三門市に引っ越しました (ライト/メモ)
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引っ越し先が第一次侵攻された件
○月


ハーメルン初心者。
独自設定と捏造過多だと思われます。


 

 

○月●日

 

 

 始めのページ。心機一転として日記を書くことにする。

 

面倒くさがりな性格だから3日坊主かもしれないし、何も書くことがなくてサボることもあると思う。それでも書くことにする。

 

 初めまして日記帳。私の名前は八神(やがみ)(れい)。三門市の高校に入学する為に引っ越してきた初日だ。家賃1万円とかぶっ壊れ住宅があって良かった良かった。好きな生き物は猫とハ虫類。好きな食べ物はチョコとコーヒーと和食、精進料理かな。

 

 今日は引っ越し荷物のダンボールを片付けた。もともと家具は業者に頼んで設置してあったし、思ってたより早めに片付いた。そういえば業者から良くない噂を聞いたが本当だろうか。

 

 とりあえずあまり好きではない冷凍食品で食事を済ませ、寝支度も整えたので後は寝るだけ。明日は食品を買いに行かなくては。

 

 

 

 

○月●日

 

 

 数日前までよく聞いていた家族の生活音に起こされず、静かな朝を迎えた。こう書くと早くもホームシックにかかったようだが断じて違う。

 

 身支度をし終えて朝食を求めて外に出た。コンビニで鮭おにぎりとお茶を買って済ませた。携帯のマップ検索で近場のショッピングセンターを表示して見慣れない道を歩いた。

 

 好奇心をくすぐるショップが沢山あったが、少しだけ見てすぐに食材を買った。約3日分。高校に入学してからバイトする予定なので、現在はまだ自由な手持ちがないから好きに買い物は出来ない。しっかり遣り繰りせねば。

 

 

 

○月●日

 

 

 食材を1食分ずつ冷凍保存にする。特にお米。母方の実家が農家だからそこから送って貰っている。ありがたや、ありがたや。

 

 今日は掃除をした。引っ越してきたばかりだからあまり汚れていなかったが、そこそこ気分が良くなった。定期的な掃除は大事だね。

 

 掃除を終えると昼寝をした。気分がスッキリした。

 一応自宅から学校までの道のりを確認しに出かけた。マップを開いて歩いていると通学路の途中で公園を見つけた。誰もいなかったけど懐かしさに10分くらいブランコに乗っていた。

 

 自宅から学校まで20分くらい。自転車を実家から持ってくるべきだったかと思ったが、走れば15分で着くんだからまあいいかと結論する。

 

 

 

○月●日

 

 

 今日は外に出ることなく高校から出された課題をやっていた。まだ高校入学していないのに課題なんて面倒で仕方ないけど、入学後すぐに課題テストだから気を抜けない。早々に落ちこぼれのレッテルなんて嫌だし、環境が変わったから成績を落としたなんて家族に思われたくないし。

 

 とにかく苦手な英語と社会から取り組んだ。一番得意なのは国語の漢字分野だけど、理科の生物分野も結構好きだ。科学系とか暗記物は苦手。

 1/3は進んだので良しとする。明日も頑張ろう。

 

 

 

○月●日

 

 

 ゴミ捨て場で知り合ったおばさんから私が住んでいる部屋についての情報を手に入れた。

 

 何でもこの部屋、よく停電するわ、他に誰もいないのに気配がするわと近所には有名な幽霊物件らしい。今のところ私は何も感じないし、停電もない。幽霊怖い派ではないし実害がないうちは特に気にしないことにする。

 

 というより、誰かいる気配とかは私の部屋より右隣の部屋だと思う。

 

 ガタガタ、ゴトゴト何か動かしている音と時折話声が聞こえるから。噂の出所が間違っているようだが、こちらとしては家賃が安く済んでいるからそのくらい良いよ。

 

 むしろ家賃1万円のぶっ壊れ住宅とかそういうの覚悟して来てるし。

 

 

 

○月●日

 

 

 今日も今日とて課題。やはり国語が楽しい。

 

 午後はモンハンに費やした。コミュ症ゆえにオンラインはせずソロで素材集めだ。近接も楽しいけど、目の前に集中し過ぎるとエリア内の雑魚から邪魔されて本命にぶっ殺された。突進生肉は許さん。やはり視野がそこそこある中距離か遠距離が戦いやすいかな。ダメージ量的に時間はかかるけど。

 

 狩猟祝いに厚切りベーコンを焼いた。モンハン世界のマンガ肉は実際に出されたら絶対食べきれないボリュームだと思う。

 

 

 

○月●日

 

 3日坊主かもと思っていたけど結構続く。家で一人だからかな。

 

 昨日は室内だったから外に出て光合成してきた。あの通学路の途中にある公園まで行ってきた。

 

 マスクをしたボサボサ頭の少年がぽつんとブランコに腰掛けて俯いていた。少年以外に人はいない。少年と言っても制服着てたから中学生っぽかったけど、年下なので少年と言うことにした。微動だにしない少年が心配になって近寄ると猫科の瞳みたいな目でギロッと睨まれた。

 

「なんだよ……こっちは頭いてーんだ見てんじゃねえ」

 

 体調が悪かったらしい。声も目も不機嫌で雰囲気もトゲトゲしい。

 

 公園に来る前に買った未開封のスポドリを思い出して、体調が悪そうな少年に差し出す。この時間にここにいると言うことは学校を早退してきたのだろう。

 

 家まで送るのはさすがに初対面なので自重し、隣のブランコに乗って様子を見てた。最後まで不機嫌そうだったが、しばらくして少年はふらつくことなく公園から出て行った。頭痛は何とか落ち着いたらしい。安静にしてるんだぞ少年。

 

 

 

○月●日

 

 

 初めて停電した。昼間だったし冷蔵庫くらいしか使ってなかったのに。

 

 そして右隣の無人なはずの部屋がやけに騒がしく、テンション高めな高笑いが聞こえてうるさかった。あまりにもうるさかったけど、幽霊には無反応が一番とどこかで聞いたことがあるので無視。

 

 何故かブレーカーを上げるとピタリと高笑いは止まった。なんなんだ。ブレーカーと連動してんの?

 

 イラッときたので部屋の掃除をした。その時、前まで全然気づかなかった押し入れの天井にお札が4枚貼ってあるのを見つけた。封印の為か魔除けの為か知らないけど、あんまり効果ないんじゃ……

 

 剥がすことはしなかった。

 

 

 

○月●日

 

 

 洗濯物を干してるとベランダに白い物体が落ちてきた。大きさは猫くらいでも、フォルムはカブトガニみたいで脚があった。素早く殺虫剤を盛大にかけるとフラフラしてひっくり返った。やはり虫だったのかな。

 

 今まで見たことない虫にネットで検索を掛けるも該当なし。しかもよくよく注意して見ると機械のような感じもする。そこそこの大きさもあり、駆除するのも躊躇われた私はスマホで写真を撮り、洗濯籠を上に被せてから掲示板サイトにアップしてみた。「コレなんですか?」と。

 

 色んな人が来て議論の末、虫ではなく機械だと結論され専門家に回収・解体を任せるべきと言われた。数人「引き取りたい!」と熱心に乞われた為、三門駅の北口で待ち合わせすることになった。服を買った時の袋が丁度チョコレート色で中身が分からないタイプだったのでそれに入れて待ち合わせ場所に向かった。

 

 来たのは髪の長い顎髭の外国人だった。警戒したが問答は究めて端的だったのでこちらも事務的に答えた。見つけた場所を訊かれたが、見知らぬ人に自宅を教えたくなかったので曖昧に地区を答えるだけにした。

 

 色々不安だけど、大丈夫だと信じたい……

 

 

 

○月●日

 

 

 あれから4日飛んだ。いや、仕方ないと思う。

 

 だって虫モドキを渡した翌日、ネイバーとか言う生物に三門市は襲撃をされたから。その日、私は買い物に出かけていてそこで地震みたいな揺れと轟音を感じた。次にサイレンが鳴らされて、誰かが「逃げろ」と叫ぶのを機にその場にいた人間が一斉に動き出す。私には何が起きているのかわからなかったし、どこに逃げればいいのかも判断出来なかったからそのまま集団に流されるままに走った。

 

 流されるままに走ってふと三門市を振り返ると、そこはSF映画みたいな簡単に破壊された街が在った。白い怪獣が口からビームを出すし、人間を食べるし、ヘリコプターサイズの飛んでる怪獣は爆撃してる。

 

 立ち止まった私の手を誰かが掴んでくれて無事に逃げることが出来た。その誰かはいつの間にか手を離していて、私が気づかぬうちにどこかへ行ってしまったから分からないまま。

 

 襲撃は1日で終わった。避難した先で〈防衛隊のボーダー〉が怪獣を倒してくれたらしい。

 

 その日は学校の体育館に泊まって、次の日に家を見に行ったら粉々になっていた。辛うじてクローゼットが形を残していて制服は無事。新しい教科書は汚れていたけど使えない程じゃないので安心した。ついでにこの日記帳も。見知らぬ人に住んでいる地区を答えてから不安だった為出かける時に通帳やカードなど金銭関係を持ち歩いていたのは幸運だった。

 

 現在は国や市の支援で建てられた仮設住宅に住んでいる。親には「そんな危険な所にいないで帰って来い」と言われたが高校の入学式も近いし、何より1人暮らししてまだ10日くらい。学校がなくなったわけでもないから逃げ帰るような真似は私が嫌だった。

 

 たぶんこれから忙しさとかで気分が滅入って日記を書くのは少なくなると思う。一応、止めはしないけど。

 

 

 



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×月

 

 

×月○日

 

 

 高校の入学式。クラスの人数は16人と少なかった。巷では大侵攻と呼ばれているあの事件で行方不明になったり引っ越したりした者が多いのだろう。

 

 友人が出来た。迅悠一という隣の席の男子だ。第一印象は"失礼な奴"だが、話してみると適度な距離感で会話をしてくる空気読み過ぎる奴だった。ただ迅は目の下に濃い隈を作っていたので休み時間の度に机で眠っていた。

 

 そんなに眠いなら保健室へ行けと言っても「入学早々に保健室なんて行ったら友達出来ないって怒られる」と言い訳してきた。休み時間の度に眠っていても友達は出来ないぞ、とはさすがに濃い隈を見て言わなかった。

 

 

 

×月○日

 

 

 課題テストがあった。高得点の自信はある。

 

 迅は相変わらず隈を作ってテスト中爆睡していた。テスト終わりの合図で目覚めて「やべ」って顔してたのがウケた。

 

 後で訊くと、もともと課題を真面目に解いてないとのこと。でもテストの出来が悪いと保護者が渋い顔をすると。

 

 クラスではあまり大侵攻の話をしない。お互いに気を遣っているし、中には身内が行方不明とか亡くなったりしているから。おそらく迅は親がいなくて現在の保護者が親代わりなのだと思う。隈を作っているのも何か理由があると考えて深く突っ込むことはしなかった。

 

 

 

×月○日

 

 

 いつも買い弁の迅が珍しく手作り弁当を持ってきていた。同居人が作ってくれたと嬉しそうに話してきて、私も中身が気になった。

 

 開けたら、笑った。

 

 鮭フレークで大きくハートが描かれ、器用に海苔で"ユーイチ トモダチ オメデト"と書かれていたからだ。迅は凄く微妙な顔で「こんななら見てたのに…」とブツブツ言ってた。同居人はなかなか愉快な人らしい。

 

 笑ってたら腹いせに卵焼きを奪われた。このヤロ。

 

 

 

×月○日

 

 

 休み時間にバイトの求人を見てた。

 

 支援で仮設住宅に住んでいるがずっと住めるわけではない。学生ということで色々と融通をきかせてもらっているけれど。破壊されなかった建物はやはり家賃が高いが、安い所もありはする。それは立ち入り禁止区域に隣接した場所だ。

 

 立ち入り禁止区域とは大侵攻の1週間後に特急で建てられたボーダー基地本部周辺のことを指す。ネイバーは別次元からやってくる。やってくるのを阻止は出来ないが事前に人のいない場所に誘導して早急に討伐、がボーダーの方針だった。だから立ち入り禁止区域を設けてそこで討伐するのだが、たまにネイバーが区域外に出てくるせいか、立ち入り禁止区域周辺もほとんど人が住まなくなっていた。

 

 安い家賃を狙うならそこが狙い目だけど、安全面を考えるとどうにも踏ん切りがつかない。そういうわけで、いつ仮設住宅を追い出されても良いようにお金を貯める必要があるのだ。

 

 ただ、三門市の半分が破壊されて大半の人が失業したり、人件費が賄えなくてみんな困っているらしい。多く募集されているのは肉体労働だけど、そんな体力私にはない。運動不足なんです。でも背に腹は代えられないからなあ。

 

 3限目に遅刻してきた迅がバイトの求人を見て「もう少し待ちなよ」と言ってきた。理由を問えば「俺が働いてる場所がもうすぐ求人出すから」だと。お前バイトしてたとか初耳だぞ。どんな仕事か訊けば肉体労働が主らしい。でも同じ場所なら自分もフォロー出来るから、と何故か熱く語られた。

 

 確かに同じ肉体労働先でも知り合いがいるとストレスが全然違うだろう。納得はしたが、肉体労働じゃなく他に良い条件のバイトがあればそちらにするとは断りを入れておいた。

 

 

 

×月○日

 

 

 体育の授業がバスケだった。今のクラスが人数少ないから女子も男子も同じチームになる。私は中学の頃バスケ部だったので普通の素人より動け、ついでに同じチームになった迅が良い具合の位置を取っているし、パスのタイミングも完璧に合わせてきたしで、現役バスケ部がいるチームにも勝ってしまった。

 

 フォローの達人かよ、とか思ってしまったのは仕方ない。それを言うと迅は苦笑いを浮かべて「一瞬の攻防は慣れているんだ」と教えてくれた。慣れているってなんだよ。中学の頃は不良だったりするのかよアイツ。

 

 

 

×月○日

 

 

 高校に入ってからの日記を見てたら迅のことばかり書いていることに気づいた。いや、まぁ、だってフレンドリーに話せる友人とか、私も奴だけだし……

 

 悔しかったので今日の休日は日記帳の話題作りの為に外へ散歩することにした。

 

 町はまだ重い雰囲気が流れていて、あまり楽しいとは思わない。子供も外で遊んでられないのか見かけない。そんな中、土手で釣りをしているお兄さんを見つけた。それまで結構歩いていた私は休憩がてらお兄さんの釣りを勝手に見学することにした。

 

 釣竿を時たま揺らす以外動かないお兄さんの様子を私も土手の上で動かず見ていた。この川には何がいるんだろう。フナとか?

 

 考え事してたらお兄さんが動き出す。糸を巻いてるのを見て何かヒットしたのだと思う。少しの間待ってたら魚が1匹釣り上げられた。あとで訊くとウグイだった。お兄さんは慣れた手付きでウグイを釣り針から外してバケツに移し、餌を付けてまた釣りを再開する。

 

「興味があるならやってみるか?」

 

 私が見てたのに気づいていたお兄さんが誘ってくれたけど、やったことないし見ているだけで満足していたので土手に降りて近くで見るだけにした。バケツの中には5匹の魚が泳いでいて、私が来る前から釣っていたらしい。

 

 何の魚かと訊けばお兄さんは面倒がらず答えてくれてとても親切だった。釣った魚をどうするのか問えば「食べる」らしい。川魚は小骨ばかりのイメージがある私は凄いなぁと素直に思った。お兄さんはその後ウグイの他にオイカワやエビ、さらにウナギを釣っていた。ウナギは大変運が良いらしく、お兄さんは超ご機嫌で私にスポドリを奢ってくれた。ありがたくもらった。やったね。

 

 スポドリで思い出した。あの体調が悪そうだった少年は元気だろうか。あれから会っていないけど、無事だといいな。

 

 

 

×月○日

 

 

 バイトが決まった。迅が働いているバイト先だ。

 

 なんと〈界境防衛機関 ボーダー〉である。ネイバーと戦うことが仕事だけど、危険に見合うだけの給料と待遇に頷いた。ボーダーが建設した寮に住めて、授業料も少額だが負担してくれるらしいのだ。それに危険は危険だが、最初は実戦に登用せずきっちり訓練を施してくれるしゲームのアバターみたいに肉体を置換して戦闘するからよほどのことがない限り死なない。

 

 ボーダーには大きく分けて3種類の職種があって、エンジニア・オペレーター・戦闘員がある。私は戦闘員を選んだ。エンジニアは専門知識が必要そうだし、オペレーターは自分から知らない人に話しかけなきゃいけないからコミュ症には辛い。それに戦闘員にわくわくしたから。

 

 ゲームのアバターみたいなのをトリオン体とか戦闘体とか言うらしい。その戦闘体は通常の肉体と姿形は変わらないが、何倍も身体能力を上げていて痛覚だって半減させたり完全に無くせる。ケガをしたらその部分から血の代わりにトリオンの煙が出るくらい。説明の時に目の前で軽やかに動き回られたら、無限の可能性を考えても仕方ないよね。

 

 厨二病は卒業したと思ったけど、認識が甘かったよ。でも公で黒歴史は公開したくないので、ひっそりと楽しんでいよう。

 

 

 

×月○日

 

 

 戦闘員と希望を出したら迅が来て、いつかの釣り人のお兄さんを紹介してきた。東春秋さん。現在唯一のスナイパーらしい。

 

 何でも、今までボーダーの武器トリガーは刀しかなかったらしい。でもエンジニアたちが頑張って狙撃銃を開発して、最近になってやっと東さんが実戦に漕ぎ着けたとか。

 

 なんで私に東さんを紹介したのか、と問えば「八神は接近戦より距離がある方が向いてる」と答えが返ってきた。迅は同級生だがボーダー歴はベテラン並みなので、助言は素直に聴く。東さんにご教授お願いしますと頭を下げた。

 

 東さんは現在、私の他にも数人狙撃を教えているとのこと。訓練場で紹介された筋肉さん(木崎レイジさん)はとても印象的だった。あの人だけ段違いの筋肉ですごかった。肉弾戦とかしてそうだったけど、以前まで武器トリガーが刀だけだったなら刀を振る為に鍛えたのかな。あれ? でも迅と同期って言ってたし、迅も木崎さんの年齢まで刀を振っていた場合ムキムキに……?

 

 今度聞いてみよう。

 

 

 

×月○日

 

 

 戦闘体って凄い。どれだけ走っても疲れないし、スピードも速い。忍者みたいに建物から建物へ跳び移れる。一回着地に失敗して高層ビルから落ちたけど、特に支障はなかった。衝撃は感じたけど。

 

 狙撃の訓練も楽しい。ボーダーの銃はちゃんと狙えば通常の銃より正確に当てられるらしい。反復練習は大事だけど、的を撃ち抜いた時の達成感はひとしおだ。動く的も最初は苦戦したけど、慣れたら当てられる。これは私の技量というより銃の性能のおかげだと認める。性能に見合うだけの技術をゆくゆくは身に付けたい。

 

 木崎さん曰わく戦場では1ヶ所に留まっていると袋叩きにされるらしい。特にスナイパーは接近戦に持ち込まれたら一溜まりもない。だから撃ったら即移動しないといけないそうだ。

 

 銃はトリオンで出来ているから邪魔な時は消せる。でもまた手元に出す時にその分トリオンを消費してしまう。余裕があるなら銃を持ったまま移動するのが基本だそうで、持ったまま走る・跳ぶ練習とかした。

 

 撃って走って撃って走ってを繰り返して、訓練場を走り回った。これだけ動いたのに全然疲れを感じないって不思議。

 

 

 



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△月、●月

 

△月×日

 

 銃はもちろん、通常の狙撃兵の勉強をした。他にもトリオンについて。近界(ネイバーフッド)と近界民(ネイバー)とトリオン兵のことも勉強した。世界にはまだまだ私の知らない世界があるのだと改めて知る。自分の体に見えない内臓(トリオン器官)があるなんて。

 

 今日も今日とて訓練。先輩方はみんな用事だったり任務だったりで訓練場には誰もいない。撃って走ってを自主練していると何となく"自分から目標まで何m"と分かるようになってきた。やっとスナイパーの入口に立てた気がする。

 

 

 

△月×日

 

 

 初めての実戦。

 

 ボーダー隊員は増えてきたと言っても広い三門市を守るにはまだ少ないから、ある程度の練度になれば「実戦で覚えろ」という方針らしい。

 

 組んだ人は太刀川慶さん。特徴的な格子状の瞳で1つ上の先輩だ。刀型武器の弧月を二刀流で駆使するアタッカー。性格は……猪突猛進で敵を見つけたらすぐに駆けて行って制止の言葉なんて聞いてくれない人だった。

 

 フォローする間もなく緊急脱出した太刀川さんに頭を抱えたけど、冷静に任務をこなすことだけを考えた。敵はモールモッド2体。距離はどちらも700m。撃って、失敗した場合の撤退経路を確認してからファイア。目標1ヒット。目標2が弾道を補足してこちらへ向かってきたが既に私は移動して目標2に狙いを定めていた。目標2ヒット。討伐完了。

 

 日記で書くと短くてあっさりだけど、撃つ時はかなり緊張した。本部へ戻ると太刀川さんと太刀川さんの師匠である忍田本部長に謝られた。確かに猪突猛進は止めてほしいと思うけど、太刀川さんのおかげで実戦経験を積めたのだ。太刀川さんのスピードが速すぎてフォローしきれなかった私も悪かったし。

 

 お互い様だということで終えた。というか忍田本部長が来るとか戦闘とはまた違う意味で緊張したよ。コミュ症つらい。

 

 

 

●月△日

 

 

 初任務達成からどんどんシフトに入れられるようになった。今のところアタッカーが多いため、戦力バランスを考えてスナイパーと組まれる。実戦に出られるスナイパーは10人もいないせいかシフトが埋まる埋まる。その分給料も貯まっているからそろそろ買い物に行きたい。

 

 

 

●月△日

 

 

 初めて緊急脱出した。

 

 前まで狙撃失敗した後に備えて撤退経路を2・3通り組んでいた。でも最近は「慣れてきたから」と慢心してしまった結果が緊急脱出だ。

 

 初心を忘れていた私が恥ずかしい。師匠の東さんや先輩の木崎さんにも申し訳ない。何より一緒に組んでいた嵐山と柿崎にも迷惑を掛けてしまい、きちんと謝罪をしたが2人は「八神さんにばかり負担を掛けてすみません」と逆に謝ってきた。なぜかそこから謝罪大会になり、東さんが通りがかるまで続いた。

 

 それから本当に何故か東さんに焼き肉屋で奢られてしまった。どう考えても首を傾げるしかない展開だ。

 

 

 

●月△日

 

 

 学校とシフトの合間を見つけて訓練をやり直すことにした。ゴールデンウィークには一度帰郷しようと考えていたけど、止めた。今訓練を中途半端にしてしまうと、これからも中途半端になる気がしたから。

 

 東さんと木崎さんは「無理だけはするな」と忠告だけして見守ってくれて、迅も「今の努力が将来どこかで実を結ぶから」とカッコイイことを言ってきた。

 

 よし、とことんやってやろう。

 

 

 



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◇月、◎月

この小説では、本部基地設立時、旧ボーダー隊員たちは外部に人員アピールの為に本部基地で活動している設定です。
組織の人員が揃い始めたら、改めて玉狛"支部"として割り振られるという風に書いております。

※オリキャラ
円城寺(えんじょうじ)百恵(ももえ)


 

 

◇月●日

 

 

 新しいトリガーが発表された。中距離武器の拳銃型とアサルト銃型がメインだったけど、銃などの媒体を使用せずそのまま弾をキューブ型で撃ち出すタイプもあった。この中距離武器の弾には様々な種類が用意された。シンプルな攻撃方法のアタッカーとスナイパーに比べて、こちらは弾の種類を使い分けて戦う必要がありそうだ。拳銃型やアサルト銃型を使うポジションをガンナーとし、キューブ型の使い手をシューターとされた。

 

 銃、という括りにまず興味を示したのはスナイパー組で、私も例に漏れず。しかしガンナーとシューターの射程距離はどちらかというと近接寄りで、今まで遠距離に慣れていたスナイパーでは逆に扱いにくかった。同じ銃ならやはり狙撃銃だな、と結論に至ったのだがシューターの弾の変更は魅力的だった。

 

 ガンナーとシューターなら飛距離は媒体のあるガンナーが勝る。けれどシューターにはその場で弾の威力・速度を調整出来る強みがあった。数種類の弾と調整を上手く出来れば、撤退経路の確保に余裕が出来るはず。

 

 そうして私はスナイパーの訓練は怠らず、シューターの訓練を始めた。

 

 

 

◇月●日

 

 

 新入隊員がドンと増えた。アタッカー>ガンナー>シューター>スナイパーと偏りはあるものの仲間が増えるのは良いことだ。

 

 そんな中、また新しいトリガーが開発された。発案者はなんと迅。

 

 スコーピオンという近接武器で変幻自在の刃だ。手数とスピードを生かした武器だと思うが、ベテランの迅がなぜ今さら戦闘スタイルを変えるのか不思議だった。本人に訊いたところ渋い顔で「弧月で太刀川さんに勝てなくなってきたから」だそうだ。太刀川さんそんなに強くなってたんだ。成長率ハンパない。

 

 迅以外にも風間蒼也さんという方がスコーピオンを使い出した。風間さんは身体は子供、頭脳は大人という人だ。単純に低身長でベビーフェイスなだけで、木崎さんと同年代なんだけど。

 

 スコーピオンの戦闘を模擬戦モニタールームで見ていたけど、全身の至る所から刃が飛び出す瞬間を見た時はびっくりした。戦術の幅は広そうだ。

 

 

 

◇月●日

 

 

 さすがに休めと東さんに怒られたので今日は久しぶりに任務も訓練もなし。貯まった給料で買い物でも、と考えて学校帰りに復活したショッピングモールへ行った。

 

 私も女だから色々見て回るのは好きだ。でも衝動買いはしないように気をつけている。1人部屋ってちゃんと考えないとすぐに狭くなっちゃうからね。とりあえずスニーカーと室内用スリッパ、腕時計を買った。本当は本棚も買いたかったけど、学校帰りにそんな大金は持ち合わせていなかったから諦めた。通販でもいいかな。

 

 

 

◎月▼日

 

 

 ボーダーは私が入った頃よりずっと構成人数が増えた。それによって隊員はランク分けされることになったのだが、昇格ランク試験内容がとても厳しい。私は3回目でやっとCランクからBランクへ上がることが出来た。達成感はひとしおである。

 

 まだ上のランクがあるから出来ればそこを目指したいけど、求められる実力が桁違い過ぎて今は何も手がつかない。だからこそ、現在はBランクへ上がれたことだけを喜ぼう。

 

 

 

◎月▼日

 

 

 シューターの訓練をしていると視線を感じて、そっちを見れば木崎さん並みに表情筋が動かない男性がいた。睨んでいるわけじゃなさそうだったけど、あんなに見られたらやり難い。自意識過剰かと思うけど集中出来ない訓練は無駄だし、場所を変えて訓練を再開した。ら、また視線を感じた。仕方ないので、今日は訓練を止めて帰ってきた。

 

 でも良く考えたら視線から逃げて負けた気分。家でそれが悔しくてだんだん腹が立ってきたので今度からは無視して訓練してやる。

 

 

 

◎月▼日

 

 

 負けた。完璧に負けた。

 

 シューターの訓練室でやってたら模擬戦を申し込まれた。この前の視線を向けてきた男性、二宮匡貴さんだ。ポジションはもちろんシューター。

 

 結果は先に書いた通り、敗北。10戦中4勝6敗。私には想像出来なかった弾道設定にも苦戦したけど、二宮さんの強みはトリオン量の多さに物言わせる弾幕と火力。私が勝てた4勝は、弾幕を張る時に出来る隙を突いた奇襲だけ。シューター勝負なんて同じ土俵にも立てなかった。

 

 模擬戦が終わった後、二宮さんは「期待外れだった」と言って去って行った。同じ土俵に立てなかった私に言い返す資格はない。でも、この日記だけには正直に。

 

 悔しい! 悔しい! 悔しい!! 何が期待外れか!

 

 そんなのわかってる。私とあの人は凡人と天才だ。その差に納得出来るけど受け入れる心はない! 見返したいとは思わない。けど!

 

 いつか、有象無象の人間から1人の人間として認められたい。

 

 

 

◎月▼日

 

 

 迅がブラックトリガーという最上級の武器を手にして唯1人Sランクになった。なぜか律儀に報告してきた迅の顔は、嬉しさと興奮と悲しみと諦め、色々な感情を混ぜて最終的に達観していた。凄く思い入れのあるトリガーらしい。

 

 ボーダー本部の人員が増えたことにより、中央を本部基地にして三門市の数ヶ所に支部基地を作るらしい。私はそのまま本部所属だけど迅と木崎さんは玉狛支部へ行った。

 

 少しだけ寂しく思ったが木崎さんに至っては本部基地内で結構会えた。なんでもすべてのトリガーを使いこなすのを目標にしているとか。近距離と中距離武器を扱うポジションをオールラウンダーと称するけど、木崎さんはスナイパーという遠距離も使いこなしている為『パーフェクトオールラウンダー』と呼称されている。新しいトリガーが発表される度に本部基地で試運転して帰って行くんだよなあの人。

 

 それとチームを作ることを上から要請された。

 

 任務は単独より複数で担当する。単独同士の即席チームより、元から連携をある程度練習したチームメイトで取り組んだ方が良いとされたから。

 

 ポジションをバランス良く考えるなら、私のメインはスナイパーなのでアタッカーと組むべきだ。東さんには及ばないものの狙撃の腕を認められて色んな人に声を掛けられたのは嬉しかった。

 

 最終的に、同性の先輩でサッパリとした性格の沢村さんのチームに入った。私の他にはスコーピオン使いの風間さんとオペレーターの円城寺(えんじょうじ)百恵(ももえ)さん、計4人の沢村隊だ。風間さんも円城寺さんもグイグイ来る人ではなく冷静な部分が多い性格だから接しやすい。コミュ症の私でもなんとかやっていけそうだよ。

 

 

 

◎月▼日

 

 

 チームワークが上手く噛み合う時が凄く気持ちいい。ソロの時には出来ない、役割に徹し集中することが楽。たまの失敗も仲間がフォローを入れてくれる安心感。任務やチーム模擬戦の後にする反省会も楽しい。

 

 チームメイトの役に立つ為にする訓練も力が入って、私自身どんどん上達している自覚がある。

 

 いつかこの時間は終わってしまうだろうけど、今はずっとこの時間を味わっていたい。

 

 

 




円城寺百恵。
沢村さんの1つ上の年。
過去のオペレーター勢がはっきりしていないのと、公式キャラが少ないので急遽加入。
これからちょくちょく出てくる。


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☆月

初期のランク戦は
 隊 vs 隊
と捏造しています。
隊数が少ないことと、隊員が少ないのでシフトを考えるとあまりランク戦できないのでは、と考えた結果。


 

 

 

☆月◎日

 

 

 チーム模擬戦で東さんが隊長のチームと当たった。東隊にはあの二宮さんも所属していて、苦手意識バリバリで挑んだ。

 

 結果はタイムオーバーで引き分けだが、中身はボロボロ。沢村隊の参謀役の風間さんより1枚上手だった東さんの策で、アタッカーの沢村隊長は攻めあぐね、風間さんの奇襲攻撃も後一歩届かなかった。私は、ずっと逃げていただけだった。情けない。

 

 反省会は今までで一番暗い雰囲気だったけど、風間さんが私を褒めてくれた。上手い撤退フォローで助かった、タイムオーバーまで持っていけたのは私のおかげだと。戸惑ったけど、世辞や慰める為だけにそんなことを言う人じゃないと知っているだけに嬉しかった。

 

 

 

☆月◎日

 

 

 また二宮さんから視線を感じるようになった。チーム模擬戦で当たって以来、訓練室でやってたら見られている。相変わらず睨んではいないがジッと見てくる。

 

 以前は視線に負けて立ち去ったが今回は違う。視線が気になるのは集中力の乱れだと割り切ってそのまま訓練を続行した。いつの間にか随分と時間が経っていて、二宮さんも消えていた。

 

 勝った。なんてね。

 

 

 

☆月◎日

 

 

 よ、容赦ねぇ……

 

 二宮さんからソロで模擬戦をまた申し込まれた。前のリベンジだとそれを受けたが、戦績に変わりはなかった。10戦やって終わりかと、また「期待外れ」とか言って去るのかと思えば、そのまま模擬戦は続行された。実戦式にシューターとスナイパー武器を使えと命令口調を受け、何故か雰囲気に呑まれて従ってしまった。夜まで。ぶちのめされた後に「よし、もう一度だ」と言う二宮さんの台詞が脳内で再生出来るほど。夢に見そう……

 

 二宮さんが空腹を感じるまで続けられ、今日は精神的に疲れた。

 

 

 

☆月◎日

 

 

 おかしい。

 

 ボーダーに行く度に二宮さんと会う。いや、同じ本部所属だし当たり前なのかもしれないけど。何故か二宮さんと模擬戦をこの1週間組み続けているのだ。しかも夜まで。1週間も。

 

 前は早々に「期待外れ」だと去って行ったのにどういう心境の変化なのか。チーム戦をした次の日からだよね。もしかしたらキッチリ勝敗が着かなかったのが納得いかず、訓練室でよく見かける私に絡んできてるとか。そんな性格には見えないけど、人は見かけによらないって言うし。

 

 沢村隊長と風間さんにも訊いてみようかな。あと東さんと、ついでに二宮さん本人にも訊いてみよう。

 

 

 

☆月◎日

 

 

 二宮さんとは珍しく会わなかった。

 

 沢村隊長と風間さんは私のような絡まれ方はしていないが色々と戦術について質問はされているらしい。その時にあのチーム戦での立ち回りは私の動きが良かったことを二宮さんに言ったから試しているんじゃないか、と言われた。

 

 スナイパーの訓練室で東さんに二宮さんについて尋ねると、微笑を浮かべて教えてくれた。二宮さんはトリオン量が多いからどこか力押しな部分が目立っていた。そこで東さんのチームに入るに当たって戦術を学ぶことが条件になったらしい。根が真面目だから現在は新しい己の戦闘スタイルを探しているのだろう、と聞いた。

 

 ついでに私と模擬戦をするのは「撤退戦のスペシャリストは八神だな」と例え話を振ったからじゃないかと苦笑された。褒められて嬉しいけどスペシャリストではないです。スペシャリストなら全員を無傷で逃がしますって。

 

 なんとなく二宮さんという人がわかった気がする。必要とされるのは嬉しいことだ。私風情が協力出来るなら模擬戦を続けていこうと思うけど、流石に夜までのは断ろう。帰ってからご飯作ってたら寝るの遅くなるし。

 

 

 

☆月◎日

 

 

 今日も二宮さんはいなかった。

 

 学校で迅が顔を合わせた途端「八神、幸せにね」と真顔で言ってきて意味が分からない。それは何のフラグです?

 

 迅は時々電波なことを言うのでその一環だろうとスルーして、おやつの煎餅を奪ってやった。文句を言われたが、私だってここ最近顔を見てはニヤニヤする迅に腹が立っていたからな!

 

 

 

☆月◎日

 

 

 どうやら二宮さんはもう私との模擬戦に飽きたようだ。ボーダーには来ているし訓練室にも来ているけれど模擬戦に誘われなくなった。挨拶は返してくれるので嫌われているとは思わない。たぶん満足したんだろう。

 

 正直、今までずっと模擬戦を申し込まれていた身としては「何か一言ねぇのかコラ」だけど、面と向かって言えるわけもなく日記で吐くだけに留める。

 

 気を取り直して、チーム戦での動きを訓練しますか!

 

 

 



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♠月

 

 

♠月▷日

 

 

 最近忙しくて日記を書くのがダルかったため、最近の出来事をまとめて書く。

 

 チームで任務を回すからシフトの回転が速い。別にそこは良い。給料がちゃんと出るし。問題は期末テストだ。

 

 ボーダー隊員は学生が多いからどうしても平日の昼間はシフトに穴が空く。大学生組や忍田本部長辺りの方々がある程度埋めてくれるとはいえ、三門市全域をカバー出来るわけじゃない。その為、たまに緊急で呼び出される時がある。学校側も"人命を守る為に必要措置"と判断して公欠扱いをしてくれる。欠席にならないのは良いけど、授業を何限か聴いていないからテストが不利になるのは確実。同じクラスの迅をテスト勉強に誘ったが奴は「赤点じゃなかったらいいんだよ」精神なので頼りにならない。けど、神は私を見捨てなかった!

 

 チームメイトの風間さんは成績優秀者だ。しかし今年は受験だからと遠慮していたところ、東さんがボーダー内で勉強会を開いていると紹介して下さったのだ。何故ボーダー内かと訊けば、上司の方々が隊員の成績が下がることを憂慮して依頼したらしい。東さんの他にも大学生組や手の空いているエンジニアさん達が協力しているとのことで、教えられたその日に早速向かった。抜けている授業内容の補完が出来たから一応テストは大丈夫なはず。というか皆さん丁寧に教えてくれるから、これで酷い点数を取ったら申し訳ないぞ。

 

 最近はどこもチームメイトが揃わないらしく、急造チームでの任務が増えてきた。私は同じ学校でクラスメイトの迅と組むことが多い。というかほぼ迅とコンビ任務だ。所属歴と場所が違うから今まで奴の実力を本当のところ知らなかった。初めてのコンビ任務は、うん、傍観者だったね。

 

 2回目もやはり足手まといで、迅の動きを観るしか出来なかった。S級の実力ハンパねぇよ。でも私も負けず嫌いなところがあるしこのままだと給料泥棒だったから迅のサポートに徹することにした。

 

 戦闘に余計な手出しはせず、敵の誘導や戦場を整理することをメインに行った。迅には「八神がいると動きやすいし速く終わる。それにあんまり頭使わなくていいからかなり助かるわ~」とお世辞を貰った。努力はしてるけど迅に気を遣われている間はまだまだかな。

 

 迅と組む任務は全部難易度が高い気がする。基本的に個人vs群れバトルだし。きっとB級の私のことは考慮されてないんだろうなぁコレ。迅は純粋なアタッカーでトリオン補強機能付きの黒トリガー使っているから余裕っぽいけど、私は毎回トリオンの限界寸前まで動いてますよ!

 

 

 

♠月▷日

 

 

 テスト終わった! 今までで一番の出来だと思う。嫌いな英語もヒアリング以外は集中して勉強していた範囲だったから30分で解けた。見直しもバッチリだ。隣では迅が寝ていた。相変わらずな様子。赤点は取るなよ。

 

 昼休み弁当を持ってきていた迅と教室で食べていると「八神と迅って付き合ってんだよね?」とクラスメイトに問われた。「ないナイ」と即答したら残念がられた。入学式からずっと仲良くしてるし、たまに弁当を一緒に食べているから勘ぐったのだろうが迅とは良い友人関係だ。

 

 私の好みのタイプを訊かれたがその場は曖昧にありきたりな答えで濁した。だって今まで考えてた理想のタイプは『自分より10cmは背が高くて、お互いに認め合えて、はっきりした心の芯を持っている人』だから。この条件だと迅は普通に当て嵌まってしまう。確かに迅は良い奴だけど、恋愛感情で好きとは思わないんだよ。

 

 

 

♠月▷日

 

 

 夏休みは最初の1週間は帰郷の為にシフトを空けた。ゴールデンウィークに帰っていなかったから流石に帰って顔を見せなきゃ家族が三門市に乗り込んでくる気がする。

 

 家族構成は両親、大学生の兄貴と高校生の私と小学生の妹。兄貴の学費で家計はピンチだったらしいが、私がボーダーに所属してから仕送りしてるから前ほど苦しくはないとのこと。だからか家族はボーダーの仕事を賛成してくれている。民間の防衛隊や自衛隊みたいなものだと説明しているから給料が高いのは納得しているのだろう。兄妹の中で私が一番発言力が強くなったぜぃ。

 

 とりあえず帰郷前に冷蔵庫の食材を消費しないと。

 

 

 

♠月▷日

 

 

 沢村隊長と円城寺さんとカフェに行ってきた。所謂女子会だ。同じチームの風間さんをハブるのは気が引けたけど、女子会だから仕方ない。今更だけど風間さんって女3人に男1人の状態なのか。

 

 最初はボーダーの話とか最近の任務についてとか話していたけど、いつの間にか恋バナになっていた。沢村隊長は忍田本部長にホの字だとか。顔を真っ赤にして話す沢村隊長は大変可愛い。普段とは違う沢村隊長にギャップ萌えを理解させられた。円城寺さんはつい最近失恋したらしく、憂いを帯びた横顔は私には一生出せそうにない色っぽさがありました。

 

 この流れで私も恋バナを強要されたが生憎そんな経験はないッス。好きな人も今はいないって。理想のタイプは前書いた通りのことを正直に喋ったが「理想とガッチリ当てはまる男なんていないわ」と円城寺さんには斬られ、沢村隊長は「忍田本部長のことじゃないよね?」と笑顔で牽制された。違います。どちらかと言えば忍田本部長より城戸司令の方が好みです。そう考えると私はワイルド系が好きなのか? でも林藤支部長も結構好きな方だ。あれはワイルド、というよりダメ男臭がする。自分の好みが分からなくなった。

 

 沢村隊長はまだ告白はしないらしい。色々言っていたけど、要するにきっかけがないらしい。恋愛経験者の円城寺さんはもだもだしている沢村隊長に微笑みを浮かべて見守るだけだったので私もそれに倣って隊長の恋を黙って応援することに決めた。

 

 

 

♠月▷日

 

 

 展開が分からない。

 

 久し振りに二宮さんが模擬戦を申し込んできたので受けた。ら、戦績が10戦中6勝3敗1引き分けだった。自分でも動きが良くなったと思っていたけどここまでとは…! と勝利を噛みしめていたら、二宮さんから仏頂面で「どこが悪かった」と質問された。

 

 今回の模擬戦は私の方が強くなった、わけじゃない。いや、ここ最近迅と任務組んでたからそれなりに上達したとは思うけど、私みたいな凡人が天才な二宮さんの上達スピードには追いつけない。二宮さんは今回自分の戦法ではなく、私に似た戦法を取ったのだ。3敗は私が用意し損ねた撤退ルートを回収され、チャンスを潰されて負けた。

 

 どこが悪いなんて、明確なラインはない。敢えて言うなら、追い込むまでの過程で消費するトリオンが多い気がする。けれど、私の戦法より以前のやり方をもっと隙をなくして極めた方が二宮さんはやりやすい気がする。

 

 そう伝えると二宮さんは少し考えた後「…わかった。明日から頼む」と頭を下げてきた。もちろん私は固まった。あの傲岸不遜の二宮さんが頭を下げただと!?

 

 コミュ症ながらよくよく訊いてみれば、二宮さんは東さんとはまた別に師匠を探していたらしい。前の模擬戦祭りは東さんから紹介された有望株を片っ端から当たり、己に無くてしかし必要なことを持っている相手を探し、先日全員を当たり終えた。何人かの技術はその模擬戦祭りの最中に学んだらしいが、改めて考えると私の撤退戦術は己とは正反対過ぎて消化出来なかったと。結果、私に弟子入りを決めた、と。クールな見た目とは違って凄い貪欲な性格だなこの人。

 

 断った。私は他人に教える柄じゃないし、ましてや年上の男性とか……コミュ症に何を求めてるの。

 

 しどろもどろに「ムリです」と断っていたのに、何故か最終的に了承してしまった自分が憎い。どんな話術を使われたんだ私は。

 

 その後任務で迅に愚痴を言うと「うん、良い方向に進んでて安心した」とまた電波なことを言われた。他人事だからってお前ェ。

 

 

 

♠月▷日

 

 

 ボーダー本部に行かなければ(何故か)弟子になった二宮さんに会わなくて済むんじゃね? とか現実逃避してたら隣の席で迅が「今日の放課後に二宮さんから電話くるからちゃんと出ろよ」と言ってきた。番号なんて教えていませんが?

 

 「俺が教えた☆」と言う迅を1本背負い投げしてやった。私、悪くない。床にもんどり打つ迅が「これは読み逃したな…」と呟いていたが相変わらず意味不明。

 

 柔道は小学校で卒業したから現在は素人に毛が生えた程度だ。現役戦闘員の迅なら読み逃すも何も楽勝で避けられるだろうが。投げたけど。

 

 放課後、本当に二宮さんから電話が来て、急遽任務が入ったから訓練はまた明日に回しても良いかと尋ねられた。どうぞどうぞ。

 

 せっかくの機会なので弟子入りをもう一度断ったが、相手は引いてくれない。考えた末に「夏休みの最初の1週間は帰郷する。弟子入りは帰ってきてからにしてほしい」という旨を伝えた。未来の私に対応を託した形だが、これはこれで良い筈だ。帰ってくるまでに二宮さんが考え直したり他の師匠を見つけていたらいいなぁ~。

 

 そして、もしもの為に私もその間に準備しておこう。

 

 

 

♠月▷日

 

 

 あと2日で夏休みだが、食材が減らない。そんなに買い溜めしている気はなかったけどこれを機に見直そう。とにかく今は賞味期限が近い食材をどうするかだ。カレーに出来そうな具材だけど、一人でカレーは食べきれないからなぁ。

 

 今書いているのは朝だから、今日の任務で隊のみんなに相談してみよう。今日の夕飯を一緒にどうですかー?

 

 

 

 良かった。みんな快諾してくれた。女性比率が多くて食べきれるか不安だったので丁度会った木崎さんと迅も誘った。ついでに風間さんがカツカレーが好物だと情報を手に入れた。一人部屋にそんな人数が入らないことに途中で気づいた木崎さんが機転を利かせて玉狛支部で食材を持ち寄って調理することにした。

 

 初めて行った玉狛支部は、建っている場所が変なだけで中はアットホームな雰囲気で普通の一軒家だった。

 

 木崎さんに弱点はないのか。まさに主夫な木崎さんは家事スキルもパーフェクトでした。私もそれなりに料理には自信があったけど、木崎さんのこだわりには負けます。風間さんのリクエストでカツカレーになり、木崎さんと楽しくデザートまで作った。久し振りに他人と食べる家庭料理にほっこりした。作っている途中で帰ってきた小南桐絵ちゃんとも仲良くなれた。

 

 あと驚いたことに、懐かしい人に会った。三門市にやってきたばかりの頃、よく分からない機械虫もどきを引き取ってくれた外国人のクローニンさん。昔からボーダーに居るエンジニアの一人だとか。確かに今思い返してみるとアレはトリオン兵だった。熱心に引き取りたいと言っていたことに今更ながらに納得した。

 

 クローニンさんとは一言二言喋って、彼はまだやることがあるからとカレー皿を持って研究室へ帰って行った。独特な雰囲気の人だ。

 もちろんこれだけの人数、私が持ってきた食材では足りないから買い出しに行ったとも。

 

 

 

♠月▷日

 

 

 夏休み。

 

 実家では日記を書かないことにする。見られそうで嫌だし。

 

 帰ってきてからまとめよう。

 

 

 



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?月

 

 

?月♠日

 

 

 三門市に戻ってきた。最初に確かめるのは冷蔵庫の中身だよねやっぱり。帰宅した今日は仕方ないからコンビニご飯で済ませたけど、明日買い物に行かなきゃ。

 

 さて、実家ではそれなりにゆっくり出来た。最初の2日間は何も考えずボーッと家に引き篭もり、母が用意してくれたご飯を食べて過ごした。ラクしかなかったよ。

 

 3日目からは妹の宿題を見ながら私も学校の課題に取り組んだ。夏休み前からちょくちょく消化していたからそんなに量はない。1日で終わった。妹の羨ましそうな目に冷たい麦茶を煎れて逃げた。

 

 4日目以降は不可抗力とは言え弟子になった二宮さんに教えることをまとめ始めた。他人に教えるような上手い戦術じゃないから書き出してもバラバラでちぐはぐ。とりあえず必要なこと、やっていることを箇条書きで書き出してから整理していった。無意識のうちに処理していた行動もあるから改めて書き出すと結構多い項目に、厨二病じみていて恥ずかしくなった。これを二宮さんに公開するとか、拷問か……!

 

 6日目は家族全員揃ったから水族館に行った。大きなイルカのぬいぐるみを買った。後悔はない。イルカのぬいぐるみには"只野イルカ"と命名した。語呂が気に入ってる。

 

 そして7日目の今日、帰宅。中学のトラウマさんに会わなかったことをひたすら安心する。連絡なんてしてないし家からほぼ出なかったから大丈夫とは思ってたけど、改めて。

 

 じゃ、さっさと寝支度して明日の訓練に備えて寝ますかね。

 

 

 

?月♠日

 

 

 訓練室の入口で二宮さんが腕を組んで仁王立ちしていてビビった。

 

 二宮さんと私では取れる戦術が全然違うこと、あくまで私はスナイパーであることを前提にして私の立ち回り方を知ってもらう。二宮さんはシューターとして立ち回りたいだろうから、後で私のやり方を取捨選択して自分のスタイルにアレンジしてほしい。

 

 私独特の感覚やスナイパーとしての癖が必要になる私のスタイルに二宮さんは眉根を寄せていたけど、真面目に聴いてくれた。

 

 まだまだ始めたばかりだから分からないけど、天才の二宮さんならきっと私のやり方を消化して自分の物にするんだろうな。

 

 

 

?月♠日

 

 

 二宮さんと訓練する中、私も二宮さんから色々学んでいる。むしろ私の方が弟子じゃね? ってくらい。申し訳ない。

 

 まあ師匠なんて呼ばれたいわけじゃないし、敬語も崩していないし、あんまり私が上だとは思わない。

 

 そういえば何故東さん以外の師匠を探していたのか問えば、東さんは他にもたくさん弟子がいて、それでいて自分たちの隊長だ。仲間として隊長の負担になるばかりではいけない。的なことを言ってた。要するに忙しい東さんに迷惑を掛けたくないらしい。良い人だ。

 

 東さんには私も度々お世話になっているし、これは協力しないわけにはあるまい。

 

 

 

?月♠日

 

 

 チーム模擬戦で久し振りに東隊と当たった。私の戦術を知っている二宮さんがいる以上一筋縄ではいかない。風間さんもかなり悩みながら戦略を練っていた。

 

 私が二宮さんについて言えるのは訓練で垣間見れた修得技術たちと、動き方の癖。共に訓練をしていく過程でソロ模擬戦を何度か組み、勝率は5分五分。私は相手の癖を見抜く力が他人より上だということをそこで自覚した。二宮さんの技術には追いつかないけど、そう簡単には変えられない動きの癖からの先読み・予測、十分な地形情報把握が出来れば勝てないことはない。

 

 チーム模擬戦の結果は、沢村隊の敗北。内容としては沢村隊長と風間さんとの近接戦闘を徹底的に避けた東さんの狙撃だけで牽制。二宮さんと加古望さんと三輪秀次くんの3人がかりで私を挟撃してきて、逃げ続けるしかなかった。一応最初から私が狙われることは予想していたから撤退ルートの確保とトラップの設置は間に合っていた。

 

 とは言え、さすがに3人がかりで来るなんて考えていなかったから最終的に落ちたのだけど。

 

 トラップを設置しながら逃げる中、二宮さんの右足と三輪くんの左肩と左脇腹をシュータートリガーでぶっ飛ばしたまでは良かった。途中で加古さんが東さんのフォローで抜けたけど、タイムアップを待たず私は仕留められて東隊の勝利となった。

 

 逃げるのに集中していれば良かったと反省してたら終わった後に隊の皆に褒められた。結果は残念だったが東隊の作戦を狂わせたのは間違いない。逃げる最中に作るトラップを最小限にすれば完全に逃げ切れたぞ、と。

 

 狙撃訓練場で会った東さんからも苦笑を浮かべて「やられた。合流にしようにもトラップを警戒して思うように動けなかったよ」とコメントをいただいた。大師匠の東さんに認められたことが一番嬉しい。

 

 二宮さんには「トラップを作るくらいなら撃ち込んでくれば良かっただろう」と言われた。ごもっともな意見だけど、私が撃ってたらあれだけ逃げ続けるのは無理だった。逃げと攻撃を兼ねたのがトラップだと私は考えているから今更それを止めろと言われたら反発するよ。それに私が使わなかったトラップたちは後で仲間が再利用してくれるかもしれないから良いのだ。

 

 東さんが2つの部隊を焼き肉屋に連れて行ってくれた。隣に座った三輪くんは始終しかめっ面だったけど、話しかけると普通に会話してくれた。左肩と脇腹についても怒っていないようで安心した。私が野菜ばっかり食べてたら焼きたてのお肉を分けてくれた。優しい子や…。

 

 加古さんは二宮さんをからかいながら私に「二宮くんのこと、もっと叩きのめしてね」と笑顔で言ってきて戦慄した。後から月見連さんに聞いたら加古さんと二宮さんはウマが合わないらしくああいうのは日常茶飯事なんだとか。同じ隊なのは隊長の東さんを同じく尊敬しているからとか。東さんってやっぱり凄い。

 

 

 

?月♠日

 

 

 夏休みが終わる。友達とはちょこちょこ遊んでいたけど大きなイベントはなかったな。そう思ってたら木崎さんから玉狛支部で花火に誘われた。小南ちゃんが提案したらしい。

 

 任務が入ってなかったから向かうと小南ちゃんが涙目で抱きついてきてビックリした。「玲はいいの!? 本当に迅なんかで!」と訴えられて何かと思えば迅が頭を掻いて溜め息を吐きながら説明してくれた。迅が「八神は俺にとって大事なパートナーさ☆」と小南ちゃんに言ったところ親友とか仕事仲間とかじゃなくて恋愛的な意味で捉えたらしい。たぶん迅の言い方はわざとだと思うけど、小南ちゃんがこんなに本気にするとは思わなかったのだろう。

 

 丁寧に小南ちゃんの誤解を解いて花火を始めると林藤陽太郎くんが火元に近づこうとしたので慌てて抱き込んで止めた。好奇心旺盛なのは良いけど危ないぞー。

 

 

 




迅は本気で親友や相棒として言っています。


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@月、$月

 

 

 

@月?日

 

 

 模擬戦がランク戦と称されることになった。もともと隊員にはS級を最上位に、A・B・C級と実力で格付けされていたが、これからはチームにも適用するとのこと。チームが作れるのはB級隊員以上。

 

 既にチームであり、何度か戦果を挙げている沢村隊はA級チームだ。A級チームも何隊かあり、A級チームの中でも順位が公開されることとなった。この順位付けは今までの模擬戦での勝敗数が関係し、A級チーム1位はダントツで東隊だ。次点で沢村隊。模擬戦に滅多に参加しない古株チームはA級だけど、規格外過ぎて順位付けには加わらなかったらしい。

 

 更に以前までの昇格試験で合格したA級隊員はそのままA級隊員だが、チームのランクがA級に上がったら所属隊員をA級として扱うとのこと。私はB級の試験しか受けていなかったので"A級チームのB級隊員"だったが、"A級チームの八神玲"という感じに変わった。些細な差だけど周囲の視線が少しだけ変わることで実感した。ソロとチームでは役割が全然違うから実力の発揮も異なる。それを伝えてくれる今回の制度にはとても好感を覚えた。

 

 チームから抜けるとまたB級の八神玲だけどね。

 

 

 

@月?日

 

 

 夏休みが明けて学校のクラスメートの半数がこんがり焼けていた。部活だったり、海だったり、と休みを満喫していたようで何より。案の定課題忘れも数人いたけど、それは些細なことでしょう。

 

 休み明けのテストではまずまずの結果を予測する。課題を確認していたけど、そこまで真面目に解いていたわけではないし内容もいくらか抜けていて今までのテストで一番点数が悪いかもしれない。今回は、うん、赤点じゃなければいいや。ぶっちゃけ、猛暑が続いてダルすぎてさ。学校にクーラーつけてほしいわ。

 

 

 

@月?日

 

 

 ボーダーに所属して一応体力は作っていたけど、夏バテは否めない。学校では授業以外、だらんと机に突っ伏して下敷きを団扇にして涼を取っている。ぬるい風だけどないよりマシ。

 

 迅も暑そうにしているがそこまで苦痛ではないらしく、たまに私に風を送ってくれる。ありがとう。

 

 ボーダーに行けば空調が利いている上、トリオン体になると暑さを感じないので学校がある日は「はやく授業終わってくれ。ボーダーに行かせてくれ」と心底思うようになった。だって家でクーラーをつけると電気代がかかるし。

 

 

 

@月?日

 

 

 秋。まだまだ暑い。夏場はダルすぎて日記書く気力が湧かなくて。

 

 久し振りの日記に書くのは私の誕生日のことだ。家族からはメールでお祝いの言葉を貰った。友人からは手紙だったり駄菓子だったりとお祝いをいただいた。ちょっとくすぐったい。

 

 迅から玉狛支部への招待状を貰った。何でも木崎さんがケーキを焼いてくれるらしいのだ。頷くしかないさ。

 

 桐絵ちゃんと迅がカレーを作って、陽太郎くんがお皿を運んでくれた。微笑ましかったし嬉しかった!

 

 木崎さんのびっくりするくらいふわふわしっとりのシフォンケーキも美味しくて、思わず顔がふにゃふにゃになった。色んな人に「おめでとう」を貰って幸せな誕生日だと思った。帰りは林藤支部長に送ってもらった。

 

 

 

$月@日

 

 

 だんだんと寒くなってきたけどまだ昼間は暑い。

 

 円城寺さんが新しい恋を見つけたらしい。まだ恋人とかではなく片想い中だとか。沢村隊長と盛り上がっていた。

 

 学校でもクラスメートの何人かがカップルになっていて、なんだか皆ピンクムードですね。他人事だし特に気にしてなかったけど、巻き込まれた。

 

 休み時間に友人とトランプのババ抜きして負けた。罰ゲームで『迅をデートに誘え』とニヤニヤ顔で言い渡されてしまった。そういう系の罰ゲームは言う方も言われる方も後味が悪くなるんですけど。抗議は意味なかったので仕方なく「迅、面貸して」「え、ヤクザ? 怖い」と拒否られたので、友人に「振られましたー」と報告。「そんな誘い方があるかー!」と怒られたが"行け"ではなく"誘え"だったから破っていないぞ。

 

 疑問に思った迅が経緯を尋ねてきたので罰ゲームを説明して「なるほどねぇ。そういえば小南が今度の休みに一緒に買い物行こうって言ってたよ」と迅が言ったことで、迅に"小南"という彼女がいると勘違いをされた。ドンマイ。

 

 

 

$月@日

 

 

 沢村隊長がインフルエンザに罹った。お見舞いに行こうかと隊で話したが、円城寺さんから止められた。風間さんは受験生だから絶対にダメだ。

 

 沢村隊長が戦線復帰するまで沢村隊はランク戦を休むことにする。戦闘員の風間さんと私が健在だけど、決定力に欠ける上、風間さんも受験勉強に集中するらしいので丁度良かったのかもしれない。

 

 ランク戦に出なくても任務はあるので、それが風間さんの勉強の邪魔にならないと良いのだが。その旨を伝えると「良い気晴らしになる」と親指を立てられた。さすがの風間さんも勉強三昧はストレスが溜まるらしい。

 

 

 

$月@日

 

 

 久し振りに迅と任務に就いた。

 

 相変わらず黒トリガーで無双する迅をサポートする私の図。黒トリガーの仕様はなんというか……ぶっちゃけ……すごくサポートしにくい。

 

 数本の刃を置き弾にする、とかはいいんだ。敵の動きと迅の動きを読んでどこに置くのかと予測出来るし、それが発動出来るように私が追い込めば良い。

 

 ただ、迅はたまに「なんでそこに置く!?」と予測外の場所に設置するのだ。発動させようにも私が追い込んでも難しい場所。しかし迅は、絶妙なタイミングでそれを発動させて不意打ちを防ぐし、背中に目があるのかと驚くスピードで敵を撃退する。

 

 はっきり言って、迅にサポートとかいらない気がする。でも、何もしないとか私も嫌だし、結局は迅の邪魔にならないようにちまちま討伐するしかないんだよね。

 

 経験の差とかあると思うけど、たまに迅は予知が出来るんじゃないかと疑うレベルだよ。歴史書とか戦術書とか読むとそういう人間もいるし珍しくもないのかも。まぁ、私よりも長く戦場に立っていた証拠だろう。

 

 せっかくベテランと一緒の任務だ。可能な限り勉強させてもらおう。

 

 

 

$月@日

 

 

 インフルエンザの襲撃ってネイバーの侵攻並に怖いな。

 

 今日から学年閉鎖、臨時休業になった。もともと隣のクラスでインフルエンザが流行っていて学級閉鎖になっていたのだが、とうとう私のクラスにも感染者がちらほら。大侵攻の影響で学校の生徒数が少なく、閉鎖になるのは早かった。

 

 昨日まで元気だった友人が翌日いなくなり、教科書を借りていた友人がいなくなり、一緒に弁当を食べていた友人がいなくなり……ぽつりぽつりと教室に空席が増えていく。こう書いているとホラーだが、実際はインフルエンザ。ちなみに迅もインフルエンザだ。

 

 1人暮らしの私は「インフルエンザに罹るとヤバい」と危機を覚えていたが、今のところ元気だ。おそらく予防接種をしたかどうかの違いだと思う。三門市は入学前に大侵攻を受けて予防接種を受けに行く余裕のある人間が少なかったのだ。私は病気関係だけは気をつけていたし、暇を見つけて地元のかかりつけだった病院でインフルエンザを始めとするいくつかの予防接種を受けていた。学校側から予防接種を義務付けされていた受験生の3年生も罹患者は少ないらしい。

 

 学生が多く所属しているボーダーでもインフルエンザにはてんやわんやである。うがい手洗いマスクを義務付け、戦闘員は出来るだけトリオン体で居ることになった。任務も元気な人間で回すしかないので私のシフト表はぎっしり埋まった。

 

 

 

$月@日

 

 

 今日は東隊+私で任務に当たることになった。

 

 特に何のトラブルもなく完了したさ。ランク戦を休んでいるけどログを見ていないわけじゃないし、直近の東隊の戦術だって把握・研究している。だから連携の邪魔をすることなく淡々と任務をこなした。ら、東さんにべた褒めされて二宮さん・加古さん・三輪くんに凝視……いやあれは睨まれた?

 

 一応、二宮さんからは「よくやった。だがアレくらい当然だ」と言われ、加古さんからは「よく見てるわね。敵としては要注意だけど味方なら安心よ」とフフッと笑われ、月見さんからは「こんなにオペレーターと連携するのって珍しいですね」と通信が入り、三輪くんからは「なんであそこで撃ったんですか? どうしてタイミング良く俺の動きに合わせられたんですか?」と質問攻めを受けた。

 

 グイグイ迫ってくる三輪くんに圧倒されてしどろもどろになるコミュ症の私に助け舟を出してくれる東さんと二宮さん。さすが師匠と弟子(師匠)!

 

 でも二宮さんが「そんなに気になるなら今度の八神との訓練に三輪も参加すれば良い」と言ったのは恨みます。だから私は他人に教える程技術を持ってないですから!!

 

 

 



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%月、&月

 

 

 

%月$日

 

 

 東隊と任務を組んでから私は度々他の隊に放り込まれることになった。沢村隊長は復帰したけど今度はオペレーターの円城寺さんがインフルエンザで、チームの頭脳な風間さんも大事を取って最低限にしかボーダーに来なくなったからだ。インフルエンザが憎い。

 

 しかし沢山の他人とコミュニケーションを取る機会を得て、以前よりコミュ症が軽減したように思う。ついでに私の撤退戦術も幅が広がってきた。

 

 シフト表にやっと余裕が出てきた。少しずつインフルエンザから復帰する人間が増えてきて、私のたらい回しもようやく終わりが見えてきたのだ。

 

 久し振りの完全オフに、私は惰眠を貪り、鍋をするべく準備した。

 

 1人鍋って、存外寂しい。

 

 

 

%月$日

 

 

 冬休み。クリスマス。お正月。受験。怒涛のイベントラッシュである。

 

 クリスマスパーティーは玉狛支部に参加した。翌日は昼間にクラスでのクリスマスパーティーに参加して、夜にボーダーでのクリスマスパーティーに参加。楽しかったけど、大変だった。この言葉に尽きる。

 

 お正月は実家に帰って親戚へ新年の挨拶とお年玉を貰った。その後の年寄り連中への酒盛り給仕が大変だった。主に片付けが。酒宴が終わったら生き残っている人間で神社へ初詣に行っておみくじを引いた。中吉だった。目を引く項目はなかったので日記には書かないぞ。

 

 2日まで実家で過ごして3日は三門に戻ってきた。クラスメートたちと三門市の神社に行く約束だったので、そこでもおみくじを引いた。中吉だった。どうやら今年は完全に中吉の運勢らしい。

 

 風間さんと木崎さんは無事に大学受験を突破した。風間さんは授業料免除枠を獲得した上に、課題&テストの提出をクリアすれば進級出来るようにしたらしい。普段は普通に授業へ出席するが、緊急時の任務があればそちらを優先する為に頑張ったとのこと。

 

 あと「八神が俺の分も任務カバーしてくれたおかげで勉強に集中できた。ありがとう」と述べられて、私は悶絶した。風間さんって褒めて伸ばすタイプだ絶対。

 

 

 

%月$日

 

 

 やっと沢村隊が全員集合した。今まで誰かしら休んだり用事だったりで忙しかったからね。

 

 久し振りのチームワークはところどころ噛み合わない。皆の実力が衰えたわけではなく、動き方や新しく取り入れたトリガーの仕様で以前までの連携では合わなくなっていたのだ。

 

 もちろん沢村隊は全員苛立つことなく冷静に「ああじゃない、こうじゃない」と議論しながらチームワークの穴を潰していく。互いに慣れているメンバーなので時には辛口過ぎるコメントが出たりするが、仲が悪くなったわけではない。

 

 だが傍から見ると仲違いしているように感じるらしく、色んな人から「大丈夫か?」と声を掛けられた。最初は何のことかと全員で首を傾げたが、次第に意味が分かって皆で笑った。ならば次のランク戦で驚かせてやろうと悪戯心が湧きましたとも。

 

 

 

&月%日

 

 

 待ちに待ったランク戦。

 

 進化した沢村隊の本領発揮である。今まで互いに辛口コメントをしていた我々が黙り、以前とは違う連携プレーを行った沢村隊に沢山の人がびっくりしていた。

 

 悪戯成功! と風間さんとハイタッチして、沢村隊長とハグして、円城寺さんと親指を立てた。ここ最近で一番のハイテンションだった。

 

 だって! 何より! 東隊に勝った! から!!

 

 喜びがひとしお過ぎて日記書いてる今も暴れ出したい程の歓喜に溢れております!

 

 冷静に言葉をまとめられないので、今回はここまでっ。

 

 

 

&月%日

 

 

 3年生が卒業して私は2年生になった。迅とはまた同じクラスになったので「よろしく」と挨拶した。

 

 大侵攻から1年経って、私が所属した時より隊員も職員も増えた。しかしまだまだ防衛組織としては小規模らしく人員の確保は優先事項らしい。

 

 根付幹部がメディア活動を提案して、所謂"ボーダーの顔"を作ることになった。1回だけ、根付さんからオファーが来たが断固拒否した。もともと優先候補ではなかったようなのでその1回で勧誘は終わった。良かった。企画を立案・裏方・準備は好きだけど表立って行動は苦手だ。

 

 爽やか笑顔の嵐山を隊長とした嵐山隊がメディア活動を請け負うことになった。確かに日曜ゴールデンタイムの戦隊物に登場しそうな人物たちだし納得した。

 

 熱い嵐山に冷静な時枝くんに苦労人な柿崎、明るい佐鳥くん、そして美少女オペレーター綾辻ちゃん。うん、ぴったりだ。とか思ってたら柿崎は嵐山隊から独立して新しい隊を率いるらしい。キャラクター的に惜しいけど、私も断った口だ。メディア露出は色々と怖い。

 

 

 

&月%日

 

 

 謎が多かったボーダーのメディア露出に多くの人間が注目し、TVのニュースやバラエティーに引っ張りだこの嵐山隊。

 

 隊のルックスにキャラクター性も伴って既にファンクラブも出来ているとか。ドン引きするくらい速い浸透性に唖然とするが、おそらく根付さんが前もって種を蒔いていたんだと思う。さすが大人。

 

 メディア露出に加えてB級以上の隊員も名前だけ公式サイトに載ることになり、ボーダー所属だと家族に伝えていたせいで家族が公式サイトを検索して「A級部隊所属なの!? すごいじゃない!!」と色んな人から電話がきて面倒だった。讃辞は嬉しいけど言われ慣れると増長しそうで恐ろしい。

 

 TVの中で変わらない爽やかさで讃辞を受ける嵐山が「ありがとうございます」と答えていて、更に任務でも大きい失敗がないことに畏敬の念を覚える。私には出来ないわー。

 

 

 

&月%日

 

 

 迅の誕生日。以前は入学式早々に明かされた時だったので簡単に口頭での「おめでとう」しか言えなかったが、私の誕生日をケーキと一緒に祝ってくれたのだから今年こそは私も気合いを入れた。

 

 と言っても、玉狛支部で行われる誕生日パーティーに私も参加しただけなのだが。迅のリクエストで肉じゃがを作ったらめちゃくちゃ嬉しそうにお代わりしててこっちも嬉しくなった。どうやら迅のお袋の味に近い味付けらしい。作っている最中木崎さんがガン見してて緊張した。

 

 誕生日プレゼントは色々迷ったが、異性へのプレゼントで残るものは重い気がしたのでお菓子を紙袋いっぱいに詰めた物を上げた。和菓子と洋菓子どちらも詰めたが、気に入ったのはやはり好んで食べていた揚げ煎だった。私も好きなぼんち揚げである。歌舞伎揚げも好きだ。

 

 今回は日が暮れる前に帰った。迅の保護者代わりの林藤支部長がいなくなるのは良くないからね。とりあえず肉じゃがを喜んでくれて良かった。

 

 

 



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#月

 

 

 

#月&日

 

 

 円城寺さんがエンジニアに転属することになった。もともとエンジニア希望でボーダーに入ったが人手不足故にオペレーターを請け負っていたらしい。人手が増えた現在、エンジニア転属希望が受理されたのだ。もちろん前々から私たちは承知していたので「おめでとう!」とお祝いした。

 

 円城寺さんの代わりに新人のオペレーター宇佐美ちゃんが仲間入りした。ある程度の下地は円城寺さんが教えており、沢村隊の作戦行動も教えると試行錯誤しながらちゃんと実践してくれた。沢村隊長も宇佐美ちゃんのサポートをするべくオペレートを学び始めた。

 

 宇佐美ちゃんは円城寺さんに教えを請う為に開発室へ何度も赴き、その際にエンジニア関連も勉強しているらしい。たまに訓練で改造した訓練室を構築されてびっくりした。もしかしたら宇佐美ちゃんって天才なのかも。

 

 

 

#月&日

 

 

 中隊規模の侵攻が起こった。

 

 平日の昼間だったこともあり学生が多い隊員は現地へ直行することになった。一番近い現場へと赴こうとしたところで沢村隊長から無線が入り、隊員が少ない現場へと促された。本部にいるオペレーターが少なく、戦闘員だがオペレート知識がある沢村隊長がやむなく中央でオペレーションを要請されたとのこと。

 

 戦闘員であり、もともと沢村隊は数種類の作戦行動を同時に行う隊の隊長だったこともあり、沢村隊長は私への指示以外にも他のオペレーターと連携して他隊にも指示を出していた。その手腕に忍田本部長も舌を巻いたとか。

 

 特に人命被害も行方不明者も出さずに討伐を終えた。沢村隊長、さすが自慢の隊長だ。

 

 

 

#月&日

 

 

 前回の功績を評価されて沢村隊長は中央オペレーターに抜擢された。本人の意思でも「忍田本部長の役に立つ!」と張り切っていたので仕事も恋も応援したい。

 

 というわけでA級部隊の沢村隊は解散した。

 

 風間さんは新しい部隊を作ってまたA級を目指すらしい。部隊に誘われたが、嬉しかったけどお断りした。しばらくはソロ活動をしようと思ったのだ。

 

 私の撤退戦術は大部分がオペレーターに頼っている。幾度かオペレーションなしの模擬戦をしていたのでまるっきり頼っているわけではないけど精度は落ちる。基本的に実戦はオペレーターがいるからあまり気にならないけど、前回の緊急時みたいに私個人に情報提供を出来ない場合が今後もあるかもしれないのだ。オペレーターがいる時といない時とをシミュレーションしていくべきだと考えた。

 

 

 

#月&日

 

 

 東隊もいつの間にか解散していた。いや独立が正しいのかな。

 

 東さんは新人育成に集中するらしく、隊員もそれぞれ人を集めて部隊を作ることにしたらしい。月見さんは一番若い三輪くんのサポートに回るみたいだ。

 

 それぞれが心機一転のスタートを切っている。

 

 

 

#月&日

 

 

 学校でボサボサ頭のマスクの後輩に声を掛けられた。最初は全然思い出せなかったが、あのスポドリを渡した少年だった。今年から入学して高校生になったようだ。

 

 目つきは相変わらず尖っていたが、元気そうで何よりだと喜ぶと頭をわし掴まれて顔を強制的に逸らされた。何事かと戸惑っていたが少年がボソボソと喋り、その様子から照れ隠しだと察する。ちょっと暴力的だが可愛い奴め。

 

 ちなみに迅が私の隣にいたのだが親友の首の危機よりマスク少年の登場にテンションを上げていた。初対面らしいのだが「ねぇ君、昼休み俺と話さない?」となんか怪しい誘い文句を言ってマスク少年に胡散臭そうに見られていた。ざまぁ!

 

 ちなみにマスク少年は影浦雅人くんと名乗ってくれた。

 

 影浦くんは迅をジッと見てたが、少し考えてからあっさり頷いた。交流を深めようと迅がはりきって昼休みに1年生の教室へ向かって行った時は「あいつ、どうした」と思わず呟いたほどだ。

 

 さすがに私は知らない学年に行く勇気はなかったので今日は迅とは違うクラスメートと弁当を食べた。クラスメートには「迅が1年生をナンパしに行った」と説明したので、帰ってきた迅から抗議を受けたが聞き流した。

 

 

 

#月&日

 

 

 ボーダーで影浦くんを見つけた。ボーダーに入隊していたことにも驚いたが、何より医務室から出てきたことに慌てた。トリオン体で主に活動する為ボーダーでは医務室の利用者が少ない筈なのだ。それなのに、と心配して駆け寄ると影浦くんは面倒そうに診断票を見せてくれた。

 

 サイドエフェクト。別名・副作用。トリオンを多く所有している為か何らかの要因かは不明だが、通常の人間より突出した能力を発揮している。中には所有者に負担を掛け、日常生活に不自由している者もいる。

 

 影浦くんは『感情受信』のサイドエフェクト持ちらしい。視線を通して向けられる感情を察知する能力で、視線がチクチクと刺さるイメージなんだとか。あまりにも刺さると受信機能がオーバーヒートして体調が悪くなるらしい。小説とかの表現で"視線が刺さる"というのを体現した副作用だ。学校生活では前に出て発表したり自己紹介したりで視線の針のムシロ状態とかツライ。社会人になっても前に出ることは当たり前にあるわけで、ツライと思う。

 

 視線が刺さるなら私はサングラスとかゴーグルした方が良いか? と質問すると「悪感情じゃなけりゃそんなに気持ち悪くない」と応えてくれた。それでも刺さるのは気になるだろうに、優しい奴め。とか色々内心が伝わるようなので、影浦くんの前では下手に取り繕わずそのままストレートに表現することに決めた。

 

 日常生活ではストレスマッハな副作用だけど、戦闘面では少しだけ有利だと思う。攻撃する時、誰でもその部分に視線をやるからだ。特にスナイパーなんてスコープを覗いて狙いを定める。影浦くんはまだ入隊したばかりで戦闘に慣れていないから狙撃でも仕留められるが、このまま成長すれば遠距離攻撃が効かないアタッカーになりそうだ。

 

 

 

#月&日

 

 

 迅もサイドエフェクト持ちだった。マジか。

 

 影浦くんと仲良くなり学校やボーダーで会えば普通に会話するのだが「あの人のサイドエフェクトも結構苦労するな」と迅のことを指して言ったのだ。初耳だった私はすぐに迅の元へ向かって問い質すと「イエス」と返ってきた。

 

 迅のサイドエフェクトは『未来視』。良い未来も悪い未来も平等に視えて、しかも可能性が高い未来ははっきりと、可能性が低いけど有り得る未来はぼんやりと視えるとのこと。

 

 なにソレ規格外。つか、前から電波っぽいこと呟いてたのは未来視のことか。納得した。納得したついでに「宝くじ買いに行こうぜ!」と誘うと微妙な顔をされた。なんでも可能性の高い当選番号を買っても確定した未来ではないので今の時点では外れる可能性の方が高いのだとか。ついでに己の知らない事柄や人間の未来は視えない。なるほど。

 

 ならば成人したら競馬に行こう。馬と騎手を直接視ればいいじゃん。「八神って意外と金に執着するね……」と呆れられた。当たり前だ。この時代で余裕ある生活をするには金銭が必要不可欠だから!

 

 悪い未来を視るって悪夢みたいだ。例えば未来視で友人が死んだ場面を視て、現実で元気な友人を見る。その友人がゾンビに思えたり、どっちが現実か曖昧になったりとかある? と問えば苦虫を噛み潰したような顔で「小さい時は、あったよ」と正直に答えてくれた。

 

 ナイーブな質問なのに答えてくれた迅におやつのぼんち揚げをあげて

「少年漫画の主人公みたいな苦労しているなぁ」

「……確かに。え、主人公とかカッコイイな俺」

「ボーダーがあるからジャンルはアクション系か」

「ヒロインは?」

「沢村隊長」

「それ完全に俺が当て馬役じゃん。一気に主人公から脇役だよ」といつの間にかいつも通りの会話になっていた。

 

 さてさて、ヒロイン沢村隊長は憧れの忍田本部長を落とせるのか! こうご期待!

 

 

 



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!月

 

 

 

!月#日

 

 

 シューターに麒麟児が現れた。今までで一番のトリオン量に、天性のセンスで弾道を描いて的に当てる様子は、訓練室を湧かせた。まだ中学生だしこれからまたトリオン量も増えそうだ。シューターは数が少ないからすぐにチーム勧誘が始まるだろうね彼は。

 

 ここ最近また任務が増えてきた。出現するトリオン兵が多くなってきて、巡回する人数を増やしたからだ。ソロ活動中の私だけど任務ではほとんど臨時チームに入る。前からそうだったので私はあまり気にしないが、今回組んだ隊員はやりにくそうだった。

 

 アタッカーの烏丸くんとガンナーの北添くんとスナイパーの私。所属年数から私を暫定隊長として任務に就いた。ポジションバランスは良かったのだけど、2人は最近C級からB級に昇格した初任務。つまり今まで個人戦ばかり訓練していたせいでいざチーム戦になると動きがぎこちなかった。

 

 アタッカーの烏丸くんはそれほど違いがないから良いのだが、北添くんは援護にするか討伐するかで迷い、さらに援護しようにもタイミングが悪く空回りしてしまう。ぶっちゃけ想定内だったし、烏丸くんもどんどん突出しているのも悪かった。

 

 烏丸くんにヒット&アウェイスタイルに切り換えてもらい、北添くんには敵の誘き出しと烏丸くんが引いた直後に弾幕を与えるように指示。私は初撃と2人のコンビネーションがズレた時にフォローする役割を負った。こういう慣れない戦闘員では罠をかけるより直接戦闘フォローした方が新人さん達が動きやすいからね。指示を素直に聞いてくれる子たちで良かった良かった。

 

 任務後、2人からお礼を言われてくすぐったかった。チーム戦について訊かれたので、個人戦との違いを簡単に説明。ソロも良いけど任務はチーム戦が多いから隊を作ったり入ったりを、それとなく推奨しておいた。

 

 

 

!月#日

 

 

 気分が乗ったので今日は甘い玉子焼ではなくだし巻き卵を作って弁当に入れたら、迅が「今日はだし巻きだよね。ちょうだい」と言ってきた。もうサイドエフェクトを隠さなくなってきたなお前。

 

 体育のバレーボールで右人差し指と中指を骨折(ヒビ)した。最初は突き指かと思ってたら腫れ上がって青紫に変色したので骨折(ヒビ)と暫定。保健室でテーピングで固定して、放課後病院に行くとやっぱりヒビが入ってた。

 

 利き手だけど親指が無事なら残りの三本でイケるし、左手でも十分に活動出来るから問題ない。中学の部活で指や足の怪我が多かったので両利きもどきなんだ。

 

 迅が本人以上に慌ててたがそんな様子の私を見て「なんでそんなに冷静なの」と呆れていた。不便なのは皿洗いくらいだと伝えたら、今日の夕飯は玉狛支部に誘われた。ミネストローネだった。おいしかった。

 

 桐絵ちゃんが骨折を見て我が事のように痛がり、その様子を見た陽太郎くんが泣き出してカオスだった。

 

 とりあえず玉狛支部の訓練室を借りて左手で狙撃の練習をする。たまにやってたけど、本格的に行っていなかったせいで的には当たるが狙いは外れという結果だった。物になるまでか、骨折が治るまでスナイパーからシューターにポジションを変えとかないと。

 

 

 

!月#日

 

 

 林藤支部長が「カルシウムを取れ」と言ってきます。原因はわかっている。

 

 陽太郎くんの腕の関節が抜けてしまったらしく、慌てて病院に連れてきた林藤支部長。ちょうど私もその病院でレントゲン待ちしていたのだ。

 

 泣いて泣きまくってた陽太郎くんだが先生が『ぽくっ』と音を立てて填めるとキョトンとして「いたくない!」と笑った。どうやら幼い子供によくあることで、弱い力でも腕を掴まれると抜けてしまうらしい。

 

 防止として"腕を引く"ではなく"手を繋ぐ"なら手首の関節がクッションとなり抜ける心配はなくなるのだとか。林藤支部長はもしもの為に先生からハメ方を学んでいた。そのすぐ後に私が呼ばれ、レントゲンを撮った。

 

 陽太郎くんが私と一緒にいたいと駄々をこねたので林藤支部長も一緒に居てくれることになり、レントゲン結果を見た。ら、林藤支部長が戸惑いの声を挙げた。私のレントゲン写真は、薄い。骨が細く、骨密度が低いせいで骨の色がぼんやりとしか出ないのだ。骨粗鬆症予備軍ですね。

 

 医師も苦笑して「一応、ここにヒビが入ってます」と指差すがうっすらで分かり難く林藤支部長は首を傾げたのだった。

 

 それから林藤支部長に会うと結構な頻度で煮干しを貰う。猫ですか私は。カルシウムと言えば牛乳だけど、牛乳はあまり好まないと言ったのを覚えてくれてたのだろう。

 

 

 

!月#日

 

 

 本部の訓練室で狙撃の左撃ちを練習していると、隣で鳩原ちゃんが10回連続で的の中心を射抜いてた。私の利き手でもそんな芸当は出来ないので思わず拍手して「いてっ」とマヌケなことをしてしまった。鳩原ちゃんが慌てて「て、テーピング! します、かっ?」と訊いてきたのが可愛かった。いえ、自業自得です。

 

 東さんの弟子仲間。狙撃手の中で上位の精密射撃を得意とする鳩原ちゃんだが、模擬戦の戦績は芳しくない。腕は良いけど、なかなかC級から脱せない。

 

 理由は『人を撃つのに抵抗があるから』だ。トリオン兵相手の訓練では好成績を叩き出すけど、対人戦になると動けなくなる。人が撃てないなんて別に珍しくもないし、伸び悩むならエンジニアやオペレーターの道もある。けど鳩原ちゃんは狙撃手で居たいらしい。

 

 実戦で人を撃つ機会はぶっちゃけ無い。ミスして味方に当てるくらいじゃないか?

 トリオン兵を倒せるなら十分戦力だ。ネイバーが相手だと難しいと思うが、ならばチームの誰かに任せれば良い。トリオン兵専門の隊員としてでも鳩原ちゃんの精密射撃は活きるはずだ。まぁ、任務に出るにはB級に上がらないといけないんだけど。

 

 「対人戦の時、武器破壊すれば? 長期戦になるけど武器を破壊し続けてトリオン切れを狙って勝つ、とか。仕留めるわけじゃないから、即時移動が不可欠だけど」と思いつき半分で言ってみたが、鳩原ちゃんの精密射撃なら十分にこなせるし根気強さもある。鳩原ちゃんは藁にも縋りたいとでも思っていたのか「はい! やってみます」と意気込んでた。

 

 

 

!月#日

 

 

 シューターの麒麟児、出水公平くんが勝負を仕掛けてきた! 勝った!

 

 任務前にシュータートリガーを調整していると声を掛けられた。結果は上記の通りなんだけど、麒麟児と言われるだけあって実力は感じられた。訓練室のトリオン無限ルームじゃなかったら任務時間ギリギリまで戦ってたかもしれない。

 

 出水くんは負けても「アレどうでした?」「あの時は回りこませた方が良かったッスよね!?」とハイテンションで迫ってきた。グイグイ迫ってくるのは勘弁して欲しかったが、きちんと自分の負けた要因を理解しているのは感心した。

 

 任務から帰還すると出水くんがまだ訓練室に居て、疲れを知らないかのように弾丸を飛ばしまくってた。キラキラしてるねぇ。

 

 

 

!月#日

 

 

 影浦くんからお好み焼きは好きかと問われたので頷くと、家に招待された。家はお好み焼き屋さんだった。お好み焼き屋さんに入るのは初めてだった私はテンションが上がった。

 

 影浦ママからスポドリのお礼を言われた。お礼を言われる程のことではない。いえいえ、と手を振ってお好み焼き屋さんは初めてだということと、オススメは何か、と尋ねると影浦くんが焼いてくれるから気にするなと言われた。アレルギーも何もないし嫌いな物もない。

 

 ふわふわアツアツのお好み焼き。影浦くんの焼き方を観察して家でも再現出来ないかと考えるけど、おそらくあれは鉄板だからこその焼き加減なのだと思う。あと何より特製ソースがおいしい。代々受け継いだソースらしいから、あのソースの再現は諦める。

 

 美味い! と感激してたら北添くんがやってきた。どうやら影浦くんとは幼なじみで同じ高校のクラスだとか。じゃあ私も同じ高校の先輩だね、と言えば驚かれた。いや、私も同じ高校なのは驚いたけど。

 

 北添くんは私のテーピングに気づいて骨折したと聞くと「だからカゲが焼いてるんだ~」と言ってきて、影浦くんに小突かれてた。私が気づかなかっただけで気を遣わせていたようだ。やっぱり影浦くんは良い子だ。照れ隠しに紅生姜たっぷり入れられた。生地が紅い、だと…!

 

 

 




この時点では、三門市に人型ネイバーが登場していないので八神は「人を撃つ機会はない」と断言しています。
ですが、ネイバーの存在は知っているのでトリオン兵専門、と言っています。


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■月

 

 

 

■月!日

 

 

 左撃ちも大分()れて、そろそろ任務でも解禁出来るレベルになってきた。相変わらず狙撃手は数が少ないから人気である。

 

 佐鳥くんから相談を受けた。二丁で同時に狙撃したいけど上手くいかない、どうすれば良いか、と。知るか、と思ったがせっかく聞きにきたのだし一緒に考えることにした。

 

 まず最初の基本形として、一つの狙撃銃での実力はどんなものかと撃たせると10発中5発命中だった。うん、論外。とりあえず左右どちらも片方ずつ8割を越えてからじゃないと両手同時は難しいでしょ。そのノルマが達成出来れば、指の感覚慣らしの為にストップウォッチの両手同時押し、肩幅もしくは構える腕の幅を固定、銃口角度の微調整するなど順序立ててノルマを達成すれば良いんじゃないかな。

 

 佐鳥くんは「佐鳥、了解です!」と元気に去って行った。

 

 入れ替わりで出水くんから勝負を挑まれたが、任務だったのでまた今度と断った。

 

 

 

■月!日

 

 

 シリコンのプロテクターがやっと届いたので、それで指を固定してテーピング。これでやっと皿洗いくらいの衝撃を耐えることが出来るようになった。さすがに片手は疲れる。

 

 久し振りに沢村隊長と円城寺さんとお茶会した。もう沢村隊長、じゃなくて沢村さんって言うべきだね。それか沢村補佐官、とか。

 

 沢村さんは忍田本部長の近くで働けて凄く嬉しくて大満足らしい。円城寺さんはエンジニアで新しいトリガー開発分野の雑用をしている。いわゆる下積みの段階だ。雑用でも勉強することが多くて日々活き活きしているんだって。あと何故か私についての噂を教えてもらった。

 

 撤退戦術の人…これは前に東さんからの評価だったと思う。

 S級サポーター…迅との任務が原因か。

 新人チーム隊長…任務でソロ新人ばっかり組むからかな。

 アドバイザー…2人曰わく、最近新人さんに戦闘を教えているからじゃないかと言われた。教えている覚えはない。

 

 悪い噂じゃないけど、なんか色々言われているみたいで戸惑う。そういえば最近たくさん話しかけられると思ってた。戦闘の悩みとか学校での悩みとか恋の悩みとか...etc。

 

 もちろんちゃんとした答えを返したわけじゃないし、戦闘面は一緒に考えたり自分なりにやりやすいやり方を教えたりしてたけどさ。学校や恋の悩みなんて主に話を聴いてただけだったぞ!?

 

 沢村さんも円城寺さんも楽しそうに「いいじゃない」と言ってくれたので私もいいかと思いました。それに私が今更対応を変えるのも何かおかしいし、通常運転を目指そうかねぇ。

 

 

 

■月!日

 

 

 出水くんと勝負した。勝った!

 

 今回はトリオン無限ルームではなかったが、仮想空間内の地理・地形の把握は私が上だ。リアルタイムで弾道を描く出水くんだが、それにはもっと空間の把握力を磨かなくてはね。私が短期戦を選んだことも出水くんには意外だったみたいだ。長期戦は確かに得意だけど、地理・地形の把握時間を出水くんに与えるわけにはいかなかったからの選択さ。

 

 「またお願いします!」と去って行った出水くん。たぶん時間が許す限り弾丸を撃ち続けるんだろうなぁ。今度は勝てないかもしれないや。天才の成長スピードはやっぱりコワイ。

 

 

 

■月!日

 

 

 経過観察の為に月1のレントゲン写真。相変わらず薄ぼんやりの写真で非常に判断しにくい。玉狛支部にお邪魔するとお茶請けで煮干しが常備されてて複雑な気持ちになった。

 

 骨折よりヒビ骨折の方が治りが遅い。さらに骨密度が低い私は骨の修復に時間が掛かるだろうと診断された。まぁ、中学の頃も同じ言葉をいただいてたし、指の曲げ伸ばしがスムーズに出来るようになれば治ったと思って良いと勝手に考えてる。本当はダメだろうけど、何回も病院に行くの面倒だしお金が掛かるし。

 

 二宮さんに会ったら、眉間にシワを寄せられて荷物を奪われた。左手は無事なんですけど。さらに自販機でヤクルトを奢って下さった。有り難く戴くと、任務について訊ねられた。最初はシュータートリガーで就いてたけど最近は左手で狙撃している、と伝えると「……お前はよくやっている」と褒められた。なんかむず痒い。

 

 そのあと家まで送ってもらった。たまたま会っただけなのに手間を掛けていただいてありがとうございます。今度、お礼に何か持って行こう。

 

 

 



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▷月

 

 

 

▷月■日

 

 

 二宮さんへのお礼は深く考えずヤクルトを2本にして返した。すると「それはお前が飲むべきだ。1本は貰う」と1本戻ってきた。少しだけ納得いかなかったが、目の前で二宮さんが飲み出すので私も封を切って飲んだ。今にして思うと変な光景だ。

 

 久し振りに迅と任務だった。縦横無尽に動き回る迅のサポートも慣れたものだ。私というハンデを物ともせず任務を達成して、疲れを一切見せない迅にほんの少しだけ心配する。アイツ、いつかぶっ倒れるんじゃね?

 

 

 

▷月■日

 

 

 どしゃ降りの雨が気分を憂鬱にさせる。あと蒸し暑い。心なしか日記も湿気を含んでいる気がする。

 

 職場体験をどこにしようか迷う。就職先はボーダーに決めているけど職場体験を募集しているわけではないから一般企業から選ばなくては。ボーダーの職員の方にどんな仕事かと聞いて回る。受付事務、会計事務、営業、食堂の調理師・栄養士、メディア系列、開発者(エンジニア)、中央オペレーターなどなど、簡単に挙げるだけでも戦闘員を除けばこんなにある。

 

 私は現在戦闘員だけどいつかトリオン器官が衰えた時、裏方に回る時が絶対に来る。その時に任せて貰えるような技術を持ってないと雇用してもらえないかもしれないのだ。今のところ候補は事務系。日記には書いてなかったけど現時点で取得している資格は、実用簿記・電卓・情報処理・ワープロ・漢検・商業英検・秘書検定・ビジネスマナーくらい。まだ3級とか2級ばかりだけど高校卒業までには1級に上がる予定だ。職員の方曰く、資格はあくまで目安であって実際にはその職場自体で学んでいくとのこと。それでも今取得している資格を1級まで上げればほとんどの企業から信用されるらしい。資格勉強頑張ろう。

 

 とりあえず、医療事務の職場体験を選んでみようかな。

 

 

 

▷月■日

 

 

 忌々しい夏になって机に突っ伏していると、遅刻してきた迅からアイスをもらった。お礼に授業のノートを見せてやった。

 

 休み時間に迅が端末を弄り始め画面を見せられる。何かと視線を向けるとバラエティー番組に出演中の嵐山隊だった。相変わらず爽やかな笑顔だね嵐山。スタジオの中は涼しそうだなぁとか思ってると佐鳥にとある質問が。

 

「ボーダーに尊敬している人はいる?」

 

 佐鳥は笑顔で頷き「佐鳥のツインスナイプを一緒に考えてくれた先輩です!」と答えていた。へぇ、とアイスを咥えながら番組を眺めて迅に返すと「思ったより薄い反応だね。これ八神のことでしょ」と笑われた。いや、暑さでリアクション取る気力がないんだ。

 

 ボーダーに行くと鳩原ちゃんが武器破壊戦法でB級に上がれたことを報告してくれた。驚いたことにあの時の言葉を素直に根気強く実践していたらしい。ついでにチームに誘われたことも教えてくれた。まだチーム結成してはいないけど、誘ってくれた人は鳩原ちゃんの腕を認めてくれているのだろう。

 

 他にも色んな人から報告や相談を受けた。そして何度か「佐鳥と同じく自分も尊敬している」と伝えられ、調子に乗りそうだったので私も偉大な師匠の東さんに「尊敬しています」と伝えに行った。

 

 東さんだけではなく二宮さんや沢村さんや風間さん円城寺さん木崎さん、それと迅。私がここまで尊敬を伝えられるまでに成長出来た方々に、尊敬と感謝を伝えた。気恥ずかしかったけど、お互いに嬉しかったと思う。

 

 

 

▷月■日

 

 

 出水くんにやられた。勝負に負けていないけど、勝ちではない。

 

 仮想空間に転送された瞬間に嫌な予感がしてすぐにシールドを出した。36発の通常弾の嵐。しかもこれは固定ルート設定の物で、追加でリアルタイム弾道の弾丸が飛んでくるのが見えた。入念に私との勝負をシミュレートしていたのだろう。

 固定ルート設定の弾丸を全て防いだ私は足下をメテオラで吹き飛ばしてその隙に離脱。リアルタイム弾道は見える範囲じゃないと正確性低いからね。

 リアルタイム弾道を最も活かせるにはオペレーターの補助が要る。今回は個人戦だからオペレーターはいないおかげでこの方法で逃げた。

 建物や遮蔽物を常に間に挟んで少しずつ距離を離していった。もちろん『近くにいるぞ』というトラップを発動させながら出水くんを撹乱させるのも忘れない。完全に私を見失った出水くんが私の狙撃を恐れて建物の陰に入る。

 そこで私は穫ったと思った。何故ならその建物の陰はこれから私の射線になるから。手元のスパイダーをライトニングで撃ち千切り、素早くイーグレットに持ち替えて構える。

 建物も木も一気に壊れて視界がクリアになり、スコープ越しに出水くんと目が合った気がした。ニヤリと笑み、片手に大きな立方体が構えられている。不自然だ。

 しかしシューターのトリガーでこちらへ攻撃を届かせるには威力が足りないはず。一瞬でそう判断した私は引き金を引いた。イーグレットは予定通りに出水くんの頭を貫き、そして同時にガラガラと私の居た高台が崩壊する。

 

 私の判断は合っていたが、間違ってもいた。今まで通りのシュータートリガーならあの距離であんな威力は出ない。確かにそうだ。けれど、天才出水くんは弾丸と弾丸を合成して威力を倍に引き上げるという誰も考えなかったことを、ぶっつけ本番で成功させやがった。なんだよ思いついたからやってみたら成功したって、天才かよ。天才だ。

 

 あの後私も合成弾を作ってみたが、合成するのに時間がかかるし作っても想定した威力より上だったり下だったりで安定しない。出水くんは天性のセンス感覚で速い・強いの合成弾を作り上げる。

 

 合成弾は出水くんの専売特許になりそうだね、と言えば「ありがとうございます! 八神さんのおかげです」と眩しい笑顔を向けられた。そして作ったばかりの合成弾を試しに訓練室へ駆けて行った。またレベルアップして挑まれるんだろうなぁ。天才ってやっぱコワイ。

 

 

 

▷月■日

 

 

 指の曲げ伸ばしに多少違和感があるけど、以前よりは良い。しかし右撃ちを試すと衝撃が走って悶絶した。トリオン体で痛覚を完全に切れば問題ないんじゃね、と思いついて撃ち続けると最終的に手が痺れて動かなくなった。

 

 ん? と思ってトリオン体を解くと襲い来る痛みに思わず悲鳴を上げたら、近くにいた東さんが駆けてきて医務室へ連れて行かれた。

 

 ヒビ骨折してた部分は特に変わっていなかったのだが痛みが激しく、経緯を説明したらめっちゃ怒られた。あとエンジニアの人も来てトリオン体状態での違和感についての問答もした。

 

 東さんに怒られて、いつの間にか焼き肉屋に行く話になり道中で木崎さんと迅を拾って4人で焼き肉してた。

 

 とりあえず右撃ちはもうしばらく禁止した。

 

 

 

▷月■日

 

 

 戦闘関連は右手を禁止したが日常生活では普通に使っている。1人暮らしだから家のことは自分でやらないといけないからね。

 

 休日で任務も珍しく入ってなかった私は訓練も自主的に休みにして買い物へ出かけた。1人で買い物って寂しい気もしたが、自分の好きに回れるから結構充実した気持ちになる。夏場で洗濯物がすぐに乾くのは良いけど夕立で台無しになることもある。そのため予備のタオルや下着も出すハメになり、そういうわけで補充の為の買い物だ。あとインテリアやキッチン用品も覗いてきた。

 

 デパートの中に入ってる店舗をハシゴしているうちに買い物袋がいっぱいになってた。それ以上多いと帰るのが大変そうだったのでそろそろショッピングを終えようとしたところで、私はおもちゃ屋の前で立ち止まった。でっかい海の生き物たちが美麗に描かれたイラストのジグソーパズルがドンと飾ってあったのだ。それに惹かれて同じ物を買ってしまった。もともとパズル好きだったし、仕方ないよね!

 

 帰ってから片付けをして即行でパズルを始めた。現在3分の1完成。

 

 

 

▷月■日

 

 

 パズルの大きさは72×49cm。海の生き物が描かれているけれど、青い海のピースに苦戦する。これは外回りよりも海の生き物たちを完成させてから周辺の海を埋めていった方が良いね。

 

 ジグソーパズルも楽しいけど、学校もボーダーも疎かに出来ないから家に帰ってから少しずつピースを埋めていく。とりあえずパズルに集中するのは1時間~2時間と決めた。寝食を削るのはダメだよね。

 

 迅が頭に包帯を巻いて登校してきた。どうした、と心配すると寝ぼけて階段から足を滑らせて額を切ったらしい。最近夜に出歩いているらしいから睡眠不足なんだろうな。頭の怪我って怖いから気をつけてほしい。でも私のミニハンバーグを横取りしたのは許さん。

 

 

 




読まなくても良い勝手な設定。

・トリオン体で生身に痛みが走る、について。
原作で那須さんがランク戦後に消耗していたのは、もともと体力がないからとか思っていました。
しかし烏丸と特訓後の修も疲労していたので、トリオンというエネルギーを消費すればするほど脱力感があるかも、と思いました。修の場合は訓練室だったので精神的な気疲れもあるかな。
トリオンを動かすのはイメージ力が大きいので、脳のブドウ糖も消費。衝撃を受けると脳がこれまで培ってきた常識から痛みを"イメージ"し、脳の指令に生身にも影響。八神の場合、骨折をして多少の痛みがもともとあったので明確なイメージを送ってしまった。傷を認識すると余計に痛くなる原理。
おそらく、生身で痛みがないとか無傷ならこんなことは起こらないのでエンジニアたちは興味津々でした。


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*月

 

 

 

*月△日

 

 

 今日は木崎さんの誕生日だったので、お祝いに玉狛支部へ寄ってきた。生憎と、木崎さんは留守で会うことは出来なかったが桐絵ちゃんが居たので一緒に煮込みハンバーグを作って、後片付けをして、桐絵ちゃんにプレゼントを木崎さんに渡してくれるように頼んで帰った。

 

 プレゼントはエプロンです。前に見た木崎さんのエプロンは油が跳ねたのか少しだけよれていて色落ちもしてたので、この機会にプレゼントした。もし既に買っていたら申し訳ないが、エプロンは毎日洗うだろうから枚数があっても困らないだろう、と。

 

 さっき迅からメールで木崎さんが喜んでいたと報告を受けた。良かった。あと煮込みハンバーグのレシピを教えてほしいと言われたので、メールで送っといた。

 

 

 

*月△日

 

 

 沢村さんとボーダーで会うと「忍田本部長はだし巻き卵が好き」という情報を教えられた。どうでも良いけど、そういえばお弁当でだし巻き卵を持って行くと高確率で迅に奪われることを思い出した。というよりお弁当のオカズは絶対1品盗まれる。まぁ私も代わりに迅のおやつを貰ってるが。

 

 迅が毎回奪うだし巻き卵に沢村さんも興味が湧いたようで今度食べてもらうことになった。別に普通のだし巻き卵なんだけど。

 

 私の味はお袋の味ではない。母親がそこまで料理熱心ではなかったから調味料は目分量だし、同じ品でも同じ味にならないからだ。そんなわけで私もたまに目分量をするけど、基本はネットで調べたりご近所の主婦から教えていただいたレシピを使っている。だし巻き卵はその一つ。

 

 ボーダーからの帰り道に迅と会って「だし巻き卵よろしく!」と言われた。食材の買い出しに付き合わせた。

 

 

 

*月△日

 

 

 ・だし巻き卵

・梅肉と大葉とちくわの挟み焼き

・アスパラと人参の塩茹でスティック

・甘辛酢の鶏ササミ

・いんげん豆のゴマ和え(夕飯の残り物)

・きんぴらごぼう(夕飯の残り物)

 

 だし巻き卵だけのお弁当も味気ないので、3人分のお弁当を作った。迅の分は心持ち多めだ。だって男子だし。冷凍食品は私が嫌いなので入れていない。

 

 保冷バッグに入れてまずはボーダーへ行って沢村さんにお弁当を届けてから学校へ。

 

 いつも通り昼休みに迅と弁当を食べて

「梅干しとちくわの奴うまっ!」

「やっぱり肉だね~でもきんぴらとかも白米がすすむ」

「だし巻き卵の味付けが懐かしいんだ」と感想をもらった。食レポだ。ちなみにクラスメートは迅がいつも私のおかずを盗むのを知っていた為「やっと弁当ごと貰ったのか」と生暖かい目で迅を見ていた。

 

 ボーダーへ向かうと沢村さんが笑顔で「とっても美味しかったわ! 良ければレシピを教えてくれない?」と言ってきたので、メールでレシピをさっき送っておいた。役立ててもらえると嬉しい。

 

 

 

*月△日

 

 

 今日は1人分しか弁当を作らなかったら、迅から唐揚げを奪われた。やはりもう一つ弁当を作るべきか。いや、彼女でも幼なじみでもないから必要ないだろう。結論、迅と昼飯を食べなければいい。なんてね。

 

 狙撃手の訓練場でリーゼント頭を見つけた。思わず二度見したがそれ以上は失礼だと思って見ないようにした。もし訓練場で問題を起こすような人間なら東さんが注意するだろうし。というか東さんの説明をきちんと聞いているぽかったから、大丈夫でしょう。スナイパーが増えるのは良いことだ。

 

 

 

*月△日

 

 

 今日は桐絵ちゃんの誕生日。迅にリサーチしたところ、桐絵ちゃんの好きな食べ物はフルーツとお菓子。女の子らしい可愛い。

 

 というわけで玉狛支部にお邪魔してパフェを作ることにした。パフェグラスがないようなので、1つだけグラスを購入して残りの人は透明プラスチックコップで代用。

 

 チョコソースとストロベリーソースをグラスに掛けて、

・コーンフレーク

・カットしたオレンジとキウイ

・ブルーベリー

・生クリーム

・バニラとイチゴアイス

・生クリーム

・苺

・オレンジ

・ラズベリー

・ストロベリー味のポッキーを2本

 と順に盛って行き、仕上げに粉砂糖を振るって完成。

 

 夕飯後は入らないだろうから3時のおやつに出すと、桐絵ちゃんは感動してくれた。お店に行かないとパフェって食べないもんね。ちなみに陽太郎くんの分は小さいコップに作ったのだが「小さいのはイヤ!」と断られた。林藤支部長が苦笑して自分の分と交換していた。陽太郎くん、夕飯が食べれなくなってたとしても私は知らんぞ。

 

 桐絵ちゃんから2個目のリクエストが来た。でも同じ量は食べれないだろうと違うのでも良いかと尋ねれば全然OK。

 

 カクテルグラスがあったのでそれにチョコソースを一回り。クローニンさんが甘いのよりコーヒーゼリーが良いと言っていたのでそちらの余りをグラスの底にスプーンで砕き入れる。軽く生クリームを絞ってバニラアイスを載せて縁からはみ出ない高さまで押し込む。生クリームを一面に絞って、ナイフで綺麗に平らに均してココアパウダーを生クリームの色が見えないくらいに振るい、三角に割った板チョコとポッキーを挿して苺を載せて完成。

 

 大喜びの桐絵ちゃんに元気を貰った。桐絵ちゃんがチョコパフェを食べている間に温かい紅茶とコーヒーを用意して出した。夏とは言え室内はクーラーが利いていてアイスで体が冷えるからね。木崎さんがジッと料理中見てきていたので、もしかしたらまたパフェを食べられるんじゃないかな桐絵ちゃん。

 

 

 

*月△日

 

 

 パズルが4分の3完成した。あともう一息だけど、寝食と勉強時間を削るのは良くない。ゆっくりやろう。

 

 今年の夏休みだが実家に帰らないことにした。職場体験があるし今年は課題が多いし、東さんが狙撃手限定夏休み特別訓練を開催するという告知を出したのだ。是非とも参加したい。

 

 

 

*月△日

 

 

 指のプロテクターを外してテーピングだけに切り替えた。

 

 職場体験は医療事務に行ってきた。受付と案内と会計・伝票の計算・その他雑用をする。せっかくの病院関係なので簡単な医療機器の役割を説明していただいた。

 肝心な部分はやっぱり触れさせてもらえなかった(こちらは素人で部外者だから当たり前)が『こんな雰囲気だよ~』ってことは学べた。

 

 

 



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Θ月

 

 

 

Θ月*日

 

 

 待ちに待った狙撃手限定夏休み特別訓練に参加してきた。

 

 捕捉&掩蔽訓練と銘打たれた訓練で、内容は己以外の狙撃手は全員敵のサバイバル戦。戦場は仮想空間の市街地。使用トリガーはイーグレット・ライトニング・アイビスのどれか一つだけで、弾は通常とは違ってペイントの弾丸だ。撃ったら+5点で撃たれたら-2点の制限時間制で、最終的な持ち点を競うゲーム式。

 

 おそらく夏休み限定なのは、たたでさえ少ないスナイパーを集めやすくする為だろう。もっと日頃からスナイパーの数が増えれば夏休み限定じゃなくなりそうだ。先に隠れる場所・狙撃ポイント・射線の切り方などの基本をC級とB級上がりたての隊員へ教えることから始まり、最初はスナイパー年長組だけでゲームに入った。

 

 私も最初の組で、転送されてまず行うのは簡単な周囲の安全確認。狙われる射線をある程度予測をつけてきっちりと切っていく。次いで地形の把握をしてから狙撃チャンスを待った。さすがに年長組は忍耐強いし隠れるの上手いし人数少ないしでなかなか得点が動かなかったが、誰かが銃声を上げると一斉に弾丸が飛び交った。私も3発貰ったが、その分命中させたし貰った分は全部急所を外してるから実戦なら戦闘続行できる。それに意外にも得点をあまり上げていなかった東さんと並べた。

 

 次にC級だけ。基礎はまだまだだしどちらかといえば『当てる』ことに集中していると思った。当てた時の喜びようも微笑ましい。そんな中で何名か既に頭角を顕している者もいる。東さんも感心したように「あいつらは伸びる」と言っていた。

 

 3回目はB級。年長組にもB級がいるけど、それは除外されての3回目だ。結果はピンからキリまで。これを休憩と反省を挟みながら繰り返し、最後は慣れてきただろうから全てのスナイパーで仮想空間に入った。

 

 とても充実した内容だったし、他のスナイパーの動きも良く見ることが出来たので満足満足。全体的なスナイパーのスキルアップにも繋がったと思う。

 

 

 

Θ月*日

 

 

 今日の特別訓練ではチーム対抗戦だった。くじ引きで二手に別れてチーム全体の持ち点を競う。公正なるくじ引きだったが、何故か私以外の年長組が固まってしまいB級も大半あちらになった。敗戦が濃厚だなぁと思ったけど、くじ引きだし訓練だしと割り切った。

 

 最初の15分間にチームのミーティングが入る。個人戦とチーム戦では勝手が違うのでそれを説明し、オペレーターがいないし無線も出来ないので簡単なハンドシグナルを決める。

 主に私より年上な隊員に作戦を練ってもらっていたが、私にも意見を出せと促された。

 狙撃で大事なのは情報戦、ということで私は観測者(スポッター)を作ることを提案した。索敵・狙撃距離・情報伝達をしてもらう。チームの半分をスポッターにして狙撃手とコンビを組み、スポッターは別のスポッターにハンドシグナルで情報を伝達して敵の発見率を上げる。もちろんこの作戦だと1人が見つかれば2人ともやられる心配があるが、個人戦のようにマップ全体に広がるより発見される可能性が低くなる。更に狙撃後の移動ルートも出来るだけ決めて移動中のコンビを別のコンビに援護してもらったり、スポッターの伝達をスムーズにする必要もある。

 

 訓練だし思いついたことはどんどん言ってみようということで、15分間目一杯使ったミーティングだった。私の案であるスポッターは採用されて実践。慣れないハンドシグナルで情報が読み取れなかったり移動ルートがズレたりとスムーズな作戦にはならなかったが、得点は僅差で負けた。悔しかったけど、全員手応えは感じたみたいでもう1回挑戦。

 

 前回での反省と次に備えてのミーティングは合わせて30分設けられた。伝わりにくかったハンドシグナルを変えたり追加したり、バレた移動ルートの変更や敢えての囮を頼んだり、狙撃手と観測者を交代したりなどなどまたもや時間いっぱいのミーティング。結果は僅差で勝利。

 

 その後も勝ったり負けたり、最終的に負け数が多くなったが経験や地力の差なので仕方なし。それでも少しでもチーム戦の楽しさを知ってもらえたようで満足です。驚いたことに皆狙撃よりもスポッターの役割がやりごたえを感じたようで、色んな先輩に索敵のコツを聞きに行っていた。

 

 

 

Θ月*日

 

 

 特別訓練は全日程で5日間だった。個人戦とチーム戦を交互に行う。個人戦でもマップを変えたりしてた。一番難易度が高いマップは砂漠の砂嵐だね。実際にあり得そうにない戦場だけど、マップ設定が出来るならせっかくだから、と実行した。

 

 平らに見える砂漠だが結構凹凸は激しい。さらに『ここが一番高い砂丘かな?』と錯覚してしまったり、砂嵐で狙撃姿勢が崩されたり、と大変だった。トリオンの弾丸はあまり風の影響を受けないのだが、流石に砂嵐は砂の質量があるので微妙に着弾地点をずらされた。

 砂漠マップでは私は常に匍匐前進したり、横たわったままの姿勢で狙撃してたり、時には砂に埋もれて隠れたりしてた。生身だったら絶対に干からびてるよ。

 

 総数を半分に割ったチーム戦とはまた別に2人~3人の少数チーム戦も試みた。本来なら前衛と後衛でバランスよく編成するところだが狙撃手限定なので戦略が偏ってしまうのは仕方ない。オペレーターもいないので即席の連携が合わなかった時もある。それでも参加した皆で作戦を出し合うのは熱が入った。

 

 あっという間の5日間だった。終わり頃には新人さんたちが積極的にチームについて検討していたのが印象的だ。

 

 年長組はエンジニアさんたちから労いの言葉とお茶を奢ってもらった。今回の訓練で色々なデータが取れたらしい。

 

 

 

Θ月*日

 

 

 とうとうパズルが完成した。

 

 達成感がヤバい。キッチリと糊付けして額縁に入れて、殺風景だった壁に飾った。爽やかな青色に夏の暑さが心なしか軽減されたように思う。色彩って大事。次は緑いっぱいのパズルを飾ってみようかな。

 

 久しぶりにモンハンを起動した。モンスターの攻撃モーションを覚えてなくて被弾ばっかりだった。プレイヤースキルが落ちてしまったな。ネコ飯を見てるとお腹がいっぱいという気持ちになった。夏休みだから寝込んでも学校に支障ないけど、防衛任務に支障が出るのでしっかり食べなきゃ。香辛料増し増しの麻婆豆腐にした。

 

 

 

Θ月*日

 

 

 課題が去年より倍の量な為にまだまだ終わらない。家だとダレてしまうので市の図書館に行ってみた。書棚巡りになって結局進まなかったのでボーダーのラウンジに向かった。空調設備があって飲食も可能だからそれなりに家にいるより進んだけど、他の隊員から話しかけられて疲労が溜まった。

 でも先輩や大学生組に分からない部分をすぐに訊けるのはいいな。話しかけられるのは大変だけど、ちゃんと課題が進むから出来るだけボーダーで勉強しようと思う。

 

 出水くんに勝負を挑まれた。随分と久しぶりだと感じるソレを受けると、とうとう負けた。どうやら空白の時間を合成弾の調整に費やしていたようで、さらに戦闘スタイルが変わっていた。

 前のスタイルは"弾をガンガン精製して見える範囲すべてを爆破!"みたいなだったが、今回は"一見、前のスタイルと見せかけて本命の一射を当てる”という追い込み型だった。なんというか、新しいスタイルはどことなく二宮さんに似ている気がする。それと今までの記録に残っている私の戦闘を勉強していたらしい。

 

 記録に残っているのは沢村隊のデータなので個人戦とはまた別だと思うが、それで私の動き方の癖でも見つけたのかもしれない。10戦中4勝6敗。負けちゃったなぁ。でも不思議と悔しく思わなかったのはきっと『近いうちに負ける』と確信してたことと今まで懸命に挑んできた出水くんのことを知っているからだと思う。

 

 出水くんには「またお願いします!」と言われたので私も応えた。

 

 

 

Θ月*日

 

 

 課題が終わると同時に二宮さんから話しかけられた。出水くんに負けたのは本当か、と。もちろん本当なので頷くとどこか満足そうに頷いて去って行った。謎だ。

 

 東さんから暇なら新人育成を手伝ってほしいと頼まれた。手伝いと言っても私に任されたのは指導より書類作成や資料を纏めるなどの雑用が主だ。基礎はちゃんと説明できる東さんから教えてもらった方が良いからね。

 それに他人と接するの苦手なのでこの仕事内容は満足である。将来ボーダーに就職した際の下積みっぽいなとイメージした。

 

 

 




トリオン体の視界なら射程距離は自動で算出されると思いますが、スナイパーとスポッターの声掛けの一環で八神は入れました。
視界にはっきり正解が示されているなら自信持って伝えられるはずなので、意思疎通の糸口になれば、と。


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↑月、γ月

※主人公はチートではありません。


 

 

 

↑月Θ日

 

 珍しくソロの防衛任務に就いた。偶然誰もが都合が悪く合わなかったらしい。こういう時はだいたい迅と組むのだが、迅は反対方向の地区担当でソロ任務だとか。臨時オペレーターの方がいるので情報面は問題ない。あとは私の実力。

 

 任務時間になると私は早速担当地区に罠を仕掛けに行った。今回の防衛任務は数の有利がないので、多数の箇所に出現されると処理が追いつかないかもしれないのだ。なので足止めや時間稼ぎ、欲を言えば仕留められるような罠を設置していく。起爆や発動のタイミングはスパイダーを導線代わりに待機場所まで引っ張ってくる。

 ゲートの発生は警報サイレンから5~10秒以内に警戒区域に誘導されて出現のタイミングは事前にオペレーターから教えられる。担当区域全体を見渡せるビルの地点は調査済みで、入念にトラップも設置した。

 

 準備万端となったところで警報。誘導されてゲートから半身を出した瞬間にイーグレットで撃ち抜く。沈黙。

 射程と威力を備えたイーグレットで対処できるうちはトラップを節約しなくては。発生と沈黙を淡々と繰り返す。

 

 何度か同時出現があってトラップを発動させたが、トリオン残量も余裕がある。防衛任務時間は5時間。平均的なトリオンの持ち主は2,3時間でトリオン切れを起こすのでこんなに長時間のソロ任務は与えられない。チームだと普通だけどね。

 

 私も平均より多めのトリオン量を持っているがソロで長時間任務は初めてだ。配分が不明なので節約を心がける。こういう時はスパイダーなどのトリオン消費が少ないトリガーがあると便利だ。節約の為にバックワームも解除しているのが不安だったが、こちらへ来る前に仕留めることが出来たので問題ない。

 

 トリオンに余裕を持って任務を完了することが出来た。今日だけで1週間分の給料を確保出来たと思う。交代時間になったので張り巡らしていた罠を解除して本部へ戻ると、すぐに臨時オペレーターの方と一緒に報告書を作成。

 

 特に変わったトリオン兵もいなかったので難しくはないが、なんせ今日は数が多くて時間がかかった。完成する頃には集中力が切れて机に突っ伏していた。

 

 いつの間にか迅がいてコーヒーとチョコレートをご馳走してくれたのでなんとか復活して帰宅。今にして思えばなんで本部にいたんだアイツ。

 

 

 

↑月Θ日

 

 

 今日も今日とてソロ任務。なんか任務時間を伸ばされててびっくりした。1時間延長かそうか……慣れによる油断が一番の敵かもしれない。

 

 罠を設置する作業を終えて待機。オペレーターみたいに端末に位置情報を入力してパッと罠を設置してボタン1つで発動出来ればいいのに。ああ、でも現場でちゃんと細工しないとスパイダートラップはバレやすいかも。なら、スパイダートラップとは別の簡易だけど効果的なトラップがいいのか。今度円城寺さんに相談してみようかな。

 

 イーグレットでバンバン連射してたらゲートの誘導が狂って狙撃ポイントの背後に出現した。超近い。

 思い返すと心臓がバクバクするけどその時は集中してハイになってたのか焦ることなくアステロイドとメテオラで吹っ飛ばして狙撃で仕留めた。

 すぐに次のポイントへ移動して狙撃体勢へ戻った私に臨時オペレーターさんがびっくりしていた。私自身も客観的に見てびっくりしているよ。

 

 その集中の分、任務が終了するとスイッチが切れたようにぐったりするんですけどね。

 

 

 

γ月↑日

 

 

 今日も今日とて(以下略

 

 さすがにこうも頻繁にソロ任務があると疑問に思う。しかもだんだん任務時間が延長されていく鬼畜仕様。おかげで日記を書く気力もわかなかった。

 

 どういうことだろうと考えていると本部長から呼び出し。何事かと緊張して向かうと、A級昇格について打診された。

 

 通常A級入りにはチームを組み、ランク戦で勝ち上がる必要がある。しかし私はいまだにソロなのでその方法は出来ない。チームを組む予定も今のところない。そんなわけでA級昇格なんて寝耳に水。

 

 どうやら今までのソロ任務は昇格の為に実績を積ませる為だったらしい。ソロで精鋭の名に相応しいと周囲に認められる為の実績。司令も他の幹部も、A級の主な部隊からも"昇格を認める"承認書を忍田本部長から見せられて、思わず忍田本部長の傍らに控えていた沢村さんを見ると「さすが元沢村隊の第2の頭脳」と笑顔で親指を立てられた。

 

「突発のチーム編成でも対応でき、既存のチーム連携を崩さずにサポート出来る力量。肝心のソロでの攻防も今回証明した。A級と名乗るのは十分だ」

 

 と忍田本部長にべた褒めされた。これからもソロを続けても良いがチームを組むことも期待している、とも言われた。

 

 最初は現実味を帯びなくて、でも本部を歩いてると色んな人から「ソロA級昇格おめでとう」と祝われて心がフワフワした。

 

 そのままの勢いで狙撃訓練場でイーグレットを撃つと見事にホームランして落ち込んだ。調子に乗るとアカン。

 

 

 

γ月↑日

 

 

 鬼畜仕様ソロ任務はなくなった。でもまたいつ入るのか不明なので戦々恐々としている。

 

 さて、今日は私の誕生日だ。電話で家族からお祝いの言葉を貰ったので私もサプライズでまたA級隊員になったことを報告しといた。チームではなくソロで認められたことをいかに凄いか語った。知人・友人だと恥ずかしいけど家族になら自慢しても罰は当たらないよね!?

 

 ちなみにソロA級隊員は大侵攻の前から在籍している隊員(主に玉狛支部所属)がそうだ。実力は雲泥の差だけど、仲間入り出来たことが嬉しい。あと、A級固定給+出来高(撃退数)のお給金を貰ったことが「そうか、A級になったんだなあ」と一番実感してしまった。

 

 今年も迅が玉狛支部に招待してくれたのでそれに甘えた。誕生日と昇格を一緒にお祝いしてくれて嬉しかった。

 迅から文房具のマーカーセットを貰った。インクが切れる頃だったのでちょうど良かったです。桐絵ちゃんからは紅椿の装飾が付いたヘアゴムを貰ったのでさっそく三つ編みの先に付けてもらった。学校では規則で付けられないが、休日やボーダーへは付けて行こうと思う。今年の木崎さん作ケーキはイチゴのショートケーキで、生クリームのデコレーションが完璧でした。女子力高い。

 

 陽太郎くんに謝った。誕生日が先月だったのだが私に余裕がなくてすっかり忘れていたのだ。少しだけ拗ねていた陽太郎くんだが、謝ると駅前のどら焼きで手を打ってくれた。

 

 

 

γ月↑日

 

 

 トラップ関連のトリガーを試運転してきた。

 

 以前、ソロ任務の時に円城寺さんへ相談した内容が開発室で話題になり、実践段階までになったらしい。

 

 ボタン一つで、という要望からトリガーを発動させるとPC型の端末が現れる。ただ問題なのはこの端末は情報をフルに詰め込んでいるせいでホルダーのサブ枠を全部潰してしまうことだ。端末自体もトリオンの消費が大きく、トラップを起動させるのもトリオンを消費する。

 

 この段階だと私の戦闘スタイルと合わせることは難しく、枠とトリオンの消費を軽減してもらわないと実戦ではキツい。情報はオペレーターと連携すれば端末に詰め込まなくても良いだろうし、トラップも一瞬の隙を作れるくらいの簡単な物で良いと要望は出しておいた。

 

 

 

γ月↑日

 

 魚が食べたい! という強い想いから回転寿司屋に行ってきた。だって安いし。

 

 夕方に寿司屋さんへ向かっていると影浦くんを見つけたので声を掛けると、気づかなかったけどその隣にキャップ帽の男子とツンツン頭の男子もいた。

 ツンツン頭の男子は狙撃訓練場で見たことがあるし、特別訓練で組んだことがあった穂苅くんだ。

 キャップ帽の男子は荒船くんというらしい。同じボーダー所属で同い年みたいなので話が合うようだ。

 

 ちょっと迷ったがそれが影浦くんに伝わって急かされたので、回転寿司屋さんにお誘いした。A級昇格したし奢ってやんよぉ!

 

 3人をゲットしてお寿司屋さんへ。ぐるぐる回ってくる寿司皿を取ってもぐもぐしてると穂苅くんが「荒船と組みました。チームを」と報告されたのでおめでとうと言った。

 

 荒船くんはアタッカーで既にB級なんだとか。アクションが好きでどうせならトリガーを全部使ってみたいと説明されたので「木崎さんみたいな完璧万能手でも目指す?」と言ってみたら木崎さんについてめっちゃ訊かれた。

 

 影浦くんは北添くんとチームを組む予定だがまだオペレーターが見つかっていないのだそう。影浦くんに物怖じせずズバズバ指示を出せるオペレーターかぁ。私が知る限り円城寺さんくらいだけど、もうエンジニアだし今後中央オペレーター研修が終わった新人オペレーターたちに期待しよう。

 

 イクラ・縁側・サーモン・マグロ・カンパチ・押し寿司etcと満足するまで食べて最後にデザートの杏仁豆腐でしめてお茶を呑む。

 男子高校生の胃袋って凄いなぁ。途中から大食い選手権のように応援してしまったら3人に笑われた。

 

 女子会も楽しいけど、男子と行くのも食べっぷりを見てスッキリするよ。まぁその分お財布もスッキリしたが、たまには社会に金銭を還元しないとね。忙しくて最近ショッピングにも行ってないし、良い機会だったよ。

 

 

 




八神のソロA級昇格について。
個人での実力評価も含まれていますが、広範囲の防衛を可能にしている点が大きく評価されています。
周囲との軋轢も少なく、臨時での集団指揮能力も発揮しているので、目に見える形で八神を暫定ではなく臨時でも隊長として据えられる環境に上層部が配慮しました。
実質的な攻撃力・突破力はかなり劣りますが、防衛については文句無し。優秀な人材を逃がさない為にも昇格させた、という感じです


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→月、¥月、=月

 

 

 

→月γ日

 

 

 林藤支部長の誕生日だが、好きな物は不明だ。と思ったら迅から「塩ラーメン食いに行こうってさ」と林藤支部長からのお誘いを伝えてきた。祝われるのはくすぐったいから自分の好きな物をご馳走するスタンスらしい。

 

 本当に、非常に、大変申し訳ないがお断りした。残念ながら私はラーメンが苦手なのだ。その代わりに迅にはプレゼントの眼鏡拭きを林藤支部長へ渡すようにお願いした。それなりに高い眼鏡ショップで購入したので、こだわりがなければ使ってもらえるだろう。

 

 ラーメンが苦手な理由。味が濃い。麺が上手く啜れない。食べるスピードがゆっくりで麺が伸びてしまう。

 

 迅は分かってたみたいで「やっぱり?」と笑ってた。林藤支部長、本当に申し訳ない。

 

 

 

¥月→日

 

 

 間があいた。年末に向けてのシフト調整から始まり、年始、さらに私たち高校生は修学旅行なるものがあるので三門市から離れる為、その分のシフトや新人育成に掛かりきり。年末年始は1日しか帰っていないよ。

 

 迅なんて「修学旅行? 俺は三門市から離れたくないから行かないよ」とか幹部の前で言っちゃうからお説教&旅行から帰って来るまで任務禁止令を出されてた。迅の「しまった」って顔は傑作だったけど奴の任務がこっちに回って来て大変だった。

 

 進路相談についてボーダーでも面談があり、なんと城戸司令が私の担当でビビった。高校卒業したらボーダーに就職したい、と伝えると城戸司令は

「機密事項も多くあるのでこちらとしても就職は歓迎する。だが現状ではA級の戦闘員である君を事務員にする気はない。君の戦闘スタイルなら多少トリオン器官が衰えても十分に戦えるだろう。

 高校卒業して就職した場合、戦闘員を続けてもらう。そのままアルバイトから正社員として枠組みが変わると思いなさい。もちろん給料も多少上がるがね」

 と言ってくれたので肯定すると

「何らかの理由で戦闘員が不可能な場合はオペレーターへの道もある。どうかこれからもボーダーに力を貸してほしい」

 と仰られて強く首肯する。

 

 もし気が変わって進学するとしてもボーダーに所属する限りは提携校に推せるからな、とも太鼓判を押してもらった。

 

 城戸司令は顔怖いけどめっちゃ良い人やん。高校3年の夏にもう一度面談があり、今度は親を交えてのものだ。未成年者で危険な仕事だからね。

 

 

 

¥月→日

 

 

 修学旅行の行き先は北海道だ。やったね!スキーをしたことないので今から楽しみだ。

 

 不安そうに街を歩く迅を捕まえて修学旅行準備の買い物に付き合わせる。着替えは基本的に学校の制服と体操服だが、寒いのでコートを購入。購入する際、迅のサイドエフェクトに頼ってみた。後悔しない買い物っていいよね! 迅の防寒着も買って、カメラを買う。思い出作り。

 

 夕飯は迅が自家製の肉じゃがをリクエストしたので玉狛支部へ向かった。もう常連だね。帰りは断ったが迅と木崎さんが送ってくれた。

 

 

 

=月¥日

 

 

 旅行からただいま!

 

 スキーは1時間も練習すれば滑れるようになって楽しかった。さすがに急勾配は覚悟しないと怖いし速いのは躊躇したけど、ちゃんとコース通り滑れましたとも。

 

 現地に着くといつも通りに楽しんでいた迅だけど、帰ってくると早々に街を練り歩いているらしい。そんなに悪い未来でも見えたのかと不安に思ったが、どうもルーチンワークにしすぎてサボると落ち着かないんだとさ。怪しい言い訳だ。なんだその縄張りを見回る犬猫みたいな理由は。まあ私が気にしても仕方ない。

 

 明日はお土産を配らなきゃ。

 

 

 

=月¥日

 

 

 写真をプリントアウトして迅にも渡した。家族に送ると「好きな人いる? この茶髪の男子?」と恋バナに持っていかれそうになった。普通の声音で「いないよ」と言えば残念がられた。

 

 ついでに高校卒業後ボーダーに就職する旨を伝えて、夏休みにこちらへ三者面談にきてほしいと言うとOKをもらった。母は進学しても大丈夫だと言ってくれたが、時間が拘束される学業よりそれなりに融通の利くボーダー隊員の方がもしもの時対応出来る。これは迅も同意見らしくアイツもボーダー就職にするようだ。

 

 母は「あなたが稼いだお金だから好きにしなさい」と全面的に受け入れてくれた。父はどちらかいえば放任気味だけど「辛くなったら頭冷やしにいつでも帰って来い」と言ってくれた。言質取ったぞー!

 

 

 

=月¥日

 

 

 通学路が凍っていて、登校する時に思いっきり転んでしまった。タイツはビリビリになるし、足が血みどろになる。

 

 だけど転んだ拍子に放られた鞄が勢いよくトラックに跳ねられて顔が引きつった。一歩間違えればあの鞄は私だ。

 散々な登校に憂鬱になってたら何故かトリオン体の迅が駆けてきた。詳しく聞くと私はもう少し先の交差点でさっきのトラックに跳ねられる可能性が高かったらしい。あぶなっ!

 鞄さんありがとう、私は無事です。

 

 鞄の中の弁当箱が割れて中身が飛び出し、水筒は凹み、筆箱に至っては中身が粉々。あと鞄のポケットに入れていた桐絵ちゃんからもらったヘアゴムの椿も割れていた。

 物凄く悲しかったが、代わりに私の命を救ってくれたのだと迅に励まされて思い直す。そうだね、ありがとう鞄さんの中身たち。

 

 トリオン体を解除した迅に少しだけ頼って高校の保健室で足を手当てして、制服もちょびっと汚れていたのでジャージに着替えて授業を受けた。昼食は購買の菓子パンで済ませた。

 

 迅が始終優しくてさらに嬉しそうに笑ってたのにはイラッときたが、よく考えたら迅は私の事故を未来視してたのだとしたら最近の徘徊は納得する。もしもの為にトリオン体になってまで待機してたのだろう。私が五体満足なのは迅のおかげでもあるのか。

 

 メールで何か好きな物をリクエストをどうぞ、と送れば「角煮」と返ってきた。肉とか木崎さんの得意料理っぽいのに変な奴。

 

 

 

=月¥日

 

 

 もうすぐ3年生の卒業式だ。それが終われば春休みが来て、とうとう私たちも3年生になる。正直、実感はない。でも、こんなにのんびり出来るのは学生だからこそなんだろうと思っている。私の知っている社会人はみんな忙しなく時間に追われているし。

 

 なんかセンチメンタルに書いてしまったけど、学生時代はまだ後1年ある。まだまだこんな気持ちは早いね。

 

 調理実習があった。品目はハンバーグとポテトサラダと卵スープ。班決めの日は臨時任務でいなかったからクラスメートが決めてくれていた。

 

 家で一人で作る方が好きにやれるから楽だけど、たまに大勢で作るのも楽しい。ホワイトボードに書かれた分量をチェックしながら味付けし、味見をすると普通の味。

 絶品ではなかったけど調理実習ってそんなものだし、と結論してたら別の班だった迅が「やっぱり八神の味が美味しい」と評価してくれた。褒めてくれるのは嬉しいけど、先生やクラスメートと一緒に作った料理を前にして言うセリフじゃない。

 

 気まずい空気が流れ、注目を浴びてしまった私は「次の土曜日のお昼、材料費を出してくれるなら調理室で食事会を開く」と言ってしまった。即決だった。先生にもOKを出された。

 

 約20人前の料理とかさぁ……恨むぞ迅。

 

 

 

=月¥日

 

 

 もう疲れた。材料を切るのは先生と早めに来てくれた女子たちにお願いした。フライパンや鍋、コンロが複数あったのが何よりの時間短縮だよ。

 

 私が日頃作っている家庭料理が主な品目だ。女子たちから聞いたが、今まで迅が私の弁当をつまんでいるので全員味が気になっていたらしい。先生に至っては「あんなに男から評価されるなら食べたい」だった。

 

 ・肉じゃが

・餃子

・チンゲンサイのおひたし

・味噌汁

・ハンバーグの5品。

 

 ハンバーグは以前の実習と比較する為に絶対入れてという要望だった。種類とか彩りに偏りがあるのはアンケートを取った為だ。肉じゃがor筑前煮を多数決を取ったし、餃子と春巻きで争ったし、土曜日の前から大変だった。ちなみに私作のおひたしは塩茹でした後絞って保存し、食べる時に砂糖+醤油+ゴマを混ぜたゴマ醤油を掛ける方式だ。

 

 食事会の結果、クラスメートの半数以上が泣き出して焦った。迅がうんうんと頷いてみんなを慰め始めて理由を答えてもらった。

 

 私の味付けや調理法は大侵攻で亡くなったご両親や祖父母の方が食べさせていた料理にそっくりなんだとか。確かに今日作った品目は三門市に来て仲良くして下さる主婦の方々に教わったレシピだった。おひたしは私の祖母からだが。大侵攻は多くの子供からお袋の味まで奪ってしまったらしい。

 

 とりあえず卒業までに覚えている範囲のレシピを教えることを約束して、女子のみんなとはたまに料理教室をすることにした。機会があればご近所の主婦様たちもご招待しようと思う。

 

 

 



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番外編1 心と一緒に胃袋を掴め!

 

 

 私は名もなき女子生徒の1人である。

 私のクラスには目立つ2人組がいる。顔は整っているが中身がちょっと胡散臭い雰囲気を発するヘタレ系男子の迅悠一と、容姿は可もなく不可もないというか、化粧っ気が全然ないしぶっちゃけ地味。ただ姿勢が綺麗で雰囲気が清楚を思わせる三つ編み女子の八神玲。八神さんはどこかキャリアウーマンっぽいが、対する迅悠一が軽薄な感じだ。

 この2人はよく一緒に居てお弁当も一緒だから初見だと恋人だと思うだろう。私がそうだった。しかし、2人は付き合っていない、親友の類だと言い張るのだ。類とは何ですか。というか迅悠一は明らかに好意を寄せてるでしょ!

 

 こほん、前置きが長くなったけどこれから話すのはこの2人についてだ。

 2人ともボーダーに所属しており、公式サイトをチェックすると名前がちゃんと載っている。近くで警報が鳴ったり、端末で呼び出しが掛かって教室を飛び出すこともしばしば。迅悠一なんてそのせいで成績がヤバいみたいだけど八神さんはキープしている。要領が良いんだろう。

 その日も八神さんは臨時で呼び出しが掛かって飛び出して行った。家庭科の調理実習の班決めと品目決めだったし、授業内容にそこまで響かないと思う。八神さんの班は、白熱じゃんけんバトルの末に決まった。

 八神さんは料理が上手い。それはクラス共通の認識だ。

 

「冷凍食品の味が苦手なんだ」

 

 という理由でお弁当のおかずを毎日全品手作りをしているし、迅悠一がつまみ食いして褒めているから。

 一応顔が整っている迅悠一狙いの女子は居て、惚れた男が絶賛する料理が気にならないわけがない。

 男子と女子総出でじゃんけんバトルとなった。奇しくも私は勝ち残り、迅悠一も参加していたが決勝戦で負けていた。

 

「お前はいつもつまんでるだろう羨ましい!」

 

 という男子たちの抗議を平然とスルーしてた迅悠一の面の皮は厚い。

 

 実習日、エプロンの着こなしが様になっている八神さん。私なんてただ着けてますって感じさ。

 男子の数名が八神さんの後ろに座って「……いいな」と呟いていたのを聞いてしまった。すぐにその男子たちは迅悠一に移動させられてた。

 調理道具を最初に洗って、サラダのための湯を沸かし始めてから材料を振り分ける。八神さんは素早くリズム良く材料を切っていき、肉をこねるのは男子に任せた。私はサラダ担当だったよ。

 たまにレシピの分からない部分を八神さんに聞きながら、なんだかんだで私たちの班が最初に作り終わった。調理道具も既に洗い済みで要領よく終わらせた私たちは家庭科教師に褒められた。

 

 お楽しみの実食。

 普通に美味しい。あんまり料理しない私だけど、素直に美味しいと思える味だ。自然と頬が緩む。同班の男子たちなんて笑顔だよ。八神さんはご機嫌な私たちに微笑みながら食べていた。やっぱりいつも食べている料理だからあんまり感想が湧かないのかな。

 そう考えたところで迅悠一が爆弾を落とす。

 

「やっぱり八神の味が美味しい」

 

 全員がぐりんと八神さんを見る。真偽を問いただす前に八神さんが気まずそうに目を逸らす。

 この味より美味しいだと!? 迅悠一羨ましい!!

 確かに今日は授業だから先生が持ってきたレシピ通りの味付けだ。つまりいつもの八神さんの絶品手作り料理ではないのだ!

 その事に気づいたのは私だけでなくクラス全員だった。茫然とする私たちにどう思ったのか八神さんが土曜日に食事会を開くことを提案してくれた。みんな一も二もなく頷いたよ。

 

 

 

 待ちに待った土曜日、八神さんのお手伝い兼調理テクを学ぶために早めに出てきた。私は約20人前の材料の量に「うわぁ」と引いてしまったが、八神さんは反応することなく着々と料理を仕上げていく。前日に用意出来る物は仕込みを終わらせてたっぽい。ボーダーで忙しいのにすごいなぁ。

 

 出汁をきっちり取った味噌汁があんなに美味しいなんて思わなかった。ハンバーグなんて実習よりもふわふわジューシーで香りだけでよだれが溢れてたし、餃子はにんにく有りと無しで分けられてて中のキャベツが美味しいし、肉じゃがは文句の付けようがない。おひたしは初めて食べたけどすぐに好きだと思った。

 

 気づけば私は泣いていた。

 料理を食べて泣くなんて初めての経験だった。顔を上げれば皆も泣いてて、八神さんが珍しくオロオロしてた。

 迅悠一曰わく、八神さんの味付けは三門市のお袋の味にそっくりだと。そう言われてみれば、お母さんの肉じゃがだ。もう食べれないと思ってた肉じゃがだ。

 

「泣ける時にいっぱい泣いた方がいいよ。肉じゃがとお味噌汁のお代わりはまだあるから、ね?」

 

 いつの間にか隣にいた八神さんに背中を撫でられて思わず抱きつくと、やんわりと抱き返されて頭を撫でられた。その撫で方にまた涙が零れた。

 

 落ち着いてからゆっくりと食事を再開する。もう八神さんの母性感がヤバい。

 料理が上手い女性、いや、八神さんとなら私は結婚したいと思うレベルなんだけど。はたから見ていた皆もそうなのか、じわじわと距離を縮めて来ようとしている男子がたくさん居た。でも迅悠一がにっこり笑って牽制している。

 しかし、それを振り払った勇気ある男子が1名叫んだ。

 

「(八神さんが)好きだー!!」

 

 緊張が走る。迅悠一なんてギョッとしている。

 

「えっと、ありがとう。そんなに料理を気に入ってくれて嬉しい」

 

 きょとんとした後はにかんで返された言葉に撃沈した。

 さっきのは男子が悪い。言葉足らずだし、肉じゃがのお皿を持って叫んでたし。八神さんは全然悪くない。

 

 とりあえずその場はお開きになったけど、家庭科の教師からもレシピを強請られた八神さんがクラス新聞みたいな形で毎週レシピを配布してくれることになった。

 さらに空き時間に料理教室も開催してくれるらしい。仕事も勉強も忙しいのになんだか申し訳ないけど、あの肉じゃがを私もマスターしてお父さんに食べさせたいから。

 

 八神さん! 宜しくお願いします!

