を作りに行っている者ばかりであった。

 

「おや……?島風ではないか」

 

不意に後ろから声を掛けられ、振り向くと長門型1番艦【長門】がそこに居た。

 

彼女は横須賀鎮守府最高司令官である景山大将の秘書官にて艦隊旗艦であり、実質この鎮守府に所属する艦娘達のリーダーである存在だ。

 

「長門さん、おはよー。長門さんも朝食作りに?」

 

「いや、私は早朝訓練だ。提督の朝食は文月が作っている」

 

「あぁ……長門さん、料理得意って感じじゃないですもんね」

 

「事実だが、随分バッサリと言うなお前」

 

「おぅっ?」

 

容赦のない言葉に長門は冷や汗を流しながら苦言を入れるが、当の本人にはその自覚が全くないようであった。

 

その様子に深くため息をついた長門は、話題を変えるために自分から話を振る事にした。

 

「それで、島風はどうしたんだ?私と同じで早朝訓練か」

 

「うぅん、大佐が急に休暇になったから私達もお休みぃ」

 

「なるほど、大方急な休暇となってやる事がなくとりあえず外に出たという事か」

 

「当たりー」

 

何となく予想していた事が当たったようで、長門は考えるような仕草を見せた。

 

自分としては己の訓練を優先したいところではあるが、自身の後輩とも言える島風が最近少しだけ明るくなっているのも見逃せない。

 

艦隊に所属する事になったからか、それとも上司となった龍波大佐が良い上司となって恵まれているからかなのかは定かではないが。

 

優翔の事が頭から過った時に、長門は先ほどあった事を思い出した。

 

「ン、そういえば……さっき龍波大佐とすれ違ったな」

 

「え、大佐と?」

 

「あぁ、確か自主訓練をする。と言って外に出ていたな」

 

「外かぁ……」

 

優翔の訓練には少々興味が湧いてきている。

 

どのような訓練をすれば艦娘の蹴りを受け止めるだけの筋力や反射神経を得る事が出来るのか見てみたいと思っていたのだ。

 

そして、丁度良く目の前には早朝訓練を行おうとしている艦娘が居る。

 

「長門さん、大佐の所に行ってみて訓練にお邪魔してみませんか?」

 

「大佐の所に?いや……邪魔をするのはマズイだろう」

 

悪戯を思いついた子供の様な笑みを浮かべる島風に長門は何か企んでいると確信した。

 

確かに陸軍に所属していた優翔の訓練などは興味がある。

 

とはいえ、自身の興味で彼の訓練を邪魔をするというのは些か乗り気にならない物だった。

 

「えー、たぶん面白いと思いますよ。大佐、私の蹴りを受け止めるくらいですし」

 

「何……艦娘の蹴りを受け止めるだと?」

 

島風の言葉に長門は僅かな驚きと共に興味が更に湧いたのだった。

 

通常、艦娘は人間よりも身体能力が大きく上回っており、到底人間が敵うようなものでは無い。

 

それは最も小柄である駆逐艦でも同じであり、戦艦クラスの艦娘となれば能力の差は天と地の違いがある。

 

それを、駆逐艦とはいえ最速を誇る島風の蹴りを受け止めるなど並大抵のものではない。

 

既に長門の中では上官に蹴りを入れたという事実よりも優翔への興味が上回っていた。

 

「……やはり、興味があるな。龍波大佐を探してみよう」

 

「はーい。大佐どこにいるかなぁ」

 

すっかり島風に乗せられる事となった長門は島風を連れてその場を後にする。

 

島風としては丁度良い暇つぶしを手に入れたと言ってもいい物であろう。

 

優翔への迷惑は二の次となるが。

 

 

 

その頃、島風と長門の話題の当人となっていた優翔は準備運動の為のストレッチを行っていた。

 

準備不足は怪我の元と、士官学校の時代から思い知っている為に訓練前のストレッチは欠かせないものとなっている。

 

そこに近づく二人分の足音が聞こえ、その方向へと目を向けると長門と島風が近づいてくるのが見える。

 

「たーいーさー見つけたぁ」

 

「やぁ、龍波大佐」

 

「長門に島風か。島風はともかく、長門はどうした?閣下から私に伝言でもあるのか?」

 

「いや、提督からの伝言は無い。今回は龍波大佐に用があった」

 

「……私に……?」

 

いったい何の用があるのか見当が全くつかなかった。

 

島風が自身に用があるのは何となく理解できる。

 

大凡、急な休暇で何もする事がなく、自身に構って貰いたいのだろうとは思う。

 

だが、長門はどうだと言われたら全く理解できない。

 

彼女は自身の指揮下にある艦娘でもなければ、自身の直属の上司である景山大将の秘書艦にして横須賀鎮守府の切り札でもある存在だ。

 

そんな彼女が自分に用などいくら考えても分からない物だった。

 

そんな優翔の考えを読んだかのように長門から口を開いた。

 

「なに、どうも龍波大佐は島風の蹴りを受け止めたという話ではないか。いったい普通の人間がなにをどう訓練すれば艦娘の蹴りを受け止められるのか気になってな。大佐が良ければ訓練を見学、または体験したいと思ってな」

 

――なるほど……島風め、随分と余計な事を言うものだ……。

 

長門の言葉に若干眉間に皺を寄せながら心の中で呟く優翔だが、長門の言う”普通の人間”というのは少しばかり過ちがあるのをあえて指摘するつもりは無かった。

 

彼女なら百八期の事を景山大将から直々に聞くであろう事と、余計な事を言って島風を混乱に陥れたくないという思いもあった。

 

――しかし、どうするものか……。

 

優翔が少しだけ悩んでいたのは、ただ単純に長門の要望を聞くかどうかだ。

 

自分にとっては特に特別な事をしていないために、彼女をがっかりさせる可能性もあれば、自主訓練に余計な要因を巻き込みたくないというのもある。

 

基本的に隠している自身のというよりは百八期の特徴を曝け出す可能性も考慮すればあまり歓迎できるものではない。

 

だが、相手は横須賀鎮守府最高司令官の秘書艦でもありないがしろにはあまりできない。

 

たとえ立場がこちらの方が上とは言っても、バックには自身の雲よりも上の存在が居るのだ。

 

「……私の、というより陸軍に居た頃のやり方を軽くであれば、歓迎するが……」

 

「助かる。陸の訓練にも少し興味があった」

 

「よかったねぇ長門さん。頑張ってねぇ」

 

少しだけ考えた結果、出した回答に長門も満足気に頷いた。

 

どうやら、彼女は根っからの武闘家の気質があるのか訓練に関しては人一倍積極的なようだった。

 

だが、その後に聞こえた島風の言葉に優翔は見逃すつもりは全くなかった。

 

自分だけ逃れようとする島風の肩を瞬時に掴んで、優翔は口角を僅かに持ち上げた。

 

「まぁ、待て島風。せっかく来たんだ、お前も一緒に訓練をやるぞ」

 

「えっ!?い、いやぁ、私は……」

 

「うん、そうだな。島風も一緒にやった方が良いだろうな」

 

「長門さん!?」

 

微妙に微笑んでいる優翔に嫌な予感を感じ取った島風は目を逸らしながら必死に言い訳を考える。

 

そもそも自分は暇つぶしを探していただけで、訓練を行うつもりは無かったのだから。

 

だが、それも露と消える様に長門からの予想外の裏切り(島風からすれば)によって退路が断たれる事となった。

 

「諦めろ。昨日から思っていたが、お前のその過剰な自信は矯正しなければ危ない。戦場では一瞬の油断が命取りだからな」

 

「ほう、それは聞き捨てならないな。大佐も言っている通り、戦場で油断は禁物だ」

 

止めと言わんばかりに優翔の言葉に目ざとく聞き取った長門は目つきを鋭くさせて島風を諭すような口調になる。

 

もう完全に退路が断たれてしまい、逃げ出すにも優翔が痛めない様に、だが決して逃がさない様に妙な力の込め方で肩を掴んでいる為に物理的に逃げられなかった。

 

「ひ、ひええぇぇぇ……」

 

涙を浮かべながら島風は自身にとって地獄に感じるような訓練が始まったのだった。

 

 

 

「うあぁ……つ、疲れた……」

 

時刻はヒトフタサンマル。

 

丁度お昼時の時間に、島風は心身共に疲れ切った様子で、修理が完了したであろう【連装砲ちゃん】を受け取るために工廠へと向かっていた。

 

疲れ切っている理由は、疑いの余地も無く優翔の訓練を行ったためだ。

 

それが今まさに脳裏に浮かびあがっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、キリキリと走れ。2時間越えたらケツを蹴っ飛ばすぞ」

 

「うわああぁぁん!!」

 

「な、中々スパルタだな」

 

最初に始まったのは鎮守府の外周を10周するマラソンだった。

 

鎮守府の敷地は広大であり、その外周を10周するなど距離で計算して20キロはオーバーしている。

 

それを少しでも遅れそうになれば、優翔は容赦なく蹴りの姿勢に入り強制的に走りを続行させられる。

 

聞いていて末恐ろしく思ったのは、優翔は陸軍時代は今の制服姿ではなく完全装備状態で記録を1時間を切っていたとのことだった。

 

考えてみれば現実味のない話ではあるのだが、2週程したマラソンの途中で響が合流して彼女の分まで余分に走っていた優翔が誰よりも長く終わった後で全く息を乱れていない姿で信じるしかなかった。

 

ただ、島風にとって一番納得いかなかったのは響に対しては優翔は少しだけ優しかった事だった。

 

秘書官でもあり負担が大きいことから気を使ったというのは理解できるが、何となく納得がいかなかった。

 

因みに響の付添で余分に優翔が走っている間は、島風と長門の休憩時間となっており、その時に渡されたスポーツドリンクが異様においしかった。

 

「次は逆さ吊り状態での上体起こし100回だ。頭に血が上ったら少しだけ休んでいいぞ」

 

等と言いながら、次に始まったのは近くにあった木の枝に両膝を引っかけて逆さ吊り状態で行う上体起こしだった。

 

流石にこれには長門も少しだけ根を上げたのか、ローペースで行っていた。

 

もっとも駆逐艦の島風と響はそれ以上に遅かったが、優翔だけは異様な速さで100回の上体起こしを終わらせて三人を見物していた。

 

上体起こしが終わった後もトレーニングが待っていたのだが……。

 

「で、最後に組手をする所なんだが……」

 

上体起こしを含めたトレーニングを終わらせた後の休憩を終わらせた後に言う優翔は、少しだけ困った表情を浮かべてた。

 

組手と言えば、徒手空拳による模擬戦が基本的なのではあるが、艦娘達にとって白兵戦などお門違いでありそもそも経験すらないというのが当たり前だった。

 

それについて優翔は頭を悩ませていた。

 

「なら大佐。私が相手になろう」

 

「ン……しかし長門、お前は白兵戦ができるのか?」

 

名乗り出た長門に対して、優翔はやや怪訝な表情を浮かべながら問う。

 

それに対して長門は自身有り気に頷くのだった。

 

「齧っている程度ではあるが、格闘術なら自主的に訓練をしている」

 

「ふむ……なら、やってみるとするか。響と島風は待機だ」

 

長門の言葉に一定の納得を得たのか、優翔は二人に待機するように命ずると長門から5メートル程離れて構えた。

 

しかし、その構え方は一般的なファイティングポーズと違い両腕をだらりと下げ、両手は拳を作らず全ての指の第二関節を僅かに曲げている独特なものだった。

 

長門も構えて、しばらくの睨み合いが始まってから優翔が先手を譲る発言をしてから組手が始まった。

 

結果は優翔の圧勝だった。

 

長門の放つパンチやキックを全て受け流し、彼女の態勢が僅かに崩れた一瞬を突いて一本背負いで地面へと叩きつけ、彼女の喉元に貫手を突き付けて終了となった。

 

実戦であったらナイフでも刺されて終わりだったであろう。

 

「まぁ、白兵戦のやり方を知らなければこんなものだ。戦い方を覚えれば充分脅威になる」

 

決着がついた時に軽く言い放った優翔は、手をブラブラと振りながら長門に手を差し出していた。

 

どうも、艦娘の身体能力で放たれる攻撃はどれも重たいものであったようで感覚が少しだけおかしくなっていたようだ。

 

それでも軽々と受け流しては反撃もできるあたりは本人のスペックも勿論だが、経験値が多い証拠だろう。

 

因みにあっさりと負けた長門は優翔に白兵戦のアレコレを質問攻めして優翔を少々辟易させていた。

 

 

 

 

 

 

その後も柔軟体操などを終わらせてようやく終わりとなり、気が付けば【連装砲ちゃん】の修理が終わっているであろう時間になっていた。

 

肉体と精神両方の疲労を引きづりながらも工廠へとやってきたのだ。

 

今は入り口の直ぐそこまで来ているが、内部から激しい騒音が分厚い鉄の扉越しでも聞こえてくる。

 

何よりも、耳の奥の方からゾワゾワするような、本能的に拒絶を促すような金属同士がぶつかり合っている様な音が聞こえるのが彼女が工廠へと入るのを引き留めている。

 

――うわぁ……何か知らないけど、入りたくないなぁ。

 

俗に言う、嫌な汗というものがコメカミから流れ落ちて結局は音が鳴り止むまで入り口で待つ事になったのだ。

 

とはいえ、それも直ぐに2~3分ほどで終わる所から作業が終わりに近かったのかもしれない。

 

音が鳴り止んだ事にホッと息を漏らした島風は分厚い鉄の扉の横にある端末を操作して開け放つ。

 

工廠内は本土防衛の要でもある横須賀のものだけあって広々としており、資材及び機材は充実としている。

 

殺風景ながらも整理整頓が行き届いた空間はある意味で理想の現場とも言える程だ。

 

「あら、島風。いらっしゃい」

 

「夕張さんこんにちわぁ。連装砲ちゃん達を受け取りに来ました」

 

島風に声をかけたのは、夕張型1番艦軽巡洋艦【夕張】その人だった。

 

彼女は兵装実験軽巡として様々な兵装と触れあったとされる夕張の艦娘である事が縁となり、日々工廠にて工作艦【明石】と共に装備開発に勤しんでいたりする。

 

その為、普段は艦娘としての正装ではなくツナギ姿となっている。

 

因みに夕張の担当は艦娘の装備であり、無茶を過ぎなければ彼女一人で修理、開発をできるほどである。

 

「連装砲ちゃんね。ちょっと待っててね」

 

そう言うなり、夕張は親指を立てると奥へと歩き始めた。

 

島風は待っていろと言われた通りに、備え付けられているベンチへと腰を下ろして足をブラブラと揺らしながら彼女を待っていた。

 

その時に工廠の扉が開かれる音が聞こえて、そちらへと顔を向けると、自主訓練を終えて休んでいる筈の優翔が姿を見せた。

 

「ン、島風か……修理に出した連装砲の受け取りか?」

 

「受け取りは合ってますけど、連装砲じゃなくて【連装砲ちゃん】ですよー」

 

「……はいはい【連装砲ちゃん】な」

 

僅かな間違いに指摘をする島風に対して優翔は心底どうでも良さそうに軽く流す。

 

その反応が些か面白くないからか、彼女は頬を風船の様に膨らませた。

 

だが、それも優翔が何故此処に来たのかという疑問によって直ぐに収まった。

 

「でも大佐、何で工廠に?」

 

「お前達が行った木更津駐屯地への輸送任務の報酬で少しばかり資材に余裕ができた事で建造を利用する事にした。それと、明石と夕張に個人的な依頼だ」

 

「個人的な依頼?」

 

島風の問いに優翔はただ頷いて肯定する。

 

建造に関しては分かるが、個人的な依頼というのがどうにも引っ掛かる。

 

ただ、彼が手に持つ数枚の書類が関係しているのであろうが、深く突っ込む気にはなれなかった。

 

下手に首を突っ込んで痛い目に会うことは先程の訓練で身を知って覚えたばかりなのだ。

 

「島風お待たせー」

 

ちょうどその時に夕張の声が聞こえ、そちらの方へと二人は顔を向ける。

 

彼女は島風の兵装である【連装砲ちゃん】三機を両腕に抱え込んで、こちらへと向かってくる。

 

それらを島風の目の前へと下すと、一番サイズの大きく「ぜかまし」と書かれた浮き輪にはまっている【連装砲ちゃん】が片腕らしき物を上げている。

 

「連装砲ちゃん、おかえりー!!」

 

「修理が必要な時はまたよろしくね!……っと、龍波大佐、お疲れ様です」

 

「あぁ、頑張っているようだな」

 

戻って来た【連装砲ちゃん】達を抱きしめる島風に微笑んだ夕張は直ぐ側にいる優翔に気がつくと敬礼を行う。

 

それに対して返礼を済ませた優翔は労いの言葉をかけると、彼女は照れくさそうに頬を掻いた。

 

「いえ、好きでやっている事ですから。それより龍波大佐は装備の開発に此処へ?」

 

「建造も含めてだな。とりあえず明石を呼んでくれ。お前達二人に話があるからな」

 

「明石さんもですね、分かりました」

 

優翔の言葉に頷くと、夕張は走りながら奥へと向かっていく。

 

彼女達が戻るまでの間、彼は備え付けのベンチに腰を下ろして【連装砲ちゃん】で遊んでいる島風を視線の端で見ていた。

 

とりあえず、タバコでも吸おうと懐に手を伸ばした瞬間に此処は禁煙だと思い出して仕方なく立ち上がり外へと足を進ませた。

 

 

 

 

「あれ、龍波大佐は?」

 

「タバコを吸いに外に出たよー」

 

5分程してから夕張がツナギ姿の工作艦【明石】を連れてやってきたが、彼女達からすれば忽然と消えた様に感じ、周りを見渡す。

 

一部始終を見ていた島風は鉄の扉に指を指しながら、優翔が外へと出た事を伝えると、二人はお礼を言い外へと足を進ませた。

 

外に出て直ぐに優翔の姿は見つかった。

 

彼は扉から少し歩いた場所でタバコを吸っていたのだ。

 

「大佐、遅れてすみません」

 

「あぁ、明石か。気にするな、忙しい時に呼んだのは私だ」

 

「いえ、それで御用事とは?」

 

二人を呼んだ理由を問いかける明石に、優翔は持っていた書類を彼女に渡し、二人で読むように伝える。

 

渡された書類を読み進めて行くうちに、最初は余裕があった表情がどんどん難しいものへと変わっていく。

 

終いには二人共優翔の顔と書類を交互に見やる。

 

「えっと……大佐。確認しますけど、これ許可下りているんですよね?」

 

「一番後ろに閣下からの許可書があるだろう」

 

「……良く、中央が許可出しましたね」

 

「中央何かが許可取ると思うか?大将閣下の許可書の元で横須賀鎮守府にて保管しているもので勝手にやるんだ」

 

「えぇー……」

 

その時、ひょっこりと工廠内から出てきた島風が三人の様子を見ていたが、途中からでは話は到底理解できず、とりあえず眺めるだけだった。

 

「それで、結局はできるのか?」

 

そんな様子の島風を視界の端に納めながら優翔は二人に問う。

 

彼の問いに二人は互いの顔を見合わせて考えるような仕草を見せる。

 

先に動いたのは夕張で、彼女は自身の髪を掻きながら頭を上げた。

 

「因みに、納期はどの程度ですか?」

 

「特に決めはしないが、なるべく早めにが好ましい」

 

「んー……なら一ヶ月くらいかかるかもですが、やってみます」

 

「そうですねぇ、それくらいは必要かもしれません。因みに建造は?」

 

「燃料250、弾薬30、鋼材200、ボーキ30だ」

 

どうやら、優翔の言う個人的な依頼というのは話が終わった様で建造の話に入ってしまっていた。

 

特に興味が無いのか、島風は【連装砲ちゃん】三体を連れてその場から離れた。

 

 

 

工廠から離れた島風は特にやる事も見つけられずにふらふらと鎮守府内を歩いていた。

 

思えば暇だから最初に優翔の所へと向かったのだから、自分から彼に離れては意味がなかった。

 

とはいえ、既に工廠から離れて随分と時間が経つため今更戻っても優翔は確実に別の所にいる。

 

――どうしようかなぁ。大佐も響ちゃんもどこにいるか分からないし……。

 

夕方になり始めたばかりである今の時間帯は何をするにも中途半端であり、悩ましい限りだ。

 

ため息を交えながら俯きながらトボトボと歩いて曲がり角を曲がった時だった。

 

「きゃっ!」

 

「うわっ?!」

 

曲がった先に人が居ることを確認しなかった事により誰かとぶつかる。

 

それだけなら良かったが、ぶつかった事によりしりもちを付いたことと、それに少し遅れて数本のビンが割れる音と共に何かの液体が自身に降り注いだ。

 

ーーうえっ……何これ、お酒?

