IS×SAO 黒白と共に駆ける影の少年 (KAIMU)
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一話

 二作目になります。一作目と同様、やりたい事をやっていくスタイルでいきます。


 織斑一夏は今、かつてない程の窮地に追い込まれていた。今は無きアインクラッドで幾度となく経験したボス戦でも、ここまで精神的に追い詰められた事は無かった。

 

 (コレは……マジでキツイ……!)

 

 背中に突き刺さるソレはどんな槍よりも鋭く、容赦なく彼にダメージを与え続ける。……一夏にとって、それほどまでの凶器となっているのだ。  

 

 

 ―――女子達の視線が。

 

 「……何でこうなっちまったんだ……」

 

 少しでも気を紛らわそうと、過去を振り返って現実逃避を試みる。

 

 (SAOがクリアされてから……弾と一緒にリハビリ頑張って……オレが向こうで見て、聞いて、感じた事を千冬姉に解ってもらうまでケンカして……)

 

 確かにSAOは、一夏から多くの物を奪った。だが同時に、現実世界にいたままでは得る事が出来なかったものを数多く与えてくれたのだ。

 

 (あの城に行かなきゃ……キリトさんやアスナさん達と会う事なんて無かったよなぁ……)

 

 今は自分の後ろにいる為、その姿を見る事は出来ないが……一夏にとって、本当の兄や第二の姉のような存在との出会いは、己を大きく成長させてくれた。

 例え全てがデータの塊でしかない偽物の世界であっても―――そこで得た、人との繋がりは、通わせ合った心は本物だから。

 

 (でも……一番大事な時に、力になれなかったんだよな……)

 

 現実世界に帰還してから、唯一の家族である姉の千冬は、VR関連の事には否定的になっていた。そんな彼女を説得するのは容易な事ではなかったが、一夏もまた、譲れない想いがあった。

 今まで経験した事が無いほどの大ゲンカとなり、年を跨いで続いたそれが終わったのが2月の頭だった。その間にキリトこと桐ケ谷和人は須郷の手によって別の仮想世界―――ALOに捕らえられた最愛の少女、アスナこと結城明日奈を救出していた。たった一人の家族と何とか和解できた事には何の不満も無いのだが……SAOで何度も助けてくれた人達の力になれなかったのは少々複雑な気持ちになってしまうのだ。

 

 (で、なんだかんだでISを動かしちまったんだっけ……)

 

 一夏達が現実に帰還してから知ったのだが……アインクラッドで閃光と呼ばれた少女、明日奈は、IS適正がSで、ログイン前からIS学園への進学が決まっていたのだ。

 しかも貴重なランクSを手放すつもりが無い日本政府によって、明日奈の進路はSAOクリア後も変わる事無くIS学園のままとなっていた。

 全寮制のIS学園に入学してしまえば、明日奈は恋人である和人をはじめ、現実世界で再会を果たした仲間達と会える機会は極端に少なくなってしまう。という事で明日奈は、入学前にデートを兼ねた仲間達との思いで作りとしてどこかに外出がしたいと和人に頼み、和人もまたそんな彼女の願いを叶えようとした。そしてデートスポットを探している途中で都合よく、実物のISが置かれている展示会を見つけた。

 本来ならデート等で行く場所ではないが、明日奈の進路を考えれば実物を見るのも悪くは無いと判断した和人によって、連絡の取れる範囲でSAOでの仲間を呼んでそこへ足を運んだ。

 当然一夏もそれに参加したのだが……予想以上の人混みに流されて和人達とはぐれた挙句、ふとした拍子に転びそうになった。慌てて近くにあるものに手をついた次の瞬間、視界が閃光に包まれ、膨大な量の情報が直接頭に流れ込んできた。

 

 (あの時は……本当にびっくりしたぜ……)

 

 時間は、ほんの一瞬。視界が元に戻ると、一夏はその場にいたほぼ全ての人達に注目されていた。どこを見ても、驚愕の表情をした人、人、人……

 軽くトラウマになるような状況の中、はぐれた和人達がやってきて、一夏はようやく己の身に何が起きたのかに気づいた。

 

 ―――ISを……その身に纏っていたのだ。

 

 一夏が手をついたのは、展示用のIS、打鉄(うちがね)だった。この打鉄はコアこそ取り除かれていなかったものの、本来なら誰が触れても起動しないようにロックがかけられていた。だがそれがどういう訳か一夏が触れた途端に起動したのだ。

 男がISを動かしたという事に、誰も彼もが度肝を抜かれた。すぐにサングラスに黒いスーツの、如何にもといった人達に連れられて、あれよあれよとしているうちに、一夏はようやく取り戻した筈の普段通りの生活ができなくなってしまった。

 

 ―――世界初の男性操縦者として、一夏は瞬く間に有名人にされてしまったのだから。

 

 (んで……気づいたらSAOサバイバーの学校からこっちに入学するようになってたんだっけ……)

 

 SAOサバイバーの中の元学生達は、遅れた2年間を取り戻す為に国が用意した学校へ入学する事になっていて、一夏も和人や弾と共に入学する予定だったのだ。

 だが、一夏が強制的にIS学園に入学させられたのには理由がある。IS学園は優秀なIS操縦者及び技術者を育成する施設であり、少しでも優秀な人材を求める国同士の勧誘争いから生徒達を守る為に、IS学園には一つのルールがあるのだから。

 それは即ち、’IS学園はいかなる国家、組織にも帰属しない’という事。財源の確保等は基本的に日本が行っているが、これがある為にIS学園は独立した一つの国ともいえる。希少価値の高い男性操縦者を己の物にしようと、手段の合法・非合法問わずに狙う国家や組織から一夏を守る為、国際IS委員会が彼をIS学園に入学させたのだ。

 もっとも、その後各国で行われた男性のIS適合試験でISを動かせる少年が二人現れたので、一夏と同様の措置がとられたが。

 

 (キリトさんが来たのは……すっげぇ心強かったっけ)

 

 そう。一夏以外にISを動かした二人の内一人は、和人だったのだ。SAOでも色々と無理、無茶、無謀な事をケロッとした顔でやってのけた彼だったので、割と驚きはしなかった。むしろ、明日奈と共にいたいという彼の、愛の力がISを動かしたんじゃないかな~、と一夏は半ば以上本気で思っていたりする。

 

 (まぁ……何はともあれ、またキリトさんやアスナさん、それと……アイツと一緒に過ごせるなら結果オーラ―――)

 

 「―――ら君!織斑一夏君!!」

 

 「は、はい!」

 

 だが、一夏は少しばかり現実逃避の時間が長すぎた。気づけばすでに教師らしき女性が目の前におり、自分の名を呼んでいるのだから。ほぼ反射で返事をしつつ立ち上がった彼に、教師らしき女性―――山田真耶はとてもオドオドした様子で声をかける。

 

 「お、大声だしちゃってゴメンね?お、怒ってる?怒ってるよね?でも自己紹介が’あ’から始まって今’お’なんだよね。だから……じ、自己紹介してくれないかな?ダメかな?」

 

 小柄な体に緑の髪、そして童顔。やや大きい眼鏡とサイズの合っていないダボッとした服の影響もあってか、中学生が背伸びして大人の恰好をしているように見える。だが一部分だけやたらと自己主張の激しい所があり、彼女がワタワタとするのにあわせて動くソレは一夏にとっては目の毒だった。

 何より、オドオドしている彼女を落ち着かせるために、一夏は口を開いた。

 

 「いや、怒ってませんから!自己紹介もちゃんとやりますって!」

 

 「ほ、本当ですか!?絶対ですよ!」

 

 本来なら真耶の方が年上の筈だが……とてもそうは思えない彼女がやっと落ち着いたのを確認してから、一夏は意を決して振り向く。

 

 「うっ……!」

 

 今まで背中で受けていたからこそ耐えられた視線。それを正面から受け、一夏は思わずたじろいだ。彼を襲うプレッシャーはあまりにも大きかった。つい助けを求めようと周囲に視線を泳がせると、窓際の席に座る、一夏にとっては非常に懐かしい少女が目に映った。

 

 「…………」

 

 (え…………マジ!?)

 

 だが、それもアッサリ潰えてしまった。髪をリボンでポニーテールに縛っている幼馴染の少女―――篠ノ之箒は、一夏の視線に気づくと不機嫌そうな顔ですぐさまそっぽを向いてしまったのだ。元々人付き合いが苦手で少々素直になれない性格であるのはよく覚えていたが、それでもこの状況でこうもバッサリ切られたのは中々ダメージが大きい。

 それでもめげずに視線を彷徨えば、今度は見慣れた栗色の髪の少女と目が合った。彼女こそが、一夏の兄貴分である和人の恋人の明日奈だ。彼女は先程の箒とは違って柔らかく微笑んでおり、何かを伝えようと口を動かし始めた。

 

 ―――頑張って

 

 一夏は読唇術を身に着けていた訳では無いが、それでも何故か彼女の言葉は読み取る事ができた。何度も世話になった姉貴分に格好悪い所は見せられないと思った彼は、ようやく決心したように一度深呼吸をする。

 

 「初めまして、織斑一夏です。得意な事は家事全般で……ISについてはほとんど素人だけど、これから頑張ろうと思います」

 

 ありのままの自分を、思いつくままに簡潔に言葉にした。我ながら無難な挨拶だろうと一夏は思ったのだが―――

 

 (……アレ?)

 

 クラスメイト達からのプレッシャーが、無くなっていない……むしろ、それで終わりじゃないよね?的な圧力がかかってきていた。

 これはまずい。非常にまずい。彼女達の期待に応える為にはどうすれば良いのかが一夏の頭には浮かばず、かといってこのまま黙っていれば根暗のレッテルを張られてしまいかねない。そんな局面で彼がとった行動は―――

 

 「い……以上です!」

 

 堂々と打ち切る事であった。その結果、続きを期待していたクラスメイト達は皆盛大にズッコケる。

 

 (……なんか皆ノリいいなぁ……このクラスで芸人いける人ってどれくらいいんのかな?)

 

 ズッコケる事こそ無かったが、困ったような表情で笑いをこらえている明日奈や和人、揃ってズッコケた少女達。己がやってしまった惨事から目を背けるように、一夏の思考が再び現実逃避を試みる。

 

 ―――スパァン!!

 

 だがそれは、突如として彼の後頭部に走った衝撃によって妨げられた。一夏は頭を抑えながらもとっさに後ろを振りかえる。

 

 「へ……?」

 

 女性としては長身で、スーツ越しでも分かる程起伏に富んだボディライン。艶やかな黒髪と、一度見たらまず忘れないだろうと思う美貌。男性のみならず女性であっても魅了されてしまう程の美女が、そこにいた。

 だが一夏が呆然としたのは、決して彼女に見とれていたからではない。むしろ彼にとっては非常に見慣れた人だった。

 

 「ち、千冬姉!?」

 

 何故ならば、女性―――織斑千冬は一夏の姉であるのだから。今まで自分の職についてほとんど教えてくれなかった姉がIS学園にいる事に驚いた彼は、ついいつも通りに千冬を呼んでしまった。

 

 「ここでは織斑先生と呼べ」

 

 だが千冬は一夏に容赦なく出席簿を叩き付ける。先程同様の音が教室に響き、一夏は再び頭を抑える事となった。

 

 「織斑先生、会議は終えられたんですか?」

 

 「ああ。クラスへの挨拶を押し付けてしまって悪かった、山田先生」

 

 「いえ、これも副担任の務めですから!」

 

 真耶に話しかけられた千冬は、一夏の時よりも幾分穏やかな声で答える。その後に若干放心状態になっている一夏を放っておいて暴君じみた挨拶をするが、それに反発する者はいなかった。それどころか、クラスのほとんどが彼女の登場に黄色い声を上げるのだった。

 

 「―――で、織斑。お前はもう少しマシな自己紹介はできんのか?」

 

 「そ、そう言われても……」

 

 クラスを静めてから、千冬は一夏に向き直った。言葉にできないプレッシャーをかけられた彼は若干タジタジになるが、何とか自分の考えを言おうとした。

 

 ―――初対面の人達に自分の趣味を教えても、共感者がいないとかなり寂しい。というか、得意な事と抱負を言ったのだから充分ではないだろうか、と。

 

 「……まぁいい。大方女子共の期待が大きすぎたんだろう……時間もあまり無いので、お前等が気になって仕方ないだろう残りの男子の自己紹介だけ済ませておく。後は休み時間にでも個人的に済ましておけ。桐ケ谷」

 

 だが千冬は一夏が何かを言う前に大体の事情を察したらしかった。その為一夏は漸く女子達の視線から解放され、席に座る事ができた。

 彼と変わるように立ち上がったのは、黒髪黒目の中性的な容姿の少年。

 

 「初めまして、桐ケ谷和人です。機械いじりが得意で……過去にジャンクパーツからPCを自作した事があります。ISについては、整備学の面からも興味があります」

 

 一夏と似たような、無難な自己紹介。だが女子達は千冬がいる手前、大人しくして先程のようなプレッシャーを和人にかける事はなかった。

 

 「よし、では野上」

 

 「はい」

 

 千冬に促され和人と入れ替わって立ち上がったのは、一人の少年。

 

 「初めまして、野上巧也(のがみたくや)です。まだ右も左も解らない状態ですので、色々と教えていただけると有り難いです。基本的に男子で集まっているかもしれませんが、気にせず声をかけていただけたら幸いです」

 

 黒髪茶目に中肉中背。顔立ちは決して悪くはない……のだが、先の二人と比較すれば一歩劣る。そして何より雰囲気が決定的であった。

 

 「…………なんか、普通?」

 

 そう。一人の女子生徒が零したように、普通。もしくは平凡な、何処にでもいそうな感じがするのだ。一夏、和人と独特の雰囲気と整った容姿を併せ持つ男子が続いたため、肩透かしを喰らった気分というのが女子達の本音だ。

 

 「桐ケ谷君……機械に強いって事は理数系なのかな?」

 

 「ねらい目は織斑君かなぁ……野上君はパッとしないし……」

 

 巧也は自己紹介の間、ずっと愛想よく微笑んでいたのだが、彼女達はそれよりも一夏や和人の方に意識が向いていた。

 

 (予想以上に和人達に意識が向いていますね……あまり目立ちたくなかった身としては、ありがたい状況です)

 

 普通なら、和人や一夏に多少なりとも嫉妬を抱いても不思議ではないのだが……巧也はそんな事など微塵も思ってはいなかった。

 

 何故なら……彼は元々更識に仕える暗部の一員で、身体能力の衰えた彼等を守る事が任務なのだから。




 こちらは三人称視点で進めていきます。一人称視点の時に比べ、主観となるキャラの心理を掘り下げ難いですが、視点切り替えが少ない分主要キャラを別行動させやすいです。

 キャラが多い作品はこっちの方が各キャラをバランス良く活躍させる事ができそうです。


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二話

 SHRで自己紹介をしただけなのに、一夏はひどく疲れていた。しかも追い打ちをかけるように、他のクラスからやって来た女子達が廊下にまでひしめいていて、さっき以上に視線を浴びせられている。オマケに互いが互いに牽制しあっていて、余計に空気が息苦しかった。

 そんな彼を気遣ってか、和人は声をかける。

 

 「平気か、アイン?」

 

 アイン。それは一夏がVR世界で使用しているキャラネームであり、SAOで出会った彼らはついクセで本名で呼べない事が多かった。

 

 「……割と平気じゃな―――」

 

 和人に話しかけてもらったのでそちらを向いたのだが、一夏は直後に固まった。

 

 「な、何だよ?」

 

 「―――あ、その……白いキリトさんって新鮮だなぁって」

 

 「よし、今夜ALOでデュエル連続十本な」

 

 「マジすいませんでしたぁ!!」

 

 和人の宣告に、一夏は顔を青ざめて震えあがった。SAOにて黒づくめの恰好で戦い続け、時として悪役として振る舞う事もあった和人。そんな彼にとって白とは、似合わない色というイメージが強い。堂々と似合わないと言われるならまだしも、中途半端に気遣われるのはかえってイラッとするのだ。

 

 「……どうせ俺にはこんなの似合わないんだろ……そんなの俺がよく知ってるよ」

 

 そっぽを向き、拗ねた様に呟く和人。

 IS学園の制服は基本的に白をベースとしており、各所に赤と黒が入っている。偶然にもそれがKOBの制服と配色が似通っており、明日奈はよく似合っているのだが……和人の場合はSAOでの黒づくめが見慣れていた分、白い服を着ているととても違和感があるのだ。

 

 「別に似合っていない訳では無いですよ。慣れていないから違和感があるだけですって」

 

 「そうそう。ちゃんと似合ってるしカッコいいよ、キリト君」

 

 「……ま、周りの目を考えろよ……」

 

 巧也と、和人と共に一夏の席に来ていた明日奈がフォローすると、和人は赤面して俯いた。だがそれでも松葉杖が取れて間もない明日奈から離れようとせずに支え続ける辺り、和人も常日頃から彼女を想っている証拠だろう。

 そんな二人を微笑ましく思いながら、巧也は一夏に手を差し出した。

 

 「初めまして、野上巧也といいます。向こうでは和人達がお世話になりました」

 

 「おう、こっちこそよろしくな!」

 

 一夏はその手を躊躇う事無く握り、巧也と握手を交わす。

 

 「―――そういや巧也ってキリトさんとどんな関係なんだ?」

 

 互いに名前で呼ぶ事を認めあった一夏は、素朴な疑問を巧也にぶつけた。彼は自分と同い年だと聞いているのに、年上の和人とは大分親しげであるうえに呼び捨てにしていたからだ。

 

 「あぁ……家が隣同士だったので、幼少の頃から交流があったんです。所謂幼馴染ですよ」

 

 「へぇ~」

 

 以前SAO内で和人から聞いた弟分とは、ひょっとしたら巧也の事だったのかもしれないと一夏は思った。彼自身和人には弟のように思われていた自覚があるので、同じ弟分として案外すぐに仲良くなれそうな気がした。

 

 「―――ちょっといいか?」

 

 「……箒?」

 

 不意に声をかけられた一夏が振り返ると、窓際の席にいた筈の幼馴染が立っていた。その時になって漸く彼は、折角再会できた彼女に声をかけ忘れていた事に今更ながらに気づいた。

 

 「すまないが、一夏を借りてもいいだろうか?」 

 

 「別にいいけど、知り合いか?」

 

 「オレの幼馴染なんですよ。会うのは六年ぶりですけど」

 

 元々箒は人付きあいが上手くない。こういうスパッとした物言いは一夏にとっては好ましく思えるのだが、時としてそれが相手を不快にさせかねないのが玉に瑕なのだ。

 そのため彼は、箒の代わりに和人の問い掛けに答える。

 

 「なるほどな……えっと」 

 

 自己紹介が途中で省略されてしまったのを思い出し、箒は和人達が自分の名を知らない事に気づいた。

 

 「篠ノ之箒だ……苗字で呼ばれるのは好きじゃない。箒と呼んでくれ」

 

 「あぁ、よろしく」

 

 再会した幼馴染が一人でちゃんと他人と会話ができている様子を見れて、一夏は嬉しかったのだが……そもそも何故彼女が来たのかを思い出して声をかけた。

 

 「そういや箒、何か話があったんじゃないのか?」

 

 「あ、あぁそうだった…………屋上でいいか?」

 

 「おう。じゃ、オレちょっと行ってきます」

 

 「授業には遅れないようにね~」

 

 明日奈の注意を心に留めながら、一夏は箒の後を追った。和人はその様子を微笑みながら眺めていたのだが、彼の姿が見えなくなるのと同時に自分が置かれている状況を再認識せざるを得なくなった。

 

 「アインじゃないけど……コレ、どうにかならないのか?」

 

 「みんな男の子に興味深々なんだよ。女子校出身の娘も多いって聞いているし」

 

 和人が自身に向けられている視線に辟易しながら言うと、明日奈は苦笑する。

 

 「でもね……」

 

 「ん?」

 

 「キリト君は、誰にも渡さないよ?」

 

 少々悪戯っぽく、明日奈そう言った。表情こそ変わらず笑みを浮かべたままだが、その声色には少しばかり威圧感があった。無論それは和人へ向けてではなく……周囲の女子生徒達に向けて、である。

 

 「和人は本当に、明日奈さんから愛されていますね」

 

 「か、からかうなよ……」

 

 穏やかに微笑む巧也に気恥ずかしさを感じ、和人はそっぽを向く。だがそれが照れ隠しである事を巧也は知っている為、和人が幸福である事をただただ喜ぶだけだった。だがそれでも時間の確認を怠らず、休み時間が残り少ない事に気づくと二人に注意を促した。

 

 「―――そろそろ予鈴が鳴りますね。明日奈さんは早めに戻った方がいいですよ」

 

 「そうだな。アスナ」

 

 「ありがとう、キリト君」

 

 和人は明日奈を支えながら、彼女が席に戻るのを手伝う。容姿の整った二人である為それはとても絵になっており、クラスメイトのほとんどが見惚れていた。

 ほどなくして一夏と箒が教室に戻ると、丁度予鈴が鳴った。このIS学園では初日から授業がある為、全員が学習の準備をしていた。

 

 「はーい、授業を始めますよー」

 

 その言葉と共に教室に真耶と千冬が現れる。この時間は真耶が前に立つようで、彼女と共に入ってきた千冬は教室の後ろで見守るだけのようだった。

 

 (楯無さん達に教えてもらったとはいえ……数週間で詰め込んだ知識だけでついていけるかどうかは怪しいですね……)

 

 遅くとも中学後半―――IS学園へ入学する一年以上前から学んでいる事を一月にも満たない時間で身に着けるのは非常に困難である。それ故に巧也は、自身を含めた男子が授業に遅れる事がないのかが気がかりだった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「もう……ムリ……」

 

 「おりむーしっかり~」

 

 授業が終わると同時に、一夏は机に突っ伏した。理由は単純で、授業の内容が難しすぎたからだ。入学前に渡された参考書は一通り読んでいたとはいえ、所詮は付け焼刃。真耶の授業は非常に分かりやすかったのだが、前提となる知識が不足していた一夏にはその限りでは無かった。

 頭から煙でも吹き出てくるんじゃないかと思うくらいに脳をフル活用し、何とか食いつけたのだが、一時間授業を受けただけでもうグロッキーである。そんな彼を気遣うように、間延びした声と共に彼の頭を撫でる少女が一人。

 

 「……のほほんさんは平気なのかよ?」

 

 「まあね~、元々勉強してたから~」

 

 やたらと袖の余った、ダボダボな制服が特徴な彼女の名は、布仏本音。一夏と同様にSAOサバイバーであり、同じギルドに所属していた友人だ。

 

 「アイン……さっきのあれ、もうちょっとどうにかならなかったのか?」

 

 「キリトさん……オレが頭使うの苦手なの知ってますよね……」

 

 「だからってアイン君、授業中に開き直ってほとんど解説してもらうっていうのは無いと思うなぁ……」

 

 真耶がにっこり笑いながら、「分からない事はありませんか」と聞いたとき、一夏はこう言ったのだ。

 

 ―――言葉とか解説文は暗記したけど意味は全然理解できてません!!

 

 しかもそれがほぼ全て、である。流石に真耶もこれには驚き、絶句した。その後千冬の指示で、一夏は放課後に補修を受ける事と、和人達と共に自主学習に励む事が決まったのは言うまでもない。

 

 「っていうか……何でオレだけ……?やっぱりオレってバカなんじゃ……」

 

 「いや、お前は一人でゼロから始めたんだろ?一カ月足らずであんな分厚い本の内容を暗記してきただけでも、よくやったよ」

 

 「……でも、キリトさんは授業分かってたじゃないですか」

 

 「……昔ISのプログラムをいじった事があってな。その伝手で俺と巧也は教えてもらってたんだよ」

 

 少し拗ねた様に一夏が言うと、和人は遠い目で答えた。その様子に若干不安を覚えた明日奈は、恐る恐る口を開く。

 

 「え、その人って……まさか…………」

 

 「安心してください。女尊男卑の思考を持った人ではありませんから。ただ……和人同様に少々悪戯好きな方ですが」

 

 すぐさま巧也が彼女の不安を打ち消すが、蛇足とばかりに付け加えられた一言に和人は苦言を呈した。

 

 「し、心外だな……俺はアイツほど悪戯なんて―――」

 

 「―――でもかずっちーは~たっちゃんとよく悪戯合戦してたよね~?」

 

 「……」

 

 本音の指摘に思い当たる事が多数存在する和人は、何も言えなくなった。桐ケ谷家は昔から更識家や布仏家との交流があり、現当主である楯無―――本名は刀奈―――達四人と和人、直葉、巧也は幼馴染なのだ。

 和人がキリトとしてSAOでよく見せていた、クールで大人びた姿と今の姿にギャップがあり、一夏は彼も自分とそう変わらない歳の少年である事をしみじみと感じていた。

 

 (もっと早く、キリトさんのこんな一面を知れてたらなぁ……)

 

 黒の剣士という仮面の下に押し殺していた、年相応の姿。それを見る度に一夏の心は、穏やかになるのと同時に、後悔の痛みが走る。

 SAOにいた頃の一夏は和人の強さに憧れていた。我武者羅に努力を重ね続け、その背に追いつこうとしていた。だが一夏は己を強くする事に必死で、和人が強さに隠していた心の叫びに気づけなかったのだ。それを知った時にはもう既に和人は大きな傷を負い、心が壊れかけていた。明日奈をはじめとする者達が寄り添い、支えた為何とかなったものの、彼の心は完全に癒えた訳ではない。だから一夏は常々思ってしまうのだ。もっと早く彼の心に触れられていたのなら、と。

 

 (……いや、これから知って行けばいいんだよな)

 

 命懸けの戦場で、肩を並べて戦った兄貴分だが、一夏が知っている事はそう多くない。現実世界で再会してから今日までの間に話せた事も少ないし、自分の事だってまだ満足に話せていない。それは何も和人に限った事では無く、今ここにいる明日奈達も同様だ。幸いこれからは時間もあるだろうし、ゆっくりと知る事ができればいいかと一夏は考えを切り替えた。

 

 「ちょっとよろしくて?」

 

 「へ?」

 

 だが、会話に加わろうと口を開きかけた矢先に声をかけられ、随分と間の抜けた声を出してしまった。そんな一夏に気づいた和人達も会話を中断し、彼に話しかけたであろう人物を見た。

 縦ロールのある長い金髪と蒼眼が特徴的な少女は、改造された制服もあって育ちの良さを感じさせていた。この学園はISの知識、技術を学ぶため世界中から受験者が集まる。その為全校生徒の半数以上が海外出身であり、日本人以外の生徒も珍しくはない。一夏としては三年間同じ学園で学ぶのだから、友達として仲良くできればいいかな、などと思っていたが……同時に彼女がこちらを快く思っていそうにない事も何となく感じ取っていた。

 

 「まぁ!なんですのそのお返事は!このわたくしに声をかけられるだけでも光栄なのですから、それ相応の態度があるのでは?」

 

 「不快に思われたのなら、すみませんでした。こちらは貴女の事を存じていませんので。それで、何か御用でしょうか?」

 

 先程まで和人達と話していた巧也が、いつの間にか一夏の前に立って謝罪するように頭を下げていた。その事に驚く彼だったが、本音が余った袖で口を塞いだので声が出る事は無かった。

 

 (おりむーは~ちょっと黙ってて~。たくやんに任せとけば大丈夫だから~)

 

 (……お、おう……)

 

 思った事を率直に口にして、相手を怒らせてしまった経験はSAOで度々あった。己の忍耐力不足が原因で話が拗れてトラブルを悪化させてしまった事も一度や二度ではなく、彼の中では苦い記憶として今でも残っている。その為一夏は本音の言う通りに大人しくする事を選んだ。

 

 「知らない!?このわたくし、入学主席にしてイギリス代表候補生であるセシリア・オルコットを!?」

 

 「すみません、国家代表でしたら知っているのですが……代表候補生までは把握していませんでしたので……」

 

 (だ、大丈夫なのかよ?セシリアの奴、怒ってるぞ……)

 

 本音の言う事を信じて黙っているが、一夏は見ていて非常にハラハラしていた。それでも動かないでいるのは、SAOで培った忍耐力のお陰だった。

 

 「ま、まぁいいでしょう……男性に期待していたわたくしが間違っていただけの事でしたわ」

 

 「それに関してはお恥ずかしい限りです。一カ月程度で身に着けた付け焼刃の知識で、授業もいっぱいいっぱいなんです」

 

 「ふん。ですが、わたくしは優しいですから?泣いて頼むと言うのなら、ISの事、教えなくも無いですわ」

 

 女尊男卑の世界でよく見る、高飛車な態度。その事にどうしようもない憤りを感じずにはいられない一夏であったが、和人も同様に堪えているのが目に入り、歯を食いしばって耐える。幸い口元は本音によって隠されているので、周りのクラスメイト達が一夏の様子に気づくことは無かった。

 

 「お気遣い感謝します。自力でどうにもならなくなった時には、遠慮なく頼らせていただきます」

 

 当たり障り無く、穏便に済まそうとする巧也。セシリアはまだ何か言いたそうではあったが、予鈴が鳴ったために自分の席へと戻らざるを得なくなった。

 普通に考えれば理不尽な言い方をされた巧也が心配になった一夏は、本音が口を解放してくれた次の瞬間には彼に声をかけていた。

 

 「巧也、大丈夫か?」

 

 「気にしないでください、ああいう方への対応は慣れてますから。それより一夏、休み時間に予習しなくてよかったのですか?」

 

 「あ……やべ」

 

 塵も積もれば山となる、ということわざがある通り、こうした僅かな時間の積み重ねが後々に響いてくる。授業に少しでも早く追いつくためにも自習が必要である事を思い出した一夏は、顔を引きつらせるのだった。



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三話

 Fateのアポクリファ、アニメ始まりましたね。内山さんに松岡さん……作者の好きな声優さんが多数出演しているのでこれから楽しめそうです。


 「これより授業を……いや、その前にクラス代表を決めなければならなかったな」

 

 教卓の前に立った千冬が思い出したようにそう言ったが、一夏は何の事だかよく分からなかった。とりあえずクラス長みたいなものだろうと思われるが……やはり不明な事は聞くべきだ。その為思い切って手を上げて質問した。

 

 「ちふ……織斑先生、クラス代表って何ですか?」

 

 「文字通りクラスの代表だ。来月行われるクラス対抗リーグマッチに出場してもらう他に、各種委員会の会議や打ち合わせにクラスの顔として参加してもらう。大雑把に言えば、学級委員のようなものだ。自薦他薦は問わんが、決定したら一年間は変更が効かないからそのつもりでな」

 

 面倒くさそう、と言うのが一夏の率直な感想だった。KOB副団長だった明日奈はともかく、一夏は自分では纏め役が務まらないだろうと思っている。誰か適当な女子がやってくれないだろうかと淡い期待を抱いたが―――

 

 「はい、織斑君を推薦します!」

 

 「私も!」

 

 「うぇ!?」

 

 ―――一秒にも満たない時間で、それは裏切られた。予想していなかった事に一夏は驚き、思わず後ろを振り返った。

 

 「私は桐ケ谷君を!」

 

 「お、俺!?」

 

 丁度その時、和人までもが推薦された。だが彼は最初こそ驚いたものの、すぐに平静をとりもどす。一方で一夏はどうすればいいのか分からずに狼狽えてしまう。

 

 「ちょ、ちょっと待ってくれ!オレは―――」

 

 「―――自薦他薦は問わないと言った。指名された以上拒否権は無い」

 

 「お、横暴ですよそれ……」

 

 和人の指摘もどこ吹く風といった様子で、千冬はクラスを見回す。

 

 「他にはいないのか?なら織斑と桐ケ谷の決戦投票に―――」

 

 「―――待ってください!そのような選出は認められませんわ!」

 

 机を叩いて立ち上がったセシリアは、声を張り上げた。するとクラス全体が水を打ったように静まる。

 

 「実力からすれば、わたくしがクラス代表になるのは必然。それを物珍しいなどと極東の猿にされては困ります。大体、男が代表というだけでもいい恥さらしですわ!」

 

 言っている事は間違いではないが、少々言葉に問題があった。代表候補生である彼女の実力はクラスでもトップであろうことは誰でも分かるだろうし、物珍しいという理由だけで和人達を推薦したクラスメイト達だってほとんど考え無しであっただろう。

 

 (確かに間違ってないし、引き受けてくれるならありがたいけど……もうちょい言い方ってのがあるんじゃないか?)

 

 約半数の生徒が日本出身のこの場で極東の猿などと言ってしまえば、クラスの大半を敵に回す事になる。セシリアはそれに気づいていないのだろうかと心配してしまう辺り、一夏はお人好しである。

 

 「わたくしはISを学びに来ているのであって、サーカスをする気など毛頭ありませんわ!大体、文化的にも後進的な島国で暮らさなくてはならない事自体耐えがたい苦痛で―――」

 

 「―――オルコット、それ以上はお前の立場を悪くするだけだぞ?」

 

 いよいよ怒る者が出てくるのではないかと思われたその時、千冬がセシリアに制止をかけた。世界最強たる彼女の眼光に射抜かれて、なおも暴言を続けられる者はまずいない。

 

 「全く……突っ走るのは十代の特権だが、度が過ぎる。お前はイギリス代表候補生なんだ。軽はずみな言動一つで祖国を巻き込む外交問題になりかねん事を自覚しろ」

 

 決して大きくは無いが、聞き流す事など不可能なほどの圧力が、千冬の声には宿っていた。セシリアは漸く自分の過ちに気づき、顔を俯かせる。

 

 「えーっと、織斑先生。投票は……」

 

 「このままやっても男子共に票が集まるだけだろう。そこで一週間後、この三名で模擬戦を行う事とする。その結果を参考に、お前達が投票すればいい。以上だ」

 

 千冬はそう言うと、何事も無かったかの様に授業を始めようとする。だがその時、一夏はある事を思い出して声を上げてしまった。

 

 「って男子達つっても巧也が入ってねぇじゃん!」

 

 「「「あ!」」」

 

 「一人忘れてたぁ!」

 

 「推薦しとけば男子全員の模擬戦見れたのにぃ!」

 

 「やかましい!授業中だと言った筈だ!!」

 

 一夏を含めた十数人の生徒の頭へと、千冬が投げた出席簿が襲い掛かったのだった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 その後の授業は辛うじて食らいついていけたが、昼休みに入った途端に一夏は再び机に突っ伏した。まだ午後の授業があるが、それでも疲労困憊である。

 

 「お、終わったぁ……」

 

 「お疲れさん」

 

 和人が労いの言葉と共に、軽く一夏の頭を撫でる。SAOにいた頃幾度となく行ってきたためか、彼の手つきは慣れた物だった。

 

 「ほら、メシ食いに行こうぜ。俺さっきから腹減ってしょうがないんだよなぁ……」

 

 「……先に行っててください。オレ行く所あるんで」

 

 「お、そうだったな。じゃあ食堂で落ち合おうぜ」

 

 「はい、また後で」

 

 同じ授業を受けた筈なのに、明日奈を隣で支える和人はケロッとした様子だった。そのまま二人は共に寄り添いながら教室を後にする。その後ろを巧也が見守る様についていくと、教室の男子は一夏のみとなった。

 

 「……うし、行くか!」

 

 「れっつご~」

 

 いつまでも休んでいる訳にはいかない。疲れはまだあるが、それでも何とか立ち上がった一夏は教室を後にした。その左腕に本音がくっついてきたが、彼は特に気にしなかった。元々本音は親しい者によくひっつく癖があり、SAOでもそれは変わらなかった。一夏自身も最初は驚いて緊張したが、いつからか慣れてしまい気にならなくなったのである。

 

 「そういやのほほんさんって意外と切り替えすごいよな。リアルとALOで呼び方間違えないし」

 

 「まぁね~。おりむーは直らないの~?」

 

 「うーん……なんか気づいたらキリトさんって呼んじまってんだよなぁ……こっちじゃ和人さんって呼ばなきゃいけないのに……」

 

 「ちょっとずつ直していけばいいと思うよ~」

 

 そのまま雑談を続けながら廊下を歩く事しばし。ある教室の前で、二人は立ち止った。

 

 「一年四組……ここなんだよな」

 

 「そだよ~。かんちゃーん!」

 

 一夏から離れた本音は扉の前に立ち、一人の少女を呼ぶ。教室の奥、窓際最後列の席で黙々とホロキーボードを操作している小柄で華奢な少女だ。

 内側にはねた水色の癖毛と赤い瞳が特徴的な彼女の名は、更識簪。一夏達と同じくSAOサバイバーであり、ゲームクリア後に日本の代表候補生となった才女である。候補生としての試験を受けるチャンスこそ家のコネだが、クリアから僅か数カ月の状態で合格をもぎ取ったのは紛れもなく簪の力だ。

 

 「かんちゃーん?」

 

 候補生なので当然彼女にも専用機が与えられたのだが……開発元の諸事情により、未完成のままなのだ。その為簪は自力で完成させようとしており、今現在もその作業に没頭していて本音の声に気づいていなかった。何事にも真剣に頑張る彼女を一夏は好ましく思いながら呼ぼうとすると、それよりも先に本音が三度簪を呼んだ。

 

 「おりむーも来たよー!」

 

 「!?」

 

 すると彼女は、はた目から見ても分かる程にビクリと反応し、慌てて周囲を見回す。そんな様子が可愛らしく、一夏は顔をほころばせながら声を発した。今の自分の影響力などすっかり忘れて。

 

 「おーいカンザシ、メシ食いに行こうぜ?」

 

 「わ、わわ……」

 

 「?」

 

 いつもならもっと落ち着いている筈の彼女が慌てているのが不思議で、一夏は思わず首を傾げる。間が悪かったのかと思った瞬間―――

 

 「おおおお織斑君が4組に!?」

 

 「しかも更識さん目当て!?まだ初日よね!?!?」

 

 「二人の間に一体何が!?」

 

 4組に残っていた女子が一斉に騒ぎ出し、それにつられる様に何処からか他のクラスの生徒達もワラワラとやって来たのだ。あっという間に人だかりができてしまい、一夏は己の失態にやっと気づいた。

 

 「ウソだろ……もう囲まれた!?」

 

 まるでアラームトラップにかかった時のような、少女達の異常なポップ率。それに度肝を抜かれた彼だったが、SAOでの戦いの日々が思考停止になる事だけは阻止してくれた。

 

 「あぁもう!こうなりゃ強行突破だっ!!」

 

 ……とはいえ元々一夏は考えるよりも先に体が動くタイプ。今すぐこの場から離れるべきだという直感に従い、簪と本音の手を引き走り出す。

 

 「とっつげき~」

 

 「あぅ……」

 

 ノリノリな本音と、羞恥から顔を紅くして俯く簪。そんな二人を気にしながらも、一夏は全力で走る。幸い少女達は呆気に取られていた為か、一夏が近づくとどいてくれたので、抜け出すのは容易だった。

 

 「……って織斑君が逃げたー!」

 

 「更識さん達ちゃっかり手ぇ繋いでるし!」

 

 「者ども、追えぇー!!」

 

 だがソレも、彼女達が再起動するまでだった。正気を取り戻した少女達に追われながら、一夏は和人達がいる筈の食堂へと向かうのだった。

 

 (……っていうかコレ……キリトさん達にトレインしてんのかな……?)

 

 延々と追ってくる女生徒達をmob、自分達をプレイヤーと考えれば、割と納得できてしまいそうだと場違いな事も考えながら。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 何とか追跡を振り切り、食堂に着いた一夏達。各々が選んだ昼食を自身のトレーに乗せ、先に食事をしている筈の和人達を探して……ある一角に目が留まった。

 

 (……何であそこだけ空いてるんだ?)

 

 昼時で食堂内はごった返しているというのに、なぜかそこだけ空いているのだ。一夏はそれを不審に思ったのだが―――

 

 「キリト君、それ一口ちょうだい」

 

 「今の明日奈なら……これくらいか。はい、あ~ん」

 

 「ん……美味しい」

 

 「じゃ、明日奈の方からちょっと貰っていいか?」

 

 「いいよ。はい、あ~ん」

 

 ―――イチャつく和人と明日奈(ふうふ)の姿を見て納得した。こんなダダ甘な空間の近くで食事など、耐性のない者には拷問に等しい。その為女子生徒達は安全圏まで退避し、この一角が空いたのだ。……唯一巧也だけが二人のイチャイチャを微笑ましそうに見守り、共に食事を取っていたが。

 

「ああ、三人とも。こっちです」

 

 「お、おう……」

 

 あの二人の激甘な空気に平然としている巧也に驚きつつも、和人達のいるテーブルへと着く一夏達。明日奈と和人の隣で食事を摂るのは初めてではなく、何度も経験しているので大丈夫だ。

 

 (アスナさん……恥ずかしくないのかなぁ……?)

 

 かつては超鈍感な和人を振り向かせるために色々とアプローチをしていた明日奈だが、今日は普段にも増してオープンになっている気がするのだ。和人もそれに伴ってイチャついているようで、彼らに羞恥心は無いのだろうかと思わずにはいられず…………反面、その積極性を見習いたいとも思っている一夏である。

 

 「うめぇ!流石IS学園、色々金かかってるんだなぁ……」

 

 「うん……美味しいけど、アインの手料理、また食べたいな……」

 

 「え!?ま、まぁ……そのうち、な?」

 

 和人達の空気に当てられたのか、若干紅い顔で呟いた簪。普段めったに我儘を言わない故に、一夏にとっては不意打ちだった。しどろもどろになりながらも、この愛しい少女に何を作ろうかと思案する。

 

 ―――パチン

 

 「っ!?」

 

 だが次の瞬間、背筋に悪寒が走った。場所は解らなかったが、ほぼ嫉妬による視線を向けられているのは理解できた。

 

 「アイン?」

 

 一夏の異変を敏感に感じ取った簪は、心配そうに彼の顔をのぞき込む。必然的に二人の距離は縮まり、結果として一夏に向けられる嫉妬がより強くなってしまう事に彼女は気づいていない。

 

 (ヤバイヤバイヤバイ……!カンザシに迷惑かけらんねぇし……けどどうすりゃいいんだ?)