 

 



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ー月、:月

 

 

ー月=日

 

 

 卒業式も終わり、3年生になった。クラスはそのまま繰り上がり。

 

 クラス新聞ならぬ料理新聞と名付けられたレシピプリントは何故か全校クラスに配布されている。私は原本を1枚作るだけで良いけど、なんか精神的疲労が強い。どうしてそうなった。まぁ、みんなのお袋の味と料理開拓に役立てるなら良いさ。嫌いじゃない忙しさだよ。いつの間にか料理開拓部部長にされてたけど。

 

 ボーダーはまた新人さんが増えて東さんが忙しそうに面倒を見てた。来月からボーダーの顔になった嵐山隊も新人研修に携わるらしい。嵐山隊の忙しさを苦とも思わず笑顔で引き受ける度量には感服する。

 

 ランク戦もなんだか入れ替わりが激しい。風間さんのチームが破竹の勢いで上に昇っているし、二宮さんもチームを組んでA級を目指し、圧倒的な強さを全面に出した太刀川さんと出水くんのコンビも侮れない。影浦くんと北添くんコンビも他と比べるとゆっくりだけど順調な戦績だ。

 そういえば鳩原ちゃんは二宮さんのチームらしい。意外とも思うけど納得もする。鳩原ちゃんの精密射撃は職人技だからね。

 

 ランク戦が始まると私のソロ任務が増えたが、あんな長時間の鬼畜任務じゃないので余裕はある。これで鬼畜任務だったら料理新聞なんて書く元気がなくなるから良かった。

 

 

 

ー月=日

 

 

 迅の誕生日だったが任務が入ったので、朝に玉狛支部へ向かって祝いの言葉とお菓子詰め合わせをプレゼントしてお弁当を作って渡した。

 

 迅が「愛妻弁当みたいで照れる」とか茶化してきたのでノリに合わせて「行ってらっしゃいハニー」と言ったら聞いてた林藤支部長が大爆笑してくれた。

 

 任務は太刀川さんとだった。太刀川隊のオペレーターと出水くんは高校生で成績が危ないらしいので休めなかったようだ。

 相変わらずどんどん前に行く太刀川さんだけど、以前のようにこちらを無視した個人技戦闘ではなかったのでサポートに遅れることはなかった。

 

 ランク戦のログでも思ってたけど、太刀川さんはチーム戦をちゃんと勉強したらしい。朝から夕方までの任務だったが太刀川さんという頼もしい前衛がいるから最低限のトリオン消費で済んだ。

 

 任務が終わるとチームに勧誘されたけどお断りした。太刀川さんの隊だと私の撤退戦術は活かせない上に罠も連携の邪魔になりそうだから。

 

 

 

ー月=日

 

 

 模擬戦のログを見てると槍を使う隊員を見つけた。弧月の一種らしいが初めて見る身のこなしで、その隊員のログを遡った。

 

 突く・払うが基本動作。手首のしなやかさより肩と腕の力が必要で、足運びも注意が必要だ。槍だと刀以上に懐へ入られると対処が難しいだろうし間合いの絶妙さをこの隊員は解っているらしい。なんとなく太刀川さんみたいな戦闘狂っぽい。

 

 三輪くんの隊に入ったようだしいつか連携する時が来る。連携ミスが出ないように出来るだけ槍の隊員のログは見ることにした。

 

 

 

:月ー日

 

 

 驚きの任務が与えられた。近界に遠征しに行くらしい。

 

 今までも限られた数人しか選ばれていないが、長期休暇の時は近界に行って新しいトリガー技術を探しに行っていたようだ。平和的に交渉したり、あちらは戦争ばかりなので戦場跡で拾ったりする。しかし最悪の場合は戦闘になることも危惧されるので実力者しか向かわせないとのこと。

 

 それに私が選ばれた。大変名誉なことだけど、もしもの為に遺書を書くことを促された。気を引き締めよう。

 

 メンバーの中に迅がいたのには正直ホッとした。メンバーは全員任務を組んだことがあるベテランばかりだけど、迅ほど頻繁に組んでたわけじゃないから。

 

 明日、行ってきます。

 

 

 

:月ー日

 

 

 ただいま。無事に帰ってこれたよ。

 

 中世ヨーロッパみたいな国だった。言語は日本語でびっくりした。

 近接武器が充実してたけど遠距離はトリオン兵任せの国で私としては目を惹かれるものはなかった。戦闘もなく交渉で済んだ。

 

 国の内情を軽く探るために街を散策してたら人攫いに遭ったけど、迅がトリオン体でぶちのめしたら国から報奨としてトリガーを貰えた。人攫いは敵国の密偵だったらしい。トリガー使いじゃなくて良かった。

 

 さて、溜まった課題でも片付けますかね……

 

 

 



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÷月

 

 

÷月×日

 

 

 いつも通り、学校行って、ボーダーで訓練&任務をこなして帰宅して夜ご飯を食べてお風呂に入ってゆっくりしてた。

 

 チャイムが鳴ってこんな夜遅くに誰だと不審に思いながら誰何すると、迅だった。頭を抱えて顔色の悪そうな迅に慌ててドアを開けて玄関に招き入れた。

 

 ギュッと眉間にシワを寄せてかつてない程のしかめっ面の迅に抱きしめられて一瞬思考が停止したけど「ごめん、ごめん」と涙ながらに謝られてなんとなく察した。また良くない未来を見てしまったのだろう。

 私はここにいるぞーとこちらも抱きしめ返した。しばらくそうしてたけど、なかなか落ち着きそうになかったので手を引いて玄関から部屋へ移動してベッドに座らせた。

 

 お茶でも淹れようと離れるとアヒルの仔みたいに着いてきて苦笑した。どこにも行かないし今日は泊まって行けと言い渡して風呂へ追いやった。ダボダボの部屋着が上はあるし下もジャージがある。丈が短いかもしれないが毛布被れば寒くないでしょ。

 

 とりあえず風呂から出てきたら飯食ったか尋ねて、食べてなかったらてきとうになんか作ってからそのまま寝ますかね。

 

 

 

÷月×日

 

 

 めっちゃしかめっ面で「死ぬな八神」だと。どんなシチュエーションの夢見てるんだ。

 朝はしっかりと抱きしめられて身動き出来ず、なんか物騒な夢を見ている迅を軽く揺すったが起きなかった。

 一応頭を撫でるとしかめっ面が緩んだ。良く見ると迅の目の下には隈があって、ここ最近きちんと眠れてないらしかった。

 

 しかし正午近くまでベッドに拘束されるとは思わなかったがな。いや、私もゴロゴロするの好きだけどボーダーに所属してからは規則正しい生活してたから久々だったよ。

 

 ようやく目覚めた迅が抱き枕状態の私を見た途端に、ボロリとまた涙して焦った。ギュッと抱きしめてヨシヨシと頭を撫で続けて、やっと泣き止んだ時は本当にホッとした。

 

 泣いてぼーっとしてる迅を置いてとりあえずご飯を用意する。味噌汁の為の出汁を取っているとやっと迅が動き出して、味噌汁って偉大だと思いました。

 ほぅ…って味噌汁の味に心が落ち着いたらしい迅にこちらも安堵。いったいどんな悪い未来を視たのか気になるところだが、迅が言わないのなら私も聞かない。また情緒不安定も困るし。

 

 私は1日オフだし、迅も夜に任務が入っているらしいので家でこのままのんびりすることにした。迅はたまに「八神」と呼んできたので都度返事をすると目を伏せて何か考え込んだ。しかし何度も不安そうに呼ばれるとこちらだってモヤモヤする。なので思い切って言った。

 

 「どんな未来でも迅が楽なのでいいじゃん。聖人君子なんて似合わないし、人間なんだし自分の得になるのを選びなよ。自分の力なら自分の為に使いなよ」と。

 

 ぶっちゃけ過ぎたし、私の人間性がそのまま出た言葉だ。このまま迅が幻滅して親友を辞められたら悲しいけど、情緒不安定なままの迅も嫌だったから。

 

 迅は少しだけ口角を上げて「……そうだね。じゃあ、そうする」と言った。多少持ち直したか、と思ったら夜食の弁当をいつもの声音で要求された。回復早いな、と呆れながらもちゃんと弁当を用意して見送った。偉いぞ私。

 

 

 

÷月×日

 

 

 狙撃訓練をしているとエンジニアの冬島さんがやってきた。歯切れ悪く口ごもる冬島さんに首を傾げてたら、冬島さんの背中に隠れていた真木ちゃんがずいっと前に出てきて用件を伝えてきた。チームの勧誘だった。

 

 真木ちゃん曰わく、実力者をソロのままで放っておくのはもったいない。このままソロでせっかくの戦術を錆び付かせるくらいなら自分たちの隊に加入してほしい。あなたなら戦闘員ではない冬島さんが居ても問題ないでしょうから。

 

 怒涛の勢いで言われたのできっちり覚えてるわけじゃないけど、意味合いはこんな感じ。今までもチーム勧誘はあったけど、こんなに熱く勧誘されたのは初めてだった。なんやかんやと、A級ソロになったせいでチームに入るタイミングを逃してたからなぁ。

 

 真木ちゃんの熱い勧誘とエンジニアから新しいポジションの工作兵トラッパーに転属した冬島さんに頭を下げられて、私は冬島隊へ加入を決めた。

 

 もう1人の勧誘も真木ちゃんの言葉で決まった。なんとリーゼントの人ならぬ当真くんだった。見た目が特徴的なだけで性格はあっけらかんとしたものだ。

 

 スナイパー2人にトラッパー1人という偏った編成。ポジションバランスは悪いが冬島さんと真木ちゃんは今のところ目を付けた前衛はいないので保留となった。

 

 今日は隊の結成を書類に纏めて、ラウンジで戦略について話し合うだけだった。トラッパーの冬島さんのトリガーは以前私が提案したトラップ発動用の端末だった。相変わらず枠の占領が多く、オペレーターとの連携を取り入れて多少改善されていても3つは枠を取る。その為戦闘用のトリガーを捨てて隠密とサポート用のトリガーを入れることになる。

 

 私と当真くんの狙撃で敵を撃ち、スナイパーの基本である"撃ったら移動"をトラッパーのトリガーで補助し、スナイパーの機動力を底上げする方針だ。

 また、私の罠設置にも協力出来るし設定を弄れば冬島さんから発動も出来るようになるはずだとか。

 

 まだ合わせてもいないから机上の理論だけど実現してかっちりハマればほとんどの隊を圧倒出来ると思う。当真くんは考えることが苦手らしいので戦略面は他に任せてくれるとのこと。

 

 久しぶりの正式チームに今からドキドキしてる。

 

 

 

÷月×日

 

 

 沢村隊の時とも即席のチームとも違う冬島隊の連携。攻撃の要は正確さのある当真くんだ。悔しいことに私はたまにcm単位でズレちゃうから。

 けれど、冬島隊長の補助で移動スピードが上がり、狙撃ポイントに素早く到達して狙撃体勢を調える余裕が十二分に出来たことは大きい。

 

 学校に行くと迅にチームを組んだことを報告した。迅から「頑張ってね」と激励(?)を貰ったので早速新チームでランク戦に挑戦した。

 

 B級下位ランク戦にて圧勝。接近戦に持ち込まず、更に狙撃手のあぶり出しからのスナイプ。

 

 危ない場面もなく、私と冬島隊長の罠を使うまでもなく勝てた。まぁ、今までにない尖った編成だしみんな戸惑いが大きかったのだろう。

 

 

 

÷月×日

 

 

 あっという間にB級中位のトップ。ここからはそう簡単には上がれない。

 

 次に対戦するチームで苦戦を強いられそうなのが影浦隊。アタッカーとガンナーしかいないチームだが、視線が"わかる"影浦くんは冬島隊のスタイルにとって天敵なのだ。

 倒す手段は持っているけど、無理して取りに行くこともない。影浦くん以外の隊員が楽というわけではないが、一番の要注意は影浦くんなのだ。影浦くんは徹底的に避けて他の取れる駒を取りに行こう。

 

 迅がやたらとくっついてくる。そろそろ暑くなってくるから遠慮したい。あれかな、私の手足が末端冷え症故に冷たいから涼をとりにきてるのかな?

 実家では雪女やら吸血鬼やらと言われていたのを思い出した。とりあえずくっつき虫と化した迅をどうにかしたい。

 

 

 

÷月×日

 

 

 運が悪かった。冬島隊長の転送先がアタッカー激戦区だったせいで開始3分で落とされたのだ。

 

 冬島隊は冬島隊長のトリガーでスナイパー性能を底上げする作戦を第一に考えている。戦闘が出来ないから落とされやすい駒だとは分かっているが、あまりにも早い段階で落とされたのは痛かった。

 せめて私が一角でも罠を張り終えるまで粘ってほしかったが、アタッカー激戦区なら仕方ないね。ちなみに落とされた時、真木ちゃんは的確に冬島隊長をボディーブローするかのような言葉を投げ、冬島隊長はしょんぼり、当真くんは「あちゃー」と笑っていた。

 

 とにかく早々に作戦を切り替えて、アタッカー激戦区に入っていない駒を取っていく。アタッカー激戦区に銃口を向けるには影浦隊の北添くんを先に落とさないと居場所がバレて奇襲されかねないから。

 メイン狙撃手は変わらず当真くんに任せ、私は罠を張りながら補助。冬島隊長がいないので撃ったら足で移動だ。移動経路は真木ちゃんが割り出してくれるし罠設置箇所も冬島隊長が指示をくれる。楽だなぁ、と漠然と考えたよ。

 

 北添くんを始めとしたアタッカー以外を排除した時、当真くんが焦りの声を上げた。どうやら影浦くんが目の前のアタッカーをスルーして当真くんを狙い始めたようだ。

 ポイントゲッターの当真くんが落とされるのは痛いので援護に向かい、わざと姿を見せて囮となる。シュータートリガーで牽制し時には即席の罠で注意を引くなどしながら一定の距離を保つ。

 影浦くんを追いかけて私に奇襲を仕掛けてくる他のアタッカーへの対処にも追われたが、その頃には私が事前に作っていた罠地区に誘い込めたのでなんとか凌げた。

 

 が、影浦くんがとある攻撃を行い、呆気なく私は落とされた。当真くんが他のアタッカーを狙撃するも、それより速く影浦くんの攻撃が刺さった。そしてタイムアップ。得点としては影浦隊と引き分けだ。

 

 その後ランク戦のログで見ていると冬島隊長が攻撃の正体はスコーピオンだと断言した。弧月のオプショントリガーみたいなものがスコーピオンにも開発されたのかと問えばそうではないらしい。

 影浦くんのスコーピオンは出水くんの合成弾と同じ原理だと云う。両手のスコーピオンを合体させて伸縮率を上げた。攻撃範囲は強度などを考えてもシューターやガンナーと同じくらいではないか、と。出水くんと言い当真くんと言い、年下組の才能マンが多すぎる。

 

 しかし武器の正体が判明したならば作戦を考えられる。幸い次のランク戦はシフトの関係上1週間後。それまでにしっかり組もう。

 

 

 




OPの真木理佐ちゃんについて。
公式でプロフィール以外判明していないので捏造です。出来るだけ会話を省いた描写にしておりますが、八神の所属隊の関係上登場は欠かせません。
名前だけを借りた捏造オリキャラにだんだんなると思います。
公式で登場したら会話や行動の描写を入れたい。


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^月

 

 

 

^月÷日

 

 

 天気は小雨模様。傘を差してたらヒョイと迅が「入~れて」と雨宿りしにきた。鞄から予備の折りたたみ傘を出して渡すと「……準備いいね」と言われた。まぁね。只でさえ1人でも濡れるのに2人で傘を使用するなど緊急時以外は御免被りたい。濡れるのは替えのある靴下だけで十分です。

 

 影浦くんじゃないけど、傘越しに迅から視線を感じて見上げると神妙な顔でこっちを見てた。また未来でも見てるのかそれとも情緒不安定なのかと考えて脇腹を小突いてやった。ちょうど肋骨の間に入ったようで悲鳴をあげられた。すまん、私も指が痛かった。

 「情緒不安定なら頭撫でてやろうかと思ったが、傘が邪魔だったので脇腹にいった」と話せば迅は脇腹をさすりながら溜め息を吐いた。どうも私の思い違いだったようだ。紛らわしい迅が悪い、と断言しておこう。

 

 「未来の分岐点が1週間以内に来るんだ」ポツリと零した迅。そうなんだ、と相槌を打てば迅はまた「5日後、八神に話したいことがある」と言ったので私も「わかった」と答えた。

 

 5日後どんな話が迅から出るにせよ、今まで情緒不安定だった迅に関係することだろう。悪い未来かもしれないのはいただけないが、一人で抱え込ませるのは親友としてほっとけないからな。

 

 

 

^月÷日

 

 

 木崎さんの誕生日。先日お会いした時に「物はいらないから飯を頼んで良いか?」と言われたので、玉狛支部へ料理をしに行った。

 

 ・豚ロース肉のトマト煮込み

・タコとレモンのマリネ

・ほうれん草メインのキッシュ

・冷製コーンスープ

 

 タコは林藤支部長が知り合いから貰ったそうだが、他の材料は迅が揃えてくれた。ケーキは桐絵ちゃんがお気に入りの店で買ってきた。

 

 木崎さんの鉄壁のポーカーフェイスが綻んで料理を褒めてくれた。やはり料理人として食べる人が喜ぶ顔が一番のご褒美だ。あれ、木崎さんの誕生日なのに私が褒美を貰っている不思議。申し訳ない。

 

 木崎さん、誕生日おめでとうございます!

 

 

 

^月÷日

 

 

 ランク戦。影浦くんの対策を練ったが他の隊員がいると邪魔なので前回と同様の手順でポイントを取っていく。

 今回は冬島隊長が私の近くに転送されたのでアドバンテージは充分。機動力が前回とは段違いに上がった私たちは短時間でポイントを重ねた。百発百中の当真くんが頼もしい。隊の誰も落とされることなく冬島隊vs影浦くんの形に持って行けた。ポイント差に余裕がある私たちはこのまま勝ち逃げしても良かったが、せっかくのフォーメーションなので挑戦することにした。

 

 狙撃手として遠距離に着く。当真くんと私はそれぞれ左右に分かれて位置している。みっちり練習した狙撃を当真くんと同じタイミングで行う。視線は2方向。トリオン量を調節してどちらも同じ威力と速度の弾。

 

 影浦くんの戦闘ログに狙撃手とまともに戦っているものは少ない。それはサイドエフェクトが当時知れ渡り、初期の段階で狙撃を簡単に避けたことで『影浦くんに狙撃は効かない』と判明したからだ。

 しかし、それは"狙撃手との経験が少ない"という意味でもある。さらにほとんどのチームに狙撃手は1人しかいない。倒す為、というより相手の牽制や誘導が主な役割だ。

 

 覗いたスコープ越しの視線で着弾箇所を察知出来る影浦くんはシールドのフルガードをしない。その箇所だけを守る。狙い通りだった。

 影浦くんの肩口からトリオンの煙が上がったのを確認して、驚愕する影浦くんにもう1度挟撃。肩口の負傷で広めのシールドを張られたが、今度は右太股を射抜いた。挟撃。左肩ヒット。挟撃。ヒット。

 思考する暇など与えず当真くんと戦闘体を少しずつ削っていく。少しでも油断すれば怖いくらい精密な当真くんの狙撃の餌食だ。そして最終的にフルガードになった影浦くんをアイビスで挟撃、半拍後にイーグレットの弾が影浦くんのトリオン供給機関を射抜いた。

 

 冬島隊の圧勝である。タネを明かすと佐鳥くんのツインスナイプを借りました。もともと一緒に考える時に私も練習したし、私はどちらの手でも撃てる。

 今回、イーグレット&ライトニングorイーグレット&アイビスなど重さが全然違う銃でかな~り苦しんだが、そこは特訓した。

 片方のスコープを覗かないで感覚だけで撃つこの方法はきっちり影浦くんに有効だったようで安心した。当真くんの油断出来ない狙撃に意識を割けれたのも大きい。

 

 影浦くんを相手する為にトリガー構成を変えて罠が二の次になったが、そこは冬島隊長がカバーしてくれた。影浦くんに狙撃中はバックワームが使えないのでそこも冬島隊長に頼った。やっぱりチームって楽しい。

 

 さて、次のB級上位も頑張りましょう。

 

 

 

^月÷日

 

 

 どうしよう。思考がまとまらない。けど、まとめる為にも日記に吐き出そう。

 

 迅から「恋愛的な意味で好きだ。付き合ってほしい」と告白された。

 

 思ってもみなかった告白にポカンとしてた。とりあえず嘘でもイタズラでもないのを確認して「1日考えさせて」と返すと、迅はふにゃりと笑って頷いた。

 

 まず私が迅をどう思っているか。好きか嫌いかなら好きだ。likeとloveなら……likeだと思う。今まで恋愛経験をしていないし迅に限らず誰かをそういう対象に見たこともなかった。好き=likeしか私の中にはなかったんだと思う。でも下ネタは通じるし兄貴のそういう本も見たことがあるので、いわゆる耳年増という奴か。

 

 では、直球だがもしも迅と恋人になったとして、その先にあるキスやら性行為やらをどう思うか。書籍や聞いた知識などを使って想定してみると単純に、超絶に、恥ずかしい。体温がぐわーっと上がった気がする。なんだコレうわあああ。もの凄く恥ずかしいぞ!

 

 けど、嫌悪感はない。恥ずかしいけど! 嫌、ではない。

 

 他の男子と考えてみると「ないわー」と体温が下がるので、この叫びたい程の羞恥心は迅にだけ起こるようだ。

 

 では、迅悠一が好きか?

 曖昧だ。でも他の男子よりは、好き、だ。でもそれって親愛とかじゃないの。恋愛の意味なの。

 

 わからん。もう1日じゃあ全然足りない! でも返事は明日だ! もう今日じゃん!?

 

 落ち着け。迅は良い奴だ。私のいつだかの"理想のタイプ"にもきっちり当てはまる男だ。とりあえず、落ち着け。好きか嫌いなら、好き。ならば付き合ってみるのも良いんじゃないか。お試し、とか。でもそれは告白してきた迅に失礼だろ。むしろなんで私が好きなんだ、とも思ったが迅の笑った顔が浮かんできて……なんというか、嬉しい。

 

 うん。アイツの悲しい顔とか嫌だ。でも曖昧な態度も卑怯だろ私。なら正直に「迅悠一が好きだ。でも恋愛的な意味で好きかはわからなかった」と告げるべきだ。いやいや、それじゃあ受け身すぎるな。結局は迅に選択を委ねているぞ。どうす

 

 

 

^月÷日

 

 

 いつの間にか寝落ちしてた。昨日の日記を読み返すに、私は迅悠一が好きだ。昨夜は混乱に混乱が乗じてパニクってたが、朝の現在にお弁当を作りながらそう結論した。返事は決まった。行ってきます。

 

 

 「好きだ」と告げて迅が安心したように笑った。ギュッと抱きしめてくる迅に私も返した。で、ちょっとした迅の問題発言。

 

「未来の分岐をちゃんと掴めて良かった。このまま最期まで離さないから。玲の花嫁姿が今から楽しみだよ」

 

 未来視を持つ迅が誘導してただの、『逃がさない』だの、初の恋人が既に旦那と確定しているだの、いきなり名前の呼び捨てだの、色々ツッコミたいことがあったが嬉しそうな迅に負けた。これが惚れた弱みってことか。

 

 名前で呼ぶことを強請られたが、言い慣れない上に人前で呼ぶのは恥ずかしい。高校卒業までは『迅』呼びだと宣言したら、しょぼんとされた。可愛いと思ったのは内緒だ。

 好きだと自覚してからなんか私チョロくないか。すぐにB級上位ランク戦なんだから浮ついていられないぞ、気を引き締めろ私。

 

 

 

^月÷日

 

 

 迅と付き合っても日常はほとんど変わらない。まだ2日だけど、そのことに安心した。たぶん私のペースに迅が合わせてくれているのだろう。

 加わったのは増えたお弁当と、登下校を出来るだけ合わせて手を繋ぐくらい。クラスメートには雰囲気で分かるらしく「おめでとう」と言われてキョドってしまった。そんなにあからさまだったかな。

 

 B級上位ランク戦。影浦くん程わかりやすい天敵はいないけど、上位なだけあって一筋縄ではいかない。木虎ちゃんという新人が入ったことによりB級に落ちてきた嵐山隊、当真くん並の狙撃手を擁した最もチームバランスの高い三輪隊が相手だ。

 人数的には嵐山隊が上だけど、連携力は三輪隊で、どちらも私の戦術スタイルを知っている。三輪くんなんて以前ずっとランク戦で競り合ってたし。やりにくい相手であるが、遠距離&機動力は冬島隊が上だ。

 

 先ずは外野潰しではなく、前衛潰しにかかった。狙ったのは三輪くんだったが割り込んできた槍使いの米屋くんの左腕を吹っ飛ばした。当真くんは嵐山の頭を撃ち抜いてた。さすが。

 すぐさま移動後に罠を張り、最初の地点をピンポイントで狙撃する弾道から三輪隊の奈良坂くんの位置を割り出し、そこからの移動経路を絞って後を追う。

 嵐山隊狙撃手の佐鳥くんともう1人の三輪隊狙撃手の古寺くんは残りの転送ポイントから考えて射程圏外にいると分かっていたので開始時点では無視。

 

 当真くんには三輪隊の前衛を狙ってもらい奈良坂くんの援護には誰も来ない。追ってる途中でバックワームを発動させた木虎ちゃんが奇襲を仕掛けてきたけどトラップにかかって体勢を崩したので、すかさずアステロイドを撃ってポイントゲット。

 しかしそのせいで自力で奈良坂くんを追うのは難しくなり、古寺くんの狙撃がやってきたので作戦を替えて罠地区の作成に取りかかる。今回作る予定ではなかったが、奈良坂くんに逃走を許したので狙撃手をあぶり出す戦法にした。

 

 結果として、冬島隊4-三輪隊3-嵐山隊1だ。

 生き残ったのは当真くんと三輪くんと奈良坂くん。危なかった。当真くんがやられてたら生存点で三輪隊に負けるところだった。

 何気に時枝くんが三輪隊前衛と当真くんの猛攻を受けてなお米屋くんを仕留めたのは凄い。ガンナーなのに凄い。

 

 ランク戦後木虎ちゃんが、めっちゃ睨んできた。そんなに怒らないでほしい。謝ったが「そんなに腰が低くてどうするんですか。ソロでA級とか言われてるならもっと堂々と勝ちを誇って下さい」とツンデレられた。はい。

 

 A級チームの挑戦権は得た。精鋭チームと並ぶためにも、連携をもっと頑張ろう。

 

 

 

^月÷日

 

 

 夏休みの三者面談に母が三門市に来た。いつ警報が鳴るか分からないので長居はさせたくなかったが、せっかくなので泊まると言う。母も防衛隊という仕事に少しは心配しているのだろう。色々聞かれたが、詳しくはボーダーの人に聞いた方が早いと説明。早速ボーダーの指定したホテルの会議室へ向かった。

 

 会議室には根付幹部と忍田本部長と沢村補佐官がいた。三者面談と銘打ってるが人数的には五者面談だね。

 一般公開出来る範囲のボーダーについてと就職待遇の説明を根付幹部が行い、日頃の任務活動中の私を忍田本部長と沢村補佐官が褒めていく。お世辞だと分かっても照れた。母は「ちゃんと頑張っているのね。良かった」と安心したようだった。

 防衛隊として命の危険はもちろん伴うが、今のところ紛争地に赴く自衛隊隊員よりも危険性は低い。この点が母にとって良かったポイントらしい。これで保護者からの容認もしてもらえた為、就職に向けての書類に押印をしていく。学校にも内定をもらったことを報告できる。

 

 帰り道、食品の買い物をしてたら迅と遭遇した。あれは待ち伏せしてたな。「ども~娘さんの彼氏の迅悠一です。同じクラスで所属は同じくボーダーです」と自己紹介する迅に恋バナが好きな母は目を輝かせた。

 「写真に写ってた子でしょ!? やっぱり付き合ってるんじゃな~い。どうして教えてくれなかったの~」とはしゃぐ母を宥めて近くのカフェに誘導する。

 

 写真の頃は付き合っていなかったこと、最近付き合い始めたことを説明。根掘り葉掘り聞こうとする母に迅は面倒がらずに答えていた。最終的に「出逢いは教室からでずっと同じクラス。同じバイト先で社内恋愛っぽいし、やだ~ドラマみたい! 悠一くんイケメンだし良い子だし、これからも娘を宜しくね!」と母がまとめていた。

 笑顔で「もちろん」と応える迅を横目に私は黙々とケーキセットを食べていた。ものすごく居たたまれない。

 

 その後、迅を荷物持ちに任せ食材を買って家で私が料理して3人で食べて、ゆっくりした後迅は帰っていった。

 玄関で見送った後に母が「あなた、彼と結婚するわよ」と言ってきた。母は直感で父と結婚している。なんでも初対面の時に直感で結婚相手だと解ったらしい。そんな母が言うし更に迅からも宣言を受けているので「知ってる」と返した。

 

 母は私よりも早くに寝たのでこうして日記を書いている。思ったより長い文面になった。私もそろそろ寝よう。

 

 

 

^月÷日

 

 

 家でゆっくりしてから簡単に周辺や学校などを見て回ってから母を駅に送った。帰り道またひょっこり現れた迅がデートに誘ってきた。デートプランなんてものはなく、ただ手を繋いでのんびりと歩くだけ。老人の散歩の付き添いのようだとは思ったが口には出さない。カフェに入って昼食をとるくらいがデートっぽい。

 

 「この散歩も俺の仕事なんだ」と。未来視のサイドエフェクトだからトリオン兵の襲撃で一般人に被害が出ないか、ボーダーの不利にならないかなどの分岐点を捜す。一方で未来有望な隊員も探したりスカウトしたりとなんだかんだで重要な仕事だった。

 会ったことも見たこともない人間や物にはサイドエフェクトが働かないからこそ自らの足を動かすしかない。日々いろんな未来を視る迅の精神力が心配だ。そりゃ情緒不安定も有り得るだろ。

 

 アウトドアよりインドア派の私だが、迅とのんびり歩くのは嫌いじゃない。若者っぽいデートではないけど、アレしたいコレしたいって性格ではないから迅との関係はこういうので良いんだろう。

 

 

 

^月÷日

 

 

 桐絵ちゃんの誕生日。前々からおねだりされてたのでまたパフェ屋さんになった。気に入ってくれたらしい。新しいパフェグラスをプレゼントしてパフェを作ってみた。今年はクレープでも定番のチョコバナナパフェだ。バナナが変色しないうちに素早く作るのがポイント。

 

 1本を斜めに半分に切って、皮を剥いて、3枚にスライス。もう半分も同じようにスライス。少しズラして広げて生クリーム・イチゴが盛られたグラスに挿して上からチョコソースと粉砂糖をかけて完成。

 

 1分ほどで完成したパフェに桐絵ちゃんは驚くけど、パフェは切って盛っていくだけだと納得して美味しそうに食べてくれた。桐絵ちゃんが作ってみたいと言うので一緒に作った。

 

 木崎さんもパフェを作ってくれるけど、やっぱり特別な誕生日に食べるのが美味しく感じるらしい。喜んでもらえて何より。ちなみに桐絵ちゃんにはパフェグラスと一緒に赤いリボンの装飾がついたパフェスプーンも上げた。

 

 

 

^月÷日

 

 

 迅からメールで玉狛支部でご飯を誘われたので、玉狛支部へ向かうとニーッコリ笑った迅に迎えられた。嫌な予感がした。

 

 木崎さんがイカ飯とメニューを決めていたので私も手伝っていると迅も手伝いにきて完成。帰ってきた桐絵ちゃんが、私と迅の近い距離に眉根を寄せて、それに迅も怪しげな笑いを出した。

 

 林藤支部長が帰宅して食事の準備が出来る。玉狛支部に所属する全員が今日は夕食に間に合うようでいつもより多くテーブルを出していた。

 全員が揃うと迅が立ち、私を立たせて「付き合いました。ちなみに嫁さん確定です」とにこやかに宣言。嫌な予感はすれど未来視を持たない私には想定不可能だった。桐絵ちゃんの悲鳴や支部のみんなに祝福や拍手を受けて私は真っ赤になったさ。

 木崎さんが「愚痴や相談を受けていたから普通に嬉しい」と言ってきて衝撃を受けた。愚痴と相談って何。木崎さんに恋愛相談していたのもびっくりだけど、思えば迅っていつから私のことを好きになったんだ。

 

 なんだかんだと私たちのカップル成立を祝い、酒を開けだした大人組に囃されながら迅と2人で支部を出た。「突然でごめん。でも皆に報告したかった」と言われたら怒れないし、大事にしてもらってるんだと嬉しかった。支部のみんなも驚いていたけど否定はなかった。心から迅を祝福している様子だった。

 

 繋いでいた腕を引いて「ありがとう」と笑うと抱きしめられた。

 街中でちょっとだけ恥ずかしかった。

 

 

 



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§月

 

 

 

§月%日

 

 

 A級ランク戦。待ちに待った挑戦だった。それ故に、あっさりと終わった。隊の名前はあえて表記しない。うん。

 

 搦め手が非常に弱いチームだった。もともと挑戦権がこちらにあるので事前に、執拗なまでに入念な準備を真木ちゃんと練っていた。何回もログを見て癖を見抜き、使ってきた戦術や行動パターンを把握し、私たち3人誰が落ちても対応出来るように作戦を組んだ。

 通常のランク戦とは違いチームvsチームという地力が顕わになる対戦だったことも大きい。その結果が圧勝。

 

 素直に喜んでおこうか。目指していたA級チーム入りを果たし、冬島隊は隊室にて簡単な祝勝会を開くことにした。1人を除いて全員未成年なので各々好きな飲み物を持ち寄って乾杯。正式な祝勝会はもう少し後にすることにした。

 

 

 

§月%日

 

 

 何回かランク戦をした。A級ランク戦の詳細は日記に書かないことにした。下手したらB級ランク戦の3倍くらいの量になりそうだし。ランク戦をするうちに冬島隊は"運が良い""まぐれ勝ち"という評価から『スナイパーとして理想の隊』だと実力を認知されるようになった。

 

 そんな中、私にとっては2回目の近界遠征任務が冬島隊にやってきた。A級チームとしては新入りだけど今までの戦功と、遠征任務に行ったことがある冬島隊長と私を擁している為だと思う。

 「どんなとこだろ~」と暢気な当真くんと緊張している真木ちゃん。私も気を引き締める。見知らぬ土地は怖いし、戦争地帯だってある。遺書だって書かないと。

 

 今回迅は行かないので「行ってきます」と伝えたら、ぎゅうっと抱きしめられて額にキスされて「行ってらっしゃい」と微笑まれた。

 玉狛支部の前だったんですけど! たぶん顔が赤かった。

 

 行ってきます。

 

 

 

§月%日

 

 

 ただいま。五体満足で帰って来れた。

 

 迅に「ただいま」を言いに行ったら「おかえり」って言われて、すごくホッとした。いつもは私が迅の頭を撫でるけど、今回は代わってもらった。

 

 遠征先は戦争真っ只中だった。もちろん私たちはどちらの国にも加担せずひっそりと隠れていた。

 戦場に落とされたトリガーやエネルギー源に使えそうなトリオン兵の確保の為に、静かになった戦場へ赴いて瓦礫の下に埋まったトリオン反応を掘り起こす。壊れているのがほとんどだけど、優秀なエンジニアにかかれば機能を呼び起こせるかもしれないから。

 

 戦場跡には、トリオン兵の残骸だけでなく人間の死体も当然あった。ぐちゃぐちゃになった肉体にみんな少なからず顔を強ばらせた。死体を見るのは初めてじゃない。大侵攻の時だって、あったのだ。

 

 問題は何度目かの戦場跡に向かった時。生き残っていたトリオン兵が不意に襲いかかってきて数人が戦闘体を失う。艇から離れ過ぎて緊急脱出が起動しなかったのだ。

 A級チームと言ってもそれはトリオン体があるからこその階級。恐怖に固まる隊員に容赦なく襲いかかろうとするので私は咄嗟にスパイダーを伸ばして彼らを後ろへ投げ飛ばした。着地失敗して打ち所が悪ければ彼らは死んでいたかもしれないが、残っていた隊員が上手くキャッチして艇へ走ってくれた。

 

 撤退も時間稼ぎも得意だったから引き受けた。でもそれは既知のトリオン兵相手のこと。初見で対峙する敵にどれだけ通用するのか不明だった。

 

 結果として私は戦闘体の維持出来るギリギリまで追いつめられたが、勝った。

 片足と脇腹と肩に黒い重りがくっついてどうにも動けなかったが、救出に来た当真くんに戦闘体を解除して運んでもらった。トリオン兵は一部を切り取って保管し、後は帰りのエネルギーとして使った。

 

 ギリギリの戦闘体験だったが、良い経験になったと思う。初見の敵なんてこれからどんどん出てくるはず。今回はトリオン兵だったが、トリガー使いだっている。戦闘しながらの対処は覚えておいて損はない。

 

 とにかく、ただいま。

 

 

 

§月%日

 

 

 エンジニア統括の鬼怒田さんから、話の折にブラックトリガーについて訊いた。好奇心で「ブラックトリガーは量産できないのか」と。そこで残酷な真実を知った。

 

 命を使ったトリガー。誰かが命を賭して残したからこその強力な武器。迅がS級になったと報告して来た時の複雑な表情を思い出した。古株の迅は知っていて、それでいてブラックトリガーの人物と親しかったのかもしれない。

 

 そう思うと我慢出来ず、迅に会いに行った。待ち構えていたような迅を抱きしめて、自分勝手に泣いてごめんなさいした。

 迅はそっと微笑んで風刃の本当の名前を教えてくれた。最上さん。私が風刃を使うことはないけど、改めて迅と組む時はよろしくお願いします。

 

 

 

§月%日

 

 

 1日休みを挟んで冬島隊室を訪れると、冬島隊長と真木ちゃんがPCの前にかじりついてキーボードを叩いていた。冬島隊長は遠征任務から持ち帰ったトリガーやトリオン兵の解析で、真木ちゃんは報告書作成っぽかった。

 集中を邪魔するわけにも、と思ったが静かにしてたら問題ないだろうと冬島隊長の周りに散らばった書類データを拾って読み始める。そこで当真くんがやってきた。

 

 「俺、これから当たる弾しか撃たないことにする」

 

 唐突な宣言にみんな手を止めて当真くんを見た。当真くんは真剣な顔でふざけているわけではなく本気で"牽制も誘導もしない。仕留める時だけ撃つ"と言っているのだ。

 これは誓いであり、プライドであり、自分へのプレッシャーなのだと思う。遠征任務にて当真くんはいつもならしない狙撃ミスをしていた。それを深刻に捉えていたのだろう。

 

 冬島隊長は「敵を倒せるならいいさ。任せたぞエース」と言い、真木ちゃんは頷き、私も了承した。

 もともと当真くんの精密射撃で敵を倒す為に作戦を組んでいる。これからもっと特化するだけ。決意表明はしっかり受け取った。エースが十全に実力を発揮出来るように周りがサポートするよ。

 

 

 



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<月

 

 

 

<月§日

 

 

 遠征に行っている間にA級チームが増えていた。B級チームの頃に切磋琢磨してきたいくつかのチームがA級入りしていた。また油断禁物なランク戦になりそうだ。

 

 そうそう。ランク戦に新しいシステムが出来た。ランク戦をモニターして実況&解説席を設けることにしたのだと。

 A級やある程度実力のあるB級は観るだけでなんとなく解るけど、経験の浅い隊員には『何が何だかわからない』ということで、ボーダーの実力を底上げするべくシステムが導入されたらしい。

 

 大々的に動いているのはオペレーターの武富ちゃんで面白い実況だった。スポーツ実況とかも得意そう。解説席に入るのは主に東さんで、手の空いてるA級やB級隊員が声を掛けられているようだ。

 

 ただログを見るのと、どういう動きか理解しながら観るのとじゃあ全然違う。どんどん進化していくなぁ、と感心してしまった。

 

 

 

<月§日

 

 

 迅とキス、しました。2回も。

 

 最初は事故だった。うん、私のドジ。私が段差に気づかないで躓いて迅を押し倒して、唇が触れただけ。漫画かよぉ!

 

 で、ドジと不意の接触に混乱してたら、頭を支えられてキスされた。情けなくもピキッと固まった私に迅は追加で爆弾。

 「かわいい」って笑顔で言うな! しかもいつの間にか三つ編みが解かれて項から後頭部をソッと撫でられてゾクってした。で、また、キス。なんかエロいよバカ!

 

 思い出すとまたゾクってする。迅こえーよ。学校であんな事故からのキスとか、もうね……ハレンチだ!

 

 

 

<月§日

 

 

 迅と会うと唇に目が行ってしまう。気づいたアイツがにやぁっと笑うので、ムカつく。もう意識するな私!

 残暑でまだまだ暑いし、迅のせいで度々体温が上がるしでどうにかならないものか。

 

 お祭りデートに誘われた。ついでに浴衣までプレゼントされた。お祭りは嫌いではないし、そこまでされたら行くしかあるまい。

 浴衣くらいなら自分で着れるけど、髪型はどうしようか。そういえば着ける機会をすっかり忘れてた1本挿し簪があったし、それでアップしてみようかな。

 

 

 

<月§日

 

 

 綺麗だ、似合ってる。

 

 開口一番の言葉に自然と笑顔になった。照れもあったけどオシャレして褒められると嬉しい。

 

 履き慣れない足元を気にして歩みは遅くなってしまったけど、色々屋台を回って楽しんだ。屋台で買うと高いけど雰囲気でついつい買っちゃうよね。花火も見る予定だったからそれまで迅と遊び回った。ヨーヨー釣りとか射的とか的当てとか。

 

 途中でクラスメートに見つかって冷やかしを受けて迅がキスしてこようとしてイチゴ飴を口に突っ込んでやったら笑われた。

 クラスメートと別れたら嵐山隊がヒーローショーやってるのを見つけたり、影浦くんたち後輩に見つかって彼氏彼女の関係にビックリされたりした。

 特に当真くんなんて「マジか。拡散しとこ」って言い出すものだから慌てて止めようとして迅に手を引っ張られてキス。「拡散よろしく」とどや顔する迅と、携帯を構えたままの後輩達。ナニコレ羞恥刑?

 

 顔上げられなくて迅に抱きつくしかなかった。写真撮られるって分かってても赤い顔を撮られるよりマシだよ!

 

 迅が「じゃ、デート中だから」とその場を離れてくれて助かった。いや、羞恥刑の原因はアイツだけどね。冬島隊のグループトークに写真投稿されてて軽く絶望した。明日会ったら殴る。

 

 花火は玉狛支部の屋上で見た。大きな花火だし、水面にも反射して上も下も綺麗で見応えバッチリ。玉狛支部には私たち2人と林藤支部長と陽太郎くんの4人が花火を見ていた。

 他の人は興味がなかったり、友人と屋台に行ったり、任務だったりでいなかったから。

 

 ドーンという花火の合間に耳元で「また来年も見よう」と囁かれたので私も「もちろん。悠一、好きだよ」と返せば珍しく迅が真っ赤になった。仕返し成功だ。

 

 

 

<月§日

 

 

 朝に本部へ行くと、なんかボーダー公認のカップルになってて精神的に疲れた。沢村さんには我が事のように喜ばれ、忍田本部長にも声を掛けられ、城戸司令からは「節度は考えるように」と釘を刺された。ガクブルものなんですけどーッ!

 

 当真くんに詰め寄ろうとしたら冬島隊長に「おめでとさん」と出鼻を挫かれ、真木ちゃんに迅のことを訊かれて撃沈した。どこが好きか訊かれて「顔か?」との問いには否定しておいた。顔の好みなら城戸司令と答えたら大爆笑された。

 

 気を取り直して、陽太郎くんの誕生日。今年は視覚探索絵本をプレゼントした。イラストや写真の中から目的の物を見つけるタイプの遊び本だ。

 簡単に見つけられる物からムムムッと唸る物と奥が深く、帰宅した林藤支部長も感心したように陽太郎くんと雷神丸と桐絵ちゃん、クローニンさんまで巻き込んで探すのに夢中になってた。気に入ってくれて何より。

 

 買い出しから帰ってきたゆりさんと迅から食材を受け取って木崎さんとクッキング。お子様定番のオムライスだ。陽太郎くんにはお子様プレートを使ってファミレスのお子様ランチ仕様。玉狛支部の旗を挿せば完成。

 

 絵本組に呼びかけると、ビックリするくらい年上組が真剣で面白かった。

 

 

 



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¶月

 

 

 

¶月<日

 

 

 迅が任務だったので1人で下校してると、たまに料理教室に招待するお婆ちゃんに会った。台車に載せたコンテナいっぱいに泥のついたサツマイモを積んでて重そうだったからお手伝いした。

 

 お礼にサツマイモを下さったので、スイートポテトをいっぱい作ってご家族分をお返しに行った。残りは影浦家にお裾分けした。

 

 

 

¶月<日

 

 

 誕生日。付き合って初めての誕生日だ。迅が今年は2人っきりでもいいか尋ねてきたので頷く。すっごく緊張した。

 

 迅が市販のケーキを買って家にきた。1ヵ月前に予約しないと食べれない限定品でちゃんと調べてくれていたんだと心が温かくなった。ケーキを食べて紅茶を飲みながらゆっくりしてたら、プレゼントをくれた。

 

 迅の瞳の色の装飾が彩るヘアゴム。桐絵ちゃんのが壊れてから自前の味気ないヘアゴムを使用していたので、お礼を言うと三つ編みの先に早速つけてくれた。

 

 瞳の色とか、サプライズにも程があるよ。嬉しい!

 

 

 

¶月<日

 

 

 陽太郎くんの誕生日で思ってたんだ。陽太郎くんは幼稚園にも保育園にも行ってないし、玉狛支部のご近所に同年代の子供がいるわけでもない。遊び相手は年上か雷神丸。このままでは小学校に上がっても同級生と馴染めるかどうか……

 そういうわけで、余計なお世話ながら知り合いの主婦様方がよく集まっている公園に陽太郎くんを連れ出した。ちなみに雷神丸も一緒。

 

 最初は変に大人振る陽太郎くんだったが、だんだんと周りの子供たちに感化されて年相応にはしゃぎ出した。私は木陰で水筒とタオルの番をして雷神丸と涼み、たまに主婦様方とお話しをしていた。

 

 移動が雷神丸に乗ってたことが多い陽太郎くんは、日頃から遊び回っている子供たちよりバテるのが早かった。でも楽しそうに笑い声を上げる様子は玉狛支部とはまた違った様子で。

 

 夕方に迎えに来た林藤支部長が雷神丸の背中で寝てる陽太郎くんの様子を見てお礼を言ってきた。連れ出して良かった。

 

 

 

¶月<日

 

 

 陽太郎くんから電話が来た。珍しく頑張って早起きしたらしい。今日も公園に行きたい、と。昼から任務なので午前中だけならと了承した。

 

 陽太郎くんを迎えに行くと林藤支部長が陽太郎くんの昼食も頼んで良いかと訊かれたのでOKする。昼過ぎに木崎さんが帰ってくるらしかったので、もし陽太郎くんがお友達と昼も遊ぶ約束をしたなら連れて行ってもらうように言った。

 

 公園に着くと既にお友達が居て陽太郎くんに手を振ってた。すっかり仲良くなったね。たまにお茶休憩を挟みながら時間いっぱい遊ぶ子供たち。それを横目に木陰のベンチで課題を解いていく私。子供に怪我がないように気を配るので完全に集中できなかったが、それなりに進んだ。

 

 お昼が近くなり、案の定お昼も遊ぶ約束をしたらしい陽太郎くんのテンションは高い。一度玉狛支部に帰って簡単チャーハンと胡瓜とワカメの酢の物と卵スープを作った。

 食べ終わる頃に木崎さんが帰ってきて、陽太郎くんはすぐにお願いしていた。木崎さんも陽太郎くんにお友達が出来たのは嬉しいらしく、ポーカーフェイスをちょっとだけ崩して笑ってた。

 

 

 

¶月<日

 

 

 任務の交代引き継ぎで多少時間がかかっていつもより遅く夜ご飯を作ってたらチャイム。

 迅だった。デジャヴと思いながら玄関を開けると、へにゃりと笑った迅が「ご飯たかりに来ました~」と宣言。呆れたが招き入れて、追加で作成。麻婆豆腐と餃子とワカメ中華スープと胡瓜とレタスの生野菜。

 

 前回とは違って迅を泊まらせなかった。情緒不安定でもなさそうだったので笑顔で送り出すと納得行かない顔でキスをされた。

 大方、友人の頃に泊まれて恋人の現在に泊まれないことが不満なんだろう。あの時は完全に親友としての枠組みで、異性として一切意識していなかった上に母性愛的な庇護欲しかなかった。今はきちんと意識しているからこその断りだ。

 

 そうはっきり伝えると迅は唇を尖らせながら不服そうにしていたが、雰囲気はとても嬉しそうだった。分かりやすい奴め。

 

 

 

¶月<日

 

 

 誕生日も過ぎて晴れて18歳になったので、自動車の免許を取ることにした。車を買う予定は一切ないけど、実家は車移動の方が速い手段なので運転できた方が良い。

 保険証じゃなくても免許証を出せば身分証になるし、学生証がなくなっても年齢を示せる免許証があれば万事OKだとは風間さんの談だ。あの人の童顔と身長だとね……

 

 土日と放課後が講習で拘束されるのでシフト調整をお願いした。座学の方は自習で間に合うけど運転練習はどうにもならないからね。卒業後じゃないと本免試験が受けられないから、余裕持って講習を入れてもらうことにする。

 

 

 

¶月<日

 

 

 ハロウィンだ。ちょうど陽太郎くんを連れて公園に行く日だったのでクッキー缶を持って行った。陽太郎くんがお気に入りのヘルメットに小さな角を付けてもらって子鬼になっていた。迅がコスプレしないのかと真顔で問いかけてきたので丁重にお断りして口にクッキーを突っ込んでやった。

 

 仮装した子と、してない子とで少しイザコザがあったけどクッキーを配ると鎮静化した。みんな単純で良かった。

 

 ホッとしてたら1人の女の子が近づいてきて「よーたろーくんが、おねぇちゃんボーダーのひとっていってたよ」と言ってきたのでそうだよと返すとにぱっと笑って飴玉を渡してきた。

 「あげる! いつもありがとー!」と。ボーダーのことを訊いてきたから"守ってくれてありがとう"なのか、それとも単純に"遊んでくれてありがとう"なのかは分からなかった。けどとても温かい言葉に私も「ありがとう」と笑顔で言えた。

 

 そしてその女の子をきっかけに他の子も私にお菓子を渡してきて、なんと主婦様方からももらった。それを見た幼い子たちがお菓子のお裾分け合いが始まり、公園でお菓子パーティーになったのだった。

 

 子供はそんなに得意ではなかったけど、こういうことがあると"いいな"って思う。うん、子供かわいい。

 

 

 



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℃月、‡月

 

 

 

℃月¶日

 

 

 自動車学校の教官がウザい。とうとう公道を走ることになった。助手席に教官が座って私が運転。道順は教官が口頭で指示する以外にルートを知らないので従うのだが、指示が遅くて慌ててウィンカーを出すのが何度か。

 いい加減にしろ、とも思うのだがそれよりも雑談をマシンガントークしてくるのがアウト。

 

 こっちは初めての公道走行で緊張しているんだ。運転に集中させてくれよオッサン。返しにくいギャグを言うし、雑談の合間にポロッと指示を寄越すから無視するわけにもいかず。

 さらにブレーキを踏んで停まる拍子に来る小さな衝撃に敏感に反応して「あーあ~」と言ってくる。ストレスがマッハ。

 

 最近の癒やしは任務の待機時間に隊室でジグソーパズルしてることだ。何も考えず無心になりたくて。あとたまに冬島隊長が愚痴を聞いてくれる。

 

 さっさと実習終えてあのオッサン教官にサヨナラしたいよ。

 

 

 

℃月¶日

 

 

 林藤支部長の誕生日。なぜか動物園に玉狛支部のみんなと行った。

 

 ふれあいコーナーで陽太郎くんが動物に話しかけたり首を振ったりと忙しそうだった。最近お友達も増えてきたしおしゃべりが好きになったのかもしれない。

 動物に話しかける様子は微笑ましいと思ったのだが、みんながしきりに「なんて言ってんの?」と質問するのを疑問に思ってたら、迅が「動物と話せるサイドエフェクト持ちなんだ」と説明してくれた。

 

 なんてロマンのあるサイドエフェクトなんだ、と陽太郎くんを見れば得意げな顔をしていて桐絵ちゃんに「ハイかイイエしか分からないのにどや顔すんな」とため息を吐かれていた。どうやら想像してたロマン能力とは違うらしい。

 

 でも動物の言ってることも多少伝わってくるなら結構羨ましい。まぁ、動物園とかだったら人混み&動物混みのような喧騒を味わうのかも。忙しそうなのも納得だ。

 

 とりあえず不思議な誕生日だけど、林藤支部長おめでとうございます!

 

 

 

℃月¶日

 

 

 昼休み。どうしても眠たくて空き教室の壁にもたれて昼寝してたら、いつの間にか迅に膝枕してた。

 口を半開きで眠る無防備さに思わず頬に手が伸びて触ってた。そりゃ幼児の頬より硬かったけど弾力があった。ついでに頭も撫でる。何気に迅の髪は柔らかい。

 

 寝顔をなんとなく観察してたら尻を撫でられる感触。頬を抓ると「イテテ」と全然寝ぼけてない声音で言うものだから、半眼になった。

 

 起き上がった迅が私の脚を撫でてくるから手を抓ろうとして、脚の痺れを感じて顔をしかめた。

 ぎこちなく脚を伸ばす私に迅が「無防備に寝るからだよ☆」とふざけた物言いをすれど、目が笑っていなかったように思う。お前は何を心配しているんだ。漫画みたいな変な事態になるわけないだろうが。

 

 そう思ってたけど、なんかヤバかったかも。さっき風呂場で鎖骨の下と内腿に赤い斑点を見つけた。あの有名なキスマークらしいぞコレ。迅が電話して言ってきた。

 鎖骨はまだ分かる。けど、内腿って……タイツの上からつけられるものなんだな、と感心したら迅に笑われた。

 

 

 

℃月¶日

 

 

 チェスにハマった。クラスメートからアプリをオススメされてダウンロードしてみたら面白くて、何故か文芸部の部室にチェス盤と駒が放置されていたから自動車学校のバス待ち時間の間、色んな人に相手してもらってた。

 互いの読み合いも楽しいし、将棋と似たようなルールだけど駒がオシャレなのがポイント高いよね。

 

 冬島隊長にそれを伝えたら花札と麻雀を教えられた。こういう室内ゲームは結構好きだ。三門に来る前に花札は妹と、麻雀は兄と遊んでいたので一応わかる。役を狙い過ぎて負けちゃうパターンが多かったな。

 

 冬島隊長から「見た目に似合わず俗っぽいよな」と言われた。そんなに私の見た目って真面目っぽいのかな?

 三つ編みだけど、おさげではない。単純に一つ結びをすると癖っ毛のせいで広がっちゃうから1本の三つ編みにしてるだけなんだけど。

 

 

 

℃月¶日

 

 

 3回目の遠征任務。前回危ない場面があったからチーム内のメンタル面を心配してた。特に当真くんと真木ちゃん。

 しかし当真くんは気合い十分と言った感じで、真木ちゃんは己より戦闘員の方が危ないからと達観して常と変わらない様子だった。年下組のメンタル強い。

 

 迅は今回も留守番だけど、木崎さんが参加するらしい。心強い。

 

 食材の消費期限を確認して、近い物は玉狛支部に寄付。

 

 ではでは、行ってきます。

 

 

 

‡月℃日

 

 

 ただいま!

 

 帰ってくると一気に街がクリスマスになってて置いてかれた気分ですよ。恋人にクリスマスプレゼントを何も用意していないからそりゃ焦る。

 

 クリスマスが残り数時間で終わることにどうしようとスマホを見つめてたら「だーれだ。ヒントは連絡しようか迷ってる人だよ」と目隠しされた。答え言ってるだろソレ。

 恋人の名前を言えば正解だと目隠しを外されて互いに姿を確認。同時に「メリークリスマス」を言った。

 

 「サンタさん。俺、今年は恋人からのキスがほしいです」と言われたならするしかないだろ。背伸びをしてキスしたけど、目を瞑ってたのが悪かった。唇ではなく顎にしてしまった。

 しかし改めてするのも気恥ずかしく「サンタさん、私もキスがほしいです」と誤魔化したら、ちゃんと唇同士でさらに深い奴をされた。

 

 口笛と拍手が聞こえてそこで本部玄関に近い道端だったことを思い出した。ボーダー隊員の通り道だよアホ。はい、バカップルでした自覚します。見せつけるように深い奴してたとか、明日からどうしよう。また城戸司令に声かけられたら何て言われるのか……想像するだけで恐ろしい。

 

 

 

‡月℃日

 

 

 遠征任務で多少間が開いてしまったが、運転実習で特に問題は起きなかった。速度メーターを法定速度でズレることなく維持し、衝撃を丁寧に殺した運転でしたとも!

 教官に「おお~!」と言わせることができて大変満足した。遠征中に運転免許証持ちの先輩たちにコツを聴いて回ってたからね!

 

 しかし、教官は私の運転を見て"もう慣れた"と感じて更に雑談を振ってくるようになった。助手席で座っているだけだから暇だとは分かるけどさ……

 そんなに親しく喧しく話しかけないでほしい。友人になったならここまで嫌とは思わないけど、教官と友人になる予定なんてこれっぽっちもないから。

 

 次は高速道路を走るらしい。教官の担当する他の実習生も一緒で行きと帰りにわかれて運転実習だと。高速道路かぁ、トラックがいっぱい走ってるイメージだ。あとバス。公道よりスピードが速いだけで基本は変わらないだろう。

 

 

 

‡月℃日

 

 

 高速道路を走ってきた。小雨で道路が濡れていたので控えめな速度で走ることを指示された。イメージ通りトラックが多かったぜ。

 

 慣れた運転手のオッサンはどんどん追い抜いて行くんだけど、かなり近い距離で車線変更をしやがる。教官もさすがに「あのトラックはヤバいからもう少し車間とろう」と言った。止めろよこっちは練習中なんだぞ。

 

 トラックの近くは、引力が働いてこちらの車が引っ張られる。一緒の実習生も「なんか、吸い込まれそう…」とハンドルをしっかり握って呟いてた。

 トラックはデカくて重いのに、速く走る。スピードがなければバムスターみたいだ。バムスターがトラック並みのスピードで突っ込んできたら、正面から受けると簡単に吹っ飛ばされそうだが横や後ろに人間がいた場合は体を引っ張られて巻き込まれそう。

 

 ちょっと怖い想像だ。でも近界は広いから、そんなトリオン兵もいるかも。速すぎる敵をトラップにかけるのは難しい。対策を考えておこうかな。

 

 

 




自動車学校の話は、作者の経験談です。
運転に集中したい。雑談の中に経路指示をポンと混ぜないでほしい。
運転手は心を平静に、と説明を受けました。あれは平静を培う試練だったのだと勝手に決めつけてます。


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/月、〆月

オリジナル改造トリガー&オリジナルトリガーを出します。



 

/月‡日

 

 

 年末年始は帰省できた。年越しそばを食べながら年越し番組を見て笑って、寝た。正月、親戚に新年の挨拶をすると彼氏が出来たことを知られており、さらに迅の顔まで広がってた。母に修学旅行の写真を送ったことを激しく後悔した時だった。けれどよく考えてみると、いずれ知られることだ。それが早くなっただけ、と言い聞かせなければやってけない。

 父は親戚と一緒にグイグイ酒を呑んでた。普段なら飲まない焼酎も口をつけてたので、どうも母から結婚うんぬんを聞いてたっぽい。母よ、さすがにそこは黙ってて欲しかった。

 

 三門市に帰ってくると、迅と初詣に行った。着物ではなく洋服だ。お詣りして帰り道に帰省した時のどんちゃん騒ぎを迅に言えば「玲の家族は賑やかであったかいな」とにこにこ笑顔。

 迅を実家に連れて行くと家族だけでなく親戚一同も騒ぎそう。そういえば迅の写真を見たアイドル好きの従姉妹が「かっこいい」と評価してたな。最初に惚れたのって中身で、見た目はどちらかと言えば付属だったのであまり気にしたことなかった。うん、迅はかっこいい。

 

 

 

/月‡日

 

 

 新年の初防衛任務。新年の任務は防衛というより補導任務のような。テンションが上がってる若者とか酔っ払い達が警戒区域に侵入してくるのでそっちの対処が主だ。それにトリオン兵が出現すると悲鳴を上げて逃げようと必死になるから保護するのも大変。記憶操作部署もてんてこ舞いだよ。

 

 冬島隊の任務とは別に、即席チームやソロでの夜間任務に入るようになった。まだ学生だけど今年で卒業だ。就職したら夜間任務も入るらしいので研修も含めて参加した。

 基本的に学生組がほとんど入れない平日の昼間に入る予定だが、夜間任務だってある。近界遠征でも夜間活動はあるしね。

 

 

 

/月‡日

 

 

 当真くんが冬休みの課題が終わらないとカラカラ笑ってるのを聞いて真木ちゃんが冷たい目を向けていた。それを見て迅も課題をしてないのでは、とも考えたがアイツなら留年や赤点を取るようなヘマはしないだろうと思い直した。

 

 

 

/月‡日

 

 

 A級チームはトリガー改造特権がある。今まで特に思いつかなかったので利用してなかったけど、使ってみた。

 

 改造したのはスパイダーだ。元はトリオン消費が少なく、キューブから色が変えられる糸が飛び出して張るだけの機能。

 これに強度と太さを変更出来るようにした。極細の絹糸から注連縄の太さまで。強度はシャボン玉からシールドトリガーまで。

 それとそのスパイダーのオプショントリガーも作った。裁縫の指貫っぽいのを作り、両方の中指・薬指・小指の第1関節に装着。スパイダーのオプショントリガーとして『繰糸(そうし)』と命名。文字通りスパイダーを操れる。鞭にもできるけど、私の目的は近くのスパイダーに接続することだ。

 一度張ったスパイダーは己のコントロールから離れる。例えば太さ4mmでシャボン玉強度の設定で張ったら、以降に変更が出来ないのだ。その変更を『繰糸』で可能にする。太さや強度も変えられて『繰糸』にくっつけたまま伸ばすことも出来る。

 

 練習次第では漫画で見た人形師にもなれそう、とか思ってしまった。さすがにそんな器用には出来ない。

 

 人差し指と親指には『繰糸』を着けてない。狙撃の時に邪魔になるし。ちなみにこの改造スパイダー、通常スパイダーの倍トリオンを消費する。それでもシュータートリガーよりは少ないけど。

 『繰糸』は戦闘体に常時装着している状態にした。弧月みたいなオンオフ動作だ。

 

 私のトリオン量は平均より多めなのでトリオン切れの心配は少ないが、継戦能力は格段に落ちた。そこは自覚しておかないとね。

 

 

 

〆月/日

 

 

 仮免を取ったぞー!

 やっと教官のウザイお喋りから解放された。本免は卒業してからマークシートテストなのでもうちょっと先。それまでは自主学習だ。1発合格を目指しますとも!

 

 卒業したら引っ越しをしないと。今はボーダーの学生優遇寮だから、学生ではない人間は住めない。ボーダー提携のアパートやマンションがあるのでそちらに移ろうかな。玉狛支部に近いところが良いなぁ。

 支部に行って陽太郎くんの相手も出来るし、それに、迅が来やすいように。

 

 だって迅は意外に忙しいから学生じゃなくなったら今よりも会えないかもしれないんだ。それもふまえて明日迅に相談してみようかな。

 

 

 

〆月/日

 

 

 学校で会えなかったが、ボーダー本部で──変な表現だが──迅に見つけられた。迅は相談されることを知ってたようで、資料をポンと出してきた。

 

 迅が渡してきたのは2LDKや3LDKに4DKなど明らかに一人暮らし用ではない物件だ。

 

 戸惑った。戸惑って迅を見れば、手を取られて「卒業したら俺と住んでほしい。玲のご飯を毎日食べたい」と真剣な顔で言われた。なんかプロポーズみたい、と顔が熱くなって頷くとガバッと抱きしめられた。

 

 コホン、と咳払いが聞こえてハッと顔を上げると城戸司令がいて、一気に体温が下がりました。グッピーなら死んでた。

 迅がのんきに挨拶すると城戸司令はため息を吐いて、持ってた紙束を渡してきて「これからも苦労するだろうが、迅とボーダーをよろしく頼む」と優しい目で言ったあとスマートに去って行った。体温は元通り。さらに格好良い城戸司令の優しい目に胸がキュンとしてたら迅が尻を触ってきた。おい。

 

 城戸司令から渡された紙束は迅と同じく家の資料だったのだが、一戸建て住宅で持ち主の名前が城戸司令。それが3軒。

 つまり持ってるけど放置中の家を候補に挙げてくれたのだ。ほぼ売り家みたいで普通に買うよりも格安で立地も玉狛支部に近く……迅がベテランだからこその優遇だと思うけど、こんなに好条件を揃えられているなんて凄い。

 

 しっかり計画を練ったローンなら無理なく払えるし、迅と私の給料なら日々の暮らしも余裕だと思う。よし、まずは迅と下見兼見学に行こう。

 

 

 

〆月/日

 

 

 バレンタインデー。本命チョコを手作りして迅に渡すと、私にもチョコをくれた。最近流行りの"逆チョコ"に乗っかったらしい。

 市販チョコレートの山で、量は私より多い。お返しをどうしようか悩んでたらチョコレート味のキスを受けた。足りない分はキスを強請られた。

 

 お互いにチョコを贈ったのでホワイトデーは無しにした。イベント多いもんね。

 

 

 

〆月/日

 

 

 家を見に行ってきた。迅が持ってきた分と城戸司令が持ってきた分を見て回る強行軍だった。

 

 私としては重要なキッチンスペースと、洗濯物に大事な日当たりと、風呂場やトイレなどの水回りを主に確認。迅は特にこだわりはないらしい。

 

 吟味した結果、城戸司令が持ってきた物件の一つに決めた。3LDKの一戸建て住宅。広いキッチンスペースとスーパーに近く、ご近所さんに陽太郎くんの友人宅があって親しみやすかったなどの理由があるけど、一番の理由は迅がどこか懐かしそうな顔をしたからだ。

 その家に決めた時もなんか嬉しそうにしてた。なんとなく最上さん関係かなと思ってる。

 

 迅は過去のことを語らない。尋ねたらきっと答えてくれるだろうけど、そんなに急いで知る必要もない。だってこれからまだまだ時間があるんだから。

 

 

 

〆月/日

 

 

 荷物の整理は結構進んだ。先月の下旬頃から少しずつ進めていたから残りもあと少し。

 

 新居の家具を迅と見に行ってきた。リビングに置く予定のソファーを真剣に選ぶ迅が面白かった。対する私も冷蔵庫を選ぶ際に笑われた。お揃いの食器も選んだりしてショッピングを楽しんだ。

 

 

 




 ・改造スパイダー
色に加えて強度と太さも変更可能。シャボン玉からシールドトリガー強度まで。極細の絹糸から注連縄の太さまで。
通常スパイダーの倍のトリオンを消費する。


 ・スパイダーのオプショントリガー『繰糸(そうし)
戦闘体に常時装着で、指貫(リング)。両手の中指・薬指・小指の第1関節。

コマンドワード『介入(アクセス)
既に手元から離れたスパイダーに触れるまたは無線LANっぽく繋ぐことで、強度と太さを変更可能。触れた方が消費トリオンは少ない。

コマンドワード『接続(コネクト)
リングにスパイダーをくっつける。そのまま自在に伸縮させ、鞭のように振ることも出来るが技術が必要。

コマンドワード『停止(ドロップ)
繰糸を段階を踏まず、急停止または機能を強制的に解除する。繰糸はトリオン体に付属しているので、トリオンの供給を無くすなどの緊急時に使用。イメージはWi-Fiを切る感じ。


城戸さんの持ち家について。
旧ボーダー時代にいなくなってしまった人員の家を城戸さんが管理してました。城戸さんにとっても大事な仲間のものだった家々でしたが、昔からの付き合いある迅が一緒なので候補に挙げてくれた設定です。


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♧月、∞月

 

 

♧月〆日

 

 

 とうとう卒業式。両親が出席して、迅の方は林藤支部長が保護者席に。

 料理開拓部の後輩はもちろん料理教室に参加してた生徒や先生に泣かれ、お世話になった色んな人たちから花束をもらって驚いた。両親も心底驚いてた。

 

 いつの間にか両親と林藤支部長は仲良くなってたけど、父は迅を"娘の友人"という体で接していた。あとから母に聞いたら迅が正式に挨拶しにこない限りは認めないとのこと。

 

 たくさん写真を撮って、昼食を食べに行くことを迅が提案。既に予約をしていたらしい。迅が案内して趣のある料亭だった。こんなお店があったのかと店員さんに案内されて奥の部屋へ。

 

 「改めまして、迅悠一です。玲の彼氏です」

 と迅が前置きして、父が何か言う前に

「娘さんを俺に下さい!」

 と勢いよく頭を下げた。確かにそんな雰囲気だったけど知らされていなかった展開に吃驚。

 でもそれを面に出せる雰囲気ではなかったので、ちょっとだけポカンとして顔を引き締めましたとも。

 

 両親も林藤支部長も事前に知ってた──迅と母が連絡先を交換してたから。なんで当事者の私に知らせてないんだ。──ようで、父は泰然と構えてまず仕事や収入、住まいなどの現実的な部分を尋ねた。それに迅はスムーズに答えて何の心配もないことを説明する。また、己が防衛隊員としてもし殉職した場合の万が一にも答えた。

 

 そこまで説明されて父は「婚約は許す。結婚は少なくとも君が成人してからだ」と結論して「娘をよろしく頼む」父と母は頭を下げた。「ありがとうございます!」と頭を下げる迅にならって私も頭を下げた。

 

 タイミング良く、というか林藤支部長が指示してたらしく料理が運ばれてきて店員さんに祝福の言葉をかけられた。どうやら障子越しに聞いてたようだ。障子に耳有りってね。

 

 父と迅と林藤支部長は仲良くなってた。昼間だし酒は入ってないはずだけれど父は妙にハイテンションでご飯を食べてた。食事が終わると両親はあっという間に帰って行った。夜、母に電話するとどうやら父は複雑な心境だったようで、帰りの車内でかなり落ち込んでたんだと。

 

 迅になんで知らせててくれなかったのか、と問えば私が知ってたら卒業式どころじゃない上の空になってる未来が視えてたらしい。ウン、ソウダネ。

 

 

 

♧月〆日

 

 

 本免取ったぞー! 教官に報告して自動車学校も卒業。

 

 そして引っ越しも完了。住所変更を申請して寮を引き払い、ご近所さんに挨拶をして──バタバタしてた。新居でやっと落ち着いて互いの顔を見て、自然と笑顔になった。

 

 さて、学生ではなくなったし近い将来に私も"迅"になる。というわけでたまにしか名前で呼んでいなかったけどこれから「悠一」と毎回呼ぶ練習をしなくては。

 間違えて呼ぶとかなり拗ねるし、こっちからキスしないと機嫌を直してくれないしで困った。日記でも間違えないように気をつけよう。

 

 もう一度さて、緊張してきた。

 3つある部屋の一つは寝室だ。共同の。ベッドは一つで枕は2つ。なんだナゾナゾか、いいや明白だバカ。ダメだ緊張して日記の文体がおかしい。

 

 迅は任務で今はいないけど、そろそろ帰って来るはずだ。しかし顔を見合わせてからベッドに入るってなんか今以上に恥ずかしくないか!?

 いや、でも「おかえり」って言いたいし!

 

 よし「おかえり」って言ったら速攻でベッドに入って寝よう。そうしよう。

 

 

 

♧月〆日

 

 

 現在の季節は冬だ。だから暖を求めるのは仕方ないよね!

 

 昨夜は書いた通りに実行して只野イルカを抱きしめて寝たはずだった。だけど目が覚めると迅、じゃなくて悠一に密着してた。そーっと離れて布団を整えてから顔を洗いに行った。うん、慣れない。

 

 朝食を2人分作っているとボーッとした悠一が起きて来たので「おはよう」と声を掛けたら後ろから抱きしめられて耳元で返事をされた。くすぐったい上に背中がぞわぞわしたので顔を洗ってこいと引っ剥がした。うん、甘い。

 

 エンゲージリングを買いに行った。あまりの煌びやかさに気後れしてると店員さんと話してた悠一から呼ばれて、皿に5つのリングを並べられて「この中から選んでほしい」と。値札を取り払われていて悠一のスマートな気遣いにビックリだ。さらにどのリングも私の好みで、かなり迷った。

 

 結果、シンプルデザインリングにダイヤと小粒のトルマリンが埋め込まれた物を選んだ。ダイヤは悠一の誕生石でトルマリンは私の誕生石。かわいい。嬉しい。幸せだ。

 

 一般的に男性は婚約指輪をしないらしいが、悠一は今回買ったリングを後に結婚指輪へアレンジする予定とのこと。今はお互いに婚約した証が単純に欲しいのだとか。

 一般的かそうでないかは私たちには関係ないし、悠一が真剣に私と一緒になることを考えてくれてるのが目に見える形で顕わにしている。こんなに嬉しいことはない。

 

 

 

♧月〆日

 

 

 正社員としての出勤はまだだけど色んな書類を作成しないといけないし、訓練もあるからボーダー本部へ向かった。

 

 最初はチェーンに通して首に掛けようと思ってたが、悠一から「リングを外したら怒るから」と宣言されたので指にそのまま。

 やはり目を惹かれるらしくエンゲージリングについて訊かれて照れた。ちなみに戦闘体へは着けていない。戦闘中に気を取られたら致命的だから。着けてることが自然に思えればいいんだけど、まだ意識してしまうから。

 

 訓練中は当然戦闘体だったんだけど噂で知ったらしい東さんにも尋ねられた時は動揺して狙いを外した。

 書類を完成させて事務局に持って行く途中で二宮さんと出水くんに遭遇して、二宮さんは固まるし出水くんには悲鳴混じりに仰天された。

 

 なんかエンゲージリングでかなりボーダーを引っ掻き回している気がしたけど、同じくらい祝福をもらった。ちょっとした嫉妬もあったけど、特に気にならなかった。

 

 帰り際にお揃いのリングを指に着けた悠一が迎えに来て、また悲鳴(祝福)が上がりいつかのように当真くんが写メって拡散してた。キス写真より恥ずかしくないからOK。みんな、ありがとう。

 

 

 

∞月♧日

 

 

 ボーダーに正社員として就職。新人育成部署に配属され、入隊予定者の名簿を整理したり訓練の日程を調整したり部署間を飛び回る伝言役を請け負ったりなどなど新入社員として働いている。防衛隊員でもあるのでシフトの調整もまずはやってみろと任された。

 

 婚約指輪のお返し、いわゆる半返しをしようと思う。婚約指輪の半額の値段で現金ではなく物品を贈る。調べてみるとブランドのスーツやネクタイ、カフスなどが出てきた。

 でも悠一がスーツやネクタイをしている姿を見たことないしそもそもクローゼットの中に無い。1着はあった方がいざという時良いだろうが、それより普段使いの物が良いと思った。腕時計や財布などが候補に出てきたので、そちらにしようと思う。

 

 半額の値段と言うが、買う時値札を取られていた状態だったし相手に訊くのも憚られる。

 購入したショップで似たデザインを見つけて、大体のお値段を探る。悠一、スマートな男だなと思いました。

 

 

 

∞月♧日

 

 

 もうすぐ婚約者の誕生日である。半返し用の腕時計は購入したけど誕生日プレゼントはどうしようかと悩んでいる。

 いや、まぁ、婚約したし思い切ってアレをしようと考えているけど、言い出すタイミングをどうしよう。シミュレーションしてみるべきか。

 

 朝、ご飯作って挨拶と「おめでとう」言って朝食

→お互いに準備して出勤

→出来るだけ早く退勤して買い物して夕飯作り

→「おかえり」して2人の誕生日パーティーして腕時計(半返し)を渡す

→私お風呂

→悠一を風呂に追いやって着替えて待機

→"テンプレ台詞"(誕生日プレゼント)。

 

 ……"テンプレ台詞"って……文字に書くのも躊躇うのに本番で口に出せるのかな。ノリと勢いでなんとかイケると思い、たい。

 "テンプレ台詞"って書かなくても"ベッドにさそ"あ、ダメだ書けない。本番の私に期待しようそうしよう。

 

 

 

∞月♧日

 

 悠一の誕生日。よし、覚悟はOK。準備も昨日済ませた。

 

 大好き。誕生日おめでとう。

 

 行ってきます。

 

 

 

 俺も大好き。ありがとう。幸せだよ。

                          迅 悠一

 

 

 

∞月♧日

 

 

 え!?

 マジか。

 

 

 



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半年後。原作へ

 

 

 

♬月∞日

 

 

 久しぶり日記帳。半年振りくらいだっけ。

 

 日記を悠一に見られたショックというか、色んな赤裸々な葛藤を知られた羞恥に悶えて日記帳を封印してたんだよね。改めて読み返したらやっぱり恥ずかしいな私。復帰して新たに書くのは、私の誕生日のことだ。

 

 誕生日の数日前に彼は謝ってきた。

 

「悪い、誕生日一緒に過ごせない。俺は、俺の欲しい未来のために、あの分岐点を見逃せない」

 

 ここ最近また出歩いているのは知っていた。夜中にそっと帰ってくることもあれば、玉狛支部に泊まっていることもある。もともと誕生日に固執しているわけでもない──「おめでとう」と言われるのは嬉しいしお祝い事は楽しいし好きではある──し、落ち着いたら改めてお祝いすると言ってくれただけで十分だ。悠一のサイドエフェクトを考えたらこういうのはこれからもあるのだろう。

 なのでそういう時は、一言「おめでとう」と電話かメールで言ってくれると嬉しい、と伝えればもちろんと約束してもらえた。

 

 友人たちに誕生日を祝ってもらって帰宅すると、タイミング良く悠一から電話で「誕生日おめでとう」と言われた。あんまり長電話は出来ないだろうから祝いの言葉の分と約束を守ってくれた分のお礼を言って切った。

 

 2人暮らしなのに1人しか家にいないのは寂しく思ったけれど、悠一がちゃんと傍にいてくれていると解っているから悲しいとは思わない。落ち着いたら思いっきり甘えてやるから覚悟しろ! ってね。

 

 久しぶりに日記に吐き出すとスッキリした。始めた頃はこんなじゃなかったのに不思議。とりあえず日記帳を収納する引き出しの鍵を増やしたので、また少しずつ書いていこうかな。

 

 

 

♬月∞日

 

 

 昨日は悠一が四六時中くっついてきて離れなかった。なんなんだ、と最終的に好きにさせているとポツリと口を開いた。

 

 「分岐点のスタートにやっと立てた」と。

 

 スタートと言うからにはまだまだ先があるのだろう。最近奮闘してたみたいだけど、大げさに喜ぶのも何だか違う気がして「そう」と頭を撫でた。

 目を細めて猫みたいにすり寄ってきてしばらく「よし、次も頑張るよ」と復活したらしい悠一にベッドに連れてかれた。が、家事の途中だったので遠慮した。今日も仕事だったし。落ち込んでまたくっついてきたのは言うまでもない。

 

 

 

♬月∞日

 

 

 ハロウィン。玉狛支部にパンプキンパイを持って行ってから出勤しようとしたら、制服のパンツを悠一に盗られた。

 タイトスカートが苦手だからパンツスタイルで仕事しているのだが「コスプレは無しだからせめてタイトスカートでお願いします」と婚約者に請われた。ちょっと引いた。で、タイトスカートスタイルに着替えると尻を撫でられるスキンシップを家を出るまで受けた。婚約者間でもセクハラって言えるのかなと悟りの心境。

 

 本部でスカートスタイルに珍しがられたが、周囲が奇抜なコスプレをしてたから目立たなかった。冬島隊でコスプレをやらされそうになったが、頭にネコ耳を着けられるだけで済んだ。なんか感情と連動しているタイプらしいが、仕事中は集中しているのでそれどころではなかった。

 

 いつの間にか迅が本部に来てたらしく中世ヨーロッパの紳士みたいな恰好をしてた。シルクハットと杖まで用意したとかエンジニアたち拘り過ぎだから。

 「ご主人様だぞー」とネコ耳の私に言ってくる婚約者と周囲にカメラを構えた後輩たち。おい。もう慣れたけどさこの展開。そして私は後悔する発言をしてしまうのだ。

 

 「飼われた覚えはない。首輪もしてないでしょ」

 

 じゃあ仕事だから、とその場を去ろうとしたところで「うん、じゃあ今夜にでも首輪を贈るよネコさん」と悪い微笑みをもらった。

 後輩たちに口笛を吹かれて囃された。恥ずかしいから仕事場でそういうのは控えてと言ってるけど、イベント時はオープンらしい。アイツに羞恥心ってあるのかな。

 

 

 

∀月♬日

 

 

 そういえば烏丸くんと栞ちゃんが玉狛支部に転属してたのを書いてなかった。日記を封印している間に色々あったんだ。よし、これでいっか。

 

 悠一とお好み焼き屋に行ってきた。もちろん影浦くんの家だ。行った時は影浦くんは帰ってきてなかったけど、焼いてる途中で影浦隊+荒船隊で帰ってきた。みんなは私たちがいることに驚いてたけど、仲間の輪に入れてくれた。

 

 成績がヤバいと影浦隊の仁礼ちゃんが言い出してそれを気にしても無駄だと一蹴する影浦くん。似たような成績でしょ、と静かに突っ込む絵馬くんと苦笑いの北添くん。荒船隊は心配無用のようで特に荒船くんは鼻で笑ってた。

 

 しかし悠一が「うーん、仁礼は確かに危ないかもなぁ」と言ったことで場が固まる。

 仁礼ちゃんは大問題児の太刀川さんより危ない、という衝撃の事実が露顕して涙目になった仁礼ちゃん。そしてついでに太刀川さんと同等だったらしい影浦くんも心なしか落ち込み、太刀川さんより下はヤバいと真剣になった荒船くんが勉強を教えることとなった。太刀川さん反面教師すぎる。

 

 あと、さりげなく「当真くんは?」と訊くと菩薩の笑みで首を振られた。ああ、ヤバいのか。

 

 

 

∀月♬日

 

 

 林藤支部長が風邪で寝込んだので陽太郎くんを預かった。誕生日なのに残念だ。

 

 陽太郎くんと折り鶴を作り、陽太郎くんをお友達の家に送ってから支部へお見舞いに行った。折り鶴は34歳になったらしいので34羽だ。

 

 ただの風邪らしいが咳がひどいので額に冷たいシール貼ってマスクをさせて木崎さんに車で病院に連れて行ってもらった。部屋の換気と布団を干す。洗濯物は悠一に任せた。

 軽く掃除をしてから布団をセッティングして部屋を暖めて、帰ってきた林藤支部長は「久しぶりに風邪引いてみるもんだ。至れり尽くせりだなぁ」と笑って薬飲んですぐに寝た。

 

 早く良くなりますように。

 

 

 

∀月♬日

 

 

 三輪くんが生身のままボーダーの廊下でぶっ倒れてて、駆け寄ると高熱だった。トリオン体になって急いで医務室に運んで、三輪隊に知らせた。

 

 休憩中に様子を見に行くと三輪隊も医師もいなくて三輪くんが魘されながら寝ていた。起こすべきだと判断して肩を揺らすが起きず、けれど眉間のシワが取れて「姉さん……よかった」と笑みを浮かべた。

 

 魘されていたのが嘘のように眠り始めた三輪くんに起こすのを止めて、手を握った。医師が戻ってきても、休憩時間ギリギリまで手を握っていた。

 

 三門市には身内や友人を亡くした人間がたくさんいる。心の傷は簡単には癒えないし、未だに傷を見ることさえ拒む者もいる。三輪くんは表に出す分わかりやすいけど、他の隊員も少なからず傷みを抱えている。

 それでも、少しずつ乗り越えて行こうと考えている者もいる。私の高校時代にお袋の味で涙したクラスメートも前を向こうと必死だった。

 

 大侵攻を起こした近界民は大罪だ。しかし、すべての近界民が悪ではない。国という巨大な組織に逆らえない民もいるし、それはどの世界でも同じ。つまり善い者も悪い者も近界民にはいるのだ。これは近界遠征に行けばおのずと理解するだろう。

 

 でも多くの隊員がそのスタートに立っていない。まだあの惨劇は色濃く残っているし、三輪くんなんて近界民を憎むのと同じくらい無力だった自身を憎んでいるまま。何かきっかけがあれば良いかもしれないが、葛藤でまた三輪くんは苦しみそう。同じ姉としては、早めに心が休んでくれると嬉しいな。

 

 

 

∀月♬日

 

 

 隊室で当真くんに勉強を教えていると三輪くんが訪ねてきた。珍しいと招けばオレンジジュースとドーナツを手渡された。医務室へ運んで貰った礼だと言う。

 

 日記封印期間で玉狛支部に近界民がいることを知った三輪くんは私とも距離を置いていたのだが、きっかけがなんであれ渋々という表情ながらも訪ねてきてくれたのは嬉しかった。知らないフリも出来ただろうに、やはり三輪くんは優しい子だ。

 

 勉強を一時止めて、休憩することに。律儀にも冬島隊の人数分用意してきた三輪くんにお礼を言って来客用に取っていたドロップクッキーを出した。隊長の関係で上の人やエンジニアたちが来るから茶菓子は確保済みなのだ。

 三輪くんは遠慮していたが当真くんが上手く誘導してた。さすが冬島隊エース。たぶん三輪くんがいなくなると勉強が再開するからだと思うけどね。

 

 当真くんの絶望的な成績に「陽介の未来か……」と呟いた三輪くん。そうか米屋くんもバカなのか。バカ多いなボーダー!

 

 

 

∀月♬日

 

 

 ボーダー隊員の学校成績に上司たちも危機感を覚え始めたらしい。いや、私が提言したんだけどね。あんまり学業を疎かにすると外面が悪いのでは、とオブラートに包んで根付幹部に申し上げたら学年別で勉強会が開かれた。

 

 教える側にはボーナスが出るらしく、エンジニアだけでなく隊員からも立候補が出た。ただ、基礎もわかっていないバカが多かったようで教える側は大変苦労しているらしい。

 

 当真くんも勉強会に送り出したが、から笑いを浮かべて私に教えてもらう方が分かる。教える人間が頭良すぎて逆に分からないそうだ。そうか……私の"小学生の妹に教える感覚"がわかりやすかったのか当真くん。頑張って中学生に進級してほしいから送り出したというのに。

 

 一応、1週間教師側に立候補申請を出してきた。

 

 

 

∀月♬日

 

 

 夜中、息苦しくて目覚めると悠一に潰される勢いで抱きしめられてた。意識がないはずなのに拘束が解けず、結局上下を反対にして私が悠一を潰した状態にして寝た。重くて勝手に退けてくれるでしょう、という判断故だ。

 

 次に目覚めた朝。悠一の頭が胸の上にあって重かった。夜中のこともあって思わず叩き起こすと、悪夢を見て夜中目覚めてから私の心音を聴きながら寝たらしい。なんだ情緒不安定か、と結論。そして私も迅の胸板を枕にして二度寝した。かたい。

 

 うん、やっぱり書いて吐き出していこう。

 なんかさ……悠一おかしいんだ。婚約とかして悠一が二十歳になったら結婚する予定まである。でも、一緒にいない方がいいんじゃないかとも最近思ってる。

 だって、悠一が、苦しそうなんだ。大切にされてるし、愛されてるって解る。でも焦りとか悲しみとかも一緒に居て感じるんだ。たまに悪夢で泣いてるのを知ってる。そして決まって私の名前を呼ぶ。悪夢の内容は私に関係している。自分のせいで好きな人が苦しんでいることに胸が痛い。もしかしたら私が、悠一に取り返しのつかない傷を負わせてしまうんじゃないかと、コワイ。好きだから、大切だからこそ一緒にいない方が。

 

 日記を再開したのもちょっとこの不安を吐き出したくなったからだ。暗い考えを書いてしまった。どうか、悠一には幸せになってほしい。

 いいや! ならば! 私が幸せにしろ!!

 

 

 

⊗月∀日

 

 

 教師役がやっと終わった。最初は少人数だった生徒側がだんだん増えて最後の2日間は教師役も数人勉強会を見学していた。

 

 私の教え方を見て教師役たちは「懇切丁寧というか、かみ砕くよりもペーストにするように教えるのか」と感心していた。

 

 生徒側は基礎の基礎を理解していなかっただけで覚えは良かった。頑張ってくれ。

 

 

 

⊗月∀日

 

 

 近界遠征任務が決まった。何事もなければ年内で戻ってこれると思う。

 

 話がある、とリビングのソファーに座らされた。

 

 「別れようとか考えてるだろ」と不機嫌そうに悠一がじっとミてきて、厳密には違うけど遠くもない問いに頷くと乱暴にキスされた。

 「最期まで離さないって言った」とどこか泣きそうな悠一に、思いきって私は『悠一が幸せではないなら一緒にいるべきではない』と言った。

 

 色々言い合って、出会ってから初めてあんなに怒った気がする。けれども、切々と執着とも呼べる悠一の想いを訴えられて怒りはだんだんと萎んだ。思い返せば、悠一がなぜ私を好きになったのか知らなくて、それを知った時だった。

 

「まだ全部は言える時じゃないけどこれだけは言える。愛してる。一生傍にいてほしい」

 

 涙が出た。こんなに言われたら離れられるわけがない。反則だ。ぼろぼろ泣いて、泣いて、悠一とくっついて寝た。

 

 起きて隣にいる悠一の泣いた寝顔が愛しい。もう、すっかりこの男に身も心もあげてしまったんだなぁ、と泣き笑いになった。さてさて、顔を洗ってから朝食を作りますかね。

 

 

 

⊗月∀日

 

 

 近界遠征任務に行って来ます。日記帳はまた厳重に鍵をかけておこう。

 

 

 

 




次話から原作に入ります。
日記風形式から離れます。
八神視点の一人称と、迅や他人を中心にした三人称を混ぜながら書くつもりなので読みにくいかもしれません。

キャラ崩壊も気をつけますが、日記以上にひどくなる可能性大です。
原作の流れに沿いますが、八神がいるので少しキャラの行動が変わっていくと思われます。

お付き合いいただければ幸いです。


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人物設定

書く上での設定です。
八神は結構細かく書いてます。
一応、BBF風と表紙裏風も書いてみました。


 

 

  主人公

 

八神(やがみ) (れい) 女 迅と同級生

168cmの着痩せ型Dカップ。

 

黒髪黒目の凡庸な特徴のない容姿。髪は普段は1本の三つ編みにして纏めているが、解くと腰まである。

長いし重いので最近切ろうかなと悩み始めた。迅からプレゼントのヘアゴム(瞳の色のワンポイント)で結ってる。

 

左手の薬指に婚約指輪。立て爪型ではなくリングに宝石(ダイヤと小粒のトルマリン)が埋め込まれたタイプ。

 

物事を俯瞰的に見ることが多く、他人の顔を覚えるより所作で判断して区別している。

大人しい地味子のような見た目で大胆に行動するなどのギャップもある。

 

料理がレイジさん並みに上手く、近所の主婦たちとも交流して三門市のお袋の味を出せる腕前。高校時代だけで多くの人間の胃袋を掴んだ。

得意料理は肉じゃがと筑前煮と茶碗蒸し。

 

好きな物

和食・コーヒー・紅茶・チョコ・抹茶系菓子・煎餅・猫・爬虫類

苦手な物

ラーメン・味の濃い料理・押しの強すぎる人・G

 

何かと面倒事に巻き込まれたりしているが自覚はない。あくまで傍観者気分で過ごしている。

コミュ症と言っているがそこまでコミュ症ではない。自称コミュ症。トリオン量は二宮さんの下くらい。

 

 

 

  簡単な略歴・経緯

 

 

小学校に柔道部、中学校でバスケ部、高校で料理開拓部(成り行き)

 

中学校時代にヤンデレ女子に迫られたことがありそれがトラウマで、逃げ出すように三門市の高校受験

 

家賃1万というぶっ壊れ住宅で1人暮らしだったが、数日で第一次侵攻にて倒壊。それでも故郷に帰らず国・市からの支援で仮設住宅に住んで高校入学し、クラスメートで隣の席だった迅の紹介でボーダーにアルバイト雇用して貰ってボーダー学生隊員寮に入る

 

当時は少なかったスナイパーとして東さんに師事して早々に実戦登用されてた。撃ったら移動を基本に当初から移動経路を作った上で狙撃に入っていた

 

シュータートリガーが開発されてからは、スパイダーと合わせて取得してトラップを多量に使うトラッパー型狙撃手の道を進み始める

 

初期は沢村隊(沢村響子・風間蒼也・円城寺百恵(オリキャラ))に所属し、解散するまでに一度戦績1位の東隊に勝ったことがある

 

長らくソロで活動し、任務功績を認められてソロA級隊員になる

 

高校3年の夏に迅から告白されて恋人関係

 

真木ちゃんによって冬島隊へ所属

 

高校卒業式の後に迅が両親に挨拶して「婚約は許す。結婚は成人してから」と言質を取って迅悠一とは婚約者関係

 

現在は迅と同棲生活

ボーダーで正社員の戦闘員となり、家事と仕事と訓練をこなしている

 

 

 冬島隊所属

戦闘と罠張りをこなす

ポジションはスナイパーだが、トラッパーと勘違いされてる時もある

 

 

 基本のトリガー構成

イーグレット・ライトニング・アステロイド・シールド

バックワーム・スパイダー(改)・繰糸・メテオラ

 

 

・戦闘スタイル

  狙撃は変態たちに劣るが一線級。両利きモドキなのでどちらの手でも撃てる。スパイダーのスペシャリスト。撤退戦術と自称して、文字通り撤退戦や時間稼ぎは得意

・東の教えを忠実に守って、撃ったら移動

・寄られたら射手トリガーで応戦&逃げ道確保

・地形の情報収集は出来るだけ行う用意周到さを持つ

 

 

 

 

BBF風 設定

 

八神玲

 

[プロフィール]

ポジション:スナイパー

年齢:原作時 19歳

身長:168cm

誕生日:10月3日

星座:みかづき座

血液型:A型

 

[ファミリー]

父・母・兄・妹

 

[リレーション]

迅 ⇔ 婚約者

東 ← 師匠

沢村・風間・円城寺 ⇔ 元チームメイト

二宮 ⇔ 師匠兼弟子

冬島 ← 隊長

真木 → スカウトした、相談役

当真 ⇔ 頼れる仲間

 

[パラメーター]

トリオン  12

攻撃    6

防御・援護 17

機動    5

技術    10

射程    10

指揮    10

特殊戦術  15  トータル=85

 

 

用意周到なスパイダー使い!

 

 撤退戦術と自称するだけあって、逃げも時間稼ぎも上手い。

 入念な地形戦も練るため張られたスパイダーはクモの巣とも言われている。冬島との戦略連携も合わさって、戦闘では居ても居なくても警戒される。

 戦術の勉強を続けており、功績により上層部からの信頼も厚く、知恵として意見を求められることが多い。

 

 

 

 

表紙裏風 

 

『自称すぎるコミュ症 八神』

 

 コミュ症と言っているが普通に他人と話す上に持ち前の気遣いで会話を繋ぐウソツキ。凡人と言っているけどやっていることは決して凡人ではない努力家なウソツキ。着痩せして服の上からはBカップなのに脱ぐとDカップ。

 絡みは先だが那須さんと名前が被っていることに気づき、迅を婿入りさせようか検討中。

 

 

 

 

 

たまに出てきて活躍してくれるオリキャラのあの人。

 

円城寺(えんじょうじ) 百恵(ももえ)

 

年齢:原作時 26歳

身長:166cm

 

ショートの茶髪に黒目なクール美人さん。性格は姉御で面倒見が良いCカップ。

 

もともとエンジニアとしてボーダーに所属していたのだが、オペレーター不足により一時的にオペレーターを請け負った。戦闘員と直に接することでエンジニアへ転属した時に活かせるはず。現在も元沢村隊での経験は貴重だったと考えている。

 

オペレーター兼エンジニアとして認められ、宇佐美が大変慕っている。

 

 

 



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第二次侵攻が予測されまして
ただいま


この話から日記風ではなくなります。
技量が足らず読みにくいかもしれませんが、宜しくお願いします。

時系列は原作の単行本3巻24話から入ります。
前半に八神の一人称
後半は迅を軸とした三人称


 

 

 遠征先が平和な国ばかりで順調に予定通り年内に帰ってくることが出来た。トラブルが一切なかった、なんて甘いことはないけれど誰も欠けることなく終えれたのだから順調と称しても間違いない。

 

 ゲートを潜る際に艇酔いでグロッキーになった冬島隊長を放っておけず、風間さんのお言葉に甘えて任務報告はお任せした。

 

 当真くんも鬼怒田さんに言いたいことがあるらしく冬島隊長を放って風間さんたちと行ってしまったし、帰り道の軌道調整で集中力を使い果たした真木ちゃんも疲労困憊で先に隊室で仮眠を取るらしい。

 

 

「冬島隊長歩けますか? 医務室から担架を手配しましょうか?」

 

「わるい、やがみ……ゆっくりなら歩けるから」

 

「無理せずに。肩貸しますから頑張って下さい」

 

「ぉう」

 

 

 身長差があるけど、支えがないよりマシだろう。ぶっちゃけ担架の方が早いのだけど、意地でも歩きたいようなので黙っている。

 

 予定通りとは言え久し振りに三門市に帰ってこれた。悠一は私がいない間ちゃんとご飯食べてたのかな。

 

 たぶん玉狛支部に泊まり込んでるだろうから、帰りに買い物した方がいいかも。いやいやその前に連絡入れて帰ってきたことを伝えてから食材の有無を聞こう。

 

 

「やっと着いた~……うぇ」

 

「待って待って! すみません袋ォ!!」

 

 

 ギブアップ寸前の冬島隊長に医務室の皆さんと大慌てで対処する。

 

 なんとか間に合った冬島隊長の背中を擦ってあげて落ち着くの待った。隊長の船酔いは重症。

 

 ゲートを通る時の浮遊感は確かに独特だけど、冬島隊長の三半規管は弱過ぎだと思う。

 

 しかし、ここで問題が起きた。

 

 

「う、じぶんも……」

 

「え!? 医療従事者なのに!?」

 

 

 医務室の主が冬島隊長に影響された。マジかよ。

 

 2人の背中を擦る羽目になり、医務室はてんやわんや。途中で様子を見に来た当真くんが無言でソッと去るのが見えた。裏切り者!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メールにて「ただいま。夕飯、何がいい?」という文面を見て迅の顔にクスリと笑みが浮かぶ。

 

 素っ気ない文面だが相手を気遣っているのが伝わってきて婚約者らしい。玉狛支部で食べるご飯も美味しいけれども、迅にとっては婚約者の作る食事が一番だった。

 

 何が食べたいか少しだけ悩んで「おかえり。肉じゃがかな。早く上がれるなら一緒に買い物行こう」と返す。

 

 すぐに了承されて迅の気分は上がった。

 

 このメールで未来が分岐した。

 

 近界(ネイバーフッド)遠征チームと戦うことは確定した未来だった。そこで婚約者と相対することも覚悟していただけに、今回の分岐は迅にとって精神的負担が軽減されたも同然。

 

 あとは久し振りに愛しい女を抱きしめて、絶品の肉じゃがを食べて夜の戦闘に備えるだけだ。

 

 鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気で、八神と会う時間を待ちわびた。

 

 

 

「ただいま!」

 

「おかえり」

 

 

 本部の玄関まで迎えにきた迅に八神は喜色満面の笑顔で近づいた。迅も同じ笑顔で両腕を広げて出迎えるが、周囲を確認して人がいることを示した八神が首を横に振って拒否。

 

 それでも、残念そうに腕を下ろした迅の隣に来た八神がはにかんで手を繋いだ。

 

 

「家に帰ってからいっぱい抱きしめてね」

 

「もちろん」

 

 

 心の中で「可愛すぎか!」と身悶えていることなど微塵も出さず、迅は手を恋人繋ぎにさり気なく変更して歩き出す。

 

 遠征任務については話さないものの、興味深い戦闘を見聞きしたことや冬島の船酔い事件で苦労したこと、休みを数日もらったことなどを八神は話題に上げ、迅もイレギュラーゲート解決や小南の騙されエピソードや新人についてなどスーパーへの道中軽く触れた。

 

 八神は実力派の玉狛支部に新人が所属することを驚いていたが、迅の顔を見て微笑む。

 

 

「ん? なに?」

 

「いーや。悠一が嬉しそうだなぁと思って」

 

「そりゃ嬉しいさ。可愛い後輩が増えるし、これから玲のご飯が食べれるし?」

 

「はいはい。そっか、新人かぁ……また賑やかになりそうだねー」

 

「ハニーが冷たい!」

 

「冬だからね」

 

 

 からからと笑う八神。

 

 学生の頃から変わらない彼女との会話に迅の顔にまた笑顔が浮かぶ。こうして何気ない会話を出来ることだけで愛しい。

 

 スーパーに着くと迅が買い物カゴを持ち、主婦でごちゃ混ぜになってる商品棚に入っていく八神の後ろを着いて行く。

 

 それほど時間を掛けず目当ての商品を手にした彼女が戻ってきて、カゴが重さを増す。

 

 

「うーん、お醤油はあったよね。あ、砂糖が残り少なかったかな。味噌はお婆ちゃんに貰ったのがあったはずだし……」

 

 家にあった調味料群を指折り数える。

 

 迅がほとんど料理をしないからこそ、遠征任務前と変わっていないことをお見通しなのだ。迅も最近踏み入れてなかったキッチン周りのことを思い出して、買う物を思いつく。

 

 

「そういえばキッチンペーパーとラップがなかったような……」

 

「ああ! 良かった。ありがとう悠一、忘れるところだった」

 

「どういたしまして」

 

 

 必要な物を買い終えた2人はスーパーを出て家路に着く。途中、近所に住む子供たちが久し振りに見る八神に沸き立つけれど、保護者がなんとか宥めて帰って行った。

 

 元気過ぎる幼児たちにとって八神はたまに遊んでくれる友達のお姉さんポジションだ。当の本人は子供を苦手と思っているが、端から見ればそんなことはなかった。

 

 子供たちに手を振る為に離れた手を迅は再び握る。離れたのは分にも満たない間だったのに、冷え性の彼女の手は冷たくなっていた。

 

 八神も改めて迅の手の温かさに驚き「生きたカイロだね」と感心する。

 

 

「お前が冷たいだけだよ。あ、ベッドの中では温かいけどね」

 

「わーこの男は羞恥心をどこに棄てたんだろ」

 

「俺の分まで恥ずかしがる玲ちゃんが好きだよ☆」

 

「やめろ」

 

 

 

 



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ぼんち揚げ大作戦


リハビリ感覚で戦闘描写を入れていますが、原作ダイジェストですね。
戦闘はアニメか原作を御覧になるとカッコイイのが伝わります。

前半は迅を軸とした三人称
後半は八神の一人称


 

 

 

 夕飯を食べて食器を2人で片付けると、迅は「ちょっと行ってくるね」と家を出て行った。

 

 既に外は暗くて普通ならもう外に出る人間はいない。けれど、迅には何か視えたのだろうと結論して八神は何も訊かずに送り出した。

 

 

「さてさて、悠一が帰ってくる前に寝室の掃除でも終わらせないとね」

 

 

 寝に帰ってきていただけの状態をお見通しの八神は、意気揚々と掃除道具を持ったのだった。

 

 

 

 

 一方、迅は予知していた道路上にて遠征部隊と相対していた。

 

 

「てっきり家でゆっくりしてると思ったんだがな。八神も帰したし」

 

「さっきまでゆっくりしてたよ。玲の肉じゃがはやっぱり美味しいね」

 

「このリア充め! ……で、こんな所で待ち構えてたってことは、俺たちの目的もわかってるわけだな」

 

 

 部隊の指揮を任された太刀川が迅に分かりきった問いを投げる。それに迅も変わらない調子で答えを返した。

 

 迅は近界民(ネイバー)で玉狛の新人になった空閑遊真を守る。

 

 対する遠征部隊は空閑の(ブラック)トリガーを奪い、出来るなら処分したい。敵対の主張は互いに十分だ。

 

 迅は黒トリガーを所持するS級隊員だが、遠征部隊は『黒トリガーに対抗できる』と判断された合同部隊だ。更に三輪隊も加わっている。

 

 如何に個人対複数の戦闘に慣れている迅と言えども、簡単に勝てる相手ではないのは明白。

 

 だが、迅は余裕を崩さない。

 

 冷静に迅を観察する風間は眉間に皺を寄せた。ある可能性が浮かんだからだ。

 

 

「もしや、八神を待機させているのか?」

 

 

 八神が迅に味方していた場合、人数差はあまり意味がない。巧妙な罠たちがどこで牙を向いてくるのか、警戒心は一気に跳ね上がる。

 

 罠を駆使してソロA級隊員になった八神の実力は、かつて同じ部隊だった風間でさえ舌を巻く程なのだ。

 

 

「え? いやいや玲は巻き込んでないよ。今頃部屋に散らかしてきたぼんち揚げの袋にビックリしてると思う」

 

 

 心外です、と言わんばかりに手を振る迅に、同じ隊を組む当真は八神に同情した。他の隊員も冷たい視線を迅へ送る。

 

 

「何やってんだアンタ」

 

「リア充発言やめろ」

 

 

 色々と言いたいことが風間にもあったが、会話の主導権を握られては堪らないと会話を続ける。

 

 

「……ならばその余裕は」

 

 

 なんだ、と言いかけて風間は答えを知る。

 

 

「嵐山隊、現着した。忍田本部長の命により玉狛支部に加勢する!」

 

 

 テレビのヒーローショーさながらに登場した嵐山隊。人数差は変わらず合同部隊が有利だが、S級隊員の迅にチームバランスの高いA級嵐山隊が加勢するとなれば撃破は難しい。

 

 だが合同部隊も簡単に引き下がるわけにはいかない。そして、部隊を預かる太刀川が弧月を抜いたことで戦闘は始まった。

 

 スナイパーたちが距離を取る為に走り出すと同時に、機動力を誇る風間隊が先攻する。

 

 スコーピオンと風刃の攻防が一瞬、そして風間隊の陰にいた太刀川の弧月が迅を襲う。読んでいた迅が風刃で受けて下がり、太刀川の旋空弧月さえも避ける。嵐山隊も上手く牽制と回避に成功し、初手の攻防では誰も負傷をしていない。

 

 一旦距離を置いた迅と嵐山隊は分かれ、迅が厄介な太刀川と風間隊とスナイパーを請け負った。狙撃が迅を襲うも経験と予知でなんなく回避。

 

 近接戦闘を誇る太刀川と風間隊を相手に引けを取らない迅の実力は疑いようもない。

 

 だからこそ誰一人欠けていないこと、風刃の本領を発揮しないことが風間に違和感を与える。

 

 そして、迅の目的に風間は気づいた。

 

 

「こいつの狙いは俺たちをトリオン切れで撤退させることだ」

 

「あらら……」

 

 

 バレてしまったことにというより、望んでいなかった未来分岐の発言に迅は唸る。途中まで上手く運んでいただけに残念な分岐だ。

 

 

「やれやれ……やっぱこうなるか」

 

 

 風刃の刀身が揺らめき、分裂。

 

 察知して防ぐよりも速く、刃が飛んだ。

 

 

「え……」

 

 

 風間隊の菊地原の首が飛び、戦闘体が活動限界を迎えて緊急脱出(ベイルアウト)

 

 威圧するように光の帯が刃を取り巻き、不敵に構えた迅が太刀川たちを見据えた。

 

 

「申し訳ないが、太刀川さんたちにはきっちり負けて帰ってもらう」

 

 

 迅には既に未来が視えている。

 

 この戦闘の先さえ迅の未来視は示している。己の欲する未来がどれほど遠いか、残酷に、誠実に、教えてくれる。

 

 それでも、迅に諦める選択肢はない。引き返す分岐点など疾うに過ぎた。

 

 

「俺の勝ちだよ」

 

 

 未来に、宣戦布告。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 共同寝室に入って驚いた。部屋の壁一面にぼんち揚げのダンボールが積まれ、床には丁寧にぼんち揚げの大袋が敷き詰められていたのだから。

 

 

「……嫌がらせ? でも、悠一の好物だし何かメッセージでもある、とか……?」

 

 

 並び方やパッケージをジッと見てみたがわからない。ヒントを探そうにもこれ以上踏み入れると並びがズレてしまうだろう。

 

 

「………………わからん」

 

 

 不明である。何の意図があるのかサッパリだ。

 

 共同寝室にぼんち揚げダンボールを持ち込むなんていつもならしない。さらに丁寧に敷き詰めるとかもっとやらない。

 

 悩みに悩んだ結果、部屋を写メって保存して床の大袋たちを片付けることにした。このままだと寝れないし。

 

 それにしても悠一はこんなにぼんち揚げを買い溜めしていたのか、と思った所で恐ろしいことを考えてしまった。

 

 もしかして、アイツご飯食べないで煎餅しか食べていないんじゃ…!? と。

 

 私がいなかった間の食生活が不安になった。一応、悠一は料理が出来るのだが同棲を始めて料理をしている姿を片手の数しか見たことがない。最低限の食事は玉狛支部でお世話になっていたと思いたい。

 

 

「ゴミ箱は空っぽだね……ゴミ出しの日は、一昨日。証拠隠滅された?」

 

 

 寝室に並べられた意図も不明だし、食生活も不安だし、アイツ大丈夫かな。ぼんち揚げ病とか新種の病気になってたりしないよね?

 

 袋を腕いっぱいに抱えて耳の近くでガサガサと、袋と中の煎餅が摩擦する音を聞いていた。

 

 そのせいで、私は掃除が終わって風呂から上がるまで、本部から連絡が来ていることに気づかなかったのだった。

 

 

 

 



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光を望む

少しずつ文字数を増やしていこうと思います。
喋らせたい登場人物が増えていくので、会話文が多くなります。


迅を軸とした三人称
八神の一人称
玉狛支部を軸とした三人称


 

 

 「八神と連絡がつかなかったんだが大丈夫か?」

 

「俺の仕掛けたトラップにハマって連絡に気づかなかっただけですよ」

 

 

 風刃を本部に渡して、忍田の心配に答えた迅に全員が白けた視線を送る。お前は婚約者に何をしてるんだ。

 

 迅は意に関することなく「じゃ、失礼します」と会議室を出て行った。

 

 途中、本部の廊下で太刀川と風間に会い、納得していない2人に説明をしてから玉狛支部へ向かった。

 

 宇佐美と新人の三雲修と空閑遊真に出迎えられる。

 

 

「鍛えろよ若者。あっという間に本番がくるぞ。じゃ、俺は帰るよ」

 

「あ、お疲れ様です……って、迅さんここに住んでるんじゃ?」

 

「おつかれサマです。たしかに、どこに帰るんだ?」

 

 

 手を振る迅に三雲と空閑は首を傾げた。だが、次の宇佐美の言葉に驚愕する。

 

 

「おやおや~玲さん帰ってきたんだ。2人共、迅さんは彼女さんと同棲中なんだよ」

 

「え」

 

「え!?」

 

「そういうこと。今日遠征から帰ってきたんだ。指輪は伊達じゃないぞ。おやすみ~」

 

 

 左手薬指の婚約指輪を見せつけて、迅はさっさと玉狛支部を後にした。

 

 婚約者が支部の近くを、と考えてくれたおかげで玉狛支部からそう離れていない自宅が見えてくる。明かりが漏れる自宅に安堵の息を吐いて家の扉を開けた。

 

 

「ただいま~」

 

「! お、おかえり」

 

 

 玄関からリビングに入れば携帯を握って焦った顔の八神が迎える。次のセリフを予知した迅は、内心噴き出すのを我慢するのが大変だった。

 

 

「どうしよう……本部よりぼんち揚げを優先しちゃった」

 

「っく」

 

「わ、笑うな! 電話に出れなかった理由に『ぼんち揚げを片付けるのに夢中で気づきませんでした』って言っても信じてもらえるか、信じられても残念な視線をもらう未来しかないじゃん!」

 

 

 真面目に頭を抱える八神に迅は我慢出来ずに笑った。ムッとする八神が携帯を置いて近づいてくるのを笑いながら逃げる。

 

 ご機嫌で笑い声を我慢しない迅を捕らえようと追いかけていた八神だが、廊下に出た所でハッと気づいて足を止めた。

 

 

「残念」

 

 

 ニコニコ笑顔のまま肩を竦めた迅に、八神はこれまた残念なイケメンを見る目でリビングへと一歩下がる。

 

 

「……私はもうお風呂入ったからね」

 

「うん。一緒にどうかな~って」

 

「変な策練ってないで入って来なさい」

 

「いえっさー。あ、本部にはもう連絡しなくて良いよ。俺が伝えてきたから」

 

「へ?」

 

 

 ポカンとする八神の頬に一歩で近づいてキスをした迅は、サッと風呂場のドアを閉めた。少しして思考を取り戻した八神はうなだれる。己が迅の策略にハマって右往左往していたことを知ったからだ。

 

 熱いシャワーを頭から浴びながら迅は深く、深く、息を吐き出した。

 

 

「……大丈夫……」

 

 

 目を瞑って新人たちを通して視た未来を思い出す。希望の光は健在だ。

 

 

「大丈夫」

 

 

 以前まで絶望しかなかった未来は確かに変わっている。ボーダーにも自分にも、三雲たちは新しい流れを運んでくれたのだ。先輩として助けたいことも本当だが、迅にとっては微かでも希望をくれた恩人だった。

 

 風刃を手放した喪失感はあれど、これから起こる未来の為に必要なことだと確信しているから。

 

 風呂から出た迅がリビングへ行くと「はい」とタイミング良くホットミルクが出された。ソファーに座って一口飲んだ迅は、自然と心が緩むのを実感する。

 

 しかし、その隣に座った八神がジッと見つめてくるのでさすがに気になる。何かな、と口を開こうとした迅の右頬を八神が摘まんだ。

 

 

「ん?」

 

「策にハメた罰。あと、帰ったらいっぱい抱きしめてって約束破った罰」

 

 

 本部の玄関で交わした約束を思い出して迅は頬を緩めたが、片方が摘ままれたままで上手く出来なかった。

 

 マグカップをテーブルに置き、八神に向かって腕を広げるが、一向に入ってこない。けれど、八神は不満げで迅も困る。

 

 

「それと」

 

「まだある!?」

 

「……情緒不安定のくせに甘えてこない罰」

 

「!」

 

 

 衝動のままに迅は八神を抱き寄せる。

 抵抗せず迅の膝に乗せられ、頬を摘まんでいた手はぎゅうぎゅうと抱きしめてくる迅の背中に回された。

 

 

「──……風刃を手放したんだ」

 

 

 しばらくしてぽつんと零された言葉に、八神は反応することなく迅に身を預けたまま。

 それだけで、温かさで、匂いで、迅の心は弛んでいく。

 

 

「未来は、いい方向に動き出してる。俺は最上さんを渡したことを間違いだと思わない。けど……やっぱ、寂しいな」

 

「素直に甘えてくれば良かったのに」

 

「俺だって好きな女には見栄はりたいの」

 

「すぐバレるのに?」

 

「……なんでわかるの?」

 

「内緒」

 

 

 クスリと笑った女に男は負けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、私は壁一面のぼんち揚げダンボールをベッドの上から睨んでいた。久々だったからか見事にベッドの上から動けないのが情けない。腰痛つらい。

 

 迅はキッチンで朝食の準備をしている。遠征明けで数日の休みをもらった私だが、こんなことで休みを潰す予定はなかったのに。

 

 

「玲~大丈夫?」

 

「……大丈夫」

 

「じゃないね。腰揉んでやろうか?」

 

「遠慮します」

 

 

 妙にリアルな手の動きだ。その動きは腰より尻を揉む動きだと思うんだがどうなんだ。

 

 目覚めた時よりだいぶマシになった痛みを引きずってリビングへ向かう。テーブルにはトーストとスクランブルエッグと、昨夜に下拵えしてたポテトサラダ。

 席に座るとコーヒーまで出てきて、なんだか溜め息が出た。

 

 

「どうした?」

 

「いや、なんでこんなイケメンと同棲してんだろうと思って」

 

「……特に格好つけてない時に褒められて複雑なんだけど」

 

 

 微妙な顔でコーヒーを飲む悠一をしり目に、私もコーヒーをいただく。冬場の温かい飲み物は格別に美味しい。コーヒーで食欲が刺激されて食事を始めた。

 

 

「おいしい」

 

「そう? 俺は玲の方が好き」

 

 

 意味を深く考えてはいけない。私も悠一が美味しそうに食べてくれる姿が好きだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「迅さんの彼女さんはね~君たちが目指す遠征部隊に何回も抜擢されてるベテランなのだ」

 

 

 玉狛支部で夕飯を食べている中、宇佐美は得意気に胸を張る。その態度にも言葉にも興味を惹かれて新人3人は質問を重ねた。

 

 

「玉狛支部所属なんですか?」

 

「ううん。玲さん、あ、フルネームは八神玲さんだよ。玲さんは本部所属でA級2位のチーム」

 

「ほう、2位」

 

「ポジションは千佳ちゃんと同じスナイパーなんだけど、ソロでA級まで登った実力者なんだ」

 

「スナイパーで……すごい」

 

「純粋なスナイパーとは言い難いがな」

 

 

 三者三様の反応に宇佐美はフフフと笑い、ちょうど夕飯のオムライスを作り終えた木崎もその会話に加わる。

 

 

「狙撃だけを見れば天才ではない努力家だ。基礎がしっかりしてるからこその実力だな」

 

「ふぅーん。じゃあ他は? それも含めてA級の強さなんでしょ?」

 

「俺の婚約者は強いんじゃなくて、上手いんだよ」

 

「迅さん!? いつの間に!?」

 

 

 玉狛支部の1階に、昨夜と同じく顔を出した迅に空閑と木崎以外が驚いた。空閑は気配を察知しており、木崎は迅の登場に慣れているからだろう。

 

 迅は食器棚からカップを出してインスタントコーヒーを作り始める。木崎が食事の有無を聞けば、件の婚約者と食べてきたと返ってきた。

 

 

「上手いって?」

 

 

 空閑の問いに三雲と雨取も首を傾げる。空閑はともかく2人は戦闘なんてド素人なので当たり前の疑問だろう。

 

 それに迅は一つ頷いてコーヒーに口をつける。

 

 

「ちょっとした隙を作ったり不意を突くのが上手い。自分が納得するまで訓練するし、真面目だし、すっごく料理が美味くて可愛い」

 

「迅、最後はただの惚気だ」

 

 

 木崎の突っ込みに迅は親指を立てた。

 

 迅の八神への評価に三雲は思う所があるのか考え始める。

 

 

「自分が納得するまで……」

 

「当たり前のことだけど大事なことだよ。ま、玲に会いたいならクリスマスに支部へ来るといい。今年のクリスマスパーティーはこっちに参加するつもりだから」

 

「それ本当迅さん!? ならアレ用意しなきゃ!」

 

「おう、頼んだ」

 

 

 テンションが上がった宇佐美に迅はニヤリと笑い、コーヒーをぐいっと飲み干す。

 

 

「じゃ、任務行ってくる。そのまま直帰だから、またな若人たち」

 

 

 後ろ手を振って出て行く迅を何とはなしに見送った全員だったが、雨取の「なんか、迅さん嬉しそう」と零した言葉に宇佐美がニヨニヨと笑みを浮かべる。

 

 木崎は変わらないポーカーフェイスを保ったまま「まぁな」と同意した。

 

 

「迅さんは玲さんにベタ惚れだからね~!」

 

「迅さんが?」

 

「うん。2人で居るところ見たら空気が甘いのなんの」

 

「宇佐美、それ以上はこいつらが実物を見てからにしておけ」

 

「はーい。というわけでクリスマス暇だったらおいで~。戦い方もその時に訊けるからぜひぜひ」

 

 

 クリスマスをいまいち理解していない空閑が良く分からないながらも頷き、三雲と雨取も特に用事を入れていないのでその場で出席を伝えた。

 

 ますますテンションを上げた宇佐美がクリスマスに向けて気合いを入れた。

 

 

 



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スナイパー亜種と布石

迅の戦闘における『未来視』についての独自解釈が入ります。
ラッドやゲートなどの捏造設定が盛られています。


八神視点の一人称


 家の消耗品や必要品を買い足したり、シーツを干したり、ダンボールを片付けたり、悠一とデートしてたりと休みを過ごしていた。

 

 まだ休み期間だが狙撃訓練をこれ以上休むのは不安なので、渋る悠一にキスをしてからボーダー本部へ向かった。

 

 トリオン体になって狙撃訓練をしていれば当真くんが近づいてきたので、一時中止する。

 

 

「何かあった?」

 

「いんや。てっきり迅さんとまだバカップルしてると思ってたから居るのが意外で」

 

「バカップル……そんなに目立つかな…? いや、これ以上訓練サボるとマズいと思って」

 

「真面目だねぇ」

 

 

 私は天才でも秀才でもないからね。上も下も才能ある人間ばかりで油断してたらすぐに私の居場所なんて無くなってしまう。というか、当真くんだって訓練に来てるんだからそっちも真面目じゃないかな。的に弾丸でお絵かきする様は不真面目だけど。

 

 隣で撃ち始めた当真くんに倣って、私も自分に課したノルマをこなしていく。

 

 

「そういえば、帰ってきた日に迅さんと戦闘したんだよ。太刀川隊、オレ、風間隊、三輪隊で。ちなみに迅さんの味方に嵐山隊が入ったから迅さんの相手は太刀川さんと風間隊と三輪隊のスナイパー」

 

 

 ああ、情緒不安定になった日か。

 

 

「遠征行く前に迅さんとは何度もやってたから勝てると思ったんだがよ、完敗だったねぇ。オレも木虎にやられるし」

 

「へぇ」

 

「玲さん居たら勝てた?」

 

「結果までの時間が延びるだけで、結局トリオン切れにされそう」

 

 あ、外した。やれやれもう1セット追加だな。

 

「玲さん居てもそれか~黒トリガーヤバいな」

 

「黒トリガー、と、サイドエフェクトの組み合わせが、強いからね」

 

 

 アイビスに銃種を換えて撃ち込みを始める。

 距離は300m。ヒット。動きは40度に予測。ヒット。バネの動きで的が跳ねると予測。ヒット。

 

 

「でも迅さんに何度か当ててるじゃん。あれどうやってんの?」

 

 ヒット。悠一への狙撃か。

 

「当真くんには無理なやり方だから参考にならないよ」

 

「え~」

 

「それは俺も気になります」

 

 

 当真くんとの会話に割り込んできたのは三輪隊スナイパーの奈良坂くん。同じチームの当真くん相手ならともかく、他隊の後輩と顔を見せずに話すのは失礼だろうとアイビスを降ろそうとしたが、その当の本人から「そのままでどうぞ」と許可が出た。

 

 それにせっかくなので甘えまして、口と耳と思考を割く。視線は的に、手は引き金へ。

 

 

「本当に参考にならないよ?」

 

「構いません」

 

「勿体ぶると余計気になるぜ」

 

「うーん、あれはね"絶対に当てないように撃ってる"んだよ」

 

 

 驚く2人が動きを止めたがそれに釣られず引き金を引く。ヒット。順調。

 

 私が悠一を狙撃する時、狙っているのは急所ではなく体のラインギリギリ外。

 

 悠一は攻防の中で可能性の高い未来を取捨選択して戦闘をしている。精密射撃や近接戦闘なんて危険度が高すぎる可能性だ。一瞬の攻防故に悠一は可能性の低いまたは危険度の低い未来は切り捨てる。だから"絶対に当てないようにスレスレを狙う"狙撃など余裕のある時しか考慮しないのだ。

 

 しかし、切り捨てられた私の弾は悠一の選択肢から外れるが消えるわけではない。当真くんや奈良坂くんの精密射撃や実力の高い接近戦など"避けなければならない"攻撃をされた時、避ける動作を起こし意識から捨てられた私の弾に当たってしまうのだ。

 

 もちろんこれは当たらないことを前提にしているから成功するのは極稀だし、誰かと合わせる必要がある。外す弾を撃たない当真くんには出来ないやり方だ。

 

 当真くんも理解出来たようで「そりゃムリ」と諦めていた。

 

 そもそも悠一には精密射撃ほど避けやすい弾はないのだ。ピンポイントに急所を狙撃するのだから早い段階で未来確定が起こるし、わざと隙を見せて撃たせ引き金を引くタイミングをコントロールすることもやろうと思えば出来るだろう。

 そう考えると悠一の天敵は不確定な未来を乱立する素人丸出しの狙撃だね。

 

 さて、アイビスも終わったし今日はここまでかな。

 

 

「……時々八神先輩はサイドエフェクト持ちじゃないのかと思います」

 

 

 口を動かしながら片付けを始めると、奈良坂くんがそんなことを言う。会話の流れからおかしくないか。

 

 

「え? なんで?」

 

「そりゃ2個も3個も違うこと同時進行で出来るし」

 

 

 当真くんまで参戦してきた。

 

 

「並列思考とかのサイドエフェクトですか?」

 

「いや持ってないよ。ほら男性より女性の方が並列思考能力が高いって言うよ?」

 

「勉強も仕事も真面目だし、ワーカーホリックのサイドエフェクトなんてどうだ?」

 

「それはエンジニア全員が持ってそうだね」

 

 

 隈の濃いエンジニアたちを思い浮かべる。苦しみながら嬉々として新しいトリガーに飛び付く、まさに狂気のような魔窟が開発室だと思う。冬島隊長もたまに壊れるし。円城寺(えんじょうじ)さんが毒されていないといいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 遠征に行っていた間の出来事を纏めた書類を見せてもらった。正社員としては下っ端だけど、本部設立から居る立派な防衛隊員だからかそれなりに優遇してもらっている。

 

 先日、玉狛支部に所属した近界民(ネイバー)については確かに気になるけれど私はそれ以前の出来事の方が重大だと考えた。

 

 一つ目はイレギュラーゲートを開く小型トリオン兵ラッド。

 

 二つ目は訓練用トリガーで交戦。

 

 三つ目は新種の爆撃型トリオン兵。

 

 四つ目は爆撃型トリオン兵によって破壊された街や建物の地形変化。私にとって地形変化はかなり怖い。普段戦闘を行わない市街地だが、戦闘が確実に起こらないなんて有り得ない。罠の設置可能点と狙撃ポイントと射線の有無を早めに把握しなくては。

 

 一つ目は既に終わったこととされているが、事は繋がっている。もともとラッドは偵察機だと記してあるのだ。

 

 

「すみません八神です。ラッドの件で質問したいのですが」

 

「はいはい」

 

 

 開発室を訪ねて適当に声を掛けるとヨレヨレ作業着の相知(オウチ)さん、通称おっちゃんが対応してくれた。

 

 平均的なトリオン量の人間からラッドが集めるトリオン量は1時間でどのくらいなのか尋ね、イレギュラーゲートが最初に開いたとされる日から逆算して潜伏期間を想定する。思いの他長期間偵察を許していたようだ。

 

 

「では、爆撃型トリオン兵の映像は観れますか?」

 

「はいよ。こっちだ」

 

 

 案内されたモニターの前に座って、本部基地から市街地上空を撮影した映像を確認する。出現から爆発までをしっかり収めた映像を何度かズームして観る。

 

 

「───爆発の威力と規模はこれが最小だと考えますか?」

 

 

 私の疑問におっちゃんは後頭部をガシガシと乱暴に掻く。おっちゃんが思考を働かせる時の癖なんだけど、後頭部が絶対に将来禿げるから止めた方がいい。

 

 

「そーだな~、コイツを解体出来たわけじゃねーから正確なのはわからん。んでも、トリオン兵の内部を簡単に弄れる技術を持った国なら数日で威力も規模も変えてくるんじゃね? そこんとこどうよ?」

 

「……私が見聞きした限りでこれ以上の爆発を起こすトリオン兵は見たことがないですね。でも内包したトリオン量で変動する」

 

「可能性は高いわな」

 

 

 三門市で一番目立つボーダー本部を狙われた場合、半壊くらいかな。あれだけ高密度のトリオン爆発は本部基地にも損害を与えられるだろう。

 

 

「メテオラ何発分だろ……」

 

「個人のトリオンで再現出来るわけねーだろ!」

 

「そうか。集団規模のトリオンの収集……ラッドの長期潜伏はイレギュラーゲートで撹乱や戦力の偵察もあったけど爆撃型トリオン兵の充填もしていたのかも……そもそも帰りの艇のトリオン燃料も集めていただろうし」

 

「おい、その話詳しく」

 

「え?」

 

 

 ガシッと肩を掴まれて思考が途切れる。どうやらブツブツ思考を呟いていたらしい。変人じゃないか。

 

 しかし変人のレッテルを貼られる前に肩を掴んだおっちゃんだけでなく、部屋に居たエンジニアたちのほとんどが私の方を凝視している。助けて影浦くん。

 

 

「帰りの艇って?」

 

「え? え? はい」

 

 戸惑ったけど、なんとか思考能力を取り戻して口を開く。

 

 

「えっとですね、あくまで私が資料を読んで立てた仮説なんですが近い内にどこかの強い国がこちらに来るんだと思います」

 

「そりゃ何で」

 

「新種のトリオン兵なんて、今までもあったろ?」

 

 

 エンジニアたちは頭が良いけど戦略なんて勉強してないから想像しないのかもしれない。でも戦争関連でなくとも商業戦略はテレビとかで観ないかな? あ、テレビ見るより研究したいんですね納得です。

 

 

「前とは違い、今回は計画的なんです」

 

 

 今までは突発的なゲート発生だった。それは惰性的にこちらが"弱い"と思われていたからこその行いだ。たいした戦力もないし偵察するまでもないと舐められていた証。

 

 けれど今回の出来事は慎重にこちらの戦力を探る計画性がある。そのやり方は弱い国か強い国のどちらか。強い国と考えたのはラッドと爆撃型の技術力と運用方法。戦争を"し慣れている"からだ。

 

 

「ラッドのイレギュラーゲートは誘導できない。誘導装置より内側にいるから。さっきの解体資料では『ゲートを開く』機能しかなかったので単純にトリオン兵をこちらに送ると誘導装置に掛かるはず。でも掛からない。トリオン兵を送り出す拠点、想定では遠征艇もこちらに侵入していると思いました。

 ラッドが開くイレギュラーゲートは近界(ネイバーフッド)とこちらを繋ぐのではなく、拠点とこちらを繋ぐのではないかと」

 

 

 玄界(ミデン)と呼ばれるこの世界と近界(ネイバーフッド)の間には、宇宙のような大気圏とか重力圏的なこちら側に属する空間の狭間がある。星を星たらしめる為の膜みたいな。

 

 ゲートをボーダー側が誘導できるのは爆発的なエネルギーが外側からぶつけられるからだ。本部基地から蟻地獄のような形で膜をほんのちょっとだけ歪めている為、その外側からぶつけられたエネルギーは蟻地獄の中心にある基地周辺へ誘導できている。

 

 この原理からラッドは膜の内側でエネルギーを発生させているのでイレギュラーゲートの誘導はできない。しかし、内側からゲートを発生させると言っても小さなラッドが内包するトリオンエネルギーでは玄界(ミデン)を越え、狭間を越え、近界(ネイバーフッド)の暗闇を越え、また狭間を越えての本国まで繋ぐなんて出来るだろうか。そんなことがラッドに可能なら私たちが近界(ネイバーフッド)へ遠征する時の準備が馬鹿馬鹿しく思えてくる。

 

 だからこそ、ラッドはせいぜい玄界(ミデン)側の狭間に隠れている拠点と繋ぐくらいのエネルギーしかないと思ったのだ。

 

 そう考えるとゲート発生までに満たないラッドが集めた余剰トリオンとかは、トリオン兵の卵を孵化させたり艇の燃料に変えたりとか使い道色々あって相手も良く考えてるよね。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 

 無言が続く。

 

 こういう方面でエンジニアたちから同意を得られたなら自信が持てるけど、この無言の意味は何ですか。呆れて物言えないくらいの酷い仮説でしたか。それならそうと言ってほしいが、エンジニアたちの表情はかなり深刻だ。

 

 

「あの、あくまで私を立てた仮説ですからそんなに」

 

 無言にならなくても、と言いかけたところでピッと電子音がおっちゃんの手から聞こえた。見れば黒い、ボイスレコーダー。

 

 

「おい、録音したのすぐに室長に送るぞ」

 

「はーい」

 

「これから忙しくなるな」

 

「おれラッドの解体資料もっかい見るわ」

 

「基地の強度調査も」

 

 

 静まり返っていたのが嘘のように慌ただしく動き始めたエンジニアたちに唖然とするしかない。何か、私のこねくり回した仮説で大事になってないか。

 

 おっちゃんに抗議しようと見ればめっちゃ真剣に録音した私の音声を再生している。止めて! そんな厨二病の羞恥刑止めて!

 

 

「よし、音声は良好だしオレらの雑音もないから室長も文句ねーだろ」

 

「いえ、私が文句あります!」

 

「これは必要処置だ。八神の仮説が間違ってたって対策立てといて損はないだろ」

 

 

 それはそうなんですけど、出来れば音声ではなく文書にしたい。しかしそう言っても「二度手間だから」と取り合ってもらえなかった。あの厨二病じみた音声を鬼怒田さん、もしかすると上層部の人らに聞かれるとか恥ずか死してしまう!

 

 どうにか破壊出来ないか目論むも、用が終わったなら邪魔だと追い出された。終わった。

 

 仕方ないので訓練場に行くとしよう。

 

 

 




玄界 │ 狭間 │ 黒い空 │ 狭間 │ 国

という感じです。
これからどんどん捏造過多となります。


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どこを見るのか

もしかしたら、一部の方は反応に困る話かもしれません。
恋愛成分過多でもある拙作をここまで読まれている猛者の方々なら大丈夫だとは思いますが、苦手な方は苦手だと思われます。

※ええ、この話を明け透けに纏めると
『セックスアピールポイントは男だろうが女だろうが注目する』
ということです。


前半は八神視点の一人称
※後半は主に男性陣を軸とした三人称


 「何の用ですか」

 

 

 挨拶も何もなしに、木虎ちゃんから冷たい視線を開口一番にもらってしまった。木虎ちゃんに嫌われているのはわかっているがここで別れるのも印象が悪い。誠意を持って話せば会話は成立するはずだ。

 

 

「こんにちは木虎ちゃん。訓練用トリガーでトリオン兵と交戦したという話を聞きたくて」

 

「それはもう終わったことです。報告書は見てないんですか?」

 

「見たけど懸念事項が浮かんだので確認したいんだ」

 

「私は暇じゃないのでさっさと話して下さい」

 

 

 冷たい視線ながらも、なんとか許可を貰えて安心する。

 

 交戦した訓練用トリガーはレイガスト。武器の種類も気になるところであるが重要なのはそこではない。交戦した後、三雲くんの様子はどうだったのか。

 

 

「っなんで私が三雲くんの様子なんか!」

 

「様子というか、怪我の有無を聞きたい」

 

「それならはっきり怪我って言って下さいよ!」

 

「ごめん」

 

 

 めっちゃ睨まれたので素直に謝ると、木虎ちゃんは少しの間考え込む。凛々しい美少女が考え込む姿って絵になる。男性ファンも多いけど、女性ファンが多いのも納得だ。

 

 

「……頬を怪我してたと思います」

 

 怪我、か。なるほど。

 

「うん。ありがとう。あとは本人に訊くよ。忙しいところをごめんね」

 

「ちょっ、そんなあっさり……なんでもないです。思ったより早く終わって見直しました」

 

「あ、うん」

 

 

 ぷいと顔を逸らす木虎ちゃんに、私は嫌われているのではなく、ツンデレを見せられているんじゃないかと希望を持った。うん、木虎ちゃんは小悪魔だ。

 

 

 木虎ちゃんと別れて、本部の外へ向かった。目的地は閉鎖された市街地。

 

 立ち入り禁止とされていたが、許可証はちゃんと出してもらった。トリオン体になってボロボロの建物内を彷徨(うろつ)く。

 

 瓦礫に埋まったままの部屋。

 ぽっかりと、穴の空いた天井から射す夕日。

 薄汚れて綿が飛び出たぬいぐるみ。

 脱ぎ捨てられた片方だけのサンダル。

 

 

「……こわいな」

 

 

 幽霊とかホラー系の"こわい"ではない。日常が一気に逆転した恐怖。

 

 大侵攻で受けた傷は大きい。人が死ぬ、建物が壊れる。この二つが怖いのは当たり前だ。

 

 でも一番大きい傷は心の傷だろう。大侵攻を目の当たりにした三門市民は飛行機にもビクつく。空を飛ぶ物体をトリオン兵ではないかと不安に思うのだ。

 

 カツリ、と足音が背後から聞こえて慌てて振り返った。

 

 

「や。元気?」

 

「──悠一、なんでここに」

 

 

 悪気なく片手を挙げて話し掛けてくる悠一に脱力した。なんだって気配を殺して近づいてくるんだ。

 

 

「ここで黄昏てるのを視たからね」

 

 

 黄昏ていたわけではない。ちょっとセンチメンタルになってただけだ。

 

 脱力した私の頭をポンポンと叩く。だから黄昏てたわけじゃないって。

 

 

「こわいなら俺が守るよ」

 

 

 悠一の言葉に顔を上げる。優しい表情のくせに、悲しさとか諦めとか色んな感情を宿した目だった。

 

 カチンときた。

 

 

「迅悠一」

 

「なんでフルネーム、ぉ?」

 

 腕を引くが体幹がしっかりしてて動かなかったので、仕方なく抱きつく。不意打ちだったのか固まる悠一にちょっとスッキリ。

 

 

「こわがってるのはそっちだろ」

 

「……あー」

 

 

 なんか納得したらしい、頭を掻く悠一。で、こっちを見てくるので体を離して、左手同士を繋いで顔の前まで持っていく。

 お互いにトリオン体だから婚約指輪は見えないけど、察してくれるでしょ。

 

 

「いいか迅悠一。夫婦はお互いに支えて助けていくもの。つまり、1人が一方的に頑張るんじゃなくて、2人で一緒に向き合うことが必要だ。二人三脚だ。そっちが私を守る気なら、私にだって守らせなさい」

 

「……かっこいいねハニー。顔赤いけど」

 

「茶化さないでよ。ちょっと恥ずかしい」

 

 

 手を解いて顔を背ける。遅れてくる顔の熱をどうにかしないと。

 

 話している途中で「なんで廃墟でこんな会話してんだろ」って冷静になってきて恥ずかしくなった。全部悠一が、いや、ここにやってきたのは私だから、半分だけ悠一が悪い!