 

自身にかかった赤色の液体の匂いを嗅ぐと、ツンッと鼻腔を刺激するような匂いがした。

 

「だ、大丈夫かい?!」

 

「平気……」

 

立ち上がり、相手の姿を見ると調理師の格好をした男性だ。

 

この横須賀で調理師の格好をしている者は【間宮・横須賀店】の者しか居ない。

 

「なら良かった……しかし参ったな」

 

「あうっ……ごめんなさい」

 

島風が無事であることを確認した男は安堵して胸を撫で下ろすが、直後に床へと散らばった割れたビンと液体をみてため息をついた。

 

島風にも台無しになった酒が料理に使われる事が直ぐ分かり自分の不注意が原因ともなると謝らずにはいられなかった。

 

「……凄い音がしたが――島風、なんだその様は……」

 

「あ、大佐……」

 

「大佐!?お疲れ様です!」

 

「あぁ、敬礼は良い。それでどうした?」

 

「え、えぇ実は……」

 

ビンの割れた音でその場に現れた優翔がひょっこりと顔をだした。

 

島風の言葉に驚いた男は敬礼をしようとするが、優翔はそれを片手で制して説明を求めた。

 

自分の事を知らなかったであろう男は緊張からか話が些か飛び飛びになってはいるが何とか現状を理解するぐらいには話を聞き出せた。

 

「……そうか、部下が大変な迷惑をかけて申し訳ない」

 

「い、いえ!頭を上げて下さい大佐!」

 

現状を理解した優翔は男に向かい頭を下げる。

 

男としては下士官である自分に高級将校である優翔が頭を下げるなど、まずあり得ない事であり狼狽を隠す事はできなかった。

 

島風も同じでまさか優翔が頭を下げるとは思ってもいなかった為に唖然としている。

 

「しかし、このワインは今日使うものだったんだろう?」

 

「えぇ、まぁそうですが。こうなったら仕方ありませんよ」

 

「いや、今から買ってこよう。銘柄を教えてくれ」

 

「えぇっ!?流石に悪いですよ!」

 

「部下の失態は上官である私の責任だ、何時までに持って来ればいい?」

 

最初は断っていた男だが、優翔の押しの強さに先に折れてしまい結局は銘柄と何時までに持ってくればいいのかを全て伝える事になった。

 

優翔はそれを全てメモして、頭の中で整理するように頷いてメモ帳を音を鳴らしながら閉じた。

 

「それなら少しギリギリになるが間に合うか……では買ってくる。少し待っていてもらいたい」

 

「えぇ、申し訳ございません大佐。お願いします」

 

「あ、私も行くよ!」

 

彼女なりにも責任があるのか、その場を後にしようとする優翔に向けて言うが、彼は顔だけを島風に向けて少しだけ見た後にため息をついた。

 

振り返りゆっくりと彼女に近づいて、目線を合わせるように屈んだ優翔はその手を頭に置いた。

 

「そんな酒臭い姿で外にでるつもりか?」

 

「あ……」

 

言われてから改めて自身の姿を見ると、髪や顔から赤ワインが滴り落ちて、上着に関しては赤黒く染まっている。

 

それだけじゃなく身体の至る所から酒の匂いを発しており、とてもじゃないが服を着替えても外に出られない様な姿であった。

 

「この件に関しては私が何とかする。お前は早く風呂に入ってその酒臭いのを何とかしてこい」

 

「……はい」

 

 

 

優翔に言われた通り、島風は入渠所へと入っていた。

 

最優先で身体の洗浄を済ませ、現在は湯船に浸かっている。

 

だが、その表情は暗く傍から見ても元気がないのが伺える。

 

「そんな浮かない顔をしてどうしたんだい?」

 

「ひゃっ!?」

 

急に聞き覚えのある声から話しかけられ、驚きのあまりその場で身を硬直した島風は辺りをキョロキョロと見渡す。

 

良く見ると、湯気で見えにくいが真正面に響の姿があった。

 

「ひ、響ちゃん。何時からいたの?」

 

「島風が入ってくるほんのちょっと前からだよ。それで、どうしたの?」

 

同じ艦隊に所属する響なら話しても大丈夫だろうと思った島風はこれまでの今日の経緯を響に包み隠さず話した。

 

訓練の事、工廠での事、そして自分の不注意によって優翔に迷惑をかけた事。

 

それを響は黙って聞いていた。

 

「それで、間宮で働く人にも迷惑をかけただけじゃなく司令官にも迷惑をかけちゃった、か」

 

「うん……昨日の問題行動に続きこれだから、大佐も私の事はもういらないと思ってたらどうしようって……」

 

彼女らしくない弱々しい言葉の最後の部分に、響は呆れを交えたため息を漏らした。

 

島風はそのため息の意味を理解できずに響へと視線を戻すと、やはり呆れ果てた様な顔をしていた。

 

「私も司令官と会って日が浅いから何とも言えないけど、たぶん島風の心配は杞憂だと思うよ」

 

「どうして?」

 

「島風を迎えに行く時、司令官はこう言ってたんだよ『他が扱えないなら、私は扱ってみせる』って、海軍に異動して日が浅いのに随分と大きく出たと思わない?」

 

響の言葉に島風は頷いて肯定を示した。

 

確かに異動して一週間とも立っていないのに全く真逆の分野である艦娘の運用を扱って見せると言うだけかなり啖呵を切っているものではあった。

 

だが、優翔は資料を見て分かり切っている通り、響と違って自分でも偶に思う程問題児だと自覚している。

 

それも扱って見せると言い切るのは余程の自信があるのか、それとも馬鹿なのかのどっちかだ。

 

「実際に昨日が初の艦隊指揮だというのに、不利な状況から一気に巻き返したしね」

 

「そういえば……」

 

「戦闘が終わって入渠を済ませた後に、【居酒屋・鳳翔】に司令官が居たから聞いてみたんだよ。どうして初の艦隊指揮なのにそこまで上手くできたのかって。そうしたら『艦娘が海の上でも陸上の人間と同じように動けるのだから、陸軍の頃の戦術を使ってみたら案の定うまく行っただけ』だってさ」

 

「何それ、しかも案の定って確信してたんだ」

 

響の言葉に島風は思わず笑みを声を出して笑った。

 

それに関しては響も同意の様で、微笑を洩らして暫くすると小さく息を吐いた。

 

視線は虚空を眺めており、何を考えているのかは想像はできない。

 

「とりあえず、一度司令官と一対一で話してみたら?司令官を信じる信じないはそれから決めてもいいと思うけど」

 

「うん……お風呂から上がったらそうしてみる」

 

響の言葉に頷いた島風は上がり次第に優翔を探して話してみる事を決めた。

 

あともう暫くすれば優翔は帰ってくるはずであり、それまでに何を話すかを頭の中で整理する事に決めた。

 

 

 

 

入渠から上がった島風はさっそく優翔を探していた。

 

最初に執務室を覗いてみたら居なかった事から、おそらくまだ外に居るだろうと思いあれこれ十分程は探していた。

 

そして、今は鎮守府の正門の近くまで来ており、そこでようやく優翔の姿を見つけた。

 

「あ、大佐……」

 

「ン……島風か、どうした?」

 

彼は防波堤に腰を下ろして、タバコを片手にずっと遠くを見つめていた。

 

いつもと違うのは、酒屋で買い物に行ったためか、海軍の制服ではなく黒いレザーコートにワイシャツにスラックスと簡単な服装であることぐらいだ。

 

「……今日はごめんなさい」

 

「さっきの酒の事か?別に気にするな。さっきも言った通り、部下の不始末は上官である私の責任だ。むしろ使い道のない金を使う暇ができたから良いと思っている」

 

「し、私財を使ったんですか!?」

 

「当たり前だ、鎮守府の経費なんかで落とせる訳がないからな。さっきも言った通り使い道のない金を使っただけに過ぎないから気にしないでいい」

 

気にしないで良いと言われたもの、流石に私財まで使われているとなるともう何処を謝れば良いのか分からなくなり、泣きそうになってしまう。

 

そんな彼女の心境を理解したのか、優翔は何も言わずに今吸っているタバコを携帯灰皿へと突っ込み、二本目を吸い始めた。

 

暫くの間沈黙が続き、少しだけ気まずい雰囲気が場を支配していた。

 

それに亀裂を入れる様に、島風が口を開いた。

 

「……ねぇ、大佐。思い上がりじゃなかったら良いんだけど、なんで私の事をそんなに気にするの?資料でも見た通り、私はかなりの問題児だよ?」

 

「…………」

 

島風の問いに、優翔は目線だけ動かして彼女を見やるが、直ぐに視線を虚空へと戻し何も言わない。

 

――やっぱり、私をそこまで信用してないのかなぁ……。

 

一種の諦めに近い感情が芽生えた時、大きく煙を吐き出した優翔が口を開いた。

 

「……私は、陸軍に居た頃に多くの部下と仲間を失った」

 

「え……?」

 

「殆どが私に付いてこれ無くて巻き添えを食うように死んでいった。その理由については時が経ったら話すが……お前も知っている通り、私はまだ若造に過ぎない。……目の前で部下が死んでいくのは、もう嫌なんだよ」

 

初めてだった、優翔が言葉の最後の方で見せた悲しみを含んだ笑みを見せたのは。

 

殆ど無表情で、表情を変えるとしても呆れた様なものか、僅かに口角を持ち上げる姿しかなかったため、こんなに悲しそうな笑みを見せるのは初めてだった。

 

思えば、自分も優翔の年齢については着任したその日で知っているはずだった。

 

23歳など、普通なら大学を卒業して社会人として歩き出して1年程度だ。

 

幾ら力を持っている者が下の者を引いていくと言っても、陸軍に居た頃を考えれば成人して直ぐの事だ。

 

彼の言葉通りに部下や仲間の死を目の前で見てきたのなら、当時はもっと若い彼にはあまりにも過酷な物に違いなかった。

 

「……あれ?」

 

気が付けば自然と涙が出ていた。

 

何故涙が出たのか分からないが、拭っても止まる事がなく溢れ出るばかりだった。

 

「お前は根は優しいんだな。こんな狂った奴に涙なんか流さなくて良いものを……だけど、ずっと孤独で過ごしてきたお前だから涙が出たんだろうな」

 

その言葉を聞いた瞬間に島風の目から決壊したダムの様に涙が溢れ出てきた。

 

分かってしまったのだ、孤独の辛さを理解しているからこそ普通なら厳罰物の失態を起こしても許していたその理由が分かってしまったから。

 

「わ、私……」

 

紡ごうとした言葉は、頭に置かれた優翔の手で遮られた。

 

慰めるかのように撫でるその手の感触は、前にも撫でられたものよりもはるかに心地よかった。

 

「……お前がどんなに問題児だろうと私には関係ない。だが、私の部下となったからには絶対に無駄死になんかさせないし、見捨てもしない。それが私のできる最大の事だ。だからお前も私に命を預けて欲しい、まだ頼りないだろうけどな……」

 

「うん……信じるよ、てーとく……」

 

自身の呼び方が変わったことに少しだけ驚いた優翔は、少しだけ手の動きを止めるが、直ぐに彼女の頭を撫でる事を再開した。

 

遠くなる”もう一つの気配”を視界の端に収めながら、それが消えると彼女が落ち着くまで撫で続け月を見ていた。

 

――あぁ、今日も嫌になるぐらいに月が綺麗だなぁ……。

 

こういう時は酒を浴びてさっさと寝るのが一番なのだが、それも我慢できた。

 

何せ、島風に認められるのにもっと時間が掛かると思っていたのが今日で認められたのだから。

 

それを考えれば酒の一つくらい我慢はできた。



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6話:着任と再会

二月五日、マルハチマルマル。

 

横須賀鎮守府に所属する龍波優翔大佐は既に執務用の机へと鎮座し、少し少なめの朝食を取りつつ書類を読み進めていた。

 

隣には秘書官である暁型2番艦【響】が待機しており、彼が食事を終えるのを待っていた。

 

「しかし、響。お前昨日のあの時、隠れて見ていただろ」

 

「やっぱり司令官にはバレていたようだね」

 

「気配で丸分かりだ。今度気配の消し方を教えてやる」

 

何気なく呟いた優翔の言葉に響は微笑を浮かべながら隠すわけでもなく言い放った。

 

呆れた様に言う優翔は食事を中断して響の方へと振り向く。

 

怒っているようには見えないものの、慣れない事をやった事への気恥ずかしさが見えており眉間に皺が寄っている。

 

「でも、良かったんじゃない?慣れない事をやって島風に認められたんだから」

 

「……だと良いけどなぁ。あれがその場の気分で、ってものだったら私はへこむ自信がある」

 

眉間に皺を寄せたまま虚空を眺める優翔に響は小さく笑みを浮かべた。

 

――大丈夫だとは思うけど、実際に確かめてみないと分からないか。

 

その時、ドタドタと室内からでも聞こえる程大きな足音が聞こえた。

 

こんなに騒がしい者は一人しか存在しない事から、二人は音が聞こえた時には視線だけを向けている状態だ。

 

「てーとく、おはよーございまーっす!!」

 

バンッと大きな音を立てながら勢いよく開け放たれた扉から島風がひょっこりと姿を表した。

 

以前にも同じ事をしていたが、全く違うのは満面の笑みを浮かべているということぐらいだ。

 

「……おはよう。島風、一昨日に注意したはずだが?」

 

「オゥ?」

 

「…………いや、良い……」

 

それとなく指摘するものの、彼女は頭にクエスチョンマークを浮かべて首を傾げている。

 

どうやら忘れ去っているようで、笑顔で問われた事で言ったところで直らないと察した優翔はため息をついて諦めた。

 

それを見た響はやはりと言うべきか、クスリと小さく笑ったのを優翔は見逃さず訓練の内容を倍にしてやろうかと思い始めた。

 

だが直ぐに思い直してドカリッと音を立てて椅子に座り直した。

 

「それで司令官。この時間で何も通達がないという事は今日も任務は無しなのかい?」

 

「いや、一応あるぞ。鎮守府近海での警戒任務だ」

 

「ふーん、遠征かぁ」

 

響の問いに優翔は読んでいた数枚の書類の内、一枚を取り出して目の前でペラペラと振る。

 

それを見れば、確かに横須賀鎮守府最高司令官である景山からの命令書であり、それが今日の任務となっている。

 

しかし、優翔の言う「鎮守府近海警戒任務」と聞いて響は一つの疑問が浮かび上がった。

 

「あれ……司令官。警戒任務には最低でも三隻が必要だったはずだけど」

 

響の言うとおり、警戒任務には最低でも三隻の艦娘が必要となる。

 

だが優翔の指揮下に存在する艦娘は響と島風の二隻だけしか居らず任務遂行のためには後一隻足りないところだった。

 

それの答えを出すかのように、優翔は再び口を開いた。

 

「その件に関しては問題ない。建造した艦娘がそろそろ着任する事になっている」

 

「え……?私は全く聞いていないけど……」

 

「あー、そういえば資源が余裕出来たからって建造するって昨日言っていたね」

 

「えっ、島風は知っていたの?」

 

「うん【連装砲ちゃん】を受け取りに行った時にてーとくから聞いたよ」

 

島風の言葉を聞いて、響は若干非難めいた視線を優翔へと向ける。

 

彼はというと、顔の位置は動かさないまでも視線を明後日の方向へと向けている。

 

どうやら、響に伝える事を本気で忘れていたようだった。

 

「……司令官、そういう事は秘書艦の私にも伝えて欲しいな」

 

「すまん、次からは忘れないようにする」

 

優翔の言葉に響が思わずため息をついた時、閉じられていた執務室の扉からノック音が聞こえた。

 

噂をすれば、という事なのか着任予定の艦娘が到着したようだ。

 

「入れ」

 

「し、失礼します」

 

優翔が短くそういうと、少女特有の高い声が室内に届き、その声の主が入室した。

 

明るい茶髪の髪を所謂団子ヘアーに近い髪形にして、スカイブルーの瞳を持っている。

 

身長は響の頭一個ほど大きくらいの小柄の体型だ。

 

その少女が優翔に向け敬礼を行っていた。

 

「本日マルハチフタマルにて着任しました長良型軽巡洋艦6番艦【阿武隈】です」

 

――軽巡か、悪くないな。

 

優翔の持った感想はそれだった。

 

現在駆逐艦二隻しか指揮下に無い状況で軽巡洋艦を手に入れる事が出来た事は大きい事だった。

 

基本的にオールマイティで戦い方を選ばない事が出来るのは大きな利点だろう。

 

問題があるとすれば、火力と装甲は駆逐艦よりマシな程度ではあるが、現段階では十分であり特に問題ではなかった。

 

そこまで思考を纏めた後、敬礼している彼女に返礼をするため、立ち上がり自身も敬礼を行う。

 

「ご苦労、私がお前の司令官となる龍波優翔だ。階級は大佐だ、よろしく頼む」

 

「は、はい」

 

――なんだ、いきなり身体を強張らせて……?

 

自信が立ち上がった時に阿武隈は一瞬だけ身体を強張らせていた。

 

その理由が分からず眉間に皺を寄せると、彼女はまた身体を強張らせた。

 

「……大丈夫だよ阿武隈さん。司令官は身長が高くて殺し屋みたいな顔してるけど悪い人じゃないから」

 

「あ、響ちゃん……よかった、ヤクザさんじゃなくて」

 

「おい」

 

響のフォローのつもりで言った言葉に突っ込みを入れるか迷った時に放った阿武隈の言葉に思わず突っ込みを入れずにはいられなかった。

 

だが、確かに自分の身長は182cmと結構大柄で鍛えている為体格もある、おまけに軍人という職業柄殺し屋という面は否定できないのが泣き所だった。

 

どうも、阿武隈が自分が立ち上がった時に身体を強張らせたのは、自身がヤクザだと思い怖かった、という結末に至る事になった。

 

「……言っておくが、私はヤクザじゃない。軍人だ」

 

「は、はい、あたし的には大丈夫です」

 

――どう見ても大丈夫そうには見えないんだが。

 

今度は身を守るように身体を縮こまらせた彼女に対して抱いた感想はそれだった。

 

だが、自分で大丈夫だと言ったのなら平気だろうと勝手に思っておくことにしたのだ。

 

「運がいいね、司令官」

 

「あ?」

 

「阿武隈さんは艦時代の時はずっと第一水雷戦隊旗艦を務めていたから実力は確かだよ」

 

「ほぉ……」

 

響の言葉に興味を示した優翔は阿武隈を再度見ると、彼女はその視線にまたもや身体を強張らせた。

 

――……とてもそうには見えないんだが。

 

少なくとも自身に怯える彼女の姿には、響の言う様な類には全く見えない。

 

とは言え、人は見かけによらない物が世の中の常でもあり、自身もよく知っている事だ。

 

自分の知っている中では同期である百八期の者だが、数少ない女性で自身を含めた周りの連中と比べてかなり細見でいつもオドオドしているような奴だった。

 

だが、そいつは策を練るのがとても得意な奴で、ぽっと出な戦術が戦略級の策になる事もあり何よりも普段オドオドした様子からは考えられない程に残酷で冷酷な物が多かった。

 

それ以来、人は見かけによらないというのを身を以て知ったのだった。

 

「……まぁ、良い。とりあえずこれで三隻そろった訳だ」

 

改めて優翔は椅子へ座り直して三人へと視線を移す。

 

視線を感じ取った三人は響を中心として横一列に並び直し優翔の言葉を待っている。

 

それを見て任務書の書類を片手に持ち口を開いた。

 

「本日、ヒトマルマルマルからヒトサンマルマルまで此処、横須賀鎮守府の近海にて警戒任務を行う。遠征任務であり危険は少ないとは思うが油断はするな。して、旗艦は練度的に考え、響お前だ。それで着任したてで悪いが阿武隈、お前はその補佐だ」

 

「了解」

 

「わ、分かりました」

 

二人の反応を見て頷いた優翔は、大丈夫だろうと確信する。

 

意外なのは、島風が着任したての阿武隈に対して何も言わないで静かに聞いている事だ。

 

「……どうしたんですか、てーとく?」

 

どうやら自身の思考を感じ取ったのか、島風が優翔に問いだす。

 

このまま正直に思ったことを言うのも少しだけ戸惑ったが、言わないとそれはそれで彼女が気になってしょうがないであろうことを考えると素直にいう事にした。

 

「いや、着任したての阿武隈が補佐という事に文句が無いのだな、と思ってな」

 

「んー、私は旗艦補佐とかよく分からないから適任だと思うし、てーとくの指示だから文句はないよ」

 

「…………」

 

「どうしたの?ハトが豆鉄砲食らったような顔して」

 

正直な事が流石に此処まで信頼を置かれているとは全く思っていなかったのだ。

 

昨日の事が決定打だとしても、あまりにも変わりようが激しいために追い付いていないだけかもしれない。

 

その中、響だけは理解しているのかまたもやクスクスと笑っている。

 

――流石に、これは笑われても仕方ないか。

 

「いや、すまん。まさか此処まで信頼されているとは思わなかった」

 

「えぇー……確かに最初は反抗的だったのは分かりますけど……信じるって言ったんですからてーとくも少しは信用してくださいよぉ」

 

「気を悪くしたらすまない。謝るよ」

 

「もう、許してあげますけど」

 

――いかんな、島風が私を信用すると言ったのだから私が信じなくては元もこうもない。

 

自身の考えを改める様に自分を咎めた後に阿武隈が話に付いていけずにオロオロとしていた。

 

マズイと考えた優翔は阿武隈に視線を向けて口を開く。

 

「すまんな阿武隈、任務について何か質問はあるか?」

 

「ふぇっ!?あ、はい。あのもし私達の警戒活動中に深海棲艦と遭遇してしまった場合はどうしますか?」

 

「ふむ、当たり前だが重要だな。撃退できるようならば経験値を積む事を考えて戦闘は許可する。そうならない方が良いが、そうなった場合は直ぐに私に連絡するように。直ぐに通信室に向かって指示を出す。どちらにしろ深海棲艦を警戒するための任務だしな」

 

「……もし、私達で撃退不可と判断できる程の戦力では?」

 

阿武隈の質問には当たり前の事ではあるがもっとも重要な部分であるため確認は重要な事だった。

 

言わなくても響がそれらの事態について対処できる様にすでに木更津駐屯地での輸送任務にて経験を積んでいる為大丈夫であろう確信はある。

 

だが、わざわざ確認するのと確認しないのでは大きく違うし、自分も細かい事を確認する者は大変好ましい為悪くはなかった。

 

特に彼女のもう一つの質問については特に良いと思った。

 

「その場合、戦闘が避けられるようであれば鎮守府付近まで後退しながら連絡するように。回避できない場合遅延戦闘に持ち込むように。二点のどちらかが当てはまった場合、ヒトサンマルマルから交代として待機している艦隊と合流しそれを撃滅するようにする。以上だ、他には?」

 

「はい、大丈夫です」

 

「よろしい、では任務までの時間は自由時間とし、食事を取るなり休むなり好きに過ごすように。私は執務室にて雑務を行うから用があれば執務室に来い。以上」

 

優翔の言葉が終わると同時に、三人は全員バラバラに動き始め部屋を出始めた。

 

