やはり俺達が地球を守るのはまちがっている。 (サバンナ・ハイメイン)
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前哨戦 そして彼ら彼女らはゲームに導かれる。
1.そして彼ら彼女らはゲームに導かれる。


この作品は『ぼくらの』のストーリーに沿って『俺ガイル』のキャラが動くので、『ぼくらの』未読の方でも読めます。


 もし仮に、地球を守るためにロボットを操縦して欲しいと言われたら、俺は丁重にお断りするだろう。

 

 俺はいつだって地球に優しくあるように、ゴミはきちんと分別して捨てるし、水や電気はこまめに消している。ぼっちは人様に迷惑のかかることを極力避けるからだ。誰にも文句を言わさないように努めるのが、真のぼっちだと言えるだろう。

 

 つまりぼっちこそ、地球を誰よりも愛し、また既に地球を守っているのである。まさにエコでロハスな愛の戦士とも言えよう。そして、身を粉にして地球を守っている真のぼっちたる俺に対し、さらにロボットを使って外敵を倒せという要求は、あまりに負担が大きく不平等であり、断固として拒絶する。

 

 むしろそんな危険な任務はリア充ども——ここでは所謂ウェイ系の意——に任せるべきである。

 

 奴らはやれ祭りだのやれフェスだののイベントで、ゴミを散らかし、水や電気を大量に消費しているではないか。挙句「地球に緑を」などと(のたま)って偽善に塗れたボランティア活動(笑)で自己満足に浸る。

 

 仲間内で仲良くしたいならば、みんなでロボットを操縦して地球を守るという名誉ある使命を全うすれば良いではないか。団結した力で平和を掴む。なんと素晴らしいことか。そこに生まれる友情やロマンスに浸っていればいい。ロボットで踏み潰された民家、瓦礫に埋もれた子供、敵の攻撃を受けた諸々の損害……。そんなもの彼らの前には等しく、地球を守るための犠牲として美化され、飲み会の話のネタとして消化されるのだろう。

 

 やっぱりリア充ってクソだわ。爆発しろ。

 

 ……さて、話がだいぶ脱線してしまったが、結論を言おう。

 

 俺、比企谷八幡は、地球を守るため最もエコロジーである自宅での睡眠学習を行い、試作ゲームの体験という奉仕活動を欠席する。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ゲームの設定だけで、よくもまあこんなサボる口実をこねくり出せるものだ」

「いや、それほどでも」

 

 戦隊ものやロボットもののアニメは大好きなのだが、周りの被害って考慮してるのかね。ニチアサを見ながらそんなことを考えつつ打った、俺にしては珍しい長文メールは、なかなか的を得ていると思う。

 

 自分が書いた文章を自画自賛していると、腹に強烈な衝撃が伝わった。

 目の前には長い黒髪の凜とした美人が、眉間に深いシワをピキピキと刻ませ、その顔を歪ませている。

 

「褒めてない。……奉仕部に入り文化祭を乗り越えて、君は変わったと思ったのだが、私の見込み違いだったかな?」

 

 平塚先生は右手のケータイを白衣のポケットしまいながら、ため息をついた。

 しかしこの暴力美人教師、いつもの調子で説教をしているが、俺にだって言い訳はある。

 

「いやいや待ってくださいよ。今日は体育祭の振替休日でしょ?」

「何か問題でも?」

 全く悪びれる様子もなく、先生は答えた。

「休日と銘打っているのに奉仕部の活動に借り出されるのは納得いかないんですけど」

 

「棒倒しでズルをして負けた癖によく言うわね」

 後ろから冷たい凜とした声は、奉仕部部長の雪ノ下雪乃である。

 

「相模のサポートとかもありましたし」

「それはあたしたちも同じだよ」

 バカっぽいふわふわした声、同じ奉仕部部員の由比ヶ浜結衣も異を唱えた。

 

「……それとここ最近働き詰めなんで、休日くらいはゆっくり体を休めたいんですよ」

「えーでもお兄ちゃん、小町と一緒にららぽは行くって言ってたじゃん」

 聞き慣れた可愛い声、世界一可愛い俺の妹こと小町も、ここでは敵に回ってしまい、完全に四面楚歌の状態である。

 

 俺は深い溜息をついた。そもそも小町の受験勉強の息抜きのためのお出かけはずが、駅で平塚先生に拉致され、気が付けばこのザマである。

 千葉村のデジャヴ。同じ失敗を繰り返すとは……。小町を利用するされたのでは仕方ない。全く大人の狡い手だ。

 

 今回俺が連れてこられたのは某国立大学だった。

 現在地は大学の工学部キャンパスのエントラルホール。ガラス張りで出来た開放感のあるロビーで待機していた。休日だけあって聞こえるのは俺たち一団の話し声だけである。

 今回の試作するゲームは平塚先生の知り合いの教授が作ったもので、この大学のキャンパスに研究室を持っている教授らしい。

 

 向こうには、葉山たちの集団がソファに座ってたむろっている。これまた千葉村と同じメンツで、それに今回は体育祭で仲良くなった海老名さんが川なんとかさんを引っ張って来ていた。

 

「あいつらが居れば、俺たちは必要ないのでは?」

「彼らだけでは足りないのだよ。何しろ10人以上でなければゲームは出来ないと言われている」

 

 何そのぼっちに優しくないゲーム。ソロプレイが認められないとか製作者は何をターゲットにしているのだ。それともこれはアレか、ぼっちを貶めるための謀略的な何かか?

「うーん、あたしあんまりゲームとか詳しくないけど、10人以上でやるゲームって想像つかないよね」

「それもそうね。ゲームのあらすじやこの情報科の教授という話から察するに、テレビゲームか遊園地の映像型アトラクションの類だと思われるのだけれど……」

 思案顔の雪ノ下の視線がおれにむけられる。確かに奉仕部の中じゃ一番ゲームに詳しいのは俺だけどよ。

 

「大学教授の考えるゲームなんて想像もつかねえな」

 俺はお手上げと投げやりぎみに言った。

「でもどんなゲームなのか、ワクワクするよね!」

 背後から、前向きで純粋な言葉が澄んだソプラノボイスで聞こえてきた。

 飲み物を買い出しに行った戸塚が戻ってきたようだ。

「そうだな、めっちゃワクワクするわ!」

 天使のような笑みを浮かべる戸塚に、思わず即答である。もはや条件反射だ。だってほら、この楽しそうな戸塚の笑みが、同意するだけで得られるんだぜ?

 

「ムッフッフ、我が貴様の所望する《濁りし甘露》を天から授かってきてやったぞ。有り難く受け取るが良い」

「どーも」

 《濁りし甘露》ことマッカンを速攻で受け取ると、そいつには目もくれず、いつもの甘ったるい味に喉を潤した。

 せっかく戸塚で癒されたというのに、対極に位置するやつの顔など誰が見たいと思うのか。てか俺のマッカンに厨二くさい名前つけんな。天から授かるってたかが自販機だろうが。

「ちょ、戸塚氏と我とでは全然対応が違うのではないか!?」

「材木座、お前のノリはここでは恥ずかしいから出来るだけ喋らないでくんない? てかなんで来たの?」

「ゴファ!?」

 

 厚手のコートに指ぬきグローブの相変わらず痛々しい格好の材木座は、なんか奇妙な断末魔を上げて、その場にへたり込んだ。

 戸塚は苦笑して、由比ヶ浜はドン引きし、小町はしれっとどっかへ行き、俺は我関せずを突き通し、雪ノ下は存在を脳内から抹消しているように視線すら向けなかった。

 

「ひゃっはろー静ちゃん、教授が準備出来たから研究室に来いってよ」

「……雪ノ下、何処からから嗅ぎつけて来た?」

「嫌だなあ、静ちゃん、愛する教え子の進学先を忘れちゃったの?」

 

 ケラケラと笑いながら廊下を歩いて来たのは、雪ノ下陽乃さんだった。

 雪ノ下さんの姿を確認するや否や、妹の雪ノ下が露骨に嫌な顔をする。俺も引きつる顔を抑えるので必死だ。

 そして雪ノ下さんは頭を抱える平塚先生の尋問をのらりくらりと躱しつつ、自分もそのゲームに参加する旨を半ば無理やり押し通した。相変わらずの傍若無人っぷりである。

 

「それじゃあ、研究室に案内するわ」

 

 もう完全に場を掌握した雪ノ下さんを先頭に、俺を含めて合計13人の大所帯はゾロゾロと工学部のキャンパスの奥へと進んでくのであった。

 ところでだんだん薄暗くなっていくのは工学部キャンパスの特徴なのだろうか?

 なんとなく感じる閉塞感に、やっぱ理系ってクソだわと完全な偏見で対抗を試みるも、その心がよっぽど暗くて陰気であることに気がついて、ちょっと自己嫌悪に陥るどうしようもない俺であった。



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2.高らかに彼はそのロボットを『ジアース』と呼んだ。

 

「こんにちは。平塚先生と総武高生の皆さん。今日は遠いところからお越しいただき有難うございます」

「こちらこそお世話になります。こんな大人数で押しかけてしまってご迷惑にならないように指導しますので……」

 

 物腰柔らかに挨拶をしたのは、丸眼鏡をかけた長髪の大人しそうな男性だった。彼が件の教授さんなのだろう。それを受けて平塚先生が大人の対応及び社交辞令じみた挨拶を交わしている。

 雪ノ下や葉山がしっかりと挨拶をしたので、これ幸いと俺は後ろの方で会釈のようなよく分からない動きで誤魔化し、研究室の観察をすることにした。

 

 研究室というには随分と広い部屋だ。ちょっと大きめの会議室くらいありそうなほど。

 前半分にはデスクトップパソコンが4、5台並べられ、四方には本棚が大量の学問書を抱え込んで立ち並んでいた。

 後方には黒いスタンドパネルが一本だけぽつんと立っているだけである。

 ちょっとこの部屋バランス悪すぎでしょ。レイアウト考えたの誰だよ。

 

 俺が1人で部屋にケチをつけている間に、大人同士の話は終わったらしく、教授が俺たちを研究室に案内した。そして、例のスタンドパネルがある場所に連れて来られる。

 俺たちの前に出て来たの教授は咳払いをひとつして、口を開いた。

 

「地球に選ばれし者たちよ、私の名前はココペリ。これから案内役をさせてもらうことになった。地球の未来は君たちの双肩に委ねられている! しっかりと私について来てくれたまえ!」

 

 ぽかーん。

 今の状況はまさにこんな言葉が似合うだろう。どう見ても理系の大人しそうな教授さんが、それに似合わぬ声量を出して言い放ったのだから。

 誰もがみんな、何言ってんだコイツ頭おかしくなったのか、と思ったはずである。

 ……隣で目を輝かせてる材木座以外は。シンパシー感じてんじゃねえよ。

「ゲームの前振りだ。付き合ってくれ」

 平塚先生が小声でみんなに伝える。

 なるほどと一応納得はするが、ゲーム試作のためとはいえよくやるもんだ。教授さん大人しそうな人だと思ったけど、もしかしたら本当に材木座と似た者同士なのかもしれない。ちょっとゲンナリしてきた。

 こんなテンションでやんの? 材木座がウキウキするようなこのノリで? 勘弁してくれよ……。

 ところが俺のこんな感想はあっという間に消え失せることになる。

 

「これからこの地球には10の敵がやって来る。どれもこれも強力な戦闘能力を持っていて、現在の兵器では傷一つすら付けられない。我々は研究に研究を重ね、ついに奴らに対抗する術を手に入れた。それがこの地球防衛ロボットだ!」

 

 教授ことゲームの案内人ココペリは、研究室の明かりを落とすと、パソコンをいじってスクリーンに映像を流し始めた。

 姿を見せたのは、巨大なロボット。その大きさときたら一緒に写ってるビルが雑草に見えるほどである。スカイツリーの2倍くらいあるのではないだろうか。

 四足歩行で、長い脚と腕は付け根はがっちりしているが先に進むほど細く鋭くなっていき、腕に至っては鎌のように尖っている。胴体、肩部、頭部には甲殻を思わせる甲冑を身に纏っていた。

 ロボットは街中を仁王立ちしている様子で、それを旋回するようなカメラワークで全体を映しており、武者とカブトムシを融合させたかのような、そんなデザインになっていた。

 

「……すげえ」

「うわー、カッコいい……!」

 

 感嘆の声が漏れるのも無理はなかった。

 はっきり言って、めちゃくちゃカッコいい。

 そのCGとは思えぬリアル過ぎるグラフィックもさることながら、このロボットの持つ風格は、歴戦の猛者であることを感じさせるのだ。

 黒いフォルム、巨大な全身、積層された装甲は圧倒的な力の象徴だと言わんばかり。少なくても男の子なら誰もが心を揺さぶられるオーラみたいなものを、このロボットは身に纏っていた。

 

「この、このロボットの名前は?」

 

 材木座が、興奮を抑えられないと言った様子でココペリに質問した。

 

「地球を守るロボット、『ジアース』さ」

 

 ジアース……!

 俺は思わず息を飲んだ。

 子供の頃に戻ったかのような高揚感だ。このロボットを、俺たちが操縦する……。

 

 ふと電気が付けられ、スクリーンからジアースが消えた。

 名残を惜そうな声が自然と上がる。

 

「さて、ジアースのパイロットとなるには契約が必要だ。地球を守る戦士たちよ、宣誓の儀としてここに手を当て、自らの名を刻むが良い!」

 

 ココペリは大きな身振りでスタンドパネルを指差した。

 普段ならノリについていけず、うげえと嫌な顔をしそうな演出であるが、ジアースの魔力に取り憑かれつつある俺は、不覚にも全く抵抗なく受け入れようとしていた。

 

「すっごくカッコよかったね、八幡」

「……ああ、そうだな」

 一瞬、俺が褒められたのか、と思い、すぐに結婚しようという言葉が喉から出かかったが、なんとか飲み込んで当たり障りのない返事を返す。

 いやだって、興奮気味の戸塚の顔、めっちゃ可愛いんですもん。色白の頬を赤く染め、少し息が上がっていて、これ以上にないってくらいのとびきりの笑顔を無防備に晒してくれるんだぜ? マジで毎朝味噌汁作って欲しい。

 しかし戸塚だってもちろん(いや残念ながら?)男の子。俺と同じようにジアースの虜となったかのようだ。

 しかし先頭に立ってスタンドパネルに行こうとするほど冷静を失ってはいない。

 

 俺はふと周りを見渡すと、材木座は今にもスタンドパネルに飛び付きそうなほど身構えていたり、戸部も「っべーわ、マジっべーでしょ」といつも以上にテンションが上がっている。それを宥めてる葉山も、やはりジアースを気に入ったのか顔が綻んでいるようにも見えた。

 一方女性陣はジアースよりも映像の綺麗さに驚いているようだった。雪ノ下は「まるで実写のようだわ」と漏らし、川崎は「戦隊モノに出てきそう」と呟いている。由比ヶ浜や小町はあまりのクオリティに圧倒されたのか口を半開きさせバカみたいにポカーンとしていた。

 あまり興味なさそうなのが三浦と海老名さんで、葉山と戸部の絡みに鼻血を出した海老名さんを三浦が介抱するいつものご様子。さらに雪ノ下陽乃さんに至っては表情すら変わらず何かを考え事をしているようだった。

 

「さあ、契約を最初に果たし、地球防衛の初めの一歩を刻むのは誰だい?」

「はいはいはい!」

 

 いの一番に駆け出したのは、よりにもよって年長者である平塚先生だった。

 ああ、そういえばこの人、こういうのすげえ好きそうだもんなあ……。

 それにしても材木座を押しのけてスタンドパネルに齧りつくのはどうかと思うが。

 流石のココペリも苦笑いを浮かべている。

 

「えーと、平塚先生も参加するんですか?」

「わ、私は参加してはいけないのか、ココペリ!? 」

「いや、ダメってことは無いんですけど……」

「やはり歳のせいのか、三十路手前で少年の心を持っていてはダメなのか——!?」

「分かりました、分かりましたから、そんなに激しく肩を揺さぶらないで下さい!」

 

 平塚先生、必死すぎだろ……。

 ゲームの案内人ココペリも一瞬でただの一教授に戻す先生の懇願。この人生徒に見られてるって自覚あるのかと疑いたくなるほどで、平塚先生の結婚できない理由のひとつを垣間見た気がした。

 

「こほん、では最初の戦士よ、契約の儀を!」

「平塚静だ!」

 

 一息ついて教授がココペリに戻ったところで、契約の儀なるものは再開された。

 平塚先生の手がかざされたスタンドパネルはピローンと音が鳴り、淡い光を発光した。

 

「これで契約が完了した。次の戦士は誰だい?」

 

 ココペリが場の雰囲気を元に戻そうとより一層大きなリアクションでこちらを見た。

 次に行くのは、まあソワソワしてる材木座だろう。先生のあのザマを見ても興奮は冷めないらしい。はよ行けと奴の脇腹を肘で押すと、意を決したのか、スタンドパネルに手を置いた。

 

「ゴラムゴラム、我の名は剣豪将軍、足利義輝である!」

 

 材木座の威勢とは裏腹にスタンドパネルはうんともすんとも言わず、発光もしない。

 

「あ、本名じゃないと契約できないんです。ごめんなさい」

「え、あ、はい。材木座義輝です……」

 

 何やってんだあのバカ……。

 ココペリがまた教授に戻っちゃってるじゃねえか。せっかく盛り上げようとしてくれてたのに、二度も水を差されて可哀想である。

 

「あはは、残念だったね。材木座くん」

 戸塚が苦笑しながらなんとかフォローするも、若干白けたムードが俺たちを覆う。

 ココペリがなんとか取り繕おうとしているが、かなり微妙な雰囲気だ。むしほ空回りしているみたいで見てて痛々しい。

 

「じゃあ、次は俺が地球を救う戦士になってくるよ」

「お、隼人くん、ついに世界デビュー? かぁーマジパねえわ」

「葉山隼人です。……戸部もやるんだろ? 早く来いって」

「戸部翔。地球、マジで救っちゃうっしょ!」

 おちゃらけた感じで葉山が言えば、戸部もそれに乗っかってくる。

 こういう時だけはリア充共の場を調整する能力がありがたく感じた。葉山たちが動けば当然他の奴らも動き、契約の儀は滞りなく進んでいく。

 

「三浦優美子」

「海老名陽菜です」

「……川崎、沙希」

「由比ヶ浜結衣でーす」

「雪ノ下雪乃よ」

「比企谷小町!」

「雪ノ下陽乃」

「戸塚彩加です」

 

 スタンドパネルに手を当て、名前をいうとピローンと音がなって、発光する。それが何度か繰り返され、ついに俺で最後となった。

 

 なんとなく、自分の番に回ってくるのが、嫌な感じがした。

 上手く言葉に出来ないが、この行為は取り返しのつかないことになるのではないか。そんな漠然とした、全く根拠のない不安に駆られる。

 それでも俺の番は訪れる。恐る恐るパネルに触れると無機質で冷んやりしていた。金属類を触った感じだ。これといって変わったことはない。

 

「あー、比企谷八幡だ」

 

 ……あれ?

 材木座の時のように、音が鳴らない。光も発しない。

 何度か繰り返してみるも、スタンドパネルは反応を示さなかった。

 

「おっかしいなあ、比企谷くん、それ本名だよね?」

 

 不思議そうな顔でココペリが問うた。

 当たり前だ。俺は間違いなく比企谷さん家の八幡君だ。もしかして俺は実は違う所の子供で両親はそれを隠してるのか? それだったらやばいな、小町が義妹でしたなんて言われた日には、それこそ俺は何を起こしてしまうか分からんぞ。俺の妹がこんなに可愛いはずがないとタイトルがつきかねない。さすが千葉の兄弟だぜ、小町ルート一直線だ。

 なんて冗談を考えてみる。アホか。あり得るはずがない。戸籍謄本にもちゃんと比企谷八幡と記されているのだ。俺が比企谷八幡でないなら俺は何者で、比企谷八幡は一体誰だと言うのか。

 ココペリはパネルを弄ったり叩いたりして様子を見ている。

 

「コエムシー? コエムシいるかー?」

 

 謎の虫を呼び出そうとする始末である。

 俺は呆然と立ち尽くすことしか出来ない。なんで俺の時に限ってこんなこと起きるんだよ。

 しばらくすると突然パネルからピローンと例の音と発光が起きた。

 

「パネルが気まぐれを起こしたみたいだ。なーに、これから地球を守るんだ。これくらいのアクシデント、なんてことないさ」

 

 ポンと俺の肩を叩くココペリ。

 おいふざけんな、そっちの不具合じゃねえか。なんで俺が悪いみたいになるんだよ! なんかすげー恥ずかしいかったわ!

 じろりとココペリを睨みつけてやる。

 

「良かったわね、ゲームには仲間外れされなくて済んで」

「まるで他のことなら仲間外れにされてるような言い方はやめろ」

「あら、されてるじゃない。人間とかに」

「バッカ、俺は仲間外れにされてるんじゃねえ。俺には仲間が居なかっただけだ」

「ヒッキー、それ威張って言うことじゃないからね……?」

 雪ノ下は心底楽しそうに嫌味を言ってきやがる。

 クソ、やっぱり嫌な予感的中したじゃねえか。

 

「これでこの場にいる全員が、ジアースのパイロットとなったわけだ! そして今から私がコックピットに案内しよう!」

 

 ココペリはそういうと両手を広げた。

 次の瞬間。

 目の前にはテレビの砂嵐が広がり、ノイズが走る。

 そして俺の視界はブラックアウトした。

 




書き溜め、書き堪らず。


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3.密かに、ココペリは謝罪する。

お久しぶりです。


 目を開けると、薄暗い部屋に俺たちは居た。部屋の中央部から漏れる微かな光のおかげで、その全容を辛うじて把握できる。

 形状はドーム状で、天井はかなり高いようだ。大きさもちょっとした運動ができるくらいの、広めな面積を持っている。研究室をどう装飾してもこうならないのは明白だ。

 少なくても俺たちは一歩も動いてない。感覚としては、瞬きをしたらその場の風景が変わっていたと言った感じなのだ。

 

「うわ、ここ何処? ちょ、隼人くん、俺たち瞬間移動でもしたんじゃね?」

「……まさか」

 

 戸部の言う通り、この状況を正しく説明するなら、まさに瞬間移動をしたとしか言いようがない。

 

「ねえ姉さん、私たちは夢でも見ているのかしら」

「……いいえ、雪乃ちゃん。私も信じられないけど、これは現実よ」

 

 身に起きた異常事態に一団がざわざわとしていると、明かりが落ちる部屋の中央部から何がが出てきた。

 床をすり抜けて現れたのは、無数の椅子だった。馬蹄状に並んだ椅子たちは、あろうことかそのまま浮遊していき、床から何メートルかの地点で止まった。

 その椅子のひとつには、長髪の丸眼鏡の男性、ココペリが座っている。

 

「これは一体何なのだ!? どういうことだ? 私たちは何処にいるんだ?」

 

 超常現象の連続に、流石の平塚先生も声を荒げる。

 ココペリはそれを一瞥して、椅子に深くもたれかかった。

 

「言っただろう。ここがコックピットさ。色々言いたいことはあるかもしれないけど、今は飲み込んでおいてくれ。これからすぐにチュートリアルだ。よく、見ておくように」

 

 ココペリが有無を言わさぬ強い口調で言うと、いきなり部屋の全面が、スクリーンのように外を映し出した。

 どよめきの声が上がり、そして、スクリーンに映された黒い甲冑を見て誰もが息を飲んだ。

 ジアースだ。圧倒的強者のオーラを放つ、地球防衛ロボット。どうやら海の中にいるのか、装甲に当たる潮がいくつかの水泡が生まれ、流れていく。

 

「さて、そろそろ来るな」

 

 スクリーンは切り替わり、大海原を俯瞰している映像になった。

 海は大荒れで、空には分厚い雨雲、下には荒れ狂う高波、横殴りの強い雨と雷の音がコックピットまで聞こえて来るかのようだった。

 

 その視界の悪い海上の上空、何もないところから、何がが現れようとしている。円状の断面から徐々に下へ移動して、その場で作られているかのように、少しずつ何かは形成されていく。某ネコ型ロボットの通り抜けフープをイメージしてくれれば分かりやすい。

 

「あいつが、僕たちが倒さねばならない敵だ」

 

 敵は、人型の形状に肩口から左右二つずつ合計四つの、太くて長い腕のようなものを持ってた。

 そして、その四つの腕が地面について、体を持ち上げた時、それは腕ではなく脚であることが分かった。この状態で大体ジアースと同じくらいの大きさである。

 この敵——『蜘蛛』は臨戦態勢に入ったようだ。警戒するようにジッとしている。

 

「さて行くか。ジアース、発進!」

 

 ココペリが言うと、スクリーンに映る景色がゆっくりと動いて行く。目の前の『蜘蛛』に少しずつ近づいているのがわかる。

 しかしこれだけ大きなものが動いているのに、全く振動を感じないのは何故なのだろうか。

 ……あれ?

 

「そういえば、これゲームなんだから、振動無いのは当たり前だよな」

 

 瞬間移動めいた出来事や余りにリアルなグラフィックのおかげで、あたかも今行われていることが現実に起こっているかのように考えていた。

 そりゃそうだ、こんなアホみたいに大きいロボットが実際に存在しているわけがないじゃないか。

 

「本当に、ゲームなのかしらね」

 俺の独り言を拾ったのは雪ノ下陽乃さんだった。

「ただのゲームではないのは確かだと思いますけど、流石に現実離れし過ぎてますよ」

「…………」

 雪ノ下さんはまた眉を寄せて考え出す。しかしこの人がこんな反応を示すことは予想外だ。てっきりいつものように飄々として、ふーん大したことないじゃない、みたいなことを言うものだと思っていたんだが。

 なんとなく気味が悪いというか、あの雪ノ下陽乃さんが考え込む案件であるということが凄く嫌な感じがした。

 いや、きっと何処かで彼女ならば、この超常的現象に感じる不気味さを否定してくれるだろうと、そう願っていたのかもしれない。

 

「あーそれに、アレですよ。俺が地球を守るパイロットに選ばれるわけ無いじゃないですか。だからこれはゲームですよ」

「……ぷっ」

 俺が頭をガシガシ掻きながら言うと、雪ノ下さんは面を食らったように目をパチクリさせてから吹き出した。

「あはは、比企谷くんは、本当に面白いなあ。お姉さんを心配してくれたの?」

「そんなんじゃないですよ……」

 頭を撫でようとしてくる雪ノ下さんから逃れながれようと身をよじると、今度は雪ノ下(妹)が冷ややかな笑みでこちらを見ていることに気がつく。

 

「そうね、比企谷くんにこのロボットを操縦させるなんて事態になったら、それこそ地球滅亡と同義だものね」

「おい、だからこれはゲームだっての! なんで現実と仮定してまで俺を貶めようとするんですかね……」

「ヒッキーの女たらし」

「お兄ちゃんも天然ジゴロですなあ」

 ぷくっとむくれる由比ヶ浜に小町が便乗すれば、雪ノ下(姉)の方もノリノリで俺に絡んでくる。

「私と雪乃ちゃん、どっちを選ぶの、比企谷くん?」

 だああああ! めんどくせえ!

 

 俺はするりと雪ノ下さんの手を抜け、大天使のご加護を受けようとサイカエルのそばに身を隠すように寄り添った。

「八幡も大変だね」

「勘弁してくれ戸塚。俺は戸塚一筋だ」

「もう八幡ったら」

 からかう笑みも戸惑う表情も死ぬほど可愛いラブリーマイエンジェル。やはり俺の青春ラブコメは戸塚ルートで間違っていない。

 照れを隠すように戸塚はスクリーンを指差す。

 

「それよりほら、敵が攻撃してきたよ!」

 スクリーンには『蜘蛛』がレーザーのような光線をこちらに浴びせてきていた。

 ジアースが両腕で受け止めレーザーが装甲を削る音が、どこからともなくギギギと聞こえてきた。

 

「ココペリ殿、マトモに攻撃を受けて大丈夫なのか!?」

「問題ない、ジアースは強いから、この程度の攻撃ではビクともしないよ」

 ジアースは『蜘蛛』のレーザーを受けながら強引に距離を詰め、相手の長い脚にジアースの鎌のような腕を叩きつけた。

『蜘蛛』はバランスを崩し転倒しそうになると、今度はジアースの足が胴体部分を蹴り上げた。『蜘蛛』は嵐の中で宙を舞い、荒れた海面に叩きつけられた。大きな水飛沫が上がった。

 

「うおおおおおおお!!」

 どよめきが起きた。特に材木座と平塚先生は目をキラキラさせて叫んでいる。

 ココペリはふうと一息つくと、こちらの方を向いた。

 

「ジアースはパイロットが念じるだけで動く。基本的にはこんな風に肉弾戦で戦うといいだろう。レーザーもあるが」

 ココペリは一旦言葉を切った。

 起き上がろうとする『蜘蛛』にジアースは腕から何十本かのレーザーを浴びせた。直撃した『蜘蛛』は白煙に包まれる。

「うおおおおおおお!!」

 再びどよめきと歓声が上がった。

 しかし白煙が消え、姿を見せた『蜘蛛』は平然と体制を立て直す。

 

「威力は牽制程度しかない。その分、こいつは装甲が厚くて馬力もある。ある程度力押しで戦っても問題ない」

 

 ジアースは距離を詰め、『蜘蛛』を殴打した。堪らずレーザーで反撃を試みるが、装甲が火花とともに少し削れるだけ。

 そして四本の長い脚のうちの右前足をジアースはもぎ取った。こうなると完全にこちらのペースだ。アンバランスとなった『蜘蛛』はもはや抵抗すらままならず、ジアースの猛攻のされるがままとなっていた。

 

「流石ココペリ殿! 製作者だけあって操縦慣れしてますな!」

「いや……操縦するのは今回が初めてだ」

「モハハハハ、何を言うかココペリ殿。これだけ鮮やかに戦っておいて」

 ココペリは馬蹄状に並んだ、空席の十数席の椅子を見回して、ふっと息を漏らした。

「ちょっと多くチュートリアルを見てきた。ただ、それだけのことさ」

 

 装甲が剥がれボロボロになった『蜘蛛』。その胴体部からジアースは白い球体を取り出した。

 鎌のような腕は先っぽが変形して、三つの指になった。

「勝利条件は、敵のどこかにあるこの白い核を潰すこと。……よし、勝ちだ」

 指の中の白い球体は発射されたレーザーによって跡形もなく消え去った。

 それと同時にスクリーンが消え、元の薄暗い部屋へと戻っていく。宙に浮いていた椅子がゆっくりと降下した。

 

「これで()()()()役割は終わりだ。次からは君たちが頑張ってくれ」

 ココペリは椅子から降りて俺たちに向き直る。一人ひとり、じっくりと見回して、意を決したように言った。

「それから、最後にひとつだけ。……気をつけろよ、××××に——」

 

 え、何だって?