 

 身の安全を図るなら、簪に離れる様に言うべきだろう。だがそれは彼女の厚意を無碍にする事に他ならず、今己を妬む者に別の意味で狙われるだろう。つまりどうあがいても一夏の運命は―――

 

 「覗きなんて趣味が悪いぞ刀奈」

 

 「え?」

 

 ―――ニヤリと笑う和人によって、何とかなってしまったりするのだった。

 

 「今は楯無よ!そっちの名前で呼ぶなって散々言ったでしょ!!」

 

 「わぁ!ど、何処から出てきたの!?」

 

 突然の事に驚く明日奈の反応は至極まっとうなものであったが……実は既に、彼女以外にとってはお馴染みだったりする。何処からともなく現れたのは、簪と同じ色合いの髪と瞳が特徴的な少女。だがその髪は簪と違って外側へ跳ねた癖毛であり、活発的な印象を与える。

 彼女こそが、簪の姉にしてIS学園生徒会長、更識楯無である。

 

 「つってもなぁ……こっちが寝てる間にお前が楯無になってたとか、何をトチ狂ったのかロシアの国家代表になってたとか、突っ込みたい所が色々あり過ぎて実感無いんだよなぁ……」

 

 「こっちだってあんたに彼女ができたのが未だに信じらんないわよ!色恋に興味すら無かった筈の朴念仁な和人はドコいったのよ!?」

 

 「な!?それはお前の偏見だろ!今の発言には断固抗議するぞこのシスコン!!」

 

 「あぁん!?あんたこそスグちゃんが大事じゃないの!?妹を愛して何が悪い!!」

 

 普段は眉目秀麗、才色兼備を体現している天才少女なのだが……妹である簪の事になると動揺しやすいのが玉に瑕だ。

 事実、簪に男ができたと知った時は卒倒した程、そっちの事ではガラス細工並みに脆い。

 

 「え、えっと……こんにちは、でいいのかな?楯無ちゃん」

 

 「ええ、こんにちは。このバカ(かずと)が何か迷惑かけてないかしら?」

 

 気さくに話かける明日奈に対し、楯無は先程とは打って変わった朗らかな声で答えた。その事に和人が何かを言う前に―――

 

 「……お姉ちゃん……覗いてた、の……?」

 

 「うぇ!?あ……いや、偶然よ偶然!ご飯食べ終わったら簪ちゃん達見つけただけで……」

 

 俯きながら立ち上がった簪からは、言葉にできない圧力があった。愛する妹に問い詰められた姉は、後ろめたい事があるのか、しどろもどろな答えしか返せず……

 

 「嘘つきなお姉ちゃん……嫌い」

 

 「ひぎゃあああぁぁぁ!!」

 

 決定的な一言により、打ちのめされた。恥も外聞も無く泣き叫び、何処かへと走り去ってしまった。

 

 「も、もうちょっと優しくしたら?簪ちゃん」

 

 「だって……お姉ちゃん全然懲りないんだもん」

 

 「そ~そ~、きっとお姉ちゃんが~何とかしてくれるよ~」

 

 簪の、実の姉への態度に思わず苦笑する明日奈。和人は自業自得とばかりに頷き、一夏は合掌。本音に至ってはこの場にいない姉の虚に丸投げである。

 

 「楯無さんが一夏の事をよく思っていないのは、仕方がありません。少々シスコンをこじらせてしまって……簪を独占してる一夏に嫉妬してるんですよ」

 

 「独占って……全然そんなつもりねぇんだけどなぁ……」

 

 ずるずると椅子の背にもたれる一夏は、疲れた表情でそんな言葉を零した。その様子を見て、巧也も困ったような笑みを浮かべる。

 

 「あぁ、失礼しました。訂正しますと、簪の笑顔……いえ、心を独占してるんですよ」

 

 「ちょ、た、巧也!そんな……はっきり……」

 

 瞬時に顔を真っ赤にして俯く簪。一夏も一夏でそんな彼女にドキッとし、頬を紅く染める。咄嗟に顔をそらし頬を掻くその姿は、実に初々しい。

 

 「ふふっ……簪も、素敵な人とめぐり会えましたね」

 

 「……うん」

 

 小さくも、しっかりと頷いた簪。はにかむように笑う彼女はとても幸せそうで―――SAOに囚われる以前の暗さは無くなっていた。

 

 (本当は楯無さんも、一夏に感謝しているんですけどね……)

 

 簪の笑顔を取り戻し、姉と向き合う勇気を与えてくれた一夏。楯無とて、妹を救ってくれた彼には感謝しているし、彼が簪に抱く想いがどれほど色濃く、強いものなのかわかっている。わかっているのだが……今はまだ、感情の整理がつかず、妹を取られたと駄々をこねている状態なのだ。

 しばらく理不尽な目に遭うであろう一夏を支援しようと、割と本気で胃腸薬等を準備する事を考える巧也であった。




 最近になって急に暑くなってきましたね……熱中症とかが怖いので、皆さんも体調管理は気を付けましょうね。


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四話

 

 「や、やっと終わったぁ……」

 

 放課後を告げるチャイムが鳴り響くと同時に、一夏は脱力した。意地で乗り切ったとはいえ、まだ初日。これからこんな毎日が続くとなると、少々憂鬱だった。しかも追い打ちをかける様に、教室の外には学年問わずに女子生徒達がひしめいているうえに互いに牽制しあっている。

 

 「……はい?…………はい、解りました。こちらから伝えます。……はい、失礼します」

 

 「巧也、どうしたんだよ?」

 

 放課後になってすぐに通話をしていた彼が気になり、一夏は声をかけた。教室の外の状況から目を背けたかったのもあるが、少し困ったような表情をしていたのが気がかりだったのだ。

 巧也は和人も呼ぶと、苦笑しながら口を開いた。

 

 「僕等の生活場所なんですけど……急遽学園内の寮に入る事になりました」

 

 「へ?オレ一週間は自宅通学って聞いてんだけど」

 

 「俺も、手配されたホテルからって事以外聞いてないぞ?」

 

 思わずといった様子で、和人と一夏は顔を見合わせた。確か部屋の都合がつかないとかなんとか言われたなぁと一夏は思い出しながらも、巧也の説明に耳を傾けた。

 

 「僕達三人は世界的に希少な存在ですから、通学途中で誘拐等を企てる国や組織がいてもおかしくないんです。多少の倫理的問題を無視してでも、それらの危険から守ろうという政府の方針だそうです」

 

 「!……そういう事か。現実世界(こっち)に帰ってきてから随分緩んじまったな……」

 

 「そう……でしたね。オレも危機感とかすっかり抜けてましたよ」

 

 戦いが日常の一部と化していたSAOから帰還して、平和な生活に慣れはじめていた二人。だが常に何処かに危険が潜んでいる事を再認識したためか、その目の色は変化していた。

 

 「そう警戒するのは基本的に学園外だけで十分です……ここには僕を含めて、更識の手の者が護衛をしていますから」

 

 後半は周りに聞こえないように声を潜める巧也。そして彼の言葉を聞いた途端、和人達の雰囲気は普段の柔らかなものへと戻った。

 

 「お前がいてくれるなら安心だ。遠慮なく頼らせてもらうぜ?」

 

 「はい、お任せください。一夏も、簪と過ごしてもらって構いませんよ」

 

 「……オレの場合、楯無さんがなぁ……」

 

 昼休みのアレはヤバかったと身震いする一夏。突然出現する事は何度かあったので慣れていたが、あんなに露骨に嫉妬の念を向けられたのは初めてだったのだ。まずは彼女の信頼を勝ち取らなくては、と決意するものの、どうやっていくかという方法が思い浮かばずため息をついた。

 

 「織斑君!桐ケ谷君!野上君!よかったぁ……まだいてくれたんですね」

 

 「お疲れ様です山田先生。今日から寮生活になる事は先程連絡がありました」

 

 「先生の手の中にあるのが、部屋の鍵って事ですよね?」

 

 和人の問い掛けに、真耶は頷いて見せた。その後簡単ではあるが寮での規則の説明を受けたのだが―――

 

 「でも先生、オレ達荷物とか持ってきてないんですけど……」

 

 ―――そう、現在一夏達にあるのは今日使用した筆記用具や教科書が入った鞄と着ている制服ぐらいなのだ。いくらなんでも荷物を取りに行かなくては学園内で生活できない。

 

 「その点は心配するな。桐ケ谷達の荷物は学園の職員が運び込んであるし、織斑のは私が運んだ。着替えと携帯の充電器……あと娯楽品はアレで十分だろう?」

 

 「千冬姉……!」

 

 アレとは間違いなくアミュスフィアだ。特に一夏にとっては姉との和解の証として買ってもらったものでもある。姉の優しさに感激した一夏は、つい普段通りに呼んでしまい……

 

 「織斑先生だ、馬鹿者」

 

 何度目になるか分からない出席簿を食らって現実に引き戻された。だが僅かに千冬の口元が綻んでいた事を、一夏は見逃さなかった。

 

 「それでは私達はこれで。あ、みなさんちゃんとまっすぐ寮に帰ってくださいね?寄り道しちゃダメですよ?」

 

 寮までは一本道な上に、校舎からの距離も近い。だというのにどうすれば寄り道できるのだろうか。真耶の言葉に苦笑しながらも、一夏達は寮へと足を運ぶのだった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「1025……1025室はっと……」

 

 渡された鍵の番号と、寮の部屋のドアについている番号を見比べながら、一夏は和人達と共に自分に割り当てられた部屋を探していた。途中までは明日奈と簪も一緒にいたが、生憎と二人の部屋は別の階だったので先程別れてしまっていた。

 

 「あそこですね。僕と和人は隣の部屋ですので、何かあれば気軽に訪ねてください」

 

 「お、サンキュー。後で一緒にメシ食おうぜ」

 

 そう言って1025室に入ろうとした一夏だったが……

 

 「おりむーおりむー」

 

 「うおっ、のほほんさん?どうしたんだよ?」

 

 ドアノブに手をかける直前、簪と同室なのに何故かここまで一緒についてきた本音が背中に飛びついてきた。彼女は元々空気を読まないというか、少々ズレた発言が多いので特に気にしていなかったのだ。今回は一体何なのだろうかと首を回そうとした次の瞬間、彼の脇腹に硬い何かが押し当てられた。

 

 「―――浮気はダメだよ?」

 

 普段通りの笑顔のまま、それでいて普段とはかけ離れた冷たい声音で、一夏の耳元で囁く本音。やたらと余った袖によって見えないが、脇腹にある感触から恐らく拳銃を突き付けているのだろう。

 

 「ぜ、ぜってぇしねぇって!カンザシ裏切るような事はするつもりねぇってば!!」

 

 一瞬にして青ざめた一夏は、上ずった声を上げてしまう。いくら彼がSAOで精神的に戦い慣れしているといっても、なんの心構えもできていない状態で不意打ちされれば話は別なのだ。

 

 「そだね~。でもおりむーって一級フラグ建築士だし~、どーしても気になっちゃうんだ~」

 

 「そ、そう言われてもなぁ……オレの何が悪かったのかがイマイチ分かんねぇんだよなぁ……」

 

 SAOで幾度となく女性プレイヤーにアプローチされたり、その事で簪がショックを受けてネガティブ思考に陥ってしまったりと本人にその意思が無くとも女性関係のトラブルが多かった一夏の様子を思い出した和人は、苦笑しながら彼の肩を叩いた。

 

 「とりあえず、まずは入る前にノックしとけよ。お前の場合だと着替えの最中や風呂上りに遭遇しちゃうだろうし……その辺の体質をクラインは羨ましがってたけどな」

 

 「オレそんなの狙ってないっすよ!?ってかクラインさんそんな事言ってたんすか!」

 

 「あぁ……何故か俺まで含めて、な。俺とお前はそういう星の下に生まれちまったんだよ、きっと……」

 

 「か、勘弁してくださいよ……」

 

 達観した様子の兄貴分にそう言い切られ、一夏は思わず項垂れてしまう。それでもめげずにドアをノックするが、全く返事が無かった。

 

 「いないんですかね……?」

 

 「うーん……普通はそうだろうけど、アインの場合だと…………シャワー中とかか?」

 

 「じゃあオレ、どうすりゃいいんですか……」

 

 どうすればいいか分からず、一夏は頭を抱える。すると見かねたかのように巧也が口を開いた。

 

 「でしたら、本音に様子を見てもらったらどうですか?待っている間は僕と和人の部屋で休んでいればいいですし……本音もそれでいいですか?」

 

 「おっけ~。おりむーのルームメイトが誰なのか知りたいし~」

 

 「確かに女の子同士なら、誤解される事も無いだろうし……アインもそれでいいか?」

 

 「はい……」

 

 とにかく休みたい一夏は巧也の提案に承諾すると、一旦和人達の部屋に入る事にした。

 

 「うお、すっげぇ……」

 

 「各部屋にキッチンまであるなんてな……しかも調理器具も一通り揃ってるとは。道理でアスナが喜んでた訳だ」

 

 「聞いた話ですと、防音もしっかりしてるそうです。ですが……シャワーしかないので、一夏には少々辛いかと思います」

 

 予想以上に豪華な部屋に、驚きを隠せなかった和人達だったが……風呂が無い事に、一夏はがっかりしてしまう。

 

 「うーん……向こうで一カ月以上風呂無しの生活してたけど……今度はいつまで耐えりゃいいのかわかんねぇのかぁ……」

 

 無類の風呂好きである一夏にとって、この事が与えるダメージは計り知れない。SAO最初の一カ月程は生存の為、死と隣り合わせの中で何とか生きてきた。そしてその中で願った事は「もう一度風呂に入りたい」だった。それだけ彼にとって風呂が無いという事は死活問題なのである。

 

 「お二人はベッドで寛いでいてください。特に一夏はこれから先大変でしょうから」

 

 「おう……そうする」

 

 そう言うか早いか、一夏は手前のベッドに倒れ込んだ。自分に割り当てられた部屋ではこれから約一カ月間は異性と過ごさなくてはならない彼にとっては、その異性の目を気にせず休める時間は非常に貴重なのだ。

 

 「あ~、ここまでフカフカなベッドなんて初めてだなぁ……」

 

 「そうだな。俺はかえって落ち着かないな……」

 

 窓側のベッドに腰かけながら、和人もぼやいていた。寝台にまで惜しみなく最上級の物が用意されている辺り、流石IS学園である。

 

 「世界中から生徒が集まってくるんですから、設備や備品に至るまで一切手は抜いていません。万が一不備でもあれば、そこから日本の面子は丸潰れですし」

 

 「確かに。生徒達がISに専念できるようにって、最高クラスのおもてなしをしてるんだっけな」

 

 「……その割には学校内の案内は地図を見ろの一言だけでしたけどね……」

 

 「僕達以外の方々は、自国内で数多くのライバルに競り勝った上でここに来てますから、特に苦ではないみたいです。それに―――」

 

 早速キッチンを使用し、お茶を入れた巧也は二人に湯呑を渡しながら続けた。

 

 「―――地形の把握や、自分に必要となる情報を自力で入手するのも、この学園における訓練の一環かと。お二人もSAO(むこう)ではそれが当たり前だったと聞いていますよ?」

 

 「あっちじゃ情報の有無が命に直結してたから……疎かにはできなかったんだよ」

 

 「ああ。’知らなかった’の代償が自分や仲間の命だったからな……情報の取りこぼしとか、デマかどうかの精査とか……自分が手を抜いた所為で誰かが死ぬって思うと、すごく怖かったさ……」

 

 今は無き鋼鉄の城での日々を思い出した二人は、少しばかり苦い表情を浮かべる。それだけ情報不足で命を落としたプレイヤーの数は多かったのだ。

 

 「あ、すみません……嫌な事を思い出させてしまって」

 

 「気にすんなって。いつまでも引きずってる訳じゃないんだし」

 

 「そういう事。それに俺も、お前とは話したい事が沢山あるんだぜ?」

 

 先程とは打って変わった明るい声色で、和人は悪戯っぽく微笑んだ。その表情を見た一夏は、つい気になって聞いてしまった。

 

 「話したい事?なんですかそれ」

 

 「色々だよ。俺がいない間、お前やスグや母さん……皆がどうしていたのか、とかさ」

 

 普段はクールで大人びた印象が強い和人だが、今の彼の表情は少しばかり照れくさそうなものだった。SAOでは本心を偽る事が多かった彼が感情を素直に見せてくれる。それが一夏にはとても嬉しかった。 

 

 (家族……友達か……そういえば、数馬とか厳さん達に顔見せてなかったよな……外出許可が下りたら会いに行かないと)

 

 一方で自分も、迷惑をかけてしまった人の事を思い出していた。彼等とはリハビリの時以来顔を会わせていない。なるべく早く会いに行かないと、厳から強烈な拳骨を頂くのは確実である。

 

 ―――コン、コン

 

 「僕が出ます。きっと本音でしょうから、一夏も準備しておいてください」

 

 「お、わりぃな」

 

 気づけば三十分程この部屋にいたようだった。ルームメイトを確認し事情を説明するのには時間がかかった方かもしれないが、本音であるならば妥当な時間だろうと一夏は思った。

 

 「たくやんたくやん、おりむーのルームメイト連れてきたよ~」

 

 「助かりました。あなただと変なあだ名をつけてしまいますから、言葉だけでは誰なのか分かりにくかったんですよ」

 

 「ぶ~、変じゃないもん」

 

 「なぁ、俺のルームメイトって誰……に……?」

 

 これから一カ月同じ部屋で過ごす相手が気になっていた一夏は巧也の後ろから頭を覗かせたが、直後に固まってしまった。

 

 「い……いち、か……?」

 

 トレードマークのポニーテールは湯上りの為か昼間とは違った光沢を放っており、和服姿がとても似合う少女。

 

 「……箒?」

 

 今日再会したばかりの幼馴染が、そこにいたのだった。




 布仏家も暗部の家系ですし、本音も暗殺用の技術を持っている筈……と考えて、さらにそこへ簪と一夏のクラスが別だからお目付け役になるかなぁと思った結果、黒い本音が出来上がりました(汗)

 ネタ程度にお楽しみください。


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五話

 暑いですね……最近バテ気味なのか執筆が進まないです。


 自分と同室になる人物がまさか再会した幼馴染だった事に驚いた一夏だったが、反面助かっていた。見ず知らずの誰かよりは、ずっとマシだったからだ。それに現実世界では姉の千冬と、SAOでは簪や本音(と風林火山のメンバー達)と同じ屋根の下で生活していたため、女性との同居生活に意外と慣れていたのだ。

 

 ―――最も、同居生活する以上は、キチンと線引きするよう和人や巧也から耳に胼胝(たこ)ができる程しつこく注意され、本音からは「浮気、ダメ絶対」と拳銃を突き付けられたのだが。

 

 兄貴分達に注意された通り、そこはちゃんと話し合ったのだが……途中で何度も箒が赤くなったり、怒鳴ったり、言葉を濁したりといった変化があり、話を纏めるだけでも一苦労だった。その後は特に何事も無く、翌日に備えて早めに休む一夏であった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「なあ……」

 

 「…………」

 

 右隣の幼馴染に声をかけるが、返事が無い。それどころか目に見えて不機嫌そうに黙々と朝食を食べている。それが気まずくて、一夏は反対側に声をかけた。

 

 「なあ、オレ何か悪い事したのか……?」

 

 「すみません、僕には解りかねます。一夏も特別相手を怒らせるような言動には心当たりが無いのでしょう?」

 

 「そうなんだよなぁ……」

 

 ため息をつきつつも、箸を進める。巧也とは今朝ばったり会ったので、同じ男子として親睦を深めたい一夏は朝食に誘ったのだ。ちなみに和人は―――

 

 「一夏?何故呆れたような目をしているんですか?」

 

 「いや……あの二人、朝っぱらから甘さ全開だなぁって……」

 

 ―――昨日の昼食同様、人目を気にせずに明日奈と二人だけの世界を作っていた。仕草一つ一つに気品が溢れていながらも、コロコロを変わる明日奈の表情は心底幸せそうで、男女関係なく見惚れてしまう程に魅力的である。

 

 「あの人……桐ケ谷君と付き合っているのかなぁ……」

 

 「すっごい綺麗……うぅ、勝てっこないよぉ……」

 

 遠目に二人を見ている女子達は、既に明日奈との戦力差に竦んでしまっている。尤も、明日奈としても見せつけているのか普段よりも大胆である。少なくとも、一夏が知る彼女ならばこんな大人数の前で堂々とイチャつく事はほとんど無かった筈だ。一方の和人は気恥ずかしいのか僅かに頬を染めながらも、明日奈を気遣う事を忘れない。誰から見てもお似合いな二人を邪魔しようとする輩は、今の所いない様子だった。

 

 「お、織斑君!」

 

 「ん?」

 

 兄貴分の様子を眺めていると、不意に声をかけられた。何だろうかと思い声がした方を向くと、朝食のトレーを持った女子が三人、一夏の反応を待っていた。

 

 「どうしたんだ?」

 

 「え、えっとね……い、一緒に食べていいかな?」

 

 初対面だからだろうか、緊張した様子で聞いてきた彼女に、一夏は迷う事無く頷いた。

 

 「別にいいぜ。二人もいいよな?」

 

 「はい、構いません」

 

 「……好きにしろ」

 

 快諾してくれた巧也とは対照的にぶっきらぼうな箒に苦笑しながらも、一夏は三人に笑いかける。それに安堵したように息を吐きだしながらも、三人はスムーズに向かいの席に着いた。

 

 「うわ~、男子って結構食べるんだね」

 

 「いや、オレはこれでも少ないつもりなんだけど……」

 

 「うっそぉ!?」

 

 一夏は昏睡状態から目覚めてまだ半年も経っていない。二年間使われていなかった消化器官はまだ全快と言えず、二年前に比べればまだ食事の量は少ないままだ。そんな自分よりも明らかに少ない量の朝食で足りるのかと、一夏は目の前の女子達が心配になった。

 

 「そっちはそれだけしか食べなくても平気なのか?」

 

 率直に思ったことを口にすると、目の前の少女達は少々困ったような笑みと共に顔を見合わせる。

 

 「わ、私達は……ねぇ?」

 

 「うんうん、平気へーき!」

 

 「へぇ~」

 

 「あとお菓子食べるし!!」

 

 「へぇ~……っておい!?」

 

 途中までは彼女達の低燃費に感心していた一夏だが、最後の発言は聞き逃す事ができなかった。同級生のみならず、年上たるクライン達からも爺臭いと言われ続ける彼の健康思考は、衰弱した自分の体を元に戻す為にも一層磨きがかかっているのだ。

 

 「間食って太りやすくなる原因なんだぞ?あと人の老化ってのは―――」

 

 「―――続きはまた後にしましょう、一夏。あと五分で朝食を終えないと、走って登校しなくてはなりませんよ?」

 

 一夏の健康談義が開始される直前、巧也が絶妙なタイミングで彼の意識を逸らす。見れば巧也自身は食事を終えているし、箒も先に行く、の一言と共に席を立っている。

 

 「やっべぇ!?」

 

 「落ち着いてください。普通のペースなら、十分間に合います。焦って喉に詰まらせる方が危険ですよ」

 

 「お、おう……」

 

 直後に寮長を務める千冬の声が響いたが、巧也に再びなだめられた一夏は、普段通りの速度で無事に朝食を平らげた。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「ISは道具じゃなくパートナー、か」

 

 「何となく解るぜ。あの世界でも、剣は唯の道具じゃなかった」

 

 「うん、きっとISにも、心があるんだよ」

 

 ISに関する基礎知識についての授業の後、一夏達は真耶からの言葉を思い出していた。ISには意識が存在し、操縦時間が長ければ長いほど乗り手の事を理解しようとしてくれる。故に道具ではなく共に戦うパートナーとして扱う事が大事だと。

 普通に生活していたのならイメージしにくかったかもしれないが、一夏達はSAOサバイバー。手にした剣に己の命を預けて戦い続けた彼等にとって、とても共感できる考え方だった。

 

 「この子とお話できる日が、いつか来るのかな……」

 

 明日奈がそっと右手の人差し指を撫でたため、一夏がつられて彼女の手を見ると……そこには白い指輪が付いていた。

 

 「え、明日奈さん、それって……」

 

 「うん、私の専用機《白夜》だよ」

 

 何年も前から彼女の進路はIS学園に決まっており、加えてレクトの子会社にIS関連の企業が存在するため彼女が専用機を持つ事に疑問は無い一夏だが、こんな早くから所持していたのは驚いた。

 

 「この中で専用機を持ってないの、お前だけだぞ?」

 

 「はぁ!?マジですか!?」

 

 見れば和人は明日奈と同じ位置に黒い指輪があり、巧也は襟元を緩めて灰色のペンダントを取り出してみせた。

 

 「い、何時の間に……」

 

 「不快かもしれませんが、僕達男子は世間からすればモルモットですから。近日中に一夏にも専用機が手配される筈です。貴方だけ開発元が違うので、受け取るタイミングがずれているんだと思います」

 

 「それって何時なんだよ……」

 

 ペンダントをしまい、緩めた襟元を戻しながら巧也がそういうが、知らぬ間に取り残された一夏はがっくりと机に突っ伏す。モルモット……データ採取の為とはいえ、専用機が与えられるのはありがたいのだが、彼自身にはその手の情報が一切入ってこなかった。その事の少しばかりおいて行かれた感じがしなくもないが、今は文句を言う余裕すら無い。独学で身に着けた拙いISの知識を少しでも増やす為、明日奈や本音達に教えを乞う一夏の表情は真剣なものだった。

 ……クラスメイト達もそんな彼に無遠慮に話かける事はしなかったが、代わりにとばかりに和人に詰めかける。

 

 「ねえねえ、桐ケ谷君!」

 

 「質問しつもーん!」

 

 「今日のお昼って暇?」

 

 完全に我先に、と言わんばかりの勢いに、流石に和人も少しばかり表情が引きつる。一夏の前では兄貴分として情けない姿を見せたくない事もあってか男子三人の中では同年代とは思えないくらい大人びた印象を持つ和人だが、根っこの部分はコミュ障のネットゲーマー。大勢の異性に質問攻めされるのは一人では荷が重い。

 

 「和人?何故急に僕の腕を掴むんで―――」

 

 「―――決まってるだろ。お前も道連れだからな……!」

 

 避けられぬのならば、せめて一人にはなるまいと幼馴染を巻き込む彼の表情は必死なものだった。

 

 「それは構いませんが……この人数は捌ききれませんよ?」

 

 「あぁ……そんくらいは解ってるさ……」

 

 どこか達観しつつも、和人は巧也と共に目の前いるクラスメイト達の質問に答え始める。尤も、思い思いに話しかけてくる彼女達の質問を拾うだけで時間がかかり、休み時間中に答えられたのは僅か二、三個程度だったが。

 

 「いつまで遊んでいる。最低でも一分前には着席しろ」

 

 いつの間にか教卓の前に立っていた千冬の一言で、クラスメイト達は迅速に自分の席に戻る。

 

 「ところで織斑、お前のISは予定より到着が遅れるそうだ」

 

 「え?……って試合には間に合わないって事ですか!?」

 

 「その日には着くらしいが、どう転んでもいいように備えておけ」

 

 先程和人達に一歩置いていかれたと思っていた一夏にとって、千冬の宣告はそこそこの追い打ちだった。それでも不満を漏らさずに、己にできる事を考えようとする彼の姿勢に千冬は―――身内にしかわからないほど僅かだが―――微笑した。

 

 (変わった……いや、成長したな。本当に)

 

 昔のように「なんじゃそりゃ!」と不平不満を口にしたり、「ま、何とかなるだろ」と楽観的な思考になったりすると予想していただけに、今の必死に足掻こうとする姿は千冬にとても好ましく感じた。つまりニヤけたのだ。なんだかんだで彼女はブラコンである。……尤も本人は頑なに認めようとしないが。

 

 (おっと……私が公私混同とはいかんな。真耶に示しがつかん)

 

 軽く頭を振って思考を切り替えると、千冬は普段通りの声音で号令をかけ授業をはじめるのだった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「あれ?アインの奴、今日は簪と一緒じゃないんだな」

 

 午前の授業が終わり、和人は昨日と同じく明日奈と共に食堂で昼食をとっていた。最愛の少女を気遣いながらも、ふと弟分の方を見て……彼が恋人と共にいない事に疑問を抱いた。

 

 「簪ちゃんは今日、アイン君とご飯一緒に食べれないって言ってたよ。それにほら、箒ちゃんはさっき……」

 

 「あぁ……そうだったな」

 

 一夏の隣で気まずそうにしている箒を見て、和人も納得した。

 

 「どこだろうと、生まれはついてまわる……全く難儀な話だぜ」

 

 「うん……特に箒ちゃんは、望んでも無いのに普通の女の子から変わっちゃったんだよね」

 

 和人も明日奈も、自分の家柄故に普通の人とは違ったしがらみや悩みに囚われてきた。その為、箒が『篠ノ之』である事―――ISの生みの親である篠ノ之束の妹である事―――に苦しんできたのだろうと、容易に想像できた。だからこそ、数刻前に姉妹である事に気付いたクラスメイト達が急に群がってきた時に怒声を上げてしまった彼女を責めるつもりは無かった。とは言えそれで箒がクラスで浮いてしまったのも事実であり、かといって昨日出会ったばかりの和人や明日奈も、彼女との距離の取り方をうまく掴めずにいたのだ。

 

 「彼女の事は任せてくれ、と言っていましたが……本当にその通りにできるのには驚きました」

 

 やや強引とはいえ、孤立しかけていた箒を引き連れてクラスメイト達の環に入って食事を摂る一夏を見ながら巧也がそう呟くと、和人は心なしか得意げに片頬を釣り上げた。

 

 「あれがアイツのいい所なんだ。初めて会った奴だっていつの間にか馴染んでて、アイツを中心に繋がりが広がっていく……俺にはないものさ」

 

 「もう、キリト君にだってそういう所はあるんだよ?」

 

 和人の言葉から僅かに滲んだのは、自嘲。他人と比較して自己肯定感の弱い彼は嫉妬や羨望よりも先に、自己否定の感情を抱いてしまうのだ。だが明日奈からすれば決してそんな事は無く、彼自身も人を惹きつける力があるのだ。

 ベータテスター達を守る為、やがて攻略組の団結を強める為の憎悪の対象としてビーターであり続けた彼に、人を惹きつける力が無ければ……今こうして自分が生きている事は無いのだと、明日奈は思っている。事実アインクラッドでのボス戦に於いて、不測の事態で活路を見出そうとした彼には、多くの者達が続き、力を合わせていたのだから。

 

 「それでもさ。アスナとアインが表舞台にいてくれたから、攻略組は纏まっていたんだ。俺は影から少し手伝っただけだよ」

 

 微笑みながら告げる彼の目は一夏へと向いており、眩しいものを見るかのように穏やかに細められていた。

 

 (僕の知らない和人や簪を、明日奈さん達は知っている……直葉もこんな感情を持て余していたんでしょうか……?)

 

 巧也の中の、幼馴染としての心に一つ、波紋が広がる。ずっと一緒に育ってきたからこそ、自分がいなかった二年の間に起こった事を知りたくて……それを知っている明日奈や一夏を羨ましく思ってしまう。

 勿論明日奈が和人の、一夏が簪の傍にいる事に関して、巧也は何の不満も持っていない。共に過ごしたのは極僅かな時間だが、それでも明日奈達が抱く想いは本物であり、同時に和人達が向ける愛情も遊びではなく本気である事も解っている。だからこそ巧也は、明日奈や一夏も命を賭してでも守らなければならない対象である事を改めて自分の心に刻み付ける。

 

 「巧也君?お箸止まってるけど、どうかしたの?」

 

 「いえ、先ほどの授業内容で気になった所があったので、復習しておかなければと思っていただけです」

 

 「あー、ISが何で浮いてんのかってヤツか……アレを完全に理解できる奴なんてそうそういないだろ」

 

 「反重力力翼と流動波干渉になっちゃうもんね……巧也君が分からなくてもおかしくないよ」

 

 苦笑しながらも納得した様子の明日奈に、とりあえず誤魔化せた巧也は心の中でホッと一息つく。任務に関係無い私情で彼女達に負担をかけるわけにはいかない以上、キチンと自己管理しなければと気を引き締めなおす。

 

 「そう言うアスナだって二年のブランクある筈なのに……よくわかるな」

 

 「進路が変わらないって分かってから、リハビリの合間とかに勉強しなおしたからね」

 

 和人の賛辞に、彼女は得意げに胸を張る。明日奈自身の才能もあるだろうが、彼女はそれに驕らずに、人一倍努力を重ねる性格である事を和人は思い出した。

 

 「なら俺も、来週の決闘でカッコ悪いトコは見せらんないな」

 

 「代表候補生相手だから、勝ち目は薄い筈なんだけど……キリト君なら勝ってもおかしくないかも」

 

 「そりゃ買いかぶり過ぎだって。向こうだってずっと努力を重ねてきた筈なんだし……まぁ、やれるだけやってみるさ」

 

 穏やかな言葉とは裏腹に、和人の瞳には闘志の炎が宿っていた。



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六話

 すみません……なんだかもう一個の方がスランプ気味で中々形にならないです……


 「……どういう事だ?」

 

 「いや……どうって、言われても……なぁ……」

 

 放課後の剣道場にて、上がってしまった呼吸を整えながら面を外した一夏は、困惑している箒を見上げる。この場には和人、明日奈、巧也、本音の他に大勢のギャラリーが詰めかけており、その中で一夏は箒に怒られていた。

 

 「どうしてここまで弱くなっている!?何よりさっきの構えは何だったのだ!?」

 

 「えーっと……それには色々事情があってだな……」

 

 目尻が吊り上がった幼馴染を宥めようとしながら、一夏は昼休みに彼女からの誘いを受けた時点でこうなる事を考えておくべきだったと後悔せずにはいられなかった。

 

 (やっぱり……現実世界(こっち)じゃ体が重いなぁ……)

 

 手合わせ開始の直後こそ暫くにらみ合いが続いたが、一夏は弱った体故にSAO時代の様に構えを維持しきれなかった。その隙を箒が逃す筈が無く、一方的に攻め込まれ、防御に徹している間に僅かな体力はあっという間に底を尽き……箒が仕掛けてから僅か一分程度で一夏は彼女に一本とられてしまったのだ。

 

 「……なおす」

 

 「へ?」

 

 己の体力不足を痛感していた彼は、押し殺した声で発した箒の言葉を拾い損ねてしまった。

 

 「鍛えなおす!こんなのIS以前の問題だ!これから毎日私が稽古をつけてやる!」

 

 「へ?ってかそれよりISについて教えてくれるんじゃなかったのか?」

 

 「それ以前の問題だと言っている!!」

 

 怒声を上げた彼女の言う事は最もだが、いくら何でも頑固過ぎるだろうと一夏は思った。丁度その時、別の声が割り込んでくる。

 

 「丁度いいではありませんか、一夏」

 

 「た、巧也!?」

 

 またいつの間にか自分と箒の間に入るように現れた彼に若干驚きつつも、納得がいかない所がある事を視線で訴える。すると彼は、それを織り込んでいたように答えてくれた。

 

 「先程の試合で実感したと思いますが、今の貴方の体は余りにも脆弱です。ISにはパワーアシストがありますが、それは相手も同じですし……何より動かすのがアバターではなく本物の肉体なのがネックですね」

 

 「確かにVRじゃ息切れとか疲れとか無いからなぁ……」

 

 二年間の寝たきり生活の所為で、SAOサバイバーの殆どは体力に乏しい。一夏達は日常生活では問題無い程度には回復しているものの、激しい運動等ではあっという間にバテてしまうのは先程実感したばかりだ。体力づくりが必要だという意見には、彼も賛成だ。

 

 「それに……今のままではその内体を壊します」

 

 「なっ!?」

 

 唐突に放り込まれた言葉に、一夏だけでなく箒も息を吞んだ。いくら何でもそれは無いだろうと否定しようとした一夏だったが、それよりも先に巧也が無遠慮に腕を掴む。すると、中々に無視しえない痛みが彼を襲った。

 

 「うっ!?な、なんで……?」

 

 「あんな動きをすれば当然でしょう……肉体への負担を考えていなかった(・・・・・・・・・・・・・・・)んですから」

 

 「あ……」

 

 指摘されて漸く、一夏は彼が言わんとしている事が分かった。SAOで培ってきた己の剣術は、齧った程度の篠ノ之流を元にしているが、殆ど我流に近い。その技を使うのは超人的な身体能力を発揮できるステータスにまで鍛え上げてきたアバターであって、常人よりも体力で劣る今の肉体を一切考慮していない。さらに致命的なのは、アバターに痛覚が存在しなかった事(・・・・・・・・・・・・・・・・)だ。通常の肉体で無茶な動きをすれば、筋肉や筋を痛める。そうなれば痛覚を通して本人に異常を伝えてくれるのだが、痛覚の無いVRでは一切気づく事ができない。しかもアバターは肉離れや疲労骨折などが起こる事も無い為、どれだけ肉体への負担が大きい動きをしようと本人にとって動きやすければ修正する必要が無いのだ。

 

 「コイツの言う通りだな、アイン」

 

 「キリトさん……」

 

 俺も気づかなかったけどな、と苦笑しながら歩み寄ってきた和人が差し出したタオルを受け取り、一夏は汗を拭く。

 

 「はい、箒ちゃんも」

 

 「いえ、私の方は大丈夫です。ありがとうございます、明日奈さん」

 

 気づけば先程よりも幾分落ち着いた箒に、一夏は頭を下げた。

 

 「頼む、箒。オレを……鍛えてくれ!」

 

 「っ!?ま、任せろ!!」

 

 彼の勢いに気圧されたのか、頬を幾分染めながらも箒は頷く。己の非力さを噛み締め、這い上がろうと決意した一夏であるが、そこに無慈悲な事実が突き付けられた。

 

 「申し訳ありませんが一夏、彼女との稽古の他にも色々トレーニングのスケジュールを組みますので、そのつもりでお願いします」

 

 「……え?」

 

 ギギギ、と音がしそうな程ぎこちなく顔を向けると、何処からか取り出したタブレット端末を操作する巧也がいた。

 

 「剣道はあくまで剣の基本を思い出す為の意味合いが強いですから……体力づくりの為にも他のトレーニングがあるのは当然でしょう?予め楯無さんから基本メニューを頂いてありますので、それを少し弄って……」

 

 「よ、容赦無いなお前……」

 

 「和人も何他人事のように言ってるんですか?貴方も一夏と共にこなしてもらいますよ」

 

 顔を上げてにっこりと微笑む彼に、一夏だけでなく和人の表情も引きつる。やがて互いに顔を見合わせた二人は、揃って盛大な溜息をついた。

 

 「勉強の方はVRでちゃんとやりますから、どんなに体が疲れても大丈夫かと」

 

 「刀奈のヤツ……俺達を半殺し……いや、九割殺しにするつもり満々じゃないか……」

 

 これから先の地獄が見えているであろう和人の愚痴を、巧也は少し困ったような笑みで受け流す。

 

 「そういう訳ですので、申し訳ありませんがお二人のお相手をお願いします」

 

 「……う、うむ……心得た」

 

 先程と違い少々不満そうだった箒だが、彼が差し出したタブレット端末の内容を見た途端に口許が引きつっていた。現役剣道少女がそんな顔をしてしまう程、楯無が考案したトレーニングメニューはスパルタなのであった。加えて対象となる二人がギリギリ倒れずにこなせるであろうラインを意識してあるので、一夏達にとっては非常に(たち)が悪い。

 

 「本当に倒れないかどうかは僕の方でチェックしながらやりますから、和人達は自己申告を正確にお願いしますね。楽をすれば鍛えられませんし、逆に無理をすれば体を壊して本末転倒です」

 

 「……はぁ……」

 

 巧也から手渡された端末を覗き込んだ二人は、その内容に諦めのため息をつく事しかできなかった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「はぁ……はぁ……!」

 

 「一夏、姿勢が崩れています」

 

 「はぁ……くそ……!」

 

 翌日の放課後、一夏と和人はIS学園のトレーニングジム内でランニングマシンを用いた走り込みをしていた。緩やかに長時間走る事で、持久力を鍛えるのが目的である。瞬発力や思考と行動のタイムラグはISのパワーアシストやハイパーセンサーで補えるため、少しでも長く戦えるように体力作りが最優先とされたのは一夏達も納得している。

 

 「あの女狐……今に……見てろよ……!」

 

 「キリト君、愚痴言ってたら余計息が苦しくなるよ?」

 

 まだ松葉杖が取れたばかりの明日奈は、二人よりペースを落としてウォーキングのレベルで参加している。今の彼女は休憩中で、ベンチから和人達の応援をしていた。

 

 「―――お二人共、休憩です。水分補給と汗を拭くのを忘れないでください」

 

 タイマーが鳴り、巧也がマシンを止める。和人と一夏はフラフラとした足取りでベンチにたどり着くと、予め用意しておいたタオルで汗を拭い、息を整える。次いでぬるめのスポーツドリンクで水分を補給して、漸く一心地着く事ができた。

 

 「……次は箒に稽古つけてもらうんだっけな」

 

 「まぁ、昨日みたく打ち合う事はしないだろ……俺達にちゃんとした型を思い出させるのが目的だし」

 

 最初の走り込みで大分消耗しているが、トレーニングはこの後も続く。僅か一週間の間にどれだけ体力を戻せるかがセシリアとの決闘に大きく影響する以上、徹底的にやるのは解っているのだが……肉体の疲労はいかんともしがたいのが実情である。これがVRだったならば、根気よくこなせると断言できるが、現実世界では結構きついのが本心である。

 

 「……そろそろ、行きますか」

 

 「だな。いつまでもへばってる訳にもいかないし」

 

 だがそこで投げ出すような二人ではない。たゆまぬ努力の大切さを、既に彼等はSAOで身をもって知っているのだから。苦しくても、やると決めた以上やり通すだけの強い意志。それが現実世界の和人達にとって貴重な武器の一つなのだ。

 

 (僕も、ちゃんと役目を果たさなければなりませんね)

 

 巧也自身も、ただ和人達のトレーニングを見守る訳では無い。少しでも彼等の力になる為に、彼はセシリア・オルコットの情報収集も行っていた。彼女の専用機であるブルー・ティアーズのスペックは勿論の事、過去の模擬戦及び訓練の記録から得手不得手や戦術パターンの推測……必要と思しき事を黙々とこなしていく。

 代表候補生である以上、現地のメディアへの露出は避けられない。そこからインターネットに情報が流れれば瞬く間に全世界へと拡散していき、幾ら国家であっても完全に取り消す事は不可能に近いのだ。とは言え一般的な方法で手に入る情報で有用なのは決して多くは無く、どうしても暗部としての伝手で入手した情報がメインになってしまったが。

 

 放課後は筋トレや箒からの剣道の稽古に努め、夜はALOにダイブし楯無や虚から座学の補習を受ける。体を壊さないギリギリまで追い込む容赦ないスケジュールを、和人と一夏は弱音を吐く事無く続けていった。入学早々に代表候補生―――強敵との模擬戦に全力で臨むために。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 僅か六日の訓練の日々が過ぎた放課後。いよいよセシリアとの模擬戦の日がやって来た。

 

 「なぁ、箒」

 

 「何だ?」

 

 「稽古つけてくれたのは感謝してるし、こんな事お前に聞くべきじゃないってのはわかってるんだけどさ……」

 

 アリーナのピットには、一夏をはじめ、和人、明日奈、巧也、箒が気まずそうな表情を浮かべていた。

 

 「何でオレだけ機体が来てないんだ!?」

 

 「わ、私だって知らん!というか先生が問合せているんだろう!?」

 

 一夏の専用機がまだ到着していないという、トラブルに見舞われていた。そのお陰で、和人達がISの稼働訓練をしている間も一夏だけは筋トレを続ける事を余儀なくされた。万が一の為に訓練機の打鉄を一機用意してはいるものの、それだって確保できたのが奇跡に等しい。というのも、二年生及び三年生の先輩達はこの時期から既に訓練機を使用しての自主練に励んでおり、元々予約が殺到していたのだ。

 

 「どうやら向こうもかなりごたついているみたいで、誰も正確に状況が把握できていないのではないでしょうか」

 

 「それだって問題だろ。ていうか簪の機体ほっぽった癖にアインのほうも遅れるって、ずさん過ぎないか?」

 

 和人のぼやきは最もだが、来ていない以上状況は変わらない。既にセシリアはアリーナで待機しているし、アリーナを使用できる時間も有限だ。

 

 「仕方ない。順番入れ替えて、俺が先に―――」

 

 「―――お、織斑君!」

 

 いよいよ和人が先に挑もうとした時、麻耶が息を切らせて駆け込んできた。その危なっかしい足取りにあわせて豊かな膨らみが揺れ動くが、一夏達の視線は彼女の後ろに向けられた。鈍い音を立ててゆっくりと開く扉の向こうには、一機のISが鎮座していたからだ。

 

 (あれがオレの……IS(相棒)なのか)

 

 「これが織斑君の専用機―――白式(びゃくしき)です!」

 

 白の名を冠していながら、ISはくすんだ灰色をしていた。だが一切の飾り気のない鋼鉄の鎧は、一夏にとって非常に馴染みやすい造形だった。

 

 「織斑、悪いが時間が無い。初期化(フォーマット)最適化(フィッティング)は実践でやれ」

 

 教師としての声色を崩さず告げた千冬に彼は黙って頷こうとした時、制止する声が上がった。

 

 「正気ですか!?相手は代表候補生ですよ!素人の彼に一次移行(ファースト・シフト)すら済んでいない機体で戦えなど、無茶にも程があります!」

 

 「巧也……」

 

 常識的に考えて、元々不利な状況がさらに悪化しているのだ。一夏の身を案じるならば、せめて一次移行(ファースト・シフト)が完了するまでの時間は確保すべきと考えるのは当然の事だった。

 

 「野上……お前がそう言うだろうとは予想がついていた。だが安心しろ、コイツはもうただ守られるだけのヤワな奴ではないさ」

 

 「ですが―――」

 

 「―――オレなら大丈夫だって。SAO(むこう)でもこんなぶっつけ本番とかよくあったし慣れてる」

 

 自分を心配してくれた友人の気遣いを好ましく思いながら、一夏は兄貴分を真似てシニカルな笑みを浮かべてみせる。

 

 「それにこのくらいの逆境を覆せなきゃ、守りたい人達をオレの手で守るなんて夢のまた夢だしな」

 

 「……解りました。そうやって平然と無茶な事に挑もうとする所は、和人に似なくてもよかったのですが……」

 

 「オレの目標だからな」

 

 呆れた様に肩をすくめた巧也に背を向け、一夏は白式に触れる。だが以前触れた時に様な、電撃にも似た感覚が襲ってくる事は無かった。千冬の指示に従って搭乗してもそれは変わらず、元から自分の体の一部であったかのようにただただ馴染む。延長された四肢ですら、初めからそうであったように己の感覚通りに、寸分の狂い無く動く。ハイパーセンサーによって視界が広がり、各種センサーから送られてくる数値ですら、見慣れたように理解できる。

 

 (いける……!)

 

 これならば、戦える。その自信が心を落ち着かせ、自分を見送る者達へと彼の目を向けさせた。

 

 「それじゃぁみんな……行ってきます!」

 

 近接ブレードを右手に呼び出し、一夏はピットゲートからアリーナへと飛び出した。




 普通に考えれば一夏だって結構ハイスペックなキャラの筈なんですけどね……原作でももうちょっと上手い魅せ方があってもよかったんじゃないでしょうか……?


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七話

 セシリアの戦績について、捏造がありますのでご注意ください。


 「―――あら、逃げずによくきましたわね」

 

 自信に満ち溢れた表情を崩す事なく、セシリアはそう告げた。自分の勝利を信じて疑わない彼女に対して、片刃の近接ブレードを携えた一夏の意識は彼の城を生き抜いたプレイヤー……アインへと切り替わっていた。ISに合わせたサイズの為刃渡り1.6メートル程の長大なものではあるものの、その形は彼にとってよく馴染む刀である。

 

 (これで直剣だったらヤバかったけど……良かった。これなら何とか扱えそうだ……!)

 

 静かな闘志を燃やしつつ、ハイパーセンサーで広がった視界を見渡す。すると丁度本音に連れられるようにして観客席へと顔を出した簪の姿を見つけた。

 

 「ふぃ~、ギリギリ間に合ったよ~かんちゃん」

 

 「う、うん……」

 

 少し意識を向けるだけで、白式は彼女達の会話さえ拾い上げる。負けられない理由が一つ増えたが、だからと言って緊張してしまう程、彼の心は弱くない。

 

 「最後のチャンスを差し上げましょう」

 

 「チャンス?」

 

 セシリアの言葉に答えつつ、剣士としての意識が、一瞬とはいえ相手から目を離した事を叱責する。不意打ちを常套手段とする相手ならばこの一瞬で敗北しているし、正々堂々とした勝負を望む者ならば今の自分の態度は失礼以外の何物でもない。

 

 「このまま戦えば、わたくしが圧勝するのは自明の理。これだけの観衆の前で無様な負け姿を晒したくなければ、貴方の降参を認めてもよくってよ?」

 

 言葉と共に彼女がレーザーライフルのセーフティを解除したのを、白式が確認し伝達する。なら今の言葉は挑発である。同時に冷静な思考回路が彼女の言葉が多くの者達にとっての共通認識である事も理解する。

 

 「……なぁ、お前はそう言われて素直に降参するのか?」

 

 「何ですって?」

 

 訝しむように、セシリアは目を細める。その瞳を正面から見つめ返し、一夏は問いかける。

 

 「お前だって格上の相手……例えば国家代表とか千冬姉相手にそう言われて、はいそうですかって素直に引き下がるのか?」

 

 「そ、それは……」

 

 言葉に詰まる彼女へと不敵な笑みを浮かべて彼は畳みかける。

 

 「オレは……嫌だね、何もしないで逃げるなんて。例えどんなに相手が強くて、敵わなくったって……足掻いて足掻いて、足掻き続けて……オレの想いを、覚悟を……この刃を届かせてみせる」

 

 一度心を折られた一夏だからこそ、もう二度と砕かれぬ決意を抱く事ができた。あの時の挫折に比べれば、例えここで無様な負けを晒す事など大した事ではない。何度打ちのめされようと、這い上がるだけだ。格好悪いだとか、みっともないだとか……そんな姿はSAOで幾度となく簪達に晒し続けたのだから。

 

 「でしたら……これでお別れですわね!」

 

 一瞬不快そうに眉を顰めたセシリアが、試合開始の挨拶がわりとばかりにライフルのトリガーを引く。打ち出された一筋の閃光が、まっすぐに白式へと向かい―――その左肩装甲を掠めた。

 

 「ぐっ!?」

 

 「なっ!?」

 

 一夏はレーザーが予想以上に速かった事に、セシリアは初撃が直撃では無かった事にそれぞれ驚愕する。だがすぐに彼は接近を試み、そうはさせじとセシリアはライフル連射する。

 

 (速い……!いや、それだけじゃない……!)

 

 彼女の正確無比な射撃が幾度となく機体を掠め、ジワジワとシールドエネルギーを削っていく。巧也に見せてもらった彼女の戦闘画像からイメージトレーニングはしていたのだが、想定よりも体の反応が鈍い。スコープ越しに見えるセシリアの目……正確にはその視線から、何処を狙っているのかは分かる。ライフルのエネルギー充填のタイミングは白式が教えてくれる為、彼女の射撃タイミングだっておおよそは掴める。だが―――

 

 (オレと白式の動きがかみ合ってないのか……!)

 

 通常の動作では全く気にならなかったが、コンマ数秒の世界で浮き彫りになった、機体との感覚のズレ。一次移行(ファースト・シフト)が済んでいれば起こらなかった問題が、一夏を苦しめる。ただでさえアバターではなく肉体での動きにラグが発生しているというのに、機体の反応にまでそれが出てきた彼は、早急に感覚を修正しようとする。

 

 「クソッ!」

 

 だがそれは一夏に多大な負荷をかける事に他ならず、とてもではないが短時間でできる事では無い。その為彼が完全な防戦一方へと追い込まれてしまう事は避けようがなかった。

 

 「さあ踊りなさい!わたくし、セシリア・オルコットとブルー・ティアーズが奏でる円舞曲(ワルツ)で!!」

 

 最初こそ動揺したものの、冷静さを取り戻したセシリアは容赦無くレーザーの雨を降らせる。一夏もせめて被弾を最小限に留めようとするも回避が追いつかない。だがそれでも絶対防御が発動してしまう生身への射撃だけは装甲を使い捨ての盾替わりにして何とか凌ぐ。

 

 (目を離すな……考えろ、考えろ……!今のオレにできる事……向こうが得意な戦術……その弱点……勝機はある筈だ……!!)

 

 数十メートルという、ISにとっては瞬時にゼロへとできる距離が、今の一夏にとっては果てしなく遠い。だが彼に「諦める」という選択肢は最初から存在しない。何があろうと食らいついてみせる、その思いで一夏は前進する。

 

 (―――しぶといですわね……男の癖に!)

 

 抑えきれない苛立ちに、セシリアは奥歯を噛み締める。戦況は圧倒的に自分が有利で、勝利は目前の筈なのに……なのに何故、織斑一夏が膝を屈するビジョンが見えないのか。

 

 (あの目……まだわたくしに勝とうとしているとでも……?)

 

 片時も離れる事無く自分を見続ける彼の目には、今まで出会った男達には無かった強い意志と光が、爛々と輝いている。死んだ父とも、遺産目当てで近づいてきた金の亡者共とも違う、媚びる事のない眼差し。幼少の頃から憧れ、いつの間にか忘れていた―――理想の、輝き。それがいつの間にか男を見下す様になっていたセシリアの心を揺さぶり、胸の内に決して不快では無い感情が沸き上がる。

 

 「っ、この!」

 

 段々と制御しきれなくなっていく感情をぶつけるように、必中の意志でライフルのトリガーを引く。打ち出された一筋の閃光は、またしても白式の装甲を掠めるも直撃はしない。先程からずっと同じ事の繰り返しで、決定打が決まらない。とはいえ僅かながらも向こうのシールドエネルギーは減った筈であり、大分消耗しているのは間違いない。だが代表候補生たるセシリアの射撃が、素人である筈の一夏に凌がれているのもまた事実であり、彼女のプライドを逆撫でする。

 

 「ああもうっ!お行きなさい、ティアーズ!!」

 

 遂に痺れを切らした彼女は、一気に勝負を決めるために機体の特殊兵装―――ビットを射出する。主の命を忠実に実行する四機のビットは瞬時に白式を包囲し―――

 

 「―――そこだああぁぁ!!」

 

 「な!?きゃあ!」

 

 一直線に突進してきた白式のショルダータックルを、本体であるセシリアはもろに受けてしまう。咄嗟にライフルを盾替わりにしたものの、IS一機の質量が乗った体当たりの衝撃は大きく、姿勢制御に意識を裂かざるをえなくなる。その結果セシリアは自身の欠点を一夏へと晒してしまった。

 

 ―――ビット及び本体の同時操作の不可を。

 

 「せぇい!」

 

 セシリアと衝突した次の瞬間に、一夏は痛む左肩に表情を歪めながらも転身し、ビット一機を切り捨てる。爆ぜたビットに驚き彼女の動きが止まっているのを瞬時に確認すると、手近にあった二機目のビットも斬り裂く。

 

 「まさか、わたくしのティアーズが……!」

 

 巧也が教えてくれた情報では、セシリアは一度もティアーズ―――ビットを破壊された事がない。今彼女の眼前に広がる光景は完全に想定外のものであり、思考を僅かな時間とはいえ停止させるには充分だった。

 

 (やっぱり……アイツ、自分の想定外に弱い!!)