 

 

「八神玲」

 

 

 フルネームで呼ばれて顔を向けると唇を塞がれた。お互いにトリオン体のくせに、ほとんど肉体が再現されていてなんだか複雑である。舌の感触って。

 

 唇が離れると、頬擦りするように密着。

 

 

「俺を選んでくれてありがとう。愛してる」

 

 

 深くて甘い声が囁かれた。

 

 

「!?」

 

「わっ」

 

 

 トリオン体のくせに、腰が砕けた。

 

 

 

 

  *

 

 

 

 クリスマスになるとどこの店もイルミネーションが輝き、ケーキとチキンが飛ぶように売れる。

 

 私もそれに乗っかって鶏肉を購入。自宅で唐揚げを大量生産してから玉狛支部へ向かった。

 クリスマスケーキは木崎さんが作ってくれるらしいので、とても楽しみだ。

 

 久しぶりに玉狛支部へ向かうと雷神丸に乗った陽太郎くんに迎えられた。

 

 

「れいちゃん、メリーくりすます」

 

「メリークリスマス陽太郎くん、雷神丸」

 

 

 唐揚げの匂いを嗅ぎ付けた陽太郎くんがヨダレを垂らすので、もうちょっと待つように言った。みんなで食べた方が美味しいよ。

 

 

「あ、玲さん!」

 

「メリークリスマス桐絵ちゃん。久しぶり」

 

 

 2階から降りてきた桐絵ちゃんから笑顔を貰った。悠一のことを訊かれたので、任務だからもう少し後に来るはずだと伝える。なぜか桐絵ちゃんが悪どい笑顔を浮かべて……嫌な予感がした。デジャヴ。

 

 唐揚げをキッチンに運んで調理中の木崎さんと烏丸くんへ挨拶。確か烏丸くんは途中で帰ると言っていたはず。余計なお世話かもしれないが唐揚げをパックに分けてきた。

 

 

「烏丸くんこの小分けの分、良かったら持って帰ってくれる?」

 

「いいんすか? ありがとうございます。喜びます」

 

 

 鉄壁のポーカーフェイスまでも師匠の木崎さんから引き継いだ烏丸くんだが、食べ物を与えた時はキラリと目を輝かせるのが面白い。最近すごく頑張っているご褒美も兼ねてだ。

 

 餌付けしてる感が否めないけどね。桐絵ちゃんもよくデザートで釣れるし、陽太郎くんなんてお菓子をくれる人間は善人だと信じて疑わない。変な人に攫われないか心配だ。

 

 でもいざとなったら木崎さんの鉄拳が輝くはず。危険な未来が視えたら悠一が離すだろうし、桐絵ちゃんの純粋すぎる心はこれからも守られるだろう。

 

 

「どうぞどうぞ。木崎さん何か手伝うことありますか?」

 

 

 1人納得して木崎さんへ振り向くと、軽く首を横に振られた。

 

 

「あとは盛るだけだ。朝から籠もってる宇佐美の様子を見てきてくれ」

 

「朝から? はい、わかりました」

 

 

 風邪でも引いたのかとも思ったが、木崎さんの言い方では違うだろう。また何か新しい開発でもしているだろうか。

 

 2階へ上がって栞ちゃんの部屋をノックする。すると中から桐絵ちゃんの声が返ってきて、咄嗟に扉から離れたのだが。

 

 

「捕獲」

 

「!?」

 

 

 離れた先で背後から姿の見えない人物、声からして悠一に確保された。

 扉から出てきた桐絵ちゃんの姿に、顔が引きつる。

 

 

「よくやったわ迅」

 

「うん、よろしく」

 

「まさか」

 

 

 任務だから後で行くって嘘か。それともそのカメレオンが任務なのか。

 

 色々と言いたいことはあったけど、嬉々とした桐絵ちゃんによって私は栞ちゃんの部屋へ連行されるのだった。未来視がなくても桐絵ちゃんの恰好から私の未来がわかったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇佐美の部屋へ八神を送り出した迅は、カメレオンを解除して上機嫌で1階へ降りた。こうでもしないと全力で逃げる八神もどうかと思うが、それはそれで好いと考える迅も相当だ。

 

 

「八神もかわいそうに」

 

 

 降りてきた迅を見て木崎は呟く。本気で言ってるわけではないが、嫌がる八神が目に浮かぶので同情した。

 

 

「レイジさんもノってましたけど」

 

「まあな」

 

 

 烏丸の指摘に、木崎は誤魔化すことなく頷いた。宇佐美の部屋へ行くように誘導したのは他ならぬ木崎だ。やはり本気で同情しているわけではないのだろう。

 

 料理を皿に盛っていると新人3人がやってきた。

 

 最初から居る迅に少しだけ驚いたが、ここで迅が『宇佐美が用がある』と雨取を誘導。嘘ではないから空閑のサイドエフェクトは働くことなく、雨取は言われるままに宇佐美の部屋へ向かった。これで準備は整った。

 

 料理を並べて、陽太郎がうずうずと八神作の唐揚げを狙うのを阻止しながら女子勢を待つ。

 いったい何があるのかわかっていない新人2人に「玲さんが来てるけどたぶん手間取っている」と伝えた烏丸に、さらに疑問の視線を向けた時だった。

 

 

「お待たせしました~」

 

「お、おまたせしました」

 

 

 陽気な声で扉を開けたミニスカサンタ衣装の宇佐美と、少しだけ恥ずかしそうにした雨取が入ってきた。

 

 

「なっ」

 

「お、チカ。着替えてたのか」

 

 

 チームメイトのコスプレに三雲は瞠目し、空閑は赤い衣装の意味をわかっていない。

 

 

「小南と八神は?」

 

 

 残りの2人が一向に出てこないことを怪訝に思った木崎が宇佐美へ尋ねた。

 

 

「それが、玲さんが」

 

「嫌だ! ミニスカなんて嫌だ! 拒否! 断固拒否! せめてロングスカートに!」

 

「ロングのサンタコスなんてダサいじゃない! 料理が冷めちゃうってば!」

 

 

 廊下から聞こえてくる叫びに一同沈黙。特に三雲と空閑は知らない声に首を傾げるしかない。

 

 

「という、ね?」

 

 

 困ったように眼鏡の位置を戻した宇佐美が、にやにやした迅へ目を向ける。心得たように親指を立てた迅が廊下に向かって話し掛けた。

 

 

「おーい、大人しく出てこいって。今なら写真の拡散を阻止しても良い」

 

 

 それに叫びが止まる。シーンとなった廊下を歩いてくる2人分の足音。

 

 そうしてやっと赤と白のファーに身を包んだ小南と八神が姿を現した。

 

 ほぼ毎日パンツスタイルの制服と隊服に身を包み、私服でたまにロングスカートか膝丈にタイツしか着用しない八神の脚は白い。程良く肉がついた脚はどこか性的で、それが惜しげもなく露出されている。さらに付き合いの長い玉狛支部の者も知らなかったが、それなりに豊かだった胸元が柔らかなファーに縁取られて逆に強調されていた。

 

 胸元まで羞恥で真っ赤になって俯く八神に、男性陣(空閑と陽太郎以外)に衝撃が走る。

 

 

「……変態……」

 

 

 八神は迅へ向けたつもりだった。なんせ八神の衣装を用意したのは婚約者なのだから。

 

 しかし、思わず男としてガン見してしまった男性陣(2人以外)にもダメージが入った。サッと一様に目を逸らす。涙目の視線を貰った迅など「くっ」と胸を押さえて身悶えしている。

 

 なんておかしな光景だろうか。女性陣の冷たい視線が刺さる。

 

 

「うん……うん、悪かった。ごめん。これ着て」

 

 

 なんとか衝動を抑えた迅が己のコートと膝掛けを差し出す。

 それを受け取ろうとした八神だったが小南に止められた。せっかく着たからもったいないし膝掛けだけにしろ、と。

 

 八神も慣れない脚の露出が嫌だっただけなのでそれに従って迅の隣へ座った。

 ちなみに八神はそのまま生身でのコスプレだが、他の女性陣はトリオン体でのコスプレだ。何の罰ゲームかと八神が涙目で訴えたが、取り合ってもらえなかった。

 

 やっとクリスマスパーティーが始まる。

 

 

 




トリオン体の操作イメージの為に、八神だけでなく戦闘員の女性陣は(那須さん以外)ストレッチとか小マメにしてると思います。ただ八神は普段露出しないので。

伏線回と言いますか、描写の補完の為とかありましたが、この話を入れた理由はちゃんとあります。
私の技量が足らず、描写に入れるとテンポが悪くなったので、反則的ではありますがこちらで述べさせていただきます。
読んでも読まなくても、展開上は問題ありません。

八神がコスプレしてるのは、三雲や雨取に威圧感を与え過ぎないように迅が狙ったからです。八神の顔が怖いわけではありません。
また、生身でのコスプレ理由は迅の下心がメイン、ではないです。少なからず有りはしますが、大きな理由は空閑に敵対意思や武器がないことを示す為でした。


次話もクリスマスの回です。


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交渉か脅しか取引か

前話と同日の話です。
もともと、同じ回だったのですがあまりにも字数が多かったので分けました。


三人称


 

 

 「レイさんは本部所属なんでしょ。近界民(ネイバー)のことどう思ってんの?」

 

 

 パーティーの中盤。帰る烏丸を見送り、眠気に負けた陽太郎が部屋へ引っ込んで空気が変わった時、空閑が問いかけた。

 

 八神はそれに「異国の人間かな」と答えてショートケーキを一口。

 

 

「ふーん」

 

「こっちの世界でも色々な人間がいるように、あっちにも色々な人間がいる。その人が善人であれ悪人であれ、私たちに危害を加えないなら容認できるよ」

 

「ナルホド」

 

 

 付け足された説明に空閑は納得した。確かに人は千差万別。善か悪かでは判断し難く、同じ国内でも争いは起こる。しかも弱肉強食の世界では負けた方が悪なのだ。

 

 ならばいっそ、人種差別より危害を加えるか否かの判断がわかりやすい。

 

 

「私も質問。中学校でモールモッドを倒したのは空閑くん?」

 

 

 紅茶を飲み込んだ八神の問いに、空閑の隣にいた三雲が動きを止める。分かりやすく冷や汗を掻いている様子に、空閑はやれやれと首を縦に振った。

 

 

「その時の状況を細かく知りたい。今後に関わってくるから偽りなく教えてほしい」

 

 

 カップをソーサーに置き、スッと姿勢を正した八神が体ごと空閑へと向き直る。

 

 大きな動作もなく声音も普通。けれど、八神の瞳はしっかりと空閑に狙いを定めている。覚えのある空気に空閑はほんのりと口角を上げた。

 

 

「……へぇ。おれが断ったら?」

 

「断るの? 意外だね」

 

「いや、断らないケド。レイさんてすごく冷静だね」

 

「空閑くんは思ったより手応えないね」

 

 

 交渉か脅しか。

 

 会話の入り口に追いやられたのは空閑の方だった。そう、これは逃げられない。

 

 隣で聞いていた三雲と雨取が殺伐とした雰囲気に戸惑う。

 何が何だか分からないが空閑を止めようと口を開きかけた三雲の目に、ジェスチャーでストップを掛ける迅がいた。木崎と小南、宇佐美も見守る姿勢のようだ。

 

 

「おれがもしウソ言ったら?」

 

「ウソ次第で対応を変える。この問答に意味はないと思うけど?」

 

 

 わざとらしく小首を傾げてみせる八神に空閑は降参した。もともと空閑はこういった問答より実戦派なのだから。

 

 

「うん。レイさんはこわい人だ。さすが迅さんの女」

 

「悠一を引き合いに出されても複雑かな……偉大な師匠は他にいるし」

 

 

 苦笑した八神に、空閑も顔を緩ませた。自然と強張っていた全員が息を吐く。

 

 

「レプリカ、レイさんに見せてやってくれ」

 

『承知した。はじめましてレイ。わたしはユーマのお目付役のレプリカだ』

 

「あ、はい。玲ですよろしく」

 

 

 にゅっと出てきたレプリカに八神はピクリと反応しただけで、普通に挨拶を返した。

 

 

『情報を映像化しよう。音声は?』

 

「んん、とナシで」

 

『うむ』

 

 

 レプリカからコードが延びてテレビに接続される。

 

 2体のモールモッドが出現して校舎を破壊。生徒が逃げる。三雲が空閑と離れて場面が変わり、三雲が戦闘体を失う。そして空閑が助けに入ってボーダーの訓練用トリガーで討伐。

 

 映像が終わると、八神は静かに三雲へ視線を向けた。三雲の反応で映像が事実であることを知り、そして立ち上がって空閑に頭を下げる。

 

 

「協力感謝します」

 

「イエイエ」

 

 

 頭を上げた八神は迅の前へ進み、肩を掴んだ。

 

 

「ん?」

 

「服返せアホ。ちょっと本部行ってくるから」

 

「今から?」

 

「今から! これ絶対情報漏れしてるでしょ! なんか対策立てないと危ないじゃん!」

 

 

 ガクガクと揺さぶって訴える八神に迅は「おぅんおぅん」と唸るしか出来ない。

 

 八神の言葉に、冷や汗をかきまくっている三雲が恐る恐る質問した。

 

 

「さっきの映像に、悪いことがあったんですか?」

 

 

 映像の内容は自身が完膚なきまでにやられてしまったものだ。しかし三雲は実力が劣っていることを自覚しており、勝手にトリガーを使用した罰についても既に終わったことだと思っていた。しかし正隊員の八神の慌て様は深刻である。

 

 三雲の言葉に、迅を揺さぶるのを止めた八神が振り返る。困ったように眉間を寄せた八神が答えを返した。

 

 

「……三雲くんの行いは間違っていないし結果的に空閑くんの助力を得られて死者はいない。でも、三雲くんの行いは褒められない。なぜだと思う?」

 

 

 三雲の求めた答えとは少しズレた発言はワザとなのか、それとも本当にこの問いが関係あるのか三雲には分からない。

 

 

「それは、ルールを破ったから……」

 

「うん、それも悪いけどね。自分を守れない者に他人を守る資格はないんだよ。君がこの時死ねば、家族や友人は悲しむ。心に消えない傷を与える。それを三雲くんはわかっていないから褒められない」

 

「でも、だからといって僕は見捨てることなんて出来ません!」

 

「じゃあ強くなって。三雲くんのやり方で、自分も他人も守れるくらい。幸いにも環境は整っているから努力次第だよ」

 

「っはい!」

 

 

 会ったばかりの八神のことは分からない。求めた答えも得られなかった。

 けれど重みのある言葉に、三雲は大きく返事をした。

 

 それを受けた八神はくるりと迅に向き直って再度「服」と迫った。また揺さぶられそうになった迅は慌てて八神を抱きしめて拘束する。

 

 

「まあまあ落ち着いて。別に今から行かなくてもいいでしょ。それにさっきのまま報告されるとメガネくんのB級が消える」

 

「え"」

 

「大丈夫だよ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」

 

 唸る三雲と考え込み始めた八神に向けた言葉。迅はニコッと新人3人に笑顔を向けて八神の頭を撫でた。

 

 玉狛の3人もいつもの迅の甘々な雰囲気を察して、甘いショートケーキと一緒に紅茶で飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パーティーに最後まで残っていたメンバーは玉狛支部へ泊まることになり、八神も迅の部屋で泊まることになった。屋上を開く音が聞こえた八神は迅に一言断って、屋上へと向かった。

 

 扉を開ける前から刺すような寒さが八神を襲うが、躊躇わずに扉を開けた。そこには空閑とレプリカの姿。

 

 戦場育ちの空閑は足音で八神だということをわかっていたし、特に嫌ってもいなかったから変わらない調子で挨拶をする。

 

 

「さむい……隣、いいかな?」

 

「ドウゾ」

 

 

 屋上の縁に外へ足を投げ出すように座る空閑の隣に、内側を向いて八神が座る。

 

 しばしの沈黙。

 

 

「ねぇ、なんでおれが倒したって思ったの? 現場にもいなかったしトリオン兵も見てないんでしょ」

 

 

 沈黙に耐えかねた、というわけではなく純粋にふと疑問に思ったことを空閑はぶつけた。宙をふよふよと飛ぶレプリカを目で追っていた八神が空閑へ顔を向けて口を開く。

 

 

「報告書は見たよ。倒し方が綺麗すぎた。三雲くんが何か理由があって実力を隠していたとかだったりしても別に良かった。ぶっちゃけ空閑くんか三雲くんが倒したかどうかなんて、どうでも良かったんだ」

 

「フム?」

 

 

 どうでも良かったのに情報を探ってきた八神の意図が空閑には分からず、思わず顎に手をやって唸る。それを面白そうに笑った八神が言葉を続けた。

 

 

「でも色々な懸念が重なって、調べようと思ったのが始まり。報告書と現場にいた嵐山隊に訊いて疑問に思った。三雲くんが頬を怪我してたり擦り傷を負っていたことと、爆撃型トリオン兵が出現した時にトリオン切れを起こしていたこと。

 もしかして、戦闘体をやられたんじゃないかと。では、どうやって2体もモールモッドを倒したのか。そこで三雲くんの近くにいる近界民(ネイバー)の空閑くんに思い至った」

 

「おお~」

 

 

 小さなピースを集めて関連付け、真実にたどり着いた八神に空閑は感嘆の声を上げた。三雲の頬についてはトリオン兵ではなく不良の仕業だったのだが擦り傷については本当だ。

 

 八神はそんな空閑を視界から外して空を見上げる。白い息が八神から漏れた。

 

 やがて、八神が空閑へ顔を向けた。

 

 

「取引がしたい。空閑くん」

 

 

 今度は取引。

 

 次は空閑が有利な場面。

 

 

「……へぇ。さっきは席に座らせなかったくせに」

 

「無駄な攻防をする気はなかったし、こちらがほぼ確定情報を持っていたからね。むしろ私が気づいたまま報告してればそちら、いや三雲くんが困っただろう」

 

「まぁね」

 

 

 ニヤリと空閑が笑うのに、八神もフッと笑む。

 

 そして同時に、互いに笑みを消して目を合わせた。まどろっこしい問答が苦手な空閑は流れを歓迎する。

 

 

「私が欲しい情報は爆撃型トリオン兵を所有し、こちらの世界に1ヵ月から2ヵ月は接する軌道を持つ大きな国について。ボーダーの蓄積資料では現在接している国で該当しない。けれど、空閑くんもしくはレプリカさんならこちらにはない情報を持つと踏んだ」

 

「うむ。持ってるね」

 

「……出してくれたら、私に出来る範囲で君を本部から庇う」

 

「ふぅん? 庇えるの?」

 

 

 八神の言葉に嘘はない。しかし"出来る範囲"とは曖昧な表現だ。

 

 それを察した八神が言葉を付け加える。

 

 

「庇えるが、断言は出来ないな。私は玉狛支部の精鋭に遠く及ばない凡人だから上層部から切り捨てられることも有り得る」

 

「……ウン? 凡人なのにA級なの?」

 

「それに答えたら取引の席にきちんと座ってくれる?」

 

 

 純粋な疑問だったのだが焦れた──ように見せる──八神の問いに空閑は座り直した。腕を組んで、欲しいものを考える。

 

 取引は互いに対価を渡すものだ。対価の価値はそれぞれ。

 

 

「フーム……じゃあ、レイさんのトリガー構成を教えてくれたらいいよ。迅さんがレイさんは『強いんじゃなくて上手い』ってのを知りたい」

 

「いいよ」

 

「じゃあ、成立だ」

 

 

 空閑はそう言うとレプリカに目配せした。レプリカはそれに応えて八神が出した条件で国を絞り込む。

 

 接している国は複数あれど、八神の出した条件に該当する二つの国を挙げる。"アフトクラトル"と"キオン"。どちらも強く大きな国だ。

 

 レプリカから7年前の古い情報だと前置きをされて情報を貰った八神が、情報を整理する為に一度黙った。

 集めた微かな事実情報と貴重だが古い情報を摺り合わせて予測を立てる。

 

 

「うん……凄い情報だ。で、私のトリガー構成だね。メインとサブの括りは聞いた?」

 

 

 思考にある程度区切りをつけた八神が空閑へ問うと肯定が返ってきた。

 

 

「そっか。私のトリガー構成はね───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ありがとな遊真」

 

 

 屋上を去った八神と入れ替わりに迅がココアを持って来た。

 

 

「なにが?」

 

 

 お礼を言ってココアを受け取った空閑が首を傾げる。

 

 空閑にとって八神とのやり取りは"取引"を名目としたものだ。お礼を言われる覚えはない。けれど、一つ思いついて迅に問いかけた。

 

 

「そういえば迅さん、レイさんにおれがウソわかるの教えた?」

 

「いいや、教えてないよ。アイツは自分の目で判断して嘘を吐かないって決めたんだよ」

 

「そっか」

 

 

 空閑もそれを察していたようで、ただ納得した。嘘が絶対にダメだと空閑は言うつもりはない。だが、くだらない、己の不利となる嘘が嫌いなだけ。その点、事実だけを"取引"に用いた八神は救われた。

 

 迅はさっきまで八神が座っていた場所の隣に座った。

 迅の座った場所は空閑と八神より距離が近い。それは迅の方が八神より大きいから、などの理由ではなく、単純に心の距離を表していた。

 

 八神と空閑の間は、人間2人分の距離が開いていた。迅は人間1人分。

 

 ソッと八神がいた場所を指先でなぞる迅の瞳が甘い。空閑は宇佐美が言っていた『ベタ惚れ』を今日の数時間で何度も垣間見ていた。

 

 

「それで、何でお礼を言われたんだおれは?」

 

 

 答えてもらっていないことを思い出して、空閑が再度問いかける。

 

 

「俺の『未来視』(サイドエフェクト)は色んな未来の可能性を教えてくれる」

 

「うん」

 

「未来はいつも動いててちょっとした事でも大きく動くことがある。今日、お前らと玲が会話しただけで未来の可能性がどんどん生まれた。遊真が玲と取引に応じてくれたからな。良い未来をありがとうってこと」

 

 

 サイドエフェクトの有用性も苦労も知る空閑は、迅の心が少しだけわかる気がした。もちろん同じ能力ではないからほぼ解らない。常人よりは解る程度。

 

 空閑は雰囲気を緩めて「どういたしまして」と親指を立てて熱いココアを啜った。

 

 

「レイさんのこと嫌いじゃないし、逆にオサムやチカみたいな奴より馴染みがある。よく考えて行動するタイプだよね」

 

「まぁな~今も遊真から貰った情報を整理するのに夢中だろーなぁ」

 

「おや、シットですかナ?」

 

「俺は結構嫉妬深いよ。でも、あんまり押せ押せは玲が逃げるから調整中なの」

 

「フム?」

 

 

 恋愛よりも戦闘や食欲優先な空閑には解らない感覚に、空閑は改めて迅を年上だと感じた。嫉妬深いと言うが、ドンと構える余裕が見えているのも一因だろう。

 

 

「迅さんはレイさんのどこが好きなんだ?」

 

「全部」

 

 

 純粋な子供の疑問。

 

 それに即答した迅の表情はどこまでも優しい。

 

 

「惚気てもいい?」

 

「いいよ。どうせ夜は暇だし」

 

「じゃあ、遠慮なく。俺な、最初は玲のこと好みじゃなかったんだ」

 

「え」

 

 

 惚気と前置きをされていただけに、そんな発言をされた空閑は驚いた。そしてムクムクと何故あんなに『ベタ惚れ』になるのか興味が湧き上がる。

 

 

「迅さんの好みって?」

 

 

 心持ち身を乗り出した空閑が問い掛ける。

 

 

「可愛くて明るくて元気をもらえる子、だったんだけど今は玲一択。嫌いとかじゃなくて、学校のクラスメイトで親友みたいな感じだったんだ。弁当食べて、会話して、悪ふざけとかもしてたな」

 

「ほうほう」

 

「きっかけは色々あったけど、任務こなして学校で笑って、一緒にいるうちに親友より恋人になりたいって思った。その矢先に玲が事故でいなくなる未来が視えてもう焦りまくった」

 

「なんと」

 

「それを回避してもまだ色々あって情けない話落ち込んでたんだよね。そしたら玲に『自分の力なら自分の為に使え』って言われてからは遠慮しなくなった。

 普段はクールなのに真っ赤になった時がエロ可愛いし、飯が美味すぎるし、俺が落ち込んでたらすぐに察してフォローくれるし、何かと俺のツボを突いてくるし──うん、言葉にすると止まらないくらい惚れてるね」

 

 

 年下の空閑に遠慮なく惚気る迅。宙に浮いていたレプリカがそっと空閑の隣に落ち着いた。

 

 

「飯がウマいのか。そういえば今日の唐揚げはレイさんが作ってたな。言われてみればいつもよりウマかったような……?」

 

「レイジさんと同じくらいだけど、料理によってはレイジさん以上に美味いよ。何故かインスタントラーメンに失敗するけど」

 

「お湯をいれるだけなのに?」

 

「うん。作るのも食べるのも苦手だね。お湯の温度をミスったり待ち時間を間違えたり調味料入れるタイミング間違えたり、食べるのがゆっくりだから麺を伸ばすし濃い味が苦手だからスープもちょっとしか飲まないし」

 

 

 空閑は料理初心者の自分でも手軽に食べれるインスタントラーメンを、便利で美味しい物と認識していたから、八神の失敗例にはビックリだった。

 

 インスタントラーメンを失敗しても唐揚げはウマいのだから空閑にとって謎である。

 

 

「玲の肉じゃがは絶品だよ。味噌汁も出汁が効いてるし、俺が好きって言った料理とか味付けとかこっそりメモしてるの可愛い」

 

 

 それはこっそりと言えるのか、と首をひねる空閑に迅は如何に八神の飯が美味いのかを語っていく。育ち盛りであり、事情ある肉体の持ち主である空閑はそれに食いついた。

 

 近界(ネイバーフッド)にない料理ばかりで想像の材料は乏しかった空閑だが、迅の本心から漏れる料理の数々に興味が尽きない。

 

 知らぬ間に婚約者が手料理信者をまた増やしたことを、当の八神は知る由もなかった。

 

 

 




学校に何者かが侵入した場合、の避難訓練がありますが複数犯を想定した避難訓練はしたことないです。
大きな施設への単独犯はニュースで見かけたりしますけど、複数犯の可能性は低いのでしょうか。計画性のある者なら表と裏の出入り口を塞ぎそうですけど。人間でなくとも危険物を設置したりとか。イメージです。
トリオン兵が学校に侵入した際、生徒が屋上にいたり運動場にいたり校舎内にバラバラでいたり、としていたので、やはり三門市に点在する学校の避難訓練課程を見直すべきかなと思ったりします。話を書くかは未定。


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年は明ける

前半は八神視点の一人称
後半は玉狛新人を軸とした三人称


 

 

 翌日、私は早朝から起きて朝食を作り、1人で食事を終えて玉狛支部を出た。

 悠一は夜に空閑くんと盛り上がっていたようなので起こさず出てきたが、はて、何の話をしていたのだろう。

 

 本部基地へ着く。まだ出勤している人間はいない。居たとしても泊まり込みで仕事をしていた人間だ。

 

 冬島隊の隊室に入り、真木ちゃんと冬島隊長とは別のPCを立ち上げる。

 

 ラッドの潜伏期間を計算して任務へ出たB級以上の隊員が数人緊急脱出(ベイルアウト)をしていることがわかった。やはり、C級トリガーに緊急脱出(ベイルアウト)機能がないことは偵察機で知られただろう。ラッドを回収する折に実働したC級~一部のA級までの人数規模もある程度予測したはず。

 

 ラッド回収後、ゲート発生が目に見えて減った。グラフを作ってみると一目瞭然だ。ほとんどの隊員がラッドを回収した成果だと考えているらしいが、以前と比べて通常のゲートまでも数が減っているのだ。極端にパタリと止まったわけではないから、エンジニアに尋ねないと分からなかったな。

 

 ラッドによってこちらの大まかな地形も知られた。大きなアドバンテージだった部分が削られたのだ。幸いにも黒トリガーは知られていないだろうし、黒トリガーに対抗出来ると判断された遠征部隊も知られていない。

 

 空閑くんとレプリカさんがくれた情報は膨大だ。

 "アフトクラトル"も"キオン"も手強い相手だ。けれど、国の名前さえ知らなかった時点とは比べられないくらい、対策が取れるのは大きい。

 

 そして、空閑くんとレプリカさんが"()っている"ことも大きな一歩だった。

 

 本部の城戸司令は優しいけれど厳しい方だ。近界民(ネイバー)嫌いを公言してるからにはその姿勢を簡単には変えないだろう。

 

 空閑くんの(ブラック)トリガーの性能上、取り上げることはしたくないし、悠一は三雲くんたちに何かしら恩を感じているようだった。風刃を渡しても良いと考えるくらい守ろうとしている。

 

 私はまだ彼らとそんなに接していないから完全に信用出来ないけれど、同じ食卓を囲んで悪い人間ではないと思った。ならば、悠一の為にも私だって力になりたい。

 

 

「……戦略的に考えても、空閑くんを敵に回すメリットはない」

 

 

 城戸司令の厳しい性格を曲げることはさすがに無理だが、組織の頂点としての城戸司令なら空閑くんの有用性を認めると思う。

 

 襲撃の対策と空閑くんについて、私も考えていこう。

 

 

  *

 

 

 

 あっという間にボーダー隊員正式入隊日はやってきた。

 

 

「ああ~帰ってきて早々に防衛任務かー」

 

「年始は休ませてもらったんだから仕方ないでしょ」

 

 

 本部では入隊式が行われているだろうが、私と悠一は久しぶりにコンビで任務に当たっていた。

 

 以前まで風刃を使用して集団を相手にしていた悠一が、通常のトリガーでミスなくやれるのかテストも兼ねて私が付けられた。城戸司令と忍田本部長と林藤支部長は心配していなかったけど、他の幹部が疑問に思っていたからだろうね。実際私の出番なんて少ない。

 

 年始は私の実家に2人で行っていたのだ。年上の従兄姉からはからかわれたり祝福されたり、悠一は私の父や叔父に捕まってた。酔っ払いの相手させてごめん。私の家族も親戚も完全に悠一を受け入れてて、悠一は疲れた顔をしながらも嬉しそうにしていた。そして、母と私の料理の違いにビックリしていたのが印象的だった。

 私の料理は悠一の好みに合わせて作っているから当たり前でしょ。

 

 

「遊真たち目立っているだろうなぁ」

 

「たち? 空閑くんは分かるけど三雲くんと雨取ちゃんも?」

 

「メガネくんは風間さんに目を付けられるんだよ。あと千佳ちゃんは──」

 

 

 ドン! と本部基地からビームが飛び出した。

 

 遠目からでも高密度のトリオンが判って唖然とする。敵襲かと思ったが内側からの攻撃なので判断が鈍る。

 

 

「あれ、千佳ちゃんだよ」

 

 

 悠一の笑み混じりの声に愕然とする。確か雨取ちゃんはスナイパー志望。つまり考えられるあの攻撃の正体はアイビスだ。しかし私の知っている威力ではないぞ。

 

 

「千佳ちゃんのトリオン能力って桁外れなんだよ。測定したら黒トリガー並みでビックリだよね」

 

「ビックリで済まされるかー! 雨取ちゃんの近くにラッドが居たらと考えてゾッとしたわ!」

 

「それは確かに。ゲート開き放題だし」

 

 

 ゲートから出てきたバンダーを、片手間にスコーピオンで一刀両断する悠一に同意する。

 

 最低限のトリオン量でゲートを開くラッドが回収済みで本当に良かった。

 

 

「それにしても……やっぱり本部基地の耐久力上げないと。10倍で足りるかな」

 

「10倍はトリオンが間に合わないんじゃない? 出来ても7倍だね」

 

 

 7倍か。でも防衛装置も新しく開発するらしいから、強化に回せるのは3割くらいだろうか。

 

 悠一が後退するのに合わせてモールモッドを転倒させる。ひっくり返したところで悠一が刃を投擲して沈黙。

 建物の間に張っていたスパイダーを繰糸(そうし)で太く変更し、それを足場に悠一が跳ね上がって一閃。

 飛んでいたバドが呆気なく墜ちて沈黙。

 

 

「風間さんが目を付けるほどの実力は三雲くんになかったと思う。心意気くらい?」

 

 

 でもあれくらいの正義感や意気込みなんて、色んな隊員が持ち合わせていると思うんだけどな。

 

 

「メガネくんの心意気は並みじゃないのさ。城戸さんたち勢揃いを前にして言い返せる豪胆さだよ」

 

「え、三雲くんすごすぎ……本当に中学生?」

 

 

 圧迫面接みたいなアウェー空間で言い返せるとか、ただの中学生じゃないよ。そうか、風間さんに目を付けられるのも納得だ。

 

 

「それで納得するのは城戸さんたちが可哀想だなっと」

 

 

 落ちゲーみたいにポロポロ落ちてくるトリオン兵が、悠一に次々と一掃されていく。今日の戦果は上々だな。誘導装置がきちんと作動している証拠だね。

 

 それにしても雨取ちゃんのトリオン能力を考えるとやっぱり対策考えないとダメだ。

 スナイパーのB級昇格は他のポジションよりゆっくりになるし、手っ取り早く上に行く方法なんてない。それこそ才能がないと。

 

 

「玲~今日の飯なにー?」

 

「そうだ! 今日って空閑くん玉狛支部に行く? 三雲くんも居ればちょうど良いんだけど」

 

「訓練もあるし行くよ。なんか思いついた?」

 

「うん。ご近所のお爺さんが鯛と鮭をくれたから鯛飯とホイル焼きにしようかな。ちょっと贅沢だけどお刺身は正月にいっぱい食べたし」

 

「鯛飯って家でも作れるんだ」

 

「簡単に作れるよ。鯛自体めったに買わないから印象ないのかもね」

 

 

 魚釣りが趣味のお爺さん、ありがとうございます。

 もともとは林藤支部長の釣り仲間で自分では捌けない人だった。普段は釣った魚を店に持って行って食べているらしい。

 

 紹介していただいた時に私が捌けると知って料理したところ、気に入っていただけたようでたまに依頼されるのだ。報酬は釣ったばかりのお魚です。おかげさまで我が家はスーパーで魚を買っていないのである。

 

 ご近所付き合いって大切だよね。

 

 悠一曰く、空閑くんは体の大きさに見合わず大食いらしい。お米はどれくらい炊こうかな。

 

 

「レイジさんが今日はいないはずだから、料理当番は京介じゃなかったかな」

 

「なら早めに連絡入れなくちゃ」

 

「いや、あっちから連絡来ると思う」

 

 

 そうなんだ。なら気長に待っておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 烏丸伝いに八神の飯が食えると聞いた空閑はそわそわし始める。クリスマスの翌朝に食べた味噌汁が聞いていた通りに美味くて、お代わりを何回もした記憶があるのだ。迅によるプラシーボ効果がないとも言えないが、何の情報も持っていない三雲と雨取も同じように「おいしい」と評価していたから空閑の中で『レイさんの飯はウマい』とカテゴリーされた。

 

 烏丸と新人たちが玉狛支部へ入ると、芳ばしい匂いに胃が刺激される。空閑には馴染みがないけれど、三雲と雨取には『家に帰ってきた』と錯覚するような温かさが支部に溢れていた。

 

 

「おかえりー」

 

「おかえり」

 

 

 宇佐美と迅に迎えられてホッと息を吐く。

 

 

「よろこべみなのしゅー。きょうは、タイだ!」

 

 

 雷神丸に跨がった陽太郎の言葉にいち早く反応したのは烏丸だった。俊敏に荷物を置いて手を洗いに行く。烏丸の背中は心なしかウキウキとしているように後輩たちには見えた。

 

 

「ほら、お前らもうがい手洗いしてこい。そろそろ出来るぞ」

 

「ウム、それは急がねば」

 

「は、はい」

 

「はい」

 

 

 迅に促されて3人も烏丸の後に続くのだった。

 

 

 

 「ウマい」

 

 

 空閑は頬に米を付けてその一言だけを述べ、後は黙々と鯛飯を食べる。その隣で三雲と雨取も同意する。鯛も鮭も育ち盛りに欲しい栄養素がいっぱい。確かな満足である。

 

 評価された八神には、隣に座っていた陽太郎が鯛のお頭に興奮しているのを宥めながら食事をしていたので、その言葉は届かなかった。

 空閑に負けず劣らず黙々と食べている烏丸の姿も珍しい。

 

 

「レイジさんと桐絵ちゃん残念だねぇ。鯛飯なんて初めて食べたよ~」

 

 

 宇佐美が頬を弛ませて荒汁を飲む。今日は完全に魚尽くしなのである。

 

 

「ボスに写メ送ったら悔しがってたよ」

 

「わぁ迅さん鬼畜~」

 

 

 本部に呼び出された林藤はさぞかし無念だったのだろう。隣に座っていた忍田に「俺だって鯛飯食べたかった!」と愚痴っては「わかったわかった。今日はラーメンを食いに行こう」と慰められていた。

 

 魚尽くしだった食卓が好評だったことに安心しながら、八神は迅の空になったグラスへ麦茶を注ぐ。そして自分の食事をしながら、陽太郎のお世話をする。

 完全に未来の母であった。

 

 男子が多いことと、大食いがいることを考慮して大量に作られた料理は見事に完食されていた。料理人としても確かな満足である。

 

 片付けは迅と烏丸と宇佐美が請け負った。

 

 後輩たちも立候補したのだが、八神に話があると言われてソファーに並んだ。

 三雲と雨取にとって八神はクリスマスでの空閑との言い合いが印象的で、少しだけ苦手だと思っている。話がある、と言われたならばまた何かあると無意識に警戒してしまうのは仕方ない。

 

 そしてその警戒は当たりである。

 

 

「雨取ちゃんのトリオン量を見せてもらったよ。同じポジションとして驚きの才能だ」

 

「は、はい」

 

 

 話を振られた雨取が緊張混じりに頷く。それに少しだけ頬を緩めた八神だが、気を引き締めて空閑と三雲に向き直った。

 

 

「三雲くんと空閑くんには話を合わせてほしいんだ」

 

「合わせる?」

 

「そう。学校でモールモッドを倒したのは三雲くんだと報告されている。そこは良いんだ。合わせてほしいのはその過程。

 『ボーダーの訓練用トリガーで最初に空閑くんが戦った。しかし、慣れない上に訓練用だった為、上手く戦えずやられてしまった。そこを三雲くんがすかさずトリガーを起動して2体を倒した』と。

 こちらは訓練用トリガーでやられたという事実が欲しい」

 

 

 八神の言葉に三雲が顔を曇らせる。己の実力を偽ることも、恩人でもある空閑の手柄を横取りしてしまうことも納得していないのだから。

 

 渋る三雲とは異なり、空閑は「ふーん」と何とも思っていない様子だ。というより八神の真意に気づいている。

 

 

「オサム、レイさんのは同意を求めていない宣言に近いよ」

 

「え」

 

「うん、まあね。卑怯な言い方だけど『こう報告するから何か言われたらよろしくね』と言っている。2人に大なり小なり文句が行くからさ」

 

「おれは別に構わないよ。でも理由は知りたいな」

 

「空閑が良いのなら。僕も知りたいです」

 

「OK」

 

 

 八神の説明はこうだ。

 

 近く、大規模な侵攻が予測された。ラッドが偵察機だと判明している現在、どこまでこちらの情報が漏れているのか情報整理を行っている。近界民(ネイバー)はこぞってトリオン能力が高い人間を欲しているため、ボーダー隊員も例外ではない。B級隊員以上のトリガーには緊急脱出(ベイルアウト)機能でいざという時に逃げられるが、C級トリガーには逃げる手段がない。

 雨取のトリオン能力は膨大なので、もしもの場合は狙われる可能性が非常に高い。

 

 

「その為、開発室にC級隊員のトリガーに緊急脱出(ベイルアウト)機能を提案する為の材料が欲しい。雨取ちゃん、ひいては一部のC級を守る為にね」

 

「……あの、一部のC級ってどういう意味ですか?」

 

 

 今まで黙って聴いていた雨取が、おずおずと手を挙げて質問した。

 

 

「雨取ちゃんに及ばずとも、トリオン能力の高いC級隊員たちのことだよ」

 

「全員ではないんですか?」

 

「残念ながら大人の事情で全員分は無理なんだ」

 

 

 己より他人を優先したい雨取には残酷な宣言だった。

 

 俯く雨取に三雲が声を掛ける。

 

 

「千佳、お前のトリオン能力は強い。それが敵に渡った方が危険なんだと思う」

 

「ウム。確かにチカみたいな量は危険だ。逃げる手段があるのは良いことだ」

 

「修くん、遊真くん……うん。よろしくお願いします」

 

 

 雨取がソファーから立ち上がってぺこりと頭を下げて、三雲も慌てて同じように八神へ頭を下げた。

 

 八神は一瞬面食らった後、微笑を浮かべて頭を上げるように言った。

 

 

「それと、空閑くん」

 

「うん?」

 

「君とボーダーのトップを会わせる席を作ってみせる。君からもらった情報はボーダーには有益すぎる。そこで身の安全を交渉するといい」

 

「わかった」

 

 

 頷く空閑を見てから、八神はソファーから立ち上がって時計を確認した。まだまだエンジニアたちの帰宅時間には遠い時間だ。

 

 八神がチラリと様子を見守っていた迅へ視線をやると、ニコリと笑みを浮かべられた。八神は眉を顰めて見つめ続けるが迅の表情は変わらない。

 

 ため息を吐いて荷物を掴んだ。

 

「帰ろうか悠一」

 

「了解」

 

 

 婚約者の笑顔の圧力に負けた。

 

 

 



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情報収集

八神視点の一人称
幹部を軸とした三人称
八神視点の一人称


 「───空閑遊真の有用性は以上です」

 

 

 会議室で事実情報と私の推測、空閑くんが出してくれた約7年前の情報をもとに上層部幹部へプレゼンテーションを行った。このプレゼンテーションの為にかなり苦労した。一番苦労したのは、上層部幹部たちの空きスケジュールを合わせることに奔走したことです。

 しかし、幹部全員を集めることは出来ず、結局は城戸司令と鬼怒田開発室長と唐沢営業部長しか集められなかった。

 

 

「……確かに我々にとって有益だ。しかし何故戦力や戦術ではなく"国の在り方"や"国民の人柄"などを聞き出した?」

 

「将の性格で戦は変わるからです」

 

「ほう……それで、何を渡してきた?」

 

「私のトリガー構成です」

 

「なに!? それは危険ではないか!?」

 

 

 驚きにバンと机を叩いた鬼怒田さん。

 

 ちょっと威圧されたけど私だって考えなしじゃない。一応、何度か近界で戦争の裏方に関わったことは私の経験値となっているから。

 

 

「鬼怒田開発室長。私の戦闘スタイルは詳しく教えていませんし、知られていても逆に警戒を煽れるので問題ないと判断しました」

 

「だが……」

 

「……八神隊員はどちらの国だと考える?」

 

 

 納得していない様子の鬼怒田さんだったが、鋭い視線の城戸司令に意識が集中する。何度もシミュレートしていた言葉を吐き出すべく口を開いた。

 

 

「推測ではアフトクラトルです。キオンではないと考える理由は複数ありますが、一番の理由は雪原の国だからです。攻めるより誘い込む雪国の地形戦が得意と思われ、国の人柄も保守的と考えました。

 対するアフトクラトルは軍事国家ですし空閑遊真が提供してきた情報でも幾度も他国を攻めています。国の在り方故に戦力の層は厚く、また偵察を長期的に行う戦争のやり方は相当の策士がいると考えました。

 しかし、所詮は推測ですので実質上『策士がいる』ことしか分かりません」

 

 

 情報が足りないからどちらの国かなど断言は出来ない。だから空閑くんを受け入れて交渉しようぜ、と話が持っていけてるんだけど。

 

 

「ムムム……」

 

「地形のアドバンテージが削れたのは痛いな……」

 

 

 唸る鬼怒田さんと、現状の一番警戒すべき点に眉を顰める唐沢さん。唐沢さんの言う通り、私もそこが痛いと考えています。

 

 

「…………いいだろう。明日の午前10時に会議を設ける。その際に三雲隊員と空閑遊真も召集する」

 

 

 長考の後、城戸司令が出した結論に内心安堵する。空閑くんにああ言った手前早めに機会を作れて良かった。一応今回がダメだったら後にもいくつか案を持っていたけど、あまり長く待たせるのも申し訳ないからね。

 

 少しだけ肩の力を抜いてお三方に深々と頭を下げた。

 

 

「はい。お時間をいただき、ありがとうございました」

 

「君がボーダーの為に動いているのは知っている。今後ともよろしく頼む。下がって良い」

 

「はい、ありがとうございます。失礼いたします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議室から静かに退室した八神を見送って、しばし思考の沈黙が会議室に訪れる。

 

 沈黙を破ったのは開発方向で頭の切れる鬼怒田だった。

 

 

「まったく……八神は自己評価が低過ぎではないか? あやつのトリガーは改造も含まれているというのに」

 

 

 改造スパイダーと、そのオプショントリガーが八神の手持ちトリガーにある。直接の攻撃に繋がるトリガーではないし、相応の技術と知識が要るトリガー故に使い手は少ない。

 

 ボーダー内ではスパイダーのスペシャリストとして八神の名が挙がるくらいだが、本人が自覚していないのでは意味がないだろう。

 

 鬼怒田の溜め息混じりの言葉に、唐沢はうすく苦笑した。

 

 

「彼女の性格は慎重だ。臆病とも言える性格だからこそ、最悪を考えられる点は評価出来ると思いますよ」

 

「わかっとる。八神の臆病さで本部基地強化の明確な目処が立てられた。C級隊員の緊急脱出(ベイルアウト)は後回しだが2人くらいなら3日後には付けられるだろう」

 

 

 鬼怒田は素早くエンジニアのスケジュールを換算してそう結論した。

 しかし最低限の休息も含めての計算だが、開発のこととなればほとんどのエンジニアが寝食を忘れて働き出すので、計算通りの日程にはならないだろう。

 

 それを長考に入った体勢のまま聞いていた城戸が、ようやっと口を開いた。

 

 

「──八神隊員が出した情報は有益。情報源は更に有益だろう」

 

 

 空閑の(ブラック)トリガーは能力が完璧に開示されたわけではない。だが、八神と林藤が出してきた報告で空閑専用のトリガーだと判明した。

 

 ボーダー内では運用出来ない。

 情報を持ち、敵対意思も今のところ見られない空閑を、下手に野放しにする方が不確定要素となり危険だ。

 

 城戸の出した結論は、ボーダーの規定で縛り、行動を制限すること。

 少なからず規定破りはあるだろうが、現在は戦力を必要とする時。最悪戦力にならなくとも行動を制限出来れば不確定要素は減らせると考えたのだ。

 

 

「私は城戸さんの方針に従いますよ」

 

「情報が引き出せたら、下手に遠征に行くよりも安全かもしれんしの」

 

 

 唐沢と鬼怒田の賛同に、城戸が一つ頷いてその場は解散となった。

 

 

 

 

   *

 

 

 

 

 

 

 冬島隊は現在、当真くん以外がてんやわんやである。

 

 エンジニアと戦闘員を兼任している冬島隊長は、基地の強化や防衛装置の見直しにC級トリガーの緊急脱出(ベイルアウト)機能を付けたり、と忙殺されている。

 オペレーターの知識技術も借りる為に真木ちゃんも冬島隊長の補佐へまわり、私自身も情報漏洩の洗い出しと防衛対策とエンジニアたちの体調管理とスケジュール調整とで忙しかった。

 

 あとの二つはいらないと思うだろ? でもこれらを怠ると彼らは寝食を忘れて働いて、逆に衰弱して作業効率を悪くするから放っておけないのだ。

 

 当真くんは防衛任務でフルに働いてもらっているから。手伝ってもらったら逆に仕事増えるとかじゃないよ? 本当だよ?

 

 

「私は誰に言い訳しているんだ……」

 

 

 疲労が溜まっている。無事に大侵攻を乗り越えたら温泉に行きたい。

 

 

「お疲れさん」

 

「のわっ!?」

 

 

 曲がり角の先で前方に引っ張られて体勢を崩したところを抱き留められた。これを私にやる人間は1人しかいない。

 

 尻を揉み込む手が何よりの証拠だ。

 

 

「なぜ尻を揉むんだ」

 

「そこに魅惑的な尻があるから」

 

「よし歯ぁ食いしばれ」

 

「え、揉みしだけ? おふっ」

 

 

 卑猥な野郎には鳩尾に拳だ。わざわざダメージを受けたフリして床にうずくまる演技は評価してやろう。

 

 悠一を放って足早に小会議室へ向かう。阿呆のせいで「どうせバカップルしてたから遅れたんだろ」的な目で見られるのはごめんだ。

 

 今回の会議には、城戸司令に忍田本部長と林藤支部長、そして風間さんと三輪くんも来るのだ。あの人たちに生暖かい目で見られたら心が折れる。あ、林藤支部長はほぼ目撃しているから範囲外か。

 

 

「失礼します」

 

 

 小会議室へ入ると既に皆さん揃っていた。なんてことだ。

 

 こちらを振り返った忍田本部長が「迅は?」と訊いてきたので、首を傾げて後ろを振り返る。いない。

 

 あれ、もしかして生身だったのかな。演技じゃなかったのか。そういえば悠一の匂いがしてたような……あいつが尻を揉むのが悪い。

 

 

「悠一は」

 

「実力派エリート只今到着です」

 

 

 向きを戻し、奴は腹痛ですと答えようとしたところで肩をポンと叩いて登場しやがった。

 ギリギリと肩を掴むあたり、それなりに痛かったようだ。今は私の肩が痛いぞコラ。

 

 悠一の指を引き剥がして風間さんの隣に座ろうとしたが、腕を掴まれてニッコリ。

 

 

「林藤支部長、お隣失礼します」

 

「お、おう」

 

 

 私もニッコリ返し、林藤支部長を間にして悠一から離れた。

 

 

「何かあったようだが、今から会議だ。ケンカは後にしなさい」

 

 

 忍田本部長に咎められたので素直に謝り、会議に意識を集中させたのだった。

 

 

 近く予想される大規模侵攻への対策会議だ。

 

 昨日集められなかった方がほとんどなので、私も再度プレゼンテーションをやることになっていた。防衛に関して最高責任者の忍田本部長からは昨日とは比べものにならないくらい質問をされたが、想定内の質問ばかりで安堵した。

 

 判らない部分ははっきり不明と告げるしか出来ないが、三輪くん以外からは空閑くんの助力を得ることに賛同をいただいた。

 

 一段落したところで風間さんが小会議室に設けられたモニターから、空閑くんと緑川くんが模擬戦しているのを見つけた。空閑くん強いなぁ。

 

 

「ちょうど良い。迅、彼と良ければ三雲くんも視聴覚ルームへ連れてきてくれ」

 

「了解しました~」

 

 

 忍田本部長の命で立ち上がった悠一が、私の頭をぐしゃぐしゃに撫でてから小会議室を出て行った。

 

 

「……林藤支部長、あいつの羞恥心の無さは誰譲りですか。林藤支部長ですか師匠ですか!?」

 

「え! おれ!? あ、いや……悪い、ノーコメントで」

 

 

 はっきり断言しない林藤支部長にジト目を送る。目を逸らして頬を掻く林藤支部長と、離れたところで忍田本部長が苦笑いして、奥にいる城戸司令がどこか遠い目を宙に向けていた。

 本当にあのセクハラ癖はどこから貰ってきたんだ。

 

 視聴覚ルームへ私たちも移動を開始。

 髪を直していると風間さんと三輪くんが近づいてきた。

 

 

「苦労してるな、お前も」

 

「お疲れ様です……ケンカ、するんですね」

 

「お疲れ様です。羞恥心を記録した技マシンを拾いたいです風間さん。三輪くん……あれくらいのケンカなら1週間に2度はあるよ」

 

 

 私が最後に来たせいできちんと挨拶出来なかったので、改めて挨拶を2人にする。

 

 

「エンジニアに頼んでみるか」

 

「止めて下さい彼らが死んでしまいますマジで」

 

 

 私のギャグにポーカーフェイスでギャグを返してきた風間さんに戦慄する。今でさえギリギリの健康から離れた生活を送る彼らを死地へ追いやる提案ですからソレ。

 技マシンが通じたことにもビックリですけど。

 

 

「八神さんは、あんな奴のどこが好きなんですか?」

 

「え」

 

 

 婚約もしている私にそんな今更な質問を向けてくる三輪くんに驚いた。でも思い返してみると三輪くんにそんな話をした覚えはないし、三輪くん自身も興味がなさそうだったから。

 

 しかし、こんな廊下で赤裸々に好きなところなんて言えるわけもなく曖昧に濁すと、三輪くんが「なら別れれば良い」と隈をつくった目で見てくる。なんだか荒んでないか。

 

 

「この際だ、俺も聞きたい。迅からは度々八神の話を聞くがお前からの話は聞いたことがなかったからな」

 

「え"」

 

「どうせ視聴覚ルームでも、迅たちが来るまで待ち時間がある」

 

 

 風間さんから想定外の狙撃を受けた。に、逃げ道はないのか。

 

 視線を動かしたところで、火を点けてない煙草を咥えてにやにやしている林藤支部長を見つけた。あの笑いは悠一が悪戯をして愉しんでいる時の顔と一緒だ。やはり林藤支部長似なんじゃないかな。

 

 しかし、どう足掻いても逃げ道はない。

 

 

「好きなところは……」

 

 

 観念して口を開くが、やはり恥ずかしくて顔が熱い。

 

 

「全部、ですけど、気遣い屋で優しいところが好きです……えっと、ちょっと頑固ですけど甘えてくるところはかわいいですし、ご飯を美味しそうに食べてくれる姿が、好きです」

 

 

 顔が熱い。熱いぞ。なんかみんな無言だしまだ言えってか!

 

 かなり恥ずかしくて両手で顔を覆う。

 

 

「見た目よりしっかり筋肉ついてて意外だけど逞しいし、手を繋いだ時の大きさとか温かさとかびっくりするし、言葉とか瞳とかで好きって伝えてくれるし……あの、あの……っもう勘弁して下さい!」

 

 

 羞恥心の限界です! なんで無言なんですか!

 司令も本部長も「無駄話はやめろ」って注意してくれてもいいじゃないですか! それを期待してたのになんで無言!?

 

 両手が外せない。

 悠一はなんで羞恥心を覚えないんだろう。私はとっても恥ずかしい。もう走って逃げたいほど恥ずかしい。

 

 

「……ああ、悪かった。しかし迅が"かわいい"とは意外だな」

 

 

 やっと沈黙を止めてくれた一号、風間さんが感想を述べた。

 いやいや悠一は普通にかわいい部分多いですよ。たまに子どもみたいな感覚で接しますし。

 

 

「はっはっは! 迅の惚気とはさすが、破壊力が違うな。ちなみに迅だけじゃなく支部の皆が八神に胃袋掴まれてるぞ」

 

「そういえば林藤が持ってきた弁当のだし巻き卵はうまかったな」

 

 

 二号三号と続いた林藤支部長と忍田本部長。惚れた弱みか、他の人と悠一の食べる姿はまた違う感じがするんです。というか忍田本部長、沢村さんとお弁当は食べないのですか。

 

 

「視聴覚ルームへ着いた。八神隊員、そろそろ落ち着きなさい」

 

「はい……」

 

 

 城戸司令の静かな声が心なしか優しく感じる。変な話を聞かせてしまって申し訳ない。

 

 顔の熱はまだ完全に引いてないけど、多少マシになったはずだから手を外す。

 

 すると三輪くんと目が合う。眉間を寄せた三輪くんだが、気まずそうに口を開いた。

 

 

「俺は、迅が嫌いです」

 

 

 それだけ言って三輪くんは口を閉ざしてしまった。

 

 

「うん、いいと思う。ウマが合わない人間は世の中にいるものだし」

 

 

 元チームメイトの加古さんと二宮さんとか、太刀川さんと二宮さんとか分かりやすいよね。私もウマの合わなかった人間がいるから解るよ。

 

 三輪くんの"嫌い"は様々な理由があるんだと思う。まぁ、万人に好かれる人間なんていないからさ。陰でネチネチ言われるより表でトゲトゲ言ってくる三輪くんの方が、言われる方としては好感が持てるよ。

 

 視聴覚ルームでは数名のエンジニアが鬼怒田さんの指示で動いており、林藤支部長に呼ばれていたらしい栞ちゃんも端末を持って忙しなく動いてた。

 

 手伝うのも却って邪魔になるので、そのまま悠一たちの到着を座って待つことに。

 

 準備が終わると程なくして悠一に連れられた三雲くんと空閑くん、そして何故か雷神丸に乗った陽太郎くんがやってきた。玉狛支部に誰もいないから連れてきたのだろうと思うけど、対策会議には場違いだね。

 

 でもそれなりに大人と接してきた陽太郎くんは、場を読むことが出来るお子様なので、会議の邪魔にはならないと思う。

 

 

 

 『───ボーダーには近界民(ネイバー)に対して無差別に敵意を持つ者もいると聞く。私自身まだボーダー本部を信用していない。

 ボーダーの最高責任者殿には私の持つ情報と引き換えに、ユーマの身の安全を保証すると約束して頂こう』

 

 

 レプリカさんが一気に交渉へ入った。昨日のうちに城戸司令は結論を出していたと思うけど、即答はしない。

 

 場の注目を集めることと、答えを皆に浸透させる為の間。そして、最高責任者として重い言葉を吐く為の前置き。

 

 

「…………よかろう。ボーダーの隊務規定に従う限りは隊員、空閑遊真の安全と権利を保証しよう」

 

 

 空気の重さが徐々に減って行くような錯覚。

 

 どうやら玉狛支部側──というより、三雲くんの視線を見る限り空閑くんかな──は何か心理的に有効な手段があるようで、城戸司令の言葉に納得したらしい。その証にレプリカさんは情報を開示してくれた。

 

 

『確かに、承った。それでは、近界民(ネイバー)について教えよう』

 

 

 レプリカさんによって補足された近界(ネイバーフッド)の点在する惑星国家の軌道配置図。予想以上の地図に言葉を失う。

 

 私たちはどうしても無事に"帰る"と考えて、限られた期間に無理のない範囲でしか遠征しないし、出来ない。あまりこの世界から離れると帰ってくることが難しくなるから。

 

 だからこそ、こちらの世界から遠く離れた惑星国家の軌道まで描かれた補足に畏敬を覚える。

 空閑くんの父親である空閑有吾さんは、いったいどんな覚悟で近界(ネイバーフッド)を放浪していたのだろう。

 

 

『レイが情報を訊いてきた、キオンとアフトクラトル以外の国も2つ接近している』

 

 

 海洋国家のリーベリーと騎兵国家のレオフォリオ。

 

 この4つの国家以外にも決まった軌道を持たず、星ごと飛び回る乱星国家も可能性はある。けれど細かい可能性を考えてもキリがない。

 

 爆撃型トリオン兵はイルガーという名称で、なんでも所持している国は少ないとのこと。だから私が訊いた時に2つの国を出してきたのか。

 

 

「迅さんの力でどこが攻めてくるかわからないの?」

 

「俺は見たこともない相手の未来はわからないよ。こういうのは玲の方が得意だね」

 

「フム。たしかにレイさんのスイリ力はあなどれない」

 

 

 なぜ悠一の能力から私に飛び火したんだ。

 空閑くんも納得しないでくれ。私みたいな凡人はプレッシャーに弱いんだぞ。

 

 周囲の視線が一気に私へ集まり、思わず激しく首を横に振って否定した。やめろ笑いかけるな悠一。

 

 城戸司令が各国の所持する(ブラック)トリガーについて言及するとキオンが6本、アフトクラトルが13本。

 驚異的な数字だ。軍事国家だからとも言えるだろうが、これは7年以上前の情報であることを忘れてはいけない。

 つまり、増えている可能性が大いに有り得るのだ。

 

 未知の国なのに、黒トリガーまで出て来られるとこちらは不利としか言いようがない。黒トリガーに対抗できる隊をバラけさせられると勝ち目はないだろう。

 

 ホームグラウンドである反面、私たちは街の被害を最小限にする義務がある。地形と戦力数は情報を与えてしまった。後手にまわざるを得ない戦況だ。

 

 考えることは多い。

 

 

 




原作で三輪は対策会議序盤に居ませんが、拙作では最初から居ます。会議の時間が少し遅めだったという単純な違いです(前日に八神がプレゼンテーションの為に時間を取ったので、その分の仕事を城戸が行っていたから)。
自販機前の空閑とのやり取りはきちんとやっています。


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独自解釈の嵐です。
こねくり回しております。

八神視点の一人称
三輪を軸とした三人称


 

 「───八神作戦秘書官、何か他にあるか?」

 

 

 忍田本部長の言葉に私は深く頷いた。色々言いたいし聞きたいことが山ほど出来ましたとも。

 

 それと今回の対策会議にて私は作戦秘書という地位を一時的に預かった。作戦に口を出すため組織的にアピールする必要があったので遠慮なく賜った。

 

 席を立って空閑くん基、レプリカさんにとある質問をする。答えの内容によっては作戦が変わるだろう。

 

 

「黒トリガーの本数や国柄などの内輪事情を知っているお二方に問います。今までに確認されているバムスターとバンダー以外に捕獲用トリオン兵は2つの国家にありますか? 過去の時点で研究途中、草案だったものでも構いません」

 

「んー、あると思うけど」

 

『研究途中、草案までも含めたら膨大な数だ。それら全てを提示しても場の混乱を生むだけで絞り込めるまで出さない方が良い』

 

「ふむ。では、八神作戦秘書官はなぜその質問をしたのか聞かせてくれ」

 

「はい」

 

 

 私の問いは結論を急ぎ過ぎて過程を入れていなかったので答えをもらえなかった。

 忍田本部長が音頭を取ってくれて助かった。こんなところで躓いたらせっかく預かった地位が泣くぞ私。

 

 

「まず、大前提として近界民(ネイバー)はトリオン、またはトリオン能力の高い人間を攫うことを目的としています。これは4年前の大侵攻からはっきりしている事実です」

 

「今更な事実じゃな」

 

「はい。領土侵攻も可能性はゼロではないけれど、今回は置いておきます。此度、我々はラッドの侵入に気づいておらず、長期間野放しになっておりました」

 

 

 対応が遅れていたことに場の空気が重くなる。

 

 

「そこに私は着目しました。

 "人間を攫うことを目的としているなら、なぜ対応が遅れていた初期から一般人を攫っていかないのか"と。

 我々と交戦するよりも一般人を攫った方が安全で確実。だのにそれをしない。そしてイレギュラーゲートで出てくるトリオン兵は攻撃型で捕獲用は確認されていません。これは完全に我々ボーダーと戦うために戦力を調査していたのでしょう」

 

「だろうな」

 

「そこで前提です。彼らは別に乗っ取りも虐殺も考えておらず、ただ人間を攫いたいのです」

 

 

 数人が「まさか」と呟いた。

 

 

「はい。一般人が狙われていない現在、狙う対象はトリガー使いだと考えました」

 

 

 場が凍る。

 

 今までは一般人を守るためにトリオン兵を倒してきた。けれど狙いが自分たちになったのだ。

 

 

『そのトリガー使い捕獲用のトリオン兵の情報はある。名称は『ラービット』で二足歩行型だ。ただ私の持つ情報ではまだ研究途中だった』

 

「『ラービット』か……たぶん、ソレあると思うよ。未来にそんな場面が視えたし」

 

 

 レプリカさんの言葉に反応したのは悠一だった。実物は見ていないがこの場にいる誰かと、その『ラービット』の可能性を視たのだろう。

 

 トリガー使い捕獲用ということに嫌なプレッシャーを感じる。素早く情報を整理して組み立てて。

 

 

「レプリカさん、その『ラービット』は人間サイズでしたか?」

 

『そうだな。成人男性より一回りか二回りくらいだっただろう』

 

 

 質問の肯定に顔をしかめる。敵の狙いはわかった。あとはどのように撃退するかだ。

 

 レプリカさんにお礼を言って、幹部の方々を見回す。

 

 

「情報整理の繰り返しになりますが、私の考えを述べる時間をいただけますか?」

 

「よかろう」

 

 

 即答してくださった城戸司令に安堵するが、きちんと気を引き締めて私が取得・整理・組み立てた情報を口にする。

 

 まずは勝利条件と敗北条件だ。勝利条件は、大きく分類して敵の殲滅および撃退。敗北条件は、一般人に被害を出されること(後のボーダー運営に関わるので)と、B級以上の実力者と有望株のC級を攫われること。

 

 

「事実の判明について。

 こちらの黒トリガーの情報は与えていない。

 A級上位と古参の方々の実力・人数情報も与えていない。

 ラッドの侵入に気づかず対応が遅れた。

 ラッドの侵入により、敵にはある程度の地形情報を知られ、回収にて大幅な人数情報を与えた。

 空閑くんの失敗でC級トリガーに緊急脱出(ベイルアウト)機能がないと知られた。

 敵には未知の新型トリオン兵がいる、ということです」

 

「何やっとるんじゃ玉狛ネイバー」

 

「その件は申し訳ナイ。慣れないのはダメだね。今はダイジョウブだけど」

 

 

 鬼怒田さんが怒りを空閑くんに向けたが、打ち合わせ通りに話してくれた。隣の三雲くんの顔が引きつってるけど。

 

 

「イレギュラーゲートから出てくるトリオン兵は攻撃型で、モールモッドが主に確認されていました。対応に当たった個人・小隊の実力を見られていたのでしょう。

 そしてイルガーで広範囲攻撃への対応スピードと能力を見られました。イルガーに対応出来たのは木虎隊員と三雲隊員だけ。

 ラッドが判明してからボーダー側は『数時間で対応出来た』と感じますが、敵からすればイルガーへの対応能力も相俟って『原因を知っていても戦力数を集めること、現場へ投入するタイミングが遅いこと。つまり指揮官が無能か伝達が遅いか、とにかく指揮系統が甘いのでは』と考えます。優秀な策士ほどこの考えを与えていることは大きい」

 

「禍を転じて福となす、か?」

 

 

 悠一の皮肉めいた軽口に頷く。高校の頃の悠一を知っているだけに、ことわざを知っていたことにちょっと感心した。

 そういえばサボってたけどバカじゃなかったっけ。

 

 

「そこまで考えて八神作戦秘書官は、敵が取ってくる作戦をどう予測している?」

 

 

 忍田本部長に先を促されて思考を切り替える。

 

 

「戦場規模は広範囲です。トリオン兵による数的暴威を初動として我々の戦力投入を無理やりに引き出してきます。ゲート誘導をしても本部基地を襲う兵と市街地に向かう兵とに別れるでしょう。また、これまでの戦闘とは違って基地を狙ってくるので、そちらの対策も考えなければならないでしょう。そして戦闘の際、危惧すべきは大型のトリオン兵です」

 

「ラッドか」

 

「はい。ラッドと件の『ラービット』ないしは攻撃特化の新型です。

 ラッド潜伏期間内にB級の隊が数度任務に就いており、B級の実力も敵には知られている。その実力を知っても尚攻めてくるということは、B級以上の攻撃力を有した兵があちらに在るのだと考えました。数的暴威も侮れませんが、個の強さも危険です。

 これらはもともと大型の捕獲用トリオン兵には人間を格納出来るスペースがあるため、留意すべき点だと思います。イルガーという我々の知らなかったトリオン兵がいる以上、新たなトリオン兵が出てきてもおかしくはない」

 

『ふむ。それでサイズを訊いたのか』

 

「はい。戦力を分散させて新型で攪乱・疲弊させたところで近界民(ネイバー)、もしくは更なる主力が投入され我々を無力化します。この作戦通りに進めば、その後はあちらが有利な交渉という名の脅しを掛けてくるでしょう」

 

 

 もちろん進ませはしない。

 

 私の作戦はあくまで案だ。けれど、作戦秘書官という地位をこの場だけとはいえ賜ったのだ。それに相応しいように振る舞いたい。

 

 

「戦況は後手で思わしくないか……さて、作戦秘書官殿、その策士に勝てるか?」

 

 

 暗い雰囲気になりかける視聴覚ルームの中、忍田本部長が挑発して下さる。

 

 意識して笑顔を作る。自信を持つ。声は冷静で、内に情熱を。

 

 

「勝ちます。敵は策士ですが、私も策士ですから。こちらを侮ったことを後悔させましょう」

 

 

 相手はこちらを舐めている。こちらに猶予期間を与えたこと、仕掛ける寸前まで情報収集をしていないことが何よりの証拠。私ならたとえラッドが回収されるとしても、ギリギリまで投入を続けて相手の行動方針をラッドに集中させてから叩く。

 

 戦争は情報が停滞した側が負ける。

 戦場が常に流動していることを忘れてはならない。

 

 『戦場の霧』に惑っている相手など怖くないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議が終わると外はすでに夕焼け空。屋上で物思いに耽っていた三輪の後ろに迅が近づいてきた。

 

 

「なんの用だ、迅」

 

「風間さんにお前がへこんでるって聞いてさー」

 

「……」

 

「秀次、実はお前に頼みたいことがあるんだ」

 

 

 ぼんち揚げの袋を片手にそう言った迅は、とても人に頼むような態度ではない。

 

 

「俺に頼みだと……!?」

 

「うん、そう」

 

 

 ボリボリと食べながら肯定した迅に、三輪は冷たい視線となる。正しい反応であろう。

 

 すげなく断った三輪に迅はぼんち揚げ片手に尚も食い下がる。

 

 曰く、三雲が大規模侵攻の折にピンチになるから助けてやってほしい、と。

 

 

「なぜ俺に頼む。あんたなり玉狛の連中なり、お供の近界民(ネイバー)にやらせるなりすればいい」

 

「そうしたいとこだけど、俺は玲を助けるために行けない。メガネくんのピンチの時に駆けつけられそうな人間がお前しかいないっぽいんだな」

 

「……八神さんがピンチになるのか? だがお前は今回の作戦に異を唱えなかった」

 

 

 迅の言い分がいまいち理解できなかった。今回、八神の作戦は方々(ほうぼう)に納得されないものだったが、それでも未来視を持つ迅が何も言わなかったから採用された。

 だのに、危険となる人物が2人も出る。そして、それは迅自身の婚約者だ。

 

 真意を探るように迅の方を向いた三輪に、迅はわらった。

 

 

「2年前、俺は玲が死ぬ未来を視た」

 

「!?」

 

「俺はその未来を変えたい。だからメガネくんをお前に頼む」

 

 

 迅はわらっている。

 しかし、それは面白いとか楽しんでいるとかの笑みではない。

 

 見る者を脅すような、強い覚悟でワラっている。生半可な考えで言っていないと三輪には解った。

 

 だが、それでも三輪に迅の頼みを聞く義理はなかった。

 

 

「……三雲は正隊員だ。自分の始末は自分でつけさせろ。それが無理なら玉狛に閉じ込めておけ」

 

 

 そう言い捨てて去るつもりだった。

 

 だが迅は黒トリガーの風刃まで出して交渉を止めない。

 

 

「ふざけるな。あんたの一存で黒トリガーの持ち手が決まるわけがない。話は終わりだ」

 

 

 今度こそ三輪は足を止めなかった。

 

 

「お前はきっとメガネくんを助けるよ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」

 

 

 背中に受ける迅の言葉が妙に引っかかりながら、三輪は屋上から去って行った。

 

 1人になった屋上で迅はぼんち揚げをかじる。

 

 

 




  『戦場の霧』とは。
 詳しく知りたい方はググってみて下さい。と言いたいところですが、簡単に訳すと『戦場では霧の中みたいに一寸先は闇』というニュアンスです。
 私もうろ覚えなのですがたしか、
「戦場において、偵察や情報収集により敵を調べ動こうとするけれど、地形や気象、得た情報の時間的劣化などによって敵の動きを読むことは難しく、状況は常に流動的」
とか色々書いてある研究書です。やはり詳しく知りたい方はググってみると面白いかと。


・迅はなぜ未来で死ぬと分かっているのに、未来の約束やら婚約やらしてるのか。これは作中で出す機会を一切作っていないのでここでメモを開示。
 端的に言って、迅なりの決意表明です。
 彼の未来視を知っている人間は、迅が『未来はこうだ』と言えば『そうである』と思います。未来視を覆したい派の太刀川だって"未来の可能性"を強く感じます。思ったり感じたりするだけで、その未来を引き寄せているはずです。所謂、暗示。
 なので迅もそれに倣って『未来はある』と己にも暗示を掛けている。けれど未来視と悪夢などで不完全な暗示です。拙作の迅はそんな複雑な心を持ってます。


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自称凡人は仕掛ける

迅が出てこない話でも甘く感じられる方は、そろそろフィルターの替え時かもしれません。

八神視点


 

 レプリカさんから提供していただいたラービットの資料を、脳内で反芻しながら読み込む。エンジニアたちによりラービットの根本的なコンセプトと性能は証言された。

 

 腹に人間を納める空間と、トリガー使いを捕らえるのに特化した腕。開発が進んでもこの2点だけは変わらない点だ、と断言してくれたエンジニアたちの頼もしさよ。

 

 ちなみに、エンジニアにとって草案や研究段階だけでも垂涎ものらしく、すぐに脱線して自分の研究にどう活かすか、とブツブツ言い出すので話を進めるのが大変だった。そしてレプリカさんはエンジニアたちに『ああ! 神よ!』やら『知識の宝物庫』やら『RE・PU・RI・KA』やらと崇められており、心なしかレプリカさんがドン引きしてるように感じた。トリオン兵の彼にも引かれるボーダーのエンジニアたち……それだけ研究熱心なのだと前向きに考えよう。そうしよう。

 

 

「腹に納めたトリガー使いの抵抗を無力化させる、って何があるだろう……」

 

 

 エンジニアたちのレプリカさん万歳コールで騒がしくなった開発室から抜けて、人気のない自販機前のベンチに腰掛ける。

 

 トリオン体は痛覚を軽減されているので、生半可な拘束では意味がないはず。いざという時は緊急脱出(ベイルアウト)があるので大丈夫だと思いたいが、おそらくそれは希望的観測。

 

 敵はこちらの偵察を終えて、B級以上が逃げる手段を持っているのは知っている。だのに悠一の『未来視』でラービットが投入されているのなら、何かしらの緊急脱出(ベイルアウト)を邪魔する機能が搭載されているのだと思う。

 

 対策会議にて私の作戦は採用された。作戦秘書なんて地位も一時的に預かった。

 

 あの場で私は自信を持って発言している。発案者が弱々しく発言するより、はっきりと言い切ることで周囲も「なるほど」と前向きに考えてくれるから。

 

 現在のボーダーで広範囲を守備できる隊員は、自画自賛ではなく私だけだ。広範囲と限定するなら天羽くんがいるけど、彼は守備より殲滅型なので市街地から離れた地区に投入される。もう一人風刃を持った悠一も広範囲の戦力として挙げられるが、今はスコーピオン使いとなっているので数えられない。

 

 スパイダーとシュータートリガーを駆使したトラップで一つの方角なら防衛できると、ソロA級昇格時に私は証明している。しかし、あの時はゲート発生後から10秒以内に狙撃して敵を倒す、という方式だった。

 

 これから予測されるのは誘導が出来ないゲート発生や、少なくて二桁、多くて四桁を超える複数のゲート同時発生だ。主力の近界民(ネイバー)も出てくるはず。

 

 

「……」

 

 

 どう考えても、現段階の私一人で一角を守るなんて出来ない。ましてや、作戦に参加してくれるC級の命運を預かれるわけがなかった。

 

 たとえ、一角を守れたとしても他の方角はどうする。他のボーダー隊員に任せると言っても、作戦立案の責任を彼らに押し付けてしまうのは無責任だ。

 

 新しい技術を取得するか。否、今更間に合わない。

 

 新しい防衛特化のトリガーを開発してもらうか。否、エンジニアはフル回転で動いており手が空いていない。開発が間に合っても使い手の練度は付け焼き刃だ。

 

 スパイダーと繰糸を普及するか。凡人の私が使えているから才能ある人間ならすぐに物にしてくれそうだ。幸いに数名は天才型だし十分に使いこなしてくれるはず。けれど、現在の戦闘スタイルからかけ離れる為、ボーダー全体の攻撃力が落ちてしまうだろう。それでは本末転倒。

 

 現在のボーダーの技術力。既存のトリガー。何が出来るだろう。

 

 自販機のカラフルなボタンランプがバラバラに点滅してから、一気にすべてが同じ色に揃う。そしてまたバラバラに。ランダムに見えて実に規則的な繰り返しだ。それを何とはなしに眺めながら、また思考の海に潜る。

 

 一つだけ、思いつくものがある。いいや、既に思いついていたことだ。他の代案が出れば、それに越したことはなかっただけ。

 

 

「『自分を守れない者に他人を守る資格はない』なんて、言ったばかりなんだけどな……」

 

 

 悠一の悲痛に歪んだ顔を思い出す。

 

 おそらく、これはずっと前から確定していた選択肢。悠一は作戦について異論を出さなかった。

 

 つまり、私がこれから実行する()()()()は成功する。問題はその後なのだ。

 

 

「お、八神さんじゃん。こんちわー」

 

「ん? お、出水くんこんにちは」

 

 

 私服姿の出水くんが声を掛けてきた。

 

 開発室近くなので隊員が通るなんて珍しいのだが、出水くんはとある飲み物を求めてボーダー自販機巡りをしていたらしい。

 

 

「『煮玉子味の何か』ってのを捜してんだけど、八神さん知ってます?」

 

「いやいや知らない。煮玉子味って何? 何かって何? そんなのが自販機にあったなんて初耳だよ」

 

「オレも初めて聞いて……たぶんハズレだと思うんで太刀川さんに届けようかと」

 

 

 ニヤリと笑った出水くんの表情は、少しばかり怒りが滲んでいた。大学生の太刀川さんは課題を溜めていたり、その課題を年下の出水くんや国近ちゃんにも手伝わせてしまったりとしているのでそれ関係だろう。当真くんもたまに冬島隊隊室に持ち込んでは真木ちゃんから冷たい目で見られている。最近は鈴鳴支部の今ちゃんにお世話になっているようだが。

 

 目の前にある自販機にもそんな飲み物は並んでいない。徹夜の為のカフェインと栄養ドリンク、糖分摂取用の甘い飲み物しか置いていない。ボーダー内の自販機で一番レパートリーが少ない自販機だと思われる。

 

 出水くんも自販機の販売一覧を見て「やっぱりないかぁ」と納得した。

 

 

「ん~しゃあない。八神さん暇なら久々にランク戦しません?」

 

 

 自販機からクルリと振り返った出水くんの申し出に、時間を確認する。休憩の残り時間は30分。ランク戦ブースから育成部署は近いけれど、仕事始めの準備などを考えれば15分か20分だろう。

 

 思考の結論もほぼ終わった。

 なら、出水くんとのランク戦で時間を潰すのも有りかな。

 

 

「うん、やろうか」

 

「よっしゃ! ハチの巣にしてやりますから!」

 

「う~ん、その言葉で受けたのをめっちゃ後悔してる」

 

 

 ウキウキとし出す出水くんの背を追って、ランク戦ロビーへと足を進めた。

 

 出水くんの身長は目測174~176cm。単純計算で歩幅は75~78cm。利き手、利き足どちらも以前と変わりなく。右足、左足、右足、左足。床に踵から着いてつま先で離れる。歩き方と腕の振りも不自然な点はない。

 

 トリオン体になると身体能力が強化されるが、すべてが一変することはない。元になった生身の肉体情報が基礎体となり、生身からどれだけ逸脱出来るかは個人の素質であり、イメージ力が関係する。

 ボーダー内でその素質が突出しているのは、那須ちゃんが一番に挙げられるだろう。

 

 出水くんの重心が後ろへ動く。上半身を捻って私に話し掛けると予測。

 

 

「八神さんとランク戦ってひさびさっすよね」

 

 

 当たり。

 

 

「そうだね。遠征前にしたのが前回だっけ?」

 

「おおっ、それなりに間隔空いてんな。ま、八神さん捕まえんの大変だし仕方ないっちゃあ仕方ない」

 

 

 口角を上げて笑む出水くん。

 

 顔色は上々だが、少しだけ疲労を感じ取れる。防衛任務は太刀川隊ではなかったから、先程言っていたように太刀川さん関係か、はたまた国近ちゃんのゲームに付き合っていたのか。

 

 

「私がランク戦ブースに寄ってないからもあるかな。休憩時間もらっても、単純に休憩か、スナイパーの訓練を主にしてるからね」

 

 

 少なくとも出水くんはストレス発散をやりたいらしい。私のこれからの運命はハチの巣一択か。

 

 

「相変わらずの真面目ですね。太刀川さんもどうにか課題を溜めないくらいマジメになればいいのに」

 

「課題を溜めない太刀川さん……?」

 

「……果たしてそれは太刀川さんなのか?」

 

「哲学か!」

 

「やべー太刀川さんから哲学が発生するとかオカシイ」

 

 

 出水くんの言い分はひどいものだが、太刀川さんは学業面で頼りないので仕方ない。

 

 雑談に花を咲かせながらランク戦ロビーに到着。

 

 通常ならスナイパーはこの個人ランク戦ブースに見学以外で関係ないのだが、私はシュータートリガーも取得しているのでたまに足を運んでいる。と言っても本業はスナイパーなので、シュータートリガーは補助か逃げにしか使用していないのだが。

 

 

『八神さんってポイント詐欺ですよね』

 

 

 ブースに入り、モニター越しから聞こえてくる出水くんの言葉に苦笑する。

 

 私のポイントはマスターランクに届かない残念なものだ。

 個人ランク戦にあまり挑戦していないし、参加しても出水くんを始めとした、二宮さんや加古さんたち実力者に叩きのめされる。ついでにシュータートリガーで参加してもトドメに使用するのは6割狙撃だから、そりゃあポイントは上がらない。

 

 任務などの実戦でも隊のエースを活かす戦法なので、私個人にポイントが多く入ることもない。よって、私の総合ポイントランクは下から数えた方が早かったりする。

 

 

「実際に私は敵を倒すより足留めの方が得意だから、妥当なポイントじゃないかな?」

 

『いやいや詐欺でしょ。もうちょっとポイント上げて下さいよ。八神さんに負けた時のポイントの減り方えげつないんで』

 

「ありがとうございます」

 

『あ~ぜってー勝つ』

 

 

 出水くんへの煽りも程々にしておこう。

 

 さて、出水くんはどう仕掛けてくるのか。道中での行動予測はほぼ的中し、久し振りではあるが出水くんの動き方も癖も変わりはなかった。

 行動予測からして、開幕ハチの巣狙いだ。

 

 では、何の弾でハチの巣を狙ってくるのか。

 おそらく、威力重視のアステロイド。そして後詰めにメテオラで広範囲爆破。

 メテオラは私がスパイダーを張った場合に地面と壁ごと削り取る為の処置だろう。うん、出水くんのやり方もえげつない。

 

 ハチの巣狙いのアステロイドならば分割数を増やしてくるはず。そこが狙い目かな。分割スピードは速くて1秒、遅くて2秒。

 

 脳内でシミュレートを重ねる。

 

 

『転送完了』

 

 

 無機質な機械音声が終わるか終わらないか。スコープ越しに出水くんの胸を捉えて引き金を引く。

 

 弾速重視のライトニングが火を噴くのと、出水くんのアステロイドが私の左腕を吹き飛ばしたのは同時。

 

 

『出水、緊急脱出(ベイルアウト)

 

『八神、緊急脱出(ベイルアウト)

 

 

 僅差で私の方がベイルアウトが遅かったけど、勝敗を決せられるような時間差ではない。

 

 私の方が遅かった理由は、左腕というクッションで心臓部へ弾が到達するのが遅れたからだ。

 対する私は左腕が吹き飛ばされた拍子にライトニングの銃口が上方向へずらされたが、急所の頭部を射抜くことに成功した。

 

 けれど、やられたことに変わりない。

 

 

『く~! 取ったと思ったのに!』

 

「結局私をハチの巣にしたからいいじゃんか」

 

 

 悔しそうな言葉だけど、声音はめっちゃ楽しそうで何より。

 

 先程の攻撃は私のミス。

 

 転送完了時には立射(りっしゃ)姿勢は調(ととの)い、ライトニングも寸分狂わず手に納まっていた。ミスはここから。

 出水くんの行動予測は的中していたのだから、別にスコープを覗く必要などなかった。その寸暇がこの結果。

 

 距離の把握も、出水くんの姿勢も、私の立射姿勢も完璧だった。

 

 しかし、スナイパーとして"スコープを覗く"という常識行動が敗因。おそらく当真くんならしないミス。反省しよう。

 

 まぁ、そもそもスナイパーがあの距離まで詰められるのは相当のピンチだ。というかスナイパーが正面からやり合う、この現状が間違っているんだけどね。

 

 

「まだ時間あるから2回目やる?」

 

『やるやる』

 

 

 もうさっきの状況は作れない。けれど、開幕アステロイドは出水くんも警戒して仕掛けてこなくなった。この選択肢を潰せたのは大きい。

 

 次に行うのは、待ちか釣りか。

 

 

 残り時間は少ないが、やれることはたくさんある。この対戦も、大規模侵攻も、私に出来る限りの手を増やして行こう。

 

 

 




  ・立射(りっしゃ)姿勢
 文字通り立った状態でライフルを構える姿勢です。原作では何気に4巻で古寺くんがやってたり、侵攻編で東さんが構えてたりします。でも画像検索が一番早くてわかりやすいかと。

作中でも書いていますがスナイパーとしてこの話の八神は色々間違っています。作者としては、八神はスナイパーというよりマークスマンに近いと考えていますが、そちらだとしてもこの話での攻防は間違っているでしょう。
一応、コンセプトを挙げるならイギリスの『英国は百戦失えど最後の一戦を穫る』なのですが、2戦目を書く気力が湧きませんでした。

  ・読んでも読まなくても良い八神設定
スナイパーはターゲットの動作や癖を十分に観察して行動予測をして、狙撃を行う。
という情報を知って、八神の性質(性格)設定に『相手の顔を覚えるより所作で判断する』を加えていました。八神は臨時で隊長を任されることが多いのでB級隊員の戦闘ログは暇があれば観ています。ただし顔は覚えておらず歩行間隔やテンポ、武器、癖で区別しています。
既知のトリオン兵の行動パターンは把握済みであり、人間に比べればパターンの少ない新型トリオン兵も、時間を置けば把握できます。
地味に高い能力なのですが、八神自身は周りが凄すぎて気づいておりません。回りで気づいている人間も極一部です。
一番身近な当真が感覚で撃ち抜くので、八神は「己が凡人だから考えて撃たなければ」と思っています。

ちなみに拙作でも当真はスナイパー1位です。
「八神がいるから実戦ポイントが減って奈良坂に負けているのでは?」と危惧した方がいたのかもしれませんが、この話の通り八神は主に補助であり、むしろ原作より撃破数が高いのです。嵐山隊を除いたA級で一番給料を貰っているかもしれません。
おそらく冬島はエンジニア関連での給料+A級固定給であり、八神も正社員雇用給料+A級固定給+撃破数報酬なので隊の中で金銭トラブルは一切ありません。


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終着点が浮かぶ

侵攻編ではこの話を最後に、八神視点の一人称はなくなります。

八神視点の一人称
八神を軸とした三人称


 

 対策の方針が決まると急ピッチで仕事が回り出す。エンジニアから屍累々が発生しているが、スピードが大事なので無理やりご飯を口に突っ込み、強制的に寝かせて仕事を進める。

 エンジニアからたまに「お袋」と言われます。

 

 新人育成部署にも何度も足を運び、緊急での対応行動を訓練に組み込んでC級の強化に努める。

 空閑くんが段違いの動きをするので、才能あるC級たちもそれにつられて向上心がアップした。思わぬ収穫だ。

 

 

「八神さん、あの今お時間よろしいですか?」

 

「三雲くん? うん、10分くらいなら」

 

 

 本部にいるのが珍しい三雲くんがわざわざ話しかけてくれたのだ。スケジュールがちょっと苦しくなるけど、三雲くんの表情は真剣だ。他人の言葉にも耳を傾けなければ。

 

 廊下で話すのも何だけど、ちょうどベンチがあったので隣り合って座った。

 

 

「それで?」

 

「……僕は、まだあの作戦に同意できません。でも立場の差があり過ぎて、それに僕は八神さんがどうしてあんな考え方が出来るのかわかりません」

 

 

 苦しみながらも真っ直ぐな心でそう言った三雲くん。少年漫画の主人公みたいな心根の持ち主に、私のような凡人の考えを理解できないのは当然だよ。

 

 三雲くんの言う"あの作戦"とは『C級隊員を囮にして民間への被害を減らす作戦』のことだ。我ながら非道い奴。

 

 C級トリガーに緊急脱出(ベイルアウト)機能がないことを知られた、のを逆に利用した最低な作戦。

 

 もちろん色んな人に非難された。しかし、私たちボーダーは防衛隊員なのだ。C級と言えども組織に組するからには一般人でなくボーダーの隊員。民間よりも守る優先度は低い。

 

 予定では50名のC級トリガーに緊急脱出(ベイルアウト)機能をつける。事が始まれば400名以上のC級隊員たちも動員して一般人の避難誘導を優先。誘導後、50名は本部基地へ走り囮となり、残りのC級隊員たちはトリガーを解除して一般人と共に避難・待機させる。

 

 無責任に囮をさせるわけではない。現に緊急特別訓練を課し、ルートを決めてB級隊員が駆けつけて連携をしやすいように打ち合わせをしている。また、何らかの妨害でB級以上の隊員が向かえない場合は、私が補助に回る。

 

 囮となる中には空閑くんと雨取ちゃんも含まれる。三雲くんは友人を、特に雨取ちゃんを危ない目に合わせることが嫌なのだろう。

 

 

「僕は指示よりも、C級隊員を守るために動いてしまう、と思います」

 

「……君は玉狛支部の人間だし、無理に本部側の私に従わなくていいよ。まぁ、林藤支部長には従わないとボーダーを追放するけど」

 

「……僕は、空閑が八神さんを"こわい人"だと言った意味が、やっとわかった気がします。最初はサンタコスの人だったけど」

 

「ははは。サンタコスは忘れてほしいです切実に。普段はこんなだから!」

 

 

 弄ってくる三雲くんに本部の制服を指して主張した。

 

 一応嫌悪はされていないが好意も持たれていない、そんな関係。

 悠一の後輩にそんな印象を与えてしまったことは悲しいけれど、もう後の祭り。控えている大侵攻に私は全力を尽くすだけだ。

 

 

「三雲くん、君が強くなるのを待っているよ」

 

「……僕は」

 

「ごめんね、もう時間だ。話はまた今度」

 

 

 暗い表情となった三雲くんの言葉を遮ってベンチから立ち上がって歩き出す。悪いけれど、君の悩みをずっと聴く余裕はないんだ。

 

 そう思ってたんだけど。

 

 

「僕は八神さんを尊敬しています! でも八神さんとは違う強さを見つけますから!」

 

 

 背中にそう叫ばれて思わず振り返った。

 

 拳を握り締めた三雲くんが真っ直ぐな心で、真っ直ぐな瞳を、私に向けていた。

 

 

「そっか。なら、未来のライバル候補だね」

 

 

 ゆるゆると口角が上がった自覚があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦会議室にて、A級と一部のB級部隊に情報伝達を行い、正午になったことで一時解散となった。

 

 会議に使った書類を読み返しながら纏めていた八神の机に、白黒の市松模様の盤が置かれた。

 

 

「?」

 

 

 書類から顔を上げて置いた主を見上げると、胡散臭い笑みを浮かべた迅だった。椅子をガーッと移動させて八神と対面に座って、市松模様の盤、(もとい)チェス盤を指差して言う。

 

 

「1回だけ相手してほしいんだけど」

 

「……悠一ってチェスしたことあるの?」

 

「初めてだね。でもルールは知ってるから」

 

 

 昼食時と言っても、まだ会議室に残っていた隊員は面白そうに注目している。迅はそれをわかって勝負を挑んでいた。

 

 胡散臭い笑みの迅を怪訝に思うも、八神はこの空気の中で断るのもな、とも考える。

 しかし八神はチェス初心者ではないし、むしろ中級者くらいには勝つ実力のあるプレイヤーだ。ルールしか知らず、実戦をしたことがない迅に余裕で勝てる自信は持っている。

 

 

「やるなら、駒落ち戦にしよう」

 

 

 駒落ち戦とは、上級者側の駒を減らして対戦すること。クイーンやルーク、ナイトなど強い駒を減らすのでハンデとして有効なのだ。

 

 

「駒落ち? あ、駒は減らさなくていいよ。俺はサイドエフェクト使うから」

 

「マジか! 迅きたねえぞ」

 

「あれ? 太刀川さんまだ居たんだ」

 

「居たわ!」

 

 

 迅の言い分へ真っ先に反応したのは太刀川だった。

 

 楽しそうだと思ったのだろう。いそいそと盤が見える位置に移動して、腕を組んで腰掛けていた。

 

 太刀川ほどでもないがそれなりに興味があるのか他の数人も2人を見守っていた。

 

 八神は逃げられないことを確信して、駒を初期位置に並べるべく手を伸ばした。

 

 

「それで何を企んでるのさ?」

 

「さすが話が早くて助かるなぁ。負けた方が勝った方の言うことを必ず実行する、っていう賭けをしよう」

 

 

 ピタリとルークを持って動きを停める八神に迅は笑みを深める。

 一瞬、無表情となった八神だが、軽く溜め息を吐いて了承した。

 

 見物人の太刀川が「エロか? エロいのか?」と茶化し、風間に頭を叩かれて大人しくなった。

 

 

「先攻はあげるよ。色は?」

 

「黒で。いいの? 俺には勝ってる未来が視えてるけど」

 

「どうせ負けてる未来も視えてるでしょ。どうぞ」

 

 

 迅が黒、八神が白。

 

 チェスは序盤・中盤・終盤と大きく局が分けられる。将棋とは違って穫った駒を自陣に加えることは出来ない。奪われた駒は奪われたままだ。戦いでは数が多い方が有利で、弱い駒で強い駒を奪った時の高揚はなかなかの物。

 

 さて、チェスの動かし方にも定石がある。相手よりも先に戦力を展開出来る"先攻"は有利な手だ。

 それを八神は未来視を持つ迅に譲ったことは、かなりのハンデをあげたことになる。

 

 

「今日も泊まり込み?」

 

「うん、ごめんね。エンジニアたちのスケジュールとか開発とかを手伝う。侵攻には万全に臨みたいから」

 

「……そっか~。玲のご飯を早く食べたいな」

 

「うーん……家に行くのは無理だけど、隊室でご飯作るくらいなら時間あるよ」

 

「じゃあ食べたい。何作ってくれるの?」

 

「オムライスでもいい?」

 

「玲が作るなら何でもいいよ」

 

「了解」

 

 

 とん、とんと両者とも間を開けずに駒を置いていく上に、会話が途切れることもない。

 

 初心者の迅は未来視を持つ故に迷いがないのだが、八神は盤と迅の様子を見ながら瞬時に判断しているようだった。

 

 太刀川よりも少しだけ距離を取って眺めていた東が、内心感嘆の声を上げる。

 

 中盤も終わり、終盤へ入った盤上では、兵数は迅が有利。しかしクイーンが居ないので駒の持ち点数を見れば八神が勝っていた。

 

 迅の表情は真剣だ。対する八神も盤を睨んでいるけれど、迅ほど悩んでいる様子ではない。

 

 迅がナイトを動かすと、すかさず白のビショップが奪いにきた。ハッと迅が目を見開いて固まる。

 

 

「チェック……もし、私たちが初対面の時に『君と俺は婚約する未来だ。だからすぐに婚約しよう』と悠一が言ってきたら、私はどん引きして一言も話さなかっただろう」

 

「いや、それは俺も嫌だけど……」

 

「つまりはそういうことだよ。いくら勝つビジョンを知ってたって過程を蔑ろにしてはいけない、でしょ?」

 

「……」

 

 

 迅が渋面となり、一向に盤へ手を伸ばさない。

 

 

「悠一は勝ったらなんて言うの?」

 

 

 未来視を持たなくても、八神や周りのチェスをかじったことのある見物人たちには結果がわかっていた。

 

 それを察したのだろう。迅は深く溜め息を吐いてキングを掴んだ。

 

 

「『大侵攻の時に戦うな』って、命令をね」

 

 

 コトリとゆっくりキングを動かして、手を引っ込めた。

 

 迅の言葉に会議室の面々が顔をしかめる。

 予測される大侵攻で八神のポジションは重要だ。それを今更ナシになど出来るはずもない。だが、迅が未来視でいい加減なことを言うはずもなく。

 

 おそらく三輪がこの場に居たのならまた話が違ってくるのだが、彼は迅が勝負を挑んだ途端に「くだらん」と早々に出て行っている。

 

 盤上はキング同士が対面するオポジション。

 

 悩み始める周りを置いて、八神は白のクイーンを動かした。

 

 

「チェックメイト。私の命令はもう未来視しちゃった?」

 

「うん。だから言わなくても」

 

「あ、でも証人が要るよね。

 じゃあ『私がいなくなったら、他人に二目(ふため)と見せられないくらい泣きはらして、それから目一杯笑うこと』だ。

 必ず実行してね?」

 

「……」

 

 

 慈愛さえ籠もった笑顔でそう宣言した八神に、迅は俯き、見物人は固まった。

 

 スッと立ち上がった八神は俯く迅の側に近づいて、優しく頭を撫でる。

 

 

「ごめんね? ちゃんと悠一が心配してくれてるってわかってるよ。でも私に勝つならルールだけじゃなくて常識も覚えてこなくちゃ」

 

 

 同じ駒を連続ターン動かすのは勝ちを狙えない。

 戦略は先に展開した方が勝つ。一つの駒に集中し過ぎては他の駒が疎かになってしまうのだ。

 

 今回、迅はこのミスを犯した。迅には"勝ちの盤"が視えているけれど正確な駒を動かす順番を把握していなかった。故に、一つの駒を"勝ちの盤"で視えた位置に持っていこうと集中した。

 

 さらに八神に「初めての実戦」だと教えたことも、敗因に繋がった。

 何故なら"ルール覚えたての初心者が我慢せずに駒を奪う"ことを八神は経験で知っている。

 

 迅の未来視は確かに嫌なマスに置いてくる動きだったが、臨機応変に流動的に戦局を動かし、取りやすい囮を用意して未来視を惑わせて、本命の手を打てば良い。

 

 

「じゃ、オムライス作ってるから片付け終わったら隊室に来てね? 皆さんも早めにご飯食べに行ってくださいねー」

 

 

 迅から手を離して机上の書類を取り、八神は颯爽と会議室から出て行った。

 

 残ったのはうなだれた迅と深刻な表情の見物人たち。

 

 

「……迅、八神は今回やべーのか?」

 

 

 諏訪が沈黙を破って迅に問う。

 

 迅は息を深ーく吐き出して、透明な笑みを浮かべて顔を上げた。

 

 

「……玲がいるか、いないかで被害がかなり変わる。俺のサイドエフェクトは、玲がいた方がいいって言ってる」

 

「それなのに?」

 

「今回の侵攻はボーダーの転機だけど、玲の転機でもある。俺との関係も変わるかもしれないからちょっと不安になっただけだよ。さっきの言葉で玲は変わらないって確定したから安心したけど」

 

 

 肩を竦める迅が椅子に凭れて脱力すれば、周囲の人間も知らず知らず空気を緩めた。

 

 

「それにしても、八神見てるとマジで彼女欲しくなるな!」

 

 

 太刀川は顎髭を撫でながらにやにやと迅に笑うと、それに諏訪も歯を見せて喉で笑う。

 

 

「おーわかる。あの包容力ハンパねーし」

 

「太刀川と諏訪の彼女は苦労しそうだな」

 

「んだよ風間、そりゃどういう意味だコラ」

 

「そのままの意味だ」

 

 

 21歳組がいつもの口論を始め、太刀川と迅も。

 

 

「俺と八神の未来」

 

「ない。ありえない」

 

「そう言うなって。未来は分かんねーだろ」

 

「100%ない」

 

 

 などの言い合いに発展したので、東を始めとした他の見物人たちは会議室から退室する。

 思考の片隅に"八神が危険かも"というのを置いて。

 

 

 

 




チェスの描写は敢えてぼかして書いています。
専門用語が多くて説明しきれないので。


お気づきの方がどれだけいらっしゃるか不明ですが、
この時点で八神はとある対価を払って高い能力を取得しています。
なので侵攻開始するとチートのような人物になります。
どういう能力か推察したい方は、BBF質問箱DXのQ.172~174をご覧下さい。こちらを作者が独自解釈したものです。

※完全チートではありませんが、擬似チート設定が嫌い・苦手な方は、
大変申し訳ないのですが、以降の話はお控え下さい。

次話から大規模侵攻が開始します。


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作戦開始

今後の更新につきましては活動報告の『三門市に~ 更新について』をご覧下さい。

前提として、展開は原作に依存。
原作とほぼ変わらない部分や進行に関係しない場面は描写していないので、読みにくいと思われます。


 

 

 1月20日の昼。ついに侵攻が始まった。

 

 

『ゲート発生、ゲート発生。大規模なゲートの発生が確認されました。警戒区域付近の皆様は直ちに避難して下さい』

 

 

 突然の暗雲により警戒区域全体が薄暗くなった。

 

 

「ふむ……黒い雲の原理は密度が高くて太陽光を透さないからだったはず。ゲート発生によるエネルギー爆発に影響して気圧の変化があったから雲が一気に出来たのか、それとも落雷のようにゲートが降ってるように見えることから濃密な敵のトリオンの塊が雲に見えるのか」

 

『すっごく気になる考察だけど! 作戦開始だから余計なことに思考リソースを消費しないで集中!』

 

「あ、はい。サポートお願いします円城寺(えんじょうじ)さん」

 

 

 通信で届いた円城寺の声に八神は思考を止めて切り替える。

 

 現在地点は基地から北東の市街地。冬島隊とは別の仕事で警戒区域と、市街地の境界線を回っていた八神は1人である。

 

 本来なら冬島隊の真木と連携するところを、その別仕事のために元オペレーター現エンジニアの円城寺がサポートに就いている。

 

 

「行動を開始します。繰糸(そうし)起動、介入(アクセス)

 

 

 八神がスパイダーのオプショントリガーを起動する。トリオン体に指貫の形で装着している物だ。

 

 普段、八神は両手とも親指と人差し指以外の指先に着けているのだが、今回左手は5本とも装備しており更に指先だけでなく基節骨(きせつこつ)の中ほどにも装着。右手は人差し指以外に左手と同じように配置。数にして計18の繰糸だ。

 

 無線LANのように、近くのスパイダーから八神の管理下に置かれる。

 

 

『八神隊員、基地を中心に東・南・南西を優先しろ』

 

「八神了解。接続(コネクト)

 

 

 円城寺とは別に忍田の通信が入り、指示通りの方角に設置したスパイダーを管理する。

 

 

『遠視覚支援完了。感度異常なし。思考リソースの誘導を開始』

 

 

 俯瞰的に己を()ることを意識して指先と、北東から離れた遠い場所に張られたスパイダーへ意識を移した。

 

 八神が行っているのはスパイダーの繰糸による超遠隔操作だ。

 起点がスパイダーとなる為、事前にスパイダーを設置しておく必要があるのだが、ここのところ毎日念入りにスパイダーを張っていたので問題ない。

 

 

「東部の境界線に向かいます」

 

 

 繰糸を使用したまま八神は場所の移動を開始した。

 

 初動は迅速であり、予測していた通りの規模の戦場だ。B級部隊も次々に到着して無理なくトリオン兵を掃討できていた。だからこそ、大型トリオン兵の中から新型が出てきた時も部隊長たちは不敵に笑った。

 

 油断がなかったかと訊かれたら、少しはあったのだろう。

 

 南部の(あずま)から通信が入る。

 

 

『こちら東! 新型トリオン兵と遭遇した! サイズは3m強。人に近いフォルムで二足歩行。小さいが戦闘力は高く、アイビスを弾く腕の装甲持ち!』

 

 

 東隊の前衛連携を難無く崩し、緊急的に発砲した東のアイビスを近距離で受けたのに傷一つない装甲だった。

 

 東は奥寺と小荒井へ攻撃しながら下がるように指示すると、観察を開始。

 情報であった『捕獲型』もしくは『超攻撃特化型』の可能性を加味して戦う必要がある。

 

 だが事態は一刻を争う。東隊は南部で一番に現場へ到着した部隊だ。トリオン兵1体に集中し過ぎれば市街地への被害が考えられる。しかし新型に背を向けるのも危険な状態だ。

 

 そして、東部にて諏訪隊の報告を受けた本部から警告が走る。

 

 

『諏訪隊員が喰われた! おそらくその新型はトリガー使い捕獲用のトリオン兵"ラービット"と思われる! 各隊、単独で挑むな!』

 

 

 仲間が1名やられたことに動揺が走った。しかし油断は出来ない。

 

 東隊は戦線を徐々に後退させて柿崎隊と合流する。

 

 

「忍田本部長、こちら八神。市街地の防衛は任せて下さい。ラッド一匹たりとも市街地には出しません」

 

『! 通常トリオン兵は八神がくい止める! 新型と交戦中のB級部隊はA級部隊が来るまで戦力の維持を最優先しろ!』

 

 

 蜘蛛の巣に捕らえられた虫のように、通常トリオン兵がスパイダーに吊られ、イーグレットの狙撃が核を破壊。

 新型が飛び出す大型トリオン兵は吊らずに警戒区域へ放り投げられて距離を稼ぐなど、地味に警戒区域街の破壊をしていたが市街地は平和だ。

 

 スパイダーの色は気にせず、太さと強度を瞬時に変えては絡め捕り、時には鞭のようにしなり、イーグレットで撃ち抜かれる。

 狙撃後は早々に位置を変えて、同じ作業を繰り返される。

 

 煩わしい程のバドを撃ち落としていく中、八神の視界に新しいトリオン兵が現れた。

 

 

「! こちら八神。爆撃型トリオン兵を目視! 数は5! まっすぐに基地を目指しています!」

 

『爆撃型トリオン兵接近!!』

 

 

 八神が資料で確認したイルガーの装甲はイーグレットで落とせるものではない。警告するしか出来ず、本部基地も砲台を出して迎え撃つも、先頭2体の内1体が基地の外郭に直撃。

 更に追加の3体も基地を目指す。

 

 確実に1体を砲撃で墜とすも、2体が直撃する、となった時、間に合った太刀川が1体を斬り墜とした。

 残りの1体が基地に直撃するが、目立った傷はない。

 

 空をサッと見渡して、イルガーがもういないことを確認した八神は思考を切り替える。

 考えることは敵の動き。

 

 通常トリオン兵を八神が対応している以上、ラービット1体で部隊規模の隊員を捕獲するのは苦しいはずだ。更なるラービットの追加を危惧していたところでイルガーの襲撃だったが、基地の破壊まではしなかった。

 敵の余力はまだ残っているのに、だ。

 

 

「ん?」

 

 

 通常トリオン兵が増えたことに八神は繰糸に集中する。モールモッドの刃に切られない強度のスパイダーだが油断しては剥がされるからだ。

 

 繰糸に集中しながら思考を戦場へ。

 

 イルガー襲撃後、兵が追加された。

 これは何の意図か。

 

 

「敵の動きはずっと戦力の分散。目立つ本部基地への攻撃はイルガーだけ。戦線は混迷」

 

『何かわかった?』

 

「もしかしたら、敵は本部基地にC級隊員がいると思っていたのかもしれません。本部襲撃で反応がなかった為、兵は一気に市街地へ向かうと思われます」

 

『玲ちゃん捌ける?』

 

「ラービット相手だとスパイダーは危険ですね」

 

 

 円城寺と通信を介して情報を整理すると、今度は本部へ通信を繋ぐ。

 

 

「例の作戦を開始します」

 

『了解だ。直ちにベイルアウト持ちのC級隊員は5人一組で走れ! 他はトリガーを解除して誘導しながら避難だ!』

 

 

 囮作戦の開始だ。

 

 現在、警戒区域から脱したトリオン兵はいない。だからこそ一般人と避難するC級隊員を目撃される心配がない。ベストなタイミングで作戦は開始された。

 

 けれども問題はある。

 B級隊員は未だに新型と交戦中な上に、3部隊以上固まって戦線に出ているため、当初の予定より囮のC級は危険だ。

 

 最低限の情報しか配られないC級隊員には当然、余計な混乱を防ぐために伏せられる。だが、C級の中で囮に選ばれた隊員は訓練とは違う危険をきちんと察知した上で動き出した。

 

 作戦開始は全隊員に知らされる。B級隊員たちは出来るだけ囮のC級の補助へ向かいたいが、向かってくる敵が多すぎて予定通りの動きは出来ていない。

 

 三雲は雨取がいるC級チームの元へ急ぐ。

 空閑は(ブラック)トリガー使用中なので同行が本部から許されなかったが、代わりに頼れるA級隊員の木虎が着いていることが心強かった。

 

 B級隊員が自由に動けない以上、C級隊員のサポートも八神は請け負った。

 東部で差し向けられた色違いのラービットを翻弄しながら、東部・南部・南西部の通常トリオン兵の拘束とC級チームの護衛を同時進行で行っていた。

 

 本部基地内でそれを聞く忍田はその異常性に目をみはるも、事前会議にて八神の『私なら全方位を同時にサポート可能です』が虚偽でも誇張でもなかったのだと改めて知る。

 味方側故に、信用しているが故に、彼は深く考えなかった。

 

 城戸は静かに鬼怒田へ視線をやる。視線に気づかない鬼怒田は、八神の活躍に冷や汗をかきながら「当然だ」と拳を握っていた。

 城戸には何の報告もあがっていないが、エンジニアと八神が結託して何かをしていることは知っている。おそらくそれが関係しているのだろう。

 

 そこで、事態は次の段階へ動いた。

 

 

 




進行優先で駆け足気味なので展開が早いです。
しかし、原作で"大規模侵攻は2時間程度の出来事"なので。


  八神のトリガー構成
スパイダー(改造)・繰糸・バイパー・イーグレット
スパイダー(改造)・繰糸・繰糸(改良)

・繰糸(改良)
単純に超遠隔操作を可能にする為の機能が加えられただけ。


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逃げる心は置いて行け

 

 囮作戦は見事に成功していた。

 

 本部基地へ走るC級チームに多くのトリオン兵が釣られて殺到し始める。どこからともなく伸びてくるスパイダーが瞬時に絡め捕るも、撃破ではないため恐怖は変わらない。

 

 C級隊員たちはそれでも、作戦を信じてひたすらに走る。

 彼らが囮に選ばれたのは一定量以上のトリオン量もあるが、混乱の最中に作戦行動をきちんと取れるかが基準だった。

 

 中高生の少年少女が多く、表情は恐怖に染まっている。だが全員が『家族を、友人を守るために』という強い意志を持って行動していた。

 

 南西部のC級チームに雨取の姿があった。

 

 中央オペレーターたちがチームの視界に逃走ルートを映している。数が多いので中央オペレーターたちもルートを示すしかサポートが出来ないのだ。

 

 

「出穂ちゃん頑張って!」

 

「頑張ってるよぅ」

 

「遅れるな!」

 

「リーダーに続け!」

 

「うおお!!」

 

 

 お互いに励まし、声を掛け合って無事を確かめ合う。

 破壊音と攻撃音が響いてところどころ掻き消されるが、仲間の声が聞こえるだけで心に余裕が出る。

 

 しかし、ドガンッと降ってきたモスグリーンのラービットに進行方向を妨げられた。

 

 

「や、やばい!?」

 

「女子! 足を止めるな!」

 

「建物を利用して逃げるぞ!」

 

「こっちだ!」

 

「出穂ちゃん!」

 

 

 雨取は固まる夏目の腕を取って、3人の男子が示す方向へ逃げようとした。

 

 

「なにー!?」

 

 

 だが、逃げようとした方向にビームが発射されて足を止めるしかなかった。飛び道具持ちのトリオン兵に5人は戦慄する。

 

 じりじりと距離を詰めてくる様は、トリオン兵なのにこちらをバカにしているように見えて、負けん気の強い男子がムッとする。

 

 

「仕方ない。まだ先輩方の援護がこない今、戦闘するしかない」

 

「リーダー!? でもおれたちじゃあ」

 

「全滅よりマシだ。役目を果たしてやるんだ」

 

 

 男子が前に出ようとしたところで、ラービットの頭に木虎のスコーピオンと三雲のレイガストが衝撃を与えた。

 

 

「大丈夫か!?」

 

 

 バカにしていた嵐山隊の隊員と、緑川に負けていた新米のB級隊員だ。

 けれど、C級隊員よりもよっぽど頼りになる正隊員の登場に男子3人は安堵をこぼした。

 

 雨取も夏目も歓声の声を上げて、ホッと肩の力を抜く。

 

 しかし木虎の鋭い声音に、5人はまた気を引き締めた。

 

 

「色違いの新型ね。何をしてくるか分からないから気をつけなさい」

 

「ああ! みんな、引き続き基地へ向かいながら戦闘する。他のトリオン兵にも気をつけて」

 

 

 三雲は木虎に答えると5人へ警告を飛ばす。

 

 

「こちら木虎。色違いの新型と交戦を開始します」

 

 

 本部へ通信したところで、モスグリーンのラービットが木虎にビームを発射した。

 

 木虎はすぐさま避け、三雲がレイガストをシールドモードに変えて背後のC級隊員たちを守った。

 

 

「私がこいつを倒す! 三雲くんはそのままC級隊員を守りなさい!」

 

 

 牽制しながらその場へ釘付けにする傍ら、スパイダーを発射して己に有利なフィールドを作り上げた。初めて見るA級隊員の動きに、三雲はもちろんC級隊員たちも驚きに目を見開く。

 

 息つく間もなく銃撃を続けるが、装甲が厚い上に弱点の核を見せないトリオン兵に、このままではトリオンの消費が追いつかない。

 そう判断した木虎がスコーピオンを構えた時、一瞬の隙を突いてモスグリーンラービットは装甲からエネルギーを出力して真上へ飛んだ。

 

 

「飛んだ!?」

 

 

 空中へ飛んだモスグリーンラービットは木虎ではなく三雲へ砲撃を行った。

 

 

「くっ!」

 

 

 2撃。なんとか防ぎ切ったが、三雲のトリオンではもう1撃は受けれない。

 だが、モスグリーンラービットはもう一度砲撃エネルギーを溜め始めた。

 

 

「こいつ……! おまえの相手は私よ!!」

 

 

 空中にいる敵を追いかけて木虎が跳んだ瞬間、それを待っていたモスグリーンラービットが飛行して宙で逃げられない木虎へ突撃。咄嗟にスコーピオンで受けたが、強度のない刃は無残にも割られ、衝撃を殺せなかった木虎は仰け反った。

 右足を掴まれ、地面へ叩きつけられた木虎へトドメとばかりに砲撃を構えられる。

 

 

「木虎!」

 

 

 ボロボロのレイガストを携えて三雲が駆けてくるのが見える。

 

 その途端、木虎のプライドに火がついた。

 A級隊員の己が新米のB級隊員に助けられる無様は許さない、と。

 

 瞬時に巻き取り式のスパイダーを発射し、掴まれた右足を躊躇なく斬り落としてスパイダーで移動。

 砲撃体勢で無防備に晒された核を、すれ違い様に切り裂いた。

 

 

「やった!」

 

「す、すげぇ!!」

 

 

 歓声を挙げるC級隊員たち。もう男子たちも嵐山隊をバカにする気は起きなかった。

 

 一息ついたところで三雲が木虎に声を掛けようとした時、モスグリーンラービットの腹が開く。

 中から出てきたのは、数体のラッド。

 

 

「なっ」

 

 

 破壊する間もなくイレギュラーゲートが開かれ、先ほど足を犠牲にして倒したモスグリーンラービットの他に、紫と黄色いラービットの3体が現れる。

 

 

「早くこの場を離れなさい! がっ」

 

 

 焦りで敵から目を離した瞬間、地面から刃が生え木虎を貫いた。

 貫かれながらもモスグリーンラービットとは違う攻撃パターンに、色ごとに性能が違うことを木虎は察した。

 

 

「木虎!」

 

「三雲くん本部に連絡を!」

 

 

 傷を庇いながら後退するが機動力の落ちた木虎は呆気なく捕まり、緊急脱出は間に合わずキューブにされてラービットの腹に収められた。

 

 憤った三雲が立ち向かおうとしたが黄色ラービットに吹っ飛ばされて住宅を破壊する。

 トリオン体なので痛みはないが、衝撃が強く咄嗟に起きれない三雲を無視してラービット3体はC級5人へ向かっていく。

 

 

「逃げよチカ子! チカ子!?」

 

「……あ……」

 

「何やってる千佳!! 早く行け!!」

 

 

 トラウマが発動し、恐慌状態に陥った雨取に2人の声は聞こえていなかった。紫のラービットが近づく。

 

 雨取が動けないことを夏目は悟った。

 夏目は雨取のトラウマなど知る由もないが、恐慌状態に陥る人間を見たことがある。空手の試合で自分より遥かに格上の相手と対峙した時、緊張に呑まれた時、恐慌状態になる人間は少なくない。

 

 もともと夏目は他のC級のように『誰かを守るために』などの理由ではなく『友人が一緒だから』という理由で囮作戦に参加していた。それでも面接でOKをもらっていたし、特別訓練もそれなりに成果を出していた。

 だけど、それは、友人の雨取がいたからだ。

 

 知り合ったのは最近だ。第一印象が強く、学校が一緒だと知って、ポジションも一緒で、話す機会が増えて、一気に距離が縮まった。大切な友人だ。

 

 夏目はトリガーを起動した。

 構えるのは、訓練用のアイビス。

 

 ドギン! と音を立てて弾は装甲に当たった。

 

 

「チカ子に手ぇ出してんじゃねーぞこんにゃろー!!」

 

「!!」

 

 

 夏目の叫びに、雨取の恐慌状態が綻ぶ。

 

 同時に、攻撃してくるC級に狙いを定めた紫ラービットが夏目に向かう。

 恐怖は強く、精密さもないけれど、夏目は引き金を引いた。弾は確かに当たる。

 

 だが銃口が見えた狙撃銃など怖くもない。

 装甲のぶ厚い腕を盾にした紫ラービットは、衝撃をものともせずに夏目へ近づき、あっという間に捕らえた。

 

 

「出穂ちゃ……」

 

「チカ子逃げろ!! 走れ!!」

 

「逃げろ千佳!!」

 

 

 捕らえられても自分を逃がそうとする夏目。

 ずっと呼びかけてくれる三雲。

 

 

───そりゃもちろん戦闘員でしょ。この先近界民(ネイバー)に狙われたときのためにも、チカは戦えるようになったほうがいいだろ。

 

 

 雨取はふと空閑の言葉を思い出した。そうだ、自分でも戦える。

 

 夏目が取り落としたアイビスを拾って、構える。

 銃の重さと覚悟の大きさに反して、引き金はあっさりと。

 

 ズドォッ! と夏目とは比べものにならない威力が発射されたのだった。

 

 

 




夏目ちゃんが好きです。

囮の50名の中にはトリオンが平均量の者もいます。
選考条件は『指示に従えるかどうか』『戦闘中に出来るだけ平常心へ立て直せるかどうか』です。
混乱してバラバラに動かれても援護出来ない為と、1人が混乱に陥っても誰かが混乱の連鎖を止めれるように、と考えてです。
軍隊は新兵が多ければ多いほど、僅かな刺激で隊はパニックになる。隊長や指揮官などの集団を纏める精神的支柱はやはり必要不可欠なのかも。


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糸使い

 釣れた。

 

 ボーダー側で作戦を知る者のほとんどがそう考えた。

 

 人型近界民(ネイバー)が戦場に現れた。

 数は4。東・南に一人ずつで南西に2人。

 

 その報告を聞いて八神は次の段階へ作戦を進めることを決めた。

 

 

『C級チームの内、2人をベイルアウトさせてください』

 

 

 八神が内部通信で本部へそう伝えたのは、人型近界民(ネイバー)の1人であるエネドラと対峙していたからだ。

 

 

「あ"?」

 

 

 空に20もの光の帯が基地へ向かう。

 予定通り緊急脱出(ベイルアウト)に成功したのだ。

 

 

「チッ雑魚が猿知恵働かせやがって。テメェも逃げなくて良かったのかよ小娘」

 

近界(ネイバーフッド)にもサルがいるんだ。やっぱりあんまり生態系は変わらないのかな。

 『5分間人型ネイバーのトリガー能力を探ります。思考リソース誘導をお願いします』」

 

 

 油断なく会話をしながら円城寺に通信する。

 

 

『了解』

 

「はあ? 知るか」

 

「やだなぁ。バカっぽいの引いちゃったかも」

 

「バカはテメェだ」

 

 

 八神の足下から刃が飛び出すが、あらかじめ地面に蒔いていたスパイダーを、極細絹糸から注連縄(しめなわ)まで一気に太さを変えてシールド代わりにした。

 エネドラから見れば、突然足から根が伸びたように感じただろう。

 

 すでにフィールドは出来上がっている。地面には肉眼では見えない細さのスパイダーが密集し、住宅の壁を利用して空間を区切るように張られている。

 地面の下からの攻撃は予期していなかったが、地面のスパイダーが、感度の上げられた指先を通して微細な振動を八神へ伝えたのだ。

 

 

「ハハッ! 鬱陶しい糸使いはテメェか!」

 

 

 エネドラから不定形の塊が広がる。

 

 スパイダーを押しのけ、千切りながら向かってくる不定形に八神は相性の悪さを察する。スパイダーがなくなれば八神には地面の下や、壁の中などの見えない攻撃を避ける術はない。

 そして表で目に見える範囲以上に、スパイダーが切られていることを察した八神は、全力逃走に切り替えた。

 

 

『すみません、前言撤回です。全力で逃げます』

 

『おお、逃げろ逃げろ。そいつはヤバい』

 

「逃げるしか出来ねーのかァ? そうだよなぁ、糸使いから糸取ったら無能しか残らねえ!」

 

 

 円城寺ではなく冬島が応答して、八神の視界にスイッチボックスのポイントが表示される。

 

 エネドラの攻撃も挑発もすべて無視して、フェイントを入れて跳ぶ。

 なんとかポイント地点にたどり着いた八神は、その場から姿を消した。

 

 エネドラの周囲と、警戒区域全体で八神が管理していたスパイダーが、ピタリと動きを止める。

 

 

「は! 逃げやがったか」

 

 

 数拍をあけてまたスパイダーが動き出す。

 その間、5秒。

 

 

『お手柄よエネドラ。糸使いの撃破を優先しなさい』

 

「オレに命令すんな! せっかく狭ぇ艇から出たんだ。好きに暴れさせろ」

 

 

 命令を無視するエネドラに、ミラはハイレインへ指示を仰ぐが、放っておけという言葉を受け嘆息した。

 

 一方、東部から南部へ冬島のスイッチボックスでワープした八神は急いで繰糸を起動する。

 ワープで3秒、接続で2秒だ。

 

 

『こちら八神、報告します。対峙した人型のトリガーは黒トリガー、能力は液状の刃を操ります。また、推測ですが刃をステルスか気体にも出来るようです。最大攻撃範囲は不明、アタッカーは不利です』

 

『了解。データの解析を行う。八神は引き続き通常トリオン兵を頼む』

 

『八神、了解』

 

 

 通信を切って再びスパイダーを操る。

 

 そこで何もない空に突如、黒い穴が空いた。そこから白いラービットが八神へ目掛けて飛びかかる。

 

 耳を千切り、脚を絡め取って難を逃れるが、また同じように白いラービットが2体出てくる。

 

 

『円城寺さん、近くにラッドの反応は? 私の知覚の不調でしょうか?』

 

『正常値よ。ラッドはこちらでも確認していないわ。でも、誘導装置に引っかからないのはおかしいわね』

 

 

 2体とも危なげなく拘束に成功。

 

 

『あの黒い穴はゲートと同じに見えますが、もしかしたら──』

 

 

 再度黒い穴が3つ開き、紫ラービットと2体の白ラービット。

 

 

『もしかしたら?』

 

『ラッドがいないのにゲートが開くのは、敵にワープのようなトリガーがあるのかもしれません。通常のゲートなら誘導装置で開く前兆がわかりますし』

 

 

 紫ラービットは人型近界民(ネイバー)と同じ能力を有しており、八神は先に2体の白ラービットを絡め捕ると、紫ラービットの攻撃射線上に置いて防ぐことにした。

 トリオン兵はそこまであの不定形の能力を使いこなしていないと判断したが故の行動だ。

 

 

『中央の処理落ちの可能性もあるわよ?』

 

 

 更に追加で紫ラービットが2体やってきて、さすがに八神は顔をしかめた。

 

 

『そうですね。可能性として頭の隅にでも置いときます』

 

『今のあなたに頭の隅なんてないでしょ』

 

『そうでした……言い回しが面倒ですねぇ』

 

『ほら、無駄な思考リソース使ってないで集中して』

 

『いえっさー』

 

 

 紫ラービットの初動は、地面に液状の刃を潜らせて足下からの奇襲だ。

 

 八神が攻撃よりも拘束を優先しているからか、あまりその場を動かず、液状の刃をばら蒔いているだけの行動パターン。

 

 

『南西部の管理を20%まで落とします』

 

『了解』

 

 

 足下からの刃を避けると、右手の繰糸を解除してバイパーを起動。

 

 背に隠して4つに分割すると、攻撃がないと判断して核を無防備に晒す紫ラービット3体へ同時に撃ち込んだ。

 

 残りは絡め捕ってまだ生きている白ラービットへ撃ち込み、再びバイパーから繰糸へと切り替える。

 

 離れた南西部にて、緩んだスパイダーから脱しようとしていたバムスターとモールモッドを警戒区域へ引きずり戻した。

 

 

『ラッドの反応よ!』

 

 

 円城寺の言葉に八神も周囲に気をやる。

 

 破壊したラービットすべてからラッドが3体ずつ這い出てきた。

 

 

『マジか』

 

 

 すでに八神は繰糸へ切り替えたばかり。

 

 ラッドを破壊する間もなくゲートが開かれ、計21体のラービットが八神を囲む。

 3体が紫・黄色・モスグリーンと色違いで、残り18体が白ラービットだ。

 

 

『逃げる?』

 

『南部も人型近界民(ネイバー)と対峙してましたよね。こちらに応援は来れそうですか?』

 

『──遠・中距離型のトリガー持ちで東さんたちも苦戦してるみたい。応援は無理よ』

 

『……わかりました。撃破はせずこのまま釘付けにします』

 

『管理は?』

 

超遠距離(エクストラ・レンジ)のままで』

 

 

 

 

 

 

 近界民(ネイバー)の登場により、C級は半数が緊急脱出(ベイルアウト)した。

 

 戦闘体がないため一般職員と同じ扱いで、基地の避難シェルターへ向かうようになっている。

 

 

「リーダー、大丈夫かな……」

 

「信じるしかない。足をやられたオレたちじゃあ女子にも劣る囮さ」

 

「くそっ! ヘマしなけりゃおれだって」

 

「言うな。行こうぜ」

 

 

 雨取と夏目が一緒のチームにいた男子の内2人も、避難シェルターへ向かっている。

 

 雨取が発砲した時、スパイダーから抜けてきたモールモッドに男子3人は対処に追われたのだ。

 3人掛かりで訓練用トリガーを用いて倒すことが出来たが、1人が足を負傷し、1人がトリオンの消費が激しかった為に、駆け付けた玉狛第一の木崎が緊急脱出(ベイルアウト)を指示した。

 2人は女子を残すことに抵抗を覚えたが、リーダーと慕う男子が「任せろ」と言ったことで後を託した。

 

 緊急脱出(ベイルアウト)したC級隊員たちは危険から遠ざかった安心と、残してきた仲間の無事を祈るしかない。どうか、無事で。

 

 一方、中央司令部もそれなりに慌てていた。なんせ防衛の要を負う八神が近界民(ネイバー)と対峙した上、逃げた先でも大量のラービットに囲まれているのだ。

 

 

「慶、付近の新型を排除しながら八神の援護に向かえ」

 

「!? 忍田本部長! 黒トリガーはどうするんですか!?」

 

「いや、東部には風間隊がおる。八神の援護にわしも賛成だ」

 

「風間隊はそのまま新型排除を継続する。八神の報告でアタッカーは不利なら積極的に狙うべきではない。

 東の報告によれば人型ネイバーの標的は正隊員。防衛部隊を新型から引き離すのが狙いだろう。敵の目的はあくまでC級の捕獲。ここで人型ネイバーに戦力を差し向ければ相手の思惑に嵌まることになる上、囮が無駄になる。

 市街地防衛の要の八神に殺到している新型駆除が優先だ。八神を逃がす過程で、人型が現れれば交戦を許可する。(お前)が斬れ」

 

『太刀川、了解』

 

 

 冷静に場を捌く忍田に、沢村は面に出さずとも、恋慕と尊敬の念でいっぱいだ。沢村は更に忍田の役に立つべく、情報分析に力を入れる。

 

 そこで切羽詰まった八神の声で通信が入った。

 

 

『本部に警告! 不定形トリガーの人型が基地へ攻撃を仕掛けます!』

 

「なにっ」

 

「モニター!」

 

「はい! これは……!! 通気口から侵入! 全身を溶かして入ってきます!!」

 

 

 原形を留めず、スライムのようになったエネドラが基地へ入っていく。

 

 八神がエネドラの接近に気づいたのは本部の周りにもスパイダーを張り巡らせていたからだ。

 

 

「通気口の出口は」

 

「おそらく通信室です!」

 

「通信室を放棄してすぐに避難させるんだ」

 

「はい!」

 

 

 迅速な指示に従い、通信室の人間は避難に走る。

 

 通信室放棄により、各隊のオペレーター連携がぎこちなくなるが、職員の命を賭けるような場面ではない。

 

 これにより連絡通路が使えなくなるのだが、各戦闘員に連絡が行くのはもう少し後となる。

 

 

 




風間隊とエネドラは対峙しておりません。


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作戦進行中

 

 

 警告により、開発室でオペレートしていた円城寺も大事を取って避難シェルターへ向かった。

 

 円城寺の補助がなくなった八神だが、21体のラービットの攻撃を避けることに何ら問題もない。

 更に、周辺にいた通常トリオン兵も集まっていることを知覚していたが、乱戦になるのは八神も歓迎するところ。

 

 撃破ではなく時間稼ぎに徹している八神。しかし意識は、遠方まで巡らせているスパイダーの管理に大部分が割かれていた。

 

 既にラービットの行動パターンを見抜いた八神に、攻撃を当てることは難しい。

 

 八神の動きを観測していたミラとハイレインまでもが感嘆する。

 

 

「この糸使いが攻撃にも秀でていたら、玄界(ミデン)を攻めるのは諦めるところだったな」

 

「はい。まさかこの数のラービットをものともしないとは予想外です」

 

 

 一部のC級隊員が離脱したのはハイレインも驚いたが、一方で何故すべてのC級隊員を脱出させなかったのかを疑問に思った。

 だが、この短期間ですべての隊員に機能を持たせられなかったからだろうと結論する。

 

 偵察した時よりもかなり少ないC級隊員だが、バドから送られる映像に他の隊員を見つけることは出来なかった。

 また、見つけられない有象無象のC級隊員より、雨取という魅力的過ぎる隊員に、さすがのハイレインも意識を取られていた。

 

 残された"金の雛鳥"を狙うため、邪魔な糸を操る八神を倒したかったがそれは叶いそうにない。

 糸から意識を離れさせようとしてラービットを大量投入したが、侵攻をくい止める糸の動きが衰えることはなかった。

 

 

「そういうサイドエフェクトでしょうか?」

 

「可能性は高いな。捕らえて調べてみたいが"金の雛鳥"を優先しよう」

 

「はい」

 

 

 指先をあやとりでもするかのように動かしながら、八神は己の役割を全うする。

 

 南部のトリオン兵が、囮のC級隊員を無視してすべて八神の方へ向かっていることに気づくと、南部のスパイダーから南西部のスパイダーに集中する。

 東部もほぼ風間隊がラービットと通常トリオン兵を駆逐しているので、あまり意識を割かなくて良いのだ。

 

 南部の人型は東隊と合流したB級部隊が相手しており、3バカと呼称されているA級隊員の3人が参戦したことで展開は有利に動いている。

 

 厄介な人型が来ないだけでも八神にとっては僥倖だ。

 

 そして、一番の僥倖がやってきた。

 

 

「おお! うじゃうじゃだな!」

 

「太刀川さん」

 

 

 A級隊員の中でもトップクラスの実力と戦闘狂と名高い太刀川が、トリオン兵の包囲網を抜けて八神の前に躍り出る。

 

 黒いロングコートの背中を見た途端、八神に冬島から通信が入った。

 

 

『よし、八神』

 

『はい』

 

「フッ、頼れる太刀川さんが助けに来たぜ。迅よりカッコイイだろ?」

 

 

 どや顔して太刀川が流し目を八神に送る。

 

 

「……」

 

 

 だが八神は既に冬島の協力で移動を終え、その場にいなかった。

 

 冷たい風が太刀川の心の中に吹く。心なしかトリオン兵たちも哀れな視線を向けているような気がする。

 

 

「……よし! 斬るか!」

 

 

 虚しいが、任された仕事を行うべく太刀川は弧月を構えるのだった。

 

 

 移動を終えた八神はまた5秒後にスパイダーの管理を取り戻す。

 

 移動した先は南西部。

 5秒の隙間に、市街地へ漏れたトリオン兵は小南が向かった為、八神はこれ以上漏らさないように繰糸を駆使し、イーグレットで狙撃を開始した。

 

 南部には、頼れる東隊率いるB級合同部隊がいる上に、太刀川が参上してくれたので最低限の意識しか割いていない。

 東部も風間隊に加え、三輪が撃破に走っているため、集中するのは雨取に釣られた南西部だけなのだ。

 

 そうなれば片手で管理は十分で、八神はイーグレットまたはバイパーを起動させて撃破に参加出来る。

 

 

『八神、木崎だ。このポイントのスパイダーを外してくれ。人型とやる』

 

「はい──外しました」

 

 

 通信に入った木崎の指示に、視界に提示されたマップポイントからスパイダーを退ける。

 正隊員の援護は指示があれば手を出すが、基本的に八神の仕事外だ。木崎の指示も援護がほしいわけではないと判断した八神は気にせず、イーグレットでこちらをジッと見てくるバドを撃ち墜とした。

 

 囲まれないように警戒しながら、走ってくるC級チームの護衛に徹する。

 C級チームは既に訓練していた逃走ルートから外れているが、それも護衛のB級が駆けつけられない今は仕方ない。

 

 数組のC級チームは固まり、三雲と烏丸の先導に従って走っている。

 連絡通路を目指していることを察した八神も合流しようと動き出した。

 

 

「烏丸くん、三雲くん」

 

 

 連絡通路入り口で右往左往している集団の元へ、八神が跳んで現れる。

 

 

「八神さん!?」

 

「通路が開かないんですけど、なんか知ってますか?」

 

 

 三雲は盛大に驚き、烏丸は目を軽く開いた程度で、早速疑問をぶつけた。

 

 

「うん。本部に人型が侵入したんだ。管理している通信室の職員は避難したから、直接入り口に向かってほしい」

 

 

 基地へ侵入されたことに動揺が走る。先に避難した仲間たちは無事だろうか。

 

 そこで雨取が空を見上げた。

 

 

「追いかけて来る……! 二人。すごい速さで……!」

 

「……!? どういうことだ?」

 

「サイドエフェクトです! 千佳は敵が近づくのを感知できるんです」

 

 

 雨取の言葉を三雲がフォローすると、八神が頷いた。

 

 

「サイドエフェクト持ちか。雨取ちゃんなら納得」

 

「レイジさんがベイルアウトしてまだそんな時間経ってないんですが……」

 

 

 烏丸がぼやきながら空を見上げると、2人の敵トリガー使いが降りて来るところだった。

 

 

「スパイダーを避けて飛んできたみたいだね」

 

『気をつけろ。老人の方は黒トリガーだ』

 

 

 小型になっていたレプリカに八神は一瞬驚いたが、すぐに思考を切り替えて、武器もイーグレットからバイパーへと切り替える。

 

 

「俺が止めます。八神さんは修と一緒に迅さんたちとの合流地点まで行って下さい」

 

「了解、と言いたいけど」

 

「ほっほ。糸使いのお嬢さんに逃げられては、かないませんねぇ」

 

 

 糸目の老人ヴィザが、食えない態度でしっかりと狙いを定めていることを察して、八神は目を細める。

 

 人型の撃破に各々動いている今、指揮官をあぶり出していないが囮は十分に仕事をした。

 

 この段階で残りのC級隊員をすべて緊急脱出(ベイルアウト)させても良かったが、基地内にもまた人型が侵入している。

 基地へ逃げたとしても無事は保証出来ないならば、逃げた意味がない。

 

 

「三雲くん、もうちょっと堪えてほしい。C級を連れて行って」

 

 

 覚悟を持った目で頷いた三雲を一瞥して、八神と烏丸が構えた時。

 

 

「!」

 

「!?」

 

 

 ドカン!! と何かが物凄い勢いで飛んできて、建物に激突した。

 

 

「あだだだ……これ勢いつきすぎじゃない? レプリカ先生。間に合ったからいいけど……」

 

 

 敵も味方も関係なくそちらへ注目すると、瓦礫を退けながら出てきたのは迅だった。

 

 

「!! 迅さん!?」

 

「……なんて登場なの」

 

 

 全員が驚く中、かろうじて八神は突っ込みをいれた。一応颯爽と現れた太刀川とは大違いである。

 

 

「はじめましてアフトクラトルのみなさん。おれは実力派エリート迅 悠一。悪いがここから先には行けないよ」

 

 

 迅の登場に気を取られたヴィザとヒュース。

 

 そこで、空中から黒トリガーによって強化された空閑の蹴りが襲う。ヴィザに重い蹴りを与えたが、杖で防がれ、さらに拳の追撃は避けられた。

 

 

「空閑……!」

 

「遊真くん!」

 

「おちび先輩!」

 

 

 三雲と雨取、夏目に笑みが浮かぶ。

 

 迅の登場には驚きが強かったが、空閑の登場はなんとも頼もしい。切羽詰まっていた彼らの心に少しだけ余裕が生まれた。

 

 数の不利を覚えたヴィザがヒュースに指示を出す。磁力のトリガーを銃へ変形させたヒュースが、空閑に向けて破片を発射。

 

 余裕で避けた空閑だが、破片の狙いは空閑の後方にいる雨取であった。

 反応できずに固まる彼女を庇って、三雲が右腕で受け止める。

 

 

「修くん大丈夫!?」

 

「大丈夫だ! 逃げるぞ! やつらはおまえを狙ってる!」

 

 

 三雲の言葉を皮切りにC級隊員たちが動き始める。

 

 迅は敵から目を離さないままゆっくり後退して、烏丸と並ぶ。

 

 

「悪いな、京介。パターン5だ。頼んでいいか」

 

「!……飯の約束忘れないで下さいね」

 

 

 意味を理解した烏丸が代わりに前へ出た。

 

 八神には意味が分からないまでも、迅の行動には何か意味があるものだと解っているので何も言わなかった。

 

 

「おう。玲、俺と逃げるぞ」

 

「わかった」

 

 

 バイパーを消した八神が無防備に背を向ける。

 

 

「おっと。これ以上逃げ回られるのは御免蒙りたい」

 

「動くな」

 

 その背へ向けてヴィザが構えた時、空閑のトリガーが発動する。鎖に絡め捕られ膝を着くヴィザ。

 ヴィザの代わりにヒュースが攻撃モーションに入るが。

 

 

「エスクード」

 

「!!」

 

「頼んだぜ2人とも」

 

 

 道を完全に遮る形でエスクードを発動し、迅は八神の背中を追う。

 チラッと振り返ってきた八神に、迅は大丈夫だと笑った。

 

 

「もうあの2人は追いかけられない。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」

 

 

 



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油断する事なかれ

 

 

 三雲を先導にして殿を八神と迅が務める。

 C級隊員たちは顔を緊張で強ばらせながらも、前後の正隊員の姿に余裕ができ、当初より動きがスムーズになっていた。

 

 脳は同時に複数のことを実行できない。脳が消費するエネルギーにそんな余裕がないからだ。

 C級隊員たちの動きがスムーズになったのも、恐怖という感情に大部分のエネルギーを取られていたのを余裕が出て、肉体を動かすエネルギーに転換出来るようになったからだ。

 

 もちろん、生身とトリオン体では作りが違うのだが、生身の感覚というのは抜けない。

 トリオン体を運用するのは強いイメージであり、"身体を動かす"なんて常識は早々に覆らない。

 

 

「ハァ、ハァ」

 

 

 徐々に、C級隊員たちは感じない筈の疲労で、息が乱れ始める。

 

 『長距離を休みなく走る』というイメージから訪れる疲労だ。そして三雲もC級ほどではないものの、疲労を感じ始めていた。

 

 

「落ち着けー」

 

「皆、訓練を思い出して。走る訓練はたくさんしたでしょ」

 

 

 迅と八神が一切息を乱さず一行を叱咤した。B級になったばかりの三雲とは年季が違うのだろう。

 

 八神の言葉にC級隊員は特別訓練を思い出した。

 

 トリオン体で延々と走らされ「この体じゃ疲れないし何時までも走ってられるけど、どれだけ走れば良いんだろう」と辟易していた訓練。

 

 

「──……」

 

 

 思い出した途端に、荒い息はだんだんと静かになっていく。そうだ、この体は疲れないんだ。

 

 

「よし、流石だね。走りながら隊列を組むよ。三雲くんを先頭に2列で並びなさい」

 

「はい!」

 

 

