『ZOIDS Genesis 風と雲と虹と』第五部「バイオゾイド猛襲」 (城元太)
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第四拾八話

(うつ)(ぶね)だと」

「既に恒利(つねとし)殿が見分に向かっております。入定(にゅうじょう)の成り損ないでしょうか」

「いや、補陀落渡海(ふだらくとかい)にしてはハコが綺麗過ぎる。是基(これもと)、ここから生体反応は確認できるか」

「装甲が邪魔をして探知が及びません。せめて共和国型であれば」

日振島(ひぶりじま)の周囲沿岸には、防ゾイド網が巡らしてあったはず。どうやって奴はすり抜けた」

「あの搭乗席部分程度の大きさであれば、喫水も浅く侵入も可能。所詮完璧な防御などない」

「考えが浅くて悪かったな。俺は紀秋茂(きのあきしげ)殿ほど聡明ではないのでのう」

 津時成(つのときなり)は舌打ちをした。

(かしら)、薄気味悪い虚ろ船などソニックブラスターで早々に吹っ飛ばそう」

「急くな時成、まずは恒利の報告を待つのだ」

 拱手して海上を見つめる藤原純友の視線の先には、日振島の海岸に打ち上げられたゾイドの頭部操縦席(コックピット)と、それに接近する副将藤原恒利のシーパンツァー部隊の姿があった。

 補陀落渡海は、都の荒廃が顕著になるにつれ、盛んに東方大陸北島に於いて行われていた。虚ろ船には厭離穢土(おんりえど)を離れ『南方浄土(ポータラカ)』と語られる海の彼方の涅槃を目指すため、入定(にゅうじょう)を願う僧が望んで封印され海に流された。僧はその生命が尽きるまで、虚ろ船の中で一切衆生の安息を願いつつ念仏の称名と鉢叩きを続けるという。

 藤原純友率いる伊予海賊衆の根拠、日振島には、海流の関係で時折虚ろ船が漂着していた。概ねは島外に設置された防ゾイド網に捉えられたが、稀に港口まで到達するものもあった。出入港の障害になるため、漂着物は早々に海賊衆が撤去してきたが、危険物確認のため()じ開けられた虚ろ船の内部は一様に惨状を呈していた。

 悟りを開き心安く入定したと思われた僧は、死の直前に猛烈に生への執着を見せるらしい。その証に、虚ろ船の内壁には往々にして血の付いた爪痕が残されていた。ミイラ化した骸の表情は苦痛を叫んだ形相のまま固まっており、到底安息を願えるような即身仏には見えなかった。それでも補陀落渡海が続くのは、それほど厭世観が強いからと言える。俗世は腐敗しきっていたのだ。

 所謂〝帝国型〟と呼ばれる操縦席区画は、透明な風防部分が狭く内部を覘き難いが、だからこそ虚ろ船として頻繁に利用されていた。無法の海賊衆とはいえ封印を開くのは心地よいものではない。次将である藤原恒利が確認に向かったのもその為である。

 佐伯是基(さえきのこれもと)が操作する無電装置を前に、純友を筆頭にその場にいる全員が恒利からの返信に耳を(そばだ)てていた。

〝頭、坊主がいました。即身仏ではありませぬ、生きております〟

 通信機から響く報告は意外なものだった。周囲に緊張が走る。

「死に損ないか」

〝いや、()(やつ)ぴんぴんとしております。入定どころか大量の食料の他、真水の蒸留装置まで装備して。身形(みなり)は乞食僧の様子、錫杖(しゃくじょう)の他武器になりそうなものなどは無いが……こら、逃げるな坊主〟

「恒利、どうした」

 通信機に一瞬甲高い雑音が混じり、遠くに争う恒利の声が響く中、聞きなれない低く(かす)れた声が被さった。

〝伊予海賊衆の頭目、藤原純友殿か。拙僧は光勝と申す。是非ともお目通りしたく、此度は日振島まで伺った。謁見を願いたい〟

「恒利のジジイは何をやっているんだ」

 津時成が言い捨てる傍ら、光勝と名乗る人物の音声が短く告げた。

〝アーミラリア・ブルボーザを龍宮が狙っていることを伝えに来たのだ〟

 集音器を持ったまま純友の表情が凍り付く。

 一度溜飲し、海賊衆の頭目は光勝の目前にいるであろう藤原恒利に通達する。

「その坊主を連れてこい。話を聞く」

 魁師達の批判めいた視線を浴びつつ、純友は苛立ったように屋敷の評定(ひょうじょう)の間に向かって行った。

 日振島の屋敷の背後には残骸となったアクアコングが横たわり、島の対岸に繋がる隧道への移送を静かに待っている。シーパンツァー部隊に曳航された帝国型操縦席が桟橋に接岸すると、襤褸切れを纏った僧が錫杖と鉢を持って降り立った。海賊衆に取り囲まれる中、乞食僧は悠然と桟橋を渡って来る。

 純友は高台に築かれた屋敷から、一部始終を見下ろしていた。

「喰えん坊主め。遊行の空也ではないか」

「御存知なのですか」

 重太丸を傍らにした白浪が物珍しそうに問いかける。

「お前には都の醜さを伝えぬ故、その習俗も知るまい。今矢鱈(やたら)と〝浄土、浄土〟と騒いでいる糞坊主だ」

「阿弥陀如来様による極楽浄土へのお導きでございますね」

「馬鹿馬鹿しい。死後の幸せなど愚の骨頂だ。人は生きている時こそ大事。つまらぬ風聞が広まらぬよう〝(まやか)しの説教などに耳を貸すな〟と女房連中にはお前が伝えておけ」

 白浪は口元を押さえ、静かに頷く。

「心得ました。あなた様はカミと名の付く物が大嫌いでしたからね」

 歩みの先を見上げる空也と、見下ろす純友の視線が、日振島の潮騒の中で交叉していた。

 

 

 坂東に戻った小次郎を待っていたのは、形振り構わず復讐に燃える良兼達の軍勢であった。

 厳冬を迎える葉月十八日、子飼(こかい)の渡しの(ほとり)に現れた部隊の中央に、鎌輪勢が見たことのない異形のゾイドが出現した。

 ケーニッヒウルフの精密射撃用デュアルスコープが捉えた映像の中、そのゾイドは不自然に全身銀色に輝いていた。

 ゾイドの中には〝ホロテック〟と呼ばれる機体装甲の隠蔽能力を有する個体と、逆に〝鍍金(めっき)化〟という全身を鏡面装甲で覆った個体の存在も知られている。だがそのゾイドの機体表面は〝鍍金(めっき)化〟とは明らかに異なった輝きを放っていたのだ。

「王狼が捉えた映像です。骸骨の如き意匠ですが、これまでの諸元と照合しても適合するゾイドがありませぬ。新型には違いないのですが……どうした四郎、何か知っているのか」

「確証はありません。ですが、これは以前菅原景行公より学んだ流体金属装甲ではないかと思えるのです」

「なんだその流体金属とは。皆に判るように説明してくれ」

「私とて詳細は知りません。ただ訊く所によると、非常に特殊な装甲ゆえ、その表面に於いて実弾兵器は跳ね返され、光線兵器であれば拡散され一切傷を負わせることができないとの代物。従って通常ゾイドの武器ではほぼ対抗不可能で、唯一攻撃可能な武器はムラサメソードの如きリーオの剣のみであると」

「では俺の王狼のスナイパーライフル徹甲弾でも貫けぬというのか」

「私にもそれ以上は判りません」

「殿、如何なされますか」

 伊和員経の問い掛けに、評定の中央に座っていた小次郎は我に返った。

 意識が飛んでいた。

 この一大事に、居眠りとは情けない。

「御気分が優れぬようですが」

 傍らから桔梗が小次郎の横顔を覗き込む。だが一呼吸置いた後、勇名を轟かせる無敵の坂東武者は豪放磊落に言い放った。

「敵が脆弱過ぎる故とはいえ、棟梁自らが油断をしていては示しがつかぬな。皆許してくれ」

 その言葉に、評定は一斉に豪快な笑いに包まれる。

「兄者、余裕が過ぎますぞ」

 三郎将頼の言葉に、すまぬすまぬと頻りに笑って応える。確かに油断はあったが、同時に絶対の勝利への自信も覗かせていた。桔梗は小次郎の笑顔に安堵し、再び映像に視線を戻し銀色のゾイドを睨んだ。

 心中不安が渦巻いていた。

(バイオメガラプトル。アイアンロックの郷め、とうとうバイオゾイドの開発に成功したのか)

 バイオゾイドへの懸念に囚われた桔梗もまた、小次郎の繕った笑顔を見抜く余裕を奪われていた。

 

 平将門四度目の(いくさ)『子飼の渡の戦い』は、将門にとって当初から不穏な様相を呈していたのだった。

 

 

 



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第四拾九話

「龍宮の狙いは、バイオゾイドの完成にある」

 空也は(おもむろ)に、海賊衆にとって謎の言葉を告げた。

 藤原純友は、悠然と聳立(しょうりつ)する乞食僧に(まなじり)を吊り上げていた。

 虚ろ船を模したハコには、小さいながらも推進装置が装備されており、この痩せこけた遊行僧が最初から日振島への漂着を企んでいたことも判明している。迂闊に言葉を交わせば、辻説法の如く曳き込まれるのではないかという、純友には似合わぬ激しい警戒感が渦巻いていた。

「もったいぶらずにさっさと話せ」

 堪えきれなくなった津時成が忌々しげに言い放つ。それを合図にして、評定の間に集まった海賊衆の魁師達の視線が一斉に空也に注がれる。

「ラウス肉腫(サルコーマ)ウィルスの、アーミラリア・ブルボーザへの着床はお済みか」

「なぜその事を」

 傍らにいた佐伯是基が驚きの声をあげる。空也は笑ったままであった。

「佐伯殿、とお見受けする。拙僧の話を最もよく理解できる方と思うが、如何かな」

 純友の目配せに、佐伯是基は頷いた。

「ラウス肉腫ウィルスのサークゲノムは、ヘイフリック限界を無視しテロメアを無限に増大させることで、アーミラリア・ブルボーザの生長に利用されている。だがそれは、既にゾイドウィルスに冒されてしまったゾイドを最大限に利用するため培養した物であって、通常のゾイドに使用すれば無駄に生命を削り取るだけの代物のはず」

 無言の空也を前に、是基の問い掛けが続く。

「バイオゾイドと申されたな。流体金属に覆われたゾイドと聞いたが、開発が成功したとは訊き及んでいない。なにより金属生命体の新陳代謝を、ゾイドコアのみならず装甲面に於いて行う故、個体の寿命が極端に短く、運用には困難が伴うとの話を……ああ!」

 是基が突然叫んだ。

「……まさか、まさか!」

「どうした是基、お前だけが驚いている場合ではないぞ」

 佐伯是基の視線に、先ほどとは打って変わって厳しい眼光を放つ空也があった。

「上人殿、あなたからどうかお話をお伺いしたい。私の予想が間違っていることを願って」

 空也は純友を見据えた。

「手短に申す。龍宮は、今のままでは維持が不安定な流体金属に、アーミラリア・ブルボーザのサークゲノムを埋め込み安定化させる目論見なのだ。種苗の状態での奪取を、瀬戸の内海に於いて配下が失敗している故に」

