個性永久借奪措置 (hige2902)
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第一話 強力な生き物

不快にさせる表現、展開が出てくる 可能性 があります。

現実の法や政治体制をフレーバー目的で引用していますが、現実のそれを否定や肯定する主張のものではありません。現実の国が舞台ではありません。どこでもいいここではないほかのどこかです。

当時、原作六巻の時点で組んでいたプロットを今さら書き起こしたので、現行の原作とは矛盾があります。

あらすじ苦手なんであんなんですみません。

試験的にMT.事務所の事務員 原作で小言を言ってたあいつ を取って付けたようにあなたと呼称しています。楽しいかなあって。思ってましたがやめました


「岳山さん、今後はなるべく建築物を壊さないように戦ってくださいよ。まだ活動間もないのに」

 

 とMt.事務所の事務員は困り顔で言った。山、という漢字をモチーフにしたマスクを被っているので、肝心の困り顔は見えない。

 

 何の変哲もないテナント事務所のワンフロア。活動間もない、と言うわりにはデスクや棚、応接室を区切るパーテーションには年季を感じられる。つまりは駆け出しがアウトレットで手に入れたという訳。

 とりあえず緑を置いとくかという気配を感じられる、取って付けたような観葉植物も当然にある。

 

「保険が降りたんだからいいじゃない」 と岳山と呼ばれた女性。パトロール後、コスチュームからジャージに着替えるなり早早の小言にめんどくさそう。何を隠そう、彼女こそが今を時めく説明不要の新人女性ヒーロー、MTレディなのだ。

 

 どっかりと応接室のソファに身体を預けた。

 

「岳山さんは警察に提出する損害書類を書かないから、そんな事が言えるんですよ。被害範囲が大きすぎて書類の量が膨大なんですあまりにも。ビルの四階から貯水タンクまでとか雑に書けないんですから! 犯人が壊した所と区別しなきゃいけないし。それに今のところ、セメントスさんの好意でなんとか復元工期の短縮ができているからいいようなものを、保険会社もいい顔しませんよ」

「それがあなたの仕事じゃない。保険会社は、そうね……うーん、いつか手を切られそう」

 

「そうなったら損害を補てんするお金はどうやって。ああ、なんでこんな大変な事務所に入社したんだろう」

「そんなの……わたしの収入で賄えばいいじゃない!」

 

 事務員は、颯爽と立ち上がり腰に手を当て自信満満のMTレディの顔を見やるが、どうにも不安だった。ラフなジャージ姿も相まる。

 大丈夫だろうか。感情的になりすぎると巨大化してしまうので、事務所は基本的に一戸建てか自社ビルが望ましい。だが前の事務所を巨大化で壊してしまったので、次の事務所が見つかるまでの間はこのビルのワンフロアでなんとか凌がねばならないのだ。

 いっそ事務仕事なんかはキャンピングカーで済ます事にして、空き地で青空事務所の方が経済的なのでは……

 

「こ、のお。何だその落胆はぁ!」

「いだ、いひゃいい」

 

 仲がいいのか悪いのか、頬を引っ張られる。

 

「面接の時、わたしの前向きで向上心のある志に共感して志望しましたとか言ってたじゃないの! あと長所は素直で実直な性格だとか何とかあ! 趣味は読書と映画鑑賞! 商社を辞めてまでヒーロー活動を手伝いたいっていうあんたの意気込みを買ったのにい!」

「あんにゃの就活のテンプレれふよ!」 ふがふがと言ってMTレディの手を振り払う。 「まさかこんな自転車操業のような経営になるなんて」

 

 しかしこんなはずでは無かった、というのは彼女も同じ所。「ぐぬぬぅ」 と拳を握りしめる。

 

 いや、でもまあ野心的な所を尊敬しているのは本当です。ヒーローの資格を得て即、サイドキックなしで事務所旗揚げは。と、事務員は思ったが気恥ずかしかったので口にはしなかった。

 

「すみません、雇用主に向かって失礼な事を」

「んむむ……まあ、いいわ。わたしもちょっと感情的になりすぎちゃった。ごめん」 それにしても、と溜息を吐いてソファに腰を落とす。

「どうかしたんですか」 事務員は小型冷蔵庫からスポドリを差し出す。

「ありがと。やっぱり大手はサイドキックが多いから、かち合っちゃうのよね。事件とか、パトロール先とかで。わたしの個性の関係で、裏路地とかに行って何かあっても対応しにくいから大通りをメインにしてるってのもあるけど」

 

「さっきはああ言いましたけど、外注してるグッズとかの収入も同期に比べると格段に多い方ですから、そう悲観する必要はないのでは。先日のひったくり犯のデビュー戦も評判良かったですし」

「ううーん」

 

 ビッグになりたい。有名になって、たんまり稼いで、誰かに憧れを抱かれるような。

 

 ヒーローとしてその欲求を満たす事を不快に思う人間がいるのは知っている。

 だが、だから何だというのだろうか。人人を助けて感謝されるならWIN-WINの関係ではないか。だいたい、身の危険がありながら薄給なヒーローなど、誰が目指すのだ。どうやって食っていけばいい? 副業感覚でやれるほど社会は緩くない。ヒーローとは羨ましがられる存在であるべきだ。でなければ後続は生まれない。

 

 誰かの為の職業に就くのが聖人だけならば、その業界は衰退の一途をたどるだろう。ボランディアのみで成り立つ組織でない限り。

 というのが岳山の自論だ。

 

「話は変わるんだけど、ヒーロー会議ってあるじゃない、警察と合同でやる。あれ、ほぼほぼエンデヴァーが仕切っちゃってるのが気に入らないのよね」

「オールマイトさんが教師に身を置いているので、実質的なナンバーワンヒーローですから。そんなもんじゃないですか?」

「わたしの発言権があんまりないのよ、いずれはわたしがトップに立つ意味でもこれは大事だと思うの。舐められたくない」

「新人ですし」

 

「あと雰囲気が堅苦しい。反対意見が言いにくい空気っていうか」

「シンリンカムイさんとかにはズケズケ言うのに? それは岳山さんの勇気の問題では」

「よし、あんた減給」

 

 そんなー、とアホなやり取りをしていると固定電話が鳴った。はいMT事務所です、と事務員が受話器を取る。

 

「え、と」 と顔を強張らせる。 「あ、はい。ただ、わたしの一存ではちょっと、ええ、折り返し……その時間でしたら……はい。では失礼いたします」

 

 動揺を隠せない事務員に不遜な気配を感じ取って岳山が言った。

「何の電話? 誰から?」

「警察から、です。塚内と名乗る」

「はあ?」

 

 

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「組長、ここいらが締め時だと思うワン」

 

 都内の閑静な住宅街で一際目立つ高い塀と大きな門、広い敷地に構える落ち着いた日本家屋の一室で、面構犬嗣 ――保須警察署署長―― が言った。たっぷりとしたソファに腰掛けていても分かる程に大柄で、頭が犬だ。両耳から目までが黒く、センターは白い。 ――イングリッシュ・セッター?―― 。ま、だから語尾にワンと付けるのだ。

 

 組長と呼ばれた男はローテーブルのグラスを眺めている。

 面構の隣に座っている暴力団対策課 ――いわゆるマル暴―― の課長が耳の裏を掻きながら、つまらない話をするように口を開いた。

 

「なんか、警告があったのは知ってるはずだがな。立法府に食い込むなら、こっちも手段は選べなくなるって」 ちらと室を見回した。暴力団幹部が数人と多くの警官が立ったまま成り行きを見ている。 「中堅議員を十数人も飼われちゃあね、そりゃこうなるよ。シノギが減って困窮してるのはどこの組も同じなんだから、堪えりゃいいのに」

「やかましいわ」 組長の隣に座っていた若頭がドスを利かせて言った。 「けちな使用者責任なんかで引っ張ろうとしやがって」

 

 警察の予想に反して、反社会的組織の個性犯罪件数は時間と共に減少した。いわゆる、有名ヒーローは学生時代に逸話を残したという話が蔓延したからである。

 

 主流の、口座を使わず直接に金銭を受け取るタイプの振り込め詐欺の受け子が、現行犯逮捕される報が相次いだのが切っ掛けだった。

 ヒーローに憧れる孫の逸話を作るために、親や祖父母が詐欺に引っかかった振りをして子に捕まえさせるという。

 個人の力量差の均衡は、個性の一側面である事例だ。

 なにが悲しくて子供の逸話作りの踏み台にならにゃあならんのだと、受け子をやる人間は減った。反社の大きな資金源の一つである振り込め詐欺を、じゃあ一昔前の口座を使用する型に戻そうにも上手くはいかない。既にATMや行員にはその手の防犯知識が備わっている。

 

 タコツボに放り込んでも個性で逃げられるし、恫喝も個性によっては反撃される。ヤクの売人もスリに適した個性持ちに狙われてはと消極的になる。

 なにより産業廃棄物の違法処理が、今まで発注していた企業内社員の個性によって従来とは比較にならないほど低コストで出来てしまうのが痛かった。 ――正規に企業内で個性処理するなら役所に申請が必要――

 

「まあ、強欲な中堅議員にはいい薬だったワン」

「使用者責任じゃないよ。逮捕状は、いくつかある。ストックしてた事件の内のいくつかから選んできたから、面子が立ちそうなやつを」

「は? いつからここは司法取引がまかり通る国になったんだ? おい、聞ぃてんのか! クソデカ」

 

 興奮する若頭をよそに、組長がゆっくりと言った。

「……証拠はあんのか、その事件をおれがやったっつう。あるいは指示したっていう」

 

「あるよ。後日法廷で見せる」

 

 そのそっけない課長の答えに、若頭はいきり立った。

 