 ココペリが何かを忠告しようとした瞬間、耳鳴りが走り、そして目の前が砂嵐に覆われた。

 気がつくと、俺たちは全員元の研究室に戻っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あぶねーあぶねー」

 薄暗いドーム状の部屋には一人の男。そして明らかにその男ではない声が響く。

「余計なこと言いやがって」

 

 男は、ココペリは、その声に舌打ちで返した。

「クソ、一矢報いたかったんだけどな」

「お前には最後の最後まで手を焼かされたぜ。だがこれでやっとおしまいだ」

 けけけ、とその声は男を嘲笑った。

 男は、馬蹄状の椅子のひとつ、座り慣れたリクライニングチェアに腰を下ろした。頭を垂れ、膝に肘を置いて、指を組んだ。

 様々な思い出が浮かんでは流星の如く煌めき、散っていく。そして最後に輝くひとつの光。最後に出会った13人の少年少女たちを思い出す。

 

「すまない……」

 

 か細い懺悔の声は、誰にも聞かれること無く、薄暗いコックピットへと飲み込まれていった。

 




これでプロローグ終わりです。
次から第1戦目。

いつになったらチラシ裏から出られるのか……。


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第1戦 だからこそ材木座義輝は慟哭する。
4.唐突にコエムシは現れる。(前)


 先ほどの体験はまだ鮮明に思い出せる。

 研究室からの瞬間移動。薄暗いコックピットに、宙を浮く十数の椅子。どこか変わった雰囲気になったココペリさんに、巨大ロボット『ジアース』の全身。荒れ狂う海、暴れる敵ロボット『蜘蛛』、交錯するレーザー、呆気ない勝利。穏やかなココペリさんの顔。そして、また瞬間移動。

 

 夢見心地。

 そんな言葉がぴったりの俺たちは、とりあえずココペリさんの研究室を出て、雪ノ下さんの案内されるがまま、大学の食堂に移動していた。

 平塚先生は姿が見えない教授を探しに行き、雪ノ下さんも何処かへ行ってしまった。

 残った生徒組は、静寂に包まれた食堂の大テーブルを囲み、しばし呆けていた。

 

「……なんか凄かったね。結局何だったんだろう」

 口火切ったのは戸塚だった。そしてあのゲームについて様々な意見が飛び交う。

 

「あれが最新の技術なんだべ? 今のゲーム業界マジっべーわ」

 戸部が感心したように言えば、

「あーしはあれがだだのテレビゲームとは思えないんだけど」

「うーん、私も優美子に同意見。ちょっと普通じゃないよ」

 三浦と海老名さんが首をかしげる。

 

「そうだよね、なんかドカーンって感じで便乗感凄かったし」

 由比ヶ浜は相変わらずアホだ。

「それを言うなら臨場感、でしょ。私は正直まだ信じられないくらいよ。全員が同じ夢を見ていた、なんて冗談の方がまだ納得がいくわ」

 雪ノ下がこめかみに手を置くいつもの動作をすれば、卓上に集まっている11人がうーんと考え込む。

 

 全員が同じ夢ね……。

 俺もしばらく自分で色々と考えてはいたものの、イマイチ釈然としなかった。可能性としてあり得そうなのはいくつか思い当たるんだが……。

「めちゃくちゃ再現度を高めたバーチャルリアリティゲームって感じかな、無理やり解釈するなら」

 葉山が腕を組んでひとつの仮説を立てる。

「ばーちゃるりありてぃ?」

 由比ヶ浜が横文字を言いにくそうに復唱するので、補足しておいておく。

 

「ざっくり言うと疑似体験できるゲームの種類だ。仮想空間の世界に入って現実とほぼ同じ感覚で銃を扱ったり人と話したりできるってやつ。SF小説とかラノベとかに良くあるやつで、やたらゴツい機械とかつけたらカプセルに入ったりするのがお約束なんだがな」

「つまり私たちはピコピコの中に入ってたってこと?」

 川崎が指をピコピコと動かして、眉をひそめた。何だよ、ピコピコって。ゲームのことそう呼ぶのっておばあちゃんくらいだぞ。

 そんな感じで川崎を見ると、指を動かす川崎と目が合って、思いっきり目を逸らされてしまった。

 いくら俺の目が腐ってるからって、そんなに勢い良く避けないでくれないですかね……。怒りからかその耳はほんのり赤いようにも見える。どんだけ嫌いなんだよ。

 

「でも小町たちは何にもつけてなかったですよね? ゲーム始まる時も、終わった後も」

 俺がちょっと心に傷を受けてる内に、優秀な小町はバーチャルリアリティゲーム説を消す。

 その通りなのだ。

 何の準備もなく、また気づかれることなく、一瞬で13人の人間を仮想空間に放り込むなんて芸当は不可能である。

 ゲームの前にしたこと言えスタンドパネルに手を置く契約の儀とやらだが——それが準備とか完全にSF漫画の世界なんだよなあ……。

 

「やはり夢……というより、集団催眠が濃厚な気がしてきたわ」

 雪ノ下が自分に言い聞かせるように頷いた。

「ココペリさんは仕掛け人で、私たちは被験者だったのよ。それならば色々と説明がつくわ」

 今度は葉山が頷いた。

「俺もその線が妥当だと思う。ココペリさんは俺たちで催眠の実験を行ったんだ。こういうのは被験者に知らせないでやるのが普通だからね。それにバイト代も破格の三万だ」

 

 最後の方で聞き捨てならぬことを聞いたぞ。

「おいおい、三万ってなんだよ。俺聞いてないんですけど」

「あー、そうか、君たちは奉仕部だから」

 葉山が一人で納得しような顔をする。

「今回の件は平塚先生が持ってきたバイトなのよ。私たちは奉仕部だから当然無しだけれど」

 雪ノ下は平然と言うが、本来三万のバイトをボランティアさせるって酷すぎじゃないですかね、平塚先生。承知する雪ノ下もどうかと思う。これだから金持ちのとこの娘は。一般的な高校生にとって数時間三万のバイトなんてデカすぎるんだよなあ。由比ヶ浜を見ると、やっぱり不満そうに頬を膨らませていた。

 だから一見興味無さげな川崎とか三浦とかが来てたわけね。

 

 とりあえず俺たちの奇妙な体験は、ココペリの集団催眠実験ということで無事決着が付きそうだった。

 

「少し待たれい、皆の衆!」

 そこに水を差すのは、黒い指ぬきグローブから出る太い五本指。

「あれほどの体験をしておきながら、ただの催眠で済ませられるわけなかろう! 我らは見たであろう、あの轟々しき巨体を! あの猛々しき装甲を! 躍動する甲冑を!」

 ほとんど演説に近い語りを、材木座は我を忘れて続ける。

「あれは脳内が作り出した幻でも、CGで加工されたデータでもない! ジアースは確かに存在するのだ! で無ければ、あの圧倒的威圧感は説明できぬ!」

 言い切ると、材木座はフンスと鼻を鳴らし、踏ん反り返る。

 てかやっぱり俺の方しか見れないのな。机の位置が対面のおかげで誰も気がついてねえけど。

 しかし皆先ほどの結論で釈然としなかったのは事実のようで、材木座の言うことも一理あるのではないかと言う空気になっていた。

 

「そもそもココペリ殿は実験をする素振りすら見せなかったではないか。結局、それも推測に過ぎぬ!」

「は? 隼人の考えにケチつける気?」

「ヒィ」

 調子に乗った材木座だったが、三浦に人睨みされると、縮こまってしまった。

 ……だからこっち見んなって。ペットショップのチワワみたいな目をしても可愛くねえんだよ。どうする、アイフル? とか聞こえてこないから。

 そして急にキョロキョロと辺りを見回す材木座。明らかに挙動不審だ。コイツ大丈夫か?

 

「は、八幡? 我を助けてくれるのか?」

 いや俺なんもしてないんだけど。なんで助けてやる感じになってんの?

 しかし三浦を始め他の奴らの視線が俺へと向かっていた。

 ため息をつきガシガシと頭を掻く。

 

「まあアレだ、今日の奇妙な体験は、各自で結論を出せば良いんじゃねえの。ここで一致させる必要も別にねえだろ。終わったことだし」

 とりあえずその場をやり過ごす一番無難な言葉を述べる。

 俺たちは偶然集まっただけの集団だ。数時間後には解散し、数日後には誰が居たかもあやふやになり、数ヶ月後には綺麗さっぱり忘れちまうだろう。このような希薄で脆弱な関係性に、一致した見解などそもそも必要ないのだ。

 三浦はそれもそうだと携帯に目を移し、葉山が場を適当にまとめ始める。

 

 材木座だけが不満げに俺を睨みつけるのだが、知ったこっちゃない。

「酷いではないか、我の名前を呼んだから助けてくれると思ったのに!」

「は? 誰が?」

「八幡以外に我の名を呼ぶやつなんておらぬ」

「呼んでないんだけど」

「ほむう? 八幡でないなら誰だと言うのだ。我はたしかに聞いたぞ、フルネームで材木座義輝と我を呼ぶ声を——」

 材木座が幻聴を聞いて、俺がその相手をしていたまさにその時だ。

 

「おいおい、終わるのはまだ早いぜ」

 

 唐突に、何処からともなく声が聞こえた。

 そしてテーブルの中央、小さなぬいぐるみが浮遊している。

 

「な、なんだコイツ!?」

「さっきまで何もなかったのに!」

「宙に浮いて……! それに今喋ったわ!」

「何このブッサイクなぬいぐるみ、きしょ!」

「っべーマジっべーわ!」

 

 皆がそれぞれ騒ぎ出す。

 ぬいぐるみは宙を舞いながら、俺たちの顔確認するように飛び回る。

 ふーんとかほーんとか言いつつ、俺の目の前に来ると、一瞬だけ止まって「汚い目してんな」と吐き捨てやがった。

 なんだこのムカつくぬいぐるみは。

 

 一周して満足したのか、テーブルの中央に戻ったぬいぐるみは、一体何処から出ているのかわからないが、自己紹介を始めた。

「俺はお前らの乗るロボット、ジアースのナビゲーターだ。名前はコエムシ。地球滅亡させたくなけりゃせいぜい頑張るんだな」

 クソ生意気なぬいぐるみは、ジアースのナビゲーターを自称した。しかしココペリさんと違って随分と投げやり気味だ。中古のカーナビの方がまだちゃんと教えてくれそうだぞ。

 

「今回は13人って話だったんだが、ひい、ふう、み……2人ほど足りてねえな。せっかく俺様が出てきてやってんだ、全員で出迎えってのが礼儀ってもんだよなあ」

 

 外野の声は全く無視して、コエムシとか言うヌイグルミは独り言を述べている。

 俺は自分の中の警報が鳴り響いていることに気がつく。

 こいつは危険だ、と本能が告げている。その豆粒みたいな目ん玉には、俺たちのことなど入っていない。それこそ道端の羽虫を見るような、どす黒い無関心さが、酷く怜悧に思える。

 この悪意の性質は俺が中学の時に遠巻きからいじめを主導していた、トップカーストの御坊ちゃまによく似ていた。自分は関係ないけど惨めな奴は遠巻きで笑っていたいとか、そういうタイプの人間が、俺に向ける目。

 

 俺はとにかくあの気味の悪いヌイグルミから小町を守ろうと、目線を奴から切り離した。

 すると、突如、俺の上に大きな影が現れた。

 何事かと思う前に、それは容赦なく俺の頭に落っこちてきた。

 

 流れるような黒髪に、整った目鼻立ち。服の上からでも分かる豊満なバスト。

 町でいたら思わず振り向いてしまうほど美女が、俺の頭上から突如として現れたのである。

 

 ……ってこれ平塚先生じゃねーか!

 

「グホッ……!」

「痛てて……。一体なにが起きたんだ?」

 突然天から現れた美女こと平塚先生は、事態を把握しようとしているらしい。

 

「な、なんだ、あのヌイグルミ! 宙を舞っているぞ!?」

 先生その件さっきやりました。てかどっから来たんだよ、この人!

「静ちゃん、どうやら私たちはあのヌイグルミにテレポートさせられたみたいだよ」

 その声のお陰で、さっきまで居なかった雪ノ下陽乃さんもここに来ていることが分かった。

 しかし俺の耳が間違ってなければ、今陽乃さんの口からテレポートなんて言葉が聞こえて来たような気がするんだが……。

 

「私、見てた。何もないところから、ヒキタニくんの頭の上に平塚先生が現れるのを」

 海老名さんらしき声に、妙に耳に残るヌイグルミの声が答えた。

「そうだ。俺様はジアースのナビ。それくらい出来て当然」

「ジアースのナビだと!? いやしかしそれはあまりに非現実的では……」

 ぶつぶつと独りごちる平塚先生。てかそんなこと考える前にやることがあるでしょ!

 

「先生、早くどいて下さい」

 俺はなんとか口を自由に動かせるまで顔を横にして、堂々と乗っかっている人に声をかけた。

 問題は美女こと平塚先生のお尻が俺の顔に乗っかっていることだった。

 ハリのあるヒップがホットパンツのデニムの生地越し伝わってくる。

 端から見ればラッキースケベなのだが、その重さたるや小町の比ではないので結構辛い。

 いくら美女でもアラサーにもなるとやっぱり皮下脂肪とかも多くついてしまうのだろうか?

 

「衝動のファーストブリット!!」

「グホォッ……!」

「……これ以上失礼なことを考えたら、分かってるな?」

 

 な、なんで考えてること分かるんだよ……。

 俺の視界は平塚先生(アラサー)が遠ざかる共に、現実世界も遠ざかっていった。  

 



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5.唐突にコエムシは現れる。(後)

 淡い光がゆっくりと俺の意識を浮上させていく。

 体に鈍痛が走り思わず声が溢れた。

 俺は一体どうしたんだっけ?

 未だはっきりしない頭の中、聞き覚えのあるソプラノの声がそれを払う。

 

「八幡、大丈夫!? 」

「ああ、平気だ」

 

 眉を八の字にした戸塚は、甲斐甲斐しく俺の腕を握り、状態を起こす手伝いをしようとしてくれている。

 好意に甘えたいところだったが、それを優しく手で制して自分で上体を起こした。まだ少し体のあちこちが痛いが、大したことはない。戸塚に心配を掛けたくないし、何よりこれ以上優しくされたら、求婚してフラれかねないからね、仕方ないね。てかフラれちゃうのかよ。いや同性婚は最近認められたはず、千葉を捨てて渋谷区民になろうかな。

 

 さて、そんなアホなことを考えつくのは、目の前の現実が信じられないからだろうか。

 運動できる程度の大きさの部屋。高い天井からの仄かな光。そして馬蹄状に並んだ椅子。

 俺はその椅子の中のリクライニングチェアに寝かされていたらしい。

 

「戸塚、ここって」

「ジアースのコックピットだよ。いきなりでびっくりだよね。あとで説明するからちょっと待ってね」

 

 そう言うと戸塚はリクライニングチェアの背もたれを起こしてくれた。

 背中を預けると、皮膚にひんやりと冷たい感覚に襲われ、思わずピクリとはねた。

 あーこれ湿布が張ってあんのな。

 

「比企谷、具合はどう?」

 

 その声でようやくこの空間に川越……じゃなくて川崎がいることを認識した。ついでにその脇の方で暑苦しいコート着ている男も居たがヤツは見なかったことにする。

 

「もう大丈夫だ」

「川崎さんが八幡の介抱してくれたんだよ! 湿布とか用意してくれて」

「そうなのか。ありがとな」

「……いや大したこと無いよ。弟たちとかよく怪我するからさ」

 

 顔をふいと背けながら、指先を合わせてわにゃわにゃと動かす川崎。

 それを見て戸塚がくすりと笑う。

 妙な間のせいで居心地が悪いぞ。なんだその反応は。適当に話を繋いで誤魔化そう。

 

「つーかアレだ、よく湿布なんて持ってたな。ギックリ腰でも患ってんの?」

「は? んなわけないじゃん」

 川崎は低いトーンの声で睨みつけてきた。その眼力はまさに不良少女がカツアゲでもするかのような威圧感である。怖い。

「川崎さん、八幡はほら、コエムシの能力知らないから……」

 戸塚が間に入って川崎を宥めた。

「能力?」

「コエムシー、お願いー」

 

 すると何もない空間から、ブッサイクなヌイグルミが現れた。

 ついに戸塚の天使力がオーバーフローして人知を超えた超能力でも使えるようになったのだろうか。

 

「お、ハチマンが起きたみてえだな」

「コエムシが救急箱取ってきてくれたおかげだよ。それでね、八幡にご飯持ってきてあげたいから僕を連れてって欲しいんだ」

「あー私もちょっと家に顔出したいから送って欲しいんだけど」

 

 戸塚と川崎は親しげにヌイグルミいやコエムシと話す。

 てか俺のことも下の名前で呼ばなかったかコイツ。

 そうだ、気絶する前、コエムシが現れたんだった。俺はコイツの侮蔑たっぷりの目を忘れない。そして、その後、急に頭の上に影が出来て、何故か平塚先生が現れたのだ。あれはまるで瞬間移動してきたかのような——

 

「んじゃ八幡、ちょっと待っててね」

 

 そう言うと戸塚の姿は、川崎とコエムシと共に、消失した。

 

 ……マジか。

 目をパシパシ瞬かせて、辺りを見回して、もう一度戸塚のいた場所を確認。誰もいない。

 

「本当にテレポートしたのか……?」

 あまりの出来事に俺は思わず言葉溢れる。

「心配することはないぞ。ちゃんとテレポートしてる。我も確認した」

 さっきからひっそりと居た材木座が、俺の独り言を拾った。

 頭を抱えたくなる。なんだこれは。どうなっているんだ。

 

「まあ今さっき目が覚めた貴様が狼狽えるのも無理はないだろう」

 背の高いパソコンチェアに踏ん反り返る材木座。なんか色々話し始めているが、気だるさで頭に入らない。

 身体に力が入らず、背もたれに体重を預けた。上質な革素材が俺の上半身を優しく受け止め、ゆっくりと沈んでいく。このリクライニングチェア、随分高級なやつだな。

 不意に腕時計を見ると、すでに夕方を示していた。この虚脱感の原因は空腹か。昼食ってねえもんなあ。ああ、だから戸塚はご飯とってくるって言ってたのか。

 

「ゴラムゴラム。八幡よ、やっと二人きりになれたな」

 

 頭がまだ少しズキズキする。戸塚パワーでも回復し切れないとは、平塚先生恐るべしだ。

 こういうときは寝るのが一番。

 

「聞いて驚くなよ……。なんと我、最初のパイロットに封ぜられたぞ!」

 

 早く戸塚来ないかな? 独りが寂しいなんて久しぶりだ。

 うつらうつらとして気を紛らわそう。

 

「我の名を呼んだかと問うた時があっただろう? あれが実はジアースの啓示だったのだ」

 

 戸塚ってどんなお菓子が好きなんだろう。やっぱり可愛らしいチョコとかクッキーとかかな。それとも渋いせんべい系かな。

 サンタを待つ子どものような気持ちで、夢の世界に行こう。

 

「…………」

「…………」

 

 ガタッと物が動くような音がする。

 そして耳元に微かに気配を感じた。

 

「はちまーん!! おきろー!!」

「うわあああ!!」

 

 せっかく存在を抹消していたのに、むりやり視認させられた。

 材木座義輝はいつもの暑苦しいコートで、鬱陶しいほどの存在感を出していた。

 

 いつだって現実は無情である。

 

「チッ、うるせーな」

 

 材木座は年季の入った木製の学習椅子に腰かける。

 肘を立て、してやったりと顔をニヤつかせる様は、なんとも憎たらしい。

 

 こいつに怒鳴ったところで、某スノボー選手みたく、意味がないんだろうな。反省させてえ……。

 

「盟友である我の言葉を聞かぬから裁きが下ったのだ。『律する小声の叫び(ジャッジメント・チューン)』がな!!」

 

 なんだよその漢字とルビは……。

 全然律しても無いし、小声でも無いし、俺は幻影旅団でも無い。

 

「つーか盟友でもねーし。何の用だ?」

「……実は我、緊張している」

「はぁ?」

 

 素っ頓狂な声が出た。

 深妙な面持ちで、材木座は続ける。

 

「ロボット格ゲーの心得がある我だが、このような大勢の前でやるのは初めてなのだ」

「ゲーセン仲間とかいるだろ?」

 

「今の居るメンバーは見知らぬ輩。リア充たちもおる。あやつらとは違う。一応ゲーマーとして失敗する訳にはいかん」

 

 ああ、なるほど。

 オタク故にその手のものにはプライドがあるというわけか。

 

 リア充たちに唯一勝てる分野。意地でもあっと言わせたい。

 「コイツゲームごときにマジになっちゃってんの?」「上手過ぎて逆にキモい」と引かれることなったとしても、それは名誉の負傷だ。

 

 リア充が女と遊んでいる間にも、材木座はゲーマーとして努力してきたのだ。

 例え蔑まれようが誇れるものなのだ。

 

 珍しく材木座に感心した。

 

 ……ま、話だけでも聞いてやるか。

 

「だから楽に勝てる方法教えてよ〜。ハチえも〜ん」

 前言撤回。コイツ、清々しいくらいに丸投げしやがった……。

「知らねぇよ。格ゲーなんて守備範囲外だ。あとその呼び方辞めろ」

 

 期待した俺がバカだったよ。

 シッシッと手を払う。

 

「待て待て。要はこの緊張を和らげる術を知りたいのだ」

 

 見れば材木座のグローブをはめた手はプルプルと震えている。いつもより呼吸も荒いし、汗もかいている。

 緊張しているのは本当だろう。……後半はコートを脱げば解決しそうだが。

 

「……はあ。そうだな、平常心だ。いつも通りで居れば良い」

「ありきたりなもので解決できるか! それに我はこの通りいつものままだぞ!」

「いや違う。お前は普通を履き違えている」

 

 普通の高校生は、四六時中コートを羽織ったりはしない。指ぬきグローブもはめてない。

 だから材木座は普通じゃないのが普通なんだ。

 

「材木座、お前はジアースに選ばれし者なんだろ? 剣豪将軍、足利義輝の生まれ変わりなんだろ? こんなことでビビってんじゃねぇよ」

「な、なんだ急に」

「キャラを守れつってんだよ。ラノベ作家なんだろ? 絵師が誰かも重要だがキャラクターも同じくらい重要だろ? つまりそういうことだ」

 

 材木座はきょとんとし、しばらく停止していた。

 それで何度か頷き「なるほど」と呟いた。

 

「フフフ、八幡よ! お前の策、しかと受けとった! 我はこれからその準備にかかるとしよう!」

「さらだばー!」

 

 言うが否や颯爽と材木座は立ち去った。野菜食べ放題かよ。

 が、しばらくして出口が無いことに気がついたらしく、情けない声でコエムシを呼んでいた。

 

「だからキャラは守れよ……」



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6.だからこそ材木座義輝は慟哭する。

 しばらくして、戸塚が由比ヶ浜と一緒に現れた。

 

「ヒッキーやっと起きたんだー。やっはろー」

 由比ヶ浜がお馴染みのバカっぽい挨拶をして手を振った。

 それ、寝起きも使うのかよ。

 

「うす。てか口になんか付いてるぞ」

「うっそ! ペペロンチーノ付いてる!?」

 

 顔を紅くして、ハンカチでゴシゴシと口を拭った。

 てかペペロンチーノとか、いつ食ったんだよ。オレ、身ニ覚エ、ナイ。

 

「ごめんね。夕方だから外で食べに行っちゃったんだ。代わりにお土産と、コンビニで食べ物と買って来たから……」

 

 戸塚は手を合わせながら、頭を下げた。

 お土産? とちょっと引っかかるが可愛らしい上目遣いの戸塚が見れたのでどうでも良くなった。

 

「ま、まあ、気にすんな」

 

 頬が綻びそうなのを誤魔化すように、目線を切りコンビニ袋とオシャレな紙袋を受け取る。

 メロンパンやら午後ティーやら、入っている中、不意に何かがもぞっと動いた。

 

「うおっ!」

「きゅっぷぃ! 食べ物だと思った!? 残念コエムシ様でした!」

 

 ふぉんとコンビニ袋から浮遊し、戯けてみせるコエムシ。

 マスコットぽいことしやがって……。パンつまみ食いしてないだろうな?

 ちなみに紙袋にはピサの斜塔の置物が入ってました。わけ分からん。

 

 非難の眼差しを向けてみるが、コエムシは意を返さずに、けたけたと笑って、何処かへ消えた。

 

「ヒッキー、超ビビってたしー」

 

 由比ヶ浜も同じように笑みをみせる。堪えているようだが戸塚も肩が震えていた。

 ちょっとは病人を労わってくれよ。

 時刻を確認するともう夕方5時をまわっていた。

 

「他の連中は?」

「もうすぐくると思うよ。……あ、ほら」

 

 言うがすぐに現れた。材木座を除いた9人だ。

 夕飯を食べた帰りなのだろう、集団からはイタリアン料理の香りが仄かにする。

 

「認めないわ、瞬間移動なんて……! 科学的に不可能と証明されているし物理学に量子テレポーテーションというのはあるのだけれど、それは全く別のもので……!」

「君らの常識はよく分からないけど、雪乃たちは瞬間移動でイタリアに行ったのは事実だよ?」

 

 雪ノ下はぐぬぬと押し黙る。俺の居ない間になにしてんだよ。てか本場に行ってたんかい! ピサの斜塔がお土産ってガッツリ海外旅行してるレベルじゃねーか!

 

「今日はわけのわからないことだらけだわ……」

「オレも君の頑固さは、わけがわからんな」

 

 雪ノ下はこめかみに手を押さえて俯くと、コエムシもそれに習うように俯く。

 それに気が付いた雪ノ下は射殺するような忌々しい目つきで睨むと、コエムシは楽しそうに空を舞った。

 

 お前ら、仲良しだな。

 

「まあまあ雪乃ちゃん、そうカッカしないの。良かったじゃない、まだピサは行ったことなかったでしょ?」

「一瞬で海外に行けるなんてコエムシは本当に便利だな」

 

 大人は順応性が高いのか、すぐに瞬間移動を受け入れていた。

 いや、普通は逆じゃないんですかね?

