IS-アンチテーゼ- (アンチテーゼ)
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プロローグ
第0話 終幕の後の序章(プロローグ)


⚠️注意!!
この小説に原作キャラは一部を除きほとんど登場しません。ほぼ全てオリジナルキャラにより、「原作の裏で進んでいた外伝ストーリー」という形で話が進行していきます。あらかじめご了承ください。

本作品はセリフ、固有名詞等に多数のパロディやオマージュを含みます。

感想もらえると嬉しいです!



 ◇

 

 

 

 アンチテーゼ

 Antithese

 

 最初におかれた命題と逆の命題。

 直接的に対称をなすもの。正反対。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()というのがある。

 世界に存在するいくつかの施設は政治的、軍事的、その他諸々(もろもろ)の理由で決して公にはできない。それは秩序のためであり、世界の均衡のための隠蔽である。

 12年前、ただでさえ危うかった各国の軍事バランスはISという新たな力の台頭によりいともたやすく崩れさった。

 時を経て表向きは落ち着いた世界もまだまだ崩壊寸前のジェンガを積み上げるがごとき危うさで成り立っている。

 その均衡を保つため、大衆に知られてはならない場所がこの時代には無数に存在した。

 

 太平洋沖某所レイビーク監獄島、別名セカンドアルカトラズもそんな地図に載ってはいけない場所のひとつであった。

 

 セカンドアルカトラズ所長室、その扉の前でハンナ・ハドラーは小さく深呼吸をした。

 ハンナには昔から緊張すると無意識に深呼吸をする癖がある。こわばった心を落ち着かせるためだ。

 だが今、彼女はべつに緊張している訳では無かった。新しい所長が来るのは三度目だし、所長と言っても所詮はどこかの軍からの天下りで単なるお飾り。緊張する理由がそもそも無い。自分の倍以上生きているにも関わらずふんぞり返っていばり散らすしかできない無能ばかりなのだから。

 とはいえ一応は自分の新しい上司。それなりに敬意と礼儀を()()()()()()()()()()挨拶をせねばならないのだろう。そのための軽い準備、それがこの深呼吸だ。

 二回のノックの後すぐに中から「どうぞ」と返事があった。

 おや? と彼女は首をかしげる。ずいぶんと声が若い。前任2人はどちらも齢50を過ぎた肥満体の男だったので今回もそんなもんだろうと思っていたのだが、少し意外だ。

 

「失礼します」

 

 ――さてどんな人物だろうか。飾りとしては優秀か……最初に見るべき印象はそこだな。

 

 新しい置物を見定めようとハンナはドアを開けた。

 所長の椅子に座っている男に対してハンナが最初に抱いた印象は「冷たい針金細工」だった。

 細身、長身、学者タイプ。歳は30代前半か、やはり若い。身体の重心がズレている。机の右側に掛けた杖、おそらく右足に障害あり。

 資料にはドイツ軍からとあったが、なるほどそんな顔つきだ。オールバックの銀髪に鋭い目元、真一文に結んだ口、ドイツ軍人と聞いて10人が10人想像する顔。

 そしてなにより目立つのが、これ見よがしに付けられた左目の眼帯だ。

 

 ――しかしドイツ軍っていうのは眼帯の……

 

「あまりいい気分ではないですね。そうジロジロと『観察』されるのは」

 

 その言葉に脱線しかけていたハンナの思考が一気に引き戻される。

 

 ――いけない。とりあえず、今は職務優先だ。

 

「失礼しました。看守長ハンナ・ハドラーです。業務引き継ぎの確認といくつか書類にサインをお願いします」

 

「わかりました。少し待っていてください」

 

 ハンナと目も合わせずそう言うと、男は机の上のファイルを片付ける。

 

「お待たせしました。今日付でセカンドアルカトラズの所長に就任しました――」

 

 男が座ったまま手を差し出した。

 

「スティング・フォン・ルーゲルです」

 

 男と初めて目が合う。その瞬間、ハンナは正体不明の寒気を感じた。自分の何かを見透かされたような悪寒。

 差し出された手を握り返す時、彼女は無意識のうちに深呼吸をしていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 軽い挨拶の後、会話は皆無であった。所長室には、スティングがパラパラと書類をめくる音しかしない。

 なんとも重苦しい空気。確かに初対面で不躾な視線を投げたのは失敗だった。握手を躊躇(ちゅうちょ)したのもまずかっただろう。しかしそれを差し引いても新所長はあまりに無愛想である。

 ハンナとしては別に仲良くしたい訳では無いのだが、それでもある程度優良な関係を築いておかねば後々の業務が面倒くさくなる。話のわかる部下を演じ、なるべく案件を上にあげない。無能にでしゃばられては困るのだ。先々代の所長で学び、先代の所長で実践したハンナ流仕事の効率化である。

 会話の糸口を模索するハンナだったが、意外にも先に口を開いたのはスティングの方だった。

 

「やはり気になるものですか」

 

「は?」

 

「この左目です」

 

 ハンナはギクリとした。左目のことだけでなく、自分が会話の糸口を探していたことすら見透かされたような気がしたのだ。

 

「そう、ですね……ただ眼帯をしていること自体が気になったわけでは」

 

「ほう。というと?」

 

 スティングが書類から顔をあげる。

 

「自分は以前、あるドイツ軍部隊の演習を見たことがあるのですが、その隊の人間が……全員左目に眼帯をしていたもので」

 

「なるほど、私も関係者なのかと思い訝しげな顔で見ていたというわけですか」

 

「ええ、言い訳のようで見苦しいですが、どうにも気になりまして」

 

 ふむ、と呟くとスティングはファイルを閉じ、両ひじを机にのせる。

 

「その部隊は黒ウサギ隊(シュヴァルツェハーゼ)でしょう。結論から言ってしまえば私は黒ウサギとは関係ない人間です。眼帯(コレ)に関しても、彼女らには彼女らなりの理由があるのでしょうし、私にも私なりの理由があってのことです」

 

「は、失礼しました。いらぬ詮索でした。以後気をつけます」

 

 言葉ではそういったものの、実のところハンナはすでにこの男に対する好奇心を抑えきれないでいた。

 あきらかに今までの所長達とは違う人種。それどころか今まで出会ったことのない人種。言葉の端から理知が滲み、こちらの思考を容赦なく覗く。足や目を抜きにしたって有能な指揮官であるには十分だろう。なぜドイツ軍はスティングを手放した? なぜセカンドアルカトラズに来た?

 様々な疑問を抱きつつ、ハンナはこうも感じていた。

 

 ――きっと私のこの好奇心もすでに見透かされているのだろう。

 

 わずか数言会話をしただけ。それでもわかる。いわば確証無き確信が彼女にはあった。

 

「ひとつ、質問をしてもよろしいでしょうか」

 

「どうぞ。答えられるものであればお答えしますよ」

 

「所長は……なぜセカンドアルカトラズへ?」

 

 気づかれているのなら正直に尋ねた方が得というものだ。答えが得られる可能性もゼロじゃない。

 

「察していらっしゃるとは思いますが、率直に申し上げてここの所長職はただの飾りのようなものです。ほとんどの業務は看守長の私と副看守長のメリーが主体で行われています。所長ほどの方でしたら、その、もう少しその才覚を発揮できる地位があるのでは」

 

「気をつけると言ったそばから随分といらぬ詮索をしますね」

 

「所長ならば……気づいておられるものと」

 

 スティングはしばらくじっとハンナを見つめていた。少し長めの沈黙の後、スティングは軽いため息とともに口を開いた。

 

「『アンチテーゼ』を知っていますね?」

 

 その問いに、いやその名前にハンナの表情がいっきにこわばる。

 

「もちろんです」

 

 当然知っている。()()()()()()()()()()()()。なぜならば――

 

「奴らはここにいるのですから……!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 二年前、突如として活動を開始したテロ組織。反ISを掲げ、事もあろうに「ISによる全ISの破壊」を目論(もくろ)んだ謎の集団『アンチテーゼ』。

 だが半年前のラストリベリオンと呼ばれる大規模な戦闘によりアンチテーゼは壊滅。メンバーは一部死亡、他は逮捕され極秘裏にこの監獄に収容された。

 

「その極秘の監獄がまさにここセカンドアルカトラズ、ですね?」

 

「その通りですが……。では所長はアンチテーゼを追ってここに来られたという事ですか」

 

「ええ。回収されたアンチテーゼのISがドイツ軍で凍結保管されているのは知っていますね。その関係でアンチテーゼメンバーがここに収容されていると知りました」

 

 意外だった。ハンナにはスティングがそこまで何かに執着する人間とは思えなかったからだ。

 

「どうしてそこまで奴らを?」

 

「実はそれが先ほど話した眼帯の理由でもありましてね」

 

「では、その眼は……」

 

「ご推察のとおり、この眼はラストリベリオンでの負傷です。その際、脳にも傷をうけましてね。ナノマシン治療で大事には至りませんでしたが、右脚に障害が残りました。つまり私をこのような体にしたのはアンチテーゼ事件なんですよ」

 

「それでアンチテーゼを憎んでおられるのですか……?」

 

 その言葉にスティングはフッと微笑む。この男も笑うことがあるのか、とハンナは少し驚いた。

 

「勘違いしないで頂きたい。たしかにそれが元で前線を退くことにはなりましたが、恨んでいる訳ではありません。これは純粋に好奇心なんですよ」

 

「好奇心……?」

 

「世界そのものを敵に回して、安寧(あんねい)を永遠に捨て、戦いと逃亡を日常にして、それでも何かをなそうとした。彼女達は何を思い何のために世界に反旗を(ひるがえ)したのか。あなたにはわかりますか?」

 

 心なしかスティングは少し楽しそうに見える。だがなにかが歪んでいる。ハンナはスティングになにか異様なものを感じていた。

 

「私には……わかりたくもない事です。何を思っていようと、私にとって彼女らは世界の災厄たるただのテロリストでしかありません」

 

「まあ普通はそうでしょう。収容する人間の事情など知ったところでなんの益にもなりません。それどころか変に情が移れば業務に支障をきたす恐れすらある。ですが……」

 

 スティングがふたたび笑う。

 

「それでも私は知りたいんですよ。知らなければならないのです。彼女らの終着点として、その生き様を知らねばならない。君もそうは思いませんか? ほんとうに知りたくはないですか?」

 

 それは本当にただの好奇心なのだろうか? ハンナは考える。スティングの歪な微笑みの裏にどんな感情があるのだろう? 

 そしてハンナは答えを出した。わからないという答え。彼の中にあるのはきっと自分が理解などできないなにかなのだ。

 『深淵を覗くとき、深淵もまたお前を覗いている』というが、これはそんな生易しいモノではない。まるで覗く気のなかった深淵が唐突に口を開け迫ってきたような感覚。

 だが、ハンナは気づいていた。自分はもう、その深淵を覗きたくてしょうがなくなっている。

 

 ――この男は私をどこに引きずり込む気なんだ……

 

「わかりました。私でよければ所長の好奇心にお付き合いいたします」

 

「ありがたいですね。ではさっそく復習といきましょうか。アンチテーゼ事件をはじめからなぞるとしましょう。ちょうど資料もここにありますから」

 

 そう言うとスティングは机の引き出しから分厚いファイルを引っ張り出した。

 ハンナは冷たい汗を浮かべながら心の中で苦笑する。用意がいいというよりは、はなからこの着地点が決まっていた、と言ったほうがいいのだろう。

 

「さて。アンチテーゼ事件は二年前、奇しくも我が祖国ドイツではじまりました。いや、本当は彼女らの物語はもっとずっと前から始まっていたのでしょうが」

 

 アンチテーゼが明確に世界への反逆を宣言したのは二年前。ドイツで行われた第三次イグニッションプランの新型コンペティション、その最中であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「世界の敵(アンチテーゼ)


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ドイツ編
第一話 世界の敵(アンチテーゼ)


 ◇

 

 

 

 それはひときわ月の明るい夜のことだった。

 

 ドイツ某所、カンデア軍港基地。夜の海が月を映し輝く、そんな光景を(さえぎ)るように湾にはひとつの巨大な建造物が横たわっていた。

 ドイツ軍最新鋭特殊大型潜水空母『オルトリンデ』。真黒な剣を思わせるその潜水艦は、ただ静かに満月に照らされている。

 その巨体を見上げながら巡回中のボリス・ドナートは大きくあくびをした。兵士にあるまじき気の抜け方だが無理もない。そもそもこの施設においては巡回自体ほとんど形だけのものになっているのだ。それに加え、交代の時間は過ぎているはずなのだがいっこうに代わりが来る気配がない。

 どうせまたガットの馬鹿がもたついているんだろう、無線で催促してやろうか、とボリスが鼻を鳴らした時だった。

 

「いやあ、いい月夜ですなぁ」

 

 突然、背後からかけられた声にボリスはすぐさま小銃を向け警戒態勢をとる。

 そこにいたのはひとりの若い男だった。薄手のコートを潮風に揺らしながら、男はまるで散歩の途中だとでも言うように笑っている。

 

 ――ふざけるなよ、おい! ここまでいくつセキュリティがあったと思ってやがるッ!

 

「何者だ! どうやって入り込んだ!」

 

「大事なのはそこじゃない。真にたずねるべきは『正体』じゃあなく『目的』だ。いったいなーにをしているのか。そうだろう?」

 

 銃を向けられているというのに男はまったく身構えることなく話しかけてくる。まるで旧知の友人をからかうかのような口ぶりだ。

 男の飄々(ひょうひょう)とした態度にイラつきながらも、ボリスは銃口を向けたままゆっくりと近づいていく。

 

「目的なんざ決まってるだろうが! ここまで侵入してくるような(やから)の目的が、この潜水艦以外にあるのか、ええ!?」

 

「優秀だね兵隊さん。安心したよ。実はちょっと心配になってたところだったんだ。極秘開発の潜水空母があると聞いてたのに見回りは君一人だろう? もう少し厳重に警備したほうがいいんじゃないかってね。まあでもキミみたいな勘のいい人間が警備しているのなら十分なのかもしれないね」

 

「……くっそが!」

 

 言うまでもなくここの警備が薄いなどということはありえない。

 人間による巡回が半ば形骸化(けいがいか)しているのは、それを補って余りある無数のセキュリティシステムが存在するからだ。いくつものシステムが独立稼働し、数えきれないほどのセンサーやカメラが施設だけでなく海と空をも過剰な密度で監視している。

 それらをすべてくぐりぬけ、この男はそこに立っていた。

 

 ――幽霊(ゲシュペンスト)かこいつはっ

 

 ボリスは幼い頃に読んだ幽霊の絵本を思い出す。誰にも気づかれず背後に忍び寄る幽霊(ゲシュペンスト)。ボリスはその薄気味悪さがたまらなく怖かった。

 その恐怖を振り払おうとかぶりを振った時、ボリスは違和感を覚えた。

 

 ――そこまでしてなぜこの男はこんなことをしている? 

 

 ここに侵入してきたことではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 

 理由はひとつしかない。

 

「時間稼ぎっ……!」

 

 男がにたりと笑う。

 

「そう、それが『目的』だ。やっぱりキミは優秀だね」

 

 次の瞬間、ボリスの目の前に真っ白な何かが現れた。ボリスは反射的に小銃の引き金を引いたが、それは弾丸などまったく意に介さず再び消え去った。そこにいたあの男とともに。

 辺りを見回してもすでに侵入者は影も形もなく、ただ夜の海原が月を映し広がっているだけだった。

 一瞬のことで確認はできなかったが間違いない。あれは――

 

「IS…」

 

 ハッと我に返ったボリスは無線でこの異常事態を知らせようとする。が、その時ボリスは最大の異常に気が付いた。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 そこにあったはずの潜水空母オルトリンデは跡形もなく消えていた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 三日後 

 ドイツ ドルトムント

 

 この日、ヴェストファーレン国立IS競技場は大きく賑わっていた。

 それもそのはず、今日行われる第三次イグニッションプランの公開コンペティションは、レーゲンシリーズの最新型がお披露目されるとあって、ここ最近注目の的だったのだ。新型ISを目当てにヨーロッパだけでなく世界中からISファンが押し寄せていた。

 もちろん純粋なファンだけでなく各国のIS関係者も軒並み新型の品定めにきているのだが。

 競技場の周辺には多数のキッチンカーや屋台が並び朝からお祭り騒ぎが続いている。いつまにか大道芸のステージまでできており、命知らずなピエロがハリボテのISにコテンパンにされては子供たちから笑われていた。

 

 その喧騒から少し離れた場所に一台の小さなキッチンカーが停まっていた。車体にはカラフルな文字で大きく『Fantasy Ice Pop』と書かれており、色とりどりのアイスキャンディーのイラストが車を一層ハデにしている。

 その車の中で、ひとり口笛を吹きながらノートパソコンのキーを叩く若い男の姿があった。

 よれよれの青いシャツに楕円形のハーフリム眼鏡。背中まで伸びた濃い茶髪を後ろで一本にまとめているのだが、その髪は束ねられてなお好き勝手にハネ散らかっている。ともすれば無精にも見えるその髪型が、端整な男の顔立ちになぜか妙に似合っていた。

 男は口笛に合わせ軽快なリズムでキーボードを叩いていく。よく見るとノートパソコンからは何本ものコードが伸び、その先では荷台に積まれた通信装置や大型のコンピューターらしき機械、いくつもの巨大なバッテリーなどがごちゃごちゃとつながっている。

 

 と、なにかがコッコッと運転席の窓ガラスを叩いた。見ると幼い少年が木の枝を持って外に立っている。

 男がドアを開けると、少年は数枚の硬貨を差し出しつつ、木の枝で赤いアイスの絵を指した。

 

「ん、あ~ごめんなぁボク」

 

 男は車に立てかけている『schließt(閉店)』の看板を指さすと、そのままドアを閉め作業に戻った。

 しかしまたすぐにコッコッと枝が窓を叩く。

 

「えっと……」

 

 無言で再び硬貨を突き出す少年に、男は深いため息をつく。

 

「わかったよボク。その熱意には負けた。一度の失敗でへこたれないのはいいことだ」

 

 男は小銭を受け取ると窓を開けたままシートの後ろからクーラーボックスを引っ張り出し、中から赤いアイスキャンディーを取り出して少年に渡した。

 

 枝を振り回しながら走り去っていく少年を見送り、男は再び作業に戻る。

 

「やれやれ、アイス屋にしたのは失敗だったかな」

 

 言葉とは裏腹に男はどこか楽しそうに見えた。そのまま鼻歌交じりに全ての作業を終えた男は、自分もアイスを一本くわえる。

 

「ひゃーへと、ほろほろヒャッフフひゃんにへんらふひまふかね」

 

 口いっぱいにアイスをほおばったまま、ポケットから携帯を取り出し電話をかけ始める男。

 きっちり2回のコール音の後、甲高いエフェクトのかかった声が電話に出た。

 男は口のアイスをごくりと飲み込む。

 

『はいはい。こちらシャックス』

 

「あー、僕だよ。準備は……ああえええあったああ!」

 

『どうしたの? アイスクリーム頭痛でも起こしたみたいな声出して』

 

「……なんでもないよ。それより、準備は完了だ。あとはコンペの開始を待つだけだな」

 

『それはそれは。わざわざ連絡ありがとね』

 

「なーに当然。いろいろと協力感謝してるよシャックスさ――」

 

 コッコッ

 

 男の言葉をさえぎるように軽い音が車内に響く。聞き覚えのある音にふり向くと、見覚えのある木の枝が窓を叩いていた。

 

「ああー、ちょっと失礼」

 

 男は携帯を置くと、ドアを開けそこにいるであろう少年に声をかける。

 

「ねえボク、一日に二本も食べたら頭痛くなっちゃ――」

 

 男がフリーズした。()()()()()のだ。例の少年を筆頭に五人の子供たちが、いっせいに硬貨を握りしめた手を突き出す。

 

「うん、まあ……相手の隙を逃さず利用するのはいいことだよ……」

 

 男は(ほほ)をひくつかせながら、アイス五本分の代金を受け取るのだった。

 

 

 

『盛況だね。本格的にアイス屋さん始めてみたら?』

 

「ハッハハァ、 それもいいかもね。資金不足になったらアイスで稼ごうか」

 

『ふん、意地悪言わないでよ。そうならないように援助するのが私の役目でしょ」

 

「意地の悪いのはお互い様だろうに。少なくとも『アイス屋さん始めたら?』なんてセリフ普通は言わないよ。――これから世界を敵に回そうとしてるヤツにさ」

 

 男が口の端を歪め、自嘲気味に笑う。

 

「ようやく始まる。始められる。キミのおかげだ。あらためて、感謝してるよシャックスさん」

 

『それはこっちのセリフだよ。君と彼女のおかげで、世界はきっと変わってくれる。じゃ、そろそろ切るね。回線ごまかすのも限界だから。彼女にもよろしくと伝えておいて。私はのんびりテレビでも見ながら緊急速報を待ってるよ。幸運を(グッドラァック)

 

「ああ、朗報を期待していてくれ」

 

 電話を切り、男は静かに息を吐きだす。次の一手で自分たちは世界の敵となる。その事実を男はゆっくりと咀嚼(そしゃく)していた。

 

 コン、コン

 

 三度目となる窓を叩く音(ノック)に男の集中がブチリと音をたてて切れる。

 

「あのねえ、ボク! 物事には限度ってもんが――」

 

 だが勢いよくドアを開けた先にいたのは幼い少年ではなく、白いワンピースを着た16、7の少女だった。

 少女は濃い藍色の瞳で男を見つめながら首をかしげる。(つや)やかなセミロングの黒髪が動きに合わせて揺れた。

 

「……なんだエリスか」

 

 肩透かしをくらい男はばつが悪そうにつぶやく。

 

「ボク、ってなに? 砕次郎」

 

 エリスと呼ばれた少女は怪訝(けげん)そうな声で尋ねた。男――砕次郎は車から降りると、なんでもないと返す。

 

「それよりそろそろ本番だけど、腹ごしらえはすんだかい、エリス? なんか美味しいものあった?」

 

「うん。それなりに食べた。ソーセージの種類が違うホットドッグが5つもあって、美味しかった」

 

 エリスはまったく表情を変えずに淡々と話す。その様子は、はしゃぐ小さな子供のセリフを、大人の女性が寂しそうに語っているようで、見ている者にどこか不安定さを感じさせるものだった。

 

「そりゃよかった。で、僕のお昼ご飯は?」

 

「……」

 

「うん……まあ手ぶらなのは見りゃわかってたけどさ」

 

「……忘れてた。もう一回、何か買ってくる」

 

「いや、自分で行くよ。こっちの作業は終わってるから。エリスはそろそろ会場に行ったほうがいい」

 

「ん……わかった」

 

 エリスがちょこんとうなずく。

 

「終わったら昨日確認した場所で合流だからな」

 

「砕次郎……」

 

「うん?」

 

「ありがとう。行ってくる」

 

 まるで子供を学校に送り出す親子のような軽い会話。誰も今から世界に喧嘩を売ろうとしている人間の会話だとは思わないだろう。

 遠ざかるエリスの後姿を見ながら砕次郎は笑みを浮かべた。

 

 ――ありがとうはこっちのセリフだ。キミがいなきゃ、僕はなにもできない思想家だった。けれどキミがいてくれたから、僕はようやく革命家になれる

 

 砕次郎はつぶやく。小さく、けれども大仰に。

 

「さあ、はじめようか小さな妖精(フェアリ―)。僕らがこの世界への『アンチテーゼ』になるとしよう!」

 

 

 

 エリスと砕次郎――

世界の敵(アンチテーゼ)』はたった二人のテロリストであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「災禍の妖精(フェアリア・カタストロフィ) 前編」


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第二話 災禍の妖精(フェアリア・カタストロフィ) 前編

 ◇

 

 

 

「別に倒してしまってもかまわないんでしょう?」

 

 ロミルダ・ジンメルは不機嫌だった。

 理由は簡単である。プライドの高い彼女に与えられた仕事が、よりにもよって公開コンペティションのやられ役だったからだ。

 彼女は専用機持ちではないものの、自分も十分に優秀なIS操縦者であると自負していた。それだけに公式戦を行えると聞いた時は嬉しかったし、型落ちの第二世代で新型機の引き立て役をすると知った時は憤慨(ふんがい)したのである。

 そして吐き捨てたのが先ほどのセリフだった。もちろん担当官はそれとなく「負けろ」と言ってきたのだが、彼女はもう決めていた。

 

 ――絶対に勝ってやる。新型をもらって調子に乗っているヤツを地面に叩きつけて、どっちが格上か教えてやる!

 

 言うまでもなく逆恨みである。

 冷静に考えれば、彼女が恨むべきは彼女を選んだ人間であり、新型のテストパイロットに罪はない。

 だがロミルダは熱くなりやすく、少々荒っぽい性格であり、激昂(げっこう)すると冷静さを失ってしまうことが多々あった。人によっては泣きわめいて気持ちをリセットしたりもするだろうが、ロミルダはそういうタイプではない。

 結果、冷静さを失ったロミルダは、とりあえず目先の敵に不満をぶつけることしか考えていなかった。つまるところ、彼女のプライドはそれほどまでに傷ついていたのである。

 そして本番を30分後に控えた今、彼女はあらためてその思いを噛みしめていた。すでに機体の調整も終わり、控え室を兼ねた整備場で、ひとりイメージトレーニングを行っているところである。

 新型の性能や戦い方はある程度は把握している。あとは本番までに勝つまでのイメージを固め、実行するだけだ。

 

 その時、ロミルダは人の気配を感じ、立ち上がった。

 

「誰? 邪魔しないように言ったでしょう?」

 

 警戒しつつ気配のしたほうへと声を投げる。

 すると機材の陰から音もなくひとりの少女が姿を現した。

 セミロングの黒髪に白のワンピース。だが顔は影になってよく見えない。

 

「関係者じゃないわよね? 迷子にでもなったのかしら」

 

 そう話しかけつつも、ロミルダは確信していた。

 敵だ。

 

「それとも、私に用があるのかしら?」

 

 少女からは明確な敵意が感じられる。だが、なにか違和感があった。その鋭い敵意がロミルダに向いていないような。

 

「あなたに用はない」

 

 少女が口を開く。何の感情もこもっていない機械のような口調。

 

「用があるのはそれ」

 

 少女がロミルダの左手首に巻かれたチェーンを指さす。

 

「……なるほど、狙いは私のISってわけ。でもまさか、はいどうぞって答えるとは思ってないでしょうね?」

 

「そうしてくれるとありがたいけど」

 

「お断りよ! 力づくで奪ってみなさい!」

 

 その言葉にピクリと少女が反応する。

 

「わたしはISを奪いに来たんじゃない――壊しに来たの」

 

 突如、少女の首元が輝き、増大する殺気とともに周囲に光の輪が展開されていく。ふわりと(あお)られたワンピースがそのまま光に飲み込まれ、まばゆい粒子となって少女に収束し白いISを形作った。

 その白は装甲自体が輝いて見えるほどの圧倒的な純白。

 ISには珍しくすらりとした細身のシルエット。やや丸みを帯びた飾りっ気のない本体。その分、背面に浮かぶ四枚の細い菱形のカスタム・ウイングが目を引く。

 全身装甲(フルスキン)ではないが、顔は凹凸の無いマスクが目元だけでなく口まで覆っており、人間らしさのまったく感じられない表情のISだった。

 

「あなたのISはわたしが壊す」

 

 フルフェイスの仮面の下で少女が静かに言う。

 ロミルダは舌打ちをしながら自分のISを展開した。フレックターン迷彩の角張った装甲がその四肢を瞬時に覆う。

 第二世代汎用型IS『オブディシアン・クローネ』。第三世代の台頭で型落ちとはなったが、クセの強いドイツのISの中では扱いやすく、軍用練習機として今なお三機が現役である。

 そのうちの一機をロミルダは中遠距離型にカスタマイズして乗っていた。暗めのフレックターン迷彩に濃赤のアクセントという独特なカラーリングはロミルダの趣味である。

 

「上等よ! どこの誰だか知らないけど、肩慣らしに叩き潰してあげる!」

 

 言うが早いか、ロミルダは呼び出したシュヴァイツァー(サブマシンガン)を連射した。施設の被害などおかまいなし。敵がいるのだからあとでどうとでも言える。

 整備場は広く、ちょっとしたホール程度はあるのだが、それでも室内である。近距離からの弾幕をすべてかわすには狭すぎるはずなのだが、少女はロミルダの周りを器用に飛び回り弾をかわしていく。

 跳弾が当たったのか、天井の照明が割れ、室内が暗闇につつまれた。

 

「めんどくさい!」

 

 ロミルダは悪態をつく。感応調整(チューニング)によってハイパーセンサーは自動で暗闇に対応するが、旧型のハイパーセンサーはその調整に1秒ほどかかってしまうのだ。IS同士の高速戦闘で、失う1秒は大きい。

 明るくなった視界の中で見失った敵をすばやく補足し、再び照準を合わせるロミルダ。

 

「逃げ回ってるだけじゃ勝てないわよ!私のIS壊しに来たんでしょう!?」

 

「……」

 

 少女は答えない。挑発を無視し、攻撃をかわすことに集中している。

 ロミルダはいっこうに攻撃を仕掛けてこない敵にイラつきはじめていた。逃げに徹する相手を正確にとらえるのは難しい。相手が攻撃しようとした瞬間こそが最大の隙になるのだ。

 

「チッ、ちょこまかと……!」

 

 しびれを切らしたロミルダは、左手でシュヴァイツァーを撃ち続けながら、右手に別の武器を呼び出す。

 オブディシ・アンクローネ最強の武装、高出力レーザーライフル『TDGゾイガー』。

 第二世代でありながらその攻撃力は第三世代にも劣らず、近距離の『灰色の鱗殻(グレー・スケール)』、遠距離の『ゾイガー』と賛される兵器である。

 

 ――シュヴァイツァーで牽制して、ゾイガーでとどめを刺す!

 

 弾をかわすための一瞬の減速を、ロミルダは見逃さなかった。

 

「そこだああっ!」

 

 怒号とともに標的に向け放たれる赤光。

 

 ――とった!

 

 だが直撃の瞬間――

 

 白いISが消えた。

 

 ゾイガーの光線はそのまま壁に当たり、鋼鉄の壁が白熱し溶解する。

 

 ――なっ、まさか……瞬時加速(イグニッションブースト)!?

 

 スラスターから放出されたエネルギーを再度取り込み、瞬間移動と見まごうほどの超加速を行う瞬時加速(イグニッションブースト)

 だがそれを行うには一瞬だがスラスターのチャージが必要だ。ためによりわずかなタイムラグが生じるそれを、ドンピシャのタイミングで使ったということは、相手はロミルダの攻撃のを完璧に読んでいたということだ。

 となれば次のアクションは当然、発射後の隙をついた反撃だろう。攻撃が来るのは右からか、左からか――

 

 ――違う! 上だっ!!

 

 とっさにロミルダが上を向くのとほぼ同時に、白いISが天井を蹴りつけるように再び瞬時加速(イグニッションブースト)を行った。その突撃を受け止めようと、ロミルダは身構えた。

 だが少女は攻撃をすることなく、その横をすり抜ける。

 

「!?」

 

 予想が外れたロミルダが振り返ろうとした、その時――

 

「んなああっっ!!?」

 

 突然、機体が凄まじい力で引っ張られた。そのままオブディシアン・クローネは壁に叩きつけられ、身体がバラバラになりそうな衝撃がロミルダを襲う。絶対防御によってダメージは緩和されたが、それでもあばらの1、2本はイッただろう。加えて肩は脱臼、右腕も骨折しているかもしれない。

 

「がっ……は、ぐ……」

 

 全身の痛みに耐えながら、ロミルダはどうにか身体を起こす。この時はじめてロミルダは機体に何かが巻き付いているのに気づいた。

 

 ――こ、硬質ワイヤー、いつの間に……?

 

 少女がゆっくりと近づいてくる。

 ぼろぼろのロミルダに比べ、歩を進める少女のISはいまいましいほどに白く美しい。

 その左手の袖のようなアーマーにワイヤーがシュルシュルと巻き取られる。

 

「い……いつ?」

 

 ロミルダがかすれた声でたずねる。

 

「いつ……ワイヤーを……仕掛けたの」

 

「最初の瞬時加速(イグニッションブースト)の時」

 

「ゾイガーを、か……わした時……? でも、そんなそぶり……」

 

「違う」

 

「……え?」

 

 噛み合わない答えにロミルダは困惑する。

 

()()()()

 

 ――もっと前? ゾイガーを撃つ前ってこと? ありえない……こいつが現れてから一度だって目は離さな……

 

 ロミルダはハッと思い出す。戦いの最中、1秒だけの暗闇があったことを。

 そしてそれに気づくのとほぼ同時に、少女が右手に持っているものが目に入った。

 

『K&Dクラウスラー』――IS専用小型オートマチック拳銃(ハンドガン)である。

 

 ――こいつっ、まさか

 

 ロミルダはすべてを理解した。

 照明を破壊したのは跳弾ではなく、このハンドガンの弾だったのだ。

 偶然ではなく必然として訪れた暗闇。それに対応するまでの1秒で、この少女は瞬時加速(イグニッションブースト)を行い、ワイヤーを張った。あらかじめワイヤーの一端を壁に固定しておき、気づかれないようたるませた状態で戦闘を続け、一発も攻撃を受けないことで、イラつくロミルダの意識を自分だけに向けさせた。

 円を描くような回避に合わせて、ワイヤーはオブディシアン・クローネに絡みついていく。

 そして固定してあったワイヤーの端を持ちなおし、()()()()()()()攻撃を誘ったのだ。

 攻撃をかわし視界から外れたら、余分なワイヤーを巻きとり再び瞬時加速(イグニッションブースト)を行う。

 そうすればワイヤーに引っ張られ、ロミルダは瞬時加速とほぼ同じ勢いで壁に叩きつけられる。速度は威力。その衝撃は並大抵ではない。

 

 ――人間業じゃないわね

 

 一本のワイヤーと小さなハンドガンだけで自分を圧倒した少女に、ロミルダが抱いていたのは恐怖ではなく、ある種、畏怖(いふ)の感情だった。

 

「……あんた、強いね」

 

「そうでもない。わたしは言われたとおりに戦っただけ」

 

 ――なるほど。私の性格まで計算して戦法を考えたやつがいるってことか。

 

 ロミルダの熱くなりやすい性格をうまく利用した作戦だった。

 シールドエネルギーの消費は大きいが、見せる手の内は最小限で済む。少女の後ろにいる指揮官はそうとうキレ者らしい。

 

 ――とはいっても、やれって言われてできることじゃないのよ。この子も十分バケモノだわ……。

 

 抵抗できないロミルダに少女が静かに言い放つ。

 

「ISは壊させてもらうね」

 

 少女はをクラウスラー(ハンドガン)を量子化させ、右手に別の武器を展開した。

 IS本体と同じくらい、2mをゆうに超える巨大な白銀色の剣だ。

 それが形を成した瞬間、ロミルダは気温が一気に下がるのを感じた。それを証明するように銀色の大剣の刃が瞬く間に透き通る氷に覆われていく。

 

「殺さないようにはするから……たぶん大丈夫」

 

 ロミルダは大きく息を吐きだす。後悔のように、諦めのように、安堵(あんど)のように、……。

 吐息は白く凍り付き、二人の間に消えた。

 今まで彼女の中でピリピリと張りつめていたなにかが、吐息とともに消えていく。

 

 ――もし……ほんとに死ななかったら田舎に帰ろう。ガットのプロポーズを受けてやるのもいいかもしれない。あいつはバカだけど、いいやつだし

 

 振り下ろされるガラスのような刃を見て、ロミルダは「きれいだな……」と思った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 エリスとロミルダが戦闘を始める10分ほど前

 

 ヴェストファーレン国立IS競技場のモニタールームで、クラリッサ・ハルフォーフはセキュリティの最終チェックを行っていた。

 

「まもなくデモンストレーションだ。遮断シールドはレベル3に設定。間違いないな?流れ弾が客に当たったなんてことになったらシャレにならんぞ。A斑、観客席の見張りを続けろ。B班はアシストに入れ。熱狂に紛れて要人を狙う(やから)が必ずいる。C班、D班はその場で警戒を維持。何があっても持ち場を動くな。E班、緊急時に備え……」

 

 無線で次々と飛ばされる指示に、モニタールームのスタッフ達はただただ圧倒されていた。

 IS関連のイベントでは必ずドイツ軍による警備が行われているのだが、さすがはかの「黒ウサギ隊(シュヴァルツェハーゼ)」の副隊長、これまでのどんな指揮官よりも厳しくかつ的確である。これでまだ22だというから驚きだ。

 

黒ウサギ隊(シュヴァルツェハーゼ)各位、持ち場についたな。以後、現場の細かい指揮は皆に任せる。期待しているぞ」

 

『『『了解です、副隊長(おねえさま)!』』』

 

 無線機から可愛らしい少女たちの声が聞こえる。黒ウサギ隊(シュヴァルツェハーゼ)から選りすぐられたクラリッサ直属の班長達だ。十代の少女ばかりだが、全員どの警備スタッフよりも強い。

 ちなみに最年少の隊員は15歳。競技場の専属技術スタッフのチーフ(通称『おやっさん』)の孫娘と同い年だ。

 と、一通り指示を出し終わったクラリッサに、そのおやっさん――エーベルトが声をかけた。

 

「いや、さすがですな大尉殿。この競技場ができてからここまで見事な警戒態勢はお目にかかったことがねえですぜ」

 

「ありがとうございます、エーベルトチーフ。しかしながら我々はただやるべきことをしているだけですよ。褒めていただくようなことではありません」

 

「そう謙遜(けんそん)なさらないでくださいな。ただどうも()に落ちねえんですがね」

 

「……と言いますと?」

 

「おわかりでしょう。ちょいと厳重すぎやしませんかい?」

 

 何を隠してる、と言わんばかりのエーベルトの言葉に、二人の間のの雰囲気が変わる。モニタールームの空気がいっきに張りつめたものになった。

 

「なにか言いたそうですね」

 

「おっとそう怖い顔しねえでくださいよ。孫娘に怒鳴られたの思い出しちまうじゃあねえですか。近頃のベルナったらまともに話もできねえし、危なっかしいことばっかで心配に……いけねぇ話がそれちまった。とにかく、この厳重さにはなんか裏があるのかってことでさあ」

 

「警備が厳重なのは良いことだと認識しますが」

 

「程度によるでしょう。ふだんトラブルがあれば呼ばれる手はずの技術スタッフ(おれたち)にあらかじめ控えてろっていうし、警備の軍人も普段の倍近い。おまけに黒ウサギまで駆り出されたとあっちゃあ邪推(じゃすい)のひとつもしちまうってもんですぜ」

 

「……」

 

「極めつけはこの厳戒態勢ぜんぶが、昨日突然に通達されたっつうとこなんですがね」

 

 エーベルトの指摘はもっともだった。実際、これはある種の異常事態なのだ。

 もちろん、クラリッサはこの異常な警戒の理由を知っている。

 三日前、ドイツの極秘軍事施設が襲撃を受けた。襲撃というにはあまりにも静かに行われたそれにより、ドイツ軍は新造の特殊潜水空母オルトリンデをまんまと奪われてしまった。

 問題はその際、警備員が謎のISを目撃しているということである。ISを所持する敵であれば、当然この公開コンペティションも狙われる可能性が高い。そこで軍上層部は急遽警備レベルを大幅に引き上げ、対IS戦を想定して黒ウサギ隊(シュヴァルツェハーゼ)を警備指揮に任命したのだ。

 だがこの事実を公表することはできない。

 当たり前だ。「ISはスポーツ」。この建前でかろうじて成立している今の世界。ISを悪用する者たちなんて出てきたらどうなるか。通常兵器では太刀打ちできない犯罪者を前に、世論は沸騰し、アラスカ条約など即座に破棄され、自衛にかこつけたISの軍事配備が行われるだろう。そうなればもう止まらない。世界はISを使った『一心不乱の大戦争』へと突入していく。

 もちろんあくまで可能性の問題である。人間はそこまで愚かではないかもしれない。だが世界の崩壊という事案に可能性などという言葉があってはならないのだ。

 だから隠さなければならない。民間人(おもて)に知られてはならない。

 ISを持つテロ組織も、軍用ISも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()も。

 

「あなたに教えることはできません、とだけ答えておきます」

 

 クラリッサのそれは精一杯の譲歩だった。「機密である」という回答。

 だがエーベルトは退かなかった。

 

「ああそんなことはわかってるつもりだ。こんな異常事態の理由を技術屋のおっさんなんぞに話せないこたぁはなからわかってる!」

 

 声を荒げるエーベルトに他のスタッフ達が驚く。

 

「お、おやっさん、どうしたんです! 仕方ないじゃないですか、大尉殿が言えないってんだから」

 

「うるせえユリアン! いいかいお嬢さん、おれはこいつらのチーフだ。このユリアンも、そこのブルーノも、あんたらの命令であちこちに配備されてる他の奴らも! 全員おれの息子や孫みてえなもんだ! 家族が得体の知れねえ危険の中にいるってのになんにも言わずにいれるかってんだ! おれはなお嬢さん……家族のためなら、なんだってする男だぞ……!」

 

 エーベルトは言葉を切り、クラリッサをまっすぐ見つめた。興奮したせいだろう、ゼエぜエと荒い呼吸をするエーベルトを、モニタールームの全員が言葉を失くして見つめていた。

 

「わかっちゃくれねえか。あんたなら」

 

 クラリッサが口を開いた。彼女もまた、エーベルトをまっすぐ見つめ、偽りない言葉を返す。

 

「お気持ちは痛いほどわかります。私もまた、部下達を家族同然に思っていますから。機密を話すことはできません。しかし! 黒ウサギ隊(シュヴァルツェハーゼ)の名にかけて、かならずや我々があなたの部下を守り抜きましょう。お約束します」

 

 彼女は目の前の人物に対する敬意をもってそう約束をした。

 そして彼女は信じている。あの子たちならそれができると。

 

「そうかい。信じるぜ、大尉殿」

 

「はい。必ず」

 

 いちおうは納得したのか、エーベルトの表情から緊張が消える。

 

「……怒鳴っておいてなんだがな、あんたの部下にも無理だけはさせねえでくれや。身内が傷つくのはごめんだが、かわりに年端もいかねえ女が傷つくのも見たかあねえ」

 

「おやっさん考えが古いって。今は女のほうが強い時代なんだぜ」

 

「うるせえブルーノ! おれぁ古い人間なんだよ!」

 

 笑いあうエーベルトと部下を見て、クラリッサは決意を固くする。守り抜かなければならない。この人たちも、そして部下たちも。

 

「あの子たちは私が守ります。なにがあっても」

 

「ならいいでさあ。大尉殿に失礼な口をきいちまいましたね」

 

「いえ、あなたの思いは当然です。『任務は遂行する』『部下も守る』両方やらねばならないのが、我々のつらいところですね」

 

「おお、至言ですなあ」

 

「日本のマンガのセリフです」

 

「ハハハ、大尉殿は日本通でいらっしゃる」

 

 どうにか打ち解けた様子の二人をユリアンとブルーノはほっとした顔で見ていた。

 時計が13時を示し、デモンストレーションの開始を告げる音楽が会場に流れる。いよいよコンペティションがはじまるのだ。

 

「大尉殿、『覚悟』はいいですかい」

 

「ええ、私はできています」

 

 クラリッサとエーベルトがにやりと笑う。

 

 その時――

 

 けたたましいアラートが鳴り響き、モニタールームに異常事態を知らせた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 勇ましい音楽が鳴り響き、観客にデモンストレーションの開始を知らせた。

 

 待ちに待ったイベントの幕開けに沸き立つ観客たち。その歓声はIS用ゲートで出番を待っているテストパイロットであるフランツィスカ・リッターにも届いていた。

 

「ふう……いよいよか」

 

 ゆっくりと深呼吸をするフランツィスカ。呼吸にあわせてブロンドのポニーテールが揺れる。

 これから30分間のデモンストレーション、そしてその後、実戦だ。

 

 ――大丈夫だ。勝てる

 

 フランツィスカは緊張していた。

 試合の相手は専用機持ちではないものの、ベテランの操縦者だ。おまけにその性格から推測すると、何の遠慮もせずに叩き潰しにくるだろう。本当に勝てるだろうか。いや勝たなければならない。

 ベテランが乗るとはいえ、相手は量産機である。お披露目で新型機が量産機に負けるなんてことになったら笑い話にもならない。

 

 ――勝てる。勝たなければ

 

 フランツィスカは頭の中でなんども同じ言葉を繰り返す。

 アリーナのほうから聞こえる関係者の挨拶が進むにつれ、彼女は鼓動が早くなるのを感じていた。

 と、

 

『フラン~、聞こえますか? おねえちゃんですよ』

 

 突如、飛び込んできたプライベート・チャンネルのまのびした声に、フランツィスカの集中がぶっつりと切れる。ついでに堪忍袋の緒も切れそうになるのを、フランツィスカは超人的な精神力で我慢した。

 なぜ我慢したかといえば、通信の相手が自分よりはるかに階級が上の上官であり、なおかつ自分の所属する部隊の隊長でもあるからだ。

 

『フランのことだから勝つ勝つって緊張してたんでしょう? むしろ精神的にカツカツでしょう? だいじょうぶよ。リラックスして実力をだしきれば、ちゃあんと勝てるわ』

 

「中佐――」

 

『だーめ! おねえちゃんって呼んで』

 

 上官の命令(?)にフランツィスカはため息をついて従う。

 

「……おねえちゃん、集中しているので邪魔をしないで下さいとあれほど――」

 

『でもあたってたでしょう?』

 

「ぐっ……」

 

『ふふっ、でももうだいじょうぶね』

 

「……?」

 

『いつものフランにもどったわ。ね? リラックスリラックス』

 

 悔しいことにその通りだった。この人はいつもはぽやぽやしてるくせに、時々やたら鋭い行動をする。

 

「はあ、ええ、わかりました。リラックスしてやってみます」

 

『いいこ、いいこ。じゃあがんばってね』

 

 通信が切れ、かわりにアリーナから実況の声が聞こえてくる。

 

『それでは、お待たせいたしました! ご紹介いたしましょう!』

 

 フランツィスカはスラスターを点火し、体勢を整え――

 

『ドイツ軍、フランツィスカ・リッター少尉の駆る新型IS……』

 

 いっきに加速しアリーナへと飛び出す。

 

『シュヴァアアルツェアアアーーメエエエーヴェェェ!!』

 

 爆発のような大歓声。熱狂と興奮の渦。その中心に『シュヴァルツェア・メーヴェ』はいた。

 レーゲンシリーズ特有の漆黒のボディが太陽に輝く。だがそのいでたちはレーゲンともツヴァイクとも違う。

 騎士の甲冑のような重装甲のフォルム。それでいて、『かもめ(メーヴェ)』の由来であろう、大型のカスタムウイングが高機動型であることを物語っている。

 シュヴァルツェア・メーヴェは観客席の目前を一周すると、アリーナの中央にふわりと着地した。歓声はますます大きくなる。

 

 ――リラックスだ。だいじょうぶ、何の問題もない

 

 フランツィスカはゆっくりと息を吐く。マイペースな上官のおかげだろうか、フランツィスカはこれ以上ないほど落ち着いていた。

 と、その時――

 再びプライベート・チャンネルの回線が開いた。

 

「――??」

 

『あのね、フラン、さっきなんかとんでもない非常事態が発生したらしくて、ロミルダちゃんが襲われてその犯人のISがアリーナに向かってるみたいなの。でもフランならだいじょうぶよね。おねえちゃん信じてる。じゃあがんばって』

 

 ぶちり。

 

 通信が切れた。

 集中も切れた。

 そして同時に堪忍袋の緒も切れた。

 だが悲しいかな、その怒りの対象にフランツィスカの怒号はもう聞こえていない……。

 気が遠くなりかけたのを超人的な精神力で(こら)え、フランツィスカはハイパーセンサーの警告に意識を向ける。

 

 〔――高速で接近する熱源を感知。所属不明のISと断定〕

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「災禍の妖精(フェアリア・カタストロフィ) 後編」


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第三話 災禍の妖精(フェアリア・カタストロフィ) 後編

 ◇

 

 

 

 モニタールームではいまだアラートが鳴り続けていた。

 事態を把握するためのクラリッサの怒号が飛ぶ。

 

「各位! 再度、状況を報告!」

 

『A班、異常ありません!』

 

『B班、異常ありません!』

 

『こちらC班、第三ブロックにて高速で飛行する所属不明のISを視認! 第四ブロック及びアリーナ方面へ向かったもよう! 攻撃は間に合わず!』

 

『D班、第四、第五ブロックではISを確認していません! 』

 

『こちらE班、第二整備場にてジンメル中尉を発見! 大怪我ですが命に別状なし!』

 

『こちらF班、高速で向かってくるISを探知! まちがいありません、アリーナに――キャアアッ!』

 

 突如F班のリーダー、ファルケの通信が乱れる。

 

「ファルケッ!?」

 

『す、すみません! ISを視認、ですが抜けられました!』

 

「くっ……!」

 

 クラリッサが拳をギリギリと握りしめた。

 「第二整備場で異常事態発生」のアラートを受け、すぐさまE班を向かわせたが時すでに遅く、ジンメル中尉を襲った正体不明のISはすでに整備場にはいなかった。

 

 ――なぜだ! なぜ今の今まで警備システムが作動しなかった!?