「貴様達は一体何を話しているんだ」

 苛立った時成が是基の両肩を捉まえて揺する。我に返り、佐伯是基は一度純友と、副将藤原恒利を振り返った。

「つまり流体金属装甲を持つバイオゾイドとは、これまでのゾイドと違い、ゾイドコアのみならず装甲までもが活発に〝生きている〟ゾイドとなる。だから攻撃を受け傷ついても、瞬時に傷を治してしまうのだ。だが金属生命体の細胞再生は無限ではなく、通常であれば再生の度に寿命が削られていく。その限界の事をヘイフリック限界と呼ぶが、サークゲノムは、その再生度数を無限にする。

 バイオゾイドは、何度攻撃を受けても瞬時に装甲を復活させることができるのだ、まさに癌細胞のように」

 一部で慟哭が起こるが、大部分の海賊衆は未だ是基と空也との遣り取りを理解できずに茫然としていた。

「では、我らが瀬戸の厳島沖で、奴田(ぬた)の新藤次忠勝率いる新興海賊衆に襲撃されたのは、最初からウィルス狙いだったというのか。そして新藤次忠勝が藤原倫実(のりざね)と称し勢力を伸ばせたのも、龍宮の所業と」

 恒利の問いに、空也は純友に視線を合わせたまま頷く。

「拙僧の知るところ、安芸の倫実と越智の村上、備前介藤原子高(さねだか)、押領使の小野好古。全て龍宮の息のかかった輩だ」

 およそ純友率いる伊予の海賊衆に仇為す敵が、全て龍宮の差し金であったことを理解し、海賊衆の間で漸く驚嘆が洩れた。

「時に純友殿。先刻都に於いて、平将門殿の操る黒き猩々、デッドリーコングと戦いましたな」

 思わず純友は首肯した。既に都での英雄譚を響かせた将門が、今度は知らぬままに、純友の操るアクアコングと戦ったことは透破(すっぱ)傀儡(くぐつ)からの報告より齎されていた。それを知った時、純友がどれ程口惜しく思ったかは、既に周囲の者も判っている。

 殊更に、純友の悩ましい記憶を掘り返すこの乞食僧の態度に、恒利を初め他の海賊衆が一瞬緊張した。だが純友の興味は全て、空也の次の言葉に注がれていたのだった。

「龍宮は坂東にもその勢力を伸ばしている。その最強の武士(もののふ)は、巨大百足(アースロプラウネ)退治の下野の豪族藤原秀郷である」

「何が言いたいのだ」

 純友の姿勢が、僅かに前屈みになる。

「秀郷はエナジーライガーを筆頭に様々な新型ゾイドを龍宮から受け取り、密かに坂東に覇を成す野望を抱いている。他方で龍宮は、広大な坂東を新型ゾイドの実験場と考え、互いの利益に従い共生していると言えよう。

 純友殿、桔梗の前が未だ存命なことを御存知か」

「まだ生きていたのか。確か奴は夷神(えびすがみ)セイスモサウルスと共に、平将門によって斃されたはずでは」

 迂闊にも、純友はこの乞食僧の思惑に完全に嵌められてしまっていた。

「知っているのであれば教えてくれ。龍宮とは一体何なのだ。そしてセイスモサウルスを率いて襲来できる群盗桔梗の前とは」

 待っていた、と言わんばかりに、空也は絞り出すような声で応えた。

「まず一つ目の問いよりお答えしよう。

 龍宮とは、この東方大陸、青の街(ブルーシティー)由来の軍需企業の成れの果て。

 そして二つ目。

 桔梗の前とは、秀郷の妹である」

「妹だと」

〝軍需企業〟の言葉に反応できたのは、僅かに佐伯是基と、鴻臚館(こうろかん)貿易で財を成した記憶のある藤原恒利のみであった。他の海賊衆にとっての関心は、桔梗の前が〝秀郷の妹〟という部分へと集中した。

「桔梗の前はこれまで、朝廷権力の転覆を狙うため、都の騒擾を担ってきた。そして今は孝子という名を貰い、平将門と共にある。デッドリーコングの傍らに乗っていたのが桔梗の前だ」

「将門が、龍宮の配下となって、俺と戦ったというのか」

 純友は言葉を詰まらせた。あの黒い猩々の操縦席に、龍宮の息の掛かった桔梗の前が同乗していた以上、将門が己の野望を達成させる妨げに成り下がったのかと感じ愕然としたからだ。

 将門よ、貴様は俺と志を同じくする者ではなかったのか。

 無言で佇む空也の眼前で、潮風が海賊衆達の頬を叩いていった。

 

 子飼川(こがいがわ)は、騰波(とば)ノ江より流れ出で鬼怒に注ぎ、常陸と下総の国境を成す。

 平良兼(よしかね)率いる上野、上総、水守の軍勢は、再び疾風ライガーの優速を生かせない地を戦場に選んだのである。しかし戦況は、疾風ライガーの登場以前に大勢を決していた。

 銀色に輝くバイオゾイドが、鎌輪の軍勢を圧倒していたから。

 そして、棟梁たる平将門が、突然の病に伏していたからである。

 



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第五拾話

 微細な粒子の脈動が構造色となり、バイオゾイドの流体金属装甲面は玉虫色に輝く。

 水守(みもり)勢の先陣となり出現したバイオメガラプトルは、始めは周囲を探りつつ緩慢に、そして前傾姿勢をとった次の瞬間、後肢付け根に装備したバーニングジェットを噴き出し加速した。

 村雨ライガーを上回る速度で迫る異形のゾイドに、鎌輪勢の伴類は一斉に怖気づく。

「怯むな、敵は戦慣れしておらぬ。妙なゾイドに惑わされるな」

 声を張り上げ叫んでみたところで、戦意を失った伴類を留める事はできない。伴類とは常に、戦利が得られる側に付く日和見な烏合の衆に過ぎない。或る者は身を潜め、また或る者は露骨に鎌輪勢から離脱する光景が見受けられた。苦々しくその様子を覗っている間にも、小次郎の周囲には主力となる信頼と尊崇による主従関係で結ばれた強力な従類、そして上兵が、村雨ライガーを中央に据え陣を成していた。

「我に続け」

 ムラサメブレードを横一閃に構え碧い獅子が勇躍する。雄叫びを上げ、伊和員経のディバイソン、三郎将頼のケーニッヒウルフ、桔梗のソードウルフが続いた。強力なデッドリーコングは、高速型ゾイドが主力の鎌輪勢にとって運用法が定められず、今回の参戦を見送り後詰めで控えていた。

 その時小次郎は、大地を踏み締める獅子の動きに殊のほか違和感を抱いていた。

 身体が重い。そして振動で意識が朦朧としている。

 愛機たる村雨ライガーは、鋭敏に(あるじ)の体調を気遣い、次第に歩みを緩めてしまう。後落する獅子を察し、先駆けに躍り出たのは伊和員経のディバイソンであった。

「殿、ここはまず我が先陣を切ります」

「頼む」

 小次郎も員経も、共に超硬角の貫通力を信じていた。幾多のゾイドを貫いてきた黒い猛牛の突進を、見た目にも華奢なバイオメガラプトルが防ぎきれるとは思えなかったからだ。

 ディバイソンが頭部を低くし、超硬角を構える。炎を噴き上げ迫る銀色の骸骨ゾイドを、ディバイソンは真正面から受け止めるつもりである。

 赤々と光る、剥き出しのバイオゾイドコアを貫くかと思えたその寸刻、銀色の影が宙に舞った。

 ディバイソンが前肢を折って大地に叩き付けられる。切断された超硬角の先端が子飼川の葦原に弾け跳んだ。

「馬鹿な」

 バイオメガラプトルは、衝突の瞬間バーニングジェットの噴射方向を直下に変え飛び上がっていた。同時に爪先に装備された凶悪なヒートスパイクがディバイソンの頭部を(したた)かに蹴り付け、超硬角をものの見事に切断していたのだ。

 鞭を思わせる(しな)やかな動きで舞い降りると、銀色の影は後続の村雨ライガーに襲いかかる。ムラサメブレードを突き立て身構える姿を嘲笑い、切っ先を擦り抜け左のヒートハッキングクローで村雨ライガー右頬を横殴りにした。

 碧き獅子が泥濘を巻き上げ横転する。本来であればターンピック射出をすべき局面で、小次郎は身体の不調と相まってそれを失念していた。

(馬鹿な)

 屈辱に塗れ、小次郎の怒りが頂点に達する。

 一瞬、碧き獅子が炎の繭に包まれるかに見えた。

 だが炎は途中で途切れ、葦原の泥が付着した村雨ライガーの姿に戻ってしまった。

〝ハヤテ〟の力が発動しないことに愕然とする。途端に、小次郎は耐えきれぬ程の眩暈に再度襲われた。

 激しい頭痛、吐き気。それに操縦桿を握る腕、踏み締める両脚、己の身体全てに力が入らない。まるで自分が自分ではなくなったように。

 村雨ライガーを引き裂かんと、銀色の骸骨竜が鋭利な爪を翳す。振り下ろされる直前、バイオメガラプトルの機体が弾け飛んだ。近距離より撃ち込まれたケーニッヒウルフの銃弾が、胸部に命中したのだ。

 通常であれば完全撃破される攻撃である。だが銀色の影は悠然と起き上がった。

 装甲面に波紋が広がる。弾丸は水面(みなも)に漂う木の実の如く、ゆっくりと機体表面から浮き上がり、ぼたりと地面に落ちた。

 前傾姿勢を取ったバイオメガラプトルが、首を振り立て口角を開く。胸部コアが赤光を放つと同時、涙滴にも似た粘着質の炎の塊を吐き出した。

 報復の焼夷弾(ヘルファイアー)が命中し、白い王狼が赤く燃え上がる。ケーニッヒウルフは、左側二本の脚を瞬時に失い、右 腹を曝して倒れ込んでいった。

 未だに立ち上がれない村雨ライガーに向き直り、銀色の影は執拗に襲いかかる。灼熱の爪が振り下ろされる刹那、今度は丹色の狼の刃が受け止めていた。

「村雨、お前は小次郎様を乗せて逃げるのだ」

 切り結んだ刃と爪の奥、ゾイドたる村雨ライガーのみが再起動した。桔梗の意思を酌んだ忠実なゾイドは、意識を失っている小次郎を乗せ速やかに後退する。そうしている間にも、ダブルハックソードとヒートハッキングクローとが、文字通り火花を散らしていた。

 ソードウルフの操縦席で、桔梗は切歯扼腕していた。

 バイオゾイド開発の経緯は知っていた。だが流体金属装甲維持の為の技術が未完成であり、実戦投入はまだ先のことと思っていた。

 戦場(いくさば)で刃を交え、その驚異的な瞬発力と破壊力をまじまじと見せつけられた。

 到底通常ゾイドでは太刀打ちできない。だがなぜこの様な強力なゾイドを、兄秀郷は与えたのかと。

(或いは龍宮の意向で、兄上は実験機を投入したのか。であれば間違いなく、この機体には欠陥があるはず。付け入る隙間は必ずある)

 銀色の影の脚部関節が僅かに沈む。襲撃の間合いを読み取った桔梗は、空かさず剣狼を後退させた。

 予測通り、突き上げて来た凶悪な脚部ヒートスパイクの一撃を、僅かな間合いで回避した。視界に横たわるディバイソンが映る。操縦席から伊和員経が這い出してくるのが見えた。

