SAO -Epic Of Mercenaries- (OMV)
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ACT.1 Wake up Surviver's
一話 労働者の背信


フルダイブ技術……人間の脳と機械を接続し、脳波を操作することで仮想世界に意識を没入させることが可能となる新世代のバーチャルリアリティ技術。技術的、そして人道的に実現不可能だとされていたこの技術は、ある一人の天才技術者によって構築され、世間へと解き放たれた。

 

 

その技術は瞬く間に社会を駆け巡り、一大ムーブメントを引き起こしていた。連日ワイドショーでは特集が組まれ、店頭には試験機が設置され長蛇の列を作った。国会の予算委員会では技術発展の為の特別予算案が提出されるほど。狂気的なまでの熱気が、国をも包み込んでいた。日本が世界に先駆けて始まったフルダイブ技術革命の時代。これは、その時代の「裏側」を駆け巡った者達の、[記録に残らない、記憶のはなし]である。

 

 

■■■■■

 

 

東京都・千代田区 [05:30]

 

園原歩美(そのはらあゆみ)・株式会社レクト・第二研究室所属

 

 

 

 

日本が世界に誇る大都市、東京都の夜明けは早い。

 

 

政治、経済、物流等、あらゆる産業が集中した日本の心臓部である東京都。そのあちらこちらに網目のような線路を引き、田舎者から見れば信じられない発車間隔で各地を走り回っている列車には、始発から数えきれない程の乗客が乗っていた。

 

 

その満員列車が三分おきに駅に到着し、毎回大勢の人々が乗り降りしてぐるぐると周っていると思うと、本当にこの日本という国は首都に人口が集中しているな、と私は感じた。それを人々は一極集中等と揶揄するが、個人的には別に一極集中してようが各地に分散していようが、一極集中に騒いでいる上流階級とは無縁の生活を送っている者にとって、それはどうでも良い話であった。

 

 

寒さが十二月から尾を引いて残る二月。街を行く人々はコートやマフラー等の防寒具を身に付け、身に染みる寒さを防いでいる。かくいう私自身も、仕事着であるパンツルックの私服の上にステンカラーコートを着、首にマフラーを巻いて寒さを防ごうと出来るだけの努力はしている。が、寒気は生地を通り越して肌に伝わってくる程に強力であった。もう少し時間が経てば、日が出てきて暖かくなるであろうから、それまでの辛抱だと自分自身に言い聞かせ、首元の寒気を遮るようにコートの襟部分を合わせ、手で抑えた。

 

 

元々自身が九州南部の、温暖な地域で生まれ育った者だからかは知らないが、上京して七年が経っても未だにこの寒さには慣れない。そもそもビルが乱立し、地上地下問わず列車が縦横無尽に駆け回っている都会にすら慣れはしていない。都心の大学に通う為、初めて上京した時は、電車を使って上野に行くつもりが、何故か遠く離れた秩父市へ辿り着いていたりしたものだから、それ以降怖くて公共交通機関は殆ど利用していない。だから通勤も列車やバスを使わず、三十分近く掛かる職場まで歩いて出勤していた。電車もバスも無縁であった田舎出身の田舎者にとっては、自分の足こそが一番信用できる移動手段であった。

 

 

大学時代から入居している、家賃が安いだけが取り柄のアパートから出て、歩道の脇に植えられ丁寧に世話されている街路樹を数百本数える頃には、もう私の勤め先である高層ビルが見えてくる。東京のコンクリートジャングル化の一角を担っていると言っても過言ではない程、その建物は大きく、そして高い。その高層ビルの表面はすべてガラス張りであり、そこからフロアの様子や稼働するエレベーターが見える様になっていた。広大な敷地内に立つ他の建物も、ガラスを装飾のメインに使用していて、とても電子機器メーカーの社屋だとは思えない。このビル近隣に住む都民からの公募によって付けられた渾名が「クリスタルパレス」というのも納得できる程、その威容は美しい。が、そんな事を思っているのはこの装飾にどれだけの金が掛かっているか何も知らない一般市民かここの社員であるという事に誇りを持っているアホかのどちらかで、下っ端からすれば電子機器メーカーの社屋の外観を拘る必要があるのかといつも疑問に感じるのが普通であった。

 

 

歩道の黒いアスファルトの地面からレンガ調の石畳が規則正しく敷かれた敷地内へと入った私は、自身が所属する部署が入る棟を目指した。履いた低いヒールの踵が石畳に打ち付けられ、こつこつという音を冷空に響かせる。時刻は六時半。大学生の時ならまだベッドで熟睡していた時刻だが、社会人となった今では出勤時間となった。政府から奨励されている八時間業務など入社三年目の新米にとっては夢のまた夢。朝早く出勤し、夜遅く退社する。残業は基本だが残業代は出ない。数年前に流行したプレミアムフライデーは最早影も形も無い。サービス残業が当たり前であった。

 

 

それでも、今している仕事の内容自体は嫌っている訳ではない。むしろ、コンピューター関連の仕事という、自身の得意な分野で働けている事は幸せだと思う。九州の田舎者が東京の大学に進学したこと自体奇跡であったが、そこからまさか一流企業に就職できるとは思ってもみなかった。幼少期より父の影響で学んでいたコンピューター関連の知識が役に立った結果だった。

 

 

勤め先が入るビルの入り口で、警備員による指紋と網膜の両方認証を受け、詰めていた警備員に社員証とドアパスを一体化した物を受け取り、それを首に掛けた。たかが社員証であるが、これを首に掛けていないと警備員に連行され、最悪警察に連れていかれてしまう。あらゆる場所に監視カメラや空港にあるようなエックス線探知機があるなど、ここの施設のセキュリティレのベルは官公庁並に高い。それだけ機密が詰まった建物であった。

 

 

私は建物に入ったその足で、所属する部署がある部屋まで歩いた。建物内は適度に暖房が効いていてとても過ごしやすくなっていた。家からここまで三十分近く歩いて火照った身体には暑く感じられた。なので、着ていたコートは歩いている途中に脱ぎ、適当に畳んで左腕に掛けた。

 

 

まだ出社時間では無いため、建物の中には殆ど誰も居らず、静けさが建物内を完全に支配していた。誰ともすれ違わない廊下をしばらく歩き、特定のドアの前で止まった。そのドアの向こうには、私が所属する部署に割り当てられた部屋がある。首に掛けた社員証をドアノブの上にあるスリットに差し込み、さらに指紋センサーに指を乗せてセキュリティを解除した。

 

 

薄暗い部屋の中には、まるで漁火のようにモニターの光がぼんやりと浮かんでいた。その話だけを聞けば幻想的だな、と思うかもしれないが、現実を見ればその漁火は私達の仕事道具であり、全く幻想的ではない。

 

 

私の身体を赤外線センサーが捉え、幻想的とは程遠い漁火を消すかのように室内に明かりが灯り、薄暗かった室内をLEDが照らした。殺風景な部屋の中には事務机の上に乗ったデスクトップのパソコンが数個とホワイトボード、それと資料等が入った金属製の棚だけであった。

 

 

私は自分に割り当てられた机にマイバッグとコートを置き、椅子に座ると同時にパソコンを立ち上げた。静かな起動音がスピーカーから、生暖かい風が冷却用のファンから流れだし、パソコンが自らを起動したことを私に伝えてきた。

 

 

青い雰囲気のデスクトップ画面が表示され、画面の左側から中央にかけて沢山のアイコンも同時に表示された。その中に、通知を知らせる赤い印が付いているのを見て、そのアイコンをクリックした。開いたのはメールアプリであった。

 

 

毎日三件近くメールを受信しているが、大体チェーンメールの様なものばかりである。それでも、何か不審なメールが無いかどうかを確かめる為、日課として毎日受信するメールを確認していた。

 

ファイラーが開き、メールの一覧が画面いっぱいに表示された。

 

 

今日の受信メールは二件。一件目は自分がプレイしているゲームの運営からのメンテナンス報告であった。これはゲームを嗜むほどしかプレイしていない自分にとってはあまり関係の無い事だ。メンテナンスで遊ぶ事が出来なかったら、他の時間にプレイすれば良いだけのことだ。

 

 

もう一件は差出人不明のメールであった。件名は「株式会社レクト フルダイブ技術研究部門 園原歩美様へ」と記されていた。それ以外に件名は無い。その件名に記された「園原歩美」という名前は私の本名であり、「株式会社レクト フルダイブ技術研究部門」は総合電子機器メーカー「レクト」の中で、私が勤務し、所属している部署の名前であった。 

 

 

なんだろう、とメールを一度ウィルススキャニングに掛け、安全を確認してからメールを開いた。開くと、画面には一枚の画像と、一行の文面だけが表示された。

 

[Key Parson]

 

文面にはキーパーソン……鍵となる人物という意味の英単語が書かれているだけ。謎に思いつつもその下に添付されている画像をクリックし、モニターに拡大して映し出した。

 

 

コンピューター側が引き伸ばしたのかはたまたこの写真自体がかなりフォーカスして撮影されたのかどうかは知らないが、大分ぼやけ、表示されるドットはかなり荒い。特徴的な色合いやライティング等から、写っているのは現実世界ではなく、ポリゴンやドットで構成された仮想世界であることが伺える。画像の内容はぼやけて良くは分からない。画像の真ん中に、鳥籠の様な銀色の箱が写っていた。その鳥籠の内部には、栗色の髪をした少女が、椅子に座りこちらを伺っていた。その顔は失意に染まっており、触れれば崩れそうな脆さを感じさせる表情であった。

 

 

「……ん?」

 

 

何らかのデジャヴをこの画像に感じた。何処かで見たことのあるこの情景。鳥籠の中の少女は知らなくとも、この前景は何か見覚えがある。そう感じながら、画面を見て記憶を漁り続け1分ほど掛かっただろうか。唐突にそれを思い出した。

 

「……ALOか」

 

 

それは見た事がある気にもなる訳だ。画像に写し出されたその世界は、自分達が産み出し、育ててきた場所なのだから。これは株式会社レクトのフルダイブ技術研究部門、つまり今私が所属している研究室で開発され、現在はレクト傘下の子会社、レクトプログレスが運営しているMMORPG、「アルヴヘイム·オンライン」の世界であった。その世界のグラフィックやオブジェクトのテクスチャは自分達がプログラムし、仮想世界に設置したものであった。

 

 

「でもなんでこんな物が?」

 

 

先程からずっと頭に浮かんでいた疑問を呟く。写真の下には小さな文字で「Who is she?」と書かれている。そんなこと、平社員でしかない私が知っている訳が無いし、そもそもこちらが教えて欲しいくらいだ。

 

 

私はこの研究室のPCに標準搭載されている、メールアドレスから発信者の位置を逆探することが出来る特殊な機器を使って相手を特定しようとした。が、強力なファイアウォールがブロックしてくるお陰でその働きは無駄となった。取り敢えず、差出人のメールアドレスにこの写真は何なのかという内容の文面を送っておくくらいしか、私に出来る事は無かった。

 

 

「何だろうな……これ」

 

 

折り返しのメールを送り、改めて画像を見るのだが、どうにも腑に落ちない。確か画像の場所は、「世界樹」と呼ばれるALOの世界における唯一無二シンボルとも言えるポイントだ。その世界樹というのは、根から幹、枝まで数千、下手すると数万メートルの高さがある固定オブジェクトであった。聞いた話によれば、この世界樹はあの「浮遊城」を除けば、仮想世界の中では一番大きなオブジェクトであると、友人から聞いていた。地上にある根っこ部分に幹への入り口があり、そこから幹の内部にあるステージに挑める、というマップであった筈だ。大きなオブジェクトの設置はかなり苦労するので、この世界樹を完成させた時の事は克明に覚えていた。

 

 

だが、肝心なのはこの世界樹の枝の上に、こんな少女が入っている様な鳥籠を設置した覚えがまるで無いのだ。マスターアップ後、デバッグモードでバグ探しをした時にも無かったオブジェクトだ。普通、レイアウトに入っていないオブジェクトがフィールド内に設置されていると、修正プログラムが働き、自動的にそのオブジェクトを排除してくれるシステムになっている筈なのだが、排除されないということは、この鳥籠も少女も、デザイナーかプログラマーがおまけ要素で追加した物なのだろう。それにしても不自然すぎるオブジェクトの配置だった。

 

 

「気になるなぁ……」

 

 

ここの社員、つまり同僚達に聞くのが一番早いのだろうが、その同僚達は殆ど信用出来ないような奴ばっかりなので、相談する気はもとより無い。学歴こそがステータスとしか言わずに年上年下構わず平社員達をいびり倒し、出世と昇給、そして女の事しか考えていない奴らに言っても、結局流されて終わってしまうだけだ。

 

「今度プログレスに行って聞いてみるか……」

 

 

低血圧気味の頭でそう判断すると、メールアプリを閉じ、段々迫る始業時間に備え、着々と準備を進めていった。

 

 

■■■■■

 

 

 

午後五時半。規定の終業時刻になると、私は上司の室長に何かと理由を付けて残業を回避し、早めに退社する事が出来た。普段なら会社の規定などあって無いようなものであり、残業が当たり前なのだが、今回ばかりは法事という言い訳を使ったゴリ押しで退社していた。そこまでした理由は疲れたからでも飽きたからでもない。単に訪れたい場所があっただけだ。

 

 

私にとって、それは久しぶりの定時退社であった。今日は金曜日であるが、数年前まで行われていたプレミアムフライデーは今や形骸化し、どの企業も社員にサービス残業を科していた。そんな時勢だからか、この時間に街を歩いていてもすれ違うのは高校生や老人ばかりである。時々、運良く定時退社出来たのであろう幸運なサラリーマン達が歓喜の顔を見せながら飲み屋に入っていったりする所が見えた。

 

 

ニュースや新聞等各メディアはVR技術の発達により、外出する人が少なくなっていると各所で報道していたが、少なくとも私には本当にそうだと思えない。今でも東京の各駅は世界トップテンに入るほどの利用者数を誇っているし、私が生まれるずっと前から千葉にあるテーマパークだって安定して利用者数を保っている。VR技術というものはあくまでも拡張された現実であり、切り離す事は難しい。現実世界というものは、仮想世界には無い、数ヶ月前に終結し、述べ四千人の犠牲者を出したとある事件は、それを体現していた。

 

 

仮想世界での自分のアバターのHPが0になった瞬間、現実世界の自分は脳をマイクロウェーブで焼かれて死ぬ、という狂気の事件。被害者約一万人の中で、生き残ったのは僅か六千人。死亡率は四十パーセントを越えている。これは第二次世界大戦の日本軍の死亡率である二十数パーセントよりも遥かに高い。それもたった二年の期間でだ。

 

 

その事件を起こした狂気の天才は長野の山荘で自殺したと聞いているが、あの人物が逃げもせずに自殺するはずが無い。もしかしたら今頃、電脳空間にでも居るんじゃないかな.....と私は勝手に想像していた。まぁ、今の技術では脳のスキャニングの成功率は一パーセント未満の数字なので、もし仮に電脳空間へ行こうと脳にスキャニングを掛けたとしても、成功はしなかったと思う。

 

 

そんな思いを巡らせながら、会社から最寄りの駅から電車に乗り、都営新宿線、山手線と乗り継いで御徒町にある友人が経営する行き付けのバーへと向かった。

 

 

 

東京都・台東区御徒町の裏路地に存在するあるバーの目の前に、園原は立っていた。現在時刻は午後六時過ぎ。強制的に残業しなければならないのがデフォルト勤務の私にとって、こんな早い時間に訪れた事は一度も無い。古びた木製のドアを引くと、入り口のベルが使い込まれた感のある重圧な音を鳴り響かせた。

 

 

「いらっしゃいませ」

 

 

野太く、そして何処か日本人離れをしたところがある声に迎えられ、店内へと歩を進めていく。シックな基調の店内には自分達以外には誰も居らず、店の一角にある年代物のレコードが流すジャズがひとりでに響いていた。

 

 

私はカウンターの向こうに人影を見つけると、そこへ向かって声を掛けた。

 

 

「久しぶり、アンドリューさん」

 

 

カウンターの向こう側でグラスを丁寧に磨いている外国人のマスターに一言挨拶をし、カウンターの手前にある革張りのスツールへと腰掛けた。

 

 

マスターの名前はアンドリュー・ギルバート・ミルズ。アフリカ系アメリカ人の大柄な人物であるが、中身は葛飾区で生まれ育った生粋の江戸っ子である。彼は私の親友の夫であり、私が週末の仕事終わりに良く通うバーのマスターであった。彼はとある事件に巻き込まれたせいで二年近く、この店を去っていたが、最近マスターに復帰していた。

 

 

「久しぶりだな、歩美ちゃん」  

 

 

「あれ? あかりは?」 

 

 

あかりとは、彼の妻である私の親友だ。名字は戸塚である。中国地方の田舎出身だという彼女とは大学生の時に知り合い、同じ田舎出身として仲良く一緒にくっついていた。卒業後は数年一般企業で働き、アンドリューと結婚した現在は夫と共にこの「ダイシー・カフェ」でマスターとして勤務している。

 

 

「あいつなら今上で寝てるよ。呼んでこようか?」

 

 

「いや、寝かせてあげて。彼女、多分疲れているだろうから」

 

「そうだな……この2年間、あかりには本当に迷惑をかけちまったからな。この店が潰れなかったのだって、あかりが切り盛りしてくれていたお陰だから……いくら感謝しても仕切れないな」

 

アンドリューがSAOに囚われ、2年間に渡り留守の間はマスターの妻として、あかりがこの店を切り盛りしていた。その時の気苦労は足繁く通っていた私が一番良く知っている。

 

 

そう言って裏の階段を登っていこうとしたアンドリューを引き止め、私は件の画像を印刷した一枚のプリントをマイバッグから取り出し、エギルの前のカウンターへと置いた。 

 

 

「この画像なんだけど、今朝メールで送られてきたんだよ。多分ALOの中のスクリーンショットだと思うんだけど·····この画像を見て何か解る事はある?」

 

 

正直、まともな答えが返ってくるとは思っていない。彼はVRMMO等、オンラインネットワーク系の情報通ではあるが、さすがに得体も知れない一枚の画像の事を知っているとは思えなかった。だが、そんな私の思いをアンドリューは良い意味で裏切ってくれた。

 

 

「……オイオイ、これは」

 

 

アンドリューはプリントを見た途端、その大きな目を見開き、口が閉じなくなるほどの衝撃に見舞われていた。

 

 

「彼女を知っているの?」

 

 

「知っているも何も……! こいつは"ソードアート・オンライン"の未帰還者だ。なんで他のVRMMOに.....」

 

 

未帰還者と聞いて脳裏に浮かんだのは「ソードアート・オンライン」というゲームの名前。略名はSAOで、世間からの呼び名は「悪魔の作ったゲーム」、「人殺し製造機」ととんでもなく悪いイメージが付いている、日本初にして世界初のフルダイブ型MMORPGゲームであった。 

 

 

「狂気の天才」と後に呼ばれる事となる天才ゲームデザイナー・量子物理学者である茅場晶彦が作り出した初のフルダイブハードウェア「ナーヴギア」専用ソフトウェアとして、茅場本人が企画、デザイン、プログラムをすべてこなし、二〇二二年に一般発売されたSAOは、正式サービス開始と共にログインプレイヤーのログアウト不可能という事態が発生した。それは偶然では無く、茅場が意図的に仕掛けた罠であった。

 

 

茅場は、ゲーム内のアバターのHPがゼロになるとその瞬間にナーヴギアの大容量バッテリーから高圧の電流が脳に流れ、脳細胞を破壊するというデストラップを仕掛け、その結果、初月だけで約二千人が死亡するという被害が発生。その数は日本犯罪史史上最悪となる死者数をぶっちぎりで更新し、その情報を載せたニュースは全世界を駆け巡り、目にした人々を震撼させた。

 

 

その後、茅場は国内の主要メディアに犯行声明とも取れる文章を送付し、行方を眩ませた。彼は後に長野の山荘で遺体として発見されたらしいが、目立った外傷は無く、警察の発表によれば自殺したとのことであった。

 

 

事件は一万人の人間を巻き込んで約二年間続き、解決されたのはつい三ヶ月前のことであった。最終的な死亡者数は約四千人であり、大体五人に二人は死亡していると考えると恐ろしい死亡率である。因みに、目の前でグラスを磨いているアンドリューも、そのSAO事件に巻き込まれ、園原は二年近くその姿を見ていなかった。

 

 

事件の結末として、SAOの運営元であり茅場の所属していたゲーム会社、アーガスは莫大な補償費用を抱え解散。その技術、人材は同じVRゲームのノウハウを持つレクトが吸収。旧SAOのサーバーは、事件唯一の手掛かりとして警察の委託を受けたレクトプログレスが管理している。

 

 

事件を起こした茅場本人も死亡している為、彼を相手にした訴訟は起きず政府はアーガスの払いきれなかった保証を国庫から支出し、国内外に話題が拡散した事態の火消しを図っていた。

 

 

だが、未だに事態は終息していない。

 

 

事件解決から二ヶ月が経過したが、未だに意識が現実世界に帰還していないプレイヤーが二百人近く居た。そのプレイヤー達は生還した者と対比され、「未帰還者」と呼ばれていた。現在SAOサーバーの保守点検を行っているレクトのホワイトハッカー達がサーバー内を調べたらしいが、何処にも異常という異常は見つからず、未帰還者に繋がる手掛かりは掴めていないのが現状だった。

 

 

「えっ、本当に?」

 

 

「ああ....」

 

 

ALOにSAOの未帰還者が居る。それが本当だとすれば大事だ。何故SAOとは運営も開発者も別のゲームであるALOに未帰還者が入っているのか。自分も含めて、技術・運営のスタッフ達は何故今まで気が付かなかったのか。焦りや怒り、後悔の念が私の頭の中を渦巻いていた。 

 

 

「アンドリューさん、どうすれば良い?」

 

 

「とりあえず、その原因は何なのかを究明するのが一番じゃないのか。レクトの運営するALOにレクトがサーバーを管理しているSAOのプレイヤーが居たって事は、お前の身内に黒幕的な奴が居る可能性があるな。やるならなるべく目立つのは抑えないとな」

 

 

「そだね....取り敢えず、他の社員に気付かれない程度に探りは入れてみるよ。でも、なんでこの画像が私の元に来たんだろう....?」

 

 

「発信者をツールで逆探しなかったのか?」

 

 

「やったんだけど、相手のファイアウォールが強くて無理だった」

 

 

「そうか....まあ取り敢えずこれでも飲め」

 

 

アンドリューはグラスにカルアミルクを作って注ぐと、私の前のカウンターへと置いた。カルアミルクはここに飲みに来た時にいつも頼む飲み物であった。

 

 

出された琥珀色の液体を、一気に飲み干す。元々酒には強い方だ。特に何も感じる事無く、グラスを空にした。

 

 

「ごめん、強いお酒ある?アブサンのリキュールでもスピリタスでも良いよ。なんか強いお酒が無いとやってられないね」

 

 

「ここじゃテキーラが限界だよ」

 

 

じゃあそれで良い、と投げやりに返事を返し、私はカウンターへと突っ伏した。いくらなんでもおかしい。なんでALOに未帰還者が居るのか。その未帰還者に似ているそっくりさんでは無いのか、と酩酊状態の頭から出てきた疑問は事実を否定する物ばかり出てくる。

 

 

それもそうだ。運営も、開発も全く違うゲーム同士に接点は無い。かたや世界最大級のMMORPGであり、かたや四千人もの人命を燃やし尽くした、本当のデスゲームだ。その二つが一緒にされては運営元の人間として非常に困る。だが、それもつい一年前までは世論の過半数を占めていた意見であったのも事実だ。「ゲームは危険だ」「VR技術は人体に悪影響」などと声高に叫び、VR機器の販売・開発停止を求めるデモが起こった事は記憶に新しい。実際に批判を浴びた総合電気メーカーの何社かは実際に発売を停止し、VR産業から完全撤退した社もある。

 

 

勿論、レクト本社敷地内でも何回かデモ活動が行われたが、デモ隊が来る度に社長自らがデモ隊の前に立ち、VR技術の有用性を演説し、デモ隊の理解を得ようとすることによって、何とか直接的な被害は受けていない。 

 

 

ある可能性とすれば、NPCがその未帰還者のそっくりさんであるか、或いは何者かが意図してその「未帰還者」の少女をALOの世界に移したかのどちらかだが、正直どちらも信じられない。

 

 

ALOに掛けられているセキュリティは国内外トップクラスの頑強さを誇っており、何重にもかさねられたファイアウォールを破れる者は設定したスタッフを除くとこの世に五人と居ないだろう。居るとするならば、CIAやFSBで活躍している凄腕のチーフハッカーか、或いはIQ200を超えた天才か。前者はともかく、後者の条件に当てはまっている者は、自分の知っている人の中で日本に一人だけ居た。「居た」、と過去形なのは、その人物がもうこの世には居ないというう事を表していた。

 

 

「茅場.....晶彦.....?」

 

 

あり得ない。可能性を探求するのは技術者として当然の事なのだろうが、いくらなんでもそれは無いと言い切れる。言い切れると思ったが、一度改めて考えてみると、それは只の直感でしか無く、何の根拠が有るわけでも無い。

 

 

ならば、と気持ちを切り替え、茅場が今回の件を生前に画策したと仮定し、推理を始めた。何故茅場はこんな置き土産の様な物を残したのだろうか。彼は小細工を相手に施したり、他人の物に触れることを何よりも嫌う人だと、茅場と面識のある大学の先輩が言っていたのを私は覚えていた。私にとっては雲の上の存在であり、目指す目標であったが、ほとんどメディアからしか見たことのない茅場の事に対し、妙にその先輩の意見には納得できた。確たる証拠は全く無いが。

 

 

そんなことをカウンターに突っ伏しながら考え込んでいると、突然、アンドリューが思い出したようにあることを口にした。

 

 

「そうだ、あいつらに助力を頼めば良いんじゃないか?」

 

 

アンドリューはテキーラの入ったグラスを突っ伏した目線の目の前へと置いた。

 

 

「あいつらって誰?」 

 

 

「SAOを生き抜いた奴らだ。アスナ……あの画像の少女の名前だが、そいつと多少なりとも親交のある奴らだ。VR環境への適応力や情報網は多分国内トップクラスだ」

 

 

「そうね……あの少女が居る場所はゲーム内で世界樹、って呼ばれている場所なんだけど、彼女が居る木のてっぺん付近まで行くには高難易度のダンジョンを突破しないといけないの。ALOはサービスを開始してから一年近く経つけど、まだ到達した人は居ないよ。でも、VR環境に適応した人ならもしかしたら行けるかもね……お願いできるかな?」

 

 

「分かった。連絡しておくよ……といっても、奴は本業の方が忙しいかもしれないからな……」

 

 

アンドリューは意味深にそう言うと、昼寝を引き伸ばして寝続けているのであろう、相変わらずマイペースなあかりを起こしに行くためか、二階へと上がっていった。店内に一人残された私は、一人テキーラをちびちびと啜りつづけ、空いた左手の指で蓄音機から流れるジャズのリズムを打ちながら、昔、一度だけ間近で見た茅場晶彦の、その無機質な瞳を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二話 戦乙女の失踪

3ヶ月前、自分は地獄から帰還した。

 

 

その地獄は、一人の天才技術者が起こした事件が元であった。後に[SAO事件]と呼ばれる事となるその事件は、国内初どころか世界初の仮想空間が事件現場となった事例であった。

 

 

[ソードアート・オンライン]、略して[SAO]。世界初、フルダイブ型をプラットホームとして採用したMMORPGゲームである。フルダイブ型とは、従来のモニター型、ヘッドマウントディスプレイ型からさらに進化した新世代の技術であり、ヘッドギア型のハードウェアを頭に装着、その機械が脳と直接リンクすることによって、実際にゲームの世界に入ることができるという最先端の技術であった。

 

 

その技術を構想し、1から作り上げたのは、茅場晶彦という名の若き天才技術者。学生時代から数多くの実績を残し、大学生の時点で既に数億の富を築いていたとも言われる人物であった。だが、彼は日本に二人と居ない真の天才である反面、いつ暴発するかも解らない静かな狂気を内に潜めていた。

 

 

その狂気が作り上げた世界こそが、「ソードアート・オンライン」であった。茅場は[SAO]のサービス開始時、冒険を始めようと期待を膨らませた顔を見せていた参加者たちの前に現れ、ゲーム内で死亡状態となったものは現実世界の脳をマイクロウェーブによって焼き払うと宣言。ログアウトは不可能であり、外部からの接触も一切不可能。ゲームがクリアされるまでこの状態は続くということを端的に述べ、姿を消した。

 

 

結局、ゲームがクリアされたのはゲーム開始からおおよそ2年半が経過した頃であった。おおよそ1万人の人々が被害者に、そしてその内の4割にも当たる4332人が死亡したこの[SAO事件]は、当然ながらこれまでの記録を大幅に超え、日本史上最悪の死亡者数を叩き出した記録に残る事件となった。

 

 

つい先日まで、死は遠い世界の出来事だと思っていた1万人の人間が、突然死と隣合わせの環境下に晒される。ゲームの命が現実の命と等価となるその世界では、様々な狂気が入り乱れた。

 

 

デスゲームとなったこの世界に悲観し、浮遊城の外廓から飛び降り、自殺した者。他人を出し抜く為、競争相手を殺し、アイテムを強奪して自己強化を果たした者。快楽の為に殺戮を楽しみ、数十人を殺して愉悦を味わった者。それら殺人者を成敗するという、[正義の味方]として、殺人を正当化した者。

 

 

どれもこれも、狂っていた。そして自分自身も、知らぬ間にその狂気に組み込まれていた。まるで時計の歯車のように、あの世界の狂気を回すパーツの一部分と化していた。

 

 

だが、組み込まれていたのは自分だけでは無い。

 

 

 

戦友であった面々も、現実世界の親友も、そして自分にとって、一番大切な人も……。すべて、狂気に侵されていた。それは今でも彼らを蝕み続けていた。現実世界に帰還した今でも、違和感を感じてしまう程露骨に。

 

 

だからこそ、力になりたいと思った。守りたいと、助けたいと思った。

 

 

 

たとえ、どんなに辛い苦難が降り注ごうと、何度も蔑まれようと。死んだっていい。この身体が動く限り。

 

 

 

私は、彼の力になると決めたから。

 

 

 

 

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SAO -Epic Of Marcenaries-

 

The another "Fairy Dance"

 

Act.1 Wake up survivors

 

 

 

 

あの頃が懐かしい。

 

 

『ギルドを作りまショウ。リーダーはデルタ、あなたに頼みマス』

 

イギリス訛りの英語が混じった、活発そうな少女の声。

 

 

『ユーリさん、ギルドの名前は決まってるのですか?』

 

周囲を落ち着かせるような、優しさのある少女の声。

 

 

『もちろんデスよ、マロン』

 

 

『ユーリ、良い名前にしてくれよ。お前のネーミングセンスは最低だからな』

 

 

苦笑を浮かべつつもこの場を楽しんでいる、真面目そうな青年の声。

 

『もうッ、リッキーったら、酷いデスよー。今回はちゃんとシンプルなネーミングにしましたヨ』

 

 

『して、その名前は?』

 

 

『デルタ、貴方が率いるギルドその名前はデスね……』

 

 

インビジブル・ナイツ(invisible knights)…か…」

 

 

不可視の騎士団、という意味だった懐かしい響きのそのギルドの名前を、俺は久しぶりに呟いた。

 

 

騎士団(ナイツ)といっても、四人の中で騎士らしい重厚な鎧を着ていたのは、ユーリと呼ばれたイギリス訛りの英語を話す少女と、前衛で身の丈程もある大剣を振るっていた生真面目な男性プレイヤーのリックの二人だけである。マロンと呼ばれた少女は軽量な装備を好んで身に纏い、攻撃速度と手数で相手を圧倒していくようなスタイルのプレイヤーだった。

 

 

さらに、ギルドに居た(デルタ)のメインウェポンは軽さと切れ味が利点であった日本刀だった。重厚なイメージがある騎士団の要素が無いのにナイツという名称を付けたことで、当時はその事についてリックがよくユーリに悪態を突き、皆で笑いあっていたな……と細かい事まで、異世界の思い出を鮮明に記憶していた。

 

 

その異世界とも言える人造の仮想世界に意識を囚われていた、あの頃が懐かしい。なぜ懐かしむのかは自分でも良くは分からない。きっとあの鋼鉄の浮遊城(アインクラッド)に対して人々が向ける様々な感情が籠った目線に、自分が抱くような懐かしみという物は殆ど無いだろう。

 

 

あるとすれば死者に対する悲しみか、二年という時間を失った失意か、それとも解放区とも言えるあの場所へ行くことが叶わなかったという憧れか。きっと、懐かしむというのはあの世界を快く思っていなかった者にとっては持ってはならない感情なのだろう。

 

 

だが、自分(デルタ)はそれを持っている。持ってしまっているのだ。多分、主観的な推測だがその理由はただ一つ。

 

 

「もう一度、ユーリと再会したい」というたった一つの、純粋な願いだった。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 

 

牧田 玲(まきたれい)/デルタ・[帰還者(Surviver)]

 

 

 

2025年度の小・中・高校の社会・公民の教科書に新たに掲載された重要単語は述べ10個にも及ぶらしい。その大半が新法の制定に伴う新しい法律の紹介、VR技術が発展した事による情報モラルの増加などなど。ネットでは歴史認識だ何だので議論が湧いているが評価自体は概ね好評。そしてここ最近の出来事で一番関心が持たれた事件である[あの事件]の事も、最新の重大事件として歴史の最終ページに追加されて掲載されていた。

 

 

[SAO事件]

 

 

その単語だけ別フォントの黒い太文字で書かれ、強調されたその文字の下には、その事件の概要が大雑把に書かれていた。

 

 

【2022年に発生したSAO事件は、初のVR機器を使った犯罪事件である。RPGゲームのプレイ中、ゲーム中の体力が無くなった者は脳死状態になる細工がハードウェアに施された結果、多数の被害者が発生した。被害者は述べ一万人を超え、そのうちの四千人が死亡した。現在も昏睡状態にある被害者や、後遺症を訴える被害者が存在し、今では運営を委託された電子機器メーカーの株式会社レクトが早期解決に向けて努力している】

 

 

要約すれば、「ゲームの中で人が死んで、その事後処理が難航してる中政府と会社は精一杯頑張っていますよ」と言う事であった。事件発生から二年半近くが経過した今現在でも、ニュースではこの事件の特集をしていたりするなど、この事件に対する国内外の関心は高い。

 

 

あの世界での名前はデルタ……であった青年、牧田 玲は、その部分が掲載されている一ページだけをプリントアウトした紙をまじまじと見つめながら、先程から着信が鳴り止まないスマートフォンを耳へと当てた。

 

 

着信に応じた途端、耳に当てたスピーカーの部分から、どこか落ち着いた感じがする、若い女性の声がした。

 

 

「牧田君、今年の教科書の件、見ました?」

 

 

「わざわざ電話してこなくてももちろん見たよ、栗原」

 

 

着信は昔からの幼馴染であり、共にSAOを戦い抜いた戦友からのものであった。彼女は十八才になった今でも付き合いを継続している同い年の少女、そしてSAOでは[マロン]として戦い抜き、生還した[帰還者]でもある。そんな彼女の名前は栗原 瑛理香(くりはら えりか)という。スピーカーを通して聞こえる彼女の声は、いつになく訝しげなものだった。

 

 

『まさかこんなに詳細を濁して掲載されるとは思っていませんでした。もう少し事細かに載せた方が良いと思います』

 

 

不服そうに言う栗原の言い分を聞き、牧田は溜息を吐きながら声を上げた。

 

「無理言うなよ……それなら俺じゃなくて教科書検定やってるお偉方に言ってこいよ。今頃文科省の会議室でワイワイディスカッション中だろ。親父さんに頼めば入れてくれるんじゃないか?」 

 

 

彼女の父親は文部科学省に勤務している。教科書選定に関与しているかどうか自分には知る由も無いが、管理職である事は噂で聞いているので多少なりとも権限はあるのではないだろうか。  

 

 

そんな事を考えていると、耳元を擽るように先程よりもさらに低くなった栗原の声がした。

 

 

『珍しく冷たいですね……。何かあったのですか?』

 

 

「昔の事を思い出してたんだ。ほら、インビジブル・ナイツを結成した時の事を」

 

 

……ッ、と鋭く息を飲んだ音がスピーカーから聴こえた。まだ帰還をしていない仲間の安否が気になるのは自分や栗原ら[帰還者]たち共通の思いなのだろう。しばらく沈黙が続き、次に声がスピーカーから聞こえてきたのは何十秒か経過した頃であった。

 

 

『……ユーリさんは今頃どうしているのでしょうか』

 

 

余程気に掛けているのか、栗原の声はいつになく低く、動揺した様に震えていた。向こうの世界では感情を崩さず、常に冷静さを表に出していた栗原が、いとも容易く感情を見せた事に驚き、自らも唾を飲み込み、黙ってしまった。それほどまでに、未だあの仮想世界から帰還していない者達に対する世間の心配は重いものであった。

 

 

ユーリ。本名ユーリ・S・(スフィア)マクラーレン。ロシア系イギリス人の少女であり、SAO事件に巻き込まれた数少ない外国人の一人であった。ロングランスを得物とするヘヴィランサー(重装槍兵)で、牧田やマロンと同じギルド[インビジブル・ナイツ]の副リーダーでもある。その実力は[攻略組]と呼ばれたトッププレイヤー集団の中でも上位に位置する腕前であった。普段の会話の所々に英国訛りの英語が入るのが彼女の癖であり、さっぱりとした嫌味の無い性格から攻略組の潤滑剤にもなっていたムードメーカーであった。が、今その声を容易に聞ける程、彼女の状態は甘くなかった。彼女、ユーリ・マクラーレンは[未帰還者]という身分にカデコライズされていた。

 

 

未だに意識が回復していないSAOプレイヤー、通称[未帰還者]と呼ばれる者たちの発生は、SAO事件が解決され、安堵していた事件関係者と、生還した実感と喜びを噛み締めていた[帰還者]達を再び恐怖のどん底へと落とすのに十分な衝撃を持っていた。

 

 

SAO事件生存者六千人のうち、三百名ほどが事件解決直後から、原因不明の意識根絶。[攻略組]の活躍によってSAOがクリアされ、デスゲームから解放されたはずであるにも関わらず、その現象は発生していた。その原因となる手掛かりはひとつも無く、解決の目処は全く立っていない。警察所属であったり、IT企業に属する国内トップクラスの実力を持つホワイトハッカー達が原因究明の為、日夜SAOサーバーの解析を行っている。が、まだ具体的な結果は得られていないらしく、未だに喜びのニュースは放送されない。事件の首謀者である天才技術者、茅場晶彦も既にこの世を去っている為、解析が不可能になり誰もサーバー内部の何処かにあると言われているブラックボックスを覗く事は出来ないかもしれない。つまり、現時点では解決する手立てがほぼ無いに等しいということだ。

 

 

ユーリはSAO事件発生時、イギリス本国で意識途絶、イギリスから遠く離れた日本サーバーへと接続していた為、回線遅延などの問題で生存が危ぶまれたものの、日英両政府が茅場との交渉によって日本へとユーリを輸送する猶予を確保し、ユーリは空路で日本へと運び込まれた。それから、彼女は都内の私立病院に入院しており(SAOプレイヤーは行政府が保護して全員入院措置が取られた)、牧田と栗原は帰還した後にそこへと訪れた事があった。東京の中心部にある、大きな大学病院の入院病棟の五階。消毒の香りから感じられる清潔感が漂う、白いリノリウム張りの床が長く伸びる廊下を進んだ先にある四人一部屋の病室に、彼女の身体はあった。

 

 

透き通る様なノルディックブロンドのショートカットに、雪を思い出させる様な、真っ白な肌をした顔。前者はイギリスの、後者はロシアの血を引いたのだろう。細い首から下はジェル素材の特殊なカバーに包まれており、そこから先を伺う事は出来ないが、明らかに痩せ細っているであろう事は、自分や栗原の帰還後の経験で察する事が出来た。二年近く筋肉を動かしていない上に、栄養は全て点滴頼りだ。身体を動かすために必要な脳波は全て頭に装着されたナーヴギアによって吸収され、存在するかどうか解らない仮想世界のアバターへと供給されている筈だ。それもユーリの意識があるならば、の話であるが。

 

 

三ヶ月前、帰還した直後に顔を合わせた時の栗原の姿も、見ていて痛々しいものがあった。元から線が細い栗原は、二年半に渡る点滴生活によってさらに細くなり、骨のラインが肌にくっきりと浮き出ていた。

 

 

病床で眠るように横たわるユーリの顔には、SAOの最前線で常日頃から目にした、戦乙女(ヴァルキリー)と称される勇猛さは微塵も感じず、牧田は単なるか弱い少女としか見ることが出来なかった。それほどまでに、初めて[未帰還者]を目にした時の衝撃は大きなものであった。

 

 

「無事なら良いんですけど....何の手掛かりも無いってニュースで言ってましたからね....」

 

 

「暗い事言うなよ。俺は栗原と生きて再会出来ただけでも嬉しいよ」

 

 

他人に語るほど面白くもないが、多少なりとも数奇な人生を辿っている自分にとっては、彼女と幼馴染という関係を持てる喜びを半ば本心でその言葉を言ったのだが、スピーカーからは「からかわないでくださいよ。牧田君らしくもない」と至って冷静な反応が帰ってきた。

 

 

昔はこんな性格じゃなかったのになぁ...、と牧田はそう遠くない昔の思い出を掘り返した。

 

 

数奇な運命と、とある事情で幼少期から養護施設に保護され、そこで育った自分は、七歳の時に牧田家に引き取られ、そこで「牧田」の名字と、「玲」という名前を与えられた。それまでは名前も無く、ただ男という性別と体の大きさ、そして手の甲に残る傷跡が識別の目印になっていた。

 

 

東京の東大和市にある牧田家は、特に何の特徴も無い普通の核家族世帯であった。父親の尚治は国土交通省に勤務、母親の燿子は大手広告代理店で勤務しており、その二人の間には子供は居ない。施設から夫婦に引き取られて牧田家の人間として生活している子供は自分の他に一人いる。自分より3歳年下の妹、凛が、戸籍上では実妹として居る。彼女も元は施設の出身であり、自分と同じタイミングで牧田家に引き取られたらしい。養護施設の場所は違えども同じ環境下で育った凛とは今でも仲は良く、SAOから帰還した時に見た凛の泣きじゃくった顔はあれから三ヶ月程経過した今日でも頭の中に残っていた。

 

 

牧田家に引き取られたのは七歳の時であり、その一年前から一応施設の近くにある小学校には通っていたが、八王子市にあったその学校に、東大和市から通うには厳しいということで、牧田家から程近いところにある小学校へと転校する形で入学する事になった。しかし、今まで全くと言って良いほど同年代の子供と会話しなかった自分は、皆仲良しがデフォルトの小学校の中では明らかに浮いた存在であった。そんな感じで孤立していた自分を助けてくれたのが、後に十数年来の付き合いとなる栗原だった。