「てめぇこのやろう造りやがったな! 恥ずかしくねえのかバカヤロー!」

「証拠の真贋を別にしても、事実だろうがよ」

「大事なのは、組長が法廷で一切の反論無く全面的に罪を認めるかどうか。かつ立法府に金輪際干渉しないかどうかだワン。新米議員とつるむならともかく、政治に介入しようとしたのは、わが国の許容臨界線に触れるワン」

「立法介入や地下に潜ってマフィア化するなら、より厳しくなる。お互い、リスクが増える」

 

「わかった飲むよ」

「親父!」

「飲まなきゃ組が今まで以上に、急速に痩せる。敵対組織の餌とこいつらの実績になるだけの話」

「では日時は後ほど連絡しますワン」

 

 面構と課長は、出されたお茶請けなどを口にすることなく席を立った。二人を囲むようにして移動する警官を、幹部連中がねめつける。

 

「今回の件で指揮を執ったのは」 と組長が課長の背に投げかけた。 「誰だ。おまえじゃねえな」

「さあ、どうかな」

「おまえには無理だ、慎重派のおまえには。おれの立法介入が行政府に露見するのは時間の問題と考えていたし、だから情報が漏れたと思われる時期もおおよそ掴んでいた。だが、そこから今日に至るまでが急速に過ぎる」

「課長、行きましょうワン」

 

「例の塚内とかいうやつか?」

「誰だって」

「芝居はやめろや。そっちの内情に顔が利かんおれじゃない事くらい知ってるだろ。他意はねえ。面の一つでも拝んどきたくてよ。この場にいねえって事は、つくづくやりにくい相手だろう。おまえにとっても」

「有能だよ」

 

「塚内もおまえの事をそう考えてるといいがな。部下に奢られた気分はどうだ」

 

 課長はほんの少しの不快感を鼻で笑いすごして、家屋を後にした。

 

 

 

 後日、都内最大勢力を束ねる組長の自宅の玄関前から駐車場出口まで、ぎっしりと人が詰まっていた。玄関側には黒スーツが大声でヤジを飛ばしており、駐車場出口側からは警官が正当性を口にしているようだ。

 ぐよぐよと動く二つの集団の境界線を、マスコミがヘリを飛ばして撮っている。

 

 塚内はしばらくして出世する事無く捜査七課 ――軽個性犯罪全般、あるいは個性が絡むと考えられる事件を取り扱う―― に出戻りし、後に警部に昇進した。

 

 

 

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「じゃあ、きみの意思でやったんじゃないって事? 飲酒運転して、民家の塀に突っ込んだのは」

「信じてくださいよ。誰かに操られてたんですって。気づいたらエアバックに顔を埋めてて、身体も痛むし」

「最近の車はよく出来てる、軽症だよ。で、その誰かはどうやってきみを操ってたんだ、何の為に」

「そりゃ、何らかの個性ですよ。だと思いますよ。おれは嵌められたんです、意味の無いいたずらか何かかもしれない。真犯人を捕まえてください」

 

 灰色の取調室で、被疑者はちらと対面の男を見やった。感情の無い大きな目に反して口元は朗らかだ。そのギャップが途方もなく不安にさせる。

 調書を作っているのか、男はノートパソコンのキーを叩きながら口を開いた。

 

「いいよ。真犯人を探そうか。いつから操られてたの」

 

 あっけない了承に被疑者は面食らったが、希望が見えた。

 

「それは……憶えてません」

「じゃあまだ操られてる可能性があるな、操られているかどうか自分でもわからないなら。だとすると、いま犯行を否定してるのも、きみの意思じゃないかもしれないって事か? 本当はきみがやったのに」

「そんな、何の為に」

 

「わたしを嵌めようとしているのかも。きみの言葉を信じて取り調べを諦めればわたしの落ち度だ。公務員でも足の引っ張り合いくらいある。あるいはきみの言う通り、意味の無いいたずらか何かかも」

「違いますって」

「コンビニでワンカップとチューハイ、アイスを買ったのはきみの意思か?」

「あー、そこまでは」

 

「ふぅん、覚えているじゃないか。そこからは? 何味を食べたんだ」

「えーと、被個性時に食べたらしいのでわかりません。瞬きしたら事故ってました、くらいしか」

「今は操られてない?」

「完全に自分の意思で無実を訴えています」

 

「そう言い切れる根拠は」

「被個性時の意識や記憶は無いので、逆説的にリアルタイムで自分の意識を知覚できている現在は被個性状態では無いかと……主観的な物なので証明はできませんが」

 

「大丈夫。それは理解しているし、かまわないよ、どんな些細な情報だって必要だ。操られた時ってどんな感じ」

「乗っ取られるというか……例えば自分が椅子に座っている時、誰かが膝に座わってくるような……抗おうにもどうにもできないというか、頭痛がしたような。おれがもっとしっかりしていれば。頑張ったんですけど」

「自分を責めないで。わたしはきみの味方だ……しかし、どうにもできない、ね。乗っ取りに抗おうという意思はあった訳だ。さっきまできみは、()()()()()()()()事故ってて、しかもその操られてる間に酒とアイスも食べてたって言ったんだっけ? 新事実だな。どの段階で抗おうという意思は発生したんだ?」

「車に乗った時……」

 

「うん? 意思があったのは会計を済ませるまでって言ったような。なんで車に乗るまでは意思があった事になってるの」

「すみません、ちょっとまだ動転してて。買い物を済ませた時点で既に、はい」

「いいけど。どれくらいの時間、精神的抵抗をしてたか憶えてる? さっきは頑張って抗ったとかなんとか言ってたけど」

「数秒、くらいです」

 

「最初、瞬きの次には事故ってたって言ってたよね。それとも、数秒間は精神的に抗った次の瞬間に事故ったの。どっち」

「え、いや、瞬きの方です」

「じゃあ操られた時の感覚ってのは嘘ってこと? なんで嘘ついたの」

 

「違うんです。あくまでおれの主観的な体感時間ではたしかに数秒程の抵抗を試みたんです」 被疑者は次第に息巻いた。 「でもそれは、客観的な実経過時間ではほんの一瞬にも満たないんです!」

「なるほど確かに、体感時間と実経過時間は違うし、その絶対的な差や比率は誰にも知る事が出来ない。と言いたい訳だ」

「そうです、そのとおりです」 疲れたと言わんばかりに顔を伏せ、ちらと対面の男の顔色をうかがう。顎に手をやり、もっともだといった表情。僅かばかりの安堵感を覚える。

 

「もっともだなあ。わたしもそう考えるがしかし、じゃあなぜきみは、体感時間で抗った数秒が実経過時間で一瞬にも満たないと断言できるんだ?」

 

 被疑者は固唾を飲んだ。狩られている錯覚に陥る。じっとりと脇腹に汗をかき、貧乏ゆすりをする自分の太腿をじっと見つめる以外にどうしようもなくなった。

 

「どうした? 具合でも悪いのか」

「……黙秘、します。あの。黙秘権」

「構わないけど、なんできみが黙秘権を行使するんだ。真犯人を捕まえてくれと言ったのはきみで、わたしは今それに協力しているんだよ。これじゃあまるで――」

 

 はっはっはっ、と男は取って付けたような笑い声。ゆったりと椅子に背を預け、肘掛けに腕をやって指を組む.

 

「――まるできみが存在しない第三者をでっち上げ、罪を逃れようとしていて、わたしはそれを取り調べているみたいじゃないか。捕まえるんだろう? きみに個性を使って操った、加個性者を、存在する第三者を、真犯人を。弁護士、呼ぶ?」

 

 

 

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「あっという間でしたね。塚内さん。助かりましたよ、こんな夜更けに手を貸してもらって。コーヒー飲みません?」

 

 猫の五体をした男、三茶が、ばったりと出会った上司に口を開いた。

 塚内と呼ばれた男は、何の事は無いといった口調で答える。

 

「いや、いい。今から朝食だし、蕎麦でも食べようかなって気分なんだけど、仕事残ってないなら三茶くんも来る? たまには取り調べとかやらないと、勘が鈍るから。第三者の個性のせい、という手はもう古いよ。二権の混迷期ならいざ知らず」

「そう言ってもらえると助かります。ぺこぺこなんで行きます行きます。ちょうど一段落ついたんで」

 

 二人は警視庁本部を出て十分ほど歩いたところの立ち食い蕎麦屋に入る。奥に座敷もあったが、手っ取り早く済ませたい。速さが売りの一つだけあってすぐに出来上がった。

 揚げたて茹でたてが、やわらかな湯気をたゆたわせている。

 

 

 

「……って噂、知ってます? 塚内さん」

「いや知らん」 ふぅふぅと蕎麦を冷まして啜る塚内が、飲み下してから水を一口やって言った。 「食べなよ三茶、冷めるよ」

 

 三茶は猫の手で器用に箸を持ってかき揚げをざくざくとやる。猫舌なんで、とは面白くないので絶対に口にしない。ウケ狙いなのか事実なのか微妙な表情で返されるのがオチだから。

 まだ少し肌寒さが残る季節、朝食代わりの立ち食い蕎麦には得も言われぬ魅力がある。

 

「でも興味ないですか? 仮に事実だとしたら、かなり上層の意思だと思うんですけど」

「そりゃ、ま、急に携帯端末に着信があって、捜査の全権を委任されて、現実として組織を動かさなきゃならんなんて噂が事実なら。な」

「何の為にそんな事してるんですかね」

「さあ? すみません、かつ丼セットを一つ追加で」

 

「前から思ってたんですけど、よく食べますね」

 

