恋は直球、届け白球 (最強エースあかね)
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第1話

初投稿になります。昔からいくつか話を考えるのが好きで溜めていたものの1つです。連載していきたいと思っているので、辛口、甘口な感想とともに見守っていただけると幸いです。
今回の作品は女の子の投手がメインとなっている野球部が舞台の作品です。作者の気分次第で超展開になりがちになりますが、ご了承ください。(書きたいことが、断片的になっていて…)
短くなりましたが、末長くよろしくお願いいたします。


なんて暑い日なんだろうか。2009年の夏、ここは池袋にある豊島区総合野球場。15時過ぎのわりにまだ太陽は天空の頂に居座っている。そんな中マウンドに立つ1人の選手。汗を腕で拭いながら女房の構えるミットを見つめる。中学生史上最高の投球フォームと言われる彼女は、今日も華麗に三振を奪っていく。そう、マウンドで踊るように、そういう姿から『舞姫』と呼ばれている。

気付けばスコアボードには0が7個並び、舞姫こと松原茜の属する私立城戸中学は勝利していた。試合終了の合図が審判から送られると、ようやく茜の顔に笑みがこぼれた。この瞬間がファンには堪らないのだ。何故ならば、茜はマウンドでは一切笑わないからだ。ショートカットから覗かせる大きな目、整ったパーツ達の織りなす彼女の顔面偏差値は一流国立大学をも上回る。普段、天真爛漫な彼女と引き換えマウンドでは表情がスッとなくなるのだった。しかし、そんなところも堪らないとファンをそそるのだ。

「お疲れ、松原」

「ありがと、敦史」

手渡されたスポーツ飲料のボトルを一気に飲み干す茜。

「ぷはぁ〜!たまんないねぇ、勝利の美酒は!」

「酒じゃないだろ」

「表現だよ、ひょ、う、げ、ん!!ったくそういうところだよ、敦史ー」

「いや、なにがだよ」

女房役の名古谷敦史もたまに起こる、茜の謎発言には困ることがある。

「ほら、意味わからないこと言ってないでクールダウンするぞ」

「へーい」

後輩達がベンチ内を片付けている間、茜と敦史はベンチ横でクールダウンをする。

「今日も良かったぞ。特に6回の低めが」

「まあねー」

茜は得意そうな顔、いわゆるドヤ顔だった。勝った試合では大抵敦史は、茜を褒める。というよりも褒めないと茜はそういう言葉を求めてくるのだ。もう敦史は慣れたことだが、最初は面倒だと思うことが多かった。

「緊張しなかったのか?」

「え、なんで?」

「もしかして都大会決勝だったの忘れてる?」

「忘れてるわけないじゃん。敦史、なに言っちゃってるの?」

そう、今日は都大会決勝。城戸中学は初の全国大会へと駒を進めたのだった。なんなく完封をし、あたかも2回戦くらいかのように思わせる冷静さだった茜を見て敦史はそう思った。

「でも、その割にあんまり喜んでなかったよな」

「都大会ごときでピーピー言ってられないでしょ!全国で勝たなきゃ」

正論だ。まだ上がある。茜の向上心しかない言葉に思わず敦史の口角が上がった。

「次の試合は3日後だ。しっかり休んでおけよ?」

「もちろん!今日は帰ったらゲームパーティなんだから」

今日イチの笑顔で返答した茜。しばらくしてクールダウンを終えた2人はミーティングをし、今日の部活動が終了した。ミーティングを終えると茜は地面に座り込み疲れを露わにした。

「うぇ…。疲れたぁ」

「ボール握ってないと恥ずかしいくらいにダラけるよな、お前」

「うっさい、剛」

センターでスタメンを張る茜達と同学年の西村剛からの言葉だった。先輩や後輩、また野球部以外の同学年の男子からは女性として見られている茜だが、野球部の同学年は違う。

「疲れた時は、疲れたって言うのが1番気持ちいいの!」

「あー、そーですか」

こんな女の子らしさを感じない姿を見ると恋をする気が失せていくという点がそういう目で見ない理由の1つだ。そしてその理由のもう1つとは、

「あーちゃん、お疲れ」

地面に顔から突っ伏しそうな勢いの茜の背に近寄った1つの影。茜は声を聞いただけで判断できた。突っ伏しそうな身体を両手でグッと立て直し、その声の主の方を見て言った。

「涼ちゃん、来てくれたんだ!」

「もちろんだよ、だって今日勝ったら都大会優勝だったんだし、それに…」

「それに?」

「ほら、毎試合あーちゃんが投げるわけじゃないからさ。あらかじめ投げるって言っていた日には行きたいって思ってたから」

そう言われ、ふと頬がピンク色に近づく。さっきまで重たそうにしていた腰をあげた。そんな茜の女の子らしい一面を引き出しているのが、お気付きだろう茜の彼氏である、上原涼介。茜とは小学生の頃から恋人の関係を続けていてとても現実的ではないが今年で6年目になる。家族ぐるみで仲が良く、もちろん6年経っても色褪せないむしろ濃くなる一方の2人。今日は茜のピッチングを見に涼介は池袋に来ていた。

「涼ちゃん、今日はお夕飯は?」

女の子らしさを爆発させる茜に愛おしさを感じる後輩がいれば、気持ち悪がる同級生もいる。

「そうだな、今日はお家で全国祝いするんじゃないの?」

「たぶん、そうだと思う。でも…」

「?」

茜の涼介への気持ちは言葉だけでなく態度でも出る。それはとてもわかりやすい反応。もじもじしながら右足のつま先でトントンと地面をつついた。

「涼ちゃんが一緒だと、嬉しいな…」

涼介は冷静。恥ずかしがる茜の頭を撫でて言った。

「それじゃあ、お母さん達に聞いてみよっか?」

「うん!すぐ聞く!!」

応援に来ていた母親のところへ向かった茜を見て涼介はキュッと胸を抑えた。

「やあ上原くん」

「あらま、名古谷くん」

着替えが終わった敦史は、涼介のそばに行き話を始めた。

「いいんだよ、今、松原向こう行ってるから。言いたいこと言って」

「いい?ごめんね、いつも」

これは恒例のことだ。茜を見て胸を抑える涼介の真意はこれだ。

「可愛いなあ。可愛いすぎ、天使とかそういう次元を遥かに超越していると俺は思うんだよ。あー、可愛いなあ。可愛いよお。そう思うだろ、名古谷くん?」

「あ、あうん。そうだね」

棒読みが過ぎるが今の涼介にそんなことは関係ない。今は茜のことで脳みその全てがいっぱいなのだ。恥ずかしさも吹き飛ぶくらいの思いが口から吐き出る。そしてしばらくすると、涼介は何事をなかったかのように。

「ごめん、また聞いてもらっちゃったね」

「いう前に謝ってるからいいよ」

涼介は城戸中学の生徒ではないが茜を通じて敦史と仲良くなった。そしてもちろん、敦史にも彼女がいて今日この場には来ていないが、4人で出かけることもある。

「ありがとう。全国大会頑張ってくれ」

「うん、ありがとう。あ、ちなみに」

「なんだい?」

「初戦は松原が投げると思うよ」

「じゃあ見に行かなきゃね」

「是非来てくれ」

2人の会話が収束しそうな時、茜が戻って来た。

「お母さん、いいよって!涼ちゃん、帰ろ!」

「そっか、じゃあお邪魔します。」

「お邪魔しに来て!」

「名古谷くん、またね」

「うん、またね。あ、それと松原」

「なによ」

「ちゃんと休めよ?」

「わかってますよーだ。」

面倒臭そうに返事をした茜は涼介の手を引き家路に着いた。結局、夜ご飯を食べ終わった茜はゲームをする体力もなく爆睡をかまし、茜の寝顔を拝んだ涼介もその間に帰宅した。帰るときに起こしてくれなかったことをしばらく怒っていたが、試合も迫っていたせいか怒っている期間は短かった。

 

 

 

そして全国大会。ブロック予選をなんなく勝ち上がった城戸中は沖縄で行われる全国大会に挑んだ。監督からスターティングメンバーを紹介される。いつもと変わらない打順だが、堅実なメンバー選出だった。

 

① 遊 北見 3年

② 投 松原 2年

③ 捕 名古谷 2年

④ 一 北野 3年

⑤ 三 高柳 2年

⑥ 中 西村 2年

⑦ 左 山本 3年

⑧ 右 和田 1年

⑨ 二 宮崎 3年

 

 

唯一攻めているのは8番ライトの和田くらいか。いずれにせよ茜にはあまり関係のないことだ。というのも茜が打たれる場所は大抵センターラインである。数少ないヒットを処理するのは大抵、剛の役目だった。そういったことから、茜は「剛がセンターで、敦史がキャッチャーなら他は誰でもいいや」と言う。チームスポーツをしている割には自分勝手な茜に対し敦史は、投手はエゴイストでなくてはならないと批判をしないのだった。

今日もいい天気。試合開始の合図のあと後攻めの城戸中学ナインは守りに着く。初の全国大会のマウンドに上がる茜に敦史は、声をかける。

「さすがに緊張するか?」

「ちょっとだけ?だってさ、」

「うん」

「プロの選手が投げてるところなんだよ?嬉しいよね、女の子でこんな所に立てて」

「じゃあ、たくさん投げないとな」

「うん!」

「勝つぞ」

「誰にいってるのかしら?」

「そうだったな」

いつものお約束、ここで2人はグローブ同士でハイタッチを交わしマウンドとホームベースに分かれるのだ。さあ今、城戸中学初の全国大会が始まるのだった!



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第2話

始まった初の全国大会。しかし、勝てたのは初戦の茜が投げた1試合のみ。2回戦で3年の白根が打ち込まれ敗北を喫した。茜は一度しか立つことのできなかったマウンドに別れを告げ、学校へ戻った。次の日、引き継ぎの挨拶が先輩から後輩へ。キャプテンの北見は部に残る後輩へ少し充血した目をしっかり後輩へ向けて次のキャプテンを発表した。

引き継ぎが終わると写真を撮ったり、話をしたり一年に一度訪れる瞬間を噛み締める者もいた。しかし、すでにボールを手に取り投げたがっているものもいるのだった。

「おい、キャプテン」

「突然そう呼ぶなよ。慣れないんだからさ」

「自分がなるってわかってたくせに」

「そんなわけあるかよ」

茜は早速敦史をイジリ、退屈さを表した。

「投げたいんだろ?」

「当たり前よ」

「10だけな」

「やった!!」

エナメル質のクラブバッグから綺麗な黄色のグローブを出した茜は、柔軟をし始める。周りの部員たちは、こんな時までやるのかと呆れる者もいた。敦史はミットを手に取り茜との距離を18mとった。

「ほれ」

敦史はミットの面を茜に向けた。茜は向けられたミット目がけ球を投げた。

「座っていいよ」

キャッチボール姿だった敦史を座らせ、10球の投球練習にはいった。1球1球丁寧に投げ込む。鳴り響くミットの音は茜の集中力を高めた。しかし茜の球を受け続けている敦史にはいつもとの違いがすぐにわかった。

「8割でこないのか?」

「あー、うん」

いつもこういう時は8割の力で投げる茜だが、今日は5割程度の球威だ。まあそういうこともあるだろうと敦史は10球取った。

「終わるの早いなー」

「合宿あるから、そこで投げればいいじゃないか」

「あと1週間もあるじゃん!」

「みんなは1週間しかないと思ってるだろうに」

そう、次は夏休み期間に行われる合宿が待っていた。茜はたくさん投げられる喜びを感じられるために合宿を楽しみにしている。

「丁度これからオフなんだから合宿まではしっかり休めよ」

「はいはい、いつものね」

「お前な」

敦史がここまで茜に釘をさす理由は、茜のオーバーワークにあった。投げすぎで一度肘を痛くしていた。茜の強さを真に知る敦史だからこその注意なのだ。茜は毎度毎度この忠告に空返事を繰り返している。ことはそんなに簡単に行かないのである。

「まあとにかく合宿までダラダラしてればいいんでしょー」

「走り込みぐらいはしておけよ」

「ほいほーい」

負けた過去は10分しか振り返らない茜は次の合宿にすでに目が移っていた。

 

 

合宿までの1週間、家でボールを握りながらダラける茜。こんな選手中学生を代表するような投手だなんて誰が思うだろうか。

「母ちゃん、アイスー」

「自分で取りなさい」

「うぇー」

茜は小学生の頃からスポーツ万能、器用な性格だった。水泳、器械体操、ピアノと習い事もしていて休み時間は男子たちとサッカーをするくらいだった。野球に巡り合ったのは幼稚園児の頃、父親に連れられ行った『西武球場』で見た西武vs近鉄の一戦だった。その時園児ながらもホームランを放った中村紀洋のバット投げパフォーマンスに魅了されたのが今、野球をするに至ったきっかけであった。

茜は部活動として野球を行うべく、小学生の頃はキャッチボールの仕方を調べ、より良いキャッチボールをしコントロールを身につけた。その時に参考にしていたのがダイエーの和田毅。コントロール研究のために投手の映像をたくさん見ているうちに、投手への憧れも抱き始めた。家系上、女の子のわりには背が大きい方なため、投手もできると考えたのだ。

コントロールを極めた茜が進んだのが城戸中学。中高一貫校で、高校の野球部からは過去に1人だけ広島のチームにプロ入りした選手がいるような学校だ。中学の軟式野球部は大した強さではない。全国大会には出場経験なしで基本3回戦以内に敗北することが多い学校。そんなところなら投げられる可能性があると、決めるに至った。入部からは投手を希望するも3年生の体格に敵わず、1年次に基礎の下半身、指先の力を強化した。そこで出会った敦史と二人三脚で投手としての基盤を作り、3年生引退後の初戦で勝利投手になった。

茜が「舞姫」と呼ばれ注目されるようになったのは2年次の夏の大会の少し前、5月ごろに行った練習試合だった。投手としてエースを目指す茜を追いかける記者の早乙女マリがこの試合を見て、見出しにそう書いたのが始まり。島平中学との一戦、茜は次の大会の背番号1を狙うべくより良いピッチングを心がけ先発のマウンドにあがった。リードする敦史との息はぴったり。得意の縦に割れるカーブと真っ直ぐと軌道の変わらないチェンジアップをうまく使い、バットにボールを当てさせない。響くのはミットに突き刺さるボールの音ばかり。終わってみれば5回コールド勝ちの裏で1安打ピッチング。そして10もの三振を奪っていたのだ。この日は投球だけに収まらずコールドの10点中茜が得点に絡んだのは4点。打撃でも綺麗にバットを振り抜く姿に早乙女マリは心を奪われた。

それからテレビにも取り上げられたり一躍有名となった。しかし、そのどれもが美少女エースや、可愛い野球少女といった容姿に関することばかり。実力が知れ渡るのは少し先のことだ。

見事夏の大会の背番号1を手にした茜だったが、オーバーワークを気にした敦史が監督と立てた戦略が節目での茜の先発だった。というのも野手としても活躍する茜が毎試合先発投手をするのはオーバーワークにも程があると考えた敦史は初戦、決勝のみと茜の先発を限定した。これがいい方向に出たのか、作戦を伝えられた茜はエースナンバーを背負っているのにと怒りをボールにぶつけた。その怒りがいい方向にしか出なかった試合で舞姫の名が、実力と共に全国の野球好きに広まったのだ。