 

 だがその答えもすぐに明らかとなった。

 

「うわあっ、なんだこれ!?」

 

 システムチェックを行っていたユリアンが悲鳴をあげる。

 

「なんだ、どうした!」

 

「第一から第三ブロックまでのセキュリティがぜんぶ止まってます! そ、それだけじゃない! システムそのものが外部からすごい速さで浸食されてる! このままじゃ……」

 

「競技場が……まるごと敵の手に落ちちまう……」

 

 呆然(ぼうぜん)とモニターを見つめるユリアンとブルーノ。そんな二人をエーベルトが怒鳴りつける。

 

「馬鹿野郎があ! そうならないためにおれ達がいるんだろうが!! どけユリアン! おれがやるっ!」

 

 エーベルトはユリアンをむりやり押しのけるとコンソールにかじりつく。

 

「無理だおやっさん! もう第四層までやられてる! 俺らにどうにかできるレベルじゃねえよ!」

 

「やかましい! おれの縄張りで好き勝手されてたまるか! ユリアン、ぼさっとしてねえで復旧と末端の掃除をやれ! クラッキング(こいつ)はおれが何とかする!」

 

「り、了解!」

 

「大尉殿、こっちは任せろ! あんたは敵のほうを頼む!」

 

 エーベルトの言葉にクラリッサは強くうなずくと、ブルーノに指示を出す。

 

「ブルーノ、隔壁はまだこちらで制御できるな? アリーナの入り口をふさげ!」

 

「了解です大尉殿!」

 

 クラリッサは再び無線に指示を飛ばしはじめた。

 

「ファルケ、私もツヴァイクでそちらに向かう。敵はアリーナの隔壁で足止めを食らうはずだ。私が行くまでなんとか持たせろ!」

 

『了解!』

 

「A班からD班は警戒を維持! E班、整備室と中尉の詳細な状況を。なにか敵ISの痕跡はないか?」

 

『こちらE班、整備室の室温が異常に低くところどころ凍り付いています。中尉も全身打撲と骨折のほかに凍傷にかかっており、敵ISは冷却系の装備または能力を持っていると思われます』

 

 その言葉にクラリッサの顔色が変わった。

 

「極低温攻撃……たしかここの隔壁は!」

 

「高温には強いですが、耐低温仕様じゃありません! -150度以下になると極端に強度が落ちちまいます!」

 

「くっ、ファルケ! 足止めは期待できない、下がれ!」

 

 急ぎ撤退を命令するクラリッサ。だが無線からの応答はない。

 

「ファルケ! F班、だれか答えろ!」

 

 その瞬間、アリーナにガラスの砕ける音を重く凝縮したような鈍い破壊音が響く。

 そして粉々になった隔壁の奥からゆっくりと真っ白なISが姿を現した。

 予想外の出来事に会場は水を打ったように静まり返っていた。

 

 モニターに映し出されたその光景はクラリッサにとって最悪と言っていいものだった。

 

「なんてことだっ……やすやすとアリーナへの侵入を許すとは!」

 

 ありえない失態。握りしめた手がわなわなと震える。

 だが、そんなクラリッサに追い打ちをかけるように――

 

 「くそっ!」

 

 エーベルトがコンソールに拳を叩きつける。

 システムの奪還に失敗したのは誰が見ても明らかだった。

 

「おやっさん……」

 

 最悪の事態だった。競技場の全システムを乗っ取られたということは、敵はいつでもアリーナの遮断シールドを解除できるということだ。そして敵のISはすでにアリーナ内に侵入している。

 

 それはつまり、アリーナの全観客97000人が人質となったことを示していた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

「なんだ、こいつは……」

 

 フランツィスカは目の前に現れたISの異様さに呑まれていた。

 透き通るような純白の装甲、ISらしからぬ薄い菱形(ひしがた)の翼。何より異質なのはその顔を覆うフルフェイスの仮面だ。おそらくは操縦者の顔を隠すためのものだろうが、ほとんど凹凸の無い仮面はその白さもあいまって、人間らしさそのものを否定しているような不気味な雰囲気をまとっていた。

 白いISは身じろぐこともせず、ただ静かにフランツィスカと向き合っている。

 

 ――人間じゃないのか? 

 

 たしかに数例だけだが、無人のISが確認された、という報告もある。だがフランツィスカは敵はやはり相手は人間であると判断した。

 なぜならば、()()()()()()()()()()

 

 ――こいつは明確な殺気をもって私を見ている。……いや違う? こいつは()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?

 

 フランツィスカは考える。

 カンデアで目撃された白いISはこいつでまず間違いない。目的は何か? この機体(シュヴァルツェア・メーヴェ)か? いやそれだけではないだろう。今こいつが何もしてこないのは、おそらくなんらかの指示を待っているからだ。単なる襲撃なら指示待ちの必要はない。となれば指示を出す人間がいる。そいつはいったい何を狙っている? 

 必死で頭をまわすフランツィスカ。その横顔を冷や汗がつたう。

 

 ――先に仕掛けるべきか? ダメだ。ここで戦いを始めればまず間違いなく観客はパニックになる。

 

 10万人近い人間がパニックを起こせば確実に死傷者が出る。そのことをフランツィスカは理解していた。当然、それは警備主任の大尉もわかっているはずである。

 と、ここでフランツィスカの中である仮説が浮かんだ。

 

 ――敵も同じなのではないか?

 

 敵が待機しているのもパニックで余計な被害を出さないためだとしたら。

 どちらにせよ、すぐに動くわけにはいかない状況だった。

 

 と、その時、アリーナに実況の声が響いた。

 

『みなさま大変失礼いたしました。アリーナ隔壁にトラブルが発生いたしておりましたが、ここで! 驚くべきかあきれるべきか! 開かない扉をぶち破っての豪快な登場! シュヴァルツェア・メーヴェと対戦する第二世代IS、オブディシアアアンクロオオオーネエエ!! なんと今回は新型に対抗するような純白のカラーリングで登場だあああ!』

 

 フランツィスカがフッと笑う。なるほどいい手である。この異常事態をあくまで出し物としてごまかすつもりのようだ。少々無理のある設定だが仕方がないだろう。避難誘導の準備が整うまでの数分を稼げればいいのだ。

 

 ――となれば、私もうまく合わせないとな

 

 フランツィスカは黒色の大剣『シュルトケスナー』を右手に展開すると、ガシャリ、と切っ先を白いISに向ける。

 その大げさな振る舞いに観客たちはなんとか事態を飲み込んだのか、再び大きな歓声がアリーナを包んだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「とりあえずはおさまったか……」

 

 クラリッサは額の汗をぬぐうと、軽く深呼吸をした。

 アリーナにISが侵入したのを確認した瞬間、クラリッサはすぐさま実況席に連絡し、演出として事態をごまかすよう指示を出した。同時に観客席の部下たちにスムーズに観客の避難が行えるよう誘導を指示。負傷したファルケの班はすでに別の班に保護させてある。

 

 ――だが一時しのぎにしかならない

 

 以前、事態は好転していない。まだ敵に動きはないが、いつシールドを解除しての虐殺が始まらないとも限らないのだ。

 敵の気まぐれにすがるしかない無力さ、そして自分のふがいなさを激しく責める。民間人を危険にさらし、部下も負傷させた。

 

 ――守ると約束したものを……何一つ守れていないではないかっ!

 

 と、

 

「お、おやっさん! あれ!」

 

 ブルーノがメインモニターのひとつを指さす。

 そこには「メッセージ」と書かれた手紙のイラストが映っていた。

 と、手紙が消え、モニターに別のイラストが浮かぶ。否、それはただのイラストではない。

 

「これは……象徴旗(エンブレム)か……」

 

 クラリッサがつぶやく。

 上下さかさまに描かれた真っ白な妖精、そこに重なる『ANTITHESE』の紅い文字。

 

「アンチテーゼだと……ふざけやがって!」

 

『ふざけてなどいないさ』

 

 エーベルトの悪態にモニタールームのスピーカーから男の声が答える。

 セキュリティシステムを外部から掌握するような敵だ。会場の通信に割り込むなど造作もないことだろう。

 

『はじめまして、クラリッサ・ハルフォーフ大尉。キミが警備の責任者で間違いないね?』

 

「ああ、その通りだ、アンチテーゼとやら。それで、10万人の人質をとった目的はなんだ?」

 

 敵からの接触にクラリッサは頭を切り替え冷静に対応する。

 

『たいしたことは望まない。ただ少し話をして、そのあとフェアリ―が無事に脱出できればそれで十分だ』

 

「フェアリ―? あのISのことか」

 

『というより、正確にはあのISを操縦している人間のコードネームだけどね。とにかく僕らの目的はそれだけ。お話と脱出だ』

 

「白々しいな……目的はそれだけではないだろう? いや、本来の目的はすでに果たしたと言ったほうがいいか。オブディシアン・クローネを奪うのがメインだったのではないか?」

 

『すばらしい、噂通りキミは優秀だ。だけど少しだけ不正解だ。目的は奪取じゃない、破壊だよ』

 

「なに?」

 

 いま男は「破壊」と言った。

 ISの破壊は容易ではない。これまで確認されたISの破壊例はいずれも自己修復不能なレベルのコアの損壊のみだ。

 しかし生半可な攻撃ではそんなことは不可能である。シールドエネルギーが尽きたとしても絶対防御ははたらく。コア自体の絶対防御と高速の自己修復を突破できるだけの火力はそう存在しない。

 事実、過去には絶対防御を貫通した攻撃が操縦者に傷を追わせたがコアの損傷は皆無だった、という事例もあった。

 防御において他の兵器の追随(ついずい)を許さない性能を誇るISだが、その防御力は操縦者を守るというよりは、IS自身を守る時にこそ真価を発揮するシロモノなのだ。

 つまり、あの白いISにはそれだけの力があるということ。

 

 ――ハッタリではない

 

 クラリッサは確信した。彼女は有事に備え、一通りネゴシエーション技術も会得している。故に下手なハッタリや嘘は声を聴いただけである程度看破できる。だがこの声の主には話し方、態度、どれをとっても緊張らしい緊張が見られない。自分の優位性を確信している者の話し方だ。

 

『さて、人質をとっておいてなんだが、我々としても関係のない人々が無為に命を落とすのはあまり気持ちのいいものではなくってね。そのへんの話をしたいんだがかまわないかな?』

 

「いいだろう。解放の条件はなんだ」

 

『条件もなにも、一般市民の解放に関しちゃ無条件だ。順次避難を進めてくれてかまわない。キミのことだ、もう準備はできてるだろう? くれぐれもパニックにならないよう気をつけてくれ。ただし、スイートと報道スペースの人間はまだダメだ。彼らには我々の存在をきちんと知り、言葉を聞いてもらわないといけない』

 

 スイートとはいわゆるVIP席のことだ。IS関係者、軍事関係者などが観戦を行っている個室のエリアである。

 クラリッサもこの条件は予想していた。言わずもがな人質としての価値が高い人間だ。

 だが報道関係者も残すということは――

 

「貴様……世界大戦でも引き起こしたいのか……っ」

 

 そう、マスコミの前でその存在を明かすということは、ISを持つテロリストの存在を世界に公表することになるのだ。そんなことは許されない。許していいはずがない。

 

『ハッハァ、そのあたりのことはおいおい話すよ。とりあえず今は避難を急いでくれ』 

 

「ま、まて! 貴様――」

 

 一方的に通信が切れ、モニタールームに静寂が訪れる。

 

「なにも……できないのか……」

 

 絞り出すようなクラリッサの悲痛な声。

 その肩にエーベルトがそっと手を置く。

 

「あんたは10万人の命を救うんだ。今はそれだけ考えてりゃいい……」

 

 クラリッサはこれまで他人の前で弱みを見せたことはなかった。だが――

 その頬をたった一筋だけ、涙がつたう。

 

 しかし、彼女はすぐさま指揮官としての顔に戻り、再び無線を握りしめた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 黒ウサギ隊(シュヴァルツハーゼ)の指揮もあって観客の避難は大きな混乱が起きることもなく完了した。その統制たるや見事なもので、ナレーターがシュヴァルツェア・メーヴェの解説を終えるまでには八割がたの避難は終わっていたほどだ。

 アリーナは数分前までの熱狂が嘘のように静まり返っている。会場内に残っているのは報道関係者、スイートのIS・軍事関係者、そして一般客席で警戒を続ける十数名の軍人のみだ。静寂の中、その全員が事態が動くのを固唾(かたず)を飲んで待っていた。

 アリーナ中央、白と黒の二機のISはどちらも動かない。フランツィスカにも「一般人の安全が確認できるまでは動くな」とクラリッサから通達があったためだ。

 そしてついにその静寂が破られた。

 

『あー、あー、マイクテストだ。日本語で問題ないね? 一応メインディスプレイに英語とドイツ語の字幕も流すから参考にしてくれ』

 

 唐突にはじまったアナウンス。その声は言うまでもなく、モニタールームに通信してきた男の声である。

 

『さて……はじめまして、みなさん。僕らは「アンチテーゼ」。ISを認めるこの世界を認めないテロリストだ。僕らの目的はただ一つ、()()()()()()()()()()()。今日はその第一歩、全世界に向けての宣戦布告に来た次第だ』

 

 正気の沙汰ではない。誰もがそう思った。

 存在理由そのものに矛盾を抱えながら世界を相手に戦争をしかけるなど。

 

『この世界が間違っているなどとは思わない。そもそも世界に正しい在り方など存在しないのだから。ISを認めるこの世界もただのひとつの選択の結果だ。だけど僕らは認めない。間違った世界でないとしても、勝手に、一方的に、自己中心的に世界を否定する。表から塗り固められたハリボテの安寧(あんねい)、その裏側から見る光景は……あまりに(いびつ)だ』

 

「何を勝手なことを! ISを使って脅しをかけながらISを否定するだと! (いびつ)なのは貴様らではないか!そんな戯言(ざれごと)のために民間人を危険にさらしたというのかっ!」

 

 声をあげたのはフランツィスカだった。シュヴァルツェア・メーヴェのチャンネルを使えば大声を出す必要はない。だがそれでもなお、彼女は憤り、敵に対し怒号をあげた。

 

『情熱的な叫びだね。そういう熱さは好きだよ、フランツィスカ・リッター少尉。だがこの状況では少々、感情的すぎやしないかい?』

 

「ああ軽率だったとも。この場で貴様と話をすべきなのが私などでないことはわかっている。だが貴様の勝手な演説を黙って見ていられるほど、私は人間ができてはいない!」

 

『熱いねぇ、やけどしそうだよ。キミの怒りはもっともだ。自分たちもISを使っておいて何を勝手なと、それは紛うことなき正論だ。だけど残念ながら、その怒りも正論も僕らには届かない。僕らが欲しいのは共感でも理解でもないんだから。いいかいリッター少尉。互いの意思が平行線であるこの場においては、感情も論も意味をなさない。ではいったい、何が重要か?』

 

 まるで謎かけでもしているかのような男の言葉。

 だがフランツィスカには男の言わんとすることが理解出来ていた。

 

「……行動だ。互いの意思を通すための行動こそが意味をなす」

 

『すばらしい! では行動を始めよう! 世界への宣戦布告はすでにすませた。 フェアリ―、行動開始だ。シュヴァルツェア・メーヴェの追撃を封じ、全速で離脱しろ!』

 

 その指示に、今まで微動だにしていなかった白いISが動いた。菱形(ひしがた)のウイングをひろげ、臨戦態勢をとる。

 

()()のコアはどうする?」

 

『コアの破壊はできたらでかまわない。離脱を最優先に戦ってくれ』

 

「了解……」

 

 鈴の音のような透き通る声。

 それが目の前のISを操る敵の声だとわかり、フランツィスカは一瞬だけ動揺した。まだ幼さの残るか細い声。おそらく自分より3つか4つは年下であろう。いったい何があって、こんな狂事に染まっているのか。

 だが、フランツィスカはすぐさま雑念を振り捨てた。

 

 ――集中しろ! 経緯はわからないがこいつはジンメル中尉を倒している。迷えば自分もやられかねない。

 

 そう自分に言い聞かせ、彼女はシュルトケスナーを構えなおす。

 

「逃がしはしない! お前たちは世界の災厄だ! ここで食い止める!!」

 

『世界の災厄、まさにその通りだ。あらためて紹介しよう、リッター少尉――』

 

 フェアリ―の右手にシュルトケスナーとほぼ同じサイズの大剣が展開された。周囲の温度が一気に下がり、凍りついた大気中の水分がガラスのような氷となって銀色の刃を覆っていく。

 

『フェアリア・カタストロフィ――それが僕らのISの名だ』

 

 そのセリフが合図であったかのように、アリーナの中央で白と黒の剣がぶつかった。

 

 

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次回「黒と白の激闘(モノクロームファイト)


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第四話 黒と白の激闘(モノクロームファイト)

 ◇

 

 

 

 二つの刃がぶつかり合う度、鋭い衝撃音が大気を裂く。剣戟(けんげき)によって砕けた氷の結晶が宙を舞い、光を乱反射してキラキラと輝く。

 シュヴァルツェア・メーヴェとフェアリア・カタストロフィ、二機のISは会話ができるほどの至近距離で、ともに2mを超える大剣を振り回しながら戦っていた。

 似たような武器でありながらも両者の戦い方は見事に対照的だ。

 フェアリア・カタストロフィはその剣の大きさや重さを忘れさせるほどの軽やかさで、舞うように攻撃を繰り返す。身体をひねり方向を変え、フェイントを織り交ぜテンポを乱す。快晴の日差しにきらめくフェアリア・カタストロフィは、まさに光の中を飛び回る妖精のようだった。

 一方、シュヴァルツェア・メーヴェはほとんど動いていなかった。その場にとどまり、四方八方から飛んでくる銀色の刃をひとつひとつ確実に防いでいく。驚異的な集中力で次の攻撃を予測し、黒色の大剣シュルトケスナーを振るい、それを受け止めていく。

 だが経験の差か、防戦ゆえのプレッシャーか、それとも覚悟の違いなのか、徐々にフランツィスカが押され始めた。防ぎきれない攻撃が増え、シュヴァルツェア・メーヴェのシールドエネルギーを削っていく。

 

 ――たった一撃でいい! まともに入ればそれで終わるっ!

 

 フェアリア・カタストロフィの華奢(きゃしゃ)な装甲ならば、一撃だけでも十分なダメージになるだろう。

 だがこうも防戦一方ではそのチャンスも無い。ならば――

 

「出し惜しみをしている場合ではない!」

 

 フランツィスカは右からの斬撃を防ぐと、左腕に六角形の黒い盾を展開する。そして再度迫る大剣に対し、その盾を構えた。しかし振りぬかれようとする剣に対し、その盾はあまりに脆弱(ぜいじゃく)に見えた。戦いを見守る誰もが剣閃に砕け散る装甲を想像する。

 だが――

 銀色の大剣は()()()()()()()()()()()

 

「!?」

 

 わずかだが、はじめてフェアリーが動揺を見せる。

 まるで見えない腕につかまれているかのように、剣はピクリとも動かない。

 

「やっと人間らしい反応が見られたな!」

 

 これこそがフランツィスカの切り札だった。

 

 シュヴァルツェア・メーヴェの第三世代武装、対物理AICシールド『タンホイザー』。

 慣性中和機構(PIC)の応用技術によって実現されたAICは、意識の集中によって物体に力学的な干渉を行う。そのAICをレーゲンは拘束に、ツヴァイクは攻撃に利用していた。

それに対し、タンホイザーはAICを防御一徹(いってつ)に特化させている。物理干渉を行う範囲を盾を中心とする一定の距離に限定し、範囲内に入った物体を()()()()()()()()()()()静止させる。発動をフルオートにしたことで本来必要だった意識の集中は必要なくなり、さらに複数の物体への同時干渉が可能となっている。

 およそ全ての物理攻撃を無効化する不破不可侵の黒盾、理に背くモノ(タンホイザー)。開発者いわく、たとえ万物を貫く矛があろうとこの盾には触れられない。ゆえに矛盾は存在しない。

 

「今度は私の番だっ!」

 

 怒号とともにフランツィスカがシュルトケスナーを振り下ろす。大剣が固定されている今、真上からの攻撃をとっさにかわすなら剣を捨てるしかない。そう踏んでの大上段からの一閃。

 だがフェアリーは剣を手放さなかった。逆に握った(つか)に力を込め、固定された剣を軸に利用してくるりと縦に回転する。そしてそのままスラスターの加速を乗せ、振り下ろされるシュルトケスナーの剣身に強烈な蹴りを放った。

 想定外の反撃を受けた剣はフランツィスカの手から弾き飛ばされる。

 

「くっ……!」

 

「あなたの番はもう終わり?」

 

「いいや、まだだ!」

 

 フランツィスカが吠える。彼女にとって、()()()()()()()()()()()()()()()

 宙を舞ったシュルトケスナーが地面に突き刺さるのと同時に、フランツィスカはショルダーアーマーから2本のワイヤーブレードを射出する。

 

「剣を手放さなかったのは失敗だったな!」

 

 ワイヤーブレードが剣を握るフェアリーの両腕に絡みつく。そしてその先端はタンホイザーの停止領域によって固定され、フェアリーは両腕の自由を完全に奪われた。

 

「両腕は封じた。あとは――」

 

 瞬間、フランツィスカの言葉をさえぎり、フェアリーのひねりこむような蹴りが飛ぶ。先ほどと同様にスラスターの推進力を利用した、さながら砲撃のごとき強蹴(きょうしゅう)

 だがフランツィスカは右腕を振り、わかっていたと言わんばかりの余裕でそれを防いだ。鈍い衝撃音とともに右腕の装甲が吹き飛んだが、シュヴァルツェア・メーヴェにダメージはほとんどない。

 

「あとは蹴りが来ると思っていた!」

 

 フランツィスカは即座にリアアーマーからもワイヤーブレードを射出し、その蹴り脚に巻き付ける。

 

「っ……」

 

 両腕と左脚の自由を奪われ、完全に攻撃手段を失ったフェアリー。だがフランツィスカは攻撃を緩めなかった。ワイヤーブレードをきつく締めあげると、右手にロートケールヒェンK9(自動式散弾銃)を呼び出し超至近距離からの5連射をみまう。

 特殊合金の球が装甲をえぐる鈍音が連続して響き渡る。

 ほとんど零距離から撃ち込まれた散弾はシールドバリアを貫通し、純白の装甲に無数の弾痕を刻む。散弾のいくつかは仮面にも命中し、凹凸がなかった仮面にいくつものヒビを入れる。

 

「ぐっ……う……」

 

 全身を襲う(しび)れるような衝撃にフェアリーがうめき声をあげる。

 傷だらけのフェアリア・カタストロフィを見つめながらフランツィスカは静かに告げた。

 

「勝負はついた。おとなしく投降しろ」

 

「……」

 

 誰の目にもそう映った。

 フェアリア・カタストロフィは全身をワイヤーで拘束され、白く輝いていた装甲は今にも砕けそうだ。加えて今の攻撃でシールドエネルギーを半分は失っただろう。

 事実、限りなくフランツィスカの勝利に近い状態だった。だが――

 

「……眠りを……」

 

「なに?」

 

 フェアリア・カタストロフィがゆっくりと首をもたげる。

 

「静かな眠りを……『グラスコフィン』」

 

 ひび割れた仮面の一部が砕け、その奥の瞳があらわになる。暗い藍色の瞳は心まで飲み込んでしまいそうなほど深く、深く……。その底にあるのはただ純粋で、あまりにも無機質な――

 

 憎悪。

 

「っっ……!!」

 

 全身に走った悪寒にフランツィスカは総毛だつ。

 

 ――こいつ、なんてイヤな殺気を……

 

 その時だった。

 突如、先ほどまでの精神的な寒気ではない、凍えるような冷たさがフランツィスカの左腕を襲った。切りつけられるような鋭い冷痛。

 

「な!?」

 

 けして忘れていたわけではない。

 だが思い込んでいた。()()はもう脅威たりえない、と。

 

 フェアリーがかたくなに手放そうとしなかった白銀の大剣。それが巨大な氷柱をまとってフランツィスカの左腕を呑み込んでいた。瞬く間に左腕が完全に氷に覆われる。だが水晶のような氷塊は成長を止めず、早回しの映像のようにバキバキと音をたてながら肥大化していく。

 

 極低温バスターソード『グラスコフィン』。

 それが白銀の大剣の名だった。その刃は薄氷に覆われ透き通り、触れるもの全てを静かに凍てつかせる。白い静寂と永遠の眠りをもたらす美しき剣『硝子の棺(グラスコフィン)』。

 それが今、シュヴァルツェア・メーヴェを蝕んでいく。

 

「はなからっ、これが狙いでっ……!」

 

 〔警告。シールドエネルギー残量 58。まもなく戦闘限界値。〕

 

 継続的な極低温のダメージによってシュヴァルツェア・メーヴェのシールドエネルギーがみるみる減っていく。絶対防御が発動していなければ、左腕はとうに凍りついているだろう。

 すでに氷は肩まで迫っていた。もはや選択の余地はない。

 

「くっ!」

 

 フランツィスカはロートケールヒェンを自分の左腕に向け引き金を引いた。

 破砕音と結晶の破片をまき散らし氷が砕ける。すぐさまフランツィスカは振り払うように左腕を大剣から引き()がした。だがそれは同時に、フェアリア・カタストロフィもタンホイザーの拘束から解放されるということだ。

 待っていたとばかりにフェアリーは体をねじり、自由になった剣でワイヤーを切断する。そして勢いをそのままに剣を振り、フランツィスカの持つロートケールヒェンを()()()。『切った』のではなく『砕いた』のだ。ほんの一瞬の接触でたやすく金属を凍てつかせるほどの冷気。それはフランツィスカの横顔に浮かんだ冷や汗すら、流れることなく氷結させる。

 

 ――まずいっ!

 

 フランツィスカはウイングを前方に向け、後ろ向きの瞬時加速(イグニッションブースト)を行った。この柔軟なスラスターウイングの稼働もメーヴェの特徴である。

 瞬時に距離をとったフランツィスカ。そしてそこにはもうひとつ目的があった。

 蹴り飛ばされた後、アリーナに突き刺さっていたシュルトケスナーだ。その場所をあらかじめ確認しておいたフランツィスカは、ドンピシャでそこにたどり着き黒剣を引き抜く。

 先だっての状況でもっともまずかったのは()()()()()()()()()ということだった。シュヴァルツェア・メーヴェの拡張領域(バススロット)はタンホイザーが大部分を占めており、多くの武器を持てないのが欠点のひとつなのだ。ゆえに距離をとらざるをえなかった。

 フランツィスカは地上で剣を構えフェアリア・カタストロフィを見上げた。

 

「不覚だった……そんな隠し玉があったとは」

 

「惜しかった…ね」

 

 フェアリア・カタストロフィは逆に剣を下ろし、上空からシュヴァルツェア・メーヴェを見下ろしている。

 

 ――どうしたものか。剣と盾だけでどうにかなるか?

 

 必死に頭を働かせるフランツィスカだったが、敵は考える時間を与えてはくれなかった。上空から無造作になにかがバラバラと投げつけられる。それは対人用の倍ほどの大きさの手榴弾。

 

「こんどこそ、わたしの番だよね?」

 

「っ!」

 

 慌ててその場を離れるフランツィスカ。だが十分な距離をとる前に手榴弾が爆裂する。

 飛び散るナイフのような破片はタンホイザーで防ぐことができたものの、爆風はどうしようもない。シュヴァルツェア・メーヴェはアリーナの壁に吹き飛ばされる。激突の瞬間、フランツィスカはタンホイザーを壁に向け、AICを発動させることでなんとか激突を防いだ。

 しかしフェアリーの攻撃は続く。体勢を崩したシュヴァルツェア・メーヴェに向けられたものは――

 

「TDG……ゾイガー!?」

 

 しかもその独特なカラーリングは間違いなくオブディシアン・クローネの、ロミルダ・ジンメル中尉のものだ。

 

 ――こいつ、中尉の装備をっ! いやそんなことはどうでもいい! まずいのはっ……!

 

「それがAICなら、レーザーは防げない。でしょ?」

 

 シュヴァルツェア・メーヴェめがけて緋色の光が放たれる。射撃武器では第二世代最強と言われるレーザー兵器、まともに食らえば残り少ないシールドエネルギーは確実に消し飛ぶ。

 

 ――回避は間に合わないっ

 

 いちかばちか、フランツィスカはシュルトケスナーを盾代わりにレーザーを受け止めた。だが黒色の剣はあっという間に白熱し、その剣身がゆっくりとえぐれていく。

 

 ――ここまでか……

 

 フランツィスカがあきらめかけたその時――

 

「っ!?」

 

 空気を裂くような鋭い音が鳴り、次の瞬間フェアリア・カタストロフィの持つゾイガーが砕け散った。

 

 ――これは……大尉の(ツヴァイク)

 

 突然の乱入者に激しい殺気を放つフェアリー。その視線の先には――

 

「遅くなってすまない、隔壁の突破に時間がかかってしまった。……待たせたな少尉」

 

 太陽を背にシュヴァルツェア・ツヴァイクをまとう、クラリッサの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「守ろうとした者(フェアレーター)


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第五話 守ろうとした者(フェアレーター)

 

 

 

「まいったな、さすがは黒ウサギといったとこか。副隊長でこのレベルなのはホント恐怖でしかないな」

 

 三枚並んだ携帯型のディスプレイを眺めながら砕次郎がつぶやく。

 シュヴァルツェア・ツヴァイクの参戦は織り込み済みだったのだが、そのタイミングが予想よりはるかに早かったことに砕次郎は苦い表情を浮かべていた。

 

 ――やっぱり全部が全部、計画通りとはいかないか……

 

 もちろん砕次郎もただ見ていたわけはない。各部の隔壁だけでなく防火シャッター、果てはたいして意味もないだろうスプリンクラーまで総動員して妨害を行った。だがシャッターはたやすくぶち抜かれ、スプリンクラーも(当然のことだが)何の役にも立たなかった。

 結果として非常用の隔離防壁以外は足止めにもならず、クラリッサの早期の乱入を許してしまったのである。

 

「まあ、こうなってしまったもんはしょうがない。エリスがわがまま言わないうちに撤退だな」

 

 砕次郎はやれやれ、とヘッドセットの回線をフェアリア・カタストロフィのチャンネルに繋いだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「いや。まだ帰らない」

 

『ダーメーだ。言うこと聞きなさいっての!』

 

 デパートのおもちゃ売り場で玩具をねだって争う親子の会話ではない。世界に宣戦布告したテロリストが軍人との交戦中に、撤退するしないで揉めている会話だ。

 

 シュヴァルツェア・ツヴァイクのナハト・ナハト(レールカノン)が火を吹き、エリスはその砲弾をひらりとかわす。砲弾はそのまま後ろの遮断シールドで爆裂した。

 エリスは両手にナタリーCN9(アサルトライフル)K&Dデッドキャンディ(長射程ショットガン)を呼び出し、応戦する。

 

「砕次郎が追撃を防げって言った。ふたつとも壊すのが一番はやい」

 

『そりゃ高機動型(メーヴェ)が相手の時だろ! そっちはもう追っては来れないだろうし、ツヴァイクだけなら遮断シールドで足止めして逃げられる』

 

「……」

 

 納得できない、といった態度のエリスに砕次郎はため息をつく。

 

『エリス、あまり顔には出さないけれど、キミが負けず嫌いなのは知ってる。ここまで追いつめたISをあきらめたくない気持ちもわかる。だけどはっきり言おう。今のコンディションで全力のツヴァイクと戦うのは無理だ。ここは退くんだ、エリス』

 

 その通りだった。フェアリア・カタストロフィのダメージも小さくはない。ロミルダ戦で瞬時加速(イグニッションブースト)を多用したせいもあり、シールドエネルギーの残量も多くはない。

 その上、グラスコフィンの特性を知られた今、クラリッサはまともに接近戦をしはしないだろう。そうでなくてもシュヴァルツェア・ツヴァイクは中遠距離型の機体なのだ。クラリッサがダメージの大きいフランツィスカをかばうように立ち回っている今が逃げ時だった。

 

「……『シンデレラ』なら、2つまとめて吹き飛ばせる」

 

『ダメだ。あれを見せるのは早すぎる。そもそもシンデレラで戦うだけのエネルギーは残ってない』

 

 再びツヴァイクが砲弾を撃ち出す。

 エリスは今度は避けず、右手のナタリーCN9(アサルトライフル)と入れ替えるように呼び出したグラスコフィンで、忌々しそうに砲弾を両断した。一瞬で凍りついた砲弾は、霜に覆われながら真っ二つになって落ちていく。

 

『言うことを聞いてくれエリス。戦ってるキミにしかわからない攻め時(チャンス)があるだろうけど、指示を出してる僕にしかわからない逃げ時(チャンス)もある』

 

「……」

 

『僕らの目的はなんだいエリス?』

 

「……すべてのISを壊すこと」

 

『そうだ()()()()()()だ。ここで無理して負けちゃ本末転倒だよ』

 

 優しく叱るような砕次郎の言葉。ようやくエリスは折れた。

 

「……了解、離脱する」

 

『いい子だ。20秒後に遮断シールドを解除する』

 

 通信が切れると同時に、エリスは手榴弾をばらまいた。爆煙がカーテンのように広がり、フェアリア・カタストロフィとシュヴァルツェア・ツヴァイクを隔てる。

 

『さて皆さん、名残惜しいけれど僕らはこれで失礼するよ。IS所有者は覚悟して待っていてくれ。僕らは必ずISを破壊しに行く。一つたりとも残す気はない。世界を巡り、しらみつぶしに壊していく。この世界を変えるためにね』

 

 砕次郎の声がアリーナに響き、遮断シールドが解除される。その一瞬でフェアリア・カタストロフィはいっきに高度を上げた。シールドの外に出たエリスは見下ろしたアリーナに背を向ける。

 

 だがその瞬間――

 

 爆煙を突き破り何かが回転しながら飛んできた。

 この数分でなんど斬り結んだだろう、それはシュヴァルツェア・メーヴェの黒い大剣、シュルトケスナーだった。

 かわそうと思えばかわせた。だが、エリスはあえてグラスコフィンで斬りはらうことを選んだ。この戦いを締めくくるかのような鋭い衝撃音が鳴り響く。

 剣戟(けんげき)と白熱、そして度重なる冷気。その剣身は限界をむかえていたのだろう。弾かれたシュルトケスナーはバキン、と重い音をたてて中ほどから真っ二つに割れ、アリーナへと落ちていった。

 

「……」

 

 エリスはハイパーセンサー越しに、アリーナのフランツィスカを見つめる。彼女はまっすぐにエリスを見据えていた。己の正義をただ信じるひたすらにまっすぐな瞳。

 

「フェアリー! 貴様との決着は必ずつける! 貴様を倒し、必ずアンチテーゼに引導を渡す!」

 

「……たのしみにしてる。あなたのISを壊す日を」

 

 口をついた再戦の誓い。いったいどんな感情でその言葉を残したのか。それはエリス自身にもよくわからなかった。

 エリスは通信を切断するときびすを返し、澄んだ青空へと消え去った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「申し訳ありません。自分のせいで取り逃してしまいました」

 

「いや、すべての責任は私にある。かんたんに侵入を許し、助けに入るのも遅れた。少ない戦闘経験の中で、少尉は良くやってくれた」

 

 フランツィスカとクラリッサはゆっくりと地面に降りると、ISを待機状態に戻し歩き始める。たいした被害が出なかったとはいえ、ここまで大規模な事をしでかしたテロリストをみすみす取り逃がしたというのは、二人にとって大きな遺恨となっていた。

 

「それで、ジンメル中尉のISは……?」

 

 モニタールームにむかう廊下で、フランツィスカがたずねる。

 

「ああ、奴らの言う通りオブディシアン・クローネは完全に破壊されていた。だが少し奇妙でな」

 

「奇妙とは?」

 

「実は今までの破壊例と違って、コア自体にたいしたダメージが見つからないんだ。にも関わらずISは全機能が停止、ピクリとも反応しない。まるで……」

 

 言葉を濁すクラリッサ。その顔にはなにか不気味なものを見たような、嫌悪の表情が浮かんでいた。

 

「まるで『壊れている』というより『死んでいる』と言った方がいいような……」

 

「……なるほど。ISを殺すISですか……」

 

「なんだか気味が悪くなってきたな。我々はいったいなにを相手にしていたんだ」

 

 クラリッサの言葉にフランツィスカは黙り込む。そしてわずかな沈黙の後、再び口を開いた。

 

「実は自分もひとつ気になることが」

 

「なんだ?」

 

「奴の武装です。たしか剣の名前をグラスコフィン、と言っていましたが、どう考えても辻褄(つじつま)が合わないんです」

 

「ふむ、たしかにあの冷却能力は凄まじいが、あれがISであるということを考えればそこまで不思議ではないだろう。超常的な物理現象という点では、私の(ツヴァイク)や少尉のタンホイザーも似たようなものだ」

 

 その言葉にフランツィスカが足を止めた。なにか考え込むようなフランツィスカに、クラリッサは怪訝(けげん)な目を向ける。

 

「少尉?」

 

「だからこそおかしいのです」

 

「……何を言っているんだ?」

 

「使えるはずがないんです。あんな大量の武器を」

 

 その言葉にクラリッサはハッとする。

 タンホイザーと同レベルかそれ以上の武器。であれば、当然それ以上の容量を食うはずなのだ。

 ISの拡張領域(バススロット)には限界がある。そして基本装備(プリセット)後付武装(イコライザ)もその容量を超えて量子化させておくことは出来ない。実際に特殊な刀1本で拡張領域(バススロット)がすべて埋まっている機体も存在する。

にも関わらず、フェアリア・カタストロフィはくグラスコフィン以外にも武器を大量に量子変換(インストール)していた。

 

「なるほど、たしかに妙だ。ラファール・リヴァイブのような大容量の機体でも、量子変換(インストール)しているのは単純な火器や剣だけだ」

 

「ええ、並のISならグラスコフィンだけでいっぱいいっぱいのはずです」

 

 二人はフェアリーの使った武器を思い返す。グラスコフィン、TDGゾイガー、ハンドガン、アサルトライフルに長射程ショットガン、そして大型の手榴弾が十数個。

 

「……まったく、謎だらけだな」

 

 クラリッサの顔が険しくなる。

 

「おまけに指示を出していたあの男。あれもかなりの曲者だぞ」

 

「やはり隔壁はあの男の妨害でしょうか」

 

「そうだろう。しかも奴め、狡猾(こうかつ)にも……」

 

 語気を強め、目を閉じてわなわなと震えるクラリッサ。フランツィスカは、一体何があったのだろう、と身構えた。

 

「スプリンクラーを作動させたのだ!」

 

「……はぁ」

 

 予想外、というより意味がよくわからないセリフに、フランツィスカから間の抜けた相づちがこぼれる。

 

 ――スプリンクラー? あの水をまくやつのことではないのか……? なにかの隠語なのか?