一人残された優翔は朝食の残りを齧りながら、書類に目を通して思考に老ける。

 

書類を半分ほどまで読み進めた時、急に端末から着信音が鳴り響いた。

 

怪訝な表情を浮かべながら端末を手に取ると、着信は景山からの物だった。

 

「はい、こちら龍波です」

 

(大佐かね?朝早く済まないな。景山だ)

 

「いえ、おはようございます」

 

(うむ、おはよう)

 

一体どうしたのかと、頭の中ではそう思う事しかなかった。

 

命令書は昨日の時点で受け取っているし、指示も終えた。

 

端末でしかも個人で掛かってくるなど、よほどの急用な事であるには違いなかった。

 

(うむ、実は今日いきなりになって軍令部次長が此処、横須賀鎮守府に視察に来るらしい)

 

「はぁ!?……いえ、失礼いたしました」

 

(そういう反応が来ると分かっていた、気にするな。おそらく、というよりは十中八九、大佐目当てだというのは言うまでもないだろうな……)

 

景山の言葉に優翔のコメカミや額から嫌な汗がダラダラと落ちていく。

 

表情等は響達が見た事もないような難しい表情を浮かべている。

 

彼女達が今の彼が見れば、いったいどうしたのかと思うレベルだ。

 

「……閣下、自室で寝ていて良いですか?」

 

(気持ちは分からんでもないが、流石に駄目だ)

 

「……はぁっ」

 

失礼だと思いながらもため息を抑えられなかった。

 

――よりにもよって、こんな早くにあの人と会うのか……。

 

心境からして余程会いたくない人物でもあり、見知った者であった。

 

居留守を使う事も当然ながら上官には却下された為、どうあがいても逃げ場など無かった。

 

「……了解です、次長殿は何時お見えに?」

 

(詳しくは分からんが、おそらくヒトヨンマルマル頃になるだろう)

 

「……了解です、丁度私の指揮下の艦娘が帰投する一時間前ですので準備しておきます」

 

(うむ、よろしく頼むぞ)

 

プツッと通話が終了し、耳から端末を離し一人しか居ない部屋で大きなため息をつく。

 

さっさと読むべき書類を読み、処理すべき雑務を処理しなければならないのだが、今の心の状態ではそれすらもままならない状況であった。

 

気分を紛らす為に、ポケットからタバコの箱を取り出して一本抜き取る。

 

灰皿を手前に引き寄せながら咥えたタバコに火を付けて、ゆっくりと吸い込んだ後に煙を吐き出した。

 

――腹を括らなければならないか……。

 

正直に言えば逃げ出したいのだが、いずれは嫌でも会う事になる事であろうと考えれば、それが今日に早まっただけの事とも取れる。

 

仕方ない、と心の中で呟いて濁った眼を更に濁らせて優翔は決心した。

 

 

 

 

時刻はヒトフタサンマル。

 

響達は優翔から言い渡された任務通り鎮守府近海域に出撃し、警戒を行っていた。

 

鎮守府近海域といってもその範囲はとてつもなく広く、たった一艦隊で行うには厳しい程である。

 

その為の交代制なのであるが、たった4時間とは言え広い海原を警戒するのはかなりの労力が必要であった。

 

「正面、異常なし。そっちは?」

 

「右舷、異常なしよ」

 

「左舷、異常なーし」

 

響の報告に阿武隈と島風の二人はそれぞれ異常がない事を告げた。

 

それに頷いた響は現在の時刻を確認し、鎮守府へと連絡を入れる事にした。

 

「こちら【龍波艦隊】旗艦の響。これより合流ポイントに向かい、後続部隊に引き継ぎ交代を行うよ」

 

(了解。最後まで警戒を怠らぬようご注意を)

 

「了解。……というわけで、今から合流ポイントに向かうよ。司令官も通信室の大淀さんも言っていた通り、警戒は怠らず、ね」

 

通信を終えた響は、後方に振り返り次の目的地について話しながら二人を見る。

 

島風と阿武隈の二人は言葉は発しないものの、頷くことで了承を示した事によって響は身を反転し二人と向かい合う様にした。

 

「うん、それじゃ合流ポイントに向かおう」

 

響の言葉と共に、三人は一斉に方向を変えて彼女を先頭に移動を始めた。

 

向かう先は先程から響が言っていた合流ポイントという場所だ。

 

合流ポイントと言っても単純なもので、【横須賀鎮守府】の直ぐ真下というだけだ。

 

響と島風はつい二日前に経験しているように何時どこで深海棲艦を発見してもおかしくない状況だ。

 

そういった前例があるからこそ、警戒は最大で行わなければならない。

 

「そういえば響ちゃん、この警戒任務が終わった後の事は聞いてる?」

 

「いや、聞いていない。遠征終了後に後の指示を聞くことになっているよ」

 

何気なく問われた阿武隈の問いに響は淡々と答える。

 

追加で任務があるのであれば今朝の時点で話しているはずなので、それがないという事は訓練か自由時間という事になるのだろう。

 

とはいえ、そういったゆっくりとした時間が許されるのも優翔自身が海軍に異動したばかりなのと、指揮下に存在する艦娘が三隻しかないというのも理由だ。

 

直に艦娘も増え、優翔自身が海軍に本格的に慣れれば階級に見合った激務が想像される。

 

今のこのゆったりとした時間は貴重な物になるであろうと、そこまで考えた所でセンサーに反応があった。

 

無論それは艦娘の物であり、いつの間にか合流ポイント近くに来ていたようだった。

 

「お疲れ様です」

 

合流ポイントに到着すると、川内型の2番艦【神通】が敬礼してくる。

 

返礼しながら神通の後ろを見ると、駆逐艦の【吹雪】【皐月】【初霜】の三人も見える。

 

「おつかれ。今のところは付近に深海棲艦は見当たらず異常は無しだよ」

 

「分かりました。それでは今から私達は現場を引き継ぎますのでゆっくり休んでください」

 

「うん、よろしくね」

 

報告を済ませ、神通達がその場から離れるのを見送り、響は鎮守府の方へと視線を向けた。

 

――……ん?

 

その青い瞳は白い人影をはっきりと捉えた。

 

その人影を良く見ようと目を細めると、タバコを咥えて虚空を眺めている男がそこに居る。

 

こうなると顔もよく見え、それは自身の司令官である優翔である事が分かる。

 

「……司令官が港湾部に居る」

 

「えぇっ!?」

 

「提督が?」

 

響の言葉に二人はそれぞれ反応を示すと響はゆっくりと頷いた。

 

つい二日前にも同じように港湾部で自身と島風を待っていた事もあるが、そんなに頻繁に待っている事は出来ないはずだ。

 

――何かあったのかな……。

 

心の中でどう思おうが、実際に何があるのかは目の前の彼に聞かなければ分からない。

 

「……もしかしたら何かあったのかもしれない。司令官の所に急ごう」

 

二人へと振り向きながら言う響の声に頷いた二人を見て、響は最大船速で軍港部へと向かった。

 

この距離であれば港湾部へと着くのに5分と掛からない為、最大船速で向かえば直ぐそこだ。

 

 

 

 

 

響達が急いで港湾部へと向かい始めた時と同じ時間に優翔は、吸い終えたタバコを携帯灰皿へと押し込んで二本目を口に咥えて火を付けた。

 

一口吸って、煙を吐き出すと同時にこれからの事を思うとため息が嫌でももれてしまう。

 

そんな事を考えると、ザザッと波が打つ音が聞こえ、海の方へと目を向けると響達がかなりの速度でこちらに向かっていた。

 

響を先頭に到着すると、三人はかなり急いだ様子で陸に上がってくる。

 

――何をそんなに急いでいるんだ……。

 

三人の心情を知るはずもない優翔はとりあえず響達へと近づいて労いの言葉でもかける事にした。

 

「お疲れさん。どうしたそんなに急いで」

 

「そんなに急いでって……何かあったから港湾部で待っていたんじゃないのかい?」

 

「は?」

 

若干ながら息を切らせながら言う彼女の言葉に、優翔は素っ頓狂な声を上げた。

 

その様子を見た響は首を傾げて彼の声を待っていた。

 

とりあえず優翔は状況を整理するために思考を巡らせた。

 

まず、自分はそろそろ戻ってくるだろう響達を迎えに行くために此処に来たのだ。

 

そうしたら、この場所に着いて約5分くらいで響達が急いでこちらに来た。

 

――……あぁ、私がここに居るから緊急事態だと思って急いで戻って来たのか。

 

ようやく状況が呑み込めた優翔は苦笑するように息を漏らすと、響へと視線を向けた。

 

「安心しろ、別に何かあった訳ではない。そろそろ戻る頃だろうと思って港湾部で待っていただけだ」

 

「えぇー……てーとく紛らわしいー」

 

「何もないんですね……それなら良いんですけど」

 

優翔の言葉に島風は不満を隠す事無く、阿武隈は口ではそういうものの少しだけ不満気味だった。

 

――いや、そんな事を言われてもな。

 

彼からすれば知った事ではないが、此処で適当な対応をすれば機嫌を悪くさせるだけだと言うのは分かっている為彼女達の機嫌を直すための物を出すことにした。

 

「悪いな。とりあえず私はお前達を迎えに来ただけだ。これをやるから三人で行って機嫌を直せ」

 

そう言いつつ懐から一枚のチケットの様な物を取り出して島風に渡す。

 

渡された島風はそれを怪訝な表情で見るが、直ぐに目を輝かせた。

 

それは横須賀鎮守府の施設内に存在する【間宮・横須賀鎮守府店】の一枚で一回だけ使える半額チケットだった。

 

基本これらは艦娘が手に入る代物では無く、提督である者が任務の報酬等で手に入る物だ。

 

「てーとく、これどうしたの!?」

 

「中央に行った時に大将閣下から随伴の礼として受け取ったものだ」

 

「本当にもらっていいんですか?」

 

「私は使わないから構わん。艤装を解除したら三人で行って来い」

 

島風と阿武隈が先ほどと違い大いにはしゃいでいる姿を見ると、いくら戦場に出る身の者と言えど姿通りの子供の様だと再認識する。

 

――とはいえ、たかが甘味所の半額チケットでころりと変わるとはな。

 

扱いやすくて助かる半面で、それで良いのかと思いながら何か言いたげな響の方へと視線を戻した。

 

「何か言いたそうだな」

 

「司令官、事務仕事があったはずだけど、それはどうしたんだい?」

 

「終わらせたに決まっているだろう。でなければ迎えになんか来ない」

 

優翔の言葉に響は眉を潜めた。

 

彼の言い分が明らかにおかしいのだ。

 

自信も秘書官の為、彼の仕事の量はある程度把握している。

 

朝礼の段階で彼の受け持つ仕事の量は早ければ15時程に、遅ければ夕方までかかるはずだ。

 

それをたかが5時間程で終わらせるのは急いで片づけたか他の者に押し付けたかのどちらかだ。

 

彼の性格は完全には把握できていないが、後者はまずありえないだろうと切り捨てられる事から急いで片づけた方だろう。

 

そこから来るのは急いで片づける案件ができたからだ。

 

「……急いで終わらせなければならなかったの間違いじゃないのかい?」

 

そう言う響に優翔はため息をつくと、帽子を深く被り直す。

 

――まぁ、確かにありえないくらい早いからな。

 

隠す気は元々ない事でもあるので、彼女の後ろではしゃいでいる島風と阿武隈を見て、響だけに見えるように手招きする。

 

それを見た響はゆっくりと優翔へと近づくと、彼は片膝をついて彼女と視線を合わせた。

 

「……今朝、お前達が執務室から出た後に大将閣下から電話があった」

 

「内容は?」

 

「今日ヒトヨンマルマル頃に軍令部次長である龍波雅樹(たつなみまさき)中将閣下がここ横須賀鎮守府に来るという内容だ。おそらく視察だろうがな……」

 

「軍令部!?……あれ、龍波……?」

 

小声で話す優翔の言葉に響は何とか小声で返すのが精いっぱいだった。

 

中央から鎮守府の視察に来る者は確かに無いわけではない。

 

だが、その殆どは左官であり将官クラスの者が来ることは基本的には稀である。

 

そして響はその聞き覚えのある中将の名字に首を傾げた。

 

優翔は気づいた響に対して頷いてから更に口を開いた。

 

「……軍令部次長である龍波雅樹中将は、私の父だ。要するに視察のついでに馬鹿息子の様子を見に来たんだろうよ……」

 

心の底からうんざりしているような優翔の表情に響はどう反応して良いのか分からなかった。

 

だが、そうであるならば優翔が急いで仕事を終わらせなければならない必要がある事は何となくではあるが理解できた。

 

表情からして優翔にとって、会いたくない人物であるというのは明白である。

 

考えてみれば単純なもので、優翔は元々は陸軍に所属していて父親は海軍のトップクラスの人物だ。

 

親子の間に何があったのかは知らないが、親が存在する海軍に移ったとなれば気まずいものがあるのだろう。

 

「……私達がやっておくことは?」

 

「はっきり言って無い。こればかりは私自身の問題でお前達がどうこうできるものじゃないからな」

 

分かってはいたが、こうもはっきりとやるべき事は無いと言われると少し気落ちするものがある。

 

そんな響の心境を察したのか、優翔はその手を彼女の頭の上に置いて少し乱暴気味に撫で始めた。

 

痛くはないが、撫でる力が強いせいか頭がグラグラと揺れて少しだけ気分が悪くなる。

 

「司令官……?」

 

「心配するな、相手は軍令部の次長で私の父と言っても別に視察に来るだけで私が左遷させられるとかそういうものではない。お前は島風達と間宮にでも行って次の任務に備えていろ」

 

それだけ言うと、優翔は響から手を離して立ち上がる。

 

懐から懐中時計を取り出して時刻を確認すると懐へと戻し、咥えているタバコを携帯灰皿へと突っ込んでその場から離れた。

 

彼の背中が遠くなっていくという事は、軍令部次長が到着する時間に近いのだろう。

 

「響ちゃん、てーとくと何話してたの?」

 

声をかけられて振り向けば、島風と阿武隈が怪訝な表情でこちらを見ていた。

 

島風に至っては、先ほど受け取った間宮のチケットを大事そうに持っている。

 

「いや……今後の予定をね。何もないから間宮に行って楽しんで来いってさ」

 

微笑を浮かべながら、響は言い歩き出した。

 

態々自分だけに言ったという事は二人に余計な方向に気を行かせないためだというのは分かっていた。

 

特に島風は少し単純な性格をしている為、今の話をすれば彼女は確実に気が気じゃなくなるだろう。

 

そうなる事を避けるのが優翔の判断なら、自身も余計な事は言わずにしておくのが吉なのだ。

 

 

 

 

 

時刻はヒトサンゴーゴー。

 

横須賀鎮守府の正門にて景山と優翔の姿があった。

 

訪れる人物故か、二人の表情は通常の倍程に険しいものだった。

 

特に優翔は戦場に身を置いているかのように険しい。

 

そんな二人の前に黒塗りのリムジンが一台が止まり、運転手が下りた。

 

運転手が運転席の後ろの席を開けると、中から白髪を交えた黒髪、180cmはある身長に軍令部の所属を表す黒色の軍服を纏った男が二人を鋭い目つきで見る。

 

どちらからともなく、三人はその場で敬礼を行った。

 

「久しいな、龍波」

 

「あぁ、三ヶ月程だな景山……そして、優翔」

 

「はい、お久しぶりです。龍波次長殿」

 

他愛もない会話から始まる将官同士の次に始まった親子のやり取りは数年越しの感動の再開とは言い難い。

 

回りにピリピリと圧倒するような威圧感に包まれていた。



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7話:着任と再会2

「お久しぶりです、龍波次長殿」

 

数年越しの感動の再開とは言い難い雰囲気が優翔とその目の前の男の間に流れている。

 

龍波雅樹中将、軍令部次長であり日本海軍のトップの一角である人物であり、そして自身の父。

 

できる事ならば会いたくはなかった人物の一人である男を前にして内心ではあまり穏やかではなかった。

 

そんな優翔の心境とは別に、雅樹から苦笑が漏れだした。

 

「次長殿か、前の様に父とは呼ばぬのだな?」

 

「……今の小官は軍人として勤務中の者です、お戯れはお控えください」

 

表情を崩さずに淡々とした言葉は目の前の男を怒らせるどころか逆にクツクツと笑みを浮かべている。

 

――いったい何なんだ……。

 

笑いのツボを突いた覚えは無く、ただ目の前で笑う彼の姿に理解できず、眉間に皺を作るしかできない。

 

「随分と堅物になったものだな。いや、昔なら食って掛かっていた事から大人になったと言うべきか?」

 

「……ご想像にお任せいたします」

 

「まぁ良い。しかし優翔、聞きたいことがある」

 

「……何でしょうか?」

 

納得の様な表情を見せたと思えば、次は急に視線が鋭くなっていた。

 

眉間の皺を濃くしながら続きを促すも、彼はマジマジと優翔の顔を観察するように見ている。

 

値踏みするような視線では決してなかった、というよりは昔と見比べている様な視線に近い。

 

だが、その時間がかなり長くも感じもう一度続きを促そうとした時に雅樹の口が開いた。

 

「……お前、そんなに色白い肌をしていたか?」

 

聞きたい事、というのは肌の色についての事だったようだ。

 

その言葉に景山は雅樹と優翔を見比べて、確かに優翔の方が色白い肌をしている事を再認識した。

 

――何かと思えば、そんな事か……。

 

それに対して優翔は呆れに近い様な感情が湧いてきて、ため息をつかない様にできたのは上々だった。

 

「……小官ら、百八期の者は皆がそうなっております」

 

「そうか……」

 

一言それだけ言うと、それ以上は雅樹は何も聞いてこなかった。

 

一瞬だけ彼の瞳に憂いが混じっていたのを優翔も景山も見逃さなかったが、それをとやかくいう事はなかった。

 

「ともかく、お前が海軍に移ったのは喜ばしい。期待しているぞ、優翔」

 

「……ありがとうございます。ですが、小官の事は階級で呼ぶように願います。周りは存じているでしょうが、けじめが付きません……」

 

「ふっ、分かったよ。”大佐”」

 

ようやく自分の事を階級で呼ぶようになって、優翔は心の中でため息をついた。

 

自分ほど彼はしがらみを持っていないようだが、それでもやり辛いものがあった。

 

特に鎮守府内で他の者の前で自身を名前で呼んでいたら最悪なものだった。

 

「息子との再開で内心嬉しいのは分かるが視察に来たのだろう、目的を忘れるなよ?」

 

「忘れてなど無いさ、浮かれていたのは事実だがな。早速だが始めるとしよう」

 

長い前置きが終わり、ようやく本題が始まり三人はその場から歩き出した。

 

今回は景山と優翔と横須賀鎮守府のトップと大佐と普段ならばありえない人選が案内役となっている。

 

それも軍令部の次長直々の視察という事もあり、致し方ないものだった。

 

階級こそは景山の方が高いのであるが、海軍の行動の決定権を持つ軍令部の次長である龍波の方が事実上では立場が上だ。

 

その為に鎮守府の責任者である景山と、椎名少将が不在である今は第二副官候補となっている優翔がその任に付いている。

 

「それで、龍波。最初はどこに向かうつもりだ?」

 

「工廠だ、鎮守府の動きは工廠を見れば大体把握できるからな」

 

「分かった、こっちだ」

 

二人のやり取りを聞いて、優翔は雅樹の言葉に当たり前とも言えるが納得を示した。

 

艦娘の建造や装備の開発を行っている場である工廠はある意味で鎮守府で一番忙しい場所でもある。

 

そこが動いているとなれば、最悪を備えて準備を進めている証にもなる。

 

その逆も然りであり、動いてなければただ漠然と時間を浪費しているというのが分かるのだ。

 

――とはいえ、まず後者はありえないが。

 

思案しながらも優翔は心の中で呟いた。

 

横須賀鎮守府は首都防衛の要である最重要鎮守府の一つであり、割り当てられる予算なども他の鎮守府よりも多い。

 

そして最高司令官である景山は、優翔の見てきた人間の中では地に足が付いている人間だ。

 

そういう事は雅樹も景山とのやり取りでお互いを良く理解しているであろう事から、十分把握しているのだろうが職務上は仕方ないのだろう。

 

 

 

 

 

正門から歩き続けて十分程、三人は工廠の前の扉まで来ていた。

 

内部からは外に漏れる程の機械の駆動音が鳴り響いており、情人であれば思わず耳を塞ぎたくなる程の騒音であった。

 

しかし、当の三人は外からでも聞こえる騒音に対して全くと言っていいほどの涼しい無表情だった。

 

「音だけ聞けば凄まじいレベルで動いているな」

 

「音だけ聞けばな。オートで動いている部分もあるからな。大佐はこの騒音は平気か?」

 

「ゲリラ戦中での爆撃音よりは遥かにマシとだけ言えます」

 

雅樹の言葉に淡々と返す景山は隣の優翔に気遣う様に声をかけてみるが、返ってきた返答でいらぬ心配だったと認識したのだった。

 

そんな中、優翔は率先して扉の方まで歩み寄り、扉の横に存在する端末に自身のキーカードを差し込んだ。

 

カタカタと素早く入力して扉を解放すると、分厚い鉄の扉によって多少なりとも抑えられていた騒音が一気に外へと漏れ出し先ほどの二倍近くの音量となっていた。

 

「さて、中に入るとしましょう」

 

「全く、良くこんな騒音を近くで聞いて眉一つ動かさないでいるな……」

 

先程と変わらぬ涼しい無表情なままで呼びかける優翔に対して、雅樹は呆れを交えながら近づいていく。

 

景山もそれに続き工廠へと近づき、二人の距離が自身の直ぐ傍まで縮まると優翔も踵を返して工廠の中へと入っていく。

 

まず、三人が最初に見たのは作業台に広げられた図面と睨み合いを続けている明石と夕張の姿だった。

 