 

「ん、そろそろ敵がくる! みんな自分の椅子に座れ」

 

 円状に並んだ椅子にコエムシは誘導した。

 

「どうだい、元気になったかい、ヒキタニ君?」

 

 葉山が颯爽と俺の元へ歩いて来た。

 海老名さんが「はやとくんが自らヒキタニ君に……! はち×はやいただきー」など何か騒いでいるが、ここは無視。

 

「……ああ、これお前の椅子か。良いの使ってんな」

「いや、大したこと無いよ」

 

 んなわけあるか。高級感ハンパ無かったぞ、このリクライニングチェア。

 ちょっと立つの名残惜しいと思いつつ、円状に並んだ椅子の中に、自分のものを見つけようと見渡した。

 どうやら俺の椅子として設定されたのは、リビングのソファらしい。

 腰を下ろすとお馴染みの感触が伝わってくる。

 

 既に各々が自分の座るべき椅子に着席していた。

 そういえばココペリさんの時は椅子は馬蹄状だったのに今度は違うんだな、とかどうでも良いことを考えていると、部屋の椅子に座る小町から声がかかる。

 

「お兄ちゃん、中二さんは? 最初のパイロットなのにどこ行ったの?」

「さあな。そのうち来るだろ」

 

 コエムシに目線を流しながら答えた。

 するとぶんとコエムシが消える。

 

 材木座の準備とやらが終わったようだ。

 ……自分で言っておいて何だが、良い予感がしない。

 再びコエムシが現れた。そしてコックピット内の空気が変わる。

 

 馬鹿でかい襟付きコートと漆黒の仮面を纏った、それはそれは痛々しい男が佇んでいたからだ。

 

「ふはははは! 我こそは、地球を守る正義の象徴!」

 

 場が凍る、とはこのことだろう。

 誰もが口を開け、何こいつキモッ、という表情をしている。

 

「剣豪将軍、材木座義輝!! ここに見参!!」

 

 いつもなら素に戻る材木座であるが、仮面のお陰なのか、キャラは崩壊しない。

 そして自分の椅子へ腰掛ける。

 

「ようやくこれで全員だね」

 

 そう言うと、全ての椅子が円状の並びを保ったまま、ゆっくりと浮上していった。

 コックピットは暗幕が晴れるように闇が消え、やがてジアースの周囲を映し出した。

 

「今ジアースは海の中だ。普段はここに身を隠している」

 

 戦隊もののロボットと同じ設定ね。

 コエムシは先ほどまでのおちゃらけた雰囲気押しとどめ、厳粛なナビゲーターになっていた。

 

「君たちはこれからやってくる敵のロボットを倒して、地球を守らなくてはならない。もし負ければ地球は滅亡する」

 

 どうやらルールのおさらいをするらしい。

 

「戦闘の時は君たち全員をここに呼び出す。後はココペリのチュートリアルの通りだ。何か分からないことがあればオレに聞くと良い」

 

 区切って、余韻を残す。

 

「地球の未来は君たち次第だ。健闘を祈るぜ、義輝」

「おう、我に任せておくが良い」

 

 するとコックピットの画面が動き出した。細かい水泡がいくつもできて、やがて海上に出た。

 ジェットコースターの登りのような高揚感に包まれる。本当に上昇しているかと錯覚させられた。

 

 ジアースのいる場所は海上数キロ沖。遠くには海岸線、反対には小さな小島が幾つか見える。

 ちょうど夕日が地平線までおりて来て、赤橙の海原が一面に広がっていた。

 

 幻想的でノスタルジックな情景に誰もが息を飲む。

 時が止まったかのような、そんな一瞬。いや永遠にも続くかとも思われた。

 

 そして、静寂は切り裂かれる。

 

「来たぜ!」

 

 夕暮れを遮る形で、円形の断面が現れ、敵が姿を見せた。

 

 これがジアースの初戦である。

 チュートリアルの直後だから流石に強敵はこないとは思うが、材木座が勝てるかわからない。

 出来ることならば、リア充たちにドン引きされるくらい完勝して欲しい。

 

 緊張と興奮はピークに達し、皆が敵の動向に注視している。

 

 ついに地球を守る戦いが始まった。

 

 全身を見せた敵ロボットは端的に言って物凄く強そうだった。

 形状は人型であるが、ジアースとは全く異なる。

 

 一番の特徴は大きな胸部だ。上部が開口した三日月の型をしている。

 双肩からは類人猿を連想させる、自身の胴体と同じくらい巨大な両腕と頑丈な拳が威圧感をさらに際立たせる。

 

「これホントに最初の敵……?」

 

 キャラは守れよ、と思ったが材木座が唖然とするのも無理はない。

 ココペリ戦の蜘蛛とは比較にならないほどの強敵——『弦月』の登場に、皆驚きを隠せない様子だ。

 

「スリット数15、光点は3か……」

 コエムシが何事か言った後、材木座に向き直った。

「気をつけろ義輝! 相手はかなりの強敵だ」

 

「そんなもの見れば分かる! チュートリアルの次戦にしてはあんまりだろ! 設定にバグでもあるんじゃないのか?」

「いや、良いのだ、八幡。敵が強ければ強いほど熱くなるというものぞ!」

 

 材木座は手ぬきグローブをぐっと強くはめ直し、仮面の位置を正す。

 

「行くぞぉ! 我とともに敵を討ち払わん! ジアース、発進!!」

 

 かけ声と共にジアースは敵ロボット『弦月』との距離を縮めていく。

 最初に仕掛けてきたのは、『弦月』の方だった。

 

 大きな右腕を思い切り振り下ろして来る。ジアースはその隙に、『弦月』の懐に潜り込もうとしたが、その振り下ろさせた右腕の衝撃で阻まれる。

 ジアースと『弦月』の間に大きな水飛沫が上がった。

 

「そうやすやすとは行かぬか!」

「なんか……凄い!」

「もう一撃、来るぞ!」

 

 材木座が舌打ちをし、由比ヶ浜がアホみたいな反応をし、葉山がすぐさま次の攻撃に気が付いた。

 

 水の壁から、今度は左フックが飛んできた。 水飛沫は目隠しだったのだ。

 ジアースは両腕で重い攻撃を受ける。

 衝撃がコックピットにも伝わってきた。

 

 凄まじい揺れが俺たちを襲う。体感震度5弱だ。皆悲鳴を上げ、恐怖で椅子の背もたれや肘掛けに掴まった。

 ただ一人、パイロットの材木座を除いて。

 

「また右腕を振りあげてる。重量に物を言わせて押し潰すつもりだわ! 一旦距離を取るべきよ!」

 

 雪乃が自分のソファに掴まりながら、早口で指示を出す。

 揺れるのが怖いのか、少し声が上ずっていた。

 しかし材木座はジアースを後退させようとさせない。

 

「退かぬ。男の辞書に退くという文字は無い!」

 

 いかん、材木座の奴、キャラに入り込み過ぎて、事態を冷静に分析できてない

 まるで夜が来たように、コックピットが闇に包まれた。『弦月』の拳による影だ。

 こんなものまともに受けてはひとたまりもないだろう。

 

 やはり材木座は動かない。

 流星のような勢いで、『弦月』が右腕のを振り下ろした。

 

 再び、衝撃。

 だがさっきよりも全然弱い。体感震度で言えば3程度だ。

 そんなはずはない。振り上げた相手の拳は、位置エネルギーも加わって、先ほど左フックとは比べものにならないほどの威力のはずだ。

 

「やはり、ジアースは強い!」

 

 ジアースの両腕はしっかりと相手の拳の勢いを殺していたのだ。

『弦月』の右腕とジアースの両腕が、ジリジリと鍔迫り合う。

 それも長くは続かなかった。あろうことか、徐々にジアースの方が押しているではないか。

 

「ジアースの能力は、原則パイロットの能力に比例する」

 

 そういえば材木座は体育祭の棒倒しで、戸部ら体育会系3人のブロックを一人で突破したことがあった。

 まさかこんなところで馬鹿力が役立つとは……。

 

 ジアースはそのまま『弦月』を押し切り、タックルを喰らわせた。

 また大きな水飛沫が上がり、『弦月』の巨体は海に投げ出された。

 

 日は既に落ちて、海面も空と同じく仄暗い。

 三日月が、怪しくジアースを照らしていた。

 

「すげえ……」

 

 思わず口からこぼれ出す。

 あの体格差を真っ正面から受け止め、相手を吹っ飛ばすとは。

 

「きゃー! 財津くんすごーい! 素敵!」

「うん。やるじゃん、中二!」

「っべぇーわ! ザイモクセイくんマジパネェ!」

 

 普段なら絶対にあり得ない、材木座への賞賛の声。

 

「フッ、どうと言うことないわ」

 

 う、うぜぇ……。

 それを素直に受ければ良いものを、材木座は余裕そうな顔で答えている。

 というか誰も苗字覚えてないことにツッコまないのか、材木座。

 

「材木座くん、かっこ良かったよ!」

「デュフフフ、そうかなぁ?」

 

 戸塚に言われるとあからさまにデレっとする材木座。

 ……素直でも、やっぱり材木座はうぜぇわ。あとキャラは守れ。

 

「その気持ち悪い顔はちゃんと勝ってからにして欲しいのだけれど」

 

 雪ノ下が指差す方向には、態勢を立て直す三日月型のロボット、『弦月』。

 

「くだくだしてっから、アイツ復活してんじゃん」

「形勢逆転したら、ラッシュをかける。戦闘の基本だな」

「分かっておるわ。しかし距離が出来た以上こちらの優位! なぜなら……」

 

『弦月』の戦闘方法はどうやら肉弾戦のようだ。それも主に両手を使ったパンチが主流。

 確かに一発の破壊力はあるが、タメが長く、隙が多い。そして渾身の一撃はジアースに真っ向から防がれている。

 

「ジアースの方が腕は長いし、相手の攻撃を避けて、アウトレンジから攻めれば勝てるってわけだね」

 

 材木座に補足して、爽やかスマイルを浮かべる葉山。

 おいおい、葉山、材木座の見せ場を奪ってやるなよ……。

 

「む、そ、その通りだ。強敵だったが、これで終いにしよう」

 

 ところが妙なことに、『弦月』はその場に立ち尽くすのみ。

 普通なら距離を詰めて反撃に出てくるのだが……。

 

 月明かりをバックに、『弦月』は直立不動を保ったままだ。

 三日月型の胸部が、不気味に月光を反射し、白くなっている。

 

 いや、違う。

 この光は反射じゃないっ……!

 

「材木座! 避けろぉ!」

 

 刹那、『弦月』の胸部から真っ白な三日月型の光線が放たれた。

 ジアースは転がるように、間一髪それを回避した。

 

「な、ななな!?」

 

 光線の着弾先、数十キロ先には、三日月の形にかたどられていた、海。

 周辺には島々もあったようだが諸共消滅していた。

 

 こんなものジアースのレーザーの比ではない。当たれば即死亡の一撃必殺。

 

 予想外のメインウェポンに、声を失った。

 

「どうやらこっちが本命っぽいな……」

「ウチらのレーザーと全然違ぇし……。つーかコエムシ! こんなん反則じゃね? 敵だけ有利過ぎっしょ!」

「確かにロボットには戦力差はあるけれど、それはルールの範疇だから問題は無い」

 

『弦月』はもう一度三日月に光を溜め始めた。

 

「まずい! 材木座、あの光線はもう撃たせるな!」

「分かっておる!」

 

 ジアースは距離を詰めようと動き出す。

 しかし『弦月』は頭部から細いレーザーを放射し、ジアースの足止めを図った。

 

 コックピットはレーザーの衝撃で激しく揺れ、悲鳴が木霊する。

 

「くそっ!」

 

 こちらもレーザーを放ってみるが、相手の気を紛らわせることすら叶わない。

 ジアースと『弦月』。長距離武器の性能差は歴然だった。

 

「ならば正面突破しかあるまい」

 

 ジアースは勢いをつけ、一気に『弦月』へと突進しようとする。

『弦月』の細いレーザーが直撃し、火花が散るのが見えるが、ゴリ押しで突っ込んだ。

 

 多少速さは損なわれたが、それでも敵の光線の溜めを中断させるには十分な勢いは残している。

 モニターには徐々に『弦月』の三日月のような胴体が近づいてくる。同時に月光の光も強くなる。

 

 このまま行けるか!?

 不意に、『弦月』の光が消えた。

 次に凄まじい衝撃。

 

「うわああああ!?」

 

 浮遊感、そして叩きつけられた感覚が、コックピットに走った。

 モニターは海と空を交互に映し出す。

 

『弦月』は光線を出す振りをして、ジアースをおびき出したのだ。

 太い両手を支えにしたドロップキック。体操のあん馬の競技をしているかような格好だ。

 

「あれはフェイクだったのか!」

「いや、そうでもないみたいだ……」

 

『弦月』の三日月は眩しいくらい輝いていた。

 それはつまり。

 

「あれがくるぞぉ!」

 

 空気を切り裂く雷音の如く轟いた。

 思わず目をつぶってしまう、圧倒的な閃光。

 それは世界の終わりのような一撃だった。

 

 …………。

 

 意識が飛びかけた。いや飛んでいたかもしれない。天に登っていたまである。

 天地が翻したかのと錯覚するような衝撃だった。

 

 そして、モニターには、半身を失ったジアース。

 

 右肩から胸にかけてが全ての消失しており、股の部分が辛うじて残っている状態であった。

 材木座がとっさに避けたのだろうが、ジアースはまさに満身創痍。あまりにも無様な姿。

 敵機、『弦月』は幾つかの打撃痕はあるものの、ほぼ五体満足と言っても良い。

 

「これは……負けだな」

 

 千里の道も諦めろ。

 押してダメなら諦めろ。

 敵を知り己を知れば百戦諦めろ。

 

 我が座右の銘を見ても勝ち目が無い。明らかに諦める。

 なにもおかしいところもない。

 

 ジアースの無残な姿に、コックピット内は皆一様にため息をつく。お開きムードが漂っていた。

 足元にはよく見れば右腕の残骸が浮いている。大きさはまちまちで、それなりに形が残っているものもあった。

 これが現実だったら、コックピットまで破壊されているかもしれない。

 ゲームで良かった。

 

「材木座、よく頑張った。痛いキャラを貫いてまでやろうという気概は、きっと葉山たちに伝わっただろう」

 

 現に引かれはしたものの、当初の目的である緊張を紛らわせることは出来ていた。

 何かのキャラに自分を重ね。空想の世界を救う。

 見せ場もあった。体格差をものともしないあのタックルを見た時は深くにも材木座をちょっとかっこいいと思った。

 無趣味な俺にとって、バカみたいに夢中になれるものがある楽しさは、とても眩しく見えた。

 

 ポンとコスプレをしたパイロットの肩を叩く。

 

「今回は残念だったが、また次回やればいいじゃないか」

「次回……?」

「八幡! 我は……俺は嫌だぞ!」

 

 コエムシの声を遮って、仮面を外し、キャラを脱ぎ捨てた材木座が声を荒げた。

 

「俺は勝ちたい! あいつがどんなに強くても、ここは勝たないとダメなのだ!」

 

 鼻をすすりながら、思いをぶちまける。

 

「ここでまでやって負けては俺はずっと勝てない気がするんだ! 弱い自分に言い訳して、敗戦を正当化して、前に進めない! ……そんなのは嫌だ!」

 

 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、材木座義輝は慟哭す。

 

 あの……これ……ゲームなんスけど。

 こんなゲームにマジなっちゃってどうすんの?

 

 サザっと引き潮みたいに皆引いていた。これには俺も苦笑い。

 だがただ一人それに感化された人間がいた。

 

「おお材木座よ! その通りだ! 諦めたらそこで試合終了だぞ! まだゲームオーバーになっていない以上チャンスはあるということだ!」

「先生!」

「材木座!」

 

 ガバッと抱き合う二人。

 材木座、もうお前が嫁に貰ってやれよ……。

 勝負が決まり、三浦などはもう興味を無くし、ケータイをいじり始める始末。

 敵も同様、茶番に付き合うプログラムはないらしく、トドメの一撃を三日月に溜め始めた。

 ああ、これは終わったな。 小町に夕飯どうする? サイゼ寄ってく? 

 

「隼人、ちょっとこれ見て。東京湾沖に、謎の巨人現るだって。これウチらじゃね?」

「何言ってんだ優美子、そんなわけ……」

「よし! 行くぞ! ジアースよ、最後の攻撃だ!」

 

 復活した材木座は、大声で鼓舞し、ジアースは何かを持つような動きをした。

『弦月』の光は最大になり、今にも光線を発射せんとしている。

 

「タイミングが大事だぞ! 一回ポッキリの策だ!」

 

 三日月型の胸部が前のめりになり、大きな両手を軸にして砲台のような形となる。

 光線前の、予備動作だ。

 

「そこだっ!」

 

 ジアースは、自身の右腕の破片を、投擲した。さながら槍投げか、はたまた北欧神話のグングニールか。

 

「くらえ! 『幻紅刃閃(ブラッディナイトメアスラッシャー)!!』」

 

 ジアースの右腕は『弦月』の左腕に深く突き刺さった。

 そのせいで重心のバランスが崩れ、前屈みに崩れ落ちる。

 直後、『弦月』の光線が発射された。

 倒れこむ海の中に撃っている形になるのだが、その破壊力をゼロ距離で放てば、当然『弦月』自身も無事ではすまない。

 大きな爆破音がしたかと思うと、『弦月』の背中から光線の幾つかのが反射し、内部の核諸共空へ登っていった。

 

「か、勝った!?」

「勝ったぞー!」

 

 再び抱き合う。師弟愛って美しいッスね。超どうでもいい。

 

 ジアースのコックピットは暗くなり、戦闘の終了を告げていた。

 

「よくやったよ、義輝! 君の勝ちだ。まさかあそこから勝つなんて驚いたよ」

「そうであろうそうであろう! ま、我は最初から勝てると信じておったし、あのピンチも計算通りよ!」

 

 ムッハハ、とよくわからない笑い声を上げる材木座に、周りは早く帰らせろという視線が集中した。

 

「まあ待て。折角勝ったのだ、外に出て余韻にでも浸ろうではないか」

 

 ……地味にメンタル面も強くなってやがる。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

「さぶっ!」

 

 材木座の頼みにより、一同が移動した場所は、ジアースの頭部だった。

 

 アクアラインの向こう、日はどっぷり落ちて、海岸線はネオンに彩られている。

 海上の風は肌寒く、先ほどの戦いの興奮の熱を冷やすよう。

 まるで現実の世界だ。

 

「……う」

 

 死闘を終えたパイロットの材木座は、ジアースの甲殻の端まで歩いた。

 

 そして、

「うおおおおおおおおおおおおお!!」

 と雄叫びを上げた。

 

「うるせーよバカ!」

 

 恨めしく材木座を睨もうとすると、後ろから凄まじい殺気を感じる。

 ああ、これは振り返らない方が良さそうだ。

 

「チッ、突き落とされたいん?」

 

 殺気を漏らしたのは川崎である。

 ボソッと言ったのがマジっぽくてガチ感が出て怖い。ついでに俺の語彙力のなさも怖い。

 しかし材木座には通じないのか、ワザとらしい咳をいくつかして、向き直る。

 

「むはは、嫉妬の声が気持ち良いぞ。我はジアースに選ばれし者であるからな」

 

 ドヤ顔で胸を張る材木座。

 な、殴りてぇ……。

 

「つーか、これ順番だし。お前だけじゃないんだけど? つーか、パイロットだったら隼人のが似合うし」

 

 今度は獄炎の女王の攻撃。流石にリアルギャルに凄まれたら怖いようで、材木座はあわあわ言い出した。

 

「とにかく勝てて良かったよ。今回は材木座くんのおかげでね」

 

 ここで葉山が仲裁に入った。それに由比ヶ浜と戸塚がフォローする形で場は収まりそうだ。

 葉山の言葉には色々含まれているのだろうな、と考えを巡らせる。

 その時、ふと声がかかる。

 

「比企谷くんも、もう事の重大さは認識してるよね?」

 

 背けていた可能性を突きつけられた。

 薄々は感づいていた。瞬間移動も、コックピットの衝撃も、あまりにリアリティがありすぎる。

 

 自分に言い聞かせるように、ゲームだと、設定だと。

 ここに立っている以上、もう反論の余地はない。

 

 それはつまり一連の出来事が、仮想世界におけるゲームではないこと。

 少なくても今俺たちが乗っているジアースは、間違いなく現実だということ。

 

 俺が小さく頷くと、雪ノ下さんはいつも人前に出る時の強化外骨格で、皆の注目を集めた。

 

「とりあえず、今日のところはお開きにしましょう! もう日もくれちゃったし。でしょ、静ちゃん?」

「……ふぇ!? ああ、そうだ。諸君、気をつけて帰りたまえ」

 

 平塚先生はどうやら放心していたようだ。多分、自分の世界に入っていたのだろう。だって材木座に向ける目が、同志を讃えるようだったから。

 ホントに先生かよアンタ……。

 

「八幡、八幡」

 

 グイッと材木座に引っ張られ、無理矢理近くに寄せられた。

 なんだよ、と仕方なく嫌そうな顔を向ける。

 

「次の作品が決まったぞ!」

 絶対ロボットモノだ。しかも主人公自分の。

「巨大ロボに乗る足利義輝の生まれ変わりが」

「もういい、分かった」

 

 はあ……。やっぱり材木座は材木座だ。

 やれやれとため息を吐く俺に、鋭い視線が刺さる。

 

「早くしてくんない? あたし暇じゃないんだけど」

 

 ダウナーなハスキーボイスで川崎にそう言われれば俺も思わずヒィと声が溢れる。

 いそいそとジアースの肩口にいる材木座の元へ歩いた。

 

 しかしなんだかんだ言って今日の材木座は良くやったのではないか。

 先ほどの戦いで不覚にもこいつちょっとカッコいいんじゃんと思ってしまったのは事実だった。

 

「……まあ、なんだ」

 あそこまで熱くなれる材木座を、素直羨ましく思った。

「ちゃんと、出来たら持ってこいよ」

 

 とん、と。

 軽く、拳を材木座に当てる。

 そのはずが。

 

 瞬間。

 

 材木座の体はゆっくりと、崩れた。

 

「え」

 

 まるで闇に吸い込まれるように。

 ジアースの甲殻から東京湾へ、音もなく転落していった。

 

 

 

 

 材木座は、数日後、遺体で見つかった。

 



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7.なんとか比企谷八幡は動き出す。

 庭の木の葉は色付いて、その命を終わらせる。

 葉っぱのフレディという小説を昔読んだ記憶がある。友達が居なかったのに何故か泣いてしまった幼い日。

 一陣の風が吹くと木の葉はパラパラと散ってしまう。この風の冷たさどのくらいなのだろう?

 最近、外に出ていないから、気温の変化が分からない。

 時計を確認する。11時を既に過ぎていた。だいぶ惰眠を貪っていたらしい。

 グダクダとベットから出て、顔を洗ってからリビングに向かう。

 

 テーブルにはラップに包まれた朝食のパンやサラダと置き手紙。

 

『朝ごはん作っておきました。ちゃんと食べて元気になってね! 今の小町的にポイント高い!』

 

 妹の心遣いが胸に染みる。最後の一言が余計だが。

 秒針を刻む音が自然と大きく聞こえる。世界に俺がひとりだけ取り残されたようだ。

 独りなのはいつものことなんですけどね。ぼっちだから。

 

 特製コーヒーを作りながら、新聞を手に取る。

 一面には、とある災害の続報だ。

 

 

 東京湾に、巨大怪獣現る。

 二体の謎の怪獣は東京湾沖で戦闘を行い、周囲の諸島を喪失させる甚大な被害。

 津波や地震など二次災害を引き起こし、死者120人行方不明者60人重軽傷者500人超。

 

 

 今でも鮮明に思い出される、あの日のこと。

 巨大ロボット『ジアース』を操り敵のロボットと死闘を繰り広げた。

 ゲームでは無かったのだ。

 ジアースの存在も、コエムシの瞬間移動も。

 

 材木座の、死も。

 

「うっ……」

 

 拒絶反応が俺の体を襲う。急いでトイレに駆け込み、胃のもの吐き出す。何度か繰り返したせいでほとんど胃酸しか残っていない。

 せっかくの小町の手料理が……。

 本来、ぼっちというのは誰にも迷惑をかけない存在だ。人と関わらないことでダメージを与えない、究極的にエコでロハスでクリーンな生き物のはずだ。

 ……それがどうだ。ここ数ヶ月の比企谷八幡は。

 奉仕部だの分実だの、人とコミュニケーションを取っているではないか。

 冷静に考えてみるとぼっちである俺が、女の子2人で買い物や花火に行ったり、部活に入って誰かと交流したりしていること自体がちゃんちゃらおかしいのである。

 

 やはり俺は間違っていたのだ。

 

 俺が関わってしまった。

 人にダメージを与えるどころか、人を殺めてしまった。

 それも、見知らぬ赤の他人ではない。俺と関わりが深かった奴が。

 

 材木座を殺したのは俺だ。

 一週間前、ジアースの頭部の端、確かに俺は材木座を、押した。

 それで落ちて死んだ。

 軽く押したとか、殺意がなかったという言い訳は通用しない。

 事故であろうが俺が直接的な原因である以上、殺しは殺しなのだ。

 

 俺は、人ととして、ぼっちとして、比企谷八幡として、やってはならないことをしてしまった。

 

 ここ最近の記憶が抜けている。

 小町がよく話しかけたり、由比ヶ浜や雪ノ下が家に様子を訪ねて来たりしたような、しなかったような。

 あ、でも戸塚は来た。これはしっかり覚えてる。目に焼き付けたまである。だって天使だもん。

 ただ、戸塚でも家には上がらせず、また外に出かけることも断った。

 マスコミは太平洋沖のココペリ戦を第一とし、材木座の戦いは『第二次怪獣災害』と呼んでいる。

 100人以上の死者を出し、島をいくつも消失させた大災害。このことは世間を大きく騒がせている。

 

 それ故に。

 この世界が、世間が、俺を責めているように、感じてしまう。

 

 

「それは自意識過剰だぜ、ハチマン」

 

 

 背後から突如、声が聞こえた。機械音と言うわけでは無いのに、何処か無機質な声。

 ジアースのナビゲーター。通称コエムシは、ぬいぐるみの出来損ないみたいな体を浮遊させていた。

 

「……勝手に家に入ってくんじゃねぇ。不法侵入で訴えるぞ」

「俺はジアースのナビ。人間どもの法に従う義務はないぜ」

「何の用だ?」

 

 今の俺の目はきっと朽ち果てた死体よりも腐っているだろう。

 ジロリと睨むが、コエムシは楽しそうに言った。

 

「人を殺した気分はどうだ?」

「てめぇ!」

 

 思わずコエムシに殴りかかった。

 当然、俺の拳は躱され、空を切った。

 コエムシはおちょくるように顔の周りにまとわりつき、それを何度か振り払った。

 

 運動不足で、すぐさま息が上がる。

 

「誰も、ヨシテルの死がお前のせいだなんて思ってないぜ。少なくてもジアースに乗っていない普通の人たちは、な」

「……うるせぇ」

 

 自意識過剰だ? そんなことは、今に始まったことじゃない。

 俺の世界は何時だって俺ひとりだ。だから俺がやった失態は、全て俺が背負うべきなのだ。

 これがぼっちの、選択肢の無い、選択なのだ。

 

「ぼっち、ねぇ。……まあ何かあったら俺に相談しろ。気が向いたら助けてやるよ」

 

 巻き込んでおいて、よく言うぜ。

 心の中でそう毒づいたが、そこで俺はまだジアースについて何も知らないということに気が付いた。

 

「じゃあ、ジアースについて、知ってることを全て教えろ」

「それは面白くなくなるから駄目だ」

 

 こいつ……言ってることが全然違うじゃねぇか!