 

 試合開始直後の時から観察を続けた一夏がそう判断するのに、さほど時間はかからなかった。先程の突進で左肩装甲が完全に破損してしまったが、ビット二機を破壊する為の経費としては安いものだ。

 

 (いける!これなら勝つ事も夢じゃない!!)

 

 想像以上の手応えが、自然と一夏を昂らせる。漸く巡ってきた勝機を掴むべく、彼は再び剣を構える。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「はぁ、織斑君はすごいですねぇ……代表候補生のオルコットさんにあそこまで立ち向かえるなんて」

 

 ピットにて。アリーナ内を映したモニターの前で、真耶が溜息と共に感想を漏らす。だがその一方で、和人は呆れたように額に手を当てて天を仰ぎ、明日奈は苦笑した。

 

 「アイツ……情報通りだからって浮かれすぎだろ。ありゃ足元すくわれるぞ……」

 

 「あ、あはは……アイン君の悪い癖が出ちゃったね」

 

 「どういう事ですか、和人?」

 

 何故二人がそんな態度なのかが分からない巧也は、純粋な疑問を抱く。すると彼では無く千冬が変わりに答えた。

 

 「先程から織斑の左手が閉じたり開いたりしているだろう。アレはアイツの昔からの癖でな……アレが出る時は決まって浮かれていて、大抵つまらないミスをする」

 

 「あ、ホントですねぇ。ご姉弟の織斑先生もそうですけど、桐ケ谷君と結城さんも織斑君の事をよく見てるんですね」

 

 感心したように真耶がそう呟くと、三人共ハッとしてモニターへと向き直る。

 

 「ま、まぁ……アレでも私の弟だからな」

 

 「アイツはほっとけないっていうか……手がかかるヤツっていうか……」

 

 「二年間助け合ってきたからねー、細かい癖とかだって自然と覚えちゃったんだよね」

 

 珍しく言葉に詰まった千冬、少々恥ずかしげに頬を掻く和人、おおらかに微笑む明日奈と三者三様の反応に、真耶はついこらえ切れずに笑みを零す。何となくそれが気に入らなかった千冬は、無言で真耶にヘッドロックをお見舞いする。

 

 「い、いたたたたっ!?」

 

 きゃいきゃいと騒ぐ二人に苦笑しつつ視線を戻した巧也は、ふと先程から言葉を発していない箒に気付いた。一夏の健闘に喜んでいるであろう彼女だが、心なしかその表情は険しい。ダメージが蓄積した機体はボロボロに見え、追い込まれているのは誰の目にも明らかなのに―――

 

 (一夏……!)

 

 ―――彼の瞳が灯す闘志が消える気配は無く、何度でも立ち上がる。一夏に傷ついてほしくない。だが諦めずに立ち向かってほしい。相反する二つの想いが胸中に渦巻き、両手を握りしめながらも、彼女は一層モニターに映る一夏の姿を目に焼き付けるのだった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「はぁ……はぁ……」

 

 一夏は高揚する心とは逆に、体が荒くなった呼吸を隠せなくなっていた。最初から懸念されていた体力不足が頭をもたげてきたが、それを踏まえたうえでも充分チャンスはあると彼は確信していた。シールドエネルギーは半分ほど削られてはいるが、漸くセシリアの射撃にも慣れたのか反応できるようになっている。あと数分、それだけ保てば充分。

 

 「わ、わたくしが……これほど追い込まれるだなんて……!」

 

 悔しげに彼を睨むセシリアに、今の一夏のコンディションを把握する余裕は無い。自身が得意としていた中距離射撃を凌がれ、逆に切り札たるビットの多角攻撃を待ち構えていたなど、予測できなかった。そもそもISに関して素人だった筈の男である。ライフルだけで一方的にシールドエネルギーを削り切れる自信があった。

 それがどうだろう。射撃では決定打を与えられず、ビットに至ってはこちらが弱点を晒すその瞬間を狙われてレーザービット二機を破壊された。

 

 ―――男の癖に。

 

 そう、男に苦戦した代表候補生など、ただの笑い者でしかない。両親の死後、家や遺産……二人が遺した物を守る為に積み重ねてきた努力全てが否定されていくような気がして、セシリアはさらに焦る。

 

 「わたくしは……負ける訳にはいきませんのよ!」

 

 「くっ!」

 

 彼女の心境を表すかのように、ビットの動きは精彩を欠き、放たれるレーザーはもう掠りもしない。一夏は雑な射撃を苦も無く躱し、残る二機のビットを切り捨てて一息に相手の懐へ潜り込む。

 

 (―――獲った!!)

 

 そう確信した彼に生まれた、僅かな気の緩み。その綻びが、セシリアに起死回生の一手を打たせるきっかけになった。

 

 「おあいにく様!ブルー・ティアーズは―――」

 

 今まで一度も見せた事のない、正真正銘の最後の切り札。如何に瞬発力に秀でた近接格闘型であっても、この至近距離ではかわしきれまい。

 

 「―――六機あってよ!!」

 

 「なっ!?」

 

 腰部のスカートアーマーの一部が分離し、ミサイル型ビットとして一夏へと突き進む。彼は咄嗟に一機を切り捨てたが、それは最悪手でしかない。斬り裂かれた瞬間にミサイルビットは爆散し、二機目を誘爆させる。逃れる間も無く、彼は爆炎へと飲み込まれた。

 

 (勝った……とはいえ、なんて無様……お母様、申し訳ございません……!)

 

 ミサイルビットの使用は、本国での稼働試験を除けば初めてだ。素人相手に最後の切り札で勝つなど、情けないどころか自己嫌悪すら抱いてしまう程みっともない。思考がどんどん負のスパイラルに嵌まっていき―――

 

 ―――煙を振り払って姿を現した純白に、目を見開いた。

 

 「……そうか。やっとオレの機体になってくれたんだな」

 

 「な、何を言って……!?」

 

 穏やかに機体へと語りかける彼に思わず首を傾げかけ、セシリアは瞬時にその意味を理解した。

 

 (破損した筈の装甲が修復されて……いえ、姿が違う!これは一次移行(ファースト・シフト)!?)

 

 初期化(フォーマット)最適化(フィッティング)の完了に伴う、IS最初の形態移行。それが今起こるという事は、つまり―――

 

 「あ、貴方……初期設定の機体で戦っていましたの……?」

 

 「あ~、まぁ……ホントにさっき届いたばっかだったから……」

 

 申し訳なさそうに頬を掻く一夏に、セシリアは唇を噛み締めて俯く。

 

 「か、勘違いしないでくれ!別に手加減してたとか、舐めてたとか……そういうつもりは一切無いんだ!!」

 

 「……わかって、いますわ」

 

 先程までの必死な表情。戦っていたセシリアだからこそ、一夏の言葉が真実である事はすぐに理解できる。そして悟ってしまう。自分では、目の前にいる彼には勝てないと。

 

 (ですが……オルコット家の者として、退く訳にはいきませんわ……!)

 

 だがそれでも。胸に宿した誇りが、彼女を奮い立たせる。レーザービットを全て失い、残った武装はレーザーライフルと近接戦闘用のショートブレード、次弾を装填したミサイルビット。幸いシールドエネルギーは充分余裕があるが、懐に潜り込まれてしまえば瞬く間に削り切られてしまうだろう。しかしここで降参するつもりも毛頭無い。シールドエネルギーがゼロになるまで戦い続けてみせる。その一心で俯いていた顔を上げ、ライフルを構えなおす。

 

 「随分、いい顔するようになったな」

 

 「は、はい?」

 

 穏やかに微笑みかけてきた一夏に、セシリアは思わず目を瞬く。何故彼がこんな事を言い出すのかが、彼女には分からなかった。

 

 「なんつーかさ……初めて会った時ってこう、男を見下してたっていうか、良く思ってなさそうな感じだったし……さっきまでだって何かに追い立てられてたみたいな苦しそうな顔してた」

 

 「……貴方を、男性を見下していたのは、否定しませんわ」

 

 「代表候補生になる為に、すっげぇ努力したんだろうなってのは、戦ってるうちに何となく伝わってきたよ。それに……譲れない何かがあって、その為にオレに勝つんだって想いも。でもそれ以上に、凄く重たいものを背負って、それに潰されそうなひどい顔してたんだぜ?」

 

 彼の言葉が、胸の奥を真っすぐに貫く。思わず息を吞んだセシリアに、一夏は屈託のない笑みを浮かべてみせた。

 

 「それが今じゃ、憑き物が取れたみたいにスッキリした顔で……それが本当のセシリアだって、オレは思うぜ」

 

 「本当の……わたくし……?」

 

 思わず首を傾げたセシリア。その仕草は年相応の少女のもので可愛らしく、一夏には今の方が好ましく思えた。

 

 「ああ!試合前よりずっと綺麗だぜ!!」

 

 「~っ!?」

 

 純粋な賛辞にセシリアの胸が高鳴る。こうして自分だけを見つめて送られたそれは彼女にとって初めての経験で、聊か刺激が強すぎた。

 

 「あ、相手を称えるのは試合の後にしてくださいまし!」

 

 「うぉ!?」

 

 照れ隠しとしてはかなり物騒だが、咄嗟に彼女はレーザーライフルを撃つ。しかしそれが一夏に当たる事は無く、彼の意識を切り替えさせるスイッチにしかならなかった。

 

 「わりぃ……こっからはオレも全開だ!」

 

 近接ブレード―――雪片弐型(ゆきひらにがた)を握りなおし、スラスターを吹かす。先程までとは打って変わり、まるでアバターを使っているかのように彼の思考をISが読み取り、応えてくれる。

 

 (……行ける!)

 

 凌ぐのがやっとだったレーザーが、思い通りに動ける今では最小限の動きで躱せる。刀使いアインとしての動きを完全に再現できている事を実感した一夏は、かつて浮遊城で好んで使っていた剣技の構えを取る。

 

 ―――右手の刀を左腰へ。左手は刀の鎬へと軽く添える。

 

 鞘があればそれに収めているかのような構え。居合系刀スキル『辻風(つじかぜ)』だ。仮想世界と違いシステムアシストは無いが、今ならば完全に再現する事ができる。

 ライトエフェクトを纏う代わりとばかりに雪片の刀身が開き、レーザー刃が生み出される。セシリアが懐に飛び込ませまいと放った射撃を置き去りにして、一夏の姿が掻き消える。気づいた時には既に彼は懐に潜り込んでいて、逆袈裟に刀を斬り上げていた。遅れてやってきた衝撃に、セシリアは一夏に斬られた事を自覚する。

 

 (あぁ……わたくしの負け、ですわね……)

 

 たった一撃。それだけでゼロになったエネルギーを見て、彼女は胸のつかえがとれたようにため息をついて―――

 

 ―――試合終了。両者シールドエネルギーゼロにより、引き分けとなります。

 

 「え?」

 

 「はい?」

 

 思いもよらない結果に、思わず二人は顔を見合わせる事しかできなかった。




 次はセシリアVSキリトです。お楽しみに。


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八話

 「―――全く、あれだけ周りを期待させて盛大にやらかしてくれるとはな。この大馬鹿者」

 

 「……返す言葉もございません」

 

 ピットに戻った一夏を出迎えたのは、呆れ顔と共に発せられた千冬の言葉だった。先程の試合、最後の場面は誰もが一夏の勝利だと思っていたというのに、結果は引き分け。

 

 「はぁ……もうちょっと持つと思ってたんだけどなぁ……」

 

 一次移行(ファースト・シフト)によって変化した近接ブレード―――雪片弐型の能力……’バリアー無効化攻撃’は相手のシールドバリアを問答無用で斬り裂き本体へと直接ダメージを叩き込める代わりに、自分のシールドエネルギーを糧とする。その情報自体は一夏も解っていたのだが……予想をぶっちぎってエネルギーをドカ食い……もとい、燃費が凄まじく悪かったのだ。

 

 「ですが織斑先生、彼のエネルギーは半分程は残っていた筈です。いくら何でも消費が大き過ぎると思います」

 

 「あぁ……原因は雪片だけでは無い」

 

 「え?」

 

 巧也が最もな疑問を呈すると、千冬はほんの僅かに口角を釣り上げる。

 

 「織斑、雪片の能力と共に、瞬間加速(イグニッション・ブースト)を使っただろう?」

 

 「い、イグニッション……?」

 

 「そうか……!アイン、ログを出してくれ」

 

 彼女の言葉を理解した瞬間和人は、一夏に白式の戦闘記録を呼び出させる。ピットに用意されたモニターに映し出されたそれを、彼等は揃って見つめる。

 

 「えっと、ここか」

 

 一夏が『辻風』―――正しくはその模倣だが―――の一撃をセシリアへと放つ瞬間。記録ではそこで白式のシールドエネルギーが激減し、斬りつけた直後にゼロになっていた。

 

 「あ、エネルギーの減り方が二段階に分かれてる」

 

 シールドエネルギー残量を記録した折れ線グラフがかなり急な角度で折れ曲がっており、よく見れば途中でほぼ垂直に折れ曲がっていた。その結果から、白式が雪片の使用以外にもう一つエネルギーを大量に消費する行動をしていた事が分かった。

 

 「結城の言う通り、最初に減少した原因が瞬間加速(イグニッション・ブースト)だ。尤も、不完全故にロスが大きく、無駄にエネルギーを消費しているがな」

 

 「……そこからダメ押しとばかりにバリアー無効化攻撃を使ったって事か」

 

 「あ、あの時はただ……速く間合いに飛び込もうって一心で」

 

 何よりも速く駆け抜ける。その思いだけでスラスターを全開にした一夏だったが、それがどういう訳か瞬間加速(イグニッション・ブースト)を不完全ながらも発動させていた。エネルギー消費の激しいそれを雪片と併用した故の自滅に、明日奈や和人は苦笑いするしかなかった。

 

 「い、一夏」

 

 「箒?」

 

 「さ、最後の居合切りだが……その、悪くなかったぞ」

 

 「へ?」

 

 緊張のせいか、僅かに頬を紅くしながら言われた言葉に、一夏は思わず目を瞬く。不機嫌そうな顔がデフォルト(本人曰く)な箒らしからぬ仕草に、熱でも出したのかと考えて―――

 

 「今失礼な事を考えなかったか?」

 

 「イエ、ナンデモアリマセン」

 

 ―――即座に姿勢を正す。SAOで培われた直感が彼に告げていた。今自分は地雷原の真っただ中にいると同義だと。

 

 「ははは。その様子じゃ、思った事がすぐ顔に出るってのも昔からのクセっぽいな」

 

 「ちょ、キリトさん!?」

 

 「しょうがないよ。アイン君はまっすぐな子なんだから」

 

 「アスナさーん!?」

 

 揶揄われているのか、褒められているのか。兄貴分達からの生暖かい視線が、一夏の精神的なHPをガリガリと削っていく。

 

 「まぁまぁ。それに箒ちゃんだって、本当はアイン君の太刀筋にすっかり見惚れてたんだよ?」

 

 「なぁ!?ななな……何を!?」

 

 抗議の声を上げていた一夏を宥めながら、明日奈はポロっと爆弾発言を零す。次の瞬間に箒は茹で上がったように顔を真っ赤に染め上げ、口許を戦慄かせる。

 

 「明日奈さん、そこは言わないでおくのが気遣いなのではないでしょうか?」

 

 「あ、あちゃー……さっきの箒ちゃんが可愛かったからつい、教えたくなっちゃって」

 

 巧也からの指摘にハッとした彼女は、申し訳なさそうに目を逸らす。何とも言えない微妙な空気が漂い始めた時、セシリアの様子を見に行っていた真耶が戻ってきた。

 

 「桐ケ谷君、オルコットさんの準備が整いましたので、アリーナへの移動をお願いします」

 

 「あ、はい」

 

 彼女に促され、和人は自身のISを展開する。彼の希望に合わせて黒を基調としたカラーリングを施された機体―――’極夜(きょくや)’は高機動型かつ近接戦闘を重視しているため、一夏の白式と形状が類似する箇所が複数見受けられる。その最たる部分が非固定浮遊部位(アンロックユニット)の大型ウィングスラスターで、白式と同等の出力を誇るであろう事は容易に想像できた。だがその一方で手足を覆う装甲は一回り厚く、有り体に言えばゴツイ。

 

 「勝算は薄いだろうけど……刀奈のヤツを見返すだけの戦いはしないとな」

 

 彼の城での愛剣、エリュシデータを模した黒い直剣型のブレードを展開し、ピットゲートへ。

 

 「んじゃ、行ってくる」

 

 「うん、行ってらっしゃい」

 

 明日奈のほにゃり、とした笑顔に送り出され和人はアリーナ上空へと飛び立つ。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 (宙に浮く感覚はALOで慣れているけど、やっぱ飛び方は違うなぁ……)

 

 上空へ上がる間、和人は頭の中で一人ごちる。

 

 (アインのヤツ、さも当然のように飛び回りやがって……ホント、敵わないよ。お前には)

 

 IS学園に来る前から、和人は極夜を動かして訓練に励んでいた。だからこそ、初乗りでセシリアに奮闘した一夏の才を羨ましく思った。彼は初乗りでは碌な空中機動などできず、それなりに訓練を積んで漸くだったためそう思うのも無理はないだろう。尤も、和人自身ALOではログイン初日にアッサリと随意飛行を習得してのけた実績があるのだが。

 

 (俺も、負けていられないな……!)

 

 深呼吸を一つして、意識を戦闘モードに切り替える。目の前にはもう、これから戦う相手がいるのだから。

 

 「……貴方も、近接格闘型の機体ですのね」

 

 「あぁ、こっちの方が慣れてるんでね」

 

 一夏との試合で何か変化があったのか、今のセシリアからは純然たる闘志が燃え上がっている。油断も驕りも無い戦士としての姿に、自然と和人の神経は張り詰めていく。

 

 (あぁ……世界とは本当に広いのですわね。この方の瞳にも、一夏さんと同じように強い光が宿っている……)

 

 一夏だけでは無い。きっと世界には、彼や目の前にいる和人のように強い意志を宿した瞳の男も沢山いるのだろう。ただ今までの自分には縁が無かっただけで。セシリアは今、自分が見てきた世界がいかにちっぽけなものだったのかをさまざまと感じていた。

 

 「最初から、全力でいきますわ!」

 

 「俺もだ!」

 

 両者の叫びに重なるように、試合開始のブザーが鳴る。瞬間、セシリアはレーザービット四機を射出する。

 

 「ちっ!」

 

 幾らハイパーセンサーで全方位に視界が確保されているとしても、包囲されるのは避けたい。咄嗟に和人は動きが疎かになるセシリア本体へと突込み―――

 

 「させませんわ!」

 

 「うげっ!?」

 

 ―――彼女から放たれたミサイルビットに思わず目を見開く。完全に己のスピードが仇となり、常人には反応しきれない速度で迫るミサイル。しかし彼はおおよそ常人には持ちえない反応速度を誇った、アインクラッド最強クラスの剣士。瞬時に手首に格納された投適用ピックを取り出し迎撃を試みる。

 

 (ビットは囮か!最初から誘われたのか!!)

 

 ミサイルの向こうにいるセシリアは既にライフルの照準を合わせており、迎撃後の隙を突かんと身構えていた。それに気づいた和人は体を捻り、速度、軌道を変える事無くミサイルをギリギリでの回避を選択する。本命がレーザーライフルの一撃の為か、ミサイルビットの軌道に変化は無い。

 僅か一秒にも満たない時間の中で見せた和人の反応に、セシリアは内心で舌を巻いた。

 

 (これで素人だなんて……冗談も大概にしてほしいですわ!)

 

 最初から狙っていなければ、彼女は常に彼の後手に回らざるを得ない。それ故に和人が本当の狙いに気付いていなかったのは、セシリアにとって僥倖だった。

 

 「今ですわ!」

 

 「なっ!?」

 

 和人がミサイルビットとすれ違う瞬間、四条の閃光が迸った。二つが彼の逃げ道である上下を塞ぎ、残り二つが今まさに彼の両脇を過ぎようとしていたミサイルを貫く。その結果和人は至近距離でミサイル二機の爆発を受け、大幅にシールドエネルギーを削られてしまった。

 

 「―――ぅおおお!」

 

 「く、ぅ……!」

 

 だがそれでも彼の勢いは止まらず、『ソニックリープ』を模倣した斬撃をセシリアへと叩き込む。彼女も念の為展開していたショートブレード―――インターセプターで防ぐが、剣の技術は和人が遥かに上だった。何とか受け流すが反撃できず、続く連撃にたちまち防戦一方に追い込まれる。

 

 「囮に見せたビットが実は本命だったとか……随分強かだな……!」

 

 「あら?……これぐらいできませんと、大人相手に貴族の当主など務まりませんわよ?」

 

 「成程……!アイツのお陰で随分前向きになったみたいだな」

 

 「なっ!い、一夏さんは関係ありませんわ!」

 

 己の不利を悟らせまいと余裕のある表情を保っていたセシリアだったが、ふと和人が零した一言によって瞬く間に赤面してしまう。その動揺を和人が見逃す筈は無く、彼女の体勢を崩すべく体術スキル『弦月』―――正しくはその模倣による蹴りを見舞う。

 

 (ティアーズ!)

 

 蹴り飛ばされる勢いに身を任せたセシリアは、待機させていたビットへと指令を送る。チャンスは距離が離れた今しかない。幸いビットは四機とも彼の真後ろにある為、極夜の機動力の要である大型ウィングスラスターを狙える。彼女の命令を受けたビットは和人へと狙いを定め―――うち一機が爆ぜた。

 

 (な、何が起きましたの!?)

 

 残った三機は指示通りレーザーを放つが、直前でセシリアが動揺した結果狙いが乱れ、和人に易々と躱されてしまった。

 

 「意外と当たるもんだな」

 

 「い、一体何をしましたの!?」

 

 感触を確かめるように左手をプラプラと振る和人に、思わず疑問をぶつけるセシリア。すると彼はまるで何でもないように答えてくれた。

 

 「えーっと……後ろに浮いてたビットにこのピック投げただけだぜ?お前がいつ自分諸共ビットで撃ち抜いてくるか分かんなかったから、ずっと警戒し通しで結構キツかったけどな」

 

 「一夏さんといい貴方といい……男性には規格外の方しかおりませんの!?!?」

 

 今まで以上に視界が広がっても、すぐそれに慣れる訳では無い。広がった視界……特に真後ろや真上は余程意識を割かない限り疎かになるのが初心者の常である。

 

 「いや、お前を見ながら、空中に不自然に浮いてる青い物が何処にあるのかを大体把握するようにしてただけだって。結構集中しなきゃだけど……それだけだから誰でもできるって」

 

 「さも当たり前のように言わないでくださいまし!」

 

 一夏と和人。この二人との対戦の中で、セシリアの中の常識が音を立てて崩壊していく。あくまでも常人とは異なる経験を経てきた二人だからこそIS初心者にあるまじき実力を発揮しているのだが……セシリアにそれを教えてくれる者は今ここにはいなかった。

 

 (さて……俺もあと、どれだけ動けるかな……)

 

 幸いセシリアには気づかれていないが、和人の額には玉の汗が浮かんでいた。気を抜けば肩で息をしそうになる体に鞭を打ち、何とか悟らせないようにしているが……それも長くはもたない。対するセシリアは機体にダメージこそあるが、武装面の損失はレーザービット一機のみ。長引けば和人が不利になるのは火を見るよりも明らかだった。

 

 「これなら……!」

 

 「ちっ、考えたな……」

 

 ビットを呼び戻したセシリアは、それを自分の周囲に随伴させることで移動しながらのビット射撃を可能にした。単純に正面からしかレーザーが来なくなったものの、ライフルとビット合わせて四つの砲口から放たれるレーザーの雨は厄介だった。

 流石に付け焼刃である為に一つ一つの狙いは幾分精度が甘いが、それでも意識の大部分を回避に割かれて中々近づく事ができない。

 

 (多すぎだろ……!せめて一つか二つくらい防げれば……)

 

 機体各所をレーザーが掠め、極夜のシールドエネルギーが少しずつ減少していく。被弾覚悟で突っ込もうにも射撃を防ぐ手立てが無ければたちまち削り切られるのは解り切っているため、何らかの方法を見つけなければならないのだが……生憎と和人は盾無しの剣士としてSAOを駆け抜けた少年であり、極夜もそんな彼にあわせて直剣と投適用ピック以外の武装は無かった。

 盾を持たぬ自分は、どうやって敵の攻撃を防いでいたか……それを思い出した彼は、実行すべく意識を研ぎ澄ます。

 

 「……やってみるか」

 

 意を決して、和人は打って出た。無謀にも真正面からセシリアへ突っ込んだのだ。

 

 「いただきましたわ!」

 

 囮として放たれるビットからのレーザーを躱すと、先読みしたライフルからのレーザーが迫る。ハイパーセンサーの補助があってやっと視認できるそれだが、感覚を研ぎ澄ました和人の目にはレーザーの軌道がありありと見て取れた。

 

 (―――っ!)

 

 自分とレーザーの間に剣を滑り込ませ、刀身を盾として受ける。和人は驚愕するセシリアへと速度を緩めずに距離を詰める。

 

 (あと二回もやったら持たないか……?)

 

 極夜から伝達された情報に、彼は思わず顔を顰めた。どうやら剣へのダメージが予想以上に大きかったらしく、刀身の損耗が激しかったのだ。同じ所で受ければ、すぐに折れてしまうのは明らかだった。

 

 「あ、な……!?」

 

 だが、’剣でレーザーを防ぐ’などという無謀な行動を成功させた事実はセシリアに大きな衝撃を与え、和人にとっては充分すぎる隙を生み出した。

 

 「おおおぉぉ!!」

 

 極夜の右腕装甲の一部が展開し、内蔵されていた小型スラスターが起動する。より加速した彼は、渾身の力で『ヴォーパル・ストライク』を叩き込む。彼女も咄嗟にライフルを盾替わりにするものの、焼け石に水に過ぎなかった。易々とライフルを貫いた剣はセシリアの喉へと迫り、ブルー・ティアーズに絶対防御を発動させて、そのシールドエネルギーを大きく削り取る。

 

 「ぅ、い、インターセプター!」

 

 セシリアは一旦収納していたショートブレードを再展開させようとするが、その光が収束するよりも和人の剣の方が速かった。

 

 「う……らぁ!」

 

 腕部スラスターの補助受けた彼によって高速で放たれた五連突きがブルー・ティアーズの各所に突き刺さり、続く斬り下ろし、斬り上げによって呼び出したインターセプターが弾き飛ばされる。

 

 「はあああぁぁ!!」

 

 「きゃあああぁぁ!」

 

 無防備になった彼女へと、和人は八撃目の大上段切りを放つ。片手剣スキルの中でも相当な大技『ハウリング・オクターブ』の最後の一撃はブルー・ティアーズの装甲を斬り裂き、そのシールドエネルギーを食らい尽した。

 

 ―――試合終了。勝者、桐ケ谷和人。

 

 割れんばかりの歓声の中、和人は荒くなった呼吸を整えるのに精一杯だった。

 

 (今ので決まらなきゃ……負けてたな……)

 

 さっきのソードスキルで、彼は体力をほとんど使い果たしていた。特にスラスターによる剣技の加速は思った以上に負荷が大きく、なけなしのスタミナを瞬く間に貪りつくしたのだ。仮にセシリアが耐えきっていたのならば、満足に動けなくなった和人は残った三機のレーザービットによって蜂の巣にされていただろう。機体が動けても操縦者が動けないのならば、ISとてただの木偶の棒と同じだ。

 

 「癪だけど……刀奈……に、感謝……だな」

 

 ポツリと零した呟きは、鳴り止まない歓声にかき消されるだけだった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 (―――負けた……)

 

 模擬戦の後、セシリアはシャワーを浴びながら、物思いに耽っていた。今日の戦績は一敗一分けで、引き分けに於いても何故相手のシールドエネルギーがゼロになったのかは分からない為二連敗に等しい。

 

 (それなのに、何故……?)

 

 今までだって、負けた事が無かった訳では無い。その時は悔しさのあまり人目を忍んで涙を流し、亡き母へと己の未熟さを謝罪した。その度にもっと強くなければと自らを奮い立たせ、偉大だった母の娘として……オルコット家当主としての名に恥じぬ存在であろうと心を張り詰め続けた。

 だが今は違った。確かに負けた事は悔しい。しかしそれ以上に、清々しい気分だった。まるで……心の奥底で淀んでいた何かが、綺麗に払われたかのように。

 

 (きっと、あの二人だったから……)

 

 他者に媚びる事の無い、真っ直ぐな眼差しをした男性との出会いは、彼女にとって初めての経験だった。母の顔色を窺ってばかりで、卑屈な態度しか見た事の無い父。両親の死後、手元に遺った莫大な遺産を求めて取り入ろうとしてきた金の亡者達。それらとの出会いが、彼女の中で「男は情けない存在」という価値観を生み出し、男性を見下させていた。その価値観が、今日の試合で粉砕された……ついでに幾らかの常識も。

 

 「織斑、一夏……桐ケ谷、和人……」

 

 男は弱くないと教えてくれた白いISを纏った少年と、彼だけが特別ではないと教えてくれた黒いISを纏った少年。彼等の名を呟くと、自然と笑みが零れた。

 二人とも歴戦の戦士のように、熱い闘志を秘めた顔をしていた。その上前者は、年相応……いや、それよりも幼く見える程の純粋さを持ち合わせていて―――自分を綺麗だと言ってくれた。

 

 「~!」

 

 あの時一夏が見せた屈託のない笑顔が、純粋に自分を褒めてくれた声が、蘇る。体中が熱くなるのは、決してシャワーだけの所為ではない。

 

 「い……一夏、さん……」

 

 思い切って名前を呟いてみる。するとたちまち胸は高鳴り、鼓動が早まる。息が苦しくなるが、それは全く不快では無く……むしろ心地良いくらいで……もっと彼の事を知りたい、そんな欲求が沸き上がる。

 

 「まずは謝罪から……ですわね」

 

 今までの行いを省みれば、決して彼等に好かれているとは思えない。不思議と一夏達ならば笑ってすましてくれそうなイメージがあるが、それに甘える訳にはいかない。自分にけじめをつける為にも明日、謝罪しよう。そう決意したセシリアは、自らを鼓舞すべく両手で頬を叩くのだった。



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九話

 「―――では、投票結果を発表する」

 

 試合の翌日。いつの間に投票が行われたのか、朝のSHR(ショートホームルーム)でいきなりクラス代表の当選者が発表される事になっていた。その事に驚きながらも、和人と一夏は固唾を飲んで次の言葉に耳を傾ける。やるからには全力で試合には挑んだが、実を言えば彼等も面倒事は避けたい。その為内心では自分以外の候補が当選してほしいという願いを抱かずにはいられなかった。そして―――

 

 「当選したのは……織斑一夏」

 

 「あ、一繋がりでイイ感じですね!」

 

 (え……マジで!?)

 

 (うし……!人前に立つのは性に合わないから、助かったぜ)

 

 告げられた結果に対して、女子生徒達は歓声を上げ、一夏は驚愕し、和人は一安心した。だがすぐに気を取り直した一夏は思い切って手を挙げる。

 

 「先生、質問です」

 

 「はい、何でしょう?」

 

 にっこりと微笑む真耶へ、彼は素朴な疑問を投げかけた。

 

 「結局オレ達男子に票が集まったんだと思うんですけど、何でキリ……和人さんじゃないんですか?戦績ならオレより和人さんの方が良かったと……」

 

 余談ではあるが、時間の都合で和人と一夏の試合は行われなかった。その為三人の中で白星をあげたのは和人のみなのだ。

 

 「おい、変な事聞くなよ」

 

 和人が愚痴るも彼の耳には届かず、千冬が口を開いた。

 

 「恐らく、桐ケ谷の体力不足が致命的だったんだろうな」

 

 「へ?」

 

 確かにSAO生還者である和人は持久力に乏しいが、模擬戦の最中でそれが露見して不利になった場面は無かった筈である。それは自分も同様である為、一夏は困惑する。その様子に千冬はため息と共に軽く頭を振った。

 

 「織斑、模擬戦の後の桐ケ谷を思い出してみろ。お前と比べてピットに戻る様子はどうだった?」

 

 「えーっと……すごくゆっくりで、殆ど漂う感じで……フラフラしていて……あ」

 

 「お前の半分程度の戦闘時間でアレではな……皆がそれを踏まえて投票した結果だと思え」

 

 「はい……」

 

 自分がクラス代表になるのが避けられない事だと悟り、一夏は肩を落としながら着席する。ただでさえ周りよりも勉強が遅れているのに……などと愚痴を零したくなるのをグッと堪え、気持ちを切り替える。

 

 「では―――」

 

 「―――先生、今お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

 

 千冬がSHR(ショートホームルーム)を終わろうとしたその時。スッと、一人の少女が手を挙げた。真耶が戸惑った様子で千冬を見るが、彼女は続きを促すように首肯してみせる。

 

 「貴重なお時間を頂き、ありがとうございます」

 

 その言葉と共に立ち上がったのは、セシリア・オルコットだった。立ち上がる動作一つに於いても育ちの良さを感じさせる程に気品に溢れているが、緊張の所為かその表情は幾分か硬い。

 

 「これまでの振る舞いに於いて、皆さまに不快な思いをさせてしまいました事……この場にてお詫び申し上げます」

 

 その言葉と共に、誇り高い貴族である彼女が頭を下げる。知り合って間もない一夏達ですら、プライドの高い彼女が自らの非をしっかりと認めて謝意を示した事に驚きを隠せなかった。

 

 「代表候補生としての立場に胡坐をかき、本来求められる品位を保つ事を怠っていました事……そして皆さまを見下しておりました事……本当に、ごめんなさい……!」

 

 再び頭を下げる彼女に、誰もが息を吞む。

 

 (セシリアだって色々抱え込んでるみたいだったし……あの時だって殆ど弾みで言っただけで本気じゃなかっただろうし……けど、何て言ってやればいいんだ……?)

 

 一夏自身は既にセシリアを許しているが、その事を伝えようにも言葉が上手く纏まらない。彼だって時と場を弁えず、その時の感情のままに口走った言葉が原因で周囲を巻き込んでしまった事はSAOで何度もあった。その度にクライン達が助けてくれたし、拳骨と説教の後は笑って許してくれた時は胸の内が温かくなった。

 あんな風にできれば……そんな思いで和人に視線を送るが、彼も同じ様に困った表情で頬を掻いてしまっている。次いで千冬を見るが、彼女は成り行きを見守るつもりなのか口を開く気配は無かった。とはいえ、その瞳には仄かに温かな光が宿っており、自分達の成長を促しているかのようだった。

 静寂が教室を支配しようとしたその時―――

 

 「おっけ~許すよせっしー」

 

 「軽っ!?のほほんさん軽っ!?」

 

 ―――間延びした声が、その空気を完全にぶち壊した。それにあわせてクラスメイトの殆どがズッコケるのと、その事態を引き起こした張本人へと一夏がツッコミを入れるのは同時だった。

 

 「え~、でもおりむーは別に怒ってないでしょ~?」

 

 「いやそうだけどさ!もっとこう……あるだろ!?それっぽい言葉とか、雰囲気とか諸々がさぁ!!」

 

 「……諦めろアイン、本音はこういうヤツなんだよ」

 

 幼馴染への呆れと、場の空気が和んだ事への安心感から、脱力した様子で和人が一夏の肩に手を置く。

 

 「コレがアイツなりの気遣いなんだ。お前もさっきまでの沈黙は嫌だったろ?」

 

 「それは……そうですけど」

 

 思わず和人から顔を逸らした一夏だったが、その結果偶然にもセシリアと目が合った。非難を受ける覚悟で頭を下げたのに、何でも無かったかのように笑いに包まれている現状に彼女は置いてけぼりの様子だった。そんな呆然とした様子をつい昨日も見たっけ、などとややズレた事を思いながら、一夏は彼女へと歩み寄る。

 

 「何故……何故誰も、わたくしを責めないんですの……?」

 

 「そりゃセシリアが言った言葉全部が本気じゃなかったって、気づいてたからだろ。ちふ……織斑先生も行ってたろ?突っ走るのは十代……今のオレ達の特権だってさ」

 

 彼女の蒼い瞳を真っすぐ見つめ、一夏は微笑んで見せる。

 

 「突っ走って、失敗して、周りに迷惑かけて……でも、ちゃんとそこから学んで、同じ事さえ繰り返さなけりゃいいんだよ……まぁ、オレは運よく’ちゃんとした大人’が周りにいてくれたから、いつも助けてもらえただけなんだけどさ……」

 

 なおも戸惑いの表情を浮かべる彼女に一旦背を向けた一夏は、今度はクラスメイトの少女達へと声を上げる。

 

 「皆!セシリアはちゃんと謝ったし、この件はこれで終わりって事にしてくれないか?」

 

 「おっけーおっけー!」

 

 「はーい、織斑君に免じてチャラにしまーす!」

 

 「訓練機借りられた時に射撃教えてくれるならいいよー」

 

 「皆さん……」

 

 少女達の温かな返事に、セシリアの目が潤む。器量の大きな彼女達と学友になれる事が嬉しくて―――

 

 「じゃ、あだ名はせっしーにけってーい!!」

 

 「はい……え?せ、せっしー?」

 

 うっかり聞き流してしまいかけた本音の言葉に、再び固まる。

 

 「セシリアだからせっしー……はぁ。実に貴女らしい、変わったあだ名ですね」

 

 「えー?どこが変なの、たくやん?」

 

 「勝手に命名された方を考えてくださいと、昔から言っているでしょう?温厚な方ならまだいいですが……貴女の変なあだ名が相手の逆鱗に触れてしまったらどうしようもありません」

 

 「ぶー、たくやんの頑固者~」

 

 聞こえてくるやり取りに、一夏は思わず苦笑しつつもセシリアへと向き直る。

 

 「えーっと、のほほんさんだって悪気があって言ってる訳じゃないっていうか……あれが素なんだ、マジで」

 

 「え、えぇ……不思議と悪意は感じませんし、この位は甘んじて受け入れますわ」

 

 「別にそこまで肩肘張らなくていいさ。嫌だったらちゃんと言えばやめてくれるし」

 

 安心したように表情が和らいだセシリアへと一夏は右手を差し出す。

 

 「それじゃ……改めてよろしくな、セシリア!」

 

 「はい!こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ。一夏さん!」

 

 貴族としてではなく、一人の少女としての満面の笑みと共に、彼女は差し出された手を握り返した。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「―――という訳で、オレがクラス代表になったんだ」

 

 「そっかぁ……私も代表候補生だからって理由で、クラス代表になっちゃった」

 

 その日の夜。入学してから継続されているALO内での楯無、虚からの座学補習を終えた一夏―――アインとカンザシは、宿屋の一室で久方ぶりに二人きりの時間を過ごしていた。ベッドに隣り合って腰掛け、互いの近況を話すだけだが、二人にとっては一日の楽しみの一つである。

 

 「うーん……つまり来月のリーグマッチでカンザシと戦うのかぁ……」

 

 「それまでには、機体を完成させなきゃ……」

 

 「オレが言えた事じゃないけどさ……無理してぶっ倒れるとかはやめてくれよ?今のカンザシは体力無いんだし」

 

 「ん……大丈夫。機体本体は一応組みあがったから、稼働データ収集を優先で進めれば充分間に合うよ」

 

 気遣うようにアインがカンザシの、現実よりも濃い水色の髪を撫でる。すると彼女は心地よさそうに髪と同色の目を細めて微笑んでくれる。スケジュールにそれほど余裕は無いが、決して無理を重ねる必要がある程忙しい訳でも無い。シスコンである彼女の姉が部下にキッチリと見守らせている筈だろうし、カンザシが無理をしようものなら真っ先に飛んでくる事は明白である。

 

 「武装は夢現に絞ってるから、アインと殆ど一緒かな」

 

 「……それじゃこっちでデュエルするのとあんま変わんない気がするぞ……」

 

 「ふふっ。そうだね」

 

 思わずといった様子で噴き出したカンザシにつられて笑いながらも、アインは自分を鍛える事に集中しなくてはと認識を改める。恋人であるカンザシの事は大切だが、彼女ばかり気にして自分の事を疎かにしてしまえば来月のリーグマッチで敗北は免れない。彼自身クラスの期待を背負う身である以上、無様な姿を晒す訳にはいかないのだ。

 

 (けどまぁ……今くらいはいいよな)

 

 自分に言い聞かせるかのように、アインはそんな事を考える。自分は訓練と補習、カンザシは機体の組み上げとそれぞれやらねばならない事があって、中々時間が合わない。その上兄貴分達のように人目を気にせずにイチャつく豪胆さは二人共持ち合わせておらず、自然とVR内でしか二人きりになれなかった。同じ学校、同じ寮で生活している筈なのに、会えるのは限られた極僅かな時間のみ……今の彼にとって、それがもどかしかった。

 

 「アイン」

 

 「ん?」

 

 「難しい顔してる……全然休めてないよね?」

 

 「……そんな事ないって」

 

 目を逸らすアイン。カンザシの指摘は図星なのだが、彼女に負担を掛けまいと彼は意地になって見栄を張ってしまったのだ。

 教室、廊下、食堂、部屋………どこにいても異性の目がある環境で、彼が心底安らげる時間は殆ど無い。カンザシにとってアインこそが最高のヒーローである事は揺るぎないが、だからと言って彼がどんな事にも負けない無敵の存在ではないと知っている。自分と同じように嬉しい事があれば笑い、辛く悲しい事があれば泣き、許せない事があれば怒る……ちゃんとした心を持った人だと。だから―――少しでも彼の支えになりたい。安らげる拠り所でありたい。

 

 「アイン、おいで」

 

 「え?あ……うん」

 

 彼を誘うように、自分の膝を軽く叩く。僅かな躊躇いの後、彼はカンザシへとその身を倒す。たった一人の家族と生きてきたアインは、自分から他人に甘える事が人一倍苦手で……でも本心では、人一倍誰かに甘えたがっていた。二人きりでいる時にカンザシが誘うと、僅かに迷うものの……余程の事が無い限りは甘えてくれるのが何よりの証拠だった。

 

 「……ごめん。カンザシだって大変な筈なのに、オレだけ甘えて」

 

 「ううん、私がしたいからやってるだけだもん。アインが気にする事じゃないよ」

 

 自分の膝枕で横になった恋人の髪を撫でながら、カンザシは少しだけ高鳴る胸を抑える。きっと彼の事だから、もう何人もの女の子から好意を向けられているのだろう……少なくとも本音からの報告では、二人程は確定している。

 

 (篠ノ之箒さんと……セシリア・オルコットさん……)

 

 片やISの生みの親である篠ノ之博士の妹で、アインの幼馴染。片やイギリスの代表候補生にして、世界規模で複数の会社を経営する財閥の筆頭であるオルコット家の当主。彼がそれぞれと将来結ばれた時と、自分と結ばれた時……現時点で世界に三人しかいない男性操縦者であるアインの安全を守れる可能性が高いのは、いったいどれなのだろうか?

 

 (ISに携わる人なら、篠ノ之博士を敵に回す事は絶対にしたくない筈だし……オルコットさんを敵に回せば、きっと経済的に締め上げられて破滅させられるのは避けられないし……)

 

 それぞれの後ろ盾は公の存在で、それを得たアインに何かあればマスコミが騒ぐのは必至―――つまり箒かセシリアのどちらかと結ばれれば、何かあった時に世界中が味方になると言っても過言ではなくなる。

 

 (それに引き換えて、更識家(うち)は……)

 

 日本お抱えの対暗部用暗部であるが、表向きはそこまで大きな後ろ盾とはなりえない。少しばかり歴史のある名家と思われるのが関の山で、日本内ならばともかく……海外では抑止力とはなれない。姉達の力を疑っている訳ではないが、それでも箒達には劣るのではないだろうか……?

 カンザシの胸中に生じた不安の根は深く、ネガティブ思考は自分の悪い癖だと解っていても止まらない。

 

 「―――カンザシ」

 

 「ぁ……」

 

 気づけばアインの手が、彼女の頬へ触れていた。

 

 「そんな顔しないでくれよ。SAO(むこう)で言っただろ?家族以外で一生傍にいてほしいって想ったのは、カンザシなんだって」

 

 「そう……だね」

 

 頬から伝わる温もりが、ゆっくりと彼女の心を温める。かつて一度、自分は彼の傍にいる資格は無いと思って逃げ出した時、彼は追いかけてそう言ってくれたのだ。半狂乱になって突き立てた刃をその身に受けながらも、自分を抱きしめて。

 

 「信じてるけど……アインって無自覚に女の子にフラグ立てちゃうから……不安なの」

 

 「……そこは痛いな。ヤバかったらのほほんさんが止めてくれると思うけど……今のところ何か悪い事した覚えが全く無いんだよなぁ……」

 

 「もぅ……朴念仁」

 

 悪戯っぽく彼の頬をつつくと、くすぐったそうに身じろぎする姿が何とも愛しい。SAOから容姿を引き継いでいる為、今の彼は現実よりも幾分幼い姿をしており、言葉にできない愛嬌がある。アインのこんな子供っぽい様子を間近で見れるのは自分だけだと思うと、カンザシの心が少し軽くなる。

 

 「そろそろ、寝ないとな」

 

 「このまま寝落ち、する?」

 

 「……それじゃオレが落ちるまでカンザシが寝れないだろ」

 

 「いいの。だって……ヒーローを癒す事ができるのはヒロインだけ、でしょ」

 

 カンザシが羞恥心を押し込めて微笑んで見せると、アインは呆けたように目を見開き、頬を紅く染める。次いで気恥ずかしそうに瞳を逸らすと、やや迷ってから起き上がった。

 

 「だったらさ、膝よりこっちの方がいいかな」

 

 「ふぇ!?」

 

 兄貴分を連想させるニヤリとした笑みを浮かべる彼に抱きしめられ、そのまま二人揃ってベッドに倒れ込む。目と鼻の先には、実は恥ずかしいのかやや赤い恋人の顔。シルフでは珍しい、殆ど黒に近いダークグリーンの瞳と髪をしている為、顔立ちの幼さを除けば現実世界の彼との差異が少なく、ここがALOの中である事を忘れそうになる。

 

 (アインから甘えてくれてる……んだよね?)