「お父様、御無事で」

 安堵と同時、桔梗は周囲を冷静に俯瞰した。従類と上兵も、バイオゾイドの猛攻により麻の如く陣形を乱していた。小次郎が後退し、三郎も員経もゾイドを失っている。指揮を担えるのは自分しかいないと判断し、咄嗟に指示を出した。

「前線を下げる。豊田の栗栖院(くるのすいん)常羽御厩(いくはのみまや)まで後退、多治経明(たぢのつねあきら)殿に助力を乞う」

 辛うじて前線を維持していた従類達も、桔梗の通達に従い一斉に煙幕弾を展開した。濛々とした白煙の中、視界を閉ざされたバイオメガラプトルが不気味な雄叫びを上げていた。

 

 その日下総は炎上した。

 病に倒れた将門は、鎌輪勢を立て直すことができず、多治経明の手によって館まで後退する。それを追って到着した上総、上野、水守そして常陸勢は徹底した焦土作戦を敢行したのだった。

 銀色の輝きを纏うバイオメガラプトルが狂ったようにヘルファイヤーを民家に撃ち込み、その度毎に茅葺(かやぶき)の家屋は燃え上がる。鎌輪勢の主力を支える武装農民の拠点を焼き尽くすことにより、その武力を根こそぎにするためである。どこからか戻って来た、小次郎の元を離れた伴類が、今度は常陸勢の伴類となり、下総での略奪を開始した。

 長年に亘って培ってきた、小次郎達が育んだ緑の大地は、ゾイドの鋼鉄の軍靴で踏み固められ、蓄財した豊かな実りも奪われていく。更には、将門に助力をしたという理由を付け、官牧である常羽御厩までもが焼かれた。

 黒煙は雲の如く下総の空を覆った。

 漆塗りの如くに黒く焼け爛れた柱のみが残る廃墟の中で、野営する良兼達の軍の使う釜戸の灯が星の如く点々と光っていた。

 将門は敗れた。

 



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第五拾壱話

 白い機体と黒い機体が横たわり、それを白黒と金色に彩られたゾイドが検分している。撤収部隊に騒然となる鎌輪の館の中、その一画だけが切り取られたように鎮んでいた。

 機体の目の前で立ち竦む人影がある。やがて人影に向い機首を下げたバンブリアンの操縦席から、強い常陸訛りが聞こえてきた。

「畏れながら申し上げますが、こりゃもうかっぽる(廃棄する)ほかねがっぺ。ディバイソンの方はコアが完全にぼっこわれ(壊れ)で、ケーニッヒの方も二本が足付け根からおっかけてる(折れている)。可哀想だが楽にしてやった方がええです」

「そうか、判った。子春丸、(ねんご)ろに弔いを頼む」

 一頻り頭を垂れ、引き取りの作業をこなした後、残骸と化したゾイドはジャイアントホイールの荷台に乗せられ、曳かれて行った。

(すまぬ、ケーニッヒウルフ、ディバイソン。俺が不甲斐無いばかりに)

 血が滲む迄に唇を噛み締める。慟哭こそ聞き取れぬものの、小次郎は慚愧の念に駆られていた。

 自分の身体さえ万全であれば。

 未だに朦朧とする意識と身体が小次郎を(さいな)む。だが悲嘆に暮れる暇など無い。

評定(ひょうじょう)を開く。皆を集めろ」

 振り向きざまに屋敷に向かうその時、小次郎が脚を引き摺る仕草をしたことに、気付く者はいなかった。

 

「我等がバイオゾイドの威力を見縊(みくび)っていたことは確かだ。だが先の戦に於いて奴の大凡(おおよそ)の性能は判った。この屈辱は晴らさねばならぬ。此度は多治経明殿の軍勢に加え、文屋好立殿、平真樹殿の軍、それに藤原玄明の精鋭増援も加え、前回の二倍強の兵力で臨む。五郎、戦況を伝えよ」

 左の眉から額にかけて白い布が当てがわれた伊和員経が控える脇、幾分緊張した面持ちで平将文が告げる。

「敵は鎌輪の目の前、堀越渡(ほりこしのわたし)に到着して陣営の立て直しを始めてます。次の戦も近いんじゃないかと思います。あの銀色のゾイドも一緒でした」

「リーオの剣がバイオゾイドに有効な事は、孝子によって証明済みだ。俺は直ぐに〝ハヤテ〟の力を呼び起こし、敵の大毅(≒大部隊)中央のバイオゾイドを蹴散らす。後陣は俺が空けた穴から雪崩れ込め。三郎は剣狼に乗れ。今のうちにZi―ユニゾンの構えも会得しておくのだ。員経は出撃を控え館の守備。孝子、デッドリーコングは出せるな」

「お待ちください殿。伊和員経、この程度の怪我で敵に引けを取るなどありませぬ。どうか出陣のお許しを」

 小次郎は員経の前に回り込み、白布に覆われた右肩に静かに手を置く。

「無理をするな。(ぬし)でなければ任せられぬことだ。良子と多岐を、レインボージャークと共に頼むぞ」

 老境に差し掛かろうとする武者は俯き、承知致しました、と呟いた。

 次々と小次郎は的確な指示を下し、欠損した兵力を補って余りある編成を組上げていく。その姿に、不安を匂わす様子は感じられなかった。ただ一人、桔梗の前を除いては。

(これで終わりとは思えない)

 言い知れぬ胸騒ぎが蜷局(とぐろ)を巻いていく。兄俵藤太が、この程度の攻略戦で満足するような性分でないことを、他ならぬ妹桔梗の前は知り抜いていたからだ。敵方の指揮は平良兼及び平良正が執っているはずだが、バイオゾイド出撃以来、一度としてダークホーンもアイスブレーザーも姿を現していない。恐らくは運用法の異なるバイオゾイドを下野勢に委ね転戦させている。となれば、事実上の指揮官は俵藤太であり、可能な限り実戦情報を得たい龍宮は、また新たな戦術を以て攻略戦を繰り広げるに違いない。

「小次郎様、内々にお伝えしたき議が」

 桔梗は、評定の間で小毅編成中の小次郎の耳元に近寄り囁く。

「少し外す」

 小声とはいえ張り詰めた声色に小次郎は席を立った。

 二人は先程までケーニッヒウルフ達が横たわっていた馬場の隅に立ち、向かい合った。

「バイオゾイドの攻撃があれで終わりとは思えません。良兼勢は必ず次策を打って来ます。差し出がましき事ですが、どうか、此度の御出陣は避けられませんか」

 小次郎が悲しく笑う。

「何処へと向かうのだ、この鎌輪を捨てて」

 桔梗は口を噤んだ。

 常陸、上総、水守、上野、そして裏で暗躍する下野の俵藤太を加えると、既に小次郎は周囲をぐるりと囲まれていた。唯一頼みとなるのは、相模の叔父平良文だが、海道方面は上総の軍勢によって分断されている。加えて海賊対策に兵力を費やしている以上、良文の凱龍輝やディスペロウが援軍に加わる事は望み薄である。一時は飛ぶ鳥を落とす勢いを誇った平将門の威も、一度の敗戦によって忽ち四面楚歌の状況に陥っていたのだ。

「案ずるな、今度こそ疾風ライガーによって乾坤一擲の打撃を喰らわし、蹴散らしてやる。そのためにも、頼むぞ孝子」

「……はい」

 桔梗は違う意味で驚いていた。小次郎が自分を上兵として捉え名を呼ぶ時、決まって「桔梗」と呼んでいた。だが今、武骨で朴訥な坂東武者は「孝子」と優しく告げた。そこにどれ程の意味があるのかはわからない。或いは単なる気紛れかもしれない。しかしその瞬間、桔梗は言葉では語り尽くせない、込み上げる感情を覚えていた。

 最早堪えることはできなかった。溢れ出した想いが、思わず口先から零れていた。

「小次郎様、この戦が終わったら、私を」

「私を、どうしろと?」

「いいえ、なんでもありません」

 桔梗はそのまま、馬場の奥にまで駆け抜けて行った。

 耳朶(みみたぶ)が熱い。そして鼓動が早鐘の様に高鳴っている。その感情が何なのか、充分過ぎるほど知っている。自分が俵藤太の妹であり、この気持ちが決して許されるものではない事も。そして隠したまま背負っているあまりに大きな業を、小次郎に露わにすることなどできはしないことも。

 息を切らして駆け抜けた先、黒い猩々が聳え立っていた。

(精一杯戦う、例え此の命尽きようとも)

 馬場の奥、次の戦に備えるデッドリーコングを、桔梗は潤んだ瞳で凝視していた。

 

 下総国豊田郡下大方郷に位置する堀越は、鎌輪にとっても、また周囲の郷村にとっても重要な渡し場である。良兼達は、再三に亘り疾風ライガーの優速を生かせない泥濘の湿田周辺を戦場に選んで来た。しかし今回、平将門の率いる軍勢の中に黒い猩々型ゾイドがあることは、鎌輪勢にとって非常に心強いものであった。接近戦に秀でるデッドリーコングであれば(むし)ろ優位に立てる。藤原玄明より加わった数十機のランスタッグも、その大角(おおづの)を猛々しく振り翳し、頼もしい姿で大地を蹴立てている。

 王狼を失い、代わって遠見を担う文屋好立の操るサビンガが、ウィングクラッシャーを煌めかせ陣内に帰還し報告する。

「敵の中央に、新たなバイオゾイドを発見致した。先のバイオメガラプトルに加え、角竜型、剣竜型を確認、その数5」

 鎌輪の軍勢に動揺が奔った。サビンガの複合センサーアイが捉えた映像には、バイオメガラプトル同様構造色によって輝きを放つ骸骨の様なゾイドが示されていた。

 生け垣の如くずらりとランスタッグの角の防衛線を張った鎌輪勢の前に、銀色の骸骨ゾイドが不気味な沈黙を保って佇んでいる。奇妙な曲線に彩られた角を持つ竜と、構造色とは別の、リーオの剣と同じ材質の二本の大刃を振り翳す竜が、バイオメガラプトルを中心に突出していた。

(バイオトリケラ、バイオケントロまで繰り出してくるとは)

 桔梗は、デッドリーコングの操縦席の中、己の恐れていた事が現実として突き付けられたのを痛感していた。如何に大兵力であっても、鎌輪勢にとって初見のバイオゾイド相手では分が悪い。ましてや体調の整わぬ小次郎では、自在に疾風ライガーを操れるとも思えない。

 デッドリーコングの操作盤の隅に、梵字で封印された火器管制を一瞥する。相も変わらず、コアは低く読経を詠唱している。空也は何も語らなかったが、それがこの黒き死の猩々型ゾイドにとって窮極の武器であることは、そのおどろおどろしい文字が物語っていた。