 

「人間は何も考えずただ答えを知ろうとする。自分の頭でよく考え、ジアースについて仮説を立ててみろよ。成否くらいは教えてやる」

 

 

 それだけ言うと、コエムシはふっと姿を消した。

 どうにもならない、蟠りだけが、俺の中に残った。しかしただひとつ言えることがある。

 

 

 それは、コエムシは性格が悪い、ということだった。

 

 

 ***

 

 

 チャイムがなったのは、昼を過ぎたころだった。

 適当に居留守を使おうとすると、返事を待たず扉が開く音がした。

 

「比企谷ー! ちょっと出てこーい!」

 

 人ん家のドア勝手に開けるなんて、身内か図々しい近所のおばさんくらいなんですが……。

 不法侵入する何処ぞのマスコットよりもマシではあるが。

 

「……なんスか?」

 

 仕方なく玄関に向かった。足の裏がひやりと冷たい。フローリングで秋の深まりを感じた。

 

「やあ比企谷。メールは見たか?」

「あー、いえ。ずっと放置してました」

 

 ここ一週間はほとんど触った記憶がない。あの日の夜から全ての行動の記憶が無いまである。

 小町がお兄ちゃんのケータイがどうのと言ってた気がしないでもないような……。

 

「今日は材木座の葬儀だ」

「……そう、でしたか」

 

 俺が命を奪った相手の名前。

 またフラッシュバックされる、あの日の瞬間。

 ゆっくり崩れ落ちるコート。手を伸ばしても無情に空を切る指。急速に闇に吸い込まれる大きな体。

 

「うっ……!」

 

 思わず胃が反応した。

 それをなんとか飲み込む。

 

「俺に行く権利なんて、無いです」

「まだ自分を責めているのか。あれは、事故だ」

 

 平塚先生は言い聞かせるように両肩にそっと手を添えた。

 

 あの日。

 俺たちがジアースに乗っていたことは、誰にも知られていない。平塚先生と雪ノ下さんが提案し、みんなが同意したことだ。

 警察に話したところで、誰にも信じるはずも無いということもあるがそれ以上に、俺を庇うためでもあったのだろう。

 巨大ロボットによる未曾有の大災害。俺たちが関わっている証拠も無い。

 俺たちは大学に来ており、たまたま海岸線に居た材木座は、地震により海に転落した、ということになっている。

 雪ノ下さんは警察にコネがあるらしく、多少の矛盾は握りつぶせる、ととんでもないことを平然と言っていた。

 

「みんな普通では無かった。あまりに現実離れし過ぎていたのだよ。それに君が押したと言い張るのは無理だと断言できるほど、材木座の落ち方は不自然だった」

 

 ……もし、真実がどうであっても。

 最後に触れたのは、引き金を引いたのは俺だと言える。また材木座にジアースを操縦させるように焚きつけたのも俺だ。

 ぼっちであったはずなのに。誰にも迷惑をかけないつもりだったのに。

 

「……それに、一番罪深いのは私だ」

 

 平塚先生がすっと目を伏せた。

 

「ココペリの実験に、生徒を無闇に参加させてしまった。その上、教師という立場でありながら、私的欲求が原因で引率の生徒を死なせるどころか、大災害を引き起こしてしまったのだからな」

 

 俺の肩を掴む手が震える。

 平塚先生の瞳は濡れていた。

 

「しかも君をここまで追い詰めてしまった……」

 

 深々と頭を下げた。

 

「すまない、本当にすまない」

「……平塚先生」

 

 俺はなんて声をかければいいか分からなかった。

 どうしたものか、目線を上げると、玄関のドアの向こうの車から、見覚えのある人物が降りてきた。

 

「遅いと思ったら、何お互いに罪の被り合いしてるの?」

 

 黒を貴重としたアンサンブルに丈の長めスカート、喪服であるのに何処か華のある雰囲気。

 完璧超人、雪ノ下陽乃は口を開く。

 

「静ちゃん、その話は散々したじゃない。それより比企谷くんはどうするの?」

 

 雪ノ下さんは平塚先生を引き剥がし、俺に向き直った。

 材木座の葬儀の出欠のことを問うた。結論は変わらない。

 

「俺は出る資格が無いです。雪ノ下さんは出るんですね」

「一応、彼の最後に出会った人間だしね。あの日行った子たちは比企谷くん以外みんな出るんでしょう?」

「そうだ。君の妹は兄次第と言っていたがな」

「…………」

「君は行く資格が無い、と頑なに言うなら、無理強いはしない」

 

 平塚先生は、だが、と一旦言葉を切る。

 タバコを探す仕草をしたが、ここが他人の家だと気が付いて、それをごまかす様に咳払いをした。

 

「権利は無くても、義務はあるんだ。君の理論言い分に沿えば、そうなる」

 

 俺のしたことの後始末。

 それは材木座をしっかり見届けろと言うことだろう。

 わかる。それは論理的に沿っているし、やらなければならないということも、わかる。

 だが、気持ちがどうしても、追いつかない。

 なぜだろう。常に論理武装を重ね、屁理屈を武器に立ち向かって来た俺が、これほどまでに気持ちで左右されるとは。

 俺が悩んでいる様子を見て、平塚先生は雪ノ下さんと顔を見合わせて、溜息をついた。

 

「近しい人を亡くすのは初めてだったな。……まだ時間はある。少し考えたまえ」

 

 そう言うと、平塚先生はさっと車に戻って行った。

 その足取りはきっちりとしていたが、何処となく背中は小さく見える。

 

「静ちゃん、今回のことは相当参ってるっぽいのよね」

 

 雪ノ下さんが俺に耳打ちする。

 相変わらずパーソナルエリアが近い人だ。不意に妹とは違う柔らかい部分が当たって、俺は身をのけぞった。

 お葬式前なのになんでこんないい匂いすんだよ……。

 雪ノ下さんは、ふふふと蠱惑的な笑みを浮かべる。

 自分の思考やら意思やらその他諸々に、目を逸らして答えた。

 

「まあ、生徒の安全を守れなければ、教師として責任を感じるのは無理のない話はですけど」

「それもあるけど。……一番は、キミだよ、比企谷くん」

 

 なんか勘違いしそうな言い回しで、雪ノ下さんは俺を見つめ返す。

 濡れた瞳がかち合って、ゾクリと悪寒が走った。

 

「……雪ノ下さん、近いです」

 

 するとすぐさま離れて、さもおかしそうにころころと笑い声をあげた。

 

「やっぱり、比企谷くんておもしろーい」

 

 この人、こんな時でもおちょくってやがる……。

 

「でも静ちゃんが比企谷くんを心配してたってのは本当よ。あれから何度もラーメン屋に誘われて相談されたもの」

 

 雪ノ下さんと平塚先生が二人でラーメンを啜りながら、俺の話をしている姿を思い浮かべた。

 美女たちに心配されるのは、本来なら嬉しいのだが、二人ともクセが強すぎて、全く喜べない。

 嫌な想像をしてしまって、自分でも露骨に口元が歪むのが分かった。

 うへえ……。

 

「ひどーい! せっかく心配してるあげてるのにー!」

 

 雪ノ下さんはぷくーっとふくれっ面を作ってみせる。

 そもそもこの人は本当に心配していたかも怪しい。

 ただ、平塚先生のことは気がかりではある。

 正直これ以上負担をかけてしまうのは気が引ける。俺が原因で老け込んでしまい、誰も嫁に貰ってくれないという事態になりかねない。

 何それ悲しすぎるだろ……。最悪俺が貰っちゃうよ!

 

「何時からですか?」

「お、行く気になったかい?」

「俺がしたことの顛末ですから。それに材木座には言われてたんです」

『我がもし死んだ時、八幡、貴様には我の押入れの中を捨てる権利をやろう』

 

 親に見られたくないもんがたくさんあるんだろうな……。

 誰もが一度は想像する、自分が死んだ後の遺品の行方。体育の準備運動のペアの時、暇つぶしに冗談で語り合ったことがあった。

 材木座の黒歴史を滅却すること。これもまた、俺の責務であると言えるだろう。

 なんとなく、な後ろめたさよりも、明確な懺悔を。

 対したことではないかもしれないけど、多分、材木座にとっては重要なことだから。

 

 

「俺はするべきことがあることを思い出しました。だから材木座の葬儀に出席します」

「うーん、私的には、比企谷くんはウジウジしていた方が、それっぽくて良かったんだけどなあ」

 

 じゃあ貴方は何しに来たんですかね……?

 視線だけで言葉を伝えるも、雪ノ下さんはいたずらっぽく笑みを返すだけだった。

 

「ふふふ、じょーだんよ冗談。葬儀は夕方の4時から。3時には迎えに行くから準備しておくように」

 

 雪ノ下さんはそれじゃぁね、と手を振って外へ歩き出す。

 玄関から零れる秋光が、俺の体をほんの少しだけ暖めた。

 



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8.あまりにも穏やかに、雪ノ下陽乃は死を予言する。

 小町に葬儀に行くと伝えて、制服に着替えていると、平塚先生の車が迎えに来た。

 後部座席には、小町と由比ヶ浜と雪ノ下が既に乗っており、必然的に俺は助手席となった。

 

「ヒッキー、その、大丈夫?」

「まぁな」

 

 車が動き出し、シートベルトを締めながら、そのまま答えた。

 由比ヶ浜は上目遣いながら、恐る恐る口にした言葉は、予想通りだった。

 声をかけにくい雰囲気な俺に話しかける、その心遣いに痛み入る。

 やっばりコイツ優しいな。

 

「お兄ちゃんの目がマシになってる! これは大丈夫な証拠だよ!」

「俺の目は体温計か何かなの?」

 

 後ろからのずいぶんな体調確認にジロリと睨み返す。

 

「いつも通りの冷たい目よ。熱は無いから安心しなさい」

「お前は目も反応も、相変わらず冷たいのな」

 

 それでも雪ノ下のどこか声音は穏やかで、言葉の棘は普段より影を潜めていた。

「あら、まだ冬眠し足りないかしら、ヒキコモリくん。てっきり『ご友人』の葬儀には参列しないものと思っていたけれど」

 と、思っていたら違った。

 由比ヶ浜が気を使ってくれたのにぶち壊す雪ノ下さんマジぱねえ。

 

「てか友人、ってとこ強調しないでくんない。そんなんじゃないから」

「そうなのか? 君たちの仲は友人と呼ぶのに相応しい関係であったが」

 

 横の平塚先生が怪訝な顔をした。

 

「違いますよ。俺もあいつも互いに友人は居いません」

 

 本当に、そういうものではない。

 友人とは、ご機嫌を伺いながら、仲の良さを確認し合い、その裏腹を探りつつ、猜疑と欺瞞を延々続ける間柄である。

 俺と材木座は、機嫌を損ね合い、不仲を愉しみ、裏も表も見せつけながら、古傷を抉り合うような、そんな馬鹿げた関係である。

 ならば、それは友人でも友達でも、ましてや親友でもない。

 

「では、なんだと言うのかね」

「……同類とか似たもの同士とか、そんな感じじゃないですかね?」

「自覚はあったのね……」

 

 背後から呆れと確信に混じった声が聞こえてくる。

 

「そうか」

 

 平塚先生はそれだけ言って、おかしそうに笑みを浮かべた。

 ウィンカー音が鳴り、車は駐車場に入った。

 会場には幾つかの親戚らしき人影が見え、俺たちは受付を経て葬儀場に入った。

 雪ノ下と先生は諸手続きをするので、後から来るそうだ。

 

「あ、優美子たちだ。やっはろー」

 

 抑えめな声で由比ヶ浜が、参列者の中で一際若く、材木座には不釣り合いに派手な二人組み駆け寄った。

 ケータイを弄っていた三浦優美子はその手を止めて、それに応じた。

 

「お、結衣。ヒキオ連れてきてんじゃん」

 由比ヶ浜が自分のおかげではないことを言うのを、ほとんど聞き流して、三浦は俺の前に立ち止まった。

「あんた、友達の葬式くらい出ないとかどうなん?」

 思わぬ女帝からの攻撃に面を食らう。

「いや、友達じゃなくて、似たもの同……」

「あ?」

 

 有無を言わさぬ迫力に押し黙った。

 というか、材木座とは対して接点の無い三浦が葬式に来るだけでも意外なのに、俺に話しかけてくるなんて。

 びっくりすぎて心臓が止まり俺の葬式も同時開催しそうだ。

 

「ヒキオとザイモク? なんとかの仲とかどうでもいーけど、付き合いあるなら、葬式くらい出るのが礼儀じゃん?」

「お、落ち着いたほうがいいっしょー、優美子ー」

「そうだよ。あんまり騒ぐのは良くない、よ……」

 

 詰め寄る三浦を宥めようと、一緒に居た戸部や由比ヶ浜が言葉が声を掛けるも、全く通用しない。

 由比ヶ浜に至っては途中から声が小さく萎んでいく有様だ。

 静粛な会場では、一段と目立ち、注目を集めていた。

 

「つーかこん中で一番絡みあったヒキオが来ないとかありえないんですけど。あーしたちはこうやって来てんのに。ホント、何考えてんの?」

 

 腕を組みながらカツカツと長い爪を鳴らし敵意剥き出しで俺にガンつける。

 

 そしてあの日に居た人間が微かに思っていた禁句を、ついに口にした。

 

「大体、ヒキオが殺したようなものなんだし……」

「やめなっ!」

 

 遮るように、別の声が響いた。

 決して大きな声では無いのに、その鋭く冷めている言葉は、熱を帯びた三浦の怒号を冷やすようだった。

 

「その話は今関係ないでしょ? ここは葬式会場。騒ぐ場所じゃない」

 

 そう言って俺と三浦の間に入ったのは、川崎紗希だった。

 今到着したのだろう、コートを脱ぐ時に乱れてしまったのか、青みがかった長いポニーテールのあちらこちらに枝毛が見える。

 川崎は覇気の無い冷めた目で、三浦を睨みつけた。

 

「アンタは地震で海に落ちる材木座を助けようとしただけだ。そうだろ?」

 

 川崎の視線が俺に移る。

 ああ、そんな話になってたんだっけな。

 俺は三浦のそしりと、川崎の突然の援護に戸惑つつ、なんとか首肯して答えた。

 

「コイツはちゃんと来た。何も悪くない」

 

 また川崎は三浦に向き直る。三浦はあからさまに顔を歪め、不快感を露わにしていた。

 それでもなお川崎は続ける。

 

「それにコイツのこととやかく言ってるけど、アンタの連れだって葬式に来ないのによく言えたもんだ」

 

 三浦の表情が、一瞬虚を突かれたかのようになり、そのあと一気に顔を赤らめ険しくなった。

 並の人間なら思わずたじろぐような女王の怒りの魔眼。川崎はなんでも無いように対峙する。

 

「あぁ? 海老名のことは関係ないっしょ?」

 

 まさに一発触発である。三浦と川崎。両者一歩も引く様子は無い。

 そういえば確かに海老名さんの姿が見当たらない。由比ヶ浜は体調不良と言っていた。なんとなく精神的にタフそうだと勝手に思っていたので意外ではある。まあずっと学校休んでいた俺が言えたことじゃないんですけどね。

 既に外野となっている俺ではもう手出しできない。なだめ役の由比ヶ浜や戸部も完全に萎縮してしまっている。小町なんて怯えて半分涙目である。

 

 誰も寄せ付けない雰囲気を出し、二人は睨み合い続ける。

 

「何を騒いでいるのかしら?」

 

 そこへ最悪のタイミングで、空気を読まない女ナンバーワンの雪ノ下が戻ってきた。

 三浦と川崎が同時に、第三者に威嚇する。

 

「あ? 外野は引っ込んでろし」

「ちょっと雪ノ下は黙っててくんない」

 ア、アカン……!

 

「黙るのは貴方達の方よ。さっきから醜い口喧嘩が聞こえてきてとても耳障りなのだけれど」

 

 売られた喧嘩は倍返し、がモットーな雪ノ下さんは、予想通りに二人を煽り始めた。

 総武高女子の頂点を決める三つ巴の戦い。

 キャットファイトどころじゃない、ライオンと虎とチーターが全力で殺し合うようなものだ。

 おかしい、俺は材木座の葬式に来ていたはずなのに。

 どうしてこうなった!?

 事の発端を思い返してみる。原因は何だ?

 

 ……俺でした(白目)

 

 空気に耐えられず、目を逸らすと材木座の遺影があった。

 その写真はうざいくらい印象的な、眩しいくらいの笑顔だった。

 

『イェーイ! 八幡、楽しんでる〜!?』

 

 遺影からそんな声が聞こえた気がした。

 やはり材木座は死してなおウザい。

 けれどそのウザさが今、どうしようもなく恋しくて堪らなかった。

 

「そもそも因縁つけて来たのは川崎っしょ?」

「三浦が的外れなこと勝手に騒いでるだけだ」

「だからそのピーピー喚く口を閉じろと言っているのが分からないの? 人の言葉が理解出来ないなんて貴方たちの知能は、そこらの犬以下しかないのかしら」

 

「「あ゛っ?」」

 

 雪ノ下は二人を宥めるどころか、両方に喧嘩を売るファインプレーを見せた。

 場を収める才能無さ過ぎだろ……。

 三人はバチバチと火花を散らすどころか、大炎上しているレベル。消防車でも鎮火出来ない大火事の発生だ。

 焼くのは火葬屋だけで十分だよ!

 ぱんっ!

 唐突に手を叩く音がした。あまりに淀みない音なので、皆の視線が集まった。

 

「もうすぐ式が始まるよ。さ、優美子、行くよ」

 

 葉山は半ば強引に三浦を二人から引き剥がし、席へと向かう。戸部もそれに続いていった。

 

「お葬式なのに、騒いじゃダメだよ……!」

 

 続いて戸塚が涙ぐみながら川崎と雪ノ下に言い放った。

 本来こういうことは得意でない戸塚が止めに入るとは。

 

「材木座くんに失礼だよ……!」

 

 戸塚は少なくても材木座を友達だと思っていたはずだ。その葬儀で騒ぎを起こされれば、怒るのも当然と言える。

 毒を抜かれたように、川崎と雪ノ下は息を吐いた。

 

「悪かったよ」

「ごめんなさい。配慮が足らなかったわ」

「……すまんな、戸塚」

 

 戸塚はきょとんとした顔で、なんで八幡が謝るの? と首を傾げている。

 葉山と一緒に来た戸塚は事の発端が俺であることを知らないようだ。

 それは後で説明するとして、俺はもう一人にも謝罪しなければならない。

 

「すまん、川崎。俺を庇ってくれてありがとな」

 

 足早にその場を去ろうとする背中に礼を述べる。

 すると川崎は驚いたように目を丸くして振り向いた。

 

「べ、別に、アンタを庇ったわけじゃない。ホントにそんなんじゃないんだ……」

 

 急にかあっと顔を赤くして、そのあとまるで念を押すように、小さく否定した。

 川崎は視線を落として、そして何か言いたげだったものの、ポニーテールを翻した。

 

 一体何なんだろうか。川崎の意図が俺にはわからなかった。

 俺がうんうん唸っていると、雪ノ下さんがお坊さんを連れてやって来て、用意されていた席に座った。

 なんだがもう疲れてしまったが、ようやく材木座の葬式が始まるのだった。  

 

 

 

 ***

 

 

 

 さて一通り葬式の内容が終わる頃には、もう日が沈む時間になっていた。俺は今葬儀会場からほど近い、材木座宅の家の前に来ていた。平塚先生が車で送ってくれたのだ。

 そして少し前のことを思い出す。葬儀では材木座の親戚たちが、悲しそう表情をしていた。それで、また痛感した、自分の罪深さ。

 やはり俺が殺したという事実は揺るがない。 材木座のご両親などは、涙も枯れて憔悴しきっていた。 それでも受け止めなければならない。俺がやってしまったことなのだから。

 

 俺は葬式の間、ずっと思考の海に没していた。 真っ暗闇で自分の体すらまともに見えないような深海の中、様々な感情が水圧となって俺を押し潰す。

 ただひたすら耐える時間だった。

 

 唯一救われたのは、その材木座のご両親が俺のことを認めてくれたことだ。

 材木座母曰く、「義輝がよくあなたの名前を叫んでるのを聞いたわ。『はちまーん!』って。家ではほとんど喋らなかったのに、ね」

 材木座の遺品を漁っていたところ、生前に冗談で作った遺書らしきものに、俺の名前が刻まれていたらしい。

 例えその気が無かったとしても、少しでも息子の意思を反映したいと、ご両親は考えたようだ。

 

 材木座宅は閑静な住宅街の一角だった。白黒の提灯、御霊灯がぼうっと静かに玄関を照らす。

 夜も遅いしあまり時間をかけたく無い。何より材木座のご両親に、これ以上迷惑をかけたく無い。

 本当ならば日を改めたかったが、とある人物のせいで急遽すぐに来なければならなくなった。

 

「雪ノ下さん、どういうつもりですかね?」

「うーんとね、比企谷くんと二人っきりになりたかったから、かな?」

 

 何故か俺の隣にいる雪ノ下さんは、ウインクしながら微笑みをたたえる。

 喪服姿の美しさも見事だが、その清楚かつ妖艶な佇まいに一瞬だけ見惚れてしまった。

 

「……いやいや、言い訳にもなってないですよそれ」

 

 雪ノ下さんの行動原理がわからない。

 特に葬儀が終わってからここまでの行為は、その言い訳にもなっていない冗談が、あたかも本当だと錯覚しそうなほどだ。

 

 葬儀が終わった直後、俺は材木座のご両親に遺品の話をしていた。そこにさらっと混ざり、雪ノ下さんは自分が保護者代わりになると、俺と付き添うことを提案した。雪ノ下さんがあれよあれよと話を進め、結局俺が気が付いた時には、遺品整理の話が今夜ということになっていた。

 ここまででも十分意味不明なのだが、さらに雪ノ下さんの奇行は続いた。 遺品整理について行きたいと言う戸塚を丁寧に断り、三浦の件を謝りに来た由比ヶ浜を言葉巧みに俺から引き剥がし、いちゃもんをつけて来た雪ノ下を適当にあしらった。

 とにかく俺に近づく者は小町でさえも徹底的に退け、葬儀終了から現在まで雪ノ下さんは俺とずっと二人でいた。

 

 裏があるのは間違いないが、その真意の鱗片すら見せない。一体どういうつもりなのか。俺は雪ノ下陽乃の強化外骨格の中身に戦々恐々としていた。

 思わず体が震えだす。怖い。もしかして材木座を殺したという俺の弱みに付け込んで、無理難題を押し付けるつもりではないだろうか。

 

「比企谷くんの、その、行動の裏を読もうとする考え方、好きだよ。……捕食者に怯える小動物みたいだもの」

 

 雪ノ下さんは相変わらず笑みを浮かべているが、その属性が嗜虐的なものに変わっていた。

 形の良い唇から、白い八重歯が見え隠れする。

 

「八幡くんと、雪ノ下さん。上がってくださいな」

 

 材木座のお母さんの声が奥の部屋から聞こえた。

 雪ノ下さんは今度は、悲しみを押し殺し何とか笑っている、といった表情を作り、その声に答えた。

 

「お邪魔します。……じゃ比企谷くん、遺品整理は任せたよ」

 

 小声で俺にそれだけ言うと、雪ノ下さんは材木座のご両親の元へと向かった。

 

 材木座の自室は、分かりやすくオタクの部屋だった。

 アニメのポスターが四方に貼られており、本棚には所狭しと漫画やラノベが並べられていた。

 小さなテレビには据え置きゲーム機が複数台、机にはパソコンと原稿用紙、ガラス張りのフィギュアケースまで完備してある。

 

 なんというか、想像通りすぎて、ちょっと可笑しくなってきた。

 

 ただ部屋の中自体はとても丁寧に掃除されており、ご両親がここで生前の材木座を思い出しながら整理をしていたことは想像に難くない。

 掃除はしても材木座の部屋はそのまま残しておく、と材木座の母親が話していた。そして材木座本人の意思も尊重したい、とも。

 俺がやる遺品整理とは、簡単に言うと材木座指定の遺品を、見えない袋に分別するというものだ。

 とりあえず材木座が書いた遺書らしきものをポケットから取り出す。お葬式のときご両親からお借りした物だ。

 筆で『八幡へ』と書かれてある。

 

 ……ああ、最初のは辞書のカバーに隠してあるのね。

 材木座の名誉の為に言明は避けておくが、中身は要するにエロ本だった。ジャンルは……、うん、そうだな、見なかったことにしよう。

 袋にそれらを入れていく。

 クローゼットを開けると、材木座がいつも来ていた厚手のコートが5着くらいずらっとかけてあった。

 どこの漫画キャラだよ……。

 

 そのコートのさらに奥にある厳重にガムテープで巻かれた段ボール。

 雑に封印、とマジックで書かれてあるそれに、俺はどこか懐かしさを感じた。

 俺もやったっけなぁ。脱中二病の為にこんなことを。

 

 遺品とはいえ最終的には処分されるもの。段ボールのままでは出来ないので、テープをひとつひとつ剥がしていく。

 ローブやらロザリオやら水晶やら出てくる中二グッズに苦笑しながら作業に勤しんだ。

 おいおいこの模擬刀、俺も昔持ってたやつじゃねぇか。

 

「はっ……いかんいかん」

 

 ブンブンと首を振る。

 考えてはダメだ。無心にならなければ。俺の得意分野だろ?

 

 それでも、次から次へと出てくるどこか既視感のある品々が俺の心を揺さぶってくる。

 不意に車の中で平塚先生に言った自らの言葉が蘇ってきた。

 

 

『似た者同士とかそんなんじゃないスかね?』

 

 

 本当は予防線だった。

 俺と材木座を表現するのに的確な表現であると自分でも思う。

 けれど真意はそこではなかった。

 

 それ以上親しい間柄であると認めてしまえば、辛くなるから。

 

 自己保身と自己弁護には定評のある俺は、相変わらず俺のことしか考えていない。

 けどそれで良い。それでこそ俺だ。ぼっちだ。比企谷八幡だ。

 

 材木座の葬式に出る義務はあったが、悲しむ権利はないのだ。

 そう自分に言い聞かせ、遺品整理を続行した。

 

 材木座の遺書に記されたものは残りあとひとつとなった。

 机の引き出しの二重底、と書いてある。さてはこいつデスノート読んだな?

 

 流石に燃えるようにはなっていなかったが、二重底の作りが雑で上げるのに苦労した。

 やっとのことで取り出せたのは、黒い日記帳だった。

 材木座が日記をつけていることにちょっと驚いたが、これを袋に入れればようやく終いである。

 ふうと息をつく。だいたい30分くらいだったが、妙に長く感じた。

 

 手の力が抜け、するりと日記帳がカーペットに落ちた。

 思わず気を抜いてしまったようだ。

 拾おうとすると、日記帳が開かれており、ページには小さな写真らしきものが張ってある。

 楽しそうに映る戸塚と俺。背後霊のように後ろから写り込んでいる材木座。

 夏休みのいつの日か撮った、プリクラだった。

 

『今日は映画を見た後、戸塚氏と八幡を見つけたので一緒に遊んだ。

 戸塚氏は本当に可愛い。男なのが悔やまれる。しかし可愛いので許す。

 問題は八幡だ。なぜ我の戸塚氏とデートなどしていたのか!

 だからプリクラに写り込んで邪魔をしてやったわ。ざまあみろ。

 

 ……今日は我の人生の中で一番楽しい夏休みだったと思う。

 なんだかんだ言って八幡は我のこと好きだしな。戸塚氏は言わずもがな。

 また三人で遊びたい』

 

「……ばーか、誰がお前のこと好きだって?」

 

 材木座の奴こんなこと書いてたのか。

 てっきり日記なんて三日坊主で辞めているかと思ったのに。

 悪態を付いて何とか胸の痛みをこらえようとした。

 俺は材木座が死んでから、ずっと悲しみで泣いたことが無かった。

 突き落としたあとの一晩、遺体発見後の数日、引き篭もってからの一週間。それに葬式の時だって涙を出さなかった。

 

 それなのに。

 これで、もう悲しまなくて済むと思ったのに。

 

 喉の奥が締め付けられるような感覚に襲われる。

 

 楽しげに映るプリクラの中の戸塚と俺、そして材木座。

 この笑顔の日はもう二度と来ない。

 プリクラの輪郭がゆらゆら揺れる。熱いものが目に込み上げてくる。

 だから無心になれと、強く念じていたのに。

 材木座の死を悼む権利は、俺には無いのに。

 

 押しとどめようとしても、なおさら溢れてくるものを、抑えられない。

 そして耐えられず、俺はその場にうな垂れた。

 

 

「すまん……すまん、材木座……!」

 

 

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながらも、俺は声を抑えて、ただ謝ることしか出来なかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「夜分遅くに押しかけてすみませんでした」

「いえいえ。遺品の整理を手伝って貰って助かりましたよ」

「……ありがとうございました」

「おやすみなさい」

 

 材木座のご両親は、優しい声音で別れの挨拶を述べた。

 街灯がぽつりぽつりと人通りの少ない道路を照らし、俺と雪ノ下さんの二人で帰路についていた。

 結局雪ノ下さんは材木座の両親の前で俺が殺したことを言うでもなく、ただ本当についてきただけだった。

 

「……比企谷くんも、人の子かぁ」

 

 にやにやと茶化すような視線が向けられる。

 くっ、ちゃんと顔洗ったのに、まだ目が赤かったか……!

 

「分かってはいたんです。でもダメでした。俺には泣く権利すらないのに……」

「へー泣いちゃったんだ!」

「えっ?」

 

 ……は、謀られた!

 恥ずかしくなり、声にもならない呻きを上げた。

 

「あああああ〜!! もうホント、辞めて下さいよぉ!!」

 

 それを見ていた雪ノ下さんはくつくつと笑う。

 明らかに不謹慎なイジリだったが、彼女は全く意に介さない。心底楽しそうに容赦無く俺を弄んでくる。

 雪ノ下陽乃はこういう人間だということを忘れていた……!

 

「ふふ、そうかそうか。比企谷でもやっぱり友達の死は辛いかー」

「そりゃそうですよ。……つっても俺も今さっき自覚したことですけど」

「寂しかったら、いつでもお姉さんに甘えても良いんだぞ〜」

 

 腕を抱き寄せられ雪ノ下さんと顔が近くなった。

 

「なんなら、今、ここで」

 

 道は大通りの入り口付近、ラブホテルの駐車場裏側。

 三日月型になった黒目がちの瞳に思わず吸い込まれそうになる。女性特有の甘い匂いと柑橘系の香水が鼻をくすぐり、腕には柔らかく包み込む二つの双丘が……。

 はっ! いかんいかん! 俺には戸塚という大切な人がいるんだった!