 

 遠慮せず自分に甘えてくれた事は何よりも嬉しいのだが……それよりも先に羞恥心が沸き上がってしまうのは致し方ないだろう。

 

 「……自分でやっておいてアレだけど……すっげぇ恥ずかしい……」

 

 「……うん、でも……嬉しい」

 

 「カンザシ……」

 

 互いに吸い寄せられるように顔を近づけ……その距離がゼロになる。

 

 「……お休み」

 

 「うん、お休み……」

 

 ほんの僅かな間触れるだけの接吻だったが、二人にはこれが精一杯で……充分満たされていた。

 

 (明日から、また頑張れそう)

 

 互いに大切な人の温もりを感じ、同じ事を思いながら……二人の意識は眠りに落ちていくのだった。




 一夏は周りを照らす事を素でやってる気がするんですが、逆に周囲の人たちって彼に寄り添い、支えようって所が少ない気がします。まぁ、コメディだからと言ってしまえばそれまでですけどね……


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十話

 何気に過去最大の文字数になりました……


 「ではこれより、ISの基本的な飛行操縦を実践してもらう。専用機持ちは前に出て機体を展開しろ」

 

 クラス代表を決める為の試合から一週間と数日。四月下旬に差し掛かったある日、一夏達はグランドにて、ISを使った実技の授業を受けていた。初日の挨拶のおりに宣言した通り、千冬はISの基本動作に関する知識を養う座学を一組の生徒達に半月で叩き込んでみせた。厳しくも要点を纏めた授業内容はほぼ全て覚えなければならなかったが、逆に言えばそれさえ覚えておけばISを動かす最低限の知識を得る事ができた為、知識不足が否めない一夏達男子にはありがたかった。

 展開速度に若干の差があったものの、全員が無事にISを展開させる。

 

 「よし、飛べ」

 

 ジャージ姿の千冬の指示に従い、セシリア、明日奈、一夏、和人、巧也の五人が上昇を開始する。代表候補生であるセシリアが先頭を飛び、それに追いすがるように四人が続くと、地上の千冬から指摘が飛ぶ。

 

 「織斑、桐ケ谷、野上、結城、お前達の機体のほうがスペック上はブルー・ティアーズより速度は上だぞ。遅れてどうする」

 

 (……千冬姉、容赦ねぇ……)

 

 姉の鬼教官っぷりがまだ慣れないのか、一夏は胸中で一人愚痴を零す。言っている事が事実の為反論のしようがない所がなんとも悔しいが、こればかりは機体性能を自在に引き出せない自分が悪い。有事の際にこんな体たらくでは間違いなく足手まといにしかならない。

 

 「織斑先生のおっしゃる通りではありますが、皆さんISに触れてから一月と経っていないのでしょう?まっすぐに飛べるだけでも充分吞み込みが早いかと」

 

 「ありがとう、セシリアちゃん」

 

 柔らかな笑みと共にセシリアから励ましの言葉を貰うと、明日奈が四人を代表して礼を述べる。あの時の一件以来、セシリアの態度は随分と軟化したのだ。出会った当初のような高飛車な振る舞いが無くなり、ISの操縦等のコーチ役を買ってでてくれるようになったのは一夏達にとって非常に助かっていた。というのも、何かと多忙な楯無は流石に実技まで面倒を見きれなかったからだ。

 

 「どういたしまして、ですわ」

 

 「でも、説明する時はもうちょっと噛み砕いた方がいいよ?私はいいけど、キリト君達には細かすぎて逆に分かりづらいから」

 

 「ぜ、善処いたします……」

 

 理路整然とした説明は明日奈のように知識を身に着けた者にとっては解りやすいだろうが、一夏達男子は前提となる知識が不足している為に逆効果なのだ。一つの動作を教えるのに明日奈の解説を必要としてしまったのも一度や二度では無く、その事を思いだしたセシリアの表情が引きつった。

 

 (明日奈さんの機体、キリトさんのとよく似てる……いや、逆なんだっけ)

 

 彼女の機体である白夜は極夜より幾分細いシルエットをしているが、おおよその造形は同じである。というのも元々明日奈の為に白夜が開発され、その予備パーツで組み上げ及び調整を加えて作られたのが極夜なのだ。

 

 (それにしたって巧也の方……アレで大丈夫なのか?すげぇピーキーだって話だし)

 

 彼の機体、陽炎(かげろう)はスピード特化の白夜に比べても装甲が薄く、非常に非力な印象を一夏は抱いてしまう。こちらは日本の正式量産機の打鉄のバリエーション機として開発された物で、防御を非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)に装備された物理シールドに殆ど依存させる事で徹底的な軽量化を図り、打鉄の馬力を維持したまま高機動を獲得した機体だ。その結果たるや最大速度は白式に追いつきこそしないものの現行ISの平均的な速度を充分超えるという、第二世代の機体では驚異的なものだ。反面耐久性が致命的に低く、防御の要であるシールド裏には機動力の中核を担う大型スラスターがある為、非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)を失えばまともに戦えなくなるという欠点が残っている。だが打鉄の柔軟なOSを引き継いでいる為、多少の調整が必要になるものの打鉄のパッケージを装備可能で、拡張領域(パススロット)の容量も非常に大きい。また徹底的にそぎ落とされた四肢は非常に小回りが利き、格闘戦での取り回し易さはトップクラスといえる。

 余談だが巧也曰く、専用のステルス装備を搭載した陽炎が暗部では使用されており、その伝手で手配してもらった……らしい。彼にしては珍しく冗談めかした話だった為、どこまで本当だったのかは今の一夏には解らなかった。

 

 「―――では次に、急下降と完全停止をやってもらおう。目標は地表から十センチ、順番はお前達で決めろ」

 

 「では、わたくしから行かせてもらいますわ」

 

 残りの者達に手本を見せるかのように、最初にセシリアが地面へと加速する。猛スピードで下降しながらも全く危なげなく目標通りの位置で完全停止をこなす姿は、流石代表候補生というべきか。ハイパーセンサーによって彼女の一部始終を見ていた一夏達も、後に続くべく動き出す。

 

 「キリト君、行こ?」

 

 「ああ。二人は後から来てくれ」

 

 明日奈の誘いを和人が断る筈が無く、今度は二人同時に地面へと突き進んだ。

 

 「今よ!」

 

 「く……!」

 

 体にかかるGに多少表情を歪めつつも、明日奈の指示に従い和人は機体に急制動をかける。目標である十センチ丁度にはならなかったが、地面に激突しなかっただけでも上出来だろう。千冬からは停止する為の逆噴射の出力が足りないと指摘されたが、そこは反復練習で覚えるしかないかと和人は内心で腹をくくった。

 

 (……地道な努力が必要ってのは、現実もゲームも変わらないよな)

 

 特に動かし方……実技はそれこそ体で覚えなければならない為、おざなりにはできないのだ。

 

 「ねぇキリト君、アイン君達って大丈夫かな?」

 

 「セシリアと俺達の二回は見てる訳だし、そうそう失敗なんてしないだろ」

 

 「うん。でもアイン君って時々凡ミスしちゃうし……」

 

 「あ」

 

 たまに浮かれてつまらない失敗をしてしまう弟分の悪癖を和人が思い出した瞬間、グラウンドに衝撃と轟音が響いた。そちらへと目を向けた和人達が見たのは、額に冷や汗を垂らしながら白式の脚部を地面にめり込ませる一夏と地面ギリギリの所で何とか停止する巧也の姿だった。

 

 「馬鹿者、誰がグラウンドにぶつかれと言った」

 

 「う、すみません……」

 

 「お前等、停止するタイミングが遅い上に出力に任せて無理矢理帳尻を合わせようとしたな。それでは体と機体に掛かる負荷が大きく、エネルギーのロスも相当になるぞ?」

 

 「はい、精進します」

 

 「分かればそれでいい」

 

 巧也の返事に千冬はそれ以上何も言わなかった。彼女の指摘を記憶に刻みながらも一夏は地面にめり込んだ脚部を引き抜くと、セシリア達に並ぶ。すると和人からプライベートチャンネルで通信が入った。

 

 「ALOであっという間にスグのエアレイドに追いついて見せたアインは何処いったんだよ」

 

 「う……自分だってあんなに速いだなんて思ってなかったんですよ」

 

 「あー、体の感覚任せだとALOの翅とISの速度差って意外と響くよな。刀奈にはそこの修正をみっちりやらされたし」

 

 セシリアとの試合に向けたIS訓練を思い出す和人は急に遠い目をしたが、その内容は当時生身の筋トレや訓練しかできなかった一夏には聞き捨てならないものだった。

 

 「そんな特訓あったなら言ってくださいよ……」

 

 「いやお前、ぶっつけ本番で縦横無尽に飛んでたし……けどその……すまん」

 

 「だったら今度ALOでクエスト攻略に付き合ってくださいよ」

 

 了解、と和人が返答して通信が切れる。その直後に仏頂面の箒が詰め寄って来る。

 

 「情けないぞ一夏。他の者はできている事が何故できない」

 

 「返す言葉もございません」

 

 「そんなあっさりと開き直って悔しくてないのか!大体お前というヤツは―――」

 

 不機嫌さ五割増し、と思えるくらいに彼女の眉間の皺が深くなり、言葉も荒くなっていく。普段であれば周りの状況を考えて一言二言で済ませることができたが、これまで溜まっていた不満が彼女の自制心を鈍らせていた。

 六年ぶりに再会した初恋の相手の姿に胸が高鳴ったのは今でも鮮明に思い出せるし、昔から変わらない所や変わった所を少しずつ見つけてドキリとした事も一度や二度ではない。しかも緊急の措置だったとはいえ、同じ部屋で生活する事が彼との距離を縮めるきっかけになると期待だってしていた。だがしかし、一夏は和人と共に毎日放課後は疲れ果てるまでアリーナ及びジムで特訓や筋トレを積み、部屋へ戻ればVR空間で座学の補習を受ける為に寝てしまい……実際は殆ど話す時間が無い。しかも教える相手が生徒会長とくれば、年上かつ目上の者に敬意を払う事を蔑ろにできない箒は何も言えない。一度彼女も一夏と共に楯無のトレーニングメニューをこなした事があるが、箒にとってもかなりキツイ内容だったのは記憶に新しい。それを毎日へこたれずに続ける一夏の姿は一見泥臭くて、みっともなくて……それ以上に眩しかった。そんな彼の邪魔になりたくないという想いから自分との稽古を優先しろなどとは言えず、さりとて彼との時間が殆ど無い現状をどうにかしたくて……モヤモヤとした心を持て余す彼女は時々自分の制御が効かなくなってきていたのだ。

 

 「―――はいはい箒ちゃん、それ以上続けると先生の拳骨が落ちちゃうよ?」

 

 「っ!?ぁ……申し訳、ありません」

 

 明日奈が彼女の肩に手を置き、柔らかな笑みを浮かべやんわりと注意する。すると箒も我に返ったようで、周囲の目から逃れるように俯いてしまった。

 

 (うーん……箒が我を忘れる位、今のオレってみっともないのか……元々自分に厳しいアイツがそうなるって事は、オレが全然ダメって事だよな)

 

 尤も、朴念仁が服を着て歩いていると言っても過言ではない一夏では箒の日々の不満を察する事はほぼ不可能なのだが。

 

 「ね、ね、おりむー。しののーとさ、ちゃんとお話してる?」

 

 「え?」

 

 「折角再会できたのに~、構ってくれなかったら普通寂しいって思うでしょ?」

 

 いつの間にか隣にいた本音は、そう言った次の瞬間には元の場所に戻っていた。普段はかなり遅いのにこういう時に限って素早いとは、流石暗部の一員である。とはいえ本音の言葉は説得力があり、これまでの自分を振り返って反省する。

 

 (確かにここ暫くまともに話していなかったな……今夜くらい、話してみるか)

 

 「では次だ。武装を展開しろ」

 

 瞬時に思考を切り替え、周囲に誰もいない事を確認してから右手を左腰に伸ばす。VRならばそこに差してある刀の柄を握ったつもりで抜刀するイメージと共に右手を軽く振ると、雪片弐型が現れる。和人や明日奈も同様に抜剣するように腕を振るって各自の剣を展開していた。コンマ数秒遅れて巧也も短剣型のブレードを展開し、セシリアに至っては展開されたライフルが射撃可能状態へと移行していた。

 

 「野上、予備動作なしで出せるのはいいが少し遅い。コンマ五秒以内に収めろ。織斑、桐ケ谷、結城は予備動作が大きすぎる。それでは咄嗟に展開できんぞ。そしてオルコット、お前はその変なポーズをやめろ。展開できても横向きでは敵を撃てんぞ。正面へ展開できるよう直せ」

 

 淡々とした指摘に巧也、一夏、和人、明日奈はぐうの音もだせなかったが、セシリアは思わずといった様子で反論した。

 

 「で、ですがこれはわたくしにとってイメージを纏めるのに必要な―――」

 

 「―――横に味方がいてもそうするつもりか?暴発でもしたらフレンドリーファイアは確実だろうな」

 

 「う……」

 

 「分かったなら直せ。いいな」

 

 だがそれも見事に論破され、あえなく撃沈する。指摘された内容がもっともである以上、文句があっても従うしかない。そのためセシリアは黙って頷いた。

 

 「よし。では出席番号順に五つのグループに別れ、訓練機を起動させろ。専用機持ちはサポートに回れ」

 

 千冬の号令に従って女子生徒達が動き出す。決められた手順に従って装着、起動、直立、駐機姿勢、停止、装着解除をこなすだけだが、今回が初めて訓練機を用いた授業である。大きな問題こそ起きなかったが、数名が起動に手間取ったり、うっかりPICで数センチ浮き上がってしまったりするなどしてしまい、一通りの作業ができたのは授業時間ギリギリだった。

 

 「―――時間だな。今日の授業はここまでとする。織斑、グラウンドにつけた足跡は埋めておけよ」

 

 「了解です」

 

 「手伝おうか?」

 

 「いえ、オレ一人でやります」

 

 自分の失敗の尻拭いなのだから、自分一人でやるべきだと己を律した一夏は、和人や巧也、セシリア達の手伝いを丁重に断るのだった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「えーそれでは、織斑君のクラス代表就任を祝って……かんぱーい!」

 

 「かんぱーい!」

 

 「イエーイ!」

 

 その日の夜。一年生寮の食堂に集った少女達は夕食後の自由時間を使い、一夏のクラス代表就任パーティーを開催していた。……本来一組のみの筈が、どう数えても他のクラスまでいるとしか思えない程の人数になっているのは気のせいではないだろうと一夏と和人は同じ事を考えていた。

 

 (けど、こういう祝い事って……いいよな)

 

 SAOでは、慢性的に殺伐とした空気を少しでもどうにかしようと何かとかこつけて祝い事が開かれていた。その事を思いだした一夏は、コップに注がれたジュースの水面を眺めて一人微笑む。

 

 ―――こうやってバカ騒ぎすんのも、命あってこそだ。生きてりゃ万事どうにでもなるってのを忘れんじゃねぇぞオメェら!

 

 ―――リーダーそれいっつも言ってるっスねぇ。おれ耳にタコできる位聞いたっスよ?

 

 ―――オレもオレも!リーダーの女運の無さは相変わらずだけどな!

 

 ―――だあああぁぁうっせぇ!

 

 今でも鮮明に思い出せる、風林火山のギルドホームでのパーティー風景。クラインだけでなくメンバー全員が気さくで親しみやすく、年の離れた一夏や弾、簪、本音もあっという間に打ち解ける事ができた。時々悪ノリが過ぎて呆れる事もあったが、それを差し引いても彼等全員が立派な大人だったと一夏は胸を張って言える。そんなクライン達が共通でモットーにしていたのが、生き残る事だった。大抵の事など生きていればどうとでもなる。だが死ねば……それで終わってしまう。だからこそ、どんなに見苦しくても、醜いとあざ笑われようとも……生きる事から逃げてはならないのだと、彼等は言っていた。

 

 (箒とばったり再会できたのも……キリトさんやカンザシ達と同じ学校に通えるのも……全部、生きてるからこそなんだよな…………ホント、クラインさんの言ってた通りだよ)

 

 水面に映る少年は、ただただ優しげな笑みを浮かべる。そんな彼を見た少女達は、その笑みが自分に向けられたものでは無いと分かっていても胸がときめくのを抑えられなかったが、当の本人は全く気付いていない。

 

 「おーおー、アインのヤツ……さっそくやらかしてるな」

 

 「あはは……多分SAO(むこう)での事を思い出してるんじゃないかな?風林火山はフロアボスを倒す度にお祝いのパーティーやってたらしいし」

 

 「クラインらしいな……」

 

 普段はバカな事ばかりやるお調子者な野武士面の青年を思い出した和人もまた、懐かしむように目を細める。憎まれ役であり続けた彼は、攻略組ギルド合同で開催されたパーティーでさえも顔を出さず、攻略組の影として一人で戦い続けた。それ故にこういう祝いの場でどうするべきかなど全く分からず、とりあえずきゃいきゃいと騒ぐクラスメイト達を眺めていた。

 

 「―――はいはーい、新聞部でーす!今話題の男子新入生にインタビューに参りましたー!」

 

 おぉー!と上がる歓声と共に、一夏の意識は現実に引き戻される。一夏が顔を上げると目の前に二年生の少女が立っており、名刺を差し出していた。

 

 「私は黛薫子(まゆずみかおるこ)。二年生で新聞部の副部長よ。よろしくね」

 

 「あ、織斑一夏です。こちらこそ」

 

 咄嗟に名刺を受け取ると、早速彼女はボイスレコーダーを取り出す。インタビューと言われても何を話せばいいのか分からないが、とりあえず断る理由もないので一夏は応じた。

 

 「ではズバリ!クラス代表になった意気込みをどうぞ」

 

 「やるからには全力で、最善を尽くすつもりです」

 

 経緯はどうあれ、クラスの期待を背負う立場になったのだから、それを裏切るような事はしたくない。それが一夏の偽らざる本心だ。

 

 「おぉう……短いけど、聞く側にもなんだかずっしり来るわね。その表情が言葉に重みを持たせてくれてるのかな?」

 

 「?」

 

 彼自信は真面目に答えただけなのだが、傍から見ればまるで言葉にできない何かを背負っているかのような真剣な表情をしていたのだ。

 

 「うーん、でも記事にするにはもうちょっとコメント欲しいかな」

 

 「そう言われましても……オレ、結構口下手なんで」

 

 「えぇ~……まぁ、急なインタビューだししょうがないかぁ。じゃあ次、桐ケ谷君!」

 

 「な、俺もか!?」

 

 突然呼ばれた事にたじろぐが、逃れられないと悟ると意を決して一夏の隣に並び立つ。

 

 「桐ケ谷君って実は私達二年生と同い年だってたっちゃんから聞いたんだけど、それって本当なの?」

 

 何処で聞いたのだろうか?と思わずツッコミを入れたくなった和人だが、グッとそれを堪える。更識家と縁がある故に顔写真と名前以外徹底して報道される事が無いように国内の情報は統制されていた筈だし、だからこそ彼の家族が重要人物保護プログラムによってバラバラにされる事だって防がれているのだ。それに綻びがあるという事は由々しき事態で……

 

 (いや、あの女狐か……!)

 

 彼女の言う’たっちゃん’が楯無……もとい刀奈の事であるならば。年齢くらいはポロっとバレてしまっても不思議ではないだろう。

 

 「あー、はい。その通りだよ。だからアインの事は弟みたいに感じてるし、コイツも俺を兄貴みたいに慕ってくれてるんだよな」

 

 「ちょ、キリトさん……頭撫でないでくださいよ」

 

 「おっと、悪い悪い。もうクセなんだよなぁ、コレ」

 

 「わお!桐ケ谷君ってお兄ちゃんっぷりが板についてるのね。これはこれでいいネタゲット!」

 

 早速メモ帳にペンを走らせる薫子に苦笑しつつ、和人は次の質問に内心で身構える。恐らくインタビューはこれで終わらないだろうという直感が彼に安堵を許さない。

 

 「その本名じゃない呼び方ってあだ名なの?」

 

 「ああ。もともとネットゲームで知り合って、オフ会で意気投合って感じだったから、この呼び方でお互いに定着したんだ」

 

 「ほぇー、ゲームで知り合うなんて予想外だよ」

 

 いい記事が書けそう、とせわしなくペンを走らせつつも彼女は質問を重ねる。

 

 「じゃあ次の質問!そこの結城さんとお付き合いしてるって噂は本当?」

 

 その質問が飛んだ瞬間、各々騒いでいた少女達がぴたりと静まり返った。決して聞き逃してなるものかという執念じみた彼女達の行動に若干引きながらも、和人は口を開いた。

 

 「……本当だ。ちなみに明日奈は俺より一つ年上だ」

 

 「あちゃー、ざんね……ってええぇぇ!?結城さんって私より年上!?」

 

 食堂のみならず教室でも度々仲睦まじくしていた為、一組の生徒達はおおよそ察していたようだ。やっぱりかー、そんな気がしてたんだよねー、等呟きながら苦笑を浮かべている。一方他のクラスの者は衝撃の事実に打ちのめされて絶叫を上げている。質問した薫子自身は和人に恋人がいる事よりも明日奈が年上である事に驚いていたのだが。

 

 「年上だっていっても一年生なのに変わりは無いから、そんなに畏まらなくていいよー」

 

 当の明日奈は朗らかな笑みを浮かべるだけだが、その落ち着いた物腰が和人の言葉が偽りのないものである事を如実に物語っていた。

 

 「えぇっと、気を取り直して……あ、いたいた。三人目!」

 

 「はい?僕もですか?」

 

 「当然!」

 

 思い思いに騒いでいた少女達の妨げにならぬように、各テーブルのジュースやお菓子の補充、片付け等の裏方作業に努めていた巧也だったが、薫子の誘いに応える為に一旦作業を中断する。

 

 「野上君は桐ケ谷君ととっても仲良しに見えるって話だけど、それで合ってるのかな?」

 

 「はい。彼とは家が隣同士で、幼少の頃からの付き合いなんです」

 

 巧也は別段緊張する事もなく、自然体のままで答える。

 

 「ふむふむ……じゃあ桐ケ谷君に彼女がいるっていうのはどう思ってるの?」

 

 「どう、と言われましても。とても喜ばしい事だと思いますよ」

 

 薫子の質問の意図が読めず、巧也は僅かに首を傾げる。

 

 「いやいや、そうじゃなくって……年頃の男の子なんだし、もっとこう、無いの?桐ケ谷君が羨ましいなーとか、自分も彼女欲しいなーとかさ」

 

 一方で彼女は彼の回答が予想外だったのか、苦笑いをしながら再度尋ねる。それでようやく薫子が聞きたがっている事を理解した巧也は、微笑んで見せた。

 

 「そういった気持ちが全く無い、といえば嘘になります。ですが今はそれ以上に和人が……家族同然に想える人が幸せである事が、何より嬉しいんですよ」

 

 少しだけ照れくさそうに告げられた、彼の本心。今まで和人や一夏にばかり目を向けていた者達にとって、それは不意打ちにも等しいときめきを与えた。

 

 「ちょ、今くらっと来たかも……え、何この子いい子過ぎない?っていうか普段織斑君達ばっかり注目されててホントに何ともないの?」

 

 「はい。元々目立ちたくない性分ですし、目立つ故に苦労してる二人の様子も見てますから……今の状態が丁度いいんです」

 

 巧也が浮かべる笑みが陰る事は一切無く。その言葉が決して見栄ややせ我慢ではない事を薫子に雄弁に伝えている。

 

 「いやービックリ!正直野上君って地味っ子かなーってあんまり期待してなかったんだけど、これは隠れ良物件ってヤツじゃない?」

 

 「買いかぶり過ぎですって。今は良くても、数年経ったら和人に嫉妬してばっかりかもしれません」

 

 「いやいや。メンタルのイケメンっぷりはヤバイんだし、絶対IS学園(ここ)の皆がほっとかないって!」

 

 なんなら私も狙っちゃおっか?と茶化すようにウィンクする薫子。それに愛想笑いを浮かべながらも、巧也は内心焦った。

 

 (しまった……思春期の少年らしく我欲があるように見せるべきでしたね……これでは二人とは別の意味で注目されてしまう……!)

 

 任務を遂行するには、ノーマークである方がやりやすい。誰にも注目されないよう、入学してからは常に気配をある程度誤魔化して存在感を薄くした上で和人や一夏の傍に控えていたが……今回のインタビューでその努力も水の泡になった恐れがある。

 

 ―――巧也君ってば私や和人の為にって任務を頑張るのはいいんだけど……もっと我儘言わないと枯れてるって誤解されちゃうぞ?

 

 入学前に告げられた、冗談交じりな楯無の忠告が頭をよぎったが、それも今更である。とはいえ彼自身嘘偽りのない想いを口にしただけでこうなるとは全く想像できなかったのだが。

 

 「よーし、男子三人のインタビューができて大収穫っと。後は―――」

 

 カメラを準備し始めた薫子の様子から、男子三人の写真でも撮るのだろうか?と一夏は和人と巧也の二人と顔を見合わせる。ともかくインタビューがもうじき終わるのならと緊張を解き、手にしたジュースを口に含んだ。

 

 「―――織斑君ってたっちゃんの妹と付き合ってるんでしょ?」

 

 「ふごぁ!?」

 

 その言葉が、たった今口に含ませたジュースを噴出させた。不幸中の幸いか噴き出したのはごく少量で、それも誰もいない方向だった。すかさず巧也が床に飛び散った雫を何処からか持ってきた雑巾でふき取り、和人が一夏の背中を摩る。少しの間咳き込んだ一夏だったが、薫子の目は未だに怪しく光ったままである。

 

 「うーん、そろそろだと思うんだけどなぁ」

 

 「何だよそろそろって……おい巧也、本音は何処いった?」

 

 「そういえば……そこのテーブルでマイペースにお菓子を食べていたのを見たのが最後です」

 

 「それは何時だ?」

 

 「……インタビューが始まる直前だったかと」

 

 周囲の少女達が一夏にも恋人がいるのかと騒がしくなる中、和人の頭には急速に一つの仮説が組みあがっていく。

 

 (まさか……本音のヤツ、これからアインがフラグ立てまくるのを見越して強硬手段を選んだのか……!)

 

 普段はのんびり、マイペースで人畜無害な雰囲気全開の妹分だが、その実暗部の家系に相応しい強かさを持ち合わせているのだ。彼女がSAOで朴念仁な一夏と内気な簪の仲を進展させる為に、影で尽力していたのはいうまでもないだろう。

 

 「お待たせー!かんちゃん連れてきたよー!」

 

 「待ってました!こっちこっち!」

 

 「ちょ、何これ……本音、引っ張らないでって……」

 

 いつの間にか姿を消していた本音が、クラスメイト達を押し退けて現れる。簪の腕をしっかりと抱え込んで。それを見た瞬間、和人は己の予想が凡そ間違っていなかったと確信した。

 

 「はーい、愛しのおりむーへダーイブ!」

 

 「いと!?きゃっ!」

 

 「カンザシ!!」

 

 一瞬で耳まで真っ赤になった簪の背後にまわった本音は、軽くその背を押す。簪はそのままつんのめって転びそうになり、それを一夏が駆け寄って抱きとめる。その瞬間にカメラのシャッターが切られ―――

 

 「ベストショット、頂きました!」

 

 ―――薫子の歓喜の声と少女達の驚愕の叫びが、食堂に響き渡るのだった。




 やりたい事詰め込みまくったら、いつの間にかこんな事に……しかもまだ終わってないとは。

 多分これが今年最後の更新になるかもです。


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十一話

 すみません、今回はちょっと短いです。というか、前回が長すぎましたね……


 一年生寮の食堂は、混迷を極めていた。

 

 「それで織斑君、その子と付き合っているんでしょ?」

 

 「……はい。オレはこの子と……カンザシと付き合っています」

 

 一夏は沸き上がる羞恥心を抑え込み、受け止めた少女を抱きしめながらも、真実を告げた。

 

 「ぎゃああぁぁ!」

 

 「神は死んだ!!」

 

 「明日から何を糧に生きればいいの!?」

 

 再び響き渡る、少女達の悲鳴。和人に続き一夏までもが恋人持ちという事実は、彼女達の心を容赦なく打ちのめしたのだ。

 

 「ひゃー凄いね、この反響。桐ケ谷君も織斑君も、ホント罪作りだね~」

 

 「な!?アインはともかく、俺は違うだろ!」

 

 「それオレの台詞ですってキリトさん!」

 

 自分へと向けられる異性からの好意に鈍感な者同士、互いに罪を擦り付け合うのは仕方の無い事だろう。自分がどれだけ異性の目を惹きつけてしまうのかを、二人共自覚していないままなのだから。

 

 「あっはは。たっちゃんの言ったとおり、そこらへんは似た者同士だね。本音ちゃんもありがと……はいコレ、約束のお菓子詰め合わせ」

 

 「わ~い」

 

 「「買収済みかよ!!」」

 

 薫子が何処からか取り出した袋を、喜々とした様子で受け取る本音。そんな彼女を見た二人は、見事に一致したツッコミをかます。

 

 「う……ぅ……本音ぇ……」

 

 簪は一夏の腕の中から恨みがましく声を上げるが、それは余りにもか細く、本音に届いていないのは明白だ。

 

 「えーっと、カンザシ?とりあえず落ち着けって。ほら、深呼吸」

 

 「おーい織斑君、それ逆効果だよ?それとも分かってて言ってる?」

 

 「へ?何がですか?」

 

 「……こ、恋人に自分の腕の中で深呼吸しろって……’オレの匂いを嗅げ!’って言ってるようなものでしょ」

 

 一夏、大自爆である。薫子に指摘された事を理解した瞬間、彼もまた簪と同じくらいに赤面した。

 

 「あー楽しかったっと……それじゃあ次!代表候補生のセシリアちゃん、コメントちょうだい」

 

 「……え?えぇ……解りましたわ」

 

 放心していたのかワンテンポ遅れて、セシリアは薫子の取材に応じる。だがその心は先程のショックから立ち直っているとは言い難い。

 

 (ええ……ええ、そうですわ。会って間もないわたくしにだって惜しみない称賛を送ってくださる方ですもの。親密な関係を築いた女性がいても、不思議ではありませんわ……)

 

 裏表のない彼の真っ直ぐさに、セシリア自身救われたばかりなのだ。きっと一夏は今までもああやって誰かに手を伸ばしてきたのだろう。自分以外に好意を抱く者が……その上想いを通じ合わせた者がいるであろう事は、冷静に考えればすぐに気づけた筈だった。

 

 (わたくしは……一夏さんに、恋をしていたのですね……)

 

 初恋。そんな泡沫の夢に溺れていたからこそ、セシリアは気づけなかった。一夏の周りを見ていなかった。けれども―――

 

 (ここで折れてしまう程、わたくしは諦めが良くありませんわよ……!)

 

 乙女心は、まだ夢から醒める事を拒む。彼が選んだ人ならば、簪という少女が魅力的な女性(レディ)である事は間違いないだろう。しかし、だからと言って自分が彼女より劣っている筈がないと、セシリアは己を奮い立たせる。

 

 (もっともっと、一夏さんの事を知らなくては……!)

 

 彼女は優雅な笑みでインタビューに答えながら、静かに決意を固めるのだった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「た……大変な目に遭った……」

 

 本音が簪を連れてくるというサプライズにより、一夏の精神的HPはレッドゾーンにまで突入した。夜十時過ぎまで続いたパーティーを終えてから簪を部屋まで送り届け、自室に戻った途端に彼は自分のベッドに倒れ込んだのだった。

 

 「……人気者だったな。さぞ楽しかっただろう」

 

 刺々しい口調で放たれた箒の嫌味に思うところが無い訳ではないが、彼女の人となりをよく知る一夏が機嫌を損ねる事はなかった。

 

 「……毎日珍獣扱いされた上に、恥ずかしい瞬間の写真撮られたら……お前は楽しかったって言えるか?」

 

 「うっ……ああ、そうだろうな」

 

 ベッドに顔を埋めている一夏に箒の表情は見えないが、それでも不機嫌そうに唇を尖らせそっぽを向いた彼女が目に浮かぶ。本心とは違っているのに、一旦言い出したら引っ込みが付かずに自爆するのは昔から変わらない箒の悪い癖だった。

 

 (こういうトコは変わってないのに……何で前より不機嫌になる事が多いんだ?)

 

 ―――しののーとさ、ちゃんとお話してる?

 

 日中の間に本音から言われた事を思い出し、一夏は疲労した体を起き上がらせる。一週間ほど同じ部屋で過ごしていたのに、自分が目の前の幼馴染と言葉を交わした時間は驚く程に少なかった事に改めて気づいたのだ。

 

 「箒」

 

 「な、何だ」

 

 未だに彼女は気まずそうにしていたが、今の一夏はそれにかまってはいられない。話合い、互いの心を知らなければ解りあう事はできない。唯一の家族である姉でさえ、言葉を重ねなければ伝わらなかったのだから、今の自分が箒と解りあえているとは言い難いだろう。

 

 「……さっきから機嫌悪そうだけど」

 

 「き、気のせいだ」

 

 目を逸らしている以上図星だと解るが、意地を張っている箒がこちらを見てくれるであろう話題が、一夏には分からない。分からないが―――自分の中で一つ、今と昔とで大きく変わった事ならばと一縷の望みをかけて口を開く。

 

 「もしかして……そんなに意外だったのか?オレが女子と付き合ってるのが」

 

 「!?」

 

 ビクリと音がしそうな程に箒の肩が跳ねる。その反応に手応えを感じた一夏はさらに続ける事にした。

 

 「そりゃ今まで知り合いや友人たちに、鈍いだの朴念仁だの唐変木だの……散々言われてきたけどさ。オレだって普通……とまではいかなくても男なんだぜ、一応。色恋の一つや二つあってもいいだろ」

 

 「わ、私は……私は……!」

 

 離れ離れだった六年間に積もり積もった想いが、箒の中であふれ出しそうになる。

 

 ―――「好きだ」と言ってしまいたい。自分だけを見てほしい。

 

 だが……顔を上げた時。六年前と変わらぬ……いや、より眩しい程に強い意志を宿した瞳を見た瞬間、声が詰まった。

 

 (一夏の中では……私はずっと、幼馴染のままだったのだな……)

 

 羞恥に頬を染めながら、水色の髪の気弱そうな少女を気遣っていた一夏の姿が脳裏に蘇る。彼に恋し、彼を見ていたからこそ……あの少女をどれ程想っているのかが、箒には解ってしまった。

 

 「ほ、箒……?」

 

 「っ……私は、怒っているんだ!」

 

 「ぅえ!?」

 

 この想いをぶつけても、今の一夏には届かない。それが分かった瞬間、箒の口から出てきたのは本心とは違うものだった。

 

 「こ、恋人ができたのはめでたい事だろう!何故すぐに言わなかったんだ!?」

 

 「そ、そりゃ言う暇が無かったっていうか……恥ずかしいじゃん」

 

 「言い訳無用だ!」

 

 「な!?それは横暴だ!っていうか、言ってもお前絶対信じないだろ!」

 

 溢れる激情を怒りと偽ってから、売り言葉に買い言葉で二人の口喧嘩が加速する。それはまるで……六年前まで続いた日々に戻ったかのような気安さで。

 

 「そ、そんなの当たり前だろう!お前の鈍さにどれだけの女が泣かされていたと思っている!?」

 

 「はぁ!?小学生ん時に色恋に目覚めるヤツとかいないだろ!」

 

 「そんなセリフが出る時点で鈍いままなのだと言っている!」

 

 「こちとら初めて告白されたのは中学だっつーの!その前はいなかったぞ!!」

 

 一夏の脳裏に、一人の少女がよぎる。あれは自分がSAOに囚われる前の事だったか。彼女の想いに応える事はできなかったが、その告白がきっかけとなり……一夏は自分なりに恋愛について考え始めたのだ。

 

 「っ、そ……そもそも!恋人と別の女と同居なぞ……浮気以外の何物でもないだろう!」

 

 「だからそれはオレの意志じゃねぇって言っただろ!」

 

 「予防線を含めて言っておくのは礼儀だろう!もし同居人があの女なぞお構いなしにお前に迫るようなヤツだったらどうするつもりだったのだ!?」

 

 「……ど、どうするって言われても……」

 

 「VR装置だとかつけて無防備な姿を毎晩晒していたんだぞ!き……既成事実でも作られたらどうするつもりだったのだと言っている!?」

 

 「……あ」

 

 「この……阿呆がああぁぁぁ!!」

 

 遂に箒の堪忍袋の緒が切れた。背後に鬼神がいるのではないかと思わせるほどの怒気を纏い、ゆらりと立てかけてあった木刀を握る。

 

 「そこになおれこの馬鹿者!」

 

 「ちょ、待て待て!その木刀で何する気だ!?」

 

 「貴様のその性根……今ここで叩きなおす……!」

 

 その宣告と共に、箒は正眼に構えをとる。現役の剣道少女たる彼女の構えは恐ろしいまでに余計な力が入っておらず、木刀が真剣ではないかと幻視する程だった。

 

 (これは……殺される!?)

 

 戦慄した一夏は逃走を試みたかったが、既に彼女の眼光はこちらを捉えて離さない。逃げようものなら、その前に一閃されるのは火を見るよりも明らかだった。残された手段は言葉による説得のみ。

 

 「あの……箒、さん?」

 

 「問答……無用!」

 

 だがしかし、一夏にそんな猶予は残されていなかった。振り下ろされた木刀を何とか両手で受け止め……そこで彼の意識は途切れた。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「……全く、軟弱者め」

 

 拳骨を食らって気絶した(・・・・・・・・・・・)一夏を抱きとめ、箒は呟く。剣道を辞めたという話は本当のようだが、それとは別の……より実戦に近い何かを経験してきたであろうことは薄々感じていた。そうでなければ彼はさっきの打ち込みを白刃取りで防ぐ事はできなかっただろうし、それにあわせて彼女も木刀を手放して無手で攻める事もなかった。

 

 「……VRMMOと言ったか?いや、まさか……」

 

 仮想世界で己の手足を動かし、剣を振るう。そんなゲームがあった事を、箒はふと思い出す。もし一夏がそこで戦いに明け暮れていたのなら……体力が異様に乏しい肉体に、それに不釣り合いなまでに鋭い視線や反応速度に一応の説明がつく。

 

 「お前は……ソードアート・オンラインにいたのか……?」

 

 腕の中の彼は伸びてしまっていて、彼女の問に答える事は無い。何より箒の憶測でしかない以上、確証のないまま一夏に問いかけるのは憚られた。

 

 「だが、私は……」

 

 知りたい。自分がいなかった六年間に、この幼馴染に何があったのかを。何を見て、何を感じ、どうやってあの少女と心を繋いだのかを。

 一夏を寝かしつけながら、箒は気持ちに整理をつける。一夏が自分ではない人を見ている事に胸が痛み、彼の心を独占しているであろうあの少女に嫉妬しているのは紛れもない本心だ。そしてそれ以上に、諦めてなるものかと歯を食いしばる自分がいる。各地を転々としながら過ごした、灰色の六年間の中であっても決して色褪せる事のなかったこの想い。障害の一つ二つや、思いがけないライバルの出現があろうと、そう簡単に手放すつもりは一切無い。

 

 「覚悟しておけ一夏。そして―――更識簪とやら」

 

 静かな宣戦布告と共に見上げた夜空は、久しぶりに綺麗だと思えた。




 よっぽどのゲスキャラでもない限り、個人的にはアンチとかはしたくないんですよね。まぁ、そこら辺も個人の好き嫌いでバッサリされたらどうしようもありませんけど……(汗)


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十二話

 お久しぶりです……忘れられているかもしれませんが、漸く更新です。


 「織斑君達、おはよー。ねえ、転校生の噂きいた?」

 

 「転校生?キリトさん、何か知ってますか?」

 

 「いや、俺も聞いてないな」

 

 クラス代表就任パーティーがあった翌朝。教室に入った一夏と和人は、クラスメイトからもたらされた転校生の情報について首を傾げた。まだ四月のこの時期に何故?という疑問を抱かずにはいられないが、情報が全く無い以上は何も分からない。

 

 「中国からの代表候補生ですよ。それもたった一年程でそこまで上り詰めた才女です」

 

 「中国かぁ……」

 

 巧也が小声で補足説明すると、一夏は中国という国名に一人の少女を思い出す。弾と二人でSAOに囚われた時に現実に残してしまった彼女だが、クリア後の再会は叶わなかったのだ。蘭の話では毎日のように共に自分達の見舞いに来てくれたらしいのだが、ある日突然彼女は中国へと立ってしまったとの事だった。無論蘭は連絡先を控えてくれた為、帰還後のリハビリの合間に弾と共にビデオメッセージを送ったのだが……全く返信が無かった事に訝しんだのも記憶に新しい。

 

 「……おい巧也、それを言わなかったのは……暗部(あっち)のツテだからか?」

 

 「ええ。とは言えあと一分とかからずに本人が此方に来る筈ですから、もう黙っている必要はありませんよ」

 

 「そうか……もう昔みたく隠し事はナシ、なんて我儘は言えなくなっちまったんだな……」

 

 幼馴染との間に生まれていた溝を実感し、和人は少しだけ寂しげな表情を浮かべた。そんな彼の手を、いつの間にか傍に寄り添っていた明日奈がそっと握る。

 

 「……ありがとう」

 

 「ふふっ、どういたしまして」

 

 穏やかに微笑み合う和人と明日奈の空気にあてられないようにするためか、セシリアや箒を含めたクラスメイトの少女達はクラス代表となった一夏を激励してしていた。

 

 「―――いずれにせよ、一夏さんならどのクラスが相手でも勝機は充分にありますわ。代表候補生であるこのわたくしを破ったのですから」

 

 「いや、あれ引き分けだったろ?それもオレが白式の特性を理解しきれなくて自滅したっていう……」

 

 「どなたが何と仰ろうと、あれは事実上一夏さんの勝ち。その事に変わりはありませんわ」

 

 それは自分の負けを堂々と認めるのと同じだぞ、と無粋な指摘を辛うじて吞み込んだ一夏は、曖昧な微笑みを彼女に返す。

 

 「だが、今の一夏が万全ではない事も確かだぞ。何せあの試合の後ちふ……織斑先生にこってり絞られていたからな」

 

 「ちょ!?箒、それ今言わなくてもいいだろ!」

 

 「自信を持つのはいいが、それに慢心して足元を掬われてもらっては困るからな。いい薬になっただろう?」

 

 腕組みをして得意気な表情を浮かべる箒に、一夏はうへぇ、と肩を落とす。彼女の態度に思うところがない訳ではないが、それ以上にぐうの音もなかったのだ。

 

 「……油断大敵ってのはまぁ、その通りだよな。うし、やれるだけやってみるか」

 

 「あらあら。そこは優勝を目指していただきませんと、わたくし達が困りますわ、一夏さん?」

 

 「そうだぞ。男子たる者、そんな弱気でどうする」

 

 「おっと、こりゃ手厳しいな」

 

 今の一夏はクラス代表。かつてSAOでもそうであったように、組織の代表というのは常に誰かの期待を背負い、それに応える役目がある。彼の中でまず思い浮かんだのは、血盟騎士団副団長を務めた明日奈だ。当時の彼女と同じ苦労をする事に気付いた一夏は、ガシガシと頭をかいて引きつりそうになる表情を抑え込んだ。

 

 「でもでも!織斑君の強さならきっと大丈夫だよ!」

 

 「そうそう。専用機持ちって一組(ウチ)を除けば四組だけだし、よっぽどの事が無い限り優勝賞品のデザート半年フリーパスはゲットしたも同然だよ!」

 

 (女子ってホント、甘い物に目が無いんだなぁ……あ、楯無さんにお菓子作って差し入れしたら、ちょっとはマシになってくれるかな……?)