近づいてくる三人分の気配を感じ取った明石と夕張は図面から目を離し、こちらを見やると慌てふためいた様子で敬礼を行った。

 

「か、景山大将、龍波中将、龍波大佐お疲れ様です!」

 

「うむ、頑張っているようだな」

 

「仕事中に悪いが、視察させてもらうぞ」

 

「は、はい!!」

 

雅樹の対応は景山と明石が行う事となり、手が余った優翔の傍に夕張がこっそりと近づいた。

 

そちらの方に目を向けると夕張は雅樹の方を気にしながら小声で優翔に話しかけた。

 

「た、大佐。何で軍令部次長が来る事を教えてくれなかったんですか」

 

「……許せ、今日来る事を知ったのは今朝方だ。私も仕事があって手が空いてなかった」

 

「それなら仕方ないんですけど、今に限ってはマズイですよ……先日大佐の持ってきた設計図の物をどうやって形にするかを明石さんと話していたところですから……」

 

「……それは、ちとマズイか」

 

手を口元に当てて話す夕張の言葉に優翔のコメカミから汗が流れた。

 

優翔の持ってきた設計図というのも、優翔個人の依頼ではあり景山から許可は取っているものの軍令部には話を通していない物である。

 

黒に限りなく近いグレーの代物を目の前に軍令部の次長等という者が来ればマズイどころの話ではない。

 

軍令部に話を通していない理由も、まず許可が下りないから勝手にやるという物であり、雅樹に知られれば即刻中止になるのが目に見える。

 

今は明石が雅樹の視線から作業台を隠すように立って現場の状況を説明しているが、傍から見てもどう見ても怪しい事このうえない。

 

「……ところで、明石」

 

「は、はい。何でしょうか」

 

「さっきから何故その作業台を私に見えない様に立っているのだ」

 

雅樹のその言葉に明石の笑顔が引き攣った。

 

――あ、やばい。

 

明石の反応に声に出さずとも危険だと瞬時に判断した。

 

問われている時にその反応は相手に疑心感を与えるだけだ。

 

「あー、これは……偶々です」

 

「…………」

 

――だから、そういう反応は駄目だって……。

 

対応の下手さに優翔は呆れが混ざりこみ、諦めた様に帽子のつばを掴み目深に被り直した。

 

夕張は夕張で青ざめた顔で明石の方を向いていた。

 

その明石の隣にいる景山もため息をついている。

 

「……確認させてもらうぞ」

 

疑心感を露わにした雅樹は明石をその場から退けて、作業台の上を見やる。

 

そこに広げられた設計図を手に取り、目を走らせるたびに眉間の皺がどんどん深く刻まれていく。

 

――こりゃ、お叱りが飛ぶな……。

 

深く被られた帽子の奥で、優翔は目を伏せて心の中で呟いた。

 

そもそも許可が下りないであろうから軍令部に話を付けていない理由は、雅樹が今目を通している物は新兵器開発の設計図なのだ。

 

新兵器と言えど大量殺戮の類の物では無く、標準的な物であるのだが内容がある意味で新しい試みの物である。

 

設計図から目を離した雅樹は鋭くさせた目を優翔へと向ける。

 

視線を受けた優翔は帽子を被り直し、彼と視線をぶつける。

 

「……これを明石達に指示したのは貴官か、大佐」

 

「左様です。よく分かりましたね」

 

「こんな装備を考えるのは陸軍に身を置いていた貴官くらいだろう……許可をする景山も相当ではあるがな……」

 

呆気からんと言い放つ優翔に流石に呆れの気持ちが強くなったのか、大きなため息を吐き出しその後に景山を見やった。

 

景山はというと、彼は彼で鼻で笑うように短く息を吐くだけであった。

 

そんな彼の反応を見た雅樹はため息を再度吐いて、設計図に再び目を見やる。

 

「……必要となるのだな?」

 

「は?」

 

「いずれ必要となるから作らせているのか?と聞いているのだ。まさか面白半分で作らせているわけではあるまい?」

 

想像していた言葉と裏腹な問いに優翔は思わず素っ頓狂な声を上げる。

 

だが続けて言われた言葉は、必要だと言うならば許可をするとも取れる言葉だ。

 

「無論です。必要と判断した故に小官が明石達に命令しましたので」

 

「そうか……」

 

軍令部次長の許可をこの場で取れるのであればこそこそと行う必要性は皆無となるため優翔は迷わずに進言する。

 

その答えを聞いた雅樹は一言だけそう言うと、設計図を明石に手渡した。

 

「その設計図に描かれた物は軍令部次長である私が正式に許可するものとする。開発を進めるように」

 

「あ、ありがとうございます!夕張、続きやるよ!」

 

「は、はい!!」

 

正式に許可を貰うや明石は目を輝かせ直ぐに夕張を呼び出し二人で設計図の物についての話を再開した。

 

「珍しいな、お前が許可を出すとは」

 

「このまま秘密裏に行い、本部にバレてお前が処分されるのはナンセンスだ。それならば私がさっさと許可を出せばいいだけの事だ……お前は横須賀の守りに必要だからな。それに……」

 

景山の言葉に心底呆れた様に雅樹は言う。

 

確かに、この開発の件を秘密裏に行い本部にバレる事になれば処分は避けられない。

 

減俸ならともかくも、左遷や降格などされたらたまったものでは無い。

 

しかし、最後の所で雅樹は優翔の方へと顔を向ける。

 

「……あれは、お前が使うつもりなのだろう?」

 

「えぇ、そのつもりです」

 

「だろうな、艦娘が使うには大振りであるし、もう一つの物はお前ぐらいしか使わないだろう」

 

雅樹の問いに優翔は頷きながら返す。

 

設計図だけのスペックで誰が使うかを見極めたのは流石だと、優翔は心の中で呟く。

 

とは言えど、艦娘に使う装備でもない物を効率第一を旨とする雅樹が許可を出すのは本当に珍しい。

 

――五年の月日が経って少しは丸くなったのか……?

 

五年も会っていないのでその間にどの様な心境変化が起きたのかは優翔の知る所ではないが、少なくとも喧嘩別れをした時を考えればありえないものだった。

 

彼が変わったのか、変わってないのかは今の優翔には分からない。

 

――いや。もしかしたら、私が分かろうとしていないだけなのか……。

 

「何を呆けている大佐。次に行くぞ」

 

「失礼しました。直ぐに参ります」

 

気が付けば景山と雅樹の二人は工廠の入り口まで移動して優翔を見ていた。

 

雅樹に至っては先程とは違い既に此処に来た時と同じく鋭い目をしている。

 

少しの間とはいえ、考えている内に此処の視察を終えたらしい。

 

失態を晒したと感じながら直ぐに二人の元へと駆け寄ると、直ぐ傍まで来たことを確認してから二人は歩き出した。

 

「呼ぶまで気づかないとは、具合が悪いのか?」

 

「……いえ、そういう訳では……申し訳ございません」

 

移動しながら景山が気遣う様に優翔に問うが、体調自体は良好でありそこは問題ではなかった。

 

自身の父について考えていたら気が付かなかったなんて言える訳もなく、ただ謝るだけだった。

 

そんな中で優翔に助け舟を寄越したのは雅樹の方だった。

 

「景山、こいつがああなっている時の殆どは自分の中で考えを纏めている時だ」

 

「ほう、そうなのかね?」

 

「……はい、仰る通りです」

 

自分が思考を巡らせている時は極端に周りの様子が見えなくなる事は父である雅樹が知っているのはおかしくはない。

 

だが、ここで助け舟を出すような事は先程から感じている様に珍しいものだった。

 

ますます混乱が続き、いったいどう彼と接すれば良いのか分からなくなってくる。

 

――どうすれば良いんだ……。

 

「司令官?」

 

心の中で弱音が漏れた時に聞きなれた少女の声が耳に入りそちらへと視線を向けると、艤装を外してフリーとなっている響の姿が見えた。

 

彼女は不思議そうな表情で優翔を見ており、何か言いたげだった。

 

「どうした、大佐」

 

「すみません、部下が呼んだみたいです。直ぐに戻りますのでよろしいでしょうか?」

 

許可を得るなり優翔は直ぐに響の元へと歩み寄った。

 

先程と変わらず響の表情は不思議そうに彼を見つめているだけだった。

 

「呼んだか、響」

 

「うん、ちょっと気になってね」

 

「何がだ?」

 

「司令官が思い詰めた様な表情をしてた」

 

彼女の言葉を聞き、見透かされた事を察した。

 

思い詰めたというよりは混乱していたのではあるが、偶然通りかかった響にはそう見えて気になり声をかけた様だった。

 

「……そんな顔をしていたか?」

 

「うん。それに何ていうのかな、覇気が無い。たぶんお父さんの事かな?」

 

どうやら何もかも見透かされている様だった。

 

何て答えればいいのか迷った時にこちらに近づく足音が一つ聞こえる。

 

振り向くと雅樹が優翔の右後ろの位置に立っている。

 

響は敬礼しようと姿勢を整えると、雅樹の方から片手で制され上げようとした右手に力を抜いていた。

 

「貴艦が大佐の艦娘か」

 

「はい、秘書官を務めています暁型駆逐艦2番艦の響です」

 

自己紹介をする響に頷く雅樹は観察するように響を見つめると、不意にふっと笑うように息をはいた。

 

いったいどうしたのか優翔と響は表情には出さないものの、心の内では怪訝な気持ちだった。

 

「いかがなさいましたか?次長殿」

 

「いやなに、偶然とはいえ似た者同士だな。と思っただけだ」

 

雅樹の言葉に二人は同時に怪訝な表情を浮かばせる。

 

――私と響が似た者同士とはどういう事なのだろうか。

 

口に出さず心の中でぼやく程度ではあるが、表情だけは変りようがなかった。

 

響も言われた意味が理解できず困惑しており、その反応を見た雅樹は苦笑を漏らす。

 

「優翔、お前は(この娘)をどう捉えている?」

 

「……物静かではありますが、素直で優秀な人財かと」

 

名前で呼んだことよりも質問の内容が抽象的で判断つかないが、性格の事だと思い発言する。

 

だが、なるほど、と声に出している割には少し落胆しているような表情だった。

 

続けて彼は響の方へと目線を向けた。

 

「響、大佐(優翔)についてはどう思っている。聞かされているだろうが、私がこやつの父だからと遠慮はしなくていい」

 

響は悩んでいた、遠慮しなくていいと言われたからといってズカズカとした発言などできる訳がない。

 

困惑が困惑を呼び、二月の真冬だと言うのに身体全体から汗が噴き出る感触を味わう。

 

「……指揮能力、人柄と共に極めて優秀な司令官という判断と共に人として信頼できる方かと」

 

思考に思考を重ねて絞り出すような響の発言に雅樹は意外そうな顔で目を丸くさせていた。

 

優翔自身もそのような評価を持たれている事には意外と感じており、表情には出さずともどうすれば良いのか分からなかった。

 

「それは、本心での発言か?それとも部下として上官を華を持たせるためか?」

 

「前者です」

 

「ふむ、理由を詳しく聞かせられるか?」

 

雅樹の疑うような発言に対して響は即答で返す。

 

彼の興味を惹いたのか理由までも聞こうとする彼に優翔は辟易しかけていた。

 

――頼むからもう勘弁してくれよ。

 

今すぐにでもタバコを吸いたくなる衝動に駆られるも、それをぐっと堪えて響がさっさと答えて終わる事を願った。

 

「司令官……いえ、龍波大佐は他の提督が匙を投げる程問題児と言われている島風に対しても真摯に向き合い匙を投げるような事をしませんでした。それは龍波大佐が部下の事を大切に思っているからだと思います」

 

「ただ部下に対して優しいだけというのは信頼に置ける決定的根拠には程遠いと思うが?おまけにこいつは知ってのとおり海に関しては素人だ」

 

響の言葉にある程度の納得を示しながらも雅樹は更に問う。

 

優翔はいい加減うんざりしてきているが、響は問われても狼狽える事は無く即座に切り返した。

 

「お言葉ですが次長殿。確かにその通りではありますが、下手な人物よりも私は龍波大佐を信頼できます」

 

「……その理由は?」

 

「龍波大佐は確かに海の事はご自身で言うとおり素人ではあります。ですが、彼の実戦で得た経験に基づく言葉は私達艦娘にとっては貴重な情報であり、実際に先日窮地に陥った私と島風をその指揮で救っています。それに……龍波大佐は地に足が付いている人です。以上が私の龍波大佐への信頼を置く理由です」

 

「……なるほどな。よく分かった、ありがとう」

 

全て聞き終えた雅樹は全て納得をした表情で礼を述べ、それに対し響は被っている帽子を脱いで一礼をする。

 

その姿に頷いた雅樹は優翔の方へと視線を向けた。

 

「お前がどの様に思われているのかは分かった。自身の艦娘に失望されぬように努めるように」

 

「はっ。精進致します」

 

形式的ではあるがはっきりとした声を聞き雅樹は頷くと二人からゆっくりと離れるように歩き出した。

 

自身の用も済んだのでそのまま付いていこうとする優翔に彼は手で制した。

 

「次長殿?」

 

「此処からは景山とだけで十分だ。貴官は随伴の任を解き、明日に備え休む様に」

 

「……了解しました。龍波大佐、随伴の任を終了致します」

 

急な命令に腑に落ちないままではあるが、上官命令となると従わないわけには行かない。

 

優翔は敬礼し雅樹を見送ると、彼は景山と合流するなり歩き出して遠ざかっていく。

 

彼らの姿が見えなくなったところで敬礼を止め、響の方へと視線を向ける。

 

彼女の方は、何が何だかと言った様子で困惑が見て分かるレベルであった。

 

――そりゃ上官の父親が直に上官の事をどう評価しているかなど聞かれれば困惑するか。

 

結局父が何を思っているか分からないまま、気持ちを落ち着けるためかタバコを取り出しては火を付けて一口吸う。

 

「……しかし、案外と口達者なんだな」

 

「……?ごめん、言っている意味が分からない」

 

煙を吐き出しながら響に問うと、彼女は無表情のまま答える。

 

確かに質問が抽象的過ぎたと思いながら優翔は更に一口吸ってから口を開いた。

 

「次長殿の前であんなお世辞を良くポンポンと口に出せるもんだ、と感心しただけだ」

 

「…………」

 

正直、響が雅樹を言いくるめたのは意外だった。

 

普通は軍令部次長と言った肩書を持つ者が質問してくれば下士官などは焦りから口を滑らせるものだが。

 

彼女はそうではなかったことから、かなり冷静に自身の感情を処理できるのだろうと優翔には感じていた。

 

しかし、彼女からの反応が一切なくなってから数秒の沈黙が流れ始め、優翔はいったいどうしたのかと思い始めた。

 

「……司令官は少し、周りの人を知ろうとして無さすぎるよ」

 

「…………」

 

ようやく彼女から返ってきた言葉は、少しだけ悲しそうな表情と共にだった。

 

それに対して優翔は反応できなかった。

 

そんな表情をする響を見たのは初めてだというのもあるが、彼女の言葉に肯定も否定もできなかった。

 

それが図星だからなのか、意識してないからなのか事態が優翔にとって理解してなかった。

 

「過去が原因なのは何となく察しが付くけど、司令官の過去がよく分からないから私には何とも言えない。けど島風は歩み寄り始めたのに司令官がそれだと、島風が可愛そうだよ……」

 

「…………」

 

この言葉に対して優翔は何も言えなかった。

 

だが、思い返してみれば今日の任務を言い渡した時にも島風を信用していない様な言葉を投げかけていた。

 

――なるほど、既に失敗している訳か……。

 

理解した瞬間に、色々と空虚に感じ始め自分では分からないが少しだけ顔に出ているだろうとは思えた。

 

「……ごめん、先に戻ってるね」

 

「あぁ、ゆっくり休め」

 

優翔の顔をみた響はバツが悪そうに表情を変えてそう言い、彼から離れていく。

 

此処で何か言えればいいのだろうとは理解はしていたが、思い当たる言葉が見つからず事務的に返事をしてしまい、心の中で違うと確信した。

 

響の姿が見えなくなるまで見送り、半分まで燃え尽きたタバコを一口吸い込んだ。

 

――自身の艦娘に失望されぬように努めるように。

 

去り際に言った父の言葉が再生され、大きなため息が漏れた。

 

「既に遅かったようだ……」

 

自分に言うかのように呟くが、周りには誰も存在せず、口から洩れた言葉はただ空しく霧散するだけだった。

 

 

 

 

時刻はフタマルマルマル。

 

あれからというもの、優翔は一度執務室に戻り明日の分の書類処理をさっさと済ませて今は鎮守府内のある場所に向かって歩いていた。

 

夕食はまだ済ませていない、普段であれば秘書艦である響が持ってくるが、今回は明日に備えさせる為と単純に昼間の事もあり会ったところでどうすれば分からない為に持ってこさせていない。

 

仕事をしながら色々と考えた結果、自分が悪かった事は理解でき原因も分かったため、響に謝る事は確定した。

 

だが、どのように謝れば良いのかまでは思いついておらず、そもそも直属の部下に謝る機会などあまりなかったこともあり上手く言葉が思いつかなかった。

 

そもそも彼女も女性であり、自身が今まで謝った経験がある男共と一緒の扱いすれば逆効果だろう。

 

どうするべきかと考えた結果、艦娘については艦娘に聞くのが良いだろうと考え、腹ごしらえも含めて【居酒屋・鳳翔】へと足を運んでいた。

 

そうしている内に目的の場所へとたどり着き、引き戸に手をかけて開放させる。

 

「鳳翔さん、邪魔するぞ」

 

「はい、お好きな席にどうぞ」

 

暖簾(のれん)を潜りながら言い、店内に入ると同時に聞こえる鳳翔の声を聞きながら店内を一瞥すると、彼の眉間が皺が一気に寄った。

 

カウンター席のど真ん中に陣取って、日本酒をチビチビと飲んでいるとある人物が原因だった。

 

「……座ったらどうだ?」

 

此方を一瞥しながらそう語りかけるのは自身の父である雅樹だった。

 

軍令部次長である人物が居酒屋に居るという事自体に驚きは隠せないが、それよりも既に帰ったものと考えていたために居ること自体に驚きを隠せなかった。

 

とは言え、座れと言われて座らないのもどうかと思い、カウンター席の方へ進み雅樹から一席離れた席へと腰を落ち着けようとした。

 

「せっかくなのだから隣に座ったらどうだ?変に遠慮する程の真柄ではあるまい」

 

座る直前にそう声をかけられ、ため息をつきたくなるのを我慢しながら彼の隣へと最終的に腰を下ろした。

 

個人的に最高に居心地の悪い席に座ることになり、不機嫌とまで言わないが口が重く閉ざしてしまっている。

 

おまけに鳳翔に相談をしようと思っていた事も彼が居るのではできない。

 

さて、どうしたものかと考えている間に、鳳翔から熱燗が入った徳利と猪口が目の前に置かれた。

 

「大佐は最初は熱燗でよろしかったですよね?」

 

「あぁ……ありがとう。それと適当に食べるものもよろしく頼む」

 

「はい、少々お待ちを」

 

鳳翔に礼を言い、更に注文を頼む事で彼女は台所の方へと移動した。

 

とりあえずと一口分を猪口の中に徳利の中身を注ぎ、飲み始めながら隣に座っている男の方へと目線を向ける。

 

彼はただ静かに猪口に注がれた酒を見つめながら深く考え込んでいるようであった。

 

「……しかし、いったい何なのだろうな。私の姿を見るなり他の者が一斉に出て行きおった。無礼だと思わんかな?」

 

――誰だってお偉い中のお偉いの人物を邪魔する訳にもいかないし、居心地悪いだろう。

 

いきなりボヤいた彼に対しそういってやりたかったが、別に自身に言われた訳でもなく無視する事にした。

 

「軍令部次長殿がいきなり居酒屋に入るとなれば驚くと思いますよ?」

 

「そんなものであろうか……」

 

雅樹の問いには台所にて準備をしている鳳翔が顔を見せて答え、それに対して少し眉を伏せて問うていた。

 

それに関しては鳳翔はにこりと笑顔を見せるだけだった。

 

「優翔、お前はどう思う」

 

「……大佐です、次長殿。大将閣下の前でなら兎も角、他の者の前では御自重頂きたい」

 

「まったく、堅物すぎると思わんか鳳翔?」

 

「大佐は公私を弁える誠実な方なだけですよ次長殿。いくらお父上が相手でもケジメを付けるのは高級士官としてあるべきだとという事ですよ」

 

「……これは一本取られた」

 

嫌味たらしく返した言葉を軽く流しながら鳳翔に問う彼に、彼女は宥める様に返した。

 

それに対して雅樹はフッと笑って猪口へと口を付けた。

 

それよりも驚いているのは、雅樹と親子の関係だという事を鳳翔が知っている事だった。

 

「次長殿は良く司令長官と共に足を運んで大佐の事をお話しなされていたんです」

 

「最後は丁度、半年前程か。早いな時間が経つのは」

 

優翔の心を読んだように説明をする鳳翔に対して、雅樹は昔を懐かしむ様に呟いていた。

 

自身の事を父が話していたのならば確かに鳳翔が親子関係である事を知っていてもおかしくはなかった。

 

とりあえず納得を示し、自身も猪口に残った酒を飲み干す。

 

「……それで、何か話したい事でもあったのではないか?」

 

「……思考を纏めています……」

 

「そうか……」

 

正しくは鳳翔に聞きたい事があったのだが、この際はずっと昔から父に聞きたかった事があるのは確かだった。

 

だが、あまりにも突然の事で言葉が見当たらず思考する時間が欲しかった。

 

雅樹はそれを理解したように、待つ様に猪口の中へと新しく酒を注ぎ始めた。

 

自身も猪口の中に酒を注ぎ、ゆっくりと飲みながら思考を纏め上げ、飲み干した所で聞くべきことが纏まり口を開き始めた。



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8話:父との語らい

鎮守府(ここ)に着任する際に、私の階級にテコ入れをしたのは貴方ですね?」

 