 堕落しそうな甘言と雪ノ下さんを振り払い、距離を取る。

 

「離れて下さい」

「相変わらずつれないなぁ」

「分かり易すぎる冗談には引っかかりません」

「人は死を覚悟すると性欲が高ぶるのよ」

「なんで俺を殺そうとするですかね……」

 

 呆れながら言うと、雪ノ下さんは一瞬きょとんと目を瞬かせ、そしてすぐに顔を逸らして、歩みを進めた。

 ふと雪ノ下さんの言葉の真意を探ってみる。

 

 死を覚悟、ね。目の前の雪ノ下さんは、殺しても死ななそうな人の代表みたいなもんだが。

 

 確かにここ最近、死を意識する機会が多くなっている気がする。ジアースによる災害の件、材木座の件では俺自身が生命を殺める経験をしてしまった。

 人間いつか寿命がくるとは言え、わずか17歳で人生を終えた材木座。ならば俺はどのように償っていけば良いのだろうか。

 

「つまり材木座の死は、死をもって償えと?」

「あはは! 比企谷くん邪推し過ぎ、自意識過剰よ」

 

 そんなつもりで言ったんじゃない、と苦笑しながら首を振る。

 ゆっくりと空を見上げ、雪ノ下さんは何かを決心したように、息をついた。

 そして俺に向き直って、言葉を発した。

 

 

「死ぬのは私よ。次のジアースのパイロットである、私が死ぬの」

 

 

 雪ノ下さんの表情は、セリフとは裏腹にあまりにも穏やかだった。

 




材木座編終了です。
次は陽乃編です。


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第2戦 ついに雪ノ下陽乃は切り札を使う。
9.やはりコエムシの性格は捻じ曲がっている。


「およ? おはよーお兄ちゃん。休日なのにどしたん? こんなに早く起きるなんて」

「ああちょっとな」

 

 小町に生返事を返しながら、パンを片手に特性コーヒーを啜る。

 本来ならばまだ布団を被っている時間なのだが、今日は些か事情があった。

 目玉焼きに醤油をかけようとすると、その黒々とした色に昨晩の漆黒のアンサンブルを思い出す。

 

 

『死ぬのは私よ。次のジアースのパイロットである、私が死ぬの』

 

 

 昨晩、材木座家からの帰り道で告げられた言葉が、頭の中で反芻された。

 雪ノ下さんのあまりに穏やかで飾り気の無い自然な笑みが、街灯の明かりのコントラストによって彩られて、一瞬を切り取った絵画のように俺の胸に焼き付いていた。

 

 あの言葉の真意。

 あの笑みの真相。

 発言の内容とその態度に、あまりにも落差がありすぎた。

 

 とにかく問い詰めたいことが多すぎた。なぜ雪ノ下さんは次のパイロットが自分だと分かるのか、そもそもあの戦闘に次があるのか、そしてなぜ自身が死んでしまうのか。

 ひとつだけ確信していることは、あの一瞬に限って雪ノ下陽乃は強化外骨格纏っていなかったということである。

 

 根拠として、俺には百戦錬磨のぼっちであり幾多の笑顔の裏を察知してきた自負がある。

 俺の警戒網に引っかからない、自然すぎる笑顔。

 それゆえ際立つ発言と態度の矛盾。真意が分からないからこそ、嘘をついているのではなく、返って言っていることはが全て本当だと思えてしまうのだ。

 

 或いは雪ノ下陽乃ならばそれすらも巧みに使い分けることが出来るのだろうか?

 それでは何故、自らの死の宣告という冗談をあの表情でしたのか。

 俺をからかいたかっただけならば、あの場ですぐにバラしてしまうはずだ。

 

『今週の土曜日、その理由を教えてあげる』

 

 そう言って俺の質問には答えず、立ち去った雪ノ下さんの表情は見えなかったが、やはりいつも冗談とは少し違っていたように思えた。

 思考を一旦止めて、まだ温かみ残ったコーヒーを口に入れた。

 一息つくと小町が手を止めて心配そうにこちらを見ていた。

 

「……お兄ちゃん、お葬式のことあんま気にしない方が良いよ?」

「え?」

「あの、派手な人……み、三川さんはああ言ってたけど」

「三浦な」

 

 どうやら俺が考え事をしている様子を、小町は落ち込んでいると勘違いしているようだ。

 それにしても小町は相変わらず人の名前を覚えるのが苦手だな。川……川なんとかさんとごっちゃになってやがる。

 ……俺も人のこと言えねぇわ。

 

「小町的にも、中二さんのあれは事故だったと思うんだ。それでも責任の果たしたお兄ちゃんを、小町は誇らしいよ」

 誠意を持った目でしっかりとした口調で言う妹の言葉は、不覚にも胸にじんと来て涙が出そうだった。

「ありがとう小町」

 

 それでいったん今日の予定について考える。

 約束は10時に千葉駅前。

 普段ならば断固拒否する雪ノ下さんの誘いなのだが、どうしようもない違和感を解くには会うしかない。

 

「ちょっと出かけてくるわ」

「えっ!? お兄ちゃん出掛けるの!?」

 

 なにその衝撃映像の番組のワイプに映る芸能人みたいな過剰すぎる驚き方。

 確かに今までガチで引きこもってたけどさ。

 

「材木座の件でちょっとな」

「あーそっか……」

 

 嘘ではない。雪ノ下さんの発言によれば、材木座のことも関係している。

 こうすれば小町も迂闊に踏み込んでこない。

 しかしここ数日は小町に心配を掛けた。お菓子でも買って行ってやろう。

 

 予想通り空気を読んだ小町はちょっと居心地悪そうな笑顔を浮かべて、それ以上は追求してこなかった。

 パンの残った一欠片を口に放り込んで、席を立つ。

 

「ごちそうさん」

「おそまつー」

 

 雪ノ下さんはいったい何を考えているのだろうか。

 もしかしたらこの考え自体が狙いなのだろうか?

 ……ダメだ。ドツボに嵌る。これ以上考えても何もならん。

 

 コエムシとも連絡が取れないし、発言の内容に関しても取り敢えず棚上げだ。

 俺はすぐに頭を切り替え、出発の準備にとりかかった。  

 

 

 

 ***

 

 

 

 駅付近のスタバには既に雪ノ下さんが居た。

 白い襟のブラウスに目の荒いニットのカーディガン、ロングスカートに包まれてもわかるしなやかな脚。

 ガラス正面のカウンターに腰掛けている姿は妙に様になっていて、まさしく完璧超人そこに在りと言った感じである。

 

 駅を行きかう人々は男女問わずその美貌に目を奪われていて、ちょっとしたギャラリーが出来ている。

 さてどうしたものかと逡巡していると店内から俺に気がついたらしい雪ノ下さんが、ひらひらと手を振って店からでてきた。

 

「ひゃっはろー」

「……うす」

 世紀末のような挨拶に軽く会釈をして応じた。

「女の子を待たせるなんていけないぞ!」

 

 ぷくっと頬を膨らませて俺脇腹をツンツンしてきた。

 あの、ちょっと、やめてください、本当に。こちょびたいし、周りからの視線が死線になってるから!

 イチャついてなよ死ねよとも言いたげな負の感情に晒されて、正直もう帰りたい……。

 

 やっぱり自宅こそ俺の生きる場所だろ、専業主夫的に考えて。引きこもり万歳。天皇陛下万歳。

 神風特攻隊のように片道切符の帰り道にしようと回れ右すると、雪ノ下さんに腕を絡み取られる。

 

「比企谷くんなら来てくれると信じてたよ」

「来たことを後悔してるとこです……」

「人目なんか気にしちゃって比企谷くんったらカワイイ」

 

 雪ノ下さんは俺の腕に体を寄せながら目を細め笑う。

 いつかの夜と同じように、とても柔らかいものに包まれて俺の右腕が幸せで堕落しそうになる。

 同じ手は二度は喰らわん! 色気じかけの対策は万全である! 戸塚戸塚戸塚戸塚戸塚……。

 

「離して下さい。本当に帰りますよ?」

 

 大天使戸塚サイカミエルの導きにより煩悩を浄化した俺は死角は無い。

 雪ノ下さんを引っぺがそうとすると、今度は絡みつく手が丁度俺の腕の関節部分に掛かる。

 

「じゃあ帰れない体にしたげよっか?」

「いたたたたたっ!! ギブです、ギブギブ!!」

 気がつけば完全に関節技を決められて、骨の軋む音が情けない声とともに響いた。

 飴と鞭。人心掌握の基本である。

 

「お姉さん、面白くない冗談は嫌いだよ」

 雪ノ下さんは威嚇にも似た薄い笑みを浮かべた。

 しかし面白くない冗談と言うならばこちらにも言いたいことがある。

「俺だって嫌いですよ。面白くない冗談は」

 

 雪ノ下さんとの間に、一瞬、間が出来る。

 それでも薄い笑みは変わらない。

 

「比企谷くんは、わざと見えてるものを見落とすの、得意だよね」

「……なんですか、その望遠鏡を覗き込みそうな特技は」

 適当に誤魔化そうとしても雪ノ下さんの鋭い眼光からは逃れられない。

「じゃあお姉さんもう一度教えてあげる。比企谷くんが背けてる、とある事実」

 

 駅の雑踏が消え失せる。

 全身の血液が激しく脈動し、冷や汗がどこからともなく溢れ出る。

 いくら拒絶してもそれを言葉にすることができず、ただ唾を飲み込むばかりだった。

 

 

「ジアースのパイロットとなった人間は死ぬ。そうでしょ、コエムシ?」

 

 

 脳に流れ込む、砂嵐。

 

 目の前にはまるで現実味の無い、真っ暗で椅子だけが並ぶ部屋。ジアースのコックピットとその主、コエムシ。

 そして雪ノ下陽乃。

 

「全くお前の察しの良さには参るぜ、ハルノ」

 

 初めてではなかったが、突然の瞬間移動に脳の処理が追いつかない。

 けれど異常な事態は、残酷にも俺の聴力を敏感にさせていた。

 

 

「正解だ。ジアースを操った人間は死ぬ。ココペリもヨシテルもそれで死んだ。次はハルノが戦って死ぬ。助かる術はねえ」

 

 

 脳内で反芻される、コエムシの言葉。

 俺の中で何度も検証し強引に否定してきた可能性を、目の前の主はあっさりと事実だと認めてしまった。

 

「ジアースは一戦闘駆動する代わりに、パイロットの命を奪う」

「そうだったわね。もしかして人の命が原動力だったりするのかしら?」

「その通りだ」

「そして契約の解除、戦闘の放棄は出来ない」

「……全て正解。敵に負けるか、48時間以内に決着がつかなければ地球は消滅する」

「ふーん。それから途中契約による現契約者の延命は出来ないんでしょ?」

「ああ。拳銃のマガジンをイメージしてもらえば良い」

 

 それは、淡々と続いていた。

 

 命を奪う。負ければ地球が消滅する。延命は出来ない。

 ジアース。生命。地球。マガジン。パイロット。死ぬ。

 会話の中身が全く頭に入ってこない。ただひたすらに単語が羅列され、脳内をぐちゃぐちゃに掻き回していた。

 

「それにしてもハルノは本当に変わってるぜ。これから死に逝く人間とは思えねぇな」

「ふふふ。まるで人間の感情が理解できるみたいな言い方ね。宇宙人のくせに」

「……過去のパイロットたちの人間の思考や行動はある程度パターン化されているからな。どれにも当てはまらないお前の行動はとても興味深かったぜ」

「……なるほどね〜。ここ最近ずーっと覗かれてるような気配を感じてたのは、そのせいだったのね」

 

「……ありえない、でしょ」

 言葉を絞り出せるようになるまで、数分を要した。

 ジアースを操った人間は死ぬ?

 バカな。ありえない。それを立証する材料を片っ端から挙げていく。

 

「俺たちは地球を守るロボットに選ばれたんだろ? なぜ死ななければならないんだ?」

「それはさっき話したぜ? それがルールだし、お前たちの命がジアースの動力なんだ」

「材木座はともかくココペリは製作者で平塚先生の大学の同期のはずだ。行方不明になっているが、製作者が自分の命を脅かすようなゲームを作るとは思えない」

「ココペリは製作者じゃねえぜ。とっくに気が付いてるだろうけどな。ココペリの死体を見せてやるよ、ほらよ」

 

 コエムシが念じるようにえいと体を揺さぶると、目の前に横たわった男の体が現れた。

 長髪に丸ぶちメガネ、紛れもなく俺たちをジアースへと誘ったココペリ張本人た。

 

 俺は恐る恐る、ココペリの脈を取ってみる。

「……死んでる」

 顔色は出会ったときとさほど変わらず、死体と言われなければ寝ていると勘違いしてしまいそうなくらいだ。

 まるで精巧で緻密な蝋人形のようだ。

 

「ジアースに保存してある間は時間を止めてるから、死体でも綺麗だろう?」

「……この死体が作り物という可能性は?」

 

 苦し紛れの願望に、コエムシが呆れたと溜息をついた。

 かつかつ、とヒールの音が聞こえる。

 雪ノ下さんから白いファイルを手渡された。

 

「私、警察にもコネがあるって言ったわよね? それは材木座くんのカルテよ」

 

 カルテには材木座の死体が海岸に打ち上げられたときの状態が記されているようだ。

 専門用語が細々と書かれている中、ひとつの項目に目を奪われる。

 

 死因:不明(急性心臓発作)。

 

「死因、不明って……」

 雪ノ下さんはうな垂れた俺を見下ろしながら、カルテを指差した。

「そこには色々面白いことが書いてあったわ。例えば、ざ瘡や骨折は死亡後だとか、波に攫われたのに飲んだ水が少ないとか」

「それってつまり……」

「ヨシテルはジアースから転落する前に死んでいた、つーことだ」

「ま、もちろん材木座くんの死因は誤魔化して貰ったけど」

 

 雪ノ下さんの手からカルテが消える。コエムシが元の場所に転送したようだ。

「これで納得いったかい?」

 

 もう認める他無かった。

 

 ジアースを操った人間は死ぬ。

 操らなければ地球滅亡。

 地球を救うために死ぬか、負けて地球ごと消滅して死ぬか。

 

 なんだそりゃ、どっちにしても死ぬじゃねぇか。

 こんな理不尽が、不条理が、あっていいはずがない。まちがっている。

 

 俯き唇を噛みしめた。視線を落とせば、遠からず訪れる己の成れの果てが横たわっている。

 思わず身震いした。

 くそっ! なんてもんに巻き込んでくれたんだっ!

 

 普段ならば自分の失態を恥じる所だが、今回に限ってはココペリを憎まざるを得ない。

 この男のせいで……!

 元凶の体を恨めしく睨みつけた。

 

「……どうして先に言わなかった……?」

 

 表情は変わらないのに、なぜかコエムシが小馬鹿にしたように笑っているふうに見えた。

 ギリギリと奥歯の銀歯が擦り合う感覚が脳に響く。

 

「お前はジアースのナビであると言った。ならばパイロットである俺たちには相応の説明をする義務があったはずだ」

「知らねえよ。せいぜい戦った後、あの世でココペリに文句でも言うんだな」

 

 コエムシが吐き捨てるように言った。

「ふざけんじゃねぇぞ……!」

 殴りかかりたい衝動をなんとか堪えつつコエムシを睨みつけた。コエムシの無表情の顔が、馬鹿にしているような笑みを浮かべてるのではないかと錯覚してしまうほど憎たらしく見えた。

 

「とりあえずジアースについて知っていることをすべて話せ」

 なんとか平静を装いそういうと、コエムシはふんと首を振った。

「嫌だね。そんなのつまんねーじゃん」

「つまるとかつまんねーとかそんな問題じゃないだろ!!」

「あら良いじゃない」

 

 俺の怒号を遮ったのは雪ノ下さんだった。

 

「さっきみたいに私たちが推理して当たったら正解とは言ってくれるんでしょう?」

「ああ。あくまでてめえらが答えを出せ。成否については嘘は言わねえ」

「じゃあそれで良いわね」

 

 雪ノ下さんは奇妙なほど冷静だった。

 そもそもこのゲームの理不尽さを知っていたようであった。それなのにも関わらずこの様子。普段通り過ぎて普通じゃない。ありえない。

 

「雪ノ下さんはどうしてそんな平気で居られるんですか……?」

 俺は雪ノ下陽乃を理解し切れない。

「あなたは死を宣告されたようなものなのに……」

 いくら完璧超人といえども、人の子であるはずだ。超人でも人は超えてないだろ?

「一体、何を考えているんですか?」

 

 少なくても。

 いかに雪ノ下陽乃とはいえ。

 死ぬのが怖く無いはずがない。

 あの夜の言葉が本当だと言うのならば、あの時既に死ぬと分かっていたのならば。

 雪ノ下さんから零れた、穏やかな笑みの真相とは。

 

 俺の推測は核心まで迫っていた。

 論理的にも雪ノ下陽乃という人物像にも一致している。

 にも関わらず、釈然としない。

 

「…………」

 

 雪ノ下さんはゆっくりと目を閉じて考える素振りをみせた。

 表情からは読み取れない。まるで新しい仮面を被り直してるかのように顔は動かなかった。

 

「俺もハチマンに同感だぜ。ハルノはパイロットの末路を自分で調べ上げ、その上で平静を装うどころか、むしろ平生より上機嫌になった」

 

 上機嫌……?

 普段の雪ノ下さんを俺は知らない。けれどその言葉には違和感を覚える。

 コエムシは雪ノ下さんを観察していたとさっき話していた。

 瞬間移動を持ち、ジアースのナビゲーターのコエムシだ。きっと俺よりも正確に雪ノ下陽乃という人間を観察出来ているだろう、と思っていたのだが。

 

「死を全く怖がる素振りを見せない、ハルノの死生観はなかなか興味深い」

 

 葬儀の帰り、俺と雪ノ下さんのやりとりをコエムシは見ていなかったのだろうか。

 それとも、やはり俺の早とちり……?

 雪ノ下さんはふぅと息を着いて、ゆっくりと目を開いた。

 その顔には薄い笑みが張り付いている。

 

「私は今まで、"私を"生きていなかったのよ」

 

 そしてゆっくりと話し始めた。



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10.ほんの少しだけ雪ノ下陽乃は期待する。

 私は誰かに操られている。

 陽乃がそう意識するようになったのはいつからだったろうか。

 

 

『貴方は雪ノ下家の長女なのよ』

 

 

 一番古い記憶は、母のその言葉だった。 声音は穏やかなだけれど、威厳のある言葉。不思議な強制力を持つ、魔法の鎖。

 陽乃は母の教育によく応えた。否、応えられてしまった。

 周りは期待に違わぬ陽乃を持て囃した。けれど陽乃は母の言う通りしてきただけだった。だから褒められているのは“私”ではなく、雪ノ下陽乃を教育した母なのだ。

 

 雪ノ下家の長女という、ただの名誉職。

 そこに実質的な権限は無い。結局のところ、それは母の意思であり、他人の願望をかたどった偶像に過ぎないのだ。

 本当の意味での“私”はどこにも存在していなかった。

 幾多の仮面を剥ぎ取っても雪ノ下陽乃の中に“私”は居ない。ホンモノなど何処にも在りはしないのだ。だって陽乃が本物ではないから。

 

 母に反抗したこともあった。

 ある時期、母在りきの陽乃を、雪ノ下陽乃を演じるのが嫌になったからだ。

 まさか中学生の陽乃が海外に逃げるなんて、母には想像もつかないだろう。当時はそんなことを思いながらほくそ笑んだものだった。

 

 数日後、妹が海外に飛ばされると聞くまでは。

 

 表向きは雪乃の意思による海外留学、となっていたが、陽乃にはそれは母がそうなるように仕向けたとしか思えなかった。

 なんてことはない、要するに人質である。

 帰ってこなければこのままお前のように雪乃を教育するぞ、という母からの警告だった。

 陽乃は、観念した。同じ境遇で育った可愛い妹を、自分のような操り人形に、なって欲しくなかった。

 

 以降、陽乃はひたすら母に従う日々を送った。

 

 合気道をやれと言われれば、大会優勝で応えた。

 ピアノをやれと言われれば、金賞を取って応えた。

 県内一の高校に入れと言われれば、主席で総武校に入学して応えた。

 

 積み上げた実績の分、胸に刻まれた穴はどんどん深くなっていく。代わりに『私は信頼されている』とか、そんな欺瞞を詰め込んで。

 

 周りが『文化祭を盛り上げたい』と願えば、委員長に立候補して叶えて応える。

 周りが『誰かがあなたの悪口を言ってるよ』と密告すれば、二度と歯向かわない程度に叩き潰し応える。

 周りが『君なら難関大学にだって受かる』と期待すれば、全科目満点で合格して応える。

 

 母が言えば、雪ノ下陽乃は結果を残して応える。

 周りが言えば、雪ノ下陽乃は願望を叶えて応える。

 みんなのアイドル雪ノ下陽乃は、誰の願いでも叶えてしまう。

 

 けれど。

 

 けれど"私”が何を言っても、雪ノ下陽乃は応えてくれない。 “私”の意思に応えることと、雪ノ下陽乃の存在は互いに背反して相容れない性質だから。

 こうして自己矛盾に陥った陽乃は、次第に考えることを辞めていった。

 奥へ奥へ、深層心理のそのまた奥へ。誰にも見えないところまで。

 ずるずると“私”の意思を、奥に運んでいけ。心の奈落へずるずると。陽の当たらない深淵へ。もっと、深く。奥の奥。

 

 果たして“私”を見失う。

 雪ノ下陽乃は“私”を封じ込めることに成功したのだ。

 これでオールウェイズ陽乃ちゃん。

 どこからどう見ても、……例え心の中を見透かされても……、完璧超人みんなのアイドル雪ノ下陽乃だった。

 何十枚もの仮面を被ったお人形は、今日も明日も誰かのために踊るのだろう。雪ノ下陽乃という役を演じ終えるまで。

 

 それは途方もない話に思えた。

 

 

 ……けれど、呆れるほどにあっさりと、雪ノ下陽乃の終わりは訪れる。

 

 

 材木座の死因を調べたのは、単なる好奇心だった。

 別に死に方が不自然だったからとか、八幡がどうだとか、そういうものではない。

 ただ純粋に、知りたかった。

 

 ジアースという異形な人形を。

 

 もしかしたら、そこに陽乃は微かな希望を抱いていたのかもしれない。この圧倒的な力が、今度こそ“私”を見つけてくれるかもしれない。

 だから死のルールを聞いた時、陽乃は開放的な気分になったのだ。雪ノ下陽乃を辞められる、母の呪縛から逃れられる、“私”を出すことができる。

 越えられない壁を越えるどころか粉砕することができるかもしれない。操り人形の持ち主の喉元に、手が届くかもしれない。

 

 

 

 

「まあ、ホントはそんな簡単なことじゃなかったんだけどね」

 

 以上の内容を掻い摘んで話した。

 陽乃は一呼吸置いて、聞き手の様子うかがってみる。

 

 コエムシは相変わらず無表情だが、時折頷いたり相槌を打ったりしていた。

 どうやら陽乃の腹の中が聞けて満足している様子である。むしろ無言がもっと聞かせろと催促してきているようにすら陽乃は感じた。

 同じように八幡も、少し困惑した様子を見せながらも、ほとんど表情を出さず、ただじっと淀んだ目で陽乃を見ている。

 それはいつものように言葉の裏を探っているような、そんな素振りである。

 

 ……ちゃんと疑ってくれてるな、比企谷くんは。

 

 陽乃には中身が無い。雪ノ下陽乃とただの人形だ。

 八幡が表だと思う方も裏だと思う方も、どちらも雪ノ下陽乃の仮面なのだ。

 

 そして皮肉なことに、それこそが、“私”の最大の誤算。

 

「ひたすら雪ノ下陽乃であることに必死だった陽乃は、自ら隠した意思を、“私”を、忘れてしまったわ」

 

 本当の“私”は何処いるのか。

 本当の“私”は何がしたいのか。

 本当の“私”は何を望んでいたのか。

 

 もう分からなくなってしまった。

 それは雪ノ下陽乃の望みである、と否定することが出来なくなっていた。

 ジアースのルールを持っても、雪ノ下陽乃の仮面は外れることは無かったのだ。

 では陽乃はどうすれば雪ノ下陽乃を辞められるのか。

 

 心当たりはふたつあった。そのひとつは、目の前に。

 

「……どう思う、比企谷くん?」

 

 問われた八幡は困ったように頭をガシガシとかいた。

 どんよりとした黒目を右上に向け、何か考えを巡らせている。

 これだけ短い間に色々あったのだ、並の人間ならば脳の処理が追いつかず、現実逃避をするのがせいぜいだろう。

 

 だが、彼は陽乃が見込んだ通りだった。

 

 荒唐無稽なジアースのルールについても、理解したとまではいかないが少なくても上手く受け止めることが出来ている。

 ココペリの死体を自ら確認し、冷静に事態の正誤を把握しようとしている。

 その場の適応力はかなり高い。もし彼が就職して無能な上司の下に就いたらメキメキと頭角を表すだろう。彼は逆境や無茶ぶりこそ真の力を発揮すると、陽乃は睨んでいた。

 将来の夢が専業主夫だなんて、勿体無い。家畜のように社会に貢献して欲しいものだ。もちろん褒めている。

 

 さらに虐げられた経験による、確かな洞察力。悪意に敏感で陽乃の表の顔をすぐさま見破る優れた観察眼。濁った目は、それだけ肥えてるということだ。

 

 加えてここ最近の出来事では、精神面でも非凡なものを持つことがわかった。

 文化祭ではヒール役を買って出て、不貞腐れた実行委員長に仕事を完遂させた。材木座の死では、容疑者であるという負い目と親しい人間を亡くした悲しみを乗り越えた。

 基本は高スペックだと自称するだけある。陽乃は比企谷八幡を、当初より大幅に高く評価していた。

 腐っているから彼だからこそ、出来たことがある。

 

 比企谷八幡は、陽乃の妹である雪ノ下雪乃を変えた。

 比企谷八幡は、陽乃の幼馴染である葉山隼人を変えた。

 

 どちらも雪ノ下陽乃という幻影を追っていた人物だ。

 であるならば、雪ノ下陽乃という幻影に呑まれた“私”を、変えくれるのではないか。

 彼は言うならば自意識の化け物だ。

 自分の意思を過剰なほどにしっかりと持つ、陽乃とは対極の存在である比企谷八幡に。

 

 きっと期待しているのだ。

 柄にも無く自分を語ったのは、もう自分を騙りたくなかったからだ。

 陽乃を、“私”を、見つけ出せるのは、もう彼しかいないのだ。

 

「あの、ひとつ確認にしても良いですか?」

 

 人差し指を一本、前に出した。

 焦らすのような仕草に、陽乃はもどかしさを覚える。

 

「なんでも聞いて」

 

 食い気味に聞いた陽乃の声は、幾分弾んでいた。自分が思っている以上に、彼の答えが気になっている。

 そのことに、もはや驚いていなかった。鼓動が早くなるのが分かる。わくわくと、夢を見る子供のように。

 ……だから。

 

「雪ノ下、あ、妹の方ですけど」

 

 最初のそこだけで。

 

「本当は契約してないんじゃないですか?」

 

 陽乃は理解してしまった。彼にとって、雪ノ下雪乃の姉、雪ノ下陽乃に過ぎなかったのだ。

 妹というフィルターを通して陽乃を見てきたのならば、どうして彼は“私”を見破れるのだろうか。目が眩んでいた。考えれば分かることなのに。気がつかなかった。

 陽乃の視界は心無しか一段と暗くなったように感じる。隣ではコエムシが声を押し殺して、でも確実に誰かを嗤っていた。

 

 陽乃は行き場の無い感情を、ひとつのため息に詰めて吐き出した。

 理解してくれるという幻想を、瞼の裏に閉じ込め、また仮面を被る。

 

「……どうしてそう思ったの?」

 

 雪ノ下陽乃は思いのほかすんなり出てきた。

「俺は雪ノ下陽乃という人間はよく分かりません。でも雪ノ下雪乃の姉で、且つ重度のシスコンだということだけは確かだと思います」

 彼の言葉とても的を得ていて。けれどそれは、とても残酷で。彼女は彼女で雪ノ下陽乃しか出てこなくて。

 

「ふふふ。そうね。雪乃ちゃん大好きだもの。あ、もちろん比企谷くんも大好きだけど」

 雪ノ下陽乃はいつものように笑えているだろう。

「そう言うの良いですから……」

 彼のあしらいもいつもと同じ。

「それでジアースは全部で10戦するんですよね。でも俺たちはあの場で13人、3人戦わなくて済む。助かるんです」

 

 理路整然と推論を話す彼の目には、きっと陽乃は写っていない。

「そして雪ノ下陽乃という貴方の人物像。まるで死を恐れない言動の数々。ならば答えは……」

「全ては雪乃ちゃんのため。それが比企谷くんの考える、“私”の正体ってワケね」

 陽乃は自ら先んじて彼の結論を口にした。

 

「そんな感じです。雪ノ下は契約者じゃなくて、陽乃さんは妹が生きる地球を守るため死を受け入れた、と」

 

 雪ノ下陽乃は思わせぶりな笑みを仮面としてつけているだろう。その仮面の何十枚も下、奥底には彼に対する諦観が渦巻いていた。

 こんな感覚はいつ以来だろうか。 肥大した期待を誰に押しつけ、勝手に失望したのは。

 何かを落とすような、喪失感は。

 過去に、もう自分を見つけてくれる人は居ないと、見切りをつけていたのに。死を前にして、やはり諦めきれないと、臆した彼女は過ちを繰り返す。

 ぽしゃんと陽乃の心に呟きが落ちた。

 

 ああ、そっかぁ。比企谷くんでも、“私”を見つけられないのか。

 

 それはとても寂しくて。

 とても辛くて。

 苦しくて、虚しくて、凍えるようで、仮面をもっと重ねなければと、ひとり決意して終わる。

 

 残された陽乃の手札には、もうひとつの心当たりだけ。

 文字通りの切り札を出すしかないようだ。

 身を切る、札を。

 

 

 

 ***

 

 

 

 俺の推測は、今話した通りだった。

 

「…………」

 

 陽乃さんは俺の答えを聞いた後、薄い笑みを見せ、しばらく顔を後ろに向けている。

 それが正解か否かを示しているのかわからない。けれど、これが俺が出した解答だ。

 陽乃さんは妹を守るため、死を甘んじて受け入れ戦うのだ、と。

 

 陽乃さんの問いは、非常に答えにくいものであった。

 理由は二つ。

 今までの不可侵領域を超えた、雪ノ下家に関わるデリケートな問題だったということが一つ目。

 もう一つは陽乃さんの狙いが不明瞭な点だったからだ。

 

 そもそも雪ノ下陽乃という人物を正しく認識するはかなり難しい。

 なんせ、あの陽乃さんだ。例え本人の口から腹の中を話したとしても、信憑性に疑問符がつく。

 陽乃さんは語ってる時も、纏っている雰囲気を崩さなかった。あの晩の笑顔のようではなく、完全に仮面を被っていた。

 ということは、純粋な相談事では無いのではないか? と邪推してしまう。

 

 それで思いついたのが、ジアースのルールの件だ。

 

 ココペリは10戦戦うのだと言った。俺たち12人の中で誰か2人生存できるということだ。陽乃さんがこれを見逃す訳がない。なんとしてでもその生存枠に入ろうとするだろう。

 だが、それを実際に知ったのはパイロットの指名を受けた後だった。今までの話を聞いている以上では、抗いようの無い、死の宣告。

 にも関わらず陽乃さんはそれを笑って受け入れたのだ。

 

 ここまでの事情と俺から見た雪ノ下陽乃という人物像を照らし合わせる。

 そうすると結びついてきたのはやはり妹の存在だった。

 陽乃さんは妹の雪ノ下に歪ながらも確かな愛情を持っている。俺の小町への溺愛っぷりにも劣らないシスコンなのだ。

 ならば雪ノ下雪乃は契約をしていないと考えるのが妥当である。方法は分からないが、とにかく溺愛する妹の雪ノ下は死ぬことはない。だから陽乃さんは平常心でいられるのだと。

 

 やがて陽乃さんは向き直った。

 

「正解は……、ふふふ、保留」

 

 陽乃さんはいつものように、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。

 その表情はあまりに完璧過ぎて、逆に違和感を感じたのは気のせいだろうか。

 

「……く、くくく」

 そして、しばらくして、堪えきれなくなったとばかりに声をあげたのは、コエムシだった。

「くくく、お前たちは面白え、面白えわ! くくく、くくく」

 

 コエムシは声を上げながら真っ黒なコックピット内をひゅんひゅんと笑い転げていた。

 この場合、笑い飛び回る、と言ったところか。

 しかしそれほど笑う要素があったのだろうか?