 忽然と村雨ライガーが、デッドリーコングの隣に身を摺り寄せる。頭部を並べた碧き獅子の操縦席から、小次郎が身を乗り出している。

「孝子、この前の返答、未だにしていなかったな」

「何のことですか?」

 村雨ライガーの接近より唐突に、小次郎は切り出した。

「考えたのだ。お前をいつまでも上兵扱いしていては、女子の身の上としても辛かろうと。員経や三郎とも相談した。そして決めた。

 この戦が一息ついたら、俺はお前を側室として正式に招き入れたい」

 新たなバイオゾイド出現以上の驚きであった。玉響(たまゆら)に頬が赤く染まって行くのが判る。

「なにも……こんな時に。それに……良子様に……申し訳がたちません」

「案ずるな。この件は何より良子からの申し出なのだ」

 強くなる向かい風を受け、小次郎の声も次第に高まっていく。

「良子が言うのだ、〝いつまでも孝子様をこのまま置いておかれる御積りか〟と。女子(おなご)には隠せぬものよのう。とっくに見通されておったわ」

「それは……一体……如何様の……事で……」

 高鳴る鼓動で言葉に詰まる桔梗に、小次郎は構わず語り続ける。

「敢えて上兵に接するように勉めてきた。だがもう隠すこともないだろう。

 孝子、俺はお前が好きだ。良子と同じぐらい好きだ。二人とも愛しておる。それでも良いか」

 小次郎は高らかに笑った。「好いている」。桔梗はその言葉を陶然とする中、もう一度噛み締めた。

 嬉しかった。これまで彷徨い生きてきて、最も嬉しかったと思えた。そしてこれが平小次郎将門の性分なのだと、桔梗は納得していた。

 操縦桿を握り直し、改めて正面を見据える。

 

 生き抜かなければならない。

 

 怒りと喜びとが混在した戦場で、桔梗は、そして平将門は、バイオゾイド軍団を睨みつけていた。

 



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第五拾弐話

 無理を押してのレインボージャークでの上洛と略門。都暮らしでの偏食と、帰郷直後からのバイオゾイドの襲撃。如何に平将門が強靭とはいえ、ゾイドならぬ生身の身体には過度の疲労が蓄積され続けていた。

 小次郎は何度も村雨ライガーの操縦席の床を踏み締め、操縦把を握り直し、虚ろな視界に目を細めた。

 指が、足が動かない。自分の身体が自分の物ではない感覚に、戦場を前にして焦燥感を募らせる。

「村雨、俺は一体どうしたというのだ」

 もし仮に、小次郎がその様態を村雨ライガーではなく、弟四郎将平に打ち明けていれば、或いは状況が変わっていたかもしれない。小次郎は過労から脚気(かっけ)を患い、浮腫みによる意識障害や感覚障害、血圧低下等の症状を起こしていたのだ。

〝兄者、二本足が突っ込んで来る〟

 子飼の渡しでの戦い同様バーニングジェットを噴き出し、バイオメガラプトルが鉤爪を振り立て猛襲する。三郎将頼の声に我に返った小次郎は、先の戦いの屈辱を思い起し感情を燃え上らせた。

 操作盤に〝疾風〟の文字が浮かび上がる。炎の繭に包まれた獅子は、瞬時にエヴォルトを果たしていた。

「今度こそ目に物見せてくれる」

 背負ったブースターのフィンから、HYT粒子を雲母の砕片の如く煌めかせ疾駆する。途中、バイオメガラプトルの口腔から撃ち出されたヘルファイヤーが次々と着弾するも、疾風ライガーは難なく回避し敵の懐に斬り込んでいた。

 ムラサメナイフがヒートハッキングクローと火花を散らし切り結ぶ。

「小賢しい真似を」

 右前肢のパイルバンカーを大地に穿ち、勢いのついたまま機体を半回転させ、妖しく光るバイオゾイドコアをムラサメディバイダーで狙う。

 バイオメガラプトルは手練れであった。ムラサメディバイダー渾身の斬撃を、片足を持ち上げ爪先の鉤爪ヒートスパイクで受け止めたのだ。小次郎が舌打ちする。〝鞍上(あんじょう)人なく、鞍下(くらした)馬なし〟という言葉同様、人・ゾイド一体という感覚がゾイド乗りには存在し、小次郎と村雨ライガーはその典型であった。だがこのバイオゾイドは、小次郎達の一体感をも上回り、まるでゾイド自体が意志を持つかの如く稼働していた。

 万全の体調であれば、小次郎は不敵な笑みを浮かべ舌なめずりをして戦に臨んだであろう。だが、病に冒され全力を出し切れない身の上では、バイオゾイドの動きは只管に忌々しいだけであった。

〝無事か兄者〟

〝殿、無理は禁物です〟

 優速の疾風ライガーに、漸くソードウルフとデッドリーコングが追いついた。後方からは多治経明のディバイソンによる精密支援射撃が降り注ぎ、バイオメガラプトルと疾風ライガーの鍔迫り合いは中断させられる。硝煙の奥より、怒涛の土煙を舞いあがらせてランスタッグ部隊が現れた。

〝藤原玄茂(はるもち)、弟玄明に代わり推参致す〟

 グラビティホイールが唸りを上げて回転する。真鍮色のブレイカーホーンとスラスターランスを振り翳し、生け垣の如き障壁を築いた。僦馬の党とも繋がりがあると噂される玄茂の部隊だけに、振舞いは泥臭く荒々しい。その角がメタルZiで精錬されていると知られている以上、バイオメガラプトルも迂闊には近寄れず、驚異的な跳躍力を生かし跳び退いた。

 形成されたブレイカーホーンの生け垣を、バイオメガラプトルとは入れ替わりに横合いから切り崩す骸骨竜があった。低姿勢からの突撃は、新たな敵に対応し切れないランスタッグ数機を跳ね飛ばし、生け垣の壁に穿孔する。

 十七門突撃砲の弾幕が、フレアシールドによって切り取られたように弾かれる。ヘルツインホーンを振り翳したバイオトリケラは、脇目も振らずに小次郎の疾風ライガーを狙い雪崩れ込んだのだ。

「電磁障壁、厄介なものを」

〝是奴の相手は私が〟

 疾風ライガーとバイオトリケラの間に、背負ったヘルズボックスから凶悪な得物を繰り出すデッドリーコングが立ち塞がった。アイアンハンマーナックルの剛腕が、物理的な打撃によって電磁障壁ごとバイオトリケラを殴り飛ばす。横転寸前になるものの、四肢を開いて踏み止まり、銀色の角竜は突進を再開した。

 左腕に捲かれた布切れが電磁障壁によって焼かれ燻っている。背後には間合いを読んで再び襲来したバイオメガラプトルが、緋色の獅子を圧していた。漸く桔梗も、疾風ライガーの動きの鈍さに気付いた。だがそんな負い目も補って余りある程に、桔梗の戦意は昂ぶっていた。

 共に呼吸を合わせ、倒せばいい。

 左腕の焦げ付いた包帯を棚引かせ、バイオトリケラの突進を紙一重で躱す。辛うじてヘルツインホーンを躱したその身を、恰も疾風ライガーの進路を妨げるように晒した。

 黒い棺桶が斜面を成すのを目の前に、小次郎は一瞬にして桔梗の真意を読み取っていた。

〝今です〟

 棺桶を飛躍の足掛かりとした疾風ライガーが矢となって跳び上がった。

 重力加速を付けたストライクレーザークローが、銀色の竜の頸椎(けいつい)を物の見事に引き裂く。大地に折れた首を引き摺り、数歩後退したあと、バイオメガラプトルは(くずお)れて行った。遂にバイオゾイドの1つが斃れた瞬間であった。

「ひとおぉつ……」

 同時に小次郎の勝鬨も、息も絶え絶えであった。

 刹那、小次郎達は機体に不快な衝撃が響くのを覚えた。視界に無数の刃の雨が降り注ぎ、ランスタッグ数機がばたばたと膝を着く姿が映る。操作盤の警告にハヤテブースターのフィン欠損が示され、デッドリーコングの黒い装甲を鋭い影が貫くのも視止める。

 透破(すっぱ)の使う棒手裏剣「クナイ」にも似た刃が、魚群の如く宙を舞い、一斉に刃先を前にして襲いかかっている。鎌輪勢は再び混乱に陥った。通信が飛び交い、指示系統が錯綜する。

「落ち着くのだ、攻撃の正体を見極めよ」

 優速を生かし、刃の豪雨から擦り抜けた疾風ライガーの先に、妖しくバイオゾイドコアを輝かせる機体がある。舞い踊るクナイの群れを操る傀儡(くぐつ)の主は、全身に剣を纏い、更に両肩に大剣を携えていた。

「新手か」

〝バイオケントロです〟

 所どころに刃傷を負ったデッドリーコングも渦中を抜け出し、疾風ライガーと共に突き刺さったクナイを振り落とす。

 魚群の如きバックランスが一度バイオケントロの背に舞い戻った。剣を背負った新たな骸骨竜は、バイオトリケラとは異なる動きで間合いを詰める。

 唐突に、バイオケントロがデッドリーコングの視界から姿を消した。息を呑む桔梗の背後で、ビーストスレイヤーとムラサメディバイダーが剣を交えていた。死の剣舞ソードダンスは、容易に桔梗ほどの上兵をも眩惑していたのだった。

 浮腫みによって感覚を失いつつある両腕を酷使し切り結びながら、小次郎は忌々しい強敵の正体について訝っていた。

「誰が乗っているのだ」

 刃渡りが長く、更に刃先を自在に操れるバイオケントロの剣捌きは、初めて戦場に立ったとは思えぬ程圧倒的である。荒々しい太刀筋は確かに坂東武者のものだが、果てしなく冷淡で人間味が無い。まるで傀儡の木偶人形のように。

 思い悩む猶予など無かった。再び背のバックランスが放たれ、一斉に疾風ライガーに襲いかかる。しかし同時に、バックランス発射の瞬間、バイオケントロの剣舞にも隙が生まれる。チェストパイルバンカーを打ち出し、疾風ライガーは僅かな間合いを得た。

 傷ついたブースターを最大出力で噴き上げ、緋色の獅子が跳び退く。

 その時一条の筋がすっと昇った。鎌輪の方角に黒煙が棚引いている。館が燃えているのだ。

 都で見た夢と同じ情景だった。

「良子! 多岐!」

 がら空きとなった鎌輪の館目掛け、残りのバイオゾイドが殺到していた。

 



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第五拾参話

「あの糞坊主は何時まで居座る心算だ」

 錫杖を手に海を見つめる乞食僧の背中に、巡察を兼ねてやって来た津時成が吐き捨てた。その言葉は波涛に砕かれ、空也の耳に届いたのか定かでない。吹き荒ぶ潮風に襤褸切れを靡かせ、遊行僧は唯黙々と海浜に佇んでいた。

 海賊衆の頭目藤原純友が、この僧都を日振島に置いておく理由はあった。まずは龍宮ディガルドの動きを多く把握していることだが、それ以上にして最大の理由は、この遊行の乞食僧が高い地質学の知識を有していることであった。

 館での問答の後「細やかな礼ではあるが」との前置きをすると空也は島の散策を申し出た。そして館裏の切り立った岩盤まで降りて行くと、徐に岩石の亀裂前に立ち錫杖を突き刺した。行動を見守っていた海賊衆の面々は、空也が岩を穿った次の瞬間、亀裂から勢いを付けて水飛沫が迸る光景を目の当たりにしたのだ。

 周囲を海に囲まれた孤島では、専門的な土木技術を持つ者は稀であり、水脈を掘り当てることは難しく、常に真水が不足している。それをこの遊行僧は事も無げに探し出してしまった。純友が忌み嫌う浄土への唱導も一切行わず、その後も彼方此方に出掛けて次々と水脈を掘り当てるこの乞食僧の価値を、宗教者を嫌う純友も認めざるを得なかったのである。