偶然にも【居酒屋・鳳翔】にて再度雅樹と顔を見合わせた優翔は、彼に聞きたいことがあるのではないかと聞かれ、率直に問いだした。

 

その問いに対し雅樹は、特に表情を崩さずに猪口に口を付け酒を飲み干す。

 

「何故、そう思う?」

 

一息ついて彼から発せられたのはその一言だった。

 

問いに問いで返すなと言いたかったが、それを口にするのはぐっと堪え自身も落ち着くために酒を一口飲んだ。

 

「あのタイミングで二階級特進は明らかにおかしいからです」

 

「……景山曰は戦果的に見て妥当だと判断したからだったはずだが?言っておくがあいつは大将だ。自分の部下に対しての階級整理の人事権はあるぞ」

 

「だからおかしいんです。正式には鎮守府に着任するまでは私は陸軍所属だった。閣下に人事権は無いに等しい、あるとすれば新兵、転属者も含めた海軍全体の人事権を持つ軍令部しかありえない。それも相当上の地位に居る者限定で」

 

「…………」

 

優翔の示す数々の根拠について雅樹は無言を貫いている。

 

癖が変わっていないとすれば、この無言は肯定を示している事になる。

 

いったい何故、と思う気持ちが強くなるが今は置いておいて更に自身の持つ根拠を示すために優翔は口を開いた。

 

「それに戦果の話になりますが、それこそありえない。確かに戦果を挙げている自負はありますが、それでも中佐までが良い程度です。大佐まで跳ね上がるのはおかしい」

 

「なるほどな……」

 

納得したような表情を見せた雅樹は猪口に酒を注ぎ、それを一口で飲み干した。

 

コトリとゆっくりテーブルに猪口を置いてから、優翔の方へと顔を向けた。

 

「隠しても意味ないであろうから白状するが、確かにお前の階級にテコ入れを施したのは私だ。理由はお前が述べた通り、軍令部次長である私ならできるからだ」

 

聞かされた真実に対して、優翔はやはりという感情しか浮かばなかった。

 

予測が合っていただけに過ぎず、特に驚く事はなかったものの職権乱用にも程があるような気がしてままならない。

 

「何故、そうしたのです?貴方の事でしょうから私が息子だからという理由ではありますまい?」

 

「……景山との約束だ」

 

――約束?どういう事だ……。

 

此処で自身の直属の上司の名が出て来るとは思わず、言葉を詰まらせた。

 

どう問うか考えたていた時に、コトッと目の前に何かが置かれるような音が聞こえ、そちらに目を向けると鳳翔が料理を乗せた皿を置いていた。

 

「お話し中にすみません。どうぞ大佐」

 

「あ、あぁ。ありがとう」

 

虚を突かれたに等しかったが、とりあえず礼を言うと彼女は微笑んで直ぐにその場から離れた。

 

出された料理を見ると、鶏肉と大根の煮物であり、空腹の今現状では食欲がどんどん湧いてくるが、雅樹と会話している為に食べるべきではなかった。

 

「……遠慮せずに食べればいいだろう。冷めるし鳳翔に失礼だ。食べながらでも話せるだろう?」

 

「……では、失礼します」

 

「あぁ……それにしても美味そうだ。鳳翔、私にも同じものを頼む」

 

「はい、少々お待ちください」

 

自身の心境を見透かしたように呆れた表情でそういう雅樹に優翔は詫びを入れながら割り箸を手に取り鶏肉を口に含んだ。

 

醤油をベースとしたシンプルな味付けだが、深みがあり所謂家庭的な美味しさという物であった。

 

何やら雅樹も同じものを頼んでおり、自身に出したばかりだからか直ぐに同じものが出され、彼の前に置かれた。

 

それを雅樹は短く礼を言い、肉を口に含むと満足気な表情を見せていた。

 

「うむ、確かに美味い。そう思うだろう優翔」

 

「……えぇ、おいしいです」

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

何気なくまた自身を名前で呼んでいたが、この際もうどうでもよく流すことにした。

 

鳳翔はと言えば微笑を浮かべ礼を言うなり、またキッチンへと戻っていった。

 

おそらく会話がしやすいように姿を見せない様に気を使ったのだろう。

 

「……話がズレましたが、約束とはなんですか?」

 

「……お前が海軍へと所属になった暁には、景山の副官候補として身を置かせる事だ」

 

寝耳に水も良い所であった。

 

そのような約束をいったいいつの間に交わしていたのかと疑問が湧いて出てくるが、それで一つだけ納得がいくものがあった。

 

自身が海軍への異動を決心した時の夜、自身の隊の副隊長が言っていた「横須賀鎮守府の司令長官がその気があれば是非来てほしいと言っていた」という言葉だ。

 

そのような約束を二人で交わしていたのであれば、景山が陸軍に居た自身の身を引き取るのは当たり前だった。

 

「……いつからそのような約束を交わしていたのですか?」

 

「優翔が士官学校に入学した時からだ」

 

士官学校に入学した時となれば、五年も前の話だ。

 

――だが、五年前と言えば……。

 

心の中でそう呟いていた時に、雅樹がまたも心中を読んだように口を開いた。

 

「優翔も覚えているだろうが、五年前など私とお前が喧嘩別れして相当日が浅い。もっとも、一方的にお前が切ったものだが……それはどうでも良い。そのような事もあるから海軍に来るのは絶望的だと告げはしたが、それでももし海軍に来ることがあればうちで使いたいと言っていたから私は許諾した」

 

「その結果、意図せずとも私が海軍に移る事になり約束を実行するために階級を操作したと?」

 

「少し違うな。景山事態は最初からお前の面倒を見たがっていたようだから階級事態は関係なかった。だが、お前が海軍に異動する時には元々の副官である椎名の負傷が原因となり、階級を大きく上げる必要があった」

 

椎名少将の名前が出て、優翔は思わず納得しそうになった所を何とか待ったをかける事が出来た。

 

「待ってください、副官に階級などは関係ないはずですが」

 

「お前の言う通り優秀であれば副官に階級の制限は関係ない。”横須賀鎮守府の司令長官の副官”という事を除けばだ」

 

横須賀鎮守府(ここ)の司令長官の副官……あっ」

 

そこまで聞き、自身も言葉に出して優翔は理解した。

 

――そうだ、つい先日に各鎮守府の状況を調べたばかりではないか……。

 

隣に父が居る事も構わず大きなため息が漏れだした、己の呆れによって。

 

そもそも”本土(東京)の最重要防衛地点”である横須賀鎮守府はその性質から優秀な者が集まる場所だ。

 

景山の階級が大将と普通ならば中央本部で仕事をしていておかしくない人物が横須賀に居る事からその性質は見て取れる。

 

とは言え決して他の鎮守府や泊地が劣っているという訳ではなく、それらにも優秀な人財は沢山存在する。

 

ただ、本土の最重要防衛地点という価値観から優先的に人財や物資を送られているだけに過ぎない。

 

だがそんな精鋭の集まりである横須賀鎮守府は他の鎮守府と決定的に違う特徴がある。

 

それが司令長官の副官が副司令長官を兼任するという事だ。

 

普通なら副官がそのまま副司令長官を兼任する事はまずありえない。

 

だが、悲しい事に物資的にも人的余裕が無いこの日本ではとにかく優秀な人物はそういう立場に置かれるのが常であるのだった。

 

そうなれば自身の階級が梃入れされた理由にも納得いくことであった。

 

「優翔、もう気が付いたと思うが……お前が元々此処へ来た段階で副官候補となっていた事と椎名少将が動けない今ではお前が少佐、もしくは中佐では話にならんのだ。何せ副総司令長官代理という重荷がお前に降りかかる事から最低でも大佐以上でなければ話にならんのだ」

 

「……海軍に異動したての素人に対して期待し過ぎではありませんか?閣下も父さんも……」

 

アルコールが回っているせいか、つい自身も隣に居る雅樹に対して父と呼んだことに気付いた。

 

だが、もうヤケクソに近い感覚であり、この際はどうでもよかった。

 

突然の父呼ばわりに対しては雅樹は特に驚くような素振りは見せず、猪口に注いだ酒を飲みこんでいた。

 

それに関しては流石だと優翔も思わずにはいられなかった。

 

「お前に負担をかけている事は重々承知しているさ。ただそれだけ期待していると認識したまえ……景山も私の息子だからと信頼しているし、お前は私の自慢の息子なのだ」

 

「それは……あまりに卑怯な言い草だ」

 

子が親から認められるのは一般的には喜びに入るだろう。

 

だが、言葉と裏腹に優翔の心が大きく揺れる事はなかった。

 

それほどまでに精神が摩耗しているのか、と自身で驚いているほどであった。

 

「……だが、私はお前に謝らなければならなかったんだろうな……」

 

「……?」

 

言っている意味を理解できなかった。

 

おそらく五年前の喧嘩別れについての事までは分かるが、彼自身が言ったように一方的に切ったのは自身の方だったからだ。

 

だが、雅樹にとってはその事ではなかったようだ。

 

「お前が陸軍に入るとなった時、陸軍の連中と揉める事になっても、お前を海軍に引き入れて置けばよかったよ……百八期の件で運良く生き残ったと思えば、黄河の殺戮に加えて特殊部隊に所属した上での汚れ仕事の数々など、どれだけ心が痛かったか……」

 

「……知っていたんですね。私のこれまでの事を」

 

「……陸にも手が回る者が私には居るものでな、お前が部下に甘いのと同じように私も息子に甘かったようだ」

 

――そっか、知られてたんだな。

 

常に見守っていたのと同じ事を聞かされても、やはり大きく心が動くことはない。

 

別に恨みや怒りがある訳ではないのだが、どうしても感情に変化が起きなかった。

 

雅樹が特殊部隊時代の事を知っていれば、理由も既に分かっているのだろうがお互いにどうしようもない事であった。

 

「すまなかったな。あの時にお前の言葉に少しでも理解をしてやってれば、お前がこうなる事はなかっただろう」

 

「……今更言っても仕方ないでしょう。それに結果的には父さんの判断は正しかった、それが現実です」

 

謝罪の言葉を紡ぐ雅樹に優翔は猪口に再度酒を入れて飲みながら遠い目で言う。

 

そう、もう今更言ったところで意味がない。

 

多少のすれ違いから大きく動き出す事などこの世では良くある事の一部にしか過ぎない。

 

雅樹の自信を理解していれば良かったという言葉も優翔自身も当てはまっており、逆に優翔が彼を理解していれば自身の精神はもっとマシなものだったであろう。

 

「……あれだけ反発していたお前が私の判断が正しかったというとはな……」

 

「……実際に軍に入ってみて正しいと判断せざる得なかったんです。国民の生活を多少は犠牲にしてでも税金の数割を軍事費へと増加させるというのは。第三次世界大戦が目前となった状況下で深海棲艦の登場により我々はたった数年で鎖国状況を強いられることになってしまった。閉じ込められる前に海を移動できた時代でも外国への派遣などで小競り合いはありましたからね……結果的に軍事費増強は国を守る事になった」

 

「正しかったとはいえ、実際に結果論さ……五年前にお前が言っていた通り、何万の国民は飢餓に苦しみ、命を落とすもの、暴動を起こす者も増大し、今は多少落ち着いているとはいえ街の治安は落ち、軍人の特に下士官の者などはチンピラ紛いの者が多く治安を乱すのが多くなってしまった」

 

雅樹の言葉が終わるなり、重い沈黙が二人の間を支配し始めた。

 

良い事ばかりしかないというのはありえないのは世の常ではあるが、それでも五年前の雅樹の判断は劇薬だった。

 

その劇薬が結果的には国を救う事となりはしたが犠牲も大きかった。

 

何とも言えないような事ばかりでどちらも何も言えない状況だった。

 

「『政治の事はよく分からないけど。これでは軍事独裁になり国民は飢えに苦しみ、軍人関係の者だけが圧倒的な立場に立ってしまい治安は荒れ果てる可能性がある。国は民無くしては意味がないじゃないか』お前の言葉だったな……」

 

「……よく一語一句正確に覚えてますね」

 

「今の状況にぴったり当てはまるからな、嫌でも思い出す。当初は子供のお前の妄言だと高を括っていたが、中々にどうしたものか……お前の言葉を少しでも汲み取っていれば今よりはまだマシだったろうよ」

 

泣き言(それ)は実行した側が言うべき事ではない。進んだなら責任を果たすしかないでしょう」

 

「……そうだな、すまん」

 

後悔したような表情と口調でぽつりと言いだす雅樹に優翔は目を鋭くさせてピシャリと言い放つ。

 

一度踏み切った事ならば後悔など許されない、突き進むしかないのだから。

 

その意を察した雅樹は苦笑を交えながら謝罪する。

 

無言で流す優翔は猪口に酒を注ごうとするが、徳利の中身が切れており数滴しか落ちてこなかった。

 

新しい物を注文するより早く、鳳翔が自身の目の前に新しい徳利を置き、彼女に軽く礼を言い酒を注ぎ始めた。

 

いつもよりペースが少し早い気もするが、正直な所が飲まなければやっていられなかった。

 

「……しかし、優翔。今のままではこの先苦労するぞ」

 

「……大体何が言いたいのかは想像つきますが、どうぞ」

 

「昼間のお前に質問した事だが、お前は艦娘の事を理解しようとしていない」

 

想像通りの言葉が出てきて、優翔はとりあえず、と猪口の中の酒を煽る。

 

響にも同じことを言われたばかりであり、未だに解決策が思い浮かんでない案件だ。

 

「……響にも同じことを言われましたよ。過去の事が原因なのだろうけど、ともね」

 

「陸軍時代、特に特殊部隊の時は裏切りなどは日常茶飯中だったようだからな。それは仕方ないにしても、響は優翔の事を良く知っている様ではないか。昼間の事といいな」

 

「……あの随分と私を過大評価していたやつか」

 

優翔の言葉に、雅樹から深いため息が漏れだした。

 

何だ、と彼の方に視線を向けると、彼の表情は全く違うと無言で示している。

 

「あれは世辞でも過大評価でも何でもない、響の本音だ。昼間に私が何故あのような問いをしたか分かるか?」

 

「……いえ」

 

「互いがどれだけ信頼していて、相手を見ているかを確かめたかったからだ。結果は響は必死にお前を見ていたにも関わらず、お前は艦娘の事を信用していなかったという結果だがな」

 

雅樹の言い分に反論は出来なかった。

 

自分を整理してみれば、その気は十分にあるというのが分かるからだ。

 

陸軍所属時代、特に特殊部隊の時は特に酷かった。

 

同僚、上司、どれも信頼に置ける者など居らず、自分の身を守るには他人を信用しない事が一番だったから。

 

まだマシと言えた航空部隊所属の時も、上司は信用ならず自分を殺す気とも思えるような任務ばかりで全く信用できなかった。

 

その疑心暗鬼の心が海軍に異動した今でも引きずっている、というのが優翔の自己分析の結果だった。

 

「人を信用できないのは分かるが、せめて少しずつでも己を信用している者くらいは信じてやりなさい。でなければ互いに辛いだけだぞ」

 

「……善処はしてみます」

 

「なら良い」

 

そこまで言うと雅樹は食べかけであった煮物を再び食べ始める。

 

そういえば、と自身も食べかけであったのを思い出し、再び口にする。

 

すっかり冷めてしまってはいるが、ダシが浸みており問題なく美味く感じる。

 

「さて、私はこれで失礼させてもらう。鳳翔、御代は此処に置いておくぞ」

 

「はい、またのお越しをお待ちしております」

 

もう食べ終わったのか、雅樹は言うなり席から立ち上がり出入り口へと向かっていく。

 

丁度優翔の後ろの方まで足を進めると、不意に足を止めた。

 

背後に感じる気配が不快で振り向くと、彼はじっと自身を見つめていた。

 

「次に会う時にはその時化(しけ)た顔がマシになっている事を期待しているぞ」

 

それだけ言うと、彼はさっさと店から出ていき、この場には優翔と鳳翔の二人だけが残っていた。

 

ピシャリと戸が閉められてから、優翔は思わず盛大なため息を漏らした。

 

相変わらずズカズカと好き放題言ってくれる、と思いながらも父親らしい事をされたのも随分と懐かしいとも思っていた。

 

「雅樹さんは、ずっと大佐の事を心配してましたから親心が不器用に働いてしまったんでしょうね」

 

自身の心を読んだ様に言う鳳翔に、思わず苦笑が漏れた。

 

「……随分とご存じなようで」

 

「えぇ、雅樹さんが此処に景山大将と来るときはいつも大佐の事ばかりお話ししますから。もっとも陸の反発を受けてでも海軍(こちら)へ引き込めば良かったとばかりですが」

 

「私の知った事ではない。結局海軍に異動する事を決めたのは私だが、最初に陸を選んだのも私自身だからな」

 

突き放すような優翔の物言いに彼女は小さく笑い始めた。

 

怪訝な表情で彼女を見るが、笑いが止む様には見えなかった。

 

「……どうしました?」

 

「いえ、雅樹さんも突っ込まれると突き放すような言いかたをしますから、素直じゃない所も似てるのは親子だなって」

 

「ふんっ……」

 

彼女の言葉に鼻を鳴らしながら優翔は猪口に残った酒を注いで一気に煽る。

 

大分飲んだと思われるが、頭がボーっとする感覚はあまりなかった。

 

そういう風にできてしまった身体ではあるが、さっさと酔いたい時に完全に酔えないのは中々にもどかしい。

 

「ですが、大佐も大変ですね。憧れの父親が同じ軍のトップに居るのですから」

 

「他人の目という事か?致し方あるまい、この大佐という地位も第二副官候補という肩書もコネで手に入れたも同然だ。だが、コネで手に入れた地位と言われようが関係ない、力を見せれば良いだけだ」

 

煮物を食べ終え、鳳翔の問いにはっきりと自信あり気に言う優翔に彼女は少し関心を得た様な表情になる。

 

だが、彼女が関心を得たのは別の部分だったようだ。

 

「あら、”憧れの”というのは否定しないんですね」

 

「……軍人としての在り方は、十六の頃から尊敬している。喧嘩別れしていなければ絶対に海軍に所属する事を希望していた程度には……な」

 

「本当に、変な所では素直なのも似ていますね」

 

優翔の席に新しい徳利を置きながら鳳翔は困ったような笑みを浮かべて言う。

 

丁度新しい酒が欲しかった優翔はそれに甘え、新しい酒を猪口に注いで一気に胃の中へと流し込む。

 

「ですが、良かったのではないですか?偶然とアルコールが入ってるとは言え、お互いに言いたい事は言えて、理解できたようですし、それは素晴らしいと思いますよ」

 

「……流石、全ての空母の母だ。包容力が段違いだ」

 

「失礼ですが、大佐のお母様はどのような方だったのですか?」

 

「美人で優しい人でしたよ、激務に追われている父をずっと支えながら、私と弟にもいつも笑顔を向けていました」

 

「そう、ですか」

 

優翔の言葉が過去形である事に鳳翔は察して少しだけ申し訳なさそうに表情を曇らせる。

 

それに対して、優翔は手を振って気にしていないと伝えた。

 

「それよりも、鳳翔さん。明日、響に謝ろうと思うんだがどんな言葉をかけてやればいいと思う?」

 

「響ちゃんにですか?」

 

しんみりとした雰囲気が流れ始め、優翔は流れを変えるために彼女に聞こうと思っていた事を切り出す。

 

彼女は少しきょとんとした表情を浮かべて問うのを優翔は頷く。

 

「原因は、父との会話で何となく分かると思うが、どうしても言葉が思い当たらない」

 

「んー……分かれる時、響ちゃんどんな顔をしてましたか?」

 

「……バツが悪そうな表情だった、と思う」

 

優翔の答えに鳳翔はそれなら問題は無いと確信を得た。

 

それと同時に不器用なのは本当に雅樹と似ているというのを感じていた。

 

「それなら大丈夫ですよ。普通に『ごめん』って謝れば」

 

「……そんな簡単な事で良いのか?」

 

「響ちゃんは賢い子ですから、取ってつけた様な理由と共に謝るよりも、シンプルに謝った方が心に届くと思いますよ」

 

――そんなものなのか……?

