救世ノラヴドール~俺とセクサロイドの気ままな旅~ (こもれび)
しおりを挟む

プロローグ
異世界の御供は機械仕掛けのラヴドール♥


 道行く人々……と、言っていいのかはあれですけど、みなさんこぞって赤い顔してワッチのことを見ていきますねい。

 ま、ワッチもワッチで逆にそんなみなさんをガン見しているわけなんですが。なにしろ、皆さん、凄い恰好をしてらっしゃる。

 カシャカシャ音を立てて歩いている全身鎧の男の人の頭には、可愛らしい猫耳がぴょこぴょこ動いてますし、ツンとすました顔の美人なネエさんの耳は、ピンとまっすぐに細く尖ってらっしゃいますしね、中には、子供ですか?って感じの小さなおひげのおじ様もいらっしゃいますしねー。

 うーん、どう考えても、ライブラリにあった『異世界(ファンタジー)』ってことなんでしょうね。

 

 ちなみにワッチの格好はいたって普通……の女の子の格好です。

 セーターにスカートにパンプスって、ホント、ご主人の趣味が昭和過ぎて涙がでます。

 まあ、とはいえ、せっかく買ってもらった服ですし、ワッチも大事にしてはいるんすけどね。それに、このいまの『顔』にはかなり似合ってると思いますしね。

 大きな瞳に切れ長の眉、小顔の上、長い黒髪でちょっとおしとやかな和風美人って感じですし。

 ま、こんな姿だから、このファンタジーな人たちには珍しいってことなんでしょうが。

 

 おっと、つらつら話しちまいやしたが、ワッチはこのお話の主人公じゃございません。

 あくまで脇役、手下、子分、家来。

 主人公はワッチのご主人ですよ。

 

 ちなみにそのご主人、今何をやってるかというと、目の前に建っている『冒険者ギルド』とかってところでその登録に勤しんでいるところなんです。

 え?なんでお前も一緒に行かないのかって?

 いや、それがですね、聞いてくださいよ。

 この世界に来てからどこに行くにもご主人と一緒に居たんですけどね、行く先々でもうワッチが男にモテてモテて仕方ない。そりゃそうっすよね。こんなに可愛いんっすもん。で、それだけなら良かったんすけど、ご主人てば、この世界でも女の人と仲良くなりたいって、結構いろんな清純そうな、純朴そうな女の子に話しかけるんすけど、ワッチがそばにいると、その娘たちみんな逃げちゃうんすよねー。

 聞いたら、ワッチみたいな可愛い彼女がいるのに浮気しようとするなんてサイテーとか、女の子も言ってやしたし、そりゃま、そうなるっすよねーって。

 ま、だから、ワッチはここでこうやってポツネンと待ってるわけなんですよ。

 

 おっと、申し遅れましたが、ワッチの名前は【SH-026なんでも家電くんⓇ】、通称『二ム』と申します。型番が【026】だから『二ム』とか安直すぎますけどね、せっかくご主人に頂いた名前ですしありがたく思っております。まあ、今はこんな16、7歳の美少女って感じですけど、もともとは家政婦(メイド)ロボットでして、バケツをひっくり返したような胴体にマニュピレータが4つと車輪が6個ついてました。それで、掃除洗濯炊事は何でもござれだったのですけどね、ご主人、超貧乏だったもんで、このご時世に風呂トイレなしの4畳半に一人暮らしとか、もう、ワッチの存在意味ないすよねって感じで一緒に住んでたってわけっす。

 あ、当然ッスけど、ワッチはもともと喋ったりはしてなかったっすよ。家電ですし。

 どうも、あんまりにも人付き合いが出来なくて、ご主人が話し相手欲しさに、ワッチを改造したらしいんすよね。ですから、ワッチの記憶はその時から。自我もその時すぐに芽生えたって感じっす。

 

 実はご主人、こんなコミュ障ヲタクっすけど、めちゃくちゃ『天才』なんです。

 

 なにせワッチ……、実は世界で初めて自我を確立した人工知能なんですよ、はっはっはー。

 いや、でも、そのこと知っている人はいないんすけどね。なにしろ、ご主人自体が理解してないし。

 人類が人の全組成を完全に人工で作れるようになってもう200年。でも、その長い期間があっても一度として自我の芽生えた存在はなかったんすよ。人造人間でも、ロボットでも。

 それなのに、家電であるワッチをどう改造したのか、お話相手が欲しい執念だったんすかね? ワッチは誕生したわけっす。

 ただ、自我はあるものの、家があんななんで、家電としてやることがない。

 で、仕方なしにご主人の相手をひたすらしてたんすけど、ご主人19年の人生で一度も彼女がいたことがないそうで、どうしても彼女が欲しいと毎晩駄々をこねるもんで、ワッチのスーパー演算能力を駆使して、『一発で女を落とせる必勝法マニュアル』を造りまして、それを日々ご主人にレクチャー。

 とうとうその甲斐もあって、ようやく彼女ができたんすよー。いやぁ、良かった、良かった。

 

 ……と、思っていたら、デートに行ったはずのご主人が泣きながらワッチに抱き着いてくるんすよ。

 もう……どうした? ご主人。って、猫型ロボットみたいに聞いてみたら、どうやら、相手の女の子が相当なビッチだったみたいで、デートの前に他のセフレと一発やらかしてきてたらしいんすよ。それでも、ご主人のこと好きだって言ってたみたいですし、それならそれで、ご主人も一発しけこんでくれば良かったのに、俺はそんなの嫌だー、純愛しか認めないー、ざっけんなNTR、わーんとか泣きわめきましてね。

 めんどくさ……、とは思いましたが、その日はそのまま、充電しながら寝たんすよ。

 

 で、朝起きてみたら……

 

 目の前に鼻を膨らませてはあはあ言ってるご主人の顔。近いっすよ。

 と、はて? なにかいつもと違うな……と思っていたら、なにやら、マニュピレータが2本しかない。で、車輪をと思ってみたら、あらま、足がついてる。

 で、いろいろ確認してみたら、このスレンダーな美人さんになってたってわけっす。

 いやはや、一晩でなんてことしてくれるんだか、この人は。

 

 ちなみにこの身体。

 

 『第8世代型ドロイド・女性ヒューマノイド型・性処理用』の……、

 

 中古っす。

 

 いや、別にワッチはいいんすけどね、前日にあれだけ、ビッチは嫌だ、やりマンは嫌だとか言ってたのに、こともあろうにセクサロイドの……しかも中古買ってくるとか、もう、頭の中どうなってんすかね?頭いいのに、女に関しては中坊以下とか、はあ、ってため息しか出なかったっす。

 まあ、超がつくド貧乏でしたしね。今や『流体組成モデル』の『第12世代ドロイド』が主流だというのに、もう販売開始から50年も経ってる『第8世代』を買ってくるあたり、ご主人らしいというかなんというか。たぶん蚤の市でパーツだけ買って来たんでしょう。駆動ジェネレータとか、リアクターとかマザーボードとかはワッチのをそのまま移植してましたしね。ちなみにアソコはつるんつるんのノーホールでした。やっぱ、根性なしのご主人にゃ、18禁コーナーでのお買い物は無理みたいですしね。

 

 ということで、こんな美少女に生まれ変わったワッチですけど、ご主人ヘタレすぎて手も出せない。

 ま、穴もないから、やりたくても出来ないっすけどね。

 ですので、しかたなし。こんなにお世話になってるご主人の為ですもの……

 

 行きましたとも、ワッチのお小遣いで『おま〇こ』買いに‼

 

『すいませーん、一番上等の新品の『おま〇こ』くださーい』

 

 って、パーツ屋の親父さんに言ったら、めっちゃお茶吹いてたっすね。うん、あれは面白かったっす。

 パーツさえあれば、後はワッチでもどうにでも出来るっすから、もともとワッチは機械には強いすからね。というか、ご主人が相当にワッチに工学の基礎理論データとか疑似生体精製学とかをインストールしてたもんで、神経系とパーツ(おま〇こ)の接合くらいお茶の子さいさい。

 で、どうせやるなら、ワッチも気持ちよくなりたいじゃないっすか‼ 初めてですし‼

 ということで、快楽プログラムも相当弄って、全身の触覚系もメンテナンスして、万事準備OK!

 

 早速ご主人を喜ばせてあげようと、ちょっとエッチな穴あき下着を身に着けて、薄手のシャツ姿で迫ろうとしたらっすね、ご主人がなにか部屋の隅でかちゃかちゃやってるもんすから、なにやってるんすか? って聞いてみたら、血の涙流しながら、電子レンジで『中性子爆弾』作ってたっス。どうも、例の彼女に、セッ〇スしてくれないなら付き合ってあげない。って言われたらしいっすね。

 絶望するのはいいっすけど、人類滅亡させるのはいかがなものかと……

 

 とか口出ししようとしたら、どうやら、ワッチのドエロい恰好を見て色々暴走しちゃったようで、そのままひっくり返って……

 

 電子レンジ中性子爆弾の大事なボタンをポチリ……と、押しちゃったみたいなんすわ。

 

 その後のメモリーは残ってないんすけどね、気が付いたらこの変な世界に居たってわけっす。きっと地球滅んじゃってますね。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「はあ、ご主人遅すぎっすねー」

 

 待ちぼうけもいい加減飽きました。ここに立ってるだけで、すでに13人の男性?というかオスというか、そんな人達に声を掛けられたっす。美人なのも大概大変っすね。

 ちなみにそんな男性陣には遠くへ行って頂やした。ワッチの基本出力はご主人が改造を頑張りすぎちゃったせいで10万馬力。なので、デコピン一発で成人男性が空を飛びます。ま、そういうことです。

 

 まさかの異世界転移でしたが、あの役立たずで小市民のご主人が、ここにきてようやくやる気になってくれたのは良かったっす。一時期は宿屋に引きこもって、ぶるぶる震えてましたしね。

 転移したところが『死者の回廊』って呼ばれてるスケルトンとかゾンビ―とかの巣窟だったもんで、そうとう怖かった見たいっすねー。全部ワッチが片づけてあげましたのに。本当にびびり。

 

 せっかく新品のアソコにしてあるのに、ご主人は手も出してこないですし、暇すぎてなんにもすることがなかったもんで、宿屋の仕事をちょいと手伝いましたら、お客さんが激増した模様っす。家事全般はワッチの領分すからね。それで、だんだんと宿屋のご家族と仲良くなれたのが良かったんでしょうね。一人娘さんがご主人に気を懸けてくれるようになったみたいで、いろいろ応援されちゃったみたいで、いきなりやる気になっちゃうご主人、ワッチは結構好きですよ。まあ、その『一見純朴そうな娘専』の趣味はどうかと思いますけどね。

 まあ、ご主人は天才っすからね。

 この世界の魔法の基礎理論とかもう覚えちゃってますし、『魔晶石』っていう魔力の塊から、ワッチの陽電子リアクターに燃料補給できるようにもしてくれましたしね。これは職には困らないでしょう。

 

 ワッチのおすすめの職業としては『魔術師(ソーサリー)』か、『錬金術師(アルケミスト)』っすね。どうせ体力ないし、現世の知識もあって、なおかつこの世界の主元組成も引きこもりながら理解しちゃったんすから、知識をフルに使った職業について、パーティの要としてみんなに持ち上げられたりされれば、人づきあいの苦手も解消されるし、きっと待望の彼女だってすぐにできるでしょ。それならそれで、ワッチも下僕冥利に尽きるものってとこですし。

 

 そんなことを考えていたら、正面のギルドの扉が開いて、そこから少しワッチよりも背の高い短髪の男性がにこやかに手を振りながらこっちに向かってきやした。身なりは鎧とかはまだ買ってないっすからチュニックみたいなこちらの世界の服っすけど、うん、これならもうすぐに『魔術師(ソーサリー)』って名乗ってもよさそうな感じ。

 はい、この一見イケメン、内面小心純情乙女チックな男性が、ワッチのご主人、『木暮紋次郎(こぐれもんじろう)』様です。

 いやはや、このイケメン顔で彼女いないんすから驚きですよ。それならそれで、もう彼女諦めればいいのに、どんだけ物好きなんすかね、ご主人は。

 

「よお、二ム、いよう、いよう!」

 

「はい、なんすか。随分ご機嫌っすね」

 

 ご主人はむふーっとご満悦のご様子。

 

「無事に冒険者になれた様っすね。おめでとうございます」

 

「ま、俺くらいになればこんなの軽い軽いっ!」

 

「うへえ……調子にのってるっすねー。こういう時のご主人、だいたい足元掬われるんすから気を付けてくださいよ」

 

「大丈夫だって。なにしろ、俺は、俺にぴったりな職業につけたからな」

 

「そりゃ良かったっす。で、何にしたんすか? 魔術師っすか? 錬金術師っすか? それとも学士? いや、もう司書とか事務員とかでもいいっすよ。何です?」

 

 ワッチの問いに、やっぱりふんぞり返っているご主人。

 そんなご主人が言ったのは……

 

「むふふん、俺がなった職業は何を隠そう……」

 

「…………」

 

「『戦士(ファイター)』だー! いやー、どの職業が一番モテルかって聞いたら、やっぱり戦士が一番だってさ。これは俺もますます頑張らねば―」

 

「はあ、アホですね、やっぱし。よりによって一番真逆な道を選んじゃうとは……」

 

「んん? なにか言ったか?」

 

「いや、何も言ってないっすよ。じゃあ、まあ、まずは仕事を取らないとっすね。ワッチもう貧乏は嫌っすよ」

 

「おーけーおーけー、この俺にドーンと任せとけって。世界一の戦士になって、純朴な村娘を恋に落としてみせるぜー」

 

 いろいろツッコミどころありますけど、まあ、いいでしょう。これがワッチのご主人ですし。

 

 ワッチの名前は【SH-026なんでも家電くんⓇ】、通称『二ム』、現在身体はラヴドール。ご主人の名前は、『木暮紋次郎(こぐれもんじろう)』様。

 これはこのかなり残念なご主人がこの異世界で微妙に頑張る物語……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章 聖戦士と漆黒の妖精
第一話 フォレスト・ライノ


 冒険者なんてものは、一山いくらの消耗品でしかないんだな……とは、実際に働いてみた感想ではある。

 魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)するこの異世界において、町の平安……強いてはそこに暮らす人々の営みを守る根底こそが、この自由活動互助組合、通称『冒険者ギルド』の仕事であることは間違いなかった。

 確かにこの世界にも警察に似た機構はあった。

 国や諸侯の領に属する騎士団や兵団、賞金稼ぎや傭兵などの民団などがそれであり、一度(ひとたび)戦ともなれば先陣を切って戦う猛者が集まっているのだという。

 しかし、そのような精鋭が全国民を守れるわけもなく、特にこのような辺境とも呼べる収斂(しゅうれん)な山岳地域の農村に毛の生えたような街まで手が回らなくとも文句は言えないというわけだ。

 さてそのようなわけで、この山間に開けた少し大きな規模の街、『アルドバルディン』において冒険者をするということはつまり、襲撃者の矢面に立つということなのである。それがどういうことかと言うと……

 

「モンジローもっと速く走るんだ!」

 

「ひぃ、ひー、んなこと言われても」

 

 俺の目の前には冷ややかな視線を向けてくる金髪碧眼で銀の軽鎧をその身に纏った、一見爽やかそうなイケメンの後姿。そのすぐ両脇にはわき目も振らずに全力で走るやはり金髪の魔法使い風の少女の姿と、青の長衣で身を包んだ青髪の少女の姿が。

 俺は必死にその3人を追って走っているわけだが全く追いつくことができない。まあ、当然なんだがな。なにしろレベルが違いすぎるから。3人は遅い俺に合わせるどころか全力で引き離そうとしている感じ。眼前のイケメンに関しては俺を軽蔑した感じで睨んでやがるし。

 こいつらなんで助けてくれねえんだよ。登山の時は一番足の遅い奴にペースを合わせるって常識を知らねえのかよ。マジでふざけんな!

 とか、脳内で悪態を吐いたら、足が急に草に絡まった。

 

「わっ、わわわ!」

 

 もんどり打ってその場に転がる。

 と、慌てて起き上がって3人を追いかけようとして顔を上げてみたら、イケメンヤローが呟くのが聞こえた。

 

「ちっ……なんて……は役立たずなんだ」

 

 連中はそのまま森の奥へと消えていった。

 んだとこのくそがぁ!

 今まで散々人のことをこき使っておきやがって、最後はこれかよ、助けろよ、マジで! なんなの? なんなんだよあの連中は!

 瞬間怒髪天に身を焼きながら連中を罵ってやろうと口を開きかけたが、背後から迫る巨大な足音が次第と大きくなってきていることに気が付き、今更ながらに萎縮した。

 

 バキッ、バキバキ……

 

 深い森の向こうから巨大な何かがバキバキと木を折りながらこっちへと近づいてくる。

 

「うわ……わわわ……」

 

 俺は右手で掴んでいた闘剣(グラディウス)で足に絡まった蔦を切って慌てて立ち上がる。

 と、同時に地響きを立てて迫りくる巨大なそれに向かって剣を構えた。

 いや、マジで逃げたい。逃げたいんだが……

 

 めっちゃ足が震えて全然動かねえし……

 やばい、怖い、怖すぎる……

 

 バキバキバキバキ……

 

 大きな音を立てて目の前の大木があっという間にへし折れてそこから大きな2本の角がにょきっと現れた。

 

「グルゥゥウウウウウ……」

 

「で、でけええええ……」

 

 俺の目の前に現れたのは身の丈4mはありそうな巨大なサイのような化け物『フォレストライノ』。全身に苔がびっしりと生えたようなその巨躯はまるで小山を思わせる強烈な存在感を放っていた。当然だがその体表は固くこんな安っぽいグラディウス程度の突きなど全く通るわけのないまさに要塞だ。だがしかしその挙動は驚くほどに素早く、頭部の2本の角で一撃必殺の突きを繰り出してくる。その突進(チャージ)は城壁をも突き破ると言われており、人間が食らえば木っ端微塵間違いなし! 

 いや、それを知っていたからってどうなるわけでもないんだけどな。

 フォレストライノは目を真っ赤に輝かせながらその巨大な右前脚で地面をガッガッと思いっきり蹴っているし。

 ひえ……めっちゃ怒ってやがる。

 

 そりゃ当然か、なにしろあいつらがこいつの子供を狩りやがったからな。

 小型のサイ型のモンスターが群れでいるってことは近くに親もいるに決まってんじゃねえか。だというのにあのバカどもはフォレストライノを狩って経験値稼ぎだ! 名声だ! とかほざいて周囲をろくに確認もせずに飛び込んで子供をぶち殺しちまいやがった。

 もっとも、このサイは地球のサイと違って完全な肉食だからな、人間も食うわけで害にもなるから狩るのはやぶさかじゃないんだが、短絡的に殺しにむかって逆にこうやって追いかけられてんだから世話はねえよな。

 

 構えたグラディウスがぷるぷる震えている。こら静まれよ、剣! って震えているのは俺の手か。

 はわわ、いったいどうすりゃ良いってんだよまじで。

 鍛冶屋の親父にこの闘剣(グラディウス)を譲ってもらったときに、この近辺の魔物の中でフォレストライノだけは絶対に相手にするな。高レベル冒険者でも剣は通らねえからな! と嫌な忠告を受けちまっているし。

 高レベル冒険者どころか、たった『レベル1』のこの俺が戦えるわけねえじゃねえかよ。

 俺には『超極レアスキル』があるにはあるが、あるって言ったって、今は結局なんの役には立たねえし……

 剣は効かない、スキルも使い物にならない……ときたら、もうこれしかねえじゃねえかよ……

 とはいえ、俺みたいなへなちょこじゃどうにもならないんじゃないか? やべぇ、マジでどうしよう。

 

 そんな葛藤をしていたら、唐突に目の前の山が動いた。まるで巨大な列車のように地響きを立てて迫りくる。

 

 わわわ……ええぃ、ままよ‼

 

 俺は慌てて闘剣(グラディウス)を握りしめたまま、大きく息を吐きながら怪物の正面に立った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「うへーーーーー、し、死ぬかと思った……」

 

 ようやく街の門にたどり着いて俺は安堵にへたり込んだ。

 門番をしている顔見知りになったおっちゃんが駆け寄ってきて水を渡してきてくれた。いやマジでありがてえ。

 ごきゅんごきゅんとその水筒を飲み干すと、おっちゃんがめっちゃ爽やかに笑顔をむけてくれるし。うんこういうの本当に嬉しいし、すげー幸せなんだけど、なんで髭面のおっちゃんに胸キュンしなきゃいけねえんだよ。うへぇ。

 ま、そうは言っても生きて帰ってこれたんだから御の字だろう。

 俺はフラフラになりながら冒険者ギルドを目指して歩く。

 時刻はそろそろ夕刻に差し掛かろうとしていた。メインストリートは夕飯の買い出しに出歩く人であふれていた。子供の手を引いた母親達がたくさん行きかっているのを見ていると、故郷の景色を思い出す。人間がいればどこでも生活は同じようになるもんなんだな。と、そう感慨深いものがあった。

 

「おかえりなさいご主人。随分ぼろぼろっすね、あれ? 御一人でやんすか?」

 

 急に背後から声を掛けられて振り向けば、そこには胸元の大きく開いた桃色の西洋着(ブリオー)を着た黒髪長髪の小柄な女……というか、俺の知り合い……というか連れだった。

 

「ああ、『二ム』ただいまだ。まったくヒデエ目に遭ったぜ」

 

 二ムは俺の腕に飛びつくとそのままぎゅぎゅっと自分の胸を押し当ててくる。

 

「なにしてんだよ?」

 

「いや、そこは美人に迫られたんすから、『でへへ』とか『ぐへへ』とか鼻の下伸ばした助兵衛反応に期待したんですけどね」

 

「なんで俺がお前にそんな反応しなきゃいけないんだよ」

 

「なんでって……そりゃあ……! ワッチをこんな身体にしたのはご主人様でありんすから~~~‼」

 

 と、思いっきり体をくねらせてしな垂れかかり乍ら大声でそんな芝居じみたセリフを吐きやがるし。

 周りにいる連中が一斉に真っ赤な顔して俺から距離を取りやがるし。

 

「お、おい、これじゃ俺がお前を手籠めにして調教したみたいじゃねえかよ」

 

「ワッチはなーんも嘘ついてませんけどね。この身体に作り変えたのだってご主人ですし、調教(インストール)したのもご主人ですし」

 

「変な当て字すんじゃねえよ、名誉棄損甚だしい!」

 

「だからいっそもう一発しっぽりとワッチとやっちまいやしょうぜ! ね、そうすりゃ名実ともにご主人は女侍らした鬼畜冒険者の仲間入りですし、ワッチも気持ち良くなれますし!」

 

「どんどん酷い方に向かってんじゃねえかよ。いいか! 寝込みは絶対襲うんじゃねえぞ!」

 

「それは『押すな、押すなよ、絶対押すなよ!』のあれですね?」

 

 両手を握りこんで、フンスと鼻息を荒ぶらせる機械人形。

 

「どこの世界にそんな振りで押し倒されようって考えるバカがいるんだよ。俺はまだギルドに寄らなきゃいけねえんだからいい加減にしろよな」

 

「そうでしたか。なら今日はワッチもご一緒しますよ。もう仕事はけましたもんで」

 

「なら構わねえけど……静かにするんだぞ」

 

「了解でっす!」

 

 と、その黒髪に少し指を通してちょこんと敬礼をしてきた。

 グッ……正直こういう何気ない挙動は本当に可愛く見えちまう。ううん、いかんいかん、こいつはただの『人造人間(ドロイド)』だ。確かにこいつはエッチ専用の『性交代替自律人形(セクサロイド)』の身体だが、俺が動力から何から手を加えて組み立てたし、電子頭脳も俺が改造したものを使用したことで、より人間に近い存在にしたつもりだ。そんな相手にいきなり(しも)の世話になりたいなどと誰が思うモノか。

 ま、まあ、色々魅力的なのは間違いないのだが……胸とか尻とか……

 ええい、そうではない。俺が求めているのはエロスだけではないんだ。

 俺が手に入れたいのは『純愛(プラトニックラブ)』。

 どいつもこいつもエロありきで恋愛を語りやがって、俺はそんなもんは求めてねえっつーの!

 俺が理想とするのは、心が通い合う無垢な愛の形。目が合っただけでどきりとして、言葉を交わして恥ずかしくなって、でも離れることが出来ない二人のいじらしい姿。

 まさに理想、まさに至高! これこそが人間のもっとも理想的な尊い愛の形なんだ! うん!

 

「ご主人、また気持ち悪い顔してましたぜ? どうせ純愛がーとか汚れない心がーとか、恥ずかしい中坊みたいなこと考えてたんでしょうけど、女なんて一皮剥けばみんなガチエロのケダモノですからね? いい加減幻想捨てちまって、ワッチと良いことしやしょうよ。ほら、ワッチのあそこは未使用品ですぜ!」

 

「お前な……ファンタジーな異世界に転移してきておいて、幻想捨てろとか本末転倒なこと言ってんじゃねえかよ? というか、いい加減そのヤリマンみたいな発言やめろ、俺が恥ずかしい」

 

 ったくこいつは調子に乗るといつもこうだ。

 いったい誰がこんなにしちまったのか……あ、作ったの俺か……くっ!

 

 説明すれば簡単なことだが、俺たちは所謂『異世界人』だ。というか、他の世界からこの世界に来たっぽい。

 っぽいというのはつまり、俺たちにも良くわかってはいないということなんだけどな。

 俺の名前は『小暮紋次郎(こぐれもんじろう)』。しがない19歳のその日暮らしのアルバイターだった。別に由縁あって定職に就かなかったわけではないんだが、在学中に色々教授達と揉めたせいで大学を追われ、その後は東京で最安値だと思えるボロアパートで暮らしながら就活をするも、俺みたいな出来損ないを雇ってくれる心の広い雇い主と巡り会うことが出来なかったというだけのことだ……はあ。

 当然友達もいないし、寂しさのあまり家電を改造して、この隣にいる美少女の容姿の『ニム』を作ったわけだけど、どうしてかこいつ脳内思考エロエロのうえ、自分で陰部を改造して俺に迫るようになっちまった。もう勘弁してくれよ。

 と、そんな俺たちが突然異世界に飛ばされた。

 超自然現象か神のいたずらか……凡人の俺には何が起きたのかはまったくわかならいんだが、気がつけば真っ暗な墓場で骸骨軍団に囲まれてたってわけだ。本当に超怖かった。ニムを準戦闘用に改造しておいて良かったよ本当に。

 

 でもあれだ……

 

 普通『異世界召喚』とかって言ったら、白髭のおじいさんみたいな神様とか、絶世の女神様とかそんな連中に会うもんじゃないのか? そんで、なんでもひとつチートな能力かアイテムをどうぞみたいなサービスがあって、転生してすぐに『オレTUEEEEEEEEE‼』やるもんなんじゃねえの?

 そうだというのに、俺たちときたら、着の身着のままだったし、ニムなんて、穴空きブラに穴空きパンツという、もうそれ下着の意味なくね? みたいな装備だったしな。唯一持ち込めたのはオレがガキの頃から愛用していた工具セット一式だけ。

 もうなんなの、この異世界転移? 骸骨めっちゃ怖かったし。

 たまたまこのアルドバルディンの街の宿屋で暫く滞在させてもらえてたけど、何にもしないわけにもいかないしな、気合いを入れて冒険者になったってわけだ。

 そして冒険者になって初めて俺は自分が持つ超特殊なスキルの事を知った。

 つまりこれだ。

 懐から銀色の板状のアイテムを取り出して目の前に翳す……と、横からニムもひょいとその顔を覗かせてきた。

 

――――――――――――

名前:モンジロウ・コグレ

種族:人間

所属:アルドバルディン冒険者ギルド

クラス:戦士

称号:駆け出し冒険者

Lv:1 

 

恩恵:???????

属性:???????

スキル:〖取得経験値n倍:Lv1〗

魔法:なし

 

体力:5

知力:5

速力:6

守力:4

運:12

名声:1

魔力:0

 

経験値:83,530

――――――――――――

 

「お! 相変わらずの凄い経験値っすね。で、いつレベルアップするんすか?」

 

 ニヤニヤしながら二ムがそんなことを聞いてきやがる。

 

「うるせぇよ‼ 分かってて聞くんじゃねーよ、このハゲッ!」

 

「わっ、怒んないでくださいよ、素朴な疑問なんすから……どこも禿げてないっすよね? ね? ね?」

 

 と、自分の頭をぺたぺた触りだすし。はいはい、別にどこも禿げてなんかねーよ。むしろさらっさらのふわっふわだ。

 この今翳したカードは所謂『ステータスカード』と呼ばれるものだ。

 材質は魔導金属(ミスリル)と呼ばれるいかにもファンタジーな白銀の軽量金属製で、この世界では誰もが自分のステータスをこの特殊なカードで確認することが出来る。この金属自体に微弱な魔力で解析魔法が封じ込められており、それが所持者の身体に触れることで文字を浮かび上がらせるという至極簡単な代物だ。だが単純だからこそ確実に数値が現れ偽造が難しいアイテムでもあった。まあ、難しいだけでしようと思えばいくらでも偽造できそうではあるけどな。

 流石に異世界から来た俺達には、このカードの効果が表れないのではないかと、初めてギルド受付で手渡されたときにはひやひやしたもんだけど結果としてはきちんと数字などが表示され、無事冒険者になることができた。実は人間ではない二ムにもステータスが表示されて驚いたわけだが。まあでも、色々表示がおかしくて冒険者にはなれなかったけども。

 ということで、俺の超特殊なスキルとは(まさ)にこれのことだ。

 

 スキル:〖取得経験値n倍:Lv1〗

 

 『恩恵』や『属性』が『???』なのとか問題がありそうに見えるがとにかくこのスキルだ。

 普通に考えてとんでもない効果だ。なにしろ他人よりも経験値の入りが増えるわけだからな。ゲームでの話ならもうウハウハだろう。

 そう、この世界もゲーム同様に経験値による身体強化が、可能な世界なのだ。

 仮にこの『n倍』の値が2だったとしたらその時点で経験値は2倍、他の奴の倍のスピードで成長してしまう……と誰もがそう考えた。俺もそう考えた。で、実際俺は他の奴らの追従を許さない勢いで経験値を稼ぎまくることができた。できていたのだが……

 

 なぜかレベルが全く上がらない。

 

 さんざん戦った。戦いまくった。

 まあ、所詮今までただのアルバイターだったこの俺に、プロのハンターみたいなことは出来るわけないんだが、この闘剣(グラディウス)片手に、チクチクする葉っぱのモンスター『スラッシュリーフ』とか小型の昆虫型の『スロービートル』、ねばっこくて大量に湧く『ストーンスネイル』とかをめっちゃ狩りまくった。

 最初の頃はあの3人よりもむしろ俺の方が強かったくらいだ。

 しかし、全くレベルが上がらない。

 経験値だけなら連中の軽く10倍以上増えているのに、奴らはレベル3とかで俺はレベル1のまま。

 その差は埋まるどころか開く一方。

 そんな日が一か月くらい続き、今日なんかは連中が全員レベル10の大台に乗っちまって、晴れてギルド公認冒険者になったっていうのに俺は1のまま。経験値だけみれば100倍以上違うのにだぞ? 意味わからん。

 それよりもだ。

 

『まだレベル1なのか。意味のないスキルなんだな』

 

 つい今朝ほどうちのパーティのリーダーでもあるあいつが言った言葉。

 あのくそムカつく金髪騎士(ナイト)め。この俺をバカにしくさって忌々しい。しかもあんなとんでもない化け物の前に置き去りにしやがって、文句の一つも言ってやらねえと気が済まねえ。

 

 レベルが全く上がらないのは異世界人だからってことなのかもだが、今はそんなことは関係ない。

 

 文句をぶちまけてやる!

 

 と、そんな俺の感情にはお構いなしに、腕に抱き着いたままの二ムがふんふふーんーふふふふーんといつかTVで流れていたCMのメロディを鼻歌で歌っていたのだが、もうそれには突っ込まずに漸くたどり着いた冒険者ギルドの入り口をそのまま開いて中に入った。

 

「てめぇら俺を置き去りにしやがって……」

 

 と、入ったと同時に怒りのままにそう叫びかけたその時……

 

「お願いです! モンジローさんが、モンジローさんが死んじゃいます! お願いですから救出隊を出してください! お願いします!」

 

 広いギルドホールの丁度正面。

 ギルドの受付カウンターの女性職員にそう詰め寄る青いローブ姿の少女の姿がそこにあった。

 

 きゅん……

 

「あ、今恋に落ちた音がしたみたいっすね」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 パーティメンバー

「お願いです‼ お願いですからモンジローさんを助けてください‼」

 

 ギルドカウンターでそう叫んでいるのは青い聖職者ローブを纏った青髪の少女、俺と同じパーティメンバーの治癒術士(ヒーラー)の『フィアンナ』だった。

 広いギルド内部は薄暗いが十分大勢の人の姿が確認できる。皆今日の仕事を終え、こなした仕事の報酬の清算に訪れた連中ばかりだと思えた。みんな手に手に大きな荷物を抱えており、その中身が拾得した様々な依頼物であることが容易に想像できたから。

 そんな大勢は叫ぶ青髪のフィアンナに注目していて、怒鳴ろうとしていた俺に視線を向けるものは全くいなかった。それだけフィアンナの剣幕は凄かった。

 

「お、おい……フィアンナ。もう諦めよう。あんな化け物が相手じゃもう助けるなんて無理だ」

 

「そ、そうですわ! あの時はもうああするしかなかったではありませんか。あのままでは(ワタクシ)達も襲われていましたわ」

 

 そんなフィアンナの後ろでオタオタと声を掛ける金髪の二人組、見習い騎士(エクスワイア)の『アルベルト・カーマイン』と初級魔法使い(ジュニアメイジ)の『セシリア・エスペランサ』。

 二人は及び腰でどうやらフィアンナを説得しにかかっているようにも見える……

 

「何を言っているんですか‼ モンジローさんは私たちを逃がすために、あえてあそこで踏み留まってくれたんですよ! そのおかげでこうやって街まで帰ってこれたんじゃないですか!」

 

 ん?

 

「い、いやフィアンナ。彼は実力が乏しくて逃げられなかっただけじゃないか」

 

「何を言っているのですかアルベルトさん。あなたがフォレストライノを襲おうとした時に止めるように進言したのはモンジローさんじゃないですか! 彼は危険だってわかってたんです! 分かってたからこそあそこで殿を引き受けてくれたんです!」

 

 んんん?

 

「そう仰られても、もし彼が自発的に残ったとしてもそれは彼の勝手な判断でしょう? 仮にも相手は巨大なあのフォレストライノ。まともに戦おうなんて普通は無理……」

 

「だからですよ! セシリアさん! 彼はだからたった一人で残ったんです! 全滅しないために……あの強敵に立ち向かってしまったんです! 私は……私たちは……彼に助けられたんですっ‼」

 

 んんんんん????

 

 見回してみれば、涙を流してくしゃくしゃに綺麗な顔を歪めたフィアンナと、絶句して何も喋れなくなった多くの冒険者達。

 と、となりのニムが俺の脇腹をつんつんと指でつついてきた。

 

「だそうですよ?」

 

「う、うるせいよ」

 

 何にやついてんだよ、このポンコツが。

 しかし……

 そうか、そうだったのか……

 な、なんてこった。

 俺、俺は……

 

「俺は皆を助けるために戦っていたのか!」

 

「いや、絶対違うと思いますけど、それでいいならいいんじゃないすか?」

 

 うん、そうだ。そうなのだ!

 俺はいつだってみんなのことを考えてきた。例えどんなに疲れた時でも、いつだってパーティの全員のことを考えていた。

 雨の日だって風の日だって、レベルが上がらないのを申し訳ないと思いつつ、みんなの荷物を率先して持った。

 魔法を使うフィアンナとセシリアには精神的な疲労を減らしてやろうって意味も込めて夜営の時は俺が一人見張りを替わってみんなを寝かせてやった。

 それにいけすかなかったけど、アルベルトの奴にだって、奴が剣を振りまくれるように周りから来る敵に対して壁役になってやっていた。

 そう……毎日毎日毎日毎日……

 

 あ、あれ? 何でだろう……涙が……

 

 いやいやいや、そうなのだ。俺は皆を助けたかったのだ。うんそうだ!

 

「フィアンナッ‼」

 

「え? ええ? も、モンジローさん? どうしてここに?」

 

 俺はつかつかつかとフィアンナに向かって行進してすちゃっと手を上げながら微笑みかけた。

 

「はっはっはー。心配をかけて悪かったね。俺はこの通り無事さ。なんともないよ」

 

 本当に悪かった。ここまで俺のことを心配してくれるなんて、なんて素敵な女性なんだ、君は!

 よく見れば、瞳はすごく透き通っていて淀みが全然なくてキラキラしてるし、その立ち姿は、なんというか、すごく小柄で控えめな感じの幼い体型だけど、どことなく気品というか神聖感というか、安らぎを与えてくれるかのような優しいオーラが溢れている……ような気がする。

 

「今まで君の優しさに気がつかなくて本当にごめん。うん、俺の目は節穴だったよ」

 

「ええ? ど、どゆこと?」

 

 若干仰け反った感じのフィアンナがポツリと呟いたことで、うんちょっと急ぎすぎたなと反省した俺はアルベルトとセシリアに向き直って笑顔で手を差し出した。

 

「アルベルト、遅くなって悪かった。俺も無事に帰還したよ! 心配かけたな! リーダー!」

 

「え、ああ……?」

 

 なんというかアルベルト達の顔がひきつっているようにも思えるけど、ま、気のせいだよな。なにしろ俺はお前らを助けた英雄だからな! まあ、そんなに緊張しなくても大丈夫だって!

 と、俺は気軽な感じでアルベルトの肩をポンと叩いたその瞬間、奴が俺の手を振りほどいて突き飛ばしてきた。

 結構な勢いで床に転がったせいでかなり尻が痛い。

 

「ふ……ふざけてるのか! なんでここにいるんだ!」

 

 口を歪めて俺にそんな言葉を吐いてきやがるし。いったいこいつは何を怒ってやがるんだ? そもそも怒りたいのは俺だったはずなんだが……なんで今俺怒ってないんだろう? うーむ。

 まあ、何をイライラしてんのかは分からないけど説明はしてやった方がいいだろう。まずはビタミン採った方がいいぞ。

 俺はとりあえず立ち上がって尻をはたきながら教えてやった。

 

「なんでって、そりゃ倒したからに決まってんだろうが?」

 

「倒したって何をだ!」

 

「あの場で倒したって言ったら、フォレストライノに決まってんだろ? バカなのか?」

 

 言った途端に静まり返ってしまったギルド内。

 あれ? 大勢いるはずなのになんで誰も口を開かねえんだよ……モンスターなんだから倒すくらい当たり前のことだろうが。なんか俺変なこと言ったか……?

 と、そんなことを思っていたら、突然ギルドの建物全体が震えるほどの大爆笑が巻き上がった。

 

「ぶはははははははは、倒した、倒しちまったってのか! フォレストライノを? いや、こりゃ参った」

「レベル1のお前がか、こりゃ傑作だ! いやー、ようやく狩れたか、新人のお前も」

「すげーなお前、お前みたいな駆け出しがよくやったよ」

「いやいやいや笑うのはよくねえって、みんなこうやって大きく成長していくんだよ。ぶあははははは」

「もうやめて、お腹が捩れる……」

「げははははは、そしたら俺も教えてやるぜ! 実はさっき魔王を倒してきたとこだよ」

「おお! 俺なんか龍神ぶっ殺してきたんだぜ、いやー大変だったわ、いーひっひっひっひ」

 

 周囲一面でゲラゲラ笑う冒険者達。加えてギルド受付の美人職員も笑いだしてるし。

 おお、こいつらスゲーな。魔王とか龍神狩れる奴がいたのか、この街に。

 それならこんな反応も当たり前だよな。

 あんなでかいだけのただの獣のモンスターを倒したくらいじゃ誰も誉めてくれねえってことだな。これは俺ももっと精進しなくては。

 

「ご主人、今かなりいい感じで勘違いしてるっぽいですけど、ワッチはそういうご主人大好きですよ」

 

「ふぁっ!?」

 

 や、やめてよ。急に好きとか言うの!

 ちょっとドキッとしちゃうでしょ! っていうか、しちゃった。うん。ドキドキ。

 みんなに認められた感じに、なんだかとっても嬉しくなっちまたもんで、またもや抱きついてくるニムをそのままにしてアルベルトを振り返った。うんなんだかとっても気分が良い。

 すると…

 

「ふ……ふざけるなっ! なぜそんな嘘を吐く? レベル1のお前があれを……あんなデカい化け物を倒せるわけ……」

 

 そこに居たのはこめかみに青筋を立てて睨んできているアルベルトの顔。

 あ、れ? なんでこいつ怒ってんだ?

 隣を見れば、セシリアが心配そうな顔でおろおろとアルベルトを見つめているし。いったいなんだよ。

 

「まあまあカーマインのお坊ちゃん。そんなに怒るもんじゃねえよ。仲間が生きて帰ってきたんだから良かったじゃねえか」

「がはは……そうだぜ。それにフォレストライノだってピンキリだからな。ひょっとしてすげえ弱いやつだったんじゃねえか?」

 

 おっさん冒険者達がアルベルトの肩を叩きながらそんな軽口を言う。

 うん、やっぱりそうだよな。あのモンスターはきっとスゲー弱かったんだ。うんうん。

 と、納得していたら、目の前の冒険者たちが今度はアルベルトを取り囲みだした。

 

「アルベルトさんよぉ。あんたとんでもねえ怪物が出たとかって言ってたけど、実は嘘だったんだろう?」

 

「な、なに?」

 

「おお! そうだそうだ。さっきは相当大げさに話盛ってた感じだったしな。自分が逃げ出したのをごまかそうと思ってあんな出まかせかましたんだろう」

 

「ば、バカな……なんで僕がそんなことを……」

 

「そりゃ、そこのエスペランサ家の嬢ちゃんと結婚するのに、見え張りたかったからだろう? 逃げ出したなんて領主の跡取り婿としちゃぁ、情けなさすぎるもんな!」

 

「ぶ、無礼な! 私達に対しての非礼のみならず、家名まで侮辱するとは! そこに直りなさい!」

 

「おお、おお、怖え怖え! げはは……」

 

 散々言われて真っ青になったアルベルト。仕舞にはセシリアまでもが激高しちまったし。

 うーん、いったいなんでこんなことになったんだ?

 そもそもエスペランサ家ってそんなに有名なのか? ん? 領主? というか何? アルベルトとセシリアって結婚予定だったの? 初耳なんだが……

 そういや野営の時なにやらアルベルトとセシリアの二人がごそごそと……

 って、まさかあれか!? あれだったのか!? 婚前交渉……とか‼

 いったいなにやってんたんだよ、超気になるぅ……

 なんで誰も教えてくれなかったんだよ、俺ずっと一緒に冒険してたはずなのに、ズーン……やばい、鬱々としてきた。

 

「なんかワッチら完全な蚊帳の外でやんすね」

 

「そ、そうだな」

 

 二ムにそう言われて俺もうなずくしかないわけだが、いい加減もう宿に帰りたかった。

 でもなんか今それを言い出していい感じの空気じゃないし……。

 そんなことを思っていたら、囲んでいたたくさんの冒険者を掻き分けてアルベルトの奴が俺の目の前にずんずんと歩み寄ってきた。

 そして、俺を睨んで宣言する。

 

「モンジロー、お前はクビにする!」

 

「はあ?」

 

 今何を言ったんだこいつ? えーと、クビ……クビか……え!? クビってクビのことか!

 ワタワタと思いを巡らせていたところへ、アルベルトが俺をびしぃっと指差して続けた。

 

「聞こえなかったのか? モンジローお前はもうウチのパーティには必要ない。もう関わらないでくれ!」

 

「お、おい、アルベルト。そりゃいくらなんでも急すぎる。俺だっていきなりそう言われてもマジで困るんだが……」

 

 主に、主に主に金銭面で!

 

「う、煩い! お前みたいな役立たずは……もううんざりなんだよ! 分かったらさっさと出ていってくれ!」

 

 いつもの冷静なイケメンマスクは何処へやら。長い金髪を振り乱して何かに取り付かれたかのような虚ろな瞳で俺を睨んだアルベルトはもう俺の話を一切聞く気はないようだ。

 これはもう仕方ないか……

 俺もこいつには苦手だった。苦手だったけど、まだ一緒に居られるレベルだと思っていた。でもこれはもう駄目なやつだ。

 初めて組んだパーティだったし、ここまで短くも長い冒険を超えてきた仲間でもあるし、そう簡単に割り切れないのだが、あくまでリーダーの意向だ。従うしかあるまい。

 

 だがその前にやるべきことがあった。だから俺はアルベルトに向き直る。

 そして正面に立って、再び彼に向かって右手をスッと差し出した。

 

「な、なんだ……」

 

 警戒した様子でオドオドとした態度になるアルベルト。

 怯えた瞳の彼に俺が言うのは一言だけだ。

 

「今日の仕事の分け前をくれ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 ド貧乏一味

「はぁ……クビ……クビかぁ、嫌な響きだぜ。まさかこの世界に来てまでクビを体験するハメになるとは」

 

「まあ、仕方ないんじゃないっすか? ご主人アルベルトさんのこと苦手だって言ってやしたし、いい機会だったんじゃないっすか」

 

「まあそうなんだけどな、先立つものがなぁ……はあ」

 

 賑やかな店内の最奥の二人掛けのテーブルにニムと二人で座ってそんな話をしていた。

 ここは俺たちが定宿にしている『赤い風見鶏』という名前の宿屋に併設された食堂だ。まだ宵の口ということもあり、店内には食事をとっている大勢の姿。その大半は酒を飲んで容器に大声を張り上げている冒険者風のおっさん達だ。正直めっちゃガラは悪い。

 そんな連中がたくさん居る訳だが、俺は構わずに目の前の木製のテーブルの上に今日の報酬でもある鈍い輝きの硬貨をじゃらじゃらと広げた。そして、丁寧に数えながら10枚単位で積み上げていく。

 一応金貨? らしいのだが、いったいどれくらい含有されているのか甚だ怪しいうえに、手作業で成形したせいなのか歪んだり(たわ)んだりしていて微妙に大きさも違ってしまっている。

 こんなの通貨で本当に大丈夫かよ……と心配にもなってしまうが、今はそんな心配できる身分じゃなかったな、はあ。いやだいやだ貧乏は。

 

「ひ~、ふ~、み~、よ~……」

 

「随分入念っすね」

 

 途中でニムに横やりを入れられて、どこまで数えたかいまいちわからなくなっちまった。ええい、やり直しじゃねえか。

 俺はもう一度数えて山を作り、きちんと今日の俺の取り分、2000G(ゴールド)があることを確認してから、そこから1800Gを袋に入れ、残りの200Gを自分の財布へと入れた。

 そして料理やジョッキを持って慌ただしく店内を駆け回っている茶髪ショートヘアーにプリムをつけた、オレンジのメイド服すがたの快闊そうな少女に声をかけてテーブルまで来てもらう。

 

「はぁい! モンジロウさん、ニムさん、お帰りなさいませぇ!」

 

「た、ただいま、アンジュちゃん、ふへへ」

 

「ご主人、今超気持ち悪い顔してますぜ、それは流石にワッチでもひきます」

 

 うえ? そ、そうか……それはまずい。

 こうか? こんな感じか?

 表情筋を頑張って動かして、なんとかハードボイルド感を出そうと特に目の辺りに力を込めて励んでみる。

 

「え、ええと、アンジュちゃん? これ、今日の分です」

 

 言って1800G入った巾着袋をずずいと差し出す。

 それを見て、アンジュちゃんはあらあら~と少し申し訳なさそうに眉根を下げてそれを受け取った。

 

「なんかぁ、いつもすいませ~ん。こんなに急いで返して頂かなくてもいいんですよぉ?」

 

「いや、大丈夫大丈夫、気にしないで。俺こう見えて結構稼いでるから」

 

 グッと親指を立ててアンジュちゃんに目を向けると、正面のニムがはぁーっと大きな溜息をついた。

 

「なんだよ?」

 

「なんでもないっすよ」

 

 アンジュちゃんは巾着を受け取るとそれを胸に抱えてぺこりとお辞儀をしてくる。

 そして一言。

 

「モンジロウさんって律儀で優しくて本当に素敵ですね。私、憧れちゃうな。うふ」

 

 あ、アンジュちゃーーーーーん!

 ふはっ、アンジュちゃんにす、素敵って言われちゃったよ。わわわ、どうしよう、どうすりゃいいだろう! ひへへへへ。

 

「うへぇ、ご主人マジでチョロ」

 

 何やらニムがモニュモニュと言っていたが、まあどうでもいいな。

 アンジュちゃんマジ天使。

 清楚で可憐を地で行ってる心の女神だよ~。

 どうしよう、なんか俺今モテまくってんじゃね? モテ期到来か!?

 いやあ、まいったなぁ。

 まあ、でも、それとこれとは別で借りた金はやっぱり返さなきゃだからな。別にアンジュちゃんからというよりは、アンジュちゃんの親父さんのこの店のオーナーから借りたわけなんだけど。

 

「あ、アンジュちゃん? 悪いんだけど夕飯一人分だけ頼めるかな? 出来たらエールも一杯」

 

「あ、はい。今日もニムさんは宜しいのですか?」

 

「あ、ああ。こいつダイエット中なんだよ」

 

「ふーん。そんなの必要ないくらいスリムだと思いますけどぉ。本当に可愛くて羨ましいですしぃ」

 

「うわぁ、アンジュさんありがとう! 凄くうれしいっす!」

 

「うふふ」

 

 く、くそぅニムのやつ、アンジュちゃんと仲良くしやがって。いや、平静だ、平静。

 

「ははは……で、いくら?」

 

「あ、ディナーが120Gで、エールが一杯60Gなので、締めて180Gになりまーす」

 

 え?

 あ、あれ?なんか今日高くない? 俺今財布の中、さっきもらった残りの200Gしかないんだけど……や、やばい、ここでつかったら、明日からの生活費が……

 

「…………? どうしました?」

 

「あ、あはは、や、やっぱり今日はエールはいいかな? って、あんまり飲みすぎは体によくないもんねー」

 

「?そうですか? じゃあディナーお一つですねぇ! 少々お待ちくださいねー」

 

 にこぉっと微笑んだアンジュちゃんがタタタっと厨房へ戻って行った。本当に愛らしくて可愛い……

 可愛いんだけど……

 

「……はあぁああ……マジで金がねえ……」

 

「ご主人しくしく泣いちゃうくらいなら、あんなにたくさん借金返さなきゃ良かったじゃないっすか。別に何も催促されてないでしょ? ちょっと見栄張りすぎっすよ」

 

「ばかやろ、借りた金は最優先で返さなきゃいけねえんだよ! はぁひもじい」

 

 俺は自分の腰のポーチから赤く輝く石のかけらをいくつか取り出して、それをニムの前にある白い皿の上に置いてやる。

 ニムはそれに手を伸ばすと、まるで飴でも舐めるかのように舌を覗かせたまま口の中に放り込んだ。

 しばらくころころと口の中で転がしたかと思ったら、いきなりバリゴリガリゴリ噛み始めた。

 

「お前な……貴重品なんだからもっと大事に喰えよな」

 

「ええ? これ美味しくないからさっさと食べたいんですよ。だってこれ味しませんし……いやします、しますね! 何かこうスエたようなしょっぱくて芳しい……ご主人の汗とか色々な体液のにほい……ちょ、ちょっとなんか興奮してきちまったんですけどぉ!!」

 

「やめて! お願いだからそんな表現勘弁して」

 

 そんなことを言いながらもバァリボォリ石を食べてるニムを眺めつつ、アンジュちゃんが持って来てくれた煮魚の定食に俺も箸をつけた。

 そして俺は抱えてしまったこの大量の借金に思いを馳せた。

 

 あの骸骨の墓場に転移した直後に、ニムがスケルトンどもを倒してくれたわけだけど、その直後に不測の事態が起きた。

 それはなにかといえば。

 

『ニムの燃料切れ』

 

 ま、当然だわな。もともと家電のニムに必要な燃料は大したことなかったわけだけど、改造ついでに調子に乗ってジェネレーターを大幅に強化しちまったもんで軽く10万馬力の出力が出るようになった。

 それは趣味でそうしたから別によかったんだが、当然のことながら使用電力が急激に増加していた。まあ、リアクター自体は最新型の陽電子リアクターが使えたので問題なかったけど、肝心要の燃料の『リポジトロニウム』の消費が早い早い!

 ということで何が起こったかといえば、ニムが大群のスケルトンを片付けた直後に完全機能停止。俺はまあ、ちょっといろいろあって、その現場で何が起きたのか詳しく把握していないのだが……げふんげふん、散乱する大量の骨の中に固まったニムを認めて、慌てて担いでその場を後にしたってわけだ。

 あとは簡単、明かりを便りにこの街に辿り着いて、この宿屋に駆け込んだ。

 で、動かなくなったニムをどうしようかあれやこれや試していたら、たまたま手に入った『魔晶石』の放射線がリポジトロニウムと近似だということに気がついた。

 ということで俺がしたことは、この『赤い風見鶏』の店主のアンジュちゃんの父親に金を借りて、街の魔法道具店にあった魔晶石を買い占めることだった。

 その額たるやなんと10万G。

 いやはやなんて浅はかなことをしちまったんだか。

 この世界の貨幣価値とか商品価値とかいまいち分かってなかったもんで、つい買い占めちまったがそこまでする必要はなかったかもしれない。

 なにしろこの街での一人あたりの年間生活費がだいたい10万Gくらいだというのだから、いかに高い買い物をしてしまったのか様として知れるというものだ。

 はあ、失敗した。

 しかし、おかげでニムも再起動できたし、通常出力で行動している限りはそこまで燃費も悪化しない設定にしたから、まあ在庫で暫くは保つだろう。

 ニムはニムで食堂とかでアルバイトをしているし若干の給料はあるとはいえ、稼ぎ頭だった俺がこの体たらくではうちの家計が破綻するのは時間の問題。

 そもそも冒険者になったのだって借金返済のためにもたくさん稼ぎたいってのが最大の理由だったしな。このままじゃ本当にジリ貧だ。

 はあ……マジで生活保護とかの制度ないもんかな。

 

「また仲間の募集から始めねえとならねえか……」

 

 もうため息しか出なくて、せっかくのうまい夕飯の味もどこかに飛んでしまっていた。

 

「大丈夫っすよ! なんとでもなりますって!」

 

 と正面のニムが変わらずにガリボリしながらそんな軽口を叩いているし。

 分かってねえなこいつ。世の中そんなに甘くねえんだってのによ。これだから生まれたての人造人間(ドロイド)は……ったく。

 思わず苦言を言っちまいそうになったその時、唐突に脇から声が掛けられて、俺達は顔をそっちに向けることになった。

 

「あのう……モンジローさん……ちょっとお話したいことがありまして……」

 

 と、身を捩らせるようにやってきたのは、青ローブの元パーティメンバーだった。

 て、て、て、天使キターーーーーーー!

 

 俺たちを見下ろしていたのは青いローブを纏ったやはり青い髪の小柄な少女、フィアンナ。透き通った青水晶のような輝く瞳で

俺を緊張した様子のままに見降ろしていた。

 これはあれか? あれだよな?

 好きな男子に自分の想いをどう伝えていいのか分からなくて、戸惑いつつもでもこの内に秘めた想いをなんとか届けたいって悩みに悩んでここまで来ちまった恋する乙女の顔だよな! うん、そうだ! そうに違いない!

 ということは、この後起こるのは……

 そう! 『告白』だ!

 やばい、どうしよう、ついに告白されちゃうのか、純情乙女に……

 そりゃ今までだって女子に告白されたことは確かにある。なんというか、もっと気楽に「紋次郎、私と体育倉庫でエロいことしようよ」みたいに言われて……あれ? これ別に告白じゃなくね? ただの性癖の暴露じゃねえか。

 そ、そそそそそそしたらこれが本気も本気の最初の告白ってことか……

 くぅ~~~

 ついに俺にも春が来たかーーーーー‼

 

「ご主人? ご主人? 多分いろいろ妄想爆発してるっぽいすけど、あんまり爆走すると後でダメージでかいっすからほどほどにしといたほうがいいっすよ」

 

 何を言ってるんだニムのやつ。

 そんな勘違い俺がするはずないだろうが……

 

「あ、あの、モンジローさん。実はお願いというのは……」

 

 おずおずと頭を下げたままそう零すフィアンナの次の言葉は予想の斜め上を行っていた。

 

「お願いします! 父の……父の仇を取ってください!」

 

「はい、ダウトっすね」

 

 全てを察したかのような二ムが俺をにやにやと覗き見ていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 依頼

「んで、仇ってなんのことだ?」

 

 気を取り直した俺は椅子に座ったフィアンナに視線を向けた。今は暴走するのはやめだ。きっとこの娘は心に傷を抱えているんだ。だからこそ、まずは話を聞いてやらないと。

 ふう……先走って俺から告白しなくてマジで良かったぜぃ。

 ちょっと冷や汗もんだけど、まだ大丈夫、問題なし!

 ちょっと二ムの顔がムカつくがそれはスルーということで。

 

 フィアンナは伏目がちに俺をチラチラと見てくる。

 何か言い出したいようでいて、言うのを戸惑っている感じ。流石にこの状況で俺に告白はないと思えるけど、ほんの少し、一縷の望みだけは残しておきたい今日この頃!

 その重たい口がついに動いた。

 

「あ、あの……モンジローさん、これを見てください」

 

 ふぁっ! ま、まさかラブレターか!? と思いきや、なんだよステータスカードか……はぁ……ラブレター……

 

 差し出されたそれは俺にもよく見覚えのある白銀の魔導金属(ミスリル)製の薄いカード。

 なんでこれを見なきゃいけないのかまったく理解できない。そもそも他人のカードを見るのはマナー違反の上に、悪用される恐れもあるから極力人に見せてはだめだと、ギルド入会時にしつこく何度も忠告を受けていたことだし、なんというか見てくれと言われても、すぐ見る気にはならなかった。

 でも、キラキラと輝く大きな双眸に凝視され、なんというか断わる言葉がまったく出なかった俺は恐る恐るカードを手にとった。

 

「あ、ワッチにも見せてくださいよ」

 

 はい、ここにまったくマナー無視の奴がいたね。うん。

 

――――――――――――

名前:フィアナ・アストレイ

種族:人間

所属:アルドバルディン冒険者ギルド

クラス:治癒術師(ヒーラー)

称号:冒険者、癒す者

Lv:12 

 

恩恵:〖ウンディーネ〗〖ドリアード〗

属性:〖水〗〖土〗

スキル:

〖魔力回復Lv1〗〖精霊防御Lv1〗

魔法:

回復(ヒール)Lv2〗〖守力上昇(ボディプロテクション)Lv1〗〖聖化(ホーリー)Lv1〗

死霊退散(ターンアンデット)Lv1〗

 

体力:19

知力:38

速力:22

守力:33

運:13

名声:12

魔力:25

 

経験値:622

――――――――――――

 

 おお!

 そう、これだよ。これが普通の冒険者のステータスだよ。

 最近自分の『経験値しか値の変わらないカード』に慣れすぎてたせいですっかり忘れていたけど、この世界の人間は様々な『超常の存在』の『恩恵』を得て、その分野に特化した能力を伸ばし育てていくことが出来るのだと、物の本に書いてあったんだった。

 そういうことで言えば、フィアンナは精霊(スピリット)ウンディーネとドリアードの恩恵を得ているわけで、それぞれ『癒し』と『生命』に干渉する精霊であるわけで治癒術師(ヒーラー)にはもってこいの取り合わせと言える。

 まあ、今後さらに色々な存在に恩恵を授けられることで様々な能力や魔法が開花していくわけで、今の時点でこれだけの水準の能力を得ていればかなりの成長が期待できるってことだ。こりゃ、すごい逸材だぞ。

 

「あれ? なんかワッチとかご主人のと大分違いやすね」

 

 二ムはそう言いながら、胸の谷間に手を突っ込んでそこからステータスカードを引っこ抜いた。

 お前、どこにしまってんだよ。というか、ぶるんぶるんしててフィアンナも目が点になっちまったじゃねえか。

 すちゃっとテーブルに置かれた二ムのカードを眺めてみると……

 

――――――――――――

名前:SH-026

種族:???????

所属:モーガン食堂(非常勤)

クラス:拳士(グラップラー)

称号:死を呼ぶ者、死者を喰らう者

Lv:なし 

 

恩恵:なし

属性:なし

スキル:なし

魔法:なし

 

体力:ξλЮ

知力:ЩνΘ

速力:ΓΞ×

守力:ΑΖζ

運:0

名声:120

魔力:0

 

経験値:2523

――――――――――――

 

 っておい!

 お前のは違う……っていうよりおかしいんだよ。

 ツッコミどころ多すぎてもはやどうしていいのか分からねえじゃねえかよ。

 というか、バイト先『モーガン食堂』だったんだな。今度食いに行ってやるか。

 そもそもなんでステータスカード作れたかね? なんと言えばいいか、この世界の神様っぽい存在というか、このカードに情報を送ってくれてる存在に非常に申し訳ない思いでいっぱいだよ。結構無理して記入してくれてるよな、ホントに。

 二ムのおっぱいぷるんぷるんで目が点になってたフィアンナが、ステータスカードに完全に釘付けになってしまっているし。

 こりゃもう説明すんのも面倒だな。

 俺は二ムのカードを取り上げて奴へ返した。そして言った。

 

「えーとな、こいつはちょっと特殊な存在なんだ。だからカードの表示もおかしくなっちまうんだがこういうもんだと納得してくれねえかな、頼む」

 

「特殊な存在? こういうもの!?」

 

 頭を下げるとフィアンナがびくりと反応したのが分かった。

 これで納得してくれると説明しなくて済んで面倒がないんだが……

 そう思っていたらフィアンナが口を開いた。

 

「貴方は……あなた方はやはり……」

 

 ん? 何を言おうとしてんだ?

 ぽそぽそと声を漏らす彼女の様子を注視するも、そこから先の言葉を言おうとはしない。暫くまっていると、突然にフィアンナは頭を下げる。そして再び同じお願いを俺にした。

 

「おねがいします。どうか父の無念を晴らす手伝いをしてください!」

 

「だから、ちょっと待ってくれよ。話はちゃんと聞いてるからさ。でも、そのことと、フィアンナが見せてくれたステータスカードと一体なんの関係があるっていうんだよ」

 

「あ……し、失礼しました。そうですね、そこをお話する必要がありましたね」

 

 フィアンナはそう言うと、自分のステータスカードを指さした。そして俺達に問う。

 

「今まで黙っていてすいませんでした」

 

「へ? なにがだ? 羨ましいくらいに良いスキルと魔法をたくさん持ってるし、アビリティーも順調に成長してるしな……正直マジで羨ましすぎる」

 

「い、いえ……モンジロー様、そうではなくてですね……」

 

 ん? 『モンジロー様』? なんだ? なんで急に呼び方変えたんだ?

 フィアンナはどんどん丁寧になっていく言葉使いをそのままに、自分の名前を指さして宣言した。

 

「私の『姓』のところです。申し訳ありませんモンジロー様、今までずっと隠してまいりましたが、実は私は『アストレイ家』の直系の存在なのです」

 

 苦しそうに顔を歪めてそう話すフィアンナに俺は即答した。

 

「うん、そうみたいだけど、それがどうしたんだ?」

 

 と言った途端に彼女は絶望した顔を俺に向けてきた。

 なんでそんな目で見るんだよ、やめてよ。俺、なんかまずいこと言ったか?

 冒険者が名前を偽るくらい良くあることだって聞いてたし、別段大した問題でもなさそうな気がするんだけれども。

 そうしたら二ムが俺の脇腹をつんつんついてきた。

 

「ご主人あれじゃないっすか? アストレイって言ったら、この町の前の領主の家名がそうでしたよ……そんなことをモーガンのおっさんが言ってましたし、ワッチはその他には該当するキーワードは聞いてませんし」

 

 おお、ニムの情報が役に立っとる。

 

「そうか、前領主ね……ん? あれ? そういや今の領主ってセシリアのとこの……」

 

「エスペランサ家ですね。現当主はセシリアさんの父親で『スルカン・エスペランサ』って人ですよ、ご主人」

 

「ちょうどさっきそんな話が出てたもんな。というか、これ結構重要な話だったんじゃないの? 聞かなかった俺も俺だが、教えろよなそういう重大事項は。一応同じパーティだったんだから」

 

 と言った途端にフィアンナがシュンと項垂れた。

 どうも俺にしかられたと勘違いしたらしい。

 違う! 俺そんなこと微塵も思ってないからね!

 と、否定しようと仕掛けたところでフィアンナが顔をあげた。

 

「すいませんでした。私は出自を隠さなくてはならなかったんです」

 

「いや……別に怒っちゃいねえから。それよりも、その話ぶりだと、フィアンナの親父さんが、セシリアの親父に殺されたって風に聞こえるんだけど、そういうことなのか?」

 

 その問いにフィアンナはどこか怯えた風な様子で静かに頷いた。

 うへー、マジかよ。

 

「ということは、この話のこの先は、父親の仇であるセシリアの父親のスルカンってやつを殺してくれって内容になっちゃうじゃねえかよ」

 

 俺がそう言うと、彼女は慌てて首を横に振った。

 

「べ、別にそこまでして欲しい訳ではありません。スルカン様が父の跡を継いで領主に就任されたことについては構わないのです。むしろ、父が急逝した折りに混乱なく行政を取り仕切ってくれたのですから寧ろ感謝しております。ただ……父の死があまりにも不遇過ぎて私は納得できないのです」

 

 一度言葉を区切ったフィアンナ。

 おいおい、これ以上深刻な話は勘弁してくれよぉ。

 そう思っていたのだが、その願いは叶わなかった。

 フィアンナは滔々と何が起きたのかを涙ながらに語りだしてしまった。 

 

 話はこうだ。

 

 この地はそもそもフィアンナのご先祖様が中心となって街を切り開いたらしく、代々その血筋の人間がこの地を治めてきたらしい。もともとが山岳地域であり領内からは珍しい鉱石がたくさん産出されたこともあり、その領地運営の手腕と貢献を王に認められ、以後爵位を賜り正式に領主に任命されたのだという。王都から遠い辺境ということもあり、領地争いなどの問題に見舞われなかったここで人々は長い間穏やかに暮らせていたのだが、1年前に異変が起きた。

 街近郊に遥か昔から……この街が誕生するよりもずっと以前から存在していた巨大な墳墓、『死者の回廊』から大量のアンデッドが発生したのだ。

 この時、フィアンナの父『ライアン』はこの街から姿を消してしまっており、代わりに副領主だったスルカン・エスペランサが冒険者や騎士団を投入してその殲滅を図った。屈強な沢山の人々の奮闘によりその時は一気にアンデッドを殲滅することができ、事態は終息に向かうかと思われた。

 そんな中、ある噂が飛び交った。

 

『アンデッドが生み出されるのは、領主ライアンが【魂の宝珠】を奪ったから』だと。

 

 【魂の宝珠】とは、『死者の回廊』の中央の礼拝堂内に安置されていた青い水晶のことで、この宝珠の力により死者の霊魂は安らかに眠ることができるのだと考えられていた。

 いつ誰がこの宝珠をここに設置したのかは定かではないようだが、確かに数百年間この地でアンデッドの出現はなかったのだという。

 そして宝珠には強力な結界が施されており、特定の人間以外近寄ることは出来なかった。

 そう、この宝珠の守り人こそが領主たるアストレイ家の血族に連なる者であり、唯一この結界内に入ることのできる存在とされていた。

 そのような宝珠があのアンデッドが湧き出した後で失われていたことが判明した。

 街の民も善政を行うライアンに対しまさかと思いつつも、次第と盗んだのではないかとの疑念を強めることとなった。

 

 アンデッド討伐から数日の後、ライアンは『死者の回廊』の礼拝堂の前で無惨な屍となって発見される。

 アンデッドに襲われたのであろう遺体は見るに絶えない程に損壊していたのだという。

 ライアンの急死をうけて人々は混乱の極地にあったが、そのような街を取りまとめたのはやはり副領主のスルカンだった。スルカンは『未だにアンデッドは湧き続けている』と触れをだし、その討伐を取り仕切ると同時に街が混乱しないように、すぐさまライアンの業務を代行した。そうして人々の支持を得た彼はそして街の新領主に収まったというわけだ。

 宝珠は未だ見つかってはいないが、『盗んだライアンが死んだことで霊たちの怒りが静まった』と街の人々は解釈し、今なおライアンのせいでアンデッドが産まれてきていると信じている者が大勢いるのだという。

 

「一月前にアンデッド討伐体が再編成される事態が起きましたが。実際のところここ最近は目撃例はなく事態が収まったか? とも思われていましたが、依然として父のせいで『死者の回廊』からはアンデッドが湧いていると街の皆さんは信じているようです」

 

 悲し気にうつむきながらそう呟くフィアンナ。まあ、辛いだろうな。

 それはあれだろ。一月って言ったら、俺達が転移してきたタイミングだし、あの時ニムが狩りまくったからな、そりゃ激減しちゃうだろうさ。

 ちらりとニムのドヤ顔が見えたがここはスルーで。

 長いフィアンナの話を聞き終えた俺は頭を掻く。

 

「つまりはその『魂の宝珠』が無くなったこととお父さんが死んだことだけが確かで、君のお父さんが盗んだかどうか、誰に殺されたのかというか、自殺か他殺かも不明と言うわけか」

 

 彼女は申し訳なさそうに項垂れる。

 

「は……はい。ですが、以前よりこの街をもっと発展させるべきだと主張していたスルカン様と保守派だった父が対立していたのは確かな事実なのです。私は……私にはとても父がそんなことをしたなんて信じることはできなかったのです」

 

「えーと、フィアンナさんはお父さんとこの街で一緒に暮らしてたんではないのですか?」

 

 二ムが横からそう質問すると、

 

「え? あ、はい。私は王都の『アマルカン修道院』で幼いころから修行の為にそこで暮らしていました。母は早くに亡くなり他に兄弟もおりませんでしたのでいずれは街に戻って死者を弔うための祭事を取り仕切る『巫女』になる予定でした。ですので、生前の父の細かな行動まではよく知らないのです」

 

「ふーん、でも、やっぱり納得いかなくてこの街に戻って来たってわけだね」

 

「はい、そうです。長く離れていましたもので、この街で私の事を知っているのは父の側近の数名の方くらいしかいませんでしたから。ですので、私は姓を隠して冒険者になり、何が起きたのかその事実を調べることにしたのです。でも……」

 

 彼女は一度言葉を句切り、テーブルの上で組んだ自分の手に視線を落とした。

 

「私一人では大したことは出来ませんでした。真実はおろか、亡くなる前の父の足取りさえ追うことは出来ませんでした。ですのでお願いします。どうか私にお力添えをお願いします」

 

 がばりとテーブルに額がついてしまいそうなほど深く御辞儀した彼女に、慌てて顔を上げるように頼んでから俺は深く椅子に座り直して思案した。

 

 うーむ……

 親父さんのことを調べるために一番怪しいと思えるエスペランサ家の子供のセシリアのいるパーティに入ったってことかな? 俺が誘われた時はもう3人は居た訳だしな。

 言っていることに矛盾はなさそうだけど、フィアンナは今までずっと修道院みたいなとこで生活したわけだよな? しかも元々は貴族な訳だし、そんな箱入り娘がいくら父親の為とはいえ、冒険者になってまで真相に迫ろうとするかな?

 まあ、怨恨・復讐心は千差万別人それぞれ。どんな感情を抱いてどんな行動を取ろうともそりゃ人の自由だろうよ。

 けど、そんなことは置いておいてだな……

 

 そもそもだ、何で俺なんだよ?

 

 いや確かにさ、気になる女の子から頼られるのは嬉しいしなんというか胸キュンしちゃうよ、いや本当に。

 でもさ、よく考えてみろよ。俺はレベル1だぜ? 初級、駆け出し、素人同然のこんな俺に頼ったってどうにもならないぜ? 

 普通に力比べしてフィアンナに余裕で負ける程度の力しか俺はないし、なにしろこの世界自体初心者だしな。ほんと、なんの役にも立たねえよ。

 とか思っていたら、隣にいるニムが。

 

「えっとフィアンナさん。正直申し上げてここにおりますワッチのご主人は、虫並みの筋力で蚊ほどの魔力もない、外見だけちょいとマシなムッツりスケベの真性の役立たずですよ? あ、あれは仮性でやんすけど。こんなんで本当にいいんですかい?」

 

 って、何言っちゃってんの!? ニムさん。

 んなこと言ったら好感度駄々下がりだろう? ってかお前いつ見たんだよ‼ ちっくしょーーーーーー!

 

「そう……ですよね。お二人は全てをお隠しにならなければならないのですものね……」

 

 ん? 何を隠すって?

 ぼそぼそと意味深なことを呟いたフィアンナが真剣な瞳を向けてきた。

 

「是非……是非お願いします!」

 

 え? 本当にいいの? 俺仮性……

 

「良かったっすねご主人、これで大手振って交際できやすぜ!」

 

 と、ニムがしたり顔でサムズアップしてきやがるし。

 ええい、ムカつくが、今回に関しては不問だ! 良くやったニム!

 と俺もグッとサムズアップで返した。

 少し戸惑った感じで俺たちを見ていたフィアンナがおずおずと口を開いた。

 

「あ、ありがとうございました。つきましてはご依頼を受けて頂くに当たって依頼料と手付金のお話を……」

 

 いやいや、そんなのいらないよ!

 と、言いかけたその時、ニムが俺の口をむんずと押さえつけてきた。そして耳に唇を近づけてきてぽしょぽしょ話し出す。こ、こしょばい。

 

「ご主人ご主人、カッコつけたいのはわかりますけど、ここはきちんと貰いましょう」

 

「え?だってお前そしたらなんか俺金目当てで彼女を狙ってるみたいに見えちゃうだろ?」

 

「違いますよ! ここは大人の魅力を発揮する時ですよ。あくまでビジネスライクでまったく揺るがない渋い大人の男性の魅力を見せつけてですね、俺はこんなにカッコ良く仕事できるんだぜを演出するんでやんすよ」

 

「お、おお……そ、そうか……?」

 

「女ってのは頼れる男に惚れるんですよ。この際彼女の気持ちとしてのお金ももらって、彼女自身の心ももらっちまいやしょう!」

 

 なんかニムが名作アニメのラストシーンみたいなこと言っとる。

 

「そ、それもそうだな! うん! なんかそれが一番いい気がしてきた!」

 

「あ、あの……」

 

「ひゃいっ!」

 

 俺とニムの会話に急遽入ってきたフィアンナにびくりとしつつも俺は覚悟を決めビジネスライクに徹して話を進めることにした。

 

「え、ええとな。話はわかった、うん、よおくわかった。だから君の力になるべく力を貸したいと思う。でもな、俺はハシタ金では動かないZE()!」

 

 と、いつか見たハードボイルド漫画の主人公みたいなことを言ってみる。

 すると彼女は途端に怯えた表情になり、震えだしてしまった。やべ、や、やりすぎちまったかも。

 

「あ、あの……すいません。今は大したお金用意できないんです。た、足らない分は、な、なんとしてでもお支払いたしますので……」

 

「い、いや……とりあえず、あるだけでいいから。何も金の工面で君が路頭に迷う必要はないからね」

 

 と慌ててフォローする。

 ふう、危ない危ない。このままだと歓楽街に身売りしてでもお金稼ぎますとか言い出しかねない感じだったからな。誰もそこまでしてほしくないし、そもそも俺は彼女を助けたいだけなんだから。

 

「ありがとうございます。とりあえず今すぐお渡しできるのはこの『100万G』だけなんです。足りない分は後で必ず……」

 

「「やりましょう! 是非やりましょう! やらせていただきます!」」

 

 俺とニムの二人の絶叫が赤い風見鶏の店内に響き渡った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 探偵はじめました

 人は絆を尊ぶ生物であると俺は思っている。情けをかけ、思いやりで接し、苦しみをも享受する。そうすることで絆を育み優しさや温もりを手に入れていくのだ。

 そう、いつだって人は人を求めている。苦しい時、つらい時、特にその想いは大きくなる。

 だからこそ、困った人を助けるのは当たり前のことなのだ。

 

 だからね? そういう人助けの際にほんのちょっとだけ気持ちにお礼を貰っても、悪くもなんにもないわけよ。そうなのよ……そのはずなんだが……

 

 

「いやあ、流石に現ナマ目の前にすると、かなりアガリますよね」

 

「…………」

 

 現ナマ言うな‼

 う、ううむ。

 なんというか正直マジで悪い事しちゃってる気がしてます。俺、まだ何にも悪い事してないのに‼

 

 ここは宿の個室。

 普段は一番安い雑居部屋で寝るのだが、今日は大金もあるってことで一部屋借り切った。

 う、うん、なんかこれだけで贅沢すぎる気がしてしまう。

 ただ、一応この部屋は二ムの部屋ということになっている。そりゃそうだ。基本二ムは『女』なわけで、男女が同じ部屋で一夜を共にするということはまさにそういうことだ! になっちまうから、俺は男の雑居部屋に後で退散だ。流石にアンジュちゃんにそんな誤解されたらもう生きていけないし!

 とか思っていたら、湯殿から二ムが帰ってきたところで俺に声をかけてきたってわけだ。

 

「ふう……いいお湯でやんしたよ? ご主人も入ってくればいいのに」

 

 二ムは髪の毛をバスタオルで巻き上げ、少し透けたネグリジェを身に着けている。流石に今日は穴あきのあれは着てないな……ってか、ネグリジェの下はノー着じゃねえか‼ い、いろいろ、いろいろ見えちゃってるぞ!

 

「俺は後でな……ってかお前な……そんなかっこすんじゃねえよ。露出狂か‼」

 

「えへへ……こんな格好するのはご主人の前だけでやんすよ。サービスっすよサービス。なんならご奉仕いたしやしょうか?」

 

「いらんっつーの‼」

 

 くっ……なんで組み立てた俺が、自分の用意したパーツにドキドキしなきゃいけねえんだか。

 女の形で動かれると、こうもエロく感じちまうから不思議だ。

 ベッドに座る俺の脇にピッタリ寄り添う様に座ってくる二ムをを極力無視するように俺は努めた。

 

 さて、俺達の目の前には今度は完全なゴールド色の金ぴかのコインが山積みになっている。

 うん、さっき下の食堂で広げていたときの硬貨とはまるで違う輝き。多分これが正真正銘の『金貨』ってやつなんだろうな、持つとめっちゃ重いし。

 

「と、ととととりあえず、フィアンナの依頼を完全にこなさないとな!」

 

「ご主人、声がめっちゃ裏返ってますね。本当にビビりですねー」

 

「う、うっせ! びびってねえし。ぜーんぜん平気だし」

 

 嘘です。めっちゃビビってます。ニヤニヤと二ムに見られているのが本当に苦痛だが、今は文句を言う気も起きないし。

 いや、だってこれマジで金だよ? いくら仕事の手付だって言ってもまだなんにもしてないわけで、もし仕事しくじったら本当に申し訳ないし、そう思うと本当に受け取っていいのかなんかもやもやしちゃうし‼

 

「ま、せっかくもらった金ですし、まずはパァーっと……」

 

「だ、だだだだ、ダメに決まってんだろうが。まずは使う前にどうやって仕事を完遂するかを話し合ってだな」

 

「いや、そんなのとりあえずセシリアさんの親父さんをグーでパンすれば終わりじゃないっすか?」

 

 とか、そんな物騒なことをニコニコしながら言ってるし。お前その右拳握り込むのマジやめろ! ってかお前がグーしたら大抵の人間消し飛んじゃうだろうが!

 

「そんな簡単じゃねえだろ? そもそもそのセシリアの親父のスルカンって人が本当にフィアンナの親父さんを殺したかどうかも分かってねえし、そもそも噂にもなってるその『魂の宝珠』を盗んだのが本当は誰なのか? って話からだ。少なくとも俺はフィアンナの親父さんは盗んではいないと思ってる」

 

「好きになった女の子の親だからですか?」

 

「ちげーよ、バカ」

 

 なんて短絡的なことを聞くのこの子は。お前の電子頭脳どうなってんだよ。まあ、フィアンナが悲しむ顔は見たくないのだけれども!

 

「結界内の宝珠に触れるのはその時父親のライアンただ一人ってことになっちまう。フィアンナが王都に居たんだから、宝珠がなくなれば疑われるのは間違いなくライアンだ。実際に街中の人がそう思ったらしいしな、そんな分かり易い状況をわざわざ自分でつくるかよ。それに、まだフィアンナの話だけだしな」

 

「お、ご主人はフィアンナさんのことも疑ってるっぽいっすね」

 

「まあ、今のところは当然だな。何の裏もとれてねえし、そもそも俺はその噂すら知らねえし」

 

「あ、ワッチは知ってやしたよ。みんな話してやしたから」

 

「え? そうなの? 俺一か月も冒険者やってたけど誰も話してくれなかったけど」

 

「あー、それはご主人がちょっと色々あれであれな可哀そうな感じのひとだからじゃないっすかね?」

 

「おい! あれとかあれで俺をどう表現したいのか聞こうじゃないか! その前にお前のマザーボード引っこ抜くが」

 

「引っこ抜かれたら本当に何もしゃべれないので本当に止めてくださいすいやせん。あ、でも意識がないうちにワッチのアソコとかアソコに悪戯しても許してあげちゃいます!」

 

「するかっ!」

 

 何を言ってんだこいつは悪びれもせずに。

 

「だからやることはまずは聞き込みだな。ライアン・アストレイとスルカン・エスペランサについての評判をなるべくたくさんの人から聞く……」

 

「あ、アストレイ家とエスペランサ家についてでしたら、もう213件の情報がありますよ」

 

「へ? そうなの……か?」

 

 そういや二ムはバイト先で色んな奴の話を聞いてたんだったな。

 

「基本ワッチの聞いてきた範囲での統計からなんですが、およそ72%の人がライアン・アストレイが宝珠を盗んだせいでアンデッドが湧いたと思っている様っすね。でも90%の人がライアンはそんなことをするような人じゃなかったとも言ってやした。かなり人徳はあったようっすね。それとスルカンに関してなんすが、収賄を繰り返していたようで領主になったことを快く思ってない人が65人いましたね」

 

「お、おお……もうデータかなり集まってんじゃねえか。なら、魂の宝珠についてはどうだ? どんなアイテムなのか情報は入ってるか?」

 

「ええとでやんすね。ちんこん……チンコン? ……いや鎮魂の……」

 

 なんで今頬を赤らめて俺を見ながら繰り返しやがったんだよ。鬱陶しいよ。

 

「鎮魂の為のアイテムだってことくらいしか皆さんご存知ない様っすね。ただ一人だけ、変なことを言ってる人がいやした」

 

 と言いつつ二ムは人差し指を立てて俺に説明。

 

「ワッチがアンデッドがたくさん出て大変っすよねって言ったらその人は、『もうそんな時期か……』って言ったんでやんすよ。これ実は超有力情報じゃないっすか? 褒めていいっすよ! なんなら挿れちゃっても!」

 

「って何をだよ‼」

 

 ったくこいつは本当に脳内お花畑だな。

 

「で、そいつはいったい誰なんだ?」

 

 二ムはむふふーんと口をもにゅもにゅさせながら言った。

 

「そりゃあれですよ。ご主人が通ってる鍛冶屋の大将でやんすよ」

 

 ああ、あの人なら確かに知ってそうだなー……と、俺はあのモップみたいな髭面を思い出して一人納得した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 鍛治師ゴードン

「おーい、じーさん、いるかー?」

 

 アルドバルディンの南の外れ、開けた広場にたくさんの丸太が山積みにされた場所のさらに奥に、その小さな木造の家の戸はあった。俺達はその引き戸の前に立って大声を掛けたわけだが返事はない。小屋の煙突からはもくもくと煙が立ち上っているし、中からはカァーンカァーンと鎚を叩く音が聞こえてきていたから、中にいるのは明白なんだけどな。

 

「返事ありませんね。忙しいんすかね?」

 

「いや、面倒臭がってるだけだろうよ。おいじーさん入るぞ!」

 

 ニムに返事をしながら俺は無造作にその戸を開けた。

 と、その途端にむわぁっと熱気が噴出してくて思わず目を閉じた。めちゃくちゃ暑い、暑すぎる。

 真夏に駐車されたまんまの車に乗り込んだ瞬間よりも更に暑い。普通こんな高温じゃ人は生きていられないだろうと思えるんだが、鎚を振るう音が絶え間なく続いていたからきっと生きているんだろうな。

 

「おーいじーさん……」

 

 ザクッ‼

 

 中に踏みいった途端に俺の立っていた隣の壁に超デカイ鉈が突き刺さった。

 こんなデカイ鉈でいったい何切る気だよ……てか、いきなり人に投げつけんな! 死ぬから!

 

「何じゃあ貴様らは、とっととその戸を閉めんかぁっ! 『神気』が漏れるじゃろうがぁっ!」

 

 神気ってなんだよ!?

 と思ったところで全くこっちを向かないじいさんの様子に俺は諦め、黙って部屋の戸を閉めた。

 そして、ただひたすらに灼熱に熱された金属の棒を上半身裸で渾身の力で叩き続けるその筋肉の固まりのような背中に目を向けた。

 背丈は大分低いはずだが、その躍動する樹の幹のような太い腕のせいかかなり大柄に見える。長く縮れて伸びた赤毛がまるで炎のように背中を彩っていた。

 正面に回れば更に長い紅い立派な髭が見えるのだが、この位置からでは確認できない。

 俺たちはそのくそ熱い部屋の中でただじっと待った。

 全身もう汗だくだし意識も朦朧としてきていた。

 だが、その魂を削っているかのような目の前の行為から目が離せなかったのだ。食い入るように見つめ続けていた俺の目の前でついにその刀身の真の姿が現れた。

 

 ジュバアアッと大量の水蒸気を放って水の中から現れ出たその剣は紛れもない一級の剣。まだ研がれてはいないがその刃は何でも切断してしまうのではないかと思える程の妖しい気配を纏っていた。

 

「ふぅ……なんじゃ貴様ら、まだ居たのか?」

 

 赤毛髭もじゃじじいは汗だくで立ち尽くす俺を見てそんなことを言いやがるし。

 

「まだはねえだろ、まだ何の用件も終わってねえぞ」

 

「ふんっ……どうせくだらん用件じゃろうて」

 

 じじいは打ち終えたばかりの剣を晒しに巻き、それを両手で持つと深々と頭を下げた。

 そしてその剣を板間に拵えられた簡易な木の祭壇の中央へと奉り、更に二礼二拍手って……

 

「じいさん神道なのかよ?」

 

「『シントー』? なんじゃいそれは? それよりもさっさと戸を開けんかっ! 熱くて叶わん」

 

「開けろって……あんたが閉めろって言ったんだろうが!」

 

「ああっ? んなこた知らん知らん、いいからさっさと開けんか」

 

「ったくこの耄碌(もうろく)じじいが」

 

 とりあえず俺は閉めきられていた戸を全開にして、窓も全て開け放った。

 赤髭じじいは炉の火を弱めると甕から水を汲んでそれをごきゅごきゅと飲み干した。そして、脇に置いてある別の甕の蓋を開けるとそこから紅いイチゴのような果実を取り出して皿に盛り、それから炉の端に置いてあったヤカンを持ってきて湯呑みに茶を淹れる。と、それを手渡してきた。

 

「ほれ、突っ立っとらんでその縁にでも座れ」

 

 言われて俺は土間脇の板間の縁に茶を持ったままニムと並んで座った。その脇にさっき皿に持ったフルーツを置いてさあ食えと言わんばかりに目を向けてきた。

 

「これ食えんのかよ? この熱さで腐ってねえか?」

 

「ふんっ。無理して食わんでもいいわい」

 

「あ、ワッチは頂戴しやす。いっただきまーす」

 

 パクリと口に頬張ったニムが、くぅ~っと震えながら歓喜した。

 

「これめっちゃ美味しいです! 冷たくて甘くて」

 

 え? 甘くて冷たいの?

 それを見たじじいもデカイ手でむんずと掴むとそれを口に放り込む。そして優しい顔でニムに皿を差し出した。

 

「そうかそうか、遠慮はいらんからもっと食べなさい」

 

「はい!」

 

「おい、なんか俺の時と対応違いすぎねえか?」

 

「若い娘っ子と同じに扱ってもらおうなんざ随分とひ弱な奴じゃな。もっとしっかりせんとこの娘に愛想つかされちまうぞ」

 

「余計なお世話だよ」

 

 気分は悪かったが二人が旨そうに食ってるもんで俺も一つ摘まんでみる。すると、冷蔵庫にでも入れてたようにキンキンに冷えていてしかもメチャクチャ甘かった。

 

「旨い! じいさん旨いなこれ。なんで冷えてんのか分からねえけど、いくらでも食えるぞ」

 

「ふんっ。『ストローベリ』の実くらいて大袈裟な奴じゃ、こんなんで良ければいくらでも食わしてやるわい」

 

 言ってじいさんは甕から皿に山盛りでこの果実を取り出した。『ストローベリ』ってまんまイチゴだったんだな。

 どうやらその甕に『凍結魔法』をかけてあるみたいだな。術者なしでもマナを補給出来るように仕掛けてある。なるほど、炉と魔力を連動させてるのか、熱交換も加えて見事なマナのリサイクルになってやがる。

 ああでもこれは旨いぜ。汗だくの所為か余計に旨く感じちまう。

 俺達がむしゃむしゃ食っていると、じいさんが茶をずずーっと飲みながら口を開いた。

 

「で、儂になんの用じゃ? レベルの上がらねえ坊主とモーガンとこのお嬢ちゃん」

 

「うるせいよ! 気にしてんだからいちいちそう呼ぶんじゃねえよ、ゴードンじいさん」

 

 じいさんはニヤリと笑って俺を見返してきた。

 無造作に伸ばし放題でもじゃもじゃした赤毛の髪の毛とやはり赤い、それこそモップのようなもっさりとした髭を蓄えた小柄なその人物は『人』ではない。

 短い手足に膨れ上がるような筋肉に鎧われたその身体とその立派な髭の持ち主は、絵本でもお馴染みの小人の代名詞でもある『ドワーフ』だ。

 よく見て見れば、耳が若干尖っていて、足もその身長からすると異様に大きい。

 だが、それ以外は人とほとんど変わらない容姿であり、健康そうな背の低い老人と言った風貌である。

 俺はこのドワーフのゴードンじいさんに本当に世話になっている。

 

 俺がこの街のギルドで『戦士』として登録したまでは良かったものの、そこから先が本当に大変だった。

 まず金がないから装備が買えない。装備がないから危なくて仕事をまわしてもらえない。

 と、超極レアスキルがあったせいで注目度が高かったのは良かったけど、結局まったくの素人の上に装備なしじゃどこのパーティも相手にしてくれなかった。

 正直俺だって金も経験も実績もない状態でパーティに入れて貰おうって気にも流石にならなかったからな。

 いきなり途方に暮れたわけだけど、そんな俺に手を差し伸べてくれたのが鍛冶屋のゴードンじいさんだった。

 なんの依頼を引き受けることも出来なくてブラブラしていた俺を見かねたギルドのお姉さんが、ゴードンじいさんの処への簡単なお使いのクエストを発行してくれたことがきっかけだったんだが。

 街の中を移動するだけの、言わばガキの使いだったのだけど、ここで俺はじいさんと初対面。

 じいさんは噂通りの偏屈者で、日々剣を打ち続けているものの基本的には誰の依頼も受けてはいなかった。

 一体何の為に剣を打っているのか未だによく分からないのだが、とにかく色々な剣を打ちまくっていた。

 そんな妙なじいさんだったが、俺のどこをどう気に入ってくれたんだか、やれあの石を買ってこいだとか、やれ薪を何本割ってこいだとか、あれやこれや仕事を回してくれて、気が付けばいくらかの金と、この俺が腰に差している闘剣(グラディウス)をじいさんから貰うことが出来た。

 かなり愛想は悪かったけどな。悪い人じゃないんだよな。あ、ドワーフか。

 だから俺はじいさんには頭が上がらないわけだ。感謝しかねえよ、本当に。

 

 俺はその渋めの茶を一口啜ってから話を切り出した。

 

「あのなじいさん。今アンデッドが街の周りに多くなってきたことについてなんだが、そのことと『魂の宝珠』はどんな関係があるのか教えてくれよ」

 

 じいさんは一度目を細めて俺を見た後に即答した。

 

「知らん」

 

「はあ? 知らんわけねえだろ? だってこの前二ムがじいさんから、もうアンデッドが湧き出る時期になったかとかなんとかって言われたのをきちんと聞いてるんだぞ?」

 

「んなこた儂は言っとらん」

 

「ボケたかよ?」

 

 じいさんは今度は目を閉じて腕組みをして澄ました顔になった。

 二ムを見ればなんだか不思議なものを見るような目に変わってるしな。

 二ムの記憶は性格だ。自我を持った人間のような存在とはいえ、その正体はナノニューロネットワークチップを内包した超高性能コンピューターだ。人の会話を記録するどころか、その時の身体の健康状態や精神状態だって一言一言の発声動作から読み取れるレベル、間違った情報を記録することはない。

 となれば、じいさんが嘘をついているか、耄碌したかのどちらかだが、あえてこの状態でいきなりボケは進行すまい。となれば……

 

「なに隠してんだよ」

 

「何も隠しとらんわい」

 

 頑固だな。顔と一緒で。

 何を隠したいんだか分からねえけど、これは逆に言えば『全部知ってる』ってことだ。

 であれば、俺が取るべく行動は一つだけだな。

 

「なあ、じいさん。俺達は依頼を受けてここに来たんだよ。一年くらい前に死んだ前領主のライアン・アストレイの娘のフィアンナ・アストレイに頼まれてな、ライアンの死の真相とその仇討ちを頼まれたんだよ。胡麻化さねえで全部教えろよ」

 

「…………」

 

 じいさんは無言のまま、顔を上げて俺をジッと見据えた。

 その眼は真剣そのもので、俺の全てを見通そうとでもしているかのように。

 俺は全部晒して話すことに決めた。ここは直球勝負だろう、下手に隠せばこのぶっとい鉄棒みたいな芯の太いじいさんは絶対その腹の内は明かさない。

 だけど、自分が先に胡麻化そうとしたところに俺が直球を投げ込んだんだ。このじいさんなら必ず。

 じいさんは自分の額をそのごつごつした手でぺチリと叩くと、表情を少し緩めて話し始めた。

 

「やれやれ、もやしみてえなガキかと思ってたが、儂に意見しやがるとはな、本当に胸糞が悪い」

 

「悪かったな」

 

 口は悪いが表情はそんなに悪くはない。これは全部教えてくれそうだな。

 と、思ったのだが、その期待は裏切られた。

 

「だがな、儂は本当に知らんのだ」

 

「はあ? じじいてめえまだ嘘吐くのかよ」

 

「ご主人、ゴードンさんは嘘吐いてませんよ」

 

 二ムにちょいちょい突かれそう言われたらもう何も言えやしない。二ムには人のほんの僅かな機微から真贋を読み取ることができる機能が付いている。つまり、嘘発見機。二ムが嘘をついてないと判断したのなら本当に嘘はついていないのだ。

 ゴードンじいさんはまあ待てと穏やかに言いつつ話を続けた。

 

「儂は知らんがな、詳しいことは儂の妻が知っておる」

 

「はあ? つ、妻? じいさん結婚してたのかよ」

 

「なんじゃい、文句でもあるのか?」

 

 いや別に文句はねえが、なんというかずっと独身だと思ってたやつが所帯持ちだとか聞かされると、非常に負けた気分になっちまうのはなんでなんだろう。

 じいさんはもやもやしている俺を無視して続けた。

 

「儂が知っているのは、毎年アンデッドが湧き出ることと、その時アストレイ家の者がそのアンデッドを駆除していたということの二つだけじゃよ」

 

「え? アンデッドは毎年発生してたのか? んな話、街の連中は何も言ってなかったはずだが」

 

 と、二ムに視線を向ければコクリと頷いている。

 

「じゃあ、何か? この何百年間街がアンデッドに襲われなかったのは、毎年アストレイの家の人間が駆除してたからだってのか? しかもこっそりと? なんでわざわざ内緒にしてたんだよ。意味わからん」

 

「じゃから言ったじゃろう? 儂は知らんと。じゃが魂の宝珠が儂らのご先祖でもある『南のドワーフ』が作り上げた秘宝であることは間違いなくてな、あれが無くなってライアンが死んだと聞かされた時はえらくしんどかったわい」

 

「じいさん、フィアンナの親父さんと交流あったんだな」

 

「あったも何も、儂がアンデッドの駆除を毎年手伝っておったのよ、ライアン坊のひいじいさんの代からな。まあ、ここ最近は引退して手伝ってはいなかったが」

 

「マジか、じいさんマジでじじいだったんだな」

 

「ほっとけ」

 

 ゴードンじいさんにメチャクチャ睨みつけられた。

 

「理由は分からんし知ろうとも思わんかったが、アストレイの人間はこの街を奴等から守る宿命のようなもんがあったんじゃと、それも内緒での。儂も妻も元はこの街の人間ではなくてな、大昔にアストレイの人間に請われて移って来たんじゃ。以来儂はなまくらを打ちながら、アストレイの家のもんを助けてきたと言うわけじゃ」

 

「ふーん。でもじいさんが知らねえのに、あんたの奥さんが事情を知っているってのはどうしてなんだ? 一緒にこの街にきたんだろ?」

 

 じいさんは俺達の湯飲みに茶を継ぎ足してから、自分もそれを啜った。

 

「っはぁ……まあ、そうだが、アレは特別じゃからの……」

 

「特別? なんのことだよ?」

 

「まあ、それは会えばわかるじゃろうて。ここから南に二日ほどの山の中腹の切り立った断崖の上にな、天を衝くかのような白亜の城が建っておる。名を『ノイバルドシュタイン城』と言うのだが、儂の妻は今そこに居る。妻ならば『魂の宝珠』がどのような存在かきっと教えてくれるじゃろう……じゃが行くなら覚悟をすることじゃな。獰猛な魔獣が多いからの、普通にレベル1なら間違いなく死ぬ」

 

「っておい! 俺は普通にレベル1なんだが!」

 

 叫ぶ俺にじいさんが薄く笑って返しやがった。

 

「普通のレベル1がフォレストライノに出くわして生き残れる訳ないのじゃがの」

 

「なんだよ、知ってやがったのか」

 

「どこぞの阿呆が自分で吹聴しよるからだろうが。全く身の程を知らん阿保ほど手の付けられんもんはないわい」

 

 ぶつぶつそんなことを言っているじいさんに向かって、両手でガッツポーズのニムが鼻息荒く宣言した。

 

「大丈夫です! ご主人はワッチが守りやすから!」

 

 まあ、そうなるわな。

 所詮へなちょこの俺じゃどうやったって対処しきれねえからな。ニムさまさまだよ。

 それを見ていたじいさんがニヤリと口角を上げてるし。やめろよ、女に守られるひ弱な男とか思うんじゃねえよ、泣きたくなっちゃうだろ?

 

「……で、それでだ、魂の宝珠はそれでいいとして、核心を聞きたいんだが、あんたはライアンを殺した相手に心辺りはないのかよ?」

 

「ふむ……」

 

 じいさんはアゴヒゲを撫でながら少し思案した様子になりながら、ぽつりと言った。

 

「ない……こともない」

 

「なんだよそれは?」

 

「まあ聞け、紋次郎」

 

 お、なんか初めて名前で呼ばれたぞ。じじい俺の名前覚えてたんだな。

 ゴードンじいさんは板の間でどっかと胡坐を組み直すと、俺を見据えて口を開いた。

 

「過去にな、儂は何度かライアンに相談を受けたんじゃ。『自分には子供が一人しかいない。この先もこの生活は続けられない。なんとかしたい』とな。儂もなんとかしてやりたかったが、湧き出るアンデッドを抑えるにも人の助けがいるし、そもそも内緒にしなくてはならない理由が儂にはよう分からんかった。だから妻と相談するに止めておったのだが、ある時奴から『上手い方法が見つかった。これでようやく解放される』と嬉しそうに儂に話おった」

 

「なんだよその方法ってやつは?」

 

「さあてな、そんなこと儂が知るわけがない。じゃが、ひとつだけ言えるとしたら奴にその方法を教えた奴がいるってことじゃな」

 

「だからそれを吹き込んだのが誰かって聞いてんだよ」

 

「ふんっ、それが分かればとっくに自分でなんとかしとるわい」

 

 じじいはそれだけ言うとむくれた面になって、また茶を飲んだ。

 二ムに聞くまでもなく何一つ嘘は言ってないんだろうな。

 うーん、参ったな。ここでじいさんの口からスルカンの名前が一度でも出ればすぐにクロだってことでグーパンの刑に処しちまおうって腹だったんだが、どうもそれだけじゃ収まらねえ話だな。

 『魂の宝珠』はみんなが言ってる通り、死者を眠らせる効果があるのかと思ってたが、この話が本当だとすると、このアイテム関係なしにアンデッドが湧いてたわけで、むしろそれを駆除していたアストレイの家の連中は称賛こそされ、蔑まされる謂れは一切ないわけだしな。

 

 むしろ謎なのは、そもそもなんで街の住民にその駆除を内緒にしていたのか?

 それとなぜ年に一度、この時期に大量にアンデッドが湧くのか?

 と、『魂の宝珠』とはいったいなんなのか?

 だな……

 

 うーん。愛しのフィアンナの頼みだし、結構単純な怨恨殺人かと思ってたから安易に引き受けちまったが、こりゃまだ裏が色々ありそうだぞ?

 寧ろ、これから具体的に調べていかねえとな。

 俺は一度二ムを振り返り、そろそろ帰るぞの目配せをしてからゴードンじいさんに頭を下げた。

 

「じいさん色々教えてくれてありがとうな。今日はそろそろ帰るよ」

 

 と、言って立ち上がろうとしたら……

 

「ほれ、さっさと剣をだしやがれ」

 

「へ?」

 

「いいからさっさとしろ」

 

 いきなりそんな事を言われて、じいさんに譲って貰った鈍色の闘剣(グラディウス)を腰から外して手渡した。

 じいさんはそれを鞘から抜くと、自分の眼前に刃を持ってきてじろじろと見定め始めた。

 

「ふんっ、酷い使い方じゃなっ!」

 

「う、うるせいよっ!」

 

 いきなりそんな辛辣な言葉を贈ってきやがるし。知ってるよそんなこと、だいたい昨日今日剣を持ったんだぞ、マジで俺は。使い方なんて分かるかよ!

 と、色々文句が頭の中に浮かんできていたが、その脇でじいさんは桶に沈めた砥石を取り出してきて、土間の台の上に嵌め込むとその上で剣を研ぎ始めた。

 シャッシャッと軽快な音が室内に響き、それをしながらじいさんが話し始めた。

 

「使い方はまだまだじゃが、大事にはしてくれてたようじゃな」

 

「ま、まあな……言われた通りには……」

 

 この剣を渡された時に、剣の汚れだけは絶対に残すなと耳が痛くなるほどじいさんに言われたのを思い出す。

 だから俺は毎回使った後は必ず汚れを全部洗い流して布でふき取り、乾いた状態で鞘へと納めていた。じいさんは見ただけでそれが分かんだな。

 

「剣はな……殺すための道具じゃ……切れば死ぬ。じゃからこそ殺される前に相手を殺すんじゃ、そのための道具じゃ。良いか? 殺す以上全力で殺せ、躊躇えば己も己の守りたい存在も全て殺されることになるからの。じゃから、道具を大事にするんじゃ。いつでも確実に相手を殺せるようにのぅ」

 

 研ぎながら話すじいさんのその背中から異様な気迫が立ち上っているような錯覚を覚える。躍動するその背中の筋肉の動きの一つ一つがまるで鬼や悪魔の顔の様に見えた。

 鬼気迫るとは当にこのことか。

 

「こ、殺すか……」

 

「ふんっ……」

 

 水おけに剣を浸し綺麗に洗い流すと、そこには今まさに生まれたばかりかとでも言うような研ぎ澄まされた鋭利な一振りの剣の姿があった。

 滅茶苦茶鋭くなっとる。俺、こんな剣を使ってたのかよ。

 布で水気をふき取ったじいさんはもう一度その刃を眺めた後、懐紙を一枚取り出して、それを剣で切り裂いた。

 紙はなんの音も立てずにはらりと切断され中空を舞う。

 いやいや、いくらなんでも鋭すぎだろう? 間違って触ったら俺が怪我しちゃうよ‼

 

「ほれ、持っていけ」

 

 再び鞘に収まった闘剣(グラディウス)を渡されて、正直怖気がこみあげてきてしまった。

 殺す……殺すか……この剣で殺さないといけないんだな、俺は……

 震えていたかどうかは分からなかったが、何かしらの恐怖を抱いていたであろう俺にじいさんは最後に一言だけ告げた。

 

「レベルってやつは力しか上げやしねえ。でもな本当の『力』ってのはな、『覚悟』のことじゃ。お前さんのその『力』……使い道間違えんことじゃ」

 

 そう言われ、その時俺は、じいさんの話はなぜだか剣の事を話しているのではないような気がしていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 アルドバルディンの街

「なんかめっちゃカッコいい人でしたね。ゴードンさんっ‼」

 

「人じゃなくてドワーフな」

 

 じいさんのとこから出て、アルドバルディンの街のメインストリートを歩いていた俺と二ムはそんな話をしていた。正直今は軽口を叩ける雰囲気じゃない。というか、腰に下げた闘剣(グラディウス)がめっちゃ重く感じられていた。

 じじい、なんであんな話したんだよ~、しかもあんな気合込めやがって~、うう……気が重い。

 隣を歩く二ムが相も変わらず軽い感じなのが少しムカつくが、まあ、一緒に話を聞いてたんだから俺のこの気持ちも分かってくれてるか。

 

「ご主人ゴードンさんに惚れちゃったでしょ! 受けですか? 受けっすよね! ムキマッチョジジイ受け!」

 

「受けるかっ‼」

 

 前言撤回、全く分かってなかったな、こいつ。

 二ムは、ちぇーあー残念とか良いながら俺の腕に抱き着いてきやがるし。何をしたいんだかこいつは。

 

「で、ご主人これからどうするんでやんすか? ゴードンさんの奥さんにすぐに会いに行きます?」

 

 二ムにそう言われて俺はすぐに首を横に振って答えた。

 

「その前に確認したいことがいくつかあるからな。まずは冒険者ギルドだ」

 

「ギルドっすか? 昨日クビになったばっかなのに?」

 

 ぐっ……い、嫌なこと思い出させんじゃねえよ。

 

「それは関係ない。俺が知りたいのはアルベルトとセシリアの事だよ。そもそもおかしいじゃねえか、あいつらが冒険者になったのは俺と同じ一か月前だぞ? 一か月前といやあ、フィアンナの親父さんが殺されて丁度1年で、まさにアンデッドが湧き出るタイミング……だったんだが、結局お前が『死者の回廊』のアンデッドを狩りまくっちまって今年はもうほとんど残っていなかったはずなんだが、こんな時にいきなり冒険者になるか? 普通」

 

「でも一般の街の人は知らなかったわけじゃないですか、アンデッドのこと。アルベルトさんとセシリアさんも知らなくて……」

 

「知らないで冒険者になったと思うか? あの貴族様たちが」

 

「うーん……ないっすね、絶対」

 

「だろ?」

 

 タイミング的にもそうだが、あのパーティの面子が問題だ。普通がどうかは知らんけど、セシリアのとこのエスペランサ家はこの町の領主ってくらいだから相当な権力者になるんだと思う。

 そんな家のお嬢様がいくら婚約者で将来有望で実力も容姿も兼ね備えてる……いや、言っててなんかちょっとムカついてきたが、まだまだひよっ子の新米冒険者、アルベルト一人だけしか知り合いのいないパーティに入るとは思えない。普通はゴリマッチョな防弾防刃なんでもござれなSP(スペシャルサービス)入れて守るだろう。  

 そもそも魔法を使えるったって、なぜにお嬢様が冒険者になる? って話だし。

 まあ、それがこの世界の常識なんだze()‼ って言われちゃったら俺はもうそれまでなんだけど、それはないだろういくらなんでも。結構ガチで経験値稼ぎに走ってたしな……一緒に居たからそれは良くわかってるし。

 

「この時期に申し合わせたように冒険者になってガンガンレベル上げしたんだ、何かあるに決まってる」

 

「ご主人毎日死にそうになってましたもんね」

 

 二ムが愉快そうにケラケラ笑った。

 うるせいよ! 俺だってレベルアップしたかったんだよ!

 色々俺も頑張ってたんだけどなぁ、日に日にレベル差が開いて行って、みんな余所余所しくなっていったんだよなぁ、はあ、悲しい。

 

 そんなことを話していたら、ギルドの建物に着いた。

 早速中に入って受付に座っているいつもの美人さんに声を掛ける。この人、独身なのだが、俺は知っている。毎晩のように違う男達を連れて夜の歓楽街を歩いているってことを……

 たまたま出くわした時に、「こんばんわー、夜の街は危ないですから気を付けてくださいねー」とか、腕に腕章をつけて、冒険者の野郎どもと歩いてたが、あれは間違いなく18禁御用達の集団行為に違いない! このアマ、ちょっとモテるからって頭に乗りやがって、このヤリマンが‼

 そもそもこいつが「『戦士(ファイター)』は一番モテますよ」って言いやがったんだ。でもそうじゃなかった。

 だって、騎士とか魔導師とかの方が全然モテてるし!

 例えば『見習い騎士(エクスワイア)』になるにはある一定の『体力』と『名声』の値が、『見習い魔法使い(ジュニアメイジ)』になりたければある程度の『知力』と『魔力』が必要でそれになった瞬間周囲の者からは畏敬や尊敬の念を獲得出来る。

 しかし戦士の場合は、必要アビリティーの値や特定スキルなどの条件は何も存在しない。つまり「戦士には誰でもなれる」のだ。

 この女、俺をこんな最底辺の職業に押し込めやがって。まあ、他に選択肢は確かになかったんだが。

 なにが、『私は努力している戦士の皆さんを誇らしく思いますよ』だ。簡単に手玉にとれると思うなよ! このクソビッチが!

 

 思わず心の中で威嚇していると誰がどう聞いても可憐な声で話掛けられた。

 

「こんにちはモンジロウさん。今日はどのような御用ですか?」

 

 このくそビッ……

 

「すいませんねぇ、ニーナさん。今日御主人虫の居所が悪いみたいでやんして。いつも夜警お疲れさんです」

 

「あ、ニムさんいらっしゃい! 夜は平気ですよ! こう見えて私、強いんですから!」

 

 と、ニムを見ながら桃色の髪の受付嬢……ニーナは朗らかに微笑んだ。

 

「あんだよ、ニム」

 

 いきなりニムに割り込まれて正直気分が悪い。

 ニムは俺の耳に口を近づけて、俺にだけ聞こえる小声でささやいた。

 

「御主人何考えてるか、だいたい分かりやすけど、男性に人気のある良く知らない女性のこと、ビッチだとかヤリマンとか思うのやめた方が良いっすよ」

 

 めっちゃ図星なんだが……

 

「う、うるせいよ。お、おおお思ってねえーし」

 

 二ムが腰を屈めて微笑みながら、下から見上げてくる。

 

「ま、そんなとこも可愛いいんすけどね」 

 

「うふふ……お二人は本当に仲良くてお似合いですね。羨ましいです。なんか妬けちゃいますね」

 

「え?」

 

 い、今なんつった?

 『羨ましい』……じゃなくて、『妬けちゃうな』!?

 妬けちゃう……妬けちゃうってことは嫉妬……そう嫉妬だよな。ふひ……ま、まじか! 俺をニムに取られると思ってそんな可愛い反応しちゃってんのか……いやぁ、参ったなあ……あは、あははは

 

「ご主人、ワッチはいいんすけどね、ご主人のその単純なとこ、いつかチョロすぎで美人局(つつもたせ)にでもひっかかるんじゃないか本当に心配っすよ」

 

 二ムの奴が珍しく呆れた顔になってるし。

 なんか俺おかしかったか? 良く分からんが!

 

「えーと、ニーナさん。今日は君に逢いに……いてててて、痛ぇよ二ム、尻をつねるな、あにすんだ?」

 

「ご主人話進まないっすから、その辺にしておいてくださいよ」

 

「わかった、わぁったから‼」

 

 二ムに捻り上げられて尻がめちゃくちゃ痛い。こいつ手加減なしか‼ いや、肉が千切れてないから十分手加減か。

 

「あはは……なんか急に機嫌良くなられましたねモンジロウさん。えと、それでどんなご用事でしょう?」

 

 と、受付のニーナが引きつった笑いを浮かべている。

 まあ、当然だわな。目の前で漫才みたいなことやってんだからな。このまま嫌われるのだけは勘弁だ。

 

「今日来たのは、アルベルトとセシリアのことで知っていることを聞きたくて来たんだが……今日はあいつら何してるか知ってるかい?」

 

「え? アルベルトさん達のことですか? それなら一緒のパーティだったモンジロウさんの方が詳しいのでは……」

 

「あ、ご主人人付き合い超苦手なもんで、多分普通の会話してないはずなんで、ニーナさんの知ってる範囲で教えてください」

 

「はあ……」

 

 ちょっと何言っちゃってんの!? 二ムさん‼ それじゃ俺が対人スキル難ありみたいな感じになっちゃうでしょ!? 全然間違ってないんだけども!

 ニーナさんに何か可哀そうなモノでも見るような目で見られたんだけど、もうどうでもいいや。

 とりあえず色々教えてもらった。

 教えてはもらったのだが、取り立てて有益と思える新しい情報は特になかった。

 奴の家が古くからセシリアのエスペランサ家と仲が良くて、幼い頃から二人は婚約していたってことくらいか。

 フィアンナのことについてはニーナさんは殆ど知らなかった。俺と同様でなかなか有望なスキルを持った新人冒険者ってことで、アルベルト達に紹介したらしい。

 つまり、俺をアルベルト達のパーティに推薦してくれたのもニーナさんだったのか……。ありがたかったけど、ニーナさんの顔を潰しちまったみたいで本当に申し訳ない。こんな経験値しか上がらない奴で本当にごめんね。

 領主のスルカンの事も聞いてみたけど、当たり障りのないことしか言わなかった。当然だよな。その娘は自分のとこの冒険者で、ギルドだってこの領に属してるわけだしな。

 ただ、そんなに愛着がある感じでもなかったな。良くも悪くもただの領主ってことか。

 

 最後に今日のアルベルト達の動向を聞いてみたら、今日は3人で東の森に魔法薬の原料の採取に向かったそうだ。

 

 ここまで聞いてニーナさんにお礼を言って、今度デートの約束を……取り付ける前に二ムに引きずられてギルドを後にした。

 

「よし! じゃあ、次はスルカンの館に行ってみようぜ」

 

「はあ、ご主人切り替え早いっすね」

 

「何言ってんだ? ニーナさんが俺にホの字なのは分かったんだ。そうとなれば俺はどーんと構えてればいいってことじゃないか?」

 

「うん、それでいいならいいっすよ! じゃあ行きましょう」

 

「おう」

 

 二ムを引き連れて今度は街の北の一角にある領主スルカン・エスペランサの家に行く。行ったのだが、当然のように追い払われた。

 

「なんだよあの熊みてえな門番は! もう怖くて声かけられねえよ!」

 

「怖かったすか? 普段は優しいおじさんなんすけどね」

 

 そうか? 身長は2mくらいあったし手に三又の鉾を持ってたし、完全に殺す勢いで俺のこと睨んでたんだが……

 

「そういえば、この前ワッチ、あのおじさんにプロポ―ズされやした」

 

「は? お、おおおお前……ぷ、プロポーズ? ま、マジか?」

 

「ん? んふふふふ……気になるっすか~? はあ~、どっかの誰かさんが相手してくれないんで、身体が火照って火照って……」

 

「バッ……バカ言ってんじゃねえよ! 機械のお前の身体が火照るわけねえだろうが!」

 

「火照るっすよ? えーと具体的に言うとリアクター全開で250℃くらいまで上がりやす!」

 

「物理的にじゃねえか!」

 

「ふふ……焦ったご主人超可愛いっすね」

 

「あ、あ、焦ってねえし! 全然平気だし!」

 

「まあ、そういうことにしておいてあげますよ」

 

 言いながらまた二ムが抱き着いてきてるんだが、視線を感じてハッと顔を上げると、さっきの三又の鉾巨人が、鬼の形相で睨んで来てるし。

 こりゃもう逃げるしかねえじゃねえか。

 俺達はなんの情報もなしに、スルカン館を後にした。

 

 次はどこにいくんすか?

 と、二ムに聞かれ、俺は方々を歩き回った。

 教会、市場、広場……人が集まるところはかなり周った。そして、色々なところへ行ってみて分かったこと。それは……

 

「やあ、に、二ムさん。今日もお美しい」

「二ムさん、今日こそは僕と一緒に……」

「もう二ムさんなしの人生なんて僕には考えられません……」

「二ムさん……」

「二ム……」

 

「ええい! なんなんだ‼ なんでお前はそんなにモテモテなんだよ!」

 

「そりゃ、ワッチが可愛いからじゃないっすかね? 可愛いっすよね?」

 

 と、二ムが桃色のブリオーの裾をひょいと摘まんでくるりと一回転してみせた。当然ふわりと膨らんだその裾からは二ムの生足が見えるわけで……

 

「「「「「「「「おおおおおおっ!」」」」」」」」

 

 一斉に上がる周囲の男どもの歓喜の声。

 

「だからうるせいよ! お前ら! 二ムもいい加減にしやがれ!」

 

「あ、はい。すいやせん。えへへ」

 

 何を嬉しそうにしてんだか、こいつは。

 

 とにかくだ、二ムが人気なのはさておいて、色々なことがはっきりした。

 まず、街の人は毎年アンデッドが湧いていたという事実は本当に知らなかった。というか、去年から発生し始めたと誰もが思っていた。

 そして、領主スルカンについてだが、やはりというか、評判がすこぶる悪い。

 どうもスルカンになってから納税額が増えたようでみんな口々に不満を漏らしていた。表向きはアンデッドの駆除費用として徴収しているようだが、みんなそれを信じてはいないな。スルカンと懇意にしている業者がどんどん金持ちになっていく様を見ているし、実際に増額した分の金は懐に入ってしまっているのだろうとみんな考えていた。

 それと、娘のセシリアについてだが、スルカンの評判とは真逆に、住民思いの本当に良い娘だと悪口を言う人間は一人もいなかった。それはアルベルトについても同じ。

 アルベルトとセシリアが冒険者になった理由は街の人も良く分かっていないようだが、少なくとも悪い人間だとは思われていないようだ。

 

 俺は公園のベンチに二ムと並んで座ってこれまで聞いてきたことを整理していた。

 

「……ま、こんなとこか……。じいさんみたいな具体的な話は聞けなかったが、フィアンナの話の裏はほぼとれたって感じだな」

 

「これで大手を振ってフィアンナさんを口説けますね!」

 

「い、いや、口説かねえから。そんな節操なしじゃないから、俺は!」

 

 うん、今の俺にはニーナさんがいるし!

 いや……あれ? そういや俺は心に決めたアンジュちゃんという純朴な子が……、

 いやいや、フィアンナは俺に好意があって、あんなに擁護してくれたんだ、そうだ、そうなんだから、やっぱりフィアンナを口説いた方が……

 うがぁーーーーー! ど、どうしたらいいんだぁーーー‼

 

 そんな慌てる俺を楽しそうに眺める二ムさん。いったい俺をなんだと思ってやがるんだよ。

 こいつ本当に性悪だ。

 と、とにかく今大事なのは今回の依頼の件だ。俺は居住まいを正して口を開いた。

 

「ライアン氏が死んで後釜に収まったスルカンが甘い汁を吸いまくっているらしい以上、スルカンは限りなくクロに近いとは俺は思ってる」

 

「じゃあ、グーでパンで!」

 

「だからなんでお前はすぐに拳を握り込むんだよ、脳筋か‼」

 

「いやだって、いろいろと面倒じゃないっすか、考えるの」

 

「コンピュータにあるまじき発言してんじゃねえよ、もっと考えろよ」

 

 全く遠慮なしに暴力振るおうとしやがって。

 ただ、スルカンが怪しいってのは間違いないから、フィアンナの依頼を遂行するなら最終的には実力行使も止むを得ないのかもだが、うーむ。

 俺はベンチでぐぐーっと伸びをした。

 

「うあーーー疲れたぜ」

 

「お疲れまさっす。流石にこんだけ歩けば、ご主人でも疲れやすよね」

 

「いや、この疲れの半分はお前が原因みたいなものだけどね」

 

 ツッコミ疲れってマジであるのな。

 そんな他愛もないことを考えつつ周りを見れば、耳の尖った色白の女の子と犬耳のついた男の子が走り回って遊んでいた。 

 それにその周囲を見れば、母親だろうか……やはり同じような容姿の人達がお喋りをしていた。他にも、ゴードンじいさんのような背の低い小人もいれば、ちょっと外見は人間離れしているけど、緑の鱗をまるで刺青の様に全身に走らせた人もいて、普通に歩いている。あれは、竜人(ドラゴニュート)という種族の人らしい。

 

「なあ、二ム。あんま気にしてなかったけど、この街って人間以外の種族の人も結構多いんだな」

 

「ですねえ、それに凄く平和ですし。街の外にはモンスターいますけどね、ここにいる限りはそうでもないですし。それに、この国って今は隣国の『ギード公国』と戦争してるらしいのですけど、この街には全く影響ないですもんね」

 

「え? そ、そうなのか? 知らなかった」

 

「まあ、戦争って言っても、もう100年くらいやってるらしいですし、農閑期にお百姓さん総出で戦争に行ってるって感じらしいので、がっついた戦争にはなってないみたいですけどね」

 

「そんな、出稼ぎみたいな戦争あるのかよ……それにびっくりだよ」

 

 いやはや戦争なんて言うからどんなもんかと思えば、そんなに怖い感じの奴じゃなくて良かったよ。とはいえ、やっぱり戦うんだろうから死んじゃうやつもいるんだろうし……いやいややっぱり戦争はだめよ、絶対に。

 とくに、こんな平和な様子の街が戦禍に塗れるなんて本当にダメだよな。

 

 二ムを見れば、寄ってきた子供たちと手遊びをして遊んでいる。

 アルプス一万尺みたいなことをしてるけど、ムキになってスピードガンガン上げてんじゃねえよ。見ろ! 子供らがめっちゃ喜んじまったじゃねえか。

 俺は木陰のベンチで心地よかったこともあり、久々にのんびりした気分だったもんで、腰のポーチに入れてある一冊の古い本を取り出してペラペラとそのページを開いて読んだ。

 そう言えば日本に居た頃も良くこうやって公園のベンチで読書したなー、とか、そんな懐かしいことを思い出しつつ、仕事なくて暇だったもんなーと、同時に鬱に沈んだ。

 暫くして、ぱらぱらと子供たちが母親に手を引かれて帰っていくのを見送ってから、俺は本を閉じて立ち上がった。

 

「さあて、いくぞ、二ム」

 

「ふふ……ありがとうございます、ご主人。子供たちが帰るのを待っててくれるなんてホントに優しいっすねー」

 

「ば……バカ、そんなんじゃねえよ。ちょっと疲れて休んでただけだよ」

 

「はいはい、それでいいっすよー、ご主人、ふふふ」

 

 またもや抱き着いて来る二ムから離れようと力を入れながら、俺は次の行先を告げる。

 

「じゃあ、次は『死者の回廊』へ行くぞ。あそこがとにかく現場だからな。正直めちゃくちゃ行きたくねえけども」

 

 もうあそこはトラウマ以外の何物でもない。

 地面からぼこぼこと骸骨どもが湧き出たかと思うと、俺に向かってその空っぽの口を開けてきやがるし。ほんと、もう怖すぎるから。

 でも、現場の確認はしなくてはならない。

 アンデッドが湧き出る仕組みも出来たら解明せんといけねえしな。

 覚悟を決め、そして歩き出そうとした時、隣の二ムが急に顔を近づけてきた。

 また悪戯かと身を捩った俺だが、二ムは小声で囁いてきた。

 

「ご主人、武器を持った連中が近寄ってきてやすよ」

 

「え?」

 

 鋭い眼光で後方へ視線を向けた二ム。

 俺は慌てて腰のホルダーに刺してある闘剣(グラディウス)に手を伸ばすも、二ムがその手を抑えて、自分の腰へと俺の手をまわさせた。

 どうやら、敵に何も気が付かない振りをしたまま気取られないようにやり過ごそうとしているってことか。そりゃそうだよな、敵の戦力は未知数だしな……かと思っていたら……

 

「ご、ご主人……その腰にまわした手で……そのままワッチのお尻揉みしだいてくれたら、超嬉しいっす‼」

 

 いつでもブレないね、二ムさん。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 科学の子

 まだ陽は高いのだが、子供たちがいなくなった広場は閑散としている。

 そこを俺と二ムがくっついて歩いて行くわけだが、二ム曰く複数の武器を持った暴漢が近づいてきているらしい。日本なら即、『助けてー、おまわりさーん‼』と叫びつつ、全力ダッシュ必至なのだけど、ここは異世界、助けが来るかどうかが怪しい上に、逃げ切れるかどうかも分からないと来てる。

 となれば、自分たちで対処するしかない。

 はあ……

 

「二ム、相手は何人だ? どんな連中だ?」

 

「数は『5』、武器は全員『短剣(ショートソード)』、全員男性で皮の装備をしてますね。あ、あんまりお風呂に入ってないのかちょっと匂いますね。あと、少しお酒入ってるっぽいです。戦闘力はほぼ『50』前後、ふふふ……まるでゴミですね」

 

「いや、誰もそこまで詳細に教えろとは言ってない。ってか、その戦闘力ってなんだよ?」

 

 二ムは俺を見てにひーっと笑った。

 あ、こいつ今誤魔化しやがった。

 そんなやり取りをしていたら、ちょっと酒臭い感じで数人の男が俺達を取り囲むように近づいてきた。その数5人。見たところ、背はみんな俺と同じかそれよりも少し低いくらいか……ただ、どいつもこいつも相当に酔っているらしく、千鳥足で近づいてきた。なんだ、酔っぱらいかよ、と思っていたら……

 

「ご主人、こいつらみんな酔った振りしてるだけでやんすよ」

 

 え? マジか?

 

 二ムに言われ、全身が緊張して強張った。

 振りをしているってことは明らかに害意を持って近づいてきたってことだ。

 わわわ……ど、どうしよう……

 

「ひひひ……」

「へへへ……」

 

 男どもが俺達を取り囲んで顔を近づけてくる。

 確かに色々臭い……

 二ムは俺にしがみついた格好のままで微動だにしていない。俺は焦ってどうにか逃げようと思案していると、そこへ一人の髭面の男が顔を近づけながら言った。

 

「おおっ! こりゃすげえ別嬪だぜ! うへへ……なあ、おい、こんなすげえ上玉なかなかお目に掛かれねえぞ?」

 

「よぉ、お嬢ちゃん……ぃっく……、そんなひょろっこい兄ちゃんとじゃなくて、おじさん達と良い事しようぜぃ」

 

「ほらほら、怖がってねえで、その綺麗なお顔を見せてごらん? げははははははは」

 

 連中は俺達が何もしゃべらないのを良いことに、言いたい放題だ。二ムの髪の毛に触って匂いを嗅いだり、俺の肩を小突いたりしてきやがる。

 やべえ、ちょ、超怖い。

 二ムはと言えば、相変わらず黙って俺にしがみついたままだ。完全に恐怖で震えるか弱い女の子の振りをしている感じだが、正直ここはこのまま何もなしでスルーしたい。

 いや、二ムがちょこっとだけ本気を出せば間違いなくこいつは全員叩きのめせるだろう。でも、『出力解放』した途端に消費エネルギーが跳ね上がるわけで、せっかく買い占めた魔晶石を消耗しちまうことになる。お財布にも優しくないし、事後の諸々を考えると色々面倒くさい。この後、死者の回廊に向かうことを思えば、ここは何もしないのが一番だ。

 完全に囲まれちまっているのだが、俺はなんとか脱出しようと二ムの手を引いてよそ見をしている奴の脇をすり抜けて出ようとした。だが……

 すぐさま近くの奴が回り込んで俺達の前に立ちふさがる。

 

「へっへっへ、どこに逃げようってんだよ、兄ちゃん。逃がす分けねえだろう?」

 

「おっ! 俺こいつ知ってるぜ? レベルが全然上がらねえ、カスみてえな冒険者だよ。なあ兄ちゃん?」

 

 ピク……

 

「ま、まあ、そうだけど……俺達用事があるからよ」

 

 俺に酒臭い息を吹きかけてくるニヤケタ顔のおっさんにそう答えながら俺は去ろうとするも、完全に通せんぼされた。こいつら、逃がす気はないってか……

 

「げはは……知ってるぜ? 経験値増えるスゲエスキル持ってんだよな? でもレベル上がんなきゃ意味ねえよな、ひはははっははは」

 

 ピクピクン……

 

「ま、その通りだよ……いい加減俺達を開放してくれよ」

 

「だーめだー、ひひひひひひひ」

 

 と、言ってみたところでこいつらは全然反応しやしない。相変わらず下卑た笑いを浮かべて俺達を囲んでいるだけだが、次第とその輪を狭めてきているようにも思える。いよいよ何か仕掛けてこようとしてるな。もういい加減勘弁してくれよ。じゃないと……

 

【俺ももう止められねえぞ……】

 

「お前みたいな役立たずは死んだ方がましなんだよ。くははは」

 

 ビクビクッ‼

 

 さっきから俺に抱き着いている二ムが小刻みに震えているわけだが、いよいよその震えが大きくなってきた。

 やばい、こいつもう限界っぽい。

 というかそう言えば……

 

 俺、こいつに『戦闘するな』って言ってないじゃん!

 

「さぁて、お楽しみの時間だ……お前らはここで死んで……」

 

 ヒュン……

 

 正面のおっさんが卑しい笑みを浮かべて、短剣(ショートソード)を抜きながらそんなことを口走った瞬間、何かが凄まじい速度で目の前を横切った。

 

「え?」「あ……」

 

 小さな声を漏らしたのは俺とそのおっさんだ。今横切ったのはなんだ? と、思案し始めたところで、なんとそのおっさんの剣を持った方の腕がゆっくりと肩から分離して下方に落下していた。

 誰も一言も発しないその場で、ごとりとその腕が地面へと転がる。と、次の瞬間、まるで間欠泉の様におっさんの肩から鮮血が吹き上がった。

 

「ぎゃあああああああああああああっ‼」

 

 突然の出来事に絶叫するおっさんと、狼狽する他の4人。

 抱き着いていたはずの二ムは? と見て見れば、右手を正面にしたまま手刀の構えを取っていた。そして4人を微笑みを浮かべた穏やかな顔で見渡しながら一言。

 

「この世界でも『正当防衛』はありっすよね?」

 

「「「「ひっ……」」」」

 

 他の連中は一様に悲鳴を上げて俺と二ムから後ずさって離れる。だが、その手にはしっかり剣が握られており、震えながらも切り込むための構えを全員が取っていた。

 

「お、おい二ム。ここはやり過ごそうぜ、あんま暴れねえ方がいいよ、街中だし」

 

 燃料もったいねえし。

 そんな風に言ってみたところで、二ムはお構いなしに俺から離れて4人へと近づきながら口を開いた。

 

「ワッチは怒ってるんです」

 

「え? あ、ごめん」

 

「いや、ご主人にじゃないっすよ」

 

 あれ? ついいつものくせで反射的に謝っちまった。なんとなく身近な奴が怒ってるとか自分のせいだと思っちゃうのはなんでなんだろうか。

 二ムは全員の顔を見渡しながら言った。

 

「おじさん達は言ってはいけないことを言いやした。ご主人が『レベルの全然上がらないカスみたいな冒険者』? 『スキルがあってもレベル上がらなきゃ意味がない』? それと……『こんな役立たずは死んだ方がまし』?」

 

「お、おい、ニム……やめろよ」

 

 震えながらそう言うニムに俺も強く言えない。こいつ……俺の悪口を言われてこんなにも怒ってくれたのかよ……なんだよ、可愛いとこあるじゃねえか……

 と、思わず涙ぐみそうになったところで、ニムが顔を上げて言い放った。

 

「全くその通り!」

 

「っておいぃ‼」

 

 あんだよ、何がその通りだよ! フォローしてくれんじゃねえのかよ? 

 ニムはといえば不敵な笑みを浮かべて言葉を続けていた。

 

「ふっふっふ……もっと言えば、彼女欲しさにいろんな女の人の跡をつけてストーカーだって通報されちゃったり、俺に任せとけよって大見え切って勝手に仕事して結局失敗したのが恥ずかしくて出社拒否になっちゃったり、挙句改造したのはいいけどどう手を出していいのか分からずに、困った末に充電中で動かなくなったワッチのお尻見ながら自分も自家発電に勤しんじゃうような小市民なご主人なんすよ!」

 

「な、なに言っちゃってんのお前は! い、いいいい言いがかり甚だしい‼ そ、そんなの事実無根だ……ょ。と、特に最後のは名誉棄損すぎる!  撤回して……ください……出来ましたら……お願いします」

 

「でもワッチが言いたいのはそんなことではないのでっす!」

 

「俺の話し全然聞いてねえじゃねえか‼」

 

 二ムは両手を下げた状態でその全身から熱気を吹き上げ始めた。 

 着ていたブリオーが風もないのにはためき始める。

 何が起きているのかは一目瞭然。

 ヒュウウウウンと二ムの体内からリアクターの甲高いドライブ音が聞こえ始めていた。

 やばい、やばいやばいやばい。

 完全にメインリアクターに火がはいっとる。

 魔晶石が……、か、金が……

 

「おい、二ム……もう止め……」

 

「ワッチが怒っているのはですね……」

 

 二ムは俺の言葉に一切耳を貸さずにスッとその顔を上げた。

 

「ワッチの大事なご主人にそんな口をきいた事っす。ご主人の事を面白おかしく(なじ)って蔑んでいいのは……」

 

 二ムは次の瞬間には、稲妻のような速さでその身を宙に躍らせていた。

 

「ワッチだけなんす!」

 

「いや、お前も俺のこと詰るのやめろよぉぉぉ!」

 

「「「「ぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……」」」」

 

 両方の拳を握りしめた二ムがタンと地面に着地した時には、俺達を囲んでいた酔っぱらいは全員吹き飛ばされて周囲の建物の壁に激突していた。

 正直何が起きたのかまったく分からなかったけど、どうやら二ムがほぼ同時に全員殴りつけたらしい。見事に壁に人型の亀裂が走っちゃってるし。

 

「お、おい、二ム。やりすぎだ! お前今のでどんだけエネルギー消耗したと思ってんだよ」

 

「あ、ワッチのこと心配してくれてるんすか? 超嬉しいっす、んふふ~」

 

「べ、別に心配なんてしてねえし! ってか、お前のその全身の『ナノスキン』を貫くにゃ、『超振動プラズマナイフ』でも持ってこなきゃ無理だろうが。あんな短剣(ショートソード)程度じゃ何も心配なんてしやしねえよ」

 

「ぶー、そこは素直に心配だったって言ってくれればいいのに。別に大丈夫っすよ、『1%』しか本気だしてませんから」

 

「今ので1%かよ……恐ろしいな、おい」

 

 二ムが機嫌悪そうに俺にジト目を送ってきやがった。

 はいはい、造ったのも調整したのも俺ですよ。 

 実際に二ムの身体に傷がつけられる心配は微塵もしていない。二ムの身体に使われている皮膚パーツの正式名称は『ニューナノファイバースキンMAX・防刃タイプ』というモノで、実は既製品をそのまま流用している。二ムの身体そのものは『第8世代型ドロイド』のボディーではあるのだが、当時あまりの激しいプレイ(?)に損耗するセクサロイドが大量に発生した時期があり、当時の開発者は、ならば絶対傷つけられないボディーを用意して、めちゃくちゃなプレイ(?)に対応させてしまおう! と、意気込んで開発したのがこのスキンパーツだった。

 おかげで全く傷がつかない仕様にはなったものの、どうやら色々な点で不評であったようだ。肌ざわり(?)とか、アンブレイカブルな点(?)とか。おかげで人気もないけど全く傷つかず壊れないこのボディーは長い期間埃を被ることとなり、タダ同然の値段になってたからこそ、俺のような貧乏人でも買うことが出来たってわけなんだが。

 というか……

 当時の連中は、一体何をやってやがったんだ‼

 

 ふくれっ面の二ムは、片腕を切断され泡を噴いてガクガク震えている男のもとまで行き、そして地面に転がってるやつの腕を掴むとそれを差し出しながら声を掛けた。

 

「えっと……おじさん達を雇った奴のことを教えてくれないっすか? 教えてくれたらこの腕を返してあげやすよ。急げばまだくっつくと思いやすし。それと、このまますぐに逃がしてあげることを約束してあげやすよ」

 

 にこりと微笑んだ二ムを見ながら、男は血の気の失せた顔で口をぱくぱくと動かしていた。そして……

 

「た、頼まれてなんか……いねえよ。た、ただ俺達は酔ってただけで……」

 

「はぁ……やっぱりワッチに嘘吐いちゃうんすね……じゃあ、仕方ないっす……えーーーーい!」

 

「あ‼」「ああっ‼」

 

 思わずまたしても同時に声を出してしまった俺とおっさんの二人。なぜなら、目の前で大きく振りかぶった二ムが凄まじい勢いで持っていたおっさんの腕を放り投げたからだ。

 腕はあっという間に点になり、そのまま南の空の彼方に飛んで行き見えなくなってしまった。

 

「うあわわああああああ、お、お、俺の……俺の腕が、腕があああああああああああああああ‼」

 

 絶叫するおっさん。

 む、むごい……

 こんなことしたら余計に話さなくなっちゃうだろう?

 ……と、心配していた俺の前で、二ムががっくり項垂れたおっさんに向かって、再びにこりと微笑んだ。

 

「そう言えばおじさん、腕、もう一本ありますね?」

 

「あ……」

 

 その後、最早蒼白を通り越して、真っ白になってしまったおっさんが、猛烈な勢いで白状したことは言うまでもない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 手品師二ム

「あ、腕投げたのは嘘っすよ。手品(トリック)っす、手品(トリック)

 

 とか言いながら後ろ手に隠していたおっさんの腕を取り出したニムさん。

 ニムはあの投げると見せかけた瞬間、腕を背後に隠しながら同時に同じくらいの大きさの煉瓦を掴んで、そのまま目にも止まらぬ速さでぶち投げたらしい。

 何がマジックだよ、マジで笑えねえよ。

 差し出されたその腕を、ガクガクと震えながら受け取ったおっさんを治療してくっつけてやると、連中はそのまま這々の体で逃げ出して行った。

 逃がしたのは、ニム嘘発見器が嘘を吐いてないと断定したからで、本当にただ金で雇われただけの下っぱだったことが判明したからなのだが、やはりというか奴等を雇ったのはスルカンの関係者だった。

 

「ふう、もう真っ黒黒じゃねえか。スルカンの野郎が何かやってんのは確定だな。それにしても、いきなり俺達を始末しようとするとか、いったいどういう了見だよ」

 

 ほんと、とんでもない連中に俺たちを襲わせやがった。

 一応、逃がす前に5人のステータスカードは没収したのだけど、見てビックリ、全員レベル30オーバーの殺し屋だった。中には【暗殺者】【即死剣】【死の誘い】なんておどろおどろしいスキル持ってる奴もいて、殺す気まんまんだったことが窺えた。

 人畜無害で善良な俺を殺そうとする時点で頭おかしいとしか思えないけど、今回うちらを襲ったおっさん達だって暗殺特化の傭兵崩れのそこそこ高レベルの無頼漢だったしな。いくらなんでもそんな連中をいきなりけしかけねえだろうが、普通は。

 

「状況から考えるに、ワッチらが色々調べ始めたのが原因っぽいっすよね」

 

「ま、そうだな。知られたくないことがあるからこうやって殺しに来たんだろうしな。それにしてもこんなにレベルの高い奴等寄越しやがって、俺なんてたったレベル1の役立たずだぞ?」

 

「自分で自覚しちゃったんすか?」

 

「仕方ねえだろ? ギルドじゃそう呼ばれてるんだからよ」

 

「なら今度はワッチが行ってみんなしばいて……」

 

「いや、やめて! お願いだから!」

 

「そっすか? ご主人がそう言うならワッチはなにもしやせんけど」

 

「頼むぜ、おい」

 

 恐ろしいなこいつは。

 気が付いたら辺り一面血の池地獄だったとかそんなの本当に洒落にならん。こりゃいよいよ目が離せないぞ。

 

「ま、あれだ、一つ確かなことは、高い金を払ってでも俺達を殺したいって明確な動機が相手に出来ちまったってことだ。十中八九スルカンが黒幕だとして、このままフィアンナの依頼を進めていいものかどうか……」

 

 フィアンナの依頼は父親の死の真相を知り、更に殺人者への復讐をしたいというもの。

 その依頼の過程にあって襲われたのだから、このまま進めば再び襲われる恐れが高いのは間違いなかった。

 二ムは悩む俺とは正反対にあっけらかんと答えた。

 

「気にしなくていいと思いやす。ここで辞退したところで、相手が知って欲しくない何かをワッチらが知ったと思い込んででもいれば、一生追いかけられるだけでやすし、どうせ襲われるなら先に進んだ方が解決に近づけやすからそっちの方がお得です」

 

「お得って……まあ、確かにそうか。もう前金も貰っちまってるし、依頼はこなさねえとならねえからな」

 

 俺の言葉に二ムがうんうんと頷く。

 

「さて、そうとなれば調査を進めるわけだけど、奴らが知られたくないことってのはいったい何なんだろうな?」

 

 二ムは首をかくんと横に傾げてうーんと唸った。

 

「なんでしょうね? 普通に考えれば、汚職、背信、犯罪の証拠をワッチらが握ったから殺し屋を雇ったとか、そういうことになるんでしょうけど、ここは異世界でやすしね。何かしらファンタジーな理由があるような気もしやすけど」

 

「よし決めた」

 

「どうするんです?」

 

 顔を上げる二ムはどこか呆けた感じで俺を見ていた。その少し穏やかになった顔を見ながら、本当にさっきの悪鬼羅刹みたいなことしやがった奴と一緒なのかよ、と、我ながらそれが信じられなかった。

 俺が口にしたこと、それは……

 

「このまま、『死者の回廊』に行こう。仮にこのステータスカードを持ってスルカンのとこへ行ったとしても、奴は本当のことは話はしないだろうしな。それに二ムの言うとおりなら、どこに行ったって襲われるわけだからな、さっさと全部調べて、スルカン殴って終わりにしようぜ」

 

「了解っす! ワッチはご主人とどこまでも一緒に行っちゃいますぜ!」

 

 と、二人で移動しようと思ったら、周囲から何やら視線を感じてしまい、なんとはなしに首を向けてみると、建物の影や家々の窓からたくさんの人の顔がこちらを覗いていた。というか、みんな遠巻きにこっちを見てるし。

 

「あれぇ、みなさん怯えてしまったようっすね」

 

 二ムが頬を搔きながらそんなことを言う。そりゃ怯えるだろうよあんなシーンを見れば……

 えーと、一人の腕を素手でちょん切って、4人を一瞬でふっ飛ばして、しまいには切った手を空の彼方に放り投げた……ふりをしたと……

 うん、良く分からんな。少なくとも理解は無理。

 

「こんな街中だしな、この反応もしかたねえだろ」

 

「そっすね」

 

 どことなく声に力のない二ム。意外と気にしてんのかな。俺はポンと二ムの頭に手をおいてわしゃわしゃ撫でてやった。

 

「わ、わ、わ、なんすか? セクハラっすか? 微妙なんすけど、けっこう気持ちいいっすけど、いよいよ我慢の限界?」

 

「アホか、そんなんじゃねえよ。ただ、まあ、お前のおかげで助かったからな。ありがとう……ってな」

 

 一瞬きょとんとしてしまった二ムが、にまーっと笑顔になって変な声を漏らし始めた。

 

「ん、んふふ……んふふふふ」

 

「んだよ、気持ちわりいな」

 

「これだから、ご主人の事大好きなんす」

 

「へいへい」

 

 抱き着いてきた二ムをそのままにして、まあ、こんな日もあるかとかそんなことを考えていたら、遠巻きに見ていた群衆の中から、二人の子供が駆け寄ってきた。

 さっき二ムが遊んであげていたエルフの女の子と、犬耳の男の子の二人組だ。いったいなんの用だ? と眺めていたら、二人はキラキラした大きな瞳で二ムを見上げて矢継ぎ早に話し始めた。

 

「おねえちゃん今のなにー?」

「バンって切って、ダンって飛ばして、びゅんって飛んでった」

「すごいすごーい」

「あれなにやったの? どうやったの?」

「ね、おしえておしえてー?」

「見たい。もっかい見たい―!」

 

「ちょ、ちょっと待つっす」

 

 なぜか二ムが慌てとる。くくく……今日はなんとまあ色んな二ムの顔が見れるもんだな。

 二ムはぴょんぴょん跳ねながら抱き着いて来る子供たちの剣幕に押され気味で困った様に俺に視線を向けて来てたから、俺は頷いてやった。

 

「見せてやれば? 手品」

 

「あ、いいんですかい?」

 

 二ムはぱぁっと明るい顔で頷くと、今度は子供たちの頭を撫でつつ、じゃあ見せてあげるっすと、徐に自分の胸の谷間にずぼっと手を突っ込んだ。

 子供ら二人とも目が点になっちまってるし。

 そして取り出したのはトランプだ。

 お前な……教育上宜しくない絵面を再現するのやめなさいっての。てか、お前の胸の間は一体どうなってんだよ? 四次元ポケットか? すでにいろいろマジックだよ。

 ニムは器用にトランプを空中で切ったあと、それをまっすぐ右手から左手にマシンガンの様に飛ばしてみせた。しぱぱぱぱぱぱと手に収まっていくトランプを見て、すでに子供たちも大興奮状態だ。

 

「なんだ? なんだ?」

「何がはじまるんだ?」

 

 周囲がガヤガヤ始まったかと思えば、大人たちもみんな近くに寄ってきてるし。

 先程まで離れていた人達がかなりの数集まって器用にトランプを操るニムを期待を込めた目で見始めた。

 ニムはたくさんの観客に気分を良くしたのか声を張り上げた。

 

「さあさあお集まりの皆さん、取りだしたるこのトランプ、種も仕掛けもございやせん! これからお目にかけるのは世紀の大マジックでござんす~」

 

 とかなんとか言ってトランプ手品を始めるニム。非常に原始的なカードマジックではあったけど、見ていた周囲の観客達は一斉にどよめいた!

 

「な、なんであのカードがここにあるんだ?」

「信じられない、このカードさっき破いたはずなのに、復元しちゃってる」

「絶対一番下にあったはずなんだ! ずっと見てたんだよ、僕は!」

「わ、わからない。どんな技か魔法なのかも全然分からない~」

 

 やんややんやと群がる群衆がニムの手さばきに翻弄されて瞠目しちゃってるし。まさかここまで人気出ちゃうとは思いもしなかった。もう、人間も、獣人も、エルフもドワーフも関係なくみんな喜んでる。

 

「な、なあお姉さん。もう一回! もう一回だけ今の見せてくれよ」

 

「えへへ~、ダメっすよ、マジックは一度しか見せないって約束があるんすから~。見破れない時点でワッチの勝ちっすよ」

 

 食い下がる観客をニムがにこにことあしらいつつ、どんどん別の手品を披露している。

 やっぱりこういう技で見せるマジックが一番だな。

 最近じゃ、やれ立体映像装置がとか、やれ粒子化変換器だとか、そんなのを使った似非マジシャンだらけになっちまったけど、本当のマジックはテクニックのみのまさに幻想《イリュージョン》マジックじゃなきゃダメだ。

 こいつだけはどうしても再現したくてニムには森羅万象古今東西のマジックをインストールしたからな。まさに手品師の中の手品師《マジシャン・オブ・マジシャン》だ!

 俺がそんな脇で、最初に俺たちにお願いにきた二人の子供が、今度は俺の前に立って袖をひっぱった。

 

「ねえねえお兄さんもなんかやってよ」

「うん、見たい見たい」

 

「そ、そうだな……じゃあ、こんな奴はどうだ? なんとお兄さんの親指は……なんと離れます」

 

「「うおおおおおおおおおおお」」

 

 思わずびくりとのけぞっちまうくらいの凄い反応。いや、何もそこまで驚かなくとも……

 

「えと……こうして戻して擦ってやると……指がもとに戻りましたー!」

 

「「うあああああああああああああああ、く、くっついたぁ!ま、魔法だ! すげえ魔法だ!」」

 

 反応が良すぎて却って困っちゃう件。

 いや、単に親指曲げて隠してただけの当たり前の奴なんだけどね。

 大学追い出されてから最初に就職した会社の歓迎会の時にこれをやってめっちゃ失笑買ったのは最悪の思い出だ。あれで会社行けなくなったまであるし。くっ、あの時これくらいの反応が欲しかった。

 子供達が目をキラキラさせながら、なにか見よう見まねで俺の真似をしているし。

 うんうん、そうそう、初めて見た時は感動しちゃって何度も俺も真似したよー。全然出来なかったけどね。

 

「あ、出来た」

 

「なーんだ、指曲げてただけじゃん、インチキだ。チェー」

 

 うん、出来ちゃったねすごいね。でもマジックは基本ファンタジーない手品《トリック》だからね。腐ったもの見るような目はやめてね、心に刺さるから。くぅ……

 

「それにしてもあんたら、スゲェ怖い人達かと思ったら優しかったんだな」

 

「え? そ、そうだよ。怖いことなんてしないよ」

 

 等と、答えようとして思わず声が上擦ってしまった。街の人達は次々に話しかけてくる。

 

「ここいらにあんな無頼の酔っぱらいが来ることなんて今まで無かったから、子供達を避難させたんだが、本当にあんたらのお陰で助かったよ」

「ほんとほんと、この街は今までずっと治安良かったから、あたしらみたいな亜人も安心して暮らせてたんだけどここのところ本当に物騒でね」

「なあ、あんあたギルドの冒険者だろ? 本当にいつも俺達を守ってくれてありがとうな」

 

 みんなに口早にそう言われて俺ももうたじたじなんだが、俺はとにかく一生懸命に愛想笑いした。うん、今までしたことがないってくらい、しまくった。

 なるほど、みんな結構冒険者に感謝してるもんなんだな。他の街は知らないけど、確かにここではギルドの冒険者が警察兼、護衛兼、街の守備隊って感じだし。

 でも、なんかそれを俺に言われてもむず痒いだけだー、だって俺まだろくにここの仕事こなしてねえし。

 居心地悪くなって、ニムはなんで助けてくれねえんだ? とかそっちを確認したら、今度は子供達にトランプを渡してマジックの手解きを初めてやがるし!

 いつまでやるつもりだよ! というか、その大量のトランプどこに仕舞ってやがったんだ!

 

 そんなこんなで俺たちが解放されたのは小一時間くらいあとの事だった。さんざん芸をさせられたニムと俺。観客は増える一方で、最後は拍手喝采アンコールの大合唱になってしまったが、とにかくそこで終わりにした。

 何故かニムが大きな帽子を逆さにして持ってたもんで、そこに街の皆さんがお金を入れてくれて、ニムはもうニマニマのウハウハの状態。完全に大道芸人だよ。

 お金山盛りのその帽子を大事に抱えて、今日は美味しいもの食べましょうね! なんて言ってやがるし。

 

「その前にやることあんだからな? 気を抜くなよ」

 

「分かってやすよー」

 

 と明るい表情で答えるし。

 そんなニムを見て、俺も何故か気持ちがホッとするのを感じていたのだけども。

 

「さあて、行くか」

 

「ラジャっす!」

 

 二ムの同意を得たことで俺達は街の門をくぐった。

 目指すはアルドバルディンの街から北へ1kmほどの、謎の墳墓群、『死者の回廊』。

 俺達がこの世界に転移してきた先でもあり、フィアンナの親父さんが亡くなった現場でもあり、たくさんのアンデッドの巣でもある。

 まさか襲われた直後にここに行くなんて普通は考えないだろうから、今回スルカンの手の者に襲われる心配は微塵もしていない。

 ただ、ここは異世界。当然普通の感覚では対応しきれない。

 『幽霊の正体見たり枯れ尾花』

 とかなればいいけど、実際に骸骨出るからな。

 さて、鬼が出るか蛇が出るか……骨は出ちゃうからまずは心を強く持って進むとしよう。

 鼻歌歌ってるピクニック気分の二ムのおかげで、シリアス感は台無しだけどもな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 とある小悪党の焦り(スルカンside)

「ええい! まだ見つからんのか! この役立たずども!」

 

 大きな樫製の巨大なテーブルをダンッと叩いたのは背の高い痩せた神経質そうな中年の男。沙羅に金の刺繡の入った光沢を放つ煌びやかな衣服を身に纏い、全ての指には様々な色の宝石の嵌め込まれた指輪をつけていた。

 男はピンととがったカイゼル髭をやはり神経質そうに震えながら撫でると、視界の隅で怯えるように畏まって立つ数人の男たちを睨みつけた。

 彼らは一様に黙りこくっていたが、このままでは埒が開かないと一番年長と思われる筋骨逞しいくたびれた皮鎧の男がおずおずと口を開いた。

 

「だ、だんな……そうは言われましても、そんな『小さな石』を誰にも知られずに見つけろなんて度台無茶な話ですぜ」

 

「言い訳は聴かんと言った! ええい、この間抜けどもめ……ふぅ……で? あの儂を嗅ぎまわっている鼠どもはきっちり始末したのであろうな」

 

「そ、それがですね……」

 

 立ち並ぶ別の男がおずおずと話し始める。

 

「それが……旦那に言われて俺の知る一番の殺し屋を見繕ったんですが、全員やられちまいやして……」

 

「なんだと! 殺されたのか!」

 

「い、いえ……それが……」

 

 男は一度言い澱んでからつい先程顔面蒼白のままに自分へと報告してきた刺客から聞かされた内容を……誰も殺されてはいないという話を繰り返した。

 

 標的である、黒髪の町娘風の少女を伴った青年冒険者。つい一月ほど前にフラりとこの町に現れ、この貴族の男の身辺をうろつき、今に至っては彼の身辺の調査のようなこともし始めていた。

 大した実力もないとの評判ではあったが、用心に用心を重ねてそれなりに金を積んで犯罪者崩れの暗殺者を雇い入れ、さらにゆきずりの喧嘩を演出した上でひっそりと殺す算段であったはずだが……

 貴族の男にキツい目で睨まれた男は、慌てて弁解。

 

「そ、それがですね……お、女の方がエラく強かったみたいで、5人がかりでも全く話にならなかったらしく……」

 

「言い訳は聞かんと言った! たかがレベル1の男と武器も持たない女に負けるような刺客を雇った貴様に責任がある!」

 

 貴族の男は鼻をピクピクと痙攣させながら男に怒声を浴びせる。殺し屋を雇い入れるための金も当然彼が出しているのだ。役にたたなかったでは済ますことは到底できない。

 しかし、その怒鳴られた男も自分が考えつく限り最高の実力を持った刺客を選んだのだ。それを退けられたことこそが異常であり、それを理解しようともしないこの雇い主にそのことを言わないではいられなかった。

 

「お、お言葉ですが、旦那。ここらであの連中より強い奴は冒険者にだっていませんよ。それにその連れの女の見た目……『長い黒髪』の御供っていや、噂に聞く王都の『聖……』」

 

「ええい! だまれだまれだまれだまれェ!」

 

 男はまるで気が触れでもしたかのようにその両腕を振り回して、机の上にある諸々の書類や墨の瓶を叩き落とした。周囲にはそれらが散乱し混沌とした状況に変わる。

 机の上に残っているのは妖しく輝く黒水晶ただひとつのみ。

 

「貴様ら言うに事欠いて言い訳ばかりつらつらと……本当に痛い目に遭わんと本気を出せんようだな……」

 

 冷や汗を額に滲ませたその煌びやかな身なりの男が、机の上に置いてある漆黒の水晶玉に手を近づけようとしたのを見て、立ち尽くしていた一人の男がすぐさま頭を下げた。

 

「め、め、滅相もありません、スルカン様! い、今すぐ、今すぐに、必ずその石を見つけ出してまいります! 男と女も必ず殺しやす! か、必ず!」

 

 そう泣きそうになりながら叫んだ皮鎧の男を中心に、他の数人も慌てて頭を下げて我先にと部屋から飛び出して行く。

 その様子を見ながら、貴族の男はふぅと大きくため息を吐いた。そして、机の上に肘をつき、両手で頭を抱え込んで蹲った。

 

 まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいっ!

 

 男……スルカンは心の中で恐怖を叫び続けていた。

 彼は今のこの状況を心の底から恐れていた。繰り返されるのはなんでこうなってしまったのかという答えのない問い。それをひたすら繰り返し、取り返しのつかない今の状況から逃げ出すことのできないことに怯え続けているだけであった。

 

 このままでは『殺されて』しまう。

 このままあの『魂の宝珠』が見つからなければ儂は……

 

 スルカンは震えの収まらない身体を抱く。そして自分の命の対価ともいうべきあの『宝珠』の行方を思い頭をかきむしった。

 そう、彼は、かつて自分が掠めとった『魂の宝珠』を紛失してしまったのだ。

 これを手にしたことで彼は今の権力と絶対の守護を約束されていた。だというのに、誰も知り得ない箇所に隠してあったそれが消えていた。

 いったい誰が盗んだというのか……

 身内か? それとも真相を知った第三者か……

 彼の不正に干渉しようとしてくる王都の役人どもも、この館には再三足を踏み入れている。

 そして、噂のあの人物が本当に動いたとでも言うのか……

 

 疑心暗鬼に蝕まれ、彼はすでに周囲全てを信用することが出来なくなっていた。

 

 こんなはずではなかった。儂はただ、富と栄達が欲しかっただけだ。奴を越えるだけのそれを手にしたかっただけだ。

 この街にいる限り決して変わることのなかった家の身分の差。父の代も祖父の代もその更に前の代も変わることなく綿々と継がれてきた副領主という肩書。ただ家の恪が違うというだけで甘んじるしかなかった、奴との差。

 ただ儂は奴の上に立ちたかっただけだ。そうだったというのに……

 

 なぜ儂がこんな目に……

 

 彼は自身の罪を悔いるでもなくただ、自分が置かれた境遇に悲嘆し続けていた。

 自分は得るべくして今の地位を得たのだ。甘い汁を吸って何が悪い。どうせ奴も奴の親もそうし続けてきたわけじゃないか。それなのに、なぜ今こんな窮地に立たされなければならないのだ! と。

 もはや憔悴しきってしまった今の彼に、倫理に乗っ取った冷静な思考を求めること自体が不可能で会ったのかもしれなかった。

 彼は罪を犯したのだ。決して許されることのない重大な罪。自分の抑えきれない欲望を叶えたいが為にある人物を罠に嵌め、そしてその命を奪ったのだ。

 共に学び共に育った兄弟であり友だった男……かつて彼は血を分けた本当の兄弟のように彼のことを大切に思っていた。だが、そんな友との間には余人にはどうしようもないほどの高い壁が聳えていた。仕う側と仕われる側。そのどうしようもない差があることに気が付いた時、スルカンは激しく自身に絶望し、激しく相手を憎悪した。

 いつか必ず相手を降してみせる。そんな陳腐な夢を現実に叶えられると知った時、彼は一も二もなくその手を血に染めたのだ。

 ようやく訪れた最高の瞬間。スルカンは一番上に上り詰めたことに歓喜した。

 全ては自分の思うがまま、金は金を呼び、金に媚びる人間が更に金をもたらせた。使いたいときに金を使い、足りなくなれば領民から巻き上げる。

 こんなに楽で楽しいことはない。そう、思っていた。『主様』と呼ばれるあの存在の声を聴くまでは。

 

 彼は知らなかったのだ。この地に眠る存在を、この地にかけられた呪いを、そして、この地を統べる者に課せられた宿命の事を。

 それを知った時、彼はかつて友と呼んでいた自分が手に掛けた男の事を微かに思い出した。

 だが、もう全ては手遅れだった。

 この地が血に染まるのはもはや時間の問題。リミットは七の月の満月の夜。この日に彼は彼の握る『大勢の命』と引き換えに自分だけは生き残るはずだった。

 それは本当に恐ろしい選択。彼の判断ひとつで数千人の命を消滅させるのだ。

 それは人としての倫理観を失いつつあった彼にとっても非常に重たい選択と決断。

 だが彼は自分の保身を優先し忍び寄るその日が訪れるのを彼は恐怖し続けた。

 しかし、その日が過ぎても、滅亡は訪れなかった。満月が過ぎ、一晩二晩と日を重ねるうちに、彼は自分が救われたと思うようになっていた。呪いは解かれたのだと、彼の者は目覚めないのだと……でもそれはただの幻想だった。

 三日目の晩、彼の前に再びあの男が現れた。

 彼をけしかけ友を殺させた男。そして、彼の欲望を成就させ続けたあの男が……

 そして、告げたのだ。

 『主様』の邪魔立てする者を全て排除せよ……と。

 

 スルカンは目の前に置かれた黒い水晶に目を向け、そして今度こそそれに触れようとしていた。

 だが、その指が触れるその寸前に、その声が室内に響いたのだ。

 

「お止しになられた方が良いですぞ、領主様。『主様』はただいま大層お怒りになられておりますゆえ」

 

「ひっ……べ、べリトル殿……」

 

 誰もいなかった筈の豪奢なこの部屋の一角に、突如あの男が現れた。薄汚れたマントで全身を覆い、頭にターバンを巻いた褐色の肌に黒い髭を蓄えた壮年の男……彼はその深く被ったターバンの縁からギラリと瞳を光らせてスルカンを見ていた。

 

「その水晶は言わば『主様』の力の分身……本来貴方程度の存在が自由にして良いモノではないのですよ」

 

 そう言いながらコツコツと机に向かって近寄ってきて、そして、そのマントの間から長く節くれだった指を覗かせると、その指先に僅かに火を灯した。

 魔法である。

 ベリトルはその炎を器用に揺らしまるで鞭のように細く伸ばして行った。そしてその炎の鞭はスルカンに撒きつくかのように、椅子ごとスルカンの周りを何重にも包囲していく。

 その余りにも異様な光景にスルカンは一言も声が出ずにただただ、涙と鼻水を垂れ流して震えていた。

 黒水晶はべリトルの言葉の通り超常の力を発する道具。これを使い彼は様々な人間を脅し害し殺してきた。そしてその力の源は紛うことなき強大な存在によるもの。

 

「おやおや……くっくっく……怖いのですか? 自身の欲望の為に友を手にかけたほどの貴方が、たかが死ぬことを怖れているのですか? これは滑稽ですねぇ」

 

 炎の鞭はまるで蛇のようにうねりながらスルカンの周りを蠢く。身体には触れてはいないが重厚な造りの椅子は完全にその炎の餌食となり、徐々に焼け焦げ始め周囲に黒い煙を立ち上らせ始めていた。

 それを見て、ベリトルが声を漏らす。

 

「おっと、せっかく貴方が大枚を払って手に入れた豪華な椅子が燃えてしまいましたね。これは失礼」

 

 炎を消すと同時にスッと手を胸に当てて優雅にお辞儀をしたベリトル。その瞬間、炎が消えたことで緊張の限界を超えてしまっていたスルカンは全身汗だくのまま失禁してしまっていた。

 ベリトルはそれに構わずに顔を上げ、ニヤリと笑みを浮かべた後に話を切り出した。

 

「『主様』は寛大にも貴方に最後の機会をお与え下さいました。今夜0時までに『魂の宝珠』を『祭壇』に捧げるのです。そうすれば貴方は永遠に救われることになるでしょう」

 

 笑みを湛えたベリトルが後ろへと去ろうとしていると見てとったスルカンは慌てて声を掛けた。

 

「お、お待ちくだされベリトル殿……『魂の宝珠』は今、少し……その、べ、別の処にあるのです。そ、それに、今、羽虫の様に私の周りを嗅ぎまわる冒険者がおりまして、その、すぐには動けないのです。今夜0時にはとても間に合うか……」

 

 立ち止まったベリトルは顔を再びスルカンへと戻し、笑みを湛えたままで口を開いた。

 

「そうそう、言い忘れておりました。『主様』は貴方の忠義に関係なく今宵の満月の世に再びこの世界にお見えになられます。『主様』がお越しになられた時、貴方を見てどう思いますことやら……くくく」

 

「そ、そんな……」

 

 絶望に震えるスルカンは恐怖に自我が壊れていくのを自身でも感じながらなんとか生き残るための方法はないかと必死に頭を回転させた。そんな様子を可笑しそうに見ていたベリトルがさらりと言った。

 

「そう言えば、貴方のご息女……確か、セシリア様と言いましたか……彼女が『魂の宝珠』のような小さな石を持ち出されているのを見ましたよ……危ないことをされなければよろしいのですが……そうそう……」

 

「な、なにを……?」

 

 べリトルは急に何かを思い出したかのようにスルカンへと近づき、机の上に置かれた黒い水晶球を掴む。そして、それを掲げると同時にスルカンの胸目がめてそれを突き入れた。

 

「グッ……ハッ……」

 

 胸へとめり込む水晶とべリトルの腕。にやけたべリトルの前で驚愕に目を見開いたスルカンの口から大量の血反吐があふれた。

 

「あ……あ……」

 

 理解の範疇を越えてしまったスルカンの脳がその音を辛うじて拾った。

 くちゃくちゃと何かを噛むような音が室内に響いている。それを聞きつつ声にならない悲鳴を上げつつスルカンが血みどろの自分の胸へと視線を落とした。

 そこにはべリトルが手にした黒水晶が……

 

 大きな口を開いてスルカンの胸を喰っていた。

 

「ぃ……ひぃ……」

 

 もはや正気を失いかけつつあるスルカンに、べリトルの微かな声が届く。

 

「ふふ……もう何も心配はいりませんよ。主様があなたを生命の呪縛から解き放ってくださいました。これで何も憂うことはありませんよ。さあ、主様の眷属としてご存分にお働きくださいまし……くふふふ……」 

 

 ベリトルはそこまで言うと、手にした黒水晶を机の上へと戻し、部屋の隅の暗がりに溶け込むかのように忽然とその姿を消した。

 

 『今宵の満月は最高の色に染まることでしょうね』とだけ言い残して……

 

 そして部屋にはスルカンただ一人となる。

 彼は、先ほどと同じように椅子に座ったまま、両手で頭を抱えていた。

 しかし、今度は先ほどとはその様子が全く違う。

 両手で頭を包みながらもその眼は真っ赤にらんらんと輝き、ただひたすらに正面の黒水晶を見つめている。そして半開きになったままの口からブツブツと絶え間なくある人物の名前を呼び続けていた。

 その口角は次第と引きあげられ、やがて、それは哄笑へと変わる。

 けたたましく笑い続けるスルカンを……

 漆黒の水晶が鈍く光りながら見つめ続けていた。

 

「くくく……愛しいセシリア……父を助けておくれ……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 心の拠り所(フィアンナside)

 アルドバルディンの東には『シニカの森』と呼ばれる、広大な落葉樹林が広がっている。この森にはシニカと呼ばれる多年草の多肉植物が至る所に生えており、薬効成分の高いことから冒険者を中心に採取に訪れる者も多かった。

 この時期は気候的に夏ということもあり日中は非常に暑くなるものだが、森の樹々はその青々とした葉の重なりで見事な天然のドームを形成して日差しを遮ってくれている。木漏れ日に照らされるこの空間には、強力な魔獣も少ないため、野うさぎや、イタチなどの小型の動物がたくさん生息していた。

 穏やかな様相の森の中を進む3人組の姿があった。

 男が一人に女が二人。男は腰に長剣を帯びており、銀に輝く軽金属製の軽鎧を身につけ金の髪を靡かせて先頭を進んだ。

 女の方はと言えば、一人は白のローブに樫の杖を掲げた金髪の少女であり、もう一人は青の長衣を纏った青髪の少女であった。

 全員が全員整った面立ちをしており、誰もが振り返ってしまうであろうと思える美麗な魅力があった。

 だが今は3人ともが厳しい顔になっており、声を掛けることが憚られる雰囲気を醸している。

 

 彼らとはつい昨日まで紋次郎と同じパーティを組んでいた、アルベルト、セシリア、フィアンナの3人のことである。

 つい今しがたまで、この森でシニカの葉肉を採取していた彼らは、今はせっかく集めたその葉も放置し一路北を目指して歩み続けていた。

 3人は一言も話さない。もはや全員が覚悟を固めていたから。

 一番後ろを追従していたフィアンナもまた、手にしたメイスを握り込み気持ちを新たにしていた。

 

 彼女は今日、初めてこの目の前の二人と同じパーティになれた気がしていた。

 彼女の目的、『父の仇討ち』という明確な目標を持っていたがために、今まで行動を共にするこの二人に対して敵愾心(てきがいしん)にも似た歪んだ感情を持ち続けていた。

 この二人は父の死に関わりがある、いや、父の死そのものの原因であるとして、穿(うが)った感情のままにこのパーティに属し続けていた。

 これは仕方がない事であったと、彼女自身も思っている。

 それほどに、彼女自身も追い詰められた中で復讐に囚われていたのだから……

 

 しかし……

 

 つい今しがたその考えは変わった。

 いや、変わって等いないのかもしれない、むしろ明確になることで二人を受け入れることができたらのだ。目の前のこの二人もまた同様に苦しみ続けていたという事実を知ってしまったから。

 自分だけが苦しんでいたのではないという事実を知った今、彼女は決意した。

 この二人と共に必ず目的を達してみせる……と。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 紋次郎をパーティから追い出してしまった後、フィアンナはこっそり彼の元へ行き、正直に今自分が置かれている状況を話した。そして僅かな金子を謝礼に彼へと助力を頼んだ。

 正直に言えば、この行為は諸刃の剣。彼が信じるに足る人物かどうか、自分を助けてくれるだけの力を持ち合わせているかどうか、本当のところは全く分からなかったからこその賭けであった。しかし、彼女には確信があった。

 王都の修道院からこのアルドバルディンに急ぎ帰郷する際にふと耳にした話が記憶の底にあったから。

 ひょっとしたら、もしかしたら彼は……

 藁にもすがる思いであったのかもしれない。この状況を変える為にはひ弱な自分だけでは到底力不足。だからずっと誰かに助けを求めたかったから。

 同じパーティメンバーであった彼のことは、正直本当に頼りないと思っていた。

 特殊なスキルを持ち合わせていたとはいえ、レベルは1のまま全く上がらず、モンスターと戦うにしても弱小の雑魚モンスター以外とはまともに戦うこともままならない。

 リーダーのアルベルトも全く成長しない彼のことを次第と邪険にするようになっていたし、それは仕方ない事だと、自分でも驚くほどあっさりと彼のことを見限ってしまっていた。

 でも、それが間違いであったと考えを一変する出来事が起きた。

 

 昨日……

 

 南の『ドワーフ鉱山への道』で遭遇した巨大な悪夢……

 そのまるで城のような巨躯を前にした時、私は確かに絶望していた。敵わない、敵うわけない。死の予感に全身が痺れまるで手足は動かなかった。

 それは同じパーティメンバーのアルベルトとセシリアも同様で、眼前に立ちはだかった死の権化を前にして固まったように動けなくなっていた。

 

『フォレストライノ』……しかもその『亜種』。

 

 先に遭遇していた個体とは明らかにサイズも威圧感も異なる異形の怪物。

 フォレストライノは、この森の王にして恐怖の対象として街の住民が恐れるこのモンスターであり、国から危険度『C』に指定されたレベル20相当の強力なモンスターである。非常に硬い表皮を持ち、二本の角による『集団』での突進は壁をも崩すと言われていた。

 だからこそまだレベル10そこそこの彼らはチームでこのフォレストライノの討伐に当たったのだ。

 先に出現した2体のフォレストライノは順当に狩ることが出来た。

 フィアンナの補助魔法を軸に、セシリアの氷結魔法とアルベルトの剣技を織り交ぜ辛くも勝利できていたのだ。

 しかし、その個体は違った。

 明らかに魔法も剣も通りはしないと思わせる圧倒的な巨躯であり、その足の一踏みで世界が終わるのではないかと思わせる激震を放った。

 フィアンナは思う。今にして思えば、通常個体のフォレストライノを狩ろうとした時、頑なに戦闘を避けるように訴えてきていたモンジローはこの恐怖の存在の出現を予期していたのではないか……と。

 だからこそ彼はあの時真っ先に声を上げて走りだしたのだ。誰も動くことが出来なかったあの時に……と。

 

 モンジローの突然の行動に触発され、彼らは全員その場から逃げだすことが出来た。

 しかし、激しい地響きが彼らがまだ完全には難を逃れていないことを示唆していた。

 このままではいずれ追いつかれ、あの怪物の餌食になってしまう。

 そう思ったとき、殿を務めてくれていたモンジローが消える。

 

 それが何を意味するのか……

 その時の3人はただ、彼がその能力の低さが故に逃げ切れなかったと思っていた。

 

 しかし……

 

 彼は帰還した。何事もなかったかのように、いつもと同じに。

 フィアンナにはそれが信じられなかった。

 あそこにいたのは間違いなく何人も太刀打ちできるはずのない怪物だった。命を救いたいと思い願いながらも、それはもう不可能だろうと彼女自身も思ってしまっていた。

 それなのに。

 

 いつものように飄々として現れた彼を見て、彼女はその思いが確信に変わったのだ。

 そう……

 彼は間違いなく……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「フィアンナ……君に大事な話があるんだ」

 

 シニカの森でシニカの葉の収集作業を進めていた3人。別段難しい作業なわけでもなく、過去にも数度請け負った依頼でもあるため本来ならすぐにでも達成できる仕事であったはずがこの日は作業が遅々として進んではいなかった。

 昨日までと違い、モンジローがいないためか? と作業のペースの遅いアルベルトとセシリアの二人を眺めつつフィアンナはモンジロー達が今どんな行動を取っているだろうかと思いを馳せていた。

 そんな時、作業を中断したアルベルトがフィアンナへと近寄ってきたのだ。

 視線をさらに奥へと向ければ、少し離れたところにセシリアも立っている。

 何を話す気なのか……

 とにかく聞いてみようと頷いてみせた彼女に、アルベルトは口を開いた。

 

「これから……僕らで『死者の回廊』のアンデッドを全て狩る。君にも……手伝って欲しい」

 

「え?」

 

 その意外な内容に思わず息を飲む。

 『死者の回廊』と言えば彼女の父が亡くなった場所でもあり、彼女の父が盗んだとされた『魂の宝珠』が納められていた場所。

 これが何を意味するのか、彼女も容易に想像できた。

 『父の死の真相に近づく』話。彼女は緊張が表情に出ないように注意しながら、アルベルトを見返して聞いた。

 

「なぜ……アンデッドを狩らなければならないのですか?」

 

「そ、それは……」

 

 表情を歪めて口ごもるアルベルト。

 彼は苦しそうに呻いてから、ちらりと背後のセシリアへと視線を向けた。

 彼の背後でセシリアは毅然とした顔になる。

 

「わたくしから説明させていただきますわ」

 

「い、いやセシリア……しかし……」

 

「良いのです、アルベルト様。ことここに到ってしまってはフィアンナ様のお力なしにはどうにもできません。これは私……いえ、我がエスペランサの罪なのですから」

 

 そう言われてアルベルトは黙った。

 セシリアはフィアンナへと歩みより、一度深く息を吐いてから話し始めた。

 

「まずはお願いがございます。これからどのような話を聞いても決して私達を疑わないと、信じると誓って欲しいのです。これが非常に手前勝手なお願いであることは重々承知しております。ですが、これをお約束頂かなければ私はお話することが出来ません」

 

 フィアンナはその言葉に身体が硬直する。

 彼女は悩んだ。今ここで話を聞けば、彼らが犯人だったとき、彼らに復讐することが出来なくなる様に思えたから。神へと仕え、神の御心のままに偽りなく人と接してきた彼女にとって、完全なる背信は決して許されるものではなかったから。

 でも、この話は聞かなければならない、そう、確信めいた物があった。聞くことで真実へと辿り着かなければならない。彼女はそう、僅かな時の中で決意した。

 

 そして小さく頷く。

 

 それを見て、セシリアは小さく口を開いた。

 

「ではお話しましょう……私の父、スルカン・エスペランサは大罪を犯しました。人を殺したのです」

 

 そう切り出され、それほどの衝撃を受けなかったことにフィアンナ自身驚いていた。思いのほか冷静であったのだ。彼女はそのままセシリアの言葉に耳を傾け続けた。

 

「父は以前より偏執的なところがあり、領主であったライアン・アストレイ様に様々な点で対抗意識を燃やしておりました。ですが、まさかあのような結果になるとは私も思いもよらず……」

 

 声を詰まらせたセシリアが一度下を向くも、一呼吸入れてからフィアンナに向き直った。

 

「私は見てしまったのです。1年前……死者の回廊へと赴いていたライアン様を父が襲い、その命と『魂の宝珠』を奪うところを」

 

 フィアンナはここで初めて全身に衝撃が走った。

 自分が知りたかった真相を聞けたばかりでなく、その犯行の始終をこの目の前のセシリアが目撃してしまっていたということに驚いてしまったから。

 セシリアは声を震わせながらつづけた。

 

「私は狂気に走った父を止めることも出来ず、周囲に湧いたアンデッドに襲われ続けたライアン様をお救いすることも出来ず、ただただ逃げ出すことしかできませんでした。そして、父は湧き続けていたアンデッドに対し、何食わぬ顔で副領主として冒険者や騎士を投入して鎮圧を図ったのです。私は恐怖から父を糾弾することも何も出来なかったのです」

 

 美しい表情を歪めた彼女はその頬に涙の筋を走らせていた。ずっと耐えてきていたのだろう、その様子に、控えていたアルベルトがハンカチを差し出してその涙を拭った。

 そして、今度はアルベルトが口を開く。

 

「ここからは僕が話そう。僕の家……カーマインもセシリア様のエスペランサ家と同じように代々アストレイの家に仕えてきた。ライアン様がお亡くなりになり、アンデッドの数もだいぶ減ってきた時期のある日、父が僕を呼び出した。そして僕はある秘匿されていた事実を明かされた。それは信じられないような現実だったよ」

 

 そう言ったアルベルトはフィアンナを真っすぐ見つめた。

 

「アストレイの人間は死者の回廊の番人であると。湧き出たアンデッドは全てアストレイの者が狩らねばならないと。アンデッドをあの墳墓から外へと出してはならないのだと……そして、もしアストレイの人間に何かあったその時は、カーマインの家の者がその跡を継ぐのだと……そう言われたのさ」

 

「アストレイの人間が……アンデッドを狩る?」

 

 初めて知ったその事実にフィアンナは驚愕した。

 そのような事実を自分は知らない。少なくとも父も、亡くなった母もそのような話は一度もしたことはなかったから。

 しかし、もしそうだというのならば、今までずっと父はたった一人であの墓地でアンデッドと戦い続けてきたことになる。あの温厚で優しかった父がなぜ人知れずそんなことを……

 そう思った時、アルベルトが口を開いた。

 

「『呪い』……なのだそうだよ……それがどういうことなのかは僕にも分からない。でも、アストレイの血筋が途絶えた今、その『呪い』は我がカーマイン家が……この僕が受けなくてはならないのだと思う。だから、僕は強くなってライアン様が為さり続けてきたことを継がなくてはならない……罪を負ってしまったセシリアの為にも……そう、僕は覚悟を決めたのだ」

 

 決意の籠った瞳でフィアンナを見つめるアルベルト。

 そうか、だから彼は急いでいたのだ。だから彼は強くなろうとしたのだ。

 亡き父の遺業を彼は引き継ごうとしてくれているのだ。

 だから彼女は寡黙にも努力を続けていたのだ。

 良心の呵責からの救済と、贖罪の為に。

 そう思った時、胸に込み上げてくる熱い感情にフィアンナは気がついた。こんなにも父のことを思い行動してくれている者がすぐ近くにいたという事実に、復讐心はおろか悲嘆していた全ての日々の悲しみが洗い流されていく、嬉しさにも似た何かを感じていた。

 

「セシリアの父君、スルカン様は狂気に染まってしまっている。彼の犯した罪を僕たちは償わなければならない。だから今日、僕らはアンデッドと戦う。もっとも魔力が高まりアンデッドが湧き出るとされている日、この満月の夜に。そして再びアンデッドをあの墳墓に封じ込める、セシリア……」

 

 呼びかけセシリアを向いたアルベルト。それに呼応するかのように、セシリアはその手に握っていた小さな石をアルベルトへと差し出した。

 

「セシリアがスルカン様から『魂の宝珠』を奪い返してきてくれた。アンデッドを打倒し、この宝珠を礼拝堂の結界の内に戻すことが出来さえすれば、このアンデッドの大量発生は収まるはず。跡を継ぐ我がカーマインの血であればきっと結界の内にも入れることだろう。そう、きっと……」

 

 

 そこまで言ったところでフィアンナはアルベルトの言葉を手で制して止める。それに驚いた様子の二人の前で、今度は彼女がまっすぐに彼らを見据えて言った。

 

 

「多分ですが……貴方にはそれは出来ないと思います」

 

「え?」

 

 何を言われたか分からないと言った様子で、アルベルトはフィアンナを見た。決死の覚悟とその想いを彼は一瞬貶された様にも感じていた。だが、次の彼女の言葉に、アルベルトのみならず、セシリアまでもが息を飲むことになった。

 

「だって……だって、まだここにアストレイの血はあるのですもの」

 

 フィアンナは自分の胸に手の平を当てて、二人にそう宣言する。父の復讐の為に今まで偽り続けてきた本当の名前……それを、彼女は今明確な覚悟を持ってここで二人に明かす決意をしたのだ。

 

「私の本当の名前は、フィアナ……フィアナ・アストレイ。ライアン・アストレイは私の父です」

 

 時が止まってしまったかのように誰も口を開けなくなったその場は波が引いたかのように静まり返ってしまっていた。でも、次の瞬間、アルベルトとセシリアの二人がその場に膝を着き、フィアンナへ向かってその頭を垂れた。そして……

 

「お、お許しください、フィアナ様。貴方様のことにまったく気づかず、このアルベルト一生の不覚」

 

「ご無礼の数々大変もうしわけありませんでした。我が父の罪、この命を持って贖罪させてくださいませ」

 

「ま、待ってください」

 

 突然に畏まってしまった二人を見つつ、慌ててフィアンナはしゃがんで二人の肩に手を置いた。

 

「私の方こそ今まで黙っていて本当にごめんなさい。お二人が父の遺志を継いでここまでしてくれているなんて思いもしなくて……本当に……本当にありがとうございます。お二人のお気持ち本当に嬉しいです」

 

「勿体なきお言葉にございます。父から貴女様は王都で亡くなられたと聞かされておりましたもので全く気が付くことが出来ませんでした」

 

「まあ……」

 

 フィアンナはその言葉に正直に驚いた。

 確かにこの地から離れてすでに10年以上、土地の者にとってはここで生活していない者の生死等分からなくても当然のことだとは思いはしたが、父の関係者とも言えるアルベルトの父親ですらそのような意識ということは、明らかに父ライアンがフィアンナの生存を隠す工作をしたと考えた方が普通であるように思えた。

 それは父の優しさであったのだろうと、もう会うことも叶わないあの穏やかな笑顔の父を思い出し、彼女は涙ぐんでいた。

 ひとしきりそれを思い顔を上げたフィアンナ。

 

「お願いをしなければならなのは私の方です。私は父の死を知り、父の仇討ちを為すためだけにこの街に帰ってきました。ですが、皆さんはこの街を想い行動しておられた。自分の事ばかりで……私はとても恥ずかしいです。ですからお願いです。私に戦わせてください。アストレイの血が必要というのであれば、どうか私の血の最後の一滴までお使いください。どうか……どうか私に力を貸してください」

 

「よしてください、フィアナ様。そのようなこと当然です」

「私の命こそ、どうか存分にお使いになられてくださいまし」

 

 懇願するように頭を下げるフィアンナと、慌てた様子の二人。

 彼らはここに来て初めて心を通い合わせていた。それはもはやゆらぐ事のない確固たる信念に基づいた確かな絆。この街を救うために行動しよう。この街を救おう。

 今の彼らの想いはその一点で結ばれた。

 3人で立ち上がると、アルベルトは先ほどセシリアから渡された『魂の宝珠』を今度はフィアンナへと手渡した。

 彼女はそれを受け取ると胸に抱きしめ、祈る様に目を閉じた。

 胸に過ぎるのは希望か悔恨か……

 暫くして顔を上げた彼女は力を込めて二人へと言った。

 

「私にどれだけのことが出来るのかは分かりませんがどうかお力添えをお願いします」

 

「「はいっ!」」

 

 そう返事をする二人に微笑むフィアンナ。しかし、彼女はあえて彼らに『死なないで欲しい、無理をしないで欲しい』と伝えた。

 彼女自身、まだこの街とアストレイ家が背負った宿命についてを把握しきれてはいないし、分からないことだらけの状況であったのだ。かつて父がそうしていたという、アンデッドの討伐と、この彼らより託された宝珠の返還。これで多分全てことは収まるのだろうとは思う。

 でも、どんなことがこの先に待ち構えているのか……

 共に努力し、共に成長してきたこの二人だからこそ、心配なのだ。だから、彼女は、自身が感じた『予感』の事もこの二人へと伝えることとした。

 

「多分……『彼』が私達を救ってくれるはずですから」

 

「彼?」

 

 不思議そうにフィアンナを見つめるアルベルトとセシリア。そんな二人にフィアンナは伝えた。

 

「アルベルトさん、貴方がモンジローさんをこのパーティから追い出したのは、彼を助けるためですね?」

 

 そうフィアンナに言われ、アルベルトは真剣な顔のままでうなずいた。

 

「そうです。初めは彼にも僕達の力になって貰いたかった。でもレベルアップすることのできない彼を僕は見捨てることしかできなかった。あの巨大なモンスターを前に、僕は彼を助けることは出来なかった。僕には彼を救う力はなかったんです。だからこそあんな形になってしまいましたがなんとか生還した彼を追い出したのです」

 

「やはりそうだったのですね。でも、アルベルトさんは勘違いをなさってらっしゃいます」

 

「勘違い?」

 

「はい」

 

 フィアンナに言われ、首をかしげるアルベルト。

 彼にとってモンジローは努力こそ人一倍しているものの、全く成長することが出来ない足手まといのような存在となってしまっていた。実際に剣の腕もほとんど素人の上、まったく魔力もスキルも持ち合わせていない人物だった。

 勘違いと言われても、それがなんのことなのか、本当に分からなかったのだ。

 だが、フィアンナは落ち着いた眼差しで彼を見つめながら教えた。

 

「私が王都のアマルカン修道院を出る時、司祭様が仰られていたのです。この国に『彼のお方たち』がお見えになられていると……そして、混乱の起きているこの街へと向かわれる可能性があると……」

 

「『彼のお方達』……? ま、まさか……」

 

 フィアンナの言葉に思い至ったのであろう、セシリアが目を丸くして絶句する。それを見てからフィアンナがその有名な『一説』を朗々と語った。

 

「『水は枯れ、土が腐り、木は朽ち果てる。(くろがね)は錆び落ち、火は消え去る。恵みの天は暗雲に呑み込まれ、影もまた失わる。世は乱れ人心が荒み憎悪と苦しみが席巻し死が世界を蝕む時……『彼の者』漆黒の妖精と共にこの世界へと現れん。『彼の者』其れ即ち……』」

 

「『聖戦士(せいせんし)なり』……これは『ワルプルギスの魔女』に出てくる救世主、『聖戦士譚』の一説ではありませんか……ま、まさか、フィアナ様はモンジローが『聖戦士』様であると!?」

 

 信じられないと言った面持ちでそう声に出すアルベルトに、フィアンナは確信をもって頷いた。

 

「間違いないと思います。 彼も彼といつも共にいる美しい女性も共にこの世の者とは思えない程に漆黒に輝く美しい髪をしています。それに、ご存知の通りあのお話の中の『聖戦士』様は市井に紛れて悪を滅ぼす英雄でもありますから、きっと彼らはその身分を隠し続けているのでしょう。なにより、あの巨大なフォレストライノを退けて帰還できたことこそが確証ではないでしょうか」

 

 そう言われ、アルベルトもセシリアも瞠目してしまった。

 しかし、確かにそう思わなければ説明できないことことが多々あることも確かだった。

 フィアンナは言う。

 

「私は浅ましくも彼らに助力を願いました。そして彼らはそれを引き受けてくれました。今思えば、全てを見通した上で私の依頼を受けてくれたのだと確信しています。きっとあの方たちは私たちを助けてくださいます。ですからどうか、お二人は無理をなさらないで下さい」

 

 そう再び頭を下げられるも、二人はフィアンナの言葉を一も二もなく了承した。

 

「わかりました。もはや何も疑いますまい。貴女の御心のままに」

 

「ありがとう……アルベルトさん」

 

 こうして彼らは再びパーティを組む。

 しかし、それは今までの個人の集まりたるパーティの姿ではなかった。

 3人の心を一つに纏め、街を救うという明確な目的を持ち、心の拠り所たる『聖戦士』を得た。フィアンナは本当の仲間を得たのだ。

 復讐の為ではなく、この街を救う為の仲間を。

 そして3人は向かう。全ての元凶たるあの『死者の回廊』へ。

 そこに待ち受けるのは果たして何か……

 フィアンナの手の平の中で、『魂の宝珠』が微かに揺らめいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 死者の回廊

 街を出た俺達は北西方面へと延びる街道から外れ、巨石が至るところに転がる草原の丘を北の方角目指して真っ直ぐに歩いた。

 地理的な事に触れると、このアルドバルディンの街は王国の一番南端に位置しているらしく、人の行き交う街道というものは、先ほどの北西方面へ緩やかな下り坂で続いていく馬車道の一本しかなく、周囲は果樹園や森と丘、そして更に背面、南方向全域には夏でも頂上に雪を被った峻険な『ピレー山脈』が聳えている。

 この長大な山脈により、ここが南の果てとも言われているらしいのだが、実はこの山脈を越えた南方にも広大な土地があって人が住んでいるらしい。

 『らしい』というのは、現在この山脈より南へ行く道が陸上海上問わず全く存在せず、行き来が出来ず、情報がないからなのだが、一般的にはこの山脈の南はひたすらに荒野の続く不毛の大地が広がっているとも言われているが、町の図書館で読んだ古い本には『大地を別つ山塊より南に巨人が住まう』等とも、書かれていて、何が本当なのやら良くわからない。まあ、知りたければ自分で行けということだな。

 

 ともかく今はこの街だ。

 南の果ての辺境の街とはいえ、亜人種の人たちも含めれば数千人を擁する比較的大きな街である。

 ま、他の街にまだ行ったことがないから、本当に大きいかどうかは分からないけど、閑散とした田舎の村って感じはしない。商店もたくさんあるし、住宅も石造りでしっかりしているし。

 この地域の主な産業……それは『農業』と『鉱業』。

 比較的周囲に強力なモンスターが涌かないことと、高地ということを利用してのこの地域独特の果樹の栽培が盛んであることが一つ。その果実とは真っ赤な実が木に成るタイプのもので、その名も『アプル』。つまりそういうフルーツだ。

 それと、ここより更に南へ行くと、かつてドワーフの掘っていたという鉱山跡が無数にあり、そこかしこの坑道跡からは未だに希少金属などが産出されており、亜人の人たちが中心となってその労働に当たり街は潤っていた。

 要は平和だってことだな。

 

 さて、今回俺とニムが向かうのはこの丘の頂きから眺めることが出来るのだけど、正直俺は行きたくはない。

 だって、めっちゃ怖いんですもの!

 

「ご主人、もう少しですよ。頑張ってくださいよ」

 

「分かってるよ、ニム。でも足がな、ちょっと行きたくないって言ってるんだよ」

 

「足は喋りませんよ? 頭でも打ちやしたか?」

 

「比喩だ、比喩。真顔で言うな、この電磁メカめ!」

 

 俺の手を引っ張って先を行くニムが俺を見て笑ってやがるし。こいつ遊んでやがるな。

 でも仕方なし。ここまで来て、やっぱり行かないの選択肢はないからな。

 俺はえいやっと力を込めてその丘の頂に立った。そこから見える光景はまさに最悪だ。

 

 ここまで一見のどかな感じの丘陵地帯の風景であったのが、突然におどろおどろしい様相に一変する。

 緑の原野の只中に、周囲を高さ5m以上はありそうな年季の入った石の壁に囲まれた鬱蒼と茂る陰鬱な森がそこに現れた。

 ここは只の森ではない。遠目に見ても分かる様に、その木々の合間に白い板や十字架のような物や、元は人の形を取っていたのであろう彫像などが、半ば崩れ、汚れ、緑に没してそこに存在していた。

 完全な『墓場(セメタリ―)』だ。

 それもイギリスとかフランスとかで世界遺産に指定されているような大昔からそこにあるような古代の集合墳墓。マジで怖い。

 そこの空間だけが闇に覆われたような陰惨な雰囲気を漂わせていて、ギャアギャアとカラスであろうか、不気味な鳴き声がここまで聞こえてくるし。

 もう見るだに恐ろしいが、俺は視線をその森の奥へと向かわせる。

 遠く、その森の丁度中央付近か、その全体を濃緑色の蔦に覆われてでもいるのか、巨大な教会のような建造物が天に聳えるように建っていた。あれが件の礼拝堂だろう。

 

 何度見ても恐ろしい光景だ。

 周りが広大な野っぱらで、青々とした短めの草が遠くまで続いて、なにやら牧歌的な青春映画のワンシーンでも観ているかのような清廉さがあるのに対し、その石塀を境に、突如連続殺人(シリアルキラー)なホラーワールドに変わっているし。

 明らかに植生も違うしな、違和感が半端ない。普通アミューズメントパークだって、ファンシーとホラーの境目をもっと自然にするだろう。

 まるでこのドデカイ墓場を、何処かから運んで来てそこに置きましたと言わんばかりの不自然さが俺の心をざわつかせるのだ。お化け屋敷に入る前の心境だよな、これ。

 

「うっう~、マジで行きたくねえ」

 

 心の声が漏れるも仕方ない事だと思う。だって、本当に行きたくないんだもの!

 そんな俺を眺めつつ、二ムがあっけらかんと話す。

 

「大丈夫っすよ! 骸骨とゾンビーはぶん殴れば木っ端微塵すから、余裕っす!」

 

「お前、お化け屋敷でくれぐれもそれやるなよな。偶に人が化けてんだから」

 

 うん、正直人が化けて出るタイプのお化け屋敷の方がよほど恐ろしいよ。動きとか不規則だから怖がる準備もできやしない。まあ、脅した後にせこせこと帰って行く姿がまたシュールで物悲しかったりもするんだけども。

 

 隣でにこにこしているニムに不安を抱きつつもその薄暗い雰囲気の墓地を目指して歩いた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「兄さん達これから中にはいるのかい? 物好きだねぇ」

 

 『死者の回廊』の正面入り口とでも言えばいいのか、もとは巨大な門扉があったのであろうその石塀の切れ間付近に、大きめのテントを張って、木製の机と椅子を外に起き、そこに腰を掛けながら煙草を(くゆ)らせた一人の中年の男性がいた。

 薄手の皮の鎧を身につけてはいたものの、どう見ても運動不足な感じのいなめないそのでっぷりとした体型からは冒険者や騎士といった印象は全く感じられない。

 でも、テーブル脇に立て掛けられた意匠の凝らされた盾を見るに、どうも王国の騎士ではあるようだ。

 

「あんまり行きたくねえけどな。ところであんたはここで何してんだよ」

 

 見るからに暇そうだったもんで俺はそんなことを聞いてみた。すると……

 

「あー、オレァ王国軍のアンデッド討伐隊の隊員だぁ。見張ってんだよ。とは言っても今じゃオレ一人しかいねえけどな。ふぁ~あ~」

 

 欠伸をしながらそう答える討伐隊隊員。どう見ても酒場でくだ巻いてるおっさんの一人のようにしか見えない。

 

「おいおいそんなんで大丈夫かよ? おっさん一人しかいねえんだろ? アンデッド出てきたらあっという間に殺されちまうぞ?」

 

 その俺の言葉におっさんはケラケラと下品に笑った。

 

「なーに言ってやがる。オレァもうここに来て三ヶ月だが、まーだ、一回もアンデッドになんか遭遇してねえよ。ひと月前だって、本隊の連中もわんさか集まったけど、影も形もありゃしねえ。本当にいるのかよ?」

 

「はあ?」

 

 思わず変な声が出ちまった。

 いるも何も、いるに決まってんじゃねえか。現に一月前に俺はここで周囲360度アンデッド祭りに遭遇したんだぞ!

 なのに三ヶ月……

 ってか、だったら一月前のあの時もこのおっさんここに居たんじゃねえか! 何やってたんだよ。助けろよ、仕事しろよ。

 

「あのなあおっさん。ここ滅茶苦茶いるぞ、アンデッド。特にスケルトン。俺もこいつも一月前にエライ目に遭ったんんだからな! なあニム」

 

 と、ニムの方を向くと、あごに指を当てて、「そうでしたっけ?」とか言ってやがるし。

 こいつ、壊れやがったか、ボケちまったか、とにかくあれだ。あの時は暴れまくった挙げ句に燃料切れで動かなくなったからどちらかと言えば記憶というか、記録がなかったって感じか。

 そんな俺たちのやり取りを見つつ、おっさんが鼻で笑った。

 

「たかがスケルトンごときで大袈裟な奴らだな。だったらオレに声かけろや。オレが全部剣の錆びにしてやっからよ」

 

 おっさんは笑ったままで、まあ、どうせ与太話だろうけどな。とか言ってやがるし。本当にムカつくな。

 ま、でもあれだ。ここは良い方に考えよう。

 なにはともあれ、ただのデブにしか見えないけどこのおっさん、見た目はあれだが正真正銘の王国の『聖騎士』らしい。つまり国家権力、軍隊、警察、治安維持部隊! これを活用しない手はない。

 何も馬鹿正直に俺と二ムの二人だけでアンデッドわんさかの墓場に出向く必要はないからな。おっさん、実は結構強いらしいし、これは矢面に立ってもらうとするか。

 

「なあ、おっさん。俺達これからこの『死者の回廊』の礼拝堂までアンデッドの調査に行かなきゃならねえんだよ。手伝ってくれよ」

 

 と、嘘偽りなく正直にお願いする。前領主の娘のフィアンナの依頼だし、アンデッドのことも調べるわけだしな。まあ、最終的にはライアン氏の死の原因調査にはなるわけだけど、そんなことわざわざいう必要もあるまい。このおっさんは関係ないし。

 さて、これで少し手が増えたぞ! としめしめと思っていたら……

 

「いやだね、お前らだけで勝手に行け」

 

 そんなこと抜かしやがるし。

 

「おいおいおっさん。あんたここでアンデッドが湧かないように見張るのが仕事なんだろ? だったら中でアンデッドがどうなってんのか確認するのも仕事のうちだろうが!」

 

「だから、アンデッドは出ねえと言ったろう? 出ねえもんをわざわざ探しに行くバカはいねえよ。オラァ行かねえぞ」

 

 おっさんは煙草をくわえたままで腕組みしてふんぞりかえった。

 ぐむぅ……この業務怠慢野郎が。仕事しやしねえこんな奴ばっかりが何故かおべっか上手くて昇進しやがるんだよな……いや、このおっさんは一人でこんなとこに居させられてるからすでに窓際か?

