獣耳天国 (黒樹)
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見えない彼と重ねる時間

sideユズハ
※盲目飛び越えてますが気にしないでください


最近、珍客が枕もとへと訪れる。盲目な私ユズハは目でその存在を確かめることはできないのですが、不思議とそのせいか他の誰にもわからないそれを見ることが出来ました。

初めて会ったのは二日前。何やらいつもとは違う気配を感じて、ふわふわとした気配に視線を向けるとその人は何やら物珍しそうに自分を観察する。そして、一通り眺めたかと思うと今度は私の耳や尻尾に触れてくるのだ。愛でるような手付きで優しく撫でる。その感覚に慣れないものを感じつつも私は受け入れる。何やら体の奥底から溢れてくる何かがあるのだが、とても気持ちのいいものなので私は彼に委ねてその時間を満喫することにしました。

御兄様達は戦に出掛けていていまやいない。退屈と心配の狭間に揺れ動いていた私にはとても有意義な時間だった。それに彼に撫でられた後はとても体調が良いのだ。

 

そんなこんなで、一週間が過ぎ……。

私はそろそろ彼に声を掛けてみようかと思う。

 

「あの……あなた様は?」

 

彼が部屋に入ってきた気配に声を掛ける。と、彼は驚いたようにこちらを見つめた。

 

「俺が見えるのか」

 

「はい…。いえ、見えるというわけではないのですが。毎日、会いにいらしては尻尾や耳を触られていくのでとても不思議な人だなと……」

 

「声も聞こえているのか?」

 

「はい」

 

どうやら彼は喜んでいるようだった。

 

「私はユズハといいます。あなた様は?」

 

「俺はヨミナだ」

 

「ヨミナ様ですか」

 

そう呼ぶと彼はとても難しそうな顔をした。いや、私が感じられるのは気配だけだけど、盲目な私には何故かそれが見えるようだった。

 

「ヨミナ様、か。ヨミナでいい」

 

「いえ、私の癖みたいなものなのでこのままでも」

 

「なら仕方ない」

 

淡々と諦めると彼はふよふよ浮かぶ。

しかし、やはり彼の視線は耳と尻尾に流されているようで気恥ずかしくなってくる。

 

「あの……どうしたのですか?」

 

「突然で悪いのだが、耳と尻尾に触らせてもらえないだろうか」

 

「へ?」

 

驚く私に彼は説明した。彼の声が聞けたのは私が初めてだと。触れられたのは初めてだと。だから、耳と尻尾を触らせて欲しいと。納得してはいけないのだろうか。

……とてもイケナイ行為のような気がする。けれど、私は今回初めて承諾してもふもふされた。いいですよ。そう言うと彼は優しい手つきで耳や尻尾に触れてくる。正直に言うと御兄様に頭を撫でられるより心地よかった。

 

 

 

「ふふ、そうなんですね」

 

それから他愛もない会話をして、仲を深めていく。彼は自分を古代の骨董品だと言った。よくはわからないが古代に生きた人間らしい。

とても充実した日々。彼に会ってからものすごく体調は良い上に楽しい。何やら御兄様に渋い顔で独り言とか言われたけど、確かに彼はここにいるのだ。たとえ兄でも私の友達を悪く言うことは許せない。

 

「ユズっち」

 

「ユズっち〜あ〜そ〜ぼ〜」

 

また何時ものように彼とお喋りしていると私の友達達がやってくる。そういえば、彼と話している間に彼女達が来たのは初めてだっけ。

すると、カミュさんが何かに気づいたようだった。

 

「あれ? ユズっち、お客様?」

 

「はい。ヨミナ様です」

 

オンカミヤムカイの使徒である彼女にとってこの類の人は初めてではないのだろう。

すると、そばにいたムティパカのムックルが唸りを上げてヨミナ様を見た。

 

「ダメ、ムックル」

 

「グルルルゥゥ……スンスン」

 

唸るのをやめ、ヨミナ様の匂いを嗅ぐ。

それに気づいたヨミナ様が懐から何かを取り出す。

 

「目敏いやつだな。ほら、肉だ」

 

香ばしい何かを投げる。同時にそれを空中でパクリと咥えたムックルはとても喜ばしそうに咀嚼し飲み込んだ。

 

「ガウ!」

 

「ムックル、甘えてる……」

 

信頼にあたる人物だと理解したのだろう。それよりも餌で釣られた感が否めないが、とても良い人だということは良く知っている。水を欲する私の為に水を汲んできたり、食べ物を運んできたりと彼女達がいない間は随分とお世話になっていた。

御兄様なんかよりよっぽど物分りがいいようだ。うちの御兄様ったら堅物なのだから。

ふと、ヨミナ様が何かに気づいたように二人を見た。

 

「君達も俺が見えるのか?」

 

「見えるって何が?」

 

「あー、この人特殊なんだよ。なんていうか魂だけのような存在かな。だから、カミュ以外は殆どの人が見えない筈なんだけど、なんでだろうね?」

 

「むしろ、今の俺が何なのか知りたいのは自分だよ。大体の予想くらいはしてるが、このような存在になる前の記憶だけがない。死んでるのか生きてるのかすらもあやふやな不安定な存在といったところか。まるでシュレーディンガーの猫だな」

 

「しゅれー…でぃんがー……?」

 

小首を傾げる私に「この時代の者は知らないか」と言ってやはりわからないことを言う。量子論の思考実験の一つとは何なのか。

箱の中に猫を入れて、それと同時に観測できない状態にして中では猫が毒物により生と死の半々の確率で、その現状を観測しないことにより矛盾した状態を生み出すとか。

 

「猫ってなんですか?」

 

「生命の一つだよ。ムックルよりも小さい小動物でとても気ままで気まぐれな愛玩動物として人間には飼われていたな。俺も一匹飼っていたよ」

 

「その猫ちゃんをなんで殺しちゃうんですか?」

 

「わざわざ危険な目にあわせる必要性か。科学者とは無慈悲で残酷なのかもしれないな。まぁ、俺もその類であったといえば、やはり怖いか?」

 

「いえ……。最後に一つだけ、いいですか?」

 

一瞬、翳る表情に私はとても冷たい何かを感じた。後悔の念が彼には積もっているようだった。

 

「何か……見られないようにして、いいことでもあるのですか?」

 

私の場合、何もかも見ることが叶わない。

青い空も。緑の高原も。赤い夕焼けも。皆の顔も全部全部全部、私には見ることができない。

唯一見えているのは、自分を幽霊だと楽観的に笑うヨミナ様の何かを隠したような姿だけだ。

 

「確かに。そのようなことをする意味はないのかもしれない。本来なら見られるものを見ないのは贅沢だ。当たり前のものを見られない者もいる。だからこそ、不確定な未来に可能性を求めた人間は罰を受けたのかもしれないな」

 

「……何故か。私にはヨミナ様だけがはっきり見えます。ですから私はそれだけで十分ですよ」

 

日々、濃くなっていくヨミナ様の気配と色が自分の暗闇の中に一輪の華のように咲く。

頬を掻きながらヨミナ様は苦笑い。

 

「本当に君には敵わないな」

 

「私はヨミナ様が語ってくれる物語以上の物語を耳にしたことはありませんよ」

 

ヨミナ様の語る物語を三人で日が暮れるまで聞いた。その日はとても良く眠れた。

 

 

 

□■□

 

 

 

戦は激化していくばかり。幾度ない進軍と後退の末、私はとても自由な時間を過ごしている。ヨミナ様も随分と好きなのかカミュさんの翼やアルルゥの尻尾やら耳やら楽しそうに触っているそうだ。

何故だか、他の人の尻尾やら耳やら翼やら触っているのを見ていると胸の中の何かが爆発しそうで、とても気分が悪くなる自分がいる。

そんな私もヨミナ様がいるお蔭で、一人で屋敷内を歩き回る程度はできるようになった。その度に心配して御兄様が飛び出してくるから困ったものだと相談すると、彼はやはり苦笑しながらも「心配なのはわかるな」と同情していた。その言葉に私はどうしても不安になる。

 

「そういえば、ヨミナ様はこんな場所でのんびりとしていてもよろしいのですか?」

 

「ん、あぁ……」

 

最近、頼り切りになってしまっている故に彼は自分のやりたいことを出来ていないんじゃないかと。もしかしたら彼にとっては迷惑なことなどあるのではないかと思って聞いてみたが、とてものんびりとした答えが返ってきた。

 

「肉体がないのは少々不便だが、そう焦っても仕方のないことだしな」

 

「ですが、私なんかの話し相手を毎日毎日、とても面倒ではありませんか?」

 

「いや、問題ない。俺だって好きでここにいるわけだし、ユズハといるととても安心する。……正直にいうと、一人は少し寂しいんだ」

 

泣いているような気がした。ヨミナ様の手を握るとやはり日が経つごとに存在が強くなっている。けれど、弱みを僅かに見せた彼は私達とそう変わらない、まるで御兄様と同じ感じがした。

でも、何故か……兄とは違うのだ。私が彼に感じているのは全く別の感情だと思う。それが今まで感じたことのない嬉しい感情で自然と頬が緩んだ。

 

「そうですか。なら、もう少しだけ……私にお付き合いくださいますか?」

 

「体調が悪そうならすぐに部屋に戻るぞ」

 

「はい」

 

そんな約束の矢先。タイミングを計ったようにバンと数歩先の扉が開いた。

 

「お前、また抜け出したのかユズハ! 一人で出歩くなとあれほど言っているだろう!」

 

物凄い剣幕の御兄様の顔が浮かぶ。心配してくれているのはとても理解しているのだが、もちろん私は一人ではないのだ。

 

「違います。御兄様、私はひとりではありません」

 

「なんでそんな見え透いた嘘を……」

 

「ヨミナ様」

 

腹に据えかね事前通りにヨミナ様は、御兄様――オボロの腰に拵えられた刀を抜く。咄嗟の現象にまるで反応できない御兄様の首元へと風が舞うより疾く剣先を突きつける。

 

「なっ!? わ、わかった。悪かったからそう怒らないでくれユズハ。体に障る」

 

刀が鞘に返還される独特な噛み合う音。どうやら私はヨミナ様の触るものまで見えるらしい。身の丈の半分程の刀が煌めくのが見えた。

 

「ふふっ、じゃあ行きましょうかヨミナ様」

 

悪戯の成功した子どものように笑う私にヨミナ様は見たことのない笑顔を見せてくれた。

刀を返還された御兄様の狐に摘まれたような顔を見られないのはとても残念だ。

 

 

 

 

 

彼のことを知っていくのは何も私だけではない。存在が認識できない御兄様やオンカミヤムカイの使いではない者達にはまだヨミナ様は見えない。

そんな者達を除いて、アルルゥやカミュは私と同等に彼を知っていく。

薬に詳しい。料理が上手。私達の体について異常な程の知識量。武芸の才も御兄様より格段に上。桜が好き。甘いものが好き。花が好き。動物が好き。

 

きっと私の知らない彼はまだいるのだろう。

カミュが言うにはヨミナ様はオンヴィタイカヤンという過去よりの来訪者らしい。滅びた彼らの魂の成れの果てが此処に辿りついた。

それが本当なら、ヨミナ様は死んでいるということになる。でも、その案にカミュは否定的で彼はまだ死んでいない妙な気配がするのだとか。

 

私達の大いなる父である。そして、私達の大神ウィツアルネミテアに滅ぼされた古代人。

彼は過去を語らないまま、そして私も過度に彼の領域には踏み込まないようにしていたら、今度はアルルゥが尋ねる。

 

「なんで、オンヴィタイカヤンは滅びたの?」

 

「ウィツアルネミテアに滅ぼされた。彼らは怨まれて当然のことをしたんだよ」

 

「当然のことって?」

 

「……世界で一番大切なものを壊された。それも彼らの傲慢のせいで」

 

大事な部分だけを省いた説明にアルルゥは納得したようだった。彼女の中には大切なものが一つだけ浮かんだのだろう。それで満足したようだった。

 

「アルルゥにはまだわからないか」

 

「ん……?」

 

その様子に少し安心したような顔の彼はとても和やかでやはり寂しそうなのだ。




これは思いついただけで続くかどうかもわからない作品です。息抜きです。期待しないでください。


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コトゥワハムルの死神

うたわれるもの。
メインは偽りの仮面あたりですのでだいぶ飛ばしますご了承ください。


 

 

 

「全軍、進め!」

 

大量の兵と全ての将を伴った進軍をハクオロは開始した。残る負傷兵などの雑兵を除くと、戦力はかなり削った形になる。残ったのはオンカミヤムカイの使いとアルルゥにエルルゥ、ユズハととても心配な面子である。

エルルゥに至ってはアルルゥと共に負傷兵の手当てに赴き今や庭で駆け回っている頃であろう。

見慣れた白輪がふらふらと浮いている様を想像するととても愉快である。

 

「行ってしまいましたね」

 

「そうだな」

 

部屋の窓辺から見える兵隊の進軍、その音を聞くユズハは不安そうな声を出す。自分の兄が戦に行くという事実を知っているだけに不安なのだろう。

対して、淡白な反応を返してしまったことを反省しつつ励ます。

 

「大丈夫だ。そう簡単に死ぬような連中じゃない。それに優秀な指揮官もいることだしな」

 

「ハクオロ様のことですか?」

 

「あぁ、今はそんな名前だっけか。どこの世界に行っても愚か者は絶えないが、ハクオロはどうもそんな愚直なやつではないしな」

 

自分が優れていると疑わない貴族だとか、王だとか、科学者だとか。そういう奴こそ没落するのだ。過去の人間がそうであったようにこのトゥスクルも似たような経緯で王を打ち倒し、国となった。

 

「しかし、準備しておくに越したことはないか」

 

「どこか行かれるのですか?」

 

立ち上がった事を咎められる。何処か不服そうなユズハは服の袖を掴んで離さない。子供かと突っ込みたかったが、彼女にははぐらかしたことがわかるだろう。

 

「ちょっとした準備だ。刀の一本くらい護身用に持っていてもいいだろ?」

 

「それなら、兵装用の蔵がある筈ですのでそこから一本お持ちになってください」

 

場所はわかってるから早く帰ってきて、と言わんばかりの真剣な表情を背に感謝の意を伝えて、心内では少しばかり祈っていた。

気鬱だといいなぁ……。と、こういう嫌な予感ばかり引き当てる不運は、事前に察知できるだけマシなのかもしれない。

 

 

 

 

 

その嫌な予感は的中する。

兵装用の蔵から戻った後、眠そうなユズハに昼寝を誘い自分も同衾を願われた。せめて布団で一緒にではなくムックルを毛布代わりに仕方なく受諾して、何時しか自分は目覚めてから一度も眠りに就いていないことに気づいた。

 

ハクオロ達の出陣から僅か二刻。

木陰でムックルを枕に眠る三人娘達と幽霊、もしくは生霊の元へと焦ったような足音が聞こえてくる。

その足音は眠りこける三人娘の前で立ち止まると、焦ったように叫んだ。

 

「敵襲! 起きて、三人とも!」

 

エルルゥがアルルゥの肩を揺さぶる。まだ寝ぼけ眼のアルルゥは重いまぶたを擦りながら返事をした。

 

「おねーちゃ……敵?」

 

「うん。見張りの人からさっき伝令が来て、半刻もしないうちにここに来るって」

 

「数は?」

 

「およそ百らしいわ」

 

「なら、ムックルと私で充分。起きて、ムックル」

 

ぺちぺちと寝そべっている獣を叩くと、拒否もなく主の声に応えた。咆哮を上げる。やる気は絶大なようだ。だが、百という数は子供には重過ぎる。

 

「いけません! 何かあったらどうするのっ。あの人もいないし兵は負傷して動けない。あなた一人で、他には誰もいないのよ」

 

「う〜っ」

 

妹を行かせまいと奮闘するエルルゥに少し唸りながら、自分を見る。アルルゥはいいこと思いついたと言わんばかりだ。

 

「一人じゃない、二人」

 

確かに戦っても良いが、ダシにされるくらいなら一人で戦う方が性に合うのだが。

もちろん、エルルゥには見えていない。ムックルかカミュだと思ったのだろう。腰に手を当てて仁王立ちだ。

 

「違う。ヨミニィ、いる」

 

おい、誰が兄だ。嬉しいが。嬉しいのだが。いつから自分は兄として認識されていたのだろうと思うと、謎は深まるばかりだ。

 

「私には兄も弟もいません! それならこの状況を覆せるその人を連れてきなさい!」

 

「わかった」

 

アルルゥがちょいちょいと手招きする。俺は従って耳を寄せる。ユズハから何やら不穏な空気を感じたが今はいいだろう、緊急事態だ許せ……いや、一体自分は何故許しを乞うているのか?

背中に感じる視線に震えていると、アルルゥは耳元でこう囁くのだ。

 

「おねーちゃんのスカート捲って」

 

「ちょっと自分に死ねって言ってらっしゃる!?」

 

ハクオロの(未来と過去の)嫁だぞ。

それこそ、ウィツアルネミテアに何されるかわからない。

 

「大丈夫。アルルゥも一緒に謝る。それに、バレなきゃ大丈夫」

 

「証明しようとしてんのにバレなきゃ大丈夫って無理があるだろ」

 

「やり放題」

 

「悲しい悪戯だな。バレたら怖いし」

 

「男の人はそういうのが好きって……?」

 

「一理あるかもしれんが偏見だ」

 

どこでそんなことを覚えたのか。あれだけ兵がいるのだからそのうちに変態がいてもおかしくはない。よし、その兵隊さんをお兄さんに紹介しなさい。

 

「む〜〜〜っ」

 

「唸ってもダメだぞ。悪戯をやるのは結構だが、その悪戯に俺を巻き込まないでくれ」

 

犯罪性がなければやる。と、伝えるとアルルゥは数拍置く間もなく妙案を思いついたように、

 

「……アルルゥの服が捲りたい?」

 

「いや、あのな、ちょっと需要と供給が追いついてないというかなんというか。俺は変態幽霊のレッテルを貼られるのだが」

 

妙案だ。確かに妙案だ。

果たして、牢屋に放り込まれるだけで済むかどうか、そして後ろの死線はどう掻い潜ればいいのか。

 

「じゃあ、ユズっちのにする?」

 

「まずはそういう路線から離れようか。シスコンのオボロに殺されかねん」

 

しかも、犯罪性から遠のいてない。

こら待て。犯罪から遠のいたのになんでユズハは不服そうなんだ。そんな視線がひしひしと伝わってくる。

結局、論より証拠――姿を見られないのならば刀を浮かせればいいだけの話だ。信じるかは別問題として、アルルゥに伝言を頼むことにした。

 

 

 

□■□

 

 

 

門を閉鎖する。城内へ入るための一つの道は今絶たれた。断絶した壁を前に俺は腰に一本の刀を携えて、残り百程の刀を道に突き刺した。

まるで、刀の並木のような道に罠を張り巡らせ、見えないながらも仁王立ちで敵を迎える準備は万端だった。

 

「そろそろか」

 

アルルゥには一人で戦うと告げておいた。

不服そうなアルルゥには納得させる為、門の向こうで討ち漏らした敵を仕留めてもらう手筈でなんとか納得させたが、言うことを聞かない様子が目に浮かぶ。

無論、撃ち漏らす可能性など無いに等しいが、警戒だけはさせておいた方がいいだろう。

 

「……少しよろしいですか?」

 

門の前に立ち塞がる俺の背後から、羽音と共に透き通ったような声が掛かった。カミュではない。もう一人のオンカミヤムカイの使い。名はウルトリィ。

白く綺麗な翼が生えた女性、金髪の淑女は慈愛の天使の様相すら連想させる神々しい姿。彼女に振り返るとやはり認識しているようだった。

 

「もうすぐ此処は戦場となる。できるだけ手短に頼もうか」

 

承知していると頷く。お約束の見えるかどうかの質問は省いても良さそうだ。

急ぎのようではないのですが、消えてもらっても困りますし、なんて素直な理由を述べてから、彼女は早速と本題に入ろうとする。

 

「私達の大神ウィツアルネミテア。その御方が私達の祖先を解放した、と伝承には記されています」

 

「ハッハッハ。俺が事実を知るとでも?」

 

「はい」

 

彼女達が大いなる父と呼ぶ存在と、大神ウィツアルネミテアと呼ぶ存在。その事実関係は長い時の流れを経ながらも何処からか伝承として残るようだ。昔の人間にも思ったことだが、よく過去の事実などを掘り起こせるものだと思う。

しかし、そんな事実確認はどうでも良かったようでウルトリィは清涼な声で語る。

 

「しかし、それとは別にもう一つの物語も存在するのです。我が皇家とオンカミヤムカイだけにしか伝わっていない真実。かつて私達の祖先が大いなる父に生み出され、人として扱われない『実験体』そう呼称される時期がありました」

 

「それが君達の大神ウィツアルネミテアを崇める理由と、オンヴィタイカヤンの違いだな。彼らは崇拝できるほど崇高な存在ではなかった」

 

この世界の理。伝承では、古代人は獣人を生み出した大いなる父とされ獣人はウィツアルネミテアの神の子らとされている。

まさか、実験の為に彼らを創り出したなどとは真実を知らなければ夢にも思わないだろう。

ウルトリィは彼方を見据えたような瞳でこちらを見つめると「そうかもしれませんね」と頷く。

 

「ですが、そんな中に一人だけ私達を人として認めてくれる人がいた。家族のように接してくれた、友人のように接してくれた、私達を愛した存在がオンヴィタイカヤンにもいるのです。その方は私達を命懸けで解放したもう一人の神として言い伝えられています」

 

「随分と優しい人がいたものだな。実験動物相手によくもまぁ命を賭けられたものだ」

 

話は終わりか。言葉を吐き捨てると、手で払う仕草をして追い払う。

 

「ほら、話が終わりなら行った行った」

 

「そうですね。また、後日お話をさせてください」

 

翼を広げて空へと飛び立ち、閉ざされた門の向こうへと消える翼を見送った。

大群が地鳴り響かせる音が近づく。

敵は目前まで迫っていた。

 

 

 

 

 

「門をぶち破れェェェ―――!!」

 

トカゲのような動物に乗った一団が姿を現した。剣を掲げ命令と共に大地を駆ける。先頭のリーダーらしき男の声に兵達は続く。

敵がいないことに好機と見たのか進撃は疑う余地なく実行される。

目前の二十メートルあたり、ウォプタルなる馬に跨った兵がそこを通り抜け、激突目前に迫ると、

 

――ボト。

 

と、馬の上から崩れ落ちた。

上がる血飛沫に場は騒然とする。落ちた仲間を見つめると首から上が転げ落ち、胴体と離れている姿を目にした。

 

「なんだ。たった十人か。もっといけると思ったんだがな」

 

「き、貴様何者だ!? 何処から湧いて出た!?」

 

「酷いな。人をゴキブリみたいに。幾らなんでも俺は百も千もわかないぞ」

 

今まで見えなかった敵方が突然、俺の姿を認識したのはともかくとして。

十の屍に降り立つ俺は敵兵の残存戦力を確認した。

おそらく、馬を用意出来なかったのであろう、ざっと見て敵の数は六十。

 

「まったくせっかく用意したのに剣が四十本も無駄になったじゃないか。労働力返せよおい」

 

「何をしたか知らんが敵は一人だ。かかれぇ!」

 

再度の突撃命令。見えない罠にまた一人喰われる。崩れ落ちる兵に恐怖し足が止まる。

まだ、敵兵には血の滴る糸が見えなかった。完全に罠という発想ではなく、突然目の前に現れた脅威に注視する以上の行動を奪われてしまったのだ。

見えることは計算に入っていなかったとはいえ、結果論的には万々歳と言えよう。

 

作戦を変えて、ジリジリと詰め寄る兵達。

その兵の一人がふと空に浮く赤に気づいた。

 

「なっ! 糸だ、糸が張ってあるぞ!」

 

「正確にはワイヤーつってな、この時代むちゃくちゃ貴重なんだぞ」

 

罠に気づいた兵が刀でワイヤーを叩く。しかし、並の攻撃では糸は切れない。ならばと糸を避けて前進した。

 

「かかれぇぇぇ―――!!!!」

 

「うおおおぉぉぉぉ!!!!」

 

数人の敵兵が接近する。刀を腰から抜かない俺に容赦なく斬りかかる。振り下ろした刀、突き刺した槍はどっぷりと胴体に突き抜けて、そして敵の思考を削ぐには十分な結果を生み出した。

腹に刺さった槍は手応えなく、振り下ろした刀は霞を斬るような手応え、まるで何も触れていないかのような感覚に兵達は訝しむように手元を見る。

俺に与えられた現象は『内蔵を揺さぶられたような違和感』だけ。血も吹き出してなければかすり傷一つない。

 

「さぁ、反撃の時間だ。兵がいない事を知りながら、女子供に手をだそうとしたこと後悔して死ぬがいい」

 

戦場に吹く一陣の風。

コトゥワハムルの死神。

後にトゥスクルに残された大いなる伝説の一つとして語り継がれていくことになる。



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満月の夜

 

 

 

幽閉。

幽霊を閉鎖空間に閉じ込める――この行為を略して幽閉と俺は思う。なんてことは無い。しかし、幽霊を幽閉などとまずどうやって捕まえるのか。その方法は多岐に渡り方法すら存在しないかもしれない。そんな馬鹿な事を考えながら、小さな灯と外界と自分に隔てられた檻を見てふっと笑う。

 

「退屈だ〜」

 

土塊に手を広げて寝転ぶ。あっ、気持ちいい。

冷たい感触に懐かしさを感じる。そう。あれは人類がまだ生まれる前、そして死によって土に還る輪廻転生の理を基づき――うむ、召される。

人は土に還るのだ。空じゃない。大いなる大地に養分として吸収される。実に建設的だ。血肉も骨も全てが母なる大地へと還元される。

 

こうなったのも一刻ほど時を遡る。

 

 

 

□■□

 

 

 

血塗れた戦場から罠と武器を回収、閉じた門を透過し敷地内へと戻った瞬間だった。

門の前で待っていたのだろうユズハが危ない足取りで走ってくる。あまりにも危なっかしい足元に駆け寄るとユズハは足をもつれさせ倒れ込んでくる。それを受け止めた俺は抱きつかれるような体勢になってしまった。

 

「あ……」

 

「ふむ。どうやら支えることくらいはできるらしいな。でも、戦場は危ないからせめて屋敷に戻っていれば良かったのに」

 

「そ、そうですね。心配をおかけしてすみません」

 

少しだけ心此処に在らずといった様子で顔を離すとユズハは腕の中から離れた。

その時、白い影が覆いかぶさった。

 

「ヨミニィ」

 

「ガワアァァ!!」

 

「キャッ……!」

 

近くにいたユズハ諸共巻き込み倒れる。

そんな病弱な彼女の背中に腕を回した瞬間、小さな揺れに思考は一時停止。直後、とても近くにユズハがいることに気づき、同時に温かく柔らかな感触が唇に。

 

「す、すみません、すぐ退きます」

 

「あぁ、こちらこそすまない」

 

そんな事故に対して、アルルゥはきょとんとした面持ちで尋ねてくるのだ。

 

「ん? ユズっち、ヨミニィ、なにしてるの?」

 

「ユズハーーー!! 無事か―――……。おまえ、ユズハに何をしている!? 無抵抗な女に対して貴様ァァァ!!」

 

そして、運の悪い事に全てが終わった直後に嵐は帰ってきた。

 

 

 

□■□

 

 

 

簡単に説明すると、だ。

殲滅。一瞬の気分の高揚でユズハに抱き着かれ、ムックルやら何やらに押し倒された上、事故だったのだろうキスをされた。急いで帰ってきたお兄ちゃん目撃。激怒。憤怒。嫉妬。何故か透過できなくて投獄。以上。

「俺だってまだされたことないのにっ!! ユズハに何をする」とやたらシスコンめいた台詞は意味不明の一言に尽きる。

ユズハやアルルゥは反論してくれたが、頭に血の昇ったオボロには届く筈もなかった。

ただ唇の感触を思い出してはニヤニヤしている自分がいる。ちょっとキモイ。

 

「看守殿、暇だ。何か面白い話はないか」

 

そんな幽閉の身にして幽霊な俺は、陰湿ジメジメとした不清潔な穴蔵で手だけを牢の外に出し、駄々を捏ねる子どものように要求する。

せめて、監視役は女の子の方が良かった。むさ苦しくなくて見てるだけで癒されるような存在。尻尾か獣耳を触れればなおよし。

 

「静かにしていろ。得体の知れない者とは会話しないように仰せつかっている」

 

「あっそ。……知りたくないか。そうかそうか、女子の下着には興味無いか魔法使い諸君」

 

何か言いたそうな看守。チラチラとこちらを気にする。話の続きでも待っているのだろうか。こりゃ面白い退屈しのぎだ。

そもそもの話、この時代の衣服については知識がないのだがそのことについては黙っていよう。

そんな馬鹿な話をしていると気配が一つ近づく。お近づきになりたくないあいつがやってきた。

 

「そうやって見張りを騙して牢から出るつもりか」

 

「あぁ、ユズハの兄貴か。なんだ妹の服の下が気になるのか?」

 

「なっ、貴様ユズハとどういう関係だ!?」

 

「うん。見た通りの関係じゃない?」

 

オボロの見たものはハプニングキスシーン。誤解すら生まれかねない衝撃的な事実だ。別にユズハが忘れろというなら忘れる。忘れられるものだったらだが。

青筋をぴくぴくと浮かべるオボロは相当、妹に何かしら言われたのだろう。今にも斬りかかるのを我慢しているように見える。

 

「おい、見張り番。鍵を開けろ。そして、俺が入ったら鍵をかけろ」

 

「はっ!」

 

オボロの命を受けた看守は即座に牢の鍵を開き、オボロが入ると鍵をかける。所定の位置に戻った。

どっかりと腰を下ろすオボロに俺は隙だらけの背中を見せる。どうやら奴は攻撃する気はないらしい。

 

「それで何の用だ? ユズハのお・に・い・さ・ま」

 

「気色の悪い声を出すな、それと誰がおにい様だこの怪しい奴め!」

 

「つれないなぁ。チェンジで」

 

男の獣耳に興味はない。ムックルなら可愛げもあるしそちらの方がマシだ。と、要求するとそんな要求は通らんと足蹴にされてしまった。

 

「まったく……せっかく妥協したというのに、なら仕方ない女の子で――て危ないな!」

 

「貴様のいる牢に女と二人きりの方が危険だ。貴様のような得体の知れない男がユズハと会っていたなど、くそっ」

 

刀を鞘に納刀したまま振りかぶる。しかし、刀は通過し当たることは無かった。悪態を吐くオボロは苛立たしげにこちらを睨む。

 

「まぁ、そう怒るなよ。嫌がるなら何もしないっての。嫌われたくはないからな。君だってそうだろう?」

 

「貴様、どうやってユズハに取り入った」

 

「……会話になってないぞ」

 

取り合うつもりはないらしい。人の話を聞かない面倒な頑固者だ。

嘆息する。飽きた。面白くない。

それにそろそろ獣耳成分が足らなくなってきた。この世界に目覚めてからというもの、尻尾等は自分にとってかなり重要なものとなっているらしい。

昔から好きだったが、今になって重症患者もはや末期レベルだ。ターミナルケアが必要かもしれん。

 

「あー、暇だ。退屈だ。何も無い退屈と平凡は俺の敵だ。じゃあな、オボロ」

 

すうっと檻を透過して通り抜ける。オボロ唖然。気づいた時にはもう遅い。幽霊っぽい自分はポルターガイスト的な事を行えるらしく、遠隔操作で物を浮かせる事ができるらしい。そのまさに幽霊じみた能力を使ってオボロの刀を取り上げる。鍵のかかった檻に幽閉されたオボロはもう出ることはできまい。

ついでに看守達を奪った刀で昏倒させ、鍵は容赦なく奪っておく。

 

「は、貴様何をした!? どうやって牢から!」

 

「無礼な奴に教える義理はない。少しは頭でも冷やすんだなオボロくん」

 

ついでに昏倒した見張りを他の牢屋に放り込んでおく。鍵をかけたら最後、オボロの入った牢屋の向かい側に鍵を吊るしておいた。

 

 

 

 

 

牢を抜けてふわふわと歩く。そんな俺に対して、どんな反応をしていいのか半信半疑で目を疑う兵達が呆然と突っ立っている姿は妙に滑稽だ。

満月が昇る月灯りの下、廊下を歩いていると様々な者に出会う。エヴェンクルガのトウカ。侍大将べナウィ。ラクシャライ副長のクロウ。いずれも挨拶をすると気楽に返してくれる。いったい自分の処分はどうなったのだろうか。クロウには手合わせを願われたが遠慮願いたい。

そして、パタパタと走り回る美少年の双子の姿も月の下にあった。

 

「若様ー!」

 

「あっ、若様を知りませんかヨミナ様」

 

はて、俺は投獄中の身。こんな風にいきなり扱われるのはとてもむず痒いものがある。その上、この二人の主様は自分が投獄――は語弊がある。むしろ自分から入ったのだ俺は兵を片付けたに過ぎないのだから堂々としていようと思い直して、ドリィとグラァに向き直る。

 

「オボロなら牢獄だ。今頃、助けを求めて叫んでいる頃じゃないか?」

 

「そうですか。ありがとうございます」

 

「しかし、そんなことを教えてよろしいのですか? 解放したらまた若様に……」

 

「一応は、恩人ですし。ユズハ様の良い人であらば若様も耳が痛くなるほど注意されていたので、何も無いとは思いますが……」

 

「「どうかお気をつけて」」

 

ドリィとグラァは礼をすると去っていく。

不穏な忠告を残されたが、まぁオボロも妹の前では無力だろう。

廊下をさらに進むとバルコニーのような場所を見つけた。そこにはカルラが月見酒を楽しんでいる姿があった。

 

「あら、これは珍しいお客様ね。あなたも一献お付き合いくださらない?」

 

「酒は好まないのだが。……酌をする程度なら」

 

誘われカルラの隣へと座る。もう随分と飲んでいるのか酒の匂いがやたらと強い筈なのに……そこまで酒臭くはなく自然な風の匂いが漂う。

カルラは空になった杯を出す。俺はその杯に酒を傾け注ぐと、カルラは少し薄く笑って、

 

「ふふ、伝説のオンヴィタイカヤンに酌をされるなんて私が初めてではないかしら。ヨミナ様はお酒は嫌いかしら」

 

ぐいっと飲み干す。

空になった杯に酒を注ぐ。

 

「姉さんに止められてるんだ。どうやら俺は酒を飲むと何かやらかすみたいでな。しかも性質の悪いことにその記憶が全部あってな……数日は顔を合わせづらくて思い悩んだものだ」

 

「何かとは何なのかしら。気になりますわ」

 

「……そうだな。一番新しい記憶は獣人の女の子と一緒の部屋に泊まり、挙句に姪に目撃されたことかな」

 

普通、実験体の部屋は統一されている。それを酔っ払ったままどうかっぱらってきたのか。我ながら獣人相手になるとどうも常人を超えてしまうらしい。

 

「だいぶぼかした言い方をしますのね。でもまぁ、ご愁傷さまというかなんというか……ごめんなさい」

 

「いいさ。後悔はしてない。多分、尻尾や耳に触っただけだと思うから……」

 

「あなたさっき記憶は全部あると言いませんでした?」

 

「都合の悪いことは全部忘れる主義なんでな」

 

それより、と続ける。

 

「俺は釈放か?」

 

「ええ。恩人に対しての無礼。エルルゥさんやアルルゥ、ウルトリィやユズハの証言がありましたから、というかあなたあの残念な兄に牢を開けてもらったのではありませんの?」

 

「抜けてきた。大丈夫だ。俺の代わりにオボロが牢に入ってくれている」

 

「……何があったのかは問いませんわよ」

 

やや呆れたような愉快そうに微笑むカルラ。

さて、と立ち上がると酒の入った徳利を手にひらひらと手を振る。

 

「どこに行くんだ?」

 

「私はお邪魔のようですし、酒の肴でも蔵で探してきますわ」

 

「邪魔……?」

 

はっ。と振り返る。まさかオボロが追ってきたのかと思い座ったまま見上げると、ユズハが手探りにこちらへと歩いてくる姿が目に入った。

 

「ヨミナ様? 少しだけ……お話をよろしいですか」

 

 

 

□■□

 

 

 

満月の下。ヨミナ様と二人で空を見上げる。

果たして、私には見えない月と星が彼には見えているのだろうか。

妙によそよそしい態度の私、変だ。自分に違和感を感じながらも、目に見える距離感がそこにはあった。いつもとは少し離れている場所に座る私は距離を図りかねているようなそんな感覚。

 

「先程は…………すみませんでした」

 

「オボロのことか? 気にするな。仕返しに牢屋に置き去りにしてきたから」

 

「そ、そうではなくて……! それもそうなのですが、そうではなく」

 

言い辛い。とても言い辛そうに手を膝の上に置くと擦り合わせ、困った様に告げる。

 

「キス……です」

 

「……いや、事故とはいえこちらも本当にすまない。嫌な思いをさせただろう」

 

「そ、そんなことは。むしろ私は嬉しく……その、不快な思いをさせたのは私ではないのですか?」

 

「何を言うんだ。何を不快に思うことがある?」

 

打ち首にされても可笑しくないのは彼の方だと言う。過去より不埒を働いた男は厳しく処罰されると決まっているのだ。それは過去、獣人には適応されなかった。

実験体相手に欲を抱く者もいなかった。彼らにとって実験体は実験体でしかなかったからだ。それはとある一人の特例を除いて。

 

そんな特例相手に、ユズハは怯えたようにしているのはどうしてだとヨミナ様は聞いた。懺悔するように、何かを恐れるように私は口を開く。

怖い。初めて見つけた。彼の反応が。本心を知ることが。

 

「私は体が弱く、命も短いです。そんな私に好かれ了承もなしに口付けをするなんて、とても迷惑ではなかったのですか」

 