 

 

クラスが一緒であり、家も隣同士であった栗原とはすぐに仲良くなり、自分が初めて友達の家へ行って遊んだ相手は栗原であった。その頃の栗原は今の様に真っ直ぐ過ぎる程の生真面目な性格では無く、多少なりともどこかまったりとした感じがある少女であった。

 

 

他に友達と呼べる者も居なかった自分は、小学校低学年の殆どを彼女の隣で過ごした。今改めて考えれば赤面物だが、自分が栗原家に泊まりに行った際には一緒に風呂に入り、布団の中では一緒に肩を寄せあって寝ていたのだと、今でも親しい付き合いがある彼女の母親は笑いながら言っていた。

 

 

中学校も同じ学校へと進学し、いよいよ高校へ、というタイミングで二人ともSAO事件に遭遇し、約二年をあの電子の檻の中で過ごした。通販が開始されて即座に完売したと後に聞いたナーヴギアの通信販売であったが、その時は何も知らないまま運よくナーヴギアの通販開始時刻に大手通販サイトにアクセスし、ナーヴギアを購入出来たのを幸運だと思っていたのも束の間、死の危険が常時付きまとうデスゲームへと放り込まれ、結局は購入してしまった事を不運だと嘆く羽目になった。

 

 

[アインクラッド]と呼ばれたSAOの舞台であるその鋼鉄の城でもほぼ隣り合わせで過ごし、自力で現実世界に帰還するため、常に最前線を駆け回った。その時の精神的な疲労もあるのか、栗原の性格は変わっていき、今の様なクールで若干ドライな所が出来始めたのもSAOの中での出来事だ。結局、自分に貴重な経験と少しばかりの絶望を与えたソードアート・オンラインは、やや変則的な終焉を迎え、デスゲーム開始から約二年半後にクリアされた。

 

 

その後、現実世界で生身の人間として久しぶりに再会した栗原は、見た目こそ長期入院の影響で少し痩せたくらいであったが、性格は活発さが鳴りを潜め、静けさが全面に出ていた。牧田に対する呼び名も名前の玲をもじった【れー君】から普通に【牧田君】へと変わり、牧田に対しても言葉は常に敬語だ。

 

 

そんな栗原は、現在リハビリを終え、また牧田家の隣に戻ってきていた。今居る自分の部屋の窓から、彼女が居る部屋が見えるくらい、それどころか渡って入れるくらい、両家の距離は近く、会おうと思えばいつでも会えることが出来るくらいの二人の距離は近い。

 

 

それには嬉しくもあり、同時に何かしらの感情を感じたのだが―――

 

 

『牧田君?大丈夫ですか?』

 

 

栗原からの声に驚き、手を滑らせてスマホをベッドの上に取り落としてしまった。はっと我に返ると、スマホを慌てて拾い上げて再び耳に当てた。

 

 

ーーそのことは全く考える暇も無いままだ。

 

 

「あ、ああ。大丈夫だよ。じゃ、一回切るよ」

 

 

『あっ、ちょっと待ってください。……気になる話が一つあるんです。この後、時間ありますか?』

 

 

今日は土曜日で、特にこれといった用事も無い。

 

 

『なら、ちょっと出掛けましょう。どうせ、こちらに還ってきてからどこにも出てないんでしょう?』

 

 

確かに、現実世界に帰還した後はあまり外には出ていない。折角の機会だと思った牧田は、栗原に行くと返事を返し、早速支度を開始した。

 

 

久しぶりの外出だと意気込んで早めに支度を完了させ、外に出るとすでに栗原は外で待ってくれていた。彼女は純白のカッターシャツに黒のパーカー、下は青のスカートと黒ストッキングの組み合わせという彼女の醸し出すクールな雰囲気に合っているコーディネートだ。中学生の時以来、約二年ぶりに見る栗原の私服だった。

 

 

「では、行きましょうか」

 

 

栗原に行先を聞くと、文京区の方まで出るとの事であった。東京の端っこに位置する東大和から行くとなると電車を使う事になるだろう。コーヒーが好きな栗原の事だからカフェかなと適当に検討を付けつつ、家の前から駅まで続く道路を歩き始めた。その牧田の隣にくっつくようにして、栗原は着いてくる。自分の肩よりも身長が低い栗原は、仮想世界で見るよりも随分と可愛らしい。彼女自身はもっと身長が欲しいらしく、早寝早起きを徹底したり、キャラに合わず牛乳を飲めば身長が伸びると思い、牛乳を一生懸命飲んでいる等という可愛い事をしていると彼女の母親から聞いていた。

 

 

やはりデータですべてを知覚する仮想世界と違い、現実世界の方はこうして並んで歩くだけでも色々な情報が手に入れられる。改めて感じる彼女の身体の小ささ、透き通るような艶の黒い髪の毛、そして、こうして肩を接して歩く事によって微かに感じる彼女の体温。細かすぎるデータは省かれる仮想世界では感じることのできないものばかりだ。

 

 

暫く無言のたま歩き続けていると、不意に栗原から声が上がった。

 

 

「牧田君、歩いていてずっと無言というのもどうかと思うので、何か話しませんか?」

 

 

どうやら無言を気不味く感じていたらしい。伺う様な声音で問いかけてきた栗原へ、牧田は先程からずっと考えていた疑問をぶつけた。

 

「じゃあ……今から何処へ行くんだ?」

 

 

その問いかけに対して栗原は、スマホの写真フォルダを開いて答えた。

 

 

「これを見てください」

 

 

何だ?と彼女のスマホを受け取り、その画面をまじまじと見た。画面には、綺麗な栗色の髪をした少女が、暗い顔で彼方を見つめている光景が、荒いドットで写し出されていた。何故こんな画像を見せつけて来たのか、栗原に問い掛ける前に牧田はある事に気が付いた。荒いドットで気づきにくかったが、その少女は只の少女では無かったのである。

 

 

まず耳が普通の人間とは違った。人間の様に丸い耳ではなく、後ろ方向に伸びて尖った、まるでエルフのような耳をしていた。身体にはシルク製だか何だかは知らないが、透き通るような白さのドレスを身に纏い、耳や首には黄金色に輝く飾りを付けていた。

 

 

そんな中でも、一番牧田の目を引いたのは、彼女の肩甲骨あたりから生えている二本の羽であった。薄い紫色をしたそれは、飾りなどではなく、明らかに彼女のドレスから露出した肩甲骨部分から直に生えていた。それを一目見ただけで明らかに現実世界の人間とは違うと判断できた。

 

 

そして牧田は、その少女に見覚えがあった。

 

 

「確かこれ……KoBだかの副団長を務めていた……えーと……名前なんだっけ?」

 

 

KoB(血盟騎士団)とは、SAO内でその名を轟かせた最強の攻略ギルドであった。メンバー全員が統一された紅白のコスチュームを身に纏い、混沌とした戦場を駆け回る姿は壮観であった。メンバー個々の実力も高く、特に幹部クラスとなると鬼の如き強さを誇っていた。

 

 

「全く……アスナさんですよ。向こう側で散々お世話になったじゃないですか」

 

 

血盟騎士団(KoB)副団長、[閃光]アスナ。随分久しぶりに耳にした名前だが、名前を聞いた瞬間、彼女に関する記憶が蘇るように湧き出てきた。その戦いぶりは昨日の出来事の様に思い出せる。細身のレイピアをまるで延長した手のように操り、そして渾名の「閃光」に恥じぬ高速の刺突攻撃で次々と敵を屠っていく姿を、牧田は脳内に思い出す事が出来た。

 

 

「で、そのアスナさんの画像がどうしたんだ? 新しいVRMMOのか?」

 

 

「ある人に呼ばれたんですよ、この写真の事で。これがもしかしたらユーリさんを救う手立てになるかもしれません。まぁ、詳細は行けば分かります」

 

 

「なんだよそれ……」

 

 

訳も解らないまま、栗原と並んで歩く事20分。着いたのは、牧田達が住む地区から最も近い駅だった。

 

 

「俺、自分のパスしか持ってないけど……」

 

 

「私も持っていますよ?」

 

 

余計な心配だったようだ。栗原はスマートフォンの手帳型カバーから緑色に光る電子カードを取り出し、こちらに向けた。

 

 

改札を通り、昼下がりで乗客もまばらな電車に乗った。途中で中央本線に乗り換え、都心の方へと向かう。行き先はどうやら上野の方らしい。

 

 

あまり電車には乗らない(移動は基本的に自転車である)為、子供の様に物珍しそうに窓から辺りを見回す牧田を、栗原が小突いた。

 

 

「何やっているんですか。恥ずかしいですよ、こんな年にもなって」

 

 

「恥ずかしいも何もあるか。電車なんて全く乗らない人生だったから珍しいなぁ、って見回してただけだよ」

 

 

「でも、子供の頃は凄く活発だった覚えがありますよ?都市部に行ったりしなかったんですか?」

 

 

「子供の頃はあんまり東大和から出てないし、中学になってからも地区からもあまり出なかったしさ。それに、昔と今とじゃ人は変わるさ」

 

 

人が変わると言えば、現に栗原がそうなのである。あれだけ仲良く遊んだ幼馴染は、今では自分含む他人と敬語でしか会話できていない。SAOの中でも砕けた口調で話している彼女はあまり目にした事が無かった。

 

 

「確かにそれ程市外には出なかったですね。私もごみごみした雰囲気はあまり好きじゃないです」 

 

 

「でも栗原、お前も子供の頃は活発だったような覚えがあるんだけど?」

 

 

「私も昔とは変わったと思います」

 

 

「自覚してたのか?」

 

 

「まぁ、ある程度は.....といっても、昔に逆戻りをするつもりは無いですけどね」

 

 

変わった、という言葉は自分達……アインクラッドでの栗原、つまりマロンとしての過去を知る者にとってとある深刻な話となるキーワードの一つあった。

 

 

「……何も言わない。それが一番ならそれでいいと思う」

 

 

どうしても受身に出てしまうのは昔からの悪い癖か。そんな言葉に、栗原は困ったような笑いを浮かべながら言葉を重ねた。

 

 

「……自分でも分からないんですよ。どうしてこうなったのか。誰よりも親しい筈の牧田君にもこんな調子でしか話せない....ごめんなさい」

 

 

「謝らなくて良いよ。分かってる」

 

 

牧田はそう言うと、隣に座る栗原の手へと自らの手を重ねた。

 

 

栗原は一瞬戸惑うような素振りを見せたが、牧田の真意に気付くと、はにかんで手を握り返した。

 

 

「その一言で充分です。……ありがとう」

 

 

それから暫く何も喋らずに時間は過ぎていった。殺伐としたアインクラッドでは滅多に味わえなかった安らぎを、始めて手に戻したと感じた瞬間であった。

 

 

電車は進み、阿佐ヶ谷駅に到着した辺りで再び牧田が口を開いた。

 

 

「そういえば、そのKoBの副団長らしき人の写真とユーリにどんな関係があるんだ?」

 

 

「私も詳しい事は分からないんですよ。でも、この写真が手掛かりとなればユーリさんも、義妹さんと再会できますね……」

 

 

「……ああ。英国にも帰れるな」

 

 

何故牧田と栗原が、本来なら知り得ない現実世界のユーリの情報を知っているのか、普通に考えれば疑問に思うであろう。高度情報化社会となった今日の日本では、あちらこちらに個人情報が散らばっているが、それはパズルの1ピースのようにバラバラになった情報であり、最初から完成品として集めるのは不可能に近いだろう。しかし、自分の狭くも優秀な人脈は、それを可能にしてくれた。

 

 

ユーリ・マクラーレンがロシア系イギリス人であり、今回の[SAO事件]で唯一、国外に居て事件に巻き込まれた人間だという、既に組み上がり完成品となった情報を手に入れたのは、自分と親交のある国家公務員からのリークが元であった。菊岡誠二郎(きくおか せいじろう)という名前のその公務員は、SAO事件以前から関係があり、自分にとっては数少ない、官公庁のキャリアエリート組で交流がある人物であった。

 

 

SAO事件の最中においては対策チームのトップであったらしく、帰還後に会い、ユーリの事についてつついてみると、すぐに産まれてから今現在までの詳細な経歴を引き出す事が出来た。

 

 

ユーリはイギリス北部のエディンバラで、日本人実業家の家政婦として働く母と空軍のパイロットをしていた父の下に産まれた。彼女には二歳年下の妹がおり、名前はマリー・ウィリアムズという。何故名字が違うのかは菊岡も良くは知っていなかったが、後に調べてみると意外な理由が発覚した。ユーリが四歳の時、父が飛行中の事故で死去しており、その事故ではユーリの父の他に、同乗していたコ・パイロットも死亡したという。その娘であるのがマリー・ウィリアムズであったらしく、天涯孤独となってしまった彼女を気の毒に思ったユーリの母が引き取ったという。つまりマリーは、ユーリにとっては血が繋がっていない義理の妹という事であった。

 

 

その妹のマリーは現在来日しており、菊岡が手配した都内のマンスリーマンションに滞在していた。毎日ユーリの病室を訪れて彼女の帰還を祈っており、時折ユーリを見舞いに訪れる牧田や栗原とは幾度となく顔を合わせていた。

 

 

後日、ユーリの話を話した栗原と共に、八王子にあるマリーが住んでいるマンションへと赴いた事があった。マリーは姉と同じノルディックブロンドの髪の毛を持った少女で、年齢を聞いてみるとまだ15歳とのことだった。

 

 

二人を部屋へと招き入れたマリーは、本場の英国人らしく鮮やかな手付きで紅茶を淹れ、牧田と栗原の二人の前に置き、その後に事件当時の事について、事細かに話し始めた。

 

 

■■■■■

 

 

世界初のVRMMOとして発表されたSAOは当然全世界でも話題となり、それはもちろんイギリス国内も例外では無かった。当時高校生であり、年頃なりに人並みに流行に敏感であったユーリも当然SAOへの興味は湧き、それは幼少期より付き合いのある日本人……母の勤め先である家の人々へとぶつけられた。

 

 

イギリスと各国を結ぶ海運業を代々営んでいるその日本人一家には、海外進出用のサンプル品としてイギリスで運用される予定であったナーヴギアとSAOのソフトが二セット存在していた。その背景にはSAOの開発会社であるアーガスとの繋がりがあったからだという。ユーリから広まったSAOへの興味は様々なルートを辿り、事業主……いわゆる主人の耳にも入る事となった。主人を始め、家の人々から可愛がられていたユーリは、少しの期間の間、そのナーヴギアを遊び道具とすることを許可されることとなった。

 

 

サンプルは二セットあった事から、主人の嫡子であり、ユーリの幼馴染でもある少年にも宛てがわれ、フルダイブに参加する事となった。こんな経緯で、ユーリは日本国外に居ながらSAO事件に巻き込まれるという唯一のケースに遭遇してしまうこととなった。

 

 

意識昏睡後、二人は日英両政府から[事件唯一の国外被害者]として認知されることとなった。両政府は二人の安定した生命維持の為に二人を日本へと移送する決定を下した。政府が行方をくらましていた茅場と水面下で交渉を行った結果、一日間のみ微弱な電波さえ接続していれば二人の安全は確保するという猶予が与えられた。その猶予の間に、日英両空軍は輸送力をフルに活かし、輸送作戦を展開。それは見事に成功し、ユーリは自覚無しに日本の土を踏む事となった。

 

 

後日、二人はまとめて防衛医大へ収容された。そのニ年後、事件は解決。多くの人々が帰還する中、ユーリと幼馴染の意識は戻らないままであった。そして事件解決から程なくして流れ始めた[未帰還者]に関する報道が、事件解決で緩んでいた世間の空気を一変させた。

 

 

事件が解決したと思い、単身来日したマリーを待ち構えていたのは、あまりにも無情な現実であった。隣の病室が帰還の歓喜に包まれている中、マリーの訪れた病室は、静寂に支配されていた。向かい合わせに配置された病床には、未だ眠りつづける二人の姿。

 

 

「姉はもう帰ってこないんだって……そう思っています」

 

 

涙を見せず、感情を押し殺しながら話すマリーの顔を、その時にはもうしっかりと見る事はできなかった。

 

 

もうユーリとは会えない、そんな事を思っているマリーを何とかして再会させてあげたい、そして自分自身も、ユーリと再会したいと思いつつも何も出来ない毎日が続いたある日、その状況は動いた。それが今日であった。

 

 

 

 



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主な登場人物の紹介

牧田 玲(まきた れい)

 

 

身長/体重・177cm/74kg

 

 

 

出身・不明(戸籍上は東大和市)

 

 

 

誕生日・不明(戸籍上は四月二日)

 

 

 

年齢・十八才

 

 

デスゲームと化したMMORPG[ソードアート・オンライン]から生還した青年。幼少期に特殊な環境下で育った為か、年齢と釣り合わない程のサバイバリティと行動力を持つ。出身、誕生日が不明なのはその特殊な環境下に居たのが原因だと言われているが、真相は本人を含めた一部の人間しか知らない。SAOでは、後述する栗原/マロンから伝授された日本刀二振りを使用したユニークスキル[抜刀術]で戦い続けた。

 

 

 

性格は基本的に温厚であり、現実主義でもある。物事を見抜く能力に長け、周囲からの信頼も厚い。だが幼少期の経験からか、何かを切り捨てる時は容赦無く切り捨てる、非情な一面も持っている。  

 

容姿の特徴としては短く刈り込んだ短髪、茶色い瞳を持っており、

体つきは比較的筋肉質である。

 

後述する栗原とは幼馴染の関係であり、彼が想う人でもある。だが、中々気持ちを打ち明けられずに居る。また、SAOの中であった事件によって自分をあまり表に出さなくなってしまった栗原を案じている。

 

 

 

栗原 絵里香(くりはら えりか)

 

 

 

身長 体重・159cm/41kg

 

 

 

出身・東京都東大和市

 

 

 

誕生日・六月五日

 

 

 

年齢・十八才

 

 

 

デスゲーム[ソードアート・オンライン]から生還した少女。冷静沈着な性格であり、戦闘では得物の日本刀を使用したユニークスキル[抜刀術]でSAOを戦い抜いた。牧田の操る抜刀術は彼女が指導した物である。SAO時代のPNは[マロン]である。由来は、[栗原]の[栗]から本人が考えついたものである。

 

 

 

性格は前述した通り、冷静沈着であり、物事を何でも客観的に見て判断することが出来る判断力も併せ持っている。が、内面は打たれ弱く、時折その弱い姿を牧田に見せてしまうことがある。が本人は、弱い一面を晒すのを何よりも嫌っている。

 

 

 

容姿は綺麗と表現するよりは可愛い、と言った感じの見た目で、すれ違う人が皆振り向くほどに整っている。髪型は艶のある黒のショートボブ。視力が良くない為、外出時はコンタクトレンズ、家では赤色の眼鏡を着用している。また、アーチェリーが趣味であり、週末にはコンパウンドボウを持って射場へと赴いている。

 

 

 

牧田とは幼馴染であり、彼女自身も好意を抱いている。が、彼との関係が変わってしまう事を恐れて気持ちを打ち明けられずに居る。幼少期はドライな性格ではなく、明るい普通の性格であったが、SAOでの経験によって現在の性格へと変化した。常に敬語なのと、他人とある程度の距離を置きたがるのはその経験の影響によってである。

 

 

 

園原 歩美(そのはら あゆみ)

 

 

 

身長 体重・166cm/45kg

 

 

 

出身・鹿児島県霧島市

 

 

 

誕生日・十二月二十日

 

 

 

年齢・二十四才

 

 

 

所属・株式会社レクト フルダイブ研究部門 第二研究室

 

 

 

国内最大手の電子機器メーカーである株式会社レクトでプログラマーとして勤務している九州出身の女性。幼い頃から父親の影響で学んだプログラミング技術によって、若くして組織内で頭角を現し始めている期待の新星。父親が業界では有名なプログラマーの為、様々な人脈を持っているが、コネを自利の為に使う事を嫌う。

 

 

 

プログラマーとしての仕事は好きであるが、仕事場である株式会社レクト、特に無能なエリートを嫌悪しており、同じ研究室に勤める同僚を「学歴至上主義の権化」、「口と家柄だけが立派」と散々にこき下ろしている。

 

 

 

容姿は研究室の紅一点だけあって中々のもの。黒髪をポニーテールに纏めている。また、すらりとした脚は異性だけでなく同性からも羨望の対象となることがままあるほどの魅力を放っている。研究者らしく黒いフレームの眼鏡を掛けている。

 

 

 



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三話 希望の手掛かり

東京都・台東区上野 [15:50]

 

牧田玲/デルタ

 

 

 

 

「目的地まではもうすぐです」

 

 

栗原の声に反応して車窓の外を見てみると、そこには東京の中心部、上野の繁華街があった。土曜の昼だからか、人は溢れ返る程に多く、冬であるのにも関わらず暑そうである。十年近く都民として生活してきた筈ではあるが、あまり人混みには慣れていない牧田は、この中を進んでいくのかと思うと、若干の気だるさを感じていた。

 

 

結局、牧田達が下車したのは、上野駅から数駅離れた山の手線の御徒町駅だった。席を立ち、人の流れるままに下車すると、そこには東大和の方では見る事が珍しい密度の高い人混みが、牧田達を迎えていた。あらゆる容姿、性別、人種の人々が混ざり合い、都会特有の、色々な物が複雑に混じりあった様な匂いが、かなりの高濃度で充満していた。その人混みの中をスムーズに歩く栗原に対して素直に感心しつつも、自分を置いていきそうなペースで歩き続ける栗原にやっとこさ着いていく。

 

 

人混みに紛れ、方向感覚が無くなったからか、自分が今何処に居るのか把握出来ずに居たが突然、人混みがばっと途切れた事でどうやら人通りの少ない裏路地に出たらしい、と解った。栗原はスマホで地図を確認する様子もなく、すたすたと薄暗い路地を歩いている。すると、突然栗原が足を止めた。

 

 

「ここです」

 

 

栗原が示した先には、一見して古びたバーのような建物があった。しかし、店の看板を見てみると「Daicy cafe」という表記がある。どうやらバー風の喫茶店である様であった。

 

 

栗原が入り口のドアを開けると、ベルがカランコロン、と年期の入った音を弾き出し、内部からは木とコーヒーの香りが混じった、牧田には数年ぶりに感じられた懐かしい匂いが漂ってきた。栗原と牧田は店内に歩を進めた。

 

 

「いらっしゃいませ」

 

 

野太く、そして何処か日本人離れをしたところがある声に迎えられ、店の奥へと歩んでいく。シックな基調の店内には自分達以外には誰も居らず、店の一角にある年代物のレコードが流すジャズが鳴り響いていた。

 

 

カウンターの向こう側には、カフェコートとエプロンを完璧に着こなし、カフェのマスターの雰囲気を完璧に纏っている黒人の大男が居た。そのマスターに栗原が一礼し、革張りのスツールに腰掛けた。

 

 

「こんにちは、エギルさん。ご無沙汰しています」

 

 

「おお、お前がマロンか。久しぶりだな」

 

 

エギル? 聞き覚えのあるような無いような人名を脳内を漁って思い出そうとするが、中々上手くいかない。昔から自分は人の顔を覚えるのは苦手であった。

 

 

そんな牧田に、栗原は助け舟を出した。

 

 

「この人はエギルさんですよ。【攻略組】の補給など後方支援に奔放して下さった……」

 

 

「ああ! あの大きな斧持ってた人か!」

 

 

向こう側で散々世話になったであろう人物の情報をその程度しか覚えていない事に自分で驚き、そして何か申し訳無い気持ちになりながら相手の返答を待った。

 

 

「そうだ。本名はアンドリュー・ギルバート・ミルズ、まぁエギルで良いぞ」

 

 

「…すいません。彼はちょっと人の記憶に関してここが弱いようでして…」

 

 

栗原が側頭部をとんとん、と指差した。どういう意味だそれは。

 

 

エギルに勧められるままにスツールへと腰を下ろし、エギルからオーダーシートを受け取って中を開いた。

 

 

牧田は温かいホットコーヒーを頼み、栗原は冬にも関わらずにアイスコーヒーを頼んでいた。

 

 

「で、ここまで来た理由はなんなんだ、マロン?....いや、栗原か」

 

 

栗原はスマートフォンを取り出し、行きに見せられた例の画像をエギルに見せた。

 

 

「知っているんですよね、エギルさん?これが何なのかを」

 

 

「ああ、勿論だ。その写真の為に呼んだんだからな」

 

 

そう言うとエギルは、カウンターの下から、直方体のパッケージを出すと目の前のカウンターの上に置いた。

 

 

「何だこれ?」

 

 

手の平サイズのパッケージは、明らかにゲームソフトの物だと思われた。2匹の妖精が、中央に聳え立つ巨木を目指して飛んでいる構図のファンシーなパッケージデザインだ。ハードウェアは何だとどこかに印されているはずのロゴを探すと、右上に印刷された[AmuSphere]というロゴに気が付いた。

 

 

「何て読むんだ、これ」

 

 

「アム...スフィア...ですかね」

 

 

「正確には[アミュスフィア]。レクトが開発したゲームハードで、なんとあのナーヴギアの後継機だ」

 

 

SAO事件を引き起こし、4千人もの犠牲者を出した悪魔のハードウェアであるナーヴギアだが、その後継機を求める声は当たり前の様に多かった。結局、僅か半年後に国内の大手電子総合メーカー【レクト】が絶対安全の名の下に新型後継機であるこの【アミュスフィア】が発売された。その売り上げは尋常なものではないらしく、出せば出すだけ売れ、売れば売れるだけ黒字になるという。

 

 

「このソフトのジャンルも、SAOと同じVRMMOなんですか?」

 

 

「ああ。【アルヴヘイム・オンライン】という名前だそうだ。アルヴヘイム、の意味は妖精の国。だが名称通りのまったり系MMORPGでは無いらしい」

 

 

「じゃあどんなゲームなんだ?」

 

 

「どスキル制。プレイヤースキル重視。PK推奨」

 

 

「殺伐としてますね…」

 

 

「いわゆる【Lv】は存在しないらしい。各種スキルが反復使用で上昇するだけで、ヒットポイントはあまり上がらないらしい。戦闘もプレイヤーの能力依存。ソードスキル無し、魔法有りのSAOって感じだ」

 

 

「PK推奨ってどういう意味なんだ?」

 

 

「プレイヤーはゲーム開始時に種族を選べるらしい。違う種族なら中立域でのキルが可能らしい」

 

 

「でも、そんな殺伐としてるゲームじゃ人気は出ないんじゃ…」

 

 

疑問符が付いた栗原の発言に、エギルは厳つい顔を崩した笑みを浮かべながら答えた。

 

 

「そう思っただろ? でも今では大人気なんだとさ。理由は【飛べる】からだそうだ」

 

 

「ああ…そこで妖精の羽が出てくるのか」

 

 

「ご名答。自由に飛び回れて空中戦も出来るらしいぞ」

 

 

ほぉー、と栗原が感嘆していた。確かに、以前より世に出ているゲームで自分が飛べるというゲームは殆ど無かったはずだ。あるとすれば、それは飛行機などを操縦するゲームであって、生身の状態で飛行が可能なものを見た記憶は無い。

 

 

「で、このソフトとアスナさんの画像とは何の関係があるんだ?」

 

 

「その鳥籠が有るのは、そのゲームの中だ」

 

 

ん? と牧田は疑問を呈した様な顔を見せた。

 

 

「アスナさんはSAOに居たんだろ?じゃあ、別にこのゲームをやってたっておかしくはないだろ」

 

 

「アスナさんは……現実世界に帰ってきていないんです」

 

 

栗原の言葉に牧田はある事に気付いた。……この少女も、ユーリと同じ「未帰還者」にカデコライズされているという事を。[未帰還者]は何故か、首都圏の病院に収容された者しか居ない。ユーリが収容されている日大病院は東京のど真ん中にあり、さらにアスナこと本名[結城明日奈]が収容されているのも埼玉県所沢市にある私立病院だという。

 

 

「……エギル、この鳥籠は何処にあるんだ?」

 

 

「ん? ああ、ALOのマップの中央にある【世界樹】のてっぺんの枝にあるらしい」

 

 

牧田はそうか、と呟くと、湯気が立っているコーヒーを一息に飲み干した。やる事の道筋が見えれば、それを突き通すだけだ。

 

 

「エギル、このソフトは何処で手にはいるんだ?」

 

 

「なんだ、行くのか。じゃあ二つ持ってけ。あとハードはナーヴギアでも動く」

 

 

「いや、もうナーヴは廃棄されちゃっているからな。アミュスフィアとやらを購入するよ。資金は潤沢にある」

 

 

「私もそうします。仮にナーヴギアが手元にあったとしても、もう

あれを被る勇気は無いですから」

 

 

「まったくだ」

 

 

エギルの発言に、三人は顔を見合わせて笑い合った。が、栗原の顔は表面しか笑っていなかった。心は笑っていない、と読み取れる様な表情をした栗原は、難しい顔をしたままスツールを回転させ、再びカウンターに向き合った。

 

 

 

 

御徒町から再び電車に乗り、帰路に寄った秋葉原でアミュスフィアを二セット購入しがてら少し早めの夕食を摂った。

 

 

「この世界に、本当にユーリさんは居るんでしょうか…」

 

 

蕎麦屋に入り、温かい天そばを食べて一息吐いていた時、不意に栗原は呟いた。その顔は、何か強い不安にでも襲われているように強張っていた。

 

 

「生きている、とは言えるんじゃないか」

 

 

「ええ....それは言えると思います。心臓停止や脳死状態になった訳ではありませんし。でも、意識がいつ還るか判らず、さらにその意識は他の世界に囚われたまま。これじゃこの世界に居ないも同然だと思うんです」

 

 

昏睡状態から治る見込みも無く、未だにあの異世界に囚われているのであろう彼らはこの現実世界に「居る」と言えるのか。それを栗原は心配していた。たとえ肉体が生きていようと、意識は仮想世界の中にある。精神と肉体、どちらが人間の本体か、牧田には分からない。

 

 

「それでも、希望が無い訳じゃない」

 

 

たとえ一パーセント以下の確率であろうと、人の道から踏み外れようと、目的を達成するための希望を捨てるのは自らのアイデンティティを否定する事になる。稀有かつ歪んだ人生経験を積んでしまった者所以の考えかもしれないが、「戦う為に生まれた」自分を肯定する考えである以上、否定は出来ない。

 

 

「...そうですね。ごめんなさい。悲観的になってしまって...」

 

 

栗原は自嘲した様な笑みを浮かべながら、食後出された蕎茶を飲んでいた。その笑みはSAO開始以前には見ることの無かった、栗原の弱気が表れた表情であった。

 

 

「最近疲れ気味だろ。リハビリの疲れがまだ残ってるんじゃないか?今度温泉でも行くか?」

 

 

「行きたいですね....」

 

 

結局、栗原の弱気な笑みは中央線の車内で眠ってしまうまで消えなかった。その笑みは家の前で栗原と別れてからも消えず、ずっと牧田の思考の端に引っ掛かるようにして残っていた。栗原の見せた表情は、一体何を意味するのか。現状に対する己の無力さか。それとも親友と呼べる人物への手掛かりが有りながらも、結局は心の中で嫌悪している仮想世界に行かなければならないというジレンマか。どちらにせよ、栗原が何らかの精神的負担が掛かっている事は分かる。そのケアもしなきゃな、と心に留めつつ、牧田は早速手を回す為、スマートフォンを開いた。

 

 

................

 

 

「.....こちら729-08[デルタ]。事案Sに関する情報を入手。不確実な情報だが信憑性は高い情報の模様........了解。明日そちらに顔を出す.......了解。オーバー」

 

 

 

 

 

 



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四話 不可視の世界

東京都台東区には、防衛省がある。

 

俗に「市ヶ谷」と呼ばれているその組織は、日本国の防衛に関する事を一手に司り、国の平和と独立を維持することを目的とした組織である。しかし、弛まぬ努力によって国民の平穏な日常を保っていながらも、国交省や文科省のように表で目立つ事はあまりなく、治安組織なりに日陰者として扱われ、時には褒められるよりもマスコミのサンドバッグとされる事の方が多い組織である。

 

市ヶ谷駐屯地と称される防衛省の敷地内には、大きく分けて建物が二つあった。一つは旧館と呼ばれる庁舎A棟。そしてもう一つは、新館と呼ばれる薄い緑色の装飾が目を引く建物である。その新館の、隠された特別なエレベーターを下った先にある地下施設は、十一月の季節通りに肌寒い空気が漂っていた。そこには蛍光灯が無く、赤色に点灯した非常灯しか光源が無い為か多少薄暗い。その地下の一角に、その部屋はあった。

 

入り口のドアを開ければそこには突然、地上にある一般企業のオフィスが現れる。見た目は普通に一般企業のオフィスである。グレーを基調としたデスクが並んで設置されており、その上にはパソコンやら書類を挟み込んだファイルやらが置かれている。部屋の隅にはホワイトボードが、その反対側の壁際にはコーヒーメーカーなどが置かれた棚があり、そこには数人のスーツを着た男女が、コーヒーカップを片手に談笑していた。知らない人がこの部屋を見れば、きっと外の青空が見渡せる窓の無い、不便な一般企業のオフィスだと思うだろう。

 

しかし、そこはオフィスなどでは無い、この日本という国のアンダーグラウンドを司る場所であった。名を「防衛省情報本部傘下 第一情報局」と言った。

 

その部屋のデスクに置かれた一台のノートパソコンの前に、かつて「鼠」と呼ばれた女は居た。

 

■■■■■

 

東京都新宿区・防衛省 [10:10]

 

鼠/アルゴ・DAIS所属二等特曹

 

 

 

彼女は「あの時」とはまるっきり姿が違っていた。まずトレードマークであったヒゲのペイントは描いておらず、「鼠」のイメージはそこで大きく損なわれている。髪も金髪では無く、しっかりと整えられた茶髪である。服は地味な色合いの私服であり、目にはブルーライト遮断の為か、度が入っていない、所謂pc用の眼鏡をかけていた。

 

かつての小賢しい雰囲気とは違い、今では知的なイメージが漂う元「鼠」。流石にあの世界での出来事をこちらの世界に引っ張って来る程、本来の姿の「鼠」は馬鹿では無かったという事だ。本当の馬鹿であったのならば、「鼠」はここに存在する事すら容認されない者となっているからだった。

 

防衛省情報本部傘下第一情報局、通称DAISと呼ばれる諜報組織に、「鼠」は籍を置いていた。入しょうした理由の詳細は長くなるので省くが、要約すれば実力が認められてのスカウト、である。

 

「DAIS」、諜報の世界では日本のCIAと称されるその組織は、日本国内外あらゆる所に情報網を巡らせており、そこに引っ掛かった案件には実力行使を含む対応を行使し、警察や自衛隊の一般部隊等では対応出来ない様な大規模犯罪の芽を一つ一つ摘み取って行くのを主な任務としていた。所謂、CIAやFSB、MI6等と同じ情報機関であり、その国のアンダーグラウンドを司っているとも言える組織であった。

 

普段は防衛省情報本部を隠れ蓑としており、常時世間には非公開の組織であるDAISは、警察や自衛隊等といった既存の治安維持組織と違い、超法規的活動が政府によって容認されていた。勿論それは、テロ予備犯だと断定された被疑者を国家の名の下、法機関の許可無しに始末できるということだ。それによって、大規模犯罪を起こす可能性がある対象者を礼状無しに逮捕、あるいは実力行使によって強制排除することが、この組織には許されていた。

 

組織のモットーは「法を越えた悪には法を越えた制裁を」という任務内容に対してどストレートとも言える内容の文であった。そのモットーを「鼠」は気に入っており、任務を遂行する時にはいつもその文を心の中で唱えていた。といっても、彼女は対象者に対して実際に手を下し、その手を血で汚す普通警補官や特別警補官と称される者とは違い、諜報警務官と呼ばれる電子諜報のスペシャリストであった。

 

テログループや犯罪組織のコンピューターのハッキングは勿論の事、脱税や麻薬取引に関わっている個人のコンピューターにもまるで本物の鼠の様に忍び込み、その証拠を第三者に送信して対象者を検挙していた。その活動スタイルから組織内では彼女の事を「マウス」と渾名する様になり、彼女自身もその渾名を昔の自分と重ね合わせ、気に入っていた。

 

高校を卒業してすぐの十八歳の時に国家公務員試験を受け、見事合格した「鼠」は、入省時に防衛省の幹部に披露したハッキングの腕を買われて防衛省情報本部へと配属。そこでサイバー防衛関連で著しい功績を残し、一年足らずで特務部隊であるDAISへと栄転したが、配属されてから二年後に世間を賑わせた「SAO事件」に巻き込まれ、約二年半のキャリアを棒に振るうことになった。だから経歴上では四年半のキャリアの筈なのだが、実際は二年少しと短い。

 

だが、「鼠」はSAO事件に巻き込まれた事はマイナスでは無く、寧ろ良い経験だと思っていた。常時最前線に赴くSAP(特別警補官)AP(普通警補官)と違い、任務時にはずっとDAISのオフィスに籠り、コンピューターとにらめっこしながら遂行している彼女にとっては、「死が隣り合わせの世界」で戦える初の機会であった。

 

だが「鼠」ことプレイヤーネーム「アルゴ」は、あまり前線に出る事をよしとはしなかった。それは、諜報部員であることの保守性だったのかもしれないし、或いは彼女自身の内面に、「死にたくない」という願いがあり、それが現実の行動にも影響を現したのか。どちらにしても、彼女は前線へは出ずに情報収集をして攻略に貢献していた。情報屋としての気質が抜けなかったのかもしれないが、とにかく彼女は戦うことをなるべく避け、他人に情報を渡して生き残り、そして二年の月日を費やしてあの異世界から無事に生還してきたのであった。

 

彼女はリハビリが終了したと共に職務に復帰していた。だが、役割的には前までのSO(シギントオフィサー)ではなく、今度はレーダー波の解析によって情報収集を行う「RO(ラディントオフィサー)」というポジションが宛がわれていた。

 

専門分野であるSOの、ポストからすれば左遷とも言える配置転換だが、それはそれで仕方が無い事であるから、彼女は再度の配置転換までに実績を残して栄転してやろうと息巻いていた。

 

だが、運命の歯車はすぐに狂い始めた。それは必然であったのかもしれないし、偶然であったのかもしれない。しかし、仮想世界の生還者の「行動力」に魅せられた者にとっては、必然的な変化であった。

 

■■■■■

 

人生なんて、どう転ぶか分からない物だ。栄える方向に転がる事もあれば、逆に墜ちるように転がる場合もある。

それは決して予想出来るものではなく、時の流れに従い、勝手に流れて来て、勝手に自分の運命に干渉してしまう。嫌でもそれをぶつけてくる時間というものは、自分にとって、一種の敵である。

 

創作物ではタイムマシンなどという便利な物があり、それが現実にあればどれほど良いだろうな、と思う人も居るかもしれない。現に自分もその一人だ。人生が安泰にやり直せるのならば、どんな手段を用いてもタイムマシンを使って過去の自分に邂逅しにいくだろう。だが、そんな便利な物はあくまでも創作物に過ぎない。多分、人類が滅びるまで開発されることは無いだろう。何故なら、時間は、人間が抗う事の出来ない、唯一の力であるからだ。

 

自分は、あくまでもその抗えない力に翻弄された、大多数の中の一人に過ぎない。しかし、決して無限では無い時間を、十八年も費やして作られた「自分」は、果たしてその時間に見合うだけの価値があるのだろうか。

 

そんな自問を、答えの無い疑問だ、と牧田は結論付け、一旦頭の中をリセットした。

 

自分の出自に関する疑問は、事あるごとに頭の奥深くから湧いてくるのだが、出来るだけ無意識の内に応えないようにしている。何故かは分からない。自分の頭は時々主の意思に従わない時がある。先程の自問もその一つだが、先程の自問はいつも通りの無意識の内には何故か消えず、意識して消さなければならなかった。

 

それもこれも数奇な運命を辿ったのが原因であるのだが、今更過去を変えることなんて出来はしない。開き直って、数奇な運命などは受け入れるまでだ。今は自己の確執なんかに囚われている場合ではない。目標は、未帰還者の救出、ひいてはユーリを助け出す事だ。そのためになら、何事にも躊躇わない。たとえ、人を殺す事になろうとも。

 

自分は、戦う為に作られた存在であるから。

 

■■■■■

 

東京都 新宿区市ヶ谷 [10:15]

 

牧田玲/デルタ・DAISエージェント

 

 

 

約二年ぶりに防衛省へ訪れた牧田は、訪れた足のままに地下へと降りた。いつになっても慣れない放射線のボディチェックを通り抜け、地下直通のエレベーターへと足を踏み入れる。B10のボタンを押すと、重苦しい音が鳴り、牧田にマイナスGを感じさせながらエレベーターが下っていく。

 

エレベーターのドアが開くと、目の前には薄暗い空間が広がっていた。光源は一定間隔で配置されている赤色の非常灯しか無く、不気味な雰囲気が漂っていた。その中を牧田は進んでいく。

 

そして、一つのドアの前で突然歩を止めた。そこのドアからは、内部の光が漏れだしていて、薄暗い廊下に光の道筋を作り出していた。ドアノブの部分にある、指紋認証装置へと指を置き、ロックを解除してからドアを開けた。室内へ入ると、強烈な光が牧田の網膜を照りつけた。だが、すぐにそのホワイトアウトは回復し、辺りを見るとそれほど室内に強烈な光源は無いと確認する。多分、外の薄暗さに慣れていたせいで、LED灯の明るい光に目が対応出来なかったのだろう。

 

二年間訪れなかったからか、光源を始める様々な所が変更されているところに気付き、改めて時間の経過を感じた牧田は、廊下の不気味な雰囲気とは打って変わって普通の雰囲気となったオフィスのような部屋....実際にはDAISの任務の一つである諜報を司る作戦室....へ出た。各々のデスクにはエリートサラリーマン風の人間....実際はDAISの諜報員....が付き、PCのモニターへと噛りついていた。それを視界の端で捉えながら、牧田は再び指紋認証が必要なドアをくぐった。

 

その部屋も、先程と同じオフィス風の部屋であった。だが、そこに詰めていた人間は華奢な諜報員ではなく、屈強な男達であった。自衛隊の制服を一寸の隙も無く着こんだ彼らは、牧田が部屋に入室してきた途端に突き刺すような視線を牧田に浴びせたがそれは一瞬で、入室してきた人物が牧田だと感知するとそれは和らいだ。

 

「久しぶりだな、牧田」

 

「帰ってきたか」

 

DAISのエージェント達からその見た目に似合わない優しい言葉を受け、はにかみながら会釈で返した。それから牧田は、その部屋の奥にあるデスクに居る人物へと向き直った。

 

「本島三佐、おはようございます」  

 

深緑色の制服を着、デスクに掛けていた男は牧田の方に椅子を回転させ、俯いていた頭を上げた。

 

「おう、おはようさん。そして久しぶりだな」

 

男の名は本島。下の名前までは知らない。それは本島だけでなく、ここにいる者の名は全員、名字と階級、そして役職しか知らない。それはこの組織の特殊性故だろう。本島の場合、階級は三等特佐で役職は729SOF(特殊要撃部隊)の隊長であり、牧田の上官であった。