 しかし津時成を筆頭に、魁師の中にはこの妖しい僧の存在を煙たがる者も多い。海浜に結んだ草庵の周囲は常に監視され、不穏な行動がないか逐次警戒されていた。魁師津時成が直々に巡察に訪れたのも同じ理由であり、いつまでも島から出て行こうとしない不気味な存在として忌々しげに睨み続けていた。

 その時、海を見つめていた空也がゆっくりと振り向いた。時成に視線を合わせると、無言で歩み寄って来る。時成も身動ぎもせず、乞食僧の姿を見据え身構えた。空也は一瞬目を伏せ呟いた。

「坂東が燃えている。多くの命が灰燼と帰していく」

 空也の頬に、無数の水滴が纏わりついているのを、時成は目にしていた。

 

 

 バイオトリケラのヘルツインホーンの前には、鎌輪の館の土塀など一溜りもない。圧し折られた塀の隙間から、構造色を光らせた数機のバイオゾイドが雪崩れ込む。警護に当たっていた寡兵を薙ぎ倒すと、直ちに館へ続く長い馬場に至っていた。

 進路にトレーラーを牽引した鋼鉄の蟲が立ち塞がる。

「この先には行かせん」

 館に残されていたグスタフを操り、傷ついた伊和員経がバイオトリケラに対峙した。絶望的な戦いであった。勝敗は見えている。唯一言えるのは、グスタフの装甲を貫くには、例えバイオゾイドであろうと相応の時間が掛かるということだけであった。

 グスタフの裏に、今しも飛び立とうとするレインボージャークの姿がある。

「良子様、なんとか大国玉の平真樹殿の館まで飛んでいけば活路も見出せます。御子をお頼み申します」

〝員経殿、無事を願っています。絶対死なないでください〟

 か細い通信の声に、多岐の引き攣った泣き声が重なっている。

「承知致した。必ず生き伸びて、皆再びお会いしましょうぞ」

 言葉の直後、レインボージャークが蒼空へと飛び立った。火器を持たないバイオトリケラが菫色の孔雀の飛翔を憎々しげに見送り、直上に撃ち上げられるバイオメガラプトルのヘルファイヤーも、舞い上がった標的を捉えることができず虚しく天空を仰ぐばかりであった。

 グスタフの風防越しに見上げる伊和員経は、深い安堵の溜息をついていた。

「良子様、多岐様、どうか御無事で」

 あとは自分の身を晒せばいい。

 再会を誓った直後、忠実な上兵は主君の妻子の為に命を投げ出す覚悟を決めていた。

 だが員経は、見上げた空に構造色を煌めかす影が舞うのを目にした。

「まだ新手がいたのか」

 舞い上がったレインボージャークを追撃し、新たな翼竜型バイオゾイドが坂東の蒼穹に飛来していた。

 

 バイオケントロのソードダンスが、(ことごと)く疾風ライガーの行く手を阻む。前肢付け根に装着されたビーストスレイヤーの切っ先は、刃渡りの短い疾風ライガーのムラサメナイフとムラサメディバイダーの斬撃を翻弄し続けている。

(いっそ村雨ライガーに戻ってしまうか)

 だが、太刀ムラサメソード一振でもまた、この剣竜型バイオゾイドに敵わないことも目に見えている。更に小次郎が望むべくもなく〝ハヤテ〟の力は衰えを見せ始めていた。

 小次郎はその時、館からレインボージャークが舞い上がる姿を目にした。

「無事であったか」

 その菫色の孔雀に、愛おしい妻子が乗っていることは疑いも無い。館は燃えたとはいえ、辛うじて無事を確認できただけでも心安い。ところが次の瞬間、立ち昇った黒煙を切り裂き飛来した影が小次郎の心の平安を打ち砕いたのだ。

「空飛ぶバイオゾイドだと」

〝殿、クナイが来ます〟

 疾風ライガーを庇って、デッドリーコングの棺桶に5本のバックランスが突き刺さる。棺桶中央の隻眼が大きく見開き、一斉に可動肢を突き出して届く限りのバックランスを払い落とす。同時に緋色の獅子は、見る間に碧い獅子に戻って行った。疾風ライガーは限界稼働時間を迎えたのだ。再度バックランスの群れが村雨ライガーとデッドリーコングを襲う。刃の豪雨の後ろでは、真正面にビーストスレイヤーを構えたバイオケントロが、妖しい剣舞を未だに舞っている。そして空では、レインボージャークとバイオプテラの激しい空中戦が繰り広げられていた。

 

「泣くものではない。多岐は坂東の勇者、平小次郎将門の娘であろう」

 良子は泣き叫ぶ幼子を宥めつつ、必死でレインボージャークを操っていた。

 妻となり、夫を支える身となっても、毎日欠かさずゾイドには接していた。小次郎の上洛により、暫く離れていたレインボージャークが一層愛おしく思え、またレインボージャークも良子の思いに応えるようになっていた。一度多岐を抱え飛んだ時には、敢えて急制動をせずに緩やかに飛ぶ気遣いさえ見せる様になっていたのだった。

 ゾイドは優しい生き物だと、改めて認めていた矢先に、子飼いの渡しでの敗北が伝わった。良子は争いを好まなかったが、それが坂東で生き残るための名来(ならい)であるとも判っていたから、決して夫を責める事などしなかった。

 信念と誇りを貫く坂東武者であって欲しい。良子はそんな夫を愛し続けている。だが今、その愛する夫との生活が断ち切られようとしていた。生きていなければ繋がる事はできない。だから死にもの狂いでレインボージャークを操っていた。

執拗(しつこ)いわね、この空飛ぶ骸骨め」

 いつしか良子の口調は、嘗て野山を駆け巡っていた自由奔放で粗野な坂東の女に戻っていた。

「私だって、孝子殿には負けないんだから!」

 逃げ回ってばかりでは活路は見いだせない。レインボージャークはリーオ製のフェザーカッターを展開し、バイオプテラに突入する。それは通常のゾイドであれば決して回避できないほどの高速であった。

「そんな馬鹿な……」

 しかしバイオプテラは、突入の瞬間バーニングジェットを噴出し、レインボージャーク渾身の一撃を回避していた。恐るべき旋回性で後ろを取ると、菫色の孔雀の背部をグラップフットで強かに殴りつけた。

 バランスを失い、錐揉みとなったレインボージャークが、地平の彼方に霞む湖沼に向けて落下していく。

(あれは葦津の江。せめてあそこに着水できれば)

 錐揉みによって朦朧とする意識を振るい起し、良子は懸命に下総に広がる広大な湖、飯沼の西岸に向け、落下するレインボージャークを懸命に操っていた。

 

 人の命の儚さに、小次郎は押し潰されようとしていた。

 悔しかった。

 異形のバイオゾイドによって蹂躙されること。肉体の不調によって満足な戦いも出来ず、不様に散って行くこと。愛する妻子と死別してしまうこと。そして、やっと告げることの出来た桔梗への約束を果たすのが出来ないことに。

 村雨ライガーは、操縦席で苦しむ主君を守ろうと懸命に戦場を駆けて行く。だが猛々しさを失った小次郎との繋がり無しに、充分な力を発揮する事など出来ない。

 碧い獅子は、次第にバイオゾイドによって追い詰められていた。

 

 怛姪他(たにゃた)

 晡律儞(ほりに)

 曼奴喇剃(まんどらてい)

 独虎(どっこ)・独虎・独虎。

 耶跋蘇利瑜(やばつそらゆ)

 阿婆婆薩底(あばばさち)

 耶跋旃達囉(やばせんだら)

 調怛底(じょうたち)

 多跋達(たばだ)

 洛叉(らくしゃ)

 (まん)

 嘽荼(たんだ) 鉢唎訶藍(はりからん) 矩嚕(くろ)

 莎訶(そわか)

 怛姪他(たにゃた)

 嗢篅里(うんたり)

 質里(しつり)・質里。

 嗢篅羅(うんたら)

 篅羅喃(たらなん)

 繕覩(ぜんと)

 繕覩(ぜんと)

 嗢篅里(うんたり)

 虎嚕(ころ)

 莎訶(そわか)

 

 戦場に呪を唱える声が轟いた。

 小次郎も、バイオゾイドの群れも一斉に声のする方向を向く。

 その視線の先には、左腕を高々と揚げ、梵字の描かれた帯を解放する黒き猩々の姿があった。

「桔梗……なのか」

 解かれて螺旋状に伸びた帯の下、猩々は凶悪な八振の刃を展開させ、鬼神の形相で聳え立っていた。

 



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第五拾四話

 耐衝撃シェルアーマーは砕かれ、コアがほぼ露出している。既に瀕死のグスタフに、殺意(みなぎ)るバイオゾイドが迫る。伊和員経の命運は、いま正に尽きんとしていた。

 ウィングスラッシャーを展開した丹色の虎が、一陣の風の如く二者の挟間に舞い降りる。電光石火の一撃がヘルアーマーを斬り裂き、ほぼ同時の物理的打撃によってバイオトリケラを弾き飛ばした。

〝大事ないか〟

(かたじけな)い三郎殿」

 サビンガと融合したワイツタイガー(イミテイト)のエレクトロンハイパースラッシャーが、強力なバイオゾイドを捻じ伏せた瞬間であった。

〝兄者は。疾風ライガーは何処(いずこ)に〟

「混戦故に、私も」

 ウィングスラッシャーを収納し、ワイツタイガーは頭部を巡らせ黒煙の上がる鎌輪の館を見遣る。

〝館はもうだめだ。義姉上の行方も気になる。飯沼の陸閑(むつへ)まで退き態勢を整えるぞ〟

 主君を守れず、その上その妻子まで戦禍に晒してしまった呵責に、員経は唇を噛み締めた。

 突如戦場に、狂気を秘めた読経の詠唱が響き亘る。

「あのゾイドは……」

 三郎、経員共に言葉を失った。視線の先には、鬼神と化したデッドリーコングとそれを背にした碧い獅子、そしていつの間にか現れた増援のバイオトリケラ3機が取り囲む姿があった。デッドリーコングの左腕に凶悪な武装が露わになっている。バーンナックルハリケーンと称される八振の刃の回転がバイオトリケラを捉える。堅牢を誇るフレアシールドを切り刻み、ヘルツインホーンを根こそぎ毟り取って頭部を切断する。飛び散った流体金属装甲が纏わりつき、デッドリーコングは銀色の液体塗れとなっていた。尋常為らざる光景に、三郎将頼は危急を要する事態を知る。

〝俺は兄者と孝子殿に合流する。員経殿は義姉上を捜せ。頼む〟

 ワイツタイガーが煙幕弾を連続発射した。白煙にグスタフが紛れ、煙の中から丹色の虎が勇躍する。員経は口惜しさに苛まれながら、戦場を後にした。

「殿、三郎殿、御無事を。孝子よ……死んではならんぞ」

 展開した煙幕の帳の中、満身創痍のグスタフは飯沼の畔へ消えて行った。

 