 

あまりにも簡単な結論で優翔はつい、まだ何か足りないのではないだろうかと思案する。

 

そんな彼の眼前に鳳翔の指が現れた。

 

「響ちゃんに何て言われたんですか?」

 

「……『過去の事が原因だろうけど、そのままだと島風が可愛そう』だと」

 

「ならバツが悪そうにしていたのは、大佐の地雷に踏込んだと思っているからですよ。過去の事がと言う推測があながち間違いではないのはあまり穏やかではないですけど」

 

「……私はそんなに過去に問題を抱えているように見えるのか?」

 

優翔の問いに鳳翔は懐から手鏡を取り出し、優翔の眼前に置く。

 

優翔からすれば、いつも身だしなみを整える時に見ているいつもの顔でしかなかった。

 

「まともな過去を持つならば、そんなに目が死んでいませんよ。今にも死にそうな目をしていますからね大佐は」

 

「……すまんが全く分からん」

 

「自覚できないのは重症ですね。とにかく、変に付け加えるよりは素直に謝った方が良いですよ」

 

「……分かった」

 

腑に落ちない所は存在するが、それでも彼女のアドバイスを聞くという目的は達成した事から優翔は一息ついた。

 

改めて時刻を確認すると、丁度フタフタマルマルを示している。

 

時間が経つのは早い物だと思いながらもそろそろ自室に戻る事を決めた。

 

「私もそろそろ出るとしよう。会計をお願いする」

 

「あぁ、会計なら良いですよ」

 

財布を取り出そうとしたところを止められ、怪訝な表情で彼女の方へと視線を移すと一枚の紙を手に持っていた。

 

その紙には『隣の馬鹿息子の分もこれで頼む』と書かれており、雅樹が自身の分の支払いを済ませていたと察した。

 

それについて優翔は呆れた表情で何度目になるか分からないため息をついた。

 

「全く、成人して給料も貰ってんだから自分の分くらい自分で払うというのに……」

 

「ふふっ、ですがもう大佐の分も差し引いてもお釣りが来る分貰っていますので御代は結構ですよ」

 

そこまで言われると仕方ないので、優翔は父の顔を立てるためにそのままにしておくことを決めた。

 

「……分かった、ではこれで失礼する。あと、此処での会話は全部内密に願う」

 

「はい分かりました。またお越しくださいね」

 

それだけ会話を済ませると、優翔は店から出ていく。

 

店から出ると、廊下の寒気に当てられ思わず身震いを起こしそうになる。

 

店内は暖房が利いていた事もあり、なおさらであったためさっさと自室に戻る事に決めた。

 

早歩きで移動しながら曲がり角を曲がった直後に一人の人物が目に入った。

 

響だった、彼女は窓辺に頬杖し月光をその透き通る銀髪に当てて輝かせていた。

 

ただ普段と違い、幾分悲しそうな表情であった。

 

「響」

 

「えっ……」

 

優翔が彼女の名を呟くと、響は目を見開いて声のする方へと顔を向ける。

 

彼の姿を確認するや、彼女は早々に目を伏せる。

 

その態度に少しばかり気に食わない部分があるが、鳳翔の言葉を思い出しとりあえず流すことにした。

 

彼女の隣まで歩み寄り、窓から景色を見やると月が海を照らし出すという心が落ち着きそうな風景が見える。

 

「なるほど、綺麗だ。この風景を見るために此処に居たのか?」

 

「……うん。そんなところ、かな」

 

「……見て居たくなるのは分かるが、程々にしておかなければ風邪を引くぞ。まだ寒いからな」

 

どうも歯切れの悪い回答に危うく眉間に皺が寄りそうになる。

 

とはいえ、原因を作ったのは自分である事は重々承知であり、怒る事などもっての外で適当に事を言いながら流す。

 

それから優翔は彼女の出方を伺う様にあえて何も言わない様にする。

 

響は何かを言いたそうに、優翔をチラチラと見ながら口を開けようとして閉じる事を繰り替えし、既に五分は経とうとしていた。

 

――埒が明かないな……。

 

そう思いながらも、仕方がないとも感じていた。

 

推測ではあるが、心の準備ができていない状態で自身と会った事で言いたくとも言えないのだろう。

 

それならば、切っ掛けを作るしかない、と感じて自身から口を開くことにした。

 

「……響」

 

「な、なに?」

 

「……昼間はすまない」

 

突然の謝罪に響は目を丸くさせて彼の方をずっと見て居た。

 

そして、この場に乗って口を開こうとしていた。

 

「い、いや……良いんだ。私も余計に踏み込み過ぎたと反省してたところだったんだ……」

 

「あぁ、だから目を合わせようとしていなかったのか」

 

「……どんな顔をして会えば良いのか分からなかったから」

 

響の言葉に、優翔はなるほどと納得していた。

 

彼女も彼女なりに昼間の事に悩んでおり、その答えを探していた様だった。

 

とはいえ、優翔自身は言われても仕方ない事だと思っており、それが伝わっていないのも致し方ないとも感じていた。

 

「言っておくが、響が思い悩む必要はないぞ。昼間の件は私の失言が原因であるし、お前が言ったことも間違いではないからな」

 

「……だとしても、安易に人の過去の事を踏み込むべきではないと思う」

 

――律儀なのか、神経質なのか……。

 

彼女の言葉に何とも言えぬ感情を抱くのと同時に、やはり彼女も過去に何かしらの傷を負っている事を確信する。

 

自身の関わった人物で他人の過去に極力耳にしようとしない者は何かしら傷を負っている者が多かった。

 

大体は他人の過去を聞くことで自身の過去を思い出し、傷が広がるのを防ぐためだが。

 

「……聞いておきたいが、響は私の過去の事をどれくらいの事を知っている?」

 

「……実はあまり知らない。司令官が自分から話さない限りは触れるべきではないと思っているから」

 

「なるほどな……だったら余計に変に気負うな。お前の推測は外れているとは言わないが、知らないのに余計な気を使われるのは当人にとっては迷惑にしかならんぞ」

 

「うん……分かった」

 

彼女の返事に頷き、優翔は窓辺から移動し、自室へ戻る前に最後に一つだけ投げかけた。

 

「とにかく、昼間は悪かった。直ぐにとはいかんが、私もお前達を知っていくように努力をする。それだけだ、明日に影響を出さない様に早めに寝ろよ」

 

「分かった、おやすみ」

 

その場から去る前に見た彼女の表情は少しだけ微笑んでおり、妥協できる方だとは感じていた。

 

――しかし、もうちょっと別な言い方があったのではないだろうか……。

 

自身の思うような和解とは少しばかり遠い終わり方になってしまい、自身の不器用さに呆れる始末だった。

 

しかし過ぎた事は仕方ないと区切りをつけ、明日にシコリが残る様な事が無くなっただけ良しとすることにした。



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9話:実態

二月六日、マルナナサンマル。

 

自室にて優翔は目を覚まし、部屋の中に他に気配がない事を確認してから握っているナイフを手放し起き上がる。

 

ハンガーに掛けてある上着を肩に掛け、まず直ぐ隣の執務室へと移動する。

 

電気を付けて執務机に備えられている椅子に腰を掛けてノートパソコンの電源を入れる。

 

数秒の駆動音が流れ、数秒でデスクトップが写り出す。

 

それを確認するなり、海軍のネットワークに存在する自身のマイページを立ち上げる。

 

いつもであれば【受信BOX】の中に今日の指令が送信されているはずなのであるが、着任したての時の様に何も受信されていなかった。

 

これを意味する事は緊急の呼び出し以外は自由にして良いという、実質的な休日と同じ様なものであった。

 

――仮にも大佐である者が事あるごとに任務無しと言うのはそれで良いのか?

 

現状に疑問を抱かざる負えず、確認のために景山のアドレスをクリックし、メール送信画面を開く。

 

確認すべきことは言わずもがな、今日の任務に関してであり、素早くキーボードを打ち込みメールを作成すると文を確認しミスがない事を確認すると送信を押す。

 

送信が完了した事を確認できると、一息ついて背もたれに体重をかけて身体を預ける。

 

手元に灰皿を手繰り寄せ、タバコに火を付けて煙を吐き出しながら思案する。

 

今は穏やかな状況が続いているが、それも直ぐに終わりを迎えるであろう事を予感していた。

 

推測だけであり証拠となるようなものは皆無ではあるが確信だけは取れていた。

 

その第一の理由が突如の【岩川基地】壊滅の発覚とその原因たる【戦艦レ級】の出現だ。

 

佐世保まで被害が及んでいない事から基地を壊滅させた後はそのまま消えたのかすらも分からないが、周辺の被害は甚大であろう。

 

復興にも部隊再編制にも人財も物資も何より時間が足りない事から、そろそろ何かしらの動きがあってもおかしくは無い。

 

特にレ級の存在は無視できない事もあり、南西諸島が大いに荒れているであろう想像が容易い。

 

いざという時はすべての鎮守府合同での討伐作戦も考えられることから今のうちに戦力補強が望ましい所であった。

 

特に自身の艦隊の戦力の充実化は急ぐべき事であると思っていた。

 

仮にレ級討伐の際に自身が参加できずとも横須賀の守りを考えると、第二副官候補として望まぬ間に鎮守府のトップクラスに置かれている身である自身の保有戦力がしょぼいのは論外であった。

 

とは言え急な戦力増強は周りからの反感を招く恐れがある事から、地道に尚且つ手早く第三艦隊までは編成できるレベルの戦力を整える必要がある。

 

――陸地であれば問題はあれど何とかなるのだがな……。

 

考えても仕方ないような事を考えた所で扉をノックする音が聞こえた。

 

「失礼するよ、司令官。朝食をもってきた」

 

扉が開き、響が入室し敬礼する。

 

それに返礼すると、彼女は優翔の方へと近づいて机に朝食を置いた。

 

チラッと見た彼女の顔は清々しい物となっており、昨日の件には区切りをつけた様であった。

 

「ありがとう。他の者は?」

 

「さっきすれ違ったからそろそろ来るころだと思うよ」

 

彼女に礼を言いながら最初に紅茶を一口飲みこみ、響に問う。

 

返答する響の言葉が終わった瞬間に扉が勢いよく開かれ二人は扉へと視線を戻す。

 

「てーとく、おっはよー」

 

「おはようございます、提督」

 

予想通り、扉を勢いよく開けたのは島風であり、何事もなかったかのように部屋に入る。

 

それに少し呆れているかのような表情で阿武隈も敬礼をしてから入室する。

 

もう三度目であることから何も言う気になれなくなった優翔は立ち上がり敬礼をしてドカリと椅子に座る。

 

「おはよう。もう何も言う気も失せたよ」

 

「おぅっ?」

 

「……響、来る前に私宛に任務書などは届いていたか?」

 

言葉の意味を理解していない島風に呆れでため息をつきながら響に問うと、彼女は首を横に振り否定する。

 

彼女の反応を見て優翔はまたもやため息をついた。

 

「任務ないの?」

 

首を傾げながら問う島風に画面が三人に見える様にノートパソコンを動かす。

 

三人が見ると、そこには一通のメールが開かれていた。

 

『無い物は無い故、休めば良いのではないのか?外出許可も与えて置こう』

 

と書かれており、艦娘三人は呆れに満ちた表情を見せる。

 

「という訳で一日中フリーだ。各自好きなように過ごすように。外出する場合は申告し、艦娘と分からぬ恰好にて出歩き、ヒトハチマルマルまでに戻るように」

 

「所属して日は浅いですけど、こんなに任務が少ない物なんですか、此処は?」

 

「所属する艦娘が少ない故、戦闘系は論外、遠征も人手は余っている故に私には無い」

 

「そ、そうですか……」

 

若干座った目付きで返答する優翔に阿武隈は危険を感じそれ以上踏み込む事は無かった。

 

だが、それに関係なく踏み込む者も存在した。

 

「あれ?私達は兎も角、てーとく事態のお仕事は?」

 

「昨日全ての書類を片づけた為、私も仕事が無い」

 

島風の問いに少し困ったような表情で返す優翔に島風は逆に目を輝かせた。

 

いったい何だ、と思い問うよりも早く島風は口を開いた。

 

「だったらてーとくも一緒に外出しようよ」

 

「……何故に?」

 

彼女の言葉に意味が分からず優翔は眉間に皺を寄せて問う。

 

そして彼女は呆気からんと言うのだった。

 

「だって暇でしょ?」

 

場が凍りついたような感覚を阿武隈と響は感じていた。

 

図々しいというか、遠慮がないと言うべきなのか、容赦がなかった。

 

これは優翔は不機嫌になるだろうと二人は予想していた。

 

「暇なのは肯定するとしても、私は自主訓練を行おうと思っているんだが?」

 

「えぇー、訓練よりも私達と遊びに行こうよ」

 

いつの間にか島風の外出に巻き込まれている二人は心の中で止めろと思っていた。

 

厳格な性格である優翔に”訓練よりも”などという言葉は地雷と言っても過言ではない。

 

響はこれ以上島風が優翔の機嫌を損ねるような事を言う前に黙らせる為に静かに彼女の背後へと忍び寄った。

 

「……軍人にとって訓練は大切な事なんだが?」

 

「偶には良いじゃん。それにてーとくが居れば街中でも安全だし」

 

更に眉間に皺を寄せながら言う優翔に島風は両手を首の後ろに回しながら言う。

 

そろそろ止めるか、と響が彼女の首に両手を伸ばしたところで優翔はピクリと反応した。

 

それを見て響はとりあえず様子を見る事にした。

 

「お前達艦娘は人間よりも身体能力が高いから、万が一があっても問題ないだろ?」

 

「あー……それが、そうでもないんです」

 

「ン……?どういう事だ?」

 

「私達艦娘は軍属だからというのもありますけど、人に危害を加える事はできないんです」

 

阿武隈の言葉に優翔は少しだけ前の事を思い出していた。

 

人に危害を加える事が出来ないのではおかしい事が一つだけあるからだ。

 

島風(こいつ)は出会い頭に私を蹴り飛ばそうとしたが?」

 

「それは提督が軍人だからですね。提督も認識用ナノマシンを体内に入れてますよね?」

 

「あぁ、軍属する者は認識用ナノマシンを体内に入れる事を義務付けられているからな」

 

彼女の問いに優翔は左手の白手を外し、手の甲を見せる。

 

そこには一種の模様の様な痣みたいなのが存在している。

 

認識用ナノマシンは軍属の人間が一目で軍属だと分かる様にする事とどこの所属であるのかを分かりやすくするための物だ。

 

一般人から軍人だと分かりやすくする為でもあり、味方かどうかの判別と一部の施設や機械もナノマシンで操作する為でもある。

 

「私達艦娘はナノマシンを認識する機能があるので、軍人相手だと手出しはできますけど、ナノマシンが無い一般人には手出しできない様にされてますから……」

 

「そういう事か」

 

阿武隈の説明に優翔は納得の表情を浮かべた。

 

人間よりも圧倒的に高い身体能力を持つ艦娘が間違っても一般人に対して危害を加えるようなことがあれば大問題だ。

 

それらを防ぐために彼女達艦娘はナノマシンを注入されていない人間には危害を加えられない様に仕込まれている。

 

それ以前にも艦娘は人間側に存在すると言う概念から精神的な位置で人間に危害は加えられないであろう。

 

ただしそれは艦娘であればの話で、艦娘ではない優翔はそれが適用外であり、一般人だろうと危害を加えようと思えば加えられる。

 

それが近頃で問題となっているのが今の日本の現状ではあるのだが。

 

「だからてーとくが一緒に来てくれれば私達も安心、ぐえっ!」

 

「はい、そこまで。司令官を困らせない様に。いざとなれば逃げれば良いだけだから私達だけで行くよ」

 

「ひ、響ちゃん……く、苦しい……」

 

島風が言い終わるより前に響は彼女にヘッドロックを仕掛けて無理やり黙らせる。

 

ただし、島風の履いている靴がヒールが高い事もあり、殆ど首を絞めている様な状態だ。

 

その光景を見ながら、優翔は思考に老けていた。

 

――本来は響の言う様に逃げれば良いだけだから、私が行く必要はないが……。

 

昨日の事を考えると、そのまま三人だけで行かせるのもどうだろうと思っていた。

 

少しだけ思案して、優翔は決める。

 

「……いや、それなら私も付き合おう」

 

「え……?」

 

「本当!?」

 

思いもよらない優翔の言葉に響は腕の力を弱めてしまい、拘束が緩んだ隙に島風は脱出すると目を輝かせて彼に近づいた。

 

何故そこまで目を輝かせるのか分からないが、とりあえず頷いて肯定する。

 

「思えば私もあまり横須賀の街を知らんから視察を兼ねてお前たちに付き合ってやるよ」

 

「てーとく、ありがとー!」

 

「はいはい、そうと決まれば着替えて準備を済ませたら第二車庫に各自集合するように」

 

抱きつこうとする島風を片手で制しながら、二人にも聞こえる様に言う。

 

三人とも「了解」と答えて服を着替えるために島風と阿武隈は退出するが、響だけ残っていた。

 

「……響、どうした?」

 

「どうしたの?急に私達に付き合うって」

 

どうやら自身が彼女達に付き合うと言う事が意外だったらしくそれの真意を聞こうとしている様だ。

 

特に深い意味がある訳ではないのだが、伝えておこうと思考するなり優翔は立ち上がった。

 

「別に、お前たちの事を良く知る為にも偶には付き合ってやるのも良いと思っただけだ」

 

「そうなんだ」

 

優翔の言葉に響は僅かながら微笑を浮かべる。

 

昨日の事もあり彼なりに自分達を知ろうとしているのが素直に嬉しかったのかもしれない。

 

だが、響の笑みと裏腹に優翔の表情は曇っている。

 

「どうしたんだい?」

 

「……いや、島風の言う通りに私が付いていった方がはるかに安全だと言うのもあるものでな」

 

いまいち優翔の言う言葉の意味が理解できなかった。

 

彼の言う万が一というのがあったとしても、逃げれば良いと思っておりそれに心配するのも少しばかり度が過ぎる様にも思えるのだ。

 

そんな彼女の心内を読んだのか、優翔は自身の後頭部を掻いた。

 

「まぁ、外出中に教えてやるよ。今回の同行も社会学習というやつも含めて、という事だというのを」

 

「…………?」

 

それだけ言うと、優翔は自室の方へと向かってしまい執務室には響一人だけとなった。

 

どういう意味なのか、というのを考えるも部屋の外から島風が自身を呼ぶ声が聞こえ、とりあえずは彼女と合流する事にしたのだった。

 

 

 

 

一足早く着替えが終わった優翔は、第二車庫内にてタバコを吸いながら三人を待っていた。

 

シャツに黒色のカーゴパンツにレザーコートと質素な物であり、左手の甲のナノマシンを見なければ軍人だとは気付かないであろう服装をしていた。

 

今吸っているタバコを携帯灰皿に押し入れると、三人分の気配を感じ取りそちらの方へと視線を向ける。

 

「司令官、お待たせ」

 

響を先頭に三人とも私服を身に纏っており、一応は艦娘と見分けがつかない様になってはいた。

 

――……しかし、島風は普通の服装を持っていたのだな。

 

場違いながらもそんな感想を抱いていた。

 

元々の露出が激しい服装をしている島風だが、今は普段よりは長い丈のミニスカートにムートンコートとマフラーを付けている。

 

ただ、優翔の心境など知るはずもない島風は首を傾げるだけだった。

 

「揃ったな。では、三人とも車に乗れ」

 

「車って、提督の後ろの黒いのですか?」

 

「そうだ。ただの外出に軍用車を使うわけには行かないだろ?」

 

阿武隈の問いに答えながら、ポケットからスマートキーを取り出してボタンを押すと、ドアがスライドする。

 

「この車って、てーとくの?」

 

「私の私物だが、それが?」

 

島風の問いにも軽く答えながら優翔は運転席へと乗り込むが、三人は唖然としているままだった。

 

優翔が私物と言っている車はALPHARD(アルファード)であり、車の事は詳しくない三人も一目で高級乗用車だと分かる物だからだ。

 

しかも、使っている回数が少ないからなのか新品同様の見た目であり、ボディカラーの黒が眩く光っている。

 

「どうした、乗ったらどうだ?」

 

運転席の窓から身を乗り出して三人を呼ぶ優翔の声に、三人は恐る恐ると開かれたドアから入る。

 

ゆっくりと座ってみると、革張りでありながら身が沈む様に柔らかく、シートも質の良い物だと言うのが分かる。

 

「おぉー……座り心地が凄い良い……」

 

「こんな高そうな車に乗ったの初めてです……」

 

「気に入った様で何より。シートベルト付けろよ、確認したら出るぞ」

 

優翔の声に助手席に座る響と後部座席に座る島風と阿武隈はそれぞれシートベルトを装着し、それを確認してから優翔は車をゆっくりと発進させる。

 

カーナビの設定を弄りながら、聞き忘れた事があるのを思い出し、バックミラー越しに二人を見た。

 

「ところで、外出と言っても目的はなんだ?」

 

「んー、特に決めてないから適当にお買いものかなぁ」

 

「私ものんびりとスイーツとか食べ歩きしたいです」

 

「そうか。なら横須賀中央あたりで十分だな。響はそれでいいか?」

 

二人の要望を聞き、カーナビをセッティングしながら隣の響に問うが、彼女は黙って頷いている。

 

響に関しては特にこれといった要望などは無いようで、今日は主に島風と阿武隈の二人に付き合う事になると予想していた。

 

「なら、そういう事にするが。一つお前たちに重要な事を伝えておくぞ」

 

車を走らせながら、優翔の最後の方の言葉に三人は一斉に首を傾げた。

 

響は横でみれるが、後ろの二人はバックミラーに写る彼の目からかなり真剣な話だと察する。

 

「街で遊んでいる時に別行動などで私が傍に居ない時、もし不都合が生じた場合には直ぐに私に連絡しろ」

 

「それって、提督が執務室で言ってた、万が一の時ですか?」

 

「大丈夫だよ、万が一でてーとくにきてもらったけど、響ちゃんも言ってたし逃げれば良いから」

 

「その万が一が軍人相手でもか?」

 

最後の優翔の言葉に車内の空気がピリッと凍りつくような感覚が三人を襲った。

 

丁度赤信号に差し掛かり、車を一時停止する必要が起きた事により優翔は主に後ろの二人に言い聞かせるように口を開き始めた。

 

「一般人相手なら確かにお前たちは逃げれるだろうが、軍人相手だと奴らも帯銃などもしているからな。逃げる事は難しいだろう。艤装を装着していないお前たちの耐久面は人間とさして変わらないからな」

 

「ちょ、ちょっと待っててーとく!軍人って海軍の人はそこまで酷い人は居ないよ!?」

 

「そうですよ、海軍の人なら私たちが艦娘だと知ってますからそんな事は……」

 

「海軍の連中ならな。私が言ってるのは陸軍の連中の事だ。言っておくが横須賀は海軍の街だが、陸軍の連中も普通に居るぞ」

 

そこまで言い終わると信号が青になり、優翔は車をゆっくりと発進させる。

 

バックミラーで後ろの二人を確認するが、二人とも神妙な表情で彼の言葉を待っていた。

 

少し注意するつもりが三人のテンションを下げるような事になってしまい、少しばかり自分に対してため息をつくことになったが、そのまま言葉を続ける。

 

「お前達艦娘が軍人相手なら手出しできるとしても、陸軍の連中にやるのはマズイからな。私が手出しする分には問題ない」

 

「何故、司令官が手を出す分には平気なのは元陸軍だからかい?」

 

「一応それもあるが、所属が違くとも基本的に階級というのは共通だ。そしてそんな下賤な事をやる奴は大抵大して階級も高くない下っ端共だからな。私の階級である大佐より上の奴などまず居ない。私が手を出そうが殺そうが上官に反抗した馬鹿野郎という事で流れる」

 

響の問いに物騒な言葉を交えながら言う優翔にそれぞれ違う反応を見せていた。

 

だが、阿武隈と響は島風が無理に食いついてでも優翔を誘った事には感謝するべきだと思っていた。

 

そんな彼女達の反応を横目にしながら優翔は小さくため息をついた。

 

「まぁ、安心しろ。何か起きても私がお前達を守ってやる。お前たちは安心して遊べばいい」

 

濁らせた目を正面へと向けながら優翔は車の運転に専念する。

 

相変わらずぶっきらぼうな言い方ではあるが、三人はそれでよかった。

 

彼が自分達を守ると言えば確実に守ってくれるのだから、それ程までには三人とも自身の上官を信頼していた。

 

 

 

 

「おぉー、人がいっぱい居る」

 

「軍人しか居ない鎮守府と違って、此処は街だから当然さ」

 

数分かけて横須賀中央までたどり着いた優翔達はまず近くのパーキングに寄り車を駐車していた。

 

先に降りていた三人は、見慣れてない故か辺りを見渡しており感嘆の声を漏らした島風に響が突っ込みを入れている。

 

それを横目に優翔は車にロックをかけて近寄る。

 

「あー、言い忘れたが。街中では私の事を階級や提督呼びは止めろよ」

 

「何で?」

 

その一言で理由を察した響と阿武隈だが、島風だけは理解していない様で二人は呆れた表情で彼女を見て居る。

 

――……まぁ、分かり切っている理由にも確認は必要だ。

 

本人はそう思ってはいない様な事も無理やり理由をこじつけて、優翔は苦笑を漏らしながら彼女の問いに答える。

 

「軍人だと分からない恰好で来ているのに、軍人と分かる呼び方で接したら意味ないだろ?」

 

「そっか。じゃあ、何て呼べばいいの?」

 

理由を短いながら分かりやすく説明すると、島風は納得した様子で頷く。

 

その反応を見て胸を撫で下ろした優翔だが、次に飛んできた質問に一瞬呆けて直ぐに思考を纏める。

 

「……呼び方など好きに呼べばいいだろ」

 

そう伝えると、島風は響と阿武隈を呼び寄せて少し離れた所で三人で輪を作りひそひそと話し始めた。

 

――何なんだいったい……。

 

理解しようと努力し始めて時間は浅いが、今行われている部下達の行動には全く理解できず、置いてけぼりを食らった優翔はとりあえずタバコを抜き出して吸い始めた。

 

吸い始める少し前から三人のひそひそとした声が聞こえるが、流石に会話の内容までは聞き取れず、とりあえず終わるまではタバコを吸っている事にしたのだった。

 

「――うん、それで行こうか」

 

タバコが半分程炭と化した辺りで島風が締めくくり、三人は一斉に優翔の方へと向き始めた。

 

――さて、どんな呼び方に決めたのやら……。

 

若干不安を心に宿しながらも優翔は三人の方へ視線を戻し、彼女達の声を待った。

 

「じゃあ、てーとくの事を”お兄さん”って呼ぶね」

 

「…………」

 

――はい?