 

「菊岡二佐はどこに?」

 

「アレなら今総務省に出向いてる。もう少しで戻るからここに居ろ」

 

「了解です」

 

牧田が応じた瞬間、部屋のドアがガチャリ、と音を立てて開いた。開いたドアの目の前に居たのは、ここに居るのには似つかわしくない、若い男であった。彼は本島らと同じ制服を来ているが、胸に付いている徽章の数が違った。左胸に付けられた、色とりどりの防衛記念徽章の数は本島らと比べて二倍ほど多い。そして見た目がひょろりと細いのにも関わらず、この部屋にいる者全員が所持している甲レンジャー徽章と空挺徽章、そして射撃、格闘、体力と様々な徽章を着装していた。

 

 

「あ、ごめんごめん牧田君。ちょっと総務省での打ち合わせが遅れちゃってね。悪い悪い」

 

さらにこの場に似つかわしくない軽々とした口調で歩いてくる彼の名は、菊岡誠二朗。国語教師のような顔に黒いメガネ、華奢な身体と文官のような見た目であるが、胸に着装している徽章の通り、現場でも十二分に活動できると聞いているが、牧田は現場での姿を見たことが無い。それもそのはず、彼は現DAISの副局長を務めている管理職であるからだ。

 

「いや、大丈夫です。俺もさっき来たばかりなので」  

 

「そうかい、それは良かった。じゃあ、報告を受けた件について、話そうか」

 

報告を受けた件....昨日のダイシー・カフェでの一件の事だ。菊岡は今年の初めまでDAISの副局長とSAOの対策チーム指揮官を兼任して勤務していた。ユーリの情報も彼から聞き出した。SAOを含む、VRMMOゲームには情報技術の発展を期待する希望を抱く一方で、再びSAOのような惨劇を防ぐ為に、VR関係の事件には敏感になっていた。その方針は菊岡個人だけでは無く、その指揮下のDAISにも浸透しており、それ関連の情報収集にも余念が無い。今回の件もその方針に従って報告した。報告すれば、DAISのサポートを受けながら未帰還者の解放を進める事ができると思った故の行動であった。多分、このような方針でなければ報告せず、単独で行動していただろう。その点では、菊岡に感謝している。

 

菊岡は着ていたスーツを副局長席の後ろにあるハンガーに掛けると、牧田に手招きをして先程通った諜報作戦室へと導いた。

 

空いていたデスクへと牧田を座らせ、菊岡はすぐ側に置いてあるコーヒーメーカーでコーヒーを淹れ始めた。

 

「で、手掛かりっていうのは何なんだい?」

 

「一般人からの情報ですが、他のVRMMOゲームにて未帰還者だと思われる人物を発見したそうです。証拠と思われる画像もあります」

 

牧田はスマートフォンを取り出すと、今日の早朝に栗原から受け取っていた、アスナと思われる人物が写った画像を表示させ、机の上に置いた。

 

「ん? どれどれ......」

 

菊岡は紙コップに淹れたコーヒーと緑茶を机の上に置き、デスクチェアに座りながらその画像を見た。約一分くらい見ていたであろうか。菊岡はスマートフォンの画面から目を放すと、牧田へと向き直った。

 

「んー....微妙ぅ、だね」

 

予想外の言葉が菊岡の口から飛び出した。微妙、とは何なのか。その言葉の真意を聞くため、牧田も口を開いた。

 

「微妙、とは何ですか?」

 

「決定的な証拠が無いんだよ。あくまでも似ているってだけでね。確か彼女はPN(プレイヤーネーム)[アスナ]、現実での名前は[結城明日奈]さんだっけか。確かに、彼女は未帰還者のカテゴリーに入っている。でも、この画像だけでDAISは動かせないね。多分、この証拠だけで渥美局長の許可を仰ぐだけでも一年は掛かる」

 

「ですが菊岡さん、今のところ唯一の手掛かりですよ.....! この機を逃したらもう....」

 

「早まるな、牧田三曹」

 

菊岡から階級呼びで呼ばれる事は滅多に無い。呼ばれた時は、大抵飽きられているか怒りをぶつけられているかのどちらかだ。今回の場合は怒りの方かもしれない。

 

「間違った情報で動いて、さらに酷い惨事を引き起こす事だってあるんだ。二十年前の[いそかぜ事件]が正にそうだ。今回の[S事案]は世界中の誰も触れた事の無い事件だ。慎重に行かなければ駄目だ」

 

「.....」

 

「我慢してくれ。これで未帰還者全員を亡くすような事になれば、VR産業はまたバッシングを受けて衰退してしまう。衰退させる訳にはいかないんだ」

 

「産業の為、ですか?」

 

「いや。人があってこその産業さ。それを為す為にも、今回は我慢してくれ。頼むよ」

 

「......分かりました」

 

不承不承ながらも頷き、牧田は菊岡の淹れた緑茶を手に取った。いただきます、と呟いて一口飲む。味は苦い。

 

「すいませんでした」

 

「なに、謝る事じゃない。その画像も重要な証拠だ。一応、参考にさせてもらう」

 

その言葉が菊岡の本心がどうかは分からない。慰めなのかもしれない。でも、その言葉にもすがり付きたい程、牧田は助けが欲しかった。この事態を1mmでも動かしてくれる、何らかの力が。

 

が、その願いは容易に崩れ去った。

 

「しかし、だ。冷静さを失った君は危険過ぎる。何をするのか分からない以上、DAISとしては君を放っておく訳にはいかないんだ」 

 

それは、救いなど無いという、菊岡の意思表示であり、そして、決別の言葉であった。

 

「牧田玲三等特曹。君に部隊員非承認処分(Disavowed)を下す」

 

その言葉に後ろで成り行きに聞き耳を立てていた本島達が戦いた。部隊員非承認処分(Disavowed)、SAPに下される処分としては比較的重い方である。一番重い「精算」よりは軽いが、本部立ち入り禁止、拳銃所持禁止、IDパス機能停止、作戦行動不参加という、ほぼ全てにおいての作戦行動が取れなくなってしまうのが部隊員非承認処分の内容であった。

 

「副局長、待ってください。牧田は.....」

 

本島が二人の間に割り込んだ。牧田は本島が率いる729SOFの部隊員である。本島からすれば、部隊員を一人欠くというのはかなりの戦力ダウンに繋がりかねないと判断したのだろう。その表情にも必死さが見てとれた。だが菊岡は、そんな熱意をも跳ね退け、デスク上のコンピューターを操作し始めた。DAISのデータベースに載っている牧田の情報に[DISAVOWED]と付け足した。これによって、牧田はIDパスとコールサインが剥奪され、作戦行動が一切制限された。その画面を見て、本島は悔しそうに顔をしかめながら引き下がった。

 

「....ということだよ、牧田君。君に自由な行動をさせる訳にはいかないんだ」

 

「......」

 

牧田は胸部のホルスターから、常日頃から護身用として所持していたUSP.45ハンドガンを抜き出すと、セイフティを掛け、弾倉を抜いてから菊岡へと差し出した。

 

「よろしい」

 

菊岡はにやり、と微笑むと、差し出されたUSPを懐へと仕舞い込んだ。その顔は、企みが上手くいった時の子供のような、純粋な喜びと感心が表れた表情であった。

 

そして、牧田はIDパスとコールサインを剥奪された「部外者」として、防衛省を去った。DAISの助力が期待出来ない以上、独力で解決を目指す他にユーリを助ける手段は無い。必ず助ける、と栗原に誓った以上、どんな事をしてでもユーリを助け出す。その事を心に決め、牧田は次なる手段を考え始めた。

 

■■■■■

 

東京都 新宿区市ヶ谷 [13:00]

 

菊岡誠二郎・DAIS副局長/二等特佐

 

「副局長、先程の件はどうしましょうか」

 

「勿論、行動を始めるよ。いくら[超兵]とはいえ、彼一人に任せるのはリスキーだ」

 

「牧田三曹の監視は?」

 

「それも継続しようか。今の彼は何か危なっかしい。監視は必要だよ。シフトは前回のと同じでいいから実行してくれ」

 

「了解.....しかし副局長」

 

「どうしたんだい、水野二尉」

 

「....いいんですか?結城明日奈さんは確かレクトの御令嬢だったはずです。そしてこの画像....レクトが開発、運営を手掛けているゲームと聞きました。国家権力である私達が、大企業の内部情報を掴んだと公表されれば、内閣は私達の存在を消そうとする筈です。それもリスキーな行動では無いでしょうか...?」

 

「水野二尉、良く考えてみなよ。牧田君を切り捨てて事件を解決させるよりも、DAISの人員をフル活用して解決した方が効率的だ。こっちで解決すればVR関係作戦のノウハウだって得られる上に、隊員の練度も上がる。リスキーかも知れないけど、このヤマは僕達だけで片付けるしかない」

 

「....了解。では....」

 

「ああ。DAIS、出撃だ」

 

 

 

 

 

 



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五話 矛盾の予兆

東京都 千代田区 [11:30]

 

園原歩美・レクト社員/プログラマー

 

「NNR7....あ、これはF2のグリッドか.....」

 

一般人から見たら何かの呪文を唱えているようにしか見えないであろう、ゲームプログラマーである私の仕事。仮想空間という新しい世界を作り出せる、世界でも唯一の立場に居る筈なのだが、今はそのありがたみが感じられる余裕は私には無かった。

 

時刻は現在午前十一時半。今日も毎日の例に漏れず五時近くに出社してきてから朝礼以外、休まずに自分のデスクのモニターとにらめっこ状態を続けていた。余裕が無いのは六時間不休で作業した疲れからか、はたまた精神的な疲れなのかは良く分からない。が、間違い無く言えるのは、「ALOの中に未帰還者が居る」という事実に、私が衝撃を受けすぎている、ということだ。

 

これほどまでに前例の無い事態は、私も初めて遭遇した。VRゲームで、他ゲームへのプレイヤーデータの転送。SAOとALO、規格も制作者も異なる二つのゲームに、接点があるのか、という初歩的な疑問は、ALOのゲームパッケージ解析によってすぐに解決する事が出来た。

 

ALOの内部データの中でもかなりの深層部に位置する所に、普通ならあり得ない物が混入されていたのだ。強固なファイアウォールで閉ざされていたそれは、SAOの基礎データベースであった。それを更に詳しく解析してみると、特定プレイヤーのステータスや武器のステータス、それらのテクスチャ等のデータがわんさかと出てきた。

 

今はそのデータをコピーし、ダミーデータを置き換えている最中であった。作業は順調に進み、データもUSBにコピーする事が出来た。あとはダミーデータのみである。データをコピーした後は、自宅に持ち帰り、自室にあるハイエンドスペックを誇る自作機で解析していくつもりであった。

 

白いLED灯が灯る仕事場に、私以外の人の姿は無い。部長の松川以下、自分を除く研究室の全スタッフは、朝早くから千葉にあるレクトの生産ラインの視察へ向かっている。そのため、今日一日はこの部屋に私しか居ない事になる。データを解析するのにも好都合な環境である。

 

時折、廊下の方から足音や話し声が聞こえたりして冷や汗が滴る事はあるが、それらがこの部屋に入ってくることは無いので、結局は杞憂に終わる。

 

「これがバレたら私クビだろうな...」

 

なんて事は言葉にしているだけで実際にはかなり軽い気持ちで事を進めている。勿論、その言葉が現実にならないように細かな対策は怠っていない。最も警戒すべき部長の松川は、元々営業畑を歩んできたエリートであったが、不況の際に起きた銀行とのトラブルで、左遷という形でこの研究室の部長をしている。ハゲワシを思わせる鋭い容貌から、切れ者という印象を醸し足す、園原が苦手なタイプの上司である。しかも苦労人である彼は、トントン拍子で出世してきた園原を快く思ってはいない。留守番を命じられたのは本社の意向だが、それに松川は最後まで反対していたらしい。それは、専門分野でないこの研究室を上手く纏めることが出来ていない松川が抱えている不安の現れであった。

 

目的のデータを証拠を残さずダミーデータに置き換えることは、園原にとって容易い作業だ。しっかりと用意周到に隠蔽工作もしている。だが、園原には不安要素が無い訳ではない。問題は、部長に付き従う研究員達である。いくら松川が営業畑出身の、コンピューターやプログラミングの専門知識が無かろうとも、その部下達にその手の知識があれば話は違う。専門技術を持っている研究員であるのなら、今園原が置き換えているデータを見れば、一瞬で異変に気付くだろう。気付かれてしまえば、上層部まで話が行ってしまい、この事件の元凶が有耶無耶になってしまうかもしれない。園原は一技術者として、物事をはっきりさせなければ納得しない性分であった。だから、今回の事件の首謀者についても徹底的に洗い出し、始末を付けさせるつもりである。

 

ダミーデータを置き換える作業が終了したのは、作業開始から約八時間が経過した午後一時の事である。基礎データベースのセキュリティ解除やら膨大なファイルのコピーに時間が掛かったのが原因で、予定では五時間で終わらせる筈が、プラス三時間と大幅に遅れてしまった。

 

途中で昼休憩も挟みつつの作業であったのだが、こうも遅れては本来処理してなければならない仕事の方に支障が出てしまう。ええい面倒臭い、と園原は机上のファイルを手に取ると、用紙を一枚一枚検分し始めた。内容はALOサーバーの保守点検についてのレポートで、これを渡してきた松川からは要点を纏めたレジュメを作成し、今日の十七時までに提出してほしい、との依頼が来ていた。

 

レポートファイルの分厚さはちょっとした冒険小説くらいにはあり、しかもA4サイズの紙一杯に文字があるというのだから気は滅入る。別に速読術に精通している訳でも無いから、これを読んで要点を纏めろというのは今の園原にとっては酷であった。

 

壁に掛けてあるデジタル時計の液晶が示す残り時間は四時間。一分一秒が惜しい、と園原は慌ててファイルの表紙を捲った。

 

 

 

 

「....ん?」

 

違和感に気が付いたのは、A4紙の右下にあった、Excelで作ったのであろう関数表を何気無く見た時であった。表のタイトルは「サーバー保守予算表」、内容は表題通り、レクトが保有しているネットワークサーバーの保守予算についてである。上から予算の高い順に並び、一番上が会社内のあらゆるデータを一括にして保管するサーバーで、本体はこの本社の地下に設置されている物だ。

 

そしてその次の項目が、違和感の正体であった。項目の名前は「VR系サーバー警備費用」、値はなんと保守対象であるVRゲームサーバー本体の約二倍であり、一位の本社サーバーと対して差がない程の費用を警備の為に費やしている事になっていた。どうもおかしいと思った園原は、内線で経営部門へと電話掛け、同じ大学出身、同期入社でそこそこ親しい間柄である正田を研究室に呼び出した。

 

少しすると、正田は保守関係と警備関係の予算案を纏めたファイルを持ってきて現れた。その傍らには、園原の知らない女性がくっついていた。

 

「突然ごめん、正田君。彼女は誰?」 

 

「俺と同じ経営三部の三矢だ。前、予算案を纏める会議に出席してたから役に立つと思って連れてきた」

 

「経営第三部門所属の三矢です。勝手に着いてきてしまって申し訳ありません」

 

「問題無いよ。むしろ、一つでも情報が欲しいから来てくれて助かった。あ、私は研究第一部の園原歩美よ。宜しくね」

 

お願いします、と三矢は俯いたまま小声で呟いた。どうやら気弱な性格であるらしい。小柄な見た目と相まって、小動物の様な印象を園原は三矢に対して持った。

 

その三矢と正田を研究室内に招き入れ、先ほどの資料にある関数表を見せる。二人とも、数字の一つ一つを吟味するように見ていき、そして二人とも、同じ箇所で視線が止まっていた。

 

「こいつは.....」

 

「明らかにミスですね」

 

「じゃあ、営業部の方ではこんな予算を組んでないって事?」

 

「組めるかこんなもん。大体、どこの警備に何千万も掛けるってんだ。サーバールームなんか、十人居れば十分にカバーできる筈だろ」

 

「前回、保守予算についてのヒアリングした時とはまるで違います。例えばここ.....」

 

三矢が指を指したのは、序列第五位にある「法人レンタル用」と名の付いた項目である。大学や研究機関などにサーバーを貸し出す為の機材調達、それのメンテナンスの費用などを計上した予算だ。おおよそ三千万少しの金額がそこには記されている。

 

「今年度は機材の新調も無い筈ですから、こんな多額の予算は必要無いです」

 

「貸出サーバーのメンテナンスににこんな費用を注ぎ込む訳無いもんな.....」

 

「じゃあ、誰かがこの数字を変えたって事?」

 

「意図的に間違えたのかうっかりミスなのかは分からないけど、間違いには変わりない。誰からこれを渡された?」

 

「部長の松川だけど.....そうか、資料の原本があるはず....」

 

部屋の一番奥にある松川のデスクへ近づき、一番下の引き出しを開けた。そこには大量のファイルが中身の種類別に仕舞われていた。

 

「お、おい。大丈夫なのか?」

 

「バレなきゃ大丈夫。バレても言い訳すれば大丈夫」  

 

がさがさと引き出しの中を漁っていると、「予算関連」との名の付いたファイルに行き当たった。それをデスクの上に起き、中身を検分し始める。

 

「あった。これだ」

 

資料に付けられたタイトルは先ほどの表と同じ「サーバー保守予算表」、ただしこちらは項目ごとに予算が記されているだけで、表で表されてはいない。

 

その紙の上に人差し指を這わせ、件の項目を探し続ける。序列五位、三千万、法人レンタル.....。しかしその条件が一致した項目は、いくら探しても見つからない。

 

「法人レンタルの項目はあるけど.....予算は表に記されている三分の一以下だよ」

 

「警備費用の項目も、表のものとは大分金額が違いますね」

 

「つまり、松川部長の資料とお前に渡されたコピーとは何かが違うという事か」

 

「うーん.....でも腑に落ちないな.....」

 

「どういう事ですか?」

 

「この資料を私に渡したのは確かに松川だけど、作ったのはこの研究室の人間じゃ無いと思うんだ」

 

「どうして思うんだ、園原?」

 

「いや、ここの部署さ、あくまでもALOの運営とVR技術の研究をメインにしてるからいくら管理職でも事務仕事をする余裕なんか無いんだよね。でも機材調達とかそういう類いの資料作成はしたりするから、無いとは言い切れないけど。しかも今回みたいな大量のプリントをコピーしたとなると必ず人目に付くと思うんだ。でもここ最近研究室に籠ってたけど一度もそんな所を見たことが無いし」

 

「じゃあ、誰がこの資料の数値を改竄したって言うんだ?」

 

「恐らくだけど、この研究室より上位にある部署の誰か.....」

 

「ここより上位....研究部門のティアトップには、社内中枢部に何かしらの繋がりを持った役員が多いですから」

 

三矢が苦々しい顔で呟く。案外、大人しそうに見える彼女も上の文句の一つくらいは言えるらしい。

 

「改竄した目的って何だろう」

 

「資金の横流しか横領、それか極秘事業の資金調達とかじゃないかと思う。ここは赤字企業じゃないから、水増しして何か金に色が付くわけでもないしな」

 

「なんでそんなのがこっちに回ってくるかなぁ.....」

 

「当たっちまった物は仕方が無い。取り敢えず、松川部長が帰ってきたら俺に連絡を入れろ。これの事について聞いてみる。お前は散らけた書類の後片付けでもしてろ」

 

それだけ言い残すと、正田は三矢を従えて研究室を出ていった。再び残されたのは、園原一人だけである。

 

そして正田に指示された通りに、松川の机にばらまいた書類を元通りにするため、机上のプリントをかき集め始めた。

 

「全く....誰がやったのやら....」    

 

園原の呟きは誰に聞かれる訳でも無く、ただ虚空に浮くだけのものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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六話 確執の同志

東京都 東大和市 [14:00]

 

牧田 玲/デルタ・DAIS[Disavowed]所属エージェント

 

防衛省から帰り、実家に戻った牧田は、冷蔵庫にあった物で手軽な昼食を摂ると自室へ向かった。

 

二階へと上がり、左手にあるドアを開ければもうそこは牧田の自室だ。自室と言っても、室内にはベッド、パソコンデスクと大型のコンピューター、それに収まる形のデスクチェアしか置いていない。衣服類は全て壁面に収められているクローゼットに全て押し込まれており、見た感じではものすごく殺風景な物になるほど、牧田の自室はシンプルを極めていた。

 

部屋に入ると牧田は羽織った薄手のパーカーから所持していた物を全て机の上に置き、勢い良くベッドへと倒れ込んだ。

 

牧田の体重を直に受けたスプリングが軋み、収縮して反発力を牧田の身体へと訴える。その反発を背中で受け止め、仰向けで天井を見つめる。

 

牧田の目線の先には、純白の内壁材が一面に広がっている。いったい自分に、こんなに真っ白であった時期があったのだろうか、と牧田は思った。

 

牧田は本当の自分の親の名前を知らない。今の父と母は、あくまでも牧田を児童養護施設から引き取った義理の親であり、正確な血が繋がった親ではない。といっても、牧田は今の両親が好きであるし、両親の方も牧田を我が子の様に育ててくれたので別に不満も文句もない。それは同じ児童養護施設で育った妹も同じな筈だ。

 

本当の親の事を知りたいと思ったことは何度もある。だがそれは、牧田にとって許されないことであり、そもそもその情報を手に入れるのら限りなく不可能に近い。牧田が幼少期に関わった事の真実は、既に誰かの手によって闇に葬られてしまっている。その情報をサルベージするには、多額資金と優秀な人材、そしてなによりも莫大な時間が必要だった。

 

今はそんな時間は無い。何よりの目標は、ALOに隠された未帰還者に関する情報を徹底的に探し出し、ユーリ・マクラーレンに再会する事だ。今の目標はそれだけである。

 

しかし、その目標を達成する手段は、生憎牧田は持ち合わせていなかった。つい先ほど、防衛省で直属の上官である菊岡に要請を断られたばかりだ。諜報組織の力を使えばかなり楽に事が進む筈が、このままだと事件解決の目処が牧田独りの能力に左右されることになる。いくら牧田が諜報組織に属するエージェントとは言え、独力ではかなり厳しい部分も出てくるだろう。だが、組織に頼らずとも牧田には築き上げた人脈があった。それをフル活用すれば良いだけの話だ。それを駆使するため、牧田は腕の反動を使ってベッドから飛び起きると、スマホを片手に部屋を出た。

 

 

 

再び外へ出ようと、勢い良くドアを開けた途端、何かがドアと接触し、「いっ.....」という聞き覚えのある唸り声が裏側から聞こえた。一瞬で見当の付いた人物を頭に思い浮かべながら、そっとドアを引いた。

 

そこには頭を抑えて俯く栗原の姿があった。栗原は顔を上げて牧田の姿を認めると、涙目になりながら牧田を睨み付けた。

 

「牧田くん.....ひどいですよ」

 

「仕方ないだろ。というか、家の前で何やってたんだ?」  

 

「今から入ろうとした所ですよ。少し話したかったんです」

 

「今からか.....」

 

「何処かに行こうとしてたんですか?」

 

「いや、大丈夫だ。上がってくれ」

 

人脈はこの後からでも動かせる。そう判断した牧田は、再び家へと入ると、栗原を自室に招き入れた。

 

 

 

■■■■■■

 

東京都 八王子市 [16:40]

 

牧田 玲/デルタ・DAIS所属三曹

 

東京・八王子市の市街地にある喫茶店に、牧田は居た。都心部の店と比べれば遥かに安価なコーヒーを啜りながら目的の人物を待っていた。しばらくすると、シック調のドアベルが鳴り、一人の女性が店内へ入って来た。彼女は黒いカーディガンに白のシャツ、グレーのパンツを着込み、首には藍色のマフラーを巻いていた。牧田や栗原とと同年代に見える彼女は、牧田の向かい側の椅子を引くと、そこに腰掛けた。

 

「久しぶりだな。アン」

 

牧田がそう言うと、アンと呼ばれた彼女ははにかみながら言葉を返した。

 

「こちらこそ久しぶりだね。玲くん」  

 

そう言って久しぶりの再開を言葉で確認し、アンはウェイターにホットコーヒーを注文した。

 

「で、どうだ? 頼んだ奴は」

 

「それなんだけどね.....」

 

アンは肩に掛けていたトートバッグからタブレットを取り出すと、牧田の前へと差し出した。タブレットの画面には、何やら名簿らしき書類のPDFが写し出されていた。

 

「これ。取り敢えず、情報網に引っ掛かったのだけリストアップしてみた。一応系列の子会社まで調べてみたけど、該当者は少ないみたい。もし足りなかったらまた言ってくれれば、すぐに集めるよ」

 

「ありがとうな、アン。助かる」

 

アンこと燦杏禮(サン・アンシャン)は、日系中国人の少女であり、台湾国防部情報課(T.M.D.I.C.)、通称「藍衣社」に所属するエージェントであった。若冠17歳で諜報組織の海外部門に選抜されたエリートであり、その能力も立場相応の物を持っている。牧田との関係も諜報組織での人材交流が始まりであった。  

 

現在は日本に在住し、日本で活動している華僑スパイの炙り出しと調査を主な任務としているが、DAISと藍衣社の関係からか、時々自身とは関係無い事で協力してもらう事も多い。それを彼女は毎回笑顔で請け負ってくれている。申し訳無い気持ちで一杯なのだが、中々それを返すことは出来ていない。

 

「調査してる最中に気になったのはこの人かな」

 

そう言ってアンが指差したのは、リストの中段に記載されていた男の名前であった。

 

「武藤洋太?役職は....本社営業部門の部長か」

 

「この人、公安調査庁のデータベースで調べてみたらマークされてたよ。どうやら不自然な金の流れがあるらしいんだって。金融庁にも目を付けられているみたい」

 

「金.....資金繰り?」

 

当然、SAO内のプレイヤーの意識を留めようとすれば、ゲームのメインサーバーを確保しておかなければならない。それの保守には莫大な予算が必要だろう。もし仮にその武藤という男が実行犯として関与しているのならば合点が行く話だ。

 

「詳しく言えば、インサイダーで数億の利益を上げてるらしいよ。でも不可解なのはその金がどこへ行ったか、金融庁でも足取りが掴めて無いらしいって」

 

「足取りが掴めない、か....」

 

こういう時にDAISの情報網が使えたらどれだけ便利なのだろうか。だが、この件に関しては菊岡と決別した以上、今更泣き付く事は許されないだろう。

 

「アン、もし良かったらでいいんだけど、継続して調べてもらう事は出来るか?」

 

「任せてよ。最近中国本土の方が忙しいみたいだから、こっちには仕事が回ってこないんだよ」

 

昨年、中国では共産党政権を覆そうとする軍の一派が台湾の支援の元にクーデターを敢行し、現在では中国全土でクーデター軍と共産党軍が抗争を繰り広げている。勿論、クーデター軍のバックアップに台湾が着いている為、アンの所属する「藍衣社」は大車輪の働きをしているだのだろうが、どうやらアンのような海外派遣組は無縁の事らしい。

 

「ごめん。関係無い事に巻き込んじゃって」

 

「気にしないでいいよ。私も玲くんにいつも助けられてるしね。そういえば.....」

 

アンは微笑んだ顔から一転、何やら深刻な顔になると、牧田の耳へと顔を近付け、小声で話し掛けた。

 

「私、所沢の部屋からここに来る途中に絵理香ちゃんを見かけたんだよ。何か悲しそうな顔で歩いてたけど、牧田くん何か知ってる?」

 

アンと栗原の関係はSAOに囚われた三年以上前から続いていた。栗原といつも共に居たため、アンが気になって栗原と何となく会話し始めたのがファーストコンタクトであったと記憶している。こっちに戻ってきてからは交流があるかどうかは定かでは無いが、二年近く見ていない栗原の姿を見てそれが栗原だと解ったということは戻ってきてからも何かしらの交流があったのだろう。

 

「あー.....それは.....」

 

「何?何か変な事やっちゃったの?」

 

「.....まぁ」

 

「喧嘩でもしたの?」

 

牧田は首を横に振った。そして、言うのを躊躇うかのように口を開閉していたが、決心したような眼差しをアンに対して向けると、その言葉を発した。

 

「......イカれた」

 

「は?」

 

アンは牧田が呟いた言葉が理解出来ないと言わんばかりに無遠慮な声を出した。その言葉を飲み込むように受け止めた牧田は、俯きながら、その言葉をもう一度言い放った。

 

「栗原が.....病んだ」

 

■■■■■

 

東京都 東大和市 [14:40]

 

牧田 玲/デルタ・DAISエージェント

 

「あ? どういう事だ」

 

栗原と居る時には、いつも温厚そうであるはずの牧田の顔は、今では怒りが浮かびあがっていた。牧田の目線の先には、何が起こったのか解らない、と困惑し、狼狽する栗原の姿。二人は机の前で向き合い、今にも掴みかからんとしそうな勢いで対面し、口論していた。

 

「ですから.....」

 

「栗原、黙れ。その言葉を二度と口にするな」

 

「なっ....何でですか?というか、どうしてそんなに怒っているんです?」

 

「お前....正気か?自分が言ったことが理解出来てないのか....?」

 

牧田は信じられない、という感情が顔に浮き出していた。それは、牧田が幾多の危険を乗り越えたDAISのエージェントとしてもあまり見せない、珍しい顔であった。

 

「私は正気ですよ!一体どうしたんですか....」  

 

「じゃあ何で.....何で笑顔でそんな事が言えるんだ?」

  

そんな事。つい数分前に栗原が言った言葉の事だ。それは、長く栗原の幼馴染であった牧田を驚かせるには充分な威力を持っていた。

 

「決まってます。私は、そうであるべき人間なんです。もう戻ることはできません。だから牧田君、もし今回の件で邪魔になる人間が居れば遠慮無く私に申し付けてください」

 

その瞬間、牧田には栗原が栗原で無い何かに見えた。エージェントとして何度も見てきた地獄の場面に遭遇したような、そんな衝動を身体に受けた。そんな事を知ってか知らずか、栗原は不可解なまでに清く、そして可憐に微笑むと、牧田の言う「そんな事」を言い放った。

 

「私は、躊躇い無く人を殺せますから」

 

 

■■■■■

 

 

「という訳だ、アン」

 

「.....うん」

 

牧田は、つい一時間前に起きた出来事を、包み隠さずにアンへと伝えていた。伝えた理由は自分でも良く解らない。台湾のエージェントであるという、国籍も身分も栗原とは大分違うアンに何を期待すれば良いのかは分からないが、取り敢えず伝えたのは自分が助けを求めていたからかもしれない。

 

アンは深刻そうな顔をして俯いていた。まさか、交流のある同年代の少女が荒んでしまっているとは思ってもみなかったのだろう。人が死ぬことや狂う情景には慣れている筈の諜報員でも、それが身近な人だったりすれば話は別だ。

 

「どうして....そうなっちゃったの?」

 

アンは心配そうな顔を崩さずに聞いた。

 

「....事情は複雑だよ。そもそもの始まりはSAO内部での事だ」

 

SAOの事は知ってるよな、とアンに確認を取り、アンが首を縦に振ったことを確かめた牧田は、一度ウェイターを呼び出し、おかわりのココアを注文した。アンも、同じタイミングでコーヒーを注文した。

 

しばらくして、湯気が立っているココアとコーヒーが運ばれてきた。二人はそれを飲み、一息吐いてから牧田の話は始まった。

 

「SAO内部で、俺と栗原は一緒に行動していたんだ。それは初めの時も終わりの時も同じだった。でも、間に空白期間があった」

 

それは丁度、あのデスゲームが始まってから一年近くが経過した冬の頃だった。

 

「俺と栗原はある場所で一振りの日本刀を入手したんだ。名前は[後生(ぐそう)]って刀でな...」

 

「後生....か。DAISにとっては縁起の悪い名前だね....」

 

「だから縁起が悪そうで俺はその刀を栗原に渡したんだ。丁度、栗原も新しい武器を欲しがってたから」

 

過去にDAISはその日本刀と同じ「後生」と名の付いた化学兵器「GUSOH」に関連した任務で、多くの人員を失った事件があった。それの排除の為に、海上自衛隊の護衛艦二隻が轟沈し、マスコミでも大きく取り上げられていたが、それは事件の本質とは無関係の機雷接触という言い訳を強引に滑り込ませた結果であり、真実とは違うという。もっとも、事件が発生したのはまだ牧田やアンが産まれてない時であるので、本当の事は確かめようが無いのだが。

 

「その刀は他の刀よりも遥かに強かった。もう桁違いにな.....。でも、それは犠牲の下に生まれた性能だったんだ」

 

「犠牲、って....?」

 

「.....正確に言うならば装備者の自己犠牲、かな。その刀は[妖刀]だったんだ」

 

「日本の[ムラマサ]みたいな?」

 

「[村正]は徳川にとっての妖刀ってだけで、具体的な効果は無かった。まぁ、それを現実では妖刀って言うのかもしれないけど、[後生]はその上を行ってた」

 

「その上.....」

 

「ああ。"相手に与えた損害(ダメージ)を、自我(エゴ)の崩壊で払う"、ってのが後生が妖刀たる所以さ。その呪いのせいで、栗原は自我を失いかけた。でも、奴はそれを封じたんだ。自身の感情を一切抑制して、その呪いを抑え込んだ。一年間姿を眩ました後、突然目の前に現れたあいつは俺達の知っていた栗原じゃなかった。自分の感情を押し殺し、ただ目の前の敵を屠り続けるキルマシーンと化していたんだ....」

 

「だから、絵理香ちゃんは敬語で会話するようになったんだね.....驚いたよ。まさかあのゲームの中でそんな事があったなんて」

 

「正直、この件に関しては俺が悪いんだ。俺があの刀を装備していれば済んだ事を....[後生]のジンクスなんか当てにしたから起こったんだ」

 

「誰も未来は予測出来ないよ。それは玲くんだって同じ。結果は誰にも分からないものだから」

 

「....ああ。SAOから帰って来てからも、栗原はあの性格を崩さなかった。もう妖刀を制御する必要も無いのにだ。きっとあいつは自分自身を責めているんだろうな.....あの刀で、何人ものプレイヤーを殺した、その罪は消えない、ってね。恐らく、それが病んだ原因だ」  

 

「絵理香ちゃんが、殺した....?」

 

「あのゲームの中には愉悦を得る為にプレイヤーを殺す奴まで出てきたんだ。人を殺すっていうのが、どんな意味を持っているのかも知らずにな。後生はその札付きの奴らを探知すると、装備者の身体を乗っ取るカラクリを備えていたんだ。そして、殺した。それで栗原が後生で稼いだスコアは二桁。ゲームじゃない現実世界でなら一発死刑だ」

 

「....つまり、あのゲームの中で絵理香ちゃんは、後生に[カウンターマダー(対殺人者)]として操られ、殺人者を始末してたって事なんだね....。その結果、絵理香ちゃんは病んじゃった、と」

 

「アン、正直に言ってこの話を聞いてどう思った」

 

「.....愉悦を求めて殺人って、愚鈍だね。しかもゲームの中で、ね。どうして愉悦を感じるんだろうね?理解できないよ」

 

「確かに愚鈍かもな。でも、愉悦抜きにすれば、それは俺もお前も通った道だろ?」

 

「そう言われちゃうと、言い返す言葉が無いね...。秘密組織のエージェントとして生きてるせいか人間的な感覚が薄れてきちゃったかなぁ...?」

 

「安心していいよ。俺の方がよっぽどだ」

 

「....玲くんは、絵理香ちゃんをどうするの?」

 

「.....取り戻すしか無いだろう。元の栗原を」

 

「.....うん。それを聞いて安心したよ、玲くん」

 

「その為に未帰還者の問題を解決しないとな.....あいつはずっとSAOに囚われたままだ。未帰還者の問題でも、気に病んでたみたいだからな」

 

「分かった。....ところで玲くん。さっきから気になってたんだけど、どうしてDAISじゃなくて私に頼るの?DAISなら、私が持っていないようなネットワークも、優秀な人材も沢山利用できるよね?残念だけど、[藍衣社]は今大陸の方で忙しいから、そっちのほうは期待しない方が良いけど.....」

 

「さっき防衛省で菊岡さんに協力を断られた。ついでに部隊員非承認処分を下されたよ」

 

「それって.....謹慎処分みたいなものだよね、大丈夫なの?」

 

心配な眼差しでこちらを見つめてくるアン。彼女は本当に仲間を信頼し、心配してくれているという事が伝わってくる。そんな純粋な思考と感情を持つアンという人物は、一国の諜報組織には勿体無いのではないか、と牧田は勝手な事を感じていた。

 

「まぁ、大丈夫だと思うよ。火器使用は禁止されたけどね.....だから正直、DAISの支援は受けられないと思っておいた方が良いかもな。誰が首謀者なのか証拠を手に入れれば話は別なんだがな」

 

「でもそれだとこのチームは玲くんと私の二人だけってこと? 幾らなんでもそれは無理だよ。人手が足りなすぎる」

 

牧田は腕時計を確認すると、頷いてアンを見据えた。

 

「大丈夫だ。そろそろ三人目が来る」

 

すると、店のドアが開き、ベルが人の入店を知らせた。小さな喫茶店なので、入り口の方へ振り向けば、余裕でその人物を見ることが出来る。

 

2mを越えそうな身長に、長髪を後ろで束ねた特徴的な髪型。上着として米空軍の濃緑のフライトジャケットを着込み、寒そうにポケットに手を突っ込みながら歩いてくるその人物こそ、牧田が「三人目」に推した人物であった。

 

「久しぶりだな、久里浜」

 

彼の名は久里浜洋平。元DAISのエージェントであり、現在ではDAISの親機関に当たる第一情報本部の技術研究所装備の開発を請け負っている開発部門にてテスターとして在籍していた。牧田とは旧知の仲であり、今でも普通に連絡を取り合う仲であった。

 

彼の所属は前述した通り、情報本部の技研である。牧田が久里浜を呼んだ理由は色々あるのだが、その中の一つがこの所属先であった。火器をすべて没収されてしまった牧田だが、所属先から多数の銃火器を引き出す事の出来る久里浜が居ればその問題は解決する。それを見越して、牧田は久里浜に助力を頼んでいたのだった。

 

久里浜は片手を挙げて牧田に応じたが、向かいに座るアンを見た途端、憎々しげな表情を見せた。それは、こちらに来た男が久里浜だと認識したアンも同様であった。

 

「おう、牧田。久しぶり.......って、なんでこいつが要るんだよ.....」

 

「玲くん、まさかとは思うけど、彼が三人目じゃないよね?」

 

「あ?なんだ。わざわざ八王子まで出てきてやったのに文句あんのか」

 

「文句が無いとでも思ってるの?!」

 

久里浜がDAISのエージェントだった頃から、この二人はどうも馬が合わないようで、任務等で寄る度々に衝突を繰り返していた。そんな相性最悪の二人を選んだ理由は単純、この二人以外に頼れる者が居ないからである。

 

「まぁまぁ二人とも落ちついて....。アン、久里浜が三人目だ。悪い、こいつ以外に助力を頼める奴が居なかったんだよ」

 

「ったく.....こいつが居るなら最初っから言ってくれよ」

 

「私も、彼がこのチームに参加するとあらかじめ言っておいて欲しかったな.....」

 

「悪い悪い。.....まぁ、過去の話は水に流そう。これからは互いに仲良くしてくれよ」

 

そんな感じで何となしに和解を提示してみた牧田であったのだが、当の久里浜もアンも互いに目も会わせようともしない。これは参ったな、失敗したかな?と牧田は内心で猛烈に反省した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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閑話 「超兵」

説明回です。一応、この後の話に繋がる重要な要素の一つです。記録風なので読みづらいかもしれませんが、悪しからず。


2023年 某日

 

水野 小絵・DAIS二等特尉/戦術オペレーター

 

 

[中国軍・人革連E2計画についての記録]

 

2006年某日、中国軍西部方面軍団麾下の非合法組織「人類革新連盟」、略称「人革連」が党上層部の命令の元、約20人の子供を対象に秘匿人体実験を行った。実験の名称は「脳使用領域拡張計画」と文字通り脳の領域拡張を目的としたものである。成都郊外の山麓にある軍医学研究所で行われたらしく、当時、山麓付近の住民が忙しなく動き回るトラックを何度も目撃している。

 

その実験では多数、多国籍の子供が使用された形跡が残っているという。資料には、日本、韓国、中国、ロシア、ポーランド、カナダ、パキスタン、タイの国々から集められた乳児が非検体として使用された模様。なお、その実験で成功したのは2人だけである。そのうちの一人は、「ローラレイ」のクローンである可能性が高い。その2人は研究施設から脱走し、現在では行方を晦ませている。中国政府は、情報機関をフルに動かし、捜索を続けたが、発見は未だにされていないとされている。

 

被験体の二人は日本国籍の少年と少女は、中国共産党によって多額の懸賞金を掛けられ、裏社会の賞金首となり、その莫大な金額に釣られたり、その戦闘能力を欲した組織が血眼で捜索しているとの事だが、2023年現在でも音沙汰は無い。

 

また、非検体二十人に対して成功例二人という成果に失敗という焦りを感じた人革連側は、中国政府に被験体の追加を要請。諜報組織によって、主に北京の貧困街から拉致した子供を被験体として、第二回の実験が2007年始まった。前回の実験の反省を生かしてか、今回は連れてきた20人全員が死ぬことなく実験に成功。

 

被験体の20人は脳領域拡張によって高い身体能力と「脳量子波」と呼ばれるテレパシーの一種の能力を手にし、声を発さずに会話すること等が会話になったとのこと。

 

その20人は中国政府によって「超兵」という名前を与えられ、党直属の諜報機関所属員として特殊作戦に参加。有名なのは2019年にイギリスで発生したウィンストン元英首相暗殺未遂事件である。四人一組で構成された「超兵」部隊が公務中のウィンストン氏を襲撃。幸い、近辺で警護に当たっていたSPと、緊急出動したSASによって事態は沈静化。「超兵」部隊は二人の犠牲者を出しながらも中国共産党に対して批判的なウィンストン氏を引退に追い込んでいる。

 

その後も幾度となく酷使された「超兵」部隊の消耗率は高く、翌年の2020年に海外諜報作戦で全滅。これ以降、中国では「超兵」の制作は行われていない、という事だが、実際にははっきりとは判明していないとのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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七話 反撃のピース

東京都 台東区 御徒町 [22:00]

 

園原 歩美・株式会社レクト/プログラマー

 

「あぁーもう駄目だぁー.....」

 

「どうしたあゆみん」  

 

大きな満月が東京の夜景を照らした夜。カフェからバーへとその姿を変えた「Daicy Cafe」には四人の人間が居た。

 

シックな色合いの木造カウンターに突っ伏して、特に意味のない弱音を吐いている園原歩美と、向かい側のカウンター内部にそんな園原を慰めるようにしながら、カシスベースのカクテルを作っているバーの第二マスター、戸塚あかり。そして園原の左横には、あかりが作るカクテルを待ちわびてるようにして座る株式会社レクトの経営第三部に所属する正田一政の姿があり、逆に右側には数分前に出されたピンクグレープフルーツの酎ハイをちびりちびりと啜るようにして呑んでいた、こちらも正田と同じレクトの経営第三部に所属している三矢麻衣の姿があった。