 

 きゃいきゃいと騒ぐ少女達に苦笑しながら、一夏は自分の席に足を運ぼうとしたその時。

 

 「―――その情報、古いよ」

 

 「え……?」

 

 背後から突如聞こえた声に、その身を硬直させた。何故なら、その懐かしい声の主と最後に言葉を交わしたのは、もう二年以上前なのだから。

 今の声が空耳ではないかと、不安を抱えながら一夏は振り返る。

 

 「二組も専用機持ちがクラス代表になったの。そう簡単に優勝できると思ったら大間違いよ」

 

 腕を組み、片膝を立てながらドアにもたれ掛かる少女が、フフンと不敵な笑みを浮かべる。だが普通なら威圧感を与えるであろうその仕草は、非常に小柄な彼女では’大人っぽさ’を背伸びして出そうとしている為かどこか愛嬌があった。

 

 「貴方、見ない顔ですが……どちら様ですの?」

 

 「アンタ等が噂してた転校生にして中国の代表候補生、凰鈴音(ファン・リンイン)が宣戦布告に来てやったってワケ。驚いたでしょ?」

 

 彼女がセシリアへと笑みの形を勝気なそれに変えると、あわせてトレードマークのツインテールが揺れる。その仕草が、声が……一夏の記憶と寸分違わぬもので―――

 

 「鈴……本当の本当に、鈴なのか?」

 

 ―――思わずセシリアを押し退けるように、彼は鈴音の前に立った。

 

 「ぁ……いち、か……?」

 

 「あぁ、オレだよ……てかお前、ぜんっぜん変わってないな?」

 

 「う、うっさいうっさい!アンタが……アンタがぁ!!」

 

 鈴音は一夏の姿を認めた瞬間に、抑え込んでいた感情が溢れだすのを止められなかった。先程までの勝気さは鳴りを潜め、激情のままに彼の胸に飛び込んだ。流れ出すのを堪えきれなかった涙と共に。

 

 「あで!?れ、連絡はしてただろ?お前が返事くれなかっただけで―――」

 

 「―――だって……信じたくても、信じられなかったのよ……!」

 

 「……そう、だよな。ちゃんと会って、自分で確かめるまでは夢なんじゃないかって……蘭や厳さん、数馬に……千冬姉だって、そう言ってたっけ」

 

 SAOがクリアされるまでの間、残された人達は日ごとに増える死者の報せに次は自分の大切な人の番が来てしまうのでは……そんな恐怖に晒されていた。そんな中、日本を離れなければならなかった彼女の不安は尋常では無かった筈だ。

 

 「……何よ、まだ骨と皮ばっかじゃない……体までジジくさい痩せっぽちになったの、アンタは?」

 

 「ちゃんと食ってるって。今に見てろよ?前以上のすっげぇ体にするつもりだからな」

 

 「へぇ……どのくらいで音を上げるのか、見ものね」

 

 一夏の胸に埋めていた顔を上げた鈴音は、そう言って笑みを零した。口調こそ挑発するような普段の彼女らしいものだったが、目元は未だ赤く、その瞳は涙に濡れていた。

 

 (綺麗……だな。鈴もこういう表情、できたのか……いや、オレが気づかなかっただけなんだよな)

 

 既に彼には心に決めた人がいるけれど。ずっと幼馴染として見てきた鈴音が、この時は異性として意識してしまう程に……泣き笑いする彼女が魅力的だった。

 

 「―――うっし、スッキリした!そんじゃ一夏、昼にまた会いましょ!」

 

 一夏が見惚れていた間に、鈴はそう言ってするりと身を離す。そして目元を袖でやや乱雑に擦りながら教室を去って行った。

 

 「ちょ、鈴!って行っちまった……あいつも相変わらず人の話聞かねぇな……オレ達以外で友達できたのかよ……」

 

 幼馴染の記憶通りの言動に苦笑しながらも、一夏の心は晴れやかだった。それだけ二年越しの再会は彼にとって喜ばしい出来事だったのだ。直後に訪れるであろう惨事を忘れて浮かれてしまう程に。

 

 「い、一夏……今のは、一体……?」

 

 「ま、まさか……浮気というものでは……?」

 

 「え?いやアイツは―――」

 

 箒達に説明をすべく振り返った彼が見たのは、呆然とするクラスメイト一同に、呆れ顔の和人と明日奈。そして全てを察しているらしく困ったように苦笑する巧也だった。

 

 「皆どうしたんだ?何か信じ難い事が起きたみたいな変な顔して」

 

 ―――キーンコーンカーンコーン

 

 「ほう?チャイムが鳴っても席についていないとはいい度胸だな、お前等」

 

 「げぇ!?」

 

 ―――クラスの大半が千冬の出席簿アタックの餌食になったのは、言うまでもない。そして昼休みまでの間の僅かな休み時間が来る度に一夏がクラスメイト達からの質問攻めに遭ったのは、当然の帰結だった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 昼休みとなり、食堂へとやってきた一夏達。今朝の事を聞いてか、それとも昨夜に暴露された所為か、簪は迎えに来た一夏の手をしっかりと握っており、本音は相変わらず反対の腕に引っ付いている。その事に箒達も思うところがない訳ではないが、二人も既に何度か本音に引っ付かれた事があり、簪については昨日知った為に一旦堪える事にした。

 

 「待ってたわよ、一夏!」

 

 ラーメンの入った丼を手に、約束通り鈴音は一夏を待っていた。約束も無しに待ち構えていた事の多い彼女から少しは成長したようだが、カウンターの前に陣取るあたり周囲への気遣いについては相変わらずな様子だ。

 

 「そこだと皆に迷惑だぞ?オレ達もメシ頼むから、先に席とっといてくれよ」

 

 「う、うっさいわね。大体アンタを待ってたんじゃない!もっと早く来なさいよ!」

 

 「悪い悪い。オレだって話したい事が山ほどあるんだ。余計な事で時間取りたくないのはお互い一緒だろ?」

 

 彼の言葉に納得したのか、鈴音はすぐさま空いているテーブルを確保しに―――

 

 「―――席ならこちらが空いてますので、どうぞ」

 

 「……え?あ、ありがと……?」

 

 ―――いつの間にか巧也が済ましていた。

 

 「セシリア、私の見間違いでなければあのテーブル……先程まで上級生がいたと思うのだが……」

 

 「奇遇ですわね、箒さん。わたくしも全く同じ意見です」

 

 (……たぶん刀奈の配下ってトコか?巧也もわざわざこんなのに暗部の伝手を使うなよ……)

 

 あまりの出来事に箒とセシリアは目を瞬かせており、大方の事情を察した和人だけがこめかみを押さえてため息をついた。

 そんな事など露知らず、一夏達は案内されたテーブルへと着く。

 

 「にしても驚いたなぁ、鈴が代表候補生になったなんて。おじさんやおばさんは元気か?っていうかいつ日本に帰ってきたんだよ、蘭には連絡してたのか?」

 

 「質問したいのはこっちもだっての。アンタ一体どういう事してIS動かしたのよ?同姓同名のそっくりさんかと疑ったじゃない」

 

 「あー、そりゃスマンかった……おじさん達にはどやされて拳骨もらいそうだなぁ、厳さんみたく」

 

 「でしょうね。蘭を泣かしたのは間違いないし。そんなガリガリでよくあの人の拳骨耐えられたわね」

 

 一夏と鈴音、二人揃って遠い目をして思い出すのは弾の祖父にして筋骨隆々とした男性―――五反田厳。中学時代の一夏は鈴音や弾とよくつるみ、二人の店のどちらかで食事をする事が多かったのは今でも鮮明に覚えているのだ。

 

 「い、一夏!そろそろ説明してほしいのだが」

 

 箒の一言で現実に引き戻された一夏は、彼女達を蔑ろにしてしまった事を反省しつつ口を開く。

 

 「悪い。朝名乗った通り、この子は凰鈴音。オレは鈴って呼んでる。二年半振りに再会した幼馴染だよ」

 

 「幼馴染?」

 

 「ほら、箒は小四の終わりに引っ越しちまっただろ?鈴が来たのは小五の頭で、ちょうど入れ違いなんだよ」

 

 「そ、そういう事か……」

 

 納得した様子の箒を見て、一夏は自分の幼馴染同士に面識がなかった事を今更ながらに思い出した。

 

 「で、こっちが箒。前に話しただろ?小学校の頃からの幼馴染で、オレが通ってた剣術道場の娘」

 

 「へぇ……ま、よろしくね」

 

 「ああ、こちらこそ」

 

 握手する二人を見て、一夏は満足げに頷く。

 

 「い、一夏さん?箒さんの他にも紹介すべき方がいらっしゃる事、忘れてませんこと?」

 

 「あ、いっけね。まぁでもセシリアの事は知ってるだろ。鈴ならオレみたいに他の国の代表候補生は―――」

 

 「―――あ、他の国とか興味ないから知らないわ」

 

 「んなっ!?」

 

 さらりと鈴が告げた言葉に、セシリアは思わず顔を赤くする。祖国の中でライバル達と鎬を削り合ってきた努力の結果についてそんな態度をされてしまえば、誰であれ怒るのは明白だろう。

 

 「お前、もうちょっと言い方を考えろって昔から言ってただろ?口は禍の元だって」

 

 「ホントの事言ってるだけじゃない。っていうか代表候補生が何人いると思ってんのよ。アンタなら全員把握できるの?」

 

 「……スマン、無理だ」

 

 国家代表を覚えるのでやっとな一夏では、鈴音にこれ以上反論する事はできなかった。

 

 「い、言っておきますが!わたくしは貴方には負けませんわよ」

 

 「そ。でも戦ったらアタシが勝つわ。悪いけど強いもん」

 

 嫌味ではなく素で己に多大な自身を持つ鈴音に、セシリアの表情が引きつる。だがそこで堪える辺り、彼女がきちんと場を弁える事ができる淑女である証拠だろう。一夏が鈴音に紹介するべき人は、まだまだいるのだから。

 

 「まぁいいや……次はキリトさんとアスナさんだな。二人は―――」

 

 「―――VRMMOで知り合った、でしょ?校内新聞にデカデカと載ってたわ」

 

 「あーうん、そうだけど……」

 

 箒達の手前、SAOサバイバーである事を告げるのは憚れた一夏だったが……そんな彼を見て察したのか、鈴音はニッコリと笑みを浮かべる。

 

 「大方SAO(むこう)で弾と二人、迷惑かけまくったんでしょ?このバカの面倒見てくれて、ありがとうございました」

 

 「鈴はオレのオカンかよ!?つーか思い込みはやめろよな!」

 

 「ははは。コイツには手を焼かされたけど、年下の面倒見るのは慣れてる。別に大した事じゃないぜ」

 

 「もうキリト君、調子に乗らないの。私達よりクラインさん達の方がアイン君には心を砕いたんだからね」

 

 「う、そりゃそうだけどさ。わざわざ言わなくてもいいだろ……」

 

 子供っぽくそっぽを向く和人に、明日奈はクスクスと小さな笑みを浮かべる。二人の幸せそうな様子に満ちたやり取りに、初見だった鈴音は思わず見惚れてしまう。

 

 「鈴?おーい、鈴ってば!」

 

 「はっ!……二人のピンクオーラに要注意って、マジだったのね……」

 

 「あ、そっか。二人はいつもあんな感じだから、その内慣れるって。多分」

 

 「無責任な言い方ねぇ……けど不思議。見てるこっちまで嫌な気分を忘れそう」

 

 「あぁ。二人には絶対、幸せになってほしい……オレの剣でも、少しは二人を守れるようになりたいって、心から願ってるよ」

 

 自分を律し、多くの者達の希望の象徴として多大な期待を背負い続けた反面、現実世界で積み重ねてきた努力が否定されていく恐怖に人一倍怯えていた明日奈。大切な人を守る為に、誰よりも自分自身が報われないと分かっていてなお嫌われ役を買い、その手から零れ落ちたものへの悲しみに悲鳴を上げる心を押し殺して戦い続けた和人。二人を害する者がいるのならば―――自分はその者を断つ、その覚悟を一夏はもう一度噛み締めた。

 

 「そう……アンタ、変わったわね」

 

 「ん?何か言ったか?」

 

 「べ、別に何でもないわよ!」

 

 かつての一夏ならば絶対にしなかった顔を見て、鈴音は彼がSAO(あのせかい)で何かを得たのだと気づき、僅かな寂しさを抱かずにはいられなかった。とはいえそれを悟られたくなかったので、誤魔化す様にラーメンのスープを飲む。

 

 「んじゃ、こっちの地味な奴が三人目ってワケね」

 

 「えぇ、その認識で間違いありません。初めまして、野上巧也です。一夏とはIS学園(ここ)で知り合いましたが……僕は和人の幼馴染ですので、大まかな事情は知っています」

 

 「巧也は凄いぞ?男子の中じゃISについての勉強は一番できてるし、色々と細かい気配りをしてくれるから、すっげぇ助かってる」

 

 「買い被り過ぎですよ一夏。それに彼女が一番知りたいのは僕じゃないでしょう?」

 

 やんわりと巧也が促すと、鈴音の視線は一夏の隣にいる簪と本音に向けられた。

 

 「えーっと、のほほんさんはカンザシの家に代々つかえてるメイド……なんだっけ?」

 

 「そだよー。私がかんちゃん担当でぇー、お姉ちゃんがかんちゃんのお姉ちゃん担当だよー」

 

 「へ、へぇ……なんかめっちゃ緩い感じね」

 

 「うん、それがのほほんさんだし」

 

 彼女の人畜無害な雰囲気に、知らず知らず鈴音は気を緩めてしまった。彼女の本名が紹介されていない事をうっかりスルーしてしまう程に。

 

 「それで、えっと……」

 

 そして最後の一人。傍らの少女を紹介するにあたり、今まで違って照れくさそうに頬を掻く一夏を見て……鈴音は目を瞬いた。

 

 「この子が更識簪。オレの……恋人なんだ」

 

 「……マジ?新聞部って面白半分な捏造も多いって聞いたけど……」

 

 「嘘じゃ、ない……!」

 

 羞恥を堪えて簪が一夏の腕に抱き着くと、彼は驚きながらも支える為に反対側の腕を伸ばす。歩く朴念仁と言われ続けた筈の一夏が頬を紅く染めながら隣の少女を気遣う様子に、鈴音の脳裏に蘇る記憶があった。

 

 ―――夕暮れ時の教室。自分と一夏、二人だけが知る、とある約束を交わした瞬間を。

 

 同時に胸に走る痛みを誤魔化すように残りのラーメンを一気に平らげ、丼をテーブルに置いた鈴音は―――

 

 「よぉうし一夏、一発殴らせろ!」

 

 ―――ニヤリと口角の片端を釣り上げながら、そう宣言した。



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十三話

 久しぶりの投稿です……

 こっちの続き、覚えてる人いるかなぁ……(汗)


 「よぉうし一夏、一発殴らせろ!」

 

 ラーメンを平らげた鈴音が放った言葉に、その場にいた誰もが目を丸くした。その言葉を向けられた一夏を除いて。

 

 「……やっぱりな。鈴があの約束、忘れる訳ないもんな」

 

 「あったり前でしょ。絶対に忘れるもんかっての」

 

 強がりなのか、ニヤリと口角を釣り上げる彼女に対して、一夏の表情は幾分か硬い。

 

 「ま、待て一夏!一体何の話だ!?」

 

 「えぇっと……」

 

 堪らず箒が声を上げるが、一夏は少し言葉を選ぶように視線を彷徨わせる。デリケートな内容故に、鈴音の気を極力害する事無く説明するにはどうしたものかと考え込み―――

 

 「全く……気ぃ遣わなくていいのよ」

 

 「鈴……?」

 

 「中学ん時、あたしがコイツに告って今フラれたって話」

 

 「「はぁ!?」」

 

 ―――あっけらかんと言い切った鈴音に、皆あんぐりと口を開けてしまった。爆弾ともとれる発言をかました本人は冷や汗を流す一夏を眺めてニヤニヤと意地悪く笑い、さらに油を投下するかのように語る。

 

 「ニブチンなコイツを振り向かせようとこっちは一世一代の覚悟だったってのにぃ~、当時返ってきた答えが保留よ保留。’今はまだ友達としか思えない’とか、期待させるようなモンだったからタチが悪いっての」

 

 「……一夏さん、それは紳士にあるまじき行為ですわ」

 

 「全くだ。曖昧な返事しかできんなど、男の風上にも置けん」

 

 「アイン君?これはちょーっと見過ごせないかな」

 

 「今回はお前が悪いっての、俺でも分かるぞ」

 

 セシリア、箒、明日奈、和人からの視線が冷ややかになり、針の筵ともいえる状況に陥る一夏。本音と巧也は無言で普段通りの笑顔のままなのがひと際怖い。

 

 「んで、あたしはそれにこう言ってやったのよ。’なら、答えがでるまで待ってあげる。でももしあたし以外の娘を好きになったんなら、一発ぶん殴らせろ!’ってね。だから殴るけど、誰か文句ある?」

 

 「……そういう事なら、無い……アイン、反省して」

 

 「遠慮する必要はないぞ鈴音。思いっきりやってしまえ」

 

 簪と箒からのゴーサインを止める者は、この場にはいなかった。

 

 「鈴でいいわよ。そっちの方が慣れてるし」

 

 さっぱりとした気性の彼女はそう言って、顔を一夏へと向ける。

 

 「……あの約束を忘れた事は無かったし、覚悟はしてたつもりだ。やるなら一思いにやってくれ」

 

 「へぇ、男らしく度胸はあるのね?んじゃ早速―――」

 

 歯を食いしばって耐える姿勢を見せた一夏に対し、鈴音は解りやすい程大きく腕を振りかぶる。

 

 「―――と言いたい所だけど、丁度いい舞台があるんだし、そこでやらせてもらうわ」

 

 「……え?」

 

 振りかぶった腕を戻し、からかうように片頬を釣り上げる鈴音に対し、一夏だけではなく和人達も呆気に取られた。

 

 「大体そんなひょろっちぃアンタじゃ全力でやれないじゃない。だからこの拳は今度の……クラス対抗のリーグマッチまでお預けにしてあげる」

 

 「え?鈴、それどういう意味だよ?」

 

 「トドメにぶん殴ってアタシが勝つって意味よ!首洗って待ってなさい!」

 

 昔と変わらぬ勝気な笑みと共にそう宣言した鈴音は、颯爽とその場を去って行く。彼女らしいその振る舞いに、一夏は懐かしさを感じて自然と口許が緩んだ。

 

 (本当に変わらないな、鈴は)

 

 今は勉強や訓練で忙しいけれど。その内スケジュールの合間を縫って、弾と共に三人で何処かに出かけてみようかな、と一夏は考えるのだった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 ―――走る、走る。

 

 彼の視界から逃れた途端、この胸の内で暴れ回る心をぶつけられる場所を求めて駆け出すのを止められなかった。こんな時に限って当たる勘のお陰で、道中は数える程の人としかすれ違わなかったし、辿り着いた屋上にも人影は全く無かった。

 

 「はぁ……はぁ……」

 

 屋上に飛び出した少女……鈴音は、荒い呼吸を繰り返しながらもう一度誰もいない事を確認すると、塔屋の壁を背に座り込んだ。

 

 「うっ……うぅ……!」

 

 ずっと堰き止めていた感情が溢れ出し、熱い雫が次々に零れて頬を濡らす。

 

 ―――二人には絶対、幸せになってほしい……オレの剣でも、少しは二人を守れるようになりたいって、心から願ってるよ。

 

 自分の知らない顔をした想い人の声が、蘇る。沢山の悲しみを見てきたのだろう、数えきれない程に辛い思いを抱いたのだろう。けれど……ほんの一欠片の、掛け替えの無い小さな希望を見出せたのだろう。大切な人達を穏やかに見つめる彼の瞳は、迷いの無い本当の覚悟が宿っていた。

 一夏らしい変化といえばそうだし、そんな彼に胸が高鳴ったのは事実だが……それ以上に、彼と自分を隔てるように横たわる二年もの時間が心を苛む。なにより―――

 

 ―――この子が更識簪。オレの……恋人なんだ。

 

 やっと再会できた想い人の隣には、別の人がいた。その事実が容赦なく鈴の胸の内を抉る。取り乱さず心に刻み付けていた約束を思い出し、一発殴らせろ!と言えたのが奇跡的だった。

 

 「何で……あたし、だって……!」

 

 誰にも負けないくらい一夏が好きなのに。SAOに囚われた彼が次の犠牲者になってしまうのかもしれない恐怖を抱えながらも、いつか生還してくれると信じて想い続けていたのに。更識簪(アイツ)にあって自分には無いものとは一体何なのか。

 悔しい。辛い。悲しい。苦しい。再会できた喜びは確かに大きかったが、その分鈴音が受けた衝撃も大きく、一言では表せない程に心がかき乱される。

 

 「一夏……一夏ぁ……!」

 

 鈴音の涙は止まる事無く流れ……彼女の慟哭を聞く者は誰もいなかった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「―――以上が、本日転入してきた凰鈴音(ファン・リンイン)と一夏の会話になります」

 

 放課後の生徒会室にて。巧也は密かに録音していた鈴音と一夏のやりとりの再生を終えると、指示を仰ぐ為に主である楯無へと視線を向ける。

 

 「ん~、とりあえず一夏君はギルティね……訓練メニュー、二倍にしようかしら、フフフ……」

 

 「お嬢様。現在の織斑君の体力では、二割増し程度が限界かと。加えて、彼が倒れてしまえば簪お嬢様が悲しみます」

 

 「分かってるわよぅ……この間みたいに‘お姉ちゃん……嫌い‘なんて言われちゃったら、もう立ち直れないぃ~!」

 

 「……リーグマッチに向けての強化名目で、明日以降の訓練は二割増しにしておきます」

 

 机に突っ伏す楯無の心情を察して、巧也は一夏の訓練の増加を決定した。彼としても、一夏の女難についてはある程度許容しようとはしていたのだが……昼間の一件は流石に見逃せない。

 

 (告白してきた女の子への返事を保留にしておいて、別の子と付き合う……色々事情があったとはいえ、要約すると鈴音本人にとってかなりに酷い事ですね)

 

 お灸を据えるのは目の前の主の他にも和人達がいるだろうし、自分は彼等がやり過ぎないように調整役を務めるべきだろう。流石に一夏だって一度痛い目を見れば同じ失敗はしないだろうし、友人としてそうであると信じたい。

 

 「……これから転入生が来る度に同じ事をお願いするわ」

 

 「承知しました」

 

 顔を上げた楯無の表情は僅かに曇っていたが、巧也は努めて事務的に頷くのみ。

 

 「鈴ちゃんは……現状は放っておいて大丈夫そうね。セシリアちゃんもそうだったけど、国からの指示ってワケじゃないみたいだし。当分は一夏君や和人に害を為そうとはしないでしょう」

 

 楯無の見解に巧也は首肯すると、暇を告げるべく口を開こうとして……

 

 「あ、ちょっと先の話なんだけどね。私達、リーグマッチの時IS学園(ココ)にいないから」

 

 「……それは僕も同行する案件でしょうか?」

 

 思い出したように告げられた楯無の言葉に、出鼻をくじかれた。先程とは違って少しニヤついているあたり、こちらの出鼻をくじくのは狙ってやったのだろう。彼女のこういう悪戯癖は昔からなので、彼は特に気を悪くする事は無かった。

 

 「偶にはズッコケるくらいしなさいよ……まぁ、いいわ。要点だけ纏めると、私と虚ちゃんはリーグマッチが開催されている時期に海外で用事があるから、その間二人の護衛をいつも以上に頑張ってねって話」

 

 「目的地及び内容につきましては、巧也君には知る権限がありません。日程は後程通達しますので、その間わたし達が不在になる、と覚えておいてください」

 

 事務的な口調で補足する虚の言葉を頭にたたき込むと、巧也はもう一度頭を下げる。

 

 「承知しました……この命に代えても」

 

 和人と一夏、そして二人に繋がる人達を護る。言外に告げられた彼の覚悟を見る度に、楯無と虚の内に痛みが走る。

 家族同然のように育ち、実の弟と言ってもいいくらいの情を抱いていても……彼は現場で命を張る部下であり、自分達は彼を使う主とその側近である。時として巧也への情を断ち切って危険な命令をしなければならない場合もあり……巧也自身、その為ならば自らの命を厭わない。いや、いつでも死ぬ覚悟はできている。だが、それでも……

 

 (この子に’死ね’なんて命じる日が来ないよう、手を尽くさなきゃ……!)

 

 それでも、大事な弟分を守りたい、幸せになって欲しい。この想いを捨てる事は楯無も虚も姉貴分として、できなかった。

 巧也達がIS学園を卒業するまでに、何か手を打たなければ……一夏と和人を守る為の人身御供として、巧也をモルモットとして世界に差し出す、という最悪のビジョンが実現してしまう。それだけは絶対に回避しなければ。この件は彼に人並みの幸せを得させる為の第一歩でもあるため、何としても成功させるのだと……巧也が退出した後の生徒会室で、二人は真剣な表情で頷きあった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 翌日の放課後。アリーナにて、実機を用いた訓練に励んでいた一夏が、上半身の装甲を解除して荒くなった呼吸を整える。

 

 「畜生……息、続かねぇ、の……しんどい……」

 

 「野上も言っていただろう、今の動きは体への負担が大きいと。それに小さいが無駄な動きも幾らかある。だから余計に消耗して最後詰めが甘くなるのだ」

 

 「塵も積もればってヤツか……ってか、途中からマジの剣術使ってたろ箒」

 

 「……う、うむ。予想外に動けていたからつい、な……大分実戦慣れしている筈の動きなのに、何故そんな貧弱なのだ?和人さんや明日奈さんもそうだが……習得している剣技と本人の体の出来がちぐはぐだ」

 

 少しだけ汗に濡れた髪を揺らして首を傾げる箒に対して、一夏はどう説明したものかと頭を悩ませる。SAO事件の事を言うのはまだ抵抗があるが、かといって自分は上手く誤魔化せる程口が達者ではない。最近になってやっと昔のように遠慮が無くなったファースト幼馴染と再びギクシャクするのは、今の彼にとっては避けたい事だった。

 

 「ああ、言いたくないなら言わなくていい」

 

 「箒?」

 

 「お前が理由も無く黙っているような男ではないと分かっているからな。だから話せるようになるまで待っている……今のところは、な」

 

 「……ありがとな、箒」

 

 思いがけない彼女の言葉に、一夏の心が幾分軽くなる。こちらを思いやっての言動ができる事に驚きながらも、よくよく考えれば彼女だって成長しているのだろうからと、彼は一人で納得する。

 

 「……うっし、それじゃオレはキリトさんと交代してくる」

 

 「ああ」

 

 解除していた装甲を再び纏うと、一夏はセシリアの指導のもとで飛行訓練に励む和人達の所へと向かう。

 

 (それにしても……まさか初っ端からってのはビックリしたなぁ……)

 

 今朝、生徒玄関前廊下に張り出された、来月のリーグマッチの対戦表が脳裏に蘇る。そこに記された対戦相手は二組―――鈴音だったのだ。



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十四話

 こっちの更新するの久しぶりです……(汗)


 曇りの無い、早朝の青空の下。普通なら、生徒の誰もが微睡みの中を漂っているこの静かな時間帯だが、グランドには人影があった。

 

 「ふっ……はっ……ふっ……はっ……」

 

 「よし、そこまで」

 

 IS陽炎をPICをカットした状態で身に纏い、先程までマラソンに勤しんでいた巧也と、彼のIS使用の監督役を務めていた千冬である。息を整えながら彼が歩く度に、鋼鉄の脚がガシャリ、ガシャリと音を立てる。その音にかき消されぬよう声量に気をつけながら、千冬は巧也へと結果を伝える。

 

 「昨日よりコンマ七秒早い。一周毎のタイムも安定してきている……ようやく今の手足に慣れてきたか」

 

 「そう、ですね……以前より、馴染んできている感覚はあります」

 

 「そうか……アイツ等に何かあった時、すぐ隣で手を貸せるのはお前だからな。これで少しは安心できそうだ」

 

 ジャージ姿であっても、普段の時と変わらぬ鋭さを宿した雰囲気が、少しだけ緩くなる。とはいえ彼女に隙ができたり、気を抜いたりした訳では無い。

 

 (この方も、心は普通の人……なのですね。(一夏)を、家族を想い、慈しむ……普通の(ひと)……)

 

 世界最強などと呼ばれ、誰からも英雄視されていても。日頃は教師として事務的な態度を崩さず、私情を挟まぬ冷血さを見せていても。彼女の本質は(かぞく)を愛する普通の(ひと)なのだと、巧也は察した。

 

 「さて、今日はそろそろ戻っておけ……しかし、よく桐ケ谷は気づかないな」

 

 「和人は朝に弱いんです。こちらから起こさない限り、普通は夢の中のままですよ」

 

 「……寝坊させるなよ?」

 

 「承知しております。本日もありがとうございました」

 

 千冬に一礼した後、巧也は陽炎を待機状態へと移行させる。次いでベンチに置いておいた自分のジャージをISスーツの上から着込むと、足早に寮へと戻る。

 

 「野上……お前が敵でなくて、良かったよ」

 

 彼の背を見届けてから、千冬は一つため息をついた。あの油断ならない生徒会長の部下……暗部の人間だと紹介されてから今日まで振り返るが、彼の言動・振る舞いに警戒するような事は一切なかった。

 

 ―――そう、こちらに一切の警戒心を抱かせなかった(・・・・・・・・・・・・・・)のだ。

 

 ある程度容姿は整っている方だが日本人として見れば特筆するようなものは無く、背格好も平均的。物腰も控え目で穏やかであり、強いて挙げる特徴といえば、大抵の事はそつなくこなせる器用さと、周囲への小さな気遣いに幾分長けている、程度のもの。一度街中で人混みに紛れてしまえば、すれ違ったとしても誰も全く気にも留めないだろう。

 

 (ISを纏っての走り込みを見ていたからこそ、充分な武術や体力を身に着けていると分かったが……普段の身のこなしでは察知されない訓練をしてきたのか……)

 

 記憶にある彼の動きや仕草をいくら思い返しても、表向きのプロフィール―――更識が表側の事業として行っている武術道場にて、多少の心得を身に着けた程度のひよっこ―――が本当であるとしか思えない。代表候補生のセシリアや、実家の剣術を曲がりなりにも修めてきた箒ですら、恐らくは巧也の正体を見抜けていないだろう。

 仮に彼が一夏の死を望む者達の刺客として潜り込んでいたら、自分はまんまと出し抜かれて一夏を殺されていたかもしれない……千冬はそう考えずにはいられなかった。

 

 (ISに延長された四肢の感覚がすぐには馴染まなかった辺り……かなり繊細なのだろう。それに正面切っての戦闘も不得手……暗殺者(アサシン)に特化している、という言葉は本当のようだな、更識楯無)

 

 巧也が早朝にISを装着してのマラソンの監督役をしてほしい、そんな依頼を持ち掛け、食えない微笑みを崩さなかった少女が脳裏をよぎる。巧也がISの補助があっても延長された四肢に違和感が消えなかったのは本当だったが、同時に彼の特性についての売り込みも兼ねていたらしい。百聞は一見に如かず、という(ことわざ)どおりだ。

 

 「おっと、そろそろ戻らなくては……考え事ばかりで教師が遅刻、なんて醜態を晒す訳にはいかんな」

 

 両手で軽く自分の頬を叩く。次の瞬間に彼女の顔はIS学園の教師のソレへと切り替わっていた。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 五月に入り、クラス対抗戦(リーグマッチ)の開催日は瞬く間にやってきた。第一試合の組み合わせは一夏と鈴音、片や希少な男性操縦者、片や一年で代表候補生の座を勝ち取った才女という、注目を集める者同士であった。二人の試合を見ようと大勢の生徒達が詰めかけた結果、第二アリーナは全席満員な上に通路に立ったままで見ようとする少女達で埋め尽くされていた。それでもなお客席に入り切れなかった者達は、リアルタイムで上映されるモニター越しに試合の行く末を見届けようとしていた。

 

 (あれが鈴のIS、甲龍(シェンロン)……すっげぇトゲトゲした感じで、痛そうだなぁ……)

 

 セシリアのブルー・ティアーズとはまた違った形状の非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)に注目しながらも、一夏は規定の位置へと白式を移動させる。

 

 「一夏」

 

 「鈴?」

 

 試合が始まる前に、鈴音から個人間秘匿通信(プライベート・チャンネル)が入る。聞こえてきた彼女の声は普段の勝気なものではなく、一夏を気遣うような、遠慮がちなものだった。

 

 「念の為言っておくけど、ISの絶対防御も完璧じゃないわ。シールドエネルギーを突破される程の攻撃力があれば、本体にダメージを貫通させられる……今のアンタの身体、普通のヤツより弱っちいんだから、変な意地張らない方が身の為よ」

 

 「……それは弁えてるつもりさ。てか、トドメにぶん殴るって言ってたんじゃなかったのか?」

 

 「な、アンタねぇ!人が折角心配してやってるってのに、揚げ足取ってんじゃないわよ!」

 

 「はっはっは、変な気遣いとか鈴らしくなかったからな。オレが真剣勝負で手を抜くのも抜かれるのも嫌いなの、覚えてるだろ?大丈夫、本当にヤバかったらちゃんと降参(リザイン)するさ。泣かせたくない人達がいるからな」

 

 「わ、分かってるならいいのよ……絶対に泣かしてやるわ!」

 

 彼女はその宣言と共に回線を閉じ、二振りの青龍刀……双天牙月(そうてんがげつ)を構える。一夏も続いて雪片弐型を左腰へ移し、左手を刀身に添える。

 

 (今のオレの勝機は、初撃で零落白夜を直撃させる事……この一撃で、斬る……!)

 

 試合開始のブザーを聞き逃さぬように注意しながら、一夏は鈴音以外の情報を削ぎ落していく。相手の得物の特徴や構え方、全身の力の入り具合……そして視線。そこから彼女の初撃を予想し、こちらの初撃の軌道を決める。

 

 ―――試合開始のブザーが鳴り響く。

 

 先手必勝とばかりに甲龍が駆ける。大質量の塊を力任せに叩き込む―――刹那、鈴の直感がかつてない程の警鐘を鳴らし、眼前の白式が掻き消えた。

 

 (ヤバ―――!)

 

 強引に体を捻ると、左側を白式が駆け抜けた事が感覚で分かった。ハイパーセンサーに映る背後の映像にいる彼は、刀身が割れた雪片弐型を振り切っていた。

 

 ―――割れていた……否、零落白夜の為に展開していた刀身が閉じる。

 

 突如甲龍の左腕装甲が爆ぜ、装備されていた腕部用小型衝撃砲、崩拳(ほうけん)の破損と大幅なシールドエネルギー減少を警告するアラートが鈴音の視界に表示された。

 

 「こん、のぉおお!」

 

 しかし、彼女とてやられっぱなしではなかった。肩部の大型衝撃砲、龍咆(りゅうほう)を起動し、背後へと発射。不可視の弾丸が、追撃するべく振り返りかけていた一夏の横っ面へと叩き込まれる。

 

 「へぶっ!?クソ、仕留めきれなかったか……!」

 

 二発目が右肩を掠める中、彼は瞬時に後退して間合いを取る。彼女のIS、その非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)が試合開始前と違ってアクティブとなっている為、先程の不可視な衝撃は向こうの武装によるものだと推測する。

 

 「初っ端から瞬間加速(イグニッション・ブースト)で居合切りだなんて……やってくれるじゃない!」

 

 「人の切り札凌いだ相手に言われても嫌味にしか聞こえねぇよ!おわっ!?」

 

 「初見で衝撃砲凌いでるアンタだって色々オカシイわよ!」

 

 三次元跳躍起動(クロス・グリッド・ターン)をはじめとした戦術的機動を駆使して衝撃砲を捌き、時として鈴音に肉薄する一夏。まだ拙い所があるとはいえ、セシリア達に伝授された技術を発揮する姿は、とても素人のものとは思えない。その上で剣の間合いに鈴音を捉えた時の剣筋は冴えており、彼女の身を幾度と掠める。

 

 (―――侮ってた……!こんなに……こんなにも、速くて鋭いなんて……!)

 

 鈴音の心は打ち震えていた。白式が武装は近接ブレード一本のみの高機動型機体で、自身のエネルギーを攻撃に転用する特殊能力ゆえに継戦能力に乏しいという情報は得ていた。先んじて行われていたセシリアとの試合の映像だって何度も見返し、イメージトレーニングやシミュレーションだって怠っていなかった。肉体的にも体力に乏しい彼が、初撃に全力を注いだ超短期決戦以外の戦略は取れないという確信だってあった。

 その上でなお……正面からぶつかって押し切れる自信が、鈴音にはあったのだ。

 

 ―――そして一夏は、正面から鈴音を斬り裂いてみせた。

 

 結果として甲龍は左腕が半壊し、双天牙月が満足に振るえない程に出力が低下している。機体本体の損傷はそれだけだが、一方でシールドエネルギーは半分程喪失している。直撃を避けた一撃でこのザマ……もし初撃をモロに喰らっていたら、一発でゲームエンドは必至だったと、彼女は戦慄しながらも手を止めない。試合の流れは向こう側に大分傾いているが、こちらの勝機が消えたわけでは無い。

 

 「おりゃあぁぁ!」

 

 「シッ……!」

 

 分割状態の双天牙月を、右腕で叩き付けるように振るう。肉厚の刃が雪片弐型の細身の刃と接触した瞬間、一夏は太刀の向きを変えて受け流す。そのまま懐に飛び込むが、先んじてスタンバイしていた龍咆が吠える。

 

 「あっぶな―――ぐぁぁああ!?」

 

 「ハッ、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるってね!!」

 

 避けた筈、そう困惑しながらも数多の衝撃を受けて離れる一夏。今まで回避できた攻撃を受けた事に、彼は衝撃を隠せない。あの時白式のハイパーセンサーは、至近距離を不可視の弾丸が通過した事を確かに教えてくれた。だが現実ではその直後、見えぬ拳が無数に叩き込まれた。しかしその一方で、受けた弾丸の数に対してシールドエネルギーの減少量はさほど多くない。

 

 「ふふん、丁度いいから教えてあげる。衝撃砲ってのは、出力を抑えればマシンガンみたいに弾をバラまける……さっきアンタを滅多打ちにしたみたいにね!」

 

 「マジかよ……思ったほどダメージが少なかったのは、そういう訳か……!」

 

 勝気な笑みを浮かべる鈴音に対し、思わず一夏は歯噛みする。近づかなければ彼女は倒せない。しかし接近すれば、避けられない程に連射される衝撃砲を浴びなくてはならない。

 

 (エネルギーは……あと四割……瞬間加速(イグニッション・ブースト)と零落白夜の消費がデカすぎる……!)

 

 最初こそ有利をとったように見える一夏だが、今ではそれが失われ……逆に追い込まれ始めている。

 

 「甲龍の一番のウリは、燃費と安定性……一方そっちは、そろそろガス欠じゃないの?……機体も、アンタ自身も。大方エネルギーは半分以下、体の方もそろそろ息が上がってくる頃じゃない?」

 

 「やっぱり、バレてるか……」

 

 苦笑する彼の頬を、一筋の汗が伝っていく。一夏の全身には薄っすらと汗が浮かんでおり、鈴音の指摘は殆ど図星だった。天才肌にして感覚派の彼女の直感の鋭さと厄介さは、こうして相対すると如実に感じられる。

 序盤こそ勢いで押し込めたが、実際甲龍に与えられた損害はある程度のエネルギー減少と左腕のみ。彼女の人となり、クセを知っているからこそ不可視の衝撃砲をかいくぐって肉薄できたものの、類稀なるセンスによってあと一手攻め込む前にいなされ間合いを取られる。再び接近しても同様に凌がれ、それらの間に此方も幾何かの被弾は避けられない。

 やがて序盤の勢いが失われ、互いにジリジリとシールドエネルギーを削り合う持久戦に移行していくと……一夏と白式が先に息切れを起こすのは必然であった。

 

 「ハッキリ言ってあげる。最初に切り札を切っておいて、勝負を決められなかった今のアンタに……勝ち目は無いわ!」

 

 切り込む為の最大の一手である瞬間加速(イグニッション・ブースト)の使用は、既に警戒されていて悪手でしかない。しかしそれ無しではどうにか彼女の懐に飛び込んでも、刀を振るう前に衝撃砲で削り切られるのが先。息の上がってきた一夏の体もそう長くはもたず、一方で鈴音はピンピンしている。

 時間が鈴音の味方となる状況に於いて持久戦にもつれ込んだ以上、一夏側はほぼ詰んでいた。だが、それでも彼の瞳から、闘志は失われていなかった。

 

 「かも、な……でも……それでも……オレにだって意地がある……!」

 

 例え地に伏す事になろうとも、最後の一瞬まで諦めずに抗い続ける。せめてあと一太刀は浴びせんと、一夏が雪片弐型を正眼に構え―――

 

 ―――突如、アリーナ全体を揺るがす衝撃が走り、遮断シールドを貫いたナニカが盛大な土埃を上げてステージに降り立った。




 最新刊が出てから早一年と数カ月……そろそろISの最終巻出てこないかな?と思うこの頃です。(原作者がどうやってケリつけるのか想像つかないですけど……)


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十五話

 アイスボーンで天鱗求めて周回、ボックスガチャでもチケット求めて周回……そしてそれらを阻むかのようにクソ忙しくなった仕事……中小企業は辛いです。大企業のシワ寄せが直に来るんですもん……依頼するならせめて資料の納期過ぎたり、歯抜けな資料よこしたりはやめて欲しいです。


 突如としてアリーナに乱入したナニカ。その場にいた一夏と鈴音は、ソレの標的として高火力のエネルギー兵器の砲火に晒された。管制室にいた真耶はすぐさまISの通信機能によって二人に退避させようとするが、当の本人達がそれを拒否し、救助が来るまでの時間稼ぎ役を買って出てしまった。

 

 「―――馬鹿者が、勝手な事を」

 

 一連のやり取りを聞いていた千冬は、握った拳を震わせてそう呟いた。聡明な彼女は一夏側の主張にも理がある事を理解はしている。あのナニカはアリーナの遮断シールドを正面からブチ破ってきた。それはつまり、向こうがその気になれば、客席の遮断シールドを破って生徒達を皆殺しにする事が可能なのだ。

 不幸中の幸いか、その為には向こう側もある程度のエネルギーチャージが必要らしく、彼等へと放たれる砲火は客席の遮断シールドを破壊するには至っていない。その上で一夏達は侵入者より高い位置に陣取って、客席に射線が向かないように立ちまわっていた。

 だが千冬は、誰かを守ろうと自ら危険に飛び込む弟を見て、「やめろ、逃げろ」と思わずにはいられない。

 

 「山田先生、アリーナの状況は?」

 

 「……ダメです。遮断シールドはレベル4、さらに全ての扉がロックされていて、こちらの制御を受け付けません。恐らく、侵入してきたアレが原因です」

 

 「だろうな。内部では三年生を中心にシステムクラックを、外では教員が救出部隊の編成を大至急行っているが、目途が立たん……通信が妨害されていないのが唯一の救いか……クソッ!」

 

 千冬は苛立ちに任せて悪態をつくが、そんな彼女を真耶は咎めない。唯一の肉親の身が危険に晒されているのだ。完全な冷静を保てる筈の状況では無いと、彼女も分かっているのだから。

 千冬達が睨むモニターに映る侵入者は、恐らくIS。だがどういう訳か、搭乗者の肌が一切露出していない全身装甲(フル・スキン)という、現行の機体では採用されていないタイプである上、腕が異様に長く首が無い。胴と一体化した頭部には剥き出しなセンサーレンズが不規則に並んでおり、灰色の装甲も相まって無機質な印象を与える。

 侵入者の正体と目的について二人が思案していると、突如管制室の扉が開いた。ピット周りやこの管制室等、アリーナの一部の扉は非常時に手動でロック解除が可能であり、それを為して飛び込んできたのはセシリアだった。

 

 「織斑先生、わたくしにISの使用許可を!ピットゲートを破壊すれば、今すぐ救援に向かえます!何より代表候補生として―――」

 

 「―――その心意気は買うが、ダメだ。一対多数となる以上、お前では邪魔になる」

 

 己が立場の義務と、矜持。その両方から出撃を申請する彼女を、千冬はバッサリと切り捨てる。

 

 「そ、そんな筈ありませんわ!後衛として援護射撃を―――」

 

 「高機動かつ近接武装しかない織斑への誤射無しで出来るのか?その根拠として、連携訓練はどれだけ行ってきた?その時の結果は?何よりアリーナ中を好き勝手に飛び回る二人を阻害せずにビットを展開できるのか?」

 

 「うぅ……わ、わかりました!充分理解いたしましたわ!待機させていただきます!」

 

 「ならいい」

 

 容赦無い質問の数々に答えられず、セシリアは半ばやけっぱちに引き下がる。その時、開かれたままの扉から、新たに三人の男女が飛び込んできた。

 

 「き、桐ケ谷君!結城さん!更識さん!あなた達までどうして!?」

 

 「ピットからここまで、手動でロック解除できる扉の非常用のドアコック回してきただけです」

 

 「途中から先行していたセシリアちゃんが、もう着いている筈です」

 

 「方法はオルコットさんが来た時から察しています!私が聞いているのは、何故ここに来たのかです!」

 

 声を張り上げる真耶。教師である彼女からすれば、機体が十全ではない簪や代表候補生ではない和人と明日奈がこの事態に介入する事は認めたくない。

 

 「織斑先生、山田先生。私とオルコットさん、そして巧也にISの使用許可をください。事態の解決に必要なんです」

 

 「何を言っているんですか更識さん!オルコットさんの機体はこの状況では邪魔になりますし、貴女は武装が殆ど未完成、野上君に至ってはIS初心者なんですよ!」

 

 「山田先生、落ち着いてください。提案する以上、策はあるのだろうな、更識妹?」

 

 「はい……!」

 

 千冬の眼光に射抜かれてなお、簪は退かなかった。加減されていない世界最強の威圧に四肢の震えを隠しきる事ができないが、それでも彼女は膝を屈しはしない。

 

 「……いいだろう。話してみろ、検討してやる」

 

 「お、織斑先生!?」

 

 「どの道他の手段が無い。ここで見るだけよりずっとマシさ」

 

 千冬の自嘲するような微笑みと、組んだ腕の強さによって浮かび上がるスーツの袖の皺を目の当たりにした真耶は、彼女の葛藤に気づいてしまい何も言えなくなった。アリーナで奮闘する二人を、客席に取り残された大勢の生徒達を救うチャンスがあるのなら、なりふり構ってはいられない。

 

 「では説明を。作戦としては―――」

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「シッ……!」

 

 一閃。今まで数々の強敵を斬り裂いてきた一夏の斬撃は、しかし侵入者には届かない。どれ程間合いを詰めても、次の瞬間には桁違いに高出力のスラスターで強引に離脱されるからだ。しかも躱す時の姿勢や体の捻り方が人間業とは思えない程不規則で、動きが見切れない。

 

 「こんにゃろう!!」

 

 鈴音が衝撃砲による追撃を仕掛けるが、不可視の弾丸の大半がその巨大な腕によって防がれる。多少は被弾している筈だが、ダメージが通った様子が全く無い。

 

 「あーもうっ!やりづらいったらありゃしない!硬い上に瞬発力もあるとか、どんな構成してんのよ!?」

 

 「オレも……こうまで徹底的に逃げられると……堪えるな……」

 

 二人の連携としては、鈴音が相手の注意を引きつけ、一夏が一撃必殺を狙うという単純なものだが、それ故に即席であっても中々の完成度を誇っていた。しかし侵入者は一夏の攻撃だけは絶対に回避し、その後反撃に転じてくる。彼の離脱を鈴音が援護するが、衝撃砲では硬すぎる装甲を抜けず、双天牙月を振るうにも片腕が機能不全を起こしているのが大きな足枷になっている。必然的に二人共被弾が避けられず、挑戦する度にジリジリとシールドエネルギーが削られていく。

 さらに悪い事は重なり、先程からついに一夏の息が上がってしまった。荒い呼吸と共に肩を大きく上下させる彼の姿が、鈴音から冷静さを奪っていく。

 

 (一夏はもう限界……あたしが守らなきゃ……!でも甲龍には白式みたいな爆発力が無い……せめて左腕が動けば……!)

 

 手の届かぬ電子の世界ではなく、こうして手の届く目の前に、守りたい人(一夏)がいるのに。彼を守り通す為の力が無い。その事実がより一層彼女の心を焦らせる。

 

 「鈴」

 

 「な、なによ?」

 

 「オレなら……大丈夫だ……いつもみたいに……笑ってろよ……」

 

 「アンタ……!」

 

 いつ死ぬかもわからぬSAO(デスゲーム)から解放されたのに、また命の危険に晒されたこの状況で、一夏は取り乱すどころか果敢に相手に立ち向かい、なおかつ鈴音の様子にまで気に掛けて微笑んで見せる。

 

 ―――一夏、強くなったね。

 

 鈴音は素直にそう思えた。一旦は胸の内にしまい込んだつもりの想いが疼き、それを覆い隠す様に頬を釣り上げる。彼が望む、’いつもの笑み’を見せつける為に。

 

 「ほんっと、なーにウダウダ考えてたんだか。そんなのあたしの性分じゃないでしょーに」

 

 「ああ……感じたままに動く……その方が、鈴らしい……」

 

 次で決める。そう意志を固めた時、新たな声が二人に届く。

 

 『アイン!凰さん!聞こえる?』

 

 「カンザシ!?」

 

 「一体何の用!?」

 

 簪の呼びかけに二人共驚くが、すぐさま意識を侵入者へと向けなおす。雨あられの如くバラ撒かれるレーザーを回避しながら、一夏達は彼女の声に耳を傾ける。

 

 『いい?今アリーナはアイツにハッキングされていて、誰も逃げられないの。どうしても今アイツを倒さなきゃダメ』

 

 「何だって!?」

 

 「あたし達とドンパチやりながら、そんな事までやってたの!?ムチャクチャじゃないの!」

 

 鈴音の言葉に、一夏も心底同意する。しかしそれを嘆いても現状は変わらない。侵入者を直接打ち倒せるのは自分と鈴音の二人しかいないのだ。だが、それでも―――

 

 「―――考えがあるんだろ、カンザシ」

 

 『……うん』

 

 「そっか……じゃあ教えてくれ。オレは、どうすればいい?」

 

 彼女が何の策も用意していない事は無いと、一夏はそう信じている。故に彼は指示を仰ぐ。一夏が自分以外の少女に全幅の信頼を寄せる姿を見た鈴音は、胸の奥に痛みが走るのを抑えられなかったが、今はその心に蓋をする。

 

 『客席のこの辺り……そのすぐ側まで、アイツを誘導して。そうしたら……当たらなくてもいいから、客席のシールドごと、アイツを斬って』

 

 「な、アンタ正気!?シールド壊したら……まさか……!」

 

 『助っ人の出番……二人だけに、戦わせはしないから……!』

 

 このアリーナには、まだ他に専用機持ちがいる。彼女達が助力するにあたって障害となる遮断シールドは、物理的な障壁とエネルギーシールドの複合された強固な壁だが、白式の雪片弐型―――零落白夜ならば、断ち切れる。

 

 「けど、一歩間違えれば一般生徒にまで被害が出るわよ!?」

 

 『それは、分かってるつもり……でも今のままじゃ、先に二人が……アインが倒れる』

 

 「……そうね。そりゃあたしも勘弁したいわ」

 

 思う所があるにせよ、今はそれを呑み込んで鈴音は簪を信用する事にした。彼女が一夏を想う気持ちは、本物だから。

 

 「よーし、こうなったら腹括るっきゃないわね!一夏、もう少し行ける?」

 

 「……うーん」

 

 「一夏?」

 

 簪の提案に乗る事にした鈴音に対し、一夏はなにやら煮え切らない様子だった。彼女の呼びかけが聞こえている事を示すように左手を挙げるが、彼の目は侵入者を捉えたまま離れない。

 

 「カンザシの作戦で行くのは賛成だし、もう少しなら……まだ大丈夫だ。ただ……」

 

 「ただ……何よ?」

 

 「アイツ……何でオレ達が話してる時に撃ってこないんだ?動きだって、人っていうより機械じみてるっていうか……パターンが決まっているっていうか……」

 

 彼の言葉に鈴音は思わず侵入者を凝視し、簪は息を呑む。ついで鈴音は淀みない操作で簪へと先程までの戦闘データを送りつける。

 

 「急いで解析して!ISは人が乗らなきゃ動かない……でも、確かにアイツは人らしさってのが欠けてる……もし無人機だったなら……!」

 

 『つけ入る隙が……ある……!』

 

 「ああ、人は……狡猾に相手の裏をかくからな……」

 

 そう呟いた一夏の脳裏によぎるのは、彼の浮遊城で恐怖の代名詞として名を刻んだ狂人達のギルド―――嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)。ポータルPK、睡眠PK等、様々な手段でシステムの抜け穴を突いて殺人を重ねてきた最恐最悪の殺人者集団(レッドギルド)だった。勿論攻略組が戦い続けてきたmob達も階層を上るごとにアルゴリズムにイレギュラー性が増し、プレイヤーの意表を突くようになっていったが……狡猾さ、悪辣さは彼等には遠く及ばなかった。

 相手が生きた人間では無い……その疑惑が本当の事であれば、猶更簪の作戦は向こうの意表をつける期待がある。仮にそうならなかったとしても、頭数が増えればそれだけ一夏への負担も減らせる。鈴音が幾分か安堵する一方で、白式の状況を確認した一夏は表情を曇らせていた。

 

 (当たらなくてもいいって、カンザシは言っていたけど……普通の瞬間加速(イグニッション・ブースト)の速度じゃ、絶対に躱される……何か、いつも以上の速度を出せる手段があれば……)

 

 侵入者相手に瞬間加速(イグニッション・ブースト)は使っていないが、ヤツがもし鈴音との試合を見ていたのなら……見切られている。もう一工夫しなければヤツの反応速度を超える事はできないだろう。しかし大がかりな用意などすれば、間違いなく向こうは警戒し、対応してくるのは目に見えている。

 

 (っ……待てよ、スピードを上げるなら……背中から押してもらえばいい(・・・・・・・・・・・・・)じゃないか……!)