夏の区大会1回戦、正徳巣鴨中学。正徳巣鴨は水泳やバドミントンに力が入るもののあまり野球に力が入っていないため、城戸中学の1回戦突破は容易なものと考えられていた。そのため、先発の茜をさっさと下ろして1年生に場を経験させようと監督は考えていた。しかし交代が出来るような状況にならなかったのだ。茜は指先の器用さから変化球をたくさん覚えた。肘が悪くならないよう気にかけながら、他の男の子と球速で戦えないと判断した茜の勝負の仕方だった。ストレートを含め、実に6球種。多彩な変化球に加え針の穴を通すようなコントロールで打者をきりきり舞い。回終わりにベンチに戻ってくる茜はいつもと変わらない様子でスコアブックをよく見るまで捕手しか気づいてなかった。最終回を残し完全試合中だった。そしてそれだけでなく、18個の三振を奪っていた。ということは三振のみでアウトを重ねていたということだった。18者連続奪三振、緊張を隠せないのは投手ではなくリードする敦史だった。

「なに緊張してんの?」

茜の言葉にもこの時はうまく対応できずにいた。最終回、決め球を全て得意のチェンジアップで締め21者連続奪三振の完全試合を達成した。この試合を境に松原茜という選手が全国区で警戒されるようになった。



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第3話

「今回はグラウンド広いなぁ」

「…」

合宿所に到着した一行。敦史は宿舎のすぐそばにあるグラウンドを見て言った。照りつける日差し、乾ききったグラウンド、まさに夏の野球日和と言ったところだ。

「よし、荷物を部屋に置いてから着替えてグラウンドに集まれ!」

「はい!!」

元気よく返事をする後輩たちの姿に、キャプテンを実感し始める敦史。2年生達は2度目の合宿ということで元気満々な者は少ない。しかし、群を抜いて元気がない者が1人だけいた。

「ほら、松原。」

地面に置いたクラブバッグの上に座り込む茜に水を差し出す敦史。

「ありがと…」

「今年もか」

「これは生まれつきだからしょうがないのだよ…」

もらった水をグイッと飲むと気分悪そうな顔のままカバンを持ち部屋へ向かった。去年も同じようにバスから降りた茜はこうだった。1日目の午前練習はほぼベンチに座っていた。今年はどうだろうか、敦史は少しでも動いてくれることを願っているがこればかりは、個人差だからしょうがない。敦史もみんなに続き部屋へ向かうことにした。

部屋は4人1組で構成されていて、なかなかの広さだ。やはり初の全国大会出場がこういったところに出ているのだろう。去年はそうはいかなかったのを部員達は思い出していた。すると敦史の部屋の隣が妙にバタバタと音を立てている。隣の部屋が誰だか知っている敦史は壁をノックして言った。

「おい松原!何したんだ」

すると隣の部屋から茜がこちらの部屋へ元気よくやって来た。

「ねぇ!広いよ!広い!ここ1人使っていいの!?」

「あー、そうだな。女はお前しかいないしな」

部内紅一点の茜は1人部屋だが、広さはみんなと変わらないのだ。妙に子どもっぽい一面のある茜は車酔いが吹き飛んだのかとても嬉しそうだ。

「いやー、部費様様だねー」

「それもそうだな…。っておい松原!」

「なに?」

敦史は思わず目をそらした。しかし同じ部屋にいた他の3人は固まったまま茜を見ていた。

「ズボン!」

敦史がそう言って茜は自分の脚を見ると、なんとまあそれはびっくり。

「おわ!気づかなかった!この変態!」

「どっちが変態なんだよ…、露出狂。」

「うるさい!」

着替えの途中だった。紺のTシャツに上から白の練習用ユニフォームを着て、紺色の靴下を履いて…。そのまま来てしまった。その部屋の男子達には白の綺麗な布が目に焼けるようにこびりついて離れなかった。茜は走って自室に戻った。

「白か…。」

「バカ!茜先輩の太もも見たかよ」

「肌綺麗だったな…」

「お、俺のジュニアが…」

見兼ねた敦史は恥ずかしい気持ちを払いのけ、盛り上がる同室の部員に言った。

「さっさと着替えてグラウンド行け!」

「す、すみません!!」

「ったく、」

 

敦史は各部屋に誰もいないことを確認しグラウンドへ向かった。そしてここから合宿メニューがスタート。今年の秋大会、そして来年の夏の大会で全国大会へ再び出場するためにいつもとは異なったメニューとなっていた。そのメニューを聞いた部員達は強豪に近づきつつあるチームである実感を噛み締めていた。

「それじゃあ、投手組はアップ後はブルペンで。」

「はい、質問」

内容を説明し終えたところで茜が敦史に手を挙げ申し出た。

「なんだよ」

「何百球投げていいの?」

その質問にそんなに投げるのかと若干引く後輩たち。そしてその質問に溜息を吐き答える敦史。

「それは後で言うし、そんなに投げさせるわけないだろ」

「え!!」

「はい、ランニングからいくぞ!」

若干のショックを受ける茜を無視し敦史はメニューを開始した。アップを入念にした一行は投手組、野手組に分かれての練習が始まった。

「茜先輩!」

「ん?どうしたの、青木(あおき)?」

「今日、白いパンツってホントっすか?」

(ガツン)

「いってぇ!」

「そういうことは女の子に直接言うな!てかあいつらだな…」

さっきの部屋での一件が後輩間で噂になっているようだ。1年生の青木大輝(だいき)もその噂を聞きつい直球質問してしまった。

「たく、中1はデリカシーねぇなあ」

「それズボン履いてないのに部屋来たお前が言うのか」

ふとツッコミを入れた敦史の言葉に恥ずかしく黙る茜。

「松原のパンツの話はどうでもいいだろ。練習するぞ」

「名古谷先輩、どうでもよくないっす!」

「話が進まないから青木、それまでにしろ」

「すみません…」

ようやく本題に入る投手組。投手組は投手はもちろんのこと捕手も含めての一組だ。よって正捕手の敦史、1年生捕手の井上、エースの茜に右腕青木、そして左腕の和田辰也(わだたつや)の5人で形成されている。

「えーっと、全国大会で優勝するには投手が複数いた方が明らかに有利だと思う。」

「あたしが1人で投げればいいし」

「話を聞け、松原」

「へーい」

「さらに来年、再来年の大会でも勝つために青木と和田の成長は重要だと思う。」

「はい!」

「だから、雑誌やテレビで紹介されている、この『舞姫』さんから投球術を吸えるだけ吸い取ってくれ」

少し嫌味ったらしくいう敦史に微妙な目線を向ける茜。

「茜先輩から直接指導してもらえんのか!」

「よかったね、青木、和田」

「井上も名古谷先輩のリードを教えてもらえるんだから、頑張れよ」

完全試合を成した2人からの指導を喜ぶ1年生。しかしふと、よぎった。茜の性格。

「えー、面倒くさっ。投げたいんだけど」

というか

「あー、じゃあ100球とりあえず投げるか」

というか、指導者に向いてなさそうな性格だったことを思い出し、なんとも言えない表情になる青木と和田。

「教えればいいの?あたしが?」

「そうだ。教えることは自分にも返ってくるからな」

そう言われ少し考えた茜。

「うん、いいよ。お兄ちゃんも同じようなこと言ってたし。2人の人間が言えばきっとそれは嘘じゃないんだろうと思うし」

マウンドに背を向け話をしていた中、茜はクルッと半回転しマウンドへ向かった。

「ほら、教えるから青木も和田もおいで」

予想とは裏腹に前向きな茜に喜ぶ1年生2人は「はい!」と大きく返事をし茜の後を追った。

しばらくマウンドからホーム間でのキャッチボールをしてから投球練習に入った。まずは2人のフォームを見る茜。いつもの自分勝手でチャランポランな姿などなく静かに後輩の投げる姿を色々な角度から見ている。真面目な茜の姿に少し感動する敦史、そして緊張する1年生。バットの音やノックを受ける選手の声が響くグラウンドとは違い、ボールが風を切る音、ミットの音、「ナイスボール!!」という声かけのみが淡々と聞こえるブルペン。そして2人が20球ほど投げ込んだところで茜が止めた。

「一回おいで、」

マウンドに集まった青木と和田。

「まだ本気じゃないと思うんだけど、ちょっとボールがブレすぎなところがあるね。これだと四球パーティになりかねないから、コントロール重視してみよっか。」

茜は手本を見せようとマウンドに立った。捕手に敦史を座らせ、喋りながら投球を始めた。

「やっぱり初歩なんだけど、リリースポイントの安定がコントロールの生命線な訳よ」

(スパーン)

「あとはミットを見て、どういう意図でそこに構えているのかも考えたらいいかも」

(スパーン)

「あとは足だよね。真っ直ぐつけなかったら体が開いたり、軸がぶれちゃってボールはどこか行っちゃうからさ」

(スパーン)

喋りながらも構えたところに寸分狂わず球を投げ込んでみせた茜。

「回転数とかはこれが出来てからの話だからね、まずはコントロール、コントロール!」

圧倒される1年生。しかし起爆剤にもなった。早速、初歩のリリースポイント、足のつき方を注意、確認しながら投球を再開する2人。投球間隔の間に気づいた点は2人に惜しみなく言う茜。真面目な練習が出来て敦史は嬉しいさのあまり泣きかけた。

午前中の茜は車酔いによる後遺症のことも考えあまり投球練習をせずに教えることに専念し、昼休憩へと時間は過ぎていった。

「松原、なかなか丁寧に教えるんだな」

「え?あー、あれで伝わってるといいんだけどね」

昼食のおにぎりを食べながら話す敦史と茜。茜の指導者っぷりに感心する敦史。

「伝わってるさ。まだ投げ込んで時間経ってないが、2人とも良くなってる。」

「おー、それは嬉しいね」

「後でちゃんと投げるか」

「お、100くらい!?」

少し緩めるとすぐ調子にのる茜。とても笑顔だった。

「バカ、30くらいだよ」

「ちぇー」

昼食後の投球練習では茜がストレートのみの30球を投げ込む姿を1年生2人は見てフォームやスタイルの良さや時頼見られる、エロさを学んだ。それから基礎の下半身強化のためのランニングをした投手組は、クールダウンをし合宿1日目を終了とした。



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第4話

合宿2日目、今日は全体打撃から始まった。好打順で起用されている茜、敦史、西村、和田はいいところを見せようといつも以上に気合が入っていた。しかしいつになく茜は打撃練習中にも関わらず右腕を気にしていた。それは茜自身、左打席に入っているからだと思いながらその時を過ごしていた。

「松原!」

打撃練習を終えた敦史が茜を呼ぶ。

「なあに?」

「終わったら、土手ランしてこいよ」

「うぇ…。やだ!」

下半身強化のため、土手ランニングを指示する敦史と、走ることを嫌がる茜のよくある言い合い。

「じゃあ、インナーやっとけ」

「投げる!」

茜の打撃練習は中断。次に待っている部員に交代した。

「投げたい!」

「肘壊すぞ」

「あたしを誰だと思ってるの?」

「ただの中学生投手だよ」

「むーー!!」

こうなると茜が面倒なのは敦史も分かりきっていた。

「しょうがないな…」

だから、ため息を吐きながら敦史はそばにあったミットを持った。

「うん!敦史わかってるー!」

「ったく」

先を行く敦史に足並みを揃えるべく、少し駆け足で追った。途中、ベンチに寄り自分のグローブを手にした茜は、敦史と共にブルペンへ向かった。

(スパーン)

軽いキャッチボールから入った2人。投球距離をしっかり取れたところで5分ほどキャッチボールを続けた。投げ、返球されるその度に噴き出す汗を袖で拭う茜。敦史は防具をすることなくホームベース後方に立っていた。

「ほんじゃ、いくよーー!」

その声で腰を下ろした敦史。足を肩幅より少し広げ、オレンジ色の的を茜に向けた。

「ゆっくりな」

「わかってるってば」

マウンドのプレートを踏んだ茜からすっと表情が消えた。可愛い目は鋭く力を加えミットの中心のみを見つめるというより、睨むようだ。完成されたフォームから放たれる球は高い回転数でミットへ収まった。そして、15球ほど投げ込んだ頃だろうか。

「んー」

「どうした」

茜が投球を止めた。

「ちょっと休憩」

「らしくないな、まだそんなに投げてないだろ」

「ほら、暑いじゃん?水飲まなきゃ」

そう言った茜は右手首、右肘のストレッチをしながらベンチへ戻っていった。その姿を見て悟った敦史は茜の後を追い、ベンチへ向かった。

「おい松原」

ベンチで座り、休憩している茜。

「なによ」

左手にはジャグから入れたスポーツ飲料が入ったボトルを持っていた。

「お前、肘…」

「は?何言ってんの?」

いつになくピリピリしている。これはおかしい。

「痛くないし。だから暑いだけだって」

そういうと、グッと水分を摂った茜はグローブを持ちブルペンへ戻った。

「おい、待てって」

敦史はジャグからコップに一杯分注ぎ、一気に飲んだ。休む時間もままならない中、ブルペンへ戻った。

茜がブルペンに戻る頃に青木、和田、そして井上と1年生組が合流。

「茜先輩、投げないんですか?」

「あー、いいの。さっき投げたから」

「なんだー。見たかったなー」

「いつでも見れるからいいでしょ」

茜は笑っていた。いつも通りだ。後輩たちと話す仕草や表情、いつもと変わらない。さっきとはまた違う。敦史は少し離れたところからその様子を見ていた。

「名古谷先輩!なにしてるんすか!」

青木だ。

「俺の球受けてくださいよ!」

「っと、悪い悪い」

「あ、俺も受けてくださいね!」

和田も続いた。今は考えるのはやめておこう。もう少し様子を見てからにしよう。敦史はそう決め、目の前の練習をこなす事にした。

キャッチボールを投球距離でし終えた、青木と和田に茜は言う。

「だいぶ良くなったんじゃない?」

「昨日結構投げましたからね」

青木が昨日の練習を振り返る。

「もうちょい良くなったら、変化球教えよっか」

「お、まじすか!!?」

「2人に合ったいいやつね」

「おっしゃー!」

やる気になった2人はコントロールを高めたあと、回転数の高いボールを投げるため指先への意識をつけた。

(ズバーン!)