 魔・戒・天・浄

 封印を解放する際に唱えた文言が、そのまま操作盤の画面に貼り付いたままであった。

 ただ救いたいだけだった。ただ守りたいだけだった。

 目の前で命を奪われようとしていた主君――想い人――を救わんが為に、無我夢中で封印を解いていた。その帰結が、今の状況だった。

 狂戦士(ベルセルク)へと陥ったデッドリーコングは、桔梗の操作を受け入れることなく、触れる物全てを切り刻んでいく。縦横無尽に振り翳されるシザーハンドは、頑丈な猩々の四肢さえも引き千切らんばかりに、そして内部にいる者は肉片となって砕け散るのではないかと恐れるほどに振り回される。耳を弄する陀羅尼の呪が止め処なく鳴り響く。

 

 怛姪他(たにゃた)

 憚宅枳(たんたき)般宅枳(はんたき)

 羯喇致(からち)高喇致(こうらち)

 (けい)由里(ゆり)

 憚致哩(たんちり)

 莎訶(そわか)

 怛姪他(たにゃた)

 室利(しつり)・室利。

 陀弭儞(だみに)陀弭儞(だみに)

 陀哩(だり)陀哩儞(だりに)

 室利。

 室利儞(しつりに)

 毘舎羅(びしゃら)

 波始(ばし)

 波始娜(ばしな)

 畔陀弭帝(はんだみてい)

 莎訶(そわか)

 

 ビーストスレイヤーを翳してバーンナックルハリケーンを受け止める。バイオケントロが、本来の標的として付け狙ってきた村雨ライガーと対峙する余裕などデッドリーコングは与えはしなかった。攻撃目標を黒い猩々に変更した剣竜は、背中のバックランスを一斉発射させ顔面を狙う。命中寸前、瞬時に顔面を覆う鉄甲に阻まれ跳ね返り、棺桶から伸びた可動肢によって次々と粉砕された。

 デッドリーコングの横合いから、片方の角の折れたバイオトリケラが現れた。先に三郎のワイツタイガーによって手負いとなっていた機体である。

 デッドリーコングが八振の刃を正面に向ける。矛と盾、シザーアームとフレアシールドとの激突である。砕け散ったのは、片角となったバイオトリケラであった。電磁障壁を突き破り、フレアシールドの実体面に深々と刃を刺し入れたシザーアームが、バイオトリケラの身体ごと回転させ、そのまま頭部を捻じ切った。首を捥がれた銀色の骸骨ゾイドは、勢い余って胴体を堀越の渡しの水面に沈め、流体金属の血糊を転々と撒き散らした。

 直線的な動きのバイオトリケラに比べ、バイオケントロはソードダンスのステップによって辛うじてその命脈を繋いでいる。狂戦士の本能を解放したデッドリーコングは、しかしその軽快な舞に更に激怒し、アイアンハンマーナックルを無茶苦茶に振り回し出し、その度に操縦席は揺られ、中の桔梗を著しく痛めつけていった。

 

 朦朧とする操縦席の中、桔梗は幻想を見ていた。

 明るい陽射しの中、百姓衆と共に土地を拓く小次郎将門の笑顔がある。そしてその傍らに、伊和員経より贈られた桔梗色の(あこめ)を纏う自分がいた。互いに顔を見合わせ微笑み返す。まるで絵に描いたような幸せな光景が、偽りであることなど、桔梗は最初から気付いていた。

『これは幻に違いない』

 途端に視界が暗転し、無数のバイオゾイドが劫火を立ち上らせて出現する。背後に、闇に紛れ輪郭のみを浮かび上がらせる兄俵藤太の影が映る。

『兄上、龍宮の謀り事にいつまで加担なされる御積りか』

 叫んだのかも、叫ばなかったのかもしれない。その時漸く、桔梗は意識を取り戻したのだった。

 右腕と右足に感覚が失われている。いや、感覚はあった。激しい痛みを伴った、腕と脚が動かなくなっているという感覚である。

 骨が、折れている。

 デッドリーコングの暴走は、やはり搭乗者の身体を著しく傷つけていた。試みに左手で緊急停止操作を行ったものの、機能自体が全て狂戦士モードに奪われており停止する様子などみられない。

 レッゲルが尽きるまで、止まらない。桔梗は直感した。

 

〝兄者、無事か〟

「三郎か」

 四肢を硬直させ立ち竦む村雨ライガーの元に、丹色の虎が舞い降りた。エレクトロンハイパーキャノンと連装ショックキャノンを同時発射し、周囲のバイオゾイドを牽制して、敵との間合いを取った。

〝孝子殿のあの様相は何なのだ〟

「俺にも判らぬ。尋常ではない事だけは確かだ。あれでは中の者も無事では済まぬ」

 それまで棺桶を向けていたデッドリーコングが、くるりと振り向いた。狂気の赤い光を宿した双眸が、碧い獅子と丹色の虎に向けられる。右腕に装着されたパイルバンカーが、狙いも付けずに撃ち出された。

〝孝子殿、気でも触れたか〟

「ゾイドの暴走だ。これでは近寄れぬ」

 辛うじてパイルバンカーの切っ先を躱したワイツタイガーは、村雨ライガーを庇って身構える。僅かに距離が開いた為、デッドリーコングは猶も襲い掛かってくるバイオケントロへと向かう。

〝止むを得ない。俺はこれから文屋好立殿と合流し、ユニゾンを解く。その上分離したサビンガにて、デッドリーコングを捜索してもらおう。兄者も村雨ライガーも、今のままでは戦になるまい〟

 三郎将頼の適確な箴言に、小次郎は言葉を捜した。理は適っている。だが、諦められなかった。このまま桔梗を見捨てて戦場を後にすることなど、出来はしなかったからだ。

〝俺だって孝子殿は大好きだ。だが今兄者が斃れては、義姉上を含め、館を追われた郎党衆全てが路頭に迷い、殺戮されるだろう。生き残る事こそ、棟梁の責務だ〟

 その時ゆっくりと、村雨ライガーが飯沼の方角に向かって歩み出した。

「どうした、村雨よ」

 主君を思う忠実なゾイドは、主君の体調悪化とデッドリーコングの狂気からの退避、そして落下したレインボージャークの気配を感じ取り、自らの意志で戦場を去る判断を下したのだった。脚気から来る意識障害により、浮腫んだ両腕は村雨ライガーの操縦把を握り愛機の意図に抗うことも出来なくなっている。結果として小次郎は、暴走するデッドリーコングの中に桔梗を置き去りにすることになった。悔しさに奥歯を食い縛ろうにも、力が入らない。視界が白濁して行く。あまりにも多くの物を失った負け戦である。

「桔梗、桔梗!」

 揺れる村雨ライガーの操縦席の中、小次郎は譫言の様にその名を唱え、そしていつしか意識を失っていった。

 

 怛姪他(たにゃた)

 訶哩(かり)訶哩儞(かりに)

 遮哩(しゃり)遮哩儞(しゃりに)

 羯喇摩儞(からまに)

 僧羯喇摩儞(そうからまに)

 三婆山儞(さんばさんに)

 噡跋儞(たんばに)

 悉耶婆儞(しつやばに)

 謨漢儞(もかんに)

 砕闍歩陛(しじゃぶへい)

 莎訶(そわか)

 怛姪他(たにゃた)

 毘徒哩(びとり)・毘徒哩。

 摩哩儞(まりに)

 迦里(かり)・迦里。

 毘度漢底(びどかんち)

 嚕嚕(ろろ)・嚕嚕。

 主嚕(しゅろ)・主嚕。

 杜嚕婆(とろば)・杜嚕婆。

 (しゃ)・捨・捨設者(しゃせつしゃ)

 婆哩灑(ばりしゃ)

 莎悉底(さしつち)

 薩婆薩埵喃(さつばさったなん)

 悉甸覩(しつでんと)

 曼覩囉鉢陀儞(まんとらはだに)

 莎訶(そわか)

 

 陀羅尼の詠唱は止まらない。やがて振り翳したシザーハンズを受け止めたバイオケントロが、パイルバンカーに貫かれた。流体金属装甲と、内部の循環液を巻き散らし、疾風ライガーさえも翻弄したバイオゾイドは堀越の岸辺に骸を晒す。それでも怒りの収まらない死の猩々は、横たわったバイオケントロの肢体を持ち上げ、両腕で力任せに引き千切った。無数の破片を飛び散らせ切断されたバイオケントロの内部に、桔梗は見慣れぬ人型の装置を発見していた。

「あれは、機械兵ではないか」

 土偶、と呼ばれる古代の偶像によく似ている。身体中に数十の管が繋がり、頭と思しき部分に三つの光が灯っている。バイオケントロから投げ出された直後、僅かに蠢いたものの、その躰は直ぐに動かなくなった。

「あんなものまで、兄は、龍宮は」

 桔梗は痛みも忘れ叫んだ。

 桔梗の叫びに呼応するように、デッドリーコングも狂気の雄叫びを上げていた。

 

 堀越の渡しでの戦いは、鎌輪の館を陥落させたことにより、良兼勢の大勝となった。周囲の村々が強欲な略奪行為によって破壊され、小次郎達の築いてきた全てを焼き尽くしていった。バイオゾイドの戦闘の裏側で、良兼や良正、そして太郎貞盛の操るダークホーン、アイスブレーザー、ブラストルタイガーが、下総を焦土と化したのだった。

 平将門は家族郎党と引き裂かれ、壊滅的な敗北を期した。散り散りとなった者達には、更なる試練が待ち受けていた。

 



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第五拾五話

 日振島の館は濃霧に閉ざされていた。

 風が唸りを上げ、海原を渡って行く。

 白い闇の中、一際大きな影が過った。

「ストームソーダージェットだな。三辰め、デルポイから戻ってきたか」

 雲海を抜けた怪鳥は、漆黒と紫紺に彩られた機体を変形させ、日振島への着陸態勢へと移行している。だが今、藤原純友の関心は、全く別の事柄に向けられていた。白濁する大気の彼方に光る軌道エレベーターのケーブルを睨みつつ、人肌に温んだ濁酒を独り仰ぎ呟く。

「将門よ、貴様は何処へ向かおうとしているのだ」

 あの日交わしたアクアコングとデッドリーコングとの拳の感覚が未だに脳裏にこびり付く。志を同じくすると信じていた者に裏切られた感情。そしてそれを拭えずにいる己の女々しさが腹立たしかった。

 背後に人の気配を感じる。

「入れ」

「藤原三辰(みたつ)、只今帰還致しました」

 幾分鼻にかかった声で、藤原恒利に次ぐ魁師、藤原三辰が帰投の報告に訪れたのだった。招き入れた純友の前に胡坐座をかくが、三辰は頻りに鼻をひくつかせ、臭いを気にしている。

「やはり外地から戻ると匂うか」

「慣れませんな、特に此の湿気と黴臭さは馴染みませぬ。アーミラリア・ブルボーザの生育の為とはいえ」

 藤原三辰は館の外の景色に目を遣る。

(かしら)、あの樹木は。なにやら不可思議な林に見えますが。葉が一枚も無く、柱の如く林立するのを、空中から俯瞰して参りましたが」

 差し出された盃を丁重に受け取り、舐めるように慎重に酒を嗜む。三辰がストームソーダージェットで高高度を飛翔してきた為、酔いが回り易いのは互いに知っている。純友も緩々と語り出していた。