 

 頭の中でクエスチョンマークが量産される。

 

「あの、大尉……。教えていただきたいのですが、スプリンクラー? ……はその、どういった脅威に?」

 

「うむ。少尉、これを見たまえ」

 

 クラリッサは自身の左目の眼帯を指さす。

 そこには黒ウサギ隊(シュヴァルツ・ハーゼ)のシンボルマーク、眼帯をしたウサギが描かれていた。のだが、よく見るとそのウサギがしている眼帯にも同じように眼帯ウサギが小さく描かれており、それがどんどん奥まで続いている。なんとも奇妙な、ありていに言えば趣味の悪い絵柄。

たしかに精緻(せいち)刺繍(ししゅう)の技術は相当なものだ。だがそのデザインはお世辞にも良いとは言えない。

 

 ――きっとこれをデザインした人間は、芸術とか感性とか、そういうものとは無縁の生活をしてきたのだろうな

 

 フランツィスカは内心「変な眼帯」と思っていたのだが、それをそのまま口に出すほど彼女は馬鹿ではない。

 

「なかなかオリジナリティあふれる逸品ですね」

 

 考えうる限りのオブラートに包んだ言葉。あきらかに過剰包装だが、いたしかたないだろう。

 

「そうだろう。そうだろう。これは江戸刺繍(ししゅう)というものらしい。日本にいる隊長がわざわざ私のためにデザインして職人に作ってもらったというのだ!」

 

 先ほどまでとはうって変わり、おもちゃを見せびらかす子供のように上機嫌なクラリッサ。フランツィスカは心の中で思いきり安堵の息を吐く。もし「変な」なんて言っていたらどうなっていた事やら。

 しかしまだ肝心なことが聞けていない。

 

「それで、その眼帯とスプリンクラーになにか関係が?」

 

「うむ。実はこの眼帯、刺繍(ししゅう)糸だけでなく布地も絹でできていてな。しかも新品だ」

 

 ――あー、なるほど……

 

 フランツィスカはだいたいの事情を把握する。絹布は水に弱いのだ。ちぢんでしまったり、輪染みができたりしてしまう。つまり――

 

「隊長からの贈り物、傷物になどしてたまるものか!」

 

「……」

 

 クラリッサは暗にこう言っているのだ。スプリンクラーの水滴が眼帯につかないよう()()()()()()()()隔壁を突破していた、と。

 フランツィスカは心の中で深くため息をついた。

 

 ――いや凄いことですが! もっと重要なことがあるのではないですか!?

 

 そう言いそうになったが、無駄なことだとあきらめる。

 

 ――IS適性のあるものは変人が多いと聞くが、この人もまた例外ではないのか……

 

 フランツィスカはガックリと肩を落とし、「絹も揮発(きはつ)加工すれば大丈夫です」とアドバイスした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 5時間後、同競技場。

 

 太陽が空を赤く染めながら沈んでいく。

 一度は静まり返っていた競技場だが、今は再び喧騒(けんそう)が覆っていた。といっても出店や観光客で、ではない。現場保持や検証のため駆けつけた軍人、警察、そしてマスコミと野次馬の喧騒(けんそう)だ。

 

 その中をクラリッサは静かに歩いていく。そして、競技場から少し離れた高台に立っている1人の男に声をかけた。

 

「大変な1日でしたね」

 

 振り返ったのは――

 

「ああ、大尉殿。まったく厄日でしたなぁ」

 

 技術班チーフ、エーベルトだった。

 

「おれになんか用ですかい?」

 

 夕陽に照らされたその顔には先刻までの覇気はなく、憂いと寂しさが(にじ)んでいる。そんなエーベルトにクラリッサは静かに言った。

 

「エーベルトチーフ、あなたですね」

 

 わずかな沈黙の後、エーベルトが口を開いた。

 

「……明日になったら自首しようと思ってた。このおれがアンチテーゼを手引きしたってな」

 

 メインコンピュータに取り付けられていた非正規の通信装置。それが外部からのクラッキングを可能にしていた。そしてその通信装置から、エーベルトの指紋が出たのだ。指紋を拭き取ることもせずそのままにしておいたのは、自分が犯人だという確実な証拠とするためだろう。

 

「あなたはメインコンピュータに装置を取り付けると、モニタールームでわざと私にくってかかり、騒ぎを起こして皆の注意をそらした。その間に奴らはシステムに侵入した。システムの奪還に失敗したのもすべて演技。気づけませんでしたよ、迫真の演技でした」

 

「ああ、その通りだ。これでも若いころは俳優を目指してたこともあってなあ」

 

「……ひとつ、教えていただけませんか」

 

 クラリッサは悲痛な面持ちでエーベルトに尋ねる。

 

「あの時、折れそうになる私を励ましたあの言葉は……あれも演技だったのですか」

 

 エーベルトは答えない。

 沈黙の後に、逆にエーベルトが尋ねた。

 

「……俺がなんでこんなことしたのか、大尉殿はおわかりですかい?」

 

 エーベルトはクラリッサに背を向けると、真っ赤な夕陽を目を細めて見つめる。

 

「言ったでしょう。『おれは家族のためなら何だってする』って」

 

 クラリッサはエーベルトとの会話を思い返す。

 

『ベルナったらまともに話もできねえし』

『危なっかしくて心配に』

『家族が得体の知れねぇ危険の中にいる』

『わかっちゃくれねぇか……あんたなら』

 

 何気ない言葉たちが、違った意味を持ってはんすうされる。そしてそれはひとつの答えを示唆(しさ)していた。

 

「まさかお孫さんが、ベルナさんが人質になっていたのですか」

 

 エーベルトは助けを求めていた。盗聴器でも付けられていたのだろうか、会話の端々(はしばし)で気づかれないようクラリッサに「孫娘(ベルナ)が危ない」と伝えていた。なぜもっと早く気づけなかったのか。クラリッサは後悔する。

 だがエーベルトの答えは意外なものだった。

 

「まあ、いちおうは正解だな」

 

「どういう……意味ですか?」

 

 しばしの静寂の後、エーベルトがポツリと言った。

 

「ベルナにIS適性があった。それもAらしい」

 

 背を向けたエーベルトの表情はクラリッサにはわからない。しかしその拳が震えているのはわかった。クラリッサは静かに目を閉じる。その沈黙にエーベルトは言葉を続けた。

 

「ベルナは喜んで、国家代表になれるかも、なんて言ってる。おれはそんなベルナを見てられなかった。おれたち技術屋は横のつながりが強い。だからいろんな噂が入ってくる。おれたちはバカじゃあねえ! あんたんとこの隊長や、イタリアの国家代表の事故のこと、知らねえわけじゃねえんだ! だがあんたらはそれを決して公表しねえ!」

 

 エーベルトが振り返り、クラリッサを睨みつける。

 

「隠して隠して隠して! ISは安全だと嘘をつく!」

 

 興奮したエーベルトはまたゼイゼイと荒い呼吸をしていた。

 クラリッサは何も言わない。ただ目の前の男の言葉を受け止める。

 

「そんな時、奴らから連絡があった。競技場の乗っ取りに協力しろとな。自分たちがISを認める世界を壊してみせる、とな」

 

「それで手を貸したのですね」

 

「ああ、二つ返事で承諾(しょうだく)したよ。奴らは逃げ道も用意してくれてた。ベルナが人質になっていたと言えば罪は軽くなる。実際にはベルナに何もなくったって、おれはその脅しを信じたってことにすりゃあいいってな」

 

「……なぜ、それを話す気に?」

 

 エーベルトは目を伏せる。

 

「おれも途中まではそうしようと思ってた。だからわざわざ助けを求めているフリをした。だが……あんたらが戦ってるのを見て気が変わっちまったのよ」

 

 静かな言葉。そこにさっきまでの怒りはない。

 

「おれはISを認めねぇ。だからなんにも喋る気はねぇ。だが、自分の罪はちゃんと償う。それがせめて、必死に戦ったあんたらへの報いだと思ったのさ。あの時、あんたにかけたあの言葉は……間違いなく俺の本心だったよ」

 

 長い沈黙。そしてクラリッサは静かに告げる。

 

「テロリストに協力した容疑で、あなたを拘束します」

 

 エーベルトは穏やかにうなずき、言った。

 

「なあ……最後にもう一度だけ、家族に会えねえか」

 

「……申し訳ありませんが、承認できません」

 

「言ってみただけだ。気にすんな大尉殿」

 

 長く伸びた二つの影がゆっくりと高台を去っていく。いつの間にか、夕焼けは黄昏(たそがれ)へと変わっていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ドイツのとある海岸沿いに、派手なキッチンカーが停まっていた。言わずもがな、乗っているのは砕次郎とエリスである。

 

「どうだった? 初の実戦は。なかなか手強かっただろう?」

 

「……」

 

 エリスは答えない。ただ黙って月の映る海岸線を眺めている。

 

「そうむくれるなって。僕だって悔しいけど仕方ないだろう。僕は大人だし、キミを守る義務があるんだよ」

 

「……」

 

 砕次郎はバツが悪そうにラジオをつける。聞こえてきた臨時ニュースが、前代未聞のテロ事件の進展を告げていた。テロリストに協力した技術者が逮捕されたらしい。

 

「……」

 

「……砕次郎、どうしたの?」

 

 黙り込んだ砕次郎にエリスがたずねる。

 

「僕らに協力した人が捕まったってさ。まったく、つくづく卑劣な人間だな僕は」

 

「……」

 

「そんな気はしてたんだ。彼は全てを話して罪を償うだろうって。なのに僕は彼を利用した」

 

「でもそれはその人が選んだこと。砕次郎が気にすることじゃない」

 

 砕次郎は少し驚いてエリスを見つめた。まさかエリスが気を使ってくれるとは思わなかったのだ。

 

「そうだな。僕らはこんなことで止まれない。彼は大切なものを守ろうと行動した気高き裏切り者(フェアレーター)だ。彼のためにも、僕らがしっかり世界を変えないとね」

 

 砕次郎は自身に言い聞かせるようにそう言った。

 

「それでこれからどうするの?」

 

「そうだね、とりあえず経験値稼ぎだな」

 

「なら、行き先は……IS学園」

 

 エリスは日本を見据えるように海を見つめた。

 だが――

 

「いや行かないよ? IS学園なんてとんでもない。あんな敵の巣窟みたいなとこに行ってどうすんのさ。あとそっちにあるのはイギリスだからね」

 

 矢継ぎ早な砕次郎のツッコミに、エリスは少しムッとした顔をする。

 

「じゃあどこ行くの」

 

「とりあえず中国に行こうと思ってる。ま、そのへんの計画は任せといてくれ。役割分担、適材適所、餅は餅屋ってね」

 

 砕次郎は微笑むとエリスの頭にポンと手を置いた。

 

「そろそろ行こうか。陸路はあらかた封鎖されてるだろうから、いったん海に出よう」

 

「じゃあ、『ティターニア』出す?」

 

「ああ、頼むよ」

 

 エリスは車を降りると、フェアリア・カタストロフィを展開する。そして海上まで飛んでいくと、片手を海面にかざした。

 その手の先に光が輝き、粒子が収束していく。

 

「ティターニア……」

 

 その言葉をエリスが口にした瞬間――

 フェアリア・カタストロフィに()()()()()()()()()漆黒の潜水艦がそこにあらわれた。巨大な船体に押しのけられ、海面が大きく波立つ。エリスはその潜水艦の上にゆっくりと降り立った。

 

 その光景を砕次郎はやわらかな微笑みを浮かべ見ていた。

 と、ポケットの中の携帯が鳴った。取り出したそのディスプレイには「非通知」の文字が表示されている。砕次郎はにやりと笑うと、エリスに「少し待ってて」とサインを出し、電話に出る。

 

「やあ、はじめまして。そろそろ来る頃だと思っていたよ」

 

『……ずいぶんとナメたことしてくれるよね』

 

 聞こえてきたのは不機嫌そうな女性の声。

 

「ご機嫌ナナメかい? キミはこういう趣向は好きそうだと思ったんだけどな」

 

『あんまり調子に乗らないほうがいいと思うけどね。君が喧嘩を売ったのは世界とか軍とか()()()()()()()じゃなくてこの私なんだよ』

 

「もちろんわかっているさ。ISの破壊を目論むテロリストにとってキミ以上の脅威はないだろう――篠ノ之束博士」

 

 篠ノ之束。その才能は天井なし。天才の中の天才。自称一日を三十五時間生きる女。そして、ISの開発者。

 間違いなく、アンチテーゼの一番の天敵だった。

 

『わかってるなら自重しろよ。私けっこうイラついてるよ。いますぐそこに核ミサイル撃ち込んだっていいんだけど?』

 

 小学生のような脅しだが、彼女にはそれが実行できてしまう。そしてその際の被害など稀代(きだい)の天才はかまいやしないだろう。

 だが砕次郎は気にもしてない様子で会話を続ける。

 

「ならなんでそうしなかったんだい? わざわざ警告してくれるなんて、キミはそんな優しい人間だっけ? そんなことすれば大好きな誰かに怒られるからかい? 大切な誰かに嫌われるからかい?」

 

『あのさあ……』

 

 束の声はあきらかにイラつきを増していた。だが砕次郎はなお挑発にも似た言葉を放ち続ける。

 

「それもあるだろうけど違うだろ。当ててあげようか、篠ノ之束。キミは()()()()だと思ってしまったのさ」

 

『……』

 

「キミにとって世界はつまらないだろう? だから退屈で退屈でたまらないこの世界を、大きくかき回しそうな僕らに興味を持った」

 

束は答えない。

 

「せっかくだからもうひとつ、キミが好きそうな宣言をしよう。わかってるだろうと思うけど、僕らがいくらISを壊してもキミがまた作ってしまえば意味がない。やるかどうかはさておいてできてしまうのが問題だ」

 

 砕次郎の口元が歪む。

 

「キミ個人への宣戦布告だ。僕は――キミを殺す」

 

 明確な殺害予告。だが電話の奥の天才はその言葉を嘲笑(あざわら)った。

 

『はーあ、聞いてあげて損したよ。この無駄な時間で新しいシステムが315個は構築できてたのに、もったいない。悪いけどあんなIS()()に殺されるほど、この私は脆弱(ぜいじゃく)じゃない』

 

「そりゃあそうだろう。僕だってISでキミを殺せるなんて思っちゃいないさ」

 

『はあ? 言ってることが違ってない? もしかして日本語不自由な人なの?』

 

「人の話はちゃんと聞くもんだ。キミを殺すのはあの子じゃない、この僕だ。生身の僕が、ISに勝てるキミを殺す。他の誰でもなく、()()()()()()()()()。これはゲームだよ篠ノ之博士。すべてのISを壊し、世界を変えるゲームだ。キミはさしずめラスボスってとこだな」

 

『ゲームねえ。そう言えば私が乗るとふんで選んだ言葉だろう』

 

「その通り。でもわかっていても乗るんだろう? キミにとっちゃいい暇つぶしになるはずだ」

 

 回線越しに張りつめる空気。

 それを壊したのは――

 

『……ぷっ、あっは、あはははははは! ふふう! うひゃひゃひゃひゃひゃ、あひゃひゃひゃ! くっふふひ、あはははははは!』 

 

 笑い声だった。さきほどの(あざけ)りの薄ら笑いではない。ほんとうにおかしそうな無邪気な笑い。

 ひとしきり笑い転げた束が砕次郎に言う。

 

『ふっふふ、いいね面白い』

 

 その口調にはさっきまでのイラつきはない。

 

『たしかにほんのちょっぴり興味が湧いたよ。どうやって私を殺しに来るか、楽しいゲームになりそうだ。いいよ、しばらくほっといてあげる。束さん上機嫌だから出血大サービスの特典もあげちゃおう。君らが死ぬか捕まるまでは、コアの追加は作らない。だからがんばって世界中のISを倒して回るといい。そしてラスボスはこの私、天才の束さんだ! このゲームに飽きる前にちゃんと殺しに来るんだよ? あっはは、()()()()悪役もいいもんだ』

 

 興奮気味に喋りまくる束の言葉を、砕次郎は笑いながら聞いている。

 

 ――そう、キミにとってはこれも退屈しのぎのゲームだろう。最高の大天才にして最低の大天災、世界はキミの箱庭だ。壊れたものなら作り直せばいい。惜しい命なんて元から無い。人としての何かが欠落した気まぐれな全知全能。まるで神様じゃないか

 

「ルールは決まった。ゲームスタートだ」

 

『いいよ、始めよう。勝つのは君か私か、とーっても楽しみだ』

 

 ブツリ、と電話が切れる。消えたディスプレイを見つめたまま、砕次郎はつぶやいた。

 

「人は神を殺して生き残る。篠ノ之束、僕は人の未来のためにキミを殺すと決めたんだ」

 

「それが砕次郎の戦い?」

 

 いつの間にか後ろに立っていたエリスが声をかけた。砕次郎はエリスに背を向けたまま静かに答える。

 

「そうだ。僕の戦いだ。僕はそのためにエリスを利用してる。篠ノ之束を殺すために、キミの憎しみを利用してる」

 

「わたしもだよ。わたしも復讐のために砕次郎を利用してる。すべてのISはわたしが壊す。そのために砕次郎が必要なの」

 

「ああ、そうだな、エリス。すべてを敵に回しても、僕らは歪んだ共依存で戦い続けるんだ。すべてのISと一人の天才を憎んで、世界そのものに憎まれて」

 

 ふり返った砕次郎の手をつかみ、エリスはふわりと浮き上がった。

 月が照らす海岸線。自嘲的な笑みを浮かべるひとりの男と、その手をとる純白の羽を持つひとりの少女。

 一枚の絵画のようなその光景は、どこまでも悲壮(ひそう)で、とても美しかった。

 

「行こう、砕次郎」

 

「ああ、エリス。僕らの戦いのはじまりだ」

 

 こうしてアンチテーゼは動き出した。

 この世界を変えるために――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)


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第六話 番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)

今回、やや残酷な描写があります。



 ◇

 

 

 

 ここ最近、フランツィスカの抱えるストレスは常軌(じょうき)を逸していた。なぜか? と言われても一口に説明するのは難しく、いろいろなことがあったから、としか言えない。

 が、すべての発端は彼女が新型ISのテストパイロットに選ばれたことだった。

 

「フランならだいじょうぶよ。おねえちゃんが保証します」

 

 ぽわんぽわん、というオノマトペが聞こえてきそうな笑顔で言う上官に、最初のフラストレーションを感じたのを思い出す。

 フランツィスカはどうにも彼女が苦手だった。

 

「そんなこと言わないでフラン。おねえちゃん悲しくなっちゃいます……」

 

 ――そういうところです、中佐っ!

 

 頭の中で勝手に嘆く上官に、フランツィスカは脳内で反論する。ここまで会話のシミュレーションが簡単な人物をフランツィスカは他に知らない。

 上官の名前はエレオノーレ・フックス。階級は中佐。ドイツ軍特別情報統制機関『番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)』の隊長である。

 フランツィスカがエレオノーレと初めて出会ったのは二ヶ月前のこと。エレオノーレによる突然の引き抜き(スカウト)がきっかけであった。

 はじめ、フランツィスカは自分を部隊へと引き抜いてくれた、『フックス中佐』という人物にほのかな憧れを抱いていた。軍大学を飛び級で卒業し、わずか三年後、若干二十歳にして中佐となった驚異的な経歴。軍人として優秀なのはもちろんのこと、士官としても抜きんでた才覚の持ち主に違いない。

 そんな人に選ばれたのだ。己の全身全霊をもって、期待に応えねばならない、と。この時のフランツィスカは燃えていた。

 だが実際に彼女に会った時、その幻想はもののみごとにぶち壊されることとなった。

 

「はじめましてフランツィスカちゃん! ようこそ、おねえちゃんの部隊へ。おねえちゃんが隊長のエレオノーレ・フックスです。隊のみんなにはおねえちゃんのこと、おねえちゃんって呼んでもらってるから、フランツィスカちゃんもおねえちゃんを本当のおねえちゃんだと思ってえんりょせずにおねえちゃんって呼んでね。あ、かわいいからフランちゃんって呼んでもいいかしら? これからよろしくねフランちゃん」

 

 まぶしい笑顔で自分を迎える女性を前に、フランツィスカは意識がもっていかれそうになるのを超人的な精神力で耐えていた。三十秒足らずでゲシュタルト崩壊した「おねえちゃん」という単語が頭の中を飛び回り、「理想の中佐」のイメージ像を爆撃していく。

 

 ――この人が……? この人が『フックス中佐』なのか?

 

 目の前の女性はゆるやかなウェーブのかかった銀髪を腰まで垂らし、笑顔で握手を求めていた。中佐どころかおよそ軍人には見えない。軍服を着ているだけのおっとり美人のお嬢様だ。

 そうしてはじめてフランツィスカは理解した。この中佐がただの()()()()であると。なんのことはない。なにが特別情報統制機関だ。番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)などという部隊もたいそうなのは名前だけで、単なる広告塔でしかないのだろう。フランツィスカの落胆は筆舌に尽くしがたいものであった。

 ちなみに十分後、ほんとうに部下全員がエレオノーレを「おねえちゃん」と呼んでいることを知り、そのあまりの緊張感の無さにフランツィスカの意識は再び飛びかけることになる。

 

 悪夢のような出会いから数日、フランツィスカはただ無為に日々を送っていた。

 毎日の訓練にもまったく身が入らない。まともに成し遂げたことと言えば、渋るエレオノーレを説得し、なんとか「ちゃん」付けをやめてもらったことくらいだ(なお未だに「中佐」と呼ぶと「おねえちゃんです」と怒られる)。

 そんな時、これまたとつぜん新型ISのテストパイロットに選ばれたのだった。もちろんフランツィスカ自身は自分のIS適正については知っていた。適性試験の結果は「C」であり、IS操縦者としては支障ない値であった。だが彼女自身思うところがあり、IS操縦者としてではなく一般兵として軍に入ったのだ。

 

 ――それをなぜ今更になって。

 

 そもそもIS関連は黒ウサギ隊(シュヴァルツハーゼ)の仕事のはずである。IS適性だってBやAの人間が他にいるだろう。なぜ自分なんだ。

 聞くところによると、フランツィスカを推したのはエレオノーレだという。

 いったいどんなコネを持っているのか、新型機はテスト後は番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)に正式配備されることまで決まっているそうだ。それも特に問題が無ければフランツィスカの専用機として、だという。

 自分には無理だ。もっと適任がいるだろうから辞退させてほしい。そう告げてもエレオノーレはまともに取り合ってくれなかった。その時に言われたのが、あのなんの中身もない激励の言葉である。

 

「フランならだいじょうぶよ。おねえちゃんが保証します」

 

「しかし中佐!」

 

「おねえちゃんです」

 

「っ……真面目な話をしているのです! そもそもなぜ私なのですか! 他に優秀な人間はいくらでもいるではないですか!」

 

「そうはいっても部隊(ウチ)でいちばん適性が高いのはフランなんだもの。そろそろおねえちゃんの部隊にもISほしいなぁって思ってたら、ちょうど新型のパイロットをさがしてたからフランを推薦しておいたの。そしたらラッキー、決まっちゃった」 

 

「そんなバカな……」

 

「とにかくもう決まったことなの。あんまりわがまま言っておねえちゃんをこまらせないでね」

 

 なにを言ってもこの調子。とりつく島もない。

 結局、エレオノーレとこのまま無意味な議論を続けるよりはまだマシ、と自分の中で無理に納得し、フランツィスカは流される形で新型の操縦者におさまった。

 が、結果としてフランツィスカのストレスはここから指数関数的に増加していくこととなる。

 なにしろ過程が過程である。「実力からして次のISは私が」、そう訓練に励んでいた者からすれば、ぽっとでの新人が上司のコネで新型を勝ち取った、という状況は不愉快以外なにものでもない。さすがにおおっぴらな嫌がらせにはならなかったが、明らかな敵意と侮蔑(ぶべつ)の目で見られる生活が続いた。

 加えてフランツィスカはISの訓練などやったこともなかったのだ。真面目一徹の性格も今回ばかりは災いして、その日々は苛烈(かれつ)を極めた。

 日中は勝手のわからない訓練でへとへとになり、夜になれば電話帳を重ねたようなマニュアルを眠さと闘いながら必死に読み込んだ。食堂では刺さる視線やひそひそ声をなんとか意識の外に押し出し、味もわからないまま食べ物を胃に押し込んだ。

 だがしかし、それでも彼女は投げ出さなかった。なし崩し的にとはいえ自分で決めたこと。疲労を怒りに変え、他人の白い目を闘志に変え、負けてなるものかとがむしゃらにISと向き合い続けた。他の人間ならばここまでは耐えられなかっただろう。皮肉なことに、「フランならだいじょうぶ」というエレオノーレの言葉は正しかったのである。

 

 そして二ヶ月、フランツィスカはみごと新型機「シュヴァルツェア・メーヴェ」の正式な操縦者としてドルトムントにてお披露目となったのだ。

 

 だが――

 

 よりにもよってその日に起こってしまった。アンチテーゼと名乗る者達による、前代未聞のテロ事件が。競技場をまるごと乗っ取り世界に宣戦布告するという大事件が。

 このストレス満載の日々がようやくひと段落つく、そんな矢先のこと。フランツィスカにとっては不運と言うほかないだろう。

 

 ――ふざけるな! なにがアンチテーゼだ!

 

 首謀者のものと思われる声がアリーナで演説を始めた時、フランツィスカの怒りは爆発した。だがその怒りは自分のための怒りではなかった。フランツィスカにとっては二ヶ月の苦労も、めちゃくちゃになった晴れ舞台も、もはやどうでもよかった。ただ彼女は純粋に、己の信じる正義のために怒ったのである。

 ISがはじめて現れた白騎士事件から10年。ようやく世界は安定してきた。あわや第三次世界大戦の幕開けかと思われたほどの大混乱も、数多の人間の働きによってなんとか収束していった。

 たしかに露骨な女尊男卑の風潮や、軍事とISのあいまいな線引きなど問題は多々ある。だがそれでも、今さらになって世界を引っ掻き回そうとするアンチテーゼの身勝手さを、フランツィスカは許せなかった。

 

 ――自分達の思想のためだけに、どれだけの人間を危険にさらすつもりだ!

 

 そしてフランツィスカは声をあげ、アンチテーゼのISと戦った。

 初めての実戦。それも試合などではなく、本気の殺し合い。未知の相手とそれでも互角に渡り合っていたフランツィスカだったが、結局アンチテーゼを取り逃し、新型の機体をボロボロにするという実質的な大敗を(きっ)したのである。

 

「気にしなくていいですよ。おねえちゃんはフランががんばったの知ってますから」

 

 エレオノーレの優しい言葉がかえって刺さる。

 事件が終わって二日、フランツィスカは軍上層部から責任を追求されていた。

非常時とはいえ許可を得ない戦闘を行ったことや、結果として敵を逃がしたこと、そして新型の性能をほぼ全て暴露した上でボロボロにしてしまったこと。なかには仕方がない事案もあるのだが、それでも誰かが非難を受けなければならない状況。であれば、今回のしわ寄せがフランツィスカに行くのは当然といえば当然だった。

 エレオノーレの口添えもあり、なんとか大きな処分は免れたものの、フランツィスカは二週間の謹慎となってしまった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「謹慎中でもお腹はすくんだ? いいご身分よね」

 

 食堂で昼食をとっていたフランツィスカの前にガシャン、とトレーが置かれる。顔を上げると、一人の女性がフランツィスカを見下ろしていた。

 フランツィスカは彼女を知っている。第三中隊所属、モニカ・フォン・シュレンドルフ少尉だ。階級は同じだが、別に同期というわけでも仲が良いわけでもない。(さげす)むようなセリフからもわかるように、むしろ関係は最悪だった。

 モニカは第三中隊に在籍しているが、本人の希望は黒ウサギ隊(シュヴァルツハーゼ)のIS乗りだったのだ。つまり、いきなり新型を与えられたフランツィスカを快く思っていない人物の筆頭。ところかまわずぶつけられる白い視線と悪態の数々で、フランツィスカは嫌でも顔を覚えてしまったのである。

 

「よく平気な顔してランチタイムなんてできるわよね。テロリストにボコボコにやられといて、なんにも感じないわけ?」

 

「……」

 

「今からでも遅くないから新型の操縦者辞退したら? アンタには荷が勝ちすぎてるってわかったでしょ。」

 

 フランツィスカは何も言わない。いい加減に相手をするのも疲れていたし、こういった手合いは何を言っても攻撃をやめないのを知っているからだ。

 とはいえ、何も答えないでいても相手のボルテージは上がっていくのだが。

 

「ちょっと無視決め込んでんじゃないわよ!」

 

 バカにされていると感じたのか、モニカの語気が荒くなる。そしてモニカはイラつきにまかせて自分のトレーの器をつかんだ。

 

 バシャッ

 

 かけられたのは器に入っていたスープだった。フランツィスカの前髪からポタポタとしずくが落ちる。

 

「……」

 

 フランツィスカは声も出さずただうつむいていた。食堂はざわつきはじめ、さすがにモニカもやりすぎたと思ったのか焦りを見せる。

 そこへ――

 

「フラン!? どうしたんですか!? なにがあったの!?」

 

 現れたのはエレオノーレだった。おそらく誰かが知らせに行ったのだろう。エレオノーレはパタパタとフランツィスカに駆け寄ると、その肩を抱いて立ち上がらせる。

 

「と、とにかく急いでシャワーを浴びましょう。ちょうど今は誰も使ってないだろうし、あ、で、でも着替え持ってこないと。服までビショビショだわ」

 

 あわてふためくエレオノーレ。その様子は部下の心配をする上官というより、本当に妹を心配する姉に近い。

 

「あ、あの中佐……わ、わたしは、その……」

 

 モニカが言い訳をしようとエレオノーレに話しかける。だが――

 

「どいて。あなたが誰か知らないけど、謝罪も反省もいらないわ。 いいからそこどいてください」

 

「っ……」

 

 邪険にあしらわれ、モニカは黙り込む。その間にエレオノーレは無言のフランツィスカを連れてさっさと食堂を出ていってしまった。

 と、入れ違うようにクラリッサが食堂に入ってきた。クラリッサは食堂にいた黒ウサギ隊(シュヴァルツハーゼ)の1人に事情を聞くと、モニカに声をかける。

 

「話は聞いたが、あまりに身勝手な行動だなシュレンドルフ少尉」

 

「た、大尉……」

 

「リッター少尉は命をかけてテロリストと戦った。他の人間に示しがつかないがゆえにいちおう処分は受けたが、本来ならば褒められこそすれ罵倒されるような人間ではないはずだ」

 

「……」

 

 何も言えないモニカに、クラリッサは厳しい言葉を続ける。

 

「それに私も今は謹慎中の身だ。私にもなにかぶちまけるか?」

 

「そ、そんな…! わたしは……」

 

「少し自分の行動を見つめなおせ。少なくとも今の君のような人間を、私は黒ウサギ隊(シュヴァルツハーゼ)に欲しいとは思わない」

 

「っ……! し、失礼します」

 

 厳しい叱咤(しった)に耐えきれなくなったのか、モニカは早足で食堂を出ていってしまった。後に残ったクラリッサはため息をつく。

 

「はぁ……さて、今回の騒動はやっかいだぞ。少尉が心配だな」

 

「リッター少尉なら大丈夫では?」

 

 後ろにいた黒ウサギ隊(シュヴァルツハーゼ)の新人隊員が答える。

 

「あの方は芯が強い人ですし、中佐もいますから。さっきの中佐なんてホントにお姉ちゃんみたいでしたよ。きっとうまくフォローなされます」

 

 だがクラリッサは首を振ると、違うんだと返した。

 

「誤解させてすまない。が、私が心配しているのは()()()()()()()()()()()()()

 

「え?」

 

「お前はまだ日が浅いから知らないんだろうが、いいか――」

 

 クラリッサは真剣な顔で新人隊員に告げる。

 

「あの人だけは、中佐(エレオノーレ・フックス)だけは絶対に敵に回すんじゃない」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 シャワー室に着くなり、エレオノーレはテキパキとフランツィスカの服をとっぱらい、個室に押し込んだ。

 

「着替えは後で隊の子が持ってきてくれるわ」

 

「……ありがとうございます」

 

 フランツィスカは弱々しく礼を言うと、シャワーのコックをひねる。無数の水滴がフランツィスカのスラリとした身体をつたっていく。肌に伝わる温かな感触が、彼女の中で冷たく凝り固まっていたなにかを溶かしていくような気がした。

 

「フラン、シャワーの音ってけっこううるさいでしょ?」

 

「……」

 

「だからたぶん、おねえちゃんにはなにも聞こえないと思うの」

 

 エレオノーレの言葉の意味を理解するのとほぼ同時に、フランツィスカの両目からボロボロと涙がこぼれ落ちる。

 

「……っく……う」

 

 抑えきれない感情が溢れ出し、なにが悲しいのかもわからないままに、フランツィスカは泣いていた。眠れなかった日々も、仲間の白い目も、アンチテーゼへの怒りも、自分の不甲斐なさも。何もかもが一緒くたになってフランツィスカから溢れ、嗚咽(おえつ)とともに吐き出されていく。

 エレオノーレは何も言わず、ただ背を向けてフランツィスカの泣くにまかせていた。

 

 数分の後、

 

「……私は間違っていたのでしょうか」

 

 フランツィスカがポツリとつぶやいた。

 

「あの時、私が声を上げたのは自分の中の正義を貫こうと思ったからです。しかし、私は負け、奴らは野放しになってしまいました。私は――」

 

「ねぇ、フラン」

 

 エレオノーレがフランツィスカの言葉をさえぎる。

 

「フランにとっての正義ってどんなもの? 人は弱いわ。あなたに嫉妬したあの子も、弱さゆえに自分の正義に背を向けた。フランはなぜ、自分の正義をまっすぐ信じていられるの?」

 

 突然投げられた普段のエレオノーレからは想像出来ない重い問いに、フランツィスカは少し驚いた。

 それでも彼女は自分の心を探り、その問いに真摯(しんし)に答える。

 

「『力は弱者のためにあるべきだ』、これは私の父の口癖でした」

 

 フランツィスカは静かに話し始める。

 彼女の父も軍人だったこと。白騎士事件の後、世界情勢の混乱から紛争が激化した地域で命を落としたこと。

 

「私がまだ幼い頃から、父はよくこう言っていました。『リッターというのは騎士という意味だ。騎士は正義のために、弱い人たちのためにその力をふるう。だから自分も、弱い人たちのために力を使う。それがリッターの正義だ』、と」

 

「フランと同じで真面目な人だったのね」

 

「私など足下にも及ばない堅物でしたよ。……父が死んだ時、私は決めたんです。これからは私が父の正義を貫くんだ、と」

 

 フランツィスカは思い返す。

 そう、だから自分はあの時黙っていられなかったのだ。力を持ちながら一般人(弱者)を盾にし、己の思想のために踏み台にする。まるで自分と父が信じた正義を踏みつけられたような気がして。

 

「私はどうすればいいのですか。自分の正義のために、どうすればもっと強くなれますか?」

 

 フランツィスカはフェアリーと交わした再戦の誓いを心に刻んでいた。きっと奴らには奴らの正義があるのだろう。だが相容れない正義がぶつかる時、自らの信じる正義を貫くにはより強くあるしかないのだ。

 

「フラン。おねえちゃん、フランのそういうまっすぐなところ大好きですよ」

 

 エレオノーレが優しく言う。

 

「でもね、ただ強く、まっすぐあるだけで自分の正義を貫けるほど、今の世界は優しくない」

 

「……はい」

 

 それは柔らかくも、とてもとても重い言葉。

 

「フランツィスカ・リッター少尉。あなたは自分の正義のためにどこまで出来ますか?」

 

「……どこまで、とは?」

 

 今までとは気色の違うその問いに、フランツィスカは少し困惑する。

 

「泥をすすって、卑怯者と罵られ、侮辱にまみれ、暗闇に魂を墜としても、あなたは自分の正義のために戦える?」

 

 ――なんだ? 何の話をしている?

 

「もしその覚悟があるのなら、三時間後にわたしの部屋に来なさい」

 

「……中佐?」

 

 いつもなら「おねえちゃんです」と訂正をしてくるエレオノーレ。

 だがすでにその姿は無く、シャワーがタイルを打つ音だけが響いていた。

 

「……」

 

 フランツィスカは考える。

 

 ――覚悟なら出来ている。ISという力を手にした時から、私は私の信じる道のためにただひたすら歩いてきたのだから。

 

 シャワーを止め、顔を上げるフランツィスカ。その目にはもう迷いはなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「……中佐を敵に回すな、とはどういう意味ですか?」

 

 豆のスープをスプーンですくいながら、新人隊員がクラリッサにたずねる。

 

「どういう意味もなにも、そのままの意味だ。フックス中佐と番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)にはなるべく関わらない方がいい」

 

「でも……正直よく分からないです。中佐の部隊がなにか成果をあげたって話も聞きませんし。それにあんなに優しそうな人なかなか見ませんよ」

 

 クラリッサは玉ねぎとベーコンのパイ(ツヴィーベルクーヘン)をフォークで一口大に切る。

 

「まず、()()()()()()()()()()()()()()ことに警戒をしろ。成果をあげてないんじゃない。(おおやけ)にできない成果をあげているんだ。いい機会だから教えておくが、あまりベラベラと言いふらすなよ」

 

 ただならぬ雰囲気のクラリッサに新人隊員はゴクリと、息を呑む。

 

「我々黒ウサギ隊(シュヴァルツハーゼ)がドイツ最強の部隊なら、番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)は最恐の部隊と言ったところだな」

 

「最恐……ですか」

 

「たとえば我々が番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)を攻撃する場合、ISを用いて戦闘行為にすらならない火力差で蹴散らし叩き潰すのが一番手っ取り早いだろう。我々の圧勝だ」

 

「はい」

 

「では逆に番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)が我々を攻撃する場合だ。どう考える?」

 

「えっ……さあ……」

 

「その場合、まず間違いなく、そのスープは毒入りだ」

 

 スープを飲もうとしていた新人隊員の手がピタリととまった。

 

「もし毒に気づいても攻撃は終わらない。たまたま乗ったタクシーが事故を起こすかもしれないし、なぜか誤った情報を与えられた特殊部隊に狙撃されるかもしれないし、抱き合った母親が致死性の高いウィルスに感染しているかもしれない。番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)は相手が隙を見せるまでいつまでも待つ。どんな手でも使う」

 

 クラリッサはパイにグサリとフォークを突き立てる。

 

「ちなみに今の例えはすべて、軍が敵とみなした人物が迎えた()()()()()だ」

 

 パイを口に運び、モグモグと味わうクラリッサ。対して、新人隊員の食事の手は完全に止まっていた。

 

「なんでも上層部には中佐は(フックス)の名前をとって『人喰い狐』なんて呼ばれるているらしい。BNDの第0局(存在しない部署)から来たなんて噂もあるそうだ。敵に回すなと言ったのはそういう事だ」

 

「……」

 

 嫌な事実を知り、食欲を完全に失った新人。

 その様子にすこし罪悪感を覚えたクラリッサは、彼女なりにフォローをいれる。

 

「まあ安心しろ。よほどの喧嘩を売らない限りは中佐も優しいおねえさんでいてくれるさ。それに――」

 

 クラリッサが微笑む。

 

「何があろうとも私の部下に手は出させない」

 

「お姉様……」

 

 凛々しくパイをほお張るクラリッサを新人隊員はうっとりと見つめる。こころなしか、テーブルに飾られた花のつぼみが少し開いたように見えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それから少し経ったころ。

 エレオノーレの執務室では3人の人間がピリピリとした緊張感の中で会話をしていた。エレオノーレとその部下のリーゼ。そしてソファに腰かけた初老の男。

 

「それで、うまく処理できたのかね」

 

 口を開いたのは初老の男だった。

 

「ええ、もちろんです。すべては闇に葬られ、中将とVTシステムとはなんの関わりもなかったことになりましたよ」

 

 フランツィスカは初老の男――ドイツ空軍中将にそう答えた。

 

「さすがだなフックス中佐。高い代償を払っただけの仕事はしてくれたようだ」

 

「新型ISの件、お力添えには感謝しています。VTシステムの件はわたしとリーゼしか関わっていませんので、外部に漏れる可能性はほとんどありません」

 

 エレオノーレに目配せされ、リーゼはドヤ顔で胸をはった。動きにあわせて細いツインテールがぴょん、と揺れた。その笑顔を見て中将はなんとなくネコを思い浮かべる。

 リーゼは番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)の創設からエレオノーレに付き従っている部下だ。十分に信頼できるということを中将も理解していた。だが、彼はそれでも安心できていなかった。

 

()()()()()()では困るのだ、中佐。万が一のことがあれば私だけではない、君も破滅だぞ。もっと確実な言葉は言えんのかね?」

 

 中将の言葉に、エレオノーレは人差し指を口に当てて困った表情をつくる。

 

「確実な方法が、無いこともないんですけどねぇ」

 

 思わせぶりな態度に中将はイラついた様子で声を荒らげた。

 

「あるならば実行したまえ! 言ったはずだぞ、手段は問わんと!」

 

「仕方ありません。わかりました」

 

 そう言うと、エレオノーレは自分の机の引き出しをゴソゴソと探り始める。

 

「ええっと、どこにいったのかしら。あ、リーゼちゃんはもういってもいいわよ」

 

「はぁい、おねえちゃん。それでは中将殿、失礼しますね」

 

 部屋を出ようとリーゼが背を向けたその時――

 

 パシュ パシュ

 

 乾いた音が二回鳴り、リーゼの背中から鮮血が噴き出した。

 振り返ったその口から赤黒いあぶくがごぼごぼと流れ出る。

 

「……お……ねえ……?」

 

「ごめんね、リーゼちゃん」

 

 そう言って微笑むエレオノーレの右手には、サイレンサーつきの拳銃が握られていた。

 リーゼの身体はぐしゃりと崩れ落ち、床に赤い染みがゆっくりと広がっていく。

 

「フ、フックス中佐ァ!? な、何をしているんだ貴様ァ!!」

 

 目の前で起きた惨劇に呆然(ぼうぜん)としていた中将だったが、なんとか我に返りエレオノーレに向かって驚惑(きょうわく)の叫びをあげた。

 

「落ち着いてください中将。今は誰もいないはずですけど、あんまり大声で騒ぐと誰か来てしまうかも知れませんよ」

 

「そ、そんなこと言っとる場合か!? どうするのだ! なぜ殺した!?」

 

「これで今回のことを知っているのはわたしと中将の2人だけになりました。そして今、わたしは中将を絶対に裏切れなくなったんですよ。なにせ目の前で人を殺してしまったんですから」

 

 こともなげに言い放つエレオノーレ。表情はいつもと変わらず穏やかなままだ。だがその頬は返り血で汚れ、微笑む彼女はまるで獲物を前に舌なめずりをする怪物に見えた。

 狂気すら超えた冷徹さ。

 中将は背骨を冷たい手でわしづかみにされたような悪寒を感じていた。

 

「もちろん中将がこの事でわたしを脅すこともできませんよ。そのためにはこうなった経緯を説明しなければなりませんし、そうすれば先ほどご自身で仰ったように、中将の破滅にも繋がりますからね。お互いがお互いを縛り合う、これ以上ない安心の関係です。まさか、『どんな手を使っても』と仰った中将殿が、()()()()()()()()怖気づいたりしていませんよね?」

 

 もはやそれはただの脅しに近い。

 

「だ、だがしかし、これをどうごまかす気だ……?」

 

「ご心配なく。そのへんは抜かりありませんから。もともと彼女は軍を辞めて国外で暮らすことが決まってました。おととい部隊でお別れ会をしたばかりです。肉親もいませんし、どうとでもなりますよ」

 

「う……むぅ……」

 

 中将はうなずくことしかできなかった。

 彼も権力のためにいくつもの罪を犯してきた。その中には殺人教唆(きょうさ)に繋がるものもあっただろう。しかしエレオノーレはなんの前触れもなく目前で自身の部下を撃ち殺した。しかも彼女の言葉通りなら、まるで最初からリーゼを殺すことが決まっていたかのようではないか。使い捨ての駒ではなく、何年も連れそった自身の部下だというのに。

 そんな人間など彼の周りにはいなかった。いや、本来ならばそんな化け物はいてはいけないのだ。

 

 ――この女は危険すぎる……!

