Re:“r”EKI (Cr.M=かにかま)
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序章
ベンチに少女
黄土色の雲が流れる灰色の空の下で汽車が汽笛を鳴らす。
ガタンゴトン、ガタンゴトン、と車輪と線路の接触する音が無人の駅のBGMとして奏でられる。
暇そうに欠伸をする駅員と存在を誇張している時刻表、駅の周辺にはカキツバタの花が所々に咲いており、駅の入り口には三人掛けのベンチが二つ並んでいるだけの小さな小さな駅だ。もういつ撤去され、その役割を終えるかわからないくらいの過疎具合であるにも関わらず汽車は止まり続ける。
その一つの要因としては駅のベンチに腰掛けるりんごを持った少女の姿があるからだと思われる。もう常連のようなものであり、少女の姿が目撃されるのはこれが初めてではない。
黒に近い紫色のボブショートの上にぴょこっと耳のようなリボン付きのカチューシャを組み合わせている。
藍色を基調とし細部に黒と白のラインがデザインされたゴシックドレスはどこか哀愁にも似た暗い雰囲気を漂わせる。少女の美しい碧色の瞳は駅、否、目の前の景色に目もくれることなく、その先をじっと見つめているようだった。
汽車の発車した勢いでリボンとスカートが風に揺られ、カキツバタの花も合わせるように同じ方向に揺れる。巻き上がった土埃と汽車から出た蒸気の凄まじさに少女は思わず片目を閉じてしまう。
駅の名をシャルル。
汽車から降りてくる人は今日もいない。もう寂れ廃れてしまったこの土地を訪れた奇特な物好きは三年前が最後である。少なくとも少女が確認し、記憶している中では、の話だが。
隣の駅から先程の汽車の汽笛が聞こえてくる。少女の視力があれば目視で確認することも容易い。
少女は片手に持ったりんごを宙に向かって投げては手に取り、投げては手に取りを繰り返しながら、ぼんやりとした表情で遠い世界を見つめている様だ。その瞳の先には何を映し出しているのかは定かではない。
短いスカートの下から覗く、黒いブーツを履いた華奢でどこか筋肉の付いた両足をプラプラさせながら、りんごを手に取りシャリッ、と一口齧る。
溢れんばかりに口内から滴る果汁を左手の指で拭い、口の中に入れたりんごを噛み切ってから小さく呟く。
–––早く、速く、夙く、会いたい、愛たい、逢いたいよ。
–––お父さん。
少女はベンチから立ち上がることも汽車に乗る様子もなく、ただベンチに座わっている。シャリッ、とりんごが芯だけになるまでりんごを齧り続けた。
まるで何かを待ち続けるかのように、ただそこにじっと座りながら。
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一章 〜異ナル世界〜
1.邂逅
–––改札を潜り抜けたら、そこはホームではなく見知らぬ土地だった。
男、蓮見征史(はすみせいじ)は健常者で正常者である。違法薬物に手を出してトリップしたり、妄想癖のない至って普通、世間一般ではそうカテゴリーされるバツイチのおじさんである。
それがどうしてこうなったのか、本人にもわからない。今夜は酒を一滴も飲んでいないため、アルコールは回ってないはずである。つまり、目の前の景色は幻覚ではなく現実である、らしい。
「おい、邪魔だ」
「ッ、す、すまん」
何も言えずに立ち竦んでいると、他の改札を潜ってきた男に悪態を吐かれた。その男の風貌は不気味で首が身長ほどの長さがあり、シルクハットにトレンチコートを身にまとっていた。そこで蓮見は初めて自分の潜ってきた改札を確認した。
それは2010年の日本にある一般的な自動改札ではなく、何やら白装束に怪しげな鳥を象ったようなマスク、いわゆるペストマスクと呼ばれるもので顔を覆った者が切符を受け取って客と思わしき人々とやり取りをしている。
人々、というのも語弊があり何やら珍妙と言っていいものか。いわゆるアキバや日本橋でよく見かけるコスプレというものをした者たちが大半であった。
くたびれたジーンズにシンプルな半袖の灰色一色のカッターシャツを着た蓮見が浮いて見えるレベルだ。
–––そして、驚いたのは線路を走ってるのが電車ではなく汽車だった。
「.....ッ、っは?」
蓮見の口から思わず乾いた声が漏れ出す。まさか、汽車が現役で動いてるだなんて誰も思うまい。蓮見がさっきまでいたのは2010年8月18日の日本なのだ。
ここがどこかわからないが、汽車の汽笛などそうそう聞くことなどないだろう。それこそ記念館や博物館といった施設に足を運ばない限りは。
–––落ち着いた方が良さそうだ。
一度周囲の様子を確認する必要がある。一旦人(?)の流れから外へ出て、駅の隅っこに移動する。
外へは出ない、そこで外に出てしまえば、もうこの中に入れない可能性だって考えられる。
駅構内の構造を確認する。レンガ造りだ、現代のようにコンクリートは使われている様子はない。まるで明治大正期、西洋の文化が入ってきて模倣を中心としてた時代にタイムスリップしたような気分である。
床は天然の石造りで天井と床の距離はかなりある。目測にして小さな商業ビル三階くらいはありそうだ。天井もそこまで凝った作りになってはいない。最低でも雨風を凌たらいいみたいな感じである。
(.....外に出るべきか、それともここに留まるべきか。戻るにもどうやって戻ればいいかわからねぇし、とにかくここがどこなのかハッキリさせておきたいところだ)
一度外に出て情報を集めるべきか、それとも駅構内をもう少し探ってみるか。幸いにも駅ということもあり人通りは多い。
言語もさっき、一瞬のやり取りだが会話もできたし、ガヤとして聞こえてくる会話を聞き取れないなんてことは全然ない。あちこちで流暢な日本語が飛び交ってる。と、なると気付かぬ間に中世ヨーロッパの街に来てしまった、なんてこともなさそうだ。
蓮見はポリポリと頭を掻きながらポケットから人差し指と親指で摘めるサイズの六面ダイスを取り出す。
(–––困ったり迷ったりした時は、こいつに頼んのが一番だ)
ピン、と親指でダイスを宙に弾き出す。六面ダイスは空中でクルクルと何回転もし、蓮見のオールバックに固めたダークブラウンの髪の中でワックスの効果が弱くなって、ピョンと跳ねた前髪辺りにまで到達すると重力に従うようにゆっくりと吸い寄せられるように蓮見の右手に戻っていく。
ダイスを蓮見は取り出した時と同じように人差し指と親指で空中で掴む。
しっかりと数字の描かれた面を掴むように気をつけながら。
–––さて、吉と出るか凶と出るか。
これは蓮見征史のマイルールのようなものであり、親指で掴んだ面が奇数だった場合自分の考えを実行する。偶数だと逆のことを実行するといった具合だ。
今回、蓮見自身は駅の外に出ることを考えた。つまり、奇数が出たら駅を出る、偶数が出れば駅構内に留まるという行動を取る。確率は五分と五分、蓮見はこの十数年の人生を自分自身の意志とダイスの意志で生きてきたと言っても過言ではない。
親指で掴んだ面は、赤い一つ丸の中に六芒星がデザインされた一の数字の面。
つまりは奇数だ。
「–––探検の時間だな」
蓮見はどこか楽しそうに、頬を緩めながら肩掛け鞄を持ち直して歩き始めた。人波に乗って駅内を観察しつつ、外を目指す。
そこまで大きな駅ではないようで、出口はすぐそこだった。
フィガロ、それがこの駅の名前のようだ。街としては少し寂れた様子だ。西の方が何だか大きく発展した街があるようにも見える。
街並みは中世ヨーロッパに近い。石造りの街路とレンガ造りの建造物、そして西に行くにつれて街そのものが登り坂になっているようにも思える。
鞄の中はそこまで多くの物を入れてはいないため、無駄に体力を使わずに済んでいる。
しばらく歩いてると、蓮見は顔をフードで隠した魔女のような老婆に呼び止められた。
「兄さんや、りんご、お一つ五エバでどうかね?今なら安くしとくよ」
「あ、あぁ、さっき食ったばっかなんで遠慮しときます」
「なんでぇ、また気が向いたら買っておくれよ」
あの老婆には大変申し訳ないが、とても怪しくて買う気にはなれなかった。
露店でりんごっていうのも怪しいのに老婆の風貌のせいで魔女を彷彿させてしまう。
蓮見はダイスを使うことなく自分の意志でその場を急いで離れた。こういう時の勘は良いのだ。
※
文字が読める、蓮見がそのことに気がついたのは休憩がてらベンチに座った時だった。
仕事帰りに買ってから鞄の中に入れておいたミネラルウォーターが少し残ってて助かった。夜食用に買ったメロンパンはまだ置いておこう、これから長い探索になるかもしれない。
話を戻そう。ここの言語はたしかに聞こえたニュアンスは完全に日本語だ。しかし、どうも表札や看板に書いてある文字は日本語ではなかった。アルファベットでもなければ、暗号にしか見えないアラビア語でもない。見たこともない文字列であるのに、何故か蓮見はそれらを読むことができたのだ。
まるで最初から読めたような、文字の読み方を知っていたような変な感じだ。
例えば壁に貼られてる指名手配書がしっかりと読めてしまうのだ。
『人喰い』なるものがこの近くで出没するらしいという情報が蓮見の目を通して脳に伝わる。
さっきの老婆の会話とこの手配書の懸賞金の欄を見るに、この世界の通貨はエバということでよさそうだ。しかし、一エバが果たしてどのくらいの価値になって、一般収入がどれくらいかわからなければ価値を知ることはできない。
今わかるのがりんご一つが五エバで『人喰い』の懸賞金が二万五千エバということだけである。
どちらにせよ金は必要になる。戻る方法がわからなければ、この世界(?)に滞在するし続けるしかないのだ。
–––さて、どうするか。
こういう時は現地人に話を聞くのが一番だが、ここはただでさえ人が少ない。いや、時間帯のせいなのか?
蓮見がたしか改札をくぐった時間が午後の十時半頃、時間の流れと常識や人々の生活が一緒ならば人が少ないのも頷ける。
近くに時計があればいいのだが、生憎見当たらない。携帯も圏外であるため役に立ちそうにもない。
蓮見が悩んでいるとコツコツ、とこちらに向かって来る一つの足音があった。
「何かお困りかしら?」
「......あぁ、もうどこから対処すりゃいいのかわからねぇ感じだ」
蓮見に話しかけてきたのは少女だった。黒みがかかった紫色のボブショート、そして目を惹くのが藍色を基調としたゴシックドレスにスカートの短さだ、太もも丸見えである。少女の碧色の瞳は蓮見のことをしっかりと見据えている。
少女は黒いブーツをコツコツと鳴らしながら蓮見の隣に腰掛ける。
「もしかして、失業しちゃったとかそんな感じ?」
「それならまだ再就職のチャンスがある、その程度のことなら俺は途方に暮れたりしねえよ」
「前向きな人ね」
「性分なもんでね」
「で、そんな人が途方に暮れて何をどうすればいいのか困ってる、と」
「そうだ、中々レアな所に立ち会えたな」
蓮見はポリポリと頭を掻きながら空を見上げる。灰色の空模様に黄土色の雲が流れている。
とはいえ、こんなところで悩んでいても先には進めない。
「あんた、この辺の人か?」
「うーん、この辺っていうか、拠点は基本的に持ってないかな。あ、でも実家は隣町かな、家出中だし」
「そっか、ならいいか」
ここで現地人が、しかも向こうからこちらに接触してきてくれた。これはまたともないチャンスである。蓮見のようなおじさんにこんな可憐な少女が声をかける時点で少しは疑うところだが、蓮見にもう余裕はあまりなかった。
仕事帰り、くたくたになって帰ろうとしたのにこんなわけのわからない状況に追いやられたのだ。疲労のせいで精神的な負担も大きい。
「おっちゃん、どうしたの?」
「......俺ってやっぱおっちゃんに見えるんだな。うん、もういいか」
「え、もしかして私何か失礼なこと言っちゃった感じ?」
「いや、何でもねぇ気にすんな。今更だが、俺は蓮見征史ってんだ。あんたの名前は?」
「私?私は黒森レキ」
レキ、と漢字変換がでかない。最近話題になってるDQNネームとかキラキラネームと呼ばれるものなのか。
それとも思いつかないだけで、本当は漢字変換できるものなのだろうか。あまりそこんところは根掘り葉掘り尋ねない方が良さそうだ、何となくではあるが蓮見は自分の勘を信じることにした。
「それで、えっと、蓮見のおっちゃんは私をナンパしてどうするつもり?」
「うん、とりあえず黒森から声をかけてきたのに俺からナンパしたってことになってんのはおかしくねぇか?」
「あー、そういえばそうだったね」
てへへ、と舌を出しながら黒森レキは誤魔化す。
「あと、おっちゃんはたしかに事実だが、結構傷つくからやめてほしい。なんかこう、気持ち的な問題で」
「ん、わかった」
レキがクスッ、と笑みを浮かべる。まるで我儘な子供に母親が仕方なしといった様子の生暖かい視線だったのが若干気になった。蓮見自身、自分はそこまで頑固ではないと自負しているつもりである。
「それで、最初はどこに行くの?」
「え、何?俺がエスコートしなきゃいけないの?」
「だって、蓮見さん紳士でしょ?いくら私が誘ったとはいえ、女の子にリードさせるつもり?」
「それもそうだな」
今度は蓮見がレキに向けて生暖かい視線と笑みを浮かべる。
今、蓮見に必要なのは情報だ。より多くの情報が必要となる。もし、もしもだ。仮にここから今すぐ帰れないとなったときのためにはしばらくはここに滞在するという前提での話だ。
少なくとも一般常識や歴史、地理くらいは把握しておきたい。と、なると行く場所は一つに限られる。それがここにあればの話だが。
「–––黒森、この辺りに図書館はあるか?」
「あるよ。隣のヌンクの駅まで行かないとダメだけどね」
「そうか、まずはそこに行きたいんだが、案内してもらえるか?」
「......何?結局私が先導するの〜?」
「仕方ないだろ、場所がわからないんだからよ」
レキのジト目に耐え切れず、蓮見は頬を若干赤くして顔を逸らす。
知らないものは仕方ない、と蓮見は開き直る。無知は決して罪ではない、知ろうとしない意欲がない行為そのものが罪なのだ。よって、蓮見は悪くない。
「しょーがないなぁ、わかった。案内したげる」
「すまねぇな」
「んー、ここからだと駅に戻るよりも歩いて行った方がいい、か。蓮見さん、まだ動ける?」
「まだまだ元気に現役だ」
「それはよかった、じゃあここから西に向かって歩くから!あの大きな建物があるところがヌンクの駅」
–––なるほど、あそこは元々行こうとしていたところじゃないか。
だが、図書館の正確な位置は知らないため通り過ぎてしまう可能性だってある。蓮見にとってレキと出会い知り合えたことはこの見知らぬ土地にガイドができたと言っても過言ではない、郷に入っては郷に従うべきである。
レキが足を大きく振って勢いよく立ち上がる。蓮見もそれに続きゆっくりと腰を上げる。
座ってレキと話をしていたお陰か、随分と身体的にも気持ち的にも楽になった気がする。
「......とは言ったものの、実はあまり図書館に行きたくない気持ちのレキちゃん」
「なんだ?お前さん、本を読むと蕁麻疹が出るとかそういう類の人間なのか?」
「そうじゃないよ、本は好きだし、ただ、館長がちょっと人間的に苦手なのよ」
「そいつは大変だ」
蓮見の都合で会いたくない人間と会わせるというのはイマイチ気が引ける。
やはり一人で行くべきだろうか、さいあくあれだけ大きな街なら誰かに聞けば場所くらいはわかるだろうし。
「大丈夫なのか?もしあれなら場所を変えてもいいんだぞ?」
「ううん、我慢する。生理的に無理だけど、とりあえず我慢する、二言はない」
「そ、そうか」
あまりの剣幕に蓮見がたじろいてしまった。身長差があるためレキが蓮見を見上げる形になり、爪先立ちをしているレキは足を震源として体がプルプルと震えている。
だが、ここで無理に図書館に行かなくてもいい。もう少しこの世界を見て回ってからでも構わない。
蓮見はやれやれといった様子でポケットからダイスを取り出す。
「何、それ?」
「ダイス。いわゆるサイコロってやつさ」
ピン、と蓮見が宙に向けてダイスを弾き飛ばす。小さく口を開けてレキもダイスの行く末を見守るようにじっと見つめる。
そのまま重力に従い蓮見の鼻の辺りにまで落下してきたところで、蓮見がダイスをキャッチする。
奇数が出れば図書館は後回し。偶数が出れば図書館へ行く。
親指の面を確認しようとしたところでレキが小首を傾げながら呟く。
「うーん、四?」
「......ご名答」
改めて次の目的地が決まった。
感想、評価、批評、罵倒、その他諸々お待ちしてます(^^)
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2.攻略
ヌンク。
私がここに来て一番に降り立った巨大な街であり、どうやら最も加護の影響が大きな街のようだ。
それを証拠に大樹がよく見える。駅も他の街とは比べものにならないほどの大きさを誇っている。
かの辰野金吾が設計した東京駅のような造りをしたヌンクの駅は我々の世界を彷彿させるものも感じられる。
人の行き来も大正、昭和期の東京駅周辺のようだ。そう、その何もかもが史実にある通りなのだ。
この世界は実に興味深い。まだ調査が必要だろう。
–––迷い込んだ冒険家R.K
※
フィガロの街道を歩くこと、大体四十五分。蓮見とレキの二人はヌンクに到着した。ヌンクに着くまでの間、周囲を観察し蓮見は大きく三つの点に気がついた。
まず、時間は蓮見の知っている二十四時間であること。暦はグレゴリオ暦をモデルにしてるようでこの世界独自の暦となっていること、365日周期なのは変わらないが、西弐歴なんて暦は蓮見は耳にしたことがない。ちなみにレキによると現在は西弐歴23年のようだ。ヌンクに近づくにつれて時計の数が増え、レキに今日は何月何日か問うたら8月19日と気がつけば日を跨いでいた。最後に時計を見たときの時刻は1時28分であった。
二つ目はこの世界において駅の名前が街の名前になっているということだ。
まだ蓮見自身はフィガロとヌンクにしか足を踏み入れたことがないが、フィガロの街、ヌンクの街という表現が使われておらず、あくまでも駅という表現が使われていることに気がついた。
念のためレキにも尋ねてみたが、何を当たり前をみたいな顔をされた。小馬鹿にされた気がして解せなかった。
最後に蓮見とレキの身体能力の差が激しいということ。蓮見はバツイチで38のおじさんであり、レキは花も恥じらう19歳である、なんとまだ十代なのだ。
倍近い歳の差があれば運動能力に差が出て当たり前なのだが、それを差し引いてもレキの身体能力はおかしかった。歩幅は蓮見よりも狭いのだが、歩く速度が蓮見よりも2.5倍くらい速い。これが現代人の運動不足なんたらの弊害なのか、それとも黒森レキという少女が単に運動に秀でているのかはまだ蓮見にはわからない。
時間が変わっても空の色にあまり変化はなく、黄土色が一色広がっているだけだ。朝になっても変わらないのだろうか、そうなればこの世界において時計は必需品となってくる。
「黒森、今の時間ってわかるか?」
「今?今ね、今は1時54分」
レキはポケットから懐中時計を取り出してパカっと開ける。銀色の装飾が彫られたロケットサイズの小さな懐中時計だった。
「......お前、時計持ってたのかよ」
「持ってるよー、これがないと時間わかんなくなっちゃうし」
「そ、そうか」
「ていうか、蓮見さんが私に聞かなかったのがいけないんじゃないの?時計持ってるかなんて質問されてないよ」
「お、おう」
レキの言ってることが正論すぎてぐうの音も出なかった。
ヌンクの街、いや、ヌンクの駅と言うべきか。ヌンクの駅に入ってから時間帯は夜であるにも関わらず多くの人々が往来している。
「そういえば黒森、こんな時間でも図書館は入れるのか?」
「問題なしよ、館長さんがある意味夜行性な人だから」
「へー」
一応昼と夜の概念は存在するらしい。
蓮見が生活してた世界では閉館時間なるものに追われる勤勉な少年少女が通うところが図書館というイメージがあるが、どうやらこっちに閉館時間という概念は存在しないようだ。
本屋で働いている蓮見にとってこっちの世界の書籍というものがどういったものでどのような内容なのか少し気になるところではある。
街を見渡すと色々な露店がある、その看板の文字全てが日本語ではなく見たことも読んだこともない文字であるに関わらず、蓮見は全て読めてしまう。この感覚がまだ蓮見には慣れなかった。実に奇妙な感覚である。
「おう、そこのお二人さん!酒でも飲んでいかないかい?」
「すみません、未成年なので」
レキが断りを入れると、店員のおっちゃんもしつこく勧めてくることはなかった。
どうやらこの世界にも酒に関するルールがあるようだ、蓮見は少し飲みたい気はしたが、自重した。こんなところで飲んで倒れてしまえば元も子もない。そんな蓮見の様子にレキは申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「もしかして、蓮見さん飲みたかったですか?お酒」
「いや、そ、そんなことねぇぞ」
「すみません。今、手持ちが全然なくて」
「そっちかよ」
まさかの一文無しだった。
「と、とにかく図書館を目指そう!蓮見さんも慣れない環境で大変だろうし!」
「別にそこまで急がなくてもいいぞ。むしろ、休憩を入れてもいいくらいだ」
何せ蓮見はフィガロの駅、もっというならこの世界に迷い込んだ時から何も食べていない。簡単な腹ごしらえは済ませたいところだ。
適当なベンチを見つけて蓮見はレキを呼ぶ。レキは少し焦ってるようにも見えたが、何か焦らなくてはいけないようなことでもあるのだろうか。
蓮見は鞄から夜食用に買っておいたメロンパンを取り出し、半分にちぎってレキに渡す。
「ほら、食いな。俺だけ食うわけにもいかねぇし」
「......これは?」
「メロンパンだ、もう時間経っちまって少し湿気てるかもしれねぇが我慢してくれ」
「......」
蓮見から受け取ったメロンパンを凝視するレキ。色は若干淡い緑の混じった小麦色、表面には焦げた傷跡のような切れ込みが刻まれており、それでいて半分になった部分はふっくらとしている。
レキがメロンパンを凝視してる間に蓮見は少しパサパサし始めてるメロンパンを口に放り込む。半分にちぎったとはいえ、サイズはそこそこある。さすがに一口でペロリと平らげれることはない。
レキも蓮見に続くように一口パクリとメロンパンを口にする。彼女にとってメロンパンは珍しいものなのか、いや、もしかしたらこの世界にとってメロンパンは珍しいものなのかもしれない。
–––瞬間、レキは大きく目を見開いた。
「–––ッ!!?」
口の中に広がるはふっくらとした柔らかい生地、噛んだことによって包まれてたメロンの味が弾けて口内に広がり菓子パン独特の旨味がさらに引き立った。しかも、噛めば噛むほど味はさらに濃厚に甘みととろみが広がっていった。レキは口元を手で抑えながら大興奮する。
「......お、おいしい!ナニコレ、めっちゃおいしい!!!」
「お、おぉ、そっか」
そこからレキの食べる速度は目を見張るものでバクバクバクバクバクバクバクバク、と手に持っているメロンパンは跡形もなく消え去った。口周りについたメロンパンのカスもペロリと舌で一舐めして回収した。
「はぁ〜、幸せ〜」
「そんなに気に入ったんなら半分じゃなくて黒森に全部あげればよかったな」
「それはダメ!それだと蓮見さんとこの味を共有できないじゃん!私独り占めとか、したいけど、したいけど、そんなのダメ!」
「そ、そうか」
何やら自分ルール的なものがあるのだろうか。そこんところ蓮見にはイマイチ理解することができなかった。
メロンパンも食べ、休憩を終え、二人はまた石畳の大地を歩き始める。心なしかレキの頬が緩んでいる気もする。蓮見はそんなレキを微笑ましく見ていた。
蓮見は周囲に見られる露店の看板やチラシ、文字という文字に目を通す。その全てが蓮見の知らぬ言語だが、蓮見は何故か日本語に変換し読み上げることができる。
【辣油】【雑貨屋】【道具屋】【魔法屋】【奴隷屋】【カジノ】【銀行】【花屋】【図書館】......