 

園原は特に飾り気の無い私服、正田、三矢の二人はスーツ姿であり、その格好から皆仕事帰りであることが容易に分かる。だが、いつもならそんな仕事帰りの大勢の客で賑わっているはずのこの「Daicy cafe」も、今日に限ってはこの四人しか居ない。それもそのはず、入り口の札は定休でも無いのに「closed」となっていた。

 

「もう仕事したくないよぉー....なんでこう大企業っていうのは不正やら何やらが横行してるんだろうね腹が立つよ」

 

酒が入り、酔った時の園原はいつになく饒舌になる。

 

「大企業もなんでもそうだけど、ルール逸脱が無いとやってられないってことじゃない? 三矢ちゃんだっけか.....そういう風に感じない? 大企業に入ってみてさ」

 

「.....確かに、利権だの何だので法の逸脱が黙認されているのは気持ち悪いと思います。それこそが、大企業が変革すべき点なのではないか、と考えます」

 

「そうだよねぇー気持ち悪いよねー......どいつもこいつも仕事そっちのけで金、酒、女なんだもの。多分数十年は変わること無いんじゃないの? 法の逸脱も黙認してるしね。隠蔽とか」

 

「園原、法の逸脱と言えばあんたもストレス溜まったとか言って私を隣に載っけてLFAで首都高爆走してたじゃん。あれ明らかにスピード出しすぎだから」

 

「お前そんな事したのかよ.....。しっかし....良いのか戸塚?勝手に店閉めちゃって」

 

この四人の内、三矢を除いた三人は、それぞれ学部は違えど同じ都内の大学で同期だった為、正田もあかりには軽い口調で話し掛けていた。ちなみに言えば、園原は情報工学部出身、あかりは情報科学部出身、正田は経済学部出身であった。因みに三矢は、旧帝大の地方国公立の経営学部を卒業し、レクトへ就職したらしい。

 

「大丈夫よ。ちゃんとギルには許可取ったから」

 

「それで、愛しのギルはいつ戻ってくるのー?」

 

既にカルアミルクとサワーをそれぞれ二杯を飲み干し、いつもより早めのほろ酔いモードに突入した園原が聞いた。

 

「もうすぐで戻ってくる筈だけど...もしかしたら店が混んでいるのかも」

 

あかりの最愛の夫であり、このバーのメインマスターであるアンドリュー・ギルバート・ミルズ、通称ギルは、現在あかりの令によって近所の輸入品スーパーに買い出しをしに店を出ていた。詳しい話を聞いたところによると、どうやら新しいメニューが完成したらしく、それを園原と正田に御馳走してくれるとの話であったのだが、味付けに使う調味料を切らしていたらしく、流れでギルが買い出しに行くことになった、という。

 

しかし園原と正田、三矢の三人は、ただ新メニューを御馳走してもらい、お酒を楽しむだけの為にここへ訪れた訳では無かった。ここに来た理由は、例の「謎の予算」の件の報告であった。

 

■■■■■

 

東京都 千代田区 [20:45]

 

園原 歩美・株式会社レクト/プログラマー

 

 

正田と三矢が部署に戻った後、半導体工場の視察から戻ってきた松川へ件の書類を見せつけ、これは本当の事かどうかの真偽を確かめた。

 

松川も元は経営畑に属していた人間だから、カネの流れに関しては目敏い所があった。普段園原に対して見せている素っ気ない態度は鳴りを潜め、即座に対処するために渡した書類の束と共に営業部の収まるフロアへと駆け出していった松川の姿は、本来あるべきなのであろう営業マンとしての姿を園原に垣間見せた。

 

しかし、約一時間後、松川は浮かない顔をしてもう数人しか残っていない研究室へと戻ってきた。その左脇には、つい先程渡した書類が、丸々挟まっていた。

 

「連中、話にならん」

 

勤務中、一度も聞いた事の無かった松川の愚痴。連中、と松川が貶めるように呟いたのは、営業部の管理職の事であろう。どうやら話し合い以前に追い返されてしまったらしい。松川の表情を見るに、やるだけのことはやった、との事であろうから、もうそれ以上何かを頼む事は出来なかった。

 

仕方無く、何も情報が得られなかった事を残業していた正田に内線で伝えると、正田は「ある奇妙なウワサ」を確認したと言って呼び出された。営業部フロアまで降りてみると、正田のデスクには正田と小動物&隠れ毒舌系後輩の三矢の姿があり、二人ともなにやら小声で何かを話している様子だ。

 

「お、来たか園原」

 

「お疲れ様です、園原先輩」

 

他部署の人間に先輩呼ばわりされるのはなんとも不思議な感じであったが、取り敢えずその「奇妙なウワサ」とは何かを聞いてみた。

 

「実はな、[プログレス]の42階フロアは呪われているって、知ってるか?」

 

正田はおどけたように笑いながら言った。それが園原の癪に触ってしまい、園原は無神経な正田を怒鳴り付けた。

 

「はぁ? わざわざ三十階から呼びつけておいて、人を期待させといて、ようやく話したのが確証の無い只のオカルト話だぁ?」

 

「落ち着いてください先輩。勿論、確証のあるウワサですから、安心して聞いてください」

 

「本当に~?」

 

本当です、ときっぱりと言い切った三矢は、正田のパソコンのUSBポートにメモリーを差し込んだ。液晶ディスプレイにフォルダを示したしたウィンドウが表示され、その上を三矢が操作するカーソルが走った。それは、ある画像の上で止まり、そして三矢はそのアイコンをダブルクリックし、拡大表示させた。

 

そこに映っていたのは、今園原達が居るレクト本社ビルの向かい側にある高層ビルの外観だった。その高層ビルはレクトの子会社であり、VRMMO系オンラインゲームの保守運営を担っている株式会社レクトプログレスの物であった。園原の所属する本社研究所とそことは仕事内容がよく被る為、何度も訪れた事がある場所であった。

 

「プログレスの高層階だね。で、これがどうしたの?」

 

「ほら、ここに....」

 

正田はそう言うと、タッチパネル式になっている液晶画面を操作し、ある一部分を拡大して見せた。そこにはビルの外側を覆う外壁と、大量のガラスパネルが均一に並んでいる光景が写し出されていた。正田はそんな画像のある階層を指差し、それが目的の「呪われた場所」である所以を園原へと説明し始めた。ちなみに、正田の指差した階層には、明らかに人だと判別できる複数の影が荒いドットにはっきりと映っていた。

 

「ここはな、株式会社レクトプログレス42階サブ・サーバールームだ。会社が創設されて以来、殆ど使用される事は無かったらしい。でも、去年の八月に事件の渦中だった旧SAOサーバーをレクトが受け入れる事になっただろ?その時、真っ先に受け入れ先候補として上がったのがここだ」

 

「へー。本社で引き受けなかったんだね。受け入れだの何だのゴタゴタした時あったけど、最初からプログレスへの受け入れありきで進んでたって事?」

 

「どうやら、プログレスの社長だかが強引に押し通したらしいがな。まぁ、そんな訳で受け入れられて、そこに巨大なサーバーが設置された訳だけど問題が発生した。事件の首謀者である茅場晶彦がそのサーバー本体に[毒]を仕掛けていた、というんだ」

 

「[毒]って?サーバーに干渉されない為のファイアウォールみたいな?」

 

「ああ。俺はそっち方面には詳しくないけど、コンピューターの侵入を強固に阻み、さらにはその侵入したコンピューターを破壊する[毒]を茅場は仕掛けていた、らしい」

 

「[らしい]って、なんでそんなあやふやなのよ?」

 

「あくまでもレクトプログレスが発表した事実であって、本社側が確認した訳じゃないとの事です。意外に二社の距離は近い様で遠いみたいですね」

 

「三矢ちゃん、評価が手厳しいなぁ.....って、その[毒]程度ならプログレス側も想定してたんじゃないの?流石にあの茅場晶彦がノーガードで持ち物のサーバー晒す訳ないでしょ」

 

「っと、ここからが本題だ。これこそがそのサーバールームが呪われているって所以だ。茅場はサーバー内部に本物の[毒]、VXガスかサリンか、種類は良く分からないけど、致死性の毒ガスが充填されたボンベを装備していたらしいな。プログレスのパート社員がサーバールームの清掃をしていたときにそれが解放され、その社員はそのガスを吸引して死亡.....って話はお前も聞いた事あるよな」

 

「うん.....あるっちゃあるけど、なんかガセっぽいから無視してた。ウチの研究室の奴らは怖がってそれ以降SAO関連の仕事に手ぇ出さなくなったけど」

 

「まぁそんな訳で、そこのサーバールームは即時に封鎖。プログレス側が独自に雇った汚染廃棄物処理業者がサーバールームを気密閉封鎖して立ち入り禁止にしたのが去年の十月、丁度[SAO事件]が解決される一ヶ月前の事だ」

 

「ん?独自に雇った業者....? 普通自衛隊とかにやってもらうでしょ。NBC部隊持ってるし」

 

「プログレス側が機密保持だの何だの適当に理由を付けて本社がやった自衛隊派遣要請を拒んだらしい」

 

「官公庁である防衛省の人間ならともかく、民間の業者を入れてる時点で機密も何もあった物では無いですが.....しかも、その業者とやらは海外の業者らしいです。いくら何でも機密の塊であるSAOのサーバーが収まる場所に国外の人間を入れるというのはおかしい話です」

 

溜め息を吐いた三矢は、全く訳が分からないといった様な顔をしていた。

 

「って事があり、誰も寄り付かなくなったサーバールーム。それで、この写真だよ」

 

正田は再び人差し指で液晶を叩いた。

 

「立ち入り禁止になっている筈の場所に人間が居る。しかも、複数人。除染業者だったら話は早いけど、業者は今年の初めに契約が満了してる。だから、ここのサーバールームに人が居る事はおかしいんだよ」

 

「さらに着目した点は、この人間らしき物がサーバールームに居るということ、つまり今回の件に何かしら関わる事じゃないかと。件の書類で水増しされていた予算は警備費用、つまり、サーバールームに人を近付けさせない為、誰かが警備を雇って、秘密裏に駐屯させているとしたら.....」

 

「まったく予想外のピースが組合わさったね。松川が言ってた事から推測するに、営業部の幹部はこの予算の事を知ってたみたい。正田君、何か聞いてる?」

 

「一応、ウチの部長に話を聞いてみたんだ。どうやら、例の予算の事は第一営業部門の武藤さんが決めたらしい。かなり強引なやり方でな。内訳はどうやら、プログレスへの支援を含めての数字、って事で多額の予算を取り付けたらしいが、詳しく良く分からないってさ」

 

「武藤....ねぇ」

 

「あまり良いウワサは無いですね。金に女にと後ろ暗い噂は絶えない人です」

 

「どうする? 探偵でも雇うか?」

 

「うーん......取り敢えず、あの人に相談してみよ」

 

「あの人とは、誰なんです?」

 

「三矢ちゃんは知らないと思うけど、私と正田君の大学時代の同期生が御徒町にバーを開いててね。その子の夫が多分色々な人脈持ってると思うから、その人に相談しようって話」

 

「同期って....ああ、戸塚か」

 

「でも大丈夫なんですか? 部外者に話を漏洩してしまうのは.....」

 

「大丈夫。人格は私と正田君が保証するわ」

 

「で、どうする。いつ行くんだ?」

 

園原は左手首の腕時計を見た。時刻は二十一時を少し回った所である。今からなら間に合う、そう感じた園原は、二人を見据えた。

 

「今から行くよ。早めに動いた方が良い」

 

■■■■■

 

「って訳だよアンドリューさん」

 

あれから更にサワーのグラスを二杯空にし、ゆっくりと説明し終えた園原は、向かい側のキッチンで料理をするアンドリューを見据えた。店内にはソースが焦げる香ばしい匂いで道溢れていた。

 

「で、どうしたいんだ?」

 

「事態の解明を進める為に、サーバールームの人影と金の流れについて調べたいね。だから、実動できる人材が欲しいかな」

 

アンドリューはそうかと頷き、考えるように目を閉じた。

 

「一応、協力してくれそうな奴に心当たりがある。だが、そいつはちょっと特殊でな、色々と守秘義務やら何やらが課せられると思うが.....それでも大丈夫か?」

 

「私は大丈夫だけど、二人はどう....かな?」

 

左右でそれぞれグラスを傾けている正田と三矢を交互に見つめる。正田が返したのは呆れながらも了承した、というような眼差し。三矢は唇を噛み締め、強い信念を滾らせたように頷いた。

 

「ということで、私達は大丈夫。出来る限りの協力はするよ」

 

「分かった。連絡付けてやるからほら、これでも食ってろ」

 

そう言ってアンドリューは、新メニューとやらのベイクドビーンズを三皿、園原達の前に置いた。そうして二階へと昇っていこうとするアンドリューを園原は呼び止め、耳元に口を寄せ気になっていた事を耳打ちした。

 

 

耳打ちの内容に、アンドリューは怪訝な顔をして園原を睨んだ。

 

 

「……多分、大丈夫だ。でも危険な奴じゃない」

 

 

「そう。なら良かった」

 

 

イマイチ納得していない顔のまま、アンドリューは連絡するためか二階へと昇っていった。

 

 

「大変だねぇ……」

 

 

あかりが、二階へと上がっていくアンドリューを見送りながら呟いた。

 

 

「大変どころじゃないさ、今回の件は。分野がワイド過ぎるんだよ。左は企業のカネから右はSAOのサーバーだ。いくら人が居ても足りないような事案に真っ向から立ち向かおうとしてるんだぜ、こいつらは」

 

「そりゃ立ち向かうよ。分からない事があるのは嫌だからね」  

 

「凄いですね先輩は……どうやったら大企業を相手取って戦えるんですか?」  

 

三矢が酔った目で興味津々に聞いてくる。ストレートに言ったら色々とアウトなんだろうなぁ......と思いつつ、隣席の三矢の目が真剣であるのを傍目に捉え、仕方無く呟いた。

 

「うーん.....楽しいから、かな。面白いじゃん、ジャイアントキリングって」

 

園原は出されたベイクドビーンズをフォークで摘まみながら言った。三矢を横目で見てみると、「そんなものですか.....」と案外びっくりとも何ともしていなかった。逆側の正田は何か複雑な表情をしていたが。

 

何はともあれ、目の前の皿の飴色に輝く豆は、頬張ると甘辛く、そして美味しい。これは酒が進む、と園原は喜び、空にしていたグラスに、今日何杯目か分からないサワーのおかわりを注いだ。気泡が弾ける液体を、味わうようにして嚼下する。グレープフルーツのキツい酸味が特徴のこのサワーは、店に初めて訪れた時から園原の喉を唸らせる一品だった。

 

暫くその一品を味わい、純粋にお酒を楽しんでいると、協力者に連絡を付けていたアンドリューがスマートフォンを片手に二階から降りてきた。

 

「どうだった?」

 

開口一番、園原が聞いた。

 

「オーケーだそうだ。千代田区の方に居るらしいから、今から来るらしい」

 

その反応を見た正田と三矢がおおっ、というリアクションを見せる。園原も、ニヤリ、と唇の端を歪め、妖艶に笑ってみせた。

 

 

■■■■■

 

東京都 千代田区神田 日大病院 [20:50]

 

牧田 玲/DAIS[Disavowed]所属エージェント

 

牧田、アン、久里浜の三人は、東京都は千代田区神田にある日本大学付属病院に居た。クリーム色と焦茶色を基調とした美しい造形を誇る建物の天辺を見上げ、牧田は一つ、ため息を吐いた。

 

「どうした牧田。何か思い悩む事でもあんのか?」

 

「いや別に。ただ、栗原が心配なんだ」 

 

「これを解決すりゃちっとは構ってやれるだろ。女は面倒くさいからな、早めに解決してやろうぜ」

 

「.....ああ。解ってる」

 

久里浜の言う事は、何ら間違ってはいない....と思う。確かに女というものはとても面倒くさい。それは十数年にも渡る栗原との関係で嫌と言うほどに味わっていた。だが、その面倒くさいという思いは、裏返してみれば放っておけないという感情なのかもしれない。彼女が泣いていれば誰よりも速く、彼女の側に駆け付け、その涙が止まるようにする。それが当たり前であった筈だ。三年前までの話であるが。

 

エントランスを抜け、夜間受け付けのカウンターに置いてある面会記録に三人の名前をそれぞれが記入した。それを当直の看護師が確認し、通用許可証を発行してもらい、ようやく病棟へと入る事が出来た。

 

「で、その子はどの階に居るの?」

 

アンは首に掛けた通用許可証を左指で弄びながら、三人の先頭を歩く牧田へ尋ねた。

 

「二十三階。丁度最上階だ」

 

病棟の入り口のすぐ近くのエレベーターへと乗りこみ、「23」のボタンを押した。

 

EV動力の静かなモーター音がゴンドラの中に響いた。ゴンドラ内の人間達が無言であったからなのか、その音は今日はやけに煩く感じられた。

 

最上階へと着き、ベルの音と共に重厚な自動扉が開く。目の前には、妙に薄暗い、不気味な空間だった。

 

「何か暗いね.....」

 

アンの言う通り、ここのEVホールも、それに続く廊下も、全て光源が壁の両脇にある非常灯しか無く、本当に僅かな光源しか設置されていなかった。窓があるが、時刻は二十一時を回る寸前なのでビル群の残光が入ってくるのみだ。その暗闇の中を三人は進んでいく。

 

部屋番号も見辛い中、覚えのある場所で止まる。そこは、銀色のレリーフが「2311」と示す病室であった。

 

牧田はドアの取っ手部分にある触接センサーをタッチし、自動ドアを開けた。滑らかにスライドしていくドアの向こう側に、彼女が居ると思うと、何だか複雑な気持ちになる。今日が初めてではない。この病室を訪れる度に感じ、そして疑問に思うのだ。「どうして、君のような人が、ここにいるのか」と。それは純粋な疑問であり、その答えまでは遠い道のりであった。

 

部屋の中央に置かれた、カーテンが掛かったベッドへと近寄る。アン、久里浜の二人は、牧田の後ろに立って様子を見ている。「開けたら、目を覚ましているのではないか」という淡い期待を抱きつつ、若葉色のカーテンを手に取り、それを引いた。

 

そのベッドの上には、純白の四肢と、長く伸びながらもその輝きを失っていないノルディックブロンドの髪を持ち、まるで昼寝のように安らかな寝息を立てている少女....ユーリ・マクラーレンの姿があった。

 

「この人が.....ユーリ・マクラーレン?」

 

「ああ。こいつは未だに電子の檻の中に居る。あの世界で俺と栗原が信頼してた....良い奴だったよ」

 

「しっかし.....信じられないな。こんな気持ち良さそうに寝ているように見えても、意識は遠い世界の中、か」

 

「俺が一番信じられないよ。向こう側の世界じゃかなりのじゃじゃ馬だったからな、こんなに安らかな顔を見たことは一度も無い」

 

「悲しいね....肉体はこんな近くに居るのに....話すことさえできないなんて」

 

「.....ああ」

 

三人は暫く無言でユーリを見つめた。長い睫毛、薄い眉、血色の無い肌、どれもあの仮想世界を共に戦い抜いたユーリの物だ。だが、それは触れてしまえば消えてしまいそうな程に華奢な存在であり、牧田には触れる権利は無い。幼馴染の少女一人ですら支える事の出来ない自分が、他の誰かの支えをすることなど許されない、といった様に。

 

どれくらい時が経ったのだろうか。正確な時間は定かでは無いが、突然、病室のドアが静かに開いた。囁き程度の音であったが、反射的に素早く振り向いた三人は、病室の入り口に立っていた男を視界に入れた。

 

その男は、見たところ若い。といっても、十八歳の牧田にとっては年上であるが。二十代中盤の見た目であった。高級そうなスーツを着こなし、後ろに撫で付けた様な髪型と、アンダーブリッジの眼鏡が特徴的な男である。彼は、外で待機していたのであろうもう一人の男を連れて病室へと歩を進めた。

 

もう一人の男は、明らかにSPかボディーガードその類いの人物であるような格好であった。黒服にサングラス、耳には通信用のイヤフォンと、見るからに護衛と分かる。腰には伸縮式の特殊警棒らしき物も吊り下がっているのが確認できた。

 

「おやおや、先客ですか」

 

開口一番、その男はそんな言葉を言い放った。  

 

「すいません。自分達は彼女の友達で.....」

 

「それは失礼。せっかくの見舞いを邪魔しちゃって悪いねぇ。あ、自己紹介が遅れたね」

 

男はスーツ裏から名刺入れを取り出すと、ライムグリーン色の名刺を取り出すと、牧田の前へ差し出した。

 

「僕は須郷伸之って言うんだ。宜しくね」

 

男の名刺には、「株式会社レクトプログレス 主任研究員」との所属が記されていた。それを見て珍しく久里浜とアンが顔を見合わせる。それほどまでに衝撃は大きかったのであろう。

 

「自分は牧田と言います。左のは久里浜、右は燦です。皆、彼女....ユーリの友達でして」

 

「そうかい、彼女も喜んでいるだろうよ」

 

そう言うと、須郷と名乗る男はユーリへと近付き、まるで眠れる妖精のような彼女に舐め回すかのように視線を送った。暫く物色した後、須郷は彼女の髪に触れ、撫で回した。整えられたノルディックブロンドの髪が、乱れるように散っていく。それだけに飽き足らないのか、須郷は側頭部から耳に手を滑らせていき、頬、顎と順に撫で回していく。

 

「.....須郷さん、あなたとユーリとはどんな関係なんです」

 

内面に滾った怒りを押さえる様に、抑揚を抑え付けて質問した。

 

「ん? ああほら、さっきの名刺に[レクト]って書いてあったでしょ?実は僕、レクトの運営してるVRMMOゲームを統括する立場に居るんだよ。そういう役職でSAO事件の解決にも一枚噛んでるから、まだ[未帰還者]の事が解決していないのには心を痛めていてねぇ.....せめてお見舞いくらいはしたいと思った。それだけだよ」

 

「そうですか。変な事を聞いてすいません」

 

「ところで一つ聞きたいのですが.....」

 

アンがそそそっ、と手を挙げ、須郷の前に出た。

 

「[未帰還者]の意識ってどこにあるんです?」

 

須郷は苦笑したように口元を歪めつつ、それに答えた。

 

「んー.....分からないね。狂気の天才の考える事は理解しがたいものばかりだからねぇ。まあ、[実験サンプル]を提供してくださった事には感謝の意を表するけどね」

 

「実験....サンプル....?」

 

「おっと口が滑った。君達、これはオフレコでね」

 

須郷はコミカルに人差し指を鼻へと当てる。

 

「ちょっと待ってください。[実験サンプル]ってどういう事ですか?」

 

「だからオフレコだって。これは企業秘密なんだから」

 

「....企業秘密? 非人道的な実験でもやってるって言うんか?」

 

須郷が入ってきてから一度も口を開いていなかった久里浜が、嘲るように口角を上げながら言った。「非人道的」というその単語を聞いた須郷は、目付きを変え、まるで蛇のような面持ちで久里浜を見た。

 

「へぇ....!言うねぇ君達.....」

 

「何とでも言うぜ。クソ野郎」

 

「このガキィ....好き勝手言いやがって......まぁいい。どうせ君達には何も分からないし、分かったところで何も出来ないのだからね......アッハッハ!」

 

久里浜は狂気の顔を見せる須郷を睨み付け、言い放った。

 

「そうか。じゃ遠慮無くやらせてもらうぜ。言葉通りにな」

 

須郷はひきつった顔のまま、久里浜らを一瞥すると、外にいるボディーガードに何か一言残し、退室していった。

 

病室の自動ドアが完全に閉じられると、我慢できないというように久里浜が舌打ちをした。

 

「っ....!あのクソったれが!」

 

「落ち着け久里浜。ここは病室だ」

 

「あの野郎、確実に何かを知っていやがるような口調だったぜ。逃すのか、牧田?」

 

「逃したくは無い。でも、確証が無いままやるのは駄目だ。やるなら、もう少し泳がせてからだ」

 

「....分かった。でも牧田、外のアレらは多分逃してくれ無さそうだぜ?」

 

久里浜が顎で示したのは、病室のドアであった。この部屋にいる全員が気が付いている人の気配は、どうやら須郷が残していった置き土産の様である。牧田が感じた気配は三人といった所か。

 

「で、どうするよ?」

 

「邪魔は蹴散らすまで....と言いたい所だけど、生憎USPは没収されたから今持ち合わせが無いんだよなぁ....」

 

牧田は部隊員非承認処分を菊岡から喰らった際に自ら進んで愛銃であるUSPを返納していた。それが今になって必要となるなんて思っても見なかった事だ。

 

どうしようかと悩む牧田を尻目に久里浜は腰のポーチから一つ、ジャケットの下に隠れていた脇のショルダーホルスターからもう一つのハンドガンを取り出し、牧田へ差し出した。

 

「どっちか好きな方を使え」

 

久里浜の右手に持たれた物は、ポリマーフレームを採用し、シリーズ特有のスライド部が直線的というデザインを踏襲したハンドガン、G21である。牧田が使用していたUSP.45と同じ.45ACP弾を使用し、防弾ベストなどのケブラー繊維製防護衣も易々と貫通する威力を持っている。反面、ポリマー素材であるため、重量が軽く、反動が他の.45ACP使用銃に対して反動が強い事が欠点であった。 

 

G21とは逆に、左手に持たれていたのは久里浜の愛銃であるハンドガン、M90-Twoであった。伊ベレッタ社が同社の名銃、ベレッタM92をベースに開発した法執行機関向けの拳銃であり、市街地戦での行動を意識してバレル下部とスライド上部にアタッチメントを取り付ける為のピカティニー・レールが常備されている所が大きな特徴である。久里浜の手に載っているそれにはバレル側のレールにレーザーサイトが、スライド側レールには小型のドットサイトが取り付けられていた。

 

「悪い。こっちを借りる」

 

そういって牧田は、久里浜の右手からマットブラックに塗装されたG21を取ると、スライドを引いて初弾を装填した。グロック社のハンドガンシリーズはセイフティの機構が特殊である。同社のP7のスクイーズド・コッカー方式程では無いが複雑であり、DAO+セーフアクションと言われる独自の機構が採用されている。トリガーを半分引き、シアとファイアリングピン・セイフティによって止められている撃針兼撃鉄の役目を果たしているストライカーの突起を手前側に起こし、実質的なセイフティを解除した。あとはトリガーに取り付けられているトリガーセイフティを解除すれば激発する仕掛けとなっている。普通ならグリップの根元部分にセイフティレバーがあってそれを操作すれば良いだけに、この機構は特殊なモノであった。

 

その発射可能な状態のまま、牧田はモッズコートに隠れていた胸部のナイフホルスターから、防弾ベストを切り裂く事が出来る近接戦闘用のコンバットナイフ「アーマーシュナイダー」を抜き取り、左手に保持した。

 

アーマーシュナイダーを逆手に持つ左手を下に、G21を持った右手を上に重ね、瞬時に射撃からナイフファイトへ移行出来るように構える。近接戦闘ではコンマ一秒の遅れが命の有無を左右する事になる。2m以下の距離では、拳銃を構えるよりもナイフの方が敵を無力化するのに素早く動ける。だから、牧田は両手にそれぞれの装備を持ち、敵に対して柔軟に動けるようにしていた。

 

「.....行くぞ」

 

牧田は素早く病室の入り口へと近付くと、ドア右側のウレタン壁に身体を押し付けた。久里浜はM90-twoを、アンはシグ社のP226をドアの方向に構え、じっと待機している。

 

「そういや久しぶりの実戦か?」

 

「そうだな、約二年ぶりだ」

 

「身体はしっかり動くの?」

 

「大丈夫。勘は取り戻してあるよ」

 

三人とも目を見合せ、頷き合って一呼吸置いたその瞬間、牧田が自動ドアの開閉ボタンを押し、ドアを開けた。ドア正面にハンドガンの照準を合わせていた久里浜とアンは、黒いスーツを着た一人のボディーガードを照門の中心に捉えた。

 

「動くな」

 

サングラスを掛けていてその表情を推し量る事は出来ないが、二対の銃口を向けられたそのボディーガードは、明らかに怯えたような素振りを見せた。

 

「手を上げて。脇へ退いて」 

 

アンがハンドガンを振って脇へ移動させる。そのタイミングで、病室の内側から、G21を構えた牧田が出てくる。

 

三人は牧田、久里浜を前に、アンを後ろにした隊列を組み、EVホールまで続く廊下をゆっくりと進む。その間も、後ろのアンは先程のホールドアップさせたボディーガードから銃口を逸らすことは無かった。

 

10m程進み、自動販売機が立ち並ぶロビーを通過する瞬間、自動販売機の陰から、伸縮式の特殊警棒を持った一人のボディーガードが飛び出し、警棒を振りかぶりながら牧田に襲い掛かった。

 

牧田は膝の可動範囲ぎりぎりまで腰を落とし、斜めに振り下ろされた警棒を避けると、銃把を相手の顔面に叩きつけた。セルロイドフレームのサングラスが割れ、ボディーガードがよろめいた隙に、牧田は彼の右手首を掴んだ。牧田は一度バックステップで反動を付け、それによって開いた両者の距離を急速に縮めるように、ボディーガードの右手首を引き、自身の右腕は横水平に挙げ、そのまま首の中央を狙って叩き込んだ。

 

74kgの体重を載せた牧田のラリアットを首に喰らったボディーガードは、その巨体を空中へと浮き上がらせ、喰らった威力のまま、背後の自販機に叩き付けられた。その衝撃で、自販機のショーケースにヒビが入る。

 

その音で気が付いたのか、最後の一人がEVホール側から走ってきた。久里浜とアンが銃口を向けるが、一切止まる様子は無い。

 

牧田は手早く自販機コーナーから出ると、走ってくる彼に向かって、それに負けない勢いで走り始めた。接触するまでの間にG21をモッズコートのポケットへと忍ばせ、左手のアーマーシュナイダーを逆手持ちにし、構えた。

 

両者の距離が縮まり、長さのある警棒の射程距離に足を踏み入れた瞬間、牧田は強く右足を踏み込んで低めに跳躍した。そのままのペースで接触すると信じ込んでいたボディーガードは、警棒を振り下ろすタイミングを失い、眼前より飛び込んできた牧田の左腕を首に絡ませる事となった。

 

牧田はボディーガードの首に絡ませた左腕を軸に、まるでヨーヨーの様に、遠心力を利用して空中を回った。走って飛び付いた事によりその反動は、屈強なボディーガードをも宙に浮かせる程であった。その軌跡が繋がった円を描いた刹那、牧田は絡ませた左腕を解き、代わりに右手を絡ませた。後頭部から倒れ行くボディーガードに対し、牧田は足を逆方向に向けていた。そのまま、牧田は重力のあるまま、床にボディーガードを叩き付けた。恐らく、格闘技に詳しい者が居るのならば、今現在牧田が繰り出した技名はすぐに分かっただろう。「スリングブレイド」と名付けられたその技は、プロレスリングの技の一つであり、牧田らエージェントが使う近接格闘術のマニュアルには載っていない、牧田が度重なる戦闘でその利便性を見出だした技であった。

 

ボディーガードが意識を失った事を確認した牧田は、駆け寄った久里浜の手を借りて立ち上がった。一番最初にコンタクトしたボディーガードは、久里浜に無力化されたのか踞って動かない。ラリアットを喰らったボディーガードも同様である。

 

牧田は左手のアーマーシュナイダーをナイフホルスターへと仕舞い、コートのポケットに無造作に入れていたG21をデコッキングしてホルスターへと入れた。

 

「衰え知らずだな、お前」

 

「二年ぶりにしては良かったんじゃないかな?」

 

「ありがとう。結局銃もナイフも使わなかったけどな....久里浜、もう少し借りてて良いか?」

 

「ああ。除隊処分が解除されるまで好きなだけ使え」

 

三人はエレベーターへと乗り込むと、元来た道を戻り、病院前の広場へと出た。時刻は午後十時。この時刻になっても人通りの途絶えない神田の街へと入ろうとしたその瞬間、牧田のスマホに着信が入った。

 

「....ん?誰だろ.....エギルか。はいもしもし.....」

 

人通りの喧騒から逃れるように木陰へと移動した牧田を、久里浜とアンは目で追った。

 

「エギルって誰なんだろうね」

 

「....知るかよ」

 

「ちょっとくらい態度を直そうという気は無い訳?」

 

「無いね」

 

再会からまだそれほど時間が経っていない彼らは未だに仲が悪い。悔しそうにぐぬぬ、とアンが唸り声を上げていると、牧田は通話を済ませて二人の元へと戻ってきた。

 

「アン、久里浜、良い情報が入った。御徒町だ」 

 

「御徒町?なんで上野まで行くんだ」

 

アンと久里浜は疑問を浮かべた。それらに対し、牧田は猟奇的な顔を隠さず、二人へ応えた。

 

「反撃の狼煙が上げられるかもしれない。奴らにな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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九話 鬼神の帰還

東京都 東大和市 市立運動公園アーチェリー場 [17:20]

 

栗原絵理香・高校生

 

 

「....ゴースト?」

 

凛が言った「ゴースト」の言葉の意味。それは亡霊か、或いはまた別の存在なのか。同じ「ゴースト」を心に飼っている者として、果たしてそれは何なのか、私の物と何が違うのか、疑問だった。

 

「....まぁ、直感みたいなものです。絵理香さん、あなたは何かに怯えてる。見えない、けど確実に存在する何かに心を奪われてしまっている。だから、自分の感情を押し殺している。違いますか」

 

この娘の唯一の欠点....それは、正直に物を言い過ぎる癖がある事であった。嘘が嫌いな牧田の血を継いだのか、彼女は自分自身が感じたことを包み隠さず口に出してしまう。たとえそれが、誰かを傷付けてしまおうとも。彼女はまだ子供だ。素直である。だが、その素直さに釣り合わない洞察力を持ち合わせてしまったのが、彼女の不運であった。

 

「違う訳では無いよ。ただ、私は怯えてる訳じゃない」

 

「なら何故感情を押し殺すんです?もうあの事件は終わった」

 

「....終わってなんかない。まだずっと続く。例え、ユーリさん達[未帰還者]が還ってきたとしても、私の罪は消えない。消えるはずがないんだ。だから、せめて、牧田君の役に立とうと.....」

 

「兄さんは貴女が傷付く事を望んでいません。だから、貴女が自分を押し殺すことはもう必要無いんです」

 

合っているようで、間違っている。優しさがある凛には理解出来ないだろうし、私としても理解させたくない汚れた現実であったが、話さない以上は分かってもらえないと、意を決して諭し始めた。

 

「必要不必要の問題じゃないんだよ、凛ちゃん。あと、この件にもう牧田君は関係無い。これは、私がけじめを付けるべきものだから。私は、向こうの世界で数えきれない程の罪を犯した。所詮ゲームだと思うかも知れないけど、私にとっては現実世界と同じくらい大切な世界だった。笑われても良い。[鬼神]と呼ばれ、蔑まれ続けるのも、すべては償いの為だから」

 

「.....それで、幸せなんですか」

 

「私は幸せになってはいけない存在だから。私が犯した罪は、それほどまでに重い」

 

「罪....ですか」

 

今まで表情を動かさなかった凛が、初めて感情を顔に現した。少しではあるが、眉間に皺を寄せ、怪訝な顔をしていた。彼女にとっては珍しい表情である。

 

「....変わりましたね、絵理香さん」

 

「....うん。自覚してるよ。だから、もう事件以前の私には戻れない。決着が着くまではね」

 

「終わりの見えない戦いほど辛く、醜悪なものは無いです。そうと分かっていても飛び込むつもりですか」

 

「随分達観してるね。醜悪な人は醜悪な戦い方しか出来ない。いくら舞台が変わろうとも、中身の人間は都合よく入れ替われない。どこの世界でも醜い存在でしかないからね、私は」

 

「....考えは否定しません。行動もご自由になさってください。でも、一つだけ言わせてください」

 

凛は両目を力強く見据え、静かに告げた。

 

「覚えておいてください。貴女が苦しむ事が、何よりも苦痛と感じてる人が居るということを」

 

■■■■■

 

自宅へ入ると、上がったその足のまま風呂場へと向かった。途中にあるラックに帽子とバッグを掛け、上着を脱ぎつつ洗面所に入っていく。露になったアンダーシャツは冷や汗か何かはしらないが、ほんのりと温かく湿っていた。それを気持ちいいと感じる感覚を持っていない栗原は、即座に脱ぎ、さらにその下に着けていた下着をも外した。同じ手順で下もスパッツを脱ぎ、それから下着を脱いだ。

 

浴室に入り、42℃の熱めに設定したシャワーを頭から浴びた。心身共にほぐされる感覚を味わいながらも、栗原の脳内は冷えきっていた。

 

(終わりの見えない決着....醜悪な戦い。随分成長しましたね、あの子も)

 

思い返してみれば、二年の空白の前の凛は中学一年生であったのだ。思春期に子供は急激に成長すると言うが、確かにその通りだと思う。中身にまだ幼さが残るとはいえ、考え方は青年期のそれであり、身体はもう大人の仲間入り出来る程度には成熟していた。栗原は改めて二年という歳月の重さを再確認した。

 

(....私が苦しむ事が、何よりの苦痛ですか)

 

一番気掛かりな言葉だった。凛の言うその人とは、恐らく牧田の事なのだろう。それを察する事くらいは訳無く出来る。栗原が懸念しているのは、牧田が自分のせいで苦しむという事である。

 

昔までは、お互い持ちつ持たれつつの関係であった。栗原も牧田も両方子供であった頃は、互いに支え合っていた。それも時間が経てば立場が変わるということか。今では自分なんかよりも牧田の方がよっぽど強い人間だ。幼馴染という立場から贔屓目に見ても彼は色々な意味で強い。

 

だから幼い頃から好きだった。憧れていた。だが、今ではそんな彼の背中を追うことは許されない。消えはしない「殺人者」の称号と「後生」の呪いが、栗原の心身を縛り付けているからだ。そして、それらの束縛に苦しむ栗原を見て、悲しむのは牧田という凛から告げられた事実。果たして、何が正しく、何が間違っているのだろうか。今の時点で、栗原にそれを正しく認識する知識は無かった。それが理解できるようになるまでには途方もない時間が掛かるだろう。

 

なら、自ら足を進めるしかない。栗原に示された道はただ一つ。それは栗原にとって唯一、因縁を精算できる道であり、同時にユーリ達を助け出す事が可能な方法でもあった。

 

(やるしかないですね....)

 

浮かない気持ちでお湯に打たれながらも目を開くと、目の前にあった鏡に写っていた自らの姿を拝む事になった。水滴に濡れた鏡に写っていたのは、想像してたよりもずっと好戦的な自らの眼差しであった。それを見て、自然と笑いが込み上げて来た。唇の両端を上げ、歯を剥き出しにして笑った。それはまるで犬の笑いであった。

 

■■■■■

 

シャワーを浴び終わり、簡単な食事を作って食べた栗原は、自室のベッドの上でスマホを弄っていた。リンゴ印のスマホの液晶には、SNSのトーク画面が写し出されていた。画面上部に記された話相手の名前は、「牧田凛」であった。

 

[今日はごめんね。久し振りに会ったのに、あんな態度取っちゃって]

 

数分待つと、凛からの返信が来た。着信音と共に、メッセージが表示される。

 

[いえ。こちらこそ申し訳ないです。無遠慮な物言いをしてしまってごめんなさい]  

 

相変わらず固く、そして素直だ。本当に良い娘だな、と感心した栗原はさらに返信を重ねた。華奢な親指が画面の上を跳び跳ねるようにして、文字を打ち込んでいく。

 

[ところで、今牧田君は居るかな?]

 

[兄さんは街の方に出掛けているみたいです。何か用事があるんですか?]