 

 だが今の彼はエレオノーレへの抑制力を何ひとつ持ってはいない。

 

「ささ、早いとこ退散しちゃってくださいね。誰かに見られても困りますし、ここはわたしが片付けておきますから」

 

 エレオノーレにうながされるがまま、中将はふらふらと部屋の扉に手をかける。

 一瞬、リーゼの死体と目が逢いそうになったが、その顔を再び見る勇気は彼にはなかった。あのネコのような笑顔が脳裏にこびりついている。

 扉を開ける時、自分も背後から撃たれるのではないかと不安がよぎった。が、中将の後ろからはエレオノーレの明るい声が聞こえてきただけだった。

 

「これからもどうぞ仲良くしてくださいね。グスタフ・フォン・()()()()()()()中将」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 シュレンドルフ中将が部屋を出て数分後。

 エレオノーレはふぅっと息をついた。

 

「もういいわよ、リーゼちゃん」

 

 するとリーゼの死体がぴょこっと軽快に起き上がった。そして思いっきり伸びをしながらエレオノーレの方へと歩き出す。

 

「んんー、予定と違いましたよー。弾は1発のはずだったのに。結構痛いんですからね、おねえちゃん」

 

「だからちゃんと謝ったじゃないですか。ごめんね、リーゼちゃんって」

 

 リーゼは血糊のベットリとついた服をつまみ、ネコのように笑う。

 

「あーあ、ベットベトだ」

 

「ほんとにごめんね。最後の最後にこんなことやらせちゃって。でもちゃんと希望の引越し先を確保しておきましたから。別人としてだけど楽しんできてください」

 

「おお、ありがとうございます! にゃっはは、いざゆかん娯楽の魔都ラスベガス! いっちょ豪遊してきますよ」

 

 上機嫌なリーゼを見ながらエレオノーレはまたため息をつく。

 

「ふぅ、それはそれとしても、はやいとこ部屋を片付けないと。中将ったら時間にルーズなんだから。もうすぐフランが来ちゃうわ」

 

「フランにはまだこういうのは隠しておくんですか?」

 

「ええ、あの子はまだ受け入れられないだろうから。まっすぐなだけじゃダメとは言ったけど、やっぱりもうしばらくフランにはそのままでいて欲しいの。……変わるべき日が来るまでね」

 

 エレオノーレはコロコロと微笑んだ。

 

「だからまだフランに見せるのは番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)の表だけ。諜報活動と情報操作、それだけです」

 

「まっすぐな鉄は徐々に曲げていかないと折れちゃうってことですかねぇ。怖いなぁ」

 

「もう。またそんないじわるな言い方して」

 

 楽しそうに頬をふくらませるエレオノーレ。リーゼはそんなエレオノーレにふと思い出したように言う。

 

「中将は大丈夫ですかね? 今さら正義感に駆られることもないとは思いますけど」

 

「だいじょうぶよ。こういう時、我が身よりも正義を優先させる人は、残念だけど高い地位にはつけないものです。そういうの、おねえちゃんあんまり好きじゃないんですけどね」

 

「……同感ですね」

 

 しばしの沈黙。

そして唐突に、リーゼは隊長に敬礼をした。エレオノーレも敬礼を返し、リーゼに言葉をかける。

 

「リーゼ・アッカーマン大尉。これまでご苦労でした」

 

「はっ。中佐、こちらこそ今までありがとうございました!」

 

「前にも言ったけど、もし自分が危なくなった時はこちらのことは気にせずに持っている情報を使いなさい。こっちはおねえちゃんでなんとか出来るから」

 

「ええ、なんとか出来てしまうのが私達のおねえちゃんですもんね」

 

 微笑みあう二人。

そして二人は、どちらともなくロッカーからモップを取り出し掃除を始めるのだった。

 

 

 

 15分後。フランツィスカはその部屋を訪れる。

 彼女は知らない。つい先程まで、ここでドロドロとした陰謀が渦巻いていたことを。だが彼女は決意を固めていた。なにがあろうとも、なにをしようとも、自らの正義と勝利のためにその身を捧げようと。

 ドアを開けたフランツィスカを迎え入れ、エレオノーレは静かに言った。

 

「待ってたわ、フランツィスカ・リッター少尉。ようこそ、番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)へ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「おまけ ドイツ編のあれこれ」


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おまけ ドイツ編のあれこれ

今回はおまけです。
内容としては、
ドイツ編あとがき、モブキャラ解説、オリジナルIS解説、オリジナル兵器解説
になります。


 

 

 ☆あとがき ドイツ編を終わって

 

 いつもあとがきの場所には次回予告を載せてるもので、ちゃんとしたあとがきははじめてですね。

 ハーメルンの機能に文庫本みたいにPDF出力をしてくれる、というのがあったのでやってみると、うっっっすい本1冊とおなじくらいにはなりました。

 という訳で「あとがき」なんて書いてみた次第です。

 

 前置きはこのへんにして。

 とにもかくにも、まずは! ここまでお読みいただいた読者の皆さん、本当にありがとうございます。

 学園もヒロインズも出ないというのに、ここまで読んでくれるなんて……逆に理由を聞いてみたいですね笑。でもほんとにありがたいです。

 IS学園の外の話を書きたいなぁ、いろんなISを出したいなぁ、なんて妄想して趣味全開ではじめた「IS -アンチテーゼ-」。

 書き始めた時は不安でいっぱいでしたが、なんとか第一章ドイツ編を終了できました。

 これもひとえに、読んでくれる方々、お気に入りしてくれる方々、そして感想や評価をくれる方々のおかげです。

 

 さて、ドイツ編を振り返ってみてなのですが、勘のいい方はお気づきかも知れません。

 ドイツ編の主人公は実はエリスと砕次郎ではないんです。僕の中ではドイツ編の主人公はフランツィスカ・リッター少尉なんですね。

 来週からの中国編ではもう少しアンチテーゼにも主人公らしくしてもらうつもりですが……。

 お察しの通り、フランツィスカはこの後もたびたび登場します。

 アンチテーゼと出会った彼女がこれからどう変わっていくのか? そういったところにも注目してもらえるとありがたいです。

 

 あとあれですね。

 名前付きのモブキャラが多いですねぇ。モブなのにそれなりの名前がついてるもんで、ちょっとキャラがややこしくなっちゃたかもしれませんね。

 ただでさえクラリッサ以外はオリジナルキャラしかいないのに……。

 そこでこの後、

「もう出てこないだろうから忘れちゃっていいよ!」

 なモブキャラを紹介してます。

 とはいえただ忘れられるのもかわいそうですので、彼らの裏設定なんかも発表しておきます。

 それを読んで「いや知るか、そんなことw」と思ってもらえると僕の計画通りです。

 

 長くなりましたがこんなところです。

 第一章が終わり、と言ってもどうも今の構想のままで行くと全部で20章くらいになりそうなんですよね。

 なので皆様、これからもなにとぞ宜しくお願いいたします。

 

 最後に。

 感想などいただけると僕は踊りあがって喜びます。

 ましてや、お褒めの言葉などいただくと水揚げされたマグロのごとくのたうちます。

 厳しい意見をいただけるとそれだけで自分の糧になります。

 どんなに短くてもけっこうです。もしも、お心にふれたシーンがありましたら、ぜひ一報くださるとありがたいです。

 それでは! 第二章、おたのしみに!

 

 以下はモブキャラ、モブ兵器、IS解説などです。

 

 

 

 ☆モブキャラ解説

 

 〇ボリス・ドナート(第一話)

 本編の初登場人物という栄誉あるモブ。

 美人の妻と息子がいる。

 カンデア軍港基地の警備兵だったが、諸々の責任の押しつけあいの結果、泥をかぶって退職に。

 テレビでアンチテーゼの映像を見て、こいつのせいでクビになった! と妻にぼやいたが、

「なら感謝しなくちゃね。おかげで週末はキャンプに行けるわ」

 と言われてしまった。

 

 〇アイスを買った子供(第一話)

 通称、ボク。

 名前のない正統派のモブ。

 20年後、彼は信頼できる4人の部下とともに、若くしてアイスキャンディー会社の社長となる。そしてその決してあきらめない粘り強さと相手のスキを逃さず食らいつく手法で業界のトップに君臨し、「アイスキャンディーの狼」と呼ばれることになるのだが、それはまた別のお話。

 

 〇ロミルダ・ジンメル(第二話)

 それなりの活躍をした彼女だが、なぜかモブ扱いになっている異色のモブ。

 なぜなら当初の予定では、ロミルダは「エリスにすでにやられている」だけの登場人物のはずだったのだ。

 第二話の更新が遅れたり、いきなり前後編になったりしたのも、3割くらいは彼女がまじめに戦いはじめちゃったせい。

 ちなみに、ボリスと後述のガットとは同郷の幼なじみ。

 事件後、病院に見舞いに来たガットに「結婚してあげる」と言い放ち、めでたく新婚さんとなった。

 テディベアの収集が趣味。

 子供の時の夢はお嫁さんとケーキ屋さん。

 

 〇ガット・ベッケンハーク(第一話、第二話 名前のみ)

 なんと本編では名前しか出てこない(しかも2回だけ)という究極のモブ。

 ボリス、ロミルダとは幼なじみ。

 彼を知るものは、口を揃えて彼はバカだと言う。だが彼のことが嫌いな者は1人もいない。ただの1人も。

 長らくロミルダに片想い(?)していたが、このたびついに思いが成就。病院でプロポーズをOKしてもらった時、その場でぶっ倒れベッドをひとつ増やすハメになった。

 その後、警備兵の仕事を辞め田舎に帰り、ロミルダとともに実家のケーキ屋を継いだ。

 

 〇エーベルト・ガスタ(第二話~第五話)

 頑固なジジイを書きたいと思ってたのにいつの間にか過保護のおじいちゃんになっていた。でも好き。大好きなキャラ。

 きっと親方という言葉が良く似合う。

 ISの世界でもISを認めていない人々もきっといるだろう、と妄想したのがこの小説の路線をシリアスに決めたきっかけなので、エーベルトの行動は自分の中でも絶対に必要なイベントだったと思います。

 意外にもお酒は飲めない。

 

 〇ユリアンとブルーノ(第二話、第三話)

 エーベルトの部下2人組。

 この2人は実はたいした裏設定は何も無い、という不遇のモブ。でも本来モブとはそういうものなので真のモブと言った方がいいかもしれない。

 でもせっかくなので適当な設定を考えてみる。

 ユリアンは甘いものが好きで、最近彼女に太ったと言われて傷ついた。

 ブルーノは酒好きで、休みの日に熱燗の日本酒をボイルソーセージとともにいただくのが最近のブーム。

 

 〇黒ウサギ隊(シュヴァルツハーゼ)の新人隊員 (第六話)

 最初の構想では、クラリッサにエレオノーレについていろいろ教えてもらうのはモニカの役だった。ところがモニカが想像以上にイヤなやつに仕上がってしまい、そんな人間を黒ウサギ隊に在籍させるのはさすがに気が引けてしまったわけで。

 結果、新たなモブとして彼女が登場したのだが、名前が無いことからもわかるようにほんとになんの設定もない。シン・モブ。

 とりあえず、百合の気配がする。

 ソバカスとかあるんだけど、将来的にどんどん綺麗になっていく子のイメージ。

 

 〇リーゼ・アッカーマン(第六話)

 番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)でエレオノーレの部下。階級はクラリッサと同じ大尉。エレオノーレが部隊を作った時からの最初期メンバーだった。

 笑った顔はネコを思わせるらしく、本人も割と気ままな性格で猫っぽい。細く垂らしたツインテールが特徴。

 よく死んだフリで隊の仲間をからかっていたが、まさかそれがエレオノーレの役に立つ時が来るとは思っていなかった、とのこと。

 軍を退いてからは新たな名前と経歴を得て、ラスベガスで暮らし始めたらしい。

 まさか初めて書いたツインテールキャラが、わずか十数行で出番が終了になるとは思わなかった。

 ツインテール好きなんですけどね。髪型も怪獣も。

 

 

 

 

 ☆オリジナルIS解説

 

 〇オブディシアン・クローネ(ロミルダ機)

 

 分類:

 第二世代、汎用型を中遠距離型に改造。

 

 名前:

 ドイツ語「黒曜石の王冠」

 

 待機形態:

 左手のチェーンアクセサリー

 

 カラーリング:

 フレックターン迷彩、各所に濃い赤のアクセント。ちなみに右脚つけねにクマさんのステッカーが貼られている。

 

 外見:

 全体的に四角張ったシルエット。ISの中では大きい部類。両ショルダーアーマーにウェポンラックがあるが、ロミルダは使用していない。

 

 武装:

 高出力レーザーライフル「TDGゾイガー」

 サブマシンガン「シュヴァイツァー」

 試作型プラズマカノン

 フレシェットミサイル「バーストレイン」

 投擲ナイフ

 

 装甲:

 ルナーズメタル合板装甲(プロトタイプ)

 

 詳細:

 ドイツの第二世代IS。

 ドイツのISの中ではかなり扱いやすいが、その分これといった特徴もない。

 機動性は第二世代の中でも良い方なのだが、装甲が試作型のままなので耐久力に難がある。

 普段は新装備の試験機および練習機として使われている。

 ロミルダは中遠距離型にカスタムして使用。

 シュヴァイツァーとゾイガー以外にも武装はあったが、けっきょく使われることはなかった。

 

 

 

 〇シュヴァルツェア・メーヴェ

 

 分類:

 第三世代、高機動格闘型

 

 名前:

 ドイツ語「黒いかもめ」

 

 待機形態:

 鉄十字の胸章

 

 カラーリング:

 レーゲンシリーズ特有の黒い装甲に赤と黄のアクセント。

 

 外見:

 騎士の鎧を思わせる重装甲の機体。名前の由来にもなっている巨大なウィングが特徴的。

 

 武装:

 対物理AICシールド「タンホイザー」

 大剣「シュルトケスナー」

 自動式散弾銃「ロートケールヒェンK9」

 ワイヤーブレード

 高速巡航用ウィング「メーヴェ」

 

 装甲:

 ルナーズメタル・ヘキサ合板装甲(耐熱対レーザー仕様)

 

 詳細:

 レーゲンシリーズの新型として開発された第三世代IS。

 特徴的な大型のスラスターウィングは出力が高く、可動域も広いため機動性が非常に高い。主な戦法はそれを利用した急接近からの格闘戦のため、武装は近接戦闘用のものがほとんど。

 もうひとつの特徴としてAICを利用した盾「タンホイザー」がある。これにより物理兵器のほとんどを無効化できるため、格闘戦をより有利に行える。

 反面、AICそのものに言えることだが、レーザーやビーム兵器にはタンホイザーの効果はない。

 装甲は耐熱仕様であるものの、距離を取られてのレーザー射撃や多方向からの同時攻撃に対しては不利な戦いを強いられてしまう。

 高速巡航用ウィング「メーヴェ」を展開することで、パッケージ交換なしに長距離を高速飛行できる。

 

 

 

 〇フェアリア・カタストロフィ

 

 NO DATA

 

 

 

 ☆オリジナル兵器解説

 

 〇シュヴァイツァー(サブマシンガン)

 軽く小さく、取り回しが楽なサブマシンガン。連射性は高いが威力は低い。主に牽制に使用される。名前はドイツっぽい、という理由でシュヴァイツァー試薬より。

 

 〇高出力レーザーライフル「TDGゾイガー」

 武器メーカー「Technology of Dreams & Guns」、通称TDG開発のすんごいレーザー銃。

 TDG社の設定は結構あるので今後本編でもいろいろと登場するはず。

 余談というレベルではないが、ウルトラマンティガのラストの絶望感と盛り上がりはすごかった。

 

 〇K&Dクラウスラー(オートマチックハンドガン)

 〇K&Dデッドキャンディ(長射程ショットガン)

 ともにK&D社の新商品。細かな性能よりも威力に重きを置いたK&D社らしい銃である。

 K&D社も今後本編に登場するかもしれない。

 

 〇ナタリーCN9(アサルトライフル)

 クラウス社のキャットネイルをもとに、ナタリー・エールがカスタムしたアサルトライフル。けっこうなレア物だが、性能が激的に上がっているという訳では無い。

 ナタリー・エール本人も今後登場するかもしれない。

 

 〇対物理AICシールド「タンホイザー」

 ドイツのISならAICを使わないと! と思い考えた盾。詳しい説明は劇中でしているので省略。

 名前の由来は自分の好きなDSのゲーム「無限航路」の用語。「宇宙の墓場」的なものを指す単語らしい。

 ワーグナーの戯曲「タンホイザー」とは直接的な関連性は無いが、せっかくなので「理に背くもの」という(かなり)無理やりなルビを当ててみた。

 

 〇シュルトケスナー(大剣)

 正直、こんなに活躍するとは思ってなかった。

 どうしてこの名前にしてしまったのか、後悔しかない。

 ドイツ語っぽいというだけで採用せず、もっとカッコイイ由来の単語にすれば良かったと嘆くばかりである。

 気になる方はぜひ「シュルトケスナー もずく」でぐぐってみよう。

 

 〇ロートケールヒェンK9(自動式散弾銃)

 連続して7発まで発射できるオートマチックショットガン。ドイツ軍が開発したもの。散弾は特殊合金で攻撃力はかなり高い反面、その散弾が重すぎて銃のくせに射程はえらく短い。

 「ロートケールヒェン」とはドイツ語でコマドリのこと。あれ、あってますよね?

 なお作者のミリタリー知識は0に等しいため、型番のK9ってなに? と聞かれても、

「うーんなんだろうねぇ。でもなんかあ……かっこいいでしょお」

 としか言えない。

 

 〇極低温バスターソード「グラスコフィン」

 NO DATA

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「金虎(ジンフー)


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中国編
第七話 金虎(ジンフー)


 ◇

 

 

 

 太平洋沖 某海域

 

 海上の空には雲ひとつなく、ギラギラと真夏の日差しが照りつけていた。

 しかしそのはるか下、水深300mの深海にはほとんど光は届いていない。そこにあるのはただ、深い深い闇である。

 そんな深海の闇の中を、巨大な「なにか」が移動していた。クジラだろうか? だがそれはクジラとは比較にならないほどの巨体だった。時折、鉄琴を軽く叩くような耳心地良い音を発しながら、それは深海を進んでいく。その正体は、黒い大型の潜水艦であった。

 ドイツ軍開発、特殊大型潜水空母「オルトリンデ」。現在は、エリスと砕次郎、二人組のテロリスト「アンチテーゼ」の物となっているその潜水艦を、二人は名を改め「ティターニア」と呼んでいた。

 高速で海中を移動するティターニアは水にうねりをつくっていく。そのうねりは波となって海上に伝わり、真上にいた一隻の漁船を大きく揺らした。だが、船の人間は真下をテロリストの潜水艦が通っていたことなど知る由もなかった。そしてエリスと砕次郎も、真上の船のことなど、ましてやそれがどこかの国の密漁船であったことなどまったく知らないのであった。

 かくして、ティターニアは進んでいく。誰にも気づかれることなく、静かに海を渡っていく。

 

 

 

 ◇

 

 

 

『どう? 最新鋭潜水艦の乗り心地はどんな感じー?』

 

 ティターニアの艦内、その一室。

 砕次郎のヘッドセットに甲高いエフェクトのかかった声が響く。

 深海300mにもなると、通常の通信機器では限定的な交信しか行えない。しかし今は、フェアリア・カタストロフィのコアネットワークを利用し、衛星をハックすることでリアルタイムの相互通信を可能にしていた。

 通信の相手はアンチテーゼの支援者(パトロン)。砕次郎が「シャックス」と呼ぶ人物だ。その本名も、容姿も、性別さえ砕次郎は知らない。

 

「快適だね。広いし、何より設備が最高だ。さすがはドイツの誇るIS用潜水空母、IS整備の機材はほとんど全部内蔵されてる」

 

 シャックスの声に応える砕次郎は、ゆったりと椅子に腰かけてテーブルに長い脚を投げ出していた。声の調子とその表情から上機嫌であることは明らかだ。

 当然、砕次郎は事前に潜水艦の下調べはしていた。だが実際に設備を確かめてみると、オルトリンデは、いやティターニアは予想をはるかに超える高性能艦だったのである。

 IS関連の設備もさることながら、とくに極秘艦ゆえのステルス性は既存の艦をはるかに凌駕していた。

 アクティブ、パッシブ、両ソナーに対応した音波吸収性の高い完全防音仕様の船体。そしてフルオートの磁気発散システム。ステルスモードであれば、ピンポイントでハイパーセンサーの探知でもかけない限り、まず発見されることはないだろう。

 

『たしか、最新鋭の高性能AI搭載でほとんど自動操縦なんでしょ? ほんと技術の進歩を感じちゃうねー』

 

 シャックスがケラケラと笑う。甲高いエフェクトの笑い声が、砕次郎にはほんの少しだけ耳障りに思えた。

 

「技術の進歩、全てはISのおかげ……か」

 

 実際、ISの技術を応用した技術革新は多い。

 コアネットワークを模倣した長距離通信。自己進化を組み込んだ人工知能の発達。ナノマシンによる再生医療。

 一人の天才がもたらしたISという未知の技術(ブラックボックス)は、今や世界の重要なファクターとなりつつある。しかし、それによる技術の進歩はいささか早急すぎるようにも思えた。

 ふと、砕次郎の表情が暗くなる。

 

「ISのおかげで人類は発展したかもしれない。だけど……僕は思うんだよね、シャックスさん。これは本当に今の人類が手にしていいものだったのか。ある人の言葉を借りるなら、ISは『人間が持つにはちょいと危なすぎるオモチャ』だと思うのさ」

 

 砕次郎は何かを思い返すように天井を見つめる。その表情がいったいどんな感情のあらわれなのか、うかがい知ることはできない。

 だが、そんな砕次郎への返事は素っ気ないものだった。

 

『思いを吐露する相手を間違えてなーいー? 君がそう考えるに至るまでに何があったのか、私なぁんにも知らないし興味もないよ。私が力を貸すのは思想のためじゃなくて目的のためなんだから』

 

 砕次郎は苦笑する。

 

「ハハッ、たしかにそうだった。いよいよこれからって時だから、少しばかり感傷的になってたな」

 

『もう、しっかりしてねー。パトロンって言っても私はただの仲介役だし、君も私も「失敗しましたゴメンナサイ」じゃ済まないんだから』

 

「ああ、わかってるとも」

 

 砕次郎が椅子から体を起こす。その表情は先ほどまでの暗いものではない。挑戦的で、自嘲的で、それでいて目的をまっすぐ見据えている、いつもの砕次郎だった。

 

「さて、本題に入ろう。次の相手を決めたよ。中国の第三世代機だ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「エリス……とりあえずシャワー浴びてきたら?」

 

 自分の部屋から出てきたエリスを見て、砕次郎はため息をついた。

 

 ――まあ、急に呼び出したわけだし、仕方ないのかもしれないけども

 

 エリスはまだ半分閉じたまぶたをぐしぐしとこすりながら、大きくあくびをした。つややかな黒髪は寝ぐせでぐちゃぐちゃ、だぼだぼのシャツはずり落ちて肩が見えている。

 

「…………」

 

 無言で、ふらふらとシャワー室へ歩いていくエリス。寝ていたのを起こされたせいか、少し不機嫌そうに見えた。

 

 15分後、いつものワンピース姿で現れたエリスを椅子に座らせると、砕次郎は壁のモニターのスイッチをいれる。

 

「さっきシャックスさんと次の計画の相談をしててね。この映像をエリスにもなるべく早く見といてもらおうと……聞いてる?」

 

「……わたしあの人好きじゃない」

 

 そっけない態度のエリスに砕次郎は再びため息をつく。昼寝を邪魔された不機嫌はまだおさまってないらしい。

 

「そういうなよ。たしかに得体の知れない人だけど、シャックスさんは貴重な『こっち側』の人間だ。あの人が資金を集めてくれなきゃ、僕らの活動もままならないんだからさ」

 

「……わかってる。ただ好きじゃないってだけ」

 

「ま、無理に仲良くしろとまでは言わないよ。あんまり険悪になられると僕が板挟みで困るってだけ」

 

 砕次郎がエリスの頭をぽんぽんと撫でた。そして手にまとわりつく濡れたままの髪に苦笑する。

 

「まーたドライヤーかけてないな。ちゃんと乾かさないと髪が傷むぞ」

 

「よけいなお世話。それで、映像ってなんの?」

 

「ああ、そうそう。見てもらおうと思ってるのは中国のISの試合映像だ。――次の標的だよ」

 

 エリスの目が変わった。それまでの少女の目ではない、冷ややかな敵意を内包する鋭い目つき。

 

「落ち着いてエリス。映像を見るだけだ」

 

 いきなり殺気を出しはじめたエリスを、砕次郎が静かにたしなめる。

 

「やる気があるのは嬉しいけどね。そう頻繁(ひんぱん)にピリピリした空気になられちゃ、僕の胃に穴が開いちゃうよ」

 

「……ごめん」

 

 エリスの目つきが少し柔らかくなった。

 砕次郎は軽く微笑みながら、そばにあるノートパソコンのキーを叩く。それに合わせて目の前のモニターで動画の再生が始まった。

 

「この映像は先月、ある記念式典で行われた模擬戦の様子だ。まあ模擬線といってもルール的には実際の試合と同じだけど」

 

 しばらくして、モニターの中に赤とグレーでペイントされた大型のISが映し出された。翼と呼ぶには少々ぶかっこうなカスタムウィングが一対、その先端には二連装の砲口が取り付けられている。

 

「これ?」

 

 たずねるエリスに砕次郎は首を横に振った。

 

「いや、こっちは対戦相手のほうだね。第二世代の中距離射撃型『鸞翼(ルァンイー)』、中国の量産機だ。もっとも同じ第二世代でも、この前戦ったオブディシアンクローネよりさらに旧式の機体だけど」

 

「こっちはやらないの?」

 

「ああ。僕らが優先して狩っていくのはしばらく専用機だけだよ。量産機と専用機じゃ進化の速度がけた違いだ。専用機持ちを放っておいたら、あっという間に手に負えなくなるからね。そういうわけだから、今回は鸞翼(ルァンイー)はおあずけ」

 

 不満げなエリスの頭に再び軽く手を乗せる砕次郎。

 

「僕らの存在を世界が認識した以上、襲撃への対応は素早く厳しくなっていくだろう。これからは基本的に一国につき一機を目安にしていくつもりだ。しばらくしたらまた同じ国に行って別のISを相手取る。気長な話になるけど、なあにたったの467、いや466機。ひとつひとつ、安全に確実に、叩いていけばいいさ」

 

 その言葉にエリスがこくん、とうなずく。

 シナリオは砕次郎が用意してくれる。自分は目の前に現れる敵を壊していくだけだ。たとえ不満はあっても、エリスはその根底を見失うことはない。それが二人でひとつのテロリスト、「アンチテーゼ」なのだから。

 

 ――そう思って僕を信じてくれてるんだろうな。

 

 前回駄々をこねたことも、口にこそ出さないが彼女なりに反省はしているのだろう。今日の素直さからも十分にそれがうかがえた。

 と、モニターの観客が歓声を上げた。

 

「いよいよご登場だね。こいつが次の獲物――」

 

 エリスの瞳に淡い金色のISが映る。

 

「第三世代、純近接格闘型IS、『金虎(ジンフー)』だ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「金の虎と書いてジンフー。名は体を表すというけれど、これほど体を表した名前のISも珍しい」

 

 砕次郎の言葉通り、そのISはまさしく虎だった。

 淡い金色のボディにところどころ入った黒と白のライン。そのカラーリングもさることながら、四対計八基のスラスターが、背中から腰にかけて並んでいる独特なカスタムウイングの形状は、まるで逆立った獣毛を思わせる。それがより、金虎(ジンフー)を獣じみた外見にしていた。

 

「手と足の……同じ武装?」

 

 モニターをじっと見つめながらつぶやくエリス。

 金虎(ジンフー)の四肢には単なる装甲ではない武器らしきものが取り付けられていた。そのせいで手足のアーマーが大型化しており、細身の本体と比べてややアンバランスなシルエットになっている。

 たしかに、腕部と脚部に多少の違いはあるものの、エリスの言う通りそれらは同規格の装備だろう。手足の造型が似ていることも、ISに四足歩行の虎が立ち上がっているような印象を与えていた。

 

「その通り、あれは両手足のアーマーと一体化してる『虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)』って武装だ。どんなものかは、まあ見たほうが早いだろうね」

 

 砕次郎の言葉を待っていたかのようなドンピシャのタイミングで試合が始まった。

 合図とともに両機が動く。金虎(ジンフー)は前に、鸞翼(ルァンイー)は後ろに。格闘型と射撃型が戦えば当然そうなるであろう展開。

 通常ならここから距離を保った射撃型の攻撃がはじまる。だが――

 

「速い……」

 

 金虎(ジンフー)の加速は並ではなかった。八基のスラスターをフル稼働させあっという間に相手に肉薄する。

 

 と、ここで砕次郎が動画を一時停止し、解説をはさむ。

 

「まず挙げるべきはこのスピードだ。

 気づいたろうけど、金虎(ジンフー)瞬時加速(イグニッションブースト)を使ってる。それも連続してね。

 原理はアメリカのファング・クエイクの個別連続瞬時加速(リボルバー・イグニッションブースト)と同じだろう。ファング・クエイクの個別連続瞬時加速(リボルバー・イグニッションブースト)が不安定なのは、稼働時間を確保するために最低限のエネルギー消費で瞬時加速(イグニッションブースト)を行うからだ。

 ところが、金虎(ジンフー)はそんなこと微塵も考えちゃいない。八基のスラスターでエネルギーをフルに使うからあんな無茶苦茶な加速ができる。

 加速力はピカイチだろうけど燃費は最悪だな。稼働時間のランキング作ったらきっとぶっちぎりのワーストだろうね。

 ……エリス、聞いてる?」

 

 まったく聞いていなかった。

 エリスにとって重要なのは「なぜ速いか」よりも「どれくらい速いか」なのだ。むしろ、いちいち動画を止められると戦いの流れがわからなくなるのでやめてほしかった。

 そのジットリとした視線からエリスの考えを理解した砕次郎は、わかったよ、と苦笑いをして再び動画を再生する。

 

 スタミナを度外視した個別連続瞬時加速(リボルバー・イグニッションブースト)で強引に鸞翼(ルァンイー)に接近した金虎(ジンフー)は、体を開いたような横構えから強烈な掌底突きを放つ。

 なんとかそれを両腕でガードした鸞翼(ルァンイー)だったが、突きの衝撃を受けきれず吹き飛ばされてしまう。

 そこへ再び迫る金虎(ジンフー)

 だが鸞翼(ルァンイー)のほうも黙ってやられるつもりはないようだった。まっすぐ突っ込んでくる金虎(ジンフー)めがけ四連続で砲撃を行う。

 しかし、その砲撃はダメージにはならなかった。撃ちだされた四つの砲弾を、金虎(ジンフー)は左右の腕ですべて()()()()()()のだ。

 

「あれが虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)の使い方だ。表面に張ったシールドで実体弾だろうとエネルギー弾だろうと弾いてしまう。射撃が通じない格闘型ってのは恐ろしいもんだよ」

 

「でも、そんなに簡単な技術じゃない」

 

「そこなんだ。エネルギーの大半をスラスターにまわしてるから、きっとシールドの出力はそんなに高くない。つまり受け止めるんじゃなく、攻撃を的確にそらして弾かないといけない。驚異的な集中力と技術だよ」

 

 二人が話している間も金虎(ジンフー)への攻撃は続いていた。

 射撃戦特化の機体というだけあって、鸞翼(ルァンイー)の放つ攻撃は実弾からエネルギー弾まで多岐にわたっていたが、金虎(ジンフー)は両腕、そして両脚も使って、そのすべてを弾き防御していた。

 そして訪れたリロードのための一秒にも満たない空白。ここで勝敗は決した。

 量子変換(インストール)していた弾薬を再装填する刹那、金虎(ジンフー)の姿がかき消える。

 次の瞬間、金属同士のぶつかる重い音が響いた。

 瞬時加速(イグニッションブースト)を使った、肩から突っ込むような体当たり。鸞翼(ルァンイー)の体勢が大きく崩れる。金虎(ジンフー)はその隙に鸞翼(ルァンイー)の真上につくと――

 

塞呀(セァイヤ)アアアアア!!」

 

 空気を引き裂く咆哮とともに、その右脚をまるで空間そのものを打ち鳴らすかのごとく踏み下ろした。

 

 パアァン

 

 音速を超えた震脚(しんきゃく)。破裂音と衝撃波が輪のように広がる。

 その一撃をもろにくらった鸞翼(ルァンイー)は、目で追いきれないほどの勢いで地面に叩きつけられた。轟音とともに会場がビリビリと揺れ、映像が大きくぶれた。舞い上がった砂塵の量がその衝撃をまざまざと物語っていた。

 砂煙が消えた時、映し出されたのは、動けない鸞翼(ルァンイー)をつかみ、空中へと放り投げる金虎(ジンフー)だった。そして宙に浮いた鸞翼(ルァンイー)にトドメの一撃を加える。

 

(ハァ)ッ!!」

 

 体を密着させ、大地を踏みしめる。重心移動のエネルギーを爆発させて撃ち込まれたのは、まさに一撃必殺のひじ打ちだった。

 吹き飛ばされた鸞翼(ルァンイー)が地面をバウンドして転がる。

 まともに受けたのはたった二発の打撃のみ。それでも鸞翼(ルァンイー)の戦闘不能はあきらかだった。

 だが、金虎(ジンフー)はさらなる追撃のため瞬時加速(イグニッションブースト)を行う。地面に転がる対戦相手めがけて拳を構え、岩砕地穿(がんさいちせん)の突きを撃ちだした、その瞬間――

 試合終了のブザーが鳴り響いた。

 アリーナは一瞬しんと静まり返り、その直後、地鳴りのような大歓声に包まれた。

 金虎(ジンフー)の拳はあと数ミリというところでピタリと止まっていた。

 

「……」

 

 砕次郎の横顔に冷や汗が流れる。この映像は何度も繰り返し見ているはずなのだが、毎度この破壊力に驚愕させられていた。

 いくらISを使っているとはいえ、徒手空拳でシールドバリアを突き破る攻撃力。

 

 ――人のことは言えないが、よくもまあこんなバケモノ作り上げたよなあ

 

 心の中で苦笑いを浮かべる砕次郎にエリスが声をかけた。

 

「砕次郎、もしかしてこのIS、他の武器もってない?」

 

「気づいたか。さすがだね。エリスの言う通り、公開されてるデータじゃあ量子変換(インストール)されている武器は小口径のハンドガンだけだ」

 

「必要ないってこと?」

 

「いや、どっちかっていうと使えないんだろう。推測だけど、金虎(ジンフー)の操縦者はおそらくISに関してはド素人だ。射撃武器が使えるほど訓練できていない」

 

 操縦者の年齢、知名度、動き方などの前情報から、砕次郎はそう判断していた。知名度だけならこれまで表舞台に出ていなかっただけかもしれないが、その動き、いわばISへの()()はごまかせない。素人に玄人のフリができないように、玄人が素人を完全に演じることはできないのだ。

 そして砕次郎はそれを決して見誤らない。

 

「ただ見てわかる通り、操縦者はかなり腕の立つ武術家だ。それも音速を超える砲弾を確実に見切って対応できるレベルの、ね」

 

 砕次郎がにやりと笑い、つぶやく。

 

「まったくうまい手を考えたもんだよ」

 

 ISに関する技術やデータはすべて公開しなければならない。これはアラスカ条約によって決められた世界の共通ルールである。国家不可侵の領域であるIS学園においてのみ公開の義務なくデータを取ることが許されているが、例外はそれだけだ。

 密かに軍用ISが存在する時点で形骸化しているアラスカ条約ではあるが、表舞台で戦うISに関しては、いまだ揺るがない絶対の法であった。

 だが金虎(ジンフー)の開発に関して、データ公開のデメリットは皆無に等しい。

 なにせ機体そのものにはたいした技術は使われていないのだ。

 低出力のシールドを張るだけの武装、燃費の悪すぎる加速能力。そのピーキー過ぎる機体の特性は、操縦者のもつ格闘技能があって初めて意味を成す。

 身も蓋もない言い方をすれば、参考にするだけ無駄な機体。

 

 ――だけど格闘戦だけなら間違いなく世界最強(ブリュンヒルデ)クラスだ。中国もそろそろメダルが欲しいとこだろうし、次のモンドグロッソじゃあ一点特化の部門優勝(ヴァルキリー)を狙ってるんだろう

 

「さて、そのカンフーマスターの紹介だな」

 

 砕次郎が言うと同時に、映像は金虎(ジンフー)にズームアップされていった。

 映し出されたのは小柄な少女だった。一本の三つ編みにまとめた長い黒髪、くりくりとした目。顔つきにはまだかなり幼さが残る。

 と、金虎(ジンフー)を待機形態に戻した少女が、慌てた様子で鸞翼(ルァンイー)の操縦者に声をかけた。

 会話は中国語だったが、どうやらやりすぎてしまったことを謝っているようだった。相手はかまわないというふうに笑っていたが、少女のほうはぺこぺこと頭を下げ続けている。

 すると何かに気づいた少女が突然相手の女性をヒョイと担ぎ上げた。どうやら先の戦いで足を捻挫していたようだ。

 顔を真っ赤にして恥ずかしがる女性をお姫様だっこしたまま、少女はとことことアリーナを出て行った。

 微笑ましい光景に、会場から笑い声と拍手がおこる。

 

 映像はここで終わった。

 

「なかなかいい子だよね。彼女の名前は熊 美煌(シォン メイファン)。なんと年齢14歳。まだティーンエイジャーになりたての子供だ。エリスよりいくつ年下だっけ……ってエリス?」

 

 操縦者のほうには興味ない、とでも言うように部屋から出ていこうとするエリスを砕次郎が呼び止める。

 

「相変わらず人間のほうには関心が持てないかい?」

 

「……」

 

 エリスは答えず、別の質問を返す。

 

「……フェアリーは直ってる?」

 

 自身のIS、フェアリア・カタストロフィのことを、エリスは彼女のコードネームと同じく「フェアリー」と呼んでいた。

 その呼び方が単なる愛称なのか、それとも自分と何かを重ねて見ているのか、砕次郎にはわからない。

 わかっているのは今この時、エリスがフェアリア・カタストロフィを必要としていることだけだ。

 

「ああ、ティターニアの設備のおかげでほとんど元通りだよ。あとは自己修復に任せても問題ないだろう」

 

「そう……じゃあちょっと、動かしてくる」

 

 あの映像から、エリスも金虎(ジンフー)の強さを十分に感じ取ったようだった。フェアリア・カタストロフィの稼働を急ぐのは本人も気づいていない焦燥の表れだろう。

 ISを憎み、ISを破壊すると誓う彼女が、そのISにすがるしかないという矛盾。

 

 ――なんて意地の悪い皮肉なんだろうね

 

 部屋を出るエリスの背中を見ながら、砕次郎は静かに息を吐いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 数時間後、ティターニアのAIがモニターに短い文章を表示した。

 

 〔――まもなく中華人民共和国の領海内。事前の命令に従い、ステルスモードでの航行に移行します〕

 

 次の戦いが、もう目前に迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「史上最強の師匠の弟子(シォン メイファン)


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第八話 史上最強の師匠の弟子(シォン メイファン)

 ◇

 

 

 

 中国 河北省 

 

 生命を強く感じさせる色濃い木々。荒々しく露出した岩肌。夏の日差しに輝く、深緑と灰白で彩られた山々。

 大陸ゆえの雄大な光景を間近に望む、とある裾野(すその)に、その道場はあった。

 外観だけなら、道場と言うより屋敷や寺院と言ったほうがいいかもしれない。正面には荘厳(そうごん)な大門がそびえ、(へい)に囲まれた巨大な敷地は、東京ドームがすっぽり収まってしまいそうなほどの広大さだ。

 歴史を感じさせつつも美しく保たれた建物は、全体が朱に塗られている。特に正面大門は、染料が色あせた今もなお、周囲の緑と対比され強烈な存在感を放っている。

 その大門の前に一台の黒い車が停まった。『ロールスロイスファントムⅨ』。言わずと知れた超高級車、ロールスロイスファントムの最新モデルである。

 郊外の武術道場にはどう考えても似つかわしくないその高級車を、一人の男が柔和(にゅうわ)な笑みを浮かべながら出迎えた。

 縁の太い眼鏡をかけた男の顔には、うっすらと笑いジワが刻まれている。黒々とした短髪や真直ぐな姿勢から若々しい印象を受けるが、実年齢は40代後半といったところだろうか。

 ゆったりとした白い武術道衣をゆらしながら、男はにこにこと微笑んでいる。

 と、いきなり後部座席のドアが、ロールスロイスにふさわしくない乱暴さでバァンと開いた。そしてその中から、男めがけて何かが弾丸のように飛び出した。

 

「しぃぃーーーふぅぅーーー!!」

 

 背後の山々に反響するほどの大声を出しながら突っ込んできたそれを、男は両手で受け止めるとそのまま三回転して勢いを殺し、ふわりと着地させる。

 

「師父! いま帰ったでありますよ!」

 

 こちらを見上げパァッと笑顔を咲かせるそれに、いや少女に、男はやさしく答えた。

 

「はい、お疲れさまでした。おかえりなさい美煌(メイファン)

 

「ただいまであります!」

 

 元気に答える少女は、まるでおもいきり尻尾をふる小型犬のようだ。

 ダークグリーンの短パンに黒いタンクトップ、そこに薄いピンクのジャケットを重ねたラフな服装からも、少女の活発さがうかがえる。

 

 少女の名は熊 美煌(シォン メイファン)

 若干14歳にして、統派劉勁流八極拳(とうはりゅうけいりゅうはっきょくけん)の次期継承者に最も近いといわれている武術の天才であり、純近接格闘型IS『金虎(ジンフー)』の操縦者、そして中国の国家代表候補生である。

 凄まじい肩書きを有する彼女だが、師との再会を喜ぶ姿は普通の子供と変わらない。むしろその無邪気さから実年齢よりも幼く見えるほどだ。

 

 長い三つ編みをぴょんぴょんと揺らしながら男のまわりを跳ね回る美煌(メイファン)。男の方も、そんな彼女を目を細めて眺めている。

 その様子はとても微笑ましく、誰もがおもわず頬をゆるめてしまうようなやさしい光景だった。

 

 だが、その場にいるもう一人の人間には、そんななごやかな雰囲気はまったく無かった。

 もう一人とは言うまでもなくロールスロイスを運転してきた人物である。

 静かにドアを開け、運転席から出てきたのは、目つきの鋭いスーツ姿の女性。年齢は20代後半だろうか。エッジの鋭い眼鏡からのぞく切れ長の目は、男の柔らかいまなざしと見事に対称的だ。

 

「あなたもお疲れさまでした。ここまで運転してくるのは大変だったでしょう。わざわざありがとうございます、(ヤン)管理官」

 

 男が女性――楊 麗々(ヤン レイレイ)に声をかける。

 

「お気になさらずとも結構です。これも候補生管理官の仕事のうちですので」

 

 ひどくぶっきらぼうな返答だったが、別に怒っているわけではない。生来こういう、なにかにイラついているように見えてしまう気質の持ち主なのだ。

 