「……」

 

多分、その時のヨミナ様は間の抜けた顔をしていたのだろう。自分の質問が頭に痛く響いた。勇気を出した告白にも聞こえた。私の中で恐怖と羞恥の感情が浮き上がる。

 

「とんでもない。ユズハのような女の子にキスされて嫌な奴なんているのか?」

 

「だって……私はとても迷惑を掛けています。私なんかよりアルルゥのような元気な子の方がいい、ってわかっていますから」

 

「そうか」

 

では、逆に。

と彼は続けた。

 

「いつ消えるかもわからない俺だ。そんな俺が誰かを好きになっていいのか?」

 

「なら……もうすぐ死んでしまう私が誰かを好きになってよろしいんですか?」

 

まるで手探りにお互いの気持ちを確かめ合っているようだと、私は思う。

 

「俺はユズハより先に消える」

 

「私はヨミナ様より先に死んでしまいます」

 

「もしかしたら、俺は死んでいるかもしれない」

 

「なら、私はヨミナ様の後を追う形になりますね」

 

……。そこまで言って、ヨミナ様は深い溜息を吐いて床に寝転がった。

そして、まるで浅い息をするように小さく漏らされた一言が、夜闇に消える。

 

「……それでもいいだろ。好きなんだから」

 

「……!」

 

その一言が堪らなく嬉しくて。

やだ、どうしよう、尻尾が止まらない。

ぶんぶんと振ってしまう。

千切れんばかりで、この感情のやりどころに困ってしまう。

見つけた。感情のやりどころ。

 

「……改めて、口付けをしてもいいですか?」

 

「そうだな。だが、それは俺の仕事だ」

 

今宵、満月の夜。

月が私達を祝福してくれる。

寄り添う私達に邪魔するものはいないと。

まるで、語りかけてくるようだった。

 

「キーサーマァァァ!! またかぁぁぁ!!」

 

――ただ一人、認めてはくれないようだけど。




……だいぶ飛ばしたなぁ。


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旅路

「その……大丈夫ですか? 申し訳ありません。お兄様がまたあなたに……」

 

薬師のエルルゥの部屋。夜も深まる頃、まだ起きていたエルルゥに治療を受けていると、ユズハは耳を垂れさせ落ち込み気味に消えそうな声で謝罪する。

治療を受ける俺の頬には小さな刀傷が出来ていた。

それは先程、オボロに付けられた刀傷だ。シスコン暴れん坊将軍は悪気はまったくなかったのだろう。

透過できたはずの剣がつけた傷は避けるに足りないものだった。が、悪寒を感じた故に咄嗟に回避行動を取った結果がこれだ。

刀の軌道は完全に当たるものでも、自分なら透過して回避するまでもない筈。それが何故か透過できないほど自分の存在はこの時代に定着しつつある。これがいったい何を意味するのかはわからないまでも、新しく知ることもあった。

 

「やっぱり私が恋人だなんて……」

 

「まぁ、そう言うな。本当は当たらない筈だったんだ。オボロもそれをわかっていたはずだ。俺も少し自分の存在を見誤っていた」

 

「ですが、私といるとまた……」

 

「オボロももう反省しているようだし、それで十分。今の俺にとってはユズハがいなくなることの方が大問題だ」

 

願うならもう斬りかかるのをやめて欲しい。

きっと、それは叶うだろう。

今度こそシスコンお兄ちゃんは自粛する。せざるを得ない。我ながらくさいセリフを吐いたものだなと、過去の自分を省みながらそんなことを考えて、やはり昔を知る姉が見たら笑うだろう。

 

「でも、本当にいたんですね。なんで今まで姿を見せなかったんですか?」

 

治療の最中、エルルゥが質問をする。

とても珍しい服装に興味があるようで、白衣やパーカーを見て興味深そうに観察している。

 

「姿を表せなかったんだ。初めて俺を見れたのはユズハだから特に理由は考えなかったが、ある条件が揃うと見えるようになるらしい。まぁ、今では見えない人間が逆にいないが」

 

満月が関係しているだとか。

敵がいると認識することが条件とか。

どれもユズハには当てはまらない。

ユズハには見えないなりに、逆に見えないものが見えたのだろう。

ほんの些細なことでそうなる人間も昔はいた実例がある以上、驚く事は無かったが。

ユズハに見えたことで、そこから認識されるようになったと考えれば自然と納得できてしまう。今はそれでいいとさえ思えれば、悩むことでもない。

 

「はい、終わりです」

 

「あぁ、ありがとう。ところで、その髪飾り……しばらくの間、貸してくれないだろうか?」

 

「この髪飾りですか? 別にいいですけど……何に使うんですか?」

 

「そのうち話す。ちゃんと目処が立てばだが」

 

エルルゥから白輪を受け取る。

マスターキーと呼ばれる、古代の宝箱を開ける世界に幾つもない鍵を。

私達からミコトへ。

ミコトから次の世代へ。

託され続けた鍵は巡り巡って戻ってきた。

実験体の全てのデータへと繋がる、または施設を開くための重要なキー。それは生前自分が心血を注いだ過去と向き合うための扉でもある。

 

 

 

□■□

 

 

 

それから間もなく。オボロは斬りかかることはなくなったが、手合わせを申し出てきた。正式な試合ならと繰り返す日々、過去自分と渡り合える人間がいなかった為、とても有意義だと実感する。

察して、オボロは品定めをしているようにも見える。ユズハに相応しいかどうか。シスコンをやめる気は毛頭ないらしい。

ユズハの守護霊が定着しつつある頃、事件は起こる。

 

彼女が眠る頃、外の探索の帰り。

庭になる桜の木を寝床としていた俺は目を閉じる。と、何やら忍び足で気配が近寄って来る。

敵か、味方か、思考を別のところに寄せていた自分は反応が遅れてしまう。気がつけばカルラに馬乗りになられていた。

 

「……やぁ、こんばんは」

 

「毎晩毎晩、ご苦労さまね。ユズハが寝てからあなたがどこにいるのかと思ったけど、こんなところにいたなんて。それでどこにいらしてたの?」

 

「半分実態がない俺は睡眠を取らなくてもいいようでな。習慣的な癖があるから一応は寝るが、前からしたいと思っていた世界巡りだよ。古代の遺産は随分と好き放題できてね、うるさい上司もいないし願ったり叶ったりさ」

 

「なら、いい場所がありますわよ。お願いを聞いてくれるんでしたら、いいことして差し上げますわ」

 

「……ははは。断る」

 

「あら、残念」

 

了承したらオボロに斬られかねない。

今度こそ、どざえもん必至だ。

この日、カルラはのらりくらりと帰っていった。

好きだとか、嫌いだとか、感情的なものは彼女の中には絡んでいない。あるのは興味らしい。

いや、感情的になっているのは弟のためなのかもしれないと、最近の噂を聞いて思う。

ナトゥンクと呼ばれる國。そこでは奴隷解放の為に戦う戦士がいるのだとか。カルラゥアツゥレイ。きっと彼女に関係する言葉なのだろう。

 

手を貸してやろうか。

しかし、それはいいのか……。

この時はまだ、思い悩んでいた。

 

 

 

翌日の夜、ユズハと別れて桜の木で寝る。

夢の世界へと旅立つその感覚は、まるで自分の存在が消え行くような感覚で、世界に溶けてしまいそうなほど脆い身体が揺れる。存在が揺らぐ。

いい感じの眠気に誘われ、目を瞑っていた。

……。そして、眠るのと似たような行為に身を落としていた時だろうか。目を覚ますと、自分の身体は縄についていた。

 

「……おはよう、カルラ」

 

「あら、もう目覚めましたの」

 

自分を縛った犯人だろうカルラは悪びれもなくそう言って縄についた自分を運ぶ。軽々と運ぶのは自分が幽霊だからかとか生半可な理由ではないだろう。それより、この状況について説明願いたい。

 

「……どういった状態だ?」

 

「ふふ、時が来たらわかりますわ」

 

カルラはいつになく真剣な様子で、酒の香りが何処か薄く飲んでいないようだった。

廊下を突き抜けて、見慣れた部屋を通り過ぎる。しかし、通り過ぎるより先に見慣れた部屋の扉が開き、大きな獣がのっそりと顔を出した。

 

「準備できました。おはようございます、ヨミナ様」

 

「あぁ、おはよう」

 

おかしい。

さっき、寝たはずのユズハがムックルに乗っている。後ろにはアルルゥも一緒だ。カミュも。

奇妙な対面に首を傾げると、ユズハは当然のようにカルラに進言する。

 

「それではヨミナ様をこちらへ」

 

「そうですわね」

 

「ちょっと待て、ユズハもグルか?」

 

カルラからユズハへと手渡される。

ムックルに騎乗すると、ユズハは首を傾げ、

 

「何言ってるんですか。カルラさんが私達のために新婚旅行を用意してくれたようで、もしかしてその話はまだ聞いていなかったり……」

 

背中にくっついてくる。

 

「うぐっ。そうだな、そうだったな」

 

「今ならお兄様もいませんから」

 

……よし、行こう!

嬉しそうなユズハを見ていると、拒否できない自分がいた。昔と同じく、今の自分はどうも女という生き物に弱いらしい。

 

庭へと出る。オボロは追ってこないようだ。仮にカルラの狂言が本当だとしても、やはり思う。

新婚旅行とは――、大人数で行くものじゃないはずだと。

庭先には俺よりも酷い格好のハクオロが布団の上から縄に巻かれて捕らえられている。ウルトリィはさも当然のように居座って、トウカは主が縛られているのに対して気にもしていないようだ。エルルゥは大荷物でその殆どが薬剤なのだろう。

 

「……その、なんだ。互いに大変だな」

 

「そう思うなら仲間の暴挙を止めろ」

 

これは皇の管理責任である。

朝日はまだ昇らない。

 

 

 

 

太陽が折り返す頃には、ナトゥンクの領へと荷車にて侵入は果たしていた。

ユズハはアルルゥ、カミュと楽しそうに談笑している。最中に俺は澄ました顔のウルトリィへと声をかける。

 

「少しいいか?」

 

「ふふっ、いずれあなたなら声を掛けてくると思っていました」

 

まさか、だから声を掛けてこなかったのかと内心してやられたことに頭を掻いて誤魔化す。

そんな自分のプライドとかよりも、とても重要な話なのだ。

 

「それなら、俺が何を探しているのかも要件もだいたいわかっていると考えていいんだな」

 

「いえ、さすがにそこまでは……でも、あなたの要望の殆どは私達に叶えられるものだと、思いたいです」

 

なら、単刀直入に聞こう。

過去の地図とは違うこの世界。

自分ひとりでは絶対に調べ尽くせない、この広大な大地の情報。

 

「オンヴィタイカヤンが使用していた遺跡の場所を知っている限り全て、情報の開示を要求する」

 

「……一応、あなたが使用していた可能性のある施設に絞り込みますか?」

 

「そんなこともわかっているのか?」

 

「ええ。大切な愛しき人間の情報は、先祖から大事に伝承として遺されていますから。まぁ、たったそれだけで殆ど何も知らないのが事実ですが」

 

「それでも十分だ。ありがとう」

 

ウルトリィは世界の縮図を広げて、ひとつひとつ大体の位置に印をつけていく。出来上がった遺跡の場所を見てみると、なるほど効率が悪いわけだ。自分は昔から研究室を作る位置は大抵、獣人の実験施設とそこから離れた隠れ家と決まってはいるが……地図にしてみればバラバラ過ぎた。

その殆どを姉や姪に知られているものだから、勝手に入られると困る場会もある。認証登録も義兄が勝手にやらかしているから防ぎようすらなかった。許すまじ義兄、ハックやクラックは犯罪だぞ。身内だからって赦されると思うなよ。特にあんな本やこんな本が見つかった時はマジで焦った–––と、冗談はそのくらいに、大まかな古代遺跡の分布をウルトリィから受け取ると立ち上がり馬車を飛び降りようとする。ちょっとストーカーレベルでこれ全てが自分の施設だとしたらとても怖いが。

 

「待て、ヨミナ殿。どこへ行かれる?」

 

「せっかくここまで来たんだ。俺は少し用があってな、席を外す」

 

「肝心の場所も告げなければ落ち合うこともできぬだろう。それに、ユズハ殿を置いて行く気か?」

 

まったくの正論だが、果たして連れて行っても良いものだろうか。

ナトゥンクというこの國では奴隷狩り、つまりどんな人も狩って奴隷にしてしまう危険な國らしい。そんな國でユズハを連れ歩くよりは、ハクオロ達に任せた方が無難であると判断していた。

 

「危険だ。おまえたちといる方が安全だ」

 

「それは、今から行かなければいけない場所なのか?」

 

「時間は有限だ。近くまで来たうちにやっておきたい」

 

「……」

 

言うべきか悩んでいるのかハクオロは目を瞑る。しかし、その言葉を代わりに言ったのはエルルゥだった。

 

「ユズハさんといる時間よりも大事ですか?」

 

きっと薬師であるエルルゥは気づいているのだろう。ユズハの時間は今のままでは長くないと、だからその時間を削ってまでやらなければいけないことなのかと問うている。

誰もが静かに見守った。ユズハはこちらを不安げに見上げている。

お互いにいつまで一緒でいられるか、彼女は俺に時間を大切にして欲しいと願うだろう。そんな娘だから好きになったのだと俺は心の中で呟く。口には出さない。そして、いや……そろそろ自分だけでは限界だ。迫る時間があり、人手が足らないことは重々と承知している。

 

「そんなわけがないだろう」

 

誰かに本心を話すのは初めてかもしれない。姉にも本気で向き合ったことはない。だが、過去の楔が、ミコトと似たその顔が俺に動揺を生んでしまったのだ。

 

「……俺が今、大切にしているのはユズハだ。それ以上に大切なものはない」

 

「だったら、どうして……」

 

「だから、彼女の病気を治すために俺は探しているんだ。俺がかつて使用していた獣人専用の医療用機材を備えた研究施設を」

 

誰もが死んでいく実験体の死の真相を突き止めたが、治療ではなく改善を選んできた。不良品は要らないとばかりに切り捨ててきた。それを救うために創り上げた、医療調整用マシン。世界でも3機しかないそれを俺はたった一人で心血を注いで創り上げたのだ。

 

「えっと…もっとわかりやすくお願いできますか?」

 

この時代の人間には理解できない単語が並んだことで薬師であるエルルゥですら把握できなかったようだ。当の本人であるユズハもキョトンとして見上げてくる。

 

「だから、ユズハの病気を治すために俺が昔作った薬を探してるんだよ。それさえあればユズハはもっと生きられる。身体が弱いのも少しは改善されるんだ」

 

「紫琥珀以外にそんなものが? おばあちゃんでもそんなもの……」

 

「知らなくて当然だ。薬師では辿り着けない。古代技術だからな。おまえたちの先祖を創造したのは紛れもない科学者達、俺はそこに後から配属された形になる」

 

もっともその職場を勧めてくれたのが姉だ。俺の趣味を理解した故の誘導、確かに一番性に合う仕事だった。同時に俺は現実を叩きつけられ、扱いの酷さに静かに怒り狂った。そこから俺は偏屈で狂気とされ、異常者であると判断され軽蔑され続けてきたわけだが。誰もが俺を異端としたのだ。

 

「伝承通り、ですわね」

 

俄かには信じ難い話、皆が固まってこちらを見てくる。

そんな中、アルルゥだけが近づいてきて手を握った。

 

「ヨミニィすごい」

 

何を言うかと思えば、罵倒でも叱責でもなく賛辞だった。

 

「ユズっちを元気にできるのは、ヨミニィだけ。ヨミニィにしかできない。運命」

 

「運命か……」

 

もし俺がここにいるのがユズハを救うためだとしたら。

それはとても嬉しいことだ。生涯、ここまで満たされた時間はない。出会ってからの時間が全てこのためだったとしても俺は全てを受け入れるだろう。

しかし、それとは別に。

運命とは、時に残酷性を持って同時に現れる。

成すべきことは、他にも存在する。

 

「運命じゃなくても、俺はそうしただろうな」

 

アルルゥの頭を撫でる。ハクオロと瞳が交差する。一瞬の出来事に、俺の瞳の意思に何を思ったのか目を瞑りフッと笑うと彼は父のような言葉を吐く。

 

「まったくそれをオボロに言えば少しは認められるというのに……」

 

「もしこれで救えなかったら後が怖えんだ。あいつに摑みかかられて切り刻まれるなんて嫌だぞ」

 

「尤もそんなつもりもないだろう?」

 

わかったような口を聞くハクオロに少し緊張が解れる。いったいそのカリスマ性はどこから湧き出てくるのか、最初の頃の人格は何処へやら昔とは違うその姿に面影を重ねる。

荷台から飛び降りようと背を向けると、服の裾を掴まれる。

振り返ると隣にいたユズハが俺の服の裾を握っていた。

 

「私も行きます」

 

「ユズっちが行くなら私も」

 

わがままが飛んできた。

逸早く反応したのは、アルルゥの姉のエルルゥだ。

 

「こ、こらアルルゥ」

 

「そうだ。危険だからできればこのままハクオロ達と共に」

 

「嫌です」

 

断固として拒否したのはユズハだ。続いてアルルゥも物申すと言いたげに「いや」と一言で拒否を露わにする。ユズハは服の袖を離すと今度は手を握ってくる。逃げる暇すらなかった。いや、それよりも逃れるという選択肢が自分にはなかったのだろう。握り合わせた手のひらから頑なな意思が伝わってくる。

 

「私はヨミナ様の全てが知りたいです。どんな苦難も一緒に乗り越えたいです。ダメ、ですか……?」

 

反則級の上目遣い。瞼を閉じているが悲しそうな雰囲気が漂ってくる。哀愁が漂い心臓を鷲掴み離さない、芯の強さが彼女からは伝わってきた。絶対に手放したくない。そう言ってるような気がした。

 

「わがままを言ってはダメだとわかっていますし、足手纏いだというのもわかっています。ごめんなさい」

 

嫌われると思ったのか、手の力が弱くなる。その手を強く握り返す。その次は考えていない、ただの反射だ。手を離したくないのはこちらも同じらしい。

 

「わかった。だけど、約束だ。絶対に傍を離れないでくれ」

 

「はい!」

 

途端に元気のいい返事をする。相変わらず女に弱いダメな人間だ。まぁ、こうなったのも姉の教育の賜物だとしておこう。

 

「アルルゥを頼む」

 

「ハクオロさん!」

 

咎めるような口調でハクオロに詰め寄るエルルゥ。それを尻目にこっそりと抜け出そうと小さな声でカミュがこちらへと寄ってくる。

 

「わ、わたしも〜」

 

「行って来なさいカミュ」

 

「やった」

 

「カミュをよろしくお願いしますね」

 

それでいいのか? 許可をあっさりと出したウルトリィに俺は心の底で嘆きながら、もうどうにでもなれと旅支度を整える。

そうして愉快なピクニックが始まったのだ。




芋づる式ハーレム(惚れてるとは言ってない)


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古代の遺産

ちょっと暴走したが後悔はしてない。


 

 

 

ユズハとカミュにアルルゥ、それからムックル。三人と一匹の愉快な仲間を連れてナトゥンクを駆け巡る。三人はムックルの背中で揺られ、俺はひたすら走った。

 

透過も浮遊も出来ず。

ウルトリィ曰く、この身に起きている現象は時代への定着であり、半実態を保ったいま子作りができるとかなんとか。確かに誰かに触れられる上、困ることではないが、反応に困る。

言うなれば、やることやっちゃえ的な意味だろうか。不安材料しかない。

 

ユズハを傷物にしてみろ、オボロがブチ切れる。

子供が生まれよう、果たしてその子は正常で元気に生まれてくれるだろうか。

子供なんて面倒なばかりだと思っていたが、姪が出来てからは少し心は改善された気がする。もちろん姉の娘は可愛いし構うことも多いどころか甘やかす節があって姉に怒られていたが。

要するに、子供を持つのは悪くないと思いはじめているのだ。

きっとユズハの子なら素直で良い子に育つだろう。

 

「どうかしましたか?」

 

「いや、なんでもない」

 

ユズハを見つめていたら気づかれた。慌てて取り繕うと彼女は小首を傾げて、深く追求はしなかった。

 

「ウルトリィの地図によるともうすぐのはずなんだがな……」

 

そっぽを向いて、見惚れて熱くなった胸を冷却する。

悟られまいと視線を泳がしていたら、妙に時代にそぐわない苔の塊を生やした建物が視界に入った。旧ブレーキで止まるとアルルゥもムックルを止める。安全運転思考の減速から停止。少し行き過ぎて戻ってきた。

 

「見つけた?」

 

「あぁ」

 

–––間違いない。苔生していようと独特な雰囲気で何かわかった。過去に自分の家としていた建物がいま目の前に存在する。

 

「怖えな。オンカミヤムカイ」

 

破れたステンドグラス、欠けた木製の扉、魔を祓うシンボル十字架。これだけの材料が揃えば誰だってわかるだろう『教会』だ。どうやって調べたのか間違いなく自分の家だ。普段はここを拠点に活動をしており、身寄りのない子供達を引き取って育てていたこともある。

感慨深く畏怖し現実逃避をしていると、カミュが口元に手を当てて驚いたように言った。

 

「そういえばここ来たことある! ウルトリィ姉様と一緒に」

 

「で、どうだった?」

 

「確か地下に生活出来る空間があるだけで何もなかったような……」

 

当然だ。科学者達ですら深層を見ることはできないのだ。例外として姉や姪、義兄達が押し掛けてくるくらいしか知るものはいなかった。住んでいた子供達ですら、見つけられない隠し部屋もある。

尤も、身寄りのない子供達というのは殆ど一年かそこらでサヨナラバイバイする仲で、すぐに誰も来なくなる寂しい教会だったが。

 

「まぁいい、ついてこい」

 

触るだけで崩れる扉を開け中に入る。

複数の並んだ長椅子、祭壇、オルガン、燭台、女神像。

並ぶ全てにアルルゥは興味を持って眺めている。もう既に見たのかカミュは退屈そうに後をついてくる。ユズハはムックルの上で匂いと雰囲気に身を任せ……。

 

「ここはどんなところなんですか?」

 

そんな質問をした。目が見えない故の不安だろうか。ここがよくない何かに見えたらしい。

 

「とても怖いです。……いえ、寂しい?」

 

怯えたようなユズハにカミュは納得と頷く。

 

「確かに人が住みそうじゃないもん。よくないものが住んでそう」

 

「今の俺でもそう思うな。天使どころか悪魔の住処みたいだってな、姉さんや義兄や姪やらに散々言われたよ」

 

真っ黒な翼のカミュが住んでそうだと思ったことは黙っておくとして、自分は女神像の両眼に嵌められた青い宝石を取り除き、近くの祭壇から赤い宝石を取り出す。そして、それを代わりに女神像に嵌める。次に女神像に纏わりついていたキメラのような生き物の双眼に女神から取り除いた青い宝石を嵌める。

すると、妙な機械の噛み合う音と共に女神像が退いた。

 

「きゃっ!」

 

音に驚いたユズハが抱きついてくる。頭をポンポンと撫でながら、地下への道に足を踏み入れる。

火をつけた燭台を片手に長い石の螺旋階段を下り、下へ下へひたすら降りる。

真っ暗闇の中、ビクついたようにアルルゥやカミュもひっついて来た。

それに構わず歩くと、数分ほど後だろうか。淡い光が見えた。最下層に存在する部屋へと辿り着いたようだ。ここに入れるのは自分以外に家族のみ、知るのは仲の良かった獣人くらいだろうか。連れ込んだとも言えるが、まぁそれはおいおいの話として、部屋の前に辿り着くとパスコードを入力、扉が開いた。どうやら設備は生きているようだ。生きていなかったら爆弾でも刀でもなんでも使ってこじ開けるつもりだったがその必要は無くなって安堵の息を吐く。

 

部屋に入ると、照明が点灯した。

カビ臭い匂いが鼻をつく。三人と一匹は顔をしかめた。

 

「うぅ、鼻が……」

 

「ウォォォ〜〜〜ン」

 

母親に同意する獣。悩ましげな弱々しい鳴き声で耳を垂らす。

 

「特にあの二人はキツそうだね」

 

「えぇ、はい、そう、ですね……」

 

ユズハも心なしか元気のない返事をカミュへと返すが、それもそのはず目が見えない分、嗅覚、聴覚、触覚が発達していてムックル程ではないがアルルゥと同等くらいには感じるのだろう。いつもの表情が歪んでいる。

 

「空調機を直すから一度上に戻っていろ。カミュ、一度来たなら案内頼めるか?」

 

「了解〜」

 

こうして三人と一匹は戻っていった。

この時の俺は、この先の苦難をまだ知らない。

 

 

 

 

 

「やはりダメか……」

 

三機のうち一機は内部の一部が劣化し起動できなかった。空調設備の直った部屋で必要な部品だけを取り除く作業を敢行。使える部品だけを掻き集めていく。

休憩ついでに昔、武芸用に使用していた大鎌を見つけて手入れをした。

どうやらだいぶ錆びてはいるようだが、まだ使えるようで自分の獲物として持っていくことにすると、ちょうど三人が戻って来たところだった。楽しそうに会話する声が螺旋階段の上から近づいてくる。扉から姿を現したのは30秒後。

 

「ん、匂いがなくなった……森の香り」

 

逸早く反応したアルルゥがスンスンと鼻を鳴らす。満足気に表情を綻ばせると室内へとのびのび入ってくる。続いてカミュもユズハも顔を出すと各々の座りたい場所に座った。

 

「あんまり触らないでくれよ。俺はちょっと調べものをしてるからな」

 

背を向けて、パソコンへと意識を向ける。エルルゥから借り受けたマスターキーを端末にセットし全てのデータベースへと接続を試みた時だった。

 

「わぁ、なにこれ!?」

 

カミュが甲高い悲鳴にも似た声を発した。振り返るとカミュを囲む形で少女達が姦しく騒いでいる。何か面白いものを見つけたのだろうか退屈凌ぎになるならそれもよしと作業に戻ろうとすると、とんでもない一言がアルルゥの口から発せられた。

 

「女の裸……」

 

–––ゴフッ⁉︎

唾が気管に入り咽せた。

追い討ちをかけるようにユズハも加わる。

 

「どうしたんですか?」

 

どうしたもこうしたもない。俺は必死で過去の記憶を辿るとなにやら不穏な記憶に思い当たった。姉や姪が来るたびに見つける現代では珍しい紙の書物がここに隠してあったことを。しかし、ここでその書物を取り返そうものならユズハに見られてしまう可能性があるわけで……前門にユズハ、後門にうら若き乙女達、私はどうしたら良いのだろうか?

 

いや、見られてもシュレッダーにかければ或いは……。

 

幸いにも彼女達が古代の文字を知らないのが救いだが、こう時間もかけていては絵だけで内容を悟られてしまう。思い立ったが吉日と一瞬の隙をついて奪取へと移行。

 

「わっ!」

 

目にも留まらぬ速さでカミュの手から書物を奪い取る。虚を衝かれたカミュには対抗する術もなく早速シュレッダーへ。これが姉と姪であれば上手くいかなかっただろう。だがしかし、ここまで来て想定外の事態に遭遇する。

 

「おのれ裏切ったなシュレッダー‼︎」

 

シュレッダー御臨終。天は我を見放した。

起動しないポンコツにさらなる追い討ちの鉄拳制裁。ポンコツはガラクタへと進化した。

 

「ねぇ〜、なにそれ〜?」

 

「興味ある」

 

「隠しているものをお見せしてもらえないでしょうか?」

 

にじり寄って来るのはそれぞれ違う反応を見せる三人娘。ニヤニヤと面白い玩具を見つけた子供のような反応で手をわきわきと動かすカミュに、興味津々といった様子で純粋無垢な眼を向けてくるアルルゥ、夫の全てを知りたいのだろう聖母の微笑みを向けるユズハとどこを見ても逃げ場などない。

 

いや、待て。まだ階段の上に逃げれば或いは。

 

隠す時間が増える。取り敢えずユズハに見られずに済む。今は体で隠しているため見えてないがそれも時間の問題だと悟る。というか、隠し事はなしですよ、って視線が痛い。

 

「すまない、義兄と同じ道を辿るわけにはいかないんだ」

 

アダルトな雑誌や映像を姉と姪に見つけられた義兄。同じ末路を辿るのは絶対に嫌だ。お父さん変態と言われた義兄の気持ちがわかるだろうか、わかりたくもない。

姪だからダメージは少ないが、それが嫁となると……。

想像が頭の中に映像を作り出す前に出口へと駆ける。

出口からの脱出に成功、勝ったと思った瞬間、白き壁は現れた。

 

「ぐぉっ⁉︎」

 

弾き返され部屋へとカムバック。

待ってましたと言わんばかりに、両脇を固められた。

 

「ムックル、えらい。あとで倉からお肉あげる」

 

「エルルゥに怒られるぞいいのかっ?」

 

「夫婦の不安の種を解消するのに必要な経費」

 

よくそんな難しい言葉を……!

なんて感心してる場合じゃない、これだけは抹消せねば。

前門の虎。後門の乙女達。

追い討ちをかけるのは、ユズハの純粋無垢な心だ。

 

 

 

 

 

もはや観念した俺は甘んじて罰を受ける所存、拘束も解かれて妻の前で正座する始末。そのユズハさんといえばカミュとアルルゥに挟まれて相談していた。どうやらカミュとアルルゥは中身に興味があるだけらしい。自分に任せて欲しいと言うとおとなしく引き下がる。もっとなにかしらしてくると思ったが、ペラペラと書物を捲っているだけだ。

 

「それではヨミナ様。これはヨミナ様の持ち物で間違いないですね?」

 

「違います」

 

「違うのですか? 嘘はダメですよ。私はヨミナ様の嘘ってすぐわかりますから」

 

「すみません、俺のものです」

 

十八禁の書物は間違いございません、俺のものです。

諦念すれば簡単に口から言葉が出てきた。はっはっ、泣けてくる。

 

「じゃあ、このままでは私は見えないので持ってページを捲ってもらっていいですか?」

 

「……」

 

拷問だ。素で拷問してくるよこの娘!

仕方ないのはわかっているが、しかし……。

義兄だってこんな仕打ちされたことがないぞ!

 

「早く早く〜」

 

「続き見たい」

 

カミュは完全にからかい半分、アルルゥは興味本位で煽ってくる。任されておいてなんだが、エルルゥさんごめんなさい保健体育の授業が始まります。

心の謝罪と共に書物を手にする。ようやく視認できたユズハは一瞬にして顔を真っ赤にした。

 

「ひゃっ⁉︎」

 

表紙にはちょっとエッチな絵。写真ではなく絵だ。

腰まで届く白い髪、琥珀の瞳、はだけた巫女服を纏う女性の姿が描かれている。目立つのは髪と同じ色の狐耳ともふもふな尻尾。腰は引き締まって、非常に艶かしい肢体と胸、真っ白な肌は色褪せないカラーでご丁寧に健在しており、もはや劣化するどころか新品同様なのが異様に目につく。

元々、実験体の研究計画を勧めてきたのはこれが理由だったりする。人の性癖–––ではなく、趣味を考慮した上での選択は間違いなどではなかった。姉にとって苦渋の決断だったろう。まさか、こんな趣味全開のいかがわしい本を持っているやつに本物がいる職場を勧めるなんて正気の沙汰ではない。

 

「ご満足いただけましたか?」

 

「……ヨミナ様はこういうまっしろ狐の女の子の方が好みなんですか?」

 

思い出すだけでライフはゼロなのに痛いところを突かれてしまった。拷問がさらなる拷問を呼ぶ。そして、その拷問が脳内麻薬の一種を開発してしまったようだ。

ここで挙げるのはユズハの特徴であった方が良い。と、わかってはいるのだが、ユズハに嘘をつけない謎の症状が自分を正直者へとさせてしまうのだろうか。

 

「まぁ、そうなるな」

 

「……そうですか」

 

見るからにしょんぼりと落ち込むユズハ。尻尾や耳を触って確認する。絵と違う自分の体に溜息をつき最後に自分の胸へと手を持っていき絶望した。

 

いや、あの……?

あればいいというだけでもう十分育っていると思うのですが、というか適度にある時点で自分は満足ですので落ち込む必要はないかなぁと。

一つだけ言わせていただきたい。

好みは好みであって、惚れた腫れたとは別問題だと。

過去のデータでは、好みどストライクの女性と結婚できた男性は一割にも満たず、1%の奇跡とすら言われているのだ。好み直球の異性ではなく違う異性に惚れるパターンはいくつもある。だいたいがそういう結婚であり、それでもなお幸せであると人は言うのだ。

 

正直に言って、好きな人の好みを知って落ち込むユズハを可愛いと思うし原因は自分であることを棚に上げれば慰めてあげたいと思う。逆にいじめてみたいとも思う。

そして、彼女のそんな姿を見て愛おしいと感じてしまう。

ユズハに寄り添うのは二人だった。

 

「まぁまぁ、男の人なんてそんなもんだよ」

 

いったいカミュは何を知っているのだろうか。

 

「わたしと一緒」

 

いや、少なくともアルルゥみたくぺったんこでは……びくっ⁉︎

なんだこの感じは……。

殺気を感じたが背後にはムックルがいるだけだった。

 

「おねーちゃんも悩んでる。ムックルがおねーちゃんのは小さいって」

 

おいやめてやれ。なんて言葉が出る代わりに背筋が凍る。

地下だからか、今日は妙に体調が悪い。

慰められるユズハはそうでもないようで、恨めしげにカミュの方へと顔を向けた。

 

「カミュさんにはわからないですよ、この気持ちは」

 

「ユズっち何か怒ってる?」

 

「いえ、別に……」

 

明らかに不機嫌度が上がったユズハはなんでもないような顔でそう言ってみせると俺の方へと向きなおる。正座している俺の元へと歩くとぽすりと膝の上に収まった。

 

 

 

「それではヨミナ様、続きをお願いします」

 

「あぁ」

 

呑み込み終えたのか吐き出し終えたのか、背中を預けてくるユズハの背後から手を回して書物を広げる。まるで子供に読み聞かせをしているようだがそんな甘っちょろい場面ではない。絵本でもない。エロ本である。

彼女とエロ本鑑賞という特殊な状況下、慣れればどうってことはない。腹を括ったが最後、悟りを開き始めていた俺に敵はいない–––。

 

「そういえばこの文字のようなものはなんですか?」

 

と、ストーリーシーンのページを捲っているとユズハが古代の言葉を指して言う。そういえばこの時代の文字を見たことがない気がする。同様にこの世界ではこの文字は使われないのだろう。

 

「大昔、使われていた言葉だよ」

 

「読めないです」

 

カミュでも読めないようで同意している。興味があったら今度教えてやろうと軽く思っていると、とんでもない革命が始まる。

 

 

 

「声に出して読んでいただけないでしょうか?」

 

 

 

–––いた。思わぬ伏兵が存在した。レジスタンスだ。

敵はいない発言は前言撤回させてもらう。エロ本の朗読劇とか聞いたことない。

 

「……すみません、勘弁してください」

 

「ダメなんですか?」

 

「一部だけでいいですかね」

 

「内容を全て知りたいので全部です」

 

前述のストーリー部分だけ朗読しようとしたら阻止された。カミュとアルルゥもワクワクと続きを待っている。

期待しているところ悪いが、これはエロ本だ。保健体育の教科書でも、国語の教科書でもない。

–––バイブル。

そう、バイブルだ。聖書であるなら聖典の朗読も許されよう。もはやここに神はいない。あるのは困惑した自分自身の魂のみ、エロ本ではないバイブルなのだから。

 

待て。落ち着け。

確かに拷問だがこれは逆手に取れるのではないだろうか。

純粋無垢とは時に残酷だ。

だから、合法的に言えば言わせてきてるんだからこっちに責任はないというわけで知りたがったんだからしょうがないんじゃないのか。

バイブル云々はどこいったか、もうそんなことはどうでもいい。

むしろどんな反応をするか期待している自分がいる。

 

「じゃあ、読むぞ」

 

「はい……っ⁉︎」

 

ページを捲りついに濡れ場のシーンへ。ユズハの体が硬直するのが背中越しに伝わってきた。後ろから表情を覗き見るに頰は赤く染まっている。視線はキスシーンへと釘付けだ。

 

次のページへ。

 

キスが終わった二人、男の方が狐型獣耳娘の服に手をかけた。

 

 

 

「脱がしてもいい?」

 

 

 

これは朗読劇である。実際に脱がすわけではないが、書物と同じようにユズハを後ろから抱き締める形で耳元に囁く。観客が少々いるっぽいがなんら問題はない。朗読劇である。

耳に直接囁かれたユズハといえば、最初の一言だけで処理限界を超えたようで顔から火が吹きそうなほど熱くなっている。まだこれは序盤で始まったばかりだというのに。僅かに頰と頰を擦り合わせるだけで体温の上昇具合がもろわかりだ。

 

「やっ、あの、ヨミナ様……!」

 

「俺は君の全部を知りたい」

 

女性向けの恋愛漫画のような歯の浮く台詞に死にたいと思うより、顔を真っ赤にして狼狽えている彼女の反応が面白くて羞恥心はどこへやら。割とノリノリでページを捲る。全部といったがもちろん女性の台詞は読まない。そこはほらもう察してほしい。

まぁ、そういうわけだがユズハの言葉は気にせず進めることにする。

 

「ダメなのか?」

 

「え、えっと、その……」

 

迫られた経験がないからかユズハは肩を縮こめ俯いてしまう。

彼女にとっても初めての経験であれば、こちらも初めての経験だ。

初々しい反応に喜ぶとか、そういうことでもなく、彼女いない歴=年齢の人間の男にとってはとつくが。

そもそも研究に没頭し過ぎていなかったのだ。作らなかったわけではない。よく浮いた話の一つでもないの?と姉に言われていたが、俺はいつも淡々と同じ答えを吐き続けていたっけ。

 