「詳しくは佐伯是基に聞け。俺もよくわからぬが、アーミラリア・ブルボーザの屋台骨となるべき菌糸木だそうだ。確か、プロトタキシーテスとか申したな」

「プロトタキシーテス、ですか」

 忽ちに酔いが回ったのか、三辰は口調が鈍っていた。大陸からの帰還直後では、疲労も蓄積していると判断した純友は、報告を強要しない。

「恒利は如何に」

「相変わらず喰えん奴だ。加えてもう1人厄介な坊主までいる」

 純友の言葉の裏側には、所詮海賊衆の魁師の連帯など時宜によって書き換えられる危ういものであるとにおわせていた。

「さすれば頭、都とソラシティーの動きに御座いますが、加えて龍宮のゾイド――」

「バイオゾイドか」

 言葉を先取られ、三振は暫し口を噤んだ。

「――何故にそれを」

「厄介な坊主の功徳だ。ただ何を考えているか判らぬが」

 館の下を忌々しげに見下ろすと、霧の棚引く崖沿いに張られた幕が残っていた。

 

 

「レインボージャーク。ありがとう……ごめんなさい」

 全身泥に汚れた菫色の孔雀が、飯沼の縁、葦津の江に横臥していた。フェザーカッターに傷を負い、空へ飛び立つことなど出来ないのは明白である。周囲には頻りに、フライシザースやディプロガンズなどの小型ブロックスゾイドが良子と多岐の所在を求め浮遊している。一刻も早くこの場を離れなければならない。悲しげに見つめるレインボージャークの瞳を見て、良子は頬を摺り寄せた。

「私と、そして平小次郎将門が必ず助け出します。絶対に諦めないでね」

 レインボージャークは、僅かに頷くと、そのまま頭部を葦津の江に委ねた。レッゲルが切れる直前なのだ。

 後ろ髪を引かれながらも、良子は多岐を抱えて走り出した。

陸閉(むつへ)になら、誰かが残っているはず」

 そこには小次郎達鎌輪の営所に通う馴染みの家船(えふね)の民がいたからだ。茂みを抜ける頃、レインボージャークのけたたましい鳴き声が聞こえてきた。

「本当に……本当にありがとう、レインボージャーク……」

 それは、良子を逃がす為に自らが囮となり、敵を惹き付ける為に叫んだに違いない。暫くして低い爆発の音が聞こえた。止めを刺されたのかもしれない。耳を塞ぎたいものの、多岐を抱えた両手ではそれも叶わなかった。恐怖に怯え、泣き声さえ上げない娘が、今は有り難かった。

 幾つの林を抜けたかは判らない。両足と、右の頬に小枝による引っ掻き傷を受けた良子は、前から近づく人影に気付いた。

(追っ手なの。でも一人しかいないなんて)

 不規則に何かを引き摺る音がする。人影から不意に声が発せられた。

「良子様、孝子でございます。御無事でしたか」

「孝子殿!」

 大声で叫ぼうとして、慌てて声を呑み込んだ。心細さに潰されそうな中、心強い仲間と再会できた喜びに胸が詰まる。止め処なく涙が溢れ出し、声の方向へと足を速めた。

「孝子殿、その怪我は……」

 再び良子は息を呑んだ。そこには、右手と右足が血塗れとなり、有り合せの添え木をして脚を引き摺りながら歩いてきた桔梗の姿があったのだった。

 

「レインボージャーク、デッドリーコング、共にレッゲルの尽きた状態で発見、ダークホーンによって牽引されており、上総勢が鹵獲したものと。但し、依然周囲には小型ブロックスが遊弋しており、御妻子様及び孝子殿の所在は不明と思われます」

 陸閉、仮の営所として設けられた陣幕の中、身体を横たえた小次郎の前に文屋好立が告げる。小次郎の隣には、口髭を蓄えた医師らしき者が小次郎の膝を頻りに押しながら診断をしている。

「して兼寛(かねひろ)、殿の具合はどうなのだ」

鬼座燐(オニザリン)欠乏によるもので御座います」

「なんだそれは」

 半身を起し、文屋好立の報告と同時に小次郎は耳を傾けた。

「相模の梅太郎という医師が見つけた栄養素にして、玄米等に豊富に含まれるもの。殿は食の偏りと過労による負担にて脚気を患ったのです。薬を処方するので、まずは養生してください」

「好立、良子と孝子の行方は判らぬのか」

「我らの力及ばず。ただ、良兼の軍勢に捕えられたとすれば反って安心かもしれませぬ」

 好立の言葉の裏には、仮に敵対する小次郎の妻とは言え、良兼が実の娘を(ないがしろ)にするとは思えないという意味が含まれている。小次郎もそれには同意している。しかし。

(孝子はどうなる。そして、烏合の伴類共に捕えられたとしたら)

「小次郎殿、今は動けませぬぞ」

 兼寛が制するまでもなく、小次郎の身体は鉛の如く重かった。悔しさに、歯噛みをする思いであったが、顎にさえ力が入らない。陣幕の外には、主を気遣い蹲る村雨ライガーの姿がある。僅かにソードウルフ、サビンガ、グスタフを連れた敗残の鎌輪勢が、散り散りとなった人々を想い、低く唸り声を上げていた。

 

「骨が折れています。こんな怪我で歩いてきたのですか」

 桔梗は穏やかに微笑む。

「御心配頂き、ありがとうございます。それよりも、良子様、そして多岐様こそ、お怪我は御座いませんか」

 良子は回した腕の中で、僅かに震えながらも健気に頷く多岐に目を遣る。

「私たちは大丈夫です。レインボージャークが必死で守ってくれました」

 桔梗は深い安堵の息をついた。

「良かった」

 まるで我が事の如くに。

 その時、再び人声が林に響いた。

〝血の跡だ〟

〝こっちに来たに違いない〟

 烏合の伴類の粗野な索敵の声が聞こえる。次第に周囲を取り囲まれる様子が判る。

 一刻も無駄にできない。

「行きましょう」

 先に声を上げたのは桔梗であった。

「行くって、何処へ」

「無論、殿の所在を捜しますが、最悪良兼殿の陣や従類に従うのも方策です。伴類達では何をされるかわかりません」

「それでは孝子殿が」

「私の心配など無用です。あなたには多岐様を守る義務があることと、そして胎内に宿るもう一人の御子の命を守らねばならぬことをお忘れになってはなりません」

 良子は思わず自らの腹部を左掌で押さえた。

 見透かれていた。桔梗の言葉通り、良子の胎内には、今は未熟ではあるが、新たな生命を宿していることを、同じ女として見抜かれていたのだった。

 右足を引き摺り、右手をだらりと下げたまま、桔梗は良子に先だって歩き出した。

 下卑た声が追って来る。

 月夜の中、二人の女性は森の中を必死に彷徨っていた。

 

 



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第五拾六話

 一歩を歩む毎に焼け火箸を差し込まれるような激痛が奔る。それでも桔梗は先達となって、飯沼畔の葦原を搔き分け進んでいった。だらりとぶら下がった右腕に、引き摺っていく右脚。もし一度でも歩みを止めれば、二度と立ち上がれなくなる事を自分自身が知っていたからだ。

「孝子殿、暫しお待ちを」

 後を追う良子は息も絶え絶えだ。まして幼い多岐には辛い道程である。鬼気迫る母と、そして桔梗の形相を見て、健気に小走りで歩んでいるが、両者の体力は既に限界が見えていた。

 静寂に包まれる飯沼の畔、思わず良子は立ち止まっていた。気付けば、下卑た怒号やブロックスの哨戒飛行の音が絶えている。

「敵がいなくなってます」

 良子は木々の梢の隙間に見える空を見上げ、耳を澄ます。

「もしかすると、一時陣を解いたのでは」

 だが桔梗は直観的に悟っていた。

 そんなはずがない。これは罠だ。私たちを誘き出すため、敵はわざと飛行を停止したに違いない。深い葦原を抜け、館を追われた鎌輪の衆を誘き出すための策なのだと。

 しかし、夫と別離した心細さと、我が子を一刻も早く救いたいという親心が、良子を惑わせていた。

「良子様、お待ちを」

 桔梗の留める声も聞かず、良子は多岐と共にふらふらと葦原の繁みが途切れる沼の砂州へ歩みを向けてしまったのだった。

 

 

 同時刻、陸閉(むつへ)に設けられた小次郎の陣幕は騒然となっていた。

「湖上より無数のバリゲーター群が出現、我が陣目指して直進して来ます」

 決して広大とは言えない飯沼の水面に、突如として鰐型ゾイドの群れが(ひし)めきあって浮上したのだ。水中での隠密性の為、鋼鉄の鰐の群れの接近に気付くことが遅れた。その数凡そ三十。背後を湿地に囲まれ、村雨ライガーを初め小次郎達の軍勢は逃げる事も戦うこともできない。

 横臥した(とこ)の上、小次郎は口惜しさに歯噛みした。

「これまでなのか」

 僅かなりとも主君を守ろうと、無人の村雨ライガーが低く身構える。だが、水上で無敵を誇るゾイド群は、いつまでたっても襲撃を開始しようとはしなかった。

 指揮官搭乗機らしき〝南無八幡大菩薩〟の旗を掲げたバリゲーターTSが敵意の無い事を示す為、バイトファングの奥に備え付けられた操縦席を解放したまま単機を以てゆるゆると接近する。牙に片足を乗せた棟梁らしき無頼の者が、小次郎達の潜む岸辺に野太い声を張り上げた。

「平小次郎将門様、無事で御座いますか。我は守谷の大木村、須賀家八代目当主、大江弾正重房で御座います」

「重房! 信太流海の湖賊、藤原重房か」

 陣内は一転して色めき立った。小次郎が仕官の為都に上り、その隙を狙って伯父国香や源家三兄弟のバーサークフューラー達が下総の知行を蚕食していた時期、旧恩を頑なに守って(あるじ)不在の鎌輪の所領を守るため戦っていた武侠の湖賊衆の当主である。

「亡き御尊父、鎮守府将軍平良持様には一方ならぬ恩義を賜りました。将門様の危急を知り、急ぎ信太流海より参じましたが、途中何度か上総勢に阻まれ到着が遅れましたこと、誠に申し訳ない。何卒将門様の軍に加勢させてくだされ」

 未だに身体の自由の利かない小次郎に代わり、三郎将頼と伊和員経、そして多治経明が葦原の畔に立ち、バリゲーターTSを操る武士が間違いなく大江弾正であることを確認した。上陸すると、臥せった小次郎の前に通されるが早いか、弾正は跪く。

「お懐かしうございます小次郎将門様。御尊父様の凛々しき姿が偲ばれます」

 言葉を区切った後、無頼の湖賊は顔を伏せた。朴訥さは小次郎に優っていたようだ。込み上げる感情を呑み込むと、弾正は力強く言い放った。

「この重房、率いた手勢によって必ず将門様をお守り申す。水守や常陸勢は、見慣れぬゾイドを引き連れていたと聞き及びましたが、水上に出てしまえば我ら湖賊に敵うものでは御座らぬ。まずはこの場から退き、確固たる営所を再建し、雪辱を晴らしましょうぞ」

「弾正重房よ。忠義の心、疑うべくもない。だが(ぬし)達の大毅の力を何処まで信じて良いものなのだ」

 漸く半身を起こし応答ができるまでに回復した小次郎が問う。

「将門様の御懸念、武家の棟梁としては至極当然。さすればあれを御覧下され」

 弾正の背後、浮き(フロート)を装備した筏に、黒山の様なゾイドが積載されていた。背中に棺桶を背負っている。

「デッドリーコングではないか!」

「配下の者が、上総勢によって拘引されていくレッゲルの切れたゾイドを発見し、一機を奪取致しました。水辺での戦闘に於いて、我ら湖賊に太刀打ち出来る者など、この坂東には居りませぬ」