「しかし初めてではないですか? あなた自ら美煌(メイファン)を送ってくださるなんて」

 

 男が首をかしげる。

 彼女はその言葉通り、中国の国家代表候補生管理官である。何人か存在する候補生たちと上層部をつなぐ重要ポジションであり、本来なら運転手のような雑務をしている暇などない多忙な人物なのである。

 にもかかわらず、片道6時間を超える山道を運転してきたということは――

 

「なにかあったんですね。この子に関わることで」

 

「ええ、その通りです。詳しいことは中で話しますが、このことは国家機密レベルの話だとお考え下さい、(リュウ)さん」

 

 (ヤン)は厳しい表情で男に告げた。

 男の名は劉 瑛樵(リュウ エイショウ)

 統派劉勁流八極拳(とうはりゅうけいりゅうはっきょくけん)の正統継承者、瑛樵(えいしょう)流総合武術道場の三代目師範。美煌(メイファン)の師であり、徒手空拳の戦闘では中国で五本の指に入ると言われている達人であった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「おお、帰ったか美煌(メイファン)。また組手の相手を頼むぞ」

 

「ただいまであります、師兄! 手加減はしないでありますよ!」

 

「おかえりなさい、メイ姉! 震脚のコツを教えてもらう約束、忘れてませんよね!」

 

「ただいまであります、小狼(シャオラン)! もちろん覚えてるでありますよ。夕飯の後いっしょに練習するであります!」

 

 道場の中に入ると、稽古の途中だった美煌(メイファン)の兄弟弟子、姉妹弟子が次々と声をかけてきた。美煌(メイファン)はそのすべてに「ただいまであります!」と元気よく返事をしていく。

 現在、瑛樵(えいしょう)流総合武術道場には200人近い門下生がいるが、放っておくと美煌(メイファン)はその全員にあいさつをしに行きそうな気配であった。

 それでは日が暮れてしまう、と(リュウ)(ヤン)の二人は美煌(メイファン)を引きずって談話室まで連れていくのだった。

 

「しばらくこの部屋には誰も近づけないように。あなた達も中の会話を聞いてはいけません。いいですね」

 

 (リュウ)は数人の師範代にそう言いつけると、静かに談話室の扉を閉めた。そして(ヤン)を四人掛けの丸テーブルにかけさせ、自分はその正面に座る。

 

「それで、話とはなんですか? 美煌(メイファン)になにかあったんですか」

 

「いえ、(シォン)候補生になにかあったわけではありません。これからなにか起きるかもしれない、という話です」

 

 二人の横にちょこんと座った美煌(メイファン)をちらりと見た後、(ヤン)は話を続ける。

 

「結論から申し上げますと、『アンチテーゼ』が中国に来ている可能性があります」

 

「アンチテーゼ……ですか。すみません、こんなへんぴなところで暮らしていますと、どうも世事に(うと)くなってしまいまして。少し説明をいただきたいのですが」

 

 (リュウ)が申し訳なさそうに頭を下げた。

 (ヤン)は、「いえ」と首を振る。

 

「こちらこそ説明不足でした。六日前、ドイツで行われた新型ISの発表イベントを何者かが襲撃しました。自らを『アンチテーゼ』と呼称したそのテロリストは全世界のISを破壊すると宣言。実際にドイツの第二世代を一機破壊して行方をくらましました」

 

「ISの破壊、ということはアンチテーゼのほうもISを?」

 

「はい。それも第三世代と思われる、極めて高性能の機体です」

 

「ああー、それで機密扱いですか。なるほどなるほど」

 

 うんうん、とうなずく(リュウ)

 その横では美煌(メイファン)がクエスチョンマークを4つほどくっつけて、訳知り顔の二人を交互に見ている。

 

「その通りです。テロリストがISを所持しているなど、本来あってはならないことですから。すぐに報道管制がしかれましたが、いくつかの局のカメラがその様子を中継してしまい、ついこの間まで大騒ぎになっていました」

 

 その言葉に(リュウ)は不思議そうな顔をした。

 

「ついこの間まで、と言いますと、もう下火になっているのですか? ことがことですし、もっと大事になっているのかと思いましたが」

 

「簡単なことです。『アンチテーゼは無事メンバー全員が拘束された』。すぐにそういう報道を行いました。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「おやおや。つまりこの事件は表向きはもう終わっているわけですか」

 

「はい。すでに終わった事件であれば、大衆の興味をそらすのはさほど難しいことではありませんので。しかし実際には、いまだにアンチテーゼの行方はわからないままです」

 

「それが今、中国に来ていると」

 

「あくまで可能性ですが」

 

 (ヤン)がクイと眼鏡を指で押し上げる。

 その横では美煌(メイファン)が頭から湯気をふいているのだが、おそらく(ヤン)の目には映っていない。

 

「先日ドイツ政府から通達がありました。アンチテーゼが強奪した機器のひとつから偶然発信された信号をキャッチした、と。場所は我々の領海内だったそうです」

 

 ふうむ、と(リュウ)は腕組みをする。

 

「ちょっと偶然ってのが引っ掛かりますね。上層部はその()()を鵜呑みにされたので?」

 

「もちろんそんな都合のいい話を丸ごと信じたりはしません。ただ、現在中国とドイツはかなり深いところでの友好関係を築いています。日本で候補生同士の軽いいざこざはありましたが、その程度で国家間の関係性に大きな変化はありません。であれば、情報源が多少不明瞭(ふめいりょう)でも警戒するに越したことはない、との結論に至った次第です」

 

「なるほど、それで私と美煌(メイファン)にも注意しておけと」

 

「その通りです」

 

「あのぅ、師父、(ヤン)さん……」

 

 ここで会話にまったくついてこれていなかった美煌(メイファン)がとうとう音を上げた。

 

「自分、難しい話はあまり得意ではないのでありますが……ここにいなきゃダメでありますか?」

 

 (ヤン)がジロリと美煌(メイファン)をにらむ。

 

「うっ……」

 

 普段のそれからさらに鋭さを増した視線に、美煌(メイファン)は思わず萎縮(いしゅく)してしまう。

 

(シォン)代表候補生、これはあなたを守るための話です。今の発言は少しばかり思慮に欠けます。自分の立場と状況について、もっときちんと認識しなさい」

 

「で、ですが……」

 

「二度同じことを言わせないように」

 

「う……はい……」

 

 虎どころか子猫のように縮こまってしまった美煌(メイファン)。それを見て、(リュウ)が笑いながら助け舟を出す。

 

「ま、ま、そのくらいにしてあげて下さい。お話は十分理解しましたので、美煌(メイファン)にはあとでしっかりと伝えておきますから」

 

「しかし、これは本人の――」

 

「実を言うと、ちょうど私にも内密にお話したいことがあったんです。アンチテーゼ(こっち)については具体的な話が長くなりそうですし、先に話しておきたいのですが」

 

 鋭いナイフのような視線と柔らかい水のような眼差(まなざ)しがぶつかる。

 結果は(リュウ)の勝ち。水はナイフでは切れない。

 (ヤン)もこの二人とはそこそこ長い付き合いだ。(リュウ)過保護モード(この状態)になった時の頑固さはいやというほど知っていた。

 

「……わかりました。(リュウ)さんの話をうかがいます」

 

「だそうですよ、美煌(メイファン)。兄弟たちに元気な姿を見せてあげて来て下さい」

 

「は、はいっ! 感謝であります、師父! (ヤン)さん!」

 

 ペコリと頭を下げたあと扉を開け嬉しそうに走っていく美煌(メイファン)を、(リュウ)はにこやかに見送った。

 

「相変わらず(シォン)代表候補生に甘すぎます」

 

 扉を閉めてテーブルに戻ってきた(リュウ)を、(ヤン)は冷めた目で見ながら言った。

 

「まったく、自分も同感ですよ。どうしてこう甘やかしてしまうんでしょうね」

 

 (リュウ)は笑いながら答えた。

 だが、ふと、それまで微笑みを浮かべていた(リュウ)が、遠くを見つめるような目つきになる。

 

「あれからもうすぐ8年になりますね。政府(あなたがた)美煌(メイファン)を連れてきたあの日から」

 

 8年前の夏、突然連れてこられた幼い少女。政府の人間は、この子に(リュウ)の武術を教えてほしいと言ってきた。

 少女の名前は熊 美煌《シォン・メイファン》であるということ、年齢は7歳だということ。彼らはそれしか教えてはくれなかった。

 

「あの子はもうすぐ15歳です。ほんとうにいい子に育ってくれました。血はつながってはいませんが、本物の娘のように思っています」

 

「……私から見ても、時々お二人が本当の親子のように見えるときがあります」

 

「はは、嬉しいですね。……でもね。そうやってだんだんと成長していくあの子を見ていると、考えずにはいられないんです」

 

 (ヤン)に向けられた瞳が暗くなった。それは世界の闇を知っている者の瞳。

 

「あの子が誰から、いや()()()()()()()()()……」

 

 吸い込まれそうな漆黒の瞳が、じっと(ヤン)を見つめる。

 

「あの子はまだ子供です。身体が完成するには早すぎる。それなのに、内功も外功も、大人の倍の強さで練れてしまいます。この道場にも美煌(メイファン)に勝てる者は数えるほどしかいません。もっと端的に言いましょうか」

 

 (リュウ)が眼鏡を外し、そっと机に置いた。

 

「あの子の強さは人間から離れすぎています」

 

 (リュウ)の瞳に映った自分自身と目が合った時、(ヤン)はまるで水中にいるかのような息苦しさに襲われた。

 

「8年前のあの日、あなたはとても悲しそうな、そして何かに(いきどお)っているような、そんな目で美煌(メイファン)を見ていました。あなたはすべてを知っている。そうでしょう?」

 

 目の前の男から、真っ黒な気配がゆっくりにじみ出す。

 濁った水に引きずり込もうとするような暗い殺気――。

 それにあてられて息も絶え絶えだというのに、それでも(ヤン)(リュウ)の瞳から目をそらすことができない。

 

「お答え……すること…は……で、できません」

 

 (ヤン)はカラカラに乾いたのどからわずかな空気を絞り出し、なんとかそう言った。

 このまま(リュウ)が殺気を放ち続ければ、それだけで自分は死ぬかもしれない。

 そう考えた瞬間、(リュウ)の殺気が消えた。

 

「っ……はぁ、はっ、はっ……」

 

 荒い息遣いで、崩れ落ちるように椅子にもたれかかる(ヤン)

 

「すみません。感情にまかせて大人げないことをしてしまいました。私もまだまだ修業が足りませんね」

 

 (リュウ)は静かに立ち上がると、深呼吸する(ヤン)に背を向けた。

 

「あなたがそういう立場の人間であることは理解しています。美煌(メイファン)の出生について私に話せることが無いということも。ただ、あの子はまだ不安定だ。肉体は強靭でも心がそれに追いついていない」

 

 (リュウ)の視線の先には棚に飾られたいくつかの写真立てがあった。

 ゆっくりと棚の方へ歩き、その中から笑顔で写る美煌(メイファン)の写真を手に取る。

 

「あの子は今、自分の強さに疑問と不安を持ち始めています。なんのために力を使うべきなのか、あの子の中でまだ答えは出ていないんです。

 ですから、私はあの子をIS操縦者にすることには反対でした。指針(ししん)なく過大な力を手にすれば、待っているのは修羅の道と悲しみだけです。

 私はあの子にそんな思いはさせたくない」

 

 背を向けた(リュウ)の表情はわからない。だが、(ヤン)はその言葉から、(リュウ)自身の後悔のようなものを感じていた。

 

「ですからね、(ヤン)さん。あなた方があの子を道具扱いすることは絶対に許しませんよ。例えあの子がどんな出自であろうとも、ね」

 

「……もちろんです」

 

 「美煌(メイファン)はあなたがたの役に立ちたいとISを受け入れています。今はまだそれでもかまいません。ですがこれだけは忠告しておきます。いつかあの子が自分の進むべき道を求めて自由を願った時、もしその邪魔をするのであれば――」

 

 (リュウ)が写真をそっと棚の上に戻す。

 

「私は持てる力のすべてを使ってあなたがたの敵になりますよ」

 

 (ヤン)はごくりと唾を飲み込んだ。静かに告げられたその言葉が、まるで首にそえられた大鎌のように恐ろしく思えた。

 

 ポーーーン ポーーーン

 

 突然鳴り響いた時計の音に、(ヤン)の体がビクッと跳ねる。

 

「おや、もう昼食の時間ですか。どうです? あなたも皆と一緒に食べていきませんか?」

 

 そう言って振り返った(リュウ)の目は、もういつもの優しい目だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 案内された食堂では、200人の門下生が全員で昼食の用意をしていた。

 

「ご飯はいつも全員で食べるんです。共に学び、共に暮らす家族のようなものですから。日本では『おなじ釜の飯を食う』と言うそうですね」

 

 嬉しそうに話す(リュウ)からは、やはり先ほどまでの凄みは微塵(みじん)も感じられない。

 だが(ヤン)はあらためて、目の前の人物が、素手で簡単に人の命を奪うことのできる男なのだと実感していた。

 

 ――ただでさえアンチテーゼという危険因子が存在する今、この人まで敵にまわすのは絶対に避けたい

 

 深刻な表情で考え込む(ヤン)。いつにもまして険しいその目つきに、八宝菜の大皿を運んできた少年が(おび)える。

 そんな少年を気づかうように、(リュウ)は明るく声をかける。

 

「おお、今日は八宝菜(パーパオツァイ)ですか。美味しそうですね。小狼(シャオラン)も手伝ったんですか?」

 

「は、はい!」

 

「それはいい。小狼は武術の才能はともかく、料理の才能はすばらしいですからね」

 

「そんなぁ、師父ー!」

 

 二人のやりとりにまわりから笑い声があがる。

 笑いあう門下生たち。和やかな空気。まさに団らんの食卓であった。

 だがやはり、(ヤン)一人だけは厳しい顔のままであった。

 

 ――私はこんなところでのんきに昼食を食べていていいのだろうか

 

 アンチテーゼは今どこで何をしているのか。それを考えると彼女はどうしてものんきに食事をする気にはなれなかったのである。

 けっきょく皆が食べ始めた後も、(ヤン)は目の前に置かれた山盛りの八宝菜をひたすら神妙な顔でにらみ続けているだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「のんきな作戦会議(ランチタイムミーティング)


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第九話 のんきな作戦会議(ランチタイムミーティング)

 ◇

 

 

 

「ハイ、北京ダック(ペイチンカオヤー)おまたせねー」

 

「「おおーーー」」

 

 目の前に運ばれた迫力満点のアヒルの丸焼きに、エリスと砕次郎はのんきな歓声をあげた。

 歓声と言っても、エリスのほうはいつも通り抑揚(よくよう)(とぼ)しい声なのだが、それでもやはり興奮気味ではあるようだ。

 この興奮には理由がある。もちろん、本場で食べる北京ダックには誰しも心がおどるだろうが、なにより二人は空腹だったのだ。

 それはもう『飛ぶものは飛行機以外、泳ぐものは潜水艦以外、足のあるものは机とイス以外、なんでも食べてしまいそうな』ほどに。

 

「美味しそうじゃないか! ホラ、やっぱりこういう店が当たりだったりするんだって」

 

「……」

 

 はしゃぎながらナプキンをつける砕次郎を、エリスがジトッとした目でにらむ。

 現在、時刻は午後3時を過ぎたころ。昼食をとるにはいささか遅すぎる時間だ。

 なにをかくそう、昼食がこんな時間になったのは砕次郎の思いつきが原因だった。

 さかのぼること4時間前。昼食に何が食べたいかと聞かれて、エリスは「せっかくだから本場の北京ダックが食べたい」と答えた。すると砕次郎はこう言ったのである。

 

『せっかく本場に来たんだから。観光客向けの店じゃなくて、もっと地元民に愛される、裏路地にひっそりとたたずんでるような店で食べよう! 案外そういうとこのほうが安くて美味しいもんだよ』

 

 この時からエリスにはなんとなくいやな予感があった。だが自信満々の砕次郎を見て口出しはやめようと思ったのだ。『砕次郎が考え、エリスが行動する』。それが自分たち『アンチテーゼ』なのだから。

 しかし、そこには大きな誤算があった。それはたった一つのシンプルな答え。この時、砕次郎は()()()()()()()()()()のだ。

 けっきょく、いやな予感はそのまま現実のものとなり、砕次郎の思いつきから約3時間、二人はへろへろになりながら勝手のわからない中国の裏路地をさまよい歩くことになったのである。

 そしてなんとかたどり着いた、いや流れ着いたのが今二人のいる店だった。

 ボロボロのアパートにはさみ込まれるような店構え。こじんまりした薄暗い店内。すすけた壁とやたら滑る床。昼食時を過ぎているとはいえ、客はエリスと砕次郎だけ。

 これでもかというほどマイナス点が詰め込まれた店だったが、汚れた壁に張られた『有北京烤鴨(北京ダックあります)』の張り紙を見て、二人は無言でうなずきあったのだった。

 そして今、二人の目の前には香ばしく焼けたアヒルの丸焼きが置かれている。

 

「お客さん、日本語話してるけど観光の人?」

 

 目を輝かして北京ダックを見つめる二人に、やや肥満気味の店主があきれ顔で話しかけてきた。注文を取りに来たのも皿を運んできたのもこの店主だったので、おそらく今の時間は一人で店をやっているのだろう。

 

「よくまあこんな、裏路地の裏の、そのまた裏の店まで来たもんだねー」

 

 店主は喋りながら手慣れた様子で北京ダックの解体を始めた。

 丸焼きはみるみる骨と肉、そして皮に分けられていく。店の雰囲気は最悪だが意外と腕はいいようだ。

 

「いやあ、ハッハァ。まあいろいろあってね」

 

「それにしても変なお客さんだよ。ウチはどっちかっていうと大衆料理のお店だからねー。ウチに来て北京ダック頼む人珍しいよ? ま、ワタシは自信あるものしか出さないから、味は保証するけど」

 

「へ、へえ、そう……」

 

 砕次郎は苦笑いをしながら隣のエリスを横目に見る。

 案の定、エリスは「話が違う」と言わんばかりの視線を向けていた。その視線に耐えきれず、砕次郎は急いで話題を変える。

 

「それにしても、おじさん日本語上手だね。向こうに住んでたの?」

 

「ワタシじゃなくて友達がちょっと前まで日本に住んでたよ。その時に日本語すごい教えてもらったね」

 

「へえ、日本に友達がねえ。今は中国に帰って来てるのかい?」

 

「そうらしいんだけど。奥さんと離婚したらしくてねー。落ち込んでたなァ。

 いや、あれは娘と離れるのが嫌だったのかな。ワタシと同じ料理人だったけど、もう店はやらないって言ってたよ。

 残念ねー。(ファン)酢豚(クウラオロウ)、絶品だったのに……」

 

 世間話の間に北京ダックをバラし終わった店主は、飴色に焼けた皮を一口大にカットして皿に盛った。そして小麦粉で焼いた薄餅(バオビン)と細切りのネギが乗った皿と一緒に、二人の前に差し出した。

 

「ハイどうぞー。美味しいよー」

 

 脂の焼けた、甘く香ばしい匂いが鼻をくすぐる。二人はまったく同じタイミングで、ごくりとつばを飲み込んだ。

 

「じゃ、肉は炒めて持ってくるから。も少し待っててねー」

 

 店主は肉と骨が乗った皿を抱えて厨房に消えていく。だが空腹が絶頂の二人の目には、もう皿の上の料理しか映っていない。

 

「エリス、食べ方わかる?」

 

「そのまま食べちゃダメなの?」

 

「ダメってことはないんだろうけどさ。ここまで待ったんだし、どうせならより美味しく食べたいだろ」

 

 砕次郎は薄餅(バオビン)を手に取り、ダックの皮とネギ、たれを乗せてくるりと巻いた。そして得意顔でエリスのほうへ振り返る。

 

「こうやって食べ――」

 

「いただきます」

 

 砕次郎が振り向くより速く、エリスは彼の持つ『ごちそう』にかぶりついていた。

 

 1.2秒後、指ごとかじられているのに気づいた砕次郎が悲鳴をあげた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「それで、なんで金虎(ジンフー)なの?」

 

 14個目の薄餅(バオビン)を巻きながらエリスがたずねる。

 

「経験値稼ぎって言う割にはかなり強い相手」

 

「ま、そうだね。格闘戦に限っちゃ間違いなく最強レベルのISだ。けどあくまで格闘戦ができれば、の話なんだよ」

 

「どういう意味?」

 

「そのままの意味さ。なにも真正面から、しかも相手の得意分野で戦ってやることもないだろう。もっと小ずるく、小賢(こざか)しくいこう」

 

 砕次郎は、エリスの持っていた薄餅(バオビン)をヒョイと奪って自分の口に放り込んだ。

 

「あ……」

 

 抗議の目を向けるエリスを尻目に、砕次郎はゆうゆうと北京ダックを飲み込んで口もとをナプキンでぬぐう。

 

「『堂々と』、『真正面から』、『名乗りをあげて』、僕らはそんな正義の味方じゃない。インパクトが必要なのは最初の宣戦布告だけ。あとはもう、敵が多い、というかほとんど敵しかいないんだし、効率的にやらなきゃね。今回はその効率的な襲撃の練習。そういう意味の『経験値稼ぎ』だよ」

 

「で……具体的にどうするの?」

 

「順番に説明してくよ。金虎(ジンフー)の主な弱点は二つ。一つは稼働時間の短さだ。持久戦になりえないってのは大きいね。エリスもそっちのほうがやりやすいだろ?」

 

 エリスがこくん、とうなずく。

 

「で、もう一つの弱点。金虎(ジンフー)は格闘戦しかできない」

 

「……知ってる」

 

「まあこの前話したからね。けどこれはかなりのアドバンテージだ」

 

「でも射撃も虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)で防がれる。鸞翼(ルァンイー)みたいに」

 

「そう。なまはんかな射撃は全部弾かれる。その間に急接近されて一撃、終了だ。でも逆に考えれば攻略は実に簡単。()()()()()()()()()射撃を()()()()()()()()行えばいい。」

 

「……じゃあ『シンデレラ』?」

 

「正解だ。今回の襲撃作戦には『スノウホワイト』より『シンデレラグレイ』のほうが向いてる。そんじゃ、もうちょい具体的に――」

 

 と、唐突に砕次郎が言葉を切った。

 

「砕次郎?」

 

 エリスが首をかしげたのとほぼ同時に

 

「ハイ、おまたせねー。お肉もってきたよ」

 

 奥から店主が皿を3つ持って戻ってきた。

 話はまた後で、と砕次郎が目くばせする。エリスは無言で小さくうなずいた。

 

「こっちはナッツと一緒に甘ぁく炒めた腰果鴨丁(ヤオグォヤ―ディン)。こっちは香味野菜とアヒルの串焼きね。それからこれ、ワタシの得意料理、八宝菜(パーパオツァイ)。わざわざ来てくれたからサービスだよ。お客さんいい食べっぷりだからうれしいねー」

 

 最初の皿がほとんど空なのを見て気を良くしたのだろう。店主はにこにこ顔で料理の説明をしながら新しい皿を並べていく。

 だがそんな店主とは対照的に、砕次郎の顔は微妙に青ざめていた。

 どの皿も盛りが()()()()のだ。とくに最後の八宝菜など山盛りで、たとえ空腹時でもとうてい二人で食べきれる量とは思えない。

 

「あ、ありがたいけど食べきれるかな……」

 

「あー、いいのいいの無理に全部食べなくても。これはもうワタシの歓迎の気持ちだからねー。中国じゃ食べきれない料理は特別な歓迎の気持ち。残さず食べられると足りなかったかと心配になるね」

 

「ああ、そういうことなら安心だ。そこそこお腹もふくれてきたとこだったし」

 

 砕次郎はほっとした様子で串焼きに手を伸ばす。向かいのエリスはというとすでに八宝菜を自分の器によそっている最中だった。

 そんなエリスを見ながら、店主がぽつりとつぶやいた。

 

「これもねー、親切心で言うんだけど。お客さん、もうちょっとじょうずに()()()()()()()()()()()()()()

 

 その瞬間――

 

 エリスが椅子を蹴り倒し、目にもとまらぬ速さで串をその首めがけ突き出した。

 

「エリス!!」

 

 一拍遅れて砕次郎が制止の声をかけた。直後に倒れたイスが床を打つ音が響く。

 

 ――手遅れか!?

 

 だが、串は店主の首に届いてはいなかった。エリスが止めたのではない。突き出された串を、店主が()()()()()()()()()()()()()

 

「っ!?」

 

 いっきに張りつめた店内の空気。

 一呼吸おいて、砕次郎が冷や汗を浮かべながら静かに口を開いた。

 

「確認だけど、おじさんは今、僕らの敵かい? 声は抑えてたつもりだったけど、僕らの会話聞こえてた?」

 

 その言葉に店主はため息をつく。

 

「敵でもないし、会話も聞いてないね。さっきも言ったけど親切心だよ。お客さんが何なのか知らないけど、敵ならとっくに殺すか仲間呼ぶかしてるね」

 

 店主をじっと見つめる砕次郎。その間もエリスは串に込める力をゆるめない。

 

「……オッケー、ほんとっぽいな。エリス座って」

 

「でも砕次郎」

 

「嘘ならわかる。大丈夫だ。ほら座って」

 

 砕次郎の方をちらりと見た後、エリスはゆっくりと串を下げた。そして倒れていた椅子を起こして座りなおす。だがその鋭い視線を店主から外そうとはしない。

 まだ緊張はあるものの、なんとか場がおさまったことに安堵(あんど)して、砕次郎は深く息をついた。

 

「はぁ、まったくびっくりさせないでくれ。心臓に悪いって」

 

「びっくりしたのこっちね! そりゃ誤解させたのは謝るけど、ちょっと手が早すぎるよ。あれ、ワタシじゃなかったら致命傷だったかもよ」

 

「僕もやりすぎかと思うけど、しょうがないだろ。こっちもけっこう綱渡りなんだ。……で? おじさん何者なの」

 

「何者もなにも、ただの料理人だよ」

 

 あっけらかんと言う店主をエリスがにらみつける。さっきの動きはどう考えてもただの料理屋のものではなかった。

 突き刺さる視線に店主が肩をすくめる。

 

「そんな怖い顔しないでよ。多少は心得があるってだけね。それなりの腕っぷしがないとこんなところで店なんかできないよ」

 

「嘘じゃなさそうだ。それじゃ、次の質問。僕らが一般人じゃないってなんでわかったの?」

 

「そっちのお嬢さんね。殺気がすごいのよ。なに話してたかはわかんないけど、ときどき厨房でもわかるくらいにピリピリしてたよ。こんな裏の裏で商売してると、そういうのすごく敏感になるね」

 

 それを聞いて砕次郎は大きなため息をついた。

 

 ――まいったなあ。エリスの悪いクセだ。わかる人にはバレバレってことか

 

「わかったよ。ご忠告ありがとう。それとさっきは悪かったね」

 

 敵意なしと判断して肩の力を抜く砕次郎。それを見てエリスもようやく警戒を解く。

 

「いいのいいの。ワタシもごめんよ。……で、こんな空気になっちゃったけど、どうする? 食事つづける? もう帰る?」

 

「エリス次第かな。どうする?」

 

「食べてく。……これおいしそうだから」

 

 さっきの緊張からは考えられないのんきな発言に、砕次郎はくくっと笑いをこぼした。

 

「だそうで。八宝菜ごちそうになるよ」

 

「そりゃいいねー。せっかく作ったのに食べてもらえないかと心配だったよ」

 

「念のため聞くけど、変な薬入ってないよね?」

 

「当たり前ね! 料理は人を幸せにするものだから。ワタシのプライドだよ!」

 

 嘘ではない。それを確認して、砕次郎は「ごめん」と笑うのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「言わなくてもわかってくれてるだろうけど、僕らのことは他言無用で頼むよ」

 

「心配しなくても大丈夫ね。お客のことぺらぺら言いふらすような店はここじゃやってけないよ」

 

 料金を払いながら釘を刺す砕次郎に、店主は笑いながら答えた。

 場所が場所だけに、やはり裏社会の客も多いのだろう。そしておそらく、『やってけない』というのは『長生きできない』と同義なのだろう。

 

「そういうことなら安心だ。この店を選んだのはやっぱり正解だったな。エリスもなんだかんだ喜んでたし」

 

 砕次郎は微笑みながら、店の外で満足そうに伸びをするエリスに目をやる。

 だが店主の方はあきれ顔だった。

 

「あのお嬢さんすごいねー。まさか完食されるとは思わなかったよ……」

 

「ハッハァ、ほんとにあの細身のどこに入っていくんだろ。毎度毎度おどろかされるよ」

 

 けっきょくあの後、砕次郎は味見程度にしか料理を食べなかった。すなわちほとんどの料理はエリスが一人で食べたのである。

 13個の北京ダック包みも含めれば、おそらく5、6人前は食べているだろう。

 最後の一口の後、平然と「ごちそうさま」と言い放ったエリスを見て、店主もおもわず拍手をしてしまったほどだ。その光景を思い出し、砕次郎は苦笑いする。

 

「それじゃ、失礼するよ」

 

「ありがとねー。またの来店お待ちしてるよ」

 

「ああ、機会があればまた寄らせてもらうよ。エリス、行こう」

 

「ん……さよなら」

 

 腹ごしらえと作戦会議を終え、二人は店を後にした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――おもしろい客だったな

 

 去っていく二人を見ながら、店主は笑っていた。

 と、そんな彼にいきなり後ろから声がかかる。

 

「このへんじゃ見慣れねえ二人組だな。なにもんだ?」

 

 振り返った先にいたのは初老の男だった。

 黒いスーツにソフトハットをかぶり、丸型のサングラスで目元を隠している。後ろにいる屈強な二人はボディーガードだろう。

 いかにも『裏』の、それも高い地位の男だ。

 

「おや懐かしい顔だな。どうしたんだ、急に訪ねてきて」

 

「けっ、飯屋に来るのに理由が必要かよ。久々におめえの八宝菜が食いたくなったんだ。で、あいつらは?」

 

「ただの観光客だよ。うまい店を探してて迷い込んだらしい」

 

「ああん? 命知らずなやつだな。だがまあ運はいい。よりによっておめえの店にたどり着くんだからな。外見は最悪だが味は最高だ」

 

「お褒めの言葉どうも。入りなよ。飯食いに来たんだろ」

 

 店主は扉を開け客を招き入れる。そして二人の去っていった方を見ながらつぶやくのだった。

 

「じゃあね、お二人さん。願わくば、その険しい道に幸多からんことを」

 

 二人のテロリストとただの料理人との、他愛ない、昼下がりの出来事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「殺気(サイン)


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第十話 殺気(サイン)

お待たせしました。
今回、また長めです。


 ◇

 

 

 

 灰と緑の入り混じった山々が遠くで流れていく。

 街へと向かう車の中で、美煌(メイファン)は静かに窓の外を眺めていた。

 

「どうしました。行きと違ってずいぶんとおとなしいですね」

 

 ハンドルを握る(ヤン)が声をかける。

 

「……ちょっと、考え事をしてたのであります」

 

 そう答える美煌(メイファン)には、やはりいつもの無邪気な元気さは感じられない。

 

 ――もう少しゆっくりさせてあげた方がよかったでしょうか

 

 バックミラー越しに美煌(メイファン)の顔を見ながら、(ヤン)は考える。

 美煌(メイファン)の里帰りもつかの間、技術局から「新装備の調整に至急もどってほしい」との連絡を受けた(ヤン)。アンチテーゼの脅威も考慮すれば研究施設の方が安全だとふんだ彼女は、美煌(メイファン)を連れて施設にもどることにした。

 結局、普段なら一週間ほど道場に泊まっていくところ、今回美煌(メイファン)は一泊しただけでとんぼ返りとなったのである。

 同い年の子と比べても美煌(メイファン)はまだまだ子供っぽい。実父のようにしたっている(リュウ)と、もっと一緒にいたかったのだろう。

 

 ――いえ、だからと言って甘やかすわけにはいきません。いつ襲撃があるかもわからない状況で、まともな防衛設備のない道場にとどまるのはリスクが高すぎます。

 

 (ヤン)は軽くため息をつく。

 無意識のうちに吐き出されたそれは、もしかしたら、あまりに事務的に候補生たちに接する自身へ向けられたものなのかもしれなかった。

 再びバックミラーで後部座席をうかがう(ヤン)

 すると外を眺めていた美煌(メイファン)がこちらに視線を向けてきた。

 

(ヤン)さん」

 

「なんですか、(シォン)候補生」

 

「……昨日、師父となにを話していたのでありますか?」

 

 (ヤン)はドキリとした。

 (リュウ)と二人で会話をしたのはあの時だけだ。

 

「なぜそんなことを?」

 

 動揺を押し殺し、いつもの事務的な口調で返す。

 今、自分たちが隠していることを美煌(メイファン)に悟られるわけにはいかなかった。

 

「自分が出ていった後、しばらくして、師父の……師父の殺気を感じたであります」

 

 目を伏せ、不安げに言う美煌(メイファン)

 

「師父があんな冷たい殺気を出すとは思えなかったであります。師父はとってもやさしくて、あったかくって。でもあれは間違いなく師父の気で……」

 

「……」

 

「だから、なにがあったのか知りたいのであります……」

 

「……なんでもありませんよ。私が不用意な発言をして怒らせてしまった。それだけのことです。あなたが気にすることではありません」

 

 (ヤン)はあいまいにごまかすだけだった。

 これで美煌(メイファン)が納得するとは思えない。だが、心優しい彼女はこれ以上の追及で(ヤン)を困らせることはしないだろう。

 

「……そうでありますか」

 

 案の定、美煌(メイファン)はそれ以上なにも言わなかった。

 優しさにつけこむようなずるい逃げ方。だが(ヤン)にはそうすることしかできなかった。

 言えるはずもない。美煌(メイファン)の生まれた過程、そしてその理由。それは本人が知れば最悪の事態になりかねない情報なのだ。

 だから隠し通さなければならない。たとえそれがどんな罪になるとしても。

 

 と、その時。

 

「!?」

 

 前方に見えた障害物に(ヤン)は慌ててブレーキを踏んだ。

 急停止した車の前方約5m、大きな木が倒れて道をふさいでいた。

 

「なぜ木が……」

 

 もちろん、行きにはこんなものは無かった。昨日はとくに風が強かったわけでもない。天気も良かったし、雷が落ちたなんてこともないはずだった。

 (ヤン)は車から降りると大きくため息をつく。走っていたのは森の中の一本道なので、迂回できる道もなさそうだ。

 美煌(メイファン)も車から降りて楊《ヤン》の横に並ぶ。

 

金虎(ジンフー)でどかした方がいいでありますかね?」

 

「いえ」

 

 (ヤン)が首を横に振る。

 もちろん、ISを使えばこの程度の倒木は簡単に動かすことができるだろう。だが、緊急時以外でISの展開を許可できる権限を、(ヤン)は持っていなかった。

 

 ――なんにせよ、上に連絡しなければ

 

 もうひとつ大きなため息をついて携帯電話を取り出した時――

 

(ヤン)さん! 伏せるであります!!」

 

「っ!?」

 

 突然、美煌(メイファン)が叫んだ。

 (ヤン)は反射的に身をかがめ、周囲を警戒する。そして気づいた。

 茂みに隠れて今まで見えなかったのだ。倒れている木の根元、その()()()()()()()()が。

 

 ――これはっ、人為的な妨害……!

 

 だとすれば考えられることはひとつ。

 

 ――敵襲!

 

 車の陰に飛び込む(ヤン)

 美煌(メイファン)はそれを横目で確認し、瞬時に金虎(ジンフー)を展開する。

 一本の長い三つ編みにまとめられた髪の先、黄金色の髪飾りが輝いた。そして0.5秒にも満たない発光の後、美煌(メイファン)をつつむように淡い金色のISが現れた。

 

 ほぼ同時に、目の前の倒木が砲撃によって砕け散った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「よーしよし、ここまでは順調だ」

 

 美煌(メイファン)達のいる場所から約1.2km地点。キッチンカーの中で、モニターをのぞきながら砕次郎がほくそ笑む。

 

「とりあえずISを展開してもらわないと、始まらないからなぁ」

 

 奇襲をかけつつも相手にISを展開させなければならない。これが今回の作戦のもっとも面倒なところであった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 さかのぼること12時間前、北京市内のホテルの一室。

 

「まず言っておくけど、おそらく僕らが中国に来てることはもうバレてる」

 

「……なんで?」

 

 こともなげに言う砕次郎に、エリスは怪訝(けげん)な目を向けた。金虎(ジンフー)襲撃の具体的な計画を説明するはずが、いきなりそんなモチベーションの下がることを言われたのだから、当然と言えば当然だ。

 だが、砕次郎はそんな視線をとくに気にすることもなく話を続ける。

 

「ティターニアのシステム内に、勝手に信号を送るプログラムが潜り込ませてあった。オフの時はまず見つからないような深部だから気づかなかったよ。他国領海内への侵入がトリガーになってドイツに信号を送る仕掛けだった」

 

「それで?」

 

「すぐに処理はしたけど、後の祭りってやつ。すでにドイツへの発信が3回。中国へも警告が来てると考えて間違いないだろうね」

 

 理解不能だった。襲撃がバレているにも関わらず、なぜ砕次郎が中国にとどまり、変わらず金虎(ジンフー)を狙っているのか、エリスにはまったくわからない。

 そんなエリスの様子を、砕次郎はおもしろがるように笑う。

 

「だけどそれはそれで都合がいいのさ」

 

 砕次郎らしい、回りくどい言い方だ。だがすでにエリスは考えることをやめていた。

 どうせ考えてもわからない。ならば考えない。自分にとって重要なのは、どうすればISを破壊できるのか、それだけだ。

 砕次郎もそれを察したのか、からかうような表情をやめて具体的な説明を始める。

 

「昼に話したように基本は『シンデレラグレイ』での奇襲だ。だけど生身でいるところに砲弾を撃ち込んだって意味がない。所有者が爆散するだけで、十中八九、ISは無傷だろう」

 

 エリスはこくり、とうなずく。

 ISが待機状態ならば所有者に絶対防御ははたらかない。部分展開でもしていれば話は別だが、そうでないのなら生身と同じだ。鉛玉一発で命を落とすのである。

 それに対して、ISそのものには常に絶対防御と自己修復がはたらいている。これを通常兵器で打ち破るのは極めて難しい。

 

「いまさら言わなくてもわかってるだろうけど、フェアリア・カタストロフィがコアを壊すには『二つの条件』を満たさないといけない。一つは『対象のシールドエネルギーが0であること』。もうひとつは――」

 

「『ISが展開状態であること』」

 

「そう! だから面倒くさいんだ。奇襲をかけたいのに相手が臨戦態勢になるのを待たなくちゃいけない」

 

「でも砕次郎は解決策を考えついてるんでしょ?」

 

 エリスの言葉に砕次郎の口元がニイッとゆがむ。

 

「もちろん。めちゃくちゃ簡単な作戦だよ。まず足止めと同時にあらかじめ設置しておいた遠隔砲台(リモートカノン)威嚇(いかく)射撃を行う。その後、金虎(ジンフー)が展開されたのを確認してもう一発。注意がそっちにいった瞬間、逆方向から『シンデレラグレイ』で本命の一撃。おわり!」

 

 要するに(デコイ)ということだった。

 ISのハイパーセンサーは優秀である。飛来する砲弾があれば最優先で警告を出すだろうが、当然、背後からの攻撃を感知できないわけではない。

 だが使用するのはあくまで人間なのだ。こちらを狙う脅威を認識すれば、いやがおうにも意識はそちらに引っ張られる。

 ましてや相手はISに関しては素人。相応の訓練を積んでいるとは言え、ハイパーセンサーの全方位視野をフルに活用できるわけがないのだ。それができるのは世界でもほんの一握り、世界最強(ブリュンヒルデ)クラスの人間だけなのだから。

 

「この作戦は相手が警戒しているほど有効だ。襲撃を予測していれば、それだけ攻撃に注意を向けざるをえない」

 

 なるほど、とエリスがうなずく。

 先ほどの「都合がいい」発言にも納得のいく解説だ。

 

「ただ、世の中そう都合よくことが運ぶのも(まれ)だろう。本命の攻撃で仕留めきれない可能性もある。その時はすぐさま『スノウホワイト』で追撃だ。相手が手負いなら十分戦える」

 

 砕次郎は再びうなずくエリスを見て満足そうに微笑むと、「あ、あとひとつ」と付け足す。

 

「ターゲットは車で移動してるから運転手がいるはずだ。攻撃の時、できるだけ巻き込まないようにしてやってくれ」

 

「わかった。……でも保証はできない」

 

「もちろん、できるだけでいい。不殺の覚悟なんて貫いてたらテロリストなんてやってらんないよ。ただ――」

 

 砕次郎がエリスの頭にポンと手を置く。

 

「それでも残していたい良心ってもんがあるのさ」

 

 エリスが見上げた砕次郎の表情は、普段よりも少し優しく見えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「とりあえずISを展開してもらわないと、始まらないからな」

 

 金虎(ジンフー)の展開を確認。作戦は(とどこお)りなく進行中だ。

 

「今だ」

 

 砕次郎がキーを叩く。信号が遠隔砲台(リモートカノン)に伝わり、砲口が再び火を噴いた。

 計画通りのはずだった。だが――

 

 金虎(ジンフー)は砲弾を見ていなかった。たしかに二発目は発射されている。まちがいなくハイパーセンサーが警告を出しているはずだ。

 にもかかわらず、金虎(ジンフー)は迫る砲弾とは逆方向を向いている。

 すなわち、()()()()()()()()

 

「ウソだろ、気づかれたっ!? エリス!!」

 

『どうする砕次郎』

 

「どうするもなにも撤退だ! すぐに『スノウホワイト』で離脱しろ!」

 

 エリスに指示を出すのとほぼ同時に、モニター内の金虎(ジンフー)の姿がかき消える。一拍おいて砲弾が命中するも、そこにはすでに誰もおらず、道にクレーターができただけだった。

 瞬間移動と見まごう加速。間違いない、瞬時加速(イグニッションブースト)だ。

 

 ――まずい!

 

 慌てて車を飛び出し、エリスのいるあたりに双眼鏡を向ける砕次郎。

 次の瞬間、轟音とともに木々がはじけ飛び、山の中から二機のISが空へと飛び出した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 砕次郎の指示を受け、すぐさま離脱しようと体勢を整えるエリス。

 だが、そこに驚異的な速度で金虎(ジンフー)が迫る。さえぎる木々を最小限の動きでかわしつつ、まったく加速をゆるめずに突っ込んでくる金虎(ジンフー)は、さながら黄金に輝く雷のように見えた。

 

()アアア!!」

 

 雄叫びとともに拳を構え、突進してくる金虎(ジンフー)

 後退しようにも、フェアリア・カタストロフィの加速ではおそらく間に合わない。迎撃も虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)で弾かれるだろう。

 

「……チッ」

 

 エリスは舌打ちをすると、用意していた高性能爆薬のかたまりを数個、目の前に放り投げた。そしてすかさず右手に呼び出したK&Dクラウスラー(ハンドガン)の引き金を引く。

 装填した弾は炸裂弾(エクスプローダー)だ。発射された弾頭が、宙を舞う爆薬にめり込み、内部で小規模な爆発を起こした。

 その結果――

 

 ミサイルが直撃したかのような大爆発が起こった。

 周辺の木々は吹き飛ばされ、地面が大きくえぐれる。舞い上がる土砂と木片に紛れて、エリスはなんとか空へと逃げた。

 太陽の光を反射して、純白のボディが煌めく。

 だが、やはり装甲のあちこちに小さな亀裂が入っている。爆発の衝撃を利用して瞬時加速(イグニッションブースト)を行ったが、当然、機体にダメージは受けていた。

 しかし、金虎(ジンフー)の一撃をまともに食らうよりかははるかにマシだろう。骨を断たれないために自ら肉を断つ、捨て身の回避。

 

 ――向こうのダメージは……?