 バラバラだと守りにくい、と判断した八神の号令にC級隊員たちが走りながら隊列を組む。

 

 走りながら列を揃えることも訓練に入っていた。

 

 訓練の時、C級の中には「体育祭の行進かよ」なんて笑っていた者もいたが、いざ本番でやるとそんな例え易い動きで良かったと痛感する。

 

 複雑で突飛な指示では、恐怖を感じた頭で理解できるはずもない。訓練で行った動きであり、単純明解だからこそC級隊員は動けるのだ。

 

 

「迅さん八神さん! 新型です!」

 

 

 先頭を走っていた三雲が叫ぶ。

 進行方向に7つの黒い穴が開いて色違いのラービット7体が現れたのだ。完全に道を塞いでいるのは2体。

 

 それを目視した迅がにやっと笑って、顔を八神に向ける。

 

 

「いけるかいハニー?」

 

「ははは。早よ行けダーリン」

 

 

 から笑いを零しながら、八神が前方のラービットを指差した。

 展開された27分割のブロックが発射され、迅はそれを追うように駆け出した。

 

 C級隊員も三雲も、一瞬で追い抜いた弾丸と迅に驚きの声を上げる暇もなく、弾がラービットに着弾。

 

 装甲のある腕で防いだラービットたちだったが、普通の弾だと判断していたブロックからワイヤーが飛び出して腕と地面を繋いでしまった。

 防御を下ろし核が無防備に晒された一瞬で、前方の2体を迅のスコーピオンが貫く。

 

 登場してから10秒と経たずに2体が沈黙した。

 

 

「走れ!」

 

 

 歓声を上げて足を停めようとした一行に八神の鋭い指示が飛び、弾かれたように駆け出す。

 

 真っ直ぐに走り、沈黙した2体を通り過ぎながら、八神は注意深く破壊されたラービットを観察した。

 ラッドが出てくる気配がないのを確認して、隣に並んだ迅と内部通話に切り替える。

 

 

『次から私の攻撃は効かないと思う。頼りにしていい?』

 

『もちろん。その言葉を貰う為に俺はこっちに来たようなものだし』

 

『軽口もほどほどにしてね』

 

『ひどい。本気なのに』

 

『はいはい』

 

 

 下らない内部通話を終えたところで、残っていた5体のラービットがワイヤーを地面から引っこ抜いて動き出そうとした。

 

 しかし、そこで上空から弾丸の雨がラービットを襲う。

 音と衝撃に思わず三雲とC級隊員たちが振り返れば、米屋と緑川が1体のラービットに一刀を振り下ろし、腕の装甲で防がれているところだった。

 

 

「硬っなにこいつ」

 

「ウジャウジャいんなー」

 

「緑川!! 米屋先輩!!」

 

「三雲先輩おまたせっす! 迅さんも八神さんもお邪魔します! ありゃ、遊真先輩は?」

 

「空閑はむこうで黒トリガーと……」

 

「マジか! いいなー!」

 

 

 攻撃が防がれるや否や、ラービットから離れて三雲の側に降り立った米屋と緑川。

 戦闘狂な面を押し出す米屋に、八神は太刀川を思い出す。そういえば太刀川も「うじゃうじゃ」と表していたような。

 

 思考を脇に逸らしていた八神に、隣──迅のいる反対側──へ軽やかに降り立った出水が声を掛けた。

 

 

「やっほ八神さん、助太刀に来ましたよ」

 

「ありがとう出水くん。ちょうど弾幕張れるシューターが欲しかったところ」

 

「お~3人とも良いタイミングだ。メガネくん、出来るだけC級隊員をまとめて玲から離れないように。この面子なら下手に逃げるより安全だ」

 

「はい!」

 

 

 迅の指示はC級隊員たちも聞こえていたため、脅威が迫っていても指示通り八神の後ろで隊列を保って待機する。三雲はレイガストをシールドモードにしたまま、先輩たちの戦闘を見守ることとなった。

 

 出水が216分割の弾丸を両手に展開して撃ち込み、屋根に飛び上がるとさらに角度をつけて弾幕を張る。出水の弾から逃れた3体を米屋・緑川・迅が迎えうった。

 

 三雲は数も威力も段違いの実力を見せる出水の戦闘にしばし呆けた。

 トリオン能力の違いだとわかっているが、立ち回りからして己との彼我の差を思い知らされる。

 

 

「っ三雲くん!?」

 

 

 そんな見入っていた三雲に、緑川と対峙していた黄色ラービットの破片が襲った。

 

 八神は戦闘員4人の補助と、C級隊員にしか気を配っていなかった。レイガストを構えていた三雲は自衛が出来ると判断していたからだ。

 だから反応せず棒立ちの三雲に、八神は驚きに目を見開く。

 

 

「うわっ!?」

 

「修くん!!」

 

「メガネ先輩!?」

 

 

 なんとか体に直撃は防いだものの、地面に刺さった破片から磁力が発生し、登場した時のラービットたちのように腕ごと地面へ伏した。

 

 

「これ……人型と同じ、磁力か! くそっ」

 

 

 右腕が持ち上げられず地面に伏すことになった三雲に、C級隊員たちに動揺が走る。

 

 

「きをつけッ!」

 

 

 恐怖に陥りそうになったC級隊員が、咄嗟に背筋を伸ばす。

 

 ハッと皆が八神の方向を見れば、泰然と前方を見据えたままの背中が見えた。

 

 

「三雲隊員、状態の報告を簡潔に」

 

「は、はい。右腕が黒い破片に引き寄せられて動かせません。右腕以外は動けます」

 

「了解。三雲くん……戦場での油断は命取りだと学んでね?」

 

「はい……すみません」

 

 

 八神が厳しい口調からいつもの声音に戻ったことで全員が息を吐き出す。

 

 三雲はどうにか腕を自由にする為に、レイガストを解除してアステロイドを起動した。三雲のトリオン能力を表す小さな立方体が出現する。

 

 

「三雲くん、利き腕の破壊は現状やめるべきだ。それとも戦闘に参戦しようと思ってるならその小さなアステロイドでは実力不足。却って邪魔だよ」

 

 

 ちらりと肩越しに振り返った八神が冷たく突き放した。大人しくしているか、緊急脱出(ベイルアウト)をしろと言外に語る八神に、三雲は悔しさに拳を握った。

 

 

「……でも!」

 

「あの、じゃあ、わたしのトリオンを使ってなら良いですか?」

 

 

 そんな三雲を見かねたのか、雨取が手を挙げた。

 

 どういう意味だと八神が振り返った時、雨取は既に三雲の左手を握っていた。

 

 

「わたしはまだ修くんみたいに戦えないから……わたしのトリオンを修くんに使ってほしい」

 

 

 トリガーの臨時接続。雨取の膨大なトリオンが三雲になだれ込む。

 

 

「なっ」

 

「でっか!」

 

 

 アステロイドが瞬く間に肥大した。

 

 人間サイズの立方体が宙に出現し、八神も驚きを隠せなかった。それでも指の動きに鈍りはないのだから流石と言えよう。

 

 雨取の想いに三雲はもう一度右拳を握りしめると、八神を見上げた。

 

 

「千佳……っ八神さん! 撃たせて下さい!」

 

「……狙いは?」

 

 

 驚きを引っ込めた八神の問いに、三雲は思考を巡らせる。

 

 ラービットと対峙しているのは4人。

 出水は1人で2体を受け持っている。加勢するなら出水だが、ここから離れている上に己は地に繋がれている。

 緑川は素早い動きで翻弄しているが決定打がない。

 米屋は不思議とどっしり構えているようで、流水のように攻撃を避けては少しずつ装甲を削っている。

 迅に至ってはラービットの耳と片腕を落とし、そろそろ決着が着きそうだ。

 

 

「緑川の方を狙います」

 

「了解。スリーカウント後に空中へ飛び上がらせるから一気によろしく」

 

「はい!」

 

 

 緑川がピンボールと云われる戦闘スタイルを開始。

 

 

「3……」

 

 

 頭部を腕で庇っていたラービットだが、ピクリと耳を動かした。

 

 

「2……」

 

 

 その耳を緑川が斬りとばしたところで、ラービットが少しだけ屈んだ。

 

 

「1…!」

 

 

 緑川が何かを察してピンボールを止めた隙に、胸を張ろうとしたラービットの体が糸で戒められて上に引っ張り上げられた。

 

 

「アステロイド!!」

 

 

 砲弾レベルのアステロイドが直撃し、黄色ラービットが大破する。

 一番装甲が厚いとされた腕まで原形を留めず破壊した攻撃に、目の前で見ていた緑川は顔を引きつらせ、味方側からは賞賛の声があがる。

 

 中でも触発されたのは同じシューターの出水だろう。加勢に来た緑川に「負けてらんねーな」と笑って気合いを入れ直した。

 

 

「いやー、流石の威力にエリートもビックリだ」

 

 

 黄色ラービットが大破すると同時に、紫ラービットのトドメを刺した迅がヒョイと八神の隣に戻ってきた。口角を上げているが、視線は油断なく周辺に巡らせている。

 

 自由になった三雲がもう一度と心を引き締めた時、雨取の背筋に冷たいものが襲う。

 バッと顔を上げた雨取の視線が、光る鳥を捉えた。

 

 

「鳥……!」

 

「あれは、人型近界民 (ネイバー)!!」

 

 

 雨取につられて見上げた三雲。それを受けて迅と八神も姿を捉えた。

 

 

卵の冠(アレクトール)

 

 

 周囲に漂わせていた鳥の弾丸が、ハイレインの意思で飛び立った。

 

 

 




執筆当初は、緑川はもっと迅バカを表に出していましたが話が2話以上脱線したので消えました。


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タイミング

 

 

 

 アレクトールの能力は、弾に当たったトリオンをキューブにするものだった。

 

 C級への初撃は八神がスパイダーとバイパーを当て、逃した分は迅がスコーピオンを犠牲に凌いだ。

 米屋・緑川も武器を犠牲にしたが、対峙していたラービットの追撃を受けて緑川が緊急脱出(ベイルアウト)した。

 

 

「こんにゃろう……新型と連携してきやがる……!」

 

『玲、あいつが指揮官だ』

 

「っC級! 総員ベイルアウトせよ!!」

 

 

 迅の内部通話に、八神は一瞬躊躇って指示を下した。

 

 八神には基地内の人型がどうなったのかも不明で、敵におそらくワープ使いがいるとも想定している。

 それでも、あの複雑自由な動きの弾を操る近界民(ネイバー)相手に、足手まといが居ては勝てないと判断したのだ。

 

 鳥の次に魚へ形を変えた弾丸が全員を襲う。

 

 躊躇いを見せる雨取を三雲が強い口調で逃がしたことで、雨取は無事にベイルアウト出来た。だが、数人のC級が脱出する前にキューブとなってしまった。

 

 

『やられたな……金の雛鳥に逃げられた』

 

 

 対するハイレインは、ポーカーフェイスを保ちながら苦く呟いた。

 

 

『内部に侵入いたしますか?』

 

『……いや、やめておこう。エネドラを倒す使い手が居ては情報のないこちらが不利だ。幸い雛鳥を数人捕らえた。その確保と玄界の戦力を調査するとしよう』

 

 内線で通信してきたミラにハイレインは応え、ミラには待機を命じた。

 

 奇しくも八神の指示はタイミング良く、基地内のエネドラを忍田が無力化した後であった。ミラがエネドラを始末したすぐ後のことだった為に、ハイレインはやむなく基地襲撃を諦めざるを得なかったのだ。

 

 またもや、鳥や魚に形を変えて弾丸が飛ぶ。

 

 

「出水くん!」

 

「ハウンド! ヒヨコ一匹通すかよ!」

 

 

 八神の声に答えるよりも早く、出水は誘導弾で目視した弾丸を次々と撃ち落としていく。

 

 その間に、迅は出水が撃ち合いに集中できるように2体のラービットを受け持ち、八神はスパイダーを器用に編んで転がっていたC級キューブを拾って三雲へ渡した。

 

 

「三雲くんはこのまま本部基地へ!」

 

「はい!」

 

 

 三雲が駆け出すと同時に、バチッと音が鳴って出水が崩れ落ちた。飛ばしてきた弾丸は派手な囮で、足元からトカゲの形の弾丸が這い寄ってきていたのだ。

 

 

「意外とやらしーじゃねーか……」

 

 

 両足がぐにゃりと歪む。幸い、弾丸の大きさが足りなかったのか、それとも頭や胸の核に当たらなければいいのか、キューブにされることはなかった。

 だが、機動力を削がれたことは未知のトリガー使い相手にかなりの痛手だ。

 

 これ以上の攻撃を受ける前に、出水は弾を生成して撃ち出す。同じ轍を踏んではやらない。

 

 

「バイパー!」

 

 

 後方から八神も出水の誘導弾の軌道を辿って撃ち込んだ。どちらの弾も相殺されてトリオンキューブがパララと地面に転がる。

 

 

「出水くん微々たるものだけどフォローするよ」

 

「ありがたいッス。とりあえずアイツに一発お返ししなきゃ気が済まないんで」

 

『お待たせ~! 基地内の人型は倒したよ! スナイパーたちが屋上に集っているから射線確保をお願い』

 

『こちら円城寺。お待たせ! 思考リソースを近距離に集中。思いっきりやっちゃって』

 

「!」

 

 

 突然繋がったオペレーターたちの通信に、出水と八神は内心ニヤリと笑む。

 

 

「出水くん、私に足くれない?」

 

「八神さんその言い方こえーッス。お願いします」

 

 

 極細サイズの糸が雁字搦めに片足ずつへ絡む。ギブスを嵌めたように固定された両足で出水は立ち上がった。

 

 

「ほう……器用なものだ」

 

 

 固めた両足から八神の指先へ糸が伸びている。

 

 人形師のように繋いでいるが、見た目ほど容易なことではない。

 出水の重心移動や意思を把握して動かさなければならない、繊細なコントロールが必要だ。動きの激しい戦闘では決して試みようとも思わない選択。

 

 常人には出来ない。

 だが、()()八神には出来る芸当だ。

 

 

『すげ! 天才かよ』

 

『凡人だけど。私のトリガー構成じゃあ建物破壊は無理だからよろしくね』

 

『了解』

 

 

 内部通話で会話を終えると、アレクトールから蜂が生成される。

 

 

「蜂の大群とか寒気がする」

 

「あそこまで細かくとか有りかよ」

 

 

 繊細なコントロールを両手で行っている為、八神は弾丸が飛ばせない。その分、出水が撃ち落としていくが、同時に全ては落とせない。

 

 八神の操作で避けながら地道に落としていくが、反撃が出来ないことが現状だ。

 

 米屋も迅も近接武器なのでハイレインとやり合うのは不利。ハイレインの弾丸が2人に行かないようにも、出水たちは配慮しなければならない。

 

 

『どうします?』

 

『スナイパーたちの射程には十分に入ってるよ。もうちょっと建物の多い場所で破壊したいところだけど、これ以上下がっても着いてきてくれないだろうね。あの塀を越えた所でお願い』

 

 

 既に2人はハイレインの弾丸が、トリオンにしか効果がないことを見抜いている。

 

 だから目くらましついでに、周囲の弾丸を瓦礫で蹴散らすことを目論んだ。流石に本体はトリオン体なので瓦礫ではダメージは入らないはず。

 

 

「どうした? 一発お返しするんじゃなかったのか?」

 

『よろしく』

 

「……余裕こいてんじゃねーぞ、このわくわく動物野郎。わかってきたぜ。てめーのトリガーは、トリオンにしか効かねーと見た」

 

「!」

 

「メテオラ!!」

 

 

 炸裂弾が左右の住宅を派手に破壊する。砂塵と瓦礫がハイレインと2人を襲う。

 

 派手な爆発にただの煙と、ハイレインが纏っていた弾丸からのトリオンの煙が辺りを覆った。

 

 

「──トリオン以外での攻撃か。目の付け所はよかったが、俺を生き埋めにするには少々瓦礫が足りなかったな」

 

「あらら……もっとビルとかあるとこに誘導できてたらなあー…………なんちゃって」

 

「……!?」

 

 

 死角からの狙撃が、ハイレインの脇腹に風穴を開けた。

 

 

「!! なに……!?」

 

 

 




原作と比べ、エネドラの退場は早い。


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隊と組織からの認識

当真を軸とした三人称


 

 

 冬島隊にとって八神は、"緊急時の懐刀"のようなものだ。

 

 得意とするスパイダートラップを始めとしたフィールド形成、的の誘導、隊員の援護、時間稼ぎからの逃げや突破など、サポートにこれでもかと特化した戦術を好む。完全に攻撃を当真に任せているからこその戦術だ。

 

 居てくれると非常に心強く、実際の戦闘能力よりも精神的な安定感が強い。

 

 常でも、冬島の頭脳的サポートを行い、同性で年下の真木が溜め込まないように配慮し、当真の悪戯や遊びに付き合うような隊の緩衝材だ。

 

 見た目から真面目系だと思っていた当真はそのギャップに驚いたものだ。

 書類整理の息抜きに八神を冗談半分でモンハンに誘った時、まさかソフトを持っていて、しかも高ランクまでやりこんでいるなんて思わない。

 

 また戦闘面でも柔軟に当真のやり方を受け入れ、その上で作戦を練るのだ。当真と冬島は"真面目系モドキ"と内心命名している。

 

 以上が冬島隊での"緊急時の懐刀"だが、ある近界(ネイバーフッド)遠征任務からボーダー内でも大きく評価されるようになった。

 

 忍田を指揮官として遠征任務に行き、3つほど国を渡った時である。

 

 入国した国は、小国に類され、他国からの侵攻を受けている最中だった。どの国へ入国する際も細心の注意を持って入るのだが、どういうわけか遠征艇が見つかり乗組員は全員拘束されたのだ。

 

 敵対国の者ではないと判断されたが、外部の人間故に拘束が緩められることはない。トリガーを奪われて大人と子供に分けられ、さらに男女で分けて牢に入れられる時。

 戦争中だからトリオンの塊である遠征艇を解体されるのでは、と戦々恐々としていた時だ。

 

 

「私たちを傭兵として雇いませんか?」

 

 

 八神が拘束されているにも関わらず、堂の入った態度で背筋を伸ばして口を開いたのだ。

 

 戦力に困っていたのだろう。

 相手はほんの少しだけ反応を見せた。そして何故先ほどまで主導で話していた忍田ではなく、小娘がそう提案してきたのか興味が湧いた様子だった。

 

 それを見逃すことなく、八神は事も無げに『外部に接触する際、小娘の己より大人が主導の方が信用されるから代理を頼んでいた』と宣ったのだ。

 

 忍田への暴言にも等しい言葉だが、それ故に相手の興味を更に引きつけた。

 そして傭兵としてPRをして言葉巧みに上官を喚ばせ、"対等な契約"の場として自分のトリガーを取り返して席に座った。

 

 実力を疑う相手に「では証明しましょう」と国の実力者と忍田を手合わせするように要求して、忍田のトリガーを取り返す。もちろん忍田が1vs1で負けることはなかった。

 

 そして一騎当千の戦力として認められ、次は契約金を法外な額を最初にふっかけて、八神は値引き交渉を始めた。

 流れを見事に掴んだ八神だったが、当然、最初から全員が解放されるわけではなかった。

 

 

「一騎当千と言うのなら2000の敵を相手にしてみよ」

 

 

 無理難題と謂わざるを得ない要求に、八神はやれやれとジェスチャーをして当真を指して「2000ならば彼と2人で十分です」と言った。

 

 驚愕する相手から当真のトリガーを取り返し、戦場を聞き出し、敵の兵器と地形と最近の気候を掘り下げて3日で片付けると宣言。

 驚きっぱなしの相手に、自分たちが失敗するまで遠征艇にも部下(仲間)にも手を出さないことを確約させて見せた。

 

 

「ひどい役割を任せて、ごめん」

 

 

 当真はいざ戦場へ2人で向かう時、ぽつりと零した八神の声を聴いた。

 

 

「いいさ。そんだけ信頼されているってことだろ? オレの腕にかかってるとか燃えるじゃねーか」

 

 

 ニッと笑った当真に、八神はぎこちなく笑ってからすぐにポーカーフェイスを作った。戦果の監視に選ばれた人間が来たから。

 

 宣言通り2000の軍勢を2人で討ち取った。

 3日間で、というより戦場にいたのは1日だけ。

 

 最初の2日間、八神は情報収集に専念して必要なことだけ当真に渡していた。書面や口頭での情報だけでなく、戦闘が行われる戦場にまで行って細かく調査しており、動かない八神に国も当真も焦れていたが八神は「調査を怠れば勝てる戦いも勝てない」と切り捨てた。

 そして約束の3日目、脅してくる国を鼻で笑い、八神は当真と監視を連れて戦場へ立ち、戦果を上げたのだ。

 

 身を隠すことを当真にお願いして、八神は沸き立つ国の上層部へ間を置かずに乗り込み「契約は果たした。報酬を頂こう」と全員分のトリガーを取り返した挙げ句、補給物資と近界(ネイバーフッド)の金銭と遠征艇をもぎ取る。

 

 国は仲間の身柄を質に、更なる要求をしようと考えていたが、腕利きのスナイパーがどこにいるのか不明であり下手すれば自分たちが狙われると断念したのだ。

 遠征艇で逃げる際も、八神は国の地形を上層部以上に把握していたおかげで無傷で脱出し、戦場で拾っていた小国と他国のトリガーを忍田に献上し、それから、土下座した。

 

 上を蔑ろにした挙げ句に、独断専行で全員を危険に晒したことを誠心誠意詫び始めた八神に、忍田は逆に感謝していることを伝えて褒めていた。

 

 それからも遠征はトラブルが何度か起こり、その度に八神は知恵を絞って窮地を脱してきた。

 本来なら窮地へ陥る前に対処すべきなのだが、どれだけ対策を練っても知らない国への遠征は危険が付き纏う。

 

 それらを乗り越える八神の手腕にボーダー上層部も"智慧(ちえ)"として認め、今回の大侵攻でも意見を求められていた。

 

 

「にしても今回ばかりは玲さん、ムリし過ぎだろ」

 

 

 イーグレットを構えながら呟いた当真に、通信で冬島と真木が同意した。

 

 基本的に八神の行動を隊では制限しないし、今までの功績から信頼も置いて受け入れている。

 しかし、何でもかんでも肯定しているわけでもなく、文句がある時は遠慮なしに言う。

 

 八神も「自分は凡人だから」と言って憚らず、間違いや納得出来ないことは言ってほしいと提言していた。

 

 八神は良く言えば慎重で、悪く言えば臆病な性格だった。作戦を練る時は出来るだけ隙なく重ねて動けるように作るのだ。

 

 けれど、今回の作戦はどこか強引に進めていた節がある。

 

 

「迅さんからも直々に頼まれたし、我らが隊の参謀も頑張ってるし。いっちょ、やるかー」

 

 

 気の抜ける声音だが、視線はスコープの先に在る的から離れることなく、神経を尖らせた指先で引き金を引いた。

 

 

 




作中の描写参考は、伝説のフィンランドの白い死神様です。
彼の戦績は、末恐ろしい実力もさることながら、祖国で慣れ親しんだ戦場だったこともあると思います。
白い死神様は隊を率いての戦功だったのですが、今回はサポート特化の八神を代用して範囲をカバー。白い死神様の代名詞でもある散弾銃はシュータートリガーで面を取ったことにしております。


  PRとアピールのチョイスで悩む
・PR(=public relations)
宣伝、広告。官公庁や企業の告知・宣伝などに多く使用される。
・アピール
訴えること、強調して関心を引くこと。

どちらが使い方として適切なのか……
この2つの前に「自己」がつくと更に意味合いが違ってくるようなので、かなり悩みました。
この話では組織の力を示す(説明する)ニュアンスだったので"PR"を取ったのですが、合っているかは不明です。


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策士の口撃

 

 

 

 密集した弾丸群の隙間を抜けて、スナイパーたちがハイレインのトリオン体を削っていく。神業とも言えるボーダーが誇る狙撃手に、味方である出水もドン引きする腕前だ。

 

 

「当てんのかよ! ウチのスナイパーどもは変態だな!」

 

「さすがウチのエース」

 

 

 八神もスナイパーとしては一線級だが、当真や奈良坂など才能ある人間には劣る。だが、同じスナイパーとしての嫉妬よりも、圧倒的な実力差故に尊敬が勝っていた。はっきりと割り切っているおかげだろう。

 

 射角により基地の屋上からの狙撃だと察したハイレインが、ミラへ狙撃手を排除するように指示を出す。

 それを受けたミラが窓の影(スピラスキア)で米屋と迅に相対したラービット2体を回収しようと大窓を開けた。

 

 

「ほいっと」

 

「!?」

 

 

 回収される為に動きを停めたラービットを、迅があっさりと破壊。

 スピラスキアの大窓は既に発動しており、残骸と米屋が対峙していた1体が屋上へ降り立った。

 

 迅の方に残されていた黄色ラービットが迅に攻撃するが、ヒラリとかわされて失敗する。

 

 屋上では1体に減らされたとはいえ、寄られたらお終いと評されるスナイパーたちだ。

 狙撃の続行を諦め、早々に冬島のスイッチボックスで奥側の屋上へワープして退避。そこからミラとラービットを狙い撃つが、スピラスキアによって弾丸がそっくりそのまま返され、下手に撃つのは得策ではないことを知る。

 

 狙撃地点を押さえられ、頼もしい狙撃がなくなってしまった。だが、ハイレインの弾丸を十分に削れている上に、トリオン体の損傷も激しい。

 

 八神と己で押し切れるはずだと出水が結論しかけたところで、ハイレインが静かに笑った。

 

 

「……『勝負は決まった』という顔だな」

 

「!!」

 

 

 アレクトールが甲高い音を発した。

 

 ハイレインの周囲に転がっていたトリオンキューブがそれに共鳴し、光の帯となりアレクトールに収束。

 出水と八神が事態を呑み込む前に、瞬く間にハイレインのトリオン体の損傷が修復されてしまった。

 

 

「マジか」

 

「おいおい……反則だろ……!」

 

「無駄骨だったが健闘したな玄界(ミデン)の射手、糸使い」

 

 

 トリオン体の修復と同時に、増えた魚の弾丸が2人に迫る。

 

 八神は急いで出水の足を操作しようと指を動かしたが、プツンと切れた感覚が走り、考えるよりも先に出水へ叫んだ。

 

 

「出水くんベイルアウトして!」

 

「! ムカツクぜ『緊急脱出(ベイルアウト)』」

 

 

 出水が離脱するのを視界に入れながら、八神もすぐさまその場を飛び退いた。

 

 

「今度はクラゲか……」

 

 飛び退く際にスパイダーを伸ばしていた場所を見やれば、保護色となっていたクラゲが漂っているのを発見する。

 

 

「お前は逃げないのか糸使い」

 

 

 ハイレインが不敵に笑った。距離を置いて己を睨む八神に余裕を持って話しかける。

 

 八神は大きく息を吐いて、表情を戻してから口を開いた。

 

 

「逃げたいね。けど、()()()のあなたをフリーにする方が危険だろう?」

 

「ほう……」

 

 

 八神の言葉に、ハイレインが傍目には判らない程度に目を細めた。

 

 侵攻の際、ハイレインは主立った指示を表で行っていない。

 トリオン体の装備も他の戦闘員と変わらず、軍の階級位も貴族位も著す物は佩用(はいよう)していない。年功序列を重きにするならばヴィザを指揮官と判断するべきだ。

 それでなくとも、先に出された戦闘員よりも多少上の戦闘員くらいと予想するべきで、指揮官は待機しているミラ、またはもう一人の誰かだと考えるはず。

 

 だが、八神はハイレインが指揮官だとはっきりと断じているのだ。立ち振る舞いから知られたとしかハイレインには思えない。

 

 深読みするハイレインだが、実際のところ八神は迅が「奴が指揮官」だと伝えてきたからそう言っただけである。

 確かに八神は戦場経験とスナイパーとしての役割から、敵の指揮官を所作で判断することがある。だが、先ほどまで出水の足に集中していた為、流石に()()八神でもそこまでハイレインを観察するのは難しかった。

 

 

「投降する気はないか? 君のような()の利く兵士が欲しくてな」

 

「へえ。私みたいな凡人を欲しがるとは、よほどベルティストン家は切迫していると見える」

 

「!! ますます欲しくなった」

 

 

 始終ポーカーフェイスを保っていたハイレインが大きく崩れる。

 

 八神は決して、デタラメに名前を出したわけではなかった。

 もちろんハイレインが現当主だなどの新鮮な情報は持っていない。ただ、レプリカから齎された事前情報の中に、星の杖(オルガノン)があったのだ。

 

 オルガノンは国宝として性能は国家機密であったが、知名度は高い。更に国宝ならば容易に戦場へ登用できず、またその使い手がそうコロコロと替わるものではない。そしてその使い手も、そう簡単に仕える家を変えるわけがないのだ。

 

 だからこそ八神はピンポイントで、ベルティストン家の名前を出せた。たとえ何の反応がなくとも、八神たちボーダーに損はないのだから。

 

 

「お~迅さん、婚約者が口説かれてますよ」

 

「ヤダねぇ。間男の出現に怒りで我を失いそうだな~」

 

 

 挑発も兼ねた情報収集を行っていた八神とハイレインの間に、ラービットを片付けた迅と米屋が割って入った。

 

 2人ともふざけた物言いだがハイレインへの警戒は怠っていない。

 表面上ヘラヘラと笑う迅を見やったハイレインが鼻で笑う。

 

 

「婚約者か。殺せば糸使いの洗脳がし易くなるな」

 

「こわっ」

 

 

 完全に迅の実力を侮っているハイレイン。

 ラービットを無力化出来たのは、八神が補助したからだと信じて疑わないからだ。

 

 細かく観れば迅は相当の実力者なのだが、今回の侵攻で彼は個人で積極的に戦っていないのだ。ラービット相手にも太刀川や八神、他の玉狛支部メンバーの陰に隠れるほどであり、目立っていない。

 

 ハイレインの振る舞いは、迅たちが有利に働いている証拠だ。

 

 最大の警戒を置いている八神が、瓦礫の中から鉄棒をスパイダーで動かした一瞬、ハイレインの意識がそちらへ寄る。

 

 

「くっ!?」

 

 

 そんな隙を、迅が見逃す筈がない。

 

 ラービットを破壊した時よりも速く、ハイレインの死角に潜り込んだ迅の鋭い一閃がハイレインの右足首を斬り飛ばした。

 

 傾いだハイレインが迅に魚の弾丸を向けるが、それを制するように八神の鉄棒が弾丸を受け止め、米屋の瓦礫が横っ面にぶち当たった。

 

 

「ビンゴってな!」

 

 

 トリオン攻撃ではないただの瓦礫だが、衝撃を殺せず視界を揺らされてバランスを崩す。追撃が来ることを予期していたハイレインだったが、迅はそのまま2人の側へ下がった。

 

 それを見てハイレインは、迅の実力を見誤った己を恥じる。

 

 

『供給機関を狙わなかったのって、やっぱマントですか?』

 

『いや、マントの下に蜂の群れが隠れてるのが視えた』

 

『あのクラゲがすごく鬱陶しい』

 

 

 迅が退いた地点には、ぼんやりとクラゲが漂う。蜂と同様に、足がやられる未来を視たから迅は追撃をしなかったのだ。

 

 体勢を立て直し、弾丸を増やしていくハイレインを観ながら、各々が動き出す。

 

 

『ミラ、残っているラッドを全て出せ』

 

 

 狙撃の損傷を修復して以降、トリオンキューブは残っていない。右足の修復は出来ないまま、ハイレインはミラへ指示を出した。

 

 

 




階級位を示すものはマントのマークかな、とも考えたのですが軍事国家であるアフトクラトルがそう簡単に他国へ情報を渡すわけがないとも至りまして。


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副作用

拙作の迅について設定を少しばかり。


 

 

 迅の攻撃を軸に八神と米屋は善戦している。

 

 致命傷を与えられていないものの、ハイレインのトリオン体は細かな傷が多く、トリオンの煙が上がっている。(ブラック)トリガーと言えどトリオンは無限ではない。トリオン切れも時間の問題だ。

 

 勝利は目前。だが、八神は敵の動向にますます警戒心を強めた。

 

 移動用のトリガーが敵にあるのは分かっている。指揮官を失えば一時的にも部隊が混乱する為、損傷しているハイレインは早々に引っ込むべきなのだ。

 だのに、そのまま戦場に残っているのは愚か者か、もしくは策を残しているかのどちらか。

 

 

『円城寺さん、ワープ使いはまだ屋上ですか?』

 

『ええ。相変わらず狙撃手を牽制しているわ』

 

 

 問いの答えに八神は思考を走らせる。もう一人の援護があるのかと思えばそうではない。

 

 そうして何度目かの鳥の弾丸を避けた時、事は起こった。

 

 

「なっ」

 

 

 ピシリと八神の視界に亀裂が走る。

 

 

『これは設定不良!? ちがっ、早く繰糸を解除して!!』

 

「!! 停止(ドロップ)!」

 

 

 自らの意思で強制的に繰糸を解除すると、有り得ない量のトリオン流出が止まる。しかし残されたトリオン量ではギリギリ戦闘体を維持するのがやっとだ。

 戦闘になど参加出来ない。

 

 八神に冷や汗が浮かぶ。

 

 

「八神さん……!?」

 

 

 動きの止まった八神に米屋が振り返った。

 八神のトリオン体はヒビが入り、目に見えてトリオンが足りないことが知れる。

 

 そこでハイレインの弾丸が飛ぶ。

 

 米屋は瓦礫で防御も兼ねた牽制を行ったが、八神は左腕に食らって足元に小さなトリオンキューブが転がった。弾丸の大きさよりも小さなそのトリオンキューブが、八神に残っているトリオン量が窺い知れる。

 

 ピシリと亀裂が増えていく。

 

 八神はもうどうしようもないことを、素早く回転した思考で結論した。

 何故なら、()()のトリオン体設定は()()()()でトリオンを消費する仕様なのだから。

 

 既に八神には、通信を受信するトリオンも尽きていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「(この未来になったか)」

 

 

 迅はハイレインを翻弄しながら、進み出した未来に息を呑む。望んでいたけれど、決して歓迎していない未来の分岐だった。

 

 高校時代から迅は八神が死ぬ、もしくはいなくなる未来を視ていた。時には悪夢なのか未来視なのか、曖昧になるほど混乱したこともある。

 だが、それでも迅が絶望に心を染めなかったのは()()望んだことだったからだ。

 

 時はしばし遡る。

 

 迅は親友が高校で出来るという未来が視え、大侵攻の後処理でバタバタするなか入学式に参加し、八神と出会った。

 力押しが目立つボーダーに、八神は策を弄するタイプの人員になると判断して勧誘した。サイドエフェクトを知っても、親友として対応を変えないのだと視て安心を覚えていた。

 当初、八神はとある2人の人物どちらかとの幸せな未来を歩んでいた。どちらの未来でも八神は笑顔で、迅もその未来を応援していた。

 

 その筈だった。

 

 はっきりといつから、なんて迅にも解らない。けれども現実で楽しそうに笑う八神に、未来視で視た幸せそうな笑顔を重ねていた。

 

 

現在(いま)の笑顔も、未来(さき)の笑顔も、自分に向けてくれたらいいのに』

 

 

 そう、心のどこかで考えていたのだろう。

 気づけば無意識に八神と相手のフラグを折っていた。そして、己との未来分岐が八神に視えた時、震えるような歓喜と苦悩が同時に迅を悩ませた。

 

 当初あった未来を折った代償なのか、迅と歩む未来で八神は危険な目に遭う場面が多かった。笑顔はある。幸せそうにもしている。

 けれど、他の2人との未来にはなかった受難が八神を襲うのだ。悩んでも、もう元の未来分岐は過ぎていた。

 

 苦悩すれど恋心の制御など、若者には無理である。

 

 そして、それは今までの迅という人間に変革を齎したものでもあった。

 当時、幼い頃から他人の未来や死を視てきた彼は、自我が不完全に成長していたのだ。通常、成長していく上で心は他人への思い遣りや情愛を学んでいく。しかし、迅は副作用(サイドエフェクト)によってその成長は平行線を保っていた。

 何故なら、未来視(サイドエフェクト)()る他人の行く末へ、いちいち感情を寄せていては心が死んでしまうから。自己防衛の為に、自然と心の成長は同年代よりも遅れていた。

 それなのに、常識はしっかり学んでいるし、相手の喜ぶことも、悲しむことも視て識っているから、誰も迅の性質(歪み)に気がつかない。

 

 サイドエフェクトは正しく、副作用であった。

 

 そうした理由があって、迅は自我の制御などしたことがなかった。常識的な哀しみを覚えることはあっても、恋心なんて激しい自己主張で感情が乱されることなどなかったのだから。

 

 更に、想いが後戻り出来ない強さだと自覚したのは、八神の『己の能力なら己の為に使え』という言葉だった。

 

 今まで迅は己より周囲の人々の為に未来視を利用してきた。時にはどうしようもない未来もあったが、己の為になんて使ってこなかったのだから。

 

 

 ───ああ、じゃあ、そうしよう。

 

 

 その時から迅は、自分の為に行動を始めた。

 

 もちろん強力なサイドエフェクトだからこそ、周囲の人々に迷惑はかけず、それまで通りに振る舞った。ただ、迅は八神に関してだけは我を通すことにしたのだ。

 どれだけ八神が危険でも、迅は己の為に、己の欲する未来の為に動く。

 恋心は重く、深く、罪悪感はあれど、後悔はしなかった。

 

 今回の大侵攻で八神の死は確定的だった。どれだけ迅が駆けずり回ろうとも、その未来はズレることなく八神に視えていた。

 そうして三雲を助けたあの夜、やっと未来の分岐が訪れた時、迅は1人静かに涙を流した。

 

 

 

「どうやら糸使いは不調のようだぞ? 婚約者殿」

 

「うわー白々しいな」

 

 

 ハイレインが口角を上げて迅を挑発する。

 

 迅には未来が視えている。

 挑発に乗って八神へ視線をやれば、その隙を突かれて緊急脱出(ベイルアウト)してしまう未来が。

 

 気にはなるが、ここで退場すれば八神が隣から消えることを識っていた迅は、ハイレインから目を離さずスコーピオンを片手に握った。

 

 チャンスは一度。タイミングを間違えれば敵に悟られる。

 

 出水が称したわくわく動物野郎の名に相応しく、多種類の弾丸がハイレインの攻防を兼ねる。

 迅はそれに斬り込み、時には遮蔽物を使って、内へ外へと相手を振り回しながら虎視眈々と機を待った。

 

 対するハイレインは婚約者の危機には目もくれず、それまでよりも鋭さを増した攻撃を繰り返す迅に舌を巻いた。

 改めてもう一度迅の技量を評価し直す。

 八神はまともに動けそうになく、米屋は彼女を庇いながら瓦礫をハイレインに放っている程度だ。

 

 援護と呼べるものはないのに、手を弛めない迅の実力はただ者ではない。

 

 八神が離脱しないことは想定外だったハイレインだが、足手まといとなった上に逃げられないのなら捕縛は容易である。C級の脱出機能について騙されたばかりだが、八神の状態で離脱しないのはおかしい。

 つまり、逃げられないのだ。

 

 ハイレインがミラへ指示したのは、各地に配されたスパイダーにラッドを取り付かせることだ。

 

 これまでの記録から、八神のスパイダーは大きな物や激しい動きの物が接触すると反応していた。だからこそハイレインはラッドにゆっくりと触れるように指示し、スパイダーを通してトリオンを吸収させたのだ。

 

 八神は大侵攻に備えて大量のスパイダーを街に張り巡らせていた。本来なら近場のスパイダーしか介入(アクセス)できないのを広範囲をカバーする為に繰糸を増やし、総てのスパイダーを管理下に置く無茶をしていた。

 普通なら処理出来ない情報量なのだが、そこで八神はエンジニアたちと手を組んで実行する。

 

 普段、情報を処理・伝達する脳は全体エネルギーの約20%を消費して活動している。ちなみに成人の脳が20%で、子どもは50%、乳幼児は60%だという説があり、人間は成長につれて少ないエネルギーで多くの情報を処理・伝達するプログラムを脳に搭載していくのだ。

 

 効率的に使用する約20%のエネルギーに余力はなく、脳は複数の行動ができない。2つや3つのことを同時進行出来る、と思えるのは経験として無意識に体へ覚えさせていることを繰り返しているからだ。ひとつの作業に集中して行う時より、複数の作業が遅く(疎かに)なってしまうのはひとえにエネルギーが足りないからである。

 

 そこで今回、八神は脳にトリオンを情報処理・伝達エネルギーとして誤認させて効率を上げることにした。

 

 もともとスパイダーの扱いや、考えながら行動するなどの下地があったことも作用したが、帰宅せず開発室に泊まり込んでまで特訓していた成果により、トリオン総量の40%をエネルギー転換へと成功させた。

 

 しかし、大きなデメリットが2つも浮上する。

 

 いくら平均より上のトリオン量を持つ八神と言えど、思考リソースとする40%は通常のトリオン体では賄えない。その結論に至った時、八神は鬼怒田に直談判した。

 

 

「私は防衛の要です。侵攻が終わるまで戦場から離れないのだから、緊急脱出(ベイルアウト)機能は要りません」

 

 

 鬼怒田は猛反対したが、頑固にも言い募る八神に根負けして許可を出した。

 斯くして緊急脱出(ベイルアウト)を取り外し、その余剰分を思考リソースへと回した。

 

 もう一つのデメリット。

 トリオン体を解除した時、トリオン体だからこそ意図的にトリオンを脳へと誘導出来ていたが、生身では通常の20%に戻るのだ。

 結果、生身ではエネルギー供給が追いつかず自己防衛の為に気絶、ひどい時には呼吸が停まるなどの反動が出る。

 

 そのため安易にトリオン体を解除できず、これも帰宅がままならなくなった理由だった。

 

 

「八神さん、ベイルアウトは?」

 

「……諸事情で外したんだ。足手まといになってごめん」

 

 

 ピシリ、ピシリと刻一刻と、カウントダウンのように亀裂が増えていく。

 

 このままトリオン体が解除されれば、八神は強制的に気絶した上に、最悪の場合呼吸か心臓、もしくはその両方が停まるだろう。

 

 

「ま、前半にトリオン兵を受け持ってもらったし、後半はオレらに任せて休んでて下さいよ」

 

 

 米屋が瓦礫を蹴り上げて鳥を防ぎ、八神を脇に抱えて地を這う蜥蜴を避ける。

 着地と同時に、米屋の通信へ冬島の声が届いた。

 

 

『すまん米屋、スイッチボックスの上にウチの参謀を投げてくれ』

 

『投げていいんスか』

 

『おう。それが最短だろ』

 

『うぃーす』

 

 

 気の抜けるような通話をしながら、冬島がスイッチボックスを用意する瞬間を待つ。

 

 

 




  ・拙作の迅について少しだけ。
こちらの彼は感情移入が苦手です。
国語などのテストで「この文章での筆者の気持ちは?」「この文章を読んであなたはどう思いますか?」などの問題がかなり苦手で、常識的な答えしか書けません。
答えを提出すると「そうなんだけど、ちょっと惜しいなぁ」と採点者によって○か△が付けられる程度。
ズレているけれど、上手く世間に隠れる術を幼い頃から取得していたツケというか、歪みというか。

もう一つ例題を挙げるなら、幼児は『お裾分け』という行為を周囲の大人が教えないと出来ないのだそうです。幼児は与えて貰う側なので"美味しい"や"楽しい"を分け与えるという行為を最初は知らないらしいです。
しかし、迅の場合は周囲の大人より先に未来視が教えます。渡すと相手が笑顔の未来が視えるからです。
前者は大人から「分かち合うと"美味しい"も"楽しい"も2倍になるんだよ」的な感じで教えられてプラス感情が成長します。
後者は未来視で"相手が笑顔になるから何かを分ける"という行動面が先に成長し、"なぜ笑顔になるのか"は考えに至りません。
こういうちょっとした違いなんですけど、伝わりますでしょうか……説明下手で申し訳ありません。

  ・とあるニュアンスの違い
●迅が母と最上さんの死を視た時
 「死んでしまうから、どうにかしなくては」
●迅が八神の死を視た時
 「死んでしまうから、どうにかしたい」
ちょっとした違いではありますが、自分から望んだか望んでいないかの心情で覚悟の仕方が変わると思います。
どちらの未来も望んではいないでしょうが、他から課せられるか己から動くかの違いです。


『恋を定義するのは難しい。強いて言えば、恋は心においては共感であり、そして肉体においては、おおいにもったいをつけて愛する人を所有しようとする、穏微な欲望に他ならない』
┗ラ・ロシュフコー の言葉より。
『愛とは何か。一方に全世界を、もう一方には愛するもの以外、何一つ置くまいとする情熱である』
┗ナポレオン一世 の言葉より。

↑ちょっとしたテーマですね。
拙作の迅についてはまだまだ説明していない空白が多いのですが、作中での表現はなかなか難しい。


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朽ち果てた○○

 

 

 奇しくも、全員が狙っていたのは冬島のスイッチボックス。

 

 ハイレインは、八神が逃げるにはワープするしかないことを察知していた。ハイレインとミラは映像越しに2度ワープを観ており、ミラに至っては屋上で目視している。

 

 よって、冬島隊のエンブレムが浮かんだ瞬間、米屋が八神を投げるのと、ミラの大窓がエンブレムの側とハイレインの傍に開くのは同時だった。

 

 投げた米屋が焦りで大きく目を見開く。

 

 ほくそ笑むハイレインが大窓に飛び込もうとした所で、思わぬ妨害を受けた。

 

 

「俺のものはあげないよ」

 

 

 ハイレインの目の前にエクスードが立ち塞がり、さらに純粋な近接戦闘員と思っていた迅から誘導弾(ハウンド)を受けたのだ。

 

 思ってもいなかった攻撃にハイレインは右肩を損傷し、迅はそのまま大窓へ飛び込む。

 

 

「玲!」

 

「!! バイパー!」

 

 

 繋がっていた大窓から出てきた迅が八神を抱き留め、八神は大窓を通してこちらを狙ってくる魚を、最後のトリオンで分割無しの変化弾(バイパー)を生成して撃ち落とした。

 

 そして2人してスイッチボックスの上に着地。

 

 そこから迅と八神の姿は消え、いつの間にか米屋もその場からバックワームを起動して離脱していた。

 

 

「やられたな……」

 

 

 右足と右肩を大きく損傷し、他にも細々とした傷が多く、トリオンも残り少ない。

 

 

「ミラ、運び手は」

 

「間もなく到着いたします」

 

 

 再び大窓が開き、遠征艇にいるミラと空間が繋がる。

 

 

「ではそちらへ向かおう……なんだ?」

 

 

 大窓を越えて遠征艇に足を踏み入れたハイレインに、ミラの視線が突き刺さる。

 

 

「いえ、運び手は私が捕らえますので隊長はお休み下さい」

 

「必要ない。お前もそう窓の影(スピラスキア)を連発出来まい。ここでお前を失うわけにはいかない」

 

「はい。それでは窓を開けます」

 

 

 ハイレインの気遣いに、ミラは顔色を一切変えず命令に従った。

 

 大窓の開いた先は放棄された住宅街。

 

 三雲が顔を強ばらせて、傍らのレプリカと共にハイレインを見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迅と八神がワープした先は、基地の医務室だった。

 

 トリオン体解除後に起こることを考慮してのワープ先だったが、決してそれは正解ではなかった。

 

 何故なら、非戦闘員はシェルターに避難しており、人型侵入により医務室の人間も例外なく避難していたからだ。

 

 

「……ごめ、ん」

 

 

 トリオン体が砕けて生身になった八神が、その一言だけ発すると、強制的に気絶した。

 

 

「っ!!」

 

 

 迅が素早く呼吸の有無と心音を確認する。

 

 

「……はぁー」

 

 

 大きく安堵のため息を迅は零した。どちらも正常で、八神は気絶したように()()()だけだった。

 

 ベッドへ八神を寝かせ、迅は傍らの椅子に腰掛けて八神を視つめる。

 

 そして、迅はもう一度深く息を吐いて額をベッドの縁に押し当てた。

 

 

「……よかった」

 

 

 震えて掠れた声が無人の医務室に響いた。

 

 

「救えた、ん、だよ、な……?」

 

 

 震える声帯を動かして、鼓膜を揺らし、手を動かして柔らかな手を握る。握り返されることはまだない。

 

 けれど、迅の未来視には笑顔の八神が視えた。

 

 植物状態でも、血塗れでも、死化粧でもない。

 

 それだけで迅には最高の未来だった。

 

 

「…………行くか」

 

 

 もう八神に危険はない。ここにいても己にやれることはない。

 

 そう判断して最後に優しく八神の手をベッドに戻し、迅は大侵攻を終わらせるべく医務室を出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 民間人  被害0名

 

 ボーダー 重傷2名

      軽傷7名

      行方不明4名

      (すべてC級隊員)

 

 近界民(ネイバー)  死者1名

     (近界民(ネイバー)の手に因る)

      捕虜1名

 

 対近界民(ネイバー)大規模侵攻 三門市防衛戦、終結。

 

 

 民間人の被害がなかったことは大きいが、C級隊員を囮とし、その被害が出たことは上層部にとって手痛い結果となった。

 

 さらに八神の意識は依然として戻らず、だがトリオンという専門分野から、ボーダー本部基地医務室の預かりとなった。

 重傷を負った三雲は応急処置後、中央の病院へ運ばれた。

 

 

 




  ・八神の擬似チート
トリオン体の脳関連を弄っています。
BBF質問箱DXにて『恐怖心や緊張を取り除く』という記述から、心なんて目に見えない機能を弄れると解釈。もともと那須さん関連で医学界と密接な関係があるのでは、と考えていたこともあり、脳医学から色々と引っ張りました。
脳の運用エネルギーを増やすことで肉体へ伝える信号が増え、所謂、並列思考処理能力をアップさせました。
八神のトリオン体の視界には、会議室のモニター一覧のように情報が映され、次々と更新されています。それを同時に確認&処理をこなし、遠隔操作中のスパイダーで色々やってました。
簡単に例えるなら、課題を解く・テレビを観る・音楽を聴く・携帯を操作するの4項目を同時に行う感じですかね。
度々出していた思考リソースの誘導とは、確認&処理エネルギーをどの部分へ集中させるか、です。

こちらをメモ帳に書いている時はBBF発売した頃で、単行本派だった私はガロプラのヨミの存在を知らなかったんですが、正しくヨミのサイドエフェクトの下位ver.なんです。
ヨミは手足が人間に程近いトリオン兵を複数使っていますが、八神の場合は鞭のように操るスパイダーだった。
今回使用した設定の理想発展・完成形がヨミですね。
サイドエフェクトは人間の能力の延長なのだと、改めて納得し、独りで勝手にテンション上げてた作者です。
葦原先生すごい。

ちなみに先に第二次侵攻ネタを書いて、侵攻編でこんな活躍をさせたい、という考えから派生したのが日記編です。一般人から有能な人材へ、いかに成長させるかがテーマでした。


ここで、一度区切ります。
次話は物語ではなく、作者の情報整理も兼ねた原作と拙作の違いや、軽い設定のまとめとなります。


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2章のまとめ

※物語ではありません。
※また、作中のネタバレとなるので、読まれる場合は本編を読んでからをオススメします。

需要狙いとかではなく、メモ帳の整理の為に入れるので。
興味がある方はどうぞ。


   『第二次侵攻編の原作との大きな違い』

 

 原作の批判では決してありません。

 二次創作です。有り得ないパラレルワールドです。

 まだまだ明かされていない部分が多いので、愚か者の作者が妄想して設定を補完していることが多分に含まれることを前提にお読み下さい。

 

 

 改変要素としては、八神玲というキャラクター自体が一番に挙げられるのですが、二次小説なのでご容赦願います。

 

 拙作の戦闘や戦術は『ランチェスターの法則』や『戦闘ドクトリン』の9原則を参考に書いていました。

 ただし明確に従っていたわけではありません。ご都合主義の場面も多いですので、あくまでも"参考"です。

・目的の原則

・主動の原則

・集中の原則

・戦力節約の原則

・機動の原則

・指揮統一の原則

・警戒の原則

・奇襲の原則

・簡明の原則

 

 上記が9原則の内訳です。

 作中では作者の解釈違いや都合的な描写にする為に色々好き勝手してます。

 作者はミリオタでもなんでもない一般人なので、あくまでも参考に挙げてます。

 

 

 

●違いの1つ目は、初期勝利条件の設定。

 

 敵の消耗戦、撃退または殲滅、捕縛からの交渉などが最終目標でした。しかしどれも達成が難しい為、もう一つ隠れた目標を作りました。

 

 作中には出していませんがエンジニア&通信室の方々に、狭間に隠れているであろう敵の拠点(遠征艇)を捜してもらっていました。

 

 敵の拠点を叩く、がもう一つの目標です。ご都合主義的に言えば拠点を引きずり出して叩く、です。これが出来れば立場が逆転して敵は拠点を死守することになり、街の被害が減らせます。はい、ご都合主義の理想論です。

 

 捜してもらっている間はどうしても持久戦となるので初期勝利条件3つを目標としています。

 途中でエネドラが侵入していくつかの機材を破壊されて大幅に探索進行が遅れました。

 

 ただ、原作で対策会議などを開いている描写がありましたが、ボーダー側の勝利条件が明記されておらず、三雲とレプリカが敵の遠征艇を退けなかった場合の初期勝利条件が作者には不明だったので、拙作でも同じようにレプリカに頑張っていただきましたことをここで表記します。

 

 

 

 

●2つ目は、風間隊と東隊の隊員が誰も欠けていない。

 

 東隊は新型がいるという情報を取得していたので、初見のラービットをかなり警戒していました。八神が通常トリオン兵を抑えていたので集中も出来ていました。

 

 風間隊はエネドラと遭遇していません。同じ東部にいましたが新型討伐を優先し、『アタッカーは不利だろう』という情報により避けています。

 

 

 

 

●3つ目は、警告によって戦闘準備万全の忍田(本気)。

 

 警告を聞くと指示後、すぐに戦闘準備を整えて飛び出します。

 

 作戦立案時、避難させたC級の安全を確保させる為に、八神は基地内にも戦力を残すことを進言していました。

 しかし「そんなに大規模な範囲の戦場なら街の安全を優先すべき」だと数名に却下され、基地内の守りは忍田1人で十分だと、熱い議論が繰り広げられていました。

 つまり、基地内に侵入した敵は忍田が相手すると最初から決まっていました。

 

 さらに復帰したばかりの諏訪隊を加えて、核を原作通り探します。

 菊地原の援護はないので、多少傷を負いながらもすべてのダミーを切り裂き、風上に移動して油断しているエネドラの意識を笹森が引いて煙幕。

 あの距離だと「良い距離だ」とか言った忍田の旋空弧月で仕留められました。沢村さんのときめきポイントが上昇。

 

 

 

 

●4つ目は、C級隊員の戦場離脱です。

 

 ですが、数名は援護や指示が間に合わず捕らえられました。

 

 補足ですが、囮となった50名はトリオン能力が高いだけで選ばれてはいません。指示通り動けるかどうかで選考されています。

 

 

 

 

●5つ目は、迅と烏丸の役割交代。

 

 拙作では迅に次いでの人物改変要素となっています。ヒュースと戦闘させる為に大幅な戦力アップがされました。

 

 迅は己をフリーにする為に、烏丸の強化を図っていました。もちろんヒュースという明確な情報はありません。

 しかし、第二次侵攻が持久戦になるのは八神という確定した未来の人物がいることにより、早い段階で分かっており、玉狛の継戦能力度外視のトリガーは禁止。本部時代のトリガーで戦闘しています。

 

 勘を取り戻す為と戦闘力アップの為に、大侵攻が始まるまでずっと小南や太刀川を始めとする格上の実力者たちと延々ランク戦を行い、木虎ちゃん大歓喜。

 クリスマスの話で"烏丸が最近頑張っている"と表記したのはこれです。

 

 迅のお願いによりボーダー以外のアルバイトは出勤日数を減らしており、その分食事などを迅に奢ってもらっています。

 八神は他のアルバイト時間を減らしたことしか知りません。ぼんち揚げ大作戦にて登場するダンボールや大袋たちは、日々の多めの金銭消費を八神に「ぼんち揚げの美味しさが止まらなくて思わず」と思わせる為です。変な意地とプライドが作用しました。

 ダンボールたちは玉狛支部の自室に積んでいたものを移動させただけです。

 

 ちなみに、原作通り三雲の師となっていますが己を鍛えることと並行しているので、原作と変わりない頻度でしか訓練出来ていません。第二次侵攻編が終わればアルバイトに復帰するので、やはり三雲の訓練時間は変わらないでしょう。

 

 

 

 

●6つ目は、三雲が拠点攻撃の勝利条件を狙ったこと。

 

 C級キューブを複数持っているとかの違いはありますが、終盤の流れはほぼ変わりません。三輪も流れ通り来ます。

 

 ただ、クラゲが判明していたので足がやられることもないですし、ハイレインとミラの連携プレーも分かっています。

 それと、三雲はキューブの取り替えを行いません。

 

 三雲は一応対策会議に出席していたので、基地の入口に敵の拠点を見つけた段階で攻撃する心積もりでした。

 しかし、雨取との臨時接続で己に攻撃手段はありません。悩んだところでレプリカからシステムに侵入するから艇まで運んでほしい、と提案をされます。

 

 原作通り小窓で刺されながらもレプリカを投げて侵入して、C級キューブたちを拾われそうになったところで迅が登場。

 キューブが奪われることはありませんでしたが、レプリカとはサヨナラします。

 

 原作と違って米屋が指揮するC級隊員の狙撃援護がないのですが、迅がハイレインの片足を削っているので速度的には変わらず空閑と三輪の攻撃を受けています。

 

 

 

 他にも細々とした変更点はありますが、以上の6点が原作との大きな違いとなります。

 作者が脳内を整理する為にもここに入れております。

 

 

 

 因みに、最後の場面で迅が共にスイッチボックスへ乗らなかった場合、八神は心肺停止です。迅が共に居るかいないか、が最後の分岐となります。

 一応、"あみだくじ"みたいに色々書き出していました。

 

 余談ですが、もしアフトクラトルに捕獲されていたら、まぁ、色々な死のレパートリーを用意してましたね。それで八神の死体を利用したトリオン兵とか面白おかしくネタで遊んでいました。愉悦部が湧きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   『何故、迅とくっつくと波乱の未来なのか』

 

 まず八神についてですが、もともと勤勉で思考を重きにするタイプで、客観的に己の行動も捉えて考えています。

 日記を書くと余計に己の行動を省みますよね?

 

 また、戦術・戦略の師は東さんですが、あくまで東さんは『スナイパーとしての作戦立案・行動』に特化していました。

 八神の場合はそこから集団戦・軍略まで自主的に踏み込んで勉強しています。しかし机上の勉強だけでは意味がありませんので、近界遠征任務にて実戦を経験しました。

 独学要素が強いので軍師にはなれません。『スナイパーの役割強めの策士』程度です。

 

 

 そこでこの話のタイトル"何故、迅とくっつくと波乱の未来なのか"ですが、簡単に纏めると、情報が入りやすく上層部に進言し易くなるからです。

 

 

 どういうことかと言いますと、迅とくっつかない未来では八神は親友のポジションです。当初作者がネタを起こした時が親友ポジションだったので、これは不変の筈でした。

 

 恋人関係によって強まった八神の献身性はあまり発揮されず「親友も大事だけど組織も大事」と認識して三雲隊に意識を向けず、せっかくの近界情報ゲットチャンスを逃します。

 

 そして、事ある毎に呼び出される迅の恋人ということで、拙作では上層部に多少気に掛けられています。

 

 近界でのピンチを乗り越えた時、もともと注目されていたので早々に頭脳として頼られ、期待されると応えたくなる八神は知識や技術を高めていくという循環が起こりました。

 

 対して親友ポジションだった場合、そこまで注目されません。有能な人材である、という認識で留まります。

 

 近界遠征でのピンチを乗り越えた時も『最終手段』と評価され、頭脳としての起用はもっと先になります。

 

 先の未来でこの八神が頭脳として起用されたら、拙作よりも精神的に安定して己の安全も他者の安全も考慮し、よりシビアで公平な天秤を用いた隙のない軍師となる可能性が高いです。

 

 踏み込んだ情報収集と、上層部への進言(8割採用される)、そして何より恋人を守りたい・役に立ちたい・負担を減らしたいという強い情愛が八神自身を危険へと追い込みます。

 情愛については、一応迅にも原因があるのですが割愛します。

 

 親友ポジションの八神は第二次侵攻編、下手すると参加しません。

 

 戦闘員で冬島隊ですが、一応正社員なので県外遠征や唐沢さんと営業などに行ったり。

 参加したとしても本部基地内の戦力か、屋上で当真と共にスナイパーするかです。流れも原作とちょっとしか変わりません。

 

 

 以上が、"何故、迅とくっつくと波乱の未来なのか"でした。

 

 

 




こんなところまで読んで下さり、誠にありがとうございます。

現在、原作という大筋のプロット1が休載中なので、オリ主入りのプロット2の進行も滞っています。
入れたいネタや話はあるのですが、なかなか文章がまとまらず苦戦真っ最中です。

今までも捏造過多でしたが、休載中ということもあり、これからの拙作もますます独自解釈&設定の嵐と予想されます。
それでも「大丈夫だ、問題ない」と言える戦士の方々は、どうかこれからも宜しくお願いします。


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番外編2 お互い様だと自覚しろ!

時系列は スナイパー亜種と布石 の前。

需要があるのかさっぱりだったのと、本編に全く関係ない話なので。
でも迅と八神を本編でデートらしいデートをさせていないことに気づいて執筆。

作者はコーディネートが苦手なので服の色を描写していないのはわざとです。

オリキャラ?
只野イルカ。八神が高校の頃に家族旅行で購入したイルカのぬいぐるみ。でかい。


 

 

 

 「明日、半日でいいからデートしない?」

 

 

 ベッドの上でゴロゴロしながら八神が誘いを掛けた。迅はじゃれあうように八神を毛布と一緒に抱きしめて、目を細める。

 

 

「いいけど。半日でいいの?」

 

「十分だよ。だって私は休みだけど悠一は色々と忙しいでしょ?」

 

 

 腕と毛布の中で心地良い温かさを甘受して、八神はクスクスと笑う。

 その笑みにつられそうになった迅だが、腑に落ちない点があったので唇を尖らせる。

 

 

「恋人に時間を使えるくらいの甲斐性は持ってますぅ」

 

「えー。わっ、ごめっやめ!」

 

「ゆるさーん。くらえ!」

 

「あはははは!!」

 

 

 擽りの刑に処された八神は笑いながら逃げようとするが、しっかりと毛布と腕で拘束されていた為に無理だった。

 

 

 「あついよ……ばか」

 

「ごめんごめん」

 

 

 笑い疲れて息絶え絶えとなった八神に、ナイトテーブルに置いていたペットボトルを差し出す。

 

 迅を軽く睨んでそれを受け取り、冬の気温で常温でも冷たい水を喉に流し込んだ。

 

 

「それで、どこに行くか決めてるの?」

 

 

 白い喉が動くのを眺めながら迅が問えば、八神が口からペットボトルを離して頷く。キャップを閉めてナイトテーブルに置き、代わりにスマホを掴んで操作する。

 

 1分と経たずに見せられた画面のページに迅はなるほど、と頷いた。

 

 

「水族館か」

 

「うん。短時間でも十分に楽しめるでしょ」

 

 

 三門市は海に面しているからか、水族館の内容も充実している。かなり大きいというわけではないが、小規模でもないから県外からも人気があるようだ。

 

 

「年始はお休みするからクリスマスは普通に出勤だし、だから今のうちにどうかなーって」

 

「いいね」

 

「イルカショーもあるけど、ここのアシカが芸達者で有名なんだって」

 

 

 同意を得られた八神がニコニコと、水族館の見所情報を迅に宣伝していく。おそらく情報を知った時から行く機会を狙っていたのだろう。

 

 ご機嫌な八神につられて迅もゆるゆると笑顔になりながら、ベッドの傍らに鎮座しているイルカのぬいぐるみに目をやる。約80cm。ぬいぐるみの中でもそこそこの大きさではなかろうか。

 八神が先にベッドに入っている時、結構な頻度で抱きしめられているので迅がたまに嫉妬を覚える複雑なぬいぐるみだ。

 

 

「今度はアシカのぬいぐるみでも買うの? 名前は只野アシカ?」

 

「あ、バカにしたな。只野イルカは語呂が良かったんですぅ」

 

 

 今度は八神が唇を尖らせた。それに迅がキスをすれば、驚いたのか後ろへと倒れる。

 

 ベッドの上とはいえ勢いがあれば痛い。さり気なく頭とベッドの間に手のひらを差し込んでキスを続ける迅に、八神も腕を伸ばして受け入れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同棲している2人だが、今回のデートはバス停で待ち合わせをすることにした。

 先に迅が支度を整えて家を出たので、八神も予め用意していた服に着替え、いつもは三つ編みにしている髪をハーフアップにして家を出た。

 

 

「お待たせ」

 

「お、新しい髪型。似合うじゃん」

 

 

 ナチュラルにウェーブが入っている黒髪を軽く撫でて微笑む迅に、八神ははにかんで応えた。

 

 浅いVネックのニットにショートダッフルコート、柔らかいフレアスカートから伸びる足は黒いタイツを纏っている。ただ、このタイツは肌の色が見えるような見えないような薄さで、絶妙に男心を擽る仕様だ。

 

 

「悠一も雰囲気が全然違うしカッコイイよ。もっと私服増やせばいいのに」

 

 

 迅の服装はインナーにケーブルニットを着込んでモッズコートを羽織り、トリオン体でも好んで履いているカーゴパンツ。

 全体的なチョイスは変わらないのだが、ニットなどを普段は着ないので印象が違う。

 

 

「デートの時にだけ解禁するからいいんだよ」

 

 

 へらっと笑った迅は八神の腰を軽く抱き寄せ、甘い香りが漂う首筋に唇を落とした。

 

 

「こら、くすぐったい! あと外だからそういうのナシ!」

 

「えー。デートだからいいじゃん」

 

「う…………ほどほどにお願い、します」

 

 

 迅は顔を赤くして大人しくなった八神に気分を良くしながら、バス停のベンチへ促した。

 

 しばらくしてバスがやってきた。2人は無意識に運転手と他の乗車客を煽りながら、目的の水族館前まで到着。降りる際に運転手がギリギリとハンドルと握っていたが、2人は気づかなかった。

 

 

「おお、あったかい」

 

「ホントだ」

 

 

 館内は空調が効いており、外から来た客はもちろん2人も自然と表情を弛ませた。

 

 クリスマス前だからか想定より客は少なかったが、迅も八神もしっかりと手を繋いで受付に並ぶ。

 

 

「ショーは10時からだって」

 

「あと2時間か。経路順ならあっという間に回れるんじゃない?」

 

「そうかな~? 大きな水槽とか見応えバッチリで悠一が魅入っちゃうかも」

 

「じゃあ玲は俺に魅入ってくれたらいいよ」

 

「わぁ、イルカの写真の方が魅力的かも」

 

「ひどい」

 

 

 軽くじゃれ合いながら受付を済ませ、パンフレットを片手に床や壁に示された経路に従って歩む。

 

 入口から近い水槽は浅瀬や川に棲む生き物たちが迎えてくれた。

 

 

「小さいね」

 

「でも色鮮やかな魚が多いよ。あ、メダカ」

 

「玲は珍しい魚より身近な魚の方が好きなの?」

 

「好きってわけじゃないけど、知ってる名前の生き物って反応しない?」

 

「マグロとかサーモンとか?」

 

「それはお寿司ですね」

 

 

 小さな生き物たちのコーナーを抜けると早速ショースタジアムに出たが、まだ時間に余裕がある為2人はそのまま経路を進むことにした。

 

 次に見えたのは群れになった魚たちの水槽で、先ほどとは打って変わった大きな水槽に2人は思わず魅入る。群れの鱗が館内の照明を反射させてキラキラと輝いている。

 

 

「わあ……」

 

「すごいね」

 

 

 感嘆する2人に構うことなく群れは大きな水槽を泳ぎ回る。

 

 しばし足を停めていた2人だが、後ろから流れてきた客に気づいて歩みを再開する。

 

 

「やっぱり大きな水槽は注目しちゃうね」

 

「家じゃ無理な規模だもんな~」

 

「あ、あっちはエイだって!」

 

 壁に書かれたコーナー名に反応した八神の表情がわくわくと変わる。やはり自分で言ったように、知っている名前はテンションが上がるのだろう。

 

 普段落ち着いた様子が多い八神の、こういうふとした時に見せる表情が迅は好きだった。

 

 八神に引かれた手に従って足を動かせば、またもや大きな水槽。

 

 

「こっちも大きいね」

 

 

 エイやウミガメ、小さい魚に大きな魚といった様々な種類が一緒の水槽に入れられて悠々と泳いでいる。

 

 

「ウミガメも一緒なんだ」

 

「え、どこ?」

 

「ほら」

 

 

 迅が指差す方を八神の視線がキョロキョロと動く。ちゃんと見つけられたようで視線がウミガメを追い始めて、そして顔ごと上へと上げられるのに迅は笑った。

 

 見られているのに気づいた八神が迅の笑顔にムッとする。

 

 

「水槽を見なさい、水槽を」

 

「はーい」

 

 

 大人しく水槽に向き直った迅に倣って、八神も大きな水槽を眺める。広い水槽だから案内に書かれた全ての魚を探そうにも時間がかかる。八神は既に知っている名前を探すより、悠々と泳ぐ生き物たちを眺めて楽しんでいるようだ。

 

 迅も久しく来ていなかった水族館という場所を大いに楽しんでいた。ボーダーに戦力として参加して以降、遊びより訓練に集中していたから。昔来たのはいつだったかな、と思いを馳せようとしたところでポケットのスマホが震えた。

 

 

「ショーが始まる10分前だね」

 

「わ、思ったより時間経ってたんだ」

 

 

 八神の手を引いて伝えると、驚きに目を見開く。気づけば周囲の客も少数になっていてショースタジアムに流れたのだと知る。

 

 2人も少しだけスピードを上げて来た道を戻る。スタジアムへ着くとまばらに席が埋まっており、八神が背伸びして席を探そうとしたところで迅が手を引いた。

 

 

「あっちに行こう。こっち側は濡れる」

 

「さすが」

 

 

 未来視で水が飛んでくることを察した迅が先導して、空いている、且つ水に濡れない特等席に八神を座らせた。

 

 

「ビニール持ってきたけどいらなかった?」

 

「俺が居るから玲を濡らすわけないでしょ」

 

「よしよし、褒めてつかわす」

 

「ははーっありがたきしあわせ」

 

 

 ふざけて鷹揚に頷いてみせる八神に、迅も演技がかって応えた。そして同時に噴き出して笑った。

 

 ショーの最初はアシカからだった。鼻先に棒を載せてバランスを取ったり、ボールを載せたり、はたまた棒の上にボールを載せたりと力強さを見せてくれた。

 前足で拍手するのもなかなか上手く、トレーナーと息の合った輪投げショーも観客を沸かせた。

 

 

「床をスイーッて滑るの面白いね。カーリングみたい!」

 

「バランス力よりそっちなんだ。寒くない?」

 

「大丈夫。ポケットにカイロ入れてきたから」

 

 

 ほら、とポケットからカイロを出す八神に迅は「良かった」と言って腰を抱き寄せた。八神は腰に添えられた迅の手にカイロを当て、その上から手を置いて温もりを共有する。

 

 

「イルカショーは定番だから色んな水族館で観れるけど、アシカショーって初めて観たよ。来れて良かった」

 

 

 微笑む八神に、迅も笑みを浮かべた。

 

 迅は水族館へ行くとなってから、未来視でショーの内容はいくつか視ていた。けれど実際の場所へ訪れて、そして八神の反応を直に体験して、心の底から「来て良かった」と考える。

 恋人と一緒に体験して感情を共有出来ることが嬉しかった。

 

 

「あ、観て。あんな高い場所までジャンプするんだって」

 

 

 イルカショーは既に始まり、スタジアムの上から吊されたボールにタッチする演目だ。イルカの体重を考えればそんなにジャンプは出来ないはずだが、彼らは水中で時速50kmほどで泳ぎ、助走を作って最高で8mに達するジャンプ力が出せる。

 

 水族館のプールでは約4mほどの高さにボールがあり、見事イルカたちはボールへタッチした。その後もジャンプ力を魅せる為に、回転をかけたジャンプを連発。

 

 

「すっごい水しぶき」

 

「でしょ?」

 

「夏は涼しそうだけど、今の季節だとね~」

 

 

 夏に連れてきて八神をびしょ濡れにするのも楽しそうだと考えた迅だったが、口には出さなかった。先ずは結婚式だよね。

 

 約30分ほどのショーも終わり、迅の未来視通り一切濡れなかった2人は席を立つ。

 

 

「よし、もう一回大きい水槽を眺めようよ。次は悠一より先にウミガメを見つけてみせる」

 

「いいけど俺には勝てないよ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」

 

「ここでその決め台詞はズルい」

 

 

 カイロをポケットに戻して、迅と手を繋いだ八神が歩き出す。

 

 

「じゃあ私が勝ったら2号を買うから!」

 

「そこはアシカのぬいぐるみじゃないんだ……」

 

 

 何故か気合いを入れる八神の背中を見ながら、迅は新しいイルカのぬいぐるみを買った場合の未来を視る。

 

 

「じゃあこの角を曲がったらスタートね?」

 

「おっけー。はい、見っけ」

 

「え!? うそ、早い!」

 

「本当だよ。ほら、あそこ」

 

「マジか」

 

 

 一度目に観た時と変わらず悠々と泳ぐウミガメの姿を八神も見つけて、唇を尖らせる。

 

 

「残念でした」

 

 

 得意気に笑った迅。未来視で抱きしめられる2号を視て、1体でも十分なのに、そのポジションをこれ以上盗られたくなかったのだ。

 

 

「ぬいぐるみ好き?」

 

「普通じゃないかな。でも、でっかいぬいぐるみはロマン」

 

「抱きしめるなら俺にしてよ。いつでも歓迎」

 

「柔らかさが足りません。でも筋肉は好きです」

 

「くっ! 脂肪と筋肉どっちを取れば……!!」

 

 

 ウミガメのいる水槽コーナーを抜けると館内カフェに着いた。まだ正午ではないが、混む前に休憩を挟むことにして席へ座った。

 

 カフェテーブルは水槽が観える位置で、先程ショーで活躍していたイルカたちが顔を覗かせる。

 

 

「水族館に来てからずっと思ってたんだ。魚が食べたいって」

 

「わかる。観てたらなんか食欲が刺激される不思議」

 

 

 少々情緒に欠ける会話をする2人だが、残念ながらカフェには軽食しか置いていないため、水族館の別館にあるレストランにて魚介を食べることを決めたのだった。

 

 休憩を挟み、また経路順に進む。

 

 大小様々なクラゲや深海魚、サメなどの水槽を眺め、感想を言い合い、ふれあいコーナーでは子供が多かったので場所を譲ったりなどしながら移動する。それぞれ楽しみ、名残惜しく思いながらも本館を出て別館へ向かった。

 

 別館にはレストランと土産屋が入っており、予定通り2人は海鮮定食を選ぶのだった。

 

 

「うん……周りのお客さんも魚介系だし、おかしくないよね」

 

「やっぱ影響されるよなー」

 

 

 中には肉を食べている人もいるが、客の大半が魚や貝を食べている光景に、迅と八神は自分たちを棚に上げて笑った。

 

 食事を終えて、玉狛支部への土産を探す。八神は冬島隊の土産も選ぶべきか悩んだが、また後輩たちにネタにされては堪らないと結論して真木にだけ買うことにした。

 

 水族館の生き物たちの形をしたクッキーを玉狛支部用に選び、クリアファイルを真木に選んだ。イルカやアシカがデフォルトされたマグネットと、入浴剤を記念に購入。

 

 水族館を出て時間を確認すると、16時過ぎ。その時間に八神は「ふふ」と笑った。

 

 

「どうした?」

 

 

 土産の入った袋を持った迅が尋ねる。

 

 

「んー…、だって最初の予定は半日だったのにな、と思って。悠一と一緒だと幸せで時間忘れちゃう」

 

 

 同棲しているくせに、八神は色んな時間を共に過ごしたいと考える。

 

 だが、それは迅も一緒だ。むしろ迅の方がその想いは強い。

 

 

「あ"ーなんで今日の夜に防衛任務入ってんだろ」

 

 

 色々な葛藤に迅は顔を覆ってその場にしゃがみこんだ。婚約者が可愛い過ぎる。

 

 そんな迅に合わせて八神も屈み、頬にキスを贈った。

 

 

「隙ありーってね。さ、帰ろ。防衛任務に間に合わなくなっちゃうよ」

 

「あ"ーあ"ー絶賛後悔中なの。もっかいキスしてくれると立ち直る」

 

「現金だなぁ。よーし、3秒以内に立つとしてあげよう。3」

 

 

 カウントする間もなく立ち上がった迅に八神は噴き出した。そして大きな手を掴んで歩き出す。

 

 

「玲ちゃーんキスはー?」

 

「家に帰ってからね」

 

「謀られた!」

 

「何のことやら」

 

 

 とぼけながら進む八神に、迅はしばらく口をへの字にしていたが、ふと、愉しい未来を視て機嫌を直すのだった。

 

 

 

 

 




一応人物設定に外見を載せていますがイメージキャラを挙げると、
八神の髪はFateの遠坂凛っぽいロング癖毛です。遠坂さんの髪を緩く1本の三つ編みにしているのが八神の常態です。ラフで寛いでいる場合は、アニメUBWの大人遠坂さんとかイメージぴったり過ぎてかなりヤバかった。

迅と八神の身長差って?
八神は三雲と同じ身長なので、迅と三雲が並んでいるコマを参考にして下さい。


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番外編3 花言葉「一途・教訓・ただひとりを愛する」

時系列は 日記封印期間の夏 です。
日記編に入れるのを躊躇った結果、こちらに。
いい加減、夏ネタを書きたかったのです……

※迅と八神の仲は、番外編2ほど近くない。
甘さ控えめ?(夏バテ気味の作者にはもう不明)


 

 暑くなってきたこの頃。早起きしても暑さは変わらず、しつこくこちらを苦しめてくる。

 

 しかし、暑かろうとやらなくてはならない仕事が我が家にはある。汚れても良い服に着替えて日焼け止めを塗っていれば、ぷーん、と耳障りな羽音が聞こえて周囲を見渡す。夏の悪夢が室内に侵入していたようだ。

 

 いや、かっこよく言ってみたけどただの蚊である。

 

 姿はない。しかし羽音が聞こえたということは近くまで来たことを意味する。

 

 

「痒いなぁもう」

 

 

 悠一は既に刺されたらしく、患部を掻く手前でなんとか踏みとどまっているようだ。

 

 

「羽音は聞こえたけど……」

 

 

 私の近くに奴はもういないらしい。見回しても姿は見つけられなかった。

 

 するとパンッと手を打った音。

 

 

「チッ! 逃げられたか……」

 

 

 低い声で舌打ちする悠一。よっぽど蚊への恨みが強い様子に首を傾げるが、よく見たら悠一は5ヶ所も刺されているので痒みが酷いのだろう。

 

 

「うわ……痒そう」

 

「めちゃくちゃ痒いよ! というかなんで玲は刺されないの!?」

 

 

 訴えてくる悠一に同情しながら、私が刺されていない理由を考えてみる。

 

 

「O型の血液を好む、から? でもきっちり科学的に立証されていないし、あれかな。体温が高い人に寄ってくる」

 

 

 私は冷え性なので、夏でも手や足の体温が低いのだ。

 それに筋肉は脂肪より熱を発する為、筋肉量の多い男性が刺されやすいのかも。だから悠一の方に集中するのでは?

 

 

「そういえば夏でも冷たいっていうか、ぬるいよね玲って……気持ち良いけど」

 

「私としては暑くて溶けそうだからくっついて来ないでほしい」

 

「そんな殺生な! ところで……俺はトリガーを持っています」

 

 

 ポケットからトリガーホルダーを取り出して、ニヤリと笑う悠一。

 

 

「ま、まさか」

 

「トリオン体になれば刺されない。そして、残った獲物は玲だけになる。ということは?」

 

「ず、ずるい! いくら本部に使用報告を上げなくていいからって!」

 

「ふははトリガー起動! よし」

 

「なん、だと……! はい、茶番は終わって庭の掃除を始めるよー」

 

「了解」

 

 

 悠一の準備も出来たことだし、完全に暑くなる前にさっさと始めよう。

 

 玉狛支部所属の悠一は本部にトリガーの使用報告を義務されていないし、悠一はサイドエフェクトによる街の見回り任務などがあるから支部にもいちいち報告をあげていない。一応兵器となるトリガーだけど、ベテランの悠一が悪用するはずがないと信用されているからだろう。最上さんである風刃を悪事に使うわけがないっていう信用。

 

 そういうわけで今回、悠一にはトリオン体に換装してもらって、夏の陽射しの下で庭掃除を頼んだ。悪事ではない。悠一も「まさか、戦闘に関係ない庭掃除に使われるなんて思わなかっただろうね」と面白そうに了承してくれたので問題ないはず。

 

 我が家には大きめの庭がある。リビングから出入り出来る広めのウッドデッキが始まり、白いタイルがデッキの周囲を囲み、人工芝生が一面に敷かれている。

 

 悠一がポツリと溢した情報からこの芝生のゾーンでは昔、忍田本部長と林藤支部長が木刀の素振りをやり過ぎて自然の芝生が台無しになり、完全に地固めされてからは人工芝生に変えられたらしい。昔は凄い特訓をしてたんだなぁ、とびっくりしたよ。

 

 シンボルツリーとなるのは常緑樹のヤマモモで、赤い実と緑の葉のコントラストが綺麗な樹木だ。悠一も私もあまり頻繁に手入れが出来ない為、草花の種類は少ない。でも一応、ご近所の奥様方から教えて頂いた開花時期別や相性に気をつけてプランターへ寄せ植えをしてるから完全に殺風景ではない。他にも鉢植えでハーブを作ってたり、トマトや茄子などの家庭菜園もやってたりする。

 

 庭は地固めされた上に防草シートを敷いてタイルや芝生となっているのだが、さすが雑草は強い。壁際やちょっとした隙間からにょきにょき伸びてきて、庭の景観を邪魔してくる。一面に雑草、というわけではないけどこのまま放っておくと虫も増えてくるので時間が出来た時に掃除をしようと思っていたのだ。

 あとついでにヤマモモや家庭菜園の収穫とか。

 

 

「とりあえず最初は雑草を抜こう」

 

「ごみ袋一杯もなさそうだけど」

 

 

 両極端に別れて雑草抜きを開始。帽子越しにでも夏の陽射しが感じられて辟易するが、自分の家なら自分たちで掃除・管理するのは当たり前だ。気合いを入れて取り掛かる。私もトリオン体になりたいとか思うけどね。

 

 出来るだけ根から引っこ抜き、袋へ詰めては移動を繰り返す。疎らに生えていた雑草をすべて抜き終わると、それだけで達成感。

 

 水分補給の為に一時休憩。気温が高いから適宜休憩を入れないと続けられないよ。

 

 

「はい」

 

「ありがとー。ん、レモン水か」

 

「うん。ご近所にレモンの木を植えている奥様からお裾分けをもらったの」

 

 

 そのまま食べることはあまりしないけど、こうしてレモン水にしたり、揚げ物に添えたり、レモンゼリーやシャーベットなど暑い中に爽やかさをくれる果実だよね。

 

 

「次はウッドデッキだっけ?」

 

「あ、ホースとブラシを出すの忘れてた」

 

「俺が取ってくる。玲はトリオン体じゃないんだからもう少し休んでて」

 

 

 何か言う前に悠一はサッと立ち上がって、道具入れまで行ってしまった。

 

 

「相変わらず気遣い屋だなぁ」

 

 

 悠一の背中を見送って、空になったグラスを流しまで運んで簡単に洗う。それから軽く汗を拭いてウッドデッキを覗けば、デッキの汚れた部分をブラシで擦っている悠一の姿。

 

 ちょっと悪戯を思いついた。

 そーっとデッキへ出て、外の水道に繋げられたホースを少しずつ手繰り寄せる。

 

 

「甘い!」

 

「わあっ!?」

 

 

 しかし未来視で知っていたのか、ホースを手繰り寄せる前に悠一が振り返ってホースの先を向けてきた。

 

 

「ごめんって! もう掛けないでよ~!」

 

「俺に水かけるイタズラ未遂の罰」

 

 

 頭から容赦なく水が降ってきて完全に濡れ鼠にされてしまった。やはり悠一に奇襲は無謀だったか。いや、まだ手段はある!

 

 

「未遂だから許して。というかトリオン体だからいいじゃん。水も滴るいい男になれるよ」

 

「なに~? 今もいい男ですけど?」

 

「ホース構えたイタズラ小僧ですけど」

 

「じゃあ玲はイタズラ少女だ」

 

「えー」

 

 

 髪の毛から滴る雫を払うフリをして、悠一に向かって思いっきりダイブ!

 

 

「ほらね」

 

 

 きちんと受け止めてくれた悠一が私のせいで濡れた。奇襲ではなかったけど、悠一を濡らす悪戯は成功したということにしておこう。

 

 

「こら、危ないでしょ」

 

「私を下着まで濡らした罰」

 

「んー……一緒に風呂入る?」

 

 

 逡巡した後に何を言うかと思えば。

 

 

「何言ってんの。まだ掃除途中だし、収穫もしてないじゃん」

 

「邪魔してきたのは玲じゃんかー」

 

「ごめんごめん」

 

 

 軽く謝って悠一から離れて、もう一本置いてあったブラシを握る。一見、汚れているように見えないウッドデッキだけど、擦ってみると汚れが判るものだ。

 

 

「よし、頑張ろ」

 

「あ、帽子忘れてるよ」

 

 

 濡れた髪の上から被せられてちょっとだけ抵抗を感じたが、もう被ってしまったし熱中症で倒れて悠一に迷惑を掛けたら申し訳ないからね。帽子や服は洗濯すればいいんだし。

 

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 

 にっこり笑う悠一に釣られて私も笑顔になる。さてさて早く掃除してヤマモモたちを収穫して、美味しいお昼ご飯を作ってあげなくちゃ。

 

 気合いを入れ直し、真面目に掃除したり、水の掛け合いをしたり、ブラシをぶん回して遊んだり──うん。最終的に遊び成分が多くなったけど無事に掃除を終えた。

 

 キッチンからボウルを持ってきてヤマモモの木の下へ。悠一が梯子を物置から出してくれていた。

 

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして。こうして見ると、結構立派だよね」

 

「だね。でもヤマモモって大きい物は20mはあるらしいよ。庭木だから3~4mが丁度良いね」

 

「へえ~」

 

 

 身長を優に越えるヤマモモの木を見上げて、少しの間梢や葉の音に聴き入る。サワサワ、という音を聴くだけで暑さが少しだけ軽減されるような……いや、暑いね。

 

 

「さ、収穫を始めよう! 悠一、君に決めた!」

 

「はいはい」

 

 

 ボウルを悠一に差し出せば、受け取って梯子を上り始めた。赤く熟した実をポイポイとボウルに入れる音を聞きながら、私は梯子を下で支える。

 

 最初は私が上の予定だったけど、昨日の時点で私が足を踏み外す未来を視た悠一が断固拒否。可能性の低い未来だってことだけど、悠一は譲らなかったのでお任せした。

 

 一方向の実を収穫して降りてきた悠一からボウルを受け取って、梯子を移動させ、もう一つのボウルを渡す。同じように繰り返していくと、ボウルに赤い実が山盛りとなった。

 

 

「思ってたより大量だ」

 

「これはトリオン体じゃなきゃ手が疲れてたなぁ。玲は大丈夫?」

 

「大丈夫。さっきの水遊びが打ち水代わりになったみたいで、そこそこ涼しいし」

 

 

 気遣ってくれる悠一に親指を立てれば、同じように返された。

 

 水分補給を入れて、家庭菜園の収穫も終える。

 

 

「うわ、茄子のトゲってこんなに尖ってんだ」

 

「スーパーでは軽く処理されているよね」

 

 

 茄子はナス科なので穫れたてはトゲがなかなか鋭い。小さい頃、指に刺さって号泣したっけなぁ。ついでに胡瓜の産毛みたいなトゲも何気に痛かった気がする。

 

 収穫物をキッチンへ運び、掃除道具を片付ける。

 

 

「ヤマモモはジャムにしよう。砂糖漬けもいいな~リキュールも作ってみたいけどアルコールだからダメかな」

 

「ん? 玲ってジャムはあんまり好きじゃないと思ってた」

 

「市販のは甘すぎる。あと、食品添加物があんまり美味しいと思わない」

 

「なるほどね」

 

 

 食品の劣化防止とか保存の為に必要な物だと思うけど、ジャムみたいな食材の味が重要な品ではあまり食べたくない。手間だけど、私の中でジャムは手作りが一番だと思っている。保存料が入ってないから早めに消費しないといけないけど。

 

 片付けも終わって軽くストレッチ。後に疲れを残さないために重要だ。

 

 

「あ、蚊取り線香を点けよう」

 

「そうだね。って、結局、玲は刺されなかったんだ……」

 

「今のところは」

 

 

 グルグル渦巻きの線香にライターで点火。火が消えて細く煙が昇るのを確認して、猫を模した線香立てに設置。豚さんも可愛かったけど、猫さんの器が良い具合にデフォルトされて可愛かったんだ。

 

 トリオン体を解除した悠一が傍に寄ってきて煙に手を翳す。何やってんだろう、燻し焼き?

 

 

「俺たまに思うんだけど、蚊取り線香って効果あるの?」

 

 

 悠一が首を傾げるので、どうやら蚊取り線香の材料を知らなかったようだ。

 

 

「効果はあるよ、一応」

 

「一応なの?」

 

「蚊取り線香の材料は除虫菊。で、このグルグルさんが効果を発揮する範囲は6畳くらいの広さらしいよ。蚊に効くのは煙で間違いないけど、煙の中に目に見えない除虫菊の成分が含まれていて、それが独特の香りになるんだ」

 

 

 つまり香りが強いと効果大で、弱いと蚊は気絶するくらいじゃないかな。閉め切った部屋ならかなり効果があるけど、外に置いて風が強いと香りが散ってしまう。

 

 ちなみに煙は人体や犬・猫・鳥などには害がないけど、カブトムシ等の昆虫と魚類や爬虫類と両生類には影響があるようだ。我が家は飼っていないから関係ないけど。

 

 説明すると悠一は凄く感心していたけど、くすくすと笑い始めた。

 

 

「なに?」

 

「いや、玲は色んな雑学知ってるなと思って」

 

「気になるとつい調べない? だって夏は蚊取り線香の季節なんだから効果とか害がないかとか気になるじゃん」

 

 

 それに情報社会ですぐに調べられるんだから利用しない手はない。

 

 

「気になっても、すぐにどうでもよくなるから調べない」

 

「そうなの?」

 

「そうなの。さ、俺とシャワーを浴びようか」

 

「先に1人でどうぞ」

 

 

 腕を広げる悠一から一歩離れて「 Don't touch me(触るな)」と手を振る。

 

 半分冗談だったようですぐに諦めて、私が先に入るよう促してきた。私の方が汗かいてたからありがたく入ることに。

 まったく、何で断られると分かってて挑戦するのか。

 

 汗を流したらお昼ご飯を作ろう。

 それにしても、本当に暑いなぁ。

 

 

 

 




 蚊に刺されないトリオン体っていいな、日焼けもしないんだろうな、という思いつきから生まれた話。

  読まなくても良いメモ
・蚊取り線香以外でも、植物で虫除け可能
ハーブは効果あります。
オススメは、ニームの木です。
蚊以外にもGに効果があり、他の害虫(約200種類)対策にも有効。
枯れた葉もクローゼットや洋服箪笥に入れて防虫剤にもなります。
・虫除けスプレーや、痒み止め
肌が弱い人や子供には市販の物や病院で薬を処方していただくより、ハーブで手作りした物が刺激が少なく低コストだったり。


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今期のランク戦は波乱模様、との噂
生き残った感情


お待たせしました。
3章となります。この章から、原作が連載再開されたら削除するものです。
序盤はあまり変わらないと思うのですが、原作の再開具合で手直しの必要がありそうなので。


迅を軸とした三人称
八神視点の一人称


 

 

 

 「一度学習した高エネルギー運用比率を、元の比率へ戻すことは時間が掛かる。人間は忘れる生き物と言われるが、厳密には忘れておらず仕舞っているだけだ。八神の脳も一度覚えたエネルギー運用を一時的に封じても、ふとした瞬間や緊急時は使ってしまうはずだ。目覚めてもしばらくは無理をさせるんじゃないぞ」

 

 

 鬼怒田の宣告に迅は、曖昧に笑みを浮かべるしか出来なかった。

 

 迅の様子に鬼怒田は「しっかり支えんかい!」と叱ろうとしたが、思い直して口を閉ざした。八神が実行した今回の試みに、加担した己が言えることではないと思ったからだ。

 

 

「すまなかったな……本来なら子供のお前さんらに負担を掛けた大人の責任。いくら八神が言い出そうとも却下すべきだった」

 

「鬼怒田さんは悪くないよ。玲がこうと決めたら、言いくるめられない人間なんていませんって」

 

 

 手をヒラヒラと振った迅の言葉に、今度は鬼怒田が苦笑を浮かべる。その通りだったからだ。

 雰囲気を作るのが上手いのか、それとも言葉選びが上手いのか、八神が言うことには最終的に納得してしまうものがある。

 

 

「それに、なんか城戸さんに怒られてる未来が視えるけど」

 

「なに……? むっ!」

 

 

 思い至った内容に鬼怒田は元から悪い顔色を更に青くする。

 

 大規模侵攻へ備えて、忙しなく活動していた鬼怒田を始めとしたエンジニアたちは、活動報告書の提出を後回しにしていたのだ。その中には今回の八神の提案書類なども含まれ、他にも新調した防衛装置の機構詳細や、C級トリガーの問題点など城戸へ提出していないものがたくさん。

 いつもなら何かとエンジニアたちの世話を焼いてくれる八神が自発的に持って行ったりしていたのだが、今回ばかりは八神も己の訓練と防衛対策会議で使う資料作成などで手一杯だった。それは鬼怒田も気にかけていたが、次々と出てくる開発問題に耳を傾けていたらすっかり忘れていたのだ。

 

 慌てて去って行く鬼怒田の背中へ迅は頭を下げて見送り、ベッドの傍らに用意された椅子へ腰掛ける。

 

 幽かに呼吸を繰り返しながら眠っている八神の手に触れる。冷たい。だが、死人の冷たさではない。

 

 八神の状態は本当に眠っているだけだ。脳は睡眠時、2種類の睡眠を摂る。誰もが一度は聞いたことがあるノンレム睡眠とレム睡眠だ。特に八神が必要とするのは脳の加熱を防ぐノンレム睡眠なのだろう。

 

 2種類の睡眠を簡単に分けるとしたら『脳と身体を休める』ことがノンレム睡眠、『身体を休める』ことがレム睡眠とされる。ノンレム睡眠は肉体の活動を抑え、通常の覚醒している時に消費する約20%のエネルギーを約8%までに落としている。そして脳下垂体から成長ホルモンが分泌され、子どもの場合は身体の成長に、成人では身体の組織の損傷を修復する。脳を酷使した八神の場合は、日中で受けた脳のダメージをこのノンレム睡眠で修復している真っ最中だろう。

 

 対してレム睡眠は、身体に力は入っていないが脳の活動自体は起きている時と変わりない。覚醒時に損傷した肉体の修復や、次の活動に備えると同時に活動結果を知識・記憶として脳と肉体へ整理結合するためとされている。

 

 八神が目覚めるのは早くて3日、遅くて2週間。

 

 

「……あんまり早く起きちゃダメだよ」

 

 

 迅の言葉は祈りだった。

 

 自己を守るため、強制的に気絶をした脳がダメージを受けているのは明白。更に高エネルギー運用を学習してしまった脳は、ありもしないエネルギーを肉体中からかき集めて運用しようとする。そして、他の臓器が活動する為のエネルギーさえも消費してしまえば最悪、死んでしまうのだ。

 

 現在は点滴や薬などで消費エネルギー分を供給しているが、少しずつ供給分を調節して、睡眠中に脳が元のエネルギー運用へ転換できるようにしなければならない。早い覚醒により不完全な修復となれば、八神はすぐに加熱してしまう脳を抱えてこれからの問題へ向き合ってしまうだろう。

 

 八神玲という人間に「頭を使うな」なんて言葉を向ければ、おそらく鼻で笑われてしまう。

 

 

「思考にこそ人間の尊厳はあるんだよ、か」

 

 

 とある哲学者の言葉を借りた八神が、昔そう言っていたのを迅は覚えている。その時は彼女らしいと笑ったが、もし今この瞬間に目覚めたならば土下座してても眠ってもらわなければ。

 

 医務室の花瓶に飾られている紫のアネモネへ視線をやった。

 

 

『悠一から紫のアネモネを私に贈ってほしいな』

 

 

 侵攻前に挑んだチェスの対局で、八神が勝利した場合の別の命令がこれだった。

 

 紫のアネモネの花言葉は"あなたを信じて待つ"。八神が迅から贈ってほしいということは『私を信じて待っていて』ということだ。

 

 その命令ではなかったが、迅はあえて見舞いの花にそれを選んだ。

 信じて待っているから、早く目覚めてほしい。でも、まだ目覚めないで。

 

 相反する願いを胸に抱えて、侵攻後の1日目が終わった。

 

 

 

 

 

 

 ───通りゃんせ、通りゃんせ。

 

 幼い頃に聴いたことのある唄だ。今もたまに聞く唄かな。

 

 ふと目を開けると、私は自宅のベッドに座っていた。隣には誰もいない。なんとなく寂しくなって、ベッドに手を這わせるけど、何もない。

 

 仕方ないと考えてベッドから立ち上がる。

 

 ───カチャカチャ、がちゃカチャ。

 

 部屋の外がどこか騒がしい。立ち上がって扉のノブに手を掛けた。

 

 

「開けちゃうの?」

 

 

 弾かれたように、突然掛けられた背後からの声に振り返るけれど、誰もいない。おかしいな。さっきの声が自分の声に聞こえた。

 

 ───御用のないもの通しゃせぬ。

 

 また唄が続いている。扉の向こうから聞こえる。

 

 躊躇いはあった。だけど、このままここに居るのも良くない気がしたから。

 ゆっくりと開いた先に見えるのは暗い廊下。すごく、恐い。

 

 

「うしろの正面だぁ~れ?」

 

 

 また聞こえた声に振り返る気は起きなかった。走って逃げたいけど、足は何でか重たくて、一歩一歩慎重に歩くしか出来ない。おかしいな。

 

 

「行きはよいよい、帰りはこわい」

 

 

 背後の声は私から離れない。唄も、いつの間にか声が発している。

 

 

「ねぇ、こわい?」

 

 

 遅々として進んでくれない足を懸命に動かしていれば、そんな当然の疑問を投げられた。

 

 

「わたしもこわかったの」

 

 

 何を言っているのか不明だった。声にこわいものなどあるだろうか。

 

 廊下の先にはまた扉が見える。あそこが出口だろうか。

 

 ───がちゃ、カチャ、タッタッ。

 

 どこかの扉が開いた。軽い足音が声に伴う。

 

 

「幻だよ」

 

 

 おかしい。何がなんだかわからない。ここは一体どこなんだろう。自宅ではなかったのだろうか。

 

 

「おかしいね」

 

 

 やっとの思いで辿り着いた扉に手を掛けると、服の裾を引っ張られる。何なんだ、行ってはいけないのか。

 

 

「ねえ、こわい」

 

 

 今度は感想を伝えられた。

 

 さっきまで軽かった手が重くなる。扉を開ける動作にこんなに苦労するのは初めてだ。

 

 

「こわかったの」

 

 はいはい、それはわかった。

 

「だって、悠一に会えなくなるから」

 

「……え?」

 

 

 扉を思いっきり開けば、そこには高校の制服を着た私が、教室の真ん中に座っている光景があった。

 

 気づけば私はボーダーの制服を着て、高校生の私と向かい合って着席していた。

 

 

「どうしてあんなことしたの?」

 

 

 主語なんて何もないのに、不思議と彼女が言いたいことが解った。大侵攻のことを指しているのだ。

 

 口を開こうとしたけれど、手の次は口が重くなる。やっぱりおかしな夢だ。夢?

 そうか、これは夢なのか。

 

 

「わたし、悠一が好きだよ」

 

 私も好きだよ。

 

「わたし、幸せだよ」

 

 それは何より。

 

「私は幸せじゃないの?」

 

 違うよ。でも、私が幸せだと伝えるべきは、高校生の自分なんかじゃなくて、悠一なんだ。

 

「よく解らないや。ここにはわたししかいないのに」

 

 そうだね。だから、早く起きなくちゃ。

 早く起きて、■■■しないと。

 

「まだダメだよ」

 

 そうかな。でも、早く起きたいんだ。

 

「だって、こわいもの」

 

 今度はこっちがわからないや。何がこわいの?

 

「だってツラい」

 

 

 夢の中はよくわからない。気づけば高校生の自分は消えていて、教室で1人ポツンと残されていた。

 

 ───通りゃんせ、通りゃんせ。

 

 また童唄。どうやら移動の合図のようだ。

 

 椅子から立って教室の開き戸に手を掛けた。

 

 

「行っちゃうの?」

 

 

 背後から聞こえた自分の声に、振り返ることはしなかった。どうせ誰もいない。

 

 開き戸の先にはボーダー本部基地の通路が続く。

 

 

「こわいね?」

 

 

 声はずっと着いてくるらしい。重くはならなかった足で通路を進む。

 

 

「仕事は好き?」

 

「好きだよ。だって必要とされてるから」

 

 

 声が2人になった。どちらも同じ声でややこしい。自分の声だけどさ。

 

 ボーダー内にこんな曲がり角も、扉も何も見えない一本道なんてあったかな。

 

 

「扉があるよ」

 

「あそこに入ろう」

 

 

 声の言う通り扉が見えた。ちがう。

 

 無視をしてそのまま真っ直ぐ通路を歩く。

 

 

「また扉」

 

「じゃあ、あそこ?」

 

 

 違う。

 

 次々と現れる扉。その度に声たちは騒ぎ立てる。

 夢なのは分かるけど、いったいどういう夢なんだろう。いや、夢に意味を探すのは無駄だったね。

 

 ふと、芳しい香りを感じて足を止める。なんの匂いだろう。

 

 自然と足はそちらへ向かう。変わり映えのしなかったボーダーの通路が板張りに変わった。

 

 声たちはいつの間にか消えていて、それに気づいた時。

 

 

「あ」

 

 

 床が前触れもなく消えた。やっと出てきた言葉はその一文字だけで、私は下へと墜ちた。

 

 

 

 

 

 「……知らない天井だ」

 

 

 目が覚めると真っ白な天井と、クリーム色のカーテンが飛び込んできた。

 

 自宅ではない。さっきの妙にリアルな浮遊感を体験した後だと不思議な、納得出来ない気分になった。どんな夢だったっけ。

 

 

「そうなんだ。結構お世話になってるって知ってるけど?」

 

 

 何故か久し振りのように感じる、聞き慣れた声が傍らから降ってきた。

 

 そちらを見ると、悠一が木崎さん並みのポーカーフェイスで椅子に腰掛けてこっちを見ていた。呟きを聞かれた。たしかに以前から基地の医務室にお世話になってたんだけどさ。

 

 

「い、いやーちょっと言ってみたくて」

 

「記憶喪失を疑うからやめてね」

 

 

 鉄壁の無表情を纏った悠一が手を伸ばしてくる。これは、怒ってますね~ですよねー。

 

 

「ごめんなひゃい」

 

 

 ぎゅむっと割と強い力で左頬を抓られて、言葉が不自然になった。痛いです。

 

 しばらく悠一は無言で頬を抓っていたが、だんだんと無表情が崩れてきて、最終的に眉尻を下げて空いている手で顔を覆った。

 

 

「……無事で良かった」

 

 

 心の底から漏れたらしい言葉に、体温が上がる。

 言葉に出来ない温かさとか痛みみたいなものが込み上げてきた。

 

 

「なんで笑ってんの」

 

「んーいや?」

 

 

 自然と持ち上がる口角。頬を抓っていた悠一にも伝わったようで、覆っていた手を少しだけズラして睨んできた。そんなことされてもこの感情は抑えられないって。

 

 悠一は溜め息は吐いて私の頬から手を離した。

 

 

「あのな、今回俺はかなり心配したから」

 

「うん」

 

「色々頑張ってたんだぞ……聞いてる?」

 

「うん。悠一、おいで」

 

 

 めちゃくちゃ重たい体をなんとかベッドから起こして、両腕を軽く伸ばす。うん、なかなかダルい。

 

 悠一は一瞬、ぽかんとしたけど、私の意図を汲んで体を寄せてくれた。なんか少しだけ躊躇いが見える悠一だけど、私は遠慮なくぎゅうと抱きしめた。

 

 

「玲……あの」

 

「悠一、ありがとう。私すっごく幸せだよ」

 

「!! ああ、もう! 俺の方が幸せだから!」

 

 

 愛しさが溢れて正直にそれを伝えたら、悠一もぎゅうぎゅうと抱きしめてくれた。

 何故かヤケクソ気味に聞こえたような気がしたけど。

 

 

 

 




"紫のアネモネ"は別の未来だったものです。
この世界線では違います。

医務室の住人たち
「おい、検査の為に中断させてこいよ」(コソコソ)
「キミが行けばいいだろ」(コソコソ)
「私は空気私は空気私は空気」(ブツブツ)
「おれは椅子おれは椅子おれは椅子」(ブツブツ)
「煎餅美味い」


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マイナス思考

八神の脳の現状は、例えると熱くなりやすいバッテリーやCPUです。
ヒトは内部環境の温度変化の許容範囲はきわめて小さい。体温が摂氏34度以下、あるいは摂氏43度以上になると、脳細胞が働かなくなり意識が消失してしまいます。変動の許容範囲は僅かに10度くらい。
外部環境だと、寒中水泳でも100度近いサウナでも耐えられるらしいです。

八神視点の一人称
迅を軸とした三人称


 

 

 大規模侵攻から4日目に、私は意識を取り戻した。もっと短い期間だと思っていただけに、こんなに時間を無駄にしてしまったことが悔やまれる。しかしこれをポロっと溢した時、医師にも悠一にも激怒された。

 

 ───むしろ起きるの早すぎだからまた寝ろ!

 

 せっかく起きたのに理不尽だ。とも思ったけど、自分の状態を聞いたら納得するしかない。よくぞ4日も寝ていた、と褒めてほしい。

 

 とりあえず4日は眠っていたのだから、侵攻の結果情報を下さいと医師をなんとか説得した。ちなみに悠一は中央の病院に運ばれた三雲くんのお見舞いへ行った。私も行きたいけどまだ外出許可が出なかったので諦める。

 

 

 

 論功行賞の内訳は以下の通りである。

 

《特級戦功》褒賞金150万円+1500P

 八神玲、三輪秀次、太刀川慶、迅悠一、天羽月彦、風間隊、空閑遊真。

 

《一級戦功》褒賞金80万円+800P

 三雲修、東春秋、出水公平、米屋陽介、緑川駿、烏丸京介、小南桐絵、嵐山隊。

 

《二級戦功》褒賞金30万円+350P

 木崎レイジ、当真勇、奈良坂透、古寺章平、諏訪隊、村上鋼、東隊、来馬隊、荒船隊、柿崎隊、茶野隊。

 

《枠外戦功》500P

 全てのC級隊員。

 

         以上。

 

 

 

 医務室のベッドで上半身を起こし、医師から渡された書類に目を落とす。

 

 自分の名前を特級戦功枠に見つけて、複雑な気分になった。

 

 

「足手まといになったのに、特級戦功、かぁ」

 

 ───単独で市街地の境界線全域の防衛を担い、C級隊員の援護。新型と人型近界民(ネイバー)とも交戦し被害を最小限に抑えた。新型撃破数8。

 

 

 理由も併せて書いてあって、やはり複雑である。

 

 結局足手まといになった上、囮にしたC級隊員の犠牲者が4名も出た。民間に被害が出ないことは当然の目標であったし、作戦は成功したと言っても過言ではない。

 

 けれど、中高生のC級隊員を犠牲にしてしまった。これは、私の責任。上層部が許可を出したとか、悠一が異論を出さなかったとか逃げは許さない。私が負うべき責任だ。

 

 

「…………なにが、策士だよ」

 

 

 自分で宣った言葉を繰り返す。本当に、私が策士なんて烏滸がましい。この現状を見ろ。被害を見ろ。

 

 わかってる。戦争には被害が付き物だ。無傷の戦功なんて私には無理だ。でも、私が余計なことをしなければ、下手に口を出さなければ被害はもっと減っていたのでは?

 

 もっとトリオンの誘導が出来たんじゃないか? 50%は、イケたと思う。けれどイーグレットはともかく、バイパーに回せるトリオンが減って手数が減っていた。それでもスパイダーと繰糸でカバー出来たように思う。50%でなくとも45%とか。なんで40%で満足してしまったんだろう。もっと思考リソースを割いていれば援護も間に合ったはず。

 ラービットのコンセプトは判明していたのだから、スパイダーの強度だって上げることは出来たんじゃないか。

 初めの黒トリガー使いと遭遇してからの撤退が早すぎたのでは。もっと粘ってたら本部への襲撃被害を減らせた。私の実力不足が招いた怪我人だ。

 終盤だって、私が出来たことなんて何もない。

 

 マイナスの思考が止まらない。戦争なんて近界(ネイバーフッド)で経験してる。その時の被害は今と比べると、笑っちゃうほど大きかった。でも思考の切り替えはすぐに出来た。割り切れただろ。何が違う。

 

 

「うぅ……」

 

 

 頭が痛い。違う。そんなことは考えるな。

 

 近界民(ネイバー)とこちらの人間の命は同じ。では、価値観が違うからか。たしかに価値観は違うが、国や仲間を想う気持ちに違いはなかった。

 

 じゃあ、やっぱり覚悟が足りなかったんだ。

 

 

「ふっ、ぅ、っ……!!」

 

 

 何よりも許せないのは、悠一の負担になったこと。

 

 今まで悠一の邪魔にならないように、負担にならないように動いていたはずだった。副作用(サイドエフェクト)を酷使しなくても良いように、未来視(サイドエフェクト)を知らない隊員から心無い言葉を言われないように。

 

 でも、上手く出来ていると錯覚していたのは悠一が補助してくれていたおかげだ。私が動く度に悠一が調整してくれていた。中には予定になかった動きもあっただろう。

 

 最後、悠一が黒い穴から飛び出してきた時、嬉しいと思ってしまった。バカだろ私。あのまま悠一が戦場に残っていた方が確実に被害は減った。あんな行動をさせてしまった自分を恥じろ。

 

 

「いた、ぃ」

 

 

 ああ、終わっちゃったな。こんな負担を掛けてしまう人間は、やっぱり相応しくないや。

 

 記憶消去はどこまで及ぶのかな。悠一のことは、忘れたくないなぁ。でも彼はボーダーの重要機密に近い人員だし、絶対に消されちゃう。叶うなら彼にも私のことを忘れてほしい。

 

 いや、だな。けど、負担になるくらいなら───。

 

 視界は暗くなり、体が傾ぐ。

 

 

「おやすみ」

 

 

 泣きそうな、優しい声が鼓膜を刺激したけど、私の脳はそれを解することが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 力の抜けた八神の体を、迅はゆっくりとベッドへ横たえる。コールボタンを押して医師が来るのを待ちながら、涙で濡れた頬を拭ってやった。

 

 

「無理しないで」

 

 

 迅には八神が泣いている未来が視えていた。そしてまた気絶するように眠ることも。

 

 独りで泣く八神に、迅が声を掛けることは出来なかった。泣いている最中に姿を見せてしまえば、八神は笑顔になるから。

 作り笑いではない。嬉しい、幸せだと伝えてくる笑顔だ。

 

 もちろん、泣き顔よりそちらの方が好ましい。だが、迅は敢えて姿を現さなかった。

 

 

「……ごめんね。一緒にいたいんだ」

 

 

 この機を逃せば八神が泣くことはない。いや、()()()()()()()()()()()()

 

 視えた未来の光景は、迅にとって理解し難いものだった。

 

 どうしてもボーダーを辞めようとする八神と、それを説得する己と上層部の姿が視えたのだ。その未来では八神は頑として折れることなく、迅に「ありがとう」と綺麗な笑顔で別れを告げて去る。

 

 そんな未来、迅には受け入れられなかった。

 

 ボーダーにはまだまだ八神のような人間が必要で、何より、迅の心が欲していた。

 

 だからこそ、迅は苦肉の策として姿を現さなかった。未来は変わった。

 

 非常に腹立たしいことに、己ではない男によって八神はきっかけが与えられる。嫉妬を覚えるが、その分迅と八神の関係が深まるのだから、と割り切った。

 

 

「俺が、もっと大人だったら……」

 

 

 ポツリと零した微かな音は、慌てて入ってきた医師によってかき消された。

 

 

 

 




・迅と八神のすれ違い
これは迅が八神の恋心がある程度まで育つ前に外堀を埋めて進んできたからです。
日記編の告白回にて八神にはそれまで『好き』はLikeしかありませんでした。迅の告白をきっかけにLoveを意識し始めたのです。しかし、迅が周りに見せつけ&"嫁"と紹介したり、八神そっちのけで両親に挨拶したり、とどんどん突き進むので八神の心は追いついていません。
それでも迅のことは想っていますし、愛してもいるのですが、己の心より迅の幸せを願うような在り方になりました。


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重石を呑み込む

八神視点


 

 

 翌日、侵攻から5日目。

 

 脳のエネルギー運用比率の転換が終わるまでがボーダーに居られる、悠一と会える期間だと思う。

 すぐに頭痛に襲われるからさっさと治ってほしいけど、そう考えると治ってほしくない。でも、ずっとここにいても迷惑なだけだ。早く、治さないと。

 

 

「やあ、調子はどうだい?」

 

 

 またもや思考に沈み過ぎていたようだ。唐沢さんがカーテンを開いたことに一切気づかなかった。

 

 

「こんにちは唐沢さん。調子は……まだポンコツみたいです」

 

 

 ベッドの傍らに設置された機器に視線をやれば、冷却装置──正式名称は知らないけど、脳がオーバーヒートしないように落ち着かせる為の装置らしいので、冷却装置と称している。──が唸っている。装置から管の付いたシールが私の額と項に貼られている状態だ。

 

 大侵攻にて試みた無茶によって短時間思考に耽るだけでもエネルギー消費されるからか、脳がオーバーヒートしないようにセーブが掛かるよう処置が施された。おかげで読書もろくに出来ない入院生活ですよ。

 

 

「なかなか不便そうだ。でも君はそれだけムチャをしたってことだね」

 

「はい……今までの人生で一番怒られました」

 

 

 色んな人がお見舞いに来てくれたのだが、大半に怒られた。一番怖かったのは林藤支部長で、一番対応に困ったのは号泣する陽太郎くんだった。

 陽太郎くんを宥める為に脳をフル回転させて、私はスイッチが切れたように気絶してまた大変だったらしい。

 

 

「彼は怒らなかったのかい?」

 

「悠一ですか? 怒りましたよ。頬を抓られました」

 

「相変わらず仲が良いことで」

 

 

 肩を竦めて唐沢さんは傍らの椅子に腰掛けた。自然な動作に見えるけど、何か迷っている節が受け取れる。

 

 また冷却装置が唸り出す。

 

 

「……なんというか、君が考えている瞬間が筒抜けになる装置だな」

 

「……はい」

 

 

 もうちょっと静かに稼動してくれないものか。おちおち考え事も出来ない、と思ったけどそれが狙いなのだろうか。

 

 ちなみに、現在はただ唸る装置だが、あまりにも私が思考を止めないと電子音が鳴って医師がすっ飛んでくるシステムになっているらしい。ありがたいような、過保護なような。

 

 

「……記者会見が3日後と決まったよ」

 

 

 前触れもなく喋り出した唐沢さんへ視線を戻す。

 

 

「さっきの会議で決まったことなんだが、三雲くんの事件をスケープゴートにする予定を君はどう思う?」

 

「はぃ? 三雲くんを? え、私ではなくて?」

 

 

 どういうことだろう。三雲くんの事件って何かあったっけ。あ、C級トリガーのことか。

 

 唐沢さんが私の言葉に瞠目してから苦笑を零した。

 

 

「過ぎた謙遜は逆に傲慢だ。君は既に、組織から切っても離せない有能な人材だと、自分を認めてあげなさい」

 

 

 考えてもいなかった言葉に、思考が停止した。だがすぐに脳が言葉を反芻する。

 

 有能な人材。そうだろうか。私はそれに値する実力だろうか。では、では──なぜ、C級隊員は犠牲になったんだ。私が無能で凡人だからではないのか。

 

 唐沢さんの顔は冗談で言っているような感じではない。本心からの言葉のように思えた。ポンコツの脳は聴覚までもポンコツにしたのかも。

 

 

「民間の被害がゼロになったのは、紛れもなく八神玲、君の戦功だ」

 

 

 ぼろぼろと、涙が落ちていることに気づくのが遅れた。

 

 慌てて両手で頬を拭うけれど、涙腺もポンコツになっているらしい。おかしいな。冷却装置さん仕事してよ。

 

 

「たしかに君が出した案で犠牲者は出た。けれど、君が出した案で救われた人間がたくさんいるんだよ」

 

 

 冷却装置が唸り出し、ピーッと電子音が鳴った。

 

 涙は止まらなくて、結局私は緩慢な動きで顔を覆うしか出来ない。

 

 唐沢さんの言葉が、ただただ嬉しかった。私なんて悠一の付属品でしかないと、高をくくっていたから。

 

 有能な人材とは東さんみたいな大人で色々そつなくこなす人や、当真くんや出水くんのような、天才的な才能を持っている人のことを指すのだと思っていた。自分なんか到底追いつけない玉狛支部や、職員として欠かせないエンジニアやオペレーターのことだと。

 

 2回目の電子音が鳴る。

 

 

「無理をさせたようだ。じゃあ、お大事に」

 

 

 唐沢さんが椅子から立ち上がる。

 

 

「か、ら沢さん、あり、がとうございます。2時間、だけお時間ください……会議のこと、考えます」

 

「大丈夫かい?」

 

「はい……考えさせてくだ、さい。考えたいんです」

 

「……では、2時間後また来るよ」

 

 

 医師が鬼の形相で駆けてくるのが見えて、唐沢さんは入れ替わるように去って行った。

 

 医師は号泣している私を見て、鬼の形相は止めてくれた。軽くお説教をしてから、目を冷やす布を渡して眠るように促される。

 

 唸る装置音と医師のお説教をBGMに、ひとまず私は眠った。

 

 

 

 

 

 20分ほどで目覚めた私は、まずそばにいた医師に直談判して、外出用の簡易冷却器具と点滴の用意をしてもらった。

 

 唐沢さんとの約束時間まで残り1時間。考えることは制限されているけれど、このままジッとなんてしていられない。会議が終わった瞬間から根付さんはきっと動き出しているはずだ。変更が可能なのは本日中まで。

 

 被害の報告書を再度確認する。ボーダーの組織内で被害が出た。

 

 約4年前の大侵攻を第一次とし、今回を第二次とするらしい。第一次と第二次では規模が段違いであり、そこの部分は根付さんも出すだろう。

 

 ただ、マスコミに餌として蒔くのが"三雲くんの失敗"だと言うことが問題なのだ。

 

 らしくない。そう思った。

 

 いつもの根付さんならやらないミスではないだろうか。いや、おそらく大侵攻の後処理に追われて上層部も疲弊しているのかもしれない。

 

 電子音が甲高く発せられて、一瞬思考が逸れた。本当に過保護な機械だな。

 

 えーと、そう。"三雲くんの失敗"は特大の餌だ。というか、大き過ぎて逆に事態の収拾が出来なくなる。

 

 それに、三雲くんは今回の功労者でもあるのだ。そう簡単に売ってもらっては困る。主に私たち部下が動けなくなってしまうから。ことわざに『蜥蜴の尻尾切り』なんて言葉があるが、このままだとその通りの事態に進んでしまう。

 

 蜥蜴の尻尾は切れたら元通りに生えて、また何度でも切れると思われがちだ。しかし完全に元通りではないし、自切りと呼ばれるその手段は例外を除いて一度だけ。尻尾にも骨があり、その骨ごと切り離す。蜥蜴でも骨の再生は難しく、2回目の尻尾には軟骨しか入っていない為何度も切れるわけではないのだ。尻尾の再生にはエネルギーを消費するから栄養状態の良くない蜥蜴は自切りしたら体調を崩して、おっと。思考がわき道に逸れてしまった。

 

 とりあえず元通りにはならないのだ。もし三雲くんを尻尾として切ったら、学校や街で彼が救った市民からアンチが出てくる。そして、功労者を売ってしまってはボーダー内でも上層部への不満が出てきて内部崩壊しかねない。只でさえ派閥が出来てややこしいのに、これ以上なんてなったらもう組織は歪んで成長するしかない。で、最終的にバベルの塔のように崩れる未来だ。それは宜しくない。

 

 では、何をマスコミに渡せばいいのか。たしかにマスコミはスキャンダルなど人間や組織の粗探しが大好物だが、それ以上に話題がほしいだけだ。世間から注目されたい、という顕示欲の塊が記者だと思えばいい。

 

 

「大丈夫かい?」

 

 

 迎えに来てくれた唐沢さんが苦笑を浮かべる。

 

 

「はい。唐沢さん、先ほどは申し訳ありません」

 

「何のことだい? 私は依頼をしただけだが」

 

 

 キャスター付きの点滴と簡易冷却器具を携え、私の歩調に合わせてくれる唐沢さんに、今度は私が苦笑する。紳士ですね。

 

 

「いえ。色々とありがとうございます」

 

 

 気遣いに甘えて歩みを進める。

 

 唐沢さんは2時間のうちに会議室へ幹部の方々を集めて下さったらしい。私が数日掛けて調整するスケジュールを、唐沢さんはものの数十分で調整したらしい。やっぱり──ううん、なんでもない。

 

 

「なに、集めるのは簡単さ。それに今回は今後を左右する大事な局面だからね」

 

 

 さすが敏腕営業部長だ。数多くのスポンサーをガッチリ掴んで放さない秘訣は、唐沢さんの機を見極める力だと思われる。

 

 会議室の前にやっと到着して、一度深呼吸。

 

 

「失礼します」

 

「!」

 

「八神!?」

 

「なぜ」

 

 

 全員から驚愕の視線を向けられた。なるほど、皆さん顔色が悪い。

 

 部屋に足を踏み入れて、少しだけ胸を張る。さて、判断力が鈍っている方々に私の言葉を届ける為の爆弾は何かな。

 

 

「私は三雲くんを身代わりにすることを反対です」

 

「!!??」

 

 

 城戸派は「なぜそれをっ」という驚きで、林藤支部長と忍田本部長は「どういうことだっ」という驚き。後者は知らなかったようだから城戸派の、というか根付さんが積極的に進めていた感じかな。

 

 最初の切り口は上々。

 

 

「三雲くんは隊務規定違反を犯しましたが、行動自体は正しいことです。正しいことをした部下を認めなくては、ボーダー隊員は上層部を信用しなくなります。

 せっかく、第二次大規模侵攻で被害は"軽微"だったのだから、もう一歩踏み出すべきです」

 

 それに。

 

「三雲くんは嵐山隊の信用も守ったんです」

 

「?」

 

 

 首を傾げる根付さん。うん、やはり考え至っていなかった様子。

 

 

「嵐山は『家族が一番大事』だと公言しています。三雲くんがいなければ『大事な家族』は無事では済まなかったはずです。

 そして、公言していたにも関わらず、家族を守れなかった嵐山に市民は『家族も守れないのに市民が守れるのか?』と不信感を持ったでしょう。根付さんが積み上げてきた印象操作も台無しになるところだったんです」

 

 

 目を見開き「今気づいた」ということを如実に示してくれる。疲れているのはバッチリ分かるけど、手を緩めるわけにはいかない。このまま畳み掛けよう。

 

 

「それを阻止してくれた三雲くんを、切るのですか?」

 

「う、しかし……」

 

 

 口ごもる根付さんを見かねたのか、城戸司令にすっと片手で制された。

 

 

「八神隊員そこまでにしろ。だが、今回の戦果をそのままマスコミに公開しても、大人しく帰ってくれないだろう」

 

 

 大侵攻だったからこそマスコミも騒いでいる。だから何か大きなネタを渡さなければ場が収まらない。

 

 城戸司令の言葉はごもっともである。そして、私が待っていた切り口だ。

 

 すこーし、頭が痛く感じるが敢えて無視。こんな中途半端で倒れてはここに来た意味がない。

 

 

「大侵攻を乗り越えた今だからこそチャンスです。上手くいけば人員増加とお金をがっつり集められます」

 

 

 人員増加と金策の発言に全員が反応する。特に唐沢さんと鬼怒田さん。

 林藤支部長から「八神たくましくなったなぁ」とか言ってたけど聞こえないフリ。

 

 

「……意見を聞こう」

 

 

 鋭く細められた、城戸司令の視線に射抜かれる。いつもなら身を竦めそうな視線だけど、今の私は入ってきた時の姿勢のまま微動だにしなかった。

 

 

近界(ネイバーフッド)遠征の公表を提案いたします」

 

 

 さすがの城戸司令も目を見開いて驚いた。周りの反応は"絶句"という言葉がピッタリかな。

 

 

「今までの遠征は公開せず『初の試みである』ことを公表します。第一次では国の名前が不明でしたが、今回はアフトクラトルだと判明しているので救出の見込みは高い」

 

 

 それに今回は一般人ではなくトリガー使いを狙ったということは、絶対に意図がある。

 攫われたC級が早々に使い潰されることはないだろうし、あのわくわく動物野郎だっけ。あいつが洗脳とか言ってたから、攫った人間を殺すつもりもないことは判っている。

 

 

「なるほど。確かに今までにないネタを提供できるな」

 

「ですが、近界(ネイバーフッド)遠征を公表すればまたそれで非難を受けるのでは?」

 

 

 空気は概ね提案を受け入れてくれそうだが、根付さんは眉根を寄せている。

 

 

「非難を受けるにも印象の違いがあります。三雲くんをスケープゴートにした場合、ボーダー内外にアンチを発生させるでしょう。遠征任務を公表した場合、危険を承知で救出を行うボーダーにアンチも湧きますが、それ以上に注目を集められ、ま」

 

 

 そこまで言葉を続けて、プツンと電源を消された液晶画面みたいに目の前が真っ暗になった。

 

 

「……八神隊員?」

 

 

 城戸司令の怪訝そうな声に応えようとしたが、足から力が抜けて。

 倒れそうになったところで、たぶん唐沢さんに後ろから支えられた。

 

 

「……下がれ。体調が万全でない者は邪魔だ」

 

 

 厳しい言葉に悔しく思ったが、正論だ。脳は活動限界を迎えて、私には悔しさに唇を噛むことも出来ない。

 

 そうして、今度は意識がプツンと落ちた。

 

 

 

 




八神の現状では、一つの行為に集中し過ぎるようになっています。なので少々強引に自分の主張を言う形になり、あまり周りを見る余裕はありません。
それでも、八神のような若者に上層部が耳を傾けてくれるのは、これまでの功績があるからです。

 ・何故、唐沢のポジションが迅ではなかったのか
2人の関係上の問題です。迅は与えられる(奪う)側、八神は与える側。
さらに迅は心のケアが苦手だと自覚しています。原作でも道を指し示す者として登場しており、心に踏み入れる場面を他キャラに譲っています。キャラが多いのでそういうポジショニングになったと言われればそうなのですが、拙作では心情を汲むのが苦手だと設定しております。
今話も迅は八神に、己が何を言っても逆効果だと未来視(自覚)して唐沢に譲りました。複雑ながら嫉妬はしてます。また、迅の負担にならない為ととある懸念(すれ違い)により、八神の方も愛情以外を分けることはしません。

 ・八神のトラウマ
トラウマのヤンデレ子の影響で、八神は他人に頼ることが苦手です。
ヤンデレ子について言及していない、というか今のところ出す予定はないのですが完全奉仕依存型のヤンデレ『何でもしてあげる、買ってあげる、全部任せて。貴女の為なら何でもするわ。だからずっと一緒にいて、だから深く愛して。寝ても醒めてもずっとずっと』です。
思春期の時分だったので少なからず八神もコレに影響されています。八神は兄妹の真ん中なので献身性も甘えの性質もあり、ヤンデレ子とは献身性が発揮出来ずストレスが蓄積。距離を置こうにも迫ってくる為、"構われ過ぎた猫状態"となりノイローゼ(症状例の1つ、軽度の対人恐怖症)を発症。遭遇したらSANチェック。中学卒業を機会に、物理的に逃げるしか出来ませんでした。


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寄り添う為の言葉

八神視点


 

 「か、会見!」

 

 

 もう見慣れた医務室の天井が目に入って、すぐに思考が重要なワードを叩き出した。

 慌ててベッドから飛び起きようとして、額をぺしりと押さえられて動けなかった。

 

 

「動くな」

 

「ひっ」

 

 

 地の底から響いてきたような声音に、思わず喉が引きつった。

 

 額に置かれた手、腕、と持ち主を目だけで探って、恐怖を呑み込む。

 

 

「…………」

 

 

 そこに居たのは、魔王だった。間違えた。能面の悠一だった。

 こ、この前の比じゃない!

 

 

「お、おはよ、ございまする」

 

「おはよう。俺がいない間に随分と無茶をしたようで」

 

「は、はい」

 

「4日も寝てたよ。いい夢は見れたかな」

 

「4日も……」

 

「そっか。まだ寝足りないみたいだし、もっかい寝ようか?」

 

 

 や、やばい。悠一の能面が一瞬たりとも崩れないぞ。疑問符を付けたイントネーションのくせに全然こっちの意見を聞いてくれそうにないぞ!?

 

 危機を脱したいが、能面から視線を逸らせば終わる。何が終わるのかさっぱりだけど終わる。

 

 

「よし、寝ようね」

 

「ひぃ!?」

 

 

 額を押さえていた手の面積が広がって視界を覆われ、唇をカサついた唇で塞がれた。

 

 ピーッと音が響いたのを最後に、また眠った。

 

 

 

 

 

 意識の浮上を察する。しかし、眠る前の出来事が頭を過ぎって、目を閉じたまま慎重に周囲の気配を探る。たぶん、いない。

 

 そうっと瞼を開けると薄暗い天井。最小に灯りが落とされていることから今が夜だと知る。

 首を捻ってみると茶髪と青いジャケットが目に入ってドキリとしたが、ベッドに突っ伏して眠っているようだ。

 

「……───」

 

 

 名前を呼ぼうとして、掠れた音しか出なかった。ベッド脇のデジタルカレンダーへ目をやれば、どうやらまた日を跨いで眠っていたらしい。

 

 静かに身を起こしてみる。筋肉の衰えを感じて悲しくなったが、まったく動けないよりマシだ。額と項のシールはもう剥がされている。脳は元の運用へ転換出来たようだ。

 

 悠一の頭を撫でようと手を伸ばして、止めた。現在は夜中の3時。

 

 ベッドから素足で降りて、悠一の顔を覗き込むために移動。トリオン体らしく、顔色は良くわからない。それでも、寝顔が相当疲れているように感じた。

 

 ───それも、そっか。

 

 悠一は色んな未来を視ている。記者会見がどういう結果になったのかまだ知らないけれど、これからボーダーはまた忙しくなるだろう。こちらの世界事情の忙しさも、近界(ネイバーフッド)からの侵攻への対処にも追われる。悠一は未来視で一足先に、その何倍もの忙しさを味わっているのだ。疲れない方がおかしい。

 

 私という荷物まで背負い込む器に感服するしかない。背負い込まれた荷物はどうすれば、自主的に軽くなれるんだろうね。

 

 とりあえずトリオン体と言えど突っ伏した体勢は寝にくいと思われる。結局起こすしかないのかな。

 

 後ろから脇にそっと腕を差し込んで抱きつく形になり、ベッドの上に動かそうとした。うん、無謀だった。筋力が衰えている上に、自分より大きな男性を動かそうなんてアホの試みだったわ。

 

 

「…………」

 

 

 背中から脇を通してホールドして、椅子に座らせた状態。これからどうしよう。首と腕がだらんと力が抜けた悠一を全身で支えながら途方に暮れる。

 え、もう一回突っ伏させればいい?

 

 

「ぷっ」

 

「!?」

 

 

 腕の中から噴き出した声がして、身体をバイブレーションさせて笑う悠一の旋毛を見下ろす。

 

 

「……いつ、から、起きてたの?」

 

「さっき。あーあ、玲の胸が痩せちゃったね」

 

 

 掠れた声でなんとか喋れば失礼なことを言われた。確かに悠一の後頭部は私の胸の位置だ。点滴の栄養しか摂ってない上に運動もしてないから、そりゃ全体的に痩せるよ。でもさ。

 

 

「落としていい?」

 

「って言いながら手を離してますよ玲さん」

 

「胸だけ限定して言うから」

 

 

 悠一が腕を後ろに回して私の腰を掴み、そのまま前へ引っ張られて、ひょいと膝の上へ乗せられた。そして尻を揉まれる。

 

 

「お尻も痩せたね」

 

「……ねぇ、一緒に寝よ」

 

 

 もう色々と反応に疲れたので悠一の肩を叩く。私の訴えに、悠一は私を抱えてベッドへ上がった。

 

 2人して向き合ったまま横になる。

 

 眠そうに目を細める悠一に、青いジャケットを軽く引いた。

 

 

「トリオン体、解除してよ」

 

「ん、ダメ。ヒゲ剃ってないし」

 

「いいじゃん」

 

「ヤダ」

 

 

 眠そうだし、譲ってくれそうになかったので諦める。妥協として悠一を抱き枕にしてくっついた。トリオン体って温かいけど、悠一の匂いがしないからちょっと寂しい。ん? ちょっと待てよ?

 

 ヒゲ剃ってないってことは、数日家に帰っていない&玉狛支部にも行ってないってこと? ご、ご飯はちゃんと食べてたのか!?

 

 目を閉じてしまった悠一は既に寝ている。輪郭は変わっていないけど、数日前からトリオン体だったら正確性はない。寝食でトリオン体は維持するはずだから、一応エネルギーは足りているってことだろうか。点滴ってむしろ悠一の方が必要なんじゃ……

 

 

「おやすみ、悠一」

 

 

 とにかく、悠一の状態はちゃんと日中に起きてから訊くことにしよう。今は少しでも休んでもらえるように。

 

 

 

   *

 

 

 『訓練生の一部だけ走ったのは囮ですよね。彼らは同意していたのですか?』

 

──はい。本人の同意を得て、ご家族への説明もしています。

 

『囮にするのは予め敵の行動が予測出来ていたからのはずです。我々市民にも予測を伝えていればもっとスムーズに避難が出来ていたのでは?』

 

──ご指摘通り、予測は出来ておりました。しかし、敵の偵察が侵入していることも判明していたので大々的に公表は不可能でした。先日、ご協力いただきました小型トリオン兵騒動の件です。小型トリオン兵は4年前から侵入しておりました。これらを排除しようにも当時のボーダー組織も万全ではなく、設備や人員が十分でなく、下手に手を出せなかったのです。

 されど今回、やっと一歩を踏み出して侵入者を処理出来ました。

 そして、第一次侵攻の頃から温めていた計画を始動するに至ったのです!

 

『それは?』

 

──連れ去られた人間の奪還計画です。

 

『え!?』

 

──既に無人機での近界民(ネイバー)世界への渡航・往還試験は成功しています。

 

近界民(ネイバー)世界に隊員を送り込む……!?』

 

『危険では!?』

 

『4人を救う為にさらに犠牲が出る可能性が……』

 

──あなた方は、この場合「将来を見越して()()()4人は見捨てるべき」と仰るのですか?

 

『…………』

 

──この奪還計画は今回攫われた4人だけでなく、第一次侵攻で行方不明になった400人以上の市民も対象となります。ボーダーにとって過去最大のプロジェクトと言っても過言ではありません。

 我々ボーダーは「戦力」を求めています。それは前線で戦う隊員であり、隊員の援護を担う職員であり、組織を支える母体となるこの都市そのものです!

 従来の防衛活動及び、奪還プロジェクトへの市民の理解と参加を期待します。

 

『奪還計画の人員はどのように決めるのですか? 新しく入った隊員にもチャンスはありますか?』

 

──隊員から希望者を募り、その中から選定します。近界民(ネイバー)と交戦も想定される為、基本的にはA級以上の隊員です。

 しかし、熱意のある者やトリガーを使う才能が高ければ、新しい隊員にもチャンスはあります。

 また、今回の計画が順調に成功すれば次回もあるのですから。

 

 

 

 記者会見の映像はここで終わった。

 

 やっと退院許可が出たから身体の慣らしがてら、悠一の放浪任務に付き合っている。公園のベンチで休憩に入ると、端末を渡されて情報を与えてくれたのだ。ちょっと意外。

 

 

「根付さんの独壇場だったねー」

 

「まぁね。というか、玲が遠征任務暴露を進言したんでしょ?」

 

 

 端末を悠一に返して感想を述べれば、一瞬能面の悠一が過ぎって目を逸らした。

 と、トラウマになってる……!?

 

 

「こーら、こっち見ろ」

 

「いひゃいれす」

 

「目を逸らす玲が悪い」

 

「はい……」

 

 

 半眼になった悠一に反論できず、ジンジン痛む右頬を押さえながら返事する。とりあえず能面じゃなくて安心した。

 

 

「そういえば、悠一ご飯ちゃんと食べてた?」

 

「当たり前でしょ。玲はこれからしばらくお粥だから可哀想だなぁ」

 

「そう? 私お粥好きな方だから問題ないけど」

 

「……俺は玲の味付けのご飯が食べたいなぁ」

 

「頑張るよ! というか筋力落ちたからトレーニングも始めなきゃ」

 

 

 さすがにフライパンとか鍋とかが持てない、なんてことはないだろうけど、大人数の材料は辛いだろうな。学生の時にやった20人前とか今は無理だ。

 

 

「体重も戻す?」

 

「女子に体重は禁句なんだけどなあ? うん、でも体重は筋肉ついたら勝手に増えるよ。脂肪より筋肉が重いし」

 

「あ、いや。体重っていうか胸のサイズ」

 

「天誅! セクハラめ!」

 

 

 手刀を試みるが手首を取られて阻止された。

 もう! 何度も胸って言うな! いつの間にお尻から胸に鞍替えしたんだ!

 

 

「いやいやお尻は変わらず好きだよ。でも玲ならどこでも好きなんだよ」

 

「……後半だけなら良かったのに。今はすごくぶん殴りたい衝動があります」

 

 

 乙女心か? 怒りか?

 

 表現しがたい感情に拳を握っていると、ふと左手の薬指に目が行った。入院生活だったから指輪は外しており、悠一が預かっているらしい。ほとんど外すことがなかったから、無いと違和感が強い。

 

 でも、これで良かったとも思っている。何故なら。

 

 

「あのさ、悠一」

 

「ん? !? 待って、そんなはずは……うわ、俺かっこわるい」

 

 

 未来視で私の次の言葉を識ったんだろう。口元に手をやって文字通り「しまった」という表情に、期待しても良いのだろうか。

 

 正直、婚約やら同棲やらしてるから、もう言ってくれないと思う。でも自分勝手なワガママを許してくれるなら。

 

 どうか、()()()()()してほしい。

 

 悠一は同棲する時に「一緒に暮らそう」と言ってくれたし、両親に「娘さんを下さい」とも言ってくれた。でも、なんだかんだで"結婚"というフレーズは私自身に言ってないんだよね。

 

 

「侵攻で私がいなくなるから、なんて思ってたけどなんか違うみたいだし」

 

「っ違う! 俺は、てっきり……いや、未来視で何度も言ってる気がしてただけだった」

 

 

 目に見えて落ち込んだ悠一。プロポーズの言葉なんてそう簡単に口に出さないから、未来視で何度も言ってたなら現実で言った気分になるのかな。

 

 そこまで考えて、ある事に気づいて頬が熱くなった。咄嗟に両手で顔を覆う。

 

 

「え、どうした」

 

「…………何度も言ってたってことは、何度もそういう気持ちになってくれたんだと思い至りまして」

 

「当たり前でしょ」

 

 

 真剣な声音で肯定されて更に体温が上がる。

 暑い! い、今の季節はまだ冬なんだけどな!?