 注文待っている間におにぎりをぱくつく塚内に対して、三茶は純粋に頼もしく思えた。

 三茶にとって食欲とは、古くは飢えぬための狩りであり、生存競争能力を如実に表している指標だ。多く獲物を狩らねばならぬ故、保持している戦闘能力もそれに準ずるはずである。だから沢山食べる生き物は、ただそれだけで強力に見える。食べ方も綺麗なので見ていて楽しさすら覚える。

 組織犯罪対策部、いわゆるマル暴でヘマをやらかして七課に出戻りしたと小耳に挟んだ事はあるが、三茶にはどうしても事実とは思えなかった。

 

「朝はしっかり取らないとね」

「たびたび昼夜食を一緒させてもらってますけど、しっかり取らない日ってあるんですか?」

「あー、どうだろ。無いかな」

 

 勘定を済ませて店を出ると同時に、塚内の個人携帯端末が振動した。画面を見ると知らない番号だ。着信を認める。ええ、あーはい、了解しました。じゃあ取り急ぎ所轄司令所に……あとパトカーを一台回してもらって……

 

 は? 今なんて? 背伸びしていた三茶は耳を疑う。

 通信を切った塚内が走り出す。慌てて三茶は追いかけ、言った。

 

「ちょちょっと何があったんですか」

「ひったくり犯らしい」

「へーそりゃまずいですね」

「実態はもっとまずいかも」

 

「え?」 食べたばかりの全力疾走で横腹が痛い。どーして塚内さんは平然としてるんだ? 「実態? 実際には、じゃなくて」

「件の噂だ。わたしに都内警察の、警視庁の指揮全権が委任された。今回のひったくり犯にのみ有効らしい。少なくとも電話口の相手はそう言っている、真偽はわからんが」

「はああ!?」

 

 三茶が瞠目している間にサイレンが近づいている。どうやら塚内は近くのパトロール中のパトカーを呼び出しつつ、向かっていたらしい。すぐに捕まった。

 

「七課の塚内だ、悪いが後部座席に移ってくれるか? やはり降りてくれ、中個性犯罪に発展するおそれがある。危険だ」 乗っていた警官に手帳を見せつつ、肩越しに振り返って言った。 「三茶、きみはどうする」

「じぶんも行きます。運転させてください」

「いや助手席に乗れ」

 

 すまんな、と降車した警官に塚内が詫びると、所轄司令所から指示が出ていますから。と返ってきた。どうやら噂は事実らしいと塚内は独り言ちる。となると……無茶をやらなくてはならない。

 アクセルを踏み、田等院駅方面に向かう。すぐに無線が入った。

 

『所轄司令所から06へ。ひったくり犯が原動機付自転車で国道沿いを逃走中、田等院駅を南下、ナンバーは保須市、英語のえ、ひと、に、さん、よん。個性の使用確認は無し。現場に向かえ』

 

 片手運転で塚内が応答する。

 

「こちら06了解。対象の個性の有無は」

『現在住基ネットと照合中、照合終わり。対象と原動機付自転車の所有者名義が同じなら個性は怪物化。十五メートル前後まで巨大化し、頭部はサメのような形態を取る。注意されたし。中個性犯罪の前科有り』

 

 注意ったってな。助手席の三茶が小さくぼやいた。次いで、いました、と囁く。

 

「06了解。対象を発見、追跡する。近場のヒーローは」

『その場合の対応可の報を受けているのは三件だが場所は不明、対象の個性を鎮圧できる個性かも不明』

「対象の個性使用の可能性を考慮して駅ターミナル付近での捕縛を提案する、いや、そうする。一般人を退避させろ」

 

 全権を委任されているなら提案ではなく決定が可能なはずだ。それに、人的被害が一番少なく済むのがそこだ。

 

『了解。付近の一般人の退避運動中。追い込め』

 

 前方の原付が赤信号を無視して十字路を左折する。交通量の多い三車線で車に紛れるつもりなのだろうか。突然の左折に直進していた大型トラックがクラクションを鳴らす。

 その状況に塚内はサイレンを切った。ちょっと大丈夫なんですか、と三茶が焦るが、気にもしないで大型トラックの後ろにつくと車間距離を詰め、短くクラクションを鳴らして警察手帳を見えるように咥え、前方を指さす。

 その様子をバックミラーモニターで確認した運ちゃんは気が気ではなかったが、示されるがままにアクセルを踏み込んだ。法定速度を九キロほど超えた速度。雑なクラクションで前方車両をどかす。

 

「バレたら始末書ですよ。路地に入られるとまずいですね」

「所詮はチンピラだ、怪物化という個性を狭い場所で使う肝は無い。それに怪物化の個性の使用で前科が重個性犯罪でなく中、ということは損害が少なかった、つまり現場は閉所ではなかったという事だ。大通りを逃げ回るさ。あとこれ」

 

 と塚内は上着の内ポケットからテーザー銃を三茶に手渡した。

 

「え、塚内さんって普段もこれ吊ってるんですか」

「さっきの警官に借りた。威嚇でいいから。銃身を車窓から出すなよ」

 

 ひったくり犯は唐突に鳴り止んだサイレンに訝しんでミラーで後方を確認すると、やかましくクラクションを鳴らす先ほどの大型トラックだ。根に持っているのかと左に寄せる。そこで仰天した。後ろにピッタリとくっついたパトカーが再びサイレンを点ける。相対速度を合わされ、助手席の三茶がテーザー銃を向けて警告を叫んだ。

 

「止まれ!」

 

 驚きはしたものの、犯人はそれで止まるわけがない。走行中の人間にテーザー銃を打ち込めば確実に転倒する。近くの通行人に原付が衝突するかもしれないし、最悪死ぬ。だから撃てない。こちらが個性を使用している危険状態なら別としてだが。

 上記のロジックで冷静さを取り戻すと小ばかにするように笑って左折する。後輪のタイヤ痕が道路に残った。パトカーは対応できずに直進。だがそれでよかった。

 

「こちら06、所轄司令所へ。対象を駅ターミナルへ追い込んだ。以上」

『所轄司令所、了解。対象の捕縛に備えて現場で待機済み』

「了解」

 

 もしも、と無線を聞いていて三茶は思った。もしも警察の個性使用が認められていたら既にあの犯人は。

 既にその時は警察という組織の終わりだろう。犯人を殺傷する可能性を少しでも減らすという利点もある。だからこのままでいいんだ。

 敵受け取り役と揶揄されても問題はない。

 手持無沙汰から、なんとなく単発式テーザー銃の点検をおこなった。銃身が部分的にイエローで塗装されており、カートリッジ式だ。通常の物よりも一回り大きいのは、対象の個性がテーザーを無効化する場合のゴム弾を発射する機構も備わっているからだ。スライドを少し後退させて水色の執行ゴム弾を視認し、軽快な硬質摩擦音と共にマガジンを排し、全弾を確認して装填する。

 

 現在の警察の標準装備で、帯革の左側に吊られている。

 二権の混迷期に、最も心身を疲弊したとされる庁の強い要望で通った法案によるものだ。

 

 塚内はその辺の路肩に一旦パトカーを止め、三茶に運転を代わってもらった。一応現場に向かう。

 

「塚内警部は……」

「ん?」

「いや、何でもありません。あの運ちゃんから苦情来ますかね。あとその、言いにくいんですけど、ひったくり犯を相手にやりすぎでは」

「あれでいいんだよ。確認する必要(・・・・・・)があったから。苦情は、どーかな……」

 

「確認?」

「おー見ろよあれ。あれが怪物化ってやつか。服も一緒に巨大化してるのか」

 

 信号待ちの間に駅方面をみやると、三階建てのビル程の大きさの怪物が暴れている。

 

「ばかだなあのチンピラ、よりにもよって駅で暴れるとは。高くつく」

「そこに追い込んだのは塚内さんでは」

「個性を使うか使わないかはあのチンピラの意思だよ。公園ならともかく、まさか駅で怪物化するほどのオツムだとは……わざとかな」

「なんでそんな事……」

 

「んー。ま、いくつか仮説があるが、いいか。交通量の多い大通りで怪物化されるよりかは。わたしは駅で適当な警官にパトカーとテーザーを返したらデザートを食べるけど、きみはどうする」

 

 仮説がある、とは。三茶は何とかバレないようにと考えながらゆっくりと固唾を飲んだ。たかがひったくり犯を相手にここまでやる必要があったと言ってのけるのだから、きっとそうなのだろう。そうだとしても、仮に自分なら実行できるかと問われれば否だ。

 隣で車窓に頬杖をつき、デザートの事を考えてのんきしてる男は、顔色一つ変えることなくそれが出来る。その後も対応処理も。じぶんには、無理だ。

 

 塚内直正は強力な生き物だ。

 

「わたしも、行きますよ」

 

 三茶はときどき不安になる。この男は必要ならば冷静と打算を箸に、何でも合目的的に包んで食う。それは必要とあらば、部下であるじぶんでさえ例外ではないだろうという事を実感させられるので。

 

 

 

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 発光する赤子が確認される。

 

 後に個性と命名される超能力が老若男女を問わずに発現する。

 立法は公務員の個性を原則使用禁止にする事を綱領に決定。

 個性を使用した犯罪が増加。個性犯罪者をヴィランと呼称する事がネット上で定着する。

 治安の悪化に伴い、個性を使用する自警団が発生。当初は地域住民に迎え入れられるも、戦闘の副次的損害の責任所在が不明瞭かつ、自警団内部で不正を働く者が確認される。

 

 オールマイトが世に認知され始める。しばらくして、不正自警団員を目標とした超連続殺害事件 ――未解決―― が起こる。

 自警団のあり方に反発し、単独でヴィランに抵抗、災害救助に向かう個性使用者をヒーローと呼称する事がネット上で定着する。

 