感傷的に過去に浸っていると、まるで書物と似たような言葉をユズハは口にする。

 

「わ、わたしなんてそんな綺麗ではないですし……カミュさんやこの本の女性ほど胸はないですし、スタイルは良くないですし見てもおもしろくないですよ……」

 

書物に書かれている台詞は「私は人間ではないですから」「こんな化け物の私となんて」「気持ち悪いだけです」なんて自虐的な言葉が獣耳娘の口から吐き出される。

ストーリーとしては、結ばれることのない『人間』と『人外娘』の恋。ひた隠しにした獣耳娘の気持ちと人間の男の心が交わることを許さない世界での、切ない恋。人間の男から向けられた純粋な好意に閉ざし続けた獣耳娘の心はやがて溶かされ身を結ぶというなんともありふれたものだ。

 

次のページへ。

獣耳娘の心の鍵を開けた言葉が載っている。

 

 

 

「構わない。俺が好きになったのは君なんだ。他の誰でもない君とこうしたいって思ったんだ」

 

 

 

「っ〜〜〜」

 

ついに耳を抑えてユズハは膝の上で丸くなって身悶えてしまう。その姿が可愛くて俺は首に手を回す形で抱きしめる。からかうように続きの朗読はどうするか、聞いてみる。

 

「続きはどうする?」

 

パラパラと台詞は飛ばして卑猥な光景がずっと続く。それはもうあられのない姿で組んず解れつの性的描写が数ページに渡り、艶かしく描かれていた。

 

「ぼっ……」

 

「ぼ?」

 

「ぼ、没収です!」

 

ユズハを抱き締めるために置いた書物を膝の上から抜け出すと同時に取り、さらに距離を取るとこちらを威嚇するように腰を低くする。さながら猫のような仕草は尻尾からも見てとれた。

別に没収されても痛くも痒くもない。多大な犠牲があったようだが、もう色々とどうでもよくなってきていた。

 

「まぁ、それはいい。そろそろハクオロ達のところに戻るぞ」

 

マスターキーを繋げた持ち運び用の端末を回収し、地下室を出る。

その際にちょっと怒っていたはずのユズハが袖を引いてきた。

俯いたままで表情は窺えないが少し赤い頰を見るに何か恥ずかしいことでもあるのかと当たりをつけていると、かぼそい声で猫が鳴くように問いかけてくる。

 

「ヨミナ様は、あ、あんなことをしたいって思いますか……?」

 

言うべきか迷っていたのか、決死の覚悟だということが伝わってきた。

俺は裾を払うと同時にユズハの手を握り返す。

 

「思わなくもないけど、お互いの気持ちが大事なんじゃないか?」

 

「……そうですか。考えて、おきます…」

 

ところで、と話は変わる。

ユズハはきょとんとした顔で尋ねてきた。

 

「あれって何をしていたんですか?」

 

「……」

 

いや、まさか、な。知らなかったとはつゆ知らず驚愕の事実に俺の体は硬直する。つられて思考も停止した。

さすがに恥ずかしいことをしているとはわかっているようで何よりだが、あの好意の意味するところを知らないところは箱入り娘というかなんというか、オボロが大切に保管(保護ではない)しているだけはある。

興味を持ったのはユズハだけではなかった。アルルゥも興味津々に寄ってくる。

 

「何であんなことをしていたのかわからない」

 

「そりゃあな……」

 

性的欲求というか、色欲というか、情事というか、それがしたいとか愛し合いたいとか理由は多岐にわたるが最終的なものは一つだけじゃなかろうか。

 

「あぁしたら子供が産まれるんだよ」

 

「わかった」

 

アルルゥの返事は返されたはいいが理解しているのか微妙なものだ。淡々と答えただけとも言える。そんなアルルゥの言葉の次が問題であった。

 

「ヨミニィと子供作る」

 

「……はい?」

 

わかった。から、どうしたらその結論に至ったのか。

ユズハの肩が大きく跳ねたのを横目で確認しながらアルルゥに向き直る。

 

「いったいどうしてその結論に至ったのか聞こうか」

 

「ヨミニィはあれがしたい。アルルゥは子供が欲しい。……解決」

 

「利害の一致というわけだな」

 

聞いたことがないわけでもないが初耳だ。アルルゥにそんな願望があったなんて。

 

「だけど受けるわけには……」

 

「なんで?」

 

「なんでって……こういうのは好きな人とな?」

 

自分で言っておいてなんだが。乙女チックな幻想を理由に説き伏せようとするとアルルゥはきょとんと首を傾げてしまう。しかし、数秒後には迷いもなく淡々と言い放つ。

 

「大丈夫。アルルゥはヨミニィ好き」

 

「っ⁉︎」

 

「ヨミニィはアルルゥのこと嫌い……?」

 

「いや、嫌いじゃないが……」

 

むしろ好きな部類だ。というよりも大好きかもしれない。嫌いになる要素なんて何一つないわけで、昔のドウデモイイ人間に比べたら天と地ほどの差があるだろう。

なんて答えるのが正解なのだろうか。

というか、そもそもの話、根本的な好きというものが間違っているんじゃなかろうか。

 

「アルルゥ。それはいったいどういう好きだ?」

 

「特別」

 

「えっ⁉︎」

 

ユズハからユズハらしくもない声が上がった。

これはもうあれだ。面倒だ。丸投げしてしまおう。

別に自分としては問題はないのだが……そこのところは他の人に。

修羅場を掻い潜るにはこの手しかなかった。

 

「とりあえず今のままではダメだな」

 

「どうしたらいい?」

 

「エルルゥとハクオロに聞いてきなさい」

 

「わかった」

 

素直で良い子だ。ユズハと違って変に天然なところがあるが、おそらく彼女の好きというのはユズハに対しても同じものだろう。わかっていながら放置する自分もあれだが、これは仕方ない。お姉ちゃんの教育不足ということにしておく。

 

「そろそろムックルもお兄ちゃんになるべき」

 

最後の言葉は聞かなかったことにしよう。明日になって忘れていなければその時はその時だ。犠牲になるのは俺ではなく主にあの二人なのだから。




(笑)とタイトルにつけようか迷ったが断念。


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根絶やしにしたはずなのに……

古代の遺産2


 

 

 

「逃げろおおおぉぉぉッ‼︎」

 

ハクオロ達と合流する直前、人々の怒号と悲鳴が聞こえてきた。おそらくハクオロ達が最終局面に突入してしまったのだろうがそれはあまりにも優勢とは呼べなかった。遠目に見て巨大なシルエットが闇夜に浮かぶ。それは一つ目の鬼のような顔に鋼鉄の体をした機械。そう、あれは確か作業用機械として量産された–––。

 

 

 

–––ザク。

 

 

 

専門分野外だから忘れたが確かそんな名前だった気がする。

いや、ザクゥだったか? バクゥだったかドルゥだったか。名前はどうでもいい。問題なのはその作業用機械が単騎で暴れていることにある。いったいどうしてあんな骨董品が持ち出され動いているのか理解に苦しむが、それ以前に暴れているのなら止めなければ被害は甚大なものとなりえる。

 

『カルラはワタシのものよぉぉ!』

 

ザクゥの操縦者の声が夜闇に響く。まさか、この時代にもそのような種族がいただなんて、歴史をリセットしてもなんら変わらない未来に俺は呆然と突っ立っていた。

 

「大変、助けないと!」

 

主に襲われているのはカルラだった。巨大兵器の魔の手がカルラを掴もうとするがあっさりと躱す。攻撃を繰り返すがただの一撃すら有効打にはなっていなかった。

ようやくカミュの声で我に帰り持ってきた大鎌を構える。身の丈ほどの長さに巨大な錆びついた刃を携えた人間大の凶器。溜息と共に柄を握り直すと同時に胸の内にふつふつと怒りが湧き上がってきた。

 

古代の遺産。とやらは、どうも自分に縁があるらしい。十八禁の書物然り、ちょっとストレスが溜まりつつある。別にザクゥだか作業用機械に恨みはないがここで晴らさせてもらおう。主に八つ当たりだ。

 

そうと決まれば、行動は早い。

ムックルにユズハ達を任せて丘を駆け下りる。大鎌を重力に任せて後方へと引き、疾走した。

 

「しまっ–––!」

 

『チャンスよ!』

 

足を滑らせて反応が遅れたカルラ。そこへ覆い被さるように巨大な手が迫る。

慌てて飛び退るカルラと入れ替わる形で俺は前へと躍り出た。

互いに視線が交わる。目が合ったと思う頃には、カルラは驚いた顔でこちらを見ていた。

 

「あなた……!」

 

「悪いな。もらうぞ」

 

足を踏み込むと同時に大鎌をできるだけ後方に引く。空中で腕がカルラへと伸びた時、繋ぎ目を狙って大鎌を大きく振りかぶり遠心力を利用して切り裂いた。鈍い感触が伝達したが構いなしに叩き斬る。次いで胴に抜け、すれ違い様に大鎌の先を突き刺し巨兵の速度による力の反発を利用して喰い千切るように裂く。

着地をした背後では巨兵が地に沈む轟音が鳴った。大鎌を肩に担ぎ振り返ると、唖然としたハクオロ達の視線がこちらに降り注いでいた。

 

「あれ……もしかしてやっちゃいけなかった?」

 

なんだろう。古代の遺産が見つかってからロクなことがない。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

デリホウライ率いるカルラゥアツゥレイがナトゥンクを滅ぼしカルラゥアツゥレイを樹立した。一言で全てを締めくくるならばそれだけで十分だろう。デリホウライ皇は手始めに同盟を結ぶことで他国からの侵略を避けるといった方針をとったようだ。あの時は旅人扱いだったハクオロと対面している頃だろう。

 

「君は行かなくていいのか?」

 

眺めのいい回縁で呑気に昼間から酒を飲んでいるカルラに言ってやると、彼女は徳利をゆらゆらと振る。

 

「いいんですのよ」

 

フッと笑ってまた呷る。今日もまた少しだけ酒の量が少ない。ほんのりと酔ったカルラは青い空を仰ぎ見て横になった。

 

口を挟んではいけないことなのかもしれない。だが、それでも。口を出さずにはいられない。いつ会えなくなるかもしれない家族と会わないという選択が見過ごせなかった。

 

「……もう二度と会えないかもしれないぞ」

 

「そうですわね。でも、それはもう済ませましたから」

 

今回の一件のことを言っているのか、果たしてそれだけで良かったのか。いずれにせよカルラはこれを最後にするために今回の一件に首を突っ込んだのだろう。言いたいことがいくらかあったはずだが出るのは溜息のみ。まるで自分の後悔を押し付けているようで嫌になってきた。

 

「そういうあなたは後悔していることがあるんですのね?」

 

酒が回っている癖に察しがいいカルラはここぞとばかりに攻めてくる。

失言だったか。いや、何故だろう……妙に話したい気分だった。

酒を飲んでいるカルラの空気がそうさせるのか、それとも。自分としては彼女に後悔だけはして欲しくないのか。我ながらお節介だと思う。

 

「あったな。もう少し姪に構ってやれば良かったとか、結婚相手をもっと早く見つけていれば姉さんも安心できただろうにとか。まぁその姉達は既に死んでいるんだがな」

 

時代の流れでユズハは生まれたのだから時間云々は仕方ないだろう。むしろ獣耳娘を嫁ですなんて連れて行ったらどんな顔をされるのかわかったもんじゃない。それでも姉は仲良くするだろう。そういう人だった。あんな研究馬鹿な義兄と結婚したのだから。

しかし、死んでいると表現していいものか、姉達はスライム状の生物となってしまっている。果たしてそこに人間の魂があるかは定かではない。意思疎通もできなければそれはもう別の生物だ。

 

あの呪いは……。

なぜ俺だけを化け物へと変えなかったのか。きっと今のハクオロでは覚えていないだろう。

 

また深く考え込んでいるとカルラは「そうですのね」と言って徳利一つを豪快に一気飲みする。徳利とはそんなぞんざいな扱いをされるものではなかったはずだが。

 

「まぁ太古の昔に栄えたオンヴィタイカヤンですものね。死んでいてもおかしくないですわ」

 

だから、まぁ、そう落ち込まないで。と言わないあたり気を使ったのか彼女らしいのか俺ははっきり言われることなく空を見上げた。いくつかの雲が空を漂う晴天。なんとも言い難い感情が胸を突く。

 

「いつかは死ぬ。早いか遅いかは生き方次第か……」

 

それを受け止めるのも逃げるのもまた人間で、きっとそれはあの科学者達が余計なことをしなければ人間はもっと栄えていたのだろう。こうであらなければこの世界はなかった。そう考えれば悪いことばかりでもない。

そうなるよりも先に、最初からずっと決めていた。

実験体達が平和に暮らせる、そんな世界になればいいと……。

後悔こそあれど望んだ結果こうなった。

あるのはあの日の後悔ではなく、それより以前の問題だった。

 

「説教臭くなるがもう一度だけ言わせてくれ。後悔のないように生きろよ」

 

「ふふっ、心配してくれるのなら付き合ってくれないかしら」

 

「断る。断るが……できれば、都合のいい話だが手助けをしてくれると助かる。俺のためではなく、ユズハのために……」

 

「恩人ですもの。断るわけにはいきませんわ」

 

酒の付き合いを丁重に断り逃げるようにその場を立つ。

一杯くらいなら……。そう思ったが、悲惨な結果を再現するわけにもいかずやはり逃げるようにその場を立ち去った。

 

 

 

 

 

「キサマアアアァァァーーー‼︎」

 

突然、廊下に怒号のようなオボロの声が響き渡った。毎度毎度、飽きもせずによくシスコンなんて続けられるものだ。そのせいで被害を被る被害者にとって一番楽なのは奴に遭遇しない、その一つに尽きる。……だがそれはわかっていてもできないことである。なにせその御本人様がこちらに向かってくるのだ。逃げても逃げても追いかけてくる。しかし、わかっている故に自分がとった行動といえば至極単純なものだ。

 

「まったく……逃げよ」

 

格子を外して外へと出る。十分な高さ故か落ちたらタダでは済まないだろう。だが、捕まってもタダでは済まないのなら選ぶべきは一つしかない。脱兎の如く逃走を図る。それは生存本能だ。

たぶん、理由もまたしょうもないのだから。

 

外壁を利用して瓦の上を歩き、下へと降りる。

その間にもドタドタとうるさい足音が頭上–––先刻、降りてきた廊下を通り過ぎ様に止まった。

 

「ユズハを他国へと連れ出すとはどういう了見だ! きっちり説明してもらうぞ!」

 

廊下の上から見下ろし、鬼のような形相で睨んでくる。視線だけで人を殺しそうな顔だ。もしあれをユズハが見たのならなんて言うだろうか知りたい気もするが不可能なことに思考を振り切る。

そもそも、何故か自分の場所はどこへ逃げてもバレてしまう。情けないことにユズハに頼ればなんとかなってしまう兄だが、俺もまたちょっとした意地とプライドがあった。

毎度のこと、距離を測りながら見上げてジリジリと離す。

 

「……どうしてここにいるとわかった」

 

「キサマにはたっぷりとユズハの匂いが付着しているからなぁ。キサマがどこに行こうが俺の鼻は誤魔化せんぞ!」

 

なにこの変態お兄ちゃん怖い。

余計にユズハに頼るのが嫌になった。

 

「そうか。悪いことは言わないから自分の胸の内だけに留めておけよ」

 

何をとか言わない。ユズハに嫌われても俺は知らない。日頃の行いを改めるがいい。

 

「キサマこそそっくりそのまま返してやる」

 

「いや、なんだよ」

 

「可愛い俺のユズハに情欲を抱くのは当然のことだ。だが、そんなことをしては嫌われるだろう。その時こそキサマは終わりだ。化けの皮を剥がして城門に吊るしてやる」

 

つまり、だ。オボロは妹に情欲を抱いていると……?

 

深追い禁止の思考を停止させる。たぶんそういうことではないのだろう(だと信じたい)。それくらい可愛いって話だ。家族的な目で見て、しかしここでもシスコンは払拭できない。

 

「助言か?」

 

「違うわ!」

 

もう峠は既に超えた。あの書物を掘り起こされるという奇跡を経て自分は深いダメージを負うと共にちょっとした苦難を乗り越えたまであるだろう。少し天然というか箱入りが過ぎるが。

 

「キサマそこで待っていろ!」

 

「わかった」

 

あっさりと返事をする俺に訝しげに視線を向けるオボロ。ドタドタと廊下をかけていく。おそらくこっちにくるだろう。だが、待てと言われて待つ馬鹿もいない。今日中に進めなければいけない案件が残っているのだから。

 

 

 

 

 

「さて、それでは始めようか」

 

ハクオロ、エルルゥ、カルラ、トウカ、ベナウィ、クロウ、ウルトリィ。オボロ他、幼き面々を除いたこの面子で新しい会議を始めようとしていた。無論、ドリィとグラァも除外だ。あの二人はオボロの部下であり情報が漏れる可能性がある。特にオボロに漏らす可能性のある二人は声をかけることをやめた。幼い面々も無茶をしかねない節があるためにこの会議のことは伝えていない。

 

「皆の者、集まってくれてありがとう。最初に礼を言わせてくれ」

 

頭を下げて感謝の意を伝える。

するとウルトリィが聖母の微笑みで慌てたように言うのだ。

 

「そんなお気になさらず。微力ですがお力添えできるかどうかもまだわからないのですから……」

 

「命の危機とあれば仕方ないだろう。私としても助かる方法があるのならそちらに賭けてみたいと思う」

 

「あら、私への協力を渋っていた主人様とは思えない発言ですわね」

 

「ぬぐっ……」

 

カルラの毒がハクオロの急所に当たった。渋面を浮かべるハクオロはともかく、俺も人のことは言えないので弁護はできない。心の中で安寧を祈りながら場が収まるのを待っているとベナウィが挙手した。

 

「聖上、此度の件と何か関わりがあるのでしょうか。先日、急に皆して雲隠れしたことも合わせて理由のご説明をいただかなければ……」

 

「いただかなければ……?」

 

「–––数日分の仕事と共に部屋に監–––いえ、軟禁させていただきます」

 

「そ、そうだな、話さなければいけないか」

 

なお、納得のいく理由がなければ問答無用で執務室行きだと語っている。監禁とか言おうとしたぞこの忠義に厚い男は。それだけ本気なのだろう、冗談の通じない男でもある。

 

「よ、ヨミナ殿っ」

 

「え、弁明もしくは弁解は?」

 

「こ、これは参謀としての其方の力量を……」

 

勝手に参謀にされた。丸々押し付ける気の皇に俺はジト目を向ける。いったいどうしてそうなるのか検討もつかないので無視しようとしていると、諦めと共に妙案が浮かんだ。

 

「うむ、では今回の件について説明させてもらうが……一言で言うと新婚旅行だ」

 

「そいつはめでてぇ」

 

ノリがいいクロウは大して気にしてもないのだろう。微妙におかしな点を見つけるのもまたクロウだ。和かな男前スマイルの後に何やら喉に小魚の小骨が刺さったような微妙な顔をして、

 

「しっかし、新婚旅行ってのは夫婦水入らずで行くもんだと思ってましたがねぇ」

 

とんでもない正論を吐いた。俺もそう思う。だが、新婚旅行というのも建前で実は他国へ武力介入してましたなんて言ったらどんな反応が返るだろうか。想像に難くない。國もままならない状態で他国への援助など馬鹿ですかアホですか、口には出さないがきっとベナウィは視線だけで語るに違いない。

 

「まぁ、そういうことだから」

 

「おかしいですね。なら、聖上が行く必要が見当たりませんが」

 

目敏いベナウィが鋭い視線をハクオロに向ける。ギクリ、と冷や汗を浮かべるハクオロからアイコンタクトが飛んでくるが俺はウルトリィのまっしろな翼を眺めていた。

見捨てたら、ウルトリィと目が合う。いつもの如く聖母の微笑みを浮かべる彼女はなんと美しいことか天使に違いない。様相から元は天使をイメージとして造られた種族だから当然かもしれないが、それだけでは説明できないほど神々しい存在だ。

 

「–––聖上」

 

もはや逃げられぬか。諦めさえ顔に浮かべたハクオロ、その左後方で控えていたエルルゥが俺を見た。いったい自分にどうしろというのだろうか。

 

「ところでヨミナさん?」

 

本当に「ところで」だ。どこに繋がっているのか、ニコニコうふふと自然な笑みを浮かべる。何故かこういう時だけ女性には恐怖を感じることを避けられない。横で青白い顔をしているハクオロをなんのその、全く気にしていない様子で俺から視線を外すことはしない。

ぞくっ、と背筋に冷たいものを感じているとそのまっさらな笑顔のまま話しかけてきた。

 

 

 

「先日はどうもアルルゥをありがとうございました。……ところで、性教育なされたそうですね」

 

 

 

サッ。ハクオロに向いていた視線が全てこちらへ。

唯一の救いがウルトリィの浮かべる、あらあらうふふ、のような微笑み。

自分にハクオロを救えと? 捨て石になれと?

エルルゥはそう言っているのだろうか。報いだと。

ウルトリィは何を思ってあんな笑みなのだろうか。

 

わからない。

 

ただわかることは……。

この前のアレをそっくりそのまま返された。

そういうことである。

アルルゥをエルルゥに向けるのはミスマッチだったか。

 

「あー、いや……ごまかしついでにそちらに向けたのはマズかったか?」

 

「びっくりしましたよ、いきなり子供が欲しいなんて言い出すんですから。ダメなんて言ったら言うこと聞かなくて説得にどれだけかかったか……お相手は決まっているようですが」

 

「ちゃんと教えておいたほうがいいぞ。時期ではないのかもしれないが」

 

子供には早過ぎる。理解はしているがこちらとして聞かれるとはぐらかしても知りたがるのがアルルゥの強みだ。責任の押し付けというかこれもう姉の仕事ではなかろうか。とんだとばっちりだ。

 

「まぁ、早いですよね……。でも、いいんですよ? 姪っ子でも甥っ子でも作ってくださっても」

 

すみませんでしたすみませんでしたすみませんでした。

これ以上は泥沼だ。なんかもうわかる劣勢なのが。

「カミュもお願いしようかしら」とかほらそこ、ウルトリィが妙な提案してる。

俺はわざとらしくこう言うしかなかった。

 

「あぁそういえばハクオロは同盟のためにナトゥンクへ遠征に行っていたんだったなぁ!」

 

やけくそ気味にそう言うとベナウィは納得といった表情で今日の来客の顔ぶれを思い出したようだ。ナトゥンクは滅びカルラゥアツゥレイがトゥスクルと同盟を結んだ。ちゃんと仕事をしていたのである。

バレてはいけないのは、他国への武力介入だ。皇としての自覚が足らない。執務放棄の時点で逃れようのない事実だが、ハクオロの弁明をベナウィが納得しようがしまいが俺にできることはもうない。

 

「う、うむ、そういうことだ。逸早く噂を聞きつけて調査にな」

 

「まぁ、いいでしょう」

 

案外あっさりと引き下がる。功績を前にしてベナウィでも問い詰めることはできないのだろう。しかし、俺の運命はどうなったのだろうか。エルルゥはほぅと息を吐いていた。

 

「まぁ、何もなかったようでなによりですが……私の大切な妹です。でも、ヨミナさんなら安心ですね」

 

いやいや、フォローどころか訂正にもなっていない。

それだけエルルゥの怒りを買ってしまったのだろうか。

もういいや、どうせアルルゥもそのうち飽きるだろう。

子供の気まぐれなんてそんなものだ。

 

「それより、相談があったんじゃないんですか?」

 

「そうだったな。実は、ユズハの件についてなんだが……」

 

 

 

 

 

改めて、今日を選び大きめの……皆で食事をする部屋に集まった理由は他でもない。

ユズハに関してだった。一人で調査を続けていたが土地勘はなく世界の地図もまた曖昧で、まるで戦国の世に放り出されたみたいな感覚だった。その問題もマスターキーにより全ての権限を得た端末を使えば衛星による大陸の地図の作成など一時間もかからないがやはり足りないものが出てくる。

 

–––時間だった。正確には、ユズハのいつ壊れるかもわからない命の残りの時。

そんな不確定な時間さえなければ……。

きっと自分だけでも、目的を達成することは簡単だっただろう。

一年あるか、二年あるか、それは自分でもわからない。

ただ、漠然と終わりの時が近づいていることはわかる。それだけの理解力で怠け呆けている場合ではない。

 

–––だから、力を貸して欲しいと俺は頭を下げる。

わかっているのだ、ナトゥンクのことを棚に上げているのは。

ナトゥンクへの武力介入と同じようなことをしようとしている。それはつまり他国への介入に他ならない。敵国であらば問題になりかねない事案だ。もしかしたら遺跡として過去の研究所を保管している国があるかもしれない。そうなれば争いは免れないのだ。

この国は少なくともウィツアルネミテアを信仰の対象とし、オンヴィタイカヤンを禍日神とする傾向からそういう遺跡は重要視されてはいないとは思うが……。

人の数だけ、方針があるのだ。

 

 

 

「へぇ〜、治るんですかい。病気」

 

愛想よく相槌を打ってくれたのは聞き上手なクロウだ。こんななりして人の話はよく聞いてくれるもんだから雑兵からは信頼の熱い大将として知られている。あの時はいなかった男だが、随分と早く理解したようだ。

そして、ハクオロ達と別行動を取った時のことを話した(いかがわしい書物は除く)。

 

「そういや詳しくは聞いてやせんでしたが嬢ちゃんの病気ってのは不治の病なんでしょう?」

 

初耳だ。不治の病。確かに技術レベルの低いこの世界ではそう思われても仕方ないのだろう。

エルルゥ曰く、「大神が身体の中で暴れ回る病気」らしい。具体的な原因が解明されていないと、もはや手の施しようがないということだろう。

 

「どんな病気なんですかい?」

 

「あっ、私も気になります」

 

そういえば自己完結していて誰にも話してなかったか。

元々、話しても意味のないものだと思って言わなかった。

というか、聞かれなかったし……。

隠していたわけではないが、聞かれれば話さなければいけないだろう。

 

「ウルトリィ」

 

「はい。……暗く、すればよろしいですか?」

 

人の思考を読むのと情事直前の夫婦のやりとりみたいな会話はさておき、ウルトリィの不思議な力によって昼なのにこの部屋だけは夜のように闇の帳が落ちる。何も見えなくなって、端末からホログラムを壁に投影した。

一切にびっくりした声が上がる。

古代の技術にわっくわくしてるウルトリィもさておき。

一番わかりやすい反応といえば「へぇ〜、ほぉ〜」と感慨深げに感心してくれてるクロウだ。

 

「まず、おまえたちの先祖の生まれは知っているだろう」

 

「伝承では私達は解放者ウィツアルネミテアの子らというのが常識です。大いなる父と矛盾している点があるのですが……」

 

どちらが父と呼んでも遜色のない回答だろう。

ウィツアルネミテア然り、オンヴィタイカヤン然り。

半々の様々な反応を見ながら、ホログラムを投影した。

螺旋のような遺伝子図。

それと白衣の研究員達、昔一緒にいた獣人達。

私用ですまないが獣人達との写真は全員で撮ったものだ。

 

「元々、獣人はオンヴィタイカヤンである科学者達の手によって造られていた。そこで使用したのがウィツアルネミテアの遺伝子情報なんだよ」

 

「……え?」

 

受け入れろとは言わない。事実として知っていて欲しいだけだ。

 

「神を材料に、ですかい?」

 

「当時、ウィツアルネミテアの遺伝子は研究材料とされていてな。強き人を生むために未知の力を持つ彼を利用しようとしたのだ」

 

「その結果が私達……?」

 

「–––の、祖先だ」

 

あくまで祖先だ。そっから先は人間が栄えたようにまた獣人も繁殖しやがて大きなコミュニティとなった。

 

「言うなれば、ウィツアルネミテアは遺伝子の父。オンヴィタイカヤンは生みの親ってところか」

 

「なるほど、しかしあの娘の病と何の関係が?」

 

イマイチ理解できないとベナウィでもお手上げのようで問いかけてくる。

俺もまた隠すつもりはなく、一つの写真を投影した。

 

「そ、そんな……酷い……」

 

エルルゥには少し刺激が強過ぎただろうか。ここにアルルゥやユズハがいたならば、出すことのできなかった写真だ。

積み上げられた獣人の死体、後に科学者達から失敗作と罵られたガラクタの山。

異常が発生し解体、殺処分されず延々とデータ取りに使用されたり、命を弄ばれた実験体達の画像だった。

 

「これは全て失敗作と罵られ廃棄された先人達だ」

 

「ど、どうしてなんですか、どうしてこんな酷いことを!」

 

「さぁな、俺にはわからん」

 

「ふざけてないで答えてください!」

 

ふざけるも何も……。俺だって過去に思ったことだ。死体を見て嘔吐しそうになった。積み上げられた死体の山に夢も希望も絶望も芽生えた。きっとこの時は何をしてでも救ってみせると誓っていた。死体の山に、願いを掛けるように……。

 

今でも目に入った死体の顔は覚えている。

脳裏に悲痛に顔を歪めた獣人達の顔を思い出していると、ウルトリィが声を荒げた。

 

「おやめなさい、エルルゥ様」

 

「で、ですが……!」

 

「あなたは彼の何を見てきたのですか? 彼にとって私達がただの玩具に過ぎないというのなら私はその身を捧げるべきだと思いますよ。そんな必要はないでしょうが」

 

「ど、どうしてそこまで信頼できるんですか? 私にはわかりません」

 

「さっきと言っていることが矛盾していますね」

 

そりゃこんなショッキングな画像を見せられたら誰だってそうだろうな。信じていた人に裏切られるという感覚は。手のひら返ししたくなる気分もわかる。

 

やれやれとウルトリィは溜息を吐いた。

お淑やかな佇まいをそのままに、説教するような口調で、

 

「彼はその同族–––大いなる父達を裏切り反逆した唯一の救いだからです。当時、玩具同然に弄ばれていた獣人達を守り続けた唯一の守護神。……といえばわかりますね? 彼はその手を獣人達のために血で汚し、血を血で洗う戦いをたった一人で行いました。そんな彼を私達が無碍にできましょうか」

 

のたまりおった。

 

「ウルトリィ」

 

「言わない約束でしたね。ですが悪く言われていると思うとつい」

 

てへっ。擬音にそうつきそうな顔をする。

ウルトリィにしては珍しい顔だった。

 

「ウル」

 

「話の腰を折ってしまいましたね。すみません」

 

続けてください。

なら、無視して続けることにしよう。

確か、ユズハの病気の正体だったか。

 

「簡単に言うとだ。ユズハの病気は獣人を作り出す時にウィツアルネミテアの因子に耐えきれない個体が複数出た。いわゆる拒絶反応というやつだ。これを治すには薬では一時凌ぎでしかなく、生体を調整するしかない。昔、俺が作った施設の捜索の手伝いが俺の依頼だ」

 

いたたまれない空気だがウルトリィがなんとかしてくれるだろう。なんか理解しているみたいだし。

頭をポリポリと掻きながら、気を逸らすことにする。

こんな時でも戦に慣れた連中は平常運転だった。

 

「それをなんであの若大将に言わないんすかねぇ」

 

「面倒だからだ」

 

「嘘ですね」

 

ベナウィまで。

ここは無関心を決め込んで欲しかった。

 

「……手のひら返されたら気持ち悪いだろ」

 

「ちょっと本音混ざってますが嘘ですわね」

 

カルラまで……!

 

「最初はあんなものだったぞ。私も初対面の時は武器を突きつけあったな」

 

「あ、そういややりそうですね」

 

初耳だ。いや、それはいい。別にハクオロとオボロがどれだけいがみ合っていようと知らん。シスコンの事実には変わりないのだから。

昔話に花を咲かせ始めた奴らはほっといて部屋を出て行こうと襖に手を掛ける。

バッと開けて、踏み出そうとして、見慣れた足が見えた。

 

「あっ!」

 

「……」

 

やばい。目があった。

部屋の前に立っていたのはオボロだった。

しかし、無言のままゆるりと掴みかかってきたせいで避けることはできず。

オボロの背後に控えているドリィグラァに視線を向けると苦笑いされる。

 

「……本当なのか」

 

「は?」

 

「さっきの話は本当なのか?」

 

「あ、あぁ……」

 

迫力に気圧されてなんのことかわからず適当に頷いてしまった。

 

「……ユズハを頼む」

 

わぁ、どういった心境の変化で?

 

「……兄者と呼ばせてくれ」

 

「普通に嫌だよ」

 

きもいよ。手のひら返すなよ。いつもの威勢はどうした。あと呼ぶなら弟とかそこらへんだろう。

ドリィグラァはなんで微笑ましい顔で見てくるのか。

 

「若様は既に認めていたんですよ」

 

「ユズハ様が毎日楽しそうにしているから」

 

「ただ素直になれなかっただけで」

 

「妹愛極まれりですね」

 

まったくだ。

 

 

 

 

 

……もうこいつらやだ。





根絶やしにしてもなお……。
特殊な遺伝子を組み込んだ科学者がいたに違いない。
だからきっと科学者のせいだ。
オボロがシスコンなのもホモっぽいのもツンデレなのも。
だから僕は悪くない。


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始祖

シャクコポル族。
ウサギじゃなかったらごめんなさい。


 

 

 

「だぁ〜きゃははは!」

 

赤子のような笑い声をあげる大きな娘を抱いていた。

 

一見何を言っているかわからないだろうが聞いてくれ。

その赤子のような笑い声は、赤子のようでありながら少女のようでもあった。しかし、誰が聞いても赤子の声だと疑わないその声を上げているのは女の子として体の発達が顕になってきた十代過ぎの娘だ。

幼児退行したのだろう。その娘を連れてきたのは戦に向かったハクオロ達、この娘が全土統一を図った一国の姫君だというものだから世の中わからないものである。それで、何故こうなったのかは聞くに耐えない話だ。目の前で最も信頼していた忠臣を殺されたとあらばそうなっても仕方ないのかもしれない。

 

心の拠り所であった。

そんな存在が消えてしまうのだとしたら……。

 

行方不明となったカミュ。

その姉であるウルトリィも同じ気持ちだろう。

口には出さないが、きっと心配しているに違いないのだから。

 

 

 

「だぁ〜あ?」

 

言葉も、理性も、何もかも、国すらも失った少女。

クーヤは精神崩壊の末、こんな成れの果てへと辿り着いた。

 

「おー、よしよし。いい娘だ」

 

「あーぶ」

 

「なんだ頭撫でて欲しいのか? 仕方ないな」

 

「きゃはは」

 

何故か懐いてしまっている少女は膝の上で笑い転げる。

抱きついてきたり、首筋に額を擦り付けてきたり、耳や指を甘噛みして舐めてきたり。

懸念すべきことといえば、周囲の視線が痛いことだろうか。

なんだよ。懐いちゃったんだから仕方ないだろう。

 

「す、すみませんクーヤ様が失礼を!」

 

慌てて従者のサクヤが引き取ろうとするも、警戒したような表情で必死としがみつくクーヤ。

 

「いいって。姪や教会に捨てられていた子供の世話をして……いたがやりたかったわけじゃないぞ。すぐに泣くし、面倒だし、何を言っているかわからないし大変だし、研究材料を玩具にするからたまったもんじゃなかった」

 

「な、なら今すぐにっ」

 

「けど、嫌いじゃなかった……」

 

それにこいつらに任せて大丈夫なものか。こんな子供の世話なんてやったことのなさそうな奴らだ。やれ戦だの、サクヤとエルルゥ以外は殆どダメっぽい。サクヤだってゲンジマルという祖父とヒエンという兄を失ったのだ。聞いている以上に放って置けない。それが今自分にできることなのだから。

 

「今はゆっくり休め。そんな心此処に在らずの精神で世話をされても、クーヤは元に戻らんぞ」

 

「ですが、あなた様に迷惑をかけることなど……!」

 

自分のことをオンヴィタイカヤンだと知っているからか妙に喰い下がってくる。シャクコポル族の敬愛する神、それ故の配慮のつもりなのだろうが人間なんて神の器ですらないのだ。

 

まだ引き下がらないというのなら、その敬愛と信仰心利用するぞ?