いい球が行くようになった。ようやく変化球を教えてもらえると喜びを見せる2人だが、空は赤くなっていた。

「茜先輩!!」

茜は必死な2人にクスッと笑ってみせた。

「時間切れよ。じ、か、ん、ぎ、れ」

脱力感のパンパではない姿。そんな2人にそっと近づき肩をポンポンと叩き、優しく言った。

「明日もあるからね、頑張ろうねー」

「は、はい!」

「ほら、着替えてご飯だよ」

茜はグラウンドに持ってきた荷物を手に持ち、宿舎へ戻った。

自室へ戻った茜は部屋にあるシャワーを浴び、疲れを飛ばした。

「くぁーー。生き返る…」

どっちかと言うと冷たい温度の水を頭からかぶる。出続ける水を静止したまま受けていると、ふと触れる右肘。

「いや、痛いわけじゃないし」

そう言い聞かせる。

「なんか気分が乗らなかっただけだし…」

今日の敦史からの心配に少しイラついてしまった自分を反省。

シャワーを止め、髪の毛をサッと払いタオルを手に取る。なかなかのサイズ感の胸の膨らみの先から滴る水をすくうように拭く。拭き終えたら、いつもの赤ジャージに着替え食堂へ向かおうと扉を開けると、

(ガチャ)

何かにぶつかった。

「いてっ!」

「ごめん!だいじょぶ!?」

後輩3人ほどだ。

「だ、大丈夫っす!茜先輩、シャワーっすか?」

「うん。汗かいてたからね」

するとニヤつく後輩たち。

「ありがとうございます!」

深く頭を下げる、後輩たち。

「…?う、うん」

訳も分からないままお礼を言われた茜は、こういうことに鈍感だ。下着なしの茜の胸元に見える一本の線が後輩たちのそれをそそった。

「変なの」

茜はそういうと後輩たちをさておいて食堂へ向かった。

夕食はカレーだ。野球部らしいメニューに盛り上がる部員たち。最高で5度もお代わりをするものがいる中、茜は2度お代わりをし空いたお腹を満たした。食べ終わると部屋に戻ろうとする茜を敦史が引き止めた。

「松原、待てよ」

「なに?」



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第5話

敦史が茜を引き止める。その姿を周りにいた部員たちはつい見てしまっていた。

「なに?部屋戻りたいんだけど」

「お前、肘…」

そのワードが出ると茜は少し向けていた顔をふっと戻し、黙って部屋に戻ろうとした。

「待てよ!話を…」

そう言う敦史に茜は立ち止まり、言った。

「わかった」

なにか諦めたような声のトーンだ。ため息も同時に吐かれていた。

「膝にくるから投げなきゃいいんでしょ?」

極端なことを言い出す茜に敦史は自分の思いを告げようと切り出す。

「そう言うことを言いたいんじゃ…」

しかし茜のターンは続く。

「投げなきゃ心配しなくていいし、怒らなくてもよくなるでしょ?」

「いやだから痛いかどうかを…」

「はい、この話終わりー。明日も早いから寝るね」

そう言うと話を切断し、茜は部屋に戻っていった。

「お、おい!」

微妙な空気になった食堂。敦史は部屋に戻るよう全員に声かけをした。

不穏な雰囲気の中始まった合宿3日目。朝ごはんを食べ終えた一行は明日行われる合宿納めの練習試合のため、連携を確認するように守備をし、試合形式でのバッティング練習。試合でスタメンの可能性のある選手が打順通りに確認をした。昨日の通り、茜は打撃はするものの、最初のキャッチボールと守備を除いて球を握ることはなかった。

昼休憩を終えた投手チームはブルペンに移動し練習が始まった。敦史と和田、井上と青木でキャッチボールを始め茜はそれを近くで見ながら、手に持っているノートにペンで何かを書いていた。

「キャッチボール、終わりましたけど、茜先輩何してるんすか?」

キャッチボールを終えた青木が座り込む茜に声をかける。

「ん?あー、これはね」

茜は腰を上げ、話し始めた。

「2人に合う変化球をね、考えるための資料的なー」

「見せてくださいよ!」

茜は持っていたノートを胸でギュと抱えた。

「ダーメ!2人の大切なデータだから、いつか使えると思うからね」

「いいじゃないっすかー」

「ダメなのー!」

頑なに見せようとしない茜もまた可愛くてよい。

「そんなことより、へ、ん、か、きゅ、う!」

茜は2人に変化球の指導を始めた。本格派の青木にはチェンジアップを、速球派の和田には縦に割れるドロップを、茜流のものを教える。茜が記したノートには2人の腕の動きや手首の柔らかさなど細かく掲載されている。そのデータから茜が得意とする変化球を、教えを求める後輩に合ったものを選び伝授という形になった。

明日の練習試合、今後の公式戦に向けての練習。

「こうですか?」

「あー、そこはねー」

この合宿で真価を発揮する茜の指導力が爆発する。青木、和田は茜の言葉をどんどん吸収し、まだ投げられないもののコツを掴むところまでは練習が進んだ。この様子に茜は満足げな顔をするも、どこか悲しげな表情を見せた。

結局、練習終了まで茜はピッチング練習は一切せず、宿舎へ戻ろうとした。

「おい松原!」

敦史が戻ろうとする茜を止めた。

「10だけ…。いや20でも……」

そう言う敦史に振り返り言った。

「今日は気分乗らないから、いいわ」

「でも、明日の登板…」

「きっと大丈夫よ、うん」

「松原…」

「うん」

すこし寂しそうな表情を見せる茜を案ずる敦史。そう言うとスタスタと宿舎へ戻っていった。

(シャー)

部屋に戻った茜は同様にシャワーを浴びていた。今日は昨日よりもずっと冷たい水。

「なんか気分乗らないな…。」

滴る水を見ながら。

「やっぱ、痛いのかな…?」

自分を信じられなくなって。どうも気が乗らない、何に対しても…。

(ヴーヴー)

丁度、シャワーを浴び終えて体を拭いてる時だった。

「ちょっと、待ってー」

携帯が鳴る。

「ほい、もしもし?」

とっさに携帯を取ったため、電話の主が誰だかわからない状態だった。

「あーちゃん、元気?」

声でわかった。

「涼ちゃん!?」

少し元気になった。茜は裸のまま畳んである布団にダイブ。

「どうしたの?」

「急に、ごめんね。ほら明日最終日でしょ?」

「そうだよ!でも、嬉しい!涼ちゃんから電話なんて」

浮かない表情だった茜には笑顔が戻っていた。

「ううん。俺さ遠くにいるだけで何もしてあげられないから…」

声で涼介がどのような表情なのか想像がついた。

「こうして声が聞けてあたし、死ぬほど嬉しいよ」

「そっか、役に立てて嬉しいよ」

少し静寂が2人を遠いながら包む。

「ねぇ、あーちゃん?」

少し落ち着いた声。

「なあに?」

「ちゃんと言いたいことあったら我慢とかしちゃダメだよ?」

「え?」

「俺は何でも聞くよ。だから、、、ね?」

茜はスッと笑顔ではなくなった。そして、少し潤む目。

「…。」

「そのために俺はいるんだから。あーちゃんの1番のファンでもあるから、もし体調悪かったりするんだったらさ。きっと部活では言えないと思うから」

「…ぇんなの…」

「え?」

涼介の耳には今にも泣いてしまいそうな声で入ってくる。

「変なの…。いつもみたいに投げられなくて。肘が変なの…」

「うん」

「もう投げられないのかな…」

「そんなことないさ」

「投げられないあたしのこと、涼ちゃん嫌いになる?」

「ならないよ」

しばらく続いた会話から涼介は茜から涙を引き出すほどの聞きっぷりとなった。

「落ち着いた?」

「うん、ごめんね」

「いいよ、帰ってきても話聞くからね」

「うん、ありがと」

「じゃあ切るね」

涼介に話をした茜は疲れて、夕飯のことを忘れていた。

「涼ちゃん」

切る直前、茜は涼介を引き止める。

「なに?」

「ありがと、愛してる……」

「いいえ、こちらこそ愛してるよ、あーちゃん」

そして電話を切る2人。茜は自分の思いと向き合いながら天を仰いだ。すると、扉をノックする音が。

「茜先輩!大丈夫ですか?夕飯の準備終わってますよ!」

「うん、ありがとう」

茜は服を着て扉を開けると、青木と和田がいた。心配する表情。

「どうしたの、2人とも?」

「茜先輩、練習中元気がなかったから…」

「大丈夫かなって思ったんすよ」

青木、和田と続き、2人は茜を心配して見せた。そんな後輩の配慮が嬉しくて、

「もう大丈夫よ。心配かけたわね」

いつものように笑って見せた茜。そんな茜を見た2人もちょっと嬉しそうな表情になった。

明日最終日、それを迎えるために食事で体力をつけに向かう茜だった。



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第6話

合宿最終日、朝の土手ランニングはなかった。試合に備え最低限の練習でという監督の判断だ。今日の試合は2試合。地元の中学との試合だ。茜は第1試合の先発を予告されていた。軽いアップを済ませた城戸バッテリーはブルペンへ移動し、対戦校が来るのを待った。

キャッチボールから始まる投球練習。試合前は20球を予定している敦史。しかし、いつもの茜はどこへやら。その球数に対し、出した答えは。

「10でいいよ」

「肘か?」

少し考えた茜は

「うーん、違うよ。暑いし、疲れちゃうから」

「わかった」

フォームを確認しつつ、10球投げた。球の回転数、コントロールに変わりはない。しかし重みに欠けているように感じていた。

「これは配球大変そうだな…」

ふと敦史が思った。不安な敦史とは反対に満足そうな顔をする茜。サインの最終確認を終えると対戦校がやってきた。

ベンチ前に集められた第1試合のメンバー。大会を見据えたスタメンが発表される。

 

① 中 西村 2年

② 投 松原 2年

③ 捕 名古谷 2年

④ 一 和田 1年

⑤ 遊 高柳 2年

⑥ 左 加藤 2年

⑦ 右 加藤 1年

⑧ 三 清水 1年

⑨ 二 菅野 2年

 

 

先輩たちが引退してから初めての試合。新スタメンに期待が集まった。対戦校の準備が整うまで、バットを振ったり、キャッチボールをしたりと各々すべきことを済ます。

「おい、松原」

「なに、敦史?」

ベンチ内で涼む茜に敦史が声をかけた。

「投げてて変だなと思ったら言えよ」

「そんなこと起こらないから大丈夫」

「一応言っただけだよ」

「余計なお世話だっつーの」

いつもの茜だ。敦史もコントロールのぶれなかった茜の球を取り、大丈夫だろうと思っていた。

『両チームベンチ前に!』

主審の掛け声と共にキャプテンの敦史を先頭に一列に並ぶ。城戸中は後攻だ。防具を身につけた敦史の声がナインに響く。

「いくぞ!」

「「しゃー!!」」

集合から礼。主審の合図と共に行われた。茜はそれが終わるとゆっくりと綺麗なマウンドへと上がった。Tシャツの上に着る試合用のユニフォームがあるだけでだいぶ暑さが変わる。袖を捲り上げ肩まで晒す茜。相手チームはおろか自チームまでその姿に唾を飲み込んだ。

7球の投球練習を終えると敦史が茜の元へと向かう。

「なに?」

「今日、新しい配球考えたからそれで行く」

「おっけー、任せた」

敦史がホームに戻り、守備につくナインを声で盛り立て試合が始まった。

初球。

(シュッ)

外角の低めに構えた敦史のミット目がけ、ストレートを投げた。

(カキーーーン)

「え?」

コースは完璧。しかし打球も完璧。ライトの頭を越え、ワンバウンドでフェンスを越えた。茜は飛ばされた飛距離に驚き、ベースカバーを忘れている。

「切り替えていけー」

「いいコースいってるよー」

周りの声が茜を鼓舞する。

(まだ大丈夫。力が込められてなかっただけ。大丈夫、大丈夫)

茜は自分に言い聞かせ、セットポジション。2人目と対する。内角から入ったストレートでストライクを取ると、すぐに追い込んだ。しかし、3球目。

「痛っ!」

茜の投げたボールは打者の脇にあたりデッドボール。すっと帽子を取る。いきなりのピンチに一度深呼吸をする茜。敦史はマウンドへ向かおうとするが、茜の目を見て行くのをやめた。

「目が変わったな、あいつ」

監督もベンチからその姿を見て呟く。

序盤はそんなピンチもありながらなんとなく抑えていく。一方打撃面では新スタメンが上手く回り、得点を稼いでいった。そして5-0で迎えた4回表。

「フォアボール!」

これで1回からあわせて5個目の四死球。コントロール重視の投手とは思えない成績になっている。この回は安打も合わせワンアウト満塁。さすがの敦史もマウンドへ向かった。

「なにしに来たの?」

「なにを言われるかわかってんじゃないのか?」

好戦的な態度の茜。焦りが見られる。一方敦史は冷静だった。

「交代だ」

「なんで!」

「お前、いい加減にしろ!」

敦史はミットをグラウンドへ叩きつけ言った。2人の始まりつつある喧嘩は試合を行う者誰もが釘付けになった。敦史は茜の右肘をグッと掴んだ。

「痛っ!なにすんのよ!」

「いつまで隠すつもりだ!」

凍りつくグラウンド。いつも2人の空間ということで立ち入らない内野陣がマウンドへ向かった。

「いつもの球じゃない。弱いんだよ、肘が痛いからなんだろ!!」

茜は顔を逸らす。

「違うし…」

一塁から来た和田も敦史の言葉に心配をする。

「そうなんですか、茜先輩?」

1番冷静だったのはショートの高柳だ。

「肘がどうかわからんが、大きな声を出しすぎだ、名古谷。」

敦史は茜の肘から手を離し、この言葉に少し反省。

「すまない…。しかし…!!」

熱い思いを隠しきれない敦史。

「松原、どうなんだ?」

高柳が茜に肘の具合を聞く。

「…」

「黙っていちゃわからないだろ!」

「名古谷!」

つい熱くなる敦史。

「ゎかんない…」

ようやく口を開いた茜。

「痛いのかよくわかんない。あたしは腕振れてる!だから投げられる!」

まだ茜は強気だ。すると敦史もヤケだ。

「わかったよ。ほら、内野も戻れ。」

散るように手振りをする。

「投げられるなら、抑えろ。リードはしてやる。」

敦史はミットを拾い、茜に言った。

「抑えられなかったらわかってるな?」

「…」

そしてホームへ戻った、敦史。いつもの「あたしを誰だと思ってんのよ」は茜の口から出なかった。

セットポジションでサインを確認し、静止する。息が荒くなる。

「はぁ、はぁ」

一度プレートから足を外し、集中する。

「打たせていきましょー!」

「打たせていけ!」

周りからの声は、もう茜には届いていない。

「やれる。まだやれる」

茜は自分に言い聞かせ、もう一度プレートへ足をかけた。もう周りの状況は目に入らない。入るのはあのオレンジ色の的だけ。ゆっくりと上げた腕からボールが離れる瞬間だ。電流が流れるかのように肘を何かが走った。

「痛っ」

しかしボールをしっかりリリースする。ヘロヘロの球は茜の限界を物語っていた。

(ガキーーーン!)