 

「まあまあご主人、ここはワッチに任せてくださいよ」

 

「二ム?」

 

 急に俺の手を引いた二ムがニコニコしながら俺の前へと歩み出た。そして、ふんぞり返るおっさんの前に立つと微笑みながらその顔を近づける。と、ついでにたゆんとその大きな胸も揺れるわけで……

 なんだ? 色仕掛けでもしようってか? おっさんの奴すでにデレデレな顔で鼻の下伸びちまってるが……

 

「うふふ……ねえ……おじさま~~~」

 

「は、はひっ、な、なにかなぁ~、ぐへへぇ~~」

 

 すでに完全に目が胸に吸い付いてやがるな、このスケベじじいが。

 二ムがおっさんにゆっくりと近づくと、当然座ってるおっさんの眼前にその大きな膨らみも近づいていくわけで、既に目がイってるそのおっさんへと伸ばしたその手で……

 

 机をチョップした。

 

「え?」「あ……うあああああああああああああっ!」

 

 耳をつんざく激しい爆裂音、直上へと吹き上がる砂塵、そして足元が消えていく喪失感。

 よろよろとその場でよろめいた俺が見た光景は、俺と同じように尻餅をついて呆然としているおっさんと、机を木っ端みじんに粉砕した挙句、クレーター化した地面に拳を突きこむ二ムさんの姿。

 暫く風に揺らめきながら砂煙が舞ったその後で、すっくと立ちあがった二ムがにこりと微笑んだ。

 

「おじさん、一緒に行きましょ」

 

「は、はひっ!」

 

 返事もままならずにコクコクと頷くそのおっさんに俺は少しだけ同情したのであった。

 というか、結局『拳』で語るのね、お前は。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 ジークフリード

「まったく、なんでオレがこんな目に……」

 

 ぶつぶつとそんなことをぼやいているおっさんを先頭に、俺たちは墓地の中を進んでいた。

 外観からして恐ろしい場所な訳だけど、中は更に恐ろしい。

 足元は苔むした煉瓦道が延々と続いていて、凄く滑りやすい上に、道の両サイドは果てしなく樹林に没した墓石が苔や蔦の間から顔を覗かせている。

 あの墓の一つ一つの下に死んだ人間が埋まってるかと思うともう、背筋が凍りつく思いだ。

 正直ここに来るのが二度目でなかったなら間違いなく逃げ出しているよ。まあ、前回は真っ暗闇な上に、必死にニムを背負って駆け回って逃げ出したから、こんなにゆっくり見てはいないのだけれども。だからこれが実質一度目だよな……とは決して思わない。だって怖くなっちゃうから。

 

「まあ、スケルトンなんて雑魚だよ、雑魚。この俺が蹴散らしてやるって」

 

 戦闘を歩くおっさんが右手に幅広剣(ブロードソード)を持って、そんな頼もしいことを言いやがる。

 仮にも王国の討伐隊員だもんな。言葉の通り、マジで余裕なんだろうさ。

 

「それにしてもだ……」

 

「なんすか?」

 

 俺が周囲の墓石を見ながら呟くのを、隣の二ムが目聡く聞きつけて聞いてきた。

 

「いや、大したこっちゃないんだが、この墓だよ」

 

「はい?」

 

 俺の言葉に周囲を見まわす二ム。二ムは『別に何の変哲もないただの墓っすけど?』とかすっとぼけた顔をしていやがるし。

 

「まあ、そうなんだがな……この墓って、アルドバルディンの街が出来る前からあるんだろ? だったら、ここに眠ってる連中っていったい何者なんだよ?」

 

「そういやそうっすね。えーと、書いてあるのは……『ステファニー・ルード 203~254』、『コンティネア・パーカー 321~335』、『スクラブ・エーカー 158~205』……」

 

 二ムは道脇の墓石に書かれているこの世界でもあまり見かけることのない文字を順番に読んでいく。というか読めるんだな、お前も。

 

「別に、ただの人の名前っぽいすね。隣に年号みたいな3桁の数字がいっぱいありやすけど、これが何時なのかはワッチにはわかりやせんね」

 

 確かに3桁の年号みたいな数字があるにはあるけど、そもそもこの数字も文字もこっちの世界のもんだもんな。しかも街の図書館でも端っこの方で埃被ってたぼろぼろの『神話』とか『偉人伝』とかの文字に近い。そういえば、俺があの変な女から貰ったこの本も同じような文字で書かれていたな。

 俺はポーチに入れてあるそのいかにも古そうな、元は赤色だったのだろうそのすでに茶を通り越して黒色に近くなった表紙の本を手に取って眺めてみる。そこにはやはり墓石と同じような文字が並んでいた。

 俺はふと気になって、先頭を歩く騎士に尋ねてみる。

 

「なあ、おっさん。この墓の文字は何文字っていうんだ? 普段使ってるのと違うんだが」

 

「あん?」

 

 おっさんは面倒くさそうに墓の文字に目を向けるも、良く見もせずにぷいと背けた。

 

「知らねえよ、こんな文字。大方大昔の分けのわからねえ連中の字だろう。んなもん、どーでもいいだろ」

 

「投げやりすぎだろ」

 

 あんまりな態度に俺もちょっと呆れる。

 現在の標準文字じゃないんだろうが、読んだ感じこの文字を使った文章の方が文法的にも洗練されている気がするんだよな。まあ、今の時代にはそれこそどうでもいいことではあるんだろうが。

 そんな感じでちょっとだけ悶々としていた俺に、二ムが手に持っていた本を見ながら声を掛けてきた。

 

「そういえばご主人、いつもその本読んでやすけど、それどうしたんすか?」

 

「これか?」

 

 俺は本を上に持ち上げながら答える。

 

「アンジュちゃんの宿屋に居る時に、変な眼鏡かけた女に貰ったんだよ」

 

「女? マジっすか? 逆ナンじゃないっすか! いつの間にそんな高等テク覚えちゃったんすか!」

 

「いや、逆ナンて……別に一人で飯食ってる時に、挙動不審なローブの女がどもりながら無理矢理押し付けてきただけだよ」

 

「ローブ!? それって、完全に恥ずかしくて顔隠しながらアプローチしてきた乙女じゃないっすか? もしくはローブ内全裸の痴女」

 

「ぜ、全裸!? ん、んなわけあるかっ‼」

 

 鼻息の荒い二ムに気おされつつも、改めて思い出してみれば、あれは逆ナンと言えなくもないなとか思えてきた。

 丁度ひと月くらい前に、色々怖くて宿から出れなくなってた時に、急に俺の前に現れたんだよなあの女。

 年の頃は俺と同じくらいか……

 で、目も合わさずに、『これどうぞ』ってこの本を差し出してきたんだけど、正直あれから会ってねえな。貰ったこの本の内容が内容だっただけに、いい暇つぶしが出来たなくらいにしか思ってなかったけど、良く考えてみれば小恥ずかしくて告白できない女の子がドキドキしながら俺にプレゼントしてきたシチュに思えてきた。いや、もうそうとしか思えない。

 うん。きっと俺ナンパされたんだ。

 と、胸に希望を宿し始めていたら、二ムが……

 

「ま、それからずっとほったらかしにされたわけっすから、その女の子きっと諦めてやすね。というか見切りつけてもう他の男と……」

 

「ぐっはああああっ! に、二ム、いかん、これはいかん! すぐに帰って彼女に謝らなければ!」

 

「うるせいなお前ら、オレァさっさと帰りてえんだから……っ!?」

 

 ボコッ……

 

「え?」

 

 おっさんが俺達を振り返って不機嫌そうな顔を向けてきたその時、足元から何やら不吉な音が……

 こ、これはアンデッドがいよいよ出てきたか……? とか、思って身構えていたのだが、それよりもっと悲惨な事態が発生した。

 

 足元の地面が消えたのだ。

 

「「ぎゃああああああああああああああああああ……」」

 

 絶叫する俺とおっさん。見事に二人向かい合ったままで落下した。

 お、おいおいおいおい……勘弁してくれよぉーーーー‼

 

「ぐべっ」「がひっ!」

 

 二人揃って落下したそこ……とりあえずは侵入者避けの落とし穴とかの部類じゃなかった模様。落ちた先は砂のようなものが堆積していたらしく、全身を強打したもののなんとか起き上がれるくらいにはダメージが少なかった。

 

「いてててて……どうなってんだ、こりゃ……」

 

「さ、さっさとどけよ」

 

「あ、わりぃ」

 

 痛む背中をさすりつつ身を起こしてみれば、どうやらおっさんを下敷きにしていたらしい。急いでどいて身体を確認するもやはりけがはしていないようだ。

 どうやら地下通路みたいなとこに落ちちまったようだ。多分、地上部分の床が風化して脆くなっていたんだろう、崩れてしまったようだ。

 今更だけど、これが落とし穴とかのトラップじゃなくてマジで良かったよ。槍衾(やりぶすま)にでもなってたら、完全にお陀仏だったぜ。

 俺達の下は砂礫になっていた。そして上を見上げれば、さっき俺達が立っていたんだろうその地面の穴のいびつな形が見え、更に天頂に昇ってきたところだろう見事な満月が見え、その明かりが今の俺達のいる場所まで届いてきていた。

 穴がだいぶ小さいしな、結構落ちたっぽい。

 

「だいじょぶっすかー?」

 

 上の方からそんな気の抜けた感じの声がしたからもう一度見て見れば、穴の縁からひょいと顔を覗かせている二ムの姿。俺を見下ろしながら手を陽気に手を振っている。

 

「大丈夫だ。だからさっさと助けてくれよ」

 

 そう声を掛けると、二ムが了解っすと返事をして一旦消える。

 どうやら木にロープでも括りに行っているみたいだが……

 

「ったく、ひでぇめに遭ったぜ。お前ら後で覚えてろよ」

 おっさんがそんなことを言いながら自分の尻をさすってる。仕方ねえから後で酒でも奢ってやるかとか、そんなことを思っていたら、足元になにやら光る物が……

 それを拾いあげて見れば、なんてことはない、おっさんのステータスカードだった。

 

 どれどれ……

 

――――――――――――

名前:ジークフリード・ストロンギウス

種族:人間

所属:エルタニア王国騎士団

クラス:落第騎士

称号:なし

Lv:2 

 

恩恵:〖ブラウニー〗

属性:〖土〗

スキル:

お手伝い(ヘルパー)Lv1〗

魔法:

眠気覚まし(ウェイクアップ)Lv1〗

 

体力:7

知力:3

速力:2

守力:6

運:2

名声:1

魔力:2

 

経験値:25

――――――――――――

 

「…………おい、おっさん!」

 

「あんだよ」

 

 俺はこのつっこみどころ満載のおっさんのステータスカードを見て当然声を掛ける。

 

「おっさんの名前、『ジークフリード』なんだな」

 

「んだよ、文句あんのか?」

 

 いやいやいや、とりあえず名前言っちまったけど、そうじゃねえ。名前のインパクトがめちゃくちゃ強いのは置いておくとして……、苗字が『ストロンギウス』とか……いや、置いておくとして!

 

 そもそもレベルたったの2じゃねえか。アビリティに関しちゃ、レベル1の俺と大差ねえし、むしろ俺の方が強いんじゃねえか? あと、おっさんが恩恵貰った相手の『ブラウニー』って、確か靴屋さんが寝ている間に靴を直してくれちゃったりするお手伝いの妖精さんのことじゃねえか? スキルもなんか『お手伝い』だし、魔法で眠気覚ましって、なんでこの人騎士やってんだよ。ってか、クラスが『落第騎士』になっちゃってるぞ‼ これでアンデッド余裕とか良く言えたな。

 

「お、おい、おっさんよ……全国のジークフリードさんに謝れよ」

 

「んだと! ごらぁっ!」

 

 当然険悪になったわけだが、そのタイミングで二ムがひょこっと顔を出した。

 

「あー、二ム? このおっさんどうしようもねえから、さっさと助けてくれよ」

 

「んだてめえ、喧嘩売ってんのか!」

 

 掴みかかろうとしてくるおっさんを払いのけつつ、再度上を見上げれば、二ムがあっけらかんと言った。

 

「あーご主人、今、フィアンナさんたちが面白いことになってますんで、ワッチちょっと見てきやすね。じゃ、また後で」

 

「え?」

 

 俺の話も聞かずに二ムがどこかへさっさと消えていく。

 ちょっとちょっと二ムさん? なんでいなくなっちゃうの? もう、勘弁しろよ、こんなとこにおっさんと二人っきりなんて本当に嫌だぞ、ったく。

 ドンと、俺の背中に奴がぶつかってきたので、俺は首だけまわして様子を見ると、そこにぶるぶる震えたおっさんの姿。

 

「なんだよジークフリード、くっつくんじゃねえよ」

 

「〇×△□Ё±Α‼」

 

 おっさんが何やら声にならない声を上げているので、その視線の先を追うように目を向けて見れば、暗闇に光る無数の赤い光。

 え? 何あれ? マジか!

 その光がなんなのかだいたい察しはついてはいるものの、それを確定したくなくてついおっさんに聞いてしまった。

 

「な、なあ、おっさん。おっさんアンデッドくらい余裕だって、言ってたよな? 全部剣の錆びにしてやるとか言ってたよな? な? な?」

 

 おっさんはと言えば……

 

「…………」

 

 返事はない。もう限界超えちゃったようだ。

 無数に存在するその赤い輝きが、どんどんその数を増しつつ俺達へと迫るその様にもう、俺も全ての思考を放棄したくなっていた。

 満月の明かりがそそぐその空間に、その赤く輝く虚空の目を持った大量の存在が雪崩れ込んでくるのに、全く時間はかからなかった。

 

「「す、す、す……スケルトン出たー‼」」

 

 当然二人で絶叫したのは……言うまでもないか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 現れた悪との対峙(主人公抜きだけど)

 紋次郎たちが地下に落ちるより遡ること数十分前のこと……

 

 アルベルト、セシリア、フィアンナの一行は『死者の回廊』の礼拝堂の前に辿り着いていた。

 

 彼らは街の東のシニカの森を北に抜けると、切り立った崖を降りるようにしてまっすぐにこの墓地へと目指し、紋次郎たちが入った口とは別の入り口から侵入した。

 時刻は夕刻を越え、夜の帳が降りようとしているところ……見上げたそこには大きな真円の満月が天頂を目指し昇り続けてるところ。

 手に手に武器を構えた3人は慎重に歩を進める。

 当然のことながら、周囲からの突然のアンデッドの襲撃に対しての構えであったのだが、全くと言っていいほど何も現れなかった。

 

 複雑奇怪に森に没した様の入り組んだこの墓地にあって、突き出た崖のようになったこの丘の上にその礼拝堂は屹立していた。

 天に向かって聳えるその建造物は、石造りの塔のようでもあり、至るところに朽ちた窓があり、そこから深い闇を覗かせている。

 尖塔のような形状を思わせるその最上層は崩落してしまったのか、上方の一部は存在していない。

 

 その異様な景色に圧倒されつつも、3人はお互い頷きあって周囲を警戒しつつ建物の入り口へと歩いていく。

 やはりここでもアンデッドが出現しなかった。

 この時の彼らはやはり冷静ではなかったのかもしれない。

 アンデッドを倒し続けるという『アストレイ家の宿命』と『魂の宝珠』の本当の意味を理解する前に……いや、明確ではないにしろ、今置かれている各々の問題の解決のための『解』を目の前に提示されてしまったがために、それを終わらせたいという欲求が判断を鈍らせていたのだろう。

 彼らはここに待ち受ける恐怖を知らないままに、この地へと足を踏み入れてしまったのだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「セシリア……」

 

「ひっ……」

 

 朽ち落ちた礼拝堂の大きな入り口から中へと進んだ彼らに唐突にその声が届き、全員が息を飲んだ。

 特にその名を呼び掛けられたセシリアは、その声に聞き覚えがあったこともあり、悲鳴にも近い声を漏らす。

 

「セシリア……」

 

 礼拝堂のその奥、高い天井の広いホールは薄暗いが月明かりが破れた天窓から差し込み所々の床を照らしていた。そこには瓦礫が散乱し、床も剥がれ酷い有り様であった。

 一目みて異様なその景色。周囲全てが破壊され朽ち果てているにも関わらず、その祭壇の一角だけはまるで誰かが設えたかのように綺麗な様子である。

 しかし、3人はそれには特に驚かなかった。

 この空間にあってあの祭壇だけがあの様子なのは今に始まったことではないから。何時いかなるときもあの場所だけは清廉であり、誰も立ち入ることができないことを知っていた。

 そうあの祭壇こそが『魂の宝珠』が安置されていた場所であり、その周囲には特殊な結界が施されているのだ。

 声は、その更に奥、一段高い位置の綺麗な赤い毛繊のの敷かれた金細工で飾られた祭壇のそばから聞こえてきていた。

 3人が注意深くその闇を覗いてみれば、暗がりから長身痩躯の男性がまるで幽鬼の様にゆらりと現れた。

その男はゆっくりと体を揺するようにしながら彼らへと近づいてくる。

 アルベルトは腰の剣の柄に手を当ててサッと身構える。相手の男の正体を察しているからこそのこの行為、彼は剣を引き抜くことが出来ないでいた。二人を庇うように前に立つアルベルト。

 男が月明かりの差し込むその場所へ差し掛かった時はっきりとその顔を彼らは見た。

 

「お、お父……様」

 

 予想通りと言えば良いのか、そこにいたのは間違いなくこの領の領主でもあり、フィアンナの父ライアンを殺害した犯人、セシリアの父『スルカン・エスペランサ』その人であった。

 呻くように父と呼んだセシリア……アルベルトとフィアンナは緊張した面持ちでその身体を強ばらせていた。

 スルカンは笑みを深くしながらセシリアへと声をかける。

 

「セシリア……本当に悪い娘だ。さあ、私から奪った物を返しておくれ」

 

 スルカンはその長い腕をにゅうっとセシリアへと差し出してくる。そのゆっくりとした動作があまりにも邪悪に感じられ、セシリアは身を竦めた。

 

「し、知りませんわ。わ、わたくしはお父様から何もうばってなど……」

 

 直後、スルカンの身体がピクリと揺れた。

 つい今しがたまで微笑みを浮かべていたその顔から笑みは消え、なにかつまらない物でも見るかのような目で彼女のことを見下ろしている。

 

「嘘を……私に嘘をつくのだな、セシリア……」

 

「お、お父様……?」

 

 あっという間の出来事だった。

 目の前に立っていたスルカンがアルベルトたちの眼前から消え、次の瞬間には彼らの背後にあってその細い片腕でセシリアの首を握りしめて天高く掲げていたのだ。

 

「う……う……」

 

 必死にスルカンの腕にしがみついて呻き続けるセシリア。

 その姿にハッと我に返ったアルベルトがその剣を抜き放ち、スルカンへと吠えた。

 

「や、やめろっ!」

 

 だが、スルカンは彼に一瞥もくれない。ギリギリとセシリアの首を締め上げ続けている。ばたばたと足を振りもがくセシリアを見て、アルベルトは剣を大きく振りかぶった。

 

「やめろぉ!」

 

「邪魔をするな!」

 

 スルカンはもう片方の長い腕を振るうと剣ごとアルベルトを叩き吹き飛ばした。そのまま背面の壁に激しく衝突するアルベルト。倒れながら彼は唖然となってスルカンを見る。フィアンナもまた驚愕の表情のままに固まってしまっていた。

 セシリアの父、スルカンは病的な程に色白の上線が細い。普段からして戦いとは縁遠い生活を送っているはずであった。

 だが、実際にその力は想像を絶するものであり、今やレベル10を超えC級災害モンスターを狩れる程度の実力を保持しギルド公認冒険者となった3人を持ってして、到底太刀打ちできない力を見せつけられ身動きが取れなくなった。

 

「んん……んんん……」

 

 ギリギリと首を締め上げられているセシリアの美しい顔は開かれたままの瞳が虚空を見つめ、口からは泡を吹き出し始めていた。その状態のままでスルカンが口を開く。

 

 

「悪い子だ……本当に悪い子だ、セシリア。この父を(たばか)ろうとは……だが、ここにその宝珠を運んできてくれたことは褒めてあげよう。さあ、父にあの宝珠を返しておくれ?」

 

 口角を上げたまま、そう漏らすスルカン。だが、すでに彼の腕の力により必死にこらえるセシリアは何の反応を返すこともできない。

 だが、そのスルカンの言葉に立ち尽くしていたフィアンナが反応した。

 

「た……『魂の宝珠』なら、こ、ここにあるわ! これを渡すからすぐにセシリアを放して!」

 

「だ、ダメ……」「だめだ……」

 

 首を絞められているセシリアと倒れ伏すアルベルトが吐き出すように制止の言葉を投げかける。しかし、スルカンは即座に振り向き、まるで獲物を狙う獅子のように目を細めフィアンナをジッと見据えた。

 彼女は震えが止まらない手を差し出し、その手に握られていた『魂の宝珠』をスルカンへと見せる。

 

「ほう……」

 

 スルカンはそれを認めると同時に腕の中のセシリアを開放する。重力に従い落下したセシリアは地に伏せたまま動かなくなった。

 スルカンはゆっくりとフィアンナへと歩み寄る、そして宝珠を見定めた後、フィアンナの顔を覗きこむ。

 

「なぜお前のような娘がそれを持っている? お前は……」

 

 観察するように顔を近づけてきたスルカン、その瞳がより一層細く狭められたその時、彼女は手にしていた宝珠を素早く投げた。

 

「あ……」

 

 それにつられて宝珠へと身体を廻したスルカン。彼女はその隙を見逃さなかった。

 

「父の仇‼ お覚悟‼」

 

 身を翻した彼女の手には深紅に染まる鋭い短剣が握られていた。

 この剣こそが、力のない彼女が復讐を行うための切り札であった。

 『亡者の剣』。

 この世に未練を持つ亡者達の魂が人の血を求めてこの剣の姿になったとも言われ、振るえば確実に相手の急所を抉り死に至らしめるという呪いの武器であった。

 聖職者であり、解呪の執行者でもある彼女は、自身の復讐の為に禁忌であるこの呪いの武器を修道院から持ち出していた。それは許されざる罪。しかし、それを犯してでも彼女は父の仇を取りたかった。

 一瞬の中で背後を見せたスルカンの丁度脇腹、彼の豪奢に飾り立てられたシャツからも浮かび上がる肋骨と肋骨の間へとその切っ先を滑り込ませた。

 丁度斜め下方から突き上げたその剣は肺を貫通し心の臓をも貫き通す正に必殺の一撃であった。

 しかし……

 

「きさま……」

 

「私の名はフィアナ・アストレイ。貴様に殺された父の無念、想いしれ!」

 

 憤怒の形相で振り返るスルカン。

 その瞳を見てたった今仇討ちを行ったばかりのフィアンナは恐怖から剣から手を放し、そのまま後ろの方向へ尻餅をつく。迫りくるその男が深紅の瞳を輝かせながらその正体を現したからだ。

 

「よくも……よくも我が衣を……きさま……」

 

「ひっ……」

 

 スルカンは穴の開いた自分の衣服の脇腹の部分を血走らせた目で見てから怒りの形相をフィアンナへと向けた。そのあまりの威圧に彼女は身を竦めるも、次の奴の行動で完全に動くことが出来なくなった。

 スルカンはワナワナと怒りに震えた手で自分の服を掴むと、徐に力いっぱいそれを引き裂いた。

 そこにあったモノ、それはまさに異形だったのだ。

 フィアンナが突き刺した剣は確かに彼の身体の内だった。

 だが、そこに肉はなかった。

 もともとやせ細ったその身体は、完全に骨だけになっており、むき出しの肋骨の間を通る様にしてそのがらんどうの胴体にその剣は挟まっていた。

 よく見れば肉が残っているのはへそから下あたりと、両肩の一部……腕などはところどころ欠損していてやはり骨がむき出しになっていた。

 

「ば、化け物……」

 

 恐怖からガチガチとその歯をかち鳴らしながら呟いたフィアンナ。

 そんな彼女へと目をらんらんと輝かせた怪物、スルカンが迫った。

 

「アストレイ……? ククク……なんと貴女はライアンの娘だったか……あの正義感面した木偶の坊の出来損ないの……ククク……」

 

 父を貶す酷いその言葉に怒りが一瞬込み上げるも、目の前の存在はすでに普通の人間ではないことでその怒りは一気に収束していた。そして次の奴の言葉でフィアンナは絶望の淵に叩き落とされることになる。

 

「いいことを教えてあげましょう。貴女の父親は街を見捨てたのですよ、貴女を生かすために」

 

「え?」

 

 唐突に邪悪な笑みとともに明かされた父の話に、フィアンナは恐怖の中でただ震えていた。

 スルカンは体内に引っ掛かっていた剣を無造作に引き抜こうとし、ガッガッと剣が肋骨を削る。それを煩わしげに顔をしかめながら乱暴に引き抜くと、フィアンナの前にそれを投げ捨てた。

 そして天窓から差し込む月の光を恍惚とした表情で見つめながら口を開いた。

 

「クックック……今少しの命とはいえ、知らぬままに死ぬのは不憫ですね。いいでしょう。教えて差し上げます」

 

 フィアンナを見下ろしながら両手を広げ、スルカンは虚空の身体を見せつけるように彼女へと近づいていった。

 

「あの男は……ライアンはバカな男です。この地でお眠りになられていた『彼のお方』の封印を解き、そしてその生け贄にとすべての町の住民の命を捧げたのですから」

 

 歩みを止めないスルカンを見上げながら、フィアンナは口の中がカラカラに乾いていくのを感じていた。

 そして絞り出すように言った。

 

「う、嘘よ! ち、父が街の人を犠牲にしようなんておもうはずはないわ。きっと間違いよ! きっと……」

 

 にじり寄る異形の存在を見つめつつ、彼女はただ必死に父の無実を訴える。

 だが、笑みを絶やさないスルカンは言葉を続ける。

 

「本当ですとも。彼は封印の役目を続けながらも、それを貴女へと継がせることを嫌った。くくく……だから彼は頼ったのです。この私を! この私の言葉を! くくく、本当に愚かな男だ……」

 

「私の……為?」 

 

「その通りですとも! 魂の宝珠さえなくなれば封印の役目も消える。だからそれを壊す為に私にそれを渡せとめいじたのです。彼は喜んで取ってきてくれましたよ。すべては私の思惑の通り……いえ、私は何も嘘はついていませんよ、魂の宝珠は消えてあの方が甦られて封印の役目は無くなるのですから……くくく……くははははははは」

 

 血の気の失せた顔のフィアンナに向かって哄笑を上げるスルカン。フィアンナは明かされた事実に愕然となりその場に膝を着いた。

 

「あなた方はその『死者の宝珠』がどんな存在なのかをご存知ですか? 『死者に安寧をもたらせるもの』? 『この地を守る物』? いいえ、色々言われていますが、それは全て間違いです。『魂の宝珠』とは……」

 

 スルカンはその口角を大きく引き上げた。

 

「『主様』の魂そのものですよ」

 

 卑しい笑みと共に放たれたその言葉に、フィアンナだけでなく、アルベルトもセシリアも言葉がない。その場を支配しているのは等しく絶望の念。彼らは力なくその場に崩れた。

 

「さあ、時は満ちました。今宵この満月の世に『主様』は再びこの地に甦られる。はーっはっはっは、くはははっははははははははは」

 

「そうはさせんよ!」

 

 刹那、烈迫の掛け声とともに天窓から真っ黒な塊が落下して来た。

 と、その塊が中空でギラリと輝く巨大な金属を振り被ったかと思うと真っ直ぐにスルカン目掛けてそれを叩きつけた。

 それが超巨大な『銀の斧』であることを床に伏す3人の若者が理解した時、スルカンは脳天から真っ二つに両断されていた。

 少し間を置いてどちゃりとその場に崩れ落ちるスルカン。だが、その瞳はまだぐるぐると動き回り、自身を叩き切ったその存在に目を向ける。そして、損壊しているはずの喉を震わせずに声を発した。

 

『ば、ばかな……主様に頂戴したこの体の私を切り裂くとは……貴様はいったい……』

 

 床に倒れたままぐずぐずと蠢き続けるスルカンの前に、その巨大な斧の得物を握りしめた筋肉の塊がすっくと立ち上がる。

 その背丈は得物に似合わず驚くほどに小さい。

 人間の子供ほどの身長で、自身の背丈よりもよほど大きな斧を肩に担いだ、燃えるような真っ赤な髪と髭の持ち主が吐き捨てるように言い放った。

 

「ふんっ! 化け物に名乗る名なぞないわい!」

 

 その人物は、懐から掌に収まるほどの瓶を取り出すとそれを無造作に床に転がるスルカンへと向けて投げつけた。

 割れ飛び散った内容物がスルカンの全身を侵食し、もうもうと煙が吹き上がり始める。

 スルカンはまるでナメクジが塩で溶け行くかのようにその場でどろどろと溶解して行く。

 

「お、お父様!」

 

「無駄じゃ。こやつはすでに人ではないわ!」

 

 近寄ろうとするセシリアに赤毛赤髭の小人が吐き捨てるように言いながら、手で彼女を制した。スルカンは朽ち行きながら震える身体を動かしながら言った。

 

『な、何故だ……私は永遠の命を手にしたのではなかったのか? 私は主様に力をお授け頂いたのではなかったのか?なぜだ……』

 

「どうやら勘違いさせてしまったようですね、領主様……これは申し訳ありませんでした」

 

 唐突にその声が響いた。

 怯えた3人の若者と再び巨大な両刃斧を構え直した小人(ドワーフ)の前に、そのターバンの男が一陣の風と共に現れる。

 男は恭しく頭を下げた格好のままに、その右足を今まさに溶け消えようとしているスルカンの頭に乗せていた。

 

「主様があなたにお与えになったのは、『人ならざる者の生』……これにより貴方様は『人の死』を迎えることはなくなりました。お分かりですかな?」

 

『ま、待て……待って……』

 

 スルカンの言葉がすべて終わる前に、ターバンの男が宣告した。

 

「では安らかにお休み為されませ……領主様……」

 

 その言葉とともに足蹴にしていたそのスルカンの頭部を一気に踏みつぶす。まるで西瓜を潰したかのように四散したその肉片を目の当たりにして、若者達は戦慄し後ずさった。

 ターバンの男は引き裂かれ潰れたスルカンの傍に近寄ると、倒れ様に懐から転がり出たのか、傍らの黒い水晶玉を拾い上げそれを手にすると歪に頬を歪めて微笑んだ。

 萎縮する一同……だが、燃えるような赤毛の小人(ドワーフ)は前へと進み出る。それを見止めたターバンの男が驚いた顔を向けてきた。

 

「これはこれは……まさか貴方様ほどの御仁がお出でになられますとは……これは本当に予想外でした……『ゴルディオン』殿?」

 

 唐突にそんな事をのたまうターバンの男に、ゴルディオンと呼ばれた小人(ドワーフ)は表情も変えずに男へと歩み続ける。

 

「ふんっ! そんな名前知らんな! 儂はそこのアルドバルディンの街に住まわせてもらっとるただの鍛冶師じゃ! 貴様のような人に仇為す人外を生かしてはおけんだけじゃ! 大人しく儂の得物の錆となれ!」

 

「くわばらくわばら、ここは退くしかありませんかな……私如きでは貴方には到底太刀打ちできませんからね。おっと失礼しました、私の名は『べリトル』と申します。以後お見知りおきを……」

 

 その言葉が終わる前に、小人(ドワーフ)はその手にしていた両刃斧を目にも止まらぬ速さで投げつけた。高速で回転し襲い掛かる大質量の凶器! だが、その刃は紙一重でターバンの男をすり抜けて背後の壁に突き刺さった。

 

「ただで逃がすと思うたか! 貴様はここで葬ると言うたであろうが!」

 

 小人(ドワーフ)は背嚢から先ほどの両刃斧よりも小ぶりの斧を更に二丁取り出し、それを振りかぶると一気に跳躍した。

 小柄な体躯が凄まじい速度でべリトルへと迫る。刹那、べリトルはその顔に冷や汗を浮かべながら高速でやはり跳躍し、小人(ドワーフ)から逃げようとするも、速度に劣る彼に逃げられようはずもなかった。

 空中で交差するその瞬間、凄まじい速さの銀閃の輝きの中でその着ていたローブをずたずたに引き裂かれていくべリトルの姿がそこにあった。

 

「これは……本当に厳しいですね……仕方なし……本来、私には荷が勝ちすぎますが、今宵は大事な主様の再誕の日……我が力の全てを使ってでも主様に報いなければ……」

 

 べリトルは身体を切り刻まれながらもその両手を組んで天を仰いだ。

 

「何をぶつぶつ言っておる? 貴様にそんな余裕など……」

 

 小人《ドワーフ》が怪訝な顔に変わったその時、べリトルが叫んだ。

 

「万能なるマナよ、今こそその力を解き放ち、ここに大地の大いなる奇跡、『大地の精霊王(ベヒーモス)』の力を顕現(あらわ)せ‼ 『|大地の絶対防御《アブソリュート・ディフェンス・オブ・ジ・アース》』‼」

 

「な! にっ‼ 古代魔法(エンシェント・ルーン)じゃと!」

 

 目を見開いた小人(ドワーフ)の目の前に突如としてその巨大な紺碧の石の壁が床を破壊しながら天を突く勢いで突き上がる。建物を破壊しつつ現れたその分厚い壁が小人(ドワーフ)とべリトルとを分かち、迫ろうとしていた小人(ドワーフ)の攻撃を弾いた。

 

「く……小癪な真似を……」

 

 この魔法はただの防御魔法ではない。

 行使者の周囲を魔力量に応じた時間、破壊不能の超硬金属(アダマンタイト)の壁を生成し外部からの全ての侵入を阻むのである。一時的にとはいえ、自然界に存在しない金属を物理的に創世するこの魔法の使い手が現在どれだけ存在しているというのか……

 それを想い乍ら小人(ドワーフ)は更に背嚢から金色に輝く『(ハンマー)』を取り出して、それを振りかぶって現れたその壁を力いっぱいに叩きつけた。

 その瞬間凄まじい衝撃音と激震が生じ、壁が僅かに削れるも鎚は弾かれてしまう。

 

「ちぃっ」

 

 小人(ドワーフ)はその削れた箇所に何度となくハンマーを叩きこみ、漸く微かに亀裂が走ったその時、壁の向こう側から嘲るような声がかかった。

 

「おやおや、さすがの『聖鎚(せいつい)ゴルディオン』も歳には勝てなかったと見えますね」

 

「抜かせ!」

 

 小人(ドワーフ)はその腕を止めない。金色のハンマーを幾度となく叩き込み、漸くその壁の一部に穴を穿つ。

 だが、そこから見えた光景に、彼は眉をしかめることとなった。

 その穴から見えたその先、そこには、フィアンナを抱きかかえ、その手に『魂の宝珠』を手にしたにやけた顔のターバンのべリトルの姿があったからだ。

 べリトルは可笑しそうに笑いながら言った。

 

「この超硬度に錬成された古代魔法(エンシェント・ルーン)の壁を貫いたことは素直に称賛させていただきますよ。しかし、少し時間がかかりすぎでしたね。私はすでに主様の『扉』と『鍵』を手に入れてしまいましたよ」

 

「扉と……鍵じゃと?」

 

 尚をハンマーを振るい続ける小人(ドワーフ)の前でべリトルは恍惚とした表情にその顔を変える。

 

「そうです! 鍵とはこの『魂の宝珠』。そう、主様ご自身! そして扉とは、主様の身体となるべく存在した器。主様の血を引きし末裔たるこの娘! さあ、時は満ちました! この娘の身体を依り代としてこの世界へとお戻りください! そして全ての民の魂を喰らい再びこの世界を暗黒にお染めくださいませ! 我が主! 『第四の使徒』、『ドレイク・アストレイ』様!」

 

 感極まっているのだろうか、魂の宝珠を天に掲げるようにして微笑むべリトル。

 アルベルトとセシリアはもはや身動き一つできず、必死に壁を崩そうとハンマーを振り続ける小人(ドワーフ)もまたその顔に焦りの色が滲みだしてきていた。

 

 そんな時、唐突にその気の抜けた声が辺りに響いた。

 

「えーと、つまり『魂の宝珠』がなくて、『フィアンナ』さんもいなくて、『街のみんなの魂』も無事なら、その『主様』って人はなんも出来ないわけっすね」

 

「は?」

 

 思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまったべリトルは、その声がいったいどこから聞こえたのかと首を巡らすも、当然周囲は未だ健在である堅牢な超硬金属(アダマンタイト)製の壁があるのみ。

 数百年ぶりに彼の主が再誕しようとしているこの神聖な時に、そのような場違いな言葉が出たことが無性に腹立たしくなり、彼は思わず声を荒げる。

 

「誰だ? この儀式を妨げる者を我は決して許さん」

 

「そうは言われましてもね、その人依頼人なもんで返していただきやすね」

 

「何を……」

 

「えい」

 

 そんな気の抜けた掛け声の一拍後、それは起こった。

 

 『ガンッ』……と、世界が終わるかのような強烈な『音』が周囲全体に鳴り響いたかと思うと、眼前に聳え自身を取り囲み守っている紺碧色の壁の全面に蜘蛛の巣のような亀裂が生まれる。そして……

 強固に魔法で編み上げられた筈のその壁が、あっという間に崩壊した。

 

「ふぅ……結構硬かったすね。宇宙船の外装鋼板くらいの強度ですかね。これはまたエネルギーの使いすぎだって、ご主人におこられちゃうかも」

 

「ば、ばかな……」

 

 目の前の光景が信じられずワナワナと震え出すべリトル。そんな彼の前で桃色のブリオーをふわりと纏ったその少女が拳をグーに握りこんでにこりと微笑んだ。

 

「じゃ、やっちゃいましょうか」 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 アンデッドナイト

「貴様……何者……だ」

 

 呻くようにそう呟くのはべリトルである。自身が展開した強力な防御壁をいともたやすく破壊され困惑の極致に立っていた。

 彼は腕に抱えたフィアンナに一度視線を落とし、そして手に握る『魂の宝珠』の感触を確かめる。

 全ての準備は整った。

 長き時の果て、今日この満月の夜に彼の御方をこの世へ再誕させる。これこそが彼に課せられた宿命であり運命であったのだ。

 邪魔する者は何もないはずだった。

 この地にはびこるのは所詮ひ弱な人間ども。彼にとっては取るにたらない存在でしかない。だが、人よりも多くの『(マナ)』を必要とする彼らにとって無駄は極力排除しなければならない。だからこそ、私利私欲に囚われていたスルカンやその手下達を影で操つり自身の主の再誕の儀式の為に力を温存していたというのに。

 べリトルは目の前に立つ赤毛の小人とその隣に悠然と佇む一見町娘風の黒髪の少女を見た。

 

 『聖鎚ゴルディオン』。300年前の『魔竜族の反乱』からこの世界を救った5英雄の一人にしてその唯一の生き残り。その消息は洋として知れていなかった筈なのだが、べリトルは合った瞬間それを一目で見抜き確信した。

 強大な悪をその鎚で滅ぼしたその偉業は、今の世にも伝説となって語り継がれている存在でもある。そのような規格外の存在がまさかこんな辺境の街に居ようとは……いや、もしかしたら『彼のお方』の復活を妨げ続けていた張本人かも知れない。

 そこまで考え、彼は今日と云う日を逃すわけにもいかず、逃げに転じたのだ。

 『鍵』である魂の宝珠と、『扉』である自らの主の血を引きし娘。この二つさえ揃えば、『彼のお方』をお呼びすることができる。ここで無理をする必要はない。

 そしてそれは正解だった。

 彼自信が思う以上に、その存在は強大であった。

 2000年の時を遡って存在していた古の『融合魔法』をもってしても、ゴルディオンは己の身体のみでそれに対抗して見せたのだ。

 その光景に驚愕しつつも、焦りを表に出さなかったべリトルは急ぎ主の召喚を行おうとしていた。

 だが……

 ゴルディオン以上の強大なる者がそこに存在していた。

 凄まじい破砕音とともに、魔法により具現化させていた絶対防壁、『超高硬度金属壁(アダマンタイトウォール)』を粉微塵に打ち砕かれてしまったのだ。

 べリトルには何が起きたのか理解が追い付かないでいた。

 あくまで魔法により精製されたとはいえ、この世に通常は存在しえない最硬の超硬度金属を象ったのだ。それが簡単に打ち破られるなどとは微塵も思っていなかった。

 しかし、それは起きた。

 粉塵と化したアダマンタイトが魔力による形状を保てなくなって光輝きながらマナへと還元されていく。そのキラキラとした輝きの向こう側に、その少女はいた。

 どこをどう見てもただの町娘のようにしか見えない。そして彼の『魔眼』をもってしても、彼女の潜在能力を覗き見ることは叶わなかった。

 しかし、それが纏う雰囲気、佇まいからは、それが人でないことだけは理解した。

 

 こいつはいったいなんなのだ? いったい何で今このときに……

 

 自らの大願にあと一歩というところにあってこのイレギュラー。いったい何が起きてしまったのか……

 だが、無情にも時は彼に猶予を与えることはなかった。

 

 目の前で少女が両の拳を握りしめたから。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「なんじゃい、嬢ちゃん本当に強かったんじゃな」

 

「あ、れ? あれあれ? 誰かと思ったらゴードンさんじゃないっすか? あ、さっきはイチゴご馳走さまでした! 本当に美味しかったっす!」

 

 ファイティングポーズをとったニムの脇で、ドワーフのゴルディオン……いやゴードンが呆れた声を漏らすも、ニムは普通にお礼をする。

 それを聞いてますます呆れ顔になったゴードンがやれやれと首を振ってから再び巨大な両刃斧を担ぎ上げた。

 

「ま、良いじゃろう……今はまずはこいつをなんとかせんとな」

 

「そっすね! 大事な金蔓……じゃない、依頼人を返していただかないといけないっすから!」

 

「ならケガせんようにいくぞい!」

 

「へ? あれ? ご主人なら、素早くつっこみ入れてくれるのに!」

 

 そんな会話をしつつ、先にゴードンが飛び出した。

 高速でべリトルへと接近しつつまるで雷撃の如き勢いで斧を振りかざす。

 

「くっ……」

 

 べリトルはそれを紙一重で躱すと同時に後方へと飛びし去った。だが……

 

「あまいっすよ!」

 

 振り返る間もなく後方から女の声が掛かる。

 どれだけの速度で移動したのか、ドワーフの背後に居たはずの少女がいつの間にか後ろに回り込んでいた。

 べリトルは自身の足に急制動を掛ける。このまま飛び込んでも相手の方が速度も打撃力も勝っている。ならば、今ここですべきことは……

 べリトルは停止しそのタイミングで懐に忍ばせていた先ほどスルカンが落とした黒水晶を取り出しそれを掲げた。

 

「主様のお力をお借りするのはいささか抵抗がありますが、今はそんなことは言っていられませんね。現れ出でよ! 眷属達!」

 

 その発声の途端に黒水晶から真っ黒い靄が溢れだす。

 そしてその靄が一瞬で周囲を暗黒に染めた。

 

「なんすか? 目くらましっすか? 赤外線センサーで丸見えですからワッチにはなんも意味ないっすけど……?」

「むう……気を付けるんじゃ、奴らがくるぞい」

 

 闇の中で身体をこわばらせるドワーフと辺りをきょろきょろと見まわす少女を見つめながらべリトルはその足を踏ん張る。玉から滝のように流れ出れるこの強烈な主の瘴気が彼自身をも焼いていた。しかし不思議なことに腕の中のフィアンナにはなんの影響も出ていない。黒い靄は彼女を避けるかのように滑る様に除けて広がっていっていた。

 真っ暗闇に変わり果てたその礼拝堂内にあって、暫くするとその闇の中に何か赤く光るものが浮かびあがる。無数のそれはユラユラと揺らめきながらどんどんその数を増していった。

 その様子を見ながら二ムが口を開く。

 

「あの、ゴードンさん? これどうやってんすかね? 剣と盾を持った赤い目のスケルトンが何にもないとこから山盛りに出てきましたよ」

 

「嬢ちゃん気をつけろ! これが奴らの『軍隊』じゃ!」

 

 そう言うや否や、ゴードンは再びその身を翻す。そして暗闇で何も見えないままに、近くに現れた骨の一体の頭部を破壊して吹き飛ばした。それを見止めた二ムが拍手をする。

 

 

「おお! すごいっすゴードンさん! ゴードンさんも見えてるんでやんすか?」

 

「見えとらんわい! じゃが、こいつらが放つ『妖気』は分かるわい! 気いつけろ嬢ちゃん。こいつらは普通のスケルトンではない。『アンデッドナイト』じゃ!」

 

「へえ、『アンデッドナイト』って言うんすか! なんかカッコいいっすね!」

 

 二ムが気軽に答えながらもゴードンはその斧を振るい近場のアンデッドナイトを叩き切る。

 全く視界が効かないはずの彼ではあるが、的確にアンデッドナイトの頭部を破壊した。しかし、それでもひるまずに襲い掛かってくるアンデッドナイト……ゴードンは暗闇の中で身を捻りその一撃を躱した。それを見ておおーと歓声を上げるニムに、ゴードンは再び注意を促した。

 

「このアンデッドナイトは普通のスケルトンとはわけが違うんじゃ。嬲り殺された人間の怨嗟の籠った魂を凝縮して『闇の精霊神』の力で現界させた『人工悪鬼(アーティファクト・オーガ)じゃ! 一筋縄じゃ行けんぞ!」

 

 闇のうちでそれを聴き、べリトルはほくそ笑む。

 たとえどれだけ強靭であろうともこの死ぬことのない『闇の軍団』に恐れるものなどない。

 そうこのアンデッドナイトこそが主、『ドレイク・アストレイ』奪還のための兵士であり、幾百年の長き間に渡り、毎年の七の月の満月の夜に封印の結界の破壊を試み続けてきていたのだ。

 姿かたちこそスケルトンに酷似してはいるが、その実この闇の兵士は存在そのものが別物なのである。

 スケルトンやゾンビーが、放置された死者の躯に『闇の(マナ)』が注がれ誕生するのに対し、アンデッドナイトは人を恐怖と絶望に追い込んだ上で殺害し、その数百数千人の淀んだ魂を魔法によって凝結させ、最強種である竜の牙より作られた強靭な骨格に植え込んで誕生させた言わば人造人間。

 通常であれば、たとえレベル50相当の高レベルパーティと戦ったところで敗れるはずもない強力無比な存在である。

 しかし、このアンデッドナイトには弱点があった。

 自らの主の血族に対しては攻撃することが出来ず、さらに、思考力が皆無であり主『ドレイク・アストレイ』の命による『魂の宝珠』の奪還という目的以外の行動を取ることが出来ない。

 さらに、現界するためには『闇の精霊神』の力のもっとも発揮される満月の夜のみに限定されてしまっていた。

 その為、長い時の間、街を守る使命を受け継ぎ続けたドレイクの子孫、アストレイの直系の血筋の者の孤軍奮闘によって『死者の宝珠』の奪還は行えないままでいたのだ。

 長い眠りの中でべリトルはその事実を苦々しく思っていた。

 彼の主であり崇高なる存在であった『第四使徒ドレイク・アストレイ』の血脈が、こともあろうに人間に味方し更に主の復活を阻止し続けようとは。

 

 ひと月前の満月の夜、本来であればあの時すでに事は為されているはずであった。

 スルカンを操り『魂の宝珠』も手に入れた。血族のライアンを死なせたことは失敗であったが、彼に娘がいることは分かっていた。そしてアルドバルディンの街に戻って来ているということも。だからこそアンデッドナイトを使い街を襲わせ、事を為そうとしていたというのに、こともあろうにその前にアンデッドナイトは全滅してしまった。

 そしてその理由も判明した。

 まさかここに聖鎚が現れようとは……予想外であったとはいえ、察知出来ていなかった自身の怠慢に嫌悪した。

 だが、今は違う。

 『死者の宝珠』も『主様の血脈』もこの手の内にある。

 たとえドワーフとそしてあの異様な存在の少女が居たとしても全てはアンデッドナイトの足止めの間に遂行できる。

 今なのだ。

 今こそ主様を復活させ、この薄汚れた偽りの世界を終わらせる。

 そうそれが自分の使命なのだと、彼は再びその思いを確信をもって固めていた。

 

 しかし、その思いは次のこの一言で泡沫に帰す。

 

「あ、大丈夫っすよ! このアンデッド簡単に倒せやすから。ほら」

 

「「え?」」

 

 ドワーフとターバンの男の声が同時に発せられたその直後、少女は暗闇の中にその身を躍らせた。

 そして振るったのは自身の『拳』。

 けたたましい奇声を発して襲い来るアンデッドナイトの群れの只中にあって、彼女は全ての斬撃を躱しながらその拳を相手へと叩き込んだ。一撃で粉砕され吹き飛ばされていくアンデッドナイト達。彼女が破壊するのはその骸骨の身体ばかりではなかった。剣や盾、兜や鎧もお構いなしに粉微塵に粉砕して回る。一体のアンデッドナイトを屠るのにモノの数秒もかかっていない。

 

「こ、こんな、ばかな……」

 

 深淵の闇の中で、通常の人間では見ることのかなわないその光景を見、べリトルは再び動けなくなる。

 

 確かにこの目の前の少女は古代魔法の強力な防壁を破壊した。

 しかし、このアンデッドナイトは硬度こそアダマンタイトに劣るものの、竜の牙という通常の武器では傷一つつけることの適わない頑丈な身体を持ち、さらに『闇の精霊神』の加護の元で強力な魔力によってその身を守られているのだ。

 しかも今は明確にこの二人を敵と認定させ襲い掛からせている。この無敵の死の兵団に立ち向かえる存在など2000年前でも殆ど存在しはしなかった。

 だというのに……

 

「ほら、簡単でしょ? 頭を潰しても動きますんでね、腰と肩を潰すのがポイントです!」

 

「はぁ、まったく、本当に呆れた娘っ子じゃわい」

 

 溜息をついて微笑みを浮かべたドワーフの姿を認めたべリトルは、ハッと我に返り慌てて『魂の宝珠』を掲げた。

 目の前の存在はもはや自分の想像の範疇を超えてしまっている。 

 ならば、全てをあきらめるほかはなかった。そう、今すべきことは『自身の主』を蘇らせること、ただそれだけ。

 べリトルはアンデッドナイトと戦う二人に構わず、左手で抱えていた少女を抱き上げその胸に『魂の宝珠』を押し付けた。

 

「な、なにを……?」

 

 今まで暗闇の中で恐怖のあまり身じろぎ一つできなかったフィアンナはこの時初めて声を漏らす。その次の瞬間、胸に押し付けられた宝珠が激しく青く輝いた。

 

「ひ、ひぃっ」

 

 その微かな彼女の悲鳴は、胸にめり込んでくる痛みに寄るところか、眼前に急に現れた青く照らされた卑しい微笑みを直視してしまったためか……それともその両方か。

 彼女はその悲鳴を最後に言葉を失う。その口から大量の血の泡を吹きだしつつ、彼女は体全体を駆け巡る何者かが自分の内を食い破ろうとでもしているかのような悍ましい感覚に蹂躙されながらその意識を刈り取られていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 第四使徒

「あ、あー! フィアンナさんが、スポンサーがっ!」

 

「なんじゃ? どうしたんじゃ?」

 

 目の前で起きた殺戮劇を暗視可能なニムはばっちりと目撃してしまった。

 そこではターバンの男がフィアンナの胸へと腕を突き入れているところであったのだ。思わず叫んだ二ムではあったが、真っ暗闇の為当然ゴードンにはそれが分からない。だが……

 

「ぐぬぅ、間に合わんかったか……」

 

「へ?」

 

 襲い来るアンデッドナイトの群れを粉砕しつつ、ぽつりとそう零したゴードンへと二ムは視線を送る。

 ゴードンはこの状況で何が起きてしまったのかをはっきりと理解していた。

 そう、最悪の事態を……

 

「嬢ちゃん、今すぐにここを離れるんじゃ!」

 

「なんでですかい? フィアンナさんを早く助けないと……」

 

 その時だった。

 深淵の暗闇に沈むこの礼拝堂にあって、唐突に正面で眩い光が煌めいた。

 それは闇を吹き飛ばす勢いで四方八方に放たれ周囲を白く染め始める。

 

「い、いかん!」

 

 その時二ムは見た。べリトルに胸を刺し貫かれたフィアンナの身体が宙に浮かびあがり、そしてその全身から純白の鳥の羽のようなものが生え始めるのを……

 

「ちょっと……何が起こってるんでやす?」

 

 ぶるぶると身体を震えさせるフィアンナはその身を抱くようにしながら全身から生える羽によってその姿がまるで白い繭の様に変わっていく。そして、その溢れる羽毛についにその残されていた顔も没した。

 

「くははは……くははははははは……ついに……ついに蘇られる! ついに我が主が……」

 

 溢れる光のすぐ脇で愉悦に打ち震えるべリトル。

 その両の手を広げて哄笑していたそこへ、その一撃が放たれた。

 

 ザンッ‼

 

「は……はれ……?」

 

「油断しすぎじゃ、このたわけ。貴様はここで潰えるがいい」

 

 そう話すのはゴードン。

 手を振りぬいた格好でべリトルへと視線を向けていた。

 そして、次の瞬間、べリトルの視界が一気に反転する。

 彼の首はぐらりと揺れながら真っ逆さまに床へと落下し転がったもだった。

 

「ふんっ‼ この化け物めが‼」

 

「ちょっとちょっとゴードンさん? 殺しちゃって良かったんです?」

 

 アンデッドナイトを蹴散らしながら近づいてきた二ムは一部始終を見ていた。

 光が輝き、べリトルの姿が目に入ったその時、ゴードンは手にしていた巨大な斧をまるで超電磁砲(レールガン)で撃ち出したかのようにとてつもない速さで投げつけたのだ。それは狙いを寸分たがわず命中し、べリトルの首を完全に切り落とした。

 慌てて声を掛ける二ムにゴードンは素っ気なく答える。

 

「あの程度で死ぬものか。こやつら魔族がな!」

 

「魔族?」

 

 言われて骨の怪物を片手間に倒しつつ床に転がるべリトルへと目を向ける二ム。良く良く注視してみれば、微かに目や口を動かしている。

 

「げっ、本当に生きてやすね! すごい!」

 

『くふふ……これで終わりだ……貴様ら人間もこれで……くふふふふふふ……』

 

 掠れるような声でそう笑う声を、二ムの超感度マイクは拾っていた。

 

「うう……なんか執念深そうでやんすね。ワッチは結構苦手かも」

 

「ほれ嬢ちゃん。すぐに逃げるぞい。ここに居たらすぐに死んでしまうからな」

 

 そう言いながらゴードンはアンデッドナイトの間をすり抜け、奇跡的に死なずに気絶していたセシリアとアルベルトの元へと駆け寄りその二人を肩に担いで再び疾走した。

 自分の背丈の倍はあるだろう二人を抱えるゴードンの姿は、平時であれば滑稽そのものだろうが、このモンスターの中にあって走り抜けられるその身体能力の高さに二ムは素直に驚いていた。

 

「ほれ、急ぐんじゃ!」

 

「あ、いや、でも……なんか間に合わないっぽいです」

 

「なに?」

 

 言われ一瞬立ち止まったゴードンが振り返る。

 するとそこには、先ほど繭状になっていたフィアンナの身体に変化が起きていた。ペリペリとまるで皮を剥くかのように真っ白い鳥の羽のようなものが剥がれながら捲れていく。

 それはまるで蛹が蝶へ羽化するかのように、翼を休めていた鳥が再び飛び立とうとしているかのように、その白翼は大きく大きく開かれ、そしてその3対計6枚の羽は神仏の光背のように彼女の背後を彩った。

 いや、もはや『彼女』ではないのかもしれない。

 そこに居たものは全身を白の光沢のある鱗のような装飾で彩られた大柄な存在。腕や足や胴体やその全てにその楕円の白い鱗を巡らせ、まるで白のボディースーツを纏っているかの様。

 そして一番異様であったのはその顔。

 体つきこそ男性そのものに見えるが、その頭部にあったモノはつるんとした体の鱗と同じような光沢を放つ表情のない女の頭。もっとも的確に言い表そうとするのならば、塗装される前の女性のマネキンの頭部であろうか。純白のその顔には目のくぼみはあれど、光彩は一切なくその口だけが高速で蠢いていた。

 

「はあ……なんていうか……めっちゃ『ハゲ』っすね」

 

「何を言っとるんじゃ、嬢ちゃんは」

 

「あ、やっと突っ込んでくれやしたね? マジでうれしいっす」

 

 そんな会話の中でもゴードンは冷や汗を掻きながら後方へと脱出を図ろうとしていた。

 しかし、周囲にはまだ大量のアンデッドナイトがいる上に、正面のこの怪物から逃れる術がないことも理解してしまっていた。

 そう、この存在こそが世界を滅ぼす為に生み出されたものであるのだから。

 ゴードンは確実に焦っていた。

 焦って尚、この若者たちを生き残らせる道はないものかと思案していた。そこへ、隣の少女が唐突に声をかけてくる。

 

「『ドレイク・アストレイ』さんなんて言うから、ワッチは渋カッコいいおっさんを想像してたんでやんすけど、実際は細マッチョな女顔さんでやんしたね」

 

 もはやそれになんの返答をする気も失せて、ゴードンはただ一言だけ添えた。

 

「あれは『天使』じゃ。遥か昔にこの世界に降臨し人類を滅ぼす為だけに存在した『怪物』の生き残りじゃ」

 

「天使? あれが? っていうかゴードンさん、なんで正体知ってるんでやんすか? さっきは知らないって言ってたのに」

 

「ふんっ! 儂だって詳しくはしらんわい。そんな大昔に生きてはおらんしな。じゃが、知識というだけなら分かっておっただけじゃわい」

 

「あ! 危ないっす!」

 

 と、二ムはゴードン達を突き飛ばした。

 そしてその次の瞬間、まさに今の今まで立っていたその場所に、強烈な光のエネルギー弾が着弾した。

 それは第四使徒が掲げた左手から照射された。

 光線と化したそのエネルギーは、間にあったアンデッドナイト達をも巻き込んでしまっている。

 

「ヴァ……ヴァ……ヴァ……」

 

 首をカキコキと小刻みに動かしながら、その開いたり閉じたりを忙しなく続ける口から機械音のような声を漏らし続ける第四使徒は明らかに二ムやゴードンを標的と見定めていた。

 そして動き出す。その大きな6枚羽を羽ばたかせ宙へと浮かび上がる第四使徒ドレイク。

 腕を大きく広げたその時、巨大な魔法陣が上空に現れる。そして次の瞬間、それが起こった。

 

「ぐ……ぐぅ……」

「……」

「……」

「あれあれ? どうしたんでやんすか?」

 

 突然膝を着いてしまったゴードンに不思議そうに顔を向ける二ム。

 彼女の目の前で、ゴードンやアルベルト、セシリアの身体から何やら青い光の粒が漏れ始めた。それは彼らだけに留まらず、周囲に蠢くアンデッドナイト達も同様に光の粒子を放出し始める。

 一様に動きが鈍くなったその場の全ての存在。そして、そこから溢れ続ける青い光は真っすぐに第四使徒の上空の魔法陣へと吸い込まれていく。

 その様子をながめ、状況把握に努めていた二ムにゴードンが再び叫ぶ。

 

「動けるのか? なら嬢ちゃんだけでも逃げるんじゃ! 今すぐに!」

 

「へ? いや、そういうわけにも……うーん。倒したいっすけど、あれ中身フィアンナさんなんすよね? うーん」

 

「倒すじゃと? ば、ばかを言っていないでさっさと逃げんか‼」

 

 腕を組んで首を捻って悩む二ムに全身の力が抜けてしまっているゴードンが焦って声を掛け続けていた。だが、次の瞬間そんな彼ら全員に絶望が訪れることになった。

 中空に浮かぶ第四使徒は直上の魔法陣を展開したまま、その両手を前へと突き出し、そしてそこに深紅に煌めく光球を象った。

 

「ヴァ……ヴァ……ヴァヴァヴァヴァ……」

 

 その輝きは次第と大きくなる。まるで太陽の様に眩しく煌めく赤い球は第四使徒の体躯をも超え、ホールの天井を飲み込む勢いで膨れ上がり続ける。

 そして一際激しく輝いたその時、その光は彼らに向かって放たれた。

 

「これはちょっと大きすぎやすね……どっちに逃げても巻き込まれやすね……」

 

 その言葉を漏らした直後彼らはその巨大な深紅の光球に飲み込まれた。

 空間そのものを抉るかのように放たれたその光は、周囲の壁や床、配下であるはずのアンデッドナイトもろともそこに存在していたすべての物を飲み込んで掻き消していった。

 壁や柱を失った建物そのものが消えていく。

 その光の中にあって、ゴードンは不思議な光景を見た。

 周囲全体が深紅に煌めく中、まるで火炎の中に取り残された様になったその状況で彼の前に立つ少女の声が確かに届いたのだ。

 

「避けきれないと思ったんで、リアクターを全開にしてエネルギーフィールドを展開しやした。でも、ちょいと、燃料使いすぎちまったみたいです……すいません」

 

「なにを言っとる?」

 

 彼の前に立つ少女の肩から力が抜けたその直後、彼は溢れる光から子供たちを守ろうとアルベルトとセシリアを抱きしめた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

『こ、これが主様の本当の力……』

 

 床に転がる首だけになったべリトルはその凄まじい光景を目の当たりにしていた。

 本来の姿を取り戻したであろう主、第四使徒ドレイク・アストレイ。

 その存在はやはり尋常ならざるものであったのだ。

 これを……

 このお姿を見る為だけに、我は今日まで生きながらえ続けてきたのだ。

 滅びの天使を再びこの地上へと顕現させること、それこそが、彼の使命。漸く今それが叶ったのだ。

 万感がこみあげ、首だけとはいえ、その達成感に彼は打ち震えていた。

 

『くふふ……聖鎚ゴルディオンに、謎の女……妨害はあれど、我は為したのだ! 為し得たのだ‼ くははははははは』

 

 湧き上がる愉悦に心の底から彼は笑う。

 まさに今目の前で邪魔立てする人間は消し飛んだのだから。

 

『これで世界は終わる……全ては我ら魔族の思うがままだ……くはははははは……え?』

 

 それは突然のことだった。

 ふと見上げたその時、彼の視線は主である第四使徒と交わったのだ。そして次の瞬間……一条の光線が彼の存在から放たれた。

 

『なっ⁉』

 

 驚愕するべリトルの前でその光線が着弾したそこにあったのは、彼の身体。

 凄まじい爆音を伴ってその身体が木っ端みじんに吹き飛ばされる。

 

『な、何を……?』

 

 べリトルは困惑していた。

 自身が命をかけて蘇らせた主に今まさに彼はその身体を滅ぼされたのだ。困惑しないわけがない。

 爆風にあおられ、瓦礫と化した壁面まで転がったべリトルの頭。その視線の先にはやはり彼の御方の無表情な顔が。

 

『ヴァ……ヴァヴァヴァ……』

 

 確実に自分を殺しに掛かっているその存在に、彼は恐怖した。

 だが、主はすぐにその視線を外し、再び先ほどゴルディオンたちが立っていた辺りへと戻した。

 べリトルも恐る恐る視線をそちらへと向ける。

 すると……

 

「お、おい、嬢ちゃん?」

 

 そこには全裸のまま腕を大きく開いて立ち尽くす少女の姿。

 

『ば、ばかな……』

 

 べリトルにはそれが信じられなかった。

 射線上の全てのアンデッドナイトが消し飛んだあの激しい爆発と熱の中でなぜあの女は立っているのか。そもそも服は全て焼き尽くされているとはいえ、あの白い素肌の身体には傷らしい傷が全く見えない。

 

『あ、あり得ない……』

 

 それが素直なべリトルの感想であった。

 いくらなんでも、わが主の攻撃に耐えられるわけはないのだ。彼の御方達はかつてたったの七翼で世界中全ての人類を滅亡の一歩手前まで追い込んだのだ。

 それがたかが小娘一人葬れぬはずがない。

 動きを止めたままの少女にゴルディオンが起き上がりその肩をゆすっている。

 

「お、おい! 嬢ちゃん! しっかりせい! しっかりするんじゃ!」

 

 そう声を掛けても、少女はピクリとも動かない。

 その様はまるで神殿の女神像の様でもあり、神々しくさえあった。

 だが、その様子を見て、再び込みあがってくる愉悦にべリトルは笑うのだった。

 

『流石に死んだか! それはそうだ! お前らに敵うわけがないんだ! ははははははは』

 

 きっと少女が命をかけてゴルディオンを守ったのだろう、焼け石に水だったなと再び哄笑するべリトル。

 立ち尽くす少女とそんな少女を庇おうとするゴルディオン。そしてそんな彼らにゆっくりと近づいていく彼の主第四使徒。

 

 いよいよこの戦いが決しようとしているこの時……

 

 彼らが現れたのだった。

 

「あ、なんだこりゃ? お前らなにやってんの?」

 

 もともと礼拝堂の入り口があった辺りに立っていたのは……

 

 小太りの騎士を背中に担いだ、いかにも気の弱そうな冒険者風の男だった。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 魔無し戦士

 いや、これ本当にどうなってんの?

 落とし穴にというか、地下通路に落ちた俺とジークフリードは大量の骨のモンスターに囲まれつつもなんとかこの礼拝堂までたどり着いた。

 骨どもに囲まれた途端に、ジークフリードの野郎が急に泡吹いて倒れやがって、こいつスケルトンなんて余裕だとかなんとかぬかしてたくせに本当にクソの役にも立たねえ。

 おまけにニムの奴、俺たちを助けもしねえでいきなりいなくなりやがって、マジで死ぬかと思ったし。

 

 そんなイライラを抱えたままどうせ先に行っているであろうニムを怒鳴りつけてやろうと礼拝堂に向かってみれば、なんか近づくごとにビカビカ光ったり、爆音が轟いたりしてるし! 挙句の果てにとんでもない爆発が起きて礼拝堂自体が消滅しながら上層部分が崩落する始末。

 いったいあのバカ、あの中で何をやってんだか?

 ニムがしでかしているであろう不始末を思い、後でいったいいくら請求されちゃうんだろうと、戦々恐々としながら辿りついてみれば、そこは大量の瓦礫とも そして、その中央に6枚羽を広げて立つ白い不気味な彫像があり、その傍らに床に伏せたアルベルトとセシリア、それと素っ裸で立つニムとそんなニムを揺する赤毛髭もじゃジジイの姿。

 

 なんでゴードンじいさんがここにいるのかは置いておくとして、それよりもどうしてニムが素っ裸なのか。

 脳内エロエロなのは承知しやってるんだから、せめて人前では普通にしててくれよ!

 

「おい! ニムてめえ……」

 

 と、近づこうとすると、正面のじいさんが顔だけこちらに向けてきた。

 

「紋次郎か……すまん、嬢ちゃんを守れんかった」

 

「はあ? なに言ってんだじいさん。おい! ニムいい加減に起きやがれ! さっさと服着やがれ!」

 

 その俺の言葉にニムは何の反応も返さない。

 両手を拡げ正面を見据えたままでその挙動のすべては停止していた。

 

 ちっ、こいつ、また……

 ニムを揺する俺にじいさんが声をかけてきた。

 

「紋次郎頼みがある。この二人を連れて逃げてくれ。全ては儂の責任じゃ。ここは儂が食い止める。さあ、早く行くんじゃ!」

 

「は?」

 

 じいさんは背嚢から幅広の両手剣を引き出すと、それを構えて正面を見据えた。その先にあるのは、さっきの白い彫像……ん? なんだ? あれ今動いたような……

 そう思い、目を凝らしてよく見てみれば、その能面のような顔に開いた小さな口が小刻みに動いている。そして、背中の羽や、手足もじわじわと動き始めた。

 

「じ、じじじじじ、じいさん! なんだありゃ?」

 

「今は説明してる時間はないわい! さっさと逃げんか!」

 

 いや、逃げろって言われたって、こんな気持ち悪い奴目の前にしてどう逃げろってんだよ。そもそも俺の背中にはすでにジークフリードの奴が乗っかてんだ。ここにアルベルトとセシリアを担ぐなんて……

 あ、そうか、ジークを捨てればいいんだ。別にじいさんはジークのことには触れてねえしな。なーんだ。簡単じゃねえか、はは……

 

 じゃねえ! 捨てていけるわけねえだろうが!

 くっそ! 3人担げとかマジで無理だぞ。こんな時のニムじゃねえかよ。何のために怪力に仕上げたと思ってんだ。この野郎、こんな時に『電池切れ』かましやがって……

 くっ……仕方ねえ……

 俺は腰のポーチをまさぐって残りわずかとなった真っ赤な石を取り出す。

 そしてそれを口に含みながらニムへと向かった。

 

「お、おい、さっさと逃げろと……」

 

 ゴードンじいさんがそんなことを言って俺を制ししようとしているが、そもそもその逃げる為にやってんだっつーの。

 俺はニムの顔を両手でひっつかんでそのままその唇に俺の口を押し付けた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 さむい……

 

 すごくさむい……

 

 わたしはいまどうなってるの?

 

 誰かたすけて……

 

 お母さん、お父さん……

 

 ああ……そう、もう私にはお母さんもお父さんもいないのだった。

 

 今の私にはもう何も残っていない。

 

 悔しくて悲しくてどうしようもなくて、神のしもべであるにもかかわらず、私は父を殺した人を憎み続けてきたんだ。

 

 こんな醜い私を神は決してお許しにはなられないだろう。

 

 わかっていた。

 

 自分が全てを失うことを。

 

 それでいいと思っていた。

 

 自分の幸せが全てなくなってしまったのだから。

 

 人を憎いと思うことだけで私はずっと生きながらえてきたのだから……

 

 でも……

 

 楽しかったな……

 

 初めてだった。

 

 同い年くらいの人と一緒にいろんなことができたから。

 

 リーダーのアルベルトさんは礼儀正しくて冷静で正義感にあふれていて、頼もしかった。いつもセシリアさんのことを気にかける姿を本当に素敵だなと思った。

 

 セシリアさんは本当に気さくで私が困った時いつもすぐに声をかけてくれた。まるでお姉さんみたいで兄弟のいない私には彼女の存在がなによりうれしかった。

 

 そして、モンジロー様。

 一番年長で優しくて、ちょっとおっちょこちょいで、でもいつも一番頑張ってて……

 初めて会った時からずっと気になってた。

 彼の笑顔がずっと頭から離れなくて……そして、いつの日からか彼の存在が私の中で一番大きくなっていたんだ。

 そんな淡い想いは、長くは続かなかったけれど……

 

 彼は特別な存在だと気づいてしまったから。

 

 『聖戦士』様。

 

 世を守り、人々を救う彼にとって、私という存在はきっとたくさんの不幸の形の一つであったのだろうと思う。

 この街を救う為に私の前に現れてくれた。ただ、それだけのこと。

 

 そして、そんな彼には私よりももっとふさわしい存在がすでにいるのだ。

 

 長い黒髪を靡かせて彼に付き従う絶世の美女。

 ニムさんと言ったかな?

 とっても気さくで優しくて、本当に……

 

 本当に適わないや……

 

 ああ……

 

 きっと私はこのまま死んでいくのだろう…… 

 

 それが何より悲しかった。

 

 せめて……

 

 せめてもう一目だけ……モンジロー様に会いたかった。

 

 その時、私の目が突然開く。今まで何もできなかったというのに、強く思い、強く念じたその時、私の視界が戻った。

 そしてそこに映ったこの世の物とは思えない美しい光景に胸を打たれ私は、溢れる涙が止まらなくなってしまった。

 

 そこには……

 

 神々しい裸体を晒した漆黒の黒髪の美少女を抱いてその口唇を重ねる自分が憧れた男性の姿がそこにあったから。

 それはまるで女神と勇者の逢瀬の様であり、その清廉さに心が洗われていくかのよう。

 

 綺麗……

 

 やっぱり……

 

 住む世界が違うのですね……

 

 でも、よかった……

 

 貴方と出会えて本当に……

 

 モンジロー様……

 

 ありがとう……

 

 さようなら……

 

 私の愛しい人……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「んふー、んふー、んふー」

 

「ぷっは! い、いい加減口を放しやがれよニム! いつまで唇をとんがらせ吸いつこうとしてんだ!」

 

「い、いや、だって、初チューですよ? ディープべろちゅーっすよ? しかも意識ない時に無理やりされて我慢しろとかいったいなんのプレイっすか?」

 

「プレイ言うな! 人聞き悪い! お前がガス欠したから魔晶石を給油してやっただけじゃねえか!」

 

「給油って……車じゃあるまいしそんな色気のない……ここはひとつ『お前に俺の命を注いでやったぜ! これでお前はもう俺のMO()NO()DA()ZE()!』とか、イケメンヴォイスで言ってくださいよ!」

 

「言うかっ! そもそも時間ねえから経口投入しただけじゃねえか。本当は胸を開いてリアクターに直接ぶっこむつもりだったんだからな!」

 

「眠ってるワッチの胸をまさぐってこの胸でぶっこぬいちゃおうなんて……そんなことされたらワッチもう……もう……!」

 

「誰もんなこと言ってねえ! いちいちお前の物言いは人聞き悪いんだよ‼」

 

「お、おい、紋次郎。嬢ちゃんは大丈夫なのか?」

 

「あ? じいさん?」

 

 ゴードンじいさんにそう言われ振り返れば、目を見開いてしまっているし。

 

「ああ? 別に大丈夫だよ。頭はイカれてるけどな、ただのエネルギー切れ……要は腹へって動けなかっただけだからな」

 

「そ、そうか……」

 

 ゴードンじいさんは目ん玉ひんむいたままになってやがる。あんま納得してなさそうだけどな、別にどうだっていいが。

 それよりもだ……

 

「ニム! さっさと逃げるぞ! あの気持ち悪い奴に殺されちまうからな」

 

「あ、それなんでやすけどね? あの天使さん、中身フィアンナさんなんすよ」

 

「は? な、なに?」

 

「えーと、かくかくしかじかでやんす」

 

 と、ニムの奴が色々はしょって手短に説明する。これで分かっちゃう俺もどうかと思うが。

 

「はあ? つまり、『魂の宝珠に封印されてた第四使徒ドレイク・アストレイが、自分の子孫であるフィアンナの身体を乗っ取って復活したと。んで、正体は世界を滅ぼす天使で今まさにそれをやろうとしてる』と、そういうわけか?」

 

「さすがご主人良くワッチのかくかくだけでよくここまで理解できやしたね? これはワッチと心が結ばれちゃっていると解釈しても!?」

 

「お前のアーカイブ覗けば大概一発で理解できるけどな」

 

「いけず~でやんすよ。でも、ワッチの赤裸々な胸の内を覗かれるのは最高のご褒美かも」

 

「はいはい、今度暇な時に覗いてやるよ」

 

「おい‼ お前ら、こんな時に何をやっとるんじゃ! 逃げろといっとるじゃろが!」

 

「「ひっ!」」

 

 と、ゴードンじいさんにでかい声で怒られて思わず二人で抱き合って跳ねた。

 いや、じいさんマジで怖いから。俺、褒められて伸びるタイプなんだからそういうのやめて!

 

「ヴァ……ヴァ……モ、モンジローサマ……」

 

 唐突にそんな異様な声が聞こえ顔を向けて見れば、そこには先程の第四使徒の姿。

 どうやら奴が喋っているようだが、あの感じは……フィアンナ……? 

 その女顔は先程とは違い、震えながらその虚空の瞳から涙のような液体を大量に流していた。

 

「ヴァ……コロシ……テ……オネガ……ヴァ……シマス……ヴァヴァヴァ……」

 

「ふぃ、フィアンナ……なのか?」

 

 俺の声に反応はない。ただただ全身を激しく痙攣させながらそのデスマスクのような能面顔を涙に濡らし震えるだけだ。

 俺は少し思案する。

 今の彼女の状況はまさに見ての通りなんだろう。ドレイク・アストレイの魂に侵食されその身体を乗っ取られつつある。そうだとすればこのまま『元に戻す』ことは多分出来ない。

 そこまで考えたところでニムに声をかけられた。

 

「ご主人、どうするんでやす? このまますぐに逃げやすか? それともフィアンナさんを助けやす?」

 

「逃げろと言っておるじゃろうが!」

 

 再びゴードンじいさんが怒鳴っているが、俺はとりあえずそれに耐えてから、じいさんとニムにむかって言った。

 

「魔法を使って助けてみようと思う」

 

「は?」

 

 一瞬の間。

 今まさに世界を滅ぼす天使が動き出すかも知れないこの状況にあって、じいさんがぽかんと口を開けていた。

 ニムはまあ、いつも通りなのだが。

 

「紋次郎、お前今なんと言ったんじゃ?」

 

「はあ? いよいよボケたかよじいさん。俺は魔法を使うと言ったんだよ」

 

「魔法……魔法じゃと……」

 

 再びそう教えてやるも、じいさんはその眉間に渓谷のような皺を刻みこめかみの血管を浮き立たせながら俺に詰め寄ってきた。

 

「お前という奴はっ! 今死ぬかもしれんこの状況でそんな戯けたこと抜かしおって!」

 

「た、た、戯けてなんかねえし! い、い、至って健全だし!」

 

 急に怒鳴られたもんで思わず精一杯言い返しちゃう。でも全然追撃が弱まらねえ。

 

「そもそもじゃ! 『魔無し戦士』の貴様に魔法なぞ使える訳がないじゃろうが!」

 

「んだよ! 『魔無し』なのは仕方ねえだろ? 最初っから魔力ねかった上に、俺はレベルも全然上がらねえんだからな。だったらなんだよ! 魔力無かったら、魔法使っちゃいけねえのかよ! ああっ!?」

 

「魔力なしで魔法が使えるわけ……」

 

「ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 じいさんが何か言おうとしたその背後で、劣化フィアンナ(仮)が絶叫を上げながらその両手を合わせ獄炎魔法を放った。

 炎はまるで大口を開けた巨大な蛇のように俺たちに襲いかかる。

 俺はそれを見て、すぐさま『唱えた』。 

 

「踊れ! 水と大気の精! 我らを囲え! 『上位水竜陣防壁(ハイ・ウォータードラゴンウォール)』!」

 

 俺の発声とともに目の前に迫る火炎の姿は激しい水流の壁によって遮られた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 精霊の力

 突如周囲の足元から間欠泉のごとき勢いで水が吹き上がる。そしてそれは渦を巻き、まるで水上竜巻の様に高速でうねりつつ獄炎の嵐を迎え撃った。

 強烈な閃光とともに、水の竜巻の壁が炎を蹴散らすも、相手の火炎の威力が絶大過ぎて一瞬水の壁に穴が穿たれるかとも思ったが、更に強化術式を加えて強化させた水流がそれを塞ぎしのいだ。

 

「あっぶねー、丸焼けになるとこだったぜ」

 

 マジで恐ろしい奴。

 こんな包囲殲滅魔法をいきなりぶっぱなして来やがって、愛しのフィアンナの身体でいったいなにしてくれちゃってんだか。

 

「お、おい、紋次郎……これはいったい……お前、本当に魔法を……」

 

 ゴードンじいさんが冷や汗を垂らしながらそんなことを言ってやがるし。

 本当に俺って信用ねえんだな……まあ、しかたねえか、レベル上がらねえし、クソ弱ぇままだしな。

 

「ああ、だから使えるって言ったろ? だけど、相手の魔法が凄すぎでマジビビったけどな。この辺の『ウンディーネ』たちがいい働きしてくれて助かったよ」

 

 じいさんは怪訝な顔を俺に向けたままだったが、唐突に叫んだ。

 

「も、紋次郎……良いか? 貴様は全くわかっとらんようじゃからきちんと言ってやる。魔法というもんはな、己が授かった存在の『恩恵』を元に、体内にある『魔力』を糧として周囲の『(マナ)』に働きかけて、様々な事象を発生させるもんじゃ。つまりな、魔法は魔力を持たん者には使うことはできんのじゃ。当然儂も使えんし、かつて存在したどんな英雄も勇者もその理から外れた者はおらんかった。お前……本当に『魔無し』なのか?」

 

 そんなことをこの炎に飲まれた中で言いやがるし。

 ま、確かにその通りだと思うよ。俺だって最初はそうだって思ってたしな。でも……

 俺はポーチからあの古ぼけた赤い本を取り出しながら、じいさんへ言った。

 

「俺が『魔無し』なのは、最初にじいさんに依頼貰ったときにステータスカード見せてんだから分かってるだろう? 俺には魔力なんて微塵もねえよ、それこそ、近所のガキが遊びでやってる『水弾(ウォーターバレット)』とか、『送風(ブロワー)』の魔法だって使えやしねえよ」

 

 ほんと、あのガキどもが指先から水を打ち出して、お互いびしょぬれになって遊んでたあの魔法とか、超うらやましくて俺もやりたかったよ……ま、出来たところでどうせ仲間に入れちゃもらえんだろうが。

 

「ま、仕方ねえ、魔力ねえ奴は無理だってみんなにも言われてたからな。でも、ちょっとこの本を読んでみたら、おもしれえこと書いてあったんだよ。ほら、ここ……この56ページ目のところ……」

 

 片手で本を開いてじいさんの前に出してやるも、じいさんは本と俺を交互に見てまったく喋りもしねえ。ったく、なんだよ、俺に読めってか?

 そう思っていたら、俺の背中からニムが顔を覗かせてきた。

 

「あ、その本、例のアンジュさんのお店で痴女のメガネっ子からもらった奴っすね? えーと、なになに……」

 

 ちょっとニムさん! その痴女確定とか本当にやめて! 今度会った時、本気で『この人痴女かも』って思っちゃうかもしれないでしょ! そしたら、俺痴女に告白しなきゃいけないじゃん! というか素っ裸で俺に抱きついてる時点でお前の方が痴女レベル高いから。

 ニムは俺にはお構いなしに読み上げ始める。

 

「えーとでやんすね……『魔術とは精霊の力の具現化に他ならない。あまねく力の全ては精霊より与えらえ、そして世界を象り、精霊へと帰す。これすなわち魔の理なり』。??? どういう意味です?」

 

 こいつ……いきなり思考を放棄しやがった。

 

「お前な……もうちょっと自分がコンピューターだっていうプライド持てよ。なんでもかんでもポイポイ簡単に丸投げしやがって」

 

「へへ……だって、ワッチよりご主人の方が頭良いじゃないっすか」

 

「うるせいよ! 俺が電子頭脳より頭良いわけねえだろうが! ったく……いいか? 要はな、この世界の魔法って奴はな、目にはよく見えねえが、その辺とか次元の境界とかにいる『精霊』って奴の力を借りて行使してるわけだ。このステータスカードに出てくる『恩恵』ってとこに記載されてるのがそうなんだけど、もともと恩恵貰って魔力のある奴は、自分に力を与えられてるわけだからな、そんな細かいこといちいち気にしなくても魔法が使えるわけだ。マジでうらやましい」

 

「? それは分かるっすけど、ならなんでご主人は使えるんでやんす? しかもこんな強力な奴」

 

「そりゃあれだ。作ったからだよ」

 

「作ったって……何をです?」

 

「だからあれをだよ……『魔法』を作ったんだよ、『精霊を捕まえる』魔法を」

 

「「…………」」

 

 なぜかいきなり時を止めるニムとじいさんの二人。俺を凝視したまま固まってるし。そ、そんなに見つめんじゃねえよ。俺なんかおかしなこと言ったかな?

 と、その一瞬間を開けて、二人が絶叫した。

 

「「はあっ?」」

 

 あまりの大声に思わず飛び上がる。

 二人を見れば、じいさんは眉を吊り上げてるし、ニムはケラケラと笑い出した。

 

「も、紋次郎、お前何言っておるのかわかっておるのか? 精霊を捕まえる魔法じゃと? そもそもその魔法をお前は使えんのだろうが」

「きゃははははっはっ……さ、さすがご主人っす! 予想の斜め上っすね! どうして魔法使えるのかワッチも気になってたんすけど、なるほどそういうわけだったんすか! 何がなるほどかワッチにも良くわかりやせんけど、なるほどなるほど!」

 

 なぜか怒ってるじいさんと大爆笑のニム。

 お前らいい加減にしろよな。

 

「ったく……なら教えてやるよ。いいか? 人間の『魔力』と『(マナ)』は言わば同質のイコールの存在だ。そして、その『(マナ)』により生まれた存在が『精霊』とか『神霊』とか『悪霊』とかってやつらだ。つまりな、本来は術者が供給しなきゃならない『魔力』を他所から持ってくることは理論上可能なんだ。だがこの世界の知識のない俺にはまさに雲をつかむような行為。そんなとき貰ったのがこの本だ」

 

 俺はもう一度本を持ち上げ、表紙をたたいた。

 

「ここにな、いろんな魔法についての術式が載ってたんだよ。それこそ『光闇()元素』全てが網羅されててな。そんで何気なくそれを見ていたら、そのうちにあることに気が付いたんだ」

 

 俺は適当なページを開きながら、魔法陣のとある個所を指さしつつ語りかける。

 

「ほら、こことか、ここ。な? 分かるだろ?」

 

 だが二人の反応は頗る悪い。なんでだ? こんなにわかりやすく指さしてやってんのに。

 するとニムが俺の肩をちょいちょいつついてきた。

 

「あのあのご主人? 多分ご主人の中じゃ解が出てるんでやしょうが、ワッチらには基礎知識がないもんでもう少し噛み砕いて教えていただけないでしょうか?」

 

「そ、そうか? うーん十分わかりやすいと思うんだが……、ま、ざっくり言えば、魔法って奴はどの魔法も全て『精霊』を『使役』することで発現させているわけだ! つまり精霊とは、『奴隷』、『下僕』、『小間使い』! 精霊の自由を奪ってそのエネルギーを抽出しているわけだな、まあ、精霊に感情があるのかは不明だし、痛みとか嫌悪感とかあるのかも分からんが、そうやって精霊を制御して誰もが魔法を使っている。つまり」

 

 俺は人差し指を立てて結論を言う。

 

「俺は全ての魔術を分析して精霊の使役に関する箇所とその方法を抜き出して、任意でそれを行えるように改良した魔法を作った。当然起動に必要な魔力は精霊から貰う形でだ。さらに、その際に俺に負担が掛からないようにも気をつけてな。どうもこの本にも載ってるいるが、魔法は、やれ使うと身体が消耗するだ、自分にもダメージがくるだと適当なやつが多くてな、流石におれも誤爆で死にたかねえから色々調整して無駄を省いて……とまあ、こんなわけで、俺は魔法をつかってるんだが……何かおかしいか?」

 

 なるべく分かりやすく、噛み砕いたつもりだが、逆になんでここまで説明しなきゃならないんだ? こいつらも魔法使いたいのかな? それにしてもじいさんの奴微動だにしていないんだが……

 すると、ニムが聞いてきた。

 

「なら、ワッチも魔力ないですけど魔法つかえるってことっすかね?」

 

 身を乗り出して興味津々といった様子の二ム。だが……

 

「お前はどうかな? まずは『精霊と会話』する必要があるからな。精霊は恩恵を与えた相手と『同調』することで様々な現象事象を発現させるわけだが、同調していない精霊も近くにいる『生命体』に入り込む修正があってだな、今こうしている間も俺の中にはたくさんの精霊が入り込んでて干渉しているわけで、俺の『思念』や『思考』を読んでいるんだ。だから、俺が脳内で描いた『魔法陣』に『感応』してその魔法を使えてるわけなんだが、お前はそもそも『生命体』じゃないからな」

 

「ええ? なんかずるいっすよ。ワッチだってちゃんと『自我』のある生命体っすよ! ほらあれですよ、ワッチなんて『メカ〇体ゾイ……』とか、『超ロボッ〇生命体トラ……』とかと一緒っすよ!」

 

「おい、やめろ! 背筋がゾッとしちまったじゃねえか!」

 

 いや、ほんとやめろよ、理由は分からんけど嫌な汗流れまくっちゃってるから!

 にへへと笑ってるニムはどうも諦めてはいないみたいだな。そんなに使ってみたいってんなら今度教えてやるかよ。

 それにしても本当にここの精霊たち……特に『ウンディーネ』はいい仕事していやがるな!

 自分達の身を守るために放った水魔法であったが、未だにその竜巻は俺たちを囲み守り続けている。このように行使は確かに可能なのだが、効果や持続時間は正直良くわかっていなかった。行使者は俺だとしてもエネルギー源は精霊達そのものだからな。

 実際に俺も精霊なんてもんはよく知らないのだが、この凄まじい勢いの水流を長時間こうやって維持できていることはまさに驚嘆に値する。

 というか、これどうやったら止まるの?

 俺はなんとなく、目の魔の水竜巻にむかって言ってみた。

 

「えーと、そろそろ終わっていいよ?」

 

 すると……

 ふわりと水壁の一部が盛り上がり水がもこもこと形状を変えた。そこにいたのは下半身が魚のようになった半透明の少女の姿……

 おお……こいつがウンディーネか! いや、マジでたすかったぜ! 

 と感謝を思い浮かべつつ、右手でサムズアップする。

 すると、その水の少女は一瞬ぽかんとした表情になるも同じようにサムズアップを返してきてニカっと微笑んだように見えた。そしてその背後にも同じような無職の液体状のたくさんのウンディーネ達と、あの透明なのは風の精霊シルフだろうか……とにかく大小様々な精霊たちが踊る様に現れては消えを繰り返しながら竜巻と共に消えていく。そして俺たちは周囲の惨状を目の当たりにすることになった。

 一瞬で掻き消えたその魔法の爪痕だろうか、もともと崩落して瓦礫まみれになっていた周囲が綺麗に清掃されたように、床だけを残してあとは綺麗さっぱりなにも無くなっていた。

 そればかりか、見張らし良くなったこの丘の周りの墓石やら樹やらが大量の水に浸かっており、さらに、多分ここから弾き飛ばされた瓦礫の成の果てだろうか、奇っ怪な形の石のオブジェがあちこちのその深い水溜まりに突き刺さって前衛的な芸術作品と化している。

 

 うん、ウンディーネ達、良い仕事しすぎだ!

 

「ご、ご主人! ちょっと来てください!」

 

「あん?」

 

 慌てた二ムの声を聞いて、そちらに目を向けてみれば、そこには床に横たわる両腕と全ての翼のもげた先程の気持ち悪い見た目の第四使徒の姿……

 どうやら、先程の水魔法によってその身体を切り刻まれてしまったようだが……

 良く見てみれば、そのまるで人形の様であった顔の半分が欠け、その奥にフィアンナとおぼしき人の顔がめり込んでいた。

 2mを越える大男の顔の部分に、フィアンナの顔だけ存在している様は本当に摩訶不思議な感じだが、彼女はまだ息があるようで、口を開いて荒い呼吸を続けていた。

 そしてその視線が俺を向いた直後、その瞳から涙を溢れさせた。

 

「も、モンジロー……様……あ、ありがとう……ございました……私を……ころ……して……くれて……」

 

 フィアンナは瞳を濡らしながらそんな恐ろしいことを宣う。

 いや、これやったの俺じゃないからね? 俺は魔法を構築しただけでやったのはウンディーネ……

 

「ご主人、苦しそうですしフィアンナさん助けられませんかね?」

 

 二ムにそう聞かれ、俺は即答。

 

「いや、無理だな」

 

「ちょっと、ご主人!」

 

 何故かいきなり怒った感じで詰めよってくる二ムに一瞬たじろぐも、とりあえずまあまあ落ち着けと二ムを離れさせる。

 

「慌てんじゃねえよ。このままの状態で助けるのは無理だって言っただけだ。フィアンナを見捨てるわけねえだろが」

 

 二ムは安心したのか、ホッと胸を撫で下ろしている。

 そんな奴に近づいて俺は持っていた本の必要なページを探してめくりそれを奴に見せた。

 

「いいか? フィアンナの今の状態は、フィアンナの身体に第四使徒ドレイク・アストレイって奴の魂とフィアンナ自身の魂の二つが同居していて、且つその支配権をドレイクに奪われている状況だ。つまりなこのまま回復したところで、ドレイクが元気になるばっかりでフィアンナは結局消滅することになるんだよ」

 

「じゃあ、どうするんでやす? そのドレイクさんの魂だけ殺すんです?」

 

「いや、そいつは無理だ。融合した身体と魂を分離させる魔法には、分離先の器が必要なんだ。多分もう『魂の宝珠』は砕けちまってでもいるからな、その方法は取れない……だからな……」

 

 俺は開いていた本の内容を二ムへと伝える。

 その様子をさっきからずっと黙りこくっているゴードンじいさんもしっかり聞いているはずだが、やはり何も言わないし、その無言の圧力が超怖かったもんで俺は何も告げずに伏しているフィアンナの顔へと手を伸ばした。

 

「フィアンナ……ちょっと怖いかもしれないが我慢してくれな……必ず助けてやるから」

 

 俺の言葉に目を見開くフィアンナ。濡れた瞳をそのままにその殆ど動かない頬をくしゃっと歪めて泣き顔になってしまった。 おっと……いかんいかんいくら緊急事態とはいえ、婦女子の身体に触れちまった。流石にこの反応は傷ついたけどしかたないだろう。とにかく、この元凶でもあるドレイクの魂をなんとかしないとな。

 見れば、ドレイクの身体のところどころの傷の修復が始まっている。両腕は欠損して無くなっているが、その身体は小刻みに震え始めており、今まさに起き上がろうとでもしているかのようだ。

 時間がないな……

 俺は立ち上がって両腕をドレイクの身体にかざす。

 悪いな水の精霊(ウンディーネ)風の精霊(シルフ)……もう一度力を借りるぞ。それと、お前らも……

 心で念じる。

 俺の中に息吹く様々な存在を俺の中に作り上げた魔法術式の中に招き入れていく。そして、確かに光り輝く魔法陣が完成したことを知覚し、そして発現の為の呪文を唱えた。

 

「『万能なるマナよ……我が右手に消滅の闇を、我が左手に復活の光を現わせ!』」

 

 その瞬間、俺の周囲に光と闇が出現し、そして俺の右手に風の刃を纏った闇が、そして左手に癒しの水を煌めかせた光が収束する。そして、その両方のエネルギーをドレイクへと叩き込む。

 それは凄まじい火花を発生させて周囲を明るく照らした。

 ドレイクの身体に吸い込まれた漆黒の闇がその全身を駆け巡る。そして光は泣き腫らすフィアンナの顔を優しく包み闇の浸食から彼女を守っているようである。

 全身を激しく痙攣させるドレイクの様子を眺めつつ、俺は最後の詠唱を行った。

 

「消えちまえ! 第四使徒ドレイク・アストレイとかいうやつ! これ以上子孫に迷惑を掛けるんじゃねえよ! 『原子分解消滅魔法(アル・デストロイ・ダスト・ボディ)』! あ~んど『死者蘇生(リザレクション)』!」

 

『ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ』

 

 漆黒の闇がその全身を蝕みボロボロに崩していく。苦悶のその半分の顔を歪めるドレイクののっぺりとした女顔。だが、その隣では金色の輝きに包まれたフィアンナの穏やかな顔があった。

 闇は周囲の空間をも侵食し、そして光はその闇の中に一条の筋を描きだす。

 完全に闇に飲まれたドレイクアストレイ。

 だが、残された一条の光の輝きが徐々に大きく膨れ上がり始める。

 それは神々しいまでに眩しく、その中に確かに命の光が息づいているかの様にも思えたのだ。

 

   ×   ×   ×

 

 

 この日…… 煌めく満月の夜、少し離れたアルドバルディンの街の住民達は、この巨大墳墓群、『死者の回廊』から発せられた激しい音と眩い光の数々に、驚き恐怖しそして何がが起きているということだけを実感し、その事態を見守っていた。

 住民たちは家の戸を固く閉ざし、男たちは手に手に武器を構え、モンスターの襲撃に備え夜通しその警戒に当たる。

 しかし、現れると思ったアンデッドはついに街の周辺には出現せず、街はなんの被害もないままに朝を迎えることとなる。

 そして近隣の町村からの応援の到着を待ってから、冒険者を中心とした調査隊を組織し死者の回廊へと派遣する。彼らはそこで、破壊の限りを尽くされた元礼拝堂があったであろう丘の上で、アンデッドの遺骸と思われる大量の骨の中で気を失っていた一人の聖騎士の姿を確認する。

 生存が確認されたその聖騎士は意識が戻ると調査隊の面々より『このアンデッドの死体の山はいったいどうしたのか』と問われ、暫く周囲を見渡した後に、

 

 『全部俺が片づけた!』

 

 と笑顔で言い切ったそうだ。

 この礼拝堂の近くからは無残な屍となった領主、スルカンの遺体も見つかり、街の人々はスルカンとこの聖騎士の活躍によりアンデッドの恐怖は取り払われたと彼らへ深い深い感謝を捧げた。

 以来、この街にアンデッドが押し寄せることはなくなり、街の中心にはこの街を救った聖騎士とその時の領主の名前の掘られた『英雄の碑』が立てられることとなる。

 

 街の脅威が取り払われたことに歓喜し、おおいに賑わっていたこの辺境の街から、黒髪の美しい女性を伴った一人の若い冒険者が姿を消したことに、ほとんどの人は気が付くことはなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ 聖戦士

「ほんとに良かったんです? フィアンナさん達に何も言わなくて」

 

「い、良いんだよっ! もう良いんだっ! ぐすん……」

 

「あらららら……」

 

 俺の隣で皮のホットパンツにやはり革製の胸当てを着けた一見冒険者風の姿の二ムが巨大なバックを背負って俺の顔を覗きこんで来やがる。ついこの前まで来ていた桃色のブリオーはあのとき灰になっちまったから、とりあえず今回はもう少し動き回りやすくて安価な服に変えて俺が買ってやった。

 というか、なにニヤついてんだよ、マジで見んじゃねーよ!

 もう踏んだり蹴ったりだよ! マジで!

 

 俺は目の下を拭ってから、背中の鞄を背負い直した。二ムほどではないが、俺のも結構でかい。

 まあ、数日分の食料と生活用品のもろもろをパッキングしてあるからな。この大きさも仕方ない。

 そう、俺たちはアルドバルディンの街を後にして新天地を求めて旅に出たわけだ。

 いや、あの街自体に不満があったわけじゃないのよ。

 平和だし、住んでる人はどの人種の人もみんな穏やかだし、優しいし……

 でもな……俺の壊れた心《ブロークンハート》はあそこじゃもう癒せなかったんだよ、ぐすん。

 

 さて、なにがあったのかと言えば……

 

 それは!

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 『死者の回廊』であの気持ち悪い第四使徒とかいうやつに止めとばかりに、身体破壊魔法と死者蘇生魔法の両方を俺は喰らわせた。

 この魔法はあの痴女っ子……じゃなかった、眼鏡の女からもらったあの本に……ったく二ムのせいで、あの眼鏡ちゃん痴女認定しちまったじゃねえか、まあ、いいや。

 そうそう、あの赤い本の最後の方のページに載ってた奴で、それぞれ、複数種の精霊の力を同時に引き出し、それを融合させることで放つ魔法だったわけなんだが、本には色々と小難しいことを書いてあったからそれを俺なりに解釈、短縮、改良することで、結構簡単に使用できるようにしておいたのが功を奏したわけだ。あの瞬間に、素早く魔法を展開できたからこそ、あれほどスムーズに事は成った。

 二ムに言ったように、融合してしまった魂の一つだけを抜き出すことは出来ない。

 これは魔法の制御の問題というよりは、人体のメカニズムによるところ。

 完全に生命として一つの存在になっているものを無理矢理に引き剥がすことはなんでもできそうな魔法であってもやはり難しいのだ。『魂の宝珠』のようなアイテムもないし、時間をかけることもできない。だから、俺はこの手を使った。

 

 まずフィアンナごと第四使徒を殺す。

 そしてフィアンナだけを生き返らせる。

 

 要はこれだけ。簡単なことだ。

 あの気持ち悪い第四使徒を殺すことは、べつに何の問題もなかった。俺のつかう魔法でも可能だったが、燃料補給したばっかりの二ムもいたしな。二ムには直径50m級の小惑星を爆砕できるだけのパワー(カタログスペック)を与えてあったしな、どんなモンスターであっても生物であるなら、一撃で大抵は葬りされるということを俺は当然理解していた。

 でも、だからと言ってフィアンナに痛い思いはさせたくなかった。身体の昨日の殆どは奪われていたしな、いくらなんでも元々はフィアンナの身体、それを無遠慮には壊せない。

 だから、彼女には蘇生魔法を掛け続けた。

 これで痛みが取れるかどうかは分からなかったけど、少なくともただ死ぬのを体験させるのはどうかと思ったしな。

 おかげで彼女は安らかな顔のままで蘇生を果たすことが出来た。

 

 金色に輝く光の中から、無垢なフィアンナの全裸姿が現れた時はさすがにやばかった! しかもそれをやはり全裸の二ムが受け止めちゃってたし!

 なんというか、女×女で、裸×裸で、百合×百合な、バックボーンが全部百合にまみれちゃいそうな錯覚に浸って、ハッと気がつけば、ボロボロのマントを被った二ムとフィアンナの姿。どうやらゴードンじいさんが自分の荷物の中からそれを取り出して着せたらしいのだけど、よ、余計なことしやがって!

 とか思っていたら、

 

「おい! 紋次郎!」

 

「ひゃいっ!」

 

 いきなりじいさんに怒鳴られて直ちに気をつけの姿勢に。いや、だから怒るのやめてってば。

 

「おい紋次郎良いか? このことは誰にも言ってはならん! ここで起きたこと、それからお前が使った魔法、その全部を誰にも知られてはならん! 良いなっ!」

 

「な、なんでだよ! 魔法ぐらいいいだろ? 誰だってつかえんだからよ……」

 

「ダメじゃと言っておろうがっ‼」

 

「ひっ! ひゃいっ! りょりょりょ了解でありますっ!」

 

 こえー! 超こえー!

 なんでこんなに目を吊り上げて怒ってんだよ! あれか? 俺が『戦士』のくせに『魔法』つかっちまったからか? いやあれだよ? 俺だってこんな風に魔法使いたかったわけじゃねえんだよ。俺の場合こんな風に魔法使っても経験値は入らねえしな。しっかり自分の剣で倒して、レベル上げたかったんだから。

 でも仕方ねえじゃん。こうでもしないとあの気持ち悪い奴を倒せそうになかったし、フィアンナも助けられなかったんだからよ。

 

 こっぴどくじいさんに怒られた後で、じいさんにさっさと引き上げるぞと言われ、俺とニムは慌てて地面に転がっていたアルベルトとセシリアを回収、すぐさま街へ向かった。

 急かされたもんで何か忘れているような気もしたけど、とりあえず当事者はみんな無事だし、ホッと胸を撫で下ろして闇夜の中を駆けて帰ったわけだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ま、ほんとみんな無事でなによりだったよ」

 

「ほんとっすよね! でもワッチが一番感動したのは、アルベルトさんでやんすよ! 全部終わって茫然自失になったセシリアさんを抱きしめて『僕が一生君を守る』とかってあのセリフ! あれでワッチも胸がキュンキュンしちゃいましたし! イケメンって本当に何やっても様になるんすね!」

 

「くっ……イケメンの上に爽やかでいい奴で優しいとか、一体誰得なんだよ!」

 

「まあまあ、ご主人もどっちかと言えばイケメンの優しい人っすよ? 口が悪くなければですけど!」

 

「う、うるさいよ」

 

 確かにニムの言う通り、あの時のアルベルトの行動を見て、不覚にも俺も少し感動してしまった。

 今回の事件……元を正せばセシリアの親父のスルカンの私怨が原因であったわけだ。幼馴染でもあり親友でもあったフィアンナの父、ライアン・アストレイに対し、変えることのできない『主従』の関係から憎しみを抱くようになり、今回の暴挙に出た。

 『死者の回廊』にライアンを呼び出し殺害し、あの魂の宝珠を奪った。

 そして、一年後の満月の夜……ちょうど俺たちがこの世界にやってきてしまったあの時に、『主様』と呼んでいた『第四使徒ドレイク・アストレイ』を復活させようと企てていたらしいが、多分俺たちが原因でそれが行えなかった。で、ちょうどもう一月後の満月のあの夜に、あの行動に出たわけだ。

 裏でスルカンの欲望に目をつけた『魔族』と呼ばれる奴が糸をひいていたようではあるが、結果としてはセシリアの父が蛮行に及んだという事実は覆らない。当然、セシリアは酷く落ち込んでしまったのだ。

 あの時……アルベルトは悲しみに沈むセシリアを抱き寄せ、彼女に告白し、そして口づけをした。

 それがあまりにも格好良すぎて、つい『おめでとう!』と叫びそうになっちまったんだがな。

 危なかった!

 俺をクビにした恨みを忘れたわけじゃないんだからね! ふんっ!

 

「いやでもあれですね! あの後のアンジュさん達と話した後のご主人の顔ったらなかったすね」

 

「て、てめえ! クビ引っこ抜いてデュラハンにしちまうぞ!」

 

「いひひっ! やめてー! 別にそんなくらいじゃ何にもならないっすけど、絵面がまずいので勘弁です!」

 

 ケラケラ笑ってるニムが本当に腹立たしい。

 くそっ! 俺は本当に傷ついてんだからな! こんちくしょー!

 

 アルベルトとセシリアが結ばれた舞台は、何を隠そう閉店後のアンジュちゃんの店だった。

 街に帰った俺たちだったが、街の中が妙にざわついてて普段とは違った様子。どうも『死者の回廊』からアンデッドの大群が襲ってくると心配しているようではあるけど、多分今日はもう来ないだろう。地下にいた連中は俺が火炎魔法で焼き尽くしちまったし、あの礼拝堂にいた連中は全部粉々に

なってたし。

 ま、何体か来たところでこの街もそこそこの規模があり、腕の立つ奴も多い。

 心配はしていなかったが、一応大丈夫そうだよと教えてやろうとしたら、じいさんに『余計なことするな』とまたもや怒られ、全員でおとなしくアンジュちゃんの店に向かったというわけだ。

 で、『あの話』。

 

 セシリアとアルベルトが結ばれたのを見て、『そうだ! 告白するなら今しかない!』。そう俺が思ったとしても全然問題ないことだと思うわけよ。

 だから俺は店の隅の方にアンジュちゃんを呼び出した。

 そう、俺は俺がこの世界に来てずっと思っていた熱い胸の内を彼女へと伝えたかった。

 どんなに怖くても、どんなに辛くても、どんなに惨めな思いをしていても、いつも彼女は笑顔で俺を励ましてくれていた。

 俺は彼女が好きだった。大好きだった。だから!

 

『好きです! 俺と付き合ってください!』

 

 俺の一世一代の告白だった。もう心臓バクバクで、息も出来ないし、このまま暫くしたら死んでしまうんじゃなかろうかって思ってた訳なんだけど、すぐに彼女は笑顔で言葉を送ってくれた。

 

『ありがとう、モンジロウさん! 本当に嬉しいです!』

 

『え? じゃ、じゃあ……』

 

『あ、でも、私今、お腹に『赤ちゃん』いるから……』

 

『は?』

 

 見れば優しい顔でお腹をさするアンジュちゃん……と、その背後でアンジュちゃんをイヤラシイ顔で抱きしめる……アンジュちゃんのお父さん!? はあっ!?

 

『あ、お義父さん、今はやめて。ふふっ、モンジロウさん見てるしぃ』

 

 いきなりいちゃいちゃ始めるお二人さん。

 えーと、簡単に言ってしまうと、アンジュちゃんはここのオーナー夫婦の養女だったわけだが、養父のオーナーが手を出してしまってたらしい! というか、なんで奥さん怒らねえんだよ! とか思っていたら、この世界は『一夫多妻制』OKらしく、奥さんもグラマーで相当な美人な訳だが、自分に子供が出来なかったから今回の妊娠はかなりうれしいようだ! なんだこのご都合ラノベ設定‼

 当然だが、その時の俺は魂を抜かれて真っ白に燃え尽きてたわけで、それをニムがおもしろおかしく(つつ)いて遊んでいたらしいのだが。くっ!

 

 と、それだけなら良かったのかもしれない。

 

 なんとその直後、救いとも言える女神が降臨した。

 ギルド受付嬢のニーナさんが血相を変えて俺の元に駆け寄ってきてくれたのだ。彼女は『けがはないですか?』『大丈夫ですか?』『私本当に心配で』と瞳を潤ませて俺に声をかけてくれる。

 

 ああ……俺のことを思ってくれる人はいたんだ。俺にとっての『天使』は彼女だったんだ! そう思っていたら……

 

『ご無事で本当に良かったです……あの……あの、紋次郎さん。出来たら今夜……』

 

 顔を真っ赤にしてもじもじ始めたニーナさんにドギマギしてしまうも、ちょっと話が進み過ぎてて超困惑してしまう。

 

『い、いや、急すぎない?』

 

『い、いえ……一目見た時からずっと紋次郎さんのこと意識してたんです。だからお願いです。今夜楽しみましょ……私たちと一緒に……()()()、うふっ♥』

 

『は?』

 

 恍惚となった彼女の背後には、筋肉ムキムキのマッチョ野郎軍団! しかも全員腕に『夜警』の腕章つけてやがるし!

 

 瞳を潤ませて、ぺろりと赤い舌を覗かせた彼女は俺の股間に自分の腰を押し付けるようにしながら、自分の乳房をいきなり揉みしだき始めた。そして……

 

『もう……我慢できないのぉ……』

 

 そう迫る彼女から俺は猛ダッシュで逃げた!

 この女、完全な『クソビッチ』だった。

 こいつらの『夜警』、完全に俺の予想通りだったんじゃねえか!

 

 これは後で聞いた話だが、店を飛び出した俺はそのまま水路に頭から突っ込み意識を失い、その妙な格好で固まった俺をニムが引っ張り上げてやはり(つつ)いて遊んでいたらしい。こいつ本当に後でぶっ殺してやる。

 

「まあ、ほら気にするのやめましょうよ。ご主人にはワッチがいるじゃないっすか? こんなに可愛い二ムさんですよぉ?」

 

 言いながら、うりうりとその身体をまとわりつかせてくる人造人間。

 

「ええい、離れろこの金喰い虫! だいたい旅に出たのはお前にも原因あるんだぞ? ったく、貴重な魔晶石ドカ喰いしやがって! もうあの街に魔晶石はねえんだからな」

 

「分かってやすよーだ。ふふー、そんなこと言いながらワッチのこと一番に考えてくれるご主人、優しくて超好きです」

 

 さらに密着してくる二ム。

 やめて! これ以上されたら本当にドキドキしちゃうから!

 

 この世界の二ムの燃料でもある魔晶石はもうあの街には在庫がない。というか、もともとかなりの貴重品であるらしく辺境の街での流通は少なく、手に入れる為にはもっと大きな街へ行く必要があった。

 それもあって俺たちは直ぐ様旅に出たのだけれど。

 まあ、理由は何だって良かったけどな。

 

 さらばアルドバルディン!

 さらば俺の恋心!

 俺はここに誓う!

 もう絶対『優しい女』の言うこと信じないって! ぐすん……

 

「あ、フィアンナさんすよ?」

 

「え?」

 

 二ムの声に慌てて振り返ってみれば、手になにも持たずに走りくるフィアンナの姿。

 わわわ、なんで来ちゃうんだよ、俺今全部忘れようと思ったところだったのに。 

 

「待っ……て……、待ってください! ……はあはあ……」

 

 息を切らせるフィアンナは駆け寄って俺の服のすそをぎゅっと握った。

 や、やめてね、そんなことされたらまた勘違いしちゃうでしょ? もう嫌だよ、これでフィアンナまでクソビッチだったら俺二度と立ち直れる自信ない。良い思い出で終わらせてくれよ。

 とりあえず、フィアンナの反応が怖かったので謝る。

 

「あ、悪かったな、なにも言わずに出てきちまって」

 

「いえ……いえいえいえ……そんな……モンジロー様は悪くないです。悪いのは私の方です! 失礼な言動をして酷い依頼をして、それに命まで助けて頂いたのにお礼もしていなくて」

 

「いや、いいんだ。本当に気にしないでくれ」

 

 やばい、このパターン……ニーナさんと一緒じゃねえか。俺に気があるそぶりをして、実はただのビッチで……

 こ、この流れで、『アルベルトさん達と一緒に良いことしましょ』とか言われたら、俺もう絶対立ち直れない。

 ここはさっさとお別れしよう。なんとでも言って。

 

「悪いフィアンナ、俺達急いでいるんだ。だからもう行かないと」

 

 フィアンナはハッとした顔で俺達を見る。そして直ぐ様頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい私ったら……そうですよね、モンジロー様達はたくさんの命を救う大事なお役目がありますものね。もう私の為の時間は終わっているというのに、私ってば……」

 

 何を言ってるんだこの娘は。前から思ってたけど、結構思い込み激しいんだよなフィアンナは。また、なにか妄想でもしてんのか?

 胸の前で手を組んだ彼女が顔を上げると、その両目から止めどない涙が溢れているし。

 うお、なんで泣いてんだこいつは。

 フィアンナは嗚咽混じりに話し出す。

 

「私……私は頑張ります! モンジロー様に救っていただいた命……この全てを使って街を必ず守って見せます! アルベルトさんとセシリアさんと一緒に……本当に……本当にありがとうございました」

 

 来たー! やばい! 『アルベルトとセシリアと一緒に『夜警』楽しんじゃいます!』とか『アルベルトの2番目の嫁にして貰っちゃいます』とか言われたらどうしよう!? も、もうこれ以上は無理、絶対聞きたくない!

 

「う、うん分かった。俺も応援してるから、本当に頑張ってな! じゃあな、あばよ!」

 

 俺は言ってそそくさとその場を後にしようと離れる。もう嫌だよこれ以上は。せめてフィアンナだけはいい思い出にしたいんだから。

 二ムはとみれば、口を押さえて必死に笑うのを堪えてやがるし。

 

「なんだよ二ム。なに笑ってんだよ」

 

「いえ……ぷくく……ご主人って頭良いのに、運がいいのか悪いのか……ぷくくく。フィアンナさんいい思い出に出来そうで良かったですね」

 

 この野郎人の思考読み取りやがって。くそ、めっちゃ気分悪い。

 

「もう、ご主人機嫌直してくださいよー。あ、そうそう、さっき街を出る時にめっちゃ綺麗な黒髪の女の人に声をかけられやしてね……」

 

 はいはいと俺は適当に相槌を入れながら、歩みを進める。後ろにはまだ俺達を見つめてくるフィアンナの視線を感じつつも周りを見渡せばどこまでも続く青々とした草原と、そこを貫くでこぼこの轍となった馬車道。チキチキと小さな虫達の鳴き声をBGMに、俺達は広い広いこの世界へと足を踏み出したのだ。

 

 さーて、この先いったい何が待っているというのか……

 新たな出会いへの少しの期待と、隣の能天気な機械人形が持ち込むであろう多大なまだ見ぬ迷惑に思いを馳せ、俺はただ青く青く澄み渡る空を見渡すのであった。

 

 背後に佇み続けていたフィアンナが静かに涙しながら、『一つの恋』に決着をつけたことなど、その時の俺には微塵も気づくことは出来なかった。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 一人の小人が山道を行く。真っ赤な髪と髭を蓄えた彼は、その背に身長にそぐわない大きな背負い籠を担ぎ道なき道を進む。その背の籠には大小さまざまな武器と思しき晒しの巻かれたそれが見てとれた。

 彼が目指すのは深い深い森の奥、薄暗いその木々の合間を抜けると、切り立った崖の上に天空へと聳えるかのような白亜の城が現れ、真っすぐにそこへと歩を進めた。

 彼は崖をよじ登る様にして、その狭い岩肌の道を行く。そして、その白の門の前に立つとそのまま開き、中へと入った。

 

「あら? 思ったよりも早く着きましたのね、あなた……」

 

「まさか、そこでずっと待っておったのか? プロミネア」

 

 様々な彫刻の施されたその大扉を開け、その内に入ってすぐに、長い銀の髪の深紅のドレス姿の美しく若い女性が彼を出迎えた。線の細いその肢体は一見すると弱弱しくか細く見えるも、だが、そうではないということをその細く長く尖った耳が物語っていた。

 銀の髪にエメラルドの瞳……そして、ナイフのように細く尖った耳……

 エルフ……それも、『最古の民』として伝承されるハイ・エルフ……永遠の命を持つとも言われるほどの長寿の存在にして、自然の摂理にその身を委ねるともされた生命の体現者。美しき妖精がそこにいた。

 

 彼女はその小さな顔を少し傾げ、その小さな口に微笑みを浮かべて小人を見る。

 

「そうです……と言ったら、あなたは喜んでくださるのかしら?」

 

「ふんっ! バカを言え」

 

 小人……ドワーフはその巨大な背負い籠をおろしもせずに目の前の美の化身ともいうべき存在へその瞳を向け続ける。

 ハイ・エルフもまた、ドワーフを見つめそして彼へと近づき、そっとその膝を折って彼を抱擁した。

 

「……」

 

 何も言わず、ただ彼を抱きしめるハイ・エルフ。彼女はそっとその身を放し、再びにこりと微笑んで見せた。

 それを見たドワーフは視線を逸らさないまま彼女へと言った。

 

「ようやく……ようやくお前を助けることが出来る……かもしれん」

 

「え?」

 

 驚いた顔に変わるハイ・エルフ。彼女もジッとドワーフの瞳を見つめたまま次の言葉を待った。

 

「『聖戦士』を見つけたやもしれん」

 

「『聖戦士』……まさか……彼の存在はおとぎ話そのもの……それは前にも申しましたはず。ありえません」

 

「ふんっ! 存在そのものがおとぎ話のようなお前に言われたくはないわい!」

 

「またそのように冷たい言葉をお選びになって……」

 

 彼女はその美しい瞳に涙をにじませる。だがそれは目の前の屈強なドワーフに冷たい言葉を言われたからではない。悲しいからではない。彼女は微笑みながら泣いていた。

 分かっていたからだ。

 この人物が、まさにその『御伽話』でしかないその伝承を求め、数百年彷徨い続けていた事実を。そしてそれこそが彼の『愛の形』であるのだということを。

 ドワーフはそんな涙ぐむハイ・エルフへと少しトーンを落とし優しく語り掛ける。

 

「『精霊に愛される戦士』に出会うた。奴は一切魔力のないくせに、魔法を使いおった。それも失われた『古代魔法(エンシェントルーン)』をじゃ。奴が言うには、精霊の力を借りたからじゃと。 自分の内に魔法術式を構築して精霊の力を引き出した……頭が良いからじゃと、奴の仲間の娘が話しておったがな、何を言われようと魔無しが魔法をつかうなぞあり得ん話じゃ。じゃが、儂は見た。奴を助け、奴に魔法を使わせた精霊の姿を。人と交わることのないはずの精霊が、まるで会話でもするかのように」

 

 その時の光景を思い浮かべてでもいるのだろう、赤毛のドワーフは深く嘆息しつつ言葉を続けた。

 

「そして奴は『使徒』を滅ぼしおった」

 

「え? 『使徒』を? まさか……」

 

 この時初めてハイ・エルフは驚愕する。目を見開き、口に手を当てこの話の真意を確かめようと声を漏らしたのだ。

 

「プロミネア……あそこに……『死者の回廊』に眠っておったのは『第四使徒』じゃった。名を『ドレイク・アストレイ』。お前は眠っておったあ奴の正体を知っておったのではないか?」

 

 それを聞かれハイ・エルフは首を静かに振る。

 

「我々には確認するだけの猶予も力もありはしませんでした。ただ、彼ら……『使徒』達は確実にこの地に降り立ちました。それを『彼女』がその残った全ての力を使い切って封じ込めた……ただそれだけのことです」

 

 

「ふむ……」

 

 ドワーフは自分のあごひげを撫でている。

 

「あれは恐ろしい存在じゃ。儂だけでは到底太刀打ち出来ん。現に儂は奴に確かに『喰われ』てしまったからの、『伝承』の通りじゃ」

 

 そう言ってドワーフは自分のステータスカードを取り出して彼女へと手渡した。

 それを見た彼女は沈鬱な表情に変わる。

 

「御身体は大丈夫なのですか?」

 

「心配はいらん。頑丈なだけが儂の取柄じゃからな」

 

 ニヤリと笑みを浮かべた彼に彼女は苦笑した。そしてハイ・エルフは語る。

 

「『目覚めの時』……が近づいているのかもしれません。私には感じるのです。『彼女達』の……『オルガナ』の息吹を……そして『シェイディア』の鼓動を……でも、もしそうだとしたならば、この地はいよいよ……」

 

「ふんっ」

 

 不安げな顔に変わったハイ・エルフをねめつけたドワーフが言う。

 

「『同族』の共感か? 儂にはそんなことはどうでも良い。目的はただ一つよ。聖戦士と共にこの世界にかけられた忌まわしい『呪い』を解く。ただそれだけのことじゃ。そのためだけに儂は生きてきた」

 

「あなた……」

 

 ドワーフはくるりと背を向け大扉へと向かう。その背中にハイ・エルフが声を掛ける。

 

「もう、行ってしまわれるのですか?」

 

 その寂しそうな声にドワーフはその足を止める。しかし振り返らずにそのままじっとその場に立ち続けた。そんな彼の背中に、紅のドレスのハイ・エルフが愛おしそうに言う。

 

「抱いて……下さらないのですか?」

 

 ドワーフが振り返った。その瞳は先ほどとは変わり穏やかで優しいものに。

 

「今はな……お前が『自由』になったらいくらでも……な」

 

 再びハイ・エルフの瞳に涙がにじむ。この目の前の不器用な小人がどれだけ優しく、どれだけ思いやりがあるのかということは、永劫の時の中で彼と共に生き続けてきた彼女には良く分かっていた。そして彼が絶対に嘘をつかないのだということも。

 そんな彼の背中へとハイ・エルフは声を投げる。自分のささやかな夢を叶えようとしてくれている小さな彼の無事を祈りながら。

 

「行ってらっしゃいませ、ゴードン」

 

「ああ、行ってくるぞい。プロミネア」

 

 振り返らずにそのまま歩み去って行くドワーフを想い、ハイ・エルフは胸の前で手を組んで祈りを捧げた。

 どうか、ご無事で……と……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ここにもう一つの物語があった。

 

 エルタニア王国の王都より南方の果ての山岳地域に赴いていた一組の男女のお話である。

 銀の甲冑を身に着け長剣を腰に帯びたその短い金髪の美丈夫の傍らには、地に着いてしまいそうな長い黒髪を揺らした色白の黒衣の美女が控え、その佇まいはまるで絵本の英雄とその従者の妖精を模したかのようであった。

 

 国王により招聘されていた銀の甲冑の男は王国内で起こる様々な危機に対して、特別の権限を与えられその危機の排除を命じられた。

 彼はそれを拝命しそして最初に赴いたのがアンデッド騒動に湧いていたこの辺境アルドバルディンであった。

 

 だが、彼らがこの街に着いたときにはすでにその騒動は収束していた。

 『死者の回廊』と呼ばれる古の墳墓から湧き続けていたアンデッドを駆除したのは、現領主と王国聖騎士の二人との話。命を賭けた戦いのすえ、領主スルカン・エスペランサは死亡。生き残ったのは聖騎士ただ一人。

 その生き残りの証言により事件の全体は明らかになっていたため、彼らは『別の問題』の解決に向かっていた。

 

 街から南へと向かう、通称『ドワーフ鉱山への道』と言われる細く険しい路の途中で、銀の甲冑の男はその鈍く黒色に光る長剣(ロングソード)を構えていた。

 佇むその姿は落ち着きはらい静謐そのものであるにも関わらず、その全身から発せられる恐ろしいまでの威圧に、森に住まう小さな動物たちは怯え逃げ出してしまっていた。

 暫くの刻を置き、森の樹々が風のいたずらでざわめき始めたその瞬間、その茂みの一画が盛り上がり三つの何かが飛び出してきた。それは三方から飛び掛かる様にして男を襲う。だが……

 

 ヒュンッ!

 

 男が振り向くかのように体を捻ったその直後に、襲い掛かっていたそれらが血しぶきを上げて地面へと落下し、べちゃっという激しい音と共にその自重により潰れた。

 

「ふ……『フォレストライノ』か……なかなかに恐ろしい魔物だな。こんなにもたくさん生息しているとは」

 

 男はそう言うと、突き出すようにしていた血塗られた剣を一振りしその血を飛ばす。そして手入れ用の布で剣を拭いそれを鞘へと戻した。

 彼の周囲には今現れた3体の他にも、数十体の魔物の屍が転がっている。彼はこの数時間、この場所に現れる魔物を狩り続けていた。理由は二つ、比較的街に近いこの場所に『C級』にランクされる多数の魔物が現れたから。それと、今まさに目の前に『横たわる巨大な遺骸』を守る為。彼はそれを見上げふうっと深いため息を吐いた。

 

「ラインハルト様……お見事でした」

 

「エレオノールか?」

 

「はい」

 

 ラインハルトと呼ばれた銀の甲冑の男が声を掛けられ振り返る。そこには黒衣に全身を包んだ薄く微笑む色白の美しい女性が立っていた。彼女は優美にお辞儀をする。

 

「それで……どうだった? あの街に『上級魔法使い』はいたか?」

 

 そう問われ、エレオノールという名の黒衣の美女は小さ首を振った。

 

「いいえ……アルドバルディンの街には魔法に長けた存在はありませんでした。冒険者ギルドにも聞いてきましたが、所属するその殆どは戦士で、魔法使いは一握り……それもごくごく初級の魔法をこなせる程度の方しかおりませんでした」

 

「ふむ……そうか……ならば説明がつかないな。『あれ』を為した者はあの街に無関係な流れ者か、それともはたまた人外ということか……」

 

「はい」

 

 ラインハルトはエレオノールを連れたって、その『巨大な遺骸』へと近づく。

 そのあまりのサイズに怖気が込みあがってくるも、彼は腐敗が進みつつあるその腹側へと周る。小さな沢山の羽虫が飛び辺りに生物が腐り行く臭気が立ち込めるのにも構わずにその『腹の内』を凝視した。

 そう、そこには何もなかった。

 本来生物であれば必ず存在するであろう、心臓や胃などの臓器がごっそり無くなっているのだ。しかもただ開かれていただけではない。『くり貫かれて』いたのだ。それも『正六面の立方状』に。

 胸から腹までかけて優に3mはあろうかという体をまるで型で抜いたように四角く消滅してしまっていた。しかもこの刃をも通さない硬い皮膚ごとである。

 

「エレオノール……『魔法の申し子(ルーン・マスター)』と呼ばれた君であってもやはりこれを為した魔法がなんなのか解からないのかい?」

 

 自らの主にそう問われ、少し俯きがちになった彼女は頷いて返す。

 

「はい……私には想像もつきません。今まで学んだどの魔法にも当てはまらず、いったいどれだけの魔力を必要とするのかも……皆目見当がつきません」

 

 その答えにラインハルトは微かに微笑みを浮かべて返した。

 

「『光闇()元魔法』の全てを操る君をしてそう言うのならば、それこそ規格外の存在が行ったことだったのだろうな」

 

「申し訳ありません」

 

 俯くエレオノールにラインハルトはそっと手を伸ばし、その頬を優しく撫でる。それに導かれるように顔を上げたエレオノールは彼の優し気なまなざしを見た。

 

「ま、気にしなくていいよ。それにしてもまさかこんな辺境で『西の魔王』と出会ってしまうとは……しかも死骸となった姿で……今までも色々あったがこれほど驚いたことはないよ」

 

「ラインハルト様はこの魔獣に遭遇したことがあるのですか?」

 

 そう問われラインハルトは目を細めて中空を見つめた。

 

「ああ、あるよ。『ドムスの惨劇』という話を覚えていないかい?」

 

「聞いたことはありますけど、たくさんの兵隊が亡くなったと……詳しくは知りませんが」

 

 ラインハルトはそれに頷くと話をつづけた。

 

「数年前のことなんだが西方の大国、軍事国家ドムスが大陸制覇に乗り出しかけた時期があった。この時、『ジルゴニア帝国』やこの『エルタニア王国』も含めた様々な国に激震が走ったわけだけど、結局この大陸遠征は行われなかったんだ。理由は簡単。正に遠征に乗り出そうとしたそこに、突如この『西の魔王』が現れたのさ」

 

 言いながらラインハルトは横たわる死骸を見つめる。

 

「俺はその時ドムス国軍に随行していていてね、一部始終を見てしまった。5万の兵の眼前に突如この巨大な魔獣が現れ、まるで暴風の様に暴れまわった。それはもう凄まじい勢いでね。ドムスの兵は装備も充実していて屈強だ。魔獣を迎え撃つべく隊列を組んで攻撃に転じたが……」

 

 ラインハルトは表情を険しくして言った。

 

「結果は悲惨だった。あれはもはや戦いとも呼べないものだった。弓も刃も魔法も全く効かず、ただ荒れ狂うこの一体の魔獣に軍団は蹂躙され、そのことごとくが潰され、吹き飛ばされ、殺された。逃げようとし始めた時にはこの魔獣の眷属であったのだろう、多数の『(森犀)フォレストライノ』や『装甲犀《アーマードライノス》』に周囲から襲い掛かられ、逃げることも叶わずその兵の殆どはその場で喰われた」

 

 その話にエレオノールは唾をのむ。そして胸の前で組んでいた手に力を込めていた。

 

「俺は生き残っていた兵を束ね、魔獣の数の手薄な個所をついて一気に脱出した。助けることが出来た兵はごくわずかだったよ。この巨獣はその後『西の魔王』と呼ばれるようになった。精鋭の殆どを失ったドムスの軍事行動はそこでとん挫。以来国境を固く閉ざし守りに入っているわけさ」

 

 苦いものを噛み潰したような顔に変わったラインハルト。美しいその顔が歪むさまを見て、エレオノールは彼の心の傷が癒えてはいないのだろうことを感じた。

 そしてあることを思い出し、それを口にする。

 

「ひとつ……お耳に入れたいお話があります。アルドバルディンの街には確かに『上級魔法使い』はおりませんでしたが、街ではある『噂』が広まっていました。他の街でも度々聞く噂でしたのであまり気にしてはいなかったのですが、この魔獣がそれほどの存在であるのでしたら、ひょっとしたらその『噂』も意味があるのではないかと」

 

「なんだい? その『噂』って」

 

 優しいラインハルトの眼差しを受けて、エレオノールは口を開いた。

 

「はい……この街に『聖戦士』が現れた……と」

 

「ほう……」

 

 ラインハルトは興味を惹かれた様子でまっすぐにエレオノールを見る。そして聞いた。

 

「『現れた』ということは……『何か』をした『誰か』がいたわけだね? その人物の名前は?」

 

「も、申し訳ありません……そこまでは……ただ、『ご主人が街を救ったんですよ』とニコニコと笑って話していた可愛らしい少女と出会いまして、ひょっとしたらその『ご主人』という方がその存在かも……と」

 

「うん、実に興味深いね」

 

 ラインハルトは顎に手を当てて少しの間思案し、そしてもう一度『西の魔王』の遺骸を見つめる。

 そしてポツリと言った。

 

「ひょっとしたら……『聖戦士』の肩書を返上しなくてはいけないかもね」

 

 彼の背後に佇むエレオノールは何も言わない。

 この世界を救い、この世界を導くのはほかの誰でもない、目の前のこの銀の甲冑の聖戦士の他にいるわけがないと信じていたから。

 そう……彼が彼女を救い出してくれたように……

 でも……と思う。きっといつかどこかでその『誰か』と相まみえる時が来るのだろう、その予感が絶えず彼女の胸の内をざわつかせていた。

 

 彼女の主は薄く微笑んだまま、何も語らない。

 ただ、静かに、かつて魔王と呼ばれた存在に見入っていた。

 

 

【第一章 聖戦士と漆黒の妖精 了】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【登場人物キャラクターデータ①】

第一章終了時の登場人物の概要です。


 

〇小暮紋次郎・19歳・男

異世界人(地球・日本人)

 

 『地球生まれの日本人。本人は無自覚だが天才であり、異世界転移直後であってもこの世界の言語を即座に理解し、なんとか会話もこなしている。滞在2週間で標準語をマスターし、読み書きまでこなした上、古代文字、魔法文字、更に魔法術式も解読して操り始める。

 しかし、この程度のことは、自分が出来るのだから当然誰でもできると思っている節があり、大した技能だとは考えていない。

 現実世界では大学へ通い、中退した様ではあるが、その経緯は今のところ不明。

史上初めて、完全なる自我を持ったドロイドを完成させるも、その偉業について、本人は自覚がない。

 理想の女性は純真無垢で清らかなお付き合いのできる人。

 自我を持ったラブドールニムの製造者にして、主人。

 この世界において経験値を取得できるようになるも、いくら戦ってもレベルがあがらず、現状かなりひねくれている』

 

〖ステータスカードデータ〗

――――――――――――

名前:モンジロウ・コグレ

種族:人間

所属:アルドバルディン冒険者ギルド

クラス:戦士

称号:駆け出し冒険者

Lv:1 

 

恩恵:???????

属性:???????

スキル:〖取得経験値n倍:Lv1〗

魔法:なし

 

体力:5

知力:5

速力:6

守力:4

運:12

名声:1

魔力:0

 

経験値:102,565

――――――――――――

 

 

〇ニム(SH-026)・0歳・女性ヒューマノイド型

第8世代型ドロイド・女性ヒューマノイド型・性処理用(中古・改修型)

 

 『シンテック社製万能家事ロボット・なんでも家電君Ⓡ(形式番号SH-026)のAIをベースに、紋次郎が独自に改造を施し完成させたのが『ニューロンネットワークブレイン』と呼ばれる集積回路であり、この回路により思考が始まり、ニムという一個の人格が形成され、自我が誕生した。

 当初はこの特殊なAIを持った6輪4手の家電ロボットであったが、紋次郎がドロイド販売の蚤の市で、東洋重工業社製第8世代型ドロイドを購入してきた折に、AI、リアクター、ジェネレーターをそっくりドロイドへと移植し、更に改造したことで人型セクサロイドとして完成するに至る。

基本出力は10万馬力。体表パーツとして、ニューナノファイバースキン・防刃タイプが使用されており非常に堅牢な上、傷もほとんどつくことはない。

 長い黒髪と黒々とした瞳を持つ、日本人を意識したモンゴロイドの特徴を有している。

 ちなみに、第8世代型ドロイドは汎用性に優れており、様々なドロイドとのパーツの互換性があったことから長期間運用されることとなり、製造開始から50年たった今日でも、メーカーによってはパーツの供給が行われている。

 しかし、内臓バッテリーのみの運用が前提であったため稼働時間に難がある代物であったが、ニムに関しては紋次郎が改造しているため、その問題はクリアーされている』

 

〖ステータスカードデータ〗

――――――――――――

名前:SH-026

種族:???????

所属:なし

クラス:拳士グラップラー

称号:死を呼ぶ者、死者を喰らう者

Lv:なし 

 

恩恵:なし

属性:なし

スキル:なし

魔法:なし

 

体力:---

知力:---

速力:---

守力:---

運:0

名声:225

魔力:0

 

経験値:3020

――――――――――――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 夢見る娼婦
プロローグ 娼婦


 周囲は闇夜に包まれているというのに、その『街』はたくさんの行灯に照らされまるで真昼の様に明るくそして華やかであった。

 居並ぶたくさんの『店』からは薄い衣装をまとった大勢の妖艶な女性達が道行く男へと甘い言葉を囁き掛け自分の元へと誘う。そんな彼女達を舐めるように見ている男たちは一様にだらしない顔をし、今晩のお相手は……と、値踏みしながら酒を飲みながら笑っている。

 男たちの陽気な声と女たちの妖しい声音が吟遊詩人の楽器の音に混ざり合いながらが夜の空に漂っていた。

 

 そんな賑やかな路地を見下ろす建物の二階……カーテンによって外の明かりの殆どを遮った暗いその部屋の内で、二つの影が蠢いていた。

 一つの影がもう一つの影を組み伏してでもいるのか、影は一体と化していた。

 辺りにはその二人の荒い息遣いと軋むベッドの音が響く。 

 

「……ん……んん……」

 

「ヴィエッタ……愛しいヴィエッタ。僕のだ……君は僕だけのものだ……」

 

 方々の影が荒くなる息遣いをそのままにもう一つの影へと囁きながらその欲望のあらん限りを注ぎ続ける。

 そしても一つの影はされるがまま、すべてを受け容れ様としているかの如く、その華奢な肢体をくねらせて相手を悦びの境地へと導いた。

 長い時……

 男からすれば一瞬であったのかもしれない。

 自らの情欲をぶつけ続けた彼は服を着ながら満足げに女へと顔を向け、そしてその唇を奪った。

 女はされるがままで彼へと微笑みを向ける。

 瞑らな瞳に見返され男は次なる衝動に駆られるも、もう残された時間はないのだということを彼女より告げられる。彼女は裸身に浴衣を纏うと、着替えの終わった彼の腕へと抱き着きそのまま出口へと連れたって歩み始める。

 そして別れの時……、彼女はもう一度背伸びをして彼の唇へと口づけをした。

 男は得も言われぬ感情に支配され、思わず彼女を抱きしめた。

 

「ヴィエッタ! 絶対……絶対に君を僕の物にして見せる!」

 

 若い男にそう強く言われ、彼女は困惑しながら再び微笑んで一言、『ありがとう』とだけ答えた。

 男はその彼女の言葉に満足を示すと、快闊に微笑みながら店を後にした。

 

 それを笑顔で見送った彼女。

 彼女は今の今まで自分が『行為』に及んでいた部屋へと戻るとそのベッドからシーツを剥がし、少し湿ってしまったマットも取り換えて新しい敷布を敷いた。

 この作業だけはきちんとこなさなければならない。次にこの部屋を使う者の為であることは当然なのだが、かつてそれを忘れた時、彼女は全身がぼろ雑巾のようになるまで暴行を受けた経験があったから。

 『しつけ』であったのだと今は理解している。

 なぜなら、自分よりも後にここに連れて来られた少女達も、必ず一度は同様の暴力を浴びていたから。

 大柄な男たちに組み伏せられ、こん棒で骨が砕けるまで殴りつけられる。辞めて欲しいと何度も何度も懇願しても彼らは決してその力を緩めず、そのまま死に行くのだろうと感じ初めたその時、全身に回復薬を浴びて身体は蘇生した。

 何が起きたか分からないながらも、冷たい視線のままに彼女を見下ろしていた女主人の『もう二度と歯向かうんじゃないよ』という言葉と、卑しい男たちの笑う声が耳に刻まれ、以来彼女がこの仕事をきっちりこなすようになったことは言うまでもない。

 全てを片づけ、扉の外の狭く薄暗い廊下へと歩み出ると、その廊下の端の扉へと歩を進める。廊下に並ぶたくさんの戸から聞こえてくる、情事を貪る男女の嬌声を耳に受けつつ彼女は突き当りの戸をくぐる。そこには厭らしい目をした禿頭の中年の男が待ち構えていた。彼女はその男の前で浴衣をはらりと脱ぐと、全身をくまなくその男に調べられる。

 男は無遠慮に彼女の身体を舐め廻すように見ながら弄り、その深奥までをも指で確認した。

 

「ん……」

 

 小さく呻く彼女に、ひひっと男は小さく愉悦の声を漏らす。そして全てを確認し終えると同時に彼女へと『癒し』の魔法を唱えた。

 男はこの『奴隷娼館』が雇う治癒術師であった。毎回このように『仕事』を終えてきた『商品』達を確認した後に身体の回復を行うのだ。

 別段このような男がいること自体は不思議な事ではない。娼婦が客から酷い暴行を受けることは日常茶飯事であるし、また、娼館に恨みを持った者が、娼婦を垂らしこんで毒薬や爆薬をその身体に仕込んで復讐を遂げようとするケースも後を絶たなかった。そのため、最低限このように情事を終えた娼婦を確認し癒す存在を置いておくことは寧ろ常識とされていたほどなのである。

 確認を終えた男はもはや興味を失したとばかり、足元の水桶で手を洗い出した。

 彼女はそれを見、すぐに床に落としていた浴衣を着ると、そのまま奥の『待機室』へと向かった。

 

 そこは少し広めの部屋。そこかしこに疲れ切った体の娼婦たちが寝転んでいる。中には服も碌に身につけずに寝ながら食事をとっている者もいた。むせ返るような独特な女の匂いが立ち込めるこの空間は、健全な男子であればすぐにでも気を狂わせても可笑しくない様相であろう。だが、当の疲れ切った彼女達にとってはここは貴重な安息の場であった。

 お呼びがかかればすぐに出なければならず、忙しい時は身を清める時間も取れない程に立て続けに男の相手をしなくてはならない。こんな日が毎日毎日繰り返されているのだ。

 だが、彼女達にそれを拒むことなどできはしない。どんなに酷い目に遭ってもどんなに苦しくても彼女達は笑顔で男の前へと出なければならない。

 なぜならば……

 

『彼女達は奴隷であったから』

 

 そう、彼女達はこの娼館の主に買われたのだ。

 既に彼女達に人としての権利はない。ただの商品……男たちを悦ばせ金を稼ぐためだけの存在なのだ。

 ここから出る方法はたったの二つ……良い客に見初められ買われていくか……死んで骸となって運び出されるか……

 だからこそ、彼女達は男へと尽くす。自分を必要以上に良く見られようと努力する。そうすればするほどに客は悦ぶのだから……

 

 この部屋へ戻ってきた彼女……ヴィエッタは部屋の隅に置かれた少し濁った水桶の水で自分の身体を洗い清めた。そして拭った後に次の仕事の為の薄い下着を身に着けると、置かれていた硬くなったパンと飲み水を手にとり、壁沿いにちょこんと座ってそれを貪り始めた。

 ヴィエッタには分かっていた。

 どんなに頑張ろうと、どんなに男に媚びようと、自分たちは決してここから出ることは出来ないのだと。

 

 彼女は美しかった。

 

 亜麻色の髪を結わえた彼女の面立ちはまるで絵画のように美しく、透き通るような白い肌の弾力のあるその身体は、男にとってまさに至高の一品であった。

 この娼館のどの娘よりも美しく、そしてもっとも金を稼ぐ商品でもあった。

 彼女は様々な客にあてがわれた。

 年端も行かぬ子供も、年老いた老人も。全身に金の装飾を纏ったでっぷりとした中年の男もいた。彼女はこの店で重要と思えるような上客に対しあてがわれ続けたのだ。

 

 何度もそのような話はあったのだ。

 

 必ず君を買うと。必ず君を自分の物にしてみせると。

 男たちは必ず彼女に優しく囁いた。きっと君を助けると……でも。

 そんなことが何度も続き、そして、彼女は理解する。

 

 自分を本当に助けてくれる者など現れはしないのだと。

 

 男達はただ彼女の気を引きたいがためにそんな甘い言葉を囁くのだと……

 

 そんな絶望にも似た達観に、彼女自身もう何も感じなくなっているということを自覚しつつ、近くで寝そべり、いつか救われたいという夢のようなことを語る他の娘の話を、どこか遠くの世界の出来事のようにただ、ジッと聞いて居た。

 

 

 

――夢……

 

――私にだって夢はあった……

 

――誰に話してもは分かってくれなかったけれど、私には本当に小さな夢が……

 

――それはもう決して叶うことのない幻想……

 

――決して手に入らないそれ……

 

――だって私にはそんな資格はもうないのだから……

 

――泣いて泣いて……何度も泣いて……

 

――全てを失って……でも

 

――それでも……

 

――私は……

 

――欲しかった……

 

――私の……

 

――大事な……あの憧れの……

 

 

 

「ヴィエッタ! 次の客だよ!」

 

「は、はい!」

 

 彼女は唐突に現実へと引き戻された。

 部屋の反対側、大きな出窓のようになっているその戸が開き、そこからこの館の女主人が顔を覗かせていた。

 彼女は慌てて立ち上がると、いそいそとコップと食べかけのパンを片づけて、手に手ぬぐいと浴衣を持って元来た道を戻る。

 治癒術師の横を通って通路へと出ると、そこにはこの館の案内人でもある優男風の従業員が立っていた。彼もまた舐めるような目つきでヴィエッタの身体に視線を向けているが、彼女はもはやそれを無視した。どうせ逆らうことなど出来はしないのだ。

 優男に連れていかれたのは先ほどの個室とは違う部屋だった。

 そこはこの娼館でももっとも広く、豪勢で豪奢な造りの部屋。主に貴賓が使用すると思われるこの部屋で、彼女は何度も男たちの相手をさせられていた。つまり、この後の客はそのような存在であるのだということ。

 彼女は扉の前に立ち一度大きく深呼吸をする。

 別に客に必要以上に媚びを売ろうなどとは思ってはいない。ただ、ここで失礼なことをすればそこで自分の人生が終わってしまうだけのこと。

 それを知っているからこそ、彼女は自分の顔に笑顔を貼りつかせた。

 そして……

 

 ゆっくりと扉を開けた……

 

「失礼します。今夜のお相手をさせて頂きますヴィエッタで……」

 

「うるせいっ‼ 出ていけよこのくそビッチが‼」

 

「え?」

 

 この日……

 彼女は未だかつてない最悪の人間と最悪の出会いをする。

 そしてそれが、彼女の人生を激変させることになることを、まだ彼女は何も理解していなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一話 荒野のど真ん中でラヴドールと二人

『ラヴドール』

 

 かつて『お一人様用』とも呼ばれた人形が存在していたことを、多くの男性諸氏は公には語らないながらも深層心理に刻み込むかの如く、しっかりとそのことを理解していた。

 それはまだ、人類が本能から来る動物的欲求に抗う術を持ち合わせていなかったあの頃、まだ人が獣に近かったあの頃に、理性や知性の裏に住まわせ続けた獣欲を人前に晒さないようにするために作り上げられた、言わば『形代』であったのだろう。

 その起源は古く、古代メソポタミア文明にもあったとかなかったとか……

 

 そしてそれは人の形を模しただけに留まらず、高度な人工知能を有した『ロボット』へと進化していった。

 所有者の満足度を最大限高めることに主眼をおき、ありとあらゆる趣味嗜好に合わせてのカスタマイズが可能であった、後に『第一世代型ドロイド』と呼ばれるようになる『彼女』達が販売されたことを皮切りに、『パートナー・ドロイド』ブームが沸き上がり、一家に一台ではなく、一人一台のドロイド所有が当たり前となっていく。

 表向きはただのお手伝いドロイドであった。だが、当然それに止まるはずもなく、公然の秘密として夜のお伴な機能もばっちり搭載可能であった。

 『ドロイドって本当に便利だし、助かるよね!』などと人前でそんな建前を述べつつ、いざ夜ともなれば『さあて、今日も可愛がってやるぜ、ぐへへ』と本音を撒き散らしながら行為に及ぶ、老若男女たち!

 

 そしてそんな人々の歪んだ様々な愛の形は様々な社会問題をもたらし続けてきたが、それはまた別のお話である。

 まあ、来年第13世代ドロイドがリリースされることが決定していたことからも、どれだけ歪んでても人の欲望の業の方がよほど深いということなんだろう。

 ちなみに第13世代型は、なんと自己成長機能があり、購入時は5歳児ほどであるのだが、人の成長の様に手足が伸び、大人へと姿が変わっていくのだ。しかもリセットして再び子供に戻すことも可能。当然だが、全年齢対象。人の業、ここに極まれりである。

 

 さて、そんなドロイドの身体を持った存在を俺も一人有している。

 何連敗目かのバイトの面接の帰り道、たまたま寄った工業パーツの蚤の市で上半身だけの状態で埃を被った『彼女』と俺は逢ったのだ。

 頭部と胸部と左腕のみでガラクタに埋もれるように寄りかかっていた『彼女』から俺は視線を逸らすことが出来なかった。

 透き通るような白い肌に日本人ぽさのある少し丸みをおびた顔。そして薄く開かれた黒水晶のような瞳。

 まるで生きているかのようなその柔らかい表情に釘付けとなり、そして胸の鼓動が高鳴るのを確かに感じたのだ。

 

 俺はそして、なけなしの金をはたいて『彼女』を購入した。

 AIも動力炉も駆動系等もない、何もない。

 でも、どうしても『彼女』をそのままにしておけなくて俺は自分の唯一の相棒とも呼べる家電ロボットの『ニム』の身体をバラして『彼女』を組み上げたのだ。

 

 一目惚れと言ってもいいのかもしれない。

 

 一目見たかった……彼女が可憐に微笑む様を……

 

 優しく振り向くその姿を……

 

 そして……

 

 そんな『彼女』は今、すぐ目の前にいる。

 

 俺が恋い焦がれ、逢いたいと欲したその存在が……

 

 大きな岩の上に涅槃仏のように寝そべって俺を見ていた……、ホットパンツから伸ばしたムッチリとした長い美脚の太ももをぼぉーりぼぉーりと手で掻きながら!

 

 

「がんばぇー! ご主人ー! ファイトォー!」

 

「ちょ……! ニム……てめえ……後で覚えてやがれっ!」

 

 俺の憧れの『彼女』がどういうわけか、日曜休日にゴロゴロしてテレビの前から動かなくなっちまったおっさんのようになってしまった……うう……

 

「ブヒィィイイイイイ!」

 

「うおっ!」

 

 可憐な微笑み? ではなく、ニシシとおちゃらけて笑うニムのあまりにも場違いでお気楽な声援にぶん殴ってやりたい気分に駈られたが、目の前に迫る『怪物』のせいでそれも出来ず、俺はただ突進して来るそいつを丸い木の盾でいなすことしか出来なかった。

 

「ご主人、いけいけー!」

 

 くっ……ニムの野郎。俺が何も出来ないと思って調子に乗りくさって!

 俺は通り過ぎて行った大きめのその怪物を振り返りながら、その背中を愛剣グラディウスで切り裂いた。

 

 ズバッと肉を切る確かな手応えが腕に響いたその直後、俺が切りつけた奴の背中から鮮血が飛び散る。

 

「や、やったか!?」

 

「あ、ご主人、それ死亡フラグっすよ」

 

 え?

 なに言ってやがんだ? ニムの奴は? 

 と、思ったその直後、

 

「ブヒ、ブヒィィイイイイっ!」

 

 振り返ったそいつが真っ赤な瞳を見開いて俺を睨んできた。

 うあっ! お、怒ってらっしゃる。

 そいつは大きな頭を俺へと向けながら口から伸びた長い牙を光らせながら俺へと突進してきた。

 俺は慌ててもう一度木製シールドを掲げるも、今度はあまりにも突進の威力がありすぎて盾ごと撥ね飛ばされた。

 

「うああああっ!」

 

「だから言ったじゃないっすかー。いっそ、『俺、この戦い終わったらニムと結婚するんだ』とか、『ニムにだけ俺たち子供の名前……先に教えておくからな』とか、いっそ清々しいまでな死亡フラグ言っちゃいやしょうよ」

 

 吹っ飛ばされて顔をあげようとしている俺の耳に、ニムの訳のわからない忠告が聞こえてくる。

 本当にこいつはなに考えてんだか。あ、なにも考えてないのか、機械の癖に。

 

「このバカっ! ふざけたこと言って見てねえで手伝えよ」

 

「見てろって言ったのはご主人なんすけどね……はあ、仕方ないっすね……はい……よっと!」

 

「ブブヒ?」

 

 俺とそいつの間に飛び込んできたニムが、片手でそいつの鼻先を掴んで軽々と突進を押さえ込む。

 そいつは何が起きたのか分かっていないのか、身を捩ってニムの手を振りほどこう、撥ね飛ばそうとしているのだが、全く動くことができなくなっていた。

 

「ご主人今ですよ! トドメを!」

 

「お、おうっ! うおりゃああああああああっ!」

 

 俺は両手で闘剣(グラディウス)を握りしめ、ニムが押さえ込んでいるそいつの額めがけてそれを突き入れた。

 

「ブブヒィイイイイイイイイイイイッ……」

 

 一際甲高い叫び声を上げたそいつは身を捩りつつ、必死に抵抗を示している。だが、俺にも次第と力が抜けていくのは分かった。

 

「ふんっ!」

 

 俺は額に突き入れた闘剣(グラディウス)の刃を両腕の全力を込めてハンドルを回すように右へ90度回転させ奴の脳を抉る。

 

「ッッッッ……‼」

 

 声にならない悲鳴を漏らしつつ、そいつはついに力尽きその場に四肢を投げ出した。

 

「ふ、ふうー、や、やっと倒した……」

 

 動かなくなったことを確認したら全身から力が抜けてしまった。いや、危なかった。今回もマジで死ぬかと思った。

 脱力して地面に膝をつけた俺のところにニムが近寄ってきて手をさしのべている。

 

「やりやしたねご主人! ノーダメ完勝っすよ」

 

「あ、ああ。そうだな……」

 

 ま、一発食らえば大概即死なんだけどな、俺の場合。

 

「その、助けてくれて、サンキューな」

 

 ニムの手を取りながら一応と思ってそう礼を言うと、ニムがニマニマしながら抱きついてきた。

 

「むふふふ~。別にいいっすよー、ワッチとご主人の共同作業ってことでいいじゃないっすかー。というか、お礼って言うなら、今夜抱いてくださいよー、うふっ」

 

 わざとらしくシナを作るニムの脳天にチョップを叩き込む……も、さすが複合(ハイブリッド)チタン合金の骨格……危うく俺の骨が粉砕しちまうところだった。おー痛ぇ。

 

「ったく……調子に乗るんじゃねえよ。そもそもお前の燃料がねえからって、こうやって弱っちい俺が戦ってんじゃねえか。もうちょい感謝しやがれ」

 

「えへへー。そうでしたそうでした。でもご主人はワッチよりずっと強いんですからお互い様っすよ」

 

「だーかーらー、俺が強いわけねえだろうが! そもそも今は『魔法』だって使えないっつーの! わかってて言うんじゃねえよ」

 

「ま、いいじゃないっすか。こうやって倒せたんスから。ほら、『豚肉』っすよ? とんかつですか? 豚しゃぶですか? 鍋でもハンバーグでもなんでも作ってあげやすよ」

 

 それ『猪』だけどな……とはあえてツッコまなかった。

 だって、俺も久々の豚肉料理超食いたかったから!

 俺は荷物から中華包丁のような鉈をとりだすとそれをニムに手渡した。ニムはさっさっと手際よく血抜きを始める。そのせいで足元に大きな血溜まりは……出来なかった。いつの間に掘ったのか、ニムが少し大きめの穴を堀終えていて、そこに血をドボドボと流し入れていた。準備良いな。

 で、俺はといえば、とりあえず布で闘剣(グラディウス)を拭き取り整備をすることにした。

 ニムの作業もしばらくかかりそうだしな。

 

【ミラーボア】

 

 俺たちが倒したのは体長1mほどの猪型のモンスターである。

 まあ、いわゆる『猪』なんだけど、俺の知識のなかにある猪とは違う点がいくつかある。

 まず、その体表には毛ではなくピカピカに磨かれたような銀に輝く『鱗』がびっしりと生えている。まさに手鏡を全身につけたような見た目。それが陽光をキラキラ反射して眩しいのなんのって、こんなに目立つ格好で自然界で本当に生きて行けるのかよ……とか少し心配になったものの、初遭遇してすぐに杞憂だったことが分かった。

 こいつと対面したこの地域は、ただの荒野ではなく周囲の岩に金属なのか石なのか、遠目には分からなかったのだが、陽の光を浴びると光輝く性質のある岩が多かった。太陽が出ている間は周囲がとにかく光っていて眩しいくらい。

 だから、そんな中でこのピカピカ光る猪に出会ってもその存在を認知するのは難しいってわけだ。いわゆる保護色って奴だな。

 うちには全天候レーダー代わりのニムがいるからどんなに隠れても分かるんだけどね。

 ちなみにこいつも例に漏れず肉食だ。

 この世界のモンスターはもう少し野菜を食べた方がいいと思うよ? 絶対肉ばっかりじゃ身体に悪いから。

 

「ご主人ちょっと手を洗いたいんで水を魔法でだしてもらえます?」

 

「うーん、ちょっと待ってろ……『水流(ミ・シャワー)』!」

 

 ニムに言われて血がついたニムの両手に向けて水系統の基礎魔法のひとつを使ってみる。

 だが、何も反応しない。

 

「出ませんねー」

 

「出ねえなー」

 

 そう出ない。

 なにも出ない。

 アルドバルディンの街ならバンバン放つことができた水系魔法だが、ここでは全く使えない。

 ニムは別に怒るでもなく自分のザックの脇にぶら下げた水筒を手にしてそれを流して自分の手を洗った。

 俺も俺でまあ仕方ないだろうなーと簡単に諦めた。

 

 なぜ魔法を使えないのか?

 

 理由は簡単だ。

 ここに水の精霊がいない……もしくは水の精霊が力を行使できないから。

 

 仕方ない。そもそも俺に『魔力』はないしな。

 

 この世界の一般的な魔術師は、自分の内に存在している『魔力』を放出し、それを『事象』に『変換』することで魔法的な効果を産み出している。

 簡単に言うと、『涙が宝石になった』、みたいな? うん、違うか?

 自分の中にある魔力をある特定の『術式』を通過させて火にしてみたり水にしてみたりする。所謂、『種のない手品』だな。

 魔法を使った奴の目の前に火が浮かんでいたとしたら、その火のエネルギー源はそいつの魔力ってわけだ。当然だが魔力が大きければ、それだけ大きな魔法も使えるわけで、文献などに記載されていた伝説などでは、世界を海に沈めたとか、大陸を空に浮かべたとか、眉唾だとしてもだが、魔力を持ってる奴ってのはそうやってとんでもない不思議事象を行うことが出来てしまうのだ。

 一応、魔力を宿していれば、誰でも魔法を使うことができるらしい。かなりのトレーニングが必要とのことだけれども。

 俺は、精霊などの恩恵を受けることで、魔力の底上げとその精霊特有の魔法現象を発生させるのが一般的なのかと思っていたのだが、実は精霊の恩恵を得られる奴はそんなにいないようだ。

 そりゃそうか。精霊の恩恵があれば魔方陣や術式の知識が無くても魔法をばんばん使えるわけで、そうすると街中で魔法で殺しあいなんてもんも増えるってもんだしな。それがないのだから、一般人はあくまで一般人、使う魔法も大したものが無いのも納得だ。

 そう考えると『死者の回廊』で会ったジークフリードのやつも一応精霊の『恩恵』を受けてたわけで、なんだかんだ実はエリートだったのかもしれない。

 いや、称号が『落第騎士』だった時点でもう窓際確定だな。

 

 おっと、話が逸れた。

 

 では、俺の場合はどうかと言えば……

 

 『魔力』のない俺はゴードンじいさんにも言われたように、ステータスカードには記載されていないけれど、『魔無し戦士』というカテゴリーに分類されるらしい。

 最初聞いたときは、なんだ人のことバカにしやがってコンチクショー! と息巻いたもんだが、実はそんなにレアなケースでもないようだ。一般人の約3割くらいはこの魔無しの状態で生涯を終えるようだし、言ったゴードンじいさん自身も『魔無し戦士』なんだと言っていた。

 つまり俺も同様に『魔法が使えない側』の人間なわけだ。

 そんな俺が魔法を使うこと事態が異常なのだということを何度も何度も耳にタコが出来るまでじいさんに言われ続け、今はそのことを重々理解してはいる。

 だが、行使する為の方法はすでに俺のうちで確立できているから、異常だなんだと言われたところで実際に使うことは出来るのだ。

 

 その方法とは、『精霊』に魔法を行使させること。

 

 魔法を使える人間が体内に宿している『魔力』は、大気中や土中・水中など、この世界の至るところに存在している『(マナ)』や、『(マナ)』より生まれでた『精霊』と同質のものであり、言わばイコールの存在。

 そのことをある人から貰った、『魔法の本』を読んでいる内に気がつき、俺は『だったら精霊をうまく使えば魔法が使えるのではないか』と考え、様々な魔法の術式を読み解きながら精霊の使役の方法を確立した。

 このおかげで俺は、魔力が無いにも関わらず魔法が使えるようになったわけだけど、いろいろと問題はあった。

 

 まず精霊がいなければ行使ができない。

 

 今がまさにその状況なのだけど、この世界の精霊は至るところにいるはいるけれど、必ずいるわけでもない。アルドバルディンの街の周囲はビックリするほど多種多様な精霊が居たようで、どんな魔法でも行使は可能だった。しかもその出力もえらく高くて、一度魔法を使った際に無数の精霊の姿を視認することまでできて、まさかこんなにたくさんの精霊に術を行使させていたのかと、自分でも驚愕したものだ。

 そうそれが二つ目の問題。

 

 俺には精霊の存在を知覚することができない。

 

 俺が使えるのは脳内で魔方陣を描きあげることだけ。記憶力などは良い方だと自分でも理解しているのだが、魔法陣の完全な姿を脳内でイメージとして作り上げることは出来ているわけで、それに必要な魔力を持った精霊がその魔法術式に干渉してきてくれればすぐに行使となるのだけど、実際にどんな精霊が近くにいて、どんな力を持っているのか分からないから、本当に博打になってしまうのだ。

 言うなれば釣みたいなもんかな……? アルドバルディンの時は鮨詰めの釣り堀って感じと言えばいいかな。で、今はポイント不明の水たまりで釣り糸を垂れているような?

 釣れる釣れないは運次第……と。今はまさにそれ。

 俺はそんな博打で大当たりを引く自信なんて微塵もない。

 それともうひとつ……

 

 魔法の威力をコントロールできない。

 

 命令しているのは俺なんだけどね、その対象がどんな精霊で、どんな力を持っていて、どんな存在なのかとか全く分からないもので、使えたは良いけど、やかんのお湯を沸かそうってくらいの魔法を使おうとしたら、精霊が頑張りすぎちゃって街一つ消滅させました、みたいなことが起きる可能性もあるわけだ。

 

 ということで、俺は魔法を使えることは使えるが、コントロールは出来ていないので使える内には入らないってことになるわけだね、うんうん。

 

「あ、ご主人、お昼時ですし、とりあえず焼いてみたんですけど食べます? 『香草焼き』」

 

「え? もう料理作ったのか?」

 

「はい」

 

 剣を拭きながら色々思案していたら、二ムの奴が獲物の解体も終えて料理まで始めていたようだ。

 見れば簡易コンロの上にフライパンを置いて、塩と何かの葉をまぶした肉をジュージュー焼いていた。所謂BBQだな。なんだよ、結構旨そうじゃねえかよ。

 

「ああ、食うよ」

 

「へへ、ご主人の好みに合わせてみましたよ? 街で買ったパンと果実酒もありますから出しますね」

 

「用意良すぎだろ。でも昼からこんなに豪華に食っていいのかな? こんな荒野のど真ん中で」

 

「別にいいじゃないっすか、ピクニックっすよピクニック! 丁度新鮮な肉も手に入ったことですし、これはハンターの特権ってことで!」

 

「マタギみたいなこと言ってんじゃねえよ。でもあれだな。こんだけ手際が良いと獲物を狩った感がまったくねえな」

 

「それは誉められたって素直に喜ばせていただきますね。はい、ご主人どうぞ!」

 

「お、おう」

 

 いつの間に敷いたのか、御座の上にちょこんと正座で座った二ムがトレイに焼いた肉のステーキとパン、それとピクルスの様な野菜の漬物を少し添えて手渡してきた。そしてさらに置かれたカップに赤い液体を注ごうとしているところ。うーむ、この家事スキルは流石だ。いったいどこのセバスチャンなんだか。

 ちなみに解体が終わったミラーボアの要らない部位はすでに穴に埋められている。死骸を野ざらしに置いておくと血肉を嗅ぎつけてモンスターが寄ってくる可能性が高くなることと、そのままアンデッド化しやすくなるってことを聞いていたからなんだが。

 それと剥がした皮や、鏡の様な甲羅については綺麗に放送してすでにパッキング済み。肉は冷蔵保存の魔法の掛かった魔導具(……ゴードンじいさんのとこにあった冷蔵壺の小型版だな)に収納してある。あまりたくさんは入らないが、生物(なまもの)を移送するには便利な道具だ。定期的に魔力を補充する必要があったり、かなり嵩張ったりと、問題が色々あったとはいえ、食べ物を冷やしておけるメリットは大きい。フィアンナからの謝礼金もたっぷりあったしな、高い買い物だったけど俺は迷わず購入したのだ。

 

「ご主人食べないんです? けっこう美味しいっすよ」

 

 見ればパンに肉などを挟んですでに食べはじめているニムの姿。いや、別に先に食ってもいいんだけども……

 

「いや、食うよ。いただきま……」

 

 じゃあ俺もと、ニムと同じようにパンに肉を挟んで食べようとしたその時、俺の目の前にその光景が飛び込んできた。

 

 俺たちがいるのは岩がゴツゴツとした荒野のど真ん中の、少し小高い丘のようになっているところ。で、視線を向けると、遠くで二組の豆粒の集団が動いているのが見えた。

 目を細めてそれがなんなのか確認しようとしたところで、口をもっちゃもっちゃと動かしていたニムもそれに気が付いたようで俺と同じようにそちらを注視した。

 

 豆粒に見えたそれを良く見ると、前の方の集団はたくさんの人が走っているように見える。そしてそこから少し後方の豆粒の集団は結構な勢いがあるのか、土煙を巻き上げていてどうやら馬か何かに乗って前方の集団に迫っているようだった。

 

「ありゃなんだ?」

 

 ポツリと思わずそうこぼした俺にニムが即答した。

 

「ご主人、あれ、前走っている人たちみんな女の人みたいっすよ? それと、後ろから追いかけてきてるのは馬に乗ってるおじさん達っすね。みんなニヤけてますから、あれ人さらいとか盗賊とかそんな連中じゃないっすか?」

 

「は? ひ、人さらい?」

 

 聞きなれない単語で思わず聞き返す。

 人さらいって、要は誘拐犯のことだよな? でも普通誘拐ってこっそりさらって、身代金要求したりするんじゃねえの? こんなだだっ広い荒れ地でしかもあんな大人数を追いかけるなんて、これじゃあただの狩りじゃねえか……

 いや、そうだな……これは狩りなんだな、連中にとっては……

 

「どうします?」

 

「え?」

 

 唐突にそうニムに聞かれ、思わず視界が揺れる。

 どうするって、そんなのどうしようもねえだろうが。

 こっちはただ王都を目指して旅してただけで、いきなり出くわしたに過ぎないし。

 そもそもなんでその女の人達が追いかけられているのかも知らないし、男達の正体も分からない。

 ひょっとしたらあの女達は全員犯罪者で、男達は警察で追いかけているだけかもしれない。

 だんだん近づいてきた女の人たちの服装はボロの上、ほぼ裸に近い格好。良く見れば手足や首に鎖のようなものがぶら下がっていて、対してその後ろの男達は手にサーベルのような刀を持って馬に跨がって迫ってきているし。

 

 うん、どう見ても、犯罪者と警察じゃないな。どっちかと言えば、逃げる被害者と追いかける犯罪者の構図だ。

 

 ニムは何を言うでもなくただ俺の顔をじっと見ている。

 うっ……

 何を期待してやがんだよこのポンコツは……

 

 ええいっ!

 

 俺はガシガシっと頭を掻いて立ち上がった。

 

「ったく、わぁったよ! やりゃあいいんだろ、やりゃあ!」

 

「さっすがご主人っす! だから大好きなんす!」

 

 満面の笑みでニコニコしているニム。

 こいつも本当に調子良いな、くそっ!

 良い感じでニムに誘導されて、あの女の人達を助けるような感じになっちまった。

 言いなりになったみたいで釈然としないのだけど、まあ、仕方ない。目の前で目を瞑りたくなるような事態を傍観するのは嫌だったし。 

 

 でも、困ったな……

 やると決めたのは良いものの……

 

 俺は自分の手のひらを開いてじっと見る。

 ここにきてからこの方、魔法を使うことが出来ていない。少なくとも水系魔法、風系魔法、炎系魔法はダメだった。まだ試していない魔法の系統はあるけど、この状況で彼女達を守るための魔法を行使できるかどうか……

 さて、どうしたものか……

 

 そんなことを悩んでいたら、前を走る集団の一番最後尾、小柄な体躯の女性が躓いて転んでしまった。その途端に、すぐ近くを走っていた数人が助けようとかけ戻った。駆け戻ったのは女性だけではなかった。ジークフリードとおなじような銀に輝くじ軽鎧の男性もいて、転んだ女性を起き上がらせようとしている。あの格好は王国の『聖騎士』なのか? 

 ころんだ女性も一生懸命起き上がろうとしているが、その間に後ろの集団がぐんぐん迫って来ていた。

 

 やばい、追い付かれちまう!

 

 俺はその瞬間、魔法について勉強したあの本に書かれていた内容のある一ヶ所を唐突に思い出していた。そして、ひょっとしたらとそれをすればどうにか出来るのではなかろうか? と思いいたり、その可能性に懸けることにした。

 

「おい、ニム! 今すぐ真下の地面を殴れ、全力で!」

 

「へ? ここをですか? こんな何にもないところを殴ってもエネルギーの無駄……」

 

「いいんだよ、地割れが出来るくらい全力でやってくれ」

 

「燃料切れても知らないっすからね、じゃあ、いきますよ~~~」

 

 ニムは足を開いて腰を落として力を込める。

 明らかに雰囲気が変わったその時、俺の耳にヒュゥゥゥンと甲高いリアクターのドライブ音が聞こえ始めた。

 次の瞬間、ニムがその拳を地面に向かって突きいれた。

 凄まじい爆発音を伴って俺たちの真下の地面が陥没する。死者の回廊の時と同じだ。

 

 よし、今だ!

 

 俺は爆砕の最中で、多重の魔方陣を頭の中に思い描いた。そして、両の腕を女性達と迫る男達の丁度中間点目掛けて突き出す。

 そしてなんとか発動してくれと念じながら唱えた。

 

「隆起せよ! 『土壁(ド・ウォール)』!」

 

 突きだした両腕に何の反応もない。

 これは失敗か……? 

 そう思いかけたその時、それは起こった。

 なんとかバランスを取って立っていた俺の足元から、何か強烈な怖じ気のような物が込み上がってきた。俺はこの感覚を知っていた。

 来た……精霊が来た……

 目に見るのは難しいが、明らかに何かしら強力な存在が俺へと干渉している感覚……アルドバルディンにいる間も魔法を使う度に実感していたそれを、俺は今再び味わっていた。いや、それ以上の何かを……

 俺の足元が金色に輝き始め、そしてその光は俺の足、腰と次第と登り始め、そして俺の突きだした両腕に収束された。そして……

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 

 次第と大きくなってくる地響きと共に、瞬間それが出現した。

 目の前の女性達と男達の間……そこの地面が突如隆起して高い高い壁が現れた。

 それはもう本当に一瞬で。

 勢いのついた馬に乗っていた男達は次々にその壁にぶつかりもんどりうちながら、突如陥没した足元の地中に転がり落ちていく。

 女性達はといえば、呆気に取られながらも全力で突如現れた壁から走り離れようとしていた。

 これで女性達は助かって、めでたしめでたし……

 と、なるはずだったのだが……

 

「ご主人、ちょっとやりすぎじゃないっすか?」

 

「だよな」

 

 俺は目の前の光景に流石に冷や汗を掻いていた。なぜなら……

 

 俺が指定した魔法の座標は彼女達と男達の中間点で、そこにホンの20mくらいの幅で、男達側の地面を陥没させた上で高さ3mほどの壁を立ち上げ、連中の足止めをする……だけのはずだったのだが……

 

 実際は、俺の突きだした両の腕のすぐ1mくらい先の辺りから高さ10m以上はありそうな巨大な土壁が凄まじい勢いでせり上がり、男達側と言えばいいのかそっち側がまるで谷の様に抉れた上、さらに先は遥か彼方……荒野の先の川や森林をも貫いて、その先の山にまで壁が延びてしまっている様子……

 

 や、やばい……どどど……どうしよう。

 

 呆然となっていると、隣のニムが……

 

「うわー! これじゃまるで『万里の長城』ですね! 川も塞き止めちゃってますし」

 

 とか言ってきたもんで、当然俺は……

 

「本当にごめん」

 

 と、謝った。

 当たり前だーーーーー!

 

 いや、やばい、本当にどうしよう……

 

 おかしいだろうが、いくらなんでも!

 俺はただ、ほんのちょっとだけ地面を隆起させようとしただけなのに、なんでこんなドでかい壁ができちゃうんだよ!

 ただでなくともゴードンじいさんに魔法を使うな! 人に知られるな! って厳命されちまってるってのに、これじゃあ間違いなく怒られちまうじゃねえか。

 わわわ……塞き止めちゃった川の水が俺が抉った谷の方に流れ込んできてるし……

 これじゃあ、お城のお堀じゃねえかよ、規模がでかすぎるけど。

 あ、濁流が谷に落ちた盗賊っぽいおっさん達に迫ってる、おっさん達逃げるのに必死だな。

 いや、マジでごめん!

 どうしようどうしようと混乱していたら、ニムがまた口を開く。

 

「あ、ご主人。さっき逃がした女の人達の中から、聖騎士の人が走ってこっちに向かってきてますよ? どうします?」

 

「え? どうって、そりゃあ……」

 

 そして俺は荷物を小脇に抱えて全力でその場から逃げ出したのだった。

 当たり前だっつーの。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 ニムと娼婦とスリのいる街

 全力であの事件現場を逃げ出した俺とニムは、記憶を便りに王都へ向かう主要幹線道路へとたどり着き、そのまま近くの街道沿いの宿場街へと入った。

 街の門を潜った時刻は夕刻……といってもまだ陽は高いので午後3時くらいなんだろうけど、行き交う荷物をたくさん積んだ荷馬車がどこから現れるのか次々と俺たちを追い越して行った。

 

「やっと着きやしたね。と言っても予定より随分早いっすかね?」

 

「そうだな。全力で走ったからな」

 

 いや、本当に全力疾走したよ。

 俺が魔法をへまして作ってしまった、異世界版『万里の長城(仮)』について、一部始終を目撃していたであろう人物達から、俺は全力で逃げた。

 あんなの作ったなんてばれたら、俺普通に怒られるだけじゃすまないだろうなという嫌な予感が働きまくり、本当に必死になって逃げた。

 おかげでこんなに早く今日の目的地でもあるこの宿場町に着くことができたわけだけどな。

 

「でもあれですね? ご主人の魔法本当に半端ないっすねー! 明らかに地形変わってましたよ? まあ、魔法ですからあれ元に戻るんでやすよね?」

 

 とか、そんな風にニムが聞いてくるのだが……

 

「いや、あれは地形を変えるだけの魔法で……」

 

「あ……」

 

 地面の土を盛り上げるだけの魔法……当然元に戻すならその逆の魔法を使わなくてはならないが、あそこまでの構造物が出来てしまってはどうやって戻せばいいか、今の俺では見当もつかない。

 ニムの奴は口に手を当てて『あらまぁ聞いちゃいけないこと聞いちゃいましたわ、おほほほほ』みたいな顔をしてやがる。

 なんだこいつ、ムカつくなマジで。

 

「まあ、ご主人、やっちまったもんは仕方ないっすよ! ほら、あれもかなり立派でビッグなウォールでしたし、その内本家本元の長城みたいに世界遺産に登録されますって!」

 

「登録されちゃったら俺の名前もやらかしたA級戦犯として永遠に刻まれちゃうだろうがー。あーもう、本当に鬱だー」

 

 まあ、実際どうしようもないんだけども……はあ。

 

「あ、ご主人、あそこ宿屋みたいっすよ?」

 

「おお……」

 

 ニムが大荷物を背負ったまま軽快にそう俺に教えてくれる。俺の悩みとか、本当にどうでもいいんだなこいつは。 小走りに駆けたニムが宿とおぼしき建物に入ると、そのまますぐにUターンして帰ってきた。

 なにやら少し赤面しているようではあるが……

 

「どうした? 宿屋じゃなかったのか?」

 

「あ、えっとっすね、その……」

 

 なにやらモジモジ始めるニム。

 

「なんだよ」

 

 俺がもう一度言うと、ニムは返事をした。

 

「あそこ、『連れ込み宿』ですって! どうしましょうご主人! あそこに二人で泊まったら、絶対最後までいっちゃいやすよーーーー!」

 

 きゃーと頬を手で抑えながら喜んでいるニム。

 俺はその頭をペチりと叩いた。

 

「んなとこに泊まるわけねえだろうが。おら、さっさとちゃんとした宿探しやがれ」

 

 ニムは叩かれたところをさすりさすりしながら『あー痛い』とかほざいてやがる。今のがダメージになるわけねえだろうが。

 

「わかりやしたよ。でもあれですよ? ご主人。夜中に一人でこっそりとあーいうお店に行っちゃ、ワッチは嫌っすよ?」

 

「なんでお前にそんなこと言われなきゃならないのか甚だ心外だが、そもそも俺があんな店に行くわけねえだろうが」

 

「ま、わかってますけどねー」

 

 そんなことを言いながらニムがキョロキョロ見回しながら先に立って歩き始める。

 俺は丁度その連れ込み宿を通りすぎる時に中にチラリと視線を送った。

 べ、別に興味があったとかじゃなくて、ただ何となく確認をすることにしただけであってだな……

 と、自分に言い訳しながら覗いたそこには、薄着の若い女の子達がずらりと並んで座って微笑んでいた。

 

 あ、やばい……目が合っちまった……

 

 ふいっと視線をそむけたけど、時すでに遅し、

 

「わわっ! すっご~いカッコイイ! ねえねえ、おにいさ~ん。そこのカッコイイおにいさ~ん! ねえねえ、私と遊んでよ~」

 

「ダメダメ~【シオン】ちゃん! 【マコ】が先に見つけたの~! マコを買ってよ、ねえ? おにいちゃん!」

 

「ちょっとマコ!お待ちなさいな! アナタみたいなちんちくりんはドワーフとでもヤってればいいのですわ! ねえ、貴方? こんなノータリンとチンチクリンは放っておいて、ワタクシを可愛がってくださらない?」

 

「だれがノータリンよ! だれが!」

 

「【オーユゥーン】(ねえ)ひどいよー! わたしだって好きで小っちゃいわけじゃないのに~」

 

「ふふ……ここはワタクシに譲るべきですわね。どうかしらお兄様? ワタクシのこの身体、好きにして頂いてよろしくてよ」

 

 店内から3人の薄手の女が飛び出してきた。

 一人は快活そうな感じの赤髪のショートヘアーに八重歯をその小さな口から覗かせた女の子。

 もう一人は小柄でまるで子供のような見た目の金髪に赤い瞳の少女。

 最後の一人は腰までの若草色の長髪とサファイヤのような青く輝く瞳、出るところがしっかりと出た肉感たっぷりの妖艶な背の高い美女。

 全員が全員、今にもはだけてポロリしそうな艶やかな浴衣を着ている。

 

 3人は喧々諤々何かを言い争いながら、俺に抱き着いてきやがった。

 

「な、なんだ?」

 

「ねえねえお兄さん! 私がいいよね! ほら良いって言ってよ」

「違うわたしよね? 背が小っちゃくたって、胸が無くたってそんなの関係ないもんね? ねえ?」

「今ならどんなこともしてあげますわ! ワタクシの身体でご奉仕してあげますわよ」

 

 もにゅもにゅ、ぷにぷに、ぱゆんぱゆんと柔らかい物が俺へと押し付けられる。

 な、なにしてやがんだ、こいつらは!

 

「は、放せ、このメス豚どもっ! てめえらみてえなクソビッチに用はねえんだよ! くそがっ!」

 

 その瞬間きゃいきゃいと華やかだったその場の空気が凍り付く。

 よし、さっさと離れちまおう。

 動きの止まった三人から逃れようと手を振り払おうとしたその時、ガッシと俺は腕を3人に掴まれた。

 

 え?

 

 と思った時には、俺はそのまま地面に投げ飛ばされていた。

 背中に走る強烈な痛み。

 何が何やらわからないままに見開いた俺の目に飛び込んできたのは、薄暗くなってきた空の景色と……俺を投げ飛ばして跨るようにして見下ろしてきている3人の女どもの……浴衣内の薄い下着!

 

 白・赤・白!

 

 その時俺が気が付いたのは、俺の両腕をまだ3人が力いっぱい掴んでいたということだった。

 

「ちょっと顔がいいからって何様だよ! 娼婦なめんなっ!」

「一度死んじゃえ、くそおにいちゃん!」

「久々に怒髪天ですわ。ワタクシのヒールで踏み潰して差し上げますわ」

 

 あ、これマジで死んだ……

 

 腕を押さえつけられたままの俺は見事にぼこぼこにされました。

 いや、これマジでやり過ぎだろう。3対1とか卑怯にもほどがあるぞ。

 レベル1虐めてんじゃねえよー!

 と、ぼやきつつ、解放されてというか、路上に転がされた直後、一か八かの『回復(ヒール)』が成功して、本気で俺はホッと安堵したのだけれども。

 

「はあ、ご主人、本当になにやってんすか……」

 

 一方的にぼこぼこにされた俺を、大荷物を背負ったままのニムが見下ろしながらそう溢したのであった。

 

「ほっとけ……」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ふうー、何とか一部屋確保できやしたね、良かった良かった。あ、二人一緒は嫌だからお前が出ていけとか、自分が出ていくとかそういうのはなしですよ? 今晩は二人で朝までめくるめくの快感に身を委ねちまいやしょうぜ」

 

「委ねるわけねえだろうが! おら、さっさと飯買いに行くから準備しやがれ」

 

「ぁーい」

 

 気のない返事をしつつ、荷物を下ろしたニムが鞄から金目のものだけが入った小さなポーチを取り出してそれを身に付けた。

 俺も財布などを用意して部屋を出ると、すぐに鍵をかけた。

 といっても、これで安心なんてまるで出来ないのだ。

 日本と違ってこっちの世界の連中は躊躇なく人の物を盗みやがる。アルドバルディンの街にいる間だって、いったい何回俺の泊まっていた宿の部屋が荒らされたことか……

 まあね、特に貴重品持ってる訳じゃなかったから、毎回荒らされるだけで済んではいたけど、今は多少小金持ちだからな、用心はしないといけない。

 そんなことを考えつつ宿の入り口まで出てきてからニムを振り返った。

 

「よし、じゃあまずは『魔晶石』を探すぞ」

 

「え? 『ご飯』って、ワッチのご飯のことだったんでやんすか」

 

 一瞬ぽけっとなったニムが俺にそんなことを聞いて来やがる。

 

「んだよ、文句あんのかよ。お前の燃料もうカツカツじゃねえか、お前が動けないと俺が困るんだよ。わかってんのか?」

 

 ニムは俺の言葉を聞きながら急にニマニマとその表情を変える。

 

「んもぅ、ご主人ってば、本当に優しいんでやんすからぁ! だからワッチは大好きなんす!」

 

「は、離せ、おらっ! まとわりつくんじゃねえよ!」

 

 ニムが俺にぶら下がっているもんで当然の様に周りの注目を集めてしまう。

 もがいて逃れようとしてもやはりこいつの怪力には敵わない。

 くっそ、いたたまれねぇ。

 そんなことを思っていた時だった。

 

「おっとごめんよ!」

 

 ドンと何かが俺の背中にぶつかった。

 

「え?」

 

 と思い、そっちに顔を向けてみれば、大きな丸い白い耳を茶髪から覗かせた小柄な少年が走り行く姿。どうやら走っていて俺にぶつかったらしい。

 あれ、ひょっとして『鼠人(ラッチマン)』か? 確か、鼠の特徴を持った獣人だったかな。アルドバルディンの町にはいなかった種族だから見るのは初めてだけど、なるほど、小柄で丸い耳でまさにラットだな。

 などと、ポケっと眺めていたらニムが俺のことをちょいちょい指でつついてきた。

 

「なんだよ?」

 

「あのですね、ご主人。掏られてやすぜ? お財布」

 

「はっ!?」

 

 言われて慌てて腰に巻き付けてあったポーチを触ってみると、結わえてあった皮の紐を解かれて、中の財布がなかった。

 

「な、ない! マジでないぞ!」

 

 言いながら、他のポケットに入れたんじゃないかと全身をくまなくチェックするもやはり財布はない。

 そんな慌てる俺にニムが言った。

 

「だいじょうぶっすよ! ワッチのは盗られてませんから!」

 

 にこりと笑って胸の間から巾着袋を抜き出すニム。周りの連中の目がそこにくぎ付けになっちまっているのだがそんなことは今はどうでもいい。

 

「ニムてめえ、分かってんなら教えろよ! っていうか阻止しろよ!」

 

 そう怒鳴った直後、ニムはゆっくりとした動作でポンと手を打った。

 なるほど~、そういやそうですね~みたいな顔してんじゃねえよ! 

 

「くっ……あの中にゃ少なくねえ金が入ってんだ。ってか、あれなしでお前の小遣い程度の金だけじゃ三日も旅できねえぞ」

 

「そうしたら二人でここに住み着いて夫婦生活送るのもありなんですけどね!」

 

「誰が夫婦だ!」

 

 この野郎、こんな時にへらへらしやがって。

 ニムが役に立たないので俺がさっき子供が走り去って行った方に目をむけて探してみるも、夕方の人込みのせいでもう完全に見失って分からない。

 くっそ、マジでむかつく。人の物盗みやがってあのガキ……どうなるか思い知らせてやらなければ。

 俺はニムを振り返った。

 

「おいニム。追跡できるな!」

 

「当然っす!」

 

 瞳を輝かせたニムが力強く返答した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 スリ・チェイス

「こっちっすよ」

 

「おう」

 

 ニムを先頭に俺たちは町中を走る。

 陽が沈みかけている町中は時を追うごとに暗くなっていき、商店や住宅の内には灯りが灯り始めている。買い物などをしている道行く人の数も多いのだが、ニムは確信をもってその人の波を縫うように走り抜けていく。俺はそれに置いて行かれないように必死に全力で追従した。

 ニムが辿っているのは鼠人(ラッチマン)の窃盗犯の『痕跡』である。

 一言に痕跡と言っても様々あるが、まずは足跡や指紋などの『可視化可能』なもの。ニムの視覚には様々なセンサーを内蔵させており、人の残した体液や分泌物などを照合させつつ瞬間的に整合させることが出来る機能が備わっている。そのため、まずは直近で残された足跡と同様のものを追いつつ、さらに俺のポーチに触れた時についたであろう若干の汗などを特定しておいてそれの散在している個所を見つけながら進むのだ。

 痕跡はまだある。一つは『匂い』。犯人が発する匂いを辿ることで進行方法を掴むことができる。

 そして『音』。犯人と遭遇したあの瞬間に犯人が発する音情報も収集されているため、後はその音を特定することで見つけ出すのだ。

 他にも、『温度』、『味』、『プロファイリング』、『ダウジング』、『サイコロ』、『風水』……etc

 様々な探知機能を盛り込んであるのだが、正直あまりつかわないんだよな。

 もっとも、実際に一番使う機能は『GPS』機能だったわけで、この世界に衛星通信機能があればただ単に検索するだけで犯人の居場所を特定することはできたのだけども、ここにはないからな。今はニムだけが頼りだ。

 

 とはいえ、ニムの残燃料のことを考えるとあまり無理はさせられない。

 一刻も早く魔晶石を補給しなければ、この前みたいに完全機能停止状態になっちまう。まあ、その魔晶石を買うためにも俺の金を取り戻さないといけないわけなんだけどな。

 

「おまえくれぐれも全力出すんじゃねえぞ?」

 

 俺のその言葉にひょいっと振り向いたニムがにんまりと笑う。

 

「わかってやすよー。でももしもの時はまた助けてくださいね?」

 

 その微笑みにどきりと心臓が跳ねる。

 

「うっ……だから、そうならないようにしろって言ってんだろうが!」

 

 でしたでした! と言いながら再び正面を見るニム。

 いや、今のは危なかった。

 ニコッとほほ笑んだニムの顔に思わず見とれちまったし。いかんいかん、こいつは機械だ、人形だ。しかも脳内思考エロエロの性別不詳なんだ。

 俺はドロイド偏愛家の連中とは違うっつーの!

  

「お、ご主人、この先がアジトみたいっすよ?」

 

「え?」

 

 急にニムに掴まれ道脇の建物の陰に引っ張り込まれた。急にニムの身体にぎゅうぎゅうと密着されドキマギしてしまう。すぐ目の前につやつやしたニムの黒髪と、俺を見上げてくる大きな瞳。

 思わずプイっと目をそむけたそこへニムが続けた。

 

「そこのぼろぼろの建物の周りにさっきのスリの人の足跡とか手で触った跡だとかたくさんありますね。それと、笑う声と、じゃらじゃらお金を触っている音も聞こえてきます。どうやらあそこで間違いないっすね」

 

「そうか」

 

 言われて覗いてみれば、石造りの大きめの三角屋根の建物。入り口が大きな扉となっているその様は、教会とか礼拝堂が近いだろうか。死者の回廊にあった礼拝堂から比べればかなり小さい感じではあるが。

 付近に人影はない。いつの間にかかなり街の中心部から離れていたようだ。

 

「どうします?」

 

 ニムにそういわれ、建物を見上げてみる。

 どうやらあの中で俺から盗んだ金を拡げているらしい。それを見ながらにやけているとか、なんだかだんだん腹が立ってきた。

 さてでもどうするか……

 ニムの燃料から考えると、とてもじゃないけど戦闘行動を取らせることは出来ない。なら、俺がやるかってことになるけど、さて今はどんな魔法がつかえるのやら。

 ここにどんな精霊がいるのか皆目見当もつかないから、どんな魔法をつかうにしても博打になってしまうわけで、うまくいかない確率の方が圧倒的に高い。

 では剣で戦うかって話なんだけど、しょせん俺はレベル1だしな。

 相手のステータスの方が高いと考えた方が自然で、そうなれば踏み込んだは良いけどあっという間に返り討ちにあうだろう。

 ただな、見た感じただのガキにだったしな……それなら俺が押さえ込むことも可能なのかも……いやいやレベルのあるこの世界を舐めるわけにはいかない。

 レベルが1違うだけでアビリティーの数値は倍増してたりするんだ。今まで100m20秒だった奴が、レベルが一つ上がっただけで、10秒切ってきたりするんだ。いくら相手がガキでも油断はできない。

 

 では……

 

 と、俺はニムへと向き直り計画(プラン)を話す。

 それに頷いたニムと俺は早速行動に移るのだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「へへへ……ちょろいね」

 

 灯りも点けていない埃舞う狭い部屋に、その小柄な人物は居た。

 動きやすそうなグレーに染められた半袖と半ズボンを着たその様子は、幼くあどけない顔付きもあいまって、人間の子供にしか見えない。

 しかし、その頭の茶髪の間から見えるのは大きな丸い耳。この特徴的な耳からこの子が普通の人間ではないことが推察できる。

 

 『鼠人(ラッチマン)

 

 そう呼ばれる種族の彼の年齢は不詳である。

 なぜなら、鼠人と呼ばれる種族の人間は、成長速度こそ人間と同じだが、7歳児程度で完全にその成長が止まる。そしてその姿のままで生涯を過ごすのだ。

 つまり、この子供のような見た目に反し、鼠人の多くは成人ということになる。

 

 鼠人は手にした財布から金貨を取り出すとそれを机の上に並べ始めた。そして、口端が自然とつり上がるのをそのままに数え始めた。

 まさかこんなにたくさん稼げてしまうとは……

 その鼠人は思いの外の収穫に笑いが止まらないでいた。

 あまりにも無防備にボケッとしていたあの男を見つけたときは、ほんの小遣い稼ぎ程度のつもりで狙いを定めたのだ。

 服装からして冒険者風であったが、どこからどう見ても無警戒の上、なんの威圧も脅威も感じない。ある意味特殊過ぎる存在であり、普通なら裏があるかと諦めるところであったのだが、今回に関してはすぐに金が入り用だったこともあり即断即決で標的に据えたのだ。

 仕事は簡単も簡単。スキルを使うまでもなく簡単に財布を抜き取ることができた。

 盗った瞬間も気がついたそぶりはまるでなく、走り去るこの鼠人を気にかける様子もまるでない。

 プロの立場からすれば、人混みに溶け込んだ時点でもう盗んだ方の勝ちなのである。

 それでも何かあるといけないと、必要以上に遠回りをし、痕跡を消しながらこのアジトへとたどり着いたのだ。

 あの一瞬からここまで辿り着ける術などあるわけがない。それを知っているからこそ、今余裕をもってこの金貨を眺めているのだ。

 これだけあれば、必要な金を払ってもまだお釣りがある。それを思うだけで笑みがこぼれた。

 

 その時……

 

 ドンドンドンッ!

 

「!?」

 

 急に階下から鳴り響いた大きなその音に鼠人はびくりと身体を震わせた。そして慌ててテーブルの上の金貨に目を向けた。

 今ここで金の音を響かせればどんなことが起こるか分かったものではない。

 この廃教会に訪れる者など、この鼠人をおいて他にいるわけがないのだ。こんなところに用がある人間などどうせ碌でも無い奴に決まっている。

 自分のことを棚に上げてそう断じた鼠人は厚手の袋を取り出し、音が鳴らないように慎重に慎重に金貨を移した。そして全てを仕舞い終えるとそれを身体にくくりつけ、同時に音がする方とは反対……となりの廃墟に飛び移ることが可能な出窓まで移動すると、そっとその窓を開きその縁に足をかけた。

 

 よし、これで逃げ出せる……

 

 そう確信をもって頬を緩ませたその時、鼠人の身体がふわりと宙に浮いた。

 

「え?」

 

 理解できず、微かにそうこぼすと、刹那自分の状況を理解する。

 浮遊感は確かにあるが浮いているのではなく、自分が立っていた窓の縁が消失しそのまま落下を始めたのだとわかったのだ。

 何がどうなってこうなったのか……

 それを理解し終える前に彼はその身体を空中で器用に回転させて視界の端に収まっていた教会の壁の一部へ向かって足を伸ばし、そしてそれを勢いよく蹴った。

 小柄なその体躯はまるで弾かれたかのように空中へと躍り出た。

 だが……

 

「そうこなくっちゃな」

 

「ええ?」

 

 鼠人が跳躍した先……廃墟と化した建物の屋根の一つにそれが待ち構えていた。

 緋色の全身スーツ姿に長い長い『棒』を持ったその長身の男が、飛び上がる彼を追うように空中へと飛び上がってきたのだ。

 

「わわわ」

 

 慌てて体勢を建て直そうとするも、ここには足場もなにもない。必死に逃れようと動いたのだが、勢いのついたその男の棒が鼠人の身体に辿り着く方が早かった。

 

「うえっ」

 

「ちぃっ、浅いか」

 

 吸い込まれるように腹にめり込んだその長い得物。だが、幸運にも軽い身体である鼠人(ラッチマン)には大したダメージにはならなかった。

 腹部に強烈な痛みを感じつつも山なりに弾かれ落ちていく鼠人。必死にこの窮地を抜け出そうと思案するが…… 

 何が起きているのかはわからない。でも、何者かが自分を狙っている。そうだとあするならば、一刻も早くここから、この町から逃げ出さないといけない。それを思った瞬間彼は自分のスキルを発動させていた。

 小さな身体が地面に落着したと同時、鼠人は凄まじい速さで駆け出していた。

 

「うおっ」

 

「は、速いっ!」

 

 確認はしていないが、自分を取り押さえようとしている者は複数人いるようだ……直感にもちかいその閃きから鼠人は全力での離脱行動へと移った。

 使用したスキルは『超加速』。

 とある風の精霊の加護を得ているその鼠人は、その身に精霊力の衣を纏い地面を蹴った。

 小さなその身体がまるで弾丸のごとく勢いで路地を駆け抜ける。

 追撃者も急な変化に驚いた声をあげているが、そこに居るものでその速度に反応できるものはいなかった。

 50m……

 20m……

 あと、少し……

 路地を抜ければそこはこの宿場町のメインストリート。人通りもまだまだ多く、それに紛れてしまえば逃げようはいくらでもある。それこそ別のアジトへいくでも、街を出るでもいい。とにかく、そこまで……そこに辿り着きさえできれば……

 

「はい、ここまでっすよ」

 

「えええ?」

 

 鼠人はいきなり襟首を掴まれて持ち上げられた。

 宙へと浮かびあがるその身体。もういくら身を捩ろうとも地を蹴ることはできない。

 ジタバタと足を動かしていた鼠人はそして、いきなりの急制動に身体を振り回される。

 ザザザザーーーーーーーッと、砂煙を巻き上げながら地面を滑りながら止まろうとするその存在のことに漸く気がつき、ふと顔を向けてみれば、漆黒の髪をはためかせた美しい妖精の姿がそこにあったのだった。

 

「つーかまえた!」

 

 鼠人に向かって優し気なまなざしを向けた黒髪の妖精がにこりと微笑んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 緋竜の爪

「まったくもって面目ねえ」

 

「ほんとっすよね! せっかく依頼だしたのに結局捕まえたのはワッチなんすから。これは報酬減額でもいいっすよね?」

 

「うう……鼠人(ラッチマン)一人捕まえられねえとは、俺たちも焼きがまわったぜ」

 

 その男は背を丸めて縮こまっているし。そして、それに倣うようにして、男の周囲にいる連中もしゅんと項垂れてしまっている。

 それを見下ろしながら腕を組んでプンスカしているニム。

 そんなニムをチラチラ見上げながら男が言った。

 

「いやあれだ、まさか『超加速』なんて極レアスキル持ってるなんて夢にも思わなくてだな」

 

「言い訳はいいっすよ」

 

「はい」

 

 速攻で再び項垂れる長身の男。

 なんだろう。何かとっても悪いことしている気がしてきた。

 俺は頭を掻きながらニムと連中に向かって言った。

 

「まああれだ。俺も条件に成功報酬云々を書くの忘れちまったし、相手のスキルだなんだも分からなかったんだから、まあ今回は無事成功ってことで」

 

「いやさすが紋次郎の旦那! 話が分かるぜ! いよっ! 大帝王! 大覇王! 俺たちゃ一生あんたについていくぜ! がははははは」

 

 いきなり陽気になったそいつは俺の背中をバンバン叩いてくる。

 いや、強すぎっから。超痛いから!

 大帝王って、ひょっとして大統領みたいなもんか?