 

 

「玲」

 

 

 名前を呼ばれてゆっくり顔から手を離せば、悠一が左手を取った。

 悠一の右手には、いつの間にか婚約指輪があって。

 

 

「俺と結婚して下さい」

 

 

 左薬指の付け根にキスをしてから、婚約指輪を嵌めてくれた。

 

 

「っ!! もち、ろん。こんな私でよければ」

 

「玲だからだよ。玲以外と結婚出来ない」

 

「……っふ、不束者ですが宜しくお願いします」

 

「うん」

 

 

 満足そうにもう一回、今度は唇にキスをくれた。私ばっかり幸せで悔しくなるなぁ、もう。

 

 

 

 




 ・迅と八神
中途半端な暗示をかけ続けていた弊害か"結婚"というワードを口に出していなかった迅。匂わせる、遠回しには言ってますがはっきりと八神に言っていませんでした。
それでも、今までの八神にとってそれだけで十分だったのですが、少しだけ欲を出しました。
前話の唐沢から「自分を認めて自信を持て」と言われたことで、少しずつ変わっていくことに。

 ・メモ
男は行動で愛を示すが、女は言葉と行動で愛を欲しがる。
また、人間にも動物的な本能があり、互いに"匂い"で相性を判断するそうです。相手の匂いが好い匂いだと感じるなら遺伝子的に相性が合うのだとか。特に女性の方が嗅覚は敏感で、匂いフェチのように八神を描写していたのはこういう理由だったり。
それと余談ですが、遺伝子的に相性が合うならキスが凄く気持ち良いらしい。愛情フェロモンなる物が供給されるとか。技巧部分の上手い下手は一切関係なく、触れ合わせるだけで脳が信号を発して快楽を得られる。奥が深いですね。


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ランク戦前日

八神視点


 

 

 鬼怒田さんを始めとしたエンジニアの方々、お世話になった円城寺さん、迷惑を掛けてしまった冬島隊に退院報告をして回った。

 

 開発室に入った途端、円城寺さんや他のエンジニアたちから号泣されて快復を喜ばれたが、鬼怒田さんからはネチネチとお説教をいただいた。本当にすみません。

 

 冬島隊の皆からは、表面上はドライながらも「もうあまり無理するな」という言葉を貰った。

 

 

「八神隊員」

 

 

 ボーダーの廊下を歩いていると、角で城戸司令と鉢合わせした。

 ピンと背筋を伸ばして返事をしたら、眉間に皺を寄せられる。

 

 

「──なぜ」

 

「は、はい」

 

「いや、君は緊急脱出(ベイルアウト)をどう思っている?」

 

 

 最初の問いとは違うみたいだが、おそらく切り口を変えられただけかな。緊急脱出(ベイルアウト)機能について、ということは、大規模侵攻での私の行動に疑問があったのだろう。

 

 

「一般人が戦場に立つ危機を誤魔化す世間的アピールの為、隊員の命を守る為、かと」

 

 

 一般人が、というより若者が戦場に立っている現状だ。武器を持つことを忌避し、危険要素があればすぐに否定的になる日本の風潮への安全アピールは大事。

 

 私の答えに、城戸司令は眉間の皺を戻さない。

 

 

「その通りだ。だが、後者が本来の目的であり前者は付属してきた副産物に過ぎない。なぜ、外した?」

 

「それは」

 

「5年前」

 

 

 答えようとして、城戸司令の硬い声音に遮られた。

 

 

「第一次よりも前のことだ。我々がまだ少数だった時、隊員の半数以上を失った。

 戦闘体を破壊され、そのまま戦場で散った。

 当時のトリガー技術の低さと、逃げる手段がなかったことが原因だ」

 

 

 声を荒げることはない。静かな語りだが、激情が込められているのを察する。

 

 

「迅は、君のことを大切に想っているはずだ。そして、君も。

 以降、緊急脱出(ベイルアウト)機能を外すことは固く禁ずる。──次に行えば厳罰は覚悟しておきなさい」

 

「……はい。軽率な行いを深く反省します」

 

 

 頭を深く下げると、城戸司令はカツカツと私の脇を通り過ぎる。

 

 

「それと、これは司令官としての言葉だ。『よくやった』」

 

「!」

 

 

 頭を上げて振り返ったが、城戸司令は既に角を曲がっていて姿は見えなかった。

 

 城戸司令に釘を刺されたばかりだが、最後の言葉がとてつもなく嬉しかった。わかってる。この言葉で調子に乗れば、今度はクビだ。城戸司令は私に忠告と同時に、行動選択を試している。

 

 

「大人って、ずるい」

 

 

 認められることは誰だって嬉しい。期待にも応えたい。

 

 けれど、今回私は応え方が期待とはズレてしまった。間違いだとは言わない。でも決して正解ではなかったことを、自覚しなければならない。

 

 目的・目標を決めろ。私の思考と行動の根幹を定めろ。

 

 ───私は、何がしたい?

 

 

「……力になりたい」

 

 

 私を選んでくれた悠一の力になりたい。でも今回みたいに自分の命は賭けない。

 

 未来の為に奔走する彼の心を支えていこう。

 

 未来視で絶望しか視えなくなれば、希望の未来を視れるように策を練ろう。たとえ未来が視えなくなっても安心できるように、知識と手段を増やしていこう。

 

 

「よし!」

 

 

 自身に活を入れて廊下を再び進む。

 

 今は戦場ではない。

 

 だけど、勉強したドクトリンは日常でも活きている。手に入れた知識は無駄ではない。悠一がよく口にする「小さな出来事でも未来は大きく変わる」と言うように、ちっぽけな知識でもいずれ役に立つ時が訪れる。

 

 まったく、19になっても私はまだまだ子供だな。日々学ぶことが増えていく。急に変わるなんて出来ないけど、少しずつでも成長していこう。

 

 

 

 

 

 

 ボーダー制服をきっちり着込み、私はとある家を訪ねた。

 

 インターホンを押すと、女性の声がこちらを誰何する。

 

 

「すみません。(わたくし)、ボーダー所属の八神と申します。三雲修くんに用があるのですが、ご在宅でしょうか?」

 

『……はい。少々お待ち下さい』

 

 

 通話が切れて、5分もせずに玄関の扉が開けられる。三雲くんの輪郭と大変よく似た女性がドアを開き、私を招き入れて下さった。

 

 

「修は友人と一緒にリビングにいます」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 

 玄関先で終わろうと思っていたけれど、身内の方が入れて下さるなら遠慮なく上がらせていただく。というか、来客用のスリッパまで出されたら上がるしかない。

 

 

「お邪魔します」

 

 

 案内に従ってリビングのドアを潜ると、ソファーに玉狛の新人3人が仲良く並んでいた。その内2人は緊張した面持ちで、いつかも見た光景に思わず笑った。

 

 

「八神さん」

 

「よ。レイさん」

 

「こ、こんにちは」

 

「こんにちは。三雲くん、空閑くん、雨取ちゃん。突然訪問してごめんね」

 

 

 緊張しながらも首と手を横に振る三雲くんが、向かいのソファーへ促してくれたがここは遠慮する。

 

 

「良ければ三雲くんのご家族の方も同席下さい」

 

 

 戸惑う3人と、察しの良さそうなお姉さんが席に落ち着くのを待って、私は訪問の理由を口にするべく一度制服の襟を正した。

 

 

「先ず、私の作戦により多大な危険を伴わせてしまったことを謝罪したい。そして、レプリカさんと三雲くんの行動に敬意を」

 

「え!?」

 

 

 名指しされた三雲くんがポカンとし、空閑くんと雨取ちゃんはそんな三雲くんを見て嬉しそうに笑った。

 お姉さんは3人の様子を静かに観てから、私に視線を戻す。

 

 

「レプリカさんと三雲くんのおかげで、近界民(ネイバー)の侵攻をあの日だけで終わらせられた」

 

「ま、待って下さい! 僕はそんな」

 

「あの時、拠点を攻撃しなければ敵は一時的に撤退し、戦力を立て直して間を空けずに侵攻を再開していた。それを強制的に潰したお二方の功績は誇れるものです」

 

 

 謙遜しようとする三雲くんの言葉を遮って続ける。三雲くんにはこの場にいないレプリカさんの分まで賛辞を受け取ってもらわなければならない。

 

 あの"わくわく動物野郎"は私からトリオンを奪っていた。トリオン体の回復には使用していなかった詳細理由は不明だが、おそらくC級キューブを運ぶ三雲くんの確保を優先したから──この選択をさせただけでも賞賛もの──だと思われる。もし、拠点を攻撃しなかった場合、奪ったトリオンと更新された情報を基に2度目の侵攻をしていたはずだ。

 そうなった時、今回のように市街地を守れたかどうか。

 

 この説明に三雲くんは何かを言いかけて、そして静かに口を閉ざした。

 

 そして、代わりにお姉さんが口を開いた。

 

 

「修は、ボーダーに必要ですか?」

 

 

 身内故の鋭い切り口だった。

 ああ、なるほど。お姉さんかと思っていたけれど、偉大な母親でしたか。

 

 

「不要な人間は居ません」

 

 

 しかし、絶対に必要か、と訊かれたら難しい。

 

 

「──大ケガをした時、私は『やはり辞めさせよう』と考えたわ」

 

「か、母さん!?」

 

「でも、不思議ね……入院中、色々な子たちと会って誰一人『もうボーダーを辞めさせた方がいい』と言わなかったわ」

 

 

 三雲くんの交流関係はそこそこ広いので誰に会ったか詳しくは不明だが、少なくとも玉狛支部の人間には会っただろう。

 玉狛支部の人間でなくても、おそらく誰も三雲くんを辞めさせようとは言わないと思う。

 

 

「八神さんも、修を辞めさせようとは思っていないのね」

 

「はい」

 

 

 肯定すると、彼女はフッと微笑んで三雲くんへ顔を向けた。

 

 

「ボーダー、続けたいかしら?」

 

 

 母親の問いかけに、三雲くんは背筋を伸ばし、顎を引いて強く首肯した。

 

 

「僕は誰かの為にじゃなくて、僕自身の為に、ボーダーを続ける。母さんにはこれからも心配を掛けるかもしれないけど」

 

「心配しない時なんてないわよ」

 

「うっ……」

 

「でも、その言葉を聴けてよかった。ボーダーに入ってからのあなたは『自分のやることを見つけた』って顔してる」

 

 

 彼女は自分の言ったことを確かめるように、息子の顔を見つめた。

 

 

「好きにやりなさい、あなたの人生だもの……でも本当に嫌になった時は私に言いなさい。首に縄かけてでも引き戻してあげるわ」

 

「……ありがとう、母さん」

 

 

 口元を綻ばせた三雲くんに、見守っていた空閑くんと雨取ちゃん、そして私も笑みを溢した。

 

 

「でかいこと言った分、がんばんなきゃなオサム」

 

 

 両腕を頭の後ろに組んでそう言葉を掛けた空閑くんに、三雲くんは強い意志を持った目で答えた。

 

 

「わかってる。まずは全速でA級に上がる。やるぞ、相棒」

 

「おう、まかせろ」

 

 

 熱い青春漫画のようなやりとり。やはり三雲くんには主人公みたいなカリスマでもあるのかもしれない。

 

 さて、もう一つ用件がある。しかしこれは機密にも触れるので、話し合いの予定を2月12日に入れてもらうよう伝えるだけで終わった。

 

 

「では、失礼します。ランク戦前日に押し掛けてごめんね」

 

「いえ、改めて気持ちが定まりました。八神さんも最近まで入院していたんですよね? もう大丈夫なんですか?」

 

 

 見送りまでしてくれる3人にそう言えば、特に邪険にされることなく、逆に気を遣わせてしまったようだ。

 

 

「大丈夫だよ。私より三雲くんの方が重症だからね? 無理して明日のランク戦に出たら痛みで気絶するからね?」

 

「え……」

 

「ふむ。レイさんはウソついてないぞオサム」

 

 

 空閑くんが保証したことで三雲くんは冷や汗をかいた。うん、やっぱり空閑くんってそういう心理面の副作用(サイドエフェクト)持ちだよね。言い方からして嘘が判るのかな、納得。

 

 とりあえず空閑くんと雨取ちゃんに三雲くんが無理しないように、なんて冗談混じりで見張りをお願いしてから訪問は終わった。

 

 明日からはランク戦が始まる。月の始めに入隊式を終えたばかりの空閑くんと雨取ちゃんだが、既に2人ともB級になっているからチームを組むことは問題ない。

 

 戦功を貰った三雲くんと空閑くんのポイントを雨取ちゃんに上げたらしく、スナイパーにしては早い昇格となった。

 原則的に不可能なポイント譲渡だが、侵攻が警戒される現在、緊急脱出(ベイルアウト)機能がしっかりと組み込まれた正隊員のトリガーを持たせるべきだと多くの意見が出たのだ。急遽取り付けられたC級トリガーの緊急脱出(ベイルアウト)に欠陥があるので必要措置だろう。

 

 機能の問題点は2つ。一つ目は、もともと組み込むスペースを作っていなかったので通常のホルダーサイズより一回り大きくなったこと。二つ目は、訓練用と言えど、更に威力や切れ味、耐久力が落ちてしまい訓練自体に支障が出た。突貫だったから仕方ない。

 どちらも時間をおけば解決する問題点だが、現在は近界(ネイバーフッド)遠征の為に艇の整備を優先しなければならないのだ。

 

 そして、何より機能以前の問題点がある。

 

 今回訓練生を囮にした影響により、付けたままだと市民から『また囮にするんでしょ?』と思われてしまうのだ。民間の防衛組織なので、市民を敵に回すのは得策ではない。

 よって、C級トリガーの緊急脱出(ベイルアウト)機能は取り外された。

 

 譲渡してポイントが足りなかった空閑くんは、破竹の勢いでポイントをC級隊員からもぎ取ってB級になったらしい。強い。

 

 玉狛第2と銘打たれた三雲隊。今から何をしてくれるのか楽しみだ。チーム戦をしっかりと学んでくれることを願う。

 

 

 

 




今話に出した"ドクトリン"については、『2章のまとめ』の前半に置いています。ただ詳細は載せていません。
作者も忠実に書いているわけではないので"戦術の心得みたいな物"と簡単に捉えていただければ。


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B級ランク戦開始

八神視点の一人称
迅を軸とした三人称


 

 2月1日。始めのランク戦シーズンが開始した。土曜日と水曜日にて開催され、シフトスケジュールの関係で3回毎に休みが入れられる。

 

 ランク戦を行うのはボーダー組織の主力戦力とされるB級部隊だ。A級部隊とソロ隊員はランク戦に参加せず、運営補助や防衛任務を多く入れられる時期である。

 

 

「お疲れ、八神。今度の入隊希望者一覧を見たいんだが」

 

「お疲れ、嵐山。ごめん、まだ電子入力済んでないんだ。紙の資料なら棚の前にある赤ボックスに纏めといたよ」

 

 

 新人育成部署の中にある資料室に訪ねてきた嵐山に、おざなりになってしまったが求める資料場所を教えると礼を言って資料を捲る。

 

 

「多いな……」

 

「うん……今のところ、前回の4倍。でもここからもっと増えそう」

 

「仲間が増えるのは良いことだが、教える側の数が足りないかもしれんな」

 

 

 PCのキーボードを叩いて、叩いて、叩きまくっているが一向にデータ入力が終わりません。トリオン体だからいいけど、生身だったら指がつりそう。

 

 記者会見で近界(ネイバーフッド)遠征を公表してから、狙い通り人員もスポンサーも順調に確保出来ている。スポンサーは唐沢さんが上手く捌いているらしいが、人員──特に戦闘員は部署が戦々恐々とするほど毎日数が増えていく。ペーパーテストを作るグループも戸惑っているよ。これだけの人数の試験会場をどこにするかも悩み所だ。入隊式は4ヵ月毎に行う為、5月の入隊式を考えると思わず遠い目になる。

 

 そして嵐山の言う通り、教える側が足りなくなるのは必至。

 

 そこで、とある提案書を思い出した。

 

 

「そのことなんだけど、しばらくは毎月入隊式を行おうって上に進言してるんだって」

 

「毎月……たしかに、小分けしないと難しいな」

 

「そうだよね。訓練過程がかなり過密になりそう」

 

 

 入力が終わった束を抱えようとすると、いつの間にかデスクのそばにいた嵐山がサッと運んでくれた。さすが。

 

 

「休憩にしよう。あまり根を詰めすぎても良くないだろ。綾辻ももうすぐ来ると思うぞ」

 

「ありがとう。茎茶でもいいかな?」

 

「大丈夫だ!」

 

 

 キラリ、とエフェクトが見えるほど眩しい笑顔で肯定された。嵐山って疲れないのだろうか。心底疑問に思う。しかし追及するのもなんか怖いので私は大人しく給湯室へ。

 

 現在育成部署の資料室には私しかいない。部署内は色々なグループに分けられて仕事があるのだが、現在は入隊希望者を精査する為だったり、各支部への人員割り振りだったり、訓練日程調整だったり、脱退手続きだったりと、方々を駆け回っていて部署に帰ってくるのは夕方以降になるのだ。

 私は最近まで休んでいたため──というより私は防衛任務や長期遠征任務、作戦会議、エンジニアとの打ち合わせなど頻繁に部署を離れるので、割り振られる仕事は主にデータ入力だったりシフト調整だったりする。居なかったら誰かがカバー出来るけど居たら便利というポジションだ。事務員ではなく戦闘員だからの違いもあると思うけどね。

 

 さて、茎茶でも煎れようか。綾辻ちゃんも来るなら3人分だね。

 

 茎茶は緑茶の一種。味よりも香りを楽しむお茶だ。煎茶と玉露の茎茶があるけど、玉露の茎茶は高級なのでこんな給湯室には置いていない。

 急須と磁器製湯呑みを取り出してポットから湯を注ぎ、最初に湯冷まし。80℃くらいまで冷まし、急須に茶葉を適量入れて湯冷ましした湯を急須へ。1分ほど待ってから一気に注がず、人数分を少しずつ注ぎ分けて味を均一に。そうして急須から湯呑みへ最後の一滴までしっかり注ぐ。急須にお湯が残っていると、お茶の成分が侵出しきって二煎目の味が苦渋くなってしまうからね。と言っても、茎茶は二煎三煎と飲むお茶じゃないけど。

 

 

「こんにちは! 良いとこの水饅頭持ってきましたよ~」

 

 

 お盆に茶托と湯呑みを載せて運ぶと、ちょうど良く綾辻ちゃんがやってきた。

 

 

「いらっしゃい綾辻ちゃん。ちょうど茎茶が入ったよ」

 

「やった! 良い香りがすると思ってたんです」

 

「お疲れ綾辻。悪いな」

 

「いえいえ」

 

 

 資料室は来客をもてなすようなテーブルはないので、小さめのテーブルに茶托を置いて湯呑みを出す。綾辻ちゃんも水饅頭をテーブルに出した。

 

 

「ふぃ~、爽やかな味ですね。水饅頭の後味が消えました」

 

「飲みやすいな」

 

「頭がスッキリするから重宝してるよ」

 

 

 各々ひと息入れてリラックス。綾辻ちゃんの持ってきた柑橘系の水饅頭と茎茶のサッパリとした味で、疲れで鬱々としていた気分が消えた。休憩って大事。

 

 生身だとまだ消化し易い物しか食べれないんだけど、そういう意味でもトリオン体って便利だね。

 

 

「そういえば毎月入隊式を行うのはいいが、仮入隊期間はどうするんだ?」

 

 

 湯呑み片手に首を傾げた嵐山に、綾辻ちゃんも傾げた。綾辻ちゃんはさっきの会話を聞いてないからね。軽く説明してから、嵐山の疑問へ。

 

 

「私の案ではないから断言できないけど、見せてもらった資料を見る限りなくなるんじゃないかな?」

 

「でもそれじゃあ即戦力を正隊員にするのは遅くなりそうですけど?」

 

「うん。けど、正直個人的には現状だとあんまり早く上にあがってほしくないかな。B級上がってしばらくはソロ隊員だし、いきなり新チームが複数入ると既存チームの連携が崩れるから、防衛任務シフト組むの大変だし」

 

「なるほどな」

 

 

 頷く嵐山を合図に、何故か3人とも同時に茶を啜った。気づいたのは私だけのようで、1人で笑っても変だから我慢する。

 

 

「……オペレーターはやっぱり少ないですねぇ」

 

 

 資料をペラペラと捲った綾辻ちゃんに同意する。オペレーター不足は私が入った頃からある問題だ。当時より増えたとは言え、戦闘員が増えていく現状でサポート側が全然足りない。

 

 同じくサポート側のエンジニアだが、こちらはオペレーターに反して志願者が急増している。会見を見た技術者たちがこぞって遠征艇を作りたい弄りたいと日本中、いや各国から集まってきているのだ。

 

 ただ、エンジニアも人員が不足しているが、トリオンやトリガー技術はまだまだオーバーテクノロジーでそう簡単に外部に漏らせない。その為、エンジニアは慎重に採用せねばならないだろう。

 

 

「そういえば、話は変わるけど」

 

「ん?」

 

「はい?」

 

 

 思案中の2人の邪魔をして悪いと思うけど、気になったので質問を投げることに。

 

 

「2人はなんでここに? ただ入隊希望者一覧を見たいだけなら嵐山か綾辻ちゃんのどちらか1人で良かったと思うけど?」

 

 

 私の問いに2人は顔を見合わせ、思い出したという風にポンと手を打つ。

 そして満面の天然笑顔を2人で浮かべて。

 

 

「ああ! おめでとうを言いに来たんだ!」

 

「プロポーズしてもらったんですよね!?」

 

 

 爆弾を落とした。

 

 

「…………え?」

 

 

 固まる私に構いもせず、天然2人組は話が盛り上がっていく。

 

 混乱する私に綾辻ちゃんは眩しいスマイルと共に、水饅頭が入っていた紙袋から新聞のとある一面を取り出して提示してきた。

 

『ボーダー隊員カップル成立!?

 先日、三門市内の公園にて界境防衛機関ボーダーの隊員がプロポーズをしているのを目撃。男性は玉狛支部所属の隊員であり、女性の所属は不明だが隊員の男性と親密な関係から、同じく隊員であると見られ、調査したところ───』

 

 

「な、な、なにコレ!?」

 

 

 新聞には大きく悠一と私のキス写真が。なんだコレ!? 待て待て待て! どうなっているの!? なんで写真!?

 

 そこでハッと気づく。

 近界(ネイバーフッド)遠征を公表してからボーダー組織は注目を浴びている。そんな街中にボーダーのロゴ入りのジャケットを着た悠一が行けば、目立つのは当たり前だ。つまり記者も集まっていたはず。

 

 

「ひィ……もう街を歩けない……」

 

 

 羞恥心で気絶したい。いや、気絶しても事態は変わらないんだけどさあ!

 

 

「どうした? あ、その新聞は出回ってないぞ」

 

「へ?」

 

 

 嵐山の言葉にポカンとする。

 え、え、嵐山さんなんて言いました? 何なの? 今日はドッキリの日なの?

 

 

「何でも、根付さんが出回る前に『2人はもう随分と前から公認の仲で、そっと見守ってほしい』って釘を刺したらしいです」

 

「まあ、ネットでの拡散は止められなかったようだが。でも特に困る要素もないし、めでたいことだから良かったじゃないか!」

 

「結局は出回ってるんだ……」

 

 

 ダメだ。もう諦めるしかない。人の噂も75日、って言うよね。いや、でも75日も噂されるって当人からすればかなり厳しいんだけど。

 

 そこで内線電話が鳴る。素早く立ち上がって応答すると、相手は根付さんだった。すぐにメディア対策室へ来てほしいという伝言に了承して、資料室を空けることを嵐山と綾辻ちゃんへ伝えると快く送り出された。

 

 このタイミングで根付さんの用事って、きっとあの新聞内容のことだよね。怖い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あれ? 唐沢さんて、ランク戦とか見る人でしたっけ?」

 

 

 ランク戦ロビーの2階席エリアで、紫煙をくゆらせていた唐沢の耳にとぼけたような声音が届く。

 

 咥えていた煙草を口から離し、そちらへ目を向けると迅が歩み寄ってきていた。

 

 

「……玉狛第二、デビュー戦勝利おめでとう。今日は三雲くんは出てなかったみたいだね」

 

 

 カウンター席に座った唐沢の一歩斜め後ろに、自然な動作で立ち止まった迅は1階のモニターを見下ろす。一度満足そうに笑ってから、苦笑いへと表情を変えた。

 

 

「まだ体調が万全じゃないんですよ。なんせ貫通してましたし」

 

「ははは。本部設立から初の大怪我人だね、彼は」

 

 

 互いに三雲の怪我を思い出して納得する。無理は良くない。

 

 また煙草を咥えた唐沢に、迅は早速本題をぶつけることにした。たとえ未来が視えてもその人物の思考などわからないから。

 

 

「なんでメガネくんを庇ってくれたんです? 玲まで使って」

 

 

 少しばかり性急な本題に、唐沢は笑うことも茶化すこともなく紫煙を吐き出した。

 

 

「……もったいないと思ったからさ」

 

 

 まだ長さが残っている煙草をカウンターの灰皿へ押し付けて、唐沢は視線をモニターに向けたままそう言った。

 

 

「『誰が悪かったのか』を決めたいだけの場所で、組織の身代わり(スケープゴート)に三雲くんを使うのは俺の中では収支が合わない。危うさはあっても正しいことをしようとする人間は貴重だ。現に彼女もそう判断した。無理をさせたのは悪かったよ。でも彼女も、なんだかんだで悩んでいたからね」

 

「……ありがとうございます」

 

 

 後半は迅へ顔を向けての言葉だった。

 

 お見通しか、と内心ため息を吐きながら礼を言った迅に唐沢は微笑み、カウンター席から腰を上げた。

 

 

「なに、人生の後輩を応援するのは当たり前さ。きみもいつまでも落ち込んでないで、後輩を応援してあげたらいい。三雲くんが大変になるのはこれからだ」

 

 

 ポンと肩を叩く唐沢の言葉に、迅は頭を掻いて応えた。

 

 

「……おれは唐沢さんほど切り替えが早くないんですよ」

 

「俺はラグビーやってたからね」

 

「関係あります? それ……」

 

 

 背を向けて去って行く唐沢に呆れていれば、背中の主がふと思い出したように振り返って迅をからかう。

 

 

「そういえば世間を騒がせているようじゃないか」

 

 

 迅はそのからかいにまた悩むように眉尻を下げてから、そっとため息を吐いた。

 

 

「……今日それで根付さんに玲と呼び出されましたよ。結婚式の会場はどこかとか、日取りはいつかとか、メディア対策室が盛り上げようかとか」

 

「へぇ。それで?」

 

「正直、未来が不安定だからまだ決められない状態ですね。遠征にも行くからその時次第としか言えない」

 

 

 八神の方も前回の遠征から帰ってきてすぐに情報整理を始め、迅との懸念によるすれ違いもあってか、積極的に式場の見学にも行ってなかった。さらに侵攻が終わっても入院期間と仕事復帰でそれどころではなかったのだ。

 

 けれど本気で八神と結婚する気のある迅にとって、今回の分岐は喜ばしいことであった。

 

 先日まで学生の頃に垣間見た八神の花嫁姿が、死という確定した未来を覆した時、何故かぼんやりとしか視えていないことに疑問を持っていたのだ。

 それが件のプロポーズで謎が解けた。気づいた瞬間、迅は冷や汗をかいたものだ。八神がああ言っていなかったら、迅は焦りで未来の選択ミスをしていたかもしれない。

 

 今回のことは世間から多少騒がれるが、どうせ結婚式でも騒がれるのだから別にいいかと割り切っていた故の行動だった。逃がすよりずっと良い。

 

 それに、日頃から羞恥で赤くなる彼女のことを愉しんでいる男にとって、特に気にすることでもなかった。

 

 先ほどまで盛り上がる根付と、あわあわと混乱する八神をニマニマと眺めていたほどである。

 多少の腹黒さは否めないが、そういう点で八神が離れることはない為、迅も自重などしない。

 

 

「たしかに現状では難しいか……」

 

「まあ、でも玲と結婚する未来は視えてるんで」

 

「やれやれ、お腹いっぱいだよ」

 

 

 迅の言い分に唐沢は肩を竦めて2階席エリアから立ち去った。

 独身にはバカップルの惚気に付き合う気力などない。

 

 

 




迅「遠征から帰ってきたら、俺たち結婚するんだ」

 ・八神の正社員お仕事事情
事務やシフト調整などの仕事をしている描写がありますが、あくまでも八神は"戦闘員"として雇用されています。配属は新人育成部署で間違いないのですが、事務員ではないです。アルバイトの隊員が入れない時間帯にちょくちょく入ったり、臨時の隊長として入り新人たちの育成に勤めています。現場監督みたいな。あとは報告書等のテンプレート(ひな型)を作成して各部署に浸透させて業務の効率化に貢献したり、新人の報告書の書き方や任務中の反省・指導などもしています。
東と嵐山隊らが訓練指導、八神が実戦指導という分担と捉えていただければ。新人が確実に任務をこなす為の仕上げ&保険です。あくまでも"正社員の戦闘員"なので、事務作業等は別に八神は最低限でも良かったり。戦闘員の仕事がない時は自己研鑽をしてくれ、と考えて上層部は雇っていましたが、八神個人としては『己だけの実力なんてたかが知れてる』と周囲の実力を伸ばす方へ自主的に動いています。
任務がない時や手が空いた時は育成部署だけでなく色んな部署へ赴いて雑用を乞食してます。更に「A資料にはE資料を同封すべき。この文書を纏めるならB資料も同時進行で処理しよう」「C資料を他部署へ送信するが共にKとR資料も送らなければ分かり難い」と関連を思いつける人間なので各部署間の連携がスムーズになったなど、地味に貢献しています。
上層部の当初の予定より訓練時間は減っていますが、実力に衰えは見えない上に、渡り鳥のように巡る八神によって各部署の業務や交流(連携)がスムーズになっているので特に口出しはありません。給料が多少上がったくらいです。


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新人たちへ

八神視点の一人称
玉狛支部を軸とした三人称


 

 「玲さんおはよーございます! 早いですね!」

 

 

 早朝、仕事開始前に狙撃訓練場で撃ってたら佐鳥くんがやってきた。ライトニングを下ろして、こちらも挨拶を返す。

 

 

「おはよう佐鳥くん。最近忙しくて昼休憩で撃ちに来れないからね」

 

 

 溜まっていた書類と追加の書類とかを整理してたら、いつの間にか時間がなくなっているのだ。悠一に夜の防衛任務が入ってたら就業後に撃ちに来ても良いけど、今のところ予定はない。そういえば次の水曜日の夜は用事があるって言ってたっけ。

 

 そういうわけで早朝に狙撃訓練をすることにした。ベッドから出る時に悠一を引き剥がすことが、1日で一番体力を削る事柄だった気がする。絶対、アイツ確信犯。

 

 

「そういう佐鳥くんは点検?」

 

 

 基本的にトリオンで出来ている基地はエンジニアたちが各個所をチェックしている。佐鳥くんもそれを承知しているが、狙撃手はちょっとの誤差で感覚が狂う時がある。それは小さなゴミや汚れだったり、直前のコンソールの操作ミスからだったりと様々だ。実戦を想定したB級とA級にはあまり関係ない刺激なのだが、不慣れな訓練生には大きな違いを齎す。

 

 佐鳥くんは新人研修の担当として、訓練生がきちんと能力を発揮出来るように心がけているのだ。

 もちろん、佐鳥くんも広報の仕事があり、学生でもあるから毎日点検をしているわけではない。

 

 

「そうですよ~あ、邪魔じゃないんでそのまま撃ってて良いッスよ! むしろ佐鳥が邪魔かも!?」

 

「いつもありがとう。いやいや、全然邪魔じゃないよ」

 

「佐鳥の仕事ですから! こちらこそありがとうございます」

 

 

 胸を張って、キラリとエフェクトが見えるような笑顔を見せた佐鳥くん。うんうん、佐鳥くんの配慮は誇って良いものだ。

 

 早速点検を始める佐鳥くんに、私も訓練の続きを再開した。

 

 しばらく、撃ち続けて3種とも基本は終わった。チラリと時間を確認すれば終了予定時間にはまだまだ余裕だ。早くから始め過ぎたかな。

 脳裏に「ほらね?」とぼんち揚げ片手にふてくされる顔がよぎったが、頭を振って追い出す。基本が終わったなら応用を行えば良い。でも、明日はもうちょっと遅く出てもいいかな。

 

 

「佐鳥くん、点検お疲れ様。ランク戦ブースに行ってくるね」

 

「おつかれさまです。シューターのランク戦ですか?」

 

 

 一通り点検が終わったらしい佐鳥くんに声を掛けると、ランク戦ならシューターですよね、と首を傾げられた。

 

 

「違うよ。スナイパーの訓練で行ってくる」

 

「あ、もしかしてロングスナイプですか!」

 

「うん」

 

 

 狙撃訓練場の最長距離は10フロアぶち抜きで約360mだ。建物内としては破格の広さなのだが、狙撃手の訓練場としては充分とは言えない。もちろん基礎の訓練や見直しには丁度良いのだが、実戦では少なくとも500m先を狙撃する。

 

 もともと射程を伸ばすイーグレットは1km先でも狙えるように設計されており、スナイパーランキング上位陣はほとんどが1km狙撃を成功させている。現在の登録されている最高距離記録は奈良坂くんの2.26kmで、次点だと当真くんの2.13kmだったかな。

 計測出来ない近界(ネイバーフッド)遠征での戦果を考えると、当真くんはもっと記録を伸ばしそうだけど彼は撃ち抜くと確信しない限り撃たないから。

 

 狙撃訓練場でkm単位の記録は出せない。そういうわけで、ランク戦ブースだ。狙撃手の合同訓練でも使用するのだが、ランク戦の仮想戦場マップはかなり広く作れる。設定手順が面倒だけど、約4年も組織に居たら普通に覚えるからね。

 

 佐鳥くんと別れ、ランク戦ロビーに向かうと疎らに隊員が居た。ほとんどがチームを組んでいないソロ隊員だが、研鑽を怠らない姿勢はきっと良いチームに巡り会えることだろう。

 

 ブースに入って、タッチパネルを無視してPC型モニターの方を弄る。マップは最初だし草原でいいかな。使うトリガーはイーグレットとバックワームだけ。的は警戒心MAXのバムスター。

 

 

『狙撃手特別訓練モード設定。転送開始』

 

 

 視界に広がる青々と茂った草原。現実は冬なのでなかなか緑を目にする機会がないから気持ち良いんだけど、仮想なので気分だけだ。

 

 先ずは地に身を伏せる。そしてスコープを覗いて索敵。スナイパー訓練設定なので標的とは距離を置いて転送される。

 捕捉。こちらに気づいた様子はない。距離は、1.876kmか。私の最高射程距離記録は1.89kmだ。圏内ではあるし、敵はバムスターなので遠距離攻撃もない為、撃っても対応出来るだろう。

 しかし、ここは草原。遮蔽物は風に揺れる草花だけ。寄られて対応は出来るかと問われたら、出来る。だが、せっかくのロング狙撃訓練の第一射目はきっちり決めたい。

 

 匍匐前進。狙うラインとしては1.6kmまで近づきたい。素早く、しかし気づかれないよう慎重に。戦闘体は疲労がないので姿勢を崩す心配もない。そして、私はこういう移動を隊でも行っているので得意だ。

 

 冬島隊では隊長のサポートで即時移動が可能だ。当真くんは変態狙撃手と言われるだけあって、転送から瞬時に引き金を引いて標的を撃ち抜ける。更に即時移動からまた正確無比の狙撃を繰り返す故に、狙撃手による連続ゲリラ戦術のようなものだ。

 もちろん、冬島隊長はランダムに転送するわけではない。真木ちゃんの地形マップ情報と、私の視界を通して得たマップ情報や標的の動向を勘案・換算して、転送前に転送先の位置からの方角・距離・起伏を予告してから実行するのだ。

 当真くんも凄いけど、冬島隊長の計算速度も侮れないと思う。

 

 他にも私の役割はあるけど、結局はサポートであり、ポイントゲッターの当真くんをこれでもかと強化した隊が冬島隊だ。尖った戦術だが、レーダーの情報だけでカメレオン中の風間隊を撃ち抜ける当真くんを主軸におかない手はない。むしろ当真くんの狙撃を斬る太刀川さんの反応速度に仰天すべき。

 

 バムスターに補足されず目標距離に到達。イーグレットにトリオンをこめながら、うつ伏せの伏射姿勢を調える。

 呼吸を停め、ブレを補正。道端の石のように意識を沈め、スコープに見えるバムスターがこちらに顔を向ける瞬間を待つ。

 

 ファイア──沈黙。

 

 

『目標達成。訓練を終了します』

 

 

 時間にして13分。停めていた呼吸を再開して、ブース内のベッドから身を起こした。

 

 

「うーん……慎重になりすぎたかな」

 

 

 第一射目故に確実性を狙ったが、バムスター相手に警戒をし過ぎた感が否めない。もっと標的が小さいならまだしも。

 モニターで先ほどの待ちを客観的に見直してみる。

 

 

「んー……妥当かな。なんか動き方が変わってるし」

 

 

 第二次大規模侵攻以降、訓練用トリオン兵の行動システムが改造されているらしい。より実戦的な動きとなったように思う。ふむ、たまには栞ちゃん考案の改造モールモッドも相手してみようかな。無駄に派手で高性能だから本部内で相手すると目立つから避けてたけど、今の時間帯ならそこまで人がいないし。

 

 毎回設定がリセットされるので、また設定を弄ってマップと仮想敵を変更する。

 

 

『狙撃手特別訓練モード。転送開始』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玉狛支部にて玉狛第二は水曜日のランク戦へ向けて、対戦相手の過去戦績データを確認しながら宇佐美の到着を待っていた。

 

 

「おー、がんばっとるかね? 諸君」

 

「おつかれさまです」

 

「栞さん」

 

「今、次の相手のデータ見てたとこ」

 

 

 やってきた宇佐美に挨拶をすると、4人は早速情報の確認を行う。

 

 玉狛第二が次に当たるのは、戦闘員がすべて狙撃手で遠距離特化の荒船隊と、中距離の集中放火を得意とし近距離も対応出来る諏訪隊だ。

 どちらも初日のように無策で突っ込むのは悪手。玉狛第二の主力は空閑であり、接近戦へ持ち込まねば点を取るのは難しい。どちらの隊も戦闘スタイルやコンセプトが出来上がっており、特に荒船隊の連携は手堅い。

 

 どう相手を接近戦へ引きずり出すか、連携を崩すかが要だ。また、初日は使わなかったがその試合で一番ランクの低い部隊には戦場を選べる権利がある。地形を使っての戦術も考慮していくべきだろう。

 

 

「あ、そうそう」

 

 

 簡単な事前情報を確認したところで、宇佐美が三面モニター付きのPCを操作する。

 

 

「本部に寄ってきたんだけどね。次のランク戦とは関係ないんだけど、ちょっと見せたいデータがあるんだ。いいかな?」

 

「見せたいデータ?」

 

 

 首を傾げる3人を手招きして宇佐美はとある映像ファイルの読み込みを開始した。

 

 

「玲さんのランク戦データだよ」

 

「え!?」

 

「八神さんの……?」

 

「レイさんってスナイパーじゃなかったっけ? スナイパーもランク戦するのか?」

 

「ううん。スナイパーは個人ランク戦はないよ。でも千佳ちゃんもそろそろ参加すると思うんだけど、合同訓練ってのがあってブースを利用することがあるの。と言っても、これは今日の早朝に玲さんが個人でやってたデータね」

 

 

 宇佐美の説明を聞いてますます意図が分からず、3人は生返事になってしまう。それに宇佐美はにやりと笑った。

 

 

「ふふふ、諸君。クリスマスでは結局、玲さんの戦闘スタイルを訊いてないでしょ? あと、これは是非とも修くんと千佳ちゃんに見てほしいなって」

 

「同じポジションの千佳だけじゃなくて、ぼくも……?」

 

 

 三雲と雨取が顔を見合わせたところで、ファイルの読み込みが完了した。映像が流れ始める。

 

 草原にバックワームを装備した八神が転送され、即座に地へ伏せる。イーグレットを構えて周囲を警戒した後、ずりずりと匍匐前進を開始。

 宇佐美が早送りして匍匐前進が止まると、引き金に指先を掛けたままピタリと静止。そして、動かない。

 

 最初は神妙な顔で観ていた新人たちだったが、3分経っても微動だにしない八神の映像にどう反応して良いか困ってしまった。

 

 

「これはなんというか……」

 

「えっと……」

 

「……ジミだな」

 

 

 3人の言葉に宇佐美は含み笑いを漏らしながら、早送りをする。

 徐々に千佳の顔に浮かぶものが、戸惑いから驚きへと変わった。次点で空閑が感心の声をあげた。

 

 

「すごい……」

 

「ウム……」

 

 

 何について2人がそう感じているのか三雲には解らない。そして、静止してから13分後に引き金は引かれ、映像が終わった。

 

 理解が追いつかなかった三雲が冷や汗をかいて2人に質問する。

 

 

「何が凄いのか僕にはわからなかったんだけど……」

 

 

 2人が何か言う前に、宇佐美がモニターにウィンドウを二つ並べて見せる。

 一つは静止直後、もう一つは撃つ直前で映像を停め、三雲に提示した。

 

 

「えっと……もしかして姿勢が変わっていない、ことですか?」

 

「当たりだよ~!」

 

 

 効果音でも鳴らしそうなテンションで、宇佐美が親指と人差し指で丸を作った。だが、当たりと言われても三雲にはどういうことかわからない。

 

 

「スナイパーなら誰でも出来るわけじゃないんですか?」

 

「千佳ちゃん、ど?」

 

「……むずかしい、です。わたしならすぐに撃っちゃうと思います」

 

「向こうの世界でも待てるスナイパーはいるけど、こんなに動かないヒトははじめて見た」

 

 

 動きと言えば風に靡くバックワームの端や髪の毛先ぐらいで、石像のように固まった八神は13分間それを崩さなかった。

 

 

「映像はまだあるよ。これも今朝の分で、なんと夜叉丸シリーズに挑戦してくれました!」

 

「え"」

 

「シオリちゃんがつくった強化モールモッドだっけ?」

 

 

 映像が流れ始める。マップはすべて違うようだが、最初の何の遮蔽物もない草原のようなマップはなかった。

 

 

「お、また待ちか」

 

「えび反り……」

 

 

 一度待ちに入ればどんなに苦しそうな体勢でも、八神は姿勢を崩さない。立射、膝射、座射、伏射と分類される射撃姿勢を調えて、待ちに入る。

 

 

「あれ……今度は途中で移動?」

 

「たぶんターゲットが動きを変えたことで、その場での待ちが意味ないと判断したんじゃないかな」

 

「今度はすぐに撃ったな。けど、はずした? でも2発目が当たった」

 

「これは釣りだね。わざと外して居場所を教えて敵の顔を自分の方へ向けさせたんだよ」

 

 適度に宇佐美が解説を入れながら視聴を続ける。途中から雨取は、映像の中で駆け引きを繰り返す八神の姿に、言葉もなく集中していた。

 

 すべての映像を見終わると、雨取は自分の手を見つめた。

 狙撃手は基本的に一撃必殺に重きを置く、と木崎から教わっている。外せば居場所を知らせることとなり、接近戦に持ち込まれてしまうからだ。

 八神の駆け引きは根気が要るものの、彼女が緊急脱出(ベイルアウト)する場面は一回もなかった。

 時にはわざと外してから距離を測り直したり、2射目や3射目で勝負を決めたり、即座に待機場所を放棄していたりもした。中には音を立てずそのまま巧妙に身を隠し、モールモッドの刃が体のラインギリギリに迫ってもブレずにやり過ごしていたこともあった。恐るべき胆力だった。

 

 

「千佳ちゃん、別に玲さんみたいになれってわけじゃないからねっ!? ただ、レイジさん以外のスナイパーを見る良い機会かなって思って」

 

「はい……なんとなく、スナイパーのポジションがわかったような気がします」

 

 

 雨取の言葉に宇佐美は内心慌てる。映像内の八神のやり方はソロで活動していた頃のやり方に近く、現在所属の冬島隊との連携ではまた違った顔を持っているのだ。

 

 しかし、納得している後輩に水を差すことも出来ず、宇佐美は間違った時に伝えればいいかと楽観的に捉えることにした。学ぶ若者は素晴らしいのだから。

 

 

「玲さんはね、自分の最高の実力を発揮出来る部分を解っているの。勝利した自分を描く力が強い」

 

 

 宇佐美の説明に、三雲は侵攻前に行った訓練で師匠の烏丸に言われたことを思いだした。

 

 

『自分が目指す最高の動きをイメージしろ。それに近づくためにはどうすればいいか、考えて動け』

 

 

 その時は結局、本当の意味を理解出来なかった。訓練用のモールモッドを倒すことは可能になったが、思い描く"最高の動き"は空閑をイメージしていたから。

 三雲は空閑ではない。トリオンも身体能力も違う。イメージは出来ても全く同じになんて動けなかった。

 

 八神と己の違いは、その時点で格差がついていたのだ。八神は自身の最高を、三雲は記憶に残った空閑を思い描いている。

 この格差を埋めるには、単純に"己の実力を把握"すれば良いだけ。

 

 己を見つめ直し、自身の最高を探れ。

 

「次のランク戦に関係ないコレを見せたのはね、気構え? 心構え? をしてもらおうと思ってさ」

 

 

 三雲と雨取だけでなく、空閑も真剣に耳を傾ける。

 それぞれにしっかりと目を合わせてから宇佐美は続けた。

 

 

「ランク戦は実戦じゃないし、訓練の一環。でもね、3人共すっごく成長出来る機会なの。時には前みたくあっさり勝てなくて苦しんだり、玲さんが途中で待ちを辞めたように、最初の作戦を変更しないといけないこともあるし、特訓してもなかなか身にならなくて辛抱強く耐えなきゃいけなかったり──たっくさんの壁に当たっちゃうかもしれない。でもでも、それがキミたちの成長に必要だから。だから、一緒に頑張って行きましょ~ってことで!」

 

 

 最後は照れくさくなったのか勢いで纏めた宇佐美に、3人は微笑み、力強く頷いた。

 

 途中からドアの近くで様子を窺っていた師匠3人も笑みを浮かべ、雷神丸に跨がった陽太郎が突撃しそうになったところをやんわりと止めた。

 小南が珍しくお菓子を陽太郎に分け、木崎がお茶を淹れ、烏丸は菓子用の小皿を食器棚から出す。

 

 玉狛第二は少しずつ始動する。

 

 

 

 




・三雲の補完
大規模侵攻で三雲はモールモッド相手に実戦を行っていないのでまだ実感が足りなかった。今回、原作とは違った形で意味を呑み込んだ。

・宇佐美についての補足
宇佐美は作者の描写都合により、沢村隊に途中加入し継続で風間隊所属だった。風間隊は隊長によってほぼ戦術の指向性が決まっていたはず。その後は、木崎という凄腕の部隊が所属する玉狛のエンジニア兼オペレーター。つまり、宇佐美にとっても"隊をつくる"過程は初めてであり手探り状態。


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カッコイイにこだわる者

八神視点


 

 「八神さんログ観ましたよ」

 

 

 カフェエリアのテーブルでお弁当を広げていると、向かい席にカレーライスを持った荒船くんが座った。

 

 

「こんにちは荒船くん。ログ?」

 

「昨日と今日の朝にロングやってた奴です。久しぶりだったとは思えないほどの待ち姿勢、1人での釣りも正確で……何より隠れてやり過ごす場面は、痺れました」

 

 

 カレーライスに手を付けず、心なしか目をキラキラさせているように感じる荒船くん。その様子に首を傾げるしかない。

 

 たしか、荒船くんって派手なアクション映画が好きで戦い方もそれになぞらえた動きを好んでいた。積極的に撃たない私のログを観て、どうしてこんなにテンションが上がっているのだろう。

 

 それを伝えると、荒船くんはとんでもないとでも言うように胸を張った。

 

 

「俺は確かにアクションが好きです。けど、完全万能手(パーフェクトオールラウンダー)を目指しているとは言え、スナイパーでリスペクトしているのは東さんと八神さんですから」

 

「おぉ……光栄です」

 

 

 まさかの東さんと並んで名前を挙げてもらえるとは。狙撃手ランク上位の当真くんと奈良坂くんが挙げられなかったのは、荒船くんの目指すスタイルとは違うからかな。

 

 

「スナイパーが主役の映画は、意外にドカドカ撃ってますし撃ち合いもあってカッコイイんすけど、東さんから教授されたもんじゃないんですよね。その他はスナイパーの人間性とか周りの関係を題材とした内容で、ほとんど狙撃しないものもありますし。

 八神さんのスタイルは、映画みたいに派手じゃない。でも魅入っちまうほど基本に忠実で、巧い。やっぱ俳優の付け焼き刃より、実戦で培った経験ってのが──カッコイイ」

 

 

 もの凄く感慨深そうに言われるものだから、思わず箸を停めてどう返そうか迷う。

 

 考えていたよりも高い評価を荒船くんから貰って、正直に言えば嬉しい。私の実力は、今までの努力は、無駄ではないと心にストンと落ちたから。

 

 

「ありがとう。凄く、嬉しい。ふふ、でも、私の初期のログを観ると呆れちゃうかもね」

 

 

 結局、私はありきたりな言葉しか返せなかった上に、お茶濁しになってしまった。

 

 

「とっくに観てます」

 

「そ、そうなんだ」

 

 

 即答で返ってきた。荒船くん強いよ。

 

 やっとカレーライスに手をつけてモグモグと咀嚼した後、荒船くんはウンウンと頷く。

 

 

「初期のログも俺はすげーと思ってますよ。あの頃は今よりスナイパーが少ない上に、訓練内容も自主トレばっかだったんですよね? そんな中でキッチリ戦略まで練ってたんですから十分尊敬ものですよ」

 

 

 荒船くんのリスペクト力を侮っていた。どう返しても、私を褒めてくれる内容になるんだが。いや、すごく嬉しいんだけど、荒船くんが喋る度に周囲にいた隊員たちが、持ってる端末で私のログを探し始めるのが気まずい。

 

 早朝訓練で目立たないからって調子に乗るんじゃなかった。なんか遅効性を発揮して目立っているよ!

 

 

「あ、荒船くんは! もうスナイパーもマスターランクになったんだよね!? そろそろシューターかガンナーに転向するの?」

 

 

 話題を無理やり変えた感が否めないけど、これ以上の褒め言葉はお腹いっぱいです! あと、周りも出来れば本人がいないところで観てくれると嬉しいんだが!

 

 荒船くんはキョトンとしてから「ああ」と思い至ったようだ。

 

 

「今期のランク戦まではスナイパーで続けようと思ってます。八神さんのログ観たらまだまだやることあるって分かりましたから。あ、いつかランク戦お願いします」

 

「そ、そっか。次の水曜のランク戦が終わった後で良ければ」

 

「ありがとうございます」

 

 

 荒船くんが好戦的にニヤリと笑うのに、少しだけ恐怖を感じながら昼食の続きを摂った。

 

 穏やかなカフェエリアにて、夜叉丸シリーズの断末魔が聞こえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 開発室から極秘連絡がきた。

 受け持っている仕事を区切りの良いところまで片付けて、早急に開発室へ向かう。

 

 

「失礼します。八神です」

 

「来たか」

 

 

 開発室へ入室すると鬼怒田さんが迎えてくれた。奥へと誘導され、従って着いて行くと一匹のラッドが台座に置かれている。

 

 奇妙にも角が生えたラッドだ。

 

 

「コイツは基地へ侵入した人型ネイバーの角を移植したラッドだ。角が脳の一部と同化しとったおかげか、ラッドのくせに知能を持ちおった。おそらく人格も受け継いでおる」

 

 

 鬼怒田さんの説明に、警戒心が跳ね上がる。人格は置いていても、知能があるということは一筋縄ではいかない。

 

 

「人格まで引き継いだのは誤算であったが、コイツが情報の塊であるのには間違いない。お前さんを呼んだのは、コイツを起動させた時のわしらの安全と、万が一逃げ出した時に壊さず捕獲出来ると思ってな」

 

「なるほど。了解しました」

 

「雷蔵、トリオンを注入しろ」

 

 

 鬼怒田さんの合図に寺島さんが機械を操作して、角つきラッドへトリオンが注がれる。

 

 数秒後、目を開けたラッドはそのまま停止して私と鬼怒田さんを見つめた。それからそろりと脚を動かし、違和感を覚えたのかキョロキョロと己の体と周囲を見回す。

 

 

「あ"?」

 

 

 優秀なエンジニアによって声帯システムまで再現されたラッド。戸惑いの声音までしっかり伝わるとは凄いな。

 

 

「な、なんじゃこりゃあ!!!?」

 

 

 絶叫。そうだよね……うん、ちょっと同情する。人間からラッドにってかなりの衝撃じゃないかな。

 でも慌てながらも器用に脚で体を支え、二本の前脚(?)で頭(?)を抱える姿は、既に順応しているように見える。早いな。

 

 マシンガン並みに罵詈雑言を発していたラッドだが、鬼怒田さんが口を開こうとした瞬間にピタリと止める。やはり順応能力が高い。

 

 怯む鬼怒田さんがチラリとこちらに視線を寄越したので、頷いて先を促した。

 

 

「ネイバー、きさまには情報を喋ってもらうぞ。妙なことを考えたら脚を引っこ抜くからな」

 

「はぁ"? ザコが何言ってやがる」

 

「少なくとも、ラッドのお前が一番雑魚だから」

 

「チッ……わかってねぇなテメーら。ボディーは黒にしろ。話はそれからだ」

 

「…………は?」

 

「…………え?」

 

 

 ぷいとそっぽを向いたラッドの言い分に、鬼怒田さんと2人で唖然とした。

 

 態度がデカいとか、舌がないからわざわざ声で舌打ちしたとか、高すぎる順応能力とか、色々と突っ込みたいことがたくさんあるけどさ。なかなか愉快な情報源を確保したようだ。まともに話が通じるかは別として。

 

 しばらくして、エンジニアたちによって色が変更されたラッドが「まぁまぁだな」と己の体を見回して感想を述べた。とてつもなくふてぶてしい態度だ。

 

 鬼怒田さんを始めとしたエンジニアたちは既に気が抜けているようで、警戒心がかなり下がっている。一応私は護衛の役割なので警戒心はそのままだが、当初より構えていない自覚がある。これが黒ラッドの狙いなら恐ろしい奴だ。

 

 エンジニアたちと黒ラッドの距離を監視しながら、鬼怒田さんが代表でラッドへ問いかける。妙に協力的な黒ラッドはこちらの質問にペラペラと答えてきて、不気味だ。嘘を言っている様子でもないことが、余計に警戒心を掻き立てる。

 

 現在のアフトクラトルでは、星国の核である(マザー)トリガーと言う、それを支える『(イケニエ)』の寿命が近いらしい。4つの領主家がそれぞれ利権を狙って、次の『神』を差し出す為に各地からトリオン能力の高い人間を攫っている。だから貴族の"わくわく動物野郎(ハイレイン)"や国宝の使い手も来ていたのか。

 

 はっきりと断言はできないが、侵攻前にレプリカさんが遺してくれた事前情報と黒ラッドの答えを摺り合わせしたところ、やはり嘘は言っていないように思う。

 

 国の情報をこんなにあっさりと渡してくれることは怪しいのだが、答えてくれるのなら好都合だ。

 

 

「鬼怒田さん、私もいくつか質問していいですか?」

 

「うむ」

 

 

 鬼怒田さんのOKをもらえたので、いくつか浮かんでいた疑問を消化することにする。本当は玉狛支部にいるらしい捕虜に問おうと思っていたんだけどね。

 

 

「今回参加していた老兵は、アフトクラトルでどれほどの使い手か?」

 

「ヴィザ翁か? あの人は領で1・2を争う実力者に決まってんだろ。テメーら猿共が束になっても勝てねーよ」

 

「お前が使ってたトリガー性能は?」

 

「ああ? オレを倒す時に色々と見てた野郎がいるんだろ? あれくらいしか出来ねーよ。使い勝手が(わり)ィからオレ以外で使いこなす奴もいなかったんだぜ?」

 

「ラービットがトリガーと同じ能力を有していたが、アフトクラトルは(ブラック)トリガーの性能をトリオン兵にも付与しているのか?」

 

「ムシかよ猿が……そういう研究もしてるぜ。オレの泥の王(ボルボロス)は黒トリガーだから予備はねぇが、ランバネインやヒュースみてーな()()()()持ちのトリガーは量産型の雑魚だからな」

 

「トリガー(ホーン)は子供に埋め込むらしいが、それは何歳まで?」

 

「トリオン器官が成長する期間だ」

 

「『神』の寿命が何百年ということは、アフトクラトルは医療が発達しているのか?」

 

「いりょーぅ? ……(マザー)トリガーに放り込まれりゃ意思も何もねえ。疲労も刺激もな。ただ在るだけだ。在るだけなら何百年も生きられるんじゃね? オレはゴメンだけどな」

 

 

 とりあえず思い付くものを片っ端から訊いてみる。この応答は事前情報も何もないから嘘かどうか判断出来ない。そう考えると無駄かもしれないが、悪態を吐きながらも答える黒ラッドがそれなりに協力的なのはわかった。

 ただ、胡散臭すぎるから話を信用するのは危険だな。

 

 鬼怒田さんに目配せをして、黒ラッドに注入していたトリオンを抜いてもらい黒ラッドが沈黙する。

 

 

「ありがとうございます」

 

「うむ……嫌に協力的すぎる」

 

 顔に胡散臭いと書いている鬼怒田さんに同意する。

 

 何か企んでいるとしか思えないし、こちらは正否を判断する材料を持っていないのだ。喋ってくれるのはありがたいが、信用に値しないものなので何とも言えない。

 

 また、こちらの警戒心を奪った行動があり、順応能力が高いことを考慮して、黒ラッドを起こす時は出来るだけ正隊員を付けるか、ガラス越しに話しかけることを推奨した。

 

 鬼怒田さんも思うことがあったようで、早急に隔離部屋を作ると動き出した。

 

 

 

 



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新人と先輩

八神視点の一人称
ロビーを軸とした三人称


 

 

 

 「ふ~……終わったぁ」

 

 

 朝と昼の防衛任務に臨時隊長として入ってからの報告書指導。任務の間に溜まっていた入隊希望者一覧書類をデータ入力していたら、いつの間にか結構な時間が経っていた。

 

 えっと、ランク戦夜の部はどうなったのかな?

 

 

「わ、もう終わってる!?」

 

 

 荒船くんは既に個人ランク戦ロビーに居るらしく、慌てて机の上を片付けて早足でロビーへ向かう。

 こっちが水曜日って言ったのに遅れて申し訳ない。

 

 

「荒船くん! 待たせてごめん!」

 

「いいですよ。仕事お疲れ様です」

 

 

 荒船くんの背中を見つけて声を掛けると、気を遣わせてしまった。

 

 

「八神さん!?」

 

「八神さんちーっす」

 

「お疲れ様です八神さん」

 

「八神さん!? 迅さんは? 迅さんは?」

 

 

 荒船くんは三雲くんと米屋くんと古寺くん、そして緑川くんの4人と居たらしく、それぞれから反応をもらった。

 緑川くん、私と悠一が本部でセットはあまりないからね?

 

 

「あれ? 村上くんと空閑くん?」

 

 

 モニターの一つに2人のランク戦が表示されている。

 

 村上くんが5戦中1勝4敗という結果だ。初見の村上くん相手に4勝するとは、空閑くん恐るべし。

 

 

「10本形式で今は15分の休憩挟んでるとこです」

 

「なるほど。荒船くん観る?」

 

「いえ、いいです。後でログ観ればいいですから」

 

「まさか! 荒船さんがここに来るの珍しいと思ったら、八神さんと()るためか!」

 

 

 じゃあブースに移動しよう、としたらスライディングの勢いで米屋くんが荒船くんと私の前に立ちはだかった。

 

 なんかテンション高いな米屋くん。いや、通常運転だっけ?

 

 

「荒船さんが終わったらおれともどうッスか!?」

 

 

 グイッと迫って来る米屋くんに怯んで一歩下がる。

 

 なんだこの押しは。戦闘狂とは言え、太刀川さんほど突き進んでいなかったはずなんだけど。

 

 

「申し訳ないけど、今日は荒船くんと一本したら帰る予定だから……」

 

「マジかー! ロングスナイプ斬りたかったのにー」

 

 

 こわっ。狙撃を斬るとかマジで太刀川さん化してるぞ米屋くん。

 

 

「バカは放っといて行きましょう」

 

 

 若干引いている私を置いて荒船くんがブースへと足を進める。

 

 それに頷いて、4人に軽く手を振ってブースへ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「いいな~荒船さん」

 

 

 唇を尖らせてロビーのソファーへ座った米屋に、三雲は躊躇いがちに訊いた。

 

 

「八神さんってランク戦によく来るんですか?」

 

「いんや? スナイパーの訓練場ばっかだと思うぜ?」

 

「八神さんは僕らと違って正式雇用の戦闘員だよ。通常は色々な部署の雑用をこなしてて、最近は忙しいのか訓練場にも来ないね。その分早朝に訓練し始めたみたいだ」

 

 

 米屋の答えに補足説明を加えた古寺へ三雲は礼を言い、モニターの一つに表示された八神と荒船の欄を見上げた。

 

 村上と空閑の対戦がまだ再開されないからか、周囲の隊員も注目している。

 

 

「よねやん先輩、ロングスナイプってなに?」

 

 

 ハテナを浮かべる緑川に米屋は「そっか」と笑みを浮かべた。

 

 

「おれは透と章平経由で知ったけど、お前んとこはまだ県外遠征だもんな」

 

「ロングスナイプは僕らスナイパーのkm単位からの狙撃だよ。訓練場では出来ない距離だから、ブースを利用して訓練するんだ」

 

「キロメートル? うわぁ……アタッカー泣かせじゃん」

 

「スナイパーは寄らせたら負けだからね。でもkm単位を狙うのは正確性に欠けるから、ほとんどのスナイパーは確実に仕留める為にkm以内まで距離を詰める」

 

 

 古寺が詳しく説明してくれるのを横で聞きながら、三雲は素直に驚いていた。

 

 同じチームメイトの空閑と雨取が指摘したのは狙撃姿勢のことだったのでそちらばかりに三雲も注目していたが、A級隊員の狙撃手の話を聴いて改めて脅威的な狙撃距離のことへ思い至ったからだ。

 

 ───もし、遠距離狙撃(ロングスナイプ)を己に向けられたらどう対処すれば良いだろう。

 

 考えてみても、三雲にはとんと切り抜けるイメージが湧かない。

 

 

「それは、防げるものなんですか?」

 

 

 分からないものは訊くしかない。見れば緑川も同じ疑問を持っていたようで「どうなの?」と米屋に訊いていた。

 

 

「ぶっちゃけ、シールドで防ぐとしてもkm単位で離れてたら射出音も聞こえねーし光も見えねーから、ムリ。ほぼ勘だ」

 

「え」

 

「えー」

 

 

 ジェスチャーでも「ムリムリ」と連呼する米屋に三雲はポカンと口を開け、緑川も不満そうに唇を尖らせる。

 

 後輩の様子に米屋は口角を上げて頭の後ろで手を組んでから続けた。

 

 

「出来ることと言ったら、なるだけ射線を切るかこっちの隙をなくすかだな。迅さんとかカゲさんとかならまた話が違ってくんだろーけど」

 

 

 迅という言葉にキラリと顔を輝かせる緑川。自分の憧れの人が誉められたのがよほど嬉しいのだろう。さっきまで不満そうにしていたのが嘘のようだ。

 

 

「ロングスナイプを出来なくても居るだけでスナイパーは警戒されるポジションだよ。戦況に大きく響くからこそ、ボーダーでも訓練場にかなりのトリオンを注ぎ込んでいるらしいからね」

 

「へぇ~言うねぇ、ウチのスナイパーどのは」

 

「あ、いや! 僕なんかより奈良坂さんの方がスゴいから! ほら八神さんたちの始まったよ!」

 

 

 ニヤリとからかう米屋に古寺はハッとして、アタフタとモニターを指差した。

 

 そちらを3人が見上げると、八神と荒船が転送完了したところだった。

 ブースに入ってから少し遅めの開始だったのは、狙撃手同士のランク戦なのでおそらく何か打ち合わせをしていたからだろう。

 

 

「荒船さんズリー」

 

 

 笑み混じりの米屋の言葉通り、通常の個人ランク戦と同じ距離で相対した瞬間、荒船が弧月を抜いて距離を詰めようと駆ける。

 

 接近戦に持ち込まんとする荒船の行動に、八神は表情を動かすことなく、素早く分割した通常弾(アステロイド)を己の前にバラまいた。しかし荒船のスピードは落ちない。何故なら通常弾は他の弾より真っ直ぐに飛ぶ為、そのまま発射されても角度的にシールドで防げるからだ。

 

 狙撃手は寄らせたら負けと聞かされたばかりに、三雲は八神の負けを悟る。だが───。

 

 くんッと荒船が上体を仰け反らせた。咄嗟にシールドを上半身に張ったが、予想と違って荒船の足下に通常弾が撃ち込まれる。完全に意識外だった足下の攻撃にバランスを崩し、荒船は地に倒れ仮想戦場の空を仰いだ。

 理解が追い付かず、一瞬ポカンとしてしまった荒船がハッと我に返って起き上がるが、既に八神の姿はない。

 

 チッと舌打ちして荒船は狙撃を警戒し、バックワームを発動して身を隠す。

 

 

「ありゃビックリするわ」

 

「えと、あれはワイヤーですか?」

 

 

 唖然と、モニターを見上げる三雲にからからと笑う米屋の隣で古寺が説明する。完全に解説役が板に付いているようだ。

 

 

「あのワイヤーはスパイダーというトリガーだよ。アステロイドで相手の気を引いた時、同時にスパイダーも発動していたんだ」

 

 

 荒船が仰け反った理由は、ピンポイントに額の高さで張られた糸に因るものだ。

 

 人間は額を押さえられると小さな力でも、仰け反る反射反応が起こる。同じように寝転がった人間の額に指を置くだけで、その人は起き上がれなくなる。

 

 

「スパイダーに気づかなかったのは、人間は自分の目線より上への意識が薄い。死角の一つだからね」

 

「それに荒船さんのトリオン体って、帽子被ってっからなぁ」

 

 米屋はそれだけではないことを察しながら、敢えてそう言った。

 

 ───凡人なんて言ってるけど、八神さんもかなりの化け物だよな。

 

 八神は、荒船の"弧月を構える姿勢"を計算した(知っていた)からピンポイントにスパイダーを張れたのだ。単純に日頃接する姿勢ではない為、隊員のログを観察していないと出来ない芸当である。

 

 普通、ランク戦で対戦する相手でないと動きや癖なんて観ない。

 

 

「荒船さんが倒れた時なんで追撃しなかったんだろ。隙だらけじゃん」

 

「たぶん、ロングスナイプのオーダーがあったんじゃないかな。現に八神さんマップの端を目指してるし」

 

 

 バックワームを発動している八神は、古寺の言う通りマップ端を目指している。

 

 街を駆けながら時折イーグレットのスコープで荒船の位置を確認しているようだ。どうやら荒船のバックワームは息をしていない模様。

 

 

「ロングをリクエストしてたのに接近戦に持ち込むとか、荒船さんズルいなぁ」

 

 

 顎に手をやって「ふむり」と呟いた緑川に、米屋と古寺は小さく苦笑しただけだった。

 

 同じ隊に所属する当真が目立つせいか、近年からボーダーに所属する隊員に八神の実力は知られていなかったりする。

 

 防衛任務の臨時隊長として就いても、サポートが主であり、特に新人は周りより自分の実力を注視する為に八神の実力に気づかないのだ。

 A級隊員の緑川も噂程度には聞いても、興味がなければ今と同じ認識で終わるだろう。

 

 

「あ、遊真先輩たち再開するっぽい」

 

 

 やはり緑川は同じ近接ポジションの空閑と村上の対戦が気になるのだろう。そして、同じ隊であり次の対戦相手となる三雲も、そちらへ視線を寄越す。

 周りも地味な闘いになった八神と荒船の対戦よりも、見応えのある斬り合いへ注目し始めた。

 

 まだまだ八神の実力が新人たちへ知られるのは先らしい、と先輩2人は肩を竦めたのだった。

 

 村上と空閑の対戦は、前半の5戦が嘘のように村上が勝ちを重ねる。豹変したかのように空閑の動きを捉える村上に、空閑も対処が追い付かないのだ。

 

 その結果を三雲以外の正隊員たちは予想しており「やはりな」と納得する。

 

 9本目の対戦が終わった時、モニターを観ていた隊員の誰かが「あ」と声を発した。

 

 それに4人が意識を取られた瞬間、八神と荒船の対戦が終了した。結果は八神の勝利。

 まだ終わっていなかったのか、もう終わったのか。どちらの感想を抱くかは観ていた人間次第だろう。

 

 10本目に差し掛かると、ロビーの入口から熊谷が姿を現し、次の対戦相手の攻撃手(アタッカー)たちの攻防に眉根を寄せた。

 

 本日のランク戦昼の部にて対戦し、以前から何度も斬り結んでいる村上の実力は疑う余地もない。村上は『強化睡眠記憶』を持っているが、それを応用せずとも攻撃手ランク4位という伊達ではない称号持ち。

 

 その村上と前半に互角以上の戦績を納めているということは、空閑の実力が一筋縄ではいかないことを証明していた。

 

 

「あ、熊谷ちゃん久しぶり」

 

「八神さん? なんでここに……?」

 

 

 全ての対戦が終わり、ブースから出てきた八神が熊谷を見つけてヒラヒラと手を振って近づいてきた。

 

 

「荒船くんと1本だけランク戦してたんだ。熊谷ちゃんもランク戦?」

 

「あたしは、あ」

 

「ひゃん!?」

 

 

 熊谷が警告を発するよりも早く、迅が八神の背後に回り込んで尻を撫でる。

 

 先ほどまで熊谷の後ろにいたはずなのに、いつの間にか八神の尻を狙える位置へ移動していた迅のスキルに熊谷は引いた。

 

 

「あ、いい声。おれが誘導してきましたーおっと」

 

「悠一!」

 

 

 八神が振り返り様に繰り出した平手打ちを、手首を掴んで難なく止めた迅がヘラリと笑う。変な声を公衆の面前で出してしまった羞恥心で赤い顔が可愛かった。

 

 しかし、すぐに八神は顔色を戻して目を丸くする。

 

 

「なんで頬が赤いの?」

 

 

 八神の攻撃は当たっていないのに迅の頬はうっすらと赤くなっているのだ。

 怪訝に思う八神だったがすぐに考え至る。

 

 

「ふーん。熊谷ちゃんに迷惑かけたんだ」

 

 

 半眼になる八神に慌てたのは熊谷だった。

 

 

「す、すみません八神さん。あたしが」

 

「いやいや熊谷ちゃんは悪くないよ。悠一が全面的に悪い」

 

「玲ちゃんヒドい。おれは玲ちゃんのお尻一筋なのに……!」

 

「ええい! 口を閉じろ変態め! そしていい加減手をはなせ!」

 

 

 迅は荒ぶる八神の手を離すどころか、ダンスを踊るかの如くするりと懐に抱き込んだ。あまりにも自然な重心移動に八神は絶句。

 

 迅と八神が恋人同士だと知る人間は「またバカップルしてるぜ」と呆れ、知らない人間は「迅さんの片想いか。迅さんに狙われるとはご愁傷様」と八神に同情した。

 

 ちなみに迅の登場にテンションを上げた緑川だが、古寺と米屋に羽交い締めされて止められている。

 行くな、今は修羅場(面白い場面)だから。

 

 

「お疲れ様です、迅さん」

 

 

 そんな中、話し掛けに行ったのは三雲だった。

 

 勇者か、と周囲がざわめき始めるが迅は気にせず、八神をしっかりと抱きしめたまま軽く挨拶。

 じわじわと、腕の中の体温が上がっていくのに笑いを隠せない。

 

 

「よおメガネくん。チームランク戦お疲れ」

 

「はい! ありがとうございます」

 

 

 嬉しそうに返事する三雲に周囲がやはり勇者だ、と戦慄した。

 

 

「そうだ、遊真に『明日と明後日は玲は早朝訓練しない』って伝えてくれるか? 俺たちもう出るからさ」

 

「空閑に……? はい、伝えておきます」

 

「ちょ、何のことかな!?」

 

 

 やっと機能を取り戻した八神がバッと迅の胸板に手をついて離れようと試みたが、少しの隙間を開けるだけに終わった。頬はまだ赤い。

 

 

「玲は明日お休みでしょ」

 

「たしかに休みだったけど、この忙しいなか休めないから出勤するって」

 

「玲みたいな真面目が休まないと他も休めないでしょうが。同じ理由で次の休みも出勤するつもりだって分かってるからね」

 

「私は下っぱなんだからそう簡単にやすッ!?」

 

「はいはい行くぞー。じゃあ皆さんお邪魔しましたー」

 

「お、降ろせバカー!!」

 

 

 ひょいと簡単に両腕で八神を抱き上げた。所謂"お姫様抱っこ"である。

 抵抗する八神を器用に抑え込み、にこやかな笑顔で去って行く様は誘拐犯に見えなくもない。

 

 残された見物人たちの間には共通の想いが過る。

 

 なんだ、リア充によるテロか。

 

 一番の被害者は2人の側にいた熊谷かもしれない。彼女は少しだけ頬を赤く染めて、ぶんぶんと首を横に振ったのだった。

 

 

 




・迅は熊谷にセクハラをしたのか?
これは、アニメ42話の描写を採用しています(宣伝)

・軍と警察の狙撃手
軍隊所属の狙撃手にも色々と種類はありますが、km単位からの偵察や狙撃は標準だとか。頭よりも胴体を主に狙うそうです。頭だと的が小さく、また、仕留められずとも怪我人を増やせば敵軍を足止め出来る為と思われます。
一方、警察所属の狙撃手は、最終手段として登用されます。主に人質事件。正確性が求められるので数百mまで近づき、手足などの小さな的を狙うそうです。射殺許可があるかでまた変わるとか。
組織によってスナイパーの運用方法は異なるようですが、拙作では訓練場の造りからB級隊員は警察所属の狙撃手を参考とし、狙撃手ランク上位またはA級隊員はどちらも実践可能という独自設定を設けています。原作で当真が600mから雨取にヘッドショットを決めて驚かれているので色々と迷った設定ですが、あれはビルから飛び降りる標的の頭を撃ったことを驚いたのだと解釈することにしました。

・メモ
村上のサイドエフェクト『強化睡眠記憶』
レム睡眠による知識・記憶の定着が強化されていると納得。
実際に問題を解かせる実験があったようです。
問題を一度解かせて、間に睡眠時間を入れ、同じ問題を再度解かせる。もう一方は一度解かせて、眠らない休憩を入れ、再度解かせる。
やはり前者の方が正答率が高かった、という結果があるのだとか。


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愛を贈る

八神視点


 

 

 「悠一は支部だから気にならないかもだけど、私は本部所属なんだよ? 恥ずかしいんだよ!?」

 

 

 現在バスの中。警戒区域近くのバス停から乗ったので私たち以外に客はいない。なので横に座った悠一へ遠慮なく文句を言えるのだ。

 ちなみに私の荷物は、悠一が持ってきてくれていた。冬島隊隊室の鍵付ロッカーに入れていたのだけど何故、とか疑問だったが冬島隊長がマスターキーを貸してくれたらしい。真木ちゃんと一緒にお仕置きしますよ隊長。

 

 悠一は黙って前方を見つめたまま聞いていたが、私が一通り言い終わるとこっちへ顔を向けた。

 眉尻を下げてしょぼんとした顔に怯む。

 

 

「玲って、仕事と俺だったらどっちが大事?」

 

 

 何言ってんだコイツ、と一瞬思ったが面には出さない。まさか有名なテンプレセリフを聞く日が来るとは。

 どう返すべきなんだろコレ。この質問が有名過ぎて返しのセリフは知らないんだけど。

 

 

「悠一の方が大事だよ。でも、一緒にいる為に仕事も大事」

 

 

 日々の糧を得る為に仕事しないと生活出来ない。けれどそれって自分だけじゃなくて、恋人や家族の為という前提があるからだと個人的には思うんだ。

 

 でも、こういうセリフを言われるってことは仕事に天秤が傾いてたのかな。

 

 

「じゃあ、俺のこと好き?」

 

 

 相変わらず表情の晴れない悠一が更に質問を重ねてきた。そこで気づく。

 

 そういえばここ最近、『好き』とあまり口に出していないんだ。

 

 しょんぼり顔の悠一としっかり目を合わせて、口を開く。

 だけど、思い直して形を変えた。

 

 

「愛してるよ」

 

 

 好き、じゃ全然足りない。大好き、だってもう心が納まらない。

 相応しい言葉は、ありきたりだけど『愛してる』だけだった。

 

 想いを込めて自分から唇を合わせた。

 昔みたいに失敗しなかったことに、なんだか成長を感じる。それともお互いに座ってるからかな。

 

 

「───うん、おれも愛してる」

 

 

 ゆるりと、やっと笑った悠一の声は甘くて、ほんの少し震えていた。

 

 それもそっか。私、今まで貴方にひどいことをしていたんだ。

 

 悠一は何度も私に『愛してる』って言ってくれたのに、私は()()()返したことがなかったから。

 "大好き"までは言えても、それ以上の言葉は出せなかった。

 

 ただの言い訳だとわかっている。でも、学生のあの時に、私は何故か自分の死に何も思わなかったんだ。

 ただ苦しんでいる悠一を助けなきゃ、とだけ思った。

 そして、告白されて嬉しい反面、戸惑いが大きかった。

 

 怖かったんだ。私が死んだ時に悠一が壊れちゃうんじゃないかって。

 

 言葉は枷だ。恋よりも『愛』は信じられないくらい重くて、1人じゃ抱えられないものだった。

 

 大切にしてくれる度に、幸せを感じる度に『愛』は溢れそうになって。でも、怖くて代わりに『好き』と言葉にした。

 風に吹かれて消えるような軽い言葉を吐く自分の口に、安心していた。可笑しいよね。婚約して結婚の約束までしているけど、私はそれが無理だと本気で思っていた。

 

 だのに、生き残った。

 

 さすが悠一だな、と感心して別れる決意をしたというのに、唐沢さんから慰められてもう『愛』は抑えられなかった。

 だから、だから──最後の賭けとしてプロポーズを強請った。

 

 自分が卑怯だって分かっていたのに、悠一は本気で応えてくれた。

 

 

「今まで、ごめんね」

 

 

 もう一度、今度は謝罪と感謝の意味を込めて口付けた。

 

 唇が離れると、ぎゅっと抱きしめられてコツンと額同士を合わせられる。

 

 

「許す……許すから、もう死のう(離れよう)としないで」

 

「うん。約束する」

 

 

 悠一の声は震えていて、今にでも泣き出しそうだった。泣けばスッキリするのに。

 

 どうしても泣きそうにないから、額をずらして悠一の頭を肩口で支えてよしよしと撫でる。悠一の腕の力が強められたけど、痛みはないからそのまま。

 

 しばらくして、ふと外の景色が気になった。悠一に連れられるままてっきりいつものバスに乗っていたと思っていたが、見覚えのない景色が窓の外に広がっている。

 前方にある次の到着バス停名を確認しようにも悠一を支えたままでは難しい。

 

 

「そろそろ着くよ」

 

 

 顔を上げた悠一が悪戯っぽく笑う。もう泣きそうな気配はない。そしてその言い分から乗り間違えたわけではないようだ。

 

 バス停名を告げられて降りるとなった時、戸惑いしかなかった。

 

 

「旅館……?」

 

 

 和で統一された木造の建物。入口には旅館名が描かれたカンテラが提げられてぼんやりと私たちを照らした。

 

 

「温泉宿。一部屋借りたんだ」

 

「え」

 

「温泉、入りたがってたでしょ?」

 

 

 そうだけど、そうなんだけど。泊まりがけは考えていませんでした。

 突然のサプライズで嬉しいんだけど、何かあったかと必死に頭を巡らせる。

 

 もしかして、と考えた時、悠一が照れくさそうに笑ってから手を繋いできた。

 

 

「女の子って記念日が好きなんでしょ? 本当は来月だけど、ちょっと忙しいから早めにって思ってさ」

 

 

 旅館の入口へと歩き出した悠一に手を引かれる形で隣へ並ぶ。

 

 どうやら同棲を始めた記念日サプライズだったらしい。悠一は恋人になった記念日を忘れていたし、同棲一年目は何もしなかったので覚えていたことが意外だったけど、卒業シーズンだったから覚えやすかったのかもしれない。

 

 

「ありがとう、すっごく嬉しい!」

 

「どういたしまして」

 

 

 はにかむ悠一の手を柔らかく握り直す。いつも思うけど、悠一の手は温かくて大きい。男の子の手なんだなぁって改めて感じる。

 

 

「なにやってんの? くすぐったいから」

 

「おっきい手を確かめてるのだー」

 

 

 指先を動かしてにぎにぎしてたら悠一に笑われた。くすぐったいと言いながら振りほどこうとしないのが、なんだか嬉しい。

 

 

「ふむふむ。おっきい手は好き?」

 

「悠一の手だからね」

 

「言うねぇ。じゃ、おれは?」

 

「ふふ、どうかなー大好きかも」

 

「かも?」

 

「クエックエッ」

 

「鴨じゃん」

 

 

 呆れた声音だけど横顔は楽しそう。繋いでいる手を軽く引き、足を止めてからちょっとだけ背伸びする。

 

 空いてる片手を添えて、寒さで少しだけ赤くなっている耳へ囁いた。

 

 

「貴方のすべてを愛してる」

 

「っ……うわー……思ってたより破壊力ヤバい、かも」

 

 

 空いた手で口元を覆って顔を背けた悠一。赤さの増した耳が見えるから照れているのがバレバレだぞ。

 

 背伸びを止めて下から覗き込めば、赤くなった目元で睨まれた。怖くない、怖くない。

 

 

「かも?」

 

「……くえー」

 

「ふふ、へたくそー」

 

 

 からかってから今度は私が手を引いて歩き出す。

 いつもは私が赤くなるから、立場が逆転してなんだか新鮮だな。

 

 

「玲」

 

 

 名前を呼ばれて振り向けば、口元を綻ばせている悠一に抱き寄せられた。

 

 

愛してる(幸せだよ)

 

 

 同じように囁かれて、カッと頬が熱くなった。

 いや、同じようにじゃない。めちゃくちゃ甘い声だった。ずるい! 私がそれに弱いの知っててやったな!?

 

 

「っ反則だッ」

 

「ハハハ、お返しだよ」

 

 

 背中がゾクゾクして力入らないし、顔が熱いし、すっごく恥ずかしい。

 さっきまで私が主導権を握ってたと思ったのに、あっという間に取り返された。もしかして逆転させてからの油断を狙ってたのか。

 悠一に勝てる気がしない。

 

 今度は手じゃなくて腰を抱かれて歩き出す。こうなると体を離そうにも不自然だし、何より温かいから離れ難い。

 誰かに見られたらかなり恥ずかしいけど、結局離れないまま玄関へたどり着いた。

 

 玄関へ入るとすぐに着物を身につけた女性2人が、カウンター越しに出迎えてくれた。

 綺麗なお辞儀をする2人につられて会釈を返す。

 

 

「予約していた迅です」

 

「お待ちしておりました。雫の窓をご予約ですね。どうぞ、ご案内致します」

 

 

 カウンターから中居さんの1人がスッと出てきて、もう一度綺麗にお辞儀してから先導へ。

 

 案内に従いながらオレンジライトの廊下を進んで行くと、驚いたことに外へ出た。

 

 

「離れ?」

 

「はい。宿泊はすべて貸切りの離れをご用意しております。雫の窓は内湯と露天風呂付きの部屋でして、温泉掛け流しなのでいつでも入浴可能です。もちろん、母屋の大浴場もご利用をお待ちしておりますよ」

 

 

 私の疑問に中居さんはにこやかな笑顔で説明をしてくれた。着物美人さんが目の保養です。

 

 離れの内装は『和』だ。8畳二間で、入ってすぐの部屋に大きめの炬燵机が設置されており、既に食事が並べられていた。

 

 

「すぐに食事とお伺いしておりましたので、ご用意させて頂きました」

 

 

 中居さんに促されるのに従って、お互いに向かい合う形で座椅子へ着席する。

 うわー……魔性の炬燵だぁ。じわーっと足元から温まる感覚にホッとひといき。

 

 料理コースは私と悠一で内容が違うようだ。野菜と魚中心の料理なのは一緒だけど、私の方はあっさりとした味付けだったり薄造りのお刺身だったりと、胃に優しい調理が選ばれた料理の品々。種類が多いけど一皿一皿を見れば量も控えめで、美味しく味わえる適量だ。

 悠一の方は野菜と魚中心に、和牛のステーキが添えられており、厚めのお刺身やカラッと揚げられた天ぷら、味の染みた大根などなど。どちらにしても美味しそう。

 

 温かいおしぼりで手を拭いてから「いただきます」と合掌。

 

 

「おいしい……」

 

「ふ~、あったまる」

 

 

 先ずはお吸い物を一口。昆布と鰹節の出汁がきいてる優しい味わいに、自然と口から「美味しい」と飛び出した。

 

 野菜類は下味がつけられており、食材本来の味を邪魔しない味付けとなっている。なんだコレ。野菜がすっごく美味しい。参考にしよう。

 

 懐石料理での厚いお刺身とは違い、フグ刺しのようなぺらぺらとしたヒラメの薄造り。均一とした透明感にプロの技ならではだと感心する。そっと一切れを口に入れると、最初に感じたのは甘さだ。噛んでみると薄いのにコリコリとした食感で、また甘さが増して、それからスルリと喉の奥に消える。

 

 

「玲ちゃーん、大丈夫?」

 

 

 あまりの美味しさに固まっていたらしい。

 

 

「ぜんぶ美味しい! 語彙力がマッハで破壊されるくらい!」

 

「その表現もマッハでヤバイ。うん、でもそんなに喜んでくれると、連れて来た甲斐があったよ」

 

 

 うんうんと楽しそうに頷く悠一が、和牛のステーキを食べて目を見開いて固まる。

 なるほど、私のさっきの状態ってこんな感じか。でも美味しい物を食べたら正しい反応だと思う。

 

 カラン、と箸をテーブルに落とす悠一。え、そんなに美味しかった!?

 

 

「れい、あの、今なんて言った……?」

 

 

 呆然としたまま何とか言葉を絞り出した悠一に首を傾げる。

 

 

「何も言ってないけど」

 

「そ、そうだよな。ごめん、さっきのナシ」

 

 

 取り繕う悠一がヘラリと笑う。

 もしかしてさっきのは美味しさに固まったわけではなく、未来視が発動して固まったのだろうか。気になるけど、悠一が言わないのならいっか。

 

 新しい箸を悠一に手渡す。テーブルの上とは言え、落としてしまった箸だからね。洗いに行く手もあるけど、替えがあるならそれで良い。魔性の炬燵からは逃げられないのだ。

 

 

「うぅ~好い味の経験が出来たよ。主婦間の手間省き料理も楽しいけど、たまには手の込んだおもてなし料理も善いよね!」

 

「玲の料理は全部好きだよ。茶碗蒸しはここと負けてないと思う」

 

「私のおばあちゃん直伝の茶碗蒸しですから」

 

 

 デザートの白玉寒天をいただきながら、料理の感想を言い合う。なんとか語彙力を取り戻せて良かった、良かった。

 

 祖母の茶碗蒸しは実家の人間全員がお代わりする程の大好物だ。祖母は農家だからか、普段の料理は濃い味付けばかりで私は苦手なのだが、あの茶碗蒸しだけは別格。

 でも今年は祖母が体調を崩していたので悠一が味わうことはなく、三門市に帰ってから私が作って出すと「これは、もう他が食べれない」と唸らせた。レシピをありがとう、おばあちゃん。

 

 温かい炬燵に入って、ひんやりツルンとした寒天を食べる贅沢がたまらない。"炬燵にアイス"なんて派閥があるだけに、温度の相反する物を味わう感覚ってクセになりそうだ。

 

 悠一も寒天を食べているが、どこか緊張気味。どうしたんだろう。

 

 あ、そうだ。今のうちに言ってみよう。

 

 

「ね、お風呂一緒に入ろ?」

 

 

 今度は匙がカラン、とテーブルに落ちた。

 

 茫然と固まる悠一に『なるほど、コレを視たのか』と納得する。悠一を驚かすのって一筋縄ではいかないなぁ。

 

 

 




 ・迅と八神
迅が"結婚"というワードを出さなかったように、八神も"愛してる"というワードを口にしていません。
八神にとって相手を感情で縛るのはタブーです。意識が朦朧としていようと、寝言だろうと言わない頑固さです。その代わりにたくさん名前を呼ぶくらい。
「伝えなければ、寂しいけど心変わりして他の人と幸せになってくれるはずだ」とも考えていました。八神の勝手な考えであり、もうとっくに迅が八神以外を見ていないことに当人だけが気づいていないだけなんですがね。けれど"愛してる"と返して、もし己が死んでしまったら、迅が立ち直れないことだけは確信していました。だからチェス回では『待っていて』ではなく『次の恋愛(幸せ)に向き合って』という命令です。
というわけで、誰よりも"八神玲の死"を引き寄せて確定させていたのは本人でした。遠征前は自分で迅を幸せにしてやると意気込んでいましたが、大侵攻が予測された時ストンと己の死を受け入れてしまいます。迅は情緒がまだ成長途中なので一番身近な相手の心的分岐に気づかず、色々と奔走していたのです。灯台もと暗し?
とりあえず、これでお互いに言っていなかったワードを出し合い、やっと二人三脚のスタートに立ちました。想いはまだまだ迅が先行していますし、迅の自分本位と、八神の相手本位の考え方もあまり改善されていません。が、少しずつ歩みを合わせていくことでしょう。
(作者の技量はメモ帳クオリティーなので期待は禁物です)
この選択が吉と出るか、凶と出るか。

 ・八神の料理のきっかけ
祖母は濃い味付けを好み(茶碗蒸しは別)、母は加古の失敗炒飯並の料理を6割の確率で食卓に出していました。現在では娘の指導により1.5割まで落ちています。幼い頃は食事が好きではなかったのですが家庭科授業で美味しい料理を知り、結果、好みの味付けと美味しい物を求めて台所に立ち始めました。


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誘う湯煙

Dカップを巨乳ではないと主張する方もいるようですが、拙作では巨乳の入り口と基準しています。天使の小窓が出来るカップです。

この前書きを見て嫌だと思われた方は、閲覧を控える事を推奨します。
「SPWはクールに去るぜ」と去るか。
「おまえ、つまんないウソつくね」と進むか選択して下さい。


迅を軸とした三人称


 

 

 冷たい空気に、湯船から立ちのぼる湯気が混ざる。肌寒さは感じるが、それもすぐにお互いの体温に触れ合うことで気にならなくなった。

 

 

「かゆいところはありませんかー?」

 

「ないでーす」

 

 

 風呂椅子に座った迅の頭を、背後に回った八神が細指でわしゃわしゃと洗っている。

 内湯側の洗い場にて八神はタオルを体に巻き、迅は腰にタオルを置いていた。

 

 当初入る前にタオル攻防戦が起こったのだが「今更だから必要ないんじゃない?」と言い出した迅に、誘った側の八神は「……湯船では取るから、許して」と顔を赤らめてお願いしたことでなんとかタオルの許可を貰ったのだ。

 

 頭皮を指の腹でもみ洗いされる感覚を楽しみながら、鏡に映る八神の胸を見てしまうのは、男として当然の反応だった。

 タオルにしっかりと隠されているが、中身を知る迅にとっては何の障害もない。いや、却ってリアルに想像するからこその楽しみも───

 

 

「流すよ」

 

「ん」

 

 

 邪念を感じとったかのようなタイミングで、八神が迅に目を閉じるよう促した。

 耳に湯が入らないよう、丁寧に洗うやり方は新鮮でとても気持ち良い。指の腹で擦る力加減も優しく、マッサージを連想させる八神の手に自然と迅の口角は上がった。邪念は浄化されたようだ。

 

 八神はいつも見ている迅の髪がペシャンと崩れる様に、昔シャンプー体験をさせてもらった犬を思い出していた。

 リラックスした迅の顔を鏡越しに見て、可愛い、と考える八神のツボは謎だ。

 

 

「いいよー」

 

 

 気持ちよさに若干半眼になった迅の視界に、へにゃりと柔らかく笑む八神の顔が鏡に映って思わず目を瞑る。そして確認するようにもう一度ゆっくりと目を開いた。ダメだ、可愛い。

 

 八神の髪は既に濡れており、長い髪を器用に一本の簪で纏めて結っている。

 タオルの留め部分をしっかり確認してからスポンジをモコモコと泡立て、その泡を迅の首や肩に載せ、これまたマッサージするように揉み擦っていく。

 

 

「うあぁ、それ気持ち良いわ」

 

「結構凝ってるね。やっぱり未来視って名称からして眼精疲労とか起こるのかな?」

 

「さあ?」

 

 

 自分の能力とは言えそこまで意識したこともなく、"そういうモノ"と認識している迅にとって、さして重要ではない事柄だ。

 

 迅の気のない返事に八神も特に気にせず、凝りを撫で擦る動きに変えた。

 

 真剣な表情でマッサージを施す八神に羞恥はない。現在の八神にとって自分の体はタオルで隠されており、見える範囲の迅の上半身は夏場に良く見る半裸状態なので刺激が少ないのだ。

 

 しかし、すぐに頬を染めて鏡越しに迅と目を合わせた。

 

 

「あの……前は自分で、洗って?」

 

「──わかってるって」

 

 

 迅の返事にホッと胸をなで下ろす八神。

 

 一瞬邪念が過ぎった迅だったが、未来視(サイドエフェクト)で視た八神が可愛かった(拗ねる)ので思い留まった。

 これでも迅はいつもの何倍もの理性を動員している。八神は仕事復帰をしているが、完全に体調を戻したわけではないのだ。彼女の体調を気遣って迅は己でも驚くほど自重しているわけである。

 

 柔らかいタッチで擦る手を背中に感じながら、迅は前を手早く洗った。

 

 たまに、男の理性を試してくる八神に悪魔かと悶絶しながら、なんとか内湯の浴槽へとたどり着いた。

 

 

「ふあ~気持ちい~」

 

 

 タオルを取った瞬間は羞恥に染まっていた八神だが、お湯に浸かるととろけるように目を細めた。

 

 一時的に目を逸らしていた迅は、八神を背後から抱きしめて「ほぉ」と感心する。

 

 

「なに?」

 

「いや、おっぱいって本当に浮くんだと思って」

 

「……わかるの?」

 

「そりゃあね」

 

 

 ふんわりと湯の中で浮いた胸を上から覗き見る迅に、八神は羞恥に百面相をしてからソッと息を吐き出して開き直った。

 

 

「脂肪の塊なので浮きます。そしてそれなりの重量から解放されるので肩がすっごく楽なのです」

 

 

 開き直っているが、やはり少し恥ずかしいのか丁寧語になっている。

 

 

「へぇ、やっぱり重いの?」

 

「……今は、前より軽いもん」

 

 

 ほんの少し拗ねた口調に、迅は言葉のチョイスを間違えたことを知る。だがそこまで本気で拗ねている様子ではないようなので、質問を続けることに。

 

 

「侵攻前のこと?」

 

「っそうだよ。今が元のサイズだからね!? 悠一が毎日揉むからサイズが変動して下着選びが大変だったんだから!」

 

「へ? そんなに揉んでたっけ?」

 

「無意識なのはわかってるけど寝てる時もね。キスマークとかつけるから起きてるのかと思えば、寝てるし……」

 

「あー」

 

 

 付けた覚えのない部分に赤い(しるし)が散っていた理由を今になって知る。八神の肌が白いので少しの刺激で赤くなるからかと思っていたが、どうも違ったらしい。

 浮気を疑ったことがないので話題に上がることもなかったが、どちらにしても迅が要因だ。寝てる時の行動は制御出来ないので勘弁してほしい。

 

 

「そういう時は私もキスマークのお返ししてるんだから」

 

「え」

 

 

 ちらりと振り返って悪戯っぽく笑った八神に、迅は完全に虚を突かれた。その表情にまたニヤリと笑みを深めた八神が、機嫌良く正面に向き直って背中を迅の胸に預けた。

 

 女性特有の柔らかさと華奢な体を脊髄反射で支えながら、迅は他の話題を探る。このままでは色々と危険だ。

 

 

「そういえば下着と言えば、玲の胸が服の上からだと半減するのって下着が合ってないから?」

 

 

 しかし咄嗟の話題も胸。尻派なのに胸の話ばかりである。

 

 

「あれはそういう仕組みなの」

 

「へぇ」

 

 

 話題に乗ってくれた八神によって迅は話題の転換を諦めた。尻派でも胸だって普通に好きだから仕方ない。

 

 

「あのね、私のサイズはまだマシなんだけどさ。制服ってYシャツでしょ?」

 

「うん」

 

「ああいう服、肩幅に合わせて買うと胸が苦しいんだよね」

 

「……うん」

 

「でも胸のサイズに合わせると肩幅が大きくて、なかなか丁度良いのがないの。隊服は体のサイズに合わせて換装するから良いけど」

 

 

 小さく溜め息を吐く八神に迅は若干目を逸らす。まさかそんな苦労をしているとは思わなかった。

 サイズの変動に八神が怒ったのもなんとなく解る。

 

 

「どうしようかと悩んでたら、FとかGとかの友達から『小さく見せるブラ』を教えてもらったんだ」

 

 

 友人に巨乳が多過ぎないか、と考えはしたが口に出さないのは賢明な判断だ。

 

 

「あれを開発した人は天才だとその時は感動したよ。Yシャツもだけど、他にも諦めてた服が色々とあったし」

 

 

 うんうんと嬉しそうに頷く八神。

 迅は動きに合わせて揺れる胸へと視線をやりながら女性下着事情を聞く。

 

 どちらにしろ、脱がすまで女性の胸サイズはわからないのだということは解った。やはり尻が至上なのかもしれない。

 

 変な悟りを開いた迅に八神が露天風呂へと誘う。

 

 タオルで隠された胸から視線を引き剥がして、先を歩く八神のヒラヒラとタオル裾から誘う尻へ視線を動かす。

 見えそうで見えない塩梅を堪能し、やはり己は尻派だとおかしな結論に至る。逆上(のぼ)せているのだろう。

 

 先に露天風呂へと着いた八神はタオルを取らず、先ずは手で湯を掬ってから足を流す。そしてそのまま縁に座って足湯のようにユラユラと遊ばせた。

 

 

「入らないの?」

 

「ちょっと休憩」

 

 

 追いついた迅が問いかければ、八神がはにかんで答えた。内湯が少々熱めだったので八神も軽く逆上せたらしい。

 

 迅も八神と同様に足を流して隣へ腰掛けた。

 

 先ほどとは違い、お互いの間に会話はなくなった。気まずいわけではない。火照った身体に、冬の冷たさが心地好い。

 

 けれど、心は少しだけもの寂しさを感じる。どちらからともなく指先を絡ませ、無言で肩を寄せ合った。

 

 波の揺れる水音が静かに響き、露天風呂から見える飾られた庭を目で楽しむ。

 それから時折、クスと小さく微笑(わら)い合う。

 

 無言でも相手を蔑ろにせず想い合う、居心地の良い2人っきりの空間だ。誰が見ても幸せな色が浮かんでいるだろう。

 

 

「きれい……」

 

 

 ふと、八神が空を見上げて呟いた。

 

 迅も見上げると、そこには満天の星。雲一つない快晴の夜空に、冬の星座たちが輝いていた。

 

 

「うん。綺麗だ」

 

 

 視線を八神に移して言った迅の言葉に、八神は気づくことなく見上げたまま頷いた。それに声もなく笑って、迅は再び星空を仰ぐ。

 

 かえる座はそろそろ役目を終え、もう次のみつばち座が姿を見せ始めている。一等輝きを主張する冬の大三角と大六角形を見つけ、あとは名前を覚えていない星を指差しては2人で首を傾げた。

 

 しばらく星を眺め、くしゃみをした八神に笑った。また内湯の時と同じように、迅が八神を支えて湯に浸かる。

 

 

「ン……くすぐったい」

 

「だって冷たいし」

 

 

 冷えた八神の項を迅の唇が甘く食んだ。くすぐったさに首を竦める八神だが、迅の腕の中にいるので甘受するしかなかった。

 

 それに気を良くした迅が赤い耳をからかおうとして、確定した未来に驚いて動きを停めた。

 その隙に八神が反転して、お返しとばかりにカプリと迅の首筋に甘く噛みつく。

 

 

「っ」

 

 

 すぐに離れた八神がしてやったりと笑う。

 

 迅は薄くついた歯型を軽く撫でて、憮然とした表情を作った。『卵が先か、鶏が先か』ということわざがあるように、迅も『未来視が先か、行動が先か』と図りかねることが何度か。

 

 されど今回に限っては、今までとは比べものにならないくらい八神が大胆なのは確かだ。

 

 

「うーん、なんで今日は一緒に入ろうって言ってくれたの? いつもは逃げるのに」

 

「それは」

 

 

 直球で訊ねてみれば八神は即答しようとしたが、唇を一度結んでから目を横に逸らした。

 

 さっきまで子どもっぽく笑っていた少女が、瞬く間に女へと変わり、頬を染める。

 

 

「それは、悠一がこんなに用意してくれたから、私だって何かやりたくて。全部は、その、ムリだったけど! せ、背中洗うくらいしか思いつかなくて……でも、あの、広いお風呂に1人で入るのも、なんかさびしいなって」

 

 

 しどろもどろに説明する八神を、迅は瞬きもせずにしっかりと見つめた。

 バスの中で"告白"してからの八神はどこか垢抜けたように、迅との関係を受け入れている。

 

 善い方向へ関係の変化が起こり始めた。

 

 それを実感した迅は、心の底から堤に感謝した。温泉の情報誌を観ていた迅に、この温泉宿を勧めてくれたのは、ボーダー内でも顔が広く女性にモテる堤だった。雰囲気良し、食事良し、サービス良しと太鼓判を押した堤。なぜそう推薦出来るかは想像に難くない。

 そばで聞いてしまった諏訪がクダを巻いていたが、2人は一切取り合わなかった。

 

 それにしても、と迅は一度目蓋を閉じて八神を正面から抱き込む。

 

 

「俺は我慢してるのにひどい。わかってたでしょ?」

 

「……誘われるの、いや?」

 

「ぜんぜん」

 

 

 努力は水の泡とされたが、いつもより艶やかな八神の表情を引き出せた対価と思えば何のその。

 

 庭の景色も星空も消え失せ、色をのせて笑むお互いしか映らなくなった。

 

 

 




 ・数日前の2人
八神「大侵攻終わったし温泉行こう!」
→ふと自分の体を見る→赤い点だらけ→冬だし虫刺されだと誤魔化せない(夏でも誤魔化せていない)と結論
八神「……しばらく悠一と別に寝ようかな」
迅「(未来視)……よし、温泉行こう」

 ・八神の胸事情 D→?
そこそこの重さの胸を支える為に八神はストレッチトレーニングで体を調えています。しかし、それが下地となり、迅が揉むので徐々に大きくなっているという裏設定。


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気楽な任務

とうとう真木ちゃんを喋らせてしまいました。
イメージを崩してしまったらすみません。


八神視点


 

 

 

 

 バンッとイーグレットから撃ち出された弾が、バンダーの核を貫く。

 

 

『今日もぜっこーちょ~ってな』

 

 

 当真くんのご機嫌な声を通信越しに聞きながら、冬島隊長から指示されたポイントへスパイダーを張りに移動する。

 

 

『玲さんなんか今日ノリ悪くね? 迅さんの実況聞けないからスねてんの?』

 

「なんでそうなるの! 任務を真面目にしてるだけだよ。というか当真くんのテンションの方が高いから」

 

 

 変な言い掛かりをつけてくる当真くんに呆れて言い返すと「ふーん?」と意味ありげに笑ってくる。イラッとくるが下手に反応するとまたからかってきそうなので我慢だ。

 

 今日のB級ランク戦昼の部にて、悠一と太刀川さんが解説席に呼ばれているらしいのだ。

 確かに気にならないわけではないけれど、防衛任務を優先するのは当たり前だから。というか、現状だと本部で悠一と一緒に居るのは、私の精神衛生上避けるべき。

 

 スパイダーを張り終えると、次の警報が鳴る前に待機ポイントまで一気に飛んだ。

 

 

「迅の奴もよくやると思うぜ俺は」

 

 

 端末を抱えて胡座をかく冬島隊長の隣に並べば、ニヤニヤとした笑みを向けられた。

 

 私より一拍遅れて同じく飛んできた当真くんも、イーグレットを脇に携えて揃いの笑みを浮かべて寄ってくる。

 

 

「街中でキスからの、基地で姫抱きだろ?」

 

「さっすが迅さん」

 

 

 冷やかしてくる2人を睨むが、ニヨニヨとした笑みが消えることはない。当真くんなんて指笛までつけてくる。煽りスキルが高いね君たち。

 

 

「……まぁ、こうして冷やかしてくる人たちより悠一の方が良い男なんでしょうね」

 

「うっ……」

 

 

 にっこり微笑んでそう見下ろせばショックを受ける29歳。次いで当真くんへ笑顔を向けると、肩を竦めて降参を示された。

 まったく、怒られるとわかってて何故煽るんだこの2人は。

 

 呆れながら冬島隊長の手元を覗き込む。よし、ちゃんと端末と繰糸(そうし)の連動に成功しているようだ。

 

 私主導で行う超遠距離範囲(エクストラ・レンジ)のスパイダー操作は禁止されたが、広範囲を防衛する点は高い評価を受けていた。

 その為、冬島隊長の提案により、試しにトラッパートリガーと連動させてみることに。

 

 脳で処理していたデータを端末で処理するのだが───

 

 

「だめだな……俺のトリオンじゃあ3本が限界だ」

 

 

 もともとトリオンを多く消費する端末だが、超遠距離範囲(エクストラ・レンジ)と連動させると防衛任務終了時間までトリオンが保たないらしい。

 

 

『こちらも処理が間に合いませんでした』

 

「そっか。ありがとう真木ちゃん」

 

 

 端末の連動と同時に、オペレーターの真木ちゃんにもデータのバックアップを挑戦してもらっていたのだが、そう簡単には事が進まない。真木ちゃんの負担になりすぎるのは駄目だ。

 

 やはり運用は、スパコン並の端末が必要なのかな。戦場使用には向いてないね。

 

 

「『停止(ドロップ)』」

 

 

 トリオンの供給が止まってスパイダーの操作が終わる。

 広範囲を試す為とは言え、防衛任務中に実験するものじゃないな。

 

 

「機械で出来なかったのに、玲さんの脳ってすごくね?」

 

「私だけじゃないよ。やろうと思えば当真くんのでも出来るし」

 

「え、おれ頭よくなる?」

 

『その発想が既に残念ですね先輩』

 

 

 辛口な真木ちゃんのコメントに、当真くんは冬島隊長とは違って凹むことなく「ひでぇ」と笑った。

 

 

『予告。北西700m地点、7カウント後』

 

「はいよ」

 

「了解」

 

 

 (ゲート)発生の知らせに、私と当真くんはイーグレットを構えた。

 

 

「おれモールモッド」

 

「もう一回バンダー」

 

「大穴で近界民(ネイバー)

 

 

 真木ちゃんのカウントに耳を傾けながら、次の出現トリオン兵を予想する。さすがに冬島隊長のは大穴過ぎるけど。

 

 

(ゲート)発生。誤差0.39』

 

 

 出現したトリオン兵はバドとバムスターが1体ずつで、誰も当たらなかった。

 

 僅かにズレた発砲音の後、ギシリとスパイダーの網の上へ墜ちた2体。放棄地帯とは言え、派手な建物破壊は狙撃ポイントの調査やり直しで面倒だからね。

 

 網の上でピクリとも動かないのをしっかりと確認して顔を上げる。既に当真くんは構えも解いており、リラックス状態だ。

 

 

『予告。北東920m地点、5カウント後』

 

「ほい」

 

「了解」

 

 

 流れるように臨戦態勢へ。

 リラックス状態の表情とあまり変わっていない当真くんだが、狙撃姿勢がブレることはない。

 

 

「撃たなくていいぜ?」

 

「たまには譲ってよ」

 

「じゃあ早いもん勝ちで」

 

「負けないよ」

 

(ゲート)発生』

 

 

 発砲音は1つ。もちろん当真くんのイーグレットだ。

 

 網に墜ちたモールモッドをスコープで確認して、どや顔の当真くんを見る。

 

 

「まだまだ玲さんにゃあ、エースの座はやれねーな」

 

「参りましたー」

 

 

 イーグレットを下ろして降参すると、お互いにフッと笑った。

 

 

「お前ら楽しそうだな」

 

「遊びゴコロ、遊びゴコロ」

 

「おやくそく、おやくそく」

 

 

 呆れた冬島隊長の声に、当真くんと同じ調子で返す。

 チームを組んだ最初の内はお互いに壁を感じていた私たちだが、いつの間にか姉弟のような気安さになっていた。

 

 先ほども私が撃たないことを察しながら、挑発じみた台詞を吐いたからそれに乗っただけだ。

 

 

「迅が見たら嫉妬しそうだな」

 

「冗談で言うことはあっても本気じゃないですよ」

 

 

 悠一が本気で嫉妬することってあるのかな。想像してみるが、へらりと笑った顔しか浮かばなかった。

 

 

「……マジで言ってる?」

 

「なんですか。そんな『有り得ない』みたいな顔されるのは心外です」

 

『玲さん、迅さんの心は狭いと思います』

 

「そうそう」

 

 

 全員から否定を受けて困惑する。いや、言われてみれば確かに嫉妬している、ような気がする。

 

 たぶん、私が思い当たらなかった理由は直後に受けるスキンシップのせいだ。

 

 

「逆に玲さんはしねーの?」

 

 

 当真くんに言われて考えてみる。

 

 嫉妬って悠一にではなくて他の女性にってことだよね。そういえばこの前、熊谷ちゃんに悠一がセクハラしていたけど……まったく、これっぽっちも熊谷ちゃんに嫉妬しなかったな。迷惑を掛けた悠一が悪いとしか。

 

 嫉妬、かぁ。

 

 

「……女性に嫉妬したことない、かも」

 

「へえ! その言い方だと男に嫉妬すんのか?」

 

 

 興味津々と視線を向けてくる面々に、少しだけ居心地悪く感じて手元のイーグレットを持ち直す。

 

 

「別に毎回じゃないです」

 

「気になって任務に集中できねーから教えろって」

 

 

 ニヤニヤする冬島隊長はセクハラで訴えてもいいと思う。

 しかしそうなると冬島隊が解散するので、あとでレゴの解体という嫌がらせを実行しよう。

 

 

「で、誰だ?」

 

「……太刀川さんです」

 

「…………」

 

「…………」

 

『…………』

 

 

 当真くんの催促に渋々答えたら、みんな無言になった。

 

 冬島隊長と当真くんはポカンとしてから、すぐに表情を引き締めてお互いに顔を見合わせる。

 おい、その無言の会話はどう返そうか悩んでお互いに「そっちが言え」って押し付け合ってる奴だろ。

 

 

「あー……あのな?」

 

「私は別にあの2人に恋愛感情があるとか考えてません」

 

 

 押し付け合いに負けた冬島隊長が口を開いたが、見当違いな方向へ行く前に先手を打った。明らかにホッとしないで下さい。

 悠一の恋愛感情面での一番は自分だって、一応自覚してるつもりですよ。

 

 太刀川さんに嫉妬する理由は、私が引き出せない悠一の顔を知っているからだ。

 

 だってあんなの実力が拮抗した攻撃手しかムリ。ライバル関係とか憧れるし、愉しそうな顔だって──毎回嫉妬するわけではないし、ふとした時に「そういえば」という感じだ。

 

 そう言うと全員納得したらしく、また男2人がニヤリと笑う。

 

 

「女には分からんかもなぁ。男には」

 

『予告。東1.75km地点、8カウント後』

 

「隊長」

 

「お願いします」

 

 

 冬島隊長の言葉を最後まで聞く前に、真木ちゃんのオペレートに従う。

 冬島隊長もすぐさま切り替えて、スイッチボックスでワープを用意してくれた。

 

 

(ゲート)発生。誤差2.97』

 

『ちょっとズレたわ。八神フォロー頼む』

 

「了解」

 

 

 現れたのはバンダーとバムスター。バンダーの砲撃が面倒だな。

 

 バックワームを消して奴らの前に踊り出る。

 バムスターが即座に私に反応して突っ込んでくるが、バンダーは市街地へ顔を向けたまま。

 

 ひとまず突っ込んでくるだけのバムスターは放っておき、バンダーの対処が優先だ。こちらを見ないと、角度的に当真くんも狙い難い。

 

 

「繰糸『介入(アクセス)』」

 

 

 バンダーの足下にあるスパイダーを一度束ねてから太さを最大まで変更、からの靴紐サイズを一本残して他の束は強度を最低に。

 足下の異変に軽くバランスを崩したバンダーが、頭を傾けた瞬間、当真くんのイーグレットが核を射抜いた。

 

 

「『接続(コネクト)』」

 

 

 両手の指貫部分にスパイダーを繋げて、突進してくるバムスターの触角へ絡ませる。

 

 

「よっと」

 

 

 大口開ける動作に合わせてジャンプ。ひょいとバムスターの頭へ飛び乗ってすべり台の要領で背中を滑り降り、触角を引っ張られて仰け反ったところを当真くんが仕留めた。

 

 同時に接続を解除してくるりと着地した地面に、隊長のスイッチボックス。

 

 ワープ先はバンダーの前。処理の為に損なったスパイダーの補強をぱぱっとやって、最後に軽く周辺の地形情報を更新してから次の待機地点へ飛んだ。

 

 

「さっきのバンダー、なんで玲さんに反応しなかったんだろうな?」

 

 

 合流した私たちはすぐに先ほどの敵の動向について考えを巡らせ始めた。

 

 当真くんは物事を感覚的に捉えているけど、しっかりと押さえるべき点は心得ている。

 

 

「トリオン反応が多い方向を優先するように設定されてたんじゃねぇか?」

 

『トリオンへの反応なら基地に向かうのでは? 明らかに街を狙っていたと思われます』

 

 

 主に考えるのは当真くん以外の3人だ。役割分担がはっきりしているので、当真くんが仲間外れにされているように見えるが、冬島隊はこれで上手くやっている。

 

 

「大きさより数を優先したのかも」

 

『数ならスパイダーも可能性がありますね』

 

 

 トリオン体の視界に真木ちゃんがスパイダー配置図を提示してくれた。確かにさっきの方向は他の方向より、スパイダーが少しだけ多いのに納得する。

 

 

「だなー」

 

「隊長、配置の仕方を変えた方が良いですか?」

 

 

 のほほんと同意する当真くんの声を耳に入れながら、最終的な判断を冬島隊長へ。

 

 

「数を満遍なくってな感じにしてみるか。人間かスパイダーかのどっちに反応してるか調べねーと」

 

「了解」

 

 

 そのオーダーへ応えるべく動き出す。次の(ゲート)発生より先に配置を変えなくては。

 

 

 

 



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確認

鳩原についての捏造設定


八神視点


 

 

 

 防衛任務の報告書を隊室でまとめ終え、軽く休憩を取ってから資料室へ向かった。アフトクラトルについての情報をもう一度確認し直そうと思ったからだ。

 

 (マザー)やら女王(クイーン)やら、色々な名称がある星国の根幹に存在する巨大トリガー。近界(ネイバーフッド)遠征任務中、戦争に関わると度々その名に触れたが肝心の()()は見たことがない。戦争に関わったとしてもこちらは部外者なのだから、仕方ないのかもしれない。

 

 しかし、こんな形で相手にすることになるとは。

 

 ドクトリンの1つにある"警戒の原則"を怠っていたようだ。教本の説明にあった『言うは易し、行うは難し』という言葉を身を持って知る。

 軍事的に「想定外」という言葉は「己を無能」と言っていることと同義。出来る軍人は常に異常事態・突発的な事態へ備え、事前研究を怠らず、情報収集や事態に備えた訓練を行っている。私は軍人ではないが、戦う者として表に立っている身。

 今回、私は"敵に攻められる条件の発生"を見過ごしていたわけだ。無意識にも『対岸の火事』とでも思っていたのだろう。まったく、無能め。

 

 そういうわけで、巨大トリガーについての情報と、他にも想定される"条件"の洗い出しをやらなければならない。

 

 黒ラッドに巨大トリガーの構造をエンジニアたちが問いつめているらしいが、胡散臭い。というか、興味がなかったから知らないのだそうだ。

 たしかに、私も地球の核やマントルなどは授業で習った概要くらいしか知らないし、専門的な知識なんてない。狙撃手として気象や重力など必要なことは勉強したけど、さすがに星の核は調べていない。

 

 とりあえず遠征に必要な情報を根気強く聞き出していくしかない。人格を引き継いでいるせいで面倒な手間が掛かるけど、"訊かなければ答えない"機械を相手にするより情報をくれると考えればラッキーだ。

 

 情報の真偽については、明日空閑くんを喚んでみることになった。

 

 なんでも空閑くんの父親は『嘘を見抜く』副作用(サイドエフェクト)を所持していたらしく、(ブラック)トリガーになったことで空閑くんにも引き継がれた可能性が高いのだとか。

 今までの接触で納得出来る節があったし、副作用(サイドエフェクト)持ちじゃなくても空閑くんの鋭い感性ならば胡散臭い話も少しは信用出来そうだ。

 

 それにしても……視線が気になる。数日前に目立つ行動をしてしまったとは言え、今朝はまだマシだったはず。

 なんで視線が増えているんだろうか。

 

 

「八神。任務帰りか?」

 

「二宮さんこんにちは。はい、任務終わりです」

 

 

 そんな廊下の先で二宮さんと鉢合わせた。私服姿の二宮さんに挨拶すると、一言「来い」とだけ告げて背中を向けられる。

 

 ぶっきらぼうな物言いは前からなので気にならないが、周囲の反応がギョッとしているのは気になった。

 あの、別に私は脅されているわけではないので、皆さんその反応は止めません?

 

 

「どうした」

 

 

 振り返った二宮さんが首を傾げるので、小声で何故か注目を浴びている気がすると伝えると納得してくださった。

 

 

「解説で迅が惚気ていたからそのせいだろう。いつものことだ。行くぞ」

 

 

 平然と歩き出す二宮さん。ちょっと待てーッ!?

 

 二宮さんが天然さんなのは知ってた。けど、その爆弾は威力がありすぎる! なんで解説席なんかで惚気たの悠一! そしていつものことってどういう意味ですか二宮さん!!

 

 ツッコミしたいのに二宮さんはスタスタ進むし、周囲の視線が居たたまれない。結局、感情を持て余しながら二宮さんの後を追うしかなかった。

 

 

「飲め」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

 自販機でヤクルトを奢られた。懐かしい。二宮さんはカップのジンジャーエールを飲んでいる。

 

 

「おまえ、玉狛第二をどう見る?」

 

 

 自販機前のベンチに座った二宮さんがそんな問いを投げてきた。意図は不明だが、何か引っ掛かるものが三雲くんたちにあったのかもしれない。

 

 

「新人ばかりですが、その分伸び代が目立つチームだと思いますよ。空閑くんはチームに合わせてまだ実力を抑えていますし、三雲くんは手探り状態。雨取ちゃんはきっかけがあればすぐにエース級ですよ」

 

 

 空閑くんという大エースがいるからこそ、三雲くんと雨取ちゃんがゆっくり成長できるチームだね。

 空閑くんはワンマンタイプかと思えば、意外にも2人と連携を積極的に行うから成長の手助けにもなっている。

 

 破竹の勢いでB級隊員になった3人は玉狛支部所属なので、一緒の任務を担当したことがないけど、しっかりと先輩の玉狛第一に教育されているようだ。たまに崩れた平仮名の報告書が上がってきて、空閑くんの学力が心配になったくらいである。

 

 

「その雨取だが……似てると思わないか、あいつに」

 

 

 少しだけ目を伏せた二宮さん。あいつとは、隊務規定違反をした鳩原ちゃんのことだろう。

 

 事件当時、私自身は遠征部隊に選ばれてこちらに居なかったが、帰ってきてから聴取をされた。遠征前にしていた会話内容や様子、遠征先で噂や姿を見なかったかなど。

 

 鳩原ちゃんの"人が撃てない"という感覚は正常で善いことだ。彼女はトリオン兵専門の狙撃手として実力を遺憾なく発揮していた上、武器破壊も他の追随を許さない完璧な精密さで実行していた。

 

 けれど、近界(ネイバーフッド)遠征任務は遠征艇規模の関係上人数が限られる。時には戦争に参加しなければならない。そういう時、衛生兵などの裏方へ回れるかと尋ねると『スナイパーとして役立ちたい』と鳩原ちゃんは正直に答えた。

 そして、部隊から外された。

 

 狙撃手は堂々と姿を現して戦う前衛とは違い、後方から姿を見せず情報偵察を行い、急所を撃ち抜くのが仕事だ。

 

 姿を見せないことや技術の高さから『一番に排除すべき駒』と認識され、たまに『卑怯者』と詰られる。国によっては不遇されたり、忌避されたりするため捕まったら酷い扱いを受けることもある。

 

 いざという時、鳩原ちゃんの"自分を守るため"でも撃てないのは致命的だ。

 もし対峙した敵が武器ではなく肉弾戦を仕掛けてきたら鳩原ちゃんはどうにも出来ない。緊急脱出(ベイルアウト)範囲が限られる近界(ネイバーフッド)で、戦闘員として鳩原ちゃんは相応しくないと判断されて外されたのだ。

 

 一時期、鳩原ちゃんも人間を撃つ訓練を行っていたが、弾は一発たりとも掠ることはなかった。

 

 

「そう、ですね……でも同じではないと思います」

 

「?」

 

 

 怪訝な顔でこちらを見る二宮さんが「何言ってやがる」と視線で訴えてきた。

 

 

「同じスナイパーとして受けた印象ですが、雨取ちゃんは臆病ではないんです。むしろガンガン攻めるタイプです。ただ、自分のトリオン量にびっくりしてて、それを人に当てるのが結果として怖いんだと思います」

 

 

 だからきっかけがあれば撃てるし、もう少し周りを見る余裕が出れば技術も上がるのではないかな。威力調節だってゆくゆくは覚えるだろうし、己で難しければエンジニアに協力を仰げば良い。栞ちゃんも色々と考えているはずだからね。

 

 将来有望な狙撃手だ、と一人納得していたらスッと立ち上がる二宮さん。

 カップの中身は既に空で、自販機横のごみ箱へ入れられた。

 

 

「参考になった。ヤクルトの返しは要らん」

 

「いえ、明日に」

 

「その分はもらった。じゃあな」

 

 

 来た時と同様にスタスタと去って行く二宮さん。足が長いからか遠ざかるのが早いなぁ。

 

 後ろ姿だが不機嫌な様子ではない。1人で何か考えたいことが出来たらしい。

 

 

「……ヤクルト持ってったら『くどい』って呆れられるかな」

 

 

 手元の空になった容器を見下ろして呟く。

 

 そういえばなんでヤクルトをチョイスしたのだろう。前は怪我してたからカルシウムの意味でチョイスしたと思うけど。

 

 

「……マジか」

 

 

 自販機の販売一覧を見て、びっくりした。

 

 煮玉子味の何か、新感覚黒酢コーラ、ヤクルト、豆腐味のポタージュ、塩水(※少しずつ飲んでね)、ジンジャーエール、たんぽぽコーヒー、DASHI...etc.という、異色過ぎる一覧だ。

 なんだこのチャレンジャー御用達の自販機は。こうして並ぶと普通の飲み物も異色に見えてくる不思議。DASHIとか何の出汁なのかすっごい気になるじゃん!

 

 おそらく二宮さんもこの一覧を見てビックリしたのだろう。天然さんだけどチャレンジャーではない二宮さんは、無難にヤクルトとジンジャーエールを選んだのだ。興味を惹かれるけど、飲みたいとは思わないので買わない。

 

 

「とりあえず、写メって出水くんに教えておこう」

 

 

 探し物が見つかって良かったね、とコメントを添えて写真を送った。

 

 さて、休憩は十分取れたから資料室へ向かおうかな。

 

 

「や。待ってたよ」

 

「! 解説お疲れさま」

 

 

 資料室の扉を開くと、悠一に出迎えられた。

 

 まさか居るなんて思わなかったからかなり驚いたけど、悠一が数枚の書類をヒラヒラと振ってくるので受け取る。

 

 内容に目を落とすと、次に予測される侵攻についてのまとめだった。

 

 

「これ……」

 

「うん。アフトクラトルの2つの従属国が近い内にね」

 

 

 従属国のガロプラとロドクルーン。どちらも星国の軌道がこの世界に近い。

 

 悠一は第二次で相対した近界民(ネイバー)から未来視を用いて、ある程度の予測が出来たようだ。

 しかし、はっきりとした情報ではなく不明点が多いので、この資料室で2国についての情報を補完していたらしい。

 

 

「玲の真似して纏めてみたけど、やっぱ俺には向いてない作業だわ。だからさ」

 

 

 悠一は一度肩を竦めてから、私の左手を同じ側の手で握った。指が絡まって、リングがコツリと小さな音を立てて触れ合う。

 

 止められた言葉の先が解る。同時にそれが嬉しくて、ギュッと左手を握りこんだ。

 

 

「っうん……一緒に、やろう」

 

「よし、玲が一緒なら百人力だ」

 

「それはこっちのセリフだよ」

 

 

 なんだか名残惜しくて、左手は離さずそのまま。

 悠一も離すことはしなかった。

 

 

 

 



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故郷に立つならば

※改めて注意を。
3章では特に原作という皿に、作者が捏造設定を盛りに盛っている形です。
公式設定もありますが、所詮、二次創作やパラレルワールドのようなものとお考え下さい。

今話は、ほとんどオリキャラのやり取り。


八神視点


 

 

 「トリガー、起動(オン)

 

 

 開発部署の訓練室にて、腕輪の形をした捕虜のトリガーを起動すると、アフトクラトルの装束へ換装した。バックワームよりも長い丈のマントに慣れないが、このマントには身を守る為の耐久力があるのだ。

 遠征先でそう簡単に戦闘体を消耗するわけにはいかない故の装備だろう。

 

 

『換装だけでかなりトリオンを消耗しているけど、磁力操作は出来そう?』

 

「やってみます」

 

 

 寺島さんからの通信に答えて、映像で観た戦闘をイメージする。

 

 現在、悠一から一時的に預かった捕虜のトリガーを本部の開発室で解析している。

 黒ラッドの胡散臭い情報により、先の大侵攻で確認した(ブラック)トリガー以外のトリガーは、本国で通常トリガーに類されるようだ。未だアフトクラトルへの遠征での具体的な作戦方針は決まっていないが、通常トリガーならば交戦もやむを得ない状況があるはず。出来る限り敵のトリガーを知ることが重要だ。

 

 爪のような様相をした左手の篭手。そこから派生する黒い欠片たちを意識する。

 

 

「難しい……」

 

 

 ソフトバレーボールくらいの量でギブアップ。

 

 引力と斥力の相互作用を駆使するこのトリガー。漠然としたイメージだけでは動かせず、正と負またはN極とS極と呼ばれる極性の切り替えを延々と思考し、計算する必要がある。

 

 余裕のあるこの場ではこれだけの量を操作出来たが、いざ戦闘となれば野球ボールが精々だと思われる。ただ動かすだけなら同じ極性にすれば勝手に引き合うし、速度を上げるならスタート地点に異なる極性を置けば反発力が使える。特訓次第では使えるかもしれないが。

 

 

『量はそれで限界?』

 

「はい。戦闘体自体がボーダーより頑丈で、マントにもトリオンが回されていること。あとは、イメージをしていますが反映スピードがかなり劣っており、その分余計なトリオンを消費しているように感じます」

 

『なるほどね……アフトのトリガー(ホーン)はトリオン受容体で、生身の脳に埋められていることからイメージの伝導率が違うのかもな』

 

 

 寺島さんの見解になるほど、と思った。

 

 初めて使うトリガーだから慣れないのは仕方ない。それに遠征に抜擢されるのはどこの国でもエリートばかりだろうから、初見の私がいきなり映像の通りに使いこなすなんて無理がある。

 

 それでも、イメージがこれだけ反映されないトリガーは初めての事だった。それを寺島さんの言葉で素直に納得出来た。

 

 

「でも困りましたね。アグレッサーをやろうにも、使いこなせる気が全くしませんよ」

 

 

 捕虜となっているとは言え、敵対していた国へ素直に協力してくれる人間はいないだろう。黒ラッドが珍しいだけだ。

 

 映像情報を元にしたデータシミュレーション戦闘しか、今のところこのトリガーに対しての訓練は出来ない。

 

 

『トリオン量が多い隊員なら?』

 

「このトリオン消費を考えると、玉狛支部の雨取ちゃんくらいなら余裕です」

 

『ああ、あの大穴空けた子か。新人には任せられないな……捕虜のヒュースだっけ? いっそ協力してくれたら早いのにな』

 

 

 寺島さんのぼやきに苦笑する。

 

 さすがに雨取ちゃんに仮想敵隊員(アグレッサー)を頼むのは酷である。トリオン量は申し分ないけど、ポジションが異なるし何より気迫がないから。

 

 今までの遠征部隊の仮想敵は難敵である黒トリガー使いだった。だから選抜基準はそれに因んだものであり、現に遠征前は黒トリガー使いの天羽くんや悠一と戦闘訓練を繰り返していた。けれども、次の遠征目的はこれまでと異なる事から、選抜基準も変わるはず。黒トリガーへの対抗は勿論、幅広く対応策を練れる人員でなければならない。

 

 そしてその分、仮想敵隊員(アグレッサー)の役割は重要だ。アフトクラトルの戦闘データは少なく、レプリカさんが残してくれた情報から推測できる戦術の発展も限られている。黒ラッドから情報を搾れるだけ搾りたいところだ。

 

 

『とりあえず期限までに解析できるだけやっとく。協力ありがとう』

 

「いえ。トリガー解除(オフ)

 

 

 マントが消えて篭手がなくなり、手首に残った腕輪型トリガーホルダーを外す。指定された台の上にそれを置いて、開発室内の訓練室から出た。

 

 悠一にあのトリガーを渡された時に「これ渡すけど、無茶したら怒るから」と、言っていた理由が分かった。トリガー(ホーン)を持たない人間には、引力と斥力の随時演算に脳を酷使する仕様なのだ。おそらくアフトクラトルの角付きは、角を通してイメージが直結されることで負担を減らしている。いや、逆に私たちは『電磁気力』という知識があるからこそ、思考の遠回りが起きているのかもしれない。

 

 近界(ネイバーフッド)に行ってみて思ったことだが、あちらにはあまり科学知識がない。それに類似する学問はあったが、どちらかと言えば『思いついたから、それをどう実現させるか』に寄っている。

 所謂、以前出水くんが行った合成弾の"思いついたからやってみた"だ。科学的根拠より創造力が重要視されているらしい。あと実戦にどれだけ通用するか、かな。

 

 

「そこのボックスに入っている飲み物てきとーに飲んでいいよ」

 

「ありがとうございます」

 

 

 寺島さんの指したボックスを開き、無難にスポドリを戴いた。大丈夫だ、私は新感覚黒酢コーラなんて見ていない。

 

 私が空いてる席に座って休憩を取ると、寺島さんはPCへ向き直ってキーボードを叩き始める。その背中を視界に入れながらスポドリを一口。

 

 これからの予定としては、おっちゃん(相知さん)の見解報告を聞くことだ。まだ帰ってきていないようなので、このまま待たせてもらおう。

 

 ふと寺島さんが入力を止めて、一拍後に立ち上がった。

 

 

「室長がエネドラを起こすらしい。ちょっと行ってくる」

 

「はい」

 

 

 少しだけ慌てながら移動して行った寺島さん。

 

 昔は凄腕の弧月使いだったけど、今はれっきとしたエンジニアだ。寺島さんがエンジニアに転向した理由はレイガストの開発の為で、トリオン能力が衰えたからではない。今もトリオン能力は維持されているらしいが、エンジニアの魅力にハマって戦闘員に戻る気はないのだとか。

 

 私もまだトリオン能力に衰えはないけれど、ゆくゆくは寺島さんや円城寺さん、沢村さんのような組織にしっかりと貢献できる職員になりたいと思う。

 

 

「あら、玲ちゃん久しぶりね」

 

「円城寺さん久し振りです。もしかして寺島さんから頼まれました?」

 

 

 そこまで考えたところで、扉が開き円城寺さんが入ってきた。円城寺さんはボードを片手に持ち、先ほどまで寺島さんが作業していたPC前の椅子へ座る。

 

 

「ええ。チーフから解析の引き継ぎなの」

 

 

 機嫌良く微笑む円城寺さんに、こちらも自然と笑みが浮かぶ。何故なら円城寺さんの彼氏さんが、他ならぬ寺島さんだからだ。

 

 

「別にチーフからの仕事だからきっちりやるわけじゃないわよ? 普段から公私混同せずきっちりやってるからね?」

 

「はい、わかってますよ」

 

「何よぅ……好きなんだから、いいでしょ」

 

「悪いなんて言ってないですって」

 

 

 唇を尖らせながらも手を動かす円城寺さんは流石だ。仕事の出来る女性って円城寺さんみたいな人を指すのだろう。

 

 昔からの顔馴染みである円城寺さんは、沢村さんほどではないけど片想いの期間が長かった。寺島さんと付き合い始めたのは先月からである。

 

 たまに話を聞いていたけど、告白は一年前にしていた。でもすぐに返事は貰わなかったらしい。円城寺さんは寺島さんより年上だから、年齢差で断られるのは心が折れると思ったのだ。だから先ずは中身を知ってもらおうとアタックする為、告白という名の宣戦布告をした。肉食系女子とは、きっと円城寺さんのことだろう。

 

 寺島さんが弧月使いだった時、円城寺さんは惚れていなかった。きっかけは、エンジニアへ転向しトリオン体での栄養摂取で太り始めたことだろう。何故なら、円城寺さんの好みのタイプは『ぽっちゃり系』である。

 

 しかし、それだけでは円城寺さんも「いいな」くらいだった。けれど最初は確かに見た目からだったが、エンジニアとして一緒に仕事していくうちに中身にも惹かれて、最終的に「寺島くんなら痩せてても好き」と豪語するまでに惚れていた。

 寺島さんも告白当初は戸惑っていたようだが満更でもなさそうで、半年前には円城寺さんのアタックを受け入れながらトリガー弄りに没頭していた。様子を見に行った時は「寺島さんが鉄壁すぎる……」とビックリしたものだが、2人ともゆっくり仲を深めている印象を持ったのを覚えている。

 

 それで、付き合うきっかけは先月の大侵攻が終わってからのこと。

 何でも、私が倒れた時に円城寺さんは責任を感じて私が目覚めるまで泣いていたらしい。申し訳ない。まぁ、そこで寺島さんが円城寺さんを慰めて、告白の返事をしてから晴れて恋人に。

 

 その話を聞いた時は、寺島さんを策士かと疑ったよ。がっちりと円城寺さんのハートを掴んだ寺島さん。ちなみに痩せる予定は今のところないらしい。

 

 エンジニアからカップルが誕生した時、冬島隊長が「俺も太ったらモテる……?」と呟いていた。真木ちゃんが絶対零度の視線を向けていたのは言うまでもない。隊長、その思考を漏らした時点でモテませんから。

 

 

「わたしのことより、迅くんとはどうなの?」

 

「どう、って言われても普通ですけど」

 

「お姫様抱っことか」

 

「ちょっ、その話題はナシです! 円城寺さんだってラウンジで『はい、あーん』ってしてたらしいですけど!?」

 

「え!? ど、どこ情報なの!? あの時周りに人なんて」

 

「バッチリいましたー。おっちゃんはなぁ、おっちゃんだってなぁ! リア充の仲間入りしたいわあ!」

 

 

 突然入ってきた太い声に振り返ると、まるで血涙を流す般若のような顔をした相知さん(おっちゃん)が立っていた。

 迫力があるけど、何故か哀しみを感じさせる形相に私は黙った。しかし、円城寺さんは先ほどの慌て振りが嘘のように「あれ、居たんですか」とクールに対応する。照れも何もないその声音に思わず尊敬しそうになった。

 

 おっちゃんは深ーくため息を吐いて気を落ち着けると、私の向かいに座ってもう一度ため息。

 

 

「……迅は確信犯で、ムカツクが一応は避けられる。寺島と円城寺は素だから避けられねぇ。しかも同じ部署……おっちゃんもなぁ、彼女欲しい。マジで」

 

「わたしたちに言われても。あと公私混同なんてしてませんから」

 

「なんか色々とすみません」

 

 

 どうにも出来ないおっちゃんの嘆きに謝ると、おっちゃんは3度目のため息を吐いた後ガリガリと後頭部を掻いてから、端末を懐から取り出した。

 

 円城寺さんは解析の続きへと戻った。

 

「ヒュースって捕虜を観てきたがな、健康を損なっている様子はないしエネドラの死体を診ても、アフトクラトルに食糧問題は起こっていないはずだ。まぁ、"軍部では"と補足が入れられるかもしれんが。

 受け応えもスパイ教育がされたというより、黙秘を貫けって感じだ。

 あと筋肉の付き方から左利き、右も結構使う。映像ではシューターみてぇなトリガーだけどよ、使い手は剣士っぽいぞ」

 

 

 おっちゃんの見解報告に、思わず唸る。

 

 エンジニアである相知さんだが、彼は研究の為に医療知識を身につけた人材だ。生身とトリオン体の齟齬を出来るだけ無くす為にも、必要な知識だったのだろう。

 

 

「黒ラッド、もといエネドラが言った『神』の可能性が、やはり一番有力なのでしょうか……」

 

 

 胡散臭い奴の情報を鵜呑みにするわけにもいかず、悠一の予知だけでなく出来る範囲で情報を精査している現状。食糧問題の可能性は低かったけれど、戦争をしているならば考慮に値するので、一応探ってもらったのだ。

 

 それにしても、ヒュースの黙秘する姿勢を見る限り、やはり情報源はエネドラに絞った方が有効か。

 

 

「そのことだが、さっき通りがかった時にエネドラを室長と件の子供たちが尋問してたな。特に"偽の情報"とは判断されてなかったようだぞ」

 

「……まさかとは思ってましたけど、真実だったとは……」

 

「胡散臭いものね……でも憎めないのよね、あいつ」

 

 

 解析を続けながらも耳を傾けていたらしい円城寺さん。そういえば寺島さんと補助で円城寺さんが、黒ラッドの観察を受け持っていたんだっけ。

 

 

「寺島さんと一緒に毒されてますよ」

 

「うーん……」

 

「八神、ヒュースはこれ以上尋問しなくて良いのか? いくら上の命令があるからと言っても、もう少し探るべきじゃねーか?」

 

 

 おっちゃんは端末を机に置いて、ガリガリと後頭部を掻く。だからそれ止めた方がいいですって。

 

 

「いえ。私は上の命令に従います。玉狛の捕虜は最低限で十分ですよ」

 

「あー、ん"ー? 頼む。おっちゃんにも分かるように説明してくれ」

 

 

 おっちゃんの要求に応えて、言葉を選んでみる。

 

 そう難しいことでもないと思うのだが、仲間に殺されたエネドラと、生きて置いて行かれたヒュースを比べてみると情報の優先度が違うのは明白だ。

 

 同じ情報量を持つならばどちらも殺されているはずだ。しかし現実には片方だけ殺されている。おそらくヒュースが持っている情報は、アフトクラトルにとってはさして痛くないものばかりなのだ。対してエネドラは内部事情をある程度知っているから処分された。

 

 

「けどよ、あっちにはどうでも良い情報でも、こっちには有用かもしれねーだろ」

 

 

 的を射た指摘。しかし、ここで"黙秘を貫く"という態度が重要なのだ。

 

 会話をしてこちらの情報を探るわけでもないその態度は、尋問も拷問も耐えれることを示している。そして、ヒュースのそれはアフトクラトルも認めるほど堅固なものらしい。

 

 

「捕虜を拷問にかけることは、アフトクラトルにとって歓迎している事態です」

 

「はあ?」

 

「あれは餌なんです。こちらが情報を引き出そうと躍起になって拷問に時間を掛ければ掛けるほど、アフトクラトルは時間的余裕が出てきますから」

 

 

 ──あと、おっちゃんは無意識に除外しているけど、拷問を行うのは誰にする気ですか?