 

「……どこにツボったんでしょうね?」

 

 この、なんで笑われてるか分からない感じ、ホント嫌だよな。

 中学の頃、教室に入っただけで何故か笑の的にされたトラウマが蘇ってきた。

 俺の背中に「人間失格」って紙を張った高橋、今でも絶対に許さない。

 どんよりとした目線を陽乃さんに向けた。

 

「……ふふ」

 

 俺はその顔に、ぞくりと戦慄した。まるで空間がぐにゃりと捻じ曲がったような錯覚に陥る。

 笑み。

 陽乃さんは笑っていた。けれど俺に見せていた余裕のあるそれではなくて。

 

「ふふふ」

「くくく」

 

 笑いは元々動物が威嚇するときにみせる表情であるという話を聞いたことがある。

 まさにこれだ。思わず後ずさってしまうほど、その笑みは獰猛に満ちていた。

 一方コエムシはそれを感じ取っているのか、わざと焚きつけるように不快感のある高笑いを続ける。

 

「ふふふ、本当に可笑しいことね。ふふふ」

「くくく、そうだね、面白くてたまらないよ。くくく」

「ふふふ」

「くくく」

 

 やべぇ……。なんだこの険悪な雰囲気は……。

 じりじりと放たれる負のオーラに、俺の体は自然と距離を放とうとする。

 

「おわっ」

 

 しかし後退しようとする足が何かにひっかかり、俺はバランスを崩して尻餅をついた。

 陽乃さんとコエムシのオーラがつに具現化の域まで達し、俺の退路を塞いだのか!?

 

 もちろんそんなことはなく、俺が躓いたのは、ココペリの亡骸だった。

 

 あまりに綺麗すぎる亡骸は、やはり本物でないのでは、と疑ってしまう。

 しかしあの雪ノ下陽乃が事実だと認識しているのだ。俺の推論とも辻褄があう。これ以上の説得力はなかった。

 今度は陽乃さんがこうなるのか……?

 コエムシとの何か言い合ってるあの陽乃さんが、殺しても死ななそうな陽乃さんが、本当に死んでしまうのか?

 

 あ、やべ、目が合った。

 ……そうだ、ココペリの脈をもう一度取らなきゃ(現実逃避)

 さっきは手のひらの下の部分に指を当てただけだった。

 出会った時と同じジャケットとタートルネックを捲り上げると、白じろでゴツゴツとした右腕が姿を見せた。

 そこで、俺は思わず声を上げてしまった。

 

「なんじゃこりゃあ……」

 

 数え切れないほどの傷が右腕がにびっしり刻まれていた。

 小さな切り傷はもちろん、ナイフで斬りつけられたかのような一閃が、銃創らしき凹みが、痛々しく残っていた。

 唐突な右腕の惨劇に、俺はただただ呆然と口を覆っていた。

 

「奴も色々あったんだぜ。傷なんて俺がどうとでも出来るのに、それを拒むんだから、わかんねえよな。人間って」

 ひゅんとコエムシが俺の脇に現れて言った。

「現実逃避をしようとココペリを調べたら、さらに惨い現実を突きつけられるなんて、残酷だよなあ?」

 

 相変わらず軽い調子で言葉を並べるコエムシ。

 俺が不快な時に出るヒクヒクとした口角の歪みを見て、楽しくてしょうがないとばかりにころころと笑った。

 

「……コエムシ」

 

 陽乃さんの怒気のこもった呼びかけに、コエムシはへらへらと応じて、俺の側から離れていく。

 口からは息が零れ、感情の高まりが少しだけ抜けた。

 

 そして俺はとある事実に、()()()()()()()

 



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11.当然ながら妹だって姉の心配をする。

 俺が安堵した理由。それは。

“この不快感な奴が、隣からいなくなるから”ではなく。

 

 右ポケットを上から触り、小さな膨らみを確認する。多分、コエムシは、気がついていない。

 俺がこけた時に、ココペリのジャケットから滑り落ちた、小さなものに。

 俺が表情を歪めてしまったのは、それをポケットに入れるところを見られてしまったのかと思ったからだ。

 あの様子だと心配は無さそうだが、完全に安心は出来ない。ここはコエムシのテリトリーなのだから。

 

「……コエムシ、俺は帰らせて貰うぞ」

 

 あくまで今の俺は、コエムシの発言に機嫌を損ねた男を演じなければならない。

 コエムシは宇宙人だ。何が出来て、何が出来ないのか全然検討がつかないのだ。

 しかし、この場を離れる必要はある。

 

「くくく、つれねえこと言うなよ。もっと俺を楽しませてくれ」

 やはりそう簡単にはいかないか。

 どうしたらコックピットから抜け出せるか考えを巡らせていると、雪ノ下さんから声が上がった。

 

「あら、私とのお喋りは飽きちゃったのかしら」

「くくく、まだお前の貴重な余生を俺に割いてくれるのかい?」

「ふふふ、それじゃあ、……」

 

 陽乃さんはコエムシに耳打ちする。

 そうやってコエムシの注意を引きつけている間、今度は俺の方にウインクをした。

 

「……だから彼には先に帰って貰いましょう」

「……ちっ、仕方ねえ」

「今からちょっとコエムシと二人で話したいから、悪いけれど比企谷くんには席を外して貰えるかしら?」

 

 何か察してくれたのだろう。

 得体の知れない奴と交渉できるとは流石雪ノ下さん、味方だとこれ以上なく心強い。

 これに乗らない訳がなかった。

 

「そうさせて下さい」

 

 憮然とした表情を作り、雪ノ下さんに小さく会釈した。

 そしてコエムシがえいと体を振ると仕草をすると、俺の視界は砂嵐に覆われた。

 見えるのは四方に白い壁。トイレの個室に転送されたようだ。

 

 俺は急いでポケットの中を確認した。

 

 およそ数センチの正方形、厚さは数ミリの小さな黒いチップ。

 裏側には銀色の線が幾つか入っている。

 これはおそらく、情報記憶媒体だ。

 

 今ならば、雪ノ下さんが時間を稼いでくれるはずだ。

 だから何としても調べなければ。

 ココペリの持ち物ならば何か助かる手がかりがあるはずだ。

 

 俺は小さな希望を大事にポケットの中に仕舞い込むと、携帯に雪ノ下さんからのメールが来た。

 時間を稼げるのは一時間ほどらしい。

 コエムシに読まれても悟られない様にイジリやらを混ぜて、俺だけが分かるような巧みな文章だった。

 

 とにかく、この一時間でメモリーカードの中を調べなければ。

 材木座のような犠牲をもう出すわけにはいかない。

 俺は軽く頬を叩いて、トイレの扉を開けた。

 

 あっという間に一時間が経った。

 

「くそ。なんなんだこれはっ!」

 結局、雪ノ下さんが稼いでくれたタイムリミットをネットカフェで迎えることとなった。

 結論から言おう。俺はココペリの持っていたメモリーカードの中身を知ることは出来なかった。

 

 最初は電気屋に行ってこのメモリーカードに会う接続ケーブルを探した。

 ところが、そんなものは存在しなかった。

 店員に尋ねてみると、このようなメモリーカードに対応している製品は無い、とのことだった。

 

 わけがわからなかった。普通、記憶媒体ならば何かに接続して使用するはずだ。それなのに、ネットで調べてみると現在世界に出回っている製品のどれとも対応していない。

 一体どういうことなのだ。このメモリーカードの中身はどうやって閲覧すれば良いのだ。それにココペリはなんでこんな特殊なものを所持していたのだ。

 謎を解くどころか新たな謎を呼び込む、ミステリー小説のような展開だ。

 くそ、そんなもん俺は呼び込みたくなかった……!

 

 とにかく、現状手の打ちようがないことは分かった。

 俺はネカフェから出て、帰路に就こうと思った瞬間、ケータイがメールの着信を告げていた。

 雪ノ下さんからの確認のメールだ。

 俺はダメだったことと詳しい旨はあとで話すことをそれとなく文章に織り込んで送信ボタンを押す。

 

「はぁ」

 

 ガシガシと頭を掻くと、ため息が漏れた。

 何をやってるんだ俺は。

 時間はもう夕方、帰宅ラッシュで人が多くなってきた。

 俺はぼっちスキルを発動してするすると人混みを抜け、家へと帰った。

 

 

 

 ***

 

 

 

 材木座の件がひと段落ついて、少しだけ気持ちが軽い学校となっていた。

 学校中が例の黒い怪獣で話題になっているのに、うちのクラスではあまり話を聞かなかった。

 クラスの中心人物である葉山のグループが積極的に話題に出さないからである。

 

 それ以外は至って普通。あまりにもいつも通り過ぎて、嫌悪感すら覚える。

 材木座の死などまるでなかったかのように、日常は回る。

 そりゃあ、俺たちは違うクラスだし、仕方のないことだが。それでも、対岸の火事というのは、とても残酷に思えた。

 もっともジアースのパイロットは俺のクラスで大半を占めているのだから、多少の重苦しさは感じられたけれど。

 

 葉山は上手く日常を回していた。三浦もその辺は流石に上手い。ジアースの話題を極力触れないようにしながら、グループの下らない世間話をしている。

 体調不良だった海老名も、学校に復帰している。彼女もまた相変わらず腐女子キャラを過剰までに押し出していた。

 由比ヶ浜と戸部に至っては、どう見ても無理をしてテンションを上げていて、見ているこっちがしんどくなる。

 それでも葉山と三浦がカバーしてなんとか繋ぎとめていた。他のクラスメイトは違和感を感じつつも、特に追及もなく居られるのはこの二人の力が大きい。

 

 昔の俺ならばそれを欺瞞だと鼻で笑っただろう。

 しかし平穏の尊さを知った今、どうして彼らを責められようか。

 

 そんなことを考えげんなりしていては、戸塚にまた心配を掛けてしまう。

 戸塚は気丈に振舞っている様子で、それでも俺や由比ヶ浜を気に掛ける余裕があり、案外精神的に強いのかもしれない。

 一方で心配なのは川崎だった。明らかにやつれており、覇気のない目が一層死んでいて、俺の目じゃないかと疑ってしまうレベルだった。俺レベルとか相当だぞ。

 一応俺も気にかけてはいるが、正直なんの意味もなしていたない。気にかけてるだけだからね。声とかかけらんないし。

 

 平塚先生は流石大人で、普段通り授業を行っては、サボっている俺に鉄拳制裁を加えていた。

 いやちょっと寝ちゃっただけなんですけどね。仕方ねえじゃん。夜眠れないんだもん。

 

 放課後の奉仕部はというと、平塚先生がしばらくの休部を提案した。

 まあ妥当であろう。こんなことがあったんじゃ依頼どころではない。

 雪ノ下もあまり奉仕部の活動を望んでいないようにも見えた。彼女もまた表面には見せないだけで動揺しているのだろう。由比ヶ浜経由の情報だから多分間違ってない。

 

 そんなこんなで数日が経ち、俺は奉仕部の無くなった放課後を、どう過ごそうかと暇を持て余していた。

 ちょうどよく小町が新しくできた洋菓子屋さんを見てきてほしいと言われたので、帰り道を迂回してぷらぷらとほっつき歩く。

 

 右の股関節に軽い衝撃。

 あまりにもボケーっと歩いていたので、子供とぶつかってしまったらしい。

 俺は落ち着いた声音をなんとか作り出し、その子供に話しかけた。

 

「すまん、大丈夫か?」

 

 その子は幼稚園児くらいの幼女だった。

 目線をその子と同じくらいに屈む。

 青みがかった黒髪を二つに分けられ、シュシュでまとめられている。あどけないが整った顔立ちも相まって非常に可愛らしい。

 

「ごめんなさい」

 

 その幼女はぺこりと頭を下げた。

 これはこれはと、こちらも頭を下げて応じる。

 しかしこれはあれだな。他人から見れば完全に事案発生だな。俺の死んだ目は幼女には毒だ。

 そそくさと立ち去ろうとすると、袖をぐいっと引っ張られた。

 

「おにーちゃん、けーちゃんとおなじおめめ、してる」

「同じお目目?」

「うん。とっても、つかれたーっておめめ」

 

 そのけーちゃんたらいうの人のことは知らないが、俺の目と同じと断じられるなんて可哀そうに。よっぽど疲れてるのだろう。

 ……いや、冷静に考えると、初対面の幼女にそこまで言われる俺の目ってやばくない?

 

「おにーちゃんも、おつかれさま、なの?」

「はは、大丈夫だよ」

 

 とりあえず再び膝を曲げて視線を幼女に合わせる。

 しかしこの子はどうしたんだろう。保護者は近くにいるのだろうか? 早く離れないとマジで通報されちゃうんだけどなあ……。放置するわけにもいかないし。

 そんな風にちょっとビクビクしていると「けーちゃん? けーちゃんどこー?」という声が聞こえてきた。

 

「あ、さーちゃんだ! さーちゃん!」

 そういうと幼女はその声の主に駆け寄っていく。

 それで道角からえらく見覚えのある青みがかったツインテールが現れた。

「けーちゃん、知らない人について行っちゃだめでしょ!? ……って比企谷?」

 随分やつれた顔をしている、川崎である。

 

「あんたこんなところで何してんの?」

 幼女に向けた声とはうってかわって、ダウナーないつものボイスに戻っていた。

「まあなんだ……? 散歩?」

 頭をガシガシ掻きながら適当に言うと、川崎は興味がなさそうにふーんと呟いた。

 

「さーちゃん、あのおにーちゃん、おつかれさま、なんだよ」

「こ、こら、けーちゃん」

「いや疲れてんのは事実だから。お前も、その、お疲れさんだな」

 

 とりあえずその場しのぎで言葉を紡ぐ。

 すると川崎はちょっと顔をうつ向かせて、小さくお礼の言葉を述べた。

 

「ありがと……。あっ、えっと、妹の京華。ほら、けーちゃん、お名前」

「かわさきけーかっ!」

「俺は八幡だ」

「……はち、まん……? 変な名前っ!」

「けーちゃんっ!」

「俺も変な名前だと思ってるから大丈夫だ」

 

 そんなこんなで自己紹介を終えると、川崎が急に頭を下げた。

「ごめん。亡くなったあんたの友達のこと……。あたしが急かしたせいでもあると思うから……」

 それでジアースの肩の上、材木座を俺が突き落としたあの日の夜のことを思い出した。

 

「気にすんな。川崎のせいじゃねえって」

 

 そうホントに川崎のせいじゃないのだ。そして俺のせいでもなかったのだ。

 材木座の死因。それはジアースを操縦したこと。

 しかしそんなことを言えるはずもなく俺は口ごもる。

 

「アンタがどう言おうと、あたしも一緒に背負ってくつもりだから」

 

 まるで決意を固めたように、川崎はそう言い切った。

 違うんだ。確かに俺は材木座の死について、どちらにしろ責任を負うつもりでいたが、川崎はそんなことをする必要はないのだ。目の前の京華や大志などの兄妹や自分の学費など、ただでさえたくさんものを背負っている彼女にどうしてそんなことをさせられる?

 かと言って事実を言えるわけもなく、俺は心の中で川崎に謝罪しながら足早にその場を後にした。

 

 さて俺は小町の言っていたお菓子屋さんに着いていた。

 

 小町が言っていた新しくできたお店とやらはココらしい。

 送られてきたメールで確認したので間違いない。

 しかし、なんだこの、いかにもスイーツ(笑)が好きそうな店は。

 いやスイーツを売っている店だからまあそりゃ当たり前だがな、和菓子を和スイーツとか言うの辞めにしようぜ?

 

 女子中高生に受けそうな外装に、頭が痛くなりそうなメニューの名前。さらにカウンターには行列と、ぼっちの男子高校生には苦行とも言える役が揃ってやがる。

 今日は色々大変でだったが、これが一番辛いかもしれないぜ……。

 さてブルーなテンションで行列に加わり三十分くらい経ったであろうか。

 列は結構進み、俺の前の人数は片手で収まる程度になっていた。

 カウンターの方からチリンチリンとベルが鳴り、同時に「おめでとうございます、特賞です!」という店員さんの声が上がった。

 

 何事かとスマホから顔を上げて見れば、先頭のお客さんが店員さんから人形を貰っていた。

 どうやら開店キャンペーンなるものをやっていたらしい。

 

「千円以上お買い上げのお客様に素敵なプレゼントがその場で当たる、ねぇ」

 

 今まで気に止めてなかったが、なるほど、そんなことをやっていたのか。

 しかし比企谷八幡、騙されるなこの類のもの、今まで一度だって当たったことあるか?

 俺が当たるのはせいぜい校庭で遊んでいる同級生のボールくらいだ。

「ごめんキャッチボールしてて」とか言いながら拾いに来た伊勢谷くん、なんでサッカーボールが飛んできたんですかねぇ……。

 

 昔のトラウマを軽く思い出し、浮つきそうな気持ちを抑える。

 後ろの方では舌打ちをする声が聞こえ、どんだけ人形欲しいんだよと軽くツッコミを入れる余裕まで出てきた。

 何はともあれ、この店ともあと少しでおさらばだ。

 俺は小町からのリクエストを再確認し、注文に備えていると、またチリンチリンと鳴った。

 また特賞の人形が当たったらしい。

 ここに来て特賞当たりすぎだろ……。

 

 後ろからはまたチッと舌打ちと共に地団駄を踏む音が聞こえてきた。

 よっぽど欲しいんだろうなと思わず苦笑いが出る。

 ようやく俺の番になった。ちゃっちゃと終わらせたいと早口で簡潔に注文を済まし、お金を払い終えると、店員さんから丸い穴のついた箱を差し出された。

 

「それではここからひとつお引きください」

 

 例のアレだ。

 絶対に当たらないものだとは思うものの、クジを引く前はちょっと緊張してしまう。

 二度ある事は三度あるとは言うものの、実際起こることは少ないわけで。

 幾つかのカードがあるという感覚が手から伝わり、そのうちのひとつを選び、店員さんへと渡した。

 

「おめでとうございます! 特賞の当店オリジナルのパンさん人形です!」

 

 …………マジかよ。

 チリンチリンとベルを鳴らしながら店員さんは俺に片手に乗るサイズのパンさん人形が入った紙袋を渡す。

 

「運が良かったですね。これが最後のパンさんだったんですよ」

 

 ウインクをしながら店員さんに言われれば、俺も少し顔が綻ぶ。

 2連続の後に最後のひとつが当たったとなれば、これはかなりラッキーだと言える。

 後ろで唸っていた人には悪いが、これも運なのだよ、はははっ!

 こんな確率で当たるのはどれくらいだろうな、とか柄にもなく考えていると、ガシッと腕をひっつかまれる。

 

「なんだよ!」

 

 列の方から伸びてきた腕は、パンさん人形を持っている俺の腕をがっちり掴んで動かない。

 俺はその手の主を確かめると同時に、その眼力に気圧されることになった。

「比企谷くん……。ちょっと、そこでお茶がしないかしら?」

 凄まじい形相の、雪ノ下雪乃に、俺は抵抗するまもなく店内へと連れられていった。



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12.ついに雪ノ下陽乃は切り札を使う。

 陽乃が実家に呼び出されたのは、材木座義輝の葬式から数日経った後だった。

 千葉の一等地に建つやたら防犯設備にお金をかけた三階建ての家。コンクリートの外壁になんとか威圧感を押さえようとあしらわれた木材が哀れでならない。

 陽乃は帰るたびにここは牢獄のような場所だと思っていた。そして今回はそれが比喩にならないことも想定していた。

 

 吹き抜けの大きなリビングに陽乃は座らされていた。説教や家族会議を行う際の雰囲気によく似ていた。

 隅の方に飾られてある、陽乃が幼いころ遊んだ動物のキャラクターのミニチュアと木造りの家に模したおもちゃが、なんだか気まずそうであるように感じられた。いつも思うのだが、このおもちゃはいつまで飾ってあるんだろうか。雪乃のお気に入りというわけでもないのに。もしかして母さんが好きなのかしら。あの鉄仮面がそんなわけないか。

 そんなことを思っていると母がいつもの和装で静々と入ってきた。家の中なのに、どうしてこうお堅いものだろうか。

 

「陽乃、貴方にはもう実家へ戻ってもらうわ」

 

 開口一番、そう言われた。

 決して大きいわけでも甲高いわけでもないのに、聞く者の意識を引き付けるような声。

 陽乃を陽乃たらしめない、圧倒的な強制力を持つその声の主から発せられた言葉は、あまりにも残酷であった。

 

「大学在学中は自由にさせてもらえる約束じゃなかったの?」

 

 当然陽乃は拒絶の意を込めて言う。

 しかし母は毅然とした態度を崩さない。

 

「自由と勝手は違うのよ。警察の方とお話しする機会があってね。そこで貴方がしたことも聞いたわ」

 

 そう言われると陽乃は苦虫を嚙み潰したような顔になった。

 自分でも確かにやばい橋を渡ったという実感はあった。しかしながら、疑問に思ったことを放置することはできなかったのだ。

 材木座義輝の死因を知るためには仕方がなかったのだ。

 

「流石に警察に手を出すとは思わなかったわ。どこで育て方を間違えてしまったのかしら」

 

 母は顔をしかめる。今回の件はだいぶ答えたようで、その顔には疲労も見える。

 当たり前だ。警察の情報を一般人に横流しさせたのだから。

 一方の陽乃は、最初から間違えてるのに、と心の中で悪態をつく。

 

「それで私はどうなるのかしら? ここで軟禁もされるの? それとも大学を退学させられるの?」

 

 陽乃は開き直って投げやり気味に言い放った。

 この一件が露見したことによる多少のペナルティは覚悟していた。そして最悪大学を辞めるくらいさせられることも予見していた。

 

「前に話したお見合いの話……。あちら方が偉く乗る気でね」

 

 それを持ち出してくるとは。

 陽乃は予想外の話に鳩が豆鉄砲を食ったような、そんな間抜けた顔を晒してしまった。

 そしてその次に続く言葉はあっさりと予想できた。

 

「陽乃、貴方はもう結婚しなさい」

 

 まるでそれは死刑宣告だった。

 結婚。人生で一番大きなイベントである。ある程度諦めはあった。きっと母に決められた人と結婚するんだろうな、とは思っていた。しかしこんなに早くとは。まだ陽乃は二十歳で、まだまだやりたいことがたくさんあった。

 何より問題なのは、その相手が大企業の役員であり、自分はその家に入るということ。それが意味することとは。

 

「待ってお母さん。私が結婚したら、雪ノ下家はどうなるの?」

 

 それを聞くのは躊躇われた。

 回答はすでに陽乃の中では出ていた。あってはならない。絶対に守らなければならないものが、無残にも打ち砕かれる。そんな答えが。

 

「家は雪乃に任せます。少し不安なところはあるけれど、これから学んでいけば大丈夫でしょう──」

「ふざけないで! 雪乃ちゃんも私のように操り人形にするわけ!?」

 

 思わず声を荒げた。それだけは許せなかった。決して自分が家を継ぎたいわけじゃない。むしろ逃げ出したいとすら思っていた。しかし妹の自由を守るためならば致し方ないと思っていたのだ。雪乃のことを思って何度も留めてきた思いが一気に噴き出した。

 明らかな敵意を受けた母は、少し驚いた様子だった。けれどそれだけだった。陽乃が次の言葉にする前に、まるで駄々っ子を嗜めるように言う。

 

「元はと言えば陽乃が悪いのだけれど、全く人聞きが悪いわね。貴方は雪ノ下家に生まれたのだからある程度は仕方ないことだと口を酸っぱくして言ってきたじゃない。まだお母さんを困らせる気なの?」

 

 母の言葉の端々に陽乃は怒りを覚えた。

 悪いのは家柄にこだわる育て方じゃない。仕方ないって言われても、私が私であることを否定する理由にならないわ。何より困っているのは、お母さんの無茶振りに応える私の方よ——

 

 それからは聞くに堪えない言い合いになった。

 陽乃が自らの自由のため必死に言葉を紡いでも、母の態度は頑なに変わらず、これは決定したことだからと言わんばかりである。

 我慢できなくなり、辺りの花瓶を散らしたり、食器を割ったりしてみてもその様子は変わらなかった。ならばと、先ほどのおもちゃの動物の家に手をかけたとき、母の方がとうとう耐え切れなくなったのか、陽乃に平手打ちを食らわせた。陽乃はやり返してやろうと手を振りかぶったが、母のお手本のような関節技で腕を決められ、騒音を聞きつけた家政婦に取り押さえられた。

 

 結局陽乃は母に何もやり返せないまま、一旦自分が借りているマンションへと退散することとなった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「というのが事の顛末よ」

 

 雪ノ下が明らかにオープン限定のパンさん人形を欲しそうにしていたので、それと引き換えに雪ノ下姉のことを教えてほしいと言ったら、とんだ地雷を踏んだ。

 俺は砂糖とミルクをたっぷり入れた特性コーヒーをすすりながら、聞いたことを後悔していた。

 だってこんなことになってるなんて思わないじゃん。ちょっと色々あった雪ノ下さんの近況が気になっただけなのに。そんな母娘の諍いをしてなんて。

 

 落ち着いたBGMの中、二人用のテーブルに向かい合って俺と雪ノ下はこじんまりしたケーキと飲み物でお茶をしていた。

 ちょうど角の隙間に位置したこのテーブルは、他の人の死角になり易い丁度良い場所だった。

 

 俺はなんだかすまんと雪ノ下に謝ると、いいわ私も少しうんざりしてたところだから、とため息をつく。

 まあ少し尋ねてみたらここまで赤裸々に話すということは、雪ノ下も雪ノ下で溜まっているものがあったのだろう。その言葉に嘘でなさそうだ。

 その証拠に雪ノ下の顔も先ほどよりすっきりした様子で、せいぜいしたと言わんばかりだった。機嫌が良いのは胸に抱かれているパンさん人形のおかげかもしれないが。

 

 さて問題は、姉の行く末を彼女に教えるかどうかだった。

 いや、俺たちの顛末とも言っていいだろう。なにせ雪ノ下陽乃の推理では俺たちは皆死刑を待つ囚人のようなものなのだから。

 俺自身は信じざるを得ないと思いつつも、やはりどこかでそんなことは無いんじゃないかという希望的観測の中、日々の雑踏にその疑問を紛れ込ませていた。

 

 ともかく100パーセント確定していないことを、軽々しく言うべきではない。ましてや人の生き死にに関わる話だ。

 つまるところ、この家族の愚痴を言ってちょっと満足げにぬいぐるみを抱く雪ノ下の顔を、変な話で曇らせたいかどうかだ。

 答えはもちろん否だ。沈黙は金雄弁は銀、黙っていることこそ正解だ。つまりいつもぼっちで黙っている俺は金メダリストである。独りンピック日本代表になれるぜ。

 

 そもそもあの話によれば、次の戦闘とやらがそろそろ始まるのではないか。

 なのに一向に現れる気配すらない。今日に至るまでその前兆すらないではないか。

 俺は自分をうまく納得させ、特性コーヒーで流し込もうと一気にカップを傾け、視界をブラウンに染めた。

 

 コップを下げたとき、俺の目の前にはあの薄暗い部屋が広がっていた。

 座っていた木製の椅子は、リビングのソファに変わり、材木座が死んだ日のメンバーが揃いもそろってきょとん顔で椅子に座らされていた。

 

「デート中、悪かったな」

 

 コエムシが茶化すように俺の耳元で呟く。

 びっくりしてツッコむどころじゃねえつーの。危うくコーヒーカップ零しちゃうところだっただろ。

 