 

「調子よすぎだろ。そもそもあんた俺よりずっとランク上じゃねえか。適当なことばっかぬかしてんじゃねえよ」

 

「小せえ小せえ、そんなことはどうだっていいじゃねえか、さささ。今日は俺らのおごりだ。遠慮なく飲んでくれ」

 

 と、俺のコップに酒を注ぎにかかる。

 そもそもその金の出所は俺なんだがな。

 イラっと思いつつも、急に調子のよくなったそいつと、その仲間たちを見ながら俺は注がれた酒をくいとあおった。

 

「はあ、本当にご主人はお人好しっすね。」

 

 大きくため息を吐きながら俺の隣で二ムが睨んできている。

 へえへえその通りだよ。どうせ俺はお人よしだよ。なにせ、自分が金を出して雇った連中にこんなに気をつかってんだからな。まあ、しかたねえだろ、もともと俺はこんな奴なんだから。

 

 そう、この目の前で陽気に酒を飲んでいる4人は俺が雇った冒険者なのである。

 

 例の窃盗犯のアジトを特定した俺と二ムは、すぐにそこに突入しなかった。

 ではどうしたかと言えば、二ムにその場を任せて、俺が走ってここに来るまでに見つけていたこの街の冒険者ギルドへと駆けこんだのだ。

 要は助っ人を頼みに行ったわけだな。

 これでも俺も冒険者。ギルドへの依頼の出し方、依頼料の目安も大体わかっている。ということで、すぐさま依頼を出したわけだけど、普通に出したのでは中々受諾されない可能性が高い上に、低レベルの奴が来ようものなら頼むだけ無駄に終わってしまう。

 そこで俺は、その場に居合わせた冒険者限定で相場の2倍の依頼料を提示し、かつ、Bランク以上の奴を指定したのだ。

 冒険者のランクはEランクからスタートし、依頼の達成度や件数に応じてD、Cとそのランクが上がって行く仕組みになっている。当然、ランクが高い方がより高難易度のクエストにありつけるようになるし、その分実力者が多いため、依頼をする場合もかなりの高額となるのだが、その分依頼達成率も上がるというわけだ。

 盗まれた額は相当なもんだったからな、ここで5万や10万を出し渋る理由にはならないし。

 ちなみに俺は現在Dランク。レベルは1だが、それなりの件数をこなした上にギルドへもキチンと納税しているためか、あっという間にランクが上がった。なんか納税額が増えたしうまいこと食い物にされてる気もしないではないが……まあいいか。

 つまり、より確実に依頼を遂行させようと思ったらそれなりにランクの高い冒険者を用意する必要があるわけで、俺は今回Bランクという、国や諸侯が兵隊の幹部クラスとしても欲しがるクラス、アルドバルディンにも一握りしかいなかった上級冒険者を指定したのだ。

 

 とはいえ、そこにそのランクの冒険者がいることが前提となってはいたのだが、幸いか不幸か、そこに彼らがいた。

 

 パーティ名『緋竜の爪』。

 

 緋色の全身スーツ様の目立つプロテクターを装着したリーダーの【シシン】を始め、他の3人もその身体に緋色に彩られた何らかの装備を装着していた。

 一見して見立つ彼らだったがそれだけではなかった。明らかにかなりの業物と判別できる上等の武器を携え、身に付けている防具もその辺に売っている二束三文のそれとは違う洗練された物であることが見てとれた。

 それだけでもこの連中が只者ではないことが分かり、とてもこの依頼を受けてくれるとは思えなかったが、金額を伝えた途端に一もニもなく即答してくれた。どうやら相当な金欠だった様で、すぐにでも仕事が欲しかったのだという。

 その後で分かったことではあるが、リーダーのシシンはレベル42にして単独でランクA……それも最高ランクであるランクSに間もなくなるだろうと噂されるほどの人物であり、他のパーティメンバーも軒並みランクBの超実力者揃いだった。

 一応パーティ構成を記しておくと、

 

【シシン】人間男/レベル42/ランクA/戦闘士

【クロン】人間女/レベル31/ランクB/弓術師

【ゴンゴウ】人間男/レベル35/ランクB/僧侶

【ヨザク】人間男/レベル40ランクB/探索者

 

 シシンは赤髪長身の棒使い。見た目からしてチャラい感じだが先ほど言った通りかなりの実力者である。

 クロンさんは、青いウェーブの掛かった髪の大きな瞳の一見して美人な女性。動きやすい革製の装備とかなり大きな銀の大弓を武器とした弓使い(アーチャー)だ。

 ゴンゴウは僧侶……というより僧兵って感じか。着物に似た黒と白の布製の法衣を纏い、筋肉質のいかつい体系の坊主頭は正にお坊さんのそれ。数珠でも持って居ると似合いそうなものだが、手にしていたのは鋭い刃の青竜刀だった。恐ろしい。

 そして最後、まるで猿の様な顔の茶髪の若い男のヨザクは、元盗賊の現探索者(シーカー)で、普段使う武器はダガーらしいが、実践では他の3人が脳筋すぎるため、ほとんど活躍の場面はないらしい。実際に俺もこいつの武器については見ていないのである。

 

 素性もわかりお互いの損得勘定が合致したことで、こうしてこの連中に俺は依頼したわけだが……

 

 俺達は犯人から盗まれた物を完全回収するために、犯人の逃走ルートを絞りこんだ。ニム曰く犯人は二階にいるとのことで考えうる逃走ルートはいくつかあったが、階下からの脱出をつぶすことで窓からの逃走へと誘導することにした。

 まず、俺が正面入り口を激しくノックした。こうすれば如何に図太い神経の持ち主であっても金を持ってすぐに逃げ出すだろうと踏んでのことだ。

 案の定犯人は予定通り窓からの逃走に移る……と、そこに待ち構えていたのは長弓を手にしたクロンさん。彼女は威力強化の魔法を付与した矢で、寸分の違いなく窓辺を撃ち抜き、ちょうど跳ねようとした鼠人を落下させた……かと思ったらなんと壁を蹴って空中へ舞い上がった。凄まじい身体能力だ。

 だが、当然それも予定の内で、リーダーのシシンはそれに対応し長尺の棒で犯人を突き落としたものの、待ち構えていたゴンゴウとヨザクの二人の間を高速ですり抜けるまさかの犯人。

 ということで、結局のところ最後にちょっとだけ本気を出したニムが捕まえたというわけだ。

 

「それにしてもよ紋次郎の旦那。旦那のお連れさん、まさかレアスキルの『超加速』使ってる奴に追い付くなんてな。いったいどんなアビリティーしてやがんだよ」

 

 リーダーのシシンが肉をかじりながらそんなことを聞いてきた。ま、当然気になるよな。

 それを聞いてニムがフフンと鼻を鳴らして胸を張った。大きな二つのそれがたゆんと波打ち、男連中の目が釘付けになっているが。

 

「ま、ワッチはご主人に全身いろいろ弄られてやすからね! これも当然っすよ!」

 

「「「い、弄り!?」」」

 

 一人の女冒険者を除いて、男連中が同時に絶句した挙げ句、なぜか急に俺を注目しやがるし。な、なんだよ、やめろよ。はすがしいだろ?

 確かにニムの駆動系は特に重点的に改造を加えたな。リアクター全開からの踏み込みなら軽く音速を超えるだろうよ。やらせたことないけど。

 そんなことを考えながらちびりと酒を飲むと、シシンがにやけながら声をかけてきた。

 

「旦那~~。真面目な顔して結構な好き者だなあんた。ひょっとしてこのすげえ娘、あんたの奴隷なのか?」

 

 肩を抱いてそんなことを言ってくるシシン。ええい、鬱陶しいな。

 

「うるせいな、んなわけあるか……」

「いえいえいえ、そのとおりっすよ? ワッチはご主人の性奴隷で肉奴隷で穴奴隷っすよ」

 

「「「うおぉぉおっ!?」」」

 

 またもや一人の女性冒険者を除いて男どもが全員絶叫した。というかそのクロンさんとかいうその女性を見れば、顔面真っ赤でカチコチに固まっているだけだった。いったい何をニムの戯けた与太話に動揺してんだか。

 

「てめえっ、ニム! 適当なことばっか抜かしてんじゃねえよ! 大体てめえ奴隷ですらねえだろうが!」

 

「えっ? じゃ、じゃあついにワッチを奥さんにしてくれるんでやんすか? めっちゃ嬉しいっす!」

 

「ちげーよ、バカっ!」

 

 こいつはいったいどうしてこういつもいつも頭の中お花畑なんだよ。ヘラヘラ笑い続けるニムに詰め寄ろうとしたそのとき、俺の背後から男連中のはあっという大きなため息。

 

「なあ……ゴンゴウ、ヨザク……パーティにこんなに可愛い女の子がいるって、スゲェ……いいな」

「ウム……」

「右に同じッス」

 

「はぁっ!?」

 

 ガタタッと端で飲んでいたクロンさんがそれを聞いて椅子を弾いて立ち上がる。

 

「あ、あんたたちねえ……どの口がそれを言うわけ? いるでしょここに、美人の仲間が。脳みそ腐ってんじゃないのっ!?」

 

 と自己主張よろしく、堂々と張ったその自分の控えめな胸に手を当てるクロンさん。

 それをチラリと横に見た他の3人が、特に表情を変えるでもなく暫く見つめて、そして首をふるふると横に振った。

 

「お前はなぁ……まあ、女の子っちゃ女の子なんだよな……性別だけは」

 

 と、チラリと慎ましやかな胸に視線を落としながらぽそりとそう言ったシシンの目の前で、真っ赤に染め上げられた鬼面の美女が震えながら咆哮した。

 

「むぎゅぅうあああああああっ! 殺す! ぶっ殺す! ぐっちゃぐちゃのミンチにしてやるっ!」

 

「むはははははは……怒ってんじゃねえよクロン。ごめんごめん、愛してるって、ぬはははは」

 

「ぐぎいいぃぃっ! 死ねこのクソ○×△□±Ω∀……‼」

 

 シシンに飛びかかったクロンが全力でシシンの顔面を殴打しているが、仲間のゴンゴウとヨザクはそれを止めない。黙って視線も向けずに、酒を飲んでいるし。

 

「なあ、お前ら。あれ止めなくていいのか?」

 

 そう言うと。

 

「うむ、良いのだ。あれがやつらの愛情表現だからの。南無」

「そうそう、クロンの奴、シシンさんにホの字のくせに自分からじゃ素直に近寄ることもできねえんだもんな」

 

「んなっ!?」

 

 二人にそう言われ、顔面真っ赤で絶句するクロンさん。

 うーと唸るだけになった彼女の頭をシシンの奴がわしゃわしゃと撫でているのだが、クロンにぼこぼこにされたその顔面は腫れ上がって妖怪のようになってしまっていてまるで格好がついていない。だが、されるがままにされているところを見ると、クロンもまんざらでもないようだ。

 

「はあ、いいっすねー、ラブラブっすねー」

 

 うっとりとそんな二人を眺める二ムに、ゴンゴウとヨザクの二人が『相手がいる奴はいいなー』とか淀んだ声で再び深いため息をついていた。

 そんな暗い顔の二人に俺は構わず聞いた。

 

「そういやあんたら、そんなにレベルもランクも高いのに、なんでこんな辺鄙な街で金欠になってたんだよ。どう考えてもおかしいだろ。おかげで俺は助かったんだが」

 

 冒険者初心者の俺でもわかることだが、レベル30~40と言えば相当な強さだ。

 確か通常の街の住民のレベルが1~10で、戦いを生業としている者でも10~20がほとんどだったはず。レベルが上がるにつれて中々上がらなくなるし、当然より強い敵と戦う必要が出てくるため、なかなか高レベルにはならない。アルドバルディンの冒険者だって、そのほとんどは20未満だったはずだ。

 レベル40と云うのは、はっきり言って変態の領分である。並大抵の試練を越えた程度ではここまでレベルを上げることは叶わない。所謂『ボス』と呼ばれる強力なモンスターを相当狩ったと推測できる。

 それとギルドのランクについてだが、彼らは全員ランクA。最上位のランクSに次いで第二位のポジションだ。当然ギルド内での扱いもより上等なものになるし報酬も並外れて大きい。

 

 そんな連中がこんな片田舎で金欠に陥っている理由とはいったいなんだ?

 当然の疑問なのである。

 聞かれた当の二人は一度顔を見合わせたあとで、こう返事をした。

 

「実は我々にも良く分かっていないのだが、とある村の宿屋に泊って朝起きたら荷物はおろか、宿屋も村も無くなっていたのだ」

 

「はあ?」

 

 なんだそれは、どっかで聞いたことある話だな。

 

「ひょっとして雀の舌でもちょん切った? んで、大きなつづらもらったりとかした?」

 

「なんで鳥のベロを切ると荷物を盗まれて村がなくなるんス?」

 

 結構真面目に返された。『舌切り雀』の話はメジャーじゃなかったか。

 続きを促してみれば、ヨザクが話始めた。

 

「実は俺等は王都のギルドの依頼でこの街の東に住み着いた『孤狼団(ころうだん)』って名前の盗賊の討伐に駆り出されたんスよ。なんでもこの付近の村々が襲われてるとかで、王都に陳情があったらしいんスけど、聖騎士が色々忙しいそうで俺らにお鉢が周って来たんスよ」

 

 ん? 盗賊?

 そういやこの街に来る前に出くわした女の人達を馬で追いかけてたのは盗賊だったような……

 そんなことを思い出しながら彼らを見れば、今度はゴンゴウがお椀の酒をくいと飲みながら話し出す。

 

「うむ……何か所かその襲われたとかいう村を回った後で、我々はまだ被害に遭っていないらしい村に辿り着いたのだ。着いてすぐに村長や村の顔役に歓待を受けたのだが……」

 

 言い辛そうに話す彼の話の続きはこうだ。

 

 歓迎会に『緋竜の爪』の4人全員で参加し、したたかに酒を飲んだ。そして気分を良くした4人はそのまま宿に泊まったのだが、起きて見れば宿はおろか村も村人も全て消え、草原に横たわっていて荷物の一部が無くなっていたのだという。

 まあ、間抜けすぎるといえばそうだが、仮にも彼らは高レベル高ランクの冒険者集団。いくら脳みそ筋肉の集まりだとしても、一晩中気がつかないなんてことはまずないだろう。油断していたというだけでは説明がつかない。

 魔法や何か……彼らが感知できない何かを使われたと考えるのが妥当だろう。

 

「それで、あんたらはこの後どうすんだよ」

 

 俺がそう尋ねてみれば、今度はクロンとイチャイチャ(?)していたシシンが腫れあがった顔をさすりながら答えた。

 

「当然依頼を遂行する。盗まれたのも金や一部のアイテムだけだったしな。これで軍資金も手に入ったし、装備を整えて今度こそその『孤狼団』とかいう盗賊をぶっつぶしてやるぜ」

 

 その言葉に他のメンバーも頷いているところを見ると、もうそれは確定事項なんだな。訳の分からないままに出し抜かれて腹に据えかねてるってところだろう。だったら、俺に言えることは何もないな。

 

「ま、頑張れよ。それじゃあ俺らはもう行くからな」

 

「え? ご主人、もう行っちゃうんでやすかい?」

 

 二ムが相変わらず出された食事をとりながら酒を飲んでいた。

 お前な……そんなに食ってもお前の身体じゃ大したエネルギーに変換できねえだろうが。本当は今すぐにでも魔晶石を買いに走りたいとこなんだが、この時間じゃそれも難しい。

 

「さっき捕まえた鼠人の奴もどうにかしないといけないしな、とりあえず縄で縛ったままじゃあんまりだろうから、きっちり折檻してだな……」

 

 財布と現金を回収し、縄で奴を締上げて今はこの酒場に併設された宿屋の一部屋に転がしてあるはずだ。

 まあ、そろそろ反省していることだろうし、きつく言って解放してやろうかと思っていたのだが……

 俺がそう言った直後に目の前の4人が顔を見合わせてちょっとだけ居心地悪そうに俺を見た。

 

「なんだよ」

 

「あ、いや、別に何をしたってわけでもないんだがよ、ほれ、旦那の手を煩わせるまでもないっておもってな……」

 

「?」

 

 何を言ってんだこいつは。

 シシンが何やらもじもじしながら冷や汗をかいている。

 なんとなく嫌な気配を感じて俺がどういうことだと聞くと、こう返って来た。

 

「いや、あれだ。結局は盗人だからよ。盗人らしく捕まった時の処分をもうしておいたんだよ」

 

「だからどういうことだよ」

 

 もう一度聞くとシシンが大声で笑いながら頭を掻いて、そして答えた。

 

「面倒だからさっき奴隷商人に売り飛ばしておいた」

 

 と、金貨が何枚か入った袋を俺へと手渡してきた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 奴隷商人

「なあ、旦那ぁ。俺らは別にわざとやったんじゃねえからな。な、な、許してくれよ」

 

 早足で歩く俺に並ぶ様にしてシシンがそう言ってくる。

 ニムも他の連中もやはり急いで付いて来ている中、一応俺は気にするなとシシンには告げた。

 いや、失敗した。

 この世界の常識とか本当に分からなかったもんで、下手人をそのままこいつらに渡したままだったんだが、まさかこうもあっさりと奴隷商人に売り払うとは思っても見なかった。

 はっきり言ってかなりの驚きだ。

 普通、俺たちの世界のような法治国家であれば、犯罪者は男でも女でも、年寄りでも子供でも、多少知能の低い異星人だってまずは拘留されて取り調べを受けてから、裁判へと進む権利があって当然なのだが、まさかこっちの世界では、逮捕・即奴隷堕ちになるとは夢にも思わなかった。

 一応国もあるし、警察代わりの騎士団や冒険者ギルドがあるから法治国家と言えなくもないのだろうけど、実質それを管理監督している者がいない以上、身柄を確保されてしまえばその生殺与奪の全てはその相手に握られてしまうということだろう。

 しかもそれは日常茶飯事なんだろうな。こうして犯罪奴隷だ、人身売買だと普通に行われている世界な訳だし、ある意味犯罪者をこうすることは常識でもあるのだろう。

 まったく、いったいどこの歯には歯を理論だ。 

 当然だが、俺だってそこまで要求しているわけではない。

 盗みを働かれた以上、賠償などはあって然るべきだと思ってはいるが、それはあくまで通例に照らし会わされたレベル相応の分においてのみだ。

 なにも、わざわざ過分の贖罪を強いてそいつの人生を台無したいなどと思うものか。むしろ、そうだとしたら気分も悪いし、目覚めも悪すぎる。俺はそこまでサディストじゃねえんだよ。

 

 大通りを歩くこと10分。俺たちの目の前に表の戸を固く閉ざした大きな3階舘の洋館が現れた。

 ここでいいのか? と確認すると、俺たちが酒場に入っている間に鼠人を売りに行っていたヨザクが間違いないと肯定する。

 店の前には荷馬車を止める駐車スペースも広くとられているし、一目で大きな取引を行うことが可能な場所であることが推測できた。

 俺達はまず正面入り口に立ってそのガラス戸の隙間から覗くも、奥の方の部屋から灯りが漏れているのが分かる程度でそこで声を掛けても誰も出てくる気配はなかった。

 少なくとも中に誰かいるのは分かったから、俺達は全員で裏口へと向かった。

 

「止まれ。なんだ? お前らは?」

 

 館の裏口へと向かうと、そこには腰に剣を差した大柄な男の姿。まさしく『ザ・用心棒』って感じの風貌のこいつはこの館のガードマンなのだろう。

 俺は、さっきここに連れてこられた鼠人を売った者の仲間なんだが、店主と話がしたいんだと説明した。

 ガードマンは一度中に入るとすぐに出てきた。

 そして無言のまま顎をくいとしゃくって俺たちに中へ入るように促した。

 俺は通りすぎ様どうもと軽く会釈をして入ったわけだが、そいつの視線は俺ではなく、すぐ後ろのニムとシシンと並んでいるクロンに向けられている。

 そのじっとりとした舐めるような視線にげんなりとしながら俺達は中へ入った。

 

「これはこれはこんな時間にどうかなさいましたか?」

 

 そう言いながら現れたのはでっぷりとした体型に明らかに営業スマイルといった感じの笑顔を張り付かせた中年の男。奴は慌てて服を着たのかシャツがズボンから少しはみ出したままでそれを直し直しそこに立っている。

 そんな奴にむかって最初に口を開いたのはシシンだった。

 

「あんたが店主か? いやなに、実はさっき俺たちが連れてきた鼠人(ラッチマン)なんだがな、実は奴隷にする話は間違いだったんだ。金を返すから、奴を返してくれねえかな」

 

 そう言いながら、その代金らしきものが入った袋をその男の目の前に差し出した。

 男はそれを一瞥すると、中を確認することもなく大きく頷いた。

 

「左様でございますか、それはそれは心配でしたでしょうね。『隷属契約』を結んでしまえば完全な奴隷となってしまいますしね。ええ、ええ、当然まだ契約は結んではおりませんとも。お客様がお早くお越しになられて本当に良かったです」

 

 店主の男は人の良さそうな笑みを浮かべて手を揉んで俺たちを見ている。やはりというか、ニムやクロンを見るときの目がかなりじっとりしたものであるのは、人の売り買いを生業としている商人としては最早致し方ないのかもしれないが、とりあえず件の犯人は穏便に返してもらえそうだ。

 

「悪いな。ではこの金を返そう」

 

 そう言って袋を再度差し出したシシンに店主は大きく首を振った。

 

「いえいえ、それには及びません。そのお金はあなた様方に商売の対価としてお支払したもの。それを返していただく必要などありません」

 

「は?」

 

 嫌な予感を覚えつつ、店主の言葉の続きを待っていた俺の耳に、最悪の返答が飛び込んできた。

 

「では、改めまして、お預かりしている鼠人の少女をお返しする額と致しまして、金10,000,000ゴールドをご請求させていただきましょう」

 

「はあっ!? い、一千万……だと? ちょ、ちょっと待て店主。お前は何を言ってるんだ? 俺がお前に売った時の代金はたったの5000ゴールドだったんだぞ? それがなんで買い戻すだけで一千万ゴールドになるんだよ」

 

「ご主人……」

 

「ああ、やられたな」

 

 怒声巻き上げるシシンの後ろでニムが俺にポツリと不安そうに囁いていた。

 これがこの世界のやりかたなんだろうな。いや商売の需要と供給の観点から考えても至極自然か。

 要らないから売りたい俺達から安く買い叩いた商人。返してほしい俺たちに高額をふっかける商人。どちらも商売として考えるなら普通の考え方だ。

 何しろ俺たちが欲しがっているのは代替品のない生身の人間だ。値段が高いからといって、じゃあ他のでいいとは言えない。商品を指定しているわけだからな。

 これが俺達のいた世界であれば、クーリングオフだ、回収だと正規の手続きも存在するし、そもそも人身売買も表向きには行われていないから取り戻す方法はいくらでもある。

 けどここは異世界で、ここにはここのルールもある。

 こうも強気に出られればこっちにはもうどうしようもない。

 

「なあ、旦那ちょっと……」

 

 シシンにそう言われ、俺達は隅の方でちょっとした打ち合わせ。

 シシンは両手をぱちんと合わせて俺に頭を下げた。

 

「いや、本当に申し訳なかった。今回は俺たちの完全な失策だ。この詫びはいつか別の形で必ずするからよ、今回だけは勘弁してくれよ。な? な?」

 

「え? じゃあ、シシンさんたちはあの鼠人の人を助けてくれないんでやんすか?」

 

 ニムにそう言われ、頭を掻くシシンと仲間たち。

 

「いやぁ、今回は流石にどうしようもねえだろ。あの鼠人だって、今回はあくまで犯罪をしたから売り飛ばされたわけだし言い逃れのしようもねえしな。それに、いくらなんでも一千万は高すぎるぜ。一国の姫を買うわけでもねえのに、そんな大金奴隷に使うバカはいねえよ」

 

 一国の姫がその値段で奴隷になっている可能性があることにまず驚きだが、こいつらのこの軽い反応はまさに驚愕だ。

 それはニムも同じだったようで、こいつはこいつでいきなり憤慨しはじめた。

 

「もういいっす。じゃあ、ワッチが助けてくるっすから」

 

「おいバカやめろ。お前のそれはただの犯罪だ。そもそも今のお前は全力だせねえだろうが」

 

「ここにいる連中全員指先ひとつでダウンっすよ? ゆーあーしょっくっすよ!」

 

「誰が北斗○拳使えって言った! 使うなバカ!」

 

 ニムがチェーと口を尖らせているが。

 こいつ俺が止めなきゃマジでここにいる連中皆殺しにするつもりだったのか。恐ろしいな。

 

「どうされるかお話は纏まりましたかな? 私もこう見えてなかなか忙しい身の上ですので、そろそろおいとましたいのですが」

 

 店主がそう言いながら微笑みかけてきた。

 正直、シシン達の協力はもう仰げないし、こいつらの言っていることももっともで、犯罪者が奴隷堕ちするのがこの世界の常識だと言うのならばそれも仕方がないような気もしてきていた。

 

 でも……

 

「ご主人、ワッチはヤっすよ?」

 

 俺の隣の機械人形は本当にぶれないな。

 常識がとか、法律がとかではなく、ただ嫌だからというだけの解答。でも、それは俺にとっても同感とするところだった。人を物として扱うこと、扱われることを容認することは絶対にしない。

 

「あー、シシン。もう大丈夫だ。あとは俺とニムの二人だけでいい」

 

 ひらひらと手を振ったあとで、俺は店主に向き直る。

 

「さすがにその条件では飲めねえよ。いくらなんでも高すぎる。他の方法はなにかないか?」

 

 俺の言葉に店主は微笑んだままで顎に手を置く。そしてその視線は当然のようにニムへと向かっていた。

 

「ではこうしましょう。お客様のお連れのお嬢様と交換ということで良ければこちらも応じましょう」

 

「ダメに決まってんだろうが」

 

「へ?」

 

 案の定の店主の案を俺は当然却下した。それを不思議そうな目で見てくるニム。いや、当事者のお前がそんな目をするんじゃねえよ。

 

「ご、ご主人……そんなにワッチのこと……マジで愛してやす」

 

 涙ぐみながらそんなことをのたまうニム。

 いや、マジでダメだから。お前をこんな異世界に放逐したら最後どうなるかわかったもんじゃないから。

 最悪、万が一の話ではあるが、俺がリミッター解除した陽電子リアクターが暴走したり、もしくは故意にさせたりして、対消滅現象でも発生させやがったら一貫の終わりだ。いったいどれくらいの規模で宇宙が抉られるか、想像するだに恐ろしい。

 絶対に駄目だからなと再度繰り返すとニムはニマニマしながら頷いて、店主はやれやれと肩を竦めた。

 

「お客様は相当強欲でいらっしゃる。あれもこれも全て手に入れたいご様子……でも私もそのような考え方は嫌いではありませんよ……では分かりました。よござんす、お客様のお人柄に免じて私も折れるとしましょう」

 

 店主がいきなりそんなことを言い出した。こいつの口は滑らかすぎて怪しさ満点なのだが、さて……

 

「では一つ私とゲームをしましょう」

 

「ゲーム?」

 

 急に訳の分からないことを言い出す店主に当然俺も身構えるも、それを見た店主が大丈夫だとジェスチャーを入れてきた。

 

「いえいえいえ、ゲームと言ってもそんなに難しい話ではありません。私はいろいろと忙しいと申しましたが、なかなか買い物に行く時間もないのです。ですので、皆さんにヒントを差し上げますので、私の欲しいものを予想して購入してきて欲しいのです。別に意地の悪いヒントを出したりもしませんし、当然この街で買えるものにしますし。それと、十分購入可能なお代も当然先にお渡ししておきますし。このゲームをクリア出来たなら、あの鼠人を5000ゴールドでお返ししてもかまいませんよ。ほら、簡単でしょう?」

 

 人の良さそうな顔の店主はあくまでポーカーフェースで何を考えているのかまでは読み取ることができない。

 だが、確かにこのゲームをクリアすることで良いならそれほど難しくは無いことのようにも思える。

 店主の言の通りだとするなら、俺達はこの町で売っている商品を見つけ出してそれをただ買ってくるだけでいい。多分ゲームというくらいだから見つけ出し難い物なのだろうけど、ヒントがしっかりしていればそうそう迷うこともないような気もする。

 なんとなくだが、急な来訪者である俺たちに辟易している様でもあるし、ひょっとしたらこいつの中では例の鼠人をさっさと渡しても良いと思い直しているのかもしれない。ただ、商人としては『はいどうぞ』と言うのが憚られてあんなとんでもない金額を提示しただけなのかもしれない。

 そうなると俺たちにデメリットはほとんどないか……

 そこまで考えた時、俺の脇で唐突に動いたやつがいた。

 

「分かりやした! その勝負お受けしましょう!」

 

「ニムッ!? て、てめえ何を勝手に……」

 

 俺の隣で声をあげたのは間違う事なき機械人形。ニムは両手をグッと握りしめてフンスと鼻息荒く店主に宣言した。

 

「店主さん、そのゲームに勝てばあの鼠人の人を返してくれるんでやすよね。店主さんの欲しいものを買ってくるだけでいいんでやすよね?」

 

 店主はニコリと再び微笑んでだ。

 

「はい、その通りですよお嬢さん。私は何も嘘はつきませんよ。当然わざと難しいヒントを出したりはしませんし、買ってきた商品を見て難癖をつけたりもしません。ただ、私はみなさんにゲームをクリアして頂きたいだけなのです」

 

「ですって! ご主人」

 

 急に俺を振り向くニム。

 何が「ですって」だ。勝手に話を進めやがって。

 でも、まあそうか。このゲームは単に買い物をしてくるだけの簡単な……言わば小間使いイベだ。ニムも乗り気の様だしこのまま受けてしまった方が話も早い気がするな。

 俺はもう一度熟考するも、大きな問題点は無いように思えた。

 仮にその商品を相手が手放したくないと申し出た場合だが、その際は青天井で支払う額を吊り上げてしまっても良い。なにしろこの店主は「買ってこい」と言っただけで、「いくらで」とは明言していないのだ。

 

 そこまでのことを考えているのだろうかと、じっと相手を見つめてもやはり何を考えているか読み取ることは敵わなかった。

 

「はい、もういいっすよね。店主さん。じゃあ、そのゲームお受けします」

 

「おい、ちょ、ニム、おま……」

 

 急に勝手にそういい始めたニムを止めようかとも思ったが、もう遅かった。店主はぽそぽそと何かを呟いた後で、ニムに微笑みながら言った。

 

「『……の元に汝……このルールでこのゲームをお受けしますか』」

 

「はいっ!」

 

「ニムっ、このバカっ!」

 

 朗々と呪文の様に紡がれたその小声の最後……店主がニムに向かって問いかけたそれに、ニムが大声で返事をしてしまった。

 その途端にニムの身体を金色の光が包んだ。

 

「はれ? なんすかね? これ?」

 

 光る自分の腕や身体を見つめながらそんなすっとぼけた声を漏らすニム。自分の光る手を目の前に持ち上げて興味津々な体で見つめていたが、やがて光は二ムの身体に吸い込まれる様にして消えていった。

 

「に、二ムさん!? そ、それは……その魔法はまずいですよ」

 

「へぇ?」

 

 突然クロンがそう叫んで二ムに近寄ってきた。

 そしてその手を取りながら、慌てた感じで言う。

 

「今の魔法は、闇魔法の『死の契約(ダクネス・デスコントラクト)』ですよ。私も油断していました。まさか商人の方がこんな魔法を使うなんて……」

 

 ん? 『死の契約』? なんのことだ?

 いまいち事態を飲み込めずにいると、クロンが店主へと詰め寄った。

 

「なんでこんなことをするの? 命がけのゲームなんて取り返しがつかないじゃない!」

 

「ふふふ……私はただゲームの条件を整えただけですよ。皆さんがゲームを進めるにあたってきっちりと契約を交わさせて頂いただけです。なに、成功でも失敗でもゲームをきっちり終了しさえすれば別段なんの制約も効果も出たりはしないですよ」

 

 店主はそう言うが、こっちはいったいその『死の契約』がどんな魔法なのか分からない。例の魔法の本にはそんな魔法のことは載っていなかったし。なので、とりあえずそのことを知っていそうなクロンに尋ねてみた……

 

「『死の契約(ダクネス・デスコントラクト)』とは、闇の上位魔法の一つで、契約することで絶対的な束縛を相手に施す魔法です。具体的には契約の内容に背けない、術を掛けた本人を害せない、そして、もし契約に背いたときは強制的にその心臓を潰されて死に……死に至らしめます」

 

 唇を噛んでそう話すクロン。ここまで詳しいということはひょっとしたらクロンはこの魔法が行使されたところを見たことがあるのかもしれない。目の前で急に心臓止まっちゃうとかマジで恐ろしすぎる。

 

「てめえ! いきなりなんてことしやがる。まさかと思うが、俺らのこと知らないわけじゃねえだろうな」

 

 シシンが怒声をまき散らしながら店主の襟首を掴んで持ち上げた。

 腕に血管を浮かび上がらせながらボディスーツが張り裂けそうなくらい筋肉を漲らせてしまっている。とんでもない怪力だな。

 だが、店主は全く動じずに答えた。

 

「ええ、ええ、当然知っておりますとも。緋色の衣装の棍使いとその仲間の方達と言えば、この国で知らない者はいない超級冒険者パーティ『緋竜の爪』に決まっておりますから。むしろ知らない方がおかしいでしょう」

 

 いや、俺は全然知らなかったんだが。なに、こいつら、そんなに有名人なの?

 確かにAランクなんて並みの冒険者からすれば雲上人のような存在なのだろうけど、こいつら普通に気安いしな。全然えらい奴には見えないのだが。

 だけど、そうか。知っているのか。知っててこんな扱いを受けていても顔色一つ変えないとか、ほんとこいつは食えない奴だな。

 

「分かったよ。そのゲームとやらをやってやるから、さっさと話しをしてくれ。シシンも良いからそいつを放してくれ、どうせそいつの思い通りになるようにもう仕組まれちまってるだろうしよ」

 

 俺がそう言うと、シシンは苦虫を噛み潰したような顔に変わって、乱暴にその手を放した。

 クビの辺りに手を当てて苦しそうにしている店主だが、俺に向かって微笑みかけてきた。

 

「はは……これは手厳しい。ま、要は皆さまがこのゲームに勝たれれば良いだけですよ」

 

 まだ碌に説明もしねえで良く口が回る奴だぜ。当然俺はもはや全くこいつの言葉を信用する気になってはいない。

 さて、何を言い出すのかと睨みながら待っていると、奴は漸く口を開いた。

 

「では、ヒントを申しましょう。私がここまで買って持ってきて欲しいものは……」

 

 やつの言葉を固唾を飲んで待つ一同。

 そして奴は言った。

 

「それは……『メイヴの微睡(まどろみ)』に居る『奴隷娼婦』の『ヴィエッタ』嬢です」

 

「「「なにッ!?」」」

 

 いきなり絶叫したのはシシンとゴンゴウとヨザクの三人。な、なんだよ急に? でかい声出しやがって。

 っていうか、これがヒント? どんな感じの奴隷だとかじゃなく、店の名前みたいなものとか本人の名前まで言いやがった。これはどういうことなんだ?

 訝しげな顔でもしていたのだろうか、俺の視線をどう感じたのか、シシン達が俺に詰め寄ってきた。

 

「お、おい、旦那。こりゃダメだ。よりによってヴィエッタを買って来いとか、完全に嵌められちまってる」

「これは天地が返っても不可能であるな、南無」

「そ、そもそも買うなんてしたら、国中の男になぶり殺しにされちまうぞ」

 

「は?」

 

 いったい何を言ってるんだ? こいつらは。そもそも奴隷を買ってこいとか言ってる時点で醜悪すぎて吐き気しかしないのだが、それにしたってこいつらの反応はおかしすぎる。

 ニムも暫く呆然とした顔をしていたが、口の中で小さくヴィエッタヴィエッタと何度か繰り返し唱えているうちに、あっと小さく声を上げたところをみると何かに気がついたようだ。

 よく解っていない感じなのは俺とクロンの二人だけ。クロンはシシン達の顔を訝しい目付きでジロジロ見ているだけだ。

 うーん、これは説明を求めなければ……

 と、思ったところで、店主が口を開いた。

 

「おっと、どうもヒントを出しすぎてしまいましたかね? これは失礼。ですが、お分かりになられたのでしたら良かったです。私はここでお待ちしておりますので、なるべく早くお願い致しますね。おっと、そうそういい忘れておりましたが、このゲームの『契約』の期限は明日の夜までとさせて頂きました。また、もうひとつ……もしこの依頼に失敗しヴィエッタ嬢を連れて来れなかった時には、お連れ様のお嬢様を奴隷として貰い受けることになりますのでどうぞご注意くださいませ」

 

「な、なにを言ってるんだ貴様は! このゲームは俺たちが勝った時に鼠人を解放するというだけのものだったじゃないか!? それがなんで失敗するとこのニムさんを差し出すような約束になるんだよ」

 

 激昂するシシンだが、店主は飄々として答えた。

 

「ゲームなのですから、当方にも利益が生じて当然のことでしょう。このお方でしたら私どもとしても相当な価値の利益となることは間違いないですし、あなた方がご所望の鼠人の少女と比較してもまさにバランスのとれた賭け物だと思いますが?」

 

「何がバランスのとれただ。犯罪奴隷と一般人が同じ分けねえだろうが」

 

 尚も噛みつくシシンに店主はヤレヤレと首を振りながら俺たちに付いてくるように促しつつ、背後の扉を開けた。

 その途端に光漏れでて闇を侵食し、蝋燭の微かな灯に慣れていた俺たちの目を眩ませる。

 と、そこで見た光景に俺は激しい嫌悪感を抱いた。

 

「ん~~~~! んん~~~~~~~~!」

 

「どうです? すばらしいでしょう? これをその辺りのゴロツキ犯罪奴隷と一緒にはして欲しくないのですよ」

 

 店主がそう言いながら俺たちに指し示したそれは見るに耐えない光景。

 ランタンの灯りが煌々と点ったその狭い室内には4人の男と一人の未成熟な少女の姿があった。

 男達は皆上半身裸で、下も薄い布切れのような下着一枚の姿になって、全員の手に棍棒が握られている。

 そしてその少女はと言えば、天井から吊るされた鎖でその両手を完全に固定され、宙吊りにされている。着ていたであろうその服はビリビリに破かれて床に捨てられていた。

 一糸纏わないままで口には猿轡を噛まされ声も出せないその全身には、殴られてついたのだろう、腫れ上がった青アザと裂傷が至るところに出来ていた。

 

 唯一傷のない顔を良く見てみれば、なるほど先程の鼠人(ラッチマン)である。店主の言葉の端々から少年ではなく少女だということは察していたが、確かにこいつの性別は女だった。

 とはいえ、どう見てもまだまだ幼い少女である。

 そんな彼女をニヤニヤと見つめる男達と店主は、どう軽く見ても人でなしのろくでなしだ。

 店主は先程までの柔和な表情を厭らしい物に激変させ微笑みながら言った。

 

「鼠人という種族はご存じの通り、生涯をこの幼い見た目のまま過ごすのです。そして、世の中にはこのような存在の愛好家が特に貴族の中に多く居られましてね、私どもといたしましてもとても良い商品なのですよ。ですので、奴隷とする前により愛玩されるための技術指導として、こうして私手ずから調教しようとしていたところだったのですよ」

 

 そこまで言って、店主はポンとひとつ手を打った。

 

「そうそうお客様。私も今回のことでこの国が誇るA級冒険者の皆様と矛を構えたいなどとは思っておりません。『戦闘奴隷』や『壁奴隷』、当然『性奴隷』など、全力で商品をご用意させていただきますのでなんなりとお申し付けくださいませ」

 

「て、てめえな……」

 

 滔々と語る店主にシシンももはや呆れた顔に変わってきてしまっているが……

 まあ、これがこの世界の『商人』ってことなんだろうな。

 本当に……

 清々しいくらいの……『糞』だ。

 

「おい、店主。分かったから、さっさと始めやがれ」

 

「お、おい、旦那? 良いのかよ」

 

 不安気なシシンの顔にむかってヒラヒラ手を振ってから言葉を続けた。

 

「だけど、こちらも条件をつけさせてもらう。ここまで全部お前の掌の上じゃこっちも面白くねえからな。ひとつは金。俺は手元に金はねえからな。あんたが購入金額をいくらで設定しているのか知らねえが少ない金額じゃ買えそうにないからな……俺が要求する金額は『1億ゴールド』だ」

 

「「「い、いち……1億ゴールド!?」」」

 

 絶叫するシシン達緋竜の爪の面々。

 俺の言葉に薄く微笑んだ店主は背後の男の一人に指示を出して、なにやら金色の冒険者カードのような一枚の板を持ってこさせた。

 そしてそれを俺に手渡して言った。

 

「これは私の銀行の手形となります。中に2億ゴールド入っておりますので、1億と言わず、これをどうぞ全てお使いください。おっと、ですが、これはあくまでヴィエッタ嬢の代金。購入出来なかったときにはまるまる御返却いただきますので、くれぐれもお失くしになられないようにお気をつけ下さい」

 

「ちっ」

 

「「「に、2億‼‼」」」

 

 再び絶叫のシシン達。ええい、うるせえっ!

 ああくそっ! こんなにポンと手渡してくるあたり、要はすでにこの金額を先方に提示したこともあるということだろう。

 つまり、この金額では身請けは出来ないということだな。

 俺は忌々しく思いつつもカードから奴に視線を戻してもうひとつ付け足した。

 

「それとな、ここにニムを置いていく」

 

「「「ええええっ!?」」」

 

 またもや絶叫の……もういいや。本当にお前らこの国を代表する冒険者パーティなのか? 驚きすぎだろう。

 ニムを置いて行っても今回は別にそんなに困らない。なにしろもうすでにニムの燃料はかつかつでこれ以上激しくは動けないからだ。

 シシン達の伝でこの街に魔晶石がないだろうことはもう知っている。ただの宿場 町なのだから、普通は錬金術師くらいしか用のない魔晶石など本来この町には不要なのだ。それでも行商の商人などを探せば或いは手に入ることもあるかもしれないが、その考え事態博打みたいなものだし、そもそもそんな時間もない。

 飯を食って、有機(バイオ)エタノールを取り込んで多少充電できている程度だからな、どうせ動けないんだったら置いて行った方がいろいろとマシだ。

 

「わかってんなニム」

 

「当然っす! ここでワッチの『セクサロイド』としての本領を如何なく発揮して、全員メロメロにしちまえば良いってことっすよね。あ、ワッチのホールは死守しやすからご安心をっ!」

 

「ちげーよ、バカかお前はっ! 誰がんなこと頼むか!」

 

 何言ってんだこのポンコツは、全然わかってねえじゃねえか。

 どこの世界に自分から乗り込んでいってその場の全員を服従させるセクサロイドがいるってんだよ。

 そもそもお前のセクサロイド成分は素体(ボディー)だけで、機能とか頭脳的にはただの家電だろうが。

 

「お前な……お前にして欲しいのはその鼠人のケアだよ。とりあえずこのゲームが終わるまでは誰にも指一本触れさせるな。いいな」

 

「はいっ! わかりやした!」

 

 ビシィッと勇ましく三本指で敬礼するニム。ちらりとシシンやクロンの方に視線を向けてから俺に向き直るのだけどあまりにも所作が適当すぎて不安になってくる。本当に分かってんのかな、こいつは。

 店主たちをと見れば相変わらずニヤニヤとしていて、どうもニムを置いていくという俺の発言に気分を良くしたらしい。

 つまり、俺がもう勝負を諦めてニムを手放したくらいに思ってるのかもしれないな。

 いや、正直さっさと逃げ出したいよ、こんなところ。めちゃくちゃ怖いし。

 でもなぁ、目の前で命だ人生だなんだのやり取りしてるようなところを見ちまったしな、これで逃げだしたらそれこそ目覚めが悪いじゃ済まないよ。

 

「なあ、その鼠人と話をさせてくれよ。それくらいいいだろ?」

 

 俺の言葉に、店主は鷹揚に頷く。もう返事もする気はねえみてえだな。

 吊るされた彼女へと近づいてすぐにニムに視線を送る。それを察したニムは彼女を縛る鎖に手をかけるとそのまま一気に引きちぎった。

 

「なにしやがる」

 

 いきり立つ男の一人を俺は手で制した。

 

「まあまあ別にいいだろうこれくらい。ちゃんとゲームはしてやるんだからよ。別に逃げやしねえし」

 

 俺は自分の羽織っていた皮のジャケットを脱いで鼠人へとかぶせた。体格差もあるため、その前身はすっぽり覆うことが出来た。そして、猿轡を外してやってから声をかけた。

 

「お前を売り飛ばしちまって悪かったな。その……なんだ、ちゃんと助けてやるからニムと一緒にここでじっとして待ってろよ」

 

 きつく締め付けられうっ血して腫れている幼い頬を不器用に動かしながら彼女は俺を見上げながら呟く。

 

「許して……くれるの?」

 

「はぁ?」

 

 一瞬何を言ってるのか分からなかったが、そういえばこいつ俺の財布を盗みやがったんだった。

 それを思い出し、ああ、もう今更だなと妙に達観してしまっていることに自分で呆れてしまう。

 

「別に許しちゃいねえけどな、ここまでするつもりもなかった。だから悪かった。それだけだ」

 

 その途端に両目から滂沱の涙を溢れさせ始めてしまった鼠人の少女。ああ、こりゃもう話せないな……と理解して、少しだけニムに耳打ちして事後のことを言い含めてから俺は立ち上がった。

 

 周りには、半ば呆れた様子で俺を見るシシン達4人。

 ちらりと『このすけこましロリコンが』とか、そんな声が聞こえた気がしたが……誰もそんなこと言うやついないよね? そもそも俺はロリコンじゃないし甚だ心外だ。

 

 そんな俺に向かって最後に店主が……

 

「お嬢様方に手をつけるのは明日の日暮れまで待つことにいたしましょう。それでは、お客様の健闘をお祈りいたします」

 

 嘲弄の念の籠った卑しい視線を向けながら、口許を緩ませてそんなことを宣った。

 『手をつける』というのがただ触れるだけではないことを理解しつつ、あまりの胸くその悪さにただ黙って店主を睨み付けた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 噂 

「悪い悪い、遅くなった」

 

 先に店を出ていた俺にそう声をかけるのはシシン。こいつらは少し遅れて店から出てきた。

 一様に暗い顔をしているこの連中は、俺を見るやすぐに詰め寄ってきた。

 

「なあおい、紋次郎の旦那。本当に良かったのか? ニムちゃん置いて来ちまって。あいつら、絶対あの子に手を出すに決まってるぞ」

 

「いいんだよ、別に。おら、それよりもそのヴィエッタとかいう女のことを教えろよ」

 

「まあ、旦那が良いんなら良いんだけどよ……本当にどうなってんだ? 旦那も旦那だが、ニムちゃんもニムちゃんであっけらかんとしてたし……うーん」

 

 俺の脇でうんうん唸るシシン。俺の話を聞いているのかいないのか……返事もせずに首を捻っていた。他の面々もなにやら納得してない感じで俺を見ているのだが……

 ちゃんと大丈夫だと俺は言ったつもりなんだけどな?  とにかくニムは問題ない。なにしろレベル30オーバーの奴をこの前は瞬殺できてたしな。燃料がほぼないとはいえ、生身の人間を縊り殺すくらいは余裕だ。逆に奴らがニム達に手を出さないことを祈るばかりだよ。

 

 俺たちは奴隷商館を後にすると、そのまま灯りを目指すようにして歓楽街へと向かっていた。

 あの商人はヒントと称して店の名前を明言していたし、購入物でもある奴隷娼婦の名前も明かしていたからもう間違えるはずもない。

 そして俺たちはその目的地でもある娼館、『メイヴの微睡(まどろみ)』へと辿り着いていた。

 

 歓楽街の中でもひときわ煌びやかで淫靡な様相のこの区画にあって、更に一番賑わっているのがこの店だった。

 軒に吊り下げられた無数の行灯はまるでお祭りの提灯のような華やかさであるのだが、その灯りが照らすのは妖艶な美女、美女、美女。

 店の正面に壁や窓もなしに、格子状に据えられた柱のみで仕切られたその横に長い豪奢な様相のその部屋で、薄いレースの下着なのか、着物なのか良くわからないしかし、妖艶で色気たっぷりのその衣装を身に着けた女性たちがまるで寝そべる獣の様にそのあられもない肢体を赤い絨毯の上に投げ出していた。

 その女たちを食い入るように見つめ声を掛けるたくさんの男たち。商人、冒険者、町民。いろいろな種族入り交じりで混沌としているが、はっきり分かるのは男たちが欲望にメラメラと火をつけているってことだけだな。

 

 うん、ここは完全な風俗街だ。

 なにここ? 吉原かよ? 

 ここまであからさまにほぼ裸でアプローチしようものなら、普通は猥褻物陳列罪ですぐにお縄だろうが。

 これも異世界クオリティーかよ。

 振り返れば、他の男連中と同じようにだらしなく鼻の下を伸ばしているようにも見えるシシン、ゴンゴウ、ヨザクの三人と、クロンだけは表情も変えずに佇んでいるが……

 ったく仕方ねえな、こいつらは。

 

「んで、そのヴィエッタとかいう奴のことをちゃっちゃと教えてくれよ。どうせ普通に店に頼んでも買えやしねえんだろ?」

 

 俺がそう聞くと、シシンが心底驚いた顔で聞き返してきやがった。

 

「旦那マジで知らねえのか? ヴィエッタだぞ、あのヴィエッタ」

 

「だから知らねえって言ってんだろうが。そもそも俺は娼婦になんか興味はねえよ」

 

 俺の言葉にはあっと溜息をつくシシン。

 何が悲しくて、身体を売って金を稼ぐクソビッチなんか気にしなくちゃいけねえんだよ。

 

「やっぱ可愛い彼女がいる奴はな……確かにニムちゃんなら昼も夜もご奉仕しまくってくれるんだろうしな」

 

「何言ってんだお前は。だからちげーから、あいつはな……」

 

「あーはいはい、良いんだよ別に。そっちはそっちで仲良くしてりゃいいじゃねえか。く、くそっ、別に悔しくなんかねえんだからな……」

 

 なんだか知らないがいきなり涙目になっているシシン。ゴンゴウとヨザクが慰めに入るも、クロンは変わりなしだ。

 

「だからもういいからさっさと教えてくれ、その娼婦のことを。おら、これでいいか? 1000ゴールド」

 

 俺は袋に入った金をシシンへと手渡した。奴はちょっと面食らった感じだったが、それをそそくさと懐に仕舞った。まあ、俺が2億ゴールド渡されたところも見ているし遠慮もないのだろうけどな。

 

「ふう、旦那は本当に知らねえようだし、なら教えてやるよ。ヴィエッタはこの店の看板娘だがな、ただの娼婦じゃない。この国の男で知らない奴がいないってくらいの人気娼婦だ」

 

「どういうことだよ。めちゃくちゃ美人とかそういうことか?」

 

 そう聞いてみればシシンはこくりと頷く。

 

「ああ、そうだ、それもある。めちゃくちゃ美人の上に、めちゃくちゃ床上手……この世の物とは思えない可憐さでありながら、あの大胆な腰のグラインドはそれはもう……」

 

 チラリとクロンを見れば思いっきり冷めた目でシシンを見ていた。

 すると何を思ったのか急に俺に向き直って。

 

「……って話をヨザクに聞いたんだったな? うんうん。そうだよな、ヨザク」

 

「えええっ? お、俺っスか? え。ええと、そ、そうだった……かな? うん、でしたでした、そんなことを俺も人から聞いてシシンさんに言った……かも? なあ、ゴンゴウさん」

 

「我もヨザクから聞いたようなそんなような……要は絶世の美女でしかも男を悦ばせる最高の淑女ということであるな。うむ、南無」

 

「ゴンゴウさんもかよ……マジかぁ……」

 

 なぜかそんな事を言いながら完全に視線を泳がしてしまっている3人。

 こいつら……全員クロだな。しかも真っ黒クロの体験談なんだな、うん。まあ誰とどう遊ぼうが別にどうでもいいんだけども。

 

「そ、それだけじゃねえんだよ、旦那。ヴィエッタにはそれだけじゃなくもっとすげえ魅力的な噂があるんだよ」

 

「噂?」

 

 何やら確信めいたことを閃いたらしいシシンは、ズズイっと俺に顔を差し出していかにも人に知られてはならないことなのだとアピールしつつ耳打ちしてきた。

 

「これも聞いた話ではあるんだけどな? かなり有名な噂ではあるんだが、どうもヴィエッタを抱くと特典がつくことがあるらしいんだよ」

 

「なんだよ、特典って」

 

 勿体ぶってそう話すシシンを横目に見ていると、奴は言った。

 

「ヴィエッタと一晩イタすとな……『レベルアップ』することがあるらしいんだ」

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 シシン達の話は多分全て実話なのだろう。体験談も多分に含まれているのだろうしな。

 そう考えると『ヴィエッタ』という娼婦が非常に希少価値の高い存在であることがわかる。

 まず娼婦という観点から考えてみても美人で床上手というのならそれだけでひっきりなし間違いないだろう。しかもそれにどういう原理か知らないが、多分何かしらのスキルなんだろうが、一晩セックスするだけでレベルが上がるなんて特典までついていたらそれこそ世界中の冒険者が彼女を欲しがるだろう。

 あくまで噂とこいつらは言っているが、レベルアップしたばかりの時にこのヴィエッタを抱いたその翌日に、またもや一つレベルアップしていたらしいし、しかもレベル30台でだ。

 この事からも単なる『経験値取得』ではなく『レベル1以上アップ』の能力ということになる。

 俺はいまだレベル1だから実感はまったくないけど、レベルが上がるにつれてレベルアップは難しくなるこの世界にあって、彼女のこの『レベルアップ』の能力はとんでもないチート能力と言わざるをえない。

 ひょっとしたら彼女とイタし続けるだけで、レベルの限界値にたどり着けるのかもしれない。99? 999? うーん、実際のことどうなんだか分からないけど、ゲームで言うところの『バランスブレイカー』であることは間違いないだろうな。

 

 実際なんでこんな女が娼婦をやってるのかが不思議でしょうがない。

 レベルアップをすると言うなら国が保護していたって不思議じゃないし、どこかの大金持ちが囲っている方がむしろ自然だ。

 なんでこんな娼館で、しかも高いとはいえ、金を払えば誰でも抱けるようなこんな立場にいるのか。うーん、俺にそんな気は全くないが、大枚叩いて人を雇って、彼女を掻っ攫うくらいする奴がいてもおかしくないような気がする。寧ろそうするのが普通くらいだろう。

 それなのに、聞けば彼女はずっとここで娼婦をしているのだという。

 こいつらの話からすると少なくとも2年は。

 それまでのことは知らないそうだが、そんな能力を持ったままで2年もここに居続けるなんてどういうわけだ? 

 考えても考えても頭が痛くなるばかりだ。

 なにしろ買って来いと言われた相手が、こんなボーナスキャラなんだからな。

 こりゃ2億ゴールドでも買えないわけだよ。

 

 さて、じゃあ、どうするかな……

 

「おし、話はついたぜ。じゃあ、旦那、行ってこいよ」

 

「はあ?」

 

 道端で熟考していた俺にそんな声が掛けられた。はっと気が付いて顔を上げてみれば、そこにいたのはシシンだ。

 辺りは相変わらず賑やかなまま。妖艶な娼婦たちがしきりに甘い声で男を誘う中、シシンの横から一人の黒服の痩せた若い男が現れた。

 そして、俺に微笑みながら言った。

 

「ヴィエッタをご所望とのことで、大変光栄にございます。早速お部屋をご用意いたしましたのでどうぞこちらに」

 

「え? え?」

 

 男は恭しくそう言うと俺に向かって丁寧に頭を下げ、そして礼儀正しく俺を誘導する。

 俺はなんのことかさっぱりだったのだが、シシンがニヤリと笑って俺に耳打ちした。

 

「へへ……旦那は奥手そうだからな……自分からじゃ言いにくそうだから俺が代わりに手配してやったぜ。なに、旦那のことは『とある大貴族のお坊ちゃん冒険者』ってことにしておいたからよ。ちょっとばかし高かったけど別に2億もあるんだから平気だろ? なぁに、ニムちゃんには黙っててやるからよ。とりあえず楽しんで来いよな」

 

 ドンと背中をたたいてくるシシン。どういうことなのか、言っていることが良く理解できないまま連れられていった俺が入ったその部屋は……

 

「ヴィエッタはすぐに参ります。どうぞごゆっくりおくつろぎください……」

 

 そう言われた俺の目の前に、どう見てもキングサイズのベッドが横たわっていた。

 ひょっとして俺……ヴィエッタのこと買えたんじゃね? 一晩だけだけど。 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 奴隷娼婦ヴィエッタ

「失礼します。今夜のお相手をさせて頂きますヴィエッタで……」

 

「うるせいっ‼ 出ていけよこのくそビッチが‼」

 

 広い部屋だった。成金趣味と言ってもいいのかもしれない。床に敷かれた絨毯も相当高価そうであったし、周囲の壁に掛けられた絵画や置かれた調度品の数々も相当な値打ち物であることが見て取れた。

 そんな部屋の戸が開いて早々、俺はそう怒鳴った。

 当然だ。

 何がなんだか分からない内にこの部屋に通されて、しかも俺はヤル気満々だと思われている可能性があって……というよりは、女を買いに来たろくでなしと思われているに決まっているわけで、いや、実際に買いに来たわけだけども……いいや、そうじゃない。俺はまずどうやってこの女をあの商人のところへ連れていくかを考えていただけであって、こうやって一夜を共にしようなんて微塵も思っていなくてだな……くそっ! シシンの野郎、勝手にこんなことしやがって!

 

「あ、あの……!」

 

「んだよっ‼」

 

「ひっ……」

 

 思わず声を荒げて睨んだ先にあったのは、手で胸を押さえて不安そうにしている一人の若い娼婦の姿。

 胸の大きくはだけた白く薄い浴衣を羽織り、全身を隠すようにしているその姿は淫靡ではあっても、どことなく清潔さを感じさせた。

 白く透き通った華奢な身体にまだあどけなさの残る幼い顔立ち。不安げにこちらを見つめるその大きな瞳は伏し目がちであっても非常に愛らしく、だが、決して未成熟というわけではない均整の取れた全身のプロポーションは一見してスーパーモデルさながらの存在感を放って、妖艶な色香を全身から溢れさせていた。

 間違いなく美人である。女性なんてほとんど分からない俺にしたって、これは美人だと断言できるレベルだ。

 あいつらの話を全く信じていなかった俺だがこれは聞いていた以上だ。シシン達が熱を上げるのも頷ける。

 はらりと垂れてきた亜麻色の前髪を、そっと白魚のような指で掻き上げる仕草には、思わず俺も全身が震え上がるほどにぞくりとしてしまったし。

 しかし、それだけだ。

 

「あんたが、ヴィエッタなのか?」

 

「……は、はい」

 

 まだ少女と言っても良いであろう目の前の女は恐る恐るといった具合で俺に返事をした。

 目を見れば明らかに動揺しているようだし、俺のことを明らかに訝しんでいる。そりゃそうか。ここに来る男なんてみんなやる気まんまんで当たり前だからな。クソがっ!

 でもあれか……

 こいつがこの買い物ゲームの商品か。

 忌々しいが、追い出すわけにもいかないか。

 

「おまえ、突っ立ってないでここに座れよ」

 

「あ……はい」

 

 イライラしつつもとりあえず話しをしようと思い立った俺がそう言うと、ヴィエッタは何を思ったのか、いきなり俺の膝の上に向かい合わせになるような形で跨った。

 その途端に浴衣がはらりとめくれあがって隠れていた腰の小さな白い下着が露わになる。

 

「て、てめえっ! な、なにしやがるっ! そこに座ってんじゃねえ」

 

「? あ……も、申し訳ありません。ゆ、床ですね? まずは御口でご奉仕した方が宜しかったですね。す、すぐに……あ……」

 

「おま……あぶねぇ」

 

 慌てて俺の上から飛び退こうとしたヴィエッタ。しかし、慌て過ぎていたのかそのまま後ろにひっくり返ってしまう。明らかに後頭部から落下してしまうその様に俺は慌てて手を伸ばして、その細い腰を支えながら手前に引き寄せた。

 

「わぷっ……」

 

 ぱゆん……

 

 あまりに勢いよく引いたせいかヴィエッタの身体が俺の身体に衝突した。

 具体的に言えば、飛んできたのは胸の開けた状態の大きな丸い二つのマシュマロ……当然それは俺の顔面に衝突した。

 なんとも言えない女の甘い香りが俺の鼻を刺激する。その香りだけで脳がしびれてくるような感覚さえあったが……

 

「あ……も、申し訳ありません。が、頑張りますので、どうかご容赦ください」

 

「わぷ……わぷ……」

 

 無意識なのかなんなのか、謝りつつもヴィエッタは俺に体重を預けるようにして顔に胸を押し付けてくる。ぱふんぱふんと両方のそれが俺の顔面を蹂躙して……

 

「だぁああああっ! だからそれをやめろと言ってんだよ! お前はなんなんだ? アホなのか? 謝りながら迫ってくるんじゃねえ!」

 

「も、申し訳ありませんっ!」

 

 再び謝るヴィエッタ。勢いよく頭を下げた彼女はその瞬間……上半身を辛うじて隠していた浴衣を完全に脱衣(パージ)して、ハリのあって形も良く、色も超攻撃(ピンク)色の突起を俺の眼前に晒したのであった。

 

 あ、こいつ、完全に天然(確信犯)だな。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「ったく、お前の脳みそはいったいどうなってんだ? 初対面の男になんてことしやがるんだよ」

 

 とりあえずやること為すこと全部エロ方面に突っ走るヴィエッタをベッドの縁に座らせると、奴と話すために部屋の隅のテーブル脇に置かれていた椅子を持ってきて彼女の正面に置いて腰をかけた。

 そしてじっと正面のヴィエッタに視線を送る。

 

 彼女はその瞬間にびくりと身体を震わせてから、にこりと薄く微笑みながら俺に向かってそっと浴衣の前をはだけさせて……

 

「っておい! なんでいきなり全裸になろうとしてんだよ? バカなのか? おまえはいったい何がしたいんだ」

 

「も、申し訳ございません。その……と、殿方は皆様私の身体を楽しむ為にお越しになられますので、お客様にも粗相がない……ように……と?」

 

「もう十分に粗相だよ、俺に対しては!」

 

 掠れるような声で喋りつつ前を隠しておどおどし始めるヴィエッタ。

 なんだこいつは、普通にしゃべれねえのかよ?

 でもそうだよな。ここに来る男なんて結局のところは欲望を吐き出したいだけで来てるに決まってる。

 俺だってそういう連中と同じだとこいつが思ってしまったとしてもそれは仕方がないだろう。

 まあ、この今の状況に惹かれないかといえば全くそんなことはなくて、俺の男としての欲望は十分機能しちまいそうだし。

 それが動物的な本能だと理解しちまっているからこうやって平然としていられるんだけども。  

 

「おい、あんた」

 

「は、はひっ!」

 

 またもやびくりと痙攣して飛び上がる彼女。

 俺はそれを見ながらまさかと思いつつ聞いてみた。

 

「あんた……まさか普通に男と話したことないのか?」

 

「え、えと……」

 

 ヴィエッタは不安気に顔を曇らせると俯きながら答えた。

 

「話した……ことは……あります。その……お、お父さんとなら……?」

 

「いや、それは男じゃなく肉親だ……じゃあ、そのお父さんは今どこにいるんだよ」

 

「お、お父さんたちは……」

 

 みるみる顔色を悪くしていくヴィエッタ……

 あ、こりゃ聞いちゃダメだったやつだ……

 そう思ったときにはもう手遅れだった。

 

「お父さん……お……父さん……ぃっく……ひぐ……」

 

 突然大粒の涙をこぼし始めるヴィエッタ。あわわ……や、やっちまった。

 

「わ、わるい。今のはなしだ。聞かなかったことにしてくれ」

 

 うんうん頷きつつも涙の止まらない彼女。あ、こりゃだめだ。

 しばらく嗚咽する彼女を眺めつつ、俺は考えてみる。

 確かに美人だし可愛いしスタイル抜群だし従順だし素直だし……うん、なんというかこの娘文句の付け所がないな。男を悦ばせるためだけに存在しているとでも言えばいいのか……

 無意識びうちでも男どもを昇天させちゃう感じがするし、実際そうなんだろうし、彼女とまぐわった男達はきっとみんな幸福を感じたことだろうな。

 ただ、実際は違うな。

 中身は空っぽのただの親恋しい一人の子供だな。

 父親がいったいどうなったのかは不明だし、今から聞き出す気もまったくないけど、どうせ面白くない展開に決まっている。

 彼女が落ち着くまで俺は待つことにした。

 椅子にもたれ掛かって首に疲労を感じて思いっきり伸びをした。そのまま捻りながら首筋を揉んでみると思った以上に凝っている。そりゃそうだな。ここに来るまで重い荷物を背負って旅をしてきたわけだし、街に着いて早々このトラブルだ。身も心も疲れているに決まっている。

 ふいに俺の肩に誰かが触れた。

 彼女だ。

 何時の間にやら泣き止んでそっと俺の肩を揉み始めた。

 

「あ、あの……私がお揉みします」

 

「いや、別にいいよ」

 

「え、えと……お客様に尽くすように申しつかっておりますので」

 

 彼女の細い指のどこにこんな力があるというのか、時には強く、時には優しくその指が俺の肩を揉む。

 確かに気持ちいいが、別にこれをして欲しいわけでもない。

 

「ありがとうな、でも今はやらなくていいよ」

 

「で、でも……」

 

 払い除けようとしても尚続けてくるヴィエッタ。娼婦にマッサージさせてたらこのままどうなるのか本当に洒落にならん。

 

「しつけえな! やめろって言ってんだよ俺は!」

 

「も、申し訳ありません!」

 

 俺の言にパッとその手を放した彼女はチラチラと俺を見ながら、小声で問いかけてくる。

 

「あ、あの……でしたら私は何を……、お、お客様にどうやって御奉仕すれば良いですか?」

 

 不安げに媚びるようにそんなことを言う彼女に本当に呆れて俺は言った。

 

「だから何もしなくていいんだよ。強いて言えば俺と話をしてくれ。それだけでいい」

 

「そ、それだけ……ですか?」

 

「それだけだよ。なんか文句あんのか?」

 

 理解できないのか不思議そうな表情のままで頷いてみせた彼女。不承不承といった体で俺を見上げてきているが、その顔には先ほど以上に不安と困惑の色が出てしまっていた。 

 

「なあ、まさかと思うけどお前……毎日ここで男に抱かれるだけの生活を送っているのか? いつからだよ」

 

「……………………」

 

 彼女は一度少し考えるような仕草をしてから、ふるふると首に振った。

 

「自分がいつからここにいるのか分からないのか……?」

 

 それにコクりと頷いた彼女。

 

「じゃあ、今はいったいいくつなんだよ。お前の歳は?」

 

「よく分からない……です」

 

「ふぅ……マジかよ」

 

 まったくどうなってんだ。国一番人気の娼婦とかいう奴の本性がここまでだったとは……

 

「お客様は……私を抱かないのですか?」

 

 不意にそんなことをヴィエッタが口走った。

 とてもこんな10代の少女が口走って良い台詞だとは到底思えない。

 

「なんでそんなことを聞くんだよ?」

 

「え、えっと……だって、今まで私を抱かなかったお客様はいらっしゃらなかったから……それに、このままだとい私が叱られてしまいますので」

 

「はあ……」

 

 マジで世も末だ。

 いったいこの娘がここにいつからいるのかは知らないが、ここに来た全ての男にその身体を弄ばれ続けてきたのか……そう思うと吐き気すら催すな。だがしかし彼女はここで生きていて、最悪の結末である『死』は迎えていない。

 そう思えば生きているだけこの子は恵まれているのかもしれない。そう考えることもできたし、ひょっとしたら男に抱かれる日々こそ彼女の幸せなのかもしれない。

 俺の価値観ではこの子は『最悪人生の殿堂入り』を果たしちまっているんだけどな。

 

「お客様はみなさんお優しいです。私が頑張ると皆様は本当に喜んでくださいます。ですから私も頑張って御奉仕します。そうすれば、お客様はもっと喜んでくださいます。たまに凄く怖くて、痛いことをするお客様もいらっしゃいますけど、それでも私はお客様の為になんでもさせて頂きます」

 

 真顔で真剣にそんなことを宣うヴィエッタ。

 

「なんでそこまでするんだよ」

 

「私にはお客様を悦ばせることしかできませんから……」

 

 悲壮としか言えないそんなことを、だが彼女は大真面目に宣言した。

 これは洗脳がとか摺り込みがとかそんなレベルの話じゃないな。完全に生活のパターンとして娼婦生活が定着しちまっているわけだ。

 古典で紐解けば『アマラとカマラ』の研究に近いかもしれないな。狼に育てられた二人の少女の実話。動物に育てられるという体験自体忌避感も強く非人道的として考察すら行われなくなって久しいが、文明生活から乖離した状態で生活することで、共同生活個体に強く依存していくという人の特性はこの異世界にあってもやはり変わらないらしい。

 単純に考えて、この少女の常識とは、『睡眠・食事・性行為』の人の三大欲求のみを追求するように仕向けられてきたのだろう。あとは痛みや恐怖からの逃避か。

 完全な性奴隷(セックスマシーン)なんだろうな。

 ただ……

 これだけ会話が成立することと、父親の話であれだけ動揺したところを見るに、根源的な人の感情は持ち合わせているようだ。

 となれば、この子はまだ……

 俺は頭を掻きながら彼女を見つめる。

 相も変わらず、どうしてよいのか分からない体でもじもじと俺に視線を送ってきている。

 

 ここに来た目的……

 それは『彼女を手に入れること』。つまり、彼女を商品として買えれば良いのだが、多分それは無理だということは察しがついている。となれば別の方法を取らざるを得ないのだが……果たして彼女は俺の提案を受け入れられるかどうか……

 

 考える時間は無限にとることは出来ない。今は動き出す必要があった。

 本当はこんなことしたくはないんだが……このままじゃどうにも進まないしな……

 俺は深くため息を吐きたいのをグッと堪えて、ヴィエッタを見据えて言った。

 

「一つ聞きたいんだが、今こうして客の相手を続けていることがおまえにとっての『本当の幸せ』なんだよな?」

 

「本当の……幸せ……?」

 

「ああそうだ。おまえは男達に尽くすことこそが自分の幸せだと思っているんだよな? 自分の身体を使って男を悦ばせることがお前の本当にやりたいことなんだよな。だからこうやってこんな俺に対してもエロいことしようとしてんだよな」

 

 ヴィエッタは困惑顔のまま微かに声を漏らした。

 

「よ、よく分からない……です」

 

「そんな訳はねえだろうが。そもそもここには山ほど男が来るんだろ? で、みんなしてお前を玩具にして、そのまま何もなかったように帰って行くんだろ? お前は色んな男にとっかえひっかえ汚されてそのまま捨てられるのがうれしいんだろ? 幸せなんだろ?」

 

 彼女はワナワナと震えながら口許に手を当てて小さな声で言う。

 

「わ、私にはそれしかできない……ですから」

 

「答えになってねえよ。お前がやりたいことは何かって聞いてんだよ俺は。お前は一生この狭い檻の中で男達の相手をして生きていきたいってことなんだろ? お前は真正のヤリマンみてえだしな。男に可愛がられて、乱暴にされて、甘えられて、それでお前自身も感じまくってたんだろ? 男どもを見下してたんだろ? どんな男も私の思うがままだし、私じゃなきゃダメで、ああ、私は幸せすぎる……とか、そんな優越感にでも浸ってでもいたんだろう、ああ?」

 

「どうして……」

 

「え?」

 

 少し俯いた彼女が唐突に声を上げた。それは先ほどまでとは比べられないほどの大きな声量で。

 

「どうして……どうしてそんな酷いことを言うの? わ、私のこと知らないくせに。私の想いなんて何も分からないくせに」

 

 突然……だった。

 突然彼女は両方の拳をぎりぎりと握り込みながら叫んだ。

 

「そんなわけないっ! 出たい……ここから出たい。ここを出て普通に暮らしたい。お父さんやお母さんにまた会いたい。みんなと暮らしたい……よ。こんなところ……いたくないよ……」

 

 慟哭は激しい悲しみを帯びつつも、でも次第と消え入る様に小さくか細く弱まっていく。

 震えながら涙をこぼし始めた彼女。その姿はどう見ても痛々しい。

 

 俺は……

 

 その姿に……

 

 

 

『ホッと安堵した』

 

 

 そして彼女に言うのはこの言葉。

 

 

「そしたら、俺と一緒に逃げるか? 俺がお前を逃がしてやる。娼婦としてじゃねえ、普通の人としてだ」

 

 

「え?」

 

 スッと立ち上がった俺を呆然と見上げてくる彼女。

 何を言われたか分からないと言った風に俺を見ているが、その挙動は完全に停止してしまっていた。

 

「おい、どうすんだよ? 俺と一緒に逃げるのか? それともここに残るのか、どっちなんだよ」

 

「え? え? だ、だって……そ、そんなこと言われたって……だって私は娼婦だし、ここで頑張らなきゃいけないし、だって……」

 

 ぶつぶつと独り言のように囁きつづけてしまっている彼女。俺はしばらく腕を組んで待っては見たが、あまりにも時間がかかっていたため、正面に仁王立ちして宣言した。

 

「だってだってはもういいんだよ。お前がどうしたいかだけだ。決めろ」

 

「わ、わたし……わたしは……私はどうしたらいいの? どうしたら……お願いします。教えてください」

 

 急に顔を上げて俺にそんなことを懇願してくるヴィエッタ。

 こいつ、どうも相当に思考放棄させられていたみたいだな。完全なマインドコントロール状態だ。面倒くせえな。

 

「どうすりゃいいかなんて知らねえよてめえで考えろ。お前がどうしたいのか言ったのはお前自身だろうが」

 

「で、でも……」

 

「お前はな、ただのクソな娼婦だ。娼婦として一生幸せに居たいならここいいろ。そうじゃなけりゃ俺と来い」

 

「っ‼」

 

 断言しちまった。こういうことはしたくなかったけどな。でもここでこいつを置いて行く選択はもはやない。

 彼女は驚愕を顔に張り付けたまま、どんどん青白くその色を変えていくその顔色のまま、でも目だけは確かに決意色に輝いて俺を見返してきた。

 そして……

 

 コクリと頷いた。

 

「よし、じゃあ行くか」

 

「え? でも、どうやって……。この館にも怖い人はいっぱいいるし、捕まったらお客様も殺されちゃう……」

 

「紋次郎だ」

 

「え?」

 

「だから俺の名前は紋次郎だ。そもそも俺はお前のお客様になった覚えなんかねえよ」 ま……前金で払ってはあるんだけどな。

 

「紋次郎……さま?」

 

「様はいらねえよ、面倒くせえ。ま、とりあえず逃げるぞ、こっちへ来い」

 

 俺はヴィエッタの手を取って窓辺に向かう。そして閉め切られたその窓の縁に手を当てて少し力を入れてみた。当然だがびくともしない。

 

「あの……紋次郎? ここは三階だし絶対その窓は開かない……」

 

「……研ぎ澄まされし大地の理、その大いなる紡ぎを綻ばさせよ……」

 

「え? ま、魔法?」

 

 俺は口の中で呪文を唱えつつ、今度は窓が嵌まっている『土壁』に向かってその手を添えた。

 そしてたった今、この街でこの場所で唯一使えるであろうその『系統』のある魔法の呪文を完成させる。

 

「……理を解せ……『砂化(ド・サンドーシュ)』!」

 

「か、壁が……」

 

 忽ちの内に窓の嵌まっていた周囲の分厚い壁が四角くごっそりと砂と化し、さらさらと流れ落ち始める。

 窓が開かないならその周りを抉ってしまえばいい。この地に来てから唯一使うことが出来るのは『土魔法』。ちょうどおあつらえ向きにこの館の殆どは土から作られたレンガで出来ている。であるから、その土魔法を利用してレンガを砂に変えてしまえば万事OKということだ。

 あとは当然のごとく落下してくるその窓枠を受け止めればいいだけ……俺はそれを受け止め……

 

 られなかった!

 

「うっはっ‼ な、なんだこれ? ちょ、超重い」

 

 全身の筋肉を漲らせて必死に踏ん張る俺の両手の上に落ちてきたのは分厚いガラス戸とそれを守る鋼鉄製の窓枠。

 いや、ちょっと重いとか、凄く重いとかそんなレベルじゃあない。これは完全に背骨がへし折れるレベル……

 

「う、うは……し、死む……」

 

「あ、て、手伝います」

 

 窓枠に潰されて圧死しようとしている俺の背後にその身体をぴったりと密着させてきたヴィエッタが俺の手ごしに窓枠を持ち上げるように力を籠めると……

 

「あ、あれ? 結構大丈夫そうです……ね?」

 

 簡単に窓枠は持ち上がり、普通にベッドわきに立てかけられました。

 それを茫然と眺めていた俺に彼女がひとこと。

 

「あ、あ、あの紋次郎? 凄い魔法でしたね! 私、初めて見ました……よ? ありがとうございました」

 

「そ、そうですね」

 

 なぜか俺が掻っ攫おうとしていた娼婦に素で慰められてしまったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 エロスのある逃避行

「ヴィエッタがいなくなっただって? お前はいったい何をやってたんだい!」

 

「も、申し訳ありません。」

 

 その建物の上階の窓辺にその女の姿はあった。身に纏った豪奢な碧のドレスはしかし、これでもかというくらいまで放漫な肉によって拡がってしまっている。とても『痩せている』とは言い難いその中年の女は、鬼の形相でその部屋の入り口に立つ一人の痩せた男に向かって激昂した。

 

「す、すいません。常連の『緋竜の爪』の知り合いで、金払いも良かったものでヴィエッタをあてがったのですが、まさかこんなことになるなんて……」

 

 思いも寄らなかった……とでも言いたげなその男は最後までそれを口にすることはなかった。彼は紋次郎を案内したこの店の従業員であったのだが、女主人のあまりある怒りの鋭い眼光に射竦められてしまっていた。

 女は一度男から視線を外すと煙草を取り出してそれに火をつけ苛立たしげにそれを吸った。

 ふうっという吐息と共に濃い白い煙が室内に漂い始める。

 

「で、どうやって?」

 

 少しトーンを落とした女がギロリと睨みながら静かに言った。

 

「は、はい。どうも高位の『土魔法』使いであった様で魔法結界を張った壁ごと窓をくり貫かれておりました……あんなこと出来るのは『上級魔術師』でも極一部……それこそ、『賢者(ワイズマン)』レベルか……」

 

賢者(ワイズマン)だって? なんでこんな街にそんなのがいるっていうんだい」

 

「わ、分かりませんが、あの魔法結界を破るなんて普通は無理です。今までだって破られるどころか、傷ひとつつけられたことはなかったのですから」

 

「ふう……」

 

 それを聞いた女は眉間に皺を寄せる。

 そもそも男の話しはもっともなことでもあった。

 何かと狙われることから、この店の防衛の為に高い金を払って魔法結界を敷かせたのは、他の誰でもない彼女自身であるのだから。

 そう思い出しつつ、いかにも煩わしいといった体で口を開いた。

 

「まったく……ようやく娼婦らしくなったというのにこの様か……ふう、本当に面倒を寄越してくれたもんだよ」

 

 痩せた若い男はそれに答えるべきかどうかを悩んだ末に、何も答えないことを選択した。

 女が彼に視線を向けていなかったし、その言葉が彼女特有の独り言であることを察することが出来たから。それにまた余計なことを口走って叱責されることを回避したかったこともある。

 彼はあの男から注意を逸らしてしまったことを心底悔やんでいた。

 気の弱そうな明らかに小者なその佇まいに、ただの青臭いガキだと高をくくってしまったのだ。なかなか手を出さない男の様子に呆れ果て、彼は別の娼婦へと注意を移してしまったのである。

 それがこの結果……ヴィエッタを連れ去られるという失態に繋がってしまった。

 如何に叱責されようとも何一つ言い逃れることは出来ないのである。

 

「【バスカー】の差し金かもしれないねぇ」

 

 主人のその言葉にさもあろうと彼も思いいたっていた。

 この街で最大の奴隷商人であるバスカーの元へ、ヴィエッタを手に入れたいと申し出る多くの貴族や富豪達がこぞって依頼を持ちかけていることは有名な話であった。

 バスカー本人もヴィエッタに執心してこの店に通い詰めの時期もあったし、つい先日も実際に2億ゴールドを持参して彼女の身請けを申し出たばかりである。

 元よりヴィエッタを手放す気などないこちらにとって、どれだけ金を積まれようとそんな要求を受けるつもりは毛頭無かったのだが。

 

 それがここにきてこのイレギュラーである。

 まさか、彼女をこうも簡単に連れ出されてしまうとは……

 長い期間この館の管理に携わってきていた男にとってもこの事態はまさに想定外の出来事であった。こんなことになるのであれば、違和感を感じたあの時に部屋へ介入するべきであった……いや、そもそもあの男にヴィエッタをつけるべきではなかった。

 様々な後悔が襲い来るもすでに後の祭りであることを重々承知し、彼は唇を噛んだ。

 

「何をすればいいか、分かっているだろうね」

 

「はい」

 

 女主人が鋭い眼光で彼を射貫く。

 それに即答で返した彼は、すぐにその部屋を辞した。

 

 すべきことはすでに分かり切っている。

 この失態をどうにかしなければ……

 彼は敬愛すべき主人の恐ろしい瞳の光を思い出しながら、足早に目的地へと向かった。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「さすがにシシン達はいねえみてえだな……」

 

 店を出た俺は先ほど連中と別れた路地へと顔を覗かせてそこに誰もいないのを確認してそう独り言ちる。

 と、言った途端にそんな俺を不思議そうに見つめてきた彼女の瞑らな瞳と視線が交差して気まずくなる。

 この女……俺のこと、独り言呟くようなおかしい奴とか思ってそうだな……くそっ。

 俺は適当に胡麻化そうと、とりあえず着ていた上着を脱いでヴィエッタへと差し出した。

 

「あ、あのなぁ、ちょっとこれを着ろよ」

 

「え? はい」

 

 本当に適当にそうしただけなのだが、よく見ればヴィエッタの身体は、すぐに破けてしまいそうな薄手の浴衣と小さな白いショーツを履いているのみで、はっきり言って公衆の面前に出して良い恰好ではなかった。

 まあ、俺のこの皮のジャケットを着たとしても、せいぜい尻が半分隠れる程度の丈しかないわけだけど、何も着ないよりはましだよな……と着せてはみたのだが……

 

「あ、あの……ありがとうございます。ちょっとゴワゴワしてますけど、ちょうどいいです、これ」

 

 エヘッと俺に笑顔を向けてくる彼女。ちょうどいいと自分では言っているのだが、実際の所はそのたわわな胸が俺のジャケットを不自然に歪め押し上げてしまい、尻は大分隠れているのだが、前の方はほぼ露出されてしまっていた。

 

「お前な……パンツの前面がフルオープンなのに平気なのかよ」

 

「あ、でも私、普段からいつもこの格好なので結構大丈夫です!」

 

「その感覚絶対おかしいから! 間違ってるから!」

 

 グッと拳を握ってそう返事をする彼女は本当に平気そうである。まったくどんだけ世間知らずな娼婦なんだよ、こいつは。

 呆れて頭を掻いていた俺の背中に、急に何かが触れたかと思って見て見れば、俺の背にぴったり身体を重ねてくるヴィエッタの姿。

 

「あのあのヴィエッタさん? 何をしてらっしゃいますの?」

 

「あ、えーと、もし人に見られてまずいようでしたら、こう抱き着いていれば仲の良い男女に見えますし、最悪エッチを始めちゃえば、ああ、あの人たちは今忙しいのね……って離れて行ってくれるかな……って」

 

「どこの世界に急に街中でおっぱじめる男女がいるってんだよ。ってかそんなのいたらマジでヤバいやつだから。頭おかしいから」

 

「へ? そうなんですか?」

 

 はあ……こいつは重傷だ。

 いったい何年あそこで男達の相手をさせられてたんだか知らないが、まさかここまでエロスですべてが納まると思っていやがるとは。

 

「そもそもお前はそういう生活をしたくないから俺についてきたんだろ? なんでいきなり初心放棄してんだよ。もっと頑張れよ」

 

「あ……そういえばそうですね」

 

 思いっきり意外そうな顔になっているヴィエッタ。

 何がそうですねだ、これは先が思いやられるよ。まったく。

 

「まあ、いいや。とにかくさっさと俺の宿に入っちまおう。着替えとかもあるしそうすりゃ大分落ち着くだろう。おら急ぐぞ」

 

「は、はいっ!」

 

 それから俺たちは宿を目指してなるべく人目につきにくい路地を走って移動した。

 まだ深夜というには早いが十分遅い時間であり、それこそ人通りはまばら……店舗も店仕舞いをしているところがほとんどだし、これ幸いと人目を避け続けた俺たちは、宿までもう目と鼻の先といった裏道へと差し掛かっていた。

 

「はぁはぁ……ほら、あそこの建物が目的の宿だ。あとちょっとだから、頑張れよ」

 

「は、はい。それよりも紋次郎? そんなに疲れて大丈夫ですか?」

 

「はぁはぁ……うるせいよ」

 

 なんなんだよいったい。なんで俺と同じスピードで走ってきてこいつは息切れひとつしてねえんだよ。こいつもレベル結構高いのか? 久々の御荷物感にマジ萎えそう。

 まあ、でももうすぐそこだ。

 とにかくこいつをまずは着替えと変装をさせて、それから早速あの商人のところへ行ってだな、それから……

 

「あの紋次郎? ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

 

「なんだよ」

 

 急にヴィエッタに尋ねられ俺は歩きながらその顔を見た。どことなく不安気な感じになっているところから察するに、少し冷静になってきて自分の置かれている状況がなんとなくでも理解出来てきたのかもしれない。

 まあ、不安にもなるわな。当然だ。

 だって今のヴィエッタの状態は『誘拐』されている真っ最中なんだもの。

いや、この表現が適切かどうかはあれだが、ヴィエッタが捕まっていた捕虜だとかならこれは『奪還』だし、収監されていた囚人であるならば『脱走』、単に家から飛び出しただけなら『家出』だし、恋の逃避行なら『駆け落ち』か……とか、全くそのどれにも当てはまりはしない今のこいつの状況はやはり『誘拐』で間違いないだろう。

 なにしろ、奴隷であるこいつを俺がこっそり拐ってきたわけだからな。そこに本人の意思のあるなしは関係ない。100人いたら100人全員俺のことを誘拐犯と呼ぶだろう。

 あれ? 俺どうして犯罪してんだろ? あれ? 実は俺今超やばい状況なんじゃね? はわわ、なんか考えてみたらそわそわしてきた。

 

「紋次郎?」

 

「ひゃいっ!」

 

 突然すぐ目の前でヴィエッタに声を掛けられて心臓が止まるかと思うくらいに驚いてしまった。

 いやあれだ。これはマジで怖くなってきた。どうしよう‼

 ま、まあ、今はとにかくこいつの話を聞かなくては。

 

「だ、だいじょぶ、大丈夫だから、それをさっさと言えよ。答えてやるから」

 

「あ、えと、えーと。その……」

 

 ヴィエッタは困惑した様子のまま俺へと問いかけてきた。

 

「私はこれからどうなるの」

 

 それはまさに彼女の心の声そのもの。今の現状をすべて擲って彼女は俺に着いてきた。

 確かにあの環境は彼女にとって地獄そのものであったかもしれないが、同時に彼女にとっての人生のほとんどの日常でもあったのだ。それがこんな訳の分からない初対面の男と一緒に逃亡を計っているのだから、当然の不安だろうな。

 

「俺はお前が行きたいところまで連れていってやる。その後はお前の好きに生きればいい」

 

「え? 私の行きたいところ……好きに……?」

 

 ぽかんと口を開けたヴィエッタが俺に怪訝な顔を向けてきた。なんなんだよその顔は。

 

「なんか文句あんのか?」

 

「あ、ちが……そうじゃなくて、それじゃあ紋次郎になにもメリットがない。私の為にそこまでしてくれるなんて、私は何をすればいい? 紋次郎にどうやってお礼をすればいいの? とりあえず一回エッチする?」

 

「ホァアッ!? にゃ、にゃにを言ってんだ? てめえを抱くわけねえだろうが、舐めんなこのクソビッチ!」

 

「ふぇ……ご、ごめんなさい。じゃ、じゃあとりあえず胸でマッサージだけでも……」

 

「だからなんですぐにシモに行こうとすんだよ! やめてよ、恥ずかしいよ!」

 

「ふぇえぇ……」

 

 自分の胸を掴んだ格好のままで涙目になって俺を見上げてくるヴィエッタ。なんなんだよ本当にこいつはもう……『ネタ』でセクハラかましてくるニムも大概だが、こいつは完全に『素』だからなお質が悪い。

 マジでエロいことすれば世の中万事解決すると思ってる節さえあるし。いや、世の中大抵のことは身体で払えるのか?

『ぐへへ……金がねえなら身体で払ってもらおうか、姉ちゃん』とか、昔学校の歴史の授業で『20世紀の風俗』の授業のVTRでそんなシーンがあったな確か。あれはギャグじゃなかったのか?

 いやいや話が逸れたな。

 とにかくヴィエッタに払ってもらいたいのはそういうものではない。

 

「お前には手伝ってもらいたいことがあるんだよ」

 

「手伝ってほしいこと?」

 

「ああ、それはな……」

 

 ヴィエッタにニムや鼠人(ラッチマン)達のことを話そうとしたその時だった。

 

 ヒュンッ……

 

「え?」「きゃっ」

 

 鋭い風切り音が耳に届き、俺は少ないながらも冒険者として培ってきた判断のままにヴィエッタを抱いてそのまま地面に転がった。

 何かが確かに俺たちの側を通過する。それが『矢』であるのだと、俺の思考が遅れてそう結論を告げた。

 

「誰だっ!?」

 

 ヴィエッタを抱いたまま暗闇に視線を向けそう叫ぶもこのままじっとしていては、次の矢の餌食になってしまうと、咄嗟にヴィエッタの首根っこを捕まえてそのまま引きずって壁際まで走る。

 彼女は声がまったく出ないながらも足をバタつかせながら、必死に這うようにして俺に追従してきた。

 壁に背をつけながら抱えたヴィエッタを見てみれば、ガタガタと小刻みに震えている。そしてその大きな相貌を恐怖に歪めて俺を見上げてきていた。

 俺はチラリと先ほど矢の音が聞こえてきたであろうこの路地の出口の方へと視線を向けた。すると……

 

 チャッ……

 

 聞こえきたのはあの独特の金属音。

 そこにあったのは三つの黒い影。その手にはどれも煌めく白刃の曲刀が握られていた。

 そう……俺が聞いたのは剣を鞘から抜き放つ時の音だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 襲撃のちSMプレイ

 目の前の3人は唐突に俺たちに向かって駆け出してきていた。

 

「………………」

 

 おいおいおいおい……いきなりかよ。黙って突っ込んでくるんじゃねえよ!

 俺は咄嗟にどうにかこの現場を切り抜けられないか思案を巡らせるも、腕の中で蹲って震えるヴィエッタを抱えてはどこに逃げることも出来ない。

 ちぃっ‼ ここに万全のニムが居やがれば、ヴィエッタを抱えて逃げようとも、この連中を叩きのめそうともどうとでも出来るのだけどな……まあ、しかたねえ。

 

 俺はしがみつくヴィエッタを剥がすように立ち上がってから、腰のホルダーから闘剣(グラディウス)を抜き放って、突っ込んでくる3人に向かい合った。

 連中はその俺の挙動に走行を止め、少し距離を取った地点で俺に対峙した。

 よしよし、とりあえずはこれでOKだ。ひとまず【ゴードン】じいさんに感謝だな。なにしろこの剣はゴードンじいさんが打って研ぎに研ぎまくった業物だ。それほど高価な剣じゃないとは言っていたけどな、見る奴が見れば相当なものであることが分かるのということを、他の冒険者連中からの話で理解していた。

 つまり、後は俺がどうどうとしていればいいのだ。

 業物の武器を持った威風堂々な冒険者……言っててなんだが俺のことだからね、悪しからず。

 そりゃ、一旦は足を止めるだろうさ。メッキが剥がれるまでの短い間だろうけど。

 

 でも、今はそれで十分だ。

 俺は奴らを注意深く観察しつつ口の中で呪文の詠唱に入った。

 所詮レベル1の俺に明らかにレベルが上の連中と渡り合うことなんて出来ないことは十分身に染みて分かっていることで、とにかく今はこの『土魔法』に頼るしかないんだ。

 問題は例の矢だ。この目の前の連中が弓を持っていなかった以上、どこかに弓術師(アーチャー)がいると見て間違いない。俺が魔法を完成させる前に射られたらそれこそ一貫の終わりだが……これだけこの3人が接近しているんだ、いきなり乱射してきたりはすまい。

 そう考えながら目の前の三人を見るも、三人ともがまるでニンジャの様な真っ黒な衣装で全身を覆っていた。これではいったい何者なのやら見当もつかないが……

 

 今は考えはすまい! よし、完成した!

 

「『土壁(ド・ウォール)』‼」

 

 足元の地面に手を押し当てそう俺は宣言した……しかし。

 

「……………」

 

 あ、あれ? 何も起きないぞ?

 そう、魔法は発現しなかった。

 いやいやいやそれはないだろう。ここに来てなんで肝心かなめの魔法がどうして使えないんだよ! この後いったいどうすれば……

 焦って顔を見上げてみれば、そこに俊敏に動きだした3人の姿が……一瞬で間合い詰め、俺達を包囲しにかかった。

 

 や、やばい! どうすれば……

 

 

 その時……

 

 

「伏せて!『閃光(ホーリー・フラッシュ)』‼」

 

「うわぁ!」「な、なんだ?」「おわぁっ」

 

 甲高い女の声が呪文を唱えると同時に、辺り一面が真っ白な光に包まれる。暴漢達のものであろう三つの男の悲鳴があたりに響いた。その空間に広がったのは超強烈なカメラのストロボとでも言えばいいのか。俺はとっさに目を瞑ったのだが瞼越しに鋭い白色が襲い掛かってきていた。

 

「なにやってんの! 早くっ! こっち!」

 

「え? え?」

 

 殆ど何も見えないその状況の中にあって、俺の耳に届いたのはそんな声。さっき呪文を唱えた女性と同じものであることが容易に想像できるのだが、とにかくどこにいるのか分からない。

 そんな中、急に俺の右腕がぐいっと引っ張られる感覚があった。

 俺は慌ててうずくまるヴィエッタを抱きかかえる……と、同時に急に足元が消滅したような妙な感覚に囚われ、そのまま本当に落下した。

 

「んぐっ!」

 

「しぃ! 静かにっ!」

 

 背中に強烈な痛みを感じた次の瞬間に抱えていたヴィエッタの全体重が俺の腹へとめり込む。

 内臓が破裂したんではなかろうかというくらいの激烈な痛みに悲鳴を上げたかったのだが、誰かの手が俺の口を力いっぱい抑え込んでいた。そんな俺とヴィエッタに誰かが覆いかぶさってきていた。

 とにかく俺は身動きせずに全てをその存在に委ねた。

 魔法も使えずどうしようもないのだから、今更じたばたしても始まらない。

 ここはいったいどこなのか?

 真っ暗闇の中にあって自分がどっちを向いているのかも分からない。だが俺達を押さえつけている存在は非常に柔らかい肌の持ち主でどうやら女の様だが果たしてこいつは味方なのか……突然凶行に走ってぶすりとやられては堪らないがそれならもうとっくにそうしているか……

 一応さっきの黒ずくめたちとは別グループの様ではあるし、奴らがまだ近くにいるであろうこの場所で何かすぐに行動に移るとも思えない。

 

 どれくらい時間が経ったのだろうか。

 自分の鼓動とヴィエッタの鼓動、それに複数いるであろう周囲の人の微かな吐息だけを感じながらじっとしていた俺の身体を誰かがトントンと小突いた。

 

「もう、行ったみたいだよ」

 

 聞こえてきたのは先ほどの女の声。そして俺のすぐ直上からは別の女の声が聞こえてきた。

 

「お疲れ様でしたわシオン。マコ、灯りを点けてくださいますかしら?」

 

「うん、わかった! オーユゥーン姉。ちょっと待ってね」

 

 どうやらここには女が3人はいるようだが、はて……この声どこかで聞いたような……

 

 暗がりでもぞもぞと動いていることだけははっきり分かり、いろいろと柔らかい物が俺達の身体の上を移動していく……というか、俺の上を這っていた。

 

「ええい、鬱陶しいというか、重いんだよてめえら……ひぐぅっ‼」

 

 言った瞬間的確に俺のみぞおち二肘鉄が三本突き刺さる。

 

「レディにそんなことを言うとは、まったく……さっきといい今といい、貴方は本当に無礼なお兄様ですわね」

 

「ったく懲りないんだね、ダメダメなお兄さんだ」

 

「もっかい死んどく? クソおにいちゃんっ‼」

 

「……げふっ……げふげふっ……やっぱりてめえらか……」

 

 鋭利な三連ストンピングを腹に叩き込まれて悶絶した俺が見たのは、誰かが点けたのであろう小さなランタンの灯りに照らされた3人の女の顔。

 それはこの街に着いて早々俺に絡んできた連れ込み宿にいた女達だった。

 彼女達はこの狭い空間にあって俺達を跨ぐようにして座ってこっちを見つめてきているのだが、その服装が先程の薄着の娼婦装束とは全く別の、皮の装備をしているところなどはまるで冒険者であり、一見してあの娼婦達であると判別するのは難しいはずだが、そこはそれ、一度こいつらにリンチされた俺が間違えようはずがない。とりあえず股間はガードしておかなければ、また潰されてしまうかもしれない。

 兎に角まずは現状を確認することが重要だろうな。

 

「ここはどこなんだよ? お前らはいったい何をしてるんだ?」

 

 3人の女達は一度顔を見合わせてからはぁっと大きくため息をついて、そしてオーユゥーンと呼ばれていた一番背の高い……胸も尻もボリュームたっぷりのまさにボンキュッボン(死語)な女が口を開いた。

 

「お伺いしたいのはこちらの方なのですけれど……まあ良いですわ。ここはワタクシたちの隠れ家ですの。そして今ワタクシたちは夜警をしていたところでしたのよ」

 

「隠れ家? 夜警?」

 

 夜警と言われて、ムキマッチョ軍団と戯れていたであろうあのクソビッチを思い出して一瞬目眩を覚えるも、まさかこいつらまでこんなところで『夜警』なんてしやしねえだろう。

 いや、まさか、女だけで? 夜警を? こ、こいつらまさかガチかっ! ガチ百合か!?

「お兄様がどうしてそんな気持ち悪い顔なされているのか知りませんけれど、ワタクシ達はここ最近多発している娼婦の誘拐事件を調べておりますのよ」

 

「はあ? 誘拐事件? 娼婦の?」 

 

「そうですわ。お兄様はご存じありませんの? 今この街では毎晩の様に娼婦ばかりが連れ去られておりますのよ」

 

 呆れた感じで俺を覗きこむオーユゥーンにそんなことを言われるが……

 

「ご存知ありませんの? って当然ご存知ねえよ。俺らは今日この街に来たばっかだぞ」

 

「まあそうでしたの……でしたら知らなくても当然ですわね……あら?」

 

 オーユゥーンは俺から視線を外して俺の股の間で蹲っているヴィエッタへと視線を移していた。

 

「あら? 貴女は……?」

 

 ヴィエッタはその視線から逃れるように俺の腹へとその顔を埋めてきた。

 っていうか、なんで俺の身体を腕でがっちりホールドしてんだよ! これじゃマジで身動き一つ出来ねえだろうが。

 

「貴女はお店でお兄様と一緒にいた……お連れの方ではありませんわね? えーと、どこかでお会いしたことがあったような」

 

「あー! この子あれだよ、あの子だよ。ほら、えーとえーとこの街で一番人気があるっていう娼婦のえーと、名前は……」

 

 赤髪の女がヴィエッタを指さしながらそんなことを言うと、今度は金髪の小柄なまるで子供のような女が……

 

「そうそう、ヴィエッタちゃんだよ! ヴィエッタちゃん! この前マコを買ったおじちゃんが、『あー、ヴィエッタちゃんを抱きてぇなぁ』とかマコの上でそんなこと言ったからね、思いっきりアレ潰してやったの!」

 

 ヒュン……‼ おおう、何もされてないのに股間にダメージが。 言葉ってホント暴力。

 というか、そのおっさんがこの小っちゃいのの上で何をしていたかは触れないでおくことにしよう。うん、そうしよう。

 ヴィエッタはそんな興味津々な感じで覗き込んできている三人に恐る恐るといった具合でそっと顔を向けるも、明らかに動揺していて言葉が出てこない。

 そんな膠着状態の中、オーユゥーン達がポツリとこぼした。

 

「そういえばヴィエッタさんは、確か娼館『メイヴの微睡』の……」

 

「奴隷娼婦……だったよね?」

 

「で、なんでクソお兄ちゃんがその奴隷娼婦ちゃんを連れて歩いているの……かなぁ?」

 

 最後のマコのその言葉で、3人が一斉に俺へとゆっくり視線を向けてきた。

 その眼はしっかりと座っていて、確実に俺を訝しんでいる様子で……

 

「娼婦誘拐犯‼」「現行犯‼」「確保~~~っ‼」

 

「へ? いや、ちょ、ちょい待てお前ら!」

 

「「「問答無用‼ 御用(よ)(だよ)(ですわ)‼」」」

 

 狭い穴倉の底で俺は……

 ヴィエッタを抱いたままで、3人の女に圧し掛かられて緊縛されるのであった。

 

 なんだこれ?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 拉致監禁

「ほら、お兄さん。さっさと吐いちゃいなさいよ」

 

「そうだよクソお兄ちゃん! 全部言ったらマコが良いことしてあげてもいいよ?」

 

「ふがっ! もがっ! ふごっ!」

 

「あらあらシオン、マコ……それではお兄様もお話できませんわ。ほら、猿轡を外してさしあげないと」

 

「あ」

「そだった。忘れてたー。ありがとオーユゥーン姉」

「いえいえ、どういたしまして」

 

 こいつら~~~~

 

 どこだか分からない部屋の硬い床に転がされた俺は、俺の頭を取り囲むようにしたままスカート内のパンツ丸見え状態でそんな会話をしている破廉恥な女どもを睨みながら、なんとか逃れられないものかと身を捩り続けていた。

 とりあえず目隠しはさっき取られたのだが、全身を縛る縄と猿轡はまだされたままだ。

 今の会話から察するに、ただ忘れていただけらしいのが……くそがっ!

 

 暴漢達から逃れたあの時に落下したあの空間。あれはやはり縦穴だったようだ。

 こいつらにがんじがらめに縛り上げられて、あそこから担ぎ上げられた俺が見たのは、なんの変鉄もない路地裏の塀と壁。しかし、よく見れば足元に俺たちが入っていたであろう穴があるのだが、立っている高さからだと塀が死角になってそこは隠れてしまっていた。

 そして、こいつらの会話から分かったのだけど、どうやらこのオーユゥーンは闇魔法を使えるとのことで、俺たちが隠れていたあの時、闇魔法の『隠蔽(ダクネス・スクリーン)』をあそこに掛け、認識阻害で連中の目を欺いていたのだという。

 全魔法系統のなかでももっともコントロールの難しい闇魔法をスパッとあのタイミングで放ったのだというこの女を、なかなかやるなぁと一時は感心したのだが、みのむし状態の俺をひょいと担ぎ上げられた瞬間に、感心が怒りに転じたのは言うまでもない。

 そして目隠しをされた俺はこの訳の分からない場所に放り込まれて今に至るというわけだ。

 

「むっふっふー。ではお兄さん。お楽しみタイムといきましょーか!」

 

「だいじょうぶだよ~。痛いのは最初だけですぐに気持ちよくなるからね」

 

 シオンとマコが手に何かどろどろした液体を付けて手を揉みながらそんなことを言ってくる。

 

「お、おい、お前ら。じ、尋問だよな? お前ら尋問するだけだよな? な、どうだよな!?」

 

「むっふっふー!?」

「にひひ~~~!」

「や、やめっ! やめろっ‼ ッアーーーーーーーーッ‼‼」

 

 

 

 

「……と本当は楽しみたかったのですけれど……シオン、マコ。このお兄様は無実でしたので解放して差し上げなさいな」

 

 そのオーユゥーンの一言で女どもの動きが止まる。あわやあと一息でパンツが脱げるというところで、二人はがっしと掴んでいたその手を放した。

 っていうかちゃんとパンツ履かせろよ。いやだよこんなローライズポジション。しかもなんかこいつらが触ったところねちょねちょしてるし、今パンツオンリーだし! 

 

「え? うそ?」

「本当なの?」

 

 二人は心底驚いた様子でオーユゥーンを見ていた。

 

「ええ、本当ですわ。つい今ほど、ヴィエッタさんにお兄様に頼んで連れ出してもらったということが聞けましたもので。どうやら、お兄様は『誘拐』ではなく彼女の『脱走』を手伝っただけのようですわね。まったく、紛らわしいですわね」

 

 脱走幇助か……なるほどそういやそうだな。付いてくると言ったのはヴィエッタだしな。

 

「なるほどなるほど……じゃねえ! てめえらふざけんじゃねえよ、人を誘拐犯扱いしやがって」

 

「あら? そうは仰いますがあんな暗がりでほぼ全裸の娼婦を連れて追っ手に襲われている状況なら、100人中100人がお兄様を誘拐犯と見なすと思いますけれど? 実際に攫ったことに変わりはありませんし」

 

「くっ」

 

 だからその計算はもう既に俺の中で終わってんだよ。てか確かに拐ったことに変わりはないか?

 くっそ、こいつら人のことをおもちゃにしやがって。

 

「そもそも人の奴隷に横恋慕して連れ去ろうなんて、烏滸がましいにも程がありますわ。ま、まあ? お、同じ娼婦の身といたしましては? 想いを寄せた素敵な殿方に連れ去って貰えるなんて夢のまた夢の話で本当に憧れてしまいますけれど……」

 

「いいよねー。素敵な王子さまと愛の逃避行とかもうたまんないよー」

 

「マコはマコはね? めっちゃお金持ちのおじちゃんにね、うちの支配人のほっぺを金貨スリングでぶん殴って、マコを連れ去ってほしいかな~~」

 

 なぜか三人でうっとりとそんな妄想に浸り始めやがったが、ものの数秒で三人ともその顔をどんよりと変えてはぁっと深くため息をついた。

 

「まあ、そんな事して貰える娼婦なんてこの街ではヴィエッタさんくらいなのでしょうけれど」

「そうそう、商売女なんて『汚い』とか『臭い』とか男は平気で言うしね」

「現実の男なんてみんなクソだよクソ。ねえ? クソおにいちゃん!」

 

「なんでそこで俺に共感を求めんだよ。知らねえよそんなことは。そもそもクソビッチのてめえらにクソ呼ばわりされる謂れはねえ……ゲブゥオアァッ!!」

 

 床に転がる俺に向かって3人が同時にストンピング! というか、綺麗にジャンプして喰らわせてきやがった!

 マジでこのクソ女ども、ふざけやがってぇ……マジで死んでしまう……

 

「はぁ……クソお兄ちゃんは本当にクソだね。思っててもそういうことを言うもんじゃないよ。うちのお客さんだってみんなマコたちに一応は優しくしてくれるんだよ?」

 

 ちびっこのマコが俺に向かって屈んでそんなことを言ってきたが……

 

「うるせいよボケッ! んなもん思った時点でアウトだろうが。どんな綺麗ごと言ったってお前らを見下した時点でそいつがお前らを大事にするわけねえだろが」

 

「そ、それは……そうかも……」

 

 シオンが少し同感でもしたんだろうか、たじたじになっ頬を掻く。

 

「で、でもさ……だからってお兄さんみたいに『クソ』だとか『汚い』とか言われるとやっぱり傷つくし……」

 

「はあっ? 誰が『汚い』なんて言ったよ? 俺が言ってんのは今の状況に甘んじて娼婦なんか続けてるてめえらのことを『クソ』だって言っただけだ。なにが、『素敵な殿方』だ、『王子様』だ、ふざけんな。そんなに今が嫌ならてめえらでなんとかしやがれってんだ‼」

 

「そ、それは……」「そう……なんだけどさ……」

 

 俺の言葉に下を向いてしまったシオンとマコ。

 何やら沈鬱な表情でお互い顔を見合わせて急に黙ってしまった。

 こいつらさっきまであんなに騒いでやがったのに、いったいなんなんだ。

 いい加減ミノムシ状態に嫌気がさしていた俺は必死に体をよじっていると、そこにオーユゥーンが屈みこんで来て縛っていた縄を解き始めた。

 

「そんなにワタクシの妹達を虐めないでくださいますかしら、お兄様。娼婦にも色々ありますもので……」

 

 オーユゥーンは少し寂し気な感じの表情のままで俺の全身を転がしながら解いていく。そして唐突に言った。

 

「ワタクシたちは好きで娼婦をやっておりますの。確かにやめたくなったらやめられるのですから、ヴィエッタさんのような『奴隷娼婦』よりは良い身分化もしれませんわね。はい、縄をほどきましたわ。ヴィエッタさんもお待ちでいらっしゃいますからどうぞお帰りになられてくださいまし」

 

 しゅるしゅると縄を纏めながら言ったオーユゥーンは俺へとその開いた手を差し出してきていた。

 俺は縛られてうっ血していた手首や足回りを擦って確認した後でその細い手をとり立ち上がる。そこにはにこりと微笑んだ俺よりも背の高い美人の顔。

 俺は一瞬その顔に見惚れてしまったことを自覚しつつ首を振る。

 いかんいかん、また本能で反応しちまった。俺はケダモノじゃあねえんだ。特になんの関係もないこいつに欲情なんてしてたまるか。

 深呼吸をして一旦落ち着かせてからオーユゥーンを見てみれば、『こちらから』と出口の方へと顔を向けている。

 その方向へと俺も向いてみれば、戸に寄り添うようにそこにヴィエッタが静かに佇んで立っていた。

 

「なんだお前いたのかよ」

 

「うう……紋次郎……」

 

 ヴィエッタはその瞳に涙を滲ませた様子で俺を見ていた。どうも相当に怖かったらしいな……そりゃそうか。いきなり刃物を持った暴漢に襲われたわけだしな。ヴィエッタというか、俺だってめちゃくちゃ怖かったし。できれば俺だってもうあんな思いはしたくねえよ。

 彼女に近づいてそっとその頭を撫でてやる。

 

「よし、じゃあ行くかよ」

 

「うん……」

 

 ヴィエッタは素直に俺に頷いて返した。

 そんな俺たちの様子を見ていた例の3人組。

 

「うっわぁー。本当にヴィエッタちゃん落ちちゃったんだ」

「なにお兄さんこのスケコマシ」

「こんなことも起こりますのね。『奴隷娼婦』をたらしこんでしまいますなんて……世の中分かりませんわね」

 

 心底不思議なものでも見るような目に変わってしまっている女ども。

 

「なんなんだよ、その反応は。こいつが俺に惚れる分けねえだろうが。そもそもさっきから『娼婦』だ『奴隷娼婦』だ言ってるがそれはいったいなんなんだ? 商人の野郎が『隷属契約』がどうのと言っていたんだが……」

 

「はあ? お兄さん、それマジで言ってんの? それを知らないでヴィエッタちゃんを攫ってきたの?」

 

 シノンが驚いた顔になっていた。いや、シノンだけではなくマコやオーユゥーンも同様だ。

 

「じゃあ、ひょっとしてヴィエッタちゃんまだ『奴隷』のままなの?」 

「呆れましたわね。まさか『隷属契約』のことも知らずに『奴隷娼婦』を拐う御仁がいらっしゃったとは」

 

 うん。これはあれだ……驚いた顔ではなくて、心底俺をバカにしてるって顔だな、間違いない。

 

「なんだよそんな目をしやがって。別にただの奴隷だろ? だったら金払って解放されれば良いだけじゃねえか。跡はヴィエッタが頑張って金を稼いで返しゃいいんだよ」

 

 『奴隷』とはつまり金の代わりにその身を売った、もしくは売られた人間のことだ。

 金や力を持った連中と対等に渡り合えないからこそ、このような不遇を味わうことになるのは世の常。何時の時代であっても奴隷やそれに準じた人間関係がなくならないのは、身分の上下がある以上いたしかたがないことである。

 それはこの異世界にあっても変わらないのだろう。立場の弱い、力が弱いたくさんの女性がこのような境遇にいるというのが何よりの証し。

 そんな連中を解放するための手段は、かつての奴隷解放戦争と同じように武器を手にとり体制側を討ち滅ぼすか、もしくは普通に金を払って身分の回復を計れば良いはずだ。

 どうせヴィエッタは金を持ってないだろうし、金策までは手伝ってやろうかくらいには俺も考えていた。

 そうなのだが……

 

「「「はあっ……」」」

 

 目の前の女どもは同時にため息を吐いて首を横に振っていた。

 

「なんなんだよその反応は。別に俺はおかしなことは言ってねえだろうが」

 

「そうですわね。お兄様の仰り様は半分は間違ってはおりませんが、残りの半分は間違っておいでですのよ」

 

「半分? なんだそれは」

 

「そうですわね……まずは見ていただいた方が早いかもしれませんわね」

 

 オーユゥーンはそれだけ言うと、突然自分のシャツをたくしあげた。すると、服の上からもそれと分かるほどに巨大なふたつのミートボールが跳ね上がり、そしてシャツを引き抜くと同時にその二つが重力にしたがってぶるんと震えながら落下してきた。っていうか、めっちゃ弾みまくってるし!

 そこから視線を逸らせなくなっていた俺がハッと気がついて顔を上げるとそこには不思議そうに見下ろしてくるオーユゥーンの顔。

 

「何を今さら胸を見た程度で動揺してらっしゃいますのかしら? まあ、お兄様にそのような熱い視線を向けられるのは悪い気はしませんけれど」

 

「べ、べべべべ別に……そんなに見ちゃねーし」

 

「いや見てたよー。めっちゃ見てたよ、オーユゥーン姉のおっぱい。なんだよお兄さんやっぱり好きなんじゃない」

「む、むむ……マコも……マコももうちょっとしたらオーユゥーン姉みたいにおっきくなるんだから」

 

 けらけらと笑っているシノンと、必死に胸を揉みしだいているマコ。

 お前らの反応明らかにまちがっているからな。もっと恥じらえよチクショー。

 

「まあ今はいいですわ。見ていただきたいのはこれですもの」

 

「え?」

 

 オーユゥーンはくるりと振り返って自分の手でその長い若草色の髪を束ねるようにして持ち上げた。妖しい色香をともなって白い柔らかそうなうなじがそこに現れるのだが、それよりも先にそれが目に入った。

 

「その刺青は……なんだ?」

 

 そう、彼女の背中には大きな黒い入れ墨があった。

 それは楕円形のただ黒く塗りつぶしただけの図形のようであったのだが、近づいて見ると、それが細かい小さな文字の集合であることが分かる。

 この文字は俺でも読むことが出来た。この世界で一般的に用いられている『魔法文字』だ。

 

「お兄様は知らないかもしれませんけれど、これが『隷属契約紋』ですわ。奴隷は皆この『紋』を身体に刻まれて自由を束縛されますの。そしてこれの為に主人に自分の意思とは関係なしに絶対服従することにるのですわ。それこそ、犬になれと言われればそう振る舞ってしまいますし、死ねと言われれば自殺することもありますの」

 

「そのわりにはお前構好き勝手やってそうだけどな」

 

「それはそうですわ。だってワタクシは『元』奴隷娼婦ですもの。今はただのしがない一娼婦ですわ」

 

 ただのしがない一娼婦っていったいなんなんだかな。

 

「だったらお前はどうやって奴隷娼婦をやめたんだよ」

 

「簡単な事ですわ。ワタクシが自分で契約主であるその時の主人を殺しましたの」

 

「は?」

 

 ケロッとまったく悪びれた様子もなくそんなことを白状したオーユゥーン。

 あれ、こいつ今なんて言った? 殺した? 殺したとか言ってたよな確か。え? なにこいつ、人殺しだったの?

 オーユゥーンは俺をちらりと振り返って言った。

 

「ワタクシはもともと盗賊でしたのよ。方々で色々なお仕事をさせていただきまして当然何人も手にかけましたわ。でも、結局は聖騎士に捕まってしまいまして、1年ほど彼らに閉じ込められて犯され続けましたの。全身を傷だらけにされる地獄の日々でしたけれど、それを味わった後、ゴミに出されるようにワタクシは奴隷商人に売り飛ばされまして、そしてこの『紋』を刻まれてからは色々なご主人にそれはもう家畜の様に嬲られましたの。あまりに頭にきましたもので『紋』の影響の出ない条件を見計らって、ご主人とその家族、それとこの『紋』を刻んだ商人を全員殺しまして、そして晴れて自由の身になったと……つまりこの紋があり続ける限りは奴隷のままだということですわ。まあ、簡単ですけれど、これがその説明ですわね」

 

「いや、重いよ! めっちゃ重いよその話。何をお前は自分の地獄の半生を、「学校を順当に卒業して就職して今にいたりました」的な感じで普通に話しちゃってんだよ。もっと悲嘆したっていいだろうが。そもそもならなんでまだ娼婦なんてやってんだよ。そんだけ嫌な思いしたんなら辞めりゃあいいじゃねえか」

 

「『がっこー』? 『しゅーしょく』? それが何かは分かりませんけれど、悲嘆しても始まらないでしょう、ワタクシの身体が汚された事実は覆りませんし、自分の身体が男を夢中にさせるだけの魅力があることにも気がつけましたし……それを使わない手はないとおもいませんこと? それに今はこの娘達もいますし……」

 

 そう言ってシオンとマコを見やるオーユゥーン。

 二人はポッとほほを赤らめてオーユゥーンを見ているし。おいおい、マジでお前らそっち系なんじゃなかろうな

? というか、オーユゥーンが男らしすぎて、マジで俺も惚れそうなんだが。

 それにしても聖騎士か……。聖騎士っていやあなんとなく『正義の味方』的なイメージがあったんだが、犯罪者とはいえ女を監禁してそんなことする集団だったのか? いや、全員が全員そうというわけだはあるまい。どこの世界にも腐ったリンゴはあるもんだし。問題なのはそのリンゴを排除する清浄化機能が動いているかどうかだけど……どうなんだろうな……? ジークフリードみたいないい加減な野郎もいる組織だしな……なんだか不安になってきたぞ 。

 まあ、今はいいか。問題はこっちだな。

 俺は服を再び着ようとしているオーユゥーンの肩に手をおいてそれを制してから言った。

 

「え?」

 

 一瞬びくりと反応したオーユゥーンが目を見開いてしまっているのだが……

 おいおい、じっとしてろよ。俺は背中の魔法文字を読みたいだけなんだよ。これじゃあ全部読めねえじゃねえか。

 

「つまりあれか。ヴィエッタにもお前と同じこの『隷属契約紋』があるわけだな……えーと、なになに……、ふむふむ……」

 

「あ……あっ、あぅ……んっ……」

 

 俺がオーユゥーンの背中の文字を指でなぞる度に、その身体がぴくぴくと反応してしまっているのだが……

 ええい、だからそれじゃあ読めねえんだよ。くすぐったいのくらい少し我慢しやがれ!

 ふるふる震えていたオーユゥーンがその背中の筋肉を痙攣させ始め、そして溢れ出てきた珠のようなじっとりと汗が触れている俺の指に垂れてきた。

 だからじっとしてろよ。

 

「ん……んっ! んっ~~~~~‼ んんっ~~~~~‼」

 

「ねえ、シオンちゃん。今オーユゥーン姉○ッたよね」

「うん、○ッた○ッたね! お兄さんマジ凄い!」

 

「よし、全部読めたぞ……って、なんだお前らその目は! あと、ヴィエッタ、お前なんでそんなにワクワクしながら上着脱ぎはじめてんだよ!」

 

 見ればボケッとした顔で俺を見上げてきているシノンとマコの二人と、少し離れたところでオーユゥーンの様に上着を脱ぎ捨てようとしている目のキラキラ輝いたヴィエッタの姿。

 

「あ……えっと……紋次郎が私にも同じことしてくれるのかな……って……」

 

「しねえよアホッ!……ってか見たところお前の背中の紋もオーユゥーンと同じだな。よしよし、それがわかっただけで十分だよ。おら、さっさと服を着やがれ」

 

「え? で、でも……」

 

 なぜか非常に不服そうなヴィエッタ。

 本当に何なんだよ、お前らは。

 

「はぁはぁ……ふっ……くっ……ま、まさかこのワタクシが指先だけでこんなにも感じさせられてしまうなんて……あ……あぅ……」

 

 力なくぺたんと床に女の子座りになってしまったオーユゥーンはそんな訳のわからないことを口にしているし。

 

「ったくいい加減にしやがれお前ら。俺はその背中の文字を解読しただけだってんだよ。で、ちょっと聞きたいんだがいいか? これは誰かに魔法を掛けられたわけじゃねえな? なんかの道具でこの魔法文字を刻まれただろう」

 

 オーユゥーンは今度こそ服を着ながら答えた。

 

「そ……その通りですわね。それは……『隷属契約』の魔導具で大抵どこの奴隷商人であっても持っていますわね。ですが、それがどうかなさいましたの?」

 

「ああ、問題ありありだよ俺にとっては。この『紋』に組み込まれた魔法はな、『傀儡化(ダクネス・チェンジングパペット)』、『催眠拘束(ダクネス・ヒュプノバインド)』なんていう、闇魔法でも最上位の『精神支配系統』の魔法とほぼ同一のものなんだ。効果としては、主人として指定された存在に逆らった瞬間に意識を消され従順な傀儡になるというもの。これはあれだ、精神支配系統のいいとこ取りオンパレードな複合魔法だよ。普通なら唱えることだってできやしねえだろ。しかもだ、この魔法は術者の魔力は必要ない設計になっている。当然だ、道具なんだからな。この紋を刻み込むことでそいつの魔力を吸いながら術を機能させてるんだ。まったく、とんでもない魔道具だなそれは」

 

 そうまさしくとんでもない。実はこの術式に使用されている『魔力吸収(マナドレイン)』の機能は、俺が苦肉の策で考え出したその術式とほぼ同じものだった。しかもかなり無駄なく設計されていて、俺の作ったものよりも何割かロスが少ない感じでだ。くそ、ちょっとくやしい。

 これだけのことをしてのける『道具』だというのに、聞けば大抵の奴隷商人が持っているとか……言ってしまえば恒星間ネットワークに使用されている『ジニアスエンジン』が、その辺の普通の携帯端末に入って普及しているような感じか? いやちょっと違うか? あの地球の日本とほぼ同等の規模を誇るあのシステムの基幹を触らせてもらったときはマジで興奮したものな~~~はあ……また触らせてほしい。おっとそれたそれた。

 いずれにしてもだ。

 この『紋』を刻む道具は本当に途方もない存在ということは確かだ。

 

 そうだというのに……

 

 なぜか、オーユゥーン達全員がぽかんと口を開けて俺を見ているし。

 

「んだよてめえら」

 

「あ、いえ……その、よくわかりませんけれど、急にお兄様が生き生きとお話を始めてしまわれましたので、ちょっと驚きまして。お兄様は魔術師(ソーサリー)でいらっしゃいましたの?」

 

 うんうんとそれに頷く他の連中。

 

「俺は戦士だよ。なんだよその目は。戦士が魔法知ってちゃいけねえのかよ」

 

 そういや、魔無しの戦士なんてくそみそだみてえなことをゴードンじいさんも言っていたな。ってことはあれだな、こいつら俺のこと魔法も使えない本当の役立たずくらいに思ってたってことか。くそがっ。マジで、ムカついてきた。

 

「あのなぁ、俺だって魔法くらい使えんだよ。っざっけんな馬鹿にしやがって」

 

「あ、いえ、決してそういうことではなくて……もし、魔法のことにお詳しいのでしたら、できたらその……」

 

 急におどおどとしつつ俺に何かを言おうとし始めたオーユゥーンであったが、次の瞬間その言葉は中断を余儀なくされた。

 室外に何やら駆けるような足音が響き始め、バンッと突然この部屋の扉が開け放たれたのだ。

 

「オーユゥーン姉。【ミンミ】が呼んでるよ。すぐに来てよ」

 

 そこにはの無表情な一人の娼婦が立っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 娼婦の救い

 慌てた様子で駆け出していくオーユゥーン達を追いかけて俺とヴィエッタも走った。

 薄暗かったから使われていない廃屋にでも閉じ込められていたのかと思っていたのだが、走る廊下はきちんと明かりが点っていて綺麗に片付けられてはいた。しかし年季を感じるその装飾のいたるところには蜘蛛の巣が埃を被って垂れ下がってきており人の手があまり入っていないことが窺えた。

 そして走りながらふと目に止まったそこには待合室のような感じで椅子が置かれ、そしてレジカウンターのような場所も設けられていた。どうやらここは宿屋か何かのようだけど……察するに所謂『娼館』という所なんだろうな。

 灯りがなく人もいないところを見るに営業はしていない感じではある。

 ここはひょっとして大分前に閉店してしまった娼館なのかもな……と、そんなことを思いながら角を曲がった先ですでに開け放たれたままになっている扉からその室内に飛び込んで、俺はその光景に絶句した。

 

 そこは広い部屋だった。

 坪で換算すれば恐らく50坪くらいはあるだろう。ちょっとしたパーティ会場さながらの広さのあるこの部屋には、ところ構わず布団というかマットが敷かれ、そこに沢山の女性がほとんど身に何もつけずに、ほぼ裸体に近い格好で横たわっていた。 

 そしてその格好のままで荒い息づかいを続けていた。

 

「はぁはぁ……、お、オーユゥーンお姉さま……は、早くぅ」

 

「ミンミ。あまり急かさないでくださいますかしら?」

 

 オーユゥーンはまっすぐにその横たわる女性達の合間を縫うように歩いて、部屋の中央付近で横たわる一人の少女の元へ向かう。

 俺たちもそれに追従するも、そこかしこに女の子たちがいるため、踏まないようにと注意して進んだ。

 そうして見てみれば、膝をついてしゃがみこんだオーユゥーンが横たわる少女の手を握り、そのままその()()()顔をそっと撫でていた。

 その手には彼女の浸出液(しんしつえき)がべったりとついてしまっているが、オーユゥーンはそれに構わず、そっと彼女を優しく抱いた。

 

「え? どうして……? こんなことに……?」

 

 俺の隣でヴィエッタが口に手をあててワナワナと震えだしてしまった。だが、それを誰も責めることは出来ないだろう。だって、俺自身もこの地獄の光景にさっきから震えが止まらないのだから。

 

 そこには沢山の娼婦の少女達が横たわっていた……全身が、爛れ、ひび割れ、腫れ上がって、そして腐って尚、苦しそうに呻き続けていたのだ。そんな少女たちを先程俺たちを呼びにきた娘も含めて数人が甲斐甲斐しく世話をしてまわっている。水を飲ませ、包帯を変え、汚物の清掃やその他もろもろの雑事をこなしていた。

 

「マコ……お願いできるかしら?」

 

「うん、いいよぉ、オーユゥーン姉!」

 

 オーユゥーンに呼ばれたマコがトテトテとその横たわる少女の脇に駆け寄って、そしてその身体に手をおいて何かの呪文を唱える。

 すると、パァーッと辺りに青白い光が仄かに煌めいて、横たわる少女の全身を包んでいった。

 淡い光が顔を覆ったところで、少女はその悲痛な顔を安らかで穏やかなものに変え、大きく息を吐いてから瞼を閉じたのだった。

 そんな彼女のまばらに抜け落ち薄くなってしまった髪の毛を愛おしく撫でるオーユゥーン。

 

「お休みなさいなミンミ……よい夢を……」

 

 そしてスッと立ち上がると、側にいた俺にむかってニコリと微笑んだ。

 

「さ、お兄様。ここは妹達が休んでいますので、あちらへ……」

 

 そう出口を指し示すオーユゥーンに連れられて、呆然となってしまったヴィエッタを連れて俺たちは廊下へと出る。

 オーユゥーンは俺を見ながら言った。

 

「これがワタクシ達が娼婦を辞められないもう一つの理由ですの。まだ健康なワタクシたちがこの娘たちの分も働いて稼いであげなくてはなりませんし、それにこの中で『精霊の恩恵』をワタクシとシオンとマコの3人だけが賜ることが出来ておりましたもので、その魔法で病で苦しんでいるこの娘たちを癒しておりましたのよ」

 

 諦めにも似た達観した表情とでも言えばいいのか……オーユゥーンは俺へと微笑み続けている。

 暴漢に襲われた時にシオンが『閃光(ホーリー・フラッシュ)』の魔法を使っていることからも、彼女は『光系統』魔法を使えるのだろう。オーユゥーンは『闇系統』、マコは今目の前で『治癒(ミ・ヒール)』を使ったし『水系統』の使い手なんだろうな。

 なるほど精神系と癒し系の魔法を使えるのか……確かに治療も可能だろう。

 

 唐突にヴィエッタがオーユゥーンへと声をかける。

 

「あ、あの! あの娘たちはみんなお病気なんですか?」

 

 その言葉にクスリと微笑んだオーユゥーンが答える。

 

「ええ、そうですわ。驚かれましたでしょう……みんな『腐れ病』を患っておりますのよ」

 

「く、腐れ……病?」

 

 ヴィエッタはその病名が分からなかったのか小首を傾げている。

 

「そうですわね……確かヴィエッタさんのいらした『メイヴの微睡』には高名な治癒術師の方が居られましたものね。それでしたら、この病気にご縁がなくても仕方ありませんわね」

 

 そこで一旦区切ったオーユゥーンが話のもう一度室内を振り返る。

 

「『腐れ病』は確かに初期症状の段階であれば上位治癒魔法で治すことが出来るそうですけれど、残念ながら私たちのような下賎な娼婦にはそんな治療をうけることは殆どできませんの。ですので、放置したまま娼婦の仕事を続けていると御覧の有り様ですわ。陰部だけではなく、全身のいたるところが病に侵されて、最後は気が狂ったようになってしまい……そのまま死んでしまいますのよ」

 

 その彼女の言葉を肯定するかのように、累々と横たわる娼婦達はうなされながら意味不明なことを呟き続けてしまっている。

 それを見ながらヴィエッタは言った。

 

「もう、治らない……の?」

 

「ふふ……そうね。この前たまたまワタクシがお相手をさせていただいた僧侶の方に聞いてみましたけれど、こうなってしまった娼婦はまず間違いなく死ぬと仰っておりましたわね。それと、こうなってしまってはもはや『毒』でしかないから早く『焼いて』しまえと……」

 

「そんな……」

 

 淡々と話すオーユゥーンと驚嘆して震えるヴィエッタ。

 そのあまりに対照的な振るまいに、またとんでもない場面に出くわしたもんだと内心冷や汗を掻きながら、だが、もうすでに見て知ってしまったこの事実を黙認することはできないだろうなぁと、またもや俺は余計な事態に自分から首を突っ込もうとしていることを苦笑していた。

 

「これは『梅毒(ばいどく)』だな。『性感染症』の病気だ」

 

「「「「え?」」」」

 

 ぽつりと言った俺の言葉にその場で今まで静かにしていたマコやシオンまでもが反応を示した。

 

「お兄様、今なんと?」

 

 オーユゥーンが不思議そうにそう聞き返して来やがった。

 

「だから、梅毒って病気だと俺は言ったんだ。全身にゴム腫が出来てるし、リンパもかなり腫れ上がっている。爛れた箇所も相当に化膿しているようだし、意識も朦朧としてるんなら脳もとっくに侵されちまっているだろう……確かにもう病気の末期状態だよ」

 

 まあ、俺だって実物を見たことなんかないわけだが、これだけ症状がはっきりと出ていれば梅毒でまず間違いないだろう。

 かつてまだセックス用『全身ラミスキン』が開発される遥か前、抗生物質ペニシリンが発明されるまで全世界で主に発展途上国を中心に猛威を振るった性感染症こそがこの『梅毒』である。

 梅毒トレポネーマという真性細菌の感染により発症するこの病は潜伏期間の長さと、その初期症状が割りと軽いということから、多くの性風俗事業者……主に娼婦が感染することになった。

 この細菌は空気に弱いため、空気感染や飛沫感染は起こりえず、粘膜を密着させることになる娼婦が感染源となっていたことから、娼婦や感染者や性風俗そのものを迫害排除する世論がかつてあったことは変えようのない事実であった。

 なんというか、まさか異世界にきてこんな出来事に遭遇することになるとは夢にも思わなかった……

 俺の前で何度も梅毒、梅毒と唱えているオーユゥーン。だが、その言葉に思い至らないらしく、やはり首をひねっている。

 

「別にお前らの言う『腐れ病』でいいんだよ。梅毒ってな俺が前にいた世界でそう呼ばれていた病名だ。そんな呼び方なんだっていいだろ」

 

「前にいた……世界?」

 

「ああ、俺は……」

 

 すっと顔を向けてきたヴィエッタにそう聞かれ、答えてやろうとしたところで、俺はオーユゥーン達にがっしと両肩を掴まれた。

 

「で、ではお兄様……お兄様はこの病を治すことができるのですね!」

「お兄ちゃん!」「お兄さん!」

 

「うん、紋次郎! お願い! 助けて!」

 

「お、おいっ」

 

 いきなり詰めよってくる女共。ヴィエッタまでもが俺に密着して懇願してきやがる。そんなに胸で押してきたら俺が後ろに倒れちまうだろうが!

 

「あ、ご、ごめんなさいですわ。で、でもお兄様なら治せますのですよね!」

 

 もう一度そう俺に懇願の眼差しを向けてくるオーユゥーンに俺は即答した。

 

「治せるわけねえだろうが!」

 

「…………」

 

 きゅっと唇を噛んだオーユゥーンが、でもそのまま今度は何も言わずに後ろへと下がる。シノンやマコも同様に下を向いていた。

 

「紋次郎……」

 

 ヴィエッタだけがその大きな瞳を潤ませながら俺へとさらに迫って来ていた。ええい、マジで鬱陶しい。

 

「あのな……治せやしねえが……助けることはできるかもしれねえ」

 

「え? ええ?」

 

 再び驚きの声を上げるヴィエッタたちを無視して、俺は先程眠りに落ちたミンミのもとに戻る。

 全身痩せこけ生気の無い様子であるにも関わらず皮膚は爛れ、まるではじけたザクロのように痛々しく破れ、かと思えば、硬く変質したゴムのようなコブも至るところに出来てしまっていた。

 俺はそんな彼女の額へと手をあてた。

 

「『細菌』って奴はな、その辺の地面にもいくらでもいるが、生命体を苗床にしたりもする『寄生虫』みたいなもんだ。腸内細菌みたいに人に有益な細菌ならいても構わないけど、要は生きてるんだよ。だからな、普通に治癒魔法を使っても、細菌も一緒に元気になっちまうんだ。もともと、水系も光系も治癒に関しては身体の代謝を促進させて復元したり解毒したりしているだけだからな、こういう感染症自体を終息させることは出来ないんだ」

 

 この世界の魔法は万能な様でいて、案外そうでもないことを俺はもう承知している。

 特にこの治癒系の魔法についてはそれが顕著だ。

 一番単純な水系の『治癒(ミ・ヒール)』が良い例なんだが、確かに身体を修復するため、多少の切り傷ならば痕も残さずに治せるのだけど、その時体内に毒を受けていたりするとそれを浄化することは出来ない。

 そのような時はまた別に、毒の組成に合わせて『毒浄化(ミ・ポイズンリフレッシュ)』を行使して治療する必要があるのだ。もしこれを怠れば、一度は身体が復元したとしても体内の毒によっていずれは死を迎えることになる。

 まあ、上位回復魔法である『上位治癒(ミ・ハイヒール)』や『完全回復(フルヒーリング)』等のように、極限まで身体を健全化してしまえば、毒があったとしてもそれほど深刻な事態にならないかもしれないが、いずれにしても魔法って奴は薬と一緒で特定の状態にしか作用させることができない。怪我は怪我、毒は毒、そして、細菌は細菌なのである。

 マコが一生懸命に『治癒(ミ・ヒール)』を唱えていたが、この末期状態の梅毒患者には焼け石に水も甚だしいのだ。

 

 ではどうするか?

 

 俺はそのミンミとかいう少女の状態を観察しながら、ある魔法を唱えた。

 すると頭の中にある情報が送られてくる。

 

【名前】ミンミ

【種族】人間女

【状態】病気(腐れ病)

 …………

 

 断片的にその情報を確認しながら俺は自分の中でまた別の魔法の構築に入った。

 今俺が使ったのは、『解析(ホーリー・アナライズ)』という魔法だ。この魔法は所謂『ステータスカード』と同じような機能を持っている。というか、ステータスカードに封じ込められている魔法術式の原型はまさにこの魔法なのだ。

 そしてこの魔法にはもうひとつ稀有な特徴があって、まあ、俺が使っている時点で判明していることでもあるのだけど、要は魔力を必要としない魔法なのである。

 術式の仕組みは複雑怪奇なものなのだけれど、実際使う段になってはただ対象物に触れた状態で脳内に魔法術式を描くだけでいいのだ。

 単純にいえば、そのものが有している魔力環境を読み取るだけの魔法だから、術を描けば後はそれ自体が持っている魔力が反応して簡単に読み取ることができる。だから逆にいえば、魔力がないものを解析することは難しいのだが、まあ、そこはそれ、色々なやり方があるので、現に魔力のない俺やニムのステータスをステータスカードは読み取ってくれているから、一概には魔力なしでいいとも言えないのだけどもな。

 

 俺は表示させたその情報の中にはしっかりと『腐れ病』……所謂『梅毒』と記載されていたから、次の魔法へと移行したのだ。

 

「やっぱり、この子は『腐れ病』にかかっているな。だから、とりあえずこの病気の進行が止まるようなことをしてみるからな」

 

「え? そ、そんなことが可能ですの?」

 

 先程からずっと驚き続けているオーユゥーンの言葉を受けて俺はとりあえず頷く。

 

「でもあれだ。治せる訳じゃないからそこんとこ間違えるなよ。じゃあ、いくぞ。『石化の呪い(カース・オブ・ぺトロケミカル)』‼」

 

「え、えぇーー!?」

 

 目を見開いて驚愕してしまったオーユゥーン達。

 そりゃそうだな……この流れなら当然俺が使うのは魔法だと思うものな。でも残念、使ったのは【呪法(カース)】でしたー!

 

 とは言っても、【魔法】も【呪法】も元を辿れば同じものではあるのだけれどな。

 魔法とは、術者が己の体内にあるマナ(俺の場合は精霊のマナだけど)を術式を介してエネルギーに変換し、超常現象を発現するのに対し、呪いとは、マナそのものを変質させることでその効果によって対象に影響を与える。

 つまりどちらも使用するのはそれぞれが保有している【マナ】ということになるのだが、その行使までの過程や行使後の結果が著しく違う為に両者は別物として扱われている。

 

 簡単に言ってしまうと、【呪法(カース)】は非常に地味なのだ。

 

 行使することで激しい水流や巻き上がる火炎を作り出す魔法に対して、非常に発動が難しい上に、見た目がほとんど変わることのない呪いは、実際に成功したのかどうかを行使者が判別することすら難しい。

 だが、その効果たるや凄まじく、成功しさえすれば相手がまったく気がつかない内に死に至らしめることすら可能で、その残忍性、醜悪性から忌避する風潮すらあるのだ。

 そしてそんなものを俺が使えば、当然こんな反応が返ってくるわけだ。

 

「お、お兄様! なぜですか! なぜ、ミンミに石化など! いくら腐れ病を患っているといっても、なにもこんな仕打ちを為さらずとも!」

「ひどいよお兄さん! ミンミちゃんを元に戻してよ!」

「わぁあああん。くそお兄ちゃんのバカバカバカァ!」

「紋次郎……」

 

 一様にわめき出してしまった女共。周囲の看護の少女達や辛うじて意識のある患者達までもが目を見開いてしまっていた。

 はあ、わかってたことだとはいえ、これは面倒くさいな。本当にこいつらは。

 

「あのなあ、お前らよく見てみろよ。俺はこいつの身体には『石化』なんて使ってねえよ」

 

「え? でも……あ……!」

 

 俺の言葉に再びそのミンミとかいう少女を見たオーユゥーンは目をつぶったままで静かに寝息を立てている少女へと向き直り、そしてその変わっていない様子にようやく気が付いたようだ。

 そしてやはり不思議そうに俺を見つめ返してきた。

 

「で、でも、今確かに『石化の呪い』と……まさか失敗?」

 

「あほか。俺が失敗するわけねえだろうが。石化は成功だよ、成功。俺が石化したのはその女じゃねえ。その女のなかにあるたくさんの『梅毒トレポネーマ』だよ」

 

「「「「ええええ?」」」」

 

 全員が驚愕しているが、こいつら多分全然分かってねえな。

 俺が石化したのは間違いなく梅毒そのものの細菌だ。

 

 この菌自体を死滅させる方法は実は色々ある。

 ひとつは高温状態にして殺す方法。41度以上2~3時間で死滅するので、ペニシリンなどの抗生物質が発明される以前は無理矢理マラリア等に感染させ高熱状態で治療したなんて荒療治もあったほどで、実際にそれで完治したケースもあったと言われている。

 それと当然だが抗生物質による梅毒そのものの駆逐も可能である。

 

 だが、現状の俺ではそれらの方法はとれない。

 梅毒用の抗生物質なんて当然今は持ってはいないし、高熱を出させるにしても、『マラリア蚊』なんていないし、熱を出させる魔法をそもそも知らないし、しかも今は殆どの魔法を使用できない。

 

 だからまあ、こんなファンタジーな方法に行ってしまったわけなんだけど。

 

 今の俺が使える魔法は『土系統』のみ。それも発動が結構あやふやなんだけど、ここでは問題なく使えることは軽く『砂化(ド・サンドーシュ)』を石に使ってみたことで分かっていた。

 となれば俺がこの『土系統』の『石化の呪い』を使わない手はない。

 呪いとは魔法に比べて地味ではあるのだけど、非常に有用なメリットが存在している。そのひとつが『対象指定』。

 魔法が効果範囲を指定した上で行使するのに対し、呪いはその効果が及ぶ対象を指定できる。

 俺は今回その対象を彼女の内に存在している全ての梅毒菌とした。『解析(ホーリー・アナライズ)』の魔法で梅毒菌を特定できたしな。これにより彼女の体内に存在している全ての梅毒菌に『石化の呪い』をかけ、その機能を凍結させたのである。

 これで新たに増殖することも毒素を撒くこともなくなった。

 呪いの利点は他にもある。

 それは効果の永続性だ。

 時間と共に効果を消失させていく魔法と違い、呪いはその効果は術者が術を解かない限り永久に残り続ける。とはいえ、術を解く方法は数多あるので本当の永久ではないのだけれど、何もわざわざ体内の梅毒だけを解放してやる理由はない。

 

「まあ、難しいことは言わねえ。その病気を起こしている元凶の『梅毒菌』っていう細菌たちを全部、今、石に変えたんだよ。だから病気自体の進行は止まるだろう。でも、石に変えただけだからな。場合によってはずっと体内に残り続けるし、それがあることで別の病気の原因になるかもしれない。それに、お前ら実際は『ヘルペス』だとか『カンジダ』だとか他の感染症も患ってやがるからな……そっちには全く効果はないから」

 

 ぽかんと口を開けたままのオーユゥーン達。

 ほら、やっぱり全然わかってない。

 まあいきなり細菌だ、感染症だなんて言われたって、解毒魔法と治癒魔法のせいでケガや風邪も殆どないこの世界だ。理解できなくてもしかたあるまい。

 

 そう考えてきた時、マコがすっとミンミの傍へと進んだ。

 そしてその小さな手を彼女の身体へと翳す。

 『治癒(ミ・ヒール)』だ。このまま彼女の身体を治そうとでもいうのだろう。

 マコは、座ったままでその初級治癒魔法を何度も何度もかけ続ける。まあ、一度では無理だろう。この魔法で即治せるのは、皮膚の切り傷程度だ。これだけ全身を病魔に犯されていれば、こんな初級魔法だけでは相当な回数が必要なことは間違いない。

 

 でもまあ治るだろうけどな。

 

 何度目だろうか……マコの魔法で全身が青く輝いたその後、俺は彼女の肩越しから眠っている少女の様子を眺めてみた。すると、そこにあったのは先ほどまで変形し爛れ崩れていた病人の姿ではなく、まだ血が皮膚にべったりと付いたままではあるけど、怪我一つない可愛らしい少女の姿。

 

 おお、成功だな。良かったな。

 

 その時だった。

 

「ありがとうございますわ! ありがとうございます! わあぁぁん。あぁぁぁ……」

「ありがとう、ホントにありがとうね」「ありがとうクソおにいちゃーーーーーん」

 

 ヴィエッタを除いた3人が俺に抱き着いて大号泣。力の限り俺を締上げて振り回し始めやがった。ってか、ありがとうでも俺はクソお兄ちゃんなんだな。

 

「うっわ! 放せ! 放せ死ぬ! 俺が死ぬ!」

 

「あ……ワタクシったら……」

 

 振り回すのをやめてそっと床に下ろされた俺。なんだろうこの感覚。俺こいつらにとっては手荷物くらいの存在なんだろうか。俺の男の尊厳が走って家出しそう。

 

「お前らな……だから治せたわけじゃねえって言ったろ? こいつの体内にはまだ石化した細菌どもが残ってんだからな」

「それでも……それでもお兄様はミンミを助けてくださいましたことに変わりはありませんでしょう私……私は一生をかけてこの御恩に報わせていただきますわ。どうか私をご自由になさって」

「シオンの身体も好きにして! お兄さんの物になる」「マコもクソお兄ちゃんの専用肉便器になってあげちゃうよ!」

「みんなずるい! 私だってまだ恩返しできてないのに!」

 

 便乗するようにヴィエッタまでもが乗っかってきやがった。

 

「いらねえっつーの! ったく、おら、他の連中もやるんだろ? 今やってやっからちょっと待ってろ」

 

 本当にこいつらは放っておいたら何を言い出しやがるかマジで分からねえ。すぐに貞操を放り投げようとしやがって。俺は純愛にしか興味はねえっつーんだよ。

 さて、とにかくさっさとやっちまおう。まずは『解析(ホーリー・アナライズ)』っと……

 

 ん? あれ? え? なんだ?

 

 俺はすぐそばの別の少女に解析魔法をかけるもなぜか身体状態が『健康』となっている。 気になって他の娘たちも調べてみるとその全てが『健康』。ミンミの時のように『【状態】病気(腐れ病)』と表示されることはなかった。

 気になったついでにオーユゥーン達やヴィエッタも解析してみたがやはり『健康』。

 

 いくらなんでもおかしい。この場にいる女たちは全員ミンミと同じ梅毒の末期の症状だ。この細菌に掛かることなくここまで病気が進行するはずはない。

 これはひょっとして……

 俺は今度は彼女達の皮膚から垂れていた浸出液に手を触れ、何度か解析を試みた結果ある事実に辿り着くことが出来た。それは……

 

【名前】腐れ病

【種族】細菌

【状態】石化

 …………

 

 おお、なんてこった。『梅毒トレポネーマ』ってこっちの世界じゃまんま『腐れ病』って名前なのか‼ じゃねえ! こいつらすでに石化が終わってる。ということは……

 俺はみんなに向き直った。

 

「えっと……どうもこの場の全員の梅毒……さっきの俺の『石化の呪い(カース・オブ・ぺトロケミカル)』の呪法一回で全員の石化作業終わってたみたいだ」

 

「「「「えええええええええええっ!?」」」」

 

 驚愕する4人。まあ、俺だっていろいろ驚いたけど……っと、お前らいきなりニコニコ笑顔に変わるんじゃねえよ。明らかに俺に飛びつく気まんまんじゃねえか!

 

「お前らここはまだ病人がいっぱいなんだからな! 自重しやがれ!!」

 

 言った途端にピクリと反応して飛び掛かるのをやめる4人。そして代表するようにオーユゥーンが口を開いた。

 

「そうですわね。いくらなんでもここではあんまりですわね。後でスイートルームを用意しますので、そこで何回でもご奉仕させていただきますわね」

 

「ちげーよバカっ! すぐ股開こうとすんじゃねえよ! クソがっ!」

 

 俺は相手するのも嫌になって、どっと疲れも出たので壁沿いに置いてあった椅子に腰を下ろした。

 ああ、もうこいつらの相手が本当に面倒くさい。

 疲れるし、頭痛くなるし、なんなの本当に。ああ、もうさっさと帰りたい。

 まあ、もう梅毒自体の症状は治まってるわけだし、あとはそこに寝ているミンミの様に治癒魔法をかけて完全回復させてしまえば終わりなんだけどな。

 光と水の複合魔法である『完全回復(フルヒーリング)』が使えれば一発なんだけど……今の俺には使えねえし……

 

「はあ……せめて精霊でも見えれば、こいつら回復すんのも楽なんだけどな……」

 

「私、精霊見えるよ、紋次郎?」

 

「え?」

 

 座っている俺を見下ろしながら、ヴィエッタがそんなことを急に宣った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 精霊の巫女

「私、精霊、見えるよ! ……っあ! いけない、この事誰にも話しちゃいけないって、【マリアンヌ】さんに言われてたんだった」

 

 言いながらハッとなって口を押さえるヴィエッタだが、それはもう遅いだろう、しっかり聞いちまった。

 

「お前、精霊が見えるって、あれか? 『水色で魚みたいなヒレのついてる奴』とか『黄緑色っぽい感じで蝶々の羽が生えてるみたいな奴とか』そんなフワフワ浮いてる奴が見れるってのか?」

 

 俺は前に死者の回廊で目撃した精霊の群れのことを思い出しながらそう聞いた。

 あの時、魔法を行使した俺の目の前には大量の精霊が確かに現れていた。いや、そもそも俺は精霊の力を頂戴して魔法を放っているわけだから、側にいることを疑って居たわけではなかったけれど、この世界の住人であっても精霊がその辺にいっぱいいる事を知っている奴は驚くほど少ない。

 実際に魔法道具店の店員や冒険者の連中に聞いてみても、『なんだそれ? お前何言ってんだ? そんなわけないだろ?』みたいな反応ばかりで、俺が精霊を利用して魔法を使っていると言っても信じやしなかったし。

 精霊というのはあくまで恩恵を授けてくれるだけの特殊な存在であって、実はその辺にいっぱいいるなんて気付きもしないのだ。

 あのなんでも知ってそうなゴードンじじいだって、目を見開いてやがったしな。普通の連中が精霊に接する機会なんてそうそうないのである。

 

 だというのに、この目の前のヴィエッタは、精霊の存在を簡単に認めやがった。

 そればかりか、こいつにはその精霊を見ることが出来るのだという。いったいこれはどういうことだよ?

 ヴィエッタはおどおどと怯えた感じでコクリと頷いて肯定を示しているし。

 

 マジかよ。こいつ本当に見えてるのか。

 

「えと、今もいるよ? 紋次郎のすぐ側に……『青い娘』も『緑の娘』も、あと、『赤い蜥蜴』さんもいて、オーユゥーンさんの側には『黒いモヤモヤみたいな女の人』がいるし、シオンさんの側には『ピカピカ光った男の子』がいて、マコさんの隣にはさっきの青い娘と同じような色の『青い小さなお馬さん』がいるの」

 

「「「「え?」」」」

 

 いきなりヴィエッタにそう言われ、俺たちはみんなで周りを確認するも当然そんな物は見えやしない。

 これ、実際に俺には『精霊は見えない存在』って前知識があるから、まあこの辺にいるんだろ? くらいに思っていられるけど、一般の奴からしたら『頭おかしいんじゃないか』レベルだぞ、この会話。

 『お前の後ろに首のない男が立ってる~~』

 とか、以前『見てはいけないリアルな話シリーズ』をたまたまテレビで見てしまい超怖くなっていたら、なんてことはない、後ろにいたのは頭部移植手術中の自分の父親で、ただ外した首を手に持ってただけだったとかいう、そんなギャグ展開ならまだしも、実際に見えないものを見てる感じの今のヴィエッタは、良くてガチの霊能者か、お笑い系のエンターテイナーか、悪けりゃ頭の中妄想まみれの危ないキ○ガイ女かのいずれかってことになっちまう。

 

 現にオーユゥーン達なんかすでに、『あらこの娘……頭大丈夫かしら……』みたいな怪しい視線に切り替わってちょっと離れぎみだし。

 それ態度があからさま過ぎてかわいそうだろ? もうちょい優しくしてやれよな。同じ娼婦仲間なんだから。

 

 まあ、そんなのどうでもいいんだけどな。

 

 こいつの言ってる感じ、多分マジで見えてるんだろう。

 実際に俺は知覚こそできないが、魔力を吸いだす時には確かにこいつらと繋がってるわけだし、近くにいるってのは信じられる。

 

 そうこうしていたらオーユゥーンがオズオズと声を掛けてきた。

 

「精霊が見えるということはヴィエッタさん……あなた『精霊の巫女』でいらっしゃいますの?」

 

「『精霊の巫女』? なんだそりゃ」

 

 思わず聞き返してしまったが、ヴィエッタはと見れば、良く分からないと言った感じで小首を傾げている。

 そんな俺達にオーユゥーンは続けた。

 

「ワタクシも詳しくはありませんけれど、『精霊の巫女』は確か、精霊と交信することが出来る特別な女性の事で、『勇者に精霊の祝福』を与えるのがその役目だと聞いたことがありますわ。どこかの『聖地』にそんな方がいらっしゃるとか……」

 

「『巫女』? 『聖地』? じゃあなにか? ヴィエッタはそのなんとかって存在で、他にも同じような能力の女が何人もいるってことなのか?」

 

 オーユゥーンは困った様に首を振る。

 

「そこまでは分かりませんわ。でも、『精霊』を見ることなんては普通は出来ませんもの」

 

 うーむ。『精霊の巫女』ね……こいつはやっぱりただの娼婦ってわけでもなさそうだ。

 でもそれならなんでこんなところで奴隷娼婦になんかやってんだ?

 特殊技能があるならそれこそ重宝されそうなもんだってのに、こいつの場合は確かに高いけど、金さえ積めば誰でも一夜を共に出来るという娼婦だ。

 『マリアンヌ』? とか言ってたか……多分ヴィエッタの主であの店の経営者かなんかなんだろうが、ヴィエッタが精霊を見えるのを知っていながら娼婦をやらせてるのか……なんで? 精霊の巫女という存在を知らなかったか、気にもならなかったか……何かの目的があってわざと娼婦をさせていたのか……

 『解析(ホーリー・アナライズ)』で調べるまでもなく、ステータスカードを使えばどうせその手の『能力(スキル)』は記載されるだろうし……

 

 うーん、まあ、今はどうでもいいか?

 それよりもこいつの言ってることが本当だとするなら、実際かなり『助かる』ぞ。

 

「なあヴィエッタ? さっき言った『水色の奴』は今どの辺にいる?」

 

 そう聞いてみると、ヴィエッタは俺の頭の右少し前方の辺りを指差した。

 当然その辺には何もいないのだが、俺はスッと手を伸ばしてみる。すると……

 

「あ、今度は左に行ったよ」

 

「こっちか?」

 

「今度は上」

 

「ここか?」

 

「ううん、もう少し下。あ、今度は下に行っちゃった」

 

 ヴィエッタの言葉に合わせて手をあっちへこっちへ動かしてみるも、どうも全く触れることができないらしい。

 そんなことをしている俺たちに、遠巻きに見ていたオーユゥーンが声をかけてきた。

 

「あ……あの? 何をなさっておられるのですか? お二人で?」

 

「見りゃわかんだろ? 精霊を捕まえようとしてんだよ」

 

「へ……へぇ……」

 

 はっきりその目は怪しいものを見る目に変わっちまってる。というか、同情たっぷりな何やら可哀想なものでも見てるような感じだ。

 ひょっとしてあれか? 精霊の巫女だうんたらかんたらは本当に信じてなくて、頭のおかしいヴィエッタに俺が合わせてやってるとかマジで思っちゃってんじゃねえか? 失礼な連中だな。

 まあ、別にそんなことはどうでもいい。

 とりあえず俺は魔法術式をすでに構築済みの状態であるから、仮にその水の精霊に触れることさえできれば、その瞬間に魔力を吸いだして、このフロア全体の女ども全員に『上位治癒(ミ・ハイヒール)』をかけることが出来るようにしてあるのだけど、魔法が完成する兆しはまったくなかった。

 まるであっち向いてホイしているような俺とヴィエッタだが、やりながらヴィエッタが変なことを言った。

 

「紋次郎おかしいよ? その『青い娘』ね……その娘も紋次郎に近づこうとしてるんだけど、紋次郎が手を伸ばすと弾かれたみたいに離れちゃうの。なんでかな?」

 

 なんでかな? ってそんなの俺が知るわけねえだろうが。知りてえのはこっちだよ。

 でも待てよ?

 もともと精霊は俺の身体に侵入シ放題だったわけだし、その青い娘とやらが俺の中に入りたがってても全く不思議はない。でも弾かれるってことは何かが邪魔してるわけで、その邪魔してる何かって奴は……

 ひょっとして……

 俺はふと気になってヴィエッタに聞いてみた。

 

「なあヴィエッタ。俺の中になんかの精霊が入ってやしねえか?」

 

 そう聞いてみた。

 ここに来て俺が唯一使い続けている魔法はこの土魔法だけである。他の魔法は使えないもしくは、使っても大した効果を発揮できないような感じ。

 つまり、もし何かが俺の中にいるとしたなら『土系統』ってことになるんだろうが、さてどうなんだろうか。

 ヴィエッタは俺の腹の辺りをじーーっと見ながら、目を凝らし続けている。

 そしてひとしきり見てから、言った。

 

「ダメ……全然見えない。 でも、なんか紋次郎の身体全部が黄色っぽく光って見えて、なんだか紋次郎が『土の精霊』みたい」

 

「はあ? 俺が精霊なわけねえだろうが」

 

 正直ヴィエッタの言ってることは意味がわからん。実際に俺には見えてる訳じゃねえしな。

 でも、なんとなく分かった。

 ひとつは、ヴィエッタは確実に精霊が見えているってことだ。俺はヴィエッタに精霊のマナを吸いだして魔法を行使しているということを伝えていない。にも関わらず、ヴィエッタは俺の予想通りに土精霊の存在を匂わせる発言をした。

 これは今の状況からすればこの場の精霊を見ていなければ辻褄が合わない話なのだ。

 それともうひとつ、土の精霊に関してだが、やはりというか俺の中に居座っているらしい。ヴィエッタの話を全て鵜呑みにした上で考えてみれば、他の精霊……多分ウンディーネやシルフ達はそいつが邪魔で俺に触れることができないようだ。

 まあ、だったらさっさと離れりゃいいのにと思わなくもないけど、せっかく俺の傍に居てくれているのだから有効活用はしたい。イメージ的にはまるで俺の周りにハエがぷーんとたかるたかっている感じで、なんとも嫌な感じだけれども。俺は汚物か!

 

 まあ、でも、ただ近寄れないってだけなら、特に問題もないな。

 なにしろ俺は今、『土魔法』を使えるんだからな。

 

「よしならヴィエッタ、今どの辺に青い奴が居るかだけ指してくれ。後は俺がなんとかする」

 

 その直後彼女はちょうど俺の向いている正面辺りの空間を指さした。

 よし、そこだな。

 俺はすぐさま魔法の構築に入る。そしてそれほど長くない詠唱を終えると、そのまま魔法を発動した。

 

「『消失結界(ド・ディスペルフィールド)』‼」

 

「あ……」

 

 俺は精霊がいるという辺りに向けてこのちょっと特殊な魔法を使った。

 『消失結界(ド・ディスペルフィールド)』とは、所謂『魔法効果』を打ち消す為の土の補助魔法である。

 エンチャント系の様々な身体強化魔法がそれぞれの属性ごとに多種多様に存在している中、この魔法は本来その効果を打ち消して元の身体能力に戻してしまう為に使われるのだが、今回はその魔法行使のメカニズムを考慮してこの場で使うことにした。

 『土系統』の魔法は主に地面の運動や変質を基本とした魔法と思われているし、実際に地震を起こしたりブロックを砂に変えたりとその様な使われ方が多いのだが、本来は『空間支配』がその本質なのである。

 どういうことかというと、例えば地面を振動させる際の物理エネルギーは、その地面だけでなく上方の空間に対しても供給している。それにより封鎖されたそのエリア全体を地面も上方の空間も含めて、歪め縮め伸ばすことで激震を発生させるのである。

 まだある。例えば、地面の泥化。これもまたその空間に存在している様々な成分を分解・再構築することで発生させる現象で、地面の土を一度砂状までに分けた後で、上方の空気中にも存在している水蒸気などの水分を無理矢理取り込ませることで一気に土を泥へと変化させてみせるのだ。ある意味大量の水を必要とする際などは地面よりも空気中の空間を大きく確保する必要があるくらいだ。

 つまり『土系統』魔法とは、その空間に存在している数多の物質の『分解・再構築』を繰り返すことが主であり、その空間全体に対して効果を及ぼすことが出来るのだ。

 

 そしてそんな中で使ったこの魔法。特定の範囲内のマナに影響を与えるこの魔法は、ある意味もっとも土魔法らしいものとも言える。

 『魔法効果消失』という影響は先に述べた通り空間全体のマナの動きを止める。それから精霊とはつまるところマナの結晶のような存在……

 もう簡単に理解できていると思うが、この魔法を使うと当然こうなるわけだ。

 

「紋次郎? おかしいよ? 急に青い娘が動かなくなっちゃった」

 

「ま、そうだろうな」

 

 そう、マナが動かないのだから精霊だって動けない。つまりはそういうことだ。別に精霊を殺したわけでもないし、ただ単に動きを封じられてこの空間に閉じ込められただけ。だから後はこうすればいい。

 俺は先ほどヴィエッタが指示した辺りに手をかざす。

 すると、その途端に脳内でイメージしていた魔術式が動き始めた。

 

「わわわ……紋次郎が触った途端になんかすっごい気持ちよさそうな顔になっちゃったよこの娘」

 

「はあ?」

 

 突飛なことを言い始めたヴィエッタ。

 というかその状況はいったいなんなんだよ。俺は単に水系の上位魔法を行使しているだけだぞ……そいつのマナを奪って。

 

「なんかね? その娘の身体からどんどん青い光が紋次郎の手に吸い出されてるんだけど、そのたびにブルブル震えてるの。えと、びくんびくんしてて、なんか凄く気持ちよさそうで……」

 

「ってお前は何を目をトロンとさせ始めてんだよ。やめろよ、人の目の前でそんな顔すんの! というか両手を股に挟んでもじもじすんのさっさとやめろ!」

 

「だ、だってぇ」

 

 なんなんだこん畜生! 何? 俺がマナを吸い出してる時は精霊の連中は気持ちよくなっちゃってんのか? そんな馬鹿な。あいつらだってただの透明な幽霊みたいな連中だぞ? なんでそんなに感情だしちゃってんだよ! やめろよ、恥ずかしい!

 まあどうせ見えないし気にしなきゃいいだけかもだが、ヴィエッタめ、この野郎。人のこと見ながら何を興奮しはじめてやがんだよ! いくら娼婦だからって、もうちょい人目は考えやがれってんだ!

 

 とまあ、そんなことをやりながらではあったが、ちらりと部屋に寝ている連中を見れば、みるみるその身体のこぶや裂傷がふさがり始めている。というか結構良い勢いで傷や病気で変形してしまった箇所が復元されて、みんな可愛らしい少女の顔に戻りつつあった。

 抜けてしまった髪の毛とか、眉毛睫毛とかは我慢してもらおう。梅毒自体が治まっていればそのうち勝手に伸びてくるだろうしな。まあ、暫くはウィッグとか帽子でも被ってりゃいいだろう。

 

 それにしてもあれだな。

 ここまでの俺とヴィエッタのやり取りはちょっと余人には目の毒だな。というか俺の行動がかなり痛い。

 

 俺がここの全員の身体に石化の呪法をつかうが、詠唱もなく見た目の変化も何もないので、当然ここの連中には分かるはずがない。

 ヴィエッタが何もない空間に精霊がいると言っている。

 ヴィエッタと一緒になって俺もその精霊を追いかける。

 何もない空間に手を伸ばして魔法を発動……それに驚くヴィエッタ。

 ヴィエッタが何もない空間を見ながら大興奮しちゃってて、それを生暖かい目で見守っている……俺。そして精霊が感じてるよとか言っちゃってるヴィエッタ。

 

 うん、これ完全にアウトな奴だ。

 

 いや良い方に考えれば、とりあえずずっと漫才やってたようなもんだとも言えなくもない。うん。たいして面白くもない上に確実に頭を心配されそうな感じのネタでだけど……はぁ……

 オーユゥーン達の視線がきついけど、まあ仕方なし。甘んじて受けようじゃないか。

 というかこいつら、俺とヴィエッタをずっと見てて、肝心の治ってきてるその辺の女どもに気が付いてねえし。

 

「おいお前ら。もうそろそろこの部屋の全員の治療が終わるぞ」

 

「え?」

 

 その俺の言葉に慌てて周囲を確認する3人。患者たちに駆け寄ってその変化に驚嘆しつつ泣きながら抱きあい始めた。

 目を覚ました連中もみんな不思議な顔でお互い見て確認しあっているし。

 当然か? 今の今まで死んだように横たわっていたんだからな。こうやって意識が戻ること自体不可能だったんだろうしな、今までは。

 それにしてもこの『上位治癒(ミ・ハイヒール)』はよく効くな。これだけの人数に分散させて行使してるってのに、物の数回でほとんどの女がほぼ回復しちまってるし。確か相当に精神力(MP)を消耗するって聞いたけど、どうせ俺の精神力(MP)じゃないしどうでもいいか。

 だいたい全員が目をさましたところで俺は魔法を終えた。 

 当然疲労感はまったくない。

 が、そんな俺にヴィエッタが言った。

 

「この娘、イキッぱなしだった!」

 

「うるせいよ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 悪魔達

「じゃあ、俺らそろそろ行くわ」

 

 と、そんな感じで声をかけた途端に俺は女どもの猛烈なタックルを食らうことになった。

 飛びかかりたいのは当然と言えば当然なのかもしれない。さっき俺が病魔を石化して治癒魔法をかけて回復してきた娼婦たちは目が覚めた順に震えながら、泣きながら、俺を視界に収めると同時に抱き着いてくるのだ。

 

「ぐっは、てめえらやめろ、いい加減にしやがれ!」

 

 そう喚くも泣きながら俺に抱きついてくるそいつらは離れるどころか尚も泣きながらぎゅうぎゅう俺に身体を押し付けてきやがるし。

 もともと殆ど何も着ていない連中ばかり。そんな女どもが俺に覆い被さってくればいったいどんな光景が展開されるか想像は簡単だろう。

 

「てめえらふざけんなっ! 近寄るんじゃねえよっ!」

 

 力の限りそう吠えた時、甲高い女達の喧騒の中にその涼やかな声が凛と響いた。

 

「お止めなさいな、貴女達。命の恩人を殺す気ですの?」

 

 その声に一瞬でその場が静まり返る。そして一人また一人と泣いてぐずりながら俺から離れて行った。

 と、その最後の俺にまだ馬乗りになったままの奴の顔を見てみれば、なんとそいつはヴィエッタだった。

 

「なんでてめえがそこに居るんだよ」

 

「え? だって、なんか『やるなら今でしょ!』って閃いちゃって……」

 

「閃いてんじゃねえよそんなこと! しかも一番乗りかよ」

 

「えへへ」

 

 このど阿呆が。

 まったくどいつもこいつも本当にすぐにそっち方面に行こうとしやがって。

 まあ、この女どもに関しては仕方あるまい。ずっと病気で苦しんで、もう後はどうやって死ぬのかだけを考えてずっと怯えていたんだろうし、それを表面上は俺が助けた訳だからこうやって、嬉しさに飛びかかりたい気持ちが出てくるのものなんとなくわかるしな。

 でも、本気でそれはノーサンキューだから!

 俺は純愛一筋だから、こんなところで商売女にうつつを抜かす気なんてこれっぽっちもないから。

 とりあえず、ヴィエッタはアウト。

 

 俺はヴィエッタの頭をペチりと軽く叩いてから立ち上がった。そして見回して見れば、泣きながら抱き合って喜び合い続けているたくさんの娼婦達の姿と、やはり涙が止まらなくなっているシオンとマコの姿。

 オーユゥーンだけは泣いてはいなかったが、目の下が赤くなっているところを見るに、泣くのを我慢しているって感じなんだろうな。

 そんな彼女に寄り添うように、先程回復したばかりのミンミが立って俺達を向いていた。そして泣き腫らした顔で笑顔を作ってペコッとお辞儀をする。

 うん、これくらいの反応でいいんだよ、俺は。返ってさっぱりすっきりするってもんだし。

 俺も彼女に倣って頭を下げると、隣のヴィエッタもお辞儀……すると、さっき俺に抱きついて来てやがった他の連中もペコリとみんなで頭を下げるのだった。

 

 さーて、じゃあ行くとしますかねー

 と、くるりと向きを変えたところで、俺の手をぐいっと引っ張られた。

 またかよ……と振り向けば、そこにいたのは、オーユゥーンとシノンとマコの3人。

 そんな光景の中でオーユゥーンが微笑みながら口を開いた。

 

「妹達をお救いいただいて本当にありがとうございます。お兄様にはどんなに感謝してもしきれません。このご恩は私達の生涯を持ってお返しさせていただきます所存ですので」

 

「いや、重いよ! 重すぎるよそれ。普通にありがとうで終わりで良いじゃねえか」

 

「そ、そういうわけには参りませんわ。私たちはそれに、お兄様に大変失礼なことも働いてもしまいましたし。ですから、この命、すべてをお兄様へ捧げます。どうか私をお兄様の道具にして、なんなりとお命じくださいまし」

 

 そう言いながら、再び服を脱ぎ捨てようとしているし!

 

「もっと重くなってんじゃねえかっ! だから別にいいんだって……」

 

 ったく娼婦の連中はどいつもこいつも身体で支払おうとしやがって。

 本当に別にそんな感謝どうでもいい。そもそもそこまで大層なことを俺はしたわけではないしな。

 土魔法で梅毒菌を石化して、無理矢理ウンディーネから吸い上げた水の魔力で、全員を治癒させただけだ。

 使った神秘は解析や石化の呪いを含めてもたったの4つのみ。しかも、その全部が俺の魔力じゃないときてる。そもそも俺には魔力はないしな。

 でも、そんなこと言ってもこいつらは聞きゃしねえだろうしな。さぁて、どうしたものか……

 

 うーんと唸っていたら、何やら外が騒がしくなっていた。ガヤガヤと人が集まっている感じの喧騒が耳に届き、なんだと思って入り口と思える辺りに視線を向けてみれば、ガラス戸の向こう側に松明だろうか、炎に照らされた人の姿が揺らめいて写っていた。

 そして、突然ドンドンと強く入り口の扉が叩かれたかと思うと、次の瞬間激烈な破砕音を轟かせてその扉が一気に押し破られた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 館内に響き渡る娼婦達の悲鳴。

 戸に突き刺さったままになっている巨大な丸太を放置したままに、その周囲を更にバリバリと打ち壊しながら侵入ししようとしてきている何者か。

 俺はその姿を見て、つい先日出会ったお調子者のことを思いだしていた。

 

 ああ、くそっ! なんで俺のいく先はいつもこうも面倒なことが起きやがるんだよ!

  

 そこに居たのは紛れもない、銀の軽鎧と青い衣に身を包んだ、あの独特な聖騎士の姿。俺の知っている聖騎士のジークフリードの奴と違う点と言えば、チビでもデブでもなくそれなりにがっしりとした強そうな感じの連中だってとこだな。

 だがまあ、どうせこんな状況なんだから面白くない用件で来やがったに違いない。こいつらの卑しい笑い方を見ていれば考えなくてもわかる。

 そう見ているうちに、完全に扉を破壊した連中が次々に店内になだれ込んできていた。

 が、それを連中の正面に立ったオーユゥーンが手を拡げ一喝。

 

「こんな夜更けにいったいこれはなんの仕打ちですの? ここはお休みしているとはいえ娼館ですのよ。 いくら聖騎士様でもこんなことをされれば、お客様としておもてなしすることはできませんわよ」

 

 語気を強めてそう言ったオーユゥーンに、剣を持ったままの一人の聖騎士歩みでて、言った。

 

「これはこれはオーユゥーン姉さんじゃあねえか。こりゃあラッキーだぜ」

 

 その聖騎士がニヤニヤ笑いだすと、後ろにいた他の聖騎士達もひひ、へへと卑しく笑い始めた。

 全員が全員手に何かしらの武器を持っている。とても話し合いに来た感じではない。

 

「だけど、悪いが今日は客として来たんじゃあねえんだよ。今日はお仕事だお仕事……へへ」

 

 言いながら聖騎士はオーユゥーンの豊かな乳房の円みにその鋭利な刃を当てて、器用にその上着を切り裂いていく。時おり刃が皮膚を切り裂き、赤い血の筋が流れるも、オーユゥーン自身も全く動じた風ではなくそのまま無言で睨み付ける。

 そしてぼろんと彼女の大きな乳房が露になると、それと同時に周囲の連中から歓声が上がった。

 

「へへへ、相変わらず良い身体してんじゃねえかよ。おし、決めたぜ。お前は殺さないでやるよ。お前は今日から俺たちの奴隷だからな。あとでいっぱい可愛がってやるからよ」

 

「はあ?」

 

 思わずそんな声が漏れてしまった。

 いや、だってそりゃそうだろう。どう考えたってこいつらはただの押し込み強盗で、入ってそうそういきなり女に傷をつけてしかも奴隷にしちゃうぞ宣言。いったいなんのお仕事だが知らないが、これが罷り通るなら普通に暮らすのはマジで無理だ。

 

「誰だてめえは?」

 

 俺の声に反応してこっちを向いたその聖騎士は訝しい視線を俺にむけて来ていた。

 そしてこっちに歩み寄ろうとしたのだが……

 

「お、お待ちくださいまし。この御方はこの場に居合わせただけのただのお客様ですわ。お望みのままになんでも致しますので、どうかこの方はご容赦くださいまし」

 

 オーユゥーンが急にそんなことを言った。

 懇願するように聖騎士に抱きついた格好のオーユゥーンに、聖騎士は抱き寄せるように顔を近づけてその頬をべろりと舐めた。それに身を震わせているオーユゥーン。明らかに怯えている様子。

 

「まあ、オーユゥーンがそこまで言うなら……俺たちは手を出さないでやるよ。よし、お前ら、どいつでも好きな女を選んでいいぜ」

 

「やったぜ」「そうこなくっちゃ」

 

 口々に歓声を上げて、若い聖騎士達が雪崩れ込んでくる。そして目についた娼婦……先ほどまで看護をしていた娘や、マコやシオン達へも殺到してその手を掴んでいる。

 そんな中、ある一人の聖騎士が俺の背後に隠れていたヴィエッタを認めて、その目をひん剥いて叫んだ。

 

「ま、まさか、お前ヴィエッタか? あのヴィエッタちゃんか? おいっ! 見ろよ。ヴィエッタがいるぜ!」

「本当かよ!」「うおっ! ほ、ほんものだ」「俺だよ俺昨日店に行った……」

 困惑顔で周りと俺をちらりちらりと見回しているヴィエッタは完全に連中に取り囲まれてしまった。

 その人の垣根を押し分けてヴィエッタに近づいてきたのはあの聖騎士。

 

「本当にヴィエッタかよぉ……けはは、これは大収穫だぜ。お前らヴィエッタは俺が最初だからな」

 

「そんな」「エリックさんそりゃないっすよ」

 

「あぁん? 文句あるやつぁぶっ殺すぞ。おし、ならさっさとこんな毒女(ごみ)ばかりの館からは引き上げるぞ。早く楽しみてぇしなぁ。けははははは」 

 

 愉快そうに哄笑したそのエリックと呼ばれた聖騎士がヴィエッタの手首を捻り上げるとそのまま引きづりだそうとしている。

 

「も、紋次郎……」

 

 怯えた目で俺を見てくるヴィエッタ。

 聖騎士の奴は俺を見下した目で笑みを浮かべながら、周り全員に聞こえる様に吠えた。

 

「お前らさっさと仕事を終わらせるぞ。いらねえ残りの女と病人どもを閉じ込めて()()を放り込め」

 

 その言葉の直後、まだ戸外にいた聖騎士の何人かが、鉄製の重たそうな檻を持って現れる。

 

 その中にはどす黒い色彩で、細い腕が無数にその両肩から生えた異形の怪物の姿が。

 これがやつの言う『アレ』の正体なのだろう。

 

 人の頭部に似たその顔は異様に大きく、ただ骨に皮を貼り付かせただけのようなその大きな眼窩に、左右に3個ずつ、計6個の目玉が存在しており、器用にそれをくるくると回してこちらを見ている。大きく開いた口には歯が一本もなく、入れ歯を外した老人の様でさえあり緑色の涎なのだろうか、粘液を絶え間なく滴続けており、それが不気味さを増していた。腕は本当に何本あるのだろうか……普通ひとつしかないはずのその肩に、枝が生えているかのように無数の細く長い手が伸びている。

 そしてその身体……

 腕に比べて非常に短く小さな子供のような足が2本で、器用に立っているが、その股間からはウネウネと蠢く無数の巨大ミミズのような触手が生えていた。

 

「な、何をする気ですの?」

 

「ん~~~?」

 

 オーユゥーンに言われ男は顔を卑しく歪めながら笑った。

 

「さぁてなぁ。俺らは()()()()来てるだけなんだがな。まあ、ここの死にぞこないの女どもだって最期くらい気もち良くなりてえだろうからよ、この怪物で犯してやろうってんだよ。こいつならどんなに腐ってやがってても平気だしな、くはは。ま、もっとも孕んだが最後、翌日には自分の赤ん坊に腹を喰い破られて死ぬらしいけどよ。げははは」

 

「なっ! そ、そんな、それでは話が違いますわ!」

 

「違うかぁ? 違わねぇけどなぁ? そもそも俺たちは約束通り手は出してねえだろぉ?」

 

「そんな……」

 

 髪を引っ張られて同じように連れ出されていく女たち。そんな中、館内を確認していた一人の聖騎士声を張り上げた。

 

「エリックさん。ここに病気の女が一人もいませんぜ?」

 

「あん?」

 

 聖騎士の言葉に大部屋内を確認するエリック。そして、他の部屋を探索していた団員達も同じように首を振っているのを見て、顎を撫でた奴はなんの感慨もなしに言い放った。  

 

「もうどうでもいいや。『いらねえ女』を全部その怪物に犯させちまえ! けはははははははははははははははは」

 

 プッツン……

 

 その時……

 

 俺の中の『何か』が確実に切れた。

 そして、まるで息を吐くかのように静かに言葉が漏れた。

 

「女達を放せよ、このクソ野郎ども」

 

「ん?」

 

 俺の目の前で再び立ち止まって振り返ったその男。

 

「紋次郎……」「お、お兄様?」

 

 そして心配そうな視線を向けてくるオーユゥーンとヴィエッタの二人。いや、その場の全員が俺に視線を向けてきていた。

 俺は目の前の、如何にも清廉そうな神々しい銀と青の衣装に身を包んだ『完全なくそ野郎』を睨んだ。

 奴は今にも血管が切れそうなくらい額に青筋を立てて睨み返すと同時に、その手にした剣を俺に向かって一気に振り下ろしてきた。

 

「きゃああああああっ!」

 

 悲鳴を上げたのは果たして誰だったのか。きっと俺が真っ二つに両断されるとでも思ったのかもしれないな。

 でも、そうはならない。なぜなら。

 

 ガッキンッ‼

 

「なっ! なんだてめえはぁ!」

 

 その聖騎士は甲高い金属音が響いた直後にそう吠えた。 

 そう、音がしたのだ。金属が弾け砕ける音が。

 男が振り下ろしたその剣の刃は、俺が伸ばした手の平に当たった瞬間に粉々に砕け折れた。

 俺の伸ばした手……それは数多の鉱石を纏った巨大な怪物の手と化していたのだから。

 

 『鎧化(ド・アームド)

 

 俺が使ったのは当然『土魔法』。広大な空間に事象を発生させるこの魔法系統の中にあって、これは珍しい『身体強化』の魔法である。

 といっても、水や光の様にアビリティ強化をするわけではなく、単純に自身を防護するための『鎧』を作り出しているだけ。とはいえ、防具等が損傷した時の急場凌ぎにはもってこいの魔法だとも云える。

 俺は下方……地中深区に存在しているであろう鉱石を適当に吸い上げ高密度で結着させた。硬度だけなら炭素繊維をも勝るのではないか?

 めっちゃ重いのが欠点だけど、俺の周囲の重力を軽くしておけばそんなに苦でもないし、まずそうならすぐに砂化させて消せばいいだけなので使い勝手はそんなに悪くない。まあ、土の基礎魔法のひとつって感じだ。

 正直こんな魔法のひとつで驚愕する必要はない。

 この後もっと凄いのを体感させてやるんだからな。

 俺は『石鎧』をそのままに奴へと近づきながら聞いてみた。

 

「お前らなんだ? 聖騎士ってな、いったい何なんだ? お前らは人でなしのろくでなしか? 犬畜生なのか? いやそれじゃあ犬たちが可哀そうか。やっぱりお前らはただのクソでいいな」

 

 得も言われぬ憤怒が俺の内から沸々と湧き上がってきていることを確かに感じていた。

 そして自分らしくもなく発したそれらの想いは、自然と言葉となって口から洩れ続けている。

 俺は心底この目の前の連中にむかついていた。

 

「い、岩のねえところは生身だ。てめえら、全員でかかれ!」

 

「い、いやぁ……」

 

 聖騎士の男はそう言うや否や、他の連中にけしかけておいて、自分はヴィエッタをぐいっと引きずって下がろうとしていた。

 当然、そんなことさせる気は毛頭ねえ。

 

「『土壁(ド・ウォール)』!」

 

 右手を突きだして今度は土の壁をやつの後方に競り上がらせた。今回のはきちんと加減して奴を囲むように『 ) 』型に綺麗に壁を構築。当然万里の長城にはなっていない。まあ、この店の床は破壊してしまったが。

 

「なあお前。俺は質問してるだけなんだがよ、なんで答えねえんだよ」

 

「ひ、ひぃっ! く、来るな」

 

 先ほどまで息巻いていたエリックと名乗った男はその身体をぶるぶると震わせ始めやがった。

 

「お前、言ったよな? 『いらねえ女』をなんとかって? それが騎士の言う台詞なのかよ。人の言っていい言葉なのかよ」

 

「ひ、ひぃっ!」

 

 突然数人の聖騎士が外へと走って逃げようとした。

 俺は自分の足元の地面に向けて呪文を構築、すぐさま連中全員を『解析(ホーリー・アナライズ)』で特定すると同時に、自分の内に触れている『土の精霊』の力を一気に吸い上げる魔法陣を構築した。

 使ったのは当然この『呪法(カース)』だ。

 

「『石化(カース・オブ・ペトロケミカル)』‼」

 

 地面を伝わせて多少離れている奴に対しても同時に一気に呪法(カース)を走らせる。そして当たり前だが、今回は手加減(セーブ)なしだ。

 

「うああああ………」

 

 聖騎士の連中が悲鳴を上げつつ走り逃げようとするその恰好のままで次々に石にその姿が変わっていくも、だが、少し発動が遅かったようだ。再度『解析(ホーリー・アナライズ)』を使ってみれば、何人かがすでにかなり遠くまで逃げ出してしまった後だった。

 

「ちっ……これは面倒だな……おい」

 

「ひっ!」

 

 俺は土の壁に退路を阻まて尻餅をついたままの聖騎士エリックへともう一度詰め寄った。

 逃げ出したやつがいる以上、ここに長居するのは得策じゃない。

 

「聖騎士ってのは、俺はてっきり『国民や信徒を守る正義の味方』だと思っていたんだがな、それは勘違いだったみてえだよこのクソ野郎? お前は誰の命令でこんなことをした? この怪物はいったいなんだ? おら、さっさと吐きやがれ」

 

 俺は腕に纏わせていた『石鎧』を砂化させた後で、今度は腰のホルダーから闘剣(グラディウス)を抜き放って奴の首にそれを押し付けながらそう聞いた。

 奴はガクガク震えながら、必死に後ずさろうとしているも、壁があってそれ以上逃げられない。そして、そのズボンの股の部分は盛大に失禁してしまっている。

 

「ひっ……よ、寄るな、この化け物……!」

 

「誰が化け物だ! 化け物ってな、この檻の中の奴やてめえみてえなクソのことを言うんだよ。おら、誰に命令されたかさっさと言え」

 

 ぐいっと俺は剣を奴の喉へと少し押し込んだ。

 鮮血がピッと跳ねるもただのかすり傷だ。この程度では死なない。

 正直殺人なんて絶対したくはないが、多分今は平気だ。この目の前のクソが、本当のゴミにしか見えていないのだから。

 

「殺すぞ」

 

「…………‼」

 

 言った。

 

 モンスターを殺すことこそ多少慣れてきたとはいえ、俺は今確実に殺意を持って目の前の人間にそう言い放った。

 奴はいよいよ涙目になって、おお……神よ……なんてほざいてやがる。そのあまりの胸糞悪さに本当に殺してやりたい衝動に駆られたが、それを彼女が制した。

 

「やめて紋次郎。殺しちゃだめ」

 

「ヴィエッタ」

 

 俺の背中からぎゅっと抱き着いてくるヴィエッタ。彼女はぎゅうぎゅうと俺を締上げるように抑えつける。

 振りほどこうと思えば、多分今の俺なら振りほどくことは可能だったろう。だが、それはしなかった。

 密着した彼女の身体は小刻みに震えていた。そして声も……

 きっと怖いのだろうな……多分俺のことが……

 そう思ったとき、ふっと身体から力が抜けるのが分かった。そして俺はすぐさま奴へ向けて唱えた。

 

「『石化(カース・オブ・ペトロケミカル)』」

 

 言葉もなく奴はたちまちのうちに石へとその姿を変じた。

 俺はそのまま振り返る。

 

 そこには言葉もなくただ俺を見みつめてくるたくさんの女たちの顔。

 その顔殻は怖れや困惑の感情が見てとれた。

 そりゃそうだな、ただでなくてもこんな身元も分からないような急に現れた男が、魔法だけでなく呪いまで使って人を石に変えちまったんだしな。自分もそうされるんじゃないかって不安に駆られるのも分かる。

 

 やっぱり俺が一番クソ野郎だよなぁ…… 

 そう思った時だった。

 

「ありがとう、紋次郎」

 

「え?」

  

 いきなりそんなことを言われて顔を上げてみれば、そこには俺に笑顔を向けているヴィエッタの顔。彼女はにこやかに微笑んで俺を見ていた。

 

「私が殺さないでって言ったから、石に変えたんでしょ? えっと、石になっても死んでないんだもんね?」

 

「あ、ああ……まあそうだな」

 

「やっぱりありがとうだよ! それと……紋次郎、私のことも助けてくれて本当にありがとう!」

 

 その満面の笑顔に心が軋む。

 何故か急に込みあがってくるものがあって、自分の目頭が熱くなるのを感じてしまった。

 

「紋次郎?」

 

 俺は慌ててそれを拭って彼女に向き直る。ヴィエッタは不思議そうに俺を見ていたが、その後ろからオーユゥーンやシオン、マコ、それに先ほどまで怯えていたこの館にいた女連中が全員また俺の元に集まってきた。

 

「すっごいねお兄さん! やっぱり『魔術師(ソーサリー)』だったんじゃない!」

「ちがうよ、クソおにいちゃんはきっと『賢者(ワイズマン)』様なんだよ‼ 魔術も呪術もなんでも使えるっていう伝説のさ! うん、きっとそう!」

 

 シオンとマコがそんなことを言いやがるし。

 

「はあ? お前ら何言ってんの? 『戦士』だって言ってんだろうが」

 

「またまたぁ、お兄さんそんなこと言って、実はそれは世を忍ぶ仮の姿で、その実態は! ってやつなんでしょ?」

「えー! なにそれ超かっこいい! クソお兄ちゃん正義の味方だったんだ!」

 

「どこのヒーローだよそれは! んなわけねえだろうが!」

 

「でも、紋次郎は私のヒーローだよ」

 

「「「「「「「「「えっ!」」」」」」」」

 

 唐突に俺の背後から声がしたかと思えば、そんなことを言ったのはヴィエッタだった。周りの女どもも一様に絶句して俺達をみているし。

 そんな様子に少し困惑したヴィエッタは……

 

「あ……れ? 紋次郎は最高にカッコイイと思うんだけど……違う……の?」

 

「思っててもなかなかそんな恥ずかしいことは言えないものですのよ。純ですわね、ヴィエッタさんは」

 

 オーユゥーンのその言葉に、初めてヴィエッタは赤面したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 賢者

「なんにしてもあれだ。ここはずらかった方が良さそうだぞ」

 

 急にもじもじ始まったヴィエッタを放置して、俺はオーユゥーン達へとそう言った。みんなも結構深刻そうな表情に変わってしまっている。

 そりゃそうだよな。なにしろここには全部で26体の聖騎士の石像が完成してしまっているのだ。しかも、みなその恐怖を張り付かせた表情で、まるで生きてでもいるかのような、かなり出来の良い作品に仕上がっている。

 まあ、元人間だから当然だけどな。

 それと、足元を見れば、先ほどの気持ち悪い多眼、多腕、多触手? な檻に入ったモンスターの姿。

 大きな老人のような顔で、檻の内から一つも声を漏らさないままに、周りをぎょろぎょろ見渡す様は本当に気持ち悪い。

 

「こいつはいったいなんなんだよ。オーユゥーン、お前は知らねえか?」

 

 そう聞いてみるも、明らかにその表情は険しく嫌悪感を出しているものの、彼女もこの怪物の正体には思い至らないらしく『初めて見ましたわ』などと言っているし。

 だが、こいつで何をしようとしていたのかだけは容易に理解できた。

 こいつは人の体内に寄生した上で、その宿主を糧に急激に成長するタイプの生物とか、どうせそんなところだろう。病人だった娼婦たちを苗床にしようとしていたことから察するに、子宮や彼女達の卵巣なども必要としているのかもしれない。

 いずれにしても(おぞ)ましい行為である。普通の神経の持ち主が考え付くようなことではない。

 まあ、そもそもこの聖騎士どもも、女を性道具程度にしか考えていなかったがな。

 俺はその檻の中の化け物に向かって、聖騎士連中と同様に石化の呪いをかけた。奴は一瞬で真っ白な石像に変わる。うん、こうなるとかなり前衛的ではあるけど芸術物っぽい雰囲気が出て、あの気持ち悪さが2割くらいは減るな。まだ相当に気色悪いのだが。

 そしてそっとその石の怪物に触れてみたあとで女どもに言った。

 

「とりあえず、お前ら、とっとと逃げろよ……って、ん?」

 

 ドアも破られているし、辺りに石像が乱立しているこの状態でもし大軍が押しかけてでも来ようものなら、何の言い逃れも出来ないし、全員を助けることは到底できないだろう。

 だからこそさっさと逃げなくてはならないのだが……

 振り返ってみても動き始めたのはヴィエッタただ一人。他の娼婦連中は困惑した顔でお互い覗きあっている。そんな中、オーユゥーンが歩み出て、言った。

 

「お兄様、私たちはここから離れられませんの。ここにいる娘の多くは借金の肩に売られた奴隷娼婦で、いまだ隷属契約が残り続けております。このまま逃げ出したとしてもすぐに見つけ出されて今度は死よりも苦しい責めを受けることになってしまいますわ」

 

 オーユゥーンが言うには、この隷属契約は所有者に対して絶対服従を強いられる契約であり、彼女は自身で解放までこぎつけたが、通常は反目したが最後、全身の自由を奪われた挙句そのまま手を下されるまでもなく死に追いやられてしまうのだという。まったくとんでもない契約だよ。

 明らかな不当契約の上に、本人に契約拒否の権限すらないようだし、これはさっさと消費者庁にでも訴えた方がいい案件だ。もしくは厚生労働省? まあ、そんなとこだ。

 

「ったく、仕方ねえな。おら、お前らここに全員集まれ、早くしろよ」

 

 俺は自分の前の土の床に足で丸く大きめに円を描いた。そして娼婦たちを全員手招きしてその円の中に入るように促した。ついでにいい機会だからとその円の中へとヴィエッタも放り込む。

 

「これで全員か? ほかにはいねえか? もう一回とか絶対嫌だからな」

 

「あ、あの、お兄様?」

 

 困惑しきりなオーユゥーン達。色々聞きたそうな感じだが、俺は説明するのも面倒なので何となく全員そろっているのを見てから、一気に『魔法』を完成させた。

 

「『壊呪(ド・ブレイクカース)』‼」

 

「痛っ……」「きゃっ」「え?」

 

 目の前の連中が一様に悲鳴を上げる。そして背中に感じている痛みや違和感にその視線を向けようとしていた。当然だが、ニムのように首が真後ろに向くわけもなく、見ようとして諦めて、今度は近くにいる他の女の背中に視線を向けるのだが、それを見て全員が全員驚いた顔に変わってしまった。

 そこには光りながら煙を上げて消滅していくあの『隷属契約紋』が。

 まあ、説明は不要だろうが、俺が使用した魔法はその名の通り、『呪いを破壊する』土魔法である。

 だが、この魔法はそれほど重宝されるようなものでは本来ない。なぜなら、空間操作によってその性質を変える土魔法によって、そこに存在している『呪い(カース)』の仕組みを無効化することはかなり複雑で難しいうえに、そもそも呪いを解くだけなら光魔法の『解呪(ホーリー・ディスペルカース)』の方が、ただ魔法力を当てるだけで霧散させられるため非常に簡単であるため、一般的にはこっちを使用するのだと、あの魔法書には書いてあったし。

 どちらにしても、今は土魔法しかないから、こっちを使ったというだけのロジックである。

 みるみる破壊された隷属契約の黒い紋章が全員の背中から消えていく。

 ついでに放り込んだヴィエッタの紋もあっという間に消えた。

 

 全員また喜んでとびかかってくるかと思い身構えたのだが、流石に学習したのか誰もそれはしなかった。

 というか、全員呆けた顔になって俺を眺めているし。

 この顔はどっちかといえば……

 

「なんだよ」

 

「い、いえ……その……お兄様は本当に『賢者(ワイズマン)』様なのではないかと……」

 

 オーユゥーンまでもがそんなことを言ってきやがった。

 

「はあ? だからそんなもんな訳ねえだろうって言ってんだろうが」

 

 まったく、なんで俺がそんな面倒臭い称号で呼ばれなきゃなんないんだよ。ふざけんな。

 

 『賢者(ワイズマン)』という職業というか、称号というか、名前は実はそんなに古いものではないらしい。

 アルドバルディンの図書館で読んだ歴史書というか、勇者物語にそんな称号を冠した魔法使いが登場したのが最初だったはずだ。

 今からおよそ300年の昔に実際にあったという戦争の物語。

 国と国との戦ではない。この世界を滅ぼそうと来訪した僅かな数の『魔竜』と呼ばれた強大な力を有した『人外』との熾烈な戦争のことだ。

 俺達のいるとされるこの『アトランディア大陸』の北端、かつて栄え、今は完全に滅びてしまった『商業都市アリアンノート』に突如現れた魔竜達。それらは多数の人間を死に至らしめつつ南へ南へとその侵攻を進めた。

 魔竜達は強大であったがその数は決して多くはなかった。ほんの数百程度の数であったと物の本には記されている。しかし、何れの魔竜も精強であった。

 まるで道に生えた雑草を踏みつけるかのような勢いで、村や町、都市や国を飲み込み、出会った者全てを殺し焼き払った。

 このままではこの大陸に住まう全ての生命は失われてしまう。誰もが絶望し、誰もが諦めかけたその時、5人の勇者が立ち上がった。

 

 人間の剣士『ローランド』

 ドワーフの戦士『ゴルディオン』

 竜人の巫女『コーネリア』

 エルフの魔戦士『カサブランカ』

 そして賢者『ワイズマン』

 

 歳も生まれも種族さえも異なったこの5人の勇者は、自らの種族を率いて悪魔達を次々に打ち破って行った。

 そして、大陸中央に程近い、この大陸を南北に分断しているとされる長大なピレー山脈が見下ろす先の広大な平原、『ダンダリオン大平原』において、魔竜達の首領たる『メフィスト』を討ち取り、この凄惨な魔竜との戦争は幕を閉じ、そして5人の勇者は人知れず何処かへその姿を消した—―――とされている。

 

 これがこの世界の誰もが知る『魔竜戦争』の顛末なのだが、正直昔のことだし、英雄たちの活躍にスポットが当たり過ぎてるし、その魔竜自体もいったいどんな存在だったのか詳細が伝えられていない為、史実なんだか虚実なんだかかなり怪しいところなのである。

 三国志とか水滸伝とか平家物語みたいな感じか? 脚色入り過ぎてて、水滸伝なんかは魔法使っちゃってる人もいたしな。口伝されればされるほどに話が大きくなるのはどこの世界でも一緒だろうし。遺骸の一部でも残ってれば信憑性が高まるのだけど、この世界考古学研究とかあるのかね?

 まあね、この世界は長命な連中もいるから結構事実ではあるのかもしれない。

 ゴードンじいさんなんか長生きだし、『戦士ゴルディオン』と名前も似てるから、ひょっとしたら知ってるかもしれねえけどな。

 ともかく、そこで出て来るのが『賢者ワイズマン』の初出になるのだ。

 5勇者の一人というところからしてもかなりのポジションだし、実際にありとあらゆる魔法を使用して悪魔を撃退したなんて話もあって、この世界の連中の賢者(ワイズマン)への信奉が半端ではないことはすでに承知している。

 ただ、その正体は良くわかっていないらしい。

 一応種族は『人間』らしいというのが一般的な見解だが、姿かたちを自由に変えることも出来たということで、他の種族であったかもしれないともされている。

 それとその名前……そもそも『賢者』を『ワイズマン』と呼ぶことが一般的であり、他の5勇者のそれぞれが普通に職業+名前であるのに対し、賢者だけは、賢者賢者な感じな呼び名。本名がワイズマンなのか、功績でワイズマンと呼ばれるようになったのか、実際その正体とともに謎だらけな人物なのである。

 まあ、全部の魔法を使ったってのはマジで凄い。

 俺だって術式は理解しているけど、精霊のいるなしで発動は制限されるし、そのコントロールも怪しいのだ。

 どんな存在だか良くわからないが、『悪魔』とさえ呼ばれた連中との戦争で活躍するなんて、よっぽど高レベルで魔力の高いぶっ壊れた魔法使いだったんだろう。

 

 そんな奴と同じ扱いをされるとか、本気で嫌だ。

 何が悲しくて人類の命運を背負ってるような奴の肩書をつけられなきゃいけねえんだよ。そんなのは目立ちたがりの政治家にでもくれてやりゃあいいんだよ。

 私は賢者です! なんていやあ、本気で信じてもらえれば選挙も当選するんじゃねえか? もっとも銀河連邦議員選挙じゃあ、知名度低すぎて当選できないだろうけど。

 

「俺は戦士(ファイター)だっての。ただ、ちょっとばかし魔法を使えたりすることもあるってだけだよ」

 

「とても『ちょっと』ではないと思うのですけれど……ですが、お兄様がそうおっしゃるなら、私たちはそれに従わせて頂きますわ」

 

 コクコクと頷く女達。なんとなく無理やり俺に同調を示しているような感じがるるんだが。

 なんだ? こいつら実は全然俺のこと分かってねえんじゃねえか? 

 無理やり俺を『賢者(ワイズマン)』ってことにして何か良からぬことを企てたりしてんじゃなかろうな?

 

「あのなぁ、俺はマジでワイズマンなんかじゃなくてだな」

 

「はいはい、分かっておりますわ。お兄様はあくまで『戦士(ファイター)』。たとえそれが世を忍ぶ仮の姿であったとしても、私たちはお兄様のことをずっと戦士と思わせていただきますわ」

 

「やっぱり全然分かってねえじゃねえか! いいか、俺はな……」

 

「はいはい!」「大丈夫」「クソお兄ちゃんは絶対戦士!」

 

 こいつら……

 

 寄ってたかって俺のことを……

 ステータスカードでも投げつけてやろうかしら。とそんなことやってもこいつら信じなさそうー。実際にステータスカードもさっき使った『壊呪(ド・ブレイクカース)』の魔法で一発で書き換えられちゃうし。

 

 さっきの『隷属契約』も『ステータスカード』もどちらも魔法ではなく、より『呪い』に近い術式が使用されているのだ。まあ、当然か。道具として行使する以上、効果の永続性が求められるわけで、減衰しないという点で『呪い』を選択するのは至極もっともなことなのである。

 ということで、当然『壊呪』や『解呪』の魔法も効くのだ。もっとも、普通の呪いともやはり少し違うので、術の行程をほんの150通りほど作り変える必要があるわけだけど、まあ、微々たる操作だろう。

 

 おっと、逸れた。

 

 この女どもと来たら、自分に都合のいいように俺を弄びやがって、俺を普通に買春に来た客かなんかだと思ってんじゃなかろうな。そんな碌でもないヨイショいらねえっての! くそがっ!