 

「引き下がらなければ揉むぞ」

 

「も、揉むっ⁉︎」

 

「胸からお尻まで。果てには孕むことになるやもしれん」

 

オンヴィタイカヤンも人間だ。性欲だって普通にあるし悟りを開いたことなどもない。教会に住めど煩悩が払われるわけでもない。じゃなきゃケモミミ研究なんてやってない。

 

「……よろしくお願いします」

 

顔を赤くして俯いたままサクヤはそう言った。

クーヤのことを頼むと言ったのか? きっとそうに違いない。

 

「サクヤも好きに甘えればいい。そんな腰の低いままだと利用されるぞ。俺に」

 

優しく頭を撫でると大人しく擽ったそうに身を捩る。そして、気持ち良さそうに目を細めてはその身を預けてきた。

どうやらこれで安心のようだ。こんな肩身の狭そうな顔ばかりしていられてはこちらも落ち着かないというもの。

サクヤの顔がとても懐かしいものに見えて、一瞬影が重なった。

あの頃はよく、うさ耳少女が俺を見つけるたびに駆け寄ってきてくれて、何をするにもずっと引っ付いたままだったか。……それこそトイレに行こうとしても離れないでついてきた。

 

–––あの娘の気持ちももっと真正面から受け止めてやればよかった。

 

後悔が残っている。

最後の大事な願いを受けて離れたあのうさ耳少女はあの後どうしたのだろう。

思い出せば思い出すだけ、後悔と追憶の瞬間が増えていく。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

クーヤは一週間経っても変わらない。疲れを知らないのか物珍しい人間の耳を弄ったり、頰を叩いたり唇を引っ張ってきたり興味のあるものはなんでも触る。そんな子供みたいな行動を取るが忘れてはいけない歴とした女の子だ。胸もある程度育っているし匂いは甘いしそういう趣味はないがちょっと精神に悪い。

 

もちろん、そういう目で見ているわけではないが。

なんていうかこう、保護欲を擽られるというか……。

 

勘違いされてはいけないが。具体的に言えば、赤ちゃんプレイを敢行中の変態にしか見えないだろう。

普通の同衾よりマズイレベルだ。

 

「そういやあの代理皇がシャクコポルの姫を捕虜にしては育児遊びしているらしいぞ」

「オンヴィタイカヤンってのは変な趣味してるなー」

「でもいいよな、好き勝手してるって。それにシャクコポル族はオンヴィタイカヤンを信仰してるんだろ? 命令なんてすりゃなんでもやってくれるらしいぞ」

「羨ましいよな。代皇」

「最初に堕としたのがユズハ様だろ? 周りには幼女ばっかり従えてるって噂だぜ」

「さらにアルルゥ様、ついでシャクコポルに赤子の真似の強要か」

「報告に行ったんだけどよ。……なんでだろう、心惹かれるものがあるんだ」

「目を覚ませ」

「このまま童貞で死ぬなら、もう相手が誰でも……」

「戻ってこい、しっかりしろ!」

 

代理皇。ハクオロ達が戦に出陣している間、守護の要として認識されたが為にそんな渾名がついた。略称は“代皇”。

 

廊下を去っていく雑兵の足音を聞きながら、俺は確認の意を込めて、ここ数日ずっと傍を離れようとしないサクヤに目を向ける。

 

「確認までに聞くが……」

 

「なんでしょう?」

 

あれから態度が柔らかくなって優しい微笑みを浮かべるようになったサクヤ。彼女が小首を傾げて擦り寄ってくる。

 

「何故離れない」

 

「クーヤ様のお側仕えですから」

 

試しにクーヤを離したこともある。この一週間ずっと世話をしていたが、食事、お風呂、全てにおいてサクヤは引っ付いてくる。流石に風呂はまずいかと返却したが私もご一緒します、だ。

原因はわかっている。ユズハにも娶ればいいのに、と言われた。

ここまで言われて気付かないわけがない。ユズハも承諾済みだ。正妻の地位を築いて落ち着いたのか、「ヨミナ様はみんなのものですから」と謎の証言。ただし上限はあるらしいが不明瞭な返しをされた。

 

「まったく……どうなっても知らんぞ」

 

「はい♪」

 

独り言に返事が返ってきて、サクヤはだいぶご機嫌なようだ。

そういえば忘れていた。シャクコポルは耳がいい生物をベースにしているから地獄耳を通り越して、薄い壁一枚程度なら耳をそばだてなくても聞こえる。

着々と外堀を埋める乙女達。きっとその言葉も他意はなかったのだろう。

 

「おまえは俺をどんな人間だと思っているんだ?」

 

「良き夫になる人だと。クーヤ様のお世話を見ていてわかります。こんなに懐いて、安心して眠っているこの顔を見れば」

 

ただ普通に子供の世話をして、食事をして、風呂に入って、四六時中一緒のサクヤは逐一ユズハに報告をしているらしいがユズハの機嫌は良くなるばかりで計り知れない。

子育て上手な男は好かれる、なんて文献を昔姉の持っていた雑誌で見たがそういうことなんだろう。少しは世話の仕方くらい手慣れていると思う。少なくとも義兄よりは。

 

「……まぁいいか、そろそろ寝るとしよう」

 

与えられた自室を出てもう一つの部屋へと向かう。廊下を少し進んだ先の小さな部屋。そこには寝支度を整えたユズハが待っていた。

 

「クーヤ様は?」

 

「この通りおネムだ」

 

「ふふっ、可愛いですね」

 

寝息を聞いたからかユズハがくすりと笑う。とても優しい笑みで。

取り敢えず、ユズハの隣に自分が。自分の空いた方にクーヤを。その向こう側にサクヤが横になり蝋燭を吹き消した。

 

 

 

 

 

子育て代皇なんて渾名がついた。ようやく兵達は事の重大さを理解してくれたようだが、何故か羨ましがるものばかり。兵隊達が変態達だなんてこの國大丈夫か?と疑うものの、陥落は遠くもはやこの日本列島もどきを制覇一歩手前、残るはディーなる男とムツミという少女のみ。

ハクオロの話によればカミュがいきなりムツミとなったらしい。おそらく「ムツミ」なるものが自分の知っている者であればイタコだか降霊師なり魂を現界させたのだろう。ウィツアルネミテアにはそれが可能だ。強力な個体として処分寸前だったムツミなら尚更、不可能な領域ではない。

 

そんな変わらない日常とカミュのいないトゥスクル。

もうすぐ一月の時が刻まれようとしている。皇とウルトリィとエルルゥは寝静まる直前に訪れた。

 

「ヨミナ様」

 

ウルトリィに付き添う形でハクオロは背後に立つ。その姿に視線を向けたのはユズハとサクヤだ。もう既にクーヤは眠りについていて、穏やかに健やかな眠りを実現している。

 

「夜分遅くにすまない。ウルトリィとはさっきそこで会ってな」

 

「本当に申し訳ありません。もう寝るところでしたか?」

 

「いや、別に俺は構わない」

 

ハクオロとエルルゥで平謝りしてくるものだから抵抗があった。主にこの二人に頭を下げられるとどこかむず痒いものがある。きっと昔の後悔からなのだろう。

そんな二人の謝罪が終わると同時にウルトリィはしなだれかかってくる。

 

「カミュを……カミュをお救いください」

 

「まずは落ち着け」

 

布団の上に膝をついたウルトリィは心身ともに削れ切ったと言わんばかりだ。

目元にはクマができている。心配で夜も眠れなかったのだろう。

僅かだが、翼も艶を失っているように感じる。彼女の髪も少し霞んで見えた。

無事座らせてもうわごとのように呟くばかりで会話にならない。

これは少し放置し過ぎたか。

 

 

 

「……昔話をしようか」

 

マスターキーを接続した端末を手に取る。空中に映像を投影して端末を操作キーに、黒い翼の女の子と撮ったツーショット写真を表示した。

 

「これは……?」

 

とても似ている。形にはできるが言葉にできない、複雑な心境でウルトリィは写真を食い入るように見つめた。皆が一様に写真に見入っていることを俺は確認してからその名を口にする。

 

「ムツミだよ」

 

「うそ……カミュにそっくり……」

 

「因みに隣が俺だ。この時はムツミが殺処分されそうだった後でな、様々な利用できる手段は利用して殺処分を取り消した。この娘はよく俺に懐いてくれていて、今のシャクコポルの先祖と喧嘩ばかりしていたな」

 

 

–––主に俺を取り合って。

 

 

「私達の先祖がオンカミヤムカイと喧嘩を⁉︎」

 

そんな敵うはずない。と、驚愕の表情でサクヤは自分の種族を卑下する。

まったく誰がシャクコポルは最弱の種族だと、決めつけてしまったのか。

風潮は定着すれば覆すのは難しいか。

 

スライドして今度はうさ耳少女とのツーショット写真に切り替える。

その特徴に共通点を見つけてサクヤは息を呑んだ。

 

「名前はサクラ。この娘は俺を見つけるとすぐに駆け寄ってきてくれてな。施設に入ろうとする前から扉の前に立って出迎えたり、いなくなるとすぐに俺を探したり、果てには研究施設抜け出してくっついてきたり……。多分、一番多く同じ時を過ごした女の子だ」

 

腰まで届く長い髪は桜色。透き通るような白い肌。胸は衣を窮屈そうに押し上げていて、腰はくびれモデルラビットの因子を積み込んでいるからか脚は人間ではありえない美しさだ。よくその身体を使って誘惑してくる天然うさぎでもあった。

あの時の俺が一番に大切にしていた女の子。

だけど、好きだと伝えられなかった、伝えてしまえばその先にあるのは破滅の道。

破滅の道を歩いて行った結末を、俺は目にしてしまった。

 

「こんな娘がシャクコポルを滅ぼしたあのムツミという女の子と……?」

 

「そもそもシャクコポル族が弱いというのは間違いだぞ。シャクコポルの武器は強靭な脚力と聴力、そしてオンヴィタイカヤンから受け継がれた知力にある。遺産を使用できるのもその一環だ」

 

「脚力と聴力……?」

 

「証拠にこんなに綺麗だろう?」

 

脚が。太股なんて絶妙なバランスである。脚の力を自由に使いこなせるシャクコポルだからこそ、こんな綺麗な足に仕上がったのだとサクヤの足を撫でる。丁度いい弾力だ。膝枕が最高に気持ちいいのだ。

 

「知力に関しては、オンカミヤムカイの方が上だと思うのですが」

 

自負してきた分、驚きが強いのだろう。

反発するようにウルトリィが慎ましい声を上げたが、俺は即座に否定する。

 

「それはないな。知力はあまり与えないように全ての種族にセーフティを掛けていた。突然、反旗を翻し逆襲に合わないよう、家畜として管理できるように慎重に研究していた」

 

「それなのにシャクコポルの方が上なのですか?」

 

純粋に気になりますと期待したような顔を向けてくるユズハ。

とても言い辛い。言い辛いがこのままだとシャクコポルが報われない。

虐げられ、蹂躙され、弄ばれた種族が。

何より支配から解放したというのに、この結末が。

 

俺は目を逸らしながら罪を告白する。

過去と一緒に葬った黒歴史を……–––。

 

 

 

「……実はシャクコポルの始祖は一人しかいなくてな。俺とサクラの子孫だ、たぶん」

 

 

 

サクラが酒をドリンクに混ぜて、翌日にベッドの上でお互いに裸体のまま姪に見つかったという過去の忘れ去りたいような忘れ去りたくないような記憶は今もしっかりと残っている。酔った勢いもあったが、純粋な想いもあった筈だ。だけどもし人間と実験体の交尾、交配による生命の宿りが知られてしまえば解体は免れなかっただろう。

アイスマンとの交配例であるミコトもまた惨殺された。

幸せを掴み始めた、矢先だ。

俺はそれをわかっていて傷つけたくなかったのだ。守る力が足りなかった。覚悟が足りなかった。きっと完全なる完璧な覚悟を持ったのは殺意と憎悪を得てからだろう。それまで自分は大したことはできなかった。

 

「シャクコポル族がオンヴィタイカヤンの正統な後継者?」

 

「……過言だろう。俺をオンヴィタイカヤンの代表にするのはどうかと思うぞ」

 

うさぎの繁殖力は絶大だ。モデルラビットでなくとも実験体達は赤子同然だったから何もわかっていやしなかったが、知性は育てばいずれ理解した時があるだろう。特に恋なんてした個体が一番成熟するのが早い。生物の本能が目覚め好んだ相手との子を持つことを頭ではなく本能で理解するのだ。

 

あの後に産まれていたにしろ顔を見ることは叶わなかったが。

まず間違いないのはサクラと仲が良かった姉の企みが絡んでいる。

サクラやムツミのような獣人達の前では酒を飲んだことはないし、だとすれば調達も不可能となれば協力者の一人くらいいなければ成り立たない。基本は獣人達に与えられるのは一部屋だけの自由だった。他には何も与えられず、ただそこに存在し玩具のように科学者に弄ばれるだけ。酒なんて科学者達が渡すわけがない。

 

姉も友達に接するような感覚でいたのだろう。

そうじゃなければいったい誰が獣耳娘を勧めるんだ。

 

「さて、話を戻そうか」

 

「待ってください」

 

ユズハから待ったがかかる。

 

「ヨミナ様は皆のものです。過去の関係に言うことはありませんが……もう少しサクラって女の子に優しくしてあげても良かったんじゃないでしょうか。好き合っていた筈なんですよね?」

 

「まぁな。たぶん、一番好きだったはずなんだ……」

 

歪んでしまった。付き合うという関係もなく、結ばれることはなかった。姉達のような幸せな生活は訪れなかった。きっとそれは自分の意識だけで相当変わったものであろうが、変化は終わりを告げる鐘の音となってしまう。

そもそもの話、獣耳娘全般好きだと公言しているようなもので姉には頭が上がらないが。科学者達だけには何があっても気づかれてはいけない。さらに掘り進めると姉曰く、自分は愛される分だけ愛し返してしまう困った人間らしい。自覚はある。認めたくはないが。けど、こんなことを認めてしまえば愛してくれたサクラを好きと言っているようなものである。

 

–––だから、好き合っていた。

 

そうなのかもしれない。恋とは遠かったのかもしれない。今ではもうわからない感情であるが、求められれば求められるだけあげてしまうのは悪い癖だ。

こんなにも好意を認められたのはユズハが初めてになるか。

いや、獣耳娘という存在そのものが先かもしれない。

 

ユズハは黙って懐に潜り込むと腕を背中に回す。

俗に言うハグ。この場合は、抱きしめたという方が正しいか。

 

「正直、ちょっと嫉妬してます。ヨミナ様が節操のない方とはわかっていますが」

 

うん。それはごめん。

 

「嫌いになったらいつ切ってくれてもいいよ」

 

「いえ、絶対に離しません。それこそあなたに終わりが来ようとも私はあなたと離れるなんて嫌ですから」

 

まったく何をしたらこんなに慕われるのか。

彼女のかける言葉の一つ一つがまるで、別れを知っているかのようだ。

きっとこの夢の時間はいつか終わりを告げると知っている。

どんな形であれ、夢は覚めるものなのだから。

 

「まったく酷い男を好いたよな……」

 

「さぁ、皇族ともなれば側室のようなものは当たり前ですから」

 

「俺は皇族ではないんだけど」

 

「じゃあ、神様です」

 

格が上がった。皇族から神族へ大出世だ。

平研究員から、上位の権限を獲得するまでに苦労したのに。

思えばその権限を行使して好き勝手していたものだ。

まだまだ上があるからか、そこまで自由なことはできなかったが。

 

「なぁ、ウル」

 

「……なんでしょうか」

 

「この件は俺に任せてくれないか。俺にとってあの娘は家族であり娘であり妹であり大切な存在に他ならないんだ。もう誰にも傷つけさせたくない」

 

本音だった。大切にしていても向き合うことをしなかった。

ただ、守ることだけを考えていた。娘の反抗期なら傍にいた俺がなんとかしなければ。

おそらく、ムツミという存在は俺と同じ骨董品の筈だ。

過去の遺物は過去の遺物同士仲良くしようじゃないか。

誰が何と言おうと、家族が間違った道を進もうというならば、それを叱りつけるのは父親であり兄であった俺以外にいないだろう。

悪い男に騙されているなら、諭さなければならない。

 

 

 

「そうだ。今日はここで寝るといい。どうせ眠れないのだろう?」

 

落ち着きを取り戻したウルトリィを誘い込む。

……別にその翼を毛布替わりにしたかったわけじゃない。

 

 

 

きっとムツミがムツミであるなら。

あと数日中に、会いに来ることだろう。

その日まで、今は子育てに専念することにした。




バニーさんいてもいいよな。と思って作った設定。
膝枕嗜好種族、シャクコポル。嗜好にして、至高。
ウサギであるなら脚が全て。つまり、膝枕。



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再会

今回はシリアスに。
おそらくここが終わるまでほのぼのもない。


 

 

 

クーヤの遊び相手をサクヤに代わってもらい、桜の木の下で月を見上げる。夜闇に一人の寂しい感覚に全神経を集中させ、雰囲気を味わうこと何分と経ったのだろう。突如として、月に黒の斑点。ひらひらと舞い落ちて来るそれに手を伸ばす。掴み上げると真っ黒な羽が握られていた。

 

「来たか……」

 

影が一瞬だけ顔に差し、月の光が遮られたかと思うとそいつは平然と降り立った。

俺の目の前まで来て、ばさっと髪を後ろへと靡かせる。

瞳をゆっくりと開けると、俺の顔を見て喜色を浮かべ、軽く地面を蹴ると羽ばたき一直線に抱きついて来た。

 

受け止め、頭を撫でる。

鼻を押し付けるあたり、嫌がる様子もない。

ムツミは人懐っこい笑みで抱きついたまま見上げて来た。

 

「ヨミ!」

 

「随分と挨拶が遅かったじゃないか」

 

「怒ってる?」

 

「そうだな。怒ってる」

 

争いがとても嫌いだ。誰かを虐げるのは好きじゃない。

ムツミがやったことは、クンネカムンを滅ぼした行為は決して許されるようなものではない。

少なくとも、自分はそんな子に育てた覚えはない。

影響があるとしたら、ディーなる男か科学者達のせいだろう。

 

泣き出しそうなムツミの頭に手刀を落とす。

重力による自由落下で。

 

「痛いっ」

 

「俺は言ったよな? 仲良くしなさいって。特にシャクコポルってサクラと同族だろ。おまえらが喧嘩するたびに教えたはずだが?」

 

サクラと仲良く。それは過去に約束させたことだ。喧嘩ばかりする二人を止めるたびにそんな説教を繰り返していた。そのことについて咎める。彼女の弁明なら聞いてやらんでもない。

 

「どうしてこんなことをした?」

 

「……」

 

拗ねたように口を利かなくなった。

そっぽを向いて知らんぷり。そのくせ回した腕は離さない。

そっちがその気ならこっちにも手はある。

 

「おまえが喋らないなら俺も喋らないぞ」

 

「……うぅ」

 

唸ってもダメだ。可愛いからって許さない。一応、親の務めは果たさなければいけないからな。ちょっと揺らいだかもしれないが良い子にするには鬼にならなければいけない。

 

待っていればムツミは不貞腐れたように頬を膨らませ、真っ赤にして駄々を捏ねるように……。

それはまるで、ただの子供の嫉妬のように叫んだ。

 

 

 

「サクラとはしたくせに私とはしてくれなかった!」

 

 

 

……女の嫉妬って怖いな。

 

責任全て押し付けられた気分だが、ムツミだけが悪いとは言えない。かといって、じゃあしようか、というのもおかしな話だ。誰だ元凶。

 

次に言い訳をさせてもらうなら、自分は一応は被害者だしムツミの嫉妬もコントロールできなかった点を除けば無実を証明できると思う。

クンネカムンの子孫を残したが、滅ぼすのも自分とは、なんたる数奇な運命。

あれは、本当に俺の子孫かどうか危ういが。

 

「シャクコポルってのはサクラの子孫だよな」

 

「ヨミと……あの女の遺伝子」

 

苦々しげに呟くとぶくっと頬をさらに膨らませる。

なるほど、どうやらクンネカムンを滅ぼしたのは自分らしい。

ついでに、天然うさぎ娘を孕ませていたことが確定した。

 

「だからって、やり過ぎだろ」

 

「末代まで恨む。絶対にこれは曲げない」

 

因縁が深い。もうどこまで行っても女のドロドロした昼ドラのような戦いにしか見えない。むしろ非がないのはシャクコポルで、とんだとばっちりを受けているようなものだ。

 

なら、逆に–––。

 

有効な手段を考えてみる。今のムツミに届きそうな言葉といえば。

 

「そうか、俺の子孫を恨むんだな」

 

「そ、そういうわけじゃなくて……!」

 

「サクラと俺の間に生まれた命があぁなったわけだろ。サクラの子孫なら、俺の子孫だ。おまえはそれでも恨むっていうのか」

 

自分の子孫だと言われて、はいそうですか、と受け入れられるわけもない。釈然としない感じのままこの手を使ったが果たして気取られないだろうか。

ムツミは頬をぷくっと膨らませた。唸っては悩んでいるようである。絶対に曲げないという決意が揺らぎつつある。

 

「……ごめんなさい」

 

ついには、ムツミは謝罪の道を取った。

素直に謝ったので頭を撫でると嬉しそうに頬を緩める。

反省が足りないんじゃないか?

そういうわけでもなく、これから改善するだろう。

自分の教育方針は褒めて伸ばすだ。

 

「罪というものは償うだけで赦されるものではない。赦してもらえてこそ、罪というものは初めて償えるんだ」

 

「……それなら貸しを作ってるからサクラの方は問題ない」

 

珍しい。意外にもムツミはサクラと関わっていたようだ。

 

「因みにどんな貸しを作ったんだ?」

 

思わず、迷わず聞いてしまった。

何気ない会話の一つだった。

そのはずなのに、俺は聞いて後悔することになる。

 

「サクラがリンカーネイションできるように術をかけた」

 

「……は?」

 

「ヨミの魂と同じ時を生きる。そのための、リンカーネイション。さすがに血が薄れ過ぎると私でも不可能だけど、サクラとヨミの血が混ざっているから成功率は高い」

 

聞いてもいないのにムツミは淡々と答えた。

つまりだ、サクラはもう一度この世に生まれる。

生を受け、新しい人生を歩む。

俺はもう人間離れした技に溜息すら出なかった。

 

この際、そんなことはどうでもいい。

もう一つ用事を済まそう。

 

「カミュの身体を返してくれないか?」

 

「……ヨミってたまに意地悪なこと言う。卑怯。でも、もうすぐ返すよ」

 

ムツミは腕の中から離れて飛び立とうとする。その背中に待ったをかけた。

 

「それはいつだ⁉︎」

 

「明日かもしれないし明後日かもしれない」

 

答えたムツミは思い出したように振り向いた。

 

「そうだ。ヨミの求めている機械、あるよ……私達のところに。壊れているところも、故障しているところもない、保存状態は極めて良好だから多分使える。またね」

 

去り際に重要な情報を置いて行く。

その所為か追いかけることも出来ず、呆然と立ち尽くした。

ぐっと握り締めた拳と震える身体、喜びが身体中を駆け巡る。

 

 

 

 

 

ディーとムツミの居場所の特定には数分とかからなかった。灯台下暗しとはこのことか、ウルトリィが居場所を知っていたのである。ムツミ達はオンカミヤムカイの聖廟奥にいるらしい。翌朝、決行するはずだった全員での潜入を控えて自分はユズハを起こしてトゥスクルを出立した。

何も言わずについてきてくれた彼女がようやく口を開く。

 

「どこへ向かわれているのですか?」

 

「カミュのところだ」

 

淡々とわかりやすいように簡潔に述べて、馬車の荷台ユズハの膝枕でゴロゴロとしながら欠伸をする。なお、手綱を握りはしているが前は見ていない。

 

「眠そうですね。おやすみになられては?」

 

「これ扱える奴の一人くらい連れてくりゃよかった」

 

拒否の代わりに文句。どうやら自分に馬での長旅など到底向いていないらしい。

膝枕は名残惜しかったが、ちょっとした休憩は終了。起き上がって手綱の操作を始める。真面目にしていないと大事故に繋がりかねない。

 

そんなグダグタとゆるい小さな旅。目的地のオンカミヤムカイの総本山は目の前に。何時間かかったのだろうか既に太陽は山々から顔を出し朝の来訪を告げている。馬車を降りて背筋を伸ばし体をほぐす、ユズハの手を取りゆっくりと降りる彼女を抱き留めた。

 

「じゃ、あいつらが面倒なこと始める前に終わらせるか」

 

暴れて機械を壊されてはたまったものじゃない。故の早めの到着だが、今頃はトゥスクルもユズハと自分の不在に気づいて大慌てで後を追ってきているだろう。

二人だけで不安もあるがきっとムツミなら助けてくれると信じて、迷うことなく進んできた。その矢先に自分は大きな壁に道を塞がれることになる。

 

「……行き止まりじゃないか」

 

聖廟の奥に進むと壁が張り巡らされて行き止まりとなっていた。

物理的に進めない壁。そういえばウルトリィはここが聖域とされていて封印を施してあると言っていたが、なるほどこれは呪法の類を使えない人間では侵入することすら叶わない。

一か八か、俺はユズハの手を握りながら壁に向かって叫んでみた。

 

「ムツミ〜、開けてくれー」

 

敵とか仲間とかへったくれもないお願い。友達の家に来た感覚で声をかけると、突如として壁が発光を始める。驚き罠が作動したかと身構えるとどうやら違ったらしい。素直に壁は開き奥への道が開いた。

これはこれで罠の気がしなくもないがもっと奥に進むと別の扉が。昔、見たような鉄の扉だ。それは研究員だった頃の自分の職場の地上と地下を繋ぐゲートである。マスターキーを掲げると難なくパスを通過して奥へと進む。広間に出たかと思うとその気配に気づいた。

 

「誰だ?」

 

一瞬、俺の声に反応して身を寄せてくるユズハを背中に隠す。

暗がりの奥からやがて白い髪のオンカミヤリューの男が出てきた。その背後にはムツミが控えている。

 

「よく来たな、古き友よ」

 

フッと笑う優男、なんとなく察するがこいつがディーという奴なのだろう。しかし、俺にこんな知り合いがいた覚えもないがその気配からまるでハクオロと同じことがわかる。

 

「ウィツアルネミテアが分離したのか……?」

 

「確かに私は半身だ。あの男と同じ存在であり元は一つであったもの。君の解釈で間違いはない、あの日に私とあいつは分離しこうして合間見えているのだから」

 

「あぁ、なるほど、合点がいった。つまり、おまえはウィツアルネミテアであり存在で言うならハクオロが白でディーが黒と言ったところか」

 

「私を悪と捉えるか古き友よ」

 

それだけ人の命で弄んでいれば致し方ない。ディーは悲しそうなことを言うが全然顔が悲しんでもいない。むしろその瞳は虚無だ。やはり、ハクオロが善の心を宿し、ディーは負の感情を蓄積したウィツアルネミテアということだろう。やることがえぐいし。

 

「間違いではないな。あの日の怒りを今のように思い出せる」

 

「だから、おまえは人類の進化の為に犠牲を出すと言うのか?」

 

「あのような間違いは本来あってはならないのだ。わかるだろう、旧友よ。おまえもまた怒りに我を忘れて暴走した者の一人なのだから」

 

そうだ。グチャグチャにしたかった。同じ末路を辿らせたかった。自分達がしていることの重さを理解させたかった。それは全て自分のエゴと並々ならぬドス黒い感情によるものだ。

研究員達を殺したのは紛れもない自分、そうだと知っている。

その後にウィツアルネミテアが世界の人間達をスライムのような生き物に変えたことで、過ぎたことだと忘れ去ってきた。自分の殺しを正当化していた。

 

「なんでこんなゲームのようなことをやっているかわかった。だが、こんなものただのゲームでしかない。人類の進化? 嗤わせる、おまえがやっていることはあいつらと何も変わっていない」

 

「……私はあの悲劇を起こさない為にッ! そして、君にまで手を汚させてしまったこと、君の身内にまで怨念と憎悪を向けてしまったことを–––」

 

「確かに後悔した。だが、俺が後悔したのは唯一おまえたちの幸せを守れなかったことだ! 研究員を手にかけたことなど後悔はない、あいつらは死んで当然だと今でも思っている。姉や姪も巻き込まれはしたが恨んではいない。……しかし、おまえは同じ道を辿っているのをまだ気づかないか、人類の進化の為とその度に犠牲を出す姿勢が奴らと同じことを!」

 

息を飲む音で我に帰る。

ユズハとムツミが普段は見たことのないだろう二人の怒声に縮み上がっていた。

俺はなんでこんなにも熱くなって、ユズハを怯えさせているのだろう。

頭を冷やせ。俺の目的は……ユズハが幸せになれることにある。

 

「話は後だ。……邪魔はしてくれるなよ」

 

「勿論だ。……古き友である君の邪魔をすることはしないと誓おう」

 

ユズハの手を引いてディーの横を通る。

お互いに視線を交わさず、交差する進路。

所在無さげな羽音だけがゆっくりと後をついてきた。




ウィツアルネミテアの独自解釈。
ハクオロが白なら、ディーが黒。
ハクオロが善なら、ディーが悪。
なら、ミコトを殺された時に生まれたのがディーというウィツアルネミテアの存在意識なのでは。
つまり、ハクオロは嫌なことを忘れた。
知識量が足りないから大目に見てくれると助かる。
……色々と言ったがディーが主人公の前ではいい子してる気がするのは仕方ないな、うん。
誰が誰をどう呼んでるのか複雑過ぎて頭パンクしそう。

それと誤字報告ありがとうございました。
とくにアルルゥの口調で一人称間違ったり、アニメ見直して気づいてましたが修正忘れてたり、取り敢えずガチでマジな修正報告を届けてくださった方ありがとうございます。


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夢の終わり

夢とは醒めるものだ。
良い夢も、悪い夢も、平等に。
そして、誰もが現実の夢を追う–––。


 

 

–––ドゴオオオォォォン‼︎

 

 

 

大地を揺るがす破砕音が轟いた。私はヨミナ様の言いつけ通りポッドと呼ばれる匣の中、不安に身を震わせて丸くなる。

 

「な、何が起こっているのですか……?」

 

「心配するな。俺が守ってやる。絶対にだ」

 

安心する言葉を掛けてくれるヨミナ様。だけど、今の私が聞きたいのはそんな言葉じゃない。別れを覚悟したような声で言わないでほしい。そんな予感がした、不安だった、きっと彼は遠からず離れて行ってしまうと理解していた。

私の不安を肯定するかのように、彼の姿が薄れてしまう。

今まで見えていた姿が、朧げになる。

見ることのできない目を擦っても光は消えたまま。

不安を煽る言葉が、彼の口から告げられた。

 

「ムツミ、ユズハを頼む……」

 

そして、最後の別れの言葉が彼の口から発せられた。

 

「ユズハ、今までありがとう。幸せに生きろよ」

 

ゆらゆらと幽鬼のように揺れる影。

光が、消えた……。

 

「ま、待ってください。ヨミナ様!」

 

私の必死の叫びは届かないのだろうか。彼は何を差し出したら止まってくれるだろうか。私ではダメなのでしょうか?サクヤ様でもダメなのでしょうか?だったらいったい何を差し出せば……。

ポロポロと瞳から涙が溢れる。液体の中に溶けて消える。

せめて、もう一言だけ言葉を交わしてくれてもいいではないですか。別れの言葉くらい言わせてください。じゃないと、別れるに別れられません。一方的だなんてあんまりじゃないですか……。

 

「お願いします、ここから出してください。ムツミさん」

 

「ダメ。治療が終わるまで出せない。あそこに行こうがどこに行こうがもうヨミの夢の時間は終わり。勝ちも負けもない、最初から決まっていたの」

 

「だとしても、最後がこんなのってあんまりじゃないですか……」

 

「あなたはヨミの思いを無駄にするつもり? あなたの治療が最優先。だから、私はヨミの願いを叶える。あなたのお願いを聞くことはできない」

 

そうだ。その為に彼は尽くしてくれていた。

でも、あなたを失った私はどう生きればいいんですか?

考えたくなかった。

ヨミナ様のいない日常を。ポッカリと空いてしまった穴を。埋めることはできないと知っているから、私は余計に虚しさが込み上げてきて涙が溢れる。

 

そんな私にムツミさんはゆっくりと近づくと、ぴったりとガラスの壁に手を合わせてきた。

 

「大丈夫。あなたは一人じゃない。あなたの命は一人で二つ、二人で一つ、もうすぐ新しい命が生まれてくる。それにガツンと言う時間くらいは残されてるから」

 

「命……」

 

「ヨミの子。あなたの子。昔、私は彼に教わった。女の子の喰い逃げは許すなって」

 

「……そう、ですね」

 

私は液体の中で自分のお腹に触れてみる。

確かに何かがいるような、そんな気がした。

きっと赤ちゃんというのは、今の私みたいな気持ちなのだろう。

この治療用ポッドというのは母親のお腹を模したものなのかもしれない。

なんだか、懐かしい気さえした。

幸福感が私を包んでいる。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「神だろうがなんだろうが知るかよ。干渉するのは間違っている? 見守るべきだ? 確かにそうかもしれないが俺に言わせればその上から目線が腹立つわ!」

 

間に合った–––と、同時にヨミナ様の声が響いた。私はムツミさんに支えられて地上へと戻り、皆さんの隣へと連れて行ってもらった。一番に私を見つけたのはアルちゃんで、次いでお兄様。

 

「ユズっちにカミュちー」

 

「いや、あの……私はムツミなのだけれど」

 

「ユズハ! いきなりいなくなるから心配したぞ」

 

アルちゃんにムツミさん共々抱き着かれて、困ったようなムツミさんの声が隣から聞こえた。たぶん、おそらくお兄様は行き場を失って手をわきわきとしていることだろう。

 

–––せめて、もう一度、彼の顔が見たい。

 

今にも消えそうな蝋燭の灯り。たった一度でいいから、ちゃんと顔を見てお礼を言いたい。またね、と一時の別れくらい言いたい。きっと彼の本体は別にある。そう信じていた。なら、それを探せばいいだけのこと。たとえ、何年かかっても彼を見つけ出す覚悟が私にはあった。

私の決意を感じてくれたのか、アルちゃんに解放されたムツミさんは私のおでこに手を当てる。

 

「あなたの盲目は治ることはないけど、せめて一度だけこれっきりだけど、脳内に直接外の映像を流してあげる。先に言っておくけど、今回だけ特別。やり過ぎると死ぬから」

 

是が非でも、私はそれを拒否することはなかった。ムツミさんの手から力が流れ込んでくるのがわかる。流れ込んでくる度に光が目に色彩を得ていく。目を瞑っているのに変な感じだ。

そして、私は目にした。色鮮やかな世界を。

 

 

 

–––あと、黒い巨人に平伏する白い巨人を。

 

 

 

ヨミナ様の姿は見えない。もしかして、遅かったのだろうか。じゃあ、さっきの声はいったい……。

やっぱり涙が溢れてきてしまって、視界は滲んでしまう。こんな感覚いつ以来だろうか、視界が滲むなんて子供の頃にも経験しただろうか。

嗚咽を漏らして泣き噦る。そんな私に黒い巨人が慌てたように視線を合わせる。

 

『どうしたユズハ、まだ不調か?』

 

「ふぇ……ヨミナ様?」

 

驚いた事に黒い巨人からヨミナ様の優しい声が響く。雑音が混じったその声は、紛れもない彼だった。

 

「ヨミナ様なのですか?」

 

『あぁ。ディーに消えかけの半身半霊を乗っ取られはしたが逆にのっとり返してやったわ』

 

「お強いのですね」

 

『一度も勝てたことのない俺に挑んだのが運の尽きだな』

 

快活に、豪快に笑うヨミナ様が笑う度に地鳴りがする。なんとなく、強がっているのがわかってしまった。それならもう私も諦めてしまおう、顔を見れなかったことは残念だけど、また会えると信じて。

 

「ヨミナ様」

 

『なんだ?』

 

「どうせ守ってくれないと思うので一方的に約束させていただきます。私があなたともう一度出会うことができたのなら、もう一度夫婦になってくれますか?」

 

『一方的に約束すると言っておいて謙虚だなぁ』

 

私は精一杯の言葉で約束を紡いだ。生きることを教えてくれた、生きる道を与えてくれた、恩人であり最愛の人にもう一度出会うために私は生き続ける。だから、どうか。どうか……。

この切ない想いをまだ胸に抱いていていいですか?