「着いたよ」
「ここか」
造りは煉瓦、しかもこれは普通の煉瓦ではなく横浜で見られる赤煉瓦倉庫に酷似している。建物一つをそのまま図書館にしたと言った方がよさそうだ。
瓦葺の何とも日本らしい屋根で大きさはフィガロの駅を優に超えている。
灯りも点いており、まだ中に人がいるということを示している。
「......はぁ、やっぱり憂鬱」
「そんなに嫌なら俺一人で行くぞ、ここまで案内してもらっただけでもありがたいんだしさ」
「そんなわけにはいかない!至高の食べ物(メロンパン)の恩も返せてないし!」
「よっぽど気に入ったんだな」
蓮見を先頭に図書館の扉を開く。扉自体は倉庫の扉をそのまま使っているわけではなかったので、そこまで大きくはなかった。
開くとカウンターと思わしき場所にバタフライマスクを着けた美人さんが立っていた。その格好はとても際どいものでラバースーツとレオタードを混ぜたような、腰と足の付け根にはフリルがある。金髪ショートの巻き髪の美人さんがこちらに気がつく。
「ようこそ、貸し出しでしょうか?ご返却でしょうか?閲覧でしょうか?」
「......え、閲覧で」
「左様ですか、それではごゆっくりどうぞ」
もう蓮見は何もツッコミはしなかった。できることならこの場から、正確に言うならばあの受付の美人さんから距離を取りたくなったのだ。座れるスペースにまで移動した蓮見は小声でレキに話しかける。
「おい黒森」
「そう、あれ、ここの館長さんの趣味」
「......さて」
本当ならマナー違反なのだが、ポケットからダイスを取り出す。迷ったり困った時はダイスに頼るのが一番いい、何やかんやで今までうまくやってこられたのだから、今回も大丈夫なはず。
レキも何も言ってこないことから何かを察したようだ。
奇数が出れば図書館を出る、偶数が出れば図書館に残り情報を集める。
せっかく案内してくれたレキには悪いが、早々にここは退散すべきだ。何か嫌な予感しかしない。
ピンッ、とダイスを弾き宙に飛ばし、いつものようにダイスが降りてくるのを見守っていたが、いつまで経ってもダイスは落下してこない、代わりに背後から声が聞こえた。
「–––全く、図書館でサイコロなぞ使うんじゃない。隣のカジノ施設ってお誂え向きの施設があるだろうに、なぁ、若僧」
低いアルトの掛かった男の声だった。
闇よりも深く色濃い真っ黒な髪の左右の垂髪には血のように霞んだ赤のメッシュがあった。司書員と同じようにバタフライマスクを着けており、黒いスーツを身に纏っている。
そして、何より目に付くのが背中から生える六枚の黒い大きな翼である。
「俺はここの館長だ、その気になればお前たちを出禁にすることだってできるんだ」
「茶番はいいから蓮見さんに早くそれ返してあげてください館長」
「おいおい、そんなこと言うなよレキちゃん。せっかく威厳ってのを出そうとしたのにサ」
館長、と呼ばれた男の白い瞳がバタフライマスク越しに細くなる。
「初めまして、来訪者。俺の名はアレイスター、ここの館長をしている。そして、この世界を誕生から見守ってきた者だ」
「–––あと、女の子しか雇わない変態」
「そうさ!俺は、変態だッ!」
ついには開き直った。
「館長。館内ではお静かに」
「おっと、こいつは失礼した!では君のお尻に免じて勘弁してもらおう」
「ちょ、ひゃ!?」
「アンタ、一体何しとんだ!?」
思わず蓮見が声を荒げてしまう。アレイスターと名乗った館長は悪びれる様子もなく、ただ笑っている。
「ね、蓮見さん。私が会いたくないって言った理由わかった?」
「後悔もしてるよ」
よく見れば今セクハラ被害にあった美人さんはさっきの美人さんと違って綺麗な銀髪のロングヘアだ。このままじゃ話が進まない気がして、蓮見が適当なところで会話に混じる、しかなかった。
「で、アレイスターさん。あんたには色々と聞きたいことがあるんだが」
「フム、では館長室で話そうか。ここでは人の目もある」
「......あんたがセクハラしなきゃこんな冷ややかな視線を向けられることはなかったんだろうけどな」
蓮見とレキはアレイスターに連れられるがまま、図書館の三階にある館長室へと向かう。道中、蓮見はアレイスターにダイスを返してもらった。できることならばこのダイスはあまり他人に触れられたくないのだ。蓮見にとっての思い出の品でもあり、大事な物であるから。館内の様子も見てみたが、時間帯のせいなのか、それとも単純に来館者が少ないだけなのか、図書館内は司書員以外に人影は見られなかった。
館長室のソファに座り、バタフライマスクをした司書員にお茶を持ってきてもらった。やっぱりというか、館長室にいる司書員も美人さんばかりで全員が全員ぴっちりスーツだ。
「......あの服装は、ここの制服って認識でいいのか?」
「ノープロブレム!」
「聞いてよ蓮見さん、この変態さん四年くらい前から私にあれを着せるためにここに雇おうとしてくるんですよ」
「......なんか、ホントごめん」
持ってきてもらったお茶を一口飲む。ホットでいい茶葉を使っているということがわかる、蓮見の知る市販のものとは明らかに味が違う。
「それで、まずは何を聞きたい?来訪者」
「.....聞きたいことは山ほどあるが、まずこの世界は一体何なんだ?」
「フム、いきなり核心を突いた質問だ。そのことに答えるならばそれ相応の時間と歴史、俺の生涯を辿らねばならん」
「できれば手短に頼みたい、手っ取り早く元の世界に帰る方法だけでも聞けたらそれでいい」
「元の世界、来訪者よ。お前はここが異世界だと認識できているのか?」
「ん、まぁ」
そういえば、アレイスターの前でもレキの前でも自分が別の世界からやって来たなんて一言も言わなかった。
それなのに、アレイスターは蓮見のことを「来訪者」と呼んでいた。あれは図書館への来訪者という意味ではなく、この世界への来訪者ということを指していたようだ。
一瞬、アレイスターのバタフライマスクの下にある白い瞳が大きく開いたようにも見えた。
「なるほどなるほど、そうか」
「......?」
「失礼、それでこの世界から出る方法だったな?」
「あぁ」
「実はこの世界から出る方法はそんなに難しいことではない、こちらに迷い込んでくる方が難しいと言ってもいいくらいだからな」
アレイスターがお茶のお代わりついでに司書員の胸を鷲掴みしながら続ける。レキの視線が痛い。
「ペドラ、ヌンク、メロン。この三つの駅が示す指定時間に切符を持ち改札を潜ることだ。60秒、つまり1分間だけ世界が繋がる」
「その、指定時間ってのは?」
「こいつが中々の曲者でね、日を跨げば変わってしまう。そして三つそれぞれ共通した時間を示さず、それぞれが異なる時間帯を示す」
「......」
「あと、切符を買うのはもちろん有料だ。どこへ行くにも500エバ必要となる」
「......エバ、ってのが通貨っていうのはわかったが、その、稼ぐにどのくらいの時間が必要なんだ?」
蓮見には1エバの価値がわからない。彼の知る円に換算して一体いくらになるのか、どれだけの時間を掛けて労働すればそれに見合う給金を受け取ることをできるのか。
「職種にもよるが、そこまで時間は必要じゃない。最近湧いてる麻薬犯でも捕まえて署に出せば3万エバ出してもらえて、一瞬だ」
「そいつは魅力的な仕事だが、俺は武闘派じゃないんでね」
「ならカジノで荒稼ぎか?来訪者はギャンブルに詳しそうだ」
「あいにく賭博事に興味はなくてね」
「フム、それは残念だ。レキちゃんがうちで働いてくれれば500エバくらい出すんだがな」
「こんなセクハラ職場で働くくらいならスラムに行くわ」
「おっと、残念」
アレイスターがやれやれ、と両手を上げる。蓮見にとって帰り道がわかっただけでも大きな収穫だ。
つまり、この場からもう去っても何の問題はない。
「行こう黒森、必要な情報は手に入った」
「わかった」
「おいおい、つれないな、もう少しお話ししようぜ」
「俺もできることなら早いとこ元の世界に戻りたいからな。500エバが必要なら適当に稼ぐさ」
「フム、して来訪者よ。どこで雨風を凌ぐつもりかね?」
「降らなきゃ何の問題もねぇよ」
蓮見とレキが立ち上がり、早々に館長室を後にした。
一人、部屋に残されたアレイスターは薄く笑みを浮かべながらレキの飲んでいた茶を飲み干す。
「フム、俺も嫌われたものだな。一体何がいけなかったのだろうか?」
「館長のセクハラではないかと」
※
図書館を出た蓮見とレキは先ほどメロンパンを食べたベンチにまで一旦戻っていた。
「さて、勢いよく飛び出したはいいがこの先どうするか」
「考えてなかったんだ」
蓮見にとって必要な情報は手に入った。
まず、ここは異世界であるということは間違いないようだ。そして、戻ることはできる、これは大きい。職場の後輩が都市伝説!都市伝説!と騒いでたことを思い出した。もしかしたら関係あるかもしれない。
次に戻るためには切符を持って改札を潜る必要がある。そういえば蓮見がここに来るときは久々に切符を買ったのだった。ちょうど定期を職場に置いて帰ってしまったからである。
「黒森、お前500エバ持って、ないよな」
「持ってたら蓮見さんに何か色々奢ってるよー、移動も汽車使ってるし」
「それもそうか」
どこかで稼ぐ、それで元の世界に戻ることが当面の目標だ。現在時間は3時5分、いい加減どこかで体を休めたい。今すぐに元の世界に戻れそうにもないので簡易にはなるが、拠点も必要になりそうだ。たしかにアレイスターの言う通り、どこか雨風を凌げる場所は欲しい。
「そういえば黒森、お前たしか家出中って言ってたけど今どこで暮らしてんだ?」
「ん、あー、あ、えっとね、知り合いの家を転々とさせてもらってる」
「なんて迷惑な奴だ!」
思えばレキは一文無しだ。どこか宿に泊まるなんてこともできやしない。
ガリガリと頭を掻きながら蓮見は悩む、そういえばあれからシャワーも浴びてないから全身に汗がびっしょりだ。もう一度アレイスターの所に戻るわけにもいかない。
–––こういう時こそ、ダイスで決めるべきだ。蓮見はポケットから愛用の六面ダイスを取り出す。
「奇数が出れば宿探し、偶数が出れば図書館に戻る」
「......ちょっと待って蓮見さん、本気?」
「本気だ、このままベンチで無駄な時間を過ごすわけにもいかんだろ」
「気持ちはわからんでもないが」と付け足し、蓮見はダイスを天に向けて弾き飛ばす。何度も何度も繰り返しやってきた洗練された動作に迷いと無駄はなかった。
蓮見がダイスを手に取る。親指で抑えてる面は、三。
「喜べ、宿探しだ!」
「おー!」
とは言ったものの、宛はないのでレキの知り合いにしらみ潰しに声をかけるということになった。だが、もう夜中の3時、こんな時間までウロウロしてるような人がいるのだろうか。
蓮見自身こんな時間までウロウロしてるので人のことは言えないが、そこは目を瞑っていただきたい。
あまり長時間動くのも蓮見の体力的にも厳しいのでなるべく早いところ見つけたいのだが、そううまくいくものだろうかと剃り忘れた髭を摩りながら歩く。
–––街灯の近くで酔い潰れてる女性を見かけたのは歩き出して5分が経ったくらいのことだった。
「......黒森、あの人お知り合いか?」
「い、一応」
「うぉー、レキじゃん!なになに、そのとなりのイケてるおじさんは!?どこでひろったのー?そんでもってどったのー?」
「ジャンヌさん、今日は何本飲んだんですか?」
「にほんにほん!」
「飲み過ぎですよ!」
「二本で!?」
よっぽどお酒に弱い人らしい。
「よいっしょ、と、ジャンヌさん!家まで送ってあげますから一晩泊めてもらってもいいですか?」
「えーよえーよ、そこのイケおじさんもとまってきなーさい!ジャンヌ姉ちゃんがとめちゃるから!」
「あ、どうも」
こうして、ジャンヌと名乗る女性の家に泊まることになった。彼女の家はヌンクの中心から少し離れた所に二階建ての一軒家が建っており、そこがジャンヌの家だった。マナーはどうやら西洋風を採用しており、家の中でも靴を脱ぐ風習はないようだ。相手は酔っ払いだが、蓮見はずっと気になっていたことを聞いてみる。
「なぁ、もしかしてあんたってジャンヌ・ダルクって名前なんじゃ......」
「おー、せいかいせいかい!おじさんエスパー?」
ご本人(?)だった。
オルレアンの聖女、一部で魔女と呼ばれ語り継がれてる銀髪セミロングヘアの酔っ払いはジャンヌ・ダルクだった。ジャンヌの家に到着してからレキは家主を部屋にまで連れ込んでベッドに寝かしたようだ。
「まるで自分家みたいだな」
「よく泊まらせてもらってるので!」
そう言ってレキは戸棚を漁り出す。この娘は遠慮という言葉を知らないのか、戸棚の中が酒ばっかりなのも少し気になるが詮索してはいけなさそうだ。レキはりんごを一つ手に取ってシャリシャリと食べ始める。
「さて、家主さんも寝ちゃったし、私らも寝る?」
「......できたら、シャワー浴びたいんだけど、そこまでするわけにはいかねぇよな」
「あぁ、シャワーならキッチンの手前の扉を開けて廊下を進んで左ね。私は朝にもらうから蓮見さん行ってきたら?」
「やっぱいいや」
なんか、元々申し訳ない気持ちでいっぱいだったのにさらに申し訳なくなってきた。適当なところに腰掛けて寝ることにした。レキはソファを独り占めしてる、本当に図々しいことこの上ない。
※
目を覚ますと時計の針は7時になっていた。あれから3時間ちょっと眠ってたようだ。ソファでレキはまだ丸まって寝てる、家主のジャンヌが起きた様子もない。
何か、食べ物か飲み物を口にしたいが家主の許可なく台所を漁るなんてことはできない。そういえば、シャワーはあるんだな。この世界の文明がどこまで進んでいるかはわからない、だが、冷蔵庫やコンロといった電子機器は見当たらない。そういえば駅のホームで改札も見当たらなかった。駅員が切符をチェックしてたシステムだったはず。どうせ行くことになるのだからその時に確かめればいいか。
蓮見がどうしようか、と思索していると上の階からトントントン、と足音が聞こえてきた。どうやら家主であるジャンヌが目を覚ましたようだ。
ジャンヌは降りてくるとリビングの扉を開けた。
「あ、昨夜のおじさん」
「記憶あんのか」
「か、辛うじて」
白い花の刺繍をしたピンク色のワンピースの寝間着を着たオルレアンの英雄さんは恥ずかしそうに顔を俯かせた。
「改めて思うと、私は、醜態を晒してしまったの、だよ、な?」
「ベロンベロンに酔ってたな」
「う、うぅ」
「ていうか、そんなに酒強くないのになんであんなになるまで飲んでたんだ、あんな時間に」
「なっ、私は弱くないぞ!」
「二本飲んでダウンしたって言ってたぞ、昨夜」
実際度数やら量やらは明確にわからないので二本といってもどれだけ飲んだかはわからない。ポリポリと頬を掻きながら恥ずかしそうにジャンヌは言う。
「......し、仕事仲間と酒の付き合いというものをしてみたくて鍛えてるんだ、これでも飲めるようにはなったのだが」
「......あんまそういうことは無理してするもんじゃないぜ、酒の飲める量ってのは一要因として体質があるんだ。飲むほど慣れるってやつはあれは感覚麻痺してるだけだ、別に人間関係は酒だけじゃない」
蓮見は昔から酒は馬鹿みたいに飲んできたので飲めない人物のことはよくわからないが、彼の父親は酒にかなり弱かったようだ。身近にいたからこそ、わかることだ。
「そ、そうだが、私は酒が飲みたい!」
「まぁ、そこは深く言わねぇよ、本人の自由だし」
「だけど、貴方の意見もたしかにそうだ、ありがとう。えっと...」
「そういえばまだ名乗ってなかったな、俺は蓮見だ」
「私はジャンヌ・ダルク、改めてよろしく」
「そうだ、ジャンヌ。あんたに聞きたいことがあるんだ」
そう、彼女がもし蓮見の知る史実に出てくるオルレアンの英雄、聖女ジャンヌ・ダルクであるならばあり得ること。このデタラメな世界の中で蓮見とのあの共通点があり、あのことも詳しくわかるかもしれない。
「あんた、元々こっちの世界の人間か?」
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3.異物
「......?こっちの、世界?」
「あ、あぁ」
蓮見の質問は実にシンプルだった。もし、もしもだ、彼女が史実に出てくるジャンヌ・ダルクならば蓮見の元いた世界の住人で何らかしらのことがあってこちらの世界に来たということも考えられる。火炙りで処刑されたというのもあくまでも伝承、本当のところは誰にもわからない。
歴史なんてそんなものだ。
「......世界というのは、そんないくつも存在するものなのか?」
「え?」
「あ、いや、蓮見の言ってる意味がイマイチ理解できなくてな、謎かけの類かと」
きょとん、としたのは蓮見の方であった。予想外の反応だったのだ、こちらの世界の住人はあちらの世界のことを誰も彼もが認識しているものだと思 っていた。
しかし、どうやらそれは違ったようだ。ジャンヌは蓮見の住む世界のことを知らない。蓮見は確認のためもう一つ質問を投げかけてみる。
「ジャンヌ、フランスって国とジル・ド・レって人の名前に聞き覚えはあるか?」
「フランス?ジル、ドレ?いや、どちらもないな」
「そっか、わかった。すまねぇ、さっきのことは忘れてくれ」
どうやら彼女は蓮見の知る歴史上のジャンヌ・ダルクではなさそうだ。
よくよく考えてみればあの時代から今まで生きていること自体がおかしい。もしジャンヌがこちらに迷い込んで来たとしても老いることはするはずだ。生きていたとしてもこんな可憐な女性の若々しい容姿ではない。アレイスターなる男が特殊なだけなようだ。もしくは、彼が嘘を吐いている。あり得る、とても胡散臭い男だった。
「そういえば、蓮見と同じ質問をアレイスターにもされた気がする」
「え?」
「あれは、たしか、そうだ。十年ほど前のことだ、私に職をくれると言って名前を聞いたときにそんな質問をされたんだ」
十年前、というと蓮見の目測で今のジャンヌは二十代中頃か後半。ということはそこそこ幼いときに声をかけたことになる。もしくは今のレキと同じくらいの年齢のときに。
「あの変態め」
「うむ、職権乱用をしてもいいのなら今すぐにでも牢にぶち込んでやりたいものだ」
ジャンヌが腕を組んで低いトーンで言い放つ。どうやらアレイスターなるあの男は女性ならば誰彼構わず声を掛けているという可能性がある、ということが蓮見の中で認識された。
「そういやジャンヌ、シャワー借りてもいいか?実は昨日から汗がベタベタしててさ」
「あぁ、構わないぞ。タオルはその辺にあるのを使ってくれ」
「サンキュー」
場所は昨夜レキから聞いていたため迷わずスムーズに行けた。「何故場所を知ってるんだ?」とジャンヌが疑いの声を飛ばしてくるが気にしない。
木製の脱衣所で服を脱いでシャワールームに入る。蓮見が見慣れたタイル状のシャワールームではなく、石造りのドラム缶風呂のあるシャワールームだった。
おそらくシャワーは簡単に水浴び程度で済ますのがこの世界におけるシャワーということに違いない。近くに水を溜めてる桶のような浴槽のようなところから水をタライで掬って頭から水を被る。
「–––ふぅ」
ワックスで固められた髪は前に下り両目を隠す。全身の汗が水と共に流れていくような感覚、水は少しひんやりしてて蓮見の湿気と汗でベタベタになった体にはちょうどよかった。
他所様の水をあまり多く使いたくないが、蓮見はもう一度タライに水を掬って頭から全身に浴びた。
この世界にやって来て10時間近くになろうとしている。こちらとあちらの時間の流れが一緒ならば今頃蓮見は起床して仕事場へ向かおうとしている時間帯だ。
普段とは違う生活、早く戻らなければいけない焦燥感。蓮見にも生活があるのだ。一度離婚し、現在は独り身だが人間関係はあるし、仕事のスケジュール等もある。
ここが夢でも何でもなく、現実だということはよくわかった。だからこそ、蓮見は気づいてしまったのかもしれない。いや、本来ならばもう少し早く気づくべきだったのだ。
「.....着替え、どうするか考えてなかったな」
汗で濡れた服をもう一度着るわけにもいかない、ていうかそれではシャワーを浴びた意味がない。
とりあえず下半身、具体的な場所を挙げるならば股間を隠すように腰部分にタオルを巻いてダメ元でジャンヌを呼ぶことにした。もしかしたら男物の服があるかもしれないという望みの薄い希望を抱いて。
「ジャンヌー!ちょっといいかー!?」
「どうした!?」
「替えの服のこと考えてなかったんだけど、パンツとかないよな!?」
「お、おお前は何を言ってるんだ!?」
蓮見はそのことに頷きながら、繋げる言葉を考える。
パンツを貸して欲しいとか、もう使わなくなったいらない下着ない?とか尋ねてしまえば確実に家賃ゼロの代償として給料なしの労働を強いられる牢獄生活まっしぐらだ。
蓮見とて紳士だ、女性にそんな事を頼むわけにもいかない。だが、状況はよろしくない。
「なら、下半身を隠せるくらいの長いコート的なものはないか?」
「ふ、冬物は仕舞っているからそんな直ぐには出てこないぞ」
「じゃ、じゃあ何か代わりになるようなものとか、この際俺はノーパンでもいい!」
「だから!お前は!朝から何を口走ってるのだ!?」
どうする、カッターシャツはまだしも下に着ていたノースリーブシャツとパンツは汗まみれ、ジーパンも汗を吸いすぎてくたびれてしまっている。
何か替えのものがあればいいのだが、鞄の中に使えそうなものはない。元々仕事帰りだったのだ、出張帰りならまだ何とかなったかもしれない。蓮見は仕方なくタオルを巻いたままくたびれたジーパンを履き直す。ぐっしょり濡れているが、ないよりはマシだ。
上にはとりあえずさっきまで着ていた灰色のカッターシャツだけを身につける。
「すまんジャンヌ!とりあえず解決した!」
「そんなわけないだろ!風邪でも引いたらどうするつもりだ、服見に行くぞ!」
そういうわけでジャンヌに連れられて彼女の行きつけの洋服屋に行くことになった。レキが起きてシャワーを浴びて朝食をご馳走になってから向かったので時間は8時頃であった。
「......本当に悪い。代金は近いうちに返すよ」
「とんでもない、困ったらお互い様だろ?何かあったらまた言ってくれ」
「ありがとう」
偶然にもジャンヌは今日一日オフらしい。小麦色の半袖シャツと健康的な美脚をアピールするようなホットパンツを組み合わせ、茶色のブーツを履いたジャンヌの姿に思わず蓮見が見惚れてしまったのは内緒だ。目測だが、身長160後半はあるだろうジャンヌの長身だからこそ、スレンダーなモデルにも見えてしまう。
そんなジャンヌ・ダルクが太もも丸出しのホットパンツを履いてるのだから気にならないわけがない。
レキは蓮見が初めて出会った時と一切変わらない格好だ。
「お前はその格好暑くないの?」
「え、全然」
この世界に季節の概念は存在しないが、気温は高い。蓮見のいた世界でも気温の高い8月に黒を基調としたフリッフリのゴスロリドレスは見ている方が暑い。これでレキは一切汗を掻いてないのだから不思議でしょうがない。
昼と夜の概念も曖昧で太陽も月もない。ただ、空が明るい時間帯を昼、空が暗い時間帯を夜とするようだ。あとは時間、これは蓮見が元いた世界と変わりない。
「それで、蓮見。お前はこれからどうするつもりなんだ?」
「そうだなぁ、とりあえず仕事探して必要最低限稼ぐことからかな。どこか紹介してくれる施設とかないのか?」
「ないな、基本的に仕事は親のやることを継いだり自分の足で探しに行くか雇用主とのコネがなければ、スラム街の方はオススメせんがな」
「真っ当な仕事がしたいです」
「まぁ、当然だな」
街路を曲がり、多くの人とすれ違いながら、露店を見渡しながらジャンヌを先頭に三人は進む。
「一応私の仕事も紹介できるものならしたいのだが、何せ命の危険が伴うものだからな。蓮見には帰るべき場所があるのだろう?」
「あぁ」
「ならその命は大切にせねばな。仕事の為に死ねるなど愚かな考えはない方がいい」
そんなジャンヌの言葉に蓮見はポリポリと頬を掻きながら感心する。
この世界はどうも蓮見のいた世界とは考え方も違うようだ。似た文明や風習はあっても、たしかにそこに世界は存在し人々は生きている。
「ねぇ、ジャンヌさんとばっか喋ってないで私も入れてよ!」
「んだよ、拗ねてんじゃねぇ」
黒森レキという少女も、またこの世界でしっかりと生きている。夢や幻の類だと思っていたこの世界はそうではなかった。何者かによって作られた人工的な高度な技術のVRだと思っていたが、そうではなさそうだ。
「もうすぐ着くから、レキもこの機会に新しい服を見繕ったらどうだ?」
「えー、これお気に入りなんだけど」
「......無理強いはしないけど」
先頭のジャンヌが足を止めた。どうやら目的地に着いたようだ。ヌンク駅ホームから近い位置にある宮殿のような建造物だった、タージマハルを彷彿とされる立派なものでとても洋服関連を取り扱っているような店には見えない。外壁に恐る恐る触ってみたが、素材は大理石ではなさそうだった。
蓮見が驚いている間にレキとジャンヌの二人は何のためらいもなく建物の中へと向かって行った。よく見てみると蓮見達の他にも買い物客がいるようで中と外を往来してる人たちの姿が多く確認できた。
「いらっしゃいませ」
「......」
蓮見は迎えてくれた店員の奇妙な姿、否、奇妙な頭に言葉が出なかった。ハンガーだったのだ、三角形の。
よく見ると周りにいる他の店員らしき人物の頭も全てハンガーだった。ただ、それが針金型かプラスチック型か木製かなどのバリエーションは豊富だ。
「蓮見、紳士物は二階だ。金は渡しておくから何か見繕ってこい」
「私は蓮見さんについて行こうっと」
「あ、あぁ」
この世界ではあれは普通なのか?
この場においては蓮見だけがおかしいのか、それとも蓮見がただ単に疲れていて目がおかしくなってしまったのか。
現実はわからないが、ジャンヌから受け取った紙幣、1000と数字の書かれたものが4枚。
「ジャンヌさん太っ腹だね!4000エバ分くれるなんて、さすが警察官!」
「へー、ジャンヌって警官なのか」
警察官はたしかに殉職の多い職業だ、デスクワーク、教師の次くらいに過労も溜まる仕事だろう。
店内はかなり綺麗になっており、階段で階層を移動するようだ。天井に吊り下げられているシャンデリアとか見る限り、蓮見は場違い感を覚えてしまう。蓮見とレキは綺麗に整えられた石積みの階段の上に掛けられたカーペットの上を歩く。
レキは蓮見に付いてきたが、これから蓮見が行くのは紳士服売り場だ。来たところで何もすることはないだろうに。
「黒森、お前は自分の服見とけよ」
「だから!私はこれがお気に入りだから今回はここに用事がないんだって!せっかくだから、蓮見さんの服選ぼうと思って!」
「テメェ、それが目的か!」
※
パンツに黒シャツで700エバ、ダメージデザインの入った黒のスウェットパンツで1500エバ、半袖のワインレッドジャケットで1400エバ。
合計3600エバで400エバ余った。
400エバも紙幣でそれぞれに100という数字が書かれていた。
比較的安いものを選びはしたが、着心地は中々のものだった。通気性もあって動きやすい、衣服のみだがこの世界の物価も大体把握することができた。
どうやらこの世界のエバという通貨の金は基本的に紙幣でできている、ということがわかった。そして、商品を見る限り100エバ単位が基本であり、10エバなどの二桁の数字が記されてる商品は見当たらなかった。
まだ、色々とわからないことが多いが少なくともシャツ(さっきまで着用せず)とパンツ(代理としてタオル)の問題は解決した。蓮見がここに来るまで着てたものは袋の中に入れてある。
階段で下に降りてジャンヌと合流するために入り口へ向かう。店前のベンチで座りながら待っていた。
「お、似合ってるじゃないか」
「よしてくれよ。あ、それとこれ余ったから返すよ」
「いや、いい。それは蓮見に渡しておく、話を聞く限り金が必要なんだろ?取っておいてくれ」
「......悪いな」
「気にするな、私と蓮見の仲だろう」
蓮見は400エバの紙幣を元いた世界から愛用している財布の中に仕舞う。
中では蓮見の見慣れた樋口一葉と野口英世がこちらに目を向けていた。だが、この世界においては役に立ちそうもない二人に謝りながら、財布を静かに閉じる。
「それで、これからどうするんだ?行きたいところがあるのならば案内するが......」
「本当か?なら、ヌンクのホームに行ってみたい。確かめたいことがあるんだ」
「ホームに?わかった」
ジャンヌに怪訝な目を向けられたが、案内はしてくれるようだ。蓮見が確かめたいことは色々ある。
切符の手に入れ方、元の世界へ戻るためへの指定時間の確認の仕方、一日どのくらいの頻度で汽車が来て客が乗り降りするのか。
歩くこと5分ちょっと、人混みにもみくちゃにされながら三人は先に進む。一歩一歩、しっかりと押し戻されないように大地に足をつけて強い意志で前に進む。
ホームに着いた蓮見が目にしたのはフィガロよりも高い天井、多くの改札の数、膨大な人の量だった。改札に立つ店員は全員がかつて医療用として用いられていたとされるペストマスクを着用した白装束の者たちだった。どうやらあれを制服と捉えても良さそうだ。
そして、蓮見の目を最も惹いたのはそんな駅員の奇抜な格好でも往来する人の数でも駅の広さでもない。
時刻表がある右隣、もう一つ時刻表があったのだ。しかも宙に浮いている。
「......こいつは?」
それは時刻表、と呼んでもいいのかわからない物体だった。木製であるが、全体的に黒ずんでおり今にも朽ち果ててしまいそうだ。
多くの人が時間をチェックしてる隣の時刻表と違って蓮見の見てる時刻表は非常に簡素なものだ。
何より宙に浮いているという不可思議な現象が現在進行形で起こってるのだ。人々は蓮見の凝視してる時刻表に目もくれることなく隣にある時刻表を確認している。
「どうした蓮見?そこに何かあるのか?」
「え?」
–––そう、周囲の人々はさも当然のように、一緒にいるジャンヌでさえも、蓮見征史以外に見えていないような物言いをするのだ。
何もないところを凝視している蓮見に対して人々は奇異の目を向けている。それはレキも同じであった。
「蓮見、さん?」
「ッ!」
蓮見はそこで我に返り、周りの視線なんて気にせずに目の前の時刻表に書かれている内容を確認する。
こちらの世界の文字であったが、やはり不思議と読むことができる。
一言一句正確に、まるで最初から知っていたかのようにスラスラと読み進めることができる。
まずは隣の時刻表を覗き込んでみる。蓮見が見てたものと比較するためだ。ズラッと並べられた貴社の到着時刻が23時59分まで記されている。
その下には駅名、ヌンクから始まり、時計回りにフィガロ、シャルル、メロン、ディーヴァ、ペトラ、ケルト、そしてヌンクに戻る。合計で七駅、進行方向は一方通行で反対に進む手段は見当たらない。
ホームの方に目を向けてみると対向に人の姿どころか駅のホームがない。
そして、宙に浮かぶ蓮見が最初に見た時刻表には23時59分までの汽車の到着時間も七つの駅名も記されてない。
記されてることは【西弐歴23年度8月19日10時3分発】という文字列と【イヴ→アダム】ということだけである。他には何も記されていない。
文字も奇妙な書き方で明らかに手書きではなく、プロジェクターのようなもので浮き上がらせているような表現だ。
「さっきからどうしたんだ蓮見?体調でも悪いのか?」
「......なぁ、ジャンヌ。俺の目の前に何かあるように見えるか?」
「......?何か、あるのか?」
「いや、なんでもねぇ。もう大丈夫だ」
どうやら、この時刻表も蓮見にしか見えないもののようだ。
これがアレイスターの言っていた一日にランダムで元の世界と繋がる時間なのだろう。そして、推測になるがそれは向こうの世界の住人である蓮見にしか目視できない。
今の時間は10時2分。所持金は400エバ、これでは切符を買うことはできない。買う時間すらも勿体無いだろう。そのまま短い針は3を示す。
すると、宙に浮いた時刻表は音も立てずに消えていった。
「.....ッ!」
アレイスターの話が本当なら一日周期で世界は繋がる。そして、繋がる駅はここだけではない。
「蓮見さん...」
「蓮見、一回どこかで休憩しようか?それとも腹ごしらえに行くか?」
「......大丈夫だ、ありがとう二人とも」
これで、元の世界に戻る目処は立った。次にやるべきことも決まった。
「なぁ、ジャンヌ。もう少しヌンクを案内してもらってもいいか?」
「あ、あぁ。私は構わないが–––」
「んな心配してくれなくても大丈夫だって、俺は元からおかしいから」
「そ、そうか」
蓮見は笑顔を作る、いや、自然と綻んだのかもしれないが、今の蓮見に判断することはできなかった。
「じゃあ、次はどこに行く?」
「そうだなぁ、働き口も探したいし色んな所に行きたいってのが本音だな」
「それなら–––」
ジャンヌが次の目的地を言おうとした時に、こちらに向かって走ってくる若い男性の叫び声で掻き消された。
「ジャンヌ警部!よかった、見つかった!」
「オルト、どうした?」
「休暇中申し訳ありません、実は...」
オルト、と呼ばれた青年がジャンヌに耳打ちをする。ジャンヌのことを警部、と呼んでいたあたり仕事仲間なのだろうと蓮見は察した。
「何?それは本当か?」
「たしかです!それで、署長が会議を開きたいと」
「......わかった、すぐに向かう。すまない、蓮見、レキ。仕事が入ってしまったので失礼する」
「こっちこそ悪いな、貴重な休み潰しちまって」
「それこそ気にするな、私が好きでやってることだ。そうだ、しばらくうちを拠点として使ってもいいぞ、行く当てがないのだろ?」
「え、いいのか!?」
「構わん、レキはよく泊まってるしな」
「あ、ははは」
「警部!」
「あー、わかってる!今行く!」
ジャンヌはオルトと共に走って行った。今思えばジャンヌは私服のままなのに仕事場へ向かってよかったのだろうか?
一先ず荷物を置きたいと蓮見は思い一旦ジャンヌの家に戻ろうかと思ったところでレキが話しかけてきた。
「ねぇ、蓮見さん」
「ん?」
「–––蓮見さんにも、見えてたの?あの時刻表が......」
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4.果実
軍警団。
この世界における警察組織であり、ジャンヌ・ダルクの職場でもある。蓮見のいた世界と異なることと言えば、完全な私営組織であるため基本的に給金は出ない。
だが、いつも頑張ってくれてる、我々を守ってくれてると街の人々が喜んで謝礼金を払っているため、それが給金代わりとなっている。
ジャンヌの元にやってきた男、オルトは直属ではないが同課の部下にあたる人物だ。
「休暇中であるのに、本当に申し訳ありません!しかも、デート中に」
「ち、違うわ!あ、あ、あの男は、あれだ、知り合いだ」
「そ、それは失礼しました」
ジャンヌは婚期が遅れている。それは決して言ってはならない。
「コホン、休暇が潰れるなどいつものことだ。それで、進展があったのだな」
「はい!詳しくは団長とケルベロスさんから話があるそうです!」
「ホークアイさんとダルマさん達は?」
「もう既に」
–––なら好都合、ジャンヌはそれだけ言って足を速めた。
向かうは人々の往来するホームの正面とはほぼ真反対、神聖視している巨大な全能大樹のお膝元。
そこに軍警団ヌンク本部の建物がある。白い大理石を基盤とした建物の入り口の上には三重塔を象ったレリーフを丸で囲み、囲った周りには林檎の紋が記されている。
「では、自分は先に会議室Bに行ってますので」
「あぁ」
本来ならば私服で職場へ向かうなど以ての外だ。団員にはそれぞれ自宅と職場に置いておく制服が一着ずつ支給される。緊急の呼び出しも多いことから実施された制度だ。
更衣室に向かったジャンヌは少し汗のついた半袖のTシャツを脱ぎ、白い制服を身に纏う。いわゆるカッターシャツだ、長袖だが通気性は良く暑く感じることはない。
動きやすい長袖の黒ズボンも履き、自警団の紋章の入った帽子を被る。本来ならば簡単な化粧もするのだが、ジャンヌは職場では、お偉いさんなどと会う仕事でなければ化粧をすることはない。公私の分別を弁えるためである。
更衣室を出たジャンヌはオルトの行った会議室Bへと向かい、軽く三回ノックして扉を開く。
「遅れました」
「–––待ってたぞジャンヌ警部。さっさとしてくださいませんかねぇ、時間が押してる」
犬面の男、ケルベロスが葉巻を吸いながらジャンヌを睨みつける。
ダルメシアンの顔を持ち、鍛え抜かれた肉体は筋肉量のせいで制服のサイズが合っていないかのようにも見える。
ケルベロスの発言にジャンヌは笑顔で対応する。
「申し訳ありませんねぇ、ケルベロス警部。あなたの部下が外出してる私をもう少し早く見つけることができたのなら私も余裕を持てたんですがね」
「ほう、貴様の言葉を要約するとこうか?責任はオルトにあり己に非はないと仰るか?」
「貴方こそ、自分自身の発言で時間を潰してるとお分かりになっていないと?」
「おいおい、その辺にしておけ。もうすぐ団長がお見えになる」
ジャンヌの直属の上司、制服の上に軍服のような少しサイズの大きなコートを羽織ったホークアイが場を諌める。
ジャンヌとケルベロスが口喧嘩をし、ホークアイがそれを止めるというお決まりのやり取りだ。
黒い髪を靡かせ、射るような視線がケルベロスを刺す。
「ケッ、相変わらず可愛げのねぇ女だぜ、お前もホークアイも」
「ふん」
ジャンヌはホークアイの隣に座る。ケルベロスの隣にはオルトが席に着いている。
「–––皆の者、待たせたな」
「桃太郎団長!お疲れ様です!」
最奥の席に自警団団長、桃太郎が席に着く。顎に生えた無精髭を撫でながら全体を見渡す、空席はない。
桃太郎は紙にまとめた資料を一人一人に手渡しをしていく。上司が直接部下の元に赴き仕事内容を伝える、それが桃太郎の仕事の流儀だ。例外はあれど、会議の場においては桃太郎は回りくどいと知りながらもコミュニケーションの一環としてこの風習は続けている。
「では、これより緊急会議を始める!ケルベロス班、経緯から事件の進展を皆に説明を!」
「はい」
ダルメシアン頭の男、ケルベロスが立ち上がる。
「今回はディーヴァにまで調査範囲を拡大、結果ヌンクとフィガロ、そしてヌンクとケルトの道中にて【骸】の売買を行われてる箇所を十六ヶ所確認した、いずれも今までの捜査で見つからなかった連中だ」
【骸】の名を聞いた瞬間、会議室の雰囲気は一気に重いものとなる。
例の事件と聞いてジャンヌも可能性として頭の片隅に置いていたが、思った以上の進展を見せていたことに驚いていた。
【骸】は麻薬の名、神聖なる全能大樹に実るりんごの実に似た中毒性の高い果実で人体に害悪を与え、最終的には死に至らせる危険な毒物でもある。
幻覚、嘔吐、精神異常、骨溶作用の症状が挙げられている。それでも皆口にする理由はこの世のものとは思えないほど美味であること、一口食べたらやめられないほどの中毒性があるためである。
りんごの実との識別するには、僅かに漂う異臭と果実の色の濃さが濃いという二点を見抜く必要がある。
「その根拠は?」
「匂い、そして魔女の存在も確認できました」
桃太郎が質問を投げかける。
それに対してケルベロスも別の資料を手にして、言葉を詰まらせることなく進める。
ケルベロスの向かいの席に座っているホークアイが反応を見せる。
「.....魔女だと?」
「そうだ、三年前からバッタリ消息を絶っていたあの魔女だ。今回の主犯とは考えづらいが、バックに何者かがいることはたしかだ」
三年前、フィガロに【骸】を売捌き多くの人々を骸中毒に陥れた、別名骸テロを引き起こし、フィガロを一時的に閉鎖に追い込み、街の人々を骨のない屍へと変えた人物。
当時躍起になって捜索していたが、ことが落ち着くと姿を見せなくなった危険人物でもある。
「ケルベロス、【骸】の市場は前回調査と比べてどうなっている?」
「拡大する一方です、スラムや奴隷市場、カジノが主流となっていた【骸】は現在このヌンクの中心地にも行き届いている可能性があります」
「ぬ.....」
桃太郎が苦い表情を浮かべる。
他の駅街ならまだしも、最も発展し人々の往来のあるヌンクで流通してしまえば出処を辿るのも困難なのはもちろん、中毒者を見つけることも難しい。
三年前の事件が起こったフィガロはまだ小さく人口もヌンクの半分以下であったため予防はできた。しかし、実際人々は死んでしまった。
あの悲劇を繰り返さないためにも、半年前に再発見された【骸】を全て回収し処分する必要がある。
「現在、我々が回収した【骸】の数は六十九袋、抑えた市場の数はヌンクだけで七ヶ所。各支部に応援を要請し今も回収に当たってもらってます」
「......ケルベロス、一袋あたりの【骸】の数はわかるか?」
「現在集計中ですが、百は見越しておいた方がいいかと」
ケルベロスの言葉に会議室にいる全員が青い顔をする。
「一刻も早く【骸】を作り出している場所を探し出す必要があります。【人喰い】の調査に割いている者たちもこちらの調査を優先していただきたい」
「おい、ケルベロス。お前の言うことはたしかに正論だが、その発言はいただけないな」
ホークアイが立ち上がり、ケルベロスを睨みつける。
ジャンヌとケルベロスが激突することはよくあるものの、ホークアイとケルベロスの二人が衝突することは少ない。捜査中においても会議中においても、私生活においてもである。
「貴様は【人喰い】の危険性を理解できていない。さっきの話を聞いて協力してやろうと思ったが、お前の言葉が全て台無しにしている。割いている?違うだろ、我々は我々の調査をしているのだ、元からお前の下だったわけではない」
「......そこまでわかってるなら協力しろ、三年前の二の舞にしたくなければな。まだ魔女の素顔もわからないんだ、敵は未知数だ」
「待て、お前魔女の姿を確認したんじゃないのか?」
「したさ、だが、フードに猫背、周りの連中が魔女と囃し立ててただけだ。そいつが【骸】を売り捌いてた、魔女と判断するには十分すぎる材料が揃ってる」
ホークアイとケルベロスの間に桃太郎が割って入る。
「よせお前ら、今は喧嘩してる時間はねぇ。ホークアイ、気持ちはわかるが落ち着け。ケルベロス、お前ももっと言葉を選べ。あと、そういう重要なことはさっさと言え!」
「あいた!?」
桃太郎がケルベロスを殴ったことで一触即発の雰囲気は緩和された。
立ち上がった桃太郎全員の目を見てから声を張り上げる。
「–––うし、それじゃあまとめだッ!ケルベロス班はこれまでと同じ【骸】の調査、及び現物の回収と中毒者の確認保護!