 

 だが、別にいいか。ここで我慢すれば、こいつらは俺の言うことを聞くだろうしな。

 俺は再び連中に向き直った。

 

「お前らの『隷属契約』はご覧の通りもうぶっ壊してやったからなんの心配もいらねえ。お前らのご主人とかって連中が来てももうなにもされやしねえよ。それと、このままここに残ったら、そこで石になってる連中の仲間が帰ってきてどうなるか分かったもんじゃねえ。悪いことは言わねえからさっさと逃げろよ」

 

 それだけ言ってやった。

 どうせ赤の他人なんだから放っておけばいいと言われればそれまでなんだが、せっかく助けてやれたんだ、みすみす死なせるのはなんかムカつく。

 これでこいつらもある程度は逃げられるだろう。その後のことは流石に難しい。俺だって聖人君子じゃねえんだ、無償でどこまでも面倒を見てやるつもりなんかはないし、そもそもそんな面倒なかかわり合いを持ちたいなんて思っちゃいない。

 とりあえず俺の目の前から逃げて消えてくれればもうそれでいい。

 そう考えて、さあ行こうとヴィエッタの背中を押そうとした瞬間、またもやぐいっと俺の腕を誰かに引っ張られた。

 

「またかよ」

 

「あ、あの、お兄様? その……」

 

「いや、もうだめだ。もうなにもしない! いいか! お前らの梅毒をとりあえず抑えてやって、治療もした。それに今度はその契約紋も壊してやった。これ以上何を言われたって、ぜったいぜったいぜーーーーったい何もしねえからな。おれぁさっさとあのくそむかつく奴隷商人のところに行かなきゃなんねえんだから」

 

 捲し立てるようにオーユゥーンへ言うも、困った顔の彼女は申し訳なさそうに口を開いた。

 

「あの……私としたことが油断しておりました。すでに取り囲まれてしまっていますわ」

 

「は?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 とある狂信者

「囲まれたって?  聖騎士か?」

 

「いえ、違いますわね。もっと手練れの……多分、先程お兄様たちを襲撃していた連中かと……」

 

「なんでそんなことわかるんだよ」

 

「あ、私には盗賊系スキルの『感知』がありますので」

 

 そんなことを言いながら、オーユゥーンはどこから持ち出したのか手にレイピアを握り緊迫感をその表情に張り付かせていた。

 マコやシオン、それに他の娼婦達も慌てたようすで手に武器を持った状態で集まってきている。特に何か会話をしたわけでもなかろうに、ごく自然に戦闘体勢に移るこの連中に俺は半ば感心してしまった。

 俺とヴィエッタはといえば、特に何もせずにそのままでいた。というより、何をどうしていいやらただ分からないでいただけなのであるが。

 でもそうか、あの黒ずくめの連中か。

 いったい連中が何者なのか分からないが、まっすぐ俺を狙ったところを見るただの追い剥ぎというわけでもなさそうだ。あれだけの身のこなしだ、相当にレベルも高そうだしな。

 さっきはオーユゥーン達の機転があったから逃げおおせたが、この状態では、さて……

 

「なあオーユゥーン。敵は何人だ? で、どこにいる?」

 

「あ……はい。相手は……4人ですわ。一人はその戸のすぐ向こう側、それと、その窓の向こうにも。もう一人は裏口ですわね。最後の一人は少し離れてますけど、向かいの建物の2階にいますわ」

 

 なるほど、四人か。なら、さっきの連中かもしれないな。

 俺はすぐにヴィエッタに耳打ちして、必要なことを教えてもらう。

 そして、すぐさまオーユゥーンとシオンの二人を呼び寄せて、そのままふたりの胸に手で触れた。

 

「お、お兄様?」「お兄さん、私達が可愛くて我慢出来ないのはわかるけど、今は違くない?」

 

 驚いて目を見張っている二人。なんでちょっと喜んでる風なんだよ!

 

「ち、ちげーよバカっ! ちっとだけだから我慢してやがれ」

 

「そんな風に扱われると何かすごく嬉しく感じてしまいますわね」

「オーユゥーン姉と一緒にとか本当に嬉しいな!」

 

 何をアホなこと言ってんだこいつらは。俺が何もなしにこんなことするわけねえじゃねえか。

 別に揉んでるわけじゃあねえし、それに触れたのは最初だけで今は触ってもいないし。

 そう、もうこの位置で十分だった。

 俺の両の手からは確かにそれぞれの属性のマナが勢いよく流れ込んできているのだ。

 ヴィエッタに聞いたのは例の光の精霊と闇の精霊がまだいるのかということ。そしてその場所を聞いた俺はその位置に手を伸ばしただけだ。やつらなんでよりによって女の胸の位置にいやがるんだよ。嫌がらせか?

 

 まあいい。とにかくこれでこの『複合魔法』を放つことが出来る。

 その時……

 

「お兄様! 来ますわ!」

 

 オーユゥーンのその声に咄嗟に確認しようとするも、今それをすれば間に合わないことを悟り、俺はその呪文を完成させた。

 

「全員もっと俺に寄れ! いくぞ! 『超重力結界(グラヴィドン)』‼」

 

 練りに練った土・光・闇の3種類のマナが俺たちの周囲に超強力な重力場を発生させた。

 キーンという甲高い振動音とともに周囲の空間が掠れるようにぶれ始める。

 

 そして……

 

 ドドン!

 

「ぐあっ!」「ぎゃっ!」「きゃっ!」

 

 一瞬で俺たちの周囲に存在しているものすべてが地中へと没していく。それは先程石化した聖騎士や、そこにあった机や椅子、床や、建物、樹木、外壁や石畳にいたるまで、魔法効果範囲内の全てが押し潰されるようにみしみし音を立てて沈んでいった。

 オーユゥーンの言ってた辺りから人の悲鳴みたいなのも聞こえたし、きちんと襲撃者の連中にも食らわせることが出来たようだ。

 俺は今回石化の呪法を使うのを止めた。

 呪いは対象をきちんと把握する必要があることと、つい今しがた使ってしまったことで対策を講じられている可能性が高かったから。

 効果は確かに大きいが、咄嗟にはやはりつかいにくい。

 そこでこの魔法だ。

 今使ったのは文字通りの重力魔法。要は物体にかかる重力を増大させて押し潰す魔法で、それこそ、重力を数倍に膨れ上がらせることで、自身の体重を3倍にでも4倍にでも高めることが可能である。今の値はざっと100倍くらいの重力がかかっているか? 並の人間なら自分の重さに押し潰されて死ぬレベルだけど、どうかな? この世界の連中はよくも悪くもレベルによって頑丈になるから、実は大したことはないかもしれない。

 実際にマナ供給さえしっかりしていれば、1000倍~10000倍の重力環境を産み出すことも可能のようだけど、俺が今利用したオーユゥーン達の精霊はそれほどのマナを有していないようで、そこまでの威力を作り出すことはできなかった。

 まあ、それでも足止めくらいにはなるだろうとは思うが。

 

 さて、時間もないな。

 

 魔法の効果は長くはもたない。

 俺はちょうど脱出に使えそうな破れた窓の辺りの魔法効果を弱めたこともあって、そこを指差して女どもに言った。

 

「ぐだぐだはもう聞かねえ。てめえらとっとと逃げるぞ!」

 

 それだけ言って駆け出す俺とヴィエッタ。

 振り返りはしなかったが、たくさんの足音が確かに俺たちを追いかけてきていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「うう……や、やめて……」

 

「た、たすけて……」

 

「い、いやぁああ」

 

 薄暗いその洞穴の奥深く、たくさんの篝火の炊かれたその空間で、そのおぞましい光景が繰り広げられていた。

 黄ばんだ炎の明かりに照らされたその地に横たわるのは無数の女と、それに声もなく覆い被さる得たいの知れない怪物たち。

 それは左右それぞれ三つの瞳をくるくる回転させる、老人のような大きな頭部をもった多腕の怪物たち。

 声もなくその怪物は股間から伸ばした無数の触手によって、女達を蹂躙し続けている。

 

「うんうんうん」

 

 そんな光景を大空洞に設えた祭壇の上から満足気に眺め見る一人の男の姿が。

 青い法衣を纏った優しげな瞳に白い口髭をたくわえたその高齢の男は、一見して敬虔な神官のように見える。

 優し気なその顔は慈しみに満ちた微笑みを浮かべていた。

 彼は満足していた。

 今目の前で行われている神聖な行為……生殖という、新たな生命を誕生させるその行為にあって、彼にとってはこの場はまさしく清廉な聖域であったのだ。

 ここに連れてこられた多くの女性たちこそ、神の母となることが決まった存在。そんな彼女たちに祝福を心から送りつつ、彼は目の前で生まれ出でようとしているたくさんの『神のかけら』達を心待にしていた。

 いや、すでに生まれ出でた存在もたくさんあった。

 母胎を突き破り、麗しいその姿を晒し多くの『神子』達。彼らは慈悲深くも醜く滅びいったそれぞれの自分の母の身体を、綺麗に舐めとり咀嚼し飲み込んだ。

 その姿は女達に覆い被さる異形の怪物と似て非なるもの……

 その全身は人間の子供のそれのように艶やかな肌をしている。しかし、人に類似するのはそこまでであり、頭髪のない、ドクロのような皮ばかりの頭部には、白目のない真っ黒な黒水晶のような瞳が嵌め込まれていて、そのか肩からは左右それぞれ3本ずつ子供の手が生えている。そしてその下半身にはやはり短い足とたくさんの触手が。

 なまじ件の怪物よりも人に近い部位が多いために、奇怪さが際立ち、見るものによっては激しい嫌悪感に蝕まれることなるはずであろう。

 だが、その神官服の男は、その魔性の子供達をいとおしく眺め続けていた。

 

 女達のすがり、懇願するかのようなその声と絶叫。それと、異形達が放つ独特な身体活動の音のみがその空間に木霊し続けるなか、その声が唐突にその神官の耳に届いた。

 

「彼女達の贖罪は順調の様でございますな、神父様」

 

「おお……! あなた様でございましたか」

 

 暗がりから音もなくスッと現れ出たその影は、神父と呼びつつ神官衣の男に向かって笑みを浮かべた。

 神父は、急いで振り返りつつ、腰を折って膝を着き、頭を垂れると同時に恭しく現れ出た男の手をとって、その甲にキスをした。

 そして再び立ち上がると満足げに頷きながら眼前の光景を彼へと披露した。

 

「御覧くださいませ。今こうしてたくさんの『罪人(つみびと)』達が自らの行いを償うために、『神の化身』と聖なる契りを結んでおります。涙ながらに私に悔いた彼女達も、これで漸く罪を払って、なにひとつ咎められることなく神の御元へと旅行くことが出来ます。なにしろ彼女達は新たに生まれる神の母なる存在なのですから」

 

 一点の曇りもない眼で彼は大声でそう言いきる。そして、目の前で絶望にその顔を歪めながら、新たな生命が誕生するまでひたすら犯され続けるだけの彼女達に向けて、慈愛の籠った視線を向けるのだ。

 その様子を、現れ出た男は声こそ漏らさなかったが、明らかに愉悦からの笑みをその顔に浮かべた。

 そして熱に浮かされたようになってしまっている神父へと語りかける。

 

「本当に素晴らしい行いでございます、神父様。あなた様の『姦通の罪』もこれで漸く払われるでしょう。なにしろ貴方様は、人を惑わす売女、娼婦達をもお救いになられているのですから。自らの手が汚れるのも省みずこうして救い続けている貴方様の行いを、きっと神は格別の慈愛を持って見守っているはずでございます」

 

「あ、ああ……あ、ありがとうございます。ありがとうございます」

 

 神父は途端にその両目から滝のように涙を溢れださせた。

 彼は男のその言葉が何よりの自分への救いであると信じて疑うことはなかったから。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 神父はもともと敬虔な『神教』の……『カリギュリウム』の信徒であった。

 『神教』とはこの大陸で信奉されている宗教の中でもっとも規模が大きく非常に強い影響力をもった宗教である。政治への介入も多いためか、国教としている国もたくさんあるほど。

 偶像崇拝を廃したこの教えは、唯一神の教えを忠実に守ることで心の安寧を得、死後も神とともに愛を育むことを目指すとされている。

 そんな中でも教えや考え方の相違から、いくつかの派閥、学派として分かれたもののひとつが、『カリギュリウム』である。

 この学派は特に神の教えに従順であり、たくさんの戒律を自らに科すことで神の元に至るといった教義を旨としており、そんな彼らはいつでも慎ましく穏やかで理性的であることが求められた。

 神を敬い、不義を断じ、悪を許さず、そして人々の罪を償う。

 犯してしまった罪は決して晴れることはなく、ただ盲目的にその贖罪を求め続ける……そんな厳しい教えこそが彼を変えたのかも知れない……

 

 彼は清廉だった。

 齢五十を越えたころであっても敬虔なカリギュリウムの教えを守りつつ神の子であり続けた。

 そんな彼はつねに地方の小さな教会へと左遷同然に派遣され続けた。教会内での色々な派閥争いがあり、ある派閥で清廉な彼を枢機卿へ推そうなどという声が出ていたことも承知していてなお、彼はそんな中央のいざこざ……神の名の元にあって尚揉めなくてはならないことを忌避し、彼は末端の一神父として人々の為に働き続ける道を選んだのだ。

 そしてこの南部の小さな農村にやってきた。

 寂れた教会、少ない村民、識字率も低いこのような村で難解なカリギュリウムの教えを説くのは容易なことではない。それでも彼はいつものように、神の教えを物語として人々に説き、村の問題を解決しながら、村人達の厚い信頼を得ていったのだ。

 

 そういつものように……

 

 そんな時だった。彼の前に『彼女』が現れたのは。

 農夫の夫と幼い3人の子供を持つまだ20に満たないその女性は毎日の様に彼の元へと説法を聞きに通った。

 彼女はこの村にあって類いまれな美しさを持った女性であり、土に汚れた作業着にエプロン姿であっても尚可憐であり、そんな彼女に対して心が弾んでいることを彼も自覚していた。

 妻もめとらず、ただひたすらに神の僕であった彼も、今まで何度もこれと同じような感情を抱いていた。

 そしてこれが、『情欲』や『恋慕』であることも十分に理解していた。

 男である自分が、女である彼女へそのような情を抱いてしまうことはあり得ることである。と、だが、それは獣の話であり、神の信徒である自分はそれらの感情に惑わされることがあってはならない。

 そもそも『神教』自体が不義を許すことはないのだ。夫のある女性に恋慕を抱くなど言語道断。

 

 だが……

 

 彼はある晩、彼女を抱いた。

 

 彼の教会へと駆け込んだ彼女は、泣きながら彼に助けを求めた。彼女の夫が不倫をして彼女を裏切ったのだという。夫がしたという不倫の話を聞くにつれ、彼は怒りに全身を蝕まれたが、同時に目の前の彼女が憐れに思え、彼は彼女を慰め続けた。

 

 そして……

 

 彼は彼女に告白された。

 一目見て好きになったのだと。愛してしまったのだと。

 彼女の夫との愛は偽りのものだったのだと。あなたこそが私の本当に大事な存在なのだと。

 神の信徒であった彼はいまだかつてこれほどの愛の告白を受けたことがなかった。そして同時に彼は純粋であったのだ。

 目の前の彼女を救えるのは自分しかいない……と。彼女を愛しているこの感情こそ本物であるのだ……と。

 

 そして彼と彼女は結ばれ……それから泥沼のようにまぐわい続ける日々が始まった。

 深夜になれば二人で落ち合い、外だろうが、馬小屋だろうが、教会だろうが交わり続ける。

 神父もはじめての女性の身体に夢中になってしまい、その行為の意味に目を向けることもできなくなっていた。

 

 そんな逢瀬の日々は季節を二つ跨ぐ程度の期間で幕を閉じることとなる。

 

 もともと狭い村である。二人がどのような関係であるかなど、すぐに村人には察することが出来たのだが……。

 ある日、教会で二人で朝を迎えたところに、たくさんの人物が乱入しきてきた。

 入ってきたのは村人ではない。

 神教会の枢機卿の幾人かとたくさんの聖騎士達だった。 彼は姦通罪により捕縛……そのまま神父の職も取り上げられ、王都の修道院の地下牢獄へと投獄されたのだ。

 

 神の信徒としての約定を違えてしまった彼は心から懺悔し全てを告白。全て自分が悪いのだと、彼女に罪はないのだとそう嘆願した上で、度重なる拷問に耐え続けることとなるも、彼を助けたいというたくさんの教会内の声により彼はおよそ3ヶ月で牢から出ることとなった。

 彼は許されざる罪を犯した。そしてその対価として今まで築き守り続けてきた聖職者としての全てを失った。

 だが、それを彼はそれを受け入れていた。

 どんなに言い繕ったとしても自分の行いを神は常に見続けている。それは言い逃れのしようのできない事実。だからこそ、神にさらしてしまった自分の弱さを今さらにどうすることも出来ないと思い至ることができたのだ。

 

 これから先は静かに神の教えを守りつつ少しでも人の役に立つことをしながら余生を生きよう。

 そこまで想い、彼は進もうとしていた。

 

 今回、彼がもう少し神教会内の事情に意識を向けていればこんなことにはならなかったのかもしれなかった。

 神教会内部にあって、カリスマ的な人気のある彼のことを推す者は多く、時期枢機卿、いや、教皇へと進むべきであると考える者は非常に多かったのだ。だが、彼自身、清貧を至上と考えていたが為に、そのような声の全てを意に介していなかったのだ。

 だが、対抗馬と目された人々はそうではなかった。

 人気のある彼は目の上のたん瘤でしかなく、どんなに地方へ追いやろうとも決して衰えることのない彼への推挙の声に、ついに行動に移ったのだ。

 彼の赴任先の村にあって、もっとも美しいとされた女性とその夫に、彼を弄落するように多額の金を積んで買収。そして、機会を窺い彼女を彼へとけしかけたのである。

 

 これが間違う事なき事実なのであるが、そうとは知らない彼は、もはや会うべきではないと思いつつも、恋い焦がれたその女性をもう一目だけ見ようと、知人から教えられた彼女の新たな住居へとこっそりと向かってしまった。

 

 街道に面した大きな街のなかにあって、一等地とも呼べる高台の新しい煉瓦作りの家。貴族の別荘と言ってもおかしくない程度のその家の前に来たとき、窓辺で語らう彼女と彼女の農夫の夫が会話しているのを、彼はたまたま聞いてしまう。

 そしてそこで彼は知ってしまう。

 彼女と彼女の夫が共謀して彼を陥れたという事実を。

 彼女は、神父の彼に申し訳ないことをしたと言いつつも、笑顔で夫を抱き締めその口を吸っていた。

 

 それを見たとき、沸き上がる凄まじいまでの激しい感情に彼は全身を貫かれた。

 それを普通の人であれば、すぐに『怒り』であることをわかったのだろうが、人生の全てを神に捧げ戒め続けてきた彼は理解にたどり着けない。

 だが、理解できないまま、その沸き上がった明らかな『殺意』をもって行動しようとしたその時、彼はこの『神の使い』に出会ったのだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「貴公のおかげで私は救われました。あの時、あなた様にお止め頂かなければきっと私は信ずる神の名を汚していたことでしょう」

 

「なに、そうではありませんよ。神は敬虔な信徒である貴方を決してお見捨てになどならないということです。現に崇高なる神はこうして再びあなた様の前に試練をお使わしになられた。そして貴方はそれに応えるべく善行を積まれている。これ以上の功徳はありませんよ」

 

「いえ……私は自分がかつて犯してしまった罪を拭い続けているにすいません。大いなる神のお心を推し量るような畏れ多いことをしようなどとはおもいません。私はただ、私が行うべき救済を進めるだけです」

 

「結構ですな。神の奇跡はきっとこの世界を清めてくださることでしょう。かつて貴方を弄んだあの女性のように……きっと神は全ての不浄をお許しになられることでしょう。そしてその魂を安寧の地へとお導きくださるのです」

 

「おお……まさしく、まさしくその通りでございます。不義を働いた者達の悲しき魂を救済こそ、神の僕としての指命でございます。彼女の魂もきっと、『神の体内』で許され安らかにいるはず。この『奇跡』をより多くの不幸な者達へともたらして差し上げなくては……」

 

「大丈夫です。神はそのための御使いをこんなにもたくさん地上へと降誕なさいました。この世の不義・不浄を喰らいそして、『神の御子』を誕生させることこそが偉大なる神のお心……我々はただそれに報いることを考えればよいのです」

 

「然り……この美しい奇跡を世界中へと届けなければ……」

 

 再び犯され続ける女達へとその目を向けた神父は恍惚とした表情に変わっていた。

 

 彼を貶めたあの女性とその夫は、彼が復讐を遂げる前にこの異形の怪物によって犯され、喰われ、そして息絶えた。

 彼が怒りに身を任せようとしたあの時、この目の前の男に彼はその行動を止められ、そして男の言葉を聞いて復讐を思い直したのだ。

 

『神は決して不条理をお許しにはならない』

 

 と……

 

 この男があの時に言ったその言葉。その直後、光とともに現れ出たこの異形の存在……

 彼はそのとき、それを……

 

 心から『美しい』と思ったのだ。

 

 人ならざるその容姿はまるで、醜い人の心そのものとして写った。そしてその存在はただ悪を為したその二人だけを見つめたのだ。そして彼女らだけを断罪した。

 その場に居合わせた彼女達の幼い息子達や、ただ見ることしかできなかった彼に危害を加えることは一切く、暴れることもなくただ粛々と罪をその身に取り込んだのだ。

 そしてその存在は光とともに消えたのだ。

 

 あのとき男は言った。

 

『神はこの世の不義を決してお許しにはなられない。だが、まだそのお力は弱く万人をお救いになられることは叶わない……』

 

 だからこそ! と……

 

 来る破滅の日の前に、なんとしても神の奇跡をこの地に注がなくてはならない。そのために、救済を進めなくてはならないのだ……と。

 

 そして彼は邁進した。

 人を救うため、世界を救うため、彼は自らを追放したカリギュリウムの教会組織を建て直し、多くの信徒へと神の教えを説き続けた。

 そうして努力を続けた彼は20数年の時を経て、カリギュリウムにおける最高位につくことになる。

 

 そんな時……男が再び彼の前に現れた。 

 その姿は長い時を経たとは思えないほどに変わってはいなかった。

 男は彼に言った。

 

『神の復活の時は近い……今こそ全ての悪行を救済するときです』

 

 と……

 

 そんな男の傍らにはかつて彼を苦しみから解放したたくさんの『神の化身』の姿があったのだ。

 

 彼はそれを想いだしながら、今こうして憐れな女性達を救うことが出来ていることに至上の喜びを感じていた。

 だからこそ、もう一度彼へと言ったのだ。

 

「これを……この贖罪の機会を私にお与えくださったこと、本当に感謝します。『神の御使いべリトル』様」

 

「いえ……私は何もしておりません。ただあなた様……『アマルカン』様が神のお心に真摯で在られたというだけのことです」

 

 そう会話を交わしながら、ターバンを被ったその男はにこやかに微笑んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 お願いだーりん

 さて、困った……

 

 いや、マジでどうしよう……

 

 こんなにたくさんの娼婦をマジで!

 

 俺の目の前にはなんと35名の娼婦御一行様が。当然その中にはヴィエッタもいるのだが、オーユゥーン、シオン、マコの3人組や、さっき病気から回復した連中も全員いて、本当にとんでもない大所帯だ。

 というか、さっきまで瀕死でほぼ裸体に近い格好だった連中がやはり着替えもできるわけもなくて、なんというか……

 

 なにが困るって、目のやり場に本当に困る‼

 

「紋次郎?」

 

「ひゃいっ!」

 

 急に声をかけられて振り向けば、ヴィエッタが俺の直近に立っていた。っていうか、お前も近いんだよ!

 

「紋次郎、これからどうするの?」

 

 そんなことを聞いてきやがるし。

 どうするのって、そんなの本当にどうすればいいんだよ! 

 

「俺が聞きたいくらいなんだけどな……でもまあ、いつまでもここに居るわけにもいかねえだろう」

 

「そう……なの?」

 

 本当に良くわからないといった感じで首を傾げるヴィエッタ。ずっと箱入りで娼婦を続けてたこいつに、サヴァイブを求めるのはやはり酷だよな。

 でも、この人数……うーむ。

 俺は再び目の前の女子高の一クラスくらいの人数の女どもを見回して頭を抱えた。

 確かにさっさと逃げるぞって言ったのは俺だよ? でもまさか全員俺に付いてきちゃうとは……これは想定外すぎた。みんなもっと散り散りになって逃げようぜ。

 こんなに大人数じゃちょっとの移動もマジで大変だ。足の早い遅いもそうだが、集団で動けばその気配たるや到底隠せるものではないし。仮に今が昼ならまだ人通りも多いからその人の並みに少しずつ隠れるように移動していけば逃げることもできそうだけど、今は深夜。

 こんな夜更けじゃ、集団だろうが一人だろうが、女が歩いていて目立たないはずがない。

 というか、もう人通り自体がほとんどないのだ。普通に売春婦を装わせて、というか、売春でもなんでもいいから普通に男を引っ掻けてでも逃がせられればいいけど、聖騎士とあの訳のわからない連中に追われている身の上だ。上手くいくとは到底思えないし。

 

 さて……

 

 本気でどうしようか悩んでいる俺が今いる場所は、とある廃屋である。

 大勢の半裸の娼婦を引き連れてそうそう長い距離を移動できるわけもなく、とりあえず近くのオーユゥーン達の隠れ家へと退避したのだ。

 一応廃屋とはいっても結構広めな地下室もあって、大人数ではあるけど静かにしていれば隠れることには支障はなさそうではあるが……

 やはりこのままってわけにはいかねえだろうなぁ、はぁ。

 

 女たちはみんなで身を寄せ合って震えているが、恐慌状態に陥っているわけでもない。

 オーユゥーン達は出入り口の辺りを警戒しているようでこの地下室にはいない。

 そして俺は、そんな女たちを見下ろせる階段の踊り場に腰を下ろしていて、隣にはヴィエッタがまるで飼い猫のように纏わりついていた。

 普段なら二ムにしているように、離れろ鬱陶しいと怒鳴るところだけど、今は状況が状況なだけにそれをする気も起きなかった。

 ふと頬に何やら温かさを感じてそっちを向いてみれば、そこにあったのはドアップのヴィエッタの顔。口と口が触れてしまいそうなくらいの近さに思わず俺は飛び退いた。

 

「な、なんで顔を近づけてんだよ!」

 

「あ……ごめんなさい。別になんでもないよ。ただ、紋次郎の顔をよく見たかっただけだよ」

 

「はぁ?」

 

 きょとんとした感じでそんなことを宣うヴィエッタ。別に上気した感じにも見えないし、本当にただ俺を見ていただけの様だが……そもそもそんな風に見られること自体気持ち悪い。

 

「なんなんだよ」

 

「あ、えっと……紋次郎は本当に凄いな……って思って」

 

「俺が凄いわけねえだろ」

 

 急に何を言い出すんだこいつは。

 俺が凄い? そんなことあるわけない。多分魔法とか呪法をバンバンつかったからそんなことを言ったんだろうが、あんなのやり方知ってりゃ誰だって出来る。そもそも俺はレベル1の魔無しだ。この世界で頑張ってる連中からすれば俺のはただの裏技でしかなくて、実力じゃ到底敵わないんだ。

 

「ううん、紋次郎は凄いよ! 凄く強いし、でも、それだけじゃなくて、一生懸命で……みんなを助けようってしてるし……」

 

「そりゃあれだ、ただ流されてそうしてるだけだ。俺はさっさと全部を終わらせたいだけだ……」

 

「それに私を連れ出してくれたし」

 

「あん?」

 

 目を逸らさずに俺をジッと見つめてくるヴィエッタの目は、真剣みを帯びている感じが確かにした。

 今までこいつがどんな人生を送ってきたのか知らないし、どうせ碌なもんじゃなさそうだから知りたいとも思わないが、奴隷で無理矢理娼婦にされてた様だし逃げ出せたことは本当に嬉しいのかもしれないな。

 だがそれを決めた俺じゃない。こいつだ。

 あくまで俺は条件を提示したにすぎないんだから。

 

「ねえ、紋次郎……聞いて欲しいことがあるの」

 

「なんだよ」

 

「えっと……」

 

 ヴィエッタは急に身を縮めて下を向く。

 急に具合でも悪くなったのかと心配になって見てみれば、なんてことはない、頬を赤らめて薄く微笑んでいるし。別に体調とかではなさそうだな。

 どことなくもじもじしながら、彼女はぽつりぽつりと話し始めた。

 

「私ね? こんな風にあそこから出ることができるなんて本当に信じてなかったから、今までずっと考えないようにしてたんだけどね……実は、ずっと前から憧れてる『夢』があるの……」

 

「夢?」

 

「そう、夢」

 

 穏やかな口調で静かに……でもしっかりとそう言った彼女は言ってから俺を見た。

 

「紋次郎にそれを聞いて欲しいの……ダメかな……?」

 

 スッと流し目でそんなことを言ってくるヴィエッタ。その仕種に思わずドキリと反応してしまう。いや、やめろよそんな顔。流石は人気ナンバーワンの娼婦ってとこか。こんな俺でもクラクラしたぜ。

 とりあえず、俺は顔を背けた。

 

「な、なんで俺が聞かなきゃなんねえんだよ。そんなの言いたきゃその辺にいる女どもにでも言えばいいだろ?」

 

「ううん。私は紋次郎に聞いてもらいたいの。だって紋次郎なら絶対聞いても笑わないって思うし」

 

「はあ? 笑うよ、超笑うよ、俺。ひっくり返って三遍周ってワンて吠えてから笑うまであるぞ」

 

「そんなこと絶対しないもん」

 

 何を言ってんだこいつは? 俺のいったい何を知ってるって言うんだよ。なんで俺は笑わないって決めつけんだよ!

 そもそも俺たちはついさっき会ったばっかだぞ?

 俺がこいつを誘拐していろいろあって今に至ってるだけだ。なんでそんなに俺に要求できんだよ!

 ヴィエッタを見てみれば、少し頬を膨らませてムッとした様子になってしまっている。そんなに俺に聞かせたいのかよ、こいつは……

 ったくしょうがねえな。

 

「じゃあ、さっさと言えよ。間違いなく笑ってやるからそのつもりでな」

 

「え、あ、うん。あのね……私は……」

 

 胸に手を当てたヴィエッタは再び俺を見つめながらその表情を真剣なものへと変えた。そして、大きく深呼吸をしてからスッと息を吐き出すようにそれを言った。

 

「私は……『冒険者』になりたいの!」

 

「なりゃあいいじゃねえか。そんなの勝手に」

 

「えっ?」

 

 ヴィエッタは目をぱちくりとさせて俺を見て固まっていた。鳩が豆鉄砲くらうとか、まさにこの事だな。

 何を言うのかと思えば、本当にどうでもいいことだった。そんなのなりたきゃ勝手になれってんだ。

 

「お前な……そもそも冒険者ってどんなもんか分かってんのか? あれだぞ? 冒険者なんて大層な肩書きだけど、結局は金目当てで依頼のままに危険に飛び込まざるをえないただのチャレンジャーだぞ? 上手くいけば金持ちだけど、へまをすればすぐにあの世行きだ。だからな、なろうって思えば誰だってなれんだよ。というか、ギルドに登録料を払いたくねえなら、モグリにはなっちまうけど今すぐに宣言すりゃそれで終わりだ。後は、依頼を受けて金を稼げばいいだけだ」

 

 そう、冒険者なんてそんな程度の一山いくらの存在だ。生き残るのか死ぬのかもあやふやな仕事なんてそれこそ、本当に仕事に就けない役立たずの行き着く先と言ってもいいのかもしれない。

 異世界人の俺がすんなりギルドに採用されたことから見たって、重要度の低さがうかがい知れるってもんだしな。

 

「ほら、やっぱり笑わなかった」

 

「はぁ?」

 

 隣でヴィエッタが勝ち誇ったように俺を見つめて微笑んでいた。まあ、確かに笑いはしなかったけども……

 

「あのなぁ……今のは笑わなかったんじゃなくて、笑う必要すらない話ってだけであってだな……」

 

「ううん、違うの。本当にみんなは笑うの。奴隷が何をバカなこと言ってるんだ! って。今までね、仲の良くなった娘やお店の人、それに私を買ったお客さんにも言ったことがあるんだけどね、みんな本当に笑ったんだ。私には冒険者なんて無理だって……そんなくだらない夢は寝ているときだけにしろって。私には娼婦を続けるしか道がなかったの。だから紋次郎が笑わないで聞いてくれて本当に嬉しかった」

 

「…………」

 

 確かに奴隷がそんなことを言い出せば、普通は笑うもんなのかもしれない。全ての自由がないこいつは今まで男の相手をするためだけに生かされてきたんだろう。そんな『道具』が自分から仕事をやめて、別の道に進みたいなどと……聞いた連中は確かに一笑に付すだろうな。

 本当に胸くそ悪い話だが、隣でにこにこしているヴィエッタを見ていると、なんというか少し心を解されるような感じもしていた 

 

「そうかよ……でも、なんで冒険者なんだ? 女の子なら、『お姫様』とか『お花屋さん』とかそういう夢の方が普通じゃないのか?」

 

「え? 女の子? 普通の? 私が?」

 

 驚いた感じでそんな風に聞き返してくるヴィエッタ。

 

「んだよ、女の子に女の子って言って悪いってのか? お前は女じゃねえのかよ? じゃあ男か?」

 

「女! 女だよ、私は! あ、えと……違うの。今の私はもう普通じゃないって思ってたから。もう私はただの奴隷娼婦だって……」

 

「自分で思ってりゃそりゃあずっと奴隷娼婦のままに決まってるわな。お前自身が普通になろうって何も努力してねえんだしよ。でもまああれだ、お前の奴隷契約の呪いはもう消えてる。お前の雇い主との契約は残っているんだろうが、それだってもうお前次第でどうにか出来んだろ。おっと、逸れたな。で? なんで冒険者になんかなりてえんだよ?」

 

 呆けた顔で俺を見ていたヴィエッタが、一度ぐしっと目を拭ってから笑顔で俺に向き直った。

 変な顔しやがって。まさか俺の言葉で傷ついちゃったとかか? 俺そんな変なこと言った覚えはねえぞ、こんちくしょう。

 

「あの……あのね? 私のお父さんとお母さん、二人とも冒険者だったの。だから私も冒険者になりたいって思ったの」

 

「ふーん」

 

 まあ、ありがちだろうな。親の職業に憧れてとか、ずっと嫌っていたけど結局は同じ道に進んだだとか、どこにだってそんな話は転がってるもんだ。

 まあ、母親のことしか知らない俺には少し理解しがたいことではあるのだけども。

 

「でね、お母さんに聞いたんだ。この世界には信じられないような綺麗なところや、見たこともない宝物や、不思議な生き物とかがたくさんたくさんあるって。それでお母さんは世界を冒険して、それでお父さんに出会ったんだって。それを話してくれたときのお母さんがとっても嬉しそうで、綺麗で……私もそんなことしたいなって……」

 

「そうかよ……」

 

 目をキラキラさせながら話すヴィエッタに俺はそれ以上言えなかった。思った以上にこいつが普通だったから。

 母親がいて父親がいて、それでこいつは幸せな子供時代を持ってたわけだ。

 それが今は奴隷娼婦か……

 聞くまでもなく、胸くそ悪いストーリーが待っていることを俺は予感できたから。

 そのあと、ヴィエッタは少しだけ表情を翳らせたが、特に何も言わずに俺へと言った。

 

「紋次郎は言ってくれたよね? お前の好きなようにしろって! でも……私本当にどうしていいのかわからない。どうやって冒険者になればいいのかも分からないし、どうやって冒険すればいいのかも」

 

「おいおい、本当にノープランなのかよ。それで冒険者とか良く言ったな」

 

 本気で呆れてしまったが、ヴィエッタは薄く微笑んで俺に再び顔を近づけてきた。

 そして、上目使いで見上げてきやがった。

 これは何か嫌な予感しかしないが……

 まあ、案の定なことをヴィエッタは口にしたわけだけどもな。

 

「だからお願い紋次郎。私も紋次郎と一緒に旅をさせて。それで冒険者のことを教えて。お願い」

 

 しなを作るその立ち姿はでも……妖艶な娼婦のそれではなく、まだお転婆な少女のそれであったのだけれども。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 足らない言葉

「まあ、その、なんだ……。好きなようにしろって言ったのは俺だからな。ついてきたけりゃ勝手にすればいい。でも、俺らだって初心者(ルーキー)なんだ。別に指導とかレクチャーとかはしねえからな。それでいいな」

 

「うん」

 

 満面の笑みで頷くヴィエッタの表情は本当に幼く愛らしくて、とても男を虜にする娼婦とは思えない。

 いや、こいつのこんな一面もまた、男を惹き付けるひとつの魅力なのかもしれないな。良くはわからんが、庇護欲を駆り立てられるとでも言えばいいのか、確かにこいつに頼まれれば全部飲んでしまいそうだ。

 そう考えたら、こいつのいうことを聞いてしまったという現実に少しだけイラっとした。

 そんな俺の顔を見て、不思議そうに小首をかしげるヴィエッタ。

 まあ、もう放っておけばいいやと顔を背けたところへ、あの3人組が現れた。

 

「仲が良さそうで宜しいですわね、お兄様」

 

「別に仲良くしてたわけじゃねえけどな」

 

「めっちゃ仲良さそうだったよお兄さん!」

「誰が見てもくそお兄ちゃんたちラヴラヴだったよぉー。恋人だよ恋人!」

 

「はぁ?」

 

 何を言ってやがるのかこいつらは。ただ階段に座って話してただけだろうが。勘違いというか、名誉毀損甚だしすぎる。

 当のもう一人のヴィエッタも、良くわからないと言った体でやはり首を傾げていた。

 

「はあ、まあいいや。で、何の用だよ? ここから移動する算段でもついたってのか?」

 

 俺の言葉に、今度はオーユゥーンたちがしかめっ面に変わる。まあ、八方塞がりだってのはわかっていたけど、そういうことなんだろうな。

 案の定なことをオーユゥーンは言った。

 

「もう逃げ場はありませんわ。私たちには帰る場所はあの娼館しかありませんでしたもの」

 

「そうかよ、そりゃあ悪かったな、ぶっ壊しちまって」

 

「い、いえ、それはもう良いのですけれど」 

 

 咄嗟のこととはいえ、重力魔法なんてものをぶっ放してあの建物を全壊しちまったからな、流石にまずいことをしたと俺だって反省はしているんだ。

 

「だがまああれだ、お前らが病気の仲間を囲うためにあの寂れた娼館で暮らしていたってのはなんとなく分かる。だけど、ありゃあなんだ? くそムカつく聖騎士の連中もそうだけど、あの気持ち悪い怪物はいったいなんだ? なにか奴等に狙われる理由でもあるのか?」

 

 それを聞いた三人は顔を見合わせてから答えた。

 

「実際のところはわかりませんの。でも、聖騎士の方達にはもともと目をつけられておりましたのよ」

 

「なにかやらかしたのかよ」

 

「いいえ、その逆ですわね。あの聖騎士の方々は本当に横暴で、私たちだけではなく、町中で色々な問題を起こしておりましたの。急に暴力を振るわれたりですとか、店の物を勝手に持っていってしまったりですとか。私たちも強姦(レイプ)されたのは一人や二人じゃききませんわ」

 

「ひでえな、そりゃ」

 

 いくら商売女だといってもそれは無茶苦茶だ。そもそもやってることは全部犯罪だ。なんで野放しになっているのか全く理解できん。

 その答えのようなことをオーユゥーンが口にした。 

 

「ええ、でもこの町では彼らには逆らえませんの。流れの盗賊や、モンスター、それに隣国のギード公国からの奇襲の際は彼らが矢面に立つことになっておりますので。彼らは私たちの命の保証を盾にここでやりたい放題ですのよ」

 

「つまり連中がここの『警察兼裁判官兼軍隊』ってわけか。そいつらが犯罪してりゃ世話ねえな。呆れてなにも言えねえよ」

 

 俺の言葉に少し思案してから頷くオーユゥーン達。警察とかがなんのことか分からなかったのかもしれねえな。

 警察や軍の不正はいつだってどこだって起きるってことくらい分かりすぎるくらいに分かる。

 特に軍とかいうところに所属している連中と来たら、その行いたるや目を瞑りたくなること山のごとしだ。

 直近の大きな不祥事で言えば、ガリウム星系戦争だろうか。

 銀河連邦からの独立を掲げたガリウム星系の120の惑星・衛星に対し、連邦軍のマゼラン方面軍の一個師団が開戦。鎮圧戦争に突入したわけだけど、開戦直後から不穏な噂が出ていると思ったら、開戦から4年目にして強硬突入した先行艦隊の連中が住民の虐殺・暴行を繰り返している事実が明らかになった。

 最新鋭無人機による無差別殺戮の後に、揚陸部隊が突入し、標的にしたのが各地の退避所(シェルター)。女子供を狙ったその行為はまさに非人道的行為そのもので、非戦闘民の保護や捕虜の生命の保証などの宇宙戦争条約を甚だしく無視したものであった。

 多くの軍人が住民を蹂躙し、反抗する者は誰彼構わずに殺戮。そしてその事実を4年間、連邦軍はひた隠しにし続けていた上、発覚後も現場では惑星住民を強殺し続けていたらしい。

 とある惑星では全人口の9割が殺害され、生き残りも奴隷化していたなどとも言われているほどで、銀河連邦軍がいかに腐っているかを表しているとも言える。ちなみに、殺戮をされた側のガリウム解放軍に支持世論が集まって、他星系でも独立運動の兆しが見えはじめたこともあって、戦争は激化泥沼化。10年経った今でも尚戦争は継続しているはずだ。この戦争長期化をねらって、敢えて蛮行に及んだのじゃないかと思えるくらいにも、連邦軍部の行動は酷かった。

 とにかく軍が絡んでいるというならろくなもんじゃないと俺は確信しているということなんだけども。

 

 オーユゥーンは言葉を続ける。

 

「ですから私たちは彼らの言いなりに徹しておりましたのよ。何をされてもされるがままで、彼らに敵対しておりませんでしたもので、こうやって病の妹達を匿うこともできていたのですけれど……その代わり、彼らは本当になにもしてくれなくなりましたの」

 

「それで、お前らの仲間の娼婦が消えても連中は動かなかったわけだな。だからお前らがこそこそと事件を追ってたってわけか」

 

 コクりと頷くオーユゥーン。

 

「ええ、そうですわ。今までは彼らの要求さえ飲み続ければ命までとられることはありませんでしたもので……ですが、今日のは……」

 

「完全にお前らを殺そうとしていたよな……というか、多分あの化け物に何かさせようって感じだったな……まあ、大体察しはつくが、マジで胸くそ悪い」

 

 あいつらはあの化け物に女達を犯させて、それこそ化け物の子供でも産ませようって感じだった。

 種族が違うのにそんなことが可能なのかどうかは置いておくとしても、病人達の身体を使おうとしていたことからも多分急成長可能な生き物なんだろう。身籠ったのはいいけどすぐに母体が死んでしまう可能性もあるわけだからな、ひょっとしたら、『ペイリュウム培養槽』と同じくらいの成長速度なのかもしれない。あれなら半日で受精卵を成体の牛にまで育てられるしな。

 でもまあ、それを人に使おうとか考えてるというだけで虫酸が走るわけだけども。

 

「つまりお前らは、何もしていないのに連中に標的にされたってわけだ。マジでなんなんだ聖騎士は! 守りもしねえでやりたい放題で、これならいない方が何倍もマシだろうが」

 

「仰る通りですわね」

 

 速攻で同意を示すオーユゥーン達。

 

「ですが、別にすべての聖騎士の方々が悪というわけではありませんの。以前赴任されたらした方々はそれこそ品行方正そのもので、逆に私達の方がお会いしていて恐縮しておりましたくらいですし。現教皇『アマルカン』様がトップに立たれてから、聖騎士は良い方が増えたのですけれど、逆に恩赦で素行の悪い連中も聖騎士として取り立てられた時期がありまして、今この町にいるのはそんな連中らしいですわね。まあ、私の周囲の聖騎士はだいたいくずばかりでしたけれど」

 

 確かオーユゥーンは聖騎士に拉致監禁された過去があるんだったか。ひでぇはなしだ。

 

「ん? というか、『アマルカン』? アマルカンって、王都のアマルカン修道院のアマルカンか? アマルカンって人の名前だったのか?」

 

「そうですけれど……教皇様のお名前がアマルカン様で、アマルカン修道院は現教皇様が御即位なされてから作られた世界最大の修道院のことですわ。修道士、修道女、それに聖騎士や、治癒術士、薬士、神聖魔導士達の育成が主ですけれど、今は貴族の子弟も多く通われていると聞いたことがありますわね。でも一般人は立ち入ることも出来ない聖地だとも聞いておりますわ。お兄様はご用がございますの?」

 

「まあ、ちょっと頼まれ事をしているだけなんだけど……」

 

 俺は宿の鞄にしまったままの赤い刀身のダガーのことを思い出していた。

 フィアンナに頼まれて、まあ次いでだからと気軽に引き受けちまったが、そんな聖地とか呼ばれてる凄いとこだったなんて微塵も知らなかった。

 これはめっちゃ行きたくなくなってきた。

 

「紋次郎……王都に行くの?」

 

「ん? ああ」

 

 不意にヴィエッタにそう聞かれ頷くも、そういやこいつ俺たちに付いてきたいとか言ってたことを思い出す。

 きっとついて来たいんだろうが、今はそれどころじゃねえ。

 

「どっちにしてもだ、ここから逃げねえ限りはどこにも行けやしねえよ。ったくこっちは時間がないってのに、こんな面倒なことになりやがって……」

 

「時間がないって、どういうことですの?」

 

 オーユゥーンにそう聞かれ、俺は即答。

 

「明日の日暮れまでにヴィエッタを奴隷商人のところへ連れていかなきゃなんねえんだよ。ったく、せっかくヴィエッタをこうやって連れ出せたってのに、これじゃあ何時まで経ってもつれていけやしねえ」

 

「「「「え?」」」」

 

 その場の女が全員固まった。

 そしてしばらく顔を見合わせたあとで、再びオーユゥーンが口を開く。

 

「あ、あの。連れていくとはどういうことですの?」

 

「んあ? 連れていくって……そのまんまだよ。俺のつれ達が奴隷商人に捕まっちまっててな、奴等を解放する条件として、ヴィエッタを奴隷商人に引き渡す必要があるんだよ。」

 

「お、お兄様……それではヴィエッタさんは……」

 

 色々訊かれ面倒に思えてきたところだったのだが、とりあえずヴィエッタをあのくそ忌々しい商人に『一旦は』引き渡す必要があるんだ……と、言いかけたその時、唐突に俺の背後にいたヴィエッタが叫んだ。

 

「嘘つき! 紋次郎の嘘つき! 私を冒険者にしてくれるって、私と一緒に冒険してくれるって言ったじゃない!」

 

「おい、なんだよ急に……」

 

 振り向いて見れば、その相貌から止めどなく涙をながし続けながら俺を睨むヴィエッタの姿。別に長く一緒にいたわけではないが、こいつのぽわぽわした今までの感じとは全く別のその印象に俺は戸惑う。

 こいつはなんで急にこんな風になっちまってんだ?

 別に誰も一緒に付いてきちゃだめだとか言ってねえだろうが。

 ヴィエッタは肩を震わせたままでぎゅっと目を瞑って俺へと叫んだ。

 

「紋次郎の嘘つきっ! ばかーーーーっ!」

 

 あまりの大声に後ずさった俺の脇をすり抜けるように階段をかけ上がるヴィエッタ。そして彼女は階上の扉を開け放って外へと飛び出してしまった。

 

「あ、いけないっ! 今外に飛び出したらダメだよ!」

 

 シオンがそんなことを言いながら追いかける。

 俺も慌てて身を起こしてその後を追うも、なんで急にヴィエッタが逃げ出したのか本当に理解できなかった。

 そんな俺にオーユゥーンが並ぶ。

 

「お兄様、なぜあんなひどいことをおっしゃったのですか!?」

 

「ひどい?」

 

 オーユゥーンが語気も荒くそんなことを言ってくる。正直そんなことを言われる筋合いはないし、身に覚えもない。

 

「何がひどいってんだよ。別にただヴィエッタを奴隷商人のところに連れていくだけじゃねえか。そもそもそうしないと、捕まっちまった奴に掛けられた『死の契約(ダクネス・デスコントラクト)』が解除されねえんだから」

 

「そう……ですの? で、ではお兄様はヴィエッタさんを売り飛ばそうとかそういうことは……」

 

「はあっ!? するわけねえだろうがそんなこと! そもそも人を売り買いしているのにムカついたから、わざわざこんなしちめんどくさい誘拐紛いなことしてんだからよ」

 

 正直あの奴隷商人がもっとあの場で理不尽なことを宣っていれば……まあ、奴隷娼婦を買ってこいという時点で相当に理不尽なわけだが、身ぐるみ穿こうとしたり、殺そうとしたりしてくれば、それこそあの場で適当な魔法とニムのワンパンで事を納める(?)ことも十分可能であったのだ。

 でも、あそこまで言いように言われて心底ムカついたし、あの連中のやってること自体が胸くそ悪すぎたもんで、ぐうの音もでない状態で折檻してやろうってことで、わざわざヴィエッタゲットに走ったのだし。

 それで順当にヴィエッタを連れ出すことにも成功したから、さあ後はあいつらを……

 

 と思っていたところにこのイレギュラーの数々だ。

 本当にツイテナイどころの騒ぎじゃない。もはや不幸のどん底だ。

 しかもヴィエッタも逃げ出すし。

 

 そんな思考に嵌まった俺に再びオーユゥーン。

 

「では、お兄様はヴィエッタさんにそのことをお伝えなさっておられるのですね?」

 

「はあ? あたりまえだ……ろ……? あ、あれ?」

 

 えーっと、娼館でヴィエッタに会ったよな……、で、あいつに一緒に行きたいか聞いて、行きたいって言うから連れ出して、そんで……

 あ、あれ? 俺あいつに、ニムと鼠人(ラッチマン)助けるのに一緒に奴隷商館まで来てくれって、頼んだっけ?

 頼んで……

 

「あ、俺、ヴィエッタに一緒に奴隷商館に来てくれって頼んでねえわ」

 

「はいぃっ? お、お兄様?」

 

 すっとんきょうな声を上げるオーユゥーン。これはあれだ、全部俺が悪いって奴だな。

 

「それではヴィエッタさんが逃げ出して当たり前ですわ。さっきのお兄様の仰り様でしたら、ヴィエッタさんを捨てると言っているのと変わりませんでしたもの」

 

「そ、そう……なのか?」

 

 いや、ヤバイ。

 うん、ヤバイ。

 完全に俺がアウトだわ。

 俺は単純にあのクソ奴隷商人に一泡ふかせることだけが目的だったわけで、別にヴィエッタに酷いことをしようなんて微塵も思っていなかった。むしろ、不遇なあいつが一人立ちしたいってならそれを手伝ってやりたいってくらいには考えていたんだ、これ本当。

 なのに、この様か……ちゃんと話しておいたつもりだったのに。

 いや、あいつも悪い。あのくそアマ、初対面の俺に五体投地で従いやがったし、あれのせいで俺の考えは全部伝わってると思い込んじまった、くそ。

 

 いや、やっぱり俺が悪いな。

 思い込んでたのは俺だ。

 結果としてヴィエッタが逃げ出すきっかけを作っちまったんだから。

 

「くそったれ! とにかくヴィエッタを……」

 

 隠れ家そばの闇夜の路地をまっすぐに走る俺とオーユゥーン達3人。

 狭い路地とはいえ一本道。姿は見えないがヴィエッタが逃げるとしたらこっちの方向しかありえない。

 とにかく急いで追い付かなければ、メインストリートにでも出ようものなら、すぐに聖騎士に見つかっちまうだろう。

 そう思った時だった。

 

「『消失結界(ド・ディスペルフィールド)』‼」

 

「な、なんだ?」

 

 上方から女の声で魔法詠唱が行われた。それが意味するところを俺はすぐに察して、近くの柱に身を隠す。

 

「お前ら、すぐに攻撃されるぞ! 身を隠せ!」

 

「え?」

 

 理解できないといった感じのオーユゥーン達がもたもたしているそこへ、その矢は放たれた。

 

「ちぃっ! 伏せろ!」

 

 俺は一番手前にいたマコを突き飛ばすような形で押し倒す。それに倣ってではないが、シオンとオーユゥーンも咄嗟に身を翻した。それで間に合った。

 放たれた矢は轟音を響かせてさっきまで彼女たちが居た地面に衝突し爆裂する。

 明らかに威力強化されたそれだった。

 

「くそお兄ちゃん? どうなってんの?」

 

「んなの狙われているに決まってんだろうが。おら、こっちへ来い!」

 

「あん、乱暴だよぅ」

 

 呑気にそんなことを言っているマコの首根っこを引っ張って俺は先ほどの柱の陰に身を隠す。オーユゥーン達の塀の陰に身を寄せた。

 やつら、完全に俺の魔法を警戒して攻めてきやがったな。

 『消失結界(ド・ディスペルフィールド)』なんて、本来は出合い頭でしようするような魔法じゃない。結界の有効範囲は非常に狭く、しかもマナを強制停止させる関係上、消費魔力は馬鹿みたいに高いのだ。これの使い道は負性魔法を受けてしまった際に、それを打ち消し、かつ強化させて逆転を目指すために使用されるのだ。

 もっとも、さっき俺が精霊をふんじばるために使いもしたわけで、まったく別の用途がないわけでもないけど、いきなりはない。

 つまり、奴らは俺が魔法を使うことを知っている……そして、こうやってヴィエッタを追いかけていることも理解している相手ってこと……

 

「あの黒ずくめの連中かよ。くそがっ!」

 

「クソお兄ちゃんがクソって言っちゃだめじゃない? なに? 知ってる人なの?」

 

「ああ、まあ、多分あいつらだろうよ」

 

 俺とヴィエッタのことを知っていて、ずっと追いかけ続けている一人は強化弓使いの4人組とくれば……

 

 俺はその可能性と現実味の高さからもうあの連中に間違いないと確信をもって、暗がりに向かって叫んだ。

 

「いい加減にしろよお前ら。いったい俺らに何の恨みがあるってんだよ。なあ、『シシン』‼」

 

 暗がりで四つの影がのそりと動いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 標的は紋次郎

「え? シシンって……ひょっとして……?」

 

 不思議そうに俺を見上げるマコがそんなことをつぶやいた時、その暗がりから一人の長身の黒ずくめの男が音もなくにゅっと現れた。そしてゆっくり近づきながらその頭巾を剥いでいく。

 そこから現れたのは紛うことなきあの男の顔だった。奴は薄く笑いながら俺に視線を向けつつ右手で抱えた彼女を俺に見せるように持ち上げて見せた。

 

「旦那……ひでぇぜ、レベル1の戦士だとか嘘つきやがって。高レベルの魔術師(ソーサリー)だったんじゃねえか。すっかりその見た目に騙されちまったぜ」

 

「てめえ……ヴィエッタを狙ってやがったのかよ……よくも騙しやがったな」

 

「ん?」

 

 少し距離をおいて立ち止まったその男……シシンは少し小首を傾げた後に、小脇に抱えた気を失ったヴィエッタに視線を落としてから俺に向き直った。

 

「ああ……そう見えるわけね……まあ、そうだろうな、俺らはまだ何も言ってやしねえからな」

 

「なんのことだよ?」

 

 シシンの周りに三つの影が近づいて来る。

 彼らはそれぞれ、もう関係ないとでもいう感じで乱雑に被っていた頭巾を脱いだ。

 案の定そこにあったのは、ゴンゴウとヨザクとクロンの顔。彼らはただ黙って硬い表情のままでシシンの後ろに立った。

 そして再びシシンが口を開く。

 

「安心してくれ、今回ヴィエッタ嬢は関係ない。むしろ、ここにヴィエッタが関わってきたことに俺らが驚いているくらいだからな」

 

「じゃあ、なんなんだ? お前らは何が目的なんだよ。関係ないならヴィエッタを置いてとっととどっかに行ってくれ」

 

「おっと、そういうわけにもいかねえんだよ。なにしろ、俺らの目的は……」

 

 そこまで言ってシシンも表情を引き締めた。そして……

 

「俺らの標的は……あんただよ、旦那。それと二ムちゃんだ」

 

「はぁ?」

 

 思わず変な声が出ちまった。当然だ。

 よりによってなんで俺達なんだ? 

 普通に考えてそんなことはありえない。だって、俺はこいつらのことを今日の今日まで知らなかったんだから。

 そもそもこの街に着いたのは今日だし、こいつらに出会ったのもついさっき。

 しかもこいつらを雇ったのは俺達だ。

 それがどうしてこんな回りくどい事されて追いかけまわされることになるってんだよ。

 

「お前な……なにがどうなったら、そうなるんだよ。金欠で途方に暮れてたお前らをたまたま俺が雇ったんじゃねえか。それがどうして俺らを狙うことになるんだよ」

 

「逆に、俺らが標的(ターゲット)のあんたらを見張り続けていたとしたら? それと、たまたまを装ってあんたらに接触を図っていたとしたら……なんて、まあ、今どうのこうの言ったところで変わりはしねえんだけど、結局は最初からあんたらを捕まえようって思ってたわけだよ」

 

「その割りにゃぁ、随分と回りくどいことしてんじゃねえかよ。捕まえようってんならさっさと俺をふん縛っちまえば良かったろう? なのにこんなとこまで来てヴィエッタまで人質にとりやがって」

 

「良く言うぜ。魔法バンバンつかって俺らの奇襲を悉く躱しやがったくせに。おまけに二ムちゃんをあのバスカーのところに置いてきやがって……俺らはな、『あんたと二ムちゃんの二人を無傷のままで捕まえてこい』って命令されてたんだよ」

 

 そんなことをを言いながら、シシンは空いている左手で頭を掻いている。そして俺をじとっとした目で睨んできた。

 

「あんたの悪運だか、狙いだか、なんだか知らねえが、散々遊ばれたのは俺らの方だよ。あのなぁ、もう今だから言うが、あの酒宴の最中も俺らはあんたらに眠り薬を仕込んだり、毒の料理を用意したりしたんだぞ? なのにあんたはそれを喰いやしねえし、二ムちゃんは食ったり飲んだりしてもまったく平気だったしよ……旦那本当は俺らが狙ってたこと知ってたんだろ」

 

 不躾なことを言ってくるシシン。言い掛かり甚だしすぎる。

 それにしてもこいつらそんなことしてやがったのか。二ムはまあ何食ったって平気だけど、俺は下手したら死んでたんじゃねえかよ、こん畜生。

 バスカー……ってのはあの奴隷商人の名前なんだろうけど、そういやこいつら別にずっと一緒に居なくても良かったくせに、あの時ずっとついて来てやがったしな。なるほど、俺達を狙っていたから離れられなかったってわけか。そうなのに、俺はあの時素で二ムを置き去りにしちまったしな。こいつらからすれば俺と二ムの二人を同時に捕まえる必要があったのに分断しちまったからかなり泡を食ったんだろうな。

 現に別れた後こいつらは全員俺と行動を共にしているのに俺を捕まえようともしなかったしな。

 

「俺らはな、あの娼館でヴィエッタごとあんたを攫うつもりだったんだ。バスカーの野郎はヴィエッタに執心してるから差し出せばすんなり二ムちゃんを寄越すだろうし、メイヴのマリアンヌにはあんたが全部やったって罪を擦り付けて話を終らせようって算段だったんだよ。情事の後の気の抜けたあんたなら万が一にも問題はねえだろうって踏んでたんだがな。あんたが普通じゃあなさそうなことは薄々感づいていたからわざわざ慎重を期したってのに、まさか普通にヴィエッタを攫うとは思いもしなかったぜ」

 

「俺が悪いみたいに言ってんじゃねえよ。つまりあれか? 誰かがお前らに俺らの誘拐を依頼したってわけだな。金のため……じゃあねえな、俺はお前らと一緒にいたとき、2億ゴールドの手形をもってたんだ。金だけ欲しいならあの時俺を殺して奪えばいいんだからな。とすれば、お前らは依頼人かなりの『借り』があるのか、それか『弱み』を握られてるかのどっちかってとこだな。どうなんだよ」

 

 思ったことをツラツラ述べてみたのだが、目の前のシシンはみるみる表情をこわ張らせていく。

 

「旦那……そのことをどこで聞いたんだよ」

 

「はあ? 聞く分けねえだろうが、今の今まで俺は騙されてたってことすら知らなかったんだぞ? どこでどうやって誰に聞くってんだよ」

 

 シシンは冷や汗を頬に垂らしたままで言葉を続けた。

 

「まあ、いい……今はそんなことはどうでも。なあ旦那、俺はこう見えてお人よしの旦那の事が結構好きなんだよ。あまり手荒な真似はしたくねえんだ。あんたが凄腕の魔術師(ソーサリー)だったとしても、今はこうやってクロンが抑え込んで魔法も使えねえ状況だ。なあ、ここは大人しく俺らと一緒に来てくれねえか?」

 

 シシンは眉を下げて静かに俺へと話していた。その表情には多少の思いやりのようなものが感じられはしたが……

 

「つまりお前らはこう言いたいわけだな。『俺を連れて、バスカーって奴にヴィエッタを差し出して二ムも手に入れて、それで雇い主に俺達を突き出す……』と。断る……と言ったら?」

 

「死なねえ程度に殺す」

 

「そりゃあ、こええな」

 

 4人ともが武器をその手に握りしめて、俺に向かって殺気を放ってきた。完全に殺す気まんまんだ。

 まあ、金じゃねえ何かの動機で俺と二ムを狙ってるってことは分かったんだ。本当ならこのまま捕まってから二ムと合流ってのが一番楽な道なのかもしれねえが……

 俺はそう考えてからシシンが抱えているヴィエッタへと視線を移した。

 はっきりいって、ヴィエッタはただ巻き込まれただけにすぎない。

 あくまで標的は俺と二ムという話なんだからな。俺が二ムをあそこへ置いてきさえしなければ、ヴィエッタを買いになど出なければ、ヴィエッタを連れ去ったリしなければ……彼女は何も変わらずにまだあの店で生活出来ていたに違いない。

 だが、俺は連れ出してしまった。しかも半ば強引にだ。

 ヴィエッタが多少なりとも外の世界に興味を持っていて、自分でも娼婦を辞めたいと思っていたとしてもだ。

 きっかけを作ったのは全て俺。俺がいるいないで、彼女の人生は完全に変わってしまったのだ。

 そう思えた時、俺は決心がついた。

 このまますんなり終わらせていい訳じゃない。

 いや、このまま終わらせてはいけない。

 約束を……

 守らなければな……

 だから俺は宣言した。

 

「お前らには従わない」

 

「そうか、残念だよ。なら、死ね」

 

 一斉に連中は駆けだす。唯一クロンだけは口の中で何やら呪文を詠唱している。きっと消失結界を再度俺へと掛けようとでもしているのだろう、その時俺の周囲の空気が一気に重たい物に変わった気がした。

 マナが停止した。

 これにより魔法を唱えること出来なくなったわけだな……

 

 まあ、普通であればだが。

 

「『岩石弾(ド・ロックバレット)』!」

 

「な、なにっ! ばかなっ!」

 

 駆け寄る連中に向けて右手を伸ばし、そして詠唱していた魔法の一つを完成させてそれを顕現させた。

 俺の目の前に出現させたのは複数のバスケットボール大の岩石の塊。それを勢いよく連中に向けて発射した。

 シシンたちはそれを紙一重で躱してその場に停止する。クロンに至っては避けた先の足場が崩壊した関係か、そのまま建物から落下して姿が見えなくなっていた。

 使ったのは名前の通りの岩石の大砲のようなものだ。

 所謂水系魔法の『水弾(ミ・ウォーターバレット)』や、火の『火弾(カ・ファイアーボール)』のような射出系の攻撃魔法なのだが、結局のところこの魔法はただの物理攻撃となり、何かの付加属性があるわけではない。

 土系特有の空間操作によって、フィールド内の岩を圧縮変換して出現させ、さらに大気の密度を操って透明な大砲とし、そしてさらに超振動を加えることでそれを射出。

 まあ、やっていることはただそれだけのことなんだが、この一連の術式を組み合わせたのがこの『岩石弾(ド・ロックバレット)』であり、ただ岩石を飛ばしているだけなのだが、やはり消費魔力は非常に高いのだ。

 付加属性もなく、しかも消費魔力が高いこの手の魔法だからこそ、奇襲には最適ともいえるのだけどな。だって、頭の良い奴なら絶対こんな燃費悪い魔法いきなりつかわないもの。

 というか、土系魔法ってこんなのばっかだよな。初級魔法からして他の系統よりも複雑だし消費魔力は高いし。難易度では闇系に負けるけど、面倒くささなら全系統中ナンバーワンなんじゃないか?

 

 シシンたちを見れば、驚いた顔で俺を見ているが、まあ、いきなり魔法を放ったんだ、仕方ないだろうがな。

 

「おい、なんで俺が魔法を使えるんだって顔してるけど、そんなの当たり前だからな。そもそもお前らはさっき俺に一度『消失結界(ド・ディスペルフィールド)』を使ったんだ。もう一度それがくるってことくらい分かるに決まってんだろうが」

 

 俺は右手を突き出したまま再び呪文の詠唱に入る。そして、それが完成する前に奴らへと教えてやった。

 

「その魔法の効果時間はすごく短いんだよ。それこそほんの十数秒ってとこだ。だから、切れるタイミングを見計らって俺自身が俺の周囲を魔法結界で張ったんだ。後はご覧の通り。お前らの魔法は俺に届かず、俺は魔法結界を維持したまま、物理攻撃の岩石弾を撃ち出したってわけだ」

 

 別に本当に簡単な話だ。

 空間魔法である土系魔法の最大の効果範囲は術者の直近に他ならない。離れた位置から俺を狙うよりも、俺自身が自分の周りに魔法を展開した方がよっぽど効果は大きくなる。

 当然の展開だ。

 

「なあ、シシン。お前らが何をする気なのか知らねえけど、ひとまずヴィエッタを置いて帰ってくれねえか。話があるなら聞いてやるからよ」

 

 そう言ってみる。

 奴らは俺のことを魔術師だと思っているようだし、俺の使った魔法には一目置いているらしいこの状況だ。とりあえず形勢不利とか思っててくれれば俺の要求を飲んでくれるかもしれねえ。

 そう思っていた。

 だが……

 

「へへ……良い提案なんだが、そうもいかないんだよ。悪いがヴィエッタを返すわけにはいかねえ」

 

「てめえ」

 

 シシンたちは武器を構えたままで後ずさっていく。当然だがその手にはヴィエッタがいて、まるで盾の様に俺達もその身体を向けて来ていた。

 これじゃあ、何をやってもヴィエッタにも被害が及ぶ。うかつに攻撃できなくなっちまった。

 

 俺が躊躇していたそこへシシンの声。

 

「やっぱり旦那は一筋縄じゃいかねえみてえだな。ヴィエッタは預からせてもらう。なぁに、別に今は何もしやしねえよ、ただの人質だ。だけどな、返してほしかったら、明日の日の出に街の東の『大門の岩』まで来るんだ。おっと、旦那一人じゃダメだぜ。二ムちゃんと二人でだ。そうしたらこの娘は解放してやる。いいな、分かったな」

 

 そう念を押してくるシシン。

 

「お前はバカか? その二ムを取り返すのにヴィエッタを連れて来たんじゃねえかよ」

 

 と、言ってみるも……

 

「良く言うぜ。二ムちゃんを連れ出すだけならそれこそ旦那一人で余裕だろうによ。こっちの条件は変わらねえよ。明日の日の出に、大門の岩だ。もし遅れたらその時はヴィエッタを殺すことになるからな。いいな」

 

「おい、待てよ!」

 

 言った直後、シシンたちはまるで暗がりに溶け込むかのように音もなく消えていった。魔法を使ったのかとも思ったが、どうもあいつらは身体能力が飛びぬけているらしい。多分ただ素早く移動しただけなのだろう。

 

「くそがっ!」

 

 思わずそう吐き捨てた俺の後ろでは、オーユゥーン達が震えながら腰を抜かしてへたり込んでいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話 待ち伏せ

「お、お兄……様? あ、貴方様は……いったい」

 

「あん?」

 

 真っ青な顔で震えながらオーユゥーンが俺に問いかけて来ていたが、こいつ多分また俺のこと、賢者だとか魔法使いだとか言いそうな感じだな。マジでふざけんな、俺は童貞だけど、お前らに馬鹿にされるいわれもつもりもまったくねえんだからな。

 とか、そう思って見てみれば、オーユゥーンもシオンもマコも、完全に腰が砕けてしまっている。

 

「どうしたんだよ、お前ら?」

 

 何を遊んでいるんだと、そう思って聞いてみれば……

 

「どう……って、あ、あんな恐ろしい戦闘を見させられては、何も言葉もでませんわ」

「そ、そうだよ、お兄さん。お兄さんが凄い魔法使うってのは知ってたけどさ、あの魔法本当に凄すぎだよ」

「それにあのお兄ちゃんたち、『緋竜の爪』の人たちでしょ? 前に一度会ったことあるけど、あの人達すごく強いんだよ! たった5人でどっかの国の軍隊とやりあって勝ったとか言われてるし、それなのに、クソお兄ちゃん一人で追い払っちゃうなんて……」

 

 銘々好き勝手言ってやがるが……

 

「あのなぁ、俺だって好きであいつらとやりあった訳じゃねえし、マジで怖かったんだからな。ただ、ヴィエッタの奴を連れていかれたし、何もしなけりゃやられちまうって思ったから頑張っただけじゃねえか」

 

 あいつらは本気で俺を殺しに来やがった。

 そもそも初手のクロンの弓からして、着弾した石畳が爆裂四散してやがったし、死なないまでも余波だけで充分大ダメージ間違いなかったしな。

 俺だって多少は付き合いのあるあいつらだからって、中級魔法くらいまでに抑えちまったきらいはあるけど、あそこまで本気ならこっちも全力で奴らを潰しに行く必要があったかもしれない。いずれにしても後の祭りなんだが。

 ようやく少し力が戻ったのか、オーユゥーンが立ち上がりながら俺を振り返る。

 

「お兄様はいったいあの御方達とどんなご関係ですの? い、いえ、それよりもなぜお兄様は狙われてらっしゃいますの? 何か過去になさったのですか?」

 

「ん? あ、いや、えーと」

 

 オーユゥーンに尋ねられてふと考えてみる。

 俺何をしたっけ?

 

 確かに今までの俺の黒歴史を鑑みるに色々やらかした事実は多々あるわけなんだが……

 

 高校で物質転送装置の実験機を作った際に、練馬のカエルを府中に転送させようとして、誤って2000光年彼方のケプラー第6惑星のガナスティン高校の女子更衣室に送ったことがあって、なかなかカエルが現れないから急いで次元座標を調べた直後にカエルに取り付けた生体カメラの画像をモニターに映してみたら、そこに広がったのはほぼ裸のたくさんの女子高生の姿。

 公・然・盗・撮!

 慌ててたもんでダイレクトにいろいろ映してしまったわけだけど、あの時はクラスメートどころか国営放送のTV局の局長とか学会のお偉いさんとか、T京大学の学長とか、大統領とか、首相とかそんな面々がみんな見てる前の大失敗になったわけだ。

 当然だけど、全員絶句の上、俺はあまりの恥ずかしさにその場を逃亡したわけだけど、あのあと良く俺を入学させてくれたよ、T京大学は。学長の心の広さに感謝しかないわけだが、まあ、そのあとも色々やらかして結局は大学を辞めちゃったんだけどもな。はあ、思い出すだけで鬱になる。

 

 でもそれはこの世界にくる前だしな。シシン達が俺達と同じように転移してきたってんなら知っているかもだけど、こっちの世界限定ってなると、まだ2ヶ月未満の滞在だしなー。

 こっちでやった事と言ったら、頑張ってモンスター倒して、レベル上がらなくて鬱々として……

 あと他になんかやったか?

 俺はもう二度と恥を掻きたくないから一念発起して真面目一辺倒でやってきたんだ。

 ギルドの収集クエストとかだってきちんとこなしてたし、ちゃんと依頼人に報酬を貰うときだってお礼も言った。

 それに討伐クエストとかだって、パーティメンバーに迷惑はかけたけど、全部きちんと倒してきたはずだ。

 あとは、フィアンナの依頼でたんまり金をもらったってとこくらいだけど、あの金だってほぼフィアンナのポケットマネーだって話だし、因縁つけられる謂れはない……はずだ!

 あとは……

 

 うん、別になにもねえな。誰にも迷惑かけてねえし、誰かに恨みを買うようなことだってしてやしねえ。

 あ、お墓を水浸しにしたくらいか? でもあの墓、アルドバルディンの連中とは縁も所縁もない墓だって言ってたし別に問題ないだろう。

 

 いろいろ考えてはみたが……結論。

 

「うん、別になにもしてねえな。俺は今までずっと真面目に冒険者やってただけだ」

 

 そう言い切ってみたのだが、何やらオーユゥーン達の視線が冷たい感じがする。

 お前ら全然信じてねえなその目は。っていうか、人をそんな目で見てはいけませんよ!

 

「そう……ですの……? そうだとしてもですわ、お兄様。これは大変な事態ですわ」

 

 オーユゥーンが大きな胸をたわわんと揺らしながらそんなことを言ってくるのだが。

 

「そんなことは分かってんだよ。ったく、これで振り出しじゃねえか」

 

 ああ、マジで頭が痛い。

 シシンの言葉の通りなら始めからあいつらは俺とニムを狙っていたってことになるわけで、ヴィエッタを返して欲しければニムと俺の二人で来いと言いやがった。

 元より、ニムを引っ張り出すだけなら俺一人でも十分行けそうな感じだ。

 なにしろ今は土魔法使いたい放題真っ最中だしな。

 仮に連中が万全を期して俺を待ち構えているにしても、今の俺なら全力の上級魔法であの奴隷商館を『握《○》り《○》潰《○》す《○》』ことも可能、反撃を受ける前に全員を土に埋めてしまうことだってできるわけだし。

 でもなぁ。結局俺とニムが行ったところでどうせあいつらと、あいつらの仲間が待ち構えているんだろうし本気でヴィエッタを解放するとも思えない。

 そもそもそのいるであろう仲間の情報を俺は一切持っていないのだ。これほど不利な話はあるまい。

 

「うーん、さてどうするか……このまま連中を追ってヴィエッタを取り返そうと思ったところで、どうせあいつらに追い付くことなんてできやしねえだろうし、かといって、このまま時間を潰していてもなあ……」

 

 そんな風に悩んでいた時だった。

 シオンが俺のそばまで駆け寄ってきて、そして俺の手をとった。

 

「お兄さん! 行こうよ! ヴィエッタちゃんを助けに!」

「そうだよくそお兄ちゃん! ヴィエッタちゃん、くそお兄ちゃんのこと本気みたいだったよ! 男だったらここは助けに行くとこでしょ!」

 

「お前らな……」

 

 身を乗り出してそんなことを言ってくるシオンとマコに気圧されつつも、これはやはりすぐに追いかけた方がいいかなと思いかけたその時、もう一人が口を開いた。

 

「貴女達落ち着きなさいな。拙速に行動してはだめですわ。そもそも今私たちも聖騎士に追われている身の上ですし、あの隠れ家に妹達を残したままでおりますのよ。相手は期日を指定してきたのですから、今はまずは戻るべきですわ」

 

「オーユゥーン姉……」「うう……」

 

 項垂れる二人はぐうの音も出ないのか、そのまま黙りこんでしまった。まあ、妥当な意見だとは俺も思う。

 そしてオーユゥーンは俺を申し訳なさそうに伏し目がちに見てきた。

 

「お兄様には申し訳ございませんが、今はそういうことですので私たちはこれで一度戻らせていただきますわ。本当はこのままお兄様にも一緒に戻って欲しいのですけれど……」

 

 そんなことを言うオーユゥーンに俺は即答した。

 

「俺も一緒に行く」

 

「「「え?」」」

 

 おどろいた様子の三人に俺は続けていった。

 

「いや、オーユゥーンの言う通りだろう。今追うよりも必ず現れるその時にそこへ向かった方が探す手間がなくていい。それよりも、今は現状を再確認する方が先だからな。どうも何か俺の知らないところで蠢いてやがるみたいだしな……まあ、だからとりあえずはお前らのところへ行ってやるよ」

 

 俺とニムを狙うなんて、いったいどこの酔狂な奴なのかわからないが、このタイミングで動き出したあの不良聖騎士どものことや、娼婦達の誘拐事件、それにあの気色悪い怪物の存在……どう考えてもここで何かの事件がおこっているに決まっている。

 頭の悪い俺にだってそれくらいは分かるさ。

 いろいろ考えてた俺を、連中が変な目で見ているのだが、こいつら本当に俺をバカにしてやがるんじゃなかろうな?

 

「なんだよ」

 

「い、いえ……お兄様が本当にいろいろ考えてらっしゃるので……あの、別に普段なにも考えてなさそうですとかそんなことではなくて、ヴィエッタさんを後回しにされたことに素直に驚いてしまいまして……」

 

 しどろもどろでそんなことを言うオーユゥーン。

 

「なんだよ、俺だって少しは考えるに決まってんだろうが。あんまなめんじゃねえよ」

 

 と、少し強気に言ってみる。

 まあ、こんな時くらいしか自分の正当性を強調できないのは物悲しいものがあるけどな。

 

「で、ですから本当になにもお兄様を侮ってなど……」

 

「もういいからさっさと行くぞ」

 

「あ、お、お待ちくださいまし……」

 

 何やらまだ言いたそうな連中に何を言われるのか冷や冷やしたこともあって、俺は構わずに来た道を戻った。

 そんな俺の後ろを彼女達がトテトテと追従してきた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「何かおかしいですわ」

 

「ん?」

 

 最初にそう声を出したのはやはりオーユゥーンだった。この光のない闇夜にあってこの知覚能力は本当にすごいと思う。

 俺には目の前に何があるのかさっぱりだ。

 

「何がどうおかしい?」

 

 とにかくそう聞いてみれば静かにオーユゥーンが言った。

 

「戦闘の痕跡がありますわ。それと、この先に誰かが倒れていますわ」

 

「痕跡?」

 

 思わずそう聞き返してしまった。

 この道はついさっき隠れ家を飛び出したヴィエッタを追い掛けるときに素通りしたばかり。まだそれほど時間は経ってはいない。俺たちだってシシン達と多少戦いのようなことをしたわけだが、それにしたってこの短時間で戦闘がおこるとは考えにくいことだ。

 ひょっとしたら聖騎士の連中に嗅ぎ付かれてアジトが急襲されたのかも……なら、あそこにいた娼婦達は……

 

「なあ、オーユゥーン。倒れている奴ってのはなんだ? おまえの仲間の女の誰かか?」

 

 そう聞いて見ると、彼女は暗がりへとじっと視線を向け周囲を観察し始めた。そして。

 

「妹達……ではありませんわね。多分聖騎士ですわ」

 

「聖騎士?」

 

 どういうことだ? 襲ってきた聖騎士をあの女達が撃退したってことなのか? 着の身着のままでろくな武器だって持たずに逃げてきたってのにそんなことができるのかよ。

 それとも、俺たち以外にも更になにか居やがるってのかよ。

 オーユゥーンたちに、聖騎士に、シシン達。やめろよ、もうこれ以上面倒くさい連中とかかわり合いになりたくねえよ。

 

「あ、お兄様……何人かアジトの周りで隠れている者がいますわ。頭になにか……頭巾のようなものを被った人たちが……あ、ひょっとして『孤狼団』では……?」

 

「こ、孤狼団? どっかで聞いたような……あ」

 

 そうだ思い出した。

 シシン達だ!

 あいつらたしか、この辺りに出没するようになった新手の盗賊団を狩りに遥々王都からこの町まできたみたいな事言ってやがったな。

 今となってはあいつらの話自体全部信憑性の欠片もないわけだが、まさかここでそれが出てくるとはな。

 

「オーユゥーン。孤狼団ってのはなんだ? 有名なのか?」

 

 とにかく知っていそうなオーユゥーンへそう聞いて見ると、彼女はそれほど詳しくはありませんが、と前置きしてから話始めた。

 

「ここ最近現れるようになった盗賊ですわね。赤い頭巾を巻いているのが特徴で、この町に立ち寄った隊商(キャラバン)を狙う盗賊集団という風に聞いたことがありますわ。私のお客でも何人かその被害に遭われた様ですけれど、襲われても殆ど盗まれることがない上に、この町に住民で被害は出てないのでそれほど騒がれてはおりませんの」

 

「なんだそれは」

 

 襲っておいて盗まないのか? じゃあなんでわざわざ襲うんだよ、意味わからん。

 ただ、隊商(キャラバン)っていえば、かなりの人数で移動していて、それなりに高レベルの冒険者が護衛につくとかいう話を聞いたこともある。

 そんな連中を襲ってもまだ活動しているってことは、そいつらを圧倒する力を持った集団ってことになるわけだ。

 そんな奴等がこの周りにいる?

 実害がないっていうのもただの話の様だし、もし今俺たちを襲う気まんまんだとしたら? 

 

 背中に変な汗が流れるのを感じつつも、その可能性の場合の対応を含めていろいろ思案を始めたときだった。

 

「み、みんなっ!」

 

「おい、待て! シオン!」

 

 急に立ち上がったシオンがお構いなしにアジトへ向かって走っていく。こいつ他の娼婦が気になっていてもたってもいられなくなっちまったか、ちくしょうめ。

 慌てて俺も駆け出したのだが、もはやこれは突発事故状態だ。何の対応も対策もできやしない。でも、とにかくシオンを止めなくてはと、全力で走って彼女の背中に飛び付いた。

 

 と、その時……

 

 ひゅんっ!

 

 風切り音!

 

「きゃっ!」

 

 当然の様に矢が放たれてそれがどうやらシオンの腕にかすったらしい。彼女は倒れつつ短く悲鳴を漏らした。

 押し倒した直後に周りを見るも、辺りは闇夜に包まれていてまったく視界が効かない。このままじゃ無抵抗のまま射られるだけ……

 

 そう思ったとたん、俺は迷わず行動に移れた。

 

「すまん、さわるぞ!」

 

「え、ええ?」

 

 俺は転がっているシオンを仰向けになるように転がしてから、口のなかでそれを詠唱しながら彼女の右胸に手を当てた。

 一瞬びくりと身体を震わせたシオンだが、それは一瞬のことで後はされるがまま。

 俺はとにかく彼女の胸に自分の手をめり込ませたままでその魔法を完成させた。

 

「『閃光(ホーリー・フラッシュ)』!!」

 

「ぐぁっ!」「ぎゃっ!」「め、目がぁ!」

 

 俺が突きだした左手の先に光球が現れ、それが一気に輝いて周囲をまるで真昼のように明るく照らした。

 その魔法は先ほどシオンが俺を助けるために使用したそれと同じもの。だが、今回のはひと味違う。もともとの魔術式を俺が短縮、簡素化、強化したいわば、『閃光・改』とでも言っていいかもしれないもの。

 その輝きたるや通常魔法のそれとは比較にならないレベルで疑似太陽と言っても差し支えはないだろう。とにかく真夜中にこの明るさだ。夜目に慣れた連中には一たまりもないだろう。

 

「お、お兄様、目が見えませんわ」

 

「なにやってんのよ、くそおにいちゃーん! やるならやるって先に言ってよー!」

 

「お、おお、す、すまん」

 

 どうやら身内にも被害が出た模様。マジですまん。

 とりあえず見回して見れば、周囲に何やら頭に赤い布を巻いた冒険者風の連中の姿が。

 これは孤狼団で間違いなさそうだな。 

 みんな一様に目を抑え蹲っているところを見るに、かなり目が眩んでいるようだ。

 

「お、お兄さん? その……そろそろ手をどかして……くれない? やっぱちょっと恥ずかしい」

 

「ん? んんんっ!? うはっ! す、すまんっ!」

 

 言われて見れば俺は体重をかけるようにしてシオンの胸を鷲掴みにしたままだった。そこには真っ赤なになって視線を俺から外すシオンの顔。

 慌てて跳び跳ねるように退いて、彼女から身体を離したが、これは何も言い逃れできねえ。

 いや、もう謝るしかないな。本当にごめん。

 

 ヴィエッタに、どうもこいつらの精霊どもはこいつらの胸の辺りによくいるらしいことを聞いていたから、ものは試しでシオンの胸に触りながら魔法を詠唱してみたのだが、これが上手くいった。

 おかげであの光魔法が放てたわけだが、まあ、端から見れば倒れた女の胸を揉みしだくただの痴漢だわな。

 

 おっと、まだまったくの安全じゃなかったな。

 

「シオン見えてるな。ならマコの手を引いてアジトへ駆け込め」

 

「あ、はい」

 

 まだ魔法の輝きは続いているからアジトまでの道ははっきり分かるが、連中も次第に慣れてくればこちらをばっちり視認できてしまうともいうことだ。

 とにかく今はあそこまで辿りつかなくては。

 隠れている女達の安否確認が最優先だ。

 そう決心して、俺はオーユゥーンの手を強引に掴んでそのまま引っ張るようにして走った。

 赤頭巾の男どもはまだよたよたしているが、こちらには向かってきていない。

 よし、今のうちにあそこへ飛び込んで、そのあと建物全体を土で埋めちまおう。

 やつらの侵入さえ阻めば、まだ十分逃げられる。

 

 目算を立てつつ目の前のアジトのドアを見ながら全力疾走する俺たち。

 そして、さあ後数歩で扉に手がかかる……というその時。

 

 かちゃり……

 

「え?」

 

 扉が急に開いた。

 

 や、やばい!

 

 俺の中で非常事態警報がけたたましく鳴り響いていた。一応中に敵がいる可能性も視野にいれてはいた。だが、それは中に飛びこんでからの土魔法による泥の拘束を行うことで回避するつもりでいた。

 いるかどうか分からないのだから呪いは使えないし、大規模魔法では中の連中を全員巻き込んでしまう。だからこそ、いるかもしれない敵を泥に閉じ込めようとその魔法を準備していたのだが……

 このタイミングでは魔法が間に合わない。

 

 く、くそっ! 

 

 ど、どうすれば……

 

 片手でオーユゥーンを引いている以上もう片方の手しか使うことができない。魔法は使えない、なら、闘剣(グラディウス)か……

 結局それしか選択肢がないことを知りつつも、絶対に高レベルの相手には俺の剣が通らないことを分かっていた俺は、あえて剣へと伸ばしていた手を引っ込めた。

 そしてとにかく中へ入ることを優先して、体を丸めてそのまま開いた扉の中へと飛び込んだ。

 

 すると……

 

「あ、おかえりなさいっす。ご主人」

 

「え?」

 

 体当たりしたはずの俺達の身体を軽々と抱き止めたそいつは、なんてことはない風にそんな挨拶をするのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話 孤狼団

「なんでお前がここにいるんだよ、ニム」

 

「いやそれがですね、聞いてくださいよ」

 

 俺の目の前でニムがなんてことはないというように普通に話し始めようとしやがる。

 というか、おかしいだろこの状況。

 まず何が一番おかしいって、今の今まで俺たちはあの赤頭巾ども(こう言うと、何やら非常に可愛らしい襲撃者の様に聞こえるが、全員不細工なおっさんだ)に狙われてたんだぞ。

 それどころかシシン達も敵だったし、聖騎士とかいうヤクザにも追われてるんだぞ。

 そんな状況なのに、一番大人しくしていなきゃいけないはずのこいつがなんで目の前にいやがるんだよ。

 しかもこんな混沌とした状況下で!

 オーユゥーン達なんかは驚きすぎてもう言葉もないし。

 まあ、なにか言いたそうな感じだし、このまま聞けば状況が分かるかな? とか、そういう風に思い始めたところで、ニムを押し退けてその巨体がぬっと現れた。

 

「お、おわっ?」

 

 そいつは豊満というよりは単に太いその体をずいと俺に近づけると、その身体に似合った太い腕を俺へと伸ばしてそのまま俺の襟を締め上げるようにして持ち上げやがった。

 

「ふぅー、ふぅー……あんたがヴィエッタを誑かしたのかいっ?」

 

「ひ、ひぃっ!」

 

 ぎりぎりと俺の腕を締め上げつつ持ち上げるその巨体……というか、でっぷりしてるだけが……その女はいとも簡単に俺を力任せに持ち上げやがった。

 ひ、人を発砲スチロールくらいの感じで持ち上げやがって!

 これだから、レベル高い奴は嫌いなんだよ。

 

「は、放せよっ! そ、そういう言われ方は心外だ……まあ、連れ出したのは俺だけど」

 

「この盗人がぁ、さあさっさとヴィエッタを返すんだよ」

 

 巨体の女はふうふうと息を荒げながら俺の襟を締め上げてきていて超苦しい。

 

「い、今はいねえよ。連れ去られちまった」

 

「なんだってぇ! こ、この……この……ゴミカスがっ!」

 

 女はその顔をみるみる真っ赤に染め上げてそんな罵声を吐きつつそして握りしめたままの俺を持ち上げてそのまま一気に放ろうとしやがった。

 が、それをニムが寸前で割って入って女の腕を掴んで止める。

 

「おっと、マリアンヌさん。ご主人に乱暴するのは約束と違いやすぜ」

 

「は、放せっ! 放すんだよっ!」

 

 ぎりぎりと腕を締め上げるニムの力に抗えないのか、彼女はしばらく悶えるようにしていたがついに諦めて、だらんとその腕を放して下げた。だが、俺を睨む目だけはらんらんと輝き続けている。

 

 ひ、ひぃっ。

 

「えっと……ご主人ヴィエッタさんを連れ去られちまったんでやすかい?」

 

「ああ……シシン達にだよ。あいつら最初っから俺たちを狙ってたみたいでな……」

 

 きょとんとした顔でニムがそう尋ねてくるので思わずそう答えるも、あいつらの狙いはそもそも俺とニムで、ヴィエッタは狙ってたわけじゃないけど、人質として連れて行って……

 とか、その辺の話って説明するのが実はかなり難しいことに今更ながらに気づく。 

 だが、そんな一連の話のその前にだ。

 

「あのなぁ……正直、俺、今のこの状況まったく理解できてないんだが、そもそもなんで今お前がここにいるんだよ、それをまだ聞いてねえぞ、俺は」

 

 まずはそれだ。

 とにかく今の状況がおかしすぎる。

 隠れ家の廃屋に飛び込もうとした俺をニムに抱き止められ、そこにその豊満なデブ女が現れて俺を掴み上げて手を放して、そんで周りをみてみれば部屋内に佇むたくさんの赤い頭巾のおっさん達と、階段の下から心配そうにこっちを見つめてくるあの娼婦連中。それと、俺の背後を見れば、オーユゥーン達3人がまたもや驚いていて……うん、今日は驚く事ばかりだろうね、俺だってそうだもの。

 状況は本当に見えないが、そんな俺にニムが答えた。

 

「ワッチの話をする前に、まずはこの人達のことを紹介しやすね。赤い頭巾を被っているおじさん達は、『ヴィエッタちゃんFC(ファンクラブ)』こと『孤狼団』のみなさんで、この太った……、じゃない、ふくよかな女性がですね、ヴィエッタさんのオーナーで、孤狼団の『団長』でもある、『メイヴの微睡み』の【マリアンヌ】さんでーす」

 

「「「「「「うっすっ! ヴィエッタちゃんマジラブ!!!!」」」」」」

 

「ひぃッ!!」

 

 突然俺の目の前で赤ずきんのおっさん達が心臓を激しく叩きながら気を付けをしてそんなことを叫ぶもんで思わず悲鳴が漏れちまった。

 おっさん達みんな一様に頬を染めて、何やら恍惚としてはぁはぁしているのだが……

 

「えっと……ニム? 余計わからんのだが?」

 

「あのですね、この人たちみんなヴィエッタさんのお客さんでですね、みんな揃いも揃って寂しい独り身の……じゃなくてですねぃ、ヴィエッタちゃんのみを心から愛すると決めたさすらいのロンリーウルフさん達なんすよー」

 

「「「「「うっすっ!」」」」」

 

「ひぇっ!」

 

 だからその低音揃えるのマジでやめてってば!

 

「つまり……どういうこと?」

 

 本当に訳が分からずもう一度そう聞くと、ニムがあっけらかんと答えた。

 

「つまりっすね。みんなでヴィエッタちゃんを(かどわ)かしたご主人をぶち殺しにきたってことっすよー。いやだなーご主人、とっくに分かってる癖にワッチに言わせないでくださいよー」

 

 と、その声を受けて、そこにいた全ての(ロンリー)(ウルフ)()が俺へと鼻息荒く迫ってきたのであった。

 っていうか、ロンリーウルフが群れてんじゃねえよ、すでに意味が破綻しちゃってるだろうが!

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「つまり、あんたはバスカーの差し金で動いたってことで間違いないんだね」

 

「まあそういうことだよ」

 

 椅子に深く腰を沈めた俺は向かいのでかいソファーに座ってそのぶっとい足を不器用に組んでいる巨体の女にそう返事をした。

 それ組むの大変なら普通にしててくれよ。いちいち足組み替えんじゃねえよ、目の毒だ。俺の目の!

 

 とりあえずというか、俺は今例の隠れ家の空き部屋で孤狼団の連中に囲まれたまま、正面に座るマリアンヌから聴取を受けている真っ最中だ。

 とはいえ別に拘束されているわけでもないし、危害を加えられたわけでもない……まだ!

 いやでもまじこわい。

 そこで立ってる赤頭巾の連中めっちゃ俺を睨んでいるし、まだ俺なんにも悪いことしてないってのによ……あ、誘拐したんだから十分悪いってことか、とほほ。

 とにかく連中の殺気がすごすぎてすぐにでもチビりそうなんだけども。

 でも、こいつらの挙動、なんでこんなにぎこちないんだ? みんなして俺を睨むのは一緒なんだが、それぞれ話し合ったり、顔を見合ったりもしてないし、めいめい勝手に動いてる風だし。

 

 これはあれか? 

 アイドルのコンサートとかに現れる、一人でやってくる物静かな男みたいなやつか?

 ホールに入るまでは無言でおとなしいのに、いざ始まると髪を振り乱して周りが引くくらい応援ダンスを踊りまくるスーパーヘビー級のオタファン。

 一度だけ俺も秋葉原タウンの小さなライブハウスに行ったことがあるけど、そこで確かに周りの視線を全く気にしないで躍り狂うそのアイドルのファンの男を見たが、気持ち悪い……というよりも一周回ってむしろ清々しいとさえ思ったことを思い出す。

 うん、こいつらからは同じような匂いを感じるな。

 ってことはあれか? こいつらもみんなヴィエッタにお世話になったってやつなのかよ。

 うげ、あいついったい何人と寝てきやがったんだか。

 

「ご主人ご主人」

 

「なんだよ」

 

 隣のニムがちょいちょいつついてくるからそっちを見たら。

 

「ヴィエッタさんもう1000人切り余裕でこなしちゃったみたいですよ? これは同じ生業を身の上とするワッチとしてはめっちゃリスペクトっすよ!」

 

「あほかっ、奴隷娼婦と同じ生業なわけねえだろうが。そもそもお前は家電だろうが!」

 

「あ、でも、このワッチのボディは相当な経験値積んでましてですね……!」

 

「やめて! そういう話しマジで聞きたくないっ!」

 

 てめえニム、なんてこといいやがんだよ。

 そもそも俺はお前のボディの方の過去なんか知りたくねえってんだよ。俺はあの可憐な雰囲気だった時のお前にときめいてたってのに、そんな残酷な現実を俺に突きつけるのマジやめてってば。

 ニムは頭を抱えた俺の肩をポンポンと叩いて……

 

「あ、でもアソコは新品も新品の超名器の未使用品すから、どうかご安心を!」

 

 言って、ウインクしながらグッとサムズアップしてくるニム。

 

「てめえニム。俺の思考読みながらふざけてんじゃねえよ」

 

「だってご主人わかりやすすぎて可愛いんでやすもの。ふひ」

 

「てめえ……」

 

「いい加減にしないかいお前ら。話しているのはアタシなんだけどね」

 

「ひっ」

 

 ニムにからかわれて憤慨していた俺に、正面の巨女が睨みながらドスの効いた声で唸るように話してくる。

 いや、マジで怖いから、その顔。 

 女は大きくふうっとため息をつくと、椅子の背もたれを軋ませながらその身を大きく後ろへと傾けた。それ多分もうじき椅子が壊れるよ。

 

「まったく……こんな貧相な男のどこが良かったんだか……あの娘がアタシの言いつけを破ってまで逃げ出すなんて……」

 

「そりゃあマリアンヌさん。ご主人こうみえて相当に優しいっすからね! きっとヴィエッタさんご主人にときめいちゃったんでやんすよ! 濡れ濡れなんすよ」

 

「なんでだよ。俺は水なんかかけちゃいねえぞ」

 

 言いがかりがむかついたんでそう反論したのだが、目の前の女も周りの男どももみんなきょとんとした顔になってやがるし。なんだよ、そんな目で人を見るんじゃねえよ!

 

「もう、ご主人ってば本当に可愛いんでやんすからぁ! でも、外でそういう童貞丸分かり発言は止めた方がいいっすよ」

 

「う、うるせいよほっとけ。俺が童貞云々は今は関係ねえだろうが」

 

 本当にくそむかつくやつだ。

 よりによってこんな大勢の前で言いやがって。しかもなんだ? こいつらいきなり俺の事蔑んだような目で見やがって。そんなに非童貞はえらいのかよ。

 

 目の前のマリアンヌ……というより丸アンヌだなこいつは……まあいい、とにかくマリアンヌは咥えた煙草を深く吸い込んでから、それをまるでため息のように吐き出しつつ言った。

 

「とにかくだよ、お前がヴィエッタを攫った事実は間違いないんだ。この落し前はつけてもらうからね」

 

「うぐぅ」

 

 そう言われてはもう何も反論できない。

 どんな事情があるにせよ、俺は確かに人を攫ったしな、しかも人の持ち物を。

 あれ? そういや最初のきっかけはあの鼠人(ラッチマン)に財布盗まれて、犯罪されてムカついたからだったよな? で、今の俺は誘拐犯になったと……あれ? マジで本末転倒じゃね?

 いや、そこはあえて考えまい。そもそも奴隷娼婦なんて存在そのものがおかしいんだから。おかしいよね? きっと。

 

「何をすればいいんだよ」

 

 とにかくそう聞いてみれば、マリアンヌは即答した。

 

「言うまでもない。ヴィエッタを連れ戻して私のところまで連れてくるんだよ」

 

 さも当たり前とでもいう感じでそう話すマリアンヌ。確かに予想していた内容ではあるが、それだけでは俺には不十分だ。

 

「ヴィエッタを連れ帰ったらあんたはあいつをどうするんだよ」

 

「はんっ! そんなの決まっている。また元の娼婦に戻らせるだけさ」

 

 人を小馬鹿にしたように笑う丸い女。

 この反応も当たり前ではある。当たり前なんだがこれだけは言わなきゃいけないだろう。

 

「あのなぁ、ヴィエッタには夢があるんだぞ? それを叶えさせてやろうとか思わねえのかよ」

 

「はぁ?」

 

 一瞬きょとんとしたマリアンヌがその後唐突に哄笑した。

 そのあまりのけたたましさに俺は思わず仰け反るも、周囲に立つ男たちも一緒になってへらへらと笑っていやがるし。この女……声もでかいんだよ。

 暫く笑い少し落ち着いたのか、マリアンヌはふうふうと息を吸いながら口を開いた。

 

「ふぅ……まさかあの娘の話を真に受ける奴がいたなんてね……あんた……ヴィエッタに……あの真正の娼婦に冒険者なんて務まると思っているのかい? あんな小娘が出歩いたらそれこそ一晩で死ぬまで強姦されて殺されるにきまってるだろう?」

 

 そう問われ、俺は沈黙する。

 確かにあいつはエロエロな天然娼婦だった。俺に対してだって本気なのかわざとなのかは不明だが、何度となくアプローチしてきやがったしな。

 でも、そういうことじゃないんだ。

 あいつは俺に自分の『夢』を話した。

 誰も信じず、誰もがそれを笑った……現にこの目の前の女主人がそれをしたのだしな。

 きっと相当に傷ついてきていたはずだ。

 夢って奴は叶ってないからこその夢だ。まだ未完も未完で、入り口にだって立ってないかもしれない、そんなただの可能性でしかないものこそが夢だ。

 確かに人から見ればただの妄想や寝言の類だろうよ。でも、本人にとっては生きるための活力であり、希望となるものなんだ。それがどんなに大事であるのか……

 言うまでもないことだ。

 

「務まるかどうかなんか知らねえよ。最初から出来ねえのはあたりまえだろ、やったことねえんだから」

 

 俺のその答えにマリアンヌはムッとした表情に変わる。 

 そして語気を強めた。

 

「ムカつくことを言うガキだねぇ。あのなぁクソガキ、やりたいからってだけでやってたら世の中全部回らなくなるんだよ。剣も持ったことのない、争いごとなんてまるで出来ないヴィエッタに冒険者なんてできるわけないじゃないか。それにそもそもあの娘はアタシの持ちもんだよ。まだまだ働いてもらわなきゃならないんだ。お前みたいなどこの馬の骨とも分からない奴に言われる筋合いではないね」

 

「まあ、でも俺はヴィエッタと約束しちまったからな、『冒険者になる手伝いをしてやる』ってな」

 

「はあ、お話にならないねえ。ヴィエッタも大概だが、お前も相当に頭の中がお花畑だねえ」

 

「うるせいよ」

 

 心底呆れたといった感じで俺を見るマリアンヌ。

 奴は念を押すように俺へと言った。

 

「お前達が何を話したなんか関係ない。そもそもあの娘を攫っていったのはお前なんだ。それを緋竜の爪に横取りされようがされまいが関係はないんだ。さっさとヴィエッタをここに連れてくるんだよ」

 

 ギロリと睨むその視線には抗しがたい物が確かにあった。

 だが……ふと今の言葉にひっかかるものがあって、少し相手の顔をみていたのだが、今度は奴の方が顔を逸らす。

 そして、すっと立ち上がって、周囲に居た孤狼団の面々一人一人に指示を出していく。

 すると、連中は慌ただしくあっちへこっちへと移動を開始し始めた。そしてもう一言だけ口を開いた。

 

「さあ、とっとといきな。どんな手を使ってもいいから必ずここにヴィエッタを連れてくるんだよ。いいね」

 

 まるで俺たちを追い出したいかのようにそう早い口調で捲し立てるマリアンヌ。

 俺はそれに気づきつつも即答で返した。

 

「わかったよ……」

 

 俺は本当はもう一言言いたかったのが、今はそれをぐっとこらえて返事だけを送る。

 そして二ムに出ろと合図を送って一緒にその部屋を出た。

 室内にはどこか遠くを見つめた感じのマリアンヌが一人残った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話 ビッチ(機械)とビッチ達

「だいじょうぶですの? お兄様」「お兄さん!」「くそお兄ちゃん!」

 

 マリアンヌの聴取を終えた俺たちが部屋を出ると、そこにはオーユゥーンとシオン、マコと、それと丸い大きな耳をピョコピョコ揺らした鼠人(ラッチマン)の姿。

 こいつそういや女だったんだっけか? とりあえず見た感じは昨夜俺の財布を盗んだときと同じような紺の作業着のような平服で、もじもじとしながら俺を見上げてきていた。

 

「俺らは大丈夫だ」

 

 オーユゥーン達はなにやら心配そうに俺を見ているのだが、まずはこいつだろう。

 俺はその鼠人(ラッチマン)を見ながら声をかけた。

 

「あー、えーとあれだ、お前もまあ、無事で良かったな」

 

「あ……うん」

 

 その鼠人(ラッチマン)の女は何やらもじもじとしたまま俯いたままでいた。

 そして再びあの言葉を言う。

 

「あの……本当に……ごめん」

 

「お、おお……まあ、別に気にすんな、済んだ話だ」

 

 顔を上げないので俺からだとどんな表情なのか窺い知ることはできないけど、結構しんどそうではある。まあ当然だろうけどな。

 結果として、まさか盗みを働いた相手に助けられることになるなんて夢にも思わなかったのだろうし、いたたまれなさここに極まれりだろう。

 それは俺だって同じで、もう本当になんでもいいから気にしないでいろよと思いながら顔を振ってみれば、そこにはへらへらとしたニムの顔。

 

「おいニムてめえ」

 

「あい?」

 

 こいつ、きょとんとすっとぼけた顔をしていやがるし。

 

「お前な……肝心なことまだ話してねえじゃねえかよ。そもそもなんでお前……とこいつはここに居るんだよ! あの奴隷商人のとこにいるはずじゃないのかよ」

 

「あれぇ? そのへんのことまだ話してませんでしたっけ?」

 

 とか、小首を傾げてそんなことを宣うニム。

 

「ボケてんじゃねえよ、まだも何も何一つ話してねえじゃねえか。賭けの期日は明日の日暮れだったはずだろうが」

 

「あー、それがですね聞いてくださいよご主人、ちょいと長くなるんでやすけどね」

 

 つい最近聞いたような台詞を再び吐いたニムが、俺に向き直って口を開いた。

 

「ご主人達が出ていった直後にですね、案の定であのおっさん達が下半身まっ裸で迫ってきやしてね、身に危険を感じやしたのでグーパンしてこの娘連れて逃げてきたって寸法でやす」

 

「めっちゃ短いじゃねえかその話し。てか、とっとと言えよなその程度ならよ。何か問題がおきたんじゃねえかって心配になっちまったじゃねえか」

 

「えっ? ご主人そんなに心配してくれてたんでやすか? 超うれしいっす! ワッチもうご主人のためならなんでもできやすよー!」

 

「ちげーよバカ、こっちくんな鬱陶しい」

 

 まったくなんなんだよ今日は。ヴィエッタといい、オーユゥーンたちといい、みんな同じような反応しやがって。

 まあ、ニムの場合は平常運転なんだけども。

 

「で、あのマリアンヌとかいうでかい女と孤狼団の連中とはどう繋がるってんだよ。ってかそもそもあの赤ずきんの連中はなんなんだ。盗賊なのかよ?」

 

「え? 違いやすよ? さっき言ったじゃないっすか。あの人たちはヴィエッタさんのファンクラブの人たちで、純粋な気持ちで拐われたヴィエッタさんを探していただけっすよ」

 

 そもそもヴィエッタを探そうと思い立った動機が不純極まりない気がするのだが……まあ、いいか。

 話の続きをうながしてみればこんな感じだった。

 

 あの奴隷商館……確か店主はバスカーというらしいのだが、あそこを普通に出たニム達は、俺と同様に宿に向かったらしいのだが、そこに俺が帰っていないことでどうも探しに出たらしい。

 それで探しているうちにあのマリアンヌ達と遭遇した様で……というか、赤頭巾のおっさん達の集団に自分から話しかけてヴィエッタを探していることを聞き出し、それなら俺と一緒にいるはずだよと、わざわざ教えてやった挙句、自分の探索機能をフルに稼働させて俺の居場所を突き止めた……と、こういうわけだ。

 

 マジでふざけんな!

 

「お前なぁ……ヴィエッタを血眼になって探してる連中に俺の話しちゃったら、それこそ俺を殺しに行くに決まってんだろうが。もっと考えろよ」

 

「ちゃんと考えやしたよー? ご主人がピンチなら助っ人多い方がいいでやすし、この人たちかなり強いのでまさに最適かと……」

 

「すでに俺このおっさん達に殺されかけてんだけどな、お前やっぱり馬鹿だな」

 

 はあ、まったくニムの奴はマジでどうしようもねえな。

 とりあえず俺もシオン達も大したケガもしてねえから良かったものの、このおっさん達怒り狂ってたしな、一歩間違えてたらマジで殺されてたところだよ。

 ニムから聞いた話でもう少し補足すると、この孤狼団のおっさん達は普段は冒険者や街の衛士をやっている連中が多いようだ。

 まあ、すでに察しているが、全員ヴィエッタの客の上、完全にメロメロになっちまってるコアなファン達の様だな。給料の全てを使ってヴィエッタのところに通っている連中ばかりのようで、そんな連中はまさにマリアンヌからすれば上客と言えるのだろうな。

 そしてどいつが言い出しっぺなのかは知らないが、ヴィエッタを見守るためのシンボルとして赤い頭巾とヴィエッタだけを愛する証明として『孤狼(ロンリーウルフ)』とそれぞれが名乗り始めたようだ。

 それが集まって『孤狼団』! ううん、マジで意味が破綻しとる。

 で、なんでまた盗賊みたいに思われたかについては簡単で、ヴィエッタはやはり相当に人気が高く、それこそ街に立ち寄った大貴族や、大富豪なんかがすぐに見初めてヴィエッタを身請けしようとすることが多いらしく、当然マリアンヌはその全てを断っているのだが、怒り心頭になるのは当然孤狼(ロンリーウルフ)たち。一歩身を引いて、みんなのヴィエッタを守ると決めた彼らはこの時とばかり一致団結して、そんな傲慢なことを為そうとする者たちに正義の鉄槌を……と、まあ、なんだかんだでレベル30近い連中の集団らしいからな、その辺の傭兵や流しの冒険者風情じゃ相手にならないってことだろう。

 そんなことを繰り返しているうちに、『赤い頭巾の集団』→『孤狼団』→『盗賊集団』というロジックが成り立ってしまったというわけだ。

 こんな理由で王都まで陳情されて討伐隊を寄越されることになるなんてな、こいつらマジでアホだ。

 

「はあ、まあ概ね了解だ。とりあえずお前が居ればシシン達とも交渉できるしな。じゃあ、とりあえず明日の朝まで寝るかよ……ふぁあああ」

 

「ちょ、ちょっとお兄様!?」

 

「なんだよ?」

 

 ニムもいるし話も理解したからとりあえず寝ようかと思ったのだが、そんな俺にオーユゥーンが慌てた感じで声をかけてきた。

 

「な、何を呑気に眠ろうとなさっておられるのですか? ヴィエッタさんが心配ではないのですか? そ、それにこのお連れのお嬢様は確か、死の契約に蝕まれていて、それを解除するためにもヴィエッタさんが必要だったとかおっしゃられていたではありませんか」

 

「わわぁっ! お嬢様ですってよ! そんなふうに言われるなんてワッチめっちゃうれしいっすよぅー」

 

「そんなんで喜んでんじゃねえよ、てめえが女の容姿だからそう言われただけじゃねえかよ」

 

「『てめえ』呼ばわりされるよりよっぽどいいっすけどね」

 

「それは俺に対しての当てつけか?」

 

「ご主人は別にいいっすよ? もう諦めてやすから」

 

「てめえ……」

 

 にこりとしながらそんなことを言いやがるし。この野郎は絶対ずっとてめえ呼ばわりし続けてやるからな。

 

「あ、あの、お兄様?」

 

「お、おお?」

 

 怪訝そうな顔のオーユゥーンの声で我に返る。いかんいかん、ニムのせいで調子が狂わされっぱなしだ。

 俺は改めてオーユゥーン達へと向き直った。

 

「簡単に言うと、こいつには『死の契約(ダクネス・デスコントラクト)』は効かねえってだけだ、以上」

 

「以上って……え? え?」

 

 不思議そうに俺たちを見てくる連中だが、別に詳しく話すまでもないだろう。結局は効かないってだけなんだから。あの魔法は術を掛けられた対象が契約に違反したらその心臓が止められるっていう変な魔法だ。そう聞くと怖い感じだけど、ニムには関係ない。なにせ心臓はないからな。

 

「ニムはドロイドだからな、普通の人間とは違うから心配いらねえんだよ」

 

「ど、ドロイド……? それはどんな種族なのですか?」

 

 ほらね?

 普通に説明したってこいつら全然理解できないんだもの。

 ニムだってずっとニコニコしたままで説明しようともしていないし、なんで本人がそれなのに俺が説明しなきゃいけないんだよ、面倒くさい。

 

「まあ、だから問題ないから気にすんなってことだ」

 

 オーユゥーン達はまったく納得した感じではないのだが、しぶしぶと言った具合で頷いた。

 と、そこへニムが……

 

「改めましてこんばんわっす。ワッチは形式番号SH-026、ご主人にニムと名付けていただきやした現在身体がラヴドールの家電っす。皆さんも気軽にニムと呼んでくださいね」

 

 と自己紹介をしたのだが、はっきり言って全ての用語が理解できてない感じ。お前な……余計ややこしくなるから余計なこと言うのやめろっての。

 そんなニムに、慌てた感じでオーユゥーン達も挨拶をした。

 

「ワタクシはオーユゥーンと申します。私たちはお兄様に返しきれないくらいの御恩がありますの。一生をかけてワタクシたちはお兄様に尽くさせていただく所存ですわ」

「わたしはシオン。お兄さんのためならなんでもするよ」「私はマコだよぉ。マコもねマコもね、クソお兄ちゃんに全部をあげたの! ニムお姐さん宜しくね」

 

「わわわ」

 

 ニムが驚いた顔になって俺の腕に飛びついてきた。

 

「なんだよ」

 

「ご、ご、ご主人、いつの間にこんなに可愛い人たちをペットにしちゃったんすか?」

 

「ペットってなんだよ人聞き悪い。俺がそんなことする分けねえじゃねえか」

 

「だ、だってですよ? ご主人なんて所詮は自家発電のスペシャリストってだけで、しじゅーはっての一つも会得してない只の童貞じゃないっすか! それがなんでこんな綺麗な百戦錬磨っぽいおねいさん達をモノにできちゃうんすか! ひょっとして隠れテクニシャン!?」

 

「ふぁっ!? にゃにゃにゃにを言ってんだよこの馬鹿! お、俺がそんなののスペシャリストな分けねえだろうが!」

 

「え? だって、いつも寝る前にワッチの背中側で……」

 

「あーーーーー!! 良い天気だなーーーー!! あああああああーーー!!」

 

「え? 今は夜っすよ? 何言ってんすか?」

 

「う、うるせいよ!」

 

 なんだよこの馬鹿は! マジでふざけんな個人情報をなんだと思ってやがる! くっそ、マジでムカつく。

 見ればオーユゥーン達が興味深々といった様子で頬を染めて俺をのぞき込んできているし。それで口々に『本当に童貞なの? 本当に?』とか聞こえているんだが。

 まったくこいつらは俺を馬鹿にしくさって。

 もう、本当に勘弁して。

 思わず顔を覆ってしゃがんでしまったのだが、そんな俺にオーユゥーン達が声をかけてきた。

 

「だ、だいじょうぶですわお兄様! 別に未経験でもなにも問題はありませんわ。寧ろワタクシは大歓迎ですわ!」

「そうだよお兄さん! 今時初物何てほとんどないし、わたしだったらいつでもOKだからね!」

「なんならマコたち3人で相手した上げてもいいよ、クソお兄ちゃん! あ、できたら最初はマコがいいな!」

「それいいっすね! ならワッチも混ざりやすよ! ええ、大丈夫っす、ワッチの超絶テクをみなさんに伝授いたしやすよ! じゃあ、さっそくご主人を快楽の天国へ送っちゃいやショー!」

「「「おおー‼」」」

 

「『おおー‼』じゃねえっ! っざけんなクソビッチども! ニムも一緒になってまとわりつ居てくんじゃねえ!」

 

 ニムとオーユゥーン達3人が同時に俺に抱き着いてくるのを俺は仰け反って本気で回避しようとするもなかなか離れやしねえし。

 そんな俺にシオンがずずいと顔を近づけてきて言った。

 

「ま、まさか最初はやっぱりヴィエッタちゃんがいいとか!? その為にヴィエッタちゃんを攫って……」

 

「だからちげーって言ってんだろうがっ!」

 

 もうこいつらはマジでなんなんだ! 本気でぶちきれるぞ俺は!

 

「だいたいお前らさっきまでそのヴィエッタのことを心配してたんじゃねえのかよ! なんでそんなに呑気な顔してやがんだよ」

 

 そう言った途端に、3人は顔をハッとさせてお互いみあっていた。

 

「た、確かにそうですわね。お兄様とイタシたいのは山々なのですけど、今はそれどころではありませんでしたわね」

「う、うん。そういえばそうだ……ね」「なんで、こんなに盛り上がっちゃったんだろう?」

 

 小首を傾げる3人に向かってニムが笑いながら言った。

 

「まあいいじゃないっすか! 楽しいのが一番っすよ、やっぱり!」

 

 なんてことはないと言った感じでへらへらしているニムがみんなを

 

「全部てめえが焚きつけたんじゃねえかよ!」

 

 俺の機械人形は平常運転過ぎる件、マジでクソ迷惑だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二話 金獣災害

「話が進まねえよ、何もねえならもう寝るからな俺は!」

 

「あ、すいやせん」

 

 ニムに引っ掻き回されて訳が分からない感じになってきたもんで俺はそう吠えた。

 当然だが、ここにいるのは俺たちだけではない。赤い頭巾の孤狼団のおっさんたちもいれば、ここまで一緒に逃げてきて娼婦連中もいる。それと、さっきからずっと黙っているが例の鼠人(ラッチマン)の女だってここにいるんだ。

 まったく状況をわきまえていないこいつらの言動の数々にその辺にいる連中の顔が不思議なものでも見るような目に変わっちまってるし。ええい、こっちみんなこんちくしょー。

 まあ、もう寝ちまえば良いってことだろう、気にせずにな。

 そう思って、適当に寝ころぼうと部屋の隅の方へ身体の向きを変えたとき、俺の背中をぐいと誰かに引っ張られた。

 

「ぐえっ。だ、誰だよ引っ張んな!」

 

「あ、すいやせん」

 

 再び謝るのはやっぱりニム。なんだよ俺に何か恨みでもあるのかよ。

 

「ご主人、ちょいと眠る前にですね、ふたつばっかしお話することがあるんすよ」

 

「なんなんだよ、まだあんのかよ」

 

 ニムは悪びれた風もないままに、俺の手を引っ張って赤ずきんのおっさんの間をスイスイと縫うように歩いて、この館の入り口でもある少しひろめのホールまで歩いた。

 他の女どもも追従してきているのを認めてからそのホールへと入ってみればそこには、見るのは二度目ともなる前衛的な石のオブジェの姿が……ってか、あれを石にしたのは俺なんだけどね。

 そこにあったのは、さっき聖騎士達が女達を襲わせようとさせていた得たいの知れない多眼多腕の怪物の姿。

 

「なんでこいつがここにあるんだよ」

 

 俺がそう言えば、ニムが振り返りつつ答えた。

 

「さっきご主人を探している最中に見つけたんでやすよ。崩壊した古い娼館にこれと、あと聖騎士の人たちの石像がいっぱい転がってたんでやすけど、とりあえずこれだけ運んできやした」

 

「なんで人間の方を無視してこんな気持ち悪いやつだけ拾ってきちゃうんだよ」

 

 ニムはそれにポット頬を赤らめさせて……

 

「え? だってですね、この姿ですよ? どう見てもぬめぬめの触手で女性をいろいろ辱しめちゃう感じの、まさにファンタジーなエロエロ生物じゃないっすか! これは是非体感をせねばと……」

 

「体感しようとするんじゃねえよ、このど阿呆がっ! まったくそんなしょうもない理由で拾ってきやがって」

 

 石化させた張本人の俺が言う台詞ではないが、ホントに拾ってくんじゃねえよ、気持ち悪い。

 見ろよ、その辺の女達はおろか、赤ずきんの孤狼団のおっさん達だって気持ち悪がっちまってんじゃねえか。

 だがニムはそんなことにはおかまいなしにテクテクとその怪物に向かって歩み寄って、そして徐にその股間から生えた触手のうちの一本を掴むとそれをボキリと折った。

 

 その瞬間に俺を含めた複数の周囲のあかずきんのおっさんが股間をぎゅっと握ったわけだが……おい、やめろよ。見ただけであれが引っ込んじゃっただろうが!

 

「ご主人見てくださいよこれ。これ多分、『γ(ガンマ)変異種幹細胞生物』っすよ。もしくはそれの近似の生物っす。それにこの生き物、もう『人の遺伝子』も取り込んじゃってやすね。これは『金獣』の再来かもしれやせんぜ」

 

「な、なんだとっ!」

 

 俺は股間を押さえたままで思わずそう叫んでしまった。

 そしてまだ石のままだが、ニムの手のひらの上にある、砕けてぼろぼろになったその触手の一部をつまみ上げて観察してみる。

 まあ、見ただけじゃわからないのだが、もしそうだとしたらとんでもない事実だ。

 

「確かかよ?」

 

「これ石にしたのご主人っすよね? 解除してくれればもっと詳しく調べられやすけど、細胞のならび方とか抽出できた塩基配列を見るに、十中八九間違いないっすよ」

 

「…………」

 

 ニムの発言に言葉もない。まさかこんな異世界でこれに遭遇することになるとは夢にも思わなかったな……

 ただ、その場で泡を食ったのは俺だけだったようだ。

 説明しているニムは理解しているから問題ないとして、他の連中にはそのγ変異種幹細胞生物という文言自体が理解できていないようだ。まあ、そりゃそうだな。

 俺は不思議そうに見てくるオーユゥーンたちへと言った。

 

「『γ変異種幹細胞生物』ってやつはな、要はひたすら分裂を繰り返して巨大化し続けることが出来る生物のことだ。それと『金獣』ってな、俺たちの住んでいた国……というか、星まるごとを破壊しようとした金色の怪獣達のことだよ」

 

「巨大……? か、怪獣?」

 

 オーユゥーン達はオウム返しでそうこぼすだけで殆ど反応できていない。まあ無理もないだろう。

 聞きなれない言葉だろうしな。

 『幹細胞生物』っていうのは所謂プラナリアのような、切っても潰しても、生きている細胞があるかぎり元の生体を形作ることの出来る生物のことだ。

 人間などと違い、すべての細胞に元の成体の設計図が組み込まれているために、たとえば半分に切ったとしても、そのそれぞれが復元して、それぞれが元の姿をとることが出来るのだ。

 そして『γ変異種幹細胞生物』というのは人類が太陽系外で初めて遭遇した生命体に対して付けた固有名称なのである。

 その存在の発見に当時の地球人は誰もが熱狂をあげたそうだが、話しはそんな良かったねな感じでは終わらなかった。

 このγ変異種の生物は地球の幹細胞生物に酷似した個体であったため、もとは同じ生命をルーツとしているのではないかなどと噂されていたのだが、そんな考えがある日『(破滅)』した。

 そう文字通り破滅だ。

 地球に持ち帰られたその生物の細胞は世界中の最新鋭の科学研究所に送られたわけだが、その悉くがが異常繁殖急成長をした上に、研究員を中心とした多くの人間をその体内に取り込んで急激に変化巨大化……あとは言うまでもあるまい、人の細胞を取り込んで巨大化したそれらは怪獣として暴れ狂った。その姿はたくさんの首を持った竜だとも、巨大な翼を持った怪鳥だとも、金色に光るエネルギーの塊だともいろいろ言われているが、そいつらにより地球は一度滅びかけたわけだ。

 最終的には連中は共食いを始め、最後に生き残ったもっとも巨大な個体についても人類が叡智を結集して作成した『細胞自壊ワクチン』をその体内に打ち込むことで滅ぼすことに成功した。

 これによって地球はその驚異から脱したわけだが、その陰に地球を祖とした触れ得ざる超怪獣の存在があったとかなかったとか……まあいい。

 とにかくほぼ完全破壊された地球が復興するのに200年もかかってしまったのだ。

 あんな破壊を再び起こしてはならないと、人類は『γ変異種幹細胞生物』に対して徹底調査、および、その封じ込めを行い、生物として永遠に存在を否定する国連決議も採択したのである。

 俺も当時の破壊跡でもある旧東京駅跡に行ってみたが、残されている足跡を見て震えあがったものだ。何しろ爪先からかかとまでで20mもあるのだ。全長は100mとも200mとも言われているが、宇宙開拓の黎明期の地球にあって惑星の完全破壊一歩手前まで追い込んだ生物なのである。

 マジで怖すぎる。

 

 こいつがそれだと?

 

 正直あまりの話にフリーズしていたのだが、そんな俺にやはりオーユゥーン達も動揺したようだ。

 

「お、お兄様!? そのか、カイジュウ? に、お兄様達の国は滅ぼされてしまったのですか?」

 

 そう聞かれ、いやそこまでではないとだけは言っておいた。だが、まあそれで払拭されることはないだろう。なにしろ目の前にあるんだからな、それだけの脅威を持った存在が。

 

「あ、でもですね。この個体はこの大きさが限界っぽいですね、遺伝子情報的に。なんというか巨大化因子がごっそりなくなってるんでやすよね。多分これ人為的にそうされてるっぽいですよ」

 

「ってことは、その遺伝情報が入った個体が産まれたら最期ってことじゃねえかよ。こいつの繁殖方法は?」

 

「見ての通りですよ。この個体は雄ですので、普通なら雌がいそうですけど、人間のDNAも含まれてやすから多分、普通に女性を犯せば子孫繁栄できそうな感じでやすね」

 

「そんな子孫繁栄本気でいらねえよ、マジで『金獣災害』の再現じゃねえか」

 

 しかも急成長するってやつだろ? これはすでに被害に遭ってる女性がたくさんいると思っておいた方がよさそうだな。でも……人為的にか……まさかとは思うが、γ変異種幹細胞生物を持ってきた俺たちみたいな異世界人がいたとでもいうのかな? 

 いや、別にそうとばかりは限らないだろう。なにしろこの世界には魔法がある。この怪物だって魔法で加工された合成生物(キメラ)なのかもしれないしな。魔法を使えば特定の物質を個体の体内から消失させることも容易なのだから。

 とすれば、たまたま同じような特性を持った生物を魔法的な何かで生み出したのがこれだということなのかもしれない。見た目もアーカイブで覗いた金獣のそれとかなり違うしな。この要旨は『怪獣』というよりむしろ『悪魔』だろうし。

 いろいろ考えても頭が痛くなるばかりだ。

 最悪この怪物を金獣と認識しておくとしても、じゃあ、どう対応すれば……

 この世界の高レベルの連中なら対応できるのか? いや、それはいくらなんでも荒唐無稽か。

 なにしろ金獣はあの当時最悪の破壊力を誇った、『ヘリウム3核融合爆弾』でも殺すことが出来なかったと言われているしな。いくらなんでも、瞬間とはいえ1000万度の高温にも耐えたという怪獣をこの世界の人間が殺せるとはさすがに思えないな。

 

「くそ、マジでとんでもねえ話だ」

 

「そうっすよねー」

 

 てめえが振ってきた話だろうが! 他人事みたいに相槌打ちやがって!

 でもしかたなし。別にこいつがこの怪物(仮)を誕生させたわけでもねえからな。

 俺はとりあえず今できそうなことをぱぱぱっと考えて、それをニムへと言づけた。

 まあ、何もしないよりはマシだって程度のことで、アイデア出すだけならすぐでも出来るしな。聞いたニムはピシィっと姿勢を正して敬礼して見せた。こいつ本当にやることわかってんのかな? まあ、いいか。

 俺は再びニムへと口を開いた。

 

「で、今の話が一つ目だよな? もう一つあるんだろ? あのバスカーとかって奴隷商人の話か?」

 

 そう聞いてみればニムはぶんぶん首を横に振った。

 

「違いやすよ? あの奴隷商人さんはワッチが軽くグーしたら気絶しちまいやして、そのまま放置しやしたから。あ。一応泥棒入るといけないんで、出た後に扉を変形させて開かないようにしておきやした」

 

「それ中の奴も出られなくて困っちゃう奴だからな、まあ、べつにどうでもいいけど。じゃあなんだよ?」

 

 そう聞けば、またもやニムに右腕をむんずと掴まれて、孤狼団の連中の合間を縫って引きずられていく。

 俺重たい荷物かなんかだっただろうか?

 そして連れていかれた先は、とある部屋の前で、その部屋の前には二人の赤ずきんの男が。

 その二人はニムを見るとすぐさま姿勢を正してさっきのニムと同じような敬礼をビシィッと返してきた。

 

「ニムの姐さん! 中の奴はさっきのままです。何も吐いてませんぜ」

 

「了解っす。この後はワッチらが話しますから、ちょいと通してもらいやすね」

 

「はいっ!」

 

 二人の男は屹立したまま再び敬礼。

 その間を俺とニムとオーユゥーン達が通るのだが、本当に何がどうなってこうなった?

 

「お前な……いったいどういうポジションなんだよお前は。何? ボスなのか? お前が親玉なのかよ?」

 

 そう問えば再び振り向いたニムが何てことないように言った。

 

「違いやすよ? 最初に赤ずきんさんたちに絡まれたところで、軽く撫でてあげやしたら皆さんこんなに優しくなりまして」

 

「そういうの可愛がりっていうからな。暴力だからな。やっちゃだめなやつだから」

 

「えへへ」

 

 ニムは口元にえくぼを浮かべてにこりと微笑んだ。

 笑って胡麻化そうとしてんじゃねえよ、この機械人形が! まったくどこでそんな撫で方覚えたんだかな。

 いい加減頭がくらくらしてきたが、とりあえずニムに言われるままに入ってみたこの室内には、縄でぐるぐる巻きにされた一人の若い男の姿があった。

 服装からしてどうも聖騎士のようだが、なんだこいつ、逃げ遅れてつかまっちまったってのか?

 

 そう思い、その男へと視線を向けていたら、男も顔を上げて俺と目が合って……

 

「あああああああああっ! あ、あなた様はっ!」

 

「なんだよ、うるせいなっ! いきなり叫ぶんじゃねえよ!」

 

 突然俺に向かって大声を上げたその聖騎士は、顔をくしゃっと歪めながら、拘束された身体を捻るようにして俺へとすり寄ってきた。そして。

 

「お、お願いですっ! 『賢者』様! どうか……どうか貴方様のお力で、ミンミを……いえ、娼婦のミンミさんを助けてください!」

 

 そういきなり泣きながら吠えた。

 

 ちらりと振り返ってみれば、そこにはやっぱりと言った感じで俺を見つめてくるオーユゥーン達の顔。ぽそぽそと、『やっぱりお兄様は賢者(ワイズマン)様……』とかそんな声も聞こえてくるし。

 

「お、俺は賢者じゃねえからなっ!」

 

 誰も返事をしてくれないその場で、ふっと入り口に目を向けてみれば、そこにはさっき俺が梅毒症状を治してやったミンミと呼ばれていた少女が立っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話 もう……寝る!

「ロ、ロイド……様?」

 

「えっ!? そ、その声は……、み、ミンミ! ミンミなのか?」

 

 入り口の戸脇に佇んでいたミンミが中で縛られている聖騎士を認めると同時にそう声を出した。そして聖騎士も驚いた様にその声に応じて答えている。

 え? ふたりってお知り合いだったのね。

 ミンミは恐る恐るといった様子でロイドと呼んだその聖騎士の元へと歩んでいく。

 そして、縛られて座ったままの彼の身体を抱き起した。

 

「ロイド様……どうしてこのような……いえ、どうしてここにお越しになられたのですか? もうとっくに王都へお戻りになられたのでは……」

 

 そう、か細い震える声で囁くミンミに、ロイドは声高に応じた。

 

「何を言うんだミンミ。君に約束したじゃないか! 僕は必ず君を迎えに来ると、必ず君を妻に迎えると! だからこうして僕はこの街へと戻って来たんじゃないか、それなのに……」

 

 ロイドはグッと唇を噛んだ。そして今度は少し恨めしそうな眼をしてミンミを見た。

 

「……それなのに、君は……僕に会ってくれなかった。いや、そればかりか、もう近づくなと、もう忘れろと他の娘に言わせたろ。僕は……僕はね……僕はそう言われて傷ついたんだ。あれは嘘だったのか? 僕を愛していると言ってくれたあの言葉は……あれは、ただの客の僕を店に通わせるためだけの方便だったのかっ!」

 

「ち、ちがっ……」

 

 言われた方のミンミもすぐに返そうとしてぎゅっと口を閉じてしまった。

 いきなり激しい剣幕で言われたこともあるだろうが、少なからず彼女にも思うところはあったということだろうか?

 そんな彼女の様子を見ながら再びロイドが口を開いた。

 

「僕は……僕はどうしてももう一度だけ君と会いたかった。君が僕を嫌ったのだとしても僕はどうしても君の言葉を聞きたかった。振られるなら……君の言葉で直接振られたかった。そう、僕には君が必要なんだ。前にも言った。僕の家は貴族と言っても父も母も死んで没落してしまった名ばかりの三流貴族さ、だれの目を気にする必要だってない。それに、君は憧れていたろ? 愛する人と二人の子供とあと小さな土蜥蜴(リザード)でも飼って慎ましく暮らしていきたいと。僕もだ。僕も同じなんだ。僕も君と同じように小さな幸せを追い求めて暮らしていきたいんだ」

 

 土蜥蜴(リザード)って可愛いのかよ……とか思ってしまったのは仕方あるまい。見たことないけど、多分イグアナみたいなやつだよな? うん、絶対可愛くない。

 涙ながらに滔々と思いを放すロイドをミンミは胸の前で手をぎゅっと握ったまま黙って聞いていた。

 

「なあミンミ! 頼むお願いだ。どうか言ってくれ、君の言葉で! 僕が嫌いだと、もう二度と会いたくないと! そしたら、そうしたら僕は……きっと君のことを……忘れられるから……」

 

「そんなのいやぁあ……いやだぁ……」

 

「え?」

 

 唐突に自分の顔を両手で覆って首を振り始めたミンミにロイドは面食らった顔に変わっている。

 そして声もなくただ見つめているそこへ、ミンミが静かに口を開いた。

 

「……き……なの……」

 

「え? え? ミンミごめん、よく聞こえなかった」

 

 ロイドは必死に身体を捩ってミンミへと近づこうとしているが上手く寄せることができていない。

 そして、体勢を崩しかけたその時、ミンミがその肩を抱いて、そして誰もが聞こえる大きな声で言った。泣きながら。

 

「好きなの! 私も好き、大好き……です。ロイド様のことを愛しています! 心から……心から愛しています!」

 

「ミンミ……?」

 

 ぎゅうっと抱きしめられながらロイドは少し困惑気に視線を泳がせている。だが、その口元は緩んできているし、頬も紅潮している。力いっぱい彼女に抱きしめられているし明らかに喜悦し始めているのがわかる状態だ。 

 とても甘くて心を打つ光景なんだけど……うん、なんだろう。なんだかめちゃくちゃムカついてきた。

 とりあえず俺の感情は置いておくとして、困惑した感じのロイドへオーユゥーンがその身体を近づけて話しかけた。

 

「ロイド様。ミンミのご無礼をどうかお許しくださいまし。実はミンミは重い病を患っておりましたのよ。ですので、ロイド様はおろか人前にも一切出ることはできませんでしたの」

 

「びょ、病気? だ、大丈夫なのか?」

 

 慌ててそう聞くロイドにミンミも泣きながらコクコク頷いて見せた。そしてちらりと俺に視線を送ってくる。

 ええいやめろ、こっちみんな。

 そしてオーユゥーンが続けた。

 

「ええ、病気のことは多分もう大丈夫ですわ。こちらにいらっしゃるお兄様が奇跡の魔法を使って治してくださいましたから」

 

 だからこっちみ……

 

「でも、死線をさまよっていたことには変わりませんの。ロイド様にお会いできなかったこと、この子も深く悔やんでおりますのよ。どうかそれをご理解くださいまし」

 

 そう言ったオーユゥーンがそっと離れると、今度はロイドが困った顔になってミンミを見る。そして震える声で彼女へと語った。

 

「そ、そんなことになっていたなんて……知らなかったとはいえ、僕は……僕はなんてことを君に……」

 

「そう言わないでください。私……私は今こうしてロイド様が来てくださったこと……ただそれだけで本当に幸せなんです。所詮私は下賤な娼婦の身。あなたのような素晴らしいお方に思って頂けるような身の上ではありません。ですのであなた様が私を打ち捨てられましても、私は後悔はいたしません」

 

「そんなこと絶対するもんか。ああ、ミンミ。君を愛している。心から愛しているよ」

 

「ああ……なんて嬉しい……私は……ミンミはこんな幸せを今まで感じたことはありません。ロイド様……心からお慕いしております」

 

 そして二人はきつくきつくギュッと抱き合ったのであった。

 なんだこれ?

 

「うう……すごくいいお話っすねー。ミンミさんはロイドさんを想って身を引こうとして、ロイドさんはミンミさんの為に自分の身分をかなぐり捨てて迎えにきたて……で、お互いすれ違ってたんでやすねー。なんかオー・ヘンリーの『賢者の贈り物』みたいですよねー、ねえ賢者様」

 

「だからうるせいよ。いちいち俺を賢者に仕立て上げようとすんじゃねえよ、この馬鹿」

 

 貧しい夫婦がお互いにクリスマスのプレゼントをしようと、夫は自分の懐中時計を質にいれて髪飾りを買って、妻は夫の為に髪を切ってそれを売ったお金で懐中時計用のチェーンを買ったと……お互いのこのすれ違いは愚かではあったけれどお互いを想う気持ちが結ばれ、もっとも気高く賢い行為であったと……そういう話だったかな?

 まあ、仲が本当に良いなら買う前に相談しようよと思っちゃったけどな、俺は。

 

 別にいいんじゃねえか? 二人が幸せそうならそれで。

 でも、なんだろうこのもやもやは。こいつら本気で幸せそうなのがちょっと許せないというか、ムカつくというか。

 

「あ、ご主人、人の幸せ羨ましがっても妬み僻みしか出ませんからね。素直におめでとーって思うにとめて、自分は自分で婚活頑張った方がいいっすよ。寂しかったらワッチもいますし」

 

「べ、べつに僻んでなんかな……、っていうか、マジで人の心読むのやめろ」

 

 こいつはいつでもどこでもいけしゃあしゃあと、本気で気分悪いぞ。

 でもまあこういうこともあるのか。

 ミンミは病気になる前は娼婦で色んな男の相手をしてたわけで、ロイドはそんな客の一人ってことだろ?

 普通なら恋愛に発展するどころか、いろんな要素が絡み合ってお互い疎遠になりそうなものだけど、このロイドって奴はそれでも一途に思い続けて本当に迎えに来たみたいだし、ミンミはミンミでやはりずっと思いを寄せていたってことだ。

 障害を乗り越えた先の愛ということなんだろうな。こいつらは本当に凄いよ。

 

 二ムの御蔭なのか変な感情が消えて素直にそう感心していたら、抱き合っていたロイドとミンミが二人揃って俺の前に進み出てきた。

 え? なんで俺?

 

「あ、あの賢者(ワイズマン)様。本当に……本当にありがとうございました。夕刻に盗賊から助けて頂いただけに留まらず、最愛のミンミの命まで救ってくださるとは……もうなんとお礼を申して良いのやらわかりません。本当にありがとうございました」

「ありがとうございました」

 

 ロイドが頭を下げるのに合わせて、ミンミも同じように頭を下げる。

 

「っていうか、違うからな? 俺はマジで賢者じゃねえから! ……っていうか、夕刻? 盗賊?」

 

 なんとなく嫌な感じを覚えてマジマジとロイドを見ていたら、唐突にロイドが大声で話始めた。

 

「はいっ! ここ最近娼婦の誘拐事件が多発していたこともあって、ミンミを探していた僕は虱潰しで娼婦たちの行方を追っていたのですが、所詮僕一人では救い出す人数にも限界があって、今日ももう少しで逃がした娼婦もろともあの盗賊たちの刀の錆になるところだったのですが、あの時貴方様の偉大な魔法によってせり上がった巨大なあの壁の……」

 

「ああ、あぁああああああ、おかしーなー? こえがおかしーなー? あーあーあー」

 

 『壁のおかげで』と続けようとしたロイドの言葉を俺は必死で胡麻化した。

 というか、二ムの視線が、『それ全然ごまかせてませんけどね』と言っていたがそんなことはどうでもいい。

 あんな平原と湖と山麓をなんでもお構いなしに巨大な壁と堀で分断しちまったんだ。あれが俺の所為だとか公言されたら、いや実際にやったのは俺なんだが、それでその後にあれやこれや損害賠償やら、原状復帰やら要求されたらもう目も当てられない。

 あれは天変地異で起きたただの自然現象。俺はあのタイミングでただ手をかざしただけ。

 俺は海を割ったモーゼみたいに、ちょっと『俺奇跡使えちゃうんだぜ』的に自慢たらたらで表に出たくはねえんだよ、こんちくしょう。

 ロイドは何やら不思議そうに俺を見ているのだが、そんなロイドにマコが近づいて、『クソお兄ちゃんは賢者(ワイズマン)だけど、普段は戦士って言いたいだけのただのかっこつけだから、ね? ね?』とか、丸聞こえ何だが。

 

「だから、俺は賢者(ワイズマン)じゃないと……」

 

「はいはい、わかってるわかってる!」

 

 マコがビッとサムズアップしてきやがったし、その隣で二ムが鼻を大きく膨らませて笑うのを耐えてやがるし。

 こいつら俺を舐め腐りやがって。

 そんな様子を見ながらロイドが再び口を開いた。

 

「では改めまして、ええと「あ、この方の名前は紋次郎様っすよ」……えー、も、モンジリョー様? ほ、本当にありがとうございました」

 

 はいモンジリョー来ましたー。俺紋次郎だけどね。

 

「だから別に大したことはしてねえからいいよ」

 

 これ本当。俺はマジで大したことしていない。というか、むしろやることなすこと全部片手間のついでだし。

 でもまあ、さっきそのミンミのことも無事に治療出来て良かったとは思ってるよ。

 これで梅毒とかじゃなくて、もっと破滅的な病気で手の施しようが無かったら今ロイドとはとても話なんか出来なかったからな。

 ロイドは恐縮至極といった具合でカチコチだったので、俺が逆に話しかけた。

 

「それにしてもクソばっかりの聖騎士しかしらなかったけど、お前みたいな真面目な奴もいたんだな」

 

 まあ、ジークフリードはノーカンだ。あいつは悪い奴じゃなかったけど真面目でもなかったからな。

 ロイドは俺を見ながら頭を掻いた。

 

「本当は身内の恥をさらすことになるので言いにくいことなのですが、今の聖騎士は質がかなり低下しているんです。現教皇アマルカン様がご即位なされてから、治安の維持と国内の布教を兼ねて聖騎士をかなりの数で採用したのですが、教育や訓練が間に合わないままに多くの『名ばかり聖騎士』が各所へと送り出されてしまったのです。まさに今のこの街がそれなのですが、無法者と化した聖騎士が溢れ実際に多くの事件が起きてしまっているのです。教皇庁や聖騎士団本部も対策に乗り出してはいるのですがすぐにとはいかず……」

 

「つまり、犯罪集団化しちまってるわけだな。よくある話だよ」

 

 聖騎士という名はあれど要は兵隊だろう。

 指揮系統、行動規範が明確でない兵団はどこの世界であっても危険なのだ。事実原隊を離れた兵員が問題を起こす事案は古今東西星の数ほどの数えきれない数の犯罪となって現れてしまってているのだ。

 そう考えれば、今この街で起きている聖騎士のヤクザ化も理解するのは容易いのだが。

 

 ロイドは俺の言葉に頷いて返した。

 

「僕は幹部として赴任しているため、多少彼らと距離を取れる立場でしたからこうして動きまわることが出来ていたのですが、詰め所で娼婦を狙う云々の話を聞いてしまったのでこうして急いでミンミ探しを始めたのです」

 

 そして色々聞いたのだが、ロイドはミンミを探す一環として娼婦の行方不明事件を追い、その結果この街の近郊の盗賊や無頼の商人、聖騎士の一部が関わっていることを突き止め、それぞれを独自に調査し、場合によってはすぐに救出に動いたりしていたようだ。

 夕べの救出はあわやという感じだったが、あの壁のおかげで逃げ果せることができ、一緒に逃げてきた女たちも今は安全な場所に身を隠しているのだという。

 

「娼婦の誘拐とあの怪物か……なんとなく展開は読めるが、これ、間違いなく裏で糸を引いてるやつがいるな」

 

「そっすね」

 

 自然発生的にあの怪物が誕生したなんて楽天的に考えたりは流石にしない。あれは間違いなく人為的に誰かが用意したものだ。

 それを聖騎士や盗賊なんかを使って、何かをやろうとしている奴がいる……それはいったい誰なんだ?

 このタイミングで俺と二ムをシシンたちを使って襲わせようって動きもあるわけだから、ひょっとしたら俺達二人を中心に事が動いている可能性もあるわけだが……さて……

 誰かに恨まれるようなことしたかな? うーん、思いつかないが。

 

「ま、ミンミさんとロイドさんも無事に結ばれやしたし、とりあえずこれで当面の話も見えたと思いますのでご主人、もう寝てもいいっすよ?」

 

「二ムお前な、ロイドとミンミのこと知っててあえて俺をここに引っ張ってきたろう」

 

「いえ、二人が結ばれるところを見たら、流石に年中賢者タイムの童貞なご主人でも、ムラムラっときてワッチに迫ってくれるかなとか思いやして……まあ、もともとお二人の関係には気づいてやしたけどね」

 

「誰が年中賢者タイムだ、ふざけんな! ってかオーユゥーン達もちょっと期待した感じで見てくるのマジやめろ」

 

 ちらっと見ればオーユゥーン、シオン、マコが俺へとにじり寄ってきているし。こいつら本気で俺をこけにしてやがるな! ん?

 そんな3人の脇にちらちらとやはり丸い耳が動いているのが見えて、視線を下げて見ればそこにいたのはあの鼠人(ラッチマン)。さっきまで結構沈鬱な表情だったんだが、今は何やら元気そうに見えるが。

 そんな彼女が見上げながら言った。

 

「なあ、ご主人さま。私もなんでもするからな。いくらでも命令してくれな」

 

 そんな感じで言ってくる幼女。

 こいつなりに反省というか、贖罪というか、色々思うところはあるんだろうな。

 こんな小さいなりで出来ることなんて大してないだろうし、いくらレアスキルがあるっていっても戦闘に参加させようなんて流石に思えないしな。

 でも、小さい子ががんばってこう言っているんだ、多少聞いてやる度量は見せないとな、俺は大人なんだし。

 俺はその鼠人(ラッチマン)の頭をくしゃくしゃっと撫でながら、しゃがんで視線を合わせて言った。

 

「分かったよ。俺を助けてくれな」

 

「うん!」

 

 満面の笑顔で大きく頷く彼女。そんな微笑ましい光景に心が癒されていくのを感じていた俺だったのだが……

 

「良かったですわね、【バネット】姉様。お兄様にお認め頂けて」

 

「うん、ありがとう! オーユゥーン」

 

「うふふ」「えへへ」

 

 ん? なんだこれ?

 なんでオーユゥーンが鼠人に敬語? ってか『姉様』?

 何やら嫌な予感にオーユゥーンを呼んで尋ねてみれば……

 

「私達はみんなバネット姉様には娼婦のいろはを教わりましたの。バネット姉様こそ『娼婦の中の娼婦』ですわ」

 

 大きな胸を更に張って俺へとそう宣言するオーユゥーン。つまり……

 

「お、お前も娼婦なのかよっ!」

 

「もう大分歳だから引退したけどな。よろしくな、ご主人様! えへへ」

 

「…………」

 

「おっ! ご主人、今度は『ロリババア属性』の娘っすか? モテモテじゃないっすか! ひゅーひゅー」

 

 二ムの訳のわからない冷やかしが虚しく宙に木霊した。

 ってか、また娼婦なのかよ。

 マジで孤狼団の赤ずきんのおっさんどもの視線が怖いし。

 

 どうでもいいや……

 

 もう……寝よう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話 闇の中(ヴィエッタside)

 ピチョン……

 

 ピチョン……

 

「ん……んん……?」

 

 何かひんやりしたものが顔に掛かったような気がして私は眼をゆっくりと開いた。

 でも、眼を開けたはずなのに景色が視界に入ってこない。おかしいな……と思いながら今度は少し体を動かそうとしてみたけど、何かで固定されているのか引っ掛かる感覚だけが腕や足にあり、動こうとしても体が動かない。

 それよりも力を込める度に痛みの信号がそこかしこから送られてきていて、それが縛られている所為だと気がつくのに暫くの時間が必要だった。

 そう私は縛られていた。

 手も足も、それにお腹から突き上げてくるような感じもあることから、多分腰や胸も何かで締め上げられているのだろうと予想した。 

 それと口も。

 鼻は押さえられていないようだけど、口が何かで覆われていることに気がついて、その為に無性に息苦しくなってしまった。

 周囲を見ることは相変わらず叶わないし、必死に呼吸をしようと口を開けようとしても何かに邪魔されてそれもできない。そのせいなのか、声もうなり声のような物の他は発することができなかった。 

 

 助けて! 

 お願い誰か助けて!

 

 呼吸の苦しさを感じたとたんに急に恐怖に襲われて、私は縛られたこの芋虫のような格好のままで叫べないまま絶叫していた。

 

「んーー! んんーーーーー!」

 

 助けてと叫びたいのに本当に声も何も出ない。そして自分が上を向いているのか、下を向いているのかも分からなくて、気がついたら左肩を何かに打ち付けていた。

 どうやら悶えている最中に転がって左肩から倒れこんだようだ。

 私は目隠しをされていることにこの時漸く気がついた。

 目と口を塞がれ全身を拘束されて本当に身動きができないことを悟り、そして私はすこしだけ冷静になれた。

 

 どうせ何もできないし、今は落ち着こう……

 

 そう思ったら呼吸も幾分か楽になった気がした。

 そしてどうしてこうなってしまったのか、まだ恐怖に支配されたままだったけど、少しずつ記憶を辿ってみて私は今度は強い後悔に苛まれることになってしまった。

 

 紋次郎……

 

 紋次郎……ごめんなさい。

 

「ひぐっ……んぐっ……」

 

 彼の顔を思い出して、唐突に両目から涙が溢れでた。嗚咽は止まらず、それのせいで呼吸も苦しかったけど、でも泣くのを止められなかった。

 

 彼が私を助けてくれると思っていた、彼を信じていた。それなのに……

 彼は仲間を救うために、私をその相手に『引き渡す』と言った。私は彼の仲間の人たちをたすけるためのただの『道具』。その時咄嗟に私はそう思ってしまった。

 彼が私を捨てたのだと。

 

 でも……

 

 そうじゃないことくらい、そんなことを紋次郎が思っていないことくらい、本当はとっくに気づいていたんだ。

 

 彼は私に聞いてくれた。

 

 『一緒に逃げるか?』……と、『おまえがどうしたいか……決めろ』……と。

 

 嬉しかった。本当に嬉しかった。

 

 それに紋次郎は私だけに手を差し伸べようとした訳じゃなかった。

 シオンさんやマコさんやオーユゥーンさん達にも私と同じように自分で考えるように諭していたし、病気だったミンミさん達みんなをなんの見返りも求めずに治してしまったし。

 みんなは紋次郎のことを『賢者(ワイズマン)』様と呼んでいたけれど本当にそうなのかもしれない。

 彼に見つめられて私は初めて自分で考えた。

 今までこんな風に私を『一人の人間』として扱ってくれた人はいなかったから。

 

『お前はここであたしの言うことだけを聞いていればいいんだよ』

『君はとても可愛いよ。もっと僕に尽くしておくれ』

『下手くそが! こんなに高い金を払ったんだ。もっと上手くやらんか』

『へえ、噂通りの美人だけど、愛想が悪いね。良い身体してるから50点かな、あはは』

『僕のモノは最高だろう? どうだい? 感じすぎちゃうだろう?』

『いいよいいよいいよ!もっともっともっともっとぉーー! ぶひぃっ! ぶひぶひっ』

 

 たくさんのお客さんが、たくさんの男の人たちが私を求めた。そして皆さんが私の身体を……私を使って愉しんだ。

 私はだから、そんな皆さんを悦ばせないといけないと、頑張った。頑張って頑張って頑張って、頑張ることで生きて、そして今日までずっとそれを繰り返してきた、ずっとそうしてきた……

 そうすることしかできなくて……そうするしかないと自分でも思っていたのだから……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 私は道具だった。

 ただお客さん達を満足させるためだけの、性処理をするための……

 あのお店ではずっとそうだった。

 ううん、そうじゃないか……

 マリアンヌさんに引き取られる前……お父さんを殺されて、あの薄暗い家の中に、お母さんと二人で閉じ込められたあの時から、私は男の人を悦ばせるだけの『ただの道具』になった。

 

 怖くて辛くて悲しくて……

 確かにいろいろな感情があの時までにはあった。でも……

 そんな気持ちの全てをあの場所で私は失ってしまったんだ。

 

『廃人』になった……と、あのとき私を犯していた男の人の一人が言っていたように思う。

 まるでずっと悪夢を見ていたようで、ただ下卑た男の人たちの笑う顔だけが目に焼き付いていた。そして、また誰かが言ったんだ。

 『こんな反応もしねえつまらねえガキ、さっさと捨てちまえ』……と。

 でも私はずっとそこに閉じ込められたままだった。

 毎日何人かが私の身体を(もてあそ)んだ。

 食べ物も祿に貰えず、ただ縛られたままで犯され続けるだけの日々。

 

 そんなある日、喧騒が轟いて眼を開けた先で、私を犯し続けていた男の人たちが、革の鎧を身に付けた、まるでいつか見たお父さんのような出で立ちの人たちに切られ、一人また一人と倒れていったんだ。

 彼らはそして黙ったままで私に衣を着せて、そこから連れ出した。そしてその家を出るときに私は見てしまった。

 

 まるでミイラの様に干からびてしまったあの綺麗だったお母さんの姿を……

 

 もう何も感じなかった。

 お母さんが死んでしまっていることは察していたし、きっと私と同じように、いえ、私よりももっと酷い目に遭っているだろうととっくに諦めてしまっていたから。

 

 ただ……本当に何も感じなくて、自分が生きているのか死んでいるのかも分からないままでいて、なんとなくふと気が付いた時、私はあの奴隷商館で娼婦になって男の人の相手をしていたんだ。

 どうして自分がそこにいるのか全然分からなくて、でも周りにも私と同じような奴隷の女の子たちがいて、それで私はそんな子達と娼婦として暮らし始めて……

 これが生きているということなのかどうかなんて分からなかったけど、でも毎日仕事を頑張ればご飯が食べられたし、他の子たちを助けてあげればお礼を言ってくれる子もいたし……

 そうして私はただ生き続けてきたんだ。

 

 そしてある日ふっと思い出した。

 

 お父さんの優しい笑顔を……

 お母さんの綺麗な横顔を……

 お父さんとお母さんと三人で暮らしていたあの森の家の幸せの時間を……

 

 --ヴィエッタ、お父さんとお母さんはね、一緒にたくさんの冒険をしたの。

 

 --お父さんはいつもお母さんを助けてくれたの。お父さんは世界で一番カッコイイ戦士なんだよ。お母さんの一番大事な人なの!。うふふ、だからヴィエッタにもあげないからね。

 

 --あ、あ、ごめんねヴィエッタ、お願い許してね。あなたにもいつか、あなただけの素敵な人がきっと現れるわ。

 

 --そうしたら……きっとね……

 

 きっと……

 

 きっと、私はその人を好きになる……

 

 そしてきっと、お母さんみたいに、あの優しい笑顔になって好きな人と幸せになれるんだ……

 

 そう……

 あの小さかった私は信じていた。

 

 私を優しく撫でてくれたあのお母さんはもういない。

 私とお母さんをいつでも見守ってくれたお父さんはもういない。

 そして……

 あの無垢だった純朴な小さな夢見る私ももういない……

 

 泣いた。

 あの地獄が終わってから初めて泣いた。

 犯され汚されて心を壊されて、そして奴隷娼婦になってしまってから、初めて自分が大事な全てを失ってしまったことに気が付いて泣いたんだ

 

 泣いて喚いて暴れて……

 気が狂ったようになった私を、奴隷商館の男の人たちが硬い棒で何度も殴った。

 その痛みも苦しみも全部が一緒くたになって私を襲い、そのまま死んで行くと……やっと楽になれるとそう思えたんだ。

 でも。

 

『簡単に死ぬんじゃないよ』

 

 私の耳元にそんな声が聞こえ、そして私は強い治癒魔法によって蘇生した。体の痛みは消え、目を開ければ、そこに居たのは冷たい視線で私を見下ろすマリアンヌさんの顔。

 私はそのとき悟ったのだ。

 

 ああ、私はこの人の道具になったのだ……と。

 

 もう……人ではないのだ……と。

 

 そして私はずっと道具を演じてきたんだ。それしかない……と。それが私の生きている意味なんだ……と。

 

 繰り返される毎日のなかで私はずっと娼婦だった。もうこうするしか生きていく道はないのだと思い続けていたし、実際にどんな夢も希望も叶わないということだけは理解してしまっていたから。

 ここから出たい。出て幸せになりたい。

 ここにいる誰もが見るそんな憧れや夢……そしてそれが叶わないということを理解し誰もが心を殺していく。

 

 そして何も考えず、思い出しもしなくなる……

 

 それが道具。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 うう……紋次郎……紋次郎っ! うう……ううっ……

 

 声もなく彼のことを思い出しながら私は再び泣いた。

 なぜあのとき彼に怒ってしまったのか。

 なぜこんなにも心が苦しいのか。

 

 私はもうただ死んだように生きるだけの『娼婦』だったはずなのに……

 なぜこんなにも彼のことで苦しくなってしまうのか……

 なぜこんなにも彼のことを考えてしまうのか……

 

 ずっと男の人の相手をし続けてきた。それこそ数えきれないくらいの数の人たちを。

 でも、こんな風な思いになったことは一度もなかった。

 優しい人もいた。

 たくましい人もいた。

 お金持ちの人も、頭のいい人も、面白いひとだって

いた。

 でも、紋次郎はそのどんな人とも違った。

 

 口が悪くて、すぐ怒って、そして私を罵った。

 なんて酷い人なんだろう。なんて怖い人なんだろうって思った。

 でも……

 彼は私に並んでくれたんだ。

 私を正面に見て、私を一人の人間として扱って、一人の対等な人として話しかけてくれた。

 それは情事の後の寝物語でも、私を落とそうとする口説き文句でも、私を連れ出そうという甘美な誘惑の囁きでも無かった。

 私を一人の人間として、一人のヴィエッタとして私を見据えて『おまえが決めろ』と……そう、言ってくれたんだ。

 

 それを聞いた時の内から沸き上がる熱に、痛いくらい胸が苦しくなった。

 自分は道具のはずだった。それなのに、なぜこの人は私を人として扱ってくれるのか。

 私は道具ではないの? 人でいていいの? わたしはまだ……

 

 夢を見てもいいの?

 

 刹那の時の中で私はその強い感情に全身を支配され、そして私は彼の手をとった。

 熱い手だった。

 お父さんのようなゴツゴツした逞しい手でも、お母さんの綺麗で優しい手とも違う、でも、その手の感触に心地よさに、私はあの幸せだったお父さんとお母さんと暮らした日々のことを思い出していた。

 そして思ったんだ。

 

 この人なら……この人となら私はもう一度……

 

 『夢』を見てもいいのかもしれない……

 

 と。

 

 だから……

 

 だからこれは『罰』なのだ。

 彼を信じ切ることが出来ずに、自分の弱さに負けて逃げ出してしまった私への重い重い……『罰』……

 

 あの時、思わず逃げ出して……そして少しだけ胸に痛みを覚えて戻ろうかと悩んだあの瞬間に、私は真っ黒な服を着たあの人たちに取り押さえられてそのまま意識を失った。

 紋次郎があれだけ身体を張って私を連れて逃げ続けてくれていたのに、そうだというのに私は彼の手を自分から放してしまった。それで身動きできないように縛られて……

 こんな馬鹿な話はない。

 彼を信じて、彼を頼って、彼に縋っていることしかできないこの私が、彼を突き放してしまった。自分ではなにもできないくせに、助けてくれた彼を拒絶するなんてなんて……なんて私は愚かだったんだろう……

 

「うう……ううう……」

 

 自分の嗚咽の声が耳を打つ。

 まるで他人の泣き声のようにも聞こえるそれを聞きながら、私は自分をののしり続けた。

 いつも見ることが出来る愛らしい幻のような小さな友人たちの姿も、今は見ることは叶わない。ただの暗闇……私の眼前にはただひたすらに『黒』の世界が広がるだけだった。

 

 

 ギギィイ……

 

「捕まえた女はここですよ。神父様」

 

 重たい金属が擦れるような音が空間全体に拡がって、それと同時に男性が声を出しながらこちらへと歩み寄ってきた。人数は二人……それとも三人? よくわからない。

 複数の足音が次第と大きく聞こえてきた。

 

 身体が強張り思わず呼吸を止める。恐怖に震えが止まらなくなって、でも震えているのを悟られてはいけないと必死に全身の筋肉を強張らせた。

 

 怖い……怖い怖い……

 

 私はあの狭く汚い部屋に閉じ込められた時以上の恐怖を味わっていた。

 あのときは私の周りには獣のようなたくさんの男の人たちがいた。そしてきっと私はボロボロにされるだろうと、確かに怖かったけど覚悟をする猶予はあったのだ。

 でも今は違う。 

 自分がどうなっているのか全然分からない。

 何も見えず、何もわからない事がこんなにも恐ろしいものだったなんて、今まであんなにも酷い目に遭ってきたのに知らなかった。

 でも……と思う。

 

 もしこれが私の最期だというなら、それは仕方ないことなんだ。

 私の前に現れた『希望の光』を私自ら手放してしまったのだから。

 きっとあの人との出会いが私に残された最期の機会だったんだ。だからもう……

 涙が流れた……と思う。

 自分の境遇に悲嘆して泣くなんて、本当に私はどうしようもない。

 でも、そんなどうしようもない自分のことを考えられた時、私は覚悟がついたような気がする。

 確かに怖いけど、どうなるのかだけはわかる。

 

 私は死ぬんだ、ここで。ただそれだけのこと。

 

 それに気がついたとき、スッと体から力が抜け震えも収まった。

 

 足音は私のすぐそばで止まった様に思う。

 そしてしばらくそこに誰かがいる気配だけを感じたままで私はじっとしていた。

 

 今この瞬間に鉈や剣が私へと振り下ろされる光景を何度も何度も幻視しつつ、ずっと心の中で紋次郎へ悔恨と別れの言葉を呟き続けていた。

 

 しかし……

 

「ふむ……この娘があの『背教者』の片割れなのですか? それとも『贄の娼婦』の一人ですかな?」

 

 背教者? 贄の娼婦? どういうこと?

 

 すぐに殺されるとばかり思っていた私の耳に、よくわからない言葉が飛び込んできたので、思わずその事を考えてしまった。

 背教者のことは良くわからないけど、贄の娼婦とという文言には思い当たるものがあった。

 紋次郎やオーユゥーンさん達が言っていた、『行方不明になった娼婦達』のこと。

 ひょっとしたら、連れ去った娼婦の人たちはこの人達のところにいるのかもしれない。

 そこまで考えた私の頭上の方から再び『贄の……』と言った男性の声が聞こえてきた。

 

「私はべリトル様より、彼の少女を丁重に扱うように申し使っておるのです。もしこの娘がその御方なのでしたらこのような扱いをした貴方方を罰しなければなりませんが……」

 

「そ、それは大丈夫……大丈夫だよ。この娘はあの俺達が追っていた娘じゃないですよ」

 

 この部屋に入って最初に口を開いた男性が慌てた感じでそう返事をした。

 

「ふむ……ではこの娘は贄ということで宜しいですかな? 例え『汚らわしい娼婦』であっても、神聖な神の御業(みわざ)に触れることで贖罪は叶いますゆえ」

 

 『汚らわしい娼婦』

 

 ああ……私のことだ。

 私の身体は汚れてしまっているんだ。

 何にんもの男性と交わり、交わることで生き続けてきたんだ。

 やはり私はここでその『罰』を受けるのだ……と。

 

 そう思い至ったその時、もう一度先程の男性の声。

 

「ま、待ってくれ、それも違います。この娘は『娼婦ではありません』よ」

 

 え?

 

 一瞬何を言われたのか私には分からなかった。

 私は本当にただの娼婦で、男の人に抱かれて金を稼いでいる汚れた存在のはず。

 この人はそのことを知らないの?

 ううん、そうじゃない。知らないなら私のことなんか庇う必要なんかない。むしろそのままこのもう一人の男性に判断を委ねてしまえばいいだけ。

 今この人は明らかにもう一人の男性に対抗してしまっている。どう見ても目上な感じの相手にそうする理由がないように私には思えた。

 

 そして、反論された方の男性が再び口を開く。

 

「ふむ……神の前にあって宣誓された貴方の言、信じましょう。ではこの娘はなんなのですかな?」

 

「この娘はあなた方が『背教者』と呼んでいるあの紋次郎が懇意にしている娘でね……言ってしまえば人質ですよ」

 

「ほう……それはあまり褒められた良い手段とは思えませんな」

 

「…………」

 

「ふむ…………貴殿方のような高レベルの皆さんがおっしゃるなら、よほどの相手なのでしょうね。しかしそうですか……娘さん」

 

 会話の途中で急にこちらに声が聞こえてきて思わずびくりと反応してしまった。そして次の瞬間には耳元で優しそうな年配の男性の声が響いた。

 

「どうかお許しください。我々は神に仇なす背教者を滅ぼし、世界を救わねばならないのです。そのためにもうしばらく、ここで我慢していてくださいね」

 

 まるで赤子に言い含めるかのような優しさでそう囁いた後で、再び足音がコツコツと響いてそれがまた遠くへ離れていく。そして、ギギイッと再び重たい金属が擦れる音が響いたかと思うと、ガチャリという大きな音を最後に、そして再び静寂が訪れた。

 

 私はただ茫然としていた。

 今ここで起きたことの全てが良くわからず、なぜ自分がまだ生きているのか判然としなかった。

 ただ、縛られ目を塞がれ動けないでいることが不思議で仕方なく、だからこそ何も考えることが出来なかった。

 

 それからどれくらい経っただろうか、時間の感覚がないままにただ茫漠のままに時を過ごしていた私の耳に再びあの重たい扉の開く音が聞こえてきた。

 そしてまた誰かが歩み寄ってくるのが分かったけど、今度の足音はひとつだけだった。

 私はただその音が近づくのをじっと聞いていた。

 その足音は私の直近で途絶え、そしてその人が屈みこむかのような音が響いた。

 そして声が響いた。

 

「起きてるんだろ、ヴィエッタちゃん?」

 

 優しい男の人の声だったが、私は反応しないままでただ聞いた。

 彼はそのまま言葉をつづけた。

 

「こういうことはしたくなかったんだけどな、俺らにもいろいろ事情があるんだ。悪いがもうしばらくそのままでいてもらうぜ。おっと……この後君に危害を加えようとか、そういうことは思っていないんだ。事が済んだらきちんと解放してやるからよ」

 

「…………?」

 

 どういうことだろう? この人の言っていることが良くわからない。

 私を解放してくれるの? それも何もしないで? なんで?

 ならどうして私はこうしていなければならないの?

 

 あ……

 

 唐突に思い出したのは先ほどの二人の男性の会話の内容。

 あの時彼らは言ったんだ。私は人質だと。彼を……紋次郎をおびき寄せるための人質だと。

 

「んんっ! んんんんん~~~!」

 

「ん? おっとどうした急に?」

 

 私は必死に首を振って彼へと訴えた。

 お願いだから紋次郎に手を出さないでと。彼に関わらないでと。

 果たしてそれが伝わったのかどうか……

 彼は唐突に言った。

 

「なあに、何も心配はいらねえよ。ただ俺らは『悪い奴』をぶちのめすだけなんだからよ。ちゃんと助けてやるから大人しく待ってなよ。な」

 

 男の人はただ明るくそれだけ言った。

 彼の言う悪い奴がいったいだれのことなのか……まさか紋次郎のことではないのか?

 あの神父と呼ばれていた人は言っていた。背教者を滅ぼして世界を救うと。

 そしてその背教者とは紋次郎のことだと。

 

 お願い! お願いだから紋次郎に近づかないで!

 

 お願いだから……私の光を殺さないで!

 

「んんんんんんんっ! んんんんんんんんんっ!」

 

 必死に訴えたけれど、彼はもう何も返事をしなかった。

 ただゆっくりとまたあの重い鉄の扉のきしむ音だけが響いたのだった。

 

 紋次郎……

 

 紋次郎……

 

 紋次郎……

 

 ……

 

 漆黒の暗闇の中でただ……

 私はひたすらに彼の名前を呼び続けた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話 出発

 紋次郎……

 

「あん? なんだよ?」

 

「へ? 何すか? 何も言ってませんよ?」

 

「ん?」

 

 隣の二ムが変なモノでも見るような目で俺を見ていやがるが……はて? 今確かに誰かに呼ばれたような気がしたんだが……?

 まあ別にいいか?

 俺は掛布団を剥いで大きく伸びをした。そして固くなった首をコキコキと動かしてほぐす。ここ最近肩こりがマジで酷いのだが、そりゃそうだな、こんな床で寝転がって寝たりしているんだもの。そりゃ痛くもなるわ。

 

「ふぁ~ああ。それにしても寝みぃな」

 

「まだ夜中の3時ですものね……と、ほい出来ました! っと」

 

 二ムはそう言いながら机の上に長い筒のようなものをそっと置いた。そして俺を振り返ってにこりと微笑む。

 っていうか、今3時なのかよ。時計無いから時間が全く分からないのだが……と、その前に、この世界の一日って24時間だったのか? 今まで全く気にしていなかったのだが。

 そんな疑問を持っていたら二ムが話しかけてきた。

 

「良く寝てましたよご主人。というか、良く寝れやしたね? 普通はこんな決闘の待ち合わせみたいな事態なら緊張して寝れないものじゃないんすかね」

 

「んあ? そんなの寝てても起きてても関係ないだろうが。どうせ時間になったらやることは一緒なんだから。だったら眠った方が何倍もマシだっての」

 

「そういうとこ、ご主人って本当に神経太いっすよね。なんでいつも細かいとこにこだわるんすかね?」

 

「そりゃお前に言いてえとこだよ。お前、コンピューターなんだからもっと細かいところにこだわれよ」

 

「えー? 嫌っすよ。拘ったって時間の無駄じゃないっすか? 適当が一番すよ、適当が」

 

「お前そう言いながら自分のマシンとしてのアイデンティティー完全否定しちゃってるからね」

 

 全く本当に何も考えてないんだなこの機械は。まあ、それでも言っておいたことはきちんとやってたみたいだし別に文句はないのだけども。

 俺は例のアジトの隅の方の部屋できっちり寝かせてもらった。

 シシン達が指定した時刻は日の出ということだから、地球時間にしておよそ5時から6時ってとこだろうか?

 さっきも述べた通り俺はこの世界で時計を持っていないので自分で正確な時間を推し量ることはできないのだが、そこは機械仕掛けの二ムがいるので現在時刻くらいはすぐに知ることができるのだ。

 だからこそ目覚まし二ムのおかげで眠ることが出来たのだけども。まあ、はっきり言って仮眠レベルではあったのだが。

 

「お兄様? 起きられましたか?」

 

「ああ、起きたぜ」

 

 ドアがスッと開いて顔を覗かせてきたのはオーユゥーン。少し目の下に隈が出来ているようにも見える。

 

「お前ら寝たのかよ」

 

 そう聞いてみれば。

 

「いえ、全く眠れませんでしたわ。これから戦闘があるかと思うとかなり緊張してしまいまして」

 

「そう、それが普通っすよ! ガーガーイビキかいて熟睡出来るご主人が異常なんすよ」

 

「うるせいよほっとけ!」

 

 人のことをなんだと思ってやがるんだ、こいつは。ただ眠ってただけでここまで言われる筋合いはねえってんだよ。

 それにしてもイビキかいちゃってたか。これは結構恥ずかしい。

 ん? これから戦闘?

 

「って、お前ら、まさか俺らと一緒に行くつもりなのか?」

 

 慌ててそう聞いてみればオーユゥーンは心外だとばかりな表情で俺を見た。

 

「当然ですわ。このワタクシの命はお兄様の物。お兄様が戦うとおっしゃるならワタクシはお兄様の手足となって、お兄様の盾となって共に戦う所存ですわ」

 

「いや、だからそういうの重いっての! 別にお前にそこまでしてもらう義理はねえじゃねえかよ」

 

「そうは参りませんわ。もしお兄様にもしものことがあっては、このワタクシ、生涯後悔して過ごすことになってしまいますもの。どうか、ご慈悲ですのでワタクシたちもお連れ下さいまし」

 

「強情だなぁ」

 

 見れば、オーユゥーンに並ぶようにして、シオンとマコも追従してきていたし。そして二人もオーユゥーンと同様に頭を下げてるし。

 

「ああ、分かったよ仕方ねえな。でもいいな! 絶対俺の言うこと聞くんだぞ! 分かったな!」

 

「あ、ありがとうございます」「ありがとうね」「ありがとう、クソお兄ちゃん!」

 

「ああ、はいはい」

 

 付いて来たいというのだからついて来させればいいかってことで、俺は二ムに目配せをしてから、あらかじめ用意していた荷物を背負って部屋を出た。 

 そして出た先で再び絶句。

 

「お前らな」

 

 そこに居たのは手に武器を持ち、様々な意匠の防具を身に着けた俺が救ってやったあの娼婦たちの姿が。みんなは一斉に俺へと群がると口々に俺へ自分たちも共に行くと決意も新たな感じで願い出てきているし。

 

「ちょっと待てお前ら、全員来るってのか? やめろよおいこんな大人数。これじゃあ目立ちすぎんだろうが」

 

 娼婦たちは防具をつけているとは言っても下着はいつもの娼婦装束だ。ほぼむき出しの腕や足や腹なんかがちらちら見えて、マジで戦闘になったら危ない感じ。

 孤狼団の赤ずきんの面々はそんな彼女達の非日常的な恰好にみんなデレっとした目付きに変わってしまっているし、これはもう連れて行く行かない以前の問題だろう。

 

「ダメダメダメだ。お前らはついてくんな鬱陶しい」

 

 本気でもうこんな連中連れて行きたくない。どう見ても風俗嬢がコスプレしているようにしか見えないし、あ、その通りか。

 そんな連中の後ろで、二人でぎゅっと腕を組んで心配そうにこっちを見つめてきている聖騎士のロイドとミンミの二人とか、お前らラブラブしたいならとっととどっか消えろよ、もう。

 

「ご主人ご主人、ここはみなさんにお留守番頼んだ方がいいっすよ、絶対」

 

「んなことは分かってんだよ」

 

 こいつらなんでこんなに目が生き生きしてんだかな。

 まあ、別に悪い気はしないんだが、本気で足手まといだからな、さーて。

 俺はふっといいアイデアを思いついてそれを話すことにした。

 

「あのなあお前ら。今俺らは聖騎士のクソどもにも追われてるじゃねえか。ここでこんな大人数で移動でもしようもんならすぐにあの連中に見つかって、それこそやりたくもねえ戦闘をすることになっちまうんだよ。だからお前らは全員くんな」

 

 そう断言した俺の前で、武装した娼婦たちはみんなで顔を見合わせておどおどとし始めた。

 これはもう一押しだな。

 

「あー、それと、せっかくここに孤狼団の皆さんもいるんだ。皆さんに守ってもらえよ、な?」

 

 赤ずきんの男どもをちらりと見て俺はそう言った。

 こいつらにとってはここはまさに天国のはずだ。そもそもこいつらは独り身の淋しいロンリーウルフたちだしな。女がこんなにいるこの場はまさに地上の楽園だろう。

 しかもこのシチュエーションだ。

 悪漢ども(聖騎士達な)に追われている女性を助ける場面なんだしな、まさに男ならだれもが思う憧れの立ち位置だろう。

 か弱い女性助ける俺カッコイイ! とか絶対みんな思うはずだし。うんうん。

 

 そう思っていたのだが……

 

「俺・ヴィエッタ・救う‼」

 

「へっ⁉」

 

 赤ずきんの一人がそんなことを宣言した! 

 そういやこいつらロンリーウルフだけど、別名『ヴィエッタファンクラブ』だったか、こりゃそもそも眼中に入っている奴が違ったか。

 ってか、お前は昔の映画の偽インディアンか!? はたまた感染しちゃった研究者かなんかかよ?

 

 くっそ、なんだこいつら扱いずらいなぁ、もう。

 

 そんな風に頭を抱えていたところへ、二ムがずいと前に出た。

 

「孤狼団の皆さんはここに残って娼婦のみんなを守ってください! これは命令でやすよ?」

 

「「「「「はいっ!」」」」」

 

「う、うおっ?」

 

 突然二ムに向かって孤狼団の全員が大声で返事をして敬礼しやがった。それを見ながら二ムも満足げにうなずいているのだが。

 

「お、お前マジでなにやったんだよ? こいつら俺の言うこと全然効かなかったんだぞ?」

 

「あー、それはっすね」

 

 二ムは腕を組んだまま得意げに口を開く。

 

「とりあえず初対面でぼこぼこにした後に、言うこと聞いてくれたら他の人に内緒でワッチのパンツ見せてあげてもいいっすよって、ちょっとサービスしてあげたんすよ。そしたら皆さん喜んでワッチの言うこと聞いてくれるようになったんすよー! 飴と鞭っすよ! アメムチ!」

 

「お前、それどっちかというと詐欺行為だからな! 健全な男子をもてあそぶのは本気でやめなさい! ってかお前見せちゃったのかよ!?」

 

 二ムは腰に手を当ててニマニマしながら尻を振ってやがるし。こいつら道理で二ムに従順なわけだよ。

 女の子に『パンツ見せてあげてもいいわよ』なんて言われたら、そりゃどんな男だって多少はクラっとくるだろう。 

 それにしてもこいつら……ぼこぼこにされた挙句にパンツ見たさに二ムに従うなんてな……もうファンクラブ解散した方がよくねえか?

 

「貴女達もですわ。気持ちはわかりますけれど、ここはお兄様のお言葉に従って待っていてくださいまし。代わりに、スキルと魔法のあるワタクシたちがお供してかならずお兄様をお守りいたしますので」

 

「お姉さま……」「オーユゥーン姉様……」

 

 オーユゥーンがその大きな胸を張りながら、武装した娼婦たちの前に立ってそんなことを宣言する。それを聞いた彼女たちは何か言いたそうにしながらもそれを飲み込むかのようにグッと俯いて固まった。

 

「いい子ですわね、貴女達」

 

 オーユゥーンがそう目を細めて娼婦たちを見るって、おいなんだこれ?

 なんで俺が言ったことは聞かずにニムだとかオーユゥーンだとかの言うことを素直に聞くんだよ。

 これじゃあ言い出しっぺの俺の立場がだな……

 

「人徳の違いじゃないっすか? あと日ごろの行いとか。ご主人の言葉っていまいち信用できないんすよね」

 

「お前な……だから、勝手に人の思考読んでコメントすんじゃねえってんだよ」

 

「いいじゃないっすか。ご主人めっちゃわかりやすい嫌そうな顔していやしたし」

 

 この野郎……造物主を馬鹿にしくさって。

 今度メンテナンスするときに、リアクターに『バカ』って落書きしちゃうからな!

 

 この仕打ち(?)のせいかテンションはダダ下がりではあったが、もういいやと俺はその場の全員に向かって必要なことを言おうと声をかけた。

 

「じゃあ、そういうことだから、俺と二ムは行くからな。で、これはあくまで予測なんだが、この後この街は大被害に見舞われる可能性が高い。だから、もし異変があったらできるだけ多くの街の人を連れて遠くへ逃げろ。そうだな……俺達が向かう東の『大門の岩』とは反対の方角の、街の西の方に向かって逃げるといいぞ、多分」

 

「「「「「「はぁ?」」」」」」

 

 その場の全員がぽかんと口を開けた表情になってやがるが、ええい、なんでこいつらは理解しねえんだよ。さっき二ムが言ったことは鵜呑みにしやがったくせに。

 黙ったままの連中のの中からオーユゥーンが歩み出て恐る恐ると尋ねてきた。

 

「あ、あの……お兄様? 大被害とはいったいなんのことですの?」

 

 そう問われ、俺は即答した。

 

「昨日俺が言ったろう? 怪獣が現れる可能性があるんだよ。だから被害に遭う前に逃げろっていうだけの話だ」

 

「か、怪獣!?」

 

「そう怪獣」

 

 この世界で怪獣といえばまあ、モンスターのことなんだけども、はっきり言ってあの『金獣』はその辺のモンスターとは比べものにならない。もはや生物と呼んでいいのかもわからないあの存在が現れたら一巻の終わりだ。少なくともこの街の完全破壊は間違いなしだろう。

 

 そう話してやったんだが、その場の全員がお互い顔を見合って怪獣? 怪獣ってなに? とかぼそぼそ話しているのだが、なんだか面倒になってきた。

 こうなることは分かっていたんだよ。見たこともない怪獣の話を聞いたって真に受ける奴は殆どいねえはずだしな。

 実際に日本で最初に金獣災害が起きた時だって、当時の科学者の一人が声を張り上げて、国営放送やら私局やら、ネットやらの放送を乗っ取って避難を呼びかけたけど、ほとんどの国民は鼻で笑って逃げも隠れもしなかったらしいし。そのせいか、ほぼ通常通りの日常生活をしていた人々の多くが被害にあって、天文学的な数字の被害が発生してしまったのだ。

 ここで慌てて街の住民を避難させようとしてもそれは出来ないことは分かり切っている。

 だからこいつらにだけは言ってみたのだが、それも意味なかったかもな。

 俺は困惑している連中に分かり易いように言ってやった。

 

「まあ、何か起きたら逃げればいいってだけだよ。可能なら先にこの街を逃げ出していたっていい。あとはお前らの好きにしろ。じゃあな」

 

 言うことだけは言ったし、これでいいだろうと俺は振り返った。

 そこには二ムとオーユゥーン、シオンとマコと、それと鼠人のたしかバネットとか言う名前の少女(?)。

 

「なんだよ、お前もかよ」

 

 鼠人(ラッチマン)のバネットは鼻をこすって宣言した。

 

「へへ……来るなって言われてもついていくぜ。私はなんせご主人様に命を救われたんだからな! よろしくなご主人様!」

 

「もう……勝手にしやがれよ」

 

 そして俺達は戸口へと向かって歩み出した。

 もう声はかからなかったが、入り口わきの戸の脇に、ふくよかな身体を持たれかけさせたマリアンヌが煙草を吸いながらこっちを見ていた。

 俺はじっと見つめてくる奴に視線を返しながら、でも何も言わずにそこを出た。

 

 まあよ……とりあえず取り返してくるさ。話はそれからだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六話 遭遇

「それでお兄様? これから大門の岩に向かわれてどうなさいますの? 何か作戦がおありなのですか?」

 

 暗闇の路地をこそこそっと移動しながらオーユゥーンにそう問われ、俺は即答した。

 

「ノープランだ」

 

「へっ? えええっ!?」

 

「お前な……大声出すんじゃねえよ! 聖騎士の連中に見つかっちまうだろうが!」

 

「す、すいません」

 

 駆けるというよりは速足で路地を抜けていく俺たちが今一番警戒しているのは、聖騎士の連中だ。

 なんだかんだ昨夜……というか、さっきオーユゥーン達の店でたくさんの連中を石に変えちまったし、やつらが俺たちを探して町中に散らばっているらしいという話もロイドと孤狼団の連中から届いているし。

 そんなのに出くわせばそれこそ面倒なことこの上ない。

 さてどうしようかと思っていた俺の前に名乗り出たのがバネットだった。

 

「私、いろいろ抜け道知ってるぜご主人! 見つからないように私が案内してやるよ!」

 

「流石バネットお姉さま!」

 

「へへへ」

 

 こいつスリというか盗賊をもうだいぶ長いことやっていたようで、この街の裏道という裏道に精通しているらしい。すかさず合いの手をいれてヨイショしちゃってるあたり、オーユゥーンマジでこいつの後輩なんだな……見た目的に若い母親とその子供って感じなんだが。当然豊かな胸のオーユゥーンが母親なんだが。

 

「じゃあ頼む」

 

「まーかせて!」

 

 マコよりも更に小さなバネットを先頭にして、細い路地を俺たちは移動していたわけだ。

 当然だがその後ろにはニムも配置した。

 いくらバネットが道を知っていると言っても偶然で遭遇しないとも限らないからな、ニムの全方位レーダーも活用している。まあ、これなら万が一にも出くわすことはないだろうが。

 

 そんな移動中にオーユゥーンのさっきの質問だ。

 ちょっと声が大きくてどきりとしたが、まあ問題ないレベルだろう。

 というか、こいつは何を心配してやがるんだか。

 

 例の大門の岩とかいうところに行って、シシンと話しをして、ヴィエッタを返してもらう。以上。

 

 簡単なことだ。

 

 そうだというのに何をそわそわしているのか。

 そもそもだ、俺はこいつらがどうしてもというから連れてきたけど、別に来る必要なんかなかったんだよな。どうしてこんな面倒くさい状況に陥っているんだか。

 説明するのも手間なので俺はそのままバネット達の先導に黙って追従した。

 

 薄暗い路地を抜けると、多少灯りのあるメインストリートへと出たが、そこに人影はなかった。

 道脇には建物脇に駐車された馬車が並び、そのうちの何台かはまだ馬が繋がれたままであったけど、それぞれ飼葉のようなものの入った桶に頭を突っ込んでそれを食べていた。

 本当に人はいないのか? と気になって見回してみるも、本当に誰もいないらしい。

 グッとサムズアップしてみせたニムにムカつきつつ、俺たちはそのまま東門をくぐって街の外へと出た。

 

 月明かりがほとんどない夜で、間もなく陽が昇るとは到底思えない暗がりをまっすぐに進む。

 どうやら曇っているらしく、星の瞬きのようなものもない。

 足元はごつごつとした岩が転がった短い草の生えた荒れ地で非常に歩きにくいのだが、これは整備された街道ではないのでいたしかたないことだった。

 しばらく進むと、転がる岩の大きさがさらに大きくなった。巨石とまでは言わないが、人の背丈ほどの岩がゴロゴロしている。

 ふとその石が動いたような気がして注視してみたのだが、別段変化はなかった。

 おかしいなと思いつつ、再び視線を戻したその視界の隅で再び石が動く。

 今度は明らかに俺が見ている前でその石がゆらゆらとうごめいていた。

 

「い、い、石が動いたぞ!」

 

「そっすね。ロックゴーレムっていうらしいっすよ」

 

 なんてことは無いようにニムが言うのだが、岩石の形をしたそのロックゴーレムは一体だけではないようで、周囲に転がる岩の殆どがそれだったようだ。一斉に周りの岩が動き始める。

 

「お、おい、あれ大丈夫なのか?」

 

 ニムがあまりにも気軽に答えたもんで、まあ大丈夫なんだろうなと俺はオーユゥーン達を振り返りながら聞いてみたのだが……

 

 全員真っ青になって絶句していやがった。

 

 あ、これ全然大丈夫じゃないやつだ。

 

「お、お兄様! ろ、ロックゴーレムは別名『冒険者殺し』とも呼ばれている凶悪なモンスターですわ。まさかこんな街の近くに現れますなんて!」

 

「マジかよ!」

 

 そんな恐ろしいやつだったとは。

 良く見ればそれぞれ2mから3mくらいはありそうな巨大な石のようだ。庭にでもおいたらさぞ風流だろうけど、あのサイズだとひとつでも数トンくらいあるんだよな確か。

 見たところただ転がっているだけのようだけど、重量物ってなただ存在するだけで脅威になるんだ。あんなのが体当たりでもかましてきたらそれだけで、もうジ・エンドだ。

 

 とか思っていたら、目の前にあった3つのロックゴーレムの石が凄まじい速度で転がりながら迫ってきた。

 ってか、マジでやばいっ!

 

「もうご主人慌てすぎっすよ。こんなのただ石が意思をもって転がってるだけじゃないっすか! あっ!」

 

 腕を大きく開いたニムが俺たちの正面に立って突っ込んでくるロックゴーレムを全部纏めて受け止めて……ちょっとなにかを閃いたような顔をして俺をチラ見してからゴーレムに蹴りの一閃を放ってまるでサッカーのシュートのように三つの巨石をはるか遠くへ蹴り飛ばした。

 

 当然だが一同唖然。

 

「ちょっとちょっと聞いてくださいよご主人、むふふ。この『石』はですね……」

 

「『意思』を持ってるんだろう? だからなんだよ」

 

「もう! もう、なんで先に言っちゃうんすかっ! せっかくおもいついたのに! ならワッチはもう帰らせていただきやすね。『医師』に診てもらわないとならないので! 『石』だけに!」

 

 ニムはにやぁっと広角をつり上げて愉悦の表情で俺を見やがった。

 てめえ。何を『やったぜ』みたいな顔してやがんだちくしょうめ。ふざけすぎなんだよ。

 

「なあオーユゥーン、あのゴーレムは他にはどんな動きをするんだよ」

 

「へ? え? あ。はい。」

 

「もう! なんで無視するんでやんすかっ! いけず!」

 

 あーはいはい、ここは無視無視。

 俺はオーユゥーンへと続きを促した。

 

「あのロックゴーレムは複数で一チームを組んで現れるのですけど、時おり合体して人形(ひとがた)をとることがあるそうですわ」

 

「はあ? いったいどこのロボットアニメだよ。あれが合体するのかよ」

 

 いやもう勘弁してくれよ。あんなどでかい石のパンチが飛んでくるとか想像するだけでゾッとする。

 良く見てみれば、先程二ムが蹴り飛ばした数体が転がり戻ってくるところだし。

 こいつ……マジで合体する気かよ。

 俺は慌てて呪文を詠唱しつつ脳内に魔法陣を描いて、右手を突き出したのだが……

 

「待つっすご主人! ダメでやすよ!」

 

「な、なんだよ? 何かあったのか?」

 

 ずずいと身を乗り出してきた二ムが俺の行動を制したので慌てて魔法を停止、奴を振り返ってみれば……

 

「合体シークエンス中への攻撃は御法度です!」

 

「はあっ!?」

 

 何をバカなこと言ってんだこいつは!

 

「そんなアホな理由で俺の魔法を止めやがって! 見ろよもう合体終わっちまったじゃねえか!」

 

「えええ!?」

 

 二ムのアホ発言の最中に、寄って集まった巨岩どもがどうやってるのか知らないがまるでひもで結ばれた数珠の様にめきりめきりと音を上げながら繋がって、なんというかこれは……ミ〇ュランマン?

 不格好な石がそれぞれの部位の位置の役割を担いつつ、その持ちあがった身体はおよそ10m近くには及ぼうか?

 頭部と思える部位の石はまるで人形劇の人形の様にパカンとその下部が開いて醜悪な巨大な口の様に変わってしまっている。まさかとは思うけど、こいつも肉食なのかよ!?

  

 そんな不格好な巨大な石の怪物を見上げていたら隣で二ムが叫んだ!」

 

「もう! ご主人が余計なことするから肝心の合体シーン見れなかったじゃないっすか!」

 

「知らねえよそんなこと! そもそもただ積み上がっただけじゃねえかよ!」

 

 ぷーとむくれる二ムに呆れつつも、もう一度ロックゴーレムに視線を戻してみたら、その岩の剛腕がまさに今振るわれるところだった。

 

「おわっ! あ、あぶねえっ!」

 

 凄い勢いだが、デカい分挙動が読みやすくて、俺達はさささっと回避。奴はその振り切った自分の腕を急制動を掛けようとしているけど、やはりそこは超重量物の岩石の塊だ。やはり取り回しはしにくいようで、体勢を変えるのにも少し時間がかかっていた。

 とはいえ、あの大きさと破壊力だ。掠っただけでも死んでしまう。

 

「おいオーユゥーン。あの怪物の弱点はなんだよ」

 

 ダメ元でそう聞いてみれば、すぐに答えが返ってきた。

 

「それぞれのロックゴーレムの体内の何処かに、『ゴーレムコア』と呼ばれている急所があるはずですわ。それを砕けば倒せると聞いたことがありますけれど」

 

「体内ってなあの石の内側だよな? 多分」

 

 それに冷や汗まじりにコクリと頷くオーユゥーン。

 

 おお……まじかよ。それじゃあ結局あの岩石を壊さなきゃならないじゃねえかよ。

 あんなの普通の武器じゃびくともしねえだろうが。普通石の加工には専用の掘削機とかドリルマシンとかを使用する必要があるわけで、そもそもこんな剣やナイフで立ち向かえるはずもないんだ。

 もっともこっちの世界の連中は、レベルアップさえすれば素手でもあの岩石を砕けるのかもしれないが、はっきり言って俺の腕なら殴った瞬間間違いなく複雑骨折確定だ。

 

「じゃあ、ワッチがぶっ壊してきやすね?」

 

「いや、いいよ。お前どうせあれを全部粉砕する気だろう? 燃料の無駄だよ、やめとけやめとけ」

 

「へ? いいんですかい?」

 

 こいつは基本全部殴って終わらせようとするからな。はっきり言って二ムの身体はそもそもが性交(セックス)用のパーツで構成されているわけで、殴打に適した構造にはなっていない。

 ただ、もともとの頑強さとありあまるジェネレーター出力の相乗効果で、無理くりぶん殴っているだけだ。

 まあ、別段その辺のちんぴら相手くらいならその程度の対応で十分なんがけど、ことこんな鉱物資源の塊りみたいな相手じゃな……いくら上手に出来るからって、つるはしだけで山を一つ崩せとか言われたらめっちゃ大変だろう。ま、二ムなら出来ちゃうだろうが、そもそも燃料の無駄すぎるからな。

 俺はもう大分使い慣れてきていた魔法を即座に完成させた。

 

「『土壁(ド・ウォール)』!!」

 

 そう唱えた直後に奴の両サイドの地面が凄まじい速さで盛り上がった。

 その高さは奴の身長にも達する勢いだ。

 よし! 上手く加減出来たようだぞ!

 

「あれ? その壁で攻撃を防ぐんでやすかい? 無理じゃないっすか?」

 

「ちがうわっ!」

 

 二ムのとんちんかんな質問を否定しつつ、俺は魔法がイメージ通りに動いていることを確認しながら状況を見守った。

 そして次の瞬間。

 

 ドドドドドーーーーーーーン!

 

「うわっ! お、落ちやしたね!」

 

 そう、落ちた!

 二ムの言う通り、今目の前に存在していた巨大なあの合体ロックゴーレムが、地中へと没したのだ。

 へっへっへ……ざまあ見やがれ!

 この前は俺が落とし穴に落ちちまったからな。今度はそれをモンスターにやってやったぜ!

 死者の回廊で俺は見事に地下墓地に落下してアンデッドの群れに囲まれちまった経験があるのだが、あれはマジで怖かった。真っ暗闇の中で周り中アンデッドだらけのあれは正にトラウマだ。

 でもまあ、落とし穴って奴が非常に有用だってことには気が付けたんだから良しとしようとは思っていた。

 そしてこのタイミングだ。まさに今がその時って奴だな。

 

「『土壁(ド・ウォール)』の魔法は地面を盛り上げる魔法だからな、盛り上げた分当然盛り下がる部分もあるわけだから、こうやって落とし穴のような使い方も出来るってわけだ」

 

 あの万里の長城未遂事件(?)で、この凸凹(でこぼこ)の生成具合も確認済みだったしな。

 

「あー、ご主人万里の長城の前科ありましたもんね!」

 

「前科言うな! あれはえーと、えーと、俺の知らないことだ」

 

 もうやめろよ。マジで俺はアレを忘れたいんだから。

 まあいい。とにかくこの魔法の効果でこいつの動きを封じられたんだ。あとは簡単だ。

 俺はつかつかと穴に嵌まって動けなくなったロックゴーレムのところまで行くと、とりあえず抜け出そうとグギギギと動いている奴の頭部の部分に触れた。

 結構な勢いで暴れているけど、ただ揺れているだけだから別段怖くもない。

 俺はすかさず魔法を使用した。

 

「『解析(ホーリー・アナライズ)』‼ えーと、ふむふむ」

 

 魔法を使用するのとほぼ同時に頭の中に様々な情報が入り込んでくるが、その中で必要なところを確認すると、すかさず次の術を行使した。

 使ったのはこれだ。

 

「『石化(カース・オブ・ペトロケミカル)』‼」

 

 言うや否や、あっという間に動こうとしていたロックゴーレムが完全にその動きを止めた。まあ、当然だろうな。

 

「ええ!? ご主人、『ロックゴーレム』に『石化』つかったんでやんすか? 石を石に変えるとかそれなんのギャグです?」

 

「あほか! こんな場面でギャグを言う分けねえだろうが、お前じゃあるまいし! あのなあ、こいつは石だけど、生物的な部分も持ち合わせた言わば『無機有機複合生物』だ。だからこいつの生物としての部分の核を石に変えて全身石にしたってだけだ。石ならもう動きはしねえからな」

 

 俺は解析魔法で奴等の体内のゴーレムコアの所在と形質を調べた上で、その辺りを中心に一気に石化させたわけだ。下手な力技で行くよりもこの方がずっと効率がいい。

 

「なるほどなるほど! さっすがご主人でやすんね!」

 

 ニムがぱちぱちと手を叩いて絶賛してくれているが、俺はその横でとりあえずと思って闘剣(グラディウス)を抜いてその地面から突き出た頭部の部分を小突いてみた。

 カキンカキンと刃が跳ね返り、これは傷一つ付けるのは無理な感じだ。

 くそぅっ! 魔法とか呪法とかじゃ俺には経験値入らねえってのに、これじゃあマジでなんにも得るものがない。

 こいつ相当に経験値ありそうなのになぁ。レベルアップはしばらくお預けかぁ。

 少しがっくりしていたら、ニムがポンポンと肩を叩いてきた。

 

「大丈夫っすよご主人! どうせこのゴーレム倒したからって、ご主人のレベル上がると思えやせんから」

 

「お前それ全然慰めになってねえからな? それと俺の心を……はぁ、もういいや」

 

 そして俺は頭を掻きながら立ち上がった。

 ふと、なにやら視線を感じて振り返ってみれば、そこには愕然とした顔になっているオーユゥーン達の顔が。

 

「なんだよ?」

 

「い、いえ……ろ、ロックゴーレムの集団をこんなにあっさりと……お兄様とニム様はいったい……」

 

「あーはいはい。もう賢者でも聖者でも勇者でもなんでもいいよ。とりあえずさっさと行ってさっさと終わらせようぜ!」

 

「あ、ご主人ついに諦めやしたね? じゃあ今から童貞賢者って呼んでもいいっすか?」

 

「良いわけねえだろうが! やめろこの馬鹿っ!」

 

 平常運転のニムはそのままだが、後ろから来ている連中から何やらすさまじい緊張感を感じてしまうのだが、うーむ、こいつら本気で人のこと賢者とか思ってそうだ。くっそ、なんてひどい称号だ! だから連れてきたくなかったんだよ!