軟式野球の練習試合でなんてそうそう起こらない。打球は綺麗な放物線を描き、フェンスを越えていった。茜の投手としての初失点だった。ボールの飛んだ方向を見つめる茜。肩がとてもか弱く見える。敦史はたまらず監督に直訴しに行く。するとこの回から肩を温めていた青木がマウンドへやって来た。

「茜先輩…」

そこで茜は青木が来たことに気付いた。

「なんで…いるの?」

青木に尋ねる。

「交代だそうです…」

「いやいや…」

顔を下げる茜。

「松原、引っ込め」

敦史もマウンドへ来た。放った言葉はもう愛の鞭とかではない。邪魔者を排除するようなそぶりだ。

「やだ…」

このような結果で引き下がれない茜は、マウンドであがく。

「まだ投げれる!」

しかし敦史は冷たかった。

「もう審判に伝えた。下がれ」

溢れそうな涙をこらえながら、茜はマウンドから降りた。

ベンチに下がった茜は右手でグローブを投げつけ、発散する腕の力もなく。ベンチに座り帽子を目深に被り項垂れた。

「先輩、水…」

「いらない…」

後輩からの差し出しも断り、その後試合終了の声がかかるまで茜はグラウンドを一度も見なかった。



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第7話

練習試合終了後、大型バイキング店での合宿打ち上げ。様々な料理が置いてあり、疲れた部員たちだったが疲れも感じさせないはしゃぎ様だ。騒がしい中、同級生のテーブルからも離れひたすらに葉野菜を食べる茜。冷凍庫に長時間手を突っ込んでいるかのように冷え切ったテーブル。死ぬほど暑い夏だが誰も近寄ろうとはしなかった。慣れない左手でフォークを握りしめ、レタスを食べる。

「おい、茜先輩のとこ行けよ」

「いや、今は無理だろ…」

「いつも可愛い、可愛い言って近づいてんじゃんかよ」

「いや、あんな茜先輩見たことないし、無理だろって」

後輩たちもだんだん気を使い始めた。そこで、勇気を出し茜にクレープを持って行ったのが…。

「茜先輩!こ、これ!」

茜は差し出されたクレープを見て言う。

「何入ってるの?」

高い可愛らしい声はどこへやら。

「チョ、チョコバナナです!」

そう聞くとため息を喉が出てくるような勢いで吐く。そしていつもの声に少し近づけて話し始めた。

「ありがとね、和田。気を使ってくれたのね」

「い、いえ…。」

もらったクレープを一かじり。すこし口の中に残るレタスとともに流し込むとすこし変な味だ。

「ごめんね、なんか変な空気になっちゃったよね」

「あ、いえ!そんなことないですよ!試合も逃げ切りましたし!」

「意地になっちゃったし…」

いつもとは違い、元気満点じゃない茜と会話を合わせるのが難しい。いつもは空気のノリで難なく行く会話も弾まない。

「肘、痛いんですか?」

「うーん…」

すこし考え、茜は寂しそうに笑い返答する。

「痛いよ」

思い切って聞いて見た和田だったが、この返答には言葉を失った。

「あたしが悪いのよ。普段から投げるばっかでトレーニングとか、ストレッチとかあんまりしてなかったし」

そう言って振り返る。

「まあ和田は、ちゃんとやんなさいよね」

そう言って茜は和田の肩をポンと叩いた。

「は、はい…」

それを聞いて茜は口角をどうにかあげた。

「ほら!戻った戻った!打ち上げ、楽しんできなさい」

和田にもわかった、無理して笑ってくれていると。

「うっす!!」

気づかいを無駄にせんと元気に返事をかえした。

この日茜は同級生の誰とも喋らず、合宿から帰ってきた。

帰りのバスは、豊島区で停車。茜はそこから電車に乗り帰宅をする。時間は午後16時。山手線の帰宅ラッシュには引っかからず、荷物が邪魔にならなかった。高田馬場駅で下車した茜は重い荷物を左手で持ち上げ、改札を出るとまだ少ない改札口に立つ涼介の姿を見た茜。そういえば今池袋だよーとメールをしたところだった。まさか迎えに来てるなんて思ってなかった。

「学校ないのに…、なんで…?」

高田馬場まで電車通学をする涼介は学校がない時は茜とのデート以外ではこちらにあまり来ない。

「だって、話したいことたくさんあるんじゃないの?」

涼介はユリゲラーみたいだった。普段ならちょっと引いてみて涼介を困らせようとするところだが、今の茜はそうならない。

「うん…。話したいこと……。たくさんある…」

人目を気にせず、エナメルをその場に置き涼介にぎゅっと抱きついた。嬉しかった涼介だが、ここは冷静に。そっと茜の頭を撫でて、

「ほら、ここだと人の邪魔になっちゃうから」

そう言われた茜は涼介にエナメルを持たせ手を引いた。

「ただいま」

少し歩いて、茜の実家についた。

「おかえりなさい。あら涼ちゃんも一緒なのね」

「すみません、お母さん」

よく実家同士を行き来する仲なことは互いの親が認めている。

「お、涼介きたか」

茜の部屋に入るくらいで茜の兄に呼び止められる涼介。だいたいこういう時は野球かサッカーのゲームに誘う時だ。すると涼介は、今日だけ申し訳なさそうな顔をして

「今日は先約いるから、ごめん!」

3つ離れているものの友達のように接する涼介と兄はこれからも仲良くしてくれそうだ。

「おぅ、そうか」

茜のいつになく静かな姿を見た兄も涼介を勧誘するのを諦めた様子。

(パタン)

茜の部屋に入って、涼介はゆっくり扉を閉めた。夕食までにはすこし時間がある。

「シャワー浴びてくる」

「うえっ!?」

突然の発言に驚く涼介。茜は顔を赤くしながら

「汗だよ!あ、せ!」

「あ、あー。どうぞ!!」

「ったく、変態…」

「ご、ごめん…」

つい期待してしまう面もあるが、まだ夕方だ。

シャワーをサッと浴びてきた茜はちょっとエロかった。ゴクリと一度唾を飲み込んだ涼介。

「唾飲まない!」

その一瞬も見逃さない茜。

「ご、ごめん!」

とか言いつつ、涼介と接触するほどの距離に茜は座った。肩に寄りかかる茜。

「野球部やめようかなー」

おもむろに肘を抑えた茜。

「やめないでよ」

涼介は相談にも乗ろうとしない様子だ。

「え、理由とか聞かないの?」

「ここでしょ?」

涼介は茜の右肘を触った。

「そこは鍛えようよ。できるって!あーちゃんなら!」

「そうじゃなくて、気まずくて…」

いつの間にか向き合って話をしていた2人。

「え、そんなことで悩むことあるの?」

涼介のデリカシーない発言が茜を少し怒らせる。

「あたしだって悩むんだよ!」

「いやいや、ケロッと行こうよ。気まずい方が名古谷くんもやりづらいと思うよ」

ここまでくると精神論だ。涼介はいつになく情熱的だった。

「でも…」

いつもはガンガン行く茜も今日は押されまくり。

「じゃあわかった。休部すればいいんじゃない?」

展開が早すぎて茜の少ないキャパを超えそうになっている。ガンガン攻めてくる涼介に戸惑う茜、そんな時だ。

「ご飯できたよー」

茜の母親の声で茜が立ち上がって、

「ご、ご飯行こう!!」

「え、あ、うん」

茜は涼介を置いてさっさとリビングへ向かった。取り残された涼介は少し言い過ぎたかなと反省した。

今日は茜の大好きな唐揚げだ。明日から夏休みの残りが始まる…。



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第8話

合宿後の最初の練習、茜の姿はグラウンドになかった。深くは誰も詮索しなかった。きっと試合の時のことだろう。みんなそう自分たちに言い聞かせながら、いつもより少し静かなグラウンドで練習を始めた。

「名古谷、なにか聞いてるのか?」

「なにも」

心配する西村。対して茜の話になると気不味くなる敦史。

「いいから練習続けるぞ、西村」

「お、おう」

そして練習開始の1時間前、教室にて…。

「あれ?茜、部活はー?」

「え、あっ、今日はちょっと用事が…」

(ガンっ)

茜の机が動く。

「痛っ!、」

「だ、大丈夫!?」

「う、うん…」

話しかけたのは茜の親友であり、敦史の彼女である美優だ。

「帰るなら一緒に帰ろうよ」

「うん」

隠れるようにグラウンドの横を通り過ぎ、なんとか校門を出た茜。

「そんなに気不味いの?」

「え!?な、なにが!?」

「野球部」

「あー、ほら、監督には言ってるけどさー…」

「夏休みも合宿後、出てないって敦史言ってたよ?」

「…」

敦史から報告をもらっている美優にテキトーなことは言えない。なにかいい理由を探さなくては。そう考え込む茜だが、美優には色々筒抜けだった。

「なにで喧嘩したか知らないけどさー、なんか妬けるよねー」

「え?」

「だって、ウチの彼氏なのに、茜のことばっかり!」

「ご、ごめん…」

すこしふてくされて見せた美優だったが、流石に元気のない茜にはやりがいがない。

「んで、辞めるの?」

美優は話を変えた。

「辞めない…つもり」

なかなか目を合わせようとしない茜にしびれを切らし、帰り道人が見ている中で、ガッと茜の肩を掴んでちょっと大きめの声で言う。

「あのさ!!」

「み、美優!?」

「なんか、ウチは頭いいわけじゃないけどさ!」

「…」

「もちろんさっき言ったみたいに妬けちゃうことあるけどさ!親友としてさ、悩みとかあるなら言ってほしい!」

自分の思いを丸ごと茜にぶつけた美優。

「美優…」

「敦史に言えなくても、ウチには言えるかもって思ってさ。嫌じゃなければって感じだけど…」

(あぁ、そうか。周りが涼ちゃんしか見えてなかったんだ。)

「ごめん、美優。もう少し、待って…。」

「茜…」

「でも、ちゃんと言うから!絶対!」

表情もいつものお気楽な茜よりも真面目だ。まあ許してやるか…。

「わかった。約束だからね!」

「うん!」

美優と約束をした茜。

 

 

時は合宿後の涼介との会話。

「休部してどうするの?」

「気不味くなってるならさ、コソ練しようよ。ランニングとインナーを鍛えるんだよ」

「そんなの許してもらえないよ…」

「言ってみなきゃわかんないよ!」

という涼介の提案の元、気不味さとコソ練をしたいがために監督に申し出た。

「というわけで…」

「ちゃんと練習するんだな?」

「はい」

「じゃあこれをやる」

そう言って監督が茜に差し出したのは強度が3タイプあるゴムチューブだ。

「肘を鍛えるのにはもってこいだ。毎日100回くらいやっておけ。強度は少しずつ上げるんだぞ、一気に上げるなよ」

難なく許しを得られた。

「止めないんですか?」

「ここでお前を部に置いていても成長がないと思ったからだな。その代わり、」

「?」

「エースナンバーは剥奪だ。当然だが、打順もだ。」

わかっていたことだが、宣告されるとまた違う角度で刺さってくる。しかし、こんなことでへこたれていられない。部員と敦史と離れることで、自分と向き合い、新たな発見をするのだ!

「承知の上です!」

こうして、茜の個人練習が始まった。

 

朝、学校を出る前にランニング。授業中には先生にバレない程度にチューブを使ったインナーを鍛える練習。ここまでするともはやコソ練ではないが…。

毎日毎日欠かさずに、死ぬほど頑張った。最初は1キロから始めたランニングも始めてから3ヶ月が経つ頃には10キロに距離が伸びていた。たまに涼介とするキャッチボールでは前よりも肘の調子が上がってきていることを実感した。一週につき1度だけにしていたキャッチボールも調子が上がっていることを確認すると回数、球数を増やしていった。

 

 

一方、茜を欠いて出場となってしまった秋の新人戦では、夏に東京を制覇したチームとは思えないほどの打線の崩壊で7回で打った安打は2本。背番号1を背負い先発した青木も3回途中6失点と炎上し、まさかの1回戦敗退となった。

 

 

そして、敦史や野球部のみんなと茜が話をしたくなって2度目の大会が始まろうとしていた。

引退となった3年生も参加できる、私学大会。今日は背番号が発表された。優先されたのは自主参加した3年生だ。そして、

「最後、20番は…。ここにいないが、空けておく」

1年生にもしやと、笑みが溢れるものもいた。2年生もやれやれと思うものしかいなかった。

「名古谷、ちゃんと接しろよ」

高柳が夏の試合での喧嘩を振り返る。

「ちゃんとした球を投げればいいんだよ。それだけ」

こんなに澄ましているが、茜の近況をよく美優から聞いているくらい心配している。気になってしょうがないのだった。

 

 

しかし…、、

 

 

「おい、20番のやつはどうしたんだよ」

試合当日、開始時間になっても茜の姿はグラウンドになかった。3年生たちも茜の怠惰っぷりにため息。敦史のイライラが高まる。

「敦史!!」

茜の現状を伝えにきたのは、試合観戦に来ていた美優だ。

「茜の乗ってる電車、人身事故で6つ手前の駅で止まってるって!」

「運が悪いやつだな…」

「あ!」

茜から美優に電話だ。

「え!!まじで!?わ、わかった…」

茜のことを監督に伝えに行った敦史に、電話で話したことを知らせる美優。

「は?走る?本気なのか、あいつ」

タクシーなどを拾えばいいものの、走ってくるようだ。

「監督…、どうします?」

「好きにさせろ。来たらその時の状況によって決める」

 

その頃、

「走るの!?」

「涼ちゃんはゆっくり来て!わかんないけど、走ったほうが早い気がする!」

止まった電車を降りて走る準備をする茜。

「タクシーで…」

「先行くね!」

提案しようとしたのもつかの間、行ってしまった。

「まあいっか、あーちゃん楽しそうだったし」

そう、久々の野球に心が踊っている茜を涼介にとめられるわけなかった。

 

 

試合は3年生の元エース白根を先発にスタートしていた。序盤は難なく進むも、白根のノミの心臓っぷりが爆発。ランナーを背負った時には必ず失点をする有様。なんとか5回までつなげた。

そして、6回裏の相手中学の攻撃。敦史の戦略虚しく、ノーアウト二三塁。今日3度目のタイムをかけマウンドへ向かう。

「さすがに交代っすよ、白根先輩」

「い、いやだ!」

「ったく、ピッチャーという生き物は…」

夏のデジャブ。先輩を優先したせいで、青木の出場登録枠がたりなかった。和田も下げてしまった。となると…。

「遅れました!!」

息を荒げながら、登場したヒーロー。いや、ヒロイン。

「はぁはぁ」

「ユニフォームは」

監督がそう聞くと、着ていた赤ジャージを突然脱ぎ出す淫乱っぷり…、ではなく。

「着てきてます!」

「西村!キャッチボールしてやれ」

監督の「キャッチボールしてやれ」は登板させるぞ、という合図でもある。懐かしの感じについニヤける。さっきの淫乱っぽさで固まる1年生たちだが、すぐに応援をすることを思い出し、

「茜先輩、頑張ってください!!」

 

そして、監督から敦史への支持は、次のバッターまで戦ってろとのこと。諦め続投するもセカンド強襲の内野安打で満塁。ゲームのような展開になってきた。

「松原、西村出るぞ」

この場面で選手交代。センターに西村。そして、

「ただいま」

「いつも通りいく。いけるんだろ?」

マウンドへ上がった茜へいつも通りの対応。すると、もちろんのドヤ顔で言う。

「あたしを誰だと思ってんの?」

久々の台詞につい敦史の口角が上がる。そして、敦史がミットを茜の方へ差し出す。それに反応して茜もグローブでそれを叩く。そして何も言わずにお互い持ち場についた。



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第9話

自信にあふれた笑顔寸前の茜だが、やはりマウンドではそうはいかない。すっと目を瞑る。心の中で『やれる、やれる、殺る』と唱え、目を開く。そして広がる久しぶりの景色。帰ってきた、帰ってこれた。久しぶりを実感するのは景色だけではなかった。練習として投げる7球。そう、マウンドの傾斜だ。平地の公園とは異なっているが、2球も投げれば慣れた身体が自然と傾斜にあってくる。

「よし、乗ってきたな」

捕球する敦史も夏の大会以来、いやそれ以上のものを感じた。ほぼ勝利確定点差だが、相手チームは茜の球に見惚れるどころか、危機感を覚えた。

投球練習が終わると止まっていたものが動き出す。敦史のサインを見て、セットポジション…かと思いきやノーワインドアップの投球フォーム。球に力を込め投げ込んだ。糸を引いているような完璧なコントロールでミットへ入って行った。

(バシィィィィ)

「ストラィィク!」

こんな選手を温存しておいたのかと相手チームも驚く。サインはすでに交換済み。すぐ投球フォームに入った。そのテンポの良さと久々の実戦に高ぶる球速に打者は手が出ない。真っ直ぐで早くも追い込んだ茜に遊び球は存在しない。コソ練でさらに柔らかくした身体をしならせて、3球目。

「ストラィィク、バッターアウト!!」

2人目もストレート3球で三振を取った茜に、敦史がさっきまでとは違うサインを出す。迷いなくうなづき、テンポよく投球動作に入る。先程からドンドンギアを上げ、部費で購入した球速測定器で測ると女性投手最速に近づく120を計測。足腰、そして肘を鍛えたというのが本当であることを如実に知らせる。

「ストライク!」

さあ追い込んだ。次はどんな球を繰り出すのか、城戸中ベンチは応援を忘れ、期待の眼差しを茜に向けた。

(バン、バン!)