 流石にそれは言わなかった。誰もやりたい人間なんて出てこない。出なくていい。

 近界(ネイバーフッド)遠征中は、()()覚悟が出来ている。第二次大規模侵攻にて実感したけど、誰も故郷()()手を汚したくないのだ。

 

 戦争は時に人間を辞め、獣や悪魔のようにならなくてはならない。そうしなければ自分も仲間も失うことを解っているから。

 だが、故郷に帰ってくるとどうしても心が揺らぐ。出来るだけ故郷では獣や悪魔ではなく、人間でいたい。

 

 おっちゃんの言葉は『責任の在処を曖昧にする』といった、常識的な心から出たものだろう。どちらかと言えば私の思考方向がズレているのかもしれない。

 

 

「…………こわい。その考えができるお前がこわい」

 

 

 口に出していない部分を言い当てられたように思えてドキリとしたが、おっちゃんは演技調に肩を抱いて震えて見せるので、私も大袈裟に肩を竦めてみせた。

 

 

「それほどでも」

 

「あー……つまり、無駄にこっちが精神すり減らす必要はないってことか」

 

「はい」

 

 

 拷問の方は横に置くとして、情報を持っているか不明なヒュースに時間を掛けるより、エネドラから引き出す方が早くて楽なのだ。

 

 それに、エネドラが遠征メンバーの性格を簡単に教えてくれた。大半が悪口であったが、讃辞を聞かされるより気分的にマシだと思う。

 

 ヒュースはベルティストン家直属のエリン家の当主に心酔しているらしい。遠征で『神』候補が見つからなければ、その当主がイケニエに選ばれている為に、ヒュースは置いて行く予定の筈だったらしい。

 エネドラはヒュースが捕虜になっている事を知らないので"予定"と言ったが、言い草から2人とも仲間に罠を仕掛けられたようだった。

 

 心酔する当主が『神』となった場合、アフトクラトルはもう一度この世界にやってくる。何故なら、ヒュースを迎えに来る為に。

 

 悠一の未来視でそれを聞いた時、ハイレインの手堅さに舌を巻いたものだ。

 

 エリン家の当主に直筆の手紙を遺させ、ハイレインは再びヒュースに忠誠を誓わせる。憎しみはあれど、遺言に従う未来だ。

 

 忠誠心の高さは疑うべくもなく、尋問は意味がなく、拷問はこちらの徒労となる。それよりも、唐沢さんの得意なネゴシエーションに倣った方法を取って、国に送り返した方が安全だ。

 と言っても、これらは私と悠一の考えでありまだ上層部に告げていない。悠一がもう少し様子を視たいと言っていたから。

 

 

「とりあえずエネドラから色んな情報を聞き出せばいいのよね?」

 

「はい。寺島さんとチャレンジお願いします」

 

「任せて」

 

 

 円城寺さんが一旦解析の手を停め、にっこり親指を立てた。表情がわくわくしてるところを見るに、寺島さんと時間を共有出来ることが嬉しいのだろう。わかります。たとえ仕事でも好きな人と一緒だと嬉しいですよね。

 

 女性陣で微笑み合っていると、おっちゃんから陰気が漂ってきた。すみません、つい。

 

 

 

 




・エンジニアのオリキャラ その2
 相知(おうち) 弥彦(やひこ)(33)
考えを巡らせる時、後頭部をガリガリと掻く癖がある。
医療系エンジニアの1人。トリオン体調整の為、必要に応じて医学の勉強をした。


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狙撃手と猫

八神視点


 

 

 必要書類を整え、サインを集めて上層部からの承認を貰って一息ついたところで、端末から隊用の着信音が鳴った。

 着信欄には当真くんの名前。

 

 

「はい、ご用件は?」

 

 

 時間を確認すると、狙撃手の合同訓練が終わった頃だ。

 

 当真くんが訓練監督側に回ることは少ないが、それでも狙撃手の中では年長者に位置するので、たまに不備があると報告をくれることがある。

 今回もそれだと思って電話を取った。

 

 

『おつかれ~玲さん。あのさ、ちょっと紹介したい女子がいるんだけど、今から訓練場来れるか?』

 

 

 電話口で言われた言葉に、ちょっと思考が追い付かなくて固まった。えっと、紹介したい"女子"、って言ったよね?

 

 まさか当真くんに彼女を紹介される事態が来るとは。それも訓練場ということは同じボーダー隊員か。

 

 しかし、しかしだ当真くん。

 

 

「あっとー? それって、すぐに必要かなー?」

 

 

 流石に彼女を紹介するのは仕事中じゃなくても良いと思うんだ。確かに他の正社員の方より私は暇だよ。でもちゃんとお給料分お仕事してるからね?

 

 

『どうせなんだかんだ仕事入れるから捕まんねーし。じゃ、待ってっから早くな』

 

「おい」

 

 

 ピッと切れた通話に、聞こえないとわかっていてもツッコミを入れた。

 切れた後に訓練場のフロア場所をメールしてくるのを見て、肩を落とすしかない。納得できないけれど、同じ隊の弟分に言われては無視できないのも事実。

 

 時間をもう一度確認して、ため息を一つ吐いてから、覚悟を決めて訓練場へと足を向けた。

 

 

「お、来た来た。玲さーん」

 

 

 片手を挙げてヒラヒラと振ってくる当真の姿を認め、周りにいる女子が2人なことに軽く目眩を覚えた。

 しかも1人は雨取ちゃんじゃないか。いや、しかし雨取ちゃんに近いのは絵馬くんだ。ということは、もう1人が当真くんの彼女──あれ?

 

 観る限りそんな雰囲気はない。当真くんは普段通り飄々とした体で、その子は特に気負うことなく立ち、イーグレットを手に私を見ている。

 まさか。

 

 

「こいつ、夏目出穂。師匠を探してんだとさ」

 

「よろしくッス」

 

 

 当真くんに紹介されてペコリと頭を下げた夏目ちゃん。

 

 私は自分のあまりの勘違いの酷さに顔を覆いたくなった。されど、それはまた失礼を重ねてしまうので我慢する。

 

 

「こんにちは、八神玲です。私が呼ばれた理由はその師匠探しを手伝う為かな?」

 

 

 変な勘違いをしてごめん、と内心謝りながらそう問いかけた。そこそこ顔が広いと自負しているが、当真くんだって交流は広いはずなんだけど。

 

 すると、それを見越していたかのように当真くんが即否定した。

 

 

「玲さんの弟子にどうかと思ってよ」

 

「私の?」

 

 

 当真くんの言葉に思わず眉をひそめてしまったのは仕方ない。

 

 何しろ私が弟子を持ったのは一度きりで、しかもそれは二宮さんというハイスペックな弟子兼師匠みたいな人間だっのだ。

 師匠と臨時の隊長とでは勝手が違うし、何より仕事優先なので1人の弟子に時間を掛ける訳にもいかない。

 

 けれども、これは当真くんの紹介であり、後進の育成も仕事の一つではあるのも確かだ。

 狙撃手の基礎などは東さんや佐鳥くんたちが教えているが、彼らも部隊に所属している身。

 

 

「お願いします!」

 

「あの、わたしからもお願いします!」

 

 

 夏目ちゃんがイーグレットを消して頭を下げると、見守っていた雨取ちゃんまで頭を下げてきた。罪悪感が半端ない!

 

 小さい子たちが頼む様子は、まるで私が悪者のような感覚があり、絵馬くんから無言の視線が突き刺さる。

 事態の元凶である当真くんはリーゼントの上に猫を乗せて、のほほんと様子を窺っている。コノヤロー、猫可愛いな。

 

 

「…………いいよ」

 

 

 熟考の末、私は頷いた。罪悪感に負けたというわけではない、決して。

 

 

「ただし」

 

 

 顔色を明るくするちびっ子たちに水を差すようで悪いけど、こちらの言い分も受け入れてもらうよ。

 

 

「私は職員として所属しているから仕事優先になる。訓練に付き合えるのは一時間もない日もあるよ」

 

「は、はいッス」

 

「そこで、だ。撃ち方とか質については、そこの当真くんに師事してもらう」

 

 

 ビシッと当真くんを指せば、これまた「あ、そう来る?」と笑みを浮かべた。

 当真くん自身、夏目ちゃんに教えるのは吝かではないのだろう。なんせわざわざ私に紹介してきた程だから、筋は良い筈だ。

 

 

「師匠は何を教えてくれるんスか?」

 

 

 早速師匠呼びをしてくれる夏目ちゃんが、とても素直な子だと印象を受ける。

 

 

「私はスナイパーとしての心得とか隠れ方とかかな。実際、私の腕より当真くんが上だからね」

 

「たしかにリーゼント先輩のムダに正確なアレは真似できんわ~」

 

 

 夏目ちゃんが腕を組んで感心するようにぼやく。

 

 既に合同訓練で当真くんの腕前を見たのだろう。真似出来ないって言ってるけど、キミこれからその人が師匠だからね?

 

 

「基礎については通常の訓練や当真くん。私は応用・発展かな」

 

 

 私が教える範囲は、ほとんどの狙撃手がB級に昇格してから実戦で覚えていくものだ。そこは師匠を見つけた特典の一つみたいなもの。

 

 当真くんにすべて教えてもらえば、とも思うが当真くんは基本的に直感型なので他人に教えるとなると、同じ感性+才能がなければ理解が出来なかったりする。

 一度狙撃のコツを尋ねると、奇々怪々な擬音を言われて「さあ、撃て」と指示を受けて理解しないまま撃つと、ど真ん中。4、5回指示されるがまま撃ったが、その都度擬音が変わる。終わった後に、自主練するとまったく身になっていなかったのには真顔になったものだ。

 

 しかし、私には合わなかったが、こちらをジッと見てくる絵馬くんなんかは当真くんの指導で実力を伸ばした人間の1人である。感性の合う合わないは重要だし、当真くんの腕前は疑いようがないので、彼のやる気があるのなら夏目ちゃん指導を任せた方が良い。

 

 どちらにしても私は仕事優先なので当真くんから習う機会が多いだろう。

 

 

「はい! よろしくお願いします!」

 

 

 丁寧にお辞儀する夏目ちゃんの仕草に「おや?」と思う。礼の癖が武道家のソレであった。そこでピンとくる。

 

 

「ああ! 特別訓練の空手少女か!」

 

「へ!?」

 

 

 ポンと手を打てば周囲からポカンとした表情をもらい、少しだけ恥ずかしかった。

 

 一度咳払いして、にっこり笑顔を作る。

 

 

「いや、ごめん。人の顔覚えるの苦手で、やっと今思い出したからさ」

 

「へ~、おまえ空手やってんの?」

 

「一応、家が道場なんで」

 

 

 当真くんの問いに肯定した夏目ちゃんに、雨取ちゃんと絵馬くんが口々に感心の声を上げる。夏目ちゃんは気恥ずかしいのか、ちょっとツンデレ風味の言葉をもごもごと呟いている。

 

 

「礼が綺麗だし、猫背でもなく、体幹も芯が入ってる。実力とかは判らないけど、基礎がしっかりしている証拠だよ」

 

 

 家が道場だからと言っても、しっかりと取り組むかは本人次第。C級選抜にて面接した時にボーダーや学業で練習時間は減っていたがまだ続けているようだったし、状況判断力と精神力は基準よりも高かったのだ。なるほど、やはり当真くんの直感は凄いな。

 

 チームのエースを内心で持ち上げていると、ちびっ子3人から目を丸くされていることに気づいた。

 絵馬くんは丸くというより普段より開いているぐらいだけど。

 

 首を傾げて「どうしたの?」と訊こうとしたら、当真くんが前に出て後ろ手に私を指差してニヒルな笑みを浮かべて言った。

 

 

「おれが紹介した理由な。腕はおれより下だが実力は確かだぜ」

 

 

 ちびっ子たちが納得したように頷くのを視界に入れながら、リーゼントの上に乗っている猫が何故か反転して私をジッと見下ろしてくる。

 

 そしてゆっくりと両目を閉じたかと思えば、フイッと顔を逸らされた。

 何度か見たことのある猫の仕草に、敵意を持たれていないことを知る。

 

 

「そういえば、その猫どうしたの?」

 

 

 基地は動物禁止ではないけど、堂々と猫が居るのは疑問だ。隊室とかプライベートルームならまだしも訓練場に居るのはおかしくないだろうか。

 

 

「そういや、どうしたんだ?」

 

「わっ!?」

 

 

 当真くんが首を捻った拍子に、猫が私に向かって飛びかかってきてビビる。

 咄嗟に腕を広げたら胸にくっついて、制服に爪を立てられながら肩によじ登られた。トリオン体で良かった。普通だったら制服が穴だらけだよ。

 

 某アニメの黄色い悪魔を乗せるかの如く猫を肩に乗せた私に、夏目ちゃんが申し訳なさそうに説明をくれた。

 

 なんでも、第二次大規模侵攻の避難誘導の際に助けた猫らしい。作戦開始した時に安全な場所へ置いてきてそのままだったが、大侵攻が終わったら本部基地の玄関前で夏目ちゃんを待っていたらしい。それからずっと着いて来るのだとか。なんて律儀で賢い猫なんだ。

 

 本部基地に何度も現れるせいか、今では本部付きの猫であり一番懐いている夏目ちゃんの猫でもあるようだ。本人は動物があまり得意ではないらしいが、そういう体質なのだろう。

 

 

「アタシより可愛がってくれる人のトコに行けばいいのに」

 

「めちゃくちゃ可愛がる人より、程々に可愛がってくれる人の方が心地良いんだよ」

 

 

 唇を尖らせる夏目ちゃんへ微笑む。

 

 次いで時計を確認すると、あまり余裕がないことに名残惜しく感じた。一応、私だって猫好きだし、ちびっ子3人組のやりとりも非常に和む。されど仕事も大切だ。

 

 

「申し訳ないけど、今日は余裕がないから訓練は見れない。とりあえず連絡先を交換するだけで良いかな?」

 

「はい! リーゼント先輩、師匠、ありがとうございます!」

 

 

 元気な返事を貰えてこっちも元気になる。それにしても、当真くんってちゃんと自己紹介したのだろうか。"リーゼント先輩"って独特なあだ名だ。

 "師匠"と呼ばれるのは初めてで、なかなか擽ったいのだがその"リーゼント先輩"も"師匠"となるんだけどな。いや、むしろ私より"師匠"だと思うよ。

 

 しかしそう言っても、夏目ちゃんは呼び名を変える気はないらしい。既に彼女の中ではしっくりしているのかもしれない。

 

 

「八神さん、わたしもいいですか?」

 

「いいよ」

 

「ユズルはいいのか~?」

 

「おれは、別に……」

 

「おいおい、遠慮すんなって」

 

「チームの関係で良く会うから必要ないよ」

 

 

 雨取ちゃんとも交換していると、当真くんが絵馬くんをからかう。

 

 影浦くんと北添くんは、私が学生の時から学校内とボーダー内で交流があったからそれなりに仲良くしてもらっている。仁礼ちゃんにはたまに「課題手伝って~」と甘えてもらえる……もしかして便利屋だと思われていないか不安になったけど、うん、仲は良好である。

 

 絵馬くんは鳩原ちゃんが居る時は普通に可愛い中学生だったが、居なくなってからはスレてあまり口を利いてくれなくなった。鳩原ちゃんのこともあるだろうけど、多感で複雑な少年の心は難しい。

 何度か影浦隊と一緒にご飯を食べる時は、取り皿やソースなどを取って渡してくれるので嫌われたわけではないと思いたい。

 

 結局、絵馬くんとは交換せず、可愛い女子たちの連絡先をゲットだぜ!

 

 猫を夏目ちゃんへお返しすると頭によじ登られていた。夏目ちゃんと当真くんの頭が定位置らしい。

 髪の毛って結構つるつる滑ると思ったけど、さすが猫。バランス感覚はピカイチだね。

 

 さてさて、名残惜しいけど仕事しますかっと。

 いや~、それにしても恥ずかしい勘違いを我ながらしてしまったなぁ。

 

 

 




 ・夏目出穂
師匠ゲットだぜ!
原作者のコメントにて「もともとはB級だったけど千佳と絡ませるために~」とあったので、自力でもB級に昇格できる素質があるのは確実。作者の好みもあります。
感覚派と努力派のA級隊員による育成計画。頑張れイズホちゃん。


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思い出すのは殺虫剤

八神視点


 

 

 その邸は古く、老朽化が進んで今にも崩れそうな西洋風な豪邸だった。昔はどこかの金持ちの別荘として使われていたが『"怪音"が聞こえる』と噂になり、持ち主も気味が悪いと売りに出した。けれど、豪邸と言えどもそんな薄気味悪い邸を誰かが買うわけもなく、人が住まなくなった邸はどんどん廃れていった。管理人でさえ寄り付かない邸だった筈だが、今でも"怪音"は聞こえてくると云う───

 

 

「そんな怪談は初めて聞きましたが、私が喚ばれた理由に関係が?」

 

 

 秘書さんが淹れたコーヒーを戴き、カップを持ったまま小首を傾げた。

 

 メディア対策室の根付さんから直接喚ばれて何事かと向かえば、ちょっぴり顔色の悪い根付さんにソファーへ促され、何の前置きもなく怪談が始まったのだ。

 

 根付さんが悲壮感たっぷりに語るから怪談話に出てくる金持ちが根付さんなのかと疑っちゃうよ。豪邸なのに売れなかったら経済的に痛いもんね。あ、でも管理費も何もないのか。ただ土地が何も活用出来ないのが問題なのか。

 

 思考が明後日の方向へ行きかけたところで、根付さんが深いため息を吐いて頭を抱えて事情を説明しだした。それに耳を傾けながらカップへ口をつける。

 

 

「『ラッド』の目撃情報があってね……鬼怒田開発室長に探知をしてもらったが、反応はないんですよ」

 

 

 コーヒーを嚥下してソーサーへ戻す。思ったより重大案件だった。

 

 

「目撃情報は『ラッド』だけですか? 情報に写真とかは?」

 

「写真はある……が、少々ショックの強いもので。八神くん、心臓とか弱くなかったかな?」

 

「弱かったら遠征なんて行けませんよ」

 

 

 今更な根付さんの確認に、どんな写真か予想が出来た。それと私がここに喚ばれた理由も察する。

 

 

「わー」

 

 

 思わず棒読みになってしまった。私の反応に根付さんは苦笑いで応えてくれた。

 

 写真は、蔦の張ったレンガ壁に填められたガラス窓から室内を覗き込む形で撮られている。

 内容は薄暗い部屋に、扉のない食器棚、脚の折れた椅子が乱雑に転がり、部屋の隅にぼろ布を被った男がうずくまった姿勢から充血した目でこちらを見つめ、手を伸ばしている。

 

 しかし、肝心のラッドはよく分からない。暗がりにいるのだろうか。

 

 

「こちらが開発室に解析してもらったものです」

 

 

 もう一枚出された写真は暗がりにラッドの姿を浮き上がらせており、はっきりと存在していた。

 

 

「探知出来ないんですよね……? あとこの男って浮浪者ですか?」

 

 

 コクリと頷いて疲れたように眉間を押さえる根付さん。確かに頭の痛い案件だと思う。

 

 しかし、疑問だ。探知に引っ掛からないこともだが、なぜラッドが廃れた場所へ行ったのだろう。トリオンを人間から吸い取る役割ならば人通りが多く、人目に付かない路地や溝などにいるはずだ。こんなところにいるのはおかしい。いや、偵察の役割を考えれば地形調査の為に潜り込んだ可能性もあるのか。

 

 けれど、起動状態もしくはそのまま停止していたならば、その場所から離れないのは何故。

 

 

「そういえば、何でこの撮影者はわざわざ邸まで行ったんです?」

 

「ホラー写真家らしい。それで印刷時にTV放送したラッドを見つけて送ってくれたようです。今はラッドをすべて回収したと公表しているので、未回収があると世間に知られたら大事になります。だから、八神くんに回収をしてもらいたくてね」

 

 

 サラリと本題を述べられた。

 

 根付さんの言いたいことは分かる。世間が大騒ぎしては遠征計画が中止になることも有り得るし、何より会見で私の意見を通したから今度はそっちが通せということだろう。

 

 簡単な邸の地図と外観写真も見せられ、向かうことに拒否権はなさそうだ。

 

 

「……前置きで怪談話をした理由を訊いても?」

 

「この写真を見せる流れとして当然かと思いましてね」

 

「そんな話をされた後に『よし、邸に行こう』ってなる人間じゃないですよ」

 

「…………ダメかい?」

 

「ダメです。しかしラッドの回収は行わなければなりませんし……この邸、焼いていいですか?」

 

「はあ!? ちょ、いきなり何を言い出すんだ!」

 

「誰だってこんな得体の知れない場所行きたくないですよ。幸い庭が広いから火が余所に移ることもないでしょうし、焼け跡からラッドを回収した方が暗がりを探索しないで済みます」

 

 

 怪談話があるないにせよ、この荒れた邸を探索しないで済むならそれが良い。普通に虫がいっぱい居るだろうしGが出たら私は動けないんだぞ。

 

 浮浪者には「火事だー!」と勧告すれば出てきてくれるはずだ。

 

 

「いや、一度は中を改めるべきでしょう!」

 

 

 根付さんが冷や汗をかいて慌てている。焼くのには抗議がないんですね。

 

 邸について詳しく訊いてみると、現在の持ち主名義は唯我くんの祖父。トリオン兵が潜り込んでいるなら破壊は免れないだろうし、もともと管理もしていなかった邸だから好きにしろと許可が出ているらしい。じゃあ、焼いても問題ないですよねぇ。

 

 しかしラッド回収の為とは言え、死人が出るのはいただけない。勧告はするが、焼くのは色々と処理が面倒なので勘弁してくれと釘を刺された。正論だけど、私である必要ないですよね。

 

 

「大事に出来ないからボーダーでも情報規制が必要なんですよ」

 

 

 根付さんの表情には『諦めなさい』と書いてあった。Gと遭遇しませんように、と祈ることしか私には出来ないのだろうか。

 

 冷めてしまったコーヒーと共にため息を呑み込んだところで、ピンと来る。今日は完全にオフのはず。

 

 

「唯我くんの家が関係するなら、太刀川隊も巻き込んでいいですよね!?」

 

 

 斯くしてOKを貰った私は、太刀川隊室へと向かい、何故か唯我くんと訓練していた三雲くんも巻き込んで件の邸へと赴いた。

 

 

 

 

 

 

 「ここ、ですか?」

 

 

 私服姿でトリオン体となった三雲くんが夕焼け色に染まった邸の門を見上げ、門の奥に見える豪邸をメガネに映してポカンとしている。

 

 

「お~。デカいけどボロいな」

 

「肝試しに使われそうッスね」

 

「まったく、ボクがこんな汚い所に来るなんて想定外だよ。しかしこれもA級の仕事ならではさ! 三雲くんボクをしっかりと見習うんだよ!」

 

「はあ……」

 

 

 唯我くんが得意げに髪を払って言い放ったことに、生返事になってしまった三雲くん。A級の仕事も多種多様だけど、今回ばかりは特殊だと思うよ。

 

 現在は夕焼け空だが、季節柄すぐに日は落ちて暗くなるだろう。出来れば完全に暗くなる前に片付けたい。

 くそぅ……根付さんが忙しいのは知ってるけど、もうちょっと早めに言ってくれれば良かったのに。夕方は逢魔が時って言うじゃないか。人気(ひとけ)もないから雰囲気有りすぎる。

 

 目立つことを避ける為に、全員がいつもの隊服ではなく私服姿でトリオン体になっている。私はボーダー制服の上着を脱いだくらいだけど。

 

 預かってきた門の鍵で解錠して敷地内に入る。ザッと辺りを見回して誰もいないことを確認して、もう一度豪邸を見据えると違和感。

 ひどく、不快で気持ち悪い印象を持った。

 

 

「んー」

 

「どうした出水、怖くなったか?」

 

「それはないですけど、なんか変っつーか……」

 

「ままままさか、出水先輩がはやくもやられた!? 出よう! やはりボクたちには荷が重かったんですよ!」

 

「やかましい! やられてねーっての!」

 

「おブッ!! ひ、ひどいボクは先輩たちの身を重んじて……」

 

「オレらじゃなくて自分だろ」

 

 

 太刀川隊の賑やかな漫才に、三雲くんはどう反応して良いのか分からない様子だった。うん、笑うといいよ。

 

 こうして1部隊+1名を巻き込んだのだから、家を燃やすのは最終手段としてラッドを捜すことになった。小型とは言えトリオン兵なので、一般人を巻き込まない為にも浮浪者を退かすことの優先度は高い。

 

 

「国近ちゃん、ラッドの反応はあるかな?」

 

『ないですね~』

 

 

 これだけ近づいても反応がないのか。起動状態と想定するなら写真を撮られた時はたまたまここにいただけ、という可能性もある。

 

 アフトクラトルとは別性能のラッドかもしれないことも考慮に入れておかねば。

 

 

「とりあえずあの中を探検すればいいんだろ?」

 

「はい。でも先に外周を回って撮影した場所を捜しましょう」

 

 

 太刀川さんが顎髭をなぞりながら振り返ったので、最初の方針を告げる。

 

 本当なら別れて捜した方が早いと思うが、先の違和感と出水くんの怪訝そうな顔が引っ掛かって固まって動きたいのだ。

 

 

「八神さんも出水先輩と同じように何か感じたんですか?」

 

 

 緊張に顔を強ばらせた三雲くんの問いに肯定する。

 

 すると全員が動きを固くして、顔を見合わせる。特に唯我くんなんてブルブルと小刻みに震え、顔を青ざめさせて分かり易く恐怖を表現していた。

 

 

「……帰っていい?」

 

「ダメです。課題地獄とお化けならどっちが怖いですか?」

 

「かだい……」

 

「なら大丈夫です」

 

「そうか!」

 

「いやいや! なんで納得してんスか!?」

 

「隊長冷静に!!」

 

『お線香は立てるから成仏してねみんな……』

 

「お、落ちついて下さい。八神さんが落ちついているので大丈夫ですよ」

 

 

 荒ぶる太刀川隊を三雲くんが宥めてくれたけど、私は別に幽霊が怖くないとか言ってないからね。でもそれを言ってしまうとまた荒ぶる予感がしたので黙っていよう。

 

 建物へ近づくにつれて口数が少なくなる、かと思ったが逆に多くなった。怖さを紛らわせる為だろう。あまりにも騒がしいので内部通信に切り替えてもらった。

 国近ちゃんはだんだんとホラーゲームをプレイしている気分になっているらしい。男共の嘆きに軽く笑っていた。

 

 目的のガラス窓は簡単に見つかった。写真と同じように覗き込み、国近ちゃんから視覚補助を受けて暗がりを確認したが、特に何もいない。

 

 そして強くなった違和感に眉間を寄せた。

 

 

『居ませんね……』

 

『やややっぱり入るんですか?』

 

 

 緊張に強張った三雲くんの声に、唯我くんが震えながらこちらを見る。

 

 その時、ピシリ、と小さな音が私の耳に届いた。

 

 

『! 伏せろ!!』

 

『!!』

 

 

 太刀川さんの命令に、考える間もなくシールドを広げ三雲くんと唯我くんを引っ張って地に伏せる。

 

 

『ヒィッ! タタリー!?』

 

 

 覗いていたガラス窓が派手に割れて私たちに降りかかる。次いで二階のガラスが割れたかと思えば椅子が降ってきた。

 

 回転した椅子から放られた白い物体は──ラッドだ。

 

 

『太刀川さん!』

 

「旋空弧月」

 

 

 粉々のガラスと椅子ごとラッドを真っ二つにした太刀川さんがホッと息を吐いた。つられて心を緩めそうになった時、違和感の正体に気付く。

 

 

「急いで離れて!!」

 

 

 ピシリ、ミシッという音が響いて、慌てて私は近くの2人の襟首を掴み全力で建物から離れる。

 真っ二つになったラッドはスパイダーを伸ばして回収。

 

 

「うっわ! なんだぁ!?」

 

「危なかった……」

 

「危うく生き埋めになるとこだったぜ……やっぱ、タタリか?」

 

 

 そこそこ大きな建物がぐしゃりと潰れ、周囲には土埃が舞っている。豪邸は見る陰もない有り様だ。

 

 唯我くんは恐怖のあまり泡を噴いており、三雲くんは唖然として口を閉じれない様子。

 

 

「タタリじゃなくて、どうも地盤沈下みたいですよ。私と出水くんが違和感を覚えたのは、なんとなく傾いているというか歪んでいる印象を受けたからですね」

 

 

 シューターは空間把握能力や立体図の展開能力が自然と磨かれていく。特に出水くんはリアル弾道を描く為に、それらは身体へ叩き込んであるものだ。私の場合はソロ活動中に必要だから覚えたものだけど。

 

 思い返してみると最初に邸を見た時、屋根の高さがズレていたのだ。倒壊寸前だったのだろう。

 

 根付さんから聞かされた怪談に出てきた『怪音』は、建物が歪んで軋んでいる音だと思う。そう簡単に建築物は崩れることはないが、長年ズレてきた歪みにとうとう耐えられず崩壊したらしい。

 

 

「ん? このラッド、俺が斬る前に壊れているっぽいぞ」

 

「だから探知出来なかったんですかね?」

 

「……浮浪者が拾って持ってきた、とか」

 

 

 斬られた以外にヒビが走っており、背中はぽっかりと穴が空いていることに首を傾げるしかない。

 まるで蝉の脱け殻のような印象を受けた。

 

 

「あ! 中に人はいなかったんでしょうか!? もしも巻き込まれてたら助けないと!」

 

「あ、おい!」

 

 

 崩れた邸へと駆け出した三雲くんに出水くんが咄嗟に声を掛けたが、足が止まることなく「誰かいませんかー?」と瓦礫に向かって確認を始めた。

 

 そんな三雲くんを見て、太刀川さんと出水くんも肩を竦め、4人で捜索活動を始めた。唯我くんをチラリと振り返るが、未だにショックから立ち直れないようなのでその場で放置することに。

 

 声を掛け、慎重に瓦礫を退けながら先程のラッドを思い返す。どこかで見たことがあるような気がしたのだ。

 

 サイズは第二次で見かけたラッドと同等だ。だが、壊れているとは言え、フォルムが若干違っている。

 

 『怪音』というのも、地盤沈下だけで片付けられないかもしれない。

 何故なら庭がこんなに広いのに建物の軋み音が"噂"になるほど響くだろうか。別荘として使っていたなら一定期間しか使わず、管理に必要な分だけ使用人を置いていたならば。

 

 

「あ……」

 

 

 思い出すのは三門市に来たばかりの頃。あの時もホラー現象が"噂"になり、小型のトリオン兵が、いた。

 

 

「誰かいましたか!?」

 

「え、ううん! こっちはいないみたいだけど、そっちは?」

 

 

 手を止めた私に三雲くんが駆け寄ってきたので、誤魔化すように訊ねると首を横に振られた。

 

 

「そっか。もしかしたら軋み音で危険だと思って出て行ってたのかも」

 

「それならいいんですけど……」

 

「念の為に色々掘り返そう」

 

「はい」

 

 

 素直に行動する三雲くん。大きな屋根や塊は太刀川さんに切り出してもらい、崩壊に気をつけて完全に暗くなるまで捜索を続けた。

 

 結局のところ巻き込まれた人間は居らず、私たちの作業は無駄となってしまった。でも懸念を減らせたのだし、目覚めの悪い結果にならなかったのだからそれで良いだろう。

 

 見つかったのは最初のラッド()()()と、同じ型の物が2体だけ。当初の予定より多い数に、苦虫を噛み潰したような気持ちになるのは仕方がない。

 

 回収物を開発室へ届け、太刀川隊隊室にお邪魔して報告書を作成した。

 

 第一次大規模侵攻に関係するトリオン兵かは、私の記憶情報だけでは不確かなので報告書には書かなかった。解析結果を見て、もう少し調べてから伝えた方が良い。憶測だけで述べるには、あまりに重い事柄だった。

 

 

「今日は付き合わせてしまってすみません。三雲くんも訓練の邪魔してごめんね」

 

 

 隊室の扉前で今日のお礼を告げる。休みだったのに仕事をさせてごめんなさい。ちゃんと出勤の申請はやっておきますから。

 

 

「お、じゃあ迅にランク戦しようぜって伝えてくれ。200本くらい」

 

「せめて二桁にしましょう」

 

「んじゃあ、今度食堂のコロッケセット奢って下さい」

 

「いいよ」

 

「A級として! ボクは仕事をしただけですからね。女性の頼みならば紳士として当然。ボクは隊長たちみたいに何か要求するなど」

 

「玲さ~ん次のお休みカニ鍋しよ。そんで女子呼んでパジャマパーティーとか」

 

「楽しそうだね。予定が空き次第、早めに連絡するよ」

 

「やった~!」

 

「く、国近センパイ、ボクはまだ途中なのに……」

 

 

 よよよ、と泣き崩れる唯我くんを誰も気にしない。反応を返した方が面倒だからだろうね。

 最初は可哀想だと思ったけど、なんだかんだ唯我くんも楽しそうなので口を出したことはない。

 

 

「八神さんお疲れ様です。僕はあまり役に立てませんでしたが、少しでも手伝いが出来たのなら良かったです」

 

「三雲くんもお疲れ様。瓦礫を掘り返すにも人手が必要だったからとても助かったよ。ありがとう。じゃあ、明日の17時半頃に支部にお邪魔させていただくね」

 

「はい!」

 

 

 三雲くんが頷いたのを見て、太刀川隊にもう一度お礼を伝えてからその場を離れた。

 

 

 

 



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誘導する選択肢

八神視点


 

 

 「こんにちは」

 

 

 玉狛支部へ訪れると最初に出迎えてくれたのは雷神丸だった。別名カピバライダーの陽太郎くんは、珍しく雷神丸の後ろから駆けてきて「よぉ」と片手を挙げて挨拶してくる。

 

 その姿が悠一に似ていて笑いを誘うのだが、挨拶はちゃんと返してほしい。

 

 

「陽太郎くん、こんにちは。挨拶は大事だよ」

 

 

 膝を折って目線を合わせて注意すると、陽太郎くんは腕を組んで唇を尖らせる。本人はさっきので挨拶したと思っているからだろう。

 

 

「ム……」

 

「陽太郎くんに『こんにちは』って返してもらえないと悲しいな~」

 

「それはイカン! れいちゃん、こんにちは」

 

「はい、こんにちは」

 

 

 にっこりと笑顔で『こんにちは』を返すと、陽太郎くんもにっこり笑った。

 最近は生意気盛りらしいけど、たまに素直だから可愛いんだよなぁ。

 

 

「雷神丸もこんにちは」

 

「───こんにちはってちゃんといってるぞ。えらい」

 

「うん、陽太郎くんも雷神丸もよく出来ました」

 

 

 雷神丸の言いたいことを察した陽太郎くんが翻訳してくれて、胸を張る陽太郎くんと雷神丸の両方をなでなでした。うんうん、可愛い。

 

 

「あ、玲さん! 待ってたよ~」

 

「栞ちゃんこんにちは」

 

「はーい、こんにちは」

 

「しおりちゃんもえらいぞ」

 

「?」

 

「そうだね、じゃあなでなでしてあげよう!」

 

 

 立ち上がって栞ちゃんの頭を撫でる。

 綺麗なストレートで羨ましいけど、せっかく整えてあるのだから崩さないようそっと手を離す。

 

 男性も女性も整えた髪を乱されるのは嫌がるものだ。

 私は好きな方で、悠一もあまり気にしないタイプだから。それに悠一の手は気持ち良いし、なんか安心するから好きだ。あっちもそう思ってくれてたらいいな。

 

 

「よく分かんないけど、三雲くんたちなら応接室に通しといたよ。すぐにお茶とお菓子持ってくね! なんと、今日は抹茶餡のたい焼き!」

 

「ありがとう栞ちゃん! 大好き!」

 

「アタシも大好きだよ~!」

 

 

 2人でギューッとし合っていると、栞ちゃんの肩越しに烏丸くんと目が合った。そして(おもむろ)にスマホを取り出してシャッター音。

 

 行動の意味が分からず栞ちゃんとハグしたまま怪訝に思っていると、私のスマホが短く震えた。栞ちゃんから離れて画面を開くと悠一から『俺の方が大好きだから! 浮気、ダメ、絶対』という文面が送られてきている。

 烏丸くん、何してんの。とりあえず『浮気なんかするかバーカ! 私だって悠一が一番だよ』って返信した。

 

 栞ちゃんはお茶の用意に行ってしまったので、ポーカーフェイスの烏丸くんへ挨拶する。ちょっぴりジト目になるのはご愛嬌だ。

 

 

「……烏丸くん、こんにちは」

 

「こんにちは。撫でますか?」

 

「陽太郎くん、私の代わりに烏丸くんをなでなでしてくれるかな? 私は三雲くんたちとお話があるから」

 

「まかせろ」

 

 

 正義のカピバライダーさんに悪戯の化身とりまるを任せて、私は応接室へ向かった。

 

 中に入ると3人が制服姿でタブレットを覗きながら意見を出し合っている最中だった。次のランク戦に備えている光景が微笑ましい。

 

 3人が私に気づいて挨拶をしてくれたので、口元に笑みを浮かべたまま挨拶を返す。私がソファーに座るとタイミングよく栞ちゃんが茶菓子を運んできた。

 

 

「栞ちゃん、機密事項を話すからちょっとの間部屋を閉め切っていいかな?」

 

「はーい」

 

 

 一緒に戸締まりを確認して、応接室から出て行った栞ちゃん。申し訳ないが扉にも鍵を掛けさせていだたく。ないとは思うけど玉狛支部には捕虜がいるし、幼い陽太郎くんから情報が伝わるのは避けたい。

 

 きっちりと密室を作る私に空閑くんは目を細め、緊張で冷や汗をかいている三雲くんと雨取ちゃん。脅かすようで申し訳ないが、それだけ今日の本題は重要なのだ。

 

 

「……よし、始めよう」

 

「は、はい」

 

「フム」

 

「えっと」

 

 

 背筋を伸ばして緊張する新人2人に、出来るだけリラックスしてもらえるよう笑みを送り、鞄から出した1枚の契約書を空閑くんの前に置く。

 

 

「……うん?」

 

「"雇用契約"?」

 

 

 予想はしていたが空閑くん、漢字があまり読めないようだ。隣から三雲くんが読み上げて「ふーん」と納得している。

 

 

「今の君の目的は、三雲くんたちとA級部隊を目指し遠征部隊入りを目標としているだろう?」

 

「うん。チカのお兄さんと友達、あとレプリカをさがす」

 

「それが終わったら、どうする?」

 

 

 私の問い掛けに息を呑んだのは、三雲くんと雨取ちゃんだった。しかし口を出さず、空閑くんの言葉をしっかりと待つ。

 

 当の空閑くんは、腕を組み右手を顎に添えて「うーん……」と考え始めた。

 

 

「それは終わってみないとわからん」

 

「──そう」

 

 

 なんてことはない、という風に答えた空閑くんに、哀しさを抱いた。

 

 これから話すのは、おそらく空閑くんにとっては周囲の恩着せがましい行いなのかもしれない。

 

 

「空閑くん、ボーダーと正式な契約を結んでほしい。目的を終えても、君の力を今後も貸してほしいんだ。ボーダー組織はまだまだ発展途上でどう成長するかは、はっきりと言えない。けれど、先日の口約束よりも紙面の契約がこの世界では有効だ」

 

「そうなのか? でもキドさんはウソついてなかったよ?」

 

「確かに城戸司令は嘘を吐かなかった。けど、組織の頭が代わったら? 近界(ネイバーフッド)でも有り得る話でしょ。『それは前指揮官が約束したことで己ではない』って」

 

「ナルホド。じゃあ紙だとずっと効果があるんだ」

 

「絶対というわけではないけれど、殆どの物はね。こちらの世界での生活と安全の保証をボーダーがすること、が主な契約だよ。表向きはね」

 

「表向きって……じゃあ、裏があるんですね」

 

「ウマい話にはワケがあるってよく言うだろオサム。で、おれは戦闘以外になにをすればいいの?」

 

 

 ニヤリと挑発的に口角を上げる空閑くん。私もそれに合わせて笑みを浮かべるのだけど、本当に空閑くんって交渉事が苦手なんだなぁ。

 

 契約書の真ん中より下辺りの文を指差して、三雲くんと雨取ちゃんに読んでもらう。

 

 

「そこに書いてあるのを簡単に要約すると、空閑くんに出してもらうのは、戦闘能力と情報、そして再生医療への協力」

 

「いりょう?」

 

 

 首を傾げた空閑くんに頷くと、雨取ちゃんが慌てて口を開いた。

 

 

「えっと、それって実験、体とかですか……?」

 

「えっ!?」

 

 

 驚いた三雲くんがもう一度文面に視線を落とし、それから睨むように眉間に皺を寄せて私を見た。わー、予想通りの展開。

 

 三者三様の反応を認めて、私は鞄の書類ケースからもう一枚を取り出し、テーブルに置いた。

 それから3人の目をしっかりと見つめ、最後に空閑くんと目を合わせる。

 

 

「空閑くんの命を、私たちボーダーに救わせて下さい」

 

「!?」

 

「それって!?」

 

「……レイさんがウソついてないってわかるけど、イミがよくわからん」

 

 

 驚く2人と、だんだんと話に着いてこれなくなってきたらしい空閑くん。

 出来るだけ分かり易い説明を心掛けて、私は重要機密であり本題でもある再生医療について話し出した。と言っても、私もきちんと理解している訳ではないので、説明できるのは概要くらいなんだけどね。

 

 空閑くんにこれから提示する(協力してもらう)のは、再生医療と組織工学(ティッシュエンジニアリング)を組み合わせた治療だ。

 

 再生医療は──空閑くんは除くとして──広く知られたものだと思う。病や事故で機能出来なくなった臓器などを自己細胞や同種細胞から培養・再生して移植する、ということが一般的に知られた医療行為だろう。

 

 組織工学(ティッシュエンジニアリング)も細胞を使用するが、加えて工学的な技術や材料、システムを用いる。「生きた細胞」「マトリックス」「生理活性物質」の3つを上手く組み合わせて高性能の人工臓器・組織を作り出す考え方だ。

 

 前者は体内で通常は起こらない治癒を起こさせるもの。後者は体外で器官または組織を再生するもの、と慣用的に区別されている。

 

 しかし、これらは未確立な医療技術であり、完璧な治療では()()()()

 

 細胞を採取してからの培養を必要とするが、時間が掛かる上に目的の細胞へと分化誘導が不十分であったり、人体へ影響の少ない生体材料が適切ではなく症状が悪化したり、と成功例が少なかったのだ。

 

 

「や、やっぱり人体実験じゃないですか!!」

 

「まぁ、そうとも言うのだけど。話は最後まで聞くものだよ三雲くん」

 

 

 憤る三雲くんを宥めて、説明を続ける。

 

 今までは成功例が少なく、ほとんど机上の理論とまで認識されていた技術だ。

 

 されど、そこで我々の世界には近年まで未発見だった、万能とも言えるエネルギーが()()ことが解る。

 

 

「……もしかして、トリオン……?」

 

「正解だよ雨取ちゃん。そう、そのトリオンは肉体にも建物にも電気にも置換出来たんだ」

 

 

 トリオンエネルギーは可能性の塊だった。細胞の培養効率を上げ、電気信号に置換することで分化誘導が成功し、トリオン体を造る要領で自然な形で人体へと馴染む生体材料となる。

 

 ボーダーが表舞台に出てきたのは約4年前だ。組織自体はもっと古くからあったらしいがトリオン体や武器の技術は近界(ネイバーフッド)の模倣で、専門的な開発・研究も近界民(ネイバー)を招き入れての依存したものだった。それに革新を齎したのが、こちらの世界の技術知識を持った鬼怒田さんである。

 

 近界(ネイバーフッド)には驚いたことに"科学"や"医療"という分野がない。基本的に何かあれば万能なトリオンエネルギーを代用しているからだと思われる。建物や機材が全てトリオン構造だったり、人体に病や怪我があってもトリオン体で補助していたりする。空閑くんの今の体がそうであるように。

 

 ファンタジー的に言えば、科学よりも魔法が発達している世界だろうか。

 

 

「じゃあ、レプリカがこっちに空閑を連れてきたのは」

 

「生身の治療をするなら近界(ネイバーフッド)より可能性があったからだろうね」

 

 

 捜せば生身の治癒が可能なトリガーがあるのかもしれない。しかし、見つかる確率は低く、国に属さない余所者へそう簡単に使用してくれないだろう。

 そう考えると、過去のデータ(空閑有吾さんの時分)より医療技術が発達していることを見越して、こちらにやってきたと思われる。

 

 

「へ~、レプリカがそんなことを考えていたとは」

 

「空閑は知らなかったのか?」

 

「おれは親父を生き返らせることが目的だったからな。でも、それはムリなんでしょ?」

 

「今のところは、かな」

 

 

 空閑くんの鋭い視線に、私は首を縦に振った。

 

 説明した医療技術上では『全身が灰になって消えた』人間を元に戻すなんて出来ないと思われる。少なくとも私が聞いた範囲の技術では無理だ。

 

 しかしオカルト的観点から言えば、(ブラック)トリガーになること=死、ではないらしい。灰になる為に肉体的な死を迎えているが、精神的には生きている。だからトリガーの性能が魂の性質を顕しているのだと言う。

 

 

「細かいことは解らない。この説を出した学者は別に霊感があるわけではないし、魂という曖昧なモノを見たという人間はボーダー内にはいないからね」

 

「……ふーん」

 

 

 現在も身に着けている指輪に視線を落とした空閑くんの感情は読み取れなかった。トリオン体である前に、空閑くんは感情を隠すことに慣れ過ぎているのだ。

 日本という比較的平和な国に暮らしている同年代の子供なら、もっと感情の浮き沈みがあるのに。果たして、空閑くんは父親を失った時泣けたのだろうか。

 

 急に胸が切なくなって、無性に悠一を抱きしめたくなった。

 

 悠一の詳しい過去は知らない。でも親と師と友人を亡くしたことは、少しだけ話してくれて知っている。その時の悠一に、空閑くんは似ていると思った。

 

 悠一は泣かなかった。泣いて悲嘆に暮れるよりも、未来()をみることを選んだんだ。強い人だと思うのに、何故だか私は彼を迷子のように感じたのを覚えている。

 

 空閑くんはどうだろう。唯一無二の味方である保護者を失った時、戦争中に心を剥き出しに出来る環境があったならば話は違う。けれども、それならば空閑くんの顔はもっと感情を露わにしているはずだ。それとも、抑揚を抑えたレプリカさんと接するうちに感情を排してしまったのだろうか。

 

 私が空閑くんに言えることは、きっと少ない。

 

 

「話の終着点としては、私が空閑くんの肉体を治したいからボーダーと正式契約を結んでほしいということだよ。対外的にはボーダーの特殊治療技術の成功例を増やすことが理由だけどね。

 それと、分かっていると思うが、一般的にトリオンエネルギーはまだ知られていないからこの治療はボーダー組織の重要機密。漏らせば尋問と記憶操作と……まぁ、罰金では済まないかな。

 ちなみにエンジニアの中には数人、この治療で手足とか臓器を取り戻して現在も後遺症なく過ごしている」

 

「え……あっ、城戸司令とか忍田本部長とか鬼怒田さんのサインがありますけど、上層部が空閑を認めたってことですか?」

 

「うん。他にも空閑くんを近界民(ネイバー)と知らないけど、事情ある肉体の持ち主だと認めた医療部署から治療許可を貰ったよ」

 

 

 話を理解している三雲くんと雨取ちゃんの顔色が明るくなる。純粋に友人を助けられる可能性を喜んでいるからだ。

 

 対する空閑くんは、眉間に皺を寄せて口を一文字に噤んでいる。それに私は苦笑し、提示していた書類たちを回収する。

 

 

「別に今からサインしてほしいわけじゃないよ。こういうのは保護者(レプリカさん)と一緒に考えた方が良い。その時に詳細な治療内容を改めて医師が説明してくれる」

 

「空閑……」

 

「なんだよオサム。気にすんなって。うん、レイさんの言う通りあいつと考えてみるよ」

 

「そう、だな! A級を目指す理由がまた増えただけだ」

 

「わ、わたしも頑張るよ!」

 

 

 眉間の皺を解いた空閑くんがニッと笑えば、三雲くんの口角も上がり、雨取ちゃんも言葉の通り小さく拳を作って気合いを入れていた。

 

 中学生って可愛いなぁ。私が中学生の時って……いやいや! 止めとこう。高校生活が一番楽しかった。悠一がいたから──やっぱり、大好きだ。

 

 ちょっとだけ思考が逸れたけど、一つ気になることがあったんだった。

 空閑くんが答えてくれるかは不明だけど。

 

 

「空閑くん、君の黒トリガーについて訊いても良いかな?」

 

 

 私の問いに、空閑くんは警戒心と好戦的な色を瞳に宿し、ゆっくりと頷いた。

 

 

「以前、三輪隊が君と戦闘してトリガーを学習されたと報告していた。その学習能力はレプリカさんがいたからかい?」

 

「……ま、いっか。ちがうよ。親父の黒トリガーに元々ある性能で、おれ1人でもコピーできる。レプリカが居た方が速くて楽だけどね」

 

「──そう」

 

「なんで? ケーヤクしてないからまた襲う予定でもあんの?」

 

「いや、そんな予定はないよ。君を敵に回すメリットはないし、城戸司令も空閑くんをボーダー隊員として治療許可を認めてくれたからね。

 私が訊ねた理由は……私の好奇心ってことにしてほしいな」

 

 

 考えを隠す為の笑顔を作ったら、玉狛第二は「うっ……」と怯んだ。空閑くんには嘘と解っているだろうが、今のところ彼らに話すべきではない内容だ。

 

 手を付けず冷めてしまった湯呑みを手に持ち、ゆっくりと中身を喉へ流す。思っていたより渇いていた。

 三雲くんたちも思い出したように湯呑みに手を伸ばす。

 

 

「うん、さすが栞ちゃんだ。美味しい」

 

 

 私の好みをリサーチしている栞ちゃんに感謝する。夕飯が近いからミニたい焼きだけど、小腹を満たすには十分だ。程良い甘さにほんのりとお茶の香ばしさを舌に感じて、今度こそ自然な笑みが浮かぶ。

 

 

「じゃあ、その代わりにおれと10本勝負のランク戦してよ」

 

 

 気を取り直した空閑くんの申し込みに、口内のたい焼きを咀嚼して脳内で予定を確認する。

 

 10本勝負は職員になってからめったにやっていなかった。空閑くんと10本勝負をするとして、時間はどれだけ必要か。

 

 

「レイさんの朝の訓練の時にやろうよ」

 

 

 正直、瞬殺される気がするのだが。しかし、見るからに私の方が実力は下なのにこうして申し込んできてくれたのだ。断る理由もない。

 

 お茶とたい焼きを完食し、頷いてソファーから立ち上がった。

 

 

「いいよ。じゃあ、明日の朝5時に本部のランク戦ロビーに集合ね。あ、私の連絡先は雨取ちゃんに教えてもらって」

 

 

 密室状態を解いて扉の鍵を外す。

 

 書類の入った鞄をしっかりと持ち、応接室を出て行く。きっと、私がいない方が色々と3人で話せるだろう。

 

 医者が困るのは『治ろうとしない患者』だ。

 

 三雲くんと雨取ちゃんを同席させたのは、漢字が読めない空閑くんの補助の為だけじゃない。

 2人がこれから少しでも空閑くんに"生きたい"と思わせ、説得してくれることを願ってのことだった。

 

 結局は、空閑くん次第だけどさ。

 

 

 




 ・再生医療と組織工学
医学は分野が広く深すぎる為、ちっぽけな脳しか持たない作者にはさっぱりです。調べれば調べるほど、医学者って凄い、くらいしか感想が出ませんでした。作中についてはふ~んわりと「空閑を助ける手段があるよー」と捉えていただければ十分だと思います。


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うまい話には裏がある

八神視点


 

 

 

 玉狛支部の支部長室をノックして名乗ると、窓を開ける音の後に「入っていいぞー」と告げられる。

 

 

「失礼します……林藤支部長、また閉め切って喫煙してたんですか?」

 

 

 暖房の熱気と充満していただろうタバコの煙が、開けた窓から目に見える形で流れていく。火災よりはマシなレベルだけど、思わずハンカチで口と鼻を覆うくらい煙たい。

 

 どれだけ吸っていたのかと灰皿を見れば、吸い殻の山。何箱空けたんだろう。ヘビースモーカーの気持ちが分からない。

 

 

「悪い悪い。で、どこまで話したんだ?」

 

「……4割くらいですね」

 

 

 眼鏡の奥から覗く瞳には、期待と心配の色が浮かんでいた。

 私が開いた窓を指して話をぼかすと、罰の悪そうな顔になったけど。

 

 まだ煙が凄いので窓を閉めることは私が嫌なので、ぼかしたまま答えを返す。

 

 

「表向きの理由と裏の"出入り口"、で伝わります?」

 

「なんとなくな。とりあえず結論は言ったんだろ?」

 

「はい」

 

「そうか……そうだよな。まだ話すべきじゃない」

 

 

 目を細め、どこか遠くを見る林藤支部長。

 

 全てを伝えるかは私の裁量に任されていたが、中学生の彼らに全てを開示する必要はないと、私は最初から結論を出していた。

 それに隊長である三雲くんの負担が大きすぎる。

 

 当初、私は玉狛支部からの報告書で、空閑くんの事情を軽く知っていただけだった。しかし対策会議後にエンジニアたちと会わせる為にレプリカさんの子機を借りた時、詳しい肉体状態を聞かされた。

 

 

『これを聞いて、レイはユーマを救う手段があると思うか?』

 

 

 私は肯定することをしばし躊躇った。重要機密をそう簡単に漏らすことは出来ず、判断に迷ったからだ。

 

 ──それについては重要機密事項に触れる。

 

 迷った末に、私は明確な肯定をせずそう答えた。

 レプリカさんは満足そうに頷き、私たちボーダーに膨大な情報を渡すことを引き換えに、空閑くんを助けてほしいと請うてきた。

 

 私は「この場で私だけでは肯定も否定も出来ない。侵攻が終わってから本部の上層部と話してくれ」としか言いようがなく、思えばレプリカさんが己を犠牲にした理由は少なからず私にもあるのだろう。あの時レプリカさんから話を聞かされたのは私だけで、それに私が責任を感じることを察していたからだ。

 案の定、動いてますけどね。

 

 ただ、レプリカさんがいなくなったのは悪手だった。

 

 空閑くんを助ける方法を一旦置いて、"如何にして空閑くんは死ぬのか"と考えてみる。

 

 黒トリガーの性能で2つのトリオン体を持っている空閑くんが外的な要因で死ぬ可能性は低い。戦場経験から退き際を弁えている空閑くんを殺すのは容易ではないからだ。

 そうすると、極端に考えれば内的な要因。餓死、は通常のトリオン体でも起こることなので除くとして、ショック死も生半可なものでは有り得ない。1つ、トリオン体でも補えない部分──脳だ。

 

 昔の拷問に"断眠"と呼ばれるものがあった。文字通り眠らせない拷問だ。長時間眠らなければ前後不覚になり、肉体を動かす信号が鈍り、判断力も低下し、末には表面上傷一つない死体が出来上がる。

 生物には睡眠が必要不可欠なのだと分かる拷問だった。

 

 これは脳にも老廃物が溜まるからだ。脳には老廃物を洗浄するリンパがなく、生物は睡眠を摂ることで脳の老廃物を摘出する。睡眠を摂らなかった場合、溜まった老廃物は脳細胞を傷つけていくのだ。

 

 空閑くんはトリオン体になってから睡眠を摂っていないと言う。それを聞いた時は無意識に己の頭を押さえてしまった。

 

 睡眠が必要ない、というがトリオン体を動かすには脳のイメージ力が関係する。つまり極端な物言いをすれば、このままだと空閑くんの肉体は真っ先に脳が死ぬことになるのだ。

 

 日常生活用のトリオン体に自己修復機能があるから、肉体への負担は多少軽減されていると思われる。オーバーワークさえしなければ今まで通り過ごせるだろう。

 

 だが、そこで戦闘体の"学習能力"でちょっとワケが違ってくる。

 人間は睡眠によって記憶や動作を定着・学習する。

 

 黒トリガーの性質と片付けてしまえば簡単だが、空閑くん単独での"学習"は時間が掛かるということに疑問を持った。もともと空閑くん単体専用なのだから1人での学習がスムーズでなければおかしい。

 外部出力(レプリカさん)の協力でスムーズになるのは、レプリカさんが生身の脳への負担を、大幅に補助していたからではないか?

 

 レプリカさんが離れた今、空閑くんの負担はダイレクトになっている。それは脳内の老廃物の増加に繋がり、死期が近づくことを意味していた。

 

 おそらくレプリカさんは、治療は素早く終わると予想していたはずだ。近界(ネイバーフッド)常識(トリガー)は一瞬のことなので、トリオン兵と言えどそう考えても仕方がない。

 

 だが、細胞を使う件の治療法は採取した細胞を殖やすことから始める長期的なものだ。

 トリオンエネルギーを使用する前よりもかなり期間が短縮されているが、それでも最低半年は掛かる。

 

 その間、空閑くんの脳がレプリカさんの補助無しでどれだけ保つのか。

 

 隊長であるが中学生で優しい三雲くんがこれを聞けば、レプリカさんのことを更に気に病む上、空閑くんを戦闘に出すことを躊躇うだろう。

 しかしそれでは、玉狛第二はB級下位へと落ち、目的を達成するのは当分先になるはずだ。何より、空閑くんは今のところ戦うことを生き甲斐としている節があるので、戦闘から除外された空閑くんが何をしでかすか不明で怖い。

 

 ボーダー組織としての観点から述べても、不確定要素を増やしたくはないし、戦力と情報が離れていくのは避けたいことだった。

 

 

「せっかく有吾さんが繋げた命だ。助けてやりたいが……」

 

 

 林藤支部長が私の鞄へ視線をやるので、首を横に振る。書類に空閑くんのサインはまだない。

 

 それに林藤支部長は苦く笑い、ごそごそと胸ポケットからタバコを取り出した。

 

 

「……林藤支部長」

 

「あ、わりぃ。つい、な」

 

 

 咥えようとしたところで声を掛けると、無意識の行動だったらしく苦笑してからちょっぴり名残惜しそうに戻す。うん、悠一が成人してタバコに手を出したら林藤支部長のせいだ。

 

 我ながら冷たい目だろうなと自覚しながら、鞄から書類ケースを取り出す。

 ケースごと林藤支部長の机に提出すると、簡単に中身を確認してから、林藤支部長のトリガーホルダーでしか開閉出来ない引き出しへ仕舞われた。

 

 

「確かに受け取った。忙しいのに悪かったな」

 

「いえ……最初の取っ掛かりは冬島隊でしたし、レプリカさんにも頼まれましたから」

 

 

 再生医療と組織工学をボーダー内で発展させたのは、冬島隊だった。

 誇らしいような恥ずかしいような、複雑なエピソードがある。

 

 

「ああ、確かきっかけはお前と当真だっけ?」

 

「理論は真木ちゃんと隊長で、実用まで漕ぎ着けたのは鬼怒田さんです」

 

「ほんと、鬼怒田さんの技術はすげーな」

 

 

 快活に笑う林藤支部長へ全面的に同意する。今思い出しても鬼怒田さんは鶴の一声のような神業で以て、足りなかった理論を完成させたのだ。

 

 最初のきっかけは林藤支部長の言った通り、私と当真くんだった。

 任務中、当真くんが蜥蜴を見つけて尻尾を自切りして逃げられたと話し、私が自切りについて話し出したことが後に発展する。

 

 ──人間も手足とか再生したらすごくね? トリオンで体を再現できるんだしさ。

 

 ──一応、再生医療はあるよ。でもまだまだ研究途中な部分が多いみたいだね。

 

 この会話を聴いていた冬島隊長がトリオンエネルギーの可能性を改めて考え、悩み出した隊長を「仕事にならない」と叱咤した真木ちゃんが再生医療やそれに関係する医学資料をまとめて提出。

 最終的に鬼怒田さんまで巻き込み、──蜥蜴のように手足が生えるわけではないが──再生医療と組織工学を始めとした医療分野が飛躍的に発展する結果となった。

 

 冬島隊、というかほぼ隊長と真木ちゃんの功績である。

 当真くんと私はいつも通り任務をこなして会話をしていただけだ。きっかけはきっかけなんだろうけどね。サボっていたわけではないけど、会話を丸々報告書に載せられた時は冬島隊長をヘッドロックしそうになった。

 いつの間にか現れた悠一に止められたけど。

 

 医療分野の発展は一般的には知られていないが、一部のスポンサーや一握りの医療関係者は知っている。研究資金は唐沢さんが引っ張ってくるスポンサー以外に、そういう方面からも増えたそうだ。

 

 そんな訳で重要機密事項の一端を知り、今回の空閑くんの件にも私から提案出来たのだ。

 

 

「昔はそんなことが出来るなんて思いもしなかったからなぁ……」

 

 

 椅子の背に身を預け、感慨深く遠い目をした林藤支部長。

 

 以前、城戸司令が第一次の大侵攻より前に半数以上の隊員が亡くなった、と言っていたことを思い出す。

 玉狛支部のほとんどの人員がそれに参加し、死を乗り越えて生きている。一歩違えば目の前にいる林藤支部長も、今も誰かの未来を視ているだろう悠一も、私は会えなかったかもしれない。

 

 私だってそうだ。第一次のあの時に誰かが私の手を引いてくれたから、悠一に逢えたんだ。

 

 そう考えると、今がとても奇跡のように感じた。

 

 

「──すみません、そろそろ帰りますね」

 

 

 感傷の邪魔をして申し訳ないと思ったけど、無性に悠一に会いたくなった。

 用事も一応は終えたのだし。

 

 

「ん、ああ。ありがとな。ちょっと待て確かこの辺に……」

 

 

 ニッと笑った林藤支部長が思い出したように机の引き出しを探る。

 

 まだ何か必要な物でもあっただろうか、と大人しく待っていると「ほれ」と出されたのは煮干しの袋だった。

 

 

「……だから猫じゃないですって!」

 

「ハッハッハ! 余ってるから持ってけよ」

 

 

 今日は珍しく煮干しを見ないと思ったら支部長室で渡されるとは。何かの書類かと思って大人しく待った私がバカだった。

 

 とりあえず好意で出されたのだとは分かっているので、釈然としないけれどお礼を言って受け取った。

 

 

「このまま帰んのか? 今から飯作ると遅くならないか?」

 

「実は先に家に寄ってから来てるんです。下拵えもほとんど終わってて後は仕上げだけです。悠一がお風呂に入ってる内に出来上がりますよ」

 

「相変わらず手際が良いなぁ。もう"奥さん"って感じだ」

 

 

 林藤支部長の言葉に、嬉しいけどまだ照れが勝って顔が熱くなる。

 だ、大丈夫、まだそんなに真っ赤じゃないはず!

 

 ニヤニヤとからかってくる林藤支部長から逃げるように、素早く挨拶して退室した。

 

 まったく、私もそろそろああいうのに慣れてもいい筈なんだけど。

 悠一のお、奥さん……とか! ダメだっまだ私には早過ぎる! じゃ、じゃあ"妻"とか。いやいや"妻"単体もなんか慣れないぞ!? 夫婦だったら、何度か言ってるし言われてるからいいけど妻の単体はダメ!

 

 

「あれ玲さん? 顔真っ赤にしてどうしたの?」

 

「し、栞ちゃ……なんでもないよ! じゃ、お邪魔しました!」

 

「え!? 暗いのに1人は危ないよー!」

 

「そんなに遠くないから大丈夫ー!」

 

 

 栞ちゃんの心配に手を振って応えて、玉狛支部の玄関を飛び出した。

 

 変な混乱状態の姿を栞ちゃんに目撃されてしまった上に、ミニたい焼きのお礼も言ってない。でもごめん! 今は煩悩まみれでなんかいたたまれないんだ!

 

 明日にでもお詫びを持って行こう。

 

 しばらくして駆け足だったのを緩め、火照った身体に夜風を浴びる。冷たい空気が頬を撫でて、徐々に熱が冷めていく。

 

 

「墓穴掘った……」

 

 

 林藤支部長に言われた時はまだ冷静だったのに、退室してから自分で照れを後押ししてた。何やってんだろ私。

 

 自分に呆れてため息を吐こうとして───

 

 

「夜道で女の子ひとりは感心しないな~」

 

 

 後ろから腕を引かれて拘束され、尻を撫でられる。

 

 

「っ!?」

 

「不審者に襲われるぞ?」

 

「……悠一みたいな?」

 

 

 耳元で囁かれる聞き慣れた声に、顔を向けて睨むと唇の端に口付けられた。

 

 最初の声ではわからなかったけど、尻を撫でる手つきでわかってしまった。声とか拘束された時じゃなくて、手つきってさ、どうなの私……

 

 唇の端だったキスは、体を反転させられて頭を固定されてからきっちりと合わされる。

 

 

「ふっ、ちょ……っと、ま」

 

 

 外で道端だから、と抗議しようにも言葉を紡げない。

 

 下唇を甘く噛まれたと思ったら、優しく舐められて。上唇を軽く吸われたらビリッと痺れが走って。

 

 

「ぁ、や」

 

 

 腰に回された腕からもなんでかぞわり、とした感覚が立ち上ってこわくなる。

 

 溜まらず悠一の服を掴んで崩れるのを耐えるけど、舌を入れられると悠一の支え無しには立てなくなった。

 

 

「はぁ、はぁ、っなにするのよ……」

 

「お仕置き。普段の玲は無防備すぎだよ。もうちょっと警戒すべきだって」

 

 

 腰が抜けて悠一に縋りつきながら抗議すれば、何食わぬ顔で注意された。お前が言うな!

 

 息一つ乱れていない悠一に対して、すっかり腰が抜けて立てない自分に腹が立つ。いつか絶対に逆の立場を味あわせてやるんだから。

 

 

 




 ・この話の簡単なまとめ
●空閑は脳死の可能性が高い。だが色々な思惑があって本人と三雲たち(玉狛第一含む隊員)には知らせない。
●トリオンと鬼怒田さんは万能なんだ!

 ・迅と八神
八神は初めてからずっと相手が迅ですし、相性も良いおかげでキスや肌の触れ合いだけで満たされてます。迅は未来視で八神が本気で拒絶しなければ何でもやります。


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君の2週間 vs 私の4年間

戦闘描写が苦手なんだな、と期待せずにご覧下さい。

  今話の八神のトリガー構成
イーグレット・バックワーム・アステロイド・シールド
バックワーム・スパイダー・繰糸・メテオラ


八神視点


 

 

 『空閑、緊急脱出(ベイルアウト)

 

 

 空閑くんの戦闘体からトリオンの煙が漏出し、私はブースへと転送された。空閑くんもブースのベッドに送られただろう。

 

 

「5ー0だね」

 

 

 空閑くんとのランク戦は、今のところ私が全勝。だが、これは私が旧ランク戦ルールを前半に設けたからだ。本番は次から。

 

 旧ランク戦ルールとは、狙撃手が対人戦をする場合に最初の転送地点が通常よりも離れた場所になる、だけ。

 現在は狙撃手の人数も増えて昇格条件が『合同訓練にて3週連続で上位15%以内の成績』に変わったが、以前は前衛ポジションと同様にランク戦でポイントを稼いで昇格していたのだ。ただ、この旧ランク戦ルールだと最初の距離が十分にあるせいで若干狙撃手の方が有利だったりする。

 純粋な攻撃手が相手だと、練度の高い狙撃手なら間に置いた距離を縮めることなく、平行線を保ったまま狙撃を行えるのだ。射手と銃手、万能手ならばちょっとした工夫が必要だが。

 

 私が空閑くんに旧ランク戦ルールを持ちかけた理由は単純明解。私よりも空閑くんの方が強いから。

 現在のルールで始めから行った場合、7本は瞬殺される自信があった。残りの3本は5分以内にやられて、まともな対戦にならないよ。

 

 だから私は最初の5本を旧ランク戦ルールへと変えてもらい、空閑くんの動きを観察した。ちなみに5本とも全勝した理由は、狙撃手の距離に居ながら狙撃せず、終始トラップで空閑くんのトリオンを削り取った結果だ。狙撃してしまえば居場所がバレて寄られるのが目に見えていたからね。

 

 たったの5本だけど、始めてから優に2時間が経過していた。

 

 

『次からは逃がさないよ』

 

「あはは……お手柔らかに」

 

 

 モニターから響くちょっぴり不完全燃焼気味の通信音声に、空笑いを返して次の転送に備える。

 

 私の現在のトリガー構成は、ライトニングを抜いて代わりにバックワームを入れてある。メインとサブのどちらにも入れた形だが、チーム戦ではないので隠れることは重要だ。ライトニングの速射も捨て難かったがイーグレットで十分事足りる。

 何だかんだで所属当初からお世話になってて、それでいて一番取り回しに慣れているトリガーだ。

 

 

『6本目、開始』

 

 

 余裕で目視できる距離に転送された。互いにガチリと目が合う。

 

 獲物を襲う猫科のような瞬発力を持って駆けてくる空閑くんに対し、私はスパイダーキューブを撃ち出した。

 

 私のスパイダーキューブは見た目を弄ってあり、一見すると普通のシュータートリガーだ。

 ワイヤーが伸びる方向が角無しだとわかりにくいがそれも慣れである。

 

 空閑くんはそれをシールドで受け止めた。狙い通りだ。

 

 スパイダーキューブからワイヤーが空閑くんのシールドと、私の方へ伸びてくる。

 

 

「!」

 

 

 私はそれに足を引っ掛けて、伸びる力でそのまま距離を稼ぐ。

 

 一瞬瞠目した空閑くんだが、すぐにスパイダーへ飛び乗って私を追いかけてきた。大道芸がお望みかな。

 

 空閑くんに遠距離攻撃手段はない。スコーピオンの投擲くらいかな。私が距離を取ってしまえば前半の繰り返しになる為、追ってくるしかないのだ。

 

 綱渡りの要領でスパイダーの上に立ってイーグレットを起動。片手で狙いを定めて撃つと、銃口の見えた銃弾は容易く躱された。

 アタッカー上位陣のほとんどが弾を斬り払うとか、余裕で避けるとかやってくれるけどさ。なんで出来るの、って逆ギレしたくなるよまったく。

 

 とは言え、予想通りの結果に口角を上げれば、私を注視していた空閑くんがハッと周囲へ目を配る。

 

 小指の爪よりも小さく分割したメテオラが空閑くんの周りに散らばっている。

 

 

「おおっ」

 

 

 メテオラを嫌ってスパイダーから飛び降りた空閑くん。だが私を追うことを止めず、地面に右足を着けた瞬間。

 

 括り罠が発動。

 

 括り罠はワイヤーが足に絡まり、動きを止めるもの。猟師がキツネやタヌキなどの獣を生け捕りにする時に設置するのを参考に作ってみた。

 

 動きが止まったのを機に、イーグレットでメテオラの群れを起爆。その煙に乗じて私もスパイダーから飛び降りてバックワームを起動し、身を隠すために駆けた。

 

 空閑くんはシールドのフルガードで防いだはず。

 フルガードから、スコーピオンで括り罠のワイヤーを切るという行動。それから私の狙撃を誘う為と、位置を確認する為にグラスホッパーで高くジャンプするはずだ。

 

 だから私が駆けられる目安はあと二軒だけ。

 

 空閑くんとの予測距離は400m。射角を得る為に高さが欲しいけど、贅沢な希望だ。

 

 スピードを維持したままガードレールに付いているカーブミラーにスパイダーを伸ばす。本命はそれだが、他にも見破られないよう三重で張り、民家へと身を隠した。

 

 ソッと民家の陰から出ない範囲で外を窺えば、タイミング良く空閑くんがグラスホッパーで飛び上がった瞬間だった。

 

 

「当たり」

 

 

 引っ張ってきていた本命のスパイダーを思いっきり踏み、膝射でイーグレットを構える。

 

 付いていたスパイダーによりカーブミラーが動き、私とは逆方向にある民家の二階窓へ光が反射する。狙撃の光と勘違った空閑くんがシールドを出して、グラスホッパーを用意。

 

 ファイア。

 

 

『空閑、緊急脱出(ベイルアウト)

 

 

 6本目にしてやっと狙撃だ。

 あの光の反射は誰でも引っ掛かる。タイミングが合わないと気づかれるけど、それでも一瞬の光には気を取られるものだ。

 

 さて、7本目だ。

 

 

『7本目、開始』

 

「わっ、と! はやい、なぁ」

 

「つかまえた」

 

 

 キューブを出す暇さえくれずに、スコーピオンが投擲されてシールドで防げば、空閑くんが肉迫する。

 

 やばい、完全に懐に入られた。

 

 近接は空閑くんに分がある。刃を捌く経験が圧倒的に違う。

 

 

「くっ」

 

 

 シールドだけで空閑くんのスコーピオンは凌げない。

 スパイダーを張って繰糸(そうし)を使うのも間に合わない。

 

 苦し紛れにバックワームを起動して、空閑くんへ脱ぎ捨てたがやはり意味がない。右で一刀両断された瞬間、左のスコーピオンが突き出された。

 

 首を狙った攻撃をシールドで逸らし、体を捻る。

 

 刺突を避けた、はずだが枝分かれした刃が心臓部を穿った。

 

 

『八神、緊急脱出(ベイルアウト)

 

 

 ベッドに転送された。

 

 先ほどの攻撃は枝刃(ブランチブレード)の一種か。普通なら体内から刃を分裂させて相手に刃が増えたと誤認させる技だ。

 私が避けることを見越して分裂させたな、アレは。

 

 ああ、風間さんに怒られる負け方だ。

 

 

『8本目、開始』

 

 

 肉迫。

 

 空閑くんのスピードは観察時よりずっと速い。目で追えるけど、対処に余裕はない。風間さんと同等か。

 

 イーグレットを起動して、物理的な盾にする。

 実銃でこんなことしたら暴発の原因になるけど、それを気にしなくて良いのはトリオン銃の利点だ。

 

 

「へえ」

 

 

 スコーピオンを振るいながら、にやりと空閑くんが笑う。余裕そうで何より、だっ!

 

 軽さと取り回し重視のスコーピオンが、上段からイーグレットの銃身に叩きつけられた。

 衝撃に耐え、前へと押し出す。一瞬離れた間合いは、すぐさま詰められる。

 

 イーグレットを両手で持ち、トリオンを籠める。

 

 右の斬り払いを銃口で弾き、左の斬り上げを銃床で受けた。半歩下げていた足裏で地を蹴り、銃身を回転させて銃口を空閑くんへ。

 

 バンッと撃ち出された衝撃に身を任せて後退。

 

 イーグレットはアイビスより威力は劣るが、それでも半端な強度のシールドでは防げない威力を誇る。

 

 

「っマジか」

 

 

 空閑くんの居た場所にはグラスホッパー。

 すでに私の後方へ空閑くんは立ち、刃を納めている。

 

 首が落ちた。

 

 

『八神、緊急脱出(ベイルアウト)

 

 

 首筋を撫でながら、ベッドから身を起こす。

 

 両手に持っていたスコーピオンは、一つのものだったらしい。私の読み違い。

 おそらく、私が応戦する構えを取った時にはスコーピオンをメインだけに切り替えていたのだろう。イーグレットが発射された瞬間、保留していたサブでグラスホッパーを起動したようだ。

 

 やはり空閑くんは強い。いや、私が弱過ぎるのか?

 

 

『9本目、開始』

 

 

 始めから立射姿勢でイーグレットを起動。スコープを覗かず一発。

 

 避けられた。

 

 でも、踏み込みの足をズラしたぞ!

 

 変幻自在のスコーピオンと言えども、肉体的に腕のリーチは私の方がある。加えて、イーグレットだ。

 

 突きの形で迫る刃に、こちらも銃口を突き出す。

 互いの切っ先は僅かにズレて、擦れる。

 

 

「フッ!」

 

 

 無意識の呼気を吐き出し、刃の腹を叩き、続いて持ち手の親指を突く。

 

 

「!?」

 

 

 手から滑り落ちたスコーピオンに目をやる、なんて愚は互いに犯さない。

 

 親指を突いた銃口は真っ直ぐに空閑くんの喉へと向かう。速度を上げる為に一歩踏み込む。

 

 だが空閑くんは上半身を反らし、もう片方のスコーピオンで下から銃口を払いのけ、私が踏み込んだ足を蹴り掬う。

 

 

「ム」

 

 

 けど、私だって読んでいた。

 

 踏み込んだ足はブラフ。

 既に重心は後ろ足に移動しており、転ぶことなく逆に空閑くんを飛び越えるように前へ跳ぶ。

 

 転がるように着地から横向きの伏射姿勢。

 頭上スレスレに飛んできた刃を気にすることなく、空閑くんの胴へファイア!

 

 集中シールドで防がれたが衝撃は殺せていない。

 

 その隙に威力特化のメテオラを飛ばす。スピードはいらない。

 そのままイーグレットでメテオラを撃ち抜き、爆破。爆風と激しい煙。

 

 飛び上がるように立ち、前方に網状のスパイダーを張る。シールド強度だが、ピンと張らず弛めに。

 

 スコーピオンを構えたままの空閑くんが飛び込み、ギチリと網が軋んだ。

 

 

「──」

 

 

 視線が交差する。

 

 

介入(アクセス)

 

 

 イーグレットで、細く変更したスパイダーごとぶっ放す。

 

 網の隙間からスコーピオンが伸びて私の左頬から耳を落とされたが、致命傷には程遠い。

 

 

『空閑、緊急脱出(ベイルアウト)

 

 

 空閑くんの動きは、今までログで観たものとは異なっている。思い返してみれば体格と力で押し負けるからこそ、スピード重視の戦い方だった。

 

 けれど、私との対戦では斬り合い重視だ。

 こちらが近接武器を持っていないので競り合いがないこと。間合いを開けてしまえば私にはシュータートリガーがある上に、逃げて狙撃されるからだろう。

 

 超接近戦は、スコーピオン使いだけの特権だ。それに上手く持ち込まれている。

 

 

『10本目、開始』

 

 

 グラスホッパーが3枚。正面ではなく角度をつけての間合い詰めか。

 

 左手側から迫ってくる空閑くんを、後方へ下がりながらアステロイドを生成して応戦する。

 

 持ち前の瞬発力と、グラスホッパーでの更なる加速。瞬間速度はボーダー内でもピカイチだ。

 

 でも、もう目は慣れた。動作のイメージ修正も終えた。

 

 アステロイドを作り続ける。

 真っ直ぐにしか射出できない弾種だが、一番扱い易く手堅い弾。スナイパートリガーの弾と同様に真っ直ぐ飛ぶからこそ、私は好んで使っているのだ。

 

 空閑くんは左手のシールドを頭を守るように張り、右手は空いたまま迫る。

 

 アステロイドを密集させるように並べ、射出。

 

 

「スパイダー」

 

「! ウソか!」

 

 

 口に出した言葉の真偽を、反射的に空閑くんが見破る。

 

 副作用(サイドエフェクト)。どれだけ集中した戦場だろうと、副作用持ちはその反応を無視できない。

 特に空閑くんは後天的に受け継ぎ、生来からの訓練がない。

 

 アステロイドの中にメテオラを混ぜた。爆発の連鎖が起こり、たまらず空閑くんはグラスホッパーで後方へ跳び退がる。

 

 私は今度こそスパイダーを起動してその場から離脱し、投擲されるスコーピオンをスパイダーで音もなく絡め取る。投げ返しはしない。

 

 強度と太さを最低まで落としたスパイダーを次々と張っていく。

 太さを最低まで落としたワイヤーは肉眼での視認が出来ない。それこそオペレーターの補助が要る。

 

 

「……こないの?」

 

「レイさんが逃げずに姿を見せてる時点でトラップだらけデショ」

 

 

 私を見つけたのに、動きを止めた空閑くん。

 

 

「まぁね」

 

 

 わざとらしく肩を竦めてイーグレットを起動。

 

 

「よっと」

 

 

 撃ち出した弾を簡単に避けた空閑くんが、弾道を正確になぞったルートで突っ込んでくる。器用だね。

 

 9本目と同じようにイーグレットでスコーピオンを受ける。突く・打つ・払うの動作で応戦しながら、空閑くんの動きを読んでいく。

 

 完結する動きは一つもなく、すべて連続した刃の繰り出し。

 

 反撃よりも防戦に徹していれば、一瞬の間。

 

 グラスホッパーの板が私たちを囲うように出現。

 A級隊員の緑川くんが得意とする乱反射(ピンボール)だ。空閑くんも習得していたことは承知だが、スピードの練度は彼に劣る。

 

 口角を微かに持ち上げた。

 

 

「!」

 

 

 それだけで、空閑くんはグラスホッパーに掛けようとしていた足を咄嗟に地へ着けて、グンッと私と距離を縮めた。おやおや乱反射(ピンボール)はしないのか。

 

 グラスホッパーの板は消え、両手に握ったスコーピオンが振られる。それを最初のようにイーグレットで凌いで防戦へ。

 

 『何か』ある。

 そう思わせてしまえば、相手の選択を制限させられる。今の空閑くんにとって、私の微かな表情までもが警戒に値する"武器"と感じている筈だ。

 

 幼い見た目に見合わず、剣筋は重く鋭い。

 スコーピオンに"重い"という表現は似合わないが、それだけ空閑くんに凄みがあるのだ。

 

 足を動かして後退すれば、その分詰められる。

 

 

「ッと」

 

 

 払い損ねて銃口と左手の指先が消えた。親指が残ったとはいえ、細かに支える手が減ったのは痛い。

 

 けど、もう十分。

 

 

「!」

 

「逃がさない。介入(アクセス)!」

 

 

 跳び下がろうとした空閑くんの体を、既に絡みついていた無数のスパイダーが押さえつける。

 

 体勢を崩し、地面へ転がった空閑くんへ新たに作り直したイーグレットを撃ち込んだ。

 

 

『空閑、緊急脱出(ベイルアウト)。勝者、八神』

 

 

 結果は8ー2。前半の5本はハンデ貰ったので、実際は3ー2だね。

 特殊ルールが入ってる為ポイントの増減はない。

 

 

『もしかして、あの時イーグレットを撃ったのはおれを誘うため?』

 

「うん。空閑くんの言った通りトラップの設置は終わってたから、あとは入ってきてもらうだけだったんだ」

 

『むぅ……スパイダーって、思ったよりベンリだな』

 

 

 空閑くんの唸る声に笑みが漏れる。

 

 最後の強度も太さも最低に落としたスパイダーは、体に纏わりつかせる為に張った。

 トリオン体は痛覚を遮断しているので、それに伴って触覚も若干鈍い。それを利用して細く脆い糸を体にくっつけ、十分な量になったところで繰糸を使って一気に強度と太さを変える。

 身動きできなくなったところへ、バンッだ。

 

 もちろんその場全体にスパイダーを張っていたので、私のトリオン体にもくっついていたがそこは繰糸で操作選択しますから。

 

 

「私のはA級特権の改造なんだ。でも、スパイダーの汎用性はぜひオススメするよ。使い方は色々あるし。さ、飲み物でも奢ってあげるよ」

 

『ふむ。ありがとうございます』

 

 

 ブースから出て、空閑くんと合流し一番近くの自販機へ。別にチャレンジャー御用達ではない。

 空閑くんはサイダーを選び、私は100%オレンジジュース。コーヒーと迷ったが、給湯室で淹れた方が美味しいからさ。

 

 ベンチに座ってお互いに水分補給。

 微妙に火照っていた熱が冷たい飲み物で治まった頃、空閑くんが口を3の字にしたまま問い掛けてきた。

 

 

「レイさんって槍使いなの?」

 

「え? ううん」

 

「だってあのイーグレットの使い方はそうでしょ?」

 

 

 言い切るようで首を傾げた空閑くん。

 もしかしてさっきの言葉に副作用(サイドエフェクト)が働いちゃった?

 

 無意識だったとは言え、悪かったな、と思いながら答えるべく口を開いた。

 

 

「断っておくけど、本当に槍を使ったことはないよ。でも、捌き方の参考にはしたかな。米屋くんって分かるよね?」

 

 

 頷いた空閑くんに、私もまた頷いて言葉を続けた。

 

 

「米屋くんを最初に観た時、物珍しさからだったんだけど」

 

 

 初めに観た米屋くんのログで、間合いの取り方がかなり上手くて感嘆した覚えがある。

 

 当時、私はシュータートリガーもそこそこ使えるので遠・中距離に対応できていた。

 しかし、チーム戦では役割特化すればそれで良いのだけど、ソロランク戦では攻撃手に寄られるとすぐに落ちてしまう。因みに射手や銃手相手なら、私の間合いでもあるので五分の闘いが出来ていたよ。

 

 特にやりにくいと感じたのはスコーピオン使いだ。空閑くんが行ったような超接近戦に持ち込まれたら諦めるしかなかった。

 

 そこで米屋くんの槍捌きからヒントを得て、槍術や銃剣術、半棒術を調べ始めた。

 一応、分類的に私が使っているのは柔術だと思う。

 

 

「きちんとした師に教わったわけじゃなくて、見様見真似から始めたものだけど、やってみると意外と出来てね……弧月にはリーチと耐久力で負けるからシュータートリガーの方が良いけど。

 というか、A級部隊にはスコーピオン使いが多いから重宝してる方かも」

 

 

 シフトの関係であまり行われないA級ランク戦。

 攻撃手の魔窟とも言える激戦区に、囮として向かわなければならない時の恐怖は筆舌し難い。何度、風間隊を筆頭としたスコーピオン使い達に切り刻まれたことか。

 

 まぁ、それは置いといても体術やその場に有った物を使って攻防をする術は、近界(ネイバーフッド)遠征中も何度か活躍の場があった。

 

 

「どうしても武器を持って行けない場所とか、武器を出さないで相手を黙らせないといけない場面ってあるだろう?」

 

「あるね」

 

 

 覚えがあるのかウンウンと頷く空閑くんに、やっぱり年に見合わない経験をたくさん積んでいるのだと改めて思った。

 

 

「おれはどっちもトリオン体だけど、さわがれるのがメンドーだからよくやってた。そういえば、オサムと仲良くなったのもそんな感じだ」

 

「え。すっごく出会いが気になるけど……時間だから、そろそろ仕事に行くね。ランク戦、色々と勉強になったよ」

 

「おう。おれもレイさんのやり方がベンキョーになった。ありがとうございマシタ」

 

「ふふ、うん。こちらこそ、ありがとうございました」

 

 

 ベンチから立ち上がってお互いに礼を述べる。

 空閑くんの若干カタコトの言葉遣いに思わず笑みが零れてしまったが、空閑くんは気を悪くすることなく手を振ってくれた。

 

 よし。切り替えてお仕事を頑張りますか!

 それに今日の昼休みは、明日のバレンタインデーに向けて加古さんとお菓子作りする予定だし、放課後は夏目ちゃんと訓練する約束だ。どちらも遅刻しないよう気をつけないとね。

 

 

 




サブタイトルの"2週間"は、空閑がB級に上がっての日数です。どちらの日数も『約』を付けようか迷いましたが、無い方が語感が良かったので省きました。

 ・戦闘の補足
空閑を弱体化させ過ぎ&八神が強過ぎでは、と指摘されそうなので補足を。
今回、ランク戦前半に八神は『罠』しか使っていない、という前提があります。また、後半に入っても『罠』や『不意打ち』を見せています。これによって空閑は八神の挙動にかなり意識し、思うように己の戦闘リズムへ運べていません。トリッキーな使い方をするグラスホッパー戦法も下手に八神と距離を開ければ逃げられたり、罠の数を増やされたりなどの危惧があって積極的に使えませんでした。
『罠』を意識させ、勝ち筋を狭め、如何に相手のリズムを崩して有利を穫るか。八神の狙いはこんな感じです。
そして、空閑の方は長年黒トリガーでの戦いに慣れている為、やはりボーダートリガーの扱いに一瞬の"間"が生じると思いました。更に威力や細かな性能もまだまだ調整中で、それは個人ランク戦や小南との特訓にて感覚を掴んでいくしかないでしょう。いくら才能があって戦場慣れしていたとしても、すぐに武器の性能を最高値で引き出せはしないし、人間には波もあります。
己の狙いを通した八神と、リズムを崩されトリガーの練度差もあった空閑。それが今回の対戦結果となります。


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愛しくて憎らしくて、狂おしい

迅を軸とした三人称


 

 まだまだ冷える2月の朝、一組の恋人がベッドの上で向き合っていた。正座で。

 

 

「言い訳があるなら聞こう。なんで、私の目覚ましアラームを消したのかな?」

 

 

 寝起きにも関わらずキリッとした表情の八神が、眠そうな、それでいて含み笑いを浮かべる迅へ問い詰めた。

 およそ恋人同士とは思えない雰囲気だが、お互いにパジャマが乱れている様は十分な仲だと言えよう。

 

 議題は述べた通り、八神が早朝訓練へ行けるようにセットしていた時刻を、迅が通常出勤の時刻へ変えていたことだ。

 

 それでも体感的に起きる時間を察した八神は、当初の予定時刻より少しだけ遅く目覚めた。けれど、今回は起きられても次回も起きるとは限らないので、目覚ましを消されない為にも迅をたたき起こしたのだ。

 

 

「なんでって言われると、寂しかったからかな」

 

「え」

 

 

 眠気で重い瞼を上げた迅が八神の意表を突く。

 

 

「だってさ、朝起きても玲がいないし布団冷たいし、朝ご飯も1人。昼間は仕事だから仕方ないけど、時間合うの夜だけってなんか寂しいだろ?」

 

 

 訴えられる内容に八神は眉尻を下げる。八神自身も多少は気にしていたのだろう。

 

 それを認めて、今度は迅がキリッと表情を引き締める。

 

 

「俺はもっと玲とイチャイチャしたい!」

 

 

 宣言より懇願である。 

 

 温泉宿から帰ってきて以降、甘さは平行線であり、以前よりも仕事に一層努力する姿勢を見せる八神に、迅は「もうちょっと束縛してもいいかな」と欲が出たのだ。

 

 

「もう少しお互いに触れ合う時間を作らないか?」

 

「うん……そうだね。ごめん、悠一に甘えすぎてた」

 

「違う違う。むしろ甘え足りないの。もっと俺にワガママとか言ってよ」

 

 

 少しだけ俯いてしまった八神に、迅は優しく促す。

 

 迅には『頼られたい』という男としての想いがあった。

 恋人になる前から八神はあまり他人に頼ることがなく、ほとんど自らの努力だけで目標を達成してきた。それがどれだけ凄いことで、恋人の心をやきもきさせていたことか、八神には自覚がない。

 

 学生の頃から行ってきた八神の努力はきちんと実を結び、組織にも影響を与えていく程に成長した。迅はそれを理解しているし、同じ組織の一員として尊敬もしている。

 恋人同士となっても、その認識は変わらなかった。

 

 けれど、迅は温泉に行った日に思い直す。

 

 今まで迅は迅なりの愛を、八神は八神なりの愛を。

 それぞれが想い合いながら、どこかすれ違っていたのだ。八神は迅の考えを自然と読み取るが、迅はそうではない。

 

 その為、少しばかり奥手な恋人の心に踏み込むべく、こうして時間を作ったのだ。

 

 

「わがまま……って言っても、すぐに思いつかないよ」

 

 

 八神にとって迅との触れ合いは充足しており、して欲しいことも急には思い浮かばない。強いて言うならば、目覚まし時計を止めるなだろうか。

 

 困ったように眉尻を下げた八神に、迅はニヤリと笑った。

 

 

「じゃあ俺は、毎朝"おはよう"のキスで起こされたい」

 

「え"……はぃ」

 

 

 思わぬ要望に八神は瞠目するが、とりあえず頷いた。

 

 迅は足を正座から胡座へ変えて要望を続けていく。

 

 

「昼と夜は仕方なくても、朝ご飯は一緒に食べたい」

 

「うん」

 

「出勤する時は"行ってきます"と"行ってらっしゃい"のキス」

 

「……うん」

 

「帰宅したら裸エプロン」

 

「ぅん?」

 

「で、"おかえり"のキスからの『お風呂にする? ご飯にする? それとも、私?』って言ってほしい」

 

「…………」

 

「それから一緒にお風呂に入って」

 

「まてまて待て待て! 途中からオカシイ!」

 

 

 ぶんぶんと、首と両手を横に振って否定する八神に、迅はわざとらしく首を傾げる。

 

 

「お風呂じゃなくて玲を選んだ時の話が良かった?」

 

「ち、ちがうっそこじゃない! 裸エプロンって何!?」

 

「そのまま裸にエプロンだけど、知らない?」

 

 

 迅の言葉に八神は黙った。ほんのり赤くなっている顔のまま目線を逸らす。

 

 

「知ってるけど……今の季節だと、さ、さむい、じゃん」

 

「……ほう」

 

 

 八神の言い訳に、迅は未来視でとある光景を視る。

 

 しかしそれに意識を向けては、この話し合いにてなし崩しになる為、なんとか目の前にいる八神に集中する。

 

 

「悠一の、その、わがままは分かったけど……もうちょっとハードルを下げてほしいです」

 

 

 真っ赤と言うほどではなくとも、顔を赤くした八神が正座を崩して迅を窺う。

 

 意図せず上目遣いになった八神に、迅は目を擦るように手で覆って感情を誤魔化し、それからヘラリと笑って目を合わせた。

 

 

「結構下げてるよ。なんせ俺は毎日でも玲を抱きたい」

 

 

 迅のストレートな言葉に、八神は今度こそ真っ赤になって俯いた。長い黒髪がふわりと流れる。

 

 

「ま、毎日は、こまる」

 

「うん」

 

「だって、子づくりするわけでもないし……べつに、悠一の子どもがいらないってわけじゃなくて、えと」

 

 

 普段はハキハキと物を言う八神の姿からは想像出来ないほど、もじもじと言葉に迷う姿は、迅の視覚へ暴力的な威力を発揮する。

 それを甘受しながら、迅は男としての衝動に耐えて先の言葉を待った。

 

 ぎゅっとシーツを握って顔を上げた八神の目は、恥ずかしさでうっすらと涙の膜が張っていた。

 

 

「気持ちよくて、悠一のことで頭いっぱいになって……バカになっちゃうから、だめ」

 

「っ、俺はそれでいいよ」

 

 

 迅は後に語る。『昔は我慢できる男だった』と。

 

 

「玲はちょっとくらいバカになっても可愛いよ」

 

 

 我慢をしても滲み出た欲情を隠せなかった迅が、とろける笑みと共にそう言えば、八神はビクリと反応してそっぽを向く。

 

 その拍子に潤んだ瞳から涙が一粒だけ流れ落ち、慌てて自分の指で拭いながら少しだけ雄から逃げるように膝をもじりと動かした。

 

 

「かわ……やだ。だってバカになったら、悠一を幸せにできない。ただでさえ、私負担になってるのに……」

 

「その負担が俺の幸せって言ったら?」

 

 

 首を振る八神に迅が優しく諭せば、さらに否定しようとする。

 

 

「そんなわけっ」

 

「あるよ」

 

 

 八神が顔を正面に戻す前に、迅が腕を伸ばして体ごと引き寄せる。柔らかく、熱を帯びた体を足の間でしっかりと抱きしめた。

 

 さながらそれは、独占欲の顕れというよりも、八神に縋っているようにも見えた。

 

 

「昔、玲が俺に『自分の力なら自分の為に使え』って言ったの覚えてる?」

 

 

 戸惑いながらも小さく頷く動作を首筋に感じながら、迅は囁くような声音で告げた。

 

 

「だから、俺は自分の為に使ったんだ。お前が死ぬってわかっても、俺が、俺の為に玲が欲しかった」

 

 

 罪を告白するかのごとく、迅はそっと言葉を続ける。

 

 

「玲が死なない未来は、俺じゃない誰かと一緒になるものだった。けど……俺はそれを許せなかったんだ。

 笑うのも、泣くのも、愛してるって言われるのも、俺の物にしたくて……玲が俺だけを見るように使った」

 

 

 きっかけは何だったのか。それは今となっても迅には考え及ばない。

 

 ただただ、"いつの間にか"好きになっていたのだ。

 "好き"という感情は溢れ、心の制御はザルのように意味がなくなった。

 

 交通事故など、苦悩なんて言葉では片付けられないほど迅を迷わせた。

 

 初めての感情の暴走に、迅は最後まで『八神を事故から助けるか否か』と折り合いがつけられなかったのだ。

 しかし、八神がいなくなった未来を視た時、ぽっかりと胸に穴が空いたように錯覚する。母や師、仲間を喪った時とはまた違う空白は、じわりじわりと迅を苛んだ。

 

 それでもはっきりと結論を出せないまま時間は進み、未来がズレ、いざ八神が助かった時には、空いた穴からより強くなった恋情が飛び出してきた。

 

 その感情が苦しくて、嬉しくて。

 空いた穴から溢れるモノに、迅の心はもう手離すなんて考えられなかった。

 

 

「玲はこの前俺にひどいことしたって言ったけど、俺の方がよっぽどひどいことをしてた。許してくれなくていい。けど、だから、玲はもっと俺に」

 

「悠一」

 

 

 今まで静かに聴いていた八神が、言葉を遮るように迅の首筋から顔を上げて名前を呼ぶ。

 

 離れるような動作に、迅は返事よりも先に腕の力を強めようとした時。

 

 

「───」

 

 

 熱く柔らかな唇が、迅の冷めた唇を塞いだ。

 

 次いで、華奢な白い手が迅の頬に添えられ、冷え性の彼女にしては珍しく温かい指先が耳を擽る。

 

 深い口付けではなく、ただ触れ合わせて表面をなぞるキス。それなのに2人の顔は熱を持ち、息が乱れていく。

 

 微かなリップ音を最後に唇を離せば、八神は優しく微笑みを浮かべた。

 何か言おうとした迅の唇に、今度は指先を当てて言葉を遮る。

 

 

「私、すっごく幸せ者だ。だってそんなに想われて、愛してる人と今も一緒にいる……」

 

「……玲」

 

「どういう経緯でも思惑でもいいよ。最終的に選んだのは、私が自分の意思で、迅悠一を選んだの。

 八神玲の愛する男は迅悠一、ただひとりです」

 

 

 きっぱりと言い切った八神の目がしっかりと迅を捉える。

 

 "たられば"を言い出せば切りがなかった。だが、目の前にいる八神の瞳には己しか映っていない。

 迅に他人の心情を深く読み取る術はない。それでも、心の底から愛する女が同じように、真剣に愛を伝えているのだと理解した。

 

 迅はゆっくりと腕を解いて八神の頬へ触れた。

 もう必要以上に拘束する意味はない。以前のような己から離れていく愛ではないのだ。

 

 

「わがまま、いいかな?」

 

 

 猫の仔のように迅の手に頬を寄せ、両手を添えた八神が迅を見上げる。

 

 

「ずっと、私のこと愛してほしい」

 

 

 当たり前のことを八神は我が儘だと言う。

 彼女らしい、とも迅は思うが、それ以上の我が儘を言って欲しいのにとも心が沈む。

 

 それでもせっかくの甘い我が儘を無碍にする気もなく、深く頷いて微笑んだ。

 

 

「いいよ。俺のことも愛してほしい」

 

「うん。あとね……結婚したら子供ほしいな。悠一にいっぱい家族を作ってあげたい」

 

 

 ふわりと笑みを浮かべた甘い要望に、沈んでいた心が一気に浮き上がる。

 精密射撃を受けたように迅の心臓は打ち震えた。

 

 

「っ」

 

 

 何故ならば八神のそれは、八神から迅へ初めての"未来の約束"だったから。

 

 迅には未来視がある。

 そのせいか、他人が迅へ未来の可能性を述べることは少ない。ましてや、不確かな言葉だけの"約束"など「未来を視れるなら知ってるだろ?」と告げられる。

 

 まさしくその通りなのだが、迅はだからこそ確実な未来へとする為に言葉が欲しかった。

 

 そういう点で言えば、八神は迅に対して"普通"に接していた。

 決して「サイドエフェクトを使えば~」とは言わず、迅の方から告げない限り深く探ることもしない。八神はただ寄り添い、在るがままに受け入れてくれていたのだと、ふと迅は思い至った。

 

 だがそんな八神でも、先を見据えた"未来の約束"を口にすることはなかったのに───。

 

 ぽたり、ぽたりと雫がパジャマを濡らし、一拍後に八神ではなく己が泣いていることを迅は自覚した。

 自覚した途端、迅の涙は量を増し、止める方法など分からないまま茫然とする。

 

 八神はそれを揶揄することもなく、そっと目を閉じて広い掌に唇を寄せた。

 

 

「私のわがまま、叶えてくれる?」

 

 

 瞼を上げた八神の黒い瞳は熱を持ち、期待とほんの少しだけ不安に揺れていた。

 

 

「っもちろん」

 

 

 迅は涙を拭うよりも先に頷いた。

 頬に添えていた手をスルリと後頭部へ動かし、もう一つの手は細い腰を抱き寄せて、華奢な肩口に額を置いた。

 

 涙は依然として流れ、八神の肩口を濡らしていく。

 

 迅の人生に歓喜の涙を流した経験なんてなかった。悲哀と悲痛の涙はあったはずなのに、これほどまでに心が揺れる涙の止め方など知らない。

 

 よしよし、といつかのように柔らかい手が頭と背中を撫でるのを感じながら、迅は「やられた」とどこか冷静な部分で内心呟く。

 

 八神をもっと甘やかしたくて時間を作った筈が、結局己がこの立場に甘んじているのだ。

 どう足掻いても迅の方が先にギブアップしてしまう。

 

 

「かなわないなぁ」

 

 

 身も心も虜にしたくて奮闘しているのに、反対に染められているのは己の気がしてならない。

 共に過ごしてそれなりの時間が経つのに、迅を魅了する八神の底が知れなかった。

 

 八神は学生の頃より綺麗になった。それでも華やかさより素朴で清楚な雰囲気が強い。

 

 だが、ふとした瞬間に、迅によって花開かれた女の顔を覗かせる。そして少女のように悪戯っぽく、戦士のように凛々しく、子犬のように弱々しく、慈母のように包み込み、悪魔のように残酷に、娼婦のように蕩ける───様々な顔を魅せ続けるのだ。

 

 八神本人にも無意識の領域で、男を惹きつけて止まないそれに、迅は息を吐く。

 

 

「ん?」

 

「、なんでもない」

 

 

 迅がポツンと呟いた小さな声は、目覚ましのアラームによって八神に届くことはなかった。

 

 

 




出そうか迷いましたが思い切って解釈メモを開示。

 ・「サイドエフェクトを使えば~」
 ↑の言葉は副作用持ちは言われ飽きた言葉なのかな、と思いました。ある意味の『特別扱い』で悪気はなくとも、良い気分ではないかと。
 悪意を持って言ったのなら、それは最大級の挑発であり侮辱だと受け取れそうです。空閑が影浦へ言った時はおそらく完全な挑発行為。あの場面は影浦が"挑発"という感情を受信したからあっさり終わったのでしょう。けれども、先天的な影浦と後天的な空閑(しかも戦場慣れ)だと、侮辱と感じる度合いに差があると思われます。
 城戸司令が空閑へ上記の言葉を言った後、すぐに謝ったのは空閑有吾との長い付き合いで副作用持ちへの対応を心得ているから。対する空閑があまり気にしていないのは、戦争で副作用の利用に慣れており「副作用持ちはそういうモノ」と捉えているから。なんて勝手に解釈しました。
 その点、八神は拘りません。迅相手に未来視で知られていようがなかろうが言動は変わらず、基本的に日常では頼りません。詮索するのも(トラウマにより)好きではないので、本当に必要な時か気になった時しか探りません。ただし戦闘が予測される場合はまた別となりますが。
 能力を知りながらもそういう『普通の扱い』が、迅が八神に惹かれたポイントの1つでもあります。


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バレンタインデーのネコ

人物設定から話数が離れたこともあり、2人の設定を簡単に。
●八神玲 19歳 168cm
努力派スナイパー。
サポートにこれでもかと特化した働きで隊を支える。
迅とは婚約者で同棲中。
基本的に恥ずかしがり屋だが、たまに大胆になる。そして恥ずかしがる。
ボーダーの戦略頭脳の一角で、上層部からの信頼も厚い。嫉み妬みによる苦労をしているはずだが、当の本人は一切気にしていない。
副作用は持っていないが、周囲から「なんで持ってないの?」と怪訝にされるほど優秀な人材に育ってしまった。
なんだかんだで迅を甘やかす。
●迅悠一 19歳 179cm
実力派エリート。
風刃を手放して広範囲防衛力は減退したが、それでもスコーピオン使いとしてS級と同等の働きをやってのける。
八神とは婚約者で同棲中。
基本的にセクハラで大っぴらに八神との関係性を主張し、たまに八神から反撃を貰って身悶えする。
個人で1部隊と数えられる実力者で、上から下までの多くの人間に認められている。女性人気も年々、ゆっくりと上昇中。
「未来視」を持ち、色々と複雑な心を持って暗躍している。
八神を甘やかしたいのに結局は手玉に取られて「なんだかなぁ」と思いながらゴロゴロしている。


八神視点


 

 

 今朝は訓練に行かず、悠一とのんびり朝ご飯を食べた。

 あとバレンタインデーのチョコケーキも渡して喜んでもらえた。チョコ味のキスはしなかったけど『はい、あ~ん』はやった。自分でも朝から甘いなぁ、と自覚している。

 

 目覚ましの時刻を勝手に変えられた怒りはあったけど、アレは私のことを想っての行動だ。

 一見、悠一が駄々を捏ねたように思う。でも、ちゃんとタイミングを見計らっていたのだろうとも思える。

 

 早朝訓練を始めたのは、勤務中の空き時間に空閑くんの件について纏める為に動いていて、訓練時間まで割く余裕がなかったからだ。

 

 空閑くんへの提案と、林藤支部長に書類を預かってもらえた後は通常の出勤時間へと戻しても問題なかったが、早起きの癖がついてそのまま続けようとしていた。

 そこに悠一は「無理するな」って釘を刺してくれたんだ。色々と突っ込み所が多い発言があったけど。

 

 でも、おかげで私も未来を考えられた。

 

 自分の口から出したことでやっとはっきり……その、将来は"迅 玲"になるんだなぁって。

 うわぁ! ちょっと考えるだけで胸がぽかぽかしてなんかすっごく恥ずかしいよ!

 

 思わず本部基地の廊下の壁を叩いてしまった。あ、壁ドン……違うか。

 

 子供、かぁ。

 まだ結婚してないし早く考え過ぎかもだけど、男の子でも女の子でも悠一似だといいな。間違っても地味顔の私には似てくれるな。

 悠一似の女の子……ちょっと想像し難いから今度女装でもして貰おうか。割とノリでやってくれる気がする。

 

 よし、なんとか顔の熱は引いた。まさか廊下で悶えるとは不覚。

 

 

「……」

 

 

 顔を上げると、紙コップを持った寺島さんと目が合った。目が赤いので徹夜明けだと思われる。

 

 

「……見ました?」

 

「うん」

 

 

 間を空けることなく即答されてうなだれた。なぜ私は本部基地で悶えてしまったんだ。後悔が押し寄せてきたが、すぐに思い直す。

 

 見られたのが寺島さんだけで良かったじゃないか。他の後輩とかだったら即ボーダー全体に広がるし。

 

 そう考えると、今日が平日で本当に良かった。

 

 

「そういえば、ラービットの解析が完全に終わった。この前の小型も2日くらいで終わるはず」

 

 

 話題を引っ張ることなく、ゆっくりとした足取りで歩き始めた寺島さん。

 たまにフラフラと傾いて心配になったが、紙コップが常に水平を保っていたのは流石だと思った。きっと中身はコーラだね。

 

 

「わかりました。今日の午後にでも開発室へお伺いさせていただきます」

 

「うん。壁ドンの練習もほどほどにね」

 

「……はい」

 

 

 フラフラしながら去っていく寺島さんに、挨拶をして別れた。

 

 壁ドンの練習をしていたわけじゃなかったけど、傍から見たらそうだったらしい。

 悠一との関係に悶えていたという事は、ソッと胸の内に仕舞っておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後、寺島さんに伝えた通り開発室を訪れた私は徹夜明けのエンジニアたちに出迎えられた。

 というか、お昼ご飯を作ってと強請られた。

 鬼怒田さんを始めとしたエンジニアたちのほとんどがカップ麺やインスタント食品を好んでいるが、流石に約1ヶ月も続くと食傷気味の人員が出てきたらしい。

 

 どちらの食品もあまり好きではない私には容認出来ない食生活だが、自己主張を押し付ける方が嫌いなので強請られたら作るスタンスを取っている。

 

 以前の泊まり込みの際に揃えた調理器具と調味料を確認して、カフェエリアの調理室から材料を分けてもらった。材料分のお金は開発室から払ってるよ。

 

 カップ麺ばかりだとビタミン・ミネラル・タンパク質などが欠乏する。一回の食事では改善しないし、中には濃い味しか受け付けない人もいるので悩んだ。

 

 とりあえずリクエストの白いご飯は確定。

 5分程悩んだ結果、鶏野菜スープとアサリの酒蒸しに生野菜のサラダを作ることに。

 

 白米を炊飯器で炊き始め、スープ用の野菜と鶏肉を小さく切っていく。口内炎が出来てしまっている人がいるので響かないようにと、速く火を通す為だ。

 アサリは既に調理室で砂抜きをしてあったが、炊き上がるまで時間があるから念のため水に浸けておく。圧力鍋という時短調理の味方に野菜と鶏肉、水と調味料を入れて蓋をして火にかける。

 サラダ用の野菜を食べやすい大きさに調え、キッチンペーパーでしっかりと水気を拭き取ってから皿に盛り付けて、ラップで覆ってから一時冷蔵庫へ。

 アサリを水から揚げて笊へ移す。

 炊飯時間を確認してからドレッシングの製作を始める。味の系統は、酢やレモンをメインとしたサッパリ系と、刺激が少ないクリームメインのまろやか系だ。2種類をそれぞれ容器に入れてこれも冷蔵。

 圧力鍋を火から降ろして、フライパンをセット。油をうすく広げて刻んだニンニクを炒めて香りを出す。そこに水気をきったアサリを投入して軽くフライパンを回して熱を均一に。酒を掛けて蓋をして2分程蒸し焼きにするとアサリが口を開けたので、蓋を外して少量の醤油を入れて味を含ませる。

 

 火を止めて皿へと盛り、刻んだ小葱は別皿に用意した。葱の好き嫌いって多いよね。

 

 圧力鍋の蓋が外れたので中をゆっくり混ぜて、小皿で味見。うん、バッチリ。野菜も柔らかく、鶏肉もホロホロといい感じに崩れて食べやすいはず。

 お米も炊き上がり、しゃもじでササッと混ぜて膨らみを持たせればツヤツヤと輝いた。

 

 

「ご飯できましたよー」

 

 

 給湯室から顔を出してそう言うと、歓声が上がって仕事机を大急ぎで片付け始めるエンジニアたち。

 そんなに大層なものは作ってないんだけどなぁ。栄養状態も気にかかるし、開発室付きの料理人とか派遣した方が良くないかな、と真剣に悩んだ。

 

 臨時のテーブルを出して、皿を並べる。炊飯器から白いご飯をお茶碗へとよそえば、エンジニアたちが笑顔で受け取って席に着いた。

 すごく、給食の先生の気分です。

 

 エンジニアたちが嬉々として食事に勤しんでいる間に、私は研究室へ向かった。

 

 今日の勤務後に夏目ちゃんの訓練をみる約束がある。まさか昼ご飯を作るとは想定していなかったので、少し急ぎたい。

 

 

「あれ? 君こんな所にいたの?」

 

 

 研究室の扉まで来ると、足に夏目ちゃんの猫がスルリとすり寄ってきた。

 

 本部付きとは言え、研究室近くに居るとは思わなかった。いや、雷神丸と同様に賢いらしく、悪さをしないので自由にさせているのだろう。

 

 

「ここは大事な資料とか危ない物が多いよ」

 

 

 流石に猫と一緒に入室はダメだろう。

 賢いから分かってくれると思ったが、あの感情の読めない顔のままヒョイヒョイと肩に乗られた。

 

 

「……大人しくしててね」

 

 

 降ろそうと手を伸ばしたが、可愛いネコパンチを食らって諦めた。可愛いって正義。

 

 研究室内は誰も居らず、雑然と資料が並べられていた。スリープ状態の機械には触れず、重ねられた資料の山から目的の束を抱える。

 

 荷物で半分埋まっているソファーへ移動して、内容の黙読を始めた。

 

 

 「───ふぁ~」

 

 

 集中力が切れて一気に眠気に襲われて欠伸が出た。かなり集中していたらしく、時間を確認するとそんなに経っていないことに驚く。

 

 肩に乗っていた猫がトンと足元に降りて、私と同じく大きな欠伸を見せてくれた。

 それにすっごく癒される。

 

 ラービットの解析結果報告を項目だけ抜き取ると、ラービットの基本構造、キューブ化について、エンジニアとしての発想の違いと「近界民(ネイバー)に負けるか!」という憤り&意気込み、遠征へ向けた研究提案、といった所だろうか。

 

 注目した部分はやはり捕獲機能だ。

 

 先ず腹の触針を獲物に刺すことで、獲物の脳からトリオン体への情報伝達を阻害して動きを止める。阻害方法は微弱な電流へと転換したトリオンだ。

 次に、トリオンエネルギーへ転換命令を発してエネルギーの形を命令通りに変形させる。個人的にハッキングや乗っ取りと似た印象を覚えた。

 これはボーダーでも建物やトリオン体の服装調整などで使用する技術であり、そう難しいことではないらしい。肉体の形からキューブの形へ組み換えるだけ。だから決まった手順でなければ、元に戻せなかったようだ。

 

 捕獲からキューブ化への流れを、難しい用語を抜いて纏めるとこんな感じだ。

 

 使用技術自体は珍しくはないが、この機能をトリオン兵が有するのは脅威であり、既存の技術を応用した発想力にボーダーのエンジニアたちは対抗意識が湧いてるらしい。

 

 後は、キューブ化を利用すれば機材の軽量化や移動が楽になる、とのこと。

 

 確かに長距離の移動用に、トリオン構造の車やバイクを遠征艇の格納庫に保管していた。また、非常時の医療器具や予備の隊員ベッドなど、艇内の場所を取る荷物を軽量化出来れば色々と余裕が出来る筈。

 

 素人ながらもこれだけ読み取れるのだ。是非とも研究を進めて欲しい。

 

 

「言った通り大人しくしててくれてありがとう」

 

 

 足にスリスリしてくる猫に自然と笑みが零れる。

 書類束を膝からソファーに降ろして、代わりに猫を乗せた。

 

 猫は心得たように見上げてくる。賢過ぎるよ。

 

 指先で顎の下をくすぐれば、気持ち良さそうに喉がゴロゴロと鳴って、可愛い。

 

 

「にゃあ~ん」

 

 

 思わず私の口から猫の鳴き真似が出てしまった。

 夏目ちゃんの猫はピクリと耳を動かして反応しただけで、更に「もっと撫でて」とすり寄ってくる。可愛い。

 

 しばらく1人と一匹でじゃれていた。

 

 

「ふふ。にゃー……!?」

 

 

 すると、いつの間にか悠一がスマホを構えて、ソファーの背もたれからこちらを見下ろしているのに気づいた。

 

 ピシッと固まった私に、猫はテシテシと続きを前足で強請ってきてすごく可愛い。

 でもちょっと待って。一大事なんだ。

 

 

「……」

 

「!?」

 

 

 ニヤリと悪い笑みを浮かべた悠一に悪寒がする。

 

 スマホをスッとおろした悠一が手元で操作をすると、音声が流れ出した。

 

 

『にゃー、にゃあ』

 

「う、ひぃ……き、鬼畜!」

 

「かわいいじゃん。あー困ったなぁ、今日はにゃんこプレイでもやらない?」

 

「やらないよ!? 変態か!」

 

「男はみんな変態です。ネコ耳と尻尾も用意するからさ」

 

 

 信じられない! 他人が居ないからって仕事場でそんな話題を振るなんて!

 いや、私も仕事中に猫と遊んでたのは悪いと思うけども!

 

 

「っだから! もっ、えっ……変な発言禁止! だいたい何時の間に入ってきたの!?」

 

 

 テシテシしてくる猫を胸に抱いて立ち上がり、ソファーから二歩ほど離れて悠一を睨む。

 

 ニヤニヤとした笑みを戻さないまま、彼は懐から一枚の書類を取り出してみせた。

 

 

「玲が猫の鳴き真似をやり始めた頃にそっと扉から入ってきましたー。あ、そうだ。着信音に設定しとこう」

 

 

 再びスマホを操作しだした悠一に慌てて取り上げようとソファーを避けて近づけば、私の手よりも先に、猫が悠一の顔に飛びついた。

 

 

「うおっ」

 

 

 見事に張り付いた猫。

 あの表情の読めない顔だけ私の方を振り返って、何故かどや顔してるような印象を受けた。

 

 

「……ぷっ」

 

 

 たまらず私は噴き出した。

 

 

 スマホと書類を片手ずつ持ち、微妙に仰け反った悠一。

 その上でどや顔をしていると思われる猫。

 絵面がおもしろ過ぎた。

 

 一応、スマホを奪おうとしたが、猫をくっつけたまま逃げられた。

 

 それにも笑ってしまうが、データを消さなくてはこれからずっと弄られるに違いない。どうにか消す方法はないか。

 

 

「悠一お願い、消して」

 

「やだ」

 

 

 やはり正攻法はダメか。

 

 

「じゃあ、今日は肉じゃがにするから」

 

「玲……ここは胃袋じゃなくて、エロい方向に持っていく場面だと思うんだ」

 

「茶碗蒸しも付けるから」

 

「……えー」

 

 

 一瞬躊躇ったのは見逃さないぞ。

 

 しかし、これでも譲ってくれないとなれば仕方ない。円城寺さんから教えてもらった必殺技を挑戦するしかない。

 正直あれだけでいいのかサッパリ不明なのだが、肉食系女子な円城寺さんが豪語するからには大丈夫なはずだ。

 

 猫の首根っこを掴んで顔から引き剥がした悠一の胸襟を、指先でやんわりと握って、出来るだけ下から覗き込んで小首を傾げる。

 

 

「……おねがい」

 

「……」

 

 

 ジッと見下ろされる。あれ? なんか間違えた?

 

 あ、ちょっと待てよ。チョイスを間違えた。こ、これは……たしかキスを、おねだりする時の……うわああ!

 

 どんどん顔が熱くなる。

 

 どうしよう。悠一も無言になっちゃったし、ここは一旦離れて形勢を立て直した方が良いんじゃないか!?

 

 そうだ撤退だ! 退却だ!

 

 

「うん、いいよ」

 

 

 無言からニッコリと笑顔を作った悠一に、離そうとしていた指先ごと硬直する。

 

 なにーッ撤退を防がれたぞ!?

 しかし隊長! 相手は効いてる模様です。これは大丈夫では?

 油断するな新兵! あの笑みを浮かべている奴の恐ろしさはこれからだ!

 

 いつの間にか猫を手放して空いた手が、私の顎を掬う。

 こ、これは顎クイッというヤツではないか!?

 

 

「玲からキスしてくれる? ふかーいヤツ」

 

「!?」

 

「してくれたら消してもいいよ。俺の妥協はここまでだから」

 

 

 ある意味で危険なオーラを発した男の言葉に、動揺が隠せない。

 

 キスを強請る必殺技を実行したら、反対にキスを強請られているんだが。きっと顎クイッは悠一の必殺技なんだ。カウンターか。

 いや、でも、私はキスを強請っていたわけじゃなくて……ああもう! どうしてこうなった!!

 

 

「どうする?」

 

 

 疑問符を付けていながら「ホラやれよ」というオーラを出さないでほしい。

 

 ええいッ女は度胸!

 

 腹を決めて踵を上げたら、モフモフの毛玉が肩に登ってきて、頭に移動。

 そして、悠一の眉間に強烈な猫パンチが繰り出された。

 

 

「いったッ!?」

 

 

 悶絶した悠一が崩れ落ちる。あれはクリティカルヒットだ。

 

 そして、その拍子にスマホが私の手元に降ってきた。

 

 

「猫さん、強い」

 

 

 賞賛してからとりあえずスマホを操作する。ロック画面じゃなくて良かった。

 

 

「ああ! 後生だから他のデータは消さないで!」

 

「ほう……私が消したがるデータが他にもあると」

 

「あ……ヤだなぁ、玲ちゃん深読みし過ぎダヨ~」

 

 

 白々しい言葉に半眼になりながら操作していれば、絶句する。

 こ、こんなモノを常に持ち歩いているのか!?

 

 何か文句を言いたいのに、ショックが強過ぎて言葉が出てこない。そうこうしている内にスマホを奪い返された。

 

 

「ちょ、ちょっと待って! 初期化させて!!」

 

「やだ。はぁ~猫パンチが思ったより痛くて誤算だったな……でも、玲も頑張ってくれたからさっきの分は消すよ。それで勘弁」

 

 

 手を伸ばすがあっさり避けられ、悠一は眉間を擦りながらスマホを操作する。

 

 

「ひ、被写体の意見も考慮して下さい!」

 

「却下。だいじょうぶ大丈夫。俺以外に見る人間はいない。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」

 

「そういう問題じゃないよ……」

 

 

 肩を落とすと猫が肩に降りてきた。

 あぁ、ありがとうございます。君の黄金の右前足は見事だったよ。チャンスを無駄にしてしまった私が悪いんだ。

 

 お礼の意味を込めて顎の下をくすぐると、気持ち良さそうに喉を鳴らしてくれた。かわいい。いやされる。

 

 

「それで……その書類は?」

 

 

 スマホ操作を終えた悠一に問えば、ピラリと差し出されたので受け取る。

 

 

「宿題をしてきたよ、せんせー」

 

「……うん、お疲れ様」

 

「ノリ悪いな。なに? 疲れた? キスする?」

 

「しません。誰のせいだと思ってるの」

 

「さあ?」

 

 

 愉しそうに笑む悠一を尻目に、受け取った書類に目を落とした。

 

 簡易地図が載せてあり、悠一の字で追記補足が書かれている。

 

 

「全滅か……」

 

「うん。今のところは、ね。人命被害もまだ視えない」

 

 

 来たる襲撃に備え、予測される戦闘現場を数日掛けて悠一に視回ってもらっていた。確かに宿題とも言えるだろう。

 

 人命被害がないのならひとまずは安心だが、懸念事項が完全になくなったわけではない。下手をすれば組織の活動を縮小させかねないものばかりだ。

 

 

「そう……なら、そろそろ報告を上げよう。この結果ならパターンもほとんど決まっているようなものだし、防衛対策も固めたい」

 

「了解。一応視回りは続けるけど、追加はある?」

 

「場所の追加はないけど、壊れ方で不自然な部分があれば教えて。敵のトリガーがどういうタイプかの推測材料になる」

 

「不自然な部分ね……また難しいところを突くなぁ」

 

 

 書類から顔を上げると、悠一は困ったような言葉とは裏腹に、嬉しそうな微笑みを浮かべていた。

 

 解っているみたいだけど、改めて言葉にする。

 

 

「ベテランの勘と、今まで収集した情報と、懸念する思考を信じてるんだよ」

 

「そこで『ダーリンだけを信じてる!』って言わないトコが玲らしいね」

 

「言わないよ。私も考えて、これから皆も巻き込んで一緒に戦うんだから」

 

 

 独りだけに背負わせたりしない。

 

 胸を張って強めに言い切れば、へにゃりと悠一が笑う。ちょっと、かわいい。

 

 

「……やっぱり、玲にはかなわないなぁ」

 

 

 ギュッと抱き寄せられて、猫がいる肩とは反対の耳元でそう言われた。息が掛かってくすぐったい。

 

 

「うん……? そう、かな?」

 

「そうだよ。おれいっつも負けるもん。悔しいから猫耳と尻尾つけて」

 

 

 おい、なんでそうなる。あ、そういえば。

 

 

「じゃあ、悠一が女装してくれればいいよ。それなら着ける」

 

「え……いや、よく考えて。ベッドでその光景はかなりシュールでしょ」

 

 

 耳元から顔を上げた悠一の真面目な顔と向き合う。まったく、これだから残念なイケメンは。

 

 

「なんでベッドなの。リビングでもいいでしょ」

 

「も~大胆だなぁ玲は」

 

「ちょっと待て。なんか余計に悪化した? リビングがダメなら玉狛支部にでも行こう」

 

「情操教育に悪いでしょ」

 

「それもそっか……陽太郎くんが女装に目覚めたら取り返しがつかないよね……」

 

「うんうん。じゃあ、今日の夜にでも」

 

「今日の夜はムリ。だって悠一のサイズを用意してな……って! もうこんな時間!?」

 

 

 首を横に振った拍子に時計が視界に入って焦る。予定時間を完全にオーバーしていた。

 

 もともと仕事予定時間は余裕を入れて調整しているとは言え、今回はそれを踏み倒す勢いで行わなければ間に合わない!

 

 

「ごめん仕事に戻る! あっと、報告書ありがとう! もう一回読み直してからファイリングしとくね」

 

 

 悠一から離れ、ソファーに置いていた書類束を素早く元の場所に戻して、急いで研究室を後にした。

 研究室から出た途端、エンジニアたちからギョッとされた気がしたけど構ってられない。

 

 駆け足で仕事場に戻ってから、肩に猫を乗せたままだったと気づいて申し訳なく思った。ごめん、よく落ちなかったね。

 上着に穴が空いてたのは仕方ない。

 

 

 




  ・エンジニアたち
「あー美味い。八神を嫁にしたい。この飯が毎日食えるなら這ってでも家に帰れる気がする」
「おい、滅多なことを言うんじゃねェ。セコムが来るぞ」
迅「ドモ~実力派エリートのセコムです」
「「ぎャー出たーッ!?」」
迅「じゃ、おれはイチャイチャしてくるんで邪魔しないで下さいネ」
「くそッ! リア充がッ」
「やべーな。研究室は防音だ。まさかそれを狙って……」
「あのセコムなら有り得る」
「……マジでヤってんじゃねェだろうな? 結構時間経ったぞ」
「……覗くか?」
「やめろって。あの真面目っ娘が仕事場でヤるわけない」
「そう言って扉に近づいてんのはオマエだろ」
「いやオマエ等だって……!?」
「!?……走ってったな」
「ああ……わかんなかったな」
「……猫と一緒だったんなら、猫に夢中だったんかな?」
「そうかもな」
「きっとそうだ」
「そうに違いない」


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ヒーローは自覚がない

三人称


 

 

 玉狛支部の屋上へ続く階段前で、三雲は改めて今日のランク戦を思い返す。

 

 三雲は今日のランク戦で、何も出来ずに終わった。空閑の負担を減らそうとした行動は裏目に出て、結局はチームの足を引っ張る結果となってしまった。

 

 せめて何か一つでも出来ていたなら、三雲は己を責めなかっただろうか。

 否。これまでのランク戦で常に実力不足を感じていた彼は、どれだけ最善を尽くしても己を責める。ランク戦で戦う度に課題を見つけて、けれど、現段階でどうすることも出来ないそれを見つめるしかない無力感。

 

 ───僕は、主人公(ヒーロー)ではない。

 

 三雲は唇を噛み締めて、叫び出しそうな悔しさを押し込めた。

 

 空閑のように強ければ、雨取のようにトリオンがもっとあれば、もっと上手く作戦を立てられてたら。たらればは幾つも浮かび、そしてそれらは総て三雲の無い物ねだりだった。

 

 フィクションの中で自分の強みを生かして成長していく主人公(ヒーロー)たち。

 もちろんフィクションと現実は違うことを三雲は理解しているが、それでも「自分も彼らのように」と考えてしまうのは止められなかった。

 

 これと言った強みがないことの自覚はあれど、理想を棄てることなど人間は出来はしない。

 三雲の悔しさは当然だ。

 

 これまで掛けられた言葉が次々と三雲の脳裏に浮かぶ。厳しい言葉が多くとも、決して心を折るような責めるものではない。

 

 彼は一度大きく息を吐き出してから、玉狛支部の階段を上る。

 

 

「『隊長としての務め』……」

 

 

 風間の言葉だ。

 

 三雲は今回完敗したが、周りは誰も彼を責めることなく成長を促してくれた。

 それに応えるために、三雲は行動するしかない。チームメイトの為にも立ち止まることなど、三雲修には選べない。

 

 どれだけ反則級なことだろうと、がむしゃら過ぎる手段だろうと、己の名誉よりも友達の命と約束が大事だから。

 

 その行動力こそ三雲修(ヒーロー)に相応しいことを、彼は知らない。

 

 

「お、メガネくん……話って何だ?」

 

 

 屋上の扉を開けると、コーヒーのマグカップを片手に持った迅が三雲を出迎えた。

 

 

「……迅さん、僕たちの部隊(チーム)に……玉狛第二に入って下さい」

 

 

 何の前置きもせず、三雲は神妙な顔で口火を切った。

 

 迅はその様子を見て、視て、三雲の感情(表情)()る。軽い気持ちで答える気は最初からなかったが、識ることでより明確に迅の心は定まった。

 

 

「…………おいおいメガネくん、急にどうした? この実力派エリートを部隊(チーム)に入れるとか、なかなかの反則技だろ」

 

 

 だが迅は答えをすぐには返さず、髪を撫でるように緩く頭を掻いて応えた。

 

 

「いえ、規則は確認してきました。迅さんは今無所属(フリー)の正隊員。勧誘しても問題はないはずです」

 

 

 屋上に来る前に三雲は宇佐美に、勧誘についての規則を確認してきていた。

 基本的に部隊への加入・脱退に制限はなく、それはランク戦シーズン中も可能である。制限と言えば『部隊の戦闘員は4人まで』という、オペレーターの処理能力の範囲内に留める為のものくらいだ。ただ、隊員が増えれば連携の練度は下がりランク戦で勝ち上がることが難しくなるので、シーズン中はあまり良い手ではない。

 

 しかし、玉狛第二の部隊結成期間を考えれば、連携の練度に差はあまりないと思われた。

 

 

「迅さんには予知(サイドエフェクト)がある。勿体振っても意味ないと思って単刀直入にお願いしました」

 

「なるほど……じゃあ、その結論に至るまでの考えを聞こうか」

 

 

 迅は屋上の縁へ三雲を誘って話を聴く姿勢を取った。

 快諾されることはないと予想していた三雲は、迅がひとまずは話を聴いてくれるのだと知って少しだけ安堵する。

 

 迅の隣に腰掛けた三雲は今日のランク戦での反省と、たった今迅を勧誘している理由を話し始めた。

 

 今期でA級部隊へ昇格するためにはもう負けられないこと、最短の遠征部隊に選ばれて空閑をレプリカに早く会わせて治療を受けさせたいことを話し出した三雲に、迅は「焦る必要はない」と首を振った。

 

 

「玉狛第二はデビューしたばっかの新人(ルーキー)だぞ? そんな自分を追い込むことないだろ。

 そもそも結成直後でAに上がる隊なんてめったにいない。今日は確かに負けたけど、メガネくんは今修行中で伸びるのはこれからって感じだし、千佳ちゃんだって今回一歩踏み出した感じはあった。

 それに、玲も遊真の事情を知っているし、今回メガネくんたちが選ばれなくてもレプリカ先生を取り戻してくれるはずだ。焦って成長のチャンスを潰すのはもったいないぞ」

 

 

 ニッと笑った迅を見て三雲はグッと黙り、それから言葉を絞り出した。

 

 

「…………たしかに、これは僕の我が儘なんだと思います。大侵攻の最後に、レプリカを犠牲にしてしまった罪悪感を消したいのかもしれない……けど、ひどい話、僕はそれよりも自分が言ったことを曲げたくないんです。中途半端に投げ出してしまえば、僕はこの先ずっと後悔してしまうと思うから。

 後悔しないために僕は僕のやれることを全力でやりたいんです」

 

「……それで俺のスカウトに繋がるわけか。まったく、そういうところ玲と似てるなメガネくんは」

 

 

 正直に心情を吐露した三雲に、迅は感慨深く呟いた。

 

 迅は元から三雲のことを応援したいと考えているし、八神と似た部分を見せられてその指揮下に入る魅力にも惹かれている。

 

 だが、まだ時期ではない。

 

 

「……でも残念だけど、俺は玉狛第二には入れない」

 

「……!」

 

「俺には今、他にやらなきゃいけないことがある。チームランク戦に参加するのはムリだ。すまない」

 

「……………………いえ。こっちこそ無理なお願いして、すみませんでした」

 

 

 やはり、という思いが三雲の中にはあった。

 それで完全に納得出来るわけもなかったが、三雲は食い下がることなく、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

 彼のその様子を迅は静かに見つめてから、視線を正面へと移した。

 

 

「メガネくん、自分だけを責めるなよ。俺だってあの場にいた人間だ」

 

「! でも……レプリカは僕が」

 

「メガネくんがそう感じるのもムリないと思うけど、俺の責任まで取ったらダメだ」

 

 

 三雲が顔を上げたが、迅は視線を正面に向けたままスッと立ち上がる。

 コーヒーの香りが一瞬だけ強まった。

 

 

「知っての通り、俺には予知のサイドエフェクトがある。玲の作戦結果もいくつか視えていたし、レプリカ先生がいなくなるのを阻止することも出来る未来もあった」

 

 

 その告白に、三雲はただ唖然とした。

 

 そして、続けられた話で更に言葉を失う。

 

 

「でも予知と言っても視えるだけで、進む未来を自由に選べるわけじゃない。言い訳がましいけど、俺に出来るのは未来を知って最良に近づけることだけなんだ。

 だから、レプリカ先生がいなくなったのは俺の力不足でもある」

 

 

 感情の起伏を感じさせない淡々とした迅の語りに、三雲は迅が自分を慰めるために言ったわけではないと理解した。

 

 迅は少しだけ悲しげに顔をしかめた後、表情を普段通りに緩めて三雲と目を合わせた。

 

 

「な? 俺にも責任あるだろ? メガネくんのより重いぞ」

 

「……でも僕のだって重いですよ。重さの感じ方は人それぞれです」

 

「ははは、まぁな」

 

 

 湯気がほとんど立っていないマグカップを傾けて迅は笑う。三雲も屋上に来た時とは違い、凝り固まっていた表情を弛ませた。

 

 

「俺は千佳ちゃんにもメガネくんにも、もちろんレプリカ先生と遊真にも大きな()()がある。だから、今はちょっとムリだけど、この先メガネくんたちが困った時には必ず力を貸すよ。 約束する」

 

「……はい!」

 

 

 目的が達成出来なかった三雲だが、迅との対話はきちんと意味があったのだと感じる。現に三雲の心に掛かっていたモヤは薄くなっていた。

 

 更に迅は三雲の未来にヒントを与える。

 曰く、()()玉狛第二には己より適任なやつが居る、と。

 名指しすることはまだ躊躇われる為、どうするかは三雲の判断に委ねるとのこと。

 

 

「自分の弱さを理解して、なりふり構わずいろんな手を考えられるのがメガネくんのいいとこだ。今回も探してみるといい」

 

「わかりました」

 

「じゃ、がんばってね」

 

 

 また一つ、前を向く理由を与えられた三雲(ヒーロー)。彼の中にはもうモヤなど無くなっていた。

 

 三雲は離れていく迅の背中に呼び掛ける。顔だけを振り向かせた迅に、三雲は───

 

 

「僕の弱さが招いた責任は僕が負います。まだまだ迅さんに助けてもらってばかりですが、いつか迅さんに恩返しをしてみせます。

 ()()()()とか関係なく、お世話になったみんなに"倍返し"です」

 

 

 ニッと珍しく強気な笑みを浮かべた三雲に、迅も吊られて口角を上げる。

 

 

「……っ! 倍返しかあー!!」

 

 

 そして、我慢出来ずに迅は大きな笑い声を上げた。

 腹まで抱えて笑い出した迅に、さすがの三雲も先ほど言ったものを取り消そうかどうか迷う。

 

 マグカップを落とさないよう、しっかりと握りながら大笑いしていた迅が徐々に声を落とし、笑いの余韻を残したまま嬉しそうに話し出した。

 

 

「ごめんごめん、嬉しくってさぁ……昔の俺じゃあ考えもしない展開が今なんだよ」

 

「はあ……」

 

 

 要領を得ない迅の言葉に三雲は曖昧に頷くことしか出来なかったが、それでも迅は満足そうに微笑む。

 

 三雲はそれに、よく分からないが迅さんが良いのなら、と無理やり納得した。

 

 

「さ、中に戻ろう。メガネくんもすっかり冷えちゃったしな」

 

「あ、はい。そういえば、今日はこっちに泊まりですか?」

 

 

 階段へ手招きする迅の後ろに続いて三雲も屋上を後にし、降りながらふと思い付いた問いを迅へ向ける。

 

 迅はマグカップに残っていた最後の一口をグイッと飲み干して、冷めてまずくなっていたコーヒーの味に渋面を作ってから問いを軽く肯定した。

 

 

「うん。帰っても良いんだけど、玲は夜間任務だからいないんだよね~。ちょうどメガネくんとの話もあったし泊まるつもりで来たんだ」

 

「夜間任務ですか。僕は入ったことないんですけど、やっぱり大変なんですか?」

 

「慣れたらどうってことないさ。ただ、今日のは玲もキツかったと思うから、明日もし会ったら(いたわ)ってやってね」

 

「はい」

 

 

 三雲の素直な返事に、渋面を崩した迅は明日のことを考えて含み笑いを浮かべた。

 

 幸い、迅が先に階段を降りていたおかげで、三雲が迅の表情変化に気づくことはなかった。

 もしも見ていたなら、三雲は冷や汗をかいてそっと目を逸らしていただろう。

 

 

 



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八神視点


 

 

 

 

 B級ランク戦に盛り上がっていたらしい土曜日が過ぎて、日曜の朝の現在。沢村さんと一緒に会議資料を部屋へ運んでバタバタと準備を行っている。

 

 昨日の午前は普通だったけど、午後からの防衛任務が面倒だったなぁ。

 

 ソロ隊員たちの臨時隊長として入ったのだが、問題児さんたちがいらっしゃいまして。

 1人は遅刻常習犯で、1人は自信過剰っ子。

 

 遅刻常習犯は文字通り通算8回目の遅刻だった。今回の言い訳は「友人と話していたら遅れた」で、1時間の遅刻である。

 防衛任務を何だと思っていると問い詰めれば、逆ギレされてスコーピオンを突き付けられた。映像を記録していたので今頃は解雇だろう。

 

 自信過剰っ子は「トリオン兵なんてガラクタ」と言って制止の声も聞かずに1人突っ込んでから緊急脱出(ベイルアウト)した。初期の太刀川さんを思い出したよ。

 訓練用に弱体化させたトリオン兵を相手に圧勝して、後は対人戦ばかりを行ってそこでも同期のC級隊員を蹴散らしていたからの自信だった。

 とりあえず残りの隊員と連携して任務を果たし、基地へ戻って報告書作成。その際に自信過剰っ子に問題ある行動を指摘すれば、暴言を吐かれるわ、報告書の捏造をしようとするわ、挙げ句の果てには「アンタがしっかりサポートしないからだ。A級で正社員な上に有名人と恋人だからって調子ノリすぎ」と理解し難い言葉をもらった。

 まぁ、ただの僻みかと流していたら悠一のことも口汚く罵ってきたので、それまでの色々なことも含めて教育的指導をしておいた。

 

 こういう新人は普通にいるし、指示を聞く人間ばかりでもない。

 

 出る杭を打つ、なんてしようと思わない。A級もB級もクセの強い人間が多いし、自信過剰っ子もまだ経験が少ないだけでリーダー気質ではあるのだ。これからに期待しよう。

 

 あと私個人に感情をぶつけてくる人間もいる。ほとんどが女の子だ。ボーダー屈指のイケメンと呼ばれている青年たちとまでは言わなくても、顔立ちが整っている上に実力者である悠一も、当たり前にモテる。

 それなのに私みたいな普通の女が隣にいるのは許せないらしい。任務中に急所を狙われるわ、変な噂を立てられるわ、嫌がらせ目的のストーカーが発生するわ……近界(ネイバーフッド)遠征任務よりハードだった時期があったのは記憶に新しい。

 

 正直、昔は悠一が他の女の子を選ぶならそれでも良いと思っていた。過去に何度か女の子たちの方へ誘導したことも、あったなぁ。

 けど今は、譲る気なんて一切ない。もう悠一の気持ちを疑わないし、『愛してる』って言葉を我慢するつもりもない。ちょっと気恥ずかしいけど。

 

 

「玲ちゃん今日は非番だったよね? 大丈夫?」

 

「大丈夫ですよ。それに対策会議を上に提案したのは私ですから」

 

「そうだけど……夜間任務で徹夜だったんだから無理したらダメよ?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 

 モニター設定と資料の抜けがないかをチェックしてたら、沢村さんに気遣いの言葉を貰った。円城寺さんとはまた違う、頼れるお姉さんな沢村さんに笑みを向ければ、仕方ないなぁと微苦笑をされた。

 

 沢村さんの言った通り、私は夜間任務に冬島隊長とコンビで担当していた。当真くんと真木ちゃんは高校生なので、出来るだけ夜間任務には入れないようにしている。頻繁な夜更かしは身体に良くないからね。

 

 本当は臨時隊長としての防衛任務後、短時間の仮眠を摂ってから夜間任務に入る予定だった。緊急の事態でも起きなければそこまでトリオンを消費しないサポートだから、と。

 

 通常なら連続勤務でも問題ないはずだった。

 それが問題児さんたちの件で無駄に時間とトリオンを消費して、仮眠を摂ることなくそのまま任務に就くことに。と言っても、そこまで苦ではなかった。連携し易い冬島隊長とコンビだった上に、イーグレットとスパイダーと繰糸の3種のトリガー構成ならトリオン残量は余裕だった。

 

 眠気も任務中は関係ない。トリオン体には基本的に戦闘をする上で邪魔な要素となる疲労も空腹も眠気も生じないからだ。しかし、トリオン体を維持する為に必要なので、食事と睡眠を意図的に行える作りとなっている。

 

 夜間任務後は、1時間の仮眠を摂り食事をしてトリオン体を維持した状態で会議の準備を始めた。

 非番とは言え、こちらが提案した会議に休むわけにはいかない。でも会議が終わったら、少しだけ眠ろうかな。会議の結果次第だけども。

 

 会議室の準備が終わった頃、徐々に席が埋まっていく。それぞれに挨拶をして、召集が掛かっている隊員たちの到着を待った。

 

 

「揃ったな。では、緊急防衛対策会議を始めよう」

 

 

 風間さんと悠一の到着を認め、忍田本部長の合図に応えて資料を配る。

 

 会議に参加するのは城戸司令と忍田本部長と沢村さんの3人。そして現在防衛任務中の加古隊と、他県へのスカウトに行っている草壁隊と片桐隊を除いた、A級部隊長たちの5人。B級の代表として東さんに、加えて提案側の悠一と私の計11人だ。

 

 

「早速だが本題に入らせてもらう。先日の防衛戦で捕虜にした元・黒トリガー使いエネドラから『新たに近界(ネイバーフッド)からの攻撃が予測される』という情報を得たと、開発室から報告を受けた。そして、迅の予知でも襲撃は確定だ。

 玉狛支部のレプリカ特別顧問が残した軌道配置図によれば、まもなく3つの惑星国家がこちらの世界と接近する。このうちガロプラ、ロドクルーンの2つがアフトクラトルと従属関係にあり、今回の敵国となる」

 

「従属関係……こないだの連中の手下ってことか」

 

 

 太刀川さんが一瞬言葉の意味を考えたように見えたが、おそらく気のせいだ。

 

 

「詳細な襲撃方法などはまだ不明だが……」

 

「街への襲撃はないよ」

 

 

 忍田さんの視線を受けた悠一がきっぱりと言い切れば、皆が一様に驚きの表情を浮かべた。

 確かにここまではっきりと断言する悠一を見たのは久し振りだと思う。

 

 

「マジかよ迅」

 

 

 思わず、という風に太刀川さんが悠一を見やれば、ニッと自信満々な笑み。

 

 

「うん。玲がいるからね」

 

「八神が?」

 

「なるほど。上手く利用するのか」

 

 

 冬島隊長の隣に立つ私に視線が集まったが、東さんが納得の声を上げたことで視線がそちらへ行った。ありがとうございます東さん。流石です東さん。

 

 

「東さん、どういうことですか?」

 

 

 三輪くんが私と東さんを交互に見て、ほんの少しだけ首を傾げた。

 東さんがこちらを見たので頷きを返すと、三輪くんに視線を戻して答えを口にする。

 

 

「前回の国の従属国ということは、先の攻防戦もある程度情報が伝わっているはずだ。あれだけ目立っていたんだ。その中に『市街地防衛を一手に引き受けた人間』と『戦法』が入っていなければおかしい。つまり、八神がいるだけで市街地を攻めることを躊躇わざるを得ない」

 

「……なるほど。ありがとうございます」

 

「情報戦は既に始まってるということか。だが、それはこちらに分がある」

 

 

 東さんに頭を下げた三輪くん。その向かいに座っていた風間さんが頷き、隣の席で笑う悠一を横目に見る。

 

 対策会議の空気は軽くも重くもない、丁度良い緊張感だ。

 忍田本部長もそれを認めたのか緩く口角を上げた。そして、すぐさま表情を引き締めて話を一時停める為に片手を挙げた。

 

 

「これからその2国の対策を練るわけだが……その前に、城戸司令よりこの件についてひとつ指示がある」

 

 

 成り行きを静かに見守っていた城戸司令が視線を受けて、作戦の根本を定める指示を発した。

 

 

「今回の迎撃作戦は、可能な限り対外秘として行うものとする」

 

「対外秘……!? 市民には知らせないということですか?」

 

「そうだ」

 

 

 その場の部隊長たちが驚き、代表するかのように嵐山が問えば城戸司令は表情を変えることなく肯定した。

 

 第二次大規模侵攻からまだひと月も経っていないのだ。いくら市街地に被害を出さなかったからと言っても、遠目からでもトリオン兵の大群は市民には恐ろしかっただろう。あれだけ大きな侵攻を目にした後では、不安を増長させかねない。現在計画を調整中の遠征任務を順調に進める為にも、ボーダーへの不安や風当たりを煽る必要はないということだった。

 

 城戸司令の指示はご尤も。当然、敵の出方次第では避難勧告を出す必要もあるが。

 

 

「『気づかせない』のレベルだと、ボーダー内部でも情報統制が必要になりますが」

 

「その通りだ。作戦はB級以上、必要最低限の人員にのみ伝える。それ以外は通常通りに回してもらう。防衛任務もランク戦も平常運転だ」

 

 

 風間さんの確認に、忍田本部長が肯定した。

 

 B級部隊員は良いが、ソロ隊員たちのシフトはもう少し調整しなければならないかな。侵攻が警戒されるうちは出来るだけ連携の取れる部隊を防衛任務に就かせたい。間違っても昨日みたいなワンマンプレーが目立つ隊員は、早めにシフトを消化させるか後半に繰り越すかしないと危険だ。

 

 

「一応、大規模な襲撃の可能性も押さえつつ、基本的にはA級中心で警戒・迎撃に当たってもらう」

 

 私の方へ顔を向けてきた城戸司令へ「かしこまりました」と了承。シフト調整の意味と、作戦立案を任された。

 前に忠告されたことが頭を過ぎってちょっぴりドキッとしたが、悠一と一瞬だけ目が合って落ち着いた。悠一の援護力が半端ないです。

 

 東さんの進言で天羽くんのサイドエフェクトの力を借りることが決まった。

 相手の実力を色で判断出来る彼がいれば、小部隊でも効果的な戦力投入が期待出来るからだ。

 

 

「今回の作戦は迅と八神が纏めた予測情報を基にしていく。八神」

 

「はい。皆さん、お手元の資料をご覧ください」

 

 

 それぞれが配付された資料を手に取ったのを確認して、冬島隊長の隣から一歩前へ出る。

 

 前回のような危ない橋を渡る作戦ではない。私1人で立てた作戦ではないし、悠一がひとりで動いたものでもない。2人でしっかりと向き合って確かめた情報だ。

 そして、今度は仲間と共にクオリティーを上げていくんだ。

 

 ほんのりと薄く、しかし泰然とした強気の笑みを浮かべる。

 

 無表情よりも笑みを。

 されど、今回の笑みは作っているわけでない。腹の底から湧き上がるような熱量が、自然と表情を変えさせた。

 

 ───ああ、ここが私の戦場だ。

 

 どこかの私が内心呟いた。攻撃手たちが剣戟の合間に魅せる烈しいものとはまた違う、いっそ灼熱とも謂える水面下の情報戦(冷戦)

 集めて用意した材料で、顔も知らない"敵"を丁寧に、ぶちのめす。

 

 恍惚としたような響きさえ添えて、その呟きが霧散すれば。

 

 ───開戦。

 

 

「次の侵攻予測の大前提ですが、作戦を段階に分けたいと考えています。何故なら、初手の邂逅だけでは2国を完全に撃退も、捕虜にも出来ないからです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「さあ、仕事だ仕事だ。お先~」

 

 

 会議が終わってそれぞれが席を立ち、冬島隊長は体を伸ばして肩を回しながら部屋を出て行った。

 生身だったしまだ眠気が残っていたのだろう。お疲れ様です。

 

 

「八神、今度は無理するなよ。自分を大事にな」

 

 

 東さんからそう声を掛けられ、思わず苦笑いになる。前回が前回だけに、色々な人に心配を掛けて申し訳ない。

 

 

「あはは……前回については耳が痛いばかりです。でも今回は胸を張って『大丈夫』と言えますから」

 

「そいつは頼もしいな」

 

 

 胸の前で軽く拳を握って『大丈夫』と笑えば、東さんがおかしそうに微笑みながらも同じように拳を作って応えてくれた。

 こういうノリが良いところが慕われる秘訣なんだろうなぁ。

 

 

「そう言って玲ちゃんは無理するからな~今日だって寝不足なんだから」

 

 

 沢村さんが私の背中からひょこっと顔を出して東さんに密告した。元隊長に裏切られた、だと……!!