 

[いや、ちょっと気になっただけだよ]

 

自分がこうしてのんびりしているうちにも牧田は行動を始めている。彼に遅れを取るわけにもいかない。きっと彼なら、三日も経たずにこの件を解決してしまうだろう。確かな根拠は無い。だが、ユーリとの再開を渇望するあの姿と、幼馴染として日頃から見てきたあの執念深さならやりかねない。いや、必ずやる。

 

だが、終わってしまっては意味が無い。栗原の抱える呪いはあくまでもSAOで産み出された物だ。それに決着を付けるのならば、自らがSAOを消すしかない。栗原は青白く光る液晶から目を離すと、昨日から勉強机の上に放置されている箱を注視した。

 

■■■■■

 

「リンク・スタート」

 

静かに呟いた途端、意識が引き込まれるようにしてシャットアウトされ、視界が暗転した。次に目を覚ました時には、現実世界ではないと思われる白い正方形の部屋の中に居た。

 

懐かしい感覚だ。身体が軽く浮いたような、何かふわっとした感覚を感じ、つい三ヶ月前まで過ごしていたあの鋼鉄の城での日常を思い出した。脳と機械のパルスの接続が完了したという旨のメッセージが目の前に表示され、続いて頭上にアルヴヘイム・オンラインのロゴマークが浮かび上がってきた。時間経過と共にそのロゴは薄れ、代わりに合成音声で録音された女性の声が、室内に響き渡った。

 

[ようこそ。アルヴヘイム・オンラインへ。](ALO)

 

ロゴが表示されていた空間に、今度はアカウントを登録するためのコンソールが表示された。E-メールアドレスとパスワードを打ち込み、キャラクター情報の入力画面が出てくる。キャラクターの名前に、躊躇い無く[Marron]と入力。約二年、自分の分身として生きていた名前だ。たとえ暗い過去が有ろうとも、愛着は湧く。

 

続いて唯一の外見設定要素となる種族選択をシステムは促した。シルフ、サラマンダーといったファンタジー系RPGでは馴染みの名前や、レプラコーン、ノームといった全く知らない名前まである。全9つの種族でこの世界の人口は成り立っているらしい。外見以外にも性能で差別化を図る為かそれぞれに特徴があるらしく、栗原は、一番自分の戦闘スタイルに合致しているシルフを選択した。スピードと手数で勝負していくタイプの種族であった。選択し、確定したと同時に自分の身体が描写され、今まで透明で見えなかった自分の四肢が確認出来た。

 

全ての初期設定が完了し終わり、マロンの身体が光に包まれる。幸運を祈ります、という音声に送られて、マイナスGをお腹で感じながらゆっくりと降下していく。降りていく先にあるのは、広大な面積を持つ森と、平野に作られた大きな街だった。 

 

懐かしい。過去のマロンも、新しい街を見つければそれを見て興奮し、感動を味わっていた。溢れ出る好奇心は、あの頃と変わっていない。外面は「鬼神」であっても、中身はまだ18歳の少女であった。

 

まだ栗の英訳が[Chestnut(チェスナット)]ではなく[Marron(マロン)]だと思っていた中学生の頃の自分。そんな幼かった自分が作り出した、「鬼神」と蔑まれた少女。降り立った世界は違えども、彼女は甦った。今はそれだけでいい。やっと、自らの呪いとの決着を付ける舞台が整った。

 

高度が下がっていくにつれて、落下地点の様子が詳細に確認出来た。大きな都市から少し離れた森の中だ。森から街もそれほど遠くない。道なりに進んで2キロあるかどうかの距離だ。

 

ゆっくりと高度は下がっていき、落下し始めてから約五分程で地上に辿り着いた。足が地面の感触を捉えた瞬間、マロンの身体を包んでいた光が割れるようにして弾け飛んだ。どうやら初期装備がマウントされたらしい。身体を見回してみると、栗原の左腰には何やら二つの刀が指さっていた。それを見て一瞬、鋭い痛みが頭の中を過った。反射的に右手でこめかみを押さえたが、謎の痛みは引かない。そして、俯いたマロンの視線の先にあったのは、自身が装備している刀の姿。初期装備にしては豪華な武器だ。マロンはその刀の姿に何かしらの違和感を感じていた。

 

「これは.....」

 

そうだ。既視感だ。この刀達を自分はどこかで見たことがある。短い方の刀は白く塗られた鞘に金細工で飾り付けられた模様が。鞘の部分には「鬼」の漢字を意匠化した家紋の様なものが取り付けられている。長い方の刀は、まるで生き血を吸ったかの如く赤黒く染められており、一目見ただけで禍々しさが伝わってくる。何を思ったのか自分でも分からないが、衝動に駆られて柄を握り、鞘から引き抜いた。剣先が通った空間には深紅の筋が浮かび上がった。

 

あまりにも早い邂逅だった。早すぎる。マロンはそう思わずには居られなかった。

 

手元の刀を見つめる。露になった刀身は、触れるもの全てを切り裂きそうな、鋭い雰囲気を放っていた。尚且つ、妖艶で周囲の物を魅了する魅力も兼ね備えている。「妖刀」と呼ばれるだけのことはある。ごくり、と口腔内に溜まった唾を飲み込み、刀を鞘に納める。

 

「後生」。約三ヶ月ぶりに邂逅した、マロンの「元」愛刀であり、そしてマロンが抱える諸悪の根源でもある因縁を持つ日本刀である。一度はSAOで決別した筈である。が、ここはSAOではない。ALOという、全く別の世界であるはずなのだ。

 

「何故こんなところで.....?」

 

疑問に思ったマロンは、左手を振ってステータスウィンドウを表示させた。幾らか操作をし、プレイヤーの装備を管理する装備メニューを開いた。そこに表示されていたのは、ここ二年間何度も目にした文字列の数々であった。

 

武器装備欄に表示された日本刀・[後生]、副装備品欄の日本刀・[絶風]。防具欄の浴衣[潮]。アクセサリー・装飾品欄の[祈りの髪飾り]。どれも、あの二年間を共に戦場を駆けてきた装備だった。見覚えがあるとかそういう問題では無い。ここに存在するはずがない物が存在している。その事実が、マロンの頭を混乱させていた。

 

続いて スキル管理画面に表示を変え、こちらも確認してみる。そこには自身が習得しているスキルを、種別と熟練度毎に組み分けて表示する画面てある。「Marron」という名前の下には、[居合] [抜刀術] [気配] [探知] [料理]....等、これまた見覚えのある物ばかりが表示されていた。しかも、一部スキルの熟練度欄にはマスターした事を示す王冠マークすら付いている。スキルの熟練度表記も、SAOと何一つ変わっていない。[未帰還者]の件もあり、いよいよこのゲームに何かが隠されているという疑問が確信へと変わりつつある。

 

「まさか本当に....」

 

不穏な考えが頭の中で渦巻く。ぼんやりとした影の存在を感じ始めたマロンは、遠く彼方にそびえ立つ大木を見据えながら、訝しむように目を細め、唇を噛み締めていた。

 

 

 

  

 

 

 

 

 



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十話 禁忌の発露

アルヴヘイム・オンライン シルフ領首都スイルベーン

 

マロン・シルフ/剣士

 

取り敢えず情報収集から手を付けようと、近くにあった大都市に入ったマロンは、多くのプレイヤーが集まる酒場へと向かっていた。「スイルベーン」と名の付いたこの都市は、どうやらマロンが選択したシルフという種族の首都であるらしい。街の中央を縦断する大通りを歩いていて、見かけるプレイヤーは殆どが緑がかった容姿を持つシルフのものであった。

 

左手側に、大きな建物が見えた。看板を見るに、防具を売っている店であるらしい。軒下には多数のショーウィンドが並んでいた。その前を通り掛かる時、そのショーウィンドに使われていた硝子が、マロンの姿を反射して光面に写し出した。アイス・グリーンのショートカットに藍色で書き込まれた菖蒲柄の白い浴衣。足には漆塗りの下駄を履き、腰には「後生」「絶風」の二刀が指さっている。

 

SAOの時は現実世界の容姿に基づいたアバターであった為か、硝子に写った自分のアバターが、新鮮なものに感じられた。やはり、ゲームの世界というものは心地がいい。現実世界の事を考えなくて済む。その考えで、人生を無駄にする人も居るが、マロンにその杞憂は無かった。

 

ショーウィンドから視線を外し、再び酒場へと歩き始める。

 

大通りから少し外れた場所にあるこの街最大の酒場へ向かう為、大通りから逸れて小路へと入っていった。

 

その途中、何故か何度も歩道上のプレイヤー達から視線を向けられた。「後生」と「絶風」の装備が目立つからなのか、アバターへの好奇の目線なのかは判断が付かない。視線を集める行為は何もしていない筈だ。

 

MMORPGにおいて、レアなアイテムというものは一番価値のあるものだと言える。それを手に入れる為に、プレイヤー達は多大な時間を掛け、他人よりも優れた装備を獲得しようとするのが普通だ。[後生]と[絶風]、この世界に存在しないはずの二つの刀が多くの人の目線を集めるのは当然のことだろう。そして、その見たこともない刀を、見たこともない新人のプレイヤーが持っていることも、一段と目を引くのだろう。

 

それゆえに、引っ掛かる物は有益なものだとは限らない。

 

「おい、お前さんよぉ」

 

突然、右後ろから声が掛けられた。あまり馴染みのない、ドスの効いた男の声であった。

 

声のした方向へと振り返ると、そこには髪をシャンパンゴールドに染め、多数の装飾品をガチャガチャとさせている青年達が立っていた。種族こそ同じシルフなのだろうが、雰囲気はおよそこの街に似つかわしくないと言えた。その数、感知出来るだけで六人ほど。どれもまるでならず者の様な態度を取り、街の中であるのにも関わらず武器を構えて威嚇している。それだからか、周囲の人間は遠巻きにこちらを見てくるだけで、野次馬のように押し寄せたりはしなかった。それだけこのならず者集団が恐れられているということだとろう。

 

しかし、何故絡まれたのかは分からない。目の前にいる集団とは今さっき出会ったばかりだ。SAO内でもこんな人物と関係を持った事は無い。そもそもアバターが違うのだから、このキャラが「マロン」である事を知るのは不可能に近い。いや、彼らが[攻略組]の面子であったり、[殺人者]であるのならこの[後生]を見て気付くのかもしれない。しかし、彼らとは何の関わりも無い筈だ。だが、目の前のならず者達は、明らかにマロンを標的として何かを起こそうとしている。嫌な予感が全身を包んだ。

 

「何でしょうか?」

 

出来るだけ相手方を刺激しないように問いかける。

 

「あぁ?てめぇどこ通ってると思ってやがるんだ?」

 

どういう事だと周りを見渡してみるが、良く分からない。何も境界線のようなものはないし、特に何かした訳でもない。ただ歩いていただけだ。

 

困った表情をしていると、ならず者の一人が痺れを切らしたように喚き立てた。

 

「俺達の目の前を横切りやがった事を覚えてないのか?!」

 

最初、彼が言っている事が全く理解できず、思わず「は?」という言葉が出てしまった。それほどまでに彼らの主張は突拍子も無く、無茶苦茶なものだった。

 

「貴方達は大名行列か何かですか....?」

 

「知るかよ。そんな事より大事な事があるよな?通行代だよ、通行代」

 

さらに唖然とした。展開が早すぎる。彼らが初心者をカモにした搾取集団なのか、またはただ単に粋がっている集団なのかは知らないが、このゲーム内の治安はそこそこに悪いらしい。おそらくではあるが、初心者かつレアな装備を持っていたのでカモにしようと企んだのだろう。

 

だからと言って彼らに通行料を払う義理は無い。もう無視して行ってしまおうか、と考えたが、すぐにその考えが甘い事に気がついた。二人の男、一人の女に前後の退路を塞がれていた。どれもこれも初心者から搾取して楽しもうという魂胆が見え透ける笑いを浮かべていた。

 

「すいません。このゲームを始めたばかりなので、払える物は何も」

 

「じゃあその腰に下げてる刀は何だ? その浴衣は? 俺の鑑定スキルで見たとこ、かなりのレア物じゃねぇか。まぁ、金が無いならそれで払ってもらうかな」

 

「断る....と言ったらどうするんですか?」

 

正面の男は好戦的な眼を見開き、腰に下げていた短剣を抜いた。その表情は、前に何度も目にしたものだった。

 

「そりゃ、強行手段で徴収するまで、でしょ」

 

マロンは暫くその男の眼を見つめていた。見開かれ、血管が血走った眼差し。それはSAOで何度も相対し、殺めてきた殺人者達の眼とそう変わりは無かった。ここでもか...と人間の本質の変わらなさに落胆したが、それを面には出さず、一瞬瞑目したに留まった。そして、眼を開いて男を見返すと、毅然と言い放った。

 

「分かりました。ここは武力で決着を着けましょう」

 

その応えに対し、男は口元を歪め、笑った。

 

「望むところだ。いくらレア装備持ってるからって、このゲーム舐めたら痛い目見るぞ、初心者」

 

そう言いながら男はウィンドウを開き、デュエルの申請をこちらに飛ばしてきた。内容は3vs1の[HP全損決着モード]、相手側の内訳はリーダー格で、短剣を装備した男、槍を装備した細身の男、片手剣を装備した紅一点の女といった面子だ。3対1とは初心者に対して大人げない、と思ったがあの眼差しをした者はそういった情けを知らないと思い、自身の準備を始めた。

 

左腰に下げられた「後生」の柄を握る。久しぶり、とは言っても三ヶ月ほどであるが、それ以来の戦闘だ。自然と身体が疼いてくる。

 

身体の重心を気持ち前に置いて、視界内には常に全ての敵を捉えておくように心掛ける。HPは三分のニまでは安全圏。それを過ぎたら回復を優先.....脳内に染み付くほど叩き込まれた戦闘の心得を思考に呼び出し、さらに今まで意図的に意識の外へ放り出していた頭痛も呼び覚ます。

 

[DUEL READY.....]

 

視界の中央に紫色のシステムメッセージが表示され、カウントダウンが始まる。数字が減っていることを確認し、深呼吸を一つ吐く。カウントが減る毎に意識が研ぎ澄まされていく。

 

「後生」を握る右手に力が入る。カチャ、と金属が擦れ合う音が鳴った瞬間、それが合図になったように開戦の号砲が上がった。

 

[DUEL!!!]

 

戦闘開始と同時に、地面を蹴り出して敵との距離を詰める。飛ぶ前の対峙距離は約十五メートルだったが、ショートジャンプで五メートル程までに間合いを詰めた。その勢いのまま、向こうから近付いてきた短剣持ちの敵に対して「後生」を抜き付けた。

 

赤い軌跡を残し、妖刀「後生」が抜き放たれる。その刀身は敵の右腕を狙ったが、その短剣持ちは意外に速い反応を見せ、防がれる。

 

「後生」の赤い刀身と短剣の重厚な刀身とがぶつかり合い、その間に火花を散らした。

 

初撃が失敗したと悟ったマロンは、納刀しながらバックステップで後退し、再び距離を取った。

 

しかし敵は休ませてくれない。短剣持ちと戦っていた間に左側に回り込んでいた槍持ちが、得物のロングスピアで強烈な突きを放ってきた。

 

「クッ....!」

 

間一髪、ショートステップで後ろに下がり回避。もう一発放たれた突きはもう一本の日本刀「絶風」で受け、持ちこたえる。

 

そうしている間に、次は右側から片手剣を持った女が襲いかかってくる。左手は「絶風」で埋まっていたので、空いていた右手で「後生」を掴み、女の攻撃を防ぐ。

 

片手剣を弾き、一瞬の隙が出来た瞬間に左側で槍を防ぎ切った「絶風」を右側へと引き付け、二刀で女へと打ち込み、ダメージを与える。だが、正面の男が割り込んできた事によって決定的な有効打は与えられないまま引き下がる事となった。

 

(このグループ、連携が上手い.....!!)

 

予想外だった。三人が攻撃位置を被らせず、マロンを包み込む様にしてフォーメーションを取っている。連携が生死を分けたSAOの熟練パーティー程では無いにせよ、中々の連携だ。

 

再び刀を納刀し、三人の敵に向き直る。

 

既に余裕は無い。敵の攻撃を受け流すのに精一杯といった所だ。

 

「余裕無いねぇ....よくそれでアタシ達に刃向かって来たものだよ」

 

「ハッ、全くだ。まだ本気出してねぇのになぁ」

 

敵は三人とも、余裕の表情だ。そして、まだ本気を出してないときた。戦闘開始から一分程しか経過していないが、すでに劣勢に追い込まれたこの状況で、なにか打開策はあるのか。

 

(戦いながら考えるしか....ない!)

 

再び地面を蹴った。正面の男に、「後生」での抜き打ちを仕掛ける。一見、先程と同じ攻撃を仕掛けているように見える。が、同じに見えるのはマロンの狙いであり、本当は右の「後生」を抜き打ちすると見せかけて左の「絶風」で切り付けるというフェイントアタックを男に対して仕掛けていた。

 

男はそれに引っ掛かり、マロンの攻撃は成功した.....かのように思われた。が、男はマロンの思いもしなかった方法で攻撃を回避してのけた。

 

「絶風」の抜き打ちが命中する寸前、男の背中に突然透明の羽が生えた。男はそれを羽ばたかせ、飛び立ちマロンの頭上を越えて攻撃を回避した。

 

「なっ....!」

 

完全に忘れていた。この世界のウリは「飛べる」事であると。

 

「頭上がガラ空きだぜ!」

 

咄嗟に「後生」で頭を庇ったが、相手の短剣はそれをすり抜けマロンの肩に突き刺さる。鈍い痛みと共に、左下の視界にぼんやりと映るHPゲージが、三分の一程減少した。

 

左手に持つ「絶風」を男に振るうが、相手は既にマロンから距離を取っており、その剣先が相手に命中する事は無かった。

 

納刀し、背後にある二つの気配を探知しながら呼吸を整える。

 

(忘れていた.....完全に失態です...)

 

何故エギルの話を覚えていなかったのか。否、覚えてはいた。だが、未だ頭に残る頭痛が、その記憶の引き出しを閉ざしていた。

 

背後から一つの気配が迫ってくる。反射的に振り返り、「絶風」を抜き打つ。マロンの日本刀と女の片手剣が打ち付けられ合う。

 

「背中が空いてるぜぇ?」

 

背後から伸びてきたロングスピアがマロンの胴体を貫いた。HPはレッドゾーンに達した。回復しようとしたがアイテムは無い。そもそも剣を押さえられ、槍に貫かれ身動きが取れない。

 

もうどうしようもない状況であった。ダメージによって霞んだ視界に、離れた所から飛び立った短剣の男を捉える事が出来た。身体を捻ってもがくが、返しが付いている槍だからかダメージを受ける量が増えるだけであった。

 

燦々と照っていた太陽が陰った。頭上を向くと、男が短剣を振りかぶって急降下してマロンに近付いていた。絶体絶命、万事休す。負けを覚悟したマロンは、目を強く瞑った。同時に、頭痛が酷くなる。脳を直接刺激しているような痛覚に、マロンの意識は朦朧とし始めた。

 

「....ま....れない.....」

 

急降下してくる男の眼差しを見ないように。殺人者と同じ眼差しを持つ者に殺さるという現実から逃げるように、瞑目した。

 

「....た....を...このまま.....せず終われない....なたを....」

 

「刃向かった罰だ! 死ねぇぇぇえ!」

 

短剣の剣先がマロンの頭へと突き刺さるその一瞬前、牙を潜めていた最凶の「妖刀」は抜き放たれた。

 

[貴方を殺す!]

 

ACT.1 [The another "Fairy Dance"] 完



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ACT.2 "Frost Demon"
十一話 無意識の意思


[貴方を殺す!!]

 

リーダー格の男が振り下ろした短剣は、その鋭利な切っ先をマロンのアバターにめり込ませ、HPを完全に削り取る筈だった。

 

だが、振り下ろしても、明確な手応えが男には掴めなかった。着地時の衝撃で飛び散った土煙が晴れ、先程までいたはずの場所を見るが、二人のメンバーによって囲まれていた緑髪の少女の姿は無い。三人は驚いた表情で顔を見合せ、辺りをキョロキョロと見回す。

 

「逃げたのか.....?」

 

ここは街の小道のど真ん中なので、周りは建物で囲まれている。隠れようと思えばどこにでも隠れられる場所はあるのだが、男が持つ気配スキルの探知圏内に彼女の姿は見えない。

 

逃げた、と判断を下しかけたその瞬間。

 

「ぐぁっ....なっ.....」

 

視界の端にあった槍持ちの男の身体が、何かに衝突されたようにぐらりと揺れた。崩れ落ちるようにして地に膝を付けた男の身体には、赤く塗られたダメージエフェクトが大量に付着していた。それもウィークポイントとして設定されている首筋や脇の下などを集中的に狙ったものだ。

 

「エンジ!どこからヤラれた?」

 

「判らねぇ....速すぎる」

 

男は短剣を逆手持ちに持ち直すと、自分の聴覚に全神経を集中させた。槍持ちのエンジには仕方が無いが、囮となってもらおう。死にかけのエンジにとどめを刺しに来た瞬間を狙う。そうすれば、いくら機動性があろうとも確実に仕留める事が出来る。そう考えた男は、手近にあった木箱に身を隠し、その時を待った。

 

その時、男はふとある事を思い出していた。

 

「あの日本刀.....どこかで聞いた事があるぞ.....」

 

元SAOプレイヤーだった男にとって、その記憶は確かな物だった。男には中層辺りで色々な悪事を働いた経験がある。積極的に人を殺す程イカれては無かったが、それでも様々なギルドや賞金稼ぎの連中に狙われた。その最中、「ある鬼神」の噂が流れた事があった。

 

[その女は血塗られた色をした深紅の長刀と、業物と一目見て分かる短刀を持ち、藍色の模様がある白い浴衣を着ていた。顔立ちは整っていて、一見美しく見えたが、それに騙されるな。彼女は"鬼神"だ]

 

SAOの中層あたりで耳にしたその噂。それを流布させたのは有名な殺人ギルドのメンバーであったが、その彼は流布させた数週間後に何者かによって殺され、最期を迎えたと他人を通して聞いた。

 

今対峙している敵は、その[鬼神]ではないのか。男の頭に、その考えが過る。二対の刀、浴衣、そして顔つき。噂通りの腕前、そして[狙った札付きは逃さない]と噂に聞く恐るべき執念。

 

なら、何故奴は、こんな場所へ来たんだ? あの殺伐とした世界と、こんな生ぬるい闘いしか出来ない花畑のような世界じゃ、役者も舞台も違うーーー

 

男の聴覚に、風を切った音が引っ掛かる。反射的に短剣をその方向へと繰り出し、音速とも言えるであろうスピードで迫ってきた[何か]を受け止める。接触点に大掛かりなエフェクトが飛び散り、男は反動を受けるようにしてバックステップを取った。

 

幸い、衝撃を上手く受け止めたからかダメージは少量で済んだ。周りを覆っていた土煙のエフェクトが晴れる。視界が徐々に明瞭になっていくに従って、衝突してきた[何か]の姿が見えるようになった。正面で男と対峙していたのは、予想通りと言うべきか[鬼神]であった。

 

だが、何かが違う。先程とは何かが変わった。

 

カメラ(両目)が.....赤い.....?」

 

[鬼神]の双貌が、赤く光っていた。彼女が顔を動かす度に眼の軌跡が、空中に尾を引くようにして赤いラインを描く。それは正に、獲物を狙う[鬼神]の眼光であった。何かしらのアイテムを使ったのかは知らないが、エンジを仕留めた時の常人離れしたスピードからして強めのエンハンス(強化)が掛かっていると見た。

 

ならば、エンハンスの時間切れを狙うか。定石の戦術を採ろうとした男は、次の瞬間にその考えが甘いことに気付いた。

 

「っ!!」

 

恐ろしい速さで、[鬼神]が突撃を敢行してきた。咄嗟に短剣で庇おうとしたが、間に合わないと判断し、ダメージを受ける覚悟で敵に肉薄した。

 

[鬼神]の右手から放たれた紅い刀身が、男の眼前を通過していく。視界の端に捉えたそれは、噂通りの禍々しいデザインだ。[鬼神]が使うにふさわしいとも言える武器か。ますます興味が湧いてくる。なら......

 

「殺すしかねェよなァ!」

 

既に肉薄していた[鬼神]の脇腹に、短剣を突き刺す。だが、防具として装備している浴衣が高性能なのか、なかなか深く突き刺さらない。

 

「浅かったかっ? なら抉ってやる!」

 

ぐぐくっ、と徐々に短剣の先端がマロンの脇腹へと食い込む。簡単に抜け落ちない様、短剣の刃には返しが付いており、それがダメージを増えさせる一因となっていたはずだった。だが、目の前の鬼神はそんな事を意にも介さないと言わんばかりの表情をしていた。笑ってやがる。その表情を見た男が何らかの狂気を感じ取る前にマロンは動き出した。

 

付き出していた[後生]を引き戻し、その流れでマロンに密着していた男の首筋を切りつける。全種族、全プレイヤーキャラクターが共通でウィークポイントとする部位を、正確に狙った攻撃だ。それに対して男は突き刺していた短剣を力ずくで引き抜き、首筋に迫る[後生]を迎撃した。だが、それを掻い潜り、[後生]の刃は男の首へ、深い一撃を喰らわせた。

 

「っんあ....クソ...」

 

歪む視界の中で、左下に浮かぶHPゲージを確認する。残りはたったの23。2000近くあった最大時から、まだ片手の指の数ほどしか攻撃を喰らっていないのにも関わらずこの数字だ。本当にイカれてやがる。奴の何もかも、全てがイカれてやがる。

 

「この、クソ鬼神があああぁぁぁ」

 

握ったままの短剣を振り上げる。その顔には狂気と恐怖が混ざったような、何かドロドロとしたものが浮き出ていた。

 

「.....煩い」

 

脱力したように肩を下げたまま立ち尽くしていたマロンは、次の瞬間にはもう男の懐へと飛び込んでいた。がら空きとなっていた脇の下をくぐり抜け、男の背中に逆手持ちにした[後生]を渾身の力を込めて突き刺した。彼の身体を突き抜け、左胸から体内の血を吸収したかのように赤黒く輝いた[後生]が露出する。

 

「がっ.....あ.....」

 

ダメージエフェクトの影響で震える身体を精一杯制し、男は[鬼神]へと目線を合わせようとした。だが別に彼が[鬼神]の眼差しを自ら進んで見ようとしていた訳ではない。意思に関係無く「引き寄せられるようにして」見させられたものだった。

 

紅色に光る眼光は、何かを訴えかけるような感情を秘めていた。「眼は口ほどに物を語る」というが、その時の[鬼神]の眼が正にそれである。口では何も言わない。だが男の目を蔑むようにして覗く彼女の眼は、何かを訴えていた。

 

「.........」

 

暫く、その可憐な容姿の少女が向ける視線を受け止めていた男は、惚けたようにその姿に見入っていた。しかし、暫くすると視線を交わしていた男は突然、発狂したように騒ぎ出した。その様子は尋常では無く、何か恐ろしい物を見たような顔をし、甲高い悲鳴を上げて怯えていた。

 

「ヒイィィッッッ!タスケテェ!タスケテクダサイィィ!」

 

「.......煩い、煩い、煩い!」

 

今まで彫刻のように動かなかった[鬼神]が、男に突き刺していた[後生]を引き抜いた。そのまま、刃先を男の眼球へと向け、大きく振りかぶる。左手で男の後頭部を掴み、[後生]の拘束が外れて暴れだした男を抑えた。

 

振りかぶった[後生]の刀身が妖しく蠢く(うごめ)。それに呼応するように、マロンの眼光も鋭く光る。

 

「シヌノハ、シヌノハイヤダァアアア!!!」

 

「.....煩いんだよ!」

 

力任せに突き出された[後生]が、男の眼球に突き刺さる。右目を正確に貫かれ、僅かばかりに残っていたHPが遂に0となった男は、この世の物とは思えないような叫びを残し、ポリゴンと化して消え去った。

 

「ば、ば、ば、化け物.....」

 

エンジと呼ばれた男は既に消え、残って傍観していた女がそう呟いた。SAOの時、対峙した殺人者達から何度も何度も投げ掛けられた言葉。その言葉に、マロンは然して興味が無いと言わんばかりにその女から背を背けた。そしてそれを見た女は、今がチャンスと逃げ出していた。

 

路地裏の小道に残されたのは、[鬼神]と化したマロンと、最初に切りつけられて動けないままのエンジと呼ばれていた男の二人だけ。だがその男にとどめを刺すつもりは無かった。それは[鬼神]に残された僅かながらの慈悲などではなく、[今ここでとどめを刺しても無駄]という判断を、[妖刀]が下したからであった。

 

逃げ出した女の足音が消え、少し経った頃、突然マロンの眼前に一枚の赤いウィンドウメッセージが、警告音と共に表示された。

 

[妖刀システム 拘束解除 操作権限をプレイヤー"marron(マロン)"へ譲渡]

 

そのメッセージが消えた瞬間、赤く光っていたマロンの双貌が元の碧眼へと戻り、妖しく蠢いていた[後生]の刀身は、力を失ったかのように元の刀身へと戻った。光が灯っていない、虚ろな目で仮想世界特有の青すぎる空を眺めていた少女の身体は倒れ、マロンの意識は暗転した。       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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十二話 妖刀の亡霊

8/22 追記 一部箇所修正しました。


夢を見ていた。長く、深い眠りの中での夢だ。

 

まるで人生をまるまる一つ体験したような、そんな夢。その夢の主人公は、一人の少女だった。

 

小柄な少女は、幸せそうだった。いつも笑い、楽しそうにしている。仲の良い幼馴染の男の子の隣にいつもいて、何か辛いことがあれば助けてくれる。逆に、その男の子が困っている時には、寄り添っていた。持ちつ持たれつつの理想的な関係。幸せ以外の何物でもないそんな生活が長く続く夢を見た。

 

なにもかもが現実とは違うその夢に、夢を見る少女は何故か既視感を覚えていた。

 

その少女が歳を重ねていくにつれて、彼も歳を重ねていく。少年から青年へ、青年から大人へ。ずっと寄り添っていた。近くで見ていた。本当に、本当に幸せだ。

 

それと比べ、栗原絵里香の現状はどうだろうか。誰にも寄り添えず、少しの力にもなれず、何も出来ない。幸せなんてものは殆ど実感できない、それが現状だった。

 

夢の少女のように、すべてが幸せになることなど無い。そう過去の自分に伝えたい。普通に生活しながら夢を見ていた、二年半前の自分に。だがそれは不可能な事だ。

 

今の私は、[殺人者(マダー)]と[鬼人](フロスト・デーモン)の異名を負っておいて、何の力にもなれない唯の無能に過ぎない。夢の中の少女は、あくまでも私が描いた理想の具現化でしかない。だが、「夢の中の幸せな少女」と「現実世界の無能な殺人者」、果たしてどちらに生きる価値があるのだろうか。

 

「現実世界の無能な殺人者だとしたのなら、そんな私は一体、何の為に生きている?」

 

自問した所で答えなど出てこないのは既に分かっている筈だった。だが、自問せずにはいられない。不安だった。自分の生きる理由が無くなってしまう事が。そして、死ぬことに理由が付いてしまう事が。

 

だから答えが出ない質問を自分に対して繰り返していた。それは一種の自慰行為に近い。自らの生存欲を満たす為とはいえ、情けない行為だった。

 

(情けない。本当に、情けない女だ......)

 

どこからともなく聞こえてくるくぐもった男の声。初めて聞いた声であるが、どこか懐かしさを感じる声であった。そして栗原は、その声の主の正体を、夢を泳ぐ薄い意識の中で看破していた。

 

(....後生...?)

 

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 

 

風が吹いている。涼しい風が、Tシャツの袖から出る二の腕を掠める。それを薄い意識で受け止めていた。だがその風は心地良いものでは無く、冷たく、機械的な風であった。

 

その風の気持ち悪さによって薄い意識が段々と晴れていき、視界がはっきりとする頃にはその風の正体が掴めていた。寝そべっている足の方向にあるエアコンのスリットから、えらく冷たい風が吹き付けていた。壁に取り付けられている家電制御用の液晶を見ると、[冷房]の表示が目に入った。その横に映された設定温度は28度と、真冬であるのにも関わらず冷房が点いていた。何故だろう、と疑問を感じる前に強烈な吐き気が栗原の頭を襲った。

 

反射的に床に置いてあったビニール袋が被さっているゴミ箱を掴みとり、顔をその中に突っ込んだ。途端に緊張していたストッパーが緩み、胃がまるごと出てくるのではないのかという勢いで内容物を吐き出した。

 

その嘔吐がようやく落ち着いた頃には、頭が酸欠を起こしたかの様にぼんやりとし、視界が薄暗く歪んでいた。なんとか力を振り絞って顔はゴミ箱から離したものの、自分の意思では身体を動かせないレベルまで衰弱していた。鳴り止むことが無い耳鳴りで周囲の音を感じとる事は出来ず、部屋中に漂う香りも込み上げてきた胃液によって鼻が塞がれて感じることができない。栗原は五感の殆どが塞がれた状態で佇んでいた。

 

全身の毛穴という毛穴から汗が吹き出し、顔に至っては鼻先から滝のごとく汗が流れ落ちていた。その雫はフローリングに溜まって小さな池となり、その池は苦しみ悶える栗原の顔を写し出していた。

 

「はあっ.......はあっ......」

 

オーバーヒートを起こした脳が酸素を求めて肺を異常なまでに働かせていた。意識は朦朧としていて今の状況を把握することが困難だった。何故嘔吐したのか、まるでわからない。頭の中は混乱の最中にあった。

 

どうしようもないと少し時間を置き、そのままの体勢で比較的思考が出来る状態まで身体を休ませた栗原は、吐瀉物の溜まったゴミ袋を見つめ、何故突然体調が急変したのかを考えた。

 

まずエアコンだが、気温が低いにも関わらず勝手に動作するとは思えない。このエアコンは、家中の家電を一括操作するAIによって管理されている。AIの誤差動は今までに無く、突然動き出したとは考えにくい。冷房が付くレベルの熱源が、この部屋の中にあったから動き出したのでは、と気付き、自分の額に触れてみるが、自分の体温など判る筈もなく、結局机の引き出しに入っていた体温計を脇に挟んだ。一分後、小さな電子音を鳴らし、体温を測り終えたと伝えた体温計を引き抜き、その液晶を覗く。

 

そこに表示されていた数字は、なんと四十度ジャスト。栗原の人生経験には無い数字であった。道理で死ぬかと思う程体調が悪い訳だ。その死にそうになる体温をIRセンサーで捉えたエアコンが作動してしまうのも無理はない。おかしいのはエアコンでは無く、自分自身の方であった。

 

一目見て確認した体温計はベッドの上へと放り、自身も強烈な気だるさに耐えられず、ベッドへと倒れ込んだ。マットレスが栗原の体重を受け止め、軽く跳ね返した。

 

薄い意識の中で改めて思い返したのは、精神をざわつかせた「妖刀」(後生)の感触だった。懐かしいとも言えるその感触は、栗原の精神をまるでベルトサンダに掛けたようにして削っていった。その結果の体調不良なのではないか。明確な根拠は無いが、一年半近く自らの精神に居座り続けている異物の事ならば、自分の事のように理解できているつもりだ。

 

「あの時からそうですか.....[妖刀]を扱い切れず、身体が耐えられなくなってきたのは.....ふふっ.....」

 

手探りでベッドの上に放っていたアミュスフィアを探し、電源コードを掴んでたぐり寄せた。冷えた金属の感触がするアミュスフィアのメインフレームを掴むと、汗が滴る頭へと被せた。

 

「[後生]の亡霊め....」

 

いつまで私から離れないんですか、と言葉を続ける余裕は無かった。僅かに残る体力を振り絞り、栗原は起動の合言葉を呟いた。

 

「.....リンク・スタート」

 

 

■■■■■

 

東京都・千代田区秋葉原 [22:30]

 

牧田 玲・DAIS[Disavowed]所属エージェント

 

牧田、久里浜、アンの三人は、日大病院を後にすると上野方面に向かって歩き始めた。今の精神状態で人混みの多い電車に乗る気は三人とも無く、夜の冷涼な空気を欲した三人は、少し遠いながらも徒歩での移動を選択した。

 

三人は一番背の低いアンを中心に、牧田が右、久里浜が左を挟んで歩いていた。カーディガンを羽織るのみで寒そうにしていたアンに久里浜は嫌々ながらもフライトジャケットを貸し、アンはフードのファーに顔を埋め、温かさを堪能していた。

 

「....ねぇ、玲くん」

 

隣を歩くアンが、フードから顔を少しだけ出し、気兼ねしたようにこちらを伺っていた。牧田は、その表情でアンが何を言わんとしているのかがある程度察する事が出来た。

 

「どうした。VRゲーム(ソードアート・オンライン)の事か?」

 

「....どうして分かったの?」

 

アンが驚いたというように目を見開いた。

 

「さあな。只の勘だよ」

 

「.....まぁいっか。仮想世界って、どんな感じだったの?」

 

えらくアバウトな質問だな、と牧田は困った様に頭を掻いた。仮想世界と一口に言っても色々な種類があるが、きっとアンの差し示す仮想世界は、SAOの事だと予想することができた。

 

「...面白い場所ではあった、と言ったら駄目か。他の[帰還者]に怒られるな....まぁ、魅力的だったよ」

 

それは嘘では無く、事実だった。現実世界とは違い、新しい発見や未知との遭遇の機会に恵まれ、新たに芽生えた交友もあった。冷血が基本条件とされるエージェントにも、そのような事を楽しむくらいの人の心はある。あの世界での出来事のほとんどは、惹かれる程の魅力を放っていた。

 

「あの世界で、本当の人間の欲深さを見れた。それだけでも良い経験になった」

 

死が間近にある世界で、自らが生き残る為ならばと、盗み、詐欺、恐喝等、あらゆる行為が横行し、挙げ句の果てには殺人まで起きた。牧田には直接SAOのログに触れられる権限は無かったが、菊岡に頼み込み「SAO内部で死に至った者の死因内訳」を伝えてもらっていた。死者四千人中、他プレイヤーからの攻撃で亡くなった者はおよそ七百人。内、「グリーンプレイヤー」と呼ばれる健全なプレイヤーの割合は五百五十人ほどで、後は軽度の犯罪を行った「オレンジプレイヤー」や殺人を行った「レッドプレイヤー」といった、違反者達が残りの百五十人ほどを占めていた。

 

正義、という有るのか無いのか分からない代物の名の下に、違反者グループの討伐隊が編成されたこともあった。様々な派閥の連合で組まれた連合部隊の為、ある派閥に囲われていた自らのギルド(インビシブル・ナイツ)は、その作戦に参加せざるを得なかった。牧田を始め、栗原、ユーリ、リッキーのギルドメンバー総出で出撃した初陣は、結果的に凱歌を街で聞く事が出来た。だがそれは、街で鳴り響く軍楽隊のファンファーレの演奏代に、双方の人間の血を差し出したのと何ら変わらない、悲惨な戦いであった。

 

 

■■■■■

 

 

SAOがスタートして約二年が経過した頃の出来事だ。当時、牧田ことデルタを中心としたギルド「インビシブル・ナイツ」には「後生」の力を不完全とはいえある程度コントロールしていたマロンが居た。デルタは、マロンの側で戦い、いつ「妖刀システム」の過負荷によって戦闘不能になってもサポートできる様に備え、ユーリとリッキーは基本的に自由戦闘、マロンが危機的状況に陥ればデルタから報告を受けてカバーに回るというのが、「インビシブル・ナイツ」の基本的戦術であった。

 

だが多数のギルドが統合した「レッドプレイヤー討伐連合部隊」の場合、その戦術は採ることが出来なかった。最前線を支える事が出来る重装備をしているユーリとリッキーがそれぞれ左右両翼を担い、デルタは危機対応能力から最も危険な殿へと抜擢された。マロンは最も戦闘能力が高い事から、中央に居座りながら指揮を執る大きな派閥のトップ達を守護する"近衛"として待機していた。

 

「彼奴ら、威勢良く出張っといて、いざ戦うとなれば一番安全な所で指示飛ばしかよ。クソッタレが」

 

討伐対象がアジトにしているという洞窟の中を連合部隊は、陣形を組み、丹念に索敵しつつ最深部へとゆっくり進軍していた。

 

デルタの隣で後方を警戒している、ミスリル銀で編み込まれた鎖かたびらを着込み、右手には中型のハンマー、左手には小型の盾を持ったガタイの良い長身の男が、中央の方向を一瞥しながら呟いた。彼は大手ギルドの精鋭部隊の一員であり、その実力は全プレイヤーの中でも屈指のものであった。また、周囲の人物からの信頼も厚く、デルタも彼を信頼し、共に部隊の殿として配属されたことを素直に喜んだ。

 

「しょうがない、とは言えないな。奴ら、確実にレッドプレイヤー達を舐めて掛かってる。説得に応じる集団だとでも思ってるんだろうな。じゃなければ、あんな余裕の表情でいれる筈がない」

 

デルタと男が向ける視線の先には、三人の男が豪勢な装備を誇示するようにして胸を張って集まっていた。彼らはこの連合部隊の総指揮官達であり、その正体は連合部隊を構成する大手ギルドのリーダー、又は幹部の者達であった。

 

前衛と殿、左右両翼に配置された面々が周囲の警戒をし続ける中、彼らだけは談笑に勤しんでいる。三人を取り囲む"近衛"達は、何かしらの不満を抱えているのか、たまに三人の重役の姿を横目に捉えると、顔をしかめたり舌を打つなどをしていた。

 

「中央がしっかりしてくれないと困るぜ?こっちに敵が来た時は中央が指示出してくれないと総崩れになるからな」

 

「彼奴らにそれだけの能力があればいいけどね....」

 

と、言った瞬間の事だった。

 

「....?!」

 

何かが、動いた。視界の端で捉えた、黒い影のような何かが。それは二度、三度とデルタの視界の端に現れた。が、肝心の正体は何回経っても分からない。

 

モンスターか? そう考えた刹那、高速で迫る何かが殿の二人を狙って振りかかってきた。攻撃だ、と頭脳ではなく反射神経が反応し、咄嗟の防御に移った。

 

左腰に差していた日本刀「上総」を引き抜くと、そのままの勢いで今にも接触しそうな斬撃を遮るように振り出した。軽さと剛性を兼ね備えた「上総」の速さは、デルタの強化された敏捷値によってさらにブーストされ、完全な不意討ちにも関わらず対応することができた。

 

デルタを狙った何かは「上総」の刀身へ、隣の彼を狙った何かは左腕に装着されていた小型のシールドに直撃し、それぞれ派手な火花のエフェクトを散らした。

 

抜き打った「上総」を一度納刀し、バックステップで後退する。その間に横を確認すると、男は盾の裏に格納していたハンマーを展開させ、何かが襲撃してきた方向をじっと確認していた。

 

「....敵か?」

 

「多分。伝令を飛ばそう」

 

「分かった。おい、ミッカ!」

 

男は盾を構えつつ後ろを振り返り、陣形後方で待機していた少女を呼び寄せた。ミッカと呼ばれた少女は、呼ばれた声に頷いて反応すると、殿の二人の近くへと小走りで駆けてきた。

 

「どうかしたんですか?」

 

ミッカのその見た目相応の可愛らしい声に対し、男は顔を向けず、背中越しに要件を伝えた。

 

「....敵だ。中央へ伝えてくれ」

 

「....! りょ、了解です」

 

接敵の報告に目を見開いたミッカは、返答の声を震わせながらくるりと踵を返し、指揮官達が集まる陣形の中央へと駆けて行った。

 

ミッカの足音が洞窟内に反響し、遠くへ離れていく事を二人に伝えた。増援が寄越されるまで約二分といった所だろう。

 

「増援が来るまで持ちこたえるぞ」

 

「ああ」

 

「上総」の柄に手を添え、腰を軽く落として即応できる戦闘体制を作る。前方に漂っていた気配はまだ無くならない。むしろ、増えているような気さえある。本格的に不味い、と悟った時にはもう遅かった。

 

「....!....くそっ」

 

正面と左横から、暗闇に紛れていた「何か」が飛んできた。反射で「上総」と、もう一つの刀「遠江」で応戦し、その「何か」を押し返す。かなり重い手応えを残して後ろに飛んだ「何か」は、下が砂利にも関わらず、音も立てずに着地し、その姿を晒した。

 

薄汚れた白いツナギに、紺色のフード付きマントを羽織った男達。それが「何か」の正体であった。被られたフードの下の顔は、各々別々のマスクを着けており表情を窺うことはできない。捲られた袖からは、全員御揃いの骸骨の刺青が彫られており、一目見ただけで「あのグループ」の奴らだと判別出来た。

 

「....へルター・スケルター」

 

色々な意味で出会いたく無い奴らが、目の前に居た。

 

「混乱」「はちゃめちゃ」の意味を持ったその言葉を、そのままグループの名前にした殺人鬼の集団。ここ一ヶ月で、中層を根城にしていたプレイヤー達を次々と惨殺。十人ほどのメンバー数で、それの約四倍ほどもある三十八人がその魔の手に掛かった。その被害によって大手ギルドは「討伐対象」として認識し、結果、今回の連合部隊が編成される契機となった。

 

ゲーム内で一、二を争う残忍で獰猛な集団を目の前に、殿の二人は不敵な笑みを浮かべていた。

 

「姿を現したか....!」

 

その言葉へ返されたのは、殿の二人よりもさらに狂気が増した笑みを浮かべた、本物の「殺人鬼」の刃だった。 




ここからちょっと過去編へと入っていきます


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十三話 叛逆の女王

何かがおかしい。気付くのが遅れたのは、止め処無く分泌され続けているアドレナリンの興奮作用によるからだろうか。それとも、自分の力を過信したからか。どちらにせよ、危機的状況には変わりがない。

 

 

「らいいぃっ!!!」

 

 

自分と男が二人だけで戦っている殿の光景は、戦闘開始から五分ほど経過した今でも変わることは無かった。

 

 

「どういう事だデルタ!?」

 

 

気合いの声と共に迫り来る敵の攻撃を弾き返し、隙を作った男が悲痛な叫びを上げた。とうに彼のHPは五割を割っており、危険な状態だ。互いにカバーし合って回復するのがセオリーなのだが、敵は巧みな連携で分断を誘ってくる。デルタのHPも久しぶりに七割を切っていた。

 

 

「....そんな事言われても!」  

 

 

 

伝令を信じるしかない、としか言い様が無い。彼がミッカを伝令に送ったのは、彼女を信頼していたからだろう。デルタ自身、それほどミッカとの付き合いが有るわけでも無かったが、少ない交流からしても、彼女が信頼を簡単に裏切る人物だとは思えなかった。いつまで経っても援軍が来ないその理由は、ミッカ以外にあると信じたかっ

た。

 

 

そしてその希望は、現実のものであった。

 

 

■■■■■

   

 

殿の部隊が混乱する一方、中央より3百メートルほど離れた陣形の先頭部隊は敵アジトの最深部にたどり着き、「へルター・スケルター」の本隊と接敵した。

 

 

「カーラさん、中央に伝令頼みます!」  

 

 

リックは後ろに控える前線部隊指揮官へと接敵を叫んだ。即座に動けるよう、待機していた前線指揮官は分かったとだけ言い残し、中央部隊が待機する方へと向かっていった。

 

 

大きく開いた最深部の部屋に十数人ほどで待ち構えていた彼らは、陣形の先頭を切るユーリとリックを見るや否や、各々の得物を抜き襲い掛かってきた。

 

 

shit(くそっ!)!」

 

 

ユーリは携えていたロングランスを降りかぶり、襲い掛かってくる「ヘルダー・スケルター」の面々を薙ぎ払う。身長170cmほどで細身の体型であるユーリが扱いこなせないような見た目をしているロングランスは、その性能を如何無く発揮し、前面から迫りくる敵を一掃した。

 

 

ランスを右に薙ぎ払った反動で、後ろへと回転し、距離を取る。それに釣られるようにして、敵の一人が追撃を仕掛けた。宙に浮いたユーリへと攻撃が突き刺さる刹那。

 

 

「あああっっっっ!!」

 

 

突如、ユーリの視界外から迫ってきた巨大なタワーシールドが攻撃を弾き、そしてユーリを守るように敵の攻撃を遮って自立していた。後ろを振り向くと、大型のバスタードソードを降りかぶったリックが全速力で走り込んで来る姿が確認できた。

 

 

リックは助走から図体に見合わない程軽快に跳躍し、ユーリを守る為に投てきしたのであろうタワーシールドを飛び越えて敵に斬り掛かった。

 

 

数回ほどキン、キンというような金属音が鳴り、少し間が空いてまた金属音が鳴った。いつまでも倒れたままではいけないと、ユーリは膝を叩いて立ち上がり、ロングランスを構え直した。

 

 

ユーリがターゲットとして視界に捉えたのは、リックと対峙する男の右横....一人だけ赤いグローブを羽織った女だった。時折、剣を振るう風でフードが捲れ、ちらりと見える幼そうな彼女の顔を見て、ユーリは柄にも無く舌打ちをしてしまった。

 

 

(Fuckin' crazy......作戦の一つ何ですかネ?)