「あ、え、なにこれ!? どうなってんだし!?」

 由比ヶ浜がこう叫べば、

「また瞬間移動したっしょ! っべわー」

 と戸部がハイテンションで言い、

「ちょ、あーし、すっぴんなんだけど!」

 三浦が恥ずかしそうに俯いた。

 

 その疑問の矛先は当然コエムシに向かっていく。

 

「妹たちに見られたかも知れないんだけど」

「お店支払いしていないわ。これではまるで食い逃げしたみたいなのだけれど」

「あー! ゲームのコントローラーがぷっつんだ! これお兄ちゃんのなのに!」

「コエムシ、私も仕事中なのだ。タイミングというものを見計らっていただきたい」

 

 と皆口々に声を上げるとコエムシが「うるせーうるせー」と顔を逸らす。

「わかったわかった。仕方ねえな。全く。ゲームもちゃんとくっつけとくから安心しろ」

 ゲームの件は本当にちゃんと直してくれ。

 

「コエムシなんでいきなり呼び出したんだ」

 リバーシブルのナンバーのシャツの葉山が話を進めようとした。どうやら試合中に呼び出されたらしく汗だくで酷く浮いた様子だ。

「そりゃもちろん、次の敵が襲って来たからだ」

 コエムシは円状に向かい合った椅子の真ん中に浮遊し、みんなに向けてそう言い放った。

 

「敵って? 材木座くんの時みたいな感じの?」

 海老名はいかにも部屋着といったスウェットで問いかける。

「そうだ。またパイロットがジアースを操縦して敵を倒す」

 

「じゃあやっぱりあの事件は偶然じゃなくて僕たちが引き起こしたものなんだね……」

 戸塚が震える身を腕で抱きながら言えば、みんな揃って息をのむ。

「そういうこった。いつまでも現実逃避してるんじゃねえぞ」

 

 くくく、とコエムシが意地悪く笑えば、円状のスクリーンが浮き出て、外の景色を映している。

 ジアースは、なんと町のど真ん中に突っ立ていた。

 あたりを見渡せばいくつかのビル群が立ち並び、足元には閑静な住宅街が広がっている様子だった。そこに居合わせた人間は突如現れた巨大なロボットに困惑し、大変な騒動になっていることに間違いなかった。

 

「みんな、今回は私がパイロットよ」

 

 この場所で戦えばどうなるかを想像し、硬直していたところに、雪ノ下陽乃さんの声だけが響いた。

「姉さんが……? その、大丈夫なの?」

 雪ノ下の妹の方が恐る恐る聞いてみると、葉山も水平線を指差してそれに同調する。

「陽乃さん、とにかく慎重に動くこと。それから出来るだけ住民の避難を待って、海の方は動こう」

 

 雪ノ下さんはそれに薄い笑みを浮かべながら答えた。

「それは相手次第じゃないかしら。それより、比企谷くん、この様子だと話してないみたいね」

 いきなり話を振られて見つめられた俺は、面食らいながらもなんとか首肯する。

「いやその、まだ俺自身が受け止めきれてなかったので……」

 

 雪ノ下さんは、そう、とだけ言うと少し俯いた後、またひとつ仮面を被ったように笑みを張り付けた。

「じゃあ私自身が仮説を証明させるってことになるわね。お姉ちゃん、頑張っちゃうぞー!」

 そんなきゃぴるんと言うようなことじゃないだろう。あと俺を追求する視線が各方面から突き刺さってめっちゃ気まずいんだが……。

 

「さて敵さんのお出ましだ」

 

 出てきたのは二体のロボットであった。

 片方はジアースと同じほどの大きさの人型で、関節部分が球体で出来ているのと、白いボディが特徴的だ。

 もう一方は漆黒のボディで上半身までしかなく、どういう原理か知らないが宙を浮いていた。それは丁度白いロボットのちょっと上ほどで静止して腕を開いていて、五本の指で白を覆うような体型を取っていた。

 

「まるでマリオネットと黒子ね。なんて皮肉な……」

 

 雪ノ下さんがそうつぶやくと、小さな声で、自嘲のこもった笑いをふふっと漏らした。

 とにかく、その敵ロボット、『傀儡』の白の方はフワッと宙へと浮いたかと思うと、ものすごい勢いで身体を捻り始めた。

 物理法則を無視したその動きは、まるでウォーミングアップをしているかのようで、ひたすらシュールな光景だった。

 

「何あの動き!? キモッ!」

「敵が動いてきた!」

「あの様子だと街に被害は出にくいわね。とにかく海の方へ動きましょう」

 

 陽乃さんはまるで慣れたようにスイスイとジアースを動かした。足元にはかなり気を使っているはずなのに、俊敏に機体が駆動する。

『傀儡』はクネクネと体をくねらせながら、どうやら着いてくるようだ。こいつ奇妙な見た目の割に良心的らしい。

 さてある程度陸から離れたところまで来た時、ついに『傀儡』が攻撃してくる。

 

 背後の黒い方が、指を向けると触手のような糸が複数飛んできた。

 ジアースはそれを軽くいなし、距離を詰めようとする。そして、その時には目の前に白い方が近づいていた。

 糸は囮だったのだ。白は宙に浮いた状態で手足を無茶苦茶に振り回してくる。攻撃を受けた装甲がガリガリと削られるのがわかる。劣勢だ。

 

「こいつ、浮いてるから両手両足で攻撃できるんだ。これは厄介だぞ、どうする、陽乃」

 平塚先生が分析すると雪ノ下さんはふんと息を吐く。

「確かに鬱陶しいわね。だけれど相手の形状から考えると、無力化するのは簡単よ」

 

 そう言うと、ジアースは両手で上手く攻撃を受け流すと同時にレーザーを数十ほど関節を狙って放った。

 全くダメージを受けていないないが、それを続ける。すると何度か繰り返すうちに、白のロボット右腕がだらんと動かなくなった。

 

「やっぱりそうね。白い方は黒い方に糸で操られてるんだわ。……胸糞の悪いことにね」

 

 雪ノ下さんは最後に何か呟いたが、何を言ったかは聞こえなかった。

 しかしともかく相手の弱点が分かると、コックピット内から感嘆の声が上がった。

 動かなくなった右腕をジアースは思いっきり引っ張った。ジアースが白を抱きかかえるような形だ。それに連動して遠くの方で見守っていた黒のロボットが海面へ落ちた。

 

「そして、こちらが本体でしょう!」

 

 ジアースは白いロボットに付いてる糸を束ねるとこちらに引っ張った。

 海面に落ちた黒いロボットはさらに跳ねてながら近寄って来させられる。

 そのまま糸を引き千切ると、黒の方へ接近。ジアースは荒々しくその黒い機体を蹂躙した。

 腕を折り、顔を潰し、肩を破壊し、装甲が脆過ぎるではないかと思うくらい再起不能まで追い込んだところで、雪ノ下さんは攻撃の手を止めた。

 

「ふう。これでもう抵抗はできないでしょう」

 

 雪ノ下さんが言うと、コックピット内の緊張が一気に弛緩した。

 それで、何をしようと言うのか、ジアースは陸を目指して歩き始めた。

 

「姉さん、何してるの? まだ敵の急所を潰していないわ」

 妹が姉を咎める。しかしジアースは止まらず、住宅街の方へとズンズン進んでいる。

「ねえ雪乃ちゃん、母さんのことどう思う?」

 不意の姉の問いに、雪ノ下は一瞬、固まった。

 

「……何をしようとしてるの? 姉さん、バカなことは辞めなさい!」

 雪ノ下の明晰な頭脳はあっという間に姉が何をしようとしているのかが分かってしまったようだ。席を立ち、血相を変えて姉に詰め寄る。

「そうだ、陽乃さん、いくらなんでも、それはダメだ!」

 葉山も理解したのか、すぐさま雪ノ下さんの元へ駆け寄る。

 

 ジアースが止まった。スクリーンに映し出されるのは一軒の家。コンクリートと木材が調和した如何にも高級そうな住宅だ。

 さらにスクリーンがもう一つは増える。映し出されるのは、和装の婦人。その整った顔立ちから雪ノ下の母親であることは明確だった。

 

「例えば、母さんが不慮の事故で死亡なんてことがあったら、面白いと思わない?」

 

 雪ノ下陽乃は、妹にそう言って不敵に笑った。



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13.結局、彼女の正体とは。

 陽乃は最後の手段に出た。

 それは母を自分の手で亡き者にすること。

 世が世ならば尊属殺人罪とされ、普通の殺人より重い刑罰が下る、禁忌の方法だった。

 

 陽乃はそれを行う以外もはや母というしがらみを解くことができないと考えていた。

 いつだって勝手に決めていた母。いつだって押し付けてきた母。

 陽乃は自分が自分であるために、自分の母を殺さなければなかった。どうせ死ぬ命だ、一矢報いてやるという覚悟を持っていた。

 

 これをコエムシに話したとき、性格の悪いこの不細工な人形は、大いに賛同した。良いぜ、面白いじゃねえか、と。

 そこでコエムシには事前に敵が来る大体の予測をしてもらい、時期に合わせ無理やり雇っている家政婦をテレポートで避難させる。

 母親が家で一人になったところを、部屋の扉をコエムシに壊してもらって軟禁する。あとは戦闘に入って、家を破壊するだけで事足りた。

 

 しかしそれでは陽乃が物足りなかった。散々怖がらせて、母の狼狽える姿を拝んだうえで殺す。そうでなければ積年の恨みを晴らすことは出来ない。

 だからこそ、敵を完全に倒さずに、ジアースを自分で自由に動かせる時間を確保する必要があった。

 全ては計画通りだった。あとは怖がる母を高みの見物で楽しむ。

 

「姉さんやめて! いくら姉さんが母さんを憎んでいるからといってそんな、命まで奪うなんて……」

「そうだよ陽乃さん! それだけはやっちゃいけない!」

 妹や葉山の静止などもちろん聴く耳を持たなかった。

 

「陽乃、君は確かに母親と相性が良くなかったかもしれないが、殺していい理由にならない!」

 平塚先生の言葉も今は鬱陶しいだけだ。

「か、家族を、殺すなんて、なんでそんなこと……」

 川崎とかいうポニーテールの子も驚愕している。確かに普通の子には理解されないかもしれないわね、と陽乃は自嘲し笑った。もちろん他の人間の言葉も上がるが、今の彼女に届くはずもない。

 

「雪ノ下さん……。貴方が今やるべきことはこれなんですか……?」

 

 あの比企谷八幡も何か言っているがどうでもいいことだった。

 今だからこそ、やらなければならないのだ。

 もう陽乃を止めるには物理的手段しか残されていなかった。

 

 それを行おうとしたのは幼馴染である葉山だった。彼は戸部と一緒に陽乃を羽織り攻めにしようとした。

 想定内。こちらに詰めよってきた雪乃を突き飛ばし、陽乃はコエムシ、と叫ぶと、陽乃の四方を囲むガラスが地面から生えてきた。強化ガラスだ。葉山がタックルをするが、人の手だけでは絶対に壊れない。コエムシとの打ち合わせ通り。

 これで陽乃を邪魔する手段は完全になくなった。文字通りやりたい放題出来るだろう。

 

「コエムシ、囲いを解いて! お願い! でないと本当に姉さんが母さんを殺してしまうわ!!」

 

 半分悲鳴で雪乃が叫ぶ。いつもの凛々しい顔がぐちゃぐちゃに歪みんでいた。

 コエムシは意地悪そうに、くくく、と笑ってそして、良いじゃねえかと続けた。

 

「ハルノは死ぬんだぜ? ジアースはパイロットの魂を燃料に動いているからな。人生最後の我がままくらい聞いてあげるのが情けってもんだ」

 

 一瞬、場が凍り付いた。この不細工なぬいぐるみは一体何を言っているんだ、と。

 それで、陽乃が、そういうことなの、と薄い笑みを浮かべて肯定したの受けて、コックピット内がざわつき始める。

 

「姉さんが死ぬって、どういことなの?」

 

 信じられないとばかりに声を上げたのは、やはり妹の雪乃だった。

 各々からそのことを追求する言葉が飛び交い、コエムシがまた意地悪く、くくくと笑う。

 

「ジアースで一戦闘駆動するかわりに、操縦者の命を奪うんだ。自分の命と引き換えに絶大な力を扱えるんだぜ? ハルノのしてることは至極まっとうなことだ。死ぬ前なんだから好きなこと、しねえとなあ?」

 コエムシの言葉に、陽乃は首肯して言葉を繋げる。もう誰も陽乃の邪魔をしようとしなかった。ただその非現実的な事実に打ちのめされているだけだった。

「そういうことよ。だから私は、私のために、母さんを殺すの! 私の自由を奪ってきた、あのロクでもない母親に、一矢報いてやるの!」

 

 スクリーンに映し出される、焦り顔の母。普段の鉄仮面は何処へ行ったのか、ジアースの存在を確認すると、急いで開きもしない扉をなんとか通ろうとしていた。

 ジアースの腕の先端を指のように分けた。そして母がまだいる家に手をかける。

 ゆっくり、けれど確実に、まるで籠の中の昆虫を虐めるように、自宅を揺する陽乃。

 

 雪ノ下の実家は震度7ほどの揺れに襲われていた。家具が倒れ、装飾品が落ち、立っていることもままならない。

 ただでさえ命の危険を感じる振動なのに、それを起こしている元凶が、巨大な怪獣なのだ。つまり何者かが悪意をもって自分を襲ってきている。これ以上の恐怖がどこにあるというのか。雪ノ下の母親は、恐怖にのまれそうなるのを必死でこらえていた。

 

「母さん、そうよ! もっと怖がりなさい! もっと恐れなさい! 震えなさい! あはははははははは!!」

 

 スクリーンが数個増え、怯える母親を色々な角度から映し出す。

 それを見せられるたびに、雪乃の悲鳴が聞こえるが知ったことではなかった。

 陽乃は自分が異様に興奮しているのが分かった。頬が赤く染まり、動悸が激しくなり、汗がにじんでくる。のどが渇き、もっと無様な母の姿を渇望する。

 

 それは全くの偶然であった。

 母の頭の中でパニックを押さえるあまり、ある種の覚醒状態に陥っていた。

 記憶の片隅に、同じようなことをやっている人間が思い浮かんだのだ。気に食わないと、家を、正確にはおもちゃの家を、揺すって文句を言う、幼い娘のことを。未だにそのおもちゃをリビングに飾っては、昔はあんなに可愛かったのにねえ、と思い出していた。

 有り得ないと思い、普通なら絶対に口から出ない名前が、母から零れた。

 

「陽乃? これをやっているのは陽乃なの!?」

 

 コックピットのいくつものスクリーンが、その映像を拾う。間違いなかった。偶然に何にしろ、母親はこれが娘の仕業だと、この極限状態で当ててしまったのだ。

 その事実に皆が驚愕したが、もっとも動揺したのは他ならぬ陽乃であった。

 そんな馬鹿なはずがなかった。だって、母親は私のことなんて、ただの操り人形としてしか見ていないのではなかったはずだ。こんな巨大なロボットを操ってるなんて絶対思いつくはずがない。

 

「なっ……! どうして、そこで私の名前を当てられるのよ……!」

 

 陽乃にとってあまりにも想定外のことだった。その動揺はジアースの動きを一瞬止めることに成功していた。さらに振動のおかげで母を閉じ込めていた扉が開いていた。母は急いでその場から脱出し、家の外へと向かって走っていた。

 母はこの一瞬で疑問から確信に変わっていた。これが陽乃仕業であること。そしてこれは自分が止めなければならないということを。

 外に向かいつつ、母は叫ぶ。

 

「陽乃! 貴方、陽乃なのね!? どうしてこんなものを操縦しているかわからないけれど、バカなことはやめなさい!」

 

 陽乃の表情は明らかに歪んでいた。計算が何もかも狂っていた。

 自分だと当てられることもそうだし、自分を止めようとジアースに呼びかけてくることも、逃げるのではなく諭してくることも。

 自分の知ってる母なら、たとえ娘が乗っていても、保身のため、ひたすら逃げ惑うか、あるいは許しを乞うか。そんな、まるで駄々っ子をたしなめるように、向かってくるなんて。

 

「おいおい、ハルノ、なんかバレちまってるぜ? どうするんだ? まさか殺せないとか言うんじゃねえだろうな?」

 隣でコエムシがハエのように舞う。

「うるさい! 殺れるわ! 見てなさい!」

 陽乃はコエムシを手で追っ払うと、ジアースの腕を母に向けて振り下ろそうと念じた。

 

 母は手を広げて、それに応じた。

 逃げることもせず、まるで抱擁をするように。

 表情は凛とした顔、ジアースの攻撃を受け入れるかのようで。

 

「どうして、どうして、逃げようとしないの!? 母さんは死にたいの!? ……わかったわ、娘だから母を殺せるわけないって、そう高をくくっているのね!? どこまでも馬鹿にして!!」

 

 陽乃はもはや半狂乱になっていた。

 髪は乱れ、目は血走り、化粧は汗でぐちゃぐちゃに崩れていた。まるでいつも付けている仮面が剥がれ落ちたかのようだった。

 混乱、苛立ち、焦り。様々な感情が入り混じって、混沌とした陽乃の頭の中、優れた動体視力が、海辺の方から飛んでくる光線を捉えた。

 それはこちらを攻撃するものだと脊髄反射的に判断した陽乃は、ジアースの腕を咄嗟に母の手前に置いた。

 

 光線はジアースの腕に着弾しいくつか装甲を削ったが、それだけだった。

 ジアースの腕も、その背後の陽乃の母親も、無事であった。

 

「姉さん……今、母さんを守って……」

 

 雪乃がポロっと口にしたこと。

 これこそが純然たる事実だった。そしてそれはまた陽乃を混乱させた。

 なぜ? どうして? あれほど憎くて殺したい相手なのに、なぜ私は庇った? 

 さらに沸々と湧き上がるのは、敵ロボットへの怒りだった。

 それにこの感情は何? どうしてこれほどまでに攻撃してきた奴が憎く感じるの……? 

 

「どうやら敵さんが仕掛けて来たようだぜ」

「敵の本体は倒したはずでしょ!? そんなに早く復活したってことなの!?」

「いいや、どうやら撃ってきたのは、操られてた方だ。ハルノの読みが間違ってたんだよ」

 

 スクリーンを見れば、海上で自力で立つ『傀儡』の白い人型ロボットが、もう一度攻撃を行なおうとしていた。

 もう何が何だか、陽乃には分からなかった。

 とにかく頭より先に、ジアースは動き出した。『傀儡』を倒し、その攻撃から母親を守ろうとするため。

 

 陽乃は吠えた。訳の分からない感情を発散するためにはそれしか術が無かった。

 そしてその矛先である『傀儡』を完膚なきまでに叩きのめした。はっきりいって勝負にならなかった。それだけ陽乃の、ジアースの攻撃は苛烈を極めた。

 陽乃はてっきり、弱点があるのは黒い方だとばかり思っていた。だって操ってる方が安全だし、そちらに主導権があるのだと確信を持っていた。

 だから白い方から弱点である白い球体を見つけた時、陽乃はすぐに潰せなかった。

 

「どうしてこっちの方にあったのかしら……」

 思わず口から疑問がこぼれた。自分と母を重ねていた敵機体『傀儡』。しかし蓋を開けてみれば、操られている方、つまり自分の方に重要な部分があった。

「結局、このロボットの主体は白い方だったんだと思います。操ると言っても所詮はサポートだけだったですよ」

 その疑問に答えたのは八幡だった。

 

 もしそうなら、私は私がある理由を自分の中で見つけなければならなかったのではないだろうか。

 妹の雪乃が奉仕部で何かを見つけようともがくように、私も何か足掻きをしなけれぼならなかったのでは? 

 そんな、後悔にも似た気持ちが湧き上がってくる。

 

 だがもうどうでも良いことだった。

 結局、自分は母を殺すことも自分を見つけることも出来なかった。その結果だけが全てだった。

 今はなんだか清々しかった。何故だろう。それで気が付いた。仮面を被っていない、素の自分が、今、出ている。

 

 思えば母を殺すことを決意させた、結婚の件だって元を正せば、妹を守るためだった。

 母を攻撃した敵機体に怒りが湧いたのは、やはり母を守るためだった。

 自分が知らないだけでこれだけ、家族のことを想っている雪ノ下陽乃が居た。

 結局“私”の正体とは、ただのマザコンで、シスコンで、特別でも何でもないただの普通の女の子だったのではないだろうか。

 なんだ、比企谷くんの言うとおりだったじゃないか。

 

 それでスクリーンに映った母親をふと見た。

「やったわ! 敵を倒したのね! よくやったわ! 流石私の娘ね、陽乃!」

 母は生まれてこの方見たことないほど破願して、両手を上げて万歳をしていた。なんだそれは。まるで運動会で子供が活躍した親バカじゃない。

 

 陽乃は急所を潰すと、皆に向き直った。四方を覆っていたガラス張りもコエムシに解かせた。

「みんな、色々とごめんなさい。最後に私お母さんに謝ってくるわ。許してくれないと思うけれど」

 

「……あたしははそんなことないと思います」

 声を上げたのは、確か川崎という子。

「親なら子供の失敗くらい、許してくれます、絶対」

 

「……ありがとう。スクリーンに映しておくから、本当に死ぬか見ていて頂戴」

 自分でもびっくりするくらい、優しい声音で陽乃が言う。それから、と続けた。

「雪乃ちゃん。それと隼人も。たくさん迷惑かけて、ごめんね」

 

 それで、最後に八幡の方を見て、言った。

「比企谷くん、あなたの推理、雪乃ちゃんの契約に関してはハズレなの。それ以外は私を見抜いてくれてたみたいね。あとはよろしくたのむわ」

 

 その言葉を最後に陽乃はコックピットから姿を消した。送ってもらったのは、母の元だった。

 母は突然現れた陽乃に目を瞬かせた。

 髪は乱れて、化粧は崩れ、服は皺だらけ。尋常ではない我が娘の様子。

 

「母さん……。ごめんなさい。私、間違えちゃった」

 気が付けば、陽乃目には涙が溢れていた。

 母にはそれが幼い日に動物のミニチュアの家をあんまり雑に扱うものだから、ちょっとキツめに叱った時と重なって見えた。

「よく頑張ったわね、陽乃」

 

 母は陽乃を優しく抱きかかえた。母のぬくもりを感じ、陽乃は静かに目を閉じた。それが彼女の最期となった。

 体から力が抜け、母親に寄りかかる。母の呼びかけにも全く反応しなかった。

 スクリーンでは突如倒れた娘をなんとかしようとする健気な母が映し出されていた。

 

「陽乃、陽乃!? どうしたの!? どうして、息をしてないの!?」

 

 もう確定的だった。

 ジアースを操った人間は死ぬ。

 その場にいる全員が、確信を持つには十分であった。

 

「そんな……姉さん……姉さん……」

 その場はへたり込む雪乃。それに寄り添う結衣。

「じゃあ材木座くんも、それで……」

 戸塚が震えながら言えば、コエムシがくくく、と笑う。

 

「そういうことだ。まあせいぜい充実した余生を過ごすんだな。ちなみに次のパイロットになるやつは、名前を呼ばれるはずだぜ? 誰か呼ばれただろう?」

 

 コックピット内に緊張が走る。

 皆顔を見合わせて、次の生贄を探っているようだった。

 そして恐々と、ハスキーボイスが薄暗い部屋に響き渡る。

 

「あ、あたしだ……。声を、受けた。あたしが、次にパイロットだ……」

 

 川崎沙希が震えながら手を挙げて、そう言った。




陽乃編終わりです。
次は川崎編です。


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第3戦 かくして川崎沙希は戦いに挑む。
14.こうして川崎沙希は訪れる。


 両親が寝静まった夜、俺と小町はリビングのテーブルで向かい合っていた。

 秋も本番となり、小さなファンヒーターで暖を取りながら、ホットミルクを片手に重い沈黙が流れる。

 普段の悩み事ならばカーペットの敷いてあるソファの方へに座れば良いのだが、俺がコックピットで座っているものなので、二人で意図的に避けていた。

 

「私たち、本当に死んじゃうのかな?」

 

 震えた声音で小町が言った。愛猫であるカマクラ抱きながら、足を折り曲げて、顔を伏せている。

 俺は否定すること出来なかった。色々な言葉が頭の中で浮かんでは、慰めにもならないと消え、ただその葛藤が唸り声として喉を鳴らすだけだった。

 

 雪ノ下陽乃は死亡した。

 これが俺たちに突き付けられた紛れない真実。如何に言葉を弄しようが、揺るがないひとつの結果だった。

 しかしこれがジアースを動かしたのが原因であるとは、まだ断定できなかった。材木座も雪ノ下さんも完全な偶然で死亡した可能性が、僅かばかり存在していた。

 

 だがこれもかなり苦しいだろう。

 ジアースという存在が、コエムシを介して、命が燃料だと、圧倒的な力で示していた。

 考えてみれば、あれほどの巨大なロボットを動かすために、一体どれほどのエネルギーが必要なのだろう。またどこから調達しているのだろう。その答えは現代のテクノロジーで説明するより、コエムシの言葉に従い、人間の命と考えた方がよほど自然だった。

 

「……仮に事実だとしても、まだ生き残る可能性はある」

 

 そう、まだあるにはあるのだ。小町も俺も、生き延びる可能性。コエムシの言葉を全て事実だと仮定しても、まだ、ある。

 それはあの時の契約を覚えている人間ならば、誰しもが思いつくことだった。

 しかし小町は忘れてしまったのか、きょとんとした顔をしている。

 

「ココペリは俺たちが戦うのは10回だと言っていた。俺たちは全員で13人。つまり──」

「私たちの中で、三人は助かるってことなんだ……」

 

 全て順調にいけば、そういうことになる。

 だがそれは他の10人を犠牲にして成り立つ話。とてもコックピット内で話せることじゃない。

 なんせ、既に操縦者が選ばれている。その、川崎の前で、そんなことを言えるわけがない。

 

 小町の頭を撫でて、誤魔化すことしかできない無力な自分が腹立たしかった。

 俺のことはどうでもいい。妹だけは、小町だけは、なんとしてでも助けなければならない。

 そう決意すると、もう何度目かわからない眠れない夜を過ごすのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 翌日の学校のクラスの雰囲気は、目に見えて変わっていた。

 というのも、三浦と戸部が休んでいたからだ。戸部はともかくカーストトップの女王である三浦の不在は、第二グループに甘んじていた相模達を増長させるのには十分だった。

 そして能天気に彼女たちは、葉山に向かって例の怪獣の話をして盛り上がっている。

 

「隼人くーん、聞いてよー。この間の怪獣、たまたま近くに居合わせちゃってぇー。ウチー、超怖かったのぉー」

「それは、大変だったね」

 

 相模達は気が付いていない。葉山の笑顔が引きつっていることに。葉山の目の下にクマがあることに。葉山の小さな舌打ちに。

 リア充も大変である。少なくても葉山にとって幼馴染である雪ノ下陽乃さんが死んでいて、精神的な負担はかなりあるはずだ。あの中では妹の雪ノ下に次いでショックが大きかったんじゃなかろうか。

 相模が調子に乗っているのは他のトップカーストメンバーも葉山のそばにいないことも要因の一つとしてあげられた。いつもは近くにいる由比ヶ浜だが、今日は昼休みの度に雪ノ下のいるクラスに足を運んでいた。また海老名さんはどこで仲良くなったのか、川崎と何やら話し込んでいた。

 

 それで川崎と視線がかちあう。少し前までは俺と同じくらい目が死んでいたが、今では幾分かマシになっている。

 川崎はビクッと肩を震わせ、強引に目線を切った。俺が何度か気にかけて視線を送っては、川崎がそれに気が付いてこのように拒絶する。最近そんなことが何度も繰り返されていた。いやいや、そこまで嫌わなくてもよくないですかね……。

 その様子を見た海老名さんが、穏やかな笑みを浮かべている。俺は妙に気恥しくなって、葉山の一団へと再び意識を向けた。

 

 おそらく葉山自身が他の奴のケアをさせるように促している部分はあるのだろう。だが、それでは、葉山の苦しみは、一体誰が分かち合ってあげられるのだろうか。

 ああ、クソ、俺らしくもねえ。気持ち悪ぃこと考えてやがる。葉山をチラ見して、また考える。

 それでも、それでも、分かち合えるとしたら、俺達以外にいないのではないだろうか。

 

「八幡……」

 

 戸塚が俺の元へやってきた。

 疲れた様子だが、その顔は憂いを帯びていた。視線の先には、やはり葉山の姿があった。

 

「どうにか出来ないかな……?」

 

 戸塚に言われては仕方ない。

 そうこれは葉山のためではないのだ。戸塚にこんな顔をさせたくない。ただそれだけ。それだけなのだ。

 

「おい、葉山。修学旅行の自由時間、どこ行くか決めようぜ」

「あ、ああ……。すまない、あっちへ行ってくる」

 

 俺と戸塚、葉山と戸部は修学旅行で同じ班になる予定だった。

 この話題なら相模達も迂闊に噛みついてこれないだろう。……凄まじい形相でこちらを見ているけれど。

 ともかく、嬉々として黒い怪物の話をしようとする相模から、葉山を切り離すことが出来た。

 

「すまない……。正直、助かった」

「礼なら戸塚に言うんだな」

「ふふ、八幡ってホント、素直じゃないね」

 

 教室の端で「はやはちキター!」という謎の叫び声が聞こえたが無視を決め込んだ。

 本来ならアンタが助けなきゃいけないんだぞ、海老名さんよ。鼻血を垂らして倒れ込んじまって、どちらが大変かわかったもんじゃないな、川崎。

 

 そうしてなんとか放課後を迎えた。

 

「ヒッキー、ちょっと放課後時間ある?」

 由比ヶ浜にそう言われて、ほいほい後をついて来てみると、特別棟の奉仕部の教室であった。

 

「いらっしゃい。由比ヶ浜さん、それと比企谷くん」

 

 雪ノ下雪乃が、いつもそうしていたように紅茶を淹れていた。陶器のような肌は青白く、目は腫れ、頬はこけ、その場に立っていることすら痛々しくも健気に感じられた。

 俺は動揺して由比ヶ浜の方を向くと、小さく何度か頷くので、平生と同じように「うっす」とあいさつして、自分の席へと座った。

 

「ゆきのん、やっはろー。良い香りだね。ダーリン? っていうんだっけ? この紅茶?」

「ダージリンよ」

 

 四つ準備してあるティーカップのうち湯気の立つ三つを俺たちテーブルに置き、雪ノ下は由比ヶ浜の隣に腰を下ろした。

 しばらく奉仕部は休部になったのではなかったのか? 雪ノ下の体調は大丈夫なのか? それにあの母親とはどうなったのか? 