ホークアイ班は【人喰い】の調査に三割【骸】の調査に七割に人材を分割、【人喰い】の方は人数が少ない方が喰われる危険性は減るだろう!
ダルマ班も【骸】の調査に加入、そして全体のバックアップ、他小事件の解決に当たってくれ!
但し、最優先事項は【骸】だ!このことは忘れるな、流通範囲が広まっちまったから人手は必要だ、理解してくれ!
他に何もなければ解散とする!」
–––挙手、もなければ誰かが何かを言う様子もない。
桃太郎団長は片目を瞑り、右手で机を勢いよく叩きつける。
「っしゃあ!なら行動開始だ!それぞれ班長は部下に指示を飛ばせ!一刻も早く、無理はせずに解決に進むぞ!解散ッ!!」
桃太郎の号令で会議室Bにいる面々はそれぞれ行動を始めた。
ジャンヌも班長であるホークアイの元へと向かう。
「ジャンヌ」
「は、はい!」
「......こんなこと聞くのはどうかと思うんだが、何か言いづらいことを隠してないか?」
ホークアイの万物を射抜くような視線がジャンヌに向けられる。
ジャンヌはホークアイの目を見返しながらも、動揺の色を見せる。さっき、桃太郎が意見を求めてた時に言うべきか言わぬべきか、迷ってたことをホークアイに見抜かれた。
ホークアイは心を見抜く特殊能力を持ち合わせているわけではないが、不思議と嘘をつけば狩られるという脅迫概念を相手に持たせる。
かつて、ホークアイが尋問をして嘘をついた人間はいない、否、つけないのだ。ホークアイの目が恐ろしすぎて。
「......」
「ここじゃ言いにくいなら、場所を変えてもいい」
言えない、言いにくい理由の一つとしてホークアイの視線が恐ろしいなんてとても言えない。
「い、いえ、そんなことは」
「そうか。なら、話してくれないか?そんな曇った目で捜査に出られてはこちらとしても困る、お前には【骸】調査チームのリーダーを担当してもらわなければいけないしな」
「私が、ですか?」
「そうだ。お前なら信用できる」
ポン、とジャンヌの肩に右手を優しく添える。
ジャンヌはギュッと下唇に力を入れ、言葉を紡ぐと同時に入れた力を一気に抜いた。
「実は、先日気になる人物を保護しまして」
「先日、私と飲みに行った日か」
「はい」
あの日、ホークアイの愚痴と酒に付き合わされたジャンヌは泥酔してしまった。
ホークアイの酒のペースが異常であったからだ。
「ふらふらの私を友人が連れ帰ってくれたのですが、その友人が見知らぬ人物を連れてまして」
「ふむ」
「その、男なんですけど、今日駅に行った時に妙なことを口走ってたんです」
ホークアイは何も言わない。
ジャンヌの話を真剣に聞いている。ジャンヌのことをしっかりと両の目で射抜くような視線で。
「何もないところに向かって、時刻表があると」
「......ほう」
「その後も、急に焦り出して、本当にそこに時刻表があるようにそこを触りだして、あれでは、まるで–––」
「幻覚を見ているようだ、ということか?」
「......はい」
蓮見征史。
ジャンヌは彼を疑いたくない。しかし、誰もが一度は足に運んだことはあるはずの駅街一の街の案内を頼んだり、周囲の様子を観察したり、当たり前のことに驚いたりと。
彼はもしかしたらスラムの出身なのかもしれない、そして【骸】にも何らかの形で関わっている。
別の世界、という発言に関しても富裕層と貧民層では世界はたしかに違うだろう。
そして、このタイミングでの【骸】の捜査の進展。何か関わりがある可能性があるとジャンヌは考えている。
「......なるほど、たしかに気になるところではあるな。その男は今お前の家にいるんだな?」
「はい、寝泊りをする場所がないと言っていたので一時うちで保護してます」
「わかった、ならお前に任せる」
ホークアイはそれだけ言うと会議室Bを後にした。
「え?」
「聞こえなかったのか?そいつのことはお前に一任する、お前の判断で署長に報告しろ。不確定要素が多いからあの時言わなかったのだろう?」
「......」
ホークアイの言葉にジャンヌは息を呑む。たしかに、蓮見を疑いたいわけではなかった。ほとんどがジャンヌの推測、真実は一割も満たない。
もし、あの場で話してしまっていたら。
ケルベロスが即座に行動したかもしれない、彼は短気だ。
ダルマが蓮見を犯人に仕立て上げたかもしれない、彼の妻は【骸】に毒されて亡くなっている。
桃太郎団長が何としても情報を引き出そうとしたかもしれない。どんな手を使ってでも、彼は手段を選ばない。
–––ホークアイは、ジャンヌに託した。
「私も忙しい身だからな、中毒者と断定した者ならまだしも、仮定の人物一人一人に会う暇はない。よって、任せるぞ」
「は、はい!」
ホークアイはジャンヌに背を向け多目的室Cの扉を開く。ホークアイ班はここで主に会議や報告を行っている。
「あ、二人とも会議お疲れ様ッス。おかき食べます?」
「いただこう」
現在、ホークアイ班は23名。
その中のホークアイとジャンヌ含む七名が多目的室Cで各々の作業をしていた。
「【人喰い】の次の活動予測時期は二ヶ月後の予定だったな?」
「今までのデータから見た周期はそのくらいです、潜伏先がわかれば待つ必要はないのですが」
「構わん」
–––ならば、二ヶ月以内に解決すればいい話だ。とホークアイが結論付ける。おかきを食べながらジャンヌを置いてホークアイは話を進めていく。
「奴の唾液から出身や年齢は特定できそうか、イバラ」
「何度もやってますが、やっぱ難しいですね。一人だけの唾液ならともかく【人喰い】は頭も食べるので被害者の唾液やら血液が混じってしまって、どれが【人喰い】のものか断定はできませんので。今まで通り男性であるということしか」
「それは何度か遭遇した上に目撃証言からもわかっている」
そんなことよりも、とホークアイが薔薇の花頭をしたイバラの作業を中断させて、話を切り出す。
「実は【骸】の方の調査も我々が協力することになった。何人か解決するまで異動させても構わないか?」
「いいっすよ、大した報告も次【人喰い】が姿を見せてくれない限りは無理そうなので」
「わかった、では近いうちに会議を開く。これだけでは話にならん」
ホークアイが自分のデスクに腰をかける。
「ホークアイさん、椅子に座ってください」
「フン、座れれば問題なかろう」
ホークアイの自分ルールには毎度悩まされるジャンヌとホークアイ班の面々であった。
ジャンヌもその都度注意はしているのだが、改善される様子はない。
会議中はきちんと座ってくれるということは救いだが。
「ジャンヌ、お前も一度戻れ。オフの日に呼び出して悪かったな」
「い、いえ!何かお手伝いすることなどは」
「ない。今は次の捜査に備えて体を休めておけ」
「......わかりました」
※
ジャンヌの家に戻った蓮見はもう一度シャワーを浴びていた。空に雲があるとはいえ、外は暑い。8月はどこもかしこも暑いものだと確認することができた。
こちらに着てきた服は脱いで日干ししてある、太陽がないこの世界において日干しという表現は適切とはいえないが言葉の綾だ。
リビングに向かうとレキが暑さでバテていた。時間が経過するごとに暑さが増していくのも蓮見の元いた世界と何も変わりはない。
「おい、黒森生きてるか?」
「なんとか〜」
やっぱり、あの服暑いんじゃない。
朝方はあんな平然としていたのに今は死にそうだ。
どうやらこの世界にエアコンという便利なものは存在しないようで、ジャンヌの家は風通しはいいのだがそれでも暑いものは暑い。
むしろ室内の方が篭ってるせいで外よりも暑い気がする。
「それで、お前も見えてたのかよ。あの、浮いた時刻表が」
「......うん」
「なんであん時言ってくれなかったんだよ?」
「......へ、変な人だって思われたくなくって」
「お前は十分変だ、安心しろ」
「へ、変じゃないし!蓮見さんの方が変だし!」
レキはじたばたと全身を使って反論するが、蓮見は気にしない。
もし、仮にレキにあの時刻表が見えたとするなら蓮見の仮説である別世界の住人である蓮見しか目視することができないという説は崩れることになる。
まさか、こいつも元々はあっちの世界の住人じゃないだろうな?なんて疑念を抱きつつレキを見る。
「......」
「む、無言は怖いんだけど、はすみん」
「おい、まさかはすみんってのは俺のことじゃねぇだろうな?」
違うと信じたい。
「あの、時刻表なんだけどね」
「あん?」
レキが唐突に話を切り出し始めた、沈黙が続いて二分くらい経過してからぐらいに。
もうじたばたするでもなく、力なくソファの上で仰向けに突っ伏している。
「アレイスターの変態から聞いた話だと、この世界じゃ私くらいしか見ることができないみたいなんだよね。あの変態は知らないけど、存在は知ってた」
アレイスターの言うことがどこまで本当のことかはわからない。
だが、少なくともジャンヌは見ることができなかったため話を信じてみるのもありだと思った。
「私ね、あっちの世界、アレイスターが言うにはアダムって言うらしいんだよね」
「アダム、か」
「それでこっちの世界がイヴ。時刻表にも書いてあったでしょ?」
あれはそういう意味だったのか、と蓮見は納得する。
唐突に神話の中の神の名が出てきたから、どういった意味があるのだろうと頭を悩ませていたのだ。
レキはどこから持ってきたのかわからないりんごを食べながら話を続ける。
「話、戻すね。私ってね、アダムの人間とイヴの人間の間に生まれた子供みたいなんだよね」
レキの言葉に蓮見は耳を疑った。
一瞬なにを言っているのかわからなかった。
「は?」
「昔、もう二十年以上前みたいなんだけどアダム世界の父さんがこっちにやってきて母さんと結婚して生まれたのが私みたい、私が物心つく前に父さんは帰っちゃったみたいだけど」
蓮見は黙ってレキの話に耳を傾けた。
レキの出生と両親よりも蓮見が気にした単語は他にあった。
–––私が物心つく前に父さんは帰っちゃったみたいだけど。
「つまり、お前の親父さんはこっちに一度来て、帰ることができたってこと、なのか?」
「さぁ、帰ったってきちんとした報告があったわけじゃないみたいだけど、探しても見つからないらしいよ」
それもそうだ、もし帰ったという確証を得るにはもう一度出会う必要がある。それにはレキがアダムの方へ行くかレキの父親がイヴの方へもう一度やってくる必要がある。
「そのことで喧嘩して、家出してきたの」
「お前のお袋さんとか?」
「うん、私が父さんを探すって言ったら母さん全力で止めちゃってさ。あんな人のこと忘れちゃいなさいって、忘れるも忘れないも私は一回も会ったことないんだよ、おかしな話だよね」
レキはシャリっとりんごに一口噛み付き、咀嚼する。
「実は、蓮見さんがこっちの世界の人じゃないってわかってから、もしかしてって思ってたんだよね」
シャリシャリ、とレキがりんごを食べながら蓮見の目を見ながら話す。
蓮見もレキの目を見ながら息を呑む。
–––こいつの話、どこまでが本当なんだ?
思い返してみて、蓮見はレキには自分がこことは違う世界からやって来たことを直接話してはいない。
出会った時、蓮見は職をクビになり路頭に迷っているということになっていたはずだ。
「......奇数なら信じる、偶数なら信じない」
「ちょいちょい!まさかそんなことも運で決めちゃうの!?私悲しくて泣いちゃうよ!」
ポケットからダイスを取り出して空中に弾き飛ばす寸前でレキに手を握られて阻止される。
レキの握力は思った以上で振りほどくのは難しそうだ。
「ていうか汗クセェ!シャワー浴びてこいよ!」
「酷!?仮にも乙女に対してそれはないんじゃないの!?」
「ケッ、ガキに欲情するほど俺は落ちぶれちゃいねぇよ!」
「誰がガキよ!?」
レキが蓮見の胸板をポカポカと叩き、蓮見はレキの頬をむにーっと抓る。爪は立てていない。
「つーか、お前親父さんに会いたいのか!?それで家出とか、とんだファザコンだな!お袋さん泣いてるぞ!」
「実際泣かしたし!父さんとはいっぱい話したいことあるんだし!ていうか、蓮見さんには関係なくない!?」
「ここまで一方的に話されて関係ないは酷くないか!?」
口喧嘩をすること、かれこれ五分。
汗もかき、体力の無駄であることにようやく気がついた二人は床に突っ伏していた。
「......ていうか、蓮見さん帰らなくていいの?もっと焦らなくてもいいの?」
「......いいんだよ、焦ったって仕方ねぇだろ。時刻表も消えちまったし、金もねぇし、行く宛もないんだからよ」
蓮見は息を整えながら汗を拭う。
もう一度シャワーに入った方がいいかもしれない、暑さのせいで普段以上に汗が流れてくる。
「そういう黒森はよ、家に帰らなくていいのか?あと、アダムに行く準備を進めなくてもよ」
「......家出中ってんでしょ、それに今からアダムに行くにしたってお金もないし父さんの顔もわかんないし」
「.....お前、思ってた通り馬鹿だったんだな」
「失礼な」
最初はたしかに焦っていたが、今は少なくとも焦りはないわけではないが、開き直った感じだ。
蓮見としてはこんなよくわからない世界からさっさとおさらばして普段の日常に戻りたい。
反面、こんな時間も悪くないと思い始めている。
「なぁ、黒森。こうしないか?」
「どうすんの?」
「–––俺とお前で協力して、アダムを目指す」
利害は一致している。
蓮見の方がアダムのことはレキよりも詳しい。
右も左もわからず、レキ一人でアダムに向かって野垂れ死ぬよりは蓮見が協力した方が彼女の父親も見つけやすいだろう。
「......なんか蓮見さんが素直で怖い」
「バカヤロウ、借りも作りっぱなしじゃいけねぇからよ。お前がいなきゃここまで辿りつけなかったわけだしな」
蓮見がゆっくりと起き上がる。
レキの顔を見据えながら微笑む。
「......ハハ、蓮見さんって結構真面目なんだ」
「当たり前だ」
「じゃあ、よろしく。で、いいのかな?蓮見さん」
レキがはにかみながら、笑い返す。
蓮見もそれに応えるように、白い歯を見せながら笑顔を見せる。
「こっちこそよろしくな、黒森。明日辺りに職探しに行こう」
「そうだね」
「で、俺らがこれからすることはだな–––」
蓮見が何かいいかけて、ぐぅぅぅぅと腹の虫が鳴き出した。
–––蓮見は朝から何も食べてない。
「.....腹ごしらえ、だな。さっき食ってたりんご、少しくれよ」
「もう食べちゃったよ、あぁ、私もお腹空いてきた...」
「テメェさっきまでボリボリ食ってたろうがァ!!」
こうして、二人の喧嘩第二ラウンドはジャンヌが帰ってくる二十分後まで続いたことは言うまでもあるまい。
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5.就活
就活生の朝は早い。
それは性別はもちろん、年齢も関係ない。仕事を貰うために相応しい身だしなみを整える必要があるからだ。
乱雑に伸びた無精髭を剃り、髪と眉を整え清潔感を出し、白いワイシャツに袖を通してキュッとネクタイをしっかりと締める。
コートを羽織り、菓子折りを鞄に入れて就活生蓮見征史は扉を開き外へ–––
「ちょっとストップ」
「.....なんだよジャンヌ」
「お前一体どこのパーティに行くつもりだ?」
訂正しよう。
世界が異なれば就活生としての常識も若干異なると。
それはこの世界の常識に疎い蓮見にとってはどうすることもできないことである。
何でも、この世界において就職とはここまで力を入れる必要はないとのこと。
普段通りの格好でもいいし、面接も特にない、受け入れる側が採用するかしないかは気分次第というところもあるらしい。
蓮見はスーツ(1万2000エバ)から私服に着替える。
「全く、何やら買い物をしたいから金を貸してくれと言われたと思えばスーツを買うなんて思いもしなかったぞ」
「ホントすみません、帰る前に金は必ず稼いで返すので!」
「.....別に気にすることはない、大した出費じゃないんだ」
どうやら、この世界においてスーツは結婚式等の祝事、貴族達のパーティなんかで着用するのが普通らしい。
そして、就活には必要ないと。 そもそも就活という概念がなかった。
求人という言葉はあったが、あくまでも向こうから募集をかけているためこちらが下手に出ることはないとのこと。
むしろ舐められないようにしなければならない。
「レキは何も言ってなかったのか?」
「あいつとは昨日から別行動してるんだ」
最初の方は一緒に行動していたが、二人一緒では行動範囲が限られてくる。
そういうわけでレキが別行動を提案し、レキは人脈を辿って仕事を探しに、蓮見は自分の足でなるべく給料のいい仕事を昨日一日探し回っていた。
そして、条件のいい仕事を見つけたため、ジャンヌから金を借りて必要なものを買い込んだのだが金を無駄にするだけになってしまった。
ジャンヌにはとても悪い事をしてしまった。
こちらに滞在する以上、少しずつこちらの知識も学んでいかねば。
すぐにでも元の世界に戻りたいが、ジャンヌから借りた金は返さねばならない。
全額返済するまで、帰るわけにはいかない。
「それで、お前の様子だといい仕事が見つかったみたいだな」
「あぁ、最終的にはどっちにするか悩んだんだけど、困った時のコイツで決めさせてもらった」
ニッ、と蓮見は笑みを見せながらポケットから愛用してる六面ダイスを取り出す。
ジャンヌはダイスに視線を向けながら首を傾げる。
「その、お前の持ってるダイスは大切なものなのか?」
「......小さい頃、俺のことを助けてくれた人がくれたんだ。 それ以来会ってないけどな」
「ふうん」
脱いだスーツを畳みながら、片手に持った求人用紙を改めて確認する。
蓮見にとって教わったこともなければ、自ら学んだ文字ではないが、全てを正確に読むことができる。
この事実はこちらの世界の住人であるレキとジャンヌの二人の協力もあり、実証することができた。
喫茶店[蜘蛛の巣]と店名が書かれた下にはいくつかの注意事項、及びに場所や簡単な店の紹介が記載されている。
「へぇ、喫茶店か」
「情報を集めるなら、人が集まって話し合えるような場所がいいと思ってな」
喫茶店と居酒屋、最終的にこの二つに絞った蓮見は最後の二択をダイスで決定した。
安直かつテキトーな方法にも思えるが、蓮見は基本的に直感を信じる人間である。
自分とダイスの意思によって決めたレールを歩き、軌道修正を繰り返す。
改めて、最低限の身だしなみを整えて扉を開く。
「んじゃ、行ってくる。黒森が戻ってきたらよろしく頼むよ」
「あぁ、気をつけてな」
ジャンヌ宅から歩くこと八分ちょっと、住宅街と駅のホームのあるちょうど境目の登り坂の途中に喫茶店「蜘蛛の巣」は建っている。
開店はしている様子で色とりどりの客、扉にはこちらの世界の文字で「OPEN」と書かれた木札が下げられていた。
(......うし!)
少し古びた木造の扉を引くと、カランカランと扉に取り付けられた甲高いベルの音が鳴り響く。
まだ時間は開店して間もない時間のせいか、蓮見以外の人間は数少ない。
見たところ、椅子に座っている客が二名、立っている従業員と思われる者が三名だ。
「いらっしゃいませ、お一人様で?」
「あぁ、実はこれを見て来たんだが–––」
こちらはあくまでも雇われる側だが、下手に出てはいけない。 一人の人間として舐められてはいけない。
褐色肌で耳の長い女性が蓮見が手に持った募集広告をまじまじと見つめる。
視力が良くないのか、ギリギリまで顔を近づけている。
「わかりました、裏にご案内するのでついてきてください」
「おう」
「シアン、タンバ、私はしばらく店長のところに行くのでお願いします」
シアン、タンバと呼ばれた二人は蓮見のことを物珍しそうにチラチラと見ながら返事に応える。
見たところシアンは男性のようなので女性ばかりのところで働くということは避けれそうだった。
綺麗に掃除された木造のホールの奥の扉の先には今にも床が抜けそうな廊下が待っていた。
一歩足を進ませるとミシッと軋んだ音が響く。
「......大丈夫なのか?」
「店長の趣味です、お気になさらず。 底が抜ける心配はないですよ、そういう仕様となってますので」
ミシッ、ミシッと悲鳴をあげる廊下を慎重に進む。
先ほどの言葉はあったが、やはり不安になってしまう。 表と裏でここまで差があるのは果たして如何なものかと思ったが、店の方針ならば何も言わないでおこうと蓮見は押し黙った。
スタッフルームを抜け、一際不気味さを放っている扉の前に案内された。
–––そう、店長の個室である。
「こちらになります」
「......あ、ありがとう」
コンコン、とまだ叩くと音が鳴るくらいの強度が残っている場所を叩き、褐色肌の女性の言葉に応えるようにして奥から女性特有の艶かしい甲高い声が響いてくる。
「はい?」
「私です、夜々です店長。募集広告を持った方がいらっしゃいましたのでご案内致しました」
「......そう、お入りな。夜々は仕事に戻り」
「はい、では、失礼します。くれぐれも粗相のないように」
タッタッタッ、と夜々は足早にホールの方へ戻っていく。
「......」
「どうしました?誰かいはるんでしょ?」
「あ、あぁ」
思わず固まってしまったが、ドアノブに手をかける。
ガチャリ、と何故か重々しく感じられたドアノブを捻り、扉を引く。
白い布が天井から下がったり、川のように掛けられたりしており、中央には蝋燭が一本立ち、その頭頂部ではユラユラと火が揺らめいていた。
–––その先に腰掛ける着物を着た女の腕は四本あった。
「......ッ、蓮見征史、です」
ここで怖気づいてしまえば何も始まらない。
この程度の緊張、かつて蓮見が味わった十人の面接官から根掘り葉掘り聞かれた圧迫面接に比べたらマシである。
まずは相手に名前を伝える。 という第一段階はクリアした。
面接官の女は顔をゆっくりと上げ、六つある瞳を全てこちらに向けてくる。
「へぇ、蓮見はんね。うちはフランチェスカ・蝶々って呼ばれとります、どうぞよしなに」
蝶々、は足を組み直し煙管を蒸す。
その時に蓮見は気付いたことが彼女の脚も四本あるということだ。
この世界に来て嫌という程異形な人間に会ってきた。
今更驚くものなどない。 そう、この緊張は面接という場の雰囲気が生み出してる、いわば先入観だ。
「見れば見るほど、ええ男やねぇ。なしてこの店に?」
「......情報と、金が必要になって仕事を探していたら、ここに」
「なるほどねぇ」
蝶々が蓮見を見る目は品定め、否、心の内を見抜くかのような視線だ。
煙管を再度口に近づけながら、蝶々は蓮見のことを指差す。
「なら、なしてここにしたん?うちとしてはありがたいけど、情報だけなら図書館に行けばよろしい。 金ならここよりも高給なところはたくさんありんす、なしてここなん?」
「......」
「だんまり?それとも、何か言えん事情でもありんすか?」
くすくすと面白そうに蝶々は妖艶に微笑む。
「いやぁ、結構個人的というか、自分勝手な理由なもので」
「いいやないの? 人間誰しも欲望があるもんやし、恥ずかしいことなんてあらへんよ。 もしかして、疚しかったり、恥ずかしい、ことなん?」
「違います」
ハァ、と蓮見は思わず溜息を吐いてしまった。
元の世界に帰るため、ジャンヌに借りを返すため。 いつの間にかそのことも蓮見にとって重荷になっていたようだ。
そして、就活という事態の重さと面接という場で難しく考えすぎていた。
心臓の脈打つ速度も安定してきた、今なら蝶々の六つの瞳を真っ直ぐ見返して一つの質問に対して十は応えれる自信がある。
「まず、図書館には館長のアレイスターが胡散臭くて行く気になれない」
「なるほど、納得や」
「もう一つ、たしかにここ以外にもいくつか候補はありました。 そんな中でも最終的に残ったのがここと居酒屋[タンドリー]の二つ」
「–––ふうん、なしてこっちを?」
「ここまで来れば、俺はいつもこいつに頼らせてもらってるので、こいつに従いました」
「......それは、双六の賽子かいな?」
「......え、えぇ」
蝶々は今までで一番驚いた、とわかる表情を浮かべた。
蓮見も蓮見でわざわざポケットから取り出し、ドヤ顔で言うようなことではなかったと後悔している。
遠回しにこの店は自分が選んだのではなく、ダイスを転がして選びましたと言っているようなものだ。
つまるところ、テストで二択に迷ったので鉛筆を転がして解答したことと何の変わりもない。
ここ、喫茶店[蜘蛛の巣]で蓮見が働きたい明確な動機がないと言っているようなものである。
「ふ、ふふふ、やっぱりあんた面白いわぁ。 ええ男やし、こりゃ優良物件確保したんとちゃうかなぁ」
「え、えっと、蝶々さん?」
「あぁ、名前呼びもええけどうちのことは店長って呼んでくださいまし」
ふふふふ、と未だに笑い続ける蝶々は四本のうちの二本の脚でゆっくりと立ち上がる。
もう二本の脚は座するような形で曲げている。
肩から着物を羽織るようにして着ている蝶々はゆっくりと蓮見に近づく、身長は高下駄を履いていることもあってか、蓮見よりも一回り大きい。
「–––あんさんは採用やで、蓮見はん。 何より、嘘を吐かんかったのが好印象や」
「.....そんなの、わかんねぇだろ」
「わかるんよぉ、嘘を吐く人間からは汗の匂いが凄いからねぇ」
つつつ、と蓮見の首筋を蝶々はゆっくりとなぞるように指を立てる。
「嘘吐いとるんなら、もっとベタつくはずやで」
「......スゲェな、あんた」
「褒めても何も出んよ」
楽しそうに笑顔を浮かべながら口元に指を近づける。
「–––でも、あんたまだうちに隠しとることあるやろ?」
「そ、それは......」
「ええんやで、うちは隠し事は詳しく聞かん主義や。 ミステリアスな男の人ってそれだけで魅力やし」
「こりゃ、また一本取られた」
蓮見も苦笑いを浮かべる。
思い浮かべるのはかつての妻の顔だった、どうも女って生き物は男よりも一枚も二枚も上手になれるように立ち振る舞うのが得意らしい。
この人の下なら上手くやれそうだと蓮見は確信した。 何より、気が合いそうという点が大きい。
蝶々は蓮見に背を向けて椅子に再び座る。
「で、早速やけど業務の話に移ってもよろしいか?」
「あぁ、頼む」
「じゃあ、まず蓮見はんも座りなはれ。 しんどいやろ?」
「あ、あぁ、じゃあ失礼して」
蓮見はゆっくりと座る。 この場合正座のほうがいいのだろうが、蓮見はいつもの癖で胡座をかく。
蝶々は気にしない様子で微笑みながら手際よく、それでいて正確に必要な情報を蓮見に伝える。
ここ、喫茶店[蜘蛛の巣]の給料は月払いで基本月給は1,2000エバ。 仕事次第で増減することもあるとのこと。
シフトは週に三日入れることが条件、その条件を守らなければ採用はされない。
そのことは既に募集要項にも記されていたので蓮見には何の問題もない。
他にも制服の取り扱い、緊急時の連絡手段、そして奴隷の扱いについて。
「この店にも奴隷が?」
「えぇ、今はおらんけどちょっと前までは買っとったんよ。 でも、一人に充てる世話代が嵩張るから、三人おったんやけど思い切って売り払ったんよ」
「.......なるほど」
この世界では日常的な存在だが、蓮見にとってはどうにも受け入れがたい。
今はいないと聞いてホッとしたが、これから共に仕事をすることがあるかもしれない。
蝶々はそんな蓮見の様子を気にすることなく続けていく。
新聞は基本的に従業員が取り店の中に入れる、その役割は一番最初に店に来たスタッフ。
メニューは全部で37種類。 ドリンクは基本的にホールスタッフでも作れるようになっておく必要がある。
「作り方は後でしっかりとご指導させてもらいます」
「はい」
「うちで扱ってるドリンクは19種、これを一週間のうちに覚えてもらう必要がありんす」
「一週間か」
「いけそうかえ?」
「あぁ、それだけ時間がありゃいける」
蓮見は回想する。
かつて、本屋に就任して間もない頃、本の取り扱いや書店内の並び、特典の有無、在庫確認の方法や今月発注すべき本のリストなどを三日で叩き込まれた頃のことを。
それに比べたら一週間なんて時間がありすぎるくらいだ、他の仕事も覚える余裕もある。
「–––それに比べりゃ、完璧に覚えれる自信がある!!」
「あんさんの前の職場どんだけブラックやったん?」
あの程度でブラックと言ってしまえば、世の中全部がブラックですよ蝶々さん!