 

 

幼い少女の顔を利用して相手の戦意を削ぐ。それも相手が考えた作戦の一つなのだろう。このSAOの世界は基本的に顔は整形できない。どんなプレイヤーも、現実世界の自分の顔を持ちながら生きなければならない。それがこのゲームの仕様であった。

 

 

つまり、このゲームで幼そうな少女の見た目であれば、現実世界で本当に幼い少女の可能性だってあるのだ。少女は、現実世界ならば小学生の高学年と言っても不自然でないほどに見た目が幼かった。それを意識してしまうと、戦意が削がれるのは仕方が無い。ユーリだって人間だ。「彼」のように徹底的に冷酷にはなれない。だが、今ユーリの中に浮かんでいた感情は、少女に対する同情でも哀れみでも無く、憤怒、激しい怒りであった。

 

 

右足で強く地面を蹴り、流れるような体勢で攻撃の始動モーションを作る。何故、私よりも幼い子供が殺人ギルドなんかに居るのか。そして何故、殺人ギルドの奴らはこんな子供に対して殺人に手を染めさせたのか。しかも、一人赤いローブを装備しているということは、彼女がパーソナルカラーが設定されるほどに位の高い幹部なのだろう。それだけ沢山の人を殺し、周りが彼女を持ち上げたのか? その推測が、さらにユーリの癇癪玉を破裂させた。

 

 

Bloody idiot!(バカ野郎メ!)

 

 

少女を狙い、始動モーションから繰り出した渾身の突きは、人間離れした身体能力を発揮した少女のアクロバティックな回避行動で避けられ、矛先は宙を漂った。そのまま重いランスの慣性に引っ張られるようにして、ユーリは前のめりに体勢を崩した。

 

 

その隙を少女が逃すはずもなく、瞬く間に接近されて足払いを掛けられ地面に倒された。うつ伏せの体勢で岩に顔面をぶつけたユーリは、鼻が折れるのではないかと思うほどの鈍い痛みに顔をしかめた。だが、そんな悠長に痛みを味わっている暇ではない事に気付いた。

 

 

ユーリの背中に何かが載せられた。顔を上げて確認してみると、そこには少女が居た。赤いローブの隙間から、狂気に染まった双眸が垣間見える。口元は歪み、彼女が釀し出す狂気は、ユーリが感じてきた狂気の中でも最悪に近いものだった。それは今まで一番最悪だと感じていた義理の父を軽く超えている。

 

 

目線から漏れ出す狂気から逃げるようにして視線を逸らすと、背中に載った何かが、何なのかが判明した。それは、ユーリを踏みつけた彼女の靴だった。最早ちょっとした小箱くらいにしか思わなかったその感触に、ユーリは慄然とした思いを禁じ得なかった。

 

 

(本当に.....小さい子供なんデスネ....)

 

 

そんなユーリの感想など知る由も無い少女は、腰のナイフホルダーからゆっくりとした動作でナイフを取り出した。まるで少女の残酷な内面を現したかのように禍々しいナイフの刃を、少女自身は嬉々とした表情で眺めていた。

 

 

その笑みは、死神か、悪魔のどちらにでもなったつもりなのか。禍々しい形をしたナイフが、ユーリの背中めがけて振り下ろされた瞬間。ユーリの鼓膜が、突然鳴り響いた金属音によって大きく震えた。

 

 

「!!!!?」

 

 

何かが、背中に迫るナイフを弾いた。視界の端から槍のような鋭いものが伸びてきて、ナイフを振り下ろした少女の顔を歪ませた。混乱の真っ只中にある頭は、思考でなく反射でそれを理解し、再び動き出した。

 

 

身体を捻りながらランスが落ちている方向へと転がり、伸ばした左手で得物のグリップを確かに握った。そのままランスを杖のようにして立ち上がり、再び戦える態勢を整えた。

 

 

誰が助けてくれたか確認する余裕も無く、目の前の少女へとランスを繰り出す。躊躇い無くウイークポイントである首元を正確に狙った一突きの直撃を受けた少女は、HP全損とまでは成らなかったものの、ユーリのステータスと主武装であるロングランス自体の威力が相まって相当な痛手を喰らった筈であった。

 

 

だが少女は歪んだ顔のまま、こちらに攻撃を仕掛けてくる構えを取っていた。まるで死に対する恐怖などどこかに捨ててきてしまったように、微塵の躊躇いもない徹底抗戦の構えを見せている少女と、それを突き動かしたのであろう[ヘルダー・スケルダー]のメンバー達が居た。

 

 

(正気の沙汰とは思えナイ.....まるでカルトですネ)

 

 

再び舌打ちをしてしまいそうな衝動に駆られ、何とか堪えた。ユーリは、自分が苛ついていると思いたくなかった。だが、そう思わざるを得ない。今ユーリの頭の中にあるのは、自分の命を何とも思わない少女と、そう思わせるように入れ知恵したのであろう男達をどう始末するか、それだけであった。

 

 

最早話し合いによる解決なんてできるはずがない。事前の作戦会議で、対話で解決できると主張する指揮官達に、デルタが対話での解決は無理だ、実力行使で処理するしかないと言い続けた事を思い出す。あの時、自分はデルタの言に対し、ちょっと野蛮すぎないかと思ったりもしたものだが、そんなことは無かった。彼の言った事は正しかった。

 

 

倒すしかない。殺すしかないのだ。自分の命を守る為ならば。

 

 

一度柄尻を地面に突き立て、ランスを構え直す。癖である、本気で戦う前の気合いの入れ方の一つだった。それを合図にしたように、ユーリの隣へと仲間達が寄ってきた。左側に、見慣れた顔のリックが。右側には、リックと同じく大型のタワーシールドを装備し、まるで[壁]のような存在感を放っている大手ギルドのエース、シュミット。背後には、武器を装備せずに戦う素手格闘を極め、[スネーキー・モンキー]の仇名で呼ばれる蛇拳の達人、チェンリーが控えていた。皆、実力では全プレイヤーの上位を行く実力者達であった。

 

 

「ユーリ、援軍がくるまでは持ちこたえよう」

 

 

シュミットの言葉に浅く頷くと、ランスを地面から上げ、少女へと先端を向けるようにして構えた。四対十一、数で言えば向こう方が圧倒的有利、そして死に対する恐怖心が無い。だがこちらも、[攻略組]と呼ばれる最前線へと赴くトッププレイヤー集団の中で、[アグレッサー]と称されるプレイヤー達だ。戦闘の腕は各々が各地で実証済みな上、単純にシステムのレベルで言えば、レベリングを効率的に行っているこちらに分がある。

 

 

負ける筈が無い。それは克己心で己の心を固めた者達が持つ、確固たる揺るぎ無い自信であった。

 

 

Let's go guys!! (いくよっ!)」  

 

 

掛け声と同時に、ユーリはブーツで地面を蹴った。左右の景色が流れるようにして後方に去っていく中、ランスを背中へと振りかぶり、モーションの発動動作を取る。一定の位置までランスを動かし、視線をターゲットである少女へと向けた。剣技のファーストモーションをシステムが捉え、刃がスカイブルーの光で染まる。

 

 

「喰らいなヨ!」

 

 

少女との距離が縮まり、ロングランスの射程に入った瞬間、自動的にランスを持つ右手が動き出し、重厚な音と共に渾身の突きが繰り出された。青白い光と共に放たれた長槍単発重攻撃技[ブレイヴ]は少女の胴体を正確に狙い撃ち、残り少ない少女のHPを全損させたと思った。が、少女はまだ生存していた。おそらく、彼女が装備している防具のどれかに、[根性耐久]のアビリティがあったのだろう。HP全損直前の攻撃を一回のみ無効化するといった効果で、かなりのレア防具にしか付属しないアビリティだった。

 

 

[ブレイヴ]の衝撃によって発生した土煙の中から少女が飛び出し、ユーリへナイフを振り下ろした。ユーリはランスを急いで引き戻し、それを抑えて鍔迫り合いの形を取った。

 

 

ユーリのロングランスと、少女のナイフを挟み、二人の視線が交錯する。

 

 

「何故、こんな事をするノ? 」

 

 

殺伐とした殺し合いをする中で、精一杯優しい声音で彼女に問いかけた。

 

 

「みんなが倒してってメイに頼んできたからだよ。だからお姉ちゃんも殺さないといけないんだ」  

 

 

メイと名乗った少女は、見た目通りの幼い声でその問い掛けに答えた。声を聞く限り、もしかしたらユーリが現実世界に残してきた中学生の妹より年下かもしれない。

 

 

「みんなって、誰ナノ?」

 

 

「ここにいるお兄さん達だよ。みんな、メイのことを大切にしてくれたんだよ」

 

 

「ヘルダー・スケルダーのメンバーが?」

 

 

「そう。みんな、大切にしてくれたんだ。だから、みんなに頼まれたことでそれを返さなくちゃいけないんだよ」

 

 

「殺人を止めるつもりは?」

 

 

その問い掛けに、メイと名乗った少女は首を横に振った。やはり情けを掛ける必要は無いようだ。ユーリ自身、PKをするのは初だが、もう覚悟は済んでいる。鍔迫り合いの状態を解消すべく、強化されたSTRにものをいわせてメイを押しきった。華奢な身体が宙に浮いた。隙は充分にある。ユーリは再び、ランスを背後へと振りかぶり、ソードスキルの発動モーションを取った。定位置までランスが動き、目線でターゲットを捕捉すると、ユーリの身体がシステムアシストを受け、通常では動かせない速さで動いた。

 

 

左足を上げ、折り畳み、その足をメイの方向へと振りだして勢いを付けた。まるで野球のピッチャーがするオーバースローのような動作で放たれたのは、[ブレイヴ]の派生技である槍系重単発技[オービット]だった。

 

 

薄紫の光を帯びた刃は、ユーリの腕の軌道に沿ってメイの身体へと吸い込まれるように放たれた。メイは宙に浮き、アビリティの[根性耐久]はもう使えない。確実に削りきれる、この子を殺せる、そう確信した。

 

 

「メイ様ばんざああああああああぃぃぃぃぃぃぃいいいい!!!」

 

 

だがしかしそれは、隣から飛び込んできた一人の乱入者によって、さらに狂気を感じさせる殺し合いへと変貌を遂げていった。

 

 

■■■■■

 

 

 

「どういう事ですか?!」

 

 

陣形の中央部、軍団の首脳陣達が勢揃いした場に、少女の悲痛な叫びが響き渡った。

 

 

「だから....殿にやれる援軍は無いんだって」

 

 

まるで鏡のように表面が磨かれた豪華な鎧を装備し、おおよそそのレベルの鎧を切るのには不相応な面構えをした男が、面倒臭そうにしてミッカをあしらった。その周りには、各ギルドの主力達を初めとする中央部に配置された"近衛"達が、怪訝な顔をして場の行く末を見守っていた。

 

 

「ここの人達を数人寄越してくれれば良いんです! お願いします....!」

 

 

先ほどの男とは別の首脳が、また面倒臭そうに口を開いた。その目線は、ミッカを小娘と見下したような、そんな眼差しであった。

 

 

「今さら陣形は崩せないの。ここのプレイヤー達はここを守るために居るんだ。殿の事は殿で対処してくれ。何のために、あの二人を配置したと思ってるの?まさか、彼らが負けるとでも?」

 

 

「何他人事みたいに言っているんです.....? 殿が突破されたらここにレッドプレイヤー達が来るんですよ?! 」

 

 

「そうなったら、ここの皆が守ってくれるさ。皆強いからね」

 

 

ミッカには、目の前の男が何を言っているのかが理解出来なかった。そうして真っ白になった頭の中に、殿を守る二人の顔が浮かび上がってきた。

 

 

こいつは、いや、こいつらは。なんて汚れた人間達なのだろうか。自分達が無事でさえ居れば、それで良いのだろうか。二人の安否はどうでも良いと言うのだろうか? そんな事、あっていいはずが無い。他人を身代わりとして駒のように使い捨て、自身は強力な駒に強固に守られ、安全を保証される。あっていいはずが無い。こんな事.....

 

 

「あっていいはずが無いですよ!! こんな、人を使い捨てる作戦なんて....あっていいはずが無い! どうして平気でいられるんです?! 」

 

 

突然の叫び声に、中央の首脳陣達は度肝を抜かれたように目を見開いた。だが、すぐにまた先ほどの見下すような目線に戻った。

 

 

「今、殿では二人が命を削って敵を食い止めているんですよ! たった二人で、気が狂った殺人者の大群から皆を守る為に戦っているんです! それをどうして見捨てようとするんです?!」

 

 

「だから.....」

 

 

指揮官達はあれよこれよと理由を付けて、援軍を寄越そうとはしなかった。その理由の殆どは、自己保身の為であった。こうしているうちにも、二人は消耗しているに違いない。いくら[攻略組]において、群を抜いた実力を持つ二人でも厳しいだろう。

 

 

まだ十代半ばを過ぎて間もない子供が直視してはいい現実では無かったのかもしれない。上に立つ者が救われ、下で支える者が消える。支柱を失った場合、どうなるかも想定出来ないくらいどうしようもない馬鹿達だ。

 

 

今まで堂々と目の前を向いていた顔が下へ下へと向いた。俯きたくない。俯くのは負けを認めるようで嫌だった。でも顔は自然に下を向いていた。それに抗えない。負けを、認めざるを得なかった。

 

 

「.....ううっ」

 

 

情けない嗚咽まで漏れてしまった。私は、こんな醜態を晒す為にこんな所に来たわけではないのに。尊敬する殿の「彼」の役に立ちたいと思ったから、ここに居た筈なのに。なのに、何の役にも立たないどころか、足を引っ張ろうとしている。合わせる顔が無い。

 

 

(彼は必死に戦っているのに....情けない。本当に.....情けない) 

 

何もできない無力さに涙が出た。もう何も打つ手は無いのか。何か、何か無いかと考え出した瞬間、遠くから何者かの声が届いた。

 

「何をしているんです?」

 

凛とした声が洞窟内に響き渡る。先程までの言い争いの中では聞かなかった声だ。恐る恐る顔を上げると、陣形前方の方向から一人の人が歩いて来た。暗いので良く見えないが、シルエットと声から女性だと判別できた。

 

甲高いブーツの音が段々と大きくなる。前方で壁を作っていた近衛達が道を作るように左右に別れ、女性はその中央を堂々と歩いていた。

 

その女性を一目見て、私は何故か知己の間柄にも関わらず、綺麗な人だな、と今更ながらに感じていた。女性の白く透き通った肌は、暗い洞窟の景色と相まって目立ち、ムラ無く紫色に染められた髪の毛も丁寧に解かされており、いよいよその女性の魅力は凄まじいものだった。この状況にも関わらず、私にそんな事を思わせてしまう程に、その女性は美しかった。

 

「カーラさん.....」

 

ミッカはその女性の名を呟いた。それは「助けてほしい」という欲が漏れ出た結果の行動であった。カーラという名のその美女は、涙目で立ち尽くす私を見ると、美しい顔の眉間を寄せ、怪訝な顔をした。

 

「どういう事? 彼女、後方の連絡係の子でしょう?」

 

有名ギルドの副団長であり、最初期から攻略組を支えてきた彼女。[ケーニギン(女王)]という名が広まるほどに指揮能力がある実力者に存在だけでも覚えてもらっていたという事に驚きつつも、私はカーラの言葉が本当であると示すように首を縦に振った。それを見たカーラは指揮官たちが集まる正面へと向き、怪訝な顔を隠さずに説明を求めた。

 

「ちょっと....意味がわからないのだけど。殿が襲撃されたから、あなたはここにいるのよね? 何故誰も動いていないのかしら。どういう事か、説明してもらえない?」

 

指揮官たちは困惑し、返答に詰まってしまった。ここの近衛を前後に分散させれば、中央の守備は手薄となり、敵がいつ奇襲を仕掛けてくるか予想できないこの場所では命取りとなる。対話で片付くと思っていた手前、非武装であり、派手な防具を装備してきのは良いが、目の前にいるカーラには、殿が襲撃されたという事実を伝えることはできない。

 

そういえば、と作戦開始前に見た配置図を思いだした。つい2時間ほど前に目にした紙面では、確か、カーラは前衛の指揮官だったはず。なら、なぜこんな所まで出向いて来たのか。

 

「まさか、前と後ろから挟み撃ちにされてる...?」

 

狭い空間での挟み撃ち。この場面において、最も最悪な状況であった。2方向から攻撃されれば、いくら戦力があっても数は二分される。さらに、この狭い空間の中では散開して被害を抑える事もままならない。

 

「……何故増援を出さないのかしら。挟み撃ちだけは避けろと作戦開始前に言った筈なのだけれど」

 

「い、いゃあカーラさん。この子は戦場の空気に飲み込まれてるだけですよ……だって後ろはあの二人ですよ?突破されるだなんて……悪い冗談ですよ」

 

「そんな冗談のような判断に付き合っている暇は無いのだけれど? 悪いけど、指揮権は譲渡してもらうわ」

 

思いの外強く出たカーラに、先程まではおとなしく尻尾を降っていた男達がたじろいだ。三人の指揮官たちは互いに顔を見合わせ、あきらかに動揺した素振りを見せていた。その態度に対し、常に冷静さを欠かさないカーラも、流石に苛立った様子だった。

 

「その判断の甘さが、身を滅ぼす原因になるのよ……。貴方達だけが死ぬのなら大歓迎だけど?」

 

彼女の口調はいつになく強い。外から見ればクールで冷酷さが漂うカーラの人柄であったが、おそらく彼女の内面は仲間想いで何かしら熱いものがあるのだろう。

 

「お、俺たちは………」

 

「黙って。無能に発言権は無い」

 

動揺で口が開かない指揮官たちへときっぱりと言い放ち、マントを翻しながらカーラは近衛のプレイヤー達を振り返った。

 

「近衛隊を二人つに分けて。前方、後方の二つとも均等に、戦力を配分できるように。敵はもうすぐそこまで来ているから、早くしなさい」

 

「は………」

 

突然の展開に混乱していた近衛たちであったが、流石はトッププレイヤーの集団である。即座にプレイヤー間で連絡を取り合い、一分も経過しないうちに前衛と殿へ向かって編成された隊が出発した。陣形の中央部に残されたのはミッカとカーラ、首脳、そして五人ほどの残留した近衛達だけだった。その中には、口論中も黙ってじっとしていたマロンの姿もあった。

 

残されて呆然としている首脳達を蔑むような目で睨んでいるカーラは、一つため息を吐くと、顔を上げ、走り去ってゆく近衛達を遠い眼差しで見つめていた。

 

「……愚かな人達」

 

相当の実力を持つプレイヤー達で構成された近衛でさえ、彼女からすれば愚かな人間達だということか。彼女は私なんかと、見ている風景があまりにも違う。心の中で密かに慕っていた彼女であったが、やはり遠い目標であったか。

 

カーラは近衛達の姿が見えなくなると、踵を返し、こちらへと向き直った。その顔には、先程と相変わらずの蔑むような目が付随していた。

 

怒っているのだろうか。彼女の眼差しは、目の前で立ち竦む私ではなく、その後ろの指揮官達に向いていた。カーラに怯え、三人で固まり何かひそひそと話し合っている彼らは、自分たちへと目線を向けるカーラの存在を捉えた瞬間、全員が目を逸らし、まるで彼女の事を見ていなかったとばかりに再び車座になって話し始めた。  

 

この時、カーラの心にどんな変化が訪れたのかは知る由もない。だが、確実に何かしらの変化はあったのだろう。なんせ、大した実力者でもない、連絡係としてこの作戦に参加したミッカにも分かるほど、彼女の目に込められた意思の変化が激しいものになっていた。

 

そして、それは最悪の結果に結び付けられる事となる。

 

 

 

 

「………」

 

指揮官達を睨みつけていたカーラは、突然細剣を抜きーーーーーー

 

「!!」

 

「くあっ……あっ……」

 

車座になっていた指揮官達の一人、赤いマントを羽織っていた男の、兜と鎧の合間にある僅かな隙間へと細剣を突き刺していた。男の顔が蒼白に染まり、続いて絶望の表情へと変化していく。

 

連合パーティを組んでいることによって視界の端に自動表示されていたHPバーは、満タンのグリーンからイエロー、レッドへと流れるようにして減っていきーーーーーーポリゴンの破砕音と共に、消滅した。それは、このゲームでの命が無くなるのと同時に、現実世界の命が消えたという合図でもあった。

 

「ひっ……!」

 

ミッカの口から、情けない声が漏れる。初めて、人の命が消える場面に遭遇した。その衝撃は大きいもので、ミッカの腰を抜かすほどには充分な威力を持っていた。

 

刃は、今目の前で起きた出来事が理解出来ず、立ち尽くしている他の二人の指揮官へと向けられた。

 

「た、助けて!」

 

腰を抜かして座り込んだミッカに対し、同じく腰を抜かして四つん這いの指揮官が助けを求め縋り付く。先程まで冷たい態度を取って突き放していたミッカへ助けを求め、手を取ろうとした瞬間には、もう細剣が首を貫いていた。まるで操り人形の糸が切れたように、動かなくなった男は例に漏れずポリゴンと化し、虚空へと消え去った。

 

 

 

(人を殺した筈なのに、何も動揺していない……?)

 

目の前で惨劇が行われている中、こんな冷静な分析が出来ている自分が怖いが、それ以上に目の前に立つ人殺しの方がよほど異常だ。人を殺しておきながら何の反応を示さないということは、これ以前から人を殺し慣れているということだろうか。頭の中に嫌な予感が浮かび上がった。もし、この後私が狙われたら抵抗することはできるのだろうか。相手は本物の殺人鬼だ。

 

(怖い……怖いよ………)

 

後から来た恐怖が全身を支配し、震えが止まらない。一歩、また一歩と後ずさりし、カーラと早く離れようとしていた。が、彼女がこちらを一瞥しただけで、私の身体は動かなくなってしまった。恐るべき殺気だった。足を動かそうとしても、もう一歩も動くことはできなかった。まるで金縛りに掛かったように、私の足は言う事を聞かなかった。

 

カーラは、細剣を携えたまま、こちらへと歩み寄ってきた。その目には、先程と変わらない、見る者を憐れむような視線が張り付いていた。果たして、何を憐れんでいたのだろうか。彼女の考えている事は何なのだろうか。

 

無能な指揮官に対する怒りか。殺人鬼としての自分への葛藤か。

 

カーラは、動けずにいるミッカへと細剣を振り上げると、僅かに表情を動かし、そして、振り下ろした。

 

(…………!)

 

白銀色の先端が突き刺さる前に、ミッカは彼女の顔を見た。ミッカの瞳に映し出されたカーラは、唇を歪め、一見笑っているように見えた。が、目線に込められた意思はそうでなかった。

 

(悲しんでいる……?)

 

薄紫の細剣が突き刺さり、ミッカの意識は暗転した……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……はずであった。

 

(…………?)

 

覚悟していた結末に反して、意識はいつになっても落ちない。恐る恐る目を開くと、そこには予想だにしなかった光景があった。

 

ミッカとカーラの間に、何かが現れる。今見えているのは、白と紫色が上手く調和した美麗な布生地と、その下から伸びる、綺麗な曲線を描いた細い足首であった。目線を上に動かしていくと、途中から視界の色が白紫から藍色へと変わった。先程視界を占領していた白紫が描かれた薄い布と違い、藍色に染められていたのは材質が違う厚い生地であった。上へ上へと視線を上げていくと、途中で鈍色の文様が左右に現れ、そしてその上にはちらりと垣間見えた白いうなじ。黒く艶のある髪の毛は細く一本に束ねられていた。視界の前に現れたそれは、何の神でも救世主でも無い。そこに居たのは一人の人間であり、一体の[鬼神]でもあった。

 

「危なかった……なるほど…貴女が裏切り者だったんですね」

 

「マロンさん……」

 

[凍空の鬼神]こと、マロン。細剣がミッカに到達する直前に現れ、カーラが振り下ろした細剣を、名だたる妖刀[後生]で受け止めていた。

 

規模は小さいが攻略組を構成する主要ギルドの一つ、[インビジブル・ナイツ]に所属する彼女とは、今まであまり関わりが無かった。それは、恐らく無意識の内にマロンを避けていたからなのかもしれない。私が彼女に向ける目線には、常に尊敬と畏怖の念が込められていた。彼女が持つ[力]とその力を使った結果は、噂として攻略組全体に駆け巡っていた。いや、攻略組だけではない。規模に関わらず様々な犯罪者ギルドや、中層の一般プレイヤーにも話の内容を悪い方向に盛られた上で流れていた。

 

そんな[鬼神]である彼女は、鍔迫り合いになった状態からカーラの足を払い、隙を強引に作った。ジャンプで回避したカーラに対し、足を払った反動で一回転しながら右手の日本刀を叩き付けた。

 

[妖刀]と称されるその刀は、今まで意識していなかったが意識してしまうと引き込まれそうな妖艶さを放っていた。事実、その刀は美しい。紅色に染まった刀身と、華やかに飾られた柄。鞘も美術品と言って差し支えないだろう。だが、[妖刀]なのである。あの刀には、何十人もの人の血が染み込んでいる。あの刀が人を召した瞬間は目にした事が無いが、あの刀に関する噂に良いものはなかった。

 

「あら、気付かれていたの?」

 

細剣を繰り出し、余裕そうに攻撃を受け止めたカーラが問い掛けた。

 

うち(インビジブル・ナイツ)は[攻略組]の諜報班も兼ねていますから。この討伐隊の何処かに裏切り者が居るとは察知していましたが……見損ないましたよ、カーラさん」

 

「察知していたのにも関わらず、何ら対策をすることが出来なかった貴方達にも失望したわ。貴女たちならもっと手応えがあるかと思ったけれど……私の見当違いかしら?」

 

「なら、それが見当違いかどうかを今から試しますか……」

 

日本刀を押し、鍔迫り合いに決着を付けたマロンは、バックステップで大きく距離を取った。刀を一度鞘に納めたマロンはだらりと両腕を前へと垂らし、脱力した姿勢を取る。一つ深呼吸を置き、次の瞬間には顔を上げ、不敵な笑みを浮かべるカーラへとその視線は向いていた。  

 

「妖刀ッ!」

 

彼女が叫ぶ。目の前に可視化された薄紫色のステータスウィンドウが開かれると共に、[妖刀-System]の表示が現れた。マロンの双眸は紅色に染まり、暗い空間に紅い空中線を描く。[妖刀]の発露を終えた瞬間にマロンは後生を抜き払った。カーラは迫りくるニ発の初撃に対して、一発目を身を捻って回避し、胴体を正確に狙ってきたニ発目は細剣を抜く事で防いだ。

 

マロンは初撃の失敗を早い段階で悟り、ニ発目を放った直後にまだ腰に残っていた絶風を逆手に持ち、フェイントモーションを掛けながら首筋を狙った。筋力値:敏捷値の割合が四:六というスピード寄りに構成したステータスと、[妖刀システム]による能力値のエンハンスが相まって、風を切るスピードで放たれた抜き打ちであったが、読まれていたのか回避されてしまった。裏切り者とは言え、流石は[攻略組]最古参の面子。並大抵の相手ではないということは、付き合いが長いマロン自身が一番良く知っていた。

 

攻撃は回避されたものの、絶風を振った反動で片方の腕にある後生を引き戻し、一度崩れた態勢を立て直した。彼女には隙というものが存在しない。[妖刀]も、これまでの殺人者に見せていた具体的な反応を示さないとなると、相手は思っていたよりも強いのかもしれない。否、今まで味方であったから真の実力を推し量ることは出来なかったが、本気で殺し合っている今なら分かる。彼女は、間違いなく強い。

 

頭の奥が疼く。[妖刀]の処理が頭に負荷を掛けているからだろうが、敵の強さに比例してかいつもよりも鋭い痛みが走る。それからして、今まで戦ってきたレッドプレイヤーの中でトップクラスの強さだ。もしかすれば、自分と対を成す存在である[あの殺人鬼]よりも上かもしれない。だが、それでも戦う。戦わなければ、意味が無い。

 

「上等ッ!」

 

納刀状態から居合の一閃。目に見えない速さで、後生の刃が斬り付けられる。その刃には、赤と黒で彩られた衝撃波が付随していた。

 

刀系特殊ソードスキル[真斬](シンザン)。システムのエンハンスと、マロンの敏捷値が相まったその攻撃は、カーラの装備していたバトルドレスへと迫った。

 

エクストラスキル[抜刀術/居合](ばっとうじゅつ・いあい) 

 

本来ならばSAOの世界には無い、新たな刀の使い方。基本的に抜刀していなければ使用できないソードスキルを納刀状態でも使用可能にし、特別に設定された[抜刀術]オリジナルのソードスキルを使用できる唯一無二の武器スキルである。

 

エクストラスキルというものは、本来あるスキルツリーから外れた珍しいスキルの事……プレイヤー間では[取得方法かよく分かっていないスキル]の事を指している。[抜刀術]もカタナ系から派生したエクストラスキルであり、修得した人数が全プレイヤー中二人しか居ない事から[ユニークスキル]などと呼ばれていた。  

 

スカートの裾に斬撃波が衝突し、ノックバックを受けながらもカーラは態勢を直し、第二波の到来を待ち構えようとした。が、態勢を直す前に、懐へ潜り込んできた人影があった。不敵に笑う面と、紅い眼差し。紛れもなく[鬼神]である。

 

[抜刀術]の利点は納刀状態からソードスキルを発動させる事ができるだけではない。もう一つの利点……スキルに付属する固有アビリティ[二天一流](にてんいちりゅう)が使用できることにも利点があった。

 

「遅いっ!」

 

懐に入られながらも細剣で後生を迎撃したカーラであったが、次の瞬間には目の前に迫る[絶風]の刃を捉えることとなった。

  

「なっ……?」

 

唐突に迫った絶風の刃にカーラの思考は追いつかず、反射的に首を捻っていた。だか交わし切れず、頬にばっさりと傷が付いた。

 

特殊アビリティ[二天一流]

 

[抜刀術]のオマケとして付属する特殊なアビリティ。かの有名な剣豪、宮本武蔵が極めた二天一流をベースとしたものであり、彼と同じ戦法を限定的ではあるが利用できる。限定的な利用……[納刀状態からの初撃のみ、ペナルティ無く二刀流による攻撃が可能となる] つまり、一本目の攻撃が防がれてももう一本の刀で追撃することができるという、極めて対人性能が高く、強力なアビリティであった。通常ならばイレギュラーな装備である二刀流は、システムの制約上装備してもまともに攻撃することはできないが、このアビリティがあれば話は別だ。

 

視界の端にぼんやりと映るHPバーを捉え、今の一撃でゲージの十分の一が減ったことに慄きつつも、再び迫ったマロンの後生を躱し、カウンターの突きを放った。細剣の先端がマロンの目尻を掠り、僅かではあるがダメージを与える事に成功した。

 

「遅い!」

 

マロンも速いが、カーラはその上を行く敏捷値を持っていた。細剣に付与されていた僅かな威力のノックバックアビリティにより、マロンの身体は数センチ程宙に浮いた。マロンの顔の横から細剣を引き戻したカーラは、渾身のソードスキルを叩き込んだ。

 

細剣系8連撃ソードスキル[ヴァルキリー・ナイツ]

 

紫色のライトエフェクトと共に、超高速で撃ち込まれた8連撃の刺突が、宙に浮いているマロンの身体へと突き刺さる。だが、その一撃だけでは終わらなかった。[ヴァルキリー・ナイツ]の衝撃を受け、未だに宙を彷徨うマロンに対し、システム外スキル[スキルリンク]………普通ならばソードスキルの発動終了後、プレイヤーは各ソードスキルにそれぞれ設定された硬直時間(クールタイム)分だけ行動が制限される。その隙を無くす為、ソードスキル終了直前に接続するソードスキルの予備動作を行う事によって、硬直無しに連続してソードスキルが放てるという反則技である。しかし、その恩恵の分難易度は高く、狙って発動できるようになる為には、予備動作に必要なコンマ数秒を追い求める貪欲さが必要不可欠であるので、使えるプレイヤーはカーラしか確認されていない………を発動。硬直時間のペナルティを受けることなく、[ヴァルキリー・ナイツ]からまた違うソードスキルへと繋ぐ事に成功し、カーラの細剣は再び光を帯び始めた。

 

敵は宙に浮き上がり、防御のカウンターの攻撃もままならない。マロンの瞳には、仄かな焦りが浮かんでいた。その眼差しに、優越感を持つことなく笑みを返したカーラは、止めを刺すべく光に包まれた細剣を、前へと突き出した。

 

細剣系重単発ソードスキル[フラッシング・ペネトレイター]

 

細剣スキルの最終奥義ともいえる技であるそれは、小ジャンプの後高速で敵に接近し、その加速力を活かした強力な突きを放つといったものであった。その移動力と攻撃力から、カウンターとしても追い打ちにしても使える強力なソードスキルであった。

 

 

 

勝った、と思わずにはいられなかった。相手は防御もままならなず、日本刀を使ったカウンターも放てないただの的だ。それへ、細剣の奥義とも言えるソードスキル[フラッシング・ペネトレイター]の直撃。誰が、どう見ても私が勝利すると思っただろう。勝利したと思った"はずだった"。

 

(………?)

 

不意に、世界が歪んだ。

 

今居るこの空間だけが時間の流れがスローになったような変な感覚を味わい、違和感を感じていた。ゆっくりと流れるような思考の中で、頭の中と身体の動きの時間感覚が一致しない事に気付いた。

 

何かがおかしい。私の直感がそう叫んでいた。が、理性では絶対の勝利を確信し、安心し切っていた。直撃の手応えもまだ右手に残っている。いつになっても消えない違和感を持ち続けながらも、[フラッシング・ペネトレイター]のフィニッシュを決め、交錯する形で着地した。

 

勝った。内心に残る不安を打ち消し、勝利を確信して着地した瞬間。

 

(……!)

 

背中に感じる気配に、冷や汗が滴った。殺気。振り向かずとも分かる、[鬼神]の雰囲気。それも確実に生きている。[フラッシング・ペネトレイター]の直撃を食らったはずであるのに。ここにはいない存在のはずであるのに。

 

「はあああっっっっっッッ!!」

 

鬼神が放つ叫び声と共に、ぐさり、と何かが体に刺さった。痛みは無いが、不快な痺れが感覚を襲った。違和感に気付き下を向くと、そこには腹のプレートを貫通して突き刺さっている妖刀の刀身があった。

 

「何故………?」

 

困惑は頂点へと達していた。確かに、とどめを刺した筈だ。回避する手段は無く、受け切って耐えるほどのレベル差も無い。手応えも充分にあった。なのに、何故後ろに、鬼神が健在しているのか。

 

「ま…さか…質量を持った残像だとでも……?」

 

バカげている。そんな事がある得るのか。攻撃がヒットした手応えを与えておきながら、自身は瞬間移動して攻撃できるといった行動が。MMORPGにおいて、ゲームバランスを無視した装備と、アビリティが存在するのはご法度だ。まさかそのイレギュラーに当たったのが自分とは。カーラは己の不運を呪った。システムのイレギュラーと、十字架を背負った少女。これから自分を殺すのであろう彼女は、とんでもない怪物であったということか。まさか、このゲームに囚われた人間の中に怪物が二人も居たとは思わなかった。これなら、きっと彼女はーーーー

 

「ーーー終わりです……あなたに尽くせて幸せでした……Poh」 

 

カーラが残した一言は、マロンの耳には届いていない。勢いのまま、マロンは[後生]をカーラから引き抜き、真上へと振りかぶる。確実に仕留める為、[妖刀システム]が弾き出した弱点へと[後生]を振り下ろした。

 

「はあああああぁぁぁぁぁあっっっっ!!」

 

マロンの[妖刀]がカーラへと迫る瞬間、また別の人影が二人の間に割り行った。

 

「……!!!」

 

 

横目で捉えたそれは、鬼神と双璧を張るもう一つの狂気であり、そしてマロンとは違う、純粋な[悪]の体現者であった。

 

「Hey……久しぶりだなDemom……」



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十四話 叛旗の謎

「……!!」

 

 

無の空間にあるはずのない殺気、そこに居る筈がないものを本能的に察知したマロンは、咄嗟の判断でカーラに振り下ろそうとしていた[後生]を引き戻した。カーラの首筋から一センチも離れていない空間を通過した[後生]の軌跡は紅い筋を残し、カーラの髪を僅かに震わせた。

 

 

カーラから一歩後ずさり、辺りを見渡す。と同時に[後生]を納刀。いつ、何が来てもいいように右手を刀の柄に残しているが、マロンの動揺はその動作をただ形式的なものへと変化させていた。

 

 

(この感じ……この場合……そして彼女が発した言葉の意味……まさか、[奴]が……?)

 

 

焦りと衝撃。まさかとは思いつつも心の中に引っかかっていた「奴」の存在。[鬼神]である自分と双璧を為すと称された、[悪魔]。

 

 

真後ろの気配を察知。脊髄反射で前へと跳びながら身体を捻る。流れる視界の中に、今までこの空間に無かったはずの異質なモノを捉えた。

 

 

「……ッ!!」

 

 

それに狼狽え、着地の際にバランスを崩してしまう。そのミスを誤魔化すようにバックステップを繰り出し、よろけながらも態勢を整えた。足で地を捉え、踏みとどまり気を張り詰める。顔を上げると同時に、異質なモノの正体がはっきりと捉えられる。

 

それは、[ヘルター・スケルター]のユニフォームである白いツナギとは違う、明らかに迷彩効果を期待した黒いフード付きマントを羽織り、右手にはそれのメインウェポンであろう、禍々しい中華包丁を提げていた。

 

目線の先に居るのは、予想通りの[悪魔]……この場で最も当てたくない予想を当ててしまったことに絶望するほどだ。デルタのみならず、数々の一流剣士達からも恐れを抱かれる存在が、目の前にいる。

 

 

殺人鬼、[PoH]。目の前で薄ら笑いを浮かべていたその男は、ゲーム内最悪の殺人ギルド[ラフィン・コフィン(笑う棺桶)]のリーダーであった。

 

 

何も、マロンがPoHと邂逅したのはこれが初ではない。これまで幾度も死闘を繰り広げてきた相手だ。だが、この状況で奴が現れるとは想定していなかった。その衝撃が、マロンの交戦意欲を削いでいた。

 

 

「なんで貴方が……こんな所に……!」

 

 

「Ha……この女が裏切り者という事実から考えれば分かるだろう……? つまりはそういう事サ」

 

 

ユーリと同じ、マルチリンガル特有の話法で話す彼は、余裕そうにこちらを見る。表情こそ笑っていたが、彼の内面はそんな生易しいものでは無い。

 

 

彼の手口は狡猾にして残忍。殺しとは無関係の一般人をその弁舌で巧みに煽り、対象を殺害するように仕向け、殺させる。彼のカリスマ性に惹かれて人を集め[ラフィン・コフィン]であり、その組織はPoHを中心としたカルト宗教のような姿を呈していた。最盛期は潜伏した者も含め五十人を超えるメンバーを有していた。が、[ラフィン・コフィン]の勢力拡大に危機感を抱いていた[攻略組]が実行した討伐作戦によって壊滅。PoHは現場から姿を消し、組織も表舞台から姿を消した。今の今まで消息は掴めないままであった。

 

 

「気付いていたんだろう、Demon(鬼神)。じゃなければ、あんなビリビリ来る殺気は感じない筈だ」

 

 

「何を……!」

 

 

「ッハ……そんな顔をするナ。誰かに見られてる気がしただけだ……てっきり、お前のSystem(妖刀)の気配だと思っていたがなぁ……」

 

 

「……?」

 

 

PoHは残念そうに目を伏せる。彼のその動作は落ち着き払っているが、マロンとしてはその一挙一動足に緊張感の糸がはち切れんばかりに引っ張られていた。自然と右手が[後生]の柄へと動く。

 

 

「オイオイ……ここでヤろうっていうのか? 」

 

 

「……逆に見逃すとでも?」

 

 

PoHは呆れたように首を振ると、右手に提げていた中華包丁[友斬包丁(メイト・チョッパー)]を振り、体側に構えた。フードの奥深くで光る瞳が一度、強く輝いたかと思うと、呟くように言葉を発した。

 

 

「it's show time.....」

 

 

それは彼特有の交戦開始の合図だ。耳でその声を捉えた瞬間、身体がどきり、と反応する。こればかりは何度交戦しても慣れない。奴にはそれだけの迫力があった。

 

 

地を蹴り、低空のジャンプから動き始めたPohは、飛びながら提げていた[友斬包丁]を下から薙ぎ払った。眼下から迫る刀身をバックステップで避け、続けてきたニ撃目の振り下ろしを[絶風]で受け止める。

 

 

火花を散らす[絶風]と[友斬包丁]を挟んで二人の視線が交錯する。

 

 

「お前だけは……殺すッ!」

 

 

「そう言ったのは何度目だ? 口だけじゃ何時まで立ってもただのMurder(殺人鬼)のまま……お前の生き様に最高に似合ったGloryだがなァ!」

 

 

「私は人間だ……ふざけるなァ!!」

 

 

雄叫びと共に、腕に力を込め[友斬包丁]を押し返す。そうして生まれた隙を利用し、PoHへと肉薄する。

 

 

初撃は抜いたままの[絶風]を、ニ撃目は[後生]を抜き打つ。回避されたら体術によって再び隙を作って[後生]で斬る……そうしたプランを頭の中に思い浮かべた。というよりも、勝手に[妖刀システム]が最適なプランを弾き出してくれる。後はマロンがそれをどのように実行するかに懸かっていた。

 

 

初撃の払いは躱され、次の抜き打ちは[友斬包丁]によって受け止められた。ならば、とプラン通り体術を放つ為に態勢を整えようとした時だった。

 

 

「遅ぇなァ」

 

 

首筋に悪寒が走る。正対していた筈のPoHが、右手側に回り込んでいた。回避される可能性は考えていたが、予想よりも始動が早い。即座に地面を蹴り、距離を取る。状況を正確に把握する暇も無くニ、三発の攻撃が飛んでくる。その全てを[後生]で受けきり、カウンターの突きを[絶風]で放つ。

 

 

肉眼では補足できない程高速で撃ち出された突きは肉厚な刀身を持つ[友斬包丁]によってはたき落とされ、その反動で前へつんのめった態勢へとなってしまう。

 

 

「Wow……腕が鈍ったか、Demon? 」

 

 

PoJは突きをはたき落とした切り下ろしから、身体を捻りもう一度[友斬包丁]を振り上げた。そこで生まれた僅かな隙を逃さず、マロンは空いたPoHの胸元にタックルを喰らわす。

 

 

対人体術スキル [チャージスピアー]

 

 

低空から勢いのあるタックルを喰らわすこの体術は、どんな態勢からも放つことが可能であり、今のように前のめりになった状態からでも即座に攻撃の態勢に繋げられる便利なものであった。威力はそれ程のものであるが、命中すればノックバックを与えられる効果が付与されており、緊急時の回避手段としてマロンは重宝していた。

 

 

[チャージスピアー]のノックバック効果を受けたPohはよろめくように一歩足を下げたが、次の瞬間には硬直状態を脱し次の攻撃への予備動作へと入っていた。

 

 

(右手を自然に下げた……来る……!!)