 そう思うも、ここまで来たらもうどうしようもないかと、俺は連中を無視しててくてくと歩んだ。

 

 しばらく進むと、正面の空の方が少し白んできたようにも感じた。

 もう日の出は間近なのだろう。

 そして例の『大門の岩』と思しき石も見えてきた。

 右方の小高い丘の上の方に、丁度中央が大きく刳り貫かれたような大きな岩が鎮座していた。俺たちはそれを目印にその丘を登る。

 大した丘ではないがそこそこの傾斜があり、九十九折りとまではいかないが、細いけもの道になっているそこを歩いた。そしてたどり着いたそこで……

 

「よぉ旦那。ロックゴーレムと戦った割には早かったじゃねえかよ!」

 

「てめえらか、あんな物騒なモンスターを転がしやがって」

 

「へっ! あっという間に倒したくせに良く言うぜ。さぁて、『御話合い』といきましょうか!」

 

「…………」

 

 そこには、腕を組んだシシンを先頭に、ゴンゴウ、ヨザク、クロンの3人と、目隠しをされ全身を縄で拘束されたヴィエッタの姿があった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七話 浮かび上がる恐怖

「さぁて、『御話合い』といきましょうか!」

 

 俺の正面の大岩の下でそう宣言したのは当然シシン。背後に緋色竜の爪の面々を控えさせ、そして目隠しをされ縄で拘束されたヴィエッタを人質として傍らに立たせていた。

 

「何がお話し合いだよ、人質なんかとりやがって。端から自分(てめえ)の言い分通す気まんまんじゃねえかよ」

 

「へへ……まあそう言うなよ旦那。これは分の悪い俺らのささやかなハンデって奴だよ。どうせ普通にやったんじゃ旦那方には敵いそうにねえからな」

 

「良く言うぜ。てめえはレベル40越えのランクA冒険者様じゃねえか。俺らみてえな駆け出しの雑魚相手に何がハンデだ! そんなこと言って恥ずかしくねえのかよ」

 

「もうとっくに恥は掻きまくっちまったんだがなぁ……まあいい。とにかくこんなに離れていたんじゃ話にならねえよ。旦那とニムちゃんの二人でここまできてくれよな」

 

 確かに今俺達がいる位置からシシンのところまではまだ20mほどある。

 これはやつらの状況を観察したかったからということと、いきなり武器の有効圏内にはいることが躊躇われたことの双方があるわけだが、まあ確かに話し合うには遠いわな。

 弓術師(アーチャー)のクロンも今は弓を手にしていないし、これはそれほど危険も無さそうな感じだ。

 ならこのまま近づいてやろうかと、ずいと足を踏み出そうとしたとき、誰かが俺達の前に出た。突然俺の前に進み出たのはオーユゥーンとシオンとマコの三人。三人は腕を開いてまるでとうせんぼでもするかのように立った。

 

「いけませんわお兄様。このまま近づくなどあまりにも危険ですわ」

「そうよお兄さん。行ったらすぐに殺されちゃうよ、きっと」

「ここはマコ達に任せてよくそお兄ちゃん!」

 

「お、おいおいお前らな、何を勝手に……ここは俺とニムだけで十分なんだよ」

 

「そういうわけにはいきませんのよ。何しろ今目の前に、『ワタクシ達を拐ったかもしれない相手』が存在しているのですから」

 

「あ……」

 

 彼女達はどこに隠していたのか、手に武器を構えてシシン達と相対した。

 オーユゥーンの手に握られているのは細身の直剣、シオンの手には幅広のナイフが二振りと、マコは先端に苦無(クナイ)のような刃のついた革製の鞭を持ってすでに駆けだしていた。

 オーユゥーンの言葉を聞いた瞬間に全身を電流が駆け巡った。

 しまった! そうだった。俺としたことがこいつらの事情をすっかり忘れちまっていた。こいつらはもともと娼婦誘拐犯を探していたんだった。

 目の前のシシンたちは俺達全員の目の前でヴィエッタを拉致し、そしてここに人質として連れてきてしまっている。あれを見てしまえば、オーユゥーン達からすれば自分の身内の娼婦たちも同じように連れ去っていると考えても何もおかしいことはないのだ。

 

「ちくしょうめ、待てよてめえらっ!」

 

 俺は慌てて追いかけようと走り出すが、もうその時には先頭のオーユゥーンの剣はシシンへと届いてしまっていた。

 

「教えてくださいな! ワタクシたちの妹達をどこへ隠しましたの?」

 

「妹だぁ~?」

 

 ガッキンと甲高い音が響いたかと思えば、オーユゥーンが高速の勢いで放った剣の突きを細い棒を使ってシシンが弾いたところだった。

 オーユゥーンはすかさず第二、第三の斬撃を繰り出すも、今度はシシンが簡単にそれを余裕を持って回避、まったくかすりもしなかった。

 だが、彼女はさらに第二、第三の斬撃を放ちつつシシンへ向けてそう問いかけたのである。

 シシンはそれらを簡単にいなしつつ、少し表情を引き締めてオーユゥーンへと向き直った。

 

「たぁっ!」「いやぁっ!」

 

 と、そこへ、右からシオンが両手で構えた大きなナイフを振りかぶって襲いかかり、左からはマコが駆けながら伸ばしていた鞭を、足のあたり目掛けて一気に振りぬいた。

 シシンはそれを最小限の動きだけでなんなく回避、そして片手で回転させていた棒を高速で二人へと突き出し、それぞれを弾きとばした。

 腹の辺りを突かれた二人は声もなくただ吹き飛ばされる。

 

「シオン! マコ!」

 

 思わずそう声を掛けてしまった俺の前で、二人は震えながら立ち上がろうとしていた。とりあえず無事ではあるようだ。

 そんな中でふたたびシシンをと視線を向ければ、そこでは再び凄まじい勢いで剣を振るい続けるオーユゥーンとそれを朱色の棒で弾き続けるシシンの姿。

 どう見ても銀に光るオーユゥーンの細身剣(レイピア)の方が鋭いのに、シシンの得物には傷ひとつ付かない。

 これがレベル差というやつか。

 オーユゥーンは善戦しているように見える。なにしろ相手はレベル40オーバー。あれだけ肉薄している感じ、彼女もそれに近いレベルと実践経験があるのかもしれない。

 だが、いつだったかゴードンじいさんも言っていたが、レベルによる身体能力の差は例え歴戦の強者であったとしても侮ることはできず、実践経験が乏しくともより高レベルというだけの相手に惨殺されることもあったという話だし。

 まったくこれだからレベル制ってやつはムカつくんだよ。なかなかレベルの上がらないレベリング難民のことをこれっぽちもかんがえてやしねえ。百戦錬磨の凄腕なだけじゃ生き残れないとか、マジでふざけすぎだよ。

 

「おい、オーユゥーン! いい加減にしろ!」

 

「し、しかしっ!」

 

 剣を打ち込むオーユゥーンを止めようと声をかけたその時、辺りにまばゆい光が……って、これはシオンのやつか!

 

「『閃光(ホーリー・フラッシュ)』‼ 今よ! マコ!」

 

「わかったよ! シオンちゃん! いっくよー! 『精神衰弱(ミ・マインドダウン)』!」

 

 シオンがいきなり閃光の魔法を放った直後に、マコも魔法を発動しやがった。行使されるのを見るのははじめてだが、これは相手の精神力(MP)を急激に減少させる水魔法だったはずだ。精神力はそいつの持っている魔力とも連動しているから、くらえば急速に気力を失い、魔法を使えないどころかひどければそのまま衰弱死させることが可能だったか。

 

 この『精神衰弱(ミ・マインドダウン)』の魔法は術式が複雑な上に大量の水のマナを必要とするんだ。マコが自分で習得できたとは到底思えないし、これはあれだな、こいつに恩恵授けたのはウンディーネじゃねえな。これは精霊の中でもより獣に近い、ケルピーとかマーマンとかアーケロンとかその辺だろう。そういう精霊が人の魔力をけったいな精霊の恩恵を持ってやがるなこいつは。

 

 だがしかし、ここでこんなものを使いまくられた日にはもう纏まるものも纏まりゃしないってんだよ!

 

「やめろって言ってんだろうが! 『消失結界(ド・ディスペルフィールド)』!」

 

「きゃっ!?」「えぇっ!?」

 

 俺は連中に向かって叫びながら魔法を発動した。

 すると忽ちのうちに広がりを見せていた目映い輝きがちいさくなり、そしてシシンの身体を包みこもうとしていた青い光のような靄も、掠れるように消滅していった。

 手を突きだしたままで驚いた顔に変わって呆然としているシオンとマコの声を聞きつつ、俺はその光景にやはり動けなくなっていたオーユゥーンの肩に手を置くとぐいと此方へと引っ張った。

 

「お、お兄様……」

 

 小さくそう口を開いたオーユゥーンの額をぺちりと一回束ねた指で叩くと、そのまま後ろへと追いやった。

 

「まったくてめえら人の話を全然聞いてねえじゃねえかよ。一緒に来てもいってもいいとは言ったが、ちゃんと言うこと聞けとも言ったろうが? てめえら舐めんじゃねえよ」

 

 そう怒鳴るも誰も返事をしやがらねえし。

 くそ、と一度心の内で吐いたあとに、今度はシシンを睨んだ。

 

「てめえもてめえだシシン。お前が話そうって言ったんじゃねえか、なのにこいつらに合わせて勝手に戦いおっ始めやがって」

 

「襲われたのは俺の方だし、この娘達は旦那の側だと思うんだがな……」

 

「うるせいよ! レベル高いんだからこまけえとこにこだわってんじゃねえよ。おら、さっさとその物騒な棒を引っ込めやがれ」

 

 ぽりぽりと頭を掻くシシンは、俺達へと今すぐにでも突き入れられるような構えを解いて、静かに棒を床へと置いた。

 そして再び口をひらく。

 

「ああ、もうやめだやめだ! 旦那相手じゃ何をやっても上手くいく気がしねえ。俺はもう降りるぜ」

「シシン!?」「シシン正気かっ!」「シシンさん!」

 

 急にどっかと地面に座って胡座をかいてそう宣ったシシンにクロンとゴンゴウとヨザクの3人が慌てた感じで駆け寄る。

 3人とも顔に不安というか焦りの表情を張り付かせているのが分かった。

 

「い、いいのかよ、これで。これじゃあ……」

 

「いいんだよヨザク。それとクロン……お前に一番謝らなくちゃならねえな。すまん。本当にすまん」

 

「シシン……」

 

 あぐらのまま頭を下げるシシン。そしてそれを見下ろすように立っているクロンの瞳はなにやら滴が貯まっているようだが……

 

 ふう、まあ、そういうことなんだな。

 

「どうしたんす? ご主人が勝っちゃったんすか?」

 

「んなわけあるか。見てなかったのかよ」

 

「見てやしたけど、ご主人っていつも突拍子もないこと始めますんで、また何かやらかしたのかと」

 

「いつもやらかしてんのはお前の方だと思うんだけどな」

 

 てくてくとのんびり近づいてきたニムが呑気にそんな風に聞いてきたもんでちょっとムカつきつつもそう返した。

 

「オーユゥーンもシオンもマコも、めっ‼ お前ら娼婦なんだから無理しちゃだめだぜ」

 

「す、すいませんバネットお姉さま」「ごめんなさい」「すいませんです」

 

 腕を組んで仁王立ちのバネットがオーユゥーン達3人に向かってそんな訓示を垂れてやがる。しょんぼり項垂れる三人とか、こいつら結構体育会系な関係なのね。先輩は神様なのね。 

 そんなバネットを見ながら、一番驚いているのはシシンのようだけどな。

 まさかここに件の鼠人(ラッチマン)をつれてくるとは思っていなかったのだろう。別段俺が連れてきたわけでもないんだけど。

 

 俺はせっかくなので、シシンに合わせて奴の正面に座ることにした。まあ胡座なんだけど、ここ石が多くてし、尻が……尻に刺さってちょっと痛い。

 

「あ、ご主人、ピクニックシート出しましょうか?」

 

「いらねえよ! っていうかお前そんなのも持ってやがったのか!」

 

 見上げてみればニムがなにやら折りたたまれたカラフルな茣蓙の様な物をとりだそうとしているし。こいつマジでピクニックやろうとか思ってそうだな。

 まあいいと考えを押しやってから俺はシシンを見た。

 すると奴はそれを待っていたとばかりに口を開いたんだが……

 

「じゃあ話させてもらうぜ旦那。俺らの目的はな……」

 

「良いよ別に話さなくても。どうせお前らの仲間の一人……そうだな、クロンの……姉か、妹か、まあそんな奴を人質にとられでもしたんだろ? それもシシンが到底敵わない高レベルの奴にでも。んで、お前らはそいつの言いなりに為らざるを得なかった……とか、どうせそんなとこだろうが」

 

「え? な、なぜ」

 

 俺の言葉を聞いて絶句するシシン達。連中は唖然としたまま俺を見つめているが、その顔には恐怖みたいなものまで浮かんできてしまっている。

 

「ってお前らな。これだけ状況が整ってれば俺みたいなバカにだって簡単に予想はできるんだよ。

 まずお前ら『緋竜の爪』は5人パーティとして有名って話で、今は一人欠けてるよな。それで俺と二ムを捕まえようとしてたんだろ? そもそもなんで俺らなんかを捕まえようとしたのか、お前らの上の奴の思惑までは分からねえけど、わざわざ俺の依頼に便乗する形で近づいてきたんだ、必死だってのは分かる。

 それとクロンだ。お前今回何気にお前らのパーティの中で一番焦った顔してやがったんだけど気が付いてるか? 俺と二ムが奴隷商人の所へ行くあたりからずっと緊張しっぱなしで、二ムと別れてからなんかもう絶望一色って感じの死にそうな顔してやがったんだぞ? その辺のデータは二ムのメモリーにも残ってるからな、見たければ過去ログ見せてやってもいいけど、それだけ気に成るってことは肉親……それもかなり身近な存在だってことになるわけだ。

 それとシシンを好きらしいけどアプローチを控えてるだろう? 多分そのもう一人の仲間を気遣ってそうしてるわけで、お前そいつの為に身を引こうとかしてるようにしか見えなくてな。そうだとすりゃあ歳の近い姉妹……そんなとこだろうって予想はつくんだよ。

 ま、要はな、お前らはその捕まってる誰かを助けるために、誰かのいいなりになって俺達を追いかけ続けた……こういう論理(ロジック)だ。

 だから別に何も言わなくてもいいぜ。聞いたって時間の無駄だ。お前らのその目的達成のために俺らが必要だってのはわかってるから、とっととヴィエッタを開放して俺らを連れて行けよ」

 

「ご主人ってば他のカップルの恋愛感情には敏感なんすよね? あまり役に立ってませんけどね、そのスキル」

 

「うるせいよ、ほっとけ」

 

 ちゃちゃを入れてきた二ムを一蹴して俺は頭を掻いた。 

 

 まあ、今回の話はたったこれだけのことだ。

 緋竜の爪の連中はただのつかいっぱしりでしかない。こいつらの裏にはクソみたいな奴がいるわけで、ただ俺達は盤上でそいつの遊びに付き合わされていただけだ。

 今この場にいる連中の中で一番割を食っているのは間違いなくヴィエッタだ。

 そもそも標的だったのは俺と二ムで、話の流れで俺がヴィエッタを引っ張り出してしまったというだけの事だった。それなのに、そんなヴィエッタは今や完全な人質の上、命の危機にさらされてしまっている。

 正直申し訳ない事この上ないのだ。

 あいつが色々俺に言っていたこと……ヴィエッタだって一人の少女で、一人の人間だ。やりたいこと、したいことはたくさんあるんだ。それをこんなどうでもいい、全く自分とは関係ない事態に巻き込んでしまった挙句、取り返しのつかないことにでもなってしまたら、それこそ寝覚めが悪いじゃ済まない話しだ。

 ヴィエッタだけは必ず助けなくては。

 

 クロンに縄を抑えられ、目と口を塞がれて縛られたまま立っているヴィエッタを見上げつつ俺はそんなことを思っていた。

 そんな時、シシンが口を開いた。

 

「参った。旦那には完敗だ」

 

 奴は微妙に顔を歪めながら不格好に笑った。

 

「まさかそこまでお見通しだったとはな。ならもう俺らも言うことは一つだ、頼む!」

 

 シシンは胡坐のままで頭をぐいっと下げた。そしてそのままの格好で大声を張り上げた。

 

「頼む旦那……仲間を……【シャロン】を助けてくれ」

 

「シシン!」

 

 頭を下げるシシンの後ろでクロンさんが絶叫する。しかしシシンは腕を伸ばしてクロンの言葉を止めた。

 

「クロン……もうこれしかないだろう。元々俺らには奴らをどうにか出来る手段はなかったんだ。このままじゃシャロンはおろか、もっと多くの犠牲者でることになっちまう。お前だってそのことは分かってるだろう?」

 

 犠牲者って言葉が何を物語っているのか、俺はちらりとオーユゥーン達を見てから顔を顰めた。

 マジでこの背後じゃ胸糞悪い事態が進行していそうだと感じて吐き気を催したのだがそれをぐっと飲みこんで奴へと言った。

 

「別に俺はお前の仲間を救いたいわけじゃねえよ。とにかく今はヴィエッタを返して欲しいだけだ」

 

「意訳するとっすねー、”シャロンさんを絶対助けるからヴィエッタさんを返してね”」

 

「てめえらの親玉が何をしようとしてんのか知らねえが、俺らはそんなのに関わりたくはねえんだ。とっとと終わらせて帰るからな」

 

「”悪の親玉がもう二度と手を出してこないように、必ず俺達が倒して帰還するから心配するなよな”」

 

「って、二ム! 勝手に都合よく解釈いれてんじゃねえよ。ふざけんな」

 

「へへ……でも、どうせワッチが言った通りにするんでやしょ?」

 

「ぐぬうううう」

 

 二ムめ! いつもながらへらへらと勝手な事ばかりぬかしやがって。俺は本気で面倒には巻き込まれたくないんだよ。

 

「悪い……恩にきる」

 

 シシンが更に深く頭を垂れた。

 

「って、てめえもだよ! 元はと言えば全部てめえらの問題だろう? 自分じゃ敵わない相手に遭遇してこんな状況に追い込まれやがって! 多少レベル高いからって慢心しすぎなんだよてめえらは! レベル1に頼って恥ずかしいと少しは思いやがれ!」

 

「まったくその通り……何一つ言い返す言葉もねえよ」

 

 頭を下げっぱなしのシシンが俺へとそう言うが、しおらし過ぎて起こる気も失せた。

 しばらくそうしたシシンが今度はきちんと両拳を地面につけて、もう一度お辞儀。今度はなにやら儀式めいた感じのする下げ方だったが……奴は口調を毅然としたものに変えて声を張り上げた。

 

「改めてお頼み申す。我らの仲間の一人は今、邪教徒の手中にある。敵は強大で我らだけでは到底太刀打ちできず……どうか、どうか仲間の救出に貴殿と二ム殿の御助力を賜りたい。どうか……どうか我らにお力添えを」

 

 そう発した背後で、ゴンゴウとヨザクの二人も畏まって膝をつき、そして頭を垂れた。

 

「ぐぬう」

 

 これはなんだ? 時代劇かなんかか? 

 どう見ても正義の味方に助力を願う場面だよな?

 誰が正義の味方? え? 俺達?

 いやいやいやそれはないだろう。別に俺達はそんなんじゃないし、そんなつもりもない。もっと気軽でよかったのに。

 

「ご主人、なんか今めっちゃカッコいいっすよ? とりあえず『おのおのがた、討ち入りでござる!』って言ってくださいよ、はい『采配』」

 

「赤穂浪士か! ってかなんでそんな采配用意してんだよ。いらねえだろうが!」

 

「これワッチの手作りなんすよ。使ってくださいよー」

 

 二ムが棒にひらひらした白い布切れをつけたはたきのようなそれを手渡してくるが、どうも武将が使う采配のつもりのようだ。マジでいらねえ。

 くそう、本気でこの状況は想定外だ。

 こいつら完全に俺達を上に見てやがるし、マジで仲間の救出をやる気になっちまったみたいだし。

 俺はヴィエッタをとりかえしたら、あーだこーだ言って、とりあえず連中の親玉に一度くらいは面会してから、すたこら逃げる気まんまんだったのに。

 これじゃあ戦闘不可避じゃねえか。

 でも、あれだ、今は余計なお荷物でもあるオーユゥーン達も付いて来ちゃってるから、その辺を言い訳にして逃げちゃえばいいか?

 とか、思って振り返ってみれば、そこには片膝を着いて俺をキラキラした目で見上げてきている4人の姿。

 

「緋竜の爪の方が傅かれるなんて、お兄様はやはり賢者(ワイズマン)様……」「やっぱりすごいんだ! きっとお姉さまたちも助けてくれるんだ!」「わたしもクソお兄ちゃんと一緒にたたかっちゃう!」

 

 とか、そんな聞きたくもない声が次々と……やめろよ、もうどんどん逃げ場が無くなっていくじゃねえか。

 

「大門の岩の下に立つご主人と……そして膝を着いて頭を垂れている緋竜の爪のみなさんとオーユゥーンさん達、めっちゃ絵になりますね。というか、後でワッチが絵に描きますよ。後世の人が見たら救世主っぽい感じにみえるかも……」

 

「やめて! マジやめて! そんなの黒歴史どころの騒ぎじゃないレベルで痛すぎるから!」

 

 本気でやめて欲しい。そんな絵でも残ろうものなら俺は死んでも死にきれないぞ。時間遡行してでも消滅させたいレベルの話だ。

 でもあれだ、これはもう後には退けないよな。

 シシンたちの希望は明らかだし、やることもまあ分かっている。

 となれば面倒だけど先に進むしかないわけか……はあ、本当はやらないに越したことはなかったんだけどな、でもあれが存在するというならこの先の人生の平安の為にもせざるを得まい。

 俺は圧し掛かってきた面倒に眩暈を覚えつつ、一度だけ嘆息してから口を開いた。

 

「わかったよ。やるよ。やってやるよ」

 

「おお! 旦那……!」

 

 シシンたちが一斉に顔を上げた。その表情には安堵にも似たそれがあった。

 さぁて仕方ねえ。一丁頑張るかね……

 

 その時だった。

 

「ダメよ……そんなのダメ」

 

「?」

 

 唐突にそんな声がしてそっちを見れば、そこには手にナイフを逆手で持って、縛り上げられたヴィエッタの首筋にそれを押し当てているクロンの姿。

 彼女は両目から涙を流しながら俺達を見ていた。

 

「クロン! よせ!」

 

「なによシシン! 話が違うじゃない! あとはこいつらを連れて行くだけなのよ? そうするだけでシャロンは解放されるのよ! なのになんで今更あいつらと戦わなくちゃならないのよ! それならもっと早くそうしていればよかったでしょ」

 

 クロンは叫んだ。それが彼女の本心に間違いはないのだろう。

 だが、シシンは彼女へ吠えた。

 

「バカ野郎がっ! 相手のレベルは『70』なんだぞ! たとえあいつが戦闘に向いていない『聖職者』だとしても、たかだかレベル40の俺達が敵うわけないからこうしてしたがっていただけじゃねえか」

 

「だからじゃない! ここまで我慢して従ったのよ? あと少し、後少し我慢すればシャロンも解放されて助かるのよ。確かにこいつらは強いと思う。でもそれだけじゃない。シャロンを必ず救えるなんて思えない」

 

 え? 相手レベル70もあるのか? そんなのもう人外の域だろうが! まじでふざけんなっ!

 シシンはクロンへとゆっくり近づいていく。

 

「まだ分からないのかクロン! あいつらはシャロンをすんなり解放なんかするわけないんだよ。もう何十人も何百人も殺しているんだ。シャロンはおろかそのことを知った俺達だって無事に済むわけないじゃねえか。さあ、そのナイフを寄越せ。旦那にヴィエッタを返すんだ。その子は無関係なんだから」

 

「う、うううう……」

 

 クロンは唸る様に泣きながらジッとシシンを見据えていた。

 手にしていたナイフは少しヴィエッタを傷つけたようで首筋に血の筋が流れているが、でも彼女は静かにたたずんでいた。震えているのはクロンの方だけ。

 そしてクロンが唐突に動いた。

 

「うわあああああああああっ!」

 

「クロンっ!」

 

 大きく手を振り上げたクロンが持ったままのナイフを凄まじい速さで振るった。

 その切っ先はヴィエッタの頭に向かっている。

 刺さった!

 確実にそう思った次の瞬間、

 

「も、紋次郎?」

 

「うううう……」

 

 そこには全ての縄と目隠しと猿轡も切られ呆然となってこちらを見るヴィエッタと、ナイフを捨ててがっくりと膝をついて項垂れるクロンの姿はあった。

 

「クロン……」

 

 そんなクロンにシシンが呼びかけつつ手を差し伸べようとしていた。

 ヴィエッタも困惑した様子ながら、俺へと歩み寄ろうとしていた。

 

 その時だった。

 

「ふふふ……やはり貴方方は神を欺いてしまわれましたか。これは残念なことです。導くことの出来なかった私の罪ということですな。おお……神よ……全能なる我が主よ……、どうかどうか道を誤ってしまった罪深き私とこの者達をお救いください……」

 

 まるで脳に直接響いてくるかのようなその声は、年老いた男性のそれのようではあるが、どこから聞こえてくるのか分からない。

 その場の全員がきょろきょろと見回しているなか、俺にそっと近づいてきた二ムがぽそりと言った。

 

「ご主人、きやすよ」

 

 二ムががっしと俺の腕を掴んだ。そして次の瞬間それは起こった。

 足元から唸るような地響きがなり始め、そして次第とそれが振動に、激震へと変わっていった。普通に立っていることも難しいその激しい揺れの中で、俺へと駆け寄ろうとしているヴィエッタと目が合った。

 

「紋次郎!」

 

「ヴィエッタ!」

 

 手を伸ばそうとするヴィエッタに、俺も身を乗り出したのだが……

 直後、俺と彼女の間にそれが現れた。

 

『びゃおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉぉぉぉぉっ!』

 

 奇怪な悲鳴を上げつつ地中から現れ出たそれ、一つの胴体に何本もの腕と何本もの足、そして全身からうねうねと蠢く触手を無数に生やし、そして体中のいたるところに不気味な人面をを生やした巨大な存在が立ちはだかった。

 

「きゃああああああっ!」「ああああああっ」

 

 突然女性の悲鳴が上がり、注視してみればヴィエッタとクロンの二人がその触手に捕らえられ、空中で拘束されていた。

 

「クロン!」「ヴィエッタ!」

 

 シシンと俺の声がほぼ同時に出た。

 

「ふふふ……ついに……ついに現人神(あらひとがみ)として蘇えられた。神の御子達よ! どうかこの世の救済を! 世界の浄化を! ふはははははははははは」

 

 すぐそばの大岩の上に青い法衣を纏った年配の男が……気が触れてしまったかのようなその顔を醜悪に微笑ませて嬉しそうに現れ出た奇怪な巨人を見守っていた。

 

 俺は見続けた。

 何体ものその醜悪な巨人達が地から生え続けるのを……ただ、じっと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八話 ヘカトンケイルと神の供物

「こ、これはなんですの?」

 

 ガタガタに崩れた地面の上に立って声を詰まらせているのはオーユゥーン。いや、オーユゥーンだけではない。シオンもマコもバネットも……ゴンゴウやヨザクでさえも驚愕に目を見開いてただそれらを見上げていた。

 そこに蠢くのはまさに異形の巨人。

 無数の腕と足と頭と触手。もはや原型が人であるのか獣であるのかも判然としないそれは一見すると無数の巨大な人をこねくり合わせただけの形状の様にも見える。

 しかし、そんな物が動くことができるわけもなく、何よりその異様に長い沢山の手足がまるでムカデの様に交互に繰り出されながら進もうとしているのだ。

 身の丈はどれくらいか、まるで小山くらいはありそうなその体躯は折り曲げられていて良く分からないが、少なくとも40~50mくらいはありそうだ。

 

「これは伝説に謂われる『ヒュドラ』か……?」

 

 ゴンゴウがポソリとそう零すのを俺は正した。

 

「んなわけねえだろうが。あれは『出来損ない』だ。敢えて言うなら『ヘカトンケイル』だろう」

 

「へ、ヘカトンケイル? あの『創世神話』に出てくる最強の『醜き巨人の神』のことか? も、紋次郎殿はあれを『神』だとでもいうつもりなのか」

 

 驚愕したままで俺に問いかけてくるゴンゴウに俺は即答した。

 

「俺も『創世神話』は読んだよ。まあ、同じかどうかは別にしても少なくともあそこのじじいは神様だと思ってるみたいだぞ」

 

「な、なんということ……」

 

 巨大なその怪物達を見上げるようにしてその青い衣のじじいは高らかに笑い続けていた。

 くそっ! まったく胸糞悪いぜ。

 創世神話というのはこの世界に伝わっている、言わば『天地開闢(てんちかいびゃく)』の物語のことである。所謂世界中どこにでもありそうな『国産み』、『神産み』の神話のことだが、大半は思想誘導にも近い英雄譚のようなものである。

 まあ、地球のギリシャ神話とかに近いのだが、そこに出てくる強烈なインパクトを誇る怪物がまさにいま俺が口にした『醜き神(ヘカトンケイル)』達だ。

 

 この神の兄弟達は大神の血を受け継いで生れ落ちた巨人達であったが、あまりの醜さに天界を追放され、冥府へと捨てられてしまったのである。その身体は幾百幾千の手足と数多の顔を持ち、あまりに醜悪に過ぎたがために全ての生物から疎まれ蔑まされ、誰の愛を得ることも叶わなかった。悲嘆にくれ死を望み、兄弟で殺し合いなお不滅の神であるがために死ぬことも出来ず、ただ絶望を募らせ生き続けた。

 だが、ある日、父である大神が敵の襲撃により窮地に立たされたその時、彼ら兄弟は一致団結してその仇敵を討ち滅ぼしたのである。醜いとはいえ彼らは大神の子、そして父をも上回る神秘をその身に宿していた。

 何一つ傷も受けぬ間に忽ちの内に敵を殺戮したヘカトンケイル達に父神は恐怖し、そして祝いの席で毒を盛り全てのヘカトンケイルを殺そうとした。だが……無敵の巨神に死は訪れることはなく、ただ父の愛を最後まで得ることが適わなかった悲しみを胸に今度は自分達から天界を去る。

 そして全ての絶望を胸に、全てを焼き尽くす『プロミネアスの終末の炎』にその身を投じ死んだとも、生きながら永遠の業火に焼かれ続けられているとも云い伝えられている。

 これがこの世界における最も強く最も醜悪な神達の伝承である。

 

 ちなみに、この世界で今流行っている『神教』という宗教の御神体の神は、どうもこの神話の大神の事らしく、諸説あるのだが、大神以外の他の神々はその多大な罪により大神に裁かれ、全て滅ぼされたということになっていて、『そんな堕落したかつての神々に変わり大いなる神がお遣わしになられたのが、『人』と名の付くそれぞれの種族であり、こうして人は神の子となった』(神教黙示録第2節人の誕生より)とされているのだ。

 まあ、どこをどうしたら、神々の代わりに人が誕生するのか甚だ疑問ではあるのだけど、宗教とはそういうものなのだろうと納得するほかはない。

 

 つまり、あのちょっと高いところでふんぞり返りながら哄笑しているじじいは、見た目の通り神教の、それもかなり重度の狂信者で、罪を犯した人をかつての神宜しく、その悉くを滅ぼそうとか思っているのだろう……確か神教の中では大神を守ろうとした醜き神(ヘカトンケイル)達を、正式な神の子として崇める風潮もあると聞いたことがあるし、ひょっとしたらあの怪物は本当にその神話のヘカトンケイルそのものなのかもしれない。

 いずれにせよだ。

 

 迷惑極まりない話しなんだよ! ちくしょうめ!

 

 見上げれば、クロンとヴィエッタが触手に締め上げられ苦しそうに悶えている。

 一番手前のそのヘカトンケイル……一番デカい奴なんだが、そいつはたくさんの顔を四方八方に向けて、発音不可能な不快な声を漏らし続けていた。どこを見ているのかはよく分からないのだが、確実に捉えた二人のことは意識しているらしく、近くの腕や触手をさらに伸ばして彼女達に襲い掛かろうとしていた。

 

「ちぃっ! くそったれがこの化け物がっ! 食らいやがれっ!」

 

 シシンが駆けだしながらそう叫ぶ。そして手にした深紅の長い棒を高速で回転させながら飛び上がった。

 

「『(しょう)(てん)()(れん)(げき)』ッ‼」

 

 そう叫ぶと同時に奴の腕とその棒が真っ赤な火炎に包まれる。そして高速で回転していたその得物の炎がまるで竜巻の様に巨大になったかと思ったその瞬間、クロンたちを拘束していた触手が炭化、霧散した。

 

「ちぃっ、浅かったか……」

 

 そう小さく呟くシシンだが、技が終わると同時に襲い掛かってくる触手を次々に棒で蹴散らして、そして焼け焦げた触手に掴まったままだったクロンの胴体へとその強烈な一線を繰り出す。そして零れ落ちるように落下した彼女を抱きとめてそのまま一気に離脱した。

 

「ゴンゴウ! ヨザク! 頼む!」

 

「任されよ!」「よし来た!」

 

 チラリと後方にまだ取り残されたままのヴィエッタを見て小さく舌打ちを鳴らしたシシンはゴンゴウ達の背後へと周った。

 

「いくぞ! 『(せい)(りゅう)(らん)(げき)(ざん)』! どらららららららああああああっ!」

 

「行くっスよ! 『(はっ)(かく)(しゅ)()(けん)・乱れ撃ちっ!』っせええええいっ!」

 

 襲い来るたくさんの触手の攻撃を、その場に仁王立ちしたゴンゴウは手に巨大な青龍刀を構え、近づく全てのそれを瞬く間に切り落としていく。

 そしてヨザクは、独特な形状のまるでのこぎりの刃のような手裏剣を器用に投げつけ、空中で複雑な軌道で襲い掛かってくる触手を叩き落としていた。

 こいつら、戦い慣れてやがるな。流石はAランクパーティか。

 

 地面にクロンを下ろしたシシンはすぐさま俺の傍へと駆け寄ってきた。クロンは……けほけほと咳き込んでいるようだが、特に外傷はない様子だ。

 

「すまねえ旦那。ヴィエッタちゃんまでは助けられなかった」

 

 そんなことを言うシシン。

 いや、かなり凄かったと思うよ。あんな高いとこまでジャンプした挙句、魔法だかスキルだか良く分からねえけど、とんでもねえ威力の必殺技かましてたし。あんなのマジで不可能なレベルだから。

 ヴィエッタは更に増えた触手によって全身をぐるぐる巻きにされているし。

 

「いや、お前が謝るこたねえよ。こっちはこっちでなんとかしてみるさ」

 

 そう言ってから俺は腕を突き出して魔法を唱えた。

 

「隆起せよ! 『土壁(ド・ウォール)』‼」

 

 その瞬間ヴィエッタが捉えられているであろう辺りの地面が急に盛り上がった。

 だが、今回はただ盛り上げたわけじゃねえ。俺もこの魔法には大分なれてきたしな。ここで食らわせるのは、この一発だ!

 もっと速く……そして、もっと『薄く』だっ!

 

 

 サクサクサクッ‼

 

「え?」「なっ!」「わっ!」「……」

 

 一堂が驚愕している目の前でそれが起きた。一瞬で、あの巨大なヘカトンケイルの無数の触手と何本かの腕が切断されたのだ。

 よし! 上手くいった!

 別段難しい事をやったわけじゃない。

 土魔法は確かに硬い鉱物を抽出して魔法現象で刃を形つくることも可能だが、今回はそこまではしていない。俺は単に隆起させた地面を薄く薄く、まるで打ち出されたばかりの鉄板の如く、薄い刃とした。

 もとよりただ勢いに任せて打ち出すだけの魔法なのだから、その速度によって魔法で硬くなった土の刃で切断してしまえばいいと、ただそれだけの理論だ。少しだけ刃面を斜めにしておいたのも良かった。サクッと切り裂けてこれはかなり低コストハイリターンな攻撃となったわけだ。もっともいつも使えるのかは不明だが。

 

「す、すげえ……すごすぎだぜ」

 

 シシンがそう呟くのとほぼ同時に、形容しがたい不快な悲鳴を上げたヘカトンケイルの脇で、空中に投げ出されたヴィエッタが落下し始めていた。

 

「二ム!」

 

「ほいっ!」

 

 俺は即座に二ムへと声をかけ、ヴィエッタの回収を命じた。だが……

 

「おのれ……おのれおのれおのれおのれぇえええええ! 許さんぞぉ! この背教者めらがぁっ!」

 

 突然岩の上で吠えたあの青いくそじじい。

 そこに奴がいることをすっかり失念していた俺だが、これが誤算だった。

 凄まじい速さで駆け寄ろうとしていた二ムに向かって、そのじじいは手にした禍々しい意匠の長い杖を突き出しつつ、その魔法を完成させていた!

 

「消滅せよ! 『究極(アルティメイト)魔素大爆発(エレメンタルエクスプロ―ジョン)』‼」

 

「二ム! 逃げろっ‼」

 

 俺はその瞬間思わずそう叫んでいた。

 そうしなければならないと、俺の脳が叫んでいたから。

 そう、俺はこの魔法を知っていた。あの魔法の本にもきちんと載っていたんだ、決して使用してはならない『禁断の魔法』として…… 

 

「そんなこと言われても、ヴィエッタさんを放っておけないっすよ」

 

「くそっ!」

 

 二ムは落下していたヴィエッタを抱き止めそして着地した。だが、今回は先ほどのシシンの時のように触手が襲い掛かってくることはなかった。見れば触手たちはそれをひっこめて本体でもあるヘカトンケイルの身体へと絡みつき、そしてヘカトンケイル自身もその場から立ち去ろうとしているかの如く、動き始めていた。

 俺は更に上空を見上げた。

 そこには超巨大な七色の七つの魔法陣が高速で回転しながら浮かんでおり、更にその周囲に無数の小さな魔法陣が次々に浮かび上がり続けていた。

 空に異変が起こっていた。遥か上空に浮かんでいるはずの雲が、その魔法陣達に呼応するかのように凄まじい速さで動き始め、空間それ自体にも光が走り続けていた。その様はまさに絵画を破くかのような感じで、そこに映る景色そのものを破りちぎっているかのよう。

 

「二ム! いそげっ!」

 

「ヴィエッタさん抱えてたらそこまでは無理ですよ」

 

 二ムの答えにさもあろうと思いつつも何か手はないかと高速で思考する。今の二ムの燃料残ではリアクターを暴走させた『E(エネルギー)シールド』を展開することは不可能だ。

 危険なのは二ム達だけでは当然ない。俺達もである。このままで『あれ』に巻き込まれて良くて一網打尽だ。すなわち『即死』。

 その時、俺は閃くままに声を発した。

 

「『背中』だ二ム!」

 

 その瞬間だった。

 強烈な光を放ちながら上空の巨大な全ての魔法陣が急速に俺達の眼前に収束、凝縮、圧縮され、まるで小さなボールのようになったかと思ったその瞬間、それは『成った』!

 

「『土……(ド・……)』……」

 

 手を突き出し声を発していた俺……だが、その全てを『それ』に飲み込まれた。

 

 その時、そこから全ての色と音が消失した。

 世界の破壊そのものがその時起きたのだ。

 とてつもない振動と爆音、炎と熱、凶器と化した岩石の礫、鋭利な水の刃が襲い来る。

 

 俺達はそれを『穴』の中で必死に耐えた。

 そう、穴の中だ。

 俺はあの瞬間、またしても『土壁(ド・ウォール)』の魔法を使用した。今回のはなるべく厚く、なるべく高く、起こるであろうあの大爆発をとにかく防ぐために俺達の前面に分厚い土の壁を構築した。そしてそれとは真逆に俺達は足元を消失させて深い穴にわざと落ちた。

 所謂落とし穴。さっきロックゴーレムにつかったばかりだというのに、今度は自分から飛び込む羽目になった。

 とにかくこうでもしなければあの大爆発から逃れる術はなかった。

 あの魔法……『究極(アルティメイト)魔素大爆発(エレメンタルエクスプロ―ジョン)』は簡単にいえば全属性ミックスの自爆魔法だ。自分の有している全マナを開放した上で、周囲……といっても、その術者がどこまでの範囲を指定したかにもよるけれど、その空間にある全ての魔素……つまりマナや精霊などの、エネルギー体の全てを取り込んだ上でそれらを魔法的に最大に効率を高めた上で大爆発を発生させるというとんでもない魔法なのだ。

 この魔法の恐ろしいところは術者の魔力量依存ではないという点。

 基本的な魔法は魔力の大きさで効果の大小が決まるのだが、この魔法はその空間全体のエネルギー総量でダメージが決まる。ここにどれだけの魔素と精霊がいるのかは不明だが、それら全てを飲み込んでこの魔法は完成したのだ。とんでもないにもほどがある。

 こんな魔法を使いやがるなんて、あのじじいただの神父じゃねえな。

 

「お、お兄様……だいじょうぶですの?」

 

「ああ、大丈夫だ。今のところはだが。少し余裕があるなら、気絶している連中の手当てでもしてやれよ。シシン、お前もだ」

 

「ああ、もう、そうしてるぜ」

 

 振り返ってみれば、シオンやクロンが気を失っている。この穴に落ちた衝撃でああなったみたいだが、まあすぐに目は覚ますだろう。

 爆発はまだ続いている。時折穴の上部が崩落して岩石や土や砂が降ってくるも、それらはゴンゴウやマコが粉砕して俺達を守ってくれた。

 暫くそうした後で、空間に鳴り響いていた炸裂音が小さくなる。

 最初の大爆発の後も漏れ続けていたエネルギーの波は漸く収まりを見せたようだ。

 

「旦那いくぜ」

 

「って、お、おい?」

 

 俺はシシンに腰の辺りを掴まえられて抱えられたまま一気に穴から脱した。

 オーユゥーンやゴンゴウも、それぞれ人を抱えて飛び出してくる。

 そして俺はそこで見た。

 

 先ほどまで大門の岩があったであろうその付近に、直径100m以上はありそうな巨大なクレーターが出現していたことに。そこにはもう何もなかった。あるのはガラス化してしまった岩の数々と、更に粉砕された大量の砂があるだけ。

 そんな状況だがヘカトンケイルは無傷ですぐ近くを悠々と歩いていた。

 と、よく見て見れば、そのヘカトンケイルの背中に豆粒みたいな感じで二つの人影が。そこにいたのは当然二ムとヴィエッタで、二ムが俺達に向かって元気よく手を振っていた。

 あの瞬間、『背中』と叫んだのを、二ムはきちんと理解できたようだ。

 あのじじいはヘカトンケイルどもを崇拝しているようだったしな、いくら怒りに任せた究極魔法だったとしてもアレを傷つけるはずがないと俺は踏んだんだ。まさにそれは的中したわけで、本当に良かったよ。

 

 そう考えてから、俺はまさかと思いつつ、さきほど青いじじいがいた岩の辺りを見て見れば、そこには全く移動した気配すらないあのじじいの姿が。だが、どうやら相当に勘に触ってしまったらしくその顔は鬼の形相でじっと俺達を睨んでいた。

 

「なんと……なんという愚かな者たち。神の御子を傷つけたばかりか、神の怒りからも逃れようとするとは……万死に値する! 許せぬ! 神の力、思い知るが良い!」

 

 とかなんとか恐ろしい事を吠えていやがるし。

 

 二ムが再び襲い掛かり始めた触手や腕や足や顔から逃げつつ、こちらへと駆け寄ってきたのだが、再び青じじいは杖を突き出してそこに魔法陣を描き始めていた。

 

「いけねえっ‼ またヤバい魔法を使う気だ!」

 

 俺も再度腕を突き出して魔法の準備に入る……だが、嫌な予感を覚えつつ、試し打ちもかねてある魔法を発動させてみたのだが……

 

「で、でねえ……俺の魔法が、出ない」

 

「え、ええっ!?」

 

 絶叫するオーユゥーン達の前で俺は自分の腕に視線を落とした。

 出ない。いや、出せない。魔法を使えないのだ。

 何度も何度も繰り返し頭の中に術式を組み上げる。だが、本当に何も反応しやしない。

 いや、その予感はあったんだ。あの究極魔法を見た瞬間から。

 あの魔法は、空間に存在する全てのマナや精霊を『喰う』のだ。つまり、この空間からそいつら全てを『消し去る』ということ。くそがっ! あのじじいただでなくても面倒そうなのに、こんな禁魔法ぶっぱなしやがって。

 これじゃあ俺はもう何も魔法を使えねえじゃねえかよ! 

 そう思った時だった。

 

「死ぬがよいっ! 『光子百連槍(ホーリー・フォトンファランクス)』‼」

 

 青じじいがそう宣言した直後、奴の目の前に大きな金色の魔法陣が出現し、そこから光の長槍がいくつもいくつも無数に生え出はじめ、そのまま二ム目がけて連続的に射出された。

 

「うわわっと、あ、あぶないっす」

 

 二ムはヴィエッタを抱いたままでそれを回避し続けるも、その数が圧倒的に多くついに足に一撃を食らいそのまま前のめりに転倒、すぐさま地に倒れたヴィエッタへと覆いかぶさった。

 

「ふはははははは、死ね死ね死ね死ね死んでしまええええええ!」

 

 なんの躊躇もなく光の槍を打ち出し続けるじじい。二ムはといえばそれを全身に浴びながらただジッとヴィエッタに覆いかぶさり続けていた。当然だがもう服は消滅している。くそっ! あれ結構高かったのに。

 

「くふふふ……くははははは……神に弓引く愚か者たちよ。見よこの女どもを! 抗ったがためになんの救済も得られずにただ滅びさったこの様を! さあ、こうなりたくなければ神の午前に跪くのだ。そうすれば……」

 

 じじいはニタァッと卑しく微笑んで宣言した。

 

「神は貴様たちに永遠の安らぎとともに死をお与え下さるであろう。くはははははは」

 

「ふざけやがって、狂信者が」

 

 シシンが俺の隣でそんなことを呟いた。

 

「ん? そうであった。背教者といえど、貴様らも『仲間』と別れての死は寂しかろう……これも神のご慈悲である。さあ、見せてやろう、貴様たちの仲間の尊き贖罪の姿を……」

 

「な……んだ……と?」

 

 愉悦に顔を歪めた青じじい。奴は自分の岩の背後……そこにあった大きな洞穴に向けて何かの魔法を放った。

 すると辺りにぱあっと光が輝き、そしてその穴の中に大きなそれの姿が現れた。

 それはゆっくりとこちらへ向かって歩み出てくる。その不気味な姿はあのオーユゥーン達の娼館で見た怪物のそれと同じで間違いなかった。大きな眼窩の三つの瞳をくるくる回転させながら、その怪物は何かをひきずりながら現れたのだ。

 そして青じじいのとなりまでくると俺達に見せつけるように、たくさんの腕でその存在を掴みあげた。

 

「う……うう……み、見ない……で……お、お願……い……し、シシン……い、いやぁ……」

 

 怪物がその口でべろべろ舐めているそれは……女性……それもクロンにそっくりな長い青髪のボロボロの破れた衣服を纏った少女だった。

 そんな彼女の腹は異様なほどに膨れ上がっている。そして遠目でも分かるくらいにそれは蠢いていた。

 

「しゃ、シャロンっ‼ ひ、酷いっ!」

「てめえっ! 俺らが言うことを聞いて居る限りは手を出さねえ約束だったはずだろうが!」

 

 口を塞いで涙を溢れさせるクロンと、真っ赤になって激高するシシン。そんな二人の方をむいてじじいは言った。

 

「当然約束は守るつもりでしたよ? 偽りだったとはいえ、あなた方は神の為に働くと宣誓までなされたのですからね、くふふ。ですが、彼女は私に告白したのです。自分は姉を裏切ってしまったと。姉が好意を寄せているのを知っていてそれを裏切って、姉の思い人に身体を委ねてしまったと……これほど純粋に懺悔されては、聖職者の私としては贖罪のお手伝いをしないわけにはいかないではありませんか」

 

「貴様ぁあああああああっ!」

 

 手に自分の得物でもある深紅の棒を握り吠えながらじじいへと切迫するシシン。そしてそれに追従したゴンゴウとヨザクの二人もその眼に激しい怒りの炎をたぎらせていた。

 ただ一人呆然となって項垂れてしまったクロンに、オーユゥーン達が駆け寄ろうとしていた。

 

 くそがっ! 次から次へと胸糞悪い事態ばかり展開しやがって。

 マジでここは地獄か冥界か?

 娼婦を攫ってあんな気持ち悪い怪物に犯させて、産ませたのがあのでかいヘカトンケイルってことなんだろう。あのサイズまで育てようってんだから、どんだけ大量の『タンパク質(えさ)』が必要だったのか想像に難くないが、まさにそれに虫唾が走るし。

 しかも神の名の元にだ? 贖罪だ?

 なんで自分の過ちをわざわざ神様経由で反省しなくちゃいけねえんだよ。そんなのはまず自分と当事者で示談にする話だろうが! 百歩譲って相談するなら警察か裁判所だ。まちがっても神様じゃねえ。

 それに、俺の虎の子の魔法も使えなくされちまうし、二ムとヴィエッタも狙われて、二ムの一張羅も消し炭にされて、しかも俺の目の前でモンスターによる婦女暴行とさらにこの先は間違いなく生スプラッタに突入だとか!

 

 くそっ!

 

 くそくそくそくそくそっ! 

 

 くそがっ!

 

 あんのくそじじいがっ!

 

 ふざけんじゃねえよっ!

 

「おい二ムっ! 寝てねえでとっとと起きろ! おらさっさとやることやるんだよ!」

 

 そう叫ぶと同時に、二ムは焼け焦げ炭になった衣服を落としながらゆっくりと起き上がろうとした。

 その下には蒼白になってはいるが、ヴィエッタがいる。どうやらケガはしていないようだが。

 

「ご主人は簡単に言ってくれやすけどね……節約(エコ)稼働中のワッチには結構きついんすよ」

 

 振り返りつつそう言った二ムは、でも結構平気そうだ。だが……

 

「ほう……私の信仰の証とも謂えるあの聖なる槍の魔法を受けて平気なのですか……これは……許せませんね! 『聖波動(ホーリー・フォースウェーブ)』‼」

 

「ぐああああっ!」

 

 青じじいがそう呟きながら腕を一閃、すると、猛攻をしかけていた、シシン、ゴンゴウ、ヨザクの三人が見えない何かに殴られたかのように弾き飛ばされてしまった。

 それを呆然と見ている間はなかった。

 まるで瞬間移動でもしたかのような速度で一気に二ムの傍へと移動したじじいは、次の瞬間に二ムに向かってやはり同様に大振りに腕を振るった。

 その一撃は二ムに直撃する。

 見えないその何かの攻撃で、二ムが一瞬で消えた……と、次の瞬間俺達の背後の地面に土煙が上がり、そして遅れて炸裂音が響き渡った。

 

「二ムっ!」

 

 凄まじい勢いで吹き飛ばされた二ムが、そのまま地中へとめり込んで消えた。あのじじい、ニムに魔法を耐えられて相当にムカついたみたいだな。

 このじじい、女子供でも容赦なしなのかよ。いや、女だからこそ……なのか?

 

 青じじいは、その場に取り残されてしまった震えるヴィエッタへと今度は視線を移した。そしてその襟首をつかんでそのまま掴みあげた。

 そして冷え切った瞳で見下ろして口を開く。

 

「貴女もやはり娼婦でしたか……汚らわしい」

 

「え……?」

 

 その一言でヴィエッタの顔から生気が消えた。

 遠目に見た感じただ震えているだけだ。

 じじいはそんなヴィエッタを見下ろしながら続けた。

 

「救いを求めるのでしたらお手伝いいたしますが……いや、私ももう疲れました。あなたのような薄汚い汚らわしい娼婦など、もう相手にするのも面倒です。まあそうですね……すでに神の御子も蘇られました。でしたら、貴女のその下賤な命、神の御子への供物とさせていただきましょうか。さあ御子の元に向かうのです。そして貴女の汚い魂を御子に浄化して頂きましょう。なんと幸せな! なんという誉れ! ふははははははははは」

 

 目を見開いた青じじいが高らかに笑った。

 

 ヴィエッタは……

 

 ただ、ぎゅっと胸の前で手を組んでいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十九話 冒険者(ヴィエッタside)

 ――何がおきてしまったのだろう……

 

 

「ヴィエッタちゃん!」

 

 

 ――私はいったい何をしているんだろう……

 

 

「シャロンとヴィエッタを放しやがれっ‼ 『(ごく)(えん)()(しょう)(げき)』‼」

 

 

 ――どうして私は……

 

 

「ふははははは……神の奇跡を見るがいい‼」

 

 

 ――まだ生きて……

 

 

「…………」

 

 

 ――紋次郎……

 

 

 ――私……

 

 

 ――私は……

 

 

 ――まだ……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 真っ暗だった。

 ずっと……ずっと真っ暗だった。

 ううん、目隠しをされてからじゃない。もっと前、そうずっと前から私は真っ暗闇の中にいたんだ。

 

 あの時……お父さんとお母さんが死んでしまってからずっと……

 私は真っ暗闇の悪夢の中に居続けた。

 私はいつも逃げていた。必死に走って逃げ続けた。でも……どれだけ逃げても、どれだけ頑張っても、ずっとずっとずっとずうっと悪魔は追い続けてきた。

 どれだけ懇願しても、どれだけ泣いても、悪魔は許してはくれなかった。

 私を襲い、私を食べ、私を踏みつぶしていく……そんな日々が永遠と続いたんだ。

 本当に……本当に悪夢だった。

 その夢の中には決して助けは現れなかったから。

 優しかったお父さんも、お母さんも決してその私の悪夢の中に助けには来てくれなかった。

 

 だから私は静かにお祈りした。

 誰にも聞こえないように、誰にも知られないように……

 いつか……いつか、きっとお父さんとお母さんと会わせて欲しいと、いつかきっと昔の様にお父さんとお母さんと暮らしたいと。

 だから祈った。祈り続けた。 

 どんなに怖くても悲しくても辛くても、あの温かかった頃を忘れたくなかったから……

 そう……私はずっと祈り続けたんだ……

 『神様』に……

 

 でも……

 そんな神様も私のことが嫌いだということを知ってしまった。

 

 あるとき夢うつつの中で、神官のような衣装の人にのしかかれながら、その人が言ったのだ。

 

『救いを求める哀れな仔羊よ……神は不浄なる貴女のような存在を決してお許しにはなられない。なればこそ、清廉に仕事に励む男性の性衝動を癒すべく、懸命に努めるのです』と……

 

 私は穢れた存在。醜くて卑しくて下賤な汚い娼婦。

 神様はそんな私を裁かなくてはならないのだという。

 

 だからだったんだ……と思った。

 

 私は毎日お祈りをしていた。でも私はとうの昔に神様に嫌われていたから、お願いを聞いてもらえなかったんだ……お祈りは無駄だったんだ……と。

 

 悲しかった。それを知った時すごく悲しくて、この世界でもう私は誰にも縋ることはできないんだと思ったとき、本当に絶望してしまったんだ。

 

 そんなある日のことだった。

 いつものように悪魔に跨られていた私は不思議な『子達』を見た。

 

 空に漂って無邪気に笑う可愛らしい存在。

 時には追いかけっこをして、時にはかくれんぼをして、時には踊りを踊っていた。

 そんな彼らは時折私に近づいてはくすくす笑った。

 私もそれに微笑み返すと、みんなはもっと笑った。

 それが精霊だと知るのはもっとずっと後のことだけど、私はそんな彼らに元気をもらって悲しくても辛くてもいつでも笑うことができるようになったんだ。

 その子たちはいろんなところにいた。天井裏から顔を覗かせていたり、ドアの隙間から出てきたり、床の上を歩いていたり。時には悪魔の上にも乗っていた。

 羨ましかった。

 自由に空を飛んで、自由に歌を歌って、自由に楽しんで……

 そんな彼らが本当に羨ましかった。

 決して私は彼らの様になれないと分かっていたから……

 

 私はずっと悪魔と精霊に囲まれて生きてきた。

 そこに人はいなかった。

 いつも私は一人ぼっちで……やっぱり寂しくて……

 でもマリアンヌさんの奴隷になってからは違った。人は私一人ではなかったし、悪魔だと思っていたそれらも実は普通の人だったんだって気が付けたから。

 ただ、その時はっきりわかってしまったのが、私が奴隷娼婦であるということ。

 生きるために男の人を悦ばせなくてはならなくて、そしてマリアンヌさんの為に尽くさなければならないということを。

 私はそれでいいと思った。私には何も選べないし、決めることもできない。ただ、言われるままに従ってそうやって生き続けていくだけでいい……と。

 でも、繰り返される日々は私に『夢』を見させようとした。

 絶対にそれは叶わないのだと自分で理解してしまっているにも関わらず、私はその叶わない夢を追おうと思ってしまった。それが奴隷娼婦としての自分の先行きにはない未来だと知っていたからこそ、夢を想って苦しんで泣いたんだ。

 そうやって月日が流れて……

 

 そして今日……

 

 彼に出会った。

 

 不思議な人……紋次郎……。

 

 私を一人の人間として見て、扱って、そして私を頼ってくれた人。

 紋次郎と一緒にいて、私はいろいろな気持ちを知った。嬉しい、楽しい、気持ちいい。そして、苦しい、切ない、寂しい。

 まだ、ほんの少しの時しか私は彼と共有していない。でも、このほんの少しの時間の中で彼は私にたくさんの物をくれた。

 それが私の今まで生きてきた中で感じたどんな物よりも、温かで安らかで……まるであのお父さんやお母さん達と一緒に居たときのような……そう思った時、私は素直に『失いたくない』と……そう思ったんだ。

 

 だから私は紋次郎に『嘘』をついた。

 

 彼に並んで座って、彼の体温を感じていた私は、ずっとそうしていたかったから。そう……それは『夢』……紛れもない、娼婦である私が求めてはならなかった具体的な夢の形そのもの。

 だから私は彼に言ったんだ。

 『冒険者になりたい』……と。

 ううん。それはまるっきりの嘘というわけでもない。実際に私はそうなったらどんなに素敵だろうと夢想したこともあったし、そうなりたいと他の人にも話したこともあったし。

 でも、それが私の『夢』の全部じゃなかった。

 私は私の好きな人の隣にいたかった。私の『本当の夢』は……それ。

 私が大好きだったお父さんとお母さんはもう死んでしまったから、だから、私は同じような温かさをくれる存在をずっと求めていたのかもしれない。

 彼はお父さんたちの身代わり……そんな風に私は身勝手に思っているだけなのかもしれない。でも……

 それでも私は彼と一緒に居たかった。

 

 お前が決めろ!

 

 そう言ってくれた彼が凄く怖かった。

 自分勝手でわがままで、神様にだって捨てられてしまった生きている価値なんて全然ない奴隷娼婦のこの私に彼が突き付けたその言葉。

 夢はあった。望みもあった。

 でもそれは決してかなわないもの……かなってはいけないもの……

 そうだったのに……

 

 紋次郎……

 

 紋次郎……

 

 私は……

 

 貴方と……

 

 その時、年配の男性の声が耳に届いた。

 

「何をあなたがたはこのような穢れた女にこだわるのですかな? この娘は確かに見目麗しいでしょうが、所詮は人を惑わすただの売女。そんな害でしかない者を救おうとしているその様は滑稽そのものですよ」

 

「くっ……このクソじじいがっ!」

 

 朱色の服で棒を持った背の高い男の人が近くで叫んでいた。

 ギリギリと締上げられる私の腕。

 唐突に耳元でそう聞こえたその声の主は、遠慮なく掴んでいる私の服の襟首をきつく握り込んだ。あまりに圧迫されて呼吸がほとんどできない。このままでは死んでしまうかも……

 その通りなんだろうと思う。首が締上げられてどんどん苦しくなっていく。この人は私の命を持っていこうとしている……

 

 このお爺さんの言う通りだ。

 私は穢れた娼婦。こんな私が夢を見たら……憧れを抱いたら……やっぱりだめだったんだ。

 そうなんだ。

 だめだったんだ。

 こんなどうしようもない私のせいで、この人たちや、紋次郎が酷い目に遭ってしまう。私の大切な人が傷ついてしまう。それだけは嫌だったのに、もう誰も失いたくなかったのに、私は……私のせいで大事な人を苦しませたくなんかなかったのに……

 

 本の少し前……

 

 あの『二ムさん』という綺麗な女の人が助けに来てくれたあの時、私は目の前で『地獄』を見た。

 

 今私を掴んでいるこのお爺さんが手を振り上げた時、近くにいた精霊さん達がみんな逃げ惑ったんだ。

 お願い! 逃げて!

 知らず知らずのうちにそう心の内で祈った私の目の前でその惨劇が起こった。

 

 凄い光と爆発が、次々に精霊さん達を飲み込んでいった。

 大きい子も小さい子も、みんなみんな一気にそれに巻き込まれて、そして、バラバラに砕けていく。

 やめて! もうやめて!

 そう何度も何度も叫んだけど、その光の嵐はたくさんの、本当に沢山の逃げ惑う精霊さん達を飲み込んで、そして飲み込めば飲み込むほどに大きく、強くそれは膨れ上がっていった。

 みんなあんなに必死に逃げようとしているのに、なんで、こんな酷いことを……

 精霊さん達がみんな私を見て、私に救いの手を伸ばしているように思えた。

 そう思えたから、一生懸命に私も手を伸ばした、でも……ただの一人の精霊さんでさえも、その破壊から救ってあげることはできなかったんだ。

 

 紋次郎……

 

 うう……

 

 お爺さんに締め上げられる痛みと苦しみのせいで頭の中は真っ赤に染まっていた。

 

 痛くて、怖くて、辛くて、泣いて叫びたいのにでも、私のせいで傷つく人達を見ていられなくて、私はその苦しさにぎゅっと目を閉じた。

 

 ああ、もうこのまま……

 

 死のう……

 

 死んでしまおう……

 

 私が死ねば、もうみんなは私を助けようなんて考えなくていいし、みんなだってきっとすぐに逃げてくれる。きっと……もうこれ以上酷い目に遭う人はいなくなる。うん、きっと、そう。

 

 紋次郎……

 

 ごめんね……

 

 涙が出た。

 涙が溢れる。

 死を受け入れて、心の内で彼に謝ったそのとき、知らず知らずのうちに涙が流れていた。

 

 これでやっと、楽になれるんだ……

 

 ああ……

 

 お父さん……

 

 お母さん……

 

 

―――

 

―――――――

 

―――――――――――――――――

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「ヴィエッタてめえっ! 何だそれは! ふざけてんじゃねえよ! くそがっ!」

 

「!?」

 

 唐突に彼の声が響いた。

 その声が私の中を満たした。

 そう……感じた。

 でも、苦しいのはそのままだし、頭の中はもう真っ白になっていて……

 それなのに確かに聞こえた……だから、私は目を開ける……

 

 そして見た。

 

 そこには確かに彼が居た。

 

 両腕を開いて、まっすぐに私を見据えて叫んでいた。

 

 も、紋次郎……?

 

 苦しくて、もう殆ど目も見えていないはずなのに、そこにいる彼のことだけがはっきりと見えた。そして、その声も、はっきりと届いたんだ。

 

「ふざけんなヴィエッタ! てめえで冒険者になりてえって言ったのをもう忘れたのかよ! ああっ!? そんなクソじじいに掴まれただけであっさり諦めやがってよ! そんなんで良く冒険者とかぬかしやがったな! 抵抗の一つもしねえで何が冒険者だよ‼ くそがっ!」

 

 そう叫んでいた。

 どうしてそんなことを言うの? こんなに苦しいのに、こんなに辛いのに……どうして貴方は……どうしてそんなに厳しいことを言うの? どうして……私を怒るの……

 

「な……なん……で……」

 

「ん? 娼婦の娘よ……まだ意識があったのか?」

 

 お爺さんは私を更にきつく締めあげながら高く持ち上げた。

 確かに大柄な人だけど、ここまで力が強いなんて……

 今まで凄く強い……レベルの高い人を見たこともあったけど、そのどんな人よりもこの人は強い様に思えた。

 

 でも……

 

 でも……そうだ。

 

 そうだった……

 

 私は……まだ、夢の中にいるんだ……

 

 あの偽りの夢……

 

 彼に言ってしまった嘘の夢……

 

 でも、彼が一緒に見てくれている……夢……

 

 だから……

 

「だから、まだ私は……諦め……られない……諦めたくない……私はまだ……夢を……!」

 

「娘……おのれは何を……っ!! お、お前……貴様は……何をその手に握っている!」

 

「え?」

 

 お爺さんは私のぎゅっと握った手を見つめていた。

 さっきまでだってお爺さんに向き合うように私は掴まれていた。でも、今は高く抱え上げられたことで丁度私の組んだ手がお爺さんの視線の少し下辺りに来ていた。

 そしてお爺さんは私のそこを驚愕した顔で見つめている。

 

 そして思い出した。

 

 つい先程のことを。

 

 あの怪物の触手から救われたあの時、二ムさんから言われたことを。

 

『……ヴィエッタさんいいですかい? 自分の身は自分で守るんでやすよ。それができなきゃご主人とは一緒には行けやせんからね』

 

 え? そんな……

 

『なぁに大した理由じゃあありません。ただご主人が弱すぎますんで、頑張らないとなんないってだけのことなんでやすけどね』

 

 で、でも私……戦いなんか……

 

『大丈夫ですって! 良いですかい? 『最後まで諦めない』! これだけでやすよ。ご主人はあんなに間抜けですけど、あれでかなりストイックな人でしてね。絶対諦めないというか、諦められないというか、とにかく意地でも最後まで頑張っちゃう人なんすよ! だから当然異性も、その手の人がタイプなんす!』

 

 でも……でも私は本当に何もできなくて……

 

『そんなのご主人も同じでやんすよ。自覚ない分もっと酷いですしね。だからほら……これですよ……』

 

 え? こ、これは?

 

『あー、預かりものなんでやすけどね、まあ、お守りみたいなものです』

 

 お守り?

 

『何もないじゃ本当に何もできませんからねぃ。だからこれです。いいですかい? 『最後まで諦めない』! 頑張るんでやすよ』

 

 そう言って、彼女は私の手にそっとそれを握らせたんだ。

 そして、そのまま私は彼女に守られて……

 目の前でどんどんボロボロになっていくニムさんをただ見ていることしか無くて……

 ただ、ずっと震え続けていたんだ……

 

 その『お守り』を握り続けたままで……

 

 そうだ。

 

 そうなんだ。

 

 こんなところで終わりたくなんか……ない。死にたくなんかない。

 

 私……

 

 私はまだ、何も手に入れてなんかいない。

 

 まだ何もしていないんだ。

 

 だから、だから今、私は……

 

 変わるんだ! 変わらなくちゃいけないんだ!

 

 もっと強く、しつこく、絶対あきらめないんだ。諦めない……『冒険者』になるんだ!

 

 この人に殺されたくなんかない!

 

 私は……

 

 負けないっ!

 

 その時、手にした『それ』が熱くなった気がした。

 

「ば、ばかなっ! な、なぜそれが! 『亡者の剣』が、なぜここにぃ! ま、魔力が‼ 私の魔力がぁぁ――」

 

「――――――――――――――――っ‼」

 

 この目の前の、私を殺そうとしている存在へと、私はそれを無我夢中で振り下ろした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十話 亡者の剣①

「おのれぇ」

 

「きゃっ」

 

 青じじいに掴み上げられたヴィエッタが、手にした何かをじじいに向かって振り下ろした様に見えた。

 そんなに勢いもないし、苦し紛れに暴れた感じでしかなかったのだが、奴は憤怒の形相になって唐突にヴィエッタを突き飛ばした。

 あんな狂った魔法をぶっ放すような異次元な高レベルのじじいが、何でああも急変したのか理解できないが、まるで虫を払うかのように突き飛ばされたヴィエッタは宙を舞い……そしてまっすぐ俺に向かって飛んできた!

 

 いや、なんで俺の方に来るんだよ! と慌てて手を広げたその時、飛んでくるヴィエッタの脇で、彼女の手から零れ落ちたのであろう、どこかで見たようなその赤い短剣がくるくると回りながらサクッと青じじいの手に傷をつけたのが分かった。

 と、同時に俺はヴィエッタの全体重を全身に喰らってそのままもんどり打つことになったのだが。

 

「いてて……おい、大丈夫か? どけよ」

 

「う、うぅ……」

 

 俺の、胸にすっぽりとヴィエッタの尻が収まった格好でなんとか勢いを殺しきることが出来たようだ。

 転がった俺の尻は猛烈に痛いのだけれども!

 ただ、ヴィエッタは気を失ってしまったのか、呻くばかりで動くことが出来ないでいた。

 

「大丈夫ですの!」「お兄さん、ヴィエッタちゃん!」

 

 駆け寄ってきたオーユゥーンとシオンがヴィエッタの介抱に移ってようやく俺は解放された。

 そして立ち上がってそれを見た。

 

「う、うう……う、うおぉおおお……うああああああっ!」

 

 目の前にはあの青じじいがまだ立っている。

 だが、その様子は明らかにおかしかった。

 

 短剣に切られたその手首の傷を抑えているのだが、その手首の間から血ではない、何か赤い気体のようなものが漏れ出ている。何かのガスかとも考えたが、人体からガスが噴出するなんてことは通常ではありえないことからそれは別の何かなのだろうと推測した。

 とにかく奴は非常に苦しんでいる。

 苦悶に歪めたその顔面には欠陥が浮かび上がり、大粒の汗をだらだらと流している。

 アナフィラキシーショックか? いや、あれはもっと酷い症状だ。

 

 そう思っていた時だった。

 青じじいが顔をゆがめたままで叫ぶ。

 

「なぜ……なぜだ……なぜここにこの剣が存在する! わ、私は忠実に神の御意思に従ったまでだというのに…くぅおおおおおおおおっ」

 

 青じじいの全身が真っ赤に染まっていく。それはあの傷口からあふれ出る赤い霧に包みこまれているかのように……

 

「よ、よるなっ! く、くるな! この亡者ども! き、貴様らは神に背きし背教者ではないかっ! 神の御示しになられた崇高なる使命を妨げようとしただけでは飽き足らず、死して尚神の意に背こうとするのかっ! この愚か者どもめがぁあああああああっ! ああああああああぁぁあああああっ!」

 

 青じじいは真っ赤なその炎の様な霧に全身を覆われ、ひたすらに苦悶のままに叫び続けるも、次第とそれはただの悲鳴へと変わっていった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

『亡者の剣』

 

 それはアマルカン修道院にて、いつごろからか鎮魂の為に祀られ続けてきた呪いの武器……その刃はいかなる生命をも一太刀で滅ぼすとされた魔性の存在であるとされてきた。

 だがそれはあくまで表向き……アマルカン修道院の内においてその修験者たちへと語られてきた内容であり、この剣の本当の成り立ち、そしてこの剣の秘めた真の恐ろしさについて知る者は、現時点においてはほぼ皆無であったのだ。

 

 この剣の起源は数百年の時を遡る。

 

 かつて名工と謳われたとあるドワーフの手によって生まれ出でたこの深紅の刃を持つ剣は、強力な呪いの力をその身に宿していた。

 その力を解き放ったのは、かつて存在し、世界に君臨していた魔法王国……その最後の女王『ミレニア』であった。

 強力な魔法の力によって多くの国を従えていた魔法王国は、長い期間属国へ圧政を強いたがために、各地で反乱が起き滅亡の危機に瀕していた。

 その最後の時に女王ミレニアはとあるドワーフへと使いを走らせる。

 女王は『自らの行いを悔い心を改めて国を導き、この無益な内乱を収束させて人々を救いたいのだ、だからこの戦いを終らせる武器を作って欲しい』……と、その言葉を使者に言わせることで、それを聞いたドワーフはそれならばと、心血を注いで一振りの短剣を鍛え上げた。

 これが後に『亡者の剣』と呼ばれることになってしまった『聖剣』の誕生である。

 

 急ぎ女王の元へ戻り女王へとこの剣を献上した使者は、だが、激怒した女王によって、その献上した聖剣で首を撥ねられてしまう。

 

 この一大事に持ち帰ったのがたった一振りの短剣であったことに女王は激怒したのだ。これでは軍を相手に戦うどころか、一人の兵士と戦うことすら覚束ない。女王はそう判じた。

 しかし、この剣にはある呪いが掛けられていたのだ。

 それを一言で言えば、『持ち主の願いを叶える呪い』。

 もし戦いを終らせたいと女王が一度でも願えば、この剣はその強力な呪いの権能を振るい、全ての戦いの因果を断ち切ることが出来た。

 だが、彼女はそれを望まなかった。いや、彼女はもとより民のことなど考えてはいなかったのだ。

 自分を害する存在、その悉くを排し、殺し、消し去りたいと心から願っていたのだ。そして剣はそれを叶えた。

 人の命を吸わせたその剣は彼女を害そうとする者を一人残らず切り殺した。

 彼女に敵対する者、彼女に意見する者、彼女に怯える者、彼女に不快な思いを抱かせるその全ての存在を剣は吸ったのだ。

 そして彼女の居城には彼女一人しかいなくなった。彼女のいた王都を見てもそこには死体の他に人の気配はまったくなかったという。

 出会ったもの、その全てをこの剣で切り殺してきた彼女の周りには累々と死体の山が築かれた。

 彼女が血を欲したがために、剣もまた血を欲したのだ。

 剣は人を殺すごとにその取り込んだ魔力を彼女へと分け与えその身体を強化した。そうすることでより多くの『命』を刈り取ることが出来るようになったから……そう、彼女自身が望んだから。

 そして彼女は戦場でこの剣の真の姿を見ることとなる。

 

 その日、魔法王国を討つために集まった連合軍は、ただ一人現れた女王と相対することとなる。

 一軍も率いず現れた彼女を見て、彼らは初め嘲り、そしてその後『地獄』へと堕ちた。

 

 真っ赤な刀身はたくさんの憎悪を浮かべた人の顔の様なものをたくさん吐き出し、そして連合軍の兵へと襲いかかった……それは彼女が殺してきた多くの人々の顔。これこそこの剣の本当の力であったのだ。

 

 この剣こそが全ての願いを叶える全能なる願望器であった。

 

 剣はその持ち主の願いを叶えるべく、飲み込んだ多くの人々の魂の力によってその望みである大殺戮を行った。

 魂は魂を食らい、そしてその魂は更に多くの屍をその地に晒させる。

 そしてその戦場の全てを平らげた剣は、ただ沈黙したまま女王の手に握られた。

 動くもの一つないそこにあって、ただ屍の上で哄笑する女王。そんな彼女に剣は『対価』を支払わせた。

 

 剣が飲み込んだ数万の魂が彼女へと群がり、彼女自身を数万の生きた肉片へと変える。そしてその魂の全てが生きたままの彼女の肉片を絶えず咀嚼し続けたのだ。

 

 生への渇望と、彼女への憎悪によって縛られた多くの魂は、それと同等の対価を彼女へと求めた。これこそがこの持ち主の願望を叶える聖剣の本来の姿。

 

 意識を失わないままに全身を食われ続けるその呪いによって、彼女は叫ぶことさえできないままで永劫の時の中をただひたすらに彷徨うこととなった。

 

 こうしてこの世界から魔法王国は消滅し、残った多くの国々が独立繁栄していくこととなるが、その陰に大殺戮を為した『亡者の剣』という短剣の存在があったことを知る者は少ない。

 なぜならば、その凄惨な光景を目撃したものは誰一人として生き残ることが出来なかったから……

 

 そしてこの『聖剣』は、『人を殺したい』という欲求を叶える凶悪な呪いの武器、『亡者の剣』として様々な人の手を渡り歩くことになり、ひたすらに人を殺戮し続けることとなる。そしてそれに『喰われた』人々もまた永遠に殺した相手を憎しみ続ける呪いの一部となり、どのような聖人の手によってもその呪いを解くことは叶わなかった。

 

 そのような剣が時を経て神教の聖堂へと安置され、その封印を代々の教皇自らが執り行うこととなったわけだが……

 

 それを手にした教皇アマルカンが『亡者の剣』を用い、神に仇名す教会内の反対勢力の面々や、罪人などの背教者殺しの為の道具として使用し、そしてその呪いの効果が自身へと及ばぬように強力な封印を施して安置していたことなど、余人には知るすべはなかった。

 

 当然ではあるが……

 

 裏でそんなとんでもない大事が進行していたことなど、ぶらり旅の紋次郎たちが知る訳もない‼



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十一話 亡者の剣②

「封印は完璧であったはずだぁ! 何故だ、何故……!」

 

 剣から吹き上がる様に現れたその炎の様な赤い霧は、まるで人の顔が浮かび上がるかのように揺らめきながら、それは一気に膨れ上がり、女性や男性や子供や、そんな様子のたくさんの炎達が、口を開いて噛みつくかのように一斉に青じじいへと襲い掛かった。

 響くのはけたたましい絶叫の嵐。

 青じじいの苦悶の叫びだけがそこに木霊し、そのまま地に伏したその身体を、ただひたすらに炎のような赤い霧が蹂躙しつくしていた。

 

 それを俺達は呆然と眺め続けていた。

 

「な、なんなんだ、ありゃ?」

 

「さ、さあ? ですわ」

 

 マジで何が何やらまったくわからん。

 ヴィエッタを持ち上げたかと思ったらそのまま俺に向かって放ったじじい。そして、なんだか良く分からんが、クルクル宙で回っていたあの赤い剣……あれ、たぶん俺がフィアンナから預かった『なんたらの剣』ってやつだろう、二ムの奴が勝手に渡したっぽいが、それがちょこっとじじいに掠ったと思ったら、あの赤い霧事件だ。人の顔みたいなのがいっぱい出てきてマジで気持ち悪いのだけど、あれに襲われてじじい倒れて、はい終了。

 いったいなんなんだよ、これは。一人ノリツッコミならぬ、一人ノリ断末魔とか、なにこの茶番劇?

 まあ、何もしないでいいなら、本気で面倒が無くていいのだけれど……うーむ。

 

「それよりもお兄様! ヴィエッタさんを」

 

「お、おお……そうだった」

 

 言われて慌てて抱きしめていたヴィエッタへと視線を戻すと俺が着せた皮のジャケットの襟越しに首を絞められていたようで、そこが真っ赤に変色していたが、それ以外はこれといった傷やケガもなさそうだ。

 俺はヴィエッタの首を持ち上げながらその頬を軽く何度か叩いた。

 

「おい! おい! 大丈夫かよ、しっかりしやがれ」

 

「う……ん……」

 

 何度か叩くとぴくぴくと眉が動いて微かに反応が返ってきた。それにホッとしながら、少し様子を見ていると彼女は薄くその眼を開いた。

 

「ん……、ん? え……も、紋次郎? あれ……、わ、わたし……」

 

 俺と目が合って一気に顔を紅潮させたヴィエッタ。

 どうもまだ状況が飲み込めてないようだが、まあ、意識がないところを無遠慮に抱いているのはやはりまずかったか。でもしかたねえんだよ、あのくそじじいが俺に向かって投げた上に、貧弱な俺じゃあいくら小柄だとはいえヴィエッタをひょいひょい担いだりは出来ねえからな、まあ、乗っかかってきたのはお前なんだからもうしばらく我慢しやがれ。

 

「まったく無茶しやがって」

 

「え? あ……ご、ごめんなさい」

 

 いきなり俺にむかって謝るヴィエッタ。こいつはすぐに謝りやがる。謝り癖ついてんじゃねえか?

 

「あのなぁ、お前年中そうやって謝るけど、それ逆にムカつくからもうやめろよ」

 

「あ、ご、ごめんなさい……あ」

 

「ふぅー」

 

 しおしおと項垂れるヴィエッタは何も話さないままで俺の服をぎゅっと握る。まあ、こいつもいろいろあったんだろうしな、とりあえず今は優しくしてやった方がいいか。

 そう思った俺はヴィエッタの頭をくしゃっと撫でた。

 それが嫌だったのか、ぎゅっと目を瞑った後でヴィエッタはそっと俺を見上げてきた。

 だから俺は言ってやった。ここまで頑張ったヴィエッタに。

 

「怖かったろうによくやったなヴィエッタ。お前が抵抗してあのクソじじいを倒したんだ。マジでたいしたもんだよ」

 

「え? わ、私が」

 

 きょとんとしたまま俺を見るヴィエッタに、顎をくいとしゃくって見せると彼女もその方向へと視線を向ける。そこには赤い炎の様な霧に包まれたままの、動かなくなったあのじじいの姿が。

 ヴィエッタはその光景を震えながら見ていた。

 

「ああ、お前が倒したんだよ。まあ、どうやったのかは分からんけど、すげえと思うよ……マジで……その、これなら冒険者にもなれんだろうよ」

 

「ほ、本当……に?」

 

 まだ震えているが、少しだけ大きく見開かれたその瞳はキラキラと輝いているようにも見える。

 人に殺されそうになるのも、人を殺すのは初めてなんだろうし、確かに怖いのだろうけどな、でもこの弱肉強食っぽい世界で生き残るには、『()られる前に()る』くらいの気概は確かに必要なんだ。少なくとも冒険者には。

 事実、俺だって自分を守るために色々な手段を使ってんだ。俺が冒険者として教えられることといやあ、まさにこのことくらいで、最後まで諦めなかったヴィエッタには冒険者として必要な最低限のそれが確かにあると感じたわけだ。

 今なら俺はこいつに断言できる。

 

「ああ……お前は冒険者になれるよ。まだ弱っちいかもしれないが、そんなの誰だって最初は一緒だ。むしろ弱いのは俺の方だしな。だからもっと自信持てよ、な?」

 

「わ、私が……冒険者……私が冒険者になれる……うぅ……ひぐぅっ……うぇっく……っく……」

 

「お、おい……泣くんじゃねえよ、そんなことくらいで……」

 

 首をぶんぶん横に振りながらでも、俺の腹の上でヴィエッタは止まらなくなった嗚咽と涙を必死に拭う。何かをしゃべろうとしているようだが、どうしようもないようでずっとただただ泣き続けていた。

 そんな彼女に横からオーユゥーンがハンカチを差し出してその顔をそっと拭いてやっている。

 そしてチラリと俺を見ながら、

 

「この女たらし」

 

「んなっ!? はぁ? 何を言ってんだお前は?」

 

 何やら俺を刺すような視線でそう言ってくるオーユゥーンだが、それ以上何も言わずに再びヴィエッタへとその顔を向けた。

 この野郎、言うに事欠いてなんてこと言いやがるんだ、名誉棄損甚だしい。そもそも俺はそんな軟弱な『女たらし』なんて称号だけは絶対欲しくないんだよ。そう思ってオーユゥーンへと食ってかかろうとした時だった。

 

「あぶねえっ!」

 

「え?」「ふぇ?」

 

 俺は抱えていたヴィエッタごとオーユゥーンを思い切り突き飛ばした。

 その先が少し坂になっていたのが幸いした。

 非力な俺のその押した勢いのままに坂を転がり落ちる二人、それを見た瞬間、俺は猛烈な勢いで跳ね飛ばされた。

 

「ぐあっ!」

 

 腹の内の全ての空気を押し出されるような感覚の次に味わったのは全身を打ち付ける強烈な痛み。

 そう俺はすさまじい勢いで跳ね飛ばされて、そして転がっていた。

 とりあえず必死に頭を守って受け身の姿勢を取ったが、ぐるんぐるん回転させられた挙句全身が痛すぎてもう耐えられない。とりあえず目を必死に開けてみたのだが、そこは真っ赤に滲んだ世界……どうやら頭の一部を切ったようで目に血でもはいったのだろう、その霞んだ先には俺の予想通りの光景があった。

 

 一体の巨大なヘカトンケイルが俺に向かってそのたくさんの腕を伸ばそうとしていた。いや、すでにそのうちの一本によって俺は吹き飛ばされたわけだから、ただ伸ばそうってわけではないだろう。完全に俺を殺しにかかってやがる感じだ。

 

「く、くそがっ!」

 

 俺はとりあえず四肢が動くか確認しようとしたのだが、呼吸は出来て首も回せるが、それ以外の殆ど全身の感覚がない。これは最悪手足の何処かが欠損しているのも覚悟する必要がありそうだが、となれば完全なミノムシ状態か……くそったれ……

 その時、あのむかつく笑い声が聞こえてきた。

 

「くはははは……この神に弓引く背教者っ‼ 神の鉄槌をその身に受けて滅ぶが良い! ふははははははははああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」

 

 哄笑はそして悲鳴へと変わる。

 ぼろぼろの青いローブのまま立ち上がっていた、あの青じじいは全身の肉がボロボロに砕けるように崩れ落ちながら絶叫を上げ続けた。

 そして、いよいよ朽ちるかと思ったその刹那、俺へと迫っていたヘカトンケイルの足の一本が激しい勢いでじじいを一気に踏み潰した。

 それは凄まじい衝撃となって辺りに爆風をまき散らし、そしてじじいの最後の叫びを消滅させる。

 

 哀れというかなんというか……自分が生み出したであろうその存在に最後は踏みつぶされて御仕舞か。いつの時代も怪物を生み出した親は、フランケンシュタイン宜しく怪物によって朽ちるのが定番なんだな。

 マジでくそったれすぎる。

 

 転がったまま見上げた俺は、無数の巨大なヘカトンケイルの目と目が合った。その瞳は真っすぐに俺を射抜き、そして確実に殺そうと迫ってきている。

 そして……

 先ほど青じじいがそうされたように、また別の巨大な足が俺へと踏み下ろされようとしていた。

 それを見ながら俺は……

 ヴィエッタの悲鳴を聞いたような気がしていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十二話 狭間の城の主①

「なんだここは?」

 

 思わずそんな声が出てしまった。

 いや、それは仕方がない事だろう。だって、俺は唐突にこの真っ白い世界に立ちいってしまったのだから。

 つい今の今、俺は身動き一つできないままで、巨大なヘカトンケイルの足によって踏みつぶされる寸前の状況だったはずだ。

 そうだというのに、ここにはそのヘカトンケイルはおろか、さっきまでの荒野もヴィエッタやオーユゥーン達の姿もない、何もないのだ。そして俺はきっちり立っていて、両手両足もあってしっかり動くし、痛みも全くなかった。

 

 周りを見渡せば一面の白い平原でしかなく、上の方に青い空が広がっていなければ本当に上下すら分からない真っ白なその空間に俺はいた。

 

 まあ、普通に考えれば、ヘカトンケイルに踏みつぶされて死んであの世に来たとかってとこなんだろうが、さて……

 

「こちらへお進みください」

 

 どこからともなく透き通るように穏やかな声音の女性の声が響く。確か以前誰かに、臨死体験中に呼ばれてその先に進むと、本当に死んでしまうから、呼ばれたら反対の方へ逃げろとかそんな益体もない話を聞いたことがあったけど、まさに今はそれなのかもな。

 

 ま、どうでもいいんだが。

 

 俺は構わずに声のする方へと身体を向けて真っすぐに歩んだ。ここに目当てになりそうなものは何一つないのだからこうする他はない。

 そうして暫く進むと景色に変化が生じた。先ほどまで周囲360度、全く何もなかったはずのその白い空間に、かなり大きな、それこそ街と言っても差し支えないような石壁に覆われたたくさんの家々と、その中心に高く聳える4本の塔を備えた大きな城の姿が目に飛び込んできた。

 これは差し詰め閻魔大王の城といったところか?

 そんなことを考えつつ、巨大な外壁の門をくぐってその街の中心へ中心へと歩を進める。

 周囲の家々からは煙があがり、香ばしい食べ物の匂いがたちこめ、通り沿いの店にはみずみずしい果実や、焼き立てのパンなどが並べられてまさに商店街と言った趣を醸している。

 だが、そこには誰一人存在していなかった。

 生活感はあるのに、誰もいないその街をただひたすらまっすぐに歩く。そのまま大きな城の前まで辿り着くと、そこの石畳の上には一人の背の高い女性が立っていた。

 彼女が纏うその紺色の着物のような何重にも重ねたような衣服は、艶やかだが落ち着きがあった。白く透き通るキメの細かい素肌と大きな瞳、伸ばせば長いのであろう銀に近い金髪を頭頂部で髪飾りで装飾しつつ結わえた髪型は非常に美しく、口許に薄く微笑みを浮かべたその様は、絶世の美女という表現がしっくりくる、まさに美の化身とででも評することが相応しい程の存在であった。

 いや、この世という表現は相応しくないかもしれない。少なくとも俺はここを現実とは認識していないのだから。

 

「お前は誰だよ」

 

 とにかく現状把握のひとつもできてはいないのだから、ここのホストなのであろう目の前の存在に聞いてみることにしたわけだが、担当直入にすぎたかもしれない。

 

「こんなところで立ち話もなんでしょう……どうぞこちらへ」

 

 美女は優美に手を動かして俺を建物内へと誘う。

 そして先導するようにゆっくりと先に歩いて行った。

 

 俺は素直にそれに追従した。

 どうせここがどこだか分かりはしないんだ。なら進んだ方が話は早い。

 

 城の中は黒っぽい石畳がまっすぐに続いていた。そしてその通路のところどころに、木製の大きな引戸がしつらえられてあって、その中は覗いしれないがどれも広そうな部屋に思えた。

 暫く進むと、片側の壁の全てが無くなり、青空を覗かせた、芝の敷き詰められた中庭が現れた。そこは結構な広さがあって、巨石と落葉樹、それとかなり大きめの池があり、遠目に見る限りでは、風景画の山麓と湖を眺めているかのような錯覚を覚え見入ってしまった。心癒される景色だ。

 それをついうっとりと眺めてしまっていたのだが、例の美女はさっさと先を歩いて、突き当りの廊下を左へと折れるところ。

 俺は慌ててそれを追いかけて角を曲がってみれば、そこには上がり框と、更に襖の先に何十畳あるのだろうか、一面畳を敷き詰められた大きな部屋が広がっていて、対面の壁には飾り棚や、壺や掛け軸なんかの調度品が見えた。

 はっきり言って、このだだっ広い空間はマジで落ち着かない。

 何もなさ過ぎてめっちゃ不安になるしな……というかこの広さ、掃除するだけでいったい何時間かかるんだって話だ。広くたってろくなことはねえよ、四畳半で十分だ四畳半で。

 

「立っておられないで、どうぞこちらへお座りください」

 

 そう声がして見渡して見れば、その部屋の丁度中央辺りに座布団を敷いて正座しているさっきの美女の姿が。

 

 彼女の前には彼女が座っているのと同じ、いかにも高級そうな座布団が一枚敷かれていた。

 俺はそこまでつかつかと歩み寄って、その座布団にどっかと胡坐を組んで座った。正座が出来ないわけじゃないんだが、まああれは足が痺れちゃうから。

 

「悪いけど、俺は正座しないぞ」

 

 美女はクスリと微笑んでから口を開いた。

 

「どうぞご自由になさってくださいませ。ここにあなたをお招きしたのは私なのですから」

 

 そういうと彼女は傍らに置いてあった茶器を取り出して、そして何やらミキシングを始めた。

 どうも抹茶を()てているようだが、本気で抹茶の作法なんか俺は知らない。

 そっと差し出されたその抹茶を、俺はなんとなくぺこりとお辞儀してからくいと飲んでみた。

 思ったより苦くなく、むしろ甘い感じがしたのだが、まあ気のせいだろうな。茶が甘いはずがないし。

 

「不思議なお方ですこと。ここに来られてこんなにも平常でおられたのはあなたが初めてですわ」

 

 まったく無遠慮に振る舞っていた俺を、彼女は可笑しそうに笑いながらそう言った。てめえがご自由にと言ったんだろうがと内心で憤った。

 そんなことを考えていた俺の顔を見てどう思ったのか知らないが、彼女はその優し気な眼差しを俺へと向けて口を開いた。

 

「『私が誰か?』でしたね。ではまずは自己紹介をさせていただきましょう、紋次郎様」

 

 俺の名前を何で知っているのかも後で教えてくれるのかね……

 彼女は三つ指をついてそっとお辞儀をしながら話した。

 

「私の名前は【ノルヴァニア】。『土の女神』にございます」

 

 おーい青じじい! ここに神様いたぞー!

 と、心の中であのトチ狂ったクソじじいに知らせてやってみたり。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十三話 狭間の城の主②

「女神だぁ? 女神が俺にいったい何の用だよ? そもそもなんで女神様が座敷で着物着て正座してんだよ」

 

 女神ノルヴァニアと名乗った彼女はスッと顔を上げて姿勢を正した後で俺を見据えた。

 

「この衣装は今は亡き親友を想い、彼女を忘れないように用意したものです。お気に触られましたなら謝罪いたしますが、どうか着替えることはご勘弁を」

 

「神様が何を重い話ししちゃってんだよ。ってかいいよ別にそれ着てるくらい。友達大事にするの当たり前だし、俺だって日本人だし着物くらい別に気にならないし」

 

「二ホン……ジン……? それはいったいなんのことなのでしょうか?」

 

「質問したいのはこっちなんだけどなぁ、俺は日本って国から来た日本人なんだよ。太陽系第三惑星地球ユーラシア第5管区日本生まれの日本育ち、現住所は東京シティ、メトロポリタン府中だよ、アンダスタン?」

 

「タイヨウ……チ、チキュウ? フチュウ?」

 

「あーもう。べつに良いよそんなの。俺は紋次郎、木暮紋次郎だ。どうせそれくらいは知っているんだろう?」

 

「はい。ずっと見ていましたから。紋次郎様、あなたのことを今まで見させていただきました」

 

 そう言いながら彼女は軽く右手を振って見せる。すると、何もないはずの空間に大写しのスクリーンが現れ、そこに俺が立っていた。場面は良く分からなかったが、背景からしてあの巨大な壁を作ってしまった時だろうか。呪文を唱えた直後に俺の顔面がみるみる青ざめてきている様子に、俺はあの時のことを思い出して身震いした。

 

「てめえ、こんな恥ずかしい場面見せやがっていったいなんのつもりだよ! 俺に恨みでもあるってのか?」

 

「恥ずかしい? 貴方はこの大いなる奇跡の瞬間を恥ずかしいと思われていたのですか?」

 

 さも不思議そうだと、小首をかしげてそんなことを言ってくる女神ノルヴァニア。

 いやめっちゃ恥ずかしいだろう。普通、自分が映ってるビデオを見るだけだって相当に恥ずかしいのに、しかも俺が今一番隠したいことをこれだけでかでかと放映されてんだぞ? っていうか、これ録画か! 録画なのかっ! く、くそっ! こんな異世界に録画機能があったなんて、マジふざけんなっ!

 

「恥ずかしいに決まってんだろうがっ! っていうか何か? お前はこれをネタに俺を強請ろうとか思ってんのか? 神様自称しているくせにそれはケツの穴が小さすぎるだろうっ!」

 

「け、ケツっ? そ、そんな下品な口を利かれた方もあなたが初めてでございます」

 

 ノルヴァニアは顔を真っ赤にして俺を見ていた。俺はとにかくこいつに無理難題を吹っ掛けられるのではないかとひやひやしながらジッと見返した。

 

「あの、そうではなくて、強請るもなにも私は貴方に褒美を差し上げようと思ったのです」

 

「はぁ? 褒美? なんで知らねえお前みたいなやつにいきなり褒美貰わなきゃいけないんだよ。ってかいらねえよ別に、気持ちわりぃ」

 

「い、いらないっ!? 気持ち悪い?」

 

 彼女は三度驚愕して俺を見た。

 どうやらこいつは神様というだけあって、崇め奉ってくれる平身低頭なイエスマンとしか会話してこなかったようだな。そりゃ、俺みたいな奴ににズケズケ言われりゃこんな反応も当たり前だろうな。

 

「あのなぁ。俺はあんたなんか知らないし、褒美をもらう謂れもない、そもそもなぜ俺をここに連れてきた? それをまず知りたいのだが」

 

 ここにいる理由……俺はまだそれが分からない。

 ヘカトンケイルを見上げたままで意識が途切れたわけだしな、いくらなんでもこの場面転換はおかしすぎる。

 だから俺が一番聞きたかったそれを尋ねてみたのだが、ノルヴァニアは静かに口を開いた。

 

「その理由は簡単です。あのままではあなたは間違いなく死んでいたからです。ですから私は貴方の脳に干渉しこうして貴方の前に姿を現しました。あなたを助けるために」

 

「まあ、そんなとこだろうとは思ったけど、要は俺はまだ死んではいないってことだな? どうやったんだか知らないが俺の脳の情報処理速度を速めやがったな? お前なぁ、高速情報処理化(クロックアップ)は脳に負荷がかかりすぎて後遺症とかめっちゃ起こるんだぞ? 知らねえのかよ」

 

「私は貴方という『空間』に干渉し、その時間を周囲と隔絶させただけです。今のあなたは周囲とは違う速さの時間の中にいるだけ、くろっくあっぷ? というのがなんのことかは存じませんが、これであなたが死に至ることはありません」

 

「そうかよ」

 

 要はまた魔法的な何かってやつか。

 確かに土魔法には、空間の時間に干渉する術もあったはずだし、こいつ土の女神とか言ってるんだから当然土系統の能力を持ってるわけか。ということはやっぱりあれなんだな。

 俺は一度溜息をついてから彼女へと言った。

 

「つまりてめえはあの荒野の丘の上で最初に俺が干渉した土の精霊ってことか……いや、てっきり土の精霊かと思っていたが、どうやら神様を引っ張り出しちまったってことなんだな」

 

 その言葉にノルヴァニアはにこりと微笑んだ。

 

「その通りですわ。私はあの地で眠っておりました。ですが、激しい破壊を体感して眠りから目覚め、そして私の分体の一つから急激にマナを吸い出されたのです。それを為した御方こそ……あなた様……紋次郎様でございました。まさかこれほど急激に、無理矢理に、強制的にぃっ! こ、こんなにも激しく一気に吸われて……わ、わわわわ、私はこの『2000年』の時の中で、これほどの『快楽の嵐』に見舞われたことはありませんでした‼ ですからどうか後生ですので私にもっと更なる快感をーーーーーーーーーーーっ! はっ!?」

 

 ノルヴァニアははぁはぁと息遣いも荒く俺へと身を乗り出しながら、ぐいとその豊満な胸を覆った着物を両手ではだけさせようとした姿勢のままで……真っ赤になって固まった。

 そしてしばらく黙ったままでいた後に、おずおずとその胸元を閉じて姿勢を正して座布団の上に正座しなおした。

 そしてコホンと一つ咳をしたあとで、スッと俺へと真摯な視線を送ってきて……

 

「貴方の優れた魔術に敬意を表して、是非褒美を取らせたいと私は考えました」

 

「いや、てめえ。実は快感もとめてるだけのくそビッチだって、自分でもう晒しちゃったからな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十四話 狭間の城の主③

「コホン」

 

 ノルヴァニアはまた一つ咳をして、姿勢を正して目をつぶる。

 これだけ見れば和服を着た絶世の美女が、清廉に佇んでいるまさに神秘的な様相なのだが、そこはそれ、一度本性を現しやがったこいつが何をしようが最早どうとも思わない。

 まったくいったいなんなんだこいつは。

 確かに、俺というか二ムがこの目の前の女を呼び出したのは間違いないだろう。

 俺はあの時、魔法を使うために『精霊をおびき出す』裏技を使った。

 あの魔法の本に書いてあったんだが、精霊は世界のあらゆる箇所に存在しているものの、恣意的に彷徨ったり停まったりしているためにこちらの都合に合わせて行動することは殆どない。それこそ恩恵を授けて半ば背後霊的に取り付いている状態でもない限りは人と行動を共にはしないのだ。

 だが、そんな自由勝手気ままな精霊たちの行動にも例外はある。それがあの『破壊行為』だ。

 精霊はそれぞれの属性の由来であるマナに寄り添う様に存在する。水の精霊なら水辺に、風の精霊なら空気中に……と言った具合なのだが、その寄り添っている箇所が著しく破壊されたとき、精霊は過敏に反応するのだ。逃げ出したり、飛び掛かってきたり……そう、つまりそうすることで精霊を人為的に出現させることは可能なのだ。それはあの時も同じであった。

 俺はあの時二ムに地面を思いっきりぶん殴らせて、それこそ地面を『完全に破壊』した。それによって俺へと迫ったのが、要はこの目の前の女神様ってわけだ。

 まったく、道理であんなどでかい壁が築かれちゃうわけだよ。俺はあの時咄嗟だったからノーセーブで魔法を放ったからな。そりゃあ神様の無尽蔵な魔力を放出すれば、万里の長城くらい簡単だろうよ。

 で、それからずっと土魔法使い放題だったわけだ……

 ヴィエッタ曰く、精霊はマナを吸われると感じちゃうんだったか? このやろう、自分の快楽の為にずっと俺の中に居続けやがったな!? やめろよマジで、俺は精霊・神様向け性風俗事業者じゃねえってんだよ。

 目の前の美女がただのくそビッチだってわかった途端に、俺も随分気が楽になったわけだが、俺もずいぶんくそビッチ慣れしたもんだよ、本当に!

 と、そんな風に考えていたらノルヴァニアが口を開いた。

 

「では話を戻しましょう。紋次郎様、私はあなたに褒美を取らせたいのです。よろしいですね」

 

 何もなかったかのようにそんなことを言ってくるのだが……

 

「だから要らねえって言ってるだろうが。あれか? 神様は信者に何か還元しなきゃいけない義務みたいなのとかあんのか? それならそれこそ俺は問題外だ。俺はてめえの信者じゃないし、信者になる気もねえからな」

 

「何をおっしゃっているのか分かりませんが、貴方の信仰心は関係ありません。これは神である私の意思なのです」

 

 言うに事欠いて『神の意志』ときやがったか。こいつ本気で人の都合考えてねえんだな。

 神様って存在のことを知らないからなんとも言えないが、要は神の思し召しという名のおせっかい&有難迷惑を押し付ける、いわば世話焼きおばちゃんの様な存在ということなんだろう。マジで鬱陶しい。

 

「わかった、わかったよ。とりあえず聞くさ。んで、何をくれるって?」

 

 そう諦めてつっけんどんに聞いてみれば、彼女ははっきりと答えた。

 

「土の女神である私が授ける物……それは、『土の真理の祝福』に決まっております」

 

「真理の……なんだって?」

 

 さも当然と言った具合で断言してくるノルヴァニア。だが、はっきり言ってなんのことやらさっぱりだ。

 彼女は理解できていない俺を見て何やら驚いた様子ではあったが……

 

「紋次郎様はまさか『土の真理の祝福』のことをご存知ない? 知らずにここに来たとでもいうのですか?」

 

 そんなことを言ってくるのだが……

 

「ご存じないもなにも、まったくちっとも何のことやらさっぱりだよ。祝福だって? なんだ? 神様のお前が俺に拍手でもしてくれるってのかよ」

 

 普通に祝福といわれりゃあ、『おめでとう!』とか言いながらパチパチ拍手が定番だろう。そういや昔そんな最終回のアニメを観た気がするな。あれは、まったく意味不明な終わり方だったが。

 ノルヴァニアは額をこしこしと擦りながらなにやら思案していたが……

 

「あ、あの……ではですね、『魔王』という存在のことをご存知でございますか?」

 

「はぁ? 魔王? 魔王ってあれだろ? 北だか西だか、東西南北で呼ばれてるあの魔王のことだろ?」

 

 アルドバルディンの冒険者ギルドでもたまに聞いていた話だが、この世界には賞金首モンスターとは別に、さらに超強力なモンスターがいて、それこそどこぞの国の軍隊と戦っても勝ってしまうくらいの強力な奴のことを、冒険者は畏怖をこめて『~~の魔王』とか呼ぶ習わしがあったはずだ。酒の席でそんなモンスターを倒したとか自慢話していたおっさんもいたしな、実は結構近くにいたのかもしれない。

 いや、マジでそんな怖い奴と出会わなくてよかったよ、俺は。そんなのと出会ってたら命がいくつあったって足りやしない。

 そう思いつつ、思い出し身震いをしていたら、ノルヴァニアがはぁっと深くため息を吐いた。

 

「それは、あくまで人が勝手にそう呼んでいるだけの、強いモンスターのことでしょう。私が申しておりますのは、『魔族の王』、『魔王』のことでございます」

 

「魔族? そもそも魔族ってなんだよ」

 

 そう言った瞬間に、彼女は見事にずっこけて、正座が崩れて、ちょっと女の子座りになった。といか、足が崩れて、着物の裾から地肌が見えちゃって、なんというかエロチックすぎて目のやり場にマジ困るんだが!

 

「ま、まさか本当に知らずにここまでやってきてしまわれましたとは……紋次郎様、貴方様は違うのですか?」

 

 そう俺を覗きこんで言うノルヴァニア。

 

「だからいったい何のことだよ。知らないとか、違うとか、そういうのマジでいじめだからなっ! 知らねえことの何が悪いってんだよ。逆に説明を求めたい。さあ、ちゃきちゃき話しやがれ」

 

 ムカついたんで腕を組んでそう宣言する。すると、彼女は再びため息をついて首を振りながら言った。

 

「いえ……知らないのであればこれ以上何も言わない方が良いのかもしれません。でも、貴方には是非生きながらえて頂きたい……生きながらえて、これからもずっとずっとずううっと私に快楽を与え続けて頂きたい」

 

「こらこらこら、お前また自分の欲望駄々洩れになってるからな、それでいいのか?」

 

「ではこうしましょう! 私があなた様に啓示いたします!」

 

「おおぅ、なんだよ急に!」

 

 うつむいてイジイジしていたかと思ったら急に顔を上げて大声を出しやがった、こいつは。

 神様とかいうから、もはや異次元な存在らしいし普通の思考じゃないことくらいは覚悟していたけど、こいつ本当に普通じゃないぞ。

 てか宣言? こいつは一体さっきから何を言いたいんだよ。

 

 とにかくなにか嫌な予感を感じつつ、こそっと彼女の目を見た瞬間のことだった。

 

「女神ノルヴァニアの名の元に告げます。『救世主』紋次郎様! 世界に散らばる神々の祝福を集め、伝説の武器を蘇らせ、魔王を打倒すのです!」

 

「いや、俺救世主じゃないし、全力で断るし!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十六話 狭間の城の主⑤ 

「またてめえはそんな大事をさらりと言いやがるし……お前な、神様がそんなこと言ったらそれこそ本当に世界滅んじゃうってことになるだろう? 俺らの世界にだって『黙示録』って呼ばれる世界滅亡まで書かれた予言の書とかあるけど、ああいうのはな、読んだ人間の精神をおかしくしちまうんだぞ? てめえも神様なら、もう少し考えて発言しろよ」

 

 終末思想の最たる文書の一つに、キリスト教の『ヨハネの黙示録』があるわけだけど、あれの真偽についてだけでも、争いが起きたって事例は古今東西後を絶たないのだ。

 滅亡の時期に関しては諸説あるが、今のところ滅んでいないどころか、他星系への移民も進んで大銀河共栄圏が成立した今となっては、直近での大滅亡はあり得ないというのが大方の見解だ。

 だが、それでも巨大な宇宙嵐によって大銀河が崩壊する可能性だってまったくゼロってわけでもないから、ひょっとしたら明日人類は滅亡するかも……と、やはり不安に駆られて精神を病む人は多いのだ。

 まあ、非科学的ではあるけれど人間なんて所詮はその程度の存在で、常に自分には計り知れないものに怯えるものだと、俺は認識しているのだけれども。

 

 そうであるのに、目の前の女神様は更に一歩踏み込んで、『滅亡するかも』どころか、『滅亡します』と断言しやがった。

 ということは確実な予定なわけで、そんなこと聞いたら普通の奴はもう自暴自棄間違いなしだ。

 恐慌した市民のせいで、世界中の精神科医が滅亡前に滅亡しちゃう事態になるぞ、こんちくしょうめ。

 

 俺はさらりと言いやがったノルヴァニアを睨むと、彼女は申し訳なさそうに答えた。

 

「そうはおっしゃられても、これは覆すことが出来ない未来なのです。この『ワルプルギスの魔女』の予言は絶対であって、すでにこの通りに歴史は進んでいるのです」

 

「なんでだよ、そんなわけあるか。いいか、『未来』ってのはありとあらゆる可能性の先にあるもんだ。たとえその予言の本にそれっぽいことが書いてあったとしてもだ、そうなる可能性は数多ある未来の内のひとつにすぎないだろう。そこに書いてあるからなんだっていうんだよ」

 

 明日のことは本当にわかりはしないんだ。

 例えば俺が飯を食いに行こうと考えたとする。そしてその結果、ラーメンを食べに行った。

 『こう行動をとった』という過去の出来事になると仮定していれば、確かに予定調和な上に、これはこうなる運命だったのです! と断定されえることだってあるかもしれない。

 だけど、この俺の未来にはそうならない未来も多数存在していて、うどんを食べに行ったり、パスタを食べに行ったり、そばを食いにいったりとか、あれ? なんか麺類ばかりを選択しているのはなんだ? う、うむ、麺類、今超食べたいからか……じゅるり。

 

 じゃなくて、そのような選択には決定するまでに、環境、状況、流行、それに、人の意思。そういった様々な要因が関わってくるわけで、無数の可能性の未来が別にあるわけだ。

 その全ての可能性をすっとばして、『運命』の一言で片づけるのはかなり横暴だ。

 

 そう思って言ってみたのだが、ノルヴァニアは平然と返してきた。

 

「確かに個々人の意思によって成り立つ未来は数多の可能性の末の変遷を見せているのでしょう。しかし、この本に綴られたもっとも重要な点は『世界が滅ぶまでの時間』なのです」

 

「滅ぶまでの時間だって? おいおい、それじゃあなにか? 滅亡することはどうあっても避けられない決定事項で、変わるのはそこに辿り着くまでの時間だけってことなのか?」

 

「その通りでございます」

 

 何事もなかったかのように、さらりとノルヴァニアは言ってのけた。

 そして続ける。

 

「彼の魔法使いは私たちにこう告げました。『いずれこの世界は最悪の形で滅亡する。そうならない未来を何万、何十万、何百万通りと探したがついに見つけることは叶わなかった。だからこの本をあなた方に託す。最も長く人々が生きていけるであろう、その先の未来まで続くその道のりを記した本を、永劫の時を生きるあなた達へ』と……」

 

 俺はそれを聞いて頭が痛くなった。

 

「はぁ、つまりその本には、この世界がもっとも長く存続するための歴史の要所における『分岐点(ターニングポイント)』でその『正しいルート選択』が知らされているってわけだな」

 

 彼女はそれに大きく頷いた。

 

「はい。ですが、当初我々女神は、この件に立ち入ることを躊躇いました。現世不可侵は絶対の制約であり、それを為すことは世界のバランスを著しく崩すきっかけともなり得ますので。それに、世界が終焉を迎えるのであれば、私達はまた新たな世界を作り上げれば良いだけのことでしたし。しかし、我らの中でただ一人、オルガナだけはそうは考えなかったのでございます」

 

 そう言いつつ、ノルヴァニアはもう一冊の本を手に顕現させる。今度のそれは俺にもなじみのある物。そう、あの図書館にあった一般流通版の『ワルプルギスの魔女』だ。

 

「オルガナは神である自身の権能を放棄し、人々を生きながらえさせるために、この本を書いただけには留まらず、時代の節々でこの物語の通りに事が運ぶようにあらゆる手段を講じて歴史を動かし続けてきました。それによって世界は今も存在できておりますが、それももう限界。もし予言された最初の滅びが訪れていたとしたら、それは今から5000年前でございました。それから数百の滅びの機会がありましたが、その全ては回避されてきています。しかし……」

 

「ああ、もういいよ。わかったわかった」

 

 可能性の未来のほぼ全てを知ったうえで、なお世界が破綻することが確定しているにも関わらずそのオルガナって奴は、一秒でも長く世界を存続させるために5000年も前から色々やってやがったってわけか。本当に途方もない……バカだな。

 バカだが……俺はそういうの嫌いじゃない。

 納得できないことはあるんだよ、どんな時だって。

 そうしたいことを否定されたとき、それが『不可能』だって決めつけられたとき、そんな時が一番人は苦しいものなんだ。

 女神オルガナにとってはきっとこれが、そういうものだったんだろうな。

 でも、確定した滅びか……

 いたたまれねえなぁ……

 

「なあノルヴァニアさんよ。それでその最終の滅びって奴はいつなんだよ? 救世主だ云々と言っているんだし今回はそれで助かるとしても、まだもう一時代くらい先の話なんだろう?」

 

 そう聞いてみたのだが……

 

「魔王との戦いは『ワルプルギスの魔女』の最後の報告になります。つまり、これ以降は破滅を回避する方法は存在しないことになります。その破滅は『近いうち』……そしてその後は……『無』に世界が飲み込まれると……そうされています」

 

「なんだよ、宇宙が消滅するような言い方だな、それは」

 

 宇宙が消滅すると考えて、最初に思い浮かんだのは『対消滅』。まさか二ムのリアクターが爆発するのか? いや、そこまで大爆発が起きるような事態はないはずだ。俺だってきちんとメンテナンスしているし、安全装置だって増設したし! というか、基本出力を維持している分には半永久的に放射線暴露はなしの絶対安全設計だしな。

 でも『可能性』というならゼロではない。最悪二ムのリアクターは停止する必要もあるかもしれないが、そうなると、この破滅のスケジュールの中に俺達の来訪も加えられることになるわけか。むむむ、なら異世界転移は何者かによって人為的に引き起こされたものだったのかもしれないな。

 いや、ないか。単に世界を滅ぼしたいだけなら、それこそ使用禁止武器ではあるけど、海兵隊が管理しているスタンドアロンの『ジェノサイド(キャノン)』でも召喚すればいいわけで、あれなら惑星の一つや二つ、一瞬で粉々に出来るからな。

 そんなことを考えていた俺にノルヴァニアが言う。

 

「いずれこの世界は終わります。ですから、魔王を倒さなくても結末は変わることはないでしょう。ですが、それを為さなければより早い滅亡が訪れるというだけのことですし、紋次郎様は私のこの『祝福』を受けなければ、今すぐにで絶命してしまうのです。これは私からのお願いでございます。どうか私の祝福をお受けください。そして神の眷属となり、その身に私の力を宿して魔王をお倒してください。そしてどうか一日でも長く私に快楽をお与え続けてください! もう……もうああ、あの()()を体感してしまった私には、あ、あんなしゅ、しゅごいの……もう他のどんな手段を用いたとしても到底満足できるとは思えましぇん! どうかお願いします! 後生ですので魔王を討ち滅ぼしてくださいませ!」

 

「てめえついに本性隠すのも止めやがったな。絶頂とか言うんじゃねえよクソ女神が! そもそもなんでてめえのために赤の他人を殺しに行かなきゃいけねえんだよ。そもそも俺は魔王さんのこと全くしらねえんだぞ? どんだけ悪い奴なのか知らねえけど、俺に実害ねえんだから喧嘩売る必要なんかねえんだよ、このドアホ」

 

 倒せだとか滅ぼせとか、本当に物騒なんだよこの世界の連中は。

 でもまあ、魔王っていうくらいだしな、どうせ悪いことをやってはいるんだろうしな、あの青じじいみたいに酷いことしてるってことなんだろう、俺が知らないだけで。

 

「それになんだ? お前の祝福を受けろだ? で、てめえの力を宿す? あのなぁ、言っておくが俺のレベルはたったの1だぞ? 貰ったって大して強くなるとはおもえないし、こんなカスみてえな奴じゃなく、もっとレベルの高い奴なんていくらでもいるだろうが。そいつらにくれてやれよ」

 

「大丈夫でございます。眷属になると漏れなく不死となって、どんなにぐちゃぐちゃになっても決して死ぬことはありませんので!」

 

「只でなくても痛いの嫌いなのに、ぐちゃぐちゃになっても死ねないっていったいどんな拷問だよ! そんなの絶対なりたくねえ!! ふざけんなっ!」

 

 このクソ女神、人のこと完全に自分の『玩具』だと思ってやがるな、やめろよこの野郎、俺はてめえ専用の『ラヴドール』になんかなる気はねえんだよ。

 本気でムカついて睨んでいると、ノルヴァニアが済ました顔で俺に微笑みかけてきた。

 

「でも、紋次郎様の身体は文字通り絶体絶命の状態。このままでは確実に死んでしまいますよ? それでも良いのですか? いくら私の要求が突然すぎて戸惑っておられるとしても、死んでしまってはもうそれまでです。眷属となっていただく以上、私も最大限ご奉仕させて頂く所存でございます。私が気持ちよくなる以上に、紋次郎様も気持ちよくさせてさしあげますわ」

 

 妖艶に微笑みながら、俺を誘いかけるように甘えた声を漏らすノルヴァニア。

 はっきり言って、超エロい!

 超エロいんだが……

 

「あのなぁ。マジでふざけんなよ、このくそビッチ。誰がてめえの要求なんかのむかよ! さっさと俺を元に戻しやがれ、このくそったれ」

 

 俺ははっきりそう言ってやった。

 ノルヴァニアは表情を困惑気に歪めてたじろいでいるし。

 

「てめえ、なんで俺が要求を飲まねえか不思議そうな顔してやがるけど、はっきり言ってやるぜ、俺はてめえにムカついてんだよ」

 

「な、なぜですか? 私は貴方の窮地をお助けいたしました。そしてさらに貴方様へ私の力を褒美として差し上げようと考えているのですよ。それなのに、どうして、そんなにご気分を害されておられるのですか」

 

「それを分かってねえことに一番ムカついてんだよ、俺は」

 

 俺はすっと立ち上がって……と思ったんだが、ずっと胡坐だったけどやっぱりしびれちまったみたいでちょっとふらついた。

 ふらつきはしたが、そのまま気合を込めて直立し、そして正面のノルヴァニアを見下ろして言い放った。

 

「あのなぁ、さっきから聞いてりゃあ、てめえはこの世界で起きている全部を知ってるんだよな。知ってててめえは何をした? 何もしてねえじゃねえか。 はあ? 祝福だ? 俺を助けるだぁ? 魔王を倒せだ? ふざけんな‼ 全部そうなりゃてめえに都合がいいからってだけのことじゃねえか! 

 てめえは言ったよな、『世界は5000年前にすでに滅んでいたかもしれない』ってな。でもそうなってねえ理由もてめえが言ったんだ。

 お前らの仲間のオルガナってやつが神を止めて世界を救うために、一分一秒でも存続させるために、あの訳の分からねえ、胡散臭い『ワルプルギスの魔女』のシナリオをなぞりながら頑張ってるって話なんじゃねえか。

 それなのによ、てめえはそいつに全部をおっかぶせて自分は知らんぷり。挙句、自分の快楽のために魔王を倒せだぁ? いい加減にしやがれ、このクソがっ!」

 

 そこまで一気に言うと、ノルヴァニアはその顔をみるみる青ざめさせていった。そして自分の着ている着物をまた、両手で抱くようにきゅっと握ってそれに力を込めている。

 俺はそれを見ながら、例の死んだ友達って奴の正体になんとなく感づいたが、それは言わないでおくことにした。

 ひょっとしたら最悪の選択を俺はしてしまったのかもしれない。なにしろ自称とはいえ、この世界を作った神様の内の一人だという話だし。ことと次第によってはこの場で殺されても仕方がないかもしれない。

 俺は許せなかった。

 自分の都合だけで物を考えるこいつのことが本気でムカついたんだ。

 

 だが、ひょっとしたらこいつも色々思うところはあったのかもしれない。

 それこそ、『現世不可侵』というなら、俺へこうやって手を差し伸べることもまずいはず。そして理由はあれだが魔王を倒せなどとまでぬかしやがったわけだし。

 まあ、本意は分からん。分からんがムカついたことだけはこいつにぶつけないと気が済まなかったんだ。

 ノルヴァニアは暫くして一度ほうっとため息をついた後で俺を向いた。そして観念したとでも言うように穏やかな口調で言った。

 

「分かりました。紋次郎様のおっしゃる通りにいたしましょう。ではこれでお別れのようですね。貴方様と出会えたこと本当に嬉しく思います。貴方様のお言葉……私ももう一度ようく考えてみたいと思います」

 

「おーおーそうしろそうしろ。勝手にな。それとな、どうもお前俺が確実に死ぬと思っているようだけど、それはねえからな」

 

「え? いや、しかし、紋次郎様にはもう手は何一つ……」

 

 不安そうな顔の彼女へ、さっさと俺を帰す準備をしろと手を振って促しつつ、俺は言った。

 

「お前が助けてくれてもいいんだけどよ、そうじゃなくて、俺だって少しは準備してきてんだよ。まあ、そういうことだ」

 

 詳しく話す気はなかったが、ずっと俺を見てきたってんならこれくらい察しがつくだろうよ。

 そう思っていたのだが、ノルヴァニアの野郎、小首を傾げてやがるし。

 うわ、こいつ察し悪すぎだったか……まあ、もう面倒だから説明はいいや。

 

「じゃあな」

 

 そう言った俺の前でノルヴァニアが魔法を詠唱。そして俺の周囲に魔法陣を出現させた。

 みるみる内に光に包まれていく俺。そんな俺に彼女が言った。

 

「もし……もし本当に自力で生き残れるというのでしたら、これほどうれしいことはございません。私は……ノルヴァニアは貴方様に魔力を乱暴に、強烈に、無茶苦茶に吸い出して頂ける日を、一日千秋の思いでお待ち申し上げています」

 

「うるせいよ、このくそビッチが! 誰がてめえのためなんかに魔法使うかよ」

 

「お待ち申し上げております」

 

 もう一度そう言ったノルヴァニアは、胸の前で手を組んで俺をまっすぐに見つめてきていた。

 あれ? そういや俺なんでここに居るんだっけか? 結局何一つ変わらないまま戻るのかよ、ええい、結局時間の無駄だった。

 俺を包む光がいよいよ大きくなる。

 そして辺りが真っ白に包まれようとしているその時、彼女の最後の言葉が耳に届いた。

 

「どうか、ご武運を」

 

「おう」

 

 そう返事をすると、世界は暗転した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 まあ、当然だがこの状況だわな。

 もう何も考える時間はない。

 さっきまでの俺は正に夢の世界、クロックアップによって垣間見た走馬灯のような時間にいただけで、それが元に戻ればこうなるわけだ。

 景色真っ赤、身体動かない、凄く痛い、手足が捥げていそうで超怖い、頭の上……、巨人(ヘカトンケイル)の足が降ってきている。

 まさに最悪の状況だ!

 

 と、その時その巨人の足が……

 

 『消し飛んだ』!

 

 

『ヴュウウウウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン………………』

 

 

 俺の視界の丁度中心を『一条の光』が通過した。

 その光は俺へと迫る巨大な足を貫通し、そしてそのままその足を『消滅』させた。

 

 そう完全に消滅……蒸発といってもいいのかもしれない。

 まるで膨らんだ風船を破裂させたかのように、ヘカトンケイルの足が消える。

 奴は形容不可能な声で絶叫し、その沢山の顔を苦悶に歪めながら、しかし、残った足と手で俺達へと向かい襲い掛かろうとしていた。

 

『ビュウウウウウウン‼ ビュウウウウウウン‼ ビュウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥン‼』

 

 と、再び光が今度は断続的に系三条放たれた。

 それはヘカトンケイルの、腕の一本といくつかの顔、そして細長い胴体の肩から脇腹辺りにかけて突き刺さる様にそこを抉り、そして先ほどの足の様に吹き飛ばした。

 

『びゃぎょぉぅぁあぅおきびゅるぅんぉぉぉぉぉおぎゃびゃぃぃぃぃぃぃっ‼』

 

 もはやそれは言葉なのかも分からないが、そんな奇怪な悲鳴を上げつつ巨体が倒れた。そりゃそうだな、足と腰の半分が消滅したんだ。立っていられるわけがない。

 俺はそいつがいるであろう方向に向かって必死に首を廻す。そして、そこに『長い筒』を構えて、素っ裸で立っている俺の相棒へ向かって声を掛けた。

 

「遅ぇよ二ム。さっさと仕留めろよ」

 

「これでも急いだんでやすけどねぇ。でもまあ、はい、すいやせん」

 

 ぺこりと頭を下げた二ムは、俺が即席で造らせた『木製・陽電子(ポジトロン)レーザーキャノン』を構えていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十五話 狭間の城の主④

 ノルヴァニアは何やら面食らったような顔になっているが、そんなん当たり前だからな。

 

「お前な……どこの世界に『貴方は救世主ですから、魔王を倒してください』って言われて素直に戦いに行く馬鹿がいるってんだよ、ゲームじゃあるまいし。そんな魔王とか言われてる恐ろしい奴になんかに会いたくなんかねえよ。ってか、こんな大事な話をさらりといきなり言うんじゃねえよ」

 

「ですが、貴方様は間違いなく『救世主』だと思うのですが……『ワルプルギスの魔女』の預言書にも、『終末の刻、遠方より最後の希望たる救世主(きた)る』と知らされておりますし、紋次郎様は結構遠くからお越しになられた様子でございますし」

 

 『結構遠く』ってお前、そんな程度の認識でいいのかよ、神様が。

 

「そんなおみくじの、『待ち人、遠方より来る』みたいな表現だけで人のことを変な役職に押し上げようとかしてんじゃねえよ。それめちゃくちゃパワハラだからな」

 

 そもそも神様奴が一個人に直接話しかけるのはどうなんだろうな。

 それで『ワルプルギスの魔女』か……

 神様が預言書とかいう怪しげな本をベースに話しかけていることに相当な不安を覚えるのだが、まあ世間一般でいうところの全知全能の存在ではないってことなんだろう。

 この本は俺も読んだけど、預言書というよりどちらかといえば、魔女たちの冒険譚を(つづ)っている感じだと思ったんだがな……結構面白い物語だった。

 

 魔法に秀でた『7人の魔女』が年に一度集まって、その年に体験した様々な事柄を他の魔女達に報告するという、魔女たちだけの酒宴兼自慢大会。

 最初のころは、どうやって人を助けた、どんな旅をした、どんな珍しい生き物に出会っただとか、そんな『グレートジャーニー』みたいな話で、ほのぼの系なのだが年を追うごとにその話がどんどん過激になり、どこどこの悪い国王いるの国を滅ぼしただとか、自分で開発した魔法で蛮人たちを島ごと消し飛ばしただとか、自分で作り上げたゴーレムで人食いドラゴンの住む山を海に放り捨てただとか、一応勧善懲悪的な感じなんだけど、どんどんやることが過激になっていき、最後の方では世界を滅ぼそうとした野蛮な巨人から人類を救うために、魔法によって人の住む大陸を大地から切り離して、こうして一時の平和が訪れました。とか、確かそんな感じの話だったはずだ。

 

 というか、これを読んで思ったこと。

 

 お前らのやることがどんどんエスカレートしたから、迷惑被った人や獣やモンスターとかがただ怒っただけだったんじゃねえのか! と。

 それで怒った連中を勝手に『悪』と断定して、お前らがふたたび襲いかかっただけなんじゃねえのか! と。

 こんなに毎年毎年悪がはびこるかよ、ヒーローアニメじゃあるまいし。

 

 つまり、人の迷惑を顧みず、自分たちの自慢話のためだけに様々な逸話を『作り』続けた迷惑な女どもの話ってのが、この『ワルプルギスの魔女』という本の内容だと俺は思っている。

 まったくどれだけ人に迷惑をかけたのか知れないが、その説話の数たるや数百に上り、所謂『千夜一夜』的な様相を呈しているのだ。

 でも、そんな預言みたいなこと書いてあったかな? 

 あ、あれかもな? 確か『聖戦士』がどうたらってあった気がする。

 でも、あれは救世主の話というより、悪いことをしたと魔女が滅ぼした国の生き残りの末裔かなにかで、魔女の一人に復讐しようとかしてたような気がするのだが……? そんで、魔法合戦の末に魔女が勝って、でも魔女に諭されて、最終的に和解して平和の礎になりました、的な終わり方だから、救世主と言えなくもないけど、魔女視点のこの本のなかで、これほど分かり易いマッチポンプはないと思ったもんだ。だって魔女が何もしなければその人聖戦士なんて呼ばれる必要はなかったのだもの。

 他にも、魔女の仲間になる『魔法使いの弟子』の話とか、村を襲うドラゴンに、少年の主人公が立ち向かう『ちっぽけな勇者』の話とか、人を救うために人身御供になってしまう『儚い聖女』の話とか、それっぽいのもあるにはあるが、ひょっとしたらあれか? 写本によって書いてある内容が異なるとか、それかもな。俺の読んだ本には欠損してた箇所があるとか。

 ただでなくても膨大な量の物語集だったしな、端折られたり、欠損しているページがあってもおかしくはあるまい。

 そう思い、口にしてみればノルヴァニアは、想定外の恐ろしい話を宣った。 

 

「かつてあの本を人間へと授けたのは、我々女神のうちの一人、『オルガナ』でございました。けれどそれはあくまで物語として……人々が読み楽しめる程度の内容に書き直したもの。来る日の為に人々にその内容を記憶してもらうために」

 

「オルガナ……? っていうか、何? 女神様が書いたのか? いや、すげえなマジで? あれ、一読者の俺が言うのもなんだけど、結構おもしろかったぞ? あの内容なら普通に出版してもヒットしちゃうんじゃねえか? いや、ヒットしちゃったのか、だからみんな知ってるわけだしな。ううむ、しかし、女神様が書いたのか……あの『二次小説』……」

 

 一瞬激しい人並みの中でテーブルに『サークル女神新作出ました!』とか書いてハチマキハッピ姿の眼鏡美人が現れたのだが……

 あれ? なんでか、俺に魔法の本をくれた、あの眼鏡痴女が引きつった笑顔で本を手渡している姿が目に浮かんだんだが……はて?

 

「二次小説……というのが何のことか分かりませんけど、あの本を作り上げたのは間違いなく女神オルガナでございました。我々のもとにあの原書たる『ワルプルギスの魔女』がもちこまれたがために」

 

 ノルヴァニアは憂いの籠った視線を自分の膝へと落とした。

 そのことが本当に不幸な出来事であったかとでもいうような暗い顔で。

 

「なあ、その原書ってやつはいったいなんだ? 口ぶりからすればどこぞの別の誰かが書いたってことと、内容がかなりヤバいということは分かるんだが、なんで神様自称しているお前がそんなに困ってるんだよ? 神なら、奇跡でも起こせばいいだろ?」

 

「神といっても我々が行えるのはこの地の『創造』とその『維持』の二つのみにすぎません。断言してしまえば、我々は自由にこの大地へと干渉することはできないのです」

 

 そうはいうが、十分に干渉している気がするんだけどな、俺をここに呼び寄せたりとか、快楽求めて手を伸ばしちゃったりだとか。

 

「ですから、我々はこの地を見守り続けてきました。そんなある時、一人の魔法使いが『時の魔法』を作り上げました。それは時空を超えありとあらゆる過去と未来を見通す大魔法であり、彼はその魔法を使って、自身が作り上げた『7人の(しもべ)の魔女』を時空の果てへと送り込みました。そして集めたのです。

 『この世の全ての歴史』を。

 それはあらゆる過去と未来の歴史。彼はそれを知り、見て、そしてこの『ワルプルギスの魔女』を書き上げました。これは『終末の未来までの歴史書』なのです」

 

 そう断言するノルヴァニアの手にはいつの間にか分厚い黒い表紙の本が握られていた。金の刺繍が入った本にはタイトルがついているが、その文字はあの死者の回廊の墓石に彫られていたものとそっくりなもので『ワルプルギスの魔女の報告』と書かれている。どうやらこの世界でいうところの古代文字と分類されるあの文字のようではあるが。

 それを見せながらノルヴァニアが言った。

 

「この本はこの世界の趨勢を表しており、この本の導きによってこの世界が保たれていると言っても過言ではございません。本来は私が話して良い内容ではないのですが、紋次郎様にどうしても生きながらえて頂かなくてはなりませんので、ここでお伝えさせていただきます。しっかりとお聞きください」

 

 拳をきゅっと握ってそう熱弁するノルヴァニアだが、その真意が酷すぎて、感動もへったくれもあったもんじゃない。

 

「あーはいはい、で、なんだって」

 

 耳を穿りながら俺はそう聞いてみれば、ノルヴァニアは待ってましたとばかりに身を乗り出してきた。

 で、その答えがこれだ。

 

「はい、この世界は間もなく滅亡することになります」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十七話 陽電子レーザーキャノン

「すげえな。レーザーの収束率がめちゃ高そうじゃねえかよ。かなりの威力だし、これは大成功だな」

 

「いやぁ、本当に凄いっすよ! 何が凄いってこの『鱗』の使い勝手の良さっすよね。まさか『荷電増幅器(ポジトロンチャージャ―)』の耐圧バルクヘッドにまで使用できるなんて……流石に4斉射したら砕けましたけど、軍の正規品のカートリッジより頑丈なんじゃないっすか? これ持って帰ったらきっと高く売れやすよ?」

 

「持って帰るったって、どうやってだよ。アホなこと言ってねえでさっさとそいつにとどめを刺せよ」

 

「お? 今回は経験値稼ぎしなくていいんですかい? これ倒したらレベル上がるかもですよ?」

 

「アホか‼ こんなバカでかいやつどうやったって倒せるわけねえだろうが。いいからさっさとやっちまえ」

 

「了解っす!」

 

 そう言いながら、二ムは素っ裸のままで、その木製の銃というか大砲というか、黒く変色してその先の方から煙が上がっているその筒を適当に放り捨てた。そして足元に置いてあった自分のリュックサックから、同様の形状の木製の筒を取り出すと、自分の胸から伸びた青と赤のコードをその筒の一番根元の辺りの穴に差し込んで構える。

 

「いやぁ、咄嗟にこのリュックサックを遠くに投げておいて正解でしたよ。まさかまた全身燃やされるとは思っても見なかったもんで。あ、ご主人ワッチのエロい肢体を見てちょっと興奮しちゃってたりとかします?」

 

「アホな事言ってんじゃねえよ!」

 

「へーい」

 

 くねくねと腰を振りつつそんな戯言を吐く二ムを俺はジロリと睨んだ。

 時と状況をわきまえろってんだ、まったく。そして二ムの手にした『武器』をもう一度眺める。

 その『武器』は正に銃と言っていい代物だと思う。良いとは思うのだが、はっきり言ってこのファンタジー世界には似つかわしくはないだろう。

 

 この武器の名は……

 

陽電子(ポジトロン)レーザーキャノン』

 

 二ムが内臓している『陽電子リアクター』は、高出力の発電機のようなものなのではあるが、常時高密度の陽電子を核融合によって発生させ続けている。

 まあ、そうは言っても放射能が漏れることは一切ないし、それらの廃棄物も内部でリサイクルされるため、非常に燃費も良く、もともとは一般的な家電には大抵使われている汎用部品の一つでしかない。

 ただ、それを俺がちょこっと弄って、出力を従来品の1,000,000倍くらいまで出せるように改造してあるというだけで……はい、そのせいでめっちゃ燃費が悪くなったんだけどもね。

 そ、それはいいとして、その改造の過程で俺は二ムのリアクター内の『陽電子』を外部へと抽出できるようにもしておいた。二ムのリアクターを増幅器として使用して、陽電子自体を武器に転用できるように。

 

 え? なんでそんなことしたかって?

 

 だって、なんかかっこいいじゃないか! ピンチになったら必殺技使ったり出来たらな……って妄想しまくった結果、このような改造を施していたというわけ。

 その後で分かったことだけど、この改造は完全に違法で、『特別テロ対策法』と『大量破壊兵器防止法』に著しく違反していたことが分かり、分かったけど直すための材料を買うお金がなかったので、そのまま黙っていたというわけ。

 ここ異世界だし、もう時効だよね!

 

 今回俺はこいつに施していたこの改造を利用することにした。

 

 直接ぶん殴るよりも、武器に陽電子を流した方がエネルギーの消費が格段に抑えられるのだもの。 

 

 二ムに普通に戦闘をさせるとはっきり言って燃費が悪すぎで長時間の戦闘行動を維持できやしない。この世界に来てからもうすでに2度も燃料切れのエンスト起こしやがってるし、如何に二ムが頑丈でパワーがあるといったって所詮は無理矢理やっているだけでしかない。

 そもそも二ムはセクサロイドだからな。バトルドロイドみたいな造りにはなっていないのだから当たり前だ。

 

 ということで俺は、二ムにこの武器を作らせた。

 リアクターから陽電子を引っ張り出し、それを高出力レーザーとして発射する武器を。

 とはいえ、こんな異世界では正規品の部品を購入出来るわけもなく、組み立てるもなにもまずは部品から作る必要があるわけなのだが、実は思わぬパーツを俺達は既に入手していた。

 

 それがあの『ミラーボアの鱗』である。

 

 あの鱗は所謂『手鏡』な感じの鏡面コーティングされた見事な鱗だったのだが、これがレーザー増幅器の重要なパーツとして使用可能であったのだ。

 人工物と比較しても遜色ない反射率と、凄まじい耐久性、それと通常の鏡ではありえない導電性。これによって大した部品のないこの地にあって、ここまで高出力の砲を作ることが出来たのだ。

 

 今回の敵は、あの災厄の怪獣『金獣』を想定しなければならなかったしな。俺もいろいろな考えてみたが、もっとも簡易に造れてで威力が高いレーザーキャノンを作ることを俺は選択したわけだ。

 金獣災害当時は、地球の科学力の総力をあげても、金獣を完全に滅ぼすことが困難だった。だが、研究されつくした『現代』の科学の前では、はっきり言って赤子も当然の存在なのだ!

 二ムの改造リアクターを使用した高出力陽電子レーザーであれば、最後まで生き残り、地球のおよそ9割を破壊したとされる『キング』と名付けられた最大の金獣に対してでも、倒せないまでもダメージを与えることは可能。

 そして今回この世界に現れたこれ……ヘカトンケイルは、言ってしまえば金獣の『なりそこない』でしかなかったのも幸いした。

 突発的に発生した多くの『γ変異種幹細胞生物』のほとんどは、実はこの『なりそこない』であったとされていて、主に金獣と呼ばれた怪獣の『餌』となったと記録されていた。その姿形もさまざまで、色々な動物をミックスしたようなものから、不格好な巨人の様な姿であったとかで、そう言われてみればこのヘカトンケイルもそういう『なりそこない』の一つで間違いはないだろう。

 こいつを見た瞬間に、俺は心底『ホッ』としたしな。

 当然のことではあるが、金獣よりも段違いに、『脆い』。

 

「さあ二ム、やっちまえ!」

 

「了解っす!」

 

 体中に大穴を開け、呻くように奇怪な声を漏らし震えるように蠢いていた、あの俺を踏みつけようとしていた巨大なヘカトンケイル。

 その奴の巨大な上半身の胸と頭に照準を合わせると二ムは、その砲身の先から凄まじい勢いで光り輝くエネルギーを発射した。

 

 その光の筋自体が眩く輝き辺りを真っ白に染め上げる。

 

 それは全てを浄化するかのような清廉な輝き。

 

 光の奔流のなか……巨大なヘカトンケイルはその全身を焼き尽くされ……完全に消滅した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十八話 掃討①

「お、お兄さまっ!?」

 

 オーユゥーンが慌てた様子で俺へと迫り、そして身体を抱き抱えた。

 そのとたんに、俺の顔面に超巨大なふたつの柔らかいスイカがまさに『ボイン』とのしかかってきた。

 というか、痛いっ! 苦しい! マジで息できねえ!

 

「ぷ、ぷはっ! て、てめえ殺す気かよっ! いきなりなにしやがんだっ! このばか」

 

「バカはお兄さまですわっ! なぜあんな無茶をなされたのですかっ! お兄さまが死んでしまわれたら、わ、ワタクシは、ワタクシはっ!」

 

「お、おい……」

 

 見上げてみればそこにはお大粒の涙を瞳から溢れさせているオーユゥーンの顔。

 その涙の滴がポタポタと俺へと落ちてくる。

 顔をくしゃくしゃに歪めてオーユゥーンはさらにぎゅうっと抱きついてきやがった。そして。

 

「よかった……本当に良かったですわ。生きておいでで……本当に」

 

 オーユゥーンの顔が俺を覆うように真上にきて、そして彼女の長い若草色の髪がはらりと垂れて俺たちの周囲をまるでベールの様に隠した。

 そこにあったのは頬を赤らめて俺を見下ろしてくるオーユゥーンの顔ただ一つ。

 その涙に塗れた彼女の顔を間近で見つめ、俺は自分の心臓がどきりと波打つのを確かに感じた。

 

 だから……

 

「おい、さっさとどきやがれよ」

 

「あ、す、すいませんですわ」

 

 そう言って飛び退いたオーユゥーン。ふわりと風に靡いたその髪の毛から微かに彼女の甘い香りが漂った。

 それを感じて思わず目で追うと、目を拭い普段と変わらぬ調子でにこりとほほえむ彼女がそこにいた。

 

 それを見て俺は心底ホッとした。

 いや、今のはやばかった。正直かなりドキドキしてしまっていたし、マジで惚れちゃいそうになっちゃってたし。

 いかんいかん、こういう気の迷いのせいで今まで相当な回数、痛い目をみてきたんじゃねえか。

 俺惚れる→相手好感触→結局クソビッチだった!

 このパターンで何回枕を濡らしたことか……

 もう俺は『裏切られる』なんてまっぴらごめんなんだよ! 俺は、俺はな……

 

 清純な恋愛がしたいんだーーーーーーー!

 

 そう心で吠えた時だった。

 

「紋次郎……」

 

「え?」

 

 ちゅ……と小さく音がしたかと思いきや、そこにあったのはドアップのヴィエッタの顔。

 ヴィエッタは両手で俺の顔を抑えるようにして目をつぶって口づけをしていた。

 

「んーーーーっ! んんーーーーーーーっ!?」

 

 あまりの事態に思いっきり逃げたかったのだが、レベル差のせいか、いくら力を入れても体が全く言うことを利かない。それを良いことにヴィエッタはいつまでもずっと俺に吸い付いたまま。こいつのレベルは知らねえが、俺よりもかなり上なのは間違いないんだ。

 なんというか俺ももう諦めて、猫に嘗められる猫缶の気分のままでされるがままでいた。

 

 どれくらいそうしていたのか、彼女は俺から唇を離し、その唾液で濡れた唇を『お』の形で開いたままではぁはぁと吐息を漏らしながら俺へと抱きついた。

 

「紋次郎……紋次郎、紋次郎紋次郎、紋次郎ぉ~……うわぁああぁぁぁん」

 

「ちょ……おまえ……おまえなぁ……」

 

 ヴィエッタは俺の名前を連呼したまま、俺をぎゅうぎゅうに抱きしめながら嗚咽する。

 っていうか、これじゃあ俺は完全に逃げ場ねえだろうが!

 

「諦めなさいなお兄さま。ヴィエッタさんをこうしてしまったのはお兄さまの責任なのですから」

 

 オーユゥーンが可笑しそうに笑いながら俺を見ていやがるし。

 

「マジで納得いかねえぇ……」

 

 いったいなんで俺が責任をとらないといけないのか本気で意味が分からないのだが、確かに冒険者になれるって言ったのは俺だった。そういう意味じゃあ俺が責任を確かにとらないとならないのは分かるのだが……よりによっていきなりキスしてきやがって! いくら娼婦だからって、こんなのはマジ勘弁しろよ。

 あーあ……俺のファーストキスがこんな簡単に奪われてしまうとは……ぐふぅっ……あ、ニムにした口移しは当然ノーカンだ。そもそもあれはキスじゃないし、枕に押し付けるのと同レベルの行為だし。

 

「マコ! 急いでくださいな。早くお兄様に治癒魔法を」

 

「分かったよオーユゥーン姉。わわわひどいねぇこれは」

 

「うん? なんのことだ?」

 

 俺は二人の会話の意味が分からずにそう聞いてみれば、マコが俺の右腕の辺りに向かって魔法をすでにかけていた。

 

「え? わかんないの? くそお兄ちゃん。 痛くないの?」

 

「へえっ!?」

 

「おーい、マコあったよ! お兄さんの『右腕』」

 

「はぇえっ!?」

 

 見れば、がけ下からシオンが人間の右腕を持って、それをぶんぶん振り回しながら駆け上ってきてるし。その上腕で千切れたような右腕からは骨とか筋とか血管とかぷらぷらしてるのだが————ま、まさか、それ俺の右腕かっ!? う、うわ、それはぐ、グロい……グロすぎるだろういくら何でも。それお前、ほんとにくっつけられるのか? マジで切断面ぐっちゃぐちゃなんだが……いやだよ変な風にくっついた後でもう一回、切断して付け直すとか嫌だよ俺は。怖すぎだ。

 そうこうしているうちに、マコが色々とやってどうやら腕だけじゃなく、足とか腹とかそういう箇所に魔法をかけて回っていた。ひょっとしなくても、俺全身ボロボロになっていたようだ……これはあれか? あまりの痛みにドーパミンだとかが大量発生していて痛覚を麻痺させていた状態ってとこか? いや、確かにあのぐちゃぐちゃを全て体感していたら、もう俺は痛みだけで死んでいたな。人間の身体ってマジで不思議だ。

 

 当然だがヴィエッタはもう俺を解放して今は俺を背中から抱いて支えていた。

 

「うーん。とりあえず魔法はかけたよ? でもマコの魔法だとくっつけるのが精いっぱいなんだけど、別に大丈夫だよね? くそお兄ちゃんの方が凄い魔法使えるんだから」

 

「ああ助かった、ありがとうな……」

 

「ふぇぇ……」

 

 くっつけてもらったばかりの右腕を持ち上げてマコの腕を撫でてやると、マコは顔を真っ赤にして変な声を漏らしていた。お前はネコか?

 正直痺れみたいなのもまだあるし、かなり痛いし、見た目もまだまだ酷い有様だが、血色も悪くなく当然血も止まっている……

 まったく全然大丈夫じゃないんだがな、まあ、今は治して貰ったんだし素直に感謝するしかないな。

 そう思って何気なくしただけなんだが……

 

「どうしよう……マコ、今、くそお兄ちゃんにめっちゃきゅんきゅんしちゃったよ」

 

「うう……なんかわたしも頭撫でてもらいたいかも……」

 

 そんなことを言いやがるシオン。このいつらマジでくそビッチだな。すぐに発情しやがって。

 それでも撫でるくらいはまあいいかと、シオンの奴も撫でり撫でり……

 と、そのままニヘラァと二人で気持ち悪くニヤニヤしているのを放って、俺は立ち上がった。

 やはりというか、足も腰もかなり傷が目立つし、結構痛い。

 相当にさっきはぐちゃぐちゃだったってことだな、マジで。

 

 当然のごとく俺に寄り添ってくるヴィエッタとオーユゥーン。そんな俺の元にニムが近寄ってきた。

 

「ご主人いつの間にハーレム作っちゃったんすか? ずるいっす。ワッチも入れて欲しいっす」

 

「誰がハーレムだ! んなわけあるか」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十九話 掃討②

 陽電子レーザーキャノンを担いだニムがまたもや裸のまま身体をくねらせる。俺はその羞恥心のかけらすらすらない様に頭が痛くなってきていたが、とにかく聞いた。

 

「で、どんな感じだ?」

 

「はい。この近くにいたあの怪獣はみんなやっつけやしたよ。でも、10体ほどがもう街の方に向かったみたいでやすね。どうします?」

 

 そう聞かれ、俺は周りの状況を見渡してみる。

 俺たちのいる周囲の荒野のところどころにヘカトンケイルの残骸と思われる大きな肉片が大量に散らばっている。どうやらニムが吹き飛ばした痕のようで直近での脅威はすでに取り払われている様だ。

 で、街の方へと視線を向けてみれば、ここからだと途中に丘があって直接には見えないが、夜明けの白んだ空に浮かぶ雲に赤い色が反射しているのが分かる。

 すでに街にヘカトンケイル達が襲い掛かった後のようで多分火の手が上がっている。これはすでにかなりの範囲で破壊されているだろう。

 

「シャロンッ! シャロン、しっかりしろ!」

「シャロンッ! お願いっ! 頑張って!!」

 

「し、シシン……ね、姉さん……うう……」

 

 そんな声が聞こえて向いてみれば、ぐちゃぐちゃに潰されて肉塊と化したあの気持ち悪い老人顔の小型ヘカトンケイルの脇で、膨れ上がって蠢いている自分の腹を抑えて呻くシャロンという女と、シシン達。

 シシン達があの気持ち悪いモンスターを仕留めたようだが、シャロンの様子を見る限り、今にも中の怪物が腹を引き裂いて飛び出てきそうだ。

 

「ヴィエッタ。ちょっと来てくれ」

 

「うん」

 

 俺はヴィエッタを連れてシャロンの元へと移動した。そしてシシンの肩に手をおいて奴をどかして、ぼろ布越しにシャロンの腹に手を当ててみる。

 それは驚くほどにぐにぐにとうごめいているが、普通に妊娠したわけではないのだから腹の内側どころか、腹筋や背筋なんかの筋肉もズタズタに切断されてしまっているのが、触れただけで分かった。もう一刻の猶予もない。

 

「ヴィエッタ。この辺に精霊はいないか? できれば土の精霊がいいんだけど」

 

 さっきの青じじいの爆発魔法のせいでこの辺の精霊は全て吹き飛ばされている。そうはいっても時間は経過したのだから多少は戻って来ている可能性があるかと思いそう聞いてみたのだが……

 

「ええと……精霊さんたちは少しづつ戻ってきてるけど……あのね? そこに、凄く光ってる土の……精霊? っていうか、凄く綺麗な女の人が立ってるの。で、えーと、何? え? えええ?」

 

 とかいきなり指さした先の虚空を向いて何やら驚き始めたヴィエッタ。

 俺はとてつもなく嫌な予感を抱きつつ、ジッとヴィエッタを見ていると、彼女が急に俺を向いて宣った。

 

「えっと……なんかその人? がね、私に恩恵をくれるって……でね、紋次郎が『土』の力を使いたいときはいつでも私の……えと、『おっぱい』を触ればいいよって。だからはいどうぞ」

 

 といいながら自分の胸をずずいと俺へと差し出してくるヴィエッタ。

 

「いやちょっとまて、おいコラてめえ。なんのつもりだよノルヴァニア」

 

 俺がそうヴィエッタの向く方へ向かって言うと、同じようにそっちを向いてこくこく頷くヴィエッタが、再び俺を向いて口を開いた。

 ってか、この伝言ゲームマジでめんどくせぇ!

 

「あのね? 言われたとおりに言うね。えと……『お約束の通り魔力を吸いだして頂きにきました。この娘の中にずっとおりますので、これから何時でも、お好きな時に、お好きなだけ、無理矢理に、滅茶苦茶になるまでご自由にどうぞ!』 だって? どういうことかな? あ、はい、おっぱいどうぞ」

 

「畜生、釈然としねぇ」

 

 いや、確かに言ったよ? また魔力吸いだしてもいいよ的な……あれ? 俺が言ったんだったか? くそっ、なんだかもうよくわからねえや。

 でも、目の前のシャロンを救うにはやっぱりこいつの土の魔力が必要だ。

 ムカツクが……滅茶苦茶納得いかないがここはやるしかねえか。  

 俺はそう諦めて、自分の胸を両手で持ち上げて俺へと差し出しているヴィエッタへと言った。

 

「触るぞ!」

 

「どうぞ」

 

 勢いよく元気に返事をするヴィエッタを見ないようにしつつ、彼女の胸に左手を触れさせた状態で、逆の右手をシャロンの腹へと伸ばした。

 当然その腹は激しくうねっているが、構わず唱える。

 

「『石化(カース・オブ・ペトロケミカル)』!」

 

「ひ、ひぐぅっ」

 

 すでに解析魔法はかけてあるから、準備は万全だ。となれば当然使うのはこの呪法。彼女の内に潜むあの化け物の子を一気に石へと変えた。

 痛みを堪えるように苦悶の表情を浮かべたままのシャロンを見ながら、当然すぐに次の魔法の詠唱に俺は移る。

 そして使ったのはこの魔法だ。

 

「『砂化(ド・サンドーシュ)』‼」

 

 土系統の魔法の中でも比較的簡易で簡便な魔法ではある。だが、今回のターゲットは彼女の胎内に巣食うモンスターだ。内臓がすでにぐちゃぐちゃになっていることを考えると、安易にこの魔法をかけるわけにもいかない。だから俺は最大限内部を観察しつつ、石化したその怪物を慎重に砂へと変えた。

 

「あ、あぐぅっ‼」

 

 魔法をかけた直後に激しい悲鳴を上げた彼女。その纏ったボロ布の端からは、血とともに大量の砂が流れ出て来る。

 それをクロンが支えつつ、近づいたマコが水魔法の治癒(ミ・ヒール)を唱えてその体内を癒し続けた。

 見れば、魔法を唱えているマコの身体は微かに震えていて、唇も青味掛かってきている。どうやらかなり疲弊しているようだが、かなり必死に頑張ってるみたいだ。

 それを見て俺は水の精霊を探そうと再びヴィエッタを見て見れば……

 

「お前いったいなにやってんだ?」

 

 そこには自分の股に両手を差し込んで何やらもぞもぞしているヴィエッタの姿。ええい、なんでそんなに顔赤くしてんだよ。

 

「だ、だって……も、紋次郎がきゅ、急に魔法を使った途端に、な、なんだか、身体の芯が熱くなっちゃって……ぁん……その……す、すごく気持ち良くなっちゃって……こんなの初めてでぇ……」

 

 何やら目をとろんとさせてやがるんだが、これはあれだろ! 間違いなくノルヴァニアの野郎がヴィエッタにも快感を流してんだろう? まったく、何をやってやがんだか、あいつはっ!

 

「別にどうでもいいけど、水の精霊がどこかにいないか教えろよ」

 

「あ、えと、ま、マコさんのおっぱいのところにいるよ? 戻ってきたみたいぃ……」

 

 そう言ってマコの胸の辺りを、震えながら指さすヴィエッタ。

 ええい! おっぱいおっぱい言うんじゃねえよ!

 

「仕方ねえ、マコ、お前の胸も触るからな」

 

「どんとこい! クソお兄ちゃん!」

 

 く、くそ、マジで釈然としねえ。女の胸触りまくってる俺も大概だが、こいつら自分から差しだしてきやがるし、完全に羞恥心が家出していやがる! というか、もはや失踪だよ、探すだけ無駄な奴だよ、ざけんなこら!

 

「くそが、もうどうでもいいや! 『上位治癒(ミ・ハイヒール)』‼」

 

 シャロンへと向けて一気にこの魔法を使った。

 先ほどのマコの魔法を上書して、彼女の全身の傷をいやしていく。ついでに俺自身の身体も修復して、そのおかげか変な痛みもなくなったし、流石、上位治癒魔法、痺れも消えた。消えたが、魔法を使うたびに必ず女の胸を触っている今の俺。明かな変質者でマジで死にたい。ぐぬぅ。

 そんなこんなで俺がジレンマに苦しんでいる最中であっても、シャロンはどんどん回復していき、苦悶の表情もその顔からは消えていた。

 股間の辺りを見て見れば、もう砂も吐き出されてはいないようで、これはもう完全に峠を越えたって感じか。

 そんな彼女を見ていたら、そろそろと薄眼を開けた。

 そして抱きかかえているシシンとクロンへと視線を向け、そして、暫くしてからその両目から大粒の涙を溢れさせて、泣き出した。

 

「シシン……姉さん……ごめんなさい、本当にごめんなさい……私……私……汚されちゃった……うう……うぁあぁぁぁ。うわぁぁぁああん」

 

 そう二人にしがみつくシャロン。彼女の肩をそっと抱くシシンと、やはり同じように泣きながらぎゅうっと抱き着いたクロン。

 こいつらに何があったのかは分からねえが、怪物に犯され、そのモンスターの子を腹に宿していたのだ。精神的にも相当に辛いはずで、これは可哀そうだな……とか、思っていたその時だった。

 

「シャロンさんとおっしゃったかしら? 今回は大変でしたけれど、モンスターの触手で犯されたことなんて、変わった形の『はりがた』でもお使いになられたくらいに思えばいいのですわ。盗賊に監禁されて廻され続けるよりよっぽど汚れが少ないですわよ」

「そうだよシャロンちゃん。あんな気持ち悪いモンスター、どっかの耄碌じじいが血迷って襲い掛かってきたくらいに思ってればいいんだよ。どうせ独りよがりで暴走するばっかで全然気持ちよくなんかないんだから。あーあ、今回ははずれだったとか思えばいいんだよ」

「そうそう! マコもねー、前にむかつく商人の客に、『ルツボカズラ』っていう触手のある植物持ち込まれて、触手プレイさせられたことあるけど、本当に気色悪くて感じてる振りするのがホントに大変だったんだよ? だからね、いまいち気持ちよくなかったかもしれないけど、これ当然だからね! やっぱり男の生が一番だよ!」

 

 オーユゥーンとシオンとマコの三人が寄ってきてシャロン達にそんな話をしているが、お前らひょっとしてそれ慰めているつもりか? いや、それ全然慰めになってねえぞ?

 とか思っていたら、隣でヴィエッタが。

 

「あ、私も生で中が一番……」

「うるせい! てめえまで混ざろうとしてんじゃねえよ!」

 

 おずおずと手を上げて発言しようとしているヴィエッタをチョップすると、当たり所が悪かったのか頭を押さえてちょっと涙目になっていた。

 『生』、『中』とか、いったいどこの居酒屋の乾杯メニューだよ。 こんなフォロー世の中にあるわけねえっ!

 

 とにかく身体はさっきの魔法で完治したんだ。後はゆっくりと心の傷を癒してだな……

 そう色々考えていたんだが…円

 

「ええと? なんだか私、もう結構平気かも?」

 

 と、最大の被害者であるはずのシャロンがぽりぽりと案外平気な顔で頬を掻くのであった。

 いいのかよ! そんなんで!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十話 掃討③

 落ち着いたシャロンを見て俺は内心少しイラっとしたのだが、シシンやクロンはかなり安心したようで、すぐさまクロンが泣きながら抱き着いていた。それとシシンはそんな二人を安堵した顔で眺めた後に立ち上がり、申し訳なさそうに俺へと頭を下げた。

 

「旦那……旦那にゃぁ、どんなに感謝しても感謝しきれねえ。この恩、必ず返す」

 

 ついさっきオーユゥーン達も同じようなことを言いやがったんだがな。

 でもこいつらの気持ちはわかっているつもりだ。

 自分の仲間をどんな形であれ救出出来たんだ。そりゃあ嬉しいだろうし、感謝もするだろう。正直そこまで感謝されても面倒なことが増えそうで俺はあまり歓迎したくはないんだけどな。

 とにかく今は、この事態を『終息』させるのが先だ。

 

「まだ終わっちゃねえだろうが。多分だが、その穴の中に連中の根城がありそうだ。どうせそのシャロンみたいな目に遭ってる連中もまだいることだろうし、それに街はあのヘカトンケイルの群れに襲われて大惨事だろう」

 

 このままここで解散はそれこそない。

 自分の身内だけを助けて後は見捨てるとか、そんなのどれだけ寝覚めが悪くなるか分かったもんじゃないしな。それに街には留守番させたあの娼婦連中だっているんだ。それを放置するとかどんな人でなしだってことになっちまう。

 さて、となればやることは一つだな。

 

「二ム!」

 

「はいっ!」

 

「って、てめえはいつまで素っ裸で居やがるんだよ。ボロ布でもなんでもいいからなんか着やがれよ」

 

「ええ~!? だって、何着たってどうせすぐ破けちゃいますよ? だったら何も着てない方が楽ちんじゃないっすか!」

 

「お前は洗濯嫌いな一人暮らしの中年か! てめえのその恰好が犯罪だって言ってんだよ! 猥褻物陳列罪!」

 

「でもでもですよ? そこのゴンゴウさんとかヨザクさんとかさっきからずっとワッチに釘付けっすよ? 犯罪じゃなくて目の保養になってると思うんすけども」

 

 と、そっちを見ればゴンゴウとヨザクが気まずそうに俺の視線から逃げやがった。

 こいつらここぞとばかりに二ムの素っ裸を鑑賞してやがったな? つまりそれが猥褻物なんだよ。くそったれ!

 俺は面倒になって、自分の着ていたシャツを脱いで二ムへと投げた。ついでに腰に巻いていた大きな風呂敷にもなる布も外して二ムへと渡した。

 

「ほれ、シャツを着て、これを腰に巻けよ。そうすれば多少は隠れやがるだろう……へっくし!」

 

 上着のジャケットはヴィエッタに着せちまったし、長そでのシャツと腰布は二ムに。となると今の俺。

 下着のタンクトップと冒険者用の厚い生地のズボン、以上。いや、流石にこれだけ薄着になるとちょっと寒い。

 寒いが、まあ、俺の持ち物があんな露出狂じゃあ俺の外聞もなにもあったもんじゃねえ。ここは我慢で……とか思っていたら。

 

「「お、おお……こ、これはこれで」」

 

「はあ?」

 

 ヨザクたちの声が聞こえてそっちを見れば、二ムにかぶりつくような視線を送っている男二人の姿。で、二ムへと視線を向けて見れば、俺のシャツを着たのだが、当然ノーブラなので、ふたつの『ポッチ』がくっきりと浮き出て、さらに腰布をなぜか相当にたくし上げて巻いているので、なにやらその隙間からノーパン部分がちらちら見えそうな見えなさそうな……

 

「てめえ二ム、わざとやってやがんだろう」

 

「えへへ、分かりやしたか? 女はこの微妙な『丈』のさじ加減で男を惑わすものなんすよ。ほら、ほらぁ」

 

「「うおおおおおおおおおおおおおおお」」

 

 言いながら足を上げたり腰を振ったりする二ムに、二人の男が絶叫を上げて……

 

「てめえらいい加減にしろよ? まだ終わってねえと言ったろうが……って、マコ、シオン! お前らまでなんでスカートをたくし上げてんだよ、このアホっ!」

 

「えへへ……だって、ねえ?」「クソおにいちゃんってこういうの好きなのかな? って思って……また撫でて欲しいし」

 

 本当にこいつらはどいつもこいつも……まったく今がどんな状況なのかわかってねえ。

 そんなイライラする俺の傍にオーユゥーンが寄ってきてぽそりと言った。

 

「みんなお兄様のことを信頼していますから、こうやって笑顔でおりますのよ。大丈夫ですわ。お兄様の一言で、みんなきちんと行動に移れますから……さあ、どうぞご指示をなさってくださいまし」

 

「本当かよ……」

 

 安心しきった顔をしているのはオーユゥーンも一緒なのだが、こいつの言葉にはいちいち説得力があるからな。とにかくさっさと終わらせるのが先だ。

 俺はきゃいきゃいやっている連中のほうに顔を向けて、言った。

 

「二ムっ! お前はすぐに街へ行って、あのヘカトンケイルどもを全部焼き殺せ。今はとにかく動けなくすればいい。どうせバラバラになってりゃすぐには復活はできねえんだ」

 

「了解っす」

 

「それとシシンたちは二手に分かれてくれ、そうだな……シャロンはもう立てるようだし、シシン、クロン、シャロンの三人は俺やオーユゥーン達と一緒に来てくれ。これから穴の中の生き残ってる連中を助け出す。例の小型ヘカトンケイルはまだ相当にいるようだけど、そいつらの相手はシシン、お前らに任せるからな」

 

「ああ、期待してくれよ旦那」

 

「ヨザクとゴンゴウの二人は、この付近に散らばったヘカトンケイルの肉片をとにかく全部燃やしてくれ。あいつらはバラバラになっても実は生きてるんだ。まあ、自然環境で巨大化することほぼないんだが、とにかくこんがり焼けば死ぬから、念入りにウェルダンに焼いてくれ。炭でもいい」

 

「了解ではあるが……我等も女子(おなご)を助けに行きたかった」「同感っス」

 

 だからてめえらは連れて行かねえんだよ。ごく自然にセクハラかましまくりやがって。下心ありありで女を助けに行かせるとか、マジで気分悪い。

 シシンは……まあ、クロンとシャロンっていう手綱握ってるやつが二人も居やがるんだ。なにか怪しい動きをするなら、その処遇は二人に任せればいいってことだ。

 あの肉片を焼くのは十分重要な仕事でもあるのだしな。

 γ変異種幹細胞生物は、その性質上、刻まれたとしても死ぬことはない。無限に増殖することが可能な奴の細胞は、取り込んだ生命体のDNAに合わせていくらでも再生できる。だが、そのためには特殊な栄養や培養の為の条件があるため、あの状態からのすぐの復活はあり得ない。あり得ないのだが万が一ということもあるから、とにかく焼いて消滅させるのが最善なのだ。

 『金獣見たら焼き殺せ』って条文まであるしな、『人権憲章』の中に。

 

「ヴィエッタ」

 

「うん」

 

 最後に俺はヴィエッタを呼んだ。

 そしてジッと目を見て見れば、彼女は真っすぐに俺を見返してきている。その瞳の色はあの出会った直後のおどおどとしたそれではなく、はっきりと意思が宿った強い信念を感じさせるものだった。

 だから俺は一言だけ言った。

 

「お前の力が必要だ。一緒に来てくれ!」

 

「うんっ‼」

 

 彼女の花咲くような笑顔に、俺も思わず頬が緩んだ気がして、慌てて顔を触りながら振り返った。

 そこにはニヤニヤしながら俺を見る、全員の顔。

 なんだよこいつらその顔は! てめえらマジでふざけんなよ!

 いきり立ちそうになるのをなんとか抑え、俺は全員に言い放った。

 

「行くぞ! さっさと終わらせるぞ!」

 

「「「「「おおっ!」」」」」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十一話 選ばれし者(聖戦士エリックside)

「う……うぐぅ……」

 

 意識が戻ると同時に身体に力を込めてみるも、なにやら得体のしれない障害物に押さえつけられているかのようで思うように動かない。それでも尚力をこめてみれば、バリバリとまるで壁でも突き破るかのように全身が動着始めた。

 

「く、くそがぁっ」

 

「え、エリックさん?」

 

 口が利けるようになった途端に、溜まりに溜まった憤懣から罵声が飛び出るも、俺は構わずに目の前の若い聖騎士団員の肩を押しのけて前へと出た。

 周囲を見れば、石化してしまったうちの団員連中にむかって、石化解除のポーションを振りかけ続けている若手団員たちの姿があるのだが、いったい何がどうなったのだか、俺たちが踏み込んだはずのあばら家の娼館が跡形もなく破壊されている。その瓦礫の間に石になった団員たちがまばらに見えるのだが、いったい全体どうなってやがるのか。

 俺はとにかく目の前の若い聖騎士を睨んだ。

 

「あのくそムカつくガキと女どもはどうしたっ!」

 

「え? は、はいっ! そ、それが、我々がここに辿りついた時にはもう姿がなくて……それよりも、一体何があったんですか? エリックさん恐ろしいものでも見たみたいな顔していましたよ」

 

「う、うるせえんだよ、てめえは! さっさと他の石になった連中を元に戻してこい!」

 

「は、はいっ! すいません」

 

 若い聖騎士はほかのメンバーに合流するように急ぎ足でその場を去る。

 それを見送りながら俺はさっき味あわされた恐怖と屈辱と、そして耐えようのない湧き上がる怒りに震えが止まらなくなっていた。

 

 ゆるせねえ……あいつらは本当に許せねえぞ……この俺様をコケにしやがって。

 

 俺は自分の腰の剣を触ろうとしてその付近が湿っていることに気づき、あの屈辱的な場面を思い出していた。

 

 死にかけの女どもを閉じ込めて、あの化け物に襲わせれば、今までの全ての問題を無かったことにしてやると、あの偉そうな青い衣のカリギュリウムの神父に言われ、この俺を顎でつかったことにムカつきはしたが、街の連中に訴えられそうになって面倒に思っていたところで、そんなくだらない理由で俺の明るい前途が踏みにじられるのだけはなんとか阻止したかったから、この話に協力してやったにすぎない。

 だいたいちょっと自分の女を犯されたからって、人に言いつけたりすんじゃねえってんだよ、雑魚どもが。

 どうせ大した仕事じゃあない。

 死にかけた連中を魔物に食わせるくらい簡単なことだ。

 そう思って行ってみれば、この街でもとびきり上等の娼婦オーユゥーン達がいやがった。

 しかも何故かはわからなかったが、上物中の上物、誰もが一度は抱きたいと夢見るあのヴィエッタまでもがそこにいた。

 これはもう、くだらない仕事をやっている場合じゃあない。すぐにでも欲望を叩きつけてやりたくて堪らなくなっていたそこに、あのくそいまいましいクソ魔法使いのガキがいやがった。

 

 得体の知れねえ魔法で攻撃は効かねえし、おまけに『石化』の魔法まで使いやがって、目の前でどんどん部下が石に変えられて、あの野郎……、こ、この俺様までも石に変えやがってぇえ。

 

 くそがぁっ!

 

 あれは……あ、あんなのはただ動揺しちまったってだけのことだ。この俺様があんな小僧にビビるわけがねえんだよ。ただ、少し油断したからああなっただけ。

 ふざけやがって、あのガキ、ただじゃあ殺さねえ。

 ゆっくり身体を切り裂いてなぶり殺しにしてやる。

 動脈を少し切って、喉を引き裂いて、ひひ……そのまま両手両足の腱を引きちぎって苦しむ様を見ながら、腹に剣を突き刺してじわじわと殺してやる。そうだ、あのガキはそうやって殺してやるんだ……俺をコケにしたことを死んでも後悔させてやるぜ。

 

「エリックさん、全員石化解除しました!」

 

 若い団員の声が聞こえそっちを見れば、部下たちが全員集まって整列していた。ほとんどの奴がその顔に怒りをあらわにしていた。

 俺はその前に立つ。

 

「てめえら行くぞ。あんなガキに舐められたままで終わらせて堪るか! すぐにぶっ殺しに行く……」

 

 『ぶっ殺しに行くぞ!』。そう……言いかけた時だった……その『目』と視線があったのは。

 

「なっ!?」

 

 そこにあったのは巨大な顔。

 いや、それを顔と呼んで良いのかはよく分からなかった。

 城ほどはありそうな大きな丸い肉塊には、目と鼻と口が無数に存在していて、そのうちの一塊の目鼻口が俺をジッと見つめていたのだ、近くの2階建ての家屋ごしに。

 それは、声も発さず動きもせずに、ただジッと俺を見つめていた。それを見上げながら俺はただ……恐怖した。

 恐怖して、そして、見た。

 その見つめていた目の下の大きな口が、ニヤリと不格好に微笑むのを。

 

 次の瞬間、目の前にあった家屋が吹き飛び、超巨大な足が迫ってくる……そう思ったその時にはすさまじい衝撃が目前で発生していた。

 俺が立っているすぐ目の前、たくさんの部下たちが整列していたそこに足が踏み下ろされ、そして全員一気に踏みつぶされた。

 

 足元が陥没して何やら平衡感覚がおかしい。それと地面が激しく揺れているような感覚があったのだが、それは地面が揺れているのではなく、自分の足が震えているのだと遅れて気が付いた。

 腰が砕け、そのままでは倒れてしまうような気がして、もう一度見上げたそこに、あのさっきの歪んだ巨人の不気味な笑顔が。

 

「ひ、ひい」

 

 思わず悲鳴が上がるも、何をどうしていいのかまったくわからない。

 ただ、自分のズボンに生暖かいお湯のような物が伝うことだけを感じていた。

 

「あぶないっすよ? よいさっと」

 

「あっ、あがっ!」

 

 その時だった。

 立ち尽くす俺の襟首をいきなり掴まれ、そのまま一気に後方へと投げ飛ばされる。

 そのまま壁に衝突して肩が外れるも、あまりの痛みに声も出ず、ただ苦しみの中で前方を見ると、そこには黒髪をはためかせ、何やら長い筒を手に持った薄衣だけを纏った少女が立っていた。

 そしてその先には、例の異形の巨人の姿が。

 これはいったいなんなんだ? いったい何がおこってやがるんだ?

 思考が止まりまったく現状を把握できない。理解を越えた何かがそこに起きていることだけをただ感じながら、それを見つめることしかできないでいた。

 

 直後、さらに信じられないことが起きた。

 

 少女が手にした長い筒が『光』を発射したのだ。そして、その光が巨人の頭を消し飛ばした。

 それからさらに彼女は光を数発放つ。

 その光の筋が通るたびに巨人の身体は爆裂し、そのまま倒れて動かなくなった。

 

 少女はそれを見届けると、こちらを振り返りもせずに高く跳躍し家屋の向こうへと消えた。

 

 そうなってからようやく俺は安堵し、そして不意に強烈に笑いの衝動がこみあげてきた。

 

「ふふ……ふはは……ふははははっはは、アハハ……あーはっははっははは」

 

 とにかくおかしかった。

 目の前で起きたことは本当に理解を越えたことだったのに、それでも俺は今こうやって生きている。

 そうだ‼ 俺はやはり特別なんだ。このような超常の中にあっても俺は生かされたんだ。やはり俺は神に選ばれた特別な存在であったのだ……と。そう思えて笑いが止まらなかった。

 今までもずっとそうだったのだ。どんな悪事を働いても、どんなに犯罪を犯しても、俺はいつだって免罪されて、時には俺を糾弾しようとした奴の方が逆に罰せられたりもしたんだ。

 現に今目の前の部下は全員死んだが俺だけはこの通りの無傷。運がいい……では片づけられないこの現象。

 この俺こそ……神に選ばれし存在。俺のために世界は動き、俺の為すことが全て正義。これで証明されたのだ。

 俺はこの世界でもっとも大事な存在であるのだ……と。

 

 愉悦に震えながら、笑いながら見上げたそこに見た物は……

 

 俺に向かって真っすぐ降ってくる……超巨大な巨人の肉片。

 

 最期に聞いたのは……自分の足から順に全身の『骨』が砕けていく『音』だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十二話 招かれざる来訪者①

「ふう、これであらかた片付きやしたかね?」

 

 長尺の筒を構えた彼女はそう呟きつつ、ある一件の三階建ての家屋の屋上から街を眺めていた。夜明け間近のこの大きめの街道街は、本来なら陽の光に照らされて新たな一日の始まりの息吹を感じられる景色が広がっていたのであろうが、ここにはそれとは似使わなくない光景が広がっていた。

 

 立ち並ぶ家々から上がる赤々とした火の手と黒煙、それに倒壊したであろう家々の残骸と、そのさきでバラバラになって朽ち果てている巨大な肉塊の数々。

 街の東側から突入したであろうヘカトンケイル達のなれの果てであった。

 

 彼らはその巨体をもって街を破壊して進むも、そこに追いついた二ムの陽電子レーザー砲によって、その全ては吹き飛ばされ消し飛んだ。

 だが、彼らにはそれだけでは死は訪れない。

 いずれ完全な生体として復活することも可能な肉片であり、真に滅ぼす為にはその全てを焼かなければならない。

 二ムはそれを考えつつ辺りを観察した。

 街には驚くほどに人影が少なく、早朝ということもあって、まだ就寝中で屋内に居たまま被害に遭っているのかもと始めは考えたのだが、高感度センサーで建物を透視してみたところその殆どに人影はない。

 これはもしや……

 と、この街を出る前に彼女の主人である、紋次郎が述べた言葉を思い出し、ふと街の西の方を見やって彼女は得心した。

 

 そこにはたくさんの冒険者風の装束の男女の姿が。皆一様に、『とび口』のような得物やバケツなどを持って火の出ている箇所へと移動していた。中には魔法使いもいたようで、すぐに水魔法を使って火の鎮圧を始める。

 どうやら、彼らはオーユゥーン達のもとにいた娼婦たちと、孤狼団の面々のようで、一旦は街の人たちを連れて西の方へと逃げ出していたようだ。

 その人並みへと二ムは飛び降りて接近した。

 

「お疲れ様っす! みなさんご無事ですか?」

 

「わっ!」「きゃあっ!」

 

 急に空から降ってきた二ムに驚愕する面々。だが、それが紋次郎たちと同行していた二ムだと知って、慌てて駆け寄ってきた。

 

「ええと……紋次郎様に異変がありそうだとご指示を頂いておりましたので、マリアンヌさんが中心になってすぐに全員で街の人たちに危険を知らせて西の山中に逃がしたんです。そうしたら、あの大きな怪物が街に押し寄せてきて……あ、あの! オーユゥーンお姉さまたちはご無事なのですか? 紋次郎様は?」

 

 一人の娼婦が矢継ぎ早に説明をしつつ二ムへと詰め寄るも、彼女は柔らかく微笑んで答えた。

 

「みんな無事っすよ。それにあの怪物……ヘカトンケイルもだいたい倒しやしたし……」

 

「そう……ですかぁ……よかったぁ……」

 

 ふうっと息を吐きながらそう零した娼婦は、身体の力が抜けたのか倒れそうになるも、近くにいた娼婦に抱き抑えられて、そしてお互いで顔を見合わせて微笑んでいた。

 周りに集まってきていた孤狼団の男性陣も安堵した様子であった。

 そんな彼らに向かって二ムは告げた。

 

「いいですかい? 怪物は倒しやしたけどあれはまだ生きています。皆さんであの怪物の肉片を一つ残らず燃やしてください。そうすれば完全に滅ぼせますんで! あ、火事の方も気をつけてくださいね。危なくなったらすぐに逃げるんすよ!」

 

「「「はいっ!」」」

 

 力強く返事をした彼らはすぐに街の各所へ散っていく。街のあちこちで火の手が上がっており確かに危険な状況だが、この人数で当たれば間もなく火災も収まるかと、そう思った二ムは紋次郎たちの元へと戻ろうかと思案していた。

 

「もう大丈夫そうっすかね?」

 

 そう独り言ちた時だった……

 

「ここで戻られては困るのですよ、『二ム』様」

 

「? 誰でやす?」

 

 急に声が響き彼女は振り返る。

 声は反響していたが、高感度センサーを備えている彼女はその音源を速やかに特定、そしてその正体が人でないということも察知した。

 だが、彼女は戦闘行動に移ろうとはしなかった。

 燃料が乏しいということもあったが、それよりも相対した相手に敵意が感じられなかったから。

 まるで陽炎のように空間が揺らめきつつ現れたその人影を彼女のメモリーバンクはきっちりと記録と照合したいた。

 

「ええと、確か『べリトル』さんとかいうお方でしたね? 第四使徒ドレイクアストレイさんの子分の。ゴードンさんに首を切断されてお亡くなりになったのではなかったのですかい? 身体も消し飛んじゃってましたよね、確か」

 

 肩に陽電子レーザー砲を担いだままの二ムが、すらすらとそう話すのを、べリトルと呼ばれた、その頭にターバンを巻いた色黒の男は苦い微笑みを浮かべつつ返答した。

 

「よく覚えてらっしゃいますね、あの『暴力』が支配した空間にあって」

 

「ワッチ、記憶力だけはめっちゃいいんすよ。それこそ、見た物は全て記憶できますし! 『神経衰弱』ならご主人にも負けません! 『大富豪』は勝てませんけど」

 

 そう鼻息荒く答える二ムに、べリトルは微笑みを浮かべたままで、だが視線は厳しく彼女を見据えていた。

 

「さて……二ムさん。私はあなたという存在に非常に興味があるのですよ」

 

 それを聞いた瞬間、二ムはババッと自分の胸を隠すように身を縮めた。

 

「わ、ワッチにはご主人という愛するお方がおりますので、お気持ちは嬉しいっすけどお応えするのはめっちゃ無理なので諦めてください。べべべ別におっさんが嫌いとか、チョピ髭が苦手だからとかそういうわけでは全くありませんからご心配なくでっす。さーせん」

 

「い、いえ、そうではありませんよ……」

 

 少し慌てた様子でべリトルは手を振って見せる。

 そして、こほんとひとつ咳をしてから言葉を続けた。

 

「貴女は我が主……ドレイク様の必殺の魔法をその身に受けても傷一つ負われませんでした。確かに主はまだ『蘇生段階』で、その魔力も十全には発揮しておられなかったとはいえ、『破滅の大天使の一翼』たる存在と渡り合えようとは到底思えないのです。貴女はひょっとして……『神』ではありませんか?」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十三話 招かれざる来訪者②

「神? ワッチがっすか?」

 

 自分を指さして驚いた顔になる二ム。

 

「いえ、ワッチは違うっす、神様じゃないっすよ。じゃあなんだと言うと色々難しいのですけど、えーと、元は家事全般用の家電で、ご主人に自我を戴きやして、そんでセクサロイドに作り変えられてから、リアクターとジェネレータも改造されて、今はレーザーキャノンも発射できる美少女ロボットって感じっすかね?」

 

 それを聞いたべリトルは顎の辺りに手を置いてただジッと二ムを見据えた。

 そして言う。

 

「貴女の仰る内容のほぼ全てを、私はまったく理解できません……貴女が仰るのですから、神ではないというのは真のことなのでしょう。しかし、超常の力を有する貴女はまさに神にも等しい存在……となれば、そのあなたをお創りになられたお方こそが……新たな『神』ということなのでしょうなぁ」

 

 そう、ニタリと微笑みながら言ったベルトルに二ムは慌てて言った。

 

「あ、それ絶対にご主人には言わないでくださいね! ご主人ってば理路整然と褒められるとめっちゃ有頂天になって喜んじゃいますもんで! 適当におだてるぐらいで勘弁してください」

 

「ふむ……そうですか。しかし……その必要はもうないのですけどね」

 

「え? どういうことです?」

 

 二ムがそう言った時だった。

 突然彼女はその場に膝を着いた。

 それはまるで操り人形の糸が切れてしまったかのように突然にぺたりと地面に吸い寄せられるように座ったのだ。

 

「あ……れ……? おかしいっすね? なんだかエネルギーが急になくなってしまったような……」

 

「くっくっく……」

 

 ぺたりと座り込んでしまった二ムにべリトルが続ける。

 

「どうやら私の思った通りのようです、二ムさん。貴女の力の源はこれなのでしょう?」

 

 そう言いつつ、べリトルはローブの内から一つの赤く光る石を取り出して彼女へと見せた。

 

「これは『魔晶石』。高純度のマナが内包されたこの石は、主に魔導具(マジックアイテム)……それも高位魔法を永続的に固定させるために使用する、言わば魔力の源。かつてこの魔晶石を用いた人造人間(ホムンクルス)の研究を行っていた国があったことを思い出し、今回はその過去の遺物を参考に対策させて頂きました。

 二ムさん、貴女の足元には強力な魔導具封じの結界を敷かせていただきました。そこに居らっしゃる限り、貴女様の所持されている魔晶石はその力を発揮できません。どうか諦めて、今しばらくそこで大人しくしていただきたい」

 

 薄く微笑みながらそう語るべリトルに、身体を不器用に動かしながら二ムが聞いた。

 

「ワッチをここに固定して一体何をするつもりでやんす? エロいこととかはめっちゃ興味ありますけど、そういうのは最初はご主人が相手って決めてますので勘弁して欲しいっす」

 

「まさか……そんなことはいたしませんよ」

 

 べリトルはゆっくりと近づきつつ二ムの目を見つめながら口を開いた。

 

「これ以上我々の計画の邪魔をして欲しくない……ただそれだけのことです」

 

「計画?」

 

 ふふ……と笑ったべリトルは続ける。

 

「ええ、そうです。私は……いえ、我々は準備をしてきました。そう、この『2000年』の時の中で、この機会を得るために……。しかし、そうだというのに、我々の前には障害が突如現れました。それが、『あなた達』でした」

 

「ワッチ達? 何か邪魔しちゃいましたか?」

 

「まあそういうことですよ。それが何かをお話する必要はないでしょう。なにしろ、今から貴女達には死んで頂くのですから」

 

「それはやめて貰えませんかね? ワッチはともかくご主人あれで結構いい人なんすよ? 話せばきっと仲良くなれますから」

 

「なるほどそうかもしれませんねぇ」

 

 そう言いながら、べリトルは指をぱちんと鳴らした。

 するとそれが合図であったのか、べリトルの周囲に4つの魔法陣が現れ、そこから筋骨逞しい異形の4体の怪物が現れた。

 狼の様な顔の上に雄牛の様な角が生え、盛り上がった漆黒の肌は筋肉の塊。身長2mはありそうな人型の獣の体を為したモンスターは、手に長大な黒剣を握っていた。蹲る二ムを見下ろすようにして取り囲む。

 

「ですが、残念ながら私にはほかにやることがありますのでお話するのは厳しそうです。あ、そうそう、この4人の『悪魔獣士(デーモン・バーバリアン)』達はただの見張りですからご心配なく。ドレイク様すら傷をつけられなかった貴女を殺すことは、今は出来ないことは分かっていますから。彼らも無駄なことは致しませんよ。ですので、そこでお待ちくださいね」

 

 べリトルは二ムの前で膝を着いて顔を近づけると、指でそっと彼女の顎を持ち上げた。そして間近に迫って告げた。

 

「あの忌々しい魔術師、貴女の主人『紋次郎』が死ぬのを……ね。そしてその後は、貴女のこともじっくり時間をかけて殺して差し上げますよ」

 

 そうしてから彼は立ち上がりそのまま向きを変え、悪魔獣士(デーモン・バーバリアン)達の間をすり抜けるようにして立ち去ろうとした。

 そんな彼へと二ムが声を掛ける。

 

「ちょっと待ってくださいよ。べリトルさん、さっき言いましたよね? ご主人は『新しい神』だって」

 

 その声にべリトルは一度立ち止まって振り返る。

 

「ええ、言いましたとも。彼の所業は神そのものでしょう。なにしろ、あの御方を滅ぼしてしまわれたのですからね。それが何か?」

 

 二ムはそれを聞いて即答した。

 

「まあ、一応訂正しておこうと思いましてね。ご主人、あんな風ですけど昔、大銀河10万光年の超時空通信を発明したんすよ。おかげで地球から5万光年離れた位置の惑星ともほぼほぼラグフリー通信が可能になったわけっす。それと、現行で運用されている物質転送の理論を誤っていると完全否定しやして、正しい理論を示しましてね、物質転送中の事故を激減させた上に、生体の転送も高校在学中に成功させてるんでやすよ。他にも、念導力(サイコキネシス)増幅器(チャージャー)を開発して誰でも思考しただけで物体を浮かび上がらせるようにしたりとか、万能病気治療用に人体内で自動施術をする超小型医療機(メディカルナノマシン)の開発とか、あと、ワッチの人工知能とか、とにかく普通じゃあないんす」

 

「何を言っているのかさっぱりなのですが……それが?」

 

 ただジッと聞いてたべリトルに二ムは断言した。

 

「ですからご主人は『神』なんて言葉で収まるような人じゃないってことっすよ。どっちかといえば『賢者』っすかね。あれ? 神と賢者ってどっちが上なんすかね? あれ?」

 

 急にそんな風に悩みだした二ムに苦笑しつつ、べリトルは言った。

 

「神を超えた……『賢者(ワイズマン)』ですか……ふふ……覚えておきますよ」

 

 そう言い残して、また陽炎の様に揺らめきつつ彼は消える。

 二ムはただ……

 あー、早く迎えに来て欲しいっすねー、ご主人まだっすかねー? 

 

 と、動けないことについて、自分であれこれ悩むことを早々にやめていた。 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十四話 地底に潜む影①

「うう……ひ、ひどい……こんなのひどいよ……うぅ……」

 

 地面にぺたんと座った格好のままでシオンが口を抑えて大粒の涙を流していた。そんな彼女の前には

一つの髪の長い女性の生首が転がっていた。

 首の部分に歯型のようなものが見えることから、あのヘカトンケイルどもに喰われたらしいことはうかがえるが、目を見開いて苦悶のためか大口を開け絶叫した形のままで固まってしまっている。これは余りにも悲惨な最期だ。

 シオンはその生首をそっと抱きかかえ、そして硬くなってしまったその皮膚を解すかのように何度も何度も撫でながら目をつぶらせ、そして開いた口を少しだけ閉じさせた。それからぎゅうっと抱きしめて、何度も何度もその名前を繰り返し呼び続けていた。

 見ているだけで胸が締め付けられる光景だ。

 正直俺も、湧き上がる怒りで我を失いそうになりながらも、とにかく今やるべきことをやろうと腹を括って声を張り上げた。

 

「死んでいる奴は放っておけよ。今は息のある奴をとにかく俺のところへ連れてこい。シシン、クロン、シャロン、それとバネットはこの穴倉をとにかく探索して、ヘカトンケイルをぶっ殺しながら、生きてるやつを連れてきてくれ」

 

「了解だよ! ご主人様」

「ああ、分かったぜ。いくぞ、クロン! シャロン!」

「ええ!」「はい」

 

 盗賊スキルの『探知』を使えるバネットを先頭に連中に穴の深部を探らせる。戦闘力的にもまったく問題はない組み合わせだしな。すでにシシンたちはこの近辺のヘカトンケイルどもを一掃しているのだ。

 

 そして俺たちだ。

 

 オーユゥーン達には、腹が割けていようが、手足を喰われていようがまだ息のある奴を、この俺がいる広間にまで連れてこさせた。

 周りはもう苦悶の表情で苦しむたくさんの人々であふれかえっている。

 すでに怪物の苗床にされたであろうその女性たちは、ほぼ裸で生きているのが不思議なくらいに深い傷を負っていた。

 そんな女性たちの中でも、まだ腹にヘカトンケイルが蠢いているレベルの連中は放置して、深手の奴に優先して治癒魔法、もしくは後回しにするために石化の呪法を唱えてまわった。

 生首をそっと壁際に寝かせたシオンもそっと立ち上がって、オーユゥーン達へと合流した。

 

 ここは地獄だ。

 地獄以外の何物でもない。

 いったいこの女性たちが何をしたというのか……

 こんなにも残酷に、無残に屍を晒さなければならない罪とはいったいなんだ。

 怒りのせいで手元がおぼつかないが、とにかく命を救ってやるために俺はひたすらに治癒魔法を使い続けた。

 

 幸いというか偶然にというか、俺が今いるこの場所は、水の精霊のたまり場であったようで、ヴィエッタの指示のもとに魔法をひたすら使い続けることが出来ている。

 傷口を修復し、体力の回復を促し、毒を浄化する。

 ひたすらにそれを繰り返す脇で、傷だらけの女性たちを介抱し続けるヴィエッタは、だが、額に汗しながらも真剣な顔で苦しむ彼女たちを励まし続けていた。

 

「お兄様。死んでしまった者はもう救えないのでしょうか? お兄様の奇跡の魔法でしたらひょっとしたら……」

 

「それは無理だ。死者蘇生(リザレクション)が効くのはあくまで死んだ直後……それも魔法によってある程度生きている状態を維持しているときだけだ。完全に肉体が滅んで、時間の経った死体はもうどうしようもないよ」

 

「そう……ですの……」

 

 俯くオーユゥーンの視線の先には連れてくるのを諦め、蓆を被せたたくさんの死体。

 多分、シオンと一緒なのだろう、きっと知り合いがあの中に含まれてでもいたのだろうな。

 こうやって治療してやってる俺にだって、その気持ちは痛いほどわかる。分かるが無理なものはもうどうしようもない。

 ここでこうしている間だって、もうすでに何人も目の前で死んでいるんだ。間に合う奴には当然死者蘇生(リザレクション)も使用して助けることも出来たが、その魔法を唱えても助けられない奴は何人もいた。

 『魂』ってやつの存在が、いったいどんな位置づけなのか俺にはとても理解できないが、きっと魂が離れてしまったことが原因なのかもしれないな。

 死者を生き返らせる……このこと自体が医学の常識を飛び越えてしまっていることなのだが、それでもやはり万能ではなかったというだけのことだ。

 とにかく今は救えるだけ救う。

 それしかない。

 

 そうして俺はそこで大勢の被害者達の治療を続けた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十五話 地底に潜む影②

「どうだ? 他にはもう患者はいないか?」

 

 数十分後、俺たちは百数十人の女性を蘇生・治療し、そしてこの穴倉から救出していた。

 それと同時に助けられなかった死体も集めた。

 遺骸の多くは頭部を残し、それ以外の身体の殆どを欠損していて、全身が残る遺体はごく少数。どうも怪物は選り好みしたようで大量の頭部が集められることとなった。

 数えることも困難なほどに大量の遺体達。いったいここで何人の女性が喰われたのか想像するだけで怒りに全身が震えた。

 助けることが出来た女性達の話では、ここに囚われていたのは娼婦ばかりではなく、近隣の村に住む者も多く、盗賊に攫われたり、聖騎士に騙されたりといろいろだが、あの青じじいに誑かされたという話も多かった。どうも神教における許しともなる『懺悔の儀』という儀式を行うと告げられ、付いて行ってみればそこにあの化け物の群れがいたのだという。

 後は閉じ込められ、順番に犯されたということらしい。

 こんなにも残酷な話はない。俺は生き残った彼女達が負ってしまったであろう心の傷を哀れに思いつつ、物言わぬ骸となってしまった女たちの亡骸を見つめながら静かにその冥福を祈った。

 

「旦那、あの化け物も大体始末したし、女達も生きてたやつはかなり助けられた。あと見てねえのは、この下の階層にある底の深い大穴だけだが、あそこは俺らもどうなってるのかは知らねえんだ……流石にあの穴の中に落ちて生きている奴はいないだろうとは思うが」

 

 シシンはそう言うが、そんなところがあるのならそこも確認しておいた方がいいのではないかと俺には思えた。

 

「降りられねえのか?」

 

「ああ。まず深すぎて底が見えねえ。それと、足場みたいなのが何もない垂直の穴だからな、降りようにも縄梯子なんかの道具は必要だろう。行ってこいと言われりゃあ行くが、どうする?」

 

 そう言われて少しだけ思案する。

 どう考えても怪しい。

 ここはあのじじいが神と信じたあのヘカトンケイルを生み出す為の、いわば神聖な養殖場だ。この場で、こんなにもたくさんの生贄も使って、あれだけの数のヘカトンケイルを生み出したんだ。

 そんな場所にある大穴。何もない方が不自然すぎる。

 しかし、普通にそこへ進んで良いモノかどうか……

 俺の予想通りだとするならば、そこには間違いなく危険が待ち構えていることだろう……さて。

 俺は暫く悩んだ末に結論を言った。

 

「まずは全員でここを出よう。穴の調査は二ムと合流してからでいい。それと、死んだ連中も早く弔ってやった方がいいしな。まずは人を集めるぞ」

 

「そうだな。了解した」

 

 マリアンヌとか孤狼団の連中なんかは使えそうだし、先に声をかけた方がいいかもな。

 などと、さて誰を使いに行かせようかと、穴の外で治療を続けているオーユゥーンやヴィエッタ、クロン達のことを考えつつ、通路を辿って表に出ようとした時のことだった。

 

「おや、随分とお早いお帰りのようですな、紋次郎殿」

 

 そう声がしたと同時にシシンが動く。手に持った棒を高速で回転させてから構え、俺の前へと立った。

 そこに居たのは、真っ白いターバンを頭に巻いた褐色の肌のちょび髭のおっさん。おっさんだが……渋めで色気のある、めっちゃイケメンだ! 

 

「なんだ貴様! 旦那に近寄るんじゃねえよ」

 

「くくく……これは『緋竜の爪』のシシン殿ではありませんか。あなたのお噂は方々で聞いておりますよ。かなりお強いのだと。ですが残念、今回はあなたに用はありません。どうか邪魔立て為されぬように」

 

「抜かせ! てめえがあの神父と一緒にいるところを俺は見てるんだよ! 確かべリトルとか言いやがったか。こんなにひでえことやらかしやがって。オレァな、心底ムカついてんだよ」

 

「おお……私のことを覚えておいてくださったとは……これは光栄至極……そうではありますが残念です。非常に残念ですが、あなた程度では私に太刀打ちなどできませんよ」

 

「抜かしやがれ!」

 

 言いながらシシンは跳躍しつつ、手にした真紅の棒を突き出す……が、まだだいぶ距離があってとても届かない……そう確かに見えたのだが、その棒は信じられないくらいに伸び、そしてべリトルの額へと突き刺さった。

 

「まだだ!」

 

 シシンはそれを一撃では終えなかった。まるで残像が重なるほどの勢いで、駆け寄りながら繰り出し続けたその打突の全てはべリトルの頭部へと命中していた。

 そう俺には見えたのだが!

 

「ふふふ……敵わないと申したでしょう。無駄なことはおやめなさい」

 

「ちいっ!」

 

 べリトルは切迫したシシンをジッと見据えながら手を振り上げようとする。それを見たシシンは咄嗟に飛び退くも、明らかに有効範囲外に逃げたというのに、その胸からは鮮血が吹きあがっていた。

 べリトルはと見ればただ手を上へと振り上げただけ。シシンは真紅の胸部装甲ごと身体を切り裂かれていた。

 

 レベル40オーバーのシシンがまるで赤子同然にあしらわれてしまっている。これは流石にやばい。

 

「おい、大丈夫かよ」

 

「くッ……す、すまねえ旦那。ここまでの奴だとは俺も見誤っていたぜ」

 

 シシンは傷口を抑えながらそう呻く。

 シシンの攻撃はまったく届いていなかった。いや、届いたように見えただけか?

 奴は明らかに普通ではない存在だった。

 俺は改めてベリトルと名乗ったターバンの男を見やる。

 白いターバンに白いローブ、そして色黒の肌。これだけを見れば中東辺りの部族の男性に見えもするが、なんというか、奴の纏っているオーラが異様だ。

 明らかに全身に様々マナが渦巻いていやがる。まあ、そう見えるのは、俺が相当に魔法を扱っているからこそなんだろうが、見たところ身体も何もかも高密度のマナで満たされている感じがする。とても普通の人間とは思えなかった。これはひょっとして、精霊?

 高レベルのシシンがこうなのだ、もし俺が奴と相対すればあっという間に死ぬことになるだろう。

 だが、まあもし俺の仮定通り、奴の身体が『精霊か、もしくは精霊体に近い存在』であるというのならば話は早い。この俺が作り上げた『精霊使役』魔法が通用する可能性が高い。いや、通用しなかったとしても、発動しながらマナの吸引部分の魔術式を作りかえていけば、それほどの時間をかけずとも奴の『マナ』を吸い尽くせるだろう。

 モインスターを殺すよりよほど楽だ。

 俺はそう考え、シシンを介抱するふりをしつつ魔法の構築に移った。

 しかし……

 

「おっと……紋次郎様……それ以上は近づかないで頂きたい。ふふふ……恐ろしいお方だ。まさかこの短時間で私の身体のからくりを見破ってしまわれましたとは……このままでは私はあっという間に滅んでしまいますな」

 

「ちっ!」

 

「な、なんのことだよ旦那。いったい今何をしていたんだ?」

 

 不思議そうに俺を見てくるシシンには答えずに、再び俺はべリトルを見た。

 この反応……間違いなく奴の身体は精霊体だ。それも天然のものではなく、多分身体のどこかを核として精霊を纏わせてやがるな。それにしてもまさか発動すらしていない俺の魔法を感知しやがるとは……ま、しかたないか。これだけ広範囲からマナを吸収していたんだからな、安全マージンを取ろうと思ったが、これは裏目にでたぜ。

 俺はシシンに近づきつつ、精霊吸収の魔法を全方位に向けて放っていた。というのも、ベルトルの奴の動きが目で追えないほどの速さがあって、とても接近されてからでは間に合わないと思ったから。

 だが、そのせいで奴に気づかれてしまったのだから目も当てられない。多分奴も探知用に『マナの触指』でも伸ばしていたんだろう。こんなことなら、シシンを壁にして突っ込みながら吸収しちまえばよかった。

 

 俺は魔法は解除せずに足だけを止め、再び奴を見た。

 

「くっくっく……やはり簡単には貴方は殺せないようですね、いいでしょう。では私の持てる『切り札』を持って死んでいただくことにしましょうか」

 

 切り札?