 

普通に名字か名前にさん付けで来るのかと思えば予想の斜め上の呼び方で彼は絶句した。

 

まさかお兄さんと呼ぶことになるとは思っておらず、どう反応すればいいのか困惑していた。

 

「あれ……?駄目だった?」

 

反応が無い優翔に困惑気味に島風が恐る恐る問う。

 

駄目とかそういう物では無く、ただ単に考えが纏まってなくて反応できなかっただけなのであるが。

 

「……いや、そう呼びたいのならそう呼べばいい」

 

「そっかぁ、反応が無いからちょっと焦っちゃった」

 

苦い表情でそう言う優翔に島風は安堵した笑みで返す。

 

――よく考えたら、その呼び方も色々と問題が起きるのではないだろうか……。

 

冷静になった頭で良く考えると、他の問題に起きそうな予感をして優翔は悩んだ。

 

現在自分はナノマシンの施術跡を隠すためにオープンフィンガーグローブを両手ともつけているが、いっそのこと外して自分が軍人である事を証明して出歩く方が良いのではないかと思っていた。

 

だが、それは民間人に要らぬ不安を呼ぶだけでありどうしたものかと考えていた。

 

「クスッ……それじゃ、よろしくね。”お兄さん”」

 

「……絶対にからかっているだろ?」

 

意味ありげに微笑を浮かべながら態々お兄さんと呼ぶ響に眉間に皺よせながら問う。

 

しかし帰ってくるのは、さぁ?と白々しいものであり、それに対して盛大にため息をついた。

 

「にひひっ、ほら行こうお兄さん」

 

「置いて行かれちゃいますよ、お兄さん」

 

「はいはい……」

 

明らかにからかう事を目的として自身をお兄さん呼びしながら前を歩く島風と阿武隈に再度ため息をつきながらゆっくりとその場から歩き出す。

 

普段の自身の性格から、からかうネタが無かった事が今この瞬間に出てきてしまったが故にそれに飛びついているようにも見える。

 

――まぁ……それでストレス解消になるのなら、からかわれてやるか。

 

優翔としては自身の年齢を考えればお兄さんと呼ばれる事に抵抗は無い訳であり、それに面白がって呼ぶ事で彼女達のストレス発散に繋がるのなら別に良かった。

 

違和感事態は拭えないのではあるが。

 

「今日は大変だね、お兄さん」

 

「……その呼び方は外出している時だけだぞ」

 

「分かってるさ」

 

「ならば良い」

 

隣を歩きながら、またもやからかう様に微笑を浮かべる響に辟易しながら釘を刺すように言うと、彼女は頷きながら肯定する。

 

その返事にとりあえずの満足を得て優翔は目の前で楽しそうに談笑する二人を目で追った。

 

――こうしてみると、本当にただの女の子にしか見えねぇな。

 

いつもは鎮守府という軍の基地で見かけている事もあり、艤装を装着せずに街中で楽しそうに談笑している姿はどう見ても普通の少女だった。

 

深海棲艦と戦うために生まれた艦娘と言えども、一人の人間であり女性であると言うのが改めて思い知らされる一面だと優翔は思っていた。

 

「しれ……兄さん、少し良いかい?」

 

「なんだ?」

 

司令官と呼ぼうとして直ぐに言い直した響に視線を移すと、彼女は周りをぐるりと見渡している。

 

辺り一面を見渡し終えた彼女は疑問に満ちた表情で彼の方へと見やる。

 

「今この辺りを見渡してみたけど、どう見ても平和そうな状況で司令官が危惧している様な状況に見えないんだけど」

 

「……表向きは、な……」

 

響の問いに優翔は落胆したような表情で大きくため息をつきながら言った。

 

落胆していると言っても、響に対してではなく彼女もそれを理解しているが落胆する意味と言葉の意味も理解できていなかった。

 

すると、彼は周りを視線だけで見渡し、尚且つ島風と阿武隈がこちらを見て居ない事を確認してからある方向へと指を指す。

 

響がそれを目で追うと、大柄の一人の男が容姿端麗な女性の手を掴み建物の裏へと連れて行こうとしているのを見つけた。

 

その男は筋肉の付き方とむき出しにされた手の甲に浮かぶナノマシンの痕から軍人だと瞬時に分かった。

 

女性は抵抗するどころか、顔には怯えと絶望が混ざった表情を浮かばせ、そのまま引きずられる様に連れて行かれた。

 

周りの人間は見て居るはずであるが、誰も助けようとせず同情するような視線を投げつけていた。

 

「……しれ……兄さん、あれはいったい……」

 

「見ての通りだ。ああやって軍人である事を良い事に民間人の女を犯すってだけだ。しかもあれは陸軍の人間だな」

 

またもや司令官と言いかけて慌てて言い直しながら問う響に対して返ってきた答えは酷く冷淡なものだった。

 

彼から発せられた言葉にはとても信じられない様な内容であり、自然と目を見開いていた。

 

だが、その様な反応は既に予想済みなのか彼の表情は特に崩れる事無く綺麗な無表情だった。

 

「……どうみても、あれは犯罪じゃないのかい?」

 

「逆に聞くが、あの女は拒否した素振りを見せたか?」

 

自分の知る限りの軍法を上官である彼に問うも、逆に問われたその質問に響は言葉を詰まらせる。

 

自分が見た限りでは怯えは混じっていたものの、拒否するような素振りは見えなかったからだ。

 

「どうなんだ?」

 

「……拒否するような素振りは、なかった……」

 

「ならさっきの答えだ。同意の上であり、暴行や強姦ではない為に犯罪ではない。それが答えだ」

 

優翔の問い詰めるような問いに絞り出すように答えると、恐ろしく冷酷な現実を彼は叩きつけた。

 

この時点で響の中では、ありえないと言う言葉が何度も頭の中で繰り返されていた。

 

その様子に同情したのか、優翔は優しく彼女の頭を撫でた。

 

「……この際、今の日本の状況がどれだけ酷いのかを教えてやるよ。その覚悟があるのならだが」

 

「……何で、ああなっているのかその一端を見ただけじゃ分からないからお願いするよ」

 

無理もないが先程と違いテンションが大幅に下がった響だが、やはりその状況というのが気になるのか優翔の目を見据えながらはっきりと言った。

 

それに頷くと、優翔は気休め程度の気分転換の為かタバコを一本取り出して火を付ける。

 

響に教えるよりもまずは自分自身が冷静にならなければ話にならない。

 

その為の喫煙であると共に、手頃な店を探すための時間稼ぎでもあった。

 

理由は今目の前で楽しそうにしている島風と阿武隈を落胆させないために話に入らせない様にするためだった。

 

そして前方を見やるとブディックが見え、前方の二人もそれに興味を示しているかのような様子であった。

 

「二人共、あの店が気になるのか?」

 

「え?あーいや気になるって言えば少し……」

 

「私的にはちょっとお店を見てみたいかなぁって……」

 

優翔が問うと、どうも二人は遠慮がちにではあるが本心を伝えてきた。

 

おそらくは自身に気を使ってだろうと言う事だろうが本音が漏れている為に意味が無く、丁度良かったと言うのもあり優翔は財布を取り出した。

 

「せっかくの外出だ、気になるなら行ってこい。少し金を渡してやるから気に入ったのがあれば買ってくると良い」

 

そういうと優翔は財布の中から紙幣を取り出し、二人に三万円ずつ手渡した。

 

流石に大金をポンッと手渡しされるとは思わず二人は慌てふためいた。

 

「お、お兄さん、流石に悪いよ」

 

「わ、私達も給料もらってますから大丈夫ですよ」

 

「ガキが遠慮してんじゃねぇ。別に大して使わない金だから手持ちの増加って思っておけ」

 

呆れた様に言う優翔に、二人は顔を見合わせると観念したようにそのまま受け取った。

 

「あ、ありがとう」

 

「すみません、行ってきますね。お兄さんと響ちゃんはどうしますか?」

 

「店の前で待っている」

 

「私も兄さんと待ってるよ」

 

「分かった、行こっか阿武隈」

 

「うん、いってきます」

 

少しばかりだが更に上機嫌となった二人はそのまま目の前のブディックへと歩いて行き、それを優翔と響はプラプラと手を振って見送った。

 

――さてと……。

 

二人が店に入ったことを確認すると、優翔は響の方へと視線を移し彼女の瞳を見据えた。

 

「それじゃ色々と教えてやるが、覚悟はいいか?」

 

「うん、お願いするよ」

 

響の返事に頷いた優翔は店の壁に背を預けながら語り始める。



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10話:実態2

「さて、まずは何故街治安がのこんな状況になっているかという所だが。響、お前は艦娘として生まれて何年目だ?」

 

「えっと……艦娘として生まれたのは二〇五七年だから、三年目だね」

 

「そうか、なら知らなくて当然か」

 

突然の優翔の問いに響は自身の艦娘として生を受けた日を遡って答えを告げる。

 

それに彼は納得したように頷いて咥えているタバコを携帯灰皿へと押し込んだ。

 

「実はな、この十年前はまだ街の治安はとても良くてな。今のこの現状はまずありえない事だったんだよ」

 

「ありえない事だった?」

 

「あぁ、不穏になったのは六年くらい前だ。世界各国が軍事増強を進める中で出遅れてた日本は現状を変えるために今まで続いていた憲法9条を白紙へと変え、かつて自衛隊だった組織を基部に日本軍へと改名された」

 

「憲法9条というと、大雑把にいえば『戦争行為を行わない』というやつだっけ?」

 

響の問いに黙って頷きながら新しいタバコを一本取り出して火を付ける。

 

そこから本題に入るために優翔は一口吸いながら考えを巡らせる。

 

響としては彼が話しかけない限りは何とも言えない為、彼の言葉を黙って待っている事にしていた。

 

「此処からがこの治安の悪さの原因とも言えるんだが。六年前は各国がにらみ合いとなり、第三次世界大戦勃発間近となった時に【深海棲艦】が出没し、それどころじゃなくなった。その時ある軍属で政治的立場に立っている人物がある事を掲げた。『増税をかけ、軍事費の増加をするべし』と」

 

「……経済とかには詳しくないけど、それって国民の生活に使うべき税金を軍事増強の為に使うって事かい?」

 

「その認識で間違いない。当然、この案は国民からも反発がかなりあったが決行された。何故だと思う?」

 

再び問われ、響は言葉を詰まらせる。

 

だが、優翔が並べたキーワードを纏めれば必然と答えは出てくる。

 

そもそも原因となっているものが自身の生まれた意味なのであるから。

 

「……深海棲艦の登場が、原因だね」

 

「当たりだ。未知なる兵器群の登場が世界各国が震撼し、それは日本も同じだった。それ故に国を防衛し、存続させる為にまずは軍事費を増強したのさ。悪い言い方だが国民の生活を犠牲にしてな」

 

叩きつけられた真相に響は表情を険しくさせて押し黙るしかなかった。

 

調べれば分かる事ではあるが、この案を出した人物が自身の父であると知れば彼女はどう思うのか、優翔はそれが気がかりであった。

 

「今まで良くて2割程度で使われていた軍事費としての税金が倍に上がったんだ。それを埋め合わせするために増税だ。国民は貧困に合い、餓死する者も少なくなかった。軍属の者を除けばな……」

 

「軍人や私達の給料は税金から来ているからね……」

 

「あぁ、結果的に日本は軍人が金を持ち、軍と関係ない政治家は政策の殆どを軍に丸投げし、更に軍が立場的に上に立つ事になり軍事独裁へと変わり果てた。そして民間人には銃器、刃物の所持は禁じられて軍人は許可されている訳だ、一般的な解釈はテロ対策だがな」

 

そういう優翔は響だけに見える様にレザーコートの内側に帯銃されている【ベレッタM93R】を見せる。

 

最悪過ぎる、響の出てきた感想はその一言だった。

 

外の状況がかなり酷いと言うのは噂程度に聞いては居たが、これほどまでに荒廃しているというのは予想の斜め上を行き過ぎていた。

 

そこまで考えて響は一つの疑問にぶつかった。

 

「待って、警察はどうなっている訳?」

 

「使えるもんじゃないさ。軍事国家となった日本では警察という役割は所謂憲兵がそれにあたるが、奴らも美味い汁を吸っている立場だ。まともに取り締まりなんかしない」

 

「……もしかして、さっきの軍人みたいに自分たちも乗ってるとか?」

 

「変な所だけ察しが良いな……答えはYESだ」

 

先程の軍人が女性を連れて行った路地裏の入り口を睨みつけながら響は問うが、優翔からは呆れと共に肯定を示す。

 

――最悪ってどころじゃなかったね……。

 

顔を顰めながら響は優翔の言う察しが良い部分にため息をつきたくなった。

 

「今では地位が低くなっている陸軍だが、それでも影響力はある。それがこの結果という事か、ふざけているにも程があると思わないか?そんなに溜まってんなら風俗に行けって話なんだ。丁度この近くにあるんだからよ」

 

とある方向に指を指しながら言う優翔の言葉を聞きながら、響がその方向を見やると確かにそこには風俗店が建っている。

 

だが、それをあえて利用しないと言うのは理由があるというのが分かり切っており、その理由すらもくだらない物だというのもだ。

 

「……推測にすぎないけど、くだらない理由があるんだろう?」

 

「ご明察だ。私が陸軍の特殊部隊に入ってた時の同僚が言ってたが、犯され慣れてる女よりもその辺の慣れてない女の方がよっぽど良いって言ってたな。他も大体同じだろ」

 

「……最低」

 

彼が特殊部隊に所属していたという事は少しばかり驚いたものの、少し前に彼の過去を覗いた時の優秀さを見れば当然だと思いさほど気にしなかった。

 

それよりも、そのくだらない理由とやらの方が衝撃が強い。

 

それに対する感想が思わず口から洩れたが、隣の彼も同じ思いの様で黙って頷いている。

 

たぶんありえないと信じていたいが、彼女の中で優翔はどうなのだろうと言う思いも湧いてくる。

 

良い感情とは言えないが、そこまで詳しいというのも逆に疑問を呼ぶばかりである。

 

「本当に失礼な事を聞くけど……兄さんは、そういう事はしてないよね?」

 

「はぁ?ふざけるな。あんなカス共と同じにされるのは心外だ。私は断じてしていない、誘われても逃げたし、そもそも女を抱くのは士官学校時代に同僚の女と散々やったからな」

 

響の問いに珍しい程に優翔は感情を剥き出しに、怒りの形相で吐き捨てる。

 

それを聞いた事で安堵の表情を響は浮かべた。

 

彼女の表情を見て、優翔はバツが悪そうな表情を浮かべ新しくタバコを一本取り出して吸い始める。

 

「それが聞けて安心したかな……?」

 

「たくっ……悪い、感情を剥き出しにしちまった……」

 

「うぅん、こっちこそごめんね?」

 

互いに謝罪をしながら、妙な雰囲気になってしまった事に少しばかり沈黙が支配した。

 

何口目か煙を吐き出した優翔は落ち着きを取り戻したのか、先ほどより平常な表情で響の方へと見やる。

 

「話がズレたが、纏めると今じゃ民族浄化もどきを自国の民間人に行っているという始末なのさ」

 

「民族浄化?」

 

響が聞き返した事で優翔は失敗したと感じた。

 

なまじ知的に見えるその雰囲気から彼女の持つ知識を過信し過ぎた。

 

とはいえ、聞かれてしまったからには答えない訳にはいかず、自身の迂闊さにため息をついた。

 

「……占領したその地の民族の血を薄くするって名目で女を犯すだけということだ。とがった血を薄くして高貴なる我が国の人間の血を持った人間を増やすって理由を付けて犯して子供を産ませるんだよ」

 

「…………」

 

彼の説明に再び響は絶句する事になった。

 

その反応もやむなし、と思いながらも更に言葉を続ける。

 

「兵のストレス発散には丁度良いとか、ふざけた事を言うやつも居たな……言っておくが、日本も含め世界各国でも行われた事だ」

 

「後半は余計な事かな……でも、前半のは……」

 

「そう、要するにこの国の女共は兵のストレスと性欲の発散の捌け口にされてるという事だ。ところで今までの事を聞いて何か分かった事は無いか?」

 

いきなり問われても困る事であったが、周りを見渡すと少しだけ違和感が感じるところが存在する。

 

誤差なのか、そうで無いのかを確かめるために更に注意深く見てみるが、やはり誤差には思えない光景が見えるのだ。

 

「……女の人の方が、多少なりとも裕福そうだね……」

 

「あぁ……利用代金って事で金を貰ってんだろうな。女の方も必死さ、腰を振らなければ殺されるかもしれない。しかも何故か自分で誘う方が受けがいい。それで望む、望んでないでも軍人の連中に金を受け取ってるのさ。街の奴らからは最悪売女と蔑まれてな」

 

そこまで聞いて響は自身の胸の中にどす黒い物が蠢いている様な不快感を覚えた。

 

初めての感覚であり、戸惑いが強いがそれと別に頭が働いて直ぐに理解する。

 

――これは、絶望や憎悪……ってやつなのかな?