 

 突如一夏が閃いた方法はあまりにも単純かつ無謀で、聞けば誰もが閉口しそうな代物だった。しかし彼は自らの保身よりも、仲間や友人を助ける事を優先するお人好しであり、それゆえに迷う事は無かった。

 

 「鈴、ちょっといいか?」

 

 「今度は何?」

 

 「アイツを誘導したらすぐ、オレの後ろから衝撃砲を……最大出力で撃ってくれ」

 

 「はぁ!?そんなことしたらアンタが……アンタが……ぶっ飛んで……ってソレで加速する気!?バッカじゃないの!!」

 

 「死にはしないさ。シールドエネルギーだって、零落白夜の分は残る……勘だけどさ、こういう時のはよく当たるんだぜ、オレ」

 

 悪戯を思いついたような子供っぽい笑みを浮かべる一夏。鈴音は知らないが、それは彼が兄貴分と慕う和人のものとよく似ていた。

 

 「はぁ……あっきれた。でもま、初見なら通じるかもしれないわね。何たってあたし、今まで誤射(フレンドリーファイア)してないんだし」

 

 「それは感謝してるって」

 

 自慢するように笑みを浮かべ返す鈴音に、一夏は頷く。共闘してから一夏に一度も衝撃砲を当てずに援護してみせた彼女の腕前は紛れもない本物なのだから。

 

 「んじゃ……さっきと同じ方法で攻めて、誘導するか。上手くいけば一回でできそうな距離だし」

 

 「そうね。データリンクさせて射線は教えるから、合図したらそこに飛び込みなさい」

 

 「OK、頼むぜ鈴」

 

 信頼の籠った一夏の視線を受け、鈴音は嬉しそうに頷いてみせる。今この瞬間だけは、自分が一夏の背中を預かっているのだから。

 

 「さぁて……気張っていくわよ、甲龍(シェンロン)!」

 

 鈴音が愛機に呼びかけると、呼応するように甲龍の衝撃砲―――その中心部が一際強く発光した。



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十六話

 リライズ、バビロニア、SAO……今月から週の楽しみが一気に増えました。


 『―――巧也、オルコットさんは配置についたよ』

 

 「承知しました。こちらはロック解除まであと十秒です」

 

 和人達と異なり一人ピットに残っていた巧也。彼は何もせず待機していた訳では無く、楯無の代理として非常事態における暗部の指揮権を一時的に預かっている簪の指示に従って、黙々と準備を進めていた。

 自身の専用機たる陽炎をステルスモードで展開し、ピットゲートへ向けて伏射姿勢をとる彼の手には、セシリアのスターライトmkⅢを遥かに超える―――ISであっても抱えたままではまともに動けない程の―――長大なライフルが握られていた。

 

 「―――ロック解除、AIと打鉄弐式のリンクをお願いいたします」

 

 『データリンク確認……パスワード入力、トリガーセーフティ解除……巧也、私の権限で許可できるのは、この一発だけだから……絶対に当てて』

 

 「それは、御命令(・・・)ですか?」

 

 『っ…!』

 

 巧也の言葉に、簪は息を呑む。自分が電子の世界に囚われている間に変わってしまった、彼の一面を突き付けられた彼女の胸が痛む。

 

 『……うん、更識楯無の代理として命じます(・・・・)

 

 けれど今は感傷に浸る時ではないと、己を奮い立たせて……簪は幼馴染(巧也)命令(・・)を下す。

 

 『―――絶対に、当てなさい』

 

 「承知」

 

 簪に……当主代理に命じられ、巧也の意識が切り替わる。本来射撃武装を扱う場合に使用するセンサー・リンクは一切使っておらず、彼の視界にはただただ、ピットゲートとアリーナを隔てるシャッターが映る。そこに打鉄弐式から送られてくる座標データのみを元に一夏、鈴音、侵入者の位置を想定し、照準を合わせる。

 

 「……」

 

 今の巧也が侵入者に対して唯一持っているアドバンテージは、存在を知られていない事。ISのセンサーは確かに優れた精度を誇るが、火器管制システム(FCS)が放つ照準用のレーザーや電波の(たぐい)が相手に感知されるリスクが高い。故に彼は自らを精密機器と化して、完全に自分の手(マニュアル)で狙いをつける。

 

 (誘導……成功)

 

 後は一夏が零落白夜で侵入者へ肉薄し、遮断シールドを破壊。次にセシリアが参戦し、オールレンジ攻撃によって足止め。最後に簪の合図で巧也が引き金を引き、対象のISモドキを討つ―――搭乗者ごと。

 構えた銃は全長四メートルに届くかという長大さを誇る。専用の特殊合金製の弾丸とあわせて運用されるそれは、言うなればISサイズの対物狙撃銃(アンチマテリアル・スナイパーライフル)。あらゆる遮蔽物及び対象ISのシールドバリア、アーマー類を破砕・貫通し、着弾時の衝撃によって絶対防御の致命領域対応を意図的に発動させ、搭乗者を昏睡させる為のモノ。当然競技用のレギュレーションを逸脱した違法武装であり、巧也が学園側に表向きに提出してある陽炎の武装データの中にこの銃は含まれていない(・・・・・・・)

 当然使用制限があり、ISのハイパーセンサーの処理速度でもってしても解除まで数分間かかる超高難度の暗号を解読しなければ弾丸の装填ができず、楯無か彼女の代理人のISと銃のAIをリンクさせて一射毎にパスワードを入力してもらわなければトリガーセーフティが解除されない。

 

 『―――行くぞ、鈴!』

 

 『任せなさい!』

 

 (白式……接近準備)

 

 簪の打鉄弐式を介して聞こえる通信から、巧也は一夏達の状況を把握する。必殺の一撃を放つその時が間近に迫るのを感じながらも、暗部―――更識家に仕える部下(手駒)として、彼は静かに引き金に指をかけた。直後―――想定外の事態が起きた。

 

 『一夏ああぁぁぁ!!』

 

 『な、箒!?』

 

 スピーカーから響く箒の声。白式も甲龍も侵入者も、僅かな時間とはいえ立ち止まっていた。

 

 『男なら、そのくらいの敵に勝てなくてなんとする!!』

 

 『あのバカッ!鈴、撃て!今すぐ!!』

 

 『言われなくても!!』

 

 焦燥に駆られた声。当初の予定からは大きくズレた状況。それらを認知したうえで、巧也は眉一つ動かさなかった。

 

 (状況の変化を確認。指示内容の変更の有無を―――)

 

 『撃って!!』

 

 思考とは別に照準を外さなかった体は、簪の命に従い即座に引き金を引く。爆発と錯覚する程に大きな衝撃が体を襲い、迸った巨大な炎が視界を灼く。ISの搭乗者保護機能が無ければ耐えられない、大きすぎる反動をどうにか抑え込んだ彼は、すぐさま銃を格納する。第三者にこの銃の姿を直接見られる訳にはいかないからだ。

 次いで左手に表向きに登録してある通常の大口径スナイパーライフルを展開し、ハイパーセンサーによってアリーナ内部の様子を目視する。視界を遮っていたゲートのシャッターは、先程の一射で跡形もなく破壊されていた。

 

 (対象の状況は……)

 

 『オルコットさん!』

 

 「お任せを!」

 

 右腕を断ち切られ、左脚が逆に曲がった侵入者は、左腕を軸に右脚で一夏を蹴り飛ばそうとする寸前で、ブルー・ティアーズのレーザー射撃を一斉に浴びていた。流石は代表候補生というべきか、セシリアは侵入者のISモドキの関節部等といった防御の薄い箇所をピンポイントで撃ち抜いていた。

 

 「……」

 

 大きな音をたてながら、侵入者は地面へと仰向けに崩れ落ちる。しかしまだ沈黙には至らない。

 

 「左腕の熱量増加を確認」

 

 『止めて!』

 

 再び命に従い、一切の躊躇い無く引き金を引く。放たれた弾丸は、対象の露出した左肩関節を狙い過たず撃ち抜き、左腕が自重を支えきれず地に伏した。一拍遅れて胸部装甲内部で小爆発が起こり、侵入者のISモドキは完全に沈黙した。

 

 「……終わった……のか?」

 

 未だ緊張の糸が切れていない鈴音とセシリアは、一夏が零した言葉に即座に答える事ができなかった。

 

 『うん、その機体は完全に停止したよ。……みんな、お疲れ様』

 

 司令塔として全体を見ていた簪だけが反応し、全員を労う。それによって鈴達も警戒を解き、各々武器を収納する。

 

 「そう、か……良か……た……」

 

 「一夏っ!」

 

 体力が限界だった一夏はその場に崩れ落ち、最も近くにいた鈴音がすっ飛んで支えに入る。

 

 『本当にお疲れ様、アイン』

 

 その一言を聞き、完全に気が緩んだ一夏は意識を手放すのだった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 微睡んでいた意識が、ゆっくりと浮上していく。

 

 「ん……?」

 

 二度、三度と瞬きを繰り返して目の焦点を合わせた一夏の視界に映ったのは、夕陽に照らされた見慣れぬ天井だった。仄かに感じられる医薬品の匂いから、恐らくは保健室だろうか。

 

 (確か……アイツを倒して……それから―――あ、何か痛ぇ……)

 

 記憶を辿り、自分が何故ここで眠っていたのかを考えようとした一夏は、そこで初めて全身が鈍く痛む事を知覚した。決して耐えられない程ではないが、逆に全くの無問題という訳でもないという、微妙な痛みだった。

 

 (オレが倒れた後、結局どうなったんだ……?)

 

 あの無人機と思しき侵入者は倒した。それは間違いなく覚えている。だがそれ以外……アリーナに閉じ込められていた一般生徒達や一緒に戦った鈴音達がどうなったのかが全く分からない。

 

 「い……一夏……?」

 

 彼にとって聞き馴染んだ声が、耳朶を打った。そちら側へと顔を向けると、声の主である少女―――鈴音が瞳を潤ませていた。

 

 「鈴?お前、泣いて……?」

 

 「な、泣いてないわよバカ!」

 

 慌てて彼女は目元を拭うが、その行為が何よりも彼の疑問を肯定していた。それでも素直に認めない頑固さは、離れ離れになる以前から変わっていないようだ。

 一方で一夏は鈴音の涙に大きな心当たりがあった。

 

 「悪い……思い出させちまったよな。SAOの事」

 

 「っ……!」

 

 彼女の肩が一瞬跳ねる。病室を彷彿とさせる保健室と、眠り続ける自分。この二つが揃って気づかない程、彼も愚鈍ではない。SAO事件被害者の親族や友人達は皆、自分の大切な人が何時命を落としてしまうのか、もう二度と目覚めないのではないかという恐怖に二年間晒され続けたのだ。当時の事がトラウマになっていてもおかしくはない。

 

 「どうして……」

 

 「鈴?」

 

 俯き、声を震わせる鈴音。彼女にかける言葉を探す一夏だったが、未だに異性の心の機微に聡いとは言えない彼では、そんなものは見つからない。

 

 「どうしてアンタは……アンタのままで、いられるのよ……!」

 

 顔を上げた鈴音は、双眸から溢れ出す涙を隠そうとはしなかった。再会してから今日まで、ずっと胸の内にしまい込んでいた思いの丈に突き動かされるまま、彼女は言葉を零す。

 

 「二年間ずっと、命懸けだったんでしょ……今日また死ぬかもしれない危険な目に遭ったのに、何でアンタはそうやって……優しくできるのよ……!」

 

 SAO生還者(サバイバー)の多くはあの二年間を忌むべき記憶として封じ、人格にも大なり小なり影響が出ていると、以前どこかの報道であった事を一夏は思い出す。自分や和人達のように、今の己を形作る大切な二年間だったと肯定できる者は極少数であり、鈴音にとって今の一夏は異常に見えるのかもしれない。

 

 「確かに死ぬのは、怖いさ。もう懲り懲りだ」

 

 「だったら―――」

 

 「―――でもそれ以上に、目の前の大切な人を失う事が……怖くてたまらないんだ……」

 

 昨日笑いあった友人と翌日に連絡がつかず、その名に横線が引かれていた。ボス戦の最中、相手のイレギュラーな行動に対応しきれず仲間が命を散らす。

 彼の城ではそんな事は日常茶飯事に近く、自分の仲間達がいつか同じ道を辿ってしまうのでは……一夏にとっては自らの命を賭した戦いよりも、守りたいと願った人達を喪失する事の方が恐ろしかったのだ。

 

 「誰かを守る事に憧れて、意地張って空回って、逆に守られたり……それだけじゃない。守りたかった筈の人を危険に晒した事も、傷つけてしまった事も、あるんだよ……」

 

 無意識の内にシーツを握っていた一夏の両手が、小さく震える。時が経っても、当時の後悔や無力だった自分への怒りは彼の中に焼き付いたまま、消えていないのだ。

 

 「でも、だからオレは……戦えるんだと思う。守りたい人達がいるから……一緒に生きていたいから……守れなかったって、後悔したくないんだ」

 

 真っ直ぐ鈴音の瞳を見つめて、一夏はそう告げた。強固な決意を宿した眼差しを受けた彼女は、やがて小さなため息をついた。

 

 「そっか……アンタはあの二年を、受け入れているのね」

 

 「そうだな……辛い事とか苦しい事とか……悲しい事の方が多かったけど、嬉しかった事や、幸せだって思えた事もあったんだ。何より……あそこで繋いだ絆は本物だから……全部忘れて、無かった事にしたくないんだ」

 

 「はぁ……ちゃんと話せばすぐ解る事で悩んでたのね、あたし……」

 

 SAOでの二年間を受け入れ、自らの一部である大切な記憶なのだと認めるか否か。言葉にすれば簡単な、しかし本人に聞くには大いに憚られること。それが分かった今、鈴音の心は静まっていく。

 

 「だからなのね……まだ弾とVRゲームやってるのは」

 

 「おう……って、あれ?オレお前に言ったっけ?」

 

 「蘭から聞いたのよ……メールのやり取り続けてるから」

 

 最初に蘭から聞いた時はとっちめてやる気満々だったが、再会した時に再燃した恋心や、既に恋人がいる事への衝撃やらを整理するので手一杯で後回しにしていた事。彼の肯定を、穏やかな状態で受け入れる事など夢にも思っていなかったが……今の鈴音は、すんなりと認めてしまった。

 

 「なぁ、怒ってないのか?」

 

 「んーん、そんな気失せちゃったわ。でもそうねぇ……申し訳ないって思ってるなら、そのゲームあたしにも教えなさいよ」

 

 「鈴……ああ、もちろんだ」

 

 悪戯っぽく笑う鈴音の言葉に、二つ返事で頷く一夏。同じ楽しみを共有できる仲間が増えるのは、とても喜ばしい事なのだから。

 

 「そういえば鈴、月末って空いてるか?」

 

 「予定はないけど……藪から棒に何よ?」

 

 「SAOのオフ会やるんだよ。参加する人達の多くがALO……今オレがやってるVRゲームやってるし、弾や蘭も来るぞ」

 

 思っても見ないタイミングで、これから出会う者達と友好を深める機会がある事に驚きつつも、彼女は迷わず彼の誘いに乗る事にした。

 

 「へぇ……面白そうじゃない。大方殆ど女の子でしょうけど」

 

 「そんな事は…………ないぞ」

 

 「ちょっと、今の間は何よ!?」

 

 「いや、モテんのはキリトさんだから!オレじゃないって!」

 

 「白々しい嘘つくんじゃないわよ一級フラグ建築士!」

 

 「ひでー!」

 

 気づけば、どちらともなく笑い出していた。そう、SAOに囚われる以前のように、何も難しい事を考えずに馬鹿笑いした時と同じように。

 

 「いてて……笑ったら、痛みが……」

 

 「衝撃砲で加速しようなんてアホな事やったツケよ。全身に軽い打撲だって話だし、暫くはちょっとした地獄じゃないの?まぁ、数日は謹慎だから、反省文書きながら静養してなさい」

 

 「え、謹慎?反省文?」

 

 鈴音から告げられた予想外のワードに、一夏の表情が引きつる。

 

 「非常事態とはいえ、アリーナの設備ぶっ壊したのよ?形式上のものでも処分を下さなきゃ、お偉方に示しがつかないのよ。あたしだって退避の命令無視したから反省文書かなきゃだし、シャッター壊した野上と放送室で叫んだ箒はアンタと同じ処分だってさ。千冬さん達教師陣は事後処理してるし、何故か簪もそっちの手伝いしてて来れそうにないみたい」

 

 彼女の説明に納得した一夏は、小さく息を吐いた。簪が来れないのは大方暗部としての事が絡んでいるのだろう。一方でもう一人の幼馴染が同じ処分を受けている事が、彼にとっては少し気がかりだった。

 

 「箒……大丈夫なのか?千冬姉にこってり絞られてなかったか?」

 

 「マジの拳骨貰ってたわ。流石にソレが効いたみたいで、大人しく処分を受け入れてるっぽい」

 

 「そうか……」

 

 箒のあの行動。確かにあれは誤ったもので、自分だけでなく放送室にいた他の者達を巻き込む危険な行動に他ならない。だがそれでも……一夏は彼女を責めるどころか心配していた。

 

 ―――あの叫びに込められた、自分へのエールは本物だったから。

 

 気持ちだけが焦り、空回りして周りを危険にさせた事は一夏とてSAOで何度もあった。その度に仲間達に助けられ、怒られはしたが……彼等は一夏の想いを否定する事は絶対に無かった。そんな彼には、箒の想いを否定する事はできない。

 そんな彼の心情を察してか、鈴音の表情がいささか険しくなる。

 

 「アンタの事だから、箒を心配してるんでしょうけど……ちょっと甘すぎじゃないの?時には怒る事も必要よ」

 

 「そうかもしれない……けど、怒るのは千冬姉がもうやったんだろ?やった事は間違いだったとしても、その時の気持ちは間違いなんかじゃないって、そう言ってくれる人がいないのは……すごく辛いだろ」

 

 「それもSAO(むこう)での経験則?」

 

 「ああ。すっげぇ立派でカッコイイ、いつかそうなりたいって思える大人達に教えてもらった事だよ……」

 

 彼の脳裏に浮かぶのは、風林火山のメンバー達。聖人君子では無い為、誰かを妬んだり、理不尽に対して怒ったりする事はあったけれど……誰もが仲間を見捨てず、共に前を向いて戦い続けた彼等は、一夏にとって和人とは別の意味で尊敬する存在なのだ。

 

 「そ。アンタがそう言うなら、止めはしないわ。その代り、今後同じような事があったら、あたしは遠慮しないわよ」

 

 表情から険しさをなくした鈴音はそう釘を刺すと、そろそろ暇を告げるべく立ち上がる。

 

 「あたしは先に帰るわね。アンタはそこの痛み止め飲んで、もうしばらく休んでから帰りなさい」

 

 「痛み止めって……あるなら先に言ってくれよ」

 

 「ごめん、次から気をつけるわ」

 

 大して悪びれていない様子で告げる鈴音に、一夏は思った。

 

 ―――こいつ絶対反省してないな。

 

 彼からの視線による抗議を受けながら、鈴音は改めて己が想いを自覚する。

 

 ―――あたしは、一夏が好き。

 

 既に彼の隣には別の女の子がいて、一度はフラれた訳ではあるけれど。この恋心を諦めるのは、まだ暫く先の事になりそうだから。

 

 「一夏」

 

 「何だよ?」

 

 「いつか……あたしを選ばなかった事、後悔させてやるから」

 

 虚栄ではなく、本心から……いつも通りの勝気な笑みを浮かべた鈴音は、そう宣言すると保健室を後にするのだった。

 

 「……あの笑顔は、反則だろ……」

 

 夕日に照らされた彼女は今までで一番眩しくて、綺麗で……直視した一夏は暫くの間、顔から熱が引かなかった。




 一夏と鈴、一旦はこれで和解……のつもりです。


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十七話

 な、何とか年越し前にできました……


 一夏達の謹慎が解除され、復帰したその日の夜。

 

 「―――お引越しです」

 

 上記の言葉と共に、真耶が一夏と箒の部屋へ訪ねてきた。

 

 「山田先生、主語が抜けています。私と一夏、どちらが移動するのですか?」

 

 「あ!すみません。篠ノ之さんがお引越しになります」

 

 箒の指摘に若干赤面しながらも、真耶は改めて説明した。曰く、漸く部屋割りの調整ができたので、男女共同になっていた一夏達の問題が解決できるようになったという。

 

 「善は急げと言いますし、早速お願いしますね篠ノ之さん」

 

 「……わかり、ました」

 

 朗らかに告げる真耶とは対照的に、不承不承といった風に見える返事で、箒は荷物を纏めはじめる。元々一カ月程度で部屋割りの調整がつくとは聞いていたし、この時期に引越しを告げられる事そのものは彼女とて理屈の上では理解している。しかし、片想いとはいえ六年振りに再会した想い人と共に過ごす日々は心地良く、離れたくないと感じてしまうのだ。

 特に数日前、箒は想いを先走らせてしまったが故に自身や一夏達を危険に晒しかけたばかり。あの一件の事を唯一否定しなかった一夏の存在は、彼女の中でより大きな支えになっていた。

 

 (……いや、それこそ甘えだ……!)

 

 箒は手を動かしながらも、静かに奥歯を噛み締める。変わらぬ彼の優しさにもたれ掛かってしまえば、この胸中の恋心はただの依存心にすり替わってしまう。何より自分は彼の隣に立ちたいのだ。ただ守られ、優しくされるだけの今のままでは嫌なのだ。

 

 (そうでなければ……どの面下げてあの娘に……!)

 

 自分も一夏が好きなのだと、挑む事ができようか。一夏にこの想いを告げられようか。

 

 「―――箒」

 

 「なん―――!?」

 

 不意に一夏に肩を叩かれ、振り向こうとした時。彼女の頬に、彼の指先が押し当てられていた。子供染みた些細な悪戯だと気づいた時にはもう彼の指は引っ込んでいて、代わりに穏やかな笑みを浮かべる一夏の姿が目に映る。

 

 「そんな思い詰めた顔すんなって。明日も明後日も……それこそ毎日会えるだろ?六年前とは違うんだからさ」

 

 「ぁ……そう、か……そう……だな」

 

 「おう。だからいつも以上に眉間に皺寄せる必要ないぞ」

 

 「よ、余計なお世話だ!」

 

 ついカッとなって箒が声を上げても、一夏はどこ吹く風といった様子で笑みを崩さない。

 

 (あぁ……どうしてお前はいつも……大事な時だけ、心から励ましてくれるんだ……)

 

 普段はこちらの……いや、あらゆる異性の好意に気づかないクセに、と零れそうになった言葉を寸前で飲み込んだ箒の中から、陰った気持ちはいつの間にか消えていた。

 元々私物は少なかったため、荷物を纏めるのにそう時間はかからなかった。

 

 「では、な」

 

 「おう箒、また明日」

 

 「っ!……ああ。また明日な、一夏!」

 

 何気ない挨拶の温かさに口元を綻ばせ、箒は部屋を後にする。一方で、送り出した一夏は―――

 

 (……箒が笑ったのって、何時ぶりだったっけ?)

 

 去り際に彼女が浮かべた微笑みを思い返して、頭を抱えていた。

 

 (なんか……可愛かったな……って何考えてんだよオレ!鈴の時といい今回といい、これじゃ浮気者みたいじゃないか!しっかりしろ織斑一夏!お前はカンザシ一筋だろうがああぁぁ!!)

 

 普段の彼からはおよそ想像しえない慌てぶりで頭を振る様子は完全な挙動不審者だが、しばらくして煩悩を振り払うと乱れた呼吸を整えるのに専念した。

 

 「……寝よう。うん、そうしよう」

 

 とにかく寝て、先程の乱れた心は無かった事にしよう。そう考えて一夏はのっそりとベッドへと潜り込んだ。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「―――一夏ぁー、今夜から始めるから、もう一回説明しなさいよ」

 

 翌日の昼休み。食堂で一夏達男子三人と、明日奈やセシリア、簪が昼食をとっていると、トレイにラーメンを乗せた鈴音がその言葉と共に彼等の席へとやってきた。

 

 「ん?ああ、今日ALOデビューなのか!」

 

 「そーよ。アカウント作るとかは他のと大して変わんないって話だから問題無いけど、ゲームの中に入った後の事はサッパリ。フルダイブっていうからには、プレイしながら現実の方でアンタに連絡とれないでしょ?」

 

 彼女の言葉に一夏は頷き、どこから説明したものかと考える。すると助け船を出すように明日奈がやんわりと口を開いた。

 

 「鈴ちゃん、まずは貴女がALOで使うつもりの名前と種族を教えてくれないかな?種族毎にスタート地点が違うから、アイン君が何処に迎えに行けばいいのか分からなくなっちゃうわ」

 

 「あ、それもそうでしたね……」

 

 本当はALO内で会ってから披露したかった為、明日奈の言葉に納得しながらも鈴音は少々迷った。

 

 「―――あの、わたくしもよろしいでしょうか?」

 

 「セシリア?」

 

 彼女が声を上げると、皆一旦そちらへと注目する。それを少々気恥ずかしく感じたのかセシリアは若干頬を紅くするが、言葉を詰まらせる事は無かった。

 

 「皆さんのお話を聞いている内に、わたくしもVRゲームに興味が湧きましたの。本日丁度必要なものが揃いましたので、鈴さんと一緒に教えていただけないでしょうか?」

 

 「おう、いいぜ……って、迎えどうしよ。二人が同じ種族を選ぶとは限らないし……」

 

 「なら、近場の人や種族が同じ人がいけばいいと思う。皆昨日セーブした街は別々だし、前ほどじゃなくても種族違いのプレイヤーを攻撃する人は仕様上絶対にいるから」

 

 簪の提案に、一夏達はそういえばと昨日の活動を思い出す。

 

 「確か昨日、勉強会終わった後は……オレとカンザシはギルドの皆と一緒にクエスト行って、サラマンダー領とシルフ領の間にある中立の村で落ちたし……」

 

 「俺はアスナのスキル上げに、ウンディーネ領で狩りしてたな。スイルベーンには巧也とスグがいたよな?」

 

 「ええ。付け加えるなら、リズベットさんやシリカ、エギルさんもそれぞれの首都にいますよ」

 

 「だったら大丈夫そうね。新しい仲間が来るって言えば、リズ達も喜んで手伝ってくれるよ」

 

 明日奈の言葉に頷いた一同は、新たに加わろうとしている二人を迎えるべく目を向ける。すると鈴音は普段どおりの勝気な笑みを浮かべていた。

 

 「丁度いいじゃない。あたしサラマンダー選ぶつもりだし、一夏迎えに来なさいよ」

 

 「いいけど、初めての仮想世界にはしゃぎすぎるなよ?一人で勝手に動かれたら、見つけられないからな」

 

 「しないわよ!そこまで子供じゃないっての!」

 

 「はいはい」

 

 初めてフルダイブした時、入り込んだ仮想世界の完成度に感動した一夏としては、きっと鈴音も大人しくできそうにないなと感じていた。とはいえ彼女がダイブするより前に到着していればいいか、と難しくは考えていなかったが。

 一方でセシリアも安心した様子で微笑んでおり、VRの世界への期待に胸を膨らませていた。

 

 「わたくしはウンディーネを選ぼうと思いますの。明日奈さん、和人さん、よろしくお願いいたしますわ」

 

 「うんうん、任せてね!」

 

 「後は名前だな。外見はランダムだから、顔どころか体格まで全然違う姿になる事は珍しくないんだ」

 

 和人の言葉を聞いて、セシリアはふと今とは異なる姿になるであろうALOでの分身(アバター)を想像してみる。今よりも背の高い、大人びた姿になるのだろうか?それとも鈴音よりも小柄で子供っぽい姿になってしまうのだろうか?

 

 「あ、姿って言ったら、この中じゃ巧也以外はリアルとそっくりだから、案外鈴達の方が先に見つけるかもな」

 

 「まぁ、珍しい事もあるのですね」

 

 「アンタそれって……まぁいいわ」

 

 一夏の言葉の意味を何となく察した鈴音であるが、楽しそうにしているセシリアに水を差すつもりは無かったので今の所は黙っておく事にした。だが、その上で確認しておかなければと彼女は一夏に小声で尋ねる。

 

 「まさかとは思うけど……セシリアや箒までオフ会に誘うつもり?バレるわよ絶対」

 

 「まぁ、ALO気に入ってくれそうだし……セシリアだって言いふらしたりしないだろ。箒は……ALOを断られたし、誘ってないんだ。アイツだって知らない人達ばっかりの所に連れて行ったって楽しめないだろうし……いつ打ち明けようかなぁ……」

 

 思い出すのは、断られた時の言葉。あれは謹慎中、ようやく彼女が普段通りの態度に戻った頃だったか。

 

 『すまないな。お前が遊戯に疎い私に薦めるくらい、良い物なんだとは思うし、それは嬉しいが……それ以上にお前は何か、伝えたい事があるんじゃないのか?だとすれば、今の私では……それを聞く資格は、無いと思うのだ……』

 

 自分が本当はSAO生還者(サバイバー)である事と、SAOを経験してなお仮想世界に憎しみ以外の感情……愛情を抱いている事。彼女自身にも仮想世界を体験してもらった上でそれらを伝えようとしていた一夏としては、何とも歯がゆい結果だった。SAO事件を知っている箒が仮想世界に嫌悪感を示さなかった事や、それを理由に断った訳ではなかったのは良かった。しかし彼女が先日の彼女自身をまだ許せず責めている事が、一夏にとっては心苦しかった。

 誰だって失敗はする。過去の失敗を忘れず悔やみ続けるのは仕方のない事ではあるが、その失敗から学び、より良い未来の為に前を向いてほしい。ただ後悔して、自分を責め続けて歩みを止めてしまったら、未来で守れる筈の人達を守れなくなってしまうから。

 

 「一応人は選んでるワケね……ならあたしからはもう言わないわ」

 

 「サンキュー」

 

 己の考えに理解を示してくれた鈴音に、感謝する一夏。彼女自身SAO事件からVRへの心象は決して良い物ではない筈だが、こうして受け入れてくれる事が彼にとってとてもありがたかった。

 

 「代表候補生のお二方には余計な事かもしれませんが、絶対に課題は先に済ませてください。明日醜態を晒したくはないでしょう?」

 

 「わ、分かってるわよ!」

 

 「ううん……諸々の用事を考慮しますと……わたくしは九時頃になりそうですわね」

 

 「そうねぇ……あたしもそんくらいになりそう……」

 

 巧也の忠告に一瞬顔を顰める鈴音とセシリアだったが、万が一課題をすっぽかそうものなら明日千冬にどんな扱きを受けるか想像するだけで恐ろしい為、本日の予定を確認する。

 

 「成程。でしたら僕等は、それより早く課題等を完了させなければなりませんね。和人、一夏、これは中々ハードなスケジュールになりますよ?」

 

 「分かったよ。さっさとメシ食って、残った休み時間を課題消化に充てるさ」

 

 「お、オレもそうしよ……終わるかな……」

 

 「……アイン、ファイト」

 

 上級生達の助力を受けていても、打鉄弐式本体を動かす為のOS開発に難航している簪は、現実側の一夏を手伝う余裕が無い。時間調整すれば鈴音の出迎えには同行できそうだが、彼が課題を終えられるかどうかについては彼自身にかかっていた。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 サラマンダー領の砂漠地帯。その上空を首都ガタン目指して飛翔する九つの影があった。

 

 「な、何とか間に合いそうだ……」

 

 「おめぇも大変だな。ま、アインの女難は今に始まった事じゃねぇけど」

 

 「好きでこうなった訳じゃないですよ!っていうかソレはキリトさんでしょうが!」

 

 「あっははは!クラインさん、コイツ未だに自分も同類なんだって自覚ねぇっすよ!」

 

 アインを揶揄うサラマンダーとレプラコーンは、速度を落とさずに腹を抱えて笑うという中々器用な真似をする。片や赤と黄色のバンダナで髪を逆立たせた野武士面のサラマンダーの青年、クライン。本名を壷井遼太郎(つぼいりょうたろう)。片や青年と同色のバンダナを巻いた長髪のレプラコーンの少年、ブイ。本名を五反田弾(ごたんだだん)。クラインはアイン達が所属するギルド、風林火山のリーダーであり、ブイはギルドメンバーであると同時にアインの中学時代からの友人―――親友である。SAOにて苦楽を共にした二人が悪戯程度のつもりで揶揄っている事が分かっていたアインが気分を害する事は無かったが、それとは別にゲラゲラと笑う彼等にちょっかいを出したくなるのは年頃の少年としては致し方ないだろう。

 

 「―――隙あり!」

 

 「うお!?」

 

 「おわああ!?」

 

 笑い続ける二人に急加速して肉薄し、勢いのままに彼等の肩を小突く。随意飛行ができるようになったばかりで緊急時の安定性に欠けていた二人は、アインの目論見どおり制御を失って錐揉み回転しながら仲良く落下していく。

 

 「あちゃぁ……リーダー達、大丈夫か?」

 

 「大丈夫ですよ。二人共暫くすれば戻ってきますって……多分」

 

 「ははは、ひょっとして地面とあっつーいキスするハメになってるんじゃね?」

 

 「それはそれでウケる!」

 

 先程まで静かに成り行きを見守っていた風林火山のメンバー達が、朗らかに笑いあう。何だかんだあっても最終的には和気藹々とした空気に戻るこのギルドが、アインは好きだった。

 

 「アイン、二人共戻ってきた」

 

 「ありゃ?意外と速いな」

 

 必死に上昇してくる二人の姿を認めて、予想外の速さに驚くアイン。その後は戻ってきた二人が首都につくまでしつこく掴みかかってきてはその手から逃げるという、空中で鬼ごっこに近いじゃれ合いを続けるのだった。




 未だにIS側の原作二巻にたどり着いていない現状……我ながら展開が遅いや……

 それはともかく、皆さまよいお年をお迎えください!


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十八話

 連休があっという間に過ぎていきます……


 じゃれ合いながらも首都ガタンに到着した一行。

 

 「おーしお前ら。分かっちゃいると思うが、ここはサラマンダー領の首都だ。アインら三人は絶対に離れんじゃねぇぞ?」

 

 「了解っすリーダー!」

 

 クラインの念押しにブイが威勢よく返事をし、アインとカンザシも分かっているという様子で頷いた。この街はサラマンダーの首都である為、サラマンダーはシステム上攻撃を受ける事は無く、一方的に他種族を攻撃できてしまうのだ。アインら三人はサラマンダーでないので、はぐれてしまえば面倒事に巻き込まれるだろう事は火を見るよりも明らかだった。

 

 「そんじゃ、新しい仲間を迎えに行くか!」

 

 「おー!」

 

 リーダーの掛け声にノリ良く応じ、風林火山の面々はビギナーのスタート地点へと歩きだす。すれ違うサラマンダー達のほとんどは、他種族であるアイン、カンザシ、ブイを見て驚き、次いでクライン達を見て納得するといった反応をする。

 特に問題が起こる事はなく、鈴との約束の時間の直前に目的地に到着。彼女がどんな姿のアバターでやってくるのかをメンバー全員で予想しあう事しばし―――

 

 「―――なぁんでよおおおぉぉぉ!?」

 

 ―――女性のものと思しき絶叫が響きわたった。気になったアイン達がそちらに視線を向けると、新参プレイヤーと思しき小柄な人物が姿見の前で頭を抱えていた。

 

 「……なぁアイン、まさかとは思うが」

 

 「鈴、かもな……時間的に」

 

 ブイにそう答えながらも、’もしかしたら別の人かもしれない’という一抹の不安を隠せないアイン。如何に探している相手のリアルが分かっていても、ここは仮想世界(ゲーム)。姿形が全く違う事もザラである。故に今回はアイン達がサラマンダーの新規プレイヤーに手あたり次第に声を掛けるのではなく、鈴音の方から見つけてもらうのを待つ予定にしたのだ。

 

 「……」

 

 「何か、呟いているみたいだけど……ショック、大きかったみたい」

 

 「アインよぅ。このままじゃ埒が明かねぇし、あの嬢ちゃんに確認取って来いよ」

 

 「うぃーっす、けどクラインさんはついてきてくださいよ……ここサラマンダーの本拠地なんすから」

 

 件の少女はその場に蹲ったまま動かず、それを見かねた一同は急きょ予定を変更する。そろそろ他のサラマンダーが彼女へ向ける視線が多くなってきており、放置していたらより大きな騒ぎになりそうだ。

 

 「あのー」

 

 「……」

 

 アインが声をかけたが、少女は反応しない。ただ声をかけるだけでは気を引けないと判断した彼は、一歩踏み込んだ事を口にした。

 

 「君のキャラネーム……スズネ、で合ってるか?」

 

 事前に鈴音から聞いていた、ALO内での彼女の名。それを開示した効果は覿面で、サラマンダーの少女は弾かれたように顔を上げる。そこには驚いた表情がありありと浮かんでおり、次いでアインを凝視すると瞳に宿っていた警戒の色が薄れていった。

 

 「い、いち―――」

 

 「―――待て待てスズネ、ALO(こっち)じゃアイン、な?リアルの方で言っただろ」

 

 現実側の名前を呼ぼうとした少女の前に手を翳し、アインは諭すように告げる。その落ち着いた仕草に倣うように、少女もまた一呼吸おいてから再び口を開く。

 

 「そうね、アンタの言う通りだわ……見つけてくれて、ありがとい……アイン」

 

 立ち上がったスズネの姿を、アインは改めて見る。サラマンダーらしく炎を思わせる赤い短髪と瞳が目を引くが、顔立ちはどことなく野生的な雰囲気を醸し出していて、活発的な印象を抱かせる。それはまるで……

 

 「……ちっさくないか?リアルよりも」

 

 まるで、子供―――小学生のようだと言える程に、今の彼女は背が小さかった。恐らく現実世界の鈴音よりも頭一つ分小さい。

 

 「う、うっさぁああい!それ言うならアンタだってリアルより小さいしガキっぽいじゃないの!」

 

 「いやオレの場合は二年くらい前の体格がベースだからな……」

 

 SAO初日に当時十三歳だった織斑一夏の姿に戻されたアイン。それから二年間戦い続けたキャラデータをALOにコンバートした為、彼以外にもカンザシやクライン達といったSAOからの仲間は殆どが現実世界とほぼ同一の外見だ。とはいえ成長途中の姿でアバターが構築されたアインの場合は帰還後の成長が反映されていないので、現実世界よりも幼い外見になってしまうのが若干の悩みになってきているのだが。

 

 「ぐぬぬ……せめてこっち側くらい、アンタの事見下ろしてやりたかったのに……!」

 

 「いや無理じゃね?オレより背が高いり……スズネとか想像できねぇよ」

 

 「なんですってええぇぇ!」

 

 現実世界と殆ど変わらぬ様子でじゃれ合う少年少女。だがいい加減長くなってきたのを見かねたクラインが間に入って窘める。

 

 「相変わらず脳ミソと口が直結してんなアイン。口は禍の元、って何べんも言っただろうが。嬢ちゃんもコイツの事、本当は分かってんだろ?イチイチ真に受けねぇで、ちょいと大人になってくれ。皆待ってんだ、そろそろ行くぞ」

 

 「いてっ、すんません」

 

 「え、誰このおっさん」

 

 軽く頭を小突かれたアインが驚く程素直に従う様子に目を瞬かせたスズネ。そんな彼女の口から零れたおっさん呼びに心にダメージを受けたクラインだが、弟分がいる手前もあってグッと飲み込んで自己紹介する。

 

 「おれの名はクラインつってな。アインやカンザシの嬢ちゃん達のいるギルド、風林火山の頭やってるモンだ。これからよろしくな」

 

 「前のゲームからお世話になっているんだ。で、クラインさん。コイツはスズネで、オレのリアルでの幼馴染で今は同じ学校にいるんです」

 

 「……!」

 

 仲介するように補足説明するアインの仕草や言葉から、スズネは瞬時に悟った。彼―――クラインもまたSAO帰還者であり……先日アインが語っていた、’憧れた大人’であると。

 

 (へぇー、この人が……ねぇ。見かけによらないってヤツなのかしら。まぁ確かに、悪い人じゃないって直感はあるけど……今後の様子で確かめればいっか)

 

 そう判断したスズネは、自分も自己紹介を返すべく口を開く。

 

 「初めまして、スズネよ。アインから聞いているだろうから、細かい事は言わなくていいでしょ。こっちこそよろしく」

 

 いつも通りの勝気な笑みを浮かべ、小柄な体を大きく見せようと胸を張って。彼女は堂々とした態度で、手を差し出したのだった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 ウンディーネ領の首都内に設けられた初期スタート地点。予定時間の五分前にそこへたどり着いたキリトとアスナは、仲睦まじく手を繋いで新たな仲間の到着を待っていた。

 

 「楽しみだね、キリト君」

 

 「そうだな」

 

 「私も楽しみです!」

 

 二人の間を可憐に飛び回り、愛らしい声で無邪気に笑うユイ。彼女は元々SAO内に存在していたAIであったが、紆余曲折を経てキリトとアスナの娘となった。今はALOのシステムに順応しナビゲーションピクシーとして掌サイズで過ごす事が多いが、仲間達からもよく可愛がられている。

 

 「私、学校でのパパやママの様子がもっと知りたいです」

 

 「お、おいおい……それならアイン達からいつも聞いているじゃないか」

 

 「もっといろんな方からも聞きたいんです!今はまだ、現実世界の様子をリアルタイムで知る事ができませんから」

 

 「……ごめんねユイちゃん。システムの構想は皆のお陰で目途は立っているんだけど、中々時間が取れなくて」

 

 現実世界で肉体が無いユイと、仮想世界と遜色ないふれあいができるようにする。それはキリトにとって絶対に成し遂げたい目標の一つだ。今はまだ愛娘の五感の代わりとなる端末を用意して現実世界の情報を随時受信できるようにシステムを構築するくらいしかできないが、いつかは……やがていつかは、人型のものが用意できればとキリトは願っている。

 

 「でも驚いたよね。まさかISが持ち歩く予定の端末代わりになれるって、カンザシちゃんから聞いた時は」

 

 「そうだな……マイクやカメラが無い筈の待機状態でもOKって、どーなってんだホント」

 

 ISについて無知ではないが、かといって積極的に専門の知識を学んではいなかったキリトや、競技用の用途以外については充分な知識を身に着けているとは言い難かったアスナにとって疑問が尽きなかった。それでも喜ばしい事には違いなく、キリト達は忙しい日々の合間を縫って着実に用意を進めていた。

 

 「現実世界のママ達と、沢山お話できるようになるのが楽しみです」

 

 「私達も同じだよ。ワクワクしてる」

 

 互いに満面の笑みを浮かべるユイとアスナ。そんな二人を穏やかな表情で眺めながらも、キリトは現実世界でも同じ光景を実現させるのだと己の心に強く誓う。

 三人で談笑していると、新たなプレイヤーの出現を示すエフェクトが起こった。時間的にセシリアがダイブしてきたのだろうかと、キリト達はそちらへと顔を向ける。現れたのは妙齢の女性で、濃い青色の長髪を揺らしながら周囲を見回す。ほどなく彼女の視線が此方に向けられ、ウンディーネの女性がアスナ達へと歩き出した。

 

 「無事に合流できたって感じかな。ユイ、悪いけど一旦大人しくしててくれ。ちゃんと後で呼ぶから」

 

 「はーい。でもパパ、前みたいにうっかり忘れないでくださいね?」

 

 「大丈夫。ママが見張っておくから……あれ、あの子……ちょっと様子が変っていうか……危なっかしい感じがするわ」

 

 「アスナ?」

 

 歩いてくる女性がセシリアだと判断し一安心したキリト。彼女の前で最初からユイがいたら色々と混乱しそうだったので、致し方なく愛娘には胸ポケットの中で少しの間待機してもらう。一方でアスナは何か違和感を抱いたようで、足早にセシリアと思しき女性へと近づいていく。すぐさま駆け足になった彼女を追いかけようとキリトも歩き出した、その瞬間―――

 

 「きゃ!?」

 

 ―――何もない所で件の女性が躓いた。そのまま前のめりに倒れそうになった所を、先んじて予測していたアスナが駆け寄って抱きとめる。

 

 「大丈夫?」

 

 「は、はい。ありがとうございますわ、アスナさん」

 

 受け止めた女性を起こして手を離したアスナが尋ねると、女性は名乗っていない彼女の名を口にした。ならば目の前のこの女性の正体は予想通り人物だと確信したアスナもまた、相手の名を口にする。

 

 「どういたしまして。セシ……シズクちゃん、でいいのよね」

 

 「はい、そうですわ!これからよろしくお願いいたしますわ」

 

 互いに微笑み握手を交わすと、二人にキリトが追いついた。彼もシズクと挨拶を交わすと、真面目な顔つきで彼女のアバターを観察する。

 

 「成程な。どうりでアスナが走った訳だ」

 

 「どういう事ですの?」

 

 「さっきシズクが転びそうになった事だよ」

 

 納得した様子のキリトに対し、シズクは首を傾げるばかり。そんな彼女に気づいてもらえるように、アスナが口を開いた。

 

 「ねぇシズクちゃん、私と目を合わせてくれるかな」

 

 「目を、ですか?構いませんが……」

 

 「私のアバターって身長がリアルと同じくらいなんだけど、何か違和感とか無い?」

 

 アスナの言葉に従って目を向けると、少し見下ろすように視線が下がる。今までならば少し見上げる筈で、その違いに気づいたシズクは彼女が言わんとする事を察した。

 

 「これは……わたくしの背が伸びた、という事でしょうか」

 

 「そういう事。今のシズクちゃん、織斑先生くらいだよ。その分手足の長さも違うから、リアルと全く同じ感覚じゃ上手く歩けなくなっているの」

 

 「細かい所を捕捉すると、現実の体とアバターを動かす感覚ってのも微妙に違うから、大抵の場合は慣れるまでにはちょっと時間がかかるぞ」

 

 アスナ達の言葉に、シズクは少しばかり気落ちする。この周囲だけでも現実世界ではありえない未知の光景が広がっており、さらに広大なこの世界を楽しむ事に大きな期待を抱いていた。だがそれが最初の一歩で躓き、もうしばらくお預けの状態になったようなものだから、彼女の落胆は当然と言える。

 

 「大丈夫、ちゃんとアバターを動かしていけば自然と慣れてくるから」

 

 「そうそう、また転びそうになったら私が支えるから気にしないで?」

 

 「かず……キリトさん、アスナさん、ありがとうございます。今暫くはお言葉に甘えさせていただきますわ」

 

 英国淑女として身に着いた仕草なのだろう。シズクがとった優雅な一礼は、現実世界と遜色ないほどに自然で滑らかな動作だった。

 

 「さてと。とりあえず最初は装備やアイテムを揃えようか。俺達もそこまでこの街に詳しくはないけど、基本的な店の場所は分かるから」

 

 「今日は観光気分で行きましょ、シズクちゃん……あ、そうだキリト君、アレやろうよ」

 

 「ああ」

 

 アスナのいうアレとは何なのか、とシズクが疑問を挟むよりも先にキリトとアスナの二人は互いに頷きあう。そのままシズクの前で左右対称に手を伸ばす。それはまるで迎え入れるようなもので―――

 

 「「妖精の世界(アルヴヘイム・オンライン)へようこそ!!」」

 

 ―――柔らかな笑みと共に、新たに舞い降りた妖精(シズク)を歓迎するのだった。




 なおこの後ユイについて説明するのに一悶着あった模様。


 SAO組の正確な身長がイマイチ分かりません……調べてみてもアスナが160前後らしいっていう考察があるとか、キリトがそれより若干高いとかくらいしかっていう曖昧な感じでした。


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十九話

 漸くオフ会……アカン、キャラ多すぎた……!