 

 

ぶらりとPohの右手に垂れ下がった[友斬包丁]が不気味な光を放ち始める。フードの影に隠れたPoHの顔が一瞬、歪んだかと思った刹那。

 

 

「シアアアアッッッ‼」

 

 

雄叫びと共に、黒い影が迫って来た。PoHが良く使用するソードスキルの一つだ。高速で敵に接近し、すれ違いざまに鉈による重い二連撃を喰らわせる強力なものだ。実態の見えない程素早い接近に、マロンは肝を冷やしつつも[妖刀]のアシストに従い冷静に回避。身体のすぐ横を、黒い影が通過していく。影の中に光る無機質な瞳を見つけ、その不気味さに今更ながらに気持ち悪さを覚え、舌打ちを打った。

 

 

「もらったッ‼」

 

 

ソードスキルの硬直時間で動けないPoHの脇へと、回避からの振り向きざまに[後生]の突きを叩き込む。しかし、コンマ2秒の差で硬直状態が解除。あっさりと躱され、逆に腕を掴まれてしまう。

 

 

「まだまだッ……!! 舐めるなあッ‼」

 

 

まだ自由に動かせる左腕と[絶風]で斬りかかる。がそれも見透かされたように回避された。掠りすらしない。

 

 

「そういう所だDemon……お前の欠点はな。無茶な態勢からでも攻撃しようとする姿勢……殺人鬼としてはvery great。だが、一戦闘員としてはfoooooool……とんでもない馬鹿じゃねぇか。結局、[妖刀]の力を頼りすぎてるアホ。さっきカーラを仕留めた瞬間移動も、[妖刀]の処理負荷のラグか何かによるものだろう……?」

 

 

PoHが言う通り、あの瞬間移動は[妖刀]のシステムに組み込まれた一連の動き……ソードスキルのようなものだった。タネは[妖刀]がシステムに負荷の掛かる高度な処理を繰り返し、マロンの動きにラグを出す。そのタイムラグが残像となり、カーラに[質量のある残像]だと思い込ませ、後ろに回り込み、斬りつける。マロンが一対一の戦いで必殺としていた立ち回りであったが、それは今日でお蔵入りとなりそうだ。そこまでの事を見抜くPoHは、やはり只者ではない。

 

 

しかも、無茶な態勢から反撃を仕掛けた影響で見動きが取れない。右腕は掴まれ、左腕は虚空だ。重心は真上に浮き上がっており、咄嗟に動ける態勢では無かった。

 

  

正面には薄ら笑いを浮かべ、こちらを見るPohの姿が。右手には禍々しいオーラを放っている[友切包丁]。間違いなくソードスキルのサインだった。

 

 

回避する術は無かった。[妖刀]が見せているビジョンは先程途切れていた。つまり、この先にお前が生き残る可能性はゼロであると宣告されたようなものだ。

 

 

「Good bye……Demon ‼」

 

 

ステップと共に、Pohが[友切包丁]を振り下ろした。しかしそれがマロンへと触れる直前に、何かが[友切包丁]に当たった。あまり障害にはならなかったのか、しかし当たったことで0.5秒ほど命中までのタイムラグが出来た。それだけの時間があればマロンにとっては充分であった。

 

 

浮き上がった身体を落とし、右足を蹴る。低い姿勢のまま横へとスライドし、PoHの攻撃を避ける。

 

 

と同時に、脳内にビジョンが再び映し出される。[妖刀]が示したのは、体術によるゼロレンジファイトか、ソードスキルの直撃を狙った一撃決着かの選択肢。生存の確実性が高い前者を瞬時に選択し、初撃を繰り出した。

 

 

ショートタックルでよろけさせてからの回し蹴り。そこでさらに上段、発勁と繋げた。流石のPoHでも全ては受け流しきれない。だが、彼はガードするべきものとしないものと分別していき、致命傷を防いでいた。それでも、たいせいを立て直すまでの時間稼ぎには使えた。

 

 

「一体何が……」

 

 

PoHの攻撃を止めた存在。何者かの気配を感じ、右隣を向くとそこにはミッカの姿があった。怯えて腰を抜かしていた彼女の姿はそこに無く、震える膝を制して懸命に立ち上がり、今にも涙が零れそうな瞳でPohを睨みつける姿がそこにはあった。

 

 

「……who?」(誰だよ?)

 

 

Pohはミッカを見て、鼻で笑い首を傾げる。その嘲笑にもミッカは屈せず、逆に睨み返していた。

 

 

「……大丈夫ですか、マロンさん?」

 

ミッカはPoHから目線を外さないまま、隣で膝を付いているマロンへと問い掛けた。

 

 

「……助かりました。あの隙が無ければ、きっと今頃は……」

 

 

「俺にKillされてた、とでも言うのかDemon? 優しいお友達に救われたなァ……だが、ツメが甘いんだよなァ‼」

 

 

ノーモーションでPoHが動き出す。気が緩んでいて反応が遅れる。それは隣にいたミッカも同じであった。彼女に至っては唯一の武器である短剣を納刀してしまっていた。

 

 

PoHの目線はマロンに向けられていない。PoHの狙いは完全にミッカであった。

 

 

「マズいっ……‼」

 

 

左腕にある[後生]を何とかミッカの前に出そうとする。距離は4メートルほど。PoHとミッカが接触するまでの時間はコンマ3秒ほど。マロンの敏捷値なら、ギリギリ間に合うかどうか。

 

 

「間に合えッ‼」

 

 

[後生]の刀身が紅く染まる。それとともに左腕の突き出すスピードも上がる。PoHの持つ[友切包丁]が横薙ぎ払いで迫りくるのに対し、マロンの[後生]は真正面から受け止める軌道で繰り出す。

 

 

禍々しいオーラを放ちながら、[友切包丁]がミッカへと接触する、その隙間を縫うように[後生]を滑り込ませた。両者の刃が火花を散らすとともに、[友切包丁]と[後生]が共鳴したかのように、真紅と漆黒のオーラもぶつかり合う。その衝撃でミッカは後方へと吹き飛ばされた。一瞬、ダメージを心配したが、ただのエフェクトでダメージは無かった。寧ろ、危険地帯から飛ばされてくれたほうが都合が良い。

 

 

「やったッ……」

 

 

「とでも思った、か?」

 

 

安堵したのも束の間、背後からPoHではない、もう一つの影が現れた。深紫のオーラ、PoHほどではないにしろ、肌で感じる狂気。そして、突き刺すような冷たい目線。PoHとの戦闘に集中し過ぎるあまり忘れかけていた、彼女の存在。

 

 

「忘れないで欲しいものね」

 

 

深い闇に包まれたカーラの目線が、そこにはあった。と同時に、PoHの背後から光るレイピアの尖端が突き出された。距離的にも、タイミング的にも今度こそは間に合わない。

 

 

「これで最後……これでぇぇぇッッ‼」

 

 

まただ。つい先程ミッカに救ってもらった命を、同じ形で捨てることになるとは。何故学習しないのか。何故前しか見ることができないのか。

 

 

死の間際になっても、何の意味もない自己嫌悪に陥る中、突然視界が暗転した。ついにHPがゼロになり、死を迎えたのかと思いきや、何の警告メッセージも出ない。普通ならゲームオーバーを伝えるメッセージが視界内に表示される筈だ。

 

 

それが気になって左下に表示されているHPバーを見た。そこにあったのは0が表示された物ではなく、しっかりと残量がまだあるHPバーであった。

 

 

視界が暗転したと思っていたのも、どうやら違うらしい。眩い光を放っていたカーラのソードスキルが中断された為、光が消え、突然暗闇に戻った結果がマロンに暗転したと勘違いさせていた。

 

 

何故、突然カーラのソードスキルが中断されたのか。その答えはすぐに見つかった。マロンの目線の先には、灰色の簡易的な和服を着た、見覚えのあるシルエットがあった。いやでも、とマロンは思い直す。彼は、殿で[ヘルター・スケルター]と交戦中の筈だ。最後方の殿から遠く離れた中央部まで戻ってくることが出来るのか。

 

 

しかし、[彼]はここに居る。カーラのレイピアを弾き、マロンの危機を救ったのは紛れも無い彼だった。

 

 

「危ね……間に合って良かった……‼」

 

 

「……デルタ君⁉」

 

 

今日何度目になる驚きだろうか。彼は殿を守っていた筈だ。なぜ、中央まで戻ってこれたのか。そして私は何度同じ過ちを繰り返し、彼に救ってもらっているのだろうか。情けない。自らの不甲斐なさに涙が出てくる。

 

 

カーラは弾かれたレイピアを再び構え、デルタへ突きを放った。レイピアとデルタの持つ日本刀とではリーチの差がかなりある。正対しての戦闘は不利と判断したデルタは刀を納刀し、突きを回避。がら空きとなったカーラへと右フックから回し蹴りの体術コンビネーションを当て、距離を取らせることに成功した。

 

 

「Wowwowow……とんでもねぇサプライズゲストが来たもんだなァ。ヒロインのピンチにヒーローが駆けつけるシチュエーション……思い描いていた通りか?」

 

 

「……そんな余裕そうに見えるか? クソ野郎が」

 

 

「Ha……後方の敵を蹴散らしてきた訳じゃないんだろう? さしずめ、いいタイミングで援軍が来て抜け出せたという事か。[黒の剣士]といい、ヒロインのピンチには相ッッッ当目敏いなァ……」

 

 

「アイツと一緒にしないでくれ。というか、お前と悠長にお話をしてる場合じゃないんだよ‼」

 

 

デルタは地面を蹴った。右手は腰の日本刀へと添えられている。マロンと同じ[抜刀術]のスキル、そして[二天一流]のアビリティを持つデルタには、様々な選択肢が与えられている。その中でもデルタは、最もオーソドックス……正面からのぶつかり合いを選んだ。日本刀と中華包丁なら、リーチの差も無い。若干の有利を持って戦える選択だ。

 

 

初撃の払いをPoHは躱し、[二天一流]によって放たれたニ撃目の振り下ろしはパリィによって弾かれた。

 

 

「オイオイ……久しぶりの再会なのにそう焦んな……よッ!」

 

硬直時間を狙われ、ドロップキックを浴びせられる。ダメージはあまり無いが、ノックバック効果は非常に高い。5、6メートルは飛ばされたのだろうか、滞空時間はかなり長い。そこから追撃に来るか、と身構えたが、PoHは蹴った反動で空中で一回転、カーラの横に着地すると、懐から何かを取り出し、それを高らかに掲げた。

 

 

「あれは……[転送結晶]!!」

 

 

[転送結晶]は、使用すると、事前に決めたワープできるというアイテムの事であり、アインクラッド中のトレジャーハンターなら一度は使ってみたいと思えるアイテムであった。マロンはこの手のアイテムを良く知る知人から存在を聞いていたお陰で、効果を認知しており、素早く反応する事ができたが、アイテム等に疎いデルタは重大さが掴めず、マロンに遅れること数歩掛かってようやく動き始めた。

 

 

「逃がすか‼」

 

 

前方へ大きくステップしながら抜刀。[後生]を顔の横へ構え、PoHとカーラが包まれている青い光へと突き刺す。が、手応えはない。[後生]を引き抜くと、二人を包んでいた光は消え、跡には何も残っていなかった。

 

 

「ジャンプされたか……」

 

 

後ろから小走りで掛けてきたデルタが、確認するように呟いた。

 

 

「ええ……多分他層に逃げられたと思います。……助けてくれて、ありがとうございました」

 

 

いいよ、大丈夫とデルタは返事を返した。

 

 

「だけど、これからは本当に気を付けてくれよ……ミッカも大丈夫か?」

 

 

ぼーっと突っ立っていたミッカはデルタからの呼び掛けに気付き、慌てて改まり、返事をした。

 

 

「はっ、はい‼ 大丈夫です、デルタさん。……ごめんなさい。私がぼーっと突っ立っていたせいで……」

 

 

「気にしなくていいよ。次から気を付けてね。しかし……まさか、ね……」

 

 

「……まさか、でしたね」

 

 

デルタの呟きとミッカの相槌の意味することは一つ。カーラの裏切りだ。

 

 

どうしても信じることが出来ない。あれだけ純粋であり、正義を標榜していた筈の彼女が、狂気に染まってしまったのか。何故、突然叛旗を翻したのか。謎は沢山あった。

 

 

「……考えても仕方無いよ。取り敢えず、何とかここを切り抜けよう。まだ戦闘は終わっていない」

 

 

デルタに対し、皆が頷き合う。情報によれば、後方はあらかた片付いた様子であった。なので、未だ交戦マークが表示している前方最深部へと向かうべく、デルタたちは駆け出した。

 

 

 

■■■■■

 

 

[ヘルター・スケルター]討伐作戦から二日が経過した日。アインクラッド第55層[グランザム]にある血盟騎士団本部にて、[攻略組]幹部による討伐作戦に参加した者達への聞き取り調査が行われていた。対象となったのは、指揮官クラスの面々と、カーラの謀反現場に居合わせた者達(マロンは[妖刀]の後遺症で頭痛を発症し、欠席していた)の計十名ほど。その調査の最後尾に、デルタは調査室とされた部屋へと呼び出されていた。

 

 

「交渉による解決は無理だった、と」

 

 

「当たり前でしょう? というか、貴方も前々から分かっていたんじゃないんですか? 彼らに話し合いをする頭が残っていないという事くらい」

 

 

椅子に座って手を組み、額を押し付けて瞑目している彼へと若干の苛立ちを覚えていただけに、その言葉はぞんざいなものとなった。彼は何を思い、何を考えているのか。本当にこの男はそれが読めない。彼の後ろに控える女性とは大違いだ。

 

 

ちらりと目線を傾けると、そこには紅白色の制服……[血盟騎士団(KoB)]と呼ばれるこの世界最強のギルドのユニフォームを着こなした少女と目線が合った。こちらからの目線に訝しげな表情を浮かべた彼女は、こちらの意思は理解するつもりはないと目を瞑り、首を横に振った。ハーフアップに纏められた栗色の髪の毛が揺れるのを見て、釣れないな、と内心苦笑し、目線を正面の男へと戻した。

 

 

「このギルドには平和主義者が多いですね。良い事だ」

 

 

皮肉を効かせたつもりは無いが、そう聞こえてしまったのだろう。少女は顔を烈火の如く染め上げ、声を荒らげた。

 

 

「なっ……!!」

 

 

「別に誰の事とは言っていませんよ。 まぁ今回の部隊を指揮していた奴らの方が余程平和主義者でしたが。アスナさん、あんたも現地に来れば彼らの態度に辟易としたはずですよ。[DDA(Divine Dragons Alliance)]も[CSKA]、今回メンバーを出してくれた二つのギルドもトッププレイヤー集団としてのメンツを保ちたいだけで指揮官の人選は杜撰だった。もしかしたらグループ内のゴミ掃除だったのかもしれない……まぁともかく色々この後に繋げられそうな事例は出来たんじゃないんですか?」 

 

 

そうして目線を再三目の前で瞑目している男へと戻した。副団長である彼女……アスナと張り合うのは精神的に骨が折れる。ふう、と意識せずに吐いてしまった溜息に対し、男はこちらを見、苦笑を浮かべていた。

 

 

「あんまり死人を貶めてくれるな。一応、彼らもこの世界の平和を保とうとした高潔な人物達だ。それ相応の敬意を払わなければならない」

 

 

一応、などと前置きしている時点で彼も亡くなった指揮官達に払う敬意など無いということが見え透いていた。逆にここで感情的になっている人物だとすれば、彼はこの組織、ひいては攻略組をここまで引っ張ってくることは、不可能に近いだろう。目の前の男はそんな硬軟を使い分ける事が出来る器用な男であった。

 

 

「最後、今回の討伐作戦に従軍した感想は?」

 

 

地獄を見させられた自分に対し、研究者のような口調でこんな言葉をぬけぬけと放てる時点で相当な男である。それが目の前から浴びせられる氷の様な目線の源であるヒースクリフという男の本質であり、ひいては後に知ることとなる、ヒースクリフの本当の正体、SAOを開発した張本人である茅場晶彦の本質でもあった。当時はうっすらと感づいていただけであり看破していた訳ではなかった。それでも、この男は他の人間とは何かが違うということは完全に看破していた。そんな印象を持っている相手にわざわざそんな事を聞かれるのかと内心嘆息しながら、思いついたままの感想を話した。

 

 

「不確定要素の怖さが改めて分かりました。存在だけ判明していた裏切り者が誰なのかは誰も知らなかったし、誰も知り得なかった。まさか[CSKA(チェスカ)]のトップエース……攻略組の核とも言える彼女だったなんて、知りたくもなかったもんです」

 

 

結果として、攻略組所属のプレイヤー達を動員した[ヘルター・スケルター]討伐隊は勝利した。和睦による解決は出来なかったが、敵の幹部陣は逃走した一名を残して全員が捕縛または死亡。他メンバーに関しても多くが戦闘能力を奪われ、事実上[ヘルター・スケルター]は壊滅状態となった。が、それは単純に喜べる結果では無かった。 

 

 

討伐隊パーティ総勢三十人のうち、八名が死亡。六名が精神障害を患いしばらくの期間、戦闘不能。おおよそパーティの半数となる十四人が使い物にならなくなった。これは少数精鋭主義を掲げる攻略組にとっては痛い損失である。気が狂った殺人鬼と対峙するということはそれ相応の精神負担が掛かるということだ。

さらに死にもの狂いで捕縛した[ヘルター・スケルター]のメンバー達も、何らかの精神障害を負っている為尋問する事が出来ず、ただの骨折り損となっている状態であった。

 

 

「[ラフィン・コフィン]の数少ない生き残りは各地に散らばって息を潜めている……との報告だったが。まさか出てくるとはな」

 

 

「彼らが仲間の救出に執着を見せたのは今回が初……まぁそれは恐らくついでの目的で、本来の目的は別にあったのだろうと推察していますが」

 

 

今回の討伐作戦は集団自体を壊滅させるという視点では成功と呼べるものであった。が、この作戦によって「攻略組」が受けた損害、指揮系統の全滅であったり各ギルドからの抗議の処理、そして何より、滅んだ筈であった[かの殺人ギルド]に繋がる重要な人物を取り逃がしてしまった事などを考えると、作戦に従事した当事者として成功したとは言いづらかった。

 

 

デルタが一番気に掛けているのは、やはり[かの殺人ギルド]に繋がる重要な人物……討伐作戦中に謀反を起こし、指揮官二人を殺害して逃亡したカーラのことであった。デルタは、このゲームがスタートした直後、まだ攻略組という枠組みがあまり無かった時代から彼女とは交流があった。彼女の所属していたギルド、[CSKA]は他の大型ギルドと比較すれば小規模なギルドであったが、精強な実働部隊が居た為、攻略メンバー達の間でも実力者の集団だと見られていた。その中でも上位の実力を持つカーラとなれば、初期から攻略に参加していたデルタやマロンは、嫌でも攻略会議などで顔を合わせる事となる。

 

 

強烈なリーダーシップと、冷静な戦況判断。レイピアの腕も確かであり、最前線を張れるほどの戦闘力。人脈も人望もあり、類稀なカリスマ性もある。それだけの魅力を、多くの人間が混乱が渦巻くゲーム序盤の時点で既に感じ取っていた。

 

 

最初は寄せ集め集団でしか無かった攻略組を、組織化させたのも彼女の尽力あってこそだ。功労者とも言える存在の彼女が、何故堕ちてしまったのか。原因は攻略組の誰もかもが分かっている。

 

 

「ラフィン・コフィンね……いつまでこの世界に取り憑いているんだか」

 

 

[かの殺人ギルド]こと[ラフィン・コフィン]と呼ばれた殺人ギルドが有名になったのは、そう昔の事では無い。人の命が掛かっているゲームという異常な環境だからこそ、異常な集団も生まれた。彼らは殺しを楽しんでいた。人の命を奪うのが楽しくて堪らない。そんな集団に獲物として狙われたプレイヤーは数多く存在していた。この場にいるデルタ、ヒースクリフ、アスナの三人全員、一度は彼らに狙われたことがある。この場に居ない面子でも、マロン達を始めとする[インビジブル・ナイツ]のメンバーや攻略組の面々も毒牙を向けられている。

 

その中でも特に存在感を見せていたのは[PoH]と呼ばれる一人のプレイヤーだった。最凶と呼ばれた[ラフィン・コフィン]の中でも最も最凶と呼ばれた男。周りを魅了するカリスマ性と、異様によく回るその弁舌で、人々を人道から叩き落とす事を続けた化け物であった。

 

彼は立場こそ違えど、多くの殺人を犯したという点では共通点を持っているマロンへと異様な執着心を持っており、インビジブル・ナイツが彼らに襲撃されたことは一度きりでは無かった。

 

 

しかし、そんな彼らもついには滅んだ筈であった。一ヶ月前、攻略組を中心とし各ギルドの精鋭を集めた連合討伐部隊によって、多大な被害を出した彼らは滅亡したはずであった。だが、まだ完全に消えたという訳では無かった様だ。

 

 

「最凶の殺人者であるPoH。[ラフィン・コフィン]のリーダーであり、ギルド最後の生き残りでもあると思われた彼がこれから内通者の救出に出張ってくるとなると、中々骨が折れるな」

 

 

「奴がわざわざ内通者の救出に来るとでも? その対策の為に、只ですら少ない攻略組の人員を割くつもりで?」

 

 

「本当は私も君と同じ意見だ。救出に来る可能性は低いと考える。恐らく内通者もそれ程の数は居ないだろう。居るにしても、切り捨てたと考えるのが妥当、と思うが、攻略組の中で彼への対策を強化するよう上申してきた者が居る。ギルドリーダーとしては、可能性が1%でもあるその意見を蔑ろには出来ない」

 

 

「……どこぞのアホがそんな意見を?」

 

 

デルタは訝しげに問い掛けた。すると、答えたのはヒースクリフではなく、後ろで不機嫌な顔を隠さずに控えていたアスナであった。

 

 

「可能性としては高いのでは? 他のギルドメンバーは全員捕縛か死亡。組織を保つ為に、何かしらの手を打ってくると予想されるかと思いますが」

 

 

思いの外強い口調に、またかと言いたくなるのは常な事だ。表立った衝突はしないが、こういう場所で仲の悪さが出てしまうのはいつものことであった。彼女から一瞬目線を外してヒースクリフを見てみれば、彼もまたかと言いたげな目線をデルタとアスナ、両人へと向けていた。 

 

 

「俺は来るとは思えないね。正直、奴は[ラフィン・コフィン]という組織の存続自体にはさほど興味が無い気がする。そして単独になった今[攻略組]にちょっかいをかける意味も無い筈だ」

 

 

「じゃあ、何の為にカーラを救出したと思うの? マロンと交戦する為だけに今回みたいな[攻略組]の主力が集まった合同部隊のど真ん中にわざわざ乗り込んだとでも?」

 

 

「奴がマロン……[妖刀]に前々から興味を持っていたからじゃないのか?そして交戦ついでに正体がバレて足が付きそうな内通者を救出。カーラが有能なのはアンタも知っているだろう?奴は頭が切れる。だから……」

 

 

「殺人鬼に冷静さを求める? 馬鹿じゃないの? だから……」

 

 

互いに譲らない言い合いは妥協点が見つからないまま五分を越えた。攻略組のトップエース同士が言い合いをするという珍妙な光景を暫く黙って見ていたヒースクリフであったが、流石に飽きたのだろう。適当な所で静観していた顔が動いた。

 

 

「アスナ君の意見は攻略会議で議題に上げるつもりだ。通った場合、十数人規模の調査隊を編成することになるだろうが……人員の選定はデルタ君、君に一任する」

 

 

そう静かな声で告げると、ヒースクリフはデルタと目を合わせた。

 

 

「ノリノリで提言したそこの副団長様が適任かと思われますが」

 

 

その言葉と共に再びアスナへと視線を送るが、当の彼女はそっぽを向いてしまっていた。さらに追撃するようにヒースクリフからの言葉が飛ぶ。

 

 

「この件について、君以上の適任は居ないだろう。大人数の人命が関わる事案だ。丁重に頼む」

 

 

はぁ、と今日何度目になるか分からない溜息を吐く。討伐作戦での殿といい、今回の責任者といい、ここ最近は何かと貧乏くじに縁があるようだ。

 

 

「空振りに終わらなきゃいいですけどね。まぁその議題が通ったのなら考えますよ。……じゃあ、メンバーを待たせているので俺はこれで」

 

 

振り向いて出口に歩き出そうとすると、背後から掛けられたヒースクリフの声が足を止めさせた。

 

 

「頼んだよ。……それと忠告を一つ。君は目は沢山あるが、周りが見えていない。前しか見ていないのか、考えが追いついていないのかは自分で考えてみるといい。もっと自分の長所を上手く使う事だな」

 

 

「……!!」

 

 

[「目」は沢山ある。だが「思考」は追いついていない]。自分でも薄っすらとしか自覚していなかった自らの弱点を言い当てられ、思わず言葉に詰まる。何故、この男にはそれが分かるのか。問い質したい衝動を堪え、ぐっと唾を飲み込む。振り返ると、そこには先程と変わらない姿のヒースクリフが居た。その目線は相変わらずの見透かすような目線。抱いた印象は間違いでは無い事を再確認させられることとなった。

 

 

「……ご忠告どうも。肝に銘じておきますよ」

 

 

その一言だけを残して今度こそ部屋を出て、その足で街へと向かった。その足が若干早足になってしまったのは、焦りだろうか。

 

 

敷地から出て少しばかり大通りを歩くと、街中で待機していたユーリが、するっと隣へ入り込んで来た。久しぶりのオフを満喫したはずの彼女の顔は、とてもそうは思えないほどに陰鬱なものであった。

 

 

「……どうだったノ?」

 

 

珍しく外套のフードを被ったユーリが、こちらを見ずに問いかけた。こちらから見えるのはフードからはみ出している切り揃えた前髪と、整った形をした鼻だけだ。目も表情も、隣からは覗う事が出来ない。

 

 

「捕虜はとても話を聞ける状態になく、逃亡者は行方不明。PoHの意図も結局は分からず仕舞いだ。で、出た結論は調査隊の設置と……」

 

 

「何も分からない状況って事デスカ……Regretな気分ネ……」

 

 

「ああ……ただ単に、後味の悪い事件だったな」

 

 

その後は言葉が続かない。閑静な雰囲気の大通りを、二人は無言で歩いた。

 

 

何故誰も話したがらないのか。おそらく、誰もが認めたくなかったのだろう。攻略組の柱であった彼女が謀反を起こした事を。実際に交戦したマロンも、実際の状況を見ていないアスナも、皆話す事は殆どがPohの事ばかりであり、カーラの事はあまり話そうとしない。相当な高さまで積み上げた信頼が崩れ、未だに衝撃に見舞われているのは皆同じということか。

 

 

その無言が崩れ、ユーリが遠慮がちに話を切り出し始めるには三分ほどの時間を要した。

 

 

「……どうして、カーラは私達を裏切ったノ?」

 

 

ユーリの声は震えていた。

 

 

「さぁ? 分からないよ。[攻略組]に嫌気がさしたのかもしれないし、この世界に嫌気がさしたのかもしれない。生きる気を無くしたのかもしれない。部隊の指揮官に個人的な恨みがあったのかもしれないな。ともかく、今となっては真相は闇の中さ。聞きたくても、聞けないからな」

  

 

あっけからんと話すデルタの姿に驚いたのかユーリがちらりとこちらを見た。

 

 

「でも、普通嫌気がさしたくらいで人を殺しマスカ? そんなDangerな人では無かったと思ったケド……」

 

 

「昔は普通だったな……でも、普通じゃないんだよ、この世界は」

 

 

そう、普通では無いのだ。現実世界の日本で生活していればまず無い、命懸けの状況。一歩フィールドへと出れば、そこは戦場だ。銃弾や爆弾が飛び交う現実世界の戦場とは武装の程度が違うのみで、本質は同じだ。その世界で、人は変わらずに居られるか? いや、そんな事は不可能に近い。変わらなければ、生き延びることが不可能なのだから。

 

 

人通りが疎らな大通りから外れ、完全な静寂に包まれた小路へと逸れる。当初予定に無かった寄り道に、ユーリは顔色を変えることも無く素直に付いて来た。そして彼女は、話の続きを促すような表情を見せていた。

 

 

「変わらないと生き延びられない、という状況下であるのならば人は本能に従って自分を変える。優秀な奴だからこそ、変な方向に曲ったんじゃないのかな。柔軟すぎたんだよ、奴は」

 

 

「……それはみんなにも当てはまる事デスね。デルタ、マロン、リッキー……皆カーラと同じくらいGreatな人達デス。もし、どこか知らないところで曲がってしまったラ……そう考えると、怖いし、悲しくなるネ」

 

 

「優秀であるが故に壊れるか、無能で変化に対応出来ず滅ぶか……結局、普通が一番って事だよ。出る杭は打たれる、って訳じゃないけど、突出した何かを持つ奴は意外と脆い。カーラにしても、マロンにしてもな」

 

 

「……私達も注意しないとデスネ。いつ、何が迫ってくるかは分かりませんカラ」

 

 

そういってこちらを見たユーリの顔は、何かを諦観したような表情を貼り付けていた。時々この少女は弱気な所を見せる。それを曝け出している、つまりそれだけ信頼されていると考えれば気は楽であるが、今はそんな事を素直に喜ぶ事が出来ない。

 

 

信頼されるということは単純に重荷が増えるということだ。そしてその重荷を、デルタはこの世界で沢山引き受けてしまっている。それがプラスなのかマイナスなのかは、当時のデルタ……牧田には分からない事であった。

 

 

 

 



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十五話 必然の邂逅

9/12誤字修整しました。


東京都・台東区上野 [23:10]

 

 

牧田 玲・DAIS[Disavowed]所属エージェント

 

 

 

 

「牧田くん、大丈夫?」

 

唐突に聞こえたアンの声が、過去へと飛んでいた意識を現在へと引き戻した。はっとなって顔を上げ、恐る恐る横を見るとそこには心配そうな目をしたアンの顔があった。長く過去の記憶に潜っていたせいか、頭が上手く働かない。自分がどうなっていたのかすら分からない。

 

 

「……俺、どうかなってた?」

 

 

「二分くらい黙ってたが……やっぱり辛い事とかがあったのか」

 

 

そういえばあの世界の事を話していたんだった、と思い出し、同時になんであの時の事件が頭に思い浮かんだのだろうとも考える。とても娯楽としてのゲームの内部での出来事と言えなかった、薄気味悪い事件。カルト宗教とも言える殺人ギルドへと鞍替えした、正義を掲げていたはずの女帝。あれから結局、カーラと再会する事は一度も無く、裏切った理由も聞けずじまいのままであった。

 

 

「辛い事……か。色々あるにはあるよ。けど、向こうの世界で経験したことに後悔は無いよ」

 

 

アンに向けて言ったその言葉は、半分本当で半分嘘だ。確かに、貴重な経験ではあった。だが、それの代償に失ったものは何か。時間、いや違う。時間は取り戻せないとはいえ、どうにでもなる。

 

 

向こうの世界で失ったものはたったの一つ。大切な幼馴染の人格であった。

 

 

彼女は明らかに昔とは変わってしまった。昔ほど感情を表に出さないようになり、あまり他人に深入りしないようになった。幼馴染であるはずの牧田にも敬語を使うようになり、SAO関連の事案と気分転換以外では家の外から出ようともしない。

 

 

[妖刀]に支配されていた時の栗原は異常であったが、今の栗原の方がもっと異常だ。何かの亡霊に取り憑かれたように、[妖刀]の幻影を追っている。現実世界に帰還してからもう3ヶ月も経過したのにも関わらず、彼女の心は未だにあの鋼鉄の城と呪われたシステムに囚われていた。

 

 

それらは恐らく、今からではどうしようにも出来ないだろう。これからの未来、牧田が目にする、接する栗原瑛里香は、以前の彼女ではない。もう以前までの彼女は帰ってこない。しかし、それは[何もしなかった]場合だ。

 

 

あの世界との決着……SAOとの禍根を断ち切れば、何らかの見返りはあるのではないか。そんな事を期待していて、[AWI]が解決した後、彼女が何も変わらなかったら、と思うと何とも言えない気持ちになる。

 

 

それでも、愚直に攻め続けなければならない。彼女を変えられる可能性が少しでもあるのなら、今身を削ってでもやらなければ、きっと後々後悔することになるだろう。

 

 

「っと、ここだ」

 

 

病院から十数分掛かり、ようやく数日ぶりに見た[ダイシー・カフェ]の看板を正面に捉え、アンティーク調のドアを開ける。

 

 

「来たぞ」

 

 

声を掛けつつドアを抜けると、外とは一気に空気が変わる。鼻腔を刺激する匂いも、乾いたものでは無く、香ばしい、食欲をそそるものだ。

 

 

カウンターのスツールには、仕事帰りだろうか、スーツを着た男女二人と、飾り気のない私服を着た女性が座っていた。その奥、カウンターの向こう側には見慣れた人影が一つ。手慣れた手付きでシェイカーを振っているアンドリューのものであった。

 

 

「おぉ。来たか。座ってくれ」

 

 

物珍しそうに店内を見回すアンと久里浜を引き連れ、会社員達の隣のスツールに腰掛ける。全員、思い思いの飲み物を注文し、出されるのを黙って待っていた。果たして、[AWI]を解決に導く事ができる鍵がここにあるのか。それの正体は一体何なのか。

 

 

そんな事を考えながら黙っていると、突然、隣に座っていた人物から声をかけられた。振り向くと、声の正体は飾り気のない私服を着た若い女性だった。彼女は理知的な瞳で牧田を見つめると、淡々とした口調で言葉を言い放った。

 

 

「君ね。アンドリューが言うキーパーソンっていうのは」

 

 

「……キーパーソン?」

 

 

女性の口から突然出てきた馴染みの無い言葉に、思わず聞き返す。

 

 

「君、[帰還者]なんでしょ? 向こうの世界では噂に聞く[黒の剣士]と同等の活躍をした英雄の一人。SAOの事はあまり良くは知らないけど、私の居る業界の一部じゃ中々の有名人だよ」

 

 

「……何の業界です?」

 

 

「IT業界。あ、ごめんごめん。自己紹介がまだだったね」

 

 

彼女はスツールから立ち上がると、手で自らを指して自己紹介を始めた。

 

 

「私は園原歩美。株式会社レクトで、VR機器の研究開発をやらせてもらってるわ」

 

 

園原のシンプルな自己紹介が終わると同時に、向こう側に居たスーツ姿の男女二人も立ち上がった。片方は実直そうな顔付きの男、もう片方は小柄で大人しそうな雰囲気の女だった。

 

 

恐らく、この三人がアンドリューの言う協力者の面々なのだろう。園原に続いて、他の二人も自己紹介を始めた。

 

 

「俺は正田。レクトの経営部で働いてる。こっちは……」

 

 

正田は、隣に立つスーツ姿の小柄な女性を指した。

 

 

「三矢です。正田先輩と同じく、レクトの経営部で働いてます」

 

 

株式会社レクト、そう聞くと先程出会った男の顔を思い出す。先程、病院で遭遇した須郷も、レクトに勤務していた筈だ。病院での出来事を思い出し、顔が曇りかける。が、すぐにそれを消し、いつも通りの表情に戻す。

 

 

「こっちの自己紹介は省略させてもらいます。……色々な事情があるので」

 

 

「了解。貴方達に何らかの事情がある事はアンドリューから聞いているわ。で、やって欲しいことがあるの。[AWI]を解決する為にね」

 

 

園原は簡潔に要望を伝えた。

 

 

「レクトプログレス本社ビル42階、サーバールームに潜入してもらいたいの。そこにあるサーバーから情報を引き出せれば、状況が変わるかもしれない」

 

 

系列の会社へと侵入して曰く付きのデータを引き出す。その言葉に驚いたのは、事前にそのことを知らされて居なかったレクト社員の二人であった。

 

 

「なっ……何を言っているんだよ?! 正気か?」

 

 

「侵入って……そんなの無理ですよ!!」

 

 

正田、三矢の二人は不可能だと園原にまくし立てた。が園原はそれを気にすることもなく牧田の方を向いていた。

 

 

そして、連絡を取る事前にアンドリューに耳打ちして確認していた事を問い掛ける。

 

 

「荒事も出来るってアンドリューから聞いているけど、もしかして警察か自衛隊の人間?」

 

 

アンドリューが牧田を呼び寄せる直前、園原がした[実動できる人間って言ったけど……どこかに忍び込んだりすることって出来そうな人?]という内容の耳打ちに対し、アンドリューは[……多分、大丈夫だ。でも危険な奴じゃない]と返していた。

 

 

園原はずっとその事を気に掛けていた。不法侵入が得意、でも犯罪者ではないという事ならば、何らかの組織に属していたとしか考えられない。園原はそう踏んでいた。事実、それは当たっていた。

 

 

「肯定も否定も出来ませんが」

 

 

牧田としては困ったように微笑むしかなかった。実際、園原の読みは的中している。それも、警察や自衛隊の一般部隊ではなく、諜報機関の実働部隊に所属する、現役のエージェントだ。園原はそのことを知る由もないが、牧田の言ったことを肯定的に捉えたようだ。彼女の表情が緩む。

  

 

「そう、良かったわ。これでやっと、本格的に状況を動かすことが出来るわ」

 

 

状況が変わる、という言葉に牧田の表情は動いた。渋そうに細めていた目が開き、園原の眼を見つめた。

 

 

「状況が動くとは?」

 

 

「そう。これを見て」

 

 

園原はテーブルに置いていたタブレットを掴んで起動させ、正田から送信されていた写真を表示させた。サーバールームに見える人影の写真だ。

 

 

「これはレクトプログレスの本社ビル。で、ここのフロアにはSAOのサーバーが移転されていて、今現在も稼働しているわ。色々な危険性を考慮して、ここは立入禁止区域になってるはずなんだけど、何故か居るはずのない所にこうやって人が居る。まずこれが誰なのかを解明したいんだよ」

 

 

「この人影に心当たりは?」

 

 

「無い。でも、こんな所にわざわざ人を配置する? 本来なら無人であっても何らおかしくない場所のはずなのに、なぜか人が居る。しかも、サーバールームに関する予算で色々ゴタゴタしてる時にこれさ。きな臭いと思わない?」

 

 

「情報が不確実すぎます。何らかの裏付けが無いと動くのは難しいですよ」

 

 

横から厳しい意見を投下したのはアンであった。久里浜も、意見に同調するように頷いた。正田も、三矢も、いくらなんでも……と言いたげな表情で園原を見た。が、園原の表情は変わっていなかった。

 

 

「そうだね。この人影が本当にヒトなのか、その点から不確実な情報だからね。確かに私の情報に裏付けは無いよ。まあ誰も居なかったらそれで良いさ。SAOのサーバーから情報を採れればそれで良し。データさえ取れれば、突破口を開けるかもしれないからね。もし警備員だった場合は、また別の機会に、別の方法で探ることにするさ」

 

 

彼女のあっけからんとした態度に、皆が言葉を失った。レクト側からすれば、自分たちが勤める企業の中枢部、しかもセキュリティレベルの特段高い場所に、未成年にしか見えない子供を潜入させるのか、という驚きがあり、もう一方の牧田たちからすれば、不確実な情報で敵の懐まで潜らなければならない危険性、自分達は罠に誘い込まれているのではないかという懸念があった。

 

 

「正気ですか先輩……? 犯罪行為を勧めるって、それはどう考えてもおかしいじゃないですか」

 

 

「そう? 彼らが良いって言うなら良いと思うんだけど。使い倒せるものは使わないと今回みたいなヤマは解決できないよ?」

 

 

その言葉に、レクトの二人は黙ってしまう。人手が足りないのは事実だ。これから事を進めていくのなら、実働できる人材はどうしても必要になる。それは二人とも重々承知していた。

 

 

沈黙が続く中、それを断ち切るように牧田が声を上げた。

 

 

「別に、自分達のことは心配してくださらなくて大丈夫ですよ。その覚悟があるからここへ来たんですから。それに、レクトプログレスとはちょっとした確執も出来ましたし、丁度良かったくらいですよ」