 

 ふと頭に浮かんだ疑問だったが、エリス自身うすうすわかっていた。

 フェアリア・カタストロフィと金虎(ジンフー)の装甲防御は同レベル。そして爆発は自分の近くで起きた。

 ならば当然、金虎(ジンフー)もまだまだ戦闘可能状態(コンバットレディ)のはずである。

 

 その結論を裏付けるように、土煙の中から金虎(ジンフー)が飛び出す。

 

「逃がさないでありますよ! いったい何者でありますか!?」

 

「……」

 

 金虎(ジンフー)からの通信をエリスは無視した。悠長に会話をしている場合ではないのだ。

 

「……なるほど、良いでありましょう。ISを叩き潰してからゆっくり聞くであります!!」

 

 目の前の金虎(ジンフー)が消えた。

 瞬時加速(イグニッションブースト)。攻撃が来る。

 

「っ!」

 

 ――どこから……!?

 

 エリスの脳裏に練習試合の映像がよぎった。とっさに真上に向け『TDGシルドラン(対実体弾シールド)』を展開する。

 次の瞬間――

 

塞呀(セイヤ)アア!!」

 

 頭上から先の爆発など比にならないレベルの衝撃がフェアリア・カタストロフィを襲った。構えていたシルドランが一瞬で砕け散り、衝撃波でフェアリア・カタストロフィは真下に吹き飛ばされる。

 予想通り、右脚での踏み下ろしだった。

 

「ぐっ……う……」

 

 エリスは落下しながら、右腕に『クルィークⅣ(二連装無反動砲)』を呼び出し金虎(ジンフー)に向けて発射する。だが二発の徹甲弾は左脚の回し蹴りによってたやすく弾かれた。

 

「無駄であります!」

 

「……チッ」

 

 ある程度距離が離れたところで無理矢理に体勢を整える。

 左腕にびりびりと残っている痛みに、エリスは改めて目の前のISの脅威を実感した。

 金虎(ジンフー)を見すえたまま、左腕のシルドランの残骸を分離(パージ)する。「対戦車砲の直撃でもびくともしない」が売りのシールドだったが、ものの見事に粉々だ。

 

「とっさに震脚を防ぐとは、なかなかやるでありますな」

 

 金虎(ジンフー)が上から見下ろすように位置どる。だが、追撃はしてこない。どうやら真上からの奇襲を防がれたことで、少し慎重になっているようだった。

 もちろんそう長くは休ませてはくれないだろう。向こうも金虎(ジンフー)の稼働時間の短さは十二分にわかっているはずだ。

 

「……なんで隠れてた場所がわかったの?」

 

「へ?」

 

 少しでも時間を稼げるならば、とエリスが口を開いた。

 このままでは金虎(ジンフー)のスピードから逃げ切るのは不可能だろう。望みがあるとするならば、とにかく時間を稼ぐこと。

 そうすれば、きっと……

 

「見間違いじゃなかったら、あなたは()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ふむ、あれで隠れているつもりだったとは驚きであります」

 

「……どういうこと?」

 

「『殺気』であります。あんな風に殺気だだ漏れでこちらを狙っていては、少しばかり修練を積んだ人間にはバレバレでありますよ」

 

「……」

 

 エリスは昨日の料理屋で店主に言われたことを思い出した。

 同時に、この国の人間は人の気を読み取るのが普通なのか、という疑問が頭に浮かんだが、とりあえず今考えることじゃないと結論を出した。

 と、エリスが考え込んでいると、なぜか金虎(ジンフー)のパイロットが焦った様子で声をかけてきた。

 

「あ、あの、えっと! 落ち込む必要はないでありますよ!」

 

「…………?」

 

「自分も言い方が悪かったであります! けしてバカにして言ったわけではなく、ただ、アドバイスというか……」

 

 どうやら黙り込んでいるエリスを見て、自分の言葉で傷つけてしまったものと勘違いしてしまったらしい。

 もちろん、仮にそうだったとしても、いきなり砲弾を撃ち込んでくるような相手に気を使う時点でそうとう変な話ではあるが。

 

「自分の気をコントロールするのは難しいでありますからな。自分も師父によく注意されるであります。あ、まずは瞑想からはじめるといいでありますよ! 自分も最初は……」

 

「……」

 

 ――時間稼ぎはできてるから……いい?

 

 聞いてもいないアドバイスをしてくる相手に、エリスは困惑していた。

 いや、もしかすると相手も何かを待っていて時間を稼いでいるのか、とも考える。しかし目の前の少女を見るに、どうもそんな計算高い様子でもないのだ。

 

 ――今なら逃げられる?

 

 そんな考えすら浮かんだ、その時だった。

 

(シォン)候補生っっ!!』

 

 突然、耳をつんざく怒鳴り声が通信に割り込んできた。

 

「や、(ヤン)さん!」

 

 金虎(ジンフー)のパイロットがうろたえる。

 なにがなにやらよくわからないが、とりあえずエリスはいつでも逃げられるように準備して、様子を見ることにした。

 

(ヤン)さん、ではありません。なぜあなたは敵と対峙しながら、悠長にアドバイスを送っているのですか……!?』

 

 すでに怒鳴り声ではなかったが、明らかに怒っている。

 他人の感情に(うと)いエリスにさえ、相手がこめかみに血管を浮かべながら話しているだろうと容易に想像できた。

 

「あの、じ、自分、『何があっても他人をはずかしめるようなことがあってはならない』、と師父から教えられていたのでありますが、その、先ほどこの方に恥をかかせるような発言をしてしまいまして――」

 

『今はそんなことを気にしている場合ですか? 緊急時、しかも相手はテロリストなのですが……?』

 

「え、あ、そ、そうでありますね。師父にも『その時々で自分のやるべきことを常に考えなさい』、と――」

 

『わかっているのなら早く戦いなさいっ……!!』

 

「ハ、好的(ハイ)ッ!!」

 

 割り込んでいた人物の通信がブツリと切れた。

 そろそろ本気で逃げようと思っていたエリスだったが、相手が再び集中し始めたのを見て、自身も臨戦態勢をとる。

 再度おとずれる緊迫した空気。

 

「ひとつ提案でありますが、降伏してはもらえないでありますか?」

 

「……まだふざけてる?」

 

「とんでもない。自分はいつでも大真面目であります。これは善意からの警告でありますよ。自分が本気で戦えば、大怪我ではすまないと思うでありますから」

 

「降伏はしない……絶対に」

 

「そうでありますか。でしたら、もはや言葉は不要でありますな」

 

 金虎(ジンフー)のスラスターが一斉に広がった。まるで静かに猛る虎が、その獣毛を逆立てるように。

 

「先に言っておくでありますが! 自分、踏込みができない空中戦はあまり得意ではないであります。ですがそれでも、せんえつながらこの金虎(ジンフー)――」

 

 美煌(メイファン)が構えをとる。身体を半身に構え、両足をひらいて腰を落としつつ、左拳を大きく前に、右拳を腰元に。

 

「近接戦闘では最強であると自負しているであります」

 

 (おご)りではなく、確かな真実。相対(あいたい)する少女の目を見てエリスは確信する。

 接近戦ではまだ勝てない。おそらく自分は負ける。だが、それでも――

 

「あなたのISはわたしが壊す」

 

 エリスは静かにそうつぶやき、右手に『グラスコフィン』を展開した。

 冷たい殺気がそのまま形をなしたような、透き通る氷に覆われた白銀の大剣が煌めく。

 

「いくであります!」

 

「……どこからでも」

 

 互いの言葉を引き金にして、二機のISがぶつかり合う。

 グラスコフィンの剣閃と虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)の剛拳が交差した、その瞬間――

 

『やめなさい(シォン)候補生!』

 

「!?」

 

 その声に反応して金虎(ジンフー)の拳がピタリと止まった。直撃の一歩手前、エリスの胸部にあと数cmという位置だ。

 対してフェアリア・カタストロフィの剣は紙一重でかわされていた。振りぬかれたグラスコフィンは金虎(ジンフー)の肩アーマーをかすめ、装甲に霜をつけただけで終わっている。

 

「くっ……!」

 

 エリスは一瞬動きが止まった金虎(ジンフー)から即座に距離をとった。

 その横顔を冷や汗がつたう。あのまま拳が止まっていなかったら、間違いなくやられていた。

 

「戦えと言ったりやめろと言ったり、どっちでありますか(ヤン)さん!」

 

 金虎(ジンフー)のパイロットが通信相手に噛みつく。

 

『上層部から指示がありました。アンチテーゼに撤退の意思がある場合、こちらから手出しはするな、との通達です』

 

「な、なんででありますか!?」

 

『あなたが知る必要はないことです。……聞こえていますね、そちらの方。現在、あなたの目的は交戦ですか? 撤退ですか?』

 

 投げられた質問にエリスは思い出した。

 砕次郎からの指示、それはすみやかな退却だ。

 

「……撤退する。とりあえず、今は」

 

『わかりました。ではこちらも退くことにします。(シォン)候補生、こちらに戻ってきてください』

 

「ほ、ほんとに逃がしていいのでありますか?」

 

『戻りなさい。これは命令です』

 

「う……了解であります」

 

 通信を終えた金虎(ジンフー)がこちらに向き直った。広がっていた背後のスラスターはそろって下を向いており、ISまでしゅんとしているようにも見えた。

 

「ま、まあ、よかったであります。自分、やはり人を傷つけるのは嫌いでありますから」

 

 はにかみながらそう言う少女に、エリスは静かに背を向けた。そして振り返ることなく問いかける。

 

「……なら、どうしてあなたはISを使っているの。それは人を傷つけるものなのに」

 

「え……」

 

 エリスは答えを聞こうともせず、通信を切断して飛び去った。

 

「……」

 

 残された金虎(ジンフー)とそのパイロットは、小さくなるフェアリア・カタストロフィの姿をただ見つめていることしかできなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

『なんとか逃げられたな。ひやひやしたね、まったく』

 

 プライベート・チャンネルで砕次郎から通信が入る。

 

「ごめん、砕次郎。また命令を無視して戦おうとしてた」

 

『いや、あの場合はしょうがないさ。もとより今回は甘い作戦を立てた僕に非がある。もっと怒ってると思ったよ。危うくやられるとこだったから』

 

「うん。あれと格闘戦をやるのは、まだちょっと無理」

 

『すまないエリス』

 

「だいじょうぶ。砕次郎なら、きっと助けてくれると思ってた」

 

 エリスの言葉に通信の向こうで砕次郎がフッと笑った。

 

『なんとかギリギリで間に合ってよかったよ。次はもっとうまくやろう。標的は変えなくても大丈夫かい?』

 

「うん。このままでいい」

 

『わかった。エリスは先にホテルに帰っててくれ。4時間もすれば僕も帰りつくよ』

 

「了解。……砕次郎」

 

「ん? どうした?」

 

「……ううん。なにかおみやげ買ってきて」

 

『ああ、わかったよ』

 

 通信が切れる。

 

 ――そうだ。次はもっとうまくやろう。わたしと砕次郎ならだいじょうぶ。きっと、あのISもちゃんと壊せる

 

 エリスは顔を覆うフルフェイスの仮面を解除した。この高度なら誰かに見られることもないだろう。

 仮面をつけていても、ハイパーセンサーと直結した内部スクリーンで視界の確保はできている。だから仮面を着けようが外そうが見える景色は変わらない。

 だが、エリスはそれでも自分の目で見渡す広い世界が好きだった。

 音速に近い速度の中、頬を風が優しくなでた気がした。

 エリスは自分でも気づかないうちに、ほんの少しだけ、微笑んでいた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「だまされてた、でありますか!?」

 

 (ヤン)のところに戻った美煌(メイファン)は、その場でへたりこむように脱力していた。

 

「はい。(シォン)代表候補生が受けた二回目の通信、あれは私ではありません」

 

「じゃ、じゃあいったい誰なんでありますか?」

 

「決まっています。敵の、アンチテーゼの誰かです。おそらく最初の通信で私の音声データを手に入れたのでしょう」

 

「ならなんでそう言ってくれなかったんでありますか!」

 

「さっき説明したはずです。遠隔で通信コードを乗っ取られ、回線から締め出されていたと」

 

「うぅ……」

 

 つまり美煌(メイファン)はまんまと敵に騙され、テロリストを取り逃がしたのである。

 

「とにかく、今は施設に帰って急ぎ報告をしなければなりません」

 

 (ヤン)は眼鏡をクイと押し上げると、すたすたと車の方へ歩き出した。

 美煌(メイファン)もあわててそれについていく。

 

 ――またお説教でありましょうか……?

 

 おそるおそる(ヤン)の顔をうかがう美煌(メイファン)。しかし(ヤン)が怒っているのかがわからない。なにせいつも怒っているような顔をしているのだ。

 おまけにまとっている雰囲気まで常に不機嫌なものだから、気を読める美煌(メイファン)にとっても、本当に不機嫌なのかそうでないのかを見分けるのは至難であった。

 

「なにをしているのですか。はやく車に乗ってください」

 

「は、はい」

 

 美煌(メイファン)はとりあえず、(ヤン)の言うことを素直に聞くことにした。

 後部座席に美煌(メイファン)を乗せると、(ヤン)は運転席のドアを開ける。そして石と木片でボコボコになった車体をジロリといちべつすると、車に乗り込んでやや乱暴にドアを閉めた。

 2回のエンストの後、ボロボロのロールスロイスは道路に開いたクレーターを大きく迂回して、再び走り出した。その運転は心なしか、荒っぽくなったように見えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 車の中で、美煌(メイファン)は白いISのパイロットの言葉を思い出していた。

 

『……なら、どうしてあなたはISを使っているの。それは人を傷つけるものなのに』

 

 なぜISに乗るのか。自分の力はなんのためにあるのか。

 施設に到着しても、結局その答えはでなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「自分の生まれた日(バースデイ)


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第十一話 自分の生まれた日(バースデイ)

ちょっぴり重苦しい話になってきます。



 ◇

 

 

 

 北京市郊外、ひとつの研究施設が存在した。

 灰色の箱を無造作に並べたような、なんとも味気ない建築様式。まるで建物自身が「ここはただ目的を果たすためだけの施設だ」と主張しているようだった。

 施設の名は『第十八号IS研究所』。政府によって、()()()()()()()()()()()()()()()()造られた研究施設である。

 施設内部のとある個室。8畳ほどの部屋に置かれた家具たちは、機能性重視のシンプルなデザインのものばかりだ。だが壁際の大きなぬいぐるみによって、かろうじてそこが無骨な男のでなく少女の部屋なのだとわかる。

 それが『第十八号IS研究所』在籍のIS操縦者――熊 美煌(シォン メイファン)の部屋だった。

 

 予定していた新装備の調整は思ったよりも早く終わった。システムはすでに虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)に組み込まれ、実戦で使えるようになっている。

 調整実験の後、とくにすることもなくなった美煌(メイファン)にはとりあえず部屋で待機、と指示が出た。

 シャワーを浴びて、いつもの短パンと黒のタンクトップというラフな格好に着替えた美煌(メイファン)は、かれこれ1時間近く、暗い表情でベッドに寝転がっていた。

 

 窓の外では空がゆっくりと茜色から藍色へと変わっていく。

 半日が過ぎてなお、美煌(メイファン)は答えを出せずにいた。

 見上げる真っ白な天井はあの白いISを思い起こさせ、最後の言葉が頭の中でぐるぐるとまわる。

 

 『どうしてあなたはISを使っているの』

 

「……そんなのわからないであります」

 

 何度目かわからないため息とともに、小さく声が漏れる。

 

 もちろんISに乗るのは嫌いではない。うまく動かすことができればみんなが喜んでくれる。研究所の人たちだけじゃない。試合を見た人たちからも、たくさんの応援の言葉が贈られる。誰かが喜んでくれることは、自分にとっても嬉しいことだった。

 それに生身ではできないことができるようになるのも楽しかった。空を飛んだり、一瞬で加速できたり。ISにしかできない動きを技に取り入れ、戦いの中で昇華させていく。自分が強くなっていくのがわかる。その高揚感はたまらない。

 だからこそ、あの言葉にショックを受けた。

 

 『それは人を傷つけるものなのに』

 

 そんなことは考えたこともなかった。

 ISの戦いは試合とかスポーツみたいなもので、楽しいもののはずだった。

 言うまでもなく、ISの危険性や兵器としての側面は教えられていた。だが『肯定』を底においた、どこか軽い警告に、自分の認識も甘くなっていたのではないだろうか。

 今朝の戦いで、美煌(メイファン)はそう感してしまったのだ。

 凍えるような気をまとって襲ってきた敵。殺気は自分ではなく、たしかに金虎(ジンフー)に向けられていた。

 ISにはそういう面もあるのだと、あれほどの憎しみを生み出す側面があるのだと、美煌(メイファン)は実感してしまった。

 

「……」

 

 思わず想像してしまう。自分が突き出す拳の先にいるのが、もし生身の人間だったら。全力でなくても、普段の10分の1ほどの力しかこめなかったとしても、簡単に命を奪えてしまうだろう。自分の力は()()()()()()だったのだ。

 それを実感すればするほど、疑問が重なっていく。どうして自分はISに乗っているのだろうか。それは間違ったことなのだろうか。この力をどう使えばいいのだろうか。

 

 考えすぎてぼやけてきた頭に、いつかの情景が浮かぶ。

 美煌(メイファン)にIS適性がある、と政府の人間が知らせに来た日のことだ。

 皆、口をそろえて「すごい」とほめてくれた。だが、(リュウ)だけは何も言わず、静かに美煌(メイファン)を見つめていた。

 

「師父は反対でありますか……?」

 

 不安に思いたずねた美煌(メイファン)の頭を、(リュウ)はそっと撫でてくれた。

 

「あなたが自分の意志で決めることです。どんな選択をしても、私はあなたの味方でいますよ」

 

 そう答えた師の表情が今でも忘れられない。やさしく、あたたかく、そしてほんの少しさびしそうな笑顔……

 

 ピリリリリリリ

 

「っ!?」

 

 鳴り響いた電子音に美煌(メイファン)がベッドから跳ね起きる。

 いつのまにか部屋の中は真っ暗だった。いろいろと考えながら眠ってしまっていたようだ。

 

「……あ」

 

 2、3秒ほど呆けた後、美煌(メイファン)は枕元においてあった小型端末(デバイス)に手を伸ばす。携帯電話を持っていない美煌(メイファン)に、連絡用にと研究所から支給されたものだ。

 鳴り続ける端末のディスプレイに表示されていたのは、「師父」の文字。

 

「し、師父っ!? もしもしでありますっ!」

 

『よかった。出てくれましたね。いま電話してもかまいませんでしたか?』

 

 あわてて電話に出た美煌(メイファン)を、(リュウ)のやわらかな声が迎える。

 

「もちろんであります! どうしたのでありますか?」

 

『どうしたって……。あなた達が移動中に襲われたっていうから、心配してかけたんじゃないですか』

 

「あっ、そうでありましたか。ごめんなさい、ご心配おかけしたであります」

 

『いえいえ無事だったんならいいんです。それにしても、私が連絡を受けたのはついさっきですよ。いくら機密レベルの話だからって、もう少しはやく連絡くれてもいいと思いませんか?』

 

「師父、それは自分ではなく(ヤン)さんに言ってほしいでありますよ」

 

『いやですよ。言ったって、『ルールですので』って怒られるに決まってます』

 

「ふふっ。たしかにそうでありますな」

 

 不思議だった。さっきまで不安に押しつぶされそうだったのに、(リュウ)の声を聴いていると心が休まる。

 

美煌(メイファン)、ほんとうに大丈夫ですか?』

 

「はい! とくにケガもなく、健康そのものであります」

 

『はは、そっちは心配していませんよ。あなたの丈夫さは私がいちばんよく知っていますから。そうではなくて、今なにか、悩んでいることがあるんじゃないですか?』

 

「え……」

 

 自分の不安を見透かした(リュウ)の質問に、美煌(メイファン)は素直に驚いた。

 

 ――すごいであります! なんでわかったんでありましょう!?

 

『今、なんでわかったんだろう、って思ったでしょう』

 

「はっ! わああ、師父はなんでもお見通しでありますな!」

 

『ふふふ。種明かしをしましょうか。(ヤン)さんから連絡があった時、彼女が言っていたんですよ。あなたにいつもの元気がない、なにか思い詰めているみたいだってね。もちろんもっとぶっきらぼうな言い方でしたけれど』

 

「そうでありましたか……(ヤン)さんが自分のことを」

 

『ええ、心配しているようでした。無骨ですが優しい人ですよ。彼女は』

 

 意外だった。美煌(メイファン)(ヤン)にあまり好かれていないと思っていたのだ。自分はいつも(ヤン)を怒らせるようなことを言ってしまっていた。だから自分のことは快く思っていないだろう、と。

 まさか彼女が自分を心配してくれていたなんて。

 

 ――迷惑かけないように気をつけないとでありますな

 

 嬉しく思いながらも少し反省する美煌(メイファン)だった。

 

美煌(メイファン)、あなたのまわりにはあなたを想うたくさんの人たちがいます。もちろん私もです。なにかあればいつでも頼ってくれていいんですよ』

 

「師父……」

 

 あたたかい言葉に心が軽くなっていく。そうだ。自分には支えてくれる人がいるのだ。いつかきっと見つかる。自分の持つ力の意味が。

 

「ありがとうであります、師父!」

 

『おや、声が明るくなりましたね。その調子なら大丈夫そうです』

 

「はい! 元気が出たであります!」

 

 美煌(メイファン)は部屋の明かりをつけると、腰かけていたベッドからピョンと立ち上がる。その顔にもう影はない。ピンと伸びた背中で三つ編みが揺れた。

 

『それはよかった。ついでにもう一つ、明るくなれそうな話がありますよ』

 

「なんでありますか?」

 

(ヤン)さんからお許しがでました。明後日は道場に帰ってきてもかまわないそうです』

 

「ほ、ほんとでありますか!?」

 

『ええ。今年も一緒にお祝いしましょう。あなたの15歳の誕生日を』

 

「やったあああー!!」

 

 歓喜の声をあげて美煌(メイファン)はジャンプする。全身のばねを使った驚異的な跳躍。

 0.4秒後、美煌(メイファン)はおもいっきり天井に頭をぶつけた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 通話を終えた後も美煌(メイファン)はずっとニヤニヤしていた。

 

 ――やったであります! 今年も師父にお祝いしてもらえるであります! 

 

 ISの訓練を始めてから三年ほど、美煌(メイファン)はこの施設で暮らしている。だが毎年7月の頭には、誕生日を(リュウ)とすごすために道場に帰省していた。それが新装備の開発やら、アンチテーゼの襲撃やらでダメになったので、今年は無理だろうと半分あきらめていたのだ。

 美煌(メイファン)は壁際に座らせていた巨大なぬいぐるみを抱えてくると、それを抱きしめたままベッドにダイブする。

 

 ――今年のプレゼントはなんでありましょうなあ

 

 去年のプレゼントはこのぬいぐるみだった。まんまるの卵のようなウサギのような、よくわからない生き物のぬいぐるみだ。なにかのアニメのキャラクターで子供に人気だったらしい。

 兄弟子たちは「小学生じゃないんだから」と(リュウ)を笑っていたが、美煌(メイファン)にとってはお気に入りのプレゼントのひとつだ。ふわふわのぬいぐるみを抱きしめていると、(リュウ)の優しいぬくもりに包まれているような気分になれた。

 ぬいぐるみに顔をうずめながら、美煌(メイファン)は初めての誕生日プレゼントを思い出す。

 

 美煌(メイファン)は誕生日を知らなかった。

 (リュウ)に会うまでのことはほとんど覚えていなかったし、まわりの大人たちも教えてはくれなかった。だから自分の誕生日を知らないだけでなく、誕生日を誰かに祝ってもらうことさえ知らなかったのだ。

 (リュウ)にあずけられて間もない頃、兄弟子のひとりがみんなからプレゼントをもらっているのを見て、美煌(メイファン)(リュウ)に理由をたずねた。(リュウ)は微笑みながら「今日は彼が生まれた日なんです」と答えた。

 

「うまれたひはとくべつなんですか? わたしのとくべつなひはいつですか?」

 

 首をかしげる美煌(メイファン)を見て、(リュウ)はハッとした表情になり、強く美煌(メイファン)を抱きしめて言った。

 

「あなたが私のところへ来てくれた日を私とあなたの特別な日にしましょう。約束します。あなたが私の娘になった日を、毎年必ず一緒にお祝いしましょう」

 

 それが美煌(メイファン)の誕生日だ。

 翌年、約束通りに二人はお祝いをした。ケーキを食べて、初めてのプレゼントをもらった。

 美煌(メイファン)の両手にそっと置かれたのは、金色の石がはめ込まれた銀細工のブローチだった。

 

「これはタイガーズアイという天然石です」

 

「たいがー……?」

 

「虎のことですよ。虎は強さの象徴です。美煌(メイファン)、強くなってください。誰かを傷つけるためでなく、自分の道を見失わないために」

 

 その時は(リュウ)の言葉の意味はわからなかった。

 けれど初めての特別なプレゼントが嬉しくて、美煌(メイファン)は小さな両手でブローチをぎゅっと抱きしめたのだった。

 

 あれから7年。今でもあのブローチは大事に持っている。さすがに銀の部分は少し黒ずんでいるが、それでも式典やパーティーなどに出席する時は必ず着けていく。

 美煌(メイファン)(リュウ)の大切な絆の象徴だ。

 自分の力に悩んだ今、ようやくあの時の言葉の意味をわかりかけているような、そんな気がしていた。

 

 ――師父。自分の道を見失わないために、自分には今なにができるでありますか……?

 

 (リュウ)が教えてくれたこと、話してくれたこと。大切な教えは美煌(メイファン)の心にしっかりと刻まれている。

 

『何があっても他人をはずかしめるようなことがあってはならない』

『その時々で自分のやるべきことを常に考えなさい』

 

 そして、そう。

 あれは以前、ケンカで相手にケガをさせてしまった弟子に、(リュウ)が言っていた言葉。

 

 ――『自分を知ることが、自分を制する一番の要になる』!!

 

 美煌(メイファン)は再びベッドから飛び起きた。

 

 ――そうでありますよ! 考えてみれば、自分は自分のことを全然知らないであります。 ISや金虎(ジンフー)のことだって、ちっとも知ろうとしてなかったであります!

 

 美煌(メイファン)は目を輝かせて、部屋に備え付けられているPCの電源を入れた。ちなみにこのPCの電源が入れられたのは実に三年ぶりである。

 

「ええっと確か、金虎(ジンフー)関連のふぁいる?はここを検索するんでありましたっけ?」

 

 はるか昔に教わったコンピューター知識をフル動員し、美煌(メイファン)は『第十八号IS研究所』の保管データにアクセスする。

 

「えっと、熊、美、煌、と……」

 

 検索欄に自分の名前を打ち込み、Enterキーを押すと――

 

「うへあ、こ、こんなにあるでありますか!?」

 

 表示されたファイル件数は1749件。

 おそらく読み飛ばす項目のほうが多いだろう。だがそれでも膨大な量だ。

 

「まあ、ひとつずつ見ていくしかないでありますなぁ……」

 

 美煌(メイファン)は徹夜を覚悟して、大きくため息をつくのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 時を同じくして、北京のとあるホテルの一室。

 砕次郎は机の上のモニターをじっと見つめていた。

 その後ろではエリスが宮廷奶酪(ミルクプリン)を頬張りながら、ベッドにだらしなく寝そべっている。

 

「エリス、僕のぶんも残しといてくれよ」

 

 モニターから目を離さずに砕次郎が声をかけた。

 おみやげにと買ってきたプリンは20個ほどあったが、すでにほとんどがエリスのお腹の中だ。

 

「砕次郎も食べればいい」

 

「いま手も目も離せないんだよ。フタ開けてこっちに渡してくれない?」

 

「……さっきから何してるの?」

 

「んー、情報収集」

 

 差し出されたプリンを受け取りながら砕次郎が答える。

 

「今朝の失敗は、やっぱり相手をナメてかかったのがいけなかった。初心に返って相手を徹底的に調べてるとこだよ」

 

「なんにもしてないように見える」

 

「いやいや、これでもかなり集中が必要な状態なんだけど」

 

「ふーん……」

 

 エリスは後ろからモニターをのぞきこむ。だが、やはりなにかが進行中というふうには見えなかった。

 画面の中にはいくつかのウィンドウが開いているが、とくに動きや変化はない。

 どうにも気になる、といった様子でそわそわするエリスに、砕次郎はため息をついた。

 

「なんでキミは気にしなくていいとこにだけ食いつくのさ。いつもは人の説明ちっとも聞かないくせに……。いいかい、簡潔に話すよ?」

 

 エリスは新しいプリンのフタを開けながら、こくんとうなずく。 

 

金虎(ジンフー)とパイロットのデータを保管している研究所は当然ながらめちゃくちゃセキュリティが厳しい。

 だから外部からのアクセスで情報を得るのは時間的にもリスク的にも難しいのさ。下手すりゃこの場所を逆探知されるかもしれないしね。

 そしたら10分もしないうちに特殊部隊に包囲されちゃうよ。そうなったらホテルにも迷惑かかるからそれは避けたい。

 ここまではOK?」

 

「……だいたい」

 

「ん。だから逆に、向こうにデータを公開してもらう。

 もっと簡単に言うと、機密データにかかってる閲覧制限(ロック)を全部取っ払ってしまおうというわけさ。成功すりゃISのデータも個人のデータも見放題! 

 そのためのウィルスは今朝プライベート・チャンネル経由ですでに金虎(ジンフー)に仕込んである」

 

 得意げに話す砕次郎。そんな彼に、エリスは首をかしげながら素朴な疑問を口にする。

 

「そのウイルスで直接盗めばいいのに」

 

「それがそういうわけにもいかないんだな。それだとこっちの居場所がバレる危険性が高いんだよ。

 最近のファイアウォールは優秀だから。不正アクセスを感知したら即座にアクセス元にたどり着いて逆に攻撃をしかけてくる。

 それをさばきながらデータを盗みだすってのは僕の技術じゃおっつかない。

 もともと僕の専門はサイバーテクノロジーじゃないしね」

 

「でもドイツでは簡単にシステムに侵入してた」

 

「あれは内部に協力してくれる人がいたからだよ。それにセキュリティの度合いがけた違いだ」

 

「……ふーん」

 

 エリスは空になったプリンの容器をポイっと投げ捨て、小さくあくびをした。「なぜ動かない画面を見つめているのか」という疑問がいっこうに解消されないので、そろそろ退屈になってきたのだ。

 だが砕次郎はそんなエリスに気づかない。まだ自分の話を聴いてくれているものだと信じて解説を続ける。

 

「で、だ。話を元に戻すけど、いま僕がやろうとしてるのはそのファイアウォールへの対策なんだ。閲覧制限のデータが閲覧制限じゃなくなれば、僕からのアクセスは不正じゃなくなる。

 だからほんのわずかな手間で望みのデータが手に入る、って寸法さ」

 

「……へえ」

 

「ま、ロック解除の時にはある程度こっちからの操作が必要だけどね。それも対象のコンピューターがウィルスに感染してからきっかり26秒以内に。

 だからこうしてその時を待ってるんだよ。わかった?」

 

「……」

 

 返事はない。かわりに背後から聞こえてくるのは、かすかな寝息の音だった。

 

「……はぁ」

 

 砕次郎は大きくため息をつく。だがこのオチは砕次郎もある程度予想の内であった。

 

 ――ま、それでいいさ。エリスはエリスの、僕は僕の仕事をきっちりやればいい

 

 再び真剣な面持ちでモニターを見つめはじめる砕次郎。

 その時、ピン、という電子音とともにモニター上に新たなウィンドウが開いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 誰かが言った。

 世界に運命など無く、あるのはただ必然と偶然だけだと。

 ならばその夜に起こってしまったことは、ほんとうにただの偶然だったのだろうか?

 

 昼間の実験データを記録するため、一人の職員がメインコンピューターに実験場からアクセスした。砕次郎の仕込んだウィルスに金虎(ジンフー)経由で感染したまま。

 これは必然だった。

 

「かかった!」

 砕次郎が叫び、用意していたプログラムを起動させる。きっかり26秒後、活動を始めたウィルスによって閲覧制限の(かせ)は食い潰され、研究所の機密データは誰もが閲覧できる状態となってしまった。

 これも必然だった。

 

 ではその4秒後、美煌(メイファン)がEnterキーを押し、知らず知らずに機密データにアクセスしてしまったことは?

 ただの偶然だったのか、それとも運命だったのか――

 

人造兵士計画(バーサーカープロジェクト)……『(シォン)タイプ-06号』……?」

 

 自身の写真とともにつづられた膨大な記録データ。

 それを読み進めるにしたがって、少女の瞳はゆっくりとその光を失っていった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「雨……ですか。ずいぶんと急ですね」

 

 軒下(のきした)で中庭を眺めていた(リュウ)がつぶやく。

 突然に降り出した雨はどんどんと激しさを増していく。予兆もなく荒れ始めたその空が、まるでなにかを暗示しているようで、初夏だというのに(リュウ)はわずかな寒気を感じた。

 

 ――そろそろ中に戻りましょうか

 

 そう思い庭に背を向けた時。

 

「師父」

 

 背後からかけられた声に素早く振り返る(リュウ)

 そこにいたのは――

 

美煌(メイファン)……」

 

 土砂降りの中うつむいてたたずむ、ずぶ濡れの美煌(メイファン)だった。

 なにがあったのか。

 研究所にいたのではないのか。

 どうやって来たのか。

 聞きたいことは山ほどあった。だが何よりも先に(リュウ)の口からでた言葉は「はやく中へ」だった。

 

「風邪をひいてしまいます……! こっちへ……」

 

 靴を履くことも忘れ庭に飛び出した(リュウ)。白い道着のすそに泥が跳ねて汚れていく。だがそんなことにかまってはいられなかった。

 ただ、とにかく、目の前の少女に手を伸ばす。

 だがその手を美煌(メイファン)は振り払った。

 

「……美煌(メイファン)

 

 (リュウ)は呆然とその名を呼んだ。

 だが美煌(メイファン)(リュウ)を見ようとはしない。その表情を隠すようにうつむいたまま、小さな声で問いかける。

 

「師父は……どこまで知っていたのでありますか」

 

 その言葉で(リュウ)はすべてを理解した。

 

「知ってしまったんですね、美煌(メイファン)……」

 

 自分は間違っていた。隠すべきではなかった。もし最初からすべてを話していれば、もっと近くに寄り添えていれば、きっとこんなことにはならなかった。

 美煌(メイファン)を、こんなに傷つけることはなかった。

 

「教えてほしいであります……わかんないでありますよ……人造兵士とか、記憶の改ざんとか、実験体とか、成功例とか!! ……自分はなんなんでありますか!? 何のために生まれたんでありますか!? 戦うために、誰かを傷つけるために、こんな力を持っているのでありますか……?」

 

美煌(メイファン)……」

 

「ウソばっかりであります……! 師父も、(ヤン)さんも、ウソばっかりであります……!」

 

「……」

 

 何も言えなかった。何を言えというのだ。美煌(メイファン)の言う通りではないか。自分は嘘をついていた。事実を隠して、問題を先送りにして、目をそらし続けた。その結果がこれだ。

 今の美煌(メイファン)はもう、誰も信じられない。

 

「師父……、自分はようやく、自分の本当の誕生日を知ったでありますよ……」

 

 美煌(メイファン)がズボンのポケットから何かを取り出した。歯を食いしばり、じっと手の中のそれを見つめる。

 

「2月18日……13時ちょうどに、自分はガラス槽の中から生まれたであります……。実験体『(シォン)-06号』として……。それが……、それが自分の生まれた日でありますっ!!」

 

 吐き捨てるように叫んで、美煌(メイファン)が手の中のモノを投げつけた。(リュウ)の足元に叩きつけられたそれは、黄金色の石がはめ込まれた銀細工のブローチだった。ぬかるんだ地面に落ちたブローチは銀の部分が醜く折れ曲がっていた。

 

「もう、自分には……特別な日なんてないでありますよ……」

 

 そう言って顔をあげた美煌(メイファン)の表情は、涙でぐしゃぐしゃに歪んだ悲しい笑顔だった。

 

「……」

 

 何も言えないまま、バシャリ、と泥水の中に(リュウ)が一歩足を踏み出す。よろめくようなその一歩に一流の武術家の面影など微塵も感じられない。ただ、無力にさまよう死人のような、力のない一歩。

 

「来ないでほしいであります」

 

 だが美煌(メイファン)はそんな(リュウ)をも拒絶した。

 唇を噛みしめ、かつての師に、かつての父に背を向ける。

 

「さよならであります……」

 

 皮肉なほどにまぶしい光を放ち、美煌(メイファン)金虎(ジンフー)を展開する。

 そして彼女は一度も振り返ることなく、金色のISとともに雨雲の中へと飛び去った。

 

 残された(リュウ)は崩れ落ちるようにひざをついた。

 

「……私は……なんて……」

 

 泥のついた顔に涙を浮かべることもできず、(リュウ)は地面に転がるブローチを見つめる。

 美煌(メイファン)が最後に見せた、今までの自分自身を泣きながら嘲笑っているような、あの表情が目に焼き付いていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 誰かが言った。

 世界に運命など無く、あるのはただ必然と偶然だけだと。

 ならばこれから二人が出会うのも、きっとただの偶然なのだろう。

 

「……砕次郎、ちょっと雨にあたってくる」

 

 激しい雨音に目を覚ました少女は男にそう告げると、ひとり土砂降りの街へと出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「雨の夜、少女の声は涙すら枯れて(ウォークライング・イン・ザ・レイン)


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第十二話 雨の中、少女の声は涙すら枯れて(ウォークライング・イン・ザ・レイン)

 ◇

 

 

 

 混乱、悲嘆、失意、絶望――

 どんな言葉を選んでも、少女の胸中を表すには足りない。

 自分という存在が根元から崩れ去っていく感覚。なぜこんなところにいるのか、それさえもわからない。

 光をなくした瞳で見るネオンが気持ち悪いほどに明るくきれいに感じた。

 生きる意味と生きてきた意味を見失った少女は、土砂降りの中、夜の街をあてもなくさまよっていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「おいおいおい……なんてこったい」

 

 入手した情報を読み終えた砕次郎はおもわず右手で頭を押さえた。

 

人造兵士計画(バーサーカープロジェクト)ねぇ……。まったく、テロリストよりよっぽど非人道的じゃないか」

 

 金虎(ジンフー)の詳細な稼働データや操縦者の個人情報が手に入ればそれでいいと考えていた。だがまさかこんな獲物が釣れるとは。

 

「さて、どうしたもんか」

 

 倒れるように床に寝転がり、ため息をつく。

 だが十数秒後、砕次郎は突然体を起こすと再びディスプレイを見つめはじめた。なにかを考えこむ砕次郎。その口元がだんだんと歪んでいく。

 薄暗い部屋で、画面の光を反射した眼鏡が不気味に光っていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 エリスは雨を浴びるのは割と好きだった。

 とくに今のような、土砂降りから小降りになったような雨は好きだ。曇り空がたまっていたものをあらいざらい吐き出した後のわずかに残った小雨。それは冷たくて、しっとりしていて、なんだかわからないが心地いいのだ。

 だからなおのこと、その時間を邪魔されると腹が立つ。

 

「お嬢ちゃん、傘もささずに何やってんだ」

 

 おそらくそんな意味のことを言われたのだろう。振り返ると缶ビールを片手に持った男がにやにやとエリスを見ている。

 だが当然、エリスは中国語などわからない。なのでエリスは返事をすることもなく、突然話しかけてきたうっとうしい男を無視して、早々に立ち去ろうとした。仮に中国語が話せたとしても、エリスは同じように無言で去っていただろう。

 しかし男は背を向けたエリスの手をつかむと、強引に自分の方に引き寄せた。安いアルコールの匂いがぷんとして、その不快感にエリスのイラつきが増す。

 男が早口でなにか喋り散らした。あいかわらず何を言っているのか、エリスにはさっぱりわからない。

 だが男がにやつきながら、なめまわすような視線を雨に濡れたエリスの体に這わせているあたり、ろくなことではないのだろう。

 

「……」

 

 いいかげん腹が立っていたエリスは無言で手を振り払い、ついでに相手の足をすばやく跳ね上げる。バランスを崩した男は「ぎゃっ」と声をあげて水たまりに尻もちをついた。

 エリスは無様に転がる男に背を向けて歩き出す。と、背後から怒鳴り声とともになにかが飛んできた。それは男が持っていたビールの缶だった。エリスはそれを見えているかのような最小限の動きでかわす。

 無表情のままで、しかし心底うんざりという雰囲気で振り返るエリス。

 男が興奮気味にがなりたてる。こちらをにらみつける男の顔が赤いのは酔っているせいだけではなさそうだ。そしてその手には小ぶりな拳銃が握られていた。

 

 ――めんどくさい……

 

 ここで男を叩きのめすのは簡単だった。しかし砕次郎からあまり目立つことはしないよう言われている。

 もちろんこんな酔っ払いがからんでくる路地だ。ただのケンカなら日常茶飯事だろう。だが、エリスのような華奢な少女が銃を持った男を蹴散らしてしまえば、さすがに噂になりかねない。

 かといってこちらが逃げだすのも、エリスとしてはどうにも納得がいかなかった。

 さてどうしようか、とエリスが軽くため息をついた時だった。

 

让一下(どいて)

 

 男の後ろから誰かが声をかけた。なにかをわめきながら男が振り返った瞬間――

 男の体が真横に吹き飛んだ。くの字で路地横のゴミ捨て場につっこみ、そのまま動かなくなる男。小さくうめき声が聞こえるので、とりあえず生きてはいるのだろう。

 

没事吧(だいじょうぶ)?」

 

 男を吹き飛ばした誰かが声をかけてきた。もちろんエリスには何をいっているのかわからない。が、とりあえず敵意はなさそうである。

 と、エリスは首をかしげる。目の前の人物――それは小柄な少女であったが、その少女をどこかで見たことがあるような。

 エリスは人間にあまり関心がない。それゆえに彼女は人の顔を覚えることがとにかく苦手だった。まともに覚えているのは自分と砕次郎の顔くらいのものである。いや、もうひとり、忘れようのない『ある人物』をのぞいて、だ。

 とにかくどこかで会った気がするのだ。とくに先ほど男を蹴り飛ばした時の動きに見覚えがある。

 

「……ありがとう」

 

 通じるかはわからなかったが、とりあえず日本語で礼を言うエリス。これは助けてもらったお礼というよりは少しスッキリさせてもらったお礼だ。

 

「ああ、日本人でありましたか……」

 

 意外にも少女は日本語で返事をした。その口調でようやくエリスは思い出した。この少女が、金虎(ジンフー)の操縦者、熊 美煌(シォン メイファン)だと。

 しかし美煌(メイファン)は今朝戦った時とはあきらかに様子が違っていた。らんらんと輝いていた目は生気を失い、暗くよどんだ瞳にはエリスも何も映ってはいない。

 

「夜はひとりで出歩かない方がいいでありますよ……」

 

 そう言って背中を向け歩き出す美煌(メイファン)

 エリスはゴミ捨て場でうめく男を冷めた目で見ると、美煌(メイファン)の背中に問いかける。

 

「人を傷つけるのは嫌いなんじゃなかった?」

 

「え?」

 

 美煌(メイファン)が足を止め振り返る。

 (あお)ろうとしたわけでも皮肉を言ったわけでもない。浮かんだ疑問をそのまま口にしただけだった。

 

「今朝言ってたこと」

 

「あなた……まさか……!」

 

 どうやら美煌(メイファン)も気づいたようだ。目の前にいるのが今朝の襲撃者だと。

 

「っ……! あなたが……あなたのっ……せいで!!」

 

 美煌(メイファン)の目の色が変わる。エリスを刺し殺そうとするような鋭い目。

 その目でにらまれたエリスが感じたのは、まるで帯電した空気がビリビリと肌を貫くような感覚だった。

 

 ――ああ、これが殺気を感じるってこと……

 

 ならばISと戦う時の自分も、今の美煌(メイファン)と同じ目をしているのだろうか。

 冷静にその感覚を分析するエリス。

 だが、直後にエリスはその冷静さを捨てた。美煌(メイファン)が声にならない叫びをあげ金虎(ジンフー)を展開したためだ。

 倒すべき、いや壊すべきISを見て、エリスの目も凍てつくような冷たさを帯びた。同時にその首元が輝き、エリスの全身を光の粒子が覆う。

 

「へぇ……ここでやりあうつもり」

 

 エリスの言葉とともに粒子が収束し、フェアリア・カタストロフィが展開される。その手にはすでにグラスコフィンが握られていた。降り注ぐ雨粒は一瞬で凍りつき、剣身に歪な氷柱を形作っていく。

 いつのまに意識がもどったのか、ゴミ捨て場の酔っ払いが悲鳴をあげてよろよろと逃げていった。おそらく、いや確実に騒ぎになる。

 

 ――砕次郎、怒るかな

 

 頭の中がISへの憎悪で満ちる直前、また砕次郎の言いつけを破ってしまうことに軽い罪悪感を覚えるエリス。

 だがそう考えた時にはすでに金虎(ジンフー)が目前に迫っていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 この白いISが現れてから何かがおかしくなってしまった。

 こいつに出会いさえしなければ、きっと自分は何も知らなくてすんだのだ。

 何も知らないまま、(リュウ)と偽りの誕生日を祝って、ケーキを食べて、プレゼントをもらって。何も知らないまま、笑いあっていられたのだ。

 

 叫びをあげ、拳を打ち込む。

 

 この怒りが見当違いなのはわかっている。だが何かに憎しみをぶつける以外、どうしていいのかわからない。

 いいじゃないか。テロリストなんだから。悪い奴なんだから。

 

 迫る刃を蹴りで打ち払う。

 

 いいじゃないか。戦うために生まれたんだから。誰かを傷つけるために生まれたんだから。

 それが自分の存在意義だから。

 だから――

 だから――

 

「……!」

 

 けさ掛けに振り下ろされた大剣を受け流し、水たまりの中に着地した時、美煌(メイファン)は地面がアスファルトではなく土に変わっていることに気づいた。

 一定の距離を保ちながら戦うフェアリア・カタストロフィを追ううちに、戦いの場は公園のような広場に移っていたのだ。

 

 ――誘導された……のでありますか

 

 金虎(ジンフー)は純近接格闘型の機体。狭い路地での戦いはフェアリア・カタストロフィに不利だ。逆にこの広場のようなひらけた場所なら、中遠距離の攻撃手段を豊富にもつフェアリア・カタストロフィは、金虎(ジンフー)よりも有利に戦える。

 知らぬうちに敵の戦いやすい場所へと誘導されていたこと、そしてそれにまったく気づけなかったことに美煌(メイファン)は動揺した。

 

「っ!?」

 

 突然右腕を強く引っ張られ、美煌(メイファン)がバランスを崩す。いつのまにか金虎(ジンフー)の右腕には細いワイヤーが巻き付けられていた。

 そのままフェアリア・カタストロフィに引き寄せられる金虎(ジンフー)。同時に突き出される銀色の剣を美煌(メイファン)は紙一重にかわし、すれ違いざまに左拳を叩きこむ。

 が、相手もそれを読んでいたのか、ワイヤーを振って金虎(ジンフー)の体勢を崩し、飛んでくる拳をずらした。かすめた拳を蹴りつけると勢いをそのままに距離をとろうとする。

 そうはさせない、と今度は美煌(メイファン)が巻き付いたワイヤーを握り、思い切り引き寄せる。だがその直前にワイヤーはフェアリア・カタストロフィから切り離(パージ)され、てごたえなく振られただけだった。

 上昇しつつ距離をとるフェアリア・カタストロフィを追うため、瞬時加速(イグニッションブースト)の体勢に入る金虎(ジンフー)。しかしその目の前に2つの球体が投げつけられた。

 

 ――これは……手榴弾!?