 弾正の口元には絶対の自信が覗える。小次郎は思った。こんな顔の男を知っている。だが奴は湖賊ではない。海賊だ。

 潮風に焼かれた赤銅色の顔が、今は無性に懐かしかった。

「して将門様。敵について善からぬ噂を聞き申した」

 鋭い眼光を放ちつつ、弾正は周囲を見廻す。

「敵陣に於いて、坂東武者には似付かぬ下衆な策士がおるようで。残敵掃討のため、一時撤退すると見せかけ、安堵して現れた敗残の者を寄ってたかって嬲りものにするというので御座る。もし御味方衆で未だ陣に合流しておられぬ方々があれば、至急お助けせねばなりませぬ。心当たりは御座らぬか」

 小次郎を含め、周囲は凍り付いた。解放されたままのデッドリーコングの頭部操縦席に、僅かな血糊が認められる。

 呂律の回らないはずの小次郎の唇が、はっきりとその名を叫んでいた。

「良子と多岐、そして孝子が」

 小次郎は立ち上がった。ふら付き、四郎に凭れ掛かりながらも立ち上がった。周囲が止めるのも聞かず、そしてその決意に応え、村雨ライガーが頭を低く差し出していた。

「愛しき者を救うぞ、村雨」

 黄金の(たてがみ)を振り翳し慟哭する。

 碧き獅子が、再び立ち上がろうとしていた。

 



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第五拾七話

 背丈ほどに生い茂った葦原を掻き分け、良子と多岐の前に姿を現したのは、その風貌を容易に形容し難い(キメラ)型ゾイドであった。五指を備える剛腕に亀甲、異様に短い後肢二本で立ち上がり、無機質な目で女達を見下ろしている。四分割された亀甲には、飯沼の底の汚泥がこびり付き、葦の根茎を乱れた頭髪の如く引き摺っていた。

「母さま!」

 多岐が恐怖に引き攣った悲鳴をあげ、良子にしがみ付く。母の強さが、辛うじて良子の理性を保たせた。もし娘がいなければ、良子が先に悲鳴を上げていたに違いない。

(シェルカーン、それも有人の)

 右脚を引き摺って追いついた桔梗は、本来備わっていないはずの操縦席区画をそのゾイドの背部に視止めた。戦いの記憶が掘り起こされる。小次郎将門にとっての初戦、野本の戦いに於いて、常陸勢の伴類として参戦した機体である。平国香の死によって敗走したはずだが、鎌輪陥落を知り舞い戻って来たに違いない。わらわらと得物を構えた雑兵が葦原より湧き出す。良子と多岐の母子二人は完全に取り囲まれていた。

 桔梗の中で、二つの意識が鬩ぎ合っていた。

――ここで良子と多岐が敵の手によって亡き者となれば、自ずと正妻の地位は自分に回って来る――

 魔にも等しき極悪で下劣な思考である。そしてもう一つ。

――愛する者が、愛する者を守るために、我が身を投げ出す――

 究極の自己犠牲。それは同時に我が身の破滅を意味した。桔梗は伊和員経から贈られた、桔梗色の(あこめ)だけは常に携え、レッゲルの切れたデッドリーコングの操縦席からも辛うじて持ち出していた。

 その時桔梗が何を考えたかを知るには忍び難い。

 血に汚れた短甲を剥ぎ取り、薄紫の衵を纏った。傷ついた腕で着替えた為に襟は肌け、足袋と(つらぬき)を脱ぎ捨てた素足が妖艶な色香を漂わせる。下卑た笑いを浮かべ、舐め回す様に良子と多岐を眺める伴類の視線を(さら)うのは容易であった。

「そのお二人を、上総介平良兼殿の御息女と知って、狼藉を働く覚悟はあるか」

 凛とした声に一瞬怯み、伴類達は一斉に振り向く。しかし衵姿の桔梗を発見すると、一層毒々しい視線を良子と桔梗に代わる代わる注いだのだった。

「俺ら常陸の郷は将門のせいで焼き尽くされた。この女が良兼の娘ってことは、将門の女房ってことだろう。敵の女は何をしたって構わねえんだ。しっかり恨みを晴らさせてもらうぜ」

 雑兵が一斉に低く(わら)う。良子は身を竦める。

「せめて、娘は……」

 その声が、烏合の伴類の心に届く筈もない。雑兵は次第に包囲の輪を狭め、同時に桔梗にも弓と槍を翳しつつ迫って来る。

「その方を解放ちなさい。身代わりに、私の肉体(からだ)を差し出します」

「孝子殿、いけません」

 良子が振り返り叫ぶ。

「宜しいのです、良子様。あなたは小次郎様にとって、最も大切な方でございます」

 桔梗は覚悟を決めていた。

 

〝残敵掃討は如何した〟

 突如、シェルカーンの背後から四足の鋼鉄獣の影が二つ現れた。鵺型ブロックスではなく、バイオゾイドとも異なる常陸勢正規の大型ゾイドである。将官の操るゾイドの出現に、伴類達が慌てて直立し身を糾した。衵の襟を左手で押さえつつ、桔梗は反射的にゾイドの名を心の中で唱えた。

(レッドホーン、それにブラストルタイガー。さすれば、あれが平貞盛か)

 (たたら)の隙間から漏れる炎にも似た赤い筋を刻む黒い虎が、歴戦の傷を負う赤い動く要塞を引き連れている。ブラストルタイガーの操縦席が開き、坂東には珍しい細身の武者が姿を現す。色白で細面の容姿は、洗練された雅さを備えていた。眼下で怯える良子に向かい、武者は大仰に問いかけた。

「良子か、見違えたぞ。常陸の太郎貞盛だ、覚えておるか」

〝不用意に装甲を開いてはなりません〟

 操縦席を閉じたままのレッドホーンから、貞盛を諌める声が響く。

他田真樹(おさだのまき)よ、其方は女子への礼儀も知らぬのか。従妹とはいえ美しく育った女人を、直に見ずしてなんとする」

 豪胆さを示すように高らかに笑う貞盛に、桔梗は本能的に狡猾さを嗅ぎ取った。朴訥な小次郎に比べ、この男は冷徹で計算高い。

「良子、それに娘だな。二人とも、この太郎貞盛が必ず叔父良兼殿の元に届けてやろう。良いな」

 ブラストルタイガーからシェルカーン越しに睥睨すると、下卑た笑いをしていた伴類達も頷くしかない。

「して、そちらの女人が孝子だな。手練れの女傑と聞いていたが、噂とは大違いではないか。貴女のその容姿、都の香りは私にとっても懐かしい。どうだ、私のものにならぬか」

 貞盛の問いは、あまりに意外なものであった。伴類から、獲物を横取りされる野獣の呻き声が低く響く。

「悪いようにはせぬ。お前が望むなら、充分にその身を手当てし、相応の待遇をしよう」

 颯爽と流暢に語る貞盛に、しかし桔梗は更に警戒した。この男は、女である自分を籠絡して敵情を聞き出そうとしている。そしてその自信があるのだと。

 (おぞ)ましさに鳥肌がたった。例え死んでも、こんな男には従いたくはない。自然に言葉が口をついて洩れていた。

「お断りします」

 静かに応えた桔梗の瞳には、揺るがぬ意志が込められている。貞盛は怯んだ。硬い意志を読み取ったに違いない。

 この女は陥せない。であれば利用価値はない。

「好きにするがいい」

 それは桔梗と、そして伴類に向かって放たれた言葉であった。餌を与えなければ、伴類は忽ち離脱する。貞盛の意図は、良子を奪う代償に、桔梗という餌を残すという残酷な取引であったのだ。

 ブラストルタイガーとレッドホーンが機首を巡らす。レッドホーンの尾部銃座に捕縛された良子と多岐が、残される桔梗に向かい叫ぶ。

「孝子殿、一緒に参りましょう。今は耐える時です。例え敵の手に落ちても、必ずあの人が迎えに来てくれます」

 桔梗は涙を堪え笑った。

「お気遣いありがとう。でも、私は大丈夫。小次郎様と共に、どうか……どうか御多幸あられることを」

 痛みを堪え、必死に笑いを作る頬に、冷汗と、そして悲しみに満ちた涙が幾筋もの雫となって流れ落ちていた。良子の叫びがいつしか葦原に吸い取られ、ブラストルタイガーとレッドホーンの跫音も聞こえなくなっていった。

 

 その後の経過を記すのは辛い。

 戦に敗れ、蹂躙された地の女にどの様な仕打ちが待ち受けるかは、この時代の残酷な習いである。

 腕と足の怪我さえなければ、桔梗は充分に伴類共を打ち据えることも出来ただろう。しかし自由の利かない身体で、十数人の男と渡り合うのは不可能であった。

 抑え付けられ、衵を剥ぎ取られた素肌に、代わる代わる男達が身体を重ねた。

〝此の女、未だに生娘だぞ〟

 幻聴の如く、男達の下賎な歓声が聞こえた気がする。腕の痛みも足の痛みも耐えられる。

 だが只管に、心が痛かった。

 

 薄れゆく意識の中で、桔梗は最後に己の頸を絞める粗野な男の腕を見ていた。極悪な伴類の顔が、いつしか愛しいひとの姿へと変わって行く。

「こじろう……さま……」

 止め処なく涙が流れた。

 泥と異物に塗れ、渇き切っていた口腔に、いつしか甘い香りが漂い出す。

 死を直前にした幻想。

 小次郎が笑っていた。

 桔梗は涙を流し微笑んだ。

「あ、り、が、と、う」

 意識が拡散し、桔梗の心は光に包まれていた。

 

「桔梗の前よ、御苦労であった」

 死の寸前、意図せぬ意識が流れ込んでいた。

〝兄上?〟

 思いがけず、下野の営所でエナジーライガーを駆る藤原秀郷の姿が映っていた。

 

 

 藤原重房率いる湖賊衆に導かれ、襲撃の現場に到着した小次郎が目にしたものは、襤褸切れの様になって、飯沼の畔に横たわる桔梗の骸だった。

 声が出なかった。涙も出なかった。

「孝子――!」

 張り裂けんばかりの声を上げたのは、伊和員経であった。血塗れに汚れ、嬲り殺された骸の穢れも構わず、抱き上げ叫んだ。引き裂かれた衵を掴むと、更に泣き叫んでいた。

 小次郎は、桔梗の横たわった先に、血文字で何かが書かれているのを見つけた。

 

 ヨシコ タキ ブジ

 

 死の間際に遺した、桔梗の最期の伝言であった。愛した者の、愛する者を、守った証しであった。

 脳内が沸騰し、小次郎の怒りは頂点に達していた。

 

 絶対に許さぬ。そして良子と多岐を救うのだ。

 

 その時将門の脳裏に、怒りとは異なった閃光が、文字となって奔っていた。

「……無限……」

 見上げる先に、湖賊の俱した筏に載る村雨ライガーがある。

 その双眸に、新たな命の息吹が湛えられていた。

 

 

 

             第五部「バイオゾイド猛襲」了

 



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