 著しい秩序の低下を受けて不信任決議案が可決。前与党は選挙で惨敗。

 現政権により自警団の解体、ヒーローの国家資格が認められる。警察組織の標準装備にテーザー銃が加わる。裁判の証拠に、犯行に使用された個性と被告人の個性の類似性が、一定の法的信用度で与えられる。

 

 これまでの期間は司法行政、二権の混迷期とされる。

 

 また、二権の混迷期に最も心身を疲弊した庁は、公にはその事実を明かされない。

 




次回 一週間後


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第二話 激突ファッションチェック

やっぱ事務員は事務員って事で、ころころ変えてすみません。


 開始時刻に間に合わないな。塚内直正は本庁の会議室へ向かうべく急ぎ足だったが、遅刻に関しては悪びれもせずに思った。仕方のない事だ、緊急性のある事案で逮捕状請求をせねばならなかった。従来の犯罪に加えて個性を利用した犯罪を処理するには、まだ法体制や警察内部の組織作りに投資すべき金と時間が不足している。

 だからこそヒーローという職業が成り立っているのだが。エレベーターに駆け込み、ボタンを押す。腕時計を確認すると五分の遅れ。

 たいして焦っているように見えない穏やかな口元を崩すことのない表情。

 その昼行燈よろしくとぼけた顔立ちはしかし、彼の役職が否定している。警察全体で僅か数%しかいない警部という地位を、36歳という若さで上り詰めたのは歴史を覗いてみてもほんの一握りだ。

 

 会議室のドアをそっと開けると、既に始まっているようだ。定期的に行われる、警察関係者代表と各ヒーロー事務所の代表による会議が。

 

 いそいそと着席すると、警察が情報処理し精査された書類が置いてある。読むまでも無く、場所ごとの犯罪発生率や犯罪者の年齢、個性を利用しているかどうかのデータであることくらいは、塚内もこの行事に慣れている。

 

「お手元の資料を見てわかるように」 と進行役の警察関係者がスクリーンに映るデータにレーザーポインタをやる。 「日中に行われる犯罪は増加しています。今のところは軽犯罪ですんでいますが、先日の怪物化の個性を使用した犯罪によって、副次的に倒壊した建築物による経済的な被害は甚大です」

 

 一拍置くが、こっちも忙しいんだ早く続けろ、という無言の圧が各ヒーロー事務所代表から発せられた。気持ちはわからないでもない。ぶっちゃけ、お上の意向で開かれた会議であって、内容があるわけでもない。いつものやつ、対外的建前。

 

「個性犯罪の発見、通報、警察の避難指示および個性犯人に対する威嚇または妨害、ヒーローの到着という一連の流れを迅速に行うためにも、かねてよりの提案ですが、各ヒーロー事務所のパトロール経路や所属サイドキックの勤務可能時間を共有する事が急務ではないでしょうか」

 

「われわれの業務に支障をきたしかねない、と以前より伝えているはずだ、業務内容の共有化は」

 と炎の口髭を蓄えた大柄の男、エンデヴァーが威圧するように言った。進行役は諦めたように塚内へと視線を投げる。

 

「われわれにも公務というものがありまして」 塚内は代弁して小さく肩を竦めた。 「もちろん、おっしゃる事はわかっています。各事務所が実質的な競争関係にある以上、パトロールの分業によって活躍の機会が均一化するのは避けたい。しかしながらみなさんは一応の公の立場の人間である以上、警察組織との連携を強く意識する事が、秩序の維持に繋がると考えては頂けないでしょうか」

「公の立場ではあるが、現場の実業務中は郵便局員や国立大学法人の職員と同じ、みなし公務員という制度を解釈した存在だ。職業ヒーローは個性犯罪者に対しては正当防衛ではなく、個性犯罪による緊急性を要する一時的な秩序の維持、という業務に対する公務執行妨害の法的根拠によって、個性を攻性使用できる実行力を持つというだけ。警察の管轄にはない」

 

「われわれには、なにも職業ヒーローを警察の管轄下に置こうという目的は無い。ただ、飽和状態になりつつある職業ヒーローの統合情報処理を担おうという訳です。現実に、個性犯罪者の個性に不向きなヒーローが駆けつけるという事例も多多ある。そういった事態はヒーローの、あー、その」

「言葉は選ばなくて結構」

「では失礼。駆けつけたはいいが活躍できないという事態を防げるのでは? これは事務所としても避けたいところではあると思いますが」

「まったくの同意だな。とにかく現場へ向かわせればいいという事務所の判断の誤りであって、受け入れるべき現実だ」

 

 エンデヴァーは、言ってバツの悪そうにする周りの事務所代表を見渡す。要するに、うちは違うという意思の表れ。

 こりゃあ一本取られたな、と塚内は頭をかく。まあ、もとより非のない半民間相手に公権力を強行できる訳でもない。なし崩し的にヒーローが公の立場と大衆に認識されているだけだ。行政組織の人間でない以上、どうにもならない。

 

「むしろ、警察の立場からすれば、各事務所の長がサイドキックの状態把握に努めるように強く進言するべきなのでは」

「個店主義に傾倒されると見過ごせなくなりますよ」

「それは警察権をちらつかせた恐喝に近しいと思うが? 皮肉にしては安っぽい」

「とんでもない。わたしの言った、見過ごせない、とは事務所間の格差です。事務所の収入源が活躍に比例した人気によるものだとすると、重個性犯罪にしか興味を持たないという経営方針の事務所が出てもおかしくはないですから。これは市民としては見過ごせないでしょうという意味です。ところでエンデヴァーさんは、どのような意味で恐喝と捉えたのですか?」

 

 エンデヴァーは面白くなさそうに鼻で笑って腕を組んだ。

 

 この二人のやりとりに、建前以外の意味は無い。塚内としては、エンデヴァーのように独立を主張してくれる人間は助かる。主張してもらわなければ困る。警察にヒーローの情報を統合処理する目途はあれど、法的根拠も規則罰則草案も金も時間も人員も揃っていないからだ。

 それを察せずにヒーローが折れるか行政府が強行してしまっては惨事だと、エンデヴァーも理解しているからこそ実の無い論戦を行っている。

 

「仮に重個性犯罪のスペシャリストを揃えた事務所がいたとしても問題あるまい。ヒーローが飽和状態にありつつあるなら、軽個性犯罪に対応した事務所があるだろうから。多様性自体を否定されるべきではない。もっとも、ヒーローたるもの程度を問わず如何なる悪事にも対応するはずだがな」

 

 問題はあった。今は無いが、予想される。職業ヒーローの収入源の大部分が人気に依存すると仮定すれば、脚光を浴びないであろう軽個性犯罪を専門とするヒーローの給金は、重個性犯罪を専門とするヒーローよりも少なくなる。 ――軽個性犯罪の方が件数は上なのでライバルがいなければ活躍の機会は増えるが――

 

 

 

 相対的に、ヴィランが行政として看過できる許容臨界線を超えつつあるな。塚内はなあなあで終わった会議の帰路でぼやいた。ぼんやりとタクシーから流れる都会の風景を眺める。

 ヒーローを貶める気はない。しかしヒーローである以前に人間だ。欲は誰にでもある、それすら否定するのは理から外れる。そしてまたヴィランもヒーローと同じ人間だ。ヴィランがヒーローに紛れては困る。

 

 

 

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 後日、三茶は別件で移動中の車内で塚内に切り出す。

 

「こないだのひったくり犯なんですけど、駅のターミナルで暴れた」

「が、どうかした」

「送検後も容疑を認めないみたいなんですよね」

「ふーん」

 

「手を打ちますか?」

「やらせておく。悪いけどもう一つ頼んでいい? そのひったくり犯と近しい人物の直近の羽振りを調べておいてほしい」

「まず金と異性、ですね。わかりました」

 

 三茶は聞き込みに絶対的な自信を持っていた。猫の個性により、猫とコミュニケーションを取れるというのもあるが、存在もそれに一役買っていると考えていた。

 

 猫ほど人間の社会に深く入り込んでいる動物はいない。 ――言葉を悪く言えば寄生。申し訳ない――

 比較対象として犬があげられるが、古来は猟犬や番犬といったギブ&テイクの関係にあるわけで、言ってしまえば主従関係にある。豚や牛などの家畜は当然に利用価値があるから、人間に個体数が保障されている。

 だが猫は違う、なんら人間にとっての利を生まない。なのに地球上で最も人間に世話をさせて生きている動物だと言っていいだろう。なにをせずとも人間と近しくある。それも、人間の無意識化レベルで。

 

 三茶がそれに気づいたのは高校生時代だ。なんとなく少年時代に好きだった娯楽作品を見かえしていた時。

 アニメや漫画を手に取れば多くの猫が主人公に利をもたらす存在。あるいは存在感のある敵。道しるべ。まず未来のネコ型ロボットはまず思い浮かび、そういえば何とかウォッチもたぶん。モンスターを集めるやつも、ライバルが猫だ。ソーシャルゲームの導き手役を担うマスコットも猫をモチーフにしている物が多いように思える。

 確たる根拠はなかったが、一番最後に絶滅する動物が人間なら、たぶん二番目は猫のような気がした。

 

 猫という存在が、科学では立証できない対人間性能を有しているのではないだろうか。実質的な地球の支配者に世話をさせる能力は、単なる哺乳類の域を超えている。猫はヤバい生き物。

 

 そういう理念を心に置くと、三茶の対個人交渉能力はがらりと変質した。何かを頼むとき、自然な動作でちらと肉球を見せ、相手の視線がそれを追えば別れ際に握手をする。ぷにぷにの肉球を味あわせた後で、もし出来る事ならとか、暇があればとか、思い出したらとか言って背を向けると高確率で呼び止められた。