 

自身の知る言葉の中で思い当たるのはそれらであった。

 

なまじ自身も女の身であり軍人という括りからなのか、あまりにも身勝手な軍人のそれも男共の行動に黒い感情が芽生え始めていた。

 

行き当たりの無い怒りに似た感情、艦娘として生まれて年月が少ない身には余るものだった。

 

「分かるぜ、その感情は。だが、どうしようもねぇんだ」

 

「……根本から腐っているからかい?」

 

「だろうな。元を正すにも腐ってるのが多すぎる。それを全て排除した所で滲みついた染は中々取れない、それに戦時中の今では到底無理だ」

 

「……関係ないけど、兄さんは……何で軍に入ろうと思ったんだい?」

 

「……父が軍に入っているからというのもあるが、混沌としていく世の中で日本という国を、国民を守る為にだ」

 

彼の目が濁っている理由が少しだけ分かった気がした。

 

短い時間で接してきた優翔という人間は、誠実な人で善を良しとして悪を憎むタイプだと響は思っている。

 

そんな彼が、守るべき国民を蔑にして軍人の務めを放棄する周りの状況など耐えられなかったのだろう。

 

ただ、彼女にとって救いだったのは、彼の軍に入った動機が全うな物であった。

 

それが聞けただけで、心に芽生えた黒い感情がいくらか和らいだようにも感じた。

 

だが、優翔は自身の軍に入った理由に表情を和らげる彼女の顔を見て何とも言えぬ表情を浮かべる。

 

しかし直ぐに表情を変え、真剣な目で響へと視線を移す。

 

「……今の日本の状況がこのまま続けば破滅は必須だ。この国の、民の未来の為にもまずは戦争をいち早く終わらせる必要があり、私もそれに全力を尽くす。悪いがお前達には頼りにさせてもらうぞ?」

 

Да(ダー)、私も司令官の事を頼りにさせて貰うよ。一緒に頑張ろう」

 

お互いの意志を示した所で、ブディックの扉が開かれた。

 

そちらに目を向けると、島風と阿武隈が大きめのビニール袋を手に出てきた。

 

表情を見ると、二人ともどこか満足気でありそれなりに良い買い物ができたのだろうと思わせる。

 

「満足いく買い物はできたか?」

 

「あ、お兄さん。バッチリ!」

 

「少し多く買っちゃいましたけど、お兄さんのおかげで余裕ができました」

 

「……そうか」

 

短く呟く優翔が僅かに見せた優しい微笑を浮かべたのを三人は見逃さなかった。

 

笑みを浮かべたとしても今の様な優しい表情を浮かべなかった彼しか知らない三人は珍しい物を見たかのように目を丸くさせていた。

 

だが、それは短いもので優翔は咥えているタバコを携帯灰皿へと突っ込む動きを見せた時には既にいつも見慣れている無表情だった。

 

その間に三人は固まり、優翔から背を向ける形でひそひそと語り合う。

 

「てーとくもあんな風に笑うんだね」

 

「笑う所は何回か見ているけど、あぁいうのは初めてかな」

 

「実は本当は物凄く優しかったりですかね?」

 

「……お前ら、なにをこそこそと話しているんだ」

 

呆れた表情で問う優翔に、三人は身体を強張らせながら首と両手を横に振る。

 

何とも怪しい仕草に眉間に皺を寄せるが、問いただした所で無駄だと感じたのか特に突っ込む様子は見せなかった。

 

その事で三人は聞こえぬ様に安堵のため息を漏らした。

 

 

 

 

それからというもの、優翔は三人に引きずられる様に街中をぶらぶらと歩くことになっていた。

 

元々三人の休暇に付き合うために外出をしているのでそれ自体は良い。

 

一つ問題があれば。島風と阿武隈の二人が中々にパワフルである事だ。

 

先程も二人が同時に別の店に興味を持ち、自身の腕を引っ張る事になっていたが、左右に引っ張るのだ。

 

しかも艦娘の力で引っ張られ、両肩の関節が悲鳴を上げていた。

 

響が即座に二人の脳天に制裁のチョップを叩き落としたことで落ち着き、両腕が胴体と泣き別れになる事だけは防がれた。

 

「全く……少しは加減しろよ……」

 

とある喫茶店のテラス席に洋服、アクセサリー、お菓子、ぬいぐるみ、etc.と大量に詰み込まれた複数の袋を自身の座る席の脇にドカリと置く。

 

此処で言っている加減というのは買う量ではなく、行動範囲の事を言っている訳であるが、それを理解してるのか微妙な面もちで島風と阿武隈の二人は明後日の方向へ視線を向け頬を掻いていた。

 

その様子に優翔と響はため息をつき、彼は一服するために灰皿を手元に手繰り寄せながらメニューを一瞥する。

 

「とりあえず飯にするぞ。適当に好きな物を選べ」

 

疲労を隠そうとしない顔で天を仰ぎ見るように首を上げる彼は、煙を吐き出しながら三人に促す。

 

メニューを少し見ただけではあるが、注文する内容は決まったのでこれで良い。

 

そんな様子に苦笑を浮かべる三人は一つのメニューを互いに見せ合って和気藹々と料理を選んでいる。

 

それを横目に見ながら優翔は空を見上げたまま、思考に老ける。

 

――思えば、こうやってゆっくりと買い物をしたのは初めてか……。

 

女性の買い物に付き合ったというのも含めてでの事ではあるが、穏やかに行うのは初めてであった。

 

無論、軍人となってから補給を目当てに買い物はしたことはあるものの、それは事務的に行っており買い終わったら直ぐに拠点に戻る程度だ。

 

こうやって目的を持たず何気なく街をぶらついて買い物をする事は昔は全くなかった。

 

――悪くない、いやむしろ……とても良い、か。

 

そんな感想が出る事に少しだけ驚くが、優翔自身は平和である事を望んでいる事を思い返せば別に何の間違いでもなかった。

 

むしろ、今までそれを忘れる程に精神が摩耗しているのかと、自嘲の笑みが浮かんでくる。

 

「――さん……兄さん」

 

自身を呼ぶ声が聞こえ、我に返った優翔は空を仰ぎ見るのを止めゆっくりと首を下ろす。

 

その拍子で咥えていたタバコから灰がボトリと落ちたが、運良く灰皿の中に落ちてコートを汚す事は無かった。

 

三人の方を見るとこちらを心配しているような表情だった。

 

「大丈夫かい?疲れた?」

 

「……いや、少し考え事をしていた。決まったか?」

 

響の問いに否定しながらタバコの火を灰皿でもみ消して問うと、三人とも頷いて答えた。

 

この様子では自身を複数回呼んでいたのだろうと悟り、それに申し訳ないと思いながらも手を上げて店員を呼ぶ。

 

タイミングが良いのか、通りかかった店員の目に留まり直ぐにこちらに近づいて、端末を持ち始めた。

 

「ランチセットのAとホットレモンティーをお願いします。お前らは?」

 

「えーっと……私は――」

 

自身の注文を言い終えると、島風を筆頭に三人とも注文を言い始める。

 

――しかし、今更だが嫌な視線だな……。

 

気にも留めるつもりは無かったが、いちいち店員の視線が気になって仕方なかった。

 

いや、店員だけではなく周りの客もチラチラと自身に視線を投げかけているのが分かる。

 

視線を感じるのは席に着いてからであったが、今は店員が直ぐ近くに居るから過敏に感じているのだろう。

 

原因は分かっている、自身の眉間から右頬に掛けて走る傷跡が原因だ。

 

服装は一般人のそれと同じだが、手の甲を隠すようにしている事と顔の傷に若い少女を三人連れているのなら嫌でも目立つものだった。

 

――整形手術で顔の傷を消しておくべきだろうか。

 

面倒で放置していた傷跡が今になって支障をきたすのは正直予想外だったため、本気で傷を消すべきか思考しながら自身の顔に走るそれを撫でた。

 

「兄さん、聞こえている?」

 

「ン、なんだ?」

 

「注文言い終えたから、少し経ったら来るよ?」

 

「あぁ、分かった」

 

「お兄さん、本当に大丈夫ですか?さっきからずっとボーっとしてますけど」

 

「……いや、視線が気になるからな。これを消した方が良いか考えてた」

 

阿武隈の問いに苦笑をしながら顔の傷を指さして答えると、三人は視線を周りに向けた。

 

すると、面白いように今まで感じていた視線が散っていく。

 

それに対して三人はため息を同時に吐き出した。

 

「……言われて気が付いたけど、みーんな私達見てたんだね……」

 

「まぁ、大の男が若い女を三人連れてこの傷だ。目立っても仕方ない」

 

「店員さんもチラチラと兄さんを見ていたしね」

 

今更かよ、と思いながらも島風の言葉に苦笑を交えながら言うと、響も乗りながらため息をつく。

 

勘が良い者であれば既に自身達の素性を察してもおかしくないし、最悪は以前に阿武隈が優翔に言ったヤクザと思われているかもしれない。

 

少なくとも無駄な不安を煽る事を避けるために、食事を済ませたらさっさと退散すべきだと優翔は思っていた。

 

「ところで兄さん、聞いてもいいかな?」

 

「……どうした?」

 

「さっき兄さんと話してて思ったけど、上の人は信用していない感じなのかな?」

 

随分と深く踏み込んでくるものだと、優翔は感じながら顎に手を当てて思考する素振りを見せる。

 

響の質問に他の二人も興味を示したのかこちらに視線を投げかけており、念のため周りを見るとこちらを見ている者は殆ど居らず、これなら少しくらいなら平気かと優翔の中で決断した。

 

「……上の、というよりは中央の連中は信用していない、と言ったところだな」

 

「中央、という事は鎮守府の人達は?」

 

「私自体が日が浅いから、何とも言えんが……少なくとも景山閣下については信用たり得る人物だとは思っている」

 

周りに聞かれない様に小声で話す優翔に合わせてか、響も小声で更に質問を投げかかる。

 

それに対しては即答に近い形で返答し、三人は少しだけ首を傾げる。

 

「先日、私が閣下と共に中央本部へ赴いて会議に参加した結論だが、陸も海も大して変わらないと言うのが抱いた感想だ」

 

「その変わらないと言うのは?」

 

「後方でのうのうと居座ってる阿呆共は現場の、最前線の状況を理解してないってことだ」

 

あまりにもストレートな物言いに三人は顔を顰めるが、響と島風の二人には何となく納得するくらいに思い当たる事があった。

 

新しく建造された阿武隈以外の二人は優翔の下に配属される前に他艦隊に所属していた経験がある。

 

その時の上官である提督達も中央や軍令部の呑気さにいつも苦言を零している事が多かった。

 

遅すぎる本部からの補給など序の口であり、本当に戦況を見越しての事であるのかを疑いたくなるような無茶苦茶な任務など数えるだけで腹がいっぱいになる。

 

「中央での会議の内容は秘守義務がある為詳しく言えんが、まぁあるはずの金を出し渋り自分たちの私腹を肥やそうという魂胆が丸見えだったよ。貴重な時間を削ってやってきた他の鎮守府や泊地の司令長官達には同情をせざる負えない」

 

「相当酷い物だったんですね……」

 

「一度行ってみるか?呆れて物が言えなくなるぞ。陸に居た時も感じたが、場所が変わろうが後方は無能が多いと言うのを叩きつけられる。なんせ実際に前線に行かず、訓練や机上エリート共の集まりだからな」

 

「使えないね」

 

げんなりとした表情で呟く阿武隈の言葉に冗談交じりの誘いに彼女は「いやいやいや」と手を振って否定する。

 

その滑稽にも見える姿に苦笑を浮かべ、続けざまに言う優翔の言葉に呆れを隠そうとしない響の言葉に軽く笑いが起きた。

 

自身も苦笑を浮かべている中、自分達に近づいてくる気配を感じ取り立てた人差し指を唇に持っていき会話を中断させる。

 

「失礼します、ご注文の品をお持ちしました」

 

営業スマイルを顔面に張り付けた女性店員が両手にもったトレイいっぱいに注文した料理を持ってきた。

 

軽く会釈しながら、料理の受け渡しを手伝いながら各自の前に並べる。

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

伝票を最後にテーブルの横に引っかけ、一礼してからそそくさとその場から立ち去る。

 

先程よりは殆ど無いが、それでも優翔の顔を見ていた為に三人は苦笑を漏らすしかなかった。

 

――やはり消すか。

 

流石にため息しか出ず、余裕があれば顔の傷を消すことを決心した。

 

「まぁ、料理が来たんだ。食べるとするか」

 

無理矢理締め括り、昼食を取ろうと自身の前に置かれたホットドックを手に取ろうとした瞬間に周りが騒がしくなり左手が空を切った。

 

――いったいなんだ……。

 

周りを見れば、自身から見て左の方向に皆が目を向けており、そちらに視線を動かす。

 

まず目に映ったのはナノマシンの施術跡がはっきりと見える手の甲を剥き出しにした筋肉ダルマとその男より背が少し高いやや細見の男が二人。

 

その男二人に遮られ良く見えないが、僅かに見える細い足や踵まで届きそうな先端に向かう程銀色の輝きを放つ青い長髪が見えた。

 

――本当に節度って物がねぇな、あいつら……。

 

筋肉の付き方や腰に付けている銃器やナイフを見て元同僚だという事だと理解し、無用な面倒を起こしたくない為に見て見ぬふりをしようとしたが、同席している三人は険しい表情を見せ今にも飛び出しそうだった。

 

「ごめん、兄さん。流石にあれは見過ごせない……」

 

「……先も言ったが、あれは陸軍の連中だ。こちらに向かってないなら余計な面倒は起こすな」

 

響らしくない冷静さを欠いた発言に眉を潜めながら釘を刺すように言うが、それに覆いかぶさるように島風が口を開いた。

 

「違う、あの子、私達と同じ艦娘なんだよ!」

 

「……なに?」

 

島風の言葉で三人がこれだけ険しい表情を浮かべているのが理解はできた。

 

しかし、と優翔は思考を巡らせる。

 

止める事自体は容易であるが、それでは軍人である事を隠している意味もないし、周りの人間にも余計な不安を煽る可能性もある。

 

「……兄さん、止める事はできる?」

 

「それは余裕だが、良いのか?下手したら騒ぎを起こしたという事で飯を食わずに出ていくことになるぞ」

 

「そんなの関係ないですよ!お兄さんが無理なら私達が行きます」

 

――それだけは止めてくれ。

 

艦娘が人間を襲うという事が一番避けたくて自身が付いてきたと言うのにそれでは意味がない。

 

心の中でため息交じりにそう思いながら、優翔は腰を上げた。

 

「たくっ……荷物を纏めておけ。最悪、店を出る事になるからな」

 

パキパキと指を鳴らしながら言う優翔に、三人は表情を明るくさせて頷く。

 

――まぁ良い、丁度こういうのはうんざりしていたんだ。

 

それに小さくため息をついた優翔は、こちらに背を向けている男二人に静かに忍び寄った。

 

 

 

 

 

「あの……ごめんなさい、本当に困ります……」

 

目の前を立ち塞がる男二人を前にして少女は困惑していた。

 

そんな少女の様子に構う事無く男二人は下卑(げび)た笑みを浮かべ、値踏みをするような視線を投げつけている。

 

「おいおい嬢ちゃん。そんな迷惑そうにしなくてもいいじゃねぇか、なぁ?」

 

「そうそう。ちょっと俺達と遊んでくれりゃ良いだけだからさぁ」

 

「いえ……急いでますから……」

 

少女の言葉を聞くや、男達の顔は更に歪み、追い詰める様に一歩前に踏み出して手の甲を見せつける様に少女の顔の前へと手を差し向ける。

 

「これが何か分かるかなぁ?俺ら軍人なのよ」

 

「そうそう、痛い思いしたくなかったら――ごはっ!?」

 

長身の男の言葉は首に突き刺さった蹴りによって最後まで続かず、長身の男はいきなり襲った蹴りの衝撃によって3m程吹っ飛ばされる。

 

片や目の前に居た男が、片や隣に居た同僚がいきなり吹き飛んだことで少女と筋骨ダルマは目を白黒とさせて唖然としていた。

 

「……少しは周りの目とかを気にしたらどうなんだ?そんなに盛ってんなら風俗にでも行け、軍人の面汚しが」

 

怒気の込めた低い声が筋肉ダルマの後ろから聞こえる、その声の主は黒髪の長髪の青年、優翔であり、長身を蹴ったのは間違いなく彼であった。

 

彼は蹴りに使った右足をブラブラと振って、握り切った瞳に殺気を宿らせてダルマを睨みつけている。

 

「てめぇ、なにしやがる!」

 

我に返ったダルマは怒りを露わにし優翔に向け右ストレートを放つが、その拳を片手で軽く払う様に逸らしながら手首を掴んだ彼は半回転するように身を移動させ、左肘をダルマの右肩へと叩き落とした。

 

ゴクンッ、と鈍い音が周囲に鳴り響き、数瞬後にダルマの顔が苦痛に満ちた表情を浮かび上がった。

 

「ぐぎゃあああぁぁぁっ!?」

 

「うるせぇ」

 

ダルマの悲鳴に吐き捨てるように言いながら、優翔はコメカミに向けて蹴りを放つとつま先の部位が綺麗に入り込み長身の男の方へと吹っ飛んだ。

 

ダルマは運が悪く頭から落ちる形となり、グシャッと潰れるような音を出し倒れ伏すなり静かになった。

 

「受け身もまともにできねぇのか」

 

「て、てめぇ……」

 

立ち直った長身の男は殺意に満ちた目を光らせ、懐に右手を差し入れる。

 

動作で拳銃を抜くと理解した彼は直ぐにその場から駆け出し、長身が拳銃を抜くのと同時にマガジンの底を蹴り上げ無理やり銃を手放させ、そのまま足を振り下ろすように長身を蹴りつけた。

 

長身が更に吹っ飛ぶのを見送り、上空に舞った拳銃を目で追い、落ちてくる場所へと手を差し伸べて拳銃をキャッチすると、マガジンを取り外してからスライドを引いて、薬室から弾丸を取り出した後に上空に向けて空砲を撃った。

 

後始末が終わった銃を投げ捨て、彼は怒りを宿した目で男を睨みつける。

 

「周りに人が大勢居んのに銃を抜くんじゃねぇよ……どこの士官学校出だ貴様」

 

「だ、誰だお前……俺等はこの街の第9部隊の者だぞ!?」

 

「第9部隊……?下っ端も良い所じゃねぇか」

 

長身の男の声に、特に第9部隊という単語に優翔は呆れと下らなさに失笑を禁じ得なかった。

 

ゴミを見る様に濁り切った瞳を長身の男に向けて彼は口を開いた。

 

「誰だと言ったな?私は日本海軍横須賀鎮守府所属の龍波優翔大佐だ」

 

「は……?龍波って……まさか……【邪龍】……?」

 

「そんな二つ名で呼ばれてるらしいな。それで、これからお前ら屑共を八つ裂きにするつもりだが?」

 

彼の名前を聞いた瞬間に長身の男は明らかに怯えを表し、彼から離れようとするかのように後ずさる。

 

優翔自身はこの際徹底的にやろうかどうかと思考を巡らせていた。

 

「あ、あの……大佐殿、ご無礼を働いた事はお詫び致します。お見逃しいただけませんか?」

 

「仮にも大佐に銃を向けて、見逃して貰おうと思ってんのか?軍という組織を舐めてんじゃねぇのか?」

 

自身の二つ名と階級を知ったとたんの長身の男の言葉に優翔は先程よりも怒気を込めた低い声を男に投げかけた。

 

男の言葉は彼の神経を逆撫でするだけであり、彼の中で見逃すという選択肢は完全に消え去った。

 

「あ、あの」

 

「ん……?」

 

とりあえず黙らせよう、と指を再度鳴らしながら一歩前へ進んだ瞬間に後ろから少女が自身を呼び止める。

 

何だと思いながらも少女の方へ向くと、彼女は困惑の表情を浮かべながらも優翔の目を真っ直ぐ見つめていた。

 

「私は無事ですから……この人達を許してもらえませんか?」

 

「…………」

 

少女の唐突な申し出に優翔は一瞬唖然とし、しばらく間を置くように思考を巡らせる。

 

少女の優しさというか甘さにため息が出る思いだが、これ以上周りの不安を煽るのはよろしくないとも思っていた。

 

「おい、さっさとそこのダルマを拾って消えろ」

 

「は、はい……失礼します……」

 

吐き捨てるように言うと、長身の男は深く頭を下げた後に転がっている筋肉ダルマを引きずる様に抱え、その場から逃げるように離れていく。

 

――屑共が……。

 

離れていく軍人二人に心の中で悪態をつきながら優翔は響達が待っている席へと向かって歩き出した。

 

「あ、あの……ありがとうございました!」

 

「お礼なら彼女達に言ってくれ」

 

自身に対してお礼を言う少女に、優翔は少しだけ困ったような表情を浮かべながら、座って待っている響達を指を指しながら言う。

 

少女は指を指す方向に視線を向けると、納得したような表情を浮かべて笑みを浮かべた。

 

「大丈夫?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

自身達の席まで付いてきた少女に響が声をかけると、少女は笑みを浮かべ深く頭を下げながらお礼を言う。

 

その様子に三人は安堵に満ちた表情を浮かべるのを見ながら、優翔はテーブルに置かれた5人分のパフェを見やる。

 

「……こんなの注文したか?」

 

「うぅん、お店の人がお兄さんがあのゴロツキを追い払ったからそのお礼だって」

 

「ふぅん?」

 

店を出ていく必要が無くなった事を察しながら、優翔は自身に向けられる周りの視線の雰囲気が変わった事を感じた。

 

最初に感じていたものと違い、どうも暖かいような視線だ。

 

――よく分からん……。

 

そう思いながらも、優翔は空いている席から椅子を一つ自身の方へ引き寄せると少女に座るように促す。

 

「良いんですか?」

 

パフェ(これ)が1つ多くあるっていう事はそういう事だろ」

 

優翔の言葉の意味を理解した少女は少し申し訳なさそうにしながらも椅子へと座り、差し出されたパフェをほおばり始めた。

 

それを横目にしながら、優翔は今度こそホットドックを手にして頬張り始める。

 

ようやく腹ごしらえが始まったのだが、ゆっくりとしていられなかった。

 

どういう形であれ、かなり目立ってしまいさっきから感じる視線も別に不快な訳ではないが落ち着かないのだ。

 

ため息をつきたくなるのを堪えながら、和気藹々と会話している四人に優翔は口を開く。

 

「……悪いが、食べ終わったらさっさと店を出るぞ。こうも見られていると落ち着けん」

 

「そうだね、流石に此処まで見られると恥ずかしい」

 

同意を示したのは響で、彼女も注目の的となっているのは落ち着かない様であった。

 

「でも食事くらいはゆっくりしましょう?」

 

「そうそう、私もまだお喋りしたいし」

 

「分かった分かった、落ち着いたら行くぞ」

 

阿武隈と島風の言葉に返事を返しながら優翔はまた一口ホットドックを齧った。

 

暫く続く艦娘同士の聞いていると、どうやら助けた少女は横須賀鎮守府へと向かう途中だったようで、此処に通りかかった際に先ほどの男二人に絡まれたそうだ。

 

それならと、先ほどの事もあり少女に時間が平気なのかと島風が聞くと、鎮守府に着いた後は自由時間と伝えられていると聞き、自分達と一緒に行くことを提案していた。

 

流石に少女もせっかくの休暇に割り込むのは申し訳なく感じており、控えめな態度であったが、優翔にとって一人増えようが関係なく、安全面を考えるとその方が良いと伝える。

 

そうして少女も付いてくることになり、残りの時間を少女を交えながら街を歩き回り、鎮守府へと帰る事になった。



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