 いや、その前に、なんでこいつは俺を殺そうとしてんだよ。そもそも俺みたいな雑魚を相手になんでここまでこいつはこんなに慎重なんだよ。

 まったくそのあたりのことが理解できず、今更になってなんで狙われているのか意味が分からず、なんで俺を殺そうと狙ってんだよ! と、叫ぼうとしたのだが……

 

「さあ、現れるのです。『光の御子』よ! ははははははっはははははっは」

 

 高らかにそう叫んだべリトル……この野郎、まったく俺の話を聞いていなかった。

 というか、地面が割れて光が漏れ出しているんだけども、というか、『光の御子』?これはやっぱり穴の下に『アレ』がいたということなのか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十六話 破壊の金獣・キングヒュドラ①

 べリトルの発した声に確かに魔力がこもっていたのだろう。

 その直後に足元がが震え始め、そして俺たちのいる穴倉の壁や天井が大きく崩れ始めた。明らかに足元で何かが暴れている。

 そう確信した時だった。

 

「おわぁっ!」「だ、旦那!!」

 

 俺達のすぐ前の地面が盛り上がったかと思った次の瞬間、地面を突き破って巨大なヘカトンケイルの頭が現れた。

 当然だが、そこには無数の目鼻口があり、蠢いているかと思いきや、そのどれもが虚ろなまま微動だにしていなかった。どう見てもこれは『死んでいる』?

 その直後、そのヘカトンケイルの頭は、『それ』に一気に噛み砕かれた。

 突如現れた異物……それは、眩く輝く金色の顔。大きく上下に割かれた巨大な口にらんらんと輝く大きな目。額からはまるで鋭利な槍の穂先のような二本の角が生え、そして黄金の鬣がはためいていた。

 その巨大な目が一瞬俺たちを睨んだかと思うと、そのまま一気に大口を開けて襲い掛かってきた。

 

「お、おわぁっ! だ、旦那! とにかく逃げるぞ!」

 

 言うが早いか、シシンは俺のズボンの背中側をむんずと掴んだ。そして俺をぶら下げたままの格好で一気に外へと向けて駆けだしていく。

 俺はといえば、ズボンが腹に食い込んでめちゃくちゃ痛いし気持ち悪い。だが、そんなことを言っていられる場合ではなく、高速で移動している俺達に今にも追いつきそうな勢いで、金色の大口が目前に迫ってきていた。

  

「で、出口っ‼」

 

 見えたのは陽の光か……ちょうど穴の出口と思しき場所に辿り着き、そのまま跳躍して穴から転がり出る……と、同時に狭い洞穴を一気に破壊してその巨大な『竜の頭』が飛び出してきた。

 

「な、なんですの!?」

 

「紋次郎‼」

 

 オーユゥーンとヴィエッタの声が聞こえ、そしてそれと時を同じくして、たくさんの女達の悲鳴が耳に届く。

 パッと顔を上げた先にはまだ数十人の治療を終えた女たちの姿。彼女らは一列になって街へと正に向かおうとしていたところのようだが、この異変に一様に腰を抜かしてしまっている。

 それを見てから振り返ると、そこには……

 当然のようにあの金色の竜の顔。

 いや、それはただの竜などでは当然ない。なぜなら、あれこそが、俺達の世界を食いつくし、人類を全滅させんとした最悪の凶獣の姿なのだろうから。

 

「くそったれ……成体の金獣かよ……」

 

 穴から飛び出た長い首のその竜頭は一気に空へとに駆け上っていく。そしてそれを追うかのように、いくつもの同様の金色の竜の顔が地面を突き破って現れる。そしてそれらが飛び出た地面そのものが爆裂して、そこから金色に輝く6枚の超巨大な翼が、空を覆い隠さんばかりの勢いで持ちあがり広がった。

 翼長は軽く数百メートルはあるだろうか。そのあまりの大きさに目を見張るもその全身像を見て更に息を飲んだ。

 

 それは超巨大な翼竜。

 しかし恐竜としての翼竜ではない。異様に長い尾を持ち、胴と思える箇所には恐竜を思わせる手足を備え、その背には広大な6枚の羽。しかし、もっとも異様なのはその頭部。

 あのヘカトンケイルの巨大な頭を一飲みにする程に巨大な顎を持つ長い首を持った竜の頭が『計8つ』、そこに存在していたのである。

 そいつは羽ばたきもせずに宙に浮かび、そして全身の色と同様に金色に輝き続けているのだ。

 

「くそったれ、『やまたのおろち』かよ。これじゃあ、まんま『キング』じゃねえか」

 

 思わずそう俺は零してしまった。

 まさかとは思ったが、本物の金獣が現れるとは流石に予想の範疇を超えていた。しかもそれが伝説に謳われる『キング』ともなればもう笑うしかないレベルの事態だ。

 

 俺は漸くこれを見て得心した。

 γ変異種幹細胞生物があのなりそこないのヘカトンケイルだけで済むわけがなかったのだ。あれを青じじい達は養殖していたようだが、要は『こいつ』の餌だったわけだ。

 いったいこの化け物をいつから飼育していたのかは不明だが、金獣は確かに仲間食い始めてから一気に凶悪性を増したとも言われているんだ。

 畜生め、こいつら端からこの最悪の金獣を育ててただけだったんだ。

 ノルヴァニアの野郎……神様のくせに、地面の中のこいつを放っておきやがって……

 いや、神様は現世不可侵だったっけか? そういやあの野郎、ヘカトンケイルのことは分かっていたみたいだし、こいつのことも当然知っていて……知っていて、教えたら間違いなく俺が逃げると思って言わなかったんだな、くそったれ!

 

 世界を滅ぼしたあのキングにはいくつかの説話が残っているが、その中でも特に有名なのが、『八本首、八岐大蛇(やまたのおろち)』であるというもの。

 その巨大な顔で他の金獣たちを丸のみにしていたとも言われているのだ。

 まさにそのシーンを俺は目の前で見てしまったばかりなので、今更疑問に思うこともないが、こいつはとにかく『悪食』で、なんでもかんでも食べてしまったと言われているのだ。

 それと、もう言うまでもないことだが、熱核融合爆弾の直撃にも耐えたという実績がある。

 こいつがあの当時の個体と同一かどうかは別としても、もはや生半可な核攻撃でも仕留めることは出来ないことだけは理解できる。畜生め!

 

「旦那! あ、ありゃあなんだ? いったいこりゃ、なんの冗談だよ」

 

 シシンが慌ててそう言うのも無理はないが、これは現実だ。

 

「それを言いたいのは俺の方だよ。まったく、あんな化け物まで用意しやがって、くそが」

 

「紋次郎!」

 

 見上げる俺にヴィエッタが駆け寄ってきてその胸元を開いて叫んだ。

 

「早くおっぱい触って! 魔法を使って! 紋次郎、早くっ!」

 

 そう言って真剣に俺を見るヴィエッタ。絵面は最悪だが、まあ真面目だってのは分かる。

 

「いや、こいつにはどんな魔法もたぶん効かねえと思うぞ。何しろ自己回復が半端じゃないって話だった。核に焼かれながらも傷が治ったってくらいらしいしな」

 

 気持ちは分かるが無理なものは仕方がない。魔法は使うだけ無駄だろう。 

 だが、このままじゃあ、被害が広がるばかりだ。

 

「オーユゥーン! 助けた女どもを四方八方へ走らせて逃がせ。 まとまったら確実に食われるからな。せっかく助けたのに気分悪い。さっさとしろ」

 

「わ、分かりましたわ!」

 

 返事をして駆けていくオーユゥーン。

 そして近くにクロンと、シャロン、それにゴンゴウ、ヨザクがいるのを見て、俺は頼んだ。

 

「女たちを逃がす為の時間を稼ぎたい。あの怪物のおとりになってもらえねえか?」

 

 そういうと、4人は同時に暗い顔に変わったが……

 

「てめえら、ここは引くとこじゃねえぞ! 俺らは伊達に『Aランク』を貼ってるわけじゃねえんだ。いまこそ緋竜の爪の力の見せどころだぞ!」

 

 そのシシンの声に、全員覚悟を決めて頷いた。

 

「どうせこのまま放っておいてもあいつに食われるだけっスもんね! なら一泡吹かせてやりましょうかね」

「うむ! ヘカトンケイル相手に死んでいてもおかしくなかったこの身の上である。ヒュドラの一匹や二匹、余裕であるな」

「あれ、8匹分だと思うけど? 私はシシンについていく。うん、もうずっと前からそう決めてるの。だからやるよ! やって、勝って、あんた達……シャロンとシシンをお祝いしてあげるんだから」

「クロン姉さん……わ、私も頑張ります。助けて頂いたこの命、皆さんの為に使います!」

 

 決意も新たにそう言い放つ緋竜の爪の面々。みんな決死の覚悟を固めたようにも見えるが……

 いや、俺、そこまでして欲しいとか別に思ってはいないのだけども……

 

 悲壮感を抱きつつも、なんとか動こうとしたその時だった。

 

「さあ、いよいよこれでおしまいですね、紋次郎殿」

 

「ちぃっ! またてめえか!」

 

 あの声が唐突に耳に届いて、シシンたちと一緒に見上げてみれば、あのべリトルの奴が宙に浮かんで俺を見下ろしていた。こいつ、もう人間っぽいふるまいをすることすら止めやがったな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十七話 破壊の金獣・キングヒュドラ②

「貴方様の命が終わるのを合図として、この世界の破壊を始めさせていただきましょう。その滅びの様をお見せできないのは残念ですが、どうぞ安心して『光の御子』に食われてください」

 

 そう宣ったべリトルは、もう自分の言葉の通りに事が進むと確信しているかのようす。まあそりゃそうか。この状況なら百人いれば百人、確実に世界が滅ぶと考えるだろうしな、仕方ない。

 でも、だったらなおさら俺は聞きたいことがあった。こいつが答えるかどうかは、難しいところだけど、これだけ余裕しゃくしゃくなんだ、ひょっとしたら言うかもしれない。

 俺はべリトルへと投げ掛けた。

 

「ヘカトンケイルの群れを解き放った件も、あの青じじいを嗾けたのもお前だろう? なあ、お前はなんでこんなことをしやがるんだよ? こんなことをすれば気に入らない敵を倒すだけじゃすまないんだぞ? 世界が滅びるんだ。 滅ぼしたって得る物なんかなにもありゃあしない。戦争だってなんだって、結局は『儲』けや『利』が必要だ。お前は全てを失う為だけに行動している、いわば、遠大な自殺だ。そんなことになんの意味がある?」

 

 そう聞いてみた。

 自分の為すこと為したことってのはやはり人に言いたいし、記録に残したいもんだ。こいつは人間じゃないかもしれないが、少なくとも思考は人間に近いのは間違いない。となればその理由だって吐露するかもしれない。そして明言しないまでも理由の一端くらいは聞けるだろう。それさえ聞ければ……

 

 対策だって出来る。

 

「ふふ……意味ですか……。意味あってこその行動、そう思考することに間違いはないでしょうね。しかし、我々には人の欲する意味など必要ないのです」

 

「はあ? どういうことだよ? じゃあ、てめえらはなにか? 理由もなしに自分で地獄を作ってんのか? 殺されるぞ普通に……死なないにしても世界そのものがなくなっちまうんだぞ?」

 

 こいつは人ではないかもだが、だからって虚無に生きてはいないはずだ。当然生きるための大地が必要であろうと思い聞いて見たのだが、奴はなんてことはないと言う感じで口を開いた。

 

「ではこう考えてみてください。貴方は水を飲もうとコップを洗い、そこに綺麗な水を注ぎました。ですが、そこに『泥』が混じり入れていた水はすっかり汚く淀んでしまいました。さて、ではどうなされますか?」

 

「……水を……入れ替える」

 

 なんとなく話の先は読めたが、とりあえずそう答えておく。するとべリトルは笑いながら言った。

 

「ふふふ、普通はそうでしょうね。ですが、そのコップ自体も汚れていると思えませんか?」

 

「そうだな、そりゃあ、コップも洗うだろうよ」

 

「その通りです。つまりそういうことですよ」

 

「てめえ……」

 

 べリトルは可笑しそうに笑いながらそう話すが、俺はあまりの胸糞の悪さに奴を睨んだ。

 その俺を見ながら、シシンが首を捻りながら俺に聞いて来る。

 

「旦那、どういうことだよ? 奴は何を言いたいんだ?」

 

「コップはこの世界、汚れた水は俺達人間のことだ。つまり、こいつは……こいつらは俺らも世界もそのどちらも要らないと言ってるんだよ」

 

「な、なに!?」

 

 シシンは驚愕して叫ぶが、べリトルの奴は涼しい顔のままだ。

 

「察しが良すぎて本当に怖いですな、紋次郎様は」

 

「それは褒められてんのか?」

 

「ええ、当然そのつもりですけれどね、さて、本来であればこの世界ももう少し有効に活用するはずでした。『予定通り』であれば『魔王様』もご誕生されておりましたし、この世界のマナも『集積』できるはずでした。しかし、貴方方というイレギュラーのために方針を変えざるを得なくなったのです。こうなったのは貴方方の責任……くくく……あなた方さえいなければ、人々はもうしばらく人生を謳歌できたものを……くくく……」

 

 べリトルはさもおかしいと、笑いが止まらなくなっているようだ。

 こいつ……完全にイカレテやがるな。

 俺は傍らでキョトンとした顔になっているヴィエッタへと耳打ちした。

 

「分かってるな?」

 

「え? おっぱい?」

 

 全然分かっていなかった。

 

「ちげえよ、アホ。すぐに乳を掘りだそうとすんな。いいか、先に言っておく。あの空に浮かんでる怪獣をぶっ殺すからな」

 

「ええ!? あ、あれを? あんなのを倒せるの? 紋次郎は?」

 

「ばっかちげえよ。倒すのはお前だよ、ヴィエッタ」

 

「なーんだ……え? えええええええっ!?」

 

 急に大声を出したヴィエッタに、シシン達も俺も驚いた。というか、べリトルも何事かと驚いた顔になっているし。

 

「そ、そそそそそそんなの無理だよ。無理無理、絶対無理だよ」

 

「無理とかいうなアホ。冒険者になるって言ったのはお前だろ?」

 

「言ったよ? 言ったけど、言ったらアレを倒さなきゃいけないって、ここにいるシシンさんたちもみんな冒険者だから一緒じゃない? 紋次郎も」

 

 ぐうっ……こいつ、アホだと思っておだてて乗せれば何でもやるかと思ってたのに、意外と鋭かったか。ええい、面倒だ、もういいや!

 

「やいべリトル。俺を殺せるもんなら殺してみやがれ! このカス! やーいやーい」

 

「ちょっと紋次郎! なにやってるの? そんなことしたら絶対怒るってば……」

 

 俺を必死に止めようとしているヴィエッタだが、俺は構わずに挑発を続けた。

 だって、俺、あいつを怒らせてるんだし。

 さて、あの半分精霊体のべリトルさんはいったいなんて返事をするのかな……? 

 

 そう思って見上げてみれば、何もしゃべらずに俺を冷たく見下した視線を向けているべリトルさん。

 こ、こいつ……静かに怒る奴だったか……

 

 俺は脇で涙目になってじたばた暴れるヴィエッタをぎゅうっと掴んで逃げられないようにしながら、魔法を唱えた。

 そして次の瞬間……

 

 俺達は突然金色の巨大な頭に、ぱくんと地面ごと食われた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十八話 滅び行く者(シシンside)

「旦那っ!」

 

 突然振り下ろされてきた巨大な金の頭……大口を開けたそれは一気に紋次郎の旦那とヴィエッタちゃんの二人を喰らってそのまま地面に頭部を突き刺した。そして、ゆっくりと引き抜くと同時に天へとその長い首をもたげ、そして頬張ったものを嚥下するかのごとく、喉から大きな音を鳴らした。

 そのあまりにも唐突な事態に、俺は一歩も動くどころか、立ち尽くすことしかできなかった。

 

「くくくく……ふふふくくく……呆気ない……呆気ないものですなぁ、所詮人間など、こんなに脆いものなのですよ」

 

 頭上で声がして見上げれば、あのべリトルとか名乗る不気味なターバンの男。

 異様な力と雰囲気を持ったこいつには、俺ではかすり傷ひとつつけることはできないことはとっくの昔に理解してしまっている。だが、だからといってこいつが俺達のことを見逃してくれるわけがない。

 しかし、このままでは済まないということも分かっている。

 間違いなく俺たち全員は殺される。

 いや、こいつが手を下さずとも、あの頭上の金色の多頭竜によって必ず俺達は滅ぼされるだろう。旦那たちのように……

 くそっ!

 なんてこった! 震えが止まりやがらねえ。

 手が、足が、全身が震える。震えてそして、とてつもなく恐ろしいと感じてしまっている。そうだ、俺は今絶望と恐怖を感じている。

 今までいろんな奴と戦ってきた。力自慢のモンスターや、魔法を使う怪物、時にはえげつない手を使う盗賊や、軍隊とだって戦った。だが、そのいずれであっても心が折れることは決してなかった。

 それは鍛え上げた自分自身のレベルに対しての自信であり、共に闘う仲間達の力であり、いつだって俺達は勝ちを求めて突き進むことが出来ていたんだ。

 だが、目の前のこいつらは違う。

 まったくの別物だ。

 攻撃が効かない所の話ではない、どう行動すればよいのか見当もつかない。まさに『触れ得ざる者』。

 

 くそっ! 本当にここまでなのかよ……

 

 さっき、旦那に言われてむちゃくちゃだと思いつつもあの金色の怪物に立ち向かおうと思い立ったばかりだというのに、今はその気持ちがすっかり折れてしまっていた。

 それはやはり旦那の存在が俺達のこころの支えになっていたからだ。

 とにかく旦那が居てくれさえすればなんとかなるかもしれない。

 淡い希望だったとしても確かにそう思うことで、俺達は自分自身を奮い立たせていた。これは間違いない事実だ。

 

 そして今ここには、その頼みの旦那はいない。

 

 いるのは俺達だけだ……

 

 ゴンゴウ、ヨザク、シャロン……クロン……。

 

 いつも頼りになるこいつら……俺の心の支えで、変えようのない仲間たち……

 その絶望の色に彩られた顔を見て、スッと俺は覚悟が決まった。

 

 やっぱり簡単には……死ねねえなあ……

 

「ほう? まだ歯向かわれる気なのですかな? 貴方如きでは何もできはしませんよ」

 

 俺は震える身体を無理矢理に動かして、手にした俺の相棒たる武器、『緋天登龍棍(ひてんとうりゅうこん)』を構える。

 

「ああ……そうだろうともよ。だがよ、だからって諦めたりは出来ねえんだよ。助けた女達を逃がすと旦那とも約束しちまったしな、まったくとんだ貧乏くじだぜ」

 

 俺は全身のマナに働きかけて身体強化の魔法を唱えた。

 

「お前ら……とにかくとっとと逃げろよ……うまくいきゃあ逃げられるだろうよ。あばよ、シャロン……クロン。『剛力剛腕(カ・マキシマムマッスル)』‼」

 

「シシン!」「待って!?」

 

 全身の筋力が唸りをあげて膨張していく。使った魔法は俺の身体能力を半端なく上昇させる、火の上位魔法。

 俺が授かった火の恩恵にあって、もっとも苛烈なこの魔法の行使は俺にとってもまさに諸刃の剣だ。

 激しい炎の力は全身をめぐり限界をゆうに超えた力を発揮する一方、絶えず身体を焼き続け、時間が経てば経つほどに肉体が崩壊していくのだ。しかもこれは通常の傷とは違って、全身のマナの流れそのものを消失させてしまい、治癒魔法などの全ての癒しを受け付けない。

 つまり、この魔法の先にあるのは、まさしく『死』。

 だが、仕方あるまい。目の前で死なせたくない命があるのだ。だったら、それを守るために自分の命を削って何が悪い。

 俺は湧き上がるような強烈な力の存在を知覚しながら、同時に人としての自分の姿が失われていくのも感じていた。

 まるで『怪物』の様に変わってしまった、自分の真紅に染まった両手両足を見てから、俺は目の前の『敵』をしっかりと凝視した。

 

「ただじゃあ、くたばってはやらねえからな」

 

 そのまま俺は大地を蹴った。

 

 一直線に跳ね上った先にあったのはあの巨大な『金色の獣』……その巨大な頭部の一つに向けて渾身の技を繰り出す。

 

「受けてみやがれ! 俺の命を懸けた必殺の一撃を!」

 

 俺は迫る金色の頭部に向けて空中で大きく武器を振りかぶる。と、同時に、大量のマナを得物へと流し込んだ。

 まるで血液を流し込んでいるかのように、俺の『登龍棍』が脈動して膨れ上がり、さらに火炎を巻き上げていく。

 まるで立ち昇る竜のごとき巨大なその炎に、さらに俺は全力でマナを注ぎ込んで火炎を圧縮させていった。

 俺が手にするのは触れる者全てを焼き尽くす絶対の火炎。

 もはや身体のほぼすべてが悲鳴を上げているのを確かに感じながら、自身最強の必殺の技を俺は繰り出した。

 

「『大爆裂陣』ッッッ‼」

 

 『登竜棍』に全ての火のマナを注ぎ込み、それが太陽爆発のごとき勢いで放たれそうになるのを必死に押さえ込みながら、俺は超巨大な金色の竜の頭の一つにその一撃を叩き込んだ。

 痺れ、痛み、熱さ……

 だが全ては一瞬のこと……

 全身の筋肉という筋肉がぶちぶちと張り裂けてでもいるかのような音を耳で聞きながら、俺はただ一点……その竜の丁度眉間のど真ん中に得物を突きこんだ。

 

 その時、目の前の世界が止ったかのように思えた。止まって、そして、それが始まった。

 荒れ狂う火のマナのエネルギーが、ただその一か所……穿たれたそこからあふれ出し、そして一気に『爆発』したのだ。

 心……技……体……、その全てが合わさった時に放てるとされた究極奥義。

 全てを焼き尽くす終末の炎……『プロミネアスの炎』を再現するとも言われる必殺の技、『大爆裂陣』。究極の炎がそこに顕現していた。 

 

 だがよ……

 

 どうせそれでも倒せやしねえんだろうなぁ……

 

 自分が巻き起こした大爆発に巻き込まれ、吹き飛ばされながら俺はそれがただおかしくて、思わず笑ってしまっていた。

 それと同じくしてあのムカつくターバン野郎の笑い声も聞こえてきた。

 

「くふふ……くっくっく……無駄な……、なんと無駄なことをなさるお方だ……。私にすら敵わない貴方が、あの光の御子と戦えようはずがないではありませんか。本当に人間とは……愚かな生き物ですなぁ……」

 

 ああ、その通りだろうよ……

 まったく、本当に……

 

 ムカつくぜ……

 

 そう思った時、脳裏をよぎったのはあのヒネたような人相の悪い紋次郎の旦那の顔。ああ、あの人もこれが口癖だったな……、ほんと……ムカつくぜ……

 自分の最後がこんなものだとは、かなり惨めだが……でも、仲間のために戦えたのは、まあ、悪い気分じゃない。

 みんな……

 

 少しでいいから、長生きしろよな……

 

 そして俺は地獄へ向かいまっすぐに堕ちていく……

 

 

 かに思ったのだが……

 

 

「ギュウオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 

「え?」

 

 直近で甲高い悲鳴のようなものが聞こえてそっちを見てみれば、そこにはあの巨大な金の竜頭が、眉間から黒煙を上げながら大口を開けて絶叫していた。

 いったいなんだ? まさか俺の攻撃が効いたのか? そう思っているうちに、別の頭も苦悶するかのように奇声を上げ始め、痙攣するかのようにその巨体全身が震え始めた。

 と、次の瞬間には巨大な六枚の羽根から光が消え、そして羽がしぼむかのように細くなり、そのまま真っ逆さまに地面に向かって落下した。

 地表は陥没し、凄まじい衝撃波が四方へと荒れ狂う嵐となって吹きすさんでいるのが分かる。

 俺はといえば、落りてくる巨体の風圧の煽りを受けて、風に舞う木の葉のように逆に浮かび上がってしまっていた。

 俺は体勢を整えてから、落下しながらこの状況を観察した。

 

 こ、これは、まさか本当に俺の攻撃が通用したのかよ? あの怪物に? い、いや、確かに師匠から伝授された『最悪の技』ではあったけどよ、あんな巨大な怪物を倒せるものではないはずだ? 現に、奴は全身はほぼ健在で、俺が当てたあの頭だって煙が立ち上る程度で致命傷になっているとは到底見えない。

 

 そう考えていた時だった。

 

 地表に倒れ伏した怪物の長い首の頭の一つ、丁度さっき俺が最大の攻撃を叩き込んだあの顔が、あんぐりと急に大口を開けた。

 いったい何が起きたのかと様子を見ながら、地表へと着地した俺の目の前に、呑気なあの声が聞こえてきた。

 

「くっそ、めっちゃくせえし、気持ち割い……、マジでむかつくぜ」

 

「うう……紋次郎の馬鹿」

 

「だ、旦那?」

 

 ぴくぴくと痙攣する金色の巨獣の口を土の突っ張り棒でこじ開けて、中から粘液でべとべとになった紋次郎の旦那とヴィエッタちゃんの二人が、嫌そうに顔を顰めながら歩いて出てきたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十九話 結着①

 いやまったくひでえ目に遭った。

 頭はグラングランして目は回るし、体中打ち身だらけで痛い上に、あの強烈にくっさい胃酸と消化物の混合液に全身ヒタヒタになって、ねちょねちょしてめちゃくちゃ気持ち悪いところに、ヴィエッタの奴がずっとわんわん泣きわめいて煩いわ、身体を締上げきて苦しいわで、もう本当に勘弁して欲しかった。

 

「紋次郎……私死んじゃうと思ってたのに、なんで生きてるの?」

 

 隣でべったべたのヴィエッタがそんな訳の分からないことを聞いてきた。

 

「はあ? そんなのお前がこれを倒したからに決まってんだろうが。バカ言ってんじゃねえよ」

 

「倒した……えーと、私が? なに、を? ……っひぃ!」

 

 俺の言葉を受けて呆然としたまま徐に振り返ったヴィエッタの眼前には、動かなくなったあの超巨大なキングの頭。それを見て小さく悲鳴を上げてやがるが、まったく世話の焼けるやつだぜ。

 

「旦那!」

 

 急に声がして、そっちを見ればシシンが駆け寄ってきているところ。そしてそれと時を同じくして、空の上の方からも声が聞こえてきた。

 

「ば、ばかな……こ、こんなことが……あ、ありえない。ありえるわけがない。人間ごときにこの『破壊を司る光の御子』が滅ぼされるなど……あり得るわけがないんだ」

 

 わなわなと震える声でそう語るのは、空に浮いているべリトルさん。

 俺はヴィエッタの腕を掴んだままで急いでシシンの元に向かい、そして奴へと声をかける。

 

「わりぃな迎えに来てくれて。この金獣はデカすぎでな、首が落ちる場所によっちゃあ、何百メートルも離れててもおかしくなかったからすぐに会えたのは良かったぜ」

 

「あ、あのなぁ。だ、大丈夫なのか……よ? 旦那もヴィエッタちゃんも」

 

「んあ? 大丈夫に決まってんだろうが」

 

「いや、決まっちゃいねえと思うがな。だって、旦那、こいつに食われたんだぞ? っとそうだ。こいつだ。こいつは今どうなってやがんだ? 眠っているのか? ヘカトンケイルみたいに」

 

「まあ、話せばいろいろあるわけだが、とりあえずこいつは完全に死んでる。ヴィエッタがきちんと殺してくれたからな」

 

「ええっ!? えっと……わ、私なにもしてないよ? 何も……、ねえ紋次郎? 私、なにしたの?」

 

「はあっ!? だってお前、俺の言った通りにやったじゃねえか、『えいやっ』って」

 

「やったよ? やったけど、あれでなんで倒せるの? 私、ただ長い『ハリ』みたいなのを突き刺しただけだよ」

 

「ハリ? だ、旦那、いったい何をやったんだよ」

 

「ええい、うるせいなてめえら。こっちは一仕事終えて休んでんだからデカい声をだすんじゃねえよ」

 

『いや、そういうわけにはいかぬ。きちんと聞かせてもらおうか』

 

 そう言って、俺へと迫ったのはあのターバン男のべリトルだった。

 奴は俺から微妙に距離をとった位置で静止し、こちらへと視線をむけてきていた。

 この野郎、俺の魔法の有効範囲を把握しやがったな? 俺の魔法の効果範囲外のちょうど良いギリギリの位置でこちらを見下ろしてきてやがる。

 その顔はまさに蒼白な感じなんだが、まあ無理はあるまい。この金獣が『殺される』なんて夢にも思わなかったんだろうしな。

 俺は周りを見回して、少し離れたところにオーユゥーン達がいることも確認した。

 どうやらこいつの落下に巻き込まれたみたいだが、逃げることは出来たようだ。本当にこの世界の連中は身体が頑丈だよ。とはいえ、被害ゼロってわけではないだろうが。

 

「あのなぁ、なら教えてやるけど、別にこれと言って難しいことをしたわけじゃあないぜ」

 

 そう言ってから俺はさっき『作ったばかり』の鉱石を結着しただけの細長い30cmくらいの『はり』をズボンのポケットから取り出して見せた。

 

「こいつをこの金獣の血管に突き刺して、その中身を流し込んだだけだよ。こいつの皮膚はどんなにしたって破れやしなさそうだったからな。思い切ってヴィエッタごと『鎧化(ド・アームド)』の魔法の鎧というか殻に閉じこもってあいつに食われてみたんだが、思った以上に中が血の池地獄でタプタプで危うく溺死するところだったぜ」

 

 昔読んだ『ピノキオ』の話のなかで、海でクジラに飲み込まれたときの、その腹の中のストーリーを思い出した。あのお話じゃあ、クジラの腹の中で船で浮かんで生活して、釣りしてたっけか? 

 実際はそんなメルヘンな風景とは真逆で、ヘカトンケイルどもの咀嚼後のバラバラの変死体が浮かぶ粘々した真っ赤な地獄の池だったわけだが……毒ガス塗れの空気だから息もできなかったし。まあ、それも土魔法で酸素を顔の周りに供給し続けたから多少はなんとかなったのだけれども。

 『鎧化(ド・アームド)』のおかげで多少は保つことが分かったから、あとは俺の『記憶』を頼りに、金獣の胃袋付近の動脈に近づいて、渾身の『石化』&『砂化』を駆使してなんとか壁に穴を空けて、そこにあったぶっとい血管にこのハリを突き刺したというわけだ……ヴィエッタが。

 うん、だって当たり前だ。

 俺は片方の手でずっとヴィエッタ(の胸)からマナを吸い続けなくてはならないし、もう片方の手で魔法や呪法を操作し続けなくてならなかったし。

 魔法に関しての豆知識になるが、魔法は身体全体で発動は可能ではあるが、微細に操作するためには身体の末梢部分の方がより高度なコントロールが可能となる。これは所謂集中力の問題だと思うのだが、身体を廻るマナをある一か所に集め放出するには意識を集中しやすい指先などが特に良いとされている……と、あの魔法の本に書いてあった。

 杖や剣を媒介に魔法をつかうってのも、要は意識を集中しやすいからだろうしな。もっともそんな道具が内包しているマナも使おうって魂胆もあるのだろうけど。

 いずれにしても、俺のもう片方の腕は同時展開の様々な魔法の行使のために塞がることは目に見えていたのだ。

 だからこそのヴィエッタ。

 マナの供給源にして、俺の手の代わり。ということで、『金獣(キングヒュドラ)スレイヤー』の称号もくれてやった感じだな。もともとそんな称号俺はいらないけども。

 俺はその手にしたハリの先を剣で叩いて砕いた。

 すると、そこからトローッと透明な液体が漏れ出す。。

 

「このハリにな、このワクチンを仕込んだんだよ」

 

「わ、わく……ちん……だと?」

 

 理解できないと言った身体で俺を見つめるべリトルに俺は逆に質問した。

 

「無限に増殖し続け、細胞としても殆ど死ぬことのないγ変異種幹細胞の生物が、なんでヘカトンケイルとかこの金獣の姿を保っていられるのか、不思議に思わなかったか?」

 

「な、なんの……いったいなんのことだ?」

 

 金獣はともかくとして、ヘカトンケイルみたいな『なりそこない』は急激な細胞分裂の過程で進化の遺伝情報が欠損したり、分裂に失敗したりした結果の姿なので一概には言えないのだが、少なくともこいつらにはある特殊な『ホルモン』が関係している。

 

「『細胞自壊ホルモン』が働いてるんだよ」

 

「…………」

 

 もはや言葉もないべリトルへと俺はつづけた。

 

「こいつらは取り込んだ生命体と自分たちの細胞を『同化・吸収・変化』させつつ、その個体の生物としての情報を残したままに凶悪な怪獣へと進化する性質があるんだが、実は常に細胞分裂と細胞自壊を繰り返しているんだよ。

 そうすることで、身体をある理想の大きさに保ち続かせようとしているわけだけど、その増殖能力の高さの所為で並みの攻撃じゃあ刃が立たなかったわけだな。でもな、人類だってばかじゃあない。

 その『細胞自壊ホルモン』の働きを逆手にとって、ある『ワクチン』を作ったんだよ。それがこれ、『γセル・デストロイヤー』だ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十話 結着②

「ガンマ……セル……デストロイヤー……だと?」

 

 慣れない感じでそう口にするべリトルだが、致し方あるまい。

 こいつも他の連中と同じで俺達の世界に精通しているわけでもなさそうだしな……でも仕方ねえんだよ、もともとそういう名前なんだから。

 

「そうだよ。金獣がいるだろうことは予想できてたしな、もし出てきてもとにかくこのワクチンさえ『作れ』ればなんとかなるって思えたし」

 

「ちょ、ちょっと待て旦那。今なんて言った? 作れたらって、もともと用意してたわけじゃあねえのかよ」

 

 そう詰め寄ってきたのは今度はシシンだ。

 だが、こいつは何を当たり前のことを言ってやがるのか。

 

「用意なんかできる分けねえだろうが、そもそも材料も設備もないし。普通は無菌室とかでつくるもんだしな」

 

 そんな設備ここにあるわけがない。なにしろ、ここにはエレクトロニクスのエの字もないんだ。大概魔法と、強化した肉体労働で賄っちまってる世界なわけだしな。用意したくたって出来るわけがない。

 

「なら……ならよ。出来ねえって自分で言ってるのに、なんで用意できたんだよ? 現にあんた、今手にそれ持ってるじゃねえかよ」

 

 俺は指さされたその鉱石の瓶を見ながら答えてやった。

 

「マジもんの金獣が出てきちまったんだぞ? そうしたら用意しないわけにはいかねえじゃねえかよ。あのなあ、確かに普通は設備が整った研究所とかの滅菌ルームで作るもんだがよ、別にこの世界だったら魔法もあるし、材料さえ揃えばべつにそこまで難しい話しじゃあないだろう?」

 

「はあっ!?」

 

 不思議そうな顔になったシシンに俺は言った。

 

「材料は金獣の身体……つまりヘカトンケイルの死体だな。それと、『土魔法』さえ使えれば、このワクチンくらい誰だって簡単につくれるぜ」

 

 そう簡単だ。それこそ三分クッキングだ。

 

 まず、大きめのヘカトンケイルの肉を用意します。

 次に、その肉に『解析(ホーリー・アナライズ)』の魔法をかけて、細胞自壊ホルモンを特定しましょう。

 今度は土魔法の『抽出(ド・ピックアウト)』を使用して、タンパク質ごとホルモンを分離させ、そしてそこに、やはり抽出した塩化ナトリウムなどの複数種の水溶液を用意して浸します。

 あとは密閉した容器を用意し、それを激しくシャッフル。そうすることで、無駄なたんぱく質が分離しつつ、細胞自壊ワクチンが増殖変化しますので、あとはその上澄み部分をゆっくりと容器に入れれば完成となります。

 材料と魔法さえあればこんなに簡単にできますので、是非金獣災害に遭われた際はお試しくださいね。

 三分クッキングでした!

 

「まあ、だからよ。材料のヘカトンケイルの肉片もあるし、ヴィエッタがいれば土魔法使い放題だし、ワクチンの精製の仕方も昔本で読んで知ってたからよ、そりゃあ、作るだろうって話だよ。

 正直成体の金獣なんて、普通に殺すのは無理だからな。いっそ、きちんと過去の例にならって、『γセル・デストロイヤー』を作ってそれをぶち込んだ方が速いよなって思ったわけだ。ということで、さっきあいつに喰われた直後に腹の中で急いで作ったってわけだよ。材料はいっぱいあったしな、針状の容器に『翡翠』を使ったら綺麗かな? くらい考えるくらいの余裕もあったよ。まあ、簡単な作業だ」

 

 もっとも翡翠を抽出したかったわけだけど、やってみたら結構いろいろな鉱石が混ざっていて、斑模様になっちゃったわけだが。

 

 説明すれば簡単なことだ。

 ワクチンを作って、刺して注入、金獣を殺しました。以上。

 核にも耐える金獣を殺す手段はあまりに少ない。だからこそ、設備のないこの世界で出来る最良の方法としてワクチン製造をおこなったわけだが、これは効果的だった。

 超巨大な金獣ではあるが、奴にとって最大の敵は自分の細胞自壊ホルモンであり、それは正に毒だ。ワクチンによって自己増殖と破壊のバランスを崩してしまえば、後は増殖修復が追い付かずに朽ちていくだけ。

 現に、目の前に転がる金獣はその身体活動を完全に停止してしまっている。

 このワクチンの恐ろしいところはその凄まじい浸食速度にあると言われている。獣としての身体の所為で、一瞬で全身を駆け巡ったこのγセル・デストロイヤーは、その過程で増殖をし続け、全ての細胞にその根を下ろすのだ。そして自分の細胞の全てが朽ちるまでその活動を決してやめることがない。

 この金色の巨体も程無くして完全に死ぬことになるだろう。そして時間をかけて朽ち果てていくのだ。

 本当は焼きたいとこなんだけどな、こんなにデカいのを燃やすのに、一体どれだけのエネルギーが必要になるんだか、うーむ。

 

 ちなみにだが、『現代』の武器であれば、この金獣の『駆除』も容易であるとのことだ。

 それこそ、大気圏内飛行の高速巡視艇に搭載されている、一般的な『レーザー砲』とか『荷電粒子砲』があれば、キングも簡単に倒せると駐屯兵団が新型巡視艇を導入する際にPRしていたし。それが眉唾だったとしても、それこそ『ジェノサイド砲』なんてものもあるし、使えば確実に倒せるだろう、一緒に地球も消し飛びそうだけど。

 

「そういうわけだから、わかったか? う、うわっ!」

 

「旦那! あぶねえっ!」

 

 言うだけ言って見上げたそこには両手に真っ赤な火炎球を持ったべリトルの姿。額に青筋を浮かべて俺を睨んでいたかと思うと、次の瞬間にはその両手の火炎球を俺に向かって投げつけてきた。 

 と、咄嗟に飛び出たシシンが、手にした棒を高速回転させながら竜巻の様に火炎を立ち上らせ、その炎弾を受け止めた。

 だが、べリトルの攻撃はそれでお話ならない。

 無数の火球を俺に向けて放ち続けながら、そして何かの魔法を唱えると同時に、俺達の周囲を一気に火焔で取り囲んだ。

 

「聞いておれば意味不明なことを宣い続け追って……貴様は我らを愚弄する気か」

 

「はあ? 言えって言ったのはてめえじゃねえか。素直に隠さずに教えてやったのになんでキレんだよ?」

 

「まだ言うか!」

 

 べリトルは碇の形相のままに両手を大きく広げた。

 

「許せん……許せんぞ! 貴様ら! 我らが苦心して用意した『破滅』を何度も覆しおって。貴様は殺す。今すぐにこの我の手によって滅ぼしてくれる!」

 

 べリトルの声が響くごとに周囲の炎はその勢いを増した。

 シシンが必殺技でも使用しているかのように炎を散らして回っているが、このままでは埒が明かない。

 そう思った時だった。

 

「青龍大竜巻!」

「八角手裏剣!」

「当たって! 『火炎大爆発(カ・エクスプロ―ジョン)』‼」

「シシンを死なせはしないわ! くらえ! 超力連弾弓!」

 

 四方からそんな掛け声とともに嵐や爆発が巻き起こる。と、その火炎の壁の向こう側からクロンやゴンゴウ達、それにオーユゥーン達が現れた。

 

「お兄様!」「シシン!」

 

「忌々しい……本当に忌々しい虫けらどもが……。マナを狂わせ、世界の均衡を著しく狂わせるだけの、なんの益にもならない害虫どもの分際でまだこの我に歯向かおうとするのかぁあ! 死ね! 今すぐ、全員死んでしまえ!」

 

 唐突にそう叫んだべリトルは、空中で自分の直上に超巨大な火炎の弾を作り上げた。そしてそれを一気に俺へと向けて放り投げる。

 俺はそれを、ただジッと眺めていた。

 

 そしてその火炎の弾は着弾。

 まるで核爆発でも起きたかのような凄まじいエネルギーの嵐が辺りを駆け抜けた。それを恍惚とした表情で見下ろすべリトルはまるで空気中に消え入るかのようにぼやけた様子で宙に漂いながら笑った。

 

「はははははは……もはや……もはやどうでもよい! せっかくの『準備』も『計画』も全て台無しになってしまったのだ。ことこうなれば、我の全てをかけて世界を滅ぼせばよい! ただそれだけで良かったのだ。はははははは……さあ、この世界の全てを破壊しつくしてやろうではないか」

 

「そんなのは迷惑なんだよ」

 

「なっ!?」

 

 べリトルはバッと後ろを振り向いた。そこにいるのは当然『俺』。

 怖いのか……震えてしがみ付いてきているヴィエッタを抱きかかえたままで、上空にいる奴の真後ろの位置まで『魔法』を使って迫った。

 そしてべリトルの薄く透明になった身体に、徐に手を差し込んで魔法を構築する。

 

「な!? なぜ! うぐ、うぐううううううううう……ち、力が……マナが吸い出されていく……」

 

 奴は俺の手を抑えようと動かすもスカスカっと触ることが出来ないでいた。どうやらもう実態を維持することも出来ない程にマナは減っているようだ。

 俺は全力で奴の身体から魔力を吸収しながら言った。

 

「てめえがさっき放ったところに居た俺達は『幻』だよ。オーユゥーンがな、あそこに『隠蔽(ダクネス・スクリーン)』をかけてお前の目を欺いたんだ。そして背後に周った俺はこうやって土魔法で足場を伸ばしてお前に接近したというわけだ。人間、怒り狂ってるときってのは通常の判断は出来ないって知ってたか? お前は人間じゃあなさそうだが、思考は人間そのものだったみたいだな。おかげで助かったわけだが」

 

「わ、我が、に、人間と同じ……だと……っ!? こ、この高潔なる魔族である我を、貴様は薄汚れた人間と同じとぬかすのかっ! こ、この下等生物がっ!」

 

 なんとも下劣なセリフを吐く奴だよこいつは。

 だが、しかたないだろう。世の中全ては因果応報、自分の為した全ての結果は自分へと帰ってくるものだ。

 これだけの人間を殺しておいて、あまつさえ世界そのものを破壊しようとしておいて、今更その相手を罵れるとは、まわり回って逆に尊敬しちゃうよ俺は。

 ただ俺は、そう言われて少しむかついたので、吸い出す力をさらに強めた。苦悶にべリトルはさらに顔をゆがめる。

 

「な、な、なんなんだ貴様は! なぜこんなことが出来る? な、なぜだ……?」

 

 べリトルはどんどんその顔から生気を失わせながらも、俺を睨みつけ続ける。 消えかかる手からは微かに炎が立ち昇るも、どうやら火魔法を使おうとしている様子だが、その火炎は弱弱しく攻撃できるほどのものではなかった。

 

「こんな……こんなところで……こんなことで潰えてなるものか……この、我は……決して、滅びは……、せぬ……」

 

 呻き続けるべリトル。

 俺はそんな奴を見ながら、言った。

 

「いったいお前が何歳だか知らねえが、いい年して人に迷惑かけてんじゃねえよ、おじいちゃん。もういいから、さっさと消えろ」

 

 俺はそして、一気に奴の身体からマナを抜き去った。

 

「ぐわああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 こだまする奴の絶叫が響き続ける。

 だが、それは次第と、弱く小さく、そして掠れていった。

 見れば奴の身体のその全てもまるで煙のように揺らめきながら消えていく。

 ただ、苦しみにその顔を歪め、俺の目をジッと憎しみの籠った目で見つめたままで。

 

 この日……

 

 『魔族』を名乗った一人の男が……俺たちの目の前で……

 

 死んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十一話 長い夜の終わり

「終わった……のか?」

 

「ああ、そうだろうな、多分」

 

 ヴィエッタを抱きかかえたまま足場を盛り上げて、上空のべリトルのマナを全て抜きとった俺は、再び足元に気を付けながら地表まで降りてきたところ……正直さっきは勢いに任せて一気に足場を持ち上げたわけだが、ビュオーって風の音が聞こえてくるわ、抱き着いているヴィエッタがガタガタ震えているわ、360度周り中の水平線が俺のふらつきに合わせてぐるぐる回るわで、もうマジで生きた心地しなかった。

 俺、もう二度とこんな高いところ登らない。絶対にだ!

 

 そうしてやっとこ降りてきてみれば、目の前には力を抜いて茫然と立ち尽くしていたシシンの姿が。

 放心しているその様は、現実をまったく理解できていないということなんだろう。

 俺はヴィエッタを先に降ろしながらシシンへと適当にそう返事をした。

 というか、ヴィエッタの奴ずっとしがみついていて鬱陶しい。

 

「お前な、もう終わったんだから手を放せよ」

 

「だ、だって……あ、足がふる、震えちゃって……ご、ごめん……」

 

 そう言って泣きそうな顔で必死に笑い顔を浮かべようとしていて、なにやら庇護欲を刺激されてしまうのだが、こいつもしやわざとやってんではなかろうな?

 やめろよ、俺はそういうのに、すぐにコロッとだまされちゃうんだから。

 頼られるのは悪い気はしないだけにどうにもこういう態度には弱い。そう自覚しているからこそ、はっきりしっかり言って彼女を放した。

 

「もう大丈夫だからな、心配しないでそこで待ってろよ」

 

「え……うん! 紋次郎、ありがとう! 本当にありがとう!」

 

 うぅっ‼

 

 ぐしっと目を拭ったヴィエッタが満面の笑みで俺を見てくるが……その表情があまりにキラキラしていて、またもや俺の心臓がドキリと跳ねた。

 だから俺はすぐにそっぽを向いてごまかしたわけだが……ふう、気が抜けたせいかな? 今のヴィエッタが可愛く手仕方ない!

 こいつ今なら、なんでも俺の要求を聞いてくれちゃうんじゃないか、甘えさせてくれるんじゃないかとか、そんな欲望が確かに沸き上がってきている……が、それがこいつの『人気娼婦たる所以』なんだろうなと、俺は気を強くもって振り返らなかった。

 ただ、ヴィエッタは黙って俺のシャツの裾を摘まんで話さなかったのだけれども。

 

 うううう……

 

 と、そこへ……

 

「シシン!」

 

 大声が近くで聞こえたかと思ったら、すぐ脇を駆け抜ける青髪の少女の姿。彼女は手にした大弓を放り捨てて真っ直ぐにシシンへと抱きついた。

 

「ばかっ! シシンのばかっ! なんであんな無茶をしたのよ! 死んじゃったらどうするのよ! ばかっ! ばかばかばかぁっ!」

 

「クロン……」

 

 抱きついて、泣いたまま怒鳴り続けるクロンをシシンは固い表情のままジッと見下ろし、そしておずおずとその身体を抱き締めた。

 

「スマン……」

 

「ばかぁっ! ぁーん……うぁあああん……」

 

 泣きじゃくるクロンを、シシンはひっしと抱き締める。そして小さな声でひたすらに謝り続けていた。

 俺はふと気になって背後を見てみれば、そこに悲しそうな顔をしたシャロンの姿。

 えーと、これはあれだよな? 『三角関係』ってやつだよな? 

 この3人の関係を知っている俺はハラハラしながら事態を見守っていたのだが、隣のヴィエッタは小首を傾げていてちょっとわかっていない様子。うん、お前にとっちゃ性交渉くらいそんなに大事でもない感じだものな。

 なんだっけか? たしか元々クロンがシシンのことを好きで? んで、シャロンもシシンが好きだったけど、クロンに遠慮して身を引こうと思ってたけど、結局シシンとエッチしちゃったんだっけか?

 あの青じじいの言ってたことも考慮すると、要はシシンのやろうをシャロンが寝取った形になるわけか? な、なんて……

 

 なんて羨ましい青春してるんだ、こいつらは!!

 

 ちくせう! 要はあれだろ? こいつら一緒に冒険してる中でお互い想い逢う様になっていって、でもお互いに気をつかって心のうちを晒すことが出来なくて、辛く思いながらも、それでも一緒にいたいがために、恋い焦がれる気持ちを内に押し込めて関係を維持してきたって、あれだろ?

 な、なんていじらしい、なんて健気、なんてピュアなんだーーーーー!

 くっそ、めっちゃ羨ましいいい!

 俺はそういうきゅんきゅんしちゃう恋愛をしたいんだよ! 結局シャロンが身体をシシンに委ねちゃったことに関しては、これはもう致し方ないことだろうよ。むしろ、停滞してしまった三角関係を次の関係に進めようとしたってことで、逆に称賛したいくらいだよ!

 ほんとうに羨ましすぎる!

 

 ふう……

 

 それに比べてどうだよ、俺の体たらくっぷりは。

 

 女の連れはいるったって、一人はセクサロイドだし、他の連中は全員娼婦。めっちゃ美人の女神様とも出会えたかと思ったけど、結局その本性はハードコアなオナニーマスターだったし、今まで出会った女のほとんどはくそビッチ。

 どこにも『純愛』につながる要素がありゃあしない。

 俺実は何かの呪いに掛かってんじゃねえかと、真面目に不安に思えてきたので、とりあえず『壊呪』の魔法をつかっておくことにした。

 

「『壊呪(ド・ブレイクカース)』」

 

「? 何をやってるの紋次郎? 急に魔法使われるとちょっと私も驚いちゃう」

 

 と頬を染めているヴィエッタ。

 

 しかし何も起こらなかった……まあ、当然だな……くそぅ。

 

 シシンはクロンを抱いたまま、一度シャロンを見た。

 シャロンはその視線から逃れるように顔を逸らすが……それを見たシシンは再びクロンを見て抱いたまま言った。

 

「クロン……すまなかった。俺は……俺はお前が好きだ、好きなんだ」

 

 そう言った時だった。

 クロンが両手で思いっきりシシンを押し飛ばしたのだ。

 呆気にとられているシシンに、クロンは涙を流したままその顔を上げる。その顔は不器用に微笑んでいた。

 

「シシン……それはだめだよ。シャロンを大事にしてあげて。せっかく救い出せたんだよ? シャロンもシシンのことを愛しているんだよ。だからお願い……、シシン。シャロンを選んで」

 

 やばい、ちょっと泣きそう。

 ここまで強く思ってるクロンがここで身をひいちゃうの? そりゃあシャロンに手を出したシシンが悪いだろうよ。だけど、そんなんで自分の気持ちを全部消し去ろうとして、二人を結ばせようとしているクロンがあまりにいじらしくて、不憫で、お、俺こういう健気に不幸を受け容れようとしている子にこそ幸せになって貰いたいって思っちゃうんだが!

 と、そこで横を見て見れば、キョトンとした顔で様子を見ているヴィエッタ。

 やれやれお子ちゃまにはこの繊細な感情の機微を感じとるのは難しいですかね、やっぱり。

 

 シシンはそう言ったクロンの肩を掴んでまっすぐに見つめた。

 

「いや、ダメだ。それは聞けないクロン。俺はお前が好きなんだ。お前に一緒に居て欲しいんだよ」

 

「シシン……だめ……だめだよ、そんなこと言っちゃ……わ、私……私だって……」

 

 うう……『私だって好きなんだよ』……だな。

 言いたくても妹の気持ちを考えて言えない、様々な心の葛藤。うう、マジで応援したくなる。

 と、横を見たら、オーユゥーンとシオンとマコとバネットがヴィエッタの横で座って、にたにたしながら、修羅場にならないかなー? 取り合いにならないかなー? この泥棒猫とか言わないかなー? とかそんなことを呟きながらギャラリーと化していた。

 こいつら……人の真剣な恋心をなんだと思ってやがるんだ!

 くっそ、マジで気分悪い。

 

 すると、そこにシャロンが近寄ってきていた。

 

「クロン姉さん……本当に、本当にごめんなさい。私……わたしが全部いけないの。姉さんがシシンのことをどれだけ大事に思っていたのか、知っていたのに、私は……」

 

「やめてシャロン! いいの……。私だって知っていたんだよ。あんたがシシンを好きだってこと。だからいいの……シシン……あんたたちとってもお似合いだよ! だからね、だから……私はあな……た達に幸せ……になって、なってもらいたいのぉ……」

 

 微笑みながら涙を溢れさせたクロン。一歩大きくシシンとシャロンから後ずさって離れた彼女を見て、いよいよ俺の涙腺が崩壊した!

 いやだってあんまりだろう、これは。

 切なすぎるよ、クロンこんなにも二人を大事に思っているのに、その二人から離れようとしているなんて。こんなつらい切ない展開はない!

 そう思って隣を見れば、オーユゥーンたちの輪の中にヴィエッタもまじって、これいつまで続くのかな? さあ、飽きるまでではありませんの? わたしお腹すいちゃったなー。 マコはもうねむいよー、むにゃむにゃ。 だめだなーお前ら。これからがいいとこなのに! とか、そんなことを5人がブツブツいっている。体育座りで。

 と、更にその隣をみてみれば、そこには死んだ魚のような目をしたゴンゴウとヨザクが。

 シシンさんうらやましっすねー。うむ、世の中まちがっておるな、はあああああ。とか3人を見ながら巨大なため息を吐いているふたり。

 う、うん……せっかく純愛が目の前で展開しているというのに、背景がそれを台無しにしているのだが……

 

「シシン。シャロン、幸せになってね。わ、私ずっと応援してるからね」

 

 そう泣き笑いで言いきったクロン。俺の心臓はいよいよ切なさで死にそうなんだが、さあいよいよクライマックスだ。ここでシシンがどちらを選ぶのか、いや、どちらも選ばないのか、それによって結末が変わってきちゃうのか……

 俺も俺で覚悟を決めて、そして、シシンが男としての決意して決めたであろうその言葉を待つ。

 

 そしてシシンが言った。

 

「クロン! 俺とシャロンと三人で結婚しよう! 三人で幸せになろうぜ!」

 

「はい! よろこんで!」

 

「って、ちょっと待てお前ら! なんだその終わり方は! なんでそこで三人仲良しハーレムカップリングエンドになっちゃうんだよ。そんなのおかしいだろ……おかしいよ……な?」

 

 言っててちょっと自信がなくなってきた異世界人の俺。で、なんとなく色々思い出して勝手に辻褄もあってきていたのだが、シシンたちの話を黙って聞いた。

 

「えー、あー、あれだ旦那。俺は別に神教の信徒でもねえしよ、別に嫁さん一人にこだわる必要はねえっていうか……そもそも俺はあれだ、いい加減すぎるから踏ん切りがつかなかっただけで、俺は最初っからこの二人が大事だったっていうか……」

「私もそう。シシンとシャロンが良いならいいの。私は二人が大好きだし、ずっと一緒に居られるならその方が良いって思ってたし。でも、シャロンって奥手でしょ? 私がいたらきっとずっと我慢することになってそういうの嫌だなって思ったから、身を引こうとしただけなの」

「姉さん、本当にありがとう。でもね、私も姉さんが大好き。大好きだからずっと一緒に居てください。お願いします。えへ」

 

「ぐ、ぐぬぅ。ここは普通ならもっと苦しんで悩んで迷って答えを出すシーンのはずなのに、一生の問題になるところなのに、お前ら気楽すぎてマジつらい」

 

 とそう吐露した俺をオーユゥーン達が囲んだ。

 

「まあ、いいじゃないですのお兄様。シャロン様もご無事で、クロン様もシシン様もお幸せになれるのですから何も問題はありませんわ」

「そうだよお兄さん! 3人の夫婦なんて普通だよ普通。むしろ少ないくらいだし。うちの実家なんて、お母さん10人だよ? 異母兄弟多すぎて何人いるかわからないくらいだったしね」

「くそお兄ちゃんだってハーレム作ってもいいんだよ? マコもオーユゥーン姉もシオンちゃんもみんなでなんでもご奉仕しちゃうんだから」

「お! マコ、それ私もがんばっちゃうぜ! 私身体だけはお前らよりもピチピチだからな!」

「あ、私も紋次郎にご奉仕しちゃう!」

 

「うるせいよ! くそビッチどもが! 近寄んなっ!」

 

 ハッと気が付いて振り向いてみれば、そこにはさっきよりも更にどんよりとくぐもった目でこっちを見つめてくるゴンゴウとヨザクの二人の……もはや死んだというより腐ってしまった魚の目。なんか匂ってきそう……

 ゴンゴウさん、世の中間違ってるッス! 俺死にたいっス! 言うなヨザク! 今度風俗連れて行ってやるからな。 だが、あの町の主要な綺麗所は紋次郎殿の手の内ではあるのだが…… はあ、辛いっス。はああああああああ。

 

 などとヴィエッタたちをちらちら見ながら再び大きなため息。

 ええい。やめろ辛気臭い。

 

「ねえねえ紋次郎。これ落ちてたよ? あのターバンの人が持ってたみたいだけど」

 

 俺をちょいちょいつついたヴィエッタが差し出してきたのは真っ赤な石だった。

 

「これは『魔晶石』じゃねえか。なに? あのべリトルの奴が持ってたのか?」

 

 そう問えば、ヴィエッタはこくりと頷いた。

 

「うん。あの人が消えるときに下にこれが落ちていくところを見たから間違いないよ」

 

 まあ嘘ではないのだろう。だが、なんであいつがこれを持っていたのかは良く分からん。大方二ムの燃料に察しがついてサンプルとして持ち歩いていたのかもしれないが、これはこれで結構たすかる。

 そこそこのサイズがあるし、燃料カツカツの二ムもこれでしばらくは活動できるからな。

 感謝していただいておこう。

 

 俺はそれをヴィエッタから受け取ってポケットにしまった。

 彼女もそれを見て柔らかく微笑んだ。

 うう、こいつなんでこんなに可愛いんだよ、こんちくしょうめ。

 どきどきしつつもとにかく俺は現状把握。

 

 当初目的だったヴィエッタは無事救出。

 それとシシンの仲間のシャロンや、捕まっていた女達も結構な人数を助け出せた。

 人を生贄にしていたイカレタ神父な青じじいは死んで、現れたヘカトンケイルもたぶん全部始末出来ていて、最後に出てきた金獣キングヒュドラもこの通りぶっ殺した。

 で、良く分からない魔族を名乗ったあのべリトルも多分死んだし、これだけやって手に入ったのが、この魔晶石一個とか本当に割にあわないな。

 まあこれで今回の騒動は一件落着か? いや、違うな。まだやりのこしたことは色々ある。とりあえず街へ戻らねえとな。

 

 色々あった長い一夜はようやく明けた。

 朝の爽やかな空気を一身に浴びてとはいかなかったが、戦闘後の脱力も相まって穏やかに昇る朝日を拝むことが出来た。

 俺達はそして、救出した女達とともに街へと戻ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ①

 救い出した女性達を連れて街へと帰還すると、そこは酷いありさまだった。

 街のあちこちから火の手と黒煙が立ち上り、多くの人が駆けまわって水魔法などを使用して火の消化に当たっている。

 そしてそんな街並みのところどころに、まるで小山のようなあのヘカトンケイルの遺骸がいくつも転がっていた。

 こいつら家を破壊しながら進みやがったな、まるで道路のように、ヘカトンケイルの通ったであろうその個所の家屋が完全なまでに破壊しつくされていた。

 

 これは酷いな。

 

 街の入り口で呆然と眺めていると、そこへ女性たちの声が聞こえてきた。

 

「オーユゥーンお姉さま!」「ご無事で!」「お姉さまぁ」

 

 駆け寄り群がり始める女達。彼女達はあの娼館で俺が梅毒から助けた連中の一部だった。

 みんな薄い下着に防具を着け、手に手に鳶口を持って、全身すすだらけの状態だった。

 

「あなた達! 無事な様で良かったですわ! こちらも全部終わりました。 全部……お兄様……賢者(ワイズマン)様が終わらせてくださいましたわ」

 

 そう言って俺を見て微笑むオーユゥーン。

 周り中の女たちが一斉にわあっと笑みを浮かべて歓声を上げた。

 そして今度は俺達の背後にいた穴倉に囚われて怪物の苗床にされていた女達を認めて、そして知り合いでもいたのだろう、駆け寄り抱き合い悦びに声を弾ませていた。

 

「おい、オーユゥーンてめえ、人のことをまたそんな風に言いやがって」

 

「良いではありませんの? みんなを助けて下さったのは、まぎれもなくお兄様ですのよ? それとも、本名でお知らせした方が宜しかったでしょうか? 木暮紋次郎様?」

 

「ぐぬぅ」

 

 俺を上目づかいで見上げながら悪戯っぽくそう微笑むオーユゥーンは、当然俺の内心を見透かしているわけで、弄ばれてる感じが非常にムカついたが、さりとて目立ちたいわけでもないのでここは我慢して黙ることにした。

 人を手玉にとりやがって、この性悪め。

 このままこんな大勢の中に居たら、どんな風評被害をうけるか分かったもんじゃなかったので、俺はさっさと終わらせようとヴィエッタの手を引いて例の隠れ家へと急いで向かった。

 

 と、その途中で……

 

「おい。お前は何やってんだよそこで」

 

「あ、ご主人、お帰りなさいでやんす。ワッチもうここから出てもいいすかね? でーもんばーばりあんさん達もみんないなくなっちゃいやしたし、べリトルさんも帰ってきませんけど」

 

「はあ?」

 

 何やら通りの真ん中で魔法陣のような幾何学模様に掘られたその円の内側に、二ムが一人で正座しているのだが……

 奴の目の前には裏返しになったトランプが散乱している。

 いったいこれはどんな状況なのかと思い聞いてみれば、なんとあのべリトルがこいつに会いにやってきて、二ムを魔法でここに縫い付けたらしい、というより、メインリアクターを停止させられたようだ。

 正直俺はそれを聞いて愕然となった。

 陽電子リアクターは放射能が絶対漏れない構造をしているが、その実超小型の『核融合炉』だ。通常は燃料でもあるリポジトロニウム……もしくはこの世界であれば魔晶石が反応している限りはリアクターが止まることは通常あり得ない。

 だが、少量とはいえ、まだ魔晶石は二ムのリアクター内に残っているのだ。

 この状況で核融合反応だけをとめるなんて、そんなことが可能なのか?

 しかも魔法でだ。

 俺は改めて自分が知る全ての魔法の知識を動員して、その方法を思案してみたが、今はまったく思いつかなかった。これは改めて色々な角度から術式や方法の検討が必要だろうが、それよりもまず驚いたのは、あのべリトルがそれを為したという事実。

 あいつは俺達の世界の技術に精通していたわけではなかった。にも拘わらず、ほぼ初対面に等しい二ムの、しかもその基幹部品とも言える陽電子リアクターを停止させたことは衝撃以外のなにものでもない。

 この世界にはもともとそのような技術があったのか、それとも、奴が特別天才であったのか……

 世の中上には上が絶対いるもので、俺だって多少は自分の技術に自信もあったが、これはやはり慢心だった。

 くそう、さっきいろいろムカついたからあの半分精霊体の奴を遠慮なく消滅させちまったが、これは早まったかもしれない。

 どんな技術を持ってるのかもっと話を聞いておくべきだった。

 

 そう、色々後悔はあったのだが、とりあえずは目の前のこいつだ。

 

「で、お前はそこで何をしてんだよ?」

 

「あ、それがですね、聞いてくださいよご主人」

 

 聞けば、べリトルの奴にリアクターを止められて、いちおう内臓バッテリーの僅かな電力で電子頭脳と一部の身体の駆動は可能な状態であったようだが、見張りと称して4体の悪魔蛮族(デーモン・バーバリアン)というモンスターに取り囲まれ、後で殺しにくるからそこで待っていろと言われてジッと待っていたようだ。

 

「まあ、ご主人のことですから、どうせ返り討ちにしちゃってると思ってやしたけどね」

 

「うるせいよ! 俺だって死にそうだったんだよ、まったく」

 

「えへへへへ」

 

 二ムはパンパンとお尻の土を叩いて落としつつ立ち上がる。この感じからしてリアクターの再起動も無事に完了したようだな。

 

「それで、そのトランプはいったいなんだ?」

 

「あ、これはあれですよ? 結構暇だったもんで、でーもんばーばりあんさんたちとババ抜きでもして遊ぼうと思ったんでやすけど、あの人たちムスッとして相手してくれなかったもんで、こう地面に並べて神経衰弱のデモンストレーションをやりやしてね、ワッチが百発百中で同じ数を当てるのを見せてたら、結構興奮した感じになってやしたよ? 顔はムスッとしたままでやしたけど、かなり心拍数とか上がってやしたし、同じ数を充てるたびに、びくんびくん反応してやしたし、あれきっと本当は遊びたかったんでやんすよ」

 

「お前、モンスター相手に何しちゃってんだよ」

 

 俺は結構真面目にその悪魔蛮族(デーモン・バーバリアン)さん達に同情した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十三話 奴隷と主

「もういいからさっさとついてこい。片づけることはまだあるんだから」

 

「へーい。あ、ヴィエッタさんこんにちは! なんかお元気になったみたいでやんすね! ひょっとしてご主人に完全に惚れちゃいやした?」

 

「お、おいっ!?」

 

 急に訳の分からないことを、俺のシャツの裾を掴んだままのヴィエッタに言い始めるニム。まったく何を言ってんだと、イラっとしていたら、

 

「えっと……よくわからないけど、私、紋次郎のこと大好きだよ!」

 

「ふあっ!?」

 

 急に背後でそんなことを言われて振り返れば、お日様の様に微笑んでいるヴィエッタの顔。なんの躊躇もせずに言い切ったヴィエッタはなんというか、完全に緩んでいるというか、安心しきっているというか……

 これはあれだな……

 好きは好きでも、家族として好きみたいな感じだな。こいつかなりひどい人生で両親も失っているみたいだし、ひょっとしたら俺をそんな肉親と重ねてみているのかもしれないな。

 ふう、あぶないあぶない。危うく『紋次郎大好き! 結婚して!』みたいな告白と勘違いしちゃうところだったぜ。そうだとしてもだ、エロいことしたいってだけで言い寄ろうとかなら、もうその時点でノーサンキュウなんだけどな……

ふう……

 

「ま、あ、あれだ。俺もお前のこと……嫌いじゃねえよ」

 

「うん!」

 

 『花咲く笑み』とか、本当にこういうことなんだろうな。俺はうれしそうな顔をしているヴィエッタの頭を撫でてやった。

 こいつの何の憂いもない嬉しそうな笑顔は見ていて本当に癒されるよ。今回は本当に振り回しちまったし、命も危険に晒しちまったしな、俺は俺でいろいろ応援してやらねえとな。 

 そう考えた時だった。

 なぜか、オーユゥーンやシオンたちがジトッとした目で俺を見ていた。

 

「なんだよ」

 

「いえ、お兄さまがなんだかヴィエッタさんに優しくされていて、ちょっとうらやましいな……と」

 

「はあ? 別にただ労ってただけなんだが! なんでそれでうらやましいとかそういうことになるんだよ」

 

「これはあれっすよ、ご主人。オーユゥーンさん達もなでなでして欲しいんすよ! というか、抱いて欲しいっす、ワッチもふくめて今すぐに全員!」

 

 ニムが言った途端にオーユゥーンとシオン、マコとバネット、それにヴィエッタまでもが自分の服をたくしあげようとしやがった。

 

「は、はあっ!? す、するわけねえだろうが! アホ言ってねえでさっさといくぞ!」

 

 そう言った俺の背後から、すいませんね皆さん。別にご主人EDでも男色でも極低年齢愛好家(ヘビーロリコン)でも、熟女専とかでもないんすけどね。ちょっと緊張してるみたいでやすね。寝てる間にみんなで襲っちゃえば、きっと狼に変身しますんでもうちょいお待ちくださいね。とかそんな物騒な話が聞こえてきたので、

 

「こらこら! 誰が狼だ! 俺は紳士だっつーの! ってかおまえ等全員、頬を染めて期待した目で見てくるんじゃねえよ、このくそビッチどもが!」

 

 言って放置して再び歩き出したら……

 ご主人ああいってやすけどね、実は一人で処理しまくって勝手に賢者化してるだけでやすからね、根は相当なスケベでやすよ。なにしろ多い時には、一日でじゅ……

 

「こらこらこらーーーー! お、おおおおお前はいったい何を言おうとしてんだてめー! おまえ等もそんなワクワクした目で見てくるんじゃねえええええ!」 

 

 そんなこんなでなかなか歩みが進まないままに、俺たちは例のアジトへと辿りついた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「おら、約束通りヴィエッタを連れ帰ったぜ」

 

 そう目の前のまるまると太ったマリアンヌに告げた。すると奴は俺を一瞥しただけですぐにヴィエッタを向き直る。

 

「ふんっ! 世話をかけてくれたじゃあないか。まあいい。さあヴィエッタ、さっさと帰って仕事だよ」

 

 そう言ってヴィエッタの腕を掴んだマリアンヌ。だが、ヴィエッタは一歩もその場を動かなかった。

 マリアンヌは何度かその腕を引っ張るもやはりヴィエッタはうごかない。そして次の瞬間、

 

 ぱぁああんっ!

 

 辺りに甲高い音が鳴り響いたかと思うと、それはマリアンヌが勢いよくヴィエッタの頬を平手で叩いた音。

 そしてマリアンヌが冷たい視線を向けたままで言った。

 

「グズグズするんじゃないよ。お前はあたしの持ち物なんだ、あたしの為に必死になって働くんだよ」

 

 そのときだった。

 

「いや……です」

 

「なんだって?」

 

 再び激しい平手がヴィエッタを襲う。だが、今度はヴィエッタがまっすぐにマリアンヌを見据えていた。

 

「いやですと言ったんです。私はイヤです。もう毎日男の人の相手をするたけの生活なんて、本当にイヤなんです!」

 

 そう言った途端に、遠巻きに眺めていたおっさんたち……ヴィエッタファンクラブ、孤狼団のみなさんが一斉に胸を押さえて仰け反った。そりゃそうだよな、あの言い方なら、もう相手するのもイヤですって直接言われたようなものだしな、ヴィエッタが気がついてないだけでなにも間違っちゃいない。

 言葉って本当に暴力。ま、まあ頑張れよ、おっさんたち。

 それを聞いたマリアンヌは、ハンと一度鼻で笑ってから続けた。

 

「イヤだって? おまえみたいに何もできない小娘が何を言ってるんだい。またあれかい? 冒険者になりたいとか、そんなくだらない妄想しているってことなんだろう? お前みたいな奴が生き残れるわけない、さあ、さっさと働くんだよ! おまえを買った金だってやすくは無かったんだ。さっさと稼いであたしに貢ぐんだよ」

 

「お金は……お金はぜったいに払います。何年経っても必ず払います。だから、どうか、私を解放してください。冒険者にならせてください。おねがいします」

 

 ヴィエッタは決意の籠もった目でそういいながら深々と頭を下げた。

 マリアンヌは……  

 今度は手をあげなかった。ただジッとヴィエッタの姿をみおろし続けていた。

 俺はその横顔をずっと見ていたわけだが……一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、マリアンヌの頬が緩んだことに気がついた。

 ったく、このババア。面倒癖えやつだな。

 

 俺は一歩前に出てマリアンヌへと言った。

 

「あのなぁ、悪いがヴィエッタの奴隷紋は俺が消しちまってもうねえんだよ。だから本当なら逃げ出しちまっても問題は無かったんだが、まあ、ヴィエッタもあんたの許可だけはもらいたいってわざわざここまで来たんだよ」

 

 そもそも俺はここに来る気はなかった。ヴィエッタが冒険者になりたいって言ったことについては、俺だって唆した手前責任があるとは思っているから面倒はみてやるつもりだ。でも、わざわざ元の主人の元に来たって問題が増えるばかりで禄なことはないって俺は考えていたんだから。

 でも、ヴィエッタはマリアンヌに会いたいと言った。それならそうしてやるしかねえじゃねえか。

 

 俺はマリアンヌの様子を窺った。

 今度は眉一つ動かさずに俺を睨んでやがるからまったく心境は読みとれなかった。

 だが、しばらくして奴は口を開いた。

 

「なら……しかたないね……」

 

「え?」

 

 ぽつりとこぼれたその言葉に、理解が追いつかないヴィエッタが勢いよく顔をあげた。

 その顔は困惑一色に彩られているが、それを見ながらマリアンヌは何も言わず見下ろし続ける。

 また暫くの時間が流れ、そして大きなため息を吐いたマリアンヌが言った。

 

「奴隷紋はもうないんだろう? なら、もうあたしがお前に何も強要できやしないじゃないか。まったくとんだ大損だよ。おまえ……そうお前だよ。そこのひょろっこいお前」

 

 え、俺?

 そう言ってヴィエッタから俺へと視線を移すマリアンヌ。

 

「さぁて、約束通りこの落し前を着けてもらおうじゃないか。約束通りに」

 

 あ、こいつ忘れてたわけじゃねえんだな。

 

「ったくわかってるよ、そんなことは。でも妙な要求はすんじゃねえぞ。出来る限りの誠意って奴にも限界はあるんだからな」

 

 この『落し前』って奴は本当に厄介だ。

 詫びと言いつつ、なんでもかんでも要求できると勘違いしている奴があいてだと、それこそ尻の毛までむしり取られて御仕舞だ。それこそ完全な恐喝で、まさにやくざだ。

 この目の前のババアのその口なら厄介だが……まあこいつはな……

 

 マリアンヌが目を細めて言う。

 

「ふん。ヴィエッタはうちの看板だったんだ。身請けしたいってならそれ相応の金は必要だねえ。そうさね、今すぐに現金(キャッシュ)で『2億ゴールド』。びた一文まける気はないよ」

 

 と、言いはなった瞬間に周囲の連中はみんなひいっと小さく悲鳴を上げているのだが……

 2億ゴールド寄越せとか、それこそむちゃくちゃだよな、なにも事情を知らなければな。

 でもこのババア……

 

 本当に優し過ぎだぜ。

 

 俺は頭を掻きながら答えた。

 

「ならよ、これからその2億ゴールドを作りに行くからよ。あんたもついてきてくれや」

 

 その俺の言葉にマリアンヌはニヤリと微笑んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十四話 優しくお礼①

 俺達一同は一路例の奴隷商人の館へと向かった。

 面子は言うまでもないことだが、俺と、ヴィエッタ、マリアンヌの『商品』組と、二ム、バネットの逃げ出しては来ちゃったが『人質』組。それと、オーユゥーン、シオン、マコの3人組みと、シシン、クロン、シャロン、ゴンゴウ、ヨザクの緋竜の爪の5人組みが付き添いというかギャラリーとして同行している。

 まあ、ギャラリーというだけなら、孤狼団の連中とか、コスプレ娼婦軍団とかの一部も随行しているわけで、ざっと見ると30人以上はいる感じだ。

 いや、まあ、よくもこうわらわらと集まったもんだけど、被災した街がまだ混沌としているから、その人数もだいぶ減ったという印象。災害対策に動いている連中には本当に頭が下がるよ。

 さて、そんなこんなで、瓦礫を乗り越えつつ例の商館へとたどり着いてみれば、惨憺たる状況だった。

 

「あららららら」

 

 思わずそんな声が出た俺の目の前では自分の薄くなった髪を掻きむしって絶叫している一人の小太りの男の姿。

 

「わ、私の店が‼ わ、私の財産が、わ、私の……」

 

 例の奴隷商人だった。確かバスカーとか言ったか? 奴は頭を掻きむしりながら、死んで倒れた巨人に完全に潰されてしまった自分の3階建ての建物を見ながら泣きわめき続けていた。

 

「おい二ム。お前あれわざとあそこに倒れるようにレーザーキャノン撃ったんじゃあるまいな?」

 

「え? そんなこと思ってやしませんよ? ただ、あ、あそこさっきまで捕まってたとこだー、あそこに倒れたら面白いかも―! くらいに思ってたんすけど、自然とそっちに倒れていったって感じっすかね? 人間、思ってると現実化しやすいもんなんすね、うんうん」

 

「『マーフィーの法則』かよ! 思いっきり狙ってんじゃねえか! まったくてめえは人間でもないだろうが」

 

 『失敗する余地があれば、必ず失敗する』だったか? まったくそんなとこまで人間化しなくていいんだよ、機械なんだから。

 バスカーの館はヘカトンケイルの巨体によってほぼ全壊。残されているのは豪奢な感じの玄関のみ。そのハリボテ感が半端なくてまさにシュールな絵面だ。あれ、開けたらヘカトンケイルさんに『こんにちは』か、うん、ちょっとおもしろい……いや気持ち悪いか。

 話が進まないので、俺はバスカーの元へ行き、その背中をぽんぽんと叩いた。

 

 奴は一瞬ヒイッと小さく悲鳴を上げつつ跳びはねた後に俺へと視線を向けてにこおっと不気味に微笑んだ。

 

「よお、約束通りヴィエッタを連れてきたぞ。それと人質の方も」

 

「お、おお……おおおお……」

 

 バスカーはよろよろと俺へと不気味に笑いながら近づいて来るが、財産の一部が帰って来たくらいに思って嬉しくなっちゃったのは分かるが、そのドアップはマジ止めろ。

 逃げ出した人質まで連れてきてやるなんて、本当に俺はお人よしすぎると思うけど、こいつらがいなければ話が進まないからな。

 さあて、なら、お仕置きを開始しますかね。

 

「ほら、約束通りヴィエッタを連れてきたぜ。だからさっさと二ムに掛けた『死の契約(ダクネス・デスコントラクト)』の魔法を解除しろよ」

 

 そう言って俺はヴィエッタの手を掴んでぐいっとバスカーへと引き渡そうとした。

 その俺の行為にヴィエッタはさも驚いた感じで、なんで? と叫びそうな顔に変わって俺を見ていた。

 あ、そういや、こいつには何もレクチャーしてなかったな。まあ、別にアドリブで問題ないだろう。

 俺はさらにぐいぐいとヴィエッタの背中を押しながら奴へと言った。

 

「約束通りこうやってヴィエッタを連れてきたんだ。てめえもさっさと約束を果たせよ」

 

「おお……た、確かに……確かにヴィエッタ嬢ですな。おお、そう、ヴィエッタ嬢だ! こ、これなら……ヴィエッタさえいれば、いくらでも金は集められる! いくらでも。おお、そうです。そうですね、お客さまのお連れの方も急にお姿が見えなくなってしまって心配していたところなのですよ。すぐに! 今すぐに魔法を解除しましょう! ヴィエッタ。やった、ヴィエッタが手に入った。うひひ」

 

 バスカーはもうなりふり構っていられないのか、『出来る商人』の顔を完全に演じられないままに、結構邪念入り混じりの本音ダダ漏れのまま、ヴィエッタへと近づいてその手を取った。

 ヴィエッタはいよいよ困惑した顔で、俺へと助けを求めてくるのだが……何も言えないままにオドオドしていた。

 素直に言いたいことを言えばいいだけなんだけどなぁ。

 

「さあ、ヴィエッタ。こっちへおいで。わ、私が次の主のバスカーだ。さあ、手ずから教育してあげよう。うへへ」

 

 卑しく笑うバスカーを見た後で、更に俺を見てくるヴィエッタ。めっちゃ嫌そうな顔をしていた。

 俺はそんなヴィエッタの耳もとに口を近づけてこそこそっと言った。

 

「嫌ですって言え」

 

「んっ」

 

 耳元に息がかかったとたんに全身をぶるぶるっと震わせるヴィエッタ。真っ赤になって、なにやらトロンとした目で俺を見てくるんだが。ええい、遊んでんじゃねえ!

 

「いいから、絶体嫌です! あんたみたいな男のところには行きたくありませんとかなんとかなんでもいいから、さっさと言え!」

 

「え? え? えーと」

 

 ヴィエッタはにたぁっと笑っているバスカーに顔を向けて言った。

 

「ぜ、ぜったいいやです・あ、あんた? あなたみたいなブタには触られたくもありません? だっけ?」

 

 おおう、こいつ、感情一切なしの棒読みの上、俺以上に辛辣なセリフ吐いてやがる。

 それを聞いたバスカーは、一瞬で顔を真っ赤に沸騰させて、ぐいっと乱暴にヴィエッタの腕を引っ張った。

 

「や、優しくしてやっておれば、ちょ、調子にのりおって‼ この奴隷風情が! お前の身体はもうこの私の物だ。歯向かうんじゃない。それにお前が言うことを聞かなければ、そこにいる黒髪の女が死ぬことになるんだぞ‼ ぐへへ、お前のせいで目の前で人が死ぬのはいやだろう? さあ、わかったらさっさとこっちへ来るんだ」

 

 そう言われて、ヴィエッタはまた困惑顔で俺を見た。

 俺は口パクで、『それでも嫌です』と言え、と何度か繰り返すと、ヴィエッタは真剣な顔でコクリ頷いてバスカーを見た。

 

「触るな変態! 豚は死ね!」

 

 そう言い切って振り返ったヴィエッタは、すごく良い顔でウインク&サムズアップ。いや、それ俺が言えっていった内容と全然違うからな。

 さらに赤くなって、額に血管をいくつも浮かび上がらせたバスカーは、もう限界とばかりに何か吠えようとしていたが、そこに俺が言葉を差し込んだ。

 

「これはもう駄目だ。ヴィエッタにはあんたの所に行ってくれとは頼んだが、ヴィエッタが嫌というなら俺は諦めるしかない。悪い二ム。お前の命ももうここまでだ。俺は約束を果たせなかったよ」

 

「いいんすよご主人。ご主人のために死ねるなら、ワッチ、これ以上の喜びはないっすよ」

 

「すまん二ム」

 

「ご主人! およよ……」

 

「え? へ? ちょっとまっ……」

 

 俺達の三文芝居を見ながら慌てだすバスカー。だが、俺はすぐさま言い切った。

 

「すまん。俺は『契約』に失敗した」

 

 そう言い切った瞬間、二ムの胸の辺りに黒い靄が舞い降りる。そしてその靄がだんだんと黒く染まり、そしてそのまま二ムの胸へとすいこまれた。

 そして……

 

「うっ‼ うう……ぱたり」

 

 と口で言いつつ二ムが胸を押さえてその場にぱたりと倒れた。口で言うな、口で!

 

「そ、そんな……しょ、商品が、金が……ど、どうしてくれるんだ! 大事な商品になんてことをしてくれたんだ‼ ああ……」

 

 いや、それ別にお前の商品でもなんでもないんだけどな。本当にクズだな、こいつは。

 するとバスカーが当然俺へと詰め寄ってきた。

 

「あ、あんた! あんたはゲームを失敗したんだ。失敗したんだからヴィエッタを買うために渡した2億ゴールドもさっさと返せ! ついでにヴィエッタも置いていけ、さあ、さっさとしろ」

 

「はあ? 混乱しているのはわかるけどよ。それはちょっとおかしすぎるだろう? 『この金はヴィエッタを買う代金』だと言ったのはあんただったはずだ。で、俺はヴィエッタをきちんと買ったんだから返す必要はないだろう

?」

 

「な、何をバカな! だったら、ヴィエッタの所有権は私にあるはずではないかっ! ならヴィエッタをさっさと寄越して」

 

「だからヴィエッタにはここに来てくれって頼んだだけだっつーの! 俺がやったのは、『ヴィエッタを買って、ここに来てくれって頼んだ』ただ、それだけだよ」

 

「なるほどね、そういうことかい」

 

 俺の話を聞いて、近くでずっと黙って聞いて居たマリアンヌがニヤリと笑ってから唐突に声を出した。 

 彼女は全て納得できたのだろう、ずいとその巨体を近づけてきた。

 

「ま、マリアンヌ? あ、あんたまで来てたのか」

 

「ああ、ずっといたさバスカー。もっとも今の追い詰められたあんたにゃあ、スリムなあたしの身体は映らなかったかもしれないけどね」

 

 いったい何のジョークだとちょっと気色悪く思いつつも、ここはマリアンヌに任せた。

 

「そこの男の言う通りさね。あたしはこの男にヴィエッタを売ったのさ、『一晩』ね」

 

「な、なにぃっ!?」

 

 絶叫するバスカー。

 おっと、何も頼んでいないが、マリアンヌは俺の茶番に付き合ってくれるようだ。

 バスカーはワナワナと震えながらマリアンヌへと迫った。

 

「ば、ばかなっ! ばかじゃないのかっ!? ひ、一晩……たった一晩だと!? たった一晩が2億ゴールドだとでもいうのか? ば、ばかばかしい!」

 

「あー、それな。俺娼館とか行ったことねえから良く分からなくてよ。ひょっとしたらぼったくられたかもしれねえが、まあ問題ないだろ? なにしろ、ヴィエッタを買うために使っていいと寄越したのはあんたなんだからよ。俺はヴィエッタを買っただけ。そんで頼み込んでここに来て貰っただけ。なんの問題がある?」

 

 そうシレっというと、今度は俺へと唾を飛ばしながらつめよる。

 

「ふざけるな! ヴィエッタを買ってこいというのは、俺の所有物として代わりに買ってもってこいということにきまってんだろうが!」

 

「あー、そういうこと? わりい、俺ちょっと頭悪くてよ、あんたの言う買ってこいをちょっと間違えちゃってたみたいだよ。てへ」

 

「こ、この……」

 

 バスカーはもう怒りすぎて明らかにあきらかに目つきがおかしい。このまま血管が切れてすぐにでも死んでしまいそうだが、それじゃあ、おもしろくはないよな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十五話 優しくお礼②

 俺はうつ伏せで逆大の字で倒れ伏している二ムへと近づいて、さも悲しそうな感じの演技をしてから、バスカーへと向き直った。

 

「まあよ、でもこんな不毛な言い争いしてても何も始まらねえよ。どうせこいつは生きてはいないしな。なあ、バスカーさん。もしあんたがどうしてもヴィエッタを必要というなら、俺はもう一度ヴィエッタを説得してもいいぜ。ヴィエッタも自分のせいで二ムがこうなったことに、大分責任を感じてるみたいだし、こいつは俺にかなりデカい借りもあるから俺の言うことなら多分聞いてくれるしな」

 

 そう言うとと、ヴィエッタは大きくうなずいた。もはや何も心配してはいない様子だ。

 そんな有効な貸し借りがあるなら、最初っから提示して二ムを救ってやれよと思いつきそうなものだが、まあ、今のバスカーはどうもそれどころじゃない様子。

 藁にも縋りたいって感じだな、さて……

 

「ほ、本当か? 本当にヴィエッタを手にいれられるのか?」

 

「ああ、そうだ。だけど、俺にも条件があるぜ?」

 

「じょ、条件……?」

 

 訝しい目つきで俺を見るバスカーは、さっきまでのやられっぱなしの会話のせいか、随分と緊張している様子だ。

 だから俺は安心させてやる意味もあって、わざとゆっくりと話した。

 

「ああ、あんたなら何も問題ない条件だよ。見ての通り、俺のつれは今ここに転がっている。正直このまま旅に出るのは厳しいんだ。さて、そこでこちらの条件なんだが、ヴィエッタをなんとかしてやるから、奴隷を一人貰えねえか? ちょっと一人選ばせてくれよ」

 

 奴は俺を睨みながら言った。

 

「そ、そんな程度のことで本当にヴィエッタが俺のモノになるのか? し、信じられん! しょ、証拠をみせろ!」

 

 そう言われて俺はヴィエッタの腕をむんずと掴んで前に出た。そして言う。

 

「なあ、ヴィエッタ。これからこいつの奴隷になってくれよ。頼む」

 

 目で合図しながらそう言うと、ヴィエッタは大きく頷いた。

 

「いいよ! 私、この人の奴隷になる」

 

「おお! おおおっ!! やった、やったぞ、ヴィエッタが、ヴィエッタがようやく俺のモノにぃぃぃぃぃぃ」

 

 雄叫びにも近い絶叫を上げるバスカー。こいつ、本気も本気で追い込まれてんだな。もうちょい冷静だったらこんな胡散臭い誘い、普通は断るだろうによ。

 まあ、俺の方としては楽でいいんだが……

 さて、仕上げといきますか。

 

「なあ、バスカーさん。そうしたらよ、いくつか細かい点を決めていくから、俺の言葉に了解してくれな? なあに、別にだまそうなんてしねえよ。ヴィエッタはあんたにやるんだから」

 

「あ、ああ、いいとも。ヴィエッタさえ貰えれば私はなんでもかまわん」

 

 俺はため息が漏れるのを堪えつつ、条件をあげた。

 

「まず、今のヴィエッタは隷属契約紋が消えちまってるんだ。だから先に所有者をあんたにして隷属契約を結んじまうからな、それでいいな」

 

「もちろんだとも。ヴィエッタが私のものになるというなら、何でも良い。しかし、今ここには隷属契約の魔導具はないのだが」

 

「ああ、その心配は要らねえよ。オーユゥーン、ちょっときてくれ」

 

「はいですわ」

 

 そしてやってきたオーユゥーンを見ながら、ヴィエッタに聞いてみれば、やはり胸に精霊がいるようだ。くそ、精霊どもめ、実はみんなおっぱい星人ではなかろうか!

 

「どうぞですわ」

 

 そも当たり前の様に胸を突き出してくるオーユゥーンその大迫力の胸をなるべく見ないようにしながら、俺は軽く触れて魔法を唱えた。

 

「『隷属契約(ダクネス・スレイブコントラクト)』」

 

 それを完成させると同時に、ヴィエッタの背中に例の黒っぽい奴隷紋が浮かび上がってきた。

 この魔法の存在を俺は知らなかったのだが、術式の構成を考えてみたら、どうも闇の使役魔法を改良したものだということが分かった。類似の術式が多かったからな。

 となれば、あとは簡単だ。完成形の奴隷紋は既に見て知っているのだから、そこから逆算して、同じような結果を導き出せるようにすればいい。

 そして完成したのがこの魔法だ。結構良く出来ていると思うよ。

 ちょっといじくって、奴隷紋の模様をただの楕円からハート型に変えてみたりもしたし。

 ということで背中に浮かび上がってくるその奴隷紋に最後の一行を加えるべく、バスカーの奴を呼んでその血を一滴その奴隷紋へと落とした。

 黒い光が紋から放たれ、そして契約が成立する。

 

「さあ、これでヴィエッタはあんたの奴隷だ」

 

「おお、おお、これでようやく……」

 

「おっと、早まるんじゃねえよ。こっちは誠意を見せようとして先に契約させてやっただけだ。あんたが約束を違えないとも限らねえからな。もし適当にやろうとしやがったら、即刻この紋を消し去ってやるからな」

 

「な、なに? そ、そんなことが出来るのか?」

 

「当たり前だろうが! 消せるから、こうやって刻むこともできたんだろうが。なんならすぐに消し去ってやろうか?」

 

 そう脅してみれば、バスカーは慌てて口を開く。

 

「わ、分かった。分かったとも。奴隷だな? 奴隷を用意すればいいんだな? すぐに用意しよう」

 

「ああ、当然だ。だけど、それだけじゃちょっと不足だなぁ。おいあんた。あんた要らなくなった奴隷を聖騎士だとか、盗賊だとかに横流ししたことがあったんじゃねえのか?」

 

「ど、どうして、それを……あ」

 

 慌てて口を噤もうとしたバスカーだがもう遅い。今のは適当に言っただけのことだったんだが、やっぱりこいつも一枚噛んでやがったんだな。

 聖騎士と盗賊が――と言ったところで、大した人数がいるわけでもない。それなのに、あれほどの数の生贄を用意していたとなると、当然だがそれを仲介した奴がいてもおかしくはないと思っていたんだ。まさにビンゴだったわけだな。

 俺はこの際だからと要求を増やすことにした。

 

「まあ、それは別にいいよ、もう。どうしようもないから。でもな、これから先、奴隷は大事にしろよ? 三食きっちり食べさせて、服もきちんと着せて、衛生的に生活させろよ」

 

「そ、それはもうそうしておりますとも。うちの奴隷は品が良いと評判ですし」

 

 どうだかな……もうてめえの営業スマイルには騙されやしねえんだよ。

 

「そうか。なら、もう少し……奴隷の譲渡先もきちんと指導して、虐待とか暴行とか、そういうことが起こらないようにしとけよ? なんなら、奴隷を買い戻すくらいして、大事にしてやれよ」

 

「そう……ですな。それくらいは必要かもですな。大丈夫ですとも。うちは誠意をもって商売しておりますから。さあ、了解しましたから早く、ヴィエッタを……」

 

「まあ、待てよ。もう一つだけだ。一番大事なことだ。いいか? 人はな、恨めば恨んだだけ恨みを貰うもんだ。だからな、お前はもう人を恨んじゃあだめだぜ? どんなに嫌なことがあったって、どんなに辛いことがあったって、絶対に人を恨まないで、真摯に生きるんだぜ? さあ、どうだ?」

 

 俺はヴィエッタの背中をぐいっと押してバスカーへと近づけつつ、奴の返答を待つ。

 バスカーはにやけた顔のままで、ヴィエッタを抱きしめようと前のめりに飛び掛かろうとしてきた。と、そこでいったんヴィエッタの腕を引く。

 それに追いすがろうとした奴に向かって、俺は『ある魔法を詠唱したままで』聞いた。

 

「『……の元に汝……この条件でヴィエッタを手に入れますか?』」

 

「当然だ! 当然その条件を飲むぞ! だから早くヴィエッタを……あ」

 

 奴がそう言った瞬間のことだった。

 突然に奴の身体を金色の光が包む。そう、昨日二ムがこの男に返事をした時と同じように。

 バスカーは光自分の身体を見つつ、愕然となって目を見開いていた。

 

「ま、まさか……まさかこの魔法は……」

 

「ああ? まさか知らねえ分けねえだろう? だって、この魔法はお前が先に使って俺に見せてくれたもんだし、それにさっきその魔法のせいで二ムが倒れちまったんだしな。まあ、二ムの場合はただの演技なんだけど。おい二ム。もういいぞ。さっさとおきやがれ」

 

 その途端に、二ムがむくりと起き上がってそしてすぐに俺の脇へとやってきた。

 

「もうご主人ってば、もっと優しく起こしてくださいよー。って、ん? ご主人、いつまでオーユゥーンさんのおっぱい触ってるんでやす?」

 

「っと、うわああああっ! お、おもいっきり忘れてたぁ」

 

 俺が仰け反って手を放すと、オーユゥーンが少し不機嫌そうに言った。

 

「もう、もっと触ってままで良かったのですのよ。いけずですわね」

 

「う、うるせいよ! やめろよ、そういうのは」

 

 うわあ、素で忘れてたぁ。魔法を使うからってそのままにしてたんだった。これはこれからも気を付けねば。ただのおっぱい好きの変質者とか思われそうだ。

 

「な、なぜだ? なぜ生きているんだ? あの『死の契約(ダクネス・デスコントラクト)』は間違いなく成功していたはずだ。そ、それになぜ、お前がこの魔法を使える? こ、これは闇魔法の中でも最上位クラスの難易度の高い魔法……私だって恩恵を得てなんとか使えているだけだというのに、なぜ貴様はこれを使えるんだ? ありえん」

 

 そう我を忘れて吠えまくるバスカーさん。

 まあ、本当に気持ちは分かるよ、うんうん。

 自分が優位に立っていたはずだったのに、お株をすべて取られたあげく、完全に見下された感じなっちゃったしね。

 でもな、全部お前が悪いんだよ。

 世の中、上には上がいるし、自分の手の内を晒せば、すぐにそれは対策されるもの。それに『人を呪わば穴二つ』って言葉もある通り、お前みたいに人を貶めようとしてばかりいれば、当然自分も墓穴にはまることになるもんなんだ。

 ま、当然の報いだと思って諦めと。

 では、トドメといこうかな。

 俺は冷や汗を垂らしているバスカーへと近づいて言った。

 

「この死の契約は保険みたいなもんだよ。あんただって俺らと契約するときにつかったし、お互い様だろ? さて、まずなんで二ムが死んでいないかだが、まあ、こいつにはもともと心臓がないからな。死ななくてあたりまえだ。次に……」

 

「ちょっとご主人、そこ流しちゃっていいんですかい? もうちょい具体的に教えてあげたほうが」

 

「いいんだよ、どうせ言ったってわかりゃあしねえんだから。お前には心臓の代わりに、陽電子リアクターがあるって言ったって、わからねえだろうが。なあ、分からねえだろう?」

 

 そうバスカーへと聞いてみたが、返事もない。思考がまったく追いついていないって感じだな。

 俺はとにかく続けた。

 

「で、つぎだ。さっきの死の契約の通り、これからは奴隷を大事にしろよな? ちゃんと3食あげて風呂にも入れてやって綺麗にして服も着せてやれよ? それと、過酷な労働もさせるなよ? 派遣先ともきちんと連絡をとって、ダメそうなら買い戻せよ? いいな? わかったな?」

 

 今度もバスカーは反応がない。というか、みるみる顔が青ざめていく一方だ。

 そして今度こそトドメ。

 

「じゃあ、約束通りヴィエッタをお前に渡すよ。ほらよ」

 

 そう言ってヴィエッタの背中をちょんと押す。ヴィエッタは流石に不安そうな顔になったが、ゆっくりとバスカーの元へと歩いて行った。

 

「おお……おおお……そ、そうだ。わ、私にはヴィエッタが、まだヴィエッタがいるんだ。ああ、ヴィエッタ、愛しいヴィエッタ。さあ、私を慰めておくれ……」

 

 そう言いながらヴィエッタを抱きしめようとしたバスカー。そんな奴に良く聞こえるように俺は言った。

 

「よし、これであんたにヴィエッタは渡ったな? ということで今度はこっちの番だ。『誰でも好きな奴隷を貰える』んだったな。なら、俺は『ヴィエッタを貰う』とするよ。さあ、こいよ、ヴィエッタ」

 

「なっ! な、なんだとおっ!」

 

 

 震えながら叫ぶバスカーを振り返りつつ、ヴィエッタが俺の元へと駆け戻ってくる。

 俺はすぐさま魔法を唱え、自分の血をヴィエッタのハート型の奴隷紋へと注いだ。そしてすぐに所有者を俺に変更した。

 そしてその頭をくしゃっと撫でてやると、ヴィエッタは本当に嬉しそうに微笑んだ。

 くっ!可愛……!

 

「おっと、それと確か、ヴィエッタを買ってこれれば、そこの鼠人(らっちまん)のバネットは5000Gで買い戻しさせてくれるんだったよな。ほれ、5000g」

 

 と言いつつ、取り出した例の5000gの入った袋を奴へと放り投げた。そしてバネットを見れば、グイっとサムズアップしてやがった。まあ、お前は泥棒したんだから、もうちょい反省しやがれ。

 

 さあて、だがこの茶番もこれで漸く終わりだ。

 俺がやりたかった『仕返し』は完全に成功したな。

 

 とにかくこのバスカーの野郎には昨日散々やられてむかついたからな。

 まず、バネットを買い戻そうとしただけでかなり吹っかけらてムカついて、妙なゲームを持ち出された上に、その過程で二ムに変な魔法を掛けられてムカついて、さらにヴィエッタを買ってこいとかいう無茶な要求にムカついて、挙句掴まえていたバネットに拷問までしていやがったし。

 この野郎は間違いなく人間の屑だが、だからってぶっ殺そうとは思わなかった。

 こういう、なんでも自分の思い通りになると思っている奴ってのは、何をしたって反省なんかしねえもんだ。

 なら、どうするか?

 簡単だ。全部思い通りにいかないようにしちまえばいい。

 特にこの世界には呪いや魔法もあるからな。それで制約を掛けちまうだけでも効果はあるんだ。

 ということで、俺はこいつの全てを奪い去ると最初から決めていたんだ。そのためにわざわざヴィエッタもこうやって連れてきたんだしよ。

 まあ、もうこれでこいつも何もできはしないだろう?

 そう思った時だった。

 

「ふ、ふざけるなっ! ふざけてんじゃねえっ! ば、ばかにしやがって、わ、私をいったい誰だと思っているっ! 奴隷商のバスカーと言えば、この界隈で知らないものはいないんだ‼ お、お前らていど、お前ら程度の連中の命なんか、どうとでも――くっ……くうう……く、苦しい……、む、胸が……」

 

 突然悶えてうずくまったバスカー。

 俺は奴に教えてやった。

 

「おっと、さっきの契約の内容を忘れない方がいいぜ? 人を恨んじゃだめよ? どんなに辛くても苦しくても、真面目に人を恨まないで生活しないとな。そうしないと、さっさと死の契約で心臓とまっちゃうぜ? あんた二ムと違って心臓のある人間なんだからよ。長生きしたけりゃ、真面目に生きろって。あ、奴隷たちにも優しくしてやるんだぜ」

 

 そう言ってから、振り返ってヴィエッタと二ムの背中を押して歩き出す。

 

「待って……たのむ……たす、たすけて……」

 

 さっきとはうって変わったか細い声が聞こえたが、もう振り返る気はない。

 こいつへの仕返しはもう終わりだ。あとは心を入れ替えて立派に商売に励むことを期待するとしよう。

 大丈夫、きっと。人間はどんなにくじけても絶対に立ち直れる生き物だから。

 

 などと、脳内で呟きつつ、俺達はその場を後にした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十六話 彼女の理由

「あーっはっはっははははははは‼ 見たかい? あのバスカーの顔! あの豚のあんな顔が拝める日がくるなんて夢にも思わなかったよ」

 

 自分の部屋に入って椅子に腰を掛けた途端にそう笑い出したマリアンヌ。いやはや、その椅子みしみし言ってて本当に可愛そうだぞ? お前も大概豚なんだから、もう少し痩せろよやっぱり。

 そんなことを思っている俺は、奴の店、『メイヴの微睡』へと戻ってきていた。

 そしてその最上階にある少し広めの、所謂『社長室?』みたいなマリアンヌの部屋へと連れて来られていた。

 俺は今回、ヴィエッタをこいつから『買った』ということにしたわけだが、その関係上売買契約のようなものをする必要があるとのことで連れて来られた。かつ、ヴィエッタも少ないながらも私物があって、それを纏める作業を今は二ム達と一緒にやっているはずだ。

 この店もあのヘカトンケイル達の突撃の被害に多少遭っていたようで、屋根の一部が破損してはいたが、バスカーの店程の大被害ではないので、それこそすぐにでも営業できるのだろうな。

 それにしてもだ……この部屋はかなり殺風景だ。

 入口付近の衝立までは結構豪華そうなんだが、こいつの机やら棚やらはどう見ても高級品じゃあない。むしろ何処かのゴミ捨て場から拾ってきましたって感じの家具を、接いだり削ったり、補修しながら使っている様にしか見えない。つまり、こいつは予想通りそういう類の人間ということだ。

 さらさらと少し丸まった羊皮紙にペンを走らせるマリアンヌ。それが書き終わると俺へとそれを差し出してきた。

 

「ヴィエッタの奴隷娼婦としての証文だ。これをお前にやるよ。さあこれで晴れてヴィエッタはお前のものだ」

 

 その紙を受け取ってよくよく眺めてみると、きちんとした書式で俺へとヴィエッタを譲渡すると書かれている。

 確かに間違いなく契約書だ。

 

「別に俺は奴隷を買うつもりはなかったんだけどなぁ」

 

 そう言いながら眺めている俺へとマリアンヌが言う。

 

「人の大事な商売道具を(たら)し込んでおいて良く言うよ」

 

「た、誑し込むかよ! そんなことしてねえ!」

 

 ふふ……と微笑んだマリアンヌが続けた。

 

「まあ、あの忌々しいバスカーをとっちめてくれたんだ、こっちの溜飲も大分下がったさ。それにしてもお前、バスカーを手玉にとって女達を取り返したばかりか、奴から2億ゴールドも巻き上げて、挙句死の契約まで結んで奴の行動を封じるなんて、とんだ鬼畜だねぇ。いっそう詐欺師でも始めた方がいいんじゃないか?」

 

「うっ!」

 

 そう言われて、俺は真面目に気分が悪くなった。

 いや、ただ俺は奴に仕返しをしたかっただけなんだが? 人から見るとそう見えちゃうのか……っていうか、全てその通りなんで、なにも反論できないのがめっちゃ辛い!

 

「まあ、気にしないことさ。あの人でなしのせいで、大勢の女が無残な最期を迎えてきたんだ。これはまさに天の報いだろうよ」

 

 そう何でもないことのように言い切った。

 ちなみにあのバスカーから預かった2億ゴールドの手形だが、すでにマリアンヌのものになっている。

 この大災害の最中ではあるが、商人ギルドの連中でもマリアンヌに頭が上がらないようですぐさま現金化してくれることになったが、その金をマリアンヌは即座にギルドへと再度預けた。こういうところ、流石だと俺も思う。

 俺は契約書を適当に放って返すと、マリアンヌは不思議そうに俺を見てきた。

 

「これは所有者が持つ書類なんだけどね」

 

 そう言われてすぐさま言った。

 

「いらねえよそんなもの。そんなの持ってたらそれこそヴィエッタを買おうとするやつが出てくるかもしれねえし、失くしでもしたらそれこそ大変だ。俺には必要ねえよ」

 

「そうかい、なら……」

 

 そう言ってマリアンヌは煙草用の香炉の様なものに、その羊皮紙をくべて火を点けた。

 香炉の上でメラメラと燃え上がるそれを奴は黙って見つめていた。

 

「なあ、一つ聞きてえんだがよ。あんたはなんでそんなに冷たい素振りをするんだよ。もっと娼婦たちに優しくしてやりゃあいいじゃねえか」

 

 俺の言葉にマリアンヌは炎に照らされた穏やかな顔で語った。

 

「娼婦なんて所詮はただの道具さ。身も心も全て引き裂かれて、もうどこにも逃げ場なんてなくなっちまって……泣いても喚いてもどんなに苦しくたって男の相手をしなくちゃあならない。そんなことをするしかない、多額の借金にまみれちまった道具達に、人間として接してやることがどんなに残酷か、頭のいいあんたにならわかるんじゃないのか?」

 

 別に俺は頭良いわけじゃないんだがな……俺も俺なりに考えてみた。

 『娼婦に身を落とす』って言葉があるくらい、そこは女達の最後の行き場。どうしようもなくなって女性は娼婦になるということだろう。まあ、中には趣味でやってるくそビッチもいるのだろうが、そんなのは止めたいときに止めちまえるだろうしな、マリアンヌがいうところの奴隷娼婦とはまた別物だ。

 

「道具……ね。まあ、確かにその通りなんだろうな。それととにかく金なんだな、得心したぜ。だがよ、金というならヴィエッタは十分に稼いだはずじゃないか? あいつは人気があって稼ぎまくっていたようだしよ、たしかに人気だし儲けになるからって理由で手放したくなかったのかもしれねえが、優しいあんたらしくねえな。年季が明ければどうせみんな解放してたみてえだしよ」

 

 そういうと、彼女は俺をじろりと睨みやがった。

 まあ、こいつが優しいってことは、もう裏も取れてるんだ。

 あの東の洞穴から救い出した女たちの中に、この店で働いた経歴をもったやつが何人もいた。奴隷として売られこのメイヴの微睡で働いた後、借金の完済に合わせて近隣の村の未婚の男たちにお見合いを持ちかけたりしていたらしい。

 女性たちの経歴が経歴だけに、色々苦労もあるようだが、それでも子供を作って幸せに暮らしていた人も多かったのだと。

 そこから攫われてあんな目に遭わされたのかと思うと、本気で胸糞悪いのだが、それはそれ、これはこれだ。

 いくら人気があると言っても、それだけでヴィエッタを縛り付けるような奴には見えない。

 まだ若いから? 年季が足りていない? いや、結局解放して私生活を送らせるつもりなら、若ければ若いほど良いに決まっている。人生をやり直させようとするなら当然早いほうがいいはずだ。

 であれば、他に何か理由が必ずあるはずだ。

 ヴィエッタと同行する以上、俺はそれだけは聞いておきたかった。

 

 しばらくの時間が流れた。

 マリアンヌは先ほどまでの陽気に浮かれた顔から、沈鬱な顔へと変わっている。

 俺はただ、奴が語りだすのを待った。

 

 そして、ようやく……彼女は俺に背を向け、窓の外を見ながら口を開いた。

 

「あたしには……娘が一人いたんだよ……あたしに似て美人の器量よしでね、ゆくゆくは大商人にでも嫁がせたいと考えていたんだ」

 

「へ、へえ」

 

 『あたしに似て』のところで思わずツッコみそうになるのをあえて抑えて、俺は相槌を打つ。

 そして黙って待っていた俺に奴はゆっくりと語り始めた。

 それはある女性の悲しい物語…… 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十七話 娘(マリアンヌの回想)

 マリアンヌは娼婦だった。

 いつ頃からだったのか……それはもう若い頃から、口減らしに親に売り飛ばされ、この世界に放り込まれてからずっと男に抱かれ続けてきた。

 そんな彼女は人気があった。

 美しく愛嬌もあり華やかだった彼女は、自分でもそのことをよく理解して、そして次々に上客の男たちを誑し込んだ。

 彼女の妖しさ艶やかさは、一目で男を虜にし、そして彼女の淫技の数々によって男たちは軒並み骨抜きにされてしまう。

 彼女に一目会いたいがために他国からも多くの貴族や王族が足を運んだほどで、時には諍いや争いが起こり、多額の金や宝物が集まった。多くの後ろ盾を得た彼女の発言権はいよいよ強い物となり、政治を動かす程までになっていた。それはもう娼婦の枠を超えていたのだ。

 

 世の中で出来ないことは何一つない。

 

 そんなことを思ってしまったのがマリアンヌの最大の失態であったのかもしれない。

 自分の後ろ盾を利用して様々な事業に乗り出した彼女のことを、快く思わない者はたくさんいたのだ。

 

 ある時彼女は拉致された。

 監禁され酷い暴力の繰り返しによって全身ぼろぼろになって、でも彼女は挫けず、ずっと助かるための方法を考え続けた。

 何か月か経ったある日、命からがら逃げだすことに成功した彼女はそこで厳しい現実を目の当たりにする。 

 

 彼女が始めた事業はその殆どが頓挫していた。

 彼女を愛し通っていた多くの男たちも、傷つき醜くなった彼女の元から去っていった。

 そして残されたのは多額の借金のみ。

 彼女はそこで真実を知る。

 

 彼女は自分の力だけで栄華栄達を為していたわけではなかったのだ。

 美しい彼女を利用していたのは、彼女の客でもあった多くの商人の男たち。商人たちは彼女を広く宣伝し多くの資産家の男を呼び集め、その上前をはね続けた。

 だが、次第と一人歩きを始めたマリアンヌを今度は疎ましく思い、もうここまでだと見切りをつけた商人たちは彼女を排除するために彼女を捕らえ慰み者にしたのだ。

 まさかマリアンヌが逃げ出すとは思っていなかった彼らではあったが、かつての美しさを欠いた彼女には何もできはしないと高を括っていたことが、彼女に味方した。

 彼女の行動は早かった。商人たちの企ての事実を知った直後に、今も残る自分に心酔している僅かな数の男たちに救いを求め、彼らに商人たちを皆殺しにさせたのだ。そしてその対価として、今度はその実行犯たちに、自分の傷ついた身体を全て捧げた。彼らと運命を共にするために……自分を決して裏切らない味方を作りだすために、何度も何度も繰り返し……

 

 マリアンヌは思い知る。

 

 『この世界は食うか食われるか』だと。一瞬でも気を抜けば食い殺されて御仕舞なのだと。男は皆、ただの獣なのだと。

 

 そして再び娼婦の世界に舞い戻った彼女ではあったが、しかし、身体に残る無数の傷などの所為か、かつての人気を得ることは叶わなかった。

 その代り、彼女は商売人としての卓抜としたマネジメント能力を開花させる。

 自分と共にいた娼婦たちを、効率よく無理なく働かせることで、より多くの利益を得ることが出来るようになった。娼婦たちもまた多くの給与を得ることが出来るようになり、娼館に笑顔が溢れるようになった。

 それは傷ついたマリアンヌに温かさや優しさをもたらした。

 

 そんな時だった。

 彼女は赤子を孕んだのだ。

 父親が誰なのか、そんなことは分かりはしない。毎日たくさんの男を相手する彼女たちにとって、誰の子種かなどどうでも良い事……普通であればすぐに『堕胎の毒薬』を使用して流すことになるのだから。

 だが、この時マリアンヌはこの子を産むことに決めた。

 嘘や偽りや欺瞞、快楽と暴力ばかりのこの世界だが、彼女はそこに『優しさ』があることも知っていた。

 哀れみ、同情し、手を差し伸べてくれる者が、いつだって近くにいてくれていたからこそ、彼女は今生きていらるのだから。

 そんな優しさを一番に望んでいたのは彼女自身であった。

 産まれてくる子供を幸せにしてみせる。そう彼女は決心した。

 

 女の子が生まれた。

 

 珠の様に可愛らしい子だった。

 マリアンヌは慣れないながらも必死になって子育てを続けた。

 もともと娼婦の仕事からは少し遠ざかっていたこともあって、仕事の多くは他の娼婦に任せ自分は子供の世話に没入した。時には娼館へと娘を連れていくことあって、そこに行けば他の娼婦たちも笑顔になった。

 ころころと笑う愛娘の笑顔に癒され、泣いて、ぐずって、怒る娘に翻弄される日々。

 だが、親の苦労や苦悩は関係なしに娘はすくすくと元気に美しく成長した。

 そして、マリアンヌは決意する。

 

 この娘は決して娼婦にはしない、と。この娘には普通の女としての幸せを与えてやりたい、と。

 

 娼婦の世界は生き馬の目を抜く地獄の世界。大事な娘に男を相手にその身と心を削らせたいなどとは決して思わなかった。

 マリアンヌは愛しい娘に幸せをもたらせるべく、経験を積んだ様々な家庭教師をつけた。

 花街での生活しかしてこなかった彼女では、娘にきちんとした教育を施すことができないとの考えからであった。

 料理人、裁縫職人、音楽家、算術家、剣士、魔法使い……

 様々な世界の知識を得ることで、自分では与えることが出来ない『普通の生活』を娘へと与えたかった。

 そんな日々が続き、娘が13歳の成人を迎えるころ……娘はマリアンヌへと言ったのだ。

 

 『私は世界を旅したい、世界にあるものをこの目で見たい』

 

 それを聞き彼女は激しい衝撃を受ける。

 自分にとって最高の宝物である愛しい娘を、自分の手の届かないところへと送りだすことが本当に苦しく、切なく、そしてなによりも寂しかったのだ。

 しかし……

 年増となったとはいえ、自分はまだまだ現役の娼婦。男を食い物にして生活する卑しい自分には、娘が欲した清らかで眩しい昼間の世界を見せてやることは出来ない。

 マリアンヌは悩みに悩んだ末、娘の願いを叶えることとした。

 今まで家庭教師の手ほどきを受けてきた娘のレベルは10を超えていた。

 レベル10と言えば、冒険者としても言わば中堅の入り口。丁度商隊の護衛を任されるようになるレベルだということを彼女は知っていた。旅に出ると言うのならば申し分ないレベルであるとも言えた。

 しかし、レベルが足りているとはいえ、娘はまだ年端も経験も足りていない。彼女はそれだけでは心配だった。

 そこで、客の伝手を頼り、娘の護衛も兼ねて5人の高レベル冒険者を見繕い、パーティーを結成させたのだった。

 

 こうして最愛の娘は旅に出た。

 

 最初こそ寂しさから眠れぬ夜も続いたマリアンヌだったが、娘から送られてくる手紙が増えるごとに彼女は次第と元気になる。

 その手紙には、娘の成長とそして娘が体感している素晴らしい経験の数々が記されていたから。

 大都会の華やかや、平原での満点の星空、極寒の大地に生きる小動物たちとの戯れや、鉱山でのゴーレムたちとの戦い。

 娘の旅の一幕一幕にハラハラしながらも、でもその文章のそこかしこに娘が生き生きとしている様を読み取って、彼女は本当に満足したのだ。

 そしていつも最後に、『お母さん、愛しています』。

 そう綴られていた。

 マリアンヌは娘を旅に出してやれて本当に良かったと思っていた。

 たとえなかなか会うことが出来ないとしても、この娘が幸せならばそれでいい。自分は自分で、この厳しい娼婦の世界で為すべきことを為すだけなのだと、そう思っていた。

 だから、娘が同じ冒険者パーティの剣士と、遠い異国で結婚し、そこで子供を作り暮らすようになったことも素直に喜んだ。

 娘からの手紙も定期的に届いていたし、その文章を読むだけでも娘が本当に幸せなのだということが分かったから。

 

 しかし……

 

 そんな幸せは永遠には続かなかったのだ。

 

 ある時を境に、娘からの手紙が届かなくなった。

 今までどんなにキツイ冒険の時であっても必ず手紙は書いていたというのに、パタリと連絡が途絶え彼女は困惑した。

 マリアンヌは何度も娘へと手紙を送る。

 しかし、何度送ろうとも、決して返事はこなかった。

 初めは娼婦である自分の母親を恥じて連絡を取るのをやめてしまったのかとも思った。

 身内に売女(ばいた)がいるなど、やはり人に言えようことではないのだから。

 ただ、そうは言っても不安を拭うことはできず、娘から手紙が届かなくなってちょうど一年のところで、彼女は娘の元へ赴くことを決意する。

 娼館の仕事はすでに安定していたし、多くの支援者も得ることが出来ていたから、彼女は高名な冒険者を雇い旅に出た。

 結果は……最悪であった。

 娘家族が暮らしているであろうその家は、野盗にでも荒らされたのか酷く破壊されていたのだ。

 マリアンヌはそれを見てすぐに私財を(なげう)って大規模な捜索隊を結成。

 この国のみならず、隣国へも働きかけて攫われた娘家族を探した。

 

 そして……

 

 捜索開始から2年……彼女は最愛の娘と漸く再会することができた。

 

「ああ……うあぁぁぁ……」

 

 雇った冒険者たちが無遠慮に殺戮したその血だまりの空間の奥、膝を折りその手を震わせながら伸ばし、涙が止まらなくなった彼女の眼前に、愛娘は横たわっていた。

 冷たい石の壁に背を預け、裸のままで全身をズタズタに剣で刺されて死んで、そして干からびてしまった娘の姿がそこにあった。

 マリアンヌは苦悶のままの表情の娘をそっと抱きしめる。 

 その死の間際まで味わっていたであろう苦痛と恐怖と悔しさを想い、抱きしめながら肉が千切れ流血してしまうほどに唇を噛んだ。

 

 そのとき彼女はふと考えた。

 

 この子は本当に幸せだったのだろうか?

 あたしが守ってやらなければいけなかったのではないか?

 放っておいたお前が悪いんだ!

 

 問答は答えも出ないまま自分を責める呪いへと変わっていく。それを感じながらもう二度と会うことができない最愛の娘に謝り続けた。

 

 その時だった。

 

 ふと振り返ったそこには、自分と……干からび横たわっている娘の姿を見つめる視線があった。

 冷たい眼差しには感情や生気が一切なく、まるで死人のような瞳……それはまだあどけない少女であった。

 だがマリアンヌにはその少女の正体がすぐに分かった。

 亜麻色の髪と瞳の色はまさに自分の娘そのもの、そしてその顔つきは若かりし頃の娘そのものであったのだから……まさしくこの少女は娘の子、つまり自分の孫であると、マリアンヌは瞬時に悟ったのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十八話 優しい別れ

 俺は黙ってマリアンヌの話を聞いた。若い頃むちゃくちゃ美人だったとか、男が群がって大変だったとか、それちょっと盛りすぎじゃねえか? とツッコミたくなるのを毎回必死に堪えつつ、なんとか全部聞いた。

 聞いて、そして思ったこと、それは。

 

「まったくクソだな」

 

「ああ、その通りさ」

 

 俺は素直に憤慨した。

 ヴィエッタにはかなり辛い過去があるだろうことは俺も予測はしていた。

 だが、これはあんまりだ。

 マリアンヌの娘がヴィエッタの母親だというのなら、この話の通りであるなら、ヴィエッタ家族はただ普通に幸せに暮らしていただけのはずだ。

 だが、それを、その野盗だか盗賊だか山賊だかにぶち壊された。

 そして3年か……

 3年間、ヴィエッタは連中に捕まりながらも生き続けていた。その3年間に起きたこと……つまりそういうことなんだろうよ。くそったれが!

 マリアンヌはそんな俺の思考を見透かしてでもいるかのように告げた。

 

「人ってのはね、自分の命と心を守ろうとするものさ。殺されそうになれば命乞いをするし、犯されれば媚びててでも助かろうとする。でもね、あの子はもうそのどれも出来なくなっていたんだ。あの時のあの子はまるで『人形』……『男を慰めるだけの人形』だった……あの子は壊れちまってたのさ」

 

 そう寂しそうに話すマリアンヌに俺は言った。

 

「でも、じゃあなんであんたはヴィエッタを娼婦にしたんだよ? てめえの孫だろうが! 娘が死んじまったことを反省して、孫は失敗しないように娼婦にしたとか、そういうことか? 胸糞悪い」

 

 そんな俺をマリアンヌはギロリと睨んだ。

 うっ! めっちゃ怖い。

 

「何も知らない童貞のくせに適当なことを言ってんじゃないよ」

 

「ど、童貞は関係ないだろ! ほっとけ!」

 

 マリアンヌは自分の椅子へと戻り腰をかけて煙草を取り出した。そしてそれに火を点けるとゆっくりと味わうようにそれを吸った。白煙が辺りに漂う中、彼女はそっと煙と共に息を吐いた。

 

「心と体の傷ってやつはね、自分で克服していくしかないんだよ。大抵の娼婦はかかるもんなんだけどね、何人もの男に身体を(もてあそ)ばれると、自分のことがまるでゴミか汚物のように思えて来てね----そのうちに、死にたいとか思ったり、気が触れたようになったりね、そして心を閉ざして何の反応もみせなくなってしまったりすることがあるんだよ」

 

「つまりあんたは、ヴィエッタがその心を閉ざした状態になっちまったとか、そういうことを言いたいわけか。確かにストレス原因を再現して克服する方法がないわけじゃあないが、それにしたって、無理矢理娼婦にして克服させようとか、ちょっと乱暴すぎるだろうが!」

 

 『PTSD(心的外傷ストレス症害)』の場合の治療方法の一つに『持続エクスポージャー療法』というのがあるわけだが、原因となったストレス体験に敢えて触れさせることで、本人にその恐怖に打ち勝つ術を体感させるやり方だ。

 確かにこれによって回復した事例は数多あって、戦争で自分が犯してしまった殺人についての一応の納得を自分の内で見出したり、宇宙空間で遭難した際の孤独と死への恐怖に抗ったりさせるなど、その都度様々な角度からのアプローチがあるのだが、基本、本人にかかる負荷を軽減させながら行う必要があって、今回の様にレイプ被害者を奴隷娼婦にして治療するなんて方法は聞いたこともない。

 まあ、俺たちの世界の常識とこの世界の常識は違うわけだし、マリアンヌの話のようにあくまで自分で克服しなければならないというなら、これもありなのかもしれない。もっとも、自分で打ち勝てなかった時は自殺も十分あり得そうだが。

 マリアンヌはそんな俺の思考そっちのけで言い切る。

 

「ヴィエッタを救うにはもうこれしかなかったんだよ。あの子の心は完全に死んでしまっていたからね」

 

「本当にそうか? あんたはおばあちゃんなんだから、そう名乗って抱きしめてやったりしても良かったんじゃねえか?」

 

 俺がふとそう思って言ってみれば、マリアンヌは明らかに俺を小ばかにして感じで見返してきやがった。

 

「はんっ! 何も知らないくせに知ったかぶるんじゃないよ。あたしはこれでも娼婦だよ? それも今じゃあこの奴隷娼館の主だ。可愛そうな孫娘を抱きしめて、『怖かったね、もう大丈夫だよ』、と言いながら、ここで下種な男たちの相手をするんだ。それがどういう風にあの娘の目に映るか分からないのかい?」

 

「うっ」

 

 そう言われて、確かにそうだと完全に俺は納得してしまった。

 この目の前のマリアンヌは聖人君子でも女権運動家でもなんでもない。性を売買することを生業とした娼婦であり性風俗事業者だ。

 とてもじゃないが、レイプ被害者更生に適した人材とは言えない。

 

「それにだ。あの娘は無意識にではあっただろうが、男を悦ばせる術をもう会得しちまっていたんだよ。そのおかげで生き残れたということだろうね。流石はあたしの孫だよ」

 

 本人はいたって当然の様に語っているのだが、当然その個所に関してはノーコメントだ。

 いくらなんでもお前みたいな豚になるとか、ヴィエッタが可哀相すぎるだろう。隔世遺伝が起こらないことを祈っておこう。

 

「ただな、俺はそれだけじゃあないと思ってる。ヴィエッタには不思議な能力があって、一晩イタせばレベルがあがるとかなんとか。その能力のこともあって生かされたんじゃないか? マリアンヌ、あんた『精霊の巫女』って奴のことを知っているか? ヴィエッタはそれにあたるんじゃないかと聞いたんだがな」

 

 その俺の言葉にマリアンヌは目を細めた。

 そして即答した。

 

「精霊の巫女は、『勇者』に『祝福』を与える存在だと聞いたことがあるね。その祝福ってのがなんのことかは知らないが、ヴィエッタがそれだというのなら、なるほど、確かに盗賊の連中も手放したくはなかったのかもしれないねえ」

 

「はあ? あんたはヴィエッタのこの能力のことを知らなかったのか? 客連中の間でが結構評判になってたみたいなんだがな?」

 

「ああ、そのことかい」

 

 マリアンヌはふんと、鼻を鳴らしてから言った。

 

「『ヴィエッタを一晩買えばレベルが上がるかもしれない』。そう吹聴したのはこの『あたし』さ」

 

「はあ? てめえが言いふらしたって? はっ!? ったく、くそっ! そうか、そういうことかよ」

 

 俺は目の前の喰えない女主人を見ながら、全ての疑問のピースが当てはまった感覚を味わっていた。

 

「てめえ、ヴィエッタを守るために、ヴィエッタが男どもに気に入られる、もしくは特別視されるような環境をわざとつくりやがったな。それこそヴィエッタは特別だからみんなで守らなきゃいけないってマインドに誘導しやがったな。

 くそっ! これはいっぱい喰わされたぜ。

 ヴィエッタを買ってる連中のなかにはレベルアップ間近な奴もいて当たり前だし、たまたまヴィエッタと寝た翌日にでもレベルが上がろうものならこの話の信ぴょう性を引き上げる要素にもなる。

 それにファンの連中にとってもヴィエッタが特別だという意識づけがしっかりできていれば、フライングをかまそうと言う奴も出てきにくいし、一定の距離間で付き合い続け、更に有事には守ってもらえると、そういうわけか。

 孤狼団を操ってたのもお前だな? まったく、てめえはどんだけ食わせもんなんだよ」

 

 心底感心して思わずそう叫んでしまった俺に、マリアンヌは満足げに笑みを浮かべ、そして言った。

 

「まあ、そこまで見透かしてくる奴はそうはいないんだけどね。あんたの言う通りさ。あたしはここでヴィエッタを守るためだけにあらゆる手を尽くしてきたんだ。娼婦として働かせて何が悪い? 人目の届かないところで慰み者になる恐怖に比べれば、金を払って遊びに来てるだけの男を相手にするなんて、おままごとと大差はないほどに安心だ」

 

「てめえ……」

 

 俺は今心底この目の前でにやけている女に『負けた』と思った。

 こいつの愛情は本物だ。

 本当にヴィエッタを愛しているからこそ、こいつはヴィエッタに冷たく当たり続けていたんだ。

 そしてヴィエッタはそれを知らないままで、今や最上級の娼婦とまで言われる存在となった。まあ、あのぽわわんとした中身からしたら本当かどうか疑わしくもあるが、周囲の反応として見てみれば紛れもない事実である。

 それとあいつは確かにトラウマを克服しつつあるように俺には思えていた。

 あいつは俺に言った。

 

 『お父さんやお母さんのような冒険者になりたい』と。

 

 その言葉が意味すること。それはこいつが地獄に落ちた自分と向き合ってそれを乗り越えようとしているということに他ならない。

 自分の過去もしっかり思い出しつつ、かつ、自分の未来に思いを馳せることが出来る。

 ここまでヴィエッタを導いたのは、他の誰でもない、この目の前のマリアンヌなんだろう。

 まったく……

 どんだけ大事なんだよ、ヴィエッタのこと。

 

「さて……」

 

 マリアンヌが再び立ち上がった。そして口を開く。

 

「精霊の巫女……だったね。すまないがヴィエッタがそれとどう関係しているのかはあたしも知らないよ。ただ、あの子には何かしらの能力が確かにある。そう、レベルが上がるというのもあながち完全なデマというわけでもないようだしね」

 

 それは実際にレベルが上がったという事実をマリアンヌが知っているということだろう。だが、なぜそうなったのかまでは分からないと。まあ、そんなところだろう。

 

「それはおいおい調べるさ。なあ、あんたは自分のことをヴィエッタには話さないのかよ?」

 

「ああ、話す気はないね」

 

 即答だった。

 なんの迷いもない顔で俺のことを見据えてマリアンヌは言い切る。

 

「あたしが自分の正体を明かすことに何の意味がある? お前に明かしたのは単にお前が察し良すぎるからってだけだよ。あの子にとっちゃあたしはただのムカつくくそババア、無理矢理に働かされて金を巻き上げるろくでなし、それでいいのさ。後はヴィエッタが好きな様に生きればいい……そう、娘がそうしたようにね……」

 

 そう言ったマリアンヌの顔は少しだけ寂しげに見えた気がした。

 まあよ、何を思おうと人それぞれだろうよ。けどよ、頑張った奴が報われないってのはなんか違うと思うんだよ。少なくともこいつらは。

 

「なんでだよ。たった一言伝えればいいだけじゃねえかよ。今生の別れになるかもしれないんだぞ? 分かってんのかよ?」

 

「しつこいね! 本当のことを言うことに何の意味があるっていうんだい。それこそ本当の肉親が自分を金儲けの道具にして、毎日毎晩男に抱かせていたなんてなったら、いったいどれだけあの子が傷つくと思ってんだい」

 

「それもこれも全部ヴィエッタを助けるためだったんじゃねえか! てめえが言ったことだろうが!」

 

「ああ、そうさ。その通りだよ! でもね、世の中全部杓子定規に本当のことだけを言って生きてなんか行けやしないさ。どんなことにだって表と裏があって、光と影があって、良い面と悪い面があるもんだ。あたしゃね、今までもこれからもずっと、陰の道を進むって決めてるんだよ。決めたからこそ、陰として日向を歩いて行けるヴィエッタを守りたいんじゃないかっ! 送り出したいんじゃないか! あの子を幸せにしてやりたいんじゃないかっ……」

 

 俺を睨むその怒りに満ちたその瞳から、マリアンヌは一条の涙を走らせた。

 それを見た俺は、本当にもう何も言うことが出来なくなった。

 だから……

 

 俺は目を逸らして歩き出すことにしたんだ。

 

「しつこく言って……悪かったな……、なら俺はそろそろ行く。この街にはもう用はねえからな。ヴィエッタも……連れて行くからな……」

 

「そうかい……」

 

 マリアンヌの何処か寂しそうな声を聴きながら俺は今回のことを振り返っていた。

 

 街一番、国一番の人気の娼婦とも言われていたヴィエッタの正体は、心に傷を負った少女でしかなかった。そんな彼女を、俺は俺の都合で攫ったわけだが、ヴィエッタは自分の夢を叶えたいとそう宣言したのだ。だからこれは俺の中では純然たる取引なんだ。

 俺の意趣返しに付き合わせたその対価は、ヴィエッタとともに冒険の旅に出るというもの。かつてあいつの母親にそうした様に、再びマリアンヌは命にも等しい大事なものを手放すことになってしまうわけだ。

 その辛さを思うと、俺も居た堪れなくなるばかりだ。

 だが、こいつの決心は覆りはすまい。

 願いはあっても、そうなりたいって夢があっても、それを自分で許すことができない……そんな生き様もあるということだろう。俺にだってそれくらいは分かる。

 本当に……

 締まらねえ話だよ。 

 

 そう思いつつドアの方を向いた時だった。

 唐突にその声が耳に届いた。

 

「ヴィエッタを……宜しくお願いします」

 

 綺麗な声だった。

 ドスの聴いたあのヤクザな奴隷娼館の女主人の声ではない、まるで品の良い夫人が発したようなその声に俺は、昔奴が美人で評判だったってのもあながち嘘と言うわけでもなさそうだなと、内心で思いながら返事をした。

 

「ああ、任されたよ」

 

 もう振り返りはしなかった。

 悲しい一人の女の優しさを確かに感じながら、そのまま俺は扉を開け廊下へと出た。

 

 と、その先にはまさに案の定の人物が立っていた。

 

「ヴィエッタ……おまえ、聞いていたのかよ」

 

 俺は部屋内の人物から見えないように隠しながら、そっと戸を閉める。

 すると、ヴィエッタは黙ったままで唐突に大粒の涙を溢れさせた。

 嗚咽を上げてもおかしくないほどに顔をくしゃくしゃにしたままで、彼女は涙だけをただ流し続けていた。そして、静かにマリアンヌの部屋の扉に手を当てた。

 

 この薄い木の扉を挟んで二人の年の離れた娼婦が向かい合う。

 陰に生きることを決めた女と、光の世界へと進むことを決めた女。

 ただこの一枚の扉が住む世界を完全に隔ててしまっていた。

 

 きっとこの扉を開け放ってしまえば、新しい関係が生まれることだろう。だが、それを望まない者がいて、それに縋れない者がいる。

 本当に不器用なんだと思うよ、俺は。

 

 俺はただ、ジッとヴィエッタを待ち続けた。

 彼女はそして、顔を上げた。

 その右手をそっと扉に触れさせたままで彼女は言った。

 

「今まで……お世話になりました。ありがとう……私の……」

 

 そうポソリと言った言葉を……

 俺は最後まで聞かずに歩き出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ 信念

 荒野の果てに向かって白い雲が真っ青な空を流れていた。俺はそんな雄大な景色を見上げ、ほうっとため息を吐いた。

 手にした闘剣(グラディウス)にはまだ血がべったりとついたままである。

 そしてその血は、俺の衣服のところどころにも跳ね、先ほどまでの戦いが熾烈を極めたものであることを物語っていた。

 だが……俺は勝ったのだ。

 俺達へと向かって襲いかかってきたこの巨大な甲虫の頭を切り落とし、確実にその息の根を止めた。

 

 きつい戦いだった。

 人の腰ほどもあるこの虫の体躯から繰り出される突進は盾をもってしても防ぎきれるものではなかったから。

 だから俺は逆に奴へと組みついたのだ。

 暴れるこいつの背中に飛びついて、そしてその節の間、頭部と胸部とを結んでいるその狭い急所に一気に剣を突き入れた。

 飛び散る体液! 荒れ狂う巨体! 

 だが、それでも俺は手にした剣を決して放さなかった。

 今ここでこいつを野放しにしてはならないんだと、絶対にここで仕留めなければならないのだと、俺の鋭敏な第六感が叫び続けていたのだ。

 

 そして俺は勝った。

 勝って、そして仲間たちを危険から遠ざけることに成功したのだ。

 俺は喜びにも似た充足感を胸に、仕留めた獲物の身体に背中を預けつつ、ただ流れ行く雲を見送っていたのだった……。

 

「シシンさん、でっかいカブトムシそっちにいきやしたよ? 10匹くらい。大丈夫です?」

 

「おうっ、ニムちゃん! これくらい平気の平左だよ! 余裕余裕! オラオラオラオラァ!」

 

「やーん、オーユゥーン姉、こいつら切ると臭いよ。魔法で倒しちゃってもいいよね?」

 

「かまわないですわ、シオン。でも、悠長には構えていてはだめですわよ。さっさと片付けないと夕飯が遅くなってしまいますわよ」

 

「それいやー。マコはもうお腹ぺっこぺこなの! そしたら早く全部倒さないとね? マコが倒すの、とりあえずあと20匹くらいでいいかなぁ?」

 

「マコ、遠慮しないでいいんだぜ? 私なんかもう100匹は潰してやったんだから」

 

「流石ですわ! バネットお姉様! ワタクシなどまだほんの60匹、本当に申し訳ありませんわ」

 

「おいヨザク! こっちに来るのだ!」

 

「へ? なんすか、ゴンゴウさん。まだこっちに100匹くらいいるんすけど」

 

「そんなのは放っておけどうにでもなる。さあ、ここからあっちを見るのだ!」

 

「え? うおっ!! おおおおおっ!? す、すげえっ! ゆ、揺れてる……たゆんたゆんしてるっす! 下乳丸見えっす! 絶景っす!」

 

「うむ! 至高であるな!」

 

「ちょっとヨザクっ! ゴンゴウっ! この忙しい時になにやってんのよ! ぜーんぶ聞こえてるんだからね!」

 

「オーユゥーンさんたちの胸とか見ながらとか……、本当に最低。死んじゃえば良いのに」

 

「「ぐふっ……」」

 

 …………

 

 うん、マジで死闘だったんだよ? 俺にとってはね。

 必死になったから、こうやって勝てたんだよ、なんとかね。

 

 『ヘビービートル』

 

 周りに蠢くのは超大量のカブトムシの大群だ。

 その名の通り、かなりデカくて、めちゃくちゃ重い。

 黒く輝く分厚い外殻は、俺の全力の剣の一撃も容易に弾き、陸上での移動速度は牛程度ののんびりしたものだが、一度羽ばたいて舞い上がれば、それはもう衝角(ラム)を備えた突撃艇だ。

 その大群の移動というか引っ越しに俺達はたまたま遭遇してしまったのだ、荒野のど真ん中で! 

 まったくどんだけツイテないんだって話だが、この事態を引き起こしたのは他の誰でもない、二ムだった!

 あのバカ、『大きいカブトムシが飛んでてかっこいいので、一匹捕まえてきやすね!』とか、そんなことを宣った直後に、空に向かってジャンプして、簡単に一匹を捕獲しやがった。

 それが予想以上にデカいカブトムシだったことが分かって、これはちょっとやばいんじゃね? と、思う間もなく、仲間を攫われた奴らが仕返しとばかりに一斉に襲い掛かってきたというわけだ。

 黒い大群が押し寄せるその様は、なんというかあのカサカサ動くあれそのもので、もう……もうっ……!! おぅえっ!!

 

 そうして急きょ数百のデカいカブトムシとのバトルが開始されることになったのだ。

 

 なったのだが……

 苦戦を強いられたのは俺一人。

 シシン達、緋竜の爪の連中をはじめとして、オーユゥーン、ヴィエッタ達も相当にレベルが高く、苦戦らしい苦戦をしないままに、バッタバッタとカブトムシ達を葬り続けている。

 二ムに至っては、どこから拾ってきたのか長い紐をカブトムシの首に括り付け、それにぶら下がりながら飛んで、近づいてくる連中を片っ端から殴り殺していた。

 こいつ、燃料補給できたからって調子にのりやがって。あのべリトルの落とした魔晶石だって、そんなにはたくさんねえんだからな。

 まあ燃費の良いレーザーキャノンの方を使いたいところだが、木製の陽電子レーザー砲じゃあ、5発も撃てば自壊しちまうからな。今度頑丈な常時携行可能な型を作らねえとな。

 

 とにかく、俺以外の連中はまったく困っていない。むしろ余裕しゃくしゃくで、さも当たり前だとでも言わんばかりの勢いで巨大カブトムシを狩りまくり始めやがった。

 まったく……これだからレベル制って奴はムカつくんだよ。 

 

 はあ……

 

 そんなため息を吐いている俺の元へ、一人の女が近寄ってきた。

 ヴィエッタだ。

 

 ヴィエッタも手に血まみれの大きな鉈を持っているのだが、その顔に恐怖や焦りなどの感情はない。普通にニコニコしているだけだ。

 

「なんだよ」

 

「えっと……」

 

 近づいてきたヴィエッタは座っている俺に向かって胸元を一気に押し広げて、二つの大きなマシュマロをぼろんとむき出しにしたのだった。

 

「おっぱいどうぞ!」

 

「うるせいよっ!!」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「いやあ、凄い数でしたね、まさかこんなことになるなんて夢にも思いませんでしたよ」

 

「てめえが勝手におっぱじめやがったんだろうが! 珍しいもん見て何でもすぐに飼おうとすんな、このバカ」

 

「まあ、いいじゃないっすか! めっちゃカッコいいっすよこのカブトムシ、すっごくおっきくて、硬くて、黒光りしててぇ!」

 

「いちいち卑猥な感じに説明するんじゃねえよ! そんなエロい生物じゃあねえだろうが」

 

「あ、でもですね、この角のさきっちょのほうとか、ちょっと削れば意外といい感じに収まり良くなるかも……」

 

「てめえは何の話をしてんだよ、くそがっ! というか、コラコラコラ、ヴィエッタもオーユゥーンも物欲しそうな顔してカブトムシの角を見てんじゃねえよ! ったく」

 

 漸く全てのカブトムシを始末して、俺達はその死骸を片づけていた。

 その数たるや数百を超えそうだが、ヘビービートルがこんなに大群で移動するなんてただ事ではないとの話は、物知りロリおばあちゃん、バネットの言だ。今までこんな話は聞いたこともないらしい。というか、この7歳児くらいのロリっ子はいったい実年齢何歳なんだよ?

 集めたヘビービートルの死骸の山は、現在オーユゥーンやゴンゴウ達がせっせと解体して貴重な部位を回収中。甲殻自体も相当頑丈なので、普通は一体まるまる街に持ち込んで鎧や盾などの素材として買取ってもらうようだが、流石にこの量を運ぶのは大変だ。

 遺骸の大部分は、次の街で商人たちに声をかけて取りに来させるとして、とにかく今は極希少な材料でもある頭の中に存在している『森林の黒真珠』を抉りだしている。

 この素材はまさに真珠に見た目がそっくりなのだが、光の加減で紫や青や赤や黄など、黒の中に様々な色の輝きがあって非常に美しく、一匹の巨大なヘビービートルにあって一つしか取れないということもあって非常に高額で取引されるのだと言う。ちなみに、魔晶石ほどではないが多少の魔力も放つので、低級魔法を封じ込めて魔導具に加工することが可能とのこと。というか、魔導具兼装飾品として加工するのが一般的のようだ。

 それが数百……うーん、値崩れしちゃうんじゃないか?

 

「それにしてもよ、紋次郎の旦那。旦那、本当にレベル1だったんだな。俺はてっきり胡麻化しているだけかと思ってたぜ」

 

 そう言うのはシシンだ。

 この野郎、俺がさんざんレベル1だと話していたにも関わらず、まったく信じやしなかった。

 ステータスカードを見せてやったにも関わらずだ。これの偽造ははっきり言って超難しいんだぞ? 当然俺は偽造なんかしやしないし、普通は出来ないんだから素直に信じれば良いものを、『別にそこまでして隠さなくてもいいじゃないか』と、逆に俺を責めてきやがったしな。どんだけ俺は信用ねえんだよ。

 ただ、あれだけ疑っていたくせに、俺の本気も本気の真剣バトルを見せたら一発で信じちゃうとか、俺マジで泣きそうなんだが。

 

「まあ、ご主人は基本へなちょこですけど、やるときはやる男って奴なんすよ。どれくらいやれるかというとっすね、1日10数発は余裕でしゃ……」

 

「おいおいおいっ! てめえマジで少し黙ろうか!!」

 

 本当にこの馬鹿を放置しておくとどんな精神ダメージが発生するか分かったもんじゃない。うう、マジで頭が痛い。くそったれ。

 

「みなさーん、そろそろ夕飯にしますよー」

「今日はマコとシャロンちゃんで作ったよー! さいっこーに美味しい、鍋!」

 

「鍋だと? マコ、てめえまさか、このカブトムシの肉入れたんじゃなかろうな?」

 

「へ? くそお兄ちゃん何言ってんの? 入れるに決まってるじゃん! こんなにあるんだから! ほら冷めないうちに食べて―」

 

「入れちゃったのかよ。っていうか、お前ら普通に食おうとすんなよ、カブトムシだぞ?」

 

「分かってねえなー紋次郎の旦那は。結構旨いんだぜ、ヘビービートルは。野性味たっぷりで、ちょっと生臭いのが難点だが、ヘドロスライムよりは段違いにうまいぜ!」

 

「野性味溢れて生臭い時点でアウトだろうが! というか、そのモンスター知らねえけど、名前からして最早食っちゃいけないレベルだろう、そんなの喰うなよ!」

 

「そうはいかんのだ、紋次郎殿。ダンジョン深くだと食糧はほぼ自生しているモンスターになるのでな。場所によってはスライムでもワームでもなんでも食べなくてはならぬのだ」

 

「そうそう、ワーム! あれは最悪っス! 『バレンフォートの地下墳墓』の下層で、腐った死体か、腐った死体を食べる『ベルヒムワーム』しかいなくて、食べ物尽きてさあ、どっちを食べるってなった時に、泣く泣くワームを食ったっスけど、あれはもう筆舌に尽くしがたい、まるで〇〇〇〇〇を口に入れたみたいでもう死んだ方がマシって思ったっスもんね!」

 

「え? ワームはまだ食べられたじゃない! それよりあれよ! 『岬のドールハウス』に閉じ込められた時、どうしようもなくて人形に変えられた他の冒険者たちの腕を切って……」

 

「おい、やめろよ飯食う前に! というか、ゲテモノ喰い自慢を唐突に始めんな、気色悪い」

 

「ははは……こりゃあ、すまねえな旦那。ま、冒険してりゃあ色々あるって話だよ。それよりもこの鍋。すげえ旨いぜ、旦那も食ってみろよ」

 

「う……」

 

 言われて具の入った器を受け取って中を見て見たら、ヘビービートルのおっきなおめ目が『コンニチハ‼』していやがった。

 まあ食ったけどな。味については……当然ノーコメントだ。俺はまだそこまで冒険者冒険者してねえんだよ。この先食糧事情だけはなんとか解消せねばと、密かに決意した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 もう説明するまでもない事だが、現在俺達は、俺とニム、それと連れて行くと約束していたヴィエッタ、それに何故か付いてきてしまったオーユゥーン、シオン、マコ、バネットの娼婦4人組と、シシン、クロン、シャロン、ゴンゴウ、ヨザクの緋竜の爪の5人を加えた、計12人の大所帯で一路王都へと向かっている最中であった。

 正直大勢すぎて、マジでうざい。

 荷物を纏めてさあ街を出ようとしたら、そこへやってきたのはオーユゥーン達。他の泣いている娼婦連中を一人一人抱きしめながら、『お兄様は必ずワタクシ達がお守りいたしますわ』『あなた達ならきっと大丈夫ですわ』などと言いながら、さも当然の様に俺の後ろに控えやがった。

 そして、『来るなと言われても絶対に付いていきますわ』などと宣言しやがるし。

 そこまで言われて追い返すのも何か悪いかと思い、旅費が足りるかなと財布を覗き込んでいたら、そこにオーユゥーン達が金貨を流しこんできた。それも大量に。

 『ワタクシ達の持参金ですわ』とか言うのだが、俺は別に旅行会社のアテンダーじゃねえんだよ。

 仕方がないので同行を許可した上で、金に関しては困ったときに借りるからと言って、オーユゥーンへと突き返した。

 なにやらめっちゃ困惑してやがったが、当然だからな。どこの世界に女に金を持って来させて、それに(たか)ろうって男がいるってんだよ、そんなろくでなし……いや、いるな……

 女に働かせて日がな1日中ごろごろしてやりたいことだけやって女に(たか)る……

 人はそれを『ヒモ野郎』と呼ぶ。

 うん、俺ヒモ目指してねえし、これでいい。

 

 そして、シシン達だ。

 

 『クエストも終わったからな、冒険者ギルドへも報告もあるから王都まで同行するぜ』

 

 そう言って当然の様についてきた。

 言われてふと疑問に思ったのが、こいつらのクエストのこと。

 確か、最近世間を騒がしていた『孤狼団』を討伐するように言われてきたんだっけか?

 というか、その孤狼団についてだが、ヴィエッタが孤狼団の前で『私、娼婦を辞めて冒険者になって街を出ます!』と、そう言った瞬間に、全員が全員『俺とパーティ組んでくれーーーーーーー』と絶叫したわけだが、近くにいたマリアンヌが『同じパーティになりたかったら一人2億ゴールド持ってきな! 筋を通せない奴はもう2度とあたしの店の敷居は跨がせないよ!!』

 そう語ってくれたおかげで全員消沈して静かになった。

 そして、連中は意を決した顔になってヴィエッタに群がって、『元気でね』『いままでありがとうね』『君のこと絶体忘れない』とか、中には涙を流しているやつもいて、そう言いながら自分たちの装備している様々なアイテムを渡し始め、気が付いたら大量のアイテムに押しつぶされそうになっているヴィエッタがそこにいた。

 アイドルの引退セレモニーかよ。

 というか、こいつら結構本気でヴィエッタに惚れてたみたいで、しまいには笑顔でヴィエッタに手を振ってやがった。でもなんとなくだが、後をついてきそうなストーカーチックな奴もいそうではあった。というか、間違いなくいるだろう。その時は、ニムの出番確定だな。寝込み襲われるとか、本気で怖いもの。

 

 おっと、話が大分それたが、要は孤狼団は解散してしまったわけだ。ということで、シシン達緋竜の爪のクエストも達成というか、無かったことになって、その報告もしなければならないことは分かるのだが、だからって別の俺達に同行する必要はないはずだ。

 だが、奴ら曰く『今回の恩は一生をかけて返すって決めたんだ。緋竜の爪は旦那の手足になるぜ』。

 そうリーダーであるシシンが言った途端に、他の4人も強く頷きやがった。

 まったくどんだけ鬱陶しい連中なんだよ、と思いつつも、まあどうせ王都には行くんだし構わねえかと同行を許したってわけだ。

 ゴンゴウとヨザクの二人に関しては、ずっとオーユゥーン達の方を見てばかりだから、この二人は下心ありありで付いてきているような気もするのだけれどな。

 

 そんなこんなで今はこの大所帯。

 モンスターの屍にはざっと魔法で土をかけて匂いが出ないようにしておいて、俺達はそこから少し移動した大きな岩の影でキャンプ。

 荒野の真ん中ということもあって水場なんかは無いわけだが、そこはそれ、これだけの色々なスキルを持った冒険者がいるんだ、当然なんとかなる。魔法で水と火を用意して、土魔法で周囲に土塀を築いて防御&目隠し、後は風魔法で匂いを散らせば、モンスターが寄ってくることもないという便利仕様だ。

 普通はそこまで魔法に長けたやつばかりではないから、水を作り出す魔導具とか、明かりの魔導具などを携行するのが普通らしいが、魔法があるんだからそっちを使った方が荷物も少なくて済むし楽だというだけの話である。

 

 そういうわけで、今はキャンプの真ん中で焚火をしつつ、各人毛布にくるまって現在は就寝中。

 俺はといえば、一応見張りの時間ということもあって、どうせなんの役にも立ちはしないがヴィエッタと二人、向かい合って焚火の火をつついていた。

 

「あったかいね、紋次郎」

 

「ああ、そうだな」

 

 そんなことを言いながら火を見て微笑んでいるヴィエッタ。俺は適当に相槌を入れながら周囲を確認した。

 全員静か寝息を立てているし、あまり大声でしゃべったらまずいよな……そう思いながら焚火にさらに薪をくべた。

 そんな俺にヴィエッタが微笑みながら言う。

 

「私……凄くドキドキしてるの……今までこんな気持ちになったことないからなんでかは分からないけど、今凄くドキドキしてる……うん、ドキドキ」

 

 何を言ってやがんだこいつはと、見て見れば炎に照らさて真っ赤になったヴィエッタが、両手を胸に当てて目を閉じて微笑んでいた。

 なんというか、めちゃくちゃ幸せそうではある。

 そりゃそうか、両親を殺されてからというもの、今までずっと辛い人生だったんだものな。昼夜関係なく男の相手をひたすら続けて、泣き言一つ言えないままにずっと死んだように生きてきたんだものな。こんな風に買われた側の立場ではなく、一人の人間として扱われて、こうやって旅をしているなんて、本当に別世界の出来事なんだろうな。

 

「野宿が初めてで興奮してるかもしれないが、あんまりはしゃぐなよ、寝れなくなるから」

 

「ううん、違うの。そうじゃなくて……嬉しくて? 幸せで? うーん、なんていえばいいのかなぁ」

 

 自分で言いながら小首を傾げだすヴィエッタ。

 騒いでないで静かにしていろよ、と火をつついていた俺が顔を上げると、すぐ目の前に大接近したヴィエッタの

顔が。

 思わず、変な声が出て仰け反ってしまったその時、思いもかけない行動にヴィエッタが移った。

 

「んぷっ! わぷっ!」

 

 いきなりだった。

 俺の顔を両手で支えたヴィエッタが、そのまま俺へと顔を近づけてきて、そして一気に唇を重ねてきたのだ。慌てて逃げようと顔を捻るも、やはりというか、全然力を入れている風ではないのに、ヴィエッタの力に抗うことができず全く逃れることが出来なかった。

 ヴィエッタは優しく舌で俺の唇を舐め自分の唇ではむはむと甘く噛みつつ、唇の間へと舌を差し入れてきた。そして俺の口内を少しずつ舌で舐めながら、何かを探すようにゆっくりとそれを蠢かせて、ついに俺の舌に触れると、今度は遠慮なく自分の唇で俺の唇をこじ開けて激しく舌を絡めてきた。

 それはもう”激しい”としか表現できない程の勢いで、こじ開けられたままの俺の口内から溢れ出るその唾液の一滴すら惜しいとでもいうかのごとく、舐め、絡め、そして吸われた。

 どれくらいそうしていたのか、もはや自分では逃れることは出来ないと悟った俺は、されるがまま、為されるがままでただ彼女の淫靡な唇に犯され続けた。

 当然だが俺だって男で、いたって健常なのである。その押し寄せるあまりの快感の嵐にに抗えようはずもなく、全身を駆け巡る激しい衝動が、いよいよ俺の理性を駆逐し始めたことを理解しながら、そしてついに彼女が欲しい、めちゃくちゃにしたいという強烈な肉欲の情動に突き動かされて、そのまま彼女に襲い掛かっ……

 

「ぷっは、ね? わかった?」

 

「は?」

 

 突然唇を離したヴィエッタ。俺はいったいなにが起きたのか理解できないまま、彼女の服を引きちぎろうと廻していた腕の動きを止めた。

 ヴィエッタはといえば、まるで無垢な子供のような顔で、無邪気にほほえんで俺を見ている。

 

「な、なにがですか?」

 

「えっと、だからね、今みたいな感じがしてるんだよ。ドキドキってね、気持ちよくって、切なくて、きゅんとしちゃって、もうね、もうね、もう、離れたくなくってずっとくっついていたくて、抱きしめてぎゅうってしたいって感じなの? ね? わかったでしょ?」

 

 え? え? どゆこと? なに? なんでこの娘はこんなに無邪気に微笑んでるの? 

 

「え? なに? ぜんぜんわかんないんだけど。え? なんでキスしたの? 俺のファーストキス……、え、えとこの俺の昂ぶった俺の思いはいったいどうすればいいってんだ……?」

 

「「「「「私(ワタクシ)(ワッチ)達にお任せ(ですわ)(っす)(だぜ)!!」」」」」

 

「おわっ! な、なんだてめえらは! ね、寝てたんじゃねえのかよ!!」

 

 見れば、周囲に一気に迫ってきたのはニムとオーユゥーンとシオンとマコとバネットの5人! 一様に興奮した顔で迫ってきやがった。

 

「ご主人、今やる気まんまんなんすよね!? フルおっきなんすよね!? ビーストモードなんすよね!! ワッチ、めっちゃ嬉しいっす!」

「もうお兄さんってば、本当は大好きなのにずっと我慢してたとか、ホントに可愛いんだからぁ!」

「マコももう濡れ濡れで準備オッケーだからね! 我慢しなくていいからねくそお兄ちゃん!」

「ご主人を最高に気持ちよくしてやるぜ」

「いまこそワタクシたちの出番ですわ! さあ、お兄様横になってくださいましな!」

 

「おお? なんだ旦那これから乱交か? なんなら俺らちょっと他所いくぜ」

「我はもう少し鑑賞していても良いのだが……」

「右に同じッス」

「あんたたちはこっちにくるのよ!」

「わわわ……み、みなさん、どうぞごゆっくり~~~」

 

「お、お、おおおおおお前らああ! っざっけんあっ このくそビッチどもがぁっ! いい加減にしやがれぇっ!」

 

 突然のヴィエッタの凶行によって、まきあがっちまったピンク色の嵐は、俺の必死の抵抗によってなんとか鎮静化することが出来た……。出来たのだが、なにやらその気になってしまった女連中がこそこそっと少し離れたところに消えたことについては何も言うまい。

 何かあるといけないからニムを護衛も任せたし安心だろう。いや、一番危険なのか?

 シシン達はシシン達でやっぱり出て行ったまま帰ってきてはいない。

 あいつらを心配する方がよほど烏滸がましいのだが、いったいどこで何をやっているのやら。

 

 ということで、ここには今、俺とヴィエッタの二人しかいない。

 正直相当に状況はヤバい。ヤバすぎる。

 なにしろ、ついさっき、俺はヴィエッタに襲い掛かる気まんまんだったんだから。というか、ヴィエッタが離れなければ間違いなく、即レイプしていた。

 本当にまったくその気はなかったっていうのに、たった一度ヴィエッタにキスされただけであの様だ。

 げに恐ろしきは人気ナンバーワン娼婦の淫技か? もうあれに抗える自信なんて微塵もねえよ。

 

 そんな思考をしながらまだ暴走状態にある自分の身体を、理性で必死に抑え込んでヴィエッタを見た。

 可愛い、めっちゃ可愛い。めちゃくちゃにしたい。

 そんな思考が、俺の冷静な部分をどんどん浸食していく。

 これは……マジできつい。

 

「紋次郎……」

 

「ひゃ、ひゃいっ!?」

 

 突然正面に座っていたヴィエッタにそう呼びかけられ、思わず身体がびくりと反応してしまった。見れば見るほどに自分の物にしたくなってくる。そんな色香の塊と認識してしまったがために、もはや俺の自意識の壁の風前の灯な状態だった。

 そして彼女が言った言葉、それは。

 

「ごめんね。紋次郎に迷惑かけた。紋次郎エッチなこと嫌いなのに、無理矢理しちゃって本当にごめん」

 

 そう言われて少しだけ俺の中の昂ぶりが鎮静化する。

 いや違う。エッチなことが嫌いなわけでは決してない。むしろ好きすぎて自分を抑えられる自信がまったくないレベルだ。ただ、そうなって、流されて、全てが終わって、それこそ大事にしたいものが、そういう劣情によって全て失ってしまうことこそが怖いのだ。

 俺は……怖いのだ。俺という存在そのものが欲情によって流され、変わって、失われてしまうことが。

 ただ、それだけなんだよ。

 

 すうっと頭が冷めていくのを感じながら、俺は目の前の少女を、ただ可愛いと……肉欲とは関係なしに見つめることが出来た。

 

「いや、別にヴィエッタは何も悪くない。むしろ悪いのは俺のほうだ。すまなかったな、嫌な思いさせて」

 

「へ? え? 違うよ? 私の方だよ、悪いのは。私話すのは下手だから、さっきみたいにねすぐに身体が動いちゃうの。でも、いつもならあのまま押し倒されちゃうのに、紋次郎はそうしなかったから、ちょっと驚いちゃった。紋次郎は本当に……紳士なんだね」

 

 いや、俺も完全に獣なんだけどな。むしろケダモノです。

 

「紳士なんかじゃねえよ。俺だって男で性欲だってかなりある。いくら童貞だからって、お前みたいな可愛い奴に迫られたらもう我慢なんかできやしねえよ」

 

「か、かわいい? 私のこと……? あ、ありがと……」

 

 何故か急に真っ赤になってもじもじ始めるヴィエッタ。ええい、ここでもじもじなのかよ。お前もっと大胆なことさっきすでにやっちまってんだぞ、まったく。

 

「まあ、だからあれだ。俺だって我慢はきついんだ。だから頼むよ。急に迫るのはやめてくれ」

 

「え、あ、そ、そうだね。そうだよね。ごめんなさい。キスとかエッチとかしたくなったら紋次郎に聞いてからにするね。本当にごめんね」

 

 さも当然とばかりにそう言うヴィエッタ。

 

「いや、全然それじゃあダメなんだけども……まあ、いいか。でもキスとかはしねえからな」

 

「え? なんで?」

 

「なんでもなにもねえだろうが。いいか? キスとかエッチとかってのは好きな人とするもんで、いきなりしちゃだめなんだよ」

 

「でも、私、紋次郎のこと好きだよ?」

 

「ぐ……だからそれじゃあ、だめだっての。そんなの俺だって……」

 

 そう言いかけて思わず口を噤んだ。

 『俺だって』……俺はその後なんて言おうとしたんだ?

 急に頭に浮かんだその言葉に俺自身困惑してしまった。

 俺はヴィエッタにまだ出会ったばかりだ。だが、こいつの過去を知っていくうちに、確かに俺の内にこいつ自身のことも刻まれてきているのだ。そこから生まれた感情が今まさに思い浮かんだそれ。

 この気持ちを俺は知っていて敢えて口にしないようにしている。それが分かっているのにもう一歩踏み出せないのは、俺のエゴなのかもしれなかった。

 

「悪い、ヴィエッタ。でもダメだ。俺だって……お前のことが大切だから……だからこんな風に適当なことはしたくないんだよ。悪い、わかってくれ」

 

 そう言って彼女を見れば、真っ赤になって両手で頬を抑えていた。そしておどおどしながら口を開いた。

 

「ど、どうしよう紋次郎。私いま、すっごく紋次郎とエッチしたいの。でもね、紋次郎に私の事『大切だから』って言われたら、もうそれだけで胸がいっぱいになっちゃって、紋次郎のことが好きで好きでたまらないって気持ちが溢れて来てるの。ええと、どういえばいいんだろう、ええと」

 

「お、おい、わかった。わかったから、こっちに近づいてキスしようとかするな。わかってるんだよ。お前がどれだけ俺に寄り掛かってきてるかってことは。一緒に逃げて、一緒に戦って、一緒に生き残ったんだ。お前にとって俺がどれだけ特別な存在になっちまったかってことは俺にだってわかってるんだよ。十分な」

 

 ふうふうと呼吸を荒げて俺へと飛び掛かりそうなヴィエッタをなんとか落ち着かせて、俺は言った。

 

「でもな、それは今この時だけのお前の思いだ。この先もずっとそうだとは限らない」

 

「そんなことないよ、私は紋次郎のことが大好きだよ。この先も、これからもずっと」

 

「そうだとしてもだ! そうお前が思っていたとしても、今のお前の気持ちは今だけのものだと俺は思っているから、俺はお前の好意を絶対に受け取らない」

 

「え……じゃ、じゃあどうしたら……どうしたら紋次郎に好きになってもらえるの? わからない……わたし分からないよ。紋次郎に嫌いになられたらわたし……怖いよ」

 

 困惑したまま急に泣きそうになるヴィエッタ。

 その様子を見ながら、やっぱりこいつはまだまだ子供なんだなとかえって冷静になることが出来た。

 

「別に俺は嫌いになんかなったりはしないよ。でもな、お前はもう娼婦じゃあないんだ、もう男に媚びる必要はない。いいか? この先お前はまだまだ色々な経験を積むんだ。その中で、きっとお前が一生をかけて愛せる男と出会えるはずだ。だから、こんなにところで簡単に性欲に負けちゃあだめだ。もっと自分を大事にしろよ。いつかお前が出会うその大切な人のために」

 

 言いながら、それが俺自身へ向けて放っている言葉だということに途中で気が付いた。

 言っていて、我ながらとんだ夢物語だとも思ってしまった。

 そうさ、どうせこれは青臭い夢だよ。世の中は汚い事ばかりだし、上手くいかないことばかりだし、くそ野郎の巣窟だ。でもよ、こんな理想があったっていいじゃないか。

 そんな綺麗ごとが通用するわけがない、清濁併せ持ってこその世の中だ。それが常識だってわかっちゃあいるけど、それこそくそくらえだ。

 俺は……大切にしたいんだよ。俺の周りの全部を。

 

 グッと唇を噛みしめた俺は、いつの間にか拳も握り込んでいたらしい。そんな俺の手を隣にきたヴィエッタは優しく手で包んでくれた。その温かさが心に沁みる。

 

「紋次郎はそう言ってくれるけど、私は汚い娼婦だよ、もう元通り綺麗にはなれないし、エッチなことしかできないし、普通じゃないし」

 

「そう思ってればずっとそのままだろうよ。でも俺が断言してやるよ。お前は汚くなんかない。お前はおっちょこちょいだが頑張り屋の、とっても綺麗な女の子だ。大丈夫、お前は普通だよ」

 

「紋次郎……」

 

 俺の手を握りながらついにヴィエッタは涙を流した。でもそれは随分と幸せそうな、それでいて切なそうな様子に見えた。

 ああ、綺麗だな。ヴィエッタは本当に綺麗だ。

 この子には心から幸せになってもらいたい。幸せにしてやりたい。

 そう優しい気持ちで彼女を見た時だった。

 ヴィエッタがにこりと微笑んで俺を見た。

 

「私も断言するよ、紋次郎。私は紋次郎が好き。大好き。これからもずっと変わらずに。だから、頑張って、紋次郎に好きって言って貰えるように頑張るから。頑張ってもっと素敵な女の子に絶対なってみせるから」

 

 グッと拳を握ってそう見上げてくるヴィエッタを本当に愛おしいと思った。

 だから……

 

「ああ、頑張れよ。応援するぜ」

 

「うん!」

 

 そう言った俺達は二人して笑ってしまった。

 一線どころか二線も三線も超えてもおかしくないこの状況で、大真面目に二人して自分の想いをぶつけ合ってしまった。それがとんでもなく幸福で、楽しくて。もう笑うしかなかったんだ。

 この先ひょっとしたら、俺はこの子を誰よりも愛してしまうかもしれない。そして、この子を失って立ち直れない程に傷ついてしまうかもしれない。それでもいいか……と、俺はこの時確かにそう思っていた。

 

「ちぇっ! 濡れ場はなしっすかい。ご主人のヘタレっぷりは天然記念物ものでやんすね」

 

「「「「「「「「「うんうん」」」」」」」」」

 

 見れば魔法で作った低い土壁の上に生首が全部で10! 冷めた瞳で俺とヴィエッタを見下ろしていたのだった。

 

「てめえら……全員で堂々と覗いてんじゃねえよ」

 

 そんなこんなでヴィエッタ達を加えた旅が始まった。

 次に待ち構えているのは果たして何か。鬼が出るか蛇が出るか……くそみたいなムカつく連中オンパレードなこの異世界だけど、きっと少しくらいは良い事もあるだろうよ。

 

 などと、そんな淡い期待を胸に抱きながら眠りに落ちてみたら、夢枕に立った、くそビッチ女神ノルヴァニアから、この世界の根幹と存続に関わる超重要な神命を賜ってしまったのだが……それについては、今後のお話。

 

「あらためまして、よろしくね! 紋次郎!」

 

 ともかくだ、屈託なく笑うヴィエッタを見ながら、こんな出会いもまんざら悪くもないなと、この時の俺は思っていた。

 

 

【第二章 夢見る娼婦 了】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話 朝はおっぱいの牛乳から

 俺は青く透き通った空が好きだ。

 雄大で透明で……どこまでも続く悠久の空間がまるで穢れのないまっすぐさで俺へと語りかけてくるのだから。

 

 お前はまっすぐに生きているのか? と……

 お前は道を誤ってはいないか? と……

 

 そう、俺はいつでも自分を戒め続けている。

 

 世の中全て思い通りになんてならない。

 正直者が馬鹿を見て、頑張ってるやつが貶められて、クソみたいな自分勝手な奴が金を片手に好き勝手に生きる現代……そんなくそムカつく世の中に嫌気がさして、俺だけは……俺の周囲に対してだけは誠実であろうと必死に頑張ってきた。

 

 だが、結局群がってきたのはくそムカつく金の亡者ども……人の不幸を喜んで、人の努力をあざ笑うそんな連中は、ただただ俺が手にした結果の数々だけを欲した。

 そして、そんな俺の傍から、俺が守りたかったたくさんの人たちは去ってしまったんだ。

 孤独……心からの孤独だけが俺の中に残り続けた。

 親に捨てられ、人のぬくもりだけを求めていた俺に残されていたのは空虚な、くそが渦巻く社会だけだった。

 

 そしてそれは、この異世界においても同じであった。

 

 私利私欲に囚われた多くのムカつく存在と、それに虐げられる存在……、その二者がやはりあって、多くの人はやっぱり不幸だった。

 人は決して漫然と幸福にはなれないのだ。そう、そのことだけは、俺はよくわかっている。

 だから俺は努力しなければならない。

 くそ野郎どもに負けたくなんてないんだ。

 俺は、この俺の手で『本当の幸せ』をきっと掴んで見せる。

 ほんの少しでも……俺の手の届く範囲だけでも……

 

 とくに、可愛くて愛しいニムだけは、必ず幸せにして見せると……

 

 そう……

 

 澄み渡る空を見上げながら、俺は決意を新たにした!!」

 

「おい、このクソボケドロイド」

 

「なんすか?」

 

「てめえはなんで、空を見上げただけの俺の脇で、そんなナレーションチックな解説はじめやがんだよ? しかもなんでてめえの幸せを俺が一番に考えないといけないんだよ?」

 

「いいじゃないっすか、減るもんじゃなし。ワッチと一緒に幸せになりやしょうよ! どうせそんなこと思いながらカッコつけただけでやしょ? 違うんすか?」

 

「あほかっ! いちいち見上げただけでそんなこと考えるわけねえだろうが、このボケ。そもそも俺の過去を赤裸々に解説してんじゃねえよ、胸糞悪い」

 

「まあまあ、ご主人が本当に頑張ってるってこと、ワッチはちゃーんと知ってやすからね? だからあんまし気にしないでもっとカッコつけていいっすよ?」

 

「う、うるせいよ! お、俺が何考えたっててめえには関係ねえだろうが! おら、さっさと支度しやがれ!」

 

「あ、ご主人の朝ごはん出来たって、マコさんたちが言ってやしたよ。出発の準備は全部やっときますから、ちゃっちゃと食べてきてくださいよ」

 

「ぬぐぅ……なんで俺が説教されてる風になってるんだよ。わぁーったよ。食いにいくよ」

 

「いってらっしゃーい」

 

 と、そんな感じでボケボケのニムに背中を押されて俺はキャンプ地に戻った。

 と言っても、別にそんなに離れていたわけではない。ただ少しもよおして用を足しに行ってたただけなんだが、その背後にニムが当たり前の様に立っていてムカついていただけだ。まったく、あいつと来たら片手に尻拭き用のちり紙まで持ってやがって、『おしり拭きやしょうか?』とか言ってきやがったしな。あの野郎、人のことを寝た切り老人と同じくらいの扱いしやがって。

 まあ、いい。あいつはそういう存在なんだ。作った俺が制御できていない欠陥ドロイドなんだから。

 

 そんなこんなでハンドメイドのセクサロイド、ニムと一緒に旅をしている俺……小暮紋次郎は、現在ヴィエッタやオーユゥーンと言った娼婦連中と、シシンたち緋竜の爪の冒険者集団と一緒に王都を目指している最中である。

 大所帯ではあるが戦闘力に関しては折り紙付きのメンツがそろっているため、ここまで大した問題も起きずに旅を続け、この国の王都『エルタバーナ』は、もう目と鼻の先なのである。

 その入り口とも言える南の関所には、今日中にも到着できるだろうとの話だった。

 

「あ、お兄様、お待ちしておりましたわ。お食事の用意できてますわよ」

 

「お、おお……サンキュウな。ん? ベーコンエッグにパンかよ。こんなメニュー良く知ってたな」

 

 そこにあったのはこんがり焼かれたベーコンとその上に乗った目玉焼き。そしてサラダが少しとパンが添えられていた。

 ヴィエッタやほかの連中はすでに食べ終わったのか片づけをしているところ。

 オーユゥーンは俺を見ながら、コトンとコップを木製の簡易テーブルに置きながら答えた。

 

「ニムさんに教えていただいたのですわ。お兄様たちの故郷では、このメニューが一般的であるとのことですので、頑張って作ってみましたの。お口に合えば良いのですけれど……」

 

 そう少しもじもじしながら話すオーユゥーンは、いつもの強気な感じと違って自信なさげで、そのギャップに少しどきりとしてしまったのは当然内緒だ。

 とりあえず俺はベーコンエッグを口にしてみる。

 少し塩気があってそのままでも食えて、確かにうまい。何の卵だかは良くわからんけども、鶏の卵に非常によく似ているから、ひょっとしたら同じような生物なのかもしれないな。

 

「うまいよ」

 

「そう……良かった……そう言ってもらえて本当に嬉しいですわ」

 

 二コリとほほ笑んだオーユゥーンを見て、ますます胸の鼓動が速くなるのを感じつつ、慌ててオーユゥーンが手渡してくれたカップを口にした。

 それは濃厚なミルクで、まさに極上のうまさ。

 そのあまりの美味しさに驚いて、思わずまた声が出た。

 

「旨いなこれ。このミルクめっちゃ美味いぞ」

 

 そう言った俺にオーユゥーンが微笑んで返してきた。

 

「本当に良かったですわ。朝早くから搾った甲斐がありましたわ」

 

 と、自分の豊満な胸を掴みながら笑顔のオーユゥーンにそう言われ、瞬間身体が固まった。

 

「へ? い、今なんて言った?」

 

「? ですから朝から搾りましたのよ、ミルクを」

 

 怪訝な顔に変わって俺を見つめるオーユゥーンはなんてことは無いようにそう言いながら、相変わらず自分の胸を揉んでやがるし。

 

「つ、つまりこのミルクの出どころは……」

 

「ワタクシのお乳ですわっ!」

 

「ぶぅーーーーーーーーーーっ!」

 

「ちょ、ちょっとお兄様!?」

 

 あまりの驚愕に思わず吹き出してしまった俺に、オーユゥーンは少し怒ったような微妙な表情で俺を睨んでいやがるが、まさかそんなもんを俺に飲ませやがるとは!!

 

「お、お前な、どこの世界に、自分の母乳をコップに入れて、ハイどうぞって差し出す奴がいるんだよ! めちゃくちゃ恥ずかしいよ! 俺は!」

 

「恥ずかしいですの?」

 

 何を言われたかわからないといった風に、ポケッとした顔で小首をかしげるオーユゥーン。その隣にやってきたシオンが声を上げた。

 

「もうっ! お兄さんってば本当にもったいないよ! 『牛人(タウレリアン)』のミルクって本当に高価なんだよ! それもオーユゥーン姉のミルクを吹き出すなんてさ! 私だってちょぴっとしか飲んだことないのに!」

 

「はあ? 高価だって? ってか、『牛人(タウレリアン)』? オーユゥーンお前、人間じゃなかったのか?」

 

 その俺の問いかけに、オーユゥーンはきょとんとしたまま即答。

 

「あら? 申しませんでしたかしら? ワタクシはヒューマンではなく、所謂ヒューマン達から亜人(デミヒューマン)と呼ばれる亜種族の、牛人(タウレリアン)ですわ」

 

「はあ? そ、そうなのか? でも、ぜんぜん人と同じじゃねえかよ」

 

 そうしげしげとオーユゥーンを見つめながら言ってみれば、彼女は自分の若草色の長い髪をかき上げながら俺に頭を差し出してきた。

 そこには、小さなブラウンの角が生えていた。

 

「ほら、ヒューマンと違ってここに角もありますのよ。それにお尻には尻尾もありますし、力も元々かなりありますから、戦闘でもお役に立てますわ」

 

 そう言いつつ今度は俺へと尻を突き出しつつ、スカートを脱ごうとしやがるし。

 

「み、みみみみ見せなくていいから! わかったから! お前は牛人! うん、了解!」

 

 そう言うとオーユゥーンは何やら不満そうに自分の手にしたスカートのホックを再び付け直した。

 そして今度はマコがそのオーユゥーンにまとわりつきながら言った。

 

「くそお兄ちゃん分かってなさそうだから教えてあげるけど、マコもシオンちゃんも亜人なんだよ? シオンちゃんが『犬人(コボルティアン)』で、マコが『兎人(ラピッドフット)』なの! ぴょんぴょーん!」

 

 そう言いつつ、マコはシオンの髪に手を伸ばすと、今まで髪の毛だとばかりに思っていたその長く垂れた耳を持ち上げる。すると、シオンはブルリと身体を震えさせて真っ赤になって仰け反った。なに? 感じちゃってんのか? ひょっとして!? うわわ、やめろよ人前でそういう反応!

 それから、マコは被っていた帽子を取ったのだが、そこには大きな金色の兎耳が! そしてふるふる振る尻の少し上からは小さな尻尾が覗いていた。

 

「し、知らなかった。てめえら、亜人だったんだな」

 

 その俺の言葉にオーユゥーンは少し寂しげに目を伏せて返した。

 

「お兄様は亜人がお嫌いですの?」

 

 その声は少し不安そうでもあるが、これについての俺の回答は明確だ。

 

「いや、好きだ嫌いだはまったく関係ねえよ、俺は亜人のことなんてほとんど知らねえからな、単純に驚いたってだけだ。いやまじで驚いた。いったいどんな進化を辿ってその姿になりやがったんだよ? まさかそれぞれの種族から同時に人類が誕生したわけじゃああるまい? 人為的にか? 突然変異か?」

 

 と、そんな具合に3人を見ながらぶつぶつ言っていたのだが、当の三人は全く俺の言が理解できないようでただ首をかしげていた。当然今答えは出ないわけだが。そしてオーユゥーンが再び口を開く。

 

「お嫌でないのでしたらうれしいですわ。ちなみに我々のような獣の特徴を有した種族は全部で13種族おりまして、他には、『虎人(タイガロン)』、『竜人(ドラゴニュート)』、『蛇人(ラミアン)』、『馬人(ホースメン)』と……」

 

「いや、ちょっと待て! バネットが鼠人(ラッチマン)で、お前が牛人(タウレリアン)で、マコが兎人(ラピッドフット)で、シオンが犬人(コボルティアン)……そんでお前が言った種族がいるとなりゃあ……後は、羊人と、猿人と、鳥人、猪人……それに、番外で猫人が入るんじゃねえのか?」

 

 そう言ってみれば、オーユゥーンがつまらなさそうに答えた。

 

「あら? 知っておりましたの? 仰る通り、後は『羊人(スィープメン)』、『猿人(エイプス)』、『鳥人(ハルピュイア)』、『猪人(ボアヒューマン)』ですわ。それと、なぜか自分たちは別格で、そもそも人間を超えた人類だと言いはる方の多い『猫人(キャッツ)』の種族の方も、一般的に見れば獣系統の亜人ですわね」

 

「それ、まんま十二支(えと)じゃねえか! なめてんのか、この世界は!」

 

 子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥……で、猫かよ。というか猫人の呼び方、キャッツなんだな。猫過ぎて、もう完全に猫だろうに、なんで人類名乗ってんだよ? あれか? この世界の猫人もやっぱり空気読めない系のお調子者で、まんまと鼠に騙されちゃったからとか、そういうことか?

 

「お兄様のおっしゃる『エト?』という物が何かは存じませんけれど、亜人で数が多いのはワタクシたちのような獣系の亜人ですわね。他には、小人族やエルフなどの方も亜人と呼ばれておりますけれど、大分数が減りますので。でもやっぱりこの大陸で一番数が多いのはヒューマンですし、ほぼすべての国はヒューマンの国で間違いありませんわね。正直亜人は下に見られがちで、ヒューマンよりも仕事などで冷遇されることもありますし、国によっては亜人は非人として有無を言わさず殺戮しているところもあるそうですわ。北の大国ジルゴニア帝国などはそのようですわね」

 

 淡々と話すオーユゥーンの話の中で、予期せずこの世界の内情の一端を垣間見ることが出来たわけだけど、やっぱり胸糞悪かった

 

「なんだそりゃ? くそ過ぎて吐き気がしやがるな。そんなにこの世界じゃあ亜人の人たちは迫害されてるのかよ」

 

「その通りです……わ? なにかお兄様の仰り様ですと、まるでこの世界の御方ではないように聞こえますけれど?」

 

「その通りなんだけどよ……まったく、くそ野郎ばっかりじゃねえか。じゃあ、お前らも相当に辛い目に遭ってやがるのかよ?」

 

「え……ええ? まあ、ワタクシたちはそうでもありませんけれど……このエルタニア王国は神教の聖地でもありますし、神教は全ての種族を『人』と認めておりますので、この国にいる限りは特に亜人ということだけでヒューマンから迫害されることはありませんわ。もっとも、女性ということで暴行されることはありますけれど」

 

 その観点からすれば神教って宗教もそんなに悪い物じゃない気がするが、あの青じじいみたいなのものいるし、そもそもオーユゥーンに関して言えば、国軍とも言える聖騎士の奴らに拉致監禁された過去があるわけだから、この国もそれほど良いものではなさそう……というより、相当腐ってやがるんだろうな、きっと。

 

「ええと、お兄様?」

 

「なんだよ?」

 

 何か言いたげに俺を見てくるオーユゥーンだったが、少し俺を、見上げるように見つめた後で、ほぅっと一息ついてから口を開いた。

 

「まあ、いいですわ。それよりもお兄様? その手にされているワタクシのミルク、是非お飲みくださいましな。お兄様はレベルもなかなか上がらないご様子ですし、ワタクシたちの種族のミルクには滋養強壮の効果もございますので、これをお飲みになって少しでもお力をお付けくださいまし」

 

「うっ……やっぱり飲まないといけないのかよ?」

 

「はい」

 

 見れば、オーユゥーンだけでなく、シオンやマコや周りにいる連中もみんな注目してやがる……というか、興味津々といったぐあいだ。

 ゴンゴウに関して言えば、要らないのであれば我に譲って……とか口走ろうとして、クロンとシャロンに思いっきり蹴られていた。まあ、大木みたいな野郎だからびくともしていなかったが。

 

 確かにさっき一口飲んでみて、あまりの旨さに俺も驚愕した。あの味はまさに極上品に間違いないのだ。

 しかしなぁ……

 このミルクの出どころが、オーユゥーンの大きな二つのあれだと思うと、はっきりいって背徳感が半端ない。さっきからちらちらオーユゥーンを見ているわけだが、確実に視線は胸に行ってしまうしな。

 でも、こいつが俺の身体を思って用意したのだろうということは簡単に察することが出来る。

 なにしろ、こいつの言う通り俺のレベルは相変わらずの『1』。もはやどうやってこれを上げればいいのか全く想像もつかない次元なのだ。

 そんな俺を気遣って、これを用意したかと思うと、無下に断るのも気が引けるし……ぐぬぬ。

 

 そう悩んでいた時だった。

 

「ご主人ご主人」

 

 背後から声がして振り返れば、耳元に口を寄せてきた二ムの顔。

 

「オーユゥーンさんは牛さんじゃないっすか。それなら、そのおっぱいは完全に牛乳でやんすよ? ご主人牛乳でしたら、地球にいた時、毎朝飲んでたじゃないっすか。ですから、それを飲んでも全く何にも問題ありませんて。それに牛乳は本当に身体に良い栄養たっぷりなんですよ。せっかくのおいしい牛乳です。ここは飲みましょうよ!」

 

「お、おお?」

 

 そう言われてみれば、確かに俺は毎朝牛乳を必ず飲んでいたな。

 銘柄だって長野で昔ながらの製法で作っているブランドの物を好んで買っていたくらいで、どちらかといえば牛乳は好きだった。特に美味しい牛乳が。

 

「そ、そうだよな? 確かにこれは牛乳……そう、牛乳だ。牛乳なんだから飲んだってまったく問題ない。そう、そうに違いない!」

 

 そう思った瞬間に頭の中のもやもやした霧が一気に晴れた。

 そう、これは牛乳だ。人間は牛のお乳を飲んでその味を楽しみつつ栄養をとりこんで生活しているのだ。そしてオーユゥーンはそんな牛の系統の牛人。つまり、そのミルクは牛乳で間違いないのだ。

 彼女は俺の身を案じてこの牛乳を用意したのだ。それを飲むことにまったく問題は……

 

『ない!!』

 

 そう俺の中で一気に結論が出た。

 

「よしわかったオーユゥーンこれもらうからな!」

 

「はいですわ!」

 

 嬉しそうににこりと微笑んだオーユゥーンを見ながら、俺はその超濃厚で美味しい牛乳を一気にごきゅごきゅと飲み干した。

 美味い! 本当に美味い! こんな美味い牛乳は本当に生まれて始めてだ。

 この異世界に来てからというのも、本当にくそムカつくことのオンパレードだったが、まさかこんなに美味い牛乳と出会えるなんて……

 この牛乳に出会えただけども、この異世界に来た甲斐があったのかもしれないな、うん!

 あれ? 何か大事なことを忘れているような……

 

 絶品の牛乳を味わいつつ、何やら忘れているような気がしていた俺へ、とてとてと近づいてきたヴィエッタが空のコップを見つめながらぽそりと言った。

 

「あ、紋次郎、私も毎朝少しおっぱいが出る体質だから、そのミルクに私のおっぱいも入れておいたからね!」

 

「ぶぅーーーーーーーーーーっ!」

 

 唐突なヴィエッタの告白に、俺は噴出した。

 当たり前だ!!

 

「あ、ご主人、それやっぱり牛乳じゃなくって、人乳ですね! あははははははは」

 

 夜明けの天気の良い青空の下、ただニムの笑い声が木霊したのだった。

 

 ちなみに……

 

「お前ら……乳が出るってことは……まさか妊娠とかしちゃってるのかよ?」

 

 そう聞いてみれば、

 

「ワタクシはヒューマン担当の娼婦でしたから、今まで一度も妊娠したことはありませんわ。他種族との間には子供は出来ませんのよ? ですから安心してワタクシとまぐわって……」

 

 などと赤裸々に宣うオーユゥーンと、

 

「おっぱいはただの体質だよ? 私も赤ちゃんできたことないもの? でも、紋次郎となら出来る気がするの! うん! きっと!」

 

 と、目をキラキラさせて、そんな恐ろしい事をヴィエッタが言うのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【登場人物キャラクターデータ②】

●小暮紋次郎・19歳・男

異世界人(地球・日本人)

 

 『地球生まれの日本人。本人は無自覚だが天才であり、異世界転移直後であってもこの世界の言語を即座に理解し、なんとか会話もこなしている。滞在2週間で標準語をマスターし、読み書きまでこなした上、古代文字、魔法文字、更に魔法術式も解読して操り始める。

 しかし、この程度のことは、自分が出来るのだから当然誰でもできると思っている節があり、大した技能だとは考えていない。

 現実世界では、高校在学中に史上初めて、恒星間の生物転送実験を成功させ、東京のT京大学へと進学するも、なんらかの問題を起こし退学している。

 また、史上初めて、完全なる自我を持ったドロイドを完成、また、細胞サイズの超小型医療用ナノマシンの開発なども成功させるも、その偉業について、本人は自覚がない。

 理想の女性は純真無垢で清らかなお付き合いのできる人。

 自我を持ったラブドールニムの製造者にして、主人。

 この世界において経験値を取得できるようになるも、いくら戦ってもレベルがあがらず、現状かなりひねくれているが、精霊を使役しながらの魔法行使にも大分なれつつある。

 この世界で遭遇した金獣・キングヒュドラに対して、自身の持てる知識を動員し、ワクチンである『γセルデストロイヤー』を精製しヴィエッタの協力の元に、キングヒュドラの毒殺に成功した。

 娼婦であるヴィエッタの過去に触れ、彼女へ特別な感情を抱き始めている』

 

〖ステータスカードデータ〗

――――――――――――

名前:モンジロウ・コグレ

種族:人間

所属:アルドバルディン冒険者ギルド

クラス:戦士

称号:駆け出し冒険者

Lv:1 

 

恩恵:???????

属性:???????

スキル:〖取得経験値n倍:LvMax〗

魔法:なし

 

体力:5

知力:5

速力:6

守力:4

運:12

名声:1

魔力:0

 

経験値:205,355

――――――――――――

※第二章使用魔法・呪法・必殺技(使用登場順)

土壁(ド・ウォール)(土)

砂化(ド・サンドーシュ)(土)

解析(ホーリー・アナライズ)(光)

石化の呪い(カース・オブ・ぺトロケミカル)(土)

上位治癒(ミ・ハイヒール)(水)

消失結界(ド・ディスペルフィールド)(土)

鎧化(ド・アームド)(土)

壊呪(ド・ブレイクカース)(土)

超重力結界(グラヴィドン)(複合魔法)

岩石弾(ド・ロックバレット)(土)

閃光(ホーリー・フラッシュ)(光)

死者蘇生(リザレクション)(複合魔法)

抽出(ド・ピックアウト)(土)

隷属契約(ダクネス・スレイブコントラクト)(闇)

死の契約(ダクネス・デスコントラクト)(闇)

 

 

●ニム(SH-026)・0歳・女性ヒューマノイド型

第8世代型ドロイド・女性ヒューマノイド型・性処理用(中古・改修型)

 

 『シンテック社製万能家事ロボット・なんでも家電君Ⓡ(形式番号SH-026)のAIをベースに、紋次郎が独自に改造を施し完成させたのが『ニューロンネットワークブレイン』と呼ばれる集積回路であり、この回路により思考が始まり、ニムという一個の人格が形成され、自我が誕生した。

 当初はこの特殊なAIを持った6輪4手の家電ロボットであったが、紋次郎がドロイド販売の蚤の市で、東洋重工業社製第8世代型ドロイドを購入してきた折に、AI、リアクター、ジェネレーターをそっくりドロイドへと移植し、更に改造したことで人型セクサロイドとして完成するに至る。

基本出力は10万馬力。体表パーツとして、ニューナノファイバースキン・防刃タイプが使用されており非常に堅牢な上、傷もほとんどつくことはない。

 長い黒髪と黒々とした瞳を持つ、日本人を意識したモンゴロイドの特徴を有している。

 ちなみに、第8世代型ドロイドは汎用性に優れており、様々なドロイドとのパーツの互換性があったことから長期間運用されることとなり、製造開始から50年たった今日でも、メーカーによってはパーツの供給が行われている。

 元来、内臓バッテリーのみの運用が前提であった製品のため稼働時間に難がある代物であったが、ニムに関しては紋次郎が改造しているため、その問題はクリアーされている。

 体内に内蔵された改造陽電子リアクターより、陽電子を直接引いて使用可能な武器、陽電子レーザーキャノンを紋次郎の言いつけで作成・完成させ、実戦にて金獣(ヘカトンケイル)の駆逐に成功している』

 

〖ステータスカードデータ〗

――――――――――――

名前:SH-026

種族:???????

所属:なし

クラス:拳士グラップラー

称号:死を呼ぶ者、死者を喰らう者、偽神殺し

Lv:なし 

 

恩恵:なし

属性:なし

スキル:なし

魔法:なし

 

体力:---

知力:---

速力:---

守力:---

運:0

名声:225

魔力:0

 

経験値:3020

――――――――――――

 

 

●ヴィエッタ・17歳・女

 

 『奴隷娼館メイヴの微睡の元人気娼婦。現在のところ、奴隷状態のままで所有者が紋次郎となっているが、これは紋次郎が解除し忘れているだけで特に奴隷としては扱われていない。本人はそれに気が付いているが、紋次郎の所有物であることをむしろ快く受け入れている為、特に指摘をする気もないようだ。

 盗賊団に両親を惨殺され、自身も長期間監禁されレイプされ続けたという悲惨な過去があるも、祖母であるマリアンヌによって救出され、以後奴隷娼婦として働き続けることとなった。

 これは自我が崩壊してしまったヴィエッタを救うための治療の一環であったのだと、主人であり祖母であるマリアンヌが紋次郎へと告白している。

 それが奏したのかは不明だが、現在ヴィエッタは人並みの感情を蘇らせている。

 とある事情により土の女神ノルヴァニアの恩恵、『土の真理の祝福』を授かるに至るが、実は他の存在からも恩恵を授かっていた。

 精霊や、神の姿を視覚することができ、会話も出来ることから、精霊の巫女ではないかと指摘されるも、そのような体質になった理由は明らかにされておらず現在のところ定かではない。

 男性との性交経験は豊富だが、恋愛感情のような物を意識したことはなく、紋次郎に対して『好きだ』という淡い恋心を抱き始めており、その感情に戸惑いも覚えている』

 

〖ステータスカードデータ〗

――――――――――――

名前:ヴィエッタ

種族:ヒューマン

所属:奴隷(モンジロウ・コグレ所有)

クラス:娼婦

称号:最高級の娼婦、夜の恋人

Lv:15

 

恩恵:???????、土の真理の祝福

属性:???????、土

スキル:???????