 鈴音とセシリアがALOを始めて一週間と少し。五月下旬の週末に、和人達はIS学園の外にいた。前々から話を進めていたオフ会に参加する為である。

 

 「そういえば皆、ALOでエギルとは会ったよな?」

 

 「はい。とても紳士で堂々としたお方でしたわ」

 

 「めちゃくちゃガタイも良くてデカかったわね」

 

 「はは、リアルでもあんな感じだからセシリアも鈴も腰ぬかすなよ?」

 

 半ば揶揄うように告げた一夏に対して、二人は大丈夫だとばかりに笑みを浮かべる。学園からモノレール、電車と乗り継いで御徒町へと足を踏み入れる道中、これから会う仲間達について話題は尽きない。

 

 「ま、あたしの予想通り、殆ど女の子だったけど」

 

 「まだ言うかソレ……オレじゃなくてキリトさんだって言ってるだろ。風林火山はカンザシとのほほんさん以外男だったろ」

 

 「みんな大人だったでしょうが。あたしらくらいの年した男なんてあと弾だけだったじゃないの!」

 

 「鈴さん、落ち着いてくださいまし。騒いでしまっては目立ってしまいますわ」

 

 セシリアが淑女らしく鈴音を窘めるが、一夏は苦笑いを隠し切れない。この場には一夏達男子三人に加えて明日奈、簪、本音、鈴音、セシリアが揃っており、皆比較的地味な私服なのだが……女性陣の容姿のレベルが高いので既に目立っている。尤も専用機が七機あるので、何かあった際には襲撃してきた側の方が死を覚悟する程に戦力が集中しているのだが。

 

 「あ!お兄ちゃーん!!」

 

 駅の改札を出た所で、弾んだ声が一行の耳に届く。そちらへ目を向ければ一人の少女が手を振りながら駆け寄ってきた。

 

 「スグ!元気そうだな」

 

 「こっちでは久しぶりだね、直葉ちゃん」

 

 柔らかな笑みで和人と明日奈が応えると、件の少女―――桐ケ谷直葉は兄へと飛びついた。筋力が足りなかった和人は危うく後ろに倒れそうになるが、そこはこうなる事を予測していた巧也が支えていたので無事に受け止めきれた。

 

 「えへへ……」

 

 「ちょっと直葉ちゃん、今のは危ないわよ」

 

 「大目に見てやってくれよ明日奈。スグだってリアルで会うのは久しぶりなんだからさ」

 

 「もう、キリト君ってば甘いんだから」

 

 明日奈が唇を尖らせるが、本心から拗ねたり不機嫌になったりしている訳ではない。二年間意識の無い兄を見舞う事しかできず、やっと帰ってきたと思えば数か月後には離れ離れになった直葉の心境を思えば、こうして和人とのスキンシップを求めるのは仕方ないと納得してはいるのだ。

 

 「ん~?お兄ちゃん、ちゃんと食べてる?」

 

 「食べてるよ。IS学園(あっち)には刀奈や虚さんもいるし、何より巧也が見張ってるからな」

 

 身を離した直葉は抱き着いた時の感覚から、未だ肉付きの良くないらしい兄に問いかける。彼も妹を安心させるように笑いかけるが、筋肉が戻りにくい体質なのか思ったほど体力が戻っていない現状をどう伝えたものかと少々頭を悩ませる。とはいえ今日は皆で楽しく騒ぐ日であり、考えるのはまた後日でいいかと和人は一旦棚上げする。

 

 「アスナさんも久しぶりです。お体は大丈夫ですか?」

 

 「キリト君ほどじゃないけど、体力は戻って来てるわ。まだ激しい運動は控えるようにって注意されてるけどね」

 

 ふわりと明日奈が微笑むと、直葉は安堵のため息をつく。一番気になっていた兄と未来の義姉の様子が分かると、今度は幼馴染へと目を向ける。

 

 「巧也、簪、本音も久しぶり!三人ともちゃんと学校に馴染めてる?」

 

 「お久しぶりです。IS学園での生活でしたら、大きな問題はありません。本日招待したお二人をはじめ、良き方が多かったので」

 

 「……ん。大丈夫」

 

 「そそ、だいじょぶ~」

 

 三人の返答に満足した直葉。だが朗らかな笑みから少しばかり眉を寄せると、次に一夏へと向き直る。

 

 「で、一夏君?うっかり簪を泣かせたり誤解されるような事やらかしてないよね?」

 

 「し、してないって!何で疑われてんだよ!」

 

 「どーだか。もし他の子に目移りしてたら……容赦しないからね!」

 

 悲しいかな、一夏が和人同様に複数の女性から好意を持たれやすい事を何となく察している直葉は、中々彼への疑いを消せないでいるのだ。

 

 「直葉、会う度にそう当たるのはやめるべきですよ。女性関係での無自覚な所は和人と似たり寄ったりですが、心に決めた人に一途な所も一緒なんですから。彼も充分に信頼できますよ」

 

 「た、巧也ぁ……お前ホントいいヤツだよな……」

 

 「アイン、刀奈のヤツに色々ちょっかい出されて苦労してんのは分かるが……さりげなくディスられてんのに気づけって」

 

 巧也がやんわりと直葉を諭すが、忌憚無い言葉に含まれた事実を受け入れがたい和人は苦笑いだ。

 

 「楯無お姉ちゃんだよ、お兄ちゃん。いつまでも昔の呼び方しちゃダメだって」

 

 「そう言われてもなぁ……アイツ先代みたいな、こう……威厳とかが皆無だからな……」

 

 「お兄ちゃん達の前だからでしょ?やる時はビシって決めてるよ……それより、はやく紹介してよ」

 

 直葉の好奇の視線が、セシリアと鈴音に向けられる。二人も先程から彼女を観察していたのだが、ALOの仲間で目の前の少女と容姿の特徴が合致する人物が見つからず首を傾げていた。そんな彼女達に気づいた巧也が仲介するべく口を開く。

 

 「失礼、こちらは和人の妹の桐ケ谷直葉(きりがやすぐは)です。お二人にはリーファと言えば分かりますか?」

 

 「リーファ……え、ええぇぇ!?」

 

 「巧也さん以外の方は同じ姿ではなかったのですか!?」

 

 「あはは、うん。リズさん達にも同じようにビックリされたよ。あたしだってALOで鏡見た時の違和感が暫く消えなかったもん」

 

 短く切りそろえた黒髪や線の太い眉など、黄金色のポニーテールが特徴的だったリーファとは似ても似つかない姿に二人は驚くばかりだ。

 

 「それではお二人の紹介を。小柄なツインテールが特徴の方がスズネ……本名を凰鈴音(ファンリンイン)。金色の長髪が特徴の方がシズク……本名をセシリア・オルコットといいます」

 

 「ありがと巧也。えーっと……」

 

 「(りん)でいいわよ。あたしもリ……直葉って呼ぶから」

 

 「わたくしもセシリアとお呼びくださいな、直葉さん」

 

 「鈴、セシリア……うん!二人共よろしくね!」

 

 確認するように二人の名を呟いてから、直葉はそれぞれと握手を交わす。

 

 「ま、髪とか目の色って言ったらあたし達もそれぞれ赤と青に変わってるもんね。ALOの中と違っていてもおかしくは……」

 

 「鈴さん?」

 

 髪色や顔立ちの違いに気を取られていた鈴音が視線を段々と下げると、何故か不自然に言葉が途切れる。セシリアがそちらへ目を向けると、彼女の瞳からハイライトが消えていた。

 

 「あはは……あったじゃないの同じ特徴……なーんで気づかなかったんだろ……ははは……」

 

 「え?ど、どうしちゃったの?あたし何か悪い事した?」

 

 鈴音の様子がおかしくなった事に直葉は慌てて周囲に尋ねるが、原因がこの場で告げるのが憚られるものなので、気づいても口にできないでいた。

 

 ―――直葉の胸部装甲がリーファ同様に厚い事が原因だと、誰も言えなかったのである。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 鈴音を再起動させ、オフ会会場であるダイシー・カフェに無事到着した一行。和人が’本日貸切’の看板の掛かった扉を開けると、既に盛り上がっている室内が目に映った。

 

 「おいおい……俺達、遅刻はしてないぞ」

 

 「主役は遅れてやってくるもんでしょ。アンタ達にはちょっと遅い時間を伝えておいたワケ。さ、入った入った!」

 

 里香(リズベット)の手によって和人、続いて明日奈が店内に引き込まれると、とりあえず一夏達もその後を追って店内に入る。

 

 「はーい、ちゅうもーく!解放の英雄サマの到着よ!!」

 

 「な、誰だそんな呼び方考えたヤツ!?」

 

 半ば流されるままに和人は里香に押されていき、奥の小さなステージに立たされた。訳も分からぬまま彼女にグラスを握らされた和人が目を白黒していると、店内の照明が絞られてスポットライトが彼に当てられる。

 

 「それでは皆さんご唱和ください!せーのぉ!」

 

 「「「キリト!SAOクリアおめでとう!!」」」

 

 困惑し間の抜けた表情のまま固まる和人を尻目に、いくつものクラッカーが鳴らされた。そこからは一夏達も加わり宴がさらに盛り上がる。

 

 「―――ちょっと新しい友達誘ってくるね、なんて軽いノリで代表候補生なんて連れてくるんじゃないわよ明日奈!並の芸能人よりずっと有名じゃないの!!」

 

 「ま、まあまあリズ。スズネちゃんとシズクちゃんなんだから、ALOと同じ感じでいいよ」

 

 「す、すごい人と知り合ってたんですね、あたし達……」

 

 新たな仲間の正体に仰天し、乙女らしからぬ叫びを上げる里香。彼女の隣では同様に驚愕した珪子(シリカ)が身を縮こまらせる。

 

 「はいはい。サラマンダーのスズネだろうが、中国代表候補生の凰鈴音だろうが、あたしはあたしよ。中身は一緒なんだから、態度変える必要なんてないわよ」

 

 「そうですわ。せっかくALO(あちら)でお友達になれたんですもの、現実世界(こちら)で他人行儀をされては寂しいですわ」

 

 「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」

 

 まだ固さこそ残っているが、里香も珪子も鈴音達の厚意に感謝して普段のALOと同じつもりで言葉を交わそうとして……まだ引っ掛かる事柄が残っていた。

 

 「というか本当にいいの?あたし達の事情だって、最近知ったばっかりでしょ?」

 

 「一夏さんが’皆さん良い方だから’と紹介してくださったんですもの。SAO生還者(サバイバー)だからと悪く決めつけたり、蔑視したりなどしませんわ。我がオルコット家の名に懸けて、必ず」

 

 「そ、そんなの畏れ多いですって!シズクさん、それ簡単に言っちゃダメなんじゃないですか……!?」

 

 「言わせときなさい。そのぐらいコイツが本気なんだってコト。ま、あたしは最初っから分かってたけどね。一夏ってば昔から人との縁には恵まれてるし」

 

 慄く珪子をほぐそうと鈴音が肩を叩く。世間ではあまり良い視線を向けられないSAO生還者(サバイバー)と分かって尚、こうして接してくれる人が仲間に加わってくれた事に、珪子は心が温かくなるのを感じる。きっと里香も同じだろうと振り返ると……何か面白いものを見つけたようにニヤニヤしていた。

 

 「リ、リズさん……?」

 

 「ふっふっふ……揃ってアインの名が出てきたって事は……も・し・か・し・てぇ~?」

 

 仮にも年頃の女子がすべきではない少々不気味な笑い声と共に、セシリア達と離れた一夏とを交互に見やる里香。そんな彼女の様子に、遅まきながら嫌な予感が二人の少女に走った。

 

 「アインも罪な男ねぇ……キリトと二人で、IS学園(あっち)であと何人惚れさせる(オトす)のやら」

 

 「な、ななな……何を仰いますの!?」

 

 「だ、誰があんな朴念仁なんか!?」

 

 「はーい、分かりやすい反応ありがとう……でも、カンザシはああ見えて強敵よ?一途なアインのハートをがっちり捕まえてるし」

 

 悪戯っぽく笑う里香に対して、二人の乙女は赤らんだ頬を抑えながらも視線をそらさない。

 

 「これでも貴族の端くれ、欲したものは正面から奪うつもりですわ……!」

 

 それは単なるハッタリか、あるいは本気か。このまま引き下がる気は無いという意志を見せるセシリアの姿に、一旦は想いに区切りをつけた筈の鈴音も触発される。

 

 「あたしは元々、他の子選んだ事を後悔させてやるつもりだったし?大人しくするつもりはないわよ」

 

 顔の熱は引かないままだが、恋心(ユメ)を諦めきれない事を自覚した鈴音は普段通りの勝気な笑みを浮かべてみせた。

 そんな彼女達の語らいなど露知らず、一夏は親友との再会を楽しんでいた。

 

 「おう一夏。体の方は順調に肉付いてきたか?」

 

 「まぁな。弾の方こそいい感じだな。アレか、厳さんや蓮さんにガッツリ食わされてるのか」

 

 「あたぼうよ。でねぇとじーちゃんが厨房に立たせてくれねぇからな」

 

 「あのお兄がお爺ちゃんに’本気の料理教えてくれ’って言いだした時は本当にビックリしましたよ。それもすぐに音を上げるかと思えば……全然そんな事ないですし」

 

 「弾も色々あったんだよ。どうあれ兄貴がしっかり家業継ぐって覚悟見せてんだし、少しは尊敬してやれよ。普段は相変わらずだけどな」

 

 そりゃないだろ!?という弾の抗議をスルーして、一夏は彼の妹―――蘭に笑いかける。

 

 「でもこのお兄ですよ?大真面目に何かに取り組むなんて……今まで一度も無かったんですよ?」

 

 「……ぐうの音も出ねぇ……」

 

 想い人からの笑みに頬を染め、照れ隠しにそっぽを向きながら兄に辛辣な指摘をする蘭。しかし事実である為弾は言い返せない。SAOでの日々を経て、弾の心は成長している筈なのだが……兄妹の力関係は不動のようだ。

 

 「そ……それはそうと、虚さん来てないのか……?」

 

 「悪い、どうしても都合がつかなくてな。二次会には絶対行くって言ってたから、それまで我慢してくれ」

 

 項垂れる弾を励ます一夏。親友が想い人と会えない悲しみを紛らわせようと、頭をフル回転させながら話題を振っていく。

 そんな彼ら彼女らの様子を眺めつつ、和人はカウンターのスツールに腰かけた。

 

 「マスター……バーボン、ロックで」

 

 いい加減なオーダーに対して出されたグラスを、和人は躊躇う事無く手に取り、注がれた液体を一口含む。ただの烏龍茶だった。

 

 「おいおい、おれが本物を置くって疑わねえのか?」

 

 「エギルはそんな野暮な事をするヤツじゃないって信用してんだよ」

 

 「へっ、キリトのくせに言ってくれるじゃねぇか」

 

 店主であるギルバート(エギル)と軽口を交わす和人の隣に、一人の男性が座る。スーツにバンダナとお世辞にも洒落ているとは言えない恰好をした男―――遼太郎(クライン)だ。

 

 「エギル、おれには本物くれ」

 

 「おいおい、いいのかよ?この後会社に戻るんだろ」

 

 和人が呆れた声で注意するが、当の遼太郎は知った事かと鼻で笑う。

 

 「へっ、残業なんざ飲まずにやってられっかっての」

 

 挙句の果てにはそんなセリフを口にして、出てきたタンブラーの中身を一口煽る始末。その様子に和人はやれやれとため息をつくが、彼の表情は柔らかい。

 とある事情から彼がSAO内で本心から安らぎを得られた機会は少なく、黒の剣士(キリト)として過酷な戦いの日々で心を擦り減らし続けていた。それを知りながらも各々の守るべきものに手一杯で、充分に支援できなかった自覚のあるギルバートと遼太郎(大人組)は、和人がこうして誰かの前で気を休める事ができている現状を喜ばしく思っていた。

 その後はユリエールと入籍したシンカーを祝福したり、’種子(ザ・シード)’の様子や二次会の予定を確認したりと、仲間達との話に花を咲かせる。

 

 「―――失礼。ギルバートさん、飲み物の追加をお願いします」

 

 「おう、ちょいと待ってろ。空いたグラスはそこに置いといてくれ」

 

 先程まで一夏達と共に談笑していた筈の巧也が、幾つもの空のグラスを盆にのせてやってきた。相変わらずこういった場でも周囲への気遣いを優先する弟分に、和人は苦笑する。

 

 「偶にはそういうのほっといていいんだぞ?」

 

 「こういう性分ですので、つい」

 

 微笑を崩さぬ巧也は、和人の隣に腰かけた遼太郎やシンカーに向き直ると居住まいを正して一礼する。

 

 「現実でお会いするのは初めてですね。改めて自己紹介を……野上巧也(のがみたくや)―――スプリガンのノウェです」

 

 「これはご丁寧に。こちらこそ、向こうでシンカーと申します。SAOではキリトさんにとてもお世話になりました」

 

 「へぇ、お前さんが……おいキリの字、ちったぁこいつの礼儀正しさ見習ったらどうだ?」

 

 「よそではちゃんとしてるさ。お前等だから素のまんまでいられるんだよ」

 

 揶揄う気満々のニヤついた顔をする遼太郎に対して、和人はさして気にした様子もなくグラスの烏龍茶を煽る。

 

 「ったく、相っ変わらず愛想のねぇヤツだな」

 

 「それだけ和人が気を許しているという事ですよ。SAOで遼太郎さん達が信頼を勝ち取った証です」

 

 「ゲホッ!?た、巧也ぁ!何余計な事言ってんだよ!?」

 

 「流石は幼馴染。斜に構えて誤解されがちなコイツの本心を掴むのはお手の物、ってか」

 

 せっかく取ったポーズを弟分に呆気なく崩されむせる和人。彼は恨みがましく巧也を睨むが、当の本人はニヤついたギルバートから飲み物のおかわりを受け取って去って行く。

 

 「あいつ……刀奈の悪い所を真似しやがって……」

 

 「いいヤツじゃねぇか。あのくらいの茶目っ気は大目に見るのが兄貴ってモンだろ?」

 

 「そうだそうだ……つーかその刀奈さんてカンザシちゃんの姉貴なんだろ?ついでに言えばホンネちゃんにも姉ちゃんがいて……お前現実世界(リアル)でも女だらけじゃねぇか!コンチクショウ!!」

 

 遼太郎がヤケクソになってタンブラーの中身を全て飲み干すと、ギルバートに勢いよくおかわりを要求する。

 

 「残業あるんだろ。これで最後だぞ?」

 

 「へいへい」

 

 飲み過ぎないようにとマスターに釘を刺された遼太郎。やや適当な返事をしながら二杯目を受け取った、その時―――

 

 「失礼、一夏はいるだろうか」

 

 「千冬姉!?来れないって言ってなかったっけ?」

 

 元世界最強(ブリュンヒルデ)の来訪に、店内の時が止まる。

 

 「あー、えーっと……多分殆どの人は初めてだと思うから、紹介するよ。オレの大事な家族……千冬姉です」

 

 「IS学園で教師を務めさせていただいている、織斑千冬といいます。日頃から弟がお世話になっています」

 

 千冬が挨拶を終えたところで、固まっていた皆が漸く動き出す。

 

 「い、一夏ぁ!?どういう事!!」

 

 「織斑先生がいらっしゃるなど、一言も聞いておりませんですわよ!?」

 

 「織斑……千冬、さん……?え、本物?」

 

 「あ、あわわわ……!?」

 

 かつて世界最強の座をもぎ取った彼女の知名度は、現役を退いた今なお圧倒的に高い。事前に来る事を聞かされていなかった鈴音やセシリアが一夏に詰め寄り、里香や珪子をはじめ初対面の者達は単純に理解が追いつかず慌てふためくばかり。明日奈や簪等、驚きながらも皆を宥めようとする者もいたが焼け石に水だった。

 

 「この場を乱してしまった事は申し訳ありません。ですが……ですがどうしても、皆さんに直接お伝えしたい事あるのです」

 

 決して大きな声量ではなかったが、千冬が語り出すと不思議と皆静かに耳を傾けていく。

 

 「あなた方のお陰で、一夏は無事にSAOから帰ってきてくれました。私の、たった一人の家族を守ってくれて……支えてくれて……本当にありがとう……!」

 

 この場にいる全ての者に対して、深々と頭を下げる千冬。それは弟を想うただの姉の姿そのもので、これが彼女の本来の姿なのだと誰もが感じた。

 

 「顔、上げてください織斑さん」

 

 「貴方は……」

 

 「おれ……いえ、わたくしは壷井遼太郎(つぼいりょうたろう)と申します。彼のいたギルド……ゲーム内のグループでリーダーやってました」

 

 いつの間にかスツールから立ち上がって姿勢を正していた遼太郎。普段の不真面目な様子は微塵もなく、真っ直ぐに千冬を見つめる姿はまさしく大人。

 

 「確かに弟さんは思った事がすぐ顔や口に出ちまうし、行動も直情的で今まで散々振り回されてきました。ですが何時だって、自分の心に正直に……眩しいくらい真っ直ぐな所にこちらも救われてきたんです。どうか誇ってください、貴女の弟さんは……立派な男なんだって。そして彼をそう育ててくれた貴女に感謝を。こちらこそ、ありがとうございました」

 

 「……はい……!」

 

 遼太郎の言葉に、千冬はもう一度深く頭を下げる。一夏が良き人達と巡り会えた事、そして彼らと心を繋ぎ、認めてもらえた事が自分の事のように喜ばしい。熱くなった目頭を悟られぬよう、こみ上げる感情を抑えるのが精一杯だった。

 

 「……では、私はこれで。無理を言って出てきたので、そろそろ戻らなくては……」

 

 これ以上自分がいる必要もない。そう考えた千冬はこの場を後にしようとするが、その手を握って引き止める者がいた。

 

 「写真撮ろうよ、千冬姉」

 

 「一夏?」

 

 「折角千冬姉と仲間の皆が揃ってるんだ。こんないい時に記念写真残さなきゃ勿体ないって」

 

 少し照れくさそうに、その上で本心からの笑みを浮かべる弟の頼み。今の千冬にそれを断る事はできなかった。

 

 「ま、アインならそう言いだすとは思っていたからな。カメラならウチで用意してある」

 

 「だな。みなさーん、一旦集合でーす」

 

 ニヤリといい笑顔でカウンター奥からカメラを取り出すギルバートと、撮影の為に皆を誘導し始める遼太郎。SAO内でも何かと一夏は写真を撮っていたので、知っていた者達が知らなかった者達を誘導していきスムーズに準備が整う。

 

 「……で、何で俺が中心にいるんだ?言いだしっぺのアインと織斑先生が来る流れだろ」

 

 「いや、後ろにSAOクリアのヤツ映ってますし、ここは今回の主役(キリトさん)が真ん中にいるべきですって」

 

 位置について多少揉める事こそあったが、和人の抗議は皆に黙殺され結局は彼が中心に収まった。

 

 「はい、全員入りました。タイマーを起動しますので、皆さん準備を」

 

 カメラの調整を終えた巧也が合図を出す。皆がカメラに向かって笑みを浮かべていく中で、顔を向けずに千冬が口を開く。

 

 「一夏」

 

 「千冬姉?」

 

 「大事にしろよ?」

 

 「当たり前だろ!」

 

 顔を見なくても、(一夏)が誇らしげに笑っている事が、(千冬)には容易に分かる。きっと彼はいつだってこの場に揃った誰かが助けを求めた時、迷わず手を差し伸べ……その逆もまた然りなのだろう。

 

 ―――後に受け取った写真に写る弟の最高の笑みを、姉は生涯忘れないと誓った。




 一人一人の描写が薄味かも……


 ちなみに巧也のALO内についての情報。

・キャラネーム:ノウェ

・種族:スプリガン

・容姿:スプリガンらしく浅黒い肌に黒髪黒目の優男風な少年。いつもの面子の中では目立つ特徴が無いのが却って特徴になっている。

・主武装:短剣

・戦闘スタイル:幻惑魔法や各種消費アイテム等を用いたバフ・デバフを駆使した搦め手を得意とし、乱戦時は相手の認識外からの一撃必殺を狙うアサシン。逆にデュエル等の正面切っての戦闘はそこまで強くはない。(キリトやアイン達が強過ぎなのもあるが……)

※名前の由来は苗字の読み替えから。野上(のがみ)➡のうえ➡ノウェ


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二十話

 長い
 重い
 胸糞要素

 三重苦が詰まってますのでご注意ください


 ALO内で行われた二次会も、大いに盛り上がった。浮遊城アインクラッドの実装というサプライズも、その一助になった事は言うまでもないだろう。

 そんなオフ会のあった週末から数日後の、とある日の放課後。巧也は生徒会室に呼び出されていた。

 

 「近日に転入予定の生徒、ですか?」

 

 「そ。貴方は直接かかわる事になるから、先に教えておくわ」

 

 楯無が「先行開示」と記された扇子を開くと、傍に控えていた虚から資料を手渡される。

 

 (紙媒体……他言無用である、と……)

 

 複数枚のA4サイズ用紙で構成された資料を、巧也は無言で目を通していく。データ化の進むこの時代だからこそ、重要な情報はアナログな手段で扱われるのだ。

 

 「……今後はラウラ・ボーデヴィッヒの動向を注視せよ、という事でしょうか?」

 

 資料を読み終え、返却しつつ巧也が確認すると、楯無はやや微妙な顔をした。

 

 「確かにそれが優先だけど、もう一人の方も疎かにしちゃダメよ」

 

 「フランスの動きに何か懸念がおありですか?」

 

 暗記した内容を思い返すが、優先して警戒すべきはドイツ側の代表候補生(ラウラ・ボーデヴィッヒ)であり、フランス側の代表候補生(シャルロット・デュノア)については懐柔済みの為最低限の監視のみ、とあった。シャルロットについても疎かにするなとは、自分に開示されていない情報―――例えば各国政府の動き等が絡んだ事情によっては警戒する必要があるのかと巧也は推測する。

 

 「あぁ~、やっぱりそういう考えになっちゃうかぁ……虚ちゃん、お願い……」

 

 「承知しました、会長」

 

 完全に仕事モードで普段よりも幾分鋭い目つきに変わった虚を見て、どんな機密情報や極秘任務が伝えられるのかと巧也は精神を張り詰める。

 

 「率直に言います。彼女―――シャルロット・デュノアとは、親密な関係を築いてください」

 

 「……何故ですか?申し訳ありませんが、御命令の意図が理解できません」

 

 何故友好関係を築けと命令されるのか、巧也には分からない。彼女は自身の専用機を所持しており、何かと自分や一夏達と接触する機会は多くなる。危険度が低いのならば鈴音やセシリア同様、クラスメイトとして一夏達と打ち解ける事を見守っていればいいだけの筈だ。

 疑問符を浮かべる巧也に対し、虚は一度咳払いをしてから努めて事務的な声色で告げた。

 

 「言い方を変えましょう……彼女は貴方の許嫁になります」

 

 「……え?」

 

 完全に予想外の言葉に、巧也は数秒固まった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 『―――行ったか』

 

 「ええ。二人共、もう出てきていいわよ」

 

 楯無が合図と送ると、生徒会室の天井点検口から二人の生徒が姿を現す。虚が用意した足場を伝って降り立ったのは、簪と和人。

 

 「いきなり呼びつけてあんなところに隠れてろって……最初は何させられるのか二人して戦々恐々としたんだぞ?」

 

 「……事前の説明は大事だよ、お姉ちゃん」

 

 半ば強引に天井裏に押し込まれた事に、和人達は少々不機嫌になっていた。借りていた無線機をやや無造作な手つきで返してくる様子から見て、まず間違いない。

 

 「その事はごめんなさい。杞憂で終わればいいと思ったんだけど……」

 

 「絶対無理だろ。完全な仕事人間なアイツだぞ?ほっといて上手くいくビジョンが全く見えない」

 

 「……ん、同感。私達が介入しないと、巧也は全部の恋愛フラグをスルーしそう」

 

 ただ先ほどの巧也の反応から呼び出された理由を察し、協力姿勢を見せてくれるあたり流石身内と思う楯無。

 

 「でしたら同じクラスの和人君がメインで協力し、簪お嬢様はその補助をお願いします。私達は学年も違いますし、変に動けば不審に思う者もでてきますので」

 

 「……それは構わないんですけど、一ついいですか?」

 

 「何でしょう?」

 

 「その……アスナとアインも引き込んでいいですか?」

 

 眉間に皺を寄せ、悩みながら彼が出した提案。その内容に虚と楯無は眉根を寄せて理由を尋ねる。

 

 「……ぶっちゃけアスナにはバレるんで……」

 

 「アインもアスナさんも、私達が隠し事してる時だけ……すごく勘が鋭くて……」

 

 「何それ……詳細はともかく何か隠してるっていうのを第六感的なもので悟ってくるの……?」

 

 無言で頷く二人を見て、楯無と虚は揃って項垂れる。情報漏洩を避ける為にも、秘密を共有する者はできるだけ少なくしたい二人としては、これは頭の痛い事だ。

 

 「中途半端に感づいたアスナ達が、自分から動いて色々と首を突っ込む方が危ない気がする」

 

 「……だったら先に引き込んで二人の行動を予測しやすくした方が、ずっとやりやすいし……安全だと思う」

 

 「でもねぇ……明日奈ちゃんはしっかりしてそうだけど……一夏君、いろんな子にバレそうだし……」

 

 過去に何度かコッソリ一夏を観察した時の事を思い出しながら、楯無が唸る。すると簪が姉の前に進み出て、その手を取った。

 

 「お姉ちゃん、アインに……アインに全部話そう?巧也の事」

 

 「ぜ、全部って……ダメダメダメ!暗部(ウチ)の事……それも禄でもない裏側の事だって知られちゃうのよ!?それでもし簪ちゃんが嫌われたら―――」

 

 「―――大丈夫。アイン、優しいから。友達の事なら……どんな事だって受け止めて真剣に、全力で手伝ってくれる。そういう時は全然顔に出ないよ」

 

 「そうだな……利用するんじゃない、信じて頼るんだ。刀奈、最近忘れかけてないか?」

 

 「二人共……」

 

 微笑む和人達を前にして、楯無の心が揺れる。更識家の当主としては、情に訴える不確定な提案を呑むべきではないと警鐘を鳴らす。だが姉としては、愛する妹の言葉を信じたい。

 

 「お嬢様」

 

 「虚ちゃん……私は」

 

 「()の幸福を願う方の、心のままにいきましょう」

 

 幼馴染の言葉が、背中を押す。いつだってそうだ。楯無が名を継ぐ前―――刀奈であった時から、この年上の幼馴染は自分を支え、どんな状況でも悔いのない選択ができるようにと自分を後押ししてくれた。

 

 「……そうね。うん、信じてみるわ。貴方達が信じる二人の事」

 

 口にしてみて、胸の内が幾らか軽くなった気がした。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 その日の夜。夕食を済ませ、消灯時間までは各々の生徒達が自由に過ごすこの時間に、簪は明日奈を伴って一夏の部屋を訪ねていた。

 

 「私とアイン君に話したい事があるって言ってたけど、どうしたの?それにキリト君も何だか昔みたいな……すごく思い詰めた顔して……」

 

 「やっぱり、アスナには分かっちゃうか……」

 

 案の定明日奈に感づかれた和人は、自分の判断が間違っていなかった事を実感して苦笑する。想い人や弟分をこれから巻き込んでしまう事に抵抗はあるが……これが現状では最善手だと信じて、彼は意を決して口を開いた。

 

 「実は近いうちに、また転入生が来るんだ」

 

 「また?それだけキリト君達……男性操縦者に近づこうって世界中が躍起になっているのかな……あれ、でも先生方から連絡無かったのに、何で知っているの?」

 

 「……更識(うち)の伝手で、先にお姉ちゃんから聞きました」

 

 簪の言葉に明日奈は納得するが、逆に今度は一夏が疑問を抱く。

 

 「うーん……鈴が入ってくる時はカンザシにも連絡無かったよな?何で今回は教えてくれたんだ?」

 

 「今回、二人来るんだけど……その内の一人が、色々事情があって……巧也の許嫁になるの」

 

 「……はぁ!?」

 

 全くもって予想外な答えに一夏は素っ頓狂な声を上げ、明日奈は目を見開いて息を呑んだ。

 

 「え、えーと……許嫁って要は婚約者―――将来結婚する相手って事だろ?でもIS学園(ここ)に転入するってなると、代表候補生の筈だよな。国の推薦必要なんだし……そいつと、巧也が?何がどうしてそうなったんだ……?」

 

 「多分、政略結婚かそれに準じた国や企業の取引の結果よね。恐らく……ううん、絶対本人の気持ちなんて無視してる……そうでしょ、キリト君」

 

 「……ああ」

 

 短くもはっきりと、和人は明日奈の憶測を肯定した。途端に彼女の目つきは鋭くなり、表情も強張る。

 

 「何で……何でそんな酷い事をするの?何の為に、誰の為に巧也君や転入生の子は縛られなきゃいけないの!」

 

 「そうですよ!巧也達が犠牲になるなんて間違ってます!オレ達にできる事は無いんですか!?そんなふざけた事をやめさせるべきです!」

 

 義憤に駆られる二人の叫びが、和人と簪の胸に突き刺さる。何故なら……そうなるように事を運んだのは、他でもない―――

 

 「これは私達……更識家が仕組みました。私達も話を聞いて、最終的には納得しています」

 

 「な、どういう事だよ!?楯無さんがやった?カンザシもキリトさんも納得した?意味分かんねぇよ!」

 

 「巧也君は大切な幼馴染なんでしょう!それをまるで……道具(モノ)みたいに……!」

 

 次第に涙をにじませる明日奈。結城家に縛られていた事や望まない相手との縁談等があった彼女にとって、今回の件はとても他人事とは言えなかった。

 

 「おかしいよキリト君……!巧也君、普通に笑えていたじゃない……IS学園(ここ)で一緒に勉強して、ALOでいろんな冒険を楽しんでた……どこにでもいる、普通の子なのに……!」

 

 「……違う……違うんだアスナ。巧也は、普通じゃないんだ」

 

 「え……」

 

 「巧也の家も……本音の所と同じく、代々更識家(うち)に仕える暗部の家系なんです。アインには前に言ったよね?」

 

 「そりゃ、そうだけど……のほほんさんと虚さんはそんな道具扱いされてなかったし、今まで巧也もそうだっただろ」

 

 巧也の家系について初めて聞く明日奈は困惑し、以前に軽く聞いていた一夏は今までの彼の扱いから一転した今回の件がどうしても腑に落ちないでいた。

 

 「巧也が異例なの。今までの野上は……更識家(うち)の刃として使われる(・・・・)存在だったから……情が移らないように、幼少の頃から触れ合う事は無かったの」

 

 「刃……?使われる存在……?まさか、本当に……」

 

 「暗部として、更識に絶対の忠誠を捧げて……戦って、敵を討つ……その為なら、いつでも命を投げ出す……戦う為だけに存在する家系」

 

 「っ!?」

 

 「マジ、かよ……」

 

 息を呑む明日奈と、絶句する一夏。知り合ってからまだ短い期間とはいえ、新たな友人である巧也の正体を知った衝撃は大きかった。

 

 「綺麗ごとだけじゃ、守れないんだよ。誰かが泥を被らなきゃいけない……誰かが血を流さなきゃいけない……その誰か(・・)を担っているのが暗部で……巧也はその一員なんだ」

 

 「……楯無の名を継いだお姉ちゃんもきっと……私達の知らない所で、後ろ指さされる事を沢山やっています。国を守るために、必要な事だからって」

 

 静かに語る二人の声は震えを隠し切れず、彼らもまた苦しんでいる事が一夏達にはありありと伝わってきた。

 

 「俺もSAOで……アスナを守る為だってお題目で、外道な事や非道な真似、それなりにやってきたけど……楯無を継いだアイツはその比じゃない」

 

 「キリト君……」

 

 SAO攻略ギルドの副団長を務めていた明日奈は、女尊男卑の風潮に染まっていった現実世界の反動からか何かと男性プレイヤーから迷惑行為を受ける事があり……過激な者からはPKを画策される事もあった。そういった男達の魔の手から彼女を守ろうと、和人は裏で独りで戦い、必要とあらばその手を穢してきた時期があった。当時の彼の心がどれだけ擦り減っていたかをはっきりと覚えている明日奈は、唇を噛み締めて俯いた。

 当時の彼以上の負担を背負いながら、楯無はそれを悟らせなかった。彼女に仕える虚や巧也もそれは同様で、彼女達の覚悟や意志の強さを思い知らされる。

 

 「でも……ならどうして、巧也とカンザシ達は幼馴染なんだ?さっきアイツは異例だって言ってたけど、何があったんだ?」

 

 「もう……巧也には肉親がいないの。彼が死んだら、野上の血は途絶えてしまう……」

 

 「代々アイツの先祖は殉職者が絶えなくてな……そうでなくても任務で受けた傷とかが原因で……全員が天寿を全うできずに他界してる。裏を返せば全員が優秀な人材で、危険な任務をどの家系よりもこなしてきた証拠なんだが……そのツケが今、巧也に乗っかってるんだ」

 

 「ま、待って!衰退していくのが目に見えているなら、組織の中で配偶者を選出したり、縁談を持ち掛けたりはしなかったの?」

 

 巧也が既に天涯孤独である事に動揺しながらも、明日奈はもっともな疑問を抱く。すると和人も簪も気まずそうに視線を彷徨わせた。

 

 「だってさ……誰だって遠からず未亡人になるって分かってる所に自分の娘を嫁がせたくないだろ?最悪の場合、野上家が撃ち損じた敵がその縁を辿って襲ってくる危険だってあり得るわけだし」

 

 「そんなの同じ組織にいる人全員にかかるリスクですよね?尻込みする理由にならないんじゃ……」

 

 「なるんだよ……一番上の更識家や補佐兼世話役の布仏家とかの例外を除いて、どの家が暗部に属しているのかとか、何処にどれだけの人員がいるのかとか把握していなくてな。情報漏洩を避ける為にも、部下の家系同士の繋がりは希薄なんだ」

 

 「一応、地域ごとに部下を束ねてる中間管理役の家とか、和人さんの所みたいに海外で公の立場を得てエージェントを束ねる役割の家系もあって、そこなら幾らかの情報が集まりますけど……全体がバレる事はまず無いんです」

 

 だから暗部に属する家系同士での婚姻等はリスクになるのだと、和人達は言外に告げる。

 

 「後はデカい組織の宿命っていうのかな……最前線で成果を出し続けてきた野上家に嫉妬して、裏切り……まではいかなくても、足を引っ張って犠牲を増やした輩も過去にいたんだ」

 

 「外と内、両方に敵がいるのに等しくなっても……巧也の一族は愚直に更識家への忠義を貫き続けて……この数十年では特に殉職者や早死にする人が多かったんです」

 

 「そんな……」

 

 「先代の楯無が身内の粛清を徹底的にやったから、今は嫉妬してても変な行動をする所はいない筈だけど……その頃にはもう、巧也だけしか残っていなかったんだ」

 

 「ひどい……巧也君の家族やご先祖様は、ただ使命を果たして戦っただけじゃない……」

 

 幾分か顔を青ざめさせる明日奈。先程からの血生臭い話は、いかに彼女といえど平気な顔をしていられるものではなかった。

 

 「管理役の家系(お偉方)の連中は野上家を残す方針そのものには納得してくれたさ。今じゃ荒事が想定される所には他の戦闘役の家系が出張ってるし……でもあの老害共がなぁ……」

 

 「犠牲を押し付けられる存在(野上家)が無くなるのは困るけど、存続させる為に自分達が縁を結ぶのは嫌っていう自己保身に走る家ばかりで……見かねたお姉ちゃんが外から選ぶからもう口出しするなっておど……説得してきたって言ってた」

 

 「脅したのか……あの人誑しな楯無さんでも強硬手段とるんだな」

 

 「ん。お父さんも身寄りのなくなった巧也を気にかけていて……その時からどの家ものらりくらりと言い訳して全然動かなかったのを、お姉ちゃん見てきたから……もう我慢できなかったって」

 

 「巧也の両親が亡くなってから、何だかんだあって母さんの所……桐ケ谷家(うち)で預かるって事になったのが、もう十年くらい前になるのか……」

 

 昔を懐かしむように、和人が目を細める。

 

 「初めて会った頃のあいつはとにかく無表情でな……俺や刀奈はどうにか笑わせようと色々な悪戯やちょっかい出してたよ。たまにやり過ぎて虚さんに正座で説教されたなぁ……」

 

 「でも、打ち解けて笑ってくれるようになった。とても歪だけど、自分の心を手に入れて……道具(モノ)から人に変わってくれた」

 

 「でもまだ……人になりきれていない。強引でもこうやって伴侶ができれば、変わるきっかけになるかもしれない……だから巧也と転入生の仲が上手くいくように、手伝って欲しいんだ。どうかこの通り……!」

 

 「お願い……!」

 

 和人と簪が、揃って頭を下げる。彼らの真っ直ぐな願いを、明日奈や一夏は断れない。だが、その前に確かめておかなければならない事があった。

 

 「二人や楯無ちゃん達が、巧也君を人として大事に想っているのは分かったわ。でも、一つ聞かせて。どうして彼をそこまで大事にするの?私が言えた事じゃないけど……今まで道具(モノ)扱いしてきた筈なのに、今更人として扱うって決めた根っこの部分は一体何の為なの?」

 

 「先代の楯無の頃から、部下を道具として使い潰すのは避けるように方針が変わって……いや、そんな建前はどうでもいいか。ただ、心から幸せになって欲しいって願っているだけだ。生まれた家に定められた役割なんて関係無い……誰が何と言おうと、血がつながっていなくても、巧也は俺達の家族なんだ……!」

 

 彼が向ける眼差しが、偽りなき本心と共に明日奈達に届く。ただ身内の幸福を望むその想いは……人として当たり前だけれど、決して忘れてはいけない大切なもの。

 

 「……うん、分かった。手伝うよ」

 

 「オレも……友達だって思ってるから……ここまで聞いて、何もしないなんてできません。手伝います」

 

 「アスナ、アイン……ありがとう……!」

 

 こうして手を差し伸べてくれる二人はとても頼もしく、和人も簪も協力を仰いでよかったと思うと胸の中にあったつかえが取れた。

 

 「だ・け・ど」

 

 「ア、アスナ、さん……?」

 

 「まだ巧也君の事情しか言ってないでしょ?今度は転入生の子の方も教えてくれなきゃ手の打ちようが無いわ」

 

 まるでKoB副団長の頃に戻ったかのように、明日奈の表情が瞬時に真剣なものに切り替わる。言葉にしづらい威圧感に、全員が自然と居住まいを正す。

 

 「それじゃカンザシちゃん、相手の子について教えて頂戴。資料とかあったらいいんだけど……多分そういうのは楯無ちゃんしか持ってないでしょ?」

 

 「は、はい……えっと、相手の名前はシャルロット・デュノア。フランスの代表候補生で……以前は同国内でIS事業を手掛ける大手企業、デュノア社の非公式テストパイロットを務めていたそうです」

 

 「そう……会社と同じ名前があるって事は、社長の血縁者かしら。でも何で非公式……?代表候補生になれるだけの実力があるなら、セシリアちゃん達みたいに広告塔として売り出していたっておかしくないのに……」

 

 開示された情報からすぐさま考察を重ねていく明日奈。SAOフロアボス攻略会議の時と劣らぬ思考の速さに若干気圧されながらも、簪は続きを語る。

 

 「……実は彼女、社長と妾の子なんです。だから公にするのは憚られたみたいで……でも高いIS適正を無駄にする訳にもいかなかったそうです」

 

 「……だ、大丈夫なのか?そういう子って、不当な扱いを受けたり心に傷を負ってたりしてそうなんだけど……」

 

 「二年前に彼女の母親が他界するまでは、母子家庭とはいえ比較的一般的な暮らしをしてたみたいで……でも今はとても厚遇されているとは言えないって聞いてます」

 

 「そう……」

 

 シャルロット・デュノアなる少女の出自についての要点を聞き終え、明日奈は一つ深呼吸をする。一夏が抱いたのと同様の不安は彼女の中にもあるが、今は努めて冷静に手立てを考える時だと自分に言い聞かせる。

 

 「そのシャルロットちゃんが相手に選ばれた経緯は?」

 

 「最初の要因は、デュノア社に暗部(うち)がつけ入る隙を見つけた事です。上手く繋がりを持てれば、欧州にいるエージェント達へのサポートを強化できますから」

 

 「あ、そっか。でっかい会社の社員とか役員に紛れ込めれば、色々と融通が利くようになるもんな。でもそんな所に、一体どんな隙があったんだ?」

 

 「更識(うち)の目的はアインの言う通り。簡単に言うと今のデュノア社は経営難の真っただ中で、そこに付け込んだの」

 

 「でもカンザシちゃん、デュノア社って訓練機のラファール・リヴァイヴの製造元で、世界シェア三位の筈よね。そんな大手がどうして経営難に陥るのかしら?」

 

 「確かにデュノア社の主力ISラファール・リヴァイヴは汎用性に秀でた機体で、IS学園(ここ)に訓練機として配備されている他にも多数の国家や企業が正式採用とライセンス生産を進めるくらい高い完成度を誇っています。ですがフランスは欧州の統合防衛計画―――イグニッション・プランからは除名されていて、第三世代機の開発が急務なんです」

 

 「そういう事ね……!」

 

 一を聞いて十を知る、とばかりに明日奈は納得するが、一方で一夏は理解が追いつかずに首を傾げる。この類の話ですぐさま事情を察せるのは一握りであり、普通な反応を示す彼に和人は苦笑しながら説明を引き継ぐ。

 

 「アイン、物作りってすごーく金と時間がかかるのは知っているよな?食べ物や道具、ゲームだって……試作して、失敗して、そこから改善して……そのサイクルを何度も繰り返して。ISも同じだ」

 

 「それは……分かります。でもそれだったらラファールの売り上げを元手にできる分、デュノア社って第三世代機の開発はやりやすいんじゃ……?」

 

 「残念な事に、IS開発ってのはそれだけじゃとても賄いきれないくらいの金食い虫なんだよ。それこそ国から沢山援助してもらわなきゃ成り立たない程にな。さて、ここでもう一個の問題が絡むと……どうなる?」

 

 もう一つ―――時間について考慮して、一夏もまた気づいた。

 

 「そうか……ラファールって確か第二世代最後発だから……新しい設計を煮詰める時間が足りていない……?」

 

 「正解だ。時間が無いから碌な成果が出せず、国からの評価が下がって援助の額も下がる。それでも第三世代機の開発はやらなきゃいけないが、今度は金が無くて進まない……」

 

 「成果が出ないから充分な援助が貰えなくて資金不足になる……資金不足だから成果が出せなくて充分な援助が貰えない……コレ、完全に悪いループじゃないですか」

 

 デュノア社が経営難に陥った原因が分かり、一夏は顔を顰める。何事に於いても、スタートダッシュに出遅れアドバンテージを取れなかった者達が後から追いつくのは非常に困難だ。デュノア社、ひいてはフランスは今その瀬戸際にいて、後がないのだと彼は悟った。

 

 「そしてデュノア社は、シャルロットをIS学園に送り込む事を決めました……それも男装させたうえで」

 

 「え……何で?すぐバレるの見え見えじゃん。千冬姉が誤魔化されるワケないし」

 

 「多分アイン達と接触しやすくする為だと思う。それでアイン達の機体の稼働データとか、生体データを掠め取ったら何かと理由をつけてフランスに帰って雲隠れすればいい」

 

 「ひでぇ……でも、他の国が黙ってないだろ。四人目の男子はどこ行ったーって絶対フランスが袋叩きにされるって」

 

 「そうよね。目先のメリットに対して、リスクが高すぎる……全然真意が読めないわ」

 

 一夏が指摘した事柄についての答えに見当がつかず、明日奈は眉を寄せる。自分達も同じだと和人が肩を竦めると彼女は表情を戻したが、棚上げせずに頭の片隅に留めておく。

 

 「……丁度そうやって性別を偽る準備をしている所を、現地にいたエージェントが知って……その情報を弱みとして握ったお姉ちゃんが、この前直接交渉しに行ったんです」

 

 「結局刀奈がどんな取引して……向こうからシャルロット・デュノアを手に入れる為に、こっちが何を差し出したのかは分からないけどな……推測するなら、第三世代機開発の為の技術提供とか、技術者の派遣とかだろうな。資金援助なんかは焼け石に水だし、そもそもデュノア社の第三世代機の開発が上手くいけば、後は自力で立ち直れるだろ」

 

 「そう、ですね……何だか、そのシャルロットって子の事も道具扱いしてるみたいで……嫌な感じしますけど」

 