 

 瞬時加速(イグニッションブースト)のチャージは続けたまますばやく後退する金虎(ジンフー)

 その瞬間、球体から強烈な閃光が放たれ、美煌(メイファン)の視界を白く塗りつぶした。

 

 ――せ、閃光弾……!

 

 ハイパーセンサーの感応調整(チューニング)によって光はすぐに遮断された。だが美煌(メイファン)は反射的に両腕で目をかばってしまった。

 視界を奪われ過敏になった耳に、ささやくような声が聞こえた。

 

「やっと崩れた」

 

 美煌(メイファン)の背筋が凍る。

 

 ――しまった! 防御が……

 

 そう思った時にはもう遅かった。

 がら空きになった金虎(ジンフー)の胴に、グラスコフィンが横なぎに叩きこまれる。

 

「ぐっ……は……!」

 

 全身で振りぬかれた大剣の一撃に金虎(ジンフー)の薄い装甲が耐えられるはずもなく、腹部のアーマーは瞬時に凍りつき粉々に砕け散った。突き抜けた衝撃が内臓に伝わり美煌(メイファン)の口から赤いしぶきが飛ぶ。

 吹き飛ばされた金虎(ジンフー)は地面に叩きつけられ、水たまりを跳ね散らかしながら転がっていった。美煌(メイファン)はなんとかPICをはたらかせ、機体を停止させる。

 

「……くっ」

 

 バシャ、と水たまりの中に足を踏みだし再び構えをとる美煌(メイファン)

 その口元から細く血が流れだし、頬をつたう雨に溶ける。

 体が真っ二つになってもおかしくはなかった。そうならなかったのは絶対防御が発動したためだが、そのせいでシールドエネルギーがごっそり減っている。もしあのまま連続で攻撃されていたら、すでに負けていたかもしれない。

 しかしなぜかフェアリア・カタストロフィは追撃を行わず、そんな彼女をじっと見つめていた。

 

「なぜ……攻撃をしてこないのでありますか……!」

 

「……」

 

 フェアリア・カタストロフィが無言で仮面を解除した。

 純白の仮面の下から現れた黒よりも深い藍色の瞳が、美煌(メイファン)を冷たく見つめる。

 

「……弱くなったね」

 

「っ!!」

 

 憐れむように投げられたその言葉に、美煌(メイファン)の中で何かが爆発した。

 

「勝手なことを……! あなたに何がわかるのでありますかっ!!」

 

 自分は人ではなく兵器として生まれた。

 その事実を知った今、自分に残されたのは兵器としての力だけなのに。

 

「あなたさえ現れなければ……自分は自分のままでいられたのであります!」

 

 力まで否定されてしまったら、自分にはもう何も残ってないじゃないか。

 もう失いたくない。

 自分が生まれた意味が戦うためだけだというなら――

 残されたのがそれだけなら――

 

「証明するのであります……! あなたを倒して、強さを……自分の生まれた意味をっ!!」

 

 火花を散らすような殺気をこめ、美煌(メイファン)は敵を睨み据える。その視線が、こちらに向けられた冷たい眼差しとぶつかった瞬間、美煌(メイファン)は殺気を爆発させた。

 

 ――よこすであります金虎(ジンフー)! 力を! 生まれた意味(じぶん)を守る力を!

 

 人間としての郷愁(きょうしゅう)が弱さを生んでいるのか。

 あのあたたかい日々が迷いになっているのか。

 それが(かせ)に、鎖になっているのか。

 

 だったらそんなものはいらない。

 戦う力があればそれでいい。

 

 ――ぜんぶ……捨ててやる!!

 

 すべてを拒絶するように美煌(メイファン)は吠えた。

 

虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)――断链(ドゥァンリェン)ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「優しい決着(トラストユー)


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第十三話 優しい決着(トラストユー)

 ◇

 

 

 

虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)――断链(ドゥァンリェン)ッ!!」

 

 美煌(メイファン)の叫びに呼応するかのように、金虎(ジンフー)の両手足がその形を変化させはじめた。

 ひじから先、ひざから先を覆う虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)の装甲がいくつにもわかれ、内部から別のパーツがせり出す。スライドした装甲が逆立つ毛のように腕と脚を飾り、そのシルエットを刺々しく変貌(へんぼう)させる。

 

 〔金虎(ジンフー)の腕部、脚部に高エネルギー収束〕

 

 フェアリア・カタストロフィのハイパーセンサーがエリスに警告を送る。

 だがそんなことはエリスにだってわかっていた。

 虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)の裂け目からはオレンジ色の光が煌々(こうこう)と漏れ出している。装甲に触れた雨粒は瞬時に蒸発し、その蒸気はまるで闘気のように噴きあがり夜の闇へと立ち昇る。

 異常な熱量が金虎(ジンフー)の手足に集中していることは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。

 

 ギシリ、と美煌(メイファン)が身をかがめた。

 

 ――来る!

 

 エリスが飛びのくように後退するのと同時に、美煌(メイファン)が襲い掛かった。

 当然のように瞬時加速(イグニッションブースト)だ。シールドエネルギーの残量など考えてもいない。あと一発でも食らえば終わりだというのに。いや、慎重さをかなぐり捨てたその攻勢は、もう一発も食らうことはない、という自信ゆえなのか。

 音速に近い速度。だというのに限りなくゼロに近い相対速度の中で、互いの視線が交差した。

 

 次の瞬間、フェアリア・カタストロフィの胸部装甲が轟音とともに砕け散った。

 

「がっ……ふ……!?」

 

 見えなかった。だが砕けた装甲と削られたシールドエネルギー、そして体をつらぬく鈍い痛みが金虎(ジンフー)の攻撃を証明している。

 何が起こったのかわからないままで、エリスは右脚を金虎(ジンフー)めがけ振りぬく。

 だがその蹴りを美煌(メイファン)は苦も無く受け止める。

 

「ずいぶんと軽い蹴りでありますな。蹴りというのは……」

 

 金虎(ジンフー)はフェアリア・カタストロフィを放り投げるように浮かし、全身のバネを収縮させるように腰をひねって構える。

 

「っ!!」

 

「こういうものでありますよっっ!!」

 

 怒号と同時にフェアリア・カタストロフィが真上に吹き飛んだ。

 シールドバリアでは到底軽減できないほどの衝撃に、エリスの口から大量の血が吐き出された。白い装甲の破片と真っ赤な血飛沫がまき散らされ、金虎(ジンフー)に降り注ぐ。

 飛びかける意識を気力で強引につなぎ止め、エリスは戦車の砲塔のようなユニットを展開すると一発の砲弾を撃ち出した。

 フレシェット弾頭弾『バーストレイン』。ドイツでオブディシアン・クローネから奪取した武器だ。

 撃ちだされた弾頭が空中で花のように開き、内部から無数の鋼鉄の矢が降り注ぐ。いや、『襲い注ぐ』と言った方がいいかもしれない。放出された矢はその一本一本が、電磁加速によって高速で射出され、自由落下とは比べ物にならない貫通力をもって対象を襲う。

 さばききれない物量での、かわしきれない広範囲攻撃。

 だが――

 

「子供騙しでありますな!」

 

 (てのひら)を前後にずらして向い合せるような構えをとる美煌(メイファン)

 刹那、虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)から漏れるオレンジの光が夜暗(やあん)の中で帯状に伸び、残光が一瞬で幾何学的な模様を描く。そして数秒、矢がシールドに弾かれる軽い金属音が途切れることなく響いた。

 その音がやみ、光の帯が消えた時、広場は深々と刺さった鋼鉄の矢で埋め尽くされていた。

 しかし、その中心にたたずむ金虎(ジンフー)には、かすり傷ひとつ付いてはいなかった。

 足元には巨大な円を描くように矢が刺さっており、その内側には一本たりとも侵入を許していない。自分を狙い高速で飛来する数百本の矢を、そのすべてを、美煌(メイファン)は正確に弾き防いでいた。

 技術や反応速度だけでは説明のつかない異常な防御。

 しかしエリスは冷静だった。

 

 ――なるほど。やっぱりそういうこと……

 

 最初からバーストレインにダメージを期待してはいない。狙いは見極めること。直観的に感じたエリスの仮説を確かめるために放った攻撃だった。

 帯状の残光が示した動きの軌道とその速度。

 エリスは確信した。

 

 ――()()()()()()()()()()

 

 その確信は正答だった。

 形を変えた虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)の特性は、『四肢そのものの超加速』。

 カスタムウイングとPICによって圧倒的な機動性を誇るISも、手足の動きは人間のそれを多少上回る程度。格闘戦においては機体の性能より個人の力量が勝敗の要因になりやすい、と言われているのもそのためだ。

 その制約を金虎(ジンフー)は極めて強引に突破した。

 虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)の内部に仕込んだスラスターを展開し、カスタムウイングと直結させて無理矢理に超加速を行う。突きと蹴り足は音速を超え、瞬時加速(イグニッションブースト)によって不可視の強撃を叩きこむ。

 もはやその腕脚(わんきゃく)に『人間レベル』という『(かせ)』は存在しない。

 

 鎖を断つ(断链)

 それが金虎(ジンフー)の新装備

虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ) 断链(ドゥァンリェン)

 

「これでも……これでも自分は弱くなったでありますか!?」

 

「……」

 

 吠える美煌(メイファン)をエリスは無言で見つめていた。

 

「これが自分の手に入れた『強さ』であります! 誰にも負けない! 絶対に揺らがない!」

 

 ――違う

 

 不思議だった。

 たしかに金虎(ジンフー)は強い。むこうの攻撃は内臓をずたずたにするほど重いし、こっちの攻撃はもうさして効きそうにない。あきらかに今朝の戦いよりも強くなっている。

 だがなにかが違うのだ。

 どう違うのかはわからない。

 今までエリスにとって、操縦者なんてISの付属品でしかなかった。ISが強いのなら、それはただ強いというだけだった。

 なのに今、対峙(たいじ)する少女の口から聞く『強さ』は、なにかが違うと感じている。

 あの時エリスが感じ取った強さ。研ぎ澄まされた鋭い空気。それが今の美煌(メイファン)からは感じられない。

 あれは強さとは別のものだったのだろうか。

 

 ――きっとわたしにはわからない

 

 これは戦いには必要ない感情。だから考えても意味がない。

 エリスがそう判断して、再び思考を冷たい憎悪で塗りつぶそうとした、その時。

 

『それは強さとは言わないよ熊 美煌(シォン メイファン)

 

「―!」

 

 突然の通信に驚くエリス。

 ハイパーセンサーがとらえたのは、ビニール傘をさしてゆっくりとこちらに歩いてくる砕次郎の姿だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「イヤな予感がしたから様子を見に来てみたら。案の定、こうなっちゃってるんだもんなあ」

 

「……ごめん砕次郎」

 

「にしても手ひどくやられたもんだ。……まだやれるかい?」

 

「うん。でも、内臓(なか)がけっこう、痛い」

 

「ありゃあ、重症っぽいなぁ」

 

 開いた口からボタボタと血をこぼすエリス。

 その惨憺(さんたん)たる状態を目にしても、砕次郎は特に慌てるでもなく飄々(ひょうひょう)としていた。

 そんな砕次郎に美煌(メイファン)はいぶかしげな視線を向けた。

 

「なんでありますかあなたは? 巻き込まれても知らないでありますよ」

 

「なんでありますか、とはずいぶんだね。言うなればこの子の保護者だよ。ああ――」

 

 砕次郎が襟元(えりもと)のマイクに話しかける。

 

『こうすればわかりやすいでしょうか? (シォン)候補生?』

 

 通信越しに聞こえてきたのは(ヤン)の声だった。

 瞬間、美煌(メイファン)の視線が(にら)みつけるようなものへと変わる。

 

「っ! あの時の……」

 

「やあ今朝がたぶりだね。しかしながらなんだいその顔は。一日も経ってないのにずいぶんと雰囲気が変わってるじゃないか。(すさ)んじゃってまあ、()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 挑発するような砕次郎の言葉が美煌(メイファン)の神経を逆なでする。

 

「あなたにっ……何がっ……」

 

「わかるとも。キミと同じ目をした子を何度も見てきたからね。自分を失った虚ろな目だ。生まれたことを後悔して、生きていくことに絶望して、自身を呪う空虚な眼差しだ」

 

「っ……黙れ……!」

 

「いやだね。黙れって? 僕にはこう言ってるようにしか聞こえないな。『お願いだからもう私を傷つけないで』。甘えるんじゃない。自分勝手に何もかもを捨てた気になって、絶望を笠にして逃げるんじゃあない!」

 

「黙れと言っているのでありますっ!!」

 

 怒鳴り声とも泣き声ともつかない叫びをあげ、美煌(メイファン)が砕次郎めがけて拳を突き出す。

 砕次郎は避けるそぶりすら見せない。ただじっと美煌(メイファン)を見据えている。

 動いたのはエリスだった。砕次郎をかばうように割り込み、展開した盾で金虎(ジンフー)の拳を受け止める。

 

「……させない」

 

「くっ……」

 

 まっすぐに美煌(メイファン)を見つめる深い藍色の瞳。なぜかその瞳を直視できず、美煌(メイファン)はうつむき加減に吐き捨てる。

 

「なら……力づくで何も言えなくしてやるであります!」

 

「……それが、キミの望んだ強さなのかい?」

 

 静かな問いかけに顔をあげる美煌(メイファン)

 その顔は、怒りと、憎悪と、暗い悲しみでぐしゃぐしゃに歪んでいた。

 

「ええ、そうであります! 優しさも思い出もぜんぶうそ……これだけが……この強さだけがっ!!」

 

「それは強さじゃない。単なる力だ。くだらない。そんなものに意味なんてない」

 

「うるさい! うるさいうるさいっ!!」

 

「今から僕とエリスで、キミに本当の強さを教えよう。()()()()()()かかってこい」

 

「っ……! なら……ならやってみろでありますっ!!」

 

 激昂(げっこう)する獣のような咆哮に、濡れた大気がビリビリと震えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 認識不可能な速度で飛んでくる突きや蹴りが、フェアリア・カタストロフィの展開するシールドを一瞬で砕いていく。

 量子変換(インストール)しているシールドは残り少ない。金虎(ジンフー)のスタミナ切れよりも盾が尽きる方が早いだろう。

 

「砕次郎、わたしは何をしたらいい?」

 

 攻撃の合間をぬって、エリスはプライベート・チャンネルで砕次郎に呼びかける。

 

「あんな挑発して、なにか考えついてる?」

 

『まあ奇策というか、愚策というか。たぶん成功するってレベルだけど』

 

「失敗したら?」

 

『まず間違いなく死ぬ』

 

 あっけらかんと言う砕次郎。

 それに対するエリスの返答も、また軽いものだった。

 

「わかった。やる」

 

『即答だね』

 

「信じてるから。砕次郎のことは」

 

『……ありがとうエリス。うん、僕も信じよう』

 

 伝えられた命令はたったひとつだけ。他の者が聞いていれば、間違いなく正気を疑われただろう内容だった。

 だがエリスはこくんとうなずき、了解と言って通信を切った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――なにかたくらんでいるでありますな

 

 防御を続けるエリスに対し、美煌(メイファン)はある種の動物的勘で、警戒をし続けていた。必ずなにかを仕掛けてくる。そう確信していた。

 しかし、同時に微かな焦りも感じ始めていた。

 

 ――こいつッ、いったいいくつ盾を持っているのでありますか!?

 

 砕いても砕いても、次々に展開される物理シールドが、フェアリア・カタストロフィへの決定打を許さない。

断链(ドゥァンリェン)』の解放によってシールドエネルギーの消費量は桁違いに上がっている。戦闘限界まで、もって2分といったところだろう。

 圧倒的な攻勢の中にあっても、まだ敵をしとめられていない、その事実。そして迫るタイムリミットが美煌(メイファン)を焦らせる。

 

 ――このままジリ貧になるくらいなら……!

 

 美煌(メイファン)は賭けに出ることを決めた。

 

 ――個別連続瞬時加速(リボルバー・イグニッションブースト)!!

 

 8基のスラスターすべてでチャージを行い、4連続で加速する、個別連続瞬時加速(リボルバー・イグニッションブースト)

 当然、消費するシールドエネルギーは膨大。そしてなによりチャージの間は瞬時加速(イグニッションブースト)での回避はできなくなる。

 無防備になる約3秒間、攻撃を(さば)ききれなければ負ける。

 だがその3秒をしのげば、金虎(ジンフー)の拳は防御など許さない。盾を砕きながらさらに加速し、超音速の一撃を必ず叩きこむ。

 勝てる。証明できる。自分の強さを、自分の価値を。

 

 ――決着をつけるであります!!

 

 覚悟を決め、美煌(メイファン)はチャージの体勢に入る。

 金虎(ジンフー)が攻撃を中断した、と瞬時に判断し、盾の展開を止めるフェアリア・カタストロフィ。

 残り2.8秒――

 

 ――さあ、なにをしてくるでありますか!?

 

 斬撃でも、銃撃でも、砲撃でも、爆撃でも、すべて打ち砕いてみせる。

 美煌(メイファン)の思考が研ぎ澄まされていく。余計なことは何も考えない。ただ目の前の敵を倒す。倒す。倒す。

 熱く冷めきった集中が、美煌(メイファン)から戦闘に不要な感覚をそぎ落とす。

 残り2.5秒――

 

 フェアリア・カタストロフィが左腕を大きく振り上げた。

 同時に鋭いモーター音が響く。

 

 ――この音は……!?

 

 その時、地面に刺さった無数の矢の下から、何かが金虎(ジンフー)の周囲を取り囲むように持ち上がった。金虎(ジンフー)のハイパーセンサーと美煌(メイファン)の動体視力が、同時にその正体をとらえる。

 それは20個を超える大型の手榴弾の群れだった。

 手榴弾はすべて輪になった硬質ワイヤーにくくりつけられている。モーター音はそのワイヤーを巻きとる音だった。左手の動きに合わせて浮き上がったそれらが金虎(ジンフー)をぐるりと取り囲んでいた。

 残り2.1秒――

 

 自分の攻撃を防ぎながらこんな小細工をしていたとは。それも刺さった矢をカモフラージュに利用して。

 その周到さに美煌(メイファン)は素直に驚いた。

 だがその驚きは彼女の思考を揺らしはしない。

 忘れろ。不要な反応はすべて。

 

 美煌(メイファン)が足を振り上げる。同時に両腕の装甲からオレンジ色に輝く一対の爪が展開された。

 片足立ちのまま、爪でワイヤーを切り裂き、間髪入れずにその場で強烈な回し蹴りを放つ。

 一閃。

 ゴォッと音をたてて発生した蹴りの風圧が、一拍の間をおいて手榴弾を吹き飛ばす。

 金虎(ジンフー)の周囲で数珠のように爆発が起きる。飛び散った金属片が装甲を傷つけるが、戦闘不能には程遠い。

 残り0.9秒――

 

 ――まだ、油断はしないであります!

 

 かつてないほど鋭敏(えいびん)になった彼女の五感が、まだ終わっていないと警告する。

 

『勝ちを確信した時、人はもっとも無防備になります。けして(おご)ってはいけません』

 

 そうだ。油断はしない。

 だけど……あれ? これは誰の言葉だっただろうか?

 

 ――しまった!

 

 一瞬だけ途切れた集中を無理矢理つなぎなおしたが、わずかに反応が遅れた。

 フェアリア・カタストロフィの右腕から射出されたワイヤーが、手の動きに合わせて金虎《ジンフー》に絡みつく。

 そして全身を縛り付けるように巻き付けられたワイヤーによって金虎(ジンフー)の動きが完全に封じられる。

 だが、それはどう考えても、攻撃ではなく拘束だった。

 

 ――なんてなまぬるい……この期に及んで、拘束などと! 動きを止めれば勝てると思っているのでありますか!?

 

「なめるなアアアアア!!」

 

 雄叫びとともに虎光瞬脚(フーグァンシュンジャオ)の排熱口からオレンジ色の炎が噴き出した。

 送り込まれたエネルギーを圧縮し、そのまま放出する荒業で、ワイヤーを溶断しようとする。

 だがそれは開発者からやってはいけないと言われていたことだった。

 本来、加速の後の余剰エネルギーを通す場所。そこに送られた過剰な熱量は、容赦なく美煌(メイファン)の両腕を焼いていく。

 

「ぐっ……ああああ!」

 

 被膜装甲(スキンバリア)を通してなお襲う、腕を直接火であぶられるような苦痛。

 だが、それがどウシタ。

 敵ヲ倒スタメナラ……タタカウタメナラ……

 

 白熱したワイヤーが溶け落ちる。そして――

 残り0秒。

 

 強襲、否、狂襲。

 獲物を前にした獣のように、牙をむきだして、瞳をぎらつかせて。

 限界まで蓄積されたエネルギーを解放し、美煌(メイファン)は襲い掛かった。

 回避? 不可能だ。

 防御? 無意味だ。

 

 敵に打つ手はない。自分の勝ちだ。

 

 美煌(メイファン)が勝利を確信したその時――

 

 フェアリア・カタストロフィが淡く輝き、()()()

 そして、そこにはただ、やわらかなワンピースをまとった、()()()()()()()()

 

 

 

 ◇

 

 

 

 刹那と呼ぶにも短すぎる時間。

 美煌(メイファン)の時がとまる。

 

 ――ナニヲシテイル……?

 

 超音速の拳がゆっくりと少女に向かっていく。

 

 ――アア、テオクレダ……

 

 瞬時加速(イグニッションブースト)の拳はもう止められない。

 このまま自分は目の前の少女を殺めてしまうのだろう。

 少女は原型も残さず消し飛ぶにちがいない。

 そして、きっとその時自分は、本当に人であることをやめてしまうのだろう。

 

 ――ソレデモ、イイジャナイカ……

 

 自分は戦うためだけに造られた存在なんだから。

 

 無表情でたたずむ白いワンピースの少女に、なぜか誰かの微笑みが重なって見えた。

 やさしく、あたたかく、そしてほんの少しさびしそうな笑顔。

 それはどこかで見たことのある微笑み。そう、これは、あの時の師父と同じ――

 

『あなたが自分の意志で決めることです。どんな選択をしても、私はあなたの味方でいますよ』

 

 ――!!

 

 はっきりと聞こえた(リュウ)の言葉。

 それに応えるように、美煌(メイファン)は叫んだ。

 

 ――いやだ!! いやだいやだいやだ!! 自分は……! 自分はあああ!!

 

 とまっていた美煌(メイファン)の時間が、再び動き始めた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「あああああああああああ!!!」

 

 絶叫にまかせて腕を無理矢理に引き戻す。

 進もうとする拳に引きずられ、筋繊維がブチブチとちぎれ、血が噴き出す。

 それでもやめない。やめるわけにはいかない。

 

 ――師父が言ってくれたでありますから! 自分で決めるんだって! だから自分は!

 

「止まれえええええ!!」

 

 ――ひとりの人間として! 熊 美煌(シォン メイファン)として、笑っていたいであります!!

 

 靭帯(じんたい)が裂け、骨が砕けてもなお、美煌(メイファン)は力をこめ続けた。

 それは長くても0.5秒、一瞬の出来事だったに違いない。それでも、美煌(メイファン)にはまるで永劫(えいごう)のように、長く、永く。

 そして――

 

「……はっ……はっ」

 

 血にまみれた鋼の拳は、そっとやさしく、少女の胸にふれた。

 

「…………は……ぁ」

 

 その場で崩れ落ちるように座り込む美煌(メイファン)

 

「ありがとう」

 

 ワンピースの少女が、美煌(メイファン)の耳元で静かにささやいた。そしてその右手に白銀の剣を展開し、ゆっくりとかかげる。

 

「……我才是(ウォツァィシィ)

 

 その剣が振り下ろされるとき、美煌(メイファン)は、自分でも驚くほどおだやかに微笑んでいた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「無茶なことをするでありますなぁ……」

 

 仰向けに寝転がった美煌(メイファン)がぽつりとつぶやいた。

 金虎(ジンフー)は展開したままだが、すでにシールドエネルギーの残量はゼロ。本人の重傷もあいまって、ピクリとも動かすことはできない。

 目が覚めた時には、雨はすっかり止んでいた。雨上がり特有のひんやりと湿った空気が心地いい。

 

「自分が拳を止めなかったらどうするつもりだったでありますか」

 

「その時はたぶん……死んでた」

 

 美煌(メイファン)のすぐ横で、彼女を見下ろすように、ひざを抱えしゃがんでいるエリスが答える。

 

「はぁ……めちゃくちゃでありますな」

 

「でも、信じてたから」

 

「信じてた、でありますか?」

 

「うん。わたしは砕次郎を信じてた。それで、たぶん、砕次郎はあなたを信じてた」

 

「……すごいでありますな。自分は、何も信じられなくなっていたでありますよ。自分が何なのか不安になって、大切な人を信じることができなくなって、自分を見失ってたであります」

 

「だけど、キミは最後にちゃあんと選べたじゃないか」

 

 砕次郎が歩み寄る。

 

「キミは兵器じゃなく、人として生きることを選んだ。だから拳を止めたんだ。力をどう使うか、自分がどう生きるべきなのか、自分自身で選びつかんだ。それがキミが師匠から教わった、本当の強さだろ?」

 

「その通りでありますなぁ。初対面の方にそこまで見抜かれて(さと)されるなんて、恥ずかしい限りであります」

 

「気にすることはないさ。大事なのはこれまでじゃない。これからだ」

 

 微笑み合う二人をエリスが不思議そうにながめる。

 

「ねえ、砕次郎」

 

「ん? どうした?」

 

「……もう、このISは壊してもいいの?」

 

 エリスの問いに砕次郎は一瞬キョトンとした顔になったが、すぐに思い出したように口を開いた。

 

「ああ、そうそう、その話をしないとね。美煌(メイファン)

 

「はい?」

 

 呼びかけられて、美煌(メイファン)は、イタタ、と右腕をかばいながらどうにか上半身を起こして砕次郎に視線を向けた。

 いつのまにそんなに時間が過ぎたのだろう、東の空はすでに白みはじめている。

 

「キミにはもうひとつだけ選択をしてほしい。」

 

「はあ」

 

「一つ目の選択肢は、平和な日常だ。金虎(ジンフー)は破壊させてもらうけど、キミは師匠の下でひとりの女の子として幸せに暮らせばいい。キミの生きる意味も、きっとそう遠くないうちに見つかるはずだ。政府のしがらみも今回の騒動も気にしなくていい。僕らがキレイにごまかしてあげよう」

 

 いい話だ。文句のつけようがない。

 後始末の話は信用できるだろう。研究所を脱走して一晩中暴れた美煌(メイファン)のところへ、いまだに特殊部隊が押し寄せて来ていないあたり、そういうごまかしには慣れているということだ。

 (リュウ)もきっと許してくれるだろう。以前と変わらず、二人で笑っていられる未来が待っている。

 だがそれでも、美煌(メイファン)は聞かずにはいられなかった。

 

「二つ目は、なんでありますか?」

 

 示されるもう一つの選択肢。彼女はそれを、ひそかに期待していたのかもしれない。

 

僕らと一緒(アンチテーゼ)に来ないかい? 熊 美煌(シォン メイファン)

 

 その言葉と同時に東の空が明るく輝く。

 ゆっくりと昇る朝日をバックにして、砕次郎は左手を差し出した。

 

 ――ふふっ、なんだかできすぎでありますなぁ

 

 まるでわざわざ演出したかのような光景に、美煌(メイファン)は心の中で苦笑する。

 そして――

 

 明日を象徴するようなその朝日に向かって、微笑みながら左手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「師として、父として(ディア・マイ・リトル)


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第十四話 師として、父として(ディア・マイ・リトル)

前回からほぼ1ヶ月……大変お待たせしてしまいまして、申し訳ありませんです。ハイ。


 ◇

 

 

 

 その男はかつて『睚眦(ヤアズ)』と呼ばれていた。争いと殺戮(さつりく)を常とし、視線だけで人を死に至らしめるという獰猛(どうもう)な獣『睚眦(ヤアズ)』。それが男の名だった。

 男は政府に雇われ、時に用心棒として、時に暗殺者として、長い間その拳をふるい続けていた。

 だがある時、男は後ろを振り返り絶望した。求められるがままに歩いてきた修羅の道。そこに守りたいものは何もなかった。男の後ろにあったのは血塗られたどす黒い足跡だけだった。

 男は後悔し、誓った。もう二度と誰かの血を流すことはしない、と。人を傷つける拳を封印し、人里離れた道場で師の後を継いだ。そして力を求めて門を叩く者たちに教え続けた。『傷つけるための力』ではなく『道を見失わないための強さ』を。それが自らの贖罪(しょくざい)だと信じて。

 

 十数年の月日が流れたある日、男の前にひとりの少女があらわれた。

 男は悟った。この子の歩む先には、きっと過酷な運命が待っている。その小さな手を握った時、男はもうひとつの誓いをたてた。

 守らなければならない。自分と同じ悲しみを味わうことが無いように、自分と同じ後悔をすることがないように。

 

 それなのに――

 そう誓ったはずなのに――

 

 雨の中でこちらを見つめる少女の目は、睚眦(ヤアズ)と呼ばれたあの頃の自分と同じ色をしていた。

 

 許してくれなどとは言わない。

 戻ってきてくれなどとは言わない。

 ただ、願うことだけでも許されるなら。

 

 ――だれか……だれでもいい……あの子を救ってくれ……

 

「師父」

 

 どこからか、うつむく自分を呼ぶ誰かの声がした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「師父?」

 

 その声に(リュウ)はハッと我に返った。

 一晩座りっぱなしだった椅子からなんとか立ち上がり、声のした方に振り返る。扉の前で師範代のひとりが心配そうにこちらを見ていた。

 

「師父、眠られていないのですか? 顔色が優れないように見えますが……」

 

「いえ、大丈夫です。少し考え事をしていただけですので」

 

 きっとひどい顔をしていたにちがいない。寝ていたのか起きていたのかもわからなくなるほど、(リュウ)憔悴(しょうすい)していた。

 弟子たちはまだ美煌(メイファン)のことは知らない。どう説明していいのかも、(リュウ)にはわからなかった。

 

「それで、どうかしたのですか?」

 

「師父を訪ねて、客人がお見えに」

 

「客……政府の、研究所の方ですか」

 

 美煌(メイファン)になにがあったにせよ、このタイミングで会いにくるのは研究所の人間だろう。だが師範代は首を横に振った。

 

「身分を名乗りませんでしたので、政府関連の方ではないようです。もし体調が優れないようでしたら、また後日にとお伝えしますが」

 

 正直、今は客と話をする気分ではない。だがなぜだろうか。自分はその客に会わないといけない。そう感じた。

 

「……いえ、大丈夫です。談話室にお通してください。私もすぐに向かいます」

 

「わかりました」

 

 ピシリとお辞儀をして部屋から出ていく師範代。

 再びひとりになった部屋で、(リュウ)はふと机の上に目をやる。そこにあったのは泥だらけの歪んだブローチだった。

 

「……」

 

 そのブローチにそっと触れ、(リュウ)は静かに目を閉じた。

 

 

 

 談話室で待っていたのは見覚えのない若い男だった。

 軽く挨拶をする(リュウ)に、男は立ち上がり微笑んだ。

 

「少し外に出ませんか。実は、あなたに会いたいという人が、すぐ近くで待っていましてね」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 道場裏の山道を歩きながら(リュウ)は男を観察する。

 着ているシャツはよれよれで、束ねた長髪はクセ毛でハネ散らかっているが、不思議とだらしなくは見えない。整った顔立ちと、知性的な細縁の眼鏡のせいだろうか。常に薄い笑顔の浮かんだその顔からは、男の感情を読み取ることは難しい。

 

「いやぁ、ハハッ、さすがですね、(リュウ)師範。とても、ハァ、50近いお年とは思えない」

 

 汗ひとつかいていない(リュウ)とは対照的に、男はヒイヒイと息を乱しながら山道を登っている。どう考えてもなにかの訓練を積んでいるようには見えない。

 だが、(リュウ)は男から、なにか常人とは違う空気を感じていた。それはかつて出会ってきた修羅の道を歩く者たちの気配。そして、それでいてなぜか危険を感じさせない不思議な柔らかさも。

 

「そろそろ教えていただけませんか。あなたは何者なんです? 私に会いたいというのは、もしかして――」

 

「少し休憩しましょうか」

 

 (リュウ)の言葉をさえぎり足を止める男。振り返った男の微笑からは、やはりどんな感情も読み取れない。それが(リュウ)の心をますます乱す。

 

「教えてください! 私を待っているのは美煌(メイファン)なのですか!?」

 

 思わず語気を強め、男に詰め寄る。本当はこの男が何者でもよかった。(リュウ)が知りたかったのは、ただ、美煌(メイファン)のことだけだった。彼女がまだ悲しみの中にいるのか、それだけを。

 そんな(リュウ)を横目で見ながら、男は道端の石に腰かける。そしておもむろに口を開いた。

 

「まったく、美煌(メイファン)美煌(メイファン)美煌(メイファン)。アンタ少々、過保護すぎやしないかい?」

 

「……どういう意味です」

 

「そのままの意味だよ。アンタあの子を特別視しすぎてる」

 

「当然でしょう! あの子は――」

 

「他の子と違うって?」

 

「っ……」

 

「言いたいことはわかるさ。でもアンタが()()見ちゃダメなんだ。誰がどんな目で美煌(メイファン)を見たとしても、アンタだけはあの子を『特別』だなんて思っちゃいけない」

 

 男の言葉が突き刺さる。

 そうだ。自分はなにを勘違いしていたのだろう。どんな力をもっていようと、あの子は普通と何も変わらないただの明るい少女なのに。

 あの子を勝手に昔の自分と重ねてしまっていた。ひとりで勝手に守っていた気になって、そして勝手に、守れなかったと後悔して。

 体から一気に力が抜け、崩れるようにしゃがみこむ。そんな(リュウ)を、男は座ったまま見下ろしていた。

 

「あの子が言っていたよ。自分は師匠を信じられなくなっていたって。でもそれはアンタも一緒だ」

 

 あの子は他とは違うから。だから自分には美煌(メイファン)を助けられないと、そう決めつけて絶望していた。あの子と築いてきたものを、自分自身が信じられなくなっていた。

 

「アンタが美煌(メイファン)に教えてきたのはそういう『強さ』じゃなかったのかい。いつか来る、真実を知ってしまう日のために。道を見失わないために。そのために、自分を信じる強さを教えててきたんだろう。それをアンタ自身が信じるべきじゃなかったのかい」

 

 男の目が優しくなる。

 

「安心しなよ。あの子はちゃんと思い出した。絶望に呑まれることなく、自分で選べた。アンタが伝えたかったことは、ちゃんとあの子の中にある。美煌(メイファン)を救ったのは他の誰でもない、劉 瑛樵(リュウ エイショウ)、アンタだ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、男の顔が突然ぼやけて見えなくなった。地面についた手に落ちる雫の感触でようやく、(リュウ)は自分が泣いているのだと気づいた。

 絶望の中では涙を浮かべることすらできなかったというのに。安堵(あんど)なのか喜びなのか、それすらわからずごちゃまぜになった感情の中で、今は涙が止まらない。

 

「あ……ああ……」

 

 地面に突っ伏したまま両手で顔を覆い、嗚咽(おえつ)とともに(リュウ)は泣き続けた。

 それを男は何も言わず優しく見つめていた。

 

 どれくらい時が経っただろう。土で汚れたそでで顔をぬぐい、(リュウ)が立ち上がる。

 

美煌(メイファン)のところへ連れて行ってください。私は、あの子に伝えなければならないことがあります」

 

 まっすぐに男を見すえる力強い視線。それを見て、男も腰かけていた石から立ち上がった。

 

「じゃ、行きましょうか。やれやれ、ようやく父親らしい表情になったじゃないですか」

 

 にやりと笑うその顔が、感情の読めなかった男の素顔のように、(リュウ)には思えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 山道を抜けると視界が急に明るくなった。思わず目を細めた(リュウ)のそばを風が吹き抜け、木々を揺らした。目の前に広がる灰と緑の山々。それを見渡すひらけた草原。そこに少女は立っていた。

 さわやかな風に長い髪をなびかせながら、少女がふりかえる。

 

 ――ああ……彼らと共に行くのですね、美煌(メイファン)

 

 その目を見た瞬間にそう思った。

 静かにこちらを見つめる美煌(メイファン)は、たった一夜でずいぶんと大きくなったように感じる。きっともう、自分がいなくても大丈夫だ。それがうれしく、誇らしく、そして少しさびしい。

 その思いを噛みしめながら、(リュウ)美煌(メイファン)のもとへ、ゆっくりと歩いていく。一歩、また一歩と、足を踏み出すごとに美煌(メイファン)とすごした日々が胸の中を巡る。

 

 花壇(かだん)の花が咲いたのを見て笑いあったこと。

 転んでも泣かなかったと頭をなでたこと。

 寒い朝に雪まみれで布団にもぐりこんできたこと。

 一緒につまみ食いをして師範代にしかられたこと。

 

 (リュウ)は静かに足を止めた。それは、もう戻れないと思っていた、家族の距離だった。

 

「師父……」

 

美煌(メイファン)、自分の道を決めたのですね」

 

「はい、師父。自分はこの人たちと行くであります。世界を見て、I Sを知って、自分が持つ力の意味を知りたいんであります。自分みたいな人間がどうして生まれたのかは、それはたぶん、この人たちみたいに世界を裏側から見ないとわからないことでありますから」

 

「とても、辛い道を行くことになりますね」

 

「はい。それでも、これは知らなくちゃいけないことでありますから。もう二度と、同じ間違いをしないために」

 

 と、まっすぐに(リュウ)を見つめていた美煌(メイファン)が、ふっとうつむいた。

 

「自分は師父に謝らないと……! あの時、師父にひどいことを――」

 

 口を開いた美煌(メイファン)をさえぎるように、(リュウ)はその小さな体を抱きしめた。

 

「何も言わないでください。私たちはお互いに過ちを犯した。けれどその過ちを越えて、私は再びこうやってあなたを抱きしめることができたんです。だからまた、私たちは通じ合えた。偽りなく互いを信じあえた分、きっと、以前よりも強く……」

 

「師父……はい……はい……! 師父の気持ち、ちゃんと伝わってるでありますよ……」

 

 美煌(メイファン)の声は涙で震えていた。(リュウ)の目からも、ひとすじの涙がこぼれた。

 

「私もです。あなたの気持ちも、決意も、伝わっています。離れていてもきっと伝わります。だから美煌(メイファン)、安心してお行きなさい。あなたが決めた、あなただけの道を」

 

「はい……!」

 

 暗い土砂降りの空へではなく、信じた明日に向かって飛びたとうとする少女を、(リュウ)は目を閉じ強く抱きしめた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 感動的な光景だった。悲しいすれ違いを越え、再び互いを信じあうことができた二人。絆を取り戻し、きつく抱き合う二人。これ以上ないほどに感動的な光景だった。

 だがそれゆえに、少し離れて二人をながめる砕次郎は悩んでいた。

 

 ――えっと……これは水を差しちゃダメなやつだよね……

 

 さすがにこの雰囲気を壊してはいけないのはわかっている。だが、砕次郎には手遅れにならないうちに、ひとつだけ伝えなければならないことがあるのだ。

 

 ――これたぶん本人も忘れてるんだよなあ……マズいよなあ……

 

 やはり放っておくのは危険、と判断した砕次郎はもう空気を読むのをやめた。抱き合う二人のもとへ、つかつかと歩いていき申し訳なさそうに声をかける。

 

「あーー、あの、水をさすようで悪いんですけどね、(リュウ)師範。そろそろ美煌(メイファン)をはなしてあげたほうがいいと思うんです。あんまりきつく抱きしめちゃうとですね。その、いろいろあってちょっと、いやちょっとじゃないな。けっこうなケガを、しちゃってるもんで。……っていうか痛くないのかい美煌(メイファン)?」

 

「……へ? ……あ」

 