魔法:|大地の絶対防御《アブソリュート・ディフェンス・オブ・ジ・アース》

 

体力:50

知力:62

速力:66

守力:50

運:30

名声:200

魔力:45

 

経験値:1580

――――――――――――

 

●オーユゥーン・19歳・女

 

 『幼い時分に村を襲った盗賊団に攫われたという過去がある。生まれ持って得ていた『闇精霊の加護』により殺害されずに女盗賊として育てられるも、団の壊滅時に聖騎士に囚われ地獄の責め苦を受けたのちに、奴隷となる。

その後、自身を辱めた者たちへの復讐を遂げた彼女は、先輩娼婦バネットの導きにより娼婦としての道を進むこととなり、美貌もさることながら、日々学んだ結果としての博識さから上級娼婦として人気を得る。

 世話焼きで面倒見も良いことから他の娼婦に『姉』として慕われ、公私に渡り娼婦たちを妹の様に扱う。

 恩恵を得ていたシオンとマコと行動をともにすることが多く、病に倒れた娼婦たちの代わりに仕事を受けたり、治療をおこなうなど娼婦以外の仕事にも関わり、娼館の主人からも経営を一任されていたこともあって、実質娼館の運営者だった。

 娼婦たちの病気を治してくれた紋次郎に絶対の忠誠を誓うとともに、優しさと不器用さを持つ彼に心惹かれてもいるが、同時に他の娘たちの気持ちを汲むことが出来るために、自分から紋次郎へアプローチを掛けようとは考えていない。恩を返すべく彼に同行することだけは譲らなかった。

 尚、第二章で明かされてはいないが、亜人の一種牛人(タウレリアン)の女性である』

 

〖ステータスカードデータ〗

――――――――――――

名前:オーユゥーン

種族:牛人(タウレリアン)

所属:真夏の夜の夢物語(娼館)

クラス:娼婦

称号:上級の娼婦、盗賊

Lv:25

 

恩恵:ダーク・エレメンタル・レディ

属性:闇

スキル:気配察知、探知、忍び足、魅惑、

魔法:隠蔽(ダクネス・スクリーン)魅了(ダクネス・チャーム)拘束(ダクネス・メンタルバインド)

体力:110

知力:80

速力:85

守力:90

運:95

名声:120

魔力:100

 

経験値:3580

――――――――――――

 

 

●シオン・16歳・女

 

 『オーユゥーンやマコのいる娼館に奉公に来ていた犬人(コボルティアン)の少女。作中ではまだ明かされていなかったが亜人であり、垂れた犬耳と小さな尻尾を持つ。実際に髪の毛と同じ色の為に、紋次郎はそれが耳だとは気が付かなかった模様。

 娼婦ではあるが、奴隷として売られてきたわけではなく、あくまで口減らしの一環で単身で就職した。母親だけでも10人おり、兄弟姉妹はとんでもない数がいるらしい。

 彼女自身、性行為に興味があったようで、自分から娼婦になることを志願した。

 『光精霊』の加護もあり、オーユゥーンに重用されていくようになる。同じ加護持ちのマコとは非常に仲が良く、普段から殆ど行動は一緒だ。明るく元気な赤髪のムードメーカーだが、実は『ウケ』で、全身を撫でられるのが好きで、それだけで絶頂してしまうようだ。

 紋次郎に同行するとオーユゥーンが決めたことで、自分も付いていくことにした』

 

〖ステータスカードデータ〗

――――――――――――

名前:シオン

種族:犬人(コボルティアン)

所属:真夏の夜の夢物語(娼館)

クラス:娼婦

称号:駆け出し娼婦

Lv:18

 

恩恵:ブリリアント・フラッシュ・チャイルド

属性:光

スキル:なし

魔法:閃光(ホーリー・フラッシュ)光矢(ホーリー・アロー)精神洗浄(ホーリー・クリーン)

 

体力:85

知力:60

速力:110

守力:50

運:65

名声:40

魔力:30

 

経験値:1700

――――――――――――

 

 

●マコ・15歳・女

 

 『オーユゥーンの商館に売られてきた兎人(ラピッドフット)の奴隷娼婦。第二章では語られなかったが、彼女は亜人であり金色の長い耳と尻尾を持っている。種族特有の身体特徴の一つとして小柄ではあるが、歴とした成人の女性である。

 明るく快活であり、売られてきた奴隷としては珍しく、夜の仕事にも積極的で、客にも人気が高かった。

 同時期に働いていた大先輩娼婦、バネットの指導によるところが大きかったようで、小柄でも十分に男を満足させられる、金はいくらでも稼げると、ある種達観したことで、彼女は娼婦稼業を突っ走るようになった。

 主に、中年の油ぎった太めの男性がタイプで、見世でその様なタイプの客を見つけると、他の娘目当てであっても自分を売り込んですぐに連れ込んでしまうのだが、天真爛漫な彼女の性格から、他の娼婦ともめるようなことは殆どなかった。

 後輩でもあり同僚のシオンと特に仲が良く、娼館勤務のあいだは、無理矢理部屋を一緒にして、毎晩シオンの身体を撫でるのが日課となっていた。

 オーユゥーン、シオンが決めたことで、彼女も紋次郎への同行を決めた』

 

〖ステータスカードデータ〗

――――――――――――

名前:マコ

種族:兎人(ラピッドフット)

所属:真夏の夜の夢物語(娼館)

クラス:娼婦

称号:駆け出し娼婦

Lv:16

 

恩恵:ケルピー

属性:水

スキル:

魔法:治癒(ミ・ヒール)解毒(ミ・ポイズンリフレッシュ)水弾(ミ・ウォーターバレット)精神衰弱(ミ・マインドダウン)

 

体力:70

知力:45

速力:110

守力:50

運:180

名声:25

魔力:60

 

経験値:1660

――――――――――――

 

 

●バネット・58歳・女

 

 『見た目7歳児で、やっていることも悪戯好きでまだまだ幼い少女な感じな、58歳の鼠人(ラッチマン)。彼女の種族は7歳児程度で成長が止まり、そのまま生涯を過ごすことから『子供族』とも呼ばれることがあるのだが、それでも思考は老成していくもので、通常の鼠人は年相応に口調や思考が変わっていく。しかし、彼女はそうするつもりが全くなく、子供の見た目なのだから子供のままで良いだろうと、それを良いことに子供の振りをしたまま盗賊稼業を続けてきた。

 盗賊時代に長い期間、隠れ蓑として娼婦として働いていたのだが、そこでオーユゥーンやマコと出会うことになる。

 とある『風精霊』の恩恵を得て、速力アビリティ300にあたるともされる、超極レアスキル『韋駄天』を持っており、目にもとまらぬ速さでの行動も可能であったが、始めて二ムに速度で負けて捕まってしまった。

 紋次郎に救出されてからというもの、彼のことをご主人様と呼んで付き従っているが、まだ全てを語っていない様子である』

 

〖ステータスカードデータ〗

――――――――――――

名前:バネット

種族:鼠人(ラッチマン)

所属:なし

クラス:大盗賊

称号:巧妙なスリ、永遠の妹、盗賊団の女団長

Lv:22

 

恩恵:ノースウインドゥ

属性:風

スキル:韋駄天、隠密、探知、忍び足

魔法:風鎧(フ・エアアーマー)加速(フ・アクセルアップ)風刃(フ・エアカッター)

体力:65

知力:90

速力:135

守力:50

運:125

名声:80

魔力:90

 

経験値:1580

――――――――――――

 

 

●シシン・20歳・男

 

 『Aランクパーティ『緋竜の爪』のリーダーにして、Aランク冒険者として名を馳せている戦闘士(ウェポンマスター)。ありとあらゆる武器を使いこなせるが、彼は『緋天登龍棍』という深紅の棒を好んで使う。

 彼とクロン、シャロンは同じ村の出身の様だが、過去に何らかの事件があり旅に出たようで、その過程でゴンゴウ、ヨザクも加わって今の緋竜の爪が結成されたらしい。

 今回ギルドのクエストで孤狼団の調査、壊滅のために南部へと赴くも、シャロンを拉致されるという事態に発展し、やむなく彼は神教の神父に協力して紋次郎を捕えることとなった。

 結果、紋次郎と共闘しシャロンも無事に助け出すことが出来た彼は、紋次郎と行動をともにすることを決める。クロン、シャロンに結婚しようと想いを告げ、二人は了承したが、落ち着くのはまだ当分先にするつもりの様である』

 

〖ステータスカードデータ〗

――――――――――――

名前:シシン

種族:ヒューマン

所属:緋竜の爪(ドーラゲート冒険者ギルド・Aランク)

クラス:上級戦闘士

称号:火竜の化身、竜王殺し、緋竜の爪

Lv:42

 

恩恵:ファイアドレイクキング

属性:火

スキル:HP自動回復、MP自動回復、ど根性、火事場の底力

魔法:火弾(カ・ファイアボール)火纏(カ・ファイアスケイル)剛力剛腕(カ・マキシマムマッスル)

体力:180

知力:120

速力:168

守力:155

運:160

名声:450

魔力:120

 

経験値:28,950

――――――――――――

※第二章使用魔法・呪法・必殺技(使用登場順)

(しょう)(てん)()(れん)(げき)

大爆裂陣

 

 

●クロン・17歳・女

 

 『シシンと同じ村の出身の冒険者であり弓術師。何らかの事件が過去にあり、その後強力な力を得た彼女はシシンや双子の妹のシャロンと共に旅に出た。

 幼いころより、ずっとシシンのことを憎からずと思っていたが、シャロンも同様に彼への愛情を深めていることを知っていたがために、彼女は一歩引いた位置で彼らとつきあっていた。

 シャロンが捕えられたことでクロンは狂乱したが、シシンに説得され救出に全力を注いだ。

 シシンほど能天気ではなく、紋次郎達を怪しんではいるのだが、その人柄から危険性は低いと認識してはいる。シシンに告白され、すぐ了解してしまうなど、案外ちょろい』

 

〖ステータスカードデータ〗

――――――――――――

名前:クロン

種族:ヒューマン

所属:緋竜の爪(ドーラゲート冒険者ギルド・Bランク)

クラス:上級弓術師

称号:緋竜の爪、竜王殺し

Lv:31

 

恩恵:ファイアドレイクキング

属性:火

スキル:高速移動、軽業師、必殺、必中

魔法:武器強化(カ・エンチャンテッドウェポン)火属性付与(カ・ファイアパワー)

 

体力:120

知力:130

速力:125

守力:50

運:160

名声:350

魔力:100

 

経験値:15,750

――――――――――――

※第二章使用魔法・呪法・必殺技(使用登場順)

消失結界《ド・ディスペルフィールド》(土)

超力連弾弓

 

 

●シャロン・17歳・女

 

 『シシンと同じ村の出身の魔術師。過去に何かの事件に巻き込まれたのちに旅立ち、緋竜の爪のメンバーとして名を馳せることとなる。

 幼い頃より魔力に優れ、恩恵の無かったころから様々な魔法を使えるようになっていた。パーティの砲台兼守りの要でもある。

 他に並ぶ者もないほどに優れた魔術師ではあるが、内気で臆病であり、決定力に乏しく、危機に際しては二の足を踏むことも多々あった。

 今回拉致され、怪物の子供を宿されてしまうこととなるも、紋次郎の魔法によって救い出されたことである程度吹っ切れたようでもある。シシンとクロンと共に生きていくことを決めた彼女もまた、紋次郎への同行を決意した。』

 

〖ステータスカードデータ〗

――――――――――――

名前:シャロン

種族:ヒューマン

所属:緋竜の爪(ドーラゲート冒険者ギルド・Bランク)

クラス:上級魔術師

称号:緋竜の爪、竜王殺し

Lv:28

 

恩恵:ファイアドレイクキング、

属性:火

スキル:詠唱短縮、魔術の神髄、複合詠唱

魔法:火弾(カ・ファイアボール)炎嵐(カ・ファイアストーム)火炎大爆発(カ・エクスプロ―ジョン)

 

体力:75

知力:150

速力:90

守力:98

運:150

名声:200

魔力:189

 

経験値:13,800

――――――――――――

 

 

●ゴンゴウ・30歳・男

 

 『緋竜の爪最年長者にして、優秀な回復兼、壁兼、攻撃の要。大柄で筋肉の塊のようなその身体から、他の冒険者からは『(オーガ)』や『破壊王』などと呼ばれることもある。僧侶ではあるので、基本回復が主軸のはずなのだが、彼の場合は最前線にシシンと共に立っての壁役に回ることの方が多い。

 もともとはとある光の神の精霊の加護のもとに、悪を滅ぼす世直し旅を続ける戦闘僧侶であったのだが、シシン達と共闘した折にパーティへの加入を決める。後にヨザクに、美人双子姉妹がいても、絶対に流されて契約してはだめだと熱弁をふるったそうだが……

 後に加入したヨザクとは胸襟を開いた付き合いをするようになり、二人して夜の街に消えることも少なくない。

 悪を許さない正義の人ではあるが、女に弱いのがたまに傷』

 

 

〖ステータスカードデータ〗

――――――――――――

名前:ゴンゴウ

種族:ヒューマン

所属:緋竜の爪(ドーラゲート冒険者ギルド・Bランク)

クラス:僧侶

称号:緋竜の爪、竜王殺し、救世導師(ぐぜどうし)

Lv:35

 

恩恵:ファイアドレイクキング、シュラ

属性:火、光

スキル:仁王立ち、気合、HP自己超回復、うっかりさん、3倍返し

魔法:聖治癒(ホーリー・ヒール)武器強化(カ・エンチャンテッドウェポン)火属性付与(カ・ファイアパワー)

 

体力:198

知力:100

速力:60

守力:220

運:88

名声:420

魔力:95

 

経験値:16,500

――――――――――――

※第二章使用魔法・呪法・必殺技(使用登場順)

(せい)(りゅう)(らん)(げき)(ざん)

青龍大竜巻

 

 

●ヨザク・22歳・男

 

 『元暗殺者にして、現探索者なヒューマン。以前は緋竜の爪と敵対関係にあったようだが、現在は貴重なパーティメンバーとなっている。さまざななスキルと暗殺技能により高い戦闘力を有するも、レベルの低いゴンゴウにも実戦ではかなわない。主な武器として、ダガー、手裏剣、ショートソード、スリングがあるが、通常彼が出る前に他の四人のごり押し戦法で戦いが終わってしまうため出番は少ない。特に手裏剣が得意。

 ゴンゴウの様に高い救世意識のようなものがあるわけでもなく、ただ強い物に巻かれる性質があるようで、実力者と認めたシシンは年下だが、ヨザクの方がへりくだった話し方をするようになった。シシンが紋次郎の同行を決めた直後に、『キレイどころが増えて最高ッス』と、ゴンゴウに語ったらしい』

 

〖ステータスカードデータ〗

――――――――――――

名前:ヨザク

種族:ヒューマン

所属:緋竜の爪(ドーラゲート冒険者ギルド・Bランク)

クラス:上級探索者

称号:緋竜の爪、竜王殺し

Lv:40

 

恩恵:ファイアドレイクキング、シェード

属性:火、闇

スキル:必中、闇討ち、忍び足、暗殺剣、隠密、マッピング、罠解除、毒、解毒

魔法:自爆(カ・ヒューマンボム)精神操作(ダクネス・マインドコントロール)

体力:170

知力:155

速力:190

守力:140

運:105

名声:320

魔力:150

 

経験値:25,890

――――――――――――

※第二章使用魔法・呪法・必殺技(使用登場順)

(はっ)(かく)(しゅ)()(けん)・乱れ撃ちっ

八角手裏剣



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 破滅の王都
プロローグ 異世界転生したから僕は当然最強のチートスキルをもらい、悠々異世界ハーレムライフを愉しみます。


 僕の名前は【カイラード・ノースウィンドゥ】。みんなは【カイル様】とか、坊ちゃんとかって呼んでくれている、へへ。

 所謂金髪碧眼で超イケメンの良いとこのお坊ちゃんだ。

 なにしろ、お父様はエルタニア王国貴族の中でも一、二を争う名家にして、もっとも栄えた北部の大都市を治める辺境伯。西の小国連合や、北の大国ジルゴニア帝国とも親交の深いことを考えれば、国王様の系統を除いて、この国でもっとも由緒正しい血筋であるとも言える。

 そんな大貴族の一人息子として産まれ、沢山の召使や優秀な家庭教師に囲まれて、何一つ不自由なく育ったこの僕だけど、誰にも言ってはいない重大な秘密があるんだ。

 

 実は……

 

 僕は『異世界転生者』なのである。

 

 まあ、そんなことを言ってもこの世界の連中は誰一人信じたりはしないだろうが、これは紛れもない事実だ。

 

 元の僕は良いとこのおぼっちゃんでも、金髪碧眼の超イケメンでもない、ただのしがないちょっと太ったアニメとラノベ好きの18歳だった。とはいえ、別にオタクと分類されるような種族ではなかった。

 好きは好きだったけど、人前ではそのことを明かさなかったし、アニメと同じくらいバラエティ番組とユ○チューブ、ニコ○コの人気動画の閲覧も欠かさなかったことで、そこそこ博識の三枚目を演じていたから、実は女の子の友達もいたりしたのだ。へへへ。

 彼女はジャニ〇ズに御執心だったから、当然僕もそれをチェックチェック、その手の話で盛り上がってだんだんいい雰囲気になってきたところで、彼女が言ったんだ。『頑張って一緒の大学に行こうね』って。

 これはもう僕に気があるってことで間違いないよね! って浮かれまくって、これは人生初の彼女が出来るかも!? ってもう毎日大興奮、わくわくして過ごしていた。

 そして僕は決めていた。『大学に進学が決まったら彼女に告白しよう』と。

 

 ところが……

 僕は大学受験に失敗した。

 彼女と目指した第一志望だけでなく、第二、第三志望も悉くダメだった。

 失意の中、当然の様に第一志望に合格した彼女は僕に、『大丈夫だよ、きっと来年は受かるよ』と励ましの言葉をくれ、僕は来年こそはと気合を込めて浪人したい旨を両親へと相談した。

 が、両親はそれを拒絶した。そう拒絶。

 大学に行きたいからというから受けさせてやったが、ダメだからと一年も予備校だの塾だのに通う金がもったいない。受験はまたさせてやってもいいが、予備校行きたいなら自分で金を稼いでいけ。嫌なら父さんの知り合いの会社に就職しろ。

 そう無碍にあしらわれた。

 ただでなくても、アニメのBDボックスやラノベの新刊を買いあさるには金が要る。だというのに、予備校代を自分でバイトで稼いで更に勉強までもするなんて、僕にはどうしたらいいか想像もつかなかった。

 だからまた彼女に癒してもらおうと家の傍まで行ったら、

 

『私、前から○○君のこと好きだったの』

 

 とか、いつか僕と一緒にキス〇イの新曲を一つのヘッドフォンで聞いた公園のベンチで……

 

 僕の友達でもあった○○君に告白しているところを目撃してしまったのだ。

 しかもその後、すぐにちゅ、チューまでしちゃって……

 

 あ、あいつ……○○の野郎、僕が彼女を好きなのを知ってたくせに……

 僕はそれを見て、完全に心が折れたんだ。

 今までの人生はいったいなんだったんだ……と。受験に失敗して、親にも見放されて、彼女も寝取られて(そもそも付き合ってなかったけど)、ああ、なんて僕は不幸なんだ……

 こんな人生嫌だ。僕はこんな世界は嫌だ。もっと別の、もっと楽しい世界へと行きたい。

 

『僕はここにいるべきじゃないんだ!!』

 

 そう思ったとき……

 

 気が付いたらすぐ目の前にトラックがいて、そしてそのまま衝突、僕は腰の骨と腕と足をポキポキ潰され折られながら空中へと投げ出された。直後目の前にアスファルトの硬そうな地面が迫りあまりの恐怖に目を瞑る……そして、耳に直接響くように『グシャッ』という音を聞いたのがあの世界の最後の記憶となった。

 

 そして現れたのがあの白い空間。

 そこで僕は女神様と出会った。

 黒に近い紫の髪を、銀の布で結わえ、やはり濃い紫の彼女の見事なプロポーションが浮き出てしまっている薄手のドレスに身を包んだその人は、自分のことを女神だと宣った。

 彼女は言った。君は不遇過ぎた。と、君はまだ死ぬべきではなかったと。そして問われた。

 

『もう一度、違う世界で生まれ変わってみるかい?』

 

 条件は?

 

『条件? あはは……死んでもうどうしようもないのにそんなこと聞いちゃう? 臆病で傲慢ね? あは……でも嫌いじゃないよ、そういうの』

 

 彼女はひとしきり笑ってからその華奢な細い指を立てて言った。

 

『たまに私の言うことを聞いてくれるだけでいいわ。それとあなたには何でも一つ、あなたの欲しい能力を授けてあげる。これでどう?』

 

 そ、それだけでいいの? 能力を貰えるってそれなんでもいいの?

 

『お? やる気になったみたいだね、嬉しいよ。そうだねー、この中のスキルならなんでもいいよ。ほら分かるでしょ?』

 

 僕の頭の中……というか意識の中に膨大な量の能力の情報が流れ込んでくるのだけど、それで頭が痛くなったりはしない。何か特別なやり方をしてるのかな?

『加速』『剛腕』『剣の才』……

『魔力強化』『無詠唱』『並列処理』……

 本当に様々なスキルがそこにあった。これを見る限り、僕が行くのは剣と魔法の世界の様子。であれば、それはゲームやラノベの世界ってことに外ならず、それならばはっきりいって僕の独壇場だ。

 僕にそんな幸運が舞い込んでくるなんて、これは本当に奇跡だ。

 おっと、今は喜ぶのはまだ早い。

 異世界転移で重要なのは如何にこのタイミングでチート能力を手にいれられるかどうか、そのひとつに掛かっているのだ。

 普通の考えなら、どう考えても最強そうなスキルを選ぶだろう。ここで言えば、

 

『剣聖の才』『操り師』『魔導王の才』とかかな?

 説明を見る限り、剣聖とは剣を持てばほぼ無敵であり、剣で負けることがなくなるらしい。それと操り師は全ての人、モンスターを精神支配して操って動かすことができるとのこと。あと、魔導王の才は言わずもがな、魔法に関して威力、魔力量、速度の全てにブーストがかかり、最強の魔法使いになれるらしい。

 他にもいろいろありはしたが、僕はそれらを見た後に、とあるスキルに注目した。それは……

 

能力喰(スキルイーター)

 

 説明:『倒した相手のスキルをn%の確率で取得する』

 

 これだ!

 そう、まさにこれこそキングオブチートスキル。

 僕はこういうのを望んでいたのだ。

 今まで有りとあらゆる種類のラノベを読んできた僕だけど、チートと呼ばれているスキルが数多あることを知っていた。

 例えば、何もないところに物質を想像するスキルは、商売にも戦いにも有効だし、時間遡行系統は何度もリプレイすることで正解を引くことが出来る。

 だけど、スキルを奪うこの手のスキルは、別格だ。

 何しろ、自分をスキルで好きにカスタマイズできるのたから。剣を極めたければその系統のスキル。魔法なら魔法でスキルによってどんどん強化も可能。

 それに、攻撃特化にするにしても、自動回復的なスキルがあればまず負けなくなるだろうし、盗賊スキルとかもあればアイテムも増やし放題。

 それだけにとどまらず、先程の創造系や、時間遡行系のそれ単体でのチートスキルも手にいれる事だって出来るかもしれない。

 スキルで身を固めまくって超安全に異世界でスローライフを楽しむ。そうだな、スキル集めを頑張るのも楽しそう。アイテムでも武器でもなんでもコレクションするのがRPG の醍醐味だもの。

 

 これにします。

 

 そう宣言した僕に女神様は愉快そうに微笑んだ。

 

『あは! やっぱり君ならそれを選ぶと思ったよ。さすが私が見込んだだけのことはあるね。それじゃあ、契約成立っと!』

 

 け、契約?

 

『ん? そうだよ、これは契約さ。これで君は私の『眷属』だ。そのうちに私の為に闘ってもらうからね』

 

 そ、そんな話聞いてない!

 

『ま、そう慌てないでいいよ、まだ当分先の話だし、君は君でこのチートスキルで異世界生活を満喫しなよ。それじゃあ、楽しんでねー』

 

 ま、待って……まだ、話は終わって……

 

 そう言い終わる前に僕はまた闇に呑まれたんだ。

 まったく騙されたって思ったよその時には。

 でも、そんな思いもすぐに僕は気にしなくなった。

 どうせなるようにしかならないし、時間があるのだからこのスキルで自分を強くすれば良いだけだと思ったし。

 なにより、僕はその後の生活が超幸せだったから、もうそんな些事はどうでも良くなったんだ。

 

 僕はノースウィンドゥ家の長男として産まれた。

 産まれた直後にはもうはっきり意識もあって、僕を産んでくれた超美人のお母様に大興奮だった。

 なにしろ、美人の上に胸も本当に豊かで、しかもそれを僕は毎日毎日……ふふふ。

 

 そんなこんなで僕はすくすく成長した。

 赤ん坊の内は殆ど何もできなかったし、人の言葉も理解できなかったのだけど、2歳くらいでようやくこの世界の言葉も理解できるようになった。

 そして色々な知識を得た。

 まず、この世界にはレベルというモノが存在しているということ。

 人はモンスターを倒したり、様々な技能を鍛え伸ばすことで身体のレベルを向上させられる。

 通常戦わずに生きている人のレベルは10前後の人が多く、冒険者や軍人など、戦闘に携わる人は10~20がほとんど。そのような人の中で更に高みに昇る人たちの中で30を超えるような人たちのことを一級、エリート、エースなどと呼称するのだそうだ。

 ちなみにこの時の僕のレベルは当然1。

 なんでわかったかと言えば、我が家にはステータス閲覧をするための魔導具が存在していたから。

 『鑑定の鏡』と呼ばれたその手鏡には所謂『鑑定眼』というスキルと同等の性能があって、それで自分を確認したというわけだ。そしてその時、きちんと『能力喰(スキルイーター)』の記載もされていたことが確認できて、僕はほぼ有頂天になってしまったわけだけども。

 そして程無くして僕はこのスキルの高性能さを思い知ることになった。

 鑑定の間で自分のレベルを確認しているときに、目の前に一匹の小さな蜘蛛が現れた。

 僕は何気なくたまたま手にもっていた鑑定の鏡で蜘蛛を鑑定。そこにはスキル『蜘蛛の糸』とあった。

 そこで僕は躊躇なくその蜘蛛を叩き殺した。

 そして自分のスキル欄を見て飛び跳ねたい衝動に駆られた。そこにはきっちりと『蜘蛛の糸』と記載があったのだから。

 僕はそれから身近な生き物を殺しまくった。

 カエル、鳥、メダカ、犬、猫……

 その都度、その生物固有のスキルをほぼほぼ手に入れることが出来た。一度では無理でも二度三度目くらいで大体はゲット。手にしたスキルは『ジャンプ小』『遊泳小』『威嚇』『隠密小』など。  

 本当にこのスキルは凄い、凄すぎる。どんどん増え、どんどんそれによって強くなっていく自分に思わず鏡を見ながらガッツポーズしたほどだった。

 お父様もお母様もこの『能力喰(スキルイーター)』のスキルの存在には気づいているっぽかったけど、相当なレアスキルであるらしく方々に聞いて周ってもこのスキルのことを知ることは出来なかったみたい。

 だから僕はそれを上手く利用することにした。

 スキルを獲得し続ければそれを確認された時に『能力喰(スキルイーター)』の性能も明らかになってしまう。だからこのスキルを調べるといって、父様の書斎で能力についての書物の調査を始めたのだ。

 そしてそのスキルの存在を見つけた。

 

擬態(カモフラージュ)

 

 このスキルは通常、自分の存在を消して隠密行動に移るためのスキルなのだけど、本によると鑑定眼も多少は欺くことも可能らしい。そしてそれは正解だった。

 僕は早速このスキルを持っている存在、『ナナフシ』を捜しだして殺しまくりなんとかスキルをゲット。そしてその効果によってボクは鑑定の鏡に自分のスキルを写さないようにすることも出来た。

  

 さて、これで僕の異世界ライフも安泰となった。

 極レアスキルを所持していたり、他人以上にたくさんのスキルを持っているなんてなったら、それこそスローライフなんて送れやしないもの。

 僕は貴族としての教育を受けつつ、手近な生き物を殺してからスキルを奪いまくる生活を続けた。

 

 5歳になった。

 

 このころになるともう近所の生き物の持っているパッシブスキルは大体取得済み。正直虫や小動物の持つスキルは効果の薄いものが多くて物足りなく感じ始めていた。だから、家庭教師たちに頼み込んで狩りに連れて行ってもらったりして、より大型の生き物やモンスターとの戦闘の経験も積ませてもらうようにした。

 そもそも僕には『恩恵』もなかったし、より強いスキルを集めることこそが急務であった。

 『恩恵』というのは、所謂精霊の力を分け与えられることで、それを貰った人はその精霊と同等の魔法や奇跡を起こすこともできるということで、恩恵があるというだけで、上級冒険者と同等の価値を認められることになるのだという。

 確かに万人には持ちえないのだろうけれで、恩恵があるだけで、高位魔法使い放題とか、それこそチートな話だ。

 そう言うわけで、恩恵持ちにも負けないスキル集めを続けていたわけだけど、我が家と親交の深い公爵家の一人娘もこの恩恵を授かっていた。

 今日も金髪を揺らして僕の家に訪れてきたわけだけど、僕に会って何やら嬉しそうでもある。屋敷も近所だし所謂幼馴染って関係になるのかな?

 彼女の名前は【ソフィア・ブルーウォーター】と言った。

 

『カイル様、またお怪我を為されましたのね? 今すぐに治療して差し上げますわ』

 

 彼女はそう言いつつ、狩場で転んでけがをした僕の擦り傷に手をかざしてそれを治療した。彼女の持つ恩恵は『ディアレスマーメイド』という水の高位精霊によるもので、ミ・ハイヒールという高位の治癒魔法を好きな時に使うことが出来る。

 ありがとうと彼女へと伝えると、彼女は本当に真っ赤になった。やっぱこの子僕に気があるんだな? まるでプリキ〇アのフィギュアみたいに可愛いこんな子が僕を好きなんて……

 ということで、会うたびに結婚の約束みたいなことをしておいた。くひひ。

 

 6歳の時にも出会いがあった。

 僕が家庭教師に連れられて、社会見学だと領内でもっとも栄えた都市、グルスターヴに赴いた時のこと。

 街の一角で何やら人だかりができていて、気になってそれを見ようとしたら、家庭教師に見てはいけませんと止められた。そう言われて止められるわけがない。

 僕はサササッと小柄であることを利用して人垣を縫ってそれを見た。

 そこにあったのは……

 

『この役立たずども! てめえらみんな死んじまえ!』

 

『ご、ごめんなさい』『うわぁああん』

 

 見れば首と手を拘束され、鎖で繋がれたまま引きずる様に歩かされている10数名の子供たちの姿。みんな痩せこけ、ほぼ裸に近いぼろ布だけをとって、体中擦り傷だらけになっているその一段の中央付近の子供たちが折り重なるようにして倒れ動けなくなっていた。

 明らかに瀕死と思えるその光景に思わず吐き気が催すも、その子たちを連れているのであろう太った大柄の商人風の男が

手に皮の鞭を持って、倒れている子供たちを打ち続けていた。

 びしぃっ! びしぃっ! と鞭が振るわれる音が響く中、僕はこっそりとその子たちへと鑑定の鏡を掲げてみた。

 すると……

 

――――――――――――

名前:シンシア

種族:人間女

所属:なし

クラス:奴隷

称号:なし

Lv:1 

 

恩恵:なし

属性:なし

スキル:〖魔導王の才〗

…………

……

 

――――――――――――

 

 ビンゴ!

 

 なんとそのうちの一人、今まさに鞭で叩かれているその少女が超極レアスキルを持っていた。

 彼女は動けなくなった3人くらいの子供たちに覆いかぶさるようにして鞭を一人で受けていたわけだが、このままでは間違いなく死んでしまう。

 こんなとんでもないスキルを持っているのにこの仕打ちを受けているということは、あの商人風の男はこの子のスキルに気が付いていない? 

 だったら、誰かに鑑定される前になんとかしなくては!

 

 おい! そこの商人!

 と、僕は大急ぎで声をかけ、すぐにその野蛮な行為を止めるように諭した。商人は僕を睨んでいたが、素性を明かした途端に平身低頭。だからそこに畳みかけるように、金を払うからその子たちを譲れと申し出た。

 商人は結構な額を言ってきたけど、僕の家庭教師がその金額はおかしいとすぐに抗議、結局は僕の一か月分のお小遣いくらいで全員を買うことが出来た。

 そして僕は屋敷に全員を連れ帰ったわけだけど、それに抗議してきたのがお父様。下賤の輩を館に居れるのは許さんと頭ごなしに言われたわけだけど、そこをお母さまが、この子は虐げられた子供たちを助けるために動いたにすぎません。いくいくは人の上に立つ身の上。今回のことで市井の者たちもこの子のことを高く評価しました。ここで連れ帰ったこの子たちを放逐するのは、領主としてどうかと思います。

 お母さまははっきり言って強い人だった。その厳しい口調についにお父様も丸めこまれてしまい、この子たちは全員屋敷の使用人として住まわせることとなった。もともと山麓や川も含んだ広大な屋敷だし、いくらでも仕事はあったのだが、結局はお母さまの一言で決した感じ。孤児たちの保護を目的とした施設の設立までもお父様はお母さまに約束してしまったのであった。

 まあ、僕にはその辺はどうでもよかったのだけど。

 そして僕は例の【シンシア】に近づいた。

 彼女のこのスキルを見る限り、この子は魔法使いとしての大成が約束されたも同じだ。流石にこの子のスキルを手に入れようとまでは思えないから、であれば僕の仲間として育てた方が良いという判断だった。

 風呂に入れ、衣服を整えた彼女はとても可愛らしかった。 

 煤けて汚れまさに浮浪児といった風体だった彼女は、濃い茶髪をショートカットに切り揃え、茶褐色の肌と薄桃色の唇をしていてまさに健康的な美少女だった。

 そんな彼女は僕に救われたことを常にまだ感謝して、僕の専属のメイドにしたこともあってどこに行くにもトテトテとついて回った。そして僕は彼女にも魔法を指導するように家庭教師へと頼み込んだ。当然彼女のスキルも擬態スキルによって見えなくしたままで。

 彼女はあのようなスキルを持っているとは知らないままに、どんどん魔法の知識を吸収、数年で家庭教師も舌を巻くほどの魔法使いに成長してた。

 

 そしてもう一人、僕の家には美少女が居た。

 このノースウィンドゥ領軍団長アドマイア・スティングレイの娘で、【サファイア・スティングレイ】。僕よりも5歳年上の彼女は、眉目秀麗の長髪の美人で、剣においては並ぶものがないとまで言われた女性剣士だった。

 それもそのはずで、彼女が有しているスキルは、なんと『剣聖の才』!

 正直、このスキルを見たときには驚愕したものだけど、まさか身近に剣系統最強スキルの保持者がいたとは驚きだった。彼女のこのスキルはすでに公然のものとなっていたから僕がわざわざ隠す必要はなかったけど、そんな彼女は僕の護衛兼剣術指南として同居するようになったのだ。

 

 そう、こんな感じな日常なのである。

 

 僕は美少女たちに囲まれた生活を送りつつ、日々新たなスキルを獲得し続けた。

 そして、スキルの所持には法則があることも分かってきた。

 動物や、虫や、知能の低いモンスターが持っているスキルは、ジャンプ、飛翔、遊泳など、その個体の特徴ともいうべきパッシブスキルがほとんど。で、人間を含めた多少知能の高い生き物のスキルは、剣の才や、魔導の才など、多様な才能系の能力が多いイメージだった。

 さんざん動物系のスキルを取得した僕だったけど、やはり才能系のスキルも必要と感じ始めていた。

 館に住む使用人や商人たちのスキルを見るに、有用そうなスキルも多かったけど、流石に殺人をしてまでゲットしようとは思わなかった。

 そこで考えたのが、死んでもいい人間からスキルを奪えば良いのではないか? ということ。

 例えば死刑囚や犯罪者、余命幾ばくもない人間でもいいかもしれない。

 とにかくその人が有しているスキルも手に入れることが出来れば、僕は更に強くなれるのだ。

 

 そんなことを思っていた11歳のある日、我が領内に大規模な盗賊集団が現れた。

 いくつもの村や町で、金品の盗難事件が多発し、領主であるお父様のところに陳情が上がり続けていた。

 それを知り、僕はこれをいい機会だとばかりに盗賊退治に乗り出すことにした。

 犯罪者集団であるのなら、殺したところで大した罪悪感もないだろう。むしろ悪を成敗するのだから人にも喜ばれるはず。そう確信して行動を開始した。

 とはいえ、領主の息子が堂々と出張ることなど到底できない。

 だから僕はこのことを、ソフィアと、シンシアと、サファイアの三人にだけ、こっそり屋敷を抜け出して盗賊団退治に行く旨を伝えた。初め彼女たちは全員が反対したが、最初にシンシアが僕に賛同し、それを見たソフィアも同行すると申し出た。残ったサファイアも仕方ないと同行を決めた。

 こうして僕と彼女たちは盗賊団のアジトを目指した。

 すでに僕は商人や領軍の兵などに話を聞いて、アジトの位置はほぼ把握していたが、具体的な位置などは当然分からない。

 だからここで僕のスキルの出番だ。

 まず被害に遭ったという村の一つを訪れた。そこでは死人は出てはいなかったが、けがをした村人が何人かいて食べ物や金目の物を奪われたのだということだった。

 話を聞いた僕は、犯人が触れたであろう箇所の匂いを嗅いだ。『臭探知』のスキルである。これは犬やキツネなどの小動物が保持していたスキルで散在している匂いの中から同一のものを選びとることを可能とするスキルだった。とはいえ、ずっと嗅いでいるのはカッコ悪すぎるので、だいたいの方向に目星をつけた後、今度は『遠見』の

スキルを発動。所謂望遠鏡のような使い方の出来るものだが、相当遠くまでを知覚できるのだ。他にも『集音』や『感知』など、当たりをつけつつその都度スキルで確認を行いながら、僕たちはついに盗賊団のアジトと思しき山中の洞穴までたどり着いた。

 そこには見張りと思われる男たちが数人待機していて手に武器を構えてたっていた。

 それを僕は鑑定の鏡で確認する。

 すると、『剣士の才』『商人の才』『窃盗』『隠密』『気配察知』……あるわあるわ多様なスキル。

 僕は流行る気持ちを抑えて同行の三人に声をかけた。

 まずは僕が弓で攻撃してみるからみんなで援護してくれと。三人はすぐに頷いてくれたわけだけど、これは三人に敵を殺させないための方便だ。そして確実に僕は弓であそこの盗賊を殺せる自信があった。

 実は僕はすでに『弓術士の才』を手に入れているのだから。

 以前森に遊びに行ったときに、僕は死にかけの猟師に出会った。すぐに助けようと思ったのだけど、あいにく薬草やポーションの類も持ち合わせていなかったし、その手の魔法は苦手だったから使えなかったし。

 そうこうしている内に彼は苦しみ出してしまい、どうも毒蛇にでも噛まれたようでまもなく確実に死んでしまうと思われた。

 僕はどうしようか相当悩んだのだけど、あまりに苦しそうであったし、どうせ助からないだろうと思えたから、一思いに殺してあげることにしたわけだ。 

 で、持っていた短剣で彼を刺した後に自分のスキルを見てみれば、そこには『弓術士の才』が追加されていたというわけだ。

 弓の腕前は鍛えたこともあってかなり自信がある。そしてそんな僕にはまだまだ特殊なスキルがあるのだ。

『猛毒の牙』、『麻痺の牙』。これらは蛇やサソリを殺した際に手に入れたスキルで、これを発動させると自分の犬歯から猛毒や麻痺毒を出せるようになった。だからそれを利用して、僕は弓に自分の歯から滴らせた猛毒と麻痺の毒を矢にたっぷりと塗って、それを弓につがえて連続的に盗賊達を射た。

 筋力的にはまだまだ大したことないので威力は弱いけど、毒によって彼らはあっという間に絶命。

 確認してみれば、僕のスキル欄に『剣士の才』と『農作業』のスキルが加わっていた。

 盗賊なのに、農作業スキルがあるのか!

 

 三人のお供はそんな僕の活躍に飛び跳ねて喜んでいたけど、当然これで終わりじゃない。ここからが本番だ。

 僕は今度は剣を引き抜いて、それにも毒を塗りたくった。当然二刀流でだ。

 今度は3人にも協力を頼む。

 上位の回復役でもあるソフィア。

 すでに上級魔術師の域に達したシンシア。

 向かうところ敵なしのサファイア。

 三人とともにアジトの洞穴へと突入し、そしてあっという間に数十人の盗賊たちを皆殺しにすることが出来たのだった。

 いわば三人は牽制だ。彼女達が派手にうごけば動くほどに盗賊たちは右往左往するはめになった。そこに僕の猛毒の太刀が振るわれれば、掠っただけでも命を奪えるのだ、簡単な作業だった。

 あっという間にたまっていくスキルの数々。僕はそれだけでもう気分上々だった。

 それにしても、少し意外だったのはここにいた連中のあまりの不甲斐なさ。

 盗賊というからもっと手ごわいかと思っていればそんなことはなくて、大して強くもない連中の寄せ集めだった。

 なんにしても盗賊団壊滅という快挙は僕たちの勝手な行動の全てを帳消しにしてくれるほどのインパクトがあった。

 戻った僕たちのことをお父様は褒めたたえてくれたし、領民のほとんども僕のことをやれ神童だ、英雄だと持て囃してくれた。唯一お母さまだけは少し悲しそうな顔をされたはいたけど、抱きしめてくれたからただ心配していただけなのだろうと思えた。

 

 こうして領の英雄となった僕たちはその後の領内で起こる様々な事件の対応をこなしていくこととなる。悪人を殺す機会も増えたことで、スキルもガンガン溜まっていったわけで、僕はもうウハウハだった。

 

 13歳になった。

 ソフィアとシンシアも同い年だから、僕たちは同時に成人となったわけだ。

 領の大講堂で行われた式典で、僕は宣誓の儀に臨んだ。赤々と燃え上がる火炎の前で、一糸まとわぬ姿でただ裸体の少女と抱き合うだけ。その相手に僕はソフィアとシンシアの二人を指名した。

 伯爵令嬢のソフィアはともかく、奴隷であるシンシアを儀式に参加させることに難色を示した貴族もいたけど、それを僕は権力で捻じ曲げて通した。

 炎の前に裸で立つ二人は本当にきれいだった。

 少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうにしている二人をそれぞれきつく抱きしめた。それを見ていた新成人の領民たちはわーわーキャーキャーと声援を上げた中、儀式は盛大に幕を閉じた。

 

 だけど、それで気持ちが昂った僕たちが終われようはずがなかった。

 三人揃ってそわそわしながら帰路について、屋敷に戻ってみれば、そこにはスケスケのネグリジェを着たサファイアの姿。彼女は恍惚とした表情のまま、突然自分も含めた全員の服を剥ぎ取るとそのまま全員をベッドへと押し倒した、後は有無を言わさずに無理矢理に行為に突入。はっきりいって前世から見ても完全に初体験の僕に何をどうすることもできなかったのだけど、裸になった四人がまるで溶け合う絵の具の様に、触れ合い、混ざり、混濁と一つになっていくかのよう。

 僕は最高のシチュエーションで童貞を卒業したのだった。

 

 そして今、僕は17歳になった。

 

 僕はノースウィンドゥが誇る英雄として王都へとやってきていた。当然僕の愛妾達でもある、ソフィア、シンシア、サファイアも連れたって。

 今このエルタニア王国は危機に見舞われていた。

 領の各地で起こる奇怪な事件の数々と、凶悪化の一途を辿るモンスター問題など、その対応を図る様にと王城から勅旨が下されたのだから。だけど、ここに来た理由はそれだけではない。

 17歳になって初めて、『あの人』がお願いしてきたのだから。

 

『やあ、元気そうだね。随分楽しそうにしているみたいで本当に良かったよ』

 

 そんなことを言いつつ夢枕に立ったのはあの紫髪の女神様。

 彼女のおかげで僕はこんなに素晴らしいリア充ライフを満喫できているのだ。もう感謝しかない。だからどんなお願いをされても僕はそれに従うつもりでいた。

 そして彼女が言ったのは……

 

『これから王都へ行って、そこに現れる『勇者』を殺しておくれよ。なに、君なら大丈夫。もう君に敵うものもいないみたいだしね、ふふふ』

 

 そう微笑みながら消えていく彼女に僕は慌てて声を掛けた。

 

 ま、待って、せ、せめてそいつの名前を教えてよ。

 

 すると女神様はくすっと微笑んだ。

 

『行けば分かるよ。じゃあ、頑張ってね』

 

 そう彼女に言われたのだ。

 だからこそ僕はここにいる。

 エルタニア王国は全土において今荒れに荒れている。治安のよいとされる我がノースウィンドゥにしたって、盗賊や野盗が出没し続けているのだから。

 それはこの王都エルタバーナにおいても同じであった。神教の聖地にして、大陸南方の交易の要とも言える重要な都市。でも、世界が破滅する、国が滅びるといった悪い噂ばかりが蔓延し、かつて理想郷とまで謳われた肥沃な大地の千年王国は見る影もなくなっていた。

 そして、この王都から更に南部では、アンデッドの大群が出没しただとか、神話の破壊の巨人が現れただとか、破滅の獣が現れただとか、既に世界が何度も滅んでいそうな噂が飛び交っていた。

 まあ、それらを話半分で聞いたとしても、やはりこの王都で何かがあるのは間違いないのだろう。

 

 そして探さなくてはいけないのが『勇者』か……

 

 この街について早々、勇者についての情報を得ようと酒場や冒険者ギルドで話を聞いてみたりしたのだけど……

 

『勇者? そんなもん知るか! 儂は聖戦士を捜しとるんじゃ! ふんっ』と酒を煽った、ステータス数値が高すぎの屈強なドワーフに睨まれたり、『え? 勇者ですか? 勇者じゃなくて童貞賢者ならここにいるっすよ? ねえ、ご主人!』『だ、誰が賢者だ、マジでぶっこわすぞこの野郎』と、夫婦漫才みたいなことをやっているレベル1のカップルの旅人に出会ったり。

 というか、レベル1で旅をしているとか、どんな何だろう? 相当金持ちということなのかな?

 後は、見たこともない必殺技とかいうスキルを持った超高レベルの冒険者集団に遭遇したりとか、や、やっぱり王都は強い奴が多いみたいだった。

 ちなみに僕達のレベルは全員今30。正直、これは相当な強さなんだけど、やっぱり10以上レベル差のある相手とは戦いたくはない。機先を制する前にアビリティの差で叩きのめされる未来が濃厚だからだ。

 とはいえ、僕には無数のスキルがあるのだから、戦いかた次第ではあるとは思うのだけれど。

 

 いずれにしてもすぐに勇者を見つけることは叶わなかった。

 僕たちは国王陛下に拝謁して改めて国防に備えよとの勅旨を賜ったわけだけど、具体的に何をどうするかまでは指示されなかった。

 そこで、この王都に暫く滞在して王城からの指示を待つことになったわけだ。

 

 王都について2週間。

 相変わらず何も変化はなかった。

 勇者は見つからないし、王城からの指示もない。

 僕らはただ漫然と、城下にとった貴族向けの宿に泊まって惰眠を貪り続けた。まあ、ここには最高の抱き枕とも言える3人の美女もいるわけで、毎夜毎昼、好きなときに好きなだけ愉しむことができていたのではあるけど。

 

 そしてそんな風に4人で愉しんでいた昼下がりのことだった。

 

 

 ドドーーーーーーーン!!

 

 

「な、なんだ!?」

 

 突然激しい爆発音がしたかと思うと、開け放った窓の向こうに巨大な爆炎が巻き上がっていた。

 方角からして、都市の西の方角。人々の悲鳴や何かを叫ぶ声も聞こえる中、更に爆炎が複数個所で発生した。

 その爆発は次第にこちらの方……王城へと迫ってきているかのように思えた。

 

「い、いくぞ!」

 

 僕たちは慌てて服を着、そして帯刀して外へと飛び出した。

 街は爆発から逃れようとしている人が四方八方へと走り回っていて、もはやパニック状態。いったい何が起きているのかを調べようにも、あまりに事態が急すぎて得意のスキルでのサーチが全く出来なかった。

 とにかく爆発の原因を見ようと前へ出たその時だった。

 

『ヴ・ヴ・ヴ・ヴ・ヴ・ヴ・ヴ・ヴ・ヴ・ヴ・ヴ……』

 

 そこにあったのは身の丈4mはありそうな巨人の姿。

 でもただの巨人ではなかった。

 漆黒の全身鎧(フルプレートメイル)で身を包み、手は地面についてしまうのではないかというほどに長く逞しかった。だが、一番異様だったのはその下半身。通常であれば当然二本の足があるはずのそこには、カニのような鋭く尖った足が合計4本、地面に突き刺すようにして立っていたのだ。

 

「な、なんだよ、こいつは……」

 

 僕は初めて目にするその異様な存在に気おされつつも、先日漸く手に入れた『鑑定眼』のスキルで相手を見た。すると……

 

――――――――――――

名前:

種族:

所属:

クラス:

称号:

Lv:

 

恩恵:

属性:

スキル:

…………

……

 

――――――――――――

 

 

 なしなしなしなし……

 なにも無し。

 そ、そんなばかな……

 僕の鑑定眼が如何に優秀であるかはこの僕が一番良く分かっている。鑑定の鏡にも映らなかったステータスデータでさえも、鑑定眼であればきっちり把握できたのだから。

 だけど、こいつは違う。なぜ何も表示しないんだ!? なぜだ!?

 これではレベルもスキルも分からないし、分からないんじゃ何も対応できやしない! い、いったいどうしろっていうんだ……

 だが、そんな猶予を当然貰えるわけがなかった。

 

『ヴヴヴ……』

 

 突然奴のフルフェイスの中の目が真っ赤に光った。そう思った次の瞬間、奴は僕に肉薄していた。

 

「カイル様っ!! ああああっ!!」

 

「サファイアッ!!」

 

 迫ったそいつが僕へとその長大な腕で殴りかかってきたそこへ、サファイアが飛び出し僕の身代わりに殴り飛ばされてしまう。だが奴はそれに構わず、今度は振り上げた槍の様な足で僕を串刺しにしようとしてきた。

 

「『ド・ディフェンスシールド!!』 カイル様今の内です!」

 

 シンシアが魔法を行使しながらそう叫ぶのに合わせて僕は飛び退いたが、一瞬遅れて魔法で作った土の大盾を貫通したその足が僕の足へと突き刺さった。

 

「ぎゃああああああああっ!!」

 

「カイル様! いますぐに治療いたしますわ!」

 

 ソフィアがすぐに僕の足を魔法で復元する。

 それによって痛みが減じたことで僕は少し冷静になることが出来た。だからすぐにスキルを使った。

 

『超加速』『怪力大』!

 

 僕は急いで倒れていたサファイアを抱き上げると、そのままの勢いでシンシアとソフィアも抱えて一気に近くの建物の屋根へと飛び上がった。

 相手のステータスは不明だけど、あの重量感のある身体だ、足場の悪いこんな高いところまでは上ってこないだろう。そう思いつつ、対策を練る。

 僕には相手のステータスを見ることは出来なかった。だけど、逆に考えればあれは『見えなくするためのスキル』なのではないか? そう思えたのだ。

 僕が常に使用している『擬態(カモフラージュ)』は多少ならステータスをごまかせるけど、やはり高位の魔法やスキルの前では隠しきれない。だけど、当然その上位互換のスキルがあってもおかしくはないのだ。

 目の前の相手が使用しているのはまさにそのようなスキル。

 だとすればまだまだ戦い様はあるし、さらにそのスキルを獲得することができれば、僕は高位の魔術師とだってステータスがばれるのを気にせずに戦えるようになるのではないか。

 そんな考えが唐突に浮かび、僕はならば、ここはひとつ頑張らねばと気合が入った。

 相手は確かに頑丈そうだし、力も強い。

 だったらそれを正面からねじ伏せてしまえばいい。そうだ、僕にはスキルがあるのだから。

 

 僕は自分の身体能力をこれでもかというレベルまで向上させた。攻撃力、守備力、敏捷性、その全てを持ちうる全てのスキルを使って向上させておく。

 これで僕はレベル60の戦士と同等程度のアビリティだ。つまりほぼ地上最強という奴だな。

 よし! 準備OKだ。一気にやってやる!

 

「覚悟しろよ、この僕が倒して……え?」

 

 僕は奴を倒そうと地上へと降り立ち、さあ戦闘開始だと思ったその時だった。

 

「う、うそだろ?」

 

 一瞬で僕の右腕が切断されたのだ。

 まるでスローモーションのように宙に浮かんだままの右腕。痛みを感じる前に相手を確認しようと顔を向けたその時には、奴はもう僕の眼前にいて、そのフルフェイスの前面を大きく解放、そこから銃口のようなものを広げて僕に向かって光を放った。

 それはまさに光だった。

 それが僕の左肩あたりに直撃し、そのまま消し飛ばし、その直後に背後の建物が大爆発したのだ。

 

 あ、と思った時にはもう遅かった。奴が放ったのは『光線』だ。しかも破壊力抜群の。

 

 な、なんだ? なんなんだいったい? なんだあの技は? いや、ぶ、武器なのか? 光線武器? 光線銃? ま、まさか、そんなもの僕は知らない。

 あの女神様からスキルを貰うときだってどんなスキルがあるのかさんざん確認したけど、あんな光線を放つような道具や武器や、それ関連のスキルは見当たらなかった。

 じゃ、じゃあ、あれはなんなんだよ。

 身体強化した僕のスピードよりもはるかに速い挙動と、凄まじい攻撃力。僕の防御も全く役に立っていない。こいつはいったい……

 

「カイル様!」「今お助けしますわ!」「いきます!」

 

「ま、まて……く」

 

 来るな……そう言おうとしたけど、もう遅かった。

 なぜなら……

 

 あの四つ足の巨人の口から光がすでに放たれていたのだから。

 

 光に呑まれた3人。

 ああ、死んだ。

 死んでしまった。

 僕の大事な女の子達が一瞬で……

 ああ、なんで死んだんだよ……

 

 輝きの中で走馬灯のように彼女達との楽しかった日々が思い起こされて、僕はいつの間にか泣いていた。

 右腕は切断され、左肩から先はもう消滅しているこの状態で、自分の痛みも忘れてただただ僕は泣いていた。

 

 その時だった。

 

「泣き虫っすね、お兄さんは随分と」

 

「え?」

 

 光の奔流の只中からそんな場違いな声が聞こえたかとおもって顔を上げてみれば、そこには真っ黒な髪の毛をはためかせた全裸の美女の姿。 

 僕の腕を吹き飛ばしたあの光線をその身に受け続けていた。

 

 そしてもう一つの声が……

 

「てめえ二ム。また服を燃やしやがって。マジでふざけんな!」

 

「もう、勘弁してくださいよご主人。ワッチはただこの人たちを助けただけっすよ。また可愛いの買ってくださいよ」

 

「知らねえよ、そんなのてめえで勝手に買え! ったく、なんなんだこの世界は。ポルタック・オードンリーフの殺人機(ターミネーター)かよ。マジでこの世界の人間皆殺しにする気じゃねえか」

 

「ま、ちょいと年式が古いっすけどね……っと!」

 

 そう言うなり、全裸の美女は目の前の四つ足巨人を殴った。そう殴ったんだ、素手で。

 その瞬間、巨人はそのどてっぱらに大穴を開けて爆散した。

 あ、あれはまさか、機械?

 

「ふう、ま、旧式ならこんなもんっすね? ご主人の敵じゃないっすよ」

 

「あほ、油断してんじゃねえよ。こいつらが一機なわけねえだろうが。くるぞ」

 

「え?」

 

 何を言っているのか良く分からないままに顔を上げた僕の視線のさきに、さっきの四つ足巨人の姿が再び浮かび上がった。家々の合間からのそのそと現れ続ける巨体の数々。その腕には今度は電柱のような巨大な得物を掲げているものまでいる。その数、見えているだけで、およそ50。

 

 う、うそだろ?

 たった一体で僕は死にかけて……そして彼女達も助けが無ければ間違いなく死んでいたんだ。

 それなのに、いったいなんでこんなにたくさん出てくるんだよ。

 もう、僕は何も思考できなかった。

 今まで僕は強くなるためにスキルを集めていた。それはひとえに生き残るために。この世界でおもしろおかしくスローライフに興じたいがために。だけど、この存在は違った。

 何も効かなかったし、何も出来なかった。

 本当に僕ではどうしようもなかったんだ。

 

「くく……仕方ねえなあニム。てめえじゃあどうしようもなさそうだから、今回は俺様の新作魔法でやってやるぜ」

 

「まあ、別にワッチでも大丈夫そうっすけど、ご主人も少しは活躍したいっスもんね、どうせレベル上がんないでしょうけど」

 

「うるせいよっ!!」

 

 お、思い出した。

 この人たちとは一度会ってるんだ。そう会っている。あのレベル1の人たちだ。たいしたスキルも、アビリティも全然ないのに、いったい何をやろうとしてるんだ? 魔法? 使えるわけない、だって魔力もな……い……

 

「ふははははは、食らえ必殺の……」

 

 その時僕は見た。

 そこに広がる圧倒的な暴力を。理不尽なまでの非常識を。

 

 この日、僕は……

 

 この世界に初めて絶望した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一話 勇者を探すのです

「うーむ」

 

 俺は真っ白な空間に立っていた。そうただ立っていたのだ。

 だが、まあだからと言って別段驚くほどのことでもなかったのだけれども。

 俺はとりあえず見当をつけてまっすぐに歩む。そして徐々に現れる人気のない街並みと、正面に見える四本の尖塔とその中央に鎮座する城に向かう。

 門まで着くと、それを適当に押し広げ、すたすたと中へ。後はいくつか廊下を折れて、中庭を右手にしたままで突き当たったら、その左のふすまを開いて、はい到着。

 誰も中にはいなかったから、俺はつかつかと畳の上を歩いて、ついこの前座った場所に普通に座った。

 

 で、しばらくそうしていたら……

 

「はぁはぁ……紋次郎様……? どうしてこの城の主である私よりも先に接見の間に辿り着けるのですか? 迷いの暗示を無視して、まっすぐに到着しないでくださいませ。女神としての自信が消滅してしまいそうです」

 

「知らねえよそんなこと。一度来れば、大体はわかんだよ! それよりも、俺はてめえに言いたいことが山ほどあんだよ! わかってんだろうな、ノルヴァニア」

 

「それはこちらも同じでございます。紋次郎様は一体何者なのでございますか!? なぜあの『終末の獣達』をああも簡単に倒しておしまいになられたのですか?」

 

「はあ? 何者も何も、日本人だと言っただろうが! それに全然簡単じゃなかったんだぞ! 二ムの燃料だってギリギリだったし、γセルデストロイヤーだって、たまたま材料が揃ってたから作れただけだ。マジで死ぬかと思ったんだぞ。それよりもてめえ、やっぱり金獣のこと知ってたんじゃねえか」

 

「金獣……というのがあの『終末の獣』の紋次郎様の世界での呼び名なのでございますね。ええ、知っておりました」

 

「てめえ、開き直って澄ましてんじゃねえよ。教えろよ先に! そういう大事なことは」

 

「教えたとして、あれを倒せるなどとは到底思えなかったのでございます。私はただ、今しばらく紋次郎様に生きながらえて頂きたかっただけでございましたから、無用な話をして恐怖を植え付けたくはなかったのでございます」

 

「マジでふざけんなよ!? だったら何か? お前はあのバケモンが出てきたとして、俺だけは助けて、他の連中は全部見捨てようとしてやがってのか?」

 

「その通りでございます!」

 

「んなっ!?」

 

 俺は目の前で着物姿でピンと背中を伸ばしたまま正座して俺を見つめる絶世の美女の言に、絶句した。

 こいつの言葉はあんまりすぎた。

 なにしろ、あの時出てきたのはあの金獣……しかも出来損ない(ヘカトンケイル)ばかりではなく、大怪獣キング・ヒュドラまで現れやがったんだ。ここが地球なら、反攻しなければどんなに遅くても1年で世界は喰いつくされて滅亡するほどの存在なのだ。

 それを放置して俺だけ助けて、後はみんな見殺しとか、いったいそれをどの口が言うのか。

 

「てめえ……」

 

「紋次郎様が仰りたいことは分かっております。私が為そうとした行為が最低最悪のものであることも分かっております。けれど、世界を救うためにはこうするしかあの時の私にはなかったのでございます。終末の獣に如何に世界を蹂躙されようとも」

 

「はあ? 世界を救うだ? 金獣放置して救える世界なんかあるもんかよ。そもそもてめえは人類より自分のオナニーライフを優先したかっただけだったんだろうが! 散々人に醜態さらしまくりやがって」

 

「お、オナッ!? そ、それは、ひょ、ひょっとしてに紋次郎様のお情けを頂けるということでございますかっ!?」

 

「い、頂ける分けねえだろうが、っざっけんなこのくそビッチ!」

 

 しゅんと一瞬で項垂れるノルヴァニア。だが、彼女はすぐにまた背筋を伸ばして俺を見た。

 

「私が快楽を求めて止まないことに関しては何一つ申し開きしませんけれど……」

 

「ついに言い切りやがったな、お前マジで近寄んなよ!」

 

「も、申し開きはいたしませんけれど!! 今回のことはそういうことではないのです!!」

 

 強い語調でそう言った彼女は俺をまっすぐに見つめた。

 

「じゃあ、なんだって言うんだよ?」

 

「はい。紋次郎様に生きながらえて頂きたかった本当の理由は、『勇者』を探し出して欲しかったからなのです。探しだし、そしてその勇者を導いて欲しかったのです」

 

 そうはっきりと彼女は言い切った。

 

「はぁ? 勇者だ? 勇者ってあれだろ? ゲームとかの主人公で、魔王とか邪神とかを倒すっていうあれだろ? まさかまたあれか? ワルプルギスの魔女とかいう奴の予言なのか? 魔王を倒すとかなんとかっていう関連の話か」

 

 そう聞いてみれば……

 

「はい……」

 

 ノルヴァニアはすぐさま返事をして、そして沈鬱な顔になって俯いてしまった。そして口を開く。

 

「ワルプルギスの魔女に出てくる最後の章は、魔王と人類の壮絶な戦いがあると描かれておりました。それを最後に世界が滅ぶとも。ですから【オルガナ】はこの戦いを未然に防ごうと、魔王と目される存在の封じ込めに動き続けたのです」

 

「オルガナって、あれだろ? 元女神で、自分から女神を辞めて、5000年以上前から人類存続に奔走しているっていう、二次小説書きの女だろう?」

 

「??? ま、まあ、そうです。オルガナは『300年前』の『異形達』との戦いでその力のほぼ全てを失っておりましたが、この最後の魔王との戦いをなんとか避けようと、各地で魔王と呼ばれているモンスターの行動を抑制したり、強い力を持って生まれた存在を監視したりしていました。けれども、彼女の目を掻い潜り事態は悪化の一途を辿ってしまい、今回のような終末の獣の出現も許してしまいました」

 

「おいおい、その話だけを聞いて居ると、オルガナって奴はとんでもないお人よしだな。世界を終らせようとしている連中がゴロゴロしてるってのに、その原因になりそうともいえる連中を生かしたままにしているのかよ。大体それを一人でなんとかしようってのがおかしすぎるだろう? なんか身体も張って戦ってるみたいだし」

 

 なんとなくだが、さっきの話は聞いたことがあった。

 300年前の戦いといえば、あの『魔竜戦争』のことだろう。5英雄が各種族を率いて戦い、魔竜を葬り去ったというもはや伝説ともなっている昔ばなし。だけど、いろいろ腑に落ちない点が多いんだよな、この話。

 何しろ、魔竜がどんな存在だかが良く分かっていないのだ。

 首魁の名前が『メフィスト』という、どっかの偉そうな悪魔貴族みたいな名前だけど、それくらいしかわかっておらず、どんな姿なのか、どんな生物なのかは、口伝中心の物語の中では色々変遷を見せていた。それこそ、巨人だとか、竜だったとか、人の姿をしていたとか、はたまた霧みたいな触れることのできない相手であったとか……

 300年といえば確かに大昔ではあるけど、人類史の中でいえば300年なんてほんの一瞬だ。ちょっと昔にあった出来事だというのに、攻め込んできたその魔竜の遺骸の一つも存在しないなんてことがある訳がないのだ。

 まあ、目の前の女神様なら分かるのだろうと思って、聞いてみれば。

 

「わかりません」

 

「は?」

 

 そんな予想外の答えが返ってきた。

 

「いや、分からないって、それはどういうことだよ? お前が言ったんだぞ。この世界は我々女神が作りましたってな。だとしたら、この大陸に攻め込んできた連中だって、元をただせばお前らが作ったものの一部だろうが」

 

「それは違います。あれは我々が作ったものではありません。ですが、今でしたらはっきりとわかります。あれは紋次郎様と同じように『異世界』から来たものであったのでしょう」

 

「マジかよ……」

 

 確かに予感はあったのだが、改めて考えればその答えが一番しっくりくるのだ。

 この世界には異物が混ざってしまっていたのだ、それも遥か昔から。それならば、あの金獣がいたことも納得できる。正直、あれがいた時点で世界滅亡は必至なのだからな。

 

「ふう、マジでオルガナって奴はバカだな。金獣までいたってのに、破滅の原因になりえる人間に手を下せないとか、本当に甘々すぎだろう。ま、そんな理由で殺されでもしたらそれこそ恨んで魔王にでもなんにでもなっちまいそうではあるが」

 

「彼女のことを悪く仰らないででくださいませ。あの子は優しすぎたのです。本来交わる必要のないこの世界の住民の幸せを願い、争い傷つく人々を救いたい一心で女神の権能を放棄したのですから。そして彼女の身体に残された命もあとわずかで」

 

「やれやれだぜ。とにかく、お前の口ぶりじゃあ、魔王がもう復活しそうだということだよな? だから、女神全員の力を集めて伝説の剣だか、エクスカリバーだかを手に入れて魔王を倒せなんて俺に言ったんだよな? そういうことなんだよな」

 

「はい。その通りでございます。ですが紋次郎様は予言に言われる『救世主』ではあると思うのですが、『魔王』を倒す存在はやはり『勇者』。救世主たる紋次郎様には是非勇者を導いていただきたいのでございます。ただ、予言通りですと、救世主様は魔王打倒の後に、お亡くなりになるそうなのですが、紋次郎様でしたら大丈夫でございますからご安心を」

 

「こらこらこら、滅茶苦茶聞きたくないセリフをさらりと言いやがったぞ、てめえは! そもそも俺は救世主でもなんでもねえんだよ。なんなんだよこの世界の連中は、やれ、賢者だ、救世主だと、人のことをなんだと思ってやがる。マジでふざけんな!」

 

「いえ、紋次郎様は救世主ではあられますが、絶対死なせるわけにはまいりません。私が土の女神の全ての権能をかけてお守りして、これから永劫の快楽生活を共に送っていただきますので、安心して救世主のお仕事を全うされてくださいまし」

 

「マジでいい性格してるのな、てめえ。 そういうの『拉致監禁』っていうからね。そんなに気持ちよくなりてえなら、今度快楽中枢刺激して無限に気持ちよくなれるように、脳を改造してやるよ。あれ? 女神って脳みそあるのか? まあ、なんとかしてやるよ」

 

「ま、マジでございますかっ!?」

 

「く、くいつくんじゃねえよ! そこに!! 別にいいよ、だから俺を巻き込むんじゃねえぞ? そうすりゃお前は明るく楽しいオナニーライフを手に入れられるんだからな」

 

「は、はい……んんんんんんん……、そ、それは、もう……た、たまりませんぬ……んん……」

 

「お前、いきなりここでおっぱじめるんじゃねえぞ? いいな!」

 

「は、はい……、あ、えと、そろそろ失礼しても……?」

 

「いや、呼んだのお前だし、お前の用が済んだならもういいけど、お前、本気で人前でもじもじしながら股間触ろうとするのマジ止めろ!! っていうか、あきらかにそれ目的で退室しようとすんな‼ 俺が恥ずかしい!」

 

「あ、えと、その……んんんんん……」

 

 何を顔真っ赤にして嬉しそうになってんだよ? いや、別にこれ『おあずけプレイ』とかそんなんじゃねえからな!?

 

「あー、じゃあ、あれだ。最後に一つだけ聞いておくぞ? お前の言ってるオルガナのことだ。どうも口ぶりだともう死にそうな感じだけど、今どこにいるんだ? それくらいは知っているんだろう?」

 

 その問いに、スッと表情を元に戻したノルヴァニアが真摯な口調となって言った。

 

「紋次郎様。オルガナは今この地、エルタニア王国の王都、エルタバーナにあります。そして今、この地は『滅びの魔王』の誕生に向け滅亡の歩みを進めています。紋次郎様、どうかお願いでございます。どうかオルガナを……オルガナの心をお救いください。お願い申し上げます」

 

 急に変わったその雰囲気に俺も呆気にとられたわけだが、ノルヴァニアの真剣さは手にとるように分かった。だから俺は宣言した。

 

「ああ、分かったよ。『失われた七つ目の魔素(マナ)』の主……俺も興味があるしな。それに、お前の大事な友達なんだろう? いいよ、友達を助けたいって気持ちは、俺だってわかるからよ」

 

「紋次郎様……あ、ありがとうございます」

 

 ノルヴァニアは深く深く頭を下げたのだった。

 ふう、それにしても魔王に、勇者に、救世主か。それに滅亡だ、破滅だと、禄でもない話ばかりになっちまったな。

 いとも簡単に人が死んでいくこの世界だ。のんびりしてたんじゃああっという間に俺も死んじまうし、流石に純愛も経験しないままに死ぬのは俺も嫌だしな。

 まあ、金獣だって相手したんだ、『捕食者』だろうが、『殺人機』だろうが、『寄生憑依生命体』だろうが、なんでも相手してやるさ。

 

「で、ではそろそろ失礼して……」

 

 またもや赤面でそわそわ始めるノルヴァニア。あー、はいはい分かりましたよ。ったく、俺までちょっとしたくなってきちまったじゃねえか。

 

「あ、そういや、オルガナってどんななんだ? 人間なんだろうけど、目印は?」

 

 そう聞くと?

 

「? はて……? 紋次郎様はお会いになられたことがある筈でございますが? 眼鏡をかけていて、小柄で、ローブを着て……その手にしている『魔導書』を手渡した……」

 

 つまり、やっぱりあの眼鏡痴女(言い掛かり)がオルガナで間違いなかったわけだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 王都エルタバーナ

 エルタニア王国。

 国土の大半が肥沃な平原ということもあり生産される農作物品と、南部ピレー山脈山麓より産出される希少金属などの一次取引の要として栄えた商業国家であり、また大陸全土で最も信仰されている神教の聖地でもあった。

 西には小国連合や仇敵でもあるギード公国が控えるも、北の大国ジルゴニア帝国の庇護下に入っていることもあり、南方地域では比較的優位に独立が保たれている王国でもあった。

 また、東のダンダリオン大平原の先には内海ともいうべき広大なロコココ湖が広がり、大陸東部と完全に隔絶されていた。

 その中央たる王城を備えた王都こそがこの『エルタバーナ』。

 歴代王はすべて神教の忠実な僕であり、立場上は教皇を仰ぎ見る存在となっているが、それによって神の名の元に政治を行う神聖政治の一面も持ち合わせていた。

 形式上の最上位者は当然神であり、教皇が二位、そして国王は三位という立場となっているが、実態は君主制である。

 神聖政治を行っていることから、軍には教会が認定した聖騎士が付くこととなり、エルタニア王国の正規軍は、エルタニア聖騎士団とも呼ばれていた。

 そのような政治形態のままおよそ1000年……このエルタニア王国は平和な時を刻んできていたのである。

 

 しかし……

 

「うわ……これがまじで、『理想郷』なのかよ……」

 

「ああ、旦那は王都は初めてだって言ってたよな。これが今の王都の現実だよ。かつての『千年王国』の面影は見る影もないけどな」

 

 開門された外壁部の門から中へ入ってみれば、そこはまるで難民キャンプの様なありさまだった。家々の多くは朽ち果て、もともと店であったのだろうそこは外から板が打ち付けられて閉店しているのだが、それらも破られ、店内も酷く破壊されてしまっていた。

 そしてとにかく目を引いたのがそこに溢れる浮浪者の数々。痩せこけ、骨と皮ばかりになった連中が通りのあちらこちらで横たわってもう生きているのか死んでいるのかさえ分からない感じで溢れていた。

 

「この辺は家を失った連中のたまり場みたいになってるから、もう少し王城へ近づけば店もあるし、まだ普通の生活してるやつらもいるぜ。ギルドもあっちの方だ」

 

 シシンが指さす方向はその浮浪者たちの群れの更に先。

 だが、どう見てもそっちの方もそんなに栄えている風ではない。

 背後のヴィエッタやオーユゥーン達を見れば、顔を顰めたまま明らかに困惑していた。マコとバネットに関してはもう鼻をつまんでさえいたのだし。

 お前らそれはいくらなんでも失礼すぎるからやめろ。

 とはいえ、この臭気は俺も相当きつかったわけだが。

 激しい獣臭とでもいえばいいか、汗や糞尿やあらゆる人の分泌物が時間をかけて濃厚に熟成された匂いとでも言えばよいか……正直俺もここまでの匂いを嗅いだことはかつてなかった。

 月軌道での宇宙灯台メンテナンスの時に、たまたま漂流していた宇宙船と遭遇して、およそ20人のクルーを救助した経験があったのだけど、あの時も相当臭いとは感じたが、今回は規模が違いすぎた。

 この中で平然としているのはシシン達緋竜の爪の連中だけだ。

 こいつらにとってはさして問題になるようなものでもないんだろうな、流石だ。

 

 俺達はシシン達の先導で宿屋へと向かった。

 

「旦那。俺らはこれからギルドに報告に行くんだけど、旦那たちはどうすんだ? このまま宿に入っちまうのかい?」

 

 そう問われ、俺は空を見上げた。

 まだ、陽は高いし宿に入るにしてもそんなにいそぐ必要もなさそうだ。

 となれば、とっとと用事を済ませた方が良いだろう。

 

「あー、いや、俺らは……」

 

「当然買い物っすよ!! ね、ご主人!! ねー、可愛い服買ってくださいよー」

 

 急に俺に纏わりついてきた機械人形。この野郎、ここまで静かにしてたと思っていたら、いったい何を言い始めやがるか!?

 

「おまえ、いったい何しに来たと思ってんだよ」

 

「え? 観光じゃないんすか?」

 

「ちげーだろうが、これだよこれ。このナイフを届けに来たんだろうが!」

 

 俺は懐に固定しておいた例の赤い刀身のナイフを取り出して二ムへと見せた。

 すると、こいつはポンとひとつ手を打って、

 

「あー、そういえばそう言う話もありやしたねー! でもご主人まじめっすね? そんなのいつでもいいじゃないっすか? 期限決まってやしませんし!」

 

「アホか! 頼まれごとを真っ先にやらねえでどうすんだよ!? こういうとこちゃんとしてねえと信用されなくなっちまうんだぞ?」

 

 それにこの剣自体かなりヤバめの代物だって自覚もあるし、さっさと手放したかったのだ。

 なにしろ、あの化け物みたいなレベル70(聞いた話)の青じじいを、一斬り掠っただけで粉々に分解して殺しちまいやがったんだ。はっきり言って超怖い。

 トリニティ核融合炉10基で漸く一発発射できる原子分解砲と同じ性能持ってるとか、いったいどんな冗談だって話だ。

 怖すぎて、すぐに捨てちまいたかったけど、それこそ悪用されたが最後、世界が終わっちまいそうでそれも出来なかったし。うう、怖すぎだよ、マジで。

 

「では、ワタクシ達は先に宿に入らせていただいてお部屋を整えさせて頂くといたしますわ。宜しいですか? バネット姉様、シオン、マコ?」

 

「うん」「オーケーだよ!」「了解、オーユゥーン姉」

 

「ヴィエッタさんはどうされますの?」

 

 そうオーユゥーンに言われ、ヴィエッタは少し悩んでから、

 

「私は紋次郎と一緒に行くよ」

 

「分かりましたわ。それでは後程」

 

 そうさっさと話しを纏めて宿へと入ろうとしていたそこへ、シシンが声を掛けてきた。

 

「ちょっと待ってくれよ、オーユゥーン姉さん」

 

 そう言われ、少しムスッとなったオーユゥーンがシシンへと顔を向けた。

 

「シシン様に『姉さん』と呼ばれるのはなんだか釈然としませんわね。ワタクシの方が年下ですのよ?」

 

 それにへへと笑ったシシンが言った。

 

「んなこた分かってんだよ。姉さんは旦那の女みたいなもんなんだろ? 正室でも妾でも情婦でもなんでもいいんだが、旦那の女なら俺からすりゃあ、姉さんでいいんだよ」

 

「お、女!? ですの……」

 

 オーユゥーンはなにやらポッと頬を赤らめて俺を見ているんだが、やめろよそんなまんざらでもないですわ的な顔。俺は本気で何も手を出す気はねえんだからな!

 

「まあ、あれだ。色々とあんたたちにも迷惑かけちまったけどよ、一緒に旅が出来て良かったぜ。それだけ言いたかっただけだ」

 

 そう言ったシシンへと、ニコッと微笑んだオーユゥーンも応じた。

 

「こちらこそですわ。天下に名高い、『赤竜殺し』の緋竜の爪の皆様とご一緒出来たこと、光栄に思いますわ」

 

 え? シシン達って何? 竜殺し(ドラゴンスレイヤー)だったのか? え? 確か本物の竜殺し(ドラゴンスレイヤー)って指で数えるほどしかいないんじゃなかったっけ?

 そんな俺の疑問はお構いなしにシシンが今度は俺に向き直って手を差し出してきた。

 

「ま、縁が会ったらまた 会おうぜ。旦那の為ならこの命、いくらでも捨てるからよ」

 

「いや、それはやめてくれ」

 

 俺はシシンの手を握りながら言った。

 

「お前の二人の嫁さんに殺されちまうからな」

 

「はっ!! あははは!! だよなっ! あはははは」

 

 高笑いするシシンにまたバンバンと背中を叩かれた。だから痛いから! アビリティの差を考えろってんだよ!

 そして、じゃあ元気でと、シシン達はあっさりと俺達の前から去った。

 まったくあいつらときたら登場もあっさりだったが、去るのもあっさりすぎだろう。

 だが、まあ、どうせすぐに会う事にはなるんだろうけどよ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 聖アマルカン修道院

「そうですか……フィアナ様がそんなことを……」

 

「ああ」

 

 目の前の神官衣の青年が、少し悲し気な表情で俯きつつ手渡した赤色の短剣を眺めていた。

 ここは今回の旅の目的地でもある『聖アマルカン修道院』。

 王城から少し離れた小高い丘の様になっている、そこに屹立した巨大な城とも呼んでも差し支えのない白い建造物の中に俺たちはいた。

 ここはたくさんの修道士、修道女が青い清潔そうな衣服に身を包んで、それこそ清掃などを欠かさず行っていることもあってゴミ一つない清廉な空間となっていた。

 敷地の外の難民キャンプとは大違いの様相だ。

 そこに現れた茶髪イケメンの背の高い若い神父が現れて俺たちに会ってくれたわけなんだが、俺はこの剣を預かるきっかけとなった事件の数々を説明したうえで、フィアンナも決して言い逃れしようとかしているわけではない旨を彼へと伝えた。

 

「あいつは今アルドバルディンで父親の跡を継いだ形で必死に領の運営を頑張ってるんだ。一区切りついたら必ず罪を償いにここに来ると言っていたしな。済まないがそれを信じてやってくれよ、頼む」

 

 俺がそう言いつつ頭を下げると、隣にいたニムとヴィエッタもそれに倣ってお辞儀をする。

 そんな俺たちに、その年若い神父は慌てた様子で声を出した。

 

「お、お待ちください。皆さまがそのようにされる必要はございません。私たちは別にフィアナ様を咎めようとも、その罪を暴こうとも思ってはおりません。このように自ら悔い、それを償おうとされておられるのです。そのような想いこそが正に贖罪。天なる神は必ず彼女をお救いくださります故」

 

「ふーん」

 

 神父は穏やかな表情で両手を拡げそのように宣った。

 まあ、言っていることは理解できるけど、罪を犯したにしてはかなりぬるい考え方に思えた。彼はその思いを感じとったのか、にこりと微笑んでから俺へと言った。

 

「人は罪を犯すものなのです。大事なのは、その罪にどう向かい、どう悔いるかということなのです。残念ながら、自分ひとりではどうしようも出来ず、聖騎士団に捕縛され刑の執行を受ける者もありますが、それも全ては神の御心を得るための修行。過ちをもって自らを省みて、そしてより良き神の子として成長することが大事なのです」

 

 日曜礼拝の説教の様に滔々と語る神父の言葉は、まあ、実際多くの信者に話している内容でもあるのだろうな。

 でも、これは結構危険な思想でもある。

 罪を自分で償うことで許されるならば、罪の重さ、償い方を自分で決めることが出来るということで、極端に言えば、『自分としては殺人は駄目なことだと思うので、殺してしまったのでごめんなさいと相手の家族に謝ります』という、贖罪を押し通すことも出来てしまうということでもある。

 まあ、実際にそんなことになって許されるわけはないのだが、もし犯罪者が権力者であったりすればもう泣き寝入りするしかないことになるわけだ。

 確かに手に余れば聖騎士が出てきて警察、裁判な流れだろうが、俺はすでにその聖騎士の制度が破綻してしまっていることを知っている。あいつらの方がよほど犯罪者だからな。

 神父は俺が何も話さないことを気にしたらしく、もう一言付け加えた。

 

「実は、敬愛する我が教皇、アマルカン様もかつて罪を犯したことがあるのでございます。教義に固く禁じられている姦通の罪を犯し一時は教会を破門されておられました。しかし、アマルカン様は自らの罪を深く悔い、人々の救済にご尽力なされ、こうして今では歴代に並ぶものもないともされるほどの偉大な教皇として称えられるまでに至りました。実は、私もアマルカン様にお救い頂いたうちの一人なのでございます」

 

 その話を興味津々に聞いていたニムは食いつくように彼へと声を掛けた。

 

「神父さんも何かあったんですかい?」

 

「お前な、いきなりプライベートな部分を聞こうとしてんじゃねえよ。もう少し自重しやがれ」

 

「いえいえ構いませんよ。何しろ私の場合、罪を犯したのは私の母。父と我々子供たちがいたにも関わらず、他の男性と通じてしまったのですから。そして、そのお相手がなんと、現教皇アマルカン様でございました」

 

「ほ、本当か?」

 

「はい、本当の事です」

 

 若い神父は苦い顔……というより、むしろおかしいと言った感じで微妙な笑顔になって俺たちを見た。

 

「先ほど申しました通り、姦通の罪は神教においては非常に重い罪なのです。それも、厳格なカリギュリウムの教えであれば猶更のことで、アマルカン様も罪を償われましたが、母も同様に償ったのです、自らの命でもって。その際、わが父も母と運命を共にしたと私は聞きました。きっと父は母を誰よりも愛していたということなのでしょう。二人でともに天へと召されました。でも、残された我々子供たちは路頭に迷うこととなりました。そんな時救いの手を差し伸べてくださったのが、アマルカン様でございました」

 

 彼は一度ほうっとため息をついてから、柔らかい表情で語った。

 

「私たち兄弟はアマルカン様を恩人とも父とも思い慕っております。アマルカン様のために私もこの身の全てを捧げて行く所存なのです。皆様もご覧になられたでしょう。今、このエルタバーナは……いえ、王国のいたるところで異変が起きております。飢饉に疫病、モンスター災害に盗賊集団の横行。世の乱れはもはや人々の小さな努力でなんとかなる域を超えてしまっているのです。ですから今、アマルカン様自ら世直しの旅にお出になられたのです。大いなる神の御業と、そのお優しさでもって多くの人々を救済なされているのです。そのことを、弟子でもあり、子でもある私は大いに尊敬しています」

 

「神父さんは、本当に教皇様がお好きなんですね」

 

「はい、その通りでございます。アマルカン様こそ、この世界でもっとも尊く偉大なお方であられますから」

 

「「「おお……」」」

 

 きっぱりはっきりとそう言い切った彼のさわやかな表情に、俺とニムとヴィエッタは三人で思わず感嘆の声を漏らしてしまった。

 いや、ここまで言い切られれば、胡散臭いだどうだとかいう以前に、むしろ清々しすぎる。

 こんなにも純粋に一個人を称えられるなんてよほどのことなんだろうとも思うしな。

 話を聞く限り、教皇様は相当にご苦労なされているようでもあるし、やはり人徳者は違うということなんだろう。

 

「はあ、同じ聖職者でもこうも違うものなんだなぁ……あのイカレ狂信者の青じじいに、爪の垢でも煎じて飲ましてやりたかったよ」

 

「ほんとそうっすよねー。あの人の自己中っぷりはもう見ていて痛すぎやしたからねー」

 

 うんうんと頷く俺たち三人に、それはなんのことですか? と若い神父が聞いてきたから、俺たちは教えてやった。ここに来る前に遭遇したイカレ神父の全てを。

 彼はそれを聞き、震える手で神へ祈りを捧げつつ返した。

 

「なんと……そのような異端の輩が存在していたとは……神をも恐れぬその所業、本当に恐ろしいことです。ですが、そのような輩も皆様が御成敗頂いたとのこと。心よりお礼申し上げます」

 

「いや、まあ、なんというかそいつを倒せたのはその剣のおかげでもあるんだよ……ぎりぎりのところでこの件があの狂信者を葬ってくれたからな。はっきりいって、もう少しでヴィエッタも死にそうだったから本当に助かったんだ」

 

 それに神父は驚いた顔に変わった。

 そして、自分が今抱えていた真紅の剣に目を落とした。

 

「なんと……。この亡者の剣は多くの人々の命を吸い、生あるものを死へと誘うとされた魔性の剣と聞いておりました。ですが、なんと皆様をお助けしたのですか……。これも全て神のお導きか……。死をつかさどる剣が、生ある者を守る。これも奇跡であったのでしょう」

 

 感嘆の声を上げる神父は大事そうに剣を抱え、それに向かって頭を垂れ祈りをささげた。

 この人は本当に信心深い人の様だ。見ていて気持ち良いとさえ思えてくるその所作に、俺もやっと一仕事終えられたかと安堵していた。

 

 大聖堂内で神父と会話を終えた俺たちは彼に誘われて出口へと向かって歩いた。その間もずっと彼が先導してくれたわけだが、見ていると周囲の修道士たちがみんな道脇に控えて一様に頭を下げていた。

 俺は最初、ただ礼儀正しいだけかと思っていたのだが、頭を下げるその連中の視線はみんなこの若い神父に向かっていて、男も女もどこか幸せそうな表情で見つめていることに気が付いた。

 この人、実は結構上役の人なのか? それにしては人懐っこいしフットワーク軽いのだが……

 

 出口に着き、そこで送ってくれた彼へとお礼を述べる。 

 すると、彼はにこやかに微笑んで言った。

 

「そういえば、まだ私は名乗っておりませんでしたね、大変失礼いたしました。私の名前は、【ヒューリウス】。現在教皇庁において教皇補佐と枢機卿を拝命しております。どうぞヒューとお気軽にお呼びくださいませ」

 

 さわやかにそう発言したイケメンは、やっぱり只者ではなかった。

 というか、お気軽に呼ばせようとするなよな、マジで。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 道路はきちんと右側を歩きましょう

「なんかめっちゃ好青年でしたね! しかもイケメンでしたし、本当に世の中まちがってやすね、ご主人!」

 

「てめえ、何を人の面見て鼻で笑いながら言ってやがんだよ。自分で言うのは良いけど、人に言われんのはマジでむかつくんだよ」

 

「まあまあ、そんなに怒んないでくださいよぅ。ワッチは断然ご主人の方が好きっすから! ね! ね!」

 

「私も紋次郎の方がいいな。ううん、紋次郎じゃなきゃ嫌だよ」

 

「お、お前ら急にくっつくな! やめろよ、手のひら返すんじゃねえよ、離れろ!!」

 

 ニムとヴィエッタが俺お両サイドから組み付いてきて、ぎゅうっと潰されてる感覚になっちまった。

 それを道行く柄の悪い連中に睨まれているわけなんだが、単純に俺が力負けしているだけであって、別にお前らに見せつけてるわけでもなんでもないわけでだな!

 

「っざっけんなてめえら! 両サイドから圧し掛かってくるんじゃねえと言ってんだよ!」

 

「もう、ご主人ってば恥ずかしがり屋さん! 遠慮しなくていいんすよぅ。うふ」

 

「あ、服がゴワゴワしてた? やっぱり裸の方が良いよね? 紋次郎?」

 

「んなわけあるかーーーー! いい加減にしやがれ! 『鎧化(ド・アームド)』!」

 

「きゃっ!」「わっ!」

 

 あまりにうざかったので、俺は脳内で魔法陣のギアを一気に加速! 鈍色の金属チックな厚めの全身鎧を顕現させて密着していた二人を鎧で引き剥がした。

 まあ、ちょうどヴィエッタのおっぱいがめちゃくちゃ触れてたからな。ノルヴァニアのマナを吸収し放題だったってことはあるが、魔法を使うたびに、あのオナマス女神が感じまくってるかと思うと何か釈然としないものがあるのだが……うーむ。

 鎧の出現の勢いで弾かれた二人はそれぞれ左右に弾き飛ばされて通りの両側に今移動したわけなのだが、まったくいい加減にしろよなと嘆息していたそこに、突然それがやってきた。

 

「どけどけどけっ!!」

 

「ん?」

 

 鎧の兜越しに何かの声が聞こえたかと思いそっちへ顔を向けてみれば、そこにあったのは2頭の恐竜の顔!!

 いや、本当に理解が追い付いていなかったが、要はあれは『竜車』とかいう所謂馬車の竜版なんだろう、しかし、馬車とは違いエラク大きくて御者も全部で3人もいて並んで座ってやがったし。

 おいおいおい、これは戦車か装甲車か!?

 いや、どけと言われても、こんなデカい乗り物だし、道幅ギリギリな竜車が迫っているんだ、どけるわけがない。っていうか、こんな狭い道を暴走しているこいつらの方が悪いに決まってる。

 

 なら多少壊しても問題ねえよな。

 

 俺は思考をすぐに纏め、自分の体内でまだ回っている土のマナの残滓に集中した。

 今の一瞬で弾き飛ばしたせいで、マナ供給元のヴィエッタのおっぱいは離れてしまった。

 とはいえ、彼女の恩恵の主でもあるノルヴァニアのマナはただでなくとも膨大だ。毎回その多すぎるマナのカスが俺の体内に多少残り続けることを俺はもう知っていた。

 となれば、今はその残りカスを使うことだってできる。

 俺は今まで歩いてきたこの通りの全容をもう一度脳内に描いて、どこに人がいて、どこにどんな建物があったのか、その辺りのことを俯瞰してみた。

 そういえば、すぐ後方左側に池があった。

 なら、やることは一つだけだな。

 

 この間、ほぼ0秒。

 

 俺は手を突き出す動作さえも省略して、マナの残滓をかき集めつつ魔法を完成させた。

 

「『土壁(ド・ウォール)』‼」

 

 使いすぎてもう何一つ不安のないこの魔法。超省エネの上、効果抜群なのだから使うに決まっている。俺は目の前の地面をせり上がらせた。

 それも微妙に角度をつけつつ、高速でせまるその竜車の竜が()()()()()易い様に、なだらかででもしっかりした斜面状に。

 その俺の作ったスロープを竜は何の違和感も覚えないのか、素直に踏み込んで駆け上がり、そして……

 俺は若干だが、向かって右側の方のスロープを高くしておいたわけだが、婉曲させておいたことで勢いのついた竜はそのまま勢いに押されるように宙へと飛び上がる。当然だが、牽引されている車体も飛び上がるわけで、大きく左に傾きながら竜車は俺達の頭上を通り抜け、そして左後方の池へと墜落した。

 どっぱあああああああんと、水に何かが衝突する音がした直後に大量の水がまるで噴水の如き勢いで辺りに飛び散り始め、辺りはまるで驟雨にでも見舞われたかの様。

 

 俺はすぐさま自分の纏っていた鎧を消失させ振り返った。

 

 そこには完全に正面部分から池へと墜落して大破した、通常の馬車の3倍くらいはありそうな巨大な車両と、驚いた様子で水の中でバシャバシャと暴れる二頭の竜? というより、やっぱり巨大なトカゲなのか? がそこに居た。

 

「ふう、なんなんだよ、いったい」

 

 いきなりの展開にマジでふざんけなといきり立ちそうになったそこへ、またもや両脇から4つのおっぱいでぎゅうぎゅうに挟み込まれた。ぐえっ!

 

「もうご主人ってば本当に最高っすよー!」「紋次郎好き! 大好き!」

 

「なんなんだ! だから離れろって……」

 

「ご主人ワッチたちを助けてくれたんすよね! すごいっす! 惚れるっす! 濡れまくりっすよー! 実際全身びしょ濡れですけど」

 

「紋次郎はやっぱり私の王子様だよ。紋次郎、好き、好き好きー!」

 

「ふあっ!? ちょ、ちょっと待て、てめえら!? なんでそうなんだよ、俺は事故に遭いたくねえから避けただけであってだな」

 

「もう、そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないっすか! ご主人がワッチたちのこと大事に思ってくれてるのが本当に嬉しいっす! もう今日は絶対に離れませんからね!」

 

「今日は私も絶対離れないから! トイレもお風呂も御布団も一緒だからね! 紋次郎好きー!!」

 

「いや、待て、なんでそうなるんだよ!!」

 

 理不尽である。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 悪いこと

 それにしてもだ……

 いったいこの巨大な車両はなんなんだ。

 

 俺は両脇から抱き着いてきていた二人をなんとか引き剥がして、まだひっくり返って車輪がカラカラ回っているその竜車の傍へと近寄った。池にダイブした時に破損でもしたのだろう、その鋼鉄製の車体の後部部分が裂け、そこから何か砂の様な物がさらさらと流れ落ちてきていた。

 俺はそれを手に取って眺めてみると、それは……

 

 麦?

 

 そう、麦だった。

 というか、それだけではなく、裂けた車体の奥にはトウモロコシやサツマイモのようなものまでたくさん積まれているようだった。

 

「穀物っすね」

 

「ああ、そうみてえだな」

 

 同じように観察していた二ムにそう言われ、俺は即答した。

 その上で、その竜車を運転していたのだろう投げ出された御者と思しき連中の元に近づいた。

 

「うう……」「い、いたいよ……」「…………」

 

 池に投げ出されていたの例の御者台の三人は、非常に小柄な人物たち。呻きつつ、啜り泣いている者までいた。これはどう見ても、子供だろう。

 そのうちのひとり……動きやすそうな半ズボンに半そでのシャツ姿で頭に作業帽のようなものを被った一人が、倒れている二人を必死に揺すって起こそうとしていた。

 

「お、おい……しっかりしろよ! おいってば! 早く逃げないとまずい」

 

 一生懸命に揺すってはいるが、まったく起きる気配はない。 

 周囲を見ればなんだなんだと野次馬が集まりつつあった。

 

 ったく……仕方ねえな。

 

「お前ら! いったい何をやらかした? あんな狭い道をこんなので全速力なんて危うく人が(俺が)死ぬところだったんだぞ? どうせ碌でもねえ理由なんだろうけどよ」

 

 その帽子の男の子は俺を見上げてキッと睨んできた。

 

「うるさいっ! あと一息だったのに邪魔をしやがって! 俺はお前らなんかに捕まってやる気はないからな!」

 

 その子は俺を威嚇するようにそう吠えた。

 

「俺達に捕まる? って、お前それどういうことだ?」

 

 その時だった。

 

「いたぞ! 追いついた!」

 

「あ?」

 

 背後でそう声が聞こえ振り向けば、そこには馬に乗ったたくさんの聖騎士の姿。10人くらいはいるだろうか?

 うへぇ、ここでも聖騎士かよ……

 聖騎士たちは、池を囲むように移動して、竜車ごと俺を含めたその子達全員を包囲した。そして言った。

 

「薄汚い盗人どもめ! 城の蔵から貴重な食糧を盗み出しおって……ただで済むとは思うなよ」

 

「うう……」

 

 帽子の子は、意識を失った二人の子供を抱き守るようにして今度は迫りくる聖騎士たちを、ただ睨み続けていた。

 馬を降りた聖騎士たちは手に手にこん棒のようなものを持って、にやにやと笑いながらその子供たちへと近づきそして、二人の子供を守ろうと覆いかぶさっていた帽子の子の手を掴んで無理矢理引き剥がす。

 そして宙に吊るように持ち上げ、手にした棍棒で一撃、そのこの腹を思いっきり殴りつけた。

 その子は、声も漏らさずに、その顔を歪めた。

 

 うん、まあなるほど、状況はだいたいわかった。

 要は城の食糧を盗んだこいつらの邪魔を俺がしてしまったということだろう。それで、こいつは俺のことをこの聖騎士の仲間くらいに思っている……と。

 なら、まあこうなった原因は全部俺でもあるわけだな。

 俺は手近に控えていた機械人形へと視線を向けずにいつものように声を掛けた。

 

「二ム、わかってんな?」

 

「ご主人のお好きにどうぞ? ワッチはぜーんぶご主人に合わせやすからね!」

 

 なんてことは無いようにそう言ったニムの脇で、ヴィエッタが不安そうに現れた聖騎士たちを見ていた。

 俺はそんな聖騎士の一人へと声を掛けた。

 

「なああんたら? この竜車を止めたのはこの俺なんだ? 何か礼があってもいいと思うんだけどよ」

 

「ああん!?」

 

 帽子の子を吊るしたまま、第二撃をその子へと叩きこもうとしていた聖騎士が、さも不愉快そうに俺をみた。

 そして激しく舌打ちしてから言った。

 

「金の無心か? こんなことくらいで図々しいんだよ、とっとと失せろ」

 

 こんなことって、結構たいしたことだと思うんだけどな。てめえら全員で逃げられてたわけだしよ。

 俺はだが、冷静にやつへともう少しだけ言った。

 

「金はいいよ。だけど代わりにその子達を譲ってくれねえか? どうせ盗まれたものはここにあるわけだしよ、俺がきつく言って叱っておくから」

 

 そう頼んでみた。

 丁度さっき神教のイケメン枢機卿から、神教の贖罪の方法も聞いていたことだからな。悪いことをしたら謝ればいいということなんだから、とりあえずそうしようと思ったわけなんだが……

 

「すっこんでろ。がたがた抜かすとお前も殺すぞ」

 

 にべもない。

 流石聖騎士安定の屑発言だ。

 

「いや、殺されるのはだけは勘弁だ。だから、ここはとんずらさせてもらうぜ。二ムっ!」

 

「はいなっ!!」

 

 俺の掛け声と同時にニムが即答。

 そしてその声に反応したその場の全員が絶句して大口を開けてしまった。なぜなら……

 

「えーと? 確かお城から盗まれたって言ってやしたよね? だったらお城へ返せばいいっすかね?」

 

「あ、あ、ああ……」

 

 その質問にも聖騎士たちは何も答えられない。開いたくちをあわあわさせてただただ上を見上げていた。

 なぜなら、そこには……

 池に突っ込んで大破した、穀物ぎっしりのあの鋼鉄製の竜車の全容。

 二ムはそれを片手で持ち上げて、まるでバスケットボールを投げる前の選手の様に、指先でくるくるとそれをまわしていたのだ。

 

「ワッチこう見えて、スリーポイントシュート得意なんすよ! このまま王城にフリースロー決めてあげやすよ。では……」

 

「や、やめ……」

 

 ガクガク震え始めたその聖騎士たちにお構いなしに、二ムは遠くに見える巨大な王城の方へと視線を向けたまま、その手にした竜車をグッと握って深く腰を落とした。

 その一瞬、ちらりとこちらを見た二ムに、俺はグッとサムズアップを返す。

 まあ、とんでもない余興だしこうなって当たり前だが、聖騎士はおろか、その場に居合わせた野次馬の全員が二ムに注目。俺はそれを見てから……

 呆然となった聖騎士の手から逃れた帽子の子の手をヴィエッタに引かせて、俺の方は二人の気を失った子供を両肩に担いでその場から一気に逃げ出した。

 逃げ出してそして、路地を走っていたところで、背後から『せーの』という掛け声とともに、『わー!』『キャー!』というけたたましい悲鳴が上がったことは言うまでもない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 疲れマ〇?

「ニムちゃん、あれ本当に投げちゃったのかなぁ?」

 

「多分な……あいつ、注目されると浮かれちまうとこあるからな。ひょっとしたら、投げた上に、マジックショーでも始めてやがるかもな」

 

「そ、そうなんだ」

 

 ニムのマジックショーはここに来るまでの旅の道中でも何度か披露されている。正直あまりにもクオリティーが高すぎて、本当の魔法だとシシンやゴンゴウは信じていたくらいで、ヴィエッタも拍手喝采していたな。

 だが、ま、あんな状況でそれをやるとか普通は思わないから、このヴィエッタの困惑した反応も別におかしくはないわけだ。

 路地を駆けつつ、ヴィエッタとそんな話をしていたが、追手がついた様子もないことで少し気持ちに余裕も出来ていた。で、このままどこへ行こうかと思案していたわけだが、その時、急にヴィエッタの足が止まった。

 

「おい、どうした?」

 

「紋次郎、この子……」

 

 言われて見てみれば、さっきまでヴィエッタに引かれながら必死に駆けていたあの帽子の子が、ぐったりした様子で動けなくなっていた。俺はすぐに気を失っているその子の身体に触れてみるも、全身激しく痙攣しているうえに、呼吸が激しいままにチアノーゼ(紫変色)を起こしていた。

 気になって、先ほどこん棒で殴られたあたりに触れてみれば、本来肋骨があるあたりがふにゃっとへこみ、感じからして折れた肋骨が肺にでも刺さっているような感じに思えた。

 

「これはやばいな。多分肺がつぶれてやがる。こんな状態で良くここまで走ってきたよ。おいヴィエッタ? この辺に水か光の精霊はいねえか?」

 

 そう尋ねてみたのだが、彼女は辺りを見回した後で、その首をふるふると横に振った。

 

「ここにはいないよ。というか、この王都にきてから、ほとんど精霊を見かけていないの。どうする? 探す?」

 

 そう言われ、俺も少し考える。

 精霊探知機のヴィエッタが居れば、頑張れば探し出すことも可能だとは思うが、あてもないままに子供3人つれて探し歩くのはあまり良い手段とは思えない。

 

「いや、ここは一度宿に戻ろう。宿なら、マコもシオンもいるからな、あいつらにくっついてる精霊の力を拝借しよう」

 

「ニムちゃんはどうするの? 先に帰って大丈夫かな?」

 

 そんなことを言うヴィエッタに、俺は手を横に振ってから答えた。

 

「あいつは大丈夫だよ。それこそあいつなら俺とヴィエッタがどこに居ても簡単に探し出せるからな。放っておいても勝手に帰ってくるよ」

 

「うん、わかった」

 

 そう返事したヴィエッタが慎重にその帽子の子を抱きかかえた。

 小さいとはいえ、けが人一人分、かなり重いだろうにと思いかけて、そういやこいつの方が俺より断然力のアビリティ高いんだった! とそれを思い出して、なんで俺がふたりも担いでんだよ!! となにやら釈然としない思いになってしまった。

 もやっとしたままではあったが、俺たちは急いで宿へと向かった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「「「おっかえりなっさーい! お兄様ぁ!!」」」

 

「う、うおっ!? な、なんだてめえらその恰好は!!」

 

 宿に帰り、宛がわれた部屋へと入ってみれば、そこに拡がっていたのは、ピンクピンクピンクなピンク色な世界!!

 カーテンが閉められたその室内には、色付きガラスの行灯が3つ置かれ、そこから漏れる灯りによって室内は桃色に染まっていた。

 そして、部屋の中央に置かれた香炉からは、なにかの香木が焚かれ煙が充満し、嗅いだだけで気持ちよくなってくるような錯覚に陥った。

 と、そんな空間に立つ、シースルーのネグリジェのみを羽織ったオーユゥーンとシオンとマコの三人の姿。

 三人は身をくねらせつつ、妖しく淫靡な眼差しを向けつつ俺へと迫ってきて……って!!

 

「ええい! お前ら、ふざけんのもいい加減にしろよ! ええい!!」

 

「な、なにをなさいますの!? お兄様!!」

 

 大急ぎで窓辺に向かってカーテンをシャッと前回にして、窓を大きく開け放ってその室内に漂っている幻惑されそうなもくもくした煙を外へと排出した。

 そして、近くに置いてあったシーツを適当に掴み上げてから、オーユゥーン達へとそれぞれ投げて渡した。

 

「何をじゃねえよ。それを言いたいのはこっちだよ。何をしようとしてたんだよ、お前らは!」

 

 そう言ってみれば三人は顔を見合わせてから、さも当然といった感じで、

 

「いえ、ここ数日旅でお疲れになられておりましたから、ここは是非お兄様を癒してさしあげようということになりまして」

「そうだよお兄さん! ほら、疲れてるときって、疲れマ〇で、一度勃〇するとちょっとやそっとじゃふにゃっとならないでしょ? だからここはいっそこっちも本気出してお兄さんを最高に気持ちよくしてあげようかなって!!」

「だからね、くそお兄ちゃんは寝むっててもいいの。疲れたらイイコイイコしてあげるし、その間ずっと入れ替わり立ち代わりでみんなでズポズポしてあげることにしたから!!」

 

 と、そんなことをシーツを巻きつつ宣う3人。ズポズポとか言うな!!

 で、ちらりと背後を振り返ってみたら、そそくさと服を脱ぎ始めていたヴィエッタの姿。おいおい何をお前も混ざろうとしてんだよ!

 

「っざっけんなよてめえら。ふざけてんじゃねえよ! っていうか、なんでこの一部屋しかねえんだよ? 男もいるんだから男部屋も確保しろよ!」

 

 そんな当たり前のことを言ったら、え? なんで? みたいな顔をされて、マジで切れそうだったんだが……

 

「お前らな……とりあえず、いいから、ちょっと力を貸してくれ」

 

 言って、宿の一階のソファーにとりあえず寝かせておいた例の3人の男の子たちをオーユゥーン達に手伝ってもらって部屋へと運んだ。

 その途中でマコに、『え? くそお兄ちゃんってそっち系だったの!? ショック!!』とか言われたんだが、はっきり言って名誉棄損甚だしすぎるからな。マジでくそムカついた。

 だが、まあそんなことを言ってる場合ではないな。

 俺が抱えていた二人は大したケガはしてないが、例の帽子の子はこのままだと命の危険もある。

 俺はとにかく急いでマコを呼び、そして案の定で胸にいる精霊を鷲掴みにして、わざとあんあん言っているマコを無視して魔法を使用した。

 

「『上位治癒(ミ・ハイヒール)』」

 

 帽子の子を青白い光に包まれると、荒かった息遣いは次第と収まりを見せ、そして苦悶に歪んでいたその表情も穏やかなモノへと変わっていった。

 とりあえず、魔法での治療は間に合ったようだ。

 

「はあ、でもまだ意識は戻らねえか。しかたねえ、ここで休ませるしかねえか。なあ、オーユゥーン? もう一部屋俺用に男部屋は借りられねえのかよ?」

 

「それが、今日はあいにく満室とのことでございまして、空いてはいないようですの」

 

 つまりもともと借りられなかったということか。

 ここ確か結構高めの高級宿だったはずだが……

 まあ、街があんな状態で治安も良くねえときてるしな、多少高くてもいいホテルにみんな集まるということか……

 

「はあ……しかたねえか。じゃあ、少しここで休ませるぞ」

 

 俺はそう言って、隅の方の大きめのベッドに三人を寝かせた。

 よく見ればまだまだ本当に幼い少年たちだった。だが、正直全員相当に服が薄汚れてしまっていた。いくらシーツがあるとは言ったって、このまま寝かせたままだとマットも毛布も汚れてしまいそうだ。

 そう思ったので、とりあえず、3人の服を適当に脱がせていたら……

 

「はぅあっ!! お、お兄さん!? や、やっぱり襲っちゃうんじゃない!! ♂×♂……しかもショタなんてもう最高……じゃなくて、不潔だよー!!」

 

 と、真っ赤になってニヤニヤしてはぁはぁしているシオンがそこにいた。

 というか、自分で性癖晒しちゃうの本当にもうやめろよな、お前ら。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 エッチ! スケベッ! ヘンタイッ!

 二ムは少し経ってから、ホクホク顔で宿に帰って来た。

 というか、どこで手に入れたのか、シルクハットみたいな帽子をひっ繰り返したまま抱えて現れたのだが、開口一番俺へとその帽子を突き出してきた。

 

「見て見て見てくださいよご主人!! こんなにおひねりもらっちまいやした!」

 

 おひねりね。見ればそこには紙幣も大量にざっと1万ゴールドくらいが詰まっていた。こいつ案の定なことをやってたわけだな。

 

「お前、またマジックショーやったのか? よくもまあ、あんな竜車をお城に放り投げておいてそんな芸をやってこれたな?」

 

 そう聞いて見れば、

 

「へ? 投げてませんよ? いや、流石に投げませんってあんな重そうなの。大惨事じゃないっすか!」

 

「なら、お前はなにしてたんだよ?」

 

「ほら、あそこにでっかいトカゲさんが二匹いたじゃないっすか? 竜車を引いてたやつ。で、せっかくなんで、竜車とトカゲさん二匹でお手玉というか、ジャグリングをですね……」

 

 この野郎、あのでかい竜を投げちゃったのか!! それはっきり言って動物虐待だからな。

 まさか、あのタイミングでそんなことをやっていたとは……

 で、その後の展開を聞いてみれば、興が乗ってきたところで、今度は2頭の竜を手名付けて、猿回しならぬ、竜回しをしたようで、単に超音波と怪力でトカゲをコントロールしただけなんだろうが、色々芸を催したようだ。

 そして最終的には、トランプマジックも披露したと!! 本場の大道芸人もびっくりだよ、それマジで!

 

「それでですねー! 全部終わったところで、拍手しながら見ていた聖騎士さん達が慌て初めましてですね、ワッチは竜車とトカゲさんを道路に戻して帰ってきたってわけっす! 大丈夫、追跡はされてませんから! いやぁまいりましたよぉ。街の劇場の支配人さんにうちで働かないかって誘われちゃいやしてー、危うくOKしちゃうとこでしたよ、あははははははは」

 

 まったく呑気な機械人形だよこいつは。

 お茶の支度をしていたヴィエッタ達が、二ムへとそれを差し出すと、二ムは連中に先ほどの話を繰り返し話していた。

 その時……

 

「う、うう……う……、うん?」

 

「お、気が付いたみてえだな」

 

 ふと寝かしておいた子供たちの方に目を向けてみると、布団の上でパンツ一丁で丸くなって寝ていた3人のうちで、例の大けがをした帽子を被っていた子がぱちりと目を開けた。

 その子は目がなかなか明かないのか、少し周りをきょろきょろと見回す仕草をしたあとで、俺の方を一度見た。

 見て、そして今度は自分の右わき腹のあたりに手をあてた。

 そこはあの聖騎士に思いっきり棍棒で殴られた箇所で、当然だが骨も折れて肺もつぶれた大けがをした場所、あの時は相当痛かったに違いないそこを触り、傷が完全に癒えていることに少し戸惑った様子となった。

 上位治癒魔法を使ったからな、あの程度の傷は完全に癒えているだろうし、痛みもあるわけがない。

 だから、驚いていて当然だとは思うのだが、その子は自分の身体……今度は裸の上半身の肩や腕や胸を触る動作をしてから、ぴたっとその動きを止めた。

 

「ああ、服か? お前らびしょ濡れだったし、あの服も相当汚かったから俺が脱がしたからな」

 

「あ……」

 

 その子がもう一度俺を見た。見てそしてみるみる真っ赤になっていくその顔に、『いったいなんなんだよ、男同士なんだから裸に剥いたくらいで恥ずかしがるんじゃねえよ』と、そう言いながら近づいたそこで、その男の子が俺のことを思い切り蹴った。

 

 俺の股間を全力で!!

 

「〇×△□ッッッ!!」

 

「こ、この……エッチ! スケベッ! ヘンタイッ!」

 

 ふあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ…………

 頭の中が真っ白になっていく感覚の中で、あのなんとも言えない吸い込まれるような、痺れるような、神経を引っこ抜かれるような激痛の中で俺はその場に撃沈した。

 したのだが、この俺にこんな仕打ちをした野郎は、顔真っ赤で半泣きで自分の胸を抱えるようにしてこっちを睨んでいやがった。

 だから……

 

「男同士でも、やっぱり礼儀は大事よね、ごめんね」

 

 そう、恥ずかしがっているその子に俺は自然とおねえ口調で謝っていたのだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 その後、例の子は洗濯後魔法で乾かしておいたあの衣類をすぐに着込んで、帽子も目深に被った格好で食卓についていた。他の子達も先ほど目を覚まし今まさにローテーブルの方でニムと一緒にパンを食べているところだった。よほど腹が空いていたのか、凄まじい勢いで貪っている。

 で、こっちはと言えば、この子がリーダー格であることは見た感じから分かっていたので、事情を聴こうとオーユゥーン達も交えて話を聞くところだったのだ。

 

「遠慮はいらねえから、パンでも肉でもなんでも食べろよ。ま、その代り話もちゃんとしてもらうけどな」

 

 俺がそう言うのを聞いて、彼はびくりと身体を反応させてから『いらない』と言ってから俺を睨んできた。

 いや、睨みてえのは俺の方なんだけどよ、あれを潰された痛み、男なら知らないわけが無かろうに。くッ……思い出したら、また寒気が……

 俺は一度身震いしてから、話を切り出した。

 

「で、お前らはいったいなんであんな竜車で暴走してやがったんだよ」

 

 そう聞いてみれば、その子はまた身体を震わせて反応した。が、やはり口は開かなかった。

 頑なな奴だなと、オーユゥーンへと顔を向けてみれば、こいつも少し困った風に首を振っていた。

 

 その時、床に座ってパンを食べていた方の男の子の一人が急に立ち上がった。

 

「ねえ【アレックス】! この人たち、きっといい人達だよ、僕らを助けてくれたし。だからお願いしてみんなのことも助けてもらおうよ」

 

「や、やめろ!! 何も言うんじゃないっ!!」

 

 アレックスと呼ばれたその子は、自分の仲間の子供のひとりに向かって話したことを諫めた。その子はシュンと項垂れて視線を逸らして座ってしまう。アレックスの方も何やら気が気ではないのか、ちらちらと俺らの方を見ては口をぎゅっと噤んでいた。

 だから俺は口を開いた。

 

「まあ、いまので大体わかったよ」

 

「え?」

 

 驚くそいつらに俺は言ってやった。

 

「まず、お前の名前が【アレックス】だな。感じからしてこいつらのリーダーってところか。それもこの二人の他にもまだまだたくさん仲間もいるような感じだな。大方、国や聖騎士団に反旗を翻しているレジスタンス……所謂反乱軍とか解放軍とかそんな感じの集まりなんだろう」

 

 そう言うのを聞きながら、アレックスは目を見開いたまま、その顔をどんどん蒼白に変えていった。

 俺はそれに構わず続けた。

 

「今の王都を見ていれば、これが正常ではないことは一目両前だ。難民のような浮浪者が街に溢れているし、激しいインフレのせいで貧富の差が拡大し続けているって感じだしな。そんな中でお前らは城から食料を奪おうとした。つまり、食糧にも乏しい中での反攻作戦を進めているってところなんだろう」

 

「お、おまえ……どうしてそれを……」

 

 そう言いかけて慌てて口を押えたアレックスに俺はもう一つ付け加えた。

 

「まあ、そうは言ってもお前らの様な子供だけで城から食料を盗み出せるとは思えはしないさ。つまりは、城内に内通者……というか、協力者がいるってことなんだろう? じゃなきゃ、いくら屑の集まりの聖騎士団と言ったって出し抜くのは容易じゃないはずだからな。だが、そこまで順調だったのに、この俺達に遭遇して計画もお釈迦になっちまった。ま、つまりはそういうことなんだろうさ、あくまで俺の予測でしかないわけだが」

 

 それだけ言い切って、ずずーと茶を飲んだ俺のことを、三人の子供たちは顔を見合わせてただ黙って見ていた。

 見て、そしてこそこそっと何か小声で打ち合わせているようでもあった。

 

「お兄様、相変わらずの凄まじい洞察力ですわね、感服しきりですわ」

 

「うんうん、良くあれっポッチの話でそこまで考えつくよね?」

 

「マコは、ぜーんぜんわかんなかったよ?」

 

「うん。私も全然分からなかった」

 

「ま、ご主人に掛かればこんなもんっすよ! ね? ご主人!!」

 

「お前なニム。なんでお前がそんなに偉そうなんだよ? お前お手玉してただけじゃねえかよ?」

 

「いいじゃないっすか、ご主人の手柄はワッチの手柄みたいに嬉しいんすから!!」

 

 それ、どこの『俺の物は俺の物、お前の物も俺の物』理論だよ! 二ムヤンって呼んじゃうぞ!!

 そんなこんなをしているところで、今度は子供たちが三人で並んで俺達の前に立った。

 そして代表するように帽子のアレックスが口を開く。

 

「俺はあんたたちのことを全く知らない。だから全く信用はできないんだが、そこまで理解しているというなら一つ聞きたい。あんたたちは俺達を助けてくれるのか?」

 

 そう真剣なまなざしのままで聞いてきた。

 おいおい、いくらなんでもそんな感じで言われたってなんともいえるわけねえだろうが。

 そもそも今の段階じゃあ、リスクリターンの計算も出来ないし、助けてやるだけの義理もない。むしろ、窃盗をしようとしていたこいつらを、未遂で終わらせたうえに逃がす手伝いまでしてやったんだ、感謝されこそすれ、これ以上助力する必要なんかはなかった。

 

 そう思っていたのだが、やはりこいつが勝手に動いた。

 

「いいっすよ? お兄さんたちをワッチたちが助けてあげますよ! ね! ご主人?」

 

「はあ? ちょっと待ておいこらニムてめえ、勝手に即決で返事してんじゃねえよ」

 

「いいじゃないっすか? どうせやることもうないんだし、これも王都観光の一環っすよ」

 

 いや、そんな観光ツアー聞いたこも見たこともねえけど。なんで、こともあろうに国に楯突いているような連中に手を貸さなきゃなんねえんだよ。そう思っていたら、ニムが言った。

 

「ご主人、この子達本当に困ってるんです。苦しんでるんですよ。だから助けてあげやしょうよ」

 

「う……」

 

 真剣な顔で二ムにそう言われればもう俺だって簡単には断れない。なにしろこいつのハイパーセンサーは人の心の機微まで数値化して読み取れるほどの性能があって、嘘一つこいつにはつくことは出来ないのだ。

 そんなニムが、この子達が本気で困っていると断じた。つまり、そのことに嘘はないということだ。

 はあ、まったく、よりによってなんでこうも面倒が転がり込んできやがるのか。

 俺は大きく一つため息を吐いたとで、頭を掻いた。掻いてからそして帽子のアレックスへと言った。

 

「わぁーった。分かったよ、助けるよ。助けてやるよおまえらのこと。どんだけリスキーなのかは知らねえけど、いくらでも助けてやるよ!」

 

 三人の子供たちはいっせいに明るく笑顔で微笑んだ。くっそ、本気で貧乏くじひいたぜ。

 

「さっすがご主人! だからワッチは大好きなんす」

 

 うるせいよ、てめえが焚きつけたんだろうが! と、内心イライラしつつも、もう言ってしまった以上後にはひけないとその子達を見れば、その中央に立つアレックスが帽子を脱ぎつつ俺を見た。

 

「感謝する。もはや俺達には時間の猶予も、心の余裕もないんだ。だからお願いする。どうか皆さんの力を貸して欲しい」

 

 あーはいはい、だから手伝ってやると言って……そう言いかけたところでアレックスは言ったのだ。

 

「俺の本当の名前は、【アレキサンダー】……【アレキサンダー・エルタニア】。この国の第三皇子である。この国の民を守るために頼む、どうか力を貸してくれ」

 

 小柄な、その男の子がそう力強く宣言した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 騙された!

「あ、アレキサンダー? お前、そんな大層な名前なのか?」

 

 と思わず言ってしまってから周りを見れば、オーユゥーンやシオン達は驚いた顔で姿勢を正していた。

 

「お、皇子殿下であらされますの? こ、これは大変失礼をいたしました」

 

 そう言いつつ頭を下げようとするオーユゥーンへ件のアレキサンダー君がそれを手で制して言った。

 

「ま、待ってください。俺は皆さん信用してもらいたくて本名を明かしたにすぎない。今の俺はただのアレックス。国に反旗を翻した逆賊……だ」

 

「皇子殿下! どうかお顔をお上げくださいまし! 怖れ多い事にございますわ」

 

 そんな風にへりくだり始めたオーユゥーンを眺めつつ、俺は彼女へと尋ねてみた。

 

「なあ、オーユゥーン? こいつは第三皇子で間違いないのかよ?」

 

「お、お兄様!? お言葉が過ぎますわよ!! 現国王様、アレクレスト・エルタニア陛下には三人のお子がございまして、第一皇子エドワルド殿下、第二皇子クスマン殿下、そして第三皇子がこちらのアレキサンダー殿下でございますわ。以前ワタクシは王都で皇子殿下をお見かけしたことがございましたから、間違いありませんわ。今まで気が付かなかったご無礼、平にご容赦を。こちらの御方は、第三皇子アレキサンダー殿下にございますわ」

 

「え?」「ふーん」

 

 オーユゥーンこいつに会ったことあったんだな。で、なんでその皇子殿下もちょっと驚いた顔になってんだよ。綺麗なお姉さんがフォローしてくれて興奮でもしちまったのか?

 などと、冷や汗を垂らしている皇子殿下を眺めていたら、そのとなりにいた二人の子供が勢いよく立ち上がった。

 

「そうだぜ! アレックスは凄いんだ! 困ってる俺達を逃がしてくれて、それに大人に命令したりもできるんだ!」

「そうだそうだ! アレックスは僕たちの英雄なんだ! アレックスは僕たちを助けにきてくれたんだ!」

 

「な、【ナツ】……【ウーゴ】……」

 

 皇子は二人の子供の名前を呼びつつ困惑気な顔になっていた。というか、これ相当無礼なんじゃねえのか?

 だが、まあ、聞かなければ状況は分かりはしないんだ。

 俺は今、この王都がどうなっているのか、その辺りを3人へと聞いてみた。

 要約するとこうだ。

 

 ここ最近王都の治安は悪化の一途を辿っている。

 その大きな原因は、同時多発的に発生した『疫病・飢饉』が原因らしい。今からおよそ10年ほど前、いくつかの諸侯の領にて多くの村や町で大量の死人が発生し酷いところでは『全滅』した箇所もあったのだという。当然王都から治癒術師や薬師が派遣されるも、その派遣隊が今度は何者かに襲われる被害も発生。対応は遅々として進まなかった。

 そのような中、食糧も乏しく食べるに困った生き残りの住民たちは、各地の領主へと陳情を上げ始めるも、全国的に税収が悪化してしまったがために、殆ど手を打つことができなかった。

 やがて、飢えによる餓死者も出始める中、一部の領民たちが手に武器を持って暴徒と化す事件が発生、ついにとある地方領主が妻子供諸共に襲撃され殺害される事態にまで発展し、各地で暴力事件が頻発した。

 おりしも教皇が代替わりした時期でもあり、大量の聖騎士が補充されたこともあって暴徒の鎮圧は図られたが、この時期各地の山や森や廃村に盗賊団棲み着き始め、以来国内各地は混とんとした状況となる。

 この王都にも家や家族を失った人々が流民として集まり始め、各地では盗賊団による盗難や強盗が多発し、中には現職の聖騎士たちでさえ、犯罪に手を染める者が現れ始めた。

 国王アレクレストは早々に、3人の皇子たちをそれぞれ留学と称して国外へと脱出させ、その間、疫病や飢饉に見舞われなかった諸侯とともに治安の回復に努めるもさして効果はなく、国内の犯罪件数や、モンスター災害の件数は鰻上りとなった。

 そして二年前、長兄エドワルド皇子が帰国した時期を境に事態が急変した。

 長年領土争いを繰り広げ続けていた隣国の仇敵、ギード公国と突如和睦し、国内の各所にギード公国軍の駐留を認め、各地で発生していた盗賊団の壊滅作戦に乗り出したのである。

 それによって盗賊は鳴りを潜めるに至ったが、同時に各地にギード公国の出島ともいうべき占有地が生まれることとなった。

 これを複雑な思いで見守っていた国民たちであったが、この処置により犯罪件数が減少したことは明らかな事実であったためにこの事態を受け容れざるを得なかった。

 

 だが、これには裏があった。

 

 アレックスは一度コップの水をぐいと飲んでから俺達を見回して言った。

 

「実はこのギード公国との和睦は兄エドワルドが独断だった」

 

「え? でも、国王陛下がいるのに、なんでそんなことになるんだ?」

 

「陛下は……病に倒れておられたのです。その間の執務は兄やそれを取り巻く直近の者達で執り行っていた。しかも、クスマン兄も帰国してそこに合流して、兄の補佐のようなことを始めてしまった。この国は兄たちによって蹂躙された。俺がそのことを知ったのは大分後のことだったんだ」

 

 アレックスは悔しそうに唇を噛んだ。そして続けた。

 

「兄たちが国政を執り行う中で、父国王陛下は意識を取り戻された。それで帰国し政治を行った兄たちを褒めたらしい。だって陛下は知らなかったんだ。兄たちが敵国であるギード公国と通じていた事実を。国内にギード公国兵が駐屯している事実を。陛下の周りは全て兄たちの息のかかった者達しかいない。陛下は真実を知らないままにただ生きているだけ……陛下は、兄たちの傀儡になってしまったんです!」

 

 悔しさの滲むその表情のままでグッと拳を握り込むアレックス。俺はそんな奴を見ながら思わずつぶやいた。

 

「マジでクソだなその話。胸糞悪すぎて反吐が出るぜ」

 

「まったくですね、ご主人の言う通りっす!」

 

「国王陛下、可哀そう」

 

 俺のコメントに、即座に追従してきたニムとヴィエッタだが、その隣のオーユゥーンはなんとも言えない渋い顔になってただ黙っていた。

 こいつ結構国に忠誠心あるというか、御上を立てている感じだしな、自分が信じていたものが崩れ去ったような感覚でも味わってるんだろうな、きっと。

 

「アレックス。だからお前はレジスタンスなんてやってんだな? お前の兄貴たちと戦って国王を取り戻すために」

 

「いや、それは少し違う」

 

 アレックスは視線もまっすぐに俺を見て言い放った。

 

「俺が助けたいのはこの国の国民だ。今のこの『呪われた状況』をなんとかしたいんだ!」

 

 そう強く宣言した。

『呪われた状況』ね……まさしくその通りなんだろうけどよ。

 

「ま、言いてえことはよくわかったよ。だけどよ、国民を助けるなんざ、一筋縄で行くようなことじゃないぞ? それこそクーデターを起こすだけじゃあ意味がない。人の生活を安定化させ、安全を保障することこそが国の意味ってやつだ。お前はそれを分かってんだろうな?」

 

 社会契約的国家論は、国民主権主義、基本的人権の尊重だとか、所謂国家構造のあらゆるパターンは大昔の国家論が起源となる。構造モデルは置いておくとして、つまり個人の安全の保障こそが国家の存在の意味、それを損なう状態は国とは呼べないわけだ。それこそそんな政府はさっさとぶち壊してしまえばいい。

 

「そんなことは分かってる!! だから俺達はこうして力を合わせて立ち上がろうとしてるんだ!! このままではもっと多くの人が死んでしまう。だったら、そんな程度の国なんか、必要ない! 俺達は俺達の手で新しい国を作るんだ!!」

 

「つまり、国民主権国家を作ろうってわけか? それともお前が王族の血統を証明して新国家を樹立でもする気なのか? ま、どちらにしても簡単じゃあねえよ」

 

「だから分かってる」

 

「いや、分かってねえな、全然わかってねえ。いいか。人間の集団って奴は、結局は多数派の意見に流れちまうもんなんだよ。どんなにお前が良いことを言っていようが、大多数が現状維持を望めばその意見の方が強いんだ。それこそ、お前の兄貴たち以外全員が賛同してくれるような状況でもなきゃ、新国家なんてできやしねえよ」

 

「くっ……」

 

 アレックスはふたたび何もしゃべれなくなった。

 まあ、当然だな。やっぱり子供だということなんだろう、大層なことを話してはいるが、中身はスカスカでビジョンも何もあったもんじゃないしな。

 聞いてみれば、今の賛同者は中小規模の貴族が複数と、近隣の村や町などの自警団が中心であるらしい。これだけ集めたという時点でなかなか凄いとは思うが、国の政治に反感を抱いていると同時に、要は国家転覆を為した際の、新しい政府でのポストが狙いということだろう。アレックスは子供とはいえ皇子だ。

 新たな国家の旗印にはもってこいの存在でもあるわけだ。

 そこまで考え、そして俺は言った。

 

「大丈夫だ。俺達がなんとかしてやる」

 

「え?」

 

 アレックスは驚いたようにそう言うが、まさか俺がこんなことを言うとは夢にも思っていなかったということか?

 

「もう助けるって言っちまったしな。ま、もう後に引き返す気はねえよ。そういやまだ名乗ってなかったな……」

 

 皇子にこれだけ話させておいて、すっかり忘れていたが自己紹介がまだだった。そういうわけでこっちも改めて全員で名乗ることにした。まあ、名乗るほどの者ではない。というか、マジで名乗るほどの者ではないからなのか、アレックスは目を丸くして口を開いた。

 

「あ、あんたはレベル1の戦士なのか? で、そっちのお姉さんもレベルが1。それで、他の皆さんは戦士でもなくて、娼婦だと……えと……えと……えええっ!?」

 

 本気で驚いた顔になっちまってるが、まあ仕方ない反応だろう。

 なにしろ俺達の仲間に戦闘職はいねえからな。

 ここにシシン達のうちの一人でもいればまだ説得力はあったんだろうけどよ。

 

「だ、騙された!! ナツ、ウーゴ! もう帰ろう! あ、あんたたち、俺がさっき言ったことは全部嘘だからな‼ 絶体信じるなよ! それに跡も付けるなよ‼ じゃあな!!」

 

 そう言っていきり立ったまま飛び出そうとしている奴へと俺は言った。

 

「まあ待てよ。確かに俺達に上級の戦闘職はいねえけどよ。だからってなんの助けにもならないってわけでもねえんだぜ? 現に俺はお前の大けがを治してやったし、こうやって助けてもやった。だからよ、ここは取引といこうぜ、アレックス殿下」

 

「と、取引……だと?」

 

 引き攣った顔のまま俺達を振り向いたアレックスは、困惑してはいたが、同時に俺達のことを再度値踏みしているようでもある。こいつ中々慎重な奴だ。

 普段であればもう無視してしまえばいいだけなんだろうが、ここまで話を聞いちまった手前もあるし、それに子供を見捨てるのは趣味じゃない。

 特に他にこの王都で他に用があるわけでもねえんだ、暇つぶしくらいにおもっていればいいだろう。

 

「ああ、取引だ。ぶっちゃけて言うが、俺達は金が欲しい。だからもし金を用意してくれるっていうならお前らに雇われてやるよ。だけど、確かに信用はねえからな。とりあえず最初の命令は人殺し以外ならただでこなしてやるよ。これでどうだ?」

 

 妥当な提案だろうと思う。正直俺達は所持金にそれほど余裕があるわけでもないしな。

 フィアンナからの報酬だって、ここにくるまでの路銀やらなにやらでほぼほぼ溶けちまったし、ヴィエッタ達の街で多少は報酬というか、義援金の一部みたいなものももらったけど、あれだって、二ムやヴィエッタやオーユゥーン達の装備を整えたら結構消えた。

 バスカーから巻き上げた二億ゴールドだって、あれはヴィエッタの身請け費用で全額マリアンヌに渡しちまったし、どうせ奴のことだから、街の復興費用とかに当ててるんだろうしな。

 各人個別にへそくりやら小遣いやらはあるらしいが、それを頼りにしていてはこれ以上旅は続けられない。というより、やはり仕事は必要なのだ。

 そして相手は、レジスタンスとはいえ、王家の血統でリーダー格。ニムが言い出した以上タダ働きの可能性も高い中、最初にこう言っておけばとりっぱぐれる心配も少ないだろう。

 そう言う打算が確かにあったわけだが……

 

「うへぇ、ご主人それ子供に言う台詞じゃあないですよね、流石にワッチも引きますよ」

 

「お、お前が言うな! どうせやるならしっかり稼げねえと意味がねえんだよ、このアホ!!」

 

「…………」

 

 そんなやりとりをしている俺達を見つつ、アレックスはなおも思案していたが、どうも断る気はなさそうな感じではあるが。

 

「どうだ? 俺達を雇ってみるか?」

 

 すると、アレックスはその帽子の下の瞳を見開いて俺達へと言った。

 

「分かった。あんた達を雇おう。だけど、やっぱり信用はまだ出来ないし、せっかくだから試させてもらう。それでいいんだよな?」

 

「ああ、いいぜ」

 

 アレックスは一つ息を吸って呼吸を整えると、大きな声で言った。

 

「なら、これからいう人物を俺達のところへ連れて来てくれ。話はそれからだ」

 

「あん? いったい誰を連れて行けばいいんだよ?」

 

 そう聞いてみれば、アレックスは即答したのだった。

 

「国王陛下、アレクレスト・エルタニア陛下だ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 宿屋での一コマ

 アレックス達は帰っていった。

 宿を出てすぐに路地へと駆け込んでいくところを俺は部屋の窓からヴィエッタとオーユゥーンと一緒に眺めていた。そして、暫くしてから窓を閉め、椅子へともたれ掛ってふうっと一息ついた。まだ碌に休んでもいなかったせいか、やっぱり疲れがたまってでもいるのか、めちゃくちゃ怠かったせいもあったのだが。

 すると……

 

「あ、紋次郎? 私肩揉んであげるね」

 

 そう言いつつ、おずおずと手を肩へと伸ばしてくるヴィエッタに、俺は『なら頼む』とすぐに応じた。

 彼女はそれはもう嬉しそうに、これで良い? とかこの辺? とか、あれやこれや聞きながら肩と背中を解してくる。

 以前もやってもらったことがあるが、流石と言うかメチャクチャ上手い。これもやっぱり娼婦スキルの一つなのか? 

 はあ、これはかなり気持ちいいし落ち着くわ~~、などと思っていたら、オーユゥーンが俺にジト目を送ってきた。

 

「なんだよ?」

 

「いえ、お兄様の判断基準がどの辺りにあるのか推察していただけですの。身体で誘惑してもダメですけれど、マッサージなら良い……? それともヴィエッタさんにだけ判定が甘いのですか?」

 

「いったいお前はなんの判断をしようとしてんだよ? ただ、肩揉んで貰ってるだけじゃねえかよ?」

 

「肩を揉む行為から、挿入(インサート)に繋げるにはどうしたら良いかと? このままヴィエッタさんとイタされますのですよね?」

 

「す、するわけねえだろうが! アホか! お前は!」

 

「え!? 紋次郎!? 本当にエッチしてくれるの!?」

 

「だからしねえって言ってるだろうが!! ああ、もう、これじゃあおちおち肩もみも頼めねえじゃねえかよ!」

 

「だ、大丈夫だよ紋次郎!! 私、肩もみだけで紋次郎イかせられるから!!」

 

「いや、だからそういうことじゃ……、は……ぁふん……!」

 

 ヴィエッタが突然ねっとりした手つきで背中をさすりだした途端に、思わず変な声が出ちまった。これはヤバいだろうなんで、背中触っただけでなんでこんなに快感が迸るんだよ!! っていうか、いったいこいつはどれだけの淫技を持ってやがるんだ!!

 

「お兄様!? か、肩もみでしたら宜しいのですね!? そうですね? 言質とりましたよ! わかりましたわ!」

 

「いや、言質もなにもとれてねえだろうが! もうお前らいい加減にしろ!!」

 

 思いっきりヴィエッタとオーユゥーンの手を払いのけて、立ち上がって俺は二人を見た。

 二人はかなり引きつった表情で俺を見上げていて、どうも調子にのりすぎたことだけは理解したらしい。

 まったく、本当にすぐにアレをしようとしやがるのな、こいつらは。

 

「お前らな……どんだけ溜まってんのか知らねえけど、人に迷惑かける前に、自分でこっそり処理しとけよ。性欲旺盛になるのは別におかしかねえけど、それで人を襲うんじゃねえ!」

 

 当然俺だってそうしてるわけだから(相当数)そう言ったわけなんだが……

 

「え? 私ちゃんと自分でしてるよ?」

「ワタクシもですわ」

「私もだよお兄さん」

「当然マコもだよ!!」

 

「んぐっ!!」

 

 何故か当然のように真顔でそう知らせてくる4人の娼婦たち。

 なんで、お前らシモのはなしになると、そんなに元気溌剌になっちゃうんだよ! 

 

「わかった! もういい俺が悪かった」

 

「で、では、これからすぐに臥所(ふしど)を整えますので……」

 

「だから、なんですぐにイタそうとするんだよ? ちげーよ! この話はもう終わりだって言ってんだよ。はあ、せっかく肩もみで気分よくなってたのになんてザマだよ……」

 

「あ、ごめんね? 紋次郎……」

 

 頭を掻いてた俺の脇で、ヴィエッタがしゅんと項垂れた。ああ、もうこいつは……

 仕方ないので頭をわしわしと撫でてやると、最初は少し嫌そうにしていたのだが、ヴィエッタはポッと頬を赤らめて俺へとにこりと微笑んだ。

 まったく、喋らずに大人しくしてればただの可愛い女の子なのに……はあ。

 

 このままにしておいたら、また何か始まっちまうかもしれないと、俺は自分から話を打ち切って別の話題を投げた。

 

「さて……アレックス殿下も帰られたわけで、今後の方針を話そうと思うのだが」

 

「急にガラッと別の話題にしましたのね、お兄様」

 

 当たり前だろうが、そうしないとお前らのネチネチした追及が終わらねえからな。

 

「おっほん! アレックス殿下が帰ったわけだが、正直俺はあいつの話してる内容を全部は信じていない」

 

「お兄様? で、ではなぜあのようにお話になられたのですの? 皇子殿下自らがお動きになって国民を救おう都為されておられることは明白ではありませんの?」

 

「まあ聞けよ」

 

 慌てて詰め寄るオーユゥーンへの言葉を手で制して俺は言った。

 

「俺にはこの国の内情がまだ良く分かってはいない。ただ、相当なインフレが起きてるのと、難民と化した流民がこの王都に溢れているってことと、人聞きの噂だが、地方に相当な数の盗賊団や犯罪者集団が発生していることは理解している。それに、モンスター災害(カラミティ)によって食らいつくされた村が多いことだってこの旅の中で聞いてきた。実際に俺らだってヘカトンケイルとかキングと遭遇したしな、あんな感じの異変が各地で起きているってことだろう」

 

「いえ、流石にあの巨獣達がそこかしこに現れていましたらとっくの昔にこの国はおろか世界が終わっているとおもいますけれど」

「だよねー」「マコもそう思うよ、うんうん」

 

「うるせいな、話の腰を折るんじゃねえよ! 俺みたいなへなちょこだって倒せたんだぞ? 他の連中だってなんとかしてるんだろ? どうせ」

 

「「「…………」」」

 

 まあ、この世界には万能の魔法があるからな。金獣もそんなに怖くはないのだろうとは思う。俺も殺せたしな。まあ、裏技的ではあったが。

 そう思うのに、なぜか皆が睨むように見てきた。

 

「……なんでてめらそんな座った目で俺を見やがるんだよ。やめろよ、見るなよ、恥ずかしい」

 

 唐突に黙って見つめられて、なにやら緊張してしまったわけだが、とりあえず俺は気にしないこととした。

 

「ま、まあ、良い。でだ。実際にこの国はもう終わり間近なのは間違いないのだろうが、随分と呑気じゃねえか、この街の連中は? インフレになってはいても経済はまだ動いているし、神教の連中なんかはまだ平常運転だったしな。どうしようもねえ連中ばかりみたいだが、聖騎士だって機能していたわけだ」

 

「それがどうかしましたの?」

 

 よくわからないと言った具合でオーユゥーンがそう聞いてきたので、俺はなるべく端的に説明してやることにした。

 

「つまりだ。ここの連中はそんなに困ってねえんだよ。困ってねえってことは、反抗(レジスタンス)活動なんかしようとしても協力する奴らが限られてしまうってことにもなるんだよ」

 

「な、なるほど……?」

 

 まあ、これで理解できたかとうかは怪しいもんだが、要はこのことだ。

 これだけ国土が荒れているにしては、まだまだ経済や行政が機能しているというのはいささか腑に落ちない。

 極度の政情不安や治安の悪化からの国の衰退は、得てして行政の機能不全とハイパーインフレを伴った経済破綻を伴うものなのである。これは、国に対しての信用の失墜からの、個々人資産の停滞などの要因があるわけだが、こうなるともう流通貨幣の価値はなくって、金品の物々交換くらいしか経済活動を行うことは出来なくなるはずなのだ。所謂『闇市』だな。

 でも、話で聞いている感じ、各地で一揆のような現象も起きている感じだが、それが局所的なものであって、被害皆無の諸侯の領もあるとの話。全国に波及していないうえに、この王都も流民が増えているとはいえ直接の被害には遭っていないというところ等に何か作為的なものを感じるのだ。

 

「国が派遣した治癒術士たちが襲われたって話もあるらしいしな、何者かの思惑が働いているのは間違いねえだろう。それが国家を乗っ取ろうとしている皇子たちやギード公国の頭の悪い策略というのなら、対応はいたって簡単なんだがな、どうも俺にはそうは思えないんだ」

 

「それはどうしてですの?」

 

 そう問われ、俺はオーユゥーンを見て言った。

 

「手に入れたい国を必要以上に破壊することに意味はないんだよ。戦争で最も『下策』とされるのが、いわゆる『焦土作戦』だ。全滅させたところで得る物なんかほとんどないからな」

 

 結局戦争とは経済活動の一つのパターンでしかない。領土を獲得することでそこで発生する利権・利益を享受できるからこそ、国はその領土を欲する。その手に入れたい土地を灰塵にしていったいどうしようというのか? ただの戦費の垂れ流し、無意味な散財にしかならない。

 仮に生き残った人間を奴隷として獲得して、それを外貨に換えようとかいう程度の侵略戦争であるならば、このような破壊活動もあり得そうではあるが、それでも損得を勘定すれば完全にマイナスになるに決まっている。他国を滅亡させることに何の信義もありはしないから、結局は他国と協力関係を築くことが難しくなり国際的な孤立状態を招くことになる。そもそも陸続きのこの大陸には大国がいくつも存在しているのだ、このような中小国でそんな蛮行に踏み切る意味はまったくない。

 

「では、お兄様はどうするお考えですの?」

 

「そんなのは決まってる。国王陛下を連れてこよう」

 

「ええっ!? でも今アレックス殿下のお話は信じないと?」

 

 驚いた様子のオーユゥーンに向かって俺は言った。

 

「ああ、全部を信じたわけじゃねえ。だが、奴が何かをしようとしていることと、この国がどんな形であれ破綻寸前だってのは間違いない。だから、俺は俺で動いてみようと思う。そのついでにアレックスから金ももらえれば御の字だろう?」

 

 その言葉にもう連中も言葉がない。

 まあ、これだけ皇子様を蹴落とした発言をしているわけだし、反発しても当たり前ではあるだろうが、怒っているというより、どちらかといえば呆れているといった感じだな。

 

「少なくとも今俺たちはこの国にいるんだからな。俺に『穴の開いた船』にのんびり乗てられるような度胸はねえんだよ。少なくとも俺は俺『達』のために動こうと思ってるからな、だからお前らも協力して……って、な、なんだよお前ら、ニヤニヤしやがって」

 

 ヴィエッタとオーユゥーンとシオンとマコの四人がニマニマしたまま俺へとすり寄ってきたのに、俺は仰け反って逃げたわけだが、こいつらのツボが本当に良くわからん。いったいどこに喜んでやがるのか。

 

「まあ、いい。とにかくだ。国王を連れ出すためにこれから指示を出すから良く聞いてくれよ? もうじきアレックスを追跡させたニムも帰ってくるだろうしな、これで少しはあいつらのしようとしてることもわかるだろう。ところでだ……」

 

 俺はそこで一区切りさせてから、改めて四人を見て言った。

 

「バネットの奴はいったいどこに行きやがったんだ? ずっと姿が見えねえけど?」

 

 そう、俺はここで初めてそのことをこいつらに聞いた。

 バネットは流石というか、盗賊ということもあって本当に気配を消すのが上手い。だから、普段もいきなり現れてびっくりすることも多いわけだが、今日は完全にその姿はなく出かけているのは間違いなかった。

 それを聞いたオーユゥーンが即答。

 

「バネットお姉さまでしたらお出かけですわ。どなたかお知り合いに会われているようですわね? 先ほど急に飛び出して行ってしまわれましたわ」

 

「知り合い? この王都で?」

 

 それを聞いて俺は何やら嫌な予感に包まれた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 傀儡【アレクレストside】

「国王陛下……」

 

「エドワルドか、うむ」

 

 私はベッドの天蓋から下りる御簾越しに室内の入り口に立つ、政務服に身を包んだ我が息子を見た。そして声を掛けると同時に、私の身の回りの世話を任せた複数の侍女と、神教の司祭でもある治癒術師たちへと退出を命じた。

 彼らはゆっくりとした所作で私へと頭を垂れ、それから室外へと辞した。別段このままどこかへ行ってしまうわけではない。ただこの私の寝室の隣に設えた彼らの待機室へと向かっただけ。もし今私に何かが起きても、彼らはすぐさま駆けつけることだろう。そのように手配したのは他の誰でもない、この目の前の私の息子なのだから。

 

「お加減はいかがですかな、陛下……、いえ、今は二人きり、父上とお呼びさせて頂くことをどうかお許しください」

 

 そう恭しく礼をする精悍な顔の息子をベッドに横たわったまま見上げ、随分と逞しくなったものだと、親の視点で嬉しくも思ってしまった。

 だが、今はただそう素直に喜ぶことは出来ないのだと、苦い感情を胸に押し込めたままで私は息子へと声を掛けた。

 

「許そうエドワルド、よく来てくれた我が息子よ。ときに、国内は今どのような状況になっている? 南部の問題は解決することが出来たのであろうか?」

 

 1年ほど前、国内最南端の都市、アルドバルディンにてアンデッドが大量に発生したとの報告があった。

 死の亡者による災害は、ありとあらゆる他の災害と比べても格段に危急を要する大問題なのである。死者は死者を呼び、アンデッドにより殺された者が次なるアンデッドへとその姿を変え、瞬く間に村や町、都市をも滅ぼしてしまう大災害となりうるのだ。

 かつてこのアトランド大陸においては数度、大量のアンデッドの発生が確認されている。いずれの時も、全種族、全国家総動員の上でのアンデッド討伐が行われ、大規模な被害をがもたらされたとこの国にも伝承されていた。

 この地でそれが確認された以上、手をこまねいてはいられなかった。

 エドワルドは一度目をスッと細めてから、続いて微笑を浮かべつつゆっくりと語った。

 

「父上……、ご安心ください。南部のアンデッドに関しては我が精強なる聖騎士団の精鋭により、その全てが打ち滅ぼされたとの報告が入りました。残念ながらアンデッド討伐の最中にて、領主スルカン・エスペランサが戦死したとも情報があり、急ぎ現地への支援を手配したところにございます」

 

「なんと……エスペランサ卿が死んだと……、確か彼は前領主ライアンの友人であったはず。そうか、アンデッドによって二人を死なせてしまったか……。エドワルド、どうか彼らの功績を称え、遺族を労わってやってくれ」

 

「はい、すでにその様に手配しております。しかし……、父上が直接御命じになられた『聖戦士』殿は無用となってしまわれましたな」

 

「いや、構わぬ。ラインハルトには自身の判断で動くよう勅命を授けておるのだ。あやつは『危急』に際して独自に動いてくれるだろう」

 

「むぅ」

 

 エドワルドは一度口を結び、苛立たし気な表情を一瞬見せた。自身の感情をまだまだ管理しきれていないということは、若さ故の未熟さでしかなく、別段悪いことではない。

 だが、私相手に腹芸を貫こうとしているのならただの悪手だ。

 私はその変化をつぶさに見止めつつもう一言付け加えた。

 

「あやつには、他の領で生じている問題の全ても伝えてあるのだ。お前の束ねる聖騎士団の良い助けになるであろう」

 

「はい……きっとそうなのでしょうな」

 

 エドワルドはやはり渋い顔をしていた。当然か……。

 病に伏せ何も出来ない国王で居て欲しいのだろうからなこの息子は。

 だが、このまま何もせぬままにこの世を去ることは出来ない。ここまで至らせてしまった一番の原因はこの私にあることは明白。ならば、例え『石』と変わりつつあるこの身であろうと為すべきことを為すしかないのだ。

 すでに新たに誕生した『聖戦士』と謳われたラインハルトや、巷間で名を馳せた武人、魔術師達へと勅命を与え、各地の問題の解決にあたらせている。

 少なくとも、命ある限り……私が王で居られる限りはそうしてこの国を守っていきたいのだ。

 だからこそ、自由の利かないこの身体を押して無理矢理に人を使い彼らを集めたのだから……

 今となっては侍女たち以外とは話すこともままならず、その侍女たちもまたエドワルドの手の内……

 私は完全に『飼われて』しまっているということに他ならない。

 今は彼らが『事を為してくれる』ことを願うばかりだ。

 

 そう思っていた時のことだった。

 

「父上……お加減が悪いことは承知の上でのお願いなのですが、ラインハルト同様にもう3人、国の為に立ち上がった『勇者』達にも『超法規的特別権限』の勅命を与えて頂けないでしょうか? いえ、父上の集められた者達の力量を軽んじているわけではありません。しかし、今は国難の時……少しでも多くの力が必要であると私めも考えているのです」

 

「ふむ……国難か……」

 

 エドワルドへと視線を向ければ、射抜くような鋭い眼光を私に向けていた。

 まるで獲物を狙う猟犬の目だな。

 そう思い、内心苦笑しつつ私は尋ねた。

 

「して……その三人とは?」

 

「はい、一人は『怪物狩(モンスターハンター)』として名高いミスルティン商業都市冒険者ギルド所属の【ゲッコー】。近年名を上げた一級冒険者であり、単独での大型魔獣(ジャイアントサイズ)の駆逐にも成功しています。今一人は大魔術師ドーラの愛弟子、【スペリアネス】。まだ若いですが師を超えるともされ、かのラインハルトの従者でもある『魔法の申し子(ルーンマスター)』をも上回る魔術の使い手です。そして最後の一人は、我が国が誇る北の英雄、ノースウィンドウ辺境伯の御子息、【カイラード・ノースウィンドウ】卿。ここ数年で辺境伯領内における数々の犯罪事件の解決に当たられた功績は本当に素晴らしいものです。どうかこの者達に勅命を……父上」

 

「…………」

 

 私の心を推し量るかのように目を細める息子を見返しつつ、私は口を開いた。

 

「よかろう。その者達へと勅命を与えるとしよう」

 

 そう言うと、エドワルドは少し呆気にとられたかのような表情見せつつ、返事をした。

 

「ありがとうございます。つきましては明日にでも登城(とじょう)させますゆえ」

 

「そうか……明日な……よきに計らえ」

 

「はい……では私はこれで……」

 

「エドワルド……一つだけ頼みたいのだ」

 

「なんでしょう、父上?」

 

 エドワルドがまっすぐに私を見た。それを見返しつつ万感の思いを込めて私は言った。

 

「どうかお前の手でこの国を守ってはくれまいか」

 

 いったいそれをどのように受け取ったのか、エドワルドは無表情のままだった。そして、しばらくしてから口を開く。

 

「どうもお気持ちが弱っておいでのようですな、父上。この国は父上……陛下の物。ですから陛下の御心のままにお守りいただければ宜しいのですよ。私はただそれをお助けするだけ。それでいいではありませんか」

 

 微笑を浮かべそう言い切るエドワルド。

 なるほど、初めて聞いたがこれがこやつの本心か。分かっていたことであったとはいえ、やはり辛いものだな。

 エドワルドは踵を返し部屋を辞そうとしていた。その帰り際、ふと振り向いて私へと言った。

 

「ああそれと……たまに陛下が独り言をこぼしていると侍女の一人が言っておりましたな。あまり妙な行動をとられない方が宜しい。陛下の威厳が損なわれますゆえ」

 

「うむ……私ももう年だ。だいぶ耄碌(もうろく)してきたということだな。許せ」

 

「…………」

 

 エドワルドはそれには何も答えなかった。

 ただまた表情を失して振り返り、そのままドアへと手を掛けた。

 

「ごきげんよう父上。どうかお体ご自愛ください。明日またお迎えに上がります。では」

 

 こちらも見ずにそれだけ言ってエドワルドは退室した。

 必要なことが終わればそれまでということか。寂しいものよ……

 そう思いつつ私はすぐに声を出した。

 

「呆け老人の戯言の時間はあまりとれないようだ。せっかくの再開であったがもうここには来ない方が宜しい。だから一つだけ『彼女』に伝言を頼む。『貴女様は貴女様の為すべきことをなさってください。たとえそれによってこの老いぼれの命が尽きようとも構いません。どうかこの世界を救ってください』とな。さあ、これでお別れだ。バネット」

 

 そう言った直後、ベッドの傍らにすっと大きな丸い耳を持った小柄な人影が立った。その可愛らしい容姿はあのころのまま。何も変わらない彼女の姿に、心が安らいでいくのを確かに感じていた。

 

「アレク……せっかくだからお前に抱かれてやろうと思っていたのに……残念だよ」

 

 そう屈託なく笑う彼女に、若かりし頃のことがまざまざと思い出されてくる。

 

「止せよ、言っただろうあの時に、俺はロリコンじゃあないと。俺は確かにお前が好きだったが、【エリザベート】をないがしろにはしたくなかった。それは彼女が死んだ今でもかわらん」

 

「ふん、お前って昔からそうだよな。融通が利かないし律儀だし。ま、だから私もお前が好きだったんだけどな。名残惜しいけどこれでお別れだ」

 

「人生の最後に会いに来てくれたこと感謝している」

 

「気が早いよアレク。まだ死んでないだろ? 大丈夫、多分なんとかなるさ、今の私のご主人様がいてくれさえすればね。だから、もうちょい死なないで待ってろよ」

 

「それはどういう……」

 

 その時、部屋の扉がスッと開き、侍女たちが粛々と入ってきた。

 そして顔を振ってみれば、そこにはもう彼女の姿はなかった。もう消えていたのだ。

 夢か幻か……

 いや、彼女は以前からそうであったな。

  

「ご主人様……か」

 

「…………?」

 

 そう独り言ちた私を怪訝な顔で見つめてくる侍女の一人。

 いよいよぼけ老人になってしまったなと、私は一人苦笑した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 二人の皇子【エドワルド、クスマンside】

「はぁん……は、はげしっ! 激しすぎますぅーー、ああっ!!」

 

「殿下ぁ……次……次はワタクシめをお使いくださいませぇ」

 

「いやいやぁ、私! 私に欲しいですわぁ!! お願いします、殿下ぁ!!」

 

「へへ……」

 

 室内には激しく腰を女へと打ち付ける乾いた音と、ぬちゃぬちゃと液体が溢れかき混ぜられる音が響き続けていた。

 巨大なベッドの上には複数の女と、そして大男と評しても差し支えがないほどに筋骨逞しい偉丈夫の姿。その男はあられもない様子で四肢をベッドへと投げ出した一人の女の腰を両手の平で軽々と掴み、彼女へと自らの欲望を叩き続けていた。女はといえば、もはや痙攣したまま恍惚とした表情でだらしなく開いた口から自分の舌をだらりと垂らしてしまっていた。

 そのあまりの激しい様に、周囲に群がる女達は同様の情けを受けようと、皆必死になってその美しい裸体を男の身体へとこすりつけ、懇願するように愛撫を続けていた。

 

 その時、部屋の入口の扉がおもむろに開く。

 付き従っていた官吏を廊下に立たせたまま、その政務服姿のやはり長身の男が静かに部屋へと入ってきた。女達は自らの快感に溺れ、その存在に気付いてはいなかったが、大男だけは腰を振りつつそちらへと視線を向けた。

 

「おお……兄者。よく来たな。どうだ女ならいくらでもいるぞ、兄者も一緒に楽しまないか?」

 

 何も気にした様子もなく、へらへらと笑みを浮かべたままで、その大男は最後の仕上げとばかりにもはや気を失ってしまっている女へと欲望の限りをぶちまけた。

 そしてそのままの態勢で、次に狙いをつけていた女へと手を伸ばし、乱暴にその身体を弄ぶびつつ、失神した女の身体がぴくぴくと痙攣する様を楽しんだ。そして次なる獲物でいかに楽しんでやろうかと動きかけたその時、彼の兄が声を出した。

 

「いい加減にしておけよ、クスマン。貴様も神教の忠実なる僕なのだ。昼間から女になど(うつつ)を抜かして世間から疎まれないように気をつけることだ」

 

「へっ! 別に俺は自分から神教の信徒になったわけじゃあねえんだがな。まあ、人前じゃあそれなりに気を使うとするぜ……で、どうする? 兄者も女を抱くのか?」

 

 そう言いつつ、次なる女を組み伏し腰を振り続ける弟を見ながら、兄……エドワルド・エルタニアはその場にいる女達全員へと言った。

 

「お前達、すぐに失せろ。これから大事な話があるのでな、もし消えねばすぐさまここで死んでもらうことになるぞ」

 

 低く、心地よいほどのテナーに響くその声に、一瞬で心を奪われた女達であったが、その内容の重大さに遅れて気づき、小さく悲鳴を漏らしつつ、矢継ぎ早に部屋を後にしていく。

 大男……クスマンに組み伏せられていた女も、慌てて彼の腰から逃れて部屋を飛び出していった。

 その様を呆気にとられた様に見ていたクスマンは、渋い顔をしつつ、その腰にタオルを巻いた。そして開いたままになっていた重厚な扉を自ら閉め、そこを施錠した。

 

「ひでえな兄者。これからが良いところだったってのに。まったく欲求不満もいいとこだぜ。で? なんの用なんだ? もうじきこの城を捨てるんだろ? 時間がねえんだ、手短に頼むぜ。俺はまだたりねえんだからな」

 

 クスマンはもう一枚タオルを手にすると、今度は筋肉質なその全身から噴き出している汗を拭い始める。

 それを眺めつつエドワルドは言った。

 

「ギードとの合流は中止だ。今しばらく我々はこの地で『狩り』をすることになった」

 

「はあ? いまさら『狩り』かよ? おいおい兄者、それはなんの冗談だ? もうこの国は『あの連中』にくれてやったも同じだったじゃねえか? 俺らは王族の生き残りとしてギード経由でジルゴニア帝国に亡命するって話だったろ? それに早くしねえと、ここも襲われるだろうに。それがどうして……?」

 

「『あの連中』が計画を失敗したようだ。『アンデッドナイト』どもも、『終末の獣』たちも、そして『魔の存在』もその復活を阻止された。このままではこの国は『存続』出来てしまう」

 

 それを聞いたクスマンは大声を張り上げた。

 

「なにっ!? それは本当のことなのかよ、兄者!!」

 

「嘘など言わぬ。今ギードと合流したとしてもこの地は『滅びぬ』のだ」

 

「ちくしょうがっ!! いったいなんでだよ!!」

 

 だんっ‼ と激しく机を殴りつけたクスマンはその顔に怒りを貼りつかせ、歯を噛みしめつつ言い放った!

 

「あれかっ!? 国王(おやじ)が用意した連中のせいか? あいつらが先回りして全部片づけやがったってのか!?」

 

「いや、ラインハルトを始めとした他の連中には、魔王モンスターを(けしか)けることで足止めをしたのだ。あの者達がやったとは考えにくい。それよりも問題なのは、『あの連中』の仲間の一人も殺されたらしいという事実だ。これは全ての『予言』にはなかった事態だ」

 

「くそがっ!! やっぱり俺が直接行くべきだった。俺ならばどんなイレギュラーでもぶち壊せたっ!!」

 

 そういきり立つクスマンに、エドワルドは冷静な声で諭すように言った。

 

「落ち着けよクスマン、まだ手は残っている。といっても流石にあの『遺跡』を動かせばこの国だけの被害には留まるまい。ギードも小国連合もジルゴニアにも被害が及ぶだろう。だが……」

 

 エドワルドは一度目を閉じ、そして冷徹な微笑みをその顔に浮かべた。

 

「このような穢れた大地……破壊されたとて痛くも痒くもない。一度壊し、そして『あ奴ら』へ全てくれてしまえばよいのだ。もう少し世界は、すっきりするべきなのだからな」

 

 巨漢であり力自慢でもある弟クスマンであったが、そのような兄の表情に全身粟立つのを感じた。

 そのあまりの冷酷さがいかに本気であるかを知っている彼にとって、その言葉はまさに死の宣告そのものであったのだから。それに気圧されつつも、クスマンは兄へと言った。

 

「お、おう……そ、その通りだぜ兄者! この世界は絶対にぶっ壊す。まあよ、気に入った女の何人かは連れていきてえところだがな、へへ」

 

 その軽口にエドワルドは何も答えなかった。

 冷たい視線を一度向けるだけに留め、更に続けた。

 

「だが……確かにお前も言った、ラインハルト()父上が用意した連中は厄介なのだ。様々な『祝福』と『スキル』を持つあれは普通ではないからな。だからこちらも手ゴマを用意した。ゲッコーとスペリアネス。貴様も良く知っていよう?」

 

「おおっ……!! 『味方殺し』と『災いの魔女』か! あの連中ならば良いぞ! 良い! 躊躇なく人を殺すからな、駆け引き無しで楽でいい」

 

 そのように絶賛するクスマンに、エドワルドはもう一言付け加えた。

 

「それと、ノースウィンドゥのカイラードという小僧も、『あの連中』の命令で呼ぶことになった。この男のことを私は良く知らぬのだが、貴様はどうだ?」

 

「ああ、聞いたことはあるな。なんでも滅茶苦茶美人の女を3人侍らせて盗賊狩りを行ってるとか……確かこいつは、闘った相手を必ず殺すらしくてな、『殺人狂』なんて一部では言われている英雄様らしいぜ。へへ、そうか、こいつも来るのか……だったら、その女どもの味見をしてやらねえとなあ」

 

 よだれを垂らしそうな勢いで興奮し始める弟を兄は諫める。

 

「やめておけ。どのような人物にしろ、今は共闘するときだ。例のラインハルトも一度王都へ戻り着くころ合いだろう、邪魔をされぬように連中を(けしか)けるのだ。大事は他にあるのだからな」

 

 それを聞いたクスマンはまた先ほどと同様ににへらと笑みを浮かべた。そして問うた。

 

「で? 兄者、いったい今回は誰を殺せばいいんだ?」

 

「決まっている。我々の妨害をしている『何者』かと……」

 

 エドワルドは目を細める。

 そして邪悪な冷気の宿ったその瞳でクスマンを射抜くように見つめつつ、言った。

 

「この忌まわしい国にいる全ての人間だ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 揉みしだけ!私のちっぱい!

「童貞賢者ならここにいるっすよ? ねえ、ご主人!」

 

「だ、誰が賢者だ、マジでぶっ壊すぞこの野郎!!」

 

 何やら俺たちの背後に立った金髪のイケメンと会話していたニムが、急に俺の方を向いてそんなことを言ってきやがった。というか、本当に毎回毎回こいつはマジでムカつくぜ。

 それで、ちらとニムに声をかけていた男へと視線を向ければ、今度はそいつが訝しい目つきで俺をジッと見つめてやがった。これはあれか? いつものニム狙いのナンパ野郎か? と、そう思っていたら、その男の背後には金髪縦ロールふんわり系お嬢様、茶髪ショートの褐色美少女、それと銀髪ロングポニーテールの長身美女と、より取り見取りなかわいこちゃんを引き連れてやがった。それを見てニムが、『イケメンは連れてる女の子もレベル高いっすねー、ご主人ももうちょいカッコよくなれば、あんな風に映えるはずなんですけどねー……なんでダメダメな感じなんすかね?』とか、そんな失礼なことを言い始めやがった。

 マジでふざけんな!

 手元の冷えたエールをグイと飲めば、隣のニムがけらけらとおかしそうに笑った。

 

「ご主人にはワッチがいるじゃないっすかー! 童貞言われるの嫌なら、抱いてくれていいんすよ? ワッチもヴィエッタさんもいつでもウェルカムです!!」

 

「うるせいよ! 絶対抱くか、この馬鹿!」

 

 ニムはまったく俺の言葉を意に介さずに俺へとしな垂れかかって、こつんと頭を肩に乗せてきた。

 こんなバーのカウンターで酒を飲みつつ二人並んでのこの行為、見る奴が見れば完全に出来上がったカップルとしか映らないだろう。こいつマジで酔っ払ってるんじゃなかろうか?

 気が付けば、さっきのイケメンと美女軍団は消えていた。いったいあれはなんだったんだ? ただ連れの可愛い女を見せびらかしたかっただけだとか? くっそ、本当に世の中間違ってる。

 あんなモテモテリア充のイケメンが蔓延ってるから、真面目一辺倒で生活してきた純朴な子が、『実は身近に自分にとっての大切な存在が居たんだよ?』という感じで恋愛に発展して結ばれるという流れが、ぶち壊しになってるに決まってる!(思い込みっす) 純朴な子がああいう良からぬイケメンに惑わされて純潔を失い続けているんだ!(言い掛かりっす)

 ぐぬぬ……許すまじ、世のモテイケメンども!!(ただの僻みっすね)

 

「まあ、ご主人の気持ちはだいたいわかりやしたけど、そんなの今どうでもイイじゃないっすか! せっかくのデートなんですからもっとイチャイチャしましょうよ!」

 

「あほか! デートなわけねえだろうが! お前な、ここに来た理由覚えてないの? バネットだろうがバネット!!」

 

「あー、そういえばそうでした……?」

 

 そう、俺達は今、バネットを捜しにここにやってきていた。

 宿屋でアレックス殿下たちが帰った後、あーだこーだやったその後でニムが帰ってきたわけだが、二ムはばっちり連中の住処を見つけてきた。

 といっても、そこはただの孤児院だったようで、ナツとウーゴと呼ばれたあの二人の男の子たちも含めてそこで寝起きをしているとの話。

 当然そこがレジスタンスの本拠地であるとも思えないことから、後々それは探ることにして二ムは帰ってきたのだという。

 さて、そうして帰って来た二ムに俺は、バネットが現在どこにいるのかを捜させた。

 ニムの高感度ハイパーセンサーはかなり遠距離まで対象物を識別することが可能であり、実際に人間がいるかどうかくらいであれば、生体センサーと収音センサーの二つだけで容易に数キロ先の存在を確認することも出来る。だがこれは、あくまでその『人間』という存在を知覚するためだけの方法だから、その個人を特定するまでは難しい。

 当然これだけであればバネットを探し出すことは困難ではあるのだが、彼女の場合はすでに探索に必要な識別データが揃っていたから簡単だった。なにしろ、以前一度、窃盗を行ったバネットを追いかけるために詳細なデータを二ムは取り込んでいたわけだからな。

 ということで、容姿、声、匂いなどの個別識別データを用いてセンサーで捜索した結果、なんと彼女は王城にいたことが分かった。しかもその場所は王城の上層階。明らかに王族が居るであろうそのエリアに留まっていたのだ。

 いったいこいつは王城で何をやっているのか?

 そう考えてみたところで、バネットが実はいい歳だということで、過去に王城がらみで何かの因縁でもあったのではないか? と推察することは出来たものの、当然その場の全員が彼女の過去を知っているわけもなくその予測は棚上げ。

 まあ、帰ってきたら聞けばいいかと思っていたのだが、バネットは王城を出ると今度は歓楽街方向へと足を向け、そしてこのショットバーの様な店にかなり早い時間から入店し、それからずっとあの部屋にいたというわけだ。もういい加減待っているのも嫌になり、ヴィエッタやオーユゥーン達にもやっておいてもらいたいことがあったから、こうして俺とニムの二人が迎えに来たというわけだ。

 だが……

 俺達が店に着く寸前に、そのバネットのいる部屋に『女』が入ったことをニムが知覚した。そしてなにやら密談のようなことを始めたもので、こうして俺達は客の振りをしながら、壁越し喧騒越しにバネットを観察しているというわけだ。

 なのに、この機械ときたら……

 

「思いっきり忘れてんじゃねえか。もうどうでもいいからほれ、今バネットが何してるか教えやがれよ」

 

「へーい」

 

 二ムはそう言いつつ、喧騒に包まれたこのバーの店内の更に奥の方……ガチムチのガードマンみたいな奴が立っている扉の脇辺りに視点を固定した。

 そしてぽそぽそと呟いた。

 

「さっきと変わっていませんねー。女性と向かい合って話しているだけですよ? でも……ふむふむ、なるほどなるほど。ワッチのハイパーセンサーでもこの雑音の中じゃあノイズが酷くて直接は聞き取れやせんけど、熱源感知で可視化した唇の動きも合わせて読み取ってみますね。えーと、王様がどうたらで? 国がどうたらで? それで死んでどうたら? なんなんすかね?」

 

「知らねえよ、てめえが読み取ってんだろうが、俺に聞くんじゃねえよ。そもそもそのどうたら? が大事なんじゃねえかよ」

 

 まったく、本気でこいつ、ハイパーセンサー宝の持ち腐れじゃねえか? 1km先で針を落とした音すら拾える性能があっても、集積されたデータから音紋を特定・選別する作業をこいつがやってる時点で不安要素増大しやがるからな。まあ、作ったの俺なんだけども。

 

「ふむふむ……えーとですね? 『臆病で、慎重で、わがままで……恥ずかしがりやで、良いカッコしいで、見栄っ張りで……エッチで、スケベで、変態で……ってこれまるっきりご主人のことっすね! あはははは」

 

「なんだとあの野郎!!」

 

 っざっけんな! あのクソチビロリ鼠、俺がいないのを良いことに悪口言いまくりやがって‼ 許せん!!

 

「ちょ、ちょっとお客さん、この先はご予約のお客様のみですよ……」

 

「ほらよっ!!」

 

「え……あ……こ、こんなに!? うへへ、ど、どうぞ」

 

 俺を通せんぼしようとしていた立ち番の大男の手に5000ゴールドを握らせて俺はそこを素通り。そして、洒落た通路の最初の扉を思いっきり勢いよく開け放った。

 

「やいてめえバネットこの野郎! 人の悪口言いまくってんじゃねえよてめえ!!」

 

「おや? ご主人様流石だね!! 私の隠密無視して辿り着いちゃうなんて最高だよ! そんなに私に会いたかったの?」

 

「マジでふざけんなっ! てめえいいか!? 人の悪口をそいつのいないとこでするほど悪質なことはねえんだよ! 危うく鬱病で寝込んじゃうとこだったじゃねえか!!」

 

「あ、ちなみにご主人? あのあとバネットさん、『でもね、優しくて、まっすぐで、最高に素敵なご主人様なんだ!』ってえへって笑いながらご主人のことを褒めてましたよ? いやあ、ご主人最後まで聞きましょうよ、ワッチも面白くてあえて言わなかったんですけどね」

 

「なんだとてめえっ!! ……ん?」

 

 もはやなんで怒っているのかだんだんわからなくなってきていたその時、ふと視線を動かしてみれば、バネットの対面の椅子に腰を下ろして引きつった苦笑いをしている一人のメガネをかけたローブ姿の女!!

 明らかにこの状況に戸惑っている様子で完全に固まってしまっていたのだが、俺はその顔を見て、唐突に思い出し、つい叫んでしまったのだ!

 

「あ、あーーーーーーっ!! め、『メガネ裸ローブ』の『痴女』!!」

 

「ええええっ!?」

 

 愕然とした表情でやはり絶叫する裸ローブ痴女。

 彼女はガタガタっと椅子を蹴って立ち上がると、俺に向かって吠えた。

 

「ち、痴女じゃないです!! こ、このローブの下だってちゃんと着て……」

 

 と言いつつ、自分のその茶色のローブをがしっと掴んで開こうとしやがった。だから俺は慌てて目を瞑って首を振った。

 

「や、やめろっ!! ど、どうせあれだろ? まっ()じゃなくて穴あき下着とか、ヒモ下着とか、そんなの着てるから裸じゃないですよーとか言って、愉悦に浸ろうとかってあれだろ!? や、やめろー! 清純な男子を闇に落そうとかするなー!」

 

「ち、違います! 違いますからっ! ちゃんと着てますから! ほら、ほらぁっ!!」

 

「くっ……てめえだけはそんなことしない奴だって信じてたのに! アンデッド怖くて震えてた俺を助けてくれたって感謝してたってのに! 結局てめえもただの露出狂ナルシストのただ変態痴女だったんじゃねえか!!」

 

「な、なななな、何を言ってるのですっ!? だから本当に違いますから、信じてくださいってば! 本当に私は痴女じゃなくてですね……」

 

 その時のことだった……

 

「ふふふ……漸く魔力を感知できたわ。この王都にいることは分かっていたのだけれど、なるほど、あなたはその『魔封じの衣』を纏って自分の魔力を遮断していたのね。まったくやられたわ」

 

 そんな声が唐突に部屋の奥の方から聞こえたかと思うと、そこにいたのは一人の長い銀髪の女。地面に着きそうなほどに長いその髪を微かに揺らめかせつつ、微笑みを浮かべてまっすぐこちらを見ているのだが、その恰好がとんでもなかった。

 簡単にいうと、ボンテージな拘束衣。黒いベルト状の服なのかヒモなのかで全身をグルグルに巻いたというか、隠しただけというか、肉にめり込みまくった感じで体中を締上げさせ、その衣装のところどころの穴に鎖やロープの切れ端が垂れ下がっていて、明らかにプレイしたまま着替えずに来てしまいました風な感じなのであった。

 

「うわぁ、もう一人でた!」

 

「ちょ……だから私は違いますから!!」

 

 何やら俺の視野の外で例のメガネ痴女が何やらほざいていたが、もう俺はこんな不埒な連中とは目も合わせたくなかったので無視を決め込んだ。

 だが、はて? 部屋の向こう側にはドアは無かったはずだが、あの女どうやってあそこに現れたんだ? まさかずっと室内に……ってそれはないな。二ムは壁越しだったが、生体センサーで確認をしていたんだ。いたらいたって言うはずだ。なら……

 ボンテージ女が笑いながら話始めた。

 

「初めての方も多いみたいだから自己紹介するわね、ふふふ。私の名前は【スペリアネス】。人は私を『災いの魔女』なんて呼ぶのよ、失礼しちゃうわよね。私ってこんなにも尽くすタイプなのに、みんななんでか途中で逃げ出しちゃうのよね。うふふ」

 

 いや、それ多分、お前がただ怖いだけなんだと思うよ? だって俺いま超怖いもの。マジで目の前から居なくなってほしい。

 

「す、スペリアネス……最悪だわ……」

 

「ん?」

 

 何故か震える声でそう漏らしているメガネ痴女。ちらっとだけ様子を見れば、手に魔術師のワンドを持ち、何かの魔法の詠唱に入っていた。

 これは『結界』系の魔法か?

 

「あはは……そんなしょぼい魔法でこの私を止められるわけないでしょ? 話には聞いていたけど、ほんとに大したことないのね。ま、いいわ。あなたって相当に『価値』があるらしいものね。ここで私に殺されて、私のレベルのこやしになって頂戴な……オルガナちゃん!!」

 

「『聖防壁(ホーリー・ガードウォール)』!!」

 

「だから効かないって言ってるでしょ? 『(ダークネス・サモンズハンド)』! あははははははは」

 

 突然スペリアネスの周囲に靄が発生し、そこから巨大な黒い影のような手が現れてメガネ痴女へと襲い掛かった。メガネ痴女はといえば、自分だけでなく、俺達を含めた全員の前に光の壁を構築していたのだが、それも一瞬で巨大な黒い手によって破壊され、自分はその手のぶつかる衝撃で後方へとぶっとんだ。

 これはまた面白い魔法だな? あの手みたいな奴はそれこそ魔法で作られた疑似身体というべきものか。何かしらの魔法生物かなにかを本当に召喚しているのかもしれないな。今度ちょっとためしてみようか。

 

「あはははははははは、よっわーーーーい! 弱すぎるよ――――! そんなんで良く今まで生きてこれたねぇ。あ、そうか、魔力が減りすぎてもう死にかけてるんだっけ? うふふ……、ならなおさら私が殺してあげないとね。せっかく貯めた経験値が勿体ない物ね! あははははは」

 

 ボンテージ痴女は力を込めて身体を抱くようなポーズをとるのだが、その衣装がミチミチと音を立てて身体に食い込み、そのたびにビクンビクンと震えながら恍惚とした表情で微笑んでいた。

 こいつぁ、完全に変態だ。

 

「ば、バネットさん……み、みなさん、逃げてください。あの女はまさしく災いの魔女です。彼女は躊躇いなく皆さんも殺します」

 

 そう言いつつ、再びローブのすそから出した手でワンドを掲げようとする。 

 俺はその様子を見つつ、彼女へと言った。

 

「ま、やっとあんたに会えたし、あんたとは色々話したかったんだ。とりあえずこの場は助けてやるよ」

 

「え? え?」

 

 メガネ痴女は言葉もない。ただ呆気にとられて俺を見ていた。

 

「それに、あのスペアリブだか、スピリタスだかって変態はレベル38みてえだしな、ちょっとやそっとじゃ死なねえだろうから遠慮しねえでぶちかませるから」

 

「え? そ、それはどういう……?」

 

 質問しようとしているメガネ痴女をとりあえず無視して、俺は隣のバネットを呼んだ。

 

「おいバネット。お前の胸を触らせてもらうからな」

 

「さあおいで、ご主人様!! 揉みしだけ! 私のちっぱい!」

 

「揉みしだくかっ!!」

 

 俺はぶん殴りたいのを必死に堪えて、即座にバネットの幼い胸に手を当てた。そして一気に魔術を走らせる。

 

「ん? 貴様はいったい何を……?」

 

 不可解とでも言った風で俺を見つめていたボンテージ女が、首を傾げているそこへ、俺は一気に魔法を爆発させた。

 

「『重竜巻(フ・ヘビートルネード)!!」

 

「!? ば、バカなッ……」

 

 と、何かを言いかけた瞬間、奴は消えた。そう消えた、俺達の目の前から! というか、消えたというより、『打ちあがった』だけなんだけども。

 俺は瞬間、ごく狭い範囲で、ちょうどボンテージ女の立っていた直系50センチほどの空間のみで一気に超強力な高位魔法を炸裂させた。といっても今使えるのはバネットに憑いている『ノースウィンドゥ』とかいう風の精霊の力のみ。

 で、この街の中の、店の中の、更に人が大勢いる中で逃げるためにはどうしたら良いかと考えれば、おのずと答えが出てくるわけだ。つまり相手にいなくなってもらえばいいということだ。

 ということで、俺は奴の足元から頭上……それもこの店の天井、屋根も含めた直上に向かって真っすぐに空気の道を切り開いた。そして、威力だけで言えば複合魔法の超重力結界(グラヴィドン)と同程度はあるだろう、風魔法最上位級の攻撃魔法を思いっきり放ったというわけだ。

 おかげで奴は大砲……というより、超電磁砲的な感じで摩擦無しどころか超加速された状態で打ちげられることになった。

 流石に宇宙までは行っていないだろうけど、落下してくるだけでも相当時間かかるからな。ま、これで逃げる時間は稼げたというわけだ。

 

「きゃ」「わ」「はわわ」

 

 と、その瞬間部屋の中を一陣の風が駆け巡って俺達を撫でた。

 ま、全部を逃がしきれなかったわけだなーとか、思って見て見れば、ニムとバネットのスカートがめくれ、眼鏡痴女も必死になってめくれ上がりそうになるローブを押さえていた。

 というか……

 

「や、やめろよ! お前そのローブの下何も穿いてないんだから、絶対捲られるなよ!!」

 

「は、穿いてますから!! ちゃんとパンツ穿いてますから!! あ……」

 

 そして捲れたローブの内側に、俺はばっちり純白のパンツを見てしまったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 姐さんは相変わらずお美しいままで

「もういいから、さっさと逃げるぞ」

 

「え? あ……」

 

 俺は真っ赤になってローブを抑えていた眼鏡痴女の手を取って走り出した。ニムとバネットも当然のように俺に追従する。

 ぐずぐずしていたらさっきの破廉恥女がまず間違いなく戻ってくることが確定していたからな。だからこそ急いだ。

 先ほど道を通してくれた大男の脇をすり抜けざま、俺は更に5000ゴールドを奴へと握らせた。

 おっさんめっちゃほくほくした顔してたけど、それお前にやったわけじゃねえからな? 天井ぶち抜いた修理代だからな? 着服すんじゃねえぞ? と、まあ、別に説明も何もしていないからもうどうでもいいやと、そのまま退店、俺達は一路宿を目指した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「いやあああああああああああっ!! し、死ぬ!! 死んじゃうからぁああああ!!」

 

 誰一人聞く者がいないその『場所』で、彼女はひたすら絶叫していた。

 ただ、残念ながらその薄い空気と猛烈な風圧の所為で呼吸もままならず、しかも全身をほぼ露出しているようなその恰好の所為で、強化されているとはいえ、身体機能のほとんどはもはや失われていた。

 『(かじか)む』という表現が生ぬるい彼女の現状は、凍てつく冷気の中で身体がすでに凍り付き始めてでもいたのだろう、全身から猛烈な痛みの信号が発せられ続け、それから逃れようと彼女はひたすら治癒魔法を行使し続けていた。

 このとき、彼女がもう少し冷静であったなら、彼女のいるこの惑星のほぼ外側という場所において、ほとんど何にも遮られることのないままの満点の宇宙の星々を眺め見ることができたかもしれない。そして、『せり上がった』広大なアトランディア大陸の全容と、そして湾曲した地の果てまでの大パノラマをその眼に焼き付けることができたのかもしれなかった。

 だがしかし、彼女の脳裏にあったのは、残念ながら『自らの死の予感』のみだった。

 あまりの痛みとあまりの恐怖、災いの魔女とまで呼ばれた彼女にあって、完全なる死を実感するこのような経験は人生初めてのものだったから。もはやこの『ひたすらの落下』とその後に待ち受けるであろう地面への衝突を考え、恐怖し、彼女は錯乱の境地にいたのだ。

 数々の魔法を会得し、多くの人間を打ち負かし、彼女の師さえも魔法で打ちのめした。

 弱い者達をいたぶり、殺し、慰み者にすることも飽き、そんな弱い存在に自分を蹂躙させることの快感に酔いしれた彼女は、今はさんざん嬲られたあとで、お返しとばかりに相手を凌辱することの楽しさに酔いしれていた。

 彼女はより強くなることで様々な快楽を得続け、その快感に溺れることを至上の喜びとしてきたのだから。それは今回も同じだと思っていた。

 それなのに……

 直面しているのは意味不明な落下!

 ひたすらの落下。理解のおいつかないこの現状にあって、だが一つだけ助かるとしたら落着の寸前に『あの魔法』を行使するしかない。そう、あの特殊なスキルを得たことで、世界で唯一彼女だけが行使可能となったあの魔法を!

 それを考え、少しだけ落ち着くことができた彼女は思い出す。

 標的だったオルガナと一緒にいた男を。鑑定の魔導具で視るまでもなく、あの男にはなんの魔力の片鱗もなかった。いわゆるただの『魔無し』、彼女はそう判断していたのだ。

 なのに、あの瞬間あの男は魔法を使った。しかも世界でみても数人使えるかどうかしかいない、あの『大魔法』をいとも簡単に。そして彼女はここに吹き飛ばされた。

 訳もわからず、遥か下方、微かにみえる大地を知覚したとき、彼女は錯乱し恐怖した。

 そして理解する。あの男はあの魔法を完全にコントロールしたのだと。でなければ、あの大破壊魔法を受けて彼女が死なずにこんなに高いところまで移動させられるわけがないのだ。

 それを思い、でも堕ちたら死ぬというその現実も理解して、彼女は……

 

 激しく興奮した。

 

「うふ……うふふふふふふふふ……!! きゃはっ!! きゃははっ!!」

 

 狂ったようにそう笑顔になりながら、彼女は思うのだった。

 

 あの男にもう一度会いたい……と。

 

 重力に引かれ、ぐんぐん速度を増していく彼女は、まっすぐに地上へと落ちて行った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「って、おいバネット? なんで宿じゃねえんだよ?」

 

「え? ご主人様、宿に向かってたのか? いやいや止めときなよ。あんな魔法使いがいるんじゃ、普通に宿にいたままじゃあすぐに足が着いちゃうから。こういうときはね身を隠した方が良いんだよ。ま、あの魔法使いが生きてたらって話にはなるんだけどね? ほら、ここはバネットお姉さんにまかせておきなさいな」

 

「なんか釈然としねえ」

 

 どう見ても幼稚園児くらいのバネットが偉そうにそんなことを言って先導するのだけど、子供が秘密基地作ったから見て見てって言っているようにしか見えない。 

 実際はこいつ盗賊歴も長いようだから問題はないのだろうけど。

 

 入り組んだ迷路のようになっているスラムの路地に入った彼女は右へ左へどんどん道を折れて進んでいくのだけど、本当に合ってるのかね、このルート。しかも結構人も多く、殆どは今にも野垂れ死にそうな浮浪者たちだったが、そんな連中に混ざって眼光鋭いやくざ風のガラの悪い連中もちらほら……

 少し不安になりながらも、俺達は今はそれについていくしかないわけだし、追従の二ムは、まったくといっていいほど警戒していないから、まあ問題はないのだろうけども……

 少し不安を覚えつつ俺達が辿り着いたのは……

 

『棺桶屋』?

 

 ボロボロの建物が密集している薄暗い狭い路地の奥の奥。そこに蝋燭の小さな明かりだけを灯したおどろおどろしい様子の棺桶を売る店があった。

 といっても、その並んでいる棺桶はもう何年も売れていないのだろう、雨に濡れ、苔生し、腐って朽ちているものも多かった。そんな棺桶の合間の暗がりを、バネットはすいすい先に進んで歩いていく。

 その後を追いかけようとしたのだが、あまりにも闇が深くてもうバネットの姿も見えなくなっていた。

 

「お、おい、バネット。どこまで行く気だよ?」

 

 そう言ってみれば、暗闇の奥の方から声がする。

 

「ここだよ、ここ。ほらご主人様、もう少しだからこっちへおいで!」

 

 そう言われても、この状況ははっきりってお化け屋敷だぞ? 棺桶から死体が起き上がったりだとか、ここホントにそういうのいる世界だからな、本当に油断できねえよ。

 

「わ、わかったよ。行くよ‼ 行けばいいんだろ?」

 

 ええいままよ、と俺は覚悟を決めてその真っ暗やみへと足を踏み入れた……

 

 その時。

 

 スカッと踏み込んだはずの足が地面に着くことなく空振りした。地面がなかったのだ。踏み込んだ勢いのままで勢いよく前のめりに俺はその穴へと堕ちた。

 ええい、またこのパターンか! なんで毎回俺は穴に嵌らなきゃなんないんだよ!!

 そうイラッと思いつつも、俺に追従するように、眼鏡女とニムが一緒に落下してきた。

 

「ぐえっ!」

 

 当然潰される俺。だが、もうこれも慣れっこなので特に気にしないことにした。

 すると、耳元で声が。

 

「ごめんごめん、穴に飛び降りてっていうの忘れちゃったよ」

 

 そうバネットの声がしたかと思うと、何やら頭上からズリズリと何かをひきずるような音がして、そしてかちっと嵌った音を最後に、パッと明かりがついた。

 すると、そこに居たのはバネットと、それとたくさんのにやけた顔の屈強な体躯の男たち。

 なんだよ、こいつら……まさか、これ罠か?

 バネットの奴俺達を罠に嵌めやがったってのか? ま、マジか? マジなのか?

 眼光も鋭いし、こいつら完全に裏稼業の連中だ! これはいよいよヤバい!!

 そう思っていたトキだった。奥から金の長髪の痩せ型で、頬に大きな刀傷をつけた目つきの悪い、明らかにリーダー格な感じの男が、連中の垣根を掻き分けて俺達の前へと歩み出てきた。

 

 あ、こいつガチでヤバい奴だ。

 そう冷や汗を垂らしていた時のことだった。

 

 奴が口を開いた。

 

「ようこそ『盗賊組合(シーブズギルド)』へ! お久しぶりです、バネットの姐さん」

 

「また世話になるね、【ピート】坊! 随分大きくなっちゃったねー」

 

「姐さんは相変わらずお美しいままで」

 

 なんだこの会話は?

 理解はまったく追いつかなかったが、とりあえず、この目の前のとんでもなくガラの悪い男は、ピート君というらしい。

 うん、可愛いね、名前だけは。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 世紀末な盗賊達

盗賊組合(シーブズギルド)だって?」

 

「ああっ!? なんだぁてめえは!?」

 

 思わずひぃっと仰け反りそうになったわけだけど、俺がふと一言漏らした瞬間にバネットに恭しく話しかけていた金髪刀傷男のピート君が、俺へとメンチを切りつつ顔を近づけてきた。っていうか、マジで怖すぎる!

 これ、絶対一瞬で俺の首を跳ね飛ばされるシチュエーションだろ? とか本気で怯えていたそこへ、鼠人の彼女がムッとした顔でいった。

 

「この人は私のご主人様だよ」

 

「え?」

 

 強面ピート君はさも虚を突かれたと言った感じで驚いてしまっていた。そして俺達全員を見回してからバネットへと近づいた。

 

「へ、へへへ。バネットの姐さん。悪い冗談は止しやしょうよ。姐さんともあろうお方が、よりによってこんな貧相なガキに仕えてるなんざ、冗談にしちゃあ……」

 

 言いつつ奴は俺へと顔を近づけて、邪悪に微笑みつつ……カッと目を見開いた。 

 

「最悪だぜ!」

 

 ひ、ひぃっ!!

 いや、何この人! いきなり現れてこの反応! 

 いくらなんでも過剰すぎるだろう。やめてよ別に本当になんでもないし、ご主人様ったって、それただバネットがそう呼んでるだけだし。

 そう思っていた時だった。

 

「嘘じゃないよ? 私は『買われた』んだ、ご主人様に。5000ゴールドで! ねえご主人様」

 

「ご、5000!? た、たった5000ゴールドぽっちで!? う、麗しのバネット姐さんを買いやがったってのか、てめえは!! ああんっ!?」

 

「ひゃっ!!」

 

 あまりに近くで叫ばれたので、本気で変な声が出た。

 いや確かに5000ゴールドで買ったっていえばそうなんだろうが、あれは悪徳奴隷商人のバスカーとのやりとりの一環で金を奴にくれてやっただけの、言わばただの仕返しだったんだぞ?

 なんで、わざわざ安価にお前を仕入れたみたいな話にすり替えたんだよ!

 ニマニマしているバネットの横で、怒り心頭なピート君。

 

「てめえ、バネット姐さんにこんなこと言わせるたあどういう了見だ、ああっ!? 本気でぶち殺すぞ」

 

 とんでもない悪人顔で俺へと迫って、しかも全身の筋肉をミシミシと漲らせながらプルプル震えてやがるし、こいつ今すぐにでも本気で俺をぶん殴ろうとでもしてるんではなかろうか!! やめて! 本当にやめて!!

 

「ピート、いい加減にしなよ。だいたいお前程度がご主人さまに敵うわけないだろ? 身の程わきまえな」

 

「んなっ!!」

 

「!!!?」

 

 おいおいバネットてめえ、何を言い出しやがる!!

 なんでただでなくてもちびりそうなくらい怖いってのに、こいつけしかけちゃうんだよ!! やめろよ、嫌だよこんな怖い奴と喧嘩なんかしたくねえよ。っていうか、もう何もしないし謝るから逃げさせて!!

 

「くく……くくく……こんなひょろいガキが強いですって? 馬鹿も休み休みにしてくださいよ。よおみんな、このガキ俺よりも強いんだってよ。さあどうする?」

 

「ひひひ」「へへへ」「くひひ」

 

 周囲のまるで世紀末暴力団員のようなムキマッチョモーヒー(かん)どもが、にやにやと笑い出してさしずめコンクリート詰め1分前と言った様相だ。

 おいおい本気で勘弁しろよ、やめてくれよ、と慌ててニムとメガネ痴女へと視線を向けてみれば、ニムはあっけらかんと笑っていて、メガネの方は唖然茫然。ともかく、ふたりとも俺を助ける気はさらさらないということだけは良くわかったのだが。

 そんな俺へとピート君が近づいてきた。

 

「よし分かったクソガキ。てめえが本当に姐さんに相応しいかどうか俺が確かめてやるぜ。ほら、相手してやるからかかってこいよ」

 

 ピート君はニヤリと微笑んだまま俺に向かってかかってこいと指で合図を送ってきやがった。

 とりあえずレベルを確認してみれば『23』。まあ、その辺の冒険者と比べればそんなに弱いわけじゃないが、はっきり言ってレベル1の俺じゃあ話にならない。

 っていうか、なんで俺がこいつと喧嘩しなきゃいけないんだよ! 止めろよ、だれでもいいから。おい、バネット……と見てみれば、こいつもこいつでニヤニヤしつつ俺を見ていやがったし。

 くっそ、なんなんだマジで。

 

 ええいくそ!!

 

 俺はもうわけが分からないままに叫んだ!!

 

「てめえ、もう死んだって知らねえからな?」

 

「くはは、死ぬ? この俺が死ぬって? げはははははは。てめえみてえななんの取柄もなさそうなガキに俺がやられるわけ……」

 

 そんなセリフを吐いているピート君をしり目に、バネットへこっちへ来いとちょいちょい指で合図を送る。

 そしてさも当然の様に俺の方へと近づいてきて、ずずいとその胸を俺へと差し出してきやがった。

 で、当然それに触れるわけだが。

 

「て、てめえ!! 何をいきなり姐さんの胸を揉んでやがる!! ぶっ殺す!!」

 

 だから揉んでねえから!!

 俺はいきり立つ奴に構わず、魔法を一気に放った。

 

「『風弾(フ・エアバレット)』!!」

 

「んなっ……」

 

 使用したのはただの風の基礎魔法。だけどその威力は少し弄くった。

 この魔法は周囲の気体を圧縮した上で相手にぶつける魔法で、様々な属性の同様の魔法の中ではもっとも威力が弱い。同系統の『送風(フ・ブロワー)』にどちらかといえば近く、風を発生させる類の魔法なのである。

 当然、レベルの高い奴はこれに耐えることは容易。そういうわけで俺は威力を半端なく底上げしておいた。

 ここはどうやら密閉された空間だ。だからこそ簡単だったのだが、空気の圧縮の際に、連中の周囲の空気を根こそぎ奪ってほぼ真空にした。

 そして最大限圧縮した空気を放ったのた。

 いったいどれだけ空気が暴れたのか、予想するのは簡単だろう。

 とりあえずピート君達はぶっ飛んだ。

 ぶっ飛んで、文字どおり壁にめり込んで、なにやら巨大な絵画の様になってしまったのだが。

 

「ほらね? お前じゃ敵わないっていったでしょ?」

 

 なにやらバネットが鼻を膨らませているし。

 って、元はと言えばてめえのせいだろうが!

 

「す、すいやせんでした……」

 

 ピートの謝罪が短く辺りに響いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 がっでーーーーーーーーむ!!

「いやあ、すいやせんでした。流石はバネット姐さんの男。御見逸れしやした」

 

「お前、手の平返すの速すぎだろう」

 

 そのまんまの意味で『壁の花』になっていたピート君達を、ニムが力づくで引き剥がして助けたあと、とりあえず大怪我した奴がいないかだけを確認し、特に大事になっていないことを見留めてほっと安堵していた。

 いやいや本気で嫌だよ、こんなところで殺人とか。ただでなくても怖いおじさんたちだらけなのに、いきなり殺し合いなんかマジでしたくねえよ。

 だが、実際大したケガもなく、この室内がぐっちゃぐちゃになったくらいの事態だったから、ピート君たちもさして怒った様子もなく、今ではこのように平身低頭。だったら、最初からそうしろよ!! と憤りたくなるのを堪えつつ、奴に案内されて応接室のようなところまで移動してきていたわけだった。

 というか、俺はバネットの男じゃねえ!!

 

 俺たちが今いるこの応接室は、地下室にあるとは思えないほどに豪奢な装飾品に彩られた部屋になっていた。窓がないのは致し方ないのだろうけど、煌々とランプの灯りが輝いているので、ほとんどの地上の部屋と変わらない様子で、実際に貴賓の来訪にも対応できるような感じであった。

 その部屋の皮張りの大きなソファーに俺とニムとメガネ痴女が座り、一段高い位置の更に豪華な椅子にバネットが堂々と座っていた。

 そのポジション、ヤ〇ザの親分の位置だろう!?

  

 まあ、いい。でだ。一気に態度を軟化させた――というよりは胡麻を擦り始めた感じのピート君の接待がいきなり始まったわけで、そのあまりの変貌っぷりに正直俺の面食らっていた。

 

「どうぞ、まあ、それでも飲んで少しゆっくりしてくださいよ」

 

 コトリと置かれた湯飲み茶わんを見てみれば、そこには熱そうなお茶が注がれていた。

 それをニコニコと笑顔で勧められれば断るのも悪いかと思い、そっと口へと運ぼうとすると、すでに隣でずずーっと音を立てて飲んでいたニムが一言。

 

「このお茶『眠り薬』入ってやすよ、ずず~~」

 

 なんてことは無いように普通ににこにこしながら飲み続けているニムに、なにやらピート君が邪悪な顔でチッと舌打ちしてやがった。

 っておい!!

 

「お、おまえ! いったい何を飲ませようとしてんだよ!!」

 

「う、うるせーこのクソガキっ!! よりによって俺の最愛のバネット姐さんを寝取りやがって!! お前だけは絶対に何が何でも、一生表を歩けないような恥ずかしい体験させてやるからな!! 覚悟してやがれっ!!」

 

「待って! ちょっと待って!! 殺さないでくれる感じなのはびんびん伝わってくるんだけど、一生の恥っていったい眠った俺に何をやらせようとしてんだよ!!」

 

「んなこと教える訳ねえだろうが、このボケ!! 何をされても全部てめえが悪いんだ!!」

 

 とか、子供みたいなことを言い始めるピート君。

 いや、だから何をしようとしてるんだよ!!

 そう気になっていたら、てくてくとニムが歩いて行ってピート君へと言った。

 

「ワッチにだけ教えてくださいよー! いったいご主人がどんなになっちゃうんすか?」

 

「ああ!?」

 

 一瞬憤ったピート君だが、次の瞬間にはにたあっと笑ってニムへとこしょこしょと耳打ち。それをニムはうんうん頷きつつ聞きつつ、言った。

 

「おおっ!! そ、それはなんともおいしそ……いえ、恥ずかしい感じっすね!! でも、それだけじゃあちょいとインパクトが薄いんで……ごにょごにょ」

 

 今度はニムがピート君へと耳打ち。聞いているピート君が何やらどんどん真っ赤になっているんだけども……

 

「お、おい!! そ、そんなことまでしちゃうのかっ!? そ、それやったらもう二度と出歩けないどころか、家に居ても恥ずかしさで死ねちゃうだろう!?」

 

「それがいいんすよ! ワッチたちが居る中でひたすらビクンビクン震えちゃうご主人!! もう考えただけでワッチも濡れます!!」

 

「き、鬼畜だ……」

 

「っておい! おまえらいったい何を話してやがる!! やめろよ本人の目の前で! それほぼ公開処刑だからな!!」

 

「いや、バネット姐さんを寝取ったてめえは死ぬくらいじゃあ許さねえ!! もう普通に生きられるとは思うなよ!!」

「そっすよご主人! これでようやくご主人がワッチたちのものになるんですからね! 一生あれもこれも可愛がってお世話してあげますよ、ふふふ」

 

 とか言いながら、ピート君とニムがグッと握手してやがった。

 どこで共感してんだよ、どこで!!

 と、そんなところへすっ呆けた声でバネットが。

 

「えっと、ピート? 私まだご主人様とは寝てないよ?」

 

「え!? そ、それは本当ですかい!?」

 

 唐突にそんなことを言ったバネットに、ピート君は満面の笑顔になって振り返って詰め寄った。

 バネットはなんてことは無い様子で言い切る。

 

「ホントだよ? いくら誘っても全然抱いてくれないんだよねーご主人様。ご主人様『とは』寝てないし、ご主人様は万人が認める童貞だからねぇ、ピートはそんなに慌てなくてもいいんだよ? いい子にしてたら後でいっぱい可愛がってあげちゃうんだから」

 

「!? バネット姐さん!! そ、それは嬉しすぎますぜ!!」

 

 ぱあっと明るい笑顔になったピート君。

 そして彼はとんでもない事を言い放った!!

 

「バネット姐さんに初めてを捧げてから、俺は数百人の女を抱いて来ましたが、姐さん以上の女にはついぞ会えなかった。バネット姐さん!! お、俺は……俺にとっての女は姐さんしかいねえんだ。姐さん、俺と結婚――」

 

「あ、それ無理。私もうご主人様と余生過ごすって決めてるから」

 

「がっでーーーーーーーーむ!!」

 

 絶叫しつつ撃沈するピート君。

 いや、そこまでへこむんじゃねえよお前。そもそも数百人の女と寝てきたのにバネットが忘れられないって、それお前の性癖がただ、『ロリコ……』

 そもそもお前バネットの実年齢知ってるのか? お前の母親より多分年齢上だぞ、いいのかよそれで。

 とまあ、そんなこんなでもんどりうっている、ユニークなピート君を眺めつつ俺達はようやくお話をする時間が出来そうだった。

 うん、眼鏡痴女、完全に空気だけど気にしない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 それくらい読んで会話できなきゃ異世界生活なんかできやしねえよ

 ピート君が限界を超えちまったようなので、もう放っておくことにして、改めて俺は例のメガネ痴女に向き直る。

 彼女は本気でおどおどと挙動不審に陥ってしまっていたが無理もあるまい。なにしろこんなロリコンの巣窟にいるんだ、怖いに決まっている。

 俺は懐から例の魔法の本を取り出して、それをそっと彼女へと見せつつ頭を下げた。

 

「本当に助かった。あの時あんたに声を掛けて貰えなきゃ、俺みてえな雑魚はあっという間に死んでた。魔法を使えたのだってこの本のおかげ、本当に感謝している。ありがとうな、オルガナ」

 

 眼鏡痴女……オルガナは、びくりと反応したまま俺を見ていたのだが、言われている内容がいまいち理解できていないのか、かちこちに固まっていた。

 だが、目をきょろきょろしつつ少し思案がまとまったのだろうか、口をあわあわさせつつ俺へと言ったのだ。

 

「そ、そうです! そうですよ、あなたですよ! なんでですか! なんなんですか、あなたは!!」

 

「え?」

 

 いきなりそう迫られ、俺も言葉がない。

 というか、それこそ、いったいなんだってんだよ!

 俺は何も言えないでいると、彼女は突然大声を出してしまったことが恥ずかしかったのか、真っ赤になりつつ周囲の連中を見回してから、今度は少しトーンを抑えて俺へと言った。

 

「ま、魔法です! 魔法ですよ!! あなたは今日、もう二回も魔法を使いました」

 

 いや、実際は修道院出た後も使ってるし、水呑むのにも使ったからすでに10回は使用しているのだが……

 それを言うと、ややこしくなりそうだと思い、グッと飲み込んで話さなかったのだが、彼女はお構いなしに続けた。

 

「なんで魔法を使えるのですか? そんなわけありません。貴方に魔法の素養は一切ないのですから」

 

 と、なんだか以前ゴードンじいさんに言われたようなことを、ここでも言われた。というかこの物言いはけっこう凹むんだけどなぁ、なんだか俺が役立たず呼ばわりされてるみたいで。

 

「いや、だからあんたがあの時この魔導書をくれたじゃねえかよ? だからそれを俺は読んでだな、魔法の勉強をして使えるようになったんだよ」

 

「そんなわけありません!! 私は確かにあのアルドバルディンの街で言葉も喋れないまま悲嘆に暮れていたあなたに貴方に会いました。そしてたしかにそのノートを渡しました。でも、それは魔力を付与するマジックアイテムでもなんでもないのですよ? それはただの私のメモ帳ですし! 大陸各地の言語をそれにメモしていたので、それで言葉の勉強をして欲しかっただけですよ!!」

 

「は? メモ帳? そ、そういや、『七の月八つめ、グルスターヴの商店街、菓子屋アモーレのマドレーヌが絶品。つい20個も食べてしまった、最高に美味しかった』とか書いてもあったな。解読できなくて困ってたんだけど、あれは何かの符丁じゃなくてただのに日記か? それも食べ歩きの?」

 

「はぅあっ!? そ、そんなこと書いてました? う、うそ! 日記帳は別にしてたのに! はっ!! そ、そういえばあの時、ノートがすぐに出てこなくて、とりあえず後で書き写せばいいやって、別のノートに……まさかそれに? しかも消し忘れ……はぅううっ!!」

 

 オルガナは猛烈に真っ赤になって俺の手にしたノートを凝視しているし。これはあれか? 返してやった方がいいのかな? 