 そんな疑問を持ちつつ、ダージリンの紅茶でそれを喉の奥へ追いやる。雪ノ下が自分から話すのを待つべきだと判断したからだ。

 

 何度秒針が動く音を聞いただろうか。おそらく十分にも満たないほどのティータイムだったが、俺にはとても長く感じられた。

 そうして、ゆっくりと雪ノ下が口を開く。

 

「そうね、何から話したらいいかしら……。まずは、姉と母が迷惑をおかけしたわ。ごめんなさい」

「そんなことないよ」

「ああ、まあ家族のことはどこの家も色々あるからな」

 

 由比ヶ浜が手を振りながらそう言ったので、俺も便乗する。

 本来ならばここで自虐ネタのひとつでもツッコむところだがそんな気分になれなかった。

 雪ノ下陽乃さんと母親の確執。自分の両親と比較しては失礼にあたると思ったからだ。

 

「それから奉仕部についてなのだけれど、再開させようと思うの。もちろん、私の意志で。由比ヶ浜さんには了承してもらっているけれど、貴方は大丈夫かしら?」

「俺もまあ、大丈夫だが、雪ノ下は本当に平気なのか?」

「問題ないわ。少なくても今は一旦、自分のことより他の事、特に川崎さんの方が大事よ」

 

 雪ノ下の目は死んではいなかった。きっと辛いだろうに、明らかに無理しているのが分かるのに、その瞳は頑としていた。

 由比ヶ浜と顔を見合わせる。いつもよりも随分固い決意を結んだものだな、とお互いに苦笑した。

 それで何だか恥ずかしくなったのか、雪ノ下はこほん、とワザとらしい咳を一つ吐いた。

 

「それから、もう一つ言っておかなければならないことがあるわ」

 

 コンコン、と扉をノックする音が転がってきた。雪ノ下が返事をするまで入ってこないということは、平塚先生でないことは確かである。

 姿を見せたのは、青みがかったポニーテールに気だるげな瞳を持つ女子生徒、話題にしていた川崎であった。

 

「いらっしゃい、川崎さん。よく来てくれたわね」

 雪ノ下が最後に残ったカップに紅茶を用意する。

 由比ヶ浜も「来てくれてありがとう」と川崎に駆け寄った。

 俺がクエスチョンを頭に浮かべていると、川崎が気だるげな声で説明する。

 

「二人に来てくれって頼まれた。それだけさ」

 川崎は由比ヶ浜に連れ添われて、由比ヶ浜と雪ノ下の間の席に座った。

「放課後しばらくは川崎さんを奉仕部にお招きすることにしたの」

 

「それは別に構わんが……。川崎は大丈夫なのか?」

「塾辞めたんだ。だからその空白の時間を家族に怪しまれずに埋められればなんでもいい。あたしにとって、塾なんてもう時間と金の無駄にしかならないからね」

 

 自嘲して吐き捨てるように言う川崎に、俺たちはいたたまれなくなった。

 彼女はもう時間が無い。おそらく、数日後にジアースに乗って死ぬことになる。その事実に向かい合う彼女に、なんと声を掛けたらよいのだろうか。

 重苦しい空気が教室内に流れて、川崎はしまったという顔をした。

 

「……あ、その、悪かった。別に投げやりになってるわけじゃないんだ。ただちょっと、つい吐き出しちゃったっていうか……」

 語尾がもにょもにょと小さくなっていく川崎に、由比ヶ浜が良いんだよ、と優しく声をかけた。

 

「こんな状況だもん。少なくても私たちには弱音位吐いても良いんだよ」

「そうね。それにいざとなったら辛いでしょうけれど貴方には戦ってもらわないといけないもの」

 由比ヶ浜が慰めれば、雪ノ下は現実を突きつける。本人からすれば姉が守ったものを繋げなければならないという想いもあるのだろう。

 

 それで陽乃さんが戦った後、コックピットの中で話し合ったことを思い出す。

 俺は陽乃さんの推理を皆の前で話した。

 敵ロボットを倒さないと地球が滅んでしまうこと。48時間以内に決着をつければならないこと。故にジアースを動かさずに助かるという選択肢は無いこと。俺達以外に契約してもらい、死亡確率を減らすこともできないこと。

 操縦したら死亡する事実に加えて様々なルールが判明したことに皆困惑していた。そしてコエムシとひと悶着した後、冷静になってこれからどうするか、という話になった。

 

「これだけ大きな力だと、やはり国に頼るしかないだろうな」

「うむ。仕方あるまい」

 その時主に指揮を執ったのは葉山と平塚先生だった。こういう時にコミュ力が高い奴や大人がいると助かる。

「そうなると自衛隊に保護してもらうのがいいのかな。僕のお父さん、自衛隊なんだ」

 意外な事実と共にそんな提案をしたのは、戸塚だった。

 

「うちの父も政治家の弁護士をやっているし、雪ノ下さんの家も政界には顔が利くはず。こちらには平塚先生という大人もいる。話は何とか通じると思う」

 国にジアースを任せるという話になりかけたところで、待ったをかけたのは次のパイロット川崎だった。

「でもあたし達を調べたりするんだろう? わがままを承知で言わせてもらうけど、あたしはなるべく家族と離れたくない」

 

 それは切実だった。確かに政府にジアースのことを話せば、まず間違いなく拘束され、しばらくは家に帰れないだろう。

 家族思いの川崎にとって、今の彼女から家族を引き離すのは酷だと思われた。ただでさえ自分がいつ死ぬか分からない状況下なのだ。誰も彼女を否定することはなかった。

 方向性として、話す準備だけはしておくだけに留めることになった。

 

 雪ノ下の母親には追及を受けると思うが、それでも俺たちに繋がるまで時間がかかると踏んだ。

 しかしそれは、言うなれば、ジアースの秘密を解いて助かる可能性を捨てて、死を受け入れるということだった。

 

「雪ノ下の姉ちゃんですら助からないと思ったからこういうことになったんだろう? あたしもきっと助からない。ちゃんと戦えるから、あたしに日常を過ごさせてほしい」

 

 この川崎の言葉が決まりだった。死を待つ彼女にそう言われてしまえば、もう誰も反論できなかった。

 雪ノ下はその保険として、川崎を奉仕部に来させているのだろう。良く言えばメンタルケア、悪く言えば監視である。

 それでも、秘密を共有できる相手がいるということは、幾分か川崎の精神を楽にさせられるはずだ。

 

 数日間でそれが証明された。奉仕部に通うに連れて少しずつ顔色が良くなっていったのだ。

 雪ノ下の紅茶を飲み、由比ヶ浜とくだらないことを喋って笑顔をこぼす。川崎も普通の女の子らしいところがあるんだなあと思った。

 時々雪ノ下や由比ヶ浜と俺が話して、しょうもない自虐をすると、くすりと川崎は笑う。それがなんだか妙に安心させられた。

 

 秋雨が降っているある日。

 ちょっと肌寒くて季節を押し進めるような、そんな冷たい雨であった。

 俺は自転車ではなく、傘を片手に徒歩で登校しながら、こうして雨の音を立てて寒さを感じるのは、あと何度許されているのだろう、と思った。

 

 三浦や戸部もようやく戻り、クラスはそろそろ始まる修学旅行の話題で持ちきりとなっていた。

 修学旅行。一応話は進めているものの、本当に行けるのだろうか。また行く意味などあるのだろうか。

 浮足立つ周囲をよそに、孤独感が深まっていく。しかし俺以外の奴らはそうでもないようで、まるで現実を直視するのを避けるようにしているようだった。それがまた、どうしようもなくしんどかった。

 

 次のパイロットである川崎はどうなるのか。

 皆それなりに気を使っているようだが、川崎は修学旅行まで時間がない。その人間の前でどうしてあれほどはしゃぐことが出来るのだろうか。

 例えばやたらはしゃぐ戸部であったり、積極的に修学旅行を話題にあげる海老名さんであったり。

 天気同様にもやもやっとしたものが胸に渦巻いていた。

 

 だからであろうか。

 奉仕部が終わった後、雪ノ下と由比ヶ浜と別れ、流れで川崎と一緒に帰ることになった時。

 俺はそのことをつい口にしたのだ。

 

「お前は、今のクラスの雰囲気、どうだ? 大丈夫か?」

 

 それで川崎はきょとんとした顔を見せ、そのあと、腹を抱えて笑った。

 なぜ笑うんんだい? 八幡はとても真剣だよ? 俺また何かやっちゃいました?

 

「アンタからまさか、そんな言葉が出てくるとは」

 それで俺はもう知らん、と足を速めると、川崎がごめんごめん、と追ってくる。

「心配してくれてありがと。あたしは大丈夫だよ。もう腹は決まって、いや、まあ、うん、一応は決めてるつもりだからさ」

「なにその曖昧な決心は」

 つられて俺もにやりと笑う。すると川崎はビクッと肩を揺らして、顔背けた。もはや慣れっこである。俺の笑顔は気持ち悪いからね。仕方ないね。

 

「か、勘違いしないでよね! あたしが気に食わなかっただけなんだからね!」

 俺が一昔前のツンデレになりすますと、また川崎がふふっと声を漏らす。

 奴らに対して、別に川崎を思って大人しくしていろ、と言いたいわけではない。当人たちからすれば、必死で気持ちを沈まないようにしているのだろう。それが間違っているとも言えないし、なんなら正解であるとさえ思う。

 ただそこに俺の感情が付いていかない。それだけの話だった。川崎を(おもんぱか)っているのではなく、ただただ俺が納得してないだけ。

 

 それにしても、こうして冗談を言い合うほどの仲になるとは。

 ちょっとしたギャグでも川崎はよく笑ってくれる。本人が無理やり笑うようなタイプじゃないので、本当におかしくて笑っているのだと安心できる。

 しばらく雨と足で水を鳴らす音だけが響いた。それも悪くない。川崎との沈黙は、全然苦にならない。案外、俺と川崎は馬が合うらしい。

 

 そろそろ分かれ道に差し掛かる。

 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、寂しさを感じた。ああ、これで今日川崎と一緒にいるのは終わりか、と。

 いつこれが最後になるか分からない。だからそんな柄にもないことを思ってしまったのだろう。

 

「今日、うちで夕ご飯食べていかない?」

 

 こんな幻聴も聞こえてしまっている。

 これは重傷だ。まさか俺が女の子にご飯に誘われるなんて。それも家にお呼ばれしてだぞ。

 はは、どうかしてるぜ、比企谷八幡。

 

「その、ダメ?」

 

 俺は思わず、聞き流していた。

 ん? 川崎が何か言ったぞ?

 キョウ、ウチデユウゴハンタベテイカナイ。今日、うちで夕ご飯食べていかない。

 

「んんっ!?」

 素っ頓狂な声で反応すれば、川崎が驚いて「ひゃあ!」と変な声で叫ぶ。

「ええっと。わりぃ、なんだって?」

 

 川崎は顔を赤くして、もにょもにょと口を動かす。そして、意を決して、言葉を発した。

 

「ウチ、両親居ないから、あたしのご飯を食べに来ないかって、聞いてんだよ!! 二回も言わせんな!!」

 

 ……マジ?



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15.そして彼女は招き入れる。

 今日の川崎家の朝食は、沙希が作ることになっていた。

 と言っても昨日の夕食の残りが主菜なので、今日の分の味噌汁を作るだけなのだが。

 いつものようにネギを刻んでいると、おはよー、と間の抜けた弟の大志の声が聞こえた。

 

「姉ちゃん、エプロン、裏表逆」

 

 洗面所から戻ってきた大志にそう言われて、初めて気が付く。布の繋ぎ目が表側になっている。

 一瞬それに気を取られていたせいで、今度は包丁で人差し指を切ってしまった。

 痛い、と小さく叫び、ため息を突いて蛇口で血を流す。

 

「ホント大丈夫? 最近そういうの多くない? 料理当番しばらく代わるよ?」

「大丈夫だから。大志、アンタはそんなこと気にしてないで、勉強しな」

「言われなくてもしてるって」

 

 ここ最近、たびたび家族からそういった心配事をされては、なんとか誤魔化していた。

 父と母、弟で小学生三年の海斗と妹の京華もぞろぞろと起きて、居間に入ってきた。川崎家はどんなに忙しくても朝食は皆で食べる。

 父が点けたのだろう、朝のニュース番組では、例の怪獣による死者が百人を超えたことを伝えていた。

 まさか言えるわけないよね、あたしがこの怪獣を動かすことになるなんて。

 

 沙希はそのニュースをかき消すように声を張って、ご飯だよ! とみそ汁とおかずを持って居間へと向かった。

 

「すごいな、この怪獣は」

「お父さんご飯中は新聞を読まないで」

「カッコいいなー!」

「馬鹿言うな海斗、人が死んでるんだぞ」

「さーちゃん、おみそしるちょーだい」

 

 こうやって家族が団らんとしているのを見ると、本当に自分が近々死ぬかもしれないということが、全然実感として湧かない。

 けれど、実際に死んだ人がいる。雪ノ下の姉だ。

 あのちょっとめんどくさそうだけど、妹同様すごく頭のよさそうな人。勝手な印象だけど、常に自分の有利を考えてそうなタイプだっただけに、ああなるとは予想してなかった。

 

 もちろん他人なんて所詮は他人。何を考えていたかなんて、沙希の知ったところではなかったし、興味もなかったはずだった。

 ところが雪ノ下陽乃の母殺し未遂は、沙希にとって衝撃的だった。

 自分だって親に反抗したいと思うことはある。憎いとすら思うことも。それでも殺意を抱くなんてことはなかった。まして実行に移そうなどと誰が考えるだろうか。せいぜいそんな家庭もあるのだなあとニュースで取り上げられる程度でしか知らなかったのだ。

 

 しかし違った。身近とまではいかなくても、顔見知りがそのような凶行に走った。目の前で見せつけられ、結局未遂に終わったけれど、それでもショックは大きかった。

 だから最後に陽乃が母親に謝りに行ったとき、沙希は心の底から、ホッとした。あれほどのことがあっても許せるのはやはり母と娘という関係があったからこそだろう。色々あったけれど、二人は和解してこれから仲良くしていくだろう。そんな風に安堵した瞬間──

 

 これ以上は思い出したくなかった。

 ただ家族と一緒にいることだけが、沙希の願いだった。

 国や自衛隊などに頼る話も出ていたが、わがままを言って断る程度には、沙希は家族に執着していた。

 

 最近の奉仕部に通っているのは、実のところ沙希の救いになっていた。誘いがなければ学校をやめてずっと家にいて家族と過ごすという選択肢をとっていたかもしれない。今考えてみれば、それが如何に精神的に良くないことか分かる。

 雪乃に誘われたときはどうなるかと思った。あの三人には近寄りがたい空気というかみだりに踏み込めない雰囲気というものがあった。仮にあの中に入っていける人間がいるとしたら人の心に無頓着か、よっぽど皮の面が厚いかのどちらかであろう。

 結衣は気を使ってくれているが、個人的には雪乃のようにはっきりとした物言いをしてくれた方がすっきりした。ただ雪乃だけだとあの居心地の良さは無いだろうから、結衣の優しさは緩衝材となっているのは間違いない。

 

 そして忘れてはいけないもう一人。

 そこまで考えが及んだ時、沙希を呼ぶ声で思考の海から現実に引き戻された。

 

「沙希、今日は父さんも母さんも帰ってこれなさそうだから、いつも通り適当に作ってなさい」

 

 最近の両親は、仕事がよっぽど忙しいのか、朝食以外ほとんど家で一緒に過ごせない。

 どうやら今日も例に漏れず、帰って来られないらしい。

 娘と過ごせる残り僅かな時間だというのに、と沙希は冗談交じりで思うものの、本当のことが話せるわけでもなく、いつも通り返事をするだけだった。

 

 父親は朝食を食べて一服すらせずにせかせかと家を出て、母親が出勤ついでに保育園に京華を連れて行った。

 京華は舌っ足らずにいってきますとあいさつして家出たので、あたしも急がなきゃいけないなと自分の弁当を詰める手を速めた。

 川崎家からどんどん人が居なくなる朝。いつも通りだが、それが日が経つにつれて何だか寂しく感じられた。

 

「姉ちゃん、今日塾だから帰り遅くなるわ」

 

 そう言って大志も台所を通り抜けようとする。

 最近大志は放課後塾まで学校で勉強し、塾が終わった後も残って課題をやっているようだった。

 なんでも塾の講師が学校の先生をやっていた方で、教え方がめちゃくちゃ上手だとか。名前は確か……。

 

「あんまり畑飼先生を困らせないようにね」

「わかっているよ」

 

 そう畑飼という人だった。一度会う機会があって、見たことがあった。

 顔立ちが整っていて、思慮深く落ち着きのある印象を受けた。でもどこか胡散臭さを感じた覚えがある。誰かに似ている気がしたが、一体誰だっただろう。

 

 最後に家を出るのは小学生の海斗だった。

 やんちゃ盛りで、うちのムードメーカー的存在。

 

「こら、海斗、今日雨なんだから、傘持ってきな」

「いらねーし! 走っていけば濡れないから!」

「そう言って前風邪ひいたでしょ、アンタ!」

「うるさいなー! 姉ちゃん母ちゃんに似てきたよ」

 

 そんなやり取りをしつつ、無理やり海斗に傘を持たせて登校させた。

 さてあとはあたしだけか。

 沙希はいそいそと準備して、雨の中、学校へと足を運んだ。

 

 それにしても、母ちゃんに似てきた、かあ。

 授業の合間、不意にそんなことを思う。

 

 沙希はこうやって下の兄弟の世話をしていく中で、自分が家庭を持つということをしばしば考えることがあった。

 どんな家庭が良いだろう。少なくても四人姉弟は多すぎるな。子供は二人か三人が良い。あたしはアパート育ちだから、小さくても一軒家住んでみたい。両親の世話は大志が見るとして。

 自分の子供が出来たら、どれほど可愛いだろうか。姉弟でこの可愛さだ。子供なんて言ったらそりゃもう言葉にできない。兄妹たちみたいにちゃんと躾できるだろうか。いやいやあたしはしっかり教育してやるんだ──

 

 そんな妄想をしていると、どこからか視線を感じる。この、ちょっとおどおどしつつ、でも気にかけてくれているような優しさのこもった視線。そんなちょっとした気遣いさえ不器用なのは、沙希の知り合いではただ一人しかいなかった。

 チラリと気配を追うと、その人物と視線がかち合う。

 

 奉仕部で無視できないもう一人の存在、比企谷八幡。

 あの男にはスカラシップで助けてもらって以来少しばかり気になるところはあったが、決定的だったのは、文化祭での「愛してるぜ」発言だ。

 正直言って、恥ずかしかった。本人は全く覚えていないだろうし、たぶん何かしらの冗談だったのだろうが、沙希の心にきゅんと突き刺さってしまったのだ。

 しかしこれを頑なに恋とは思わなかった。当然だ。あんな程度で人を好きになるなんて、どうかしてる。あたしはもっとガードの堅い女のはずだ。

 

 また八幡と視線が合ったので、鼓動が高鳴り、顔が火照り、頭が真っ白になる。最近気にかけてもらっているのは気が付いていたが、申し訳ないと思いつつ視線を逸らすしかなかった。

 それでまた、小さくため息をつく。

 別に好きではない。好きじゃないのに、家族の妄想をしていると、どうして旦那役はいつも、彼なのだろうか。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あ、大志君のお姉さん? ご招待いただきありがとうございます! でも私と大志君は遅くなるので、どうぞ先で食べててください!」

 

 八幡の妹の小町、と言ったか、彼女が年の割にはしっかりした応対で、通話を切った。

 その兄貴がどうしてこんななのかね。

 くすりと笑みをこぼしながら、いつもの猫背姿の八幡を見る。

 

 どうしてこんなことになったのだろう。

 まさか自分の口から彼をご飯を誘うだなんて。

 彼の妹を使うのは我ながら随分効果的だった。突発的にしては上手く行き過ぎである。

 

「けーちゃん、はーちゃんと一緒だ!」

 

 一緒に京華の迎えに行くと、保育園の先生から、あらあら彼氏さんと一緒? なんて茶化される。

 沙希はそんなんじゃないです、と不愛想に言うのが精いっぱいだった。八幡は居づらそうにしていたが、沙希は顔がにやけるのを抑えるので必死だった。

 京華は何故か八幡に懐いており、はーちゃんはーちゃんと積極的に話しかける。八幡は八幡で、年下の相手は慣れている様子で、まるで親戚のように上手にあやしていた。

 

 もしかしたら京華は将来男を誑し込むのが上手くなるかもしれない。そんなことを思うと、ちょっとだけ不安になる。

 それで京華の手を取ると、ちょうど、京華の両手を八幡と沙希で握っている状態になった。道路側の右手が八幡。左手が沙希。真ん中に京華。

 

「こうやってると、おとうさんとおかあさんみたい」

 

 京華は楽しそうにぴょんぴょんと跳ねながら言った。

 お父さんとお母さん。そんなことを言われてへどもどする猫背の八幡が妙に可愛らしく思えた。

 まあ沙希も沙希で顔を真っ赤にして、ロクに八幡の顔を見れなかったのだが。

 

 そんなこんなで川崎家に到着した。

 

 すでに帰宅していた海斗が、早速八幡に一緒にゲームをしようとねだっていた。

 八幡は京華を半ば引きずりながら一緒にテレビゲームに参加している。

 自称コミュ障ぼっちは、沙希のウチでは人気者に早変わりだ。

 

 沙希はいつもより気合を入れて、料理を作った。

 里芋の煮っころがし、アジの開き、ほうれん草のお浸し、豆腐とわかめの味噌汁とご飯。

 沙希自身、地味だなと思いつつも、変に気を張って慣れないものを作るより、いつも通りの献立を作る方がよいという考えに至ったのだった。

 

 食べ盛りの海斗は、エビフライがよかったーなどと文句を垂れているが、食の進み具合から見て、不満ではなさそうだ。

 京華も箸の使い方を最近覚え、器用にご飯を食べている。京華は食べるときはとても静かで、もくもくと食べるのが可愛らしかった。

 さて、肝心のお客さんの反応は? 

 沙希は恐る恐る八幡に尋ねる。

 

「口に合えばいいんだけど……」

 

 八幡は目を丸くして、出された品々を食べていた。

 どれを食べても優しい味がした。熟練された味付けの中に、沙希の家族への思いを感じ取れた

 そして何よりも。

 

「美味い……。すげー美味い」

 

 ほとんど独り言、呟きに近い言葉で八幡はなんとか感想を述べた。

 それだけ沙希の料理は美味しかった。思わず出てくる感嘆のため息すら惜しい。口に含んだ瞬間幸せがじゅんと溢れる。

 八幡は気づかない。頬が緩み、顔が綻んでいることに。沙希は気づいた、八幡が意図せず笑顔になっていることに。

 それだけで、本当にそれだけで十分だった。無理をして彼を誘った甲斐があった、報われたとさえ思った。

 

 小町と大志が帰ってくるまで、八幡は川崎家にいることになった。

 その間は海斗と京華で八幡の取り合いになっていた。

 それにしてもあの比企谷八幡がこれほど子供の相手が上手いとは。まるで沙希の妄想の中の、旦那となった八幡そのものだった。

 

 食器を洗って、一息つく頃には、海斗と京華は遊び疲れて寝てしまっていた。

 居間でくたびれている八幡に沙希はお茶を持っていた。

 

「お疲れさま。チビ達の面倒見てくれてありがとね」

「さんきゅ。てかお前んとこの子供たち変だぞ。俺の目を見ても全然ビビらない」

「あー。最近あたしの目が死んでからかも」

「……妙に納得したわ」

 

 八幡はずずっとお茶を飲んで一息ついた。

 沙希は寝てしまった弟たちに布団を掛けて、八幡の隣に腰かけた。

 

「材木座の件、悪かったな」

 八幡がお茶の湯飲みに視線を落としつつ、口を開いた。

「いや、あれは急かしたあたしにも責任があるよ」

 その言葉に首を振る八幡。

「あの時、責任を負うって言ってくれた時なんだが、もう知ってたんだ。材木座の死因が俺たちのせいじゃないってこと。お前の決意を無為にしちまうのも知ってて黙ってた」

 八幡が沙希に向き直った。

「本当にごめんな」

 

 それで沙希は、ああそんなこともあったなと思い出していた。

 あの時はまだ自分が死ぬなんて思ってもなくて、ただ一人で思い詰める八幡を何とか楽にさせたかった。その一心から出た言葉だった。

 

「いいよ。別に。アンタには今こうして世話になっているし」

 それで八幡がきょとんとした顔になった。

「いやいや、世話になってんのは俺の方だろ。メシめっちゃ美味かったぞ。御馳走様」

 ああこの男、あたしがこんなに露骨なのに全く気付いてないのか。それとも気づかないふりをしているだけなのか。

 しかし沙希にとってどちらにしても好都合だった。意識したらお互いまともに喋れないだろうし。

 

「アンタさ、意外とたくましいよね」

「なんだ急に」

「いやさ、あたしは家族であたしだけが死ぬから、まだマシなんだけどさ。アンタは妹もゲームに契約してるだろ? だからあたしの二倍しんどいんじゃないかって思ってさ」

 

 日ごろから思っていたことをつい口に出してしまった沙希は、しまったと思った。

 この話はきっとタブーのはずだ。彼だってきっと考えないようにしていることだろうに、わざわざ思い出させることを言ってしまうなんて。

 自分のコミュニケーション能力の低さを呪った。

 

「あ、いや、その、変なこと言ってごめん」

 慌てて謝る沙希に、再び八幡が首を振った。

「いや、大丈夫だ。小町はきっと助ける。俺が何とかする。絶対にパイロットなんかにはさせない」

 強い口調で八幡は言い切った。

 

「何かあてでもあるのかい?」

「いや別に何もないんだがな」

「なにそれ」

「ただ……そういった気持ちだけは常に持っとかなきゃなってな。いつチャンスがあるか分からないし」

 

 八幡は諦めてなかった。あの人生諦めが肝心と言ってはばからない男である。全くどうしようもないシスコンだ。

「そりゃあ、国への保護を蹴ったあたしへの当てつけ?」

 意地悪っぽく沙希が言った。

「ちげーよ! お前はお前で覚悟があるんだろう?」

 

 沙希は目の前で寝ている海斗と京華を見た。

「チビ達の未来のためなら、あたしは死ぬことだって厭わないさ」

 でも少しだけ未練はあるけれど、と続けて出てきそうなのをぐっと堪えた。

 それを聞いた八幡ははえーと間抜けな顔をして、すごいな、と呟いた。

 

「妹思いなのは良いけれど、あたしはアンタにも諦めてほしくないよ」

 その言葉はあまりにも自然に先の口から出てきた。

「そりゃまた、なんで」

「なんでって。そりゃ──」

 誰も死なない方がいい、と続くはずだった言葉は、突然詰まった。

 

 誰も死なない方がいいのは確かに間違いではない。

 けれど、今の沙希の心には的確ではなかった。

 別に他の人間が死んで良いと思ってるわけではない。でも八幡だけは違った。死んでほしくない。例え自分が死んでも、兄妹達同様に生き残っていて欲しい。

 

 その感情にようやく気がついた。

 気が付けば、家族と同じくらいには死んでほしくないと思っている。

 ああそうか、あたしは、この男に恋してしまっていたんだ。

 

「なんでだろうね」

 くすっと誤魔化す様に笑顔がこぼれた。

 その無防備な表情に、八幡の鼓動がどくんと波打った。

 

「ただいま」

「お邪魔しまーす」

 

 玄関の開く音と、大志と小町の声が居間まで響いた。

 沙希は足早に二人を迎えに行ったが、その表情はきっと八幡と同じ。

 暗がりでよく見えないが、朱色に染まっていた。

 




ついに書き溜めが尽きました。
これ以降は不定期になることをご容赦ください。
なお川崎編までは早めに投稿します。


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