敦史がミットを叩き、ここだ!と構え茜を呼ぶ。今は全部が見える。全体を把握し、敦史の構える姿までもぱっちりの両目でしっかり捕らえる。変わらないテンポで投球動作に入る。離した手から放たれた球は、空気を切りシュルシュルと音をたてながら打者へ向かっていく。

「!」

足を上げ構える打者は異変に気付く。

(全然、こない!)

球はゆっくりと真っ直ぐと同じ軌道で向かってくるではないか。そして、バットは空を切る。

「ストラィィク、バッターアウト!!」

茜の最も得意とする変化球の『チェンジアップ』。異名である、『舞姫』の復活を象徴するキリキリ舞いっぷり。3者連続3球三振で最終回の攻撃を迎える。

「名古谷、お前達だけで1点でも掴んで見せろ」

攻撃に入る前に監督に指示を受けるこの回、先頭の西村、茜、敦史の1〜3番。のちに野球界を揺がす打順だ。

「と、いうことだが」

「ガンガン打とうよ!」

「それって、俺の出塁前提だよな…」

相手チームの投手交代の間にネクストバッターサークルを囲むように3人が集まり話し合いをする。

「西村は、データが相手に無いはずだからセーフティバントでどうだろうか」

「それで盗塁だねー」

「仕事多すぎだろ」

「まあまあ、あたしがバントするより剛が盗塁したほうが確率高いっしょ」

「まあそういうことだ」

「自分で言うのはいいけど、人に言われるとムカつくわね」

すると西村はバットを持つと

「まあなるようになるだろ」

そう言ってバッターボックスへ向かおうとした。そんな西村を茜が引き止める。

「待って、剛!」

そう言って、バッターサークルの中央に手を出す。

「そう言うの恥ずかしくね」

西村が照れる中、敦史は茜の手に手を乗せた。

「ったく、名古谷まで…」

そう言いながら西村もそれに加わった。

「えいえいおーってのはダサいよねー」

茜が掛け声に悩む中。気だるそうだった西村が掛け声を決めた。

「え!!それ可愛くない!」

「俺はいいと思うぞ」

「はい、多い勝ちだな」

「くそーー」

そして、改めて手を合わせ、息を合わせて…。

「いくよーー」

「「「うぇーーぃ…」」」

低めの声で気だるくーーー。

打席に入る西村。大きな構えからはどんな選手かは想像つかない。低めに投げられた球をセーフティバント。

(カコン)

三塁線ギリギリに転がる、まさかのバント。守備陣は慌てて捕球。しかし、城戸中で最も足の速い西村はすでに一塁へ。グッと握った拳で茜と敦史に答える。それを見てから左打席に立つ茜。バントの構えで投球を迎える。そして第1球目。一塁から飛び出た西村を補助するようにスイングする茜。捕手の送球虚しく、盗塁が完璧に決まる。

「さっすがー」

茜はボソッと言うと再び打席に入る。バッターサークルにいる敦史からのサインを確認し、構える。今度はバントの様子はないようだ。投手の投げる手がトップにいくところで、右足を高く上げてタイミングを取る。外角に逃げていくスライダーだ。しかしストライクゾーンに入っている。茜は甘い球を見逃さない。

(カーン)

左手で無理矢理引っ張るった打球は金属バットの跳ね返りでセカンドの頭上を越えていく。弱めの打球に三塁を蹴ろうとする西村を三塁コーチャーが止める。女の子の打者ということで前進していた外野からの送球では、ホームインすることはできない。

「よく打ったなー」

茜の打撃に関心した敦史は、狙いよりもいい結果となって大きなチャンスで回ってきて高ぶっている。こういう時は早めに勝負を仕掛けるのが定跡だが、敦史は自分のペースを保つ。バッターボックスへ入った敦史は、初球の変化球を見送りストライク、2球目の真っ直ぐを見送りボール。3球目の外角ギリギリの真っ直ぐを逆らわずに、バットをボールに差し出す。踏み込んだ左足でグッとに踏ん張り、バットを振り抜くと打球は金属バットと軟式ボールの跳ね返りで面白いくらいに飛んで行った。余裕でホームへ戻ってきた西村は一塁から走って来た茜をハイタッチで迎える。ライトの上を越えていった打球で、三塁コーチャーも敦史の足を考え腕を回す。

「まじかよ…」

そう言いながらも激走する敦史。最後はスライディングでホームイン。息を荒げながら茜と西村とハイタッチをかわし、見事3人で得点を挙げてみせた。

「よく打ったな、名古谷!」

「敦史にしては上出来じゃん?」

「一言余計だ」

そう言って茜にチョップする敦史。

「あいたっ!」

いつもの楽しそうな敦史を遠くから見ている美優もホームからベンチへ戻る3人と同じように笑った。

「名古谷くん楽しそうじゃん」

「あ、上原くん。遅かったね」

「道路も混んでてタクシー使ってもこんな時間だったよ」

観戦ゾーンに遅れて来た涼介。美優に声をかけた。

「残念ね。茜、投げてたのに」

「ここに歩いてくる間に見られたよ。勿論、バッティングもね」

「あら、そう」

「それにしても、名古谷くんは上手いなー」

「キャプテンですから!」

得意げな表情の美優だったが、気持ちよくさせておこう。そう涼介は思った。

結局試合は7-3で敗北した城戸中だったが笑顔が溢れているミーティング現場だった。

「えっと、迷惑かけてごめんなさい」

ミーティングでは茜が深々と頭を下げ、休部していた日々を謝罪した。そして、

「これからは…」

監督のありがたくも長〜い話が始まった。明日からまた、背番号を争う練習が始まる。もちろん、休部していた茜もその内の1人だ。今日の成績は一度リセット。また考え直すとのことだった。

茜もまた新たな気持ちで練習に臨むことになるーーーーーーーーー



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第10話

ちょこちょこ練習試合を挟みながらも秋大会1回戦負けのチームへは、たまたまのレッテルが貼られ強豪校とすることは叶わなかった。しかし試合をするという感覚はどんどん染み付いて来ていた。

そして春、そんなまぐれで全国大会出場を叶えたチームには新入部員がそこそこしか入らず、超絶上手い選手が入ってくることはなかった。一方、3年生になった茜は去年の今頃との差に周りを驚かせていた。むしろ敦史からは、

「もう少し投げないのか?」

というセリフまで出る始末だった。O型の中でもマイノリティ的な性格を振るう茜は、一度決めたことを変えようとはしない。

「キャッチボールで確認したい!」

という回数が圧倒的に増えた。全力で投球することは練習において、ほぼ無くなりキャッチボール感覚で投げるのが基本となっていた。大きく変わってしまった茜だが、練習試合での成績や多く持つ変化球の精度は高まっていることから敦史も茜に合わせてこれている。

「変化球増やしたいっす!」

後輩の指導にも茜は夏から目覚め、率先して当たっている。その影響か青木の投手成績はうなぎ登りだ。一方、和田は茜から打撃面で指導されることが多く、4番候補に名乗りを上げている。

下馬評が低いものの、充実した練習を行えている城戸中軟式野球部は近付く期末試験を背に始まる夏の大会のベンチ入りメンバーを発表する時期までやって来た。

「えー、半年くらい様々な打順で、ポジションで様子を見て決めた20人を今日、発表する。」

部活のない放課後に集められた部員達は輪になり監督の話を聞く。

「名前を呼ばれたら番号を取りに来い」

ここが緊張のピークだろう。特に部員数の少ない3年生は選ばれるとして2年生はどうだろうか。各々、不安を背負いながら名前を呼ばれるのを待つ。

「じゃあ、1番から…」

必ず貰える。それだけの準備はして来た。茜はそう自分に言い聞かせながら名前を待った。

「松原!」

「はい!」

大きな返事と共に今大会のエースが決まった。惜しくもエースナンバーを獲得できなかった青木は2番手投手の10番を背負うこととなった。番号は順番に発表され、夏の先発メンバーが決定した。

茜は家に帰ってから、母親に背番号をユニフォームにつけるようお願いして日課のランニングに出た。控える最後の夏、茜の賭ける思いは他の選手とはかけ離れていた。

 

 

そのころ、高野連とNPBの上層部が緊急で会議を行っていた。

「女性選手の甲子園参加ですか?」

「とても話題性のある内容だと思いますが」

「うむ、、それでは伝統が……」

「それでは彼女の投球を見てください!」

1人の高野連の職員がノートパソコンに保存された映像を会議室場で流した。計測された球速、凛々しくマウンドに立つ姿。

「こんなもの相手の打者が弱いだけでは?」

「八百長もありえるな」

「そんなことは、ありません!」

「では、こうしましょう。」

女性選手の甲子園参加を唱える職員に非難の声が上がるも、NPBの職員が口を開いた。

「この夏季大会の成績によって判断しましょう。城戸中の打撃陣は眼を見張るものがあると、この資料で見られます。ですので勝利数はもちろんのこと、防御率やWHIPをも判定項目に加えます。さらに、このことは口外しないこと。八百長が起こるかもしれないのでね」

「わ、わかりました!ありがとうございます」

 

 

そして6月末。昼休みが終わると野球部はユニフォームに着替える。午後の授業は公欠で試合へ向かう。

「授業出なくていいなんて、幸せだねー」

「数学以外できないんだから、卒業できなくなるぞ、お前」

ウキウキで準備する茜に釘をさす敦史。

「まあまあ、この大会で勝っていけば卒業させない訳にはいかなくなるでしょ!」

「それにしても、勉強は必要だからな」

「ちぇー」

準備をした背番号付きメンバーは校門に集合し、試合会場へと向かった。

1回戦、マウンドに上がった茜の姿に、復活したのかと注目が集まる。昨年の夏は、1回戦と決勝戦、そして途中のリリーフとして登板した。その時の印象を忘れているものはいない。今日の打順も初見の敵チーム。試合が始まると、城戸ナインからの殺気がじわりじわりと漏れて見えてきた。

「男の子と野球ができる最後の年だから、絶対負けたくないの!」

試合前の茜のその一言がナインの闘志を爆発させた。

投球練習を終えて、1回の表の投球に入る。

「今日はいつもの100倍可愛いっすよ、茜先輩!!」

応援なのか冷やかしなのかわからない、恒例の声が城戸中ベンチから聞こえる。しかし、このエールは毎回スルーされるのがお決まりだ。マウンドに立った茜は外からの野次には反応しない。集中しているのだ。

「プレイボール!」

開幕する茜の快投劇。それは1回戦だけにとどまらない。今年は全試合先発することが決定している。しかし、力配分などマウンドに立つ茜ができるわけがない。だから、こういう時は敦史の出番だ。全力ストレートと、普通のストレートの2つに分けて配球を組み立て、相手打者を翻弄していく。茜の肘のことも頭に入れながら、巧みなリードで打線を無力化して行く。そうしてすぐに抑えられた相手チームに襲いかかる城戸打線。西村、茜、敦史の最強上位打線は都大会レベルには収まらない。ほぼ全打席で安打を放った。準決勝までの4回戦は全てコールド勝ちで茜を温存することができた。

「こんなの練習みたいだね」

「まあそう言ってやるな」

準決勝、決勝とフルイニング7回の試合となった。準決勝では、5回まで抑えた茜は途中でライトの守備につくと、青木が残りの2イニングを抑えた。打撃では、4番の和田が本塁打を含む5打点の活躍で得点をぶんどった。そして向かえた決勝戦では茜が2安打完封、21個のアウトのうち奪った三振は17個。この日はフォークが冴えた。打撃も収まらず終わってみれば7得点を挙げ、都大会を通過した。

「喜ばないんだな、やっぱり」

投げ終えた茜にはあまりいい笑顔が見られなかった。

「本番はこれからだからね。岡山で、今度こそ大暴れしなきゃね。」

「そうだな。先輩が投げた試合で負けたからな。1試合しかなげてなかったな」

「うん。最後の大会だからさ。敦史と組めるのもね、」

「そうだな」

茜の少し寂しそうな言葉にも、冷静に返答をした敦史。そして、半月後に黄金バッテリーの全国大会が始まる。



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第11話

全国大会1回戦の相手は、群馬代表。しぶとい打撃が持ち味のチームだ。このチームは、茜対策として徹底的なクサい球カットの練習を重ねてきている。

「今回、遊び球はないからな。5回は投げきろうな」

「え、完封でしょ?」

変化球多投が予想される試合で、疲労を考えた敦史の配慮に茜は当然のように否定した。ついこの間まで球数を気にしていた茜は、頻繁にマウンドに立ったことが引き金になったのか思考が1年前に戻っていた。

「肘やるぞ、お前」

「うっ…」

敦史がクギを刺すと思い出したかのように反応をみせた茜。

「まあまあ、試合当日の調子でみようよー。完封いけるかもしれないしー」

「それもそうだな」

事前に発表されているスターティングメンバーは、

① 中 西村

② 投 松原

③ 捕 名古谷

④ 一 和田

⑤ 遊 高柳

⑥ 左 加藤壮

⑦ 三 清水

⑧ 右 加藤和

⑨ 二 菅野

 

そして向かえる1回戦。岡山で行われるこの大会。ベンチ前の掛け声を終えてマウンドに立った茜は、プロ野球公式戦で使用されたことのある球場の雰囲気を堪能しながら投球練習を始めた。いつもはマウンドでは口角すら上がらない茜だが、またここで投げられるという高揚感でつい上がってしまう。

「プレイボール!」

プレイボールとともに茜目当てに来ている野球ファンも含め、スタンドにいる観客が湧き立つ。その歓声に物怖じせず茜は敦史のサインを見て投球モーションに入った。この夏、連勝街道に乗ったオリックス金子千尋と瓜二つのフォームでリリースはギリギリ。放たれる真っ直ぐは、標示よりも明らかに早く見えた。序盤は真っ直ぐ中心、ストライクゾーンから離れることなく投げ込んだ茜。群馬代表は三振はしないものの、凡打の山を積み立てていった。

一方、打撃面では4番の和田が絶好調。ワンアウトからフォアボールで出塁した茜を敦史がライトへのシングルヒットで三塁へ進めた一回の攻撃。回って来たチャンスで先輩の作ったチャンスを無駄にするかと内角に入るシュートボールを振り抜いた。芯に乗った打球は大きな弧を描き、外野の頭を越えていった。二打席ではツーアウトランナー2塁からライトへ引っ張るバッティングで得点をもぎ取った。チャンスで活躍する2年生4番打者はチャンスを作り上げる3年生に引けを取らない輝きようだ。

茜は4回以降ヒットでランナーを背負うことがありながらも要所を得意のチェンジアップと真っ直ぐの変幻自在の緩急でピンチを切り抜け打者にいい流れをもたらす。

当初のデータ通り、際どい球は積極的にカットしてくる群馬代表は三振はしないものの茜のじわりと変化するカットボールやツーシームを外野まで跳ね返すことができずにいた。球数を投げさせたものの1点も奪うことができなかった。6回を80球で投げ切った茜は7回はライトの守備に着き、マウンドには青木が上がった。青木は茜よりも球質の重いストレートで凡打を3つ生み出し、完封リレーで城戸中を勝利に導いた。