 いや、面白いからもう少し持って居よう。

 俺はぺらりぺらりと例の魔導書をめくる。すると、そのたびにオルガナがびくんびくん反応してしまっているのを、そっと見ないようにして必要なページを開いてみんなに見せた。

 

「ほら、魔法術式もこんなにびっしり書いてあるじゃねえか? これどう見ても魔導書だろうが?」

 

 どれどれとバネットとニムとピート君も顔を寄せているのだが、ふむふむと頷いているのは二ム一人。

 バネットとピート君はその魔法陣と周囲の文字を見ても首をかしげるばかりだった。

 

「えーと……ご主人様? ご主人様はそれ読めるの?」

 

 そうバネットに問われ俺は即答。

 

「当たり前だろうが。読めるから読んでんだよ」

 

 それを聞いたバネットとピート君が顔を見合わせていた。そして今度はピートが言った。

 

「それはいったい何文字なんだ? 俺だってかなり勉強したからこの大陸の言葉はだいたいわかるけどよ、そんなへんてこな文字は見たこともねえぜ」

 

「はあ?」

 

 そんなことを言われたって、そもそも俺からすればこの世界の言葉なんてどれもこれも似たようなもんで、全部知らねえものなんだがな。

 今度は俺が困って頭を掻いたわけだが、ニムが補足した。

 

「ご主人が言葉足らずですいやせんねえ、みんな誰でも簡単にわかると思ってるアホなんで、許してやってくださいよ」

 

「誰がアホだ誰が!!」

 

 そんなことをほざくニムに怒鳴るも、それをまあまあと適当にあしらいつつニムが言った。

 

「これは所謂『古代文字(エンシェントルーン)』という奴ですよ。ワッチもあんまり見てはいませんけど、アルドバルディンの図書館にあった3冊の本と、死者の回廊って呼ばれているお墓の墓石にだけこの文字が使われてやしたね。要は大昔の言葉ってことっすかね? ね? オルガナさん!」

 

 そう言われ、またもやビクンと反応したオルガナがきょろきょろと周囲を見ながら言った。

 

「そ、そういうことなんですけど……えっと……あ、あなた達ははいったいなんで読めるようになっているのですか? こんな短期間に!! 本当に可能なのですか? 教えてください!」

 

 そう問われ、今度は俺とニムが顔を見合わせた。そして。

 

「何でって言われてもなぁ」

「そっすね……文字を解読して読めるようになった、ってだけなんすけどねぇ」

 

 別に大したことじゃあない。声に出して話している奴らがいて、書いてある文字があって、物語などの書籍があって、図書館だってあるんだ。これだけ教材があれば解読するくらい簡単だろうに。

 そもそも宇宙には、言語体系を持たない知的生命体はいくらでもいるんだ。そいつらとコミュニケーションをとりつつ共通認識を得ながら、共同宣言を出していくことの大変さよ。

 宇宙開拓史を読めば誰でもわかることだが、新惑星発見者ばかりが功労者として持て囃され、偉大な探検家の名前だけが独り歩きするのだが、実はその陰に途方もない数の現地交渉団の存在とその功績が埋もれている。

 新惑星を発見した時、しかもそこにある程度の判断能力を有した知的生命体が存在していた場合などはそれこそ、交渉団中の特に事務員の労災認定数がとんでもないことになる。それこそ数万人規模。

 文化が違うので、損得の概念が地球のそれとは異なる上、下手なことをすれば相手の尊厳を踏みにじることになるし、ハラスメント発生が懸念される段階での条約の調印はできないのだが、だいたい一つの惑星との調印は1年で締結すべしとのお達しもあるため、それこそ交渉団は寝る間もないままに現地との対応に迫られる。まさに最悪の職場環境、現在も銀河系外への進出を鑑みている地球連合においてもっとも多く人員募集をかけているのは現地交渉団員なのである。まあ、宇宙船規模での超空間転移がまだ確立できていない現状では、地球で雇われてから銀河系外縁部(アウターリム)の惑星交渉に向かうにしても、最低5年はかかるので、現実問題として地球で雇われていく人はほとんどいないわけなんだけども。

 それだけ異文化とのコミュニケーションは難しいのだ。

 ということで考えてみれば、先ほど言ったとおりに本もあり、文化的にも地球に近いこの環境、これで理解できない方が頭おかしいだろう。

 これで難しいとか言っているやつらは、惑星交渉団の人たちに土下座するべきだ。

 特殊な電磁波で会話している粘体人である、『スライミー人(地球人命名)』とのやりとりのアーカイブとか見ると、そもそも平均寿命が1年しかなく、分裂して別個人にとして増えていく彼らとの交渉は、毎回交渉するごとに新しい人が現れるものだから、話が進まない進まない。おまけに個人認証しようにも、同一個体から生まれる別人だから、遺伝子的にも同じな上に、ようやく確認とれたかと思ったら、もうお亡くなりになっているとか、交渉団の人たちは発狂しまくりだったようだしな。もうね、あの人たちにはきちんと年金を支払ってあげてほしい。これほんと。

 

「まったく、こんな文字読むことくらい造作ねえよ。そもそも標準語と、今話に出た古代文字? だかと、魔法術式用の魔法文字の三つだけだろう? それくらい読んで会話できなきゃ異世界生活なんかできやしねえよ」

「とか、ご主人がそんなこと言ってますけど、この人ただの変態なのでご心配なくですよ、普通じゃないんで」

「んだと、このポンコツが!! 人をなんだと思ってやがる!!」

「ちなみにワッチのニューロブレインには、言語解読中枢が組み込まれてますんで、基本この世界の言語くらいでしたらほぼラグフリーで解読可能ですね。ま、これを作ったのもご主人なんで、おかしいのはご主人ってことで!!」

「てめえ、いよいよぶっ壊されてえみてえだな!」

「や、やめてください! ワッチを裸に剥いて内側まで皆さんに見せちゃおうとかしないで!!」

 

「「「う、内側っ!?」」」

 

「なーにを、胸を抱いて訳わかんねえこと言ってやがる!! 内側もなにも、てめえの全身、両手両足も全部バラバラにするに決まってんだろうが!! くそがっ!!」

 

「「「ば、バラバラっ!?」」」

 

 胸を押さえつつキャーと悲鳴を笑顔であげるニムに詰め寄ろうとすると、なぜかピート君とオルガナが、バラバラはだめ、バラバラはだめと言いつつ俺を引き剥がしにかかった。

 というか、本当にバラバラにするわけねえだろうが、面倒くさい。俺ってなに? 本気でそんなことやるようなやつに見えるの? そこまで手間隙かけられる性格じゃないんだけどなあ。

 

「ええい、離せ! やる分けねえだろうが!! まったく!!」

 

 なぜかその場の全員がホッと安堵の息を吐いた。ええい、こいつらマジで鬱陶しい。

 

「ええと、なんだっけ? なんで魔法を使えるかだったかだよな。そんなのは簡単だ。俺はお前のこの本を熟読したからな、隅から隅まで一言一句漏らさずに全部頭に叩き込んだ!!」

 

「はぁうっ!!」

 

 オルガナが再び真っ赤になって、今度は両手で顔を覆って少しうなだれてしまった。

 まだ話てるんだから、ちゃんと全部聞きやがれ!

 

「でだ! 俺は精霊に直接働きかけて、俺自身をある種の演算装置に見立てて術を構築して、精霊に魔法を行使させることにしたんだよ。精霊を操る術は、お前もこの本に書いたんじゃねえかよ、ほらここに!」

 

 俺はそう言って件のページを広げて見せるも、オルガナはそこを見て驚いたように言った。

 

「いえ、ここに書いたのは、居座る精霊に少し移動してもらうように働きかけるだけのやりかたで、精霊に魔法を行使させられるわけでは……」

 

「同じだろうが! ここからあっちに移動してもらえるなら、魔法を使わせるのだって大差ない! っていうか、現に精霊(あとオナマス女神な)がきちんと魔法を使ってくれてるよ! 今だってその気になりゃあ使えるんだよ……まあ、そのなんだ、そのためにはバネットの胸を触んなきゃならないわけだが」

 

 いや、これが一番のネックだ。

 なんで魔法を使う際に胸をさらわなきゃいけねえんだよ、このままじゃあ俺はただのセクハラ男だろう。

 だが、結局オルガナはもう一度魔法を使って見せろとは言わなかった。

 というか、蒼白になって信じられない、信じられませんとぶつぶつ繰り返すばかり。うん、まあ、これで納得してくれたんなら俺も別に文句はないんだけどな。

 

 だから俺は遠慮なく切り出した。

 

「さあて、俺は話したんだから次はお前らの番だ。まずはオルガナっ! てめえはいったい何者で何をしようとしてんだ? おっと、これはあくまで確認だからな。俺らはもうノルヴァニアに出会ってある程度話も聞いてるんだ。だからなにも隠さずキリキリ話しやがれ!!」

 

「え? の、ノルヴァニア!?」

 

 驚いて顔を上げるオルガナを一瞥してから、今度は上座のバネットへと言った。

 

「それとお前だバネット。てめえいったい王城でなにしてやがった? それとなんでオルガナと密会してやがったんだよ? てめえも隠さずに話せよ、こら」

 

「いいよ? えーとね。私はアレクレスト……ええと、こくおうへいかに会いに行ったんだよ。あいつ私の昔の恋人でさ、死ぬ前にどうしても私に会いたいって手紙を寄越してきてたんだ。だから一晩くらいセ○クスしてやろうと思って行ったんだけど振られちゃってさ、それで伝言頼まれたからオルガナちゃんに連絡とってここで落ち合ったってわけ。あ、オルガナちゃんと私はこの盗賊組合《シーブズギルド》立ち上げの頃からの知り合いだからね。連絡とる方法はいっぱいあるんだ! これで良い? 良かったら頭撫でてよご主人、えへ」

 

 とか、可愛く首を傾げているんだが、その奥でピート君が愕然となって、滂沱の涙をながしちゃってるぞ。

 ピート君、ちなみにそいつ元娼婦だからね。合掌。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 あなたはいったい何者なんですか?

「ええと……バネットは……もういいや」

 

「うん!!」

 

 頭を撫でてやると目を細めてごろごろ始めるバネット。どうも相当気持ち良い様だが、奥のピート君の涙がなんだか赤くなっている気がしたので、その辺でやめておいた。

 というか、つっこみどころ満載な告白だったわけで、なにお前? 国王陛下と恋人って? それ相当なスキャンダルなんじゃないの!? よくもまあ無事に盗賊だ娼婦だやってられたな!? 俺たちの世界じゃ、すぐにフラ○デーだ、フォ○カスだ、文○砲だで社会的に抹殺必至だってのに!!

 それになに? 今日セ○クスしに行ってたの!? じゃなくて、国王死んじゃうの!? ええと、ええと、お前本当になんなの!?

 うん、マジで色々ツッコミたいのだけど基本嘘は吐いて無さそうだし、それ以外のことも重要だからそっち優先だ。

 そう決めてオルガナを見やれば、彼女はゴクリと唾を飲んで口を開いた。

 

『あ、え……ええと……その、私は所謂あれです、ごにょごにょ』

 

「はい?」

 

 もはや消え入りそうなくらいに小声な彼女に声高に聞き返してみれば、またもや真っ赤になってびくんと跳ねた。

 こいつまさか、テンパってるのか!?

 ったく、ならもういいや。

 

「あーじゃあ俺が代わりに言ってやる! お前の名前はオルガナ。元女神で、5000年前から世界が滅ばないように、ワルプルギスの魔女の報告をなぞらえる様にこの世界に干渉して、今の状況を整えた。で、いよいよ世界の滅亡が間近になって、世界滅亡の最後の障害、『魔王』の誕生を阻止しようとあっちやこっちやで色々やっていたって感じか? で、今この王都にいるのは魔王を倒すべき存在、『勇者』を探してたとかってとこか……どうだ?」

 

 そう言い切ってやると、オルガナは再び顔を真っ赤にして口をパクパクと開閉してしまっていた。 

 なんだよ、なにか間違ったかよ? 違うなら違うとさっさと言えよ、話が進まねえから。

 だが、オルガナはなにも言わない。ただ、額に指を当てて黙りコクっているだけ。

 つまりこれは了解したということでいいよな? と、俺はそう解釈して次へと移行した。

 

「……でだ。それを踏まえた上でお前に聞きたいことが4つある。

 一つ目は死者の回廊にいたマネキンみたいな使徒ってやつのことだ。どうやら7体いるらしいが、いったいあれはなんだ? とりあえずドレイクとかって奴は俺が粉微塵にしておいたけどな。

 二つ目は金獣……この世界じゃあ終末の獣だったか? あれがなんでこの世界にいるんだよ? なんとかでき損ないのヘカトンケイルと八首のキング・ヒュドラは始末できたけど、まさかあれがまだたくさんいるとかねえよな?

 三つ目だ。そいつらの背後でこそこそやってたべリトルとかいう魔族。あれの正体も教えろよ。精霊体に近い身体だったから、なかなか殺せなかったけど、『族』っていうくらいだから他にもいるんだよな? 本当になんなんだ?

 で、四つ目。魔王だよ。そいつがいったい何をどうするっていうんだ? 察するに大量の人間を殺して、どこぞに魔王の国を作ろうとかって筋書きなんだろうけどよ、で、たぶんそれはこのエルタニア王国なんだろうけど、それでいったいどういう筋書きで人間と戦争しようってんだ? その変分かってるならいくらでも対策とれるだろう? 例えば奇襲をしかけて魔王を先にころしちゃうとか、軍勢がいるってんなら、無力化させちゃうとかな。要は全面戦争状態にしなきゃいいわけだろ? なら、経済戦争くらいの規模で収まるように外交を徹底しておいてだな……ん?」

 

 いろいろ聞きたいのをグッと我慢して4つに絞って聞いてやっていたというのに、なぜかオルガナは目をぐるんぐるん回しつつフラフラになっていた。

 いや、お前がそんなんでどうするんだよ?

 歴史を影から動かす黒幕《フィクサー》なんだろう?

 だったら俺の質問くらいちゃきちゃきと答えろってんだよ!

 

「あのあのご主人? そんな国連会議の質疑みたいに重ねてがんがん聞いたって普通はすぐには答えられませんよ? 答弁書だって用意してないですし、これじゃあただの虐めですよ。せめて『ハイかイイエでお答えください』くらいにしておいて、『記憶に御座いません』ってテンプレ発動してもらうがお笑いの鉄則です!!」

 

「いや、全然お笑い期待してるわけじゃねえんだけど」

 

 まあ、確かに重ねて言いすぎたかもだが、オルガナはふうふうと荒く息をしながらも、なんとか椅子にはしがみつくことが出来ていたようで、がっしと肘掛けをつかみつつ返答した。

 

「あ、あのっ!! 聞いていただいたのに恐縮なんですけど! あ、あなたは今、『使徒』と『終末の獣』と『魔族べリトル』を倒されたと言ったのですか?」

 

 そう目を血走らせて聞いてきたので当然即答。

 

「倒したというか、完全に『殺し』たよ。放っておいたら何人死んだかわからなかったしな。まさかてめえもノルヴァニアと同じことをいうつもりか? あの怪物どもを放置して南部の人たちは見捨てるつもりだとか」

 

「うっ……!」

 

 オルガナは息を飲んで俺たちへと戸惑った様子の視線を送ってきた。そしてその視線を泳がせつつ答えた。

 

「そ、そうです。その通りです! もはや南部地域は全滅が決定されていたのです……。あの地の人々の命は全て魔族に喰らい尽くされ、そしてあの地にて最強にして最後の魔王、『終焉の魔王』が誕生するはずだったのですから」

 

 そう語りつつ、ぎりりっと唇を噛むオルガナに俺は言った。

 

「でも、みんな結構生きてるぜ?」

 

「!?」

  

 俺の言葉にオルガナがピクンと反応する。

 

「町の連中も、山とかに住んでる連中も。間に合わなくて死んじまったのもたくさんいたけどな、助けられる奴はみんな助けたし、壊された町とかもみんなで今直してる最中だろうよ」

 

 そう、教えてやった。

 確かにあのままあの化け物どもを放置していたら、それこそ今オルガナが言った様に間違いなく全滅していたことだろう。そしてそのなんたらの魔王が魔族関係だとしたなら、大量の人間を殺して奪ったマナによって精霊体の身体を強化したりすることも出来そうか……そもそもアルドバルディンの町は、精霊の数も異様に多かったからな。もし、あの精霊たちをも取り込めますよー的な存在なのだとしたら、そりゃあ最強の魔王にもなれるだろうよ。

 ま、今のところ大丈夫そうではあるのだけど。

 

「あのなあ、いまいち信じてねえみてえだけど、間違いなく使徒だとか、魔族だとか、金獣だとかも倒したからな。信じられねえってんなら、あとでノルヴァニアにでも聞いてみろよ。今あいつほぼ俺たちと同行してるから」

 

「え、ええっ!? の、ノルヴァニアはまだ生きてるのですか? ま、まさかっ!? そ、それに同行してるって……」

 

 いったい何度目の驚愕だよ、目を見開くオルガナだが、お前ノルヴァニアがもう死んだことを前提に話してやがったのかよ! いや、まあ、友達らしいし心配はしてそうだからそれでいいんだけど、女神って死ぬのか? あれか? 魔王は相手の命と力を奪うスキルがあるとかか?よくわからんが、本当に後で対面させてやろう。直接会話が出来ないにしても、ヴィエッタが通訳できるしな。あれ見ているとかなり怪しい感じになるんだけれども。

 

 ひとしきり驚いたオルガナは、ドッスと椅子にもたれ掛かるように沈みこんだ。もう疲労困憊といった具合だ。

 そしてポソリと言った。

 

「信じられません。そんなことがあるわけ……『使徒』を倒す役目は『聖戦士』であったはず……『終末の獣』は『救世主』が……そして魔族……魔族の王、『終焉の魔王』は『勇者』によって滅ぼされるはず……それなのに……」

 

 がくがく震えつつオルガナは俺を見た。いや、なんでそんな目をしてんだよ? 俺なにか悪いことしたかな? ま、まあ、いろいろ殺したりはしてるんだけれども。

 

 そんな風に怯えていたら、彼女の掠れるようあ声がはっきりと耳に届いた。

 

「あなたはいったい何者なんですか?」

 

「ご主人は『童貞賢者』っすよ!」

 

 得意満面な顔で、ニムがそう断言した。

 っておい!!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 異常な王国

「け、賢者……ワイズマン……」

 

 オルガナがそんな言葉を口にしながらぷるぷる震え始めたので、俺はもう我慢の限界だった。

 

「二ムてめえマジでふざけんなっ!! 誰が賢者だ誰が‼ それにオルガナてめえもだ! さも驚きましたバリに人を賢者扱いしようとしてんじゃねえよ!! ぜーんぜん童……こ、拗らせてなんかねえんだからな!!」

 

「童貞拗らせて賢者になっちゃったんすか? じゃあ、仕方ないっすよ!」

 

「ちげえって言ってるだろうが!! てめえが拗らせてんだよ話をややこしく!!」

 

 ニムがさもおかしそうにケラケラ笑いながら、またもやそんなふざけたことを宣いやがる。この野郎、俺をこけにしないと気が済まない病気にでもかかってるんではなかろうか?

 

「ま、冗談はさておき、今のご主人の話は全部本当ですよ? オルガナさん」

 

「冗談だって言っちゃったよ、この子は」

 

「当たり前っすよ!! ご主人の童貞はワッチが貰うんすから拗らせる必要なんかありません!! 安心してワッチとしっぽり行きやしょう!! ね、ご主人?」

 

「い、行くわけねえだろうが、何言うに事欠いてそんなこと言い始めてんの? 話すり替えてんじゃねえよ!」

 

「もう、この流れは、『う……ん?』とか返事しちゃって、言質取りましたからねー!! 的な感じで押し倒して良い展開じゃないっすか!! はあ、もう空気読みましょうよ」

 

「なんで俺が悪いみたいになってんだよ!? マジでぶっこわすぞ!!」

 

「バ、バネットの姐さん……この人達って普段からこうなんですかい?」

 

「だいたいこんな感じだよ? 気にしたら負けだよ」

 

「は、はあ……」

 

 なにやらピート君までもがため息を吐き始めたんだが、おいおいいい加減にしろよ、人にコケにされるほどムカつくことはねえんだからな!!

 と、いきり立っていた時のことだった。

 

 バンっとテーブルをたたく音が聞こえたかと思うと、そこにはスッと立ち上がったオルガナの姿。

 なんだなんだとそっちを見てみれば、緊張した面持ちで俺へと語りかけてきた。

 

「あ、あなたが『ワイズマン』だったのね……? それに気づかずに私から接近してしまったなんて……」

 

「は?」 

 

 なんのことだと、その文言に想いを巡らせはじめていたのだが、オルガナが焦った口調で続けやがった。

 

「でもそれなら全部理解できる……こんな茶番を催して、こんな風に目論んで、また大勢の人たちの不幸を見て楽しもうとでもしているの!?」

 

「はい?」

 

 とりあえず何かを言おうとは思ったのだが、滔々と語りつつ涙を流し始めてしまったオルガナになんて言っていいのか上手い言葉が見つからない。そもそも内容がまったくピンとこず、何を言われているのかが分からなかったから。

 

「それはなんのことだよ?」

 

「もうあなたの言葉に惑わされたりなんかしない。絶対にあなたの好きにはさせない。それじゃあ」

 

 と言いつつ、彼女は足早に部屋を後にしてしまった。

 それがあまりにも鮮やかな退出だったもので、声を掛けるタイミングを失してしまった。というか、なんなんだあの素早さは! あっという間にしかも自然に目の前から去ったぞ。

 

「本当になんなんだいったい……」

 

「ご主人オルガナさんに何をしたんです? あの感じだと相当ひどい事した風ですけど? まさかヤルだけヤッて捨てたとか!?」

 

「や、ヤるわけねえだろうが!! 言い掛かりだ!」

 

「でも、ご主人様良いの? オルガナちゃんあのまま行かせちゃって」

 

「良いも悪いもねえだろ? 出ってったのはあいつだからな? まあ、聞きたいことはあったわけだがあの様子じゃすぐには話さなそうだしとりあえずは保留でいいだろう」

 

 聞けたわけじゃあないが、要はノルヴァニアの話のすり合わせをしたかっただけだ。

 あの反応からして当たらずも遠からずって感じだったから、ほぼ目的は達成できたともいえるだろうしな。

 

「あ、バネットさん、オルガナさんのことは大丈夫っすよ。オルガナさんのパーソナルデータはワッチがもう取り込みましたからね。この王都の範囲くらいでしたらフルタイムで居場所特定できますから」

 

「ふーん、二ムちゃんってやっぱ凄いんだね! そりゃ私も見つかっちゃうよね! あはは」

 

 さも感心したとでもいう感じのバネットは爛漫に笑っているから、俺は今度は標的をピート君に切り替えた。

 

「んで、お前らのことだ。盗賊なんて名乗ってるみたいだが、大方元農民とか、食うに困った連中とかの寄せ集め何だろう?」

 

 そう聞いてみれば、ピートは表情を強張らせて言い返してきた。

 

「な、なんでそう思うんだよ? んなわけねえ……」

 

「あ、そういうのいいから。ここに来てからいろんな奴のステータスを確認してみたんだけど、スキルで『農作業』とか『狩猟』とか『商売』とか、そんなのを持ってるやつも多かったからな。もともとは盗賊じゃなかったってことくらいは察しがつくさ」

 

「て、てめえ『鑑定眼』のスキルをもってやがるのかよ!?」

 

「はあ? 『鑑定眼』? ちげーよ俺が使ったのはただの魔法だよ。『解析(ホーリー・アナライズ)』。知らねえのか?」

 

「そ、そんな魔法あるのかよ? おいおい、『鑑定眼』だってただでなくてもレアスキルなんだぞ? ステイタスカードにも記載されない内容まで確認できるって代物で、あのスキル一つで一生遊んで暮らせるって話を聞いたことがあるんだが」

 

「ふーん。『解析(ホーリー・アナライズ)』なんて大した魔法じゃねえのに、なんで使わねえんだろ? まあどうでもいいけどよ、要はお前ら普通の仕事がなくなって盗賊に身を落としたって連中がほとんどなんじゃねえのか?」

 

 そう、聞いてみれば、ピート君はうっと苦しそうに呻いた感じになり、バネットはおおーと拍手を始めた。

 

「凄いねご主人様。ホントどうしてわかるの? その通りだよ」

 

「あ、姐さん……何も俺らからそれをばらさなくても」

 

「言ったろピート。ご主人様なら本当になんとかしてくれるからさ、ここはもっと頼っていいんだよ」

 

「うう……」

 

 バネットにそう諭されて、呻いていたピート君が漸くその口を開いた。

 話は簡単だ。

 このエルタニア王国の各地で様々な飢饉や疫病が発生し始めた当初、その各地の領主は私財を擲って自領民の救済に動いた。だが、どれだけの時間をかけても一向に飢饉は納まらず、次第と各領主たちの財は減少しついには財政破綻してしまう領も現れ始めた。

 当初は国からの支援もあったようで数年間は領民も耐えていたようだが、一向に回復しない状況の中で、各地で暴動や一揆が繰り返し発生するようになり犯罪が多発、飢饉に見舞われた領地は一気に荒廃した。

 職や住処、家族を失った人々は流民と化し多量や他国へと流出することとなり、被害に見舞われなかった他領は、治安の悪化を防ぐべく流民の流入を制限し関所を封鎖。

 そして結果、多数の難民が溢れるとともに、各地の山や林間に盗賊が住み着く現状が生まれた。

 

 これが今から約10年前の出来事。

 

 悩むまでもないことだが、食うに困った連中が山や森に住み着き、そこで盗賊化したということだろう。話を聞くに、この国の特に西方域に領地を持つ貴族たちの領が飢饉に見舞われ、荒廃することになった様子。

 その後のことだが、盗賊を討伐するという名目で、国は何度も聖騎士団を派遣し、そこに住まう者たちを殺戮してまわったり、また流民が犯罪を犯すことがないようにと、反抗的な流民の収容施設も作られ、そこに強制収容された者も多かったのだという。

 そして、ここに来て国は、隣の敵国でもあるギード公国にも救援の名目で出兵させ、自国領土である西方域の各地に出城の建設を認め、やはり盗賊狩りを随時行っていたのだそうだ。

 

 難民たちの中で、各地の山林に逃れた少しは腕に覚えのある連中が盗賊として落ち延びた後、国が行った政策は難民の保護ではなく、盗賊団の討伐と、犯罪行動の抑制のための流民の強制収容。

 もうね、やってる内容が恐怖政治のそれにほとんど近くて、はっきりいって胸糞悪すぎなのだが、それでも盗賊化した人々は辛抱強く耐えつつ生きてきた。

 そんな中で各個バラバラで滅ぼされることを待つだけであった盗賊たちが集まったのが、この秘密組織『盗賊組合(シーブズギルド)』であったようだな。

 立ち上げにはバネットやオルガナも関わっていたようだが、要は襲撃目標をこのギルドで一括管理し、拾得した金品を管理分配する業務をここが受け持つことになっていたということらしい。

 当然のことだが、彼らは根っからの盗賊ではない。だから当然その分配先には、戦うことが出来ない女、子供、老人たちも含まれ、各地で潜伏しているそんな同郷人たちへと物資も送っているのだそうだ。

  

「なるほどな……どうもこの国には、何が何でもこの国を滅ぼしたい奴がいるみたいだな」

 

 話を聞いていた俺がぽつりとそういえば、バネット達が興味津々に聞いてきた。

 

「ご主人様もやっぱりそう思うの? 私たちを殺したいってことなのかな?」

 

「まあ、常識的に考えればそこまでするわけは普通はないんだけどな。なにしろ、国からすればそこに住んでいる国民はお客さんだ。そこに暮らしていれば税金がもらえるわけで、税金があるからみんな潤った生活を送れるわけだしな。でも、やってることを聞いてる限りは、とりあえず国の先行きなんか考えてる風ではないな」

 

 ということになる。

 どう考えても国の連中よりも、この盗賊ギルドの連中の方がやってることはまともに思える。

 確かに人から金品を奪ったりもしているが、このギルドの連中は住民の保護に動き、国の連中はそんな犯罪者の撲滅にのみ動く。

 これだけを見れば、どこにも建設的、生産的な話は存在しない。もはや行政は破綻している状況といえた。

 

「お前らも分かっていることだと思うけど、飢饉が起きた領と起きなかった領があんまりにもはっきりしすぎているだろう。作為的なものがない方がおかしいくらいの状況だと思わないか?」

 

 そう言ってみれば、ピート君は大きく頷きつつ答えた。

 

「まったくてめえの言う通りだよ。謎の病気が蔓延したあの時、最初に大量の死者が発生した領の領主たちは、どこもかしこも『反戦主義』を掲げてたんだ。要はギード公国との和睦をしようと考えていたわけだな。西の領地の殆どは戦争になればその領民の多くが駆り出されるし、戦費も多く出すことになるからな。俺もあの頃は子供だったからうろ覚えだが、大人たちはよく戦争回避の集会を開いていたよ」

 

「うん、ピートの言ってるまんまだよ。あの頃西方地域はどこも賑やかでね、商売も盛んになっていたから反戦機運が高まっていたんだよね。そんな中でいきなりあの飢饉だったからさ、あのころはみんなコロコロって死んじゃって本当に大変だったんだよ」

 

 そう気楽に話すバネットだけど、内容は本当に最悪だ。

 もしこれが俺の考えの通り人為的なものであるとするなら、これ以上の悪辣非道はないだろう。

 そしてピートが言った。

 

「今まではそれでもなんとかやってこれたんだがな、ここにきて聖騎士の連中の動きがどんどん活発になっていて、また仲間がどんどん捕まるようになったんだ。このまま盗賊狩りが進めば、俺たちがかくまってる人たちもみんな干上がって死んじまう。そろそろ本腰を入れてなんとかしなくちゃいけないんだが、聖騎士連中は腐っても国軍、俺たちみてえな半端もんじゃあやっぱり敵わなそうなんだ」

 

 ま、そういうことだろうな。

 だから俺は言った。

 

「とりあえず、ここまでの話全部ムカつくからよ、なんとかしてみるか」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話 来訪者【クスマンside】

 まあ、これでこの国と王都の現状はほぼ把握できた。

 この国の現状を端的に表そうとすれば、『沈む寸前の船』、『大病で死にかけた人』、そんなところだろう。

 盗賊組合(シーブズギルド)とかいう犯罪者の巣窟的な場所ではあるけど、この国ではある意味『避難場所(シェルター)』としての意味合いが強いともいえる。すでに破綻したこの国にあってはそんな犯罪組織であっても、害よりも益の方が多いということでもあるのだろうな。

 

 俺はすぐさまニムを使いに走らせて、オーユゥーン達をこのアジトへと移らせた。

 そして全員がそろったところで現状確認。

 今のこの王都の状況と、これからの展望をその場の全ての人間に伝えた。

 一応触れておくと、盗賊組織の隠れ家は、ここのほかにもたくさんあるようだが、ここが本拠地であるらしく、広大な地下空間にかなりの数の人員が存在していた。

 ざっと200人ほどか。

 中にはただのホームレスのような連中もいたが、これだけの頭数はそれなりに使いみちがあるとピート君へとなるべく詳しく指示を出した。まあ、この野郎、俺の話を超イヤイヤ聞いていた感じで、これで本当に大丈夫かよとも不安になったが、その後バネットに連れられて二時間ばかりいなくなっていたピート君は、戻ってくると同時に超俺に従順になった。紋次郎の兄貴!! とか言ってきやがったしな! 本気でやめろよ、お前みたいな怖い弟マジでいらねえよ。

 

 と、そんな感じで盗賊どもがわたわたと忙し気に動き始めたところで、俺はヴィエッタやオーユゥーンを集めて、俺達の部屋に宛がわれた少し広めの部屋に移って話を切りだした。

 

「で、準備の方はどうだ?」

 

 俺とニムがバネットを探しに来ている間、オーユゥーン達に準備させていたことを訪ねてみれば、シオンもマコもヴィエッタもみんな明るい笑顔になって鼻を膨らませて頷いた。

 

「もうばっちりオッケーだよ、くそお兄ちゃん!! ここはマコたちにお任せ!!」

「うんうん、なんか私も気分盛り上がってきちゃったよ!!」

「でも、本当にいいの、紋次郎? 私たちがこんなことしちゃって、後で怒られない?」

 

 そう不安げに聞いてきたヴィエッタへと俺は即答した。

 

「いいんだよ、まったく問題ねえ。というか、むしろ思いっきり盛大に遠慮なくやれよ‼ それこそ王都中の連中が目を見張るくらいな感じでな! ()()は任せたからな、オーユゥーン」

 

 そう言ってから俺は、奥の鏡の前で長い若草色の髪を結いあげるオーユゥーンへと視線を送ると、彼女は妖艶に微笑んだ。

 

「ええ、お兄様のご期待に応えさせていただきますわ」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ふぅ……」

 

「ぁあ……クスマン殿下ぁ……幸せにございますぅ……」

 

 大きく息を吐いたクスマンは、その巨躯にしがみついた女を注意深く引き剥がすと、そっとベッドへと寝かせた。そこにはすでに息も絶え絶えの無数の女たちの姿が。

 疲れ知らずの益荒男(ますらお)である彼ではあったが、さすがにこの人数を相手することは応えたのか、大きく息を吐く。

 だが次の瞬間には、目の前に横たわる、今の今まで性を貪ってきた複数の女達へと愛おしい眼差しを向け、その快楽の余韻を妨げないようにと静かにその部屋を後にした。

 サッと水を被り身体の汗を流した彼は、召使の女からタオルを受け取るとすぐに身体を拭き、そして詰襟白装束の皇子としての正装に着替えた。とはいえ、巨漢である彼の身体に合うような服は早々ないのだろう、その服も随所が彼のボリュームのある筋肉によって盛り上げられ変形し、きちんと着こなしているにも関わらずどこか粗野めいた雰囲気を漂わせてしまっていた。

 だが、彼はこのような風体をむしろ好ましく思っていた。

 自ら鍛え強化したこの身体は自身の誇りそのものであったし、そのような肉体に憧れて身体を委ねてくる女達の欲望そのものが彼を満足させていたのだから。

 

 いつものように自信に満ち溢れた様子のまま、しかしいつもとは違う今の状況に彼は少なからず戸惑いを覚えつつ彼は侍女を伴って自室を出る。

 予定通りであるならば、もうとっくにこの王城を後にしている時間であったはず。だが、その計画は狂い、その後のスケジュールも未だ立ってはいないまま。

 そして更に『狩り』ときた。

 今更ここにいたって、再び狩りをすることに何の意味があるのか、その手間を思い彼は眉を顰めた。しかし……

 彼の兄がそう指示した以上、それを行わないわけにはいかない。

 しかたがない……そう諦め、彼は目的の場所へと向かって歩みを進めた。

 

 その時だった。

 

「クスマン皇子殿下、大変にございます!!」

 

「ああん?」

 

 一人の官吏が廊下の先から慌てた様子で現れ、そしてクスマンを見止めて急ぎ足で近寄ってきた。そしてなんとかバランスを崩しつつも慇懃に頭を下げた。

 

「いったいなんだってんだよ?」

 

 急に現れた男の官吏のその無様な様子に、クスマンは苛立たし気に声を掛ける。官吏はそれに怯えつつも、声を振り絞るように進言した。

 

「お、表に……城の表に……『ドムス君主国』のあ、『アルトリア姫君』の御一行が御到着為されておられます」

 

「はぁ?」

 

 クスマンはその官吏の言葉に思わず素っ頓狂な声を上げるも、すぐに冷静になって官吏へと言い放った。

 

「なんでこの時期に、あんな遠方の大国ドムスから姫がわざわざ来るってんだよ。そんなわけねえだろうが。そんないい加減な戯言に踊らされてるってなら、てめえの首も刎ね飛ばしちまうぞ」

 

「ひ、ひぃっ!!」

 

 管理はあまりの恐怖に腰が抜け、その場に崩れ落ちそうになるも、なんとかそれに耐えて更なる情報を皇子へと伝えた。

 

「そ、それが……姫付きの筆頭騎士を名乗る長身の女性騎士の言葉に寄りますと、『今回婚姻することになられた姫君が禊の為に神教聖地への礼拝に赴く旨の報せを、半年以上前から何度も送っているにも関わらず、なんの返事もないとは何事か! ことと場合によってエルタニア王国へドムスの国威を見せねばならぬ!!』と、そう語気も荒く宣言いたしまして、そ、そして彼らは200騎からなる、あ、あの『重装歩兵』を伴って、す、すでに王城前で隊列を組んでいるのであります!!」

 

「なんだと!!」

 

 流石のクスマンもこの言には驚愕した。

 なにしろドムスが誇る『重装歩兵』といえば、この大陸において最強を誇る陸上兵団の代名詞でもあったのだから。

 魔導金属(ミスリル)超硬度金属(アダマンタイト)の二つを融合させたそのフルプレートメイルは、それ自体が強化魔法の術式を付与されたマジックアイテムであり、上位魔法を用いても傷をつけることは不可能。さらに、その重装歩兵に選ばれた兵それ自体が、魔法薬物によって強化された強化人間(ブーステッドヒューマン)であり、レベル30相当の身体能力、反射神経を持ち、様々な剣術、槍術、魔術を操り、そして死に瀕するような痛みにも耐えられる、まさに戦う為だけに特化された兵なのであった。

 そのような怪物を引き連れた存在が、すぐ目と鼻の先にいると?

 俄には信じがたいことではあったが、クスマンはそれを確認しようと慌ててバルコニーの戸を開き、そしてそこで竜車を取り囲むように整列したあの重装歩兵の姿を確認してしまった。

 

「ちっ」

 

 思わず舌打ちした彼は、背後で慌てる官吏へと怒鳴る。

 

「兄者はどうしたんだ!? なんと言ってる?」

 

 そのあまりの剣幕に及び腰になった官吏が震える声で答えた。

 

「そ、それが……エドワルド様は数刻前に打ち合わせの為に他領へと赴かれたご様子でございまして……で、ですからワタクシめはクスマン様にご一報をと……」

 

「ちいっ!!」

 

 再び舌打ちしたクスマンのそのいかめしい形相に官吏はいよいよ震え上がった。

 だが、そんな様子はすでにクスマンの目には入っていない。

 彼にとってこの王国のことなどすでにどうでも良いことであった。本来であれば、もうすでに国を出ているはずであったのだから。しかし今はまずかった。

 どのような状況であるにしろ、今の自分の立場はこの国の代表者の一人。ここで何か失態を侵せば、それこそ自分の身の破滅に繋がりかねない。

 しかもその相手があの東の大国ドムスであれば、もうただの冗談ではすまない。

 クスマン達を庇護下に置く大陸最大の大国ジルゴニア帝国をもってしても、強力な軍事国家であるドムスとは事を荒立てることはできないのである。戦えば双方が滅ぶことさえありえる、それくらいの相手なのである。

 それを思い、冷や汗を流したクスマンではあったが、ここで少し冷静さを取り戻した。

 確かに神教の信徒……特に王族での話を持ち出せば、結婚の儀の際にこの聖地エルタバーナへと来訪し禊をする習慣は確かに大昔からあった。

 それに相手の言い分はあくまでこちらが礼を欠いたことについてのものだけ。送った報せの返事がないままに月日が流れたことでこのような態度に出ているのだ。

 ここ最近のことでいえば、国内各地で確かに『異変』は起きていたのだし、その報せを持った使者というのも、その異変に巻き込まれて『いなくなって』しまったとも考えられる。

 いずれにしても、内容としては大したことではないことだけは確かだと思い至った。

 

「そうか……なら……」

 

 クスマンはそれほど慌てるようなことではなかったと理解し、安堵すると同時に官吏へと伝えた。

 

「おい、ではこうそいつらへ伝えろ。『国王が病に伏せっているため、対応が遅れたことを深くお詫びする。病床ではあるが、国王自らが姫君への面会を希望する』。以上だ。すぐに国王と客たちへこの旨を伝えて謁見の準備をしろ」

 

「は、はい!! わ、分かりました。で、でも宜しいのですか? 国王陛下は相当にお弱りになられてお出でですが」

 

 そう問われクスマンははんっと鼻で笑った。

 

「いいんだよあのじじいは。目上の客が来れば具合の善し悪しなんて関係なく自分から動くに決まってるからよ。それよりも……」

 

 クスマンは今度はにやりと笑って官吏へと顔を近づけた。

 

「その長身の女騎士って奴は美人かよ?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話 アルトリア王女殿下

「アルトリア王女殿下の、おなぁりぃ~~」

 

 その掛け声とともに王城の重厚な門扉が解放される。そして内堀に架けられた巨大な跳ね橋の上を、幾人かの従者を引き連れて悠々と渡っているのは、白銀のドレスに身を包んだ美しい女性。亜麻色の髪を頭頂部で結いあげ櫛を差し、楚々とした振る舞いのままに進むその姿に、見つめる人々はほぅっと溜息をついていた。

 しかし、彼らの心を虜にしたのはそれだけではなかった。白銀の君が引き連れている3人の亜人と思しき従者達もまた、見目麗しい存在であった。

 一人は頭に大きな帽子を被った、世話係と思しき小柄な金髪の少女。大きな愛らしい瞳の美少女であった。

 一人は美しい赤髪で丸眼鏡を掛け、手に分厚い書物を抱えた知的な美人。美しい文官であった。

 そしてもう一人は長身の女性剣士。碧髪に、髪の色に合わせたかのような若草色の軽鎧に身を包み、腰に使い込まれたレイピアを帯びた凛々しいその姿に、男性のみならず女性達もまた黄色い歓声をあげていたほどであった。

 そんな一行の背後、跳ね橋前の広場にも、別の意味で人々の視線を釘付けにする存在があった。それは女性たちの美しさとは対極の存在。鈍色に煌めく無骨な甲冑たちがそこに整然と整列しているのである。その数200。

 その手には長大な斧が握られ、全員がそれを宙へと掲げているのだ。

 まるで時を止めたように微動だにしない彼らのその様子に、見ている者達は強烈な圧迫感を得ていた。

 見守る彼はそこにある存在のことを理解していた。

 

『ドムス重装歩兵部隊』

 

 直接見たことが無いにしてもその噂だけは誰もが聞いたことがあった。

 その名前は大陸全土に轟いているといっても過言ではなく、また同時に彼らに纏わる説話の数々も知らない者はなかった。

 彼らは別名、『死神』とも呼ばれていたのだから。

 どこの戦場であっても、彼らが敗れることは決してなかった。

 出会ったが最後、戦うことになってしまった相手は、必ずその命を散らすことになる。

 彼らこそ、軍事国家ドムスが誇る、まさにこのアトランディア大陸最強を欲しいままにした精鋭中の精鋭なのである。

 ある意味そのような戦闘部隊と出会えたことは、絶世の美女とも言える異国の姫君との邂逅よりも衝撃的な出来事であったのかもしれない。

 こうしてここエルタニア王国王都エルタバーナにおいて、大陸第二位でもある軍事国家最強部隊のお披露目が図らずも行われることとなった。

 

 さて、そのような民衆の喧騒の中、王城へと進んだ姫一行は、数人の大臣によって出迎えられ、そして国王の待つ謁見の間へと案内される。

 そしてその部屋へと入れば、そこには正装で床に傅く国王アレクレスト・エルタニアの姿が。

 病床にあり、死期も近いのではと噂された国王のそれではなかった。精悍な顔付きのままに礼をする彼の姿からはとても病に冒されているとは想像することはできなかったのだから。

 彼は片膝を着き、丁重に王女を上座へと誘うも、王女はそれを固辞し、そして口を開いた。

 

「丁重なもてなし、痛み入ります。アレクレスト・エルタニア国王陛下。この度は当方の使者に不手際があったにも関わらず、このように我が身を受け容れて頂けたこと、まことに感謝いたします」

 

「勿体なきお言葉にございます、王女殿下。ところで……この老骨、幾度かドムス国王陛下にお目通りさせていただきましたことがございますが、アルトリア王女殿下のお話をついぞ伺ったことがございませんでした。大変ご無礼かと存じますが、王女殿下の御母上様のお名前だけでもお聞かせいただけないでしょうか? いえ、私の無知を恥じての御尋ねにございます。ご婚礼なされるという慶事にあって知らないであっては、聖地を預かる国王として最大の恥にございますゆえ」

 

「え? えっと……こほん」

 

 そう問われた王女は背中をピンと伸ばすと、その怜悧な瞳をそっと開き、跪くエルタニア王をまっすぐ見つめて一言で言い切った。

 

「バネットです」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話 ねえご主人様? もっと激しく揉んでいいんだよ?

 その頃……

 

『おい、俺達いつまでこうしてなきゃいけねえんだ?』

『知らねえよそんなこと。あの偉そうなガキに聞けよ』

『あの野郎、俺達にこんな真似させやがってマジでぶっころしてえ』

『止めとけ止めとけ、そんなことしようとすればピートさんにやられるぞ。何しろバネットの姐さんの男だからな』

『うう……バネット姐ちゃん、憧れてたのに……』

『俺もだ』

『くそっ! は、鼻の頭が痒いのに掻けねえ、ぬぐぐ』

『痒いのくらい我慢してろよ、こ、こっちはもう小便が限界』

『うわわ、ててめえ俺の隣だろうが!! 我慢しろや』

『お、俺は大の方』

『ぎゃーーー!!』

 

「う、うるせえんだよてめえら!! 黙って案山子やっとけよ!! ションベンとクソくらいそのまま漏らせ!!」

 

 俺は耳に当てていた円筒形のコップに向かって怒鳴りつけた。

 これはいわゆる『通信機』みたいなものだ。というか、原理はいたって簡単で、コップの中の空気を振動させて音声を再生させているだけ。まあ言ってしまえば『糸のない糸電話』だな。

 俺はこの巨大な竜車の一番下層……一応床の様に偽装(カモフラージュ)したこの狭い隠し部屋で、ニムとバネットと三人で、所謂『重装歩兵』の『振り』をした盗賊たちに指示を与え続けていた。

 と言っても、いまのところあの盗賊連中が自分で何かをしているわけではない。ただあの伽藍洞に刳り貫いたデカい鎧の中に閉じ込めて、そこで待機させているだけの状況だ。

 もう説明するまでもないことだが、俺たちは国王に会うためにドムス君主国の姫君ご一行を演じることにしたというわけだ。

 バネットの話では、国王はすでに全権をはく奪されていて、身動きもままならないほどに衰弱しているとの話。さらに言えば、看護と称して周囲にいる侍女や近衛兵たちも、すべてが皇子たちの手の内であってやっぱりこっそりと忍び込んでは難しと思えた。

 まあ、最初っからこそこそする気はなかったけどな。

 これだけ外から見てもおかしくなっている国だ。内部だって相当におかしいのは簡単に想像できる。つまり、そんな異常な部分でいくら策を巡らせても、こちらの思惑の通りに行くわけがないことは明白なのだ。

 だからこそ、こっちで全てのレールを敷くことにした。

 

 王に会おうというのならば、そりゃあ王族が一番だろう。それも断れないくらいの存在となれば数は限られてはくるが、丁度いい具合にこの国から最遠方と言っても過言ではない位置に、大国のドムス君主国という国が存在していたのだ。

 で、ニムの聞き込みの感じからして、この国にドムスの国の人間が訪れることはほとんどないとの話であったし、このエルタニア王国と友好国でもある大国ジルゴニア帝国とも敵対関係にあるとのこと。これは好都合だとばかりに俺は、とある姫君の婚姻話とその禊行脚の物語をでっちあげた。

 

 まず、ドムスの国教についてだが、特に定められたものはなく、基本精霊神信仰であり、その崇める神も人それぞれ自由に選べるといった奔放な国。これは、この国の人口比率が、圧倒的に亜人が多いということと、その様々な亜人の部族間の激しい争いの後にこの国が誕生したという、多人種国家独特の成り立ちの経緯が深く影響していると言えた。

 具体的に言えば、ドワーフは火の女神を信奉し、エルフは風、獣人たちは土や、水を信奉するといった風体で、それぞれで神社が設けられたり、それぞれで祭事を執り行ったりと、全ての民族が、他の全ての信仰を認めると契約した上で社会が形成されているのだ。

 そんな特殊な事情をもったドムスだが、この国にも当然神教信仰は存在する。それは特に王族や有力者に多く見られているようで、各種族毎に固まり神教を信仰することで家族一族の結束を強めていたようだ。

 

 唯一国王だけは、即位の際に神教から退籍することが定められているとのこと。これは即位後王の血をより多く残すために側室を入れるための政治的考慮であるとのこと、王になったとたんに沢山の奥さんを迎えるのだそうだ。これはもはや『種馬』扱いと言っても良い気がするが……

 そんな理由で現国王にはたくさんの子息子女がおり、その殆どが異母兄弟姉妹。しかも、その王様相当な絶倫のようで、側室の数だけでも100人以上いるとか……

 これはもう本当に『種馬王』で良いのではないか?

 

 まあ、そんなこんなで王には無数の異母の子供がいる。そして当然、神教信徒の子供もいるとのことだそうだから、これを有効に使わない手はないというわけだ。

 

 さて……

 この時点で大体その辺の事情が分かった俺は、ドムスについての情報を更に集め、軍事国家であること、最強の陸上部隊、『重装歩兵部隊』を所持していること、その部隊の装備が特殊合金製のフルアーマー部隊であることなどを調べ上げ、今回の王都訪問団を作り上げた。

 そう、本当に作り上げたのだ。

 

 まず王女役はうちのパーティ唯一の女ヒューマンであるヴィエッタ。ドムス国王が人間である以上、これは人間でなければおかしくなってしまう。

 だからこれを奴へと頼んだわけだが、そこはなんだかんだ超売れっ子娼婦、上流階級の客も多かったようで、それなりに貴族の喋り方にも精通していた。まあ、オーユゥーンが更に指導を加えていたし本当に問題はあるまい。そんなにその役を嫌がってもいなかったしな。

 で、付き人はオーユゥーン、シオン、マコの三人と執事役のピート君。

 オーユゥーン達はまったく問題なかった。それぞれ女騎士隊長、遣りて女官、筆頭世話係とか、そんな役柄を言っていたし、もうノリノリでコスプレしてたしな。

 問題はピート君だ。実は今回ピート君が何気に一番重要な役回りだったのだが、こいつあれだけ普段は横柄なくせにいざやるとなったらビビりまくりやがって、まったく口がきけなくなっちまった。

 まあ、そこにバネットを突っ込んで……いや、突っ込まれてやったのか? ん? まあいい、気分を変えてやっておだててのせてなんとか王城に放り込んだ。

 オーユゥーン達も一緒にいるんだ、まあうまくやるだろう。

 

 で、俺たちだ。

 お姫様だけが一人でいたら格好着くわけないから、今回俺は史上最強とも名高い重装歩兵部隊を再現してみた。

 細部は当然違うだろうが、聞いた話通りには再現できたはずだ。まあ、ツッコまれたら新製品ですとでもいえばいいだろう。

 え? いったいどうやって用意したかって?

 そんなの魔法で作ったに決まってるだろう。

 まず、ヴィエッタ経由でノルヴァニアの土のマナ使って大量の魔導金属(ミスリル)超硬度金属(アダマンタイト)をかき集め、それを適当にミックス!! 

 そしてそれを土壁(ド・ウォール)で兜、鎧、小手、金属長靴、長斧などの形に加工する。

 本物と比べてどれくらいの防御性能があるのかは不明だが、土壁(ド・ウォール)の魔法で圧着した希少金属の塊だからそれなりに硬いのだろう。

 次に、それをシーブズギルドの地下本部でごろごろしていた宿六どもに無理矢理着せて、それだけじゃあ軍隊には見えないため、そこからはバネットの精霊、ノース・ウィンドゥから風のマナをもらって連中を同時にコントロール。

 まずは『風鎧(フ・エアアーマー)』の魔法を使って連中全員の鎧の内側に風の層を構築して、土魔法で作った鎧を浮かせた。この魔法は一度纏わせれば風のマナが運動し続けるので鎧を保持するように膜を張って体勢を維持。

 ついで、今度は鎧の外側に『風人形(フ・マリオネット)』の魔法をかけた。この魔法は本来は複合魔法の『木偶繰(コマンド・ゴーレム)』の魔法に近いもので、振動させることで人型を取らせた空気の塊を操り、相手を攻撃させるための魔法なので、空気の塊ではあるがある程度の質量もあるため、剣や槍を握ったり、相手を殴ったり切ったりも出来るという優れもの。透明人間に攻撃させているようなものだな。

 今回はそれを先ほどの鎧に纏わせることで、実際にその身体を人形のように操ることにしたわけだ。

 200体もいるから当然動きは同期させる。これによって一糸乱れぬ動きを見せることになった鎧の軍団に、民衆は実際に驚愕していたわけだが。

 中にいる連中はといえば、俺が作った循環する空気のおかげで温度も湿度も一定、快適な上にしかも俺が動かしているわけだから疲れることも無いし、それこそ襲撃されたときだけ、そのエアアーマーによって強化された頑丈なその鎧を着たままで、自分の好き勝手に暴れればいいだけ。これほど恵まれた話はないだろう? と思っていたのだが……

 

 こいつらマジで手前勝手すぎる。そもそもそれ着る前に、便所に行けと俺はきちんと言ったんだからな!? いい年して下の用くらい足しておけってんだ。

 

 そうそう、こいつらとのこの会話だが、これもやはり風魔法だ。

 連中の兜内の更に風の幕の内側に『振動(フ・エコー)』の魔法を仕掛けてあって、これによって振動した空気を俺の持っているこのコップ内や他の連中の兜内にも再現することで会話しているというわけだ。風の幕の内側だからどんなに泣こうが喚こうが兜の外に声は絶対漏れることはない。

 周りから見ている分には屹立した無言の兵隊って感じに映ってるだろうな。

 もっとも中身は阿鼻叫喚になっているみたいだが。

 

 とまあ、そんなことを俺は今この竜車の隠し部屋でやっているのだ。

 バネットの胸に触りながら。

 

「ねえご主人様? もっと激しく揉んでいいんだよ?」

 

「もっとってなんだ! もっとって! 揉んでねえだろうが!!」

 

「え? だってさっき反対側に寝てたヴィエッタちゃん、あんあん言って気持ちよさそうだったよ? ヴィエッタちゃんばっかり揉んであげるなんてずるいよ!!」

 

「だから俺は誰の胸も揉んでねえ!!」

 

「あ、バネットさんあれはですね? ヴィエッタさんの精霊、ノルヴァニアさんがですね、魔力吸われて感じてる快感をヴィエッタさんにも味あわせてあげてるってことらしいっすよ? どうも魔法使うだけでイっちゃうみたいっすね!!」

 

「え? それなんかずっこい!! 私もそうしてよご主人様!!」

 

「で、出来るかっ!!」

 

「良いからお前はもう少し静かにしてそこに寝てろ!! 俺が落ち着かねえ!!」

 

「ただ横になっておっぱい揉まれてるだけなんて、最高に屈辱的で気持ちいいシチュエーションなのに、本当にもったいないよ?」

 

「うるせいよ!!」

 

 けらけら笑うバネットにイラっとしながらも、でもその胸から手を離せないでいるこの状況に、俺自身の心がマジで折れそうだ。

 ちなみに今の状況。

 俺椅子に座る。

 バネット俺の右側の簡易ベッドに仰向けで寝ている。俺、バネットの右乳に手を置いている。

 ちなみに、さっきここに来るまでは俺の左側の簡易ベッドに王女姿のヴィエッタが横になって、俺はその左乳に手を置いていた。確かにずっとあんあん悶えていたな、ヴィエッタは。

 これは200体の歩兵を作って動かすためには致し方ない配置ではあったのだけど、二人の乳からそれぞれの属性のマナを吸収しなければ俺は魔法は使えないわけでだな……

 むう、マジでこんな姿人には見せられねえ。

 そう思っていた時にニムが言ったのだ。

 

「ヴィエッタさんのおっぱいとバネットさんのおっぱいが、円環操縦桿(トーラス・コントローラー)みたいで、ご主人宇宙船の操縦してる感じでカッコいいですよね!!」

 

「マジでうるせいっ!!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二話 王城の一幕

「バネット(きみ)の……ご息女……なるほど……道理でお美しいはすですな……ははは、いやこれは失敬」

 

 アレクレスト王はひとしきり笑ってからその場で立ち上がった。その所作は何一つ乱れることはなく、まさに王の風格を体現してみせていた。

 彼は立ち上がると同時に姫へと一礼し、そして言葉を続けた。

 

「当方へはお清めの為に参られたとの話。すでに教皇庁へも使いを走らせてあります。すぐにでも『聖墳墓』にて儀式を執り行うことも可能ですが、いかがいたしますかな?」

 

 その国王の言葉にその場の城使いの者全員が絶句した。

 なにしろ今の国王の言葉は、大国の姫へ向けたものとしてはあまりに礼を欠きすぎていたのだから。

 通常国賓を迎えるということであれば、少なくとも三日間は城を上げての歓待を執り行うことが常識であったのだ。

 しかし、今の言葉ではすぐに用を終えて帰れと言っているようなもの。

 そのあまりな発言はこの国の存亡に関わりかねない重大事であり、下手をすれば国家間の戦争の引き金ともなりかねない。

 そう全員は怯えていたのだ。

 しかし、その予想は完全に裏切られることとなった。

 

「それは助かります。我々も急ぎ国へ戻らねばならぬ身の上にて、出来れば今すぐにでも儀式を終えたかったところなのです。国王陛下のご配慮、心より感謝申し上げますわ」

 

 そう軽く会釈をした姫の振るまいに、一同はホッと安堵のため息をついた。

 そして、そのままことの成り行きを見守ろうとし始めたそこで、姫は次の爆弾を投下した。

 

「つきましては陛下。 聖地への案内を陛下にお願いしたいのですがよろしいですか?」

 

「御申告申し上げます、アルトリア王女殿下。王は病の身の上にて御同道は差し控えさせて頂きたい……」

 

「いや、我は構わぬ。無用の心配だ」

 

「で、ですが陛下……」

 

 王の言葉に更に食い下がろうとしているその一人の大臣に、今度はアルトリア王女が厳しい視線を向け言い放った。

 

「私はアレクレスト国王陛下と話をしているのです!! 如何な理由があろうともそこに臣下の分際で口を挟むでない!!」

 

「ひ、ひぃっ……」

 

 そのあまりの威圧に大臣はすくんでしまい、そのまま尻餅をついた。

 

「では参りましょう、陛下」

 

 アルトリア王女はそう言うと、国王にそっと手を差し出した。

 国王はその手をごく自然にとり、エスコートして歩み始める。

 その場の一同はまさにその様に唖然となり右往左往するばかりになってしまった。

 姫と国王、そしてその後ろには美形の女性騎士達が続き、まっすぐに正門へと向かって歩み始めている。

 その一行にむかって、また別の大臣が走りよって声高に叫んだ。

 

「お、王女殿下……。せ、聖地までは我々がお車をご用意……」

 

「結構です!! 私どもには専用の竜車がございますので! それとも、貴公は私が満足足り得るだけの車を用意できるということなのかしら?」

 

「そ、それは……」

 

 姫の高圧的な物言いにその大臣も言葉を失った。そしてそこに止めとばかりに国王の言。

 

「控えよ」

 

「は、はい……」

 

 その威厳のある王の佇まいに、その場の家臣たちはもう何も言えなくなっていた。

 この国においてこの王に実権は既にはない。

 病に倒れ長期の療養のうちに、王に付き従う者達はみな淘汰され、今この場にいる全ての者は第一皇子であるエドワルドの息のかかった者達……名ばかりの王に従うべくもないはずであった。

 だが、この場の全員は今初めて理解する。

 目の間にいるのはただの王と名の付く人形などではないのだと。

 自らの主たるエドワルドがここにいなかったとはいえ、その本物の覇気に気圧されたことで誰一人王を引き留めることは出来なかった。

 そして王は悠然とアルトリア王女をエスコートし、跳ね橋前の広場に整列する重装歩兵の中央に聳える巨大な竜車へと乗り込んで行った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「はぁっ!? ドムスの王女に国王のじじいを同行させただと!? てめえはいったい自分が何を言っているのかわかってるのか!?」

 

「は、はひっ!!」

 

 湯あみを終えた第二皇子にそう報告した官吏、第二皇子クスマンはその官吏を殺しそうな勢いで怒鳴りつけた。

 官吏は身を縮め、今にも卒倒しそうになってはいたが、なんとか耐え震える声で報告を続けた。

 

「で、ですが……国王陛下はすでにお戻りにございます。王女殿下の聖墳墓での禊の儀も(つつが)なく終えられ、すでに帰国の途についたとの報告も……」

 

「はあぁあああっ!? なに? もう帰っちまったってのか!? いったいなんだそれゃ、あれだけ騒いでおいてもう帰るとか意味がわかんねえぞ!? ああ、くそっ!! あの美味そうな女騎士、味見も出来なかったじゃねえかよ!!」

 

「も、もともと早く帰られたいとのお話も……」

 

「もういい!! とっとと失せろ!!」

 

「は、はひっ!!」

 

 官吏はぴょこんと飛び上がるとそのままの勢いで早歩きになり、一気に退室した。

 残されたクスマンは、ふうっと溜息をついてから不機嫌そうに頭をがしがしと掻いた。この事態は彼の予期していた流れとは違っていたから。

 父国王は長い病のせいで普段はほとんど反応を見せることはなかったのだから。

 そしてそんな木偶のような王の傍は、兄エドワルドの配下によって固められていた。所詮王はただの飾り、国賓に対しての挨拶人形としての役割だけをさせ、後は大臣たちに適当に相手させるつもりでいたのだ。

 ところが、王はまるで病などなかったかのように振る舞い、さらに王城からも一時出てしまったとのこと。これは彼にとっては最大の失態だった。

 兄エドワルドからは、王の全ての行動を制するようにと命じられていた。にも拘わらず彼は王の外出を、こともあろうに気が付かないうちに許してしまっていたのだ。

 クスマンはそれを思い、身震いしながら奥歯を噛んだ。

 そして慌てて侍女の一人を呼びつけて詰問した。

 

「おいっ!! 国王は今どうしている」

 

「はい。国王陛下は自室でお休みでございます。久方ぶりの外出にお疲れにでもなられたのか、少しお苦しそうなご様子で眠っておいででございます」

 

「そ、そうか……」

 

 優雅にお辞儀をしたその侍女はクスマンの前からスッと立ち去った。

 彼はその背中が消えるのを呆然と見つめながら、部屋に一人になった瞬間に安堵の吐息を漏らした。

 

 国王の奴は戻ってきたし、今は眠っているし、何も変わっていない、元通りだ。

 そうだ、問題ない。

 兄者に迷惑が掛かるわけもないし、結局何も起きなかった。そうだ別に俺が気に病む必要はないんだ。

 すべては何もなかった……そう、そう思っていればいいんだ。

 

 クスマンは一人そう思うことで心を落ち着かせる。そうでもしなければ、あの冷徹な兄の眼差しを思い出しとてもではないが生きた心地がしなかったから。

 

「さ、さて……『狩り』だったな……」

 

 そしてクスマンはモヤモヤしていたそれら全てを忘却すべく呟きつつ、外套(ローブ)幅広剣(ブロードソード)を手にして歩き出した。

 いつの間にか……

 その彼の背後には同じような外套を羽織った一人の男が付き従っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話 帰還

「お兄様、予定通りピート様がお城へと入られましたわ」

 

「そうかよ、ならこれで一安心だな」

 

 俺がそう言うと、化粧を落としていたシオンとマコの二人がおかしそうに笑い出した。

 

「いやぁお兄さん、あのピートさんが行ったんだよ? それで本当に安心なの?」

 

「でもでもでも、ピート君ちょーっと気合入ってたもんね!! あれきっとなんかやらかしちゃうよ?」

 

「はあ? 何言ってんのお前ら。ただベッドで寝てるだけだぞ? そんなの誰でも出来るだろうが」

 

 その俺の言葉にやはり同じように化粧を落として着替えを始めていたヴィエッタが、小首をかしげてニムに『誰でも出来る?』とか聞いて、ニムが『無理だとおもいますけどねぇ』とかケラケラ笑っているのだった。

 というか、目の前で着替えるんじゃねえよ!!

 

「いいったらいいんだよ!! バレたらバレたでそん時はあいつも男だ、なんとかすんだろうよ」

 

「うっわー、ピートさんお兄さんに見捨てられちゃった感じだ。後で怒るんじゃない?」

 

「シオンちゃん!! それ多分大丈夫だよ!! だってピート君バネット(ねえ)大好きだもん!! 一晩ヤれば全部忘れちゃうよ!!」

 

「だよねー、あはははは」

 

 こいつらこそ『うっわー』だよ。いったいピート君をなんだと思ってるんだ、かわいそうに。

 仕方ねえ、無事に帰ってきたら酒のいっぱいでもごちそうしてやるか。まあ、どうせバネット愛しさにすぐ帰ってきそうではあるんだけれども。

 

「あ、そうだ。バネットの奴はどうしてる?」

 

 俺がそう聞けば、すでに着替えを終えたオーユゥーンが荷物の片づけをしつつ俺へと答えた。

 

「国王陛下のおそばにおいでですわ。どうもかなりお加減がお悪いご様子で、今は横になられているようですので」

 

「そうか……、そんなに悪いのかよ。さっきはあんなに元気だったのにな」

 

 俺がそう言えば、すかさずオーユゥーン。

 

「相当ご無理を為されていたようですわね。一応治癒の魔法は試しましたけれど、まったく効果がないご様子で」

 

「まあ、しかたないが、このまま寝かせておくわけにもいかねえからな。とりあえず全員着替えたら王様のところにいくぞ」

 

「はいですわ」

 

 俺の言葉を合図に、みんなその場で服を脱ぎ散らかしながら、大慌てで着替えを始めた。

 って、だから人の目の前で着替えてんじゃねえよ!!

 

 こんな風に気楽に会話をしてはいる俺たちは、今例の盗賊組合(シーブズギルド)の地下の部屋にいる。

 そしてつい先ほどまでの変装をようやく今しがた解いたところだった。

 

 ドムス王女ご一行様に扮していた俺たちは、国王を竜車に乗せた後、変装したままで再びあのアマルカン修道院へと訪れた。

 おっと、この豪華な竜車だが、これは街で借りたただの荷物運搬用の竜車だ。

 だがそんなボロボロの竜車で王女一行なんてとてもじゃないけど名乗れないので、俺が土魔法で金やら銀やら鉄やらを適当に張り付けて、一見超豪華そうな見た目に装飾し、二匹の竜にもユニコーンの角のような飾りのある兜と鈍色の薄い鎧を纏わせて、それこそ『戦車』的なイメージを醸してみたりなんかしたわけで……

 まあ、要するにただの張りぼてだわな。

 その張りぼてに乗って俺たちはアマルカン修道院の巨大な正門をくぐり、その奥の教皇庁へと向かった。

 とはいえ、別にこの建物に用があるわけではなくて、目的地はその更に奥。

 教皇庁の建物の中庭とでも言えば良いのか、巨大な建物によって一周をぐるりと囲われたその内側に存在していた『池』がその目的地であった。

 『聖墳墓』とよばれるこの場所は、神がその身を犠牲にしてこの地を創造したいわば始まりの場所であるとされ、そして神は肉体から解き放たれ真なる神へと昇華された(神教黙示録より)とされているらしい。

 つまり、この言葉を借りれば、この大地全体はもともとは神様の身体で、今空にいる神は魂のようなもの。つまりこの場所がお墓であると。まあ、聖墳墓というくらいだから、ここが神様のお墓であるとみんな信じているということなんだろうけども、そんな仏様みたいな扱いの神様で本当にいいのかね? うーむ。

 実際はノルヴァニア達7人の女神が作ったらしいしな、こういう宗教があるってことは、要は女神の存在を否定した上で人々の関心の目をそらしたいと考えた輩がいるということなのかもしれないな。

 だって、実際いるわけだし、女神を信じる方が楽だ。いるんだから。

 よほど女神が嫌いなのか、あるいは邪魔か……

 おっと、今はどうでも良かったな。

 つまりその神様のお墓であるここで、信徒は禊の儀を執り行うことになるわけで……

 今回は当然王女のふりをしているヴィエッタがその役目だ。

 そしてやることは簡単。

 裸になって、その池の中で祈りをささげること。ただそれだけ。

 正直ヴィエッタは先日アマルカン修道院に来たばかりだから顔バレの心配もあったのだが、あのイケメン枢機卿ヒューリウスは王女ということもあってか、まったく目を合わせようとしなかったらしい。

 というか、後で聞いた話だが、ヒューリウスとヴィエッタ、それと巫女の数人のみでの儀式であったらしく、それだけ近くにいたくせに気が付かないとか、いったいどれだけ鈍感なんだって話だが、まあ、相当化粧もしていたからな、分からなくて当然と言えば当然なのかもな。うん、女はやっぱりすごい。

 あ、俺は当然竜車で待機だ。

 顔バレしてるし、油断すると糞尿塗れのあの連中の悶絶した悲鳴が清廉な教皇庁に響き渡っちまうからな。

 ということで、禊自体はあっというまに終了。

 ヴィエッタもすぐに戻ってきて、後はその場でサヨナラ……

 となるから、俺は急いでピート君の顔を土魔法で国王そっくりに作り変え……というか、粘土で作ったデスマスクなんだが、俺が土を繊維状にして特殊な編み込みを施したから多少は口や目元を動かすことも可能で、一見してそれが土製のマスクだとは気が付かれることはないだろう。それこそ舐めたりでもしない限りは。

 

 ということで、その場に王様のふりをしたピート君を放り出して、俺たちは全員すたこら街を出た。

 出てそして、重装歩兵な盗賊たちを解放してやり、竜車に施した張りぼてを全て落としてUターンしたわけだが、盗賊どもの大半は閉所恐怖症で発狂してやがった。

 おいおい、あんまりおかしな行動をすると目立つからやめろって。

 あんまりにも煩いもんだからその場の全員にむりやり上位治癒(ミ・ハイヒール)。多少効果はあったのか、ぜはぜは言いながら俺を睨んでいるやつもいたな。やめろよお前ら顔怖いんだから。

 どうでもいいんだが、結局俺が魔法で操ってたんだから、中身のこいつらいらなかったな? とかふと思ったが、俺は気にしないことにした。

 とりあえず俺たち先に帰るから、目立たないように散り散りで戻ってこいよと指示だけして、作った鎧とか武器とかは勿体ないので適当に地面に埋めて、こうしてここに戻ってきたというわけだ。

 

 さて、では王様と正式なご対面と行きましょうかね。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話 心外だ

「あ、ご主人様」

 

 その部屋へと入るとベッドの脇に立っていたバネットがすぐに俺を振り返った。

 そしてにこりと微笑んで横たわっている彼へと言った。

 

「な、言った通りだろう? アレク。ご主人様がなんとかしてくれるよ」

 

「…………」

 

 ベッド上の人物は何も言わない。ただ黙しているだけであったが、俺たちが枕元まで近寄ると、げっそりとした様子のままで、ただ目だけを鋭く光らせて俺を睨んだ。

 流石王様だけのことはある、とんでもない眼力だよ。はっきりいって迫力があり過ぎて目を合わせられやしない。

 俺はとりあえず彼へと視線を向けつつ、言った。

 

「ど、どうも、王様こんにちは。えーと、きょ、今日はちょっと用事がありましてでございまして……」

 

「ご主人、めっちゃ動揺して言葉が滅茶苦茶ですよ?

 

「う、うるせいよ!! に、苦手なんだよ目上の人と話すのは!!」

 

 ニムにちゃちゃを入れられてマジで気まずいのだが、とりあえず言うことを言わなきゃ始まらない。

 だが、うん? どう話せばいいのやら? 敬語ってどうやって使うんだっけか?

 勇み足で口をひらいてしまったが、相手は王様だしどうにも緊張する。

 あれやこれや悩みつつ、結局どう話していいのかいよいよわからなくなって黙ったいたわけだが、そこに横臥の国王が口を開いた。

 

「私の名はアレクレスト・エルタニア。知っての通りこの国の王だ。それで……こんな誘拐紛いのことをした貴殿方はどなたかな?」

 

 威厳のあるその声音に思わず背筋がピンと伸びる。それは俺だけではなかったようで、ヴィエッタやオーユゥーンも姿勢を正していた。

 

「あー、ええと、お、俺は木暮紋次郎。ただの戦士だ。で、こっちにいる連中は俺の旅の連れ。今回はあんたを連れ出す為に一芝居打ったのはこの連中だよ」

 

 そう説明すると、オーユゥーンは口々に『大変失礼しました、紋次郎様は言葉が不自由でして』とか『ご無礼をお許しください、悪気はございませんわ、きっと』とか、なにかちょっと失礼なことを言い始めた。本当に失礼すぎるだろう?

 だが、国王は少し笑みを浮かべ、オーユゥーンへと首を振ってみせた。

 

「構わぬ。私とて碌に身動きもできないただの老人。別段詫びずともよい」

 

「は、はい」

 

 平身低頭するオーユゥーンへ今度はバネットが近づいて、そっとその頭を撫でた。

 

「オーユゥーン、本当に気にしなくていいよ。こいつは今は王様なんてやってるけど、昔、家出して私らとパーティ組んで冒険者やったりしてたんだ。私達と同類だよ、同類」

 

「バネットお姉様……」

 

 お気楽なバネットの脇で、困惑気になってしまうオーユゥーン。うーん本当に複雑そうな顔してやがるな。

 

「ていうか何? 王様もともと冒険者だったのか? ん? 王家って確か世襲制だったよな? じゃあなにか? 王様が身分隠して冒険者やってたってことか? そんなことあるのか?」

 

 と俺が言えば、国王が返してきた。

 

「あの頃の私は、国王になるべく育てられてきた反発もあった。窮屈な王宮を出て、広い世界を見て見たかったのだ……」

 

 そういう国王の言葉にヴィエッタが激しく頷いていた。こいつもまさに同じような動機で冒険者になったんだから共感しまくりということなんだろうけ。

 そんな国王の言葉を聞いたバネットが言った。

 

「だけどそのころのアレクは皇子で、先代の王の言うことを聞くしかなかった。当然冒険者になんかなれるわけないし、跡を継ぐために奥さんまで用意されて結婚もしちゃってたんだ。で、ついにそういうの全部に耐えきれなくなって……」

 

「家出して冒険者になったってわけかよ……先代の王様の怒り具合が見えるようだぜ」

 

「…………」

 

 国王は特に何も言わなかったが、そっと目を閉じたということはこの話を肯定したということだろう。

 いやでもマジかよ。王様候補の奴が、全部ほっぽって家出とか、それ普通に大問題だろう。これじゃあ揉めまくるに決まってるよな。

 そう思っていたところに再びバネット。

 

「ま、先代の国王の具合が悪くなったと知ったとき、こいつは漸く自分の本性を私たちに告げてそのまま城に帰ったってことなの。流石の私もあの時はびっくりしたんたけどね」

 

 そりゃあびっくりするわ。いったいどこの暴れん坊将軍様なんだよ、もしくは遠山の金さん。

 皇子が街中に溶け込もうとかするなよな。

 

「若気の至りであった」

 

 王様はポツリとそれだけ零して、ふうっと大きく息を吐く。なんだよ、結構やんちゃだなこの人。

 思ったより気さくな人じゃないかよ、とかそう思っていたら、王様がそっと目を開いた。

 

「さて、昔話は楽しいが、本題といこうか。そなたたちは私になんの用があるというのだ? バネットの依頼……というわけではなさそうだが……」

 

 そう言いつつバネットを見やった王様は、静かに俺を見つめてきた。

 

「ああ、その通りだ。今回のリクエスターはあんたの息子のアレックス君だよ」

 

「アレッ……クス……あの子が?」

 

 ぽそぽそとそう呟いた王は表情がまったく変わらないので何を考えているのかは読めないが、確かにアレックスのことは認識しているようではある。

 なら話は早いよな。自分の子供が国の為にとか言って反乱軍みたいな真似をして立ち上がろうとしてるんだ、親としてだってなんとか助けようとか、身体がほとんど動かなくたって協力しようとか思うだろう。そう思っていたのだが……

 

「知らんな」

 

「はぁ!?」

 

 突然国王が目を瞑ってきっぱりとそう言い放ちやがった。

 

「いや、だって今『あの子が』とか言ってたじゃねえかよ! アレックスだよアレックス。アレキサンダーだよ!!」

 

 そう言ってみれば再び国王。

 

「知らんと言っている。そもそもわが子はメルキニスタン王国に留学中だ。ここにいるわけがない。用がこれだけというならば、さっさと私を城へと戻すのだ。これは命令だ」

 

 目を瞑ったままで、そうはっきりきっぱり言い切りやがった。

 いや、これはあれだな。ただ否定しているというよりは、胡麻化しているっていう方が正しいな。いったいなんでこんな反応を見せているのかはよく分からんが、少なくとも協力的ではないということだな。

 俺はオーユゥーンへと目配せをして、こちらへと来させた。

 そして、もう一度だけ国王へ言った。

 

「今この国は荒れに荒れて、難民や流民が溢れ、食糧事情も厳しくなってきて、破たんする領も出てきているんだろう? だから、それをなんとかしたいってアレックス達が立ち上がったんじゃねえのか? まあよ、あんただって色々施策は打ち出しているのだろうから余計なことをするなって感じではあるのだろうけどよ、一応あんたの息子だろう? 手伝ってやるくらいはいいんじゃねえか?」

 

 そう言ってみたのだが……

 

「しつこい。私は知らぬと言っている。さあ話は終わりだ。私を王城へと帰して……」

 

「『睡眠雲(ダクネス・スリープクラウド)』!!」

 

「お、お兄様っ!?」

 

 俺はオーユゥーンの左胸に手を当てたままで魔法を発動させた。

 使ったのはこの闇系魔法だ。

 その名の通り睡眠へと誘う雲を発生させて相手を昏睡させる魔法。ただ、この魔法はレジストが容易であるため実戦向きかといえばそうでもないかもだが、今回のように相手が弱っているならば効果は抜群だ。

 国王は、それこそ落ちるように意識を刈り取られて眠りについた。

 

「お、お兄様!? 国王陛下になんということを!!」

 

 急にオーユゥーンにそう詰め寄られたが、俺はそれを制した。

 

「しかたねえだろうが、言う事聞かないんだから。このまま帰す選択はねえんだから、本人にとっても一番楽な方法で休ませてやっただけじゃねえか」

 

「そ、そうおっしゃられましても、何も魔法をお使いになられなくとも」

 

「じゃあ何か? このまま王を城へ返した方がいいって思っているのかよ?」

 

「…………」

 

 さすがにそれには何も答えないオーユゥーン。ぐっと唸って顔をひいたから俺は構わずに続けた。

 

「あくまで今回のボスはアレックス君だ。当然獲物は献上するに決まってんだろ?」

 

 その台詞にニムがぽんと俺の肩を叩いてきた。

 

「言うこと聞かない相手を眠らせちゃうって……ご主人結構鬼畜ですよね」

 

 言った瞬間に、その場の全員が激しく頷くのだった。

 

 心外だ!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話 ほ、本当に連れてきてどうするんだぁっ!!

「ということで、王様連れてきたから」

 

「え?」

 

 その少年は呆気にとられた様子で顔面蒼白になっていた。

 目の前でそんな反応をしているのは当然彼、アレックス君だ。

 俺達は、眠った王様を袋に詰めて荷車に乗せ、例のニムが探り出した孤児院へと向かった。そしてそこの職員と思しき年配の女性に、アレックス君を呼び出してもらい、人目があるところで話すのもあれなので、路地裏に行って袋から王様を出して彼へと渡した。

 といっても、ここで渡しても運びようがないので、結局は俺達がこの後も運ぶことにはなるのだろうけれど。

 俺はまったく身動き一つできないでいるアレックス君の顔を覗き込んだ。

 

「どうした? お前が言ったんだぞ? 王様連れて来いって」

 

「あ、あ、はわわ……」

 

 口をパクパクし始めたアレックス君。

 驚いたってのは分かっているけど、彼はばっちり横たわる国王を見ているし特に問題はなかろうと思っていたのだけど、唐突にアレックス君が叫んだ。

 

「ほ、本当に連れてきてどうするんだぁっ!!」

 

「はあ?」

 

 いや、だって言ったのお前なんだよ? そう思っていたところで、その当人の国王が身を捩った。

 

「う、うう……こ、ここは……?」

 

 地面の上で周りを見回す国王の目の前にはばっちりアレックス君の顔。

 それを見た瞬間に国王は目を大きく見開いたわけだが、同時にアレックス君も顔を背けて俺の背後へと回り込む。

 そして声も大きく言った。

 

「と、とにかくだ!! そ、そんな奴連れて来られたって国王かどうかなんでわからないだろ? だからさっさと連れて帰れ!!」

 

「いや、だって城から直接誘拐してきたから本人に間違いないし、そもそもお前の父親だろうが、顔くらいみりゃあわかるだろう?」

 

「え、えええ!? し、城から連れ出し……」

 

 アレックス君の顔からいよいよ血の気が失せて、青を通り越して真っ白になってしまっているし。そして彼は言った。

 

「ま、まさかそんなことまでするなんて。な、なんてことを……このままでは兄たちの歯止めが利かなくなる。ほ、本当にこの国が終わっちゃうじゃないか」

 

「いや、大丈夫だって、王様の影武者を放り込んであるから、暫くは大丈夫だって」

 

 俺がそう言うのをがくがく震えながら彼は聞いて居たが、いよいよ声高に言い放った。

 

「とにかくダメなものはダメだ!! すぐに城に返してこい!!」

 

 その言い方、捨て猫拾って帰ったときの家族の反応そのものなんだけどな。一応国王だし父親なんだからもう少し言い方考えてやれよな。

 うん、まあこれではっきりしたけどコイツ俺達が完全に失敗して諦める前提で話してやがったんだな。不可能な言いつけをして俺達を諦めさせて……って筋書きだったんだろうけど、一日二日でまさか本当に連れてきてしまうとは夢にも思わなかったんだろうな。

 それが分かったとしても、ここまできて引き返せるわけねえだろうが。

 俺は冷や汗を垂らしているアレックス君の方を向いた。

 

「まあお前の言いたいことはわかった。だけどな、こっちもそう簡単には引き下がれやしない。そもそもやってこいと命じたのはおまえなんだからな」

 

「な、な、何が望み……だ……?」

 

「決まってるだろ? 金だよ金。それと仕事をよこせ」

 

「ちょっとご主人、いよいよ悪い人って感じになってきましたね!」

 

「う、うるせいよ!! こっちは今真剣なんだよ!!」

 

 まったく人がこれだけ気を使って話しているってのに余計なちゃちゃを入れやがって……マジでくそムカつくぜ。俺は困っているアレックス君を助けたい一心でやってるだけだってのに。

 あれ? その困ってるアレックス君が今はもっと困っているような……しかもその原因が……俺? あれ?

 

「ええい! もういい、とにかくだ!! すぐには連れて帰る気はねえからな。いらねえならいらねえでいいからここで暫く面倒みとけ!! いいな!! 分かったな!!」

 

「え? ちょ、ちょっと……」

 

「ニムっ! さっきのこの施設の人に言っておけ。老人一人預かってくれって。それとお前はこのままここに残って俺が帰ってくるまで王様のお世話とかしとけ。ここで死なれちゃ色々面倒だからな」

 

「いえっさー!!」

 

「え? え?」

 

 ちょこんと敬礼するニムの脇で、挙動不審になってしまったアレックス君。

 俺は戸惑うアレックス君とやはり困惑顔の王様の二人を眺めつつ、俺達はそこを辞した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六話 憎いならこの私を殺せばいい。お前にはその権利がある

「ということで、王様のお世話はしばらくワッチがしますね。痒いところがあったら掻いてあげるくらいのサービスはしやすよ」

 

 いったいどういうつもりか……

 あの紋次郎と名乗った青年は、この黒髪の少女を一人残してどこかへと消えてしまった。

 私は不自由な身体に鞭打って無理やりに身体を起し周囲を確認する。

 壁も柱もだいぶ朽ちてボロボロではあるが、ここは元々教会であったようで、外された扉越しに見える先のホールには年端もいかないぼろ布をまとった子供たちが、大勢で何かの歌を歌っていた。

 あれは讃美歌か?

 子供達の外れた音程を耳にしつつ、その笑顔で歌っている光景に心が絆されるのを感じていた。

 

「あ、王様……じゃなかった、【アレクおじさん】っすね。起きられるくらいだったら今はワッチはいらないっすよね。ちょっとおねえさん方のお手伝いしてきやすね」

 

「あ、これ……」

 

 そう呼び掛けるも答えずに、彼女はタタタッと小走りに部屋を出て行ってしまった。

 やれやれと私は首を振ってから自分の身体を眺め見た。

 今の私は王族の衣装をまとってはいない。そのあたりの町人と同じようなカーキ色の薄汚れた平服姿である。

 多分眠ってしまっているうちに着替えさせられたのだろうとは思うが、これはいったいどのような状況であるのか?

 

「お目覚めでございますか? 大分お疲れのご様子でございましたが」

 

 そう声を掛けられて顔を上げれば、青い法衣を纏ったまだ年若い修道女の姿。彼女は私へと木のコップに注いだ水を差しだしてきていた。私はそれを受け取って、だが口にはしないままでいた。すると、彼女が微笑んだ。

 

「ここの井戸の水でございます。まだ汚れてはおりませんのでお飲みいただいて大丈夫ですよ」

 

 そう優しく告げられ、私はすぐに聞き返した。

 

「この街の他の井戸の状況は?」

 

 彼女は少し俯いて返した。

 

「もうかなりの井戸が使えなくなっております。ここ数年でかなり……」

 

 そう話す彼女を見つつ、私はコップを持ち上げて言った。

 

「いただこう」

 

 そして水を口に含む。その味は決して良いものではなかった。錆を含んだような、生臭いような。だが、これであっても今の市井の者達にとっては貴重な水ということなのであろう。

 私は彼女に礼を述べてコップを返した。

 

 そうか……もうそんなところまできてしまっていたのか……

 

 私は深くため息を吐くと同時に、己の無力さに歯噛みした。

 そして、こんな事態にまでこの国を貶めてしまった自身の無能を呪った。

 いったいどうしてこんなことになってしまったというのか……

 

 いや、その理由は明白だった。

 

 私が『あの女』と出会ったことから全ての歯車は狂い出したのだ……

 私があの甘言に惑わされさえしなければ……

 私がもっと国のことを考えられていれば……

 私がもっと、『彼女』のことを愛していれば……

 決してこんなことにはならなかったのだ……

 

 グッと悔しさに奥歯を噛もうとするも、もはやこの私の身体にそれほどの力は残されていなかった。まったく私はなんと愚かな存在なのか……

 改めて自分に絶望していた、その時だった。

 

「あら? アレックス君どうしたの? お客様に御用?」

 

 そう修道女が声を掛けた先に立っていたのはまぎれもなくあの子だった。

 私はまっずぐに私を睨むその子の瞳から逃れるべく顔をそむけた。

 

「うん、少しこの人と話がしたくて……。あ、今日のご飯の材料、さっき修道院の人から分けて貰ったから台所にあるよ」

 

「まあ、ありがとう。ではすぐにお仕度をしなくっちゃね」

 

 シスターはそう言うと、パタパタと部屋を後にした。

 残ったのは私とアレックスの二人のみ。

 何も話すことなどない。いや、なにも話すことなどできないのだ。私がしてしまった仕打ちを考えれば。

 暫く何も話さないままで私の傍に立ち続けたアレックスは徐に言った。

 

「まさか御存命中にお会いできるとは夢にも思いませんでした。ですから先に言ってしまいます。私は……俺はこの国に住む人々を必ず守ります。この命に替えても。ですから安心して死んでください。話はそれだけです」

 

 チラリと視線を向ければアレックスはひどく顔を歪ませて唇を噛みちぎりそうな勢いで噛んでいた。

 それを見て私は言った。

 

「憎いならこの私を殺せばいい。お前にはその権利がある」

 

 すると、アレックスは顔を真っ赤にして私に叫んだ。

 

「権利? 権利……だって……? ふ、ふざけるなっ!! お前のせいで、お前のせいで『お母様』はっ!! くっ……」

 

 アレックスはそう言うと、涙の筋を頬に走らせた。その想いこそまさに私が求めたものであった。

 決して許されることはない私の犯した罪。

 そして、私がアレックスに背負わせてしまった悲惨な十字架。

 それを、私一人の命程度で払えるはずが無かったのだ。

 私はそれを思い目を瞑った。もういっそ、このまま死んでしまいたいとさえ思えていたから。

 

 だが、アレックスは私に対して想像もしていなかったことを言った。

 

「別に……もう良いのです、お父様。貴方を憎むこの気持ちは私一人だけの物。そんなものの為に、他の大事なものを切り捨てることなど私には出来ません。それに、もしここで貴方を殺してしまえば、私も『あの人』達と同類ということになってしまいますから」

 

 そう断言したアレックスの横顔には決意と覚悟が見てとれた。

 なんということだ……私はまだ成人したばかりのこの幼い子供に、これほどまでの重圧を押し付けてしまっていたというのか……

 それを思い、胸が苦しくなるのを感じていた。

 

「ごきげんようお父様。もう生きていらっしゃるうちに会うことはないでしょうけれど、お亡くなりになった後には必ずお花を手向けさせていただきますわ」

 

 そう凛々しく言い放ったアレックスに、私はもう何も言えなかった。

 

「えーとですね。かなりシリアスでしんみりしたお話してるみたいですけど、ちょっとそれどころじゃなさそう何で、ちょいと失礼を!!」

 

「んなっ!! な、何をするっ!!」「うおっ…………」

 

 急に現れた先ほどの黒髪の少女が、唐突に私を放り投げて肩で受け止め担ぐと、もう片方の肩にはすでにアレックスの姿が。

 そして彼女は言った。

 

「シスターさんたちはもう裏口から逃げましたかたご安心を!!」

 

「だから、いったい何があるんだよ!!」

 

 アレックスがそう怒鳴った瞬間、彼女は言った。

 

「来やすよ!!」

 

「へ?」

 

 その時だった。

 

 ドッゴーーーーンと大音響の炸裂音が響いたかと思うと、石造りのこの建物の壁の一角が大きく破壊され大穴が空いたのだ。そしてもうもうと立ち込める土埃の向こう側に、あれがいた。

 

「さあて、狩りを始めますかね」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七話 敵の存在

 俺達は例の教会を後にして宿へと向かっていた。もうこの景色にも慣れてしまったが、本当に浮浪者が多い街だ。特にこの辺りは貧民街の様相を呈してしまっているためだろうか、その数も多いような気もする。

 だが、少し離れた大通りを見れば一般の住民や冒険者の姿も見えるし、特に争いが起きている風ではない。

 これは警察でもある聖騎士のおかげなのか? とも最初は考えたのだが、どうもそうではないらしい。

 聖騎士どもはこの街でも横柄に振る舞って、下手をすれば路上生活者に暴行を加えているものまでいる始末。おいおい警察のお前らがそれでどうするんだよ、とこれはあっという間に暴動になるな、と思っていたら、そんな彼らを助けてまわっていたのが、神教の青の神官衣着た人々だった。

 彼らは飢えた人々に食事を配り、魔法で怪我を治し、そして子供たちを保護してまわったりしていたのである。

 はっきり言って、このボランティア活動は凄すぎる。だって、これをやったって本気で一銭にもならないのだもの。でも彼らは嫌な顔一つせずに笑顔で人々を助けてまわっているし。中には、食事を貰って泣いているものまでいる。これ、一宗教団体がやることじゃないだろう?

 マジでこの国終わってやがる。

 

 そんな風に呆れつつ先頭を歩いていた俺に半歩下がって並ぶように歩いていたオーユゥーンに声を掛けられた。

 

「良かったのですの? 国王陛下だけ置いてきてしまわれて」

 

「別に大丈夫だろ? ただの病人だし、ニムだって置いてきたんだから。それよりも今は先に確認しておくことがあるからよ」

 

「国王陛下の扱いとしてはどうかと思いますけれど……、確認するというのはいったいどのような?」

 

「そりゃ決まってる。敵の正体だよ」

 

「敵? ……ですの? それはギード公国のこと……とかですの?」

 

 オーユゥーンは理解できていないのか、小首をかしげてしまっているのだが、おいおい、お前くらい頭が切れる奴でもわかってないって、ほんと大丈夫かよ……

 俺は申し訳なさそうに見てくるオーユゥーンへと口を開いた。 

 

「あのなぁ、この国が今こんな状況になっているのは別に王様がへぼだからってだけじゃねえよ。この国を食い物にしている貴族どもとか聖騎士連中とかのダニみたいなやつらとか、隣国のこととか確かにあるが、それだけじゃねえ。ここにはそいつらを煽ってる何かが間違いなく居やがる」

 

「その根拠は?」

 

 オーユゥーンは俺をのぞき込むように見つめてきた。

 

「色々あるが、強いて言えばまずは『勘』だな」

 

「勘ですの!?」

 

 そう言いつつ、オーユゥーンはなにやら呆れた顔になりやがったけど、別に俺だって適当こいて言っているわけじゃねえんだよ。くっそ、人の顔見て呆れるとかそれほんとに虐めだからな。 

 俺は頭を掻きながら答えた。 

 

「そもそも割に会わねえんだよ、こんな状態は。聞けばこの国がおかしくなったのは10~20年前からだっていうじゃねえか。国内の複数個所の領地で疫病が流行って大量死が起きて、難民が急増したって話だけど、逆にいえばまったく被害のなかった領もあったわけだ。アルドバルディンなんかもそうだろう、あそこでそんな飢饉の話は聞かなった」

 

「まあ、南部では特にそのようなお話は聞きませんでしたけれど、つい先日滅びかけたような……」

 

 そうぼそぼそツッコミを入れてくるオーユゥーンを睨みつつ、俺は言った。

 

「とにかく、そういう風に国内を荒れさせたままにしておいても他国から付け込まれるだけだし、国内の生産能力も上がらない。つまり税金が集まらなくなる。そんな状態が20年だぞ? いったいどんだけこの国の住民が金持ちだか知らねえけど、普通に国ならとっとと破綻していてもおかしくない。だけど、この国は違う。見ろよ」

 

 俺はそう言いつつ、路肩に寝そべる路上生活者や道を行きかう商人冒険者を指して言った。

 

「確かに浮浪者はいるが、神教の連中の炊き出しとかで食いつなげているみたいだし、インフレが酷くたって商人は来ている。それに冒険者だ。シシンの連中がそうだったようにここのギルドもまだきちんと機能しているしな……これがどういうわけか分からねえのか?」

 

 そうもう一度質問してみたのだが、まだオーユゥーンは首を捻っていた。だが、一言……

 

「そうですわね……なんと言えば良いのか難しいのですけれど……『最悪の一歩手前でぎりぎりの生活をしている?』とでも言えば良いのでしょうか……」

 

「その通りだよ。言い方を変えれば、この国の連中は『寸前のところで死なないように飼われている』」

 

「え!?」

 

 驚いた顔になるオーユゥーンを見ながら俺は続けた。

 

「この国は破綻していてもおかしくはないんだ。国王はほぼ病気で不在のうえ、聖騎士がやりたい放題。神教には実効支配する権限はないし、貴族連中は自分の領に引きこもったまま、それに例の隣国の連中だって正規の要請でこの国に入っていたっていうしな、それこそ戦争を起こせば大抵の連中はこの国をすぐに制圧できるんじゃねえか?」

 

 国の首長が国内を取りまとめられていない時点で、外交能力は皆無と言っても差し支えないのだ。そもそも、俺たちが適当にでっちあげたドムス王女ご一行の話だって、いきなり鵜呑みにして国王が出て来ちゃうくらいだぞ? もう国としては終わっている。

 

 なのにだ。

 

 この国はその戦争状態にある隣国からも攻められていないし、滅んでもいない。内部にクーデターを起こそうって話はあっても、今のところ表面上で大ごとにはなっていない。

 

「つまりだ、この国の機能はほぼ麻痺させた状態で、でも滅びないようにコントロールしている『何者』かがいる可能性が高いってことなんだよ」

 

「そ、そんな……まさか……」

 

 オーユゥーンは口を抑えて驚いた様子だが、まあ、十中八九俺の予想通りだろう。国が衰退するのは仕方がないとしたって、人の経済活動って奴は新しい芽がどんどん芽吹いていくことで、新旧の交代を繰り返しながら振興していくものなんだ。

 そして頭が挿げ替えられて国は新しい形態をとっていったりするわけで……

 だが、ここにはそのような自浄作用はあまり働いていないように思える。それはまるでそのような行為を水面下に隠し続けようとしている存在がいるかのような……

 

 俺はオーユゥーンをまっすぐに見た。

 

「だからこのままアレックス君を手伝ってもじり貧なんだよ。どこの誰かは知らねえが、クーデターの種火を見つけ次第消しに来るだろうからな。だから……」

 

 俺は彼女を見つつ、言い放った。

 

「こちらから仕掛けてやろうってんだよ!!」

 

「お兄様今とても邪悪な表情をされてますわよ。私でなければ嫌われていましたわね。私でなければ」

 

「う、うるせいよ、ほっとけ」

 

 ニマニマ笑いながら覗き見るオーユゥーンを睨みつつも、あまり変な顔にならないように気をつけねばと俺は気を引き締めていたのだが……

 気が付けばもう宿に辿り着いていた。

 

 敵の正体については大体察しはついている。だが、当然丸腰で向かうのは間抜けすぎるので武器などの装備を取りにきたわけだったのだが……

 部屋に入ろうとしたところでオーユゥーンが俺を手で制した。

 そしてその鋭利な瞳を更に細めて中の様子を伺い、言った。

 

「先客がありますわね、ご注意を……」

 

 それにバネットも頷いているし、盗賊系の二人がこの反応だ、これは間違いなく何者かが中で待ち伏せているということだろう。

 俺はヴィエッタと後方で待機しつつ、扉脇に身を寄せたオーユゥーンとバネットの二人の合図に合わせて、シオンとマコの二人がその扉を勢いよく開け放つと同時に、全員でそのまま室内へと突入した。

 

「おやおや、これは随分と騒がしいじゃない。私はただ、『ダーリン』に会いにきただけなのに」

 

「はあっ!?」

 

 突入して、あれこの声はどこかで聞いたことあるな? とか思い顔を上げたそこには、忘れるわけもない、あの鎖塗れのボンテージ痴女!!

 

「てめえ、また出てきたのかよ!? ここにはオルガナはいねえよ」

 

「あら、つれないじゃない私のダーリン。私はあなたに会いにきたのよ、うふふ」

 

「なんだって!? いったいどういうことだよ?」

 

 なにやら腕についた鎖をじゃらじゃら鳴らしながら、ボンテージ痴女が俺へと笑いかけてくるのだが、はっきり言って超怖い。いや何が怖いって、こいつの目、間違いなくイッっちゃってやがるから。

 

「お兄様? このお方はいったいどなたですの?」

 

「ああ、えーとこいつはな……」

 

 そう説明しようとしたところで、いきなりボンテージ痴女がその両手を大きく開いた。

 

「もう、ダーリンってば、愛する私と話している時に他の女と話すなんて絶対に……」

 

 ボンテージ女の全身に黒い靄が掛かったようになる。と、次の瞬間、身体中にぶら下がっていたその切れた鎖がいきなり生物の様にうねりつつ凄まじい勢いで、伸びた!!

 

「許さないんだからぁ!! きゃははははっ!! 私のダーリンに纏わりつくメス豚どもは全員ひき肉にしてやるわああ!! きゃははははははははははは!!」

 

 その高速の鎖がオーユゥーン達へと襲い掛かってくるのを見て、俺はヴィエッタのおっぱいを触りながら言った。

 

「だからやめろっての。『土弾(ド・ロックバレット)』」

 

「無駄よ? ダーリンがどんなに凄くたって、魔法で私に勝てるわけ……」

 

「と、見せかけて『土壁(ド・ウォール)』!!」

 

「え?」

 

 唱えた瞬間に何かやろうとしていたボンテージ女の直下から超高速で土壁……というか土の柱を噴出させた。

 ということで、そのままの勢いで直上へと彼女は……

 

「うそっ! ま、また~~~~!?」

 

 とか言ったような言わないような……ほぼ一瞬で天井を突き破ってその姿が消えた。

 辺りには異様なくらいの静けさと、床と天井に空いた人一人分の穴のみ。

 

「え、えーと今の御方はどなたですの?」

 

 そうオーユゥーンに聞かれ即答した。

 

「ただのボンテージ痴女だ。気にするな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八話 足掛かり

「よし、準備が出来たら出掛けるぞ」

 

「出かけるって……だからどこへですの?」

 

 カチャカチャとベルトに剣を帯びて身支度を進めていたオーユゥーンが聞いてきたので、俺は言った。

 

「そろそろくる」

 

「え?」

 

 そう不思議そうに見つめてくるオーユゥーンへを見た直後に、入り口のドアが大きくバンっと開かれた。

 

「来たよモンジロウさん!!」

 

「ちょ、ちょっとナツ……やっぱりまずいよぅ……」

 

 そう言いつつ現れたのは二人の少年。アレックス君と一緒に助けたあの孤児院の二人の男の子、ナツとウーゴだった。

 

「いよう、待ってたぜ」

 

「へへー、シスターたちの目を盗んできたからな、少し遅れちゃったよ」

 

 茶髪を短く刈り上げた短髪のナツと、金髪を少し長めに伸ばして前髪で目が隠れてしまっていそうな風貌のウーゴ、その二人を前に俺は言った。

 

「気にするな、さっきちょうど『客』がいたからな、タイミングばっちりだ」

 

「客~?」

 

 俺が天井に空いた穴へと視線を向ければ、ナツとウーゴも不思議そうにその穴を見ていたのだが……

 そんな俺達にオーユゥーンは聞いてきた。

 

「お兄様? この子達はあのアレックス殿下のお友達の……彼らにいったい何をさせるおつもりですの?」

 

「ああ、まだ言ってなかったな。俺はこの二人に、レジスタンスの誰かを紹介してくれって頼んだんだよ。アレックス君は親父さんと対面中だしな、親子水入らずでいられるのに邪魔はしたくねえじゃねえか」

 

「へへー、おにいさんがまさか本当に国王様を連れてくるとは思わなかったからな。でも約束は約束だ、お兄さんたちが仲間になるってんなら、俺達だって当然協力するぜ」

 

「な、ナツ……でもだめだよぅ、勝手にこんなこと決めたら。またアレックスに怒られちゃおうよ?」

 

「だーいじょうぶだよウーゴ。ほら忘れたのか? 『将軍』だって強い仲間が必要なんだって言ってたじゃないか。おにいさん達はめちゃくちゃ強いんだから平気だよ」

 

「でも……」

 

 なにやら子供たち二人でそんな話になってはいるが、オーユゥーンはこれで一応は納得できた様子。俺は改めてここにいる全員……オーユゥーン、ヴィエッタ、シオン、マコ、バネットへと言った。

 

「今からこの子達の案内でレジスタンスのアジトへ向かう。そこでそいつらの頭と交渉するからな」

 

「交渉って……何をする気なの? 紋次郎?」

 

「そんなの決まってるだろ」

 

 俺は尋ねてきたヴィエッタを見ながら答えた。

 

「この国を助けるための相談だ」

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 俺達はごく普通に彼らの先導にしたがって列をなして進んだ。特に変装も何もしていないが、全員武装しているから冒険者というふうに道行く人からは見えていることだろう。

 周囲の無気力な浮浪者たちを見つつ進んだその先にあったのは、どう見ても人の住んでいなさそうな朽ちかけの一軒家。そこにナツとウーゴは先に入って行ったのだが……まあ、その様子は秘密基地で子供が遊んでいるようにしか見えないだろうけどな。

 俺は一応剣を鞘から抜き放ってゆっくりと入口へと歩を進めようとした。すると、オーユゥーンとシオンが俺の前に出て、周囲を警戒しつつ先に立って歩き始めた。

 こいつら俺を守ろうとしてくれてるんだよな。ま、まあ、俺のレベルは1だし? 先に突入したところで返り討ち100%だし? 役立たずってことは理解しているし? うう、な、情けなさすぎる。

 

 と、一人で打ちひしがれたいたところに、建物内の暗がりから声が掛けられた。

 

「どなたかな?」

 

 それはしわがれた老人の声。

 そして、そこに現れたのは真っ白い髭を蓄えた、見るからによれよれした仙人のような爺だった。

 俺はその爺に向かって言った。

 

「えーと、『夏のアプルを買いに来ました』で良かったのかな?」

 

 そうたどたどしく言ってみれば、老人はほっほっほと愉快そうに笑って俺達を覗き見た。

 今のセリフは、ナツに案内させるまえに聞いた合言葉だ。連れて来られたのに本当にこの合言葉いるのか? っていうか、一緒に来ているのに合言葉言わせるとか……あいつらマジで楽しんでやがるな。

 さあ、あのガキどもは何処だと探そうと思っていたところに、老人の声。

 

「何もないところだが、ゆっくりしていきなされ、もっとも……『アプルはもう売れてしまいました』がの。ほっほっほ」

 

 おっと、ここで合言葉の後半部分か。一応はこれで合っていたようだ。

 なら安心か? 

 俺はそこで爺の背後に居る二人の男の子を見付けた。ナツは愉快そうにニヤリと笑い、ウーゴの方は心配そうに眼をキョトキョトと動かしていた。

 そして俺達は爺の後について朽ちた家の内部を歩んだ。

 壁や天井、それこそ屋根にも穴が空いていて陽の光が直接室内を照らしてしまっていた。

 俺はそんな様子を見つつ老人が入った小さな部屋へと視線を戻したのだが、そのもとは書斎かなにかだったのだろうそのボロボロの部屋へと入り、そこが終着点なのかと勝手に想像していたのだが、爺は書棚の一角の本に手を伸ばすと、それを『押し込んだ』。カチリと何かが嵌るような音が辺りに響き、そしてゆっくりと本棚が横へとスライドして行った。

 そこにあったのは小さな扉。爺はその扉を開けて中へと入った。

 俺達もそこへと続いて入るとドアが勝手にしまり、また何かずりずりと床を擦るような音が響く。

 どうもこれは自動ドアらしい。

 俺はその真っ暗闇の中で黙って待っていたのだが、突然室内に明かりが灯った。

 

 淡い光なのだが、暗がりだったせいもあり、かなり眩しく感じてしまう。

 

 そんな俺達の前には人影が。

 

 さっきの老人かと思って徐々に明かりに慣れてきた目で見つめると、そこには複数の男性が立っていた。

 それも全員重武装のフルプレートメイルを装着した騎士のスタイルである。

 彼らはフェースガードまでしているのでその表情までは読み取ることは出来ないが、明らかに俺達を警戒していた。武器こそ構えていないがいつでも飛び掛かれるような体勢をとっていた。

 

「この人達は問題ないだろう。アレックス殿下の『仲間』だそうだからな」

 

 その声に周囲の鎧男どもはちらりと振り向て構えを解く。

 いったい誰が今の言葉を言ったんだ? そう思い視線を向ければ、そこにはさっきのよぼよぼの老人の姿……ヨボヨボ? いや、そこに居たのは老人の格好ではあるが、背筋をピンと伸ばしこちらへと精悍な眼差しを向けてくる髭の男性……彼はその髭に手を添えると、べリリっとそれをはぎ取った。

 そして俺の前に歩み出る。

 年のころはそれでも結構いい歳なのか? 王様と同様の渋みも感じるので、それこそ50くらいなのか……? 彼は剥がした後の顎をさすりつつ、微笑みながら俺達へと言った。

 

「私の名前は【ハシュマル・グリーンヒル】。今はみんなに【将軍】なんて大層な肩書で呼ばれてはいるがね、今は亡き西方『カーゴロード伯爵領』の元騎士団長だった。ま、よろしく頼む」

 

 こうして俺達はレジスタンスの頭目との邂逅を果たすこととなった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十九話 レジスタンス

「あんたがレジスタンスの親分なのかよ?」

 

 そう問いかけてみれば、彼はにまぁッと不敵に笑って俺を見た。

 

「ああ、そういうことだ。だから俺を殺せば反攻分子は散り散りになるな」

 

 そう言った途端に周囲の連中が殺気立った目で俺を睨み手にした剣を構えた。

 この野郎わざと自分の身分を晒して俺を煽りやがったな? 俺達に二心がないことを察知したうえで敢えて挑発することでそれを部下たちにも示そうって魂胆か。

 悪くないやり方だが、やられた俺達はいい気分じゃないぜ。

 

「落ち着けよ。そんなことする分けねえだろ……まだな。お前らが本当に反攻組織なのかも不明なんだからな」

 

「なんだと貴様!!」

 

 部下と思しき一人が俺へと詰め寄ろうとしたのを、ハシュマルが手で制した。

 そしてギラリと光る相貌のままで俺を射抜くように見つめてきた。

 

「ふむ……どうやら肝は据わっているようだな。何分こういった類の集団なものでな、これまで何人も刺客が送り込まれて来ているんだ。物々しいだろうが、まあ、許してくれ」

 

 ハシュマルはそう言いつつ、木製の簡素な椅子を手繰り寄せると、それにどっかと座った。周囲の騎士達はまるでSPのように彼を取り囲んで屹立している。これを見るだけでも相当な要人であることが窺えるな。

 彼は先ほどまで髭をつけていた顎をさすりながら俺と、俺の背後のオーユゥーン達へと視線を送った。

 

「それで……こんなところに娼婦をたくさん引き連れて一体なんの用かな? 色男」

 

「っ!?」

 

 一瞬背後でオーユゥーンが身構えるのが分かったが、俺は止めておけと目で合図を送って黙らせた。こいつも別に今は娼婦ってわけでもねえからな。

 

「誰が色男だよ、俺がモテる分けねえだろうが。それと、よくこいつらが元娼婦だってわかったな?」

 

「ははは、なあに、昔、相当私も遊んだからな、娼婦の見分けくらいすぐにつく。私の見立てだと、男に惚れこんで娼婦を辞めたって口だろ。いいねえ、背徳感がすげえよ。他人に抱かれた女を養ってやるってな、それだけで勃起もんだ。汚れた女どもに先行きはねえものな、もうお前専用の愛玩人形じゃねえか」

 

「このくそじじいっ!! マコたちをバカにしてっ!!」「何も知らないくせに言いすぎなんだよっ!!」

 

 俺の背後から殺気をまき散らしたマコとシオンが抜刀して切りかかろうとしたのを、オーユゥーンが首根っこを押さえて押しとどめた。

 

「お止めなさいな貴女たち。安い挑発に乗るものではありませんわよ」

 

「オーユゥーン姉……」「でも」

 

 オーユゥーンを見ればニコリと微笑んで二人を引き戻しにかかっていた。そして言った。

 

「ワタクシ達の心はもはや全てお兄様のモノ。他人にとやかく言われたところでどうとも思いませんわ」

 

「いや、それメッチャ重いんだけどな。普通に仲間でいいじゃねえか、普通に」

 

「それじゃあ面白くないんだよね、ご主人様。あの誰にも心を開かなかったオーユゥーンがここまでデレデレになっちゃったんだもん、もっとオーユゥーンを虐めてあげてよ」

 

「ちょ、ちょっと、何をおっしゃいますの、バネット姉様!! わ、ワタクシはそ、そんなつもりは……」

 

 とか言いながら頬を赤らめてチラチラ俺を見てくるオーユゥーン。うう、や、やめろよそんな目で見んなよ!!

 すると、今度はヴィエッタだ。

 

「紋次郎大丈夫だよ!! だって私はもう紋次郎の愛玩人形だもん!! いつでもどこでも好きな時に何回でもだよ!!」

 

「だからてめえは横から出てきて話をややこしくするんじゃねえよ!! 大体おまえ、最近発言内容がニムみたいになってきてるぞ? 天然丸出しでダイレクト発言マジ止めろ!!」

 

 本当に二ムに似てきやがった。まあ? ニムの場合はオチまで想定済みで俺を貶めようとしやがるからな、どっちが悪辣かは……あれ? 天然のヴィエッタの方が質が悪いのか? あれ?

 

「はははははははは……なかなかどうして絆の固いパーティのようだな。いや、すまなかった。どうもこの生活を送るようになってから私も随分とひねてしまったようでな、可愛らしい同行者をたくさん引き連れたお前さんに嫉妬してしまっていたようだな」

 

 そう言いつつ顎を撫で俺を見上げるやつの目はまだギラついてやがった。こいつスキルか何かは分からないが相手の人となりを見定めることに長けている存在のようだな。

 ま、そうでもなければ、ゲリラの頭みたいなことはやっていないということなんだろうがな。

 奴の心中を垣間見ることが出来たことで、俺は早々に話を済ませてしまおうと口を開いた。

 

「なら本題だ。俺はアレックス第三皇子との賭けに勝ってあいつに雇ってもらった。で、城から連れてきたアレクレスト国王様をアレックスの所に置いてきて、ナツとウーゴにここまでの案内を頼んで連れてきてもらったわけだが、聞きたいことは一つだけだ。お前らの敵の正体を教えてくれ?」

 

 そう端的に言った俺の言葉を、その場の全員が聞いて居たわけだが、全員表情一つ変えないまま首が次第と傾き始め……そしてだんだんと表情を強張らせつつ、冷や汗までをも掻きながらほぼ同時に言ったのだ。

 

『はあっ!?』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十話 ハシュマルの戦術

「お、おい、ちょっと待て。今アレックス殿下のところにアレクレスト陛下を置いてきたとか聞こえたのだが」

 

 そんなことを頭を抱えながらハシュマルが言ったので、当然即答した。

 

「聞こえたも何も俺は間違いなくそう言ったつもりだが? ああ、説明省きすぎだったな。多分お前らも気づいているだろうけど、さっき王城に入ったドムス国姫君一行……あれは俺達だ。で、王様を引っ張り出した後に、王様そっくりに仕立てた奴を身代わりに城へ帰したってとこだな。あ、身代わりの奴は盗賊だが、そこそこ腕が立つらしいし、バレて拷問されても口は割らねえって豪語してたからまあ大丈夫だろ?」

 

 ピート君は最初は身代わりをめっちゃ嫌がっていたが、バネットと二時間ばかり消えて戻ってきたと思ったら、なにやら鼻息荒く任せてくれとか胸をドラミングしてやがったからな。あれだけやる気なら任せておけば良いだろう。

 小学校の制服のようなワンピースに着替えたバネットが、ピート君と手を繋いでいたわけだけどな、お前、健全な大人をかどわかしてんじゃねえよ。まったく。

 ハシュマルはと見て見たら頭を振っていた。頭痛いのかな?

 

「おい、大丈夫かよ?」

 

「い、いや、話が飛び過ぎていて理解が追い付かないだけだ。重装歩兵を従えたドムス一行の話は届いたばかりだし、諜報員を送り込んで、まだ精査の段階だったというのに、まさかこの短時間で陛下を奪還だと? ふ、普通なら信じられんところだが……」

 

「まあ、そう言われても、今は嘘吐いても仕方ねえからな。でもなるほどな、『奪還』ってことは、やっぱり黒幕はエドワルドなのかよ」

 

 そう奴の目を見ながら言えば、ハシュマルはニヤリと笑った。

 

「なるほど、君たちは普通ではないということだな。いかにもその通りだ! 我々が敵対しているのはエドワルド第一皇子と第二皇子クスマン殿下を含めたその一派だ」

 

「しょ、将軍っ!! そんなことを話されては……」

 

 屹立していた一人が叫ぶのを、ハシュマルは腕を上げて制した。

 

「良いのだこれで。私はすでに彼の言を嘘が無いと見通している。そしてこと国王陛下の話が出てはもはや悠長に試してもおられぬわ!!」

 

 そう言い放ちつつ立ち上がったハシュマルは俺達を睥睨した。

 

「よもや国王陛下を人質になどと宣うならば、我々はここで刺し違えてでも貴公らを討ち滅ぼし陛下の御身をお救いする覚悟だからな!!」

 

「お、落ち着けってばよ、人質なんてするかよ。そもそもそんなことをする気ならここにわざわざ出向いてなんて来ねえよ。身代金の要求だとか、もっとうまくやってるわ」

 

「で、あるな。ならば問おう。貴殿らの目的はなんだ?」

 

 そう睨まれたままでいた俺は奴を見上げつつ言った。

 

「決まってんだろ? 裏で悪いことしてるやつをぶっ飛ばして平和に冒険者をやりてえんだよ俺は」

 

「…………」

 

 拳をぎゅっと握ってそう断言したわけだが、なんというかまたハシュマルのおっさんの首が傾いてきているのだが……

 しばらく無言で俺を見ていた奴は、急にパッと表情を明るくして口を開いた。

 

「なるほどそういうことか! エドワルド一派を排斥した後に国王陛下とアレックス殿下を擁立して陰で政権を操りたいと……そして自身はS級冒険者に収まり国からも多額の援助を合法的に引き出そうと、なるほど、陛下を拉致しようとするまではある。よし! 普通なら受け容れることの出来ない要求だが、今回に関しては君の野望を容認しよう! だがそうは簡単にはいかぬぞ? 我々の目が光っているのだからな!」

 

「バカかてめえは! なんでそんな発想になるんだよ!! ってか、容認しようとしてんじゃねえよ、それ完全に国家転覆プロジェクトだろうが!」

 

 いや、マジでこいつ何言ってんの?

 これじゃあ俺が黒幕で、気に入らない連中を粛正して周っていることになっちゃうじゃねえか。いやいや、そんないい笑顔すんなよ。てめえもいつか寝首掻いてやるからなみたいな顔すんじゃねえよ。

 

「あのなぁ、なんでそんな殺伐としたことを俺がしなきゃいけねえんだよ、まったく。せっかく冒険者ランクだってDになったんだぞ? これから少しづつ上位の依頼も受けられるって時に、わざわざ国とかギルドとかを敵に回すようなことする分けねえだろうが」

 

「はて? ではなぜそんなことを我々に宣言したのだ? 我々に承認させて陛下を傀儡にしたいからではないのか?」

 

「だからちげえって言っているだろうが! お前らゲリラ生活長すぎて普通の思考が壊れちまってんじゃねえか。そうじゃねえよ。俺はこの世界をのんびり旅したいんだよ。だけど、行く先行く先でクソみたいなイベント満載にしやがって、あんまりにもムカツクからちょこっとだけ解決しようとしてんじゃねえかよ」

 

 と、当然のことをいい放った訳だが、ハシュマルのおっさんはまだピンとこないのか、また首を傾け始めやがって。

 

「ハシュマル将軍とおっしゃいましたわね。確かにお兄様の仰り様は理解に苦しまれるかもしれませんが、お兄様は嘘はもうしておりません。現にここに来るまでにもお兄様は沢山の人の命を救って参りました。私たちも救われた口なのです。どうか、お兄様のお話を信じてはくださいませんか?」

 

 そう訴えるように言ったオーユゥーンを将軍はまっすぐに見つめ、そしてシオンやマコを見てからコクリと頷いた。

 

「なるほど……どうやらその話は真の様だ。私利私欲を満たす以外の動機で、こんなにも危険なことを為そうとする御仁がいるとは到底思えなかったが、貴女たちを見ては信じるしかなさそうだな」

 

「ありがとうございます」

 

 満足げに微笑んだハシュマルにオーユゥーンは改めて頭を下げた。

 というか、なんで俺の話は信じないくせに、オーユゥーンたちは一発で信じるんだよ!! これは虐めか? 苛めなのか? 虐められちゃってるのか俺は? まじで泣くぞ。

 うう……

 

「では、話すとしようか」

 

「あんたが俺にした仕打ちについては謝ってくれねえんだな」

 

 と言ってみたのだが、ハシュマルのやつは一瞥くれただけでもうほとんど無視!!

 きーーーー!! マジで、マジで泣いてやるゥゥゥっ!!

 本当にハシュマルは何も無かったかのように話始めた。ぐすん。

 

「貴殿らが国王陛下を奪還してくれたなら話は早い。我々は現在この王都に約3万の兵力を潜伏させている。そのすべてに号令をかけ、国王陛下ならびにアレックス皇子殿下を旗頭に一気に王城を攻め落としこの国をエドワルド皇子の手から取り戻す。現在この王都のは主力の聖騎士団が北方へ演習に出ているからな、今は好機だ」

 

「さ、3万っ!?」

 

 思わずそんな風に叫んでしまった。

 いや、この数はすごいぞ? 

 どこの世界だって1万人もいればそこそこの都市の様相を呈するものだ。それが3万だと? 一大戦力じゃねえか。

 だが、そんな大兵団をそうそう匿えるわけがない。

 

「なるほど、『便衣兵』という奴か」

 

 それにハシュマルは微笑んで返した。

 便衣兵とは所謂民間人に偽装した兵のことで、宇宙戦争条約の中でも禁止された項目のひとつである。

 所謂奇襲ゲリラ戦法にあって古代から用いられてきた戦術のひとつではあるが、こと現代においては戦後処理、戦後復興に主眼をおかねばならないため、これら条約の順守いかんにあっては戦勝国であろうとも国際世論によって国の解体まで進む事態も起きうるのだ。当然、そのような無駄な労力出費を割こうなどと思う者はほとんどいない。せっかく多額の戦費を垂れ流したうえで獲得した利権の数々を横から掠められるようなことは避けたいのである。つまるところどんな戦争にあっても大義名分は必要であって、その行いの全てを関連国全てから承認される外交努力が必要なのだ。

 ただ殴って殺して奪って終わりではないということだな。

 まあ、ここは異世界だし、俺達の世界とは常識が異なっているのだからさもありなんだからな、こと奇襲ということで言えば民間人に偽装した兵団というのは正に恐ろしい存在なのだ。

 戦争に巻き込まれている民間人を救出したとおもったら実はゲリラで、背後から殺されるなんて事態はマジで笑えないからな。

 確かに今の状態での仕掛けとしては上々であるのだろうな。

 だが……

 

「一気に攻め落とすか……それは下策だな」

 

「なんだと貴様!」

 

 俺の言にハシュマルの背後の騎士の一人が吠えた。がそれをふたたびハシュマルが止める。

 

「理由を聞かせてくれるか?」

 

「ああいいぜ。理由は簡単だ。今のお前らの『大義』が薄いんだよ。ここで仮に王都を奪還できたとしてもだ、お前らは結局亡国のゲリラのままだ。国王と国民を救うと言ってクーデターを起こしたことには変わりが無いわけで、しかも卑怯な不意打ちの戦争による実力行使、かならず民間人にも被害は出る」

 

「多少の被害は致し方ないのだ。このままではいずれ国は滅んでしまう。我々はその前に決起せねばならないのだ」

 

 そう若い別の騎士が吠える。俺はそっちを見ながら言った。

 

「それはお前らの都合だろ? 家族や友人を殺された奴らからすれば、お前らの行いなんて余計なお世話以外の何物でもないんだよ。国が亡ぼうが、国王がどうなろうかなんて、一般市民からすれば生きることの二の次でしかねえんだから」

 

 かつて国を守るためにと戦い死んでいった者達の説話は多い。国を存続することが、しいては家族自分を守ることになると、信じて疑わなかった時代が確かにあった。

 だがそれは戦争賛美でしかないのだと切って捨てられたのが『今』だ。

 結局人は生き残ることにこそ意味がある。

 俺の言に年若い騎士は何も言えなくなり唇を噛んだ。

 それを見つつ、ハシュマルが俺へと口を開いた。

 

「ならば貴殿はどのような手段が良いと思っているのだ? ここまで来るくらいだ、なにか妙案があるのだろう?」

 

 それに俺は頭を掻きつつ、言っていいものかどうか悩んだ。

 まあ、どうせやるときはやるんだからな……

 そう思い、では話そうかと決めた時のことだった。

 背後の隠し扉が開く低い音が響き、つられてそっちを見た。

 すると、そこに立っていたのは血まみれの騎士?

 

「……あ……、た、たすけ……ごふっ!」

 

 その騎士は突然大量の血を口から吐き出した。

 と、その腹部からゆっくりゆっくりと、巨大な曲刀が『生えて』くる。

 金属製のフルプレートメイルをまるで鯉の腹を裂くように切り口を広げながらにょっきりと生えた幅広のそれ……

 その鈍色の刀が、その騎士の腹から直上に向けて一気に移動した。

 騎士は脳天までを真っ二つに裂かれ、その場に脳漿をまき散らしつつ倒れた。

 そしてその背後……

 倒れた騎士の背後に立っていたのは、巨大な曲刀を振り上げたままの格好でいる真っ黒なフードの人物の姿。

 その場の全員が息を飲むのが分かったが、ただ一人、壁際に立っていた少年だけが急に泣き出した。

 

「な、なんで……なんで殺したの? は、話すだけだっていったでしょ?」

 

「う、ウーゴ……お前……」

 

 急に泣き叫びだした少年に、隣の友人が恐怖しつつ声を掛けていた。

 

「し、知らない! 知らなかったんだ。ボ、僕はただ案内を頼まれただけで……僕のせいじゃないっ」

 

「ウーゴ……」

 

 二人の少年をかばうように騎士たちが剣を抜いて一歩前へと踏み出していた。

 それをフードの人物はどう見ていたのか、何もしゃべらないままでただ、その口許を邪悪に微笑ませた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十一話 【味方殺し】と【大物喰らい】

「あの……曲刀(ファルカタ)は……まさか『味方殺し』か……」

 

「は?」

 

 ポソリとこぼしたハシュマルの不安な声に俺も思わず変な声が出た。

 というか、こいつマジでやべえ。

 登場と同時にひとりぶっ殺しやがったしな……それも極めて残酷に身体を引き裂いて。あれはもう助けられねえ、くそったれが。

 

「お兄様、おさがり下さいまし」

 

 そう言いつつ、俺の手を引いて前に出たのはオーユゥーンだ。腰のレイピアを抜き放つと、床の石畳に触れそうなほど低く構えて相手の動向を窺う。

 

「おい、無茶すんな」

 

 それに視線を向けないまま振り返らずに微笑んだオーユゥーン。

 

「そう心配してくださることが何よりうれしいですわ。シノン、マコ……バネット姉さま! お兄様を守りますわよ」

 

「はい!」「うん!」「まーかせて!」

 

 そんな三人の声が周囲から聞こえるし。

 おいおいおい、何をこいつらはまた無茶しようとしてんだよ。だいたいこんな感じで守られるのは男としてだな……

 そう思った時だった。

 

「【勇者】は……どいつだ……」

 

 フードの男がその黒いローブの内側からまるで獣の様な瞳を覗かせて、俺たちを睥睨した。

 は? 勇者?

 なんで、こいつがそんなもんを探してんだ? それを探していたのは俺の方だっての。

 当然だが、だれもそれに答えない。

 俺はちらりと、少し離れた場所にいるハシュマルを見た。

 奴の部下たちは全員剣を抜き放っているが、ハシュマル本人だけは剣はそのままにただまっすぐフードの男を見つめていた。

 なんだっけ? 味方殺し? とか言ってたよな。

 というからには知り合いかなんかか? 少しでも情報があれば多少は対策も立てられそうだけど、いかんせん完全に向こうの方が格上な感じで、悠長にそれを聞いているまもなさそうだ。

 なにしろ、相手はたった一人でこの隠れ家に吶喊してきたのだ。相応の自信がなければそんなことしないだろうし、そもそも知っているふうのハシュマルの様子もおかしい。

 

 これはまずそうだな……

 

「でやあああああああああああっ!」

「ばかものっ! 下がれっ!!」

 

 一人の兵士が、ハシュマルが止めるのも聞かずに振り上げた剣をそのままに一気にフードの男へと間合いを詰めた。

 剣はうっすらと青く輝いているして、あれは多分なんらかの強化魔法を付与したものと推察できる。そして、その踏み込みは尋常ならざる早さだった。

 シノンやマコだって相当にキレのある踏み込みをしていたが、彼はそれ以上。

 かなり高いレベルでの強さを保持していると見て取れた。

 

 だが……

 

「…………」

「んくっ…………」

 

 吐息のような声が微かに漏れ聞こえた。

 俺のはるか頭上から。

 そう、一瞬でその兵士の首が切り飛ばされたのだ。

 血を噴出しながら宙を舞い、かすかな呻きを漏らしたその首は、ごんごんと、人としてはあり得ない音を立てて床を跳ね、壁際まで転がっていった。

 あまりの展開にその場の兵たちはもう誰も動くことが出来なかった。

 フードの男は何もなかったように、再び周囲を見回し、そして、オーユゥーン達に囲まれている俺へとその視線を固定した。

 

「お前が……勇者……か?」

 

「ちげーよ」

 

 とりあえずそう言ってみたのだが、周囲の連中が不審な顔で俺を見ているし。

 いや、ほんとに違うからな、俺そんなんじゃねえから。

 いや、マジで違うって!!

 なんだか、だんだん嫌な汗が流れてきたところで、『勇者……?』とぽそりとこぼしたハシュマルがスラリと腰の剣を引き抜いた。

 その剣は黒かった。

 何かの文字が剣の中央に一列に刻まれているそれは、めちゃくちゃカッコイイ。

 しかも、奴が構えた瞬間にその剣の文字が銀色に光を放って、剣身自体も銀に淡く輝きだしたのだ。いや、それもうマジで本当にかっこいいぞ。

 

「俺がこの場をうけもつ、君たちは背後の隠し通路から脱出しなさい。そしてすぐに国王陛下の元へ行け」

 

 小声でそうオーユゥーンへとつぶやいたハシュマル。

 彼は目くばせした配下の兵たちが頷くのを見てから視線をフードの男へと戻した。

 

「よお。俺は元カーゴロードの騎士、ハシュマル・グリーンヒルってもんだ。てめえはゲッコーだな? よくもまあ、人の家に勝手に上がり込んで、部下を二人も殺しやがったな。ただで済むとは思うなよ」

 

 なんてことは無いようにそう言い放つハシュマルの声は、それだけでかなりの威圧が籠っている。

 こんなふうに面と向かって言われたら、俺はもう完全にちびってるぞ。

 ゲッコーと呼ばれた奴は、視線をハシュマルへと向け、そして言った。

 

「……聞いたこと……ある名だ。ハシュマル……【大物喰らい(ジャイアント・キリング)】……の田舎騎士か……会えて光栄だ」

 

「うっせーバカにすんじゃねえよ。カーゴロードはちょっと山と畑が多いだけだ、【味方殺し】。俺はてめえには会いたくなかったよ」

 

「……ふん」

 

 その刹那、ゲッコーがハシュマルに向かって高速の打突を繰り出してきた。

 そのまま剣がハシュマルの身体に突き刺さる……

 そう思った瞬間のことだった。

 ハシュマルは、その身を宙に躍らせ、その体勢のままで黒剣を振るってゲッコーの頭を狙う。

 が、奴はあり得ない角度まで身体を横に逸らせてその斬撃を回避、すかさず情報のハシュマルへと回転するように剣を滑らせるも、その時には天井を蹴ったハシュマルがゲッコーの背後へと回り込み、そこから突進。

 正面からかち合う形のつばぜり合いで、二人は一瞬その動きを止めた。

 

「つ、つええ」

 

 思わずそんなことを呟いてしまった。

 こいつらどっちもとんでもなく強いぞ。いや、うっすらとは分かっていたけども。

 で、俺は気になって二人へと慌てて解析(ホーリー・アナライズ)の魔法を使用してその一部だけを見た。

 

――――――――――――

名前:ハシュマル・グリーンヒル

種族:ヒューマン

Lv:49

体力:240

知力:180

――――――――――――

――――――――――――

名前:ゲッコー

種族:ヒューマン(神化)

Lv:65

体力:320

知力:220

――――――――――――

 

 おいおいおい、ちょっと待て、なんだこのレベルとアビリティーは。

 確かこの世界の連中ってレベル一桁がほとんどだったはずじゃねえか。

 で、多少強くなれて10台、20台ともなれば一級で、30以上で超一級とか、そんな話だった、

 だというのに、こいつら完全にその枠を外れてやがる。

 あの滅茶苦茶強いシシンだってレベル40とかだったはずだしな、こんなのもはや怪物の域……

 というか、あっちのゲッコーってやつ異常すぎるだろ。

 この前の青じじいにはレベルで負けているけど、アビリティーではかなりとんでもないことになってるし…… それと、あの【(神化)】ってなんだ?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十二話 ノロイ

 いったいあのステータスはなんだ……

 と、そう不思議に思っていたら、フードの男ゲッコーが徐に俺へと視線を向けてきた。

 

「……【鑑定眼】……を使用したか……、貴様……」

 

「は? ちげーよ」

 

 まったく違う。俺が使ったのは『解析(ホーリー・アナライズ)』だしな。それにしても良くわかったな、まるっきりの戦士タイプだと思ったけど、意外と体内のマナのコントロールにも精通しているのか。

解析(ホーリー・アナライズ)』の魔法は、相手のマナに触れて、それを変質させることで使用者の脳へとデータを送らせる通信魔法の一種だ。当然マナが動くわけだから、気が付く奴が当然気が付く。

 だけど、こいついったい何を勘違いしていやがるのか、前にも誰だかが鑑定眼がどうのこうのと言っていたけどな、そんなスキル俺は持ってねえし、そもそも魔法で事足りるんだからそんなの気にすることもないだろうに。

 

「……やはり……貴様が【勇者】……」

 

「だから、ちげーって……」

 

 そんな俺の言葉にはお構いなしに、この野郎、おっさんの剣を跳ね上げてから、一気に俺へと躍りかかってきやがった。

 あまりの速さに、ハシュマルのおっさんも即応できず、剣を払いあげられた格好でこっちへと視線だけを向けてきていた。

 

「お兄様!! 御下がりくださいまし!!」

 

 言うや否や、オーユゥーンが俺を突き飛ばす。

 そして、レイピアを正面に構えて、ゲッコーへと高速の突きを繰り出した。

 いや、だめだろ、それはいくらなんでも。

 オーユゥーンのレベルは25。確かに、その辺の冒険者と比べたって相当に強いわけだが、こいつのレベルは60オーバーだ。ダブルスコアでも届きやしない。

 この世界の身体能力は訓練の上に少しづつ上乗せされていく普通のそれではない。

 レベルが一つ上がるごとに、その筋力や瞬発性などが格段に跳ね上がるのだ。

 そんな中でのこのレベル差。

 もはや、アリと象ほどの差がそこにあるのだ。

 

「ふっ……」

 

 息を吸って高速で突き入れるオーユゥーンに対し、ゲッコーはそれをすり抜け残像が残るほどの速度で剣を振るった。

 

「……ノロマめ……」

 

 その刹那、俺は全身を切り刻まれ倒れ伏すオーユゥーンの姿を幻視した。

 それは当然だろう。だって、こいつ滅茶苦茶強いもの。

 あー、

 準備しておいて良かったぜ。

 

「ぬ……」

 

 オーユゥーンへと剣を振り下ろしたその瞬間、ゲッコーはあり得ない角度で上方へと逃れた。

 おお、こいつなかなか良い感してやがるぜ。

 奴が居たその足元……

 そこには当然俺が仕掛けた、『泥の地面』と、『土の手』が生えてきていた。

 もう一歩踏み込んだ瞬間、そのタイミングに合わせて展開した泥に足を取られると同時に、両脇から生やした4つの土の手で奴をわしづかみにして、後は殴る蹴るの暴行を加えようとか思っていたのだが……

 おっと、まだ終わりじゃないぜ。

 飛び上がった奴へと、今度は室内のあちこちから、超高速で土の針を打ち出した。

 それらは奴を追尾するかのように四方八方から奴の身体を抉る勢いで襲い掛からせる。

 

「……むぅ……土魔法……か」

 

 その通り、俺お得意の土魔法だ。

 なにしろ、俺には無限に土のマナを供給してくれる、女神っぽい奴を宿したヴィエッタが仲間にいるのだ。

 これを有効に使わない手はない。

 だが……

 

「紋次郎? もう少し強めに揉んでいいんだよ?」

 

「だから揉んでねえから」

 

 俺は、俺の左側に身体を凭れかけさせているヴィエッタの左乳に、なんというか手を当てるというか添わせるというか、触れないぎりぎりのところに手を翳しているわけだが、そこにヴィエッタがウリウリと自分の胸を押し当てて来やがる。

 はっきりいって、名誉棄損だ。俺は揉んでねえ。

 くそ、魔法を使うたびにおっぱい触らせようとかしているあのくそオナ女神め。今度全身拘束してどっかの狭いところに放り込んで、もう手出しできねえようにしてやるぞ。

 あれ? なんか急に身体に流れ込んでくるマナの量が増えたような……ま、気のせいか。

 

 俺はもう遠慮なく土の槍を射出し続けた。

 これはもう弾幕ゲームの様相だ。逃れる術はないはずだった。

 だが……

 

「くそ……全然当たらねえ」

 

 奴は高速のその土の槍のことごとくを躱し続けた。躱してそして、すでに射出され終わった槍をへし折りつつ、こちらへと少しづつ近づいてきやがるし。

 そう、槍と言ったところで結局は土だ。

 魔法の効力で硬さを維持するのはほんの一時だけ。

 奴はそれの効果の切れるタイミングも計っているようで、折れるようになった瞬間を狙って槍衾をかいくぐり続けた。

 

「お兄さん、ここは退こうよ。兵隊さんたちもみんなもう下がってるよ」

 

 そうシオンに言われ、俺も少し後退してみたが、いかんせん相手が元気な上に速すぎる。逃げようにも、油断が無さ過ぎて今の体勢を変えることが出来なかった。

 奴はじりじりと距離を詰めてくる。

 

「シオン、マコ。俺とヴィエッタは良いから、早いとこオーユゥーン連れてと後ろに下がれ」

 

「で、でも……」

 

「早くしろ、じゃないとオーユゥーンのやつが……」

 

 言いつつチラリとオーユゥーンを見る。

 こいつ実はさっきからまったく動こうとしていやがらねえ。

 土魔法をぶっぱなそうにも、オーユゥーンが邪魔でじつは結構気を使って避けていたわけなんだが……。

 何があったんだ? と気になって顔を覗きこんでみれば、奴にしてみては珍しくも顔を真っ赤にしてまるで鬼のような形相で震えていやがった。

 こ、こいつ……なんでこんな時にこんなんになってんだよ。

 

「お、おい、オーユゥーン? 無理しねえでいったん退けよ」

 

「よくも……」

 

「は?」

 

 オーユゥーンが突然顔を上げて奴へと叫んだ。

 

「よくもワタクシに『ノロマ』などと……牛人(タウレリアン)は決してノロマなどではありませんわ!」

 

「はい?」

 

 突然のオーユゥーンの激昂に思わず変な声がでちまった。というか、なに? ノロマ? 

 それがなんだってんだ?

 別にオーユゥーンはノロマでもなんでもないし、むしろ相当速い部類だろう、実際に。

 だというのに、なんでいきなりブチキレゃってんだよ。

 

「な、なあ、オーユゥーン」

 

「絶対に許しませんわ!」

 

 ひぃっ!

 あまりの剣幕に思わず俺の方がびびっちまった。

 というか俺の背後に近づいたシオンとマコが慌てて口を開いた。

 

「わわわ、オーユゥーン姉のスイッチ入っちゃったみたい! こうなっちゃうとわたし達じゃどうしようもないよ」

「はあ? スイッチだぁ」

「そうだよ、クソお兄ちゃん! オーユゥーン姉の種族の牛人の人達って、基本結構のんびりしているというか、おっとりとしているというかで、動きがノロ……」

 

 瞬間、オーユゥーンの方からとんでもない殺気が放たれたような感じがして、マコは真っ青になって小さな悲鳴をあげる。

 それを見て、シオンが続けた。

 

「お、おしとやかな人が多いんだよ、牛人って! でね。オーユゥーン姉はそのせいで嫌な思いもたくさんしたんだって。だから、あんな風に直接いわれると、一気にヒートアップしちゃって」

 

「そ、そうか……」

 

 オーユゥーンなりのコンプレックスをつつかれたってわけね。こいつ、なんでもそつなくこなすから、特に何もないのかと思っていたけど、そんな訳なかったか。

 誰だって、思い出したくもない嫌な思いでのひとつや二つあるもんだものな。

 俺なんか、今までの人生すべて白紙にしたいくらいなんだけど。

 

「だけどよ、今のはちょっと違わないか? あいつめちゃくちゃ強いからな。圧倒的に強い相手になに言われたってしかたねえだろう」

 

 そう言ってみたのだが、シオンは真っ青になって首を横に振った。

 

「前にオーユゥーン姉を買ったレベル40の上級冒険者が、服をゆっくり脱ぐオーユゥーン姉を見て、『やっぱり牛人はゆっくりッスねー』とか言った直後、両手両足切断された上に、口で紐をくわえさせられたままで4階の窓から吊るされちゃったの、オーユゥーン姉に。あのとき、もうちょっと発見が遅かったらあの人間違いなく死んでたんだよね。オーユゥーン姉怒るとホントに怖いんだよ」

 

「おい、その冒険者、ヨザクって名前だろ」

 

 シオンはなぜか黙ったまま、にんまりと……。

 ああ、さいですか。

 俺は……

 こんなことしながらも、ヴィエッタのおっぱいからマナを吸い上げつつ、奴へと土魔法を放ち続けていた。

 ほんとなんなんだ、このシチュエーションは。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十三話 逃亡

 俺の連続の土の攻撃をすり抜け続けるゲッコーに対し、オーユゥーンがついに躍りかかった。

 まるで般若のごとき怒りの形相の奴は、俺の土槍にもおかまいなしに一気に突っ込む。

 

「おわッ! こ、このばかっ!!」

 

 慌てて土の槍を逸らそうと試みたが、オーユゥーンはお構いなしに突撃しているため、彼女の肩や足にそれが突き刺さるもそれにお構いなしに彼女は咆哮を上げて切りかかった。

 ゲッコーは確実にオーユゥーンを捉えていた。そしてその方向に俺が攻撃をしないことも確実に理解していた。

 身体の向きを変えたゲッコー。奴はそのまま曲刀を高速で振りながらオーユゥーンへと突撃した。

 

 やばいっ!!

 

 そう思った時にはもう遅かった。

 ゲッコーの刀がオーユゥーンの腹を刺し貫く。俺はそれをただ見ているしかできなかった。

 鮮血を噴き上げつつ空中で動きを止めるオーユゥーン……

 だが……

 

「捕まえましたわ!!」

 

 は?

 

 突然オーユゥーンはその身体を丸め、ゲッコーの刀を持つ方の手を握りしめた。

 と、その瞬間にゲッコーがその腕を振り回す。

 俺にはそのままオーユゥーンの胴体が切り裂かれてしまうのではないかと思えて肝が冷えまくったのだが……

 

「……ぬぅ……」

 

「ただでは許しませんわ」

 

 オーユゥーンのそんな声が聞こえた途端に、奴の動きが止まる。

 直上に腕を掲げた体勢のままで完全に停止してしまった。

 見れば、奴の手首と肩をオーユゥーンが捻りあげている。

 これは完全に関節を決めちまっているのか? おいおい、相手の剣を刺したままでなんて無茶しやがるんだ!!

 

「はぁあああああああっ!!」

 

「ぐぅっ……」

 

 オーユゥーンは更に自分の身体を奴の刀へとめり込ませつつ、その手首を押さえていた方の手を放して、レイピアを握り直して奴へとそれを突き入れた。

 ゲッコーは首を大きく逸らすも、オーユゥーンの剣はまっすぐに、ゲッコーの鎖骨辺りに吸い込まれるように突き入った。

 そのままで、オーユゥーンは何度も何度もレイピアを振るおうとするも、そこはレベル差からなのか、ゲッコーは身体を激しく揺さぶって彼女の行動を封じた。

 と、そこへ……

 

「ふんっ!!」

 

 ゲッコーの側面に煌めく剣の軌道が……

 その黒い剣はオーユゥーンを抱え上げたままの奴の脇腹を切り裂いた。

 

「絶技……『音速剣(ソニックエッジ)』!!」

 

「ぐおぉ……!!」

 

 ゲッコーのローブを引き裂き、その腹部に剣をめり込ませたのは当然このおっさん、ハシュマルだった。

 ハシュマルはゲッコーの腰部深くまで、まるで切断してしまうのではないかという勢いで振るうと、今度は剣を引き抜くと同時に、ゲッコーの脚を切りつける。脇腹と太股から鮮血を吹き上げたゲッコーはそのままよろよろと両膝を地面へとつけた。

 と、ほぼ同時に、思いっきりオーユゥーンがつかんでいる方の腕を振り下ろし、その勢いのままに刀から彼女を引き抜き飛ばした。

 

「きゃああっ!!」

 

 俺の方へと真っ直ぐ飛んできたオーユゥーンに潰される形で床へ転がった俺は、すぐさま跳ね起きて彼女の身体を確認する。

 その腹部は無理矢理に太い剣を突き刺したせいで、内蔵もろともぐちゃぐちゃたま。

 すぐさまマコを引っ張りよせて、その胸に手をおしあてながら魔法を詠唱した。

 

「『上位治癒(ミ・ハイヒール)』!!』

 

 慌ててかけたその魔法により、彼女の傷口が一気に塞がっていく。

 というか、臓器も切断されてしまっていたから、そこもきちんと治さないといけない。

 『解析(ホーリー・アナライズ)』を使用して彼女の臓器を見てみれば、割かれていたのは全部胃袋!?

 というか、オーユゥーンのやつ、胃袋が四つもあった。

 おお、こいつこんなところまで牛なんだな。

 そう思いつつ顔を見れば、満足げにニヤリと笑っていやがった。

 

「お兄様!! あの無礼者に一太刀浴びせてやりましたわ!!」

 

「うるせいよ! そんなことで死にに行ってどうすんだこのばかっ! 調べなくたって、あいつがやべえレベルだってお前なら分かっただろうが」

 

「あら、絶対にお兄様が治してくださるとわかっておりましたもの、多少は無理だっていたしますわ。それと、ワタクシたち牛人(タウレリアン)はタフですし、痛みにも強いのです。胃の腑を裂かれた程度で動じたりなどいたしませんわ」

 

「んなこと知るか! ったく、だったらもう治してやらねえからな!」

 

「あ……ひょっとして、怒ってくださっているのですか! 勝手な行動をしたワタクシに腹を立ててくださっておられますの!? うれしい……ワタクシ本当にうれしいですわ!」

 

「こら、ばか、あばれてんじゃねえ!!」

 

 急に抱きついてきたオーユゥーンのデカイ二つのあれが俺の顔面を挟み込む。

 治療はもう終わったしなにも心配はいらねえはずだが、さっきまでの流血が俺の顔面にべっとりついて鬱陶しい……

 というか、完全に胸に押し込められて、い、息ができねえ。

 

「ふぁ、ふぁなせっ!!」

 

「え? あ、すいませんですわ……き……きゃああああああああああああああっ!! お、お兄様!! ち、血まみれですわよ!!」

 

「うるせいよっ!! お前の血だろうが!! こんなにぶっかけやがって!!」

 

「お前らな……少しは周りを見て、察してくれねえかな」

 

「「ひゃっ!」」 

 

 オーユゥーンにのしかかられたままでいた俺達の耳元で、おっさんの声が響く。

 思わず仰け反ってそっちを見れば、ハシュマルのおっさんのドアップの顔。

 おっさんは呆れた顔でこっちを見ながら俺とオーユゥーンの襟首をつかんで一気に持ち上げやがった。というか怪力すげえ……猫になった気分だ。そのまま立たされて指でくいと促されてそっちを見た。

 そこには腹部から煙を上げた状態で震えながらこっちを睨むゲッコーが。

 

「……貴様ら……こ、コロス……」

 

 煙の上がっている腹部は、背骨に到達するほど深く抉られていたはずが、今はどう見てもかすり傷程度にまで塞がってしまっている。それに、足の腱を完全に切断されたかと思っていたのだが、そこも破れているのはブーツだけで、見えている地肌には傷ひとつない。

 こいつなんて回復だ。

 魔法を使ったようには思えなかった。となれば、回復系のスキルかなんかか? ちゃんと確認するべきだったか? いや、こいつのレベルじゃなにをどう足掻いたって倒すのは至難の業か。

 ハシュマルに腕を掴まれた俺とオーユゥーンは引っ張られるままに走り出した。

 

「お前ら、とにかくここは退くぞ……もともと強いとは聞いていたが、あの野郎ももう人間辞めてやがる」

 

「おっさん、それはどういう……」

 

 聞こうとしたが、無理矢理に手を引かれ、俺はそのまま前方へと放り投げられた。

 そこにはすでにバネットや他の騎士たちの入っている大きな『籠』のような物が……それは上から吊り下げられているように何本もの紐が結わえてあった。

 あれは……そうか、『エレベーター』か。

 その籠に放り込まれる寸前、俺は身を捩って、立ち上がろうとしているゲッコーを見た。そして唱えたのは当然あの魔法だ。

 

「『解析(ホーリー・アナライズ)』」

 

「でやああああっ!!」

 

 籠に放り込まれた瞬間、何故か俺を投げたはずのハシュマルが先回りをして、籠のエレベーターを支えていた太いロープを叩き切っていた。理不尽な速さだ、とか、そんなことを思っていたところで、上方に向けて一気に俺達の身体は運ばれた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十四話 集いし者達

――――――――――――

名前:ゲッコー

種族:ヒューマン(神化)

Lv:65

体力:320

知力:220

 

恩恵:賢者(ワイズマン)

属性:なし

スキル:自己再生、魔力感知、HP自動回復、

魔法:魔力融合大爆発(マナリアクト・エクスプロージョン)

 

体力:255

知力:240

速力:270

守力:210

運:91

名声:150

魔力:1,999

 

経験値:40,000

――――――――――――

 

 俺は脱出の間際に確認した、ゲッコーのステータスを、激しく揺れつつ疾走する竜車の荷台で思い出していた。

 やはりとんでもないアビリティー数値で、特に魔力が半端ではない。

 この数値は上級魔術師である、緋竜の爪のシャロンの数値を大きく上回るもの。

 それも、単なるレベル差ではありえない値で、桁が一つ違うほど。

 どう見ても武闘派脳筋な見た目だったのだが、この理由はひとつしかないだろう。 

 賢者(ワイズマン)……

 まさか、ここでこの名前を拝むことになるとは。

 恩恵は精霊や神様の特権かとも思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。

 賢者と言えば、大昔の魔竜戦争で活躍した五英雄の一人であったはずだし、あの痴女……じゃなかったか、神を辞めた元精霊神、オルガナも口にしていた。

 しかも俺をその賢者と間違えていやがったしな。

 あの時は、賢者なんて大昔にいた魔法使いの一人くらいの認識だったけど、どうやらこの現在にも影響力を持って存在しているのは間違いなさそうだ。

 そいつがあのゲッコーに力を与えていた。

 そう考えるのが自然だし、奴が持っているあの魔法、魔力融合大爆発(マナリアクト・エクスプロージョン)は怪しさ満点だ。多分あの非常識な魔法力を爆発エネルギーに変えるとか、そういうことなんだろうが、単純に数値だけを見るに大破壊魔法であることは間違いあるまい。

 というか、この世界、大爆発(エクスプロージョン)魔法多すぎだろう。

 火魔法や光魔法にも単属性の爆発系魔法がある上に、あの青じじいも使っていた属性複合のとんでもない魔法も存在している。威力だけなら青じじいが最強かもしれないけどな。

 まったく、爆発狂ばっかりなんだな、この世界は。どんだけ爆発好きなんだよ、まったく。

  

 それにしても賢者(ワイズマン)か……

 

 オルガナの話しぶりからして、彼女とは敵対関係にあるようだけれど、この大陸の人類を救った五英雄でもあるし、そもそも同一人物なのか? 確かヒューマンだったわけだが。

 普通の人間が300年以上生きられるわけがないのだけどな。

 どんな再生医療を施したところでせいぜい150年が限界で脳細胞の全てが自壊するし、脳細胞の全てを電子頭脳に置き換えたとしても、今度は代謝不全からの思考演算暴走で人格は崩壊する。

 人の脳の機械化は何百年も研究されているが、これは多分永遠に成功することはあるまい。というかしても禄なことにはならないだろうしな。

 人間の意識は肉体に依存している故に、肉体から切り離されればやはり死ぬということなのだ。どんな強靭な意思の持ち主であっても、機械の中で肉体と同様の意識を保つことが出来た者はいままで一人としていなかったし。そりゃそうだろう。

 人間なんて裏も表もあって、良いことも悪いこともひっくるめて上手く頭の中で妥協しながら自分で納得しながら日々生きているのだ。

 聖人君子みたいな奴でも、鼻をほじったり、股を掻いたり、人に言えないような癖の一つや二つあるわけで、機械化された途端にその恥と折り合いをつけられなくなるのは自明の理。なにしろ全部が明るみに出る上に、不都合だと削除しようとすると、そいつのアイデンティティの大半が消滅してしまうことにもなるからな。

 ほんと、自分の脳みその中を全てを明らかにされるなんて、耐えるかどうか以前に、軽く死ねる。

 そうまでして長生きしたいとか、ほんと正気を疑うよ、俺は。

 まあ、チャレンジした無謀者は何百万人もいたわけだけどな。永遠の命とか、マジでバカばっかりだよ。

 

 おっと逸れまくったな。

 つまりは普通の人間がそんなに長生きできるわけがないということだ。

 ただし、この世界には長寿の人種もいる。

 エルフやドワーフなんかは数百年から数千年、それ以上生きるというのだからもはや俺の常識は通じないのかもしれないわけで、その賢者ってやつも、実はエルフが人間のコスプレをしていただけとすれば簡単な話なんだが、もしそうならよほどそいつは捻くれているってことか。

 ううむ。

 

「紋次郎ってば!!」

 

「おわぁっ! な、なんだ!?」

 

 耳元で大声で名前を呼ばれて心臓が飛び出すんじゃないかってくらい驚いた。

 声の主はヴィエッタだが、何もいきなりこんな大声で叫ばなくても。

 

「もう、さっきから何度も呼んでいるのに、なんで返事してくれないの? 無視しないでよ」

 

「はあ? 何度も」

 

「うん、何度も」

 

 ちょっと怒った感じのヴィエッタの顔、なんだよ初めて見たな。

 どうやら思案に集中しすぎてまったく聞いていなかったようだな、俺は。

 揺れる竜車の中には、目の前にヴィエッタとその向こうにオーユゥーン達、それとハシュマルその他の騎士連中が大勢乗っている。

 この竜車ってやつは本当にデカイからな、小型の貨物船の格納庫くらいの広さはあるから、こんなに乗っていてもまだスペースがあるのだ。すげえな竜。

 

「悪い、少し考え事してたんだよ」

 

「少し? 全然少しじゃなさそうだったけど?」

 

「そうか? まあいいじゃねえか。で? なんだって?」

 

 そう促して見れば、ヴィエッタは背後を一度振り向いてから言った。

 

「ええと、だからさっきからみんなで話していたことだよ。さっきのゲッコーっていう人のことと、王様のこと。ハシュマルさんが聞きたいって言ってるじゃん」

 

 当然だがそんなこと知らない。だって聞いてなかったからな。まあ、それは俺の都合か。

 

「そうかよ。ええと、まず王様のことだが……」

 

「あ、その前にね、ウーゴくんが謝りたいんだって」

 

「ウーゴ?」

 

 誰だっけ?

 とか思っていたら、俺の前に歩み出てきたのはアレックスと一緒にいた男の子の一人。

 彼は目を伏せたままで泣きそうな顔で立っていた。

 その隣には目を釣り上げたもう一人の男の子の姿。

 ほらさっさと言えと背中をばんばん叩いているわけだが、おいおい、そんなことされたら余計何も喋れなくなるんじゃねえか?

 ウーゴくんはおずおずと口を開いた。

 

「え、ええと……その、ご、ごめんなさい。ぼ、僕……」

 

 ウーゴは口ごもっているが一応謝罪をした。

 そういえばこの子って何をしたんだっけか? はて。

 思い出そうとしていたところで彼が続けた。

 

「僕、あの隠れ家のことを言わなければ教会のみんなを殺すって脅されてたんだ。だから仕方なくて……」

 

 いよいよウーゴくんは目に大粒の涙を溢れさせてしまったわけだが、ああ、そういうことだったか。

 俺は一度ハシュマルを見て、何も反応していないのを確認してからウーゴくんへと言った。

 

「あのな、別に気にすんなそんなこと。アジトがバレたのはあのおっさんたちが隠すのが下手だったからだよ。お前のチクリ一つで潰れるようなら、大した集団じゃなかったってことだよ」

 

「なんだとっ!!」

「貴様、我らを愚弄するのか!!」

 

 何人かの騎士が剣の柄を握り込みながらバンと立ち上がったが、当然の様にハシュマルがそれを抑えた。

 

「やめろ。大したことを言われたわけではない。それに言われても仕方なかろう。現に我らはまだ民衆を救えてはいない」

 

「くっ……」

「し、しかしっ!!」

 

 まだ息巻いている兵士に向かってハシュマルはひらひらと手を振ってみせ、そしてこの話はもう終わりだと宣言した。

 ウーゴ君はといえば泣きながら何度もごめんなさいを連呼していたわけだが、それをシオンがよしよしと頭をなでてアヤしていた。

 さすが大家族出のコボルティアン。子供の扱いマジうまいな。

 っていうか、お姉さんスキルだよなそれ。ちょっとショタとか入ってないよな。健全な子供をそっちへ引きずり込むなよな。

 シオンは、ん? と無邪気な微笑みを俺に向けたあと、隅っこの方へとウーゴくんともう一人の子供、ナツを引っ張っていった。

 うーん、心配だぜ。

 

「さてと大将。確か……もんじろうとかって言ったな? あんたにはまだ詳しく聞いていなかったから教えてほしいんだが、国王陛下は本当にあんたが救い出したんだよな。ご無事でおられるんだな?」

 

 そう淡々と切り出したハシュマルに、俺は一つ頷いて見せた。

 

「ああ、本当だよ。どうせ聞いているんだろうが、アレックスたちの孤児院というか教会に放り込んでおいたよ。まあ、王様だってことは言っていないんだが、具合の悪いジジイって扱いで看病してもらっているだろう」

 

「おのれ貴様、陛下に対してなんという無礼!! そこへなおれ!!」

 

 またさっきの兵士がそう吠えたが、ハシュマルは今回も涼しい顔だ。

 

「かまわん。今は平時ではない。陛下のご無事を確認するほうが先決だ。もっとも、貴殿がアレックス殿下のもとに陛下をお連れになったのは僥倖だった」

 

「は? 僥倖? なんでだよ」

 

 俺がそう尋ねれば、ハシュマルはニヤリと笑った。

 

「あの孤児院は俺が殿下を匿うために偽装して作った施設でな。 中にいる修道士たちはすべてこの俺の部下よ」

 

「へえ」

 

 きちんと確認したわけではなかったが、そういうことならほぼ安心だろう。

 まさか、知らぬ間に王様の世話をしていたとこなったら、後で相当驚きそうだけどな。虐待とかしてなきゃいいけど。ま、ニムもいるし平気だろ。

 ハシュマルは俺を見て笑った。

 

「そういうわけだからな。このあと陛下をお迎えしてから一気に行動に移る」

 

「行動? つまり王都の奪還……ってやつか?」

 

 俺の言にハシュマルは大きく頷いた。

 

「陛下と殿下の御身、御旗は我が方にある。そして潜伏した約3万の部下たちの戦の準備もほぼ完了した。となれば、後は売国の逆賊、エドワルド、クスマン両殿下を討ち滅ぼし、この神聖エルタニア皇国を再び蘇らせるのみ!!」

 

「「「「おおっ!!!」」」」

 

「うおっ!?」

 

 ハシュマルの檄に呼応して周囲の連中まで一斉に声を上げたせいで、俺はひっくり返りそうになったところをヴィエッタに支えられた。

 というか、ヴィエッタやオーユゥーンたちもその威勢にちょっと引き気味だ。

 俺はハシュマルへと向き直した。

 

「つまり……このまま戦争……するのか? その……アレックスの兄貴たちと」

 

 その俺の言葉に、ハシュマルは一瞬目を細めた。

 だが、特に動揺も見せないままに静かに言った。

 

「アレックス殿下もお覚悟の上の話だ。殿下は両兄殿下のみならず、陛下のお命の犠牲もやむなしとまでご決意なされていた。我ら忠臣はただ君主たるアレックス殿下をお支えするのみ。それこそがこの国を守る唯一の方法なのだからな」

 

 そう言い切ったハシュマルの瞳にはまったく動揺の気配はない。これは彼らにとってはすでに決定事項であるのだろう。

 アレックスを立てて、この国を救う。

 この大義は何よりも優先すべき事項なのだ、彼らにとって。

 このためだけに心血を注いできたのだろうし、きっと賛同する多くの人々の気持ちも、これ以外に救われる道はないとハシュマルと同様に、結論に達してしまっているのだろう。

 

 だが……

 

 これは悪手だ。

 もし何か手違いが生じれば、たちまちに計画は瓦解し、再起は不可能、絶望的だ。

 それも分かった上での決定なのだろうけどな、関わるのは、その三万人の兵士と巻き込まれるこの国の数十万の国民……

 おいそれと捨ててしまっていい人数ではない。

 それは、この前オルガナが言っていたように世界が滅亡するとしてもだ。

 一か八かで全員死なせて良いわけがないのだ。

 

「おいお前ら、ちょっと待てよ……」

 

 一つ考え直させようと俺は声を掛けようとしたとき、大きな振動とともに竜車が止まる。

 振られてよろめいた俺は、見事にオーユゥーンとヴィエッタに抱き止められたわけだけど、くっそ、こいつら平気そうにしやがって。よろめいた俺がバカみたいじゃないか。

 

「もんじろうよ、さあ着いた。我々の指導者に合わせよう」

 

 ハシュマルが巨大な竜車の扉を押し上げつつ跳ね上げると、俺を振り向いてそう言った。

 

「指導者?」

 

「ああ、我々を導いてくださる偉大な予言者だ」

 

 ただそれだけ言ってさっさと竜車を降りるハシュマル達。

 俺達もその後に続いたわけだけど、なんとなくそこに居るやつのことは察しがついてしまって、それも次の瞬間には現実のものになった。

 竜車のタラップを降りた先、そこには一人のフーデッドローブ姿の女性が立っていて、俺を見た瞬間に凍り付いてしまった。

 やっぱりおめえかよ。

 

「なっ! なっ! なんであなた達がここにくるの?」

 

「よおオルガナ、久し……くねえな、少しぶり」

 

 口をあわあわと開閉しているオルガナは完全に驚愕しているわけだが、こいつ本当に元女神か? もう少し威厳だしとけよな、ただでなくても背が低いんだから。

 

「なんだ、もんじろう殿はオルガナ様とお知り合いでしたか。これは奇遇」

 

「いや、お知り合いというか、俺の知り合いの知り合いという程度なんだけどな」

 

 ノルヴァニアの友達だしな、まあ知り合いと言えなくもないということでいいな。

 そう思うことにしてふと見上げてみれば、どこかで見たような巨大な石の建造物が。あれ? これ最近見たな。しかも何度も。

 とか、そう思っていたところに、なんとなく予感していた奴の声が聞こえてきた。

 

「おやおや、これは皆さまでございましたか。またお会いできて嬉しいです」

 

 そう柔らかい声を掛けてきたのは、青い衣装のイケメン。

 

「ヒューリウスさんかよ。ここはアマルカン修道院だったか」

 

「ああ、そういうことだ」

 

 俺のつぶやきにハシュマルがそう返す。

 そして、部下たちに声を張り上げて、二言三言何かを命じると、再び俺を見た。

 

「潜伏している我々の支援を申し出てくれたのが、このカリギュリウム系神教のヒューリウス殿たちだった。ヒューリウス殿たちは反逆の罪を覚悟の上で協力してくれていたわけだ。だからな、俺達はなんとしてでも王都を奪還してこの国を建て直さなくてはな」

 

 そう語気を強めるハシュマルに俺はため息が出る思いだった。

 こいつはもう少し冷静そうなおっさんに見えていたんだが、どうやらもう走り出して止まれなくなっちまってるようだ。

 列車なんかで良く例えられることだが、大量の荷物を積んで走り出した貨車ほど、止めることは困難になる。

 もはや勢いだけで突っ張りし続けて、障害物だろうが、線路がなくなっていようが、そのまま突っ込むことになるわけだ。

 まさに今ハシュマル将軍はその大量の荷物を引っ張って走り出した状態に違いない。

 これはまずそうだな。

 だから俺は、さきほど言いそびれた俺の考えをハシュマルへと伝えようとしたわけだが……

 

「あのよう、ハシュマルのおっさん。ちょっと俺は思うんだが……」

 

「あれあれあれ? なんだご主人もここにきてたんでやすか。これは探す手間が省けましたよ」

 

「は?」

 

 聞きなれた声がして振り向けば……

 

 修道院の表の大階段に、力なくだらんとして動かなくなった大男を肩に担いだニムと、その脇で真っ青に疲れ切った顔をしているアレックス君。それと、修道士姿の男性に担がれたやせ細った王様の姿があった。

 他にも、修道女やら子供たちやらもわらわらといたわけだが。

 

「クスマンとかっていう子供狙いの変質者が来たんで、ボコっておきましたよ。どうぞ褒めてくれていいっすよ」

 

 と、あっけらかんというニム。

 ううんと唸った大男の頭は垂れ下がっていて、ニムが階段を昇るたびに、ガンガンと石段に額が打ち付けられているわけなんだが。

 おい、それ皇子……

 ちらと見れば、ハシュマルとオルガナ、ついでにあくまで笑顔ではあったけど、ヒューリウスの顔がひくひくと痙攣していたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十五話 事件が起きている会議室(前編)

 急に現れたニム達一行に、騎士連中をはじめとした多くがあ然としてきたわけだが、最初に冷静に動いたのはハシュマルだった。

 将軍はすぐにヒューリウスへと部屋の準備を依頼すると、他の部下へもテキパキと指示を出して、王様やアレックス君達へと、修道院内に入るようにと促した。

 その際、王様を背負っていた男にも何やら耳打ちしていたが、直後男がカチコチに固まってしまったことからして、真実を教えられちゃったか。

 ご愁傷さま、同情するよ。

 

「もんじろう殿も同行願おうか」

 

 そうハシュマルに言われ、まあそうなるわなと、俺は頭を掻いた。

 

「分かった。俺もいく。だけどその前にだ、お前ら先走って戦のの準備しているみたいだけど、それはやめとけ。少なくとも、話し合いが終るまでは」

 

 それにハシュマルは怪訝な顔をした。

 すでに準備は終わっているのは分かっているが、先走ることだけは止めなくてはな。

 どうもこいつらは重大な勘違いをしているようだし。

 

 ハシュマルは一度王様の方を向いてから、思案気な眼差しのままに俺を見て言った。

 

「そうだな。事態は急変しているからな。作戦の再確認というわけだな」

 

「うん……? まあ、それでいいや」

 

 俺が適当にそう答えるとハシュマルはまたもや部下たちへと何かしらを告げる。とりあえず先走って動くなとでも伝えたのだろう、先に立って修道院内に入って行った。

 

「じゃあご主人、ワッチらも行きましょう」

 

 とんとんと俺をつついてきたニムの肩には、相変わらずぐったりとなっているデカいクスマン皇子の姿が。

 身体をくの字に折っているのだけど、だらんとした腕と足のつまさきが地面にほぼ着いてしまっている。

 身長2mくらいはあるんではなかろうか、マジでデカい。

 

「お前な、いくらなんでもその扱いひどすぎないか?」

 

「え? 別にいいんじゃないっすか? この人いきなりワッチのおっぱい揉もうとしてきたんすよ? まだご主人にもあんまり揉んでもらったことないですのにムカツクじゃないっすか」

 

「いや、あんまりも何も、揉もうと思って揉んだことねえだろうが」

 

「じゃあ、今から揉みましょうか!! ヴィエッタさんとかオーユゥーンさんとかばっかりずるいっすもん!」

 

 と言いつつ胸を逸らして迫ってくるニム。

 

「や、やめろよ。俺をおっぱい好きの痴漢みたいに言うんじゃねえ」

 

「違うんすか!!」

 

「なんでそこで、そんな驚愕しました!! みたいな顔をするんだよ!! ちげーよ。俺は紳士だよ常に」

 

「つまりいつも先に放出して賢者タイム持続ってことっすよね‼ わかります!! おかずの提供はいつでもしますから遠慮しないでくださいね!」

 

 開いている手をギュッと握って俺へと熱い視線を向けてくるニム。いったい何を言いやがるんだこいつは。

 

「さっきより酷くなってんじゃねえか! ああ、もういいや! さっさといくぞ」

 

「へーい」

 

 俺は、オーユゥーン達に少し待っている様にと告げた後で、気のない返事をしたニムをともなって神殿内へと入った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「陛下、部下に動揺させまいとしたことであったとはいえ、陛下への非礼、なにとぞお許しください」

 

 その円形の部屋へと入ると同時に、ハシュマルとその部下達が一斉に跪いて、王様へと頭を垂れた。

 そうされた王様はといえば、先に入っていたヒューリウスが用意した赤い椅子へと腰を下ろし、背筋を伸ばしたまま彼らを睥睨していた。

 これだけを見れば、とても具合の悪いとは思えないのだが、実際は歩くことすら覚束ないほどに衰弱しているのだ。気力がとんでもないとしか言いようが無い。

 

「貴公は確か、カーゴロード伯の……」

 

「はっ!! カーゴロード伯爵領私兵団団長、ハシュマル・グリーンヒルにございます。おみしり頂き恐悦至極」

 

「いや、かしこまらずとも良い。私は今、なんの身分もないただの老人ということになっておるようだしな」

 

 と、言ってちらりと俺を見る王様。

 その瞬間、ハシュマルがとんでもない殺気の籠った目で俺を睨んできたのだが、いやいや、そんな目で見るんじゃねえよ。俺だって好き好んでこの王様を拉致したわけではないんだから。

 そう冷や汗を掻いた俺のことを思ってかどうか、王様は口を開いた。

 

「それに、今の貴公らの君主は、アレックスであろう。ならば、私になんの気をつかう必要もない」

 

「しかし……」

 

「もうそいつに関わらなくていいよ、将軍」

 

「殿下!! いや、それでは……」

 

 畏まって口ごもるハシュマルに冷たく言い放ったのはアレックス君だった。彼は、目を細めて王様を一瞥だけしてぷいと顔をそむけた。

 おいおい、なんだその反応は?

 お前、王様の子供じゃねえのか? 

 パパン、会えてうれしいよじゃねえのかよ。

 そう思っていたら、ニムがこしょこしょと耳打ちしてきた。

 

「ご主人。どうもアレックスさんと国王様には何か確執があるみたいですよ」

 

「どんな確執だよ」

 

「さあ? それはワッチもしりませんけど」

 

「理由が解んなきゃ意味ねえじゃねえか」

 

「いやそうはいいますけどね? ご主人が出てすぐにそこの変質者が壁壊して飛び込んできたんですよ? 何もお話しする時間もなかったんですから多めに見てくださいよ」

 

 と、親指でくいと、部屋の隅にひもでグルグル巻きのまま転がしてあるクスマン第二皇子を指さすニム。

 だから扱いが雑すぎんだっての。

 

「貴公ら、すまぬが時間がないのでな。すぐに席についてくれ」

 

「あ、ああ。すまん」

 

 ハシュマルに言われ見回してみれば、他の面々は既に着席ずみ。

 俺と二ムも慌てて手近な椅子へと腰をおろした。

 

「ほら、ご主人がもたもたしてるから怒られちゃったじゃないっすか」

 

「うるせいよ、お前のほうだろうが」

 

 まったく、自分のこと棚に上げて何でもつっかかってくるんじゃねえよ。

 俺は二ムを横目に見ながら、改めてテーブルを見た。

 大きめの長方形の机の一番上座と思しき所には王様の姿が。

 で、俺と二ムは一番下座なわけだが、正面にアレックス君がいる。

 なんだこの配置。とりあえずリーダーなら王様のとなりに居ればと思うのに、こんなに離れて座ったということは相当王様が嫌いということか。

 なんだ? 反抗期か?

 では、王様の脇はと言えば、ハシュマルとヒューリウス、それにハシュマルの部下と思える眼光するどい騎士が5人座っていた。うん、こっちは相当な体育会系っぽいな。

 それとその脇には、オルガナがフードを深く被ってちらりちらりと俺を見ながら小さくなってちょこんと座っていた。

 なんでお前はそんなに怯えてんだよ。

 

 がたりと音がして、そっちを見れば、ハシュマルが立ち上がって王様へと頭を下げているところだった。

 そして言う。

 

「さて! 時は満ちた。すでに陛下の御身は我が方にあり、賊の片割れ、クスマン皇子殿下もこの通り手中にある。今こそ己の私欲によって国を牛耳る逆賊エドワルド第一皇子殿下を誅するとき! おのおの方! 出陣である!!」

 

「おお!!」

 

 なんだその掛け声は! 赤穂浪士かよ。

 もはや、作戦確認もへったくれもあったものではない。

 一気呵成に兵を鼓舞するだけですぐにでも飛び出そうとしているハシュマルへと、俺はありったけの声で叫んだ。

 

「ちょ、ちょっとまてよ!! だからまだ行くのは早いと言ったろうが!!」

 

「何をいうもんじろう殿。もはや我らに一刻の猶予もないのだ。今まさに多くの民が飢えに瀕して息絶え続けている。即断即決。今こそ悪を葬る好機よ」

 

 そうだそうだといきり立つ兵達だが、俺はそのあまりのむさ苦しさにやられそうになるのに耐えつつ、続けた。

 

「だからその前に確認だと言っているんだよ。ちょっとは落ち着けよ」

 

 部外者が余計なことをとさらに息巻くハシュマルの部下たちだったが、その人物の一声で一瞬で落ちつきを取り戻した。

 発言したのはとうぜんこいつだ。

 

「言ってみればいい、紋次郎殿。貴殿の考えとやらをな」

 

「ふん」

 

 王様が静かに言ったのを聞いたアレックス君が、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 いや、俺は見ていたんだが、王様とほぼ同じタイミングで何を言おうとしていたよな。つまり被っちまって恥ずかしかったってとこか。まあ、見ていなかったことにしてやるよ。

 

「ご主人、今アレックスさん、もろ被りでしたよ」

 

「うるせいよ」

 

 空気読めニム。

 俺はニムの頭をわしゃっと押し込んでから口を開いた。

 

「あー、お前らは国を救うと言うが、何から国を救うんだ?」

 

 俺がそう言った瞬間に、ぽかんと口を開ける騎士たち。

 その顔は何か呆れた感じであったのだが、次第と怒りの面相へと変化しはじめていた。

 いや、おこるんじゃねえよ。

 

「貴様、いったいなんの話を聞いていたのだ! 我らの敵はいまやエドワルド皇子殿下ただ一人!! 皇子殿下を排斥し、陛下へと親政を取り戻すことが目的ではないか!!」

 

 目的ではないか!! って息まかれたってそんなこと俺は知らねえよ。

 っていうか、そもそもそれが目的ってんなら……

 俺は頭を掻きつつ、どう話したものか思案してから、声に出した。

 

「なあ、お前ら……『賢者(ワイズマン)』の事を知っているか?」

 

「|賢者『ワイズマン』……? なんのことだ?」

 

 ハシュマルの部下の一人が怪訝な顔を俺へと向けてきた。

 同時に、オルガナも目を見開いてこっちをみていたわけだが。

 まあ、その反応か。知らないというわけね。

 

「じゃあ、今度は『魔王』のことはどうだ? 東の魔王とかの巨獣のことじゃねえぞ。世界を終らせる『魔族』の王、魔王のことふぁ。だったら『勇者』のことはどうだ? 魔王を討ち滅ぼす勇者のこと。ん? どうだ? 誰か知らねえか?」

 

 俺がそう口にすると、その場の全員がただ黙って訝しい瞳を俺へと向けてきていた。

 だから俺はオルガナへと言った。

 

「お前な……なんで、お前の仲間のはずのこいつらが、魔王とか勇者のことを知らねえんだよ。お前はそのことがあったからこの国でこいつらに援助していたんじゃねえのかよ」

 

 そう言った時だった。

 

「黙れ賢者(ワイズマン)!! わ、私はもうお前には二度と騙されない!!」

 

 そう言って、ローブを翻したオルガナは、手に白銅色の杖を振り上げて俺へと突き出していた。

 そして口中でなにかの呪文を呟き始めた。

 俺はだから、すぐに二ムへと目配せをしたわけだが、それよりも早く二ムは動いていた。

 

「おっと、オルガナさん、それはないっすよ。ご主人ヴィエッタさんたちのおっぱいがないと、本当に何も出来ないただのオナニストなんすから、いきなり魔法は止めてくださいよ」

 

「言い方!!」

 

 ニムがオルガナの背後からぎゅうと抱きしめるようにして持ち上げて、両手を万歳させたままで動きを封じた。

 それを見た騎士たちが全員、がたがたっと椅子から立ち上がって剣を引き抜いたわけだけど、俺はそれにかまわずに言った。

 

「悪いが俺は賢者(ワイズマン)じゃねえよ。そもそもお前らの目的なんか興味も無かったんだ。だけどな、俺はある奴から『この世界が滅亡するからなんとかして欲しい、オルガナを助けて欲しい』と頼まれたからここに来たんだ。だから少しは俺の話も聞けよ」

 

「オルガナ様を助けて欲しい? だと。いったい誰に頼まれたと言うんだ?」

 

「ノルヴァニアっていう土の……オルガナと同じ精霊神にだよ。あ、オルガナは『元』精霊神だったか」

 

 ハシュマルに聞かれそう答えた瞬間、場が静まり返った。

 王様も含めた全員が一様に驚愕していたわけだが、最初に口を開いたのはやっぱりハシュマルだった。

 

「オルガナ様が……『精霊神』様? そ、そんなことが……」

 

 わなわなと震えるハシュマルに続いて、少し青ざめて口を開いたのはヒューリウス君。

 

「ま、まさか……、異教に伝わる、古代天地創造の神、『七大精霊神』ということなのですか? この世界にいきわたる『六種類のマナ』の産みの親にして、マナの化身とされる伝説の神々。神教において禁忌とされた異神が実在していたと……いや、まさか……」

 

 ん? なんだか驚き方が半端ではない気がするのだが……

 別にこの世界はファンタジーなのだし、精霊の恩恵だって貰い放題なのだから、神様がいたっておかしくはなかろうに……? そう思いつつ二ムに抱きしめられたままのオルガナを見れば、彼女は顔を真っ赤にして俺を睨んだ。

 

「ワイズマン!! おまえはなぜいまそんなことを暴く? なぜノルヴァニアの名を騙るの? お前はそうやってまた人々の心を惑わせて混沌へと落とそうとしているだけではないか!! きっとノルヴァニアの理力も貴様によって……くっ……許せない!! 私はお前を許さない!!」

 

「はあ? 騙るも何も、ノルヴァニアはそこにいるじゃねえか。この部屋の外にいるぞ! お前精霊神辞めて、目が腐っちまったんじゃねえか?」

 

「まだ言うか!! この外道!!」

 

「ちょっと、待て! お待ちください! 精霊神とはどういうことなのです? 世界が滅ぶとは? 魔王とは? 勇者とは?」

 

「…………っ!?」

 

 そうハシュマルに尋ねられて絶句するオルガナ。

 こいつがなんで黙っていたのかは、分かっている。

 明日世界が滅びますと言われて正気でいられる人間はまずいまい。

 少なくとも取り乱すことは当然で、人によっては発狂してしまうかもしれない。もしくは全く信じないか。

 どちらにしても、世界が終わりますなんて吹聴するような奴の話なんか素直に聴くやつはいないということだ。

 だからオルガナは自分の胸に破滅の運命をしまいこんで、彼らにとっての当面の目標に絞って援助を行ったということだろう。

 国を取り戻すという大義こそが、彼らにとっての希望だったのだろうから。

 

 けどな……

 

 そんなのは優しさでもなんでもない。

 ただ、諦めているだけだ。

 

 結局破滅が待っているんだからな、だったら無理矢理にでも一蓮托生させるしかねえだろ。

 そもそも俺だって良く分かってねえんだからよ。

 

「あのなあ、これを俺の口から話しても何も説得力はねえだろうけどな、とりあえず聞きな。この世界はもうじき滅びる運命なんだとよ。間もなくこの国で魔王が誕生して、その力で人類は滅亡することになるらしい。だが、それに抗う存在として勇者がいるってことで……他にも、救世主だとか、聖戦士だとか、さっき言ってた賢者(ワイズマン)だとかがいるってことで、俺はこの話を、ノルヴァニアって言う土の精霊神を自称するやつから聞いてな、そんで元精霊神のオルガナが、その破滅から世界を救うべく頑張ってるからそれを助けてあげて欲しいと俺は頼まれたんだよ、その夢の中でな。ま、そういうことなんだが、理解したか?」

 

 何一つ包み隠さずに話した俺に向けて、ハシュマルの部下連中はいよいよ怒り心頭と言った表情になって睨みつけてきた。

 

「おのれ貴様!! いったい何をほざくかと思えば、そのような戯言を!!」

「世迷い事で我らを誑かせるとでも思ったか!!」

 

 ほらこれだ。まったく信じてくれやしない。

 

「ご主人、それワッチが聞いても頭おかしいんじゃないかって疑っちゃいますよ」

 

「まあ、お前に言われるまでもなく、俺自身みょうちきりんな話をしている自覚はある」

 

「自覚症状のある嘘っすか!! いい迷惑っすよ!」

 

「うるせい! 誰が嘘を吐くか!」

 

 再びニムの頭をぐりぐり押し返していると、ハシュマルと王様が比較的落ち着いた表情でオルガナを見ていた。そして、口を開いたのは慌てた顔になっていたアレックス君だ。

 

「オルガナ様! 今のあの男の話は真実なのですか?」

 

 彼女へ詰め寄ったアレックス君に、オルガナは困惑気な顔をして見せた。

 それから、何かを言おうとしているのか、口を微かに動かすのだが、言葉は全く出てこない。

 うーん、こいつもどこまで話していいのか悩んでいるってことなのか?

 もういっそ、全部話した方が楽なのによ。

 

 そんな時だった。背後から笑い声が聞こえてきたのは。

 

「くっくっく、くくく。くはははは」

 

 足元の方から聞こえてきたのは、男の笑い声。

 そう、声の主は、簀巻きなって床に転がる大男、クスマン皇子だった。

 奴は、堪えるように体を震わせて笑っているのだが、もともとデカいせいか小声もデカい。

 

「くくく。お前ら、いったいなんの話をしているかと思えば、そんな話かよ。何を今更そんなこと……くくく。ばーか。お前らはそんなことも知らねえで、俺や兄貴に歯向かおうとしてたのかよ。とんだ間抜けどもだ。くははは」

 

 その笑いにハシュマルの部下たちは剣の柄に手を当てたままで向き直る。

 クスマンは笑い乍らも縄を解こうとしているのか、余裕の笑みのままでぎしぎしと身体に力を込めていたが、まったく縄が解けずにそのうちに余裕の表情ではなくなってきていたのだけども。

 いや、その縄は無理だと思うぞ。何しろ、俺が土魔法で拵えた、タングステン鋼で編み込んだワイヤーだからな、そのワイヤー一本でも数トンの重さに耐えられる。編み込んであるんだからもう人間に切断は無理だと思うよ。

 

「クスマン……兄。今の話はどういうこと? 兄たちは何を知っているんだ?」

 

 少し冷や汗を垂らし始めていたクスマンだが、今の声に動きを止めてそっちを見た。

 

「アレックスか。お前、生きていたんだな」

 

「…………」

 

 その声にアレックス君は沈黙する。

 ん? 生きていた?

 どういうことだ?

 何か死んじゃうような病気にでもかかっていたのか? アレックス君は。初耳なんだが。

 何もしゃべれなくなってしまったアレックス君。

 クスマンは再びその顔に笑みを浮かべて話し始めた。

 

「まあいいさ。今生きていたって関係はねえ。どうせ死ぬんだからな、お前らは。いや、お前らだけじゃない。この国の人間は全員な。揃いも揃って間抜けばかりの役立たずの罪人ども。お前らは死ぬことこそが救いなんだ。死ね! とっとと死ね! 全員死ね!! くはははは」

 

 その哄笑に、全員が固唾を飲む。

 この男が何を言わんとしているのか、本当に理解できなかったから。

 ほんと、何を言いたいんだ、こいつは。

 

「あのなあ、皇子様よ。罪だ救いだ言っているけどよ。お前はいったいなんの話をしているんだ?この国の人間全員死ねだ? その中にはお前だって含まれるんじゃねえのか? お前は皇子なんだから」

 

 それにクスマンは俺を見上げつつ言った。

 

「間抜けがここにもいやがる。ばーか。殺す側の俺が含まれるわけねえだろう。もっとももし死んだとしてもそれまでだってくらいの覚悟はとうにできている。間抜けに言われるまでもなくな」

 

「ああ、そうかよ。だがよ。そんな簀巻きで何をどうしようってんだ? お前さっき二ムにコテンパンにのされてそうったんじゃねえか。負け犬の遠吠えにしか聞こえねえよ」

 

「ふん。俺のことはどうだっていいんだよ。もうエドワルド兄貴が動いているし、そもそももう終わっているんだ。『死者の軍団』と『終末の巨獣』がすでに動きだしているんだ。もう間もなく全員死ぬ」

 

「あ? 死者の軍団って死者の回廊のアンデッドのことか? で、終末の巨獣って金獣のことだよな、キングヒュドラとヘカトンケイル? それ悪いけど、もう全部倒しちゃったんだが」

 

「は?」

 

 クスマンがにやけたまま変な声を出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十六話 事件が起きている会議室(中編)

「おまえっ!! い、今何と言った!!」

 

「は? だから、倒したって……アンデッドと金獣をな」

 

「た、倒しただと!? だれがっ!!」

 

「だから俺らがって言ってるだろうが」

 

 そう俺らだ。

 死者の回廊のアンデッドの殆どを倒したのはニムで、キングヒュドラにとどめを刺したのはヴィエッタ。それは間違いはない。

 俺だって、使徒だかなんだかっていうあの人形みたいな化け物と、イケメンちょび髭のべリトルにとどめを刺したわけで、まったく活躍していないわけじゃないしな。レベルはひとつも上がらなかったけれども。

 俺が腕を組んでそう言い放ったのを、床にころがりつつ見上げてくるクスマンは暫く茫然となって口を開いたままだったのだが、少しして肩を小さく揺らしながら、くっくっくと笑い声を上げ始めた。

 なんだよこいつ、まったく信じていやがらないな。

 

「お前よぉ。何を口走るかと思えば、そんな戯言を。いいか? 人類を滅ぼす『魔王』の配下たちと、世界そのものを喰らうという終末の獣の話をしているんだぞ? それを言うに事欠いて、倒した!! 倒しただって!? くはは。こいつはお笑いだぜ。下らねえ妄想垂れ流しやがって、この馬鹿が」

 

 そう言って、笑いが止まらなくなっているクスマンだが、それを見ていた一同が今度はこの俺のことを訝しい目つきで見つめて来やがった。

 おいおい、こいつらもめちゃくちゃ疑ってるのかよ。

 

「ご主人!! 全部妄想だったんすか!?」

 

「あほか! てめえもいただろうが。なに、他人事にしようとしてんだよ」

 

「でしたでした!! えへへ」

 

 えへへじゃねえ、この馬鹿垂れが。

 能天気に笑うニムを無視して俺はクスマンを見下ろした。

 

「お前が信じようが信じまいがどうでもいいけどな。少なくとも、この街にアンデッドも金獣ももう来ねえよ。アンデッドは文字通り今は骨の残骸になれ果ててるし、金獣も細胞が自壊して、それこそ骨も残っているかどうか。それと、そいつらを嗾けようとしていたべリトルとかいう奴も殺したからな。とりあえず今すぐあれを全部復活させて攻めてくるとか、そういうことはねえよ。多分」

 

 そう多分だ。

 魔法のあること世界で、絶対ということはあまりない気がする。何しろ死んですぐなら生き返らせることも可能だしな。俺の知らない未知のパワーで、あのアンデッドの大群や、金獣キングヒュドラが完全復活しないとも限らない。

 まあ、ほぼあり得ない話ではあるだろうけどな。あんなのが何度も復活できるようなら、この世界はとっくの昔に塵芥になっているだろうから。

 そこまで言った時だ。

 クスマンはその表情をこわばらせた。

 そして、小さく口を動かした。

 

「べリトル……だと? まさか……お前、本当に」

 

 なんだよ、べリトルの名前で反応しちゃうのか。あいつそんなに有名人だったのか?

 

「ああ、まあなんだ。別に殺そうと思っていたわけじゃねえんだが、あいつがあんまりにもしつこかったもんでな。放っておいたらどこまでも追いかけてきそうだったから止むを得ずってわけだ」

 

 あのターバン野郎はこともあろうに金獣を蘇らせやがったからな。

 大銀河連邦裁判所に起訴されたら、その事実だけでも死刑確定なわけで、今回は私刑になってしまったけどこれについて俺は無罪確定だ。金獣災害関係の殺し合いについては、超法規的措置がまかり通るからな。

 俺達が処分した金獣の骸が存在する以上俺の言い分は絶対だ。

 いずれにしても、そのことで俺がこの皇子様からとやかく言われる筋合いはねえ。

 そう思い、クスマンの顔を覗き込んでみると、やつは真っ青になって項垂れた。

 

「ま、まさか……魔族を……できるわけがない……あの、異形の魔人を……」

 

「はあ? お前は何を言ってんだ?」

 

 そう声をかけてみれば奴はがばりと顔を上げた。

 

「き、貴様はいったいなんなんだ! なんで俺と兄貴の計画を知っている? なんで魔族のことを知っている? なんで、アンデッドを、終末の獣のことを……」

 

「ぶはっ! き、汚ねえな、唾飛ばすんじゃんねえよ! 誰が知るかよ、お前らのことなんか! だいたいな、巻き込まれてんのは俺の方なんだよ。魔族だ、魔人だ、アンデッドだ? 神だ、精霊だ、精霊神だと、お前らが勝手に俺にいろいろ押し付けてきてるだけじゃねえか!」

 

「まあ、ご主人が勝手にちょっかい出しているって言えなくもないっすけどね」

 

「うるせいよニム! 暇つぶしに手を出しまくるのはお前のほうだろが」

 

「でしたでした」

 

「つまりどういうことなのだ?」

 

 俺とニムの会話に割って入ってきたのは王様だ。

 ここに来て出た話に理解が追い付いていないようで、その顔は焦燥感が漂っていた。

 それは、アレックス君や、ハシュマルのおっさんやその部下の騎士たちも同様の様で、考え及ばず、もはや何一つ声を出せないでいる感じだった。

 俺はここで出た話を一気に頭の中でまとめ上げる。

 それから、ここにいる悩まし気な顔の連中に向かって教えてやることにした。

 

「つまりだな、ここにいるクスマンとエドワルドって二人の皇子は、アルドバルディンのアンデッドと金獣たちを使ってこの世界を滅ぼそうとしたってことだ。理由は良く分からんが、多分何かの『私怨』からだろう。あの魔族のべリトルか……その仲間にそそのかされてその気になったわけだな。魔族って奴はマナを操る得体の知れない存在で、連中はどうやら『使徒』って奴を蘇らせようとしていたわけだが、使徒は複数いるらしい。その中の第四使徒って奴を俺は破壊したんだが、おそらく、今回のこの皇子様たちを操った理由もその使徒と……それと奴らのボスである魔王の復活……その辺と関係があることのように思う。でなければ、わざわざべリトルたち魔族がこいつらに金獣とかの話をするわけがないからな。話は全て繋がっているわけだ。『使徒』、『魔王』……『勇者』、『賢者』、『聖戦士』と『救世主』がやっぱり関係しているのだろうな。『ワルプルギスの魔女』の最期、世界滅亡の引き金ともされる魔王の存在と、それを防ごうと立ち回っているそこのオルガナ。お前のせいで『世界から失われた七つ目の魔素』と残された精霊神達の今の状況と、この世界の今の現状を再度確認をしてだな……ん?」

 

 顔を上げてみれば呆気にとられた面々の顔。

 俺はそいつらを一通り見回したあとで聞いた。

 

「どうした? 何かわからないところでもあったか?」

 

 そう尋ねてみると、その場の誰もが口を開かない。

 みんなぽかんとした顔になっていた。

 

「どした?」

 

 そうもう一度声をかけると、今度はこの部屋の入口に立っていた枢機卿のヒューリウスが柔らかく微笑んで口を開いた。

 

「そのう……紋次郎様のお話があまりに突飛すぎて、皆様理解が追い付いておられないのだと思います。私もなのですが」

 

「そうか? そうなのか、うーん」

 

 言われてみれば、俺はここに来るまでに全て体験しているから分かっていることでもあるけど、こいつらは見たわけではないし、スグに理解できないのも致し方ないのかもしれない。

 だけど、これ以上簡単には説明なんて出来ないしな。

 そう悩んでいた時のことだった。

 

『きゃはははははははははは! やっとよ。やっと追いついたわ、ダーリン!』

 

「誰だっ!!」

 

 天井の方から反響するように女の声が響く。

 それとほぼ同時に、剣を引き抜いたハシュマルの部下たちが一斉に立ち上がった。

 

『あらあら、本当に物騒なのねぇ、あたしはただ……ダーリンと逢瀬をしたかっただけなのにぃ」

 

 だんだんと声が明瞭になったかと思うと、俺のすぐ目の前、大きな円卓の上に女が座って俺を見下ろしていた。

 まだ他の連中の多くは上の方を見ていたわけだが、俺とニムだけはその女のことをまっすぐに見ていた。

 

「あ!! ボンテージ痴女の人!!」

 

「誰が痴女よ!!」

 

 ニムのコメントに速攻でツッコミを入れるボンテージ女。

 そんな彼女に向かって、早速俺は呪文の詠唱に……

 

「ちょまっ!! 待って!! 待ってよ、待ってください。お願い待ってダーリン!! もう嫌! (そら)の彼方に行くのはもう嫌なのっ!! 寒いし、怖いし、疲れるしっ!! だからお願い話を聞いて!!」

 

「知らねえよ、そもそもお前が先に俺に難癖つけてきたんだろうが。俺に話すことはねえよ、はい、お帰りはあちら。それとも上にするか?」

 

「だから嫌だってば!! 本当にあなたに会いたくて来ただけなんだってば!! ね、なんでもするし、なんでもしてあげるからぁ。ね? ダーリン、おねがいぃぃぃ」

 

 ボンテージ女はその肢体をくねらせながら豊満な身体で俺に抱き着いてきやがった。

 が、飛びつかれる寸前にニムが俺の襟首をつかんで持ち上げたもんで、女はそのまま床へとダイブ……転ぶかと思いきや、くるりと小さく回って床に着地していた。

 

「抜け駆けはだめっすよ? 抱き着くなら、まずはわっちらの了解をとってからです」

 

「もぅ、いけずぅ」

 

「なんで、お前らの了解が必要なんだよ」

 

「ワッチが一番ってことっすか?」

 

「ちげーよ、近寄ってくんな暑苦しい」

 

 抱き着こうとしてくる二ムを押しのけると、俺を見上げていたボンテージ女がぱんぱんと尻を叩いてスックと立ち上がった。そしてくるりと向きを円卓の方へと向けた。

 ヒールが高いせいもあって本当に背が高いこの女……背だけならクスマン皇子と良い勝負なんではなかろうか?

 そんな奴は、自分の胸に手を当てながら言った。

 

「一応自己紹介しておくわね。はじめまして、私の名前はスペリアネス。人は私のことを破滅の魔女なんて呼んだりするのよ、失礼しちゃうわよね。でもいいの、もう気にしないから。だぁってえ、まさか、私をこぉんなに弄んじゃう男がこの国にいたんだものぉ。ねえ、私と『結婚』しましょうよ。そしたらいくらでも貴方に尽くしちゃうからぁ。まずは貴方の『敵』を皆殺しにしてあげるわ」

 

「「「「「「「「は?」」」」」」」

 

 しなをつくって俺へと熱い眼差しを送ってくるボンテージ女のその発言に、床に転がるクスマンも含めて、その場の多くが大口を開けて絶句した。

 

「おっと、ここで新嫁候補爆誕っすか!! いったいご主人は誰を嫁にするのかっ!!」

 

「うるせいよニム。嫁、関係ねえだろが」

 

 小指を立ててマイクパフォーマンス風に身を乗り出していたニムの頭をぺチリと叩いくと、ニムは「あうち!」と叫んで頭を押さえた。

 円卓に居る一同は茫然としているが、床に転がっているクスマンだけはそうではなかった。

 怒りの面相のままに血管が破裂しそうなくらいに真っ赤になって、全身の筋肉を漲らせている。

 

「て、てめえ。俺達を裏切るっていうのかっ!」

 

「あら殿下。私は好きに人を殺して良いって言われたから了解してあげただけで、一度も仲間になるなんて言っていないわ」

 

「このやろう……ぶっ殺す!!」

 

 たわわな胸を持ち上げるように腕を組んだスペリアネスが、ツンと顎を上げてクスマンを見下した。

 

「ほほほほ……やれるものならやってごらんなさいな。所詮あなたなんて夜の性処理要員程度の価値しかないのだから」

 

「ぐぅおおおおおおおっつ!!」

 

 笑うスペリアネスの言葉にクスマンがタングステン鋼簀巻きのまま海老ぞりになって暴れ出した。まったく脱出できそうな気配はないのだが、巨漢で暴れまくっているせいで、地響きがひどい。壁沿いの棚から飾ってある花瓶や置物が転がり落ちてきそうだ。

 

 っていうか、ひょっとしてこいつら、が、がががが合体ずみなのかよ!?

 

 なんというか、そういう男女の関係なのかと一度理解してしまうと気恥ずかしくて直視できなくなるのはなんでなのか。

 

「それはご主人が童貞だからっすよ」

 

「だから人の思考を読むじゃねえよ。ってか、分かっても口にするな」

 

「はーい」

 

 ニムの軽い返事にもはや怒りもわかないままに俺はにこやかに俺にすり寄ろうとしてくるスペリアネスに言った。

 

「ならお前、そこの空いている席に座れ。なんでも俺の言うことを聞くんだろ? そう言ったよな」

 

「ええ、もちろんよ!」

 

「んな!? も、紋次郎どの?」

 

 驚愕するハシュマルやその部下たちのことはガン無視して、俺は空いていた俺の隣の椅子を引いく。

 彼女は頬を紅潮させたまま俺の方を向いて座った。

 

「こっちを見るな。前を向け」

 

「い、や」

 

 むふふんと鼻息軽く拒絶した彼女のことも無視して俺は改めて席について口を開いた。

 

「さて話を戻そうぜ。この際な、お前らの言い分なんかどれもこれもどうでもいいんだよ。今問題なのは、この国の人たちを助けるにはどうしたらいいかってことだけだからな」

 

 俺がそう言えば、突然その場の全員が口を開いた。

 

「そのためにエドワルド皇子とクスマン皇子を倒さなければならないと言っているのだ!」

「エドワルド兄がお前らを皆殺しにするに決まっている!」

「ええ? 貧民なんて何人殺したってかまわないじゃなーい!」

「国王陛下に玉座を返すのだ!」

「私の命を持って償……」

「民を守るのが第一……」

「ワイズマン、お前の言など……」

 

「うるせー!!」

 

 俺がそう怒鳴った瞬間、隣の席のニムがすっと立ち上がった。

 それを見て、みんなが一気に静まる中、ニムは人差し指をピッと立ててにこりと笑った。

 

「じゃあこうしましょう。みんなでこの国を壊しちゃいましょうよ。どうせもうぐちゃぐちゃなんですから」

 

「え?」

 

 何を言っているんだこいつと、全員の目が語っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。