 

 

「沢村さん……それは任務だったから仕方ないじゃないですかー」

 

 

 背中から隣へ移動した沢村さんにジト目を送れば、ヨシヨシと頭を撫でられた。

 身長は私の方が少しだけ高いけど、そういうもの関係なく沢村さんはお姉さんっぽい。

 

 沢村さんは東さんの方に向き直って「遅れたけれど一級戦功おめでとう。後進の育成も順調みたいね」と満面の笑みを浮かべた。

 

 それに東さんも笑みを返す。

 

 

「ありがとう。でも戦功を挙げられたのは、優秀なオペレーターを始めとした後方支援の皆がいるからこそだ」

 

「またまた~上手いんだからもうっ」

 

 

 沢村さんがご機嫌な様子で拳をつんっと東さんの体に当てる。照れているのとは違う気易い間柄の掛け合いに、傍から見ていた私も微笑んだ。

 

 その後、東さんが三輪くんに声を掛けて焼き肉を食べに行く約束を取り付けたり、沢村さんが焼き肉を羨ましがったり、A級部隊長組と悠一が和やかに話したりしてから、忍田本部長と沢村さんと私以外は退室して行った。

 

 

「八神、少しいいか?」

 

 

 沢村さんと部屋の片付けでも、と思ったところで忍田本部長から声が掛かった。

 ちなみに城戸司令は会議が完全に終わる前に、次の仕事時間が来てしまい既に退室している。後で会議のまとめを沢村さんが提出するのだろう。

 

 

「はい」

 

「次の遠征任務の引率者(リーダー)が私に決まった」

 

 

 忍田本部長は室内に沢村さんと私以外の人間がいないことを再度確認してから話し始めた。

 

 

「それと、遠征の道程が長くなることを考慮して、通例より選抜を早めて研修・訓練期間を延ばすこととした。ついては、君の選抜基準を参考までに聞かせてほしい」

 

「選抜基準ですか……艇の規模を拡大中ということですが、そちらも考慮してのものでしょうか?」

 

「いや、実際の人数制限は設けない。君が次の遠征で必要だと思う要素だと捉えてくれ」

 

「かしこまりました」

 

 

 なるほど。名指しをしてしまえばと人柄や背景まで定めてしまうので、それを省いた上での判断基準ということか。

 

 次の遠征は市民への公開遠征だ。

 であれば"大成功"と言える結果とは『攫われた人間を全員救出した上で、遠征した人間も無事に帰還すること』だ。

 

 当然、困難な任務目標なのは間違いない。目的地のアフトクラトルとこちらの世界の間に、幾つかの星国を挟まなければならないのだ。行きも帰りも全員無事にする遠征日程が前提となる。

 それが理想だが、決して容易ではない。

 

 そうすると、必然的に欲しい要素が定まってくる。

 

 

「そうですね……やはり従来の選抜基準である生存能力が高いことが重要だと考えます。これには戦闘能力も含みますが、不測の事態への臨機応変さや精神の安定力にも(かか)っていますから。

 今回は『奪還』を目的としていますので、情報収集や撹乱などの工作能力があること。そして、奪還した隊員を落ち着かせたり説得が出来ること。遠征任務では個人での別行動も予測される為、自己判断能力も一定水準満たしていた方が良いかと」

 

 

 説得云々は重要だと考える。精神的ショックで敵味方の判断が出来なくなっていたり、洗脳されていた場合などは無理やり気絶させるか意識を刺激して説得するしかないからだ。

 またそういった人員は、集団の良好な関係性を築ける者が多い。

 

 

「ふむ……街の防衛も重要だが、今回ばかりは遠征に重きを置くべきだろうな……ありがとう。君の意見、参考にさせてもらう。休日が半日になってしまったがきちんと体を休めてくれ」

 

「はい。お気遣いありがとうございます」

 

 

 頭を下げて片付けを再開しようと部屋を見渡すが、話している間に沢村さんがすべて終わらせていた。流石です。

 

 残された仕事もなかったので、ありがたく退室することに。

 

 

「では、忍田本部長、沢村補佐官もお疲れ様でした」

 

「ああ」

 

「お疲れ様」

 

 

 忍田本部長と沢村さんから微笑みと共に見送られ、退室した後に気づいた。

 

 会議室内にあの2人っきりだ、と。

 

 でも忍田本部長が沢村さんの恋心に気づいている節はないし、沢村さんも公私混同をしない方だし、プライベートで会っている様子もない。見守るこちらはじれったいけど、こればかりは強要できないものだ。せめて忍田本部長が沢村さんの恋心に気づけばまた事態が変わってくると思うんだが。沢村さんは沢村さんで、忍田本部長が格好良すぎて告白の勇気が萎んでしまうらしかった。

 普段がしっかりしているだけに、沢村さんのそういう所が可愛すぎる。ギャップ萌えの使い手だよね。

 

 自販機エリアに差し掛かった所で、ポケットに入れていたスマホが震えた。

 マナーモードにしていたスマホは音が鳴らずとも、画面が点灯して『今はどこにいますか?』という夏目ちゃんからの絵文字たっぷりの文面が表示されていた。

 

 私が現在の位置を記して送信するとすぐに『今から来ます』という慌てて打ったような素っ気ない文面が返ってきて思わず笑う。そして、何か約束していたかな、と首を傾げた。正直心当たりはない。

 

 それでも慌てて来るということは大事な用事に違いない。もしかしたら緊急で訓練を付けてほしいのかもしれない。それならばトリオン体を維持しているのは無駄なトリオンの消費となるか。

 

 

「トリガー解除(オフ)──ぅわ」

 

 

 ドッと生身の肉体に疲労と眠気が降りかかってきた。

 

 なんとか頭を振って目を開け、自販機からホットコーヒーを購入。ベンチに腰掛け、紙コップから立ちのぼる湯気と共に香りを吸い込めば、自然とため息が出た。

 水面に息を吹いて気休めに冷ましてから、緩く傾けて少量を口に含む。

 

 

「あつ……」

 

 

 手の中にあるコーヒーもだったが、頭を中心に全身がそうであった。

 耳には血液が忙しなく流れている轟々とした音が響いている。どうやら会議に熱中し過ぎたらしい。寝不足もあるのかな。

 

 夜更かしは頻繁にしているけど、家の中でリラックスした状態と、気を張っている夜間任務とでは全然違う。

 冬島隊長は無事だろうか。いや、あの人は夜更かしに慣れているから大丈夫かもしれない。でも遠征前はしっかり寝かせないと、また艇酔いで大惨事になってしまうから気を配らないとダメだ。

 

 とにもかくにも、片付けないといけないモノを早急に済ませて今日は早く寝よう。

 ふかふかぬくぬくのお布団で只野イルカを抱きしめて寝るのだ。3秒で落ちる自信があるぞ。

 

 

「あ、ししょー!」

 

「夏目ちゃん」

 

 

 廊下を駆けてくる夏目ちゃんに手を挙げて応えれば、私の前まで来た彼女が笑顔で今日の成果を報告してくれたのだった。

 

 

 




 ・仏の顔も八度まで
 防衛任務は戦闘員の隊員にとって最重要任務な筈で、市民の安全の為にも遅刻は厳禁かと。再三注意していたのに改善が見られず、最終的にトリガーを脅しに使ったことが決め手となりクビになった遅刻常習犯。
 自信過剰っ子は教育的指導によって泣いた。
 八神は自分の容姿を「一応、他人を不快にさせない程度」と自己評価しており、容姿について何か言われても「あ、そう」くらいで特に気にしません。メンタル面も近界で鍛えられたせい(おかげ?)か、生半可な誹謗・中傷では傷つきませんし鼻で笑い飛ばせるくらい逞しくなっていたり。でも流石にストーカー案件はトラウマが刺激されたのでOHANASHIしました。

 ・原作と拙作の迅の違い
●原作よりもモテている実力派エリート
 胡散臭い印象は相変わらず持たれているが、"透明で掴み所のない"原作の迅悠一よりも、恋人を持ったことで『人間味』が増して親しみ易くなっています。二重の意味で八神の尻を追いかけ、程よくミステリアス(胡散臭げ)な喜怒哀楽が見られる為、女性人気が爆上がりしてしまったエリート。それによって八神は色々と苦労しているのですが、彼女は鍛えられたメンタルで当事者なのに傍観者の気分で流しています。
●情報を大盤振る舞い
 原作と視ている未来の可能性が違い過ぎることも要因ですが、ここでもキャラ崩壊が起こっています。
 突出しているのは『新しい未来分岐の開拓意欲』です。学生時代から長年確定していた"八神の死"を覆したことで、拙作の迅には強い自信が備わりました。どんな未来だろうと善い方向へ変えてみせる、という意志を持っています。更に、八神と心を交わすことで「どれだけ挫けそうになっても、彼女と一緒ならば俺は折れない。そして玲だって折れることなく、未来の可能性を教えてくれる」と、完全に信頼して心を預けています。
 原作の彼はどちらかといえば、未来が大きく動いて不安定な未来分岐発生を嫌がっています。だから必要最低限しか未来の情報を出さず、分岐を乱立させない為に独りで暗躍して「ごめんな、俺のせいだ」と背負い込みます。
 未来はどちらの方が善いのか、は一概には断言出来ませんが、拙作の迅は『己の為』という根幹が決まっているのでキャラ崩壊が起こりました。


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夏目を軸とした三人称


 

 

 

 

 夏目が八神を初めて見たのは、C級隊員緊急特別任務 選抜面接でだった。

 

 

「こんにちは、八神玲です。どうぞ椅子に掛けて?」

 

 

 その時相手は、柔和な笑みを浮かべていた、と思う。夏目がそう曖昧に覚えているのも無理はなかった。

 

 面接を受けることが初めてというわけではなかったが、やはり何回受けても緊張する。

 更に、言いたいことを必死に頭の中で纏めていた夏目に、面接担当者の顔をしっかりと見る余裕がなかったのだ。

 

 二度目に見たのは、特別訓練の最中だった。

 

 

「あ、八神さんだ」

 

 

 共に行動している雨取が訓練の最中にそう声を上げたので、視線の先を追えば佐鳥と端末を指差して話す女性がいた。

 面接担当者だった人だと、ぼんやりと合点する。

 

 夏目としては、そこで初めて"八神玲"を認識した瞬間だった。

 

 同じポジションで仲の良い雨取と、特別訓練が始まってからたまに喋る空閑から、八神の話をなんとはなしに聞きながら「あの人はA級なんだ」と漠然と考えていたのを覚えている。

 

 夏目の中では完全に他人事であり、どれだけ口頭で"凄い"と言われても実感の湧かない人物だった。

 

 何故なら、八神から"強者"という凄味を一切感じなかったから。

 強い人間とは、その場に居るだけで空気がごっそりと変わる。何をするにも独特の雰囲気を持っている。

 

 それは所謂、カリスマ性だ。

 

 八神にはそれが無い。

 もしも空手の試合で組み合ったら「ラッキー」と思えるような気迫の無さだった。

 

 それが一変したのは、やはり第二次大規模侵攻でだった。

 数々の人間の転機と言っても過言ではないあの戦いで、夏目出穂もまた、転機が訪れた者である。

 

 

「きをつけッ!」

 

 

 B級隊員の三雲がやられ、誰もが恐怖で叫び出しそうだったその瞬間、八神の鋭い声音が場を引き締めた。

 思わず丹田に力が入った夏目は、息を吐き出し無駄な強張りを取り払って思考を取り戻す。

 

 自然と惹き寄せられた視線。

 

 その背中は、鮮烈だった。

 

 前方のA級隊員たちよりも見劣りしていたはずの背中が、広く大きく見える錯覚。

 空気がピンと張り詰めて、色さえも変わったような雰囲気。

 

 声だけで存在を()らしめるその技術に、ただただ圧倒されたのだ。

 

 鋭い声から柔らかな声に落ちても、その背中は変わらずC級隊員たちに安心を与える。

 特別訓練では感じたこともないカリスマ性が、そこで発揮されていた。たった数分の光景が脳裏に焼き付いて離れない。

 

 あの場にいたC級隊員たちすべてが、八神を見る目を変えたのは紛れもなかった。

 

 頼もしかった。格好良かった。

 同じ女として、憧れた。

 

 シューターだと思っていた八神が、雨取を経由してスナイパーだと知った夏目は、彼女のランク戦ログを探して再び圧倒されると同時に、落胆する。

 憧れの彼女と同じ戦法が自分に出来るとは思えなかったからだ。

 

 しかし、夏目が憧れたのは八神の戦闘スタイルではなく"心"である。"在り方"とも表現できるが、つまりはそういう目に見えない部分だ。

 だが、そんな曖昧な部分を真似るなど出来はしない。

 

 他人に憧れるという点では、夏目は詳細を知らないが緑川も同様だった。

 彼はピンチを救ってくれた迅に憧れて同じトリガーを取得し、隊服版とは別に、リスペクトの意味でサングラスを付けたトリオン体デザインを設定している程である。

 そんな緑川でも戦闘スタイルは迅とは異なる。己に合ったスタイルでA級部隊に堂々と所属している。

 

 夏目にはまだ己に合ったスタイルなどわからない。早々に正隊員へ上がった緑川とは違い、C級隊員のスナイパーとしてもまだまだ未熟だった。

 

 それならば先ずは形から、とログの映像を手本に撃ち方だけでも真似を始めた。すると数日で命中率が上がったように思えて、夏目は単純に嬉しかった。

 これは夏目の気のせいではなく、見て学び成長している証なのだが、彼女は自己の努力を見せびらかすタイプではなかったので実感がなかったのだ。

 

 学校やボーダーで雨取から師匠についての話を聞く度に、夏目の脳裏にはいつも八神の背中が浮かぶ。

 もしも自分が師匠を見つけられるなら、彼女のような───。

 

 

「お、玲さんの撃ち方に似てんじゃん。紹介してやろうか?」

 

「!」

 

 

 当真にそう言われた時、夏目は思い切って頷いた。

 斯くして八神に弟子入りを果たした夏目は、1日の短時間であるが順調に学んでいく。

 

 訓練相手の比率は、やはりもう1人の師匠になった当真との訓練の方だ。

 

 感覚派の教え方に当初は夏目も戸惑いを覚えたが、すぐに順応した。

 達人の域には遠いものの、夏目も武道家の端くれ。どれだけ型に嵌めた動きを教えられようと、結局は自らの感覚で芯を捉えなければ身にならないと知っている。師匠2人が教えるのは技の入口だけなのだ。

 

 八神の訓練も先ずは簡単な口頭説明から始まり、すぐに実践へと移った。

 

 一番始めに行ったのは移動訓練だ。

 トリオン体での地形踏破訓練にスナイパー銃を持って素早く移動する。ポジションとしての基礎だと言われれば夏目も真剣に取り組んだ。

 

 次に隠密行動とそれに対する狙撃手の行動について。

 狙撃手の射線を切ることは重要な手であり、狙う側と狙われる側のどちらの行動も八神は夏目に指導した。また、同じポジションのスナイパーだけでなく、他のポジションの行動の特徴も大まかに教え、狙い方や逃げ方の基本も挙げた。

 

 現段階で八神と夏目の訓練内容はこの2つがメインとなる。

 

 止まった的ではなく、動く的。更に、撃った後の素早い移動と射線。

 C級の単純な訓練から数段ランクアップした訓練に夏目は目を白黒させたが、その分楽しみが増えたように感じた。

 

 憧れた"在り方"は未だに掴めない。そもそも夏目の感覚であるそれを、自身が的確な表現も出来ないままではまさしく雲を掴むようなもの。

 されど、中学生の夏目には、ただ「憧れた」それだけで十分だった。

 

 

 

 

 

 

 「──で、ですね! なんと、今日の合同訓練で26位になりました!」

 

「えぇ!? すごいじゃん!」

 

 

 夏目が端末に表示された数字を指しながら八神の前に提示すると、彼女は目を丸くしてからすぐに満面の笑みになって喜んだ。

 

 自販機エリアのベンチで隣り合って座り、夏目は嬉々として今日行われた狙撃手の合同訓練の一つである、捕捉&掩蔽訓練の成果を報告していた。ちなみに夏目の猫は八神の太腿の上で丸まっている。

 

 的中数20、被弾数9で82点の26位。

 

 夏目自身も驚きの点数と順位だったが、同時に納得の点数だった。

 

 当て方や逃げ方は2人の師匠に教えてもらった通りに実践したおかげで、彼女はカウンターをほとんど受けることがなかったのだ。

 

 捕捉&掩蔽訓練は、撃った後が不利となる。

 初期に東が考案した頃とは違って現在のこの訓練は銃種がイーグレットに限定され、音も光も発さない仕様となった。故に、相手を見つけることがかなり難しくなっている。

 しかし、撃たれた後は自分を撃った相手との距離を数秒見ることが出来る為、反撃がやり易くなるのだ。

 

 

「けっこう逃げれたんですけど、やっぱりB級とかA級の先輩からはムリだったッス。リーゼント先輩なんて500mっすよ500m!」

 

「当真くんだからねぇ」

 

「他にも訓練一位の先輩を狙ったら、避けられた上に返り討ちにされましたぁ」

 

「訓練一位って……奈良坂くんかな? そっか~避けられちゃったかぁ」

 

 

 ガックリと肩を落として顔を正面に向けた夏目に、八神はクスクスと柔らかく微笑む。

 

 夏目の被弾はほとんどが返り討ちにされたものである。夏目の射程圏外からの狙撃と、射線の切り方が甘かった時に撃たれたものもあるが、それ以外は挑戦した結果だった。

 

 前半で順調に的中数を稼いだ夏目は「訓練だから」と思い切って、A級やB級の隊員へ狙いを定めたのだ。

 

 マップを慎重にかつ素早く移動していく中、夏目は自信を持って狙撃出来る地点を複数決める。

 もし、その地点に誰かが通れば絶対に撃ってやると意気込んで待ちに徹し、見事撃ち抜いた。

 

 正隊員をも撃ち抜いた己に、思わずその場で「よっしゃ」とガッツポーズを作るほど喜んだのだが、すぐに撃ち返されて点数が伸び悩む結果となる。

 

 奈良坂への狙撃に至っては、自信を持って定めた地点であったのに逆に射線を見切られて先手を打たれ、動揺している間に逃げられた。正にカウンタースナイプである。

 

 

「実戦形式の方が楽しかったなぁ。あ、チカ子も実戦形式が得意みたいなんで、やっぱり師匠がいるかいないかの違いってヤツですかね? チカ子と言えば100点越えで19位でした! ユズルはなんか手ェ抜いてたっぽいスけど、なんだかんだでアタシより上の順位でちょっと悔しかったなぁ」

 

 

 撃たれた時は悔しい。同年代より下のランクで置いてけぼりを食らったみたいで、悔しい。

 けれど、どんどん成長している己を感じられて訓練は楽しい。

 

 目に見える形で順位や点数が表示されると、更にそのことを実感した。

 

 格上に挑戦したことを当真も八神も咎めなかった。

 むしろ当真は「おれに撃ち返してこねーうちはまだまだだぜ」と不敵に挑戦を促してくる。

 八神も「先に稼いでから挑戦した? え、すごく計画的。B級に上がっても通じるよ。訓練日程を見直しておかないとね」と今後のことを考え始めた。

 

 一線級の師匠たちを持つアドバンテージは、通常の狙撃訓練よりも実戦形式の訓練で明確に差を顕した。

 師匠の有無を知る夏目だからこそ、それを強く実感する。

 

 

「そういえば、さっきユズルがチカ子に鉛弾(レッドバレッド)を試させてて、すっごい良いヤツッスよ! アタシの見立てではチカ子に惚れてるって思ったんですけど師匠はどう思います? ……師匠?」

 

 

 日頃の訓練での試みや、合同訓練での反省点と改善点とを報告していく。やがて女子会のノリで恋バナに発展させたところで、夏目は八神から返事がないことに気付いた。

 

 正面に向けていた顔を隣へ向ければ、八神は座ったまま瞼を閉じていた。膝の上で丸まっている猫の温かさが心地よかったのだろう。

 

 話の途中で眠られたことに夏目は少しだけムッとしたが、よくよく見れば目の下にうっすらと隈が浮かんでいる八神の顔を認めて、それを引っ込めた。

 

 

「あ!」

 

 

 ゆらりと、夏目とは反対方向に倒れそうになった八神に慌てて手を伸ばしたが、その手は届かず空を切る。

 猫が起きて慌てて夏目の足へ飛び移った。

 

 

「はい、キャッチ」

 

 

 されど、八神が床に落ちることはなかった。

 

 

「あ、えーと……ぶっ飛び先輩」

 

 

 いつの間にか現れた迅がトンと、優しく八神の体を支え、流れるようにベンチへ座って膝枕へと移行した。

 

 

「ん? ぶっ飛び先輩ってオレのこと?」

 

「はい」

 

「ははは! いいね、気に入った。ちなみにオレの本名は迅悠一ね。玲の彼氏です」

 

 

 キラリとエフェクトを出して自己紹介してきた迅に、夏目は微妙な顔をして頷いた。

 

 夏目の迅への第一印象は『大侵攻の際に建物へぶっ飛んできた人』である。

 

 八神に彼氏がいることは夏目も承知しており、生身の左薬指に指輪をしているのだから当然だとも思っていた。

 しかし、八神の普段の性格から考えて、彼氏はもっと落ち着きが有って冷静な人だろうと予想していたのだ。

 

 期待を裏切る飄々とした迅の態度に、夏目は尊敬する八神が弄ばれているのではないかと訝しんだ。

 

 少女の怪訝を知る由もない八神は、スヤスヤと迅の太腿を枕に眠っている。

 そして乗せている迅も夏目の心情を知ってか知らずか、八神の三つ編みをスルリと解いて寝やすいように調え始めた。

 

 

「悪いね。玲は夜間任務でずっと起きてたからさ」

 

「マジっすか? 眠いなら言ってくれればよかったのに……」

 

「いや~最近弟子がかわいいって自慢してたからね」

 

「そう、なんですか」

 

 

 夏目へゆるりと笑った迅が、優しく八神の頭を撫でる。

 その様子に夏目はドキリとして、しかし、それはすぐに治まった。

 

 何故なら、迅の笑みは一心に八神へと向けられたものだからだ。

 三つ編みにより緩く癖がついてウェーブが掛かる黒髪に、迅は遊ぶように指を絡ませる。寒色の瞳は色に反して熱を持ち、他人が入り込む隙間など有りはしない。

 

 周りの女子より恋愛経験が低い夏目に、向けられたこともない熱い感情の側面は、端から見ているだけでヤケドしそうな程。

 夏目は「これが『リア充爆発しろ』ってことか」と確信した。

 

 遊びであんな目が出来るわけがない、と結論した夏目は、とある事を訂正すべく口を開いた。

 

 

「先輩……"ぶっ飛び先輩"ってのやめます」

 

「えぇ? おれ気に入ってたけどなぁ」

 

 

 髪に触れている方とは反対の手を八神の頬へ添えたままに、迅は残念だという表情で夏目を見る。夏目はその光景をしっかりと目に納めてから、言った。

 

 

「"ぶっ飛び先輩"じゃなくて、"激甘先輩"です」

 

 

 夏目はそう言い切ると、猫を抱いてベンチから立ち上がった。

 

 

「じゃ、激甘先輩アタシはこれで。師匠にもムリしないよー言っといて下さいッス」

 

「お~」

 

 

 手を振ると迅もそれに応えてヒラリと手を振った。

 

 

「そんなにおれ甘いかな……甘いか。そりゃお前(愛してる女)が一緒だもんな」

 

 

 去って行く夏目を見送って、迅はもう一度、八神の柔らかい黒髪をなぞるように触れたのだった。

 

 

 




・憧れフィルター
少なくとも大侵攻の際にあの場にいたC級隊員は「すごい」くらいは思っています。
夏目ちゃんの場合は雨取ちゃんや空閑から事前情報があったので。


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月曜日 前編

区切り方が微妙だったので前編と後編にします。
この話にサブタイトルを付けるなら、
『欲を満たせば笑顔になる』です。

八神視点


 

 昨日はたっぷり寝たおかげでスッキリと起きることが出来た。

 

 夏目ちゃんに話の途中で眠ってしまったことを謝ったら「気にしてないッス。ちゃんと休んでください」とかなり心配そうな声音で告げられた。体調管理不足で本当に申し訳ない。

 

 本部で悠一に膝枕されるという光景を当真くんに撮られて拡散され、沢村さんには「だから言ったでしょ」と呆れられた。

 

 ちなみに画像の中で悠一は上着を私に掛けてくれて半袖シャツ姿でピースしているのだが、拡散先で「季節感(笑)」とネタになっているらしい。確かにまだ2月なので半袖はちょっと違和感があるかな。トリオン体だから寒さはないみたいだけど。

 そういえば、筋肉質な人、例として木崎さんは冬場でも半袖という時があるけど、筋肉の熱量がある故に寒くないのかもしれない。

 

 ぐだぐだと取り留めのないことを考えながら朝食を作り、すぐに皿へと盛れる状態にしてから寝室へ向かった。

 

 

「ゆう……」

 

 

 扉を開けて呼び掛けようとして途中で止める。

 

 金曜日の朝に言われたことを思い出したからだ。"おはよう"のキスで起こされたい、と。

 土曜日の朝は私の方が遅かったから悠一に起こされて、日曜日の朝は基地に泊まったため、実質的に今日が実行のチャンスらしい。

 

 しかし、チャンスと言っても……どうしよう。

 普段なら呼び掛けたり、肩を揺すったりすれば悠一はぼんやりと目を開けて、10分後にはリビングへ現れる。正直、キスだけで起きてくれるのか不安です。だって寝てる間にキスされても私はわからないし、悠一だって私が仕返しにキスマークをつけても起きなかったし。

 

 そろりとベッドに近づいて──それから、自分の行動に呆れた。なんで私、起こさないように配慮してるんだろう。

 

 おかしなことにドキドキと緊張しながら、気持ち良さそうにスヤスヤと眠る顔の隣に手をつく。

 寝てる時の顔ってなんでこんなに無防備な感じでかわいいって思っちゃうんだろう。

 

 ハッ、いかん。思わずマジマジと観察して目的を忘れるところだった。

 

 

「ん……」

 

 

 そっと頬にキスしたが、案の定起きてはくれなかった。

 こういう時って「ちゅっ」と音を出した方が良いのかな? あんまり得意じゃないんだけど、さっきのじゃあ起きないみたいだしなぁ。

 

 もう一回頬に挑戦するが、上手く音が鳴らない。むしろ無音である。海外の人って凄いな。

 

 場所が悪いのか、と額や顎にもしてみるけど上手くいかない。一回だけ「ちぅ」と小さい音が鳴ったくらい。悠一も起きてくれないし、これはもうちょっと練習が必要のようだ。

 

 キスで起こすという思わぬ難題に、自分でも眉尻が下がるのがわかった。とりあえずは悠一を起こさなくては。

 

 でもなんで起きてくれないんだ。いや、私がキス下手だからだし八つ当たりだってわかっているけど、悔しくてちょっとムッとした。

 

 

「悠一、おきて……っむ」

 

 

 露わになっている耳に唇を近づけて、耳朶をかぷと甘噛みした。ビクリと動いた悠一に歯を外して唇だけでむにむにしてやる。

 次いで「起きろ」と念じながら肩を軽く揺すってやれば、反撃で耳を引っ張られたので顔を上げる。

 

 

「朝から大胆すぎなんだけど……」

 

 

 しっかりと目を開いて、うっすらと顔を赤くしている悠一が憮然とした表情になっていた。

 

 やっと起きてくれたことにひとまずは安堵。あれで起きなかったらどうしようかと。

 

 

「おはよ悠一」

 

「おはよ……あのな、玲ちゃん」

 

「うん?」

 

 

 耳から手を離されたが、ガッチリと二の腕を掴まれてしまった。

 あれれー? 恨みがましい目で見上げられているんだが。

 

 

「勃った」

 

「…………」

 

「たっ」

 

「さぁて! 朝ご飯の仕上げが私を呼んでいるようだ! 早急に駆けつけなくては!」

 

 

 掴まれていた腕をパッと解く。結構本気で掴まれていたっぽいが、オーケーオーケー問題ないっ。

 まさか近界(ネイバーフッド)遠征の経験がこんなところで役に立つとは!

 恋人に使うとは思いもよらなかったけど!

 

 

「玲」

 

「じゃ! ご、ごゆっくり!」

 

 

 脱兎の如く逃げる際、めちゃくちゃ(ひっく)い声で「夜は覚悟しとけよ」と背中越しに聞こえてサーッと血の気が引いた。

 

 お、恐ろしすぎる。何故だ、なんでそうなるっ!?

 

 音が出るキスは上手くいかないし、恐ろしい宣言を貰うしで朝から散々である。やっぱり悠一のワガママって難易度が高いよ。

 でも"おはよう"のキスくらい一般家庭もしてるよね……練習が必要だ。

 

 

 

 

 「おはよう。清々しい朝デスネ!」

 

 

 リビングに来た悠一に改めて挨拶する。

 決して時計を見てはいけない。大丈夫、出勤には余裕だから。

 

 テーブルへ着いた悠一は頬杖をついて、朝食を並べる私に向かってこれ見よがしに大きなため息を吐いた。ははは、おい。

 

 

「うん、おはようさん。おれは朝からピンクな気分だよ」

 

「ダイジョウブだいじょうぶ、ブルーよりマシだって」

 

「ある意味ブルーなんだけど」

 

「う、うーん? それって私のせいかな?」

 

「もちろん。あの状態で置いていかれたオレは傷心中です。割とマジで」

 

「ひどい冤罪だ、論破しなくちゃ……いただきます。えっと、じゃあキスで起こすの止めた方がいい?」

 

「どうぞ続けて下さい。いただきます。でもなんで口にはしてくれなかったの? 待ってたら違う方向になったし……いや、あれはあれで()かったな。びっくりしたけどエロくて臨戦態勢だし」

 

 

 向かい合わせで座った悠一が味噌汁のお椀を片手に、ブツブツと煩悩を垂れ流している。きっとまだ寝ぼけているんだ、そうに違いない。

 というか、待ってたってことは起きてたのか! ため息を吐きたいのはこっちもだよ。

 

 

「あのねぇ、ベッドの上で口にキスしたら夢中になっちゃうでしょ」

 

 

 釈然としない気持ちになりながら、唇にしなかった理由を答えた。

 

 ちょっと恥ずかしいけど、悠一とキスするのは好きだ。それに家の中なら人目を気にしなくて良いし。煩悩的に言えば、その、気持ちいいし、何より『愛されてる』って感じるから。

 悠一以外とキスしたことないから差なんて知らないけど、あんなに気持ちいいのにキスが嫌いな人っているのだろうか。

 

 けれど好きとは言え、お互いに働いている身。朝の貴重な時間をゆっくりのんびり過ごす為には、歯止めの効かないベッドの上でよりソファーの方が良い。

 私がしっかりしなくちゃ。

 

 

「ほんとさ、玲ってさあ」

 

 

 若干俯いて、お椀を置いた左手で顔を覆った悠一が自棄ぎみに喋る。

 

 

「なぁに?」

 

「いいよ? オレとしては嬉しいよ? でもな、マジで夜は覚悟して」

 

 

 うわーどうしよう。左手の隙間から覗く目がギラギラしてますよこの(ヒト)。私さっきから地雷を踏みまくってないか。

 

 とりあえず悠一は、右手の箸で摘まんだ沢庵を早急に食べるべきだと思います、はい。

 

 

「なんのことかなー、えーと、そういえば今日は玉狛支部に行くよ。夜ご飯も支部でいただこうかなーとか思っていたり」

 

「ああ、メガネくんの用事ね」

 

「そうそう。訊きたいことがあるからって」

 

 

 突然の話題転換だったが、悠一は特に突っ込むことなく乗ってくれた。ぽりぽりと沢庵も食べてくれた。ホッとする。

 

 一時凌ぎかもしれないけど、あの話題が続けば更なる地雷を踏みそうだったから仕方ない。頼んだぞ、未来の私。頑張れ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方。

 

 

『───ってとこだな。動きはそこまでねーな』

 

「わかりました。順調そうでひと安心と言ったところでしょうか」

 

 

 冬島隊長からの報告をスマホ越しに聞きながら、エコバッグを提げて道を歩く。

 

 途中で見掛けるご近所さんや顔見知りが手を振ってきたが、電話中だと見て声までは掛けられなかった。

 私はそれに会釈と笑顔を返して玉狛支部へ足を向ける。

 

 

『対外秘だからこその運用だなこりゃあ。普段だとここまでエネルギー割けらんねーし』

 

「そうですね。前回のことがあって民間から特に何も言われないことも大きいです」

 

『なんだ計算済みか?』

 

「まさか。ただこれからも活動を広げるならそうなればいいなぁ~くらいしか」

 

『結局は考えてたんだろ。っと、俺は明日非番だな。なんかあれば連絡してくれや。出るかわからんが』

 

「じゃあ用がある時は緊急回線にしますよ。ゆっくり休んで下さい。事が始まれば大忙しですから」

 

『へぇへぇ』

 

 

 通信を切って端末をポケットに仕舞った。

 

 トリオン体の内部通信を利用しないのは、一応の警戒だ。

 敵は既にこちらの世界に入り込んでいる。トリオン関係はこちらの世界よりも近界民(ネイバー)の方が造詣が深いので、科学技術を詰めたスマートフォンの方が安全だったりする。まぁ、こっちはこっちで盗聴を警戒しなければならないが。

 

 エコバッグの持ち手を握り直して、もう少しだと気合いを入れた。

 

 計画は今のところ順調。

 明日の非番は太刀川隊と冬島隊だ。とは言え、太刀川隊のほとんどが本部基地に常駐しているし、冬島隊も似たようなものなのであまり関係ない気がする。

 

 A級部隊の上位が非番で戦力が不安視されたが、侵入直後に攻めてくる相手でないことは判っている。むしろ戦力となることを当の2部隊員が理解しているからこそ、隊長たちは本命に備えて休みを取ったのだ。

 私の場合はまた違ってくるのだが、色々と立場を貰っている上、それに納得しているから良いんだ。

 

 たどり着いた玉狛支部の玄関でトリガーホルダーを認証させてパスを入力する。

 開いた扉を潜って挨拶をするが、誰にも出迎えられなかった。ちょっと寂しい。

 

 一応、玉狛第一も第二もいるみたいだけど、今は訓練中なのだろう。陽太郎くんと雷神丸はヒュースと居るようだし、林藤支部長も部屋で仕事中。少数精鋭だから仕方ないね。

 

 要冷蔵の食材をササッと収納してから、そのままトレーニングルームエリアへ向かうと、学生服姿の烏丸くんと三雲くんがベンチに座り作戦ボードを使って話し合っていた。

 

 先に気づいたのは、出入り口方向へ体を向けていた烏丸くんの方で、彼が会釈すると三雲くんも私に気づき慌てて挨拶する。

 

 

「こんにちは烏丸くん、三雲くん。話し合いがまだあるなら、私はご飯の仕込みでもしてこようかな?」

 

「え、あ」

 

「はい、お願いします。修、続きだ」

 

「は、はいっ」

 

 

 何か言い出そうとした三雲くんを烏丸くんが制したように見えたが、師弟だし何か大事なことを教えている最中だったのだろう。悪いことをした。

 

 キッチンへ向かい当番表を確認すると、どうやら今日の当番は烏丸くんらしい。冷蔵庫の中にはイタリアンの材料が揃っていたのでそうかな、と思っていたけどね。

 賞味期限が近いものもなかったし、私と悠一の分まではなかったので、イタリアンは明日に回してもらおう。

 

 さて、今日の献立はハンバーグだ。

 

 玉ねぎをみじん切りにしてレンジで温め、その間に付け合わせのスープとサラダの準備。パン粉は牛乳で湿らせてから既に冷蔵庫の中だ。

 レンジから玉ねぎを出してフライパンで飴色になるまで炒める。飴色になったら皿に移して粗熱を取り、お米を洗って炊飯器へセットしてから飴色玉ねぎも冷蔵庫へIN。

 スープを作り始めて完成間近で一旦火を止め、冷蔵庫のチルド室から挽き肉を出してボウルに移し塩・胡椒を振る。

 ここでしっかりと粘り気が出るまで捏ねるのがポイントだが、手で捏ねるのはNG。何故なら手の温度でお肉の脂が溶けて肉汁が半減してしまうからだ。

 

 

「よし」

 

 

 取り出したのは、ポテトサラダなどで活躍するマッシャーである。ヘラで混ぜる人が多いらしいが、私はマッシャーの方が楽だったので。やりすぎるとお肉の食感がソーセージっぽく詰まってしまう為、見極めが必要ではある。

 しっかりと粘り気が出てきたら冷やしていた他の材料を入れて、手早く混ぜ合わせ、痛いほど冷やした手で空気を抜きながら小判型に整形。

 熱したフライパンに凹ませた面から先に焼いて、両面とも軽く色がつく程度でオーブン用の天板へのせる。全てをのせたらオーブンでじっくりと中まで火を入れる。その合間に使った器具を洗っておく。

 

 スープとサラダを完成させて、近所からの直伝ソースと人参グラッセを作っているところで陽太郎くんが入口から顔を出した。

 賢い雷神丸はキッチンスペースまでは入って来ず、ソファーの隣で待機している。

 

 

「ムムッ! いいにおいだ……これは、ハンバーグだな!」

 

「こんにちは陽太郎くん。そうだよ~みんな大好きハンバーグです。もうちょっと待ってね」

 

「こんにちはれいちゃん! おれはハラペコだ……だがハンバーグのためなら、まてる! いくぞらいじん丸! ヒュースにおしえなければ!!」

 

 

 よだれを拭った陽太郎くんは、バタバタとリビングから出て行った。元気が良くて何より。

 

 レストランなどで出される鉄板プレートをカセットコンロの弱火で温め、枚数が多いので1枚が温まってきたらその下にまた1枚を足して、と繰り返して全ての枚数の温度を保っていく。

 ソースとグラッセが完成したところでオーブンの方も終了した。天板を取り出し、肉汁がほとんど溢れていないことに満足する。天板から剥がして、再度フライパンできっちりと焼き色をつけていく。

 ハンバーグの焼きを確認してから、鉄板プレートをキッチンペーパーを敷いた木製受皿へ置いて、ハンバーグを移し、ソースを掛けるとじゅわっと香ばしい匂いが立ちのぼった。

 

 

「ただいまー、おっ! いい匂い」

 

「おかえりー。丁度良いからみんなを呼んで来てくれるかな?」

 

「いえっさー」

 

 

 帰ってきた悠一を早々に使ってしまったが、鉄板が冷めないうちに仕上げる必要があるので仕方なかったんだ。疲れてるのにごめんなさい。

 

 人参グラッセも鉄板プレートへ載せてから、鉄板と受皿の間に挟んでいたキッチンペーパーを取る。

 油やソースの跳ねで受皿を汚さない為の物なので、敷いているかいないかで見た目の印象が結構変わるのだ。

 

 お肉料理マスターの木崎さんが居るので、私も負けないようにハンバーグ作りは拘っていますとも。

 

 スープとサラダもテーブルへ並べたところで、支部の皆が続々と揃い、運ぶのを手伝ってくれた。

 陽太郎くんのハンバーグはヒュースが運んでくれたので火傷の心配もない。かなり仲良くなっているらしい。

 

 

「そんじゃ、いただきます」

 

「いただきます」

 

 

 林藤支部長の音頭に続いて全員が手を合わせてから、それぞれが食事を開始した。

 

 何気にヒュースが合掌をしていたのは驚いたが、玉狛支部に馴染んでいる証拠だろう。

 

 

「っ!?」

 

 

 ナイフとフォークを慣れた様子で使っていたヒュースが、ハンバーグを口に入れた瞬間カッと目を見開いて固まった。

 向かい側にいた私もそれにビックリしたよ。

 

 

「どうしたヒュース? お水いるか?」

 

「いや、いい」

 

 

 ヒュースの隣に座っていた陽太郎くんが声を掛けると、言葉少なに断ってやっと咀嚼を始めた。

 

 ちなみに陽太郎くんのハンバーグは既に切り分けてあり、食べる前に小皿へ移すかきちんと『ふーふー』することを義務付けている。

 

 

「美味いだろー? 何せおれの婚約者が作ったからな」

 

 

 私の隣でニヤニヤと笑う悠一が、左手に付けた揃いの指輪を指してヒュースに言う。

 するとヒュースはハッと私たちの指輪を見比べて眉根を寄せて黙り、ハンバーグをジッと見下ろしてから視線を上げた。

 

 

「……玄界(ミデン)の飯は美味い。だが、きさまに婚約者がいたとは驚きだ。世も末だな」

 

「言うねぇお前」

 

「本音を言ったまでだ」

 

 

 そこまで言ってヒュースはまたハンバーグを口に運んだ。

 かなりポーカーフェイスを頑張っているが、木崎さんや烏丸くんと比べたら判りやすい。ハンバーグが口に合ったようで良かった良かった。

 

 捏ねる段階でも、焼きの段階でも無駄な肉汁を出さなかったハンバーグ。

 ナイフをスッと受け入れた瞬間、じゅわ~と初めて溢れる肉汁が食欲をそそる。一口大に切って「ふー」と冷ましてから口へ運べば、やはり最初に感じるのはお肉の食感。次いで玉ねぎの甘さ。そして、噛むと肉汁がまた出て、直伝のソースと絡み合う。

 

 肉汁たっぷりなのにくどさは一切なく、噛む度に味覚へと訴える濃密な食材の旨みに自然と表情が綻ぶ。

 うんうん、我ながら良い出来だ。こればかりは自画自賛をさせてほしい。

 

 

「うまい。れいちゃん、おれのおよめさんになるか?」

 

「ふふ、ありがとう陽太郎くん。でも悠一のお嫁さんになりたいかな」

 

「残念だったな陽太郎。玲を嫁にするには15年早い」

 

 

 大人げなくフフンと笑った悠一に呆れるが、でもちょっぴり嬉しい。美味しいご飯も相俟って心がぽかぽかする。

 

 陽太郎くんは唇を尖らせて「らいじん丸のおなか、さわりほうだいなのに」と拗ねたけど、ハンバーグを食べればコロリと笑顔になった。

 みんな大好きハンバーグはやはり正義。

 

 

 




キスでリップ音を出せない人は一定数います。
リップ音の出し方は何通りかありますが、上手く出すにはコツがあるのだとか。
『おはようのキス』で起こす家庭がどれだけいるのか作者には不明です。おそらく八神の周囲にはそういう家庭が多かったのでしょう。


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月曜日 後編

サブタイトルは
『"知らない(悟らせない)"ことは当然である』
です。


八神視点


 

 

 2人っきりの食卓とは違う賑やかな食事を終えると、皆仕事の続きや訓練の続きへと戻って行った。悠一は報告書を出す為に二階の自室へ上がって行ったし、林藤支部長は煙草を買いに出掛けた。

 

 

「陽太郎くん、ヒュースと一緒に歯磨きしておいで」

 

「ふむ。だがおれは『ヒーローとつるぎ』をよまねばならぬ」

 

 

 口をへの字にして抗議する陽太郎くんに苦笑する。

 

 『ヒーローとつるぎ』とは、黄道十二星座の神話を子供向けに書かれた絵本である。一ページ毎に感性を刺激する色彩と簡潔な言葉で綴られた冒険は、少年の心をガッチリ掴んで離さない。

 幼い頃に私も読んで大好きになった絵本であり、今でも読み返すと言葉の読み取り方が違うからか、新しい冒険を空想出来たりする魅力的なお話なのだ。

 

 

「"友こうのあかし"のところでハンバーグだったからな」

 

 

 掌をトンと軽く胸に当てた陽太郎くん。

 "友好の証"とは作中に出てくるハンドサインなのだが───

 

 

「違うぞ。"友好の証"はこうだ」

 

 

 間違っていた部分をヒュースが指摘し、陽太郎くんの隣で正しいサインをやって見せた。

 拳を作り、親指だけ立てて胸にトンと当てる。

 

 それを見た陽太郎くんは自分のサインを見下ろしてから、慌ててグーとパーを作ってから正しいものへ変えた。

 

 

「こ、こうだな! さすがはおれのこうはいだ。わたくしもはながたかい」

 

「気に入ってくれて嬉しいよ。プレゼントした甲斐があった」

 

 

 一人称まで変えて胸を張った陽太郎くんが、面白い上に可愛い。思わず微笑んでしまうのを抑えず、私も"友好の証"を作った。

 

 ヒュースが来てから陽太郎くんは外で友人と遊ぶ日が減っている。 

 三雲くんたちが所属したことで以前より人数は増えたが、それでも全員忙しい為、陽太郎くんを連れ出せる余裕がないのだ。形だけの監視もヒュースに必要だから仕方ないことである。

 

 室内にいるのなら、と最近贈ったのが『ヒーローとつるぎ』だ。テレビばかりも疲れるだろうと思って。

 

 

「ヒュースと一緒に読んでくれてるんだね」

 

「フン」

 

「ヒュースにはわたくしがいろいろしこみました」

 

 

 手を下ろしてそっぽを向いたヒュースの隣で、陽太郎くんが得意げに笑った。

 

 驚くことに、平仮名とカタカナを既にマスターしている陽太郎くんならば、ヒュースに文字を教えることも出来たのだろう。

 本当に2人仲良くなったなぁ。もう捕虜というより、支部員のように馴染んでいる印象だ。

 

 

「さてさて偉大なるセンパイ殿、歯磨きをしないと虫歯になります。虫歯になったら行く所があるのだけど、それはどこでしょう?」

 

「……はいしゃ、だ……ハミガキをサボるのはヒーローにあるまじきことゆえ、ヒュースもいこう」

 

「ハイシャ? なんだそれは」

 

「とてもコワイところだ……みんながひめいを上げる、な。ヒュースはまだだいじょうぶだ」

 

「拷問の場か? だが何があろうと俺は情報を喋らないぞ」

 

「ぎゃくにしゃべれなくされるトコだ」

 

「どういう所なんだそれは」

 

 

 陽太郎くんに手を引かれてヒュースもリビングを出て行った。

 

 陽太郎くんからの情報だけだと、歯科医を拷問官だと誤解しそうだな。歯磨きをサボらなければその認識でも良いと思う。

 歯磨きを終えたら2人は部屋に戻って絵本の続きを読むのだろう。何にせよ、私が贈った本を2人が気に入ってくれて嬉しいものだ。

 

 

「さすが陽太郎くん、ってね」

 

 

 機嫌良く布巾でテーブルを拭き終わり、食器の片付けでも、と思ったところで烏丸くんたちがやってきた。

 烏丸くんは相変わらずのポーカーフェイスだけど、三雲くんは緊張した面持ちである。三雲くんと会う時は毎回緊張させている気がするなぁ。

 

 

「玲さん、弟子がいきなり応用をやりたいと言い出したら何て返しますか?」

 

「いきなりだね。うーん……『一時(いっとき)のパワーアップであり、その後の成長を諦めることだ。君は限られた場面でしか活躍出来ず、他の隊員に追い抜かれることも承知とするならば、私ではなく他の人間に師事しなさい。残念ながら私の方針とは違うから』って返すかな」

 

 

 烏丸くんの問いかけに答えれば、彼は頷いて三雲くんへ振り返った。

 

 

「俺も同じ意見だ。新しいことを始める気概は認めるが、基礎を疎かにさせるつもりはない」

 

「……はい」

 

 

 体の横に置いていた拳をギュッと握った三雲くんが、噛みしめるように返事をした。

 

 今のやり取りで大体の経緯を察する。たしか、玉狛第二は前回のB級ランク戦で大敗したのだ。内容はまだ観ていないが、三雲くんが早々に落とされてしまったことは知っている。

 

 敗北から何を学び、何を感じたのか。それらを師匠の烏丸くんへ相談していたのだろう。

 

 

「まぁ、それも踏まえて玲さんに話を聞いてみろ」

 

「ん?」

 

「はい! よろしくお願いします」

 

 

 てっきり先程のやり取りで、訊ねたいことの件は片付いたのかと思っていただけに、そのパスは戸惑うしかない。三雲くんも表情を明るくするし。

 

 布巾を烏丸くんが受け取って「片付けはやっておくので、お願いします」と言われてしまえば頷くしかない。

 ソファーへ座って向かいに三雲くんを勧めた。

 

 

「ありがとうございます。あの、早速なんですけど、僕はスパイダーを使いたいと思っています」

 

 

 三雲くんが本題に入る。先を促すと、少しだけ迷うように彼は続けた。

 

 

「……僕は自分で点を取れるよう先輩たちにお願いして前回のランク戦に挑み、何も出来ずに終わりました。先輩たちの言う通りだったのだと実感しました。

 自分一人の力を実感して、その上で僕は、勝つためにスパイダーを使いたいんです。八神さんはスパイダーのスペシャリストと聞いています。だから話を伺いたくて」

 

「スペシャリスト? いやいや、私じゃないよソレ。人違いだと思うけど」

 

 

 覚えのない肩書きを言われて咄嗟に話を遮ってしまった。思ってもいなかった切り口だけに、首と手まで横に振って全否定です。

 

 しかし、三雲くんも私の反応に冷や汗をかいて驚いている。

 

 

「え!? でも木虎とか嵐山隊はそう言ってて、空閑も八神さんのスパイダーが凄いって」

 

 

 木虎ちゃん? え、本当にそんなことを言ってくれたの? ツンデレっぽいと思ってたけど、デレを見たことがなかったからてっきり嫌われているのかと。

 そうか、とうとうデレてくれたのか。出来れば私の前でデレてほしいです。

 

 空閑くんは、たぶん前に行ったランク戦のことだろうけどさ。

 

 

「修が言ってる通り玲さんは『スパイダーのスペシャリスト』って言われてますよ。もしくは蜘蛛女です」

 

「く、蜘蛛女……」

 

「それはウソですけど」

 

「…………烏丸くん、ちょっと桐絵ちゃんと空閑くんの戦闘訓練に参加してこようか」

 

「片付け中なんで遠慮します」

 

 

 皿を洗いながら会話に参加してきた烏丸くんは悪びれる様子もない。ふざけられる瞬間を見逃さない所を、流石と言えば良いのか呆れたら良いのか。

 

 小さくため息を吐いて気を取り直した。一応、私はスペシャリストと他称されているらしい。なかなか重い肩書きだ。

 

 

「今知ったけどスペシャリストらしい。えーと……スパイダーの何が聞きたい? というか、スパイダーについて知っていることをまず聞こうかな?」

 

「あ、はい」

 

 

 木虎ちゃんに教えてもらったらしいスパイダーの使い方。基礎の基礎という段階であり、さすが木虎ちゃんだと感心する。

 それと同時に、三雲くんはソロでの戦闘よりチームでの戦闘を主体とするのだと理解した。

 

 ある程度話し終え、小さく息を吐いた三雲くんの瞳は強い光が宿っている。

 語調から既に使い方のビジョンを持っているのを察していたが、瞳の方が如実に自信を表しているようだった。

 

 

「なるほど……既にチームメイトと試してみた?」

 

 

 チームでの戦闘主体ならば既に試していなければおかしい。なんせランク戦は水曜日だし。

 

 私の問いに三雲くんは少しだけ表情を曇らせて頷いた。

 

 

「はい。昨日の内に話して短時間ですけど、試しました」

 

「その顔だと納得できない箇所があったってことかな? それで私に連絡したと」

 

「はい……」

 

 

 肯定した三雲くんが述べるその箇所は、スパイダーを張る間隔と張っている最中の己自身のことについてだった。

 

 

「今度の作戦は空閑の機動力と、千佳の新しい狙撃を高めるものです。スパイダーはその起点になります」

 

「うん」

 

「でもまだ噛み合わなくて、それに張っている最中は無防備になるので、そういうカバーの面を八神さんに教えていただけないかと。お願いします!」

 

「わっ」

 

 

 突然ソファーから立ち上がった三雲くんが、勢い良く綺麗な90度で頭を下げてくるものだからビックリした。学ぶ姿勢があることを大切だし良いことだと思う。ビックリしたけど。

 

 ひとまずは頭を上げさせてソファーへの着席を促してから、烏丸くんへ視線を向ける。

 彼もこちらの話を聴いているから流れは分かっているのだろう。ビシッと泡だらけの親指を立てられた。

 ふむ。

 

 

「あの……」

 

 

 視線を三雲くんへ戻すと、戸惑いの表情を浮かべていた。

 うん、ごめんね。頭を下げたのに余所を向かれたらそんな反応になるよね。

 

 

「三雲くん、ちょっと厳しめの言葉を言うよ」

 

「は、はい」

 

「まず、張りの間隔はチーム戦闘なんだからチームで試行錯誤しなさい。なんでもかんでも自分1人で背負わずチームの仲間を頼れ。隊長がそれではチームメイトも1人で問題を抱え込もうとするぞ」

 

「!」

 

 

 何か思い当たる節があるようで、三雲くんは「あ」と小さく声を漏らした。

 

 思春期真っ最中の中学生だし、自分も他人も大変だとは思うけどそこんとこしっかり頑張れ。

 

 

「で、張っている最中の無防備な点だけど」

 

 

 言葉を切って三雲くんを見据えれば、彼はゴクリと緊張で喉を動かした。

 

 

「はっきり言って君の実践不足が原因だ」

 

「実践ぶそく……?」

 

 

 首を傾げた三雲くんに、やはり実感がないのかと嘆息する。

 

 

「三雲くんは自力でB級に上がったわけじゃない。これの意味が分かる?」

 

「えっと……」

 

「前衛ポジションのC級がB級に上がるには、定期的に行われる訓練でポイントを稼ぐか、ソロランク戦で稼ぐかだ。ランク戦で稼いだ方が早く上がれるけど、訓練だけでだって上がれないこともない。

 C級の期間は、あくまでトリオン体に慣れて身体能力を引き出させる為だから、ランク戦で稼げるということは上手く引き出している証拠。訓練だけでゆっくり稼いだとしても、4ヵ月もすればほとんどの人間がトリオン体に慣れて生身以上に行動できる」

 

 

 訓練をサボらなければ、という前提が入るけど。

 

 そう付け加えたとしても、今の三雲くんの耳には届かないだろう。なぜなら私の言っている意味を理解し、愕然としているからだ。

 

 三雲くんは一番最初の入隊試験を、悠一の口添えでギリギリ滑り込み合格という形で受かっている。悠一がひとりで動いていた時期だと思う。

 一応、問題はそこじゃない。その滑り込んだ日にちが、どうやら訓練生説明会の後だったらしい。

 入隊式前に行われるその説明会で、訓練生期間の目的や、訓練用トリガーの使い方と仕様、注意を知るはずだったのだ。だからこそ、三雲くんには中途半端にしか内容が伝わっておらず、隊務規定違反を犯した際もそれを考慮された上に戦功を立てたことで帳消しになった、という大人の事情があったりする。

 悠一がそれも計算しての口添えだったのか、それとも忙しさ故に忘れていたのかは、私にもわからない。でも、先月の大侵攻で三雲くんの存在が必要不可欠だったことは間違いない。

 

 三雲くんが知らなかったのは、私たち上の立場にいる人間の不手際だ。けれど、それでトリオン能力が低い彼ひとりを特別視するわけにはいかない。

 A級を目指すなら、どう足掻いても三雲くんひとりでは無理なことだから。

 

 構わずに続けよう。彼がそれで折れるわけがないと信じて。

 

 

「君のC級時代の成績を観る限り、トリオン体に慣れているとは言い難い。烏丸くんに師事して少しはマシになっているが、まだまだ動作が完結していることが多い。無防備になるのはそういうことが原因だ」

 

「……じゃあ、烏丸先輩がスパイダーより基礎訓練に時間を取っていたのは」

 

「良い師匠じゃないか」

 

 

 烏丸くんは三雲くんの欠点を早々に見抜いて訓練をしていたのだろう。ただ、言葉が足りなくて三雲くんにとって思うような訓練が出来ず、悩んでいたのではないかな。

 

 焦りがあるのは解るけど、急がば回れという言葉があるじゃないか。

 

 

「動かない的に当てるのは簡単だ。その時に君自身が動かなければもっと簡単だろう。でも戦場でそうはいかない。スパイダーを張るにも角度が必要だし、常に周囲の警戒だって必要だ」

 

 

 つまり『動きながら張りたい場所に張る』という訓練が三雲くんの必要とするところだ。

 

 スパイダーの運用については、シュータートリガーと似ているのでそういう面でも、烏丸くんは基礎訓練の方に重きを置いたのだろう。

 

 納得したらしい三雲くんが顔色を戻したので、内心安堵する。三雲くんが思考するタイプの人間で良かった。

 何せ「キミ、基礎の基礎も出来ていないんだから」と言ったようなものなので、もし短気な人間ならキレられていた。それでも言葉を撤回しないけどさ。

 

 

「訊きたいことは以上で良いかな? 頭を下げられた手前悪いけど、師匠の烏丸くんを押し退けてまで教えようとは思わない。それにスパイダーなら同じ支部所属の木崎さんだって使うからね」

 

「え、レイジさんですか?」

 

「そういえばですね。どうぞ」

 

 

 断りの言葉に反応を示した三雲くんと、お盆に紅茶を載せて出してきた烏丸くんも思い出したように呟く。

 

 紅茶のお礼を言って受け取れば、烏丸くんは三雲くんの隣に腰掛けた。

 洗い物は終わったらしい。ありがとう。

 

 温かい紅茶にホッと息を吐く。

 

 

「レイジさんは時々しか使わないので忘れてました」

 

 

 烏丸くんのポーカーフェイスは変わらないが、ちょっとだけ申し訳なさそうな声音だ。君の師匠だと思うんだが。

 

 

「烏丸くんのうっかり屋さんめ。そもそも、スパイダーを罠として使い始めたのは木崎さんが最初なんだよ」

 

「え!?」

 

 

 三雲くんの驚きに隠れているが、烏丸くんもかなり驚いている。

 

 もしかして知らなかったのだろうか。入隊時期からして知ってても不思議はないのだが……あ、そっか。

 

 

「えっと、2人はスパイダーの開発理由を知らない、かな?」

 

「知りません」

 

「たしか『(ポイント)に直結しないから人気がない』としか……そういえばなんで不人気なのに開発されたんでしょう?」

 

 

 首を横に振った烏丸くんの隣で、三雲くんが良い質問をしてくれた。鋭いね三雲くん。

 烏丸くんが知らないのは、単純に彼が前衛ポジションだからだろう。

 

 

「私が入隊した頃の話になるんだけど、って訓練に関係ないけど聞く?」

 

「そこまで話されたら気になります」

 

「ぜひ聞かせて下さい」

 

 

 なんか話がズレて申し訳ない。紅茶で喉を潤してから私はスパイダーの開発理由について話しだした。

 

 そんなに長い話ではない。まず、スパイダーを考案したのはボーダー最初の狙撃手である東さんだ。

 当初は"スパイダー"という名称さえなく、鳴子として使用するべくスナイパーの基本装備として組み込まれていた。

 接近戦ばかりの以前では必要なかったが、狙撃手は寄られたら負けである。なので敵の接近をいち早く察知して、素早く移動する為の小細工が必要だったのだ。

 

 それと言うのも、今でこそオペレーターのサポート技術が向上しているが、初期は人員不足な上にサポート技術もあまり発展していなかった。故に、スナイパーたちは敵の接近を自力で察知する必要があったのだ。

 ちなみに、相手の足を掬ったり絡ませたりする手法は、この時点で木崎さんが始めた。もともとの実戦経験から罠の有用性を認めていたんだと思う。

 

 また、人員不足で早々に実戦登用されていた為に、技術不足を補う意味合いでも使われていた。

 以前では目標と己との距離なんてトリオン体の視界に表示されていなかったので、慣れない実戦やフィールドでは、ワイヤーに等間隔で色を付けて距離や高低差を一目で判るようにする。

 初心者たちはそうやって実戦に慣れるところから始めたんだ。

 

 ガンナーとシュータートリガーが開発されたことで、スパイダーも改めて名付けられ、やっと一つのトリガーとして分けられて登場する。

 分けられた大部分の理由は、スナイパーだけ規格の違うトリガーだと量産の手間となるからだった。

 理由の中には木崎さんが「他のポジションに移るがワイヤーも欲しい」とエンジニアに申請したことも関係していると思われる。

 

 オペレーターの人員が増えた頃にはサポート技術が段違いに進化し、トリオン体の視界に距離が表示されるようになった為、スパイダーの需要がスナイパー内でもかなり減った。

 そして、グラスホッパーという上位互換の登場により、益々需要が減ったのである。

 

 

「それが今日までの簡単なスパイダーの歴史? かな? こういう理由というか裏話を知っているから、私がスパイダーのスペシャリストと言われてもいまいち納得出来ないなぁ」

 

 

 むしろ木崎さんの方が相応しいと思う。たしかに木崎さんは全てのポジションのトリガーを使い分けるので、スパイダーを使うのは稀と言っても過言じゃない。

 それでも扱いはマスター級だから、玉狛支部のA級って本当にエリート集団だよね。

 

 

「基本装備だったんすか。知りませんでした」

 

 

 相変わらずのポーカーフェイスでカップを傾ける烏丸くんに、もうちょっと感情出してほしいな、と思わず考えた。

 

 私は慣れたけど、知らない人から見たら烏丸くんの反応は興味がないように取れるからね?

 

 その隣で「鳴子……等間隔……」とブツブツ考え込んでしまった三雲くんに苦笑する。

 

 昔と今じゃあ仕様が若干異なっているため、映像を見せてもあまり参考に出来ないだろう。

 

 

「今のスパイダーで出来る手を考えた方が良いよ、三雲くん。三位一体の作戦ならチームメイトとの話し合いを大切にね」

 

「あ、はい……? ぼく八神さんに作戦の詳細まで話しましたか?」

 

 

 思考を遮るように声をかければ、三雲くんは一瞬の間を空けて首を傾げた。

 

 それにニッコリと笑って見せる。

 

 

「……もしかして、鎌掛けました?」

 

「いやいや誤解だよ。でもスパイダーを使う時点で、というかここまで話されたら予測出来る」

 

 

 ヒントは随所に散りばめられていた。空閑くんの機動力と雨取ちゃんの新しい狙撃。

 

 空閑くんの戦闘スタイルはスピード重視だ。

 スパイダーを張れば本来ならスピードを落としかねないが、隊長の三雲くんがそれでも張ると言うならスパイダー型の乱反射(ピンボール)が真っ先に思い浮かぶ。"間隔"と言っていたことも大きい。

 

 雨取ちゃんに至っては、最近絵馬くんと仲が良いみたいだし、大変申し訳ないが夢うつつでぼんやりと聞いていた夏目ちゃんの話から、鉛弾(レッドバレッド)の狙撃だと思う。

 人が撃てないという弱点を、そういう形で補ってきたんだ。A級に上がってきた暁には、私が開発提案した狙撃銃を使ってくれないだろうか。現在と変わらないスタンスならば気に入ってくれると思うんだ。

 

 新しい玉狛第二の作戦は、マップによって戦局は変わるけれど、密集した場所でも拓けた場所でも戦えるように構えている。

 

 スパイダーを張ることに技術が要らない、なんてことは有り得ない。

 場所やタイミング、敢えて見せる囮に、隠す本命、視覚・聴覚・触覚などに訴える罠。汎用性の高いトリガーだからこそ、使い手の機転やチームの連携次第で持ち味が変わるんだ。

 

 しかし、現段階の三雲くんはまだまだ荒削り。B級隊員として上手くスタートが出来ていない彼に、基本以上のことを要求するつもりはない。

 

 そして私の事情としても、玉狛支部所属の三雲くんに多くを教えることは出来なかった。もう少し前の時期ならば可能だったけれど、それでも師匠と弟子のようにきちんと教えることはかなわない。

 "教えてほしい"という真摯なお願いを、スパイダーの歴史なんてものを語って、木崎さんに押し付けて誤魔化した自覚はあった。

 

 

「個人の技量も重要だけれど、チーム戦で何より一番大切なのは、味方の邪魔にならないこと。足手まといにならないことだ」

 

 

 大侵攻の最後に足を引っ張った私が言えることじゃあないけどね、と付け加えて肩をすくめる。

 

 

「高みを目指す姿勢は、烏丸くんが言った通り好感が持てるよ。けど、上を見過ぎて目の前の壁を忘れてはいけない。1人で越えられない壁は仲間と協力して越えるんだ。隊長が声を掛けてくれないと、メンバーは足並みを合わせられないものさ」

 

「隊長に強さは必要ないってことですか?」

 

「強さの形はそれぞれ、かな。現に私の所属する冬島隊は隊長が攻撃手段を持っていないし。でも、そんな隊長がいるだけで作戦が変わる」

 

特殊工作兵(トラッパー)の冬島隊長……」

 

「他にも草壁隊はオペが隊長だ。そういうチームがあるからこそ、隊長が強くなきゃいけないなんて誰も思っていないよ。選択肢は無限大ってね」

 

 

 悪いけど、現時点で私が三雲くんへ言えるのはこれくらいが限度だ。

 

 罪悪感を心の底へ押し込んで、ニヤリと挑発的に笑ってみせる。

 

 

「だから、玉狛第二には皆が注目している。三雲くんがどういう隊にしていくか、楽しみで仕方がないんだよ。それに、スパイダーはB級ランク戦ではあまり観ない手だ。作戦の成功を祈っている」

 

「! はい!」

 

 

 話しだした初期と程遠い、迷いの晴れた顔で三雲くんは強く頷いた。

 

 烏丸くんと三雲くんの後方にある扉が開いていて、そこから顔を覗かせていた空閑くんと雨取ちゃんも、グッと拳を握って見せてくれた。

 中学生組って本当に癒やされるなぁ。

 

 

 



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進むも退がるもキミ次第

※雰囲気エロです。R-15相当ですが警告を。
苦手な方は*まで飛ばして下さい。


※部屋(迅)を軸とした三人称
八神視点の一人称


 

 

 

 草木も眠る丑三つ時。

 控えめな音量の着信音がナイトテーブルの上から響く。

 

 

「んン……」

 

 

 枕に額を押しつけて八神が反応する。しかし眠気を完全に払うことは出来ず、目を閉じたままもぞもぞと手を伸ばした。

 だがその手もすぐに毛布の中へ戻る。室温は暖房によって温められているが、素肌を包む毛布の方が温かいのは道理。動いたことで隙間から外気が侵入し、八神は寒さにふるりと体を震わせた。

 

 それでも響く着信音に、八神はそのままもう一度手をさ迷わせたが、それがナイトテーブルへ届くことはなかった。

 

 

「ふぁ、っ」

 

 

 風呂から戻ってきた迅によって伸ばした手は絡め取られ、濃厚な口づけをいきなり始められたからだ。

 うつ伏せ状態からひっくり返された八神は突然の事態に瞼を上げるが、抜け出せるわけもない。

 

 下半身にだけ服を身に着けた男は、風呂上がりの火照る体で白い肢体に覆い被さり、柔らかさを堪能する。

 

 寝ぼけた頭に性急な快楽をぶつけられ、八神の意識から着信音が除外された。

 最初に逃げていたこともすっかり忘れて熱い体温に縋り、自分から「もっと」と強請るように求め始める。

 

 

「はぁ、はぁっ」

 

 

 唇を解放された時には頬は上気し、肩を動かすほど息を乱し、余韻で身体を震わせる。

 

 艶を帯びた女の姿に、迅は機嫌良く笑って見せた。それさえも敏感に反応する八神を視覚で愉しみ、更なる快楽へ堕とす為に右手を動かした時、迅は再び鳴り響いたスマホを見て小さく溜め息を吐く。

 

 八神の上からゆっくりと体を退かし、左手は華奢な指先と絡めたまま右手をナイトテーブルへ伸ばしてスマホを掴む。 

 気の進まないながらも迅はベッドの縁に腰掛けて通話を始めた。

 

 

「もしもーし冬島さんこの時間は非常識ですよー」

 

 

 八神のスマホを操作した迅が──ついさっきまでの艶を完全に隠した──平常と変わらない声音で相手に苦言を入れる。

 

 

『あ? 迅? 冬島さーん、なんか迅が出たけどーってダメだ。あのオッサン落ちたわ』

 

「げ」

 

 

 通話口から聞こえてきたのは太刀川の声だった。冬島からの電話だったはずが、一番可能性の低かった太刀川からの電話に変わってしまったらしい。

 

 これからの会話を察して、迅はせっかくの官能の火が徐々に治まっていくのを感じた。

 けれど未来視では電話を切っていない己がいて、どうするべきか選択に迷う。

 

 

『"げ"ってなんだよシツレーな奴だな。つーか、八神の電話になんでお前?』

 

「冬島さんので電話してる太刀川さんには言われたくないなー」

 

『おれはいいんだ。この際お前でもいいや。ズバリ、今なにしてる?』

 

 

 太刀川の物言いに迅は「この酔っぱらい面倒くさい」と深い溜め息を吐いた。

 

 通話口の向こうからはガヤガヤと騒がしい声が響き、太刀川と冬島を始めとした大人たちが、非番を利用してどこかの居酒屋で集まっているのだ。

 

 この電話に意味はなく、迅としては早急に切りたい。

 だが、切ってもしつこく鳴らしてくる未来が確定しており、スマホの電源を落とせば家に突撃してくる未来がうっすらと視えて肩を落とした。

 

 

『ナニか? ナニなのかこのバカップル1号め!』

 

「彼女がいない太刀川さんには縁のない言葉だよね」

 

『うるせー!』

 

「男ばっかりの居酒屋で何してるんですかー?」

 

『そりゃあ居酒屋なんだから酒飲むしかねーだろ』

 

「……うん、ソウダネ」

 

 

 煽り返したらマジメな返事が酔っぱらいから出てきて、迅の気分はどんどん萎んでいった。何故よりによって太刀川なのか。

 

 絡めていた左手がそっと解かれる。

 彼の気持ちを八神が察したのかどうかは、背を向けている迅にはわからなかった。通話中に続きが出来るわけもなく、追いかける気にもなれなかった迅は背後から聞こえ始めた衣擦れの音をただ感じていた。

 

 されど残念な気持ちは当然あるので、未練がましく同行者たちに早く暴走を止めてくれ、と願うも太刀川のトークは続く。

 

 

『そういえば前から思ってたんだけどよぉ』

 

「もう帰って寝なよ」

 

『どーせー中ってエロ本どうしてんの?』

 

「うわぁ……マジで聞いてきたよこの人。ん?」

 

 

 酒の力と深夜テンションで下世話な爆弾を投げてきた太刀川にドン引きしている迅の胸に、するりと細い腕が回された。

 次いで布越しの柔らかく温かいものが背中に当たる。

 

 首を動かして振り返ると、ちょっぴり拗ねた顔の八神と目が合った。

 そして迅と目が合ったと解った途端、表情をころりと笑みに変え、迅の胸から片腕を外して「しーっ」と静かにするよう悪戯っぽくジェスチャーする。

 

 かわいい、と迅が考えた瞬間に通話口から『どうした? エロ本探しか?』という太刀川の声が聞こえてきて頭を抱えたくなった。切実に電話を切りたい。

 

 

「っ」

 

 

 柔らかな唇が肩へと触れ、ちゅ、と可愛らしいリップ音を発して離れた。そして少しだけ場所をずらしてまた触れて、離れるのを繰り返していく。

 

 今朝まではまともに音が出せなかった八神だが、コツを迅によって教えられた彼女は成果を見せるように背中へ口づける。

 

 

『おい、マジでナニ中なの? おれジャマか?』

 

「そりゃあもう思いっっきり邪魔だね。はやく寝たいから切るよ」

 

『まてまて寝るな! 切ったら乗り込むぞ』

 

「心の底から面倒くさい」

 

 

 八神によって官能の火へ薪がくべられているのに、太刀川のせいでいまいち燃え上がらない。

 何の拷問だ、と迅が眉間に皺を寄せたところで、キスがだんだんと下へと降りてきているのに気づいた。

 

 肩から始まった口づけは項へ移動し、背骨を辿るように唇でなぞる。

 後ろから胸へと回されていた手も、唇と連動するように肌を撫で、少しずつ下がってきた。

 

 

『ねるなよじん~聞けって』

 

「……寝てないから勝手に話しててクダサイ」

 

 

 恐ろしい拷問が始まった、と迅は内心で呟く。

 

 ゾクゾクとした期待で下半身へ熱が集まるが、外野(太刀川)によって頭は冷めているという奇妙な体験だった。

 

 

『さいしょは風間さんに電話してたらソッコー切られてよぉ。もっかいかけたら着拒されてんの。しょっくだ』

 

 

 まだ飲酒を続けているらしい太刀川は、だんだんと呂律が怪しくなっていく。はやく寝ろ、と内心で応えながら迅は相槌を打った。

 

 ちゅッと可愛らしいリップ音が聞こえるが、行動は決して可愛くはない。

 いや、迅にとって八神が可愛いことに変わりないが、いつもとは違う悪戯に気が気ではないのだ。

 

 嫌ではない。

 ただ、何故このタイミングなのかと問い質したい迅だった。

 

 既に背中の中ほどを過ぎて腰へと差し掛かり、指先も腹をやんわりとなぞる。

 

 

「!」

 

 

 迅は辛うじて声を我慢することが出来た。

 

 

『あ、えだマメ追加でー。そういえばきな粉もちある? まじ? じゃあそれも追加で』

 

 

 いきなりチクリとした刺激が、迅の腰を襲ったのだ。

 

 迅が振り返ると同時に、腹に回されていた腕もするりと抜かれて背後の体温も離れてしまった。

 

 八神は振り返った迅へ視線を向けることなく、ベッドから降りて脱ぎ散らかされていた衣類とタオルを拾う。

 

 八神が現在身に付けているのは、迅が風呂に入る前に脱ぎ捨てていた緩いタイプの長袖シャツ1枚のみ。所謂"彼シャツ"状態だった。

 

 視線に気づいた八神が顔を上げる。

 

 

「……ばか」

 

 

 しかしその顔は不満そうにそっぽを向いた。

 先ほどまで熱烈に背中へキスしていた赤い唇は、彼女の心情を表すように尖っている。

 

 男物のシャツで丈や袖には余裕があるが、豊かな胸に押し上げられて前側の裾は心もとないはずだと迅は咄嗟に視線を滑らせた。

 だが男の期待を嘲笑うかのように、拾った衣類とタオルで完璧にカバーされて隙などない。

 されども女体特有の柔らかな曲線は服の上からでもはっきりと確認でき、迅の性癖に訴える括れから尻のライン、白く伸びる生足は彼を裏切らなかった。

 

 そんな迅の邪な視線がわかった八神は、衣類とタオルをきゅっと抱きしめて男を不満げに睨む。

 

 

「えっち」

 

 

 抱きしめることによって胸が寄せられ、しかし衣類とタオルでふにゃりと柔らかく潰れる。動きに連動して腰下の誘惑も増す。

 そして何より、不満そうなのに"えっち"と可愛く詰ってくる様は、実に男心を擽る。

 

 魅力的な光景に、迅の耳は一時的に太刀川の声を拾わなくなっていた。

 迅が怪しい笑み──見る人によっては悪役のような──を浮かべ、手を伸ばす。

 

 だが、八神はフイと顔を逸らしベッドから離れていく。

 

 

「玲っ」

 

「おふろ」

 

 

 迅が名前を呼ぶも、八神は振り返ることなく寝室を出て行った。

 

 

『おねーさんもちウマいわ。ど? おれと今度もち焼かない? おれのもちもウマいよ?』

 

「…………」

 

『えーいやぁオヤジさんはいいって。おれはおねーさんといたいんだって』

 

 

 太刀川の下手くそなナンパ台詞が通話口から響く。

 

 虚しさとやるせなさが同時に迅を襲い、けれど、高ぶった下半身を持て余す。

 

 ───俺がいったい何をしたんだ。

 

 理不尽な仕打ちに、迅は盛大にため息を吐いた。

 そしてすぐに、ふつふつと怒りがこみ上げる。このウラミを晴らさずにいられるか。

 

 

「太刀川さん」

 

『んぁ?』

 

「明日ランク戦しよう」

 

『マジか!? よしやろう!』

 

「うん、明日やるから電話切るよ。むしろ電話切らないとランク戦しない」

 

 

 迅が言い終えるや否や、通話はあっさりと切れた。

 

 迅はそれを無表情、かつ、据わった目で確認して電源を落とす。スマホをナイトテーブルへ置くと、ゆっくりとした足取りで風呂場へと向かった。

 

 「先ずは1人目」と呟いた男の顔を見て、洗濯機を操作していた八神は「ひっ」と怯え、真夜中の浴場で高い声が響くのだった。

 

 

 

 

 熱を解放し、頭の熱も幾分か冷めた迅は、電話の途中から視えていた未来をやっと冷静に視ることが出来た。

 

 

「なんでそうなる……いや、でも、ああすればまだ」

 

 

 ややこしくなった未来に頭を抱えるしかない。

 そして最終的に達観した迅は、腕の中にしっかりと八神を抱き込んで眠りへ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   *

 

 

 

 端末にPDF形式で入れた情報へ目を通しながら、本部基地の通路を歩く。

 完全に端から見たら歩きスマホ状態だ。いや、大きさ的にスマホよりタブレットに近いから歩きタブレット……どうでも良いか。

 

 周りを見ないで歩くことは危険だが、悠長にベンチで座って読む時間も惜しい。早く昼食も終わらせて外へ行かなくては。

 

 そこでポケットに入れていたスマホが震え、その振動の長さから着信を伝える。

 画面に表示されたのは"冬島隊長"だった。

 

 

「はい、八神です。どうかされました?」

 

 

 左手に端末を持って、右手でスマホを耳に当てながら応答すると、少し嗄れた声の冬島隊長が『おう』と答えた。

 

 

『あー……夜中に電話かけて長時間しゃべったみたいなんだが、わりー……記憶にない』

 

 

 声だけでかなり困っている冬島隊長の様子がわかって、思わず苦笑する。記憶にないって、当たり前のことですから。

 

 

「それ、太刀川さんですよ。なんか隊長のを使って私に掛けてきたんですが、悠一が対応していたので内容は知らないです」

 

『あのヤロ……! てっきり俺は酔っぱらって迷惑かけたのかと心配したじゃねーか。迅が対応したってのは?』

 

「良い子はあの時間寝てますから」

 

『へー。にしては、おまえ声が掠れて』

 

「コホン! それ以上言えば隊長と太刀川さんが揃って声を嗄らしてるって話を本部で流します」

 

『ごめんなさい』

 

 

 セクハラに入りかけた冬島隊長に釘を刺せば即謝ってきた。噂話は最初になんてことはないネタから、最終的に尾ひれ背びれ胸びれが勝手に生えてしまうものだからね。

 

 

『マジでやめろよ。今日は本部にいねーから鎮火もできないんだからよぉ』

 

「太刀川さんは居たのでチャンスですね」

 

『なんのだ。太刀川いんのかよ。俺よりも飲んでたはずだぞアイツ』

 

「そうなんですか? あ、用件はそれだけですか?」

 

『ん? ああ、それと最近エンジニア内でも鞍替えかと噂されてるぜ』

 

「あー、やっぱりですか。通りで情報が入りにくいと思ったんですよ」

 

 

 ため息を吐こうとして、電話越しにため息はかなり失礼だよな、と思い直して止める。眉間に皺が寄ったけど。

 

 

『早めに対処を打てよ』

 

「はい。忠告ありがとうございます」

 

 第二次大規模侵攻直前に()()()覚悟で色々と動いていた。だから以前と同じには、そう簡単に戻れない。

 それに、記者会見や空閑くんの件など玉狛に寄り過ぎている自覚があった。空閑くんの件はプライベートの時間を利用していたが、本部内で動いていたから隠すなんて無理。

 

 今回の作戦に乗っかる形で対処はしているので、一応の解決の目処は立っているけれど。

 

 それでも、こうして忠告してくれる隊長の存在に改めて感謝した。

 

 

『仕事中に悪かった。じゃあな』

 

「お疲れ様です」

 

 

 忠告以外に大事な用件はなかったようで、通話はそこで切れた。

 

 さて仕事に集中しよう。流石に電話しながら&資料を読み込みながら&歩きながらの3コンボはバランスが悪かった。

 

 スマホをポケットに突っ込んで2コンボに戻し、通路を進む。

 先ずは隊室に寄ってからお弁当を食べて、それまでに資料を読み終えてしまわないと。外へ行くのに端末は邪魔だし、隊室に置いて身軽になってから行きたい。

 

 足を進めている途中で盛り上がる声が耳に届いた。

 

 

「?」

 

 

 ランク戦ロビーから響くそれに首を傾げる。今日は火曜日だからB級ランク戦ではないはずなのに、何故そんなに盛り上がっているのか。

 

 気になって足を運べば、理由が解った。

 

 太刀川さんと悠一が個人ランク戦をやっていたのだ。戦績は2ー4で悠一がリードしている。

 

 ロビーの入口で足を止めた。

 モニターに映される実力者2人の攻防を、ロビーにいる全員が見上げて注目している。

 

 

「……いいなぁ、っ」

 

 

 ふと気がつけば口から突いて出ていた言葉に、咄嗟に口を手で覆った。

 でも誰も聞いている人間はいなかった。良かった。

 

 視線をモニターへ戻して、心に浮かんだ──羨望を認める。

 

 弧月の太刀川さんに対して、悠一はスコーピオンを振るう。

 小細工なんて一切行われない純粋な接近戦。瞬きさえ惜しい、否、許されないその攻防戦に誰もが魅了されていた。

 

 互いしか目に入っていない──個人ランク戦なので当たり前だが──彼らの瞳は獰猛に輝き、無意識だろう酷薄な笑みさえ浮かべて刃を合わせている。

 

 耐久力に劣るスコーピオンが弧月と接するのは一瞬。

 その一瞬で、悠一も太刀川さんもそれぞれが心を読んだように動きを変える。それは殺陣かと思えるような合わせ技に見えた。

 

 いつまでも見ていたい。

 そんなの見たくない。

 

 相反する想いを胸に抱え、視線を引き剥がしてロビーに背を向ける。再び隊室へと足を動かした。

 

 

「なんだろ、引きずってるなぁ」

 

 

 昨日というか日付的には今日のことだろうけど、夜中のことを思い出す。

 

 キスしてくれたのに、途中で太刀川さんとの電話優先されたし。頑張ってこっちからキスをいっぱいしたのに電話止めてくれなかったし。

 口にしなかったのがやっぱりダメだったのかな。でも悠一も嫌がってなかったと思う、けど……太刀川さんとの電話に集中して嫌がる素振りも面倒だったとか。

 電話ってランク戦のことだったのか。それなら早く返事すれば良かったのに……ダメだ!

 

 頭を振ってぐだぐだとしたバカな考えを追い出す。嫉妬とか重いだけだし、それこそ面倒だから!

 

 

「……でもちょっとベタベタし過ぎたかもしれない。これからは控えよう」

 

 

 八神玲は自重を覚えます。

 家の中なら、と私は思ってたけど悠一にとってはしつこかったのかもしれない。

 我慢しないとは考えていたけど、悠一の負担になるような嫉妬とか重い感情は要らない。前みたいにサバサバしてるくらいが丁度良いはず。

 でもでも、キスくらいは許してくれないかなぁ。ううん、それこそ自重だな。付き合ったばかりじゃないんだし、もうそんなバカップルみたいなことはしません。だけど"おはよう"とか"いってきます"のキスはしても良いのかな? むしろそれ以外でのキスはアウト、とか。

 いやいや落ち着きのあるカップルはそんなこと……落ち着きのあるカップルってなんだろう。キスをしないとか、手も繋がなくて、会ってもお互いに挨拶程度しか話さないとか? それは、すこーし……ちょっぴり悲しいような、他人のような。

 

 心の中で誓ってみるが、だんだんと思考が迷走し始めて混乱する。

 あれ? 結局どうすればいいんだ!?

 

 

「こんにちは玲さん」

 

「こんにちはー、八神さん?」

 

 

 途方に暮れようとしていたところで、那須ちゃんと熊谷ちゃんに声を掛けられた。

 熊谷ちゃんは鋭く私の混乱を察したらしく、首を傾げられた。さすが姉御ポジション。

 

 

「こんにちわん!?」

 

 

 なんとか思考を停めて挨拶を返そうとしたところで、那須ちゃんが勢い良く正面から抱きついてきた。

 

 

「うぅ……やっぱり同じ名前なのに不公平です」

 

「玲、あんたね……」

 

 

 私の胸に顔を押し当てた那須ちゃんのセリフに、熊谷ちゃんが呆れていた。

 私も空笑いを返すしかない。女の子同士だからこそのスキンシップだけど、あんまり揉まないでほしいです。

 

 

「えーと、毎回のことだけど一応言うね。いきなりのわし掴みは止めましょう。それに大きくても重いし肩凝りで辛いよ? ね、熊谷ちゃん」

 

「確かに重いですね……走る時とか邪魔ですし」

 

「もうっ! 2人して持っている者の余裕なんだからっ」

 

 

 熊谷ちゃんの同意を貰えたところで、胸から顔を上げた那須ちゃんが頬を膨らませた。かわいい。

 

 

「まぁまぁ。でも私は那須ちゃんみたいな美人に生まれたかったよ」

 

 

 宥めるように頭を撫でると、今度こそ彼女はむぅと不満を主張した。あ、やってしまった。

 

 

「名前」

 

「いや、その……」

 

「私だけ呼ぶの不公平です」

 

 

 ぎゅうっと抱きついたまま上目遣いで睨まれる。怖くはないけど、罪悪感がハンパない。

 ボーダー内でファンが多い那須隊の2人に囲まれた上に、隊長な美少女に抱きつかれている。もし私が男だったら刺されること間違いなしの状況だよコレ。

 

 美少女の上目遣いを、頭を撫でていた手でやんわりと遮ってみる。

 わぉ、お肌すべすべもちもち……思考が脱線した。

 

 

「ごめんね。自分の名前に"ちゃん"付けしてるみたいで違和感が強くて。だから苗字で呼んでい」

 

「でも迅さんと結婚するんですよね? なんか騒がれてましたし」

 

 

 熊谷ちゃんの援護口撃が私を襲う。記者騒動はもう終わったことだと思ってたのに、そんなことはなかった。うぅ、75日って遠いよ。

 

 隊員の援護を受けた那須ちゃんが子犬のように頭を振って私の手を払うと、通常よりキラキラとした瞳で見上げてくる。

 こんなの可愛いに決まってるじゃないか!

 

 

「結婚したら『八神』じゃなくなりますよね? 『迅』だと被っちゃうので今のうちから名前呼びがいいです。だから私のことも名前で呼んでください」

 

「迅さんが『八神』になっても結局は被りますし、観念して下さい。玲はこうなったら頑固ですから」

 

 このコンビ強い。さすがだよ。

 

 那須ちゃんが最後の一押しとばかりに「だめ、ですか?」と腕の中で小首を傾げてきて、もう降参です。

 ついでにハンズアップもしてみるけど、密着は解かれなかった。制服越しだからそんなにボリュームないと思うんだが。

 

 

「降参です。ちゃんと名前で呼ぶよ」

 

「じゃあ練習です、玲さん」

 

「……玲ちゃん」

 

 

 改めて面と向かって呼び合うのって気恥ずかしいな。なんだか、その、迅を悠一と呼び変え始めた頃の心境を思い出す。

 

 『玲ちゃん』と呼べば彼女は嬉しそうに微笑むものだから、こちらも自然と顔が緩む。

 

 

「玲さん」

 

「なにかな、玲ちゃん」

 

「玲さん」

 

 

 ふんわりと微笑む玲ちゃんが一心に名前を呼んでくれて、照れがまだ残るけど私もお返しに名前を呼ぶ。

 

 

「玲さん」

 

「玲ちゃん」

 

「っお見合いか! 2人とも見てるこっちがむず痒いから!」

 

 

 少し楽しくなって呼び合っていたら熊谷ちゃんに止められた。

 玲ちゃんと目を合わせる。よし、わかった。

 

 私たちは体を離すと、素早く熊谷ちゃんの両脇を固める。

 

 

「そんなに怒らないで友子ちゃん」

 

「放ってごめんね友子ちゃん」

 

「な、なんで玲まで名前呼びなの」

 

「たまには、ね? わたし友子って名前、好きよ」

 

「響きも字も素敵だよね」

 

 

 動揺してちょっぴり照れた友子ちゃんが可愛くて、玲ちゃんと一緒に微笑む。

 

 

「うぅ、W玲がいじめる……」

 

 

 すると、友子ちゃんは両手で顔を覆って隠れてしまった。少しやり過ぎちゃったかな。

 

 体を離して謝罪すると、友子ちゃんは手を外してはにかんでくれた。

 玲ちゃんもその隣で嬉しそうに微笑んで、これからも名前で呼ぶことを念押しされる。

 

 

「ちゃんと呼ぶよ。玲ちゃん、友子ちゃん」

 

 

 美人さんな2人が微笑むと周囲が輝いて見える不思議。絵になるなぁ。

 

 

「じゃあ、あたしたちこれからランク戦してきますね」

 

「玲さんと話せて元気もらいました」

 

「元気を貰ったのはこっちだよ。うん、休憩しながら頑張ってね」

 

 

 ランク戦ロビーへと向かう彼女たちに手を振って別れた。

 

 時間を確認すると、当たり前なことに予定していた時刻を過ぎていた。

 ため息を吐くけど、玲ちゃんたちと話したことに後悔はない。

 

 移動を再開する。

 

 誰かと話すことで、ごちゃごちゃしていた思考を上手く切り替えられた。2人には感謝しかない。あのままだと仕事にも支障を出していたかもしれないのだ。

 

 仕事も恋愛も焦ってはいけない。初心を忘れるべからず。

 昔みたいに油断して緊急脱出(ベイルアウト)する、なんてことは今更やりたくないからね。

 

 タイミング良く私は今日から本部基地へ泊まり込みだし、第一作戦後の予定でも数日は家に帰れないはずだ。

 その間に頭を冷やして初心へと立ち返ってみよう。

 

 

 




真夜中の電話にロクなものはない(経験談)

初心へ返ろうとして迷走する方の玲。浴場で襲われるという字面だけならホラーシチュも有り得る。
事後に冷静となった迅。とりあえず太刀川さん絶対ゆるさないマンと化した。
ポイントを毟り取られながらイキイキする太刀川。ナンパは失敗、トリオン体解除でモチを吐く。
やっと登場させられた妹属性が付与された病弱美人な方の玲。おそらく末っ子。
姉御に見えていじられ妹ポジとなった熊谷。おそらく次女。


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情報の真偽

八神視点の一人称
ガロプラ(ガトリン)を軸とした三人称


 四つ足のトリオン兵。通称"犬"と呼ばれ、名前の通り大型犬サイズでありモデルでもあるらしい。トリオン兵名はドグだとか。

 

 極細でしゃぼん玉強度のスパイダーを張り巡らせて、それが踏み荒らされていることを切欠に解析を頼んだ。1体ずつ出てきてくれるので足跡や行動の特定は楽だったらしい。ついでにエネドラに訊ねて、ロドクルーンが好んで使う偵察用トリオン兵のドグと判った。

 敵は2国ということで警戒をしているが、どうも違和感を覚える。

 

 悠一から提供された交戦予測地点は、トリオン兵だけで乗り込めるような場所ではない。

 ならば乗り込み組みはガロプラのトリガー使いか、と思うが2国がそこまで連携してくるだろうか。

 訊けば従属国のほとんどは武力行使で従えられガロプラもその中の一つ。しかしロドクルーンは大国の庇護を求めて従属国化した国らしい。国交はあるようだが、腹を割って背中を任せるような仲ではないと思うのだが。

 

 まぁ、私がぐだぐだと思考を流したところで2国に対する警戒は変わらないんだけどね。

 

 

「お疲れさまです」

 

 

 日が暮れて夜が訪れると外から本部基地へ引き上げ、宿泊スペースへ直行。トリオン体に換装してて汚れていないとは言え、温かいシャワーを浴びたいと思うのは女子として当然の心だ。

 

 贅沢を言えば湯船に浸かってのんびりしたいけれど、現在は警戒態勢なのだからそんなにゆっくりしていられない。

 シャワー中に警報が鳴ったらどうしよう。いや、裸でトリガー起動(オン)したら設定している隊服を着るけどさ、いざ緊急脱出(ベイルアウト)したらヤバいことになる。うん、シャワー中に警報が鳴ったら焦らず服を着てからトリガー起動(オン)しましょう。

 

 シャワーだけでも体は十分ぽかぽかになって心がリラックスしてる。鼻歌でも歌えそうな気分。家だったら歌ってたな。

 

 

「お腹すいたな~でも眠い」

 

 

 リラックスすると空腹と眠気が襲ってくるのも、まぁ当然だろう。家ではないし、この時間はまだカフェが開いているはず。もし閉まってたら隊室で何か作ろう。

 

 髪を乾かしてから櫛を通し、ポニーテールに結ぶ。やめた。首と肩が冷えて湯冷めしそうだし、ここは緩く三つ編みにしておこう。

 いつものワンポイントがあるヘアゴムで、ちゃんと思った通り結えたか鏡で確認。指輪もつけているし、忘れ物はないな。

 

 

「よし」

 

 

 忘れ物チェックも終えて女性用更衣室を出る。

 

 

「!?」

 

 

 何故か私は扉の桟に足を引っかけてしまっていた。

 バカか私! どこのドジっこだ!?

 

 

「おっ」

 

 

 そしてこれまた不思議なことに、女性用更衣室の扉前にいたのは悠一だった。勢い良く押し倒して馬乗り! またお前かっ少女漫画ーッ!!

 

 悠一はありがたいことに、私の腰を片腕で支えて衝撃を与えないようにしてくれたけど、背中から落ちたよね!? 私なんかより自分の安全を考えて!

 

 

「ごめん! すぐ退くか、ら?」

 

 

 退こうとしたけど悠一のもう片方の手まで腰を掴み、ガッチリと放さない。

 

 

「大丈夫だよ。知ってたからちゃんと受け身とったし」

 

「はい?」

 

 

 爽やかな笑顔を浮かべる悠一に理解が追いつかない。どういうことなの。というか腰から手を離してほしい。あとこの体勢とか女性用更衣室前という場所とか色々な問題があるんだ。

 

 はっ! こういう時こそサバサバした態度で流すべきじゃないか!

 サバサバってなんて言えばいいんだよ。とりあえずお礼は言うべき。

 

 

「ありがとう。でも、受け身をとれるからって背中から落ちたように見えたよ? 我慢しないで? ね、ゆっくり動くから手を離して」

 

 

 もしかしたら悠一は体を強く打っていて、上にいる私が急に動いたら痛みが走るのかも。そう思ってのセリフだった。

 

 だが悠一はジィッと私を見るだけで手を離さない。そして徐に腰を辿って尻を揉み、おい。

 睨むと揉む動きは止まった。ただし添えられてはいる。解せぬ。

 

 

「さっきのセリフはベッドでもっかい……違う。俺が言いたいのはこれじゃなくて、あのさ、玲」

 

 

 若干口ごもった悠一に首を傾げる。

 

 

「俺は、玲が思っているより嫉妬とか独占欲とか激しい男なんだよね……だから、あんまり離れないでほしい」

 

「…………」

 

「……引いた?」

 

 

 思わず真顔になった私に、悠一は困ったように眉を下げる。引いたというかムードがないと思いませんか。

 

 

「この場所をよく考えてみましょうか」

 

「女性用更衣室前だね。だって玲がなかなか捕まえられなかったからさぁ。これなら逃げられる未来もなかったし」

 

 

 ああ、逃げたい。だって場所が場所だし、体勢も私が悠一を押し倒しているわけだし。

 でも腰と尻がガッチリ掴まれて逃げられない。

 

 

「女性用更衣室前に待機していた彼氏って……」

 

「別に他人に見られてないから大丈夫。たとえ見られても、玲が俺のこと好きなら他からの感情はどうでもいい」

 

「っ!! す、好きだし愛してるに決まってる。もうっ、少女漫画ムーブ禁止!」

 

 

 なんでそんなカッコイイこと言うかなあ! 場所とか体勢とか気にせずドキドキしちゃったじゃん!

 うあ、顔が熱い。

 

 

「少女漫画ムーブってなんだよ」

 

 

 にやにやした悠一をぶん殴りたいけど、顔隠しで両手使ってるからムリ! なんでこんなにカッコイイのさ! 反則! セクハラ!

 

 結局、この一件を誰かに目撃されることもなく2人でご飯食べて、ギュッと抱きしめ合ってから別れた。

 "いってらっしゃい"と"おやすみ"のキスはちゃんと頬へ贈ったけど、やっぱり家の外では恥ずかしいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艇内のモニター室にてガロプラの精鋭6人が、作戦内容を詰める為に情報を確認し、隊長であるガトリンの決定に従う旨を告げた。

 

 アフトクラトルに命令された『足止め』の為に、敵の軍事施設に格納されている遠征艇の破壊。それを最優先事項として全員が頭に叩き込む。

 

 本来ならばロドクルーンの精鋭も交えて作戦を練るところだが、多数の戦場へ駆り出されている小国に、人員を割ける余裕がなかった。いくらトリオン兵主体の国とは言え、宗主国に搾取される側の従属国である以上、指揮を取れる優秀な人員は少ない。少数精鋭を強みとするガロプラだからこそ、アフトクラトルのような大国と同様に6人一組で精鋭として人員を出せるのだ。

 

 同じ従属国であるロドクルーンが人員を出さなかったことは痛手であったが、その代わりに充分な数のトリオン兵を寄越してきた。

 少数精鋭で連携を密にするガロプラの場合、ロドクルーンから下手に合わない人員を出されるよりもトリオン兵の方が都合が良い。更に人員を渋ったロドクルーン側の泣きの姿勢を、ガロプラ側が受け入れたこととなり、()()を作れるのだ。

 

 作戦進行と国家間の益を考え、ガトリンはロドクルーンの姿勢を受け入れた。

 

 

「隊長、軍事施設への攻撃については理解しましたが、もう一つの命令である『糸使いの捕虜または無力化』はどうされますか?」

 

 

 ラタリコフの問いに、全員がガトリンの答えを待つ。

 

 アフトクラトルに命令されたことは足止めだけではなかった。されど、素直にその命令を遂行すれば先に述べた通り、玄界(ミデン)の恨みをガロプラが買ってしまうのではないか、と皆が一様に眉を顰める。

 

 部下の反応を表情一つ変えずに受け止め、ガトリンはアフトクラトルの命令について、結論の前に己の考えを述べることにした。

 ガトリンが想定している作戦には、事前に仲間との考えを共有しておかねばならないからだ。下手な感情で失敗されない為に。

 

 

「もちろんその命令も遂行せねばならない。だが、優先度は『足止め』の方が高い。むしろ上は、我々が糸使いをどうにか出来るとは思っていない口振りだった」

 

「は? 糸使いって(ブラック)トリガーかなんかですか?」

 

 

 ガトリンの言葉にレギンデッツが首を傾げると、副隊長であるコスケロが首を横に振った。

 

 

「いや、ノーマルトリガーだったはずだよ」

 

「アフトに舐められてるってことかしら」

 

 

 紅一点のウェンがそう零せば、部隊の雰囲気が少しばかり怒りに染まった。

 

 それを認めてガトリンは「落ち着け」と息を吐く。隊長の一言で精鋭たちは瞬時に感情を引っ込めた。

 

 

「送られてきた情報を見る限り、個人での戦闘力は高くない。だが、アフトクラトルの襲撃を的確に察知し対策を叩き出す頭脳と、戦況を読む慧眼、何よりも全方位を全て1人でカバーする力量は侮れん」

 

 

 アフトクラトルからの事前情報で、地形図と同等の割合で糸使い(八神)の情報が含まれていた。黒トリガーの曖昧な所持数よりも詳細な内容に、彼の大国が1人のトリガー使いにどれだけ警戒しているか窺い知れるというもの。

 

 侵攻時のアフトクラトルとボーダーの詳しい攻防まではガロプラに伝えられなかった。

 遠征結果として『快勝とまでは言わないが勝利し、トリガー使いを捕らえた』ことは知っている(伝えられた)ので、追い討ちとばかりにガトリンたちが派遣されていると理解している。

 

 詳細を伝えられなかった理由は至極簡単な理由、宗主国としてのプライドだ。そしてもののついでのような理由で『部隊の士気に関わる』からであった。

 もしも、アフトクラトルが文句なしの大勝利を納めていたならば、戦果を誇り、有益な情報を下にも流していただろう。

 もしも、アフトクラトルが大敗していたならば、最大の警戒と警告の意味を込め、より詳細なデータを送っていただろう。

 

 だが結果として、アフトクラトルはどちらでもない。

 当初の目的である『神』候補を捕らえることは妨げられたが、本来の目的としていた『エネドラの処分とヒュースの隔離』は成功している。更に未熟ではあるものの、数人のトリガー使いの確保も出来ているのだ。マイナスの点を挙げるなら、あれだけの兵力をつぎ込んで、最低限の目的しか果たせなかったことだろうか。

 

 遠征は成功している。快勝ではないが、決して負けではない。

 

 故に、国に残した愛国心と忠誠心に溢れる情報統制の者は、要点だけ掻い摘まんだ情報しか従属国に与えなかった。もしもハイレイン本人が情報伝達に携わっていたならば、また結果は変わっただろう。されど遠征の人員であり当主である彼には無理なこと。

 

 そんな宗主国の裏事情を、あくまでも現場の人員であるガトリンが察するなど不可能だ。伝えられた情報と命令を、母国の総意を背負って部隊を率いるのみ。

 

 ガトリンがオペレーターのヨミに指示を出し、モニターに高台から長身の銃(イーグレット)を構えている糸使いの画像が映し出された。

 

 

「一見、奴はただの狙撃手だが、周辺に張り巡らされた糸を同時に操る技量の持ち主だ。攻撃力は狙撃手と変わりないが中距離型の弾も使える。恐るべきは軍事施設の辺り一帯を全てカバーしながら、自衛も出来るという点だろう」

 

「情報を見ると防衛の要を担い、アフトクラトルの黒トリガー使いから逃げることも出来たらしい」

 

「ああ。コスケロの言う通り、捕獲は簡単ではない」

 

「アフトの奴らざまーみろって思ったけど、面倒くせー」

 

「でもそれなら命令はどうするの?」

 

 

 改めてアフトクラトルからの無理難題を認識して、レギンデッツとウェンが苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

 

「……なるほど。だから隊長は真っ先に軍事施設への攻撃を決めたのですね」

 

 

 その傍らで、ラタリコフが合点がいったと声をあげる。若いながらも冷静に戦場を見続ける彼に、ガトリンは内心で嬉しく思うが面には出さなかった。

 

 その代わりに間を開けず肯定する。

 

 

「そうだ。数で劣る我々は市街地を襲った方が早い。だが、その手段を選ぶにはリスクが高い。ヨミ」

 

「はい」

 

 

 ヨミが手元のコントローラーを操作してもう一つの画像をモニターに映し出した。

 

 

「見ての通り玄界(ミデン)は既に防衛態勢を整えている」

 

 

 道や建物に糸が張られている画像に、全員が難しい顔をする。

 

 

「映像データを流します」

 

 

 ヨミが画像を隅に縮小し、映像データをモニター中央へ呼び出す。リアルタイムではなく録画された内容が、皆の前で再生された。

 

 糸が張られた場所へ不良(影浦)が不機嫌な面持ちで近づく。

 糸を発見すると盛大に舌打ちして、千切るかのように引っ張った。すると瞬時に糸の上に糸使い(八神)が現れ立ち、幾つか会話した後に不良を追い払った。

 

 

「もう一つ」

 

 

 二つ目の内容は、軽薄な青年(犬飼)困った表情の青年()に大きく身振り手振りをしながら話しかけているところから始まった。

 2人というか実質1人は話に夢中なのか、糸の存在を全く意識せずどんどん糸へ近づいていく。そして大きく振っていた青年の腕が一瞬、糸に接触した。

 彼等はそこで初めて糸の存在に気づき「やべっ」と焦りの表情となる。不良の時と同様に糸使いが現れ、2人に向かって何か喋ると軽薄な青年は両手を挙げて肩を落とし、もう1人の青年も罰が悪そうに顔を逸らした。彼らを追い払うと糸使いも姿を消した。

 

 映像はここで終了する。

 

 

「おそらくこの糸は糸使いの感覚の延長線だ。動物のヒゲのようにかなり敏感なものだろう。そして、人間にはあの通り糸使いが赴いて追い払うが、トリオン兵が触れると拘束される。市街地を狙おうにも、こちらからの(ゲート)は強制的に糸の囲いの内側へと誘導されるようだ」

 

 

 様子見として送ったモールモッドやバムスターなどの通常のトリオン兵が、悉く糸使いや服装の揃ったトリガー使いたちに倒されていく。

 

 隙を見て破壊された兵の中から犬型トリオン兵のドグを出している為、こうして()調()に情報収集に漕ぎ着けているが、もし一からの情報収集が必要だった場合は絶望的だっただろう。

 

 それだけ警備が厳重だった。

 

 説明を聞き、映像を睨むラタリコフが再び思案を巡らせるように呟く。

 

 

「あれだけの量を把握しているとなると、サイドエフェクトも疑えますね」

 

「もし持ってなかったら、玄界(ミデン)はあたしらと同じように幼い頃から訓練をしてるってことよね?」

 

「その可能性は低いと思う。昔から玄界(ミデン)は技術が未発達の国だったし、ここ数年でやっとトリガーを作ったんじゃないかな。それにガロプラでもここまで正確に数を把握出来るのは特殊だし、僕の意見はサイドエフェクトだよ」

 

「まぁ、そうじゃなきゃアフトの黒トリガーから逃げたとか信じられねぇしな」

 

「あくまでも憶測の情報だから鵜呑みは避けるように。とりあえずまずは作戦の大まかな概要を言ってくれ。考察や意見はその後にしよう」

 

 

 ラタリコフの呟きに反応したウェン。それから連鎖するように次々と考察が出てきて、脱線しかけた話にコスケロが釘を刺した。

 

 コスケロの誘導にガトリンは目線だけで「悪いな」と謝ってから、ヨミへ指示を出す。

 それに従ってヨミは本部基地周辺の立体地形図をモニターへ呼び出した。立体地形図には観測出来た糸までも映っている。

 

 

「優先すべき目的は変わらず『軍事施設への攻撃および遠征艇の破壊』だ。軍事施設の構築はトリオン製、いつものごとく抜けられるだろう。(ゲート)は糸の囲いの中だが、軍事施設周辺ならば多少はこちらでポイントが決められるらしい。そのため調査した結果を元に、軍事施設を中心とした北東方向から攻める。コスケロとレギーは外からトリオン兵を操作して俺たちの潜入を補佐、その後は数を押し込んで艇の破壊が完了するまで玄界(ミデン)の兵を引きつけてもらう。ここまでで質問は?」

 

「どうして北東なの? 糸を避けるなら西か北西だと思うんだけど」

 

 

 先日の大侵攻にて北東と西は天羽の黒トリガーによって更地へと変えられた場所だ。ウェンが指したように糸はポツリ、ポツリ、としか見えない。

 

 ウェンの指摘に全員が「確かに」と納得する。だがそれを遮るようにガトリンが答えを返した。

 

 

「確かに西と北西は糸を張れる起伏や建物がない。だがあれほど厳重に警戒しているのに、そこだけ無防備なのは逆におかしいだろう。完全な誘導だと俺は思っている。それにあれだけ拓けた場所はこちらが身を隠すことも出来ん。却って不利だ。

 俺が北東を選んだのは、この糸が面の攻撃に対応可能でも点の攻撃には弱いことが事前情報にあったからだ。北東は比較的糸が少ないことの他に、ほぼ直線の道でアイドラの盾を重ねやすく防御を固めながら進行できる利点もある」

 

 

 基地へと続く道は、ガトリンの言う通りほぼ直線である。

 その直線の道から一歩外れれば入り組んだ家の路地となり、身を隠しながらトリオン兵へ指示を送ることに適した地形だ。

 

 ホームグラウンドであるボーダー側が有利なことに変わりないが、トリオン兵の数に物を言わせて乱戦へ持ち込めば大本を探す余裕など出来はしない。

 

 

「他に質問は? ないな。では続きだ」

 

 

 ガトリンとウェン、ラタリコフは潜入し、内部の兵士との戦闘は極力避けて真っ直ぐにターゲットへ向かう。

 

 その言葉に、ウェンとラタリコフは「了解」と応えた。

 

 ターゲットの破壊を無事に達成出来たなら、新型の脱出用のトリガーを使って全員がこの遠征艇に戻ってくる。それから数日様子見し、何も問題がなければそのまま帰国となる流れだ。

 これこそが理想的な作戦だろう。

 もう一つの命令には一切触れていないが、最初から期待されていない命令を無理に手出ししても、危険が増すことは明白だからだ。

 

 しかし失敗した場合も想定しなければならない。

 

 

「もし潜入後にターゲットの破壊を失敗した場合、次善策に移る。それが『糸使いの捕虜または無力化』だ。この糸の張りようから糸使いは外の防衛に回っているはず。よって、俺たちが失敗した場合はコスケロかレギーに当たってもらうぞ。玄界のトリガーには、アフトクラトルから支給された新型と同様の逃走機能が付いている。だが、糸使いは例外的にこの機能がないことが判っている。どうやら糸を操ることに長ける為のトリオン体のようだ。この防衛態勢を見る限り、今回もその特殊トリオン体だ。逃げられないのなら都合が良い」

 

 

 ガトリンは意識的に表情を固めた。

 

 

「先ずは捕虜を目標に動く。捕虜に出来ればトリオン兵を小出しにして我々に目を向けさせ、足止めを続けられる。捕虜に出来たその時はアフトクラトルへ引き渡すことになっているが……不満はわかる。有能なトリガー使いだろう糸使いがアフトクラトルへ渡れば国力の増強だ。だから捕虜にしても玄界から離れる際に解放する。しかし、ただ解放しても命令の達成にならない」

 

 

 隊長の雰囲気に隊員たちも表情を引き締める。

 任務達成のために一体どんな言葉がガトリンの口から出てくるのか。

 

 

「だから、両腕を切り落としてから解放する」

 

 

 淡々とした宣言に、場に沈黙が落ちた。

 

 言葉の意味を浸透させるには十分なその沈黙。全員が肩の力を抜いて息を吐いた。

 

 

「……ずいぶんと優しい措置だと思いますが」

 

「だな。逆に拍子抜けって言うか」

 

「まぁまぁ2人とも。恨みを必要以上に買わない為にも、穏便な良い方法だと俺は思うよ」

 

 

 ラタリコフとレギンデッツの言い草に、コスケロが穏やかな声音で宥める。彼自身もガトリンが残酷な命令を出すと覚悟していただけに、安堵が大きい。

 

 宥められたレギンデッツは「ま、そうだな」と納得し、ラタリコフは視線を正面から外して小さく顎を引いた。

 

 一番年若いヨミの表情は読みにくいが特に忌避の色はないと判断し、次いで若い2人の反応もガトリンに安心を与えた。

 

 これまで戦場を共にしており、彼らを信じていないわけではない。気に食わないことも汚れ仕事も全員が既に経験している。だが、だからこそこうした意思確認を通じて部隊の結束力を高めなければならないのだ。そうやってこれまでの任務と死線を越えてきたのだから。

 

 

「防衛の要というからには護衛が付いている可能性もある。その際は糸使いをヨミに任せ、護衛の相手をコスケロかレギーが請け負え。支給されたラービットの投入をそこでしても良い」

 

 

 逃走機能の新型トリガーと同じく、1体だけラービットが送られてきていた。

 黒トリガー所持者のいない遠征部隊なので孵化させる為のコストを心配していたが、ヨミが点検したところ孵化に必要なトリオンは既に満たされていることが判明する。

 

 1体だけ故に使いどころに悩んだガトリンだが、これだけ糸使いの情報を寄越してきたのだからラービットもその為だろうと結論した。

 

 

「糸使いのトリガーで重要なのは手だ。伝達脳と供給機関の破壊よりも先に腕を落とせ。それだけで相手は市街地の守りに意識を向け、邪魔が入りにくくなるはずだ」

 

「了解」

 

 

 静かな受理の声たちにガトリンはフッと笑った。

 

 そしてすぐさま表情を戻し、もう一つの想定を話し出す。

 

 

「アフトクラトルの捕虜を発見した場合だが」

 

 

 その切り出しにある者は無表情に、ある者は渋い顔をし、ある者は嫌悪を露わにする。

 決して快くは思っていないことは明白だった。

 

 だからこそ、全員が次の言葉にホッとする。

 

 

「『救助・奪還の必要はない。任務遂行の邪魔になれば処理しても構わない』と指令を受けている。俺たちに処理されるようならそれまでだ、という言葉と共にな」

 

「チッ……やっぱりクズだぜ奴ら」

 

「アフトのエリートって言っても捕虜になってるならトリガーも取り上げられてるはずでしょ。そんなのにあたしらが負けるわけない」

 

 

 皮肉混じりの指令にレギンデッツは顔を歪め、ウェンも目を鋭くした。

 

 

「決めた! オレが捕虜に会ったら問答無用でそいつの首を取る」

 

 

 レギンデッツは不機嫌さを隠さないまま宣言する。それを皆笑うことなく、むしろ「会った者勝ち」と結論してガトリンも許可を出した。

 

 ガロプラの人間は、機会があるならばアフトクラトルの人間に復讐したい者ばかりだ。

 軍事国家の従属国という立場となった今では戦争に休む間もなく駆り出され、母国の資源は搾取され、昔よりも貧困層が増えた。子供の出生率も年々下がり、無事に10歳を越えられてもその後は兵隊にならなければ生活が出来ない。国の生活基盤は少しずつ崩壊し、宗主国に依存していく他に道が残されていない現状。恨みを持たないという方が無理な話だった。

 

 

「アフトクラトルの捕虜については以上だ。勿論、本来の任務に支障を出さない程度にな。糸使い以外のトリガー使いも観察してから、作戦を開始する。各自準備は整えておけ」

 

「了解」

 

 

 




・情報の真偽
 第二次大侵攻とは違い、情報制限をボーダーが頑張っているのでガロプラ勢が情報を得るのは難しい状況です。アフトクラトルから伝達された情報を確認するくらい。また宗主国へ恨みはあれど母国を圧倒的な力で押さえられたことと、"軍事"国家なので戦闘に関する虚偽はしないだろうとある意味信用を置いている為、アフトクラトルからの戦争情報をガロプラ勢は基本的に信じます。母国を乗っ取られたからこその信用。

・腕の切断への反応
 ガトリンたちが腕の切断について『優しい』と言っているのは、作者の独自設定により近界での肉体の欠損はトリオン体で代用出来るからです。近界では"ちょっぴり恨まれる"くらいの認識。
 トリオン体で代用出来るなら切断しても無力化にならないのでは、と思われるかもしれませんが切断直後は止血などの処置が必要ですし傷からの熱で数日は動けません。例え早々に動けたとしても『生身に痛みがある』ことでトリオン体に換装しても脳が勝手に痛みを『イメージ』してしまうので、精細を欠いた動きしか出来ないでしょう。痛みに耐性があって鋼メンタルな人間なら動ける、かもしれません。


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小さな防衛戦、開始

八神視点


 

 

 本部基地の廊下で冬島隊長と肩を並べ、互いに雑談を振っていく。雑談、と言ってもラッド()()()の解析結果についての話題なので、和気藹々としたものではないのは確かだ。

 

 身長差で歩幅に難があるけど、そこは冬島隊長がダルそうにのそのそと歩いて速度を合わせてくれていた。

 気づいた当初は「紳士的だ」と考えたのだが、様子を見る限り本気でダルいのだと思う。何故なら私が気を遣って足を早めると、冬島隊長はそのままの速度でのっそり歩いて「歩くのはえーよ」と文句を言われたからな。

 

 随分と前に解析自体は終わり、結果も教えてもらっていたが、現在は襲撃を見据えての防衛態勢なため会議など大きな場で話題に上らなかった。戦闘員に余計な混乱を与えかねない報告なので正しい判断だと個人的に思う。

 でも完全に箝口令を布かれたわけではないので、こうして雑談を交わしているのだが。

 

 

「やはりトリオン兵作成技術に富んだ国でしょうか。"羽化型のトリオン兵"なんて珍しいですし」

 

 

 ラッドもどきは第一次大侵攻のものだった。

 あの大侵攻は未だに謎が多いけれど、そのラッドもどきによっていくつかの謎が解けた。

 

 偵察用であり、蛹でもあった小型トリオン兵。

 

 近界民(ネイバー)たちは通常だとトリオン兵を卵にして運び、必要時にトリオンを注入して孵化させる。強力なトリオン兵ほど、注入する量が多い。

 

 だが、件の小型トリオン兵の仕様は通常と異なる。

 アフトクラトルのラッドと同様に潜入先でトリオンを収集するが、艇の燃料や別枠であるトリオン兵の孵化エネルギーへと流用したアフトクラトルとは違い、収集したトリオンを中身の成長・進化エネルギーに転換して小型から一気に大型へと文字通り"羽化"させる。

 

 更に、一体の小型から2体の大型が羽化することが判った。

 

 ボーダーはこの本部基地が出来る以前から、少数精鋭の秘密組織として動いていた。

 現在のように誘導装置はなくとも(ゲート)の把握は出来ていた為、一般人には秘密裏にトリオン兵を処理していたらしい。だが、奴らはラッドの行動パターンと同じく倒したトリオン兵から這い出て街に散らばっていたようだ。

 

 第一次大侵攻で三門市上空に巨大な(ゲート)が開いた時、ボーダーは(ゲート)観測時より"大量かつ広範囲"に現れたトリオン兵への対応に追われて中心部へ向かうのが遅れた、と報告書に載せられている。

 そのトリオン兵の出所が小型トリオン兵なのだろう。人気のない場所で脱け殻が見つかったのは、羽化する為のエネルギーを集め終わり合図まで駆逐されないよう身を隠していたからだ。

 

 三門市を捜せばもっと脱け殻が見つかりそうだが、第二次大侵攻前のラッド回収の際に『レーダーには映らなかったけどフォルムが似ているので回収した』とラッドと共に袋詰めされていたらしい。

 回収したものをチェックした人も『解析に掛けるとトリオンの塊だし』と深く考えずに処理していた。

 

 問題はあるけど、今回ばかりは街中を捜し回らなくて良さそうなのでグッジョブ。それでも、近い内に人気のない場所周辺を確認しなければならないが。

 

 トリオン攻撃しか通さないはずのトリオン兵に何故殺虫剤が効いたのかと訊いてみた。

 どうやら羽化前の中身は繊細な作りだったらしく、殺虫剤で中の回路が狂い、変態が中途半端に停止して機能不能となったのだとか。玉狛支部から送られてきた当時の資料にそう書いてあった。殺虫剤最強説。しかしモールモッドとか他のトリオン兵には効果がないので、最強ではなく有能に留めていよう。

 

 

「つっても、約5年前のトリオン兵なら多少は技術の片鱗があってもおかしくないはずだが、レプリカ特別顧問が残したトリオン兵一覧には載ってなかった。つまり軌道配置図に載ってる国じゃねーってことだな」

 

「それは可能性が低いというだけで断言は出来ませんから。訪れた後に開発された可能性も無きにしもあらずです」

 

「どっちにしても国は不明なままか……」

 

 

 空を仰ぐというように、天井を仰いだ冬島隊長。前を見ないと危ないですよ。

 

 そう考えた途端に、前方の角からエンジニアの男性職員がこちらへ歩いてくるのが見えた。ぶつかりはしないだろう。

 

 スッと会釈をしてから雑談へと戻る。

 

 

「トリオン兵技術だけを見るなら、アフトクラトルもロドクルーンも怪しいと思います。アフトクラトルへの遠征は確定ですが、私はロドクルーンにもカチコミに行きたいです」

 

 

 すれ違い様に内容が聞こえたのか、職員の方からギョッとした気配が伝わった。

 冬島隊長もそれがわかったらしく、ニヤリと悪い笑みと共に揶揄される。

 

 

「おいおい、見た目に似合わない言葉使うから驚かれてんぞ」

 

「ええ? じゃあ見た目に似合った『カチコミ』に代わる言葉って何ですか?」

 

「『訪問』?」

 

「意味がズレているような……私、結構自分勝手ですからクズ発言もやろうと思えば出来ますし」

 

「ワルい子だなぁお前」

 

「隊長ほどでも」

 

「どういう意味だコラ」

 

 

 冬島隊の隊室が見えてきたところで、隊の通信端末から警報が鳴り響く。

 とうとう始まったかな。

 

 

「随分はやいな」

 

「ですね。もう少し情報(エサ)を与えないと動いてくれないと思ってましたし」

 

「防衛側としては長期間神経使わないで済むからありがてーこった」

 

「慌てん坊さんなのかもしれませんよ」

 

「なんか敵が可愛く思える不思議」

 

「言葉のマジックですね」

 

 

 特に焦ることなく既に見えている隊室の扉まで冬島隊長とテンポ良く会話していると、名前を呼ばれた。

 

 

「玲!」

 

 

 呼び掛けに後ろを振り返ると、悠一が少しだけ焦った表情で走ってくる。

 

 先ほど私たちとすれ違った職員の横を抜けて、悠一は私たちの前まで速度を落とさずそのままの勢いで私を抱きしめた。勢いがあり過ぎてよろけたけど、悠一がしっかり支えてくれている。

 

 

「悠一?」

 

「あー、八神、おれ先に行ってるから」

 

 

 気まずそうに冬島隊長が隊室の扉を開き、離れていくのを察した。

 でも、突然の行動に私も戸惑うしかない。

 

 

「はぁ~間に合って良かった~。玲不足のままだと頑張れないからさ~」

 

 

 思わず「は?」って言いそうになった私は悪くない。むしろ我慢したから。

 

 でも、次の言葉で行動の意味を悟った。

 

 

「玲、ごめん……頼む」

 

「!」

 

 

 小さな声だったが、抱きしめられている形だからきちんと聞こえた。

 

 悠一が傍から見ればキスをするように顔をズラす。それに合わせて私も小さな声で「大丈夫だよ」と答えた。

 

 それからグイっと悠一の胸を押し剥がす。

 悠一の向こうから、いくつかの視線がこちらを見ていた。悠一との接触は、これ以上は作戦に支障が出るからダメか。

 

 

「っ仕事中だから。やめて」

 

「えー、もうちょっと」

 

「もう充分でしょ。また後でね」

 

 

 体を離すように押しのけて、背を向けてさっさと隊室へ入った。

 

 隊室の閉じた扉を背にしてから、大きく溜め息を吐く。

 悠一に面倒な役割を任せてて大変申し訳ない。当人は「もっと頼れ」って言ってくれるから甘えちゃうんだけど、今回は私たちの"傍から見る関係"を変えるものだ。私のワガママも入ってるから本当に申し訳ない。

 

 

「おーい、相談なら後でのってやるよ。頼れる隊長に話してみ?」

 

 

 オペレータールームから冬島隊長がキャスター付きの椅子を動かして顔を窺わせた。それに慌てて扉前からオペレータールームへと移動する。

 

 隊長の隣に座ってPCを操作している真木ちゃんも、チラッと私の顔を見て心配そうな表情になる。たぶん、悠一が走ってきたのを隊長から聞いたからだろう。

 

 真木ちゃんに安心させるように微笑んでから、冬島隊長に向かって肩をすくめて見せる。

 

 

「いえ、大丈夫です。隊長に相談するくらいなら円城寺さんか寺島さんに相談します」

 

「なんだオレには言いにくいのか?」

 

「はい。恋愛に疎い隊長にはちょっと……」

 

「ぐっ」

 

 

 飄々としていた態度から、胸を押さえ、一気に打ちひしがれる冬島隊長。それからボソボソと早口で喋る。

 

 

「ちがうんだ、おれは疎いんじゃないんだ。ほら、男は三十路からって言うだろだからおれは始まってすらいないんだつまりおれのスタートは1年後なんだ」

 

「そうやって先延ばしにするから行動出来ないんじゃないですか?」

 

「がはっ」

 

 

 真木ちゃんのトドメで冬島隊長は崩れ落ちた。相変わらずノリが良いですね。

 

 真木ちゃんは隊長の屍に一瞥もくれることなく、キーボードを叩いてから私を呼び寄せる。茶番は終わりだ。

 

 

「予定通り、北東部からの侵攻です。距離は現在600m。第一防衛ラインは突破され、第二防衛ラインに接触中」

 

 

 第一・第二防衛ラインとは警戒区域に張り巡らせているスパイダーのことだ。スパイダーの規模は第二次大侵攻で私個人が実行した範囲と同程度。もちろん、私が禁止令を破って無茶しているわけではない。

 

 今回の迎撃は対外秘だ。その為、防衛装置の殆どが使えない。防衛装置には大量のトリオンが消費されるのだけど、今回は使えないのでトリオンが余っていた。

 外壁の強化に回す案も出たが、今回はスパイダーに使わせて貰っている。

 スパイダーを張ること自体は私主導で行ったが、繰糸(そうし)で操るなどの処理は本部の中央オペレーターたちに任せている。情報(演出)の為に私が外に出向く必要はあったけど、それ以外ではオペレーターたちがトリオン兵を捕らえてくれるから私が昼夜問わず出向かなくて済んだ。

 

 以前行ったトラッパートリガーとの連動では、大量のトリオン消費で運用に問題が出た。しかし、今回は本部のトリオンを使っている為その問題はクリアしている。

 対外秘だからこその運用である。

 

 

「数は?」

 

「トリオン兵は確認出来るだけで100体ほど。第一防衛ラインにて17体を無力化」

 

「映像をお願い」

 

 

 画面上に吊られたトリオン兵を観る。

 ラービットとは違う型の人型か。どうやら刃を持ち、それを複数体で連携してシールド強度のスパイダーを斬っているらしい。しかしバラけさせるとそこまで脅威ではなく、結構あっさりと吊られているように見える。

 

 いや、敢えて1体を吊らせてその隙に抜けているのか。かなり連携力の高いトリオン兵だろう。

 

 

「このトリオン兵の布陣だと中央が崩れない……トリオン兵の司令塔が中央にいる可能性が高いけど、このまま散らして貰おうかな。第二防衛ラインをトリオン兵が突破したら私も出ます。とりあえずは吊られている兵を破壊してフリーのスパイダーを増やす方針で。隊長復活してます?」

 

 

 真木ちゃんのPCから視線を外して、冬島隊長の方を振り返る。

 

 

「あいよ。お前を送ったらおれは中央の方へ行く。隊の通信はオンにしとくから反応はできるぞ」

 

「了解です」

 

「既に先輩たちスナイパーは配置についています。迎撃態勢は万全、と通信を受けました」

 

 

 当真くんは基地の屋上でスナイパーを率いて待機。

 普段はのんびりマイペースだけど、こういう時に素早く動いてくれる当真くんマジエース。

 

 

「第二防衛ライン突破予測まであと1分を切りました」

 

 

 さてさて、私も防衛任務に参加しますかねっと。

 悠一から頼まれた事柄が一番大変だけど、それにたどり着くまでも色々とやらなきゃいけない。

 

 



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おおかみはつるぎの少年と笑う。そして、暗転

ヒュースを軸とした三人称
八神視点の一人称


 

 

 ヒュースはボーダーのトリガーでトリオン体になると、玉狛支部の玄関から堂々と出た。

 外はすっかり夜の帳が落ちているが、巨大な建造物である本部基地を間違えるわけがない。更にポツポツと街灯が点いており、夜道だろうと真っ暗ではない。

 

 否、たとえ一寸先に死を思わせる暗闇があろうと、戦士(ヒュース)の心は迷わないだろう。

 

 

「……世話になったな……先輩」

 

 

 そんなヒュースが心に浮かべたのは、幼い少年である陽太郎だった。幼子特有の純粋さを感じさせたかと思えば、妙に大人びた表情でヒュースに接した。

 

 ──おそらく、彼ならば一言も告げずに出て行く恩知らずな己を「しかたない。ちゃんとかえるんだぞ」と、また妙に大人びた表情を浮かべる。強い男だ。

 

 ヒュースは陽太郎をそう認めて、トリガー(ホーン)を隠す為にフードを被る。

 急いで属国と接触する為に駆け出そうとした時、ガチャリと背後の扉が開いた。

 

 

「ヒュース」

 

「!」

 

 

 捕虜になった初期のヒュースなら振り返らない。

 

 だが、その声を無視するには、彼と過ごした日常があまりにも温かかった。

 

 

「なぜ」

 

 

 斯くしてヒュースは振り返ってしまった。

 口から突いて出た言葉は己に向けてなのか、眠っていた筈の陽太郎に向けてなのか、誰も判別できない。

 

 

「いくのか?」

 

 

 静かで、温かい声音だった。

 

 決して幼子が出せる音ではないのに、ヒュースは何の違和感も抱かなかった。

 この少年は、否。()は、気づいている。

 

 

「……ああ。分の悪い賭けだとしてもオレは帰らなければならない」

 

 

 情に絆されたわけではない。ただ、ヒュースが何を言っても陽太郎は止めないと確信があった。

 そして何より、嘘を吐きたくなかった。

 

 陽太郎はやはり止めることなく「そうか」と鷹揚に頷いて、雷神丸の背中に載っていたポシェットに手を伸ばした。

 

 数秒後、小さな手で蝶の盾(ランビリス)が差し出されるのに、ヒュースは驚きを隠せない。

 目をまるくするヒュースに向かって、陽太郎は変わらない声音で告げた。

 

 

「ヒュースがかえるならわたせって迅からあずかってた。いえにかえるんだろ?」

 

「……ああ」

 

「なら、わすれものだ」

 

「ありがとう……先輩」

 

「こうはいのめんどうはおれのやくめだからな!」

 

 

 ニッと何の衒いもなく笑う陽太郎に、ヒュースは心から感謝の言葉が出た。

 

 差し出されたランビリスを受け取り、左手首に填める。ボーダー側の目を欺く為にまだ起動するわけにはいかない為、ヒュースはボーダーのトリオン体のまま姿勢を正した。

 

 陽太郎の目をしっかりと見て、親指だけを立てた拳でトンと胸を叩く。それを見た陽太郎も──今度は間違えることなく──同じように胸を叩いた。

 

 "友好の証"。それを互いに交わした彼らに言葉は必要ない。見届けたのは一頭の獣だけ。

 

 2人はクルリと背を向け、親友の無事と健闘を祈る。そして今度は一度も振り返ることなく別れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライトニングによる速射で、吊られていたトリオン兵は瞬く間に数を減らした。

 

 

「む」

 

 

 しかし、それは存在に気づかれなかった最初のうちだけ。気づかれた後は吊られながらも盾を構えられ、威力の低いライトニングでは仕留めることは出来なくなった。それでも1枚の盾なのでイーグレットで撃ち抜ける強度だが。

 

 手早く一掃することを諦めてイーグレットの狙撃に切り替える。

 

 無力化したトリオン兵をきっちり仕留める理由は、敵が撤退する際の攻撃で残っているトリオン兵の拘束を解かれて殿軍にされては堪らないからだ。

 それと、万が一自力で抜け出した場合の奇襲攻撃を警戒してのこと。トリガー使いの刃だとどんなに強度を上げたスパイダーだろうと最終的に斬られる。トリオン兵主体の国ということは、動けるトリオン兵にどんな隠し玉があるかわからないからね。

 

 

『第三防衛ラインを突破されました。防衛スロープに侵入』

 

 

 6割方片付けたところで真木ちゃんから通信が入る。

 

 スパイダーの防衛ラインは第三まで。以降は防衛スロープと称して、本部基地周辺にトリオンで傍目では判らないほど緩やかな坂を作っている。

 エンジニアたちこだわりの"基地周辺の写真"というテクスチャが貼り付けられ、違和感皆無な坂だ。連絡通路を利用する時は関係ないけど、おかげでここ最近は生身で外から正面入口へ向かう場合、じわじわと体力と気力を削られるんだよね。

 

 防衛スロープの形状は簡単に言えば、跳び箱の踏切台。緩やかな坂の真下はあの踏み台のように空洞があり───

 

 

『落下トラップ発動。殲滅速度上昇。敵の進行、減速』

 

 

 早速ランダムに配置された落下トラップ、"落とし穴"に嵌まってくれたらしい。一面がトリオンの板だからトリオン反応だけで罠を見破られることもない。もちろん味方側には識別出来る仕様だ。

 

 落とし穴は約3m程の深さだが、穴の底にはメテオラを設置していたり、防衛装置の一つである串刺し刑(シュライク)がある。

 

 メテオラはトリオン量の調節次第で爆発の規模を変えられるけど、数が多いと調節しても派手な爆煙が起こる。そのため対外秘である今回、隊員の使用は禁止されていた。

 しかし、トリオン製の落とし穴の中ならば衝撃や音が軽減される上、トリオンの煙が天高く昇ることもない。よって、隊員の使用は禁止されたが罠での使用は許可された。

 

 また、串刺し刑(シュライク)は文字通り地面から槍が飛び出して敵を貫通する罠だ。

 第二次大侵攻でも活躍しており、落とし穴と相性が良かったので採用された。冬島隊長経由で知ったけど、名付けについてかなり白熱したんだっけ。

 

 

『屋上に攻撃! 小型の(ゲート)が発生!』

 

「小型の(ゲート)?」

 

『犬型トリオン兵を確認。スナイパー、後退します』

 

 

 ドグか。攻撃力が低いとは言え、スナイパーは一部を除いて近接戦闘が出来ない。後退はやむを得ないな。

 

 狙撃援護無しだとガンナーとシューターに掛かる負担が大きくなる。

 落とし穴で動きを止めたり、体勢を崩したりしているけど、盾を重ねられれば中距離戦で貫けるのは合成弾くらいだ。

 

 

『こちら八神。真木ちゃん、小型(ゲート)の発射地点の解析を』

 

『既に。データを送信します』

 

『ありがとう』

 

 

 さすが仕事早いなぁ。自分の足で移動しながら、視界に送られてきた地点へとイーグレットのスコープを回す。

 

 姿はない、か。発射後すぐに移動しているのだろう。

 

 

「見つけた」

 

 

 だけど地形への理解はこちらに分がある。発射地点からの移動ルートは予測済みだ。

 

 

『本部、こちら八神。小型(ゲート)を送っている近界民(ネイバー)を発見。狙撃します』

 

『了解した。三輪隊をそちらへ送る』

 

『こちら三輪、80秒後に目標地点へ到達する』

 

『八神、了解』

 

 

 狙撃姿勢は膝射で、民家の屋上ベランダの縁に身を乗り出した。

 

 標的は身を屈めている。背中から何かを抜き取って起動させ、地面に簡易版打ち上げ花火みたいな筒を設置した。

 面白いトリガー技術をお持ちで。おそらくアレが小型門の迫撃砲台だろう。

 

 

「!」

 

 

 油断しているだろう近界民(ネイバー)の頭に銃口を向けた途端、人型トリオン兵が標的と私の射線に割り込んだ。

 私が戦場に出てからの動き的に意外だったが、どうやらかなり警戒してくれていたらしい。

 

 今撃っても無駄弾になるが、敢えて撃つことにした。

 

 一発。ヒット。一枚盾を貫通して人型トリオン兵を破壊。

 

 近界民(ネイバー)が驚いた表情を浮かべる。私が撃つとは思わなかったのだろう。

 狙撃手は一撃必殺が常道であり、無駄弾は避けるからね。"お前の狙撃は見えているぞ"と牽制することで、狙撃手は攻撃を躊躇い逃走を優先するもんだ。

 

 もう一発。ヒット。迫撃砲台を破壊。

 

 ハッと逃走を始めた標的に、トリオン兵越しから狙いを定めたところで真木ちゃんから通信が入る。

 

 

『三輪隊が接敵しました。警告、人型トリオン兵1体が高速で接近中』

 

『了解』

 

 

 応答しながら構えを解いて足を動かす。視界に映るマップ上の点に思考を割く必要もない。

 隣の屋根へ飛び降りる瞬間、人型トリオン兵が私の背中に追い縋る形で姿を現した。

 

 手の甲からブレードを生成した人型トリオン兵が、私を追って壁を蹴る。あ、家にヒビが。

 

 自分でも暢気だと思う思考とは裏腹に、戦闘体は咄嗟にイーグレットとバックワームを解除して両手をフリーにする。

 シールドを新たに起動し、ブレードをガリガリと受け流してトリオン兵の股をくぐり抜けた。

 

 そしてすぐに腹筋──トリオン体だから筋肉は関係ないけど──を使って逆上がりの要領で両足を振り上げて体を回転。人型トリオン兵の背中に両足裏を着地させて、思いっきり、踏み抜いた。

 トリオン兵が屋根から蹴落とされ、私は屋根瓦を壊すことなく着地。

 

 とにかく距離を取ろうと一歩足を踏み出し途端、ビームが飛んできて足場が吹っ飛んだ。狙撃手には距離を取らせないってことか。

 

 屋根から地面に落ちる合間にもう一度ビームが飛んできて、シールドを張る。ヤバい。後手に回ってる。

 

 ビームに削られたシールドが、トリオンの飛沫をあげて視界を僅かに遮った。地に足が着く間際にバックワームを起動。死角から現れたブレードが突きの型で迫るのを、半ば反射で上体を捻った。

 肘に掠めたが支障はない。バックワームで体の線を隠せたのが大きい。

 

 イーグレットを起動し、生成途中の銃身でトリオン兵の顎を下からカチ上げ、上体が伸びたところで生成完了した引き金を引いた。

 しかし、相手も良い反応で避けてくれやがる。

 

 重そうな機械のクセに身軽にバク転をして距離を取った。距離と言っても7mくらいだ。

 狙撃手との戦いに慣れていて舌打ちしたくなる。

 

 

「?」

 

 

 違和感。戦いに"慣れている"?