 

 三茶は高校時代に、まどろっこしい女性同士の関係そのことごとくを解決し、それを切っ掛けに多数の異性から好意をもたれ、そこから生まれた恋慕 ――モテすぎだろあいつ、という男の嫉妬も―― の数数をも解決しきった最後の瞬間、交渉人を目指そうと決めた。

 

 確かめた事は無いが、ツイッタとかでイイネされた最多総数は猫だ。猫の存在は問答無用に人間に支持される。

 多くの人間は猫に逆らえない。現代では解き明かされていない魔法めいた謎がそうさせる。

 

「あ、そういえば塚内さん、どうでした」

「何が」

「こないだ副総監に呼ばれたとかなんとか」

「早いね」 塚内は困ったように笑った。 「こないだのヒーロー会議の会議録が問題の種だった。副総監はヒーロー事務所と世論に対する警察の威信、面子、その他諸諸を示す必要があるとさ」

 

「でも前、塚内さん言ってたじゃないですか。警察を矢面に出すと保守派を相手取らないといけないから、まだ現状でいいって」 相変わらず副総監に睨まれてるなー、と三茶は雲の上過ぎて他人事のようにも思えた。 

「副総監のいう事も一理あると思うけどな、ヒーロー事務所と警察組織が協調路線を歩むことは。ま、なんとかするように言われた」

「なんとかって、えらいアバウトですね。なにか手伝えることがあったら言ってくださいよ」

「あー、じゃあ急で悪いけど最優先で広報に頼んでほしい事がある。渡りをつけたい人が居る。それと、総務の方にも通しておきたい起案がある」

 

 塚内は先日のひったくり犯の副次的被害総額のほとんどを占める事務所を思い浮かべて言った。

 

 ヒーローは業務中に出した損害に対して故意過失が無いかどうか、明白に正当性のある行動によるものかを書面にして警察に提出する。その後、保険会社に報告される。公務員なのに金のケツ持ちが国でないのは、なし崩しに公的存在と認識されているに過ぎないからだ。

 

 

 

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 そして一話冒頭に戻る

 

 

 

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 後日、塚内はMt.事務所を訪れていた。ちょうど春の兆しがほんのり暖かく、長袖に黒のスラックス。ラフに思えるがクールビズを推奨する政府の手前、行政府の人間が従わない訳にはいかないのでこんなもん。

 

 岳山と事務員が出迎えた。

 

 岳山は灰色のスーツに薄い水色のブラウス、いかにも大学の入学式に買った就活にも使えると言った感じ。新人程度に安っぽい。ヒーローという花形なのでちょっといいやつを身に着けがちだが、倹約家なのか。と塚内は内装に目を走らせた。目立ちたがる傾向の性格と考えていたが、それに反する質実剛健な事務用品。中古だろうな、とコピー機の年季から察した。いるのか? コピー機。この規模で。

 サイドキックはいないので従業員もそれほど必要ではなく、数人の派遣。事業拡大の野心の表れ?

 

 応接室で名刺を交換する。

 事務員は、まだ三十代らしい容姿で警部の名刺を見て気を引き締めた。まず無いと思うが、ノンキャリアかつコネでないなら塚内と名乗った男は相当の切れ者だ。

 キャリアなら受けて喋らせてのらりくらりしたい、あわよくば言質を取る。論戦の場数を踏んだノンキャリなら強く出て喋らせず、なんとかお茶を濁して妥協させたい。どっちだ、こいつは。現実的にキャリア組だと思うが。

 

 事務員の視線に気づいたのか、塚内が左手で自分の額辺りを指して言った。

 

「しかし、凝ったマスクですね。その山という漢字のモチーフの素材って、何で出来ているんですか?」 

「ああ、これですか」 と事務員。つられて左手でマスクを触る。 「飾りはチタンです。長時間付ける場合があるので軽い素材で作ってあります」

 

 へえ、と塚内が大きな瞳を事務員の左腕に向ける。

 

「……考えてありますねえ。それにしても、いやあ、先日の怪物化の個性犯の捕縛は凄かったですね。助かりましたよ」 とにこやかに塚内。 「華華しいデビューでしたね、いきなり注目を集めるとは」

「そう、ですか」 と岳山。謝辞は満更でもない。緊張しているのかあたふたと、声もワントーン上がっている。 「まあ駆け出しなんで、まだまだですよ」

「デビューは緊張して活躍できないヒーローも多いそうですよ。何やらファンクラブも出来たとか何とか」

「そうみたいですね」 へへ、と照れたように頬をかく。

 

「われわれとしても、ヒーローが市民の支持を得ているというのは好ましいものです。ところで岳山さんには折り入ってお願いがありまして……」

 

 いよいよの本題に岳山は固唾を飲んだ。事務員からは一先ず話を聞くだけと釘を刺されているが。

 

「一日署長をやって頂けないかと」

 

 事務員の言ってた事は本当だったー! ヤッター! 岳山は脳内で万歳三唱。鏡開きとついでにダルマに目を入れる。

 一日署長に起用されるのは大体が有名人だ。その仲間入りとなるようでワクワクを押さえきれない。むふふと口角が上がりそうになる。

 

「ヒーローとしてお忙しいとは思いますが、受けて頂ければ」

「ありがたいお話なのですが、この場で即決はちょっと」 と、冷静に事務員。

「ふむ。エンデヴァーさんですか?」

 

 塚内の問いに岳山が答える。

 

「んーまあ。でも別に警察に対抗する為に団結してるって訳じゃないんですよ、わたしたち。こう、雰囲気として事務所は事務所で警察組織とは独立してるって立場は守っていかないと、みたいなのがあるんですよねー。いやほんと、敵対するつもりとかは無いんですよ」

 

 気まずさから来ているのであろうその早口を、なだめるような口調で塚内が返した。

 

「ええ、それは重重承知です。ですがあまりにも対外的な関係がドライだと、われわれが守るべき市民はどう思うでしょうか。事務所と警察がほどほどに友好的であると認識できた方が安心できるのでは? 事務所間でそういった連盟があるわけではないでしょう」

「それは……そうですけど」

 

 マズいなあ。と内心で事務員。塚内に関する判断材料がみつからない。公務員という事で派手さは無く、いたって普通の出で立ち。中立的立場を意識した口調。特徴が無い。身に着けている物も、年齢に則した給与人が買えるだろうという事くらいか。

 袖からちらと見える時計の大きな外枠メモリからしてダイバーズウオッチ。夜間に視認しやすい夜光と、いかにも張り込み中に雨とか降った時に困るから、という誰もが思いつきそうな典型的警察シチュエーションにしても、耐水性が有り余るそれ。

 足元は小奇麗であるが、特段の手入れをしているようにも感じられない。カーフに見えるが、しっとりした光沢と、腕時計と同じ理由で水分に強いリスレザー。応接室に通すときに見た靴底の踵の凹凸からしてコマンドソールに似た物。いわゆる無骨でどこでも歩きやすい靴。

 メーカーを特定する小さな深緑色のタグが付いているはずだが、それが無い。ハードワーク故に取れたか、取ったか。前者に見せかけた後者かも。

 

 つまり現場に関わっています感が嘘くさい印象を受ける。警部だろ。だがひょっとしたら、叩き上げで出世をしたが、困ってないから新調しないという無頓着とも合理的とも取れる性格かも、という可能性を捨てきれないところが塚内を危ういと感じる所以だ。タフである事は間違いない。

 

 何かを演じているやつが、一番ヤバい。というのが事務員の考え方だった。塚内は露骨に警察ライクな恰好をしているが、天然なのか演者なのかわからん。

 

「オールマイトさんが一線を退き、実質的なトップヒーローのエンデヴァーさんの発言力が大きいのは事実です。経験豊富な人間がリーダーシップを取る事それ自体に、わたしは不満はありません。エンデヴァーさんもヒーローを牛耳ろうという腹は無いでしょう。ただ、ちょっと迫力があるから異を唱えにくいだけですよ。それに半民間らしく事務所間は実質的競争関係にあるのも事実。前例の無い初のヒーロー一日署長、目立つと思うんですけどねーそうですかー受けて頂けませんかー。メディアも注目すると思うんですけど、残念です」

 

 目立つ、メディア、という言葉に岳山の整った眉が反応した。

 事務員はそれを視界の端に捉え、冷静に口を開く。

 

「競争関係にあるからといってデリケートな問題に独断専行する事は、新米事務所としては避けたいところでして。十分に議論してからでないと」

「そんなに危ないですか? 初のヒーローが副業を受けた有名な事例ですが、ヒーローへPV出演を依頼した音楽関係者によれば快諾だったそうですよ。ニュース番組内でひと悶着あったくらいで。なんせ前例の無いケースなので警察も事情を掴んでいまして」

「それとこれとは事情が違います。警察は個性を武に、警察権に用いないという理念に反する恐れがある」

 

 やはり、やっかいなやつだな。塚内は事務員を観察して思った。

 

 マスクのせいでわかりにくいが、新卒という歳ではないだろう。中途採用。警部の肩書に怯む事無く弱い所を突いてくる。営業職? やり手。棘を含んでいるのは、こちらの強行を危惧してか短期決戦を嫌ってか。しかし転じて防戦一方の証左。生地の良いスーツやシャツはくたびれてない。婚約指輪は無し、リングの日焼け跡も。同棲していないのならじぶんでアイロンをかけてる? だとしたらかなり自己を律する気質。

 