「それで他には何かありますか?」
「せやねぇ、あとは実際に仕事をしながら覚えてもらうってところやね。 質問とかありはる?」
「いや、特には」
蝶々の説明はとてもわかりやすかった。
蓮見は回想する、かつて本屋に就任して間もない頃は先輩から基本的にご指導を受けてたのだが、その人が何とも説明下手な人で本当に日本語を話しているのかわからないことを。
そして、矛盾も多く質問にも答えてくれず、結局店長に色々と聞いてた手前先輩から仕事を押し付けられてた日々のことを。
「大丈夫! 俺はやれる!」
「気合は十分やね、頼もしい限りや」
こうして蓮見は喫茶店[蜘蛛の巣]にて採用が決まった。
蝶々から渡された制服を持って、男子更衣室で着替えを済ませる。
この世界では昼と夜の区別は時間帯によるものだ、よって空の色は変わることはない。
だからなのか、照明機器は蝋燭と明らかに街並みを彩るだけの目的の街灯以外にそれらしいものは見たことがない。
窓を開けるか閉めるかによって部屋の明るさは決まる。
この喫茶店[蜘蛛の巣]は家屋と家屋に挟まれた位置となっているため窓からの光を受け入れるという意味では立地的によろしくない。
だからこそ、裏のスタッフルームは全体的に暗い作りとなっているのかもしれない。
ここの更衣室も同様であった、窓は存在せず、わずかにある屋根の隙間から光が入ってくるくらいだ。
蓮見は着替えながらそんなことを考えていた。
着替え終えると、休憩室へ向かうように蝶々に言われていたので周りを見ながら休憩室へ向かった。
これから働くというのに店の構造がわからなくては話にならない。
休憩室は横長の机二つを並べ、囲うようにして椅子が四つ設置されている。
中では二人の人物が休憩をしている最中だった。
一人はさっきホールで見たシアンという青年、もう一人は蓮見と面識のない狼顔の男だ。
「あ、新人さんだよね? 僕はシアン、君に色々教えるように夜々姉さんに言われて休憩もらってます。 よろしくね!」
「俺はキリアス、ここの料理作ってる」
「あ、どうも、蓮見征史です」
シアンはどこかおどおどしながら、キリアスは興味がなさそうにこちらを一瞬だけ見た。
「店長は基本的に昼間はあの部屋から出ない人で、ね。 しばらくは僕が蓮見に仕事を教える形になると思うから、シフトも一緒の時が増えると思う」
「シフトって、店長が?」
「基本的にはね、何か要望があれば夜々姉さんに言っても聞いてもらえると思う」
どうやら夜々、という人物はここのスタッフの中でも古株のようだ。
「じゃあ、早速行こうか。 キリアス、厨房の方使ってもいいよね?」
「好きにしろ、あいつもまだ作業中だろうから邪魔しないようにな」
「了解ですっと」
シアンが立ち上がり、キリアスは目を背けながら肘を机に乗せる。
蓮見よりも身長の低いシアンはどうしても見上げなければ視線を合わせれない。
かといって、蓮見が腰を下げるわけにもいかない。 ポリポリと頭を掻きながらシアンを見る。
「じゃあ、行きますか」
「はい」
休憩室を出て、軋む廊下を少し進んで右に曲がったところに厨房がある。
そこでは一人の女性が周りを寄せ付けぬ真剣な雰囲気で調理をしていた。
「えっと、あの人は厨房を仕切ってる人で基本あんな感じだから気にしないで」
「あ、はい」
「そ、そういえば蓮見、さんっていくつなの?」
「38ですが」
「......やっぱり歳上でしたか、倍近く」
ガクッと項垂れるシアン、彼はこの喫茶店[蜘蛛の巣]の最年少スタッフらしい。
しかし、年齢は関係ない。 働いた年数で言えば蓮見よりもシアンが上なのだ。
「......あの、蓮見さんってお呼びしてもよろしいですか?」
「大丈夫ですよ、シアン先輩」
「......なんか、むず痒いっすね、ははは」
そこそこ広い厨房の隅に移動して、ドリンクの作り方を教えてもらった。
ほとんどが珈琲飲料で珈琲豆の組み合わせと微妙なお湯の匙加減、ミルクと砂糖の量なんかを微調整していく必要があるようだ。
ちなみにシアンは全てのメニューを完璧に作れるようになるまで二ヶ月掛かったらしい。
「これ、基準とかあるんですか?」
「店長と夜々姉さんの二人の好みですね、あとはお客さんがどんな味を求めているのか、それによって微妙に変わりますけど、基本はあの二人がオッケーを出したら問題ないです」
「......そういえば、あの二人ってどういう関係なんですか?」
「親子らしいですよ、僕も詳しくは聞いてないですけど」
雑談も交えながら、シアンから教わった分量をメモしていく。
そして実践して、実際に感覚で覚えていく。
珈琲以外にも、カクテルやジュースの類もあるが、こちらはそこまで重要視されてないようで細かな分量までは定められていなかった。
「あ、薪が足りなくなったら予備は倉庫にあるから取りに行って補給しといてくださいね」
「倉庫はどちらに?」
「裏口を出たら中庭があるので、その向かいの小屋です」
集中して練習すること二時間、要領も掴めてきたところで一度休憩を取ることにした。
休憩室へ戻ると、そこには夜々が座っていた。
「あ、夜々姉さんお疲れ様です!」
「シアン、お疲れ様です。 そちらの、新人も」
「蓮見です、以後よろしくお願いします」
「こちらこそ」
表情を変えることなく夜々は握手を求めてくる。
「ごしゅ、店長に失礼なことしたりしてないですよね?」
「してねぇよ」
つい言葉を崩してしまった蓮見。
「なら、良かったです」
しかし、夜々は気にすることなく目を細める。
そして、休憩室に運び込まれた蓮見の作った珈琲を一口上品な仕草で啜る。
「これは蓮見君が?」
「えぇ、一応」
「少し、苦味とクセ強いですね。もう少しお湯の入れ方を丁寧にするか、砂糖の量と珈琲豆の量を減らすことをオススメします」
「苦味が強いのに、ですか?」
「おそらくですが、この豆は元々苦味が強力なもの、故に味を引き出すためには砂糖で誤魔化すのはオススメできません。 ですので、珈琲豆の量を減らすといいでしょう」
「なるほど」
蓮見は夜々の言葉を一つ一つ反芻しながら、メモをしていく。
「......蓮見君は勤勉家ですね」
「そうでもないですよ」
その後もシアンと休憩を挟んだ夜々による指導は四時間続いた。
※
「お疲れ様、初日なのによう働いてくれたねぇ」
「いえいえ、そんな」
午後六時に勤務は終了した。
勤務と言っても、ほぼ七割方は珈琲を作ってるだけに終わったが、人手が足りなくなったということで蓮見も急遽ホールに出て仕事をすることになった。
「蓮見はん、結構客受けも良かったし、ホント嬉しいわぁ」
「......ソーデスネ」
「夜々姉さん、落ち着いて!」
今は閉店し、休憩室に最後まで残っていたスタッフが集まっている。
全員が珈琲を飲みながら、今日の反省と今後について、材料の補充についての話し合いが主である。
「じゃあ、今日は僕が買い出しに行ってきますよ」
「あんま無理すんなよシアン、夜歩き慣れてねぇだろ。 俺もついてくよ」
「いや、いいよ!」
「治安悪いんだから気にすんな、魔女の一団と遭遇しても厄介だからな」
ポン、とシアンの頭にキリアスが手を乗せる。
シアンよりも身長が二回り大きいキリアスは座りながらシアンの頭に手を置いたのだ。
「魔女の一団?」
ふと、気になる単語があったので蓮見は口に出すとキリアスがどこか呆れた様子で溜息をついた。
「んだ、知らねぇのか?」
「知らねぇよ」
「今日の新聞の一面にも載ってたぞ、軍警団の調査で最近活動がまた活発化してきたらしい」
机に置いた新聞を広げながら全員が魔女に関する記事の一面に目を向ける。
「魔女、三年前のあの事件以来音沙汰なんてなこうたのに、なしてまた」
「知らねぇよ。 けど、また【骸】が市場に出回ってるってことは事実みたいだ、買い出しにも気をつけねぇとな」
「せやねぇ」
蝶々とキリアスの話に蓮見は付いていけないが、よからぬ事が起こっているということはわかった。
新聞は定期的に読んだ方がよさそうだ。
「なら、尚更シアンを一人で行かせるわけにはいかへん。 頼んだでキリアス」
「わーってるよ、行くぞシアン」
「ちょ、待ってよキリアス!」
キリアスは立ち上がると裏口から外へと出ていく。
シアンはそれに続くように上着を羽織り、追いかける。
「蓮見はんも気をつけて帰りや、面倒なことに巻き込まれる前に」
「は、はい。 これからもよろしくお願いします」
ぺこり、と頭を下げて裏口から外へと出る。
中庭から路地を通り、正面のある坂道の通りに出るとレキがいた。
「やっほー」
「......何してんだ、お前」
「いやぁ、蓮見さんが仕事決まったってジャンヌさんから聞いたから様子を見ようと」
「お前は俺のお袋か」
相変わらず暑そうなフリフリのゴシックドレスを着たレキは両手にそれぞれりんごを一つずつ持っていた。
一つを蓮見に渡して、もう一つはレキ自身が齧る。
「そういや、お前はどこに行ってたんだ?」
「ちょっと隣の駅までね、そこでツテをハシゴしてた」
「そっか」
シャリ、と蓮見もりんごを一口齧る。
そして、齧ってからあることに気がついた。 割と重要なことに。
「黒森、このりんごどこから盗んできたんだ?」
「ぬ、盗んでないし!? ちゃんと買ったやつだよ!?」
「金ないのに?」
「だから、それは、ツテをハシゴしながらコツコツ稼いでたんだよ!」
「......」
「蓮見さん絶対信用してないね、その目!」
ポカポカと殴ってくるレキを諌めながら、ジャンヌの家にまで戻った。
ちなみに今回の件に関しては蓮見がレキを信じることはジャンヌの家に戻ってもなかったという。
感想、評価、批評、罵倒、その他諸々お待ちしてます(^^)
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6.奇譚
8月28日。
蓮見が喫茶店[蜘蛛の巣]で働き始めてから、一週間が経った。
週に四日ある休みの日はドリンクの組み合わせを覚えたり、図書館に行き情報収集を主にしていた。
蝶々曰く、館長のアレイスターは基本的に昼の時間は寝ているため絡まれることはないとのこと。
実際昼の時間帯に蓮見が図書館に行くと、職員の数も来館者の数も以前行った時と比べ物にならないほどの数だった。
司書を一人捕まえて話を聞いてみたところ「館長からセクハラされない時間帯ですので、皆さんこの時間に入りたがるんですよ。私も初めて入ったのですが心地いいです、勝ち組の気分です」と嬉々として語ってくれた。
実際、アレイスターが絡んでこないというアドバンテージは大きく、特に不快な思いをすることなく図書館で過ごすことができた。
蓮見が図書館で調べたことは、主にこの世界『イヴ』の成り立ちと文化、そして蓮見がいた世界『アダム』との関係性である。
調べてみればこの世界『イヴ』の歴史は『アダム』に比べて歴史が随分と浅い。
地球の歴史は4億ちょっと、その内の人類史は紀元前を含むと6千年近くになる。
対して『イヴ』の歴史は175年ほどしかないことがわかった、あくまでも資料に残されているざっくりとした歴史に限ることとなるが。
現在『イヴ』における年号西弐歴が始まり、23年目。
年号の周期は不明だが、一年間が365日ということは共通している。
まだまだ読み足りない歴史の資料や『イヴ』の常識、成り立ちは数多くある。
あのアレイスターの言葉を信じるなら彼は『イヴ』の創世時代、少なくとも175年以上は生きていることになる。
彼に聞くのが手っ取り早いのだろうが、蓮見自身乗る気ではなかった。
そうでなければ、わざわざアレイスターの就寝している時間帯を狙って図書館にやってくる必要はない。
蓮見は本を静かに閉じて、図書館を後にした。
今日の夕食当番は蓮見になってたはずだ。仕込みは軽く済ませたため、後は微調整をするだけである。
ジャンヌの家にしばらく厄介になる代わりに、蓮見とレキはそれぞれ家事を当番制にして彼女を手伝うことにした。さすがに何もせず寝て食ってだけでは申し訳がない。
蓮見が仕事の日はレキが、レキがいない日は蓮見が、どちらもいない場合はジャンヌがという形になっている。
そこで、蓮見はりんごの皮を剥きながら、ふと、疑問が生じた。
そう、思わず言葉にして呟いてしまうほどの疑問、ほんの些細なことである。
「.....黒森のやつ、一体どこで何をしているんだ?」
–––共に『アダム』を目指す相棒であるはずなのに、その相棒のことを知らなさすぎた蓮見だった。
※
8月30日。
蓮見はこの日、家事を事前に早く終わるように企て、無事終わらせることに成功した。
いつものようにジャンヌ、レキを見送りすぐに外出の準備をする。
そう、レキを尾行することにしたのだ。
本人に何度聞いても「知り合いのところで働かせてもらってる」としか返事が返ってこない。
どこかはぐらかされている気もする、ということで尾行を決意した。
このことは事前にジャンヌには話している。間違って自警団に逮捕されたりしたら、洒落にならない。
ジャンヌからは訝しげで呆れられた気もするが、蓮見征司という男は基本的に第三者からの評価は気にしない。
蓮見の服装は特段怪しい、というわけではない。
まだ暑さの残る8月、よって白シャツの上に緑の薄手の上着、七分丈のジーンズと『イヴ』においても一般的な格好である。
むしろ、蓮見からすれば尾行相手のレキの黒いゴスロリ服の方が目立つし、浮いてる気がする。
特に周りが気にする様子もないところからするとレキのあの格好も『イヴ』においては何ら不思議ではない一般的な格好なんだろうなと蓮見は心の中で諦める。
西へ歩き続け、ヌンクの駅を出て街道へと入る。
フィガロとは反対側であり、こちらの街道は緑が多く、地面も最低限しか舗装されていない土の道だった。
鈴蘭の咲く道を一時間ほど歩くと、そこに小さな集落のような「駅」があった。
ケルト。
フィガロやヌンクと比べると大きいとはとても言えず、街というよりは村と呼ぶ方がいい長閑な駅だった。
『イヴ』の主要とされる街には駅があり、街とは呼ばず駅と呼ぶ。
それが例え、ケルトのような長閑なところでも汽車が通っていれば立派な駅である。
「.....あいつ、こんなとこまで一体何しに来てるんだ?」
わざわざ一時間近く歩いてきて、知り合いと会うだけにしては少々面倒だ。
ケルトの構造は少し特殊で大きな隕石の跡、クレーターのような中に位置している海抜が低い。
川や海をまだ『イヴ』に来てから見たことないため、この表現は正しいかわからないが、いわば少し低い位置にあるのだ。
下へ降りるための道も限られている。蓮見はゆっくりと足をしっかりとつけてケルトの駅を目指す。
「よっと、ふぅ、運動不足の身体には堪えるなぁ」
「あ、外からの人間だ、おじさんだ」
「まだ若いわ」
蓮見に気安く話しかけてきたのは、白髪の子供だった。
レキよりもまだ幼い、歳の頃でいうと10歳になってるか満たないかくらいだろう。中性的な見た目でパッと見でもよく見ても性別がわからない。
下半身を確認すれば簡単なのだが、蓮見は紳士である。そんな下品なことはしない。
「君、ここの子?」
「ん、まぁそうかな。色んなところにも行くけどね」
「.....黒森レキってやつが最近ここによく来てるっていうから、来たんだけど、知らない?」
「レキ姉の知り合い? あッ、ということはあんたが最近レキ姉が愚痴ってる蓮見ってやつか!」
どうやら知り合いのようだ。
年相応の子供らしい大袈裟なリアクションで返してきたが、蓮見はそれよりも気になる言葉が耳に入ってきた。
「.....俺、愚痴られてるの?」
「うん。 なんか、りんご剥くのが下手くそだとか、洗濯物の汚れとかしわがしっかり取れてないとか、淹れる飲み物が意外にも好みで悔しいとか」
–––よし、あいつの皿に嫌いなタマネギを増やしておいてやろう。
赤い垂れ目の子供がコクンと首を傾げている。
「そうか、教えてくれてありがとうな、えっと、名前は?」
「ボク? ボクはヒルコだよ、ヒルコ・リドゥー」
ヒルコは石の上から立ち上がり、ズボンを叩きながら汚れを落とす。
ニッコリと年相応の笑みを浮かべながら、ヒルコは蓮見のことを見つめる。
「蓮見のおっちゃん、もしかしてケルトに来るの初めて?」
「お".....あ、あぁ、初めて来たな」
「ならボクが案内したげるよ、ちょっとここは道が複雑になってるからさ」
ヒルコは足元にある石を拾って、ゴリゴリと地面に何かを描き始める。
「このケルトは三つの区画にわかれてて、駅の通ってる区画はここから、自警団支部のある区画にはこの先の突き当たりから、三つ目の区画に行くにはもう一回上に行かないといけないんだ」
蓮見はヒルコの描いた図と眼下に広がるケルトを見比べながら納得する。
歳の割に手慣れた説明をするヒルコに最初は驚いたが、もしかしたら見た目が幼いだけの中身はおっさんなのかもしれない。
ここは『イヴ』なのだ、蓮見の常識が通用しないなんてことはザラにある。
それぞれの区画は崖によって区分されているため、下に降りてからの移動は難しそうだった。
「この三つ目の区画には何があるんだ?」
「畑とか家とか、結構ごちゃごちゃしてるところ。 ボクでも滅多に行かないよ」
ヒルコは三つ目の区画の描かれた場所に石でバツ印を描く。
「下の区画同士で道はないのか?」
「あるにはあるけど、おっちゃんの動きじゃ無理そうかな。 ここに来るまでも結構気使ってたでしょ!」
「うっ」
再度、納得させられた。
どうやら区画の移動には崖を直接移動するしかないようだ。
「レキ姉はよく自警団支部のあるところに行ってるよ」
「へぇ」
ジャンヌもたしか自警団だった。
もしかして、レキは自警団の知り合いが多いのかもしれない。
「じゃあ、そこの案内頼めるか?」
「もっちろーん! こっちだよ」
軽快な足取りで先に進むヒルコ、どうやら『イヴ』の住人の身体能力はレキが例外ではなく、蓮見よりも遥かに上回るらしい。
環境がそうさせているのか、それとも地力が違うのかはわからない。
しかし、もし凶悪な犯罪者、危険思想を持ち蓮見と敵対するような人間と相見えたときは逃げれるかはわからない。
それほどまでに差があるのだ、幸いにもまだそういった者たちと出会ってないのが救いである。
削り取ったように舗装された崖道を下り、緑の大地に足を下ろす。
広さは公立中学の校庭ほど、野球が同時に二試合行えるほどの広さだ。
奥には自警団ケルト支部の建物が建っている。
周囲には10件にも満たない木造住宅が建ち並んでいる。
その中でも一際目立つ建物、こちらの世界の文字で[ブレットケルター]と書かれた看板の下で見知った顔を見つけた。
「あれ!? 蓮見さん、なんでここに!?」
「.....やっぱお前だったか」
「レキ姉ぇー!」
蓮見は一瞬彼女がレキとわからなかったかのには彼女の服装が関係している。
いつものような紫を基調とした色のゴスックドレスではなく、明るい橙色のウェイトレス風の格好に、ぴょこりとしたリボンではなく、白い三角巾を頭にちょこんと乗っけている。
右腕にはバスケットがある、中からはほんのりと暖かい香りが広がってくる。
「蓮見さんにここのこと話してないよね? ていうか、ヒルコまで」
「あー、いや、その.....」
本当なら話しかけるつもりはなかった、遠くから見てるだけのつもりだったので蓮見は少しどうしようかと混乱している。
(.....ついてきた、なんて言えばストーカーみたいだもんなぁ、だから遠くから見守ってようと思ったのに)
その行為もストーカー気質にあるということに気がつかない蓮見であった。
「いや、前俺の仕事先にも来てたからさ、黒森の仕事先もちょっと気になってさ、ちゃんと働いてるかなって」
「.....なんか蓮見のおっちゃん親父くさいね」
苦し紛れの言い訳も流されることなく、しっかりとヒルコに拾われてしまった。
「ま、まぁ来る分にはいいけど、突然だとびっくりしちゃうじゃん」
「俺の仕事先に何の連絡もなしに突然やって来たのはどこのどいつだ?」
レキがそっぽを向いて口笛を吹き始めた、物凄く下手くそである。
吹けてない。
「あれ、レキちゃんまだ行ってなかったの? 話し声が聞こえたから気になってたけど」
店の中から少しふくよかな体型のおばさんがひょこっと顔を見せた。
「あ、いっけない! 蓮見さん、また後でね!」
「ちょ、黒森!」
逃げるようにしてレキが走り出し、ぴょんぴょんと隣の区画にまで軽々と移動する。
たしかにヒルコの言う通り蓮見では、とてもできそうな芸当ではない。
「ちょっとあんた!? うちのレキちゃんの何なの!? 新手のストーカーかい!?」
「違う!!」
自警団支部のお膝元にあるお店[ブレットケルター]の前で事案は勘弁してほしいものである。 割とシャレにならない。
「違うよマダム、たしかにちょっと怪しいけど、蓮見のおっちゃんはレキ姉の知り合いだよ!」
「俺泣いていい!?」
子供からの目線でも怪しいと言われてしまった蓮見、心に9999のダメージ! クリティカルヒット!
「そ、そうなのかい、それは申し訳ないことをしたね」
「あ、いえいえ、お気になさらず」
彼女、マダム・メソッドはウネウネと蠢めく長い髪を靡かせながら謝罪してくれた。
「ここは、パン屋?」
「そう、あたしの母ちゃんが始めて、あたしが二代目さね!」
レキの持つバスケットからの香りはパンだと蓮見は認識した。
「実はね、二週間くらい前だったかね、レキちゃんがメロンパンってやつを求めてウチに来たんだけど、あいにくそんなものは用意してなくてね、初めて聞く名前だったし」
「メロン、パン.....」
「そう、それでお金も必要だってから昔のよしみで働いてもらってるってわけ」
思えば、蓮見の渡したメロンパンを幸せそうに食っていた。
そこまで気に入ったのか、と蓮見は苦笑いをする。
「あいつと昔のよしみってことは、もしかして黒森はここで生まれ育ったんですか?」
「まぁ、そういうことになるね。 生まれは少し違うみたいだけどね」
.....たしか、あいつ家出中とか言ってたような。
結構あっさりと戻ってきたということは思ったよりも親子の溝は浅そうだと蓮見はどこか安心したような様子だ。
「ねぇ、マダム! パン頂戴!」
「お、ヒルコちゃんまた来たのかい! いいよ、見ていきな! あんたもどうだい、今日はご馳走するよ!」
「あ、どうも」
レキの仕事が終わるまで待たせてもらうことにしよう。
「そういえば、あいつに何させてるんですか?」
「配達だよ、あの子は足腰はしっかりしてるからね。 あたしみたいになってくると注文があってもしんどかったから、助かってるよ」
店の中に案内され、腰を下ろす。
開店中の今は客もそれなりに多く盛況しているようにも見える。
ここで買ったパンをその場で食べることもできるようだ。
「それにしても、あの子の言っていたメロンパンだけがどうにもわからなくてねぇ、普通にメロンを混ぜるだけじゃ味が喧嘩しちまってどうにもならない」
「.....あー」
蓮見も詳しい作り方を知っているわけではないが、自分がレキにメロンパンのことを教えたと話すと案の定マダムが食いついてきた。
改めて調べて教える、ということを伝えるとアップルパイを持ってきてくれた。
「情報量だよ、前払いさ」
「どうも」
紅茶を飲みながら食べるアップルパイは美味しかった。
ここの名物の一つのようだ。
「マダムのアップルパイはやっぱり美味しい!」
「ありがとね、ヒルコちゃん。 だけど、しばらく作るのは難しいかもしれないんだよ」
「と、言うと?」
「【骸】の流通もあってか、自警団の皆さんがりんごの流出を規制しているんだよ。 たしかに、あれは恐ろしいけどこっちとしても厳しくてね」
いくら他のメニューがあるといっても、名物の一つを作るのが困難になると経営も厳しいらしい。
「【骸】の一件が落ち着くまではお客さんにも説明しないとねぇ」
マダムの愚痴を聴きながら、ティータイムはレキが戻ってくるまで続いた。
※
「ほら、蓮見の兄ちゃんにお土産だよ!」
「すみません、ありがとうございます」
「いいんだよ、また来ておくれ!」
時間は16時過ぎ、今から戻ればヌンクに到着するのは17時を回ることになるだろう。
ヒルコと別れて、蓮見とレキの二人は鈴蘭の揺れる街道を並んで歩く。
いつものゴスシックドレスを着たレキは笑顔だ。
「なぁ、黒森」
「何?」
「お前、実家には顔出してるのか?」
蓮見の質問にレキは誰から見てもわかるくらい、表情が強張った。
歩調もゆっくりに、若干冷や汗も出ている気がする。
「えっと、マダムに聞いたの?」
「まぁ、な」
もしかしたら余計なお世話かもしれないが、親子の仲は大切である。
蓮見も母親は幼い頃に亡くなり、父親とは仲が良くなかった。
会いたいときに会える、追い出されたわけでもなく自分の意思で家に出たなら、まだわかりあえるはずだ。
「.....前にも言ったかもしれないけど、私が家出したのってお父さんを探すためなんだ」
そのために手がかりである『アダム』を目指す。
何故ならレキの父親は『アダム』の人間だから。
「それで、その、お母さん、に元気になってほしくて、私のワガママなんだ」
グッと両手を握りしめて、スカートの裾を掴みながら足を止める。
レキの声は震えていた。
「お母さんね、お父さんと会いたくないって言ったから、ちょっとカッとなっちゃってさ、私は会いたいのに、結局は自分のため、お母さんのことは、理由付けしただ–––」
「–––レキ」
レキの話を遮り、蓮見は真剣な表情でレキに向き合う。
「俺はお前のお袋さんのことを知らない。 だけど、お前と会いたがってるはずだ」
「え?」
「お前の話を聞いてると、そう思うよ。 もし俺がレキの家族だったら、俺もそう思う」
–––たった一人の娘、喧嘩するくらいお互い本音を話し合えるんだ。
ちょっとしたすれ違いが起こっただけ、レキは今すぐにでも家に戻るべきだと蓮見は結論付けた。
「–––会える距離にいるんだろ、だったら会うべきだ。 会えない、くらい遠く離れてしまう前に!」
蓮見征司と黒森レキは他人だ。
家族の問題どうこうに安易に踏み込むべきではない、しかし、蓮見には黙って聞いてるなんてことはできなかった。
修復できる関係なら、亀裂が少ないうちに修復してしまった方がいい。
後になって後悔することは明白である。
「.....わかった。 でも、もう少し、心の整理がついてから、会いに行く」
「.....そっか」
そこからは強く言わなかった。
蓮見はレキの頭に手を乗せワシワシと乱暴に撫でた。
–––この時のことを蓮見征司は大いに後悔した。
もし、この時、レキにもっと強く言っておけば後悔することはなかった。
無理にでも背中を押してやるべきだった、他人としてではなく、お節介な相棒として無理にでも会わせるべきだったのだ。
「蓮見さん、今日の夕飯って何?」
「あ、そうだ。 タマネギ買いに行かないと」
「ねぇ、ねぇ、蓮見さん、それって私に対する嫌がらせ? 嫌がらせでしょ!」
–––そんな先のことは二人並んで楽しそうに歩く二人が知る由はない。
「ハァ、今のうちに少しは克服しておけ」
「やーだー!」
–––鈴蘭は揺れる。
変わることのない日々と同じように、変わることなく揺れ続ける。
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7.甘味
蓮見とレキがケルトに行っている頃、軍警団ヌンク本部では大きな動きがあった。
事の発端はホークアイの部下である馬面の軍警団団員、バサシがヌンクの商店街区にりんご流通を規制するために各店舗に協力申請をしていた時、人目を避けるように怪しげな黒ローブを頭から被った二人組を発見した。
その二人を追跡したところ、ある店の裏口にて【骸】と思われる果実の取引が行われていた現場を目撃した。
ただの商業的取引にしては怪しすぎる、そう判断したバサシは取引現場に突入した。
バサシが軍警団所属であることを宣言すると、二人組は舌打ちをして逃走、バサシが二人を抑えつけた。
もちろん、店の店主にも事情を聴かねばならない。
取引物はやはり【骸】でそれ以外のことは中々口を割らなかったが、ホークアイが到着したところで尋問という名の事情聴取はトントン拍子で進んだ。
–––そして、現在8月31日の早朝。
「よくやったバサシ。 魔女の一団の者たちを本部に連れてこれたことは大きい」
「いや、ホークアイさんの尋問には負けますよ、てか、あんたマジ鬼ですね」
「さて、何のことやら」
苦笑いのバサシに微笑みかけるホークアイ。
事情聴取と尋問は別物であるはずなのに、彼女にとっては同種として捉えられてしまっている。
ホークアイ班におけるホークアイに改善してもらいたい七つ要素の一つに数えられている。
「それで、何か聞き出せましたか?」
「まずまずだな。 今までも何度か【骸】流通に関わってる者たちは捕らえて情報は吐かせてきた内容と一致するところもあれば、僅かな差異もある」
魔女の一団と思われる者たちを捕らえたのは今回が初めてではない。
【骸】事件を当時から担当しているケルベロスは【骸】の流通者を捕らえてきたのだから。
「今回の結果をデータ化し、ケルベロスのところと比べて団長に報告する予定だ。 ケルベロスは今いるか?」
「どうでしょう、自分もさっき戻ったところですし、ケルベロス警部も【骸】が流通する可能性の高い闇市に自ら赴くことも多くなってきましたので」
「それもそうか」
元々ケルベロスは雑務が苦手な男だ。
細かな作業に時間を費やすくらいなら現場に赴き、調査をする方が彼らしいといえば彼らしい。
ホークアイがデスクに腰掛け、上着を椅子に向かって投げとばす。
「ジャンヌ、お前の報告も聞こうか。 ケルベロスが戻ってくる前にある程度は仕上げておきたい」
「.....その前にホークアイさん、そこ机です」
「座れればどこでもいいだろう」
ホークアイがおかきを手に取り、パリパリと噛み始める。
もう何度目かわからぬ受け答えに、ジャンヌとイバラは顔を合わせ『これ以上は話が進まないのでもう何も言わないでおこう』と心の中で意見を揃えた。
「.....えー、まず我々はケルベロス班とは反対のケルト方面、西の方向を調査するためペトラの方まで向かいました」
「ペトラ、か」
「えぇ、昨日はケルト。 本日はペトラといった感じです、今日もメンバーの数人はケルトに向かわせました」
七つある主要駅都市の中でも最も無法地帯とされている駅ペトラ。
金と力がモノを言う、無法地帯であり、人々の乗り降りが最も少ないため、"隔離駅"とも呼ばれている。
奴隷商売、闇市、スラム街、喧嘩の絶えぬ駅で軍警団も下手に手出しができない駅となっている。
「だが、ケルベロスはあそこは既に調べたと言っていたが?」
「あいつでも限界があります、私には私なりの調査の仕方、行ける場所もありますので」
そう、ケルベロスが【骸】と魔女の一団の情報を嗅ぎつけ、一番に調査した場所がペトラである。
一番怪しい場所、最も【骸】の流通の出処であると判断したからである。
「結果はハズレ、ペトラに魔女の一団を思わせる組織はありませんでした。 しかし、その帰り際にケルトとここヌンクの街道で気になる老婆がいました」
「老婆?」
「えぇ、時間でいうと午後の十時過ぎくらいでした」
–––暗がりになった街道で黒いフードを被った猫背の老婆に声をかけられたのは。
「声を、かけられた、のか?」
「はい」
5エバでりんごを一つ買わないか、と。
フードの奥で嗄れた声を出す老婆は笑みを浮かべていた。
「.....それで?」
「一つ、買ってここに持ってきてます。 もし、これが【骸】であるなら、あの老婆が魔女の一団と関わりを持っている可能性が高いと踏んでます」
「フム」
パリ、とおかきを頬張りながらホークアイは頭の中でこれから行うべき必要があろう手順を一つずつ組み立てていく。
まずは、ジャンヌの遭遇した老婆から買った果実の分析を行う必要がある。
りんごと【骸】を並べ、見た目と匂いのみで判別するという原始的な方法だが、それ以外で確認する術は今の所ない。
これに関してはケルベロスの協力を求める必要がある。
「大吾、ケルベロス班の奴らは全員出払っているのか?」
「留守番に何人か残ってらしたと思います」
「よし、鼻の利く奴を連れてこい。 一人で構わん」
「了解しました!」
もし、ジャンヌと関わった者が魔女の一団の関係者だとしたら、バサシの捕まえた者からさらに情報を特定して引き出すことができる。
「ジャンヌは例のりんごをここに持ってこい」
「はい!」
「イバラ、データを取る。 準備を頼む」
「わかりました」
ホークアイはイバラに事前に頼んでおいた、過去の【骸】が流出した流れ、駅を統計的に示した資料を手に取る。
先人達の努力や知恵も無駄にしてはならない、残してくれたものに無駄なものなど一つもないのだから。
「ホークアイさん、【人喰い】の件なのですが」
「【人喰い】が動き出した、とかいう緊急事態でなければ後回しだ。 今は目の前の起こり得る厄災を対処する必要がある! それから–––」
ホークアイ班の一日は長い。
検証を重ね、ケルベロス班との協力もあった結果、ジャンヌの買った果実は【骸】であるという結果が出た。
※
蓮見征史の朝は早い。
まずは相棒でもある黒森レキを叩き起こす、仕事先が少し遠い彼女が本来ならば蓮見よりも先に起きていなければおかしいのだが、培った経験が現状を体現化してしまっていた。
「へば!?」という呻き声と一緒に背骨からも不気味な音が鳴る。
9月2日、まだうっすらと暑さの残る午前5時42分。
蓮見の生活リズムに巻き込まれる形でレキは痛む背中を撫でながら体を起こす。もう一度言おう、レキの仕事先は蓮見よりも少し遠い位置にあるため本来であれば蓮見よりも早い時間帯に起きなくてはいけない。
つまり、逆に蓮見はこんなに早く起きなくても間に合うのだ。
ジャンヌは今日も帰っていない、最近になり朝帰り、昼帰りが増えたのは仕事の都合だと言っていた。
レキの寝間着を回収し、蓮見が簡単に洗う。 この世界に洗濯機という名のかつての三種の神器は存在しない。
よって手洗い、揉みほぐし、水洗い、天日干しが普通となる。
レキが仕事に向かうのは要所要所の本当に必要なのかもわからない必要以上の身支度を済ませてからである。
午前6時7分。
ジャンヌの服も干せる状態にしておき、洗った服を竿に引っ掛ける。
今日は雨が降るかもしれないと新聞には載っていたので部屋干しをするのが妥当であろう。
布団をたたみ、着替えを済ませて蓮見もようやく仕事場へと向かう。
時間にして、午前6時36分。
朝食は仕事先である喫茶店[蜘蛛の巣]にて賄いとして軽食を取ることができる。
店の裏口から入り、更衣室に向かうとそこには今日の鍵番であるキリアスが着替えを済ませたところだった。
「おう」
「どうも、もう仕込みですか?」
「一応な、用意できることはしときてぇ。 つーか、敬語とか気にしなくていいぞ、歳も近そうだし」
「そこは、メリハリを付けたかったんだけどな」
一応仕事をする上では上下関係はハッキリさせておいたほうがいい。
プライベートならまだしも、職場においては基本的に蓮見はそういう考えを持ち合わせている。
相手がどういう反応をするかは別ではあるが。
「まぁ、あんまり畏まったのは俺も苦手なんだ。 無理強いはしねぇけど、もっと肩の力抜いてもいいと思うぜ」
「.....参考にするよ」
制服に着替え、フロアの掃除から始める。 [蜘蛛の巣]の開店時間は午前8時、それまでにできることはやっておかねばならない。
「おはようございます」
「今来ましたでぇ」