 

 

確執、という言葉にレクトの三人が反応し、こちらに視線を移した。確執とは勿論、病院で須郷の部下から襲われた一件だ。

 

 

恐らく、あの時須郷は牧田たちをただの一般人と思っていたのだろう。しかし、牧田たちに制圧された部下たちから報告が行けばどうなるか。拳銃を持ち、体術に優れ、ある程度訓練を積んでいる筈の警備員を制圧したのが一般人である筈がないというのは、猿でも分かる。この時点で、牧田たちは何らかの機関に属した人間だということは向こう側にも認知されている筈だ。

 

 

公的機関に察知されたと知れば、彼らの尻にも火がつくだろう。動きが過激になればなるほど、DAISもその行動に気が付くはずだ。しかし、今現在牧田が持つ情報ソースは須郷の「実験サンプル」という失言だけであるのはいくらなんでも心細い。情報共有を図るため、牧田はレクトの三人へと話を振った。

 

 

「須郷伸之、奴は何なんです?」

 

 

その言葉に、レクトの三人は揃って顔を見合わせた。どうやら知己の人物であるらしい。三者共に言葉が出た。

 

 

「須郷って……あの須郷だよな? 本社に親父が居る須郷か?」

 

 

「プログレスの須郷といえば、恐らくあの須郷ですね」

 

 

「レクトの須郷、あのボンボン以外考えられないよ」

 

 

どうやら身内からの評価は散々のようだ。入社から一年と少ししか経過していない三矢からも呼び捨てで呼ばれている時点で、相当な問題人物なのだろう。

 

 

「それほどに変な人なんですか?」

 

 

正田が、言いにくそうに頭を掻きながら答える。

 

 

「まぁ変……なんだけど、仕事面では確実に有能な人だよ。SAO事件でVR機器の売上が落ち込んだ時とか、色々根回しして業績回復の立役者になったりとか、稼ぎ頭のゲームの運営チーフをしていたり……会社員としては、有能。でも人間としては……うん」

 

 

それっきり黙ってしまった正田に続き、三矢が繋いだ。

 

 

「社内、しかも他部署の私達にも噂が飛んでくるくらいには変人ですね。失敗を犯した部下に対しての扱いとか、女性関係のウワサとか、反社とのウワサとか……キリがないくらい、噂はありますね。でも、父親が経営の上層部に居るからか上への影響力も高く、本人も割と有能な人ですからどんどん上に行ってて今は若手のトップエースなんて呼ばれてます。現状、SAOの件で落ち込んだVR機器の売上を取り戻した[ALO]を管理する立場ですから、社内では誰も奴には逆らえない状態になっていますね」

 

 

そんな噂が立っても上へ行けるということは、その噂を払拭できるくらい有能か、その父親のパワーを使って上層部に対する評判を隠しているのか、そのどちらかだ。

 

 

「何? 須郷と何かあったの?」

 

 

「[未帰還者]の友人の病床でちょっとひと悶着……」

 

 

そのひと悶着の内容を一通り話し、クロかどうかの判断を園原に仰いだ。まぁその様子だと奴はクロだよね、と須郷をばっさり切り捨てた園原は、目を細めてやっぱりと言わん限りの表情をした。

 

 

「須郷が関わっているとなれば、やっぱりレクトプログレスが怪しくなるんだよね」

 

 

「レクトプログレスの動向はアンタらからは見れないのか?」

 

 

「一応管理下なんですが、重要な部分を親会社に見られないようにか暗幕を下ろされてしまっているんです……でも、たまにその黒い所が出て来る時がありますね。例えばこれ……」

 

 

久里浜の言葉に反応した三矢はタブレット端末を操作し、画面に表示させた資料を見せる。

 

 

「この数字、レクトプログレスを含めたサーバールームの管理予算なんですが……数字が明らかに多いんです。そして、この額の殆どはプログレス側に流れています。この3千万以外にも、かなりの額……数億円が、レクト本社側の予算に紛れてプログレス側に渡っています。しかも、その使用用途は不明になっている……おかしいと思いませんか?」

 

 

保守費用以外にも資金が流れている事実は、今朝までに正田と三矢が独自に調べたものであった。帳簿の原本がデータとして収まっているコンピュータは本来、管理職が持つIDが無いと開くことは出来ないが、園原がセキュリティを解除したことで閲覧が可能に。そうして引き出したデータを、短い時間で調べ上げ乖離を発見できたのは、ひとえに彼らの努力があってこその成果であった。

 

 

「その金で[未帰還者]を囚えて何かやっていると……。何をやっているかの見当は付いているんですか?」

 

 

アンの問いに、園原が答えた。

 

 

「うーん……正直、何をやっているかまでは不明かな。でも、[未帰還者]っていう被害者の特性、須郷が実行犯という可能性、そしてレクトプログレスっていう会社がやっている業務からすると……」

 

 

園原は言うのを一瞬躊躇うように言葉を飲んだ。が、諦めたのか次の瞬間には眉を歪め、難しい顔をしたままそれを言っていた。

 

 

「人体実験……かな」

 

 

その言葉に、正田と三矢、そしてアンドリューが、一同に衝撃に見舞われる。皆、口を開けて固まるか、目を見開くかのどちらかであった。ただ、先程病院で、須郷からそれの片鱗に触れていた牧田達三人は、その言葉を噛みしめるように静かに頷いていた。

 

 

「……人体実験?」

 

 

三矢が掠れた声で反芻した。人体実験という言葉は、経営の事でしか会社触れていない三矢にとっては大きな衝撃だったのだろう。

 

 

「そう、人体実験。フルダイブ技術っていうのは、言い換えれば脳を弄る技術ってことだよ。プログラミングとかの情報工学だけじゃなく、それらと脳科学とかの医学が混ぜ合わさった複雑なモノなんだよ、フルダイブ技術って。脳と機械を接続するんだから、当然危険性はある。で、当然技術の進歩……フルダイブ技術で言う[未開の領域に踏み込む]ことの危険性はかなり大きいんだ。何せ、誰も踏み込んだことのない所を手探りで進んでいくんだから」

 

 

フルダイブ技術が実用化された当時、安全性や倫理的問題の議論か盛んに行われていた。そこで主な論点となったのは、[生命倫理的に、人間は自らの脳をどこまで弄っていいのか]というものだった。「脳波を用いるのであって直接弄る訳では無い」と問題自体を無しにする動きもあれば、「脳波とはいえ、自らの思考器官を機械に委ねるのはいかがなものか」という意見もあった。

 

 

結局、新鮮で、刺激に溢れた新しいモノを望む世論に後押しされ、フルダイブ技術の研究が発展していった。が、現実問題として、どこまでの領域へ踏み込むのが正しいのか、どこまでなら安全なのか、その答えは長らく出なかった。そこで現れたのが、本来禁忌とされている[人体実験]という結果であった。

 

 

言葉を区切り、園原はグラスを傾け一息吐く。彼女は、いつになく憂鬱そうな眼差しで話を続けた。

 

 

「で、問題は誰の脳を使ってそれをするか、って所なんだよ。普通ならマウスとかモルモットとか使うんだけど、どうしても[生身]のデータには劣るんだよね。それに、[生身]じゃなかったら手に入らないデータもある。それだけ、人間の脳のサンプルっていうのは価値が高いんだよ」

 

 

「そんな……」

 

 

「三矢ちゃん、残念だけどこれは須郷だけじゃなくて、私達も同じなんだよ。どうしてもフルダイブ技術の発展にはサンプルが要る。……オフレコにしてほしいんだけど、私達の場合、サンプルにしているのは執行前夜の死刑囚。死刑執行間近の死刑囚に対して、脳を弄る実験をしているんだよ。法務省とグルになって、互いに世間には秘密にしているけど。それが許されるものかどうかっていうのは知ったこっちゃ無いけど、実際人の命をオモチャにして遊んだ上に成り立っているのが今のフルダイブ技術なんだよ。世間じゃ日本の技術力だの、茅場晶彦の努力の結晶だの言われているけど、現実は非人道的な技術と、マッドサイエンティスト達の努力の結晶がフルダイブ技術って訳」

 

 

恐らく、茅場の人脈は法務省と関係が持てるような広いものだったのだろう。フルダイブ技術の先駆者であった茅場の人脈が無駄に広かったお陰で始まった、法務省と研究機関の非人道的な悪しき風習は、技術開発の初期から今日に至るまで続いている。園原がそれに携わった事は一度きりではない。研究開発を主とする機関に所属しているだけに、避けては通れない道だ。

 

 

数十人を殺害した放火魔や、全国各地を行脚し数世帯を亡きものにした通り魔など世間を賑わせた様々な死刑囚の犠牲の下に、今日の賑わっているフルダイブ技術は成り立っている。世間の認識と現場の実情は大きく乖離していた。

 

 

「軽蔑してもらって構わないよ。私達はそれでメシを食っている訳だからね。反吐が出るような犯罪を犯した死刑囚でも、人の命ってことには変わりないからね」

 

 

園原自身、現場ではあまり気にしないようにしているが、やはり一人の時などは、脳の奥底に封じてあった人体実験の記憶が、フラッシュバックのように表に出てきたりはする。園原の考えは、[死刑囚の命は普通の人のそれより軽い]というものだ。が、どれだけ凶悪な犯罪を犯した犯罪者といっても、それは人だ。命の価値が重いか軽いか、その考えが精神的な負担を軽く出来ているかと言われれば、それはNOだ。受けているストレスは計り知れない。

 

 

当然、実験の時の記憶がフラッシュバックすることもあれば、実験時に死刑囚達に言い放たれた呪い言のような言葉の数々を思い出すこともある。それは、フルダイブ技術を発展させるための身を削った研究員達の犠牲の結果だ。同時に死刑囚の命も、フルダイブ技術発展の糧となる尊い犠牲となっている。

 

 

だから人体実験にかけられる死刑囚には軽蔑こそすれど、技術発展の面では感謝の気持ちを持つ事にしている。そうする事で非人道的な実験を赦されようとしている訳ではないが、多少なりとも気は楽になる。

 

 

だが、須郷はその手順を踏んでいない。そして、本来巻き込まれるはずの無い一般人を対象に、非人道的な実験を行っている。それこそ人の道を外れた、許されざる行為ではないのか。もし、本当に須郷がそのような行為を働いていた場合、須郷伸之という男を心から軽蔑することになるだろう。園原にはそうなる自信があった。

 

 

「で、話を戻すと、人間のサンプルっていうのは貴重で、なかなか手に入らない。そんな中、一万人もの意識不明者が現れる大事件が発生。しかもその1万人の頭には、脳と接続されたナーヴギアが装着されてる。[AWI]の事件性から見ても、解決後に数人意識不明者が残っても不自然では無い……現に、今[未帰還者]の扱いは[AWI]の後遺症だと認知されているからね。御膳立てはバッチリな状態なんだよ」  

 

 

現に、世間では一連の騒動を[SAO事件]の後遺症として認知されており、何かしらの意図があって発生したものだとは思われていない。

 

 

でも……とアンが呟く。

 

 

「わざわざ自分の会社の社長令嬢まで実験体にするのには、さすがに疑問が残りますよ」

 

 

アンが突然挟んだその言葉に、レクトの三人が怪訝そうな顔をする。社長令嬢の言葉に引っ掛かった正田が尋ねる。

 

 

「社長令嬢……結城社長の?」

 

 

「はい。現レクトCEOの結城彰三氏の令嬢、結城明日奈さんは現在[未帰還者]として所沢市の私立病院に収容されています。他の[未帰還者]と何ら変わらない、意識不明の状態のままです」

 

 

「……マジか」

 

 

社長令嬢、結城明日奈の現状を淀みなく述べたアンを、正田が信じられないといった表情で見つめる。

 

 

「それが本当なら、須郷は何の為に社長令嬢まで巻き込んだんだ……?」

 

 

レクトの人間でも、レクトの社長令嬢である結城明日奈と、須郷の間に直接的な繋がりは見えてこない。自らが所属する会社のトップの娘を、わざわざ実験サンプルとして使うのもリスクが高い。何故だ、と皆が首をかしげる中、三矢が手を挙げた。

 

 

「噂程度の話ですけど、聞いたことがあります。須郷さんの息子と、結城CEOの令嬢は、近い将来婚姻関係を結ぶ予定があるって……」

 

 

「須郷と結城明日奈が結婚……か」

 

 

それが本当だとしても、許嫁を昏睡状態にする理由が分からない。というよりも、彼女……結城明日奈に許婚が居るということは牧田に少なからずの衝撃を与えた。何故なら、牧田の記憶が確かなら彼女に許婚がいるのは[ありえない]ことになるからだ。牧田はそれを確認する為、アンドリューにそれの真偽を尋ねた。

 

 

「エギ……じゃなかった。アンドリューさん、結城明日奈……アスナに許嫁が居ると思うか?」

 

 

カウンターの向こうへ向くと、アンドリューも訝しげな表情をしていた。思う所は恐らく同じだ。

 

 

「いや、信じられん。だって彼女には奴が居るはずだろう?」

 

 

この場において、結城明日奈の過去を知っている者は牧田とアンドリューの二人だけだ。その二人の共通認識は、結城明日奈に許婚がいる事などありえない。おかしいというものだった。

 

 

「許嫁が居たら居たで彼女は相当腹黒い奴になるんだけど……あいつはそんな奴じゃなかったしなぁ……」

 

 

「どういう事?」

 

 

園原が牧田に説明を求める手振りをする。

 

 

「結城明日奈には、別の男が居るんですよ。向こう側の世界で出会った奴がね。そいつと彼女の関係はどう見ても遊びのそれじゃ無かった。どう見ても本気の恋愛でしたね、アレは」

 

 

アスナにとって、最愛の人間は誰かと聞かれれば間違いなくその男と答える。少なくともデルタから見て、その愛情は間違いでは無かった筈だ。だから、結城明日奈に婚約者が居ると聞き一番驚いたのは、SAOでのアスナを知る牧田とアンドリューの二人であった。

 

 

「えっと、つまり令嬢には須郷ともう一人の男が居て……アンタら[生還者]からすれば、そのもう一人の方が令嬢の本命で、須郷が本命扱いはおかしい、ってことか?」

 

 

久里浜が確認するように問う。それを牧田とアンドリュー、両人が頷き肯定した。

 

 

「なら、須郷の方からは結婚を望んでいても、令嬢の方からは望んでいないって事か? それなら、令嬢が他に男を作った理由が付くんじゃないか」

 

 

「正田くんの言う通り、それしかないんじゃないかな。恐らくだけど、令嬢と須郷の結婚は政略結婚だろうね。目的は須郷が結城家に取り入る為か、或いは令嬢の身体か……? とすれば、須郷が令嬢を囚われの身にしておく理由も見つかりそうだよ」

 

 

「令嬢は結婚に否定的だから、昏睡状態の内に結婚しちまおうって寸法か?」

 

 

でも、と正田が確認するように呟いた。

 

 

「そんなの、SAOに囚われている時にやっちゃえばいい話じゃないか? なんでわざわ昏睡状態を引き延ばしたりするんだ?」

 

 

正田の意見はもっともだ。ただ無理やり婚約に持ち込むのなら、SAOに囚われている時でも良い筈だ。その場合なら、事件解決当日に目覚めさせても何ら不都合は無い。目覚めた時には既に婚約が成立しており、政略結婚という事情から解約するのは困難を極めるだろう。その時点で須郷の目的は達成されるはずだ。わざわざ他のサンプルと共に昏睡状態にして、三ヶ月近くも眠らせているのには疑問符が付く。

 

 

「じゃあ、何か他の理由があるとか……?」

 

 

うーん……とその場の全員が考え込む仕草をする。無言の状態が二分ほど続いた後、突然アンが声を上げた。

 

 

「園原さん、人体実験を行って、得られた情報をどんな物に転用できるんですか?」

 

 

呼ばれた園原は少し唸ると、眉を寄せて難しい顔をした。

 

 

「うーん……実験サンプル以外の使い道か。色々あるよ。例えば私達が作っているVRハードウェア、シミュレータとかの性能向上とか新規製品の開発とか……あと変わり種としては医療機器への転用の話も出てるかな」

 

 

「マインドコントロール、とかは?」

 

 

「まだ無いね。と言っても、おそらくやろうと思えば実現可能な技術だよ。もしかしたら、もう実現されているかもしれないけどね」

 

 

もしかして……とアンが呟いた。

 

 

「結婚に前向きでない令嬢を、洗脳して屈服させる……とか、そういったこともあり得るって事ですよね」

 

 

だね、と園原が難しい顔をして頷く。

 

 

「結局、須郷が主犯であるという理由なんか、探せば後でいくらでも出てくるわ。重要なのは、それをどうやって暴き、[AWI]を解決するか。須郷の個人的な事情なんか後回しで良いよ」

 

 

分かってます、と牧田はあくまでも冷静に答えた。

 

 

「サーバールームへの潜入はこちらで行います。警備員が居た場合に関しても、何とかやり過ごしてみせます。ただ、電子機器の扱いは慣れていません。そこの支援だけはお願いしたいです」

 

 

三人の中では唯一、アンが電子工作を行うことが出来るが、あくまでも環境が整っていればの話だ。ビルに潜入する際に、そんな大層なコンピュータは持ち込めない。ならば、専門家に委ねるのが一番の良策だ。

 

 

「分かった。決行の前にデバイスを渡すわ。何か必要なものはある?」

 

 

「必要なのはビルの案内図くらいです。あと出来れば、須郷近辺の情報収集を頼みたいです」

 

 

「それは俺らは任せとけ。丁度、レクトプログレスに大学の同期が居るからな。そいつから掘り下げて探ってみるよ」

 

 

正田が言うのと共に、三矢も小さく頷いた。社内の情報収集は、この二人に任せておいて良いだろう。外部から得られる情報などたかが知れている。内部で仕入れた情報の方が内容の濃度も濃いものが手に入ると踏み、丸投げすることにした。

 

 

「ってなわけで、決行するのはいつにする? 私としては出来るだけ早いほうが良いんだけど」

 

 

園原の質問に、潜入側の三人は顔を見合わせた。機材の準備はすぐに出来るし、潜入のシミュレーションも潜入だけならそれほど時間は要らない。

 

 

久里浜は冬期休暇で二週間ほどのまとまった休みを取っており、アンは所属している情報局が開店休業状態であるため暇。牧田に至っては一時除隊処分の身である為、明日以降はスケジュールがガラガラだ。三人とも、士気は充分で、すぐにでも作戦を始めることが出来る状態であった。

 

 

「準備はすぐに終わります。早ければ明日の夜から動けますが……どうします?」

 

 

「一番良いタイミングが明日だね。明日の夜は、ビルのセキュリティメンテナンスってことで監視カメラとか赤外線センサーが夜間停止するみたい。あと、明日なら残業するフリして無線で支援出来るけど……どうする?」

 

 

「取り敢えず準備して待機、駄目だったら明日以降って事で良いんじゃないか?」

 

 

久里浜の提案に、園原が頷いた。

 

 

「いいね。それで行こう」

 

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 

 

 

「本当にこれで良かったのか?」

 

 

「ああ。もし彼女らが須郷の差し金だとしても、問題は無いよ。こっちの存在は須郷には既に認知されているし、ある程度何らかの組織に属しているってことも勘付いているはずだよ。多分何かしらの行動を起こすとは思われているだろうし、それを誘導するにしてもわざわざ心臓部のサーバールームに誘い込むとは思えないね」

 

 

「問題はどうやるかだよね。普通に潜入ってだけなら良いけど……」  

 

 

「一応モノを用意する。話を聞く限り、サーバールームに人が居たなら間違いなく須郷が呼び寄せた手勢に違い無いからな。もし何かあった時に丸腰じゃ不安だ。久里浜、手配出来るか?」

 

 

「任せろ。何が必要だ?」

 

 

「俺はいつもの416D、アンはDSR。弾種は軟質プラ、両方ともサプレッサーを取り付けてくれ」

 

 

「何で狙撃銃を?」

 

 

「さっきスマホでビルの立地を見たけど、向かい側に少し高いビルがある。屋上から覗いてもらえば、人影が居るかどうかも事前に認知できるからね。アンは屋上で監視、潜入は俺と久里浜、二人で充分さ。恐らく暗闇で行動することになるから暗視装置、出来ればV3が欲しい。あとドアブリーチャーとドローン、フラッシュバンも頼む」

 

 

「エントリーボムを使うのか? リスクを背負う事になるぞ」

 

 

「承知の上さ。こちらの姿が補足される前に脱出出来れば大丈夫。向こうも下手に手出しは出来ないだろうからな」

 

 

「分かった。弥生さんの所で手配してもらう。合流は明日正午以降、場所は後で伝える。じゃあな」

 

 

 

■■■■■■

 

 

 

 

久里浜の後ろ姿が消えるのを待って、牧田はドアの前へと戻った。ドアノブに手を掛けようとした直前、後ろから声が掛けられた。

 

 

「また店に戻るの?」

 

 

アンの問いに、振り向かずに答える。

 

 

「ちょっとね、園原さんに聞きたい事があってさ」

 

 

「……瑛里香ちゃんのこと?」

 

 

言い当てられるとは思わなかった。本当ははぐらかしたかったが、今更取り繕ったところで無駄なことは分かっている。正直に観念し、アンの方へ振り向いた。

 

 

「……そうだよ。今回、SAOのサーバーを漁る事になるって言ってただろ? なら、サーバーに残っている[妖刀]のデータを探れば、何かしらあいつを楽に出来る方法が出てくるんじゃないかと思ってさ……それをお願いしに行くだけだよ」

 

 

いくら呪われたといっても、[妖刀]は所詮プログラム上の存在でしかない、と牧田は考えていた。ならば、コンピュータを掌っている本職からならば、何かしら解決策に繋がるようなヒントが貰えるという淡い期待を抱いてはいるが、確実ではない。

 

 

数秒間の無言。アンの目線が切られた。彼女は後ろへ振り返り、そのまま歩いていった。背中越しに、アンから言葉が投げられる。

 

 

「……そう。なら、私はセーフハウスへ戻るね」

 

 

「悪い。また明日な。おやすみなさい」

 

 

夜闇に消えるまでアンの背中を見送り、姿が見えなくなった所で腕時計を覗く。時刻は丁度十二時を回る瞬間であった。日付のデジタル表示が21が22に、曜日も[Mon]から[Tue]へと変化した。牧田は口元だけで笑った。

 

 

これまで、何も動かすことができなかった状況が、ようやく動かせる。しかし、潜入任務が成功したからといって問題がすべて解決するわけではない。むしろ、その後のデータ解析や検挙の方が重要だろう。それは決して独力では出来ない。アンや久里浜、園原達の力があってこそだ。

 

 

SAOへ囚われる前は、何でも自分で解決しようとしていた。他人を頼る事が嫌なのではなく、他人を信頼することが出来なかった。それは幼い頃からの経験から来たものであり、栗原に対しても全幅の信頼を置いていた訳ではない。それがSAOの中で、自然と出来るようになっていた。

 

 

エージェントは基本的に孤独だ。任務遂行の為にチームを組む事はあっても、戦友として相手を信頼するわけではない。だが向こうの世界では、牧田からして戦友と呼べる人物が居た。ユーリ、マロン、リック……様々な戦友を信頼し、命を預けた。

 

 

信頼し、力を借りることの大切さは、間違いなく向こう側の経験から学んだ。異世界から学んだプラスを用いて、[未帰還者]というマイナスを打ち消す。決めた以上は遂行するだけだ、と覚悟を決めた牧田は、アンが消えていった路地に背を向け、再び[ダイシー・カフェ]の扉を開いた。

 

 

2月22日、[AWI]の解決を目指す者達にとって、長い一日が始まった。

 

 

 

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十六話 救済の方策

 

東京都 台東区 御徒町 [24:05]

 

園原 歩美・株式会社レクト/プログラマー

 

 

不思議な青年だ、と園原は直感で感じた。容姿は至って普通。一見すれば普通の高校生すら見える。が、良く観察すれば明らかに違うことがわかる。モッズコートの下に隠れる肉体鍛え上げられている事、手の甲や首元に残る傷跡など、本当に良く観察しなければ気付かないような些細な点で、彼は普通の人間とは違った。

 

しかし、最も園原が違和感を感じたのは、纏った雰囲気である。力を持った人間は、大半が薄汚い雰囲気を纏い、それを撒き散らすような佇まいをしている。少なくとも園原の見てきた者はそうだった。しかし、彼は力を持っているにも関わらず、それを隠している。表面では普通の人間を装っているが、裏のそれと混ざり合っている独特な雰囲気を醸し出し、園原はそれを感じ取っていた。

 

横目で観察しながら、グラスを傾ける。戻ってきてからというものの、微動だにせず、机に腕を置いて座っているだけ。何を考えているのか、好奇心が疼いた。

 

「ねぇ、どうしたの? そんな思い詰めちゃった顔してさぁ」

 

ここまで語調が砕けると、もう単なる酔っ払いのカラミだ。無視されても文句は言えない。だが彼は、律儀にも返事を返してくれた。

 

「……園原さんは、茅場を見た事はありますか?」

 

「あるよ。といっても、もう五年くらい前になるけど、一度だけ」

 

他大学との合同研究で、当時その他大学の大学院に在席していた茅場が研究に参加したことがあった。当時から天才だ何だと叫ばれていたが、外面は冴えない青年、内面は無口と取っつきにくい人間であった。だからあまり会話することは無く、一度ニ、三言雑談をした程度だった。

だが、それだけの交流でも彼が特別な人間だということは理解出来た。彼の口から出る言葉には謎の魅力があった。でなければ、研究に対しての質問というだけの会話をわざわざ覚えていたりはしないだろう。当時より父親関係でIT関連の有名な人物とは何度か顔を合わせ、会話したことがあったが、茅場だけはそれらと比較にならないほどだった。

 

だから、茅場がナーヴギアを開発した時も、[SAO]の発売が社会的な関心を集めた時も、[AWI]を起こして数千人を殺害したときも、園原には「ああ、そうだったのか」程度の感慨しか湧いてこなかった。それほどまでに住んでる世界が違い、考えていることも常人のそれとは違うと考えた末の、半ば一種の諦めのようなものだったのだろう。

 

「大学の時から大分変った人間だったけど、どうかしたの?」

 

「いや……ちょっと聞きたい事がありまして」 

 

「んー? 私に?」

 

「[妖刀システム]、ってご存知ですか?」

 

園原にとって、聞き覚えの無い単語だった。[妖刀システム]なんてプログラムは、恐らく聞いたことも見たことも一度もない。素直に首を横に振った。

 

「うーん……聞いたことないなぁ。何かのプログラム?」

 

「SAOで使用されていた対殺人者用の防衛システムのようなものです」

 

対殺人者用。普段聞き慣れないその言葉は、彼が[生還者]だということを再認識させるのに充分な威力を持っていた。牧田は、表情に苦悩を滲ませながら、その常軌を逸したプログラムの内容を吐露した。

 

「アイテムを通してPCに導入、対殺人者に対して恐るべき効力を発揮したシステムです」

 

「ちょっと待って。PCに導入って、まさか対殺人者の役割を人にやらせたって事? それってまさか……」

 

「人殺しの為に作られたプログラムですよ。殺人をしている者をシステムが探知すれば、自我を失いかねない勢いでそれを殺しに行く。それによって、自分の身近な人が酷い目に会いました」

 

園原は絶句していた。茅場の人柄は知っていたが、まさかそこまでや事をやる輩だとは思ってもみなかった。

 

フルダイブ技術において、最もタブーとされるのはフルダイブ被験者の身体に危害が及ぶことだ。それに繋がるプログラムを作成するのはご法度であり、例外は無い。感覚に何らかの刺激を与えるプログラムは、全て危険な影響が出ないようリミッターが掛けられている。例として、擬似的な痛みを発生させるプログラムも、ペイン・アブソーバーというシステムによって制御されており、人々が安全にゲームをプレイすることができるようになっていた。

 

だが、その[妖刀システム]とやらは、それらとは別次元でタブーとなるプログラムではないか。殺人を強制するプログラムがあるという衝撃、そしてそれが実際に使用されたという事実、何よりそれを作成したのが、茅場であるという事に、園原は驚愕した。

 

確かに彼はフルダイブ技術を悪用して大量の犠牲者を出した。しかしそれは、茅場本人が自分の手を汚して行った事だ。しかしそのシステムを使って茅場は、第三者に殺人を強要していた。どちらがどれだけ非道か、少なくとも殺人と無関係の人間を汚すのは下衆の所業だ。

 

「誰がそのプログラムに操られたの?」

 

「自分の友人……幼馴染です。彼女が、そのシステムの被験体となりました」

 

幼馴染といえば一番身近な友人ではないか。

 

沈痛そうな無表情と共に、彼はそのプログラムと、幼馴染が行った所業を話し始めた。彼が渡した刀によって[妖刀システム]が取り憑いたこと。[妖刀]が発露した彼女を止められなかったこと。システムを抑えるため、自我を保つために性格ががらりと変わったこと、今でも後遺症に悩まされ、死に場所を求めているということ……それまで身を置いていたフルダイブ技術の世界からは想像も付かない程の話は、事の悲惨さを理解するのに充分な威力を持っていた。

 

「その彼女は今何を?」

 

その問いを口にしてしまった事を園原は瞬時に後悔した。もし、その幼馴染とやらが既にこの世を去っていたら、その言葉は彼にとって鋭い刃のようなものだろう。過去の辛い記憶を掘り起こしてしまうのではないかという園原の危惧に対し、牧田は栗原の現状をあっさりと話した。

 

「今、彼女もこの[AWI]に対する行動を起こしているはずです。でも、心は不安定で、いつそれが崩れるかも分からない。無責任と思われるかもしれませんが、俺はただの人間です。カウンセラーでもメンタリストでもない。火花が飛び散っている火薬庫みたいな精神状態の奴に触れて大事になるのなら、むやみに触れずそっとしておくしかありません。でも、もし、何かしらのヒントがサーバーにあるのなら、それを捜し出すしかない。……このヤマを解決しないと、自分の[SAO]は終わらないんです」

 

距離を置くのは妥当だと言えた。もっともな理由だ。精神を壊した人間に触れてロクなことにならないのは、高校時代の経験から既に学んでいる。精神医に引き渡すのが最も適切な対処法である。

 

「システムが与えた精神障害か……」

 

園原は椅子の下に置いてあったバッグから、ノートパソコンを取り出した。

 

立ち上げ、少しばかり操作すると、画面を牧田へと提示した。そこには、牧田にとって全く意味のわからない文字の羅列が表示されていた。

 

「何ですこれ?」

 

「ALO内部に何故かあったSAOのデータ。もし仮に、ALOにそれが引き継がれているとしたら、この中にあると思うんだけど……」

 

そう言って園原はパソコンを引き寄せ、タイピングをし始めた。暫くの間、キーボードの打音が静寂を紛らわせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京都・台東区御徒町[24:10]

 

牧田玲・DAIS[Disavowed]所属エージェント

 

 

 

ALOの中に妖刀システムが混じっている可能性、ALOがSAOをベースにして作られたのであれば、入っていてもおかしくはない。ならば、もしあったとして、栗原がログインした場合はどうなるのか。妖刀は起動するのだろうか。それだけが気掛かりだ。

 

今更、栗原とアミュスフィアとALOを買ってしまったことを後悔した。まだDAISの支援が取り付けられると思っていた時は現実世界の荒事はDAISに任せ、自分は栗原に付いてALOをプレイしつつ面倒を見る、というプランを思い描いていた。

 

今の栗原はいつ爆発するかも分からない時限爆弾のような状態だ。幼馴染として、相棒として、何よりも一人の男として隣で支えたかった。

 

それが出来なくなった今、栗原は誰からも支えられていない状態だ。せめて、SAO時代の彼女を知る誰かが居てくれればと思わずにはいられない。

 

暫くすると、園原がキーボードを打つのを止め、画面に見入った。

 

「あった。[妖刀-system]、システムデータに組み込まれてたよ。隠しアイコンとして設定かつ検索からも除外されるくらいの徹底した隠匿……完全なマスクデータになってなくて良かったね」

 

「それがALOのデータに組み込まれてたってことは……」

 

当然、出る答えは一つだ。

 

「ALOにこのシステムが組み込まれているってことになるね」

 

園原は再びパソコンを操作し始めた。ウィンドウを閉じ、また新たなアイコンをクリックした。

 

「その幼馴染のPN,判る?」

 

「あの時から変わっていないのなら、[マロン]です」

 

マロンね、と園原が呟き、キーボードに指が走った。出ないでくれ、という思いも刹那。パソコンの画面には、見覚えのある顔つきと装備、しかし髪色や背面の翅といった部分が微妙に違うマロンの姿が映し出されていた

 

異世界の街の中で、ショーウィンドゥを覗く彼女の姿がスクリーンショットのような形で表示されている。写真の上部に表示されているプロパティには、[時刻・10:24][Marron:シルフ領内]と時刻、場所の情報が簡潔に記録されている。10時といえば、今から二時間と少し前の話だ。

 

「ALOにログインを始めたのが10時ちょっと過ぎ。それから少し経過したくらいの写真だね。記録者は...システムのオートログか」

 

ページをスクロールし、今度はログが一覧となって表示される場所へと移った。

 

大体が黒文字で表示されるログの中に、一つ、赤文字の表記があった。園原が目敏くそれを見つけ、その赤文字を指でなぞった。

 

[エラー:コード0000 想定していないプログラムが稼働しています ログ:29231]

 

「想定していないプログラム、[妖刀]の事か...」

 

その赤文字から続くログを読んでみると、

 

[Marron:エンハンス付与]

 

[Marron:Hugeをキル]

 

[リカバリ:エラーは是正されました]

 

と表示されている。つまりはシステムの稼働によってエンハンスが付与。この[Huge]というプレイヤーを殺害したという事だ。

 

「おかしいな...エラープログラムが稼働しているのなら、システムと連動して秒で是正、少なくとも私とかの関係者にエラーの詳細が知らされる筈なのにな...」

 

園原は苛立ちを隠さずに呟いた。彼女の話が本当ならば、関係者に[妖刀]の発露が露呈しないための細工がされていたという事になる。そしてその細工ができる人物というのはレクト社内でも限られてくるのではないか。

 

しかし、園原はそれをバッサリと否定した。

 

「こういった部分の設定変更は難しいね。どうしても複数人の管理者権限による承認が必要だし、それを気軽に承認するような奴は一部を除いて居ないよ。一部っていうのは須郷達一派の事なんだけど...いくら何でもやらないと思う。だってエラーを承認するってことは、システムの脆弱性を晒しているのと同じだしね。恐らく、これは人為的なエラーでは無いと思うよ...多分ね」

 

何か引っかかるような言葉を残して、園原は画面をスクロールさせた。

 

「今、ログイン中だね。ちょっとばかりのログアウトを挟んで復帰したみたいだよ。場所は同じ、ステータスにも異常は無い」

 

園原が動かした画面には、一人裏路地のような場所で佇むマロンの姿がライブカメラで表示されていた。

 

その画面を見つめていると、不意に彼女の目線が動いた。あの時とは違う、ラピスラズリ色の瞳と画面を通り越して目が合う。

 

「...っ」

 

彼女の目線は、見えない虚空を射ているはずだ。少なくとも、彼女からは何も見えていないはずだ。なのに、感じた殺気は一体なのか。隣を見ると、園原も同様に何かを感じ、驚いたような表情をしていた。

 

「...ねぇ。一体、彼女はどんな存在なの」

 

園原が画面から目を離さないまま問いかけてくる。どんな存在、かと言われれば、丁度言い表せる言葉が存在することに気付いた。彼女を言い表すのに最も適した言葉、彼女の渾名となった、あの称号。

 

「彼女は[鬼神]...神をも喰らった、正真正銘の鬼です」

 

 

■■■■■■

 

マロン/栗原 絵里香・帰還者

 

 

シルフ領首都・スイルベーン 裏路地16番通り

 

 

不意に、何者かの目線を感じた。自身の背後、視線を感じた先にある空中を睨みつけるが、そこには何もない。きれいな色の青空があるだけだった。

 

疲れだろうか。それとも、[妖刀]の後遺症だろうか。考えても仕方がないと思考をばっさりと切り捨て、それまで考えていた事象へと思考をシフトした。

 

何故、妖刀システムが起動したのだろうか。彼らの中に、SAOで人を殺めた者が居たのだろうか。その可能性は切れる。もしあの場に殺人者が居たのなら、出会い頭で[妖刀]が発露していた筈だ。だが、実際は揉めた後、追い詰められた結果の発露であった。いつものパターンとは違う。

 

それに、SAOの時よりも効果が明らかに強い。SAOの時は、軽いエンハンスと数秒先の行動予測、そして行動選択の提示によるアシストを受けていた。行動予測と言えば聞こえはいいが、脳波のラグなどで上手くいかない事もあり、実力がある敵にはそもそも予測が殆ど当てはまらない事もあって、強敵との戦闘時は全く信用していなかった。さらに、システムの暴走を自我で抑え込んでいたからか、システムの本領を発揮できず、発露時でも[Poh]といった強敵には遅れを取ることが多々あった。

 

ALOのものはそれよりも遥かに進化していた。行動予測のタイムラグは無く、予測の信頼性はかなり高い。一挙手一投足まで正確に予測されている。エンハンスも倍率がブーストされているのか強力で、行動選択提示もより合理的になったものになっていた。

 

 

だが、強力になった分、明らかに身体の負担も増えている。妖刀を発露した時特有の強烈な頭痛が、数十分経った今でも残っている。前までは頭痛はそれほど長引くものでは無かった。身体も重く、こうして立ち上がることすらままならない状況だ。

 

 

(このゲームの中にSAOのデータが混じっているのは確実ですか……)

 

 

アイテムのデータなどであるのならともかく、[妖刀システム]まで入っていたとなれば、それは確実だ。ALOに対殺人者用のシステムを組み込む必要は無い。エンハンス用のシステムとして使うにも、使用者の身体的、心理的な負担が重すぎる。そのことから、SAOのデータベースを丸々持ってきたのだろう。

 

 

しかし、それ以上考えても何も出ては来なかった。[妖刀]が普通のプレイヤー相手に何故発露したのか。[妖刀]が何故SAOの時より強力になっているのか。何故ALOにSAOのデータが混じっているのか。分からないことが多すぎる。考えれば考えるほどに解らなくなる。そんな中、頭に浮かんできたのは考察でも解決策でもなく、頼りとしていたはずの彼の顔だった。

 

(……こんな時に、牧田くんが居れば)

 

 

だが、今更どう顔を合わせるのか。彼にほぼ決別とも取れる言葉を投げかけてしまった身であるくせに。都合が良すぎる、と自分で自分を責めたい気持ちになった。

 

[私は……躊躇いなく人を殺せますから]

 

その言葉を聞いた時、彼の顔には悲壮と諦観、二つの感情が張り付いていた。悲壮はまだしも、諦観は何なのか。何を諦め、そして何を考えていたのだろうか。頭の中に長い間残り続けている疑問であった。

 

過去にそういった経験があったのか定かではない。だが、あの悟ったような表情は何かしらの経験が無いと現れないものであった。

 

「私は……貴方ほど強くは無いんですよ……」

 

一体、彼は過去に何を経験したのだろうか。長い時間を共に過ごした筈だが、未だに彼の事を完全に理解した訳では無い。同い年の幼馴染とは思えないほど、彼は強い。自分もそれなりの地獄を経験した筈だが、それでも遠く及ばない。一体、どれほどの経験をすれば、ああなることができるのか。見当も付かない。

 

私の知らない彼が、どこかに居る。人生の半分近くを彼の近くで過ごしていても気付くことは出来なかった。彼が意図的に隠しているのか、或いは私が気付いていないだけのどちらかだ。

 

しかし、思い返せばその片鱗のようなもの色々な所で目にしている。行動、思考、予測、どれも常人のそれとは違う。常に他人よりも一歩先を行っていた。

 

その正体、強さの根源は何なのか、と思考を巡らせた瞬間、背後に何者かの気配を感じ取った。[妖刀]の反応ではない。スキルの反応でもない。第六感とでも言うべきか。人の気配を探知して即座に探索網を周囲に張り巡らせた。右手を[後生]の柄に添え、周囲を警戒する。

 

建物と建物の間から、人影が現れる。緑色の和服に、薄い若草色の髪。その下に マロンを見据える碧眼が覗かせていた。恐らくマロンと同じ、シルフの者だろう。

 

「先程の立合い、観戦させてもらったよ」

 

彼女は微笑を浮かべながら言った。警戒をしつつも、マロンは疑問を述べた。

 

「……どこから見ていたんです?」

 

マロンが習得している[索敵]スキルではあの検問集団以外の人は居なかったはずだ。[索敵]スキルと相反する[隠蔽]スキルがマロンと同じくらいの値か、それ以上の値があるのであれば、マロンの索敵から隠れる事が可能だ。が、マロンの[索敵]スキルはSAO時代より完全習得を示すマスター表示が付いている。ということは、目の前にいる和服の女性は、相当の腕前を持つプレイヤーであるのだろうか。

 

「まぁそれは置いといて。素晴らしい対人戦の腕だな。あんな動きが出来るシルフは他に居ない。あのゲームシステムの限界を攻める機動……私は惚れたよ」

 

「何を言っているんです……?言いたい事があるなら、単刀直入に言ったらどうなんです?」

 

何故かこの女性の発言には裏があるように思える。何か意図があるのではないかと勘ぐってみると、彼女はあっさりとボロを出した。

 

「ふふ……やっぱり回りくどかったか。じゃあ単刀直入に言わせてもらう。私の護衛として君を雇いたい」

 

「は……?」

 

護衛、という言葉が理解できなかったわけではない。何故、この場面で言うのかが理解出来なかった。

 

「おっと失礼。私はシルフ領の領主をしている。名をサクヤという。よろしくな」

 

種族のトップに君臨する人物がこんなところに現れるものだろうか。初心者のプレイヤーを騙すにしても釣り針が大きすぎる。これ以上考えても仕方がないので、いったんは領主と考えて接することにした。

 

「いわゆる傭兵さ。やってもらうのはさっき言った通り護衛。と言っても一人で私を守る訳じゃない。他にも十数人、私直属の護衛として付随することになっている」

 

十数人、という人数は多いのではないか、と旧SAOプレイヤーの脳が反応した。領主クラスが一体どの位の戦略的価値があるのかは判らないが、十数人の護衛というのは、SAOでは見なかった人数の護衛の数だ。攻略に行くのならまだしも、平常時の護衛とは考え辛い。となると、何かの戦闘なのだろうか。

 

「薄々感づいていると思うけど、今回の件は戦闘が起こる前提だ。君の他にも優秀なプレイヤーを揃えてはいるが、多少なりとも損害が発生するかもしれないことには留意してくれ」

 

「ちょ、ちょっと待ってください。何もやるとは...」

 

強引に話を進めてくる彼女を何とか止め、その意図を聞き出そうと試みた。

 

「一体、何で私を雇うのですか?」

 

彼女はフフーフと意味深に笑うと、あっさりと私に目を付けた理由を、余計な一言と共に吐いた。

 

「それは、君の雰囲気が面白かったからだよ。鬼神ちゃん」

 

 



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