 「それが普通の反応さ。お前はその気持ちを忘れないで、自分の心のままあればいい。誰かと触れあって、繋いだ心がお前の強さなんだから」

 

 自分の願いを言い聞かせるように、和人は一夏の頭をなでる。綺麗事だけでは成り立たない暗部の思考を受け入れてしまうようになった自分と違い、彼はまだそんな哀しい色に染まっていないのだから。

 

 「他にも、色々な打算込みで彼女が選ばれました。向こうはデュノア社にいるよりはマシなら何でもいいって、諦めた様子で引き抜きやすかった事とか……代表候補生になれるだけの才能や身体能力があるなら、巧也の後継ぎの母体だったり、任務のパートナーとしても優秀だろうって見込みとか……巧也に公の後ろ盾が手に入る事とか」

 

 「ちょ、ちょっと待ってカンザシちゃん。後ろ盾って、三人共日本政府やカンザシちゃんの実家が守っているんじゃ……?」

 

 「今はそうですけど……日本が本気で男性操縦者の研究についてアドバンテージを取ろうと舵を切った時に、最初にモルモットにされるのは巧也なんです。部下の家系一つ絶やすだけで、日本が世界の先頭に立てるなら……お姉ちゃんは、楯無として巧也に……死ね(・・)と命じなければいけないんです。そして巧也も……絶対にそれを受け入れます……!そういう風に……そうあるべきだって……更識(わたしたち)が、育ててしまったから……!だから今、彼には日本以外の後ろ盾が必要なんです……!」

 

 「カンザシ……」

 

 努めて平坦に話していた簪だったが、最後には堪えきれない涙や嗚咽を漏らしてしまった。そしてそんな彼女に、一夏は何と言葉を掛ければいいか分からない。簪の苦悩は彼女だけのものであって、今の自分が安易な言葉で慰めるべきではない。故にそっと簪の傍に腰かけ、彼女の気が済むまでその背をさする。

 

 「巧也の事は、俺だって同罪だ。俺達が中途半端に心を持たせてしまったから……自分自身よりも、俺達に尽くそうとする……そんな歪んだ覚悟に昇華されてしまったんだ」

 

 感情を押し殺した声で、和人は懺悔するように吐露した。そこに込められた苦渋の想いに気づいた明日奈が、優しく彼の手を握る。

 

 「二人が色々と納得したくないって思う事があるのは仕方ないけど……この話が上手くいってくれれば、巧也だけが生贄として差し出される事は当分避けられる……だから、絶対に成功させたいんだ。例え俺達の偽善、いや独善だとしても……あいつが死ななくて済むなら……俺達は……!!」

 

 絞り出された声には隠し切れない震えがあって。どれ程後ろ指さされる様になってでも巧也(かぞく)を守りたいという和人の想いが、明日奈と一夏には痛い程伝わってきた。

 確かに手段は真っ当とは言い難く、決して正しくもない方法なのだろう。けれど……その根底にある、身近な掛け替えの無い存在を守りたい、という想いはとても尊く―――絶対に間違いなんかじゃない。

 

 「やりましょう。巧也が大事なのは、オレ達みんな一緒ですから」

 

 「大丈夫。皆がいれば、きっと上手くいくわ」

 

 やり場のない怒りや割り切れない気持ちを呑み込んで、明日奈と一夏は改めて協力する事を選ぶのだった。




 暗部については結構好き勝手に考えました。

 ……ぶっちゃけ原作じゃ組織についてとか……世話役の布仏家以外の、更識家の部下に当たる家系とか全然出てこないんですもん……

 一応言っておきますと、作者はハッピーエンドが好きです。例え陳腐だとか、ご都合主義だとか言われても……バッドエンドよりハッピーエンドを迎える作品の方がいいです。


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二十一話

 遊撃手の息抜きにちょいちょい書いてましたけど……半年くらい空いてましたね……

 こっちの話を覚えている人、いるのかな……


 六月上旬。一年一組の教室に新たな学友がやってきた。

 

 「初めまして、シャルロット・デュノアです。フランスから来ました。不慣れな事ばかりでご迷惑をかけてしまうと思いますが、これからよろしくお願いします」

 

 「……」

 

 片や金髪、片や銀髪。愛想笑いと不愛想。まったく対照的な二人の転入生の態度に、女子生徒の殆どが困惑していた。

 

 「ボーデヴィッヒ、挨拶をしろ」

 

 「はい、教官」

 

 「その呼び方は止めろ。ここでは織斑先生と呼べ」

 

 「はい」

 

 千冬が仕方なく促すと、不愛想だった銀髪の少女―――ラウラ・ボーデヴィッヒは一転して従順に答えた。

 

 (教官って……?ああ、そういえば千冬姉って一時期ドイツで軍隊教官やってたよな。あいつはその教え子なのか)

 

 姉を教官と呼ぶ様子から、一夏はラウラについて考える。非常に小柄な体格をしているが、真っ直ぐに伸ばされた背筋や眼帯によって隻眼となった瞳に湛えられた冷徹な光が、彼女を大きな存在に錯覚させる。

 

 「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 

 抑揚の乏しい平坦な声で、彼女は己の名を告げる。しかしその後は口を閉ざし、シャルロットの様に喋る事は無かった。

 

 「あの、他には……?」

 

 「ありません」

 

 躊躇いがちに真耶が続きを促すが、語るべき事は無いと言わんばかりにそれをバッサリと切り捨てるラウラ。即座に拒絶された真耶はたちまち涙目になった。千冬を教官と呼んでいた事からおそらく軍人なのだろうが、それにしたってストイック過ぎないかと一夏は少々この場に似つかわしくない感想を抱く。

 その所為だろうか。ふと気づけば一夏は、そのラウラと目が合ってしまった。途端に彼女の表情が険しくなり……自分という一点に収束された憎悪に彼の意識も剣士の頃のそれへと切り替わる。

 

 「貴様が―――!?」

 

 「……え?」

 

 足早に迫る彼女が右手を振り上げ、それから身を守るべく一夏は左腕を掲げたが……予想していた衝撃はこなかった。

 

 「ボーデヴィッヒ。転入早々に私の前で暴力沙汰とはいい度胸だな?」

 

 「き、教官!?」

 

 振り上げられたラウラの右腕が、背後から千冬によって掴まれていたからだ。そして淡々と話す千冬の声から僅かに滲む怒気。周囲の生徒達には分からないそれを捉えられたのは、一夏とラウラの二人だけだった。そして、それだけで身じろぎ一つ許さぬ程の圧倒的な威圧も。

 

 「いいかボーデヴィッヒ。今のお前は祖国(ドイツ)の名を背負う代表候補生だ。自らの安易な行動が同郷の者……ひいては祖国に与える影響を自覚しろ。分かるな?」

 

 「……はい」

 

 「ならいい」

 

 掴んでいた腕を離し千冬は教卓へ、ラウラは予め聞かされていたであろう空席へと向かった。

 

 「で、ではデュノアさんもあちらの席へ。HR(ホームルーム)を始めますね!」

 

 静まった教室の空気を切り替えようとした真耶の、空元気な声が空しく響いた。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 屋外での実技授業の為に男子達が教室から出ていった後、ISスーツに着替えた明日奈はグラウンドに向かうがてらシャルロットへと話しかける。

 

 「初めましてデュノアさん。私は結城明日奈、よろしくね」

 

 「あ、はい。よろしくお願いします」

 

 シャルロット自身、明日奈の事についてある程度の情報は祖国で得ていた。本来密偵として使われる時に、男性操縦者の一人である和人と接触する際に障害になるだろうから警戒しろと伝えられていたからだ。そんな彼女の考えを知ってか知らずか、温和な態度で接する明日奈。

 

 「そんなにかしこまらなくても良いのよ。分からない事があったら何でも聞いてね?……一応、貴女の事情は聞いているから」

 

 「っ!?な……何で、それを……?」

 

 「私が楯無ちゃんと交流があるから、かな。一年生で知っているのは男子三人と私、本音ちゃん、クラスは違うけど楯無ちゃんの妹のカンザシちゃんね。みんな口は堅いから大丈夫よ」

 

 他人に聞かれないように注意しつつ、明日奈は開示した情報にシャルロットがどう反応するのかと様子を伺う。図らずともシャルロットにとって不意打ちに近いその告白に、IS学園に来る直前で執事から聞かされた情報が脳裏によぎった。

 

 (協力者(・・・)がいるって、ボクの事情を知っている人がいるって意味だったんだ……)

 

 動揺する心を隠すべく、シャルロットは咄嗟に曖昧な笑みを浮かべた。声が聞こえる距離に人がいなくとも、注目されやすい編入生の自分と話している明日奈に興味本位で視線を向けている生徒達はどこにでもいるからだ。表情を繕わねば、そんな事情を知らない数多の生徒達から疑問を持たれ、あらぬ事を邪推されるかもしれない。幸い笑顔を張り付けるのはもう慣れている。

 

 「そう言う事でしたら、今後はお言葉に甘えさせてもらいますね」

 

 「ええ、よろしくね」

 

 だからだろうか。上辺だけでも繕うべく無難な返事をしたつもりのシャルロットに向けられた明日奈の微笑みが、純粋な厚意によるものだと気づけたのは。

 

 (あったかくて……綺麗だなぁ……)

 

 自分という存在を押し殺してきたシャルロットにとって、本心からの表情を露わにできる明日奈の姿は眩しくて……空虚だった胸の内が、ほんの僅かに温かく感じられた。

 

 (ジェイムズ……貴方の言う通り、こっちの方が居心地がよさそうだよ)

 

 フランスに……デュノア社にいた頃の日々で色褪せていた心は、戸惑っているけれど。自分の身の上を知った上で話しかけてくれた明日奈のように、手を差し伸べてくれる人を信じてみようと、シャルロットは思うのだった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 「―――では、本日から格闘及び射撃を含む実戦訓練を開始する」

 

 (……相変わらず慣れねぇ……てか、後ろ振り向けねぇよ)

 

 千冬の号令で授業が始まる中、一夏は考えが表に出ていない事を祈りながらも内心で溜息をつく。教室と同じく最前列にいるため、どの授業でも一定数以上の生徒達からの視線が無くならず、さらに今は二組との合同授業。単純に視線の数が激増している。加えて皆が着ているISスーツというのが体のラインを鮮明にしてしまうので、年頃の男子としては非常に目の毒なのだ。

 

 (うぅ……キリトさんも巧也も、何で平気なんだよぉ……)

 

 ちらりと横に目を向ければ、自分のように煩悩に苛まれている気配が全くない男子二人の姿が映る。平然としていられる彼らを羨ましく思う一夏だが……二人の場合、幼馴染が楯無をはじめとした容姿の優れた異性だらけだった幼少期を過ごしてきた事で、耐性がついていただけだったりする。

 余談だが、主に楯無が行っていたスキンシップを含んだ悪戯の数々によってついてしまった、和人の異性への耐性の強固さに、SAO時代の明日奈が涙をのんだのも一度や二度ではなかったと記しておく。

 

 「まずは戦闘の実演をしてもらおう。そうだな……凰!オルコット!前へ出ろ!」

 

 「はい」

 

 「分かりましたわ」

 

 専用機を持つ代表候補生の二人が前に出る。そのまま指示に従いそれぞれの機体を展開し、即座に臨戦態勢へ移行したところで、千冬から待ったをかけられた。

 

 「そうはやるな小娘ども。今回の相手は―――」

 

 「―――ど、どいてくださぁぁああい!!」

 

 突如上から響く悲鳴に、誰もが空を仰ぐ。同時に甲高い風切り音が耳朶を打ち、何かが真っ直ぐにこちらへと飛来……もとい落下してきた。

 

 (速い!?のほほんさん達の退避が間に合わない!!)

 

 元々狭き門を潜り抜けてきた才女であるクラスメイト達は素早く逃げ始めているが、落下してくる物体の方が圧倒的に速く、避難が間に合わないと直感で悟った一夏。自己ベストを更新する速度で白式を展開し、彼女達の盾となるべく身構える。

 

 ―――轟音。

 

 「あ、あれ……?」

 

 剣士としての意識に切り替える前の状態でのアクシデントに、つい目を閉じていた一夏だったが、予想していた衝撃が来なかった事を不審に思い目を開く。

 

 「皆さん、ご無事ですか?」

 

 「た、巧也!?」

 

 前方に非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)の物理シールドを構えた少年の背中が視界に映り、彼は驚きから声を上げる。

 

 「助かったよ。俺もアインも盾持ってないからな」

 

 「いやキリトさん、問題そこじゃないでしょ。巧也の機体が一番脆いんですよ!?」

 

 同様に極夜を展開していた和人が、庇うように抱えていた明日奈を下ろしながら告げた言葉に、一夏は思わずツッコんだ。

 

 「問題ありません。衝撃も盾の許容範囲内でしたし、先生(・・)も対処してくださいましたから」

 

 「せ、先生?」

 

 「うぅ……お、おでこが痛いですぅ……」

 

 煙が晴れた先に目を向けると、涙目で額を抑える一組副担任の姿が。学園で打鉄と並んで採用されているIS、ラファール・リヴァイヴを纏っている事から、先程落下してきたのは彼女だったのかと理解する。

 

 「いやいや、下手したら墜落事故で怪我人出てたんじゃないのか……?」

 

 「最低限、生身の生徒達が巻き込まれないように急制動と軌道変更をしていましたよ。結果論ですが、僕らが出しゃばらなくてもギリギリ後方へすり抜けてから不時着するコースでした」

 

 ハイパーセンサーで試算したのか、巧也が苦笑する。一番体を張った筈の彼が何事もなかったかのように振る舞う様子に、先日簪から伝えられた「使われる存在」という言葉が脳裏をよぎる。

 

 (オレ達の身代わりになるのが当たり前だって言いたいのかよ、巧也……?)

 

 織斑一夏は、野上巧也について知らない事が多すぎる。故に今、彼の在り方に違和感を抱いてもその心に踏み込めない。その事実が形容しがたいモヤモヤとして胸の内に燻る。

 

 「―――山田先生、しっかりしてください」

 

 「お、織斑先生!?はい!すみません!!」

 

 蹲っていた真耶だったが、千冬の声にすぐさま直立不動の姿勢をとる。赤くなった額や目元に滲んだ涙がそのままだったので教師としての威厳が全然感じられない。

 

 「はぁ……大した怪我ではありませんし、山田先生にはそのままオルコット達と戦ってもらいます。いいですね」

 

 「わ、分かりました!!」

 

 静かな担任の声に再度姿勢を正す副担任。しかしその内容にセシリアが聞き間違いではないかと声を上げた。

 

 「お、織斑先生?いくら何でも二対一というのは……」

 

 「なぁに、安心しろ。今のお前たちならすぐ負ける(・・・・・)。遠慮せず全力でいけ。でなければ―――」

 

 事実のみを伝えるような、淡々とした口調で語っていた千冬が、愉快そうに口許を歪める。

 

 「―――無様を晒すだけだぞ、ひよっこ共」

 

 受け継いだ遺産を守る為、一度離れざるを得なかった想い人の傍に舞い戻る為、並々ならぬ努力の末に代表候補生の地位を勝ち取った二人にとって、挑発だと分かり切っていても応じないという選択肢は無かった。

 

 「ええ、ええ。仰るとおり全力で行きますわ!」

 

 「ふふふ……いいじゃない、やってやろうじゃないの!」

 

 「い、いきます!」

 

 闘志をむき出しにした二人の生徒と、頼りなさが残る様子の教師が空を駆ける。一夏や和人を含めたほぼ全員がセシリア達の勝利を予想する中、千冬が口を開く。

 

 「丁度いい。デュノア、山田先生のISの解説をしろ」

 

 「は、はい」

 

 唐突な指名に驚きながらも、シャルロットは祖国の……それも実家の会社製の機体について淀みなくスラスラと解説を述べていく。そんな彼女の声を聞きながらも、全員が信じがたいという表情で空を見上げていた。

 

 「あ、あれ……ホントに山ぴー?」

 

 「凰さんの格闘いなして……」

 

 「セシリアのレーザーもビットまで躱してるよ……」

 

 「織斑君たちだって、まだ全部は避けれないのに……」

 

 低威力でマシンガンの如く衝撃砲を乱射し牽制しながら双天牙月の斬撃を仕掛ける鈴音をブレードで受け流し、離れた瞬間に飛来するレーザーの雨を最小限の動きで回避するどころかセシリアに銃撃を返す真耶。普段のどこか抜けた柔らかな雰囲気とは一転して冷静な姿に、皆が唖然とする。

 

 「ああ、セシリアちゃんそこで撃っちゃダメ……鈴ちゃんの踏込みにブレーキかかっちゃう」

 

 「あの二人の連携が拙いってのもあるが……完全に手玉に取るとか凄いな」

 

 「ですね。って鈴、今突っ込むなよ……ほら、セシリアの射線遮っちまった」

 

 代表候補生二人に普段からISの教えを乞うようになり、彼女らの実力を知っている明日奈、和人、一夏もまた、真耶がしている事に求められる技量を想像し戦慄を隠せなかった。

 

 「―――ふむ、詰んだな」

 

 千冬がそう呟いた直後、誘導されたセシリアと鈴音が衝突し、すかさず投げ込まれたグレネードが直撃。黒煙を引きながら二人がグラウンドに墜落した。

 

 「言い忘れていたが山田先生は元代表候補生だ。専用機持ちだろうが何だろうが、諸君らが束になっても敵わんぞ……以後、敬意を持って接するように」

 

 敗北が悔しかったのか、ぎゃいぎゃいと言い争う代表候補生二人を背に千冬がそう告げると、いつもの雰囲気に戻った真耶が降りてきた。

 

 「昔の話ですよ織斑先生。それに、私は候補生止まりでしたし……」

 

 苦笑する真耶だが、その実セシリアと鈴音を下したばかりの彼女は息を乱すどころか汗一滴すらかいていない。それに気づいた生徒達は先程の担任の言葉が純然たる事実であると理解せざるを得なかった。

 

 「では専用機持ちである織斑、オルコット、桐ケ谷、デュノア、野上、ボーデヴィッヒ、凰、結城の八人をリーダーとし、出席番号順に各グループに分かれろ。順番は今言った通り。もたつくようならばISを背負ってグラウンド百周させるぞ!」

 

 パンパンと手を叩いて千冬が号令をかける。少女達も淀みない動きで分かれていくあたり、千冬の指導が行き届いているというべきだろうか。

 

 「はぁ……織斑、オルコットと凰の仲裁をしてこい」

 

 「あっはい」

 

 やれ射線に入るなだとか、やれビットが邪魔だとか、不毛な言葉の応酬が止まる気配の無い二人に呆れた担任の命令に、内心では同じく溜息をつきたくなるのを堪えて一夏は従う。断ったりでもすればすぐさま鉄拳制裁が飛んでくるのが目に見えているから、などとは口が裂けても言えないが。

 

 (けど、二人とも我が強いからなぁ……どっちも悪い、とか言っても絶対納得しないよな……)

 

 どうやって二人を止めようか、と頭を抱えたくなった一夏だった。



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二十二話

 こっちの方、お久しぶりです……


 セシリアと鈴音の言い争いは一夏が仲裁しても収まらず、結局千冬の鉄拳が振るわれる事になったものの午前中の実習は問題なく終わった。その後は天気が良かった事と、以前簪が漏らした要望を叶えようとしていた一夏の提案により、学食ではなく校舎の屋上で昼食をとる事となった……のだが。

 

 「―――た、頼むから機嫌直してくれってアスナ」

 

 「つーん」

 

 「……ねぇアイン、何があったの?」

 

 「あー……えっと。途中でIS解除する前にしゃがませるのを忘れちゃった人がいてな……次の人をキリトさんが運ぶ事になって……」

 

 一夏の言葉に、午前中の実習で彼らに起こった出来事のおおよそを察した簪。和人の事だから、努めて冷静に、最低限の接触時間で件のクラスメイトを抱えて運んだのだろうが……和人が恋人(アスナ)の眼の前で別の女の子を抱えて運んだ事実は変わらない。明日奈自身、和人に他意が無かった事や彼が簡単に心変わりするような人ではない事は理解しているものの、だからといってヤキモチを焼かずにはいられないのが恋する乙女なのだ。

 

 「そう……アインの方も?」

 

 「……はい、イマシタ……」

 

 「むぅ……」

 

 そしてそれは、明日奈だけではなく簪もまた同じ。元々本人にその気が無くとも、何かと異性に好かれやすい人を好きになってしまった宿命だと理屈で自分を納得させようとしても、幾何かの嫉妬を抱かずにはいられなかった。

 

 「うぅ、カンザシもかぁ……頼む!この弁当で機嫌直してくれ!」

 

 恋を知り、多少は異性への鈍感さが改善されつつある一夏は、簪や明日奈が不機嫌な理由を何となく察する所まではできたが……気の利いた言葉を掛ける事は叶わなかった。故にできたのは持ってきていた弁当を差し出して頭を下げる事のみ。

 

 「……うん。アインは、悪く、ないよ。だから……謝らないで」

 

 己に言い聞かせるよう、ゆっくりと言葉を紡いだ簪は差し出された弁当を受け取る。遅れている勉強を頑張る合間を縫って、自分の我儘を叶えてくれたのだ。その想いを無下にする気は毛頭ない。

 

 「作ってくれてありがとう、アイン」

 

 精一杯の笑みを浮かべ、感謝の言葉を口にする。羞恥に頬が熱くなるが、真正面にいる恋人の顔が一瞬で赤く染まるのを見て、即座に気にならなくなった。

 

 「……ボク、お邪魔なんじゃ……?」

 

 「あれが彼らの平常運転です。その内慣れますよ」

 

 困ったような曖昧な笑みを浮かべるシャルロットにお茶を淹れながら巧也は告げるが、本当にそうだろうかと彼女は視線を少し横へと向ける。

 

 「慣れるワケないでしょーが……」

 

 「渋みの強い茶を持ってきて正解だったな……」

 

 「ホホホ……いつもの事ですわ」

 

 ジト目で巧也を睨む鈴音、まだ何も食べていないのに口内に感じる甘味をお茶で誤魔化す箒、口許を隠して優雅に微笑むが、ダメージを隠しきれていないセシリア。三者共に一夏と簪の甘い雰囲気に充てられているのがシャルロットにはありありと感じられた。

 

 (明日奈さんの機嫌まで直ったら―――ってもう直ってたー!?)

 

 一夏達を見ていた僅かな間に、どういう訳か和人は明日奈のご機嫌取りに成功した模様だった。今朝自分に声を掛けてくれた時の頼りになる大人びた笑みではなく、愛情に満ちた柔らかな表情に思わずシャルロットは二度見した。

 

 「明日奈さんも本気で拗ねていた訳じゃありませんよ。彼女も和人には結構悪戯したがるだけです」

 

 「そ、そうなんだ……」

 

 「だから何でアンタは平気なのよ……」

 

 「和人と簪(みうち)が幸福な様子に苦痛を感じる人がいますか?少なくとも僕には考えられません」

 

 「鈴が言いたいのはそういう事ではない筈だが……まあいい」

 

 鈴音と巧也の言葉にズレ……とも言い切れない、小さな引っかかり。それを感じた箒はしかし、この場で追及するのは憚られた。彼の精神性や心構えの在り方についてなのは分かるが、そういったものは本人の生まれや育ち……姉の事で悩みが尽きない自分自身も踏み込まれるのを嫌う領域の話になるからだ。談笑しながら食事を摂る場で話題にすべきことではない。

 

 (それよりも……それよりもだ!)

 

 箒は自身の荷物から、弁当箱を二つ(・・)取り出す。弁当を持参したい生徒用に早朝開放されている寮の厨房を利用しようとしたら、一足先に調理していた一夏の背中を目撃し急遽自室に備え付けられたキッチンで作ったものだが、自信作だと胸を張れるだけの出来にはなったソレ。

 簪に肩入れしていながらも、気さくに接してくれる明日奈に悪いとは思うが、それでも想い人への気持ちを抑えられないのが恋する乙女。

 

 「い、一夏!」

 

 「一夏ァ!」

 

 「一夏さん!」

 

 重なった声に、思わず横を向く箒。その先には二つのタッパーを握った鈴音とバスケットを握るセシリアの姿があった。

 

 (被っただと!?よりにもよってこの二人と!?)

 

 (こんな時に限って、ですって!?)

 

 (想定外ですわね……ですが、ここは退けませんわ!)

 

 目が合った一瞬で、互いが同じ穴の狢だと察した三人娘。しかしもう声は発してしまい、振り返った一夏と簪に各自が持ち寄った武器(べんとう)をしっかり見られてしまっている。もう誤魔化せない以上、彼女達は進むしかない。

 

 「おお、皆も弁当作ってきたのか!いやーすっごい偶然もあるもんだな」

 

 「……そうだね」

 

 これが箒達のアプローチだと素で気づかない唐変木(一夏)と、分かっていて黙っている簪。気づいてくれない一夏にダメージを受けつつも、少女達はめげない。

 

 「け、今朝自分用に作り過ぎてしまってな。その、お前がよければなんだが……食べるか?」

 

 「見たトコ簪の分しか持ってきてないみたいだし、アタシの酢豚分けてあげるわよ」

 

 「わたくしも気が向いたので、作ってみましたの。おひとつどうぞ」

 

 三者三様。それぞれの大義名分(たてまえ)と共に武器(べんとう)を突き出す。素直に言えないあたり、一夏が気づくのはまだ先の事だろう。

 

 「皆ありがとうな。確かに鈴の言う通り、うっかり自分の分忘れてたんだよ」

 

 「っ!」

 

 だが恋心は現金なもので、想い人からの感謝の言葉と笑みで満足してしまうほどに幸福感が湧き上がる。

 

 「……私は、カップケーキ焼いてきたよ。たくさんあるから皆で分けよう?」

 

 「お、マジか!ありがとうカンザシ!すっげー嬉しい!」

 

 ……しかしながら一番の笑みは恋敵に取られてしまい、胸中はたちまち悔しさで上塗りされてしまう。

 

 (耐えろ……!ひとまず受け取ってくれたのだ。初めての成果としては十分だ……!)

 

 (デザートで来るなんて予想外よ!更識簪……恐ろしい女!)

 

 (わたくし達のアプローチを許しつつも、その先をいく……やはり強敵ですわね)

 

 内心で涙を吞む箒。戦慄する鈴音。己が挑む相手の強大さを噛み締めるセシリア。三人娘の胸中など露知らず、一夏はそれぞれから貰った弁当を開いていく。焼き魚、唐揚げ、ゴボウの炒め物等バランスの取れた献立は箒、最後に食べた時よりも一層豊かな香りと出来栄えを誇る酢豚は鈴音、彩り鮮やかなサンドイッチはセシリアの作品で、空腹だった一夏の胸は期待で高鳴った。同時に彼女達の料理の良い所は今後の自分の料理に活かそうとも。

 

 「いただきます」

 

 一夏が食べ始めるのを皮切りに、簪達も昼食に手をつけていく。ちなみに和人、明日奈、巧也、シャルロットは一足先に食べ始めている。

 

 「―――簪。カップケーキ、一ついいか?」

 

 「へ?いい、よ」

 

 食べ始めて少し。唐突な和人からの要望に訝しみつつも、簪はカップケーキを一つ手渡した。

 

 「キリトさん、まだ弁当残ってますよね?何で今……」

 

 「……そいっ」

 

 一夏の問いかけに答えず、屋上の端の花壇をじっと見ていた和人だったが……突然、持っていたカップケーキを放り投げた。

 余りにも予想外の出来事に誰もが目を見開き固まる中、カップケーキは放物線を描いて花壇に差し掛かり―――

 

 「んにゃぁぁああ!」

 

 花壇の裏から飛び上がった人物によって、無事キャッチされたのだった。

 

 「ちょっと和人ぉ!簪ちゃんのケーキ投げるとか正気ぃ!?アンタには人の心ってもんが無いのかぁ!?」

 

 「仕事サボって覗き見てるお前に言われたくない」

 

 飛び上がった人物……楯無からの抗議を受け流し、和人は淡々と携帯端末を取り出した。

 

 「もしもし虚さん、刀奈なら屋上です」

 

 『ありがとうございます。すぐに向かいます』

 

 「お昼くらい休ませてよ!二人の鬼!悪魔ぁ!!」

 

 普段の完璧超人という言葉がピッタリな外面をかなぐり捨てて喚く楯無と、彼女に雑な対応を返す和人。巧也達幼馴染はいつものじゃれ合いだと穏やかな目で見守るが、そうではない者達からすれば子供のように駄々をこねる生徒会長の姿に開いた口が塞がらなかった。

 

 「さ、流石に扱いが雑じゃないか……?」

 

 「……ん、アインが言うなら」

 

 過去に碌でもない事をされた記憶の方が強いが、それでもちょっと不憫じゃないかと一夏が心配すると、簪は一旦食事の手を止めて立ち上がる。

 

 「お姉ちゃん」

 

 「うぅ……簪ちゃぁん……」

 

 以前食堂で覗いた時に嫌いと言われた記憶を引きずっているのか、妹に呼ばれた途端に涙目で小鹿の如く震えだす姉。それでもキャッチしたカップケーキを落としたり潰してしまったりしていないのは、それが愛する妹の手作り故か。

 

 「もう一個あげるから、虚さんと分けて……頑張って」

 

 「はうっ」

 

 簪が歩み寄り、追加のケーキを手渡す。滅多にない妹からの接触に、シスコンである楯無は即座にノックアウト寸前まで胸が高鳴る。

 

 「私や、みんなの為に頑張るお姉ちゃんが……好きだよ」

 

 少々恥じらいながら、はにかむ簪。溺愛してやまない家族にそう言われてしまった、更識楯無は―――

 

 「―――シャアッ!何だってやったるわぁああああああ!!」

 

 ―――ヤル気スイッチ全開で爆走するのである。乙女らしからぬ叫びと共に屋上の柵を飛び越えた彼女は、校舎の凹凸を足場に軽い身のこなしで駆け下りて見えなくなった。勿論、両手は受け取ったカップケーキを持ったままで。

 

 「お疲れ、今日はやけに素直じゃないか」

 

 「最近は、その……色々頑張ってるから」

 

 和人の問いに、一瞬だけ簪の視線が巧也へと向けられる。明日奈や一夏は彼女が言わんとしている事を察し、同時に箒達に悟られないようにと話題を変える。

 

 「そ、そういや箒の上達すげぇよな。この前味なしチャーハン作ったのが信じられ」

 

 「その話は忘れろ!」

 

 「謹慎中に他の料理も一緒に作ったろ!失敗談の一つ二つ、気にすんなって。昔オレの失敗作を千冬姉がずーっと食べてたの知ってるだろ。それに比べりゃ可愛いもんさ」

 

 「か、かわっ!?」

 

 長い積み重ねで料理が上達していった一夏からすれば、箒の成長スピードが正直羨ましい。そう伝えたかったのだが……さらりと言われた’可愛い’に過剰反応した恋する少女()が目に見えて頬を染めて大人しくなる結果となった。その後ろで二人の乙女に火が付いたのは言うまでもない。

 

 「一夏!そろそろアタシの酢豚も食べなさいよ!」

 

 「一夏さん!わたくしのサンドイッチも如何でしょうか!」

 

 「わ、分かったよ……ちょっと待ってくれ」

 

 先に箒の弁当から食べ進めていた彼だったが、二人の感想をせがまれて一旦箸を置く。初めてとなるセシリアのサンドイッチと、久しぶりの鈴音の酢豚。どちらから食べようかと迷いながら、口直しにお茶を飲んで一息ついたその時。

 

 「隙アリ!」

 

 「むぐっ!?」

 

 「鈴さん!?」

 

 「あ!」

 

 丁度半開きになっていた一夏の口に、鈴音がレンゲを突っ込んだ。

 

 「ふっふーん。お茶飲んだ後に一息つくジジ臭い癖は、昔のまんまね」

 

 抗議の視線を向けるセシリアや驚愕する簪を無視して、得意げにニヤリと笑みを浮かべる鈴音。彼女の自信に満ちた表情を裏付けるように、一夏の口内に入った酢豚は丁度いい温かさで、最後に食べた時よりもずっと上達していた。

 

 「んぐ……うめぇな。それに、すげぇ懐かしい。ISの勉強しながら料理も上達してるとか、本当にすごいな」

 

 「ま、まぁね。どっちも譲れなかったのよ……」

 

 想い人(一夏)からの賞賛に仄かに頬を染める鈴音。気を抜けば緩みそうになる表情を悟られぬよう、料理の感想を聞けて満足したという態度で自分の食事を再開する彼女の横で、待たされていたセシリアがサンドイッチを突き出した。

 

 「さあ!一夏さん!」

 

 「お、おう。ちゃんと食べる、食べるから。その、離れてくれ……」

 

 対抗意識を燃やして前のめりに迫るセシリアを、一夏は両手を上げて落ち着かせる。勢いよく迫ってきた彼女の長い金髪から品の良い香水の香りが彼の嗅覚へと僅かに届き、一夏自身も落ち着く時間が欲しかったのだ。それにさっきの鈴音の行動以降、黙っている簪の事も気がかりで、仮に今サンドイッチを食べても味覚が素直に働いてくれるか定かではない。

 

 「……ん。こっち、気にしないで。ちゃんと、食べてあげて」

 

 「そ、そうか。分かった……」

 

 簪は眉が八の字になっていたものの、そう言って一夏をセシリアと向き合わせる。

 

 「……いただきます」

 

 期待と緊張の入り混じった様子のセシリアからの視線を受けつつ、彼女から受け取ったサンドイッチを頬張る。

 瞬間、暴力的なまでに強烈な甘味が彼の味覚を襲った。

 

 「っ!?…………っ!!」

 

 全くもって予想していなかった味に驚愕し、固まる一夏。

 

 (な、何でこんなに甘いんだ……!?見た目BLTサンドの筈なのに……ベーコンの塩気も、トマトの酸味もしないぞ……?)

 

 端的に言えば不味い、の一言しか出てこない味だったが、吐き出すような事は絶対にしなかった。どんな物であれ、食べ物を粗末に扱う事や、人様の厚意を無下にする事はしないという彼の矜持がそうさせたのだ。

 

 「ど、どうでしょうか……?」

 

 普段の自信に満ちた様子とは打って変わって、不安げに俯きチラチラと視線を送るセシリア。そんな彼女に堂々と不味い、なんて言える人が果たしてどれ程この世にいるのか。少なくとも一夏は、正直に伝えるのは憚られた。

 しかし、今現在彼の口内で暴れ狂うサンドイッチが、セシリアを傷つけない言い方を模索する為の思考力を奪っていったのも事実。何とか時間を稼ごうとゆっくり咀嚼する一夏だが、その分サンドイッチに味覚を蹂躙され、気の利いた言い回しなんて一切浮かばない。

 

 「……んぐ……せ、セシリア?コレって味見、した?」

 

 「アジミ……とは、何ですの?」

 

 辛うじて絞り出した問いかけに、小首を傾げる英国淑女。僅かな所作にまで気品があるのは彼女の美点だよなぁと場違いな事を考えなければ、彼女が味見を全くしていない(・・・・・・・・・・)という事実を一夏は飲み込めなかった。

 

 「……失礼」

 

 「あっ」

 

 横合いから伸びた手が、一夏からサンドイッチを取り上げる。追って目を向けた時には、簪が彼の食べかけのサンドイッチをセシリアの口にやや強引にねじ込んだ。

 

 「うっ!?」

 

 簪の行為に目を白黒させたセシリアだったが、次第にその身を震わせる。それでも何とか口の中にあるものをのみ込むと、肩をがっくりと落として下を向いてしまった。

 

 「BLTサンドとして、味はどう?」

 

 「…………甘すぎて、合わないですわ……」

 

 「味見を……料理を作っている時に、自分で食べてみて味を確認していれば、先に失敗に気づけてたよ」

 

 「はい……」

 

 覇気の無い彼女を何とかしたい一心で、一夏は努めて明るく声を出す。

 

 「ま、まぁ失敗なんて誰でもするし!今度皆で一緒に何か作ろうぜ!そしたらまた、こうやって弁当食べよう」

 

 「い、一夏さん……はい、ぜひ!」

 

 一夏に気遣われている事を自覚しつつも、彼が今自分だけに向けて笑いかけてくれている事が嬉しくて、セシリアは頬を赤らめながらも笑みを返す事ができた。

 

 「皆もいいよな?」

 

 苦笑や微笑等、各々の表情に差異はあれど、一夏の提案を拒む者はいなかった。



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二十三話

 妙に筆が進み、比較的短いけど区切りがいいトコまで行ったので投下します。


 昼食を済ませ、午後の授業をつつがなく終えた一夏。日課となっている筋トレを終えて夜となり、寮の自室のシャワーで汗を流した頃、来客を告げるノックが聞えた。

 

 「はーい、どちら様?」

 

 「俺だ、アイン」

 

 「あれ、キリトさん?」

 

 隣の部屋で生活している兄貴分の来訪は別段珍しくないのだが……彼が幾つか荷物を抱えている事に、一夏は思わず首を傾げた。

 

 「刀奈の奴に言われてな……生徒会長権限でお前の部屋に引っ越せってさ」

 

 「寮長は千冬姉なのに……楯無さんも結構色々と強引な所あるんですね」

 

 「まぁ、詳しい話は中でさせてくれ」

 

 少し前まで同室だったファースト幼馴染が引っ越してからそう間を置かずに同居人ができた事について、一夏としては特に不満や不都合は無かったので和人を快く招き入れた。

 

 「それで、キリトさんがこっちに来た理由って……巧也の事が関係しているんですよね?」

 

 「……あぁ。って言っても、俺の方も詳しい説明が無いから、憶測もあるけどな」

 

 持ち込んだ荷物をテキパキと収納スペースにしまったり、使用頻度の高い物は使いやすい場所に置いたりした和人にお茶を淹れた所で、改めて一夏は向かい合う。

 

 「元々俺がこっちに移動するってのは決まっていたんだけど……時期はもうちょい後の予定だったんだよ。ただ、今日転校してきた二人、最初は同室にするみたいだったんだが……」

 

 「ラウラって奴があんな感じでしたからね……」

 

 姉を教官と呼んでいた事から、彼女が現役の軍人ないし軍属という、ストイックな人柄であろう事は一夏とて容易に察している。しかし、今日一日の彼女から他の生徒達への態度はお世辞にも友好的……どころか下手に刺激したら殺気をぶつけかねないくらいに冷たかった。そんな状態の彼女とシャルロットを一緒にしては……本国でまともな扱いを受けていなかったであろうシャルロットには酷だろう。

 

 「織斑先生もそこで頭を悩ませていたみたいでな……刀奈が期間限定でシャルロットを巧也の部屋に移すのを提案、承認させたって所だ」

 

 「千冬姉……見えない所で頑張ってるんだなぁ……」

 

 「二人の縁談とか、一部の話は織斑先生をはじめ、強い権限があってなおかつ信用できる教員にはもう根回ししてあるから、こうもアッサリ通ったんだと思うけど」

 

 入学初日、この学園にも複数の更識の手の者がいる、と聞いた事を思い出した一夏だが、未だに巧也達以外でそれらしいと感じた人がいない。

 

 「結局、ここってどれくらい楯無さんの部下がいるんですかね……知らない内に色々と守られているっていうと、なんかこう……落ち着かないというか、申し訳ないっていうか……」

 

 「さぁな、俺だって知らない。まぁ、知っているのは刀奈と虚さんだけじゃないか?敵を騙すにはまず味方からって言うし」

 

 「カンザシやのほほんさんですら知らないんすね……身内なのに」

 

 昼間に見せたシスコンっぷりを思い出す一夏だが、和人は肩を竦めて苦笑いだ。

 

 「それが裏に関わる家系の常さ。血の繋がった家族でも、隠し事なんて当たり前になるし、時として手駒の一つとして扱う場合も珍しくない」

 

 「でも、楯無さんのカンザシへの愛情は、本物だと思います。ちょっと不器用ですれ違ったり、オーバーな所があったりしますけど、全部ひっくるめて楯無さんの本心だと……オレは信じています」

 

 「そうだな、アイツも根っこの部分は昔から変わってない。自分より、簪の幸せを優先する……多分、簪をお前ん家に嫁入りさせるだろうな。そうやって更識から遠ざけて……極力暗部とは関わらせないと思うぜ」

 

 「ちょ、嫁入りって……あー、でも……将来、いつかは結婚とかも話に上がってくるんですよね……」

 

 正直、目の前の慌ただしくも充実感のある毎日を過ごすのが精一杯で、一夏は将来について明確なビジョンを持てていなかった。しかし、時間は止まらずに流れ続けていく以上、先の事、としていたそのいつか(・・・)は必ず来るのだ。

 

 (決意は、常にしとかないと……だよな)

 

 今の時間も大事ではあるけれど。大切な人と共に歩む未来を実現する為の覚悟を備えるべきだと、彼は静かに意志を固め……和人はその姿に目を細めた。

 

 「本当に、初めて会った時から見違えたなぁ……ブイと一緒にリトルネペントに囲まれて死にかけていたのが懐かしいぜ」

 

 「もう随分昔の事のように感じますよ……まだ二年半くらいしか経ってないのに」

 

 あのデスゲームで迎えた最初の夜にこの兄貴分と出会い、生き抜いてきた記憶は、一夏の短い人生の中で間違いなく最も濃いものだ。大半が苦痛や悲しみに満ちた苦い記憶だが、それらの中でも全く陰る事無く輝く温かな記憶も確かに存在しているのだから。

 楯無や虚が毎晩開くVR空間での勉強会の時間まで、二人の少年は思い出話に花を咲かせるのだった。

 

 ~~~~~~~~~~

 

 和人を送り出してから幾何かの時間が過ぎた頃、楯無に連れられたシャルロットが、巧也のいる部屋にやってきた。

 

 「それじゃあ二人共、キチンと節度ある共同生活を心がけてね~」

 

 悪戯っぽい笑みと共に当たり前な忠告を残して楯無が去ったところで、部屋へと招き入れたシャルロットに巧也はお茶を淹れ……ようとした時になって気づいた。

 

 「……紅茶、虚さんから譲ってもらうのを忘れていましたね……」

 

 急遽学食ではなく屋外で弁当を持ち寄っての昼食となった今日、前にセシリアが緑茶が苦手だと言っていた事を思い出し、急いで虚から生徒会室の冷蔵庫に常備してあった紅茶を分けてもらったのだ。昼はそれで欧州出身のシャルロットにもその紅茶を出したのだが……特に茶の拘りの無かった和人と過ごしていたこの部屋には緑茶の茶葉しか用意していなかった。

 

 「ええっと、確か……」

 

 無い物ねだりしても仕方ないと、彼は二人分の緑茶を用意するが、その傍らで欧州での飲み方を携帯端末でザっと調べる。

 

 「どうしたの?」

 

 「すみません、部屋に置いてある茶葉が緑茶しかなくて、せめて飲み方くらいは貴女の故郷にあわせて用意しようとしていたんです」

 

 荷解きを終えたシャルロットが声を掛けると、特に隠す事も無いかと巧也は正直に告げる。

 

 「そんなに気にしなくていいよ。それにお昼の時からちょっと興味あったし、一度そのまま飲んでみるよ」

 

 「そうですか。でしたら……はい、お熱いのでご注意を」

 

 急須から陶器製のコップと湯呑へ湯気の立つ緑茶を注ぎ、コップの方を持ち手が彼女に向くようにして差し出す。ありがとうの一言と共にシャルロットが受け取ると、二人は一旦それぞれのベッドへと腰かけてから、手にした茶を一口含む。

 

 「ふぅ……紅茶とは随分違うんだね。苦いけど……何だろう、コーヒーとはまた違うし……でも、それだけじゃなくて、不思議と美味しいって感じる」

 

 「そう言っていただけたなら幸いです。それと紅茶の方が飲みたくなりましたら、遠慮なく言ってください。アテがありますから、用意できます」

 

 「ありがとう……ごめんね、昼間とかも色々と気を遣わせちゃって」

 

 「こういう性分ですので、お気になさらず。貴女が謝る事は何もありませんよ」

 

 巧也に柔和な笑みを向けられ、シャルロットもつられるように微笑む。

 

 (将来の相手、って緊張しすぎてたのかな……?)

 

 IS学園に来る前に、楯無から写真を見せてもらったり口頭で人となりを一通り聞いてはいたが、実際に顔を合わせたのは今日が初めてだった。日中それとなく目で追ってみた限りでは、不思議な事に時々見失う事こそあったけど気立ての良さは聞いていた通りだったと、シャルロットは思い返す。

 

 「どうかしましたか?」

 

 「あ、ううん。何でもない、改めてよろしくね」

 

 「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 お互いに軽く頭を下げ、お互いの呼び方であったり共同生活をする上での取り決めを話し合っていると、巧也の携帯端末がアラームを鳴らした。

 

 「すみません、そろそろ楯無さん……生徒会長が勉強会を開いてくれる時間ですので、暫く行ってきます」

 

 「行くって、何処に?」

 

 「VR空間です。そうですね……客観的にはこのベッドで寝ていると考えてください。二時間くらいで戻りますから、その間にシャワー等を済ませてくれると助かります。それと飲み終わったコップは水につけておいてくれれば、後で片付けますから」

 

 説明もそこそこに自分の分のお茶を飲み干した巧也は、湯呑をシンクに置いて水につける。次いでドアの施錠を確認した後、ベッドボードに置いていたアミュスフィアを被ると横になる。

 

 「それと他に気にしてほしい事や守ってほしい約束などがありましたら、リストに纏めておいてください。明日また話し合うという事で」

 

 「あ、うん」

 

 「では―――リンク・スタート」

 

 「あ……」

 

 シャルロットが声を掛ける間も無く巧也がフルダイブしてしまうと、一人残された彼女から一つ溜息が零れた。

 

 「VR空間、かぁ……アミュスフィアっていうのが届いたらボクも参加するって事、言い忘れちゃった」

 

 けどまぁいっか、とシャルロットは気持ちを切り替える。別に今すぐ伝えなければならない事ではないし、ひょっとしたら勉強会の合間にあの生徒会長が言っておいてくれるかもしれないのだから。

 

 「それにしても……本当に眠ってるみたい」

 

 頭に被ったアミュスフィアに違和感を抱くが、それ以外は落ち着いた呼吸音が微かに聞こえる等、寝ているのと大差ない姿だ。今日会ったばかりの人の前でこんな無防備な姿を晒す事にシャルロットは少々抵抗を覚えるが、裏を返せば一応の信用はされているのかと考える。

 

 「……とりあえずシャワー浴びよう」

 

 巧也が淹れ、ぬるくなっていたお茶を飲み干し、シャルロットは一人ごちる。そうして空になったコップをシンクへと持っていき、彼の湯呑と同様に水につける。

 

 「ほ、本当に起きてこない……よね?」

 

 フルダイブ中の人を見るのが初めてなシャルロットにとって、今の巧也がいつ起き出すか気が気でない。彼が嘘をつくような人ではないと思うが、それでも目の前で横たわる少年が何かの拍子に起き上がるのでは?と一抹の不安がシャルロットの胸中に残る。デュノア社でISに携わってきたこの数年は特に、同年代の異性と交流する事が無かった彼女は、何度も巧也の様子を確認しながらおっかなびっくり着替えを取り出してシャワー室に入る。

 

 「大丈夫……うん、大丈夫……」

 

 異性と扉一枚隔てただけの空間で、一時的にとはいえ素肌を晒す事を躊躇うシャルロット。そんな自分を何とか落ち着ける為のお守り代わりに待機状態の専用機、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡだけは身に着けたまま、シャワーを浴びる。今の彼女にとって、一番信頼を寄せている……心の拠り所として縋っている存在は、専用機たるリヴァイヴだけだった。

 

 (信じたい、けど……)

 

 シャルロット自身、元々デュノア社を存続させる為の取引で更識……ひいては日本政府に差し出された身であり、更識側から自分が求められた理由についても理解はしている。今日一日過ごしただけでも、フランスにいた頃からは考えられないくらいにまともな扱いだったし、そこに居心地の良さを彼女が感じたのも事実だった。しかしまだ、一日しか(・・・・)経っていない。道具のような扱いだった日々によって一度閉ざされかけていた心を開くには、圧倒的に時間が少なすぎた。

 

 「お母さん……」

 

 かつてのようにまた、誰かを無条件で信頼できるようになれるだろうか?儚い希望と不安の狭間で、帰らぬ人となった家族を想う少女の呟きは、シャワーの水音にかき消されるだけだった。



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