 言われて美煌(メイファン)が、まのぬけた声を出す。

 それを聞いた(リュウ)は、青ざめた顔で美煌(メイファン)から体を離した。そしてその右腕が包帯でぐるぐる巻きになっているのに気づくと、その顔はさらに青くなる。

 

「め、美煌(メイファン)、なんで言わないんですかぁ!」

 

「忘れてたんでありますぅ!」

 

「あー、やっぱり自分でも忘れてたか……」

 

「ああああ……これ気づいちゃったらぁ、すっごい痛いでありますよぉぉ……!」

 

 再びぼろぼろと涙を流し始めた美煌(メイファン)を見て、砕次郎は「どうかその痛みの涙がさっきの感動の涙より多く流れたりしませんように」と頭の中で手を合わせて祈る。

 

「そりゃまあ、骨折ってレベルじゃないからねえ。骨とか筋とか、ボロボロだろうし……」

 

 あきれ顔の砕次郎の言葉を聞き、(リュウ)がうろたえる。

 

「あ、あの、そんなにひどいのですか? 完治は? まさか、日常生活に支障が出たり……」

 

「いや大丈夫じゃないかと思うんですけどね。もちろん、専門家じゃないんで断言はできませんけど。かろうじて絶対防御も発動したみたいですし、今はPICを限定稼働して腕を固定させてますしね。まあ、とは言ってもISの保護がなかったら、確実に右腕は再起不能のレベルだから……美煌(メイファン)

 

「は、はいぃ」

 

 涙目でこちらを見る美煌(メイファン)に、砕次郎はビシッと指を突き出す。

 

「キミは今から病院だ。どうしてもっていうから連れてきたけど、ほんとなら即、手術が必要なケガなんだからね。こっからは言うこと聞いてもらうよ」

 

「で、でも……」

 

 いまいち歯切れの悪い返事をする美煌(メイファン)。もう(リュウ)とは会えないのではないかと不安なのだろう。

 そんな美煌(メイファン)(リュウ)がたしなめる。

 

美煌(メイファン)、私も別れは寂しいですが、またいつか必ず会える時が来ます。今は彼の言う通り腕の治療が先決です」

 

「師父……」

 

「教えたはずです。その時々で自分のやるべきことを常に考えなさい。今あなたがやるべきは、別れを惜しむことではありません」

 

「は、はい……」

 

 師の言葉を受け、美煌(メイファン)はうなだれれた。いちおう納得はしたのだろうが、やはりその目は、どことなくもの悲しそうだ。

 

 ――ああ、もしかして、そういうことか

 

 ふと、砕次郎の頭にひとつの考えが浮かんだ。

 

 ――しょうがない。もうひとつくらい、わがままを聞いてあげようか

 

 砕次郎は、くくっ、とイタズラっぽく笑って声をかける。

 

「そんな顔するなよ美煌(メイファン)。もちろん、あまりのんびりしてるヒマはないけど、ケガのことを考えたら、すぐに旅立つってわけにもいかないだろう。まあ、少なくとも()()()()()()()()中国(ここ)にいないとね」

 

「ほ、本当でありますか!?」

 

 思った通りの食いつきを見せる美煌(メイファン)

 砕次郎は知っていた。そう、明日は美煌(メイファン)(リュウ)の特別な日なのだ。本当の誕生日ではないかもしれない。それでもきっと、美煌(メイファン)にとっては――

 

「大切な記念日なんだろう?」

 

「はい!!」

 

「そういうわけなんで(リュウ)師範。もう一日つきあっていいただいてもかまいませんかね?」

 

「ええ、もちろんです」

 

 微笑みながらうなずく(リュウ)を見て、美煌(メイファン)の表情がわかりやすく明るくなった。砕次郎は、やれやれ、と肩をすくめる。

 

「それじゃあ、キミはふもとの車で待機だ。僕もすぐに行く。ああ、エリスが後ろで寝てると思うけど、無理に起こしたら機嫌悪くなるからそのままにしといてくれ」

 

「了解であります!」

 

 砕次郎にうながされ、美煌(メイファン)金虎(ジンフー)を展開した。そして(リュウ)に深く頭を下げ、元気に飛び立った。

 

「師父、また明日であります!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「あなたには本当に感謝しています」

 

 美煌(メイファン)を見送ると、(リュウ)は静かに口を開いた。

 

「あなたはあの子を救ったのは私だと言ってくれましたが、あなたがいなければ美煌(メイファン)も、そして私も、きっと救われないままだった」

 

 (リュウ)が砕次郎に向き直り、頭を下げた。

 

美煌(メイファン)の師として、心からお願いをしたい。どうか、あの子のことをよろしくお願いします」

 

「そんなに簡単に僕らを信用してもいいんですか? どうとりつくろっても、僕らは世界のおたずね者、道理を外れたテロリストなんですけどね」

 

 砕次郎は遠くの山肌を眺めながら自嘲するように微笑む。

 

「もしかしたら、僕は自分たちの理想のためにあの子の力を利用しようとしているだけかもしれない。そうは考えないんですか?」

 

「おや、そうなのですか?」

 

 (リュウ)がからかうような視線を砕次郎に向けた。しかしすぐにその目は優しいものに変わり、再び砕次郎と同じように遠くを見つめはじめる。

 

「信じることにしましたから。美煌(メイファン)を。そして美煌(メイファン)が信じた、あなたという人間を」

 

「なるほど。そう言われちゃあ、あまり道外れたことはできませんねえ」

 

 ポリポリと頭をかく砕次郎を見て、(リュウ)はフフッ、と笑みをこぼした。

 

「それに、あの子はああ見えて、意外と頑固(がんこ)なところがあります。本人がやりたくない、やるべきでないと思ったなら、テコでも動かないでしょうからね。今のあの子なら、その辺の判断ももう大丈夫でしょう」

 

「ああ! それなんですよね、まったく!」

 

「え?」

 

 突然、大きな声を出した砕次郎に(リュウ)が目を丸くする。砕次郎はバツが悪そうに(リュウ)の方に向き直ると、苦笑いしながら、スミマセン、と謝った。

 

「いや最初は僕もね、そりゃちょっとは金虎(ジンフー)をアテにしてたというか、まあ平たく言や下心ももちろんあったんですよ。手持ちのI Sが増えればそれだけやりやすくなりますしね。あわよくばこちらの戦力増強に、と思ってたんですが……」

 

「首を縦には振りませんでしたか?」

 

「ええ。自分の戦う意味がちゃんと見つかるまでは、I Sで戦うのはやめるそうです。どうにか言いくるめようとも思いましたが、あんまり澄んだ目で見てくるもんだから。なんだか、こちらも毒気を抜かれちゃいましてね」

 

 (リュウ)は、そうですか、とつぶやき、笑みを浮かべたまま静かに目を閉じた。胸の中でまたひとつ、美煌(メイファン)の成長を感じているのだろうか。

 わずかな沈黙の後、(リュウ)はまた口を開いた。

 

「やはり、あなたは信用に値する人間のようだ。それを素直に打ち明け、断られてなお美煌(メイファン)と共にいてくれるというんですからね」

 

 砕次郎は首を振りその言葉を否定する。

 

「買いかぶりすぎですよ。また敵に回す可能性を残すよりは、手元に置いていた方がいいと考えただけ。あくまで理にのっとった、打算的な選択をしたまでです」

 

「ではそういうことにしておきましょう」

 

 おかしそうにクスクスと笑う(リュウ)。それを横目に砕次郎は不満げにつぶやく。

 

「そういうこともなにも、それだけなんですけどねえ」

 

「フフッ。あなた、本心を隠すのは得意みたいだが、嘘で自分を偽るのは苦手なようだ」

 

「心外だな。僕はどっちに関してもエキスパートだと自負してたんですが」

 

「おや、それは失礼」

 

 互いの軽口に微笑み合う(リュウ)と砕次郎。二人の間を風が吹き抜け、山々へと消えていく。

 再び、(リュウ)が深々と頭を下げた。

 

「あらためて、美煌(メイファン)のことをよろしく頼みます」

 

「師としてのお願いなら、すでにしっかりと引き受けてますよ。(リュウ)師範」

 

「いえ」

 

 顔を上げた(リュウ)はゆっくりと首を横に振り、右手を差し出した。

 

「これは美煌(メイファン)の、あの子の父としての頼みですよ」

 

 砕次郎はその力強い視線に応えるように笑顔を向けると、差し出された手をしっかりと握り返したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「(アコンプリス)


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第十五話 (アコンプリス)

前話ラストと前回の次回予告を修正しています。
(詳しくは1/24活動報告にて)


 ◇

 

 

 

「え……どういうことでありますか……?」

 

 ボロボロの診療所の狭い診察室。

 レントゲン写真をながめるチョビ髭の医者に、美煌(メイファン)は、理解できない、といった顔を向けた。

 

「ん、医者はなんて?」

 

 横にいた砕次郎が美煌(メイファン)にたずねる。

 砕次郎も基礎的な中国語の会話はできる。だが、この医者の中国語は()()()が強く、やたら早口で聞き取りにくいので、美煌(メイファン)に通訳になってもらっていた。

 

「それが、手術の必要はないって……」

 

「いや……そんなはずはないだろう……」

 

 それはどう考えてもありえない結論だった。砕次郎の見立てでは、腕がつながっていること自体が奇跡のような重症だったのだ。

 それが、手術の必要はない、とはどういうことなのか。

 砕次郎は「適当なこと言ってない?」という疑惑の目で医者を見る。

 すると医者は「なんだその目は。なら自分で見てみろ!」と言わんばかりに、レントゲン写真を砕次郎に突き出した。

 

「おいおい……」

 

 受け取った写真を見て砕次郎は言葉を失った。

 戦いの直後、砕次郎が美煌(メイファン)腕を()た時には、確かに即手術レベルの重傷だった。骨だけでも粉砕骨折は確実だっただろう。

 しかし、手にしたレントゲンにはまったく違う事実が写し出されていた。骨折こそしているものの、固定さえすれば完治する程度の、極めて軽度な骨折だったのだ。

 困惑する砕次郎に医者がなにやら話しかける。

 

美煌(メイファン)、なんて言ってる?」

 

「えっと、触った感じだと靭帯や筋肉にもそれほど大きな損傷は見られない。MRIにかけてみてもいいが、たぶん言っていたような大怪我ではない、と言ってるであります」

 

「ああ……これを見る限りだと、僕も同意見だ」

 

 砕次郎は横顔の冷や汗をそっとぬぐう。

 一瞬、医者が間違えて別の写真を持ってきたのではないか、とも疑った。が、すぐにその可能性は頭の中から消える。

 そんなミスをする医者ではないはずなのだ。

 確かに医者の姿はお世辞にも立派とは言えない。着ている白衣は、もはや()()と呼んだ方がいいほど黄ばんでいる。ぼさぼさの髪と胡散(うさん)臭さ満点のチョビ髭も、診療所を訪れた砕次郎と美煌(メイファン)をおおいに不安にさせた。

 だが、外装に反して整った設備と、医者との会話を経て、砕次郎はここはアタリだと確信したのである。

 

 ――それに、あのおじさんの紹介だ

 

 おじさんとはあの料理店の主人のことだ。

 店を出た後、いつのまに仕込んだのか、砕次郎のシャツのポケットの中にメモが入っていたのだ。ここの住所と、ご丁寧に「けがしたらここでみてもらうといいね。ひみつはまもってくれるよ」というメッセージを添えて。

 となれば、この古びた診療所が裏社会御用達(ごようたし)であることは簡単に想像できる。それはすなわち、誤診で死ぬのは()()()()()()()()、ということだ。

 

「わかった。それじゃ、骨折の治療だけお願いするよ」

 

 砕次郎の言葉を美煌(メイファン)が医者に伝える。医者はうなずくと、治療の準備をしに奥へと消えていった。

 

「自分ではどういう感じなんだい?」

 

 二人になった診察室で、砕次郎は美煌(メイファン)にたずねた。

 

「痛みや感覚は? 今朝と比べて変化はあるかい?」

 

「痛いは痛いのでありますが……たしかに、今朝みたいにまったく動かない感じではないであります。動かそうとすると痛む、というか」

 

「ふん……」

 

 あごに手をあてて考え込む砕次郎。そしてひとつの仮説をたてる。

 

「もっと単純に考えるべきかもしれないな」

 

「どういうことでありますか?」

 

()()()()()()

 

 平然と言う砕次郎に、美煌(メイファン)は驚いた。

 

「な、治ったって! まだ7、8時間しか経ってないでありますよ!?」

 

「そう。その7、8時間で治ったんだ。

 ちぎれた筋肉がつながって、裂けた靭帯が治癒して、粉々だった骨が復元された。だから手術はいらない。単純で合理的な仮説だろ?」

 

「ぜんぜん合理的じゃないでありますよ! そんなこと普通――」

 

 言いかけて美煌(メイファン)がハッとなる。

 そう、普通ではないのだ。人工的に造られたその体は、どんな特異な性質を持っていても不思議ではない。

 

「……でも、今まではこんなことなかったであります。たしかに、人よりはケガの治りは早かったでありますが」

 

「おそらく、イメージインターフェイスの暴走による、生体ナノマシンの超活性だ」

 

「へ?」

 

 突然出てきた聞きなれない単語に、美煌(メイファン)が軽いパニックを起こす。

 

「資料によると、キミの体の中には無数の医療用ナノマシンが移植されている。普段はそれこそ、ケガの治りを少し早める程度の働きしかしない。けど、昨夜の戦いでそのナノマシンが異常なほど活性化した」

 

「……? ……?」

 

 砕次郎は虚空を見つめながら、自分の仮説を検証するかのように言葉を続けていく。

 

「引き金は断链(ドゥァンリェン)の発動かな。

 操縦者の意識と直結した金虎(ジンフー)のイメージインターフェイスが、断链(ドゥァンリェン)の発動時、感情の爆発によって軽く暴走した。そして本能的な生存欲求を命令として受け取ったことで、体内のナノマシンを強引に同調制御(シンクコントロール)し、治癒速度を数千倍まで高めた、ってとこか。

 ま、それがあらかじめプログラムされたものだったのか、それともまったくの偶然の産物だったのかはわかんないけど……」

 

 と、ここまで解説して砕次郎は思い出したように隣を見た。そして美煌(メイファン)が頭から煙が出そうなほど混乱しているのに気づき、苦笑した。

 

「キミは難しく考えない方がいいかもね。やる気を出したらケガが早く治る、くらいの認識でいいさ」

 

「は、はあ……」

 

 うなずきはしたものの、美煌(メイファン)はまだ目をまわしている。

 その様子を横目に見ながら、再び砕次郎は深く考え込んだ。

 

 ――にしても……クローン技術だけじゃなく、ここまで高度なナノマシン移植となると、さすがに中国単体での開発と考えるのは無理があるかな? ナノマシン系の技術で抜きんでてるのはロシアだけど……

 

 砕次郎の目つきが鋭くなる。

 

 ――デザイナーベビーと生体移植。このキーワードからすれば、妥当なのは……

 

「やっぱドイツ……か」

 

 そうつぶやいた砕次郎の脳裏を、ふと、いやな予感がよぎった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「私がここに来た理由は……おわかりですね?」

 

 (ヤン)は談話室に入ってきた(リュウ)に鋭い視線を向けた。

 その顔を見て、(ヤン)は確信した。間違いなく、(リュウ)美煌(メイファン)の居場所を知っている。

 

「昨夜、(シォン)候補生が金虎(ジンフー)と共に研究施設から逃亡しました。現在もその行方は不明です」

 

「なるほど。それで私のところへ来たのではないか。そうおっしゃりたいのですね」

 

「それだけではありません。

 (シォン)候補生は昨夜、アンチテーゼと接触したという情報があります。そして今しがた、不審な男があなたを訪ねていたことも聞いています。

 正直に答えてください。(シォン)候補生は、今アンチテーゼと共にいるのではないですか? 

 あなたは奴らと何を話したのですか? 奴らは、いまどこに……!?」

 

 (リュウ)は椅子にもたれかかり、静かに息を吐いた。

 

「わかっているでしょう、管理官。私がその質問に答えることはありません」

 

「なぜですか! アンチテーゼは世界を敵に回したテロリストなのですよ!? 今ならまだ間に合います! このまま、(シォン)候補生も討伐の対象になってしまってもいいのですか!?」

 

 思わず声を荒げる(ヤン)

 だが、(リュウ)はいっさい動じることなく、静かに答える。

 

「あの子は、美煌(メイファン)は自分の道を選択したんです。私はその選択を信じると決めた。たとえ、あの子が世界を敵に回すとしてもね」

 

 (リュウ)の決意は固かった。もはや何を言おうとも、その意思を変えることはないだろう。

 だが、(ヤン)もまた、ここで引き下がるわけにはいかなかった。

 

「あなたが(シォン)候補生を信じているのは知っています。ですが、これはもはやあなたと彼女だけの問題ではありません。彼女がISを持ったままテロリストに(くみ)したとなれば、それはこの国そのものを揺るがしかねない事態なのです!」

 

 (ヤン)は乱暴にテーブルを叩いた。その反動でテーブルの上の湯飲みがガシャンと音をたてて傾く。

 その瞬間、目にもとまらぬ速さで(リュウ)の手が動き、倒れる湯飲みをつかみあげた。そして何事もなかったかのように一口茶を飲み、テーブルの上へと静かに戻した。

 

「っ……」

 

 たったそれだけの動作だった。殺気を放ったわけでも、にらみつけたわけでもない。

 だが、(ヤン)は明確にイメージしてしまった。自身の命の危機を。

 (リュウ)の手がつかんだのが湯飲みではなく、もし自分の首だったなら。そう思わずにはいられなかった。

 

「国を揺るがしかねない事態。あなたがたにとっては確かにそうでしょう。しかし私たちにとっては、これは道を定めたひとりの少女の問題でしかないんですよ」

 

「そんな、勝手な理屈が……」

 

 (ヤン)はなんとか声をしぼり出す。

 以前、殺気にあてられた時と同じ、いやあの時以上に体が重い。

 もちろん、本当に危害を加えられることはないだろう。だが頭ではそう理解していても、(リュウ)の静かなプレッシャーは本能に直接襲いかかってくる。

 

「勝手なことを言っているのはわかっています。しかし、これは自業自得でもあるのではないですか? あなたがたが心配しているのはISよりも、むしろ美煌(メイファン)の離反そのものでしょう」

 

「……どういう意味ですか」

 

「たしか、『人造兵士計画(バーサーカープロジェクト)』という名でしたね。あなたがたが世間に隠したがっているものは」

 

 (ヤン)が青ざめる。

 

「そこまで……知って……」

 

「安心してください。この情報をなにかに利用しようなどとは考えていません。もとより、私にそんな資格はありません」

 

「そういう問題ではっ……! もし、そこまで知っていてなおテロリストに加担していると上層部(うえ)に判断されれば、政府の敵になるはあなただけではありません! ここに住む全員、下手をすればその家族まで……」

 

 そこまで言って(ヤン)は我に返った。

 

 ――っしまった。

 

 とっさに口をつぐみ、不用意な言葉を吐いたことを後悔した。

 だが、もう遅かった。

 

「おやおや……まさか私を脅しているつもりなのですか?」

 

 椅子をきしませる音すらたてずに、(リュウ)がゆらりと立ち上がった。

 表情はおだやかなまま。しかし、まとう空気はもはや人間とは思えないほどの冷たさで(ヤン)にからみついてくる。

 焦りによって彼女が触れてしまったのは、間違いなく(リュウ)の、いや、『睚眦(ヤアズ)』の逆鱗だった。

 

「言ったはずです。あの子の自由を邪魔するのであれば、私は持てる力のすべてを使って敵になると。そちらがその気なら容赦はしませんよ」

 

 (ヤン)の前にいるのは、もはや温厚な武術家ではなかった。何人もの血を浴びてきた魔眼の化け物だ。

 今、その目はまばたくこともせず(ヤン)を見下ろしている。

 

「まさかお忘れではないでしょうね? 私が過去に、誰の命令で何をしてきたのか。何ができる人間なのか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 もはや屈する以外の選択肢はなかった。国ですら絶対に敵に回してはいけない怪物、それが劉 瑛樵(リュウ エイショウ)という男なのだから。

 

「……し、失言でした」

 

 全身を硬直させたまま、(ヤン)が謝罪する。

 (リュウ)(ヤン)を見下ろしたまま、静かに言った。

 

「ツケがまわってきたんですよ。人の立ち入っていい領域を超え、あまつさえ命を道具として扱おうとした、そのツケが」

 

「……」

 

「あなただけを責めるつもりはありません。誰が悪いわけでもない。これは皆で背負うべき十字架です。もちろん、事実から目をそらしてきた私も含めてね」

 

 なにも反論することはできなかった。しようとも思わなかった。

 (ヤン)自身、計画を快くは思っていなかった。だが(リュウ)の言う通り、それに目をつぶった時点で、(ヤン)もまた共犯者でしかないのだ。

 だから何も言えなかった。

 

「これ以上、お話しすることもないでしょう。お引き取りください」

 

 (リュウ)にうながされ、よろめくように立ち上がる。

 時間にして10分ほど。ただそこに座っていただけだったが、(ヤン)は信じられないほど疲弊(ひへい)していた。

 

 ――上層部に、どう報告をしたものでしょうか……

 

 ふらつく足取りで部屋を出ようとしたときだった。

 胸ポケットの小型端末(デバイス)が振動し、着信を知らせた。

 (リュウ)に断りをいれ、電話に出る(ヤン)

 

「な……」

 

 その顔が再び青ざめていく。

 

「っ……わかりました……」

 

 1分に満たない通話を終え、(ヤン)が振り返る。

 

「たった今、上層部から通達がありました。中国政府は……この件から完全に手を引きます」

 

「どういう……ことですか」

 

 言葉だけを見れば、美煌(メイファン)の離反を見逃すということだろう。

 だが、最高機密のかたまりのような存在である美煌(メイファン)の自由を、政府が認めるはずはない。

 すなわち、その決定が意味するのは――

 

「まさか、後始末を他国にやらせるつもりなのですか……!? 身内の恥をさらすリスクを負って、いったいどこに……」

 

「推測ですが、介入してくるのはドイツです」

 

「その根拠は?」

 

「もともと人造兵士計画(バーサーカープロジェクト)は、ドイツの強化人間計画(フェアシュテルケンスプラン)から技術提供を受けたものです。それゆえに、少なくとも計画自体を弱みとして握られることはありません」

 

「しかし、それでもドイツに借りを作ることに変わりはないでしょう。自国の立場を危うくしてまで、いったいなぜ……?」

 

 目線を落とし考え込んでいた(ヤン)が顔をあげる。

 

「おそらく……(リュウ)さん、あなたの存在です」

 

「私……?」

 

「上層部がもっとも懸念(けねん)していたのは、政府の暗部を知るあなたを敵に回すことです。中国政府が直接に手を下そうとすれば、あなたが最大の壁になることは明白。ですから……」

 

「先手を打ってドイツに丸投げしたということですか。私が脅威たりえない他国(ドイツ)に……」

 

「してやられました。上層部の目的は最初から、(シォン)候補生の拘束ではなく、確実な処分……!」

 

 (ヤン)が拳を握りしめる。

 

「すでにアンチテーゼ討伐の全権がドイツに移った以上、私たちには……なにもできません」

 

 その言葉通り、もはや打つ手はなかった。

 上層部にとって(リュウ)の存在はアキレス(けん)そのものだ。ゆえに中国政府に対してならばいくらでも脅しが効く。

 最後の手段として要人の暗殺をほのめかしてもいい。本気の(リュウ)を止められる人間は、この国にはいないのだから。

 だが他国が相手ならば止められない。美煌(メイファン)を守るために、(リュウ)ができることは何ひとつない。

 できることがあるとするなら――

 

「それでも私は信じています」

 

「……え?」

 

「あの子の目は未来を見ていました。こんなところで終わるはずがない。いや、きっと終わらせない。彼なら……」

 

 アンチテーゼを、砕次郎を信じることだけだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ロシア上空を覆う真っ白な雲海。その上を、巨大な翼を広げた黒い影が高速で飛行していた。

 

『もうすぐ着く頃かしら? 何か変わったことは無い?』

 

 どこかおっとりとした声の通信に、影は淡々と答える。

 

「特に異常はありません。現在、イルクーツク上空、高度1万フィートをマッハ1.2で飛行中。目的地到着は1時間16分後です」

 

『はーい。機体の調子も良さそうで安心したわ。こちらも順調ですよ。ついさっき、上から正式な許可が出ました。

 それでは……んっん、こほん。現時刻をもって作戦内容を変更。中国政府の緊急要請を受諾(じゅだく)し、同国内における目標ISおよび敵勢力の殲滅(せんめつ)を目的とした武力介入を、貴官の新たな任務とします。

 現空域での長距離間高速巡航訓練を中止し、ただちに指定のポイントへと向かってください。なお、以後の詳細な判断は貴官に一任します。

 ……ってことだから、しっかりね、フラン』

 

「任務変更を了解。フランツィスカ・リッター、シュヴァルツェア・メーヴェ・フェアヴェッセルング――」

 

 

 

「――強襲します!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「黒、強襲(ナイトレイド)


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第十六話 黒、強襲(ナイトレイド)

サブタイトルの元ネタ
大好きです( ´∀` )
ちなみに元ネタでは夜のnightですが、この話では騎士のknightを考えてます。


 ◇

 

 

 

 あらためて、中国(ここ)に暮らす人々の『食』に対する情熱はすごい。診療所からの帰り道、砕次郎は路地を歩きながら、ふと思う。

 砕次郎と美煌(メイファン)が歩いているのは、例によって大通りから大きく外れた裏路地だ。行きにここを通った時は人の姿はほとんど無かった。なんなら野良猫の方が多かったほどである。

 しかし昼食時だからだろうか、今は同じ場所が過剰なレベルの活気にあふれていた。

 どこからひっぱってきたのか、無数の屋台がところせましと並び、不安になるほど低価格のグルメをたたき売りしている。売り手も買い手も声を張り上げて会話をしているせいで、個々の会話はまったく聞き取れない。

 いったい何を売っているのかと見てみれば、まんじゅうや焼き芋、麺類のような見慣れたものから、何の肉か明記していない串焼きや、どう見ても節足動物にしか見えない謎の揚げ物まで様々だ。

 規律という言葉を蹴り飛ばすようなカオスな光景だったが、砕次郎はその喧騒に謎の感動を覚えた。

 

 ――さすがは美食と寄食の楽園。さしずめ、食の四千年帝国ってとこだね

 

 こんがりきつね色のムカデをパリパリかじっている子供を見ながら、砕次郎はぼんやりとそんなことを考える。

 

 ――こういう熱気や活力は見習いたいもんだな

 

 まわりの様子など気にすることもなく、騒ぎ、笑い、怒る人々。そんな彼らを、すこしうらやましい、と思ってしまった。

 他人に無関心でいられる。それは砕次郎にとって、ある意味もっとも難しいことだったからだ。

 どこに敵がいるかわからない、という理由だけではない。

 そうなる前から、砕次郎という人間はあまりにも――

 

 と、

 

「ふわあぁ……」

 

 隣を歩く美煌(メイファン)がとつぜん大きなあくびをした。

 大きく口を開けて目をこする姿が微笑ましく、砕次郎はフッと笑みをこぼす。

 

「お疲れの様子だね」

 

「あ、はい……。さすがにちょっと眠くなってきたであります」

 

 無理もない。

 いかにも健康優良児な美煌(メイファン)のことだ。毎日、早寝早起きをこころがけていたに違いない。

 それが昨晩は一睡もしていないのだ。ことがことだっただけに、心労(ストレス)も大変なものだっただろう。

 今になってどっと疲れが出て眠くなるのも当然である。

 

 ――それに加えてかなり無茶な速度で体を治してるからな。その分、体力も消耗してるはずだ

 

 砕次郎は美煌(メイファン)の右腕に目をやる。

 結局、腕をギプスで固定した以外、たいした治療はしなかった。必要なかったと言った方がいいだろう。もしかしたらギプスも2、3日でいらなくなるかもしれない。

 その事実は美煌(メイファン)にとって、自分が普通の人間ではないことをあらためて自覚させられるものだったはずだ。

 平気にふるまってはいるが、やはり少なからずショックを受けているようだった。

 

 ――それを考えれば、精神的にも休息が必要だろう

 

  美煌(メイファン)を気づかい、砕次郎は優しく声をかける。

 

「ホテルに着いたらゆっくり休むといい。どんなに強くても、キミはまだ子供だ。よく寝てよく食べて、大きくならないとね」

 

「でありますな。……そういえばお腹も空いてきたであります」

 

「ああ、僕もだ。考えてみれば朝は何も食べなかったからな」

 

 と、ここで砕次郎の思考は、ここにいないもうひとりの人物へと移った。

 

 ――あー、……ということはエリスもそうとう空腹だろうな

 

 いつもの無表情で不機嫌オーラを出しまくるエリスの様子が目に浮かぶ。

 

「途中でなんか買っていこうか。ひとりで待機してるエリスの分も」

 

「了解であります! 何がいいでありましょうなあ?」

 

 エリスへのおみやげをあれこれと考えながら、満面の笑みを咲かせる美煌(メイファン)

 つられるように砕次郎の表情も柔らかくなる。この子なら心配ない。あらためてそう思えた。

 が――

 

「あ、あそこの屋台とかどうでありますか?」

 

 にこにこ顔の美煌(メイファン)が指さす先を見て、砕次郎から笑顔が消える。

 

「……いや……看板に『(ヘビ)』って書いてあるんだけど……」

 

「前に道場の裏で捕まえたのを焼いて食べた時は美味しかったでありますよ? その時は師父に怒られたでありますが、店で売ってるのならきっとだいじょうぶであります!」

 

 その自信に満ちた笑顔を見た瞬間、砕次郎の心はなんだかよくわからない不安でいっぱいになった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 彼女は待っていた。

 薄く広がる雲の下、じっと地上の標的を見すえ、攻撃のタイミングを計っていた。

 そして、ついにその時は訪れる。

 民間人――なし。

 建造物――少数。

 戦闘時の周辺被害――軽微と推測。

 様々な条件が彼女の望む状況と合致する。

 

「作戦開始だ」

 

 彼女の声に合わせて、背中の黒いカスタムウイングが大きく広がる。

 一呼吸の後、背後の雲を吹き飛ばしながら、彼女は上空6000mからの急降下を開始した。

 

 衝撃波を輪のようにまといながら超音速で真直ぐに降りてくる、それはまるで、昼空を切り裂く漆黒の流星のように見えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 最初に反応したのは美煌(メイファン)だった。

 

「っ!?」

 

「ん? どうし――」

 

 振り返った砕次郎のえりくびを左手でつかみ、思いきり後ろに放り投げる。と同時に自分も地面を蹴って後ろに飛びのく。

 

「おわわわわ!」

 

 悲鳴をあげながら砕次郎が3mほど地面を転がり、その横に美煌(メイファン)が着地した瞬間――

 

 地を叩き割るような爆音と衝撃が2人を襲った。

 砂煙が噴きあがり、吹き飛ばされた小石があたりにバラバラと降り注ぐ。

 

「ったたた……もう少し丁寧に助けてほしかったな……」

 

「ごめんなさいであります」

 

 すり傷だらけで体を起こす砕次郎に、美煌(メイファン)は前を警戒したまま謝罪をした。

 その視線の先、砂煙の向こうで何者かの影が大きく翼をひらいた。一拍おいて風が吹き荒れ、視界をさえぎる砂煙を吹き飛ばす。

 

「……が、そうも言ってられない状況でありましたので」

 

 クリアになった2人の視界に映ったのは、さっきまで自分たちがいた場所にできたクレーターと、その中心に突き刺さっている漆黒の大剣。そして、一対の巨大なカスタムウイングを広げ浮かぶ、黒い騎士甲冑のようなISの姿であった。

 凛とした顔つきと、ブロンドのポニーテール。その操縦者は、砕次郎の知っている人物だった。 

 

「何者でありますか!?」

 

 襲撃者を知らない美煌(メイファン)は砕次郎をかばうように前に出る。

 黒いISは地面の大剣を引き抜くと、ガシャリと剣先を美煌(メイファン)に向けた。

 

「ドイツ空軍特務少尉フランツィスカ・リッターだ。

 中華人民共和国、元代表候補生熊 美煌(シォン メイファン)。そして後ろの男はテロ組織『アンチテーゼ』の構成員だな?

 悪いが、貴様らに対し殲滅しろとの命令が出ている。……覚悟してもらおう」

 

「っ……」

 

 フランツィスカの鋭い視線に美煌(メイファン)気圧(けお)される。

 そのかたわらで、砕次郎はゆっくりと立ち上がりながら考えを巡らせてていた。

 

 ――()る気まんまんだな。さて、どういう会話に持っていくべきか……

 

 慎重に言葉を選ぼうと頭をフル回転させる砕次郎。

 だが、口を開いたのは砕次郎ではなく美煌(メイファン)だった。

 

「ぜ……」

 

 砕次郎の心臓がはねる。

 

 ――お、おい、何を言うつもりだ!?

 

「ぜんぜん違うでありますっ!! ひ、人違いではっ!?」 

 

 ピシリと空気が凍りついた。

 瞬間、砕次郎は「この子は空気感というものをぶちこわす天才なんじゃないか?」と直感する。

 

「自分はメイなんとかさんじゃないでありますし! こ、この人もアンなんとかさんじゃないであります! 人違いでありますよぉ、やだなぁ……」

 

 必死でこの場をごまかそうとがんばる美煌(メイファン)だったが、いかんせん、それはごまかしのていすら成していなかった。

 実直という言葉をそのまま人型にしたような彼女のことだ。これまで嘘などほとんどついたことがなかったのだろう。

 玉のような汗を浮かべ、くるくると目を泳がせるその様子は、滑稽(こっけい)を通り越して(あわ)れにすら思えてくる。

 見つめるフランツィスカの目にさえ、憐憫(れんびん)の色が浮かんだほどだ。

 

「……美煌(メイファン)

 

 砕次郎はできるだけ優しく声をかけた。

 

「あ、だ、ダメでありますよ! いま自分は美煌(メイファン)じゃないことになってるんでありますから……」

 

「あのね、美煌(メイファン)。キミががんばってくれてるのはとっても嬉しいんだけど、残念ながらあの人はもう全部わかってるんだよ。ほら、さっきいきなり攻撃してきただろう? それは僕らが攻撃対象だってわかってたからだろ?」

 

 ハッという表情で固まる美煌(メイファン)。その固まった顔が徐々に赤くなっていく。

 

「は……はあぁ……」

 

 真っ赤な顔で湯気を噴く美煌(メイファン)もかわいそうだったが、砕次郎はフランツィスカに対しても少し申し訳ない気持ちになってしまった。

 この茶番としか言いようがない会話を、あきれたような顔をしながらも律義に待ってくれているのだ。それも殲滅せよとの指示が出ている相手に対して、である。

 おそらく生まれつきであろう生真面目な性格。そのせいか、どこか人の良さを捨てきれてない。

 砕次郎は心の中で謝罪した。せっかくの真面目な空気を壊してしまったこと。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()に。

 

 ――ヒヤッとしたが結果オーライだ。よくやった美煌(メイファン)

 

 砕次郎は美煌(メイファン)の頭をポンとなで、フランツィスカに向き直った。

 

「いや、なんかごめんね。ただ、確かにキミの言葉にはひとつ訂正すべき箇所がある」

 

「……まさか貴様も『別人だ』などと、とち狂ったことを言い出すんじゃないだろうな」

 

 苦々しい顔のフランツィスカを馬鹿にするように、砕次郎がニヤリと笑った。

 

「まさか。訂正したいのはね……僕はアンチテーゼの構成員じゃなく、リーダーだってことだよ! ハッハァ、その後ごきげんいかがかな、少尉?」

 

 フランツィスカのまとう空気が再び張りつめた。

 競技場で言葉を交わしたアンチテーゼのリーダー。目の前にいる男がその本人だとは思っていなかったようだ。

 

「……情報提供を感謝する。おかげで――」

 

 瞳に敵意が満ち、燃えるような殺気が空気を焦がす。

 

「――思ったより早くアンチテーゼを潰せそうだ!!」

 

 言うが早いか、フランツィスカは構えなおした大剣を砕次郎めがけて振り下ろした。

 だが次の瞬間、金属同士がすり合わされるような鋭い音が響き、剣の軌道が大きくずれた。そのまま大剣は地面をえぐり、はね飛ばされた土が宙を舞う。

 攻撃の瞬間、割り込んだ美煌(メイファン)金虎(ジンフー)の左腕だけを展開し、振り下ろされる剣を受け流したのだ。

 ISの展開が任意のものである以上、その展開速度は使用者の反応速度を超えることはない。その事実が、美煌(メイファン)の実力を如実に物語っていた。

 そう。どんなに間の抜けた言動があっても、熊 美煌(シォン メイファン)は近接格闘最強のルーキーとうたわれる代表候補生なのである。

 それを再確認し、フランツィスカは素早くバックステップで距離をとった。

 

「……やっと真面目にやる気になったか」

 

「とんでもない! 空回りはあれど、自分はいつだって大真面目であります!」

 

 金虎(ジンフー)を完全に展開し、美煌(メイファン)が構える。

 だが、砕次郎はその構えにわずかな違和感を感じた。やはり無意識に右腕をかばっているように見える。

 当然と言えば当然だが、まだ痛みがあるということだろう。ナノマシンの超速再生はだいぶ効果が落ちてきたらしい。

 それでも美煌(メイファン)はやる気のようだった。

 

「自分、今は戦う理由を探す身であります。ですが、あなたが自分たちを殺す気でいるというのなら、黙ってやられはしないでありますよ!」

 

 万全、という顔をして、砕次郎をかばうようにフランツィスカとの間に立ちはだかっている。

 自分を救ってくれた砕次郎を必ず守ってみせる。そう宣言しているようだった。

 

 ――ならその気持ち、ありがたく受け取らせてもらおうか

 

 砕次郎は頭の中で組み立てていたプランを少し変更した。

 少しでも勝率が高くなるならば、偶然生まれた微妙な空気も、愚直な少女の献身も、使えるものは何でも使う。この世界からすべてのISを消し去るその日まで、自分たち(アンチテーゼ)に敗北は許されないのだから。

 

美煌(メイファン)、ひとつ忠告だ」

 

 臨戦態勢の美煌(メイファン)に呼びかける。

 おそらくフランツィスカの機体はシュヴァルツェア・メーヴェの改修機。大きな仕様変更がないとすれば、やはり美煌(メイファン)にとってネックになるのはあの装備だ。

 

「相手が六角形の盾を出して来たら気をつけろ。(もろ)そうに見えるけど、近づいた物体すべてを問答無用で停止させるAIC兵器だ。突きも蹴りも効かないからね」

 

「な……反則レベルの武器でありますな! 了解、気をつけるであります!」

 

「オーケー。向こうも格闘戦特化の機体だ。キミとの相性は悪くない。ただし、どんな隠し玉があるかはわからないから、油断はするなよ」

 

「はい!」

 

 美煌(メイファン)が大きな声で返事をするのと同時に――

 

「いいかげんにその悠長なおしゃべりをやめろ!」

 

 しびれを切らしたフランツィスカが袈裟がけに斬りかかった。

 

「うぉっと!」

 

 のけぞるようにして紙一重でそれをかわす美煌(メイファン)。そして起き上がる反動を利用し、重心を大きく移動させて左の掌底を放つ。

 だが自分の攻撃をかわされた瞬間にスラスターウイングを前へと向けていたフランツィスカは、そのまま逆方向の加速で距離をとり、離れざまに今度は突き出された左腕を狙って剣を振り上げた。

 美煌(メイファン)はすかさず体を半回転させ腕を引き、空を切った剣の腹を右脚ですばやく蹴りつける。

 

「くっ!」

 

 崩れたバランスをすばやく立て直し、フランツィスカは再度その黒い大剣を構えた。

 右脚を下ろした美煌(メイファン)がニッと笑う。

 

「やるでありますな! 敬意をもって、あらためて名乗らせてもらうであります。

 統派劉勁流八極拳(とうはりゅうけいりゅうはっきょくけん)瑛樵(えいしょう)流総合武術道場門下、熊 美煌(シォン メイファン)! 

 そして専用IS金虎(ジンフー)! 

 全力でやらせてもらうでありますよ、フランツィスカさん!」

 

 そのあまりに堂々とした名乗りに、フランツィスカの顔にも小さく笑みが浮かんだ。

 

「ドイツ空軍、特別情報統制機関『番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)』所属、特務少尉フランツィスカ・リッターだ。

 専用機の名はシュヴァルツェア・メーヴェ・フェアヴェッセルング。

 君のような子は嫌いじゃないが、こちらも命令を受けている以上、手加減はできない。たとえ()()()()()()()()()としてもな」 

 

「さすがにバレてたでありますか」

 

 美煌(メイファン)が苦笑した。だがすぐに集中を高め、フランツィスカに向けて構えをとる。

 

「ですが、もとより手加減など不要であります。これから自分が歩くのは間違いなく(じゃ)の道。覚悟は、とうに完了してるであります!」

 

 奮い立つ獣がその毛を逆立てるように、金虎(ジンフー)はスラスターを一気に広げ空へと駆け上がった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 少し離れた建物の中に身を隠して、砕次郎はフェアリア・カタストロフィのプライベート・チャンネルを呼び出した。すぐにエリスが通信に応じる。

 

『出番……?』

 

「いや、もう少し美煌(メイファン)にがんばってもらおう」

 

『わかった』

 

「シンデレラグレイのチャージは?」

 

『とっくに終わってる』

 

「オッケー。じゃ、合図をしたらよろしく頼むよ」

 

『了解』

 

 手はずを確認し終えると、砕次郎は静かに息を吐きだした。

 プライベート・チャンネルは開いたまま、美煌(メイファン)とフランツィスカの戦いを遠巻きに見守る。

 

 ――来るならドイツだろうと思っていたが、まさか彼女とはね

 

 砕次郎には驚いていることが2つあった。

 ひとつは襲撃者がフランツィスカであったことだ。

 自分たちを取り逃がしたフランツィスカがまったくのおとがめなしだったはずがない。仮に謹慎ですんだとしても、一週間やそこらで解けるものとも思えないのだ。

 そして、もうひとつ。

 

 ――いったいなにがあった……リッター少尉

 

 モニター越しにとはいえ、ドイツですでにフランツィスカを()()()いた砕次郎は、彼女の変わりように驚いていた。

 今、美煌(メイファン)と戦っている彼女は、砕次郎の知っているフランツィスカとは明らかに違う。今でこそ美煌(メイファン)のペースに乗せられてはいるが、不意打ちで命を奪おうとしたことや、標的の殲滅という任務に就いていること自体、以前の彼女からは考えられないことだった。

 わずかに見え隠れしていた迷いはすでになく、かわりにその瞳には揺るぎない『覚悟』が宿っていた。

 

 ――変わった……? いや、()()()()()……か

 

 砕次郎は考える。

 フランツィスカが所属する番犬部隊(ヴァイスヴァハフント)。そこに、一週間足らずで彼女をあそこまで成長させた人間がいる。そして少尉がこの任務に就けるよう手をまわしたのも、おそらく同じ人間だ。

 フランツィスカの背後にいる人物を想像した時、砕次郎は背筋を逆なでにされるようなゾワリとした感覚を覚えた。

 だが、それは恐怖や不安ではなかった。むしろそれは、ある種の歓喜をはらんだ福音のようにも思えた。

 

 ――間違いない。僕と()()()()()の人間だ

 

「……フッ……ク……フフ……」

 

 うつ向いた砕次郎の口から唐突に笑いがこぼれた。

 

『……砕次郎?』

 

「……いや、ごめん。気にしなくていいよ」

 

 不信がるエリスを安心させるように、「なんでもない」と答えた砕次郎。

 だが、その口元は三日月のように歪んだまま、まだ見ぬ怪物に笑いかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「幻想装飾(カスタムファンタジア) 前編」


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