午前7時のちょっと前、店長である蝶々と娘である夜々が正面口からやって来る。
「おはようございます、毎回わざわざこっちから来なくても」
「フフフ、こっちから来る方が近いけんのぉ、仕方ありませんのよ」
蓮見も最近知ったのだが、蝶々はこの店に住んでいるわけではないらしい。
裏にプライベートルームみたいな場所があったので住んでいるものと思っていたが、あそこはあくまでも店長としての蝶々が居座る部屋のようだ。
何度か蓮見は入ったことはあるが、夜々にとってあの部屋は聖域のようで土足で踏み入るなどとんでもない、という考えを持ち合わせている。
「蓮見さん、倉庫に行ってコーヒー豆の在庫を確認してきてもらってもよろしいでしょうか? ついでに薪の方も少し店内に、それから–––」
開店まで残り30分。
この時間帯になった[蜘蛛の巣]では、この日のスタッフ全員がホールに集まり、簡単なミーティングを行う。
蓮見、夜々、キリアス、タンバといったお馴染みの面々がホールに集まり始めてた。
キリアスがキョロキョロと辺りを見渡してるのがあまりにも不審に見えた蓮見は思わず声をかけてしまう。
隣で狼頭が周囲にガン飛ばしているようにしか見えないのだ。 店の外であれば確実に他人のフリをしてた。
「どうしたキリアス?」
「いや、今日シアンもシフトに入ってるって聞いたんだが、見当たらないと思ってよ」
「シアン先輩が?」
あの気弱でおどおどした先輩の姿はたしかに見当たらない。
「しばらくは俺と同じシフトのはずなんですけどね」
「あいつが遅れるなんて、珍しいな」
キリアスとシアンの付き合いは長い。
ここ[蜘蛛の巣]で働き始めたのも同時期であり、お互いにお互いを支え合いながら頑張ってきた仲である。
「店長、シアンのシフトは今日も入ってるはずだよな」
「入っとるよ、まだ来てへん?」
「来てねぇな」
キリアスにとってシアンは弟のようなもの、心配にならないわけがない。
しかし、シアンは開店時間間際になっても現れなかった。
休憩時間、蓮見は買い出しを頼まれ夜々と一緒にヌンクの商店街に来ていた。
【骸】や魔女の一団がいつどこからやって来るかわからないため、防犯と警戒のために[蜘蛛の巣]のスタッフ間でも注意を払っており、買い出しは二人以上で行うようにしている。
「いつも贔屓にさせてもらってる店があるのでそちらに行きます。 ご主、店長とも顔見知りなので多少の融通は利きます」
ちなみに蓮見は今日買い出しは初めてである。
[蜘蛛の巣]がいつも利用してる店、いつも買っている商品を蓮見も覚える必要がある。 いい機会ということで夜々についていくように店長である蝶々に言われたのだ。
「この商店街に入るんですか?」
「そうです、私個人としては人混みは避けたいのですが、店長や店のためであるなら仕方なしです。 で、本日買うものは–––」
商店街は賑わっている。
ヌンク一の商店街区、ロードヌンク。
百以上の店舗が立ち並び、昼夜問わずに賑わいを見せている。
そんな喧騒の中で軍警団の制服が目に入った。
何度かジャンヌが制服のまま家に戻ってきているところを見たことがあるのでこの世界に来て日数の浅い蓮見もそのくらいはわかる。
隣を歩く夜々はどこか落ち着かない様子でメモと睨めっこしていた。
基本、夜々が買い物を済ませ蓮見が荷物持ちをするという役割分担になった。
荷物持ちを奴隷にさせることも多いそうだが、蝶々はあまり奴隷を買わないらしい。
蓮見としても、奴隷文化に慣れていないので商店街区内の奴隷と思われる人々を見かけると、思わず目を背けてしまう。
この駅、ヌンクにおいての奴隷の扱いは飼い主同伴ならば外出可、それ以外は基本的に自らの敷地内で管理するというものらしい。
駅一つ一つに独自のルールがあり、世界で統一されたルールは存在しない。
この『イヴ』においてはそれが常識であり、法であり秩序となっている。
「.....蓮見さん、奴隷に興味あるんですか?」
「え?」
「チラチラと見てたので、私の早とちりでしたらすみませんが」
夜々が眉間に皺を寄せながら睨みつけてくる。
「興味がないといえば嘘になりますね、あまり慣れてないので気になっただけです」
「.....そうですか」
そこから夜々は次行く店に到着するまで口を開くことはなかった。
心なしか足並みも揃わなくなり、スタスタと先走ってるようにも見えた。 身長差もあって蓮見はすぐに追いつくことはできたものの、目を合わせてくることはできなかった。
「え、もう品切れ?」
「すまねぇな、夜々ちゃん。 実は軍警団の奴らが流通ルートを一部規制しちまってるみたいで品数が大幅に減ってんだ」
蓮見と夜々はりんごを買いに来たのだったが、どうやらここでも【骸】に対する対策が厳しくなっているようだった。
「こっちとら、明日を食い繋ぐための商売だってのに、偉そうにしやがってよ」
「ま、まぁまぁ、軍警団の方々も好きでこんなことしてるわけじゃ–––」
「.....わかってる、けどよ」
軍警団はあくまでも非営利の私団体。
駅長であるアレイスター直属の法と秩序の下に正義を下す綺麗な組織ではない。
あくまでも民衆に支持され、民衆によって支えられ、民衆を守る組織。
しかし、全民衆が彼らを支持しているわけではない。
「では、いつも通り苺と葡萄とそれから–––」
蓮見征史はまだ『イヴ』のこと、ヌンクのことをほとんど知らない。
この世界にやってきて常識の違い、倫理観や価値観が違うということは少なからず感じてきた。
だから、であろうか。
「.....ん?」
『アダム』においての非日常は『イヴ』にとっては日常。
夜々が気がつかないことでも蓮見は気がつくことができる。
「どうしました、蓮見さん?」
–––ドクン、ドクンと心臓が大きく波打っているのがわかる。
–––建物と建物の間から漂う異臭、流れてくる真っ赤な液体。
「.....ッ!」
–––ドッ、と全身から嫌な汗が出る。
見てはいけない、しかし悲しきかな人の性。
禁じられたものほど、破りたくなる欲求が勝るもの。 咄嗟に口を抑え、昼食べたサンドイッチが逆戻りしそうなのを必死に抑えこむ。
夜々が蓮見の様子がおかしいことに気がつく、そしてここで初めて夜々も路地から漏れる異様な雰囲気に当てられる。
–––二人が見たものは口から血を出した全身がおかしな方向に曲がった骨のない死体だった。
※
–––【骸】による被害者が発見される。
この事実は一瞬にしてヌンク中に広がることになった。
あの後、蓮見たちが最後に立ち寄った店の店主が近くにいた軍警団に声をかけ事態は足早に進むことになった。
蓮見と夜々は第一発見者として、軍警団ヌンク本部へと向かうことになり、現在は一室で待機させられている。
ご丁寧に人数分の紅茶も用意されていた。
夜々が心配そうな表情を浮かべて、隣に座る蓮見を見る。
見張りとして二人の向かいに座る馬面の男は頬杖をついている。
時間にして15分が経過した頃、部屋の扉がゆっくりと開かれた。
扉の向こうから、軍服を羽織った目が鷹のように鋭い黒髪の美人さんが入ってきた。
黒髪の美人さんは馬面の男に耳打ちすると、男は溜息を吐いて立ち上がり、代わって黒髪の美人さんが蓮見たちに向かい合うようにして座り足を組む。
馬面の男が部屋から出たタイミングで美人さんが紅茶を口に近づけ、静かに話し出す。
「被害者は【骸】中毒者、症状が発症したのは第一発見者の二人が見つけた段階から推定するに6分が経過した頃だと思われる。 彼女が【骸】を摂取し始めて少なくとも三ヶ月は経過している」
【骸】の溶骨作用が本格化するのは摂取した量にもよるが、平均的に三ヶ月。
蝕んだ【骸】の毒は全身の骨を侵食しきってから一気に溶かす。
「身元は不明、現場には一口齧った【骸】の他にわずかな金があった」
蓮見はごくりと息を呑む。
この女性が現場の状況を話し始めた意図が読めない。
ただでさえ何が起こったのかわからない状況で混乱しているのだ、まともに頭を働かせることなんてできるはずもない。
「さて、自己紹介がまだだったな。 私はホークアイ、今回は君らに第一発見者としてここに来てもらった」
高圧的な態度は変わらない。
まるで自分が上に立っているかのように言葉を紡ぐ。
ホークアイと名乗った美人さんはカップに入った紅茶を飲み干して、腕を組んでこちらをじっと見据える。
「二人にはあとで【骸】中毒者であるかどうかの検査を受けてもらう。 それまでは私と世間話でもしようではないか」
「.....検査?」
検査、という言葉に反応したのは夜々だ。
「中毒死した者が現れた、よってヌンクの市場には既に多数の【骸】が流通してると考えるのは必然だ。 通常のりんごと見分けがつかぬことも考えられる、誤って口にした可能性もあるため検査するのは当たり前ではないのか?」
「.....ですが、もうりんごは流通に規制が」
「我々が規制をかける前に口にした可能性だってある。 そこまでして検査を避ける理由はなんだ? 何かあるのか?」
「.....いえ、そういうわけでは」
「なら、構わんだろ」
ホークアイが苛立ちを露わにする。
夜々も苦虫を潰したような表情を浮かべる、夜々はホークアイが自分達を疑っていると考えてしまったことが裏目に出た。
–––それともう一つ、夜々は他人に身体を預けることを嫌う。
彼女の身体には癒えぬ傷がある、それだけはどうしても後輩である蓮見の前で晒すわけにはいかない。
「わかりました、検査をお願いします」
「蓮見さん!?」
「ですが、検査が終われば我々を解放してもらいたい。 買い出しの途中だったので店長達に心配をかけさせたくない」
このタイミングで蓮見が切り出した。
これ以上うだうだしていても時間の無駄だと思ったのか、お互いにとっても利がある話だ。
ホークアイは小さく頷く。
「.....そうか、お前が」
「はい?」
「気にするな、約束しよう。 検査をして何の異常も問題もなければお前達を解放する。 こちらもあまり時間をかけたくないのでな」
–––ホークアイの鋭い目の中の瞳が一瞬、ほんの一瞬だけ大きく開かれたような気がした。
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8.陽動
検査は無事終わり、二人共問題なしと判断された。
バサシに出口まで案内されたる途中、ホークアイが呼び止め、バツの悪そうな顔をして頭を下げた。
「.....調査のためとはいえ、疑ってしまって申し訳ない。 あと、睨んだことと、言及しすぎたことも謝罪させてらいたい」
その様子に一番驚いたのはバサシだ。
まさか、あのホークアイが他人に対して頭を下げるなんて思いもしなかったのだ。
蓮見と夜々はきょとんとした様子で呆然とする、最初に口を開いたのは蓮見だ。
「いえ、そちらも仕事でやったことなんだ。 俺たちにも疑わしいことがあったのは事実だし、仕方ない」
「そう言っていただけると助かる」
もし、蓮見がホークアイと同じ立場であったら容赦なく疑ったであろう。
軍警団は仕事柄、他人を救うと同時に他人に疑われることを生業としている。
警察組織と同じで火曜サスペンスを欠かさず視聴していた蓮見はそのことをしっかりと理解していた。 但し、フィクションにおける知識なのでどこまで通用するかは些か不安なところはあったようだが。
「また、何かあれば力になろう。 部下の親友でもあるんだ、気兼ねなく軍警団を頼りにしてほしい」
「是非、そうさせてもらいますよ」
蓮見と夜々が解放された時刻は16時、もうすぐカフェ[蜘蛛の巣]も業務が終了する時間帯である。
買い出しに出かけてから、二時間弱が経過してしまっていた。
蓮見と夜々は急ぎ足で店へと戻る、買い出した品も心配だが、自分たちのせいで店の経営が回らなくなってしまっていては申し訳が立たない。
小坂の途中にある路地を曲がり、従業員が使用する裏口に回り夜々が勢いよく扉を開ける。
「あ、夜々。 と、蓮見はんも遅かったんやねぇ」
「.....ハァ、ハァ、す、すみません、ごしゅ、ご主人様、ぁ。 お、思わぬとら、ブルで帰りが、遅くなってしまい、マシタ」
「ええんよ、ええんよ。 無事帰ってきてくれただけでも一安心や」
ふらふらになった夜々の体を優しく蝶々が抱くように受けとめる。
夜々は顔を赤らめ、目を細めたかと思えばツーっと鼻血という名の愛が溢れ、蝶々の豊満な胸に垂れる。
蝶々はそのことに気づく様子はない。
「それで蓮見はん、一体何があったん?」
「実は–––」
その部屋にいた「蜘蛛の巣」の従業員達に囲まれながら、蓮見は商店街でまず【骸】の持つ毒で骨なし死体の第一目撃者となったことから話し始める。
–––そういえば、あの人物の身元は判明したのだろうか。
もし、あそこで蓮見が見つけていなかったら、どこかの誰かが見つけることになっていたのだろうか。
一緒にいた夜々が気づいただろうか、あの発見に何か意味があったのだろうか。
そんなことをつい考えてしまう、悪い癖だ。 蓮見はポケットに入れてあるダイスを握りながら手の中でコロコロと転がしていた。
「なるほど、さね。 だから軍警団の連中が騒ぎよったんやね。 とにかく無事で何よりどす、お二人さん」
「店の仕事ができずに申し訳ない、今日の分の給料は引いといてください」
「蓮見はん、前も言ったけどそう言うんはなしや。 あんさんの働き具合はうちが保証するし、そないなことであんさんの評価が下がるはずもなし、働いてもらった見返りはしっかりと返す、増やすならともかく、減らすなんてありえへんよ」
「店長.....」
蝶々は笑みを崩さずにカップに口をつける。 淹れたての珈琲は湯気が立っており、蓮見の前にも同じようにして置かれる。
「そら、とりあえずこれ飲んで落ち着きな。 あんま心配させんじゃねぇ」
「キリアス」
「.....人手不足だったのは事実だ、けど、それだけで機能が停滞するほどこの店は柔じゃねぇよ」
踵を返し、厨房の方へとキリアスは戻って行ってしまった。
顔を見ることはできなかったが、声色からして疲れていることが伝わってきた、蓮見が知る由もないが本人は隠しているつもりである。
「照れ屋」
「.....うっせ」
厨房から何やら聞こえてきた。
「まぁ、そないなわけやし、今日は早う店を閉めることにしたんや。 客も少なこうたし、ええやろ」
蝶々は、はだけた着物を直しながら、寝てしまった夜々を抱き上げる。
腕が四本ある蝶々ならではの仕草である、スヤスヤと寝息を立てる夜々は起きる様子はない。
蓮見はホールの掃除を済ませ、薪を何本か割ってから着替えを済ませ帰ることにした。
※
その頃、軍警団の方ではある人物の調査が行われていた。
–––曰く、その人物は蓮見征史と夜々が【骸】の毒によって死亡した者を発見した際に近くを観察するように歩いていたとか。
–––曰く、その人物はあの悲劇を巻き起こした頃、いや、もっと前から【骸】を売り捌いている疑いが掛けられているとか。
–––曰く、その人物は背が低く、猫背で頭にまでフードを被っている老婆と思われる容姿をしているとか。
「間違いないんだな、ケルベロス」
「えぇ、三年前捕らえきれずに逃してしまい、今の今まで音沙汰のなく死んだと思われていました。 一週間前までは半信半疑でしたが、確信に変わりました、団長!」
「.....[魔女]ッ!!」
–––りんごに似た毒の果実【骸】を売り捌く様子から、童話『白雪姫』からなぞらえ、人々は[魔女]と呼んでいた。
「最後に目撃されたのは、ジャンヌのクソアマが言ってたケルトとヌンクの街道、だったはずッ!」
「待て、まさか一人で行くつもりか?」
「善は急げです!! 奴が遠くに行く前に息の根を止めてやるのが筋でしょうがッ!」
「–––だからこそ待てと言っている、お前みたいな優秀な部下を易々と失うわけにはいかない、市民のために奔走している我々が冷静を欠いてどうする? 焦る気持ちはわかる、たしかに急ぐべきだが、こういう時こそ落ち着いて点ではなく面で場面を見なければならない!」
桃太郎は咥えた葉巻を灰皿にグリグリと押し潰しながら、ケルベロスを諌める。
間違いなく事態は進んでいる、桃太郎達にとって、悪い方向にも良い方向にもだ。
だが、情報が圧倒的に足りていないというのも事実。 一度取り逃がした相手となるとそれ相応の人手も準備も必要となってくる。
「まず、我々が考えるべきことは大きく分けて三つだ。
–––第一にその[魔女]と思しき人物は本当に【骸】を売り捌いているのか、それがりんごの見間違いではないか。
–––二つ目、何故[魔女]なる人物はこのヌンクに姿を現したのか
–––三つ、[魔女]の活動範囲の特定だ。」
「–––いくらなんでも、呑気すぎないか団長? もう犠牲者は出てる、そんなこと考えてる間に次々に犠牲者が出る可能性だってある!」
「ならば、そちらに人員を多く割けば良いだけの話だ。 ケルベロス、お前はこのヤマたった一人で解決しようとしてないか? それは違うぞ、我々は個に非ず『軍』を成している」
適材適所。
捜索が苦手な人間に捜索を任せても、成長や発見はあるかもしれないが進展が疎かになってしまう。
逆に捜索が得意な人間に捜索を任せると事態は進む、一歩先にも二歩先にも進むことだってある。
当たり前のことだ。 冷静でいられない時ほど当たり前のことができないようになっているのが人間だ。
「–––ケルベロス、お前はジャンヌを入れた五人一組で[魔女]の捜索に当たれ、捜索範囲はケルトからフィガロの間。 お前はその司令塔だ」
「.....あの女、ジャンヌとは、どうしても、組まないといけません、か?」
「嫌そうだな」
「嫌なんですよ」
ジャンヌとケルベロスの不仲に関しては軍警団の誰もが知ってることだ。
喧嘩をすれば両者一歩も引こうとはせず、己が正しいと相手に認めさせるまで一時的な熱が冷めても冷戦状態へと持ち込まれることだってある。
–––だが、それで良かった。
むしろ、それこそが桃太郎の狙いであるということにケルベロスは気付くことはないだろう。
「ま、そう言うな。 一応あいつが最近の発見者で接触した数少ない奴なんだ、次も向こうから現れる可能性だってある」
「目撃者が少ないことをこれだけ悔やんだのも久々ですよ、畜生め」
「なかよくなー」
ケルベロスの鬱憤は募る。
桃太郎は若干後悔しているが仕方ない、二人の仲を少しでも良くしなければ今後の仕事に支障をきたす。
団員からもあの二人に関しては多く相談を受けていた。
(まぁ、なんとかなるだろう!)
後悔は一瞬にして消える、桃太郎は軍警団一前向きな性格をしているのだ。
廊下をズカズカと歩くケルベロスはホークアイ班の活動している部屋の前にまで辿り着くと、ノックをせずにそのまま扉を開け、運悪く居合わせたホークアイによって箒で頭を殴られることになったのは別の話である。
「ノックをせんか、それでも貴様一部隊の班長か? 最低限の礼儀は弁えてもらおう」
「机に座って、部屋に入ってくるやつの頭を箒でブッ叩く女に礼儀がどうこう言われたかねぇよ!」
ケルベロスとジャンヌ程ではないが、ケルベロスとホークアイの組み合わせも相当相性が悪い。
「それで、何か進展があったのか?」
「.....[魔女]の目撃情報があった、そして正体に目星がついた」
「!」
「それで再度調査を行う、ジャンヌはいるか? 団長の指示であいつと組むことになった」
「ジャンヌならもう既に帰ったぞ」
「呼び戻せ!! 今すぐにだ!!」
「誰に向かって、口利いてんだ、犬畜生!!」
部屋の入り口で睨み合う警部二人。
ホークアイ班の面々は慣れた様子で周囲に被害が及ばなさそうなことを確認し、作業に戻った。
※
少し時間を遡り、今日の14時と半刻。
蓮見と夜々がまだ軍警団に軟禁されてた時間である。
ヌンクとフィガロの間で二人の人物が会話をしている様子が目撃されている。 目撃したのは軍警団下っ端の団員、しかし、報告は本部には届くことはなかった。
「–––今日も売れた売れた、ニョホホホホホ」
–––笑う老婆の側には籠に入った三個のりんご、売れ残りが収められていた。
「これで奴が、この世界から消えれば全て解決も同然。 ワシの人生が報われる」
「.....あんま目立つ行動はよしてくれよ婆さん。 口止めだって大変なんだから」
「そう言うな、ワシとお前さんの仲じゃろ」
「何事も程々にね、ホント、お願いだから。 私もまだバレたくないんだから」
–––老婆の隣に立つ黒いゴシックドレスを着た少女はシャリっとりんごを一口齧った。
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9.混乱
「.....蓮見さん、実は結構稼いでるんじゃないの? 具体的に言っちゃうなら、高級志向なお料理のフルコースが食べれるくらいの額」
「.....お前の言う高級志向ってのは600エバで食べられる定食も含まれてんだろうがよ、この万年貧乏人。 稼いだ金のほとんどはジャンヌに返してんだよ」
「なら、私にも貢いでよ! 協力者だよ私!! 蓮見さんがアダムに帰るために色々と頑張ってるんだよ、これでも!!」
9月も二週目、蓮見征史と黒森レキはヌンクの街を歩きながら今日食べる昼飯をどうするかで揉めていた。
頑張ってる蓮見にちょっと早いボーナスと蝶々が気を利かしてくれ、新人手当と給料を頂いてしまった。
それが運の悪いことにレキにバレてしまい、しつこくネチネチと言われ続けること、かれこれ今日で三日目である。
【骸】の被害者がヌンクで出て以来、軍警団の方の仕事が忙しくなったジャンヌは家に帰ることが少なくなったのでこうして二人で食事をする機会も必然と多くなっていた。 これ以上ジャンヌに負担はかけられないので蓮見とレキで協力して出費し合おうという話に落ち着いたはずなのだが、何故かほとんど蓮見が支払う羽目となってしまってる。
レキの猛攻に猛抗議し続けた蓮見、互いに退くに退かない一進一退の攻防の結果はヌンクでも安くて美味いが有名である蕎麦屋で落ち着くことになった。 ジャンヌが絶賛していた軍警団の皆さんがよく訪れる一店でもある。
「麺の固さが絶妙で癖になるな、たしかにここは通いたくなる」
「えぇー、私からしたらちょっと硬すぎるよ。 もっと柔らかい方が好みかも」
「.....そういうことは店の外で言いなさい」
店主と客を敵に回して出禁にはなりたくない、レキはともかく蓮見はこれからも通いたいと思ってる。 しかも巻き込まれる形になるのは本当にごめんである。
なるべく音を立てずに麺を啜る蓮見に対して、レキはそんなこと気にしないとばかりにズルズルと音を立てている。
「ほい、追加の麺汁だ」
「あ、どうも」
蓮見は麺だけでなく、麺にかける麺汁も気に入っていた。 店主である筋骨隆々の男性はにこやかな笑みを浮かべ、そそくさとその場を去って行ってしまった、スキップをしながら。
「ほふひへふぁ、ふぁふひひゃふ」
「口の中のものを食べてから喋りなさい」
なんとも落ち着きのないことこの上ない、レキは口元を抑えて口の中のものを一気に胃の中に流し込むようにゴクンと喉を鳴らす。
「.....もっと味わって食えばいいものをよ」
「そういえば蓮見さんさ、これから図書館に行くの?」
「まぁ、そうだなぁ。 今の時間だとあいつに絡まれることもないだろうし」
以前、どうしても歴史書を読んでいて不可解な部分があり苦渋の決断ではあったが、アレイスターに直接会って話を聞いてみることにしたのだが、これが大失敗であった。
「–––もうあいつとは会話したくない」
「うん、予想はしてたけど、物凄い嫌ってるね」
蓮見にとっても、アレイスターが嫌悪する人物となってしまうのは仕方がなかった。 執拗な絡みと耳障りな声が生理的嫌悪を感じさせていた。
一人大声で何かわけのわからないことを言うのは堪えることはできたが、耳元で囁かれた瞬間、堪忍袋の尾が切れた。
蓮見は麺を啜りながら、これまで調べたことを頭の中でまとめる。
この世界の歴史、文化、文明はある程度理解することができた。 大雑把ではあるが、蓮見が本来いるべき世界はこちらではない。
アダムの方に家も知人も残っているのだから、いつかは帰らなければならない。
「ごちそうさま、行くぞ黒森」
「オッケー! 待ってました!」
先に食べ終わってしまっていたので待っていたのが退屈だったのだろう。
ガヤガヤと賑わう店内を歩き、会計を済ませる。
「ごちそうさま、また来る」
「ありがとよ兄ちゃん! 待ってるぜ!」
※
最近イヴの世界では【骸】の他に世間を騒がせているものがある。
いわゆる都市伝説と言われるもので軍警団が鼻で笑うような存在するかもわからない架空に近いものである。
影法師、いわゆるドッペルゲンガーの存在が不特定多数の人物によって目撃されている。
容姿が瓜二つの人間が存在し、お互いに出会うとどちらか一方が消滅、もしくは両方の存在が消滅するといった伝承が残されている。
容姿だけでなく中身も同じ人間なのだ。 同じ人間というものは世界に二人と存在してはならない。 他人、であればそれで済む話だがドッペルゲンガーはそういう風にはならない。
「影法師の話は二十年前にも噂が広がったみたい」
「.....それが何らかのキッカケで掘り返されて、また話題になってるって感じか?」
「多分、でも、私は違うと思う」
レキは人差し指を口元に当てて、言葉を区切る。
そこから目を閉じ、次に開けた時はどこか悲しそうな瞳を浮かべて蓮見の目をじっと見て口を開いた。
「【骸】、皆【骸】のことが怖いから別の噂を流して安心しようとしてるんだよ。 実態のないものはたしかに恐ろしいけど、今は実態のある恐怖がいつ襲ってくるかわからないからね」
「なるほどな」
噂の出処は不明だが、たしかに辺りの会話に耳を傾けてみるとそれらしき話をしてる人達の姿がちらほらと見られる。
一種の現実逃避、それが街という単位で広まっているということはいかに【骸】による恐怖が人々に染み付いているということがよくわかる。
「なぁ黒森、そういう都市伝説って他にもあるのか?」
「色々あるよー、『神出鬼没の白い少年』『写真の中で蠢く人影』『秒針が反時計回りに刻む壊れた時計』『13番目の人攫い』『雲の上の楽園』とか、どれも古いものだけどね。 あ、でも最近のものなら–––」
「長くなりそうだからやめとく」
こちらから聞いておいてなんだが、思った以上に数が多くて驚いた。
蓮見の元居た世界、アダムにおいても都市伝説は数多く存在している。 職場の後輩がよく話していたことを思い出していた。
どこの世界でもこういった話題はつきものなのだな、と蓮見は思う。
世界は違えど人々は生きて暮らしている、その事実に変わりはない。
だからこそ【骸】によって犠牲者が出てる今の現状は胸が痛い。 特に蓮見はその死体を目の前にしてしまった。
蓮見は刑事ドラマやフィクションの世界でしかこういったことは知らないので、専門家である軍警団に任せる他ない。 下手に介入しては現場を混乱させてしまうだけだ。
蓮見征史は主人公ではない、ただのバツイチのおじさんなのだから。
「え、臨時休館?」
「申し訳ありません、館長が体調を崩していらっしゃるので本日は休館にさせてもらってます」
「そもそもあの人働いてないでしょ」
たしかに昼間は寝るだけ寝て、夜になれば職員にセクハラしながら来館者で遊ぶしかしてないアレイスターはお世辞を言うまでもなく働いてるとはとても言えない。
ヌンクの人百人に聞いて百人がそう答える自信すらもある。
申し訳なさそうに水色の髪の美人司書が頭をペコペコと下げる。
「たしかに館長は食うだけ食って寝るだけ寝てセクハラするだけセクハラするばかりでとても働いてるとは言えないのですが、この図書館はいわばアレイスター様の分身のようなものなのです」
曰く、この図書館に蔵書されてる書物の八割がアレイスターの記憶から製本されたもので今もリンクが続いてる状態で最新の情報が更新されれば自動で更新されるような仕組みになっているらしい。
いわば生き字引、だからこそアレイスター自身もこの図書館から出ることができず、彼の心身状態が不安定になってしまうと図書館そのものに影響を及ぼしてしまうらしい。
.....正直に言おう、蓮見は半信半疑でこの話を聞いている。
少しでも信じようと気になったのは、このイヴの世界が蓮見のいたアダムの常識と大きく異なっているためである。 もし、このイヴの世界がこんなにもおかしな世界でなければ今の話は一切信じず、図書館の中へと無理矢理入っていた可能性もある。
「図書館が不安定になるのはわかったけど、休館にするほどまでなのか?」
「えぇ、リンクが不安定になることによって発生する情報の齟齬はもちろん、図書館全体が迷宮のような構造に瞬時に変わってしまうので脱出するのも困難になってしまう状況にもなりかねませんので.....」
「そりゃ休館にして正解だ」
イヴならではの摩訶不思議な現象である。 そう考えるとあのアレイスターもこの世界に縛られた、いや図書館からは出られない人柱みたいなものなら少しのセクハラくらいは許してやりたいと同じ男であるがための同情がほんの僅かに蓮見の心の中に生まれる。
「あ、お見舞いとかは別にいいので。今回に関しては私の同僚を部屋に連れ込んだことが原因で体調を崩されたので自業自得です」
前言撤回。
やはりどこにも奴に救いはなかった。
「仕方ないか、今日は諦めよう」
「そだね、蓮見さんこの後予定とかってある?」
「.....たった今一つ潰れたよ、ここで今日は夕方まで過ごすつもりだったからな」
「だったらさ、私行きたいところあるからついてきてよ」
「黒森の?」
これはまた珍しいこともあるものだ。
基本的に蓮見が行く場所にレキがついてくる、それに対して我儘を言うこともあるが彼女から望んで行きたい場所があると言ってきたことはほとんどない。
「いいよ、どこ行くの?」
「–––私の実家」
どうやら彼女なりの決意は固まったようだ。
※
隔離駅ペトラ。
あまりの治安の悪さに乗り降りする客が物好きかゴロツキに限られてくるイヴで最も危険な駅都市とも呼ばれている。
軍警団の追っている【人喰い】が一番最初に発見された場所でもある。
軍警団の支部さえも置くことを諦められたそんな危険な場所にケルベロスとジャンヌはサングラスに黒スーツという本来の軍警団の制服ではない装いで歩いていた。
「フィガロに異常は見られなかった。 元々簡素な場所だから仕方ないがな」
「それで次の調査範囲に選んだのはここか、ケルベロス」
「そうだ。 俺はここが一番怪しいと睨んでいる」
以前もケルベロスがここを探索したとき【骸】らしき果実の芯が道端に転がっていた。
ただのリンゴの可能性もあるが、同時に【骸】の可能性であることも捨てきれない。 ペトラは犯罪が蔓延しているからこそ、捜査してもキリがないと桃太郎はある意味諦め気味であったが、ケルベロスはそれさえも怪しいと睨んでいた。
「あの団長が何故わざわざここを避けたか、それも気になる」
「考えすぎじゃないのか。 単純にここを捜査するのはそれこそ人手が必要になってくる。 支部からの支援も求められないからこそ、避けたと考えるのは妥当だ」
「俺も最初はそう思ったさ、けどあからさま過ぎる」
ケルベロスは帽子を深く被り直す。
グルルル、と唸り声を上げるのは彼が信じたくないと思ったときに出る癖だ。
「まるでここペトラを捜査範囲内から外すような言い方を団長はしている。 俺たちをフィガロからケルトの範囲内に閉じ込めておきたいような、な」
「.....ケルベロス、やはり考えすぎだ。 そうすることで団長にメリットは何もない」
「そう思いてぇさ、実際に魔女の姿が目撃されんのはフィガロからケルトの範囲内だ。 けど、あちこちの支部からは【骸】の被害者が出てるって話じゃねぇか!」
グルルル、と唸り声を上げながら八つ当たりをするようにジャンヌを睨みつける。
–––頭を冷やさせないとマズイな、そう判断したジャンヌは近くの店にケルベロスを引きずり込み、水を二つ注文する。
「テメ」
「一旦落ち着けケルベロス。 いつものお前らしくないぞ、何を焦ってるんだ?」
「そりゃ、焦るだろ! 【骸】の流通は今でも続いてる! 俺らの捜査が遅れれば遅れるほど被害者は増えるんだぞ、テメェこそ落ち着きすぎなんじゃねぇか、ジャンヌ!?」
「こういう時こそ冷静に、だ。 ドーベルマンさんならきっとそう言う」
「.....ッ!!」
今にも飛びかかってきそうなケルベロスを諌めながら、ジャンヌも思案する。
捜査は疑問を持ち人を疑わなけらばやっていけない、基本中の基本だ。
だからこそ、何かを見落としている気がする。 気持ち悪いモヤモヤする思いを胸に残したまま運ばれてきた水を一口飲む。
「一旦整理してみよう、私たちは何かを見落としているかもしれない」
「.....そうだな」
ここペトラにおいて聞き込みは信用することができない、なので聞き込みは基本的に行わないのが鉄則である。
実際に足を踏み入れ、自分の目で見たものだけが頼りになる。 これまでの情報を整理したものをジャンヌは一つずつ思いつく限りでメモに書き出す。
・[魔女]が目撃された場所はフィガロ、ヌンクとケルトの街道の二箇所が多い。
・三年前の事件の後もから【骸】が密かに流通していた可能性が高い。
・ヌンクで最初に【骸】の被害者が出たのは八月下旬。
・【骸】の効果が出るのは時間がかかる。 摂取量も関係してくるが、最低でも二ヶ月ほど前から流通されていることを考えた方がいい。
・既に千を越える【骸】がヌンク内だけでも流通している。
・[魔女]自身も【骸】を5エバで売り捌いている。
・[魔女]の一団、【骸】の売買は複数人で行われてる。
「こんなところか」
「そうだな、おかしなところはない」
「なぁ、ケルベロス。 お前が最初にここ最近【骸】が流通し始めてると気付いて調査を始めたのはいつ頃だ」
「七月の上旬くらいだったな」
「.....そうか」
–––ならあの男、蓮見は関係ない。
そのことがわかりジャンヌはそっと胸を撫で下ろす。
「俺が気になるのは[魔女]が今までどこにいて、何故今になって姿を現わすようになったのかってことだ」
「私も気になっていた、複数人の犯行で【骸】を売り流すだけならば、わざわざ姿を現わす必要はない」
「となると、姿を現わす必要があったってことか」
ケルベロスが調査を始めて二ヶ月、被害者が現れたことにより情報がより明確になってきた。
「私たちはそれぞれ実際に[魔女]の姿を見ている」
「あぁ、俺は遠目だったけどな。 近づこうとしたら逃げられた」
「私は私服だったから話しかけられた、このことから軍警団を避けてるのはたしかだ」
ならば、どうするか。
「やっぱ着替えて正解だったなジャンヌ、俺の勘も捨てたもんじゃねぇ」
「.....クソ、悔しいが認めるしかないな。 [魔女]と接触した人物を探そう、【骸】を取り扱ってそうな店を中心に当たる。 幸いペトラにそういった店は少ない」
「ま、それが妥当だな」
「特徴は猫背に全身黒い外套を羽織った老婆、5エバで【骸】を売り捌いてる低身長の人物だ」
ジャンヌとケルベロスは立ち上がり、適当に立ち寄った店を後にした。
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①.黒森レキ : CONFESSION
黒森レキという少女は父の顔を知らない。
女手一つ、母の愛を受けて育ち成長するにつれてその愛を自らの手で手放していくことになる。
幼かった頃の彼女は"父親"という存在に強い憧れを抱いていた。 母から父の話は語られることはない。
"–––お母さん、私にお父さんはいないの?"