 事務員にマスクの話題を振った時、左手の袖からちらと覗いた腕時計を見た時から塚内は既に試算していた。

 秒針が一秒刻みでないので機械式腕時計。不意の動力不足が起こり得るクォーツやソーラーは、仕事に使うにあたって不適と考えている? クォーツに比べ時刻精度の劣る機械式を使うなら、日日の時間調整をする几帳面さを持っている。用心深く、不確定要素を排する性格。

 

 仮に単なる趣味だとしたら。道具として不便な物を仕事に使い、それでもミスなく完遂するという自信の表れ。あるいは前述の性格と両方を併せ持っている。

 

 一目見てわかるメーカーの代名詞的なフラッグシップの物ではないにせよ、安価で製造できるクォーツとの棲み分けの結果、機械式の時計を造るメーカーが出しているのは基本的に高級路線だ。

 

 パッと見て小奇麗にまとまっているデザインからして、新米事務所の中途が給金で買うには躊躇する代物。ということは前職で稼いだ金で買った、買えるだけの給与を得るだけの地位や仕事をこなしていた。

 しかしと足元へ視線をやれば、まだ履き皺の少ないキャップトゥ。歩き方や音からして靴底はレザーではない。革はオーソドックスな黒のカーフレザー。トゥの鏡面磨きを自分でやったのなら、靴磨きの道具とリムーバーやワックス類一式揃えている。では他にも何足か持っている、たぶん高級ラインを。

 

 あえてランクを下げて、年下の雇い主を立てる器量もある。まあその程度の謙虚さがなければ前職で稼げないか。いま身に着けているのは仕事に慣れ始めた頃、ボーナスで買ったのを引っ張り出してきたか? 湿気の多いわが国で革靴は時計と違って手入れが面倒だから、思い入れがある物を除き出世に合わせて手放した。だから新しい職場に合わせて数足ほど買いなおした。

 

 今後、けっこう手を焼きそうだ。と結論していた。

 

 こういった慎重でミスをしないタイプは、相手を見極めてからでないと動かないし、上司と同席の場合にあからさまな反対意見を口にしたがらない。一対一ならともかく、今回はMt.レディがいる。謙虚さが仇だった。

 

「そうですか。今回は色よい返事は頂けませんでしたが、市民に向けての警察と事務所間の友好アピールについては気にしないでください。この後、ミッドナイトさんにも打診してみるつもりなので」

「ぇえっ!? いやあでも彼女は教師な訳ですし」

 

 これ、ミッドナイトが受けたら、どーなるんだろう。岳山は焦った。セクシー系ヒーローとしてキャラが被っているミッドナイトが前例を作り、話題を掻っ攫う事になったら……

 

「同時に副業可のプロヒーローでもあるわけですから、もちろん岳山さんもね。警察内部でも結構揉めたんですよ、MT.レディさんかミッドナイトさんかで。ミッドナイトさんの方がヒーロー経験も豊富でしょうから、新人である岳山さんよりもエンデヴァーさんの影響を受けない気概もあるとかなんとか。もちろんわたしはそんな事は考えていませんがね」

 

 それではお邪魔しました。と塚内はお茶請けを一口二口やってそそくさと席を立った。その背に待ったの声を掛けたのは岳山の自己顕示欲、ビッグになるという目的が故に他ならなかった。

 

 いつまでもエンデヴァーに会議で主導権を握らせては、トップに立てない。ニッチなファンだけでは到底満たされない。より多くを魅了し、必要とされるヒーローになる。なりたい。いつか後輩が、Mt.レディに憧れてヒーローになりましたと言うくらいに。

 

「岳山さん。今日は話を聞くだけという」

「一日署長、やります!」

 

 事務員が短く溜息を吐いた。岳山の決断にでは無い、その思い切りの良さが彼女の美点だ。結局のところ、塚内に負かされたじぶんに憂いている。

 

 

 

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 契約書類は後日、という事で事務所を後にするとすぐに塚内の携帯端末に着信があった。大方の予想は付く。名刺は渡したばかりだ。先んじて口を開く。

 

「心配しないでください。使い捨てるつもりなんてありません」

『……隷属も困ります。うちの岳山は飼い殺しで終わらせたくない』 と事務員。聞かれたくないのか小声で話している。

 遠くで岳山が前祝いをしようと事務員を探している声が入っている。というか事務所の前なので普通に聞こえた。

 

 塚内は散歩がてら、すっかり日の暮れた歩道を歩いた。気が向けばタクシーを拾ってもいい。

 

「わかっていますよ。今のところは男性に人気ですが、彼女のような内に秘めたハングリーさは性別を無視した魅力だ」

『何がしたいのですか……まさかヒーローに一日署長をやらせて、はいこれで仲良しです、で終わらせるだけではないでしょう。そんな一過性のアピールでは、今の警察上層が抱える根本的な問題を解決できない』

「いやあ鋭い」

『警部クラスがわざわざ新米事務所に来るなんて異常だ。本当に本庁としての意向ですか? それともあなたの個人的な?』

 

「無論、行政組織としての行動です」 起案はわたし個人だが、と省略して続けた。 「岳山さんの将来に影を差すような事にはなりません。いざとなったら断ればいい。あなたにその意思があるのであれば、わたしの瑕疵という事で契約を反故にしてもいい」

 

 一見して塚内が譲歩しているように聞こえるが、例え相手の意向だとしても無かった事になれば、あれほど舞い上がっている岳山は落ち込むばかりか警察に対して不信感を抱くかもしれない。事務員としては避けたい。そういう打算のある提案だ。乗れるわけがない。塚内は、岳山の前祝いをするほどの喜びようを聞き、こちらが断れないと知りながら、譲歩してもいいというフリをしているだけだ。

 

 面倒なやつに目を付けられたものだと事務員は落胆した。

 

『……とても岳山さんの前祝いに付き合えるテンションじゃない。ふ、不安だ』

 

 さめざめと言う事務員に、塚内はそんなに怪しいかなあと少し傷ついた。

 とりあえず通信は形式儀礼的別れ文句で終わった。

 

 

 

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『もしもし塚内さん?』

「うん?」 と三茶の連絡に返す。

『検察に行った例のひったくり犯なんですけど、そいつの兄の金使いがここ最近……』

「……あーそう、じゃあ張っといて。ひょっとしたらタイミングがいいかも」

 

 本当にあのひったくり犯は、わざと犯行に及んだのかよ。と三茶は通信を切って引いた。

 




一週間後くらい


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第三話 怪獣バトル!

「ひゃー。これでわたしも婦警かー」

 

 更衣室で岳山が姿鏡の前でクルリと一回転した。風に揺らめく麦畑色の長髪が追随して舞う。警官の制服に厚手の黒タイツがキマっていた。

 室を出るなり、待機していた事務員にぞんざいに口を開く。

 

「逮捕していい?」

「え、あー……な、何の容疑で」 事務員はめんどくさそう。

「んー。警察提出用の、ヒーロー活動時における副次的損害書類の偽装」

「ここ警察署ってわかってて言ってます?」

 

 冗談に思われたのか、 ――当たり前だ!―― 朗らかに塚内が笑った。

 

「よくお似合いですよ。取りあえず、予定としては署長室で委嘱の式。公開記者会見。一部メディア同行で都内をパトロール。途中、多等院駅で個性の迷惑使用防止キャンペーンのビラを配って署に戻ります」

「パトロールの経路を確認したいのですが」 と事務員。

「うーん、申し訳ありませんが、一応部外者の方にはちょっと……一般の芸能の方にならともかく、事務所と警察は友好的独立関係。そういうスタンスですから。明かしても問題はないと思いますがこのご時世、何が原因で炎上するかわかりませんし」

「まあ、そういう事でしたら」

 

 納得の様子を見せるがしかし、事務員は腑に落ちない。案の定出張って来た塚内という男が、本当に一日署長で終わらせるのだろうか。警部がイベントに付きっきりか? ありえない。取って付けたような乾いた笑顔を張り付けた、切れ者が何もしないなど。

 自己を見失うな。塚内は予断の許されない相手だ。

 

 

 

 その朝、Mt.レディと同じく若手ヒーロー、シンリンカムイは事務所のテレビでその様子をチェックしていた。もちろん、Mt.レディが何か粗相をしてヒーロー全体のイメージダウンになるのでは、と懸念しての事だった。断じて心配などしていない。

 署長室で神妙な表情でMt.レディが敬礼をしていた。ふん、今のところボロは出ていないようだな。シンリンカムイは腕組を解いて番茶を一口すする。

 

 次いで初のヒーローの一日署長という事でマスメディアが質問を投げかけていた。

 

『何か、警察に関するエピソードはありますか?』

『そうですねえ。あまり覚えていないのですが、両親が言うに子供の頃は上手く個性を制御できなくて、不意に巨大化していたそうです。たまたまそれを見た人が怪獣が出たと通報したらしくて。道警の方には迷惑をかけてしまいした』

 

 記者陣に軽い笑いが起こった。

 先日のひったくり犯横取りを思い出し、シンリンカムイも口の端で薄く笑う。強欲な女と思いきや、幼少時は案外微笑ましい。

 

『どうしてヒーローを志そうと思ったのですか?』

『最初は巨大化なんて個性、嫌だったんです。畑仕事を手伝う時は便利ですけど、よくデカ女って意地悪な事を言われてました。なんでこんな個性なんだろうって、こんな個性じゃなかったら、学校で嫌な思いをしなくて済むのにって。自分自身が嫌いになっていって』

『個性の性質や、常在型の個性で容姿が目立つ方は苦労されていると聞きます』

『ええ、特に多感な幼少期に様様な偏見を受ける事は多いと思います。ですが、自分では嫌になる個性でも誰かに感謝される事があるんだって、近所の人の家の雪かきなんかを手伝っていてわかったんです。小さな切っ掛けですが、そんな現実もあるのだと、多くの同じ境遇の人に知ってほしくて。ですからわたし自身が、幼少期に嫌いだった巨大化という個性で誰かに憧れを抱かせる事が出来たら、いま自分の個性が嫌いな人もきっとヒーローとして活躍できるのならと、自分を好きになってくれると思うんです』