なんて、思うのだ。願うのだ。夢くらい見ていてもいいじゃないですか。

 

私の心は例え距離が離れようと変わらない。

言葉を紡ごうとして、また涙が溢れる。

 

『俺は他のけもみみに浮気するかもしれんぞ』

 

「存じてますよ。だから、私を本妻にしたくなるように綺麗になってますから」

 

『それだと他の雄が寄ってきて困るな』

 

「なら、早く帰ってきてくださいね。父親がいないなんて可哀想ですから。子供の顔くらい見るために帰ってきてくれてもいいじゃないですか」

 

『むぅ……』

 

今度は、嬉しくて涙が溢れる。悲しみの涙じゃない。

お兄様が傍で「どういうことだそれは⁉︎」と吠えているけど、蚊帳の外でヨミナ様は白い巨人に向き直った。

 

『神が人と過ごしてはいけないと誰が決めた? 俺は少なくとも、おまえとミコトが俺の大好きだった姉のように幸せになるのを見て微笑ましく思っていたんだ。残される方の悲しみを忘れたわけではないだろう』

 

『痛みいる……すまない』

 

『悪かったと思うなら俺の身体を探せ。大至急』

 

『善処させてもらおう』

 

『記憶が戻ったからって俺を探さないのはナシだぞ。時間稼ぎしたところで説教はまだ終わってないからな。目覚めたら今度はおまえの説教だ』

 

『あぁ。いや、だが、しかし……ヨミナ殿もユズハを置いて行くのだから人のこと言え–––』

 

『好きで消えるわけじゃない。おまえの説教先にしてやろうか? その場合、俺が目覚めるまで延々と続くがな。もちろん、封印の中でだ』

 

白い巨人が全力で平伏した。完全服従状態。何か思うところがあるようにガクガクブルブルと震えている。

 

『ムツミ、ウルトリィ頼む』

 

『ま、待て、もうしない。旧友の肉体は必ず探し出すと誓うから赦せ。というか、そもそもムツミが負けた時点で私に戦う意思などなかったのだ。悪いのは白いのだ!』

 

「お父様、往生際が悪いわ」

 

『どちらにしろ説教させてもらう。両方ともな』

 

示し合わせたようにムツミさんとウルトリィ様が前に出る。断末魔のような悲鳴をあげるディーという男とヨミナ様に最初から知っていたような素振り。

 

「よろしいのですね?」

 

『魂は肉体へと引っ張られる。問題はない。それにもう消えるんだ。また、こいつに暴れられても困るしな。話相手も見つかって一石二鳥だ』

 

「では……」

 

「不本意だけど、約束だから」

 

大封印の儀が始まる。ウルトリィ様とムツミさんの協力した、魔法陣と呼ばれる式を使った封印術。光が満ちて空へと昇る。彼の魂は肉体へと還る。それはこの世界の何処か–––私は絶対に諦めたりなんかしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界は平和になった。戦は終わりを告げる。トゥスクルは今や強き繋がりを持ち、繁栄と小國の代表となってしまった。雑務に追われるハクオロ様は執務室を抜け出す。尻拭いに追われるベナウィ様。お兄様はドリィグラァと旅に出た。カルラ様やトウカ様も物見遊山しながら彼を探してくれるらしい。カミュちゃんとアルちゃんも私の為に尽力してくれている。目が見えず目の届かないところで悪さしている娘達を叱ってくれたり、と。

 

「平和ですね」

 

「そうですね。クーヤ様も姉となられて少し成長してくれたみたいで」

 

ぽかぽかと陽気な縁側で私はサクヤさんと一緒にお茶を飲んでいた。庭では私の子供のクオンと、サクヤさんの産んだヨハネ、とある事情により私達の子となったフミルィルがいる。その三人娘を束ねるクーヤ様が流石は皇女様か引っ張る姿が見られるがどうも上手くいかず引き摺り回されているらしい。お転婆な性格のクオンは誰に似たのかひょっこりいなくなる。ヨハネはもう良い人がいるらしく女の子を磨くのに忙しいらしい。フミルィルはふわふわと二人について行っているだけだ。

 

「そうだ。クオンがもう少し育ったら、旅をしてみようと思うんです」

 

「三年経っても見つかりませんからね、あの人は。そういえば妙なことをヨハネがやってるんです。耳を澄ませてじっと動かなくなる時があって」

 

「シャクコポルにはよくあるんですか?」

 

「ないです」

 

聞けば特異体質だとか。耳の性能が良過ぎる故の行動らしい。ただ、周りの雑音すら耳障りな程だからたまに耳を抑えては蹲っていると。

 

「お母様」

 

噂をすれば、ヨハネがサクヤさんのところへてくてくと歩いてきた。母親が嫉妬する程の綺麗な桜色の髪だとか。

 

「おそといきたい」

 

「ダメよ。あなたのおそとは遠いんだもの。それに疲れたら私がおぶるんでしょ」

 

「城下に行きたいだけじゃないんですか?」

 

「違うの。この前はオンカミヤムカイまで行ったもの」

 

ひょっこり居なくなるクオンより大変かもしれない。実害を被るのはアルちゃんやカミュちゃんだけど、おとなしい割りに手のかかりそうな娘。これでも勉学はまるで最初から知っていたかのように凄まじい。お兄様なら裸足で逃げ出すレベルだ。将来が楽しみでもあり不安でもある。出来の良い子なのですが。

 

「子供といえば、ハクオロ様はどうする気なんだろ」

 

「そのうちエルルゥ様とデキちゃうんじゃないでしょうか。そうでなくとも、昔は血筋関係なく國の代表が代替わりしていたらしいですよ」

 

「一番良いのはハクオロ様の子なんだけどね」

 

まだ駄々を捏ねていたヨハネがむくれて離れていく。

そんな時だった。のっしのっしとムックルが現れたのは。

 

「あ、おかえりアルルゥお姉様、カミュお姉様」

 

わらわらと子供達が群がっていく。白い毛玉に突撃するクオンとは対照的に、やはりカミュちゃんには近づこうとしないヨハネがサクヤさんの元に戻ってくる。子供二人に囲まれながらアルちゃんとカミュちゃんは一人一人に挨拶をする。そのままの体で子供達を引き連れて私達の目の前まで来た。サクヤさんを盾にするヨハネのもぞもぞする音が聞こえる。

 

まぁ、いつものことなので放っておいて私は成果を聞いた。

 

「どうでした?」

 

「匂い一つも見つけられない」

 

「クオォォ〜〜〜ン」

 

首を横に振るアルちゃんと悩ましげに鳴くムックル。

なんとなくわかる。また、ムックルに無茶を言って匂いを辿ろうとしたのだろう。

 

「もう全然ダメ。そもそも大昔の匂いなんて残っているわけもないし、手掛かりの一つでもあると変わるんだけど……お姉様に聞いても、最後はうさぎ?が連れ去ったとしか伝承に遺されてないみたい」

 

うさぎ?なるものは確か『シャクコポル族』だとか。暇さえあれば昔話に耳を傾けていたことが功を奏したようで、件の出身のサクヤさんに視線を向けてみる。

 

「だそうですが」

 

「そう言われても、故郷は灼かれてしまいましたし、ヨミナ様の大切だったシャクコポルの誰かさんももう既に故人ですし」

 

八方塞がり。本当にこれで終わりなのだろうか。何処かに何か遺されてはいないのだろうか。ヨミナ様の遺したもの……。

そういえば、最近一つ一つなくなっている気がする。その度にヨハネが何かしらサクヤさんに取り上げられていて、ヨミナ様の遺した物は私の部屋にしまって……。

どうしてあそこまで欲しがるのだろう。怒られても何度も諦めず、似たものを渡しても必ずヨミナ様の物を欲しがる。大きくなったらクオンとヨハネに分けようと思っていたけど、妙に固執している。

 

「ねぇ、ヨハネちゃん。どうしてあの部屋にあるものを欲しがるのですか?」

 

目線を合わせて尋ねるとまじまじと私の顔を見る。

最初、会った時から思っていたけど、まるで普通の子供とは呼べない雰囲気。

澄んだ瞳で見つめられた気がした。

子供らしくないとは、私だけの談。

そうであることが当然のように彼女は答えた。

 

 

 

「–––ヨミナの持っていた物の価値を何一つわかってないから」

 

 

 

自分ならわかる、と。彼女は物語る。

 

 

 




ハクオロ早めの救済。やっちまった気がするが後悔はしてない。
補足。やるべきことを終えてしまった彼は消える運命にあった。未練を残した幽霊などがこれに該当する。つまりそういうありきたりな理由で消えました。
第1章–––完。
閑話。挟んで第2章に移行します。


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一夜限りの旅人

フミルィル視点でお送りします。


 

 

 

ある日、クーちゃんが倒れた。私の大切なお友達で妹みたいな女の子。家族同然に育ったその子は、部屋に寝かされるとすぐに大人達が集まり子供はどっか行けと言わんばかりに言うのだ。

 

「大丈夫。安心して」

 

「本当に大丈夫なのですか……?」

 

「クオンのお母さんも同じ病気だったの。だから、大丈夫」

 

「ユズハお母様が?」

 

薬師のエルルゥ様はそう言って私を安心させようと頭を撫でる。重い病気だったらどうしよう。なんて、不安が吹き飛ぶのを感じた。

私の手を優しく握ってくるのはクーちゃんの本当のお母様。ユズハ様だ。どうやらクーちゃんが倒れたことを知って駆け付けたらしい。クーちゃんの眠る部屋の外で私に言うのだ。

 

「大丈夫ですよ。きっと良くなります」

 

「コトゥアハムルの死神様がクーちゃんを連れてったりしませんか⁉︎」

 

私の必死な様子にユズハ様はクスリと笑った。

コトゥアハムルの死神様は御伽噺に出てくる神様で、悪い子がいるとコトゥアハムルに連れ去ってしまうと言われている。私達子供の間ではとても有名な御伽噺。クーちゃんが悪い子というわけではないけれど、もしかしたら死神様には悪い子に見られるかもしれない。そんな不安を表すとユズハ様はとても愉快そうに和かな笑みを続ける。

 

「どうでしょうね。でも、コトゥアハムルの死神様も悪い人ではないですよ」

 

まるで会ったような口振りでユズハ様は私の頭を撫でた。

 

「むしろ、来るなら来いって感じで取っ捕まえてやりましょう」

 

「魂を抜かれてしまうと聞きました」

 

「尻尾と耳は引っこ抜かれるかもしれませんね」

 

その一言に私はびくりと肩を震わせた。

 

 

 

 

 

翌日になってもクーちゃんは元気にならなかった。紫琥珀でも治らないと大人達が噂しているのを聞いた。それでも大人達は大丈夫だと言って相手にしてくれない。クーちゃんにも会わせてくれない。だから、私は忍び込むことにした。

クーちゃんが良くなるまで……きっと、看病をしたら元気になってくれる。そんな浅はかで小さな考えでクーちゃんが眠る部屋へと私は侵入するのです。自分の部屋を出てクーちゃんの部屋へ。そろりそろりと夜の廊下を歩く。普段は一人では無理だけど今は気にならない夜の闇も怖くなかった。

 

見廻りの兵にも見つからず、こっそり抜け出してクーちゃんの部屋の前。

ゆっくり戸を開けて中に侵入すると、ユズハ様がクーちゃんの眠るベッドの膝下でスヤスヤと寝息を立てていました。じゃあ私が代わりに看病します。と、意気込みゆっくり戸を閉めてクーちゃんの隣へ。まずは額に乗せてあるタオルを桶の水で冷やして絞ってもう一度クーちゃんの額に。

 

……さて、どうしましょう。看病なんて初めてで何をしていいかわからない。いきなり行き詰まってしまった私はもう一つ椅子を用意して、傍で見守る形に。

薬草の心得などあればエルルゥ様みたいに薬を作れるのに。私は無力だった。何をしていいかわからずただひたすらタオルを換えていると次第に眠くなってくる。

 

そして……私はいつの間にか、こっくりこっくりと舟を漕ぎ出す。そんな時だった。ギシリ、という板の悲鳴の後にそろりそろりと戸が引かれる瞬間、私は反射的恐怖に急かされて椅子から転げ落ちるようにベッドの裏に隠れる。

 

(誰……?)

 

見廻りの兵。オボロ様。等々。

それ以外に、私はコトゥアハムルの死神様という答えが浮かんだ。

幽霊という不可思議なものかもしれない。

人ではないのかもしれない、とびくびく震えて縮こまっている間にも、その何かは部屋の中へと侵入した。

 

「悪いな。ユズハ……」

 

第一声は謝罪の言葉。こっそり覗いてみると全身、雪のようにまっしろな男の人がユズハ様の髪を梳き頭を撫でていた。白く長い髪、紅玉のような瞳。それを包むのは見慣れない白い羽織衣。黒い下の衣。帽子付きの衣装。

まるで愛おしい者を見詰めるその視線が、私の胸を高鳴らせる。

不自然な変質者だというのに、何故か不思議と嫌悪感のない。まるでハクオロ様とエルルゥ様のような関係のようでちょっと違うような、けれど絵になっているというか表現し難い安心感がある。

 

それから少しの間、その男はユズハ様の手に手を重ね合わせたり、優しく扱った後にクーちゃんに向き直った。散々、二人の様子を眺めておきながら行動は早い。今度はクーちゃんの頭を撫でてからちっちゃな手に触れる。と、クーちゃんはその指を無意識に掴み、段々と額の汗が引いていくような錯覚を見た。さっきまで僅かながら苦しそうだったクーちゃんの顔は穏やかに。

 

「さて、時間もないし行くか」

 

ユズハ様に気づかれないようにクーちゃんを布団から抜き取る。抱え上げ去って行く男の背中に私は必死に飛びついた。

 

「ぬぉっ⁉︎」

 

素っ頓狂な声を上げて驚く。

私は無我夢中で背中にぶら下がる。

 

「お願い、クーちゃんを連れて行かないで!」

 

「だ、誰だ? ……子供?」

 

首だけ捻じ曲げて見下げてくるその男が、まさかコトゥアハムルの死神様だったなんて。だとしたらクーちゃんを迎えに来たのだろう。代わりに私を連れて行けばいい。私ならどこでもついて行くと言うと呆気にとられたように棒立ちになってから、私の口を優しく塞ぐ。

 

「まぁ、いいか。面倒だし」

 

–––結果、私はクーちゃんと一緒に攫われた。

 

 

 

 

 

夜の闇を抜けてトゥスクルを遠ざかる。遠くなるトゥスクルに私は不安になりながらも抱き抱えられていた。帰り道もわからない。クーちゃんは今も男の人の手の中、一人で逃げたところで私はどうすればいいのかわからず途方に暮れていると、彼が悪意のない様子で無邪気にも似た雰囲気で問い掛けてくる。

 

「それで、君の名は?」

 

「……ふ、フミルィル、と申します」

 

「この子の名は?」

 

「クーちゃ……クオン、です」

 

恐る恐る答える。しかし、何故か優しい雰囲気にすらすらと話してしまった。ついでとばかりに私は主張する。

 

「耳や尻尾を食べちゃダメですよ! お、美味しくないですから」

 

「食べないぞ」

 

あっさり約束してくれたので私は呆然と彼を見上げてしまう。抱き抱えられているから、自然とその顔は近くにあった。

 

「……食べないんですか?」

 

「年齢がな……まぁ、そういう意味ではないんだろうけど」

 

何の話でしょう。ですが、油断してはいけません。安堵に胸を撫でおろすと同時に私は目にしてしまったのです。彼の目が爛々と輝き私の耳と尻尾に向いているところを。人と話す時は目を見て話す、なんてことを教わっているから余計に意識してしまった。やっぱりこの人は私の耳や尻尾を狙っている。

警戒する私に彼は落ち込み気味に言う。

 

「君は俺が何に見える?」

 

「コトゥアハムルの死神様じゃないんですか?」

 

「待て、なんだそれは」

 

どうやら違ったらしい。

じゃあ、この人はいったい……?

 

「ゆ、誘拐ですか!」

 

「……そうかもしれないし、違うとも言える」

 

「盗賊っ」

 

途端に恐怖が戻ってくる。怯える私に彼は頭を悩ませながら言う。

 

「そうじゃなくて……そうだ、医者、じゃなく薬師だ俺は」

 

「薬師……?」

 

「ああ。この子の病を治す為にやって来た」

 

「まぁ、そうだったのですね!」

 

手を合わせて喜ぶ私を見て、彼は複雑そうな表情を見せる。

 

「……せめて疑ってくれ。頼むから」

 

「クーちゃんのお病気を治して下さるんでしょう? 嘘だったのですか?」

 

「嘘ではないが……。もういいか」

 

 

 

 

 

山をいくつか超えた。方角はもう私にはわからない。しかし、遺跡のような場所で何やらクーちゃんを水攻めにしたかと思うと帰るぞと言ってまた外を歩く。夜が明け、どうやらここはオンカミヤムカイの宗廟だったようで私は少しだけ安心を感じていた。彼の背中で寝息を立てるクーちゃんの苦しそうな顔がもうないのだ。安らかに眠るその顔がもう大丈夫なんだなって直感でわかる。

 

(いいなぁ……)

 

彼の背中に乗ってさぞ気持ち良さそうに眠るものだから、少し羨ましい。私のペースに合わせてくれる彼の背中を追っていると私の足はふらつき倒れかけ、しゃがんだ彼に抱き留められてしまった。

 

「疲れただろう。背中に乗れ」

 

ちょっと嬉しい気持ちを隠しながら私は背中にお世話になる。しかし、私の様子を見ると何故か微笑ましそうな笑みを向けてくるものだから納得はいかない。クーちゃんと隣り合わせで彼の背中の温かさを感じる。

きっとそれは幸せな温かさで、私の求めているものだった。日常の中で、少し足りないものだった。

うとうとして眠気が襲ってくる。心地良い眠りに私は落ちた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

目が覚める。それは、大きな白い獣の隣。ムックルの横腹のお世話になっていた。そのムックルといえば私が目覚めたのを確認すると欠伸を一つして小さく吠える。どうやら「乗れ」と言っているらしく、同じく寝惚け眼で起き上がってしまったクーちゃんの手を引く。

 

「ここどこ?」

 

「私にもさっぱり……」

 

夢、だったのだろうか。クーちゃんの病気も、あの人の背中も、木陰でお昼寝してたら見てしまった夢の一つなんだろうか。小さな冒険も胸の中には釈然としない何かが残って……。

取り敢えず、道もわからないので二人してムックルに跨る。騎乗すればムックルはのっしりと起き上がりゆっくりと歩を進めていく。そんな旅路の途中、クーちゃんは可笑しな体験したとばかりに、

 

「なーんかおかしいんだよね。誰かの背中で揺られていた気がするんだ」

 

「–––っ⁉︎」

 

なんて、不思議そうな顔をして言うのだ。

きっとそれは夢の話で、あの時の話だ。

夢ではなく、実際にあった話で……。

クーちゃんはもやもやを吐き出すように言う。

 

「すごくあったかくて、安心して、大きくて……なんていうか不思議な気持ち」

 

ムックルがのっそのっそと歩く。そんなことよりも、クーちゃんは目の前に広がる小さな私達の國の姿を指差した。

 

「トゥスクル!」

 

その言葉に偽りはなく。私達の國に向かってムックルは加速する。クーちゃんはムックルを急かしながら朝餉は何かなと楽しそうに喋り掛け、その間にもムックルは城下を駆け抜けた。門を飛び越すと着地して、その音に皆が振り返る。一番に駆け寄って来たのはオボロ様だ。

 

「心配したんだぞおまえたち!」

 

「それより朝ご飯は?」

 

何事もなかったようにケロッとしているクーちゃんは朝餉の心配ばかり。そんな私達に対してユズハ様はにっこり笑って、

 

「もうお昼ですよ」

 

と、教えてくれた。

 

「朝御飯食べ損ねた!」

 

「そこじゃないだろう!」

 

何故か頰の緩んだ顔で怒鳴られても怖くない。

しかし、普段は揃っていない筈の皆がいる。

ハクオロ様。エルルゥ様。トウカ様。カルラ様。ウルトリィ様。ベナウィ様。クロウ様。ドリィグラァにお姉様達まで。ユズハお母様とサクヤお母様、皆だ。数名は旅に出ていたはずなのに、クーちゃんの為に皆集まったのだろう。

 

「ふふ、心配なかったでしょう?」

 

「まぁ、クオンの病気も治っているようだし一件落着と言えば落着なんだが……あの兄者はまた勝手なことを。せめて一言くらい教えてくれればいいものを」

 

意味深げに微笑む妹に押され気味の兄。

そんな二人の会話を他所にムックルを労うアルルゥお姉様。

 

「ムックルえらい」

 

「クゥーン」

 

困ったような鳴き声を上げるムックルはあまり嬉しくないようだった。疲れ切った様子でその場に横になる。

 

「フミルィル」

 

皆の様子を眺めていると私にユズハ様が話し掛けてくる。私の目線まで屈んで、手を握ると光を宿すことのない瞳で見据える。あの瞳で見られると全て見透かされたような気になる。きっと私はドキドキとしていたのだろう。その瞳が優しい色を写した時、ユズハ様は口を開いた。

 

「コトゥアハムルの死神様も悪くないでしょう?」

 

「はい。素敵な方でした。……また、会えるでしょうか」

 

「お寝坊さんだから起こしに行ってあげないといけませんね。きっと今頃、疲れて眠っているでしょうから」

 

「疲れているのに大丈夫なのですか?」

 

「きっと待ってくれていますから。今日は、特別に出て来てくれたようですけど、奇跡は本当に大切な時の為にとっておかないといけませんから」

 

私の髪を撫でる手付きが好きだった。ユズハ様は私の髪を撫で付けると何かを見つけたように手のひらを握り、私の目の前で開いてみせた。

 

「ほら、季節外れの桜です」

 

その手の中には、一片の桜の花弁が握られていた。




ムントは除外。お姉様の中にクーヤ込み。他は誰が足りない……?
全員いるな。……たぶん。ヨハネは別の場所です。仲間はずれじゃありません。


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物見遊山(仮)
膝枕と抱き枕


ほのぼの発車致します。


 

熱い。痛い。苦しい。

燃える施設、肉体を穿った銃弾、止め処なく溢れる血液に朦朧とする意識。

しかし、苦しみを伴いながらも自分は達成感を得た。満足感に死んでもいいと思えるほど驚喜した。痛みが、代償が、大きくとも自分は後悔などしてはいなかった。

願いの行き着いた先は、当初の目論見とは外れる。

それでもいいと思えるほど、結果は良好だ。

役に立たないガラクタが壊れ、代わりに悲願を達成した。

 

だが、しかし……。

 

気分は良くなかった。頭痛がする。吐き気もする。名誉の負傷であるが、銃弾による穴はどこか心にぽっかり空いてしまった穴のように見える。

そうだ、虚しいのだ。

喜びを分かち合うわけでもなく、自己満足の為にこんなことをした。別にそこは後悔していない。が、何かしっくりとこない。

 

 

 

「ヨミ!」

 

 

 

何かが接近してくる。敵か味方かの区別すら付かなかった。

立ち上がらなければ……。

身体に力を込めるがもう身体は動かない。

失敗して崩れ落ちそうな身体を、誰かが支えた。

 

「なんで……なんで、逃げないんだ……」

 

「置いて行けるわけない。私はヨミのことが大好きだもん」

 

「サクラ……あの子はどうした?」

 

終末に寄り添う、うさ耳少女に朦朧とした意識の中で問う。

俺との約束を反故にして来るわけはない。

サクラは一度別れ、再び舞い戻ったのだ。

その細い身体で男一人の身体を背負う。

 

「ムツミに預けて来た」

 

「そうか」

 

それ以上の言葉は要らない。朦朧とする意識のせいか、足を引きずって歩いた。それを支えるので精一杯のサクラは談笑する余裕さえないのだろう。一生懸命に歩く姿がなんとも微笑ましい。

彼女に負荷が掛かり過ぎないように歩いたが、もう限界だった。

バランスを崩して、特殊合金素材の床に倒れこむ。

サクラの何もかもを擦り抜け、巻き込むことはなかったが、

 

「……悪い。このまま寝かせてくれ」

 

起き上がる気力など、残ってはいなかった。

 

「先に行け。俺は……起きたら追いつくから」

 

本当に誘い来る眠りから覚めることはあるのか。五分五分過ぎてよくわからない。このまま眠ればぽっくり逝く可能性もある。

 

「嫌だ。ぜっっったいにイヤ」

 

そして、この娘もたまに頑固だ、頑なに動こうとしない。ぎゅっと手を握り締めては見つめて来る。そんな見られたら寝れないだろう。

 

「ぷ、ふふっ、ククク……!」

 

それがなんだか嬉しくなって笑ってしまう。腹を抱えて捩る。

 

「ヨミ……?」

 

「い、いてぇ、笑い過ぎて腹が……!」

 

風穴が疼く。傷を刺激する笑いに苦痛の混じった苦笑を堪えて、痛みに悶える。

 

生きていることに歓喜した。痛みが生を教えてくれた。笑い過ぎてというより傷が痛むから腹を抱えているのだがサクラには何もわからなかった様だ。訝しげに見下ろして来る。それでも優しく手を頰に添えて心配して来るあたり、教育した者としてはやはり喜ぶべきことだろうか。

 

「なんで笑ってるの?」

 

「俺は幸せだなぁって……。だから、その幸せを壊さない為に約束してくれるか?」

 

「うん」

 

こっくりと頷くサクラ。

耳が、ペタン、と顔に当たった。

 

「何があっても諦めるな。おまえは自分の幸せの為に生きてくれ」

 

その言葉を最後に意識は薄れていった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

夢を見ていた。それは、間違いなく最後の記憶だ。朧げだが自分の記憶だと思う。断定は出来ないが肯定は出来るというなんとも奇妙な記憶に首を傾げた。自分の意識が目覚めているのを自覚するのはもう少し後、身体中がまるで麻酔をかけられたように動かないし何も感じないのだ。

 

–––そして、俺は突然襲ってきた激痛に身体を跳ねさせた。

 

何か柔らかいものに腕が包まれていた。それのおかげで肘を床に打つという二次災害は起こらなかったものの柔らかいものが、

 

「きゃっ!」

 

と、悲鳴を上げた。

反射的に「すまない」と謝罪。

首を回せば、そこには並んで横になっている絶世の美女が。

 

「おはようございます。ふふっ、とんだお寝坊さんですね、コトゥアハムルの死神様は」

 

クスリと微笑して抱き締めている腕は離さない。よく見れば自分の胸に掻き抱くように俺の腕が収まっていた。つまるところ、腕を組んでいたのは彼女と言うわけだ。そしてその感触は彼女の豊満な胸ということである。

 

「……どういう状況だこれは」

 

「つい、気持ち良さそうに眠っているのでご一緒してしまいました」

 

そうか、気持ち良さそうに眠っていたか。だといいがその惰眠に戻りたい、痛みに顔を歪めながら俺は絶対そんな顔はしていないだろうなと自分の寝顔を想像する。呻いていたに違いない。

 

–––そんなことより。

 

この絶世の美女は誰だと言いたい。目の前で和やかに微笑んでくれている彼女は見覚えの一つもない。ましてやこんな風に寄り添われる覚えもない。悶々と一人で考えていると頭の感触が戻ってきた。なんだか、頭はとても柔らかい枕に埋めているようだった。

 

「おはよう、ヨミ」

 

「あぁ、おはよう……」

 

膝枕だった。おそらくシャクコポルの何者かが自分を見下ろしていた。しかも、自分の名前まで呼ぶ始末、懐かしい呼び名だった。それどころか膝枕は懐かしい感触だ。面影もある。夢の中に出てきたうさ耳の少女も似たような顔をしていた。

 

「サクラだよ? 今の名前は、ヨハネだけど」

 

ご丁寧に教えてくれる始末。多分、覚えていないとか言われるのを防いだのだろうが、生憎と昔のサクラより随分と若い気がする。記憶が混濁していてはっきりとわからない。

身体を起こそうとして、痛みに顔を顰める。

隣の美女に腕を組まれているのもあって、躰を起こすことすら叶わなかった。

 

「まだダメですよ。あんなにボロボロだったんですから」

 

寝起きに知らない美女が優しい笑顔を浮かべている。ここは天国かもしれないと思い始めたところで、思考放棄してこの幸福に甘んじてようと受け入れ始めたが、悲しきことに美女に抱き着かれる謂れもないわけで。

 

「年頃の娘が見知らぬ異性に抱きつくんじゃない。お嫁にいけなくなるぞ」

 

主に理由は自分だが。

説教垂れたが本心はこのままがいい。

下心が露見したのか、というか若干させたが彼女達は首を傾げる始末。サクラに至っては「なに馬鹿なこと言ってるの?」と言いたげな表情で見下ろしてきた。

 

「私達は一度、会っていますよ」

 

「覚えが……」

 

ない。補足説明してくれた美女には悪いがない。だが、なんだろう、見たことある気はするのに喉に魚の小骨が刺さってなんとも言えない感じは。喉まで出かかっているのに吐き出せないような……。

その答えに痛む頭を悩ませていた時、第三者が答えを出す。

 

「–––フミルィル、その人起きたー?」

 

天幕の外から可憐な少女の声が聞こえてきた。バサリとその一枚の隔てた布を押し入ってきたのは、腰まで届く黒髪の綺麗な少女。俺はその姿に愕然としてしまったのだ。

 

「……ユズ、いや違うな」

 

もし彼女が言った固有名称が本当なら、未だ若い彼女は殆ど美女フミルィルと同い歳なのだろう。そして、その名前も聞き覚えはあったし忘れる理由もなかった。

違う。確かにユズハに似ているが違うのだ。そもそも雰囲気は似ているものの若干というか、かなり違うのも少し見れば一目瞭然だ。彼女は俺の知る誰かの一人。直接ではないにしろ知識としてはある。呆然と見つめているとその少女はゆっくりと歩を進めて隣に腰を下ろした。今更ながらに状況を気にしていないようだ。

 

「よかった。心配したんだよ。なにせボロボロで今にも虫の息だったからね」

 

「ありがとう。–––君の名は?」

 

「わたくしはクオン。まぁ、自己紹介とかは後にして死体に鞭打つようで悪いんだけど、ここじゃまともに休めもしないし一度集落の方に戻ろっか。あ、君はこれに着替えてね」

 

そう言って妙な装束を渡される。クオンはそれだけ言うとフミルィルとサクラを連れ立ち出て行こうとするが、垂れ幕の向こうへ消えた一人を除いて二人は今だに俺の隣に居座っていた。

 

「……二人は出て行かないのか?」

 

「またいきなりいなくなられても困るから」

 

「ふふっ、お手伝いしますね」

 

サクラ、フミルィルが自分の言い分を表明する。お手伝いは嬉しいが恥ずかしいから出て行って欲しいのだが……特に殆ど知らない相手に裸を見られるのは遠慮したかった。サクラ改めヨハネは別としても。

今の自分の服装は衣服を剥がされた村人だ。包帯以外には薄い布一枚と衣服ですらない。……というか、その布は白衣で他にはない全裸と白衣の奇妙な格好だ。昔なら変態認定は待った無しだっただろう。

 

「いや、いい……自分で着替えられる」

 

「そう言わずにお任せ下さい。何から何まで、私がお手伝い致します」

 

フミルィルの進言に悩む。この娘、とんでもなく男を惑わす魔性の気質が備わっている。

 

「そこまでされる理由が見当たらないのだが……」

 

「クスッ♪ それは内緒です」

 

彼女の謎の言い分が迷宮へと誘わせた。

 

 

 

 

 

結局、フミルィルに痛む身体の着替えを手伝われることになり、何度も当たる大きな果実にドキドキしながら理性を抑えつけた後、二人に挟まれながら樹氷のなる森を歩いた。山道だけに寝起きと傷だらけの身体では厳しいものの二人が支えてくれているのでなんとか倒れずに進んでいる次第だ。その先を馬のような生き物と一緒に先導するクオンはこちらをチラチラと気にしていた。

 

「どうした?」

 

「いや、ううん……フミルィルが男の人にここまで懐くのは珍しいなって。ヨハネだって普段はいつも誰にも興味なさそうだったのに今回は旅についてくるって言うし……」

 

「そんなにか?」

 

「うん。フミルィルは昔から愛想はいいし皆に分け隔てなく接するけど、ここまでっていうのは珍しいかなって」

 

雪を踏みしめた音と会話のみの空間でクオンは微笑ましそうに言ったが、俺としては左右から当たる果実の誘惑に負けそうで気が気ではない。だからクオンとの会話に興じたもののあまり集中はできなかった。身体中が悲鳴を上げているのだ。それを悟られないように歩くと二人が身体を寄せてくる。寝起きから天国か此処は。もう死んでしまっているのか、いやもう死んでもいいが、生憎とユズハに逢うまでは死ねないのだが。

 

取り敢えず、フミルィルの耳と尻尾に頬擦りしたい。

気持ちのいい柔らかさというか、美女というのとこれまでに触れたことのないその感触を知ってしまえば耳と尻尾の感触も気になるわけだ。見るからにふわふわしているし、しなやかに動く尻尾が欲を掻き立てる。

寝起き一発目の欲が食欲でもなく耳と尻尾に対する趣味嗜好というのは些か問題だが、それは仕方ない人間の本能というやつだ。

 

「……な、なんだこれは」

 

思わず、尻尾の質に感激した。

 

「きゃっ!」

 

尻尾に触れるとフミルィルが可愛い悲鳴を上げた。どんとこちらに勢い良くぶつかってくる。フミルィルを支えにしていた自分も巻き込まれるのは言わずもがな、隣のヨハネを巻き込み転倒してしまう。三人で組んず解れつ雪の上に転がるとサンドイッチが完成してしまった。フミルィルの服ははだけて上半身の衣全てが擦り下がり、半裸の状態で抱き着いてくるような状況。

 

「もう、君達なにやって–––」

 

目の前を歩いていたクオンが振り返る。もちろん、あられもない姿で抱き着く親友と、さっきまで怪我人だった男の絡み合っているシーン。

冷たい目でクオンは見てきた。溜息を吐くと同時に呆れたような声で窘める。

 

「また……。もう、気をつけてって言ってるよね⁉︎ ほら、早く服を着て」

 

怒られたのは俺ではなくフミルィルだった。ごめんねクーちゃんと謝って一生懸命に服を着直すフミルィルが俺の上で身体を揺らしながら居住まいを正していく。

 

「いつものことだから気にしないでいいよ」

 

隣のヨハネがさも当然のように言ってしまう。そんな日常に起こりえないラッキースケベが何度もあってたまるものか、俺は目を瞬かせた。

 

「いつも?」

 

「どんな服を着てもはだけちゃうの。傾国の美女が彼女の通り名」

 

「冗談だろ」

 

そんな通り名はどうでもいいが、いつもこんな風にはだけてしまうということは数多の男が彼女の裸体を目撃したわけで、権利もなにもないわけだがその男達を懲らしめたくなってくる。何故だ嫉妬が止まらない。これが傾国の美女の力か。

 

「因みに、俺以外に見た男は?」

 

「んーと、クロウとベナウィ」

 

「今度お話ししなければいけないな」

 

半分冗談を言いながら笑っていると手を差し伸べられる。

フミルィルが伸ばした手を掴み、立ち上がる。

心配そうに見つめてくるものだから大丈夫だと告げるとにっこりと笑む。

なるほど、これは傾国の美女だ。

不覚にも抱き締めたくなってしまった。

 

 

 

「ふぅ。どうにか日が暮れる前に着けたかな」

 

それから一時間ほど歩き、山道を抜ける。

眼下には、集落がひっそりと存在していた。

 

「……此処はどこだ?」

 

–––そりゃあ都合よくトゥスクルに着くとは思っていなかったが、これ以上先延ばしにしても意味のない問題だった。

 

まずは、情報を整理しよう。トゥスクルに向かうのはそれからでいい。どうせ、右も左もわからないのだから。




※クオンは父親だと理解していません。
重要でバラしてもいい情報はこれだけです。
ハクは後に出てくる予定です。


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フミルィルの恋愛事情I

二部はフミルィルをメインヒロインにしたい。


 

 

 

働かざる者食うべからず。旧時代の人間達はそんな言葉を残した。それは現代においても同様で誰が言ったのか残されていないはずの言葉もこの世界においては当たり前のように使われていた。三人娘、そのうちのクオン嬢が豪語するにはそう言うことらしく、集落に着けば翌日から仕事を言い渡される羽目になった。

 

まぁ、ヒモになって三人娘のお金を使い潰す気もなければそりゃ働かなければお金すらも手に入らないのは当然の摂理で、働かなければ面目も何もなくなってしまうのだが。

 

言い渡された仕事と言えば、運搬作業に畑の手伝いくらいのもので田舎の農家の手伝い(あの時代既に研究職と遺伝子改良した量産型の野菜のせいで苦ではなかった。むしろ廃れていた文化)みたいなものは既になかった。今世紀になって初めて昔ながらの風景を目にしたわけである。

そして、我が娘といえば軽々と数kgある麻袋を両肩に何袋も担いでみせるものだから少し面食らってしまった。さすがにそんな力は持ち合わせていない。自分は非力だ。どんな遺伝子を継いだらそんな怪力娘になるのか、あの細腕のどこにそんな力が眠っているのか疑問だけが残った。

 

「で、次の仕事は?」

 

「この水車小屋で粉を引くんだよ」

 

仕事が終われば次の仕事を持って来られる。不満を言うわけにはいかないがこちとら寝起きでコンディションは最悪なのを自己申告したい。しかし顔は変わらぬまま無表情でこう言った。

 

「わかった」

 

「じゃあ、わたくしは少し宿の方に戻るから。フミルィル、ヨハネ、戻るよ」

 

悲しきかな。ハブられた気がする。

振り返りもせず去って行く三人娘、薄情過ぎやしないかと文句を言ったところでだ、どうせいてもいなくても変わらないだろう。精神的に癒しが欲しくもないが……いや、やっぱり一人くらい置いて行って欲しかった。

 

「女将さんが言うには水車の粉挽き機が壊れたんだっけ」

 

水車は壊れている。事前にそう伝えられており、今じゃ直すまで人力で粉を挽かなければならないとか。単純な構造のものなら機材がなくても直せるのが昔の水車だ、それも木の歯車だけで組み上げているのなら直せる可能性は非常に高い。まずは水車を通常稼働させて回してみるも回らず首を傾げてみる。どこか噛み合っていない歯があるらしい、ギギギ、と壊れたブリキのような音がした。

 

「なるほど、あれか」

 

安全のために水車を止めて、今度は噛み合っていない歯車の一つを取り外し別の場所へと移動させても大丈夫そうな同じ大きさの歯車を嵌めた。水車をもう一度、動かす。そうすれば今度は正常に作動した。

 

「なんというか、パズルみたいで面白くないな」

 

終わってみれば、子供騙しな問題を解いたような気分になる。寝起きの問題としては中々良いくらいの難度だが、多少物足りない感が否めない。

 

「……虚しいな。さっさと終わらそ」

 

一人で喋っているのにも飽きたのでアマムニィの実を臼に突っ込む。磨り潰して出来た粉が食べ物になるとか。ゴゥンゴゥンという稼働音と臼を木槌で叩く音を訊きながら、作業の間、寂しげにポツリと佇んでいたのだった。

 

 

 

「ふぅ。十分か」

 

アマムニィと呼ばれる粉を掻き集めて麻袋に突っ込み、積み上げて座り込む。なんというか世界に一人取り残されたような孤独感を味わう作業なのか傲慢なのかわからない時間は終わった。

作業の間、ずっと思い出していたのはユズハのこと。置いて行った薄情な娘達のことはともかくとして、何してるんだろうなー、とか、心配してないかなー、とか、かなりホームシック気味な思考になりつつ思い出していた。まぁ、だからと言って娘達と離れてトゥスクルに帰るという選択肢は無いが。

 

「ヨ〜ミ〜?」

 

ホームシックになりつつある自分の背後から何故だか悪寒を感じる声が轟いた。憂鬱に浸っていた俺はゆっくりと振り返る。すると、クオンが何故か怖い顔で見下ろしてくるのだ。

 

「なんだ? 俺が何かしたか?」

 

「サボって何やってるのかな〜?」

 

「ちょっと待て、仕事は終わらせ–––」

 

「問答無用!」

 

しゅるりと尻尾が額に巻きつく。本当に問答無用でお仕置きを実行しようとしている。ギリギリ締め付ける尻尾に痛みを感じながら必死で抵抗した。むんずと掴んで、クオンの肩が盛大に跳ね上がる。

 

「ちょっと、いきなり何するかな!?」

 

「お前こそ何してんのいきなり!?」

 

「サボってた悪い子に罰を与えてるんだよ」

 

「よく見ろ、指定量は終わらせたぞ!」

 

「あ、あれ?」

 

首を傾げるクオン。麻袋の中身を確認してさらに首を傾げる。

 

「おっかしいな。あんな短時間で終わるはずないんだけど」

 

「あぁ。水車直したからな。と言っても、一からパーツを作るのは無理だから有り合わせで応急処置をしただけだけど」

 