試合終了後のクールダウン中、茜はすこし不満があったようだ。

「完封いけだじゃん」

「青木も投げさせたかったんだよ。当初の予定よりも1回多く投げたんだからいいだろ」

「ちぇー」

肘を痛める前より聞き分けの良くなった茜に成長を感じる敦史だった。

「じゃあ次の試合見にいくぞ」

クールダウンを終えた敦史と茜はスタンドへ向かい、次の対戦相手になるであろうチームの試合を見ることにした。

対決するのは投手王国の宮城代表、豪打の大阪代表。宮城代表は1年生を含めた6人の投手を細かく起用する。突出した選手はいないものの、全員に内角を攻める勇気がある。一方、大阪代表は軟式野球にも関わらず、フェンスを越える打球を放つ選手が数多く在籍する。すでに府内有数の強豪高校に入学を決めているものもいる。

「敦史、茜!こっち、こっち」

スタンドに着いた2人を呼んだのは、観戦に来ていた美優だ。横には涼介もいた。学校の授業をサボって岡山までわざわざやって来た美優と涼介は伊達メガネでしょぼい変装をしていた。学校の関係者にバレたら大変なことになるだろう。最初は来なくていいと言っていた茜と敦史。どうしても来ると聞かなかった美優と涼介は勝手に今日だけとやって来たのだった。試合前にそれで動揺しそうになったがなんとか試合ムードが押し勝った。2人の姿を確認した敦史と茜はそれぞれの相手の横に向かった。

「あーちゃん、ナイスピッチングだったね」

「完封いけたのになー」

「その話はもう終わっただろ」

「敦史が変える指示だしたんだー」

「いや監督も合意の上だってば」

「名古谷くんも大変だな」

「ちょ、上原くんまで!!」

たまに一緒に出かけるだけあって、テンポの良い掛け合いが自然と始まった。

「ほら、そんなことより試合!」

茜が3人に向けて言った。

「言い出しっぺは松原じゃないか」

「まあまあ」

少しいじけた様子の敦史を美優がなだめる。

そして、試合が始まった。宮城代表がテンポよく大阪打線を封じ込めるが、貧打の宮城代表もまたテンポよく打ち取られていく。

「どっちが上がって来た方がやりやすいの?」

涼介の疑問に2人が答える。

「あたしは大阪ー」

「いや宮城だろ」

早速意見が割れた。

「あーちゃんはなんで?」

「だって、大阪の投手は打てそう!」

打ち勝つ野球をしようというのだった。一方敦史は、貧打の宮城を抑え、投手戦をしようと考えていた。

そして試合は早くも6回裏の大阪代表の攻撃、4番から始まる。フォアボール、犠打とノーヒットでチャンスを築き上げた。宮城代表はここで5人目の3年生が登板。左対左の勝負に大阪代表もたまらず代打を起用。これまた3年生だ。最後の大会に力が入る両者。2ストライク1ボールからの3球目、渾身のストレートを内角低めに決めて見逃し三振。この投球に思わず拍手を送る茜。

「とんでもない球投げるのね」

「右にも動じないところは、さすが3年生ってところだな」

続く打者も三振に打ち取り、宮城代表はピンチを脱した。しかし、次の攻撃ではやはり打線が続かず、あっさり大阪代表に明け渡した。そして最終回、大阪代表は8番の1年生が初球をスタンドに運び、サヨナラ勝ちを収めた。

「あっさり決まっちゃったね」

「このチームと戦うんだぞ」

「わかってるってばー」

明日、2回戦大阪代表との試合が決定した。



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第12話

涼介と美優を見送って、2人は宿舎で作戦会議を始めた。そこには西村、高柳、加藤、菅野と3年生スタメンが集まった。

「芹那たち送って来たのか?」

「うん。遅くなって悪かった」

高柳ら3年生選手は、美優たちが学校をサボって来ていることを敦史から知らされている。

「遅くなったことは気にするな。試合はしっかり見て来たんだろ?」

「もちろんだ」

すると菅野が身を縮ませ言う。

「打球強そうだよね…」

「左打者も多かったし、ガノのところには飛びそうだな」

ガノというのは、菅野の愛称だ。

「左だけじゃなくて、右の流し打ちも警戒したほうがいいだろ」

西村、加藤が菅野のポジショニングのアドバイスをする。しかし、真面目に悩む3人に対し茜が口を開いた。

「打たせなきゃいいんでしょ?」

「おい」

「また始まったよ」

菅野、西村が茜の発言にため息をつく。

「いやいや、この相手こそ茜ちゃんの奪三振ショーを開催するべきでしょ」

その言葉に敦史も乗った。

「それは一理あるな」

茜の意見に敦史が乗ることはそうない。茜を除いた4人は驚いた。

「今回はスプリットが有効だと思うよ」

「高めの球に手を出してる奴もいたな」

「勝負は5回までかなー」

「早めにコールドしておいたほうが良さそうなのは確かだな」

どんどん進んでいく会話を高柳が抑制する。

「2人とも1回落ち着け。打撃の策も立たなきゃいけないってことか?」

「『も』じゃないよ。『だけ』だよ」

「は?」

茜が高柳の言葉を直すが、その意味をなかなか理解できないでいた。

「だ、か、ら!!」

まだわからないのかと呆れる茜。強めにそういうと続けた。

「打たせないって言ってんじゃん」

「!!」

いつものアホっぽい可愛らしい目ではなく、冷静に獲物を狙う狼のようにゾッとさせる雰囲気。

「まあ松原の組み立ては俺に任せろ。お前らは、ガンガン打ってくれればそれでいいようにする」

「守備はどうする、名古谷?」

「いつも通りでいいよ。松原は、部屋に戻って休んでおけ」

さらっと悩んでいた守備のことを片付けた敦史。茜を部屋に戻し、一息ついた敦史は期待する表情で言った。

「観戦してる時からさ、あいつ強気だったよ」

「松原がか?」

「自信満々なのは、いつもそうだけどさ…」

敦史はあまり表情や言葉で茜のことを表現しないのだが、今日は機嫌がいいようだった。

「あいつ、ピンチの時とか全く違う目をするんだ。その時の球は受けていて信じられないくらい気持ちがいいんだ」

そういって茜の投球を思い出し、ついニヤつく。

「観戦中さ、あいつ大阪代表の方がいいって言ってた。だからわかんないけど、大丈夫だと思う。」

「らしくないな。根拠がないじゃないか」

高柳が感情論に走る敦史を問いただす。

「すまん。でも明日はやれる気がするんだ。だから守備はいつも通りでいい」

「まあ名古谷が言うならそうする。グラウンド内の指揮官はお前だからな」

「ありがとう、高柳」

「いつも通り指示をくれよな」

西村も高柳に続いた。加藤も菅野も頼んだぞと敦史の策に乗る。

「明日、頑張ろうな!」

団結が高まった3年生スタメンは明日の大阪代表戦に向かう。

 

 

 

9時から始まる大会2日目、1回戦から城戸中の出番だ。

「調子はどうだ」

グラウンドでキャッチボールをする茜に敦史が声をかけた。

「眠い」

「そういうことを聞いてるんじゃない」

「ほら、見てみて」

そう言った茜は打撃練習をする大阪代表を指差した。轟音響かせ、打つ姿を見て言う。

「気持ちよく空振り三振とれそうじゃない?」

「そうだな、」

「配球お願いね」

「任せろ」

茜の調子を確認した敦史はしばらく相手チームの打撃練習を見ていた。

 

1日目と変わらないスタメンで挑む城戸中。後攻めで守備につく城戸中は、それぞれ声かけをし先発の茜を鼓舞する。7球の投球練習を終えた茜は敦史から出るサインを待つ。

初回は内角高めストライクゾーンギリギリを決め球に構成する大胆な投球。ボール1つ分でも真ん中へ入ることが許されない中、持ち前の集中力と1番の武器であるコントロールを存分に発揮する。

「ストラァイク、バッターアウトォ!!」

三振は1巡目では1つのみ。それ以外を内野フライ、外野フライ。球威と打ちづらいコースでフライの山を築き上げる。

「よし、変化球ガンガン使っていくぞ」

3回を終え、ベンチに戻った敦史は茜にサイン変更を告げる。

「速い系多投?」

「中心はそうなるな。しかし緩急があればもっと楽にやれるだろう」

「じゃあ、チェンジアップ?」

茜は得意球の変化球を提案するが、敦史には違う考えがあるようだった。

「それは昨日見せたから、研究されてる可能性があるからスローカーブでいこう」

「研究しても打てないし」

「予防線張っとくんだよ」

「へーい」

しぶしぶ敦史の意見を聞いた茜は、自分の打席が目前に迫り、打撃の準備に入った。

この3回裏の攻撃は、9番の菅野から始まる。粘りに粘り、四球を選択。ランナーを1番西村のバントで進めると、打席には茜。

「お願いしまーす」

バッターボックスに入った茜はいつも通り審判、捕手に挨拶をする。1.2球は見送り、ボールが2つ続く。先取点が欲しいこの回、茜はバットを長く持ち、長打を狙う。3球目、真ん中に抜けたスライダーを弾き返し、前進するライトの頭を越えた。

「無理すんなよ!」

ネクストバッターサークルから敦史の声が飛ぶが、打った茜は2塁ベースを蹴る気満々で走り始めた。

「あいつ…」

茜は快速飛ばし、3塁へスライディング。セーフのコールにバッターボックスに入ろうとする敦史に拳を握ってみせた。せめて楽に返してやろうと敦史は集中する。

(カキーン)

十八番である右打ちで綺麗に右中間を抜けるヒットを放った。

追加点をあげた城戸中は後半戦の守りに着く。茜は投球練習中も三塁打の疲れを見せず投げ込んだ。この回から変化球による奪三振を狙うべく配球を組み立てた敦史は、サインを出した。迷いなく縦に首を振った茜は、いつも通り早めのテンポで投球を始めた。

「ナイスピッチング!」

茜の奪三振ショーの始まりにバックが声をかける。3人をパーフェクトに抑えた。

茜の快投に乗りたい打線は、この4回は下位打線から始まる。勢いに乗り、初球からどんどんミートして行く。

「早く決着したねー」

「思ったより投手が柔かったな」

終わってみれば、繋がった打線は4回までに12得点を挙げ、5回の表を茜が3人で締めて城戸中は3回戦へ駒を進めた。

「結構余裕じゃない?」

「慢心するな。まだ4回くらい戦うんだ」

「ちょっとくらいしても面白いでしょー」

茜が余裕を見せる中、敦史はチームメイトにすら隙を見せない様子で、ここまで打率.800越えとチームを勝利へ導くメンバーであることに変わりはない。

「完全勝利が1番面白いと俺は思うぞ」

「それエースに言う?理想高すぎだからー」

「お前ならできんだろ」

その言葉に少し間を開け、茜は返答した。

「まあそれもそうか」

 

 

 

「この2試合の成績だけではまだダメですか!?」

「コールド勝ちで、打撃が目立っているな」

「まあ、この打撃力も彼女が中心に回っていることに変わりはないか…」

上層部でも茜の実力を高校野球へつなげようとするものがだんだん増えて来た。

「決勝まで進めないようじゃ期待外れだがな」

まだまだ認められない者もいるが、着実に次のステージへ近付いている…



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第13話

3回戦を難なく突破し、準決勝へと駒を進めた城戸中。

「あと3回じゃんか!」

昨日の2回戦後に敦史が言ったことに対し、茜が指摘をする。

「くらいって言っただろ。細かいことに反応するな」

3回戦は、仙台代表との試合だった。重苦しい0封試合をぶち壊したのが和田の一撃。6回にようやくチャンスを作った城戸中。和田の長打が決勝打となり茜が7回を完封してみせた。

周りからの元々の注目にプラスα、本物の野球ファンからもより見られるようになり、城戸中へのプレッシャーはそれはすごいものになっていた。

しかし、そのプレッシャーも跳ね除けようと茜の元気な姿について行く城戸ナインは、固定された打順で見事にここまでやってきた。

そして準決勝では茜の打撃が冴える。強豪の神奈川代表との一戦。エースと4番が固まっている神奈川代表に臆することなく望む茜。

「スライダー」

「が、どうした?」

試合前、最後の投球練習をする神奈川代表の投手を見て茜が言う。

「あれ打ったら心折れるかなー」

大きく曲がるスライダーを武器だと考えた茜。すると

「打てそう」

自信ありげな言葉を発したのは先頭打者の西村だ。

「お、いいねー」

「いつになくやる気だな」

「まあ登場頻度が少ない気がしたから」

「なんのことだ?」

「気にするなって、名古谷」

茶番を挟んだところで、

「じゃあさ、久し振りにやろっか!」

そう言って手を出す茜。

「本気かよ」

嫌がる敦史に引き換え、西村は乗り気だ。

「はい」

「剛、ノリがいいねー」

その姿を見て、はぁーっと大きくため息をついた敦史は、重なる手の上に続いた。

「ほんじゃ、敦史、作戦言って!」

「西村は出塁をどんな形でもして来てくれ。初球打ちはNGな」

「了解」

「松原は進塁を優先するため、引っ張れ」

「ほいほい」

簡単に確認をしたところで、

「初回から行くぞ」

敦史の掛け声に、

「「「うぇーーーぃ…」」」

 

打席に向かう西村の背中をネクストバッターサークルから見守る茜。

プレイボールの掛け声とともに西村の集中力が一気に高まる。

初球から3球続けて見送った西村のカウントは2ストライク、1ボール。次の投球との合間に敦史へアイコンタクトをする西村。敦史が一度うなづくと、ふーーっと大きく息を吐き再び集中し直す。

それからファールを3回挟み、見事にフォアボールを選んだ。ベンチから歓声が上がる中、茜は1塁へ向かう西村をじっと見つめる。

西村はベース上から茜に向け、左目でウインクをした。それに対し、ヘルメットのつばを指で弾いて返事をした。

打席に入った茜のファーストコンタクトは送りバントの構えだ。それを見た三塁手が前に詰めてくる。

「あいつバントするのか?」

「しませんよ」

1番からの攻撃では2人の指揮を敦史に任せている監督は、茜の構えに疑問を抱いた。

「ボール!!」

少し球が外れた。しっかりバットを引き、球数を稼ぐ。

再びバントの構えを見せる。クイックモーションで投げ始める投手の背中越しに駆け抜ける人の姿が。

「走ったぞ!!!」

神奈川代表の守備の声に投手の手がボールを離す位置を狂わせた。

西村の盗塁により動揺する投手のボールを、早めに引いたバットでチョコンと当てて三塁手の頭を越してみせた。

息のあったヒット&ランでノーアウトランナー1.3塁を演出してみせた。しかし敦史は不満そうな顔で1塁の茜を見た。

「結果オーライだって」

と言わんばかりに可愛らしくウインクしてみせる茜。

「ったく…」

呆れる敦史。

「かっとばせー」

1塁から呑気に応援している茜。打球に集中する3塁の西村。

たっぷり西村が稼いでくれたおかげか、1球目から放って来たキレ味鋭い外角のスライダーを、しっかり踏み込んでお得意の打撃コースへ。

(カキーン)

鳴り響く金属音だけでもどこまで飛んで行くのやらと、西村はゆっくりとホームイン。右翼手がもたつく間に茜が。快速飛ばし、敦史もホームへスライディング。

送球も間に合わず、記録はランニングホームラン。初回、無死の場面で3点をもぎ取った。

守備では、決勝戦へ向け投げていなかった変化球を中心に組み立てられた配球に手も足も出ない神奈川代表。茜の異名を象徴するように三振の山を築いていく。

定番化しつつある茜のキリキリ舞いっぷりに、今日は大会打率4割の打棒が加わり無敵状態へと突入する城戸中。

ランナーを2塁に置いた状態で回って来た2打席目は、さっきのミスを続けまいと思い切り引っ張った打球は右翼手の頭上をライナーで越えていく。スタミナなんて気にしないと言わんばかりに爆走し、3塁を奪う。