 

 先日のひったくり犯横取りを思い出したが、シンリンカムイは評価を改めた。ただの目立ちたがり屋かと感じていた自分を恥じる。彼女は目立つ事で、自分の個性に悩んでいる人を精神的に救おうとしていたのだ。それに、誰かの為に個性を使う事に関する理念は共感できる。

 

『なるほど。今後のヒーロー活動に関してはどうお考えですか』

『一応の民間で、活躍に応じた収入を国から得られるのも事実ですが、きっと他のヒーローもわたしのように、誰かの為の個性使用を心に秘めているのだと思います。志を同じくする者として、共同、協調、協力して個性犯の捕縛に挑むつもりです』

 

 先日のひったくり犯横取りを思い出し、シンリンカムイは真顔になった。リモコンを手に取り、テレビの電源を切る。

 

 

 

 三茶が運転するパトカーの後部座席、事務員はMt.レディの隣で思案にふけった。

 どうもパトロール経路が先ほどから大通りや広場の近くばかりなのは気にし過ぎだろうか。車内では助手席に座る塚内と岳山で雑談が行われている。ルームミラーを覗くとメディア関係の後続車両が映っていた。

 

「そういえばMt.レディさんも巨大化の際は衣類も巨大化するのですか」 と塚内。のんびりと言った。 「怪物化の個性を使用していたひったくり犯はそうでしたが」

「そうですね。身に着けている服は大きくなりますよ。なぜかは知りませんけど。判定の基準が曖昧で、指輪とかもそうです。ただ、個性を解除すると元の大きさに戻りますけど」

「仮に個性犯罪者と遭遇しても、警察の制服のままでは戦えませんよ」 と事務員。やんわりと釘を打つ。

 

「わかっていますよ。それとこれが駅で配るビラです」

 

 Mt.レディが受け取って書類袋の中を取り出すとチラシには、一人は個性を使って雨を弾いているが、その隣で飛沫を浴びて困っている人の絵が描いてある。小学校のコンクールで選ばれた作品らしく、精緻ではないものの、味があった。

 いるいる、こういう人。Mt.レディは小さく笑った。

 原則的に許可の無い個性使用は違法だが、この程度の事まで取り締まるのは現実的ではないのでまかり通っている。いわゆる、マナーの範囲内。

 

 不意に塚内の携帯端末が鳴った。失礼、と着信を認める。 「ええ、はい、了解しました。一応、権限は取り上げといてもらえますか」 と深刻な表情で通信を終了する。

「重個性犯罪が発生しました、予定をキャンセルしてこれから現場に向かいます」

「塚内さん、それは話と違う」

「もちろん普段のスーツに着替えて貰って結構です。しかしながら無視はできないでしょう。パトカーで送るだけです。降車してから現場に向かうのは非効率的だ、迅速に現場に駆けつけるのもヒーローの役割なのでは」

 

 外堀を埋められつつある。事務員は少しでも隙を見つけたかった。

 

「どうしてパトカーの無線機にではなく、塚内さん個人の携帯端末に事件の連絡が?」

「政治的判断を必要とされる用件らしいですから。詳しくは向かいながら話しても?」

 

 パトカーのサイレンが鳴った。嬉嬉として後続のマスコミ車両が追随する。

 それをバックミラーで一瞥した塚内は軽く笑い、窓枠に頬杖をついて流れる景色を眺めた。

 

 

 

 場所は奈武競馬場だった。すでにマスコミのヘリが飛んでいる。回転翼の羽ばたきがうるさい。

 人だかりを退けて入口で待機していた警官に塚内が尋ねた。そのまま歩を進めるので、事務員とMt.レディも何となく付いて行く。いつもならにぎわうであろう場所が、がらんと人気がなくなると不気味だ。

 

「状況は」

「動いていません。一応は上が公安と連絡を取っているらしいですけど。要求は変わらずです」

「対応可の連絡を入れてきたヒーローは」

「シンリンカムイ、バックドラフト……一大事なので他にもいますが、状況が状況なので警察権発動によりヒーローの実質的な活動権は取り上げられています」

 

「何が起こっているんですか」 と岳山。ヒーローの権限が失われるとは相当な事態だった。

「うーん、どうやら先日のひったくり犯の自称兄が無茶をやってるみたいでね。実兄かどうかは確定されていない」

 

 客席スタンドに着くと、青い芝生に囲まれた競馬場で怪物がマスコミヘリを威嚇していた。体躯は筋骨隆隆な人間のようだが、頭部は獰猛なイヌ科にも見える。兄なだけあって尻尾や尖った背びれもある。本来は人間界に存在しないような姿とありふれた晴天がギャップだ。

 

 怪物が吠える。

 

「今すぐに弟を解放しろ! それと燃料満タンのヘリを操縦者付きで一時間以内にだ!」

 

 うるさいなあ、と巨体から発せられる声量に岳山は耳を塞いで言った。 「なんでこんな事に?」

 

「弟が鉄道会社から損害賠償請求された。こないだ線路壊して電車を止めちゃったからね。通勤ラッシュ時だったのもあって、チンピラにはとても払えない金額だったから検察に喧嘩を売ってる最中。競馬場を選んでいるあたりは、駅で暴れるより賢いのかな」

 

「保険が降りてよかった」 と岳山は安堵。

「検察? 件のひったくり犯はまだ拘留中なんですか」 と事務員は不審な顔。という事はまだ罪を認めていないのか? 警察の48時間の取り調べに応じず、検察に送検された。なぜ?

 

「逃げられると思っているんですかね」 と部下。

「怪物化という個性にもよるだろう。適当なところで海に飛び込んで、そのまま国外逃亡とか出来る可能性はある」

「要求を飲まなければ?」 と事務員。

「都を破壊して回るらしい」

 

 そうだろうか、と事務員は思考した。

 その魂胆なら最初から都心で怪物化して政府に要求すればいい。実際に行うかは別としてリアリティが増す。わざわざ競馬場を選んだのは、そうする勇気が無いからだ。クレーマーがゴネているだけ。人質もいない。さっさとヒーローの権限を戻して捕縛してしまえばいい。

 その事に塚内という辣腕家が気づかない訳がない。ここまで周到に警察とヒーローを同行させるように立ち回れるのだから。

 しかし素人が軽はずみで無責任な事は言えないので別の疑念を口にする。なぜこうも塚内の指揮権が強力なんだ? 明らかに命令系統をいくつか跨いでいる。塚内のバックは誰だ?

 

「どうして塚内さんがこの件を指揮しているんですか? テロですよね、これ。公安の仕事では」

「自慢じゃないけど軽個性犯罪を挙げてきた実績を買われて警部になったようなものでね。公安とは共同して事にあたる体を取っているんです」

「刑事だったんですか? てっきり警務課の方かと」

「警務の方が昇進しやすいとは言われてますがね。まあ、そんなとこです。」

 

 言って塚内は試算した。どうしようかな、用意したヘリに乗り込むときは怪物化を解除するだろうから、そこを狙ってもいい。けれど拘留中の弟を解放するとなると、必ずどこかに借りを作らなければない。それは極力避けたいところ。

 

「ここはやはり、ヒーローのご助力を願いますか」 言って携帯端末に一言二言呟くと、部下に少しばかりの紙幣を握らせて行かせた。

「え? 戦っていいんですか」 と岳山は拍子抜け。

「ええどうぞ。権限は戻したと各事務所には伝達されているはずです」

 

 そーですか。いそいそと制服を脱いで、あらかじめ下に着ていたヒーロースーツ姿になる。アイマスクをすればMt.レディ、ゆるやかなウェーブの長髪を搔き上げた。

「岳山さん、ちょっと」 と事務員が塚内から離れた場所まで移動してから小声で言った。

 

「まずはシンリンカムイさん達の動向を見てからでもいいのでは? 塚内さんに嵌められるかもしれない。権限を戻したと口では言ってはいますが、未だ奪われている可能性がある。その場合のヒーロー活動は違法です」

「承知の上よ」

「え?」

 

 あっけらかんと言い放った岳山に、では何故? と怪訝な顔を見せた。

 

「ヒーローの権限を一時的に取り上げるほどの事態じゃないのに、マスコミの前でわざと大事に見せているくらい、わたしでもわかるわ。でもいいじゃない。わたしたちが、例えば警部の作為的な瑕疵を押し付けられて法廷で叩かれたなら、他の事務所に塚内直正は危険だと警告できる。警察という組織と事務所はどうあっても付き合わなければならないけれど、避けるべき個人は特定できる」

「岳山さん……」

「常にとは言わないけれど、ヒーローには自己犠牲の精神も必要って事ね」

 

 Mt.レディは不安そうに名を呼んだ事務員にばっちり決まったウィンクをすると軽やかに駆けだした。客席スタンドを飛び下り、速度をそのままに青青とした芝生を踏みしめる。腰を落とし、個性を発現すると同時に前方へ跳躍した。

 

 それはまさに、バックドラフトの両手のポンプから放水車並の水圧で飛んでくる水の塊に翻弄される犯人へ、ここぞと放たんとするシンリンカムイの必縛ウルシ鎖牢! の瞬間。

 人間サイズで接近し、巨大化と同時に強襲こそがMt.レディの得意とするところであった。

 

 Mt.レディの圧倒的質量による跳び蹴りが犯人の側頭部を捉える。

 大樹の根のように拡散したシンリンカムイの右腕が物悲しく虚空を捉える。

 