「ふーん。もしかして、ヨミってそういうの得意?」

 

「得意も何も、こんなの子供でもできるだろ?」

 

話が噛み合っていないのは薄々と感じてしまった。いや、元から考えていれば分かることだったのだ。現代の子供は知識的に少し乏しく知恵は遥かに低い。

正直、子供の頃からこの程度のことは軽く出来ていた自分にとって、ジェネレーションギャップはかなり痛かった。

 

「ヨミ、クーには無理」

 

ちょいちょいと袖を引いて、現代っ子にしてはかなり聡明なヨハネが否定的な言葉を吐いた。というかかなりディスっているように見える。

 

「ヨハネ、あなたヨミが直せるのわかってたの?」

 

「むしろなんで出来ないの?」

 

ムッとクオンが顔を顰めた。

 

「言っておくけど、わたくしの方がお姉ちゃんなんだから!」

 

「……もしわからない問題があっても教えてあげないから、お・ね・え・ちゃん」

 

「そ、それは困るかなー」

 

お姉ちゃん劣勢である。クオンの方がお姉ちゃんというのは初耳だが、このやり取りを見るに力の格差は歴然としている。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

夜。四人で夕餉を囲む。

 

「んー、美味しい〜!」

 

そんな中、クオンは我先にと夕餉に手をつけ始めた。残りの二人も好きに摘むと何やら皮のようなもので食材を包んでかぶりついていく。対して俺は待て、からのお座り。クオンの胃袋に消えていく食材を眺めていた。

 

「……食べないの?」

 

「いや、そうじゃなくてだな」

 

おそらく、皮のような生地に食材を包んで食べるものなのだろう。見ていれば理解は出来た。困惑から一歩立ち上がった自分に横からフミルィルが白い手に皮のようなものを乗せて差し出してくる。

 

「まずはこうやってこの皮に具材を乗せて」

 

受け取った皮に箸で具材を乗せていく。あれよあれよという間に皮は具材でいっぱいに。その具材の乗った皮を受け取ると包んで差し出してきた。

 

「はい、完成。アマムニィ巻きです♪」

 

「……これは粉にしていたあの実か?」

 

「はい。ヨミ様の挽いた粉を発酵させて作ったアマムニィの皮です。めしあがれ」

 

自分の口元にフミルィルがアマムニィ巻きと呼ばれる食べ物を差し出す形になった。俺は恐る恐る、はいあーんを実行し、咀嚼し飲み込む。美女にはいあーんをされたことにより味など分からなかったが。

 

「お口に合いました?」

 

「あぁ、なかなかいいなぁこれは」

 

フミルィルの指まで食べてしまいそうだ。こう献身的に世話をされると抵抗できないというか、甘えたくなってくるのはこの娘の魅力だろうか。しかし、そんな幸せな時間も束の間、机の上の具材も何もかもが忽然と姿を消してしまっていた。消えた宿の具材達、もはや怪奇現象もかくやの不思議現象だ。

 

「ふぅ〜。満足かなぁ〜」

 

「お前まさかあれ全部食べたのか?」

 

「あれくらい少ないくらいだよ」

 

その現象の正体はクオンの胃袋だった。彼女の胃袋が夕餉を一瞬にして平らげるほどの機能性を見せたのだ。流石の自分もこんな短時間で大食いな上に早食いな女子としての異様性に驚いていると、彼女は彼女でのんびりと食後のお茶に興じてしまっていた。もうこの娘には何処から突っ込んでいいものやらわからなくなってきたところだ。

 

食後のまったりとした時間を送っていると甲斐甲斐しくお世話してくるフミルィル。なんというか、クオンと比べて良いお嫁さんになるかもしれん。なんて馬鹿なことを考えていると襖向こうから女将さんが出てきて、

 

「お風呂空きましたよ」

 

なんて丁度いいタイミングでお風呂の準備までしてくれるのだ。この旅館は至れり尽くせり。これは楽園としては最高の部類に入るんじゃなかろうか。忘れてはいけないのが別に遊んでいるわけではないという事実。物見遊山と少女達は称しているが、実際はクオン一人のわがままらしい。二人はとにかく國に帰っても平気だが、放っておくと何やらかすかわからないだとか。

つまるところ、俺はクオンを満足させないとトゥスクルに帰れない。一応、娘として面倒を見なければならないし、どっちかというと娘との旅を少し楽しみたい自分がいる。親として何も出来なかったのだ、少しくらいわがままを聞いてやってもいいだろう。……なんて父親ぶるのもできるわけもなく、言い出せない自分がいた。

今更、どんな顔して父親です、とか言えばいいのか。むしろそのポジション埋まってないか。ハクオロとか優秀な奴いるだろうに。

 

「お前ら先に入っていいぞ」

 

「いえ、どうぞどうぞ」

 

笑顔で返される。クオンは満面の笑みだった。女子は湯浴みが好きだと思っていたのだが……斯く言う自分も風呂は大好きなのに。

 

「じゃあ、私とヨミが先ね」

 

「おーい。何しれっと混ざろうとしてんの?」

 

「ヨミと別で入る意味がわからない」

 

ヨハネは頑なに混浴を勧めてくる。俺が可笑しいのか? 入っちゃうぞ。いいんだな。愛でるぞ。

 

「じゃあ、入るか」

 

 

 

 

 

「なんか思ってたのと違う……」

 

風呂場についての第一声がそれだった。服を脱いで意気揚々と突入したはいいものの構造上不明な点が一つ。純粋な極東の出身である自分にとって風呂とは湯船があり浸かるものなのだ。断じて、ミストシャワーのようなハイカラなものではない。むしろミストシャワーを用意されてもどうしていいかわからないまである。トゥスクルが余計に恋しくなってきた。湯船の張ったお風呂に入りたい。

立ち竦んでいた俺の心は何処へやら。今は遠き第二の故郷へと思い馳せる中、背中を押されて渋々と座らせられる。

 

「お背中流しますね」

 

「ヨハネか……む?」

 

可憐な少女の声だった。ヨハネではない別の誰か。ばっと振り向くと背後にはフミルィルがタオル一枚の無防備な姿を晒していた。

 

「ヨハネはどうした?」

 

「クーちゃんに止められて今はお部屋ですよ」

 

「……お前は何をしてるんだ?」

 

「はい、お世話です」

 

「まぁ、丁度いい。困ってたところなんだ」

 

主な使い方が分からず途方に暮れていたところを助けられたのだから文句は言えまい。さっさと任せて覚えようと決意して背中を任せることにした。

それにだ。二人きりで話す機会が欲しかったというのもある。なんというか、出会ってからこの娘の様子はところどころおかしいのだ。現状もそうだし。確かに好みだがこうも好意的になられると逆に不安になる。

 

「……そのなんだ、お前は誰の子なんだ?」

 

ついにお互いに無言な状態になってしまい、話し掛けた内容は気の利いた話ではなく、家族関連の話題。クオンとヨハネは実娘というのは納得がいったがどうもこの娘はそういう関係でもない。ヨハネ曰く、ちょっと特殊な状況によりユズハやサクヤに引き取られた娘という設定らしい。俺が隠し子を内していたわけでもなく、ハクオロ……はないとして。あの面子では検討もつかなかった。

 

「しがないちりめん問屋の娘ですよ。私は」

 

「あ、いや、そういうことでもないんだけどな……」

 

聞く内容からして悪かったのだろう。

現状に不満があるというわけではないのだが。

釈然としないというか、彼女の行動が気持ち悪いというか。

理解できないから、不思議に思ってしまう。

俺は数年前に何かしたのだろうか。

この娘に恨まれるようなこととか無いと思い…たいなぁ。

 

「なんでもいいからこういうのはもうなしにしてくれ」

 

「お気に召しませんでした?」

 

大変役得な状況ではあるが、かなり神経を擦り減らす。摩耗とかそういうレベルで。直視し過ぎるわけにもいかないし、下半身が反応するわけにもいかないし、押し倒すわけにもいかないし。そろそろ勘違いが天元突破しそうなんだ。自分に好意を持っていると錯覚してしまう。それで勘違いならばかなりまずいことになる。

ハニートラップは考えた。それ以前にフミルィルはかなり優しい性格というのがわかっているし、裏もなさそうなのでその線は消えてしまうのだから、結局答えには辿り着かない。

 

「おう。かなり拷問だわこれ」

 

お風呂イベントはドキドキと言うが意味が違う。何か違う。実際はそんなにいいものではなくかなりの拷問だった。

 

「そうですか……」

 

しゅんと落ち込んだ風に俯いてしまう少女、フミルィルの肢体はとても美しかった。白くてきめ細やかな絹のような肌も、彼女の髪も、耳も尻尾も全てが完璧である。何故だろう。正しいことを言っているはずなのに罪悪感が半端ない。

 

「俺は嬉しいんだが、その年頃の娘が無闇に異性に肌を晒け出すのはな……男の理性を惑わすと言うか、フミルィルが思っているより危険なんだぞ」

 

「嬉しい、ですか……?」

 

何故だろう。心なしかフミルィルの尻尾がぱたぱたと揺れ始めた。

 

「喜んでもらえたなら、勇気を出した甲斐がありました」

 

両手の指先を合わせてふふふっと微笑む。コロコロと転がすような笑みで、やはり彼女には誰かを引き寄せて止まない魅力というものがあるのだろうか。しかし胸を隠していたタオルから手を離せば解けたのは必然か。ゆっくりと胸の起伏に沿ってタオルが剥がれ落ちた。

 

「あっ……」

 

その声は当の本人だったのか、全裸を目にした自分だったのか、或いは別の誰かだったのか。

誰かの気配を外に感じた。咄嗟にフミルィルを押し倒す形で壁の穴から隠す。それがトリガーだった。

 

「ちょっと何やってるかな!?」

 

風呂場に開いた壁の穴。から、盛大なツッコミが風呂場に木霊する。勢い余ってドーンと壁を壊しながら入室して来たのはクオンだった。いったいどうして彼女がここにいるのか。

 

「クオン、覗きか?」

 

「ふ、フミルィルが居なくなって心配になって探しに来たらこんなことになってるから……というか君は何してるのかな!?」

 

「言い訳をするなら、動揺を隠せ。女が男を覗くなんて初めて聞いたぞ」

 

男が女風呂を覗くという鉄板ネタは訊いたことがあるが逆はない。

それはともかく。友人の押し倒された姿を見た、というのならまぁあの反応も当然のことだろう。

現状がまずい状況であるのは理解している。

理性がなければ、抱き締めていたところだ。フミルィルから漂ういい匂いのせいでもう殆ど限界だが。

 

「まずは離れなさい!」

 

「……こればっかりはクーちゃんでも嫌です」

 

「なっ!?」

 

フミルィルがまるで子供のように抱擁を求めてくる。下から手を伸ばして首に回すとぎゅっと抱き締めてきた。もう困惑しているのは俺だけではなく、クオンまで困惑しはじめた。

 

「ど、どうしたのフミルィル? まさか、エルルゥお母様直伝の媚薬を飲んで……!」

 

「おい待て何の話だ?」

 

「その……エルルゥお母様直伝のちょっと気分が高揚する薬を一本持ってたんだけど無くしちゃって……フミルィルってドジだから飲んじゃったんじゃないかなって」

 

なんつー恐ろしいものを娘に教えているのだ。きっとハクオロもその気分が高揚する薬の犠牲になったのだろう。そう思うとなんだか遠い国に同情したくなってくる。怪しい薬は薬でも、おそらく性的な興奮を促す程度だろうが。それでも麻薬の類より今は効果的である。というか麻薬より性質が悪い。

 

「むー。そんなお薬飲むわけないじゃないですか。お薬ならヨハネちゃんがヨミ様に飲ませるって言ってましたけど……私は飲んでません」

 

さらっととんでもない計画が訊こえた気がする。

わざとらしく頬を膨らませる、フミルィルが可愛い。

 

「……夢だったんです。こうしてコトゥアハムルの死神様と一緒にいることが。ずっと昔から好きだったから、こうして、今の間だけでも独り占めしたかった……」

 

フミルィルは自分の事を覚えていた。覚えている以上に彼女の中では大切な思い出だった。あんな何気ない一日だけの出会いが、彼女にとっては宝物だった。

何故、なのかは自分にはわからない。俺は何もしていない。していないはずだ。そうであるからこうやって口に出してもらわなければ理解はできない。

 

「……えっと、フミルィルとヨミって知り合いなの?」

 

事情も何もかもを飲み込めていないクオン、きっと彼女は自分の親が目の前にいることも、一度だけ会っていることも知らずに育ってきたからそんな反応なのだろう。

 

「まぁ、そんなところだ」

 

顔見知り程度だ。

 

「ん〜。親友としては複雑かなぁ」

 

事態はクオンが思っている以上に複雑で深刻だ。

 

「でも、フミルィルが決めたことなら仕方ないかな。お母様達がなんて言うか知らないけど。……じゃあ、わたくしはヨハネから薬を取り返しに行くから。……ヨミはフミルィルを傷つけたらどうなるかわかってるよね?」

 

知らずのうちに父親に向かって脅しをかける娘。顔は笑っているが目は笑っていない。何処かユズハを彷彿とさせるその姿は、背筋すら凍らせる程の迫力だった。

クオンはそそくさと退散していく。

待って。置いてかないで。この状況どうすればいいんだ。

 

「……気持ちはわかったから少し離れてくれないか」

 

「嫌なのですか?」

 

嫌だったならどれだけ楽だったか。

 

「少し気持ちの整理をさせてくれ」

 

「では、こうしてぎゅっと甘えるのはありですか?」

 

「……まぁ、うん」

 

「際限なく甘えますよ?」

 

「……まぁ、甘えたいと言われて断る理由はないしな」

 

押し切られた感が否めないが、損得で言えばかなりの得だ。

フミルィルは頬擦りしたり、鼻を擦り付けたり、匂いを嗅いだり、次第にエスカレートして口寂しいのか印をつけるように首筋や鎖骨を甘噛みしてくる。時には舐めたりととても艶かしい行動が見受けられた。

そんな子供の甘えとは掛け離れた甘えに興じている最中、ドタドタと廊下を走る音が訊こえ、風呂場に押し入るようにクオンが戻ってきた。フミルィルは親友が戻って来たのも御構いなしに甘え続ける。

 

「ちょっとストップ!」

 

「どうした?」

 

「ヨハネったらもう薬使っちゃったの! 夕餉の時にお茶に混ぜたって!」

 

「ふむ。……なるほど」

 

現状を分析するにフミルィルが間違って飲んでしまったのだろうか。

 

「なんでクオンはそんな離れたところにいるんだ?」

 

「あはは……効果がね、ちょっと強めで、どんな草食獣も野獣になるらしいから。ヨミはなんともないの?」

 

「今のところは……」

 

「……不能?」

 

「おいこら、流石に泣くぞ」

 

少なくとも父と母がいてクオンがいるのだ。コウノトリは赤子を運ばない。

 

「それで効果は?」

 

「……かなり強力だから、満足するまで牢屋に入れるくらいしかないんだけど。そうしないと犠牲者が出ちゃうからなぁ。まぁ、後はヨミに任せるから」

 

「いや、どうすればいいんだ」

 

「あとは任せるから!」

 

無情にも「あとは任せるから」を連呼するだけ。元はと言えばクオンがそんな怪しい薬を持っていた所為で、俺は被害者側だ。子の責任は親が取れとか言うやつだろうか。

結局、フミルィルが満足したのは朝になってからだった。夜の間中、甘噛みされ続けた痕をヨハネに見られて本気で囓られたのは翌朝になってからの話である。




※クオンだけ何も知りません。


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帝都道中

ロスフラによりやる気が全回復して帰って来た。
二年も前なので自分で書いたものもうたわれるものの内容も用語も見返しているので見苦しいかもしれませんが御容赦を。


 

 

クジュウリ國の集落を出て三日程。何度かトラブルに見舞われながらも着々と歩を進めていた。目指すはヤマトと呼ばれる大國の首都『帝都』。次の目的地まで今日中に着くかどうかという処で、

 

「大丈夫か?フミルィル」

 

三人娘の一人、フミルィルの足取りが段々と重くなってきていた。元気娘なクオン、脚の強靭なシャクコポル族のヨハネと比べ、深窓の令嬢のような彼女は些か体力に自信がないらしく、道中何度も休憩することがあった。今日もまた一刻程の道のりを乗り越えてきたがそろそろ限界らしい。額には汗が浮かび、少し息が荒くなっていた。

 

「あともう少しだから、頑張ってフミルィル!」

 

「はい、大丈夫ですよクーちゃん。ヨミ様もご心配をおかけしてすみません」

 

励ますクオンに微笑みを返すフミルィルだが、その顔色はあまり良くない。本当にあとちょっとなのか疑問だ。彼女達、特にクオンのあとちょっとは俺にとって『あとちょっと』ではない。この旅で何度も経験している自分が言うんだから間違い無いだろう。

 

「疲れただろう。背中に乗れ」

 

フミルィルの前に跪き、背中を向ける。俗に言うおんぶの体勢でいつぞやの言葉を彼女に掛ける。

 

「よろしいんですか?」

 

「構わん」

 

「ふふ、ではお言葉に甘えさせていただきます」

 

まずフミルィルは勢い良く首に抱きついてきた。その所為か胸が大きく弾み、押しつけるように身を預けると腕を首に回して固定する。彼女の太腿を俺が支え立ち上がることでおんぶは完成する。

意図していたわけではないが、背中にはフミルィルの柔らかな大きな胸が当たり、掌には太腿の柔らかな感触がある。この状態であれば千里の道も歩けるような気がしてきた。

 

「ヨミ、疲れた」

 

「今、絶対狡いとか思っただろう」

 

「そんな事はない」

 

「嘘を言うな。あとでやってやるから」

 

「ならいい」

 

ヨハネも駄々を捏ねてきたが扱い方は昔と変わらない。

羨む兎娘を躱し、一行はもう一度歩き出した。

 

「ふふっ、なんだか懐かしいですね」

 

おんぶされているフミルィルが耳元で囁く。獣耳が頰を擽り若干擽ったいがとても気持ちが良い。彼女の甘い声もまた心地が良く、胸と背中で繋がった心臓の鼓動が伝わる。彼女の心音は穏やかに、でも少しだけ狂ったように大きく音を鳴らしていた。

 

「そうか?」

 

「私がヨミ様におんぶしてもらったのはだいぶ昔ですから」

 

「俺はずっと眠っていたからな。……夢のような感覚だったし、あまり実感は沸かない」

 

最近のことのように思い出せる、というのは語弊がある。夢を見ていた感覚だった。体感時間はきっと彼女より遥かに短く、そして永遠にも等しい。矛盾しているとは思うが、それが眠っていた時の感想だ。だから、長く寝ていたことも実感はないし、トゥスクルに居てユズハとサクヤ二人と出逢ったのが最近のことのようで遠く感じている。

 

永遠と刹那、あの日々が本当にあったかさえも今では少し不安に思う。

 

だが、確実に気持ちは強くなっている。

逢いたい、という感情だけが増幅している。

 

それだけは確かだ。

 

「大きくなったな」

 

「私はヨミ様が好む、大人の女になれましたか?」

 

昔は背中に隠れるくらい小さくて、二人背負えるくらいには軽かったのに。いや、今も軽い。軽いが流石に二人も背負えない。重さの都合ではなく面積の都合上だ。きっとそうに違いない。

 

そんな言い訳を考えているとフミルィルは期待するように聞いてきた。とても返答に困る。

 

「……いや、まぁ、そうだな。綺麗だと思うぞ」

 

何が目的でこんなことを聞いてきたのか。

変に惑わせようとする、傾国の美女恐るべし。

 

「それなら良かったです」

 

たった一言。安堵の言葉を吐くとフミルィルはギュッとしがみついてきた。全体重を預けて信頼し切ったように。そして、僅か数分も経つと可愛らしい小さな寝息が聞こえてくるではないか。

 

「眠った、か?随分と疲れていたんだな」

 

運動のしなさそうな彼女には過酷な旅だったのだろう。

俺は起こさないようにゆっくりと歩いた。

 

 

 

––––それから二刻ほど。

 

 

 

「誰だ役得とか言ったやつ……」

 

いくら胸の感触が役得とはいえ天国とは名ばかりの地獄に突入しようとしていた。あれから一度も休むことなく、旅路を急ぎ女一人を背負ったまま歩けば、腕も足も感覚は無くなり残ったのは背中の柔らかい感触のみである。まさに役得、かと思いきや思いの外辛いというのが俺の感想だ。

 

–––『天獄』

 

そんな言葉が思い浮かぶ。

『天国』と『地獄』の狭間。

 

「それとクオン、君はさっき言ったよな?もうすぐって」

 

クオン達の『もうちょっと』とか『もうすぐ』とか曖昧な言葉は宛てにならない。人間は学習しない生き物で、そして研究者であった自分も例外ではないらしい。

此処で呪うべきは自分の浅はかさだ。決して怒っているわけではないし、娘を信じないわけではない。だが、時に娘の行動や言葉の意味を理解するのは大事である。信じた上で『もうちょっと』の意味を考えた自分は正解であろう。

 

「あはは……多分、あとちょっとかな?」

 

今もぐっすり眠っているフミルィルを起こさないよう歩いているが、どうも起きる気配がない。何をしたら歩いている人間の背中で熟睡できるのか聞いてみたい処だが、その前にクオンが目を逸らした先で何かを見つけた。

 

「あ、あの人達に聞いてみるといいかも」

 

クオンが指差した先には数人の獣人の姿が。その一人はウマではなく、巨鳥に乗っている少女。そしてそれを取り囲むように小汚い格好をした荒くれ者達が……。

 

「おい、あれって……」

 

「取り込み中みたい」

 

「だけど、仲が良さそうには見えないかな」

 

解釈が間違っていなければ山賊に囲まれている少女。つまりは、お取り込み中という名のとんでもなくやばい状況というやつで、盗賊に襲われているということになる。

 

「困っているようだし、助けるか」

 

巨鳥に乗った少女は怖くて震えているようにも見える。状況を理解した一同はのんびりとした足取りを早め、巨鳥に乗る少女の元へと向かった。

 

 

 

「さぁ、大人しくするじゃんよ」

 

盗賊の頭らしき男が下卑た視線を少女に向けて近づく。ジリジリと包囲網が狭まる中、少女は怯えたように巨鳥の上で震えるのみで逃げようとはしない。

 

「コ、ココポ……」

 

涙目で何かの名前を呟く。

あと十歩、という距離で俺が割り込んだ。

盗賊と少女の間、中間に。

少女を庇うように盗賊と向き合う。

 

「な、なんだぁ?」

 

「あー、そのなんだ、お取り込み中申し訳ないが帝都まであとどれくらいあるか教えてくれないかね?」

 

第一声をどうするか迷った。その挙句に場違いな質問を誰でもなく問う、相変わらずフミルィルは背中ですやすや眠っているし珍妙な乱入者が割り入ってきたことに驚いたのか、盗賊達の足は止まった。

カッコ良く、というのは性に合わないから良かったものの、滑稽以外の何者にも映らぬ姿にはて?と首を傾げる。争い事があまり得意ではない自分にとって穏便に済むのが一番だ。と、思っての発言だったが盗賊達は俺を見た途端に顔色を変えた。

 

「へへ、馬鹿かおめぇ。態々カモられにくるたぁなぁ!」

 

「お、御頭、あいつの背中におぶられてるのすげぇ上玉じゃねぇですかい」

 

「悪い事は言わねぇ置いてきな!」

 

ゲへへ、と盗賊達が下卑た笑みをフミルィルに向けて浮かべる。

よほど騒がしかったのか背中のフミルィルが身を捩った。

 

「んぅ……帝都に、ついたんですか…?」

 

寝惚け眼を擦ってふぁぁと欠伸を漏らす。嫌々と肩口に頭を擦り付けてもう一度眠ろうとする。どうやら意地でも降りたくないらしい。

 

「処で少女よ、帝都はどの辺りだ?」

 

「えっと、まだ此処はクジュウリ……かと……」

 

「すまないが道案内を頼めるか」

 

「は、はい……」

 

少女はおどおどしながらも気の良い返事をくれた。

では、早速行こう。と盗賊達に会釈をしてその場を逃れようとする。

 

「ちょっと待つじゃんよ!なに無視してくれたんだ危うく騙されるとこだったじゃん!」

 

そうは問屋が卸さない。

盗賊の頭の声で我に返った賊共が包囲網を強化する。

一部の隙もなく、逃げる事は到底不可能。

目論見が失敗した事で俺は次の策を実行することにした。

 

「それはつまり、どういうことか教えてくれると有り難い」

 

「決まってるだろぉ。全部身包み剥がしてやるって言ってんじゃんよ。もちろん、女共は全員置いてきな。そしたら命だけは助けてやるじゃんよぉ!」

 

下卑た頭の笑いに「さっすが御頭優しい!」と野次が飛ぶ。伝染するように下卑た笑いの大合唱が響き、その声に再びフミルィルが身を捩り起きると「あらまぁ大変」と呑気に溢した。

 

「……二度は言わん。失せろ」

 

「は?」

 

「今の俺は機嫌が良い。見逃してやると言ったんだ」

 

む、二度目だ。

 

「少し危ないから離れていろフミルィル」

 

背中のフミルィルを降ろして腕をだらりと下げる。2、3歩ほど彼女が下がったところで最も近くにいた盗賊の一人に接近すると挨拶代わりの掌底を顎に当て吹き飛ばす。本調子ではないが十分な威力が放てたようで、盗賊其の壱はゴロゴロ転がると木に当たって止まった。盗賊其の壱が落とした分厚い鉈の柄を蹴飛ばし其の弍に当たる。軽く刺さった其の弍がカエルの潰れたような呻き声を上げた瞬間、肉を引き裂くように鉈を抜き取り、痛みに手放した短刀を拾い上げる。

回収した二つの武器を今度は何が起こっているのか理解出来ず棒立ちになっている二人の盗賊に投擲し、痛みに悲鳴を上げたところで盗賊の頭が我に返った。

 

「……ハッ!?テメェら何ボサッとしてやがる、かかるじゃんよぉ!」

 

「お生憎さま、もうあなた一人みたいだけど?」

 

いつのまにか傍にいたヨハネがそう告げると、ようやく気付いたかのように盗賊の頭が辺りを見回す。立っているのが自分だけだと気付いて舌打ちをした。

 

「此処は逃げ–––」

 

「させると思うか?」

 

一度牙を剥いた相手に容赦はしない。命まで奪いはしないが場合によりけり。背を向けた盗賊の頭の肩に手を置くと押すに合わせて足を払い転倒させると拳を鳩尾に叩き込んだ。

 

「へぶっ!?」

 

情けない悲鳴を上げて盗賊の頭は沈黙した。

 

 

 

 

 

 

「あの……。ありがとうございます」

 

適当に盗賊達を一箇所に集めると積み上げ、作業が終わったところで襲われた少女がお礼を言ってきた。頰を僅かに染めながら巨鳥に乗る少女を見るとトゥスクルにいるアルルゥを彷彿とさせる。

 

「あぁ、別に気にするな」

 

「ホロロロロ♪ホロロ♪」

 

「うおっ!?」

 

「ダメ、ココポ……!」

 

懐かしげに人の大きさほどある巨鳥を見ていると、ココポと呼ばれる巨鳥が自分に体当たりをし弾き飛ばすとそのまま甘えるようにすりすり擦り寄ってくる。

うむ、なんというもふもふ感。力加減も絶妙で気持ちが良い。

ただ巨鳥の飼い主である少女はココポを諫めているが全く聞く気配がない。ムックルの物分かりが良いだけに意外というか、本来ならこれが普通である可能性も否定はできない。ムティカパと呼ばれる森の主を飼うあれが異常なのだ。

 

「……クロウやベナウィ、ううん……それとも……」

 

今まで傍観を決め込んでいたクオンがぶつぶつと独り言を繰り返す。その光景を横目に、俺はココポに揉みくちゃにされながら慌てる少女を見上げた。

 

「ふむ、これからどうするか……」

 

盗賊達をチラリと見る。

するとヨハネが耳をピコピコ動かした。

遠くを見て、警戒した表情。

次第に近づいて来る一団が目視出来た。

 

「さっきまで遠くで聞こえていた戦いの音が止んだ。ヨミ、統率された何かが近づいて来る」

 

「あぁ、今確認した」

 

新手かと思ったがどうやらそうでもないようだ。おそらく、軍のようなものだろう。行進する一団の統率された足音と装備を見れば一目瞭然である。先頭を行く一人を除いて誰もが同じ装備をしていた。そして、その先頭にいる者は何の冗談か奇妙な“仮面”をつけている。まるでハクオロがつけている仮面に似た、全く別の物。装備も一階の兵士とは違い、上等な着物を着ているようだった。

 

その者達は巨鳥に踏み潰されている俺の前に来ると、一糸乱れぬ行軍の停止をした。

 

「あの御方……まさか……オシュトルさま!?」

 

少女の声は驚きに満ちたものだった。

奇妙な仮面の男、名はオシュトルというらしい。

ヤマトの双璧とうたわれる右近衛大将。

少女の畏怖や尊敬の念を込めた声に「あれが……」とクオンも興味を示していた。

 

「おまえは……」

 

奇妙な仮面の男から驚愕にも似た声が漏れた。仮面の下の顔も少しばかり驚いているように見える。その視線の先にあるのは自分、つまりは俺を見て呟いたらしい。

 

「……ふむ。何処かで会ったか?」

 

「あぁ、いや……少し知人に似ていてな。済まない」

 

問い掛けると惚けるように奇妙な仮面の男が咳払いをした。

 

「其方達が賊共の首領を取り押さえてくれたか」

 

「降り掛かる火の粉を払ったまでだ」

 

「とはいえ感謝する。此度の策、賊の首領を取り逃しては失敗と同義であったからな」

 

勝手に話が進められていくが何が起こっているのか判らない、が正直なところだ。ヨハネが聞いた遠くの合戦の音も併せればなんとなく状況は読めてくるがな。

 

「このような場所では満足な謝意も伝えられぬ。其方達の功については、後ほど正式に表彰し、褒賞をもって報いよう」

 

そう告げると今度は少女へ向き直った。

 

「ルルティエ殿」

 

「は、はいっ……」

 

どうやら顔見知りらしい。

しかし、それほど親しくはないようだが。

 

「クジュウリ皇からの請願、これにて遂行されたものとして、よろしいか?」

 

一部イレギュラーがあったものの賊の首領はこうしてお縄についている。目的は達成したのだから、その確認をしているのだろう。何故少女に向けて確認しているのかは疑問だが。

 

「詳細はこの書簡に認めている故、皇にはよしなにお伝え頂きたく」

 

「た、たしかに……受け取りました……討伐の件……しかと父に伝えます……」

 

ルルティエと呼ばれた娘、実は姫らしい。

 

「某は別件にて失礼する。護衛の者もすぐに戻る故、それまでは其方達に頼みたいが……」

 

「ふむ。まるで俺が最初から受けることがわかっているかのような言い方だな。普通、一國の姫を任せるにしては随分信用ならない相手ではないか?」

 

「其方はそのような人物ではないだろう」

 

「ほぉ、まるで俺のことをよく知っているみたいだ」

 

「そう感じただけのこと。では、失礼する。全軍撤退!」

 

オシュトル率いる軍は来た道を引き返して行った。

あの男の顔、何処かで……。

だがまぁ気のせいだろう。この世界に自分以外の人間が残っているはずがないのだから。

 

 




アルルゥが当たらない(泣)


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帝都『白楼閣』

不定期更新です。


 

 

 

あの一件から何事もなく十日程の旅路は賑やかになった。

 

ルルティエとウコンという無精髭の偉丈夫、不思議な外套の二人組、顔が真っ白な貴人と傭兵達が旅路を共にすることになったからだ。ルルティエ姫は帝都に帝への献上の品を輸送していた最中らしく、偶然にも目的地が同じだった彼女と意気投合したクオンは同行を提案したのである。何やら打算めいた考えがあったように思うが自分には判る筈もなかった。

 

そして、帝都に近づくにつれ行き交う人達も増えていく。自分と同じく旅人であったり、商人の旅団もあれば、傭兵達が行軍をしていることもあった。

 

「見えてきたぜ」

 

なだらかな丘を越えようとしていた時、先頭を行くウコンが振り返り自分達にそう告げる。ちょうど丘の頂上に着いた時、見下ろした景色に絶句した。

 

「……まぁ、これはとても素晴らしい景色ですね、ヨミさま」

 

普段、おっとりとした雰囲気に表情のフミルィルが驚きに目を見開く。何故か自分の手を握って離さない彼女に苦笑しながらも、帝都を見て最初に思った感想を口にした。

 

「あぁ、確かにこれは驚いた」

 

丘より先に広がるのは外壁に囲まれた巨大な町。トゥスクルと比べても比較にはならないだろうその大きさは果てが見えるかどうか。その國の大きさは富と繁栄、この國の皇が優れている事を表す。建築物の一つ一つがしっかりとしており立派だと窺える。

 

「見て、ヨミ。あれ……」

 

そんな中、ヨハネが指差したのは帝都に聳える白く巨大で山のような建造物。家、とは呼べない代物であり、獣人の文化を見るにそれはあまりにも異質であった。オンカミヤムカイに似たような建造物があったような気もするが、それは現代での技術では到底建設が不可能であり、遺跡にも似ている。

 

そして、ヨハネが帝都を指差したように、俺の隣に外套を被った二人組が頬を指で突いてふにふにと遊んでいる。出会った当初から物珍しそうにずっと頰を弄ばれている。

 

「あれは聖廟だ。ニイちゃん」

 

「聖廟?」

 

「祭壇みてぇなもんだな。祭事をやることもあるし、まぁこの國のシンボルみてぇなもんだ」

 

確かに目立つ。國のシンボルとしては充分過ぎるくらいだ。オンカミヤムカイにも似たようなものがある。彼女達が祀るのはウィツアルネミテアであり、帝ではないが。

 

「行くぜ、ニイちゃん」

 

二人組を気にした様子もなく、ウコンが丘を下り始めた。

 

 

 

丘を下り門の前に来ると帝都の壮大さがより際立つ事になる。丘の上から見ていた帝都の門と外壁は想像以上に大きく、まるで外敵を拒むかのように聳え立つ。

正面門は旧時代の文献にあった古い建物のように、壮大ながらも豪華な装飾はなく、朱に彩られるばかりで落ち着いた雰囲気を感じさせる。

 

「まぁ、広いですね〜」

 

門を潜りフミルィルが間延びした声で感嘆の息をほぅと吐く。その先に広がっていたのは、丘の上から見た時とはまた違った景色だ。トゥスクルには見られない立派な造りの建物が無数に並び、大通りには石畳が敷かれている。

行き交う人々は皆笑顔で、露店等も建ち並ぶ。トゥスクルでは珍しい光景なのかフミルィルは物珍しそうに露店の一つを指差した。

 

「ヨミ様、あれはなんですか?」

 

「串焼きの屋台のようだな」

 

「屋台、ですか……?」

 

そういえばトゥスクルで屋台を見たことはなかったか。昔と変わらず『屋台』という文化が存在しないのだろう。しかし、歴史は消えても発想は似通っているのか、屋台車に暖簾を垂らした香ばしい匂いを放つそれを見て小首を傾げた。

 

「とてもいい匂いがします」

 

「食べ物を売っているからな」

 

「うふふ、不思議ですね〜」

 

フミルィルの尻尾がリズミカルに揺れる。しなやかで美しい少女の尻尾が。

 

「さて、俺達は大内裏まで荷を運ばなきゃいけねぇわけだが。ニイちゃん達はこの後どうするんでい?」

 

ふりふりと揺れる尻尾に見惚れているとウコンが今後の予定を聞いてくる。「ニイちゃんも飽きねぇなあ」と呆れられている気がするが、その質問に応えたのはクオンだ。

 

「まずは寝床の確保かな。都を見物しながら良い旅籠屋を探す予定だけど」

 

旅の定石というべきか、まぁ当然そうなる。確認する必要もないし相談がないのも納得できる、二人は全部クオンに丸投げしているのか話を一応は聞くだけ聞く姿勢だ。

 

「そうかい。良けりゃ良いとこ紹介するぜ」

 

「お気持ちは有り難いのですが、ご心配には及びません。私達、決めているところがありますので」

 

だと思ったが、ウコンの申し出をフミルィルが断った。クオンはまるで聞いていないというような表情。ヨハネは何かを察したのか「あ」と呟いて押し黙った。

 

「へぇ、なんて名前の旅籠屋なんだい」

 

「『白楼閣』という旅籠屋です」

 

「おぉ、そいつは奇遇じゃねぇか。仕事を終えると毎回その旅籠屋で宴をするのがならわしでよ、暇ならニイちゃん達も誘おうと思ってたんだ。まぁ、そっちのネェちゃん二人はニイちゃんとゆっくりしたいみてぇだが」

 

自分もあまり宴会は好きじゃない。のだが、フミルィルはころころと微笑うと手をポンと合わせてクオンから主導権を捥ぎ取りつつあった。

 

「いいですねー、宴会。楽しそうです」

 

「……ヨミにお酒を飲ませるチャンス」

 

おい、今、不穏なこと言わなかったか。

 

「飲まないぞ。飲まないからな?」

 

「なんでぇニイちゃん、酒に弱いのかい」

 

「あー、うん、まぁ……苦手な上に酔うと少しタガが外れるというか」

 

「そんなもん外しちまえ。誰も気にしねぇ」

 

ウコンの言葉に頷くわけにはいかない。ユズハとサクヤに会う前にそんな事件起こしてみろ、申し開きもないだろう。

 

 

 

 

 

 

それから色々とあったものの無事に大内裏に荷を届け、自然の豊かな区画に出た。といえど此処は街中、帝都の一部である。その中に目的の旅籠屋『白楼閣』は建っていた。

広大とは言い難いが広い敷地に大きさは他の旅籠屋とは別格、造りも何処か帝都の建物とは違いトゥスクルやその周辺諸國に近い何かを感じる。良い旅籠屋を作るために、という意思が外観から伝わってくる。きっと外観だけではなく料理や宿も素晴らしいものだろう。