母は何も応えない。 ただただ辛そうな表情で幼いレキの純粋無垢な双眸を見つめている。
"お母、さん?"
やはり母は何も応えない。 応えられない。
幼い彼女は何の疑問に思わなかった、そういうものだと幼いながらに理解してしまったからである。
だが、成長するにつれて、言葉を理解していくうちにどこの誰かもわからない者達の言葉が耳を突き刺す。
『お父さんに捨てられて可哀想に、こんなに小さいのに』
『そもそもあの子の父親は本当にあの人なのか? 父親なんて元からいなかったんじゃないのか?』
『異端だ、あの母親が。 相手もいないというのに子を成したというのか』
『–––魔女の子だ』
どこまで本当のことなのか、幼いレキにはわからない。
誰に向かっての罵倒で誰に向かっての同情なのか、レキにはわからない。
父親が誰なのか、レキにはわからない。
–––わかることはこの"駅"という閉鎖空間が黒森レキに向けて言葉の刃を無差別に突き刺しているということ。
彼女に向けられた言葉ではないのかもしれない、本来なら聞き流せたはずの言葉だったのかもしれない。
だが、幼い少女は耳栓という盾もなしに言の葉の刃をその身に受けることとなった。
それからというもの黒森レキは父という存在に恋い焦がれ、憧れるようになった。
父が異界の住人と知り、父が初めて訪れた地にも何度も何度も足を運んだ。
そこに行けば父に出会える気がしたからだ。 根拠のない希望に縋り付いた。
辺り一面にカキツバタの咲き誇る無人駅に一人で何度も何度も訪れるたびに言葉を零すのだった。
–––早く、速く、夙く、会いたい、愛たい、逢いたいよ。
–––お父さん。
黒森レキが母と仲違いしたのも皮肉にも家族の一人である"父親"が原因であった。
※
ケルトに到着した二人はレキを先導とし、彼女の母の住む家へと向かった。
"–––私の実家"
レキがそう言ってからというもの、明らかに口数が減った。
喧嘩別れした親子というのはやはり会いにくいものがあるのだろう、蓮見は父と母、共に仲良く就職活動までお世話になった身だ。 喧嘩自体は少なかった、意見も尊重してくれたというのもあっただろう。
もう何年も前の話である、この年になると蓮見も親と会おうとしても中々会うことができない。
だからこそ、レキの背中を押したくなったのかもしれない。 会える距離にいて会えるだけで幸福なのだから。
今回はダイスに頼る必要はなかった。
何故なら蓮見征史の意思ではなく、黒森レキの、あくまでも彼女の頼みだったからだ。 そこに蓮見の意思は含まれない。
『–––誰かを助けるときはダイスなんか頼らず、お前自身の思ったように動けばいい。 それが最善で誰もがハッピーになれる道筋なんだから、その道はダイスじゃなくて君自身が切り開くんだ、少年』
どこの誰とも知らない男が幼い日の蓮見を助け、ダイスを授けてくれた。
今になって思えば見知らぬ不審者らしからぬ容姿をしてたのによく話をしたなと我ながら思う。 もし、あの頃に戻れるのであれば幼い自分にもっと大人には気をつけろと釘を刺したい。
ぼんやりとしたことを考えていると前を歩いていたレキが歩みを止めた。
「着いたのか?」
「ううん、なんか蓮見さんが浮かない顔してたからどうしたのかなって思って」
「なに、ちょっと親の顔を思い出してただけさ」
レキが母親に会いに行くと言いだしたのだから仕方ない。 単語がカギとなり脳が記憶を呼び起こすなんてことはよくあることだ。
「え、蓮見さんのご両親って生きてんの? 蓮見さん自身おっさんじゃん」
「.....不謹慎な上に失礼な奴だな、お前」
蓮見がポリポリと髪を掻き溜息を吐く。
レキはそんな蓮見の呆れた様子を気にすることも蓮見の両親の話にこれ以上興味を持つこともなく、再び歩き始める。
緑の多いケルトの大地を歩くこと一時間、二人の目の前に小さな木造の民家が現れた。
レキが足を止めたということはここが彼女の実家であることに間違いはないようだ。
「ここか、黒森」
「そう私ん家。 てか、いい加減名前で呼んでくれてもいいんじゃない? 私の親も黒森なんだし」
「.....まぁ、そのうちな」
離婚した傷はまだ深い。
未だに女性と親密な関係になることを極力避けているのだから。
それなのに向こう側から蓮見に集まってくるのだからどうしようもない。
『イヴ』に来てからも黒森レキにジャンヌ・ダルク、蝶々さんに夜々と他にも多くの女性と出会った。
レキは特に躊躇いもなく入り口の引き戸を開く。
自分の家とは言え、家出した身としては入りにくいのではと蓮見は思っていたがどうやらそうでもなさそうだ。
「ただいま、母さん、いる?」
–––いや、そんなことはなかった。
彼女の口から発せられた言葉が辿々しく、どこかぎこちない。
思わず蓮見は小さく笑ってしまった。
レキには軽く睨まれることになるのだが、それでも普段の堂々とした彼女を知ってる身としては面白いことこの上ない。
家の中からは返事はない。
「出かけてるのか?」
「.....そんなこと、ない。 だって、母さんは、母さんは.....ッ!」
動揺しているレキを見て蓮見は事態を察した。
明らかにさっきの緊張とは違う声の震え方だった、異常事態。
蓮見はレキの了承なく、家の中へと駆け込んだ。 造りは一階建ての小さなごく普通の民家のため部屋一つ一つ見て回るのに時間は必要なかった。
寝室と思われる部屋のベッドの上に横たわる、どこかレキの面影のある女性の姿。
(.....頼む、どうか眠ってるだけであってくれ!)
掛け布団を軽く捲り上げ女性の脈に蓮見の右手が触れる。
–––脈は、ある!
「レキ! この街に医者はいないのか!?」
「.....あ、いる、いる!」
「大丈夫だ、まだ脈はある! 眠ってるだけだが、病状がわからない以上俺じゃ判断できん! 呼んできてくれ!」
「う、うん!」
いつの間にか寝室の入り口にまで来ていたレキは腰を抜かしていた。
できることなら蓮見が外へ行きたかったが、蓮見では地の利も詳しくないし何より医者の存在すらも知らない。
郷に入っては郷に従え。
ここで蓮見が留まって何かできるかと言われればノーだが、闇雲に飛び出すよりもずっといい。
顔色は悪くない、素人目でもそれくらいはわかる。 本当に意識を失っているだけであることを願うしかない。
家に入る前のレキの言葉から推測するに、この女性は寝たきりになっていることが多いと考えられる。 しかし、意識が途絶えることは少ない。
身の回りの世話をしてくれるような人物は見当たらない、出かけているのか元々いないのか、それとも定期的にやってくるかの三つが考えられる。
住み込みでないのであれば、そこまで重い病ではないと思われる。 レキも喧嘩して家を飛び出すなんてことしないはずだ。 多分。
「–––先生、急いで!」
「わかってるよ! イロハはどこだい!?」
「入って右に曲がった部屋!」
「おい、なんだ知らない顔がいるじゃねぇか! 何者だ、イロハから離れろ!」
息を切らした猫顔の女医が部屋に入ってきた。 ヒゲと尾を立てて警戒しているということがわかる。
「待って、その人私の知り合い! ていうか先生、声デカイ! 母さんに負担かけないで!」
「お、おう、悪い。 とにかくそこの男! こっからは俺の仕事だ、レキ共々どいたどいた!」
「頼む!」
正直、どこか胡散臭いところがあるがレキが連れてきた医者であるなら問題ないだろう。
蓮見とレキの二人は女医に言われるがまま寝室を出て、リビングにあたる部屋で無言のまま座っていた。
話題があるわけもなくただただ時間が流れていく。
最初に沈黙を破ったのは黒森レキだった、彼女自身こうした空気が苦手だということは短い付き合いの蓮見でもわかる。
「.....母さん、ね。 一人じゃまともに歩けないのよ」
ポツリ。
「いつ頃、だったかな。 私が小さい時はそんなことなかったんだよ。 あんまり覚えてないけど、仕事先で何かあったって話は聞いた気がする。 母さん、あまり脚のこと話そうとしないから、わからないん、だよね」
「.....」
「だから、普段は近所の人たちに助けてもらったり、私が足の、代わりになってたの」
ポツリ。 ポツリ。
「それなのに、喧嘩しちゃって、母さん元気なかったから、私がお父さんのこと見つけられたら、少しは、元気になってくれると、思って.....!」
ポツリ。 ポツリ。 ポツリ。
それは嗚咽の混じった懺悔だった。
両目いっぱいに涙を溜めて黒森レキは蓮見征史に静かに懺悔を続ける。
「–––最低、だよね。 あんな状態の母さんをさ、置いて家出するなんて。 しかも二年近く、だよ? 一日二日じゃないんだよ、なのに、なのに、うぅ、ぁぁ」
「レキ、今は泣きたいだけ泣け。 あの医者さんの診察が終わるまで俺が胸を貸してやる」
「蓮見、さん」
「–––人間誰しも失敗するし、誰しも後悔だってする。 完璧な人間なんていないんだ、そん時失敗したと思えば次に活かせばいい」
「.....うん、うん!」
「泣いたっていいんだ、お前は一人じゃない」
「う、う、あぁ–––」
–––黒森レキの罪は涙となった。
普段からは想像もできないくらい弱々しくなったレキの華奢な身体を受け止めた。
彼女は泣くだけ泣いた。
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10.化ノ皮
「.....それで、あんたは信用していいんだな?」
「何回もこのやり取りしてないで、レキのお袋さんの容態を教えてくれ。 今は時間が惜しいんじゃないのか?」
「.....イロハに命に別条はないが、少し厄介なことになっている」
「.....【骸】中毒、か?」
「知ってたのか?」
「勘だ、最近よく耳にする言葉だからな」
あれから一時間、黒森イロハの衰弱した原因は空腹とストレスであることがわかった。
意識も直に戻るというのもマングースの診察結果だ。 レキが信頼を置いてる医者であるなら信用できる、蓮見がダイスを振るまでもなかった。
本来ならレキとマングースの二人がすべき話なのだが、泣き疲れて横になったレキの代わりに蓮見がイロハの容態を聞くこととなった。
マングースも渋々といった様子だったが、レキの様子を見て蓮見をとりあえず信用してはいい、と妥協するところまでもっていけたようだ。
「毒の進行具合は不明、きちんと検査をしてみる必要がある」
「.....どうやって【骸】はあの人、イロハさんのところに持ち込まれたんだろうな?」
「.....オレは何度か会ったことはあるが、あいつのことを身の回りを世話してる女がいる。 疑いたくはないが、そいつが持ってきた可能性が一番高い」
「普通に考えればそう、か」
「けど、今はどこにいるかわからない。 一緒にいたイロハに聞く以外は、な」
マングースが黒森イロハの眠っている部屋に目を向ける。 まだ目を覚ます様子はなかった。
どちらにせよ黒森イロハと黒森レキの二人が目を覚まさないと話は進まない。
完全に部外者の蓮見征史と町医者のマングースでは推測しか立てることができない。
あれやこれやと話すはいいが、証拠もないまま話を進めるのは危険である。
「とりあえず二人が起きるまでに俺らで自己紹介して、お互いの信用を得ることから始めた方がよさそうだな」
「.....それもそうだ、オレもお前もお互いのことを知らない」
「いつ起きるかはわからんが」
どちらにせよ下手に動くことはできない。
「改めてオレはマングース、ここケルトで医者をやってる。 先週旦那に逃げられた」
「バツイチか」
「うるせぇ、ほっとけ!」
猫顔の女医、マングースは髭を触りながら自己紹介に慣れぬ様子だった。
「そっちは?」と本当に簡潔に済まされ、蓮見に番が回ってきた。
「俺は蓮見征史、最近こっちに来て今はヌンクでレキ共に居候生活してる。 四年前に嫁と別れた」
「オメーもバツイチかよ」
「釣り合わなかっただけさ」
結婚当初は円滑に夫婦愛を深めれてた気はしたが、時間が経つことに冷めていった。
子供もいなかったのでお互いのことを考えて別れることにした、と言ってしまえば言い訳にしか聞こえないが事実なので仕方ない。
「イロハ、さんっていつから脚を?」
「十年くらい前に仕事中不慮の事故でね、何度見ても痛々しいよ」
–––あまり深く詮索はしない方がよさそうだ。
「そうなのか」
「オレはそれより前からイロハとは付き合いはあったから、その縁で治療してるんだ。
.....正直、また歩けるようになるかどうかは難しいけどな。 今の状態じゃ」
マングースの方から話し始めてしまった。 返す言葉も思いつかずに沈黙が始まる。
少し話題を逸らそう、と蓮見は疑問に思ってることを尋ねてみることにした。
「旦那、失礼、元旦那との馴れ初めとかは?」
「.....なんで言い直した、あんたこそ元嫁さんとはうまくやってたのか? いや、失敬、うまくできなかったから元になったんだったな」
「あんたも中々辛辣だな」
どうやら蓮見とマングースは似た者同士のようだった。
黒森イロハの容態を確認しつつ、話を広げながら二人はお互いのことを知っていった。
–––話しているうちに時間は経ち、黒森イロハの意識が戻った。
「イロハ! よかった、目が覚めて!」
「.....マングース?」
イロハが目を覚ましたのは蓮見達が家に駆けつけた二時間ほど経った後のことだった。
充血した瞳がマングースのことをまっすぐ見つめている。
「やっぱり【骸】の症状が出てる、でもまだ量が少ないから何とかなるかもしれない! オレはイロハのことは見捨てねぇ!」
「.....そう、私いつの間にか口にしてしまってたのね」
「レキとハスミが来てくれてなきゃ、危険な状態だったんだ! 後で礼は言っておけよ」
「ハスミ?」
聞き覚えのない名前に首を傾げる。
ハッと、マングースの後ろに誰か立っていることに気がつき少し顔を上に向けた。 イロハはその人物がハスミなる男なのだと理解しようとしたが、目覚めたばかりのためか、イマイチ頭が働かない。
–––否、その人物をハスミだと認めなくなかったのだ。
「–––レオン、さん?」
「え?」
無意識に口にした名、イロハはハッとして口を抑える。
「し、失礼しました。 知人と似ていたものだから、つい」
「いえ、お気になさらず。 蓮見征史です」
頬を赤くして顔を逸らしたイロハに対して自己紹介を済ませる。 マングースはカラカラと渇いた笑い声をあげている。
「ハハハ、【骸】による幻覚作用もありっと。 こいつは重症だな」
「もうからかわないでよ!」
.....なんだろう、親子であるということがものすごくわかる。
「はいはい、ちょっと様子診るよっと」とマングースがイロハの簡易診察を改めて始める。
「あ、ハスミ。 これからイロハの服脱がすから外行っといて」
「ちょ–––」
「わかった。 レキの様子でも見ておくよ」
「え、レキ? ちょっと待ってハスミさん、レキが戻ってきてるの!?」
「はいはい、先に診察済ませちゃうよイロハ。 詳しい話はまた後でね」
蓮見の後ろでイロハがオロオロと狼狽えてる様子がわかる。
「ついでだし、何か簡単に食べれるものでも作りますか。 イロハさん、調理場借りても?」
「え、そ、そんな! も、申し訳ないですよ! 娘までお世話になったみたいですのに!」
「ハスミ、使ってもいいよ。 オレが許可する」
「マングース!?」
イロハとマングースが仲良さそうに話している。
蓮見もその様子に頬を緩めながら扉を開く。
「.....あれ? レキ?」
–––眠っているはずのレキの姿がなかった。
(.....トイレか?)
しかし、トイレは無人で家の中を歩き回ってみても、レキの姿は見当たらない。 近くにはもう既にいないようで家の外に出ても見つからなかった。
「どうしたんだ、ハスミ」
「レキがいなくなった」
「はぁ?」
蓮見だってわけがわからないのだ、マングースに呆れた表情を浮かべられるのは心外である。
「レキがどうしたの?」
「.....イロハさん、レキがどこかに行ってしまって」
「.....そう、やっぱり私とは顔も合わせたくないのね」
イロハは悲しげに俯く。
そんなことない、と蓮見は声をかけたくなったが一歩踏みとどまる。
果たして本当にそうなのだろうか、たしかにレキが自分から実家に戻りたいと言ったのはたしかだが、もしかしたら蓮見が以前彼女に言ったことを気にしての行動かもしれない。
ならばそこにレキの意思は本当にあると言えるのだろうか。
–––それでも、あの時のレキの言葉は本心からくるものであった。
『–––私の実家』
「心配しないでください、イロハさん。 親の顔見たくないなんて子はいないですから」
そう声をかけることしかできなかった。 あくまで蓮見自身の価値観に従って。
※
魔女、の存在はこのイヴにおいても出自はよくわかっていない。
何故ならば誰が初めにそう呼び出したのかすらも不確かなのだから。
だが、魔女は存在する。
三年前、フィガロで起こった悲劇の中心に魔女はたしかに存在していた。
【骸】を売り捌いていた姿は目撃されていた、その姿はまるで猫背の老婆のようであり、嗄れた笑い声をカラカラと上げていたという。
当人を目撃した者も多ければ、路地裏に映った影を見て魔女のようだと比喩した者もいる。
結果、魔女の出自は有耶無耶になり都市伝説のような存在へと成り果てることになった。
–––だからこそ、ジャンヌとケルベロスの前に立つ人物が魔女であるということは不明瞭ということになる。
何故なら、その顔はジャンヌの知る顔であり、老婆というには若すぎるからだ。
ペトラとメーヴァの駅境に現れた黒フードに猫背、しかし身長は高い。
ジャンヌの目撃した魔女の容姿とは正反対だが【骸】のような果実を売り捌いている様子を目の前にしている。
魔女本人でなくても関係者である可能性が大きい。
渇いた喉を震わせ、やっとの思いでジャンヌはその名を発する。
「–––レキ、なのか?」
魔女は赤い口を歪めるようにして嗤った。
※
「そこで僕の出番って訳さ」
「どういう訳かわからんが、レキがどこに行ったのかわかるのかヒルコ?」
「うーん、微妙かなぁ。 レキ姉が落ち込んだ時によく行く場所があるからもしかしたらそこかなと思っただけだし」
「.....行ってみる価値はあるか」
レキを探すために家を飛び出した蓮見はケルトの中を探してる途中で白い幼な子、ヒルコと再会した。
地理感のあるマングースにイロハを任せ、地理感のない蓮見征史が飛び出してしまったのは本当に勢い任せで後先は特に考えてない。
やはり、彼にはこれがないとダメらしい。 ズボンのポケットから六面ダイスを取り出す。
「偶数なら行く、奇数なら行かない」
–––ピン、とダイスを指で弾く。
空高く舞ったダイスは蓮見の頭のテッペンをあっという間に通過し、やがて重力に従って上げたときよりも少し速めに落下する。
胸元辺りにダイスが落下してきたところで右手でキャッチする。
「ん〜、よく見えなかったな。 ねぇねぇ、もう一回やってよ、もう一回!」
「やだよ、めんどくせぇ」
やり直しはしない、自分の意志で決められないのならばダイスに意志を委ねるのが蓮見の設けたルールである。
こうやって30年近く生きてきたのだ、良くも悪くもダイスに助けられた時もあった。
(.....いや、そもそもはあの人と会ってから俺は)
感傷に浸ってる時間はない。 ヒルコも待たせてるし、レキだってどこかで待っている可能性だってある。
手の平の中にあったダイスの目は三。
「奇数か。 別の場所を探そう」
「別の場所って、おっちゃん宛てあるの?」
「おっちゃん言うな、あるよ、二箇所だけだけどな」
うち一箇所は蓮見自身足を運んだことのない場所、軍警団ケルト支部。
もう一つは彼女の稼ぎ場所であるパン屋[ブレットケルター]
「ヒルコ、軍警団の建物とパン屋だったらどっちの方が近い?」
「うーん、そうだねぇ。 軍警団の方が近い気がする」
「そこに行きたい、案内してもらえないか?」
「んー、いいけど多分レキ姉はいないと思うよ。 というか、僕の意見無視しといて随分身勝手だね」
「すまんな、こういう性分なんだ」
[ブレットケルター]のパンを一つ奢るという条件で話は纏まった。
ケルトの中を歩くこと数分、少し急な勾配のある道もあったがなんとか辿り着いた。 ケルト内で二番目に大きな建物が目の前にある。
ここまで辿り着いたところで三十路の身である蓮見の脚はガクガクである。
「僕もあまりここ来ることないから、ここから先は当てにしないでよ」
「問題ねぇよ、子供に頼りぱなしってわけにもいかねぇし」
入り口の扉の横に備え付けられている呼び鈴を鳴らす。
しかし、いくら待っても中から反応がない。
「.....留守か?」
「誰か一人はいるはずなんだけどなぁ、おっかしいね」
不審に思った二人はそっと扉に触れる。
–––開いている。
「どういうことだ?」
建物の中からは独特な異臭、どこかで嗅いだことのある不快な臭い。 いや、どこかではない。
ここ最近嗅いだあの臭いだ。 鼻腔から脳へと蓮見の体内に異臭が走り抜ける。
–––これは【骸】!?
「おっちゃん!?」
「ヒルコはここにいろ! 絶対中に入るんじゃねぇ!」
事態は進んでいた。
【骸】による被害はヌンクだけでは収まらず、隣駅にまで侵食していたのだった。
–––それでも魔女は止まらない。
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11.魔ノ女
9月19日。
軍警団ケルト支部、生存者ゼロ。
団員全てが【骸】中毒により骨が腐食したため、異臭だけを残していた。
第一発見者、蓮見征史。
現在、ケルトの封鎖作業、及び住人に対する【骸】の検査を実施中。
[魔女]の一団と思われる人物は見当たらず、進行状況から一年前から【骸】が流通していた可能性が考えられる。
現地医師、マングースの協力の元徹底調査中。
第一発見者、蓮見征史は軍警団本部にて拘束中。
責任者、ホークアイ・アイアンズ。
※
「.....まさか、またお前とこうして会うとはな」
「.....俺も同じ人間に二度も身柄を確保されるとは思いませんでしたよ」
「強引な手段を取ってしまったことは謝罪する、しかしあの場でお前を保護するにはああするしかなかった。 重ね重ねすまないと思ってる」
「机の上に座って言われても.....」
場所は変わり、軍警団ヌンク本部。
軍警団ケルト支部の悲惨な状況の第一発見者として蓮見はホークアイによってヌンクに連れ戻された。
馬車のような、籠のような乗り物に乗せられたので移動のための時間と体力を節約することができたといえば、喜ぶことはできるのだろうが未だに蓮見も状況が掴めずにいる。
「それで、何故お前はケルトへ?」
「友人の実家に戻ってた、これは尋問ですかな?」
「雑談だ、力は抜いてくれて構わない」
そう言うホークアイ本人の眼光は鋭く、力を抜いているようにはとても思えない。
「そういえば、ヒルコ君は」
「あの場に他に誰かいたのか?」
「俺の連れで子供が一人いたはずだが、髪の白い」
「.....いや、私が到着したときは見てないな。 その子も中に入ったのか?」
「.....いや、外で待たせてた」
先にどこかに行ってしまったのか、いなかったのであればそう考える方が自然である。
「ケルト支部の中に は三年前のフィガロの悲劇を連想させるものだった、今回は建物内だったがあれが駅全体に被害が出てたと考えるとゾッとする」
「.....三年前」
「あぁ、たくさんの死者が出た。 あのようなことを繰り返すわけにはいかない...ッ!」
三年前。
蓮見がこの『イヴ』の世界に迷い込むよりも随分前のことだが、ホークアイの表情が当時の悲惨さを物語ってる。
図書館にあった新聞にも【骸】による事件、被害は明確に書かれていた。
資料から読み取るという手段しか取れない蓮見にとってはどこか他人事のように思える。
そう、例えば時空を飛び越えて過去に行って実体験するということでもしない限りは。
「そうだ、あんたがケルトに向かう途中で女の子とすれ違わなかったか?」
「女?」
「その、さっき言った実家に付き添った友人なんだが、俺が軍警団の建物に入る前まで一緒にいたんだ」
「.....いや、私は見てない」
レキもヒルコも行方知れず。
ヒルコはともかく、レキは一体どこへ行ってしまったのだろうか。
一度ジャンヌの家に戻って帰りを待つのも一手だが、それではいけない気がする。
それではイロハとマングースによけいな負担を掛けてしまう。
それに─
(レキとイロハさんは、まだ一回も会話してないんだ。 このまま仲違いなんて、絶対にダメだ.....ッ!)