「流石に兄なだけあって怪物も成長しているということですかね」

 外殻が固いのか、よろめきはしたものの反撃に転じる犯人を眺めて事務員が言った。塚内の隣に腰掛けると、先ほど部下に買いに行かせたのであろうホットドッグとコーヒーを渡された。断る理由も無いので二人して客席スタンドで頬張り、目の前で繰り広げられる特撮顔負けの巨大アクションを眺める。

 

「もし一時間が経過したら、あなたならどうしますか」 と塚内。

「時間ぎりぎりで要求どおり弟を解放したと偽ります、居場所は伏せますけどね。連れてこいとは言われていない。一応、ヘリは用意しておきます。本庁には高速輸送ヘリが配備されているはずですから」

「最終的にヒーローが犯人を捕縛できなければ?」

「弟をヘリで連れてきたとか言って、あらかじめヘリに忍び込ませておいた警察の対テロ部隊に処理させます。乗機時は個性を解除せざるを得ないので、不意打ちのテーザー銃で片が付くでしょう。貸しを作らず、何事も内内にやるのがいい。逆に塚内さんがわたしならどうします?」

 

 部下に欲しいな。塚内はぼんやりと考え、そうだなあ、とコーヒーを一口やる。

 

「まず間違いなく接触して来た警部は何らかの目的があり、長期的にMt.事務所を利用しようとしている。その限りにおいて事務所側の要求はだから、多少無茶でも断れない。バックが誰なのかによるが、とりあえず貸しを作っておくが甲ってところですかね。どうせこの件で行政は真面目に対応しないのだから、同程度で付き合ってやればいい」

「Mt.レディはいつだって真剣です」

「それが彼女の、ヒーローの良い所だ。わたしたちのような人間がヒーローに不向きな理由でもある」

 

 この事件は大事にならない、というのは二人とも考えていた。人質の無い政府への要求はなんて雑はたぶん、個性犯のテロ要求に対して、どう国が対応するかが知りたいだけだからだ。それを理解しているから行政は手の内を見せずに適当に終わらせる。

 問題は、上記の仮定を満足する場合に絵を描いた黒幕が居るという事だ。ひょっとしたら弟が駅で暴れるという事すら計画の内だったのかもしれない。未だに容疑を認めず、検察に身柄を拘束されているのもおそらく。

 

 だがここまで組織的に大規模な事を画策できるとなると。塚内はこの件が終わればオールマイトに連絡を取らねばと内心で呟いた。以外に早かった、オール・フォー・ワンが表舞台に干渉してくる先ぶれは。

 

「結構粘りますね、犯人」 塚内はホットドッグの包み紙を空になった紙コップに入れると、立ち上がって大きく伸びをした。 「そろそろケリを付けましょうか。Mt.レディに全員一時撤退するよう伝えてください。われわれ警察からだと角が立つ」

 

 事務員が携帯端末を起動すると、岳山のスーツに内蔵された骨伝導通話装置が連動した。

 

「岳山さん、一旦引いてください。他のヒーローにもそのようにお願いします」

『はあ? なんで? もうちょっとなのに、このう。尻尾を持って振り回してやる!』

 

 取っ組み合いに持ち込もうとするが、長い尻尾に拒まれ苦戦している。

 

「どこに放り投げるつもりですか。塚内さんの指示なので断れません」

『どういう事』

 

 代わりますよ、と塚内は事務員に言って携帯端末を手にする。

 

「岳山さん、塚内です。これは何も岳山さんに限った話ではないのですが、歌手でもタレントでも一日署長をやると警察の階級が与えられるんです。ただのコスプレではなく、形式的には誰でも一日限り身分上警察官なんです。そしてヒーローは活動時にみなし公務員という地方公務員の形態を取っている。つまりあなたはヒーローであると同時に警察の階級を持つ地方公務員なんです。そしてわたしはこの件の指揮を取っている、あなたは上司の職務上の命令に従う義務がある」

『そんなこじつけの理屈に従わなきゃならない根拠はあるの!?』

「言いませんでした? ヒーローの一日署長には前例はありません。法廷で争って判例を作るのはお互いに困るでしょう」

 

 むぐぐ、とMt.レディが悩んでいるとバックドラフトが犯人の死角でバツ印を描いていた。給水のサイン。決め手に欠けるのも事実か、とシンリンカムイをちらと見やる。頷かれたので二人のヒーローを引っ掴んで後方に跳躍、着地ぎりぎりで個性を解除。着地のショックは水と木で緩和。離脱した。

 この離脱方法はへたなジェットコースターよりも動きと速度があるので、シンリンカムイはぐったりしている。バックドラフトは消火栓から水分補給。

 

 

 

『そろそろヒーローが撤退してから十五分が経過しようとしていますが、はたして政府は犯人の要求を飲むのでしょうか』

 

 マスコミの報道ヘリの中でレポーターが言った。眼下には無残にも荒れた芝生の競馬場、不遜に腕を組み、仁王立ちの怪物。

 唐突にバックドラフトが水をジェット噴射させて犯人の眼前に躍り出た。瞬時に両手に装備されたノズルを切り替える。すると――

 

『これは妙技ホワイトミスト! 冷房効果があるので屋外イベントでよく見られる技ですが、こんなところで活躍するとは!』

 

 ――霧状に広域散布された極小の水粒が視界を奪う。当然、犯人はその場を離れようとするがしかし、地中から這い出たシンリンカムイのウルシ鎖牢が両足に絡みついていた。

「長くは持たんぞ」 地中に両手を埋めているシンリンカムイが呻いた。しかしこの縁の下はホワイトミストによりカメラには映っていない。シンリンカムイは全然目立っていないぞ!

 

『ですがこれではダメージにはなりません! Mt.レディはいったいどこに……』

 

 おい、あれ! カメラマンが指差す方向には、高度に位置する警察の高速輸送ヘリ。ズームすると開いたハッチからMt.レディが身を乗り出している。不敵に笑うと機を蹴るように飛び降りた。

 

『え? あれ? 落ちて』

 

 レポーターの理解は追い付かない。

 ただ、犯人は理解した。ミストが晴れると同時に自分が影になっている事に気付く。反射的に見上げると重力加速をたっぷりと得た巨体の踵が迫っていたので。

 

 

 

 という映像が、夕方のテレビニュースに載った。事務所で岳山と事務員がお茶をやりながら眺める。政府への要求という特殊性もあるがやはり、問題は別の点だった。

 

『どうなんですかね、今回のヒーローの活動の際に出た被害を国が補てんするというのは』 と司会者がコメンテーターに振った。

『本来であれば国が負担する必要はないのですが、おそらく行政側の思いやりだと思いますよ。政治的判断を必要とされるのでヒーローの権限を失わせた以上、政府の介入があった訳ですから。始末だけ押し付けるのは酷でしょう。偶然にもMt.レディさんが一日署長だったので一時的に警察の指揮下に入っていたという事にして』

『それ故に、事実上の個性を使用した警察権の行使ということで問題視する声もありますが』

『前例が無いので何とも言えません。何人かの弁護士と野党の議員は異を唱えていますが』

 

『これに関しての警察の公式発表によれば、適切な判断だったとの事です。まあ、確かに副次的損害を事務所に負わせていてはヒーローとしての活動の幅が狭まるでしょうしね』

『世論も是認の方向なんでしょ? 取り立てて問題視するほどじゃあないと思いますがね』

『はい。それでは続いては今回大活躍されたMt.レディ特集です』

 

 画面が切り替わり、署長室で敬礼するMt.レディが映し出された。

 キタコレ、と岳山は録画されているかどうかを再再確認。ダビングして ――ダビングって言い方は古い?―― 北海道の両親に送るそうだ。

 その様子をぼうっと目に映していた事務員は浅く思案した。例の兄弟を操っていた黒幕はテロの要求に対する国の対応レベルを探っていたようだが、塚内は警察権に個性を間接的に使用した場合の世論をテストしていたのかもしれない。

 なぜそんな必要が? 決まっている、実際にそうなった場合にバッシングを受けそうかどうか。また、許容されるという前例を作りたかったのだ。恐らく今日、兄が罪を犯さなければ、なんらかの個性犯罪情報が警察のネットワークを通じて優先的に塚内の携帯端末に入ってくる手筈だろう。

 

 そうなると、うちを選んだ理由に説明がつく。Mt.レディの個性上、どうしても副次的損害は出る。それも多額の。誰かの為のヒーロー活動それで火の車というのはいかにも同情の余地があり、国が補てんする大義名分になる。

 

 つまり塚内は個性を使用する攻性の行政組織を創設するつもりだ。

 それもおそらく法的に認められるものではないだろうから、変則的な形で。警察内部で創るとなると塚内のバックは警視総監トップか、その上の国家公安委員会か。国際的テロ組織を視野に入れるなら防衛省にも話が通っている。所属としては公安になるのか?

 組織の容認はともかく、実力は問題ないだろう。数多くの個性犯を挙げてきた塚内の経験による作戦立案能力は、今回の件で証明済みだ。

 

 とぼけた顔して、とんでもない事を考えている。事務員は溜息を吐いた。まったくもって先行き不安。塚内という男は敵ではないが関係を誤れば火傷で済まない。今回は上手くいったからいいようなものを、マスコミやSNSでバッシングされた可能性もある。

 

「なぁあに不景気なツラしてんの、せっかくの晴れ舞台だってのに」 むすっとして岳山がテレビを顎で指す。

 

 ちらと画面を見やり、それで事務員はなんとなーくいいかあ、って気分になった。犯人をとっ捕まえたMt.レディが満面の笑みでヒーローインタビューを受けていたので。

 



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