「松原!無理するなって!!」

打席に入る敦史から怒鳴られるも知らん顔する茜。次の投球に不安が募る敦史だったが、攻撃を終えた後の守備では疲れをみせることはなかった。

さらにリードを広げ、前の打者の西村がセーフティバントで出塁。3打席目は西村の盗塁をアシストし、2ストライクで迎えた3球目。

「おら、よっしゃぁぁ!!」

可愛いらしさの可の字すら感じさせない雄叫びとともに放たれた打球は鋭く二遊間を切り裂いた。このヒットで点は入らなかったものの、その後の敦史、和田、高柳、加藤とフォアボールを1度挟んで、追加点を挙げた。

繋がった打線は茜に4打席目をもたらした。自分で0を積み上げて来たこの試合にトドメを刺したい茜は、ランナーがいない7回の表攻撃。

「重っ」

いつも使う軽い金色のバットではなく、和田がよく使っている黒いバットを手にとった。

「茜先輩、重くないっすか?」

「重って言ったじゃんか!重いよ!」

和田が打席に向かう茜に話しかけた。

「ほら、この打席で疲れてもー」

そう言うと茜は5回以降、攻撃の時に投球練習をブルペンで続ける青木を見て、

「やっぱ、なんでもなーい」

強者は多くは語らないとはこういうことなのか?と、半ば強引に納得した和田は青木を見た。

「青木!球走ってるよ!!」

ボールを捕球する井上の声がベンチにも聞こえて来た。

「負けてらんねぇ…」

それを聞いた和田は今自分にできる仕事をしようと、

「茜先輩、楽に振っていきましょーー!!!!」

大きな声で茜の背中を押した。

いつもより重いバットに体を持っていかれないように注意をしながら、ノーステップで初球からフルスイング。

(ガキーーン)

重く低い音を響かせ、弾き返した打球は右翼手の頭をノーバウンドで越えていき、茜は2塁へ。明らかに走りすぎで疲れているのが敦史にはわかった。打席に向かう前に、監督へ青木へのスイッチを申し出た。

7回裏、大量得点の後押しのなか、茜に代わり青木が登板。茜は明日の試合のことを考えベンチへ。

「青木、頑張れ!!」

茜からのエールがしっかり耳に入る。青木は茜に頷いて見せた。

この回に入ってポツポツと雨が降り始め、投球が不安視されるなか、茜とは違った球質のストレートで3人をピシャリと抑え、城戸中は初の全国決勝へと駒を進めた。

試合が終わる頃には本降りになった雨。

思いがけず、決勝戦は明後日へ持ち越された。



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第14話

決勝進出を決め、一夜が明けた。思いがけず、オフになってしまった城戸中の部員たちは各々、好きなように過ごしていた。

雨の中、ランニングをする者。球場のベンチを借りて素振りをする者。宿舎で筋トレに励む者。そんな中、茜、敦史、そして監督、顧問の4人は同じ部屋にいた。

「それはつまり、どう言う意味で…?」

顧問の今先生が4人の前に座る1人の男に問う。

「次の試合の結果次第では、松原茜さんを硬式野球部の公式戦へ出す許可が下りるかもしれないということですよ!」

高校野球連盟、高野連の人だ。決勝戦を控えた城戸中の宿舎へ、報告をしに来たようだ。上層部へ訴え続け、決勝戦の結果次第では初の女子投手による硬式野球部公式戦出場を容認してもらえたようだった。

「硬式野球部か…」

ここで終わると思っていた野球人生。まだ終わらない可能性が出てきた。

「それは、プロを目指せるんですか?」

敦史が聞く。おそらく茜も気になっているところだろう。

「まだNPBとの交渉を続けているところだよ。しかし、投球内容や、NPBが欲しいと思えない人材ならどうだろうね」

色々な可能性が見えてくる中、茜は冷静だった。取り乱したりせず、一つ一つ理解を深めていく。

「とりあえず、決勝で勝たなきゃいけないんだよね」

「それはそうだな」

硬式野球へ転向するリスクを考える敦史だが、昨年のWBC2009では優勝したものの人気が下がり始めている日本野球界を救おうと必死な役員の推しを無視できない。

「君なら、硬式野球にいっても活躍できる!せっかくチャンスが出来たんだ。いくべきだよ!」

しかし、茜はないか悩んでいる様子。それを汲み取ったのは、監督だった。

「松原、」

「はい」

心なしか弱い返事。

「チームのために、投げようと思っていたんだろ?私利私欲のためではなく、チームの」

頷く茜。

「このチームが好きだから、みんなとの大切な試合を私のために使うことはできないなーって」

いいことを言っているような茜に対し、敦史が直球を投げ込む。

「でも、お前がすごい投球を見せれば、チームも勝つと思うんだが」

それに対し茜は、

「んー、それもそうなんだけど、望むモチベーションというか、試合に対して向き合えなくなっちゃうというか…」

気持ちを大切にしたい思いは敦史には伝わっている。このチームで戦うことへの思いは人一倍強い茜に、かける言葉を探していた。すると監督が口を開く。

「勝ってから、硬式野球のことは考えればいい。今、お前は何をしにここまで来たんだ?」

「監督…」

「このチームで優勝するために来たんだろ?それを達してから悩め。」

監督が叱るように諭すと、茜に明るい表情が戻ってきた。

「そうだよね…。そう!勝ってから考えればいっか!」

あっけらかんとした、アホな茜が戻ってきた様子で敦史も自然と口角が上がった。

「が、頑張ってください!」

役員も言葉を送る。

話が終わると、敦史はランニングへと出た。茜は部屋に戻り、ストレッチを始める。

茜が開脚前屈をしながら、今日の週刊ベースボールを読んでいると携帯が鳴った。相手は涼介だ。涼介の名前が表示されてから、いつものスピーカーモードで電話を受けた。

「もしもし?」

「おっと!」

少し音量が大きかったようだ。

「雨で中止って聞いたから、電話してしまった。ごめんね」

「全然!!あたしも涼ちゃんの声聞きたかったところだよ」

他愛もない話が始まり、決勝前日の高揚し続ける気持ちを落ち着かせていく。

「あのね、涼ちゃん。言わなきゃいけないことがあってね」

「ど、どうしたの!?」

しばらく話してから、茜が切り出した。涼介は少し動揺。会っていないこの4日程で何かあったのではないだろうか。よくも悪くも回りすぎてしまう頭を使い、色々なことを考えた。

「誰かに、何かされた?そ、それとも俺の至らないところとか…」

「なに言ってるの?そんなことじゃないよ」

「じゃあ…?」

焦る涼介をよそに、茜は電話越しに笑いながら言う。

「甲子園、出られるかもって」

「えっ!!」

役員の話を涼介にし、硬式野球部で男子に混じりプレーできるようになったことを伝えた。茜もわかっていたことだが、涼介は自分のことのように喜んだ。

「歴史を変えたんだ!すごいことだよ!」

「そうなんだけどね…」

すこし元気が無さげというか、悩んでるような声色。

「どうしたの?あーちゃんの実力なら通用すると思うけど?」

誰にも見られてないところでそっと顔を赤らめた茜は、

「練習大変だから…」

「それは、今も大変でしょ?」

「そ、そうじゃなくて!!」

そう言って、少し間があった。めでたい事だと祝う涼介は茜の気持ちに気付いていない。

「だからぁ…」

恥ずかしさを押し殺すため、柔軟に集中しながら言う。

「普通の彼女と違って、また会う回数減っちゃうから…。もっと、もっと会いたいの…」

「そのことね。俺もそれは辛いよ?でもね、」

電話越しだが、そばに涼介がいる気がする。

「あーちゃんが夢を追いかけて、頑張ってる姿も好きだから。我慢できるよ」

「涼ちゃん…」

「だから、会う時はね。ハードにしたいね。」

何か意味深な表現に、茜は柔軟をやめてスピーカーを切る。

「うん…。いいよ」

誰も聞いていないというのにとても小さな声で返事をすると、

「ごめんね、長くなっちゃったね!ストレッチ中だったんじゃない?」

すぐに切り替えた。

「あ、う、うん!そうそう!」

「じゃあ、明日頑張ってね」

「うん。それじゃあ…」

(ぷつり)

通話が終わると茜は携帯をギュッと握りしめて、試合を完全勝利することを決意する。誰よりも頑張れる『頑張って』を聞けたから。それから茜は、柔軟に加えシャドーピッチングやボールを握って変化球の確認をした。

しばらくして、敦史に呼ばれ明日の配球について綿密に打ち合わせをした。

そして、茜は心身ともに万全な状態で決勝の日を迎えた。

野球ができるほどにパラパラと降る雨。湿ったグラウンド。完璧とは言えない状況の中、静岡代表との決勝戦が始まる。



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第15話

良いとは口が裂けても言えないグラウンドコンディションの中、11時になったところでゲームが始まった。

ベンチ前に敦史を先頭に一列で並ぶ。審判の掛け声で一斉に集まった20人の球児は、真剣な眼差しで相手と睨み合う。

「お互いに、礼!!」

審判が合図をし、互いのチームが頭を下げる。審判団にもそれぞれ挨拶をすると、後攻めの城戸中は守備についた。

今日も変わらないお決まりのスタメンで挑む城戸中。先発の茜は湿ったマウンドにしっかり、自分の踏み込む足場を作る。

「茜先輩!!頑張れ!!」

「松原、楽にな!!」

ベンチからの声援を受ける中、7球の投球練習をする。敦史の構えるミットに70%の力でコントロール良く投げ込む。7球終えると、敦史は茜の元へと向かった。

「総仕上げだ。変化球は全種類投げるぞ」

「かかってこいや!」

「よし。サイン間違えんなよ」

「誰が間違えるか!」

茜の気持ちを確認したところで、敦史はホームへ戻った。

茜が投げる予定の変化球は、次の8種類だ。

 

①ストレート

②スライダー

③スローカーブ

④チェンジアップ

⑤シンカー

⑥ツーシーム

⑦カットボール

⑧縦スライダー

 

この変化球を500通りを越える配球パターンで投げ込む。リードを考えるのは敦史。そして茜は精密機械のようなコントロールで投げ込むだけ。

プレイボールの合図だ。

「プレイボール!」

それと同時に静岡代表ベンチから、打者への応援の声が爆発した。

「「押せーーーーー」」

しかし投球動作に入った茜の耳には、雑音は右から左へ通り過ぎるどころか、バリアでも張られているかのように届くことはない。

左足を引いてからノーワインドアップでモーションに入る。リリースポイントの分かりづらいフォームから投げ込まれた初球は、ストレートだ。

「ストライク!」

外角いっぱいのストレート。茜のファーストストライクで最も投げられているコース。そんなデータがあるにも関わらず、なかなか手が出ないのは、先頭打者だからという理由だけではない。

それから変化球を余すことなく見せていき、初回を三者連続三振で終えた。

「あんなに変化球見せちゃっていいの?」

ベンチに戻った茜は敦史に問いかけた。

「これだけ見せておけば、2回からどの球に絞ればいいかわからなくなるだろう」

「そっか。まあ、あたしはサイン見て投げるだけだけどねー」

そう言うと茜は、ヘルメットを手に取りネクストバッターサークル付近で相手の投球を見ている西村の元へ向かった。

「いけそう?」

茜の大雑把な質問に対し、西村は

「わかんね」

「まあ、なるようになるよねー」

「そうそう。いつも通りにな」

決勝にも関わらず、やけに楽観的だが打席に立った時に、先頭打者から威圧感が静岡代表の投手に襲いかかった。

西村が外角低めを得意としていることは、データとして取れているため、静岡代表の攻めは内角。

球数を稼ぐように見逃し、見逃しを2回続けてカウントは2ストライク。

「強気だこと」

西村はボソッと呟くと、いつも長く持っていたグリップを短く持ち替えた。すると静岡バッテリーは当然のように外への配球。逃げ行くスライダーで空振り三振を奪った。

「悪い、ボール球ぽかった」

打席から戻ってきた西村はそう詫びた。

「あのスライダーが見られただけで、おっけー」

茜に焦りはない。

(ガギッッ…)

内に入ってくるスライダーだ。

初球から積極的に振ったバットの根元に当たると、重苦しい音とともにボールは二塁手のグローブへと吸い込まれた。

「やっちまった」

可愛らしく、ぺろっと舌を出して笑って見せた茜を強烈に睨む敦史。そんな敦史を見て颯爽とベンチへ戻る茜。

「ったく…」

しかし、昨日の硬式野球の話を受け少し心配していたが、いつもの茜であることを再確認できた敦史はいつもより集中して打席に入れた。

2球ボールが続いた3球目、内角に突き刺さるストレートを珍しく引っ張ってみせた。

「おぉ!走れ、敦史!!」

ベンチからキャッチボールをしにグラウンドへ出てきた茜が声援を送る。

左中間を裂いた打球で快速飛ばし、3塁を奪った。その姿に燃え上がらない4番打者はいない。先輩の作ったチャンスを見事モノにしたのは、和田だ。

城戸打線を研究している静岡バッテリーは、ここまでの3人への配球として得意コースの逆をついている。大会打率は先頭の3人に劣りながらも、4割に近い数字を誇る4番打者は、得意コースとは逆の外に意識を入れると初球だった。

(カキーーーン)

強引に引っ張った打球はライト線ギリギリ、奥深くへ飛んでいった。連続三塁打を決めた城戸中は全試合での先制点を決めた。

和田に続きたいと力んだ5番の高柳はショートフライに倒れた。

マウンドへ向かう茜は自ら和田のファーストミットをランナーとして戻ってきた和田に持って行った。和田がヘルメットを控えの選手に渡すと、茜はミットを渡し

「ナイスバッティング」

そう言って和田の坊主頭を撫でた。

「あ、ありがとうございます」

その姿を見たベンチにいる2年生は闘志を爆発させながら声援をおくる。

「ずるいぞ、和田!!!」

「俺と代われ!!!」

果たしてこれは声援なのだろうか…。

茜は和田に言葉を伝え終えるとマウンドへ。投球練習を終え、2回の投球に入る。

打撃でのミスは投球で取り返す。茜はその一心でマウンドへ立った。変化球は全てみせた。逃げ場はもうない。

(ふぅーーー)

息を大きく吐いて、投球動作にはいった。2回は緩急。スローカーブとツーシーム、ストレートを使い分けて挑んでいく。特にシュート方向に鋭くキレるツーシームが冴え渡る。

「ストライク、バッターアウト!」

この回はツーシームでの見逃し三振2つ、スローカーブを使った空振り三振に切ってわずか9球でベンチへと下がった。

「ナイスピッチング!」

ベンチで茜の投球を凝視していた青木が飲料を持って、茜を出迎えた。

「まだ2回だからね。5回に近付いたら準備しておきなさいよ」

「うっす!」

いたずらに完投しないと宣言するように青木へ言葉を送った。チームプレイを心がける言葉に敦史も選手を鼓舞する。

「追加点あげるぞ!」

「「しゃーーーあ!!」」

と気合を入れたものの、6番の加藤兄弟の兄、壮からはじまるこの回はアッサリ3人で終わってしまった。

(びちゃっ)