お節介でもいい、こんな形で親子が後悔することになってほしくない。
「.....茶でも淹れようか?」
「しばらく俺を帰す気はない、と。 そう捉えても?」
「雑談にティータイムは必須だろ?」
机から降りたホークアイは備え付けのヤカンに入った湯を茶葉の入ったコップに注ぐ。
荒々しい見た目に反して、優雅さを感じさせる動作にギャップを感じてしまう。 もしかしたら、蓮見よりも手馴れているかもしれない。
「時に君はジャンヌと親しい関係にあると聞いている」
「まぁ、成り行きですがね。 酔っ払ってるところを拾ったといいますか、酔っ払いに拾われたといいますか」
ホークアイの眉がピクリと動く、気のせいかもしれないが一瞬だけ目を逸らされた気もする。
「出会い方はともかく、今じゃ部屋も貸してくれてるので恩を返そうにも返せないですよ。 せめて、戻るまではできることはしておきたい」
「そういえば、お前はどこの生まれなんだ?」
「.....」
「ど、どうした?」
─果たして、言ってもいいものなのか。
疑問が蓮見の頭を過る。 迷い、こんな時こそいつも頼りにさせてもらってるダイスを使うべきである。
ポケットに手を突っ込んで六面のダイスを取り出す。
「.....それは?」
「偶数なら話す、奇数なら話さない」
訝しむホークアイを無視して、ダイスを天に向けて投げる。
蓮見の一連の行為に疑問を抱くホークアイはポカンとしてしまっている。 中々見られない表情だ。
舞い上がったダイスは一定の高さにまで昇ると、あとは落下するだけ。
昇るよりも早く速度を増しながら蓮見の手元に綺麗に落下していく。
この動作は既に何年も行っている、もう手馴れたものである。
─ダイスの目は二。
「.....やれやれ」
「今のは一体なんだ、どういった意味があるんだ?」
「気にするな」
思った以上にホークアイが興味を持ち食いついてきた。 心なしか瞳が輝いてるようにも見える。
蓮見が別の世界からやってきた人間であるということを話そうとした矢先、部屋の扉がノックされる。
「失礼します、ホークアイさん!」
「尋問中だぞ馬鹿者」
「すみません! ですが、急ぎ耳に入れてほしいことが!」
軍警団の制服を着た糸目の青年が蓮見に聞こえない声でホークアイに何かを耳打ちする。
青年の言葉を聞いたホークアイは目の色を変えた。
「それは、確かか?」
「間違いありません! 念のためイバラさんにも現地へ向かってもらってます!」
「わかった、私も直ぐに準備する! すまない蓮見、急用ができたので私はここで失礼する!」
今までにない剣幕でホークアイが声を荒げる。
「俺は釈放ってことでいいんですか?」
「構わん! 続きはまた今度だ、いい茶葉を仕入れとく!」
そう言うや否やホークアイは蓮見を置いて飛び出してしまった。
代わりに無精髭を生やした筋肉質の大男が蓮見の前に現れた。
「バタバタしててすまないな、こっちも忙しくてよ」
男は蓮見に頭を下げ、そのまま出口に案内してくれた。 軍警団本部の建物は思いの外広い。
蓮見一人では出口まで行けなかったかもしれない。
「なにかあれば気軽に来るといい、軍警団は市民の味方だ」
「そいつはどーも」
気さくな軍警団の男は手を振りながら蓮見のことを見送る、名前を聞きそびれてしまったが問題はないだろう。
そういえば、と蓮見はふと思い立って、少し声を張らねばならないといけない距離になった男に質問を投げかける。
「ジャンヌ、はここにはいないんですか?」
居候先の家主ジャンヌ。
合鍵はあるが、色々あって今はレキが持っている。 蓮見の手元にはないため、帰っても閉め出しとなってしまう。
─ダイスを振るまでもない。
「ん、あいつはたしか、ケルベロスと一緒にペトラに行ったぞ。 伝言なら俺から伝えておくが.....」
「あー、いや、伝言はいいんでお願いしたいことができましたわ」
「?」
「一泊、させてください」
※
「見失った、な」
メーヴァが目と鼻の先になったところでフードを被った女、レキと思われる人物の姿が消えてしまう。
途中までケルベロスの鼻と動体視力を頼りに追っていたのだが、そのケルベロスでさえ匂いがわからなくなってしまったのだ。
「ダメだ、メーヴァは香水の匂いやら人の匂いが多すぎる! 嗅ぎ分けられねぇ!」
「くそ、壁も今は邪魔なものでしかないな」
─娯楽と魅惑の駅メーヴァ。
富裕層はもちろん、心を満たす者が集まる夜のない駅とも称される『イヴ』で一番賑やかな場所。
その隣が無法地帯のペトラでは問題があるとメーヴァとペトラの間には巨大な壁があり、検問を通さねばペトラからメーヴァ方面に進めないような徹底ぶりである。
軍警団であることを提示した二人は検問を容易に通過できたが、魔女と思しき人物がどこに行ったのかは不明だ。
検問の中に匂いは残っていたとケルベロスは断言している。
「それよりジャンヌ、あいつ知った顔なのか? さっき呼びかけてただろ」
「.....見間違いであってほしいのだがな、友人の顔だったよ」
「ならそいつの住処に張り込みに行くぞ、可能性の芽は少しでも潰しておくに限る。 案内しろ」
「.....たしかに、友人だけど家は知らない。 家出してんの、あいつ」
「あ?」
「それでうちで居候、だからヌンクまで戻らなきゃいけない」
「.....チッ」
完全に手詰まり。
メーヴァに入ることはできたが、魔女の行方を失った。 汽車に乗って逃げられた可能性もある。
「.....もし、私の知るレキなら汽車には乗れない」
「あ? そいつはどういうことだ?」
「─あいつは無一文なのよ」
そこで親友であるジャンヌは気がついてしまったのだ。 ケルベロスは鳩が豆鉄砲をくらったような表情をしている。
「.....つまり?」
「私の見間違いじゃなくて、魔女の顔がレキ本人なら、まだこの駅にいる可能性が高い」
「一時間だ、それ以上は時間の無駄だぜ」
「気が合うわね」
寸分の可能性も潰す。
ジャンヌとケルベロスは犬猿の仲だが、それはあくまでも同族嫌悪に近いところがある。
つまるところ、根は似た者同士なのだ。
検問を抜けて少し歩いたところでケルベロスがジャンヌに問いかける。
「お前のダチ、レキだったか? そいつが仮に魔女だとしたら─」
「─とっ捕まえるよ。 居候してくれた分の家賃請求しなきゃいけないし」
「ハッ、安心したぜ」
とは、言ったものの人の数も余計な匂いもメーヴァでは馬鹿にならない量だ。 いくらケルベロスの嗅覚が優れているとはいえ、判別は難しい。
ならば─
「逆にメーヴァの雰囲気と違う匂いを探す。 違和感を探したら魔女に辿り着くんじゃないの?」
と、ジャンヌは提案する。
「.....お前なぁ、他人事のように言うが簡単じゃないぞ? 砂浜の中で特定の砂を見つけるようなもんだぞ」
「あら、軍警団の幹部たるケルベロス様がそんなこともできないの? なら、近々その席は私のものね」
「─このアマが、いいだろうッ! 手柄を取られて泣き喚くんじゃねぇぞ!」
この犬、煽りに対して滅法弱い。
特に敵対視している同僚からの一言が効いたのだろう。
男に二言はない、ケルベロスはメーヴァの数多ある匂いの中から嗅ぎ分けられる範囲内での違和感を探す。
富裕層が多く占める綺麗な駅での中の僅かな違和感。
香水の匂いもなく、どこか土臭い匂いが強い場所と人物を。
─ドン、とすれ違い様にぶつかった人物にジャンヌは謝罪をするが、ケルベロスだけは視線をその人物から外さなかった。
「─見つけた」
※
「迂闊だったぜ」
まさか、ジャンヌがヌンクにいないとは思いもしなかった。
とりあえず、一泊は了承してくれたため、寝る場所には困らない。
少し腹ごしらえをするために蓮見は街へ駆り出していた。 いつもと変わらぬ風景。 【骸】による被害が出た日が遠い日のように思える。
商店街に入り、露店を見ていると見知った人物がパン屋の前に立っていた。
「─レキ」
「あれ、蓮見さん?」
行方が知れなかった相棒の姿がそこにあったのだ。
※
─時同じくして、メーヴァでも進展があった。
魔女と思われる人物をジャンヌとケルベロスが追い詰めていた。
しかし、そこで二人は魔女の姿に疑問を覚える。
たしかにケルベロスは魔女の匂いを追いかけてきた。 そこに間違いはないし、黒い外套にフードを被る姿も一致している。
─しかし、ここまで高身長で姿勢も正しい。 猫背ですらないのだ。
ケルベロスが強引に抑えているところ、ジャンヌがフードをゆっくりと剥がした。
フードの下から出てきた顔はジャンヌにとっても見覚えのある、居候の友人の顔。
「─レ、キ?」
「.....あ?」
行方が知れなかった友人の顔がそこにあった。
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12.秘シ心
日は変わり、9月20日。
再会を果たした蓮見征史と黒森レキは街灯の灯りがスポットライトのように照らされてる、いつの日かのベンチに並んで腰掛けていた。
「─ごめんね、突然飛び出しちゃって」
「.....お前のお袋さん、イロハさんを心配させんなよ」
「うぅ、それを言われると辛い」
結局のところ、レキは母親であるイロハに会うのが最後の最後で怖くなったらしい。 怒られると思ったとかなんとか。
ヌンクロードで彼女を見つけて話を持ち出し、聞き出すまで随分時間が掛かってしまった。 軍警団に一泊頼んだ手前、あまりにも遅くなってしまったので戻るに戻れない。
「.....お母さんは、やっぱり【骸】に手を出してたんだ」
「やっぱり?」
レキが人差し指を合わせながら、言い辛そうにポツリポツリと言葉を繋げる。
「足が悪くなっただけで体調にまで影響するなんて考えられないから」
「場合にもよるが、まぁ、そうだな」
イロハの場合は愛する人との別れという精神的疲弊も影響した、と後に専属医であるマングースは語る。 レキの家出も少なからず影響してる可能性もある。
「思えばマングース、さん?っていつからイロハさんのことを診てるんだ?」
「んー、いつからだろ? もうずっといるからわからない」
「.....そんな人がイロハさんが【骸】を摂取し続けてることに気づいてなかった、わけないよな」
マングースの話によると、黒森家に時々モノを届けに来る者がいるという話だ。
「.....蓮見さん?」
「レキ、今からイロハさんのところに行くぞ。 気になることがある」
─レキの返事は待たない。
どちらにせよ、親子の溝は埋めないといけない。
その上で黒森イロハとマングース、そして黒森レキの三名に確認しなくてはならないことがある。
「.....でも、マングースさん昼型のヒトだから寝ちゃってるかも」
「まじかよ」
しかし、そんなこと考慮してる場合でもない。
ケルトの住人達は一時的にヌンク軍警団のお膝元へ避難しており、小さなキャンプで夜を過ごしている。
「.....もう戻ることになるとは」
蓮見の独り言には誰も応えない。
ほとんどの人が寝てしまっているが、それでもちらほらと灯りが見えることから起きている者も少なからずいるのだろう。
急な出来事に混乱する人々もいる、二人を見つけて声を掛けてくれたマダム・メソッドもその一人のようだ。
「レキちゃん! と、蓮見ちゃんだったかしら?」
「無事でしたかマダム」
「もう大変だったよ! 二人とも無事でよかったよ!」
相も変わらず髪はウネウネとしているが、元気な姿を確認できて蓮見は安堵の息を漏らす。
「あたしは何とかなったけど、商品が心配さね! 明日の商売も一体どうなることやら!」
「少しは身の心配をしてください!」
「あっはっはっ、身があってこその冗談さね!」
「もう! お母さんとマングースさんのテントってどこかわかります?」
「イロハちゃんの? そうさね、どこだったかしらね...」
マダム・メソッドは周囲を見渡す、どうやら彼女のいるテントとは別の所のようだ。
「ここのことも知りたいし、少し歩いてみるか」
これ以上マダム・メソッドに迷惑も掛けられない。 ここにいる人達は住む場所から離されてるのだ。
明日に対する不安もあるだろうし、蓮見とレキも長居するつもりではない。
マダム・メソッドに礼を言い、灯の点いているテントを一つ一つ確認していく。
そこまで大きなキャンプではないので、イロハ達に会うことができるのも時間の問題だ。
顔見知りと会えばレキが挨拶をし、蓮見は彼女の後ろをついていく。
三つ目のテントの幕を開いたところでベットに座るイロハと目が合った。
「あ」
「レ、レキ...」
─親子の再会である。
※
黒森レキは心のどこかで母親である黒森イロハに会うことを恐れていた。
家出したこと、怒られるのではないかと。
父のことはもう忘れろと言われたのに探していること。
勝手なことをしているということ。
色んな人に迷惑を掛けていること。
蓮見は席を外している。 先程まで寝ていたマングースだったが、レキの足音で目を覚まし、蓮見と一緒にテントの外に行ってしまった。
つまり、今このテントの中にはレキとイロハの二人だけなのである。
「........」
「........」
俯きながら何も話さないこと一分、あまりにも長い一分だ。
お互いに切り出す言葉が見つからない。
─ギュ、っとレキが左手と唇に力を込める。
「お、お母さん」
久々に娘に呼ばれた気がした。
「その、ごめんなさい。 勝手なことして...」
「.....そうね」
「─!」
伏せていた顔を上げる。 目尻には涙が溜まっており、今にも泣き出しそうだ。
「私を、こんなにも、心配させるなんて、どういうつもり.....?」
イロハはまだ俯いている。
彼女の握りしめた両手の甲は涙で滲んでいる。
「.....私は、お母さんに元気になって欲しくて」
今まで言えなかったこと。
「お父さん、が見つかれば、お母さんも、元気になれると、思って─」
胸の奥に秘めていた想い。
「─でも、見つけられなかった」
それは母を想う不器用な娘の優しさ。
「.....あの人とは、もう会えない」
今まで言えなかったこと。
「レオンは、もうこの世界には帰ってこないの。 そんなことより、私は、レキまでいなくなるんじゃないかって、本当に、本当に不安で─」
胸の奥に痞えていた想い。
「─もう、私はこれ以上大事な人を、離したくないの」
それは娘を心配する不安でいっぱいな親心。
「だから─」
「だから─」
母娘はお互いに顔を合わせる。
「「ごめんなさい」」
不器用な母娘の心からの謝罪。
ちょっとした一歩、しかし、二人にとってはとても大きな関係修復の大いなる一歩である。
先に吹き出したのはレキである。
「.....お母さんが謝ることないじゃん」
「いいえ、私がダメなお母さんだから立派な私の娘のレキが頑張ってくれてたんでしょ?」
「ダメなお母さんじゃないよ、大好きなお母さんだから、お母さんのために頑張ってたのよ」
つられてイロハも吹き出す。
「─おかえりなさい、レキ」
なんてことはなかった。
お互いに怖かっただけだったのだ、踏み出してしまえばこんなにも簡単に歩み寄ることができる。
何気ないことだって、気軽に言うことができる。
「ただいま! お母さん!」
─それが親子だ。
─それが繋がり、絆である。
※
その頃、蓮見とマングースの二人は静かになったヌンクロードにあるベンチに腰掛けていた。
「二人は大丈夫なのか?」
「むしろ、俺たちが関与してこれ以上ややこしくなったらどうするんだよ。 これは当人達の問題だ」
ダイスを振る必要もない。
「それで、オレに聞きたいことってのは?」
「あぁ、そうだった」
蓮見征史が今回のことで解決したいこと、その一つが黒森母娘関係の修復。
「なぁ、マングースさん。 【骸】をイロハさんの家に持ち込んだのあんただろ」
─蓮見の一言に空気が重たくなる。
マングースは驚愕とも動揺とも取れる表情を浮かべていた。
「.....オレを疑ってんのかい?」
「俺はあんたを疑いたくない、だからここから先言うことは独り言だと思っててくれればいい」
同時にその瞳の奥には知的好奇心のような感情を浮かべているようにも思える。
「専属医のあんたがイロハさんの家に通ってるはずなのに、イロハさんは【骸】中毒の症状が出ていた。 けど、イロハさんは外に出るのが難しいから誰かが家に食べ物とかを運ぶしかない」
これは後ほどイロハに確認するべきことだ。 だから、蓮見もまだ確信を持つことができていない。
「おかしいとは思ったんだ。 初めてイロハさんの家に行って、あんたの話を聞いた時─」
『.....オレは何度かあったことはあるが、あいつの身の回りを世話してる女がいる。 そいつが持ってきた可能性が一番高い』
「イロハさんの身の回りの世話をしてるってんなら、もちろんあの人の容体のことも知ってる。 それに【骸】ほど出回っているものなら警戒するも当然だ、専属医のあんたもな」
ケルトにも軍警団の支部はあった。
本部から【骸】のことを伝達されててもおかしくない。
現にケルトにある『ブレットケルター』では既にりんごの規制が行われていた。
「イロハさんの体調を管理しているあんたがそんなミスをするなんてとても思えない、それなら故意だって疑っちまうのも仕方ねぇ。 そもそもイロハさんの身の回りを世話してる奴がいるってんなら、なんであの時いなかったんだ?」
「.....ッ!」
「買い物に出ていた、花を摘みに行ってた。 考えれるが、あの後しばらくイロハさんの家にいることになったけど、戻ってこなかった」
蓮見はそこで一区切りつける。
マングースの様子を伺いながら、蓮見は慎重に言葉を選びながら、話を進める。
「そもそも、そんな人物がいないと考えたら? マングース以外の第三者ではなく、あんたがイロハさんの身の回りをあれこれやってるってほうが納得いく」
そもそもだ。
専属医であるにも関わらず、何度かしか会ったことがないというのは不自然なことだ。
「.....マングースさん、俺はあんたを疑いたくない」
─これは本音だ。
しかし、マングースが狼狽え、顔を俯かせていることから答えは出ているのかもしれない。
「.....オレは、イロハにそんなことしない」
「なら、その身の回りを世話してるって人に会わせてほしい」
「......」
マングースの様子を見る蓮見の目は少し悲しそうだった。
「.....マングースさん」
「─なぁ、ハスミ。 オレの独り言も、聞いてくれないか? 返事はいらねぇ」
チカチカと街灯が点滅する。
蓮見はポケットのダイスに手を触れるが、すぐに手放した。
「─【骸】は薬にもなる」
この一言で、蓮見の思考が一瞬だけ止まった。
「たしかに幻覚、嘔吐、頭痛、溶骨に依存性と悪い面が目立つ。 けど、イロハを治療するには溶骨作用が必要不可欠だったんだ」
マングースは続ける。
その姿は懺悔してるようにも、自分は悪くないと言い聞かせているようにも思える。
「【骸】一つの効果は大きいけど、粉末状にして水に溶かして使えば骨の表面を少しだけ、削ることができるんだ。 それで、イロハの両脚の腫瘍を取り除ける」
内出血と腫骨の炎症により、イロハは両足で体を支えることができない身体になってしまった。
それも外からの治療はマングースの手腕、ケルトの医師、この『イヴ』の世界では困難なものだった。
「オレは、適正な量で副作用も抑えるよう薬も調合してた。 【骸】の毒を中和する方法は既に確立されている、実際【骸】中毒かどうかの検査も、その応用だからな」
蓮見は納得した。
たしかに検査のときに何か飲まされたのは覚えている。 あれが恐らく、【骸】を中和、体内から体外へ摘出するための手段なのだろう。
「けど、オレは【骸】が、昔のままだと、思ってた」
マングースは小さな身体を震わせる。
「気づくのが遅すぎた、【骸】の依存性と潜伏性、そして毒の繁殖性の強さに、もっと早く気付いてやれれば─!」
「落ち着いてください、マングースさん!」
「それだけじゃねぇ!! ここ二年くらいの【骸】の毒性は昔の比じゃねぇ、人間の胎内に入ってから反応を起こして毒性を強めるなんて、これまでの【骸】にはなかったくらいの毒性反応だ!!」
マングースの動揺は止まらない。
涙を流すマングースはその小さな身体を使って蓮見に懇願するようにしがみ付く。
「ハスミ、頼む! オレはどうなってもいい、あいつを、魔女を、レキのやつを止めてくれ!!」
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13.隠シ事
世の中似た人間は三人いる。
この言葉を信じるのであれば、まだもう一人ジャンヌの知人が見つかることになる。
元々は『アダム』での諺らしいので『イヴ』の世界に住む者たちに馴染みはあるのだが、由来までは知る由もない。
─ジャンヌ・ダルクは戸惑い、嘆き、悩む。
軍警団メーヴァ支部の客室で隣に座るケルベロスは得意気な表情を浮かべている。 犬歯を表に出して興奮を隠しきれていない様子も見て取れる。
それも仕方ないことだ。 これまで世間を騒がせていた【骸】事件の主犯格である、魔女を名乗る人物を直々に捕らえたのだから。
※
─時は少し遡る。
「レ、キ……?」
ケルベロスの抑えつけたフードを被っている人物が友人だった。
そのことに驚いたのはもちろんだったが、ジャンヌからしてみれば、何故彼女がここにいるのかも不思議でしょうがなかった。
「─あ?」
そんな彼女が敵意を剥き出しにして、メンチを切ってきていることだって、尚わからない。
今にも噛みついてきそうな雰囲気だ。
「お前が魔女か?」
「……そうだ、と言ったら?」
「─御用だ」
ケルベロスが控えていた左腕で魔女と名乗る女の華奢な腕を掴む。
白く、か細い少女の腕と首はそれぞれケルベロスによって抑え、握り潰されるくらいの力で握られ、彼女の体ごと壁に叩きつけられる。
魔女が抵抗する素振りはない。
「か、はっ…」
「テメェ、本当に魔女なのか?」
軍警団の得た魔女の情報では老婆だったはずである。
しかし、ケルベロスの抑えている人物は若い女性。 情報と大きな矛盾があり、若返りでもしない限りは容姿が一致しない。
「……そうだ、と言ってるだろ?」
「─そうか。 なら容赦はせん」
犬歯を剥き出しにケルベロスが両腕に込める力を強める。
【骸】で上司を失い、実の兄をも奪われた恨み辛みは大きい。 目の前に元凶と仇がいるとわかった彼にもうブレーキは利かない。
ボキッ、という音が鳴り魔女の右腕が折れる。
「…っ、ぁ!?」
「待てケルベロス! やりすぎだぞ!!?」
「うるせぇ! 俺は冷静だ、要はこいつから必要な情報を聞き出す必要がある! だったら、先に動けなくしてやることが先決だろォが!!」
殺してしまいそうな勢いだった、思わずジャンヌが制止を掛けるがケルベロスは止まらない。
両手で首を絞め、魔女の体を持ち上げる。
彼なりに加減はしているようだ。 全力を出せば彼女の右腕のように首もとうに折れてしまっている。
「─後悔させてやるッ!!」
魔女は白目を剥いて意識を失っていた。
ジャンヌとケルベロスは魔女を連れて軍警団メーヴァ支部へと向かうことになった。
親友と同じ顔の罪人を連れて。
(……レキ)
※
事情聴取は魔女と名乗る少女が目を覚ましてから行うことになっている。 意識のない人間から得ることのできる情報は限られている。
持ち物は少量のエバ通貨、そして【骸】の入ったバスケット。
「─現段階で決定はできませんが、彼女が魔女である可能性は高いでしょう。 魔女本人でなくても、関係者であることに間違いはありません」
軍警団メーヴァ支部長、アラジンが二人に話す。
桃太郎とは違い真面目な印象を感じさせる好青年のような男だ。 印象は仕事にも姿勢にも影響が出ていた。
「今彼女の身柄はこちらでお預かりしてますが、目を覚まし次第お二人に同行していただき事情聴取を行うことつもりです」
「問題ない、それまではここでゆっくりさせてもらおう」
「まさか、本部の方々がこちらまでいらしていたなんて思いもしませんでしたよ。 大した歓迎も出来ずに申し訳ありません」
「気にしてんじゃねぇよ、俺達も捜査の一環で来ていたんだ」
本部と支部の関わりは薄いようで濃い。
情報共有のパイプが太い代わりに人間関係はかなり希薄である。 ケルベロスとアラジンのように気の合う、かつて同じ事件を共にした二人でなければ円滑に会話を進めることすら難しい。
ジャンヌは心のうちの動揺が表に出ないだけで精一杯である。
「では、私とケルベロスが滞在することを本部に伝えた方がいいかもしれないな。 ホークアイさんとの連絡もある」
「お前はともかく、俺は班長で多くの部下を持つ身だからな、その意見には賛成だ」
伝令役もメーヴァ支部長アラジンの力があれば即解決であった。
─二時間後、魔女は目を覚まし彼女を収容しているフロアにジャンヌとケルベロス、そしてアラジンの三人が出向くことになった。
「………………。」
「ハッ、元気そうでなによりだ!」
ケルベロスの挑発に対して睨み付けるだけで終わってしまう魔女、それも仕方ないことである。
「さすが魔女だ、そのくらいでなくちゃヤリ甲斐がないってもんだ! 早速だが─」
「その前に確認したい」
ケルベロスの言葉をジャンヌが遮る。
少しだけ、ケルベロスが苛立っているようにも思える、ジャンヌは気にせずに続ける。
「貴様の名は、黒森レキか?」
「……そうだ、私は黒森レキの一部だ」
「一部?」
「─そんなことはどうでもいいんだ魔女、いや、黒森レキ容疑者」
業を煮やしたケルベロスが口を挟んでくる。
「お前が何者だろうと今となっちゃ関係ねぇ、テメェは魔女で【骸】を売り捌いて、あの日、駅一つを壊した」
「…だったら?」
「ハッ、あまり舐めた態度取ってるんじゃねぇぞッ」
「ケルベロス!!」
鋼の格子がなければ流血沙汰になっていた、今のケルベロスにブレーキは利かない。
ジャンヌはアラジンに目配せをするとアラジンも察してくれたようでケルベロスをこの場から引き離してくれた。
このままでは情報を聞き出すどころではない、アラジンが屈強な肉体を持つ部下を呼び出してケルベロスを抑えつけ、別室で待機を願った。
ケルベロスは絶えず叫び続けているが、無視である。
「すまない」
「構いませんよ、彼の気持ちも理解できます」
【骸】による被害者は多い。
アラジンもかつて大切な人を失った身である、ケルベロスの気持ちが痛いほどにわかるのだろう。
「さて、僕個人としても貴女に聞きたいことは山ほどあります。 一つずつ片していくとしましょう」
「……勝手にしろ。 私はお前らの求めてるものは何一つ持っていない」
「貴女が魔女を名乗ってるのにも理由があるのですか? 本物は別にいるとか」
「………お前らがそう思うんならそうだろうな」
「時間の無駄ですね、単刀直入に話せないんですか?」
「だったら私に構う時間こそ無駄なんじゃないのか? さっきも言ったが、私はお前らの求めるものは何も知らない」
「……そんなはずないでしょ?」
次に業を煮やしたのはジャンヌだ。
その様子を察したアラジンはジャンヌを手で制し、魔女に言葉を投げ掛ける。
「であれば、魔女。 何故貴女は【骸】を所持していたのですか?」
「買ったんだ」
「誰から?」
「……貴様らが魔女と呼んでる存在じゃないのか?」
禅問答。
いくら質問を投げ掛けても矛盾ばかりの回答、仮に目の前の魔女が嘘を言っているにしても生じる大きな矛盾。
言葉に詰まるアラジンを除け、ジャンヌはこれまで疑問だったことを問い掛ける。
「お前は、レキの、黒森レキのなんなんだ? どうして同じ顔をしているんだ?」
「………。」
─沈黙。
魔女を名乗る女は黒森レキとの関係性を問われると黙秘権を行使するようだ。
「似てはいるが本人でないことは、私でもわかる。 あいつに姉妹がいる話も聞いたことはない」
「………。」
「ただのそっくりさんでは済まされんぞ、お前は一体なんなんだ?」
本人でない、髪の色も瞳の色も顔つきも全く一緒だが、金欠である黒森レキではとても買うことのできない香水の匂いが仄かに漂っている。
歓楽街のメーヴァであれば匂いが移ることも考えられるが、魔女がメーヴァに潜伏した際にケルベロスから逃れるために付着させたと考えれば辻褄が合う。
「ジャンヌさん、今重要すべきは【骸】の流出ルートです。 彼女の身の上はその後でもいいでしょ?」
これ以上は時間の無駄、そう感じたアラジンが横槍を挟む。
「…すまない」
「ですが、埒が明かないのも事実です。 黒森レキなる人物をここに連れてくることにします」
「……ッ!」
動揺したのはジャンヌではない、魔女だった。
魔女は制限された中で勢いよく立ち上がり、狼狽えている様子が目に見える。
「レキを、ですか」
「えぇ、今思えば先程の時間は無駄ではなかった。 さすが本部のお方です」
「……お世辞のつもりか?」
「とんでもない、交通費はこちらで保障致しますので連れてきていただくことはできますか? その間、僕はケルベロスさんを宥めておきます」
「…わかった、だが、レキは一般人で故郷が今【骸】の被害が出たばかりだ」
「善処します」
一般人を巻き込むのは軍警団としても本意ではない、アラジンとて心苦しいことは理解している。
「…まさか、ケルトでなにかあったのか……?」
魔女がポツリと呟いた一言は誰にも拾われることはなかった。
もし、この場でジャンヌか、あるいはアラジンが問い詰めていれば─
※
蓮見とマングースの二人は黒森親子が落ち着いたのを見計らって、テントの中へと入った。
「蓮見、さん」
「決心はできたか、レキ」
「うん」
親子の蟠り、少しでも溝が埋まったのかどうかは当人達にしかわからない。
蓮見はレキの表情を見ただけで察した様子であった。
「イロハ、も落ち着いてるみたいだね」
「うん、ついさっき寝ちゃった」
ならば、と二人は目を合わせて頷くとレキの方に視線を向ける。
きょとんとしてる彼女を余所に蓮見が口を開く、どうにもマングースはまだ口に出すことを躊躇っている様子だった。
「レキ、【骸】についてどう思う?」
「……突然、だね。 いや、違うよね、気づいたんだよね私が魔女だってことに」
「………。」
蓮見は無言で頷く。
「でも、正確には私であって私じゃないの、あれは私の影法師」
イヴにおける都市伝説の一つ。
あのときは法螺話として聞き流していたが、彼女自身が経験した身の上の話だった。
実在するかもしれない、あるいは実在するからこそ都市伝説として世の中に波及するのだから考えてみれば存在するかしないかの二択、至極全うなことである。
「あの子が私から離れたのは六年前、ちょうどお母さんの体調が悪化し始めた頃かな」
「オレがイロハを担当し始めた頃、だったな。 たしか」
マングースの言葉にレキが頷く。
「そこで、私はマングースから【骸】が薬として使われることも聞いたの」
「……つまりは、オレのせいなんだ、オレが安易にレキにこのことを話さなければ、よ…」
ちょうど、黒森レキという人物から影法師が飛び出したのもその頃だそうだ。
「つまり、なんだ? レキのイロハさんを救いたいって気持ちが先走ったのが、その影法師ってやつなのか…?」
「おそらく、は」
真実は本人に会ってみなければわからない。
─つまり、
「─魔女と接触する、そういうことか?」
危ない橋を渡らなければならないということだ。
「正確には、もう一人の私。 あの子が魔女と名乗ってるのは一種のカモフラージュ」
「……待て、お前が魔女って名乗ってるということは軍警団の奴らは─」
蓮見はこの事件についてバックボーンも知らなければ実態も知らない。
今、このタイミングで一気に情報が流されてきたようなものだ。 小瓶の中に注がれた多くの水は溢れ出そうとしている。
─その時、テントに訪問者が現れた。
「─もし」
その人物は蓮見征史がこの世界に来て初めて声を掛けてきた人物。
その人物は黒森レキがよく知るこの事件の中心にいるような重要な人物である。
二人は声を揃えて、その名前を呼ぶ。
「─魔女」
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②.黒森レキ : SIN
「エッエッエッ、レキ。 具合はどうかえ?」
「……おばば」
フードを被った老婆はしゃがれた笑い声で周りを気にすることなく、中へと入っていく。
レキはイロハや蓮見達を庇うようにして老婆の前に立ち塞がる。
「こいつが、本物の魔女…?」
「……どういうことおばば、なんであの子じゃなくて私に直接会いに来たの?」
(…まさか、向こうから直接やって来るなんてな。 だが、何故今なんだ…?)