 

「実はここだけの話、女将は色気があって腕っ節もすげぇらしい」

 

男同士の会話とでも言うかのようにウコンが耳打ちする。その言葉に反応したのはフミルィルとヨハネだ。フミルィルに至っては今も握っていた手を引っ張ってくる。

 

「急にどうしたんだ」

 

「ヨミ様は女の尻尾や耳に目がないそうなので」

 

返答に困る。間違いではなかった。

誰彼構わず触るわけでもないが……。

此処は一つ、何か言い訳を考えなければならないらしい。

 

「あー、ウコン、その女将はフミルィルよりも美しいか?」

 

「俺も見たことはねぇから判らねぇが……まぁ、さすがにネェちゃんほどってのはないと思うがな」

 

フミルィル程の美人がそこらにほいほいいるものならお目にかかりたいものだ。

 

「ところで、フミルィルそろそろ手を離してくれると……」

 

「あの方に、見つけたら絶対に逃すな、と言われていますので」

 

「随分と信用がないな……」

 

「……私と手を繋ぐのは嫌ですか?」

 

そして、随分と教育が行き届いているようだ。不安そうに見上げられれば良心が擽られる。美人というのもあって様になっている故の破壊力に鎖で繋がれた気分になる。悪くはないが、何があってもユズハ達は自分を逃したくないらしい。

 

「いちゃいちゃしてないでとっとと行くぞ、ニイちゃん。あいつら待ちくたびれてやがらぁ」

 

中に入ると内装は外観の落ち着いた雰囲気とは違い、とても美しく見るものを楽しませ心躍らせるものであった。まさに高級旅亭といった雰囲気で値段もそれなりにしそうだ。

 

「えっと……ねぇ、此処っていくらくらいなのかな」

 

「あー、同じ格付けの宿の五割増ってとこか?」

 

内装を見てクオンが不安げにウコンに尋ねると、そんな答えが返ってきた。その言葉にクオンの顔も微妙に引き攣る。

 

「うぐ……でも、一部屋くらいなら……」

 

金勘定を脳内で始めたクオンにウコンも苦笑しつつ、無精髭を摩りながら後付けをする。

 

「だがまぁネェちゃんなら気に入ると思うぜ。どうせあいつらもう始めてやがるだろうし来な、値段が割高な理由の一つを紹介してやるよ」

 

そう言われてウコンについて行く廊下の途中、覚えのある懐かしき香りが鼻腔を擽った。

 

「嘘……まさか……」

 

何やらクオンも気づいたようである。その正体に。証拠に彼女の尻尾はご機嫌に揺れながら足取りもウコンを追い越さぬ勢いで、今にも走り出したいのを堪えながら追随しているようだった。

 

「ついたぜ、ここだ」

 

ウコンが一つの扉をクオンに開けるように促す。

すると間髪入れずに彼女が思い切り扉を開け放った。

扉の向こうからは朦々と白い湯気が立ち込める。

その部屋はかなりの大部屋であった。

木材で組まれた巨大な浴槽があり、それには並々と溢れそうなほどお湯が溜められている。

 

「おぉ、風呂か!」

 

懐かしき浴槽のある風呂である。

この國にはないものだとばかり思っていた。

 

「…これがお風呂…初めて見ました……」

 

やはり、ヤマトやクジュウリにはこのような風呂はないのだろう。ルルティエが物珍しそうに浴槽を見つめている。

 

「さて、どうでぇニイちゃん。パァーッとやる前に此処で一汗流してくのは」

 

「そうだな。そうしよう」

 

久しぶりにまともな風呂に宴よりも心躍る。

食事も好きだが、風呂は同じくらい好きだ。

 

「お湯……」

 

俺が歓喜に打ち震えている中、自分よりも歓喜に打ち震えている獣人がいた。三人娘のうちのクオン嬢である。何やら虚ろな眼で浴槽に近づくと手でお湯を掬っては浴槽に溢した。

 

「うふふ…うふふふ…うふふふふふ……!」

 

何やら妖しい笑みを浮かべるクオン。その様子を見てウコンとルルティエが訝しげな顔をする。

 

–––次の瞬間。

 

ぽーん、と服を脱ぎ捨て一糸纏わぬ姿でお風呂に突貫した。

 

「ク、クオン様……?」

 

「あらまぁ、クーちゃん」

 

そしてそのまま湯船に飛び込み、お湯を掬っては跳ね飛ばしたりと水遊びでもするかのようにはしゃぐ娘を見て、俺はなんとも言えない表情をしてしまう。随分と前からお風呂好きなのは知っていたがまさか此処までとは……。脱ぎ散らかしたクオンの服を回収するフミルィルの普段の関係が如実に現れ、微笑ましくも苦笑してしまう。

 

「さて、ウコンよ覚悟はできてるだろうなぁ?」

 

だが、娘の裸を見たとあっては別だ。

横にいるはずの男に視線を向ければ既に奴は……。

 

「ほう、賢明な判断だ」

 

「脱ぐ前からいなかった」

 

「そうか。ならいい」

 

ヨハネはしっかりとウコンの行方を追っているようで、その耳はピコピコと動きながら遠ざかって行く男の音を探知していた。逃げ足の早い奴である。もし見たとあらば、記憶どころか存在を消すまでに至ったかも知れん。

 

「もぅ、クーちゃん。はしたないですよ」

 

「ん?もうフミルィル、お風呂では服を脱がないとダメだよ」

 

「いや、あの、クーちゃん?」

 

「私が脱がしてあげる」

 

服を回収し終えたフミルィルがクオンに近寄ると、彼女の着ている服に手を掛けて一瞬にして脱がしてしまった。フミルィルの豊満で肉付きの良い引き締まった躰が露わになる。細く長い腕、白い肌、柔らかな曲線を描く谷間のある大きな胸、色っぽい鎖骨、腰からお尻にかけての括れ、お尻から太腿にかけての緩やかかつ芸術的な曲線に、美しい脚、そしてその間までもが全部。

 

「もぅ、クーちゃんったら……」

 

ちらりと恥ずかしそうにフミルィルが此方を見る。色気のある表情でクスリと微笑み、誘惑してくるものだから堪ったものではない。もっとも意識しているかどうかは不明だが。

 

「ルルティエもこっちにおいでよ!」

 

「え、あの……?」

 

ちらりと傍にいた俺を見るルルティエ。

 

「俺は男風呂に入って来るから、遠慮せず入るといい」

 

少なくとも数日はこの宿の厄介になりそうである。そう思いながら、風呂場を後にした。

 




ハクがウコンからアンちゃん呼びだったはずなので主人公はニイちゃん呼び。


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縁と宴

昨日書けたけど、削除して書き直してを繰り返してました。


 

 

 

女性の身支度は長い時間が掛かるとは言うがまさにその通りであった。風呂上がりに女子衆が持って来た牛の乳に似ている飲み物を飲みながら、待つこと一時間。ようやく満足したのか出て来た三人娘とルルティエの色艶は良くなっており、微かな甘い香りがしてくる。そんな四人の娘達を連れて、ウコンに呼ばれた野菊の間を目指した。

 

建物を仕事中だった女子衆に案内してもらい、野菊の間へ。すると広間に入って来た自分に気付いてウコンが片腕を上げ、酔って陽気な声を上げた。

 

「此処だニイちゃん!」

 

既に酔い始めているウコンと男衆。一番酔っているのは顔面白塗りの貴族の男マロロのようだが、あまり絡まれるのも嫌なので横目に逃げつつウコンのところへ寄った。

 

「随分長かったなぁニイちゃん。もしかして、お楽しみだったかい?」

 

「お楽しみってなぁ……」

 

「女に恥搔かすのはいただけねぇなぁ。ほれ」

 

そういう関係ではない。「無理に来なくても良かったんだぞ?」と言葉に出さないまでもニヤリと笑うウコンに苦笑いしていると、何を勘違いしたのか盃を渡されてしまった。

 

「だから、俺は飲まないと……」

 

「まぁそう言わずに付き合ってくれよ。一献くらい」

 

あれよあれよという間に盃に酒が注がれる。その時点で顔は引き攣っていた。

そこに助け舟を出してくれたのがクオン、彼女が盃を奪いぐいと飲み干してしまった。

 

「ダメだよ。嫌がっている人に無理矢理飲ませたら」

 

「ま、そいつもちげぇねぇか」

 

女に叱られたとあっては引き下がるしかないと思ったのかウコンは易々と引き下がる。きっと今までは冗談か何かと思っていたのだろう、酒飲み達の思考はよく判らん。

 

それと酒を美味しそうに飲むクオンを見ていると、本当に自分の娘か疑わしくなってくる。

 

「それじゃあ、帝都に無事帰って来た祝いに乾杯だ!」

 

ウコンの音頭に合わせて気の良い奴らが盃や徳利を高々と掲げる。こういうノリはあまり得意ではないので、敢えて苦笑いで受け流すことにした。

 

「それではヨミ様、どうぞ」

 

場の勢いを見守っていると右側にいたフミルィルが盃を渡してくる。ついまた突き返せずに受け取ってしまい、彼女が徳利から注ごうとした酒を避けてしまった。当然、避けた酒は盃に注がれず、盆に溢れる。

悲しい顔をしたフミルィルがシュンと落ち込んだところで、ぼそりと小さな声でこう呟いた。

 

「……意地悪をするヨミ様にはもう尻尾を触らせてあげません」

 

「わかった。わかったから。一杯だけな」

 

フミルィルの尻尾を引き合いに出されては折れるしかなく、それもこんな美人に酌をされて飲まないという選択肢はなくなり渋々盃で酒を受けた。

 

覚悟を決めて一口飲む。

すると酒ではない何か甘い飲み物の味がした。

狐に摘まれたような気分で盃を膳に置く。

すると、その盃を持ってフミルィルが催促してきた。

 

「では、ヨミ様」

 

「ん、ああ」

 

返礼に盃をいっぱいにしてやる。と、フミルィルは一気に飲み干した。

 

「……フミルィル、はしたない娘」

 

拗ねたようにヨハネがぼそりと嫌味を呟いた。その視線はフミルィルの持つ盃に向けられており、首を傾げてフミルィルはすぐさまその事実に気づいた。

 

「うふふ、もう飲まれないようなので洗い物を増やすのも悪いじゃないですか」

 

「……むぅ。負けた」

 

何やら場外乱闘が行われているが無視してもいいだろう。

 

「ハッハッハ。モテるねぇニイちゃん」

 

此方からすれば、とても複雑な気分で笑い事ではないのだが。

他人の事を酒の肴にしながら、ウコンが盃を掲げる。

 

「しかしまぁニイちゃんも女には弱いんだな」

 

「素っ裸で戦に行くようなものだな」

 

「ガッハッハッハ–––!!」

 

中身は果実水だったが。あまり先程の事を気にしていないのかウコンは上機嫌に盃を煽る。空になった盃にせめてものお詫びとして、酒瓶から並々と酒を注いでやっている時、

 

「おぉ?」

 

不意に、座敷の襖が勢い良く開け放たれた。

 

その先にいたのは小柄な少女。まだ花開く前の蕾で将来が楽しみな可愛い娘だった。

 

「待ってました!」

 

「ネ、コ、ネ、ちゃーん!!」

 

気味の悪い歓声。黄色い歓声ならぬ、黄土色と言っても過言ではない少しおかしな男衆の盛り上がり、まるでアイドルが来たとでも言わんばかりの歓声に改めて見ると、なるほど確かに持ち上げたくなるのも判らんでもない。将来有望な少女の登場にざわめき立つのも納得というものだ。

 

そして、ネコネと呼ばれた少女はある一角を一瞥すると此方にズンズンと歩いて来た。

 

「……何をしているですか」

 

ジトリとした目に冷たい声で、少女はウコンに苦言を漏らした。叱り付けているようにも見える。不機嫌そうな表情が何よりの証拠だ。

 

「おうネコネ!ちょうど良いとこに来たなぁ」

 

だが、対峙しているウコンは気にした様子もない。自分が同じ立場なら心当たりがなくても酔いの一つは覚めてしまうだろう。

 

「兄様、しばらくぶりに帝都に帰って来たと思ったら報告も引き継ぎもなく家にも帰らずこんなところで飲んだくれているなんていったいどういうつもりなのです」

 

『報告もなく』『家にも帰らず』という言葉が流れ弾として俺にも突き刺さった。出来るなら自分も早く、トゥスクルに文を出したいところなのだが、その機会が今日までなかったのだ。明日には文の一つも出せるであろう。

 

「それなら他のやつに頼んどいたから大丈夫だろう」

 

「あんな影武者に頼むのではなく、自分でしてくれないと困るのです!」

 

しかし、ウコンの方に悪びれた様子はなさそうだ。反省する気は毛頭ないらしい。

 

「まぁ、そう言うなって。それよりも今は皆を労って新しい仲間の歓迎会の方が大事だ」

 

そう言ってちらりと此方を見た。共犯にする気なのだろう。だが、少女の言い分が判らないわけではなく、自分の心にも響く言葉だったのでウコンを裏切ることにした。

 

「あー、そのなんだ。報告や家に帰るのは大事だぞ。仕事はともかく、家族と会えるうちに会っておかないと後悔することもあるからな」

 

それはトゥスクルにいるユズハ達のことか、昔失ってしまった姉と姪のことであったのかは自分でも判らなかった。きっと両方のことを言ってしまったんだと後になって思う。

 

「…………」

 

気がつけば無言で皆の視線が集められていた。

少女に至っては、少し驚いたような顔をしている。

 

「……驚いたのです。兄様がこんなまともな人を連れてくるなんて」

 

言葉には悲壮感が伴っていた。

 

「前に兄様が連れて来た人と言えば、ゴミ蟲のような方でしたし仕事はしない上に飲んだくれでどうしようもない人だったのです」

 

いったいどんなヒトと会えばあんな毒舌を吐けるのか、その人物に会ってみたいものである。

 

しかし、自分の事を棚に上げたのも事実、そろそろトゥスクルに文の一つでも出そうかと思っている。明日辺りなんとか書いてみないことには出すものも出せない。

 

 

 

–––その時、また座敷の襖が開いた。

 

 

 

「ウコォォォォォンン!!」

 

罵声と共に入ってきたのは深い緑が掛かったように見える黒髪の青年だった。ドカドカと座敷に入ってきては名前の主を見つけると大股で歩いてくる。そして、酔いに酔っているその者の側に来ると、大声で怒鳴った。

 

「おまえのせいで散々だったぞ!座ってればいい楽な仕事だと言うから受けてみれば、おまえは帰ってくるなり厄介事を押し付けて飲みに行きやがって!」

 

「あー、すまんなアンちゃん。まぁちょいと座って飲もうぜ」

 

そう促されて青年は座った。盃を受け取り酒瓶から酒を注がれて一気に飲み干す。美味いと一言、そして再び注がれた酒を飲んで親父っぽい声を出す。

 

「くぅー、美味いっ」

 

「紹介するぜニイちゃん。この男はハクって言って……なんというか、そのなんだ……仕事仲間でよ」

 

「って、なんかえらい見慣れない顔が……あ」

 

酒に夢中だった青年が此方に気づいた。

自分の顔を見て、驚いた顔で此方を凝視した。

 

「……よ、ヨミナ?」

 

「なんでぇ、アンちゃん達知り合いかい?」

 

そんな筈はない。

どちらもが思ったことである。

だが、普通に考えて。

その余計な一言を口にした。

 

「義姉さんにそっくりで、獣人の美人を侍らせてる……やっぱりおまえヨミナか?」

 

大いなる父の様相をした人はこの世界に片手で数えられるほどしか見たことはない。そして、事実、目の前の青年には獣耳もなければ尻尾もない。高確率で獣人ではないのなら、彼もまた『大いなる父』と呼ばれた旧時代の人間だ。

 

「……まさかこんな世界で、あんたに会うことになるとはな」

 

はて、名前はなんだったか。顔に覚えはある。だが、姉の結婚した相手の弟とあって、あまり交流がなかったものだから殆ど相手のことは知らないのだ。

ハク、と名乗っているようなのでそう呼ばせてもらおう。

 

「そりゃこっちの台詞だ。てっきり自分と兄貴以外全員死んだものだと……」

 

「……おい、今なんて言った?」

 

聞き逃したわけではない。

ハクの言葉が信じられなかった。

 

「だから、自分と兄貴以外は……」

 

「あの野郎が生きてやがるのか」

 

フミルィルが作ってくれたアマム巻きを咀嚼する。

モキュモキュと食べながら、嫌なことを聞いたと顔を顰めた。

 

「ところで二人は何処で知り合ったのです?」

 

そんな時、ネコネが興味津々に会話に入ってきた。興味というよりは純粋な疑問という感じがする。

 

「あぁ、なんていうか……義兄弟?」

 

「今じゃ赤の他人だがな」

 

姉がいない今、自分達に繋がりはない。

 

「……信じられないのです」

 

宴会の場に妙な空気が流れ始めた時、ぼそりと驚愕した言葉を放ったのはウコンの妹であるネコネであった。その言葉の真意は何かと考えていると、答えは彼女の口から出た。

 

「まさか、ハクさんの弟だなんて……」

 

「おい待てどういう意味だ」

 

ハクが言及すると、辛辣な言葉をネコネは吐き出す。

 

「そのままの意味なのです。まさかハクさんの身内にこんなまともな人がいるなんて思いもしなかったので」

 

「……なぁ、俺とこいつの扱い違いすぎないか」

 

肩を落とすハク。日頃の行いが悪いせいなのだろう。しかしすぐに気を取り直して酒を美味そうに飲んだ。

 

「そうだ。兄貴に教えたらきっと喜ぶぞ」

 

「俺は会いたくないね」

 

「なんでだよ?」

 

「ハク、俺が義兄を嫌っていることは知っているだろう」

 

それだけ告げて立ち上がる。食事もしたし酒は飲めないし長居する用もない。それよりユズハとサクヤにどう手紙を書けばいいかの方が問題だった。

 

「俺は先に部屋に戻る」

 

フミルィル達に向かって言い残すと宴会場を後にした。

 

 

 

 

 

 

月明かりの射し込む部屋で一人、紙を前に筆を持ち思い悩む。

 

道具は全て最初から用意されていた。まるで自分が誰かに手紙を書くことが判っていたかのように、数枚の紙と筆が予め机の上に準備されていた。紙は旧人類がいた時よりは数段劣るし、筆も少し良いばかりで原始的。更に言うならば、基本は紙ではなくデータのやり取りが主流だったため、今ではかなり珍しい。こんな世界で意味のない話だろうが。

 

だが、何かを伝えるという手段に“手紙”は最適だった。

 

しかし、書くと決めたものの一向に手がつかない。何を書けばいいか判らずしばらくの間月を眺めていると、小さな足音が部屋の中に入ってきた。

 

「フミルィルか……」

 

振り返ると彼女がいた。まだ騒がしく宴会をやっている筈だが、抜け出して来たようで楚々とした動作で隣に腰を下ろした。

 

「トゥスクルに送る手紙ですか?」

 

「そうだ」

 

「ユズハ様とサクヤ様に」

 

「あぁ」

 

そうは言ったもののまだ一文字も書けていない。何を書いていいか判らず、こうして何度も筆を手にしては下ろす行為を繰り返している。

 

「ヨミ様はハク様と仲が悪いんですか?」

 

そうして何度も筆で遊んでいるとフミルィルは唐突にそんなことを聞いてきた。興味があったのか尻尾がゆらりと揺れる。ふわふわで艶々な尻尾が腕を撫でた。

 

「仲が悪いというか……苦手だな」

 

「では、ハク様のお兄様の方は」

 

「嫌いだ」

 

はっきりと断言する。

その理由はすらすらと出てきた。

 

「科学者と書いてヒトデナシと呼ばれる連中だからな。そんな相手が姉の婚約者など不愉快極まりない話だったよ」

 

そして、自分もまたヒトデナシの仲間である。

 

「ヨミ様」

 

フミルィルが自分を呼んだ。

その声に少しだけ癒された気がした。

宴会の喧騒が、心のざわめきが全て打ち消される。

鈴の音のような声で俺の名を。

 

「書けないなら、一緒に書きましょう。私がお手伝いしますから」

 

まだ一文字も書けていない紙を前に、フミルィルがそう言って俺に筆を持たせる。そして、その上から手を重ね合わせる。背中にしなだれるような形で手を伸ばしているものだから、彼女の胸が背中に当たる。非常に書きづらいのだが。

 

「あの、フミルィルさん……?」

 

そんな自分の抗議も無視して、フミルィルは筆を動かし始めた。

 

 




見ての通りハクは既に帝都に居ます。


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白楼閣の主

ユズハさん星四にしてきました。


 

 

 

長い夜が明けた。

 

朝日が射し込む部屋に筆を置く音が響く。

徹夜して書き上げた手紙はそれなりに出来は良いと思う。

幾度となく書き直したし、それなりに悩み抜いた。

上手く文に纏まらなかったが、足りなければ言葉で伝えればいい。

手紙だけには想いが収まらなかった。

それも仕方なく、そしてそれほどまでに自分は愛していた。

 

「一応は形になったな」

 

徹夜して変な気分になっているが何処もおかしくはないと思う。正常な判断が下せないのが難点だが、疾くこの手紙をトゥスクルに……ユズハ達に出したくて仕方がなかった。

 

–––会いに行けばいい。

 

そう思うかもしれないが、此方にも事情がある。

ヤマト國の帝都にいる。

それさえ伝われば、きっと彼女達はすぐにでも来てくれるだろう。

もし来なかったら、多分その時は愛想を尽かされた時だ。

 

それもまた仕方がないかもしれない。

 

もう十数年は待たせているのだ。

ユズハを、サクヤを。

 

「さて、さっさと出すか……」

 

あとは出すだけ。と、思ったところで–––。

 

「……そういえばどうやって出せばいいんだ?」

 

とある問題に気づいた。

 

この世界に手紙という連絡手段はあるかと聞かれれば、答えは『ある』。それは世間一般的な手段ではなく、國同士の書簡による通達のようなもので一般ではまず使わないものだ。つまり、個人的なやり取りで手紙を用いる事はない。そして、似たようなものといえば先刻見たであろう、ルルティエがオシュトル宛に届けた書簡だ。あれもまた類似したものである。

 

……そして、この場においてトゥスクルに手紙を届ける手段は旅の者に頼むか、トゥスクルへ行く行商人に任せるしかない。まずはそれを探すところから始めなければいけないのだ。

 

「……んぅ。うふふ、書けたんですか?」

 

その時、部屋の片隅に布団を敷いて眠っていたフミルィルが目を覚ました。寝惚け眼を擦り起き上がると腕を伸ばして伸びをする。ゆったりと胸が揺れ視線は吸い寄せられた。

 

「今終えたところだ。が、どうやって手紙を出せばいいんだ?」

 

視線を逸らしつつ尋ねる。するとフミルィルは数分顎に指を当て、黙考すると口を開いた。

 

「白楼閣の主に頼めば、きっと届けてくれると思います」

 

「なるほど……?」

 

徹夜には慣れたものだったが、徹夜した脳ではトゥスクルにどうして届くのかまでは考えられなかった。

 

 

 

朝食を食べてからフミルィルと白楼閣の廊下を歩く。適当な女子衆を見つけて白楼閣の主の居場所を聞くためだ。そして、手ぶらで何処かに向かっている女子衆を見つけると声を掛けた。

 

「すまないが白楼閣の主は何処にいる?」

 

「えっと、さぁ……?」

 

聞けばそんな答えが返ってきた。詳しく話を聞くと白楼閣の主の居場所を知っているのは白楼閣の女子衆でも数人ほどらしい。その女子衆を見つけなければいけない。それにその女子衆は白楼閣の主の姿を一度も見たことがなく、面識があるのは女子衆の中でも数人ほどだという。

 

「あー、そこの女子衆さん?」

 

「は、はい……うぇっ!?」

 

手当たり次第に女子衆に声を掛けて二桁に達しようとした時だった。俺の顔を見た女子衆が悲鳴を上げた。酷く驚いたようなそんな声で、まじまじと自分の顔を見つめる。

 

「よ、ヨミナ殿……?」

 

「はて、何処かで会ったか?」

 

自分の名前を女子衆が呼んだが生憎とこんな美人に面識はない。素敵な獣耳なら覚えているが、この都には昨日初めて来たのだ。何処かですれ違ったにしても、此処まで覚えがないのもおかしい。

改めて顔を近づけると女子衆は顔を逸らした。正面に回ると女子衆がサッと顔を逸らす。鬼ごっこを何回か続けて、両の手で頰を挟んで間近に顔を見つめる。

 

「ひにゃっ!?」

 

「……ん?トウカか?」

 

「あらまぁ、トウカ様ですか。お久しぶりです」

 

昔と比べて随分と大人っぽい顔立ちになった所為か気づくのが遅れたが、この特徴的な耳はエヴェンクルガの物であり、その知り合いとあらば浮かぶのは一人の女剣士。トウカがそこにいた。何故か女子衆と同じ姿で。

 

「ち、近いです。近いですから!」

 

「あ、すまん」

 

頰を赤くしたトウカが慌てて俺の胸を手で押しやる。

頰を離してやると、胸を押さえて一息ついた彼女と対面した。

 

「久しぶりだな」

 

「あ、はい、ヨミナ殿もご健勝で何より–––って、なんでこんなところにいるんですか!?」

 

「なんで、と言われてもな……」

 

「フミルィルまで……」

 

これまでのあらすじ、とクオン達にコールドスリープから叩き起こされて旅をしていた話をして、娘達から目を離せないことを伝えるとトウカは難しい顔をした。

 

「はぁ、それで……トゥスクルには帰れなかったと。しかし、ユズハやサクヤはきっと貴方の事を待っていますよ」

 

「だから手紙をトゥスクルに送ろうと思ってな」

 

「そんなまどろっこしいことをせず、皆で帰ればよいではないですか」

 

トウカの主張は一理ある。同意するようにフミルィルがクスクスと微笑う。だが、そこには現実的な問題が存在する。

 

「きっとクオンだって母親にヨミナ殿を会わせたいはず。今更、帰るのが嫌などと言わないでしょう」

 

「……そうだけど」

 

言い渋る俺に怪訝な表情のトウカ、自分は間違ったことを言ったか?と首を傾げてハッとその可能性に気づいた。

 

「まさかクオンに自分が父親だということを告げてないのですか!?」

 

トウカが驚きを露わに白楼閣にその事実を漏らした。慌てて口を塞ぐ俺だが、本当に何やってるんだろうと思う。いっそこれが原因でバレたら楽なのだが、運が良いのか悪いのか、クオンの気配は近くにない。

 

「バカ、聞こえるだろうっ」

 

「むぐ、いや、しかし……」

 

並々ならぬ思いがトウカにもあるようで何か言いたげに口を窄める。数秒葛藤した後、ため息を一つ吐いて肩を落とした。

 

「取り敢えず、手紙を出すという話でしたらカルラに相談してみるといい」

 

「カルラも此処にいるのか?」

 

「案内しましょう」

 

そう言ってトウカは白楼閣の廊下を進んで行った。

 

 

 

白楼閣は歪な作りだ。廊下と階段が入り組みかなり複雑な形をしている。階段は繋がっていない。敵に攻め込まれた時、敵が迷うように廊下を張り巡らせ、更には階段の位置を離しておくことで相手の侵攻を遅らせる意図があるように思うのだ。それはつまり敵からの強襲を想定して造られたということだ。

 

この楼閣の主はかなり用心深い人物らしく、彼女の過去を知る者であらば『白楼閣』の造りがどうしてこうなっているのかも容易に判ってしまうだろう。

 

自分もカルラがこの楼閣を造ったと言われて、ようやく納得できた。

 

「えっと、しばしお待ちを……」

 

そして、最上階。眺望できる楼閣の最高階層に到達した。この先に階段はなく事実上、此処が白楼閣の最上階であることが窺える。他に部屋はなく帝都を一望できる開けた部屋があるのみ。その部屋の壁面にある奇妙な模様の壁にトウカが座り込み、何やら彼女は壁を弄り始めた。

 

「うーん、あれ?此処をこうして……」

 

よく見れば奇妙な壁の模様は木の細工で四角い木片が幾つも並んでできていたものだ。その木片をトウカが並び替えているが一向に完成する気配がない。こういうのはからっきしなのか何度も間違えては挑戦している。

 

「ちょっと変わってくれないか」

 

悩んでいるトウカを押し除けて細工に挑む。

 

「ふむ、簡単だな」

 

パチパチと木片を動かして、壁の模様がものの数秒で完成すると最後の一片でカチリと何かが噛み合う音がした。その音の直後、近くに階段が降りて更に先の部屋が姿を現す。

 

「随分と用心深い女だな」

 

トウカに先導され、俺達は階段を上がった。

 

 

 

 

 

 

階段の先にあったのは香煙の靡く怪しげな部屋だった。灯は小さく薄暗く、部屋の内装に数点の調度品が並び、トゥスクルにいた頃のカルラの印象とはまるで違った。大人の雰囲気である。毎晩、月夜で盃を傾けては飲んだくれていた女とは思えない部屋の内装に面食らいつつ、部屋の主を探す。

 

「あら、これは随分と懐かしいお客様ね」

 

声の方に視線を向けると、獣の皮を敷き詰めた一角で長椅子に躰を預けてくつろぎ、盃を傾ける女性がいた。妖艶でしなやかな肢体を晒して悠然とした態度だが、その表情は驚いているようだった。

 

「懐かしいか。変わらないな」

 

「あら、これでも少しは変わったつもりですのよ」

 

「綺麗にはなったと思うが、内面の話だ」

 

昔と比べて大人の女性の色気というか……。カルラの魅力がより一層強くなったとは思う。しかし、酒を朝昼晩飲んでいる飲んだくれというところは変わらない。そう告げるとカルラは照れたようにそっぽを向いた。

 

「そういうのはあの子に言ってあげなさいな」

 

呆れた声音で叱咤すると、盃を傾ける。

 

「それであなたが此処にいる、ということは……クオンにはまだ……」

 

そして全てお見通しらしい。呆れ半分だった彼女はため息と共に言葉を締め括る。

 

「今更、父親面するのもどうかと思ってな」

 

「でも、いつかは言わなければいけませんわよ。私達が口出しすることではありませんけど」

 

それは判っている。うんうん、と頷くトウカを尻目にカルラは付け足す。口出ししかねないトウカに釘を刺すような物言いに俺は感謝しつつしかと心に受け止めた。

 

「それにしてもよくこの白楼閣に来ましたわね」

 

この話は終わりと言わんばかりにカルラは話題を変えた。

その瞳は何か確信があるかのようにフミルィルを見据える。

 

「はい、ウルお母様に『白楼閣』のお話を聞いてきたんです」

 

和やかに応えるフミルィルに、道理で……とカルラは言葉を零した。

 

「まさか私に会うためだけに此処に来たわけではないですのよね」

 

「あぁ、実はトゥスクルに手紙を出したくてな」

 

「ユズハとサクヤにですわね」

 

話が疾くて助かる。書き上げた手紙を俺が一通、フミルィルが一通、それぞれ取り出す。カルラに預けると考え込むように虚空を見つめて薄く頰を吊り上げた。まるで、これから楽しいことが待っていると言わんばかりの表情に不安が募る。

 

「トウカ、一番速いのは貴方?」

 

「いや、某が届けるよりあの双子の方がより正確で疾いと思うが……」

 

「ちょうど近くに居るみたいだし。なら、少し私もトゥスクルに手紙を出そうかしら。そうね、アルルゥかカミュ辺りに。纏めて今日中に送っておくから安心なさいな」

 

これで一応はトゥスクルに手紙が届くだろう。安堵すると共に、肩の荷が少し降りたような気がした。そんな自分にカルラが含み笑いを向ける。

 

「それにしてもトゥスクルに直接帰らなくてよかったですわね」

 

とても愉しげな笑みだ。盃の中の酒を回して弄ぶ。白く濁った酒が波のように揺れる、その様子を少し眺めてから口に運んだ。

 

「あの國で貴方を知らない者はいない。國内中に指名手配されていて、入れば速攻でオンカミヤリューに捕捉されて捕縛されますもの」

 

「おい待て何故そんなことになっているっ!?」

 

物騒な事を言い放つカルラに詰め寄る。長椅子が二人分の体重を受けてギシギシと軋み、カルラが酒瓶から盃に酒精を注ぎながら懐かしむように語る。

 

「オンカミヤリューの皇族にのみ伝わるお話はご存知?」

 

「あー、あれか。解放者とかいう……」

 

ウィツアルネミテアであるハクオロと、大いなる父でありながら科学者を大量殺害した自分、二人は解放者として崇め奉られている。その話が脳裏を過った。しかし、カルラは首を横に振る。

 

「それではなく、もう一つあるんですのよ。始祖が掲げたもう一つの決まり事が。随分と昔にあの子が話してくれましたわ」

 

勿体ぶって言葉を区切り、カルラは酒を含む。

ニヤニヤと実に愉しげだ。

ついには堪え切れなくなり、上品に笑う。

その姿はとても様になっていた。

自分の事でなければどんなに良かったか。

悪魔のようで魅力的な笑みを彼女は浮かべた。

 

「ウルトリィは昔から言ってましたわ。オンカミヤリューの皇女たるもの、うたわれるものを見つけたならその者に添い遂げよ。この意味貴方ならわかりますわよね?」

 

「いや、待て……それなら相手はハクオロだろう」

 

俺がオンカミヤリュー総出で追われる理由にはならない。『うたわれるもの』が大神と大いなる父、ハクオロと自分であるとするとして、どちらでもいいならハクオロを選ぶべきだ。少なくともあいつは行方知れずな訳ではないし、条件にも合っているだろう。

 

「それにウルが好意を寄せていたのはハクオロだろう?」

 

これは自信を持って言える。というか、そうでなければ困る。ただでさえあの翼は反則的なほど魅力的なのだから。

 

しかし、何故か呆れた様子のカルラの口から漏れるのは溜息ばかり。

 

「勘違いも甚だしいですわね。貴方、オンカミヤリューの始祖が誰かご存知でしょう」

 

……そう。妙な掟を作ったのはムツミだ。とんでもない置き土産である。

 

「シャクコポルもオンカミヤリューも種族絡みで貴方の事を慕っている。昔からずっと貴方の話を聞かされてきたウルは随分と貴方に心酔していて、その上で妹を救ってもらったんですもの。当然ですわよね?」

 

「いや、あれに関して俺は何もしていないぞ」

 

ムツミがカミュの躰を勝手に返してくれた。本当に自分は何もしていない。と、言ったら謙遜とか言われるんだろう。謙遜じゃなくて事実なんだが。

 

「ウルにも選択の自由がありますわ」

 

そう言われては言い返すこともできず、話が進まないので口を噤むしかなかった。

 

「それは判った。だが、普通そこまでするか?」

 

詳しく聞けば國中で噂を知らないものは居らず、常世の使者とも呼ばれ、子供には御伽噺として恐れられ、戦場では伝説としてまことしやかに囁かれているらしい。

 

カルラは酒の肴のつもりか愉しそうに酒を飲んでいた。

実に解せない。

 

「しかし、何故そんなことに……」

 

探してくれるのはありがたいが少しやり過ぎな気もする。が、それにも理由があるようでフミルィルを一瞥すると語り出す。

 

「昔、そうねクオンが生まれて間もない頃かしら。ウルが訳有りの赤子を育てていたことがあったのだけど、親元に返されることになって感情移入しすぎたあの子が連れ去る事件がありましたのよ」

 

「……は?」

 

「それ以来貴方の事を血眼になって探してますわ」

 

どうしようもないと肩を竦めるカルラに苦笑いしか浮かばなかった。それから数分、適当な世間話をして用事を終えた俺達は次の予定があるため部屋を出る。

 

「じゃあ、またな」

 

「今度はクオン達も交えて会いましょう」

 

カルラの部屋を去り際、背中にそんな声が掛けられた。

 




もしもの話。
シャクコポル族が滅びてなかったらオンカミヤリューと協力してもっと疾く彼を探し出していたでしょう。


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二人はオシュトル

カルラかユズハで悩んだ結果、ユズハ星五にしました。
被ったノスリ七回分の御魂を素材にして。



 

 

トゥスクルへの手紙をカルラに託し色々と片付いたが、今も問題は山積みである。

 

「さて、どうやって金を稼ぐか……」

 

目下の問題としてまず上げなければいけないのが懐が寂しいという点か。この時代において金品の類は持っていない上、トゥスクルでは形として幹部的立ち位置にいたおかげで喰うには困らなかった故に、得る必要性が皆無であったのだ。あそこにいれば食事は勝手に出てくるし食べる必要性も半霊の身では必要なかった。故に資産はない。

 

しかし、よく考えれば自分は妻がいる身、そろそろ職を得て養う甲斐性というものが必要である。本当にトゥスクルにいた頃には気にしたことがなかったため、盲点であった。あれは一つの家族のような関係で居心地が良すぎたのだろう。

 

これではいけないとユズハ達が帝都へ来る前にそれなりの金銭を得ようと思ったのだが、どう稼いだものかと悩む始末。本当に不甲斐ない。

 

「カルラに職でも紹介してもらうか……?」

 

白楼閣で働かせてくれとは言わない。この時代における稼ぎ方というものを教えてもらうだけでいい。

 

「できればユズハ達が来る前にそれなりに欲しいところだな」

 

幸いにも賊を討伐したりすれば報奨金が出るようだ。

他にも探せば色々とあるだろう。

 

「ヨミ様、大丈夫ですか?」

 

思案に耽る俺の顔を覗き込み、フミルィルが心配そうな顔を見せる。

 

「あぁ、少し考え事をな」

 

「……では、はぐれたりしないように手を繋ぎましょうか♪」

 

「あ、おい」

 

