野原には、機械の残骸が幾つも散らばっていた。
冬の夜、月が上がり始める頃だった。冬の寒気に当てられた野は、植物の気配が希薄だった。そして、野に漂う風には不似合いな油の匂いを孕んでいた。
スクラップとなった機械達は斬撃を受けて両断され、その役目を完遂出来ずに終わっていた。
斬撃の主は、野の中心で月を見ていた。歳若い青年、二十にも届かないであろう。黒い髪は目線に軽くかかる程度に揃えられており、肌には無数の傷跡がある。身にまとった装甲服はとうに役目を終えていた。
青年は大きく息を吐き、
「もうすぐだ」
と、吐き出すように呟いた。
●
少年は『世界の敵』だった。
世界中のあらゆる戦場に現れては、あらゆる陣営とあらゆる主張を両断し、全ての理由を切り払った。彼を止める為にミサイルすらぶちこまれたが、彼はそれすら割断し、発射した施設を切り裂いた。
人としての強さを外れた外道。血も涙もない悪鬼羅刹。
あらゆる罵詈雑言が彼に集中した。
その彼の戦いも終わりに近づいていた。
戦争を止めぬ最後の人々、戦争で利益を得る企業の部隊と彼は最後の戦闘に入り、その主力部隊を先ほど撃破した。後は企業本社を両断するだけ、と彼は歩き出した。
その時、月光が新たな影を照らし出した。
闇の中でも光る金髪と月のように白い肌。そして夜の暗さを映したような装甲を纏った長身の女性だ。しかし、体の間接には溝があり、人間ではないと分かる。戦闘を目的とした人形だ。
彼女は青年を認めると、一礼。
「お久しぶりです」
近所の住人と交わすような気楽な挨拶。少年は軽く笑い、
「ああ、久しぶり」
そして、
「君の性能を発揮しにきたのかい」
「はい、私は人類を守る事が役目であり、敵を倒す性能を持たされました」
言って、彼女は両手を天に掲げた。掌の空間が歪み、銃のグリップがせり出した。それを握り、青年へ銃口を向ける。青年はそれを認めると、笑顔を深めた。
「そうか、じゃあ、最高の君を見せてくれ。ただ、僕だけに」
月に見守られて、史上最悪の殺人者と人類の最終兵器の戦いが始まった。
銃弾の連射音が響く。まるで人ごみの足音のように。
それを弾く剣戟が聞こえる。まるで待ち合わせの相手を認めてあげる声のように。
彼女のステップは高速、彼の踏み込みもまた高速。互いの距離は縮まらない。それは恋人の鬼ごっこに似ていた。
「このままじゃ、前回と同じだよ!」
恋人を追いかけるように、青年は彼女に声を放つ。
「そうでしょうか。やってみてはどうですか?」
サプライズを用意してある恋人のように、彼女は青年に答える。
●
青年は、人形である彼女に恋していた。キッカケは簡単、訓練学校で作られたばかりの彼女を見て、一目ぼれしたのだ。しかし、彼の恋心は彼女に届かない。機械として戦う定めを持った彼女には恋心なんていうソフトウェアは組み込まれていなかった。それでも青年は諦めずに愛の告白を続けた。
彼女はそんな彼の行動を誤解した。「あの人は、私に戦わずにいてほしいという。それは、私の存在を否定している」彼女に傷を負ってほしくないという心遣いは、彼女の持った存在意義に両断される。だから、彼の百にも渡る告白は全て空振りに終わり、そして少年は悟った。
「なら、彼女の存在意義を高める事こそ自分が彼女に出来る事だ」
そこから彼は己を顧みる事をやめた。血反吐を吐く訓練を己に課し、結果を出す事こそを最上とし、ありとあらゆる方法で戦闘力を追い求めた。その結果、彼の剣はこの世の経済活動にすら傷を与えるまでに成長した。それを、成長といっていいならば。
戦場で幾度も彼と彼女は合間見えた。その度に彼らは拮抗し、高めあい、次の再会を約束して彼が斬撃を送る事が別れの挨拶だった。
彼女は戦場に現れるたびに強くなっていた。
より力強く、より素早く、そして、より美しく。
それを見て彼は喜んだ。自分が彼女の価値を高める事が出来ている、と。
しかし、それも最後。少年が向かう最後の場所は、彼女を生産する会社だ。彼女を破り、会社を斬る事で彼女は存在意義を失うだろう。だが、手加減は出来ない。
「それは、貴女の存在意義を貶める事だから……!」
青年の全身に力がこもり、足が大地を破裂させた。青年の体が加速に押し上げられ、一定を保っていた彼女の懐に飛び込んだ。いつもの終わりだった。彼の剣が彼女の双銃を切り裂き、装甲を両断しようと振りかぶられた。
彼は迷わなかった。最上段から、銀の閃光が走る。
彼女は迷わなかった。彼の剣に自ら近づき、己の体を捧げた。
同時に、彼女の唇が彼の唇に当てられた。剣が止まる。あらゆる物を両断してきた剣が、初めて断ち切れなかった。彼女はそのまま肘を捻り上げ、彼の手から剣を取り上げた。剣が宙に舞い、月光を反射させる。
停止したままの彼より先に、落ちてきた剣を彼女は取った。
「──終わりです」
一閃。
彼の胴が両断される。しかし、彼の表情は笑みを浮かべ、穏やかだった。上半身だけになった彼を、彼女は抱える。まるで恋人に膝枕をする女のように。
「負けてしまった」
「はい、私の勝ちです」
「君は、自らの役目を果たしたというわけだね」
「はい、人類の敵を撃ち果たした私は、至上の自動人形となったでしょう。ありがとうございます」
彼女の言葉に、彼は笑みを深めて、
「僕も、君とキスが出来て嬉しかった」
「──はい」
恥じらいがあるのか、一拍置いて彼女は答えた。
そして、青年は最後の言葉を告げようと口を動かした。
「僕は、君の……」
しかし、言葉は最後まで告げられず、途切れた。
彼女を愛した青年は、彼女の存在意義を高めて、彼女の手によって打ち倒され、彼女に礼を言われて、死を迎えた。
動かなくなった青年の骸を彼女は抱いたまま、月を見上げる。
「私は、人を守る為に作られました。そして、人を殺す貴方を倒す為に変わっていきました。……これは、貴方の為に変わる事が出来た、という事でしょうか」
問いに答える者は居ない。
彼女は青年の骸を見る。傷だらけで、頬を撫でると幾重にも刻まれた傷跡の感触がある。
「貴方を倒す為に変わった私は、貴方が居なくなったのならば──どうすればいいのでしょう」
青年の頬を撫でながら、彼女は月を見上げ、
「貴方は、私の活動目的そのものでした」
だから、
「また、貴方を追う事にしましょう」
彼女の視覚素子から光が消え、糸が切れたかのように倒れる。最後に残ったのは、人類の敵とまで言われた一途な恋心と、そんな恋心を迎え撃つ為に変わり続けた一つの機械。並び倒れる二人は、手を繋いで眠っているようにも見える。月光に照らされた表情は穏やかで。
まるで、穏やかな夢を見ているような寝顔だった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む