魔女。
【骸】をイヴの世界で売り捌く行商人にして、現在軍警団が総力をもって捜索している事件の中心人物。
「あぁ、あの子は今軍警団に捕まっちまったみたいだからねぇ、状況が変わっちまったのさ」
「………は?」
魔女の表情は変わらない。
そのしゃがれた笑い声は黒森レキの神経を逆撫でする。
「エッエッエッ、そいでボチボチあの子もお役ご免って所かね。 それでだレキ、解約の話をしにきたんさ」
フードのせいで目は確認できない。
しかし、目尻が下がり笑っているということは傍目から見てもわかる。 レキの表情に焦りが現れる。
「あたしゃ、あんたとはもうやっていけねぇってことさ、レキ」
その言葉を切っ掛けにレキの瞳が鋭くなる。
いち早く察した蓮見がレキの一歩前に立ち、前へ進むことを拒む。
「どいて、蓮見さん」
「どかねぇよ、どいたところで何も解決しねぇだろうが」
「これはおばばと私の話、だから蓮見さんには関係ない!」
「あるね! お前と一緒にアダム目指すって決めたんだ、道の途中にある小石は一緒に蹴飛ばすって決めてんだよ!」
蓮見征史が一歩引く、黒森レキの隣に立ち魔女のことを睨み付ける。
「エッエッ、そうかい、あんたアダムの人間だったのかい」
「だったらどうした?」
魔女の興味が蓮見へ移る。
「……いや、あんたじゃダメさね」
「…?」
「まぁ、いいさ。 レキと話をさせてはくれんのかね?」
「解約、ったな? だったらこいつとあんたにもう接点はないはずだ」
「エッエッエッ、だが契約には手続きってのがあるのさ。 それは解約も然り」
「ハッ、一方的に都合が悪くなって解約と迫ってきて手続きとは、ムシのいい話だことで」
「こっちにも事情があるのさ」
蓮見の言葉は聞く耳持たず、否、こちら側の事情は一切考慮しないような言い草である。
本来であれば、当人同士で解決するのが筋なのだが、過去の経験上こういった輩には埒が明かないと判断し横槍を入れた蓮見の口撃は続く。
「いいのか? このまま俺と口論をしてたら異変に気がついた周りの連中が軍警団を呼ぶぜ?」
「エッエッエッ、気にしないさ。 あたしゃ軍警団さんにお世話になることは一切しとらん、ただのババァじゃぜ」
「なら、ここにいる連中全員で告発してやるよ」
たとえ、目の前の老婆に何の罪がないとしてもここにいる全員が悪だと言えば嫌が応にも魔女を名乗る老婆は市民の味方である軍警団の敵になる。
とてもわかりやすい魔女裁判、魔女狩りである。
「おい、ハスミ…」
「マングース、あんたは魔女を見たのは今日が初めてか?」
「あ、あぁ、【骸】の取引自体は魔女の一団から仕入れてた」
今、この場で目の前の老婆を魔女と証明できるのはレキだけということになる。
ここから先は運任せな部分もあるが、時にはダイスに頼らない博打も必要な盤面もある。
「蓮見さん」
「レキ、お前はどうしたいんだ、この婆さんとやっていけそうなのか?」
「……蓮見さんが遮ったから言うタイミング失ったんだけど」
「ごめんなさい」
「─おばば、いや、魔女。 私は貴女と今後もビジネスをするつもりはない、でも、こんな一方的な打ちきりはどうなの?」
「物事はいつも突然さね、準備運動するのをわざわざ待ってやるってのかい?」
「だったらせめて、これまでの報酬をもらうのが筋だと思うけど?」
「エッエッエッ、それはもちろんさね、あんたの欲してるのは父親である黒森レオンの情報だろ?」
魔女の言葉にレキは息を呑む。
黒森レオン、レキの実父でありイロハの夫、そして蓮見征史と同じくアダムの人間。
どういうわけか、このイヴの世界にて彼に関する情報はアレイスターさえも把握できていないのだ。
それをどういうわけか、この魔女は知っている。
二人のレキは危険な橋であると同時にマングースから聞かされた【骸】がイロハの治療薬として使えるかもしれないという小さな期待と確かな情報の二つを携えて、魔女に接近した。
「─黒森レオンは死んだよ、人喰いの餌になったのさ」
「……は?」
真実は残酷。
手に入った情報では黒森レオンを探し出すことができない、既にこの世にいないのだから。
ガチャ。
魔女を名乗る老婆の後ろから銃を向ける軍警団の制服を着た女、ジャンヌが現れる。
「話は終わったか?」
「……ここまで、ということか? あんたの仕業かね、アダム人」
「そういうこと、って言ってこの状況覆るのかい?」
「いいや、詰みだね。 あたしを連れていきな、軍人さんや」
「そうさせてもらうか」
ジャンヌは短く応えてから、魔女と名乗る老婆はエッエッエッ、と掠れた笑い声で笑う。
そのまま、ジャンヌは黒森レキの方に目を向ける。
「あと、黒森レキ、も連れていく」
「……わかった」
覚悟はできていた。
問題はこの後だ。
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14.種明カシ
魔女の捕縛。
軍警団団長、桃太郎が大々的に宣言することによって、情報はイヴ全域にまで伝わった。
人々を恐怖に陥れた【骸】流通の主犯格、根源を抑えたと言ってもいい。
直接捕縛にあたった軍警団のジャンヌ・ダルクはレフボーイの記事により、大々的に取り上げられた。
「まったく、誰がここまでしろと…」
「いいじゃないですか、姉御! せっかくの大手柄なんだ、軍警団の面子も守れるってもんでしょ!?」
「否定はしませんが、貴方に言われるのは何だか否めないですね」
「心配しなさんな、俺は真実しか伝えない。 それがジャーナリストってやつさ」
自称、ジャーナリストを名乗るレフボーイはジャンヌと旧知の仲である。
一眼レフの頭をした異形の彼は軍警団を全面的に支持し、軍警団、特にジャンヌのために裏で活動している。
ジャンヌでは行けない場所にレフボーイが赴き、レフボーイの行けないところにジャンヌが行く。
道は違えど、真実を追い求めるという形で二人は協力関係にあり、上司であるホークアイや桃太郎にも知られるわけにはいかない仲である。
「レフボーイ、そろそろ私は本部に戻ります」
「あいよ、今後ともご贔屓に」
スキャンダルももちろんだが、軍警団が情報改竄をしてるという印象を広めるわけにもいかない。
二人は五分も経たないうちに会話を打ち切り、その場を後にする。
軍警団、ヌンク本部に戻ったジャンヌは足早に会議室へと進む。
既に会議室には桃太郎、ケルベロス、ダルマと幹部達を中心にアラジンも召集されていた。
「待ってたぞ、ジャンヌ。 ホークアイは今別件で遠征だからな、お前には代理を務めてもらう。 といっても、今回の議題では嫌でも中心になるだろうよ」
「…はい」
「さて、主役も遅れてやってきたんだ。 魔女の一団、その残党共の処置と一掃についてだ─」
魔女を名乗る老婆を捕えて二日が経過していた。
しかし、事件はまだ終わらない。
※
会議が終わり、ジャンヌはそのままアラジンと一緒にメーヴァへと向かった。
「ご足労お掛けします」
「とんでもない、貴方の協力があって事態は落ち着いたんだ。 それに─」
「……心中、お察しします。 しかし、我々も生き残るためです」
軍警団メーヴァ支部。
魔女、黒森レキを収監しているスペースへと向かい、一連の事件を終わらせる必要がある。
魔女と名乗る老婆、この件の中心である人物の身柄は現在本部にあり、ケルベロスを中心とした軍警団本部の人間が情報の引き出しを行っている。
「許されざる大罪人とて、相手は老体だ。 ケルベロスの馬鹿がやり過ぎなければいいが…」
「それは不要な心配ですね」
アラジンの言葉の対象は魔女に向けられてなのか、あるいはケルベロスに対する信頼からの言葉なのかはわからない。
「蓮見君は?」
「仕事だ」
「彼にも協力をお願いしたかったのですが」
「あまり市民に頼りすぎるのも、どうかと思いますよ」
市民の盾である軍警団がこのような体たらくでは、盾になんてなれやしない。
以前にやってきたときと何も変わってなかった。
手入れはされてるものの、最低限に抑えられ衛生面では少し心配がされる。
しかし、罪人のためにそこまでする必要がないという考え方自体はジャンヌも同意であるが、それが知人と同じ顔であれば話は変わってくる。
「……また、あんたか」
「レキ」
「─の、一部。 というか、もう知ってるんでしょ?」
不要な問答はよせ、黒森レキの影法師はそう囁いているように思えた。
「あの子はどうしてるの? まさか、私と同じような仕打ちさせてないでしょうね?」
「レキは見張りを付けた上での実質自宅謹慎、君から話を聞いた上で待遇も変わる可能性はあります」
「……そりゃ、責任重大」
当初、黒森レキ本人も軍警団の牢に収用する予定であった。
しかし、実母の訴えと魔女に加担していた専属医師の証言も相まって、扱いは軽くなったともいえる。
「そろそろよろしいでしょうか?」
「……貴方は、少し空気が読めないですね。 アラジン支部長殿」
檻の向こうの少女も深く頷いた。
※
軍警団に身を置くジャンヌの仕事はまだ終わらない。
メーヴァ支部を後にして、汽車で本部まで戻るために駅に向かい改札を通る。
(……ここも特に異常無し、か)
居候の言ってたこと、見えたものが少し気になったが深く考えても仕方なさそうだ。
本部に戻り次第、ケルベロスとの情報交換、上司であるホークアイ、桃太郎への報告書の作成、諸々休む暇がない。
現場が終われば報告記録のための書類仕事。
ジャンヌが知る由ではないが、それはアダムだろうがイヴだろうが変わらないことである。
特に直属の長であるホークアイは現在別任務のため本部、ひいては【骸】事件から一時的に離れている状態にあるのだ。
本部での雑務を終えると、ヌンクロードにて見知った顔と遭遇する。
「蓮見」
「ジャンヌ、すっごい隅だな」
「貴方は元気そうだ」
件の居候、蓮見はどうやら買い出しの途中だったらしい。
あの事件の後、蓮見とマングースは重要参考人として軍警団本部で過ごしていた。
蓮見本人は解せぬ、といった様子だったが巻き込まれた一般人として扱われたこともありあっさり釈放となった。
「……マングースの奴は─」
「彼女は【骸】売買の疑い、いや、事実がある。 残念ながら私でもどうすることもできん」
本人からの供述であれば尚更だ。
軍警団の取り調べに対しても、受け答えがハッキリとしてくるためスムーズに事実確認、一団の残党の手がかりを掴むことができている。
しかし、彼女も末端も末端。 根幹に辿り着くまでには時間が掛かりそうだ。
蓮見とジャンヌは帰路につく。
向かう先は一緒なのだ、なんの問題もない。
「……昔、同じような事件があったって聞いた」
「えぇ、私も話を聞いただけですが」
「人間ってのは、どうして同じ事を繰り返すのかねぇ」
「…それをさせない為に私がいます。 過ちを、繰り返させないために」
聖女ジャンヌダルク。
隣を歩く存在が時々何者なのか、蓮見自身忘れてしまうことは多々ある。
そのたびに思い出しもする、そんな人の元で居候してる俺はなんなんだろうなと。
「レキは大人しくしてますか?」
「さすがに強面のおっさん二人に見張られながらの生活だと、大人しくせざるをえないだろ」
「そうです、ね」
「どこぞの恐れ知らずの婆さんと違ってな、俺でもチビる自信あるわ、あんな生活」
不憫に思えた蓮見は相棒に一つ、林檎をお土産に買って帰ることにした。
※
魔女と名乗る老婆は動機を語る。
そもそも【骸】とはなんなのか、どのようにしてあのような毒物が生まれることになったのか。
老婆にはどうしても苦しめ殺したい相手がいた。
魔女は言葉を紡ぐ。
“人喰い”、と。
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15.参ヵ日ノ刻
黒森レキ軟禁生活四日目。
「……………………暇」
軍警団が誇る実力派(物理)のおじさん達に見張られながら過ごす生活はストレスである。
軽率に着替えることもできない(着替えようとして、ジャンヌに止められた)し、軽率に外出することもできない(外出しようとして、ジャンヌに止められた)し、軽卒にシャワーにも行けない。(行こうとして軍警団もついてきたので、ジャンヌと蓮見に止められてた)
母であるイロハは別宅にて療養、マングースは本来罪状は許されるものではないが、イロハの主治医ということもあり、容態が安定するまで特例措置。
ジャンヌは軍警団本部にて仕事、蓮見も同様に仕事。
─つまるところ、一人。
「……あの子、大丈夫かなぁ」
机に突っ伏しながら、自らから派生した影法師のことを想う。
彼女にも悪いことをした、思えば今回の騒動は多くの人を巻き込んでしまったものだ。
「蓮見さん、このまま帰っちゃうのかなぁ…」
ジャンヌへの返済もほぼ完了している。
本人は不満気だったが、ジャンヌもここぞとばかりに引かなかったのが大きな要因である。
─瞬間、どこからともなく鐘の音が響く。
「……?」
前にも何度かあったことだ、彼女にしか聞こえない鐘の音。
しかし、今回もそうであるとは限らない。
念のために軍警団の見張りの一人である、ダッチワイフと名乗る男に確認を取る。
「鐘? そんな音しましたかねぇ…?」
やはり、聴こえていない。
レキとダッチワイフの二人は小首を傾げることしかできなかった。
※
この日、蓮見征史はどこからともなく聞こえてくる鐘の音を耳にした。
初めて聞くはずなのに懐かしい、どこかで聞いたことあるはずなのに思い出せない、不思議な音色であった。
「鐘?」
「何言ってるんですか、ついにボケましたか?」
「まだ三十代だっての…」
頭の中に直接響くような鐘の音は一回、二回、三回と鳴り響き、そのまま余韻を残しながら消えていった。
そこから鐘の音が再び鳴ることはなかった。
「そろそろ帰りますよ、ご主人様を心配させるわけにはいきません」
「わかりましたよ、っと」
時は10月7日、蓮見がイヴの世界を訪れてから既に二ヶ月の歳月が流れていた。
こちらでの生活も随分慣れてきており、いつの間にか元居た世界であるアダムへ帰らなければならないという気持ちも薄れつつある。
絶対に帰らなければならない、そういった気持ちが少なくなってきているといってもいい。
仕事を終え、少し気になることがあったので胡散臭い館長のいる図書館へ寄ることにした。
何度来てもアレイスターの趣味全開といった司書の服装、以前来たときよりもアレンジが施されているようにも見受けられる。
閉館時間までまだ時間はあるので、焦る必要もなくそのまま館長アレイスターの居座る館長室の扉を開く。
「ノックもなしとは、偉くなったものだな来訪者よ」
「俺とあんたの仲だろ」
「ほぅ、言うようになったではないか。 それでこそ私の見込んだ来訪者だ」
館長室にて四人ほどの女司書を侍らせてるアレイスター、そこはいつも通りであるが蓮見は僅かながら違和感を感じていた。
「……少しやつれたか?」
「なんのことやら、この通り万事健康体だぞ」
「そうだな、安心した」
だからといって、急に司書の胸を揉むのはいかがなものなのか。
もう慣れてしまってるせいで誰も非難の声やツッコミをするものがいなくなってしまっている。
「今日、お前がこの時間に来ることはわかっていた」
「……それで、その状態かよ」
「ノープロブレム! これが私の自然体なのだよ、来訪者よ!!」
バッ! と翻るようにして仰々しいポーズを決めるアレイスターを見て、余計な茶々を入れると長引くと判断した蓮見は余計なことは全て無視することにした。
「来訪者よ、鐘の音が聞こえたのだろ?」
「!」
「フン、やはり図星か。 ならばその正体を知るために私の元へと訪れることは必然、デスティニーというわけだ!」
─やはり気のせいではなかった。
ごくり、と唾を飲みニヤリと笑うアレイスターに苛立ちを感じながらも次の言葉を待つ。
「汽車の合図、アダムとイヴを結ぶ架け橋が近いうちに開通するというわけだ」
「なんだと!?」
「つまり来訪者よ、旅立ちの日は近いというわけだ」
元の世界に帰れる、まさかこんなにも早く機会が来るなんて思いもしなかった。
「鐘の音は三回、つまり三日後にはこの世界とアダムが一時的に繋がるというわけだ」
「三日後…」
「だが、どこの駅で繋がるかどうか、それはわからない」
イヴの世界を回る駅はヌンク、フィガロ、シャルル、メロン、ディーヴァ、ペトラ、ケルト、の七つである。
三日後に七つのうち、どこかの駅にアダムに繋がる架け橋が出現するということになる。
「あんたでも、それはわからないのか?」
「いい質問だ。 答えは、ノー」
「役立たずだな」
「そう言ってくれるな、私とてイヴの意思を汲み取ることはできないのだよ。 だが、来訪者に進言することはできる」
「進言?」
「イエス。 来訪者が最初に来た駅はフィガロ、そして次に境界の時刻表を目視したのはヌンクだ」
アレイスターは両手を大きく広げ、空中に円を描くようにして蓮見の元へ歩いてくる。
仮面の奥の瞳がどのようになっていて、様子を伺うことができないのが不気味に感じる。
「近々開いた場所にもう一度開くことは考えにくい、そして逆時計回りに円を描いているようにも見える、つまり─」
「次に現れるのは、ケルトの可能性が高い…」
「─エクセレント」
パチンと指を鳴らすアレイスター。
「しかし、あくまでも推測だ。 どうするか否かは来訪者自身が決めることであるぞ、最終決定権は来訪者にある」
※
鐘ノ音ガ聞コエル。
※
「ハスミじゃないか」
「おう、イロハさんの容態は?」
「安定してる、これで俺も心置きなく団の奴らに世話になるってわけだ」
「なんで嬉しそうなんだよ」
蓮見の心配をよそに、カラカラと笑うマングースはどこか寂しそうだった。
「彼女の証言から魔女の一団を芋づる式に炙り出せればと思ってます。 たしかに彼女は許されないことをしましたが、協力者としてはとても心強いです」
「おい、あまり罪人に情を入れすぎるんじゃねぇぞ」
オルトはマングースを協力者。
ケルベロスはマングースを犯罪者。
同じ軍警団であっても、捉え方と考え方一つで一人の人間の認識が変わるのはどの組織であっても変わらない。
「蓮見さんには、そういった意味では感謝しております。 まさか、あの魔女を捕らえることができるなんて思ってもいませんでしたので」
「おいオルト」
「ま、まぁまぁ」
バツの悪そうな表情を浮かべたのはケルベロス、ダルメシアン顔なので表情の機微はわかりにくいが声色で判断できる。
ケルベロスは蓮見に頭を下げる、これで何度目か正直わからないくらい彼は顔を合わせるたびに頭を下げている気がする。
「その、申し訳なかった。 本来なら、我々がやるべきことを協力させてしまい─」
「もういいですって」
彼にも軍警団としての誇りがある。
譲ることのできないものもある、蓮見は挨拶として受け止めることにしている。
「ケルベロスさん、実はちょっと相談がありまして─」
今回のことで【骸】事件は落ち着いた。
ならば、後のことは蓮見は関わらず、軍警団の皆さんに任せるべきだ。
彼にもやるべきことがある。
※
鐘ノ音ガ聞コエル。
※
軍警団メーヴァ支部。
10月8日、蓮見はジャンヌに無理を言って彼女と面会する旨を頼んでいたのだ。
「悪いな、我が儘言っちまって」
「気にしないでください。 貴方も事件の関係者、といっても我々が巻き込んでしまったようなものです。 多少のことは団長が大目に見てくれます」
確認したいことがある。
アダムに帰る前に蓮見は彼女と会って真相だけを明らかにしておく必要があった。
彼女とは協力者。
供にアダムへ行こうと約束した同士だからだ。
「私は会話を記録する必要があります。 後ろにいますが、いない者として扱ってください」
「わかった」
蓮見とジャンヌが来たのは、とある牢の前。
中に座るゴシックロリータの服を着た少女は不機嫌そうな目をこちらに向けている。
黒森レキ。
彼女の影法師、否─
「なぁ、レキ。 なんでお前偽物のフリしてここにいるんだ?」
─鐘の音が二回響いた。
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③.黒森レキ : SERECTION
─目に映る景色だけが真実ではない。
大切なのは、違和感を感じることである。
─迷いこんだ冒険家、R.K
※
蓮見の言葉にしかめっ面を浮かべたのは、黒森レキかもしれない。
はたまた、会話を記録しているジャンヌかもしれない。
「……ついにボケた?」
「まだ三十代だっつーの」
イヴの世界では三十を越えると高齢として扱われてしまうことに蓮見は悲しさを感じる。
右の瞳で黒森レキは蓮見を睨み付ける。
左目は髪の毛で隠れてしまっており、閉じているようにも見える。
「私馬鹿だからさ、もうちょっとわかりやすく言ってくれないと理解できないなぁ」
「んなわけあるか、戯け。お前の方が身も心もフレッシュだろうが」
─言ってて悲しくなってきた。
「だからよ、入れ替わったことに俺は気づけなかった」
「入れ替わったっていう根拠は?」
「勘だ」
「ふざけてんの!?」
ガシャン!と今まで動かなかった黒森レキが動いた。
鉄格子に飛びかかり、今にも蓮見を殴り飛ばしそうな勢いである。
内心驚きつつも、蓮見は続ける。
「まぁ、待て。違和感はあったんだ、これも俺の勝手な思い違いかもしれないけどな」
「………」
聞くだけ聞いてやる、変なこといったら殺す。
といった、ばかりの視線を目の前で真面目な顔をしているおっさんに向ける。
「お前、この前俺にくれたりんごはどっから持ってきたんだ?」
「はぁ?」
「あの時、お前は色んなツテがある、と言った。そして、家出中だから色んなところを巡ってた」
「……おかしなところあった?」
「ないな、むしろ納得がいく」
この男はさっきから何を言いたいのか理解できない。
「人間ってのは欠点があるもんさ、完璧にしようとしたり、なにか隠し事をしようとしてる時に限ってボロが出る」
「……で?」
「ボロも粗もない、それが不自然だ」
そう、蓮見が感じた違和感。
上手くいきすぎている、仮に二人が入れ替わっていたと仮定したらの話にはなるが。
「わざわざ治安を守るジャンヌの家に駆け込んだことも賭けだったとしか思えない」
鼠が自ら鼠取りに巣を作るようなものである。
「……結局、何が言いたいの?」
「─俺はお前の潔白を証明したい」
「な…」
そう、蓮見征史の目的はただ一つ。
共に同じ目的を持つ仲間を助け出したい、彼女が、黒森レキがいる場所は牢屋の中ではない。
「な、何言ってるの、ほんと…」
「今回の一件、最重要人物はあの婆さんだ。その婆さんと直接やり取りをしてたお前はその次くらいに重要かもしれない」
実際、魔女の一団内においても、魔女を名乗る老婆と直接指示を仰いでいた者がいたという者は未だ捕らえれていない。
「お前が入れ替わっていたとしても、俺の目的は変わらねぇ!お前らが、黒森レキっていうんなら、一緒にあっちの世界に行くっていうことに変わりねぇんだ!」
「アホクサ!そんなのあいつと勝手にやればいい!あいつと勝手に約束したんだろ、私は関係ない!」
「めんどくせぇな!いいから俺の話を聞け、あいつが、今家にいるレキが、お前のこと気にかけてんだよ!」
「知るか!」
「あぁ!?」
「─私は、あの子に全部擦り付けた、擦り付けるしかなかった!!だから、今度はあの子が、私の代わりに世界を見なきゃ意味ないんだよ!!」
涙。
勢いよく流れる涙は黒森レキの仮面を剥がしていく。
「私だ、って!お父さんに、会いたい!あっちの世界に、探しに行きたいよ、蓮見さんがせっかく誘ってくれたのに、蓮見さんがあっちの世界の人だから、チャンスが来たと、思ったのに!おばばは、魔女は私に、私に─」
「レキ」
影法師の演技は崩れる。
そこには蓮見のよく知る黒森レキがいた。
「三日後、俺はアダムに戻る」
「…ッ!」
「もし、一緒に来るならこの手を握れ、俺はジャンヌだろうが、軍警団だろうが、敵に回しても、お前を連れ出してみせる!」
決意。
蓮見のレキを連れ出す決意は固い。
「蓮見、さん」
差し出された蓮見の右手。
牢屋越しにレキは、その手を─
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第一章 結
『何かお困りかしら?』
『もしかして、失業しちゃったとかそんな感じ?』
『うーん、拠点は基本的に持ってないかな。あ、でも実家は隣町、家出中だし』
『私?私は、黒森レキ』
─思えば、出会いはなんてことのないことだった。
『蓮見のおっちゃんは私をナンパしてどうするつもり?』
『だって、蓮見さん紳士でしょ?いくら私が誘ったとはいえ、女の子にリードさせるつもり?』
少女の興味は次第に移ろう。
『─最低、だよね。あんな状態の母さんをさ、置いて家出するなんて。しかも二年近く、だよ?一日や二日じゃないんだよ、なのに、なのに─』
『私だ、って!お父さんに、会いたい!あっちの世界に、探しに行きたいよ、蓮見さんがせっかく誘ってくれたのに、蓮見さんがあっちの世界の人だから、チャンスが来たと、思ったのに!─』
─少女が選択する未来。
それは─
※
メーヴァに鐘の音が鳴り響く。
カンカンカンカン、と汽笛の音がハーモニーを奏でる。
「こんなにも空が赤いのは、随分久しぶりですね」
「いつもと違うだけでこんなにも新鮮な気持ちになるんだな」
「少々不気味ですがね」
メーヴァ軍警団、支部長アラジンが手にしたランタンを撫でるように擦る。
その隣で空を見上げるジャンヌ、二人とも若輩ゆえにこのような現象は新鮮に感じている。
「で、本当によかったの、レキ?」
「それはこっちの台詞なんだけど」
二人の背後には黒森レキがベンチに腰掛けている。
両手は自由が利かないように鋼鉄の枷が取り付けられている。
「この三日間、貴女に対する処罰が下されました。私から何も言うことはありません」
彼女の身柄が軍警団本部になったことでアラジンができることは何もない。
「あくまでも、仮釈放だ。魔女から調書が取れたら、君の刑も重いものにはならないだろう」
「……あのおばばから話聞くのは大変だと思うよ」
「問題ない、こっちにもプロがいる」
今は留守だがな、と小さく漏らす。
「……蓮見さん、今日帰るんだよね」
「あぁ」
「なんか、あっさりしてるなぁ」
カラカラと笑う。
思惑がどうあれ罪は罪、自らの罪と向き合うことを決めたレキはこの世界に留まることを決めたのだ。
「─また、会えるかなぁ」
見送りに行く選択肢もあったが、彼女は選ばなかった。
これ以上彼のことを、父の背を追い続けていては未練ばかりが沈殿する。
区切りをつけるためにも、母と向き合い、罪と向き合い、何より自分自身と向き合うことを黒森レキは決めたのだ。
「さぁな」
駅から風が吹いた。
汽笛と共に汽車は走る。
「それで、私はいつ牢に戻ればいいの?」
「本部の牢に引っ越しだ、ここにはもう戻れない」
「なら、今のうちにお世話になったし、掃除しとかなきゃね」
「いい心掛けだ」
「これから旅立つ相棒が小言多い人だったからね」
彼が進むのならば、私も進む。
黒森レキは俯くことなく、上を向きながら仮釈放の時間を終えた。
※
鐘の音が響く。
※
【西弐歴23年度11月10日16時56分発】
【イヴ→アダム】
「本当に、あった」
賑わう駅のホームの隅っこにて、蓮見征史はかつてヌンクで見た宙に浮く時刻表を探していたところ運良く見つけることができた。
アレイスター曰く、三つの駅のどこに出現するのかわからないとのことだったが、一つ目のメロンの駅で発見できた。
「……そこにほんまに時刻表があんの?蓮見はんがおかしくなったわけやのうて?」
「まぁ、彼ならあり得るでしょうけど」
「おいこら」
ケルトの可能性が高いとアレイスターが予想していたが、現在ケルトは封鎖状態。
アレイスターの権力(ないに等しいが)を持ってしても立ち入ることはできなかった。
ならば、と次の予想を立てたときに白羽の矢が立ったのがここメロンである。
七つのうちの三つ、アレイスターが過去確認した時刻表の出現場所である。
初めて行く場所ということもあって、蝶々と夜々、ヒルコに同行を頼んだ次第である。
「お店が少し寂しくなるわぁ」
店長である蝶々が煙管を蒸かしながら、
「シフト組むのが楽になります」
夜々が真顔で告げる。
「あんたなぁ…」
「気にせんで蓮見はん、これ照れ隠しやさかい」
二人を見てると、かつての妻を思い出す。
この世界に残ることを決めたレキ、無理矢理にでも連れてきたかったが、彼女の意思を無視するわけにもいかない。
これで最期となると少し名残惜しい、共にアダムを目指していたが、このような形になってしまったのは少し残念である。
「蓮見さん、切符買わなくていいの?」
「あ、そうだ」
時刻表が出現してる間に改札を潜る、それがアダムへと帰る道筋である。
「改めて、お世話になりました店長」
「気にせんでええのに、律儀な人やわ」
「性分なんでね」
ジャンヌへ借金も返済、この世界への未練はほぼ失くなったと言える。
「それじゃ、さよなら」
─三人に見送られながら、改札を潜った。
この世界において、わかったことが三つある。
一つ、アダムとイヴにおいて時間の流れが違うこと。
二つ、イヴという世界の歴史はアダムに比べて浅いこと。
三つ、アレイスターを信用するな。
迷い込んだ冒険家、R.K
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間章
帰世
鐘の音が遠くなる。
汽笛の音が遠くなる。
景色が、歪む、変わる。
レンガ造りの景色から、見慣れた懐かしい景色へと変貌を遂げる。
電車の走る音が響く。
扉の閉まる無機質な機械音が大正駅のホーム全体に響いていく。
空気が変わる。
人々の喧騒が熱気に変わり、11月の秋空を塗り替えていくようだ。
「帰って、きたのか…」
イヴに迷い込んだのは8月。
真夏の気温から秋の気温へ、時間の流れを感じさせるには充分な要素である。
未だに実感を持てないのはあまりにも現実離れした状況を受け入れられてないのか、はたまた泡沫の夢のように一瞬にして覚めてしまったような夢心地だからか。
ポケットにはイヴで買った切符が残っている。
これだけでも夢でないことがわかる。
世界の移動は一瞬だった。
それこそ、最初に迷い込んだ時のようにいつの間にか、そこに立っていたというのが適切だ。
レキ達は今頃どうしているだろうか、さっきまでそこにいたはずなのに、今となっては少しばかり名残惜しい気持ちになってしまってるのもたしかである。
「─おいあんちゃん!そこ、ボーッと突っ立ってるな!邪魔や!」
「わ、悪い」
スーツを着た柄の悪いビジネスマンがぶつかってくる、こういったことも懐かしく感じる。
ビジネスマンは急ぐように紙の地図を持って、そそくさと駅の外へと行ってしまった。
変わらない、大正駅の景色に─
「……ん?」
─違和感を覚えた。
自動改札が、ない。
そう、イヴの世界でも用いられていた切符を手渡して印を付けてもらうもの。
しかし、蓮見の知る限り今や日本のよほどの過疎駅でない限り、自動改札は導入されている。
ここ大阪の中心で自動改札がないなんて、それこそ─
それに、何かが足りない。自動改札だけじゃない。
この違和感がなんなのかはわからない、しかし毎日のように仕事で来ていた大正駅には何かが足りなかった。
まるで、昔父親に聞かされた─
そこで、蓮見はハッとした。
探すのは、カレンダーと時刻表。
そう、どこか懐かしいという感傷。
三ヶ月少々離れたくらいでそう感じるものだろうか、感じるかもしれないがそれでも慣れ親しんでるものに感じることには違和感がある。
まるで、子供の頃に見たような懐かしさ。
欠伸をしている駅員に声をかける。
「な、なぁ!今日って何年の何月何日だっけ!?」
蓮見の剣幕に駅員は呆気に取られながらも、不思議そうな様子で返事をする。
「えっと、西暦でええなら、1980年の11月10日ですけど…」
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