 まるで動きが、人間のような───

 

 

『あ!! トリオン兵の中で3体だけ動きが違います。落下トラップに嵌まった兵を足場に基地外壁へと接触!』

 

 

 思わず、といった風に慌てた声を出した真木ちゃんだが、すぐに状況を教えてくれた。

 

 弾幕が減ったことによる強行突破だろう。3体のトリオン兵は特殊なトリガーを使って壁に穴を作成し、内部へと侵入した。

 そしてその正体は、トリオン兵に化けていた近界民(ネイバー)のトリガー使い。

 

 さて、こちらもなんだか動きが違う人型トリオン兵がいるけど……コイツも化けてたりするのかな。

 

 

『こちら忍田。そのトリオン兵は()が違う。君と同程度だそうだ。トリガー使いと仮定してあたってくれ』

 

『八神、了解』

 

 

 忍田本部長からの警告に返事をして、イーグレットとバックワームを解除してシールドを張った。

 

 地味に"目からビーム"が痛い。

 ブレードの切れ味はモールモッドと同等だが、重さがない分受けやすい。ただ、イーグレット相当の威力があるビームは、下手にシールドを広げ過ぎるとヒビが入った。

 距離が近いのも関係するだろうか。

 

 ()()()()()ってことは、相性次第で食われるじゃん。トリガー構成失敗したかも。

 単純にメテオラを抜けば良いかって考えた過去の私をぶん殴りたい。防御と攻撃手段がメインに偏り過ぎてて、生成と解除で無駄にトリオンが減らされる。

 

 とりあえず攻防のリズムは一旦リセットされた。もう後手には回りたくないな。

 

 さて、トリガー使いと仮定するならば、思考の隅にあった"逃げる"の選択肢は消え失せた。

 今回の作戦ではどう足掻いても敵を捕縛することは出来ない、と悠一が未来視したんだ。

 ならば"次"の作戦を考えて動く必要がある。先の為にトリガー使いの実力を測ることと、兵力を削ることが戦闘員としての作戦目標だ。

 

 無理のない範囲で相手の手札を暴く。距離をそう簡単に取らせてもらえなさそうだし、近接戦闘の構えが必要だな。

 

 敵の武器はビームとブレード。単純に万能手の攻撃範囲。ブレードは手の甲の黒い部分で生成してくる。一枚盾の生成も手で行うらしく、形状は丸盾だ。

 ビーム・ブレード・盾はどれか一種類ずつしか発動出来ない。

 

 

「スパイダー」

 

 

 敵のビームをシールドで防いで、27分割のスパイダーブロックを生成。太さは靴紐くらい。

 足元と地面に壁、そしてトリオン兵(仮)に向かって発射。

 

 

繰糸(そうし)介入(アクセス)接続(コネクト)

 

 

 盾で防がれて撓んだスパイダーを極細絹糸に変更してから、指貫にくっつけて回収。よし。

 

 弾ではなくただのワイヤーだったと判ったトリオン兵(仮)がブレードを構えて迫ってくる。

 

 防御は作った。攻撃手段は、ライトニングを選ぶ。

 

 右手にライトニングを掴んで右半身を一歩下げた。左から斜め袈裟切りの形で振りかぶってくるのに合わせて、摺り足でそのまま下がる。

 ブレードを振り下ろされ、やけにあっさりと奴の上体が沈んだ。

 

 

「っ」

 

 

 トリオン兵(仮)の肩にある黒い部分から伸びたブレードを紙一重で避ける。右手に持っていたライトニングにブレードが掠って取り落とした。

 なるほど、黒い部分は全部変形できるのか。狙ってたなコイツ。

 

 避けたところを垂直に切り上げをしてきたと思ったら、私の脇腹を薙ぐように水平に動かしてきた。

 

 ははは、トロいわ。

 

 スパイダーがギチリと音を立てた。

 

 左手の指貫から伸びるスパイダーは極細絹糸のまま奴の腕に絡みつき、顔のそばに構えた右手に繋がっている。立射姿勢。

 

 右踵で軽く蹴り上げたライトニングはピタリと両手に納まった。

 

 

「───」

 

 

 ああ、()()()な?

 

 靴紐サイズから極細絹糸に変更したスパイダーは見えなかっただろう。周囲に張った靴紐サイズのスパイダーがあるから尚更。

 なに、ライトニングはけん玉みたいな要領さ。お前が遊んだことあるか知らないけどなッ!

 

 

「ヒット」

 

 

 避ける間もなく頭部から下に四発。一拍後、ぐらりと背中から倒れる相手に合わせて腕の拘束を解いた。

 

 

『お見事です』

 

「ありがとう」

 

 

 真木ちゃんからの称賛を素直に受け取って、ライトニングを構えたまま倒れた奴を観察する。

 

 驚き、戸惑い。

 あの時確かにそう反応したコイツは人間だ。トリオン兵の行動設定ならば無反応のまま破壊されている。

 

 

「……おかしいな」

 

 

 人間だ、と断じた筈なのにトリオン兵(仮)の様子が変わらない。というか、最後の倒れる瞬間は人間じゃない感じがした。

 

 もしかして、間違えた?

 

 

『っ警告! 左右か』

 

「!?」

 

 

 真木ちゃんの警告を最後まで聞く前に、トリオンの煙があがった。

 

 

 

 




・防衛スロープ
作中で跳び箱の踏切台と例を出していますが、ロイター板のようにスプリングは入っていません。単純に緩勾配の坂を模した板です。"✓"の記号を上下ひっくり返して地面に置いた感じの物を想像しています。この説明で余計にわからなくなったらすみません……作者に説明力のわざマシンを下さい。

・槍の罠『串刺し刑(シュライク)
公式で名前が出てこなかったので、識別の為に名付けました。ネーミングセンスないので悩みました。
トラップの印象から『くし刺し公』の記述を真っ先に思い浮かべていましたが安直かも、と思い直す→ワートリ世界で良く使われているギリシャ語関係で神話から護国の女神であるアテーナーとかは?→一応舞台は日本だしな、と織田信長様関係にでもしようか→でもしっくりこない。そこでふと昔TVで見た『百舌(もず)早贄(はやにえ)』を思い出し、結局『百舌』を英語にしただけです。あまりお勧めはしませんが、画像検索は自己責任でお願いします。


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競り合う読みと思考

迅を軸とした三人称
八神視点の一人称


 

 中央司令室による内部の隔壁閉鎖誘導で、迅は予定通り侵入してきた3人の近界民(ネイバー)へと風刃の遠隔斬撃を浴びせた。

 一瞬足を止めた3人だが、風刃の初撃を難なく盾で凌ぎ、侵入時と同じ手段で壁を抜けて迅の視界から消える。

 

 アフトクラトルから風刃の性能情報が伝わっていることを改めて認識し、迅は敵の姿を目視したことで視えた未来に、グッと眉間に皺を寄せた。

 珍しい迅の表情だが、内部カメラとは逆方向に顔を向けていた為に誰もそれを言及することはない。

 

 

『司令部、こちら迅。むこうの狙いは遠征艇だ! 防衛チームを先回りさせてくれ! あと冬島さんは俺と小南を地下の格納庫(ハンガー)まで飛ばしてほしい』

 

『はいよ』

 

 

 内部通信で中央と司令部に情報を伝えると、早速通路に冬島隊のエンブレムが現れる。

 迅は風刃をホルダーに納め、それに足を乗せた。

 

 

「おま、なんだその顔」

 

「うわ! 何よそれ!?」

 

 

 格納庫前で顔を合わせた途端、太刀川と小南が迅の顔を見て仰天した。同じく風間も軽く目をみはったが、太刀川と小南に出鼻を挫かれたのか声を上げることはない。

 

 B級部隊に所属しているが個人の防御技術の面で評価されて喚ばれた村上も、迅と3人とへ交互に視線をやってから最終的に迅へ戻して頷いた。

 村上は他の3人よりも付き合いは短いながらも、共に副作用(サイドエフェクト)持ちであり支部の防衛地区が近いこと、師である荒船や友人の影浦などが八神と仲良いことが関係して迅とも浅くない交流がある。

 

 そんな彼らの反応を受け、迅は大きくため息を吐き出してから気休めに眉間を揉む。

 

 

「いや~……ちょっと、嫌なもの視ちゃってさ」

 

 

 今回ばかりは視ないと思っていた、血濡れの婚約者。

 薄ぼんやりとした可能性だが、それは第二次大規模侵攻まで何度も視てきた惨状を、迅の中で蘇らせた。

 

 

「お前がそこまで感情を顕わにするのは八神のことだろう」

 

 

 ズバッと風間に言い当てられて、迅は眉間を揉むのを止めて肩をすくめてみせた。

 

 

「八神さんですか?」

 

「またムチャするってこと?」

 

「ヤバいのか?」

 

 

 この場にいない人物の未来に、全員が心配を面に出す。

 

 それを見て迅は内心で「やってしまったな」と自制が弛んだ己を反省し、表ではいつも通りの"胡散臭い"と評される食えない笑みを浮かべた。

 

 

「大丈夫。限りなく低い可能性の未来だよ。けど、さすがに実力派エリートの俺でも愛してる女が危ない未来を視ちゃうと、ね」

 

「あーっあつつつ」

 

 

 迅が思わせぶりに区切れば、太刀川が隊服の襟をバタバタと動かした。

 

 

「わざわざ茶化すな太刀川」

 

「でもよー風間さん」

 

「これくらいでギブアップならまだまだね太刀川。支部ではもっと甘いんだから」

 

「迅……」

 

「お前……」

 

 

 何故か胸を張って宣言する小南に、風間と太刀川が迅に呆れた視線を送る。対する迅は口角を上げただけだった。

 

 

「俺は迅さんの姿勢、カッコイイと思いますよ。未来を変えるのに必要なら言って下さい。任された役目に最善を尽くしてみせますから」

 

 

 変な空気になり始めたところで、村上がまるで清涼剤を投入するように笑みを浮かべた。快活な嵐山とはまた違う、硬派な爽やかさを村上に感じる。

 

 迅はフッと目元を和らげて、それから視線を天井へ上げてニッと笑った。

 

 

「ありがとう。でも、その為にはここで俺たちが踏ん張らなくちゃいけない」

 

『敵性近界民(ネイバー)、2人が遠征艇ドック用エレベーターを降下中。小型(ゲート)で召喚される犬型トリオン兵ドグに注意して下さい』

 

 

 中央から全員に通信が入り、各々が気を引き締めた。

 

 侵入した敵性近界民の1人であるウェンは──狙撃手の仕事で屋上にいる日浦を除いた──那須隊が足止めを行っている。

 

 当初の予定では小南が請け負う筈だったが、司令室にいる天羽が「忍田クラス」と評し、迅も未来視で危険と判断した敵性近界民──ガトリンを警戒しての配置だった。

 

 

「にしても、豪華なメンツだよなおれ達」

 

 

 からからと笑う太刀川に「自分で言うのか」とそれぞれ考えながら、誰もそれを否定しなかった。

 

 古株とも言える迅と小南は勿論、攻撃手ランクで不動の上位を保っている3人だ。己の実力を過小評価することは、他からの期待を裏切ることだと理解している。そして、自分たちが敗れることでボーダー組織の存続が危ぶまれることも。

 

 

「そうだ、鋼。敵が撃ってきた時なんだけど、レイガストとシールドの二段構えで頼む。あとぼんち揚げ食う?」

 

「わかりました。いえ、今は遠慮しときます」

 

「おい、ここまで持ってくるな。菓子屑が落ちる。俺は敵が降りてくる直前でカメレオンを起動して開幕に奇襲を仕掛ける」

 

「このぼんち揚げって風刃の付属だったりしないよな? じゃあ話かけて気でも引いてみっか」

 

「そんな器用な腹芸があんたにできるの? あと迅のポケットが支部に買い置きしてるダンボールに繋がってるだけよ」

 

「小南、それ京介の嘘」

 

「……!? だましたなーっ!?」

 

 

 5人は互いの役割と動きを軽く確認し、スイッチボックスの配置と内容なども冬島と連携して準備を整えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三つ編みにまとめていた部分の髪が切り飛ばされ、宙を舞う。

 

 左側から迫るブレードは、辛うじて繰糸(そうし)で背中側に切っ先をズラして絡め捕った。だが右側のブレードはライトニングの銃身を真っ二つに。

 

 離別した三つ編みが重力に従うよりも速くライトニングを手放し、目の前に倒れてたトリオン兵へ覆い被さるように体を伏せて強引に上下を入れ替えた。

 壊れたトリオン兵の右腕にブレードが刺さるのを音と衝撃で識り(垣間見て)ガラクタ()を蹴り飛ばして反動でその場から脱する。

 

 三つ編みを纏めていた水色のワンポイントが、コツリと地に触れた音。

 

 ミス。左手側だったブレードにスパイダーを絡めたままだ。腕ごとぶんッと振り回されて今度は私自身がけん玉の玉。

 ミス。焦りのままブレードからスパイダーを離した。糸の千切れた玉は宙へと投げられる。グラスホッパーを持たず、スパイダーを上に用意していない私は滞空時間が無防備になってしまう。

 

 私を見上げるのは2体の人型トリオン兵。挙動はビーム寸前。

 

 混乱。動揺、ミス。切り替えろ。冷静に、ビームの発射まであと1秒。

 

───2体からのビームをシールドで防げるか。トリオン残量は充分か。

───集中シールドで防げる。射線を見極めろ。どこを狙う。

───頭と胸。ちがう。奴らの攻撃は最初から弱点を狙っていない。賭けろ。

 

 トリオン兵の頭部からトリオンの光が迸り、直線を描いて私に迫る。ビームが体に接触する直前、トリガーを起動した。

 

───賭けて、下からの挟撃(ビームとブレード)に備えろ!

 

 

「──繰糸(シールド)!」

 

 

 バンッ! バシュゥ! ギギッと三種類の音が響いた。

 果たして私が口にしたのはどちらのトリガーだったのか。己でも認識出来ないまま、走った()()に呼気を刻む。

 

 ビームには集中シールドを張ったが僅かにズレ、右の上腕が半分削れた。

 真下から襲ってきたブレードをスパイダーで押しとどめ左中指に接触。()()の反射を利用して左腕を引き、距離が詰まったトリオン兵の頭部に集中シールドを挟み込んでビームを牽制、からのトリオン兵を足場に地面へと戻る。

 

 集中シールドを解除してライトニングを展開。もともと地面にいた一体と、宙に浮いた一体へ間髪入れずに速射。

 トリオン兵(仮)との近接戦闘の為に地面へ蒔いていたスパイダーで、地面にいる奴の足を拘束していたが、腕を拘束しているわけではないので盾で防がれた。宙の方は左足首の関節に上手く命中して足首から下を撃ち飛ばすことに成功。

 

 すぐさま左薬指と小指に残った指貫(繰糸)に接続していたスパイダーを、壁に張っていたスパイダーに絡ませて移動。

 クンッと掛かる負荷をそのままに移動すれば、さっきの場所を上からのビームが抉った。次いで拘束を千切ったトリオン兵によるブレードが水平から迫るが、ライトニングの銃口を向けて牽制。

 

 足裏が地面に張っていたスパイダーを踏んだ瞬間、それをバネにライトニングを向けていたトリオン兵に突っ込む。

 

 

「スパイダー」

 

 

 64分割のスパイダーを贅沢に使って、一体を拘束した。

 

 宙からやっと着地したトリオン兵だが、片足を失ったキレのないブレード攻撃は楽に避けられる。

 そのまま私はとある民家の塀を越えた。介入(アクセス)で一本のスパイダーの強度を落とす。プツリってね。

 

 追いかけてきたトリオン兵が塀に接触した途端、スパイダーの束が飛び出して一体目と同じく拘束に成功した。

 

 罠は防衛ラインを作成する折に設置しており、警戒区域の各所に散りばめている。悠一の戦場予測に伴い、罠の量に偏りはあるけど。この罠は防衛スロープと同じようにテクスチャを貼って塀に擬態させていた。

 罠を張る動作なんてしていないから、完全な不意を打てたのだと思う。

 

 

「ふぅーーっ」

 

 

 大きく息を吐く。

 

 トリオン漏出が未だ治まってなかった右の上腕に、太めのスパイダーを巻き付けて応急処置を施した。傷口が小さいおかげで欠けた中指からの漏出は止まっている。痛みもなくなっていて良かった。

 

 繰糸をイメージ通り動かす為には、指先を敏感にさせる必要があった。当初は触覚だけを、と考えていたけど普段の生活に違和が発生してしまい、終いには得意分野の料理で指先を絆創膏だらけにしてしまったことで痛覚も同じように。

 決してドMではない。それに痛覚があるからか危険察知能力が上がった気がするし、今回はそれが功を奏した。

 

 第二次大侵攻では今より鋭敏化していたので、もし指がやられてたら泣いてたと思う。

 

 

『警告が間に合わなくてすみません……』

 

「私も自分の読みが外れて動揺し過ぎた。ごめん」

 

 

 集中を解いたと察した真木ちゃんが通信越しに謝ってきたので、こちらも首を振って謝罪した。というか私の方が悪い。

 

 人型トリオン兵(仮)を完全に人間だと判断して間違い、己の感覚を疑い動揺して警戒を怠った。

 通常の人型トリオン兵が近くにいたのにさ。言い訳を述べるなら、あんなに急接近するとは思ってなかったんだ、なんてね。

 

 それにしても、やっぱり相対した人型トリオン兵を人間のように感じてしまう。しかも3体とも、()()人間として。

 重心移動から、腕の振り幅や速度から、踏み込みのタイミングから──いやいやそうなると、三体も同じ所作のトリオン兵ということは、量産型のトリオン兵とも考えられる筈だ。

 

 

『相対した人型トリオン兵についてですが、天羽隊員が「三体とも同じ色」だと判断しました。一体目を倒したと同時に色が近くの人型トリオン兵に移った、と』

 

「ふむ」

 

『そして、どうやら拘束した人型トリオン兵にその色は既にありません。また近くの人型トリオン兵二体へ移り、接近中です。二体をエース機として区別して下さい』

 

「了解。倒したら増えるってわけじゃないのかな……」

 

 

 マップ上でこちらへ向かってくる赤色に染まった二つの点を見て、嫌な可能性を呟いてみる。

 増えたら増えたで対処するけどさぁ……何せ行動プログラムのパターンが細か過ぎる。同じ人型だったラービットよりも複雑だぞ。

 

 短時間でトリオン兵の行動プログラムパターンを把握できなかったのは初めてで、正直、戸惑いが大きい。

 

 とりあえずは罠の近くを周りながら撃破をしていくしかない。こちらに向かってきてくれるんなら、ありがたく戦いやすい場所に移動しよう。

 

 増える可能性があるなら、完全に倒すのではなく拘束を目的にしようかな。いや、それだとまた移られて意味がない。

 

 エース機が来た理由を考えろ。

 最初に私は無視されていた。バックワームを起動していたとは言え、吊られたトリオン兵を殲滅していたから射線で居場所はバレてたはず。だのに、狙いやすい狙撃手だった私にトリオン兵は反応していなかった。

 

 初めて動いたのは近界民(ネイバー)を見つけた時。

 三輪くんと米屋くんが交戦中の仲間を落とされない為にエース機がやってきた。

 

 舐められてはいない。けど、無視しても支障はないと思われている。よーし、やってやろう。

 

 エース機に対して引き気味に立ち回るのは確定。けど撃破も拘束もエース機にはやってやらない。徹底的に逃げる。

 そして、防衛ラインに残ってるトリオン兵を殲滅しながら他の場所への援護にも入る。私を放置出来ないように振り回してやろうじゃないか。

 

 

『真木ちゃん、エース機と50mの距離を保ってプロモーション・クイーンに切り替えるよ』

 

『了解。ルートサポートは任せて下さい』

 

 

 プロモーションとはチェスでポーンが他の駒に成ることを意味する。

 冬島隊はワープでスナイパーを移動させることから、当真くんと私をナイトの駒とした。エンブレムもそれに因んでナイトの駒である。

 ただし、私は戦場を指揮したり罠を仕掛けたり味方有利なフィールド形成したりと、完全なナイトの駒ではない。秀でる要素が特にない所謂器用貧乏な私は、ナイトの駒よりポーンの駒がお似合いなのだ。

 

 作戦の符号であるプロモーション・クイーンは、冬島隊の中で広範囲に及ぶ高機動の戦闘を指す。通常のワープによる変則機動ではなく、自分の足で移動しながらの戦闘だ。

 B級の隠岐くんがこの移動方法をグラスホッパーで短距離を再現&改良してて感心したけど、現在のトリガー構成上アレは無理。それに移動しながら罠を張っていく私には難しかった。

 姿勢の安定性などを考慮すれば、私の動きに一番近いのは玲ちゃんだろうか。

 

 グッと足下のスパイダーを踏み締めて、示されたルートに従って次のスパイダーへと跳ぶ。足りない箇所にスパイダーを撒きながらイーグレットを起動した。

 後方のエース機との距離が見る間に開くのをマップで確認して、前方とサイドにて目視した通常の人型トリオン兵へ銃口を向ける。

 

 着地点に停まるのは2秒間。

 それ以上はエース機に距離を詰められる。引き金を引いた。ヒット。

 すぐさま足を動かして次のポイントへ。

 

 揺れるスパイダーの上でもスコープを覗けば問題ない。体幹がブレるなんてのは初心者時代に卒業した。獲物が動くのは当たり前で、狙撃手がそれを射るのも当たり前の事象。

 

 トリオン体の動かし方のコツは"出来ない"と思わないことが挙げられる。

 "出来る"とか"当たり前だ"とか強く思うことで、結果的に望んだ通りになることが多い。逆に、"出来ない"とか"苦手"などを一度感じてしまえばなかなかその改善が難しかったりする。

 

 動きを止めずにスパイダーを伝って高度を落とし、2秒間停まって撃ち抜いて、縮まった距離を稼ぐ為に移動を再開。それを繰り返す。

 

 イーグレットによって人型トリオン兵の頭部は次々と破裂した。

 

 

『後方、エース機から砲撃。1.5秒』

 

『了解』

 

 

 バイパーやハウンドのように曲がらない直線のビームは移動するだけで回避可能だ。

 ついでにその直線上へ吊っていた敵を繰糸で持ってくれば「殲滅のご協力ありがとう」というもの。

 

 

『エース機変更』

 

 

 後方に離れていた人型トリオン兵から、私に近い人型トリオン兵へと赤色の点が移る。また2体か。

 

 

『おぅ、無事か八神』

 

 

 即座に移動方向を変えて跳んだところで、冬島隊長から通信が入った。

 

 

『右腕がちょっぴり削れて、あとは髪が犠牲になったくらいです隊長』

 

『やめろオレはハゲてねぇ』

 

 

 意味を解するのに一拍かかった。

 

 

『……! すみませんその返しは予想外でした』

 

『わるい、忘れてくれ』

 

『いえ、今度こそ完璧なボケ返しをやってみせますのでどうぞもう一度』

 

『そりゃ完璧なボケ殺しだっての。オレが求めてたのはツッコミだ』

 

『隊の回線オンにしてたら笑っちまった。太一のドジに巻き込まれるかと思ったぜ』

 

『真面目にして下さい。ベイルアウト用ベッドに水かけますよ』

 

『ごめんなさい』

『ごめんなさい』

『ごめんなさい。あれ? おれ悪くなくね?』

 

『あ、オレ今回ベイルアウトする予定ないわ』

 

『隊長の椅子が犠牲になります』

 

『ごめんなさい』

 

『おれスルーなの?』

 

 

 真木ちゃんには逆らえない。彼女はやると言ったらやる女の子だ。

 ベッドに水って地味に効く嫌がらせだよ。緊急脱出した先でびちゃーって、負けて落ち込んでるところへの追い打ちとしか思えないから。

 

 スパイダーを踏んで加速。距離が開けば停止、からのイーグレットで視認できた人型トリオン兵を狙撃する。

 

 跳び移ったスパイダーに足を引っ掛け、ぶら下がって狙撃。

 スパイダーの上をビームが通過した。そのまま足を外すと、さっきまでいた場所へ2本目のビームが襲う。なかなか良い射角だ。私がぶら下がっていた場所と、スパイダーの上へ戻った際の場所を狙ったらしい。

 私がスパイダーから離れるとは予測しなかったのだろう。

 

 地面へ降りる直前に接続で先のスパイダーに移って、移動を再開。

 

 エース機への変身は2体だけのようで、3体になる気配はなかった。

 

 

『あー、とにかく八神の被害確認をだな……さっき室長たちに「うちの参謀をナメないでくれ」ってどや顔したばっかだから、お前がやられたら恥かくトコだったわ』

 

『マジですか。真木ちゃん、その音声って記録して』

 

『ないです。あるわけないです』

 

『なんだぁ、おれも聞きたかったぜ。隊長、もっかい』

 

『言うか、こっ恥ずかしい。オレは』

 

『ジョウロのトリオン構築が完了しました』

 

『ごめんなさい』

『ごめんなさい』

『ごめんなさい』

 

 

 トリオン攻撃でしか破壊出来ないジョウロ、だと……!

 真木ちゃんの本気度に戦慄きながら、エース機からのビームを避ける。

 

 

『互いの余裕がわかったところで現場報告をしてくれや』

 

『おれの方は、アタッカー組が犬を払ってくれてっから狙撃に問題なーし』

 

『私は当初の役割を継続しながら、エース機2体をプロモーション・クイーンで引き気味に攪乱中です。3体目が出てきたら応援がほしいですね。以上』

 

『本部内部はアタッカートップ共が当たってる。今のところ被害なしだ。おーし、2人とも現状維持。八神はトリオン量に気ぃつけてそのまま引っ張れ。基地側に余裕が出たらアタッカー派遣すっから』

 

『うぃーす』

 

『了解』

 

 

 隊長の指示を受けて、私たちは任せられた役割へと専念し始めた。

 

 

 

 




・冬島隊のエンブレム チェスの駒であるナイト
真木ちゃんは記録者またはヘルプ。
隊長はプレイヤー。特殊な盤面を用意する者でもある。
戦闘員(狙撃手)はナイトで、敵味方関係なく飛び越える。
八神も本来はナイトであるが、時にクイーンでありルークでありビショップにも成る。故に八神はポーンとして役割を負っている。

 ・隠岐の機動
グラスホッパー→グラスホッパー
 ・八神の機動
スパイダー→踏んで反動をつける→スパイダー
 短距離の機動力は隠岐(というかグラスホッパー使い)に軍配が上がります。八神はワンクッションを入れて加速しますがグラスホッパーにはそれが要りません。グラスホッパーの跳躍出力はトリオン調整による為、反動をつける必要がないという単純な理由ですね。短距離、と限定したのはグラスホッパーで長距離移動は逆にトリオンの無駄かなと思ったので。
 トリガー構成上で八神はこれが出来ませんし、やはり慣れないので特訓が必要です。俯瞰視(客観視)は鍛えられているので、おそらく短期間でマスターできますが。また、移動の為に張ったスパイダーを罠にも発展させるスタイルも関係しています。

 ちなみに、八神が行っているスパイダー移動方法ですが、ある程度の身体制御能力が身に付いていなければ出来ません。スパイダーへ跳び移った時にそのまま反動をつけるのも、勢いを完全に殺して"制止"するのも、八神独特の感覚と努力の結果です。
 常軌を逸したとまではいきませんが、八神も訓練生時代に周りが「!?」と思うくらいには無理・無茶をやってトリオン体でどこまでやれるのか把握していました。軽度の中二病が仕事しています。そしてエンジニアたちが悦んで協力。


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怒りは余裕の表れか否か

三人称


 

 

 天井に穴が開き、そこから近界民(ネイバー)──ガトリンとラタリコフが迅たちが待機している地下へと降り立った。

 

 ガトリンとラタリコフは侵入直後に一瞬だけ相対した迅の姿を認め、完全に先回りをされていたことを確信する。

 

 

『対応が早い……』

 

『我々の侵入も糸使いの作戦の内なのかもしれんな。だがここまで来れば俺たちも退けん』

 

 

 2人は表情を変えずに()人を見下ろし、内部通信で意志を固めた。

 ラタリコフは背中から"踊り手(デスピニス)"を起動させて宙へと円盤を浮き上がらせ、ガトリンは空中通路から飛び降りてボーダーのアタッカーたちと同じ目線に立つ。次いで小型(ゲート)から、頭部にブレードを装備したドグ・バトリーレを数匹喚びだした。

 

 

『サーチシールドは切るな。遠隔斬撃に注意しろ』

 

『了解』

 

 

 サーチシールドは迫るトリオン攻撃に対してオートで起動する。遠隔斬撃からの不意打ち対策であり、副産物として道中のバイパーも防ぐことが出来た。

 

 ガロプラ勢が糸使いの次に難敵としたのは、風刃の遠隔斬撃だった。アフトクラトルから齎された情報の中にトリオン斬撃とあり、威力も解析されていたが、遠隔からの軌道を読むのは容易ではない。因って、ガトリンたちは対遠隔斬撃用のシールドをヨミの改造で用意したのだ。

 だが、自らの意思とは別に反応する為、警戒の必要がなければ機能を切りたいところ。遠隔斬撃の使い手と相対した今は叶わない考えである。

 

 侵入側がやる気充分といったところで、太刀川がニヒルな笑みを浮かべ己の背後を指して口を開いた。

 

 

「あんたらのお目当ては、この中だ」

 

 

 指されたのは、トリオンで分厚く補強された格納庫(ハンガー)

 

 突然そう言い出した男に、空中通路の上でラタリコフは片眉をピクリと動かした。

 

 指さす太刀川の表情は変わらず、どこか胡散臭さを感じさせる薄い笑みを添えて挑発を続けた。

 

 

()()()をぶっ壊したきゃ、その前に俺たち4人を"ぶった斬るかぶち抜かなきゃ"ならないな」

 

 

 太刀川の挑発にガトリンは一呼吸分、思考が固まった。

 自分たちの目的は侵入から予測したとしても、武器や手段など手の内まで相手に知られているとはどういうことなのか。

 

───やはり糸使いは我々の予想を超えるサイドエフェクトを──

 

 

『! 隊長!』

 

 

 ラタリコフの警告にガトリンは辛うじて体を捻った。

 

 だが、左腕の肘から先を風間のスコーピオンで切り落とされる。

 宣言通りカメレオンを起動し、冬島が配置したスイッチボックスのトリオン反応に紛れて虎視眈々と隙を窺っていたのだ。

 

 サーチシールドは攻防の邪魔になる為、戦闘体からの直接攻撃には反応しない。故にガトリンは、奇襲に不意を打たれた。

 

 

「おっと、悪い。4人じゃなくて5人だった」

 

 

 挑発の言葉をそう締めくくった太刀川と、4人と合流して格納庫前に立ちふさがった風間。

 

 切り口と手際から、彼ら5人が一筋縄ではいかないことをガトリンとラタリコフは察した。

 

 ガトリンは切り落とされた腕を一瞥して皮肉を感じる。

 八神の腕を落とそうと考えていた己が先に腕を落とした。そしてそれが警告のようにも受け取れる。この場にいない糸使いからまるで『諦めろ』と圧力を掛けられているようだった。

 

 迅は小南の隣で微動だにすることなく沈黙していた。

 風刃の柄に手を置き、透明な表情でガトリンとラタリコフを注視している。

 

 だが彼の感情は、表情とは裏腹に荒れ狂っていた。

 

 敵を改めて視て、怒りで表情が歪みそうになるのを必死で押し留める。

 注意して視ても、やはりその未来が限り無く低い未来なのは間違いない。だが、優しく温かい両手はなく、血濡れで打ち棄てられ、虚ろな瞳を向ける八神の姿。

 

 殺気が漏れそうになるのを自覚し、迅は腰に差したかつての師である風刃の柄を握って心を落ち着けた。感情に振り回されるわけにはいかない。

 

 八神のこととなれば黙っていない迅が、感情を爆発させずに済んでいるのは風刃の存在が大きい。

 空閑のボーダー入隊の為に本部へと返還した風刃だが、使い手が定まっていないことから即戦力投入の為に迅へとまた託された。一時的な措置とは言え、もう一度振るうことが出来る喜びを迅は当初感じていたが、もしかしたら風刃は己の感情を抑える為にまた手の中に来たのではないかと思わせる。

 

 迅はスッと目を細めて敵を見据えた。容赦をする必要はない。

 

 対するガトリンも、腰を落としてトリガーを起動させた。どれだけ警告をされようとここで目的を達成すれば問題はない。

 

 

「背中から武器が……」

 

「レイジさんの全武装(フルアームズ)みたい」

 

「なるほど……こいつはよく斬れそうだ」

 

 

 ガトリンのトリガー"処刑者(バシリッサ)"は、鋭い爪を先端に持つ四本のアームが背中から伸びる形状だ。持ち主の体格もそうだが、トリガー自体が大きく、見るからに重量級。さらにアームには関節がある為、細かく動かすことも可能だとボーダー側は一見した。

 

 ラタリコフのトリガー"デスピニス"は、形状は円盤だが、同じような部隊構成をしている太刀川が一目でシューターだと見当をつける。

 

 ガトリンは"バシリッサ"とは別に、背中のホルダー部分から追加トリガーを出して腕の切り口へ翳す。すると、腕の代わりにトリオン砲が戦闘体へと接続された。

 

 

「ありゃあ……手まで生えちゃったよ、風間さん」

 

「次からは脚を狙う」

 

『悪いね風間さん。牽制になると思ったんだけど意味なかったっぽい』

 

『構わん』

 

 

 太刀川と迅にそれぞれ応答しながら臨戦態勢を崩さない風間。

 

 否、この場にいる誰もが油断などしていなかった。

 

 

「悪いがあまりおしゃべりもしてられんのでな。戦闘開始だ」

 

 

 ガトリンがわざわざ口に出して注目を集め、アームの爪を床に突き立てた瞬間。

 

 

格納庫(ハンガー)!」

 

「鋼!」

 

 

 反応したのは風間と迅だった。

 

 トリオン砲が火を噴き、真っ直ぐに格納庫へ伸びる。

 

 その射線上に戦闘体を滑り込ませたのは、シールドモードのレイガストを携えた村上だ。

 咄嗟の反応だったがしっかりとレイガストへ着弾させた上に、事前に言われていた通りシールドも用いた二段構えの防御である。

 

 

「くっ……!」

 

 

 しかし、砲撃はシールドモードのレイガストを突き破り、集中シールドではなく半端に広げて展開したシールドは割られ、格納庫の防壁へと接触を許してしまった。

 それでも充分に威力を削られて表面が焦げただけだったが。

 

 村上を始めとして、敵味方関係なく全員が防壁へと視線を走らせた途端、迅が風刃を抜き放って駆け出す。

 誰よりも速く結果を()る迅の一手は躊躇いなどない。

 

 一呼吸分もない間に遠隔斬撃がガトリンとラタリコフへ襲い、サーチシールドで動きを制限されたガトリンに風刃の刀身が迫った。

 

 

「!」

 

 

 バシリッサのアーム一本で風刃を受け止め、残りのアームで反撃を仕掛けるが、思いもよらぬ妨害を受ける。

 

 サーチシールドがガトリンの攻撃を防いだのだ。

 

 

「なにっ」

 

 

 鼻白むガトリンに、風刃が容赦なくトリオン砲を落とさんと振るわれる。

 意思を駆使してアームを引き戻し、なんとか刀身を受け止めたガトリンは、風刃ごと迅の戦闘体を弾き飛ばすことに成功した。

 

 迅の着地点にラタリコフがドグ・バトリーレとデスピニスを差し向けるが、村上が難無く斬り裂いてフォロー。

 

 迅が駆け出してから一拍後にカメレオンを起動していた風間だが、迫るデスピニスの円盤軌道を把握していない今は武器無しで防ぐのは難しく、姿を現してスコーピオンで対処した。

 

 迅を弾き飛ばしたガトリンは、すぐさま太刀川の弧月と小南の双月の対応に追われる。

 遠心力も加えた豪速のアームを真っ先にかい潜った小南が、防御へ回ったアームに下から双月を殴りつけ刃と柄の間に引っ掛けたのを支点に、戦闘体をガトリンの頭上に跳び上がらせた。

 

 ガトリンを見下ろす小南の手には既に斧はなく、8分割のメテオラ。

 

 

「!」

 

 

 上下に四発ずつメテオラが発射された。向かう先は、ガトリンと空中通路。

 

 足場を崩されたラタリコフがその場から脱した途端、村上のレイガストがスラスターを起動して放たれる。

 ラタリコフは三枚のデスピニスを使ってレイガストの軌道を逸らすが、いつの間にか壁に垂直で待ち構えていた太刀川に気づくのが遅れた。メテオラの爆煙に紛れてガトリンから離れ、必殺の旋空弧月を放つ機会を狙っていたのだ。

 

 ハッとラタリコフが気付いた時、遠隔斬撃でサーチシールドが発動して更に動きが制限される。

 

 攻撃手ランクNo.1の弧月が振り抜かれた。

 

 ガギギン!! と烈しい音が発される。

 ガトリンがラタリコフと太刀川の間に入り、旋空をバシリッサの頑丈なアームで受け止めていた。

 

 

「硬えな、おい」

 

 

 太刀川がぼそりと呟く。

 

 旋空はトリオンで伸ばされた刀身の切っ先に向かうほど、速度と威力が上がる弧月のオプショントリガーだ。

 ラタリコフとの距離は十分であったが、間に割り込んだガトリンへは本領発揮とならず。

 

 絶えず襲う遠隔斬撃に2人分のサーチシールドが発動する中、ガトリンは壁に爪を突き立てて体を固定し、力を逃すことなく太刀川へアームを振り下ろした。

 

 爪を弧月で受けた太刀川が衝撃のまま壁にめり込む。通常なら腕が痺れるほどの衝撃だが、太刀川は弧月を手放すことも、受け身の姿勢を崩すこともないのは流石だった。

 

 だがすぐに身動き出来ないことは一目瞭然。ドグ・バトリーレが太刀川の後方から狙いを定める。

 

 それをわかっていた風間がすかさず足のブレードで仕留め、両手の双月を接続器(コネクター)で戦斧に変更した小南が、太刀川を押さえているバシリッサのアームへ大上段から振り下ろした。

 

 

「!?」

 

 

 短時間で何度目の驚きだろうか。ガトリンは戦斧で折られたバシリッサのアームに目を見開いた。

 

 その隙に太刀川は抜け出し、接続器(コネクター)を解除して小回りの利く手斧の形に双月を戻した小南が、デスピニスの円盤を捌いて後退。

 

 格納庫前の初期位置へ戻ったボーダー側に対して、ガトリンとラタリコフは2人分の間を空けて肩を並べた。

 現時点での戦闘損害は、ガトリンのアーム一本のみ。

 

 ガロプラに存在するトリガーの中でも、かなりの硬度を誇るバシリッサが折られることはガトリンの予想外だった。それも、数年前まで未開拓地だと考えていた玄界(ミデン)通常(ノーマル)トリガーで。

 

 

『……ラタ、ドグを追加して引き気味に戦え。狙われてるぞ』

 

 

 切り替えて、部下へと指示を出した。動揺を引きずっても得はない。

 

 

『「弱い敵から集中して落とす」。基本に忠実な相手ですね』

 

『サーチシールドを起動したままでは、大砲の装填(チャージ)にもうしばらくかかる。10分で片付けるのは無理だな。15分に変更だ』

 

『了解です』

 

 

 指示通りラタリコフが小型門からドグ・バトリーレを喚びだしたのを確認して、予定していた作戦時間の変更を言い渡す。

 情報伝達の要であるヨミが現在アイドラを同時操作中の為、ウェンと外の部下へ指示が届かないことが気掛かりであったが、5分程度なら想定の範囲内だ。

 

 

『風刃の遠隔斬撃にあんな使い方があったとはな』

 

 

 風間が風刃を構えた迅へ含むような口調で通信を繋ぐ。

 

 あんな、とはガトリンに攻撃した際、誤作動を起こしたかのようなサーチシールドを利用した時のことである。

 

 迅は遠隔斬撃をガトリンとラタリコフへ飛ばしたと同時に、己の戦闘体にも伝播させていたのだ。それにより、サーチシールドが反応し遠隔斬撃を防ぐ反面、ガトリンの攻撃も防いだ、という訳だ。

 

 マスタークラスの攻撃手や万能手ならば近距離での斬り合いにシールドを張る者の方が少ない。普段の太刀川がそうであるし、先ほどバシリッサで押さえ込まれた際も弧月だけで対処している。

 しかし、咄嗟の防御はやはりシールドが必要だ。そういう点では、攻撃特化で防御手段がない風刃での特攻はやはり危険としか言いようがないが、迅に限ってはそうとも言えない。

 

 未来視と風刃、そして迅の戦闘経験が合わさることで成せた技だ。

 

 

『ほら、言ったでしょ。俺って生粋の能ある鷹だって。でも今回は風刃対策をあっちが練ってくれてたから逆に利用してやろうと思ってさ』

 

 

 風間の黒トリガー争奪戦時(含み)を完璧に読み取った迅は、ラタリコフが飛ばしてきたデスピニスを捌きながら余裕そうな声音で応えた。

 

 

『ねぇ、プランの変更はないのよね?』

 

『おう。たぶん、相手はベイルアウトみたいな機能を持ってる。でも早く倒し過ぎてもダメっぽいから、出来るだけ()()()を引っ張って倒す方向で頼むよ』

 

 

 小南の問いにも迅は変わらない声音で肯定する。

 

 倒すだけならこのメンバーでそう時間を掛けずに実行できることを未来視は示していた。だが、それを行えばどういうわけかボーダー側が不利に陥る未来へ繋がっている。

 何故そうなるのかは流石の迅でも戦闘中では思考の余裕がないので不明だが、望まない結果が解っているならそこは重要ではない。

 

 

『重い方をですか。格納庫狙いで動きを制限される中、更にギリギリ倒さないってのは逆に難しいですね』

 

『手を抜いてるって悟られてもダメなのか。めんどいな』

 

 

 デスピニスとドグ・バトリーレの突撃をそれぞれ防ぎながら、軽口を交えた打ち合わせを開始する。

 

 

『犬また増えたんだけど、なんでいっぺんに使ってこないの?』

 

『多すぎると細かく動かせないんだろ。連携しなきゃただの雑魚だ』

 

『飛び回る円盤も犬も重い方の攻撃をサポートしている。分断(バラ)したほうがやりやすい。()()()は俺のカメレオンを警戒しているようだ。ちょうどいいから俺が受け持つ』

 

『じゃ、俺は風間さんと鋼のサポートしながら重い方に参加するよ』

 

『ああ、重い方は4人でかかれ。犬は各々で対処する。いいな?』

 

『了解』

『了解!』

『了解!』

 

 

 迅は浮かんでは過ぎる未来を視ながらタイミングを見計らう。防衛へ出る前に視た八神の未来を思い出しながら。

 

 ガトリンたちは心なしか表情が引き締まった敵を見て、油断は出来ないと改めて考えた。目指すは遠征艇の破壊だが、糸使いの思惑を崩す為に必要な手を探らねばならない。

 

 ガロプラの精鋭たちは時間が経る毎に虚像を大きくしていた。

 彼らが相手にしているのは"糸使い"という虚像。八神だけを見ている。

 

 だが、実際のところ"糸使い"とは八神と迅の2人だ。この2人が立てた策を軸に、仲間と組織が補助・補強をしている。

 ガトリンたちが勝利するには、先ず、この虚像を見破ることが必要不可欠なのだ。

 

 気づくか、気づけないか。

 分岐の一部は迅だけが()り、そして迅にも視えないところで常に未来は変動している。

 

 

 

 




 原作の迅は未来視で焦ることはあっても、その未来に怒ることはないと思います。どんな理不尽な未来でも都合が悪ければ怒るよりも暗躍を優先するかと。善い未来なら微笑みと安心を持って傍観するのかな、と。

・サーチシールドについて
 独自解釈による設定です。独自解釈については12/18の活動報告に載せさせていただきました。薄い補足説明ですが、興味があればご覧下さい。


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線上の駆け引き

八神視点の一人称


 

 

 『那須隊が敵性近界民(ネイバー)を1人撃破。内部の混乱は無し』

 

 

 プロモーション・クイーンを続けていると、真木ちゃんから朗報が齎された。

 

 内部に侵入していた敵性近界民は3人。

 那須隊はその中の1人を分断させた上に、今回の任務を知らされていないC級や一般職員などに悟られることなく、撃破を成功させてくれたらしい。

 さすが頼もしいね。玲ちゃんの体調が心配だけど、それは終わってから確かめよう。

 

 

『エース機変更。いえ、後退します』

 

 

 何十本目かのスパイダーを踏んだ時、エース機が2体とも下がっていく。

 仲間がやられたことで何かしらの変化があると予想していたが、エース機だったか。

 

 エース機は私を追うのを止めて基地側へと向かっている。基地周辺は撃ち合いメインだ。邪魔されるのは避けたい。

 

 罠を幾つか作動させようと、視界のマップに焦点を合わせかけたところで、冷見ちゃんを通して二宮さんから通信が入った。

 

 

『こちら二宮。八神、エース機はアタッカーに任せる。お前は奴らが一気に後退した時に備えて数を減らしておけ』

 

『! 了解です』

 

 

 伝えられた二宮さんの指示に応えてバックワームを起動し、基地へ向けていた足を方向転換した。

 

 エース機が来ないのならプロモーション・クイーンより、安定した狙撃ポイントからの狙撃へと移行しよう。

 変わらず足での移動だけど、狙撃に余裕が出るのは大きい。

 

 第一の狙撃ポイントへ到達。

 

 

『こちら三輪隊の月見。Kー7番からKー12番までの罠を貰います』

 

『冬島隊、了解』

 

 

 イーグレットのスコープを覗いている最中に、蓮ちゃんからの宣言が隊の回線を通して伝えられる。

 真木ちゃんが応答したのを機に、視界に映されていたマップ上から罠ポイントの一部に×印が付けられた。

 

 罠をすべて把握しているのは中央オペレーターたちと冬島隊な上、主に作るのも使うのも私なので、こういう伝達があると非常に助かります。

 と言っても、前もって宣言するのは蓮ちゃんぐらいなんだけど。他の隊は戦闘がひと息ついてから使用報告を入れてくれる。

 それでも全然構わない──むしろそうとしか考えていなかった──のだけど、蓮ちゃんだけはその慧眼を持って宣言通りの物しか使わない。

 同じ師匠を持つ者として憧れるし、同性としても見習いたい女性の1人です。

 

 スコープの中は、盾を重ねて行進する人型トリオン兵3体の側面。

 

 意識がスッと落ちた感覚。余計な思考と情報を削ぎ落とす。

 引き金に掛けた指先へ繋がる神経だけが妙に熱い、錯覚。

 

 まだ。まだ、まだ───3体の頭部が重なる。

 

 

「ヒット」

 

 

 1発で3体のコアを破壊することに成功。イーグレットを起動したままバックワームを翻して即座に移動を始める。

 

 右腕に巻きつけたスパイダーへチラリと視線を落とした。

 撃ち抜けたけど、3体目は微妙に着弾箇所がズレていたように思う。構えを少し修正するか。

 

 三つ編み部分がなくなったせいで心なしか頭が軽い。トリオン体に重さはあまり関係ないはずだが、これも日頃のイメージ感覚だろうか。

 やっぱり近界(ネイバーフッド)遠征任務前に髪を切ろうかな。それか桐絵ちゃんみたいに髪が短いトリオン体モデルを設定してもらおう。

 でも髪留め……いやいや、さっきの戦闘で自覚したけど物に執着してると危険だ。完全に無意識の執着だったな。うーん、指輪とか戦闘体に着けられそうにないぞ。

 

 次の狙撃ポイントに着いた。

 胡座をかいて上半身を前へ倒した座射姿勢。

 

 

「ヒット1……ヒット2」

 

 

 1発目も2発目も狙いは違わず。構えの修正はこんなものか。

 

 座射を崩し、その場から3mほど移動して片膝を着いた膝射姿勢。

 

 

「ヒット」

 

 

 イーグレットを抱えて移動。

 

 撃てば当たるってほど敵の数はいないし、建物で射線が限られるし、何気に人型トリオン兵の行動プログラム精度が高くて面倒だな。

 

 でも、以前に当真くんと2人で強行した殲滅戦よりは楽だ。

 正直あれはもう二度と立ちたくない、立たせたくない戦場の一つである。私の腕が足りないばかりに、年下の当真くんへ任せきってしまった。当真くんが「エースとしてとーぜんだろ?」と笑ったのに、私がどれだけ救われたことか。

 今でも思い出すと情けなくて涙が出そうになる。ダメだな、なんで感傷的になってるんだか。

 

 

「ヒット」

 

 

 それでもスコープを覗いた瞬間、思考が切り替わる。

 

 当真くんや奈良坂くん、東さん、他にも尊敬するスナイパーたちには遠く及ばずとも、私だってスナイパーだ。感情とは別に指先を動かすことは普通にできる。

 

 与えられた役割に徹し、移動を繰り返しては次々と引き金を引いた。

 

 プロモーション・クイーンより時間を置いて集中する為、撃つ度に精度は上がっていく。移動スピードは格段に落ちたけど、2体ずつとか3体ずつとか貫通させているので殲滅スピードはちょっと落ちたくらいだ。

 トリオンの節約にもなっているので安定している。

 

 

『三輪隊が敵性近界民(ネイバー)を1人撃破』

 

 

 どうやら蓮ちゃんが宣言した通りの罠の数で、近界民を追い込んで仕留めたらしい。

 罠を囮にしたのかな。三輪くんの鉛弾(レッドバレッド)なら盾を貫通出来るし、彼の剣術も相当な研鑽が積んである。米屋くんの槍捌きは言わずもがなだし、勉強よりランク戦に比重が傾くバトルジャンキーの1人だ。

 むしろ罠の方が邪魔だったのでは、と心配になったがすぐに「蓮ちゃんの策なら最良に決まってる」と思い直す。尊敬する東さんの弟子仲間が2人も三輪隊には在籍しているのだ。私が戦闘や作戦面で心配するのは烏滸がましいだろう。

 

 基地周辺の戦線では笹森くんと辻くん、木虎ちゃんと黒江ちゃんのペアがそれぞれエース機を引き付けている。

 相対した当初に黒江ちゃんがエース機を倒したことで、また新しいエース機1体が発生した。どうやら倒したら増えるってわけじゃないようだ。

 

 もしもを考えて私が3体同時に相手をするのは厳しかったから、黒江ちゃんの戦果は貴重な情報である。

 エース機を一気に出されたら戦局はあちらへ傾くけど、場に出ているノーマルな人型トリオン兵に色が移っていくだけ。無限コンテニューかな? 一応残機があるから無限ではないのか。

 

 憑依、は言い過ぎだから単純に遠隔操作系のトリガーかな。

 遠隔操作という点では私の繰糸も似たようなものだが、スパイダーよりも出来る幅が広い。バンダーやモールモッドとは違い、人型トリオン兵なので操作性に違和が少ないことも大きいだろう。

 

 最初は双子や血縁者が操作しているのかとも考えたが、天羽くんの言い方からして違うみたいだ。

 

 一応、私が第二次大侵攻時に証明したような方法で、1人の人間が人型トリオン兵を同時に操作出来る理論はある。

 されどあそこまで精密な動きは難しいはず。いくらこちらの世界よりもトリガー技術が発展しているとは言え、操作しているのは私たちと変わらない人間だからだ。

 

 ともあれ、ガロプラとロドクルーンの詳細なトリガー技術がない現時点では『1人で2体を精密に操作出来る』という推測までが限界か。

 

 どれだけ並列思考処理に優れた人間でも、機械じゃない限り操作に意識が取られるのは必至。

 しかも相手をしているのは技巧や機転力の高い木虎ちゃんたちだ。スナイパーの私に倒されるくらいのエース機1体ずつなんて、前衛が本職の彼女たちなら楽に相手を振り回せるだろう。

 

 せっかくの余裕だ。思考を回そうか。

 

 おそらく、エース機を操作している者は人型トリオン兵軍の指揮をしていない。三輪隊が相手にしていた近界民もどうやら違った。内部侵入組が指揮するには、人型トリオン兵軍の連携が的確過ぎる。

 

 もう1人、もしくは2人が表に出ているはずだ。

 

 

「ん?」

 

『警告。敵6体が真っ直ぐに向かっています』

 

『了解』

 

 

 基地へ向かっていた内の6体が、マップ上で私の方へ駆け始めた。動き始めた初期地点からして、もしかしてこの中に近界民がいるのだろうか。

 しかしそうであっても、判断が遅いぞ、と思わず考えてしまう。

 

 戦況が不利に傾いてから私を撃破することにしたようだが、それはエース機を出した時点でやるべきだった。タイミングが悪いと言わざるを得ない。

 

 いや、むしろそう思わせることが狙いか?

 反応の全部が近界民だったりするなら最適解だと思うが……基地側の戦線を放り出す意図が不明だ。

 エース機との攻防戦は相手も知っているだろうし、それを加味しても私を逃がすことなく消耗もそこまでしないトリガーの持ち主とかも有り得る、のか?

 

 けど、正直やぶれかぶれの行動にしか見えない。もしこの懸念を抱かせることが相手の策なら、成功しているぞと伝えてあげたい気分だ。

 

 バカにしている気持ちも多少あるが、どういう相手か未だ判明していないので油断はしない。

 

 結論としては「どういうトリガーだろうと問題ない」と考えるが、すべてが近界民だった場合も想定してこの辺り一帯を罠だらけにしよう。私が突破された後に易々と市街地へ向かわれては面倒だからね。

 私自身そう簡単にやられるつもりはないし、やられるにしても出来るだけ相手の手札を暴いてから緊急脱出(ベイルアウト)、という流れに持ち込んでやる。

 

 よし。わざわざこちらへ飛び込んできてくれるなら、ポイントへ誘導して仕留めてやろう。地形戦でこちらに勝てると思うなよ。

 

 

『こちら諏訪だ。援軍はいるかぁ?』

 

『こちら八神。いえ、そちらの数を分断させることが狙いかもしれないのでそのままで。私1人が落ちても戦線には響きませんし、市街地の被害は出ないと予想しています。むしろ玉狛第一のトリガーで殲滅速度上げて泡吹かせてもいいですよ?』

 

『了解了解っと』

 

 

 小佐野ちゃんを通した諏訪さんからの通信。

 

 先に二宮さんから指示が飛んできたから、てっきり二宮さんが指揮しているのかと思ってた。

 けどよくよく考えてみたら、東さんがいない中で加古さんが二宮さんの指示を素直に聞き入れるわけがなかった。その場に居てくれてありがとうございます諏訪さん。

 

 さて、切り替えよう。

 

 諏訪さんに伝えた通り私1人が落ちても問題ない。

 罠を増やすことが出来ないってくらいがデメリットかな。でもそれも冬島隊長を通せば簡易(トラップ)は設置出来る。

 張り巡らせたスパイダーも中央オペレーターたちが分担して操作しているから、敵をタダで市街地へ出すこともない。出そうになればトラッパーのワープで先回り出来る。

 

 支障が一つだけ。

 このまま緊急脱出(ベイルアウト)すれば悠一に頼まれた事が実行出来ないことだ。

 

 

「……心配がなくなったな」

 

 

 マップ上で6体が足を止めた。相対するのは、()()()トリガーの反応。

 

 

『訓練用トリガー反応。ダメです、監視カメラに映らない場所です』

 

 

 真木ちゃんの声音も少しだけ固くなる。()()()()とは言え、これは不確定要素が絡んでくる事柄だ。

 そして上へ告げて()()()未来の可能性が高いことを、出動前に悠一は教えてくれた。

 

 中央からの合図は未だ無し。

 この闘いはただの通過点だ。次へ繋げる為の闘いだ。今攻めてきている相手には悪いが──悪いとはこれっぽっちも思っていないが言葉の綾である──私たちボーダーは先を見据えている。

 

 望む未来の為に利用させてもらう。

 

 息を深く吐いて、覚悟を固めた。

 これから行うのは、悠一の立場では出来ないことだから。そして、私の立場の為でもある。

 

 

『こちら八神。今すぐに確認へ向かいます』

 

 

 通信を入れて、せっかく用意した罠たちを放って飛び出した。

 

 

 



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悪役の席はぐらぐらグラグラ

三人称


 

 

 

 基地内部へ侵入した3人の内の1人が倒されたことを皮切りに、ガロプラ側の戦局は不利に傾く一方だった。

 いや、もしかしたら初動から不利だったのではないか、とガロプラの精鋭たちは懸念を脳裏に過ぎらせる。ロドクルーンから送られてきたアイドラもドグも、当初の予定よりかなり数が減らされていた。

 

 コスケロが糸使いに発見された際はやむなくヨミの操縦するアイドラが対処にあたるも、他の部隊にコスケロは足止めを食らい、アイドラも早々に破壊された。それでもコスケロの方へ狙撃援護に向かわれるよりは、とアイドラを2体あてがえば、糸使いはまともに相手することなく広範囲に渡って動き出す。

 

 従って、レギンデッツはトリオン兵の指揮を行いながら、糸使いに発見されないよう常に気を張って移動することを余儀無くされた。

 

 これ以上の損失を防ぐ為にヨミのアイドラが基地へ向かうも、ボーダー側の防御を崩すことはかなわない。手を(こまね)いている間にコスケロが倒された。

 

 先手を打った筈のガロプラ側が完全に後手へ回っている。

 

 だが『遠征艇の破壊』という作戦目標を達成できる可能性が残っており、合図がないまま外の攻撃を止めるわけにはいかなかった。

 

 しかし、このままではジリ貧になるのは明白。

 

 

『レギーそっちへ行けば糸使いに見つかるよ』

 

 

 ヨミの怪訝そうな声がレギンデッツの内部通信へ届いた。

 

 今まで避けていた糸使いの方へレギンデッツが真っ直ぐ駆けているのだから当然だろう。

 

 

『わかってる。けどこのまま続けたら消耗する一方だろ! だからオレが糸使いを狙う。護衛がいないのがわかってる今のうちにやった方がいい! 糸使いが落ちれば奴らの意識を市街地の守りに割ける! そうすれば前衛もバラけるはずだ!』

 

 

 レギンデッツは焦っていたが、状況を理解できないほど気が立っているわけではなかった。

 打破までは出来ずとも"足止め"の任を貫く為に行動を起こしただけだ。

 

 

『それなら僕も』

 

『いや! お前は見つかってるし、他の奴らに集まられて糸使いと組まれるのは面倒だ。オレはたぶん見つかってない。おそらく玄界(ミデン)の監視の目に入ってるかいないかの違いだ。相手がまだオレをトリガー使いと判っていない今のうちにやるんだ! オレを追いかけて来たら来たでそのぶん軍事施設を攻めやすくなるし、それまで牽制を続けてくれ!』

 

 

 ヨミは辻と笹森、木虎と黒江のペアをそれぞれアイドラで相手しながら、レギンデッツの行動が悪手ではないかと考える。

 

 糸使いの相手をするならば、ヨミが操縦するアイドラも向かわせた方がより効果的だ。だが操縦する機体を変えても、何故か捕捉してくる相手のペアを振り切るのは難しい。

 それにアイドラを糸使いの元へ向かわせた場合にペアも共に集結されると、いくら多勢に有利なトリガーを持っていても、現在のレギンデッツはトリオン兵の指揮も行っている。処理能力が落ちて軍事施設への戦線が崩れ、トリガー使いたちに何も出来ず倒される可能性が高い。

 伏兵だったレギンデッツが発見されるデメリットがあれど、厄介な糸使いを倒すメリットは大きい。

 もし倒せなくてもレギンデッツの実力ならば、敵をかき乱して相手の意識を彼に集中させられるだろう。下手にヨミが動くよりもレギンデッツの行動は正しいのかもしれない。

 

 

『わかったよ』

 

 

 レギンデッツの要請に頷き、ヨミはアイドラの操縦に集中し始めた。

 

 5体のドグ・タキアを引き連れて駆けていたレギンデッツだが、ふと状況がおかしいことに気づく。

 

 

「チッ……!」

 

 

 レギンデッツはきちんと想定をしていたが、少しはアクションがあると考えていた故に思わず舌打ちを漏らした。

 

 基地周辺の相手戦力が、マップ上で一切動いていないのだ。

 多少は己を追いかける、または糸使いの元へ駆けつける人員が出てきてもおかしくないのに。けれど、そんな反応は微塵も出ておらず、相手は先ほどから変わらない速度でアイドラたちを破壊し続けていた。

 

 ヨミが上手く相手を牽制しているわけでもない、変わらない相手の布陣。

 

 

「は!?」

 

 

 動きがあった。

 それは、いきなりアイドラの数が次々と減っていく現象。

 

 ガロプラ側が知る由もない、玉狛第一の消耗度外視トリガーの発動だった。

 

 考えてもいなかった想定外。まるでさっきまでは手を抜いていたかのような殲滅スピード。

 

 

「くそっふざけやがって……! なんで、誰も追って来ねえんだよ! 仲間が大事じゃねえのか!? 糸使いがそんだけ強いのかよ……!! オレなんかじゃ怖くもねえっていうのかっ!?」

 

 

 レギンデッツの冷静な部分は「まだ剣竜(テュガテール)を起動しておらず、己がトリガー使いとバレていないから当たり前だ」と解っているが、納得など出来るはずもない。

 

 それだけ視界に映された味方戦力の消耗スピードは驚異的だった。

 

 憤るが動き出してしまった手前やるしかない。好機であるのは間違いないのだ。

 糸使いに応援がないのなら手早く仕留めてやる。隊長たちの任務がまだ終わらないのは内部でも手間取っている証拠。ならば己がもう一つの命令を実行して撤退合図を送った方が楽な筈だ。

 

 そうレギンデッツが結論した時、マップ上の索敵範囲に弱々しい点がこちらへ向かってくるのが映る。

 認識は敵側。

 しかし、その弱々しさは「お前ほんとうにトリガー使いか?」と眉を顰めるものだ。

 

 まさかコレが糸使いの応援なのか、と考えた瞬間。

 

 

「ナメやがって!!」

 

 

 レギンデッツの怒りが爆発した。

 格の違いを教えてやらねば気が済まない。1人で向かってくるというのなら都合が良い。

 

 辛うじて"玄界(ミデン)の恨みは最低限に"という思考が残ったレギンデッツは、そのまま監視がない場所を選んで移動を始めた。

 

 

 

 

 

 斯くして、レギンデッツは敵と遭遇する。

 

 5体の犬型トリオン兵ドグ・タキアを周りに待機させ、レギンデッツは相対した青年、ヒュースを見て顔を強ばらせた。

 

 怒りに傾いていた感情が、徐々に戸惑いへ変わっていく。

 

 

「ガロプラの遠征兵か」

 

「アフト……クラトル……!!」

 

 

 パーカーのフードをおろし、トリガー(ホーン)を露わにしたヒュースに、ますますレギンデッツの戸惑いが強くなった。

 

 

(なんでこんなところに! 逃げてきた……? クソっ玄界(ミデン)の拘束はザルかよ!?)

 

 

 捕虜は厳重に拘禁しているもの。

 その考えが常識なのだが、玉狛支部預かりだったヒュースには幼い監視人がついていただけだった。そしてその監視人とも未練なく別れてきたところ。

 

 捕虜となって行われたのは蝶の盾(ランビリス)を取り上げられたことくらいであり、それも何故か監視人から返却されたばかり。

 

 ザルよりもワク、むしろ何もないと言っても過言ではない。

 

 レギンデッツは戸惑いをひとまず脇に置いて、素早く頭を回転させる。

 遭遇してしまったのだから、どうやって逃げてきたのかは、もうどうでもいい。これから相手がどう動き、己が如何に対処するかの方が重要だ。

 

 

「わかっているなら話が早い」

 

 

 ヒュースはボーダートリガーを解除して、左手首に装着していたランビリスを起動させた。

 アフトクラトルの制服に黒衣の外套が風になびく。

 

 

「私はアフトクラトル、ベルティストン家直属エリン家のヒュース」

 

「わかったぞ……」

 

 

 母国までの帰還に手を貸してもらう──そう続けようとしたヒュースだったが、レギンデッツが顔を俯けて言った言葉に遮られてしまった。

 

 

「?」

 

 

 即了承したかのようなレギンデッツのそれにヒュースは首を傾げるも、母国または敬愛する主から己を回収する指示があったのかもしれない、と軽く捉えた。

 

 だがすぐに勘違いだったことを知る。

 

 

「思えば始めから糸使いはオレたちの対策をしていた、想定外ばかり起きる……納得したぜ。っあんたは国を売ったんだ!」

 

「……なんだと?」

 

 

 顔を上げていきなり激昂したレギンデッツの言葉に、ヒュースは反射的に殺意を抱いた。

 されど理性が追いついて、殺意を怒気まで抑えて言葉を返す。

 

 そんな彼の努力を踏みにじるように声を荒げてレギンデッツは続けた。

 

 

「敵のトリガーで擬態してまでオレに近づいた理由はなんだ!? 不意を突いてオレを倒し改めて玄界(ミデン)に尻尾でも振るつもりだったみてえだが、あいにくオレはあんたに気づいていた!」

 

「俺は」

 

「だから今更アフトのトリガーを見せて油断を誘った! その手には乗らねえ!!」

 

「…………」

 

 

 聞く耳を持たないレギンデッツにヒュースは口を閉じる。芽吹きかけていた希望が萎んでいくのを感じた。

 

 もともとヒュースは感情で先走る相手と相性が良くない自覚がある。特に激昂中の相手など、冷静に話ができるわけがなかった。

 

 それに売国奴のレッテルを問答無用で貼られたヒュースも、冷静な心とは程遠い。

 

 

「「捕虜を見つけても助けなくていい。いざとなったら始末していい」っておまえの上役から通達が来てんだ!! 国を売ったおまえに相応しい通達だぜ!」

 

 

 レギンデッツの言葉にヒュースは表情を無くした。冷たく、重いモノが胸に落ちてきた錯覚。

 

 ヒュースは言葉の真意を悟った。

 目の前で怒り狂うレギンデッツは嘘を吐いていない。それはつまり母国にヒュースが見捨てられたと同意義。国の為に個を切り捨てる必要性をヒュースは知っている。

 

 しかし、敬愛する主の方針がそうではないことも彼は知っていた。更にヒュースはエリン家所属の中でも優秀な功績を収めている。

 

 領内で随一のトリオンを保有しているエリン家の方針を知っていながら、それを反故にする理由とは何か。

 

 玄界(ミデン)に置いていかれ、驚愕するヒュースに烏丸が言ってきたことを思いだす。

 

 

「複雑な気分だな……けど、歓迎する。悪いようにはしない」

 

 

 ランビリスの欠片を弧月一本で捌ききり、本来ならば盾の一つであるエスクードさえも攻撃手段や足場として猛攻を繰り出してきた戦士の言葉に、ヒュースは疑問を感じずにはいられなかった。

 

 それも迎えに来た迅が己の副作用(サイドエフェクト)を明かし「お前はこっちに残って良かったと思うよ」と薄く笑ったことで有耶無耶となったが。

 

 国と主。どちらを選べと言われたらヒュースは迷わず主を選ぶ。

 つまりは───そういうことなのだろう。

 

 

「けどな!」

 

 

 無表情のまま思考に沈んでいたヒュースの意識は、レギンデッツの怒声に戻された。

 

 

「オレたちまで巻き込むなんざ許さねえっこのままアフトのクソ野郎どもに利用されたままで堪るか! おまえはオレが今ここで始末してやる!! テュガテール!!」

 

 

 戸惑いは既に怒りへと転換され、レギンデッツは己のトリガーを起動させた。背骨に似た形状で刃が幾つも連なった鞭が彼の右肩から伸びる。

 まずは己の間合いに追い詰めることを先決し、待機していたドグ・タキアへ指示を送って、散開させながら相手の動きを制限するように向かわせた。

 

 相手の怒りに呼応するように、ヒュースの心も敵意に満ちていく。

 だが目の前の男とは違って感情に囚われず、静かな怒りと戦士としての誇りを持って、己のトリガーを起動した。

 

 

蝶の盾(ランビリス)

 

 

 黒い破片の群れがヒュースの周囲に舞い翔んだ。

 どこか幻想的とも言える光景だが、相対した者にとって畏怖を抱かざるを得ない。

 

 

「う……ぐっ……!!」

 

 

 破片は容赦なくレギンデッツとドグ・タキアたちに殺到した。

 全身に突き刺さった破片と地面に刺さった破片が反応し、レギンデッツは地に這いつくばるしか出来ない。

 

 相手に不利益を与え、且つ攻防も兼ねたランビリスには、近距離武器だろうと中距離武器だろうと関係ない。そもそもヒュースは一歩も動くことさえなかった。

 

 ヒュースは冷徹を湛えた瞳で彼を見下ろし、ただ一言。

 

 

「貴重な情報提供、感謝する」

 

「……!!」

 

 

 一瞬のうちに破片を収束・形成させ、巨大な歯車をレギンデッツが目視した時には、既に彼の首が飛んでいた。

 あまりの不甲斐なさに悔しさを吐き出すことも出来ず、レギンデッツは新型トリガーで逃走するしかなかったのだった。

 

 それと同時に、民家の屋根に降り立った八神が現着する。

 ヒュースとの距離は約100mほど。彼女はヒュースとレギンデッツが居た場所を交互に見やって、小さくため息とも安堵とも判別出来ない息を吐いた。

 

 八神の存在に気づいたヒュースは顔を上げ、敵意がないことを示す為にランビリスを解除した。今では見慣れた玄界(ミデン)の服装で、屋根から降りて近づいてくる八神をその場で待つ。

 

 互いの距離が10mほどになったところで八神は足を止めた。

 

 ヒュースがトリガーを解除しているとはいえ、凄腕の戦士であることに変わりない。その気になればランビリスを起動してレギンデッツと同様に八神の首をはねることが出来る。

 

 だからこそ八神がこれ以上近づくことはないだろう、とヒュースは結論してその距離のまま"降参"を口にしようとした。

 

 

「!」

 

 

 しかしヒュースが声を発する前にそれは行われた。

 

 右手をトンと胸に当てる所作。

 つい先ほど陽太郎とも交わした"友好の証"。

 

 八神がスッと左手をヒュースへ向けた。まるで「そちらが"友好の証"を返す番だ」と言うように。

 

 なんとなくではあるが、ヒュースは玉狛支部の者らが近界民に対して甘過ぎるのは承知していた。玉狛支部所属ではない八神もヒュースに対して甘いことに変わりなかったが、流石に無条件でヒュースを受け入れるつもりはないらしい。

 おそらく、トリガーを解除しても信用出来ないが友との誓いを示すなら信用する、ということなのだろう。それでも八神は敵を見るような目をしていないのだから、ポーズであることが丸わかりだった。

 

 内心で苦笑をこぼし、そう解釈したヒュースは躊躇うことなく右手を動かし───

 

 

「なっ!? っっ!!」

 

 

 完全に不意を突かれた。

 

 生身の胸を撃たれ、耐え難い激痛は不意を突かれて緩んだ精神に直撃し、呆気なくヒュースは気絶した。

 

 八神は声も無くバタリと倒れたヒュースを注意深く見つめ、ライトニングの銃口を下げて立射姿勢を崩すが、警戒を解かないままヒュースへ近づいていく。

 

 

『本部、こちら八神。捕虜を発見。トリガーのセーフティー解除許可を願います』

 

 

 

 




・ガロプラ側の訓練用トリガーへの描写
原作1巻(2巻含)にて三雲が無断でトリガーを使用しましたが、その後は現場を詳しく調べてから『トリガー反応を検出』しています。このことから訓練用トリガーは正式なトリガーとは違い、出力が小さくすぐには判別がし難い。正式なトリガーとは違う照合方法があると独自解釈しました。
今回ボーダー側が判別しているのは拙作の第二次大規模侵攻にてC級と連携をしていたので、訓練用トリガーも積極的に拾うようプログラムが組んであったからです。


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後方の自覚

三人称


 

 

 

 ヒトは強い力を持つと気が大きくなる。

 この力とは、武力だけを指すのではなく、財力や周囲の人間関係なども例として挙げられる。

 

 そのため武器という形状上、トリガーによる暴行が起こらないとも限らなかった。それも扱っているのは未成年者ばかり。危惧して然るべきである。

 

 因って、ボーダーのトリガーには、生身への傷害防止にセーフティーが設定された。

 ただ「セーフティーがあるから斬ったり撃ったりしても大丈夫」と安易に捉えられては本末転倒。故に、当初のトリガー説明の際に「無闇なトリガーの使用は禁ずる」とだけ加えられているのだ。

 

 セーフティーが設定された状態で斬られた、もしくは撃たれた場合は、外傷はなく激痛だけが走る。その激痛が気絶するほどの、という注釈が入るので危険には変わりない。

 

 セーフティーについては改めて周知されることでもないが、隠されていることでもない。

 訊かれたならば説明をし、戦闘面で悩んでいるならば説明をするという方針だ。トリガー技術漏洩を防止する意味でも、一般人や組織内でのいざこざにトリガーを用いられて傷害沙汰となるのをとにかく防ぐ為の措置。

 

 現在のボーダー隊員の半数以上が「高性能なゲーム感覚」であるが、中には「ゲームでも恐ろしい」と考える者もいる。他者へ武器を向けることに忌避を覚えることは道徳的に正常だ。

 

 だが、悲し哉。近界(ネイバーフッド)と争っている現状では武器を持たねばならない。

 

 強い武器を、優秀な性能の武器をと、開発者たちは日々研究に明け暮れているのだ。

 彼らは前線に立つ若者たちを守る為に。

 命を守る為に。

 

 そのはずだった。

 

 

「───っ!!」

 

 

 モニター越しに突き付けられた現実に、今回の任務の為に集められていたエンジニアの半数が絶句して作業の手を止める。

 

 八神が何をしているか理解をしたくなかった。

 

 近界民(ネイバー)に法律は適用されない。それは解っているが、同じ知能を持ち言葉を交わせる生き物を"非人間"と断ずるのは難しい。

 憎悪や嫌悪を持っているならばあるいは───。

 

 絶句した半数は第一次大規模侵攻を経験していない者やあまり恨みを持っていない者、中途半端な正義感を持った者などが当てはまる。

 

 そう、彼らは覚悟をしていなかった。理解していなかった。

 

 自分たちが誰かを殺せる武器を作っていたことを。

 武器を持たせていたことを。

 ゲーム感覚は自分たちも同じだったことを。

 

 第二次大規模侵攻にて敵が仲間であるエネドラを殺した時、ほとんどのエンジニアたちは避難を済ませ、事後報告としてそれを聞いた。その際は「近界民はこわいな」という他人事で終わり、新しい技術知識に飛びついて深く考えなかったのだ。

 

 己と味方を守る為に、敵を害する必要がある。

 それを知識として知っていても、目の当たりにすることはないと心のどこかで高を括っていた。

 

 だからこそ、セーフティー付きでも撃ったことを驚いているのに、解除して撃とうとする八神が受け入れられない。

 

 

「何をしているんですか。まだ解析は終わっていません。手を動かして下さい」

 

「っ」

 

 

 円城寺の鋭い声に、絶句していた者たちがビクリと肩を震わせた。

 次いで自分たちの重要な役割を思い出して手を動かし始めるが、作業のスピードは遅い。

 

 円城寺の隣で作業していた1人が彼女へ問いかけた。

 

 

「貴女は八神の行動をどう思うんだ? 恐ろしいと思わないのか?」

 

「全然。むしろあれくらいの覚悟がないと近界でどう戦うんですか。それに半端な覚悟を持った人に、自分の開発したトリガーなんて渡したくありませんから」

 

 

 円城寺のキッパリとした答えに、問いを投げた1人は困ったように眉尻を下げた。

 

 八神が主に使う改造スパイダーと繰糸(そうし)の開発は、提案は八神自身だが、きちんとした設計と調整は円城寺が請け負って完成させたトリガーである。決して攻める為のトリガーではないが、戦場で使用する以上は武器だ。

 

 円城寺はオペレーターを経てのエンジニア転属だったがきちんと経験を糧に、戦闘員からエンジニアへ転向してきた寺島とはまた違う観点から隊員をバックアップし続けている。

 

 周りで聴いていた者たちの中には肩を縮こまらせた者が複数。彼らの胸中には『自分たちは何と戦っていたんだ』と後悔が浮かんでいた。

 

 ボーダー組織内には派閥がある。

 開発室は室長の鬼怒田が城戸派なのでそれに追従する者がほとんどだ。もともと研究ばかりで俗世に疎く、開発出来ればそれで良いみたいなタイプの人間ばかり。派閥の主張に心から同意している者は実際のところ少なく、流れに身を任せていたら派閥に属していたという者が全体の8割を占める。城戸派筆頭の三輪が聞けば激怒間違いなしの集団だ。

 

 それなのに、いつの間にか所属派閥を重視するようになっていた。三門市に住む市民たちと同様に、疑似的な平和である現状に慣れてしまったから。

 無意識に刺激を欲して、内部で対立関係が始まっていたのだ。

 

 ───敵は"誰か"。

 

 第二次大規模侵攻にてその"誰か"という虚像が"近界民"へと軌道修正されるはずだった。

 されど、玉狛支部に隔離された捕虜の扱いは甘く、開発室へやってきたエネドラは重要な知識として納得され、はっきりと"近界民が悪"と断ぜられる者は少なかった。

 

 結局、"誰か"は"誰か"のまま内部の対立は停滞し始める事態へ。戦闘員と同等に貴重な技術者たちの停滞である。

 

 八神の行動はその停滞に一石投じるものだった。

 

 強制的に事態を認識させ、初心へと立ち返らせる。所謂ショック療法に似たものだ。

 

 もともと八神は所属派閥と役割から、組織内で特殊なポジションに立っている。もしも他の者がこうして組織を蜂起させる(メスを入れる)ような真似をした場合、派閥内でも分裂が起きかねなかった。

 

 それを今更ながらに理解して、ほとんどの職員が内心で冷や汗をかく。

 

 近く大きな遠征を予定している現在、内部崩壊など以ての外。そして主力が遠征へ向かっている最中に、緊急事態が起きてしまえばバラバラの方向を向いたままの組織で対応しなければならないところだった。

 表立って戦うのはもちろん戦闘員だが、後方支援が万全でなければ年若い彼らを早々に無駄死に(緊急脱出)させてしまうだろうことは想像に難くない。

 

 八神の行動は危険な行為であることに変わりないが、組織のことを考えての行動だとエンジニアのほとんどが理解を示した。

 

 ヒュースに銃口を向けているがきっと本気ではないのだろう、相変わらず無茶をする、と苦笑を零した者が大半。戦略に疎い者は、()()()()しか読み取れなかった。

 

 次いでまたもや驚きの光景がモニター映像に映し出されたが、混乱はしてもエンジニアたちの手が停まることはなかった。

 

 

 



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革命の産声

更新が遅れて申し訳ございません。
※進行上に必要だと結論し、強めのアンチ要素を入れています。しかし原作を批判しているわけではなく、拙作だからこそのアンチ要素となっています。作者はきちんと原作こそ正道だと理解しています。


三人称


 

 

 ヒュースの単独行動は事前に伝えられていた作戦の1つだった。迅と八神が想定し組み立てた作戦である。

 しかし"どこで、どのタイミングで"などの細かなことはぼかされ、一切伝えられていないことを上層部は今更ながらに気付いた。

 

 ()()()が起こるなんて()()考えなかったのだ。

 それは「信頼しているから」とも言えるが、傍から観れば「依存」とも捉えられる。

 

 迅の予知も八神の策も万能ではない。それは全員が承知していた。

 

 だが珍しく迅が予知の内容を話したことで、()()の二文字は彼等の意識から消えていたのだ。もともと迅は未来視で得た情報を確定だろうと不確定だろうとそう簡単に口にする人間ではない。

 

 だのに何故、今回の作戦に限って口にしたのか。

 ボーダー組織を裏切るような真似をする2人ではないが、情報を隠した意味は何なのか。

 

 瞬時に見抜いてくれそうな人物はその場に揃っていない。

 

 開発室は円城寺による補足と理解への誘導で早々に立ち直った。それに対して司令部も中央オペレータールームも、八神の申請によって降りかかった突然の重い判断に騒然としたまま。

 

 無理もない。

 セーフティー解除は言い換えれば、"射殺許可"だからだ。

 

 

『なにっ!?』

 

『は、ちょっと待て!』

 

『何を言ってるんですか!?』

 

 

 上司たちの戸惑いを通信越しに聞きながら、八神は早足気味にヒュースとの距離を詰めた。

 そう時間を掛けることなくヒュースを足元に見下ろした八神は、何の躊躇いもなく銃口を彼の側頭部へ向ける。

 許可が出た瞬間、撃ち抜けるように。

 

 

『りょーかい』

 

『ば、バカ者!!』

 

『あ』

 

 

 そこで騒然としていた通信の向こう側から、冬島の抜けた声と鬼怒田の罵倒が八神の通信へと届いた。

 

 

「待って」

 

 

 空気がぐわりと動いた途端、固い声が制止をかけた。八神には聞き慣れない色を乗せた音である反面、聞き慣れた声。

 

 八神がそれに対して何かしらのアクションを起こす前に、伸ばされた手がライトニングの銃身を引き、銃口は地面へとズラされた。

 腕を辿って目を動かせば、感情の見えない青と黒の視線がぶつかる。

 

 

『──』

 

 

 通信越しから誰かの息を呑む音が2人の耳へ届く。

 

 

「ヒュースは玉狛支部預かりの捕虜だよ。そっちにヒュースをどうこうする権限はないだろ?」

 

 

 表情の失せた八神に、迅はうっすらと口角を上げてみせた。それを受けて八神は静かに目を伏せる。

 

 迅に先ほどの申請は聞かれていない──彼は直前まで冬島と連携して格納庫(ハンガー)前で戦闘を行っていたので、冬島隊経由だとしても八神側の状況を告げる必要がなかった──はずだが、銃口を突きつけている現場を見れば明白。

 それ以前に未来視で()っていたならば隠す意味はないだろう。

 

 

「迅隊員、その手を離せ」

 

「玲……?」

 

 

 八神の反応に迅は戸惑いを見せた。

 

 そして、それは事態を見守っていた上層部も同じだった。

 

 普段から2人は下の名前で呼び合っている。基本的にボーダーは所属隊員の年齢層が未成年者ばかりでそこまで言葉遣いや上下関係等に厳しくない。公式の場、と言っても表舞台に出るのは上層部の数人か経験を積んだ嵐山隊あたりが担当するため、所属隊員が堅苦しく"~隊員"と呼ぶのはランク戦実況・解説くらいだ。戦闘でも呼びやすいよう普段の口調と同じ隊員が多い。

 更に迅と八神は恋人関係。

 プライベートは勿論、任務でも阿吽の呼吸で遠・中・近距離の戦闘をこなし、敵が集団だろうと2人が揃えば無傷で殲滅出来ると言われるだけの実績がある。付き合った初期から「リア充爆発しろ」「もうお前ら結婚しろよ」「むしろ式場が来い」と周囲が悶えるほど甘い空気を漂わせる2人だ。

 

 だのに、なぜいきなり堅い呼び方をするのか。

 

 そこで上層部に、ある懸念が浮かぶ。迅の反応からして八神の勝手な行動ではないか、と。

 ここ最近、2人の間が冷めているという根も葉もない噂が出回っている。しかしこれまでも何度か嫌がらせ目的でそういう類の噂は立っており、2人を良く知る者たちはそれを真に受けていなかった。

 だが、今回はその噂が本当なのでは、というほど迅と八神の間に甘さがない。

 

 しかし上層部はそれも思い直す。

 八神は作戦立案時や敵の目を誤魔化す時など、ここぞという場面で口調を変えることがあった。迅の反応には疑問が残るものの、今回の作戦は2人が考えたはず。

 

 狙いがはっきりせず混乱は治まらないが、それでも事の成り行きを見守ることとした。

 

 

「作戦に利用出来ないのなら情報を吐かないそいつに価値はない、と貴方には伝えたはず」

 

 

 他の戸惑いを気にかけることなく、声に冷たい温度を保ったまま八神は確固たる意思を示すように迅を睨んだ。

 

 

「ダメだ」

 

「そう」

 

 

 理由を言わずただ首を横に振った迅に、八神は睨むのを止めてライトニングから手を離した。

 

 迅の左手の中に残されたライトニングは質量を無くし、瞬く間に姿を消す。そして一歩退がった八神の手には、新しいライトニングが納まっていた。

 

 1秒も経たず立射姿勢を調え、ピタリと銃口が定まった途端。

 

 実にお手本とも呼べる綺麗なフォームで、何の躊躇いなく引き金が三度、引かれた。

 

 だがこの近距離にもかかわらず最速を誇る弾丸は、迅がいつの間にか抜いていた風刃によりすべて叩き斬られて終わった。

 

 それを認める間もなく八神は更に距離を開け、スパイダーキューブを辺りに漂わせる。されど射出する寸前に遠隔斬撃がキューブをすべて破壊した。

 

 中途半端に伸びたスパイダーが地面に落ちる。

 

 互いに隊務規定を違反した形だが、それだけどちらも譲らないと言外に示しているのだ。

 

 

「ヒュースを殺すより生かす方を、本部だって選んだはずだけど?」

 

 

 風刃の刃の帯を揺らめかせながらそう言った迅に、八神はため息にもならない小さな息を吐いて顎を引いた。

 

 

「利用価値があるのなら、ね。玉狛とは違って無条件に受け入れたわけじゃない」

 

「これから示すよ」

 

「情報を吐いてくれるの?」

 

 

 ライトニングの銃口を向けたまま疑問を口にする八神の行動は脅迫じみている。

 

 

「そこまでは分からないな」

 

 

 風刃を右手で握り、薄い笑みを浮かべて小さくおどけて見せた迅だが、青い瞳は注意深く八神を視つめる。

 

 対する八神はその視線を真っ向から睨み、立射姿勢を崩してライトニングを消した。

 

 凄腕の攻撃手(アタッカー)である迅に挑んでも、八神には勝ち目がない。

 ただ、迅に八神を倒す意思は見られなかった。倒そうと思えば一閃で終わるはずなのに、説得をしている。

 

 ヒュースの行動はボーダー側が誘導した作戦行動とは言え、その作戦に利用出来なくなったことがつい先ほど判明した。つまり説得を選んだ迅も、価値が落ちた脱走兵であるヒュースを庇うことは、空閑を庇っていた時とは訳が違うことを自覚しているのだ。

 

 いつもの流れならば「俺のサイドエフェクトがそう言っている」と宣言すれば良い。

 だが、それをこの場で言うつもりは迅になかった。

 

 少なくとも彼は八神の()()の概要を相談され、必要性を理解し賛同している。そして己の通したい主張や未来への布石も、既に組み込んだ後だ。

 

 ボーダーは完璧な組織構成ではない。その一つの事柄に、八神は踏み込んだ。

 

 これまで迅は上層部からの厚い信頼と、旧ボーダー時代から積み上げてきた実績をもってサイドエフェクトを利用してきた。このスタンスはこれからも迅自身変える気はない。

 

 だが、第二次大規模侵攻にて加えられた実績のとある一つが、周りに疑いの目を持たせてしまっていた。

 

 いくら未来視(サイドエフェクト)でヒュースの有用性を示したところでそれは迅の見方であり、本当に組織の為になるかは解らない。

 そして何より迅は私情で動くことを、動けることを、あの第二次大規模侵攻の最後で示してしまった。恋人を救う為に行動してしまったのだ。

 

 事情を知る人間からして見れば「当たり前であり仕方がない」と言われるだろう。

 

 しかしこれまで迅のサイドエフェクト(未来視)に何度も左右されてきた組織としては、それは全面的に信頼を預けることは出来なくなった結果でもあったのだ。

 

 

「アステロイド、スパイダー」

 

 

 二種類のキューブが八神の周囲に浮かんだ。一見するだけではどちらのキューブなのか判らない。

 

 

「貴方を否定するわけじゃない、私が言う資格もない。でも情報があるならばそれが私の役割だから、思考停止は許されない。組織の方針と立場に従って、必要なことを必要な時に行うよ」

 

「ははっ、それがヒュースの処分? 玉狛の方針も忘れてもらっちゃ困るなぁ」

 

 

 分割されてバラバラと散らばり始める小さなキューブに、迅は視線を流して未来の攻撃を追う。

 

 

「ごめん、少し違う。私は()()()だからね。組織全体のために動くことが契約だ」

 

「……そういうことか。やっと本当に作戦を理解した、かも。俺を騙すって玲も強引すぎない? ちょっとショックなんだけど」

 

 

 迅の浮かべていた笑みが僅かに強張る。

 

 明確に所属派閥を出されたことで、八神がどういう動きをしたいのか察した。最初からこの問答も行動も、互いへ向けた言葉は一部しかない。

 

 

「そもそも1人の人間に依存した組織運営のまま大きくなったことで拗れたんだ。新しい成長の兆しとして喜びなよ」

 

「うん……とりあえず、玲と対立することになって複雑な心境かな」

 

 

 未来を読み終えた迅が、再び八神に視線を戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦を先導していた2人が睨み合う形となり、混乱に騒然としていた上層部だが、徐々に各々の役割を思い出し落ち着きを取り戻し始めている。

 

 格納庫(ハンガー)前での戦闘は既に決着し、細かな傷を全員負っているものの誰一人欠くことなく勝利に終わった。

 

 迅と八神が対峙するような事態へ陥った経緯の原因は、内部戦闘のサポートに徹していた冬島がホッと一息ついたところで、迅の『玲のところに飛ばしてくれ!』という申請にある。

 サポートすることに集中していた冬島は条件反射の如くそれに応え、結果、近界民(ネイバー)交流を謳う玉狛派の迅が八神の前に投入されてしまったのだ。

 

 

『そもそも1人の人間に依存した組織運営のまま大きくなったことで拗れたんだ』

 

 

 通信越しに聞かされた八神の言葉に、忍田はグッと言葉を詰まらせた。

 

 ボーダー組織が全面的に出しているスタンスでは、近界民(ネイバー)は悪であり倒すべき相手だ。これに因れば八神の行動は組織に従った形となる。

 

 ただし、ボーダー本部基地を建設してからこれまでの4年間の中で、幾度かこのスタンスを曲げていることがあった。

 それが迅の未来視(サイドエフェクト)が関係していた時である。

 事情を知らない隊員や職員が首を傾げるタイミングで打開策を出したり、これまでと一転した行動を起こしたりと、ほとんどの事柄が結果的に善い方向へと繋がった。

 

 ボーダー組織が一枚岩ではないことは忍田も八神も重々承知している。

 それでもいざ戦闘になれば一致団結して敵を打倒することが出来ると、これまでの4年間が証明してきた。

 

 だが、それは第二次大規模侵攻にて少しだけ事情を変える。トリオン兵ばかりだった敵に近界民が現れたからだ。

 そしてボーダー組織として異質な立ち位置だった玉狛支部の行動。彼らが主張通りの行動を起こしたことで、組織に疑念が浮かび始めるのを止められなかった。

 

 ちぐはぐに固まり、どちらへ向かうべきなのか下の者たちが方向を見失い始めた組織。

 

 そんな中、第二次大規模侵攻で迅が私情を挟んだことが話題に上った。しかし人間が機械になれるわけもない為、上の立場にいる者であるほどそこまで深刻に見ていなかったのも事実。

 

 大きな力(未来視)に、組織はゆっくりと思考停止していたのだ。

 迅が居なかった頃、まだまだ小さな組織だった頃はどうしていただろうか。

 

 忍田もこれまでの組織方針が迅のサイドエフェクト頼りだったことを否定出来ない。彼の中にも「迅が未来視でそう言うのならば」という考えがあったからだ。

 

 彼自身、現在の地位に就く前は感情で動くことも多かったため、第二次大規模侵攻での迅の行動も肯定的だった。あの時、改めて迅の優しい人間性を感じたと同時に、年相応の行動だと嬉しく思ったのだ。

 今回の事前会議でも、昔から副作用(サイドエフェクト)によって行動を隠し、言葉を濁すことが多かった少年がやっと堂々と宣言出来るような場が調ったのだと。

 だが迅が口を閉ざす傾向になったのは、副作用(サイドエフェクト)だけが要因ではないのかもしれない、と忍田は考え至った。

 迅の発言は否が応でも"未来"を意識せざるを得ない。

 現に何度となく組織は迅の誘導に従って未来への最善手を捜したことがあった。だからこそ迅は己の能力が組織へ与える影響力を危惧し、自ら口を閉ざすことを覚えたのではないだろうか。

 

 忍田は自己嫌悪に顔をしかめた。

 

 救える数と救えない数の審判を1人の人間に、それも未成年に押し付けていたのだ。いくら当人が役割を受け入れていたとしても、気づいてしまった忍田は以前のようには考えられない。

 

 更に八神は己を中立派だと宣言した。その事から、八神の独断のように思えた迅との対立に多くの者が納得する。

 

 中立派は組織運営の為に作られた派閥と言っても過言ではなく、全体の情報をまとめて内部情報の均整化を図ることが主な目的だ。

 いったいいつから出来たのか正確には不明だが、少なくとも2年ほど前から噂され、1年前の頃には八神が代表の所属人となり動いている。特殊な成り立ちと構成から派閥の壁は存在しない為、ボーダーで最も内部事情を把握している派閥だ。

 

 『成長の兆し』とはよく言ったもの、と幹部たちは呻く。

 

 八神は組織全体が迅のサイドエフェクト頼りであることに疑問を持った瞬間を見逃さず、自覚を忘れていた上層部へ問題を叩きつけたのだ。

 

 おそらく八神は今回の作戦を提案する折から、組織の意識を研磨させると同時に、今一度内部の統制を見直せる好機と狙っていた。

 そして迅に対しても、背中を押しているのかもしれない。

 

 いきなり迅を作戦中枢部から切り離すことは不可能だが、現在の立場に甘んじている彼ならば徐々に組織から独立させることが出来ると、組織と迅へ脅しているのだ。そして、少しでも迅の行動選択が広げられるように。

 

 迅の能力は上の役職に居ながら自由に動けることが最善である。

 そういう意味では丁度良いポジションを戴いていた彼だが、組織の一部にしか容認されていない不安定な立場だ。それでは第二次大規模侵攻の際と同様のケースが起こった時、不信感が募ってしまう。

 組織が大きくなるにあたって、相対する未来の事象も大きなものばかりだろう。独りで動いてきたこれまでと同じようには対処できず、必要以上の責任を負って心が潰れてしまう可能性を八神は考え、行動を起こした。

 

 第二次大規模侵攻で多くの戦闘員に転機が訪れたように、ボーダー組織も──敵ではなく味方によってだが──転機を迎えている。

 

 

「あー……すんません。どう収拾させます?」

 

 

 唸る上司の面々へ冬島が気まずそうに問いかけた。迅を投入したのが己である負い目があり、頬を掻く。

 

 

「というかセーフティー解除申請って」

 

「そうだった! だが今は迅を相手にしとる。なら、解除はせんぞ!」

 

 

 誰もが忘れかけていた混乱の起因を思い出し、鬼怒田は慌てて首を横に振る。

 

 冬島はそれを受けて隊の回線から八神へ伝えるのだった。

 

 

 



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思惑×思惑

三人称


 

 射程を落とし威力もそこそこに、弾速特化へ調整されたアステロイドを捌くことは、流石の迅も骨が折れた。常ならば最低限の弾だけ防ぎながら反撃へ出ることを可能とする迅だが、現状では背後のヒュースを狙う弾をも防ぐ必要があるのだ。 

 

 格納庫(ハンガー)前の戦闘状況と似ているが、標的(ターゲット)を守ってくれる仲間はいない。 

 

 

「よっと!」 

 

 

 意識の無いヒュースを左肩に担ぎ、右手の風刃で最低限の弾だけを斬り払っていく。

 

 トリオン体故に重さはさほど負担にはならないが、迅の身軽さを殺す選択だということは一目瞭然。迅はノーマルトリガーのスコーピオンを開発提案するだけあって、どちらかと言えば速度と技術重視のスタイルだ。 

 

 真っ直ぐ飛んでくるアステロイドの弾道は読み易いが、数が多くてはそれだけ未来の分岐が起こり面倒極まりない。

 

 迅の中を瞬間的に駆け抜けていく未来を掻い潜り、とある攻撃(分岐)を避ける為に体を捻ろうとしたところでヒュースの足がスパイダーに引っ掛かる未来が視えた。 

 避けることを諦めた瞬間、雪だるまのように重ねられたキューブの群れが視界に飛び込んでくる。 

 

 

「容赦ないなぁまったく」 

 

 

 返事を求めていない呟きを零した迅は慌てることもなく、八神に向かって思いっきり地を蹴った。

 人ひとり抱えているとは思えないスピード、且つ真っ直ぐに飛ぶアステロイドに向かって駆けるなど普通なら有り得ない。 

 

 その様を見て、一瞬だけ八神の視線が揺らいだ。 

 

 射出後に弾道は変更出来ず、標的を失い調整で射程を落とされていたアステロイドは宙に霧散する。上に置かれていたスパイダーが、迅から離れた後方で軽い破裂音と共にワイヤーを張った。

 

 一発も掠ることなく弾丸の群れとすれ違った迅は、低い体勢を利用して素早く己の背中側へヒュースを降ろす。

 そして、動きの流れを正面に置いた風刃へと終息させた。 

 

 間髪入れず刀身の腹とイーグレットの銃口が衝突し、姿勢を保ったまま受けた迅は八神が引き金を動かす前に真上へ弾く。 

 

 両腕で銃身を握っていた八神の体が軽く伸び上がったが、それを機に彼女は2歩後退した。

 

 されど迅が一歩踏み込んで高さの上下が逆転。

 八神は振り下ろされる風刃を見て引き戻したイーグレットを盾にするも、呆気なく銃身は両断された。 

 

 だが、トリオン体まで刃は至らない。 

 

 

「玲がこんなに早く接近戦を選ぶの珍しいね。焦った?」 

 

 

 八神はシールド強度のスパイダーを両指の繰糸に接続し、三重の盾として風刃の刀身を受け止めていた。

 揶揄うような口振りの迅だが、風刃の柄をじわりと捻る様子に油断など微塵もない。

 

 

「…………容赦ないの、そっちだからっ」

 

 

 余裕が目立つ迅に対し、八神は口を開くのに幾分か間があった。 

 

 左中指が欠けている上、力み難い指先──いつもならば手に一巻きして拳の形に握りこむことで負担を減らし、受け止めるよりも"逸らす"ことを優先していた。──では振り下ろされた刃を正面から受け止めることも至難の技。

 そして()()()受け止め難いよう調整されて振り下ろされた刀身には光の帯が複数揺らめき、威嚇するかのように八神の頬を撫でる。

 

 ギチリッと鳴くスパイダーと風刃を挟み、迅は未来視ではなくしっかりと眼前の八神を見た。うっすらと冷や汗を浮かべて睨む彼女の焦りようは、ほんの少しだけ迅の溜飲を下げた。 

 

 それからこの至近距離にいる八神だけが拾える声量で話しかける。

 

 

「色々と言いたいことがあるけど時間がないから後にするよ。ヒュースを回収させたってことはここから作戦通りだろ?」 

 

「……うん。意図が通じてないかもってちょっと焦った」 

 

 

 遠隔斬撃を飛ばされたらどうしようかと、と内心で呟いた八神だったが、余計な言葉を削ぎ落として告げられた次の内容に気を引き締める。本当に時間が無いのだ。

 

 

「こっからは俺に合わせてほしい」

 

「わかってる」 

 

「このまま玲は背後から左脇腹に一突き、左腕が落とされるよ」

 

「了解。壁は任せて。仕込みをよろしく」 

 

 

 八神の視線がサッと迅の背後に転がされているヒュースへ向かい、すぐに迅と目を合わせる。 

 他人が聞けば端的過ぎる言葉合わせだが、2人にとっては十分だった。 

 

 グッと風刃が押し込まれ、八神の足が後ろへ数cm退がる。 

 

 

『八神、セーフティー解除は却下だ。迅との戦闘も止めろとさ』 

 

 

 その時、冬島による中央からの命令が2人の通信へ入った。それを受けて八神は口を開く。

 

 

『警告!』

 

「っ」

 

 

 しかし八神は声を発するより奥歯を食いしばり、左脇腹を貫くブレードからの衝撃を耐えた。

 そのブレードは迅の右腕まで及ぶも、彼は一歩引くことで難を逃れる。迅の踵にヒュースの体が触れた。

 

 八神の背後には(ゲート)が開いており、そこから1体のラービットが飛び出してきたのだ。

 

 頑強な両腕を持つ変わらない出で立ち。だが、左手にはマチェットに似たブレードが握られ、今まで相対してきたアイドラたちとは違い、ブレード自体が別のトリガーだと判るだろう。

 ほぼトリガー使いと同様の風体となったラービットは、八神の左脇腹にブレードを生やしたまま右手で彼女の右肩を掴んだ。

 

 ガパァッ!

 

 トリガーを装備している他に変更はないのか、ラービットは第二次大規模侵攻と変わらない動作で腹の装甲を開き、触針を八神へ伸ばし始める。

 

 本部から流れてくる焦った通信を、八神と迅は意識的にシャットアウトさせた。

 最低限の情報だけを拾うように意識を切り替えた、とも云える。完全に切断したわけではなく、長く前線に身を置いていたが故の技術の一つだ。

 

 

───いくよ。

 

 

 声もなく、そう目の前の迅へ伝えた八神。

 危機が迫っているというのに彼女の表情に動揺はない。そして背後を振り返ってさえもいなかった。

 

 真っすぐに見つめる八神の視線に射抜かれながら、過る未来(最悪)を振り払って迅は微かに頷く。

 

 触針がトリオン体に触れる寸前、八神は思わせ振りに左腕を動かした。

 途端、設定された動きか、はたまた操作主の意思か──

 迅が風刃の切っ先を下げ、腰を落として八神の陰に入る。

 ──ラービットは触針を動かすよりも先に、手を動かすことを選んだ。

 

 

『───! ──‼?』

 

 

 意識から除外された情報()が2人の通信へ訴える。

 

 八神のトリオン体は迅が宣言した通り、嘘のような滑らかさで左脇腹からそのまま左肩へブレードが斬り上げられた。

 

 肉体を引き裂かれる不快さを僅かに覚えながら、八神は両指の繰糸に繋げたままのスパイダーを操る。

 

 口を開き、悲鳴ではない言葉を発した。

 

 

「繰糸」

 

 

 落とされた左腕を背後へ投げつけるも、ラービットは流れるようにブレードでそれを払った。

 

 2度目の音を発する。

 

 

「繰糸」

 

 

 だがすぐにそのブレードは翻り、ラービット自身の右前腕へ突き立てられた。装甲を持つ腕にブレードは呆気なく弾かれるが、それでも八神の拘束は一瞬だけ緩む。

 姿勢を一瞬だけ落とした八神は右肩を解放し、左側へほとんど倒れるように伏せた。

 

 八神が地へ伏せる間際に迅の風刃が振り()()()

 纏っていた11本の光の帯は消え、すっきりとした刀身を顕わにしていた。

 

 刹那、10()本の斬撃がラービットを襲う。

 

 先のトリガー使いと同じくサーチシールドが発動するも、伝播した斬撃は数本ずつ束ねられていた。

 それを認識したとて、自動に発動した直後ではどうすることもできない。発動したサーチシールドは役目を果たすことなく簡単に割れ、ラービットの核をあっさりと斬り裂いた。

 いくらガロプラのシールドが高性能だろうと、シールド自体の造りは似たようなものだ。範囲を広げれば脆くなり、数を増やしても脆くなる。迅は格納庫(ハンガー)前の戦闘でそれを確認し、風刃の斬撃数と集中度を調整していた。

 

 ちなみに他の隊員たちも、先んじて近界民(ウェン・ソー)と戦闘していた那須隊からドグのシールド強度情報を受け取っており、そこから敵全体のシールドを看破して殲滅速度は着々と上がっていた。

 

 最終的に()()()()()()()()()を辿ったラービットだが、最期の足掻きとばかりに迅へブレードを投擲し、触針を八神へ伸ばす。

 

 それで一つの戦闘は決した。

 

 

「はい、確定」

 

 

 ぼそりと呟いた迅の言葉を離れた八神に拾えたわけでないが、地面に伏せていた体をほんの少しだけ捩った。

 

 さっきまで八神の体に隠されていた地面。

 

 11本目の斬撃が八神の横スレスレから飛び出した。

 

 

「さすが」

 

 

 迅と八神は同時にその言葉を零した。

 八神は迅へ、迅は八神へ。互いに贈った賛辞は同じ音に掻き消され、結局互いの耳に届くことはない。

 

 壊れたばかりのサーチシールドが新たに展開し、八神とラービットを隔てた。もちろん1本だけの遠隔斬撃でサーチシールドは破れない。ただ、邪魔をするだけで良い。

 

 迅は投擲されたブレードを弾き、踏み込み、己に可能な最速の動きでラービットにトドメを刺した。

 

 

「よしよし、作戦成功っと」

 

 

 風刃をホルダーに納め、(ゲート)に吹っ飛んで行ったラービットの残骸を見送って迅は得意げに笑って八神へ顔を向ける。

 

 

「……あのさ、()()で大丈夫?」

 

「いやー、うん。ごめんね」

 

 

 未だ地へ倒れたままの八神へ手を差し出し、わざとらしく困った顔を作った迅に、彼女の眉間に皺が寄った。

 

 

「まさか」

 

「ちゃんと仕込みはしてるって」

 

「それなら良いけど。でも……」

 

 

 残っている右手を迅の手に重ねて上半身を起こした八神が言葉を続けようとして、咄嗟に口を噤む。迅が何か告げようとしたのを察したのだ。

 

 相変わらず察しの良い彼女に微苦笑を浮かべて、迅は繋いでいた八神の右手をギュッと握ってから手を離した。

 

 

「俺は玲じゃなくて、メガネくんの成長に賭けることにした」

 

 

 迅の言葉に八神は、一拍の間を置いて目を丸くする。

 それから少しだけ目を伏せてからジト目で迅を見上げた。

 

 

「……そう。じゃあ、この時点で私はとっくに退場してる予定だったけど、それについては?」

 

「…………」

 

 

 八神の問いかけに迅はジッと彼女の黒目を見つめて、表情を隠す為の笑みを浮かべた。

 たとえ彼女にその行為が通じなくとも、迅自身の口からはっきりと出したくなかっただけだ。

 

 代わりに出したのはこれからのこと。

 

 

「でも他のことは玲に任せるよ。あと、いいものを持っていくからヨロシク」

 

「は?」

 

「いいものについてはもう確定しちゃったからさ。作戦ズラして悪いけど玲なら調整してくれるって信じてる。あと、色々お互いさまってことで」

 

 

 曖昧に濁しながら笑む迅に流石の八神も真意を汲み取れず、困惑の表情で首を傾げた。

 次いでトリオンもロクに残っていない、バランスの悪い体を立ち上がらせようと動かそうとして。

 

 

『戦闘体、活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 

 八神のトリオン供給器官が破壊された。

 

 

「なんだと!?」

 

 

 驚きの声を上げたのは迅でも八神でもなければ、ヒュースでもない。

 

 ラービットが所持していたブレードと同じ物を握った、()()()レギンデッツだった。

 

 

 

 

 




※作者はスランプとコサックダンスで呼吸しているような状況なので更新は不定期に突入します。


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第一段階、確信


三人称


 

 

 

 ガトリンたちが進行していた『遠征艇の破壊』が失敗した今、第二の作戦目標である『糸使いの捕虜または無力化』を優先しなければならなかった。

 

 それなのに一切役目を果たすことなくあっさりと倒された己に、レギンデッツは遠征艇内の床を殴りつけて憤る。

 

 しかし、勝機はすぐさま訪れた。

 

 迅と八神が捕虜を巡って敵対した時、一足先に戻って来ていたコスケロは迷うことなくラービットの投入を決めたのだ。

 ラービットにはもしもの為にヨミが操作できるよう改造が施されており、加えて個別トリガーであるブレードとサーチシールドを装備させて送り出す。トリオン兵3体分の操作にヨミが指を若干鈍らせたが、それも数秒のこと。

 

 レギンデッツと同じタイミングで戻ってきたガトリンたちは外部での攻防指揮は副隊長のコスケロに任せている為か、内部でのやり取りに思考が偏っていた。

 ───ここでもし、ガトリンが風刃から受けた結果を帰還早々に伝えていたならばラービットの末路は変わっていただろう。

 

 糸使いの片腕を切り落とすことに成功するも、喜ぶ間もなく呆気なく倒されたラービット。

 

 それをモニター越しに観たレギンデッツはトリガーを掴んで(ゲート)へ駆けた。

 

 

「レギー!?」

 

「すぐに戻る! 糸使いを捕えるには今しかないんだ!」

 

 

 仲間の声を背に受け、止められる前に叫んだ。

 

 ヨミ以外の人員は戦闘体を失っても動けるように全員が生身での戦闘訓練を一通り積んでおり、最低限のトリオンで起動できるトリガーを用いればトリオン兵はもちろん、トリガー使い相手にもほんの短時間は交戦可能だ。

 しかも目的の『糸使い』は出入口(ゲート)の傍にいて、更にボロボロの戦闘体。そして難敵である遠隔斬撃の使い手もラービット相手に長所である遠隔斬撃を使い果たし、武器を判り易く納めている。これだけ好条件が揃えば敵の不意を突き、生身にした『糸使い』を(ゲート)まで引っ張り込むことは容易だ。

 

 レギンデッツはラービットが倒される間際に素早く回転させた頭でそう確信して、悪戦況に唸るガトリンの指示を仰ぐ前に行動を起こした。

 小隊で戦場へ赴くにあたって、目的を達成する為にはそれぞれの判断で動けることが必要とされている。戦いで一瞬の攻め時を見失えば挽回の余地は敵次第となってしまうからだ。敵に己の命運を握らせるなど以ての外。

 

 だからこそレギンデッツはブレード片手に飛び出した。

 

 己が『糸使い』という"餌"に食いついてしまったとも知らずに。

 開かれたままの(ゲート)の目前で「戦闘が終わった」と安心している敵の隙を完全に突いたと、本気で考えていた。

 

 

『戦闘体、活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 

 斯くしてレギンデッツにトリオン供給器官を破壊された八神は本部基地へ緊急脱出(ベイルアウト)していった。

 

 目標を失ったブレードが宙に残り、捕らえるために伸ばした手も空を掻く。

 

 ピンと張り詰めていた精神が驚きに束の間、硬直した。

 八神の隙は突いたと言える。

 だが、想定外だったのは作戦の前から ()()()()()()『糸使いのトリオン体に逃走機能はない』という大前提が崩されたことだ。

 

 そして、大きな問題が立ちはだかる。

 レギンデッツを始めとした全員が知り得ぬ、未来視という反則じみたサイドエフェクトを持つ人間が、レギンデッツの行動を待っていた。

 

 

「くそ!!」

 

「はい、どーも」

 

 

 悪態を吐いたレギンデッツが逃げるよりも先に、迅は彼の手首を捻り上げてブレードを手放させると、背後に回り思いっきり手刀を入れる。戦闘体の迅によるその手刀は一切の容赦がなく、レギンデッツは濁った声を上げて意識を失った。

 

 迅は気絶したレギンデッツを引き摺りその場から離れると、ラービットが現れてからずっと開いていた(ゲート)が閉じるのを見届ける。

 

 完全に閉じたのを確認すると、レギンデッツの体を地面に寝かせて後ろを振り返った。

 

 

「よう、無事か? ま、外傷がないのは判るけど一応な」

 

 

 そこには口角を上げた迅とは対照的に、無表情で彼を見つめるヒュースが立っていた。

 

 ヒュースが気絶から目覚めたタイミングは、レギンデッツが飛び出してくる寸前のこと。

 彼がまず確認したのは己の傷だった。

 外傷はない。身体機能も不自由ない。それを意識だけで認め、それから耳を澄ましてすぐ近くで会話が行われていることを知る。男女1人ずつだ。人数を判断すれば、瞼をおろしたままほんの少しだけ身動ぎして身を守るためにトリガーを探した。大事な蝶の盾(ランビリス)は気絶前と同じ場所に存在していたが、()()()()のトリガーはわからなかった。

 

 そこまで確認してヒュースは目を開き、素早く周囲を目視する。

 すると、目に映ってきたのは己が倒したはずの敵にボロボロの戦闘体を破壊される八神の姿だったのだ。

 

 

「…………」

 

 

 ヒュースは己の目で見た光景に思考を彷徨わせる。

 

 捕虜として置かれている玉狛支部にて深める気のなかった親交を陽太郎と交わし、その過程で支部内の人間関係や人となりは把握しているつもりだった。迅悠一という男のことも「胡散臭い」とは考えながらも、八神を婚約者だと紹介した時の感情に嘘はないと考えていた。

 

 だからこそ、先程の光景はどういうことだろうか。

 

 迅が八神を見捨てることは有り得ない、はず。

 八神を婚約者だと紹介して以降、迅はヒュースの前でも惚気を自重せず、周りもそれを放置しながら2人の仲を楽しそうに見守っている様子だった。

 

───俺にきさまの弱点を教えるとはな。相変わらず甘い奴らだ。

 

 貴重なサイドエフェクトを持つ人間の弱みを簡単に暴露されたことに呆れを覚えた。

 だがその思考が過ったと同時に迅が浮かべていた表情をすべて消し、ヒュースを鋭い視線で射抜いて釘を刺してきたのは記憶に新しい。

 

 急変した迅に一瞬怯んだヒュースを認めて、彼は得意げにまた笑ったのだ。

 

───俺と玲は相思相愛だからね。玲が俺を裏切ることはないし、俺だって玲から離れるなんて有り得ないよ。

 

 

「お前には残念だと思うけど、こいつらは負けるよ」

 

 

 ヒュースの思考を遮るように迅が足元のレギンデッツを指して未来(確信)を告げた。サイドエフェクトを明かされているヒュースにとって──玉狛第二の4戦目で行った賭けを思い出させたが──それは最後通牒と同じ意味となる。

 

 ヒュースは八神から騙し討ちを食らったことで、始めから己が利用されていたことを気絶から意識を取り戻した時点で既に理解していた。

 幼い陽太郎が共謀したわけではないことは解っている。玉狛支部の人間は目の前の男以外、何も知らされていなかったのかもしれない。

 それでも、ヒュースの周囲にいる人間の行動をすべて織り込んで組まれた作戦だった。

 

 ヒュースの脳裏に先日垣間見た、否、今になって()()()()()と理解できる八神の行動が浮かぶ。

 

 陽太郎と雷神丸と共に歯磨きを終え、子供とカピバラ()の歩く速度に合わせて部屋へ戻る折、廊下の前方に八神と空閑が話しているのが見えた。

 八神は微笑みを浮かべながら手振りで何かを説明しており、空閑はそれに首を傾げながら八神の手を指して質問をしている。そこにボードを持った雨取がやってきて八神に差し出すと、満面の笑みで受け取った八神が話を続けながら2人と共に訓練室へ向かい出した。

 

 下の者が先達者に教えを請うている、珍しくない光景。

 

 だが、ヒュースはその光景の中で違和感を見つけていた。

 

 それは八神と空閑の間に置かれた距離。どんなに互いが動こうと常に一定の空間が在るのだ。

 互いが一定の距離を保っていると云えば語弊があるだろう。空閑自身は無意識なのか意図的なのか判断し難いが、己の()()()距離に入り込もうとしている。それに対して八神は頑なにその範囲ギリギリにしか身を置かないのだ。

 

 その違和感に()()()()()()ヒュースは、無意識にも警戒対象を八神ひとりに絞ってしまった。

 "玉狛(タマコマ)支部の人間は甘い"が、"八神(ヤガミ)は侮れない"と。

 意識を己に集め、それ以外の人間で少しずつ囲っていく。飴と鞭とはまた違う、要は囮作戦と同じだ。

 

 周到に用意されていたルートをヒュースは歩んでいる。歩かされている。八神にサイドエフェクトの疑いを向けたいのに、それは陽太郎によって否定されていた。だが、それも陽太郎に知らされていないだけでは──?

 

 ヒュースはそこでかぶりを振る。

 疑心暗鬼に陥りそうな己を叱咤してこれからは与えられるばかりの情報ではなく自分から情報を引き出し、己の見聞きした情報と培ってきた経験則を信じることにした。

 

 

「それはもういい……(ジン)、例の賭けの権利を使う」

 

 

 ラウンド4のランク戦で玉狛第二の勝敗に迅とヒュースは賭けをしていた。迅から持ち掛けられたそれは、賭けに負けた方は勝った方の言うことを何でもきく、と宣言されている。

 結果的に賭けはヒュースが勝ったが、サイドエフェクトを明かした上での勝敗結果にヒュースは迅をいまいち信用ができず、要求を保留にしていたのだ。

 

 幽かに息を吐いてヒュースはランビリスを手首から外し、迅の方へ差し出す。

 たとえ目の前の男がこれから言うことを見越していたとしても、八神よりはまだヒュースの益を考えていることがわかってしまったから。

 

 

「どんな手を使っても、俺を本国へ送り届けろ」

 

 

 言外にヒュースは「婚約者の八神を裏切ることになっても」と告げていた。

 

 ヒュースの心には騙された悔しさはあれど、不思議と怒りは湧いてこない。

 限られた期間で少しの手間と情報だけで作られた、むしろ感嘆さえ浮かべるほどの見事な作戦だった。

 

 だが、このまま掌の上で踊ってやるわけにはいかない。用意されたルートから外れる為に、ヒュース自身も少しずつ布石を置いていかねばならない。

 

 

「わかった。そういうことならお前にぴったりの席が空いてるよ」

 

 

 ヒュースの意図を知ってか知らずか、迅は表情に出すこともなくただただ朗らかに笑った。

 そしてヒュースが差し出しているランビリスをスルーして、足元のレギンデッツを八神が残していったスパイダーで縛るとヒュースの前に転がす。

 

 怪訝そうに眉根を寄せて迅の行動を見ていたヒュースの前で、迅はスラリと風刃を抜き放ってから口を開いた。

 

 

「そのトリガーはまだお前が持ってて良いよ。本当はすぐにでもロビーに連れて行きたいところだけど、もう一仕事しなくちゃいけないんだよね」

 

「……手伝えということか」

 

 

 ランビリスを引っ込めたヒュースを後目に、迅はすでにリロードを終えた風刃の切っ先を地面へ。

 

 遠目に見えていた人型トリオン兵アイドラが倒れ伏した。

 

 

「いいや? 人間じゃないトリオン兵が何十体来ようと敵じゃないさ。俺は実力派エリートだからね」

 

 でもま、万が一ってのはあるから一応な。

 

 

 迅が余裕を滲ませながら笑む。

 

 ヒュースが目視出来る頃には、光線を放つ前に軒並み首を落とされ、ガラクタと化したアイドラたちが次々と積み重ねられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「なんで止めたのに八神がベイルアウトしとる!?」

 

「敵が戻ってきましたよ!?」

 

 

 本部の中央作戦室で幹部2人は仰天し、迅が無事にレギンデッツを無力化したことは喜ばしいが、度重なる予想外の事態に本来見られる冷静さを欠いていた。

 

 つい先ほど八神から『迅が私情を混ぜる危険性』を示されたばかりに、迅が八神を庇わなかった事実が混乱を招いている。いったいあの2人は何を考えているんだ、という怒りにも似た混乱だ。

 

 そんな中央に開発室から緊急回線が開かれる。

 

 

『こちら開発室! 敵遠征艇の捕捉に成功しました!!』

 

 

 飛び込んできたのは円城寺の声。

 興奮冷めやらぬといった様子の声音に束の間の静寂が場に落ちるが、意味を理解した途端に全員が快哉の声を上げた。

 

 

「でかしたぁ!!」

 

 

 その中でも幹部として、開発室の責任者としてでも成し遂げた事の重要性を知っている鬼怒田は、ガッツポーズまでして部下たちを褒めた。

 

 迅と八神に齎された混乱はひとまず脇に置き、作戦の"第一段階"が成功した喜びを近くの者たちで分かち合う。

 とは言え、八神が緊急脱出(ベイルアウト)したことで油断した人型トリオン兵の群れが市街地へ一斉に向かい始めた──ボーダー側からは市街地を目指しているように見えるが、ガロプラ側からしてみれば退却のために初期の(ゲート)地点を目指している──ため、スパイダーの操作が必要な中央オペレーターたちは目と手をモニターから離さない、言葉だけの喜びであったが。

 

 

 糸使いはほくそ笑む。

 これで牙の競い合いは終わった、後は噛み千切り嚥下してやるだけだ、と。

 

 敵は用意していた餌に釣られ、作戦に必要な駒は揃った。

 ガロプラ側とボーダー側。攻勢と防勢。

 一般的に攻勢側の方が有利とされる。だが、それは防勢側がしっかりと準備していた場合に逆転する。

 否、より準備していた優れた作戦と戦力が相手を"食い潰す"、という方が正しい。

 

 

 




 ・殺れる距離ギリギリ
トリガー起動をできて一度攻撃を凌げて緊急脱出まで繋げられる距離。


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"色"連鎖

三人称


 

 

 

 『こちら開発室! 敵遠征艇の捕捉に成功しました!!』

 

『でかしたぁ!!』

 

 

 司令室で忍田と天羽も緊急回線を聞いていた。

 

 天羽は響く歓声に少しだけ気を取られたが、表情は変わらず意識をモニターへ戻す。

 

 今のところ彼だけが知覚できる個性を顕す"色"たちを観ながら、八神の"色"を思い浮かべて天羽はほんの僅かに目を細めた。彼にとって八神は"面倒な色"である。

 一見すると八神は天羽の足元にも及ばない雑魚だ。ボーダー組織には彼女程度の"技術(色合い)"を持つ人間は数人存在しており、それ以上の強者だってごまんといる。

 

 しかし、それだけならば天羽も"面倒な色"とは言わなかった。

 

 天羽が視る"色"は常に一定ではなく、その時々によって細かな変化を示す。

 それは個人の技量という単純な枠に留まらず、その時点のコンディションや武器の相性、環境など様々な要素によって左右されるものだからだ。

 

 されど個人の能力での振り幅などたかが知れている。

 大きく変化するのはやはり複数になった時。特にモニターに映るトリオン兵のように計算された連携の取れるチームだ。

 

 戦力の足し算や掛け算という言葉が集団戦にある。加減乗除はその場その場で捉え方が変わってくるため一概には言えないが、天羽の視る色もその要素を併せ持っていた。

 加減乗除の例を挙げると、"個+個"はチームだが2人とも違う場所や互いの戦闘へ直接的に干渉しない。"個-個"は簡単に云えば互いの足を引っ張るなど。"個*個"は互いの弱点を補い得意分野をより伸ばし、また互いが在ることで新たな手段を得る。"個/隊"または"隊/個"などはあまり聞かないが、ボーダーの場合はオペレーターによる支援の恩恵、もしくは隊長や司令塔からの指示だろうか。

 状況によるものが多いとはいえ、天羽は"色"の変化をそう捉えていた。頭脳戦についてはそういった場になかなか居合わせず、彼自身も興味がないので理解をしていない。

 

 八神の本領は複数戦でこそ発揮されるものだ。

 複数戦において八神は誰かと組めばその相手に合わせて"色"を変えていく。そして天羽にしか知り得ない驚くべき事象が発生し、ブーストでもつけたかのように"組んだ相手の色"へ影響を与えるのだ。

 勿論ボーダーは部隊を組む為、個人の実力と隊での実力に違いが出ることはどの人間にも当てはまる。隊を率いる立場の隊長も八神と似たような色合いを持ち、中には乗法と除法を使いこなすような部隊も在る。

 ただ八神の変化はその中でも極端だった。

 (ブラック)トリガーvsA級部隊の模擬戦を行った際、八神が誰かと合流する前に潰す選択を黒トリガー側に取らせるくらいには。

 

 天羽は作戦中に観ていた"色"を思い浮かべる。

 今回、八神の"色"は大きく変化することはなかった。変わったのは───。

 

 

「……」

 

 

 隣に佇む忍田を横目に見やり、それからすぐに視線をモニターへ戻した。既に見飽きてきたトリオン兵の"色"を満月の瞳に映す。

 

 彼のサイドエフェクトはしっかりと変革を視ていた。

 

 それでも天羽は胸中で「つまんない」と呟いて一蹴した。ほんの少しだけ期待を寄せながら。

 

 

 一方、天羽の視線が向けられたことを忍田は気づいていた。忍田も朗報を聞いて思わず頬を緩めた1人だったが、指揮官として緊張の糸までは緩めていない。

 それでも掴み所が難しい天羽の意図は読めなかったが、状況の確認のためにも、彼にしか判らないことを忍田は尋ねた。

 

 

「トリオン兵やエース機に変化はないか?」

 

「トリオン兵の色は変わらない……あ、色がなくなった」

 

「なに?」

 

「エース機のどっちも他の奴らとおんなじ色になった。新しいのは……画面内にはいないよ」

 

 

 モニターにウロウロと視線を滑らせながら天羽は答えを返す。

 

 

「手を引いた、か」

 

 

 忍田は腕を組み、右手を顎に当てる。

 

 敵は仲間が迅に捕えられたことで不利と見て撤退したのか、それとも撤退と見せかけてまだ策があるのか。

 格納庫(ハンガー)前の戦闘にて風刃と相手のシールドでは、相性が悪いことは火を見るより明らかだった。しかしその機能を搭載したラービットをわざわざ風刃の前へ投入してきたことから、敵の情報伝達はボーダーより制限があるとみて良いだろう。

 だが想定をしていたとはいえ、相手は易々と本部基地内へ侵入してきた敵なのだ。防衛スロープでの落下トラップに怯んだ様子は最初だけで、後は柔軟に対応してみせた切り替えの早さも侮れない。ラービットが大量投入されることは状況的に鑑みても無いだろうが、風刃との相性は悪くとも隊員を捕らえる機能はそのままの筈。

 ここで判断を誤り、作戦の第二段階に影響を及ぼす被害を受けるわけにはいかない。

 

 そこまで忍田が考えたところで、彼は己が前提としているものに思い至って僅かに眉根を寄せた。

 

 作戦は迅と八神が組んだもの。しかしついさっき、彼等は作戦外の行動を起こしたばかりではないか。

 何故、何の疑いも持たずに作戦を続行しようと考えたのだ。

 

 

「……いや、そうか」

 

 

 忍田は気づく。

 迅と八神は本部へ混乱を齎したが、決して作戦の本筋からは逸脱していないということに。

 

 目的は()()()()、確かに()()した。

 

 第一段階の目的とは『敵遠征艇を捕捉』し、第二段階へ向けた『敵の兵数とトリガーの性能確認』である。加えて戦闘員たちには『敵戦力の消耗・縮小』も目的に課している。

 

 初動は予測通りに進み、内部への侵入を許したものの、もともと予測の一つであったおかげで動揺は少なかった。地上の戦場予測も幾つか無駄となったが、範囲内で納まっている。

 また、八神がエース機と対峙した際にも驚きはあっても「八神ならば()()()()()()()。己が落ちる場面を弁えている」という確信が皆の中にあった。それだけ信用に足る実績を彼女はこれまで示してきたのだから。

 

 忍田は事前会議での記憶を呼び起こす。

 

 会議にて当初からヒュースを餌にすることを八神は提案していた。

 説明されたヒュースの役割は、訓練用トリガーを所持したまま敵遠征艇に入ること。

 

 迅の予知と八神がまとめた情報を合わせて順序立てられたそれに、忍田たちは必要性と想定される効果を理解し、きちんと全員が受け入れていた。

 

 

「情報源をみすみす敵に渡すのか?」

 

 

 中にはそういった反論を含んだ疑問の言葉も会議に出てきた。しかし、やはり心得ていたのだろう。

 

 

玉狛(うち)の方針では元から尋問なんてないし、俺のサイドエフェクトが無駄だって言ってる」

 

「おい迅。捕虜が支部内を自由にしてる、のは流石に玉狛支部は緩すぎるんじゃね?」

 

「言っておくけど、俺たちだって情報管理は徹底してるよ。それに近界(ネイバーフッド)の常識はトリオン能力とトリガーでほぼ構築されてるんだ。そのトリガーを取り上げられた相手にそこまで警戒は必要ない。"もしも"があっても玉狛なら負けないし」

 

 

 自信を露わにして宣言した迅に、誰もが呆れと苦笑を零し、結局は納得した。

 

 思い返せばあの時点ではまだ全員に『迅が言うのならば根拠を訊かずとも大丈夫だろう』という認識が生きていた。だからこそ八神も詳しい説明を省いて話を進めたのかもしれない。迅自身もその流れを当たり前としていた為、今回八神から出し抜かれたようだが。

 

 迅の能力は便利だ。

 便利過ぎるが故に、その反面を組織側がきちんと理解していなかった証明だった。

 

 

「しかし、そもそもの疑問になるが捕虜は侵攻の際に本当に脱走するのか? それに勘繰られるわけにはいかないから、脱走時は玉狛の隊員が接触してタイミング良く訓練用トリガーを持たせられないだろう。だからと言って訓練用でも日頃から持たせていることは危険だ」

 

 

 情報の開示不足を東が指摘した。

 聡い彼でも材料がなければ組み立てられない。しかし話が進めば、東は自ら解を得ていたはずだ。それでも発言をしたのは、己と場全体の作戦理解を一致させるため。会議を円滑に進めるため。

 

 すると素早く沢村が反応し、己の管轄分を全体へ向けて発する。

 彼女もまた、東と同じく組織のために心得ていた。

 

 

「最初の質問については私が答えるわ。開発室よりエネドラから『機会があれば帰国を狙っている』『下っ端だが外回りでそこそこ優秀だったヒュースには小細工トリガーがある』と情報を出してきました。生身のトリガー(ホーン)に装着するもので、本国と従属国のトリオン兵反応くらいは拾えるとのことです。詳細については解析出来ていないので不明ですが、玉狛支部の宇佐美オペレーターから確認の報告は受けています」

 

 

 従属国ならばそう簡単に帰国を望む宗主国の者を拒絶することは出来ず、むしろ恩を売るために動くとエネドラは答えた。ボーダー側もエネドラの言葉を全て信じているわけではないが、少なくとも空閑の立ち会いの元に行われた問答である。

 

 

「玉狛としては蝶の盾(ランビリス)とは違って攻撃用トリガーじゃないし、今回の作戦に関わるから回収は見送ってる現状です」

 

 

 迅がさらりと玉狛支部に意図は無いと主張する。

 

 小細工トリガーはエネドラのトリガー角には着いていなかったが、これは兵士の役割や所属する"家"の方針による違いと見解された。

 

 八神は先の補足に頷き、東が口にした問いの後半への答えを続けた。

 

 

「"玉狛支部内を捕虜が自由にしている"のを利用します。トリガーの保管場所をわざと把握させ、自発的に訓練用トリガーを持たせます。武器(トリガー)を持つことは近界民(ネイバー)には常識。そして侵攻まで玉狛支部隊員には出来るだけ本部に出てきてもらいます」

 

「誘導はそれだけでいいのか?」

 

「相手は遠征部隊に選ばれるくらいのエリートです。あまりやり過ぎると逆にこちらの狙いに気づかれるでしょう。一応挑発はしておきましたから保険はそれくらいで十分と結論しました」

 

 

 あっさりとした誘導方法に嵐山が首を傾げるが、八神は堅い口調のまま軽く首を横に振った。

 

 その後も会議は続き、ヒュースがボーダー側の情報を敵に譲渡することについても八神は説明する。

 ヒュースが玉狛支部で知り得るのはほんの一部であり、支部隊員の情報が敵に渡ったとしても、それは作戦の仕上げとなる第二段階での話だ。作戦の足掛かりである最も重要な第一段階では関係ない。第二段階では逆に情報によって警戒してくれた方が作戦上は都合が良く、たとえヒュースが話さなければそれはそれで良い。何の問題もない、と立案者たちは断言した。

 

 開発室に集ったエンジニアたちが、敵に迎え入れられたヒュースの反応を追って敵遠征艇を見つける。

 

 言葉にすれば簡単だが、エンジニアたちの負担は下手すれば戦闘員たちよりも大きなものだ。

 

 第二次大規模侵攻の際も、エンジニアと中央オペレーターたちが必死に広大な(ゲート)の向こう側を捜索していた。

 隊員のキューブ化、敵の侵入による人員の負傷、機材の破壊などで作業は大幅に遅れ、最終的に犠牲の上でアフトクラトルを退けた。

 あの時は現場の機転に助けられただけ。人命に関わることだけに、同じ過ちを繰り返すことは許されない。

 

 今回はボーダーの訓練用トリガー反応を追うことで、実質的には難易度が下がっていた。だが、中央オペレーターたちはスパイダーの操作と現場との連携を担っているため、捜索作業はエンジニアに一任されることとなったのだ。

 余談であるが、何かしらの要因で敵遠征艇に乗る前に訓練用トリガーを破壊されることを危惧して、衣服にトリガー技術とは関係のない発信機と盗聴器──ボーダー側でオンオフが可能──を仕込んであり、ふとした好奇心でヒュースと陽太郎の会話を聞いた人間が胸をほんわかさせたことはまったくの些末事であろう。

 

 ヒュースが迎え入れられない、という可能性を八神たちの誘導で考えられなかった忍田たちだったが、結局は事が予定通り進んでいるのだから目くじらを立てるほどでもない。

 

 呼び起こした記憶をどれだけ探ろうとも、結論は最初から決まっていた。

 

 忍田は通信を起動し、迷いのない声音で命令を告げる。

 

 

「こちら忍田。敵性近界民(ネイバー)の離脱を確認した。地上部隊は突出しないようそのままトリオン兵の殲滅を続行。大きなダメージを負った者は帰還させろ」

 

『前線指揮の諏訪、了解』

 

『屋上指揮の当真りょーかい』

 

 

 臨時で前線部隊の指揮を担っている諏訪と、前線部隊に合流した木崎の代わりに当真が反応する。どちらも余裕を滲ませる声音だ。

 

 忍田はそれに小さく頷くと、今度は中央へ向けて指示を飛ばす。

 

 

「中央、第二段階の内容を中央会議室で一度確認する。八神隊員を喚べ」

 

『了解しました』

 

『し、しかし、忍田本部長! 八神隊員の作戦をこのまま続けては、先の件もあって危険ではないですか!?』

 

 

 頼もしい補佐官の返事が届いたと同時に、戸惑いが声音からでも伝わってくる根付の通信が入った。彼の言葉は周囲の混乱を的確に代弁しているだろう。

 しかし、既に忍田の中で結論の出ていた問いかけである。

 

 

「根付さん、我々は代案の用意をしていない。

そして八神隊員は()()()()緊急脱出(ベイルアウト)している。作戦の続行は可能だ」

 

 

 屹然とした態度で忍田は続けた。

 

 

「混乱を落ち着けるためにも我々こそが本人へ確認すべきだろう。鬼怒田さんは開発室の状況をみてから参加していただきたい」

 

『わかっとる! 既に大概のものは精査済みだ。10分後には向かえるわい』

 

 

 開発室総括として本領を発揮し始めた鬼怒田は、挙がってくる数々の報告を捌きながら忍田へ返事を入れた。

 

 

「天羽隊員は引き続き監視を。変化があれば沢村補佐官に伝えるんだ」

 

「うん、了解」

 

 

 真面目とは言えない軽い返事に、忍田はポンと天羽の頭に手を置いてから、足早に扉へ向かった。

 

 

 




天羽の副作用は原作でまだはっきりと明言されていないので拙作の独自設定です。


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