「もう、ぼーっとしてるとおいてくよ」

 

しかし今はネコネが親切心で帝都を案内してくれているところだ。上の空では失礼というものだろう。フミルィルに手を引かれて、急かすクオン達のところに急いだ。

 

 

 

「で、此処は……」

 

それから帝都を散策すること一時間ほど、広大な敷地を誇る帝都を廻りきるばかりか未だに終わりが見えない。その途中で大内裏の門まで連れて行かれ、また門を潜る事になってしまった。一般庶民とは無縁の場所である。

 

「実は兄様がヨミさん達を呼んでるです」

 

そう言ってネコネが自分達を連れて来たのは前に荷を運んだ右近衛大将オシュトルの屋敷。門衛達は俺達を警戒したように睨んだ後、ネコネを見てその緊張を解き姿勢を正した。

 

「お役目ご苦労様なのです」

 

軽く頭を下げてネコネは門を潜る。その後ろを歩き俺達もオシュトルの屋敷へと足を踏み入れた。

 

ネコネ先導の下、屋敷を迷いなく歩くととある一室の前で立ち止まる。通い慣れているのかその所作は染み付いたものですれ違った兵も彼女を見ては頭を下げて挨拶をして来ていた。

おそらく、謎があるのはネコネの方にではなく兄であるウコンの方なのだろうが……考えても仕方ない事だろう。

 

「ヨミさん達をお連れしたです」

 

「入るといい」

 

部屋に向かってネコネが声を掛けると、簡素ながらも丁寧なそんな応えが返ってきた。

 

「失礼しますです」

 

果たして、その部屋の向こうには……。

 

「よく来てくれたな」

 

絵巻物や書物が整頓された部屋–––執務室の机の奥に、いつぞやの仮面の男、右近衛大将オシュトルが正座していた。

 

「はぁ、なるほど、そういうことか……」

 

だが、何故かオシュトルという男に違和感しか感じなかった。目の前にいるこの男は確かに強者だ。最初にクジュウリの辺境で見た時も只者ならぬ気配があった。しかし、それとも別物。僅かな差異に対する疑念が確信へと変わる。ただ、今この目の前にいる男が誰かと問われれば答えは二つ。

 

「ウコンとオシュトルは同一人物か」

 

「ほぅ」

 

感心したようにオシュトルが息を漏らした。

 

「随分と察しがいいなぁニイちゃん」

 

そして、随分と軽い口調笑みを浮かべれば別人の気配を放つ。顎に手をやると無精髭が姿を現し、髪を掻き乱して、最後に仮面を取ると俺が知るウコンという男に早変わりする。ただその顔はつまらなさそうではあったが。

 

「アンちゃんは気付くのに時間が掛かったってのに。……おい、アンちゃん、失敗だ」

 

オシュトルからウコンへ様変わりした彼が奥の襖に呼び掛けると、その襖が開き奥からハクが出て来る。ただしその格好はオシュトルそのもので知らない人が見れば別人とは判らないほどそっくりだ。

 

「お、オシュトル様が……二人……?」

 

襖の奥から現れたオシュトル(ハク)を見て、ルルティエが困惑する。それもそうだろう、オシュトルという男がいきなりウコンになったかと思えば、その奥からオシュトルに扮したハクが出てきたのだから。

 

「ど…どうして……?」

 

ルルティエの疑問に応えず、オシュトルは此方を見た。まるで其方の考えを言ってみよ、と言わんばかりに。

 

「理由までは判らないが二人は時々入れ替わってるんだろう。間違いなく」

 

でなければ、あの時、ネコネが『影武者』という言葉を使うはずがない。というかそもそも宴会の席で答えを言っていたようなもので、状況証拠が出揃えば誰にだって察することはできるはずだ。

 

「えと、ウコン様と……ハク様……どちらがオシュトル様で……」

 

しかし、此処まで言われてもルルティエの頭の中ではオシュトルの像が離れない。現状を理解できていないようである。

 

「あー、ルルティエ姫はまだ混乱してるようだな」

 

そりゃそうだろう。何の説明もなしにウコンの正体が露見した挙句、同じ格好をしたハクが奥から出てきたのだから。仕掛けた張本人が頰を掻いて困ったような顔をする。それを困った顔でネコネはしょうもない小細工をした二人に呆れた目を向けていた。

 

「兄様、ハクさん、そういうのは順序通りに話すです」

 

「いや、すまん。つい楽しくなっちまってよ。この前はアンちゃんが嵌められた側だから、今回は驚かしたいって言ってなぁ」

 

「ちょ、おい俺を売るのか!?」

 

潔く謝ったかと思えばウコンはハクを売り、売られたやつは動揺してあたふたと取り繕う。まぁ実際、予定にあったのはオシュトルとウコンが同一人物だという秘密を打ち明けることのみだったのだろう。

 

「多分、クジュウリの辺境で会ったのはハク……おまえだろう」

 

「なんでぇそこまで判ってるのかい」

 

「今、確信した」

 

はっきり言ってなんでもかんでんも判るわけではない。

それなりに情報がなければ、たどり着けはしなかっただろう。

 

「それよりこんな茶番をやった説明はしてもらえるんだろうな?」

 

いつの間にやらネコネが用意した茶を啜り、喉を潤す。クオンとフミルィルも驚いた様子はなく、しかしルルティエの動揺ぶりを見てクスクスと笑っていた。

 

「おうよ。ウコンとは世をしのぶ仮の姿。その正体は八柱将にして右近衛大将の役を授かる、オシュトルってのはオレのことよ」

 

堂々と宣言するウコンだが、ウコンと呼べばいいのかオシュトルと呼べばいいのか、同一人物ではあるんだが、しかし仮の姿という割には少し違和感を覚える。

 

「仮の姿ねぇ。どっちが本当の姿なんだか」

 

おそらくはどちらも本物である、というのが正解だろう。

 

「まぁそれは置いておくにしてだ。なんでオシュトルが二人いるのかって質問に答えようじゃねぇか」

 

腕を組んで、真剣な表情になってウコンは話し始める。

 

「もともとこのウコンって姿は身に余る官位に縛られる事なく動くために作った、いわば裏の姿でよ」

 

裏の割には楽しんでる、とは突っ込まない方が良いのだろうか。それ以上の説明は不要だと言わんばかりに色々と端折られている気がするがそこは放置してもいいだろう。

 

「なるほど、オシュトルでは街を歩き辛いからな」

 

「まぁ、それもあるんだが……なんでこうなっちまったのかねぇ」

 

ため息を吐いて戯けてみせるウコン、その言葉は本心であろう。

 

「故郷に錦を飾るために真面目にやってきたんだが、幸か不幸か右近衛大将なんて官位まで賜り、俺本来の目的である民と共にあるってやり方も満足にできなくなっちまった」

 

「それでウコンというわけか」

 

「おうよ。ウコンの生まれはそれだ」

 

その横でオシュトルに扮したハクがネコネを揶揄い、お茶を掛けられるという騒ぎがあったが無視をしておく。あの子を怒らせるあいつが悪い。

 

「だが、そのウコンも最近は動きづらくなってな。活躍し過ぎたのか妙に嗅ぎ回る連中が増えて、その正体を知られるのも時間の問題ってところで、とある策を思いついたわけよ」

 

「それがあのオシュトルに扮したハクか」

 

「ウコンの姿とオシュトルの姿が同時に目撃されれば疑うやつはいなくなる。って、寸法さ。それにやってみたら案外似てるしネコネを騙せるもんだから、ひょっとしたらって思ってよ。クジュウリの境で賊を捕らえた時も、アンちゃんには影武者の役をこなしてもらったわけよ。まぁそれから重宝してるがな」

 

「おい、そのせいで自分がどれだけ迷惑を被ったと……」

 

「金になるんだからいいじゃねぇか」

 

どうやらそういう協力体制であるらしい。

ハクが文句を言ってるが、軽い口調で戯れているだけに見える。

 

「–––とはいえ、だ。成り済ますのも続けていけばいつかはバレるだろうし此処らへんが潮時だろう。裏の雑務の方をアンちゃんに任せて表に戻ったはいいが、アンちゃん一人にはちょいと荷が重すぎる。そこでだ」

 

なんか嫌な予感がする。

そう思った直後に的中したことを知る。

 

「ニイちゃん達にアンちゃんの手伝いをして欲しいのよ」

 

これは右近衛大将オシュトルからの申し出か、ウコンという仮の姿からの申し出か、どちらにしても答えは一つに決まっているだろう。俺はフミルィル達に目配せをして、次にネコネと戯れているハクを見た。視線が合ったが俺は瞬時に逸らして、この間三秒ほど。

 

 

 

「–––だが断る」

 

 

 

俺ははっきりと拒絶した。

 

「なぬ!?」

 

そんな間の抜けた声を上げたのはハクである。

ウコンは難しい顔で、腕を組むばかりだ。

 

「よく考えろヨミナ、仕事を受ければこの獣耳娘までついてくるんだぞ。好きにしていいとウコンからも了承済みだ」

 

「うなっ!?」

 

「毎晩獣耳を触り放題、尻尾もだ。どうだ、欲しいだろう?」

 

それを言った直後、ネコネはハクの顔面をグーパンしていた。それから此方を見て、恥ずかしそうに顔を真っ赤にしている。

 

「報酬は弾む、と言ってもか?」

 

続けてウコンがそう漏らした。

 

「悪いが断る。自分には守らねばならないものがあるし、故郷にだって大切な人を残してきてるんだ。危ない橋は渡れない」

 

「故郷に大切な人……?」

 

ルルティエが首を傾げた。

そういえばまだ言ってなかったか。

 

「あぁ、トゥスクルに妻がいるんだ。もう何年も会っていないがな」

 

「…ヨミナ様に……妻……」

 

「お、おい?ルルティエ?」

 

何やら呆然とした様子でルルティエはそう呟き、その手に持っていた湯飲みからはお茶が垂れ流されていた。高そうな着物にシミを作っていく様を見てクオンが慌てた様子で彼女の手から湯飲みを奪い取り、フミルィルは懐から上品そうな布を取り出してまだ染み込んでいない水分を拭き取っていた。

まるで流れるような連携にヨハネが感心していた。

 

「–––あ、ごめんなさい!…ちょっと…びっくりしてしまって…」

 

「これくらいどうってことないよ。それより」

 

気になる、と好奇心を旺盛にしてクオンが此方に視線を向けた。

 

「妻がいるってどういうことかなぁ?」

 

いや、どちらかと言えば視線が冷たい。

 

「これにはトゥスクルの歴史よりも深いわけが……」

 

「へぇ、私の故郷より深いわけ、ねぇ?」

 

兎を追い詰める獅子のような顔で迫ってくるクオンに冷や汗が止まらない。何か悪いことをした覚えはないのに、何故か悪いことをした気分になるのだから女性の笑顔は怖い。

 

「–––って、おまえに妻ァ!?」

 

今度はハクが素っ頓狂な声を上げた。

 

「相手は?」

 

「トゥスクルで一番綺麗な獣耳娘だ」

 

ユズハ、と名を言うわけにはいかないのでぼかしておく。どうせ名前を言ってもハクは判らないだろうし問題はないだろう。まぁなんとなく予想はしてた、と彼は易々と納得してしまったわけだが。

 

「そこまで危ない仕事はないんだがな」

 

「だが、右近衛大将オシュトルの協力者や配下とあって、おまえに不祥事があれば真っ先に危ないのは自分達になるだろう」

 

「確かにそういうリスクもあるか」

 

ウコンも納得してくれたのか、そう頷いていた。

もっとも納得していないのが一人いるようだが。

 

「兄様に限ってそんなことあるはずがないです!」

 

「確かにこの男はそういったことを嫌うからないだろうが、謂れもない咎を押しつけられる可能性もある」

 

「それは……そうかもしれないのです……」

 

決して君の兄を侮辱したわけではないと説明すると、ネコネは項垂れながらも自分の間違いを認めた。少し、この娘には兄のことになると周りが見えなくなる節があるらしい。俗に言うブラコンである。シスコンならトゥスクルにもいたので扱いは比較的簡単であった。

 

「ネエちゃん達はどうする?」

 

しおらしくなったネコネを珍しそうに眺めて、ウコンは他の三人娘とルルティエに声を掛けた。

 

「報酬はどれくらいなのかな?」

 

すかさずクオンが報酬の話をする。確かにそれを聞いてはいなかったが報酬で靡くような自分ではない。

ウコンがネコネに声を掛けると予め用意してあったのか、書簡や調度品の間に置いてあった木箱から小袋を取り出して盆の上に乗せて持ってくると机の上に乗せた。ずっしりと重そうな音が鳴る。

袋の中身を僅かに零すと、中からは金が出てくる。

 

「へぇ、随分と念を入れてるんだ」

 

「……おい、まさか非合法な組織じゃ……」

 

「まぁ、朝廷を通した正式な依頼じゃないのは確かだ」

 

そもそも右近衛大将では出来ないことをやっているのだから、当然の理である。今更、非合法も合法もあったものではない。非公式な組織同然なのだから。

 

「これは支度金だ。人を雇い入れるなり好きに使ってくれ」

 

「……うん。引き受けてもいいかな」

 

何を思ったのか、クオンさんはあっさり引き受けてしまう。

 

「なぁ、クオンもう少し考えた方が……」

 

フミルィルとヨハネに視線を送って助けを求めたが、片やニコニコ片や無表情で溜息を吐くばかりで助けてくれる気配がない。何処か諦めている節がある。

 

「なんで?面白そうだよ」

 

「いや、面白そうとかじゃなく……危ないから。な?」

 

親の心子知らずとは、このことを言うのだろうか。

今の自分には強く言う権利等ないのであまり強く言えないが。

それでも心配なものは心配だ。止めるのも当然のことだろう。危険な事に首を突っ込もうとしているのだから。

 

「散々、無茶を言っておいてなんだが……本当にいいのか?」

 

同情めいた視線をウコンから感じたが、そもそもの原因は奴である。しかし、再度問い掛けられても答えが変わることはなかった。

 

「うん、いいよ。こういうのやってみたかったし」

 

「……はぁ」

 

いったい誰に似たんだか。

そう思わずにはいられない瞬間だった。

 




今回のイベントで活力回復全部使ったからもう回復薬がない。


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クオンの悩み

今回は短め。


 

 

 

それはある日の夜のことだった。もう時刻は深夜を過ぎた頃、クオンの部屋の前を通り掛かると言い争うような話し声が聞こえてきたのだ。厳密にはそんな激しいものではなく、互いに落ち着いた声音で言い合っているだけなのだが、どうにもクオンは不機嫌なようであった。

 

「ですから…若様も…」

 

クオンの相手の声には聞き覚えがあった。それに「若様」とくれば思い当たる人物は一人しかおらず、側近である双子の姿が思い浮かぶ。

 

「國を出てからずっと……」

 

「だから、それはお許しをいただいて……」

 

シスコンが今度は姪にまで執着し始めたか。会話内容から察するにユズハに対して働いていた過保護が、その娘であるクオンにまで及んでしまっているのだろう。想像に難くない事態に眉を顰めつつ、こっそりと盗み聞きする。

 

「まだ戻るつもりは……」

 

オボロには戻れと言われているらしい。その考えも判らなくはないが、束縛が激しいのも考えものだと思うが。

 

「それにまだお父様は……」

 

「それなら既に見つかっているのでその言い訳は通りませんよ」

 

「っ!?」

 

ドリィかグラァか判らぬがそう告げるとクオンは驚いたように息を呑んだ。もっともそれを見つけたのはクオン本人であるのだが、自分が正体を明かしていない時点でまだ見つかっていないと思っていたのだろう。もう十数年は時を刻み、その間誰も見つけられなかったのだから。

 

「ですので一度若様にご相談しないと」

 

「でも、まだ約束の期日は……」

 

「とにかく一度お考え下さい」

 

何故、俺は盗み聞きなどという行為を行っているのか。クオンはどう足掻いてもまだ帰りたくはないらしく、オボロはどうあっても姪を國に帰らせたいらしい。

 

「……それでお母様はお父様にお会いに?」

 

「時間の問題かと」

 

双子の口からは自分の正体を明かすことはない。

それが判ったところで、寝屋に踵を返した。

 

 

 

 

 

 

翌日、人が寝静まり数軒の居酒屋くらいしか店を開いていない頃、白楼閣の展望室で帝都で動く人の気配を探っていた。寝静まった帝都には検非違使くらいしか人影がなく、それを除いた人の気配は一部を除いて皆無に等しい。目を凝らして眺めること数秒、目的の人物の気配を見つけると展望室から飛び降りて、その人物がいる木の根元まで駆けた。

 

「オボロ」

 

「っ、兄者!?」

 

驚いた声が木の上から響き、旅装束の男が一人降りてきた。見るからに昔のような若々しさはなくなり、歴戦の猛者のような風貌の男が。昔は生えていなかった口髭まであり、髪の質も少し落ちているか。顔には少しばかりの皺が刻まれ、それほどまでに長い時間会っていなかったことを改めて実感させられた。

 

「なんというか……まぁ……随分と変わったな」

 

「はい。兄者もご無事なようで……」

 

厳密に言えば俺はユズハの夫だから義弟になると思うのだが……相変わらずの様子に笑みを零しつつ、気にしないことにした。

 

「それより一杯付き合ってくれないか」

 

「……兄者が飲むとは珍しい……」

 

「飲みたい気分なんだ。付き合え」

 

そう言ってオボロを連れて行ったのはハクに教えて貰った近場の酒場であった。適当に飲み易く弱い酒を店主に頼み、惣菜や魚も一緒に頼むと程なくして卓に並べられた。

 

まずは一口、恐る恐る飲んでみる。

舌で確かめるように舐め、あまり酔わなさそうなことを確認すると一口飲み干す。

だが、やはり酒は好きになれないことが判っただけだった。

たった一口で、もう既に躰が焼けるように熱い。

 

「オボロ、随分と姪にご執心なようだな」

 

「……あの娘の母親は目が悪く、父親は不在でしたので」

 

そう言われると返す言葉がない。思わぬ意趣返しに面食らいつつも、少しだけ心の内を吐露する。

 

「……好きで隣にいなかったわけじゃないさ」

 

「そうだったな」

 

言い負かされてオボロは酒をグイッと呷った。憎々しげに魚の骨を取り除き、身を弄り回して口に運ぶ。今の状況に少しばかり不満があるようだった。

 

「それよりもだ兄者!何故クオンに自分の正体を明かさない!」

 

「くどいぞオボロ。その件は時期を見て伝えるつもりだ」

 

「とか言いつつ、逃げてるのではないか?」

 

「むぐっ……」

 

その節がないわけでもないので押し黙る。しかし、代わりの言葉はすぐに沸いて出てきた。

 

「あの娘は父親を必要とするほど、小さくはないだろう」

 

「甘いぞ兄者、あれはまだ子供だ」

 

「あの歳頃は過保護なのを嫌うぞ、知らないのか?」

 

「あの娘は父親の愛情も知らずに育ってきたからな。当然だろう」

 

口を開くたびにオボロは俺に向けて毒を吐く。クオンのことに、ユズハのこと。知らず知らずのうちに本来の目的を挿げ替えて自分が説教される始末、本当に不甲斐ない。

何か一言苦言を漏らすたびにオボロは酒を飲み、酔い、その顔を赤くして。少しばかり昂っているようで愚痴ばかりを漏らす。

 

「待て、話を戻そう–––」

 

「だいたいどうして兄者はユズハの前から消えたんだ!あいつはずっと兄者のことを思い、寂しそうに毎年過ごしていたんだぞ!クオンが生まれてもその寂しさが紛れることはなかった!そしてようやくだ!」

 

だんだん饒舌に毒を吐き散らすオボロを宥めながら、酒を飲ませるのは失敗だったかと悟る。店主に酒を全て水に変えて出すように耳打ちしてから、席に戻った。

 

「聞いているのか兄者!」

 

「……まずはその説明をしなければならないのか」

 

眠りについていた間、何も考えなかったわけではない。目覚めてからも色々と考えた。何故、自分は肉体もなく遠く離れた異國の地で活動を可能としたのか。仮説なら建てられる。

 

「そもそも俺がユズハの前に姿を現したのはある願いによるものだ」

 

「願い、だと……?」

 

「ウィツアルネミテアがどういう存在か知っているだろう。あれは出来ることに限りがあり、代償も必要な上、願いを捻じ曲げてしまう性質もあるが、紛れもなく願いを叶えることができる未知数の存在だ」

 

「誰が何を願ったと兄者は言うんだ?」

 

「あそこには曲がりなりにもウィツアルネミテアが存在し、そして願う者達がいた。誰だか判るか?」

 

「願う者たち?」

 

この言い方だと大雑把過ぎるか。

願うだけなら、世界各地無数に存在する。

その中で一つに絞れと言われても範囲が広過ぎるであろう。

 

「少なくともおまえ達は願っただろう?ユズハの病気が治ることを」

 

「……あぁ、確かに俺はずっと願っていた」

 

アルルゥ、カミュ、ウルトリィ、ハクオロ、エルルゥ、カルラ、トウカ、ドリィグラァ、クロウにベナウィまで。兄であるオボロ含めて全員が願った筈だ。彼女の病気が治ることを。

 

「それをウィツアルネミテアが叶えたとしたら、辻褄が合うだろう?」

 

「確かにウィツアルネミテアが願いを叶える話は聞いたことがあるが……だが、代償を払った覚えはないぞ。ユズハは変わらず元気だし、クオンも兄者が治してくれただろう」

 

「よく考えてみろ。何故、俺が現れた?そんな必要はないだろう?直接治してしまえばいいのだから」

 

「……そういえばそうだ。そんな回りくどい方法で叶えるなんて、エルルゥからは……」

 

「代償を軽減するために俺はトゥスクルに呼ばれたのだろう。もっともウィツアルネミテアの意思は自分を知っていたから、利用する手を考えたのかもしれないがな。願いを叶えれば契約はそこで終了だ」

 

「なるほど……」

 

仮説としては十分なように思う。願いを叶えてしまったから自分は自分を保てなくなった。本来なら、あのような存在として現れること自体異例なのだから、仕方がなかったのかもしれないが。ユズハを助けても助けなくても離れ離れになってしまうなど、皮肉な話。仮説でしかないがウィツアルネミテアの力がなければ成し得ないので十分に信憑性はあると思う。

 

「理解したなら話を戻すぞ」

 

本題はそちらではないのだ。

最近、クオンに元気がないことだ。

 

「なぁ、オボロ。何故あの子をトゥスクルに帰したがる?」

 

「皆が心配しているからに決まっているだろう。小娘三人の旅など断じて認められるか!」

 

どうやらクオンのもとに双子の片割れが説得に行っているのはそれが原因らしい。フミルィルとヨハネなら抵抗も少なく、元凶がクオンだということが判っているからだろう。

 

「三人娘の旅か。確かに心配だな。だが、今の状況を考えてみろ」

 

「今の状況……?」

 

「クオンの傍には誰がついている?」

 

「むぅ……。実の父親か」

 

オボロの主張が子供だけによる旅ならば問題だが。そこに一応は父親の自分がいるのだ。言うなれば、叔父であるやつよりも発言権は上であることを願いたい。

 

「そう急ぎ帰る必要もないだろう?それにクオンにだって友達が出来た。喜ぶべきことじゃないか」

 

「そんなものトゥスクルにもいる」

 

「フミルィルとヨハネ以外でか?」

 

「……」

 

祖國であるトゥスクルには、どうやらクオンの友達とやらはいないらしい。カミュやアルルゥ、ユズハも友達らしい友達は三人が出会うまでいなかったらしいから、その血を受け継いでしまったか。俺も似たようなものだった。

 

「だが、兄者はもう少し急ぎ帰るべきだ」

 

「ユズハは呼び寄せるつもりだし、トゥスクルにもそのうち帰る。問題はないだろう」

 

「しかしだな……」

 

「それに家族旅行の一つくらいさせてくれ」

 

帝都は旅行地としては最適である。白楼閣という湯を張ったお風呂もあることだし、他の國ではこうも簡単にいかないだろう。それに世界中探しても此処まで発展している國は早々ない。

 

「……俺が口を挟む隙はないか」

 

やれやれ、と肩を落としてため息を吐く。オボロはちびちびと盃を口にした後、諦めたように呟いた。

 

「判った。もうしばらくは兄者に任せよう。クオンには……」

 

「俺が言ったからとか言うなよ?」

 

「親の指示で期限を延ばした、とだけ言っておこう」

 

お代を置いて立ち上がるオボロだが、ふと思い出したように懐から小袋を取り出してどんと机に置いた。重苦しい金の音が響き、中には相当な量の金が入っていることが判る。

 

「酒代にしては多くないか」

 

「あぁ、これは戦で兄者が得た金だ。ユズハとサクヤも共同で使っているから残り少ないがな。一応、兄者もトゥスクルの皇族扱いになっているからあってもなくても意味はないが」

 

「皇族、っておまえなぁ」

 

「早く帰ってきて俺の仕事を引き継いでくれ」

 

「嫌だよ。というかおまえの仕事って……」

 

皇だとカルラに聞いたのだが。

こんなところで油を売っていていいのだろうか。

 

「おまえベナウィから逃げてきたな?」

 

「な、なんのことだ……」

 

視線を逸らすオボロの視線は絶対に目を合わせようとしなかった。

 

 

 

 

 

 

「姉様、どうしたのです?」

 

その翌日、妙に機嫌の良いクオンを見てネコネがそう聞くと、嬉しそうな顔を隠さずにクオンは言った。

 

「実は前から帰ってくるように故郷の方から急かされてたんだけど、期限を延ばしてくれることになって」

 

「……故郷に帰ってしまうのですか?」

 

「今はまだいいって。だから、まだこの國にいるよ。せっかくできた妹分や友達と離れたくないもの」

 

オボロに帰省を促されることがよほどストレスだったのか、その尻尾はゆらゆらとご機嫌に揺れながらいつも以上に輝いていた。心做しか毛並みもいいようだ。

 




次回「帝」を予定。


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老人と姉なるもの

タイトルを帝にするか迷った。


 

 

 

夜も深まった頃、月を眺めてトゥスクルに思い馳せ懐かしんでいたところにそれはやってきた。両頬をつんつんと突いて存在を主張してくる二人の外套を羽織った何者かが自分を呼んでいる。声を発せばいいのに、頬を突いて遊んでいるところを見るにどうやら喋れないのだろうがもう少し方法というものがあるだろう。

 

「……いきなり現れたな、君達は」

 

帝都に着いた頃から姿を表さなくなった二人が久しぶりに現れたかと思うと、ぐいぐいと手を引っ張ってくる。その手は柔らかく小さいことから女性であろうか、少女のようにも感じられる。

 

「ついてこいと?俺がか?」

 

「……」

 

こくこくと二人は頷いた。外套の揺れがなければ気付かない範囲でだが、察するにはそれで十分だった。

急かすように手を引かれ立ち上がる。襖を開けた先では何故か霧のようなものが立ち込めていて、人の気配が感じられない。まるで世界で三人だけになったような感覚に少し不安を覚える。

 

「何処に向かっているんだ?」

 

白楼閣の廊下をどれほど進んだだろうか。気がつけば壁も床も見えずただ進むだけ。二人組は片方ずつ手を引いて誘うかのように進んでいくので、止まる気配はないから何処に向かっているかは彼女達のみぞ知るということだ。

しかし、考えてみれば妙だ。白楼閣にはこんな造りの廊下などないし、自分の感覚通りならば壁に何度も当たっているし、その上そこは存在しない場所のはず。誘われるままに行くと遠くに光が見えた。

 

「庭園……?」

 

霧の洞窟を抜けるとそこは庭園だった。

気がつけば、俺の手を引いていた二人組はいない。

 

「ふむ、客人がいらしたようだ」

 

「よお、ヨミナ」

 

その代わりと言ってはなんだが庭園にある円卓を囲み老人とハクが茶を飲んでいた。石造りの柱に囲まれた中央で向かい合い此方を見ている二人に呆然と立ち尽くし、状況が判らなくて何がなんだか……。

 

「ホノカ、茶を」

 

「はい、只今」

 

そして、その傍らには……いるはずもない人間が立っていた。老人に付き添うような素振りを見せる若い女性、ホノカと呼ばれた女はあまりにも似ていた。似過ぎていた。

 

「……姉、さん?」

 

自分の姉に。あの男の妻に。ハクの義姉に。姪の母親に。容姿だけではなく、雰囲気も、似過ぎていてドッペルゲンガーというものを疑うくらいに。だが、万が一にも自分の姉が存在しないことを自分は知っている。ハクはあの時言ったではないか。生き残っているのは自分と兄の二人だと。

 

ならば、あの獣耳すらついていない御老人は……その答えに至った時、ホノカという存在が姉に似ている理由も自ずと理解してしまった。

 

「貴様ァァァ–––!!」

 

怒りのあまりに地面を踏み抜き、その場から瞬時に老人の目前に移動した俺は老人の服の襟を掴んだ。そのまま片手で宙吊りにした後にそれに気づいたホノカと呼ばれた女性が、茶を乗せた盆を取り落とす音が響いた。

 

「我が君!」

 

その女性が目の前の老人をそう呼んだことから、自分が悟ったことを事実だと知る。紛れもなく、あれは、偽物であると。

 

「……よい、ホノカ、やめよ」

 

「ですが……」

 

「儂が今こうして怒鳴られているのも仕方がないこと。悪いのは……私だ」

 

まるで最初から自分がこうすることを判っていたかのように老人は呟いた。

 

「巫山戯るな!ならば何故、姉の模造品などっ……!!」

 

頭には血がのぼり激昂した心で問い質す。ホノカと呼ばれた女性を見て、しかしその怒りは急速に冷えていくようだった。

彼女の瞳には涙が浮かんでいた。大粒の涙が、頬を伝って零れ落ちた。

 

「……なんだってこんな思いを……俺がしなくては……」

 

腕からは力が抜けて、老人が車椅子の上に崩れ落ちる。

視界が滲み、老人の顔の皺がより深く見えた。

 

「糞義兄、あんただって判っているはずだ。命を創ることは禁忌とされている。それが姉の模造品など、気が狂ったか」

 

「あぁ……気が狂ったのかもな。妻が、娘が、目の前で溶けて姿を異形に変えて狂わずにいられるか」

 

疲れたように老人が呟く。

今にも消えそうな声でポツポツと。

 

「……しかし、禁忌に触れたのはおまえとて同じだろう」

 

「姉さんに勧められたからな。けど、あんたは反対していたな。自分が禁忌に触れることを。だけど姉さんは違った。その理由が判るか?」

 

「ほのかがおまえに禁忌の研究を行っている研究所を薦めた理由か……」

 

「俺には出来ないと判っていたからだ。多分、姉さんは俺にあの研究を終わらせて欲しかったんだろう。俺がそうすると判っていたから、あの研究を薦めたんだ」

 

自分くらいなものだろう。愛するために獣人を創造していたのは。

 

「あの、これを……」

 

それから無言で立ち尽くしているとホノカが一枚の手拭いを差し出した。だが、自分は受け取る気分にはなれなかった。というかそもそもあんただって泣いているだろうに。自分の涙すら拭わず、此方のことばかり気にしてくる。

 

「いい。要らない」

 

そんな自分の主張も無視して、ホノカは涙を拭ってきた。

 

 

 

「それにしてもやってくれたな。あんたと会うくらいならこんなところに来なかったところだ」

 

ようやく心が落ち着いた頃、円卓を挟んで二人と対峙していた。まだ言い足りないことは多々あるものの邪険に扱うことも忘れず、帰りたい気持ちも隠さずにそう告げると、何が面白いのか人の良い笑みを二人は浮かべていた。今は老けた義兄も帝とかいうこの國のトップらしく、本当に巫山戯たこともあったものだと思う。

 

「おまえが生きていたと知った時、私は耳を疑ったよ。奇病が世界に蔓延したときにはもう、おまえとは連絡が取れなくなっていてほのかが泣き喚いておったからな」

 

「奇病、だと……?」

 

自分の知らぬ間に奇病が蔓延しているとは……というか、そもそも何故義兄達が生きているのかその疑問の解決の方が先だろう。

 

「どんな病気だ?」

 

「見ただろうタタリという怪物のことだ。あれは人間が溶けてスライム状に変貌した姿だ。てっきりおまえは知っているものだと……」

 

「病原体不明、感染経路不明、治療法はおろか予防法もない。ある日突然躰が崩れれば終わりだ」

 

義兄達と自分の間では認識に齟齬があるらしい。

あの災厄を、病気などと思っていようとは……。

 

「そうか原因を知らないのか?」

 

息を飲む音がした。

まるでおまえは知っているようだな、という視線を受けて口を漏らす。

 

「……原因は禁忌に触れた連中だよ。あれは病気などではない。呪いだ」

 

「詳しく話を聞かせてくれるか?」

 

隠すようなことでもないので人がタタリになる災厄の真相を二人に話した。もっとも非科学的な事を科学者に説くのは骨が折れたが、自分もまさに科学者であった事を今更思い出したくらいだ。

 

「……そうか。そんなことが……」

 

「今更呪いを解いても元に戻ることはないぞ」

 

あくまで悪いのは科学者、大いなる父と呼ばれる太古の人間にあると告げて、手遅れなことも明瞭に語っておく。もっともその神が今も形を変えて生きているとは言えないが。謎が解明されたことで、二人は重過ぎる真相に深く溜息を吐いていた。

 

「傲慢さ故の罪か……」

 

人を人と思わない研究を行っていた旧人類には相応しい終焉だろう。

思えば自分はあの時すぐに眠ってしまったので、世界は一瞬にして滅びたと思っていたがどうやらそうではないようで、呪いが広がるのに時間が掛かっていたらしい。

案外、ウィツアルネミテアの呪いも万能ではないのか。

 

「……呪いを解く方法はないのだな」

 

今も冷凍保存されている人間を解凍すれば、タタリへと変貌してしまうらしい。ウィツアルネミテアの憎しみはそれだけ深く、怒りに燃えていたのだろうと思うと、悔やまれる思いだ。

自分にもう少し力があったならば、未来は少しだけ変わったかもしれない。それでも自分はこの世界を愛していた。悔やむべきは救えなかったこと、過去の自分の脆弱さ故に。

 

「それでこれからおまえはどうするんだ?」

 

沈黙も数分を過ぎたところでハクが自分に質問をしてきた。

その質問の真意は帝都に残るのか、トゥスクルに帰るのかだろう。

 

「帝都で少し観光でもしてから、トゥスクルに帰るつもりだが?」

 

「ふむ、帰るか……もうしばらくは帝都でゆっくり……むしろ住んでくれても構わんのじゃぞ。なんなら宮廷の一角に部屋を設けたり優遇しても……」

 

「俺は故郷に帰る」

 

「故郷か……そう呼べる場所があるのかね」

 

「結婚した相手の故郷だがな」

 

「……なぬ、結婚?」

 

義兄が今世紀一番驚いたとも言える顔で聞き返してくる。

しかし、次第に笑みへ変えるとうんうんと頷いた。

 

「そうかそうか。ならば、今度連れてくるといい」

 

「嫌に決まってるだろ。少なくとも今回の一件で俺はあんたのこともっと嫌いになったんだが」

 

出来るならばもう二度と会いたくはない。

今回も騙されて連れて来られたのだ。

次は拒否させてもらう。

 

「……儂ではなくホノカに会いに来るといい。ホノカもその方が喜ぶ」

 

「はい、また来てくれると嬉しいです」

 

オリジナルの弟とでも言われたのか、姉のような微笑みを向けられてはNOとは言えない。あんな顔されれば来ないわけにはいかないだろう。義兄には会いたくないがこの人に会いに来るならば……。

 

「……考えておく」

 

結局、姉に似た美人の誘いは断れなかった。

 

 

 

 

 

 

そこからどうやって帰ったのかも覚えていない。気がついたら白楼閣にいた。妙に足が重く疲れ切った躰を窓際に投げ出して、滲み出る嫌な汗を袖で乱暴に拭う。

 

「……どうして……今更」

 

全て割り切った筈だった。姉は死んだ。姪も死んだ。だけど、その姉の遺伝子を使い獣人を創造してしまうなど到底許せることではない。今の自分があの老体を殴れば死んでいたかもしれないので、あの時殴らなかっただけマシであろう。少なくとも姉と同じ姿をしたあの人の前で醜態を曝すのは憚られたおかげか。

 

「お帰りなさい。ヨミ様」

 

帰宅した俺の気配に気づいたのか、入口にフミルィルが水差しを持って立っていた。起きていたのか、起こしてしまったのか、隣の部屋であるはずのフミルィルはいそいそと近寄り、水差しを傍に置いて手拭いを顔に当ててきた。

 

「顔色が悪いですよ。何処か体調でも悪いんですか?」

 

「……いや、体調は悪くない」

 

「……泣いていらっしゃるんですか?」

 

どうやら自分は泣いているらしい。

あの顔を見たからか、或いは別の理由か。

今もまだ胸は苦しいままだ。

理由は判らない。

ただ、苦しかった。

 

「うふふ、ヨミ様にも可愛いところがあるんですね」

 

「幻滅したか?」

 

「いえ、むしろ貴方様が私達と変わらないヒトと判って安心しました」

 

不意を突かれてフミルィルに抱き寄せられる。

頭を愛おしげに巨乳に抱えられて、少し息苦しい。

 

「お、おい、フミルィル?」

 

「……怖かったんですよ。何も言わずに居なくなってしまって。もう勝手にいなくならないでくださいね」

 

「悪かった。判ったから、離せ」

 

「おやすみなさい、ヨミ様」

 

「寝るなら自分の部屋に……って、聞いてないな」

 

抵抗するも獣人の力は人間とは比較にはならない。思わぬフミルィルの包容力に抵抗も虚しく気がつけば朝になっていた。

 




補足。ヨミナは義兄が嫌いだが、義兄の方はそうでもない様子。


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姪?

 

 

 

早朝、白楼閣では女子衆が慌しく働いておりその足音で目が覚めた