マウンドへ新しい土が送られる。振り続ける雨の中、積もり積もって濡れてきたマウンドは投球できる様子ではなかった。各ポジションにも土は送られ、ようやく3回が始まる。

新しく踏み場を作り投球練習を終えた茜は敦史とのサインの交換をする。

 

「次の回は大きな変化球には頼らないぞ」

敦史から茜にそう指示が飛ぶ。凡打を狙う配球のようだ。内角に投げ込まれるストレート、カットボール、ツーシームの球威に手を出す静岡代表のバットはことごとく抑えられた。ぬかるみの残るグラウンドで、ピッチャーゴロ、サードライナーで簡単に2アウトを取ってみせた。

「バッター、球見ていけーー!」

静岡ベンチから声援が飛ぶなか、左打席にはいった9番打者は、初球からセーフティバントの構えだ。

(びちゃっ)

三塁線に落とされた球は転がらず止まった。

「ま、間に合わない!!」

三塁手の清水は一歩目が遅れた。すると、一瞬の出来事に清水も何が起きたかわかっていなかった。

「アウトォォ!!」

一塁審判の声だ。清水の目の前には泥だらけになって打球を処理した敦史がいた。

「よっしゃぁぁ!!」

吠えた敦史にバックも歓声とともに、ベンチに帰ってきた。

「名古谷よくやった!!」

「さすがっす、先輩!!」

その盛り上がりの輪には茜も加わっていた。

「あんがとね」

そう言ってグローブを外した左手を差し出す茜。

「あそこは捕手の守備範囲だからな」

そう言ってこちらもグローブを外した左手で茜にハイタッチで応えた。

「そういうのってグローブでやるんじゃないの?」

2人の姿を見て、打席に入る準備が終わった菅野が茜に尋ねた。するとこれでもかという嫌そうな顔で

「嫌よ。だってあたしのグローブに泥つくじゃない」

実に女の子らしい答えに城戸ベンチは笑いに包まれた。

途絶えないムードで3回裏の攻撃に入る。



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第16話

絶えることのない勢いで、9番菅野からの打順。投げづらい環境の中で最高のパフォーマンスをする静岡代表のエース。

「ストライク、バッターアウト!」

三振に終わった菅野は、さっさとベンチへ戻ってきた。

「いいようにやられたな、ガノ」

「うるせぇ」

「打てなかったのね、よしよし」

茜がふざけて菅野の頭を撫でた。

「お、おう…」

真剣に恥ずかしがる菅野に対し、

「ちょっとキモい」

笑いが生まれて、勢いが絶えることなく西村へと打順が戻ってきた。

三振した1打席目を思い出し、構えた西村はバントの構えで揺さぶりをかけたり、クサイ球はカットしていく嫌らしい打撃を見せる。

「きた!!」

思わずバッターボックスで声が出た西村は、得意の外角の球を一塁手の頭上を過ぎる打球を放った。ライン際へ素早く回り込んだ右翼手のせいで、シングルヒットに終わった。

一塁の西村とサインの確認をする茜。何が起こるかわからない静岡代表は、3球続けて牽制を入れる。不気味なくらいリードを取らない西村に嫌な雰囲気を感じながら茜に投じた1球目は、外角高めのボール。やはり盗塁は警戒だ。バントのそぶりはない。

「バッター好きな球だけ狙って!」

ベンチからの声に真逆の反応を見せる茜。

「揺さぶりか…」

思わず静岡代表の捕手も声に出した。茜はバントの構え。困惑するバッテリーはバントをさせようとストライクゾーンへ投げ込んだ2球目。

「ストライク!」

「え!?」

バットを引いて見逃してきた。

 

(バスターか)

 

そう考えた静岡バッテリーは茜の姿を見ると、またも驚かされる。バントの構えをしていなかった。すかさず一塁を見るが西村は、やはりリードを取らない。訳の分からなくなったバッテリーは、バッター勝負。外から入ってくる緩いカーブを3球目に選んだ。

「走ったぞ!!」

盗塁だ。リードの小さい西村だったが、緩いカーブなら十分な時間が稼げる。「やられた」とバッテリーが思った時、

 

(カキーーン)

 

盗塁を刺す捕手のサポートのためにしゃがみかけた投手の頭上スレスレを通るセンター返し。

「あぶね!」

二塁ベースへ向かう遊撃手のグローブにギリギリ入らないところを通り何とかヒットを打った。

打球は強かったものの、走り始めていた西村は快足飛ばし三塁へ。

ワンナウト一、三塁で迎える敦史。この大会何度目だろうか。脅威でしかない。打つ手の無くなってきた静岡代表は健闘するもこの回、4点を城戸打線に挙げられ、差を5に伸ばされた。

4回以降も茜の快投は続く。雨の量が安定して来てから、早めに守備を終わらせようとテンポの上がる茜だったが、コントロールにズレはない。

「アウト!」

外野フライなどを交え、この回は僅か7球で終えた。

4回裏の城戸中の攻撃は、相手の投手交代に対し手が出ず、こちらも同様に三者凡退。

「ここからだぞ!!」

5点差をひっくり返すべく、声を張り続ける静岡代表。

一方で全ての手の内を明かした茜、敦史バッテリーは試合を早めの終結へ持って行くために今までで静岡代表がカスリもしなかった球を中心に配球を組み立てた。

「ストライク、バッターアウト!!」

雨の中でも機能する白く染まる茜の手から放たれたシンカーは、左打者の腰付近からえぐるようにキレる。さらにコントロールを少し乱したもののそれが功を奏したのはスローカーブだった。余計に曲がるようになったスローカーブは空振りを促す。

相変わらず寸分狂わず放たれる、ストレートによる緩急も交え5回もまた3人で締めた。

(バシーーン!!)

茜がベンチへ戻ってくると投球練習をし始めている青木が目に入った。姿勢で声援を送っているように見える。

敦史から始まる5回裏の攻撃では、技ありの巧打が生まれるものの得点には至らず。茜の出番は早めに回ってきた。

しばらく変えていなかったマウンドの土を新しくし、最終回へ向かう決勝戦。敦史は投球練習を終えて茜の元へ向かった。

「なに?」

「この回、投球間に毎回ロージンつけろ」

「え、いやだ!手が荒れる!」

突然の指示を嫌がる茜は、ここまでの投球内容を感じさせるものではない、いつもの茜だ。

「ったく、どんな内容で投げてるかわかってないのか」

小声で口元を緩ませた敦史は呟いた。

「なんか言った?」

心配したことを損した敦史は自分の持ち場へ向かいながら、

「そんだけロージンつけてたら、とっくに手が荒れてるって言ったんだよ」

「くそー。つければいいんだろー」

リズムを保つ茜のロージンべっとり投球が始まる。毎度手から白い煙が出るほどつけられたロージン。そこから放たれる変化球は妙にブレーキがかかり、これまでとは姿を変える。

特にこの回目立ったのは、早い変化球のツーシームとカットボール。ストレートと投げ分け、微妙な変化でこの回は凡打を積み上げる作戦。3回と同じ作戦とは思えない。

「アウト!」

一塁審判の声が続く。ブレーキのかかった変化球を捉えられないことがわかると静岡代表は一か八か大きい変化球を待つことにした。

ツーアウトからの4球目、大きな変化球なんて投げるはずもなく渾身のストレート。「畜生!!」と言わんばかりに無理矢理振られたバットの先端にあたった打球はふわっとセンター方向へ飛んだ。

「センターーーーー!!!!」

敦史の声が球場に響いた。

「剛!!!!!!」

茜も声をあげる。泥濘にもまけない西村の強靭な脚力でボールへまっしぐら。部でも腕の長さは1番だ。西村、、、いや剛は、内野手に任されたこの打球を処理するため、その腕を目一杯のばしダイブ。濡れた芝から水しぶきが上がる。駆け寄る二塁審判。剛の左手を見て、自らの右腕を上げる。

「アウトォ!!!」

スーパープレイだ。同じ外野手の加藤兄に差し伸べられた手に捕まり、立ち上がった剛は未曾有の大歓声に包まれる。

ベンチへ戻るとプレイへの熱のおさまらない後輩たちのいる中、剛は茜の元へ。

「次も行けよ。いくらでも取ってやる」

「金輪際センターには打たせないけどね」

笑いながら左手を出し、剛を祝福する茜。

盛り上がる中、打席に立つものにベンチから声援が送られるのは遅かった。7番から始まる城戸の攻撃は、点を取らせるわけにはいかない静岡代表の気迫の投球に沈められた。

7回の表、最終回。パーフェクトでここまで来た茜。再三マウンドへ向かう敦史。

「いつもそんなに来ないのに、決勝だから?」

茜の心配をしているのに、嫌がるような反応を見せる茜に対し敦史は一言だけ。

「パーフェクト、行けんだろ?」

その声は内野やベンチにも聞こえた。

「おい、名古谷!」

言わないでおいたチームメイトの気遣いをぶち壊す発言。茜を心配する監督、顧問、内野手たちは茜を見た。

「あと3人だぞ」

首であしらうかのように敦史にホームへ戻るように指示を出す茜。続けて言う、これが茜の決め台詞だ。

「行けるに決まってるでしょ?あたしを誰だと思ってるの?」

強気に満ち溢れた茜の力を100%から1000%まで引き上げるのが敦史の役目。敦史はその言葉を聞き、ホームへ戻る前に左手のグローブを茜に向けて差し出す。

(バン!)

茜は敦史のミットにグローブでハイタッチ。敦史はホームへ戻った。

 

グラウンドは湿っているものの、もう雨は止んだ。厚い雲に覆われながらの投球になるが茜はこの気候は嫌いじゃない。

中学軟式野球の集大成。持ち玉全てを使用するこの回の投球は、1人目。カットボール、ストレートでカウントを取り、3球目に得意球のチェンジアップで三振。

2人目はストレート押しからのチェンジアップ。

ツーアウトになった途端、緊張が走る。俺のところに来るな…と守っている誰もが思った。しかしそのような心配は無用だったことに初球を見て誰もが気づいた。

120キロ後半のストレートが静岡代表に襲いかかる。まだ出る。もっと出る。限界を迎えた茜の限界突破。2球目は127キロ。スピンがかかり、コントロールの高い茜のストレートは140キロ近くに見える。3球目。これで決めると投げた最速記録を更新する135キロのストレートはワンバウンド。茜がこの大会初のワンバウンド。狂いを見せた。しかしそれは布石だった。狂ったように見せて、ここで勝ちにいくのが名古谷敦史のリード。魂のプレイなんて少なくていい。必ず勝つために、、

110キロのチェンジアップで見逃し三振。

「ストライク、バッターアウト!!」

 



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最終話

マウンドでは喜びを露わにしない投手が心から笑った瞬間だった。城戸中学を初の優勝に導いたエースは全神経を集中させて投球していたせいかフラフラで、弱々しいただの女の子のようだった。

話題性の高かった茜は、次の日の新聞の一面を飾った。

 

「『次代最強投手、パーフェクトで優勝!!』だってさ。」

「全部松原の記事だよ」

「なんだ名古谷、根に持ってるのか?」

「そういう訳じゃないよ」

敦史は新聞を高柳とともに眺めながらオフとなった遠征最終日を過ごしていた。

「あまり嬉しそうじゃないな」

高柳は敦史の思い詰めた顔を見て言った。

 

そのころ茜は自室で硬式野球のボールを触っていた。

今まで投げていたゴムのボールとは感触が違う。茜は強く握ったり、指で押して転がしたり舐めるように味わっていく。

「硬式か…」

 

 

程なくして、茜たちは東京へ帰ってきたのであった。

 

 

茜の高野連参加のニュースは学校中、日本、そして海外にも広まっていた。スポーツ界では注目されていたが、このニュースをきっかけに世の中が松原茜という名前を知ることとなった。

 

「新キャプテンは、和田だ。打線でも4番を打つことになると思うが、頑張って良い結果を残してくれ!」

 

ということで、引き継ぎを終えた3年生は顔出すものもいれば遊びまくる者もいた。

その中で茜は夏休みの終わりに涼介と共に大阪へと向かっていた。

 

「涼ちゃんと一緒なの嬉しいなー」

 

「俺で本当に良かったの?」

 

「涼ちゃんがいいの!」

 

マウンドから一時的に解放されている茜は愛するものといるこの時間を楽しんでいた。

そして、何故大阪へ向かっているのかというと始球式に呼ばれたのだ。今までに受けてきた取材で公言してきたファン球団のオリックスバファローズから依頼があった。

ホテルや交通費は全て球団持ちのようで、3人分用意してもらえた。蚊帳の外になっているが、今乗っている新幹線の3人座席には茜の兄の弘明も乗っている。3人で出かけることはあるが、旅行は初めてである。

 

「公共の場であんまりイチャイチャするなよ。恥ずかしいだろ」

 

「適度なスキンシップだからいいんですー」

 

そう言ってとなりに座る涼介の腕に抱きつく茜。弘明の言うことなんて聞こうとしない。

 

「にいちゃんの言うこと聞かなきゃ、あーちゃん」

 

涼介は弘明のことを『にいちゃん』と呼ぶ仲の良さ。

茜は反抗しつつも、この道中の新幹線では3人仲良くゲームの話で盛り上がった。

 

 

 

そして、試合開始の2時間前に球場入りした茜はNPBのボールを手に取りキャッチボールを始めた。相手はもちろん涼介だ。投げる感覚を確かめながら、手にボールが馴染んでいく。そんな気がしていた。

しかし今日の茜は、楽しさを交えながら投げているのが表情からわかる。

 

「どう?楽しい?」

 

「うん!すっごい楽しいよ!!」

 

最近はマウンドに立ち笑わずにボールを投げる姿しか見ていなかったからか、終始幸せそうに投球する様子に涼介を嬉しくなっていた。

白地に胸にバファローズのロゴが入ったホームユニフォーム姿は、バッチリ似合っている。いつか参入できると信じて、プロ野球の門を叩くための第一歩。

 

「あーちゃん、頑張って!」

 

「うん!一球だけだけどね」

 

満面の笑みで笑って答えた。ストレッチとキャッチボールをしていたらあっという間に出番だ。

裏口でスタンバイをする。国家が流れているのを扉越しに聴きながら、諸注意をうける。

 

「本日の試合の始球式を行っていただくのは、高校野球への参加を手中に収め、甲子園での更なる飛躍を期待される女性投手!東京からお越しの城戸中学3年生の松原茜さんです!!」

 

爆発するような歓声とともに茜はグラウンドへ現れた。身体に電撃が走るような感覚だ。今までにない感覚が茜を包み込む。

 

「こ、これが……、プロ野球の球場…」

 

今までに来たことがあった球場でも、入り方が違えば受ける衝撃は異なる。

しっかり帽子を取ってスタンドへ一礼した茜はオリジナルの名前入りのユニフォームでマウンドへ向かった。

真っさらな誰も踏み入れていない綺麗で整備されたマウンドに入るとつい癖で踏み込む先に後をつけそうになった茜は、慌てて足を止めた。

尊敬するこの日の先発の金子千尋に一礼をし、マウンドに立った。

 

「それではお願いします!!」

 

アナウンスに答えるように頭を下げると、茜は投球に入った。さっきのキャッチボールでしっかり手に馴染んだボールは完成されたフォームからキャッチャーの構えたところへ寸分狂わずまっすぐ向かった。

 

(バチーーン!)

 

必ずこの舞台に立ってやる。茜はここで起きた歓声は忘れない。




駆け足で最終話になりました。
最終話といっても中学生編の最後ということで、この話はまだまだ終わりません。
高校生編は、小説家になろうのサイトで掲載する予定になっています。
是非気になる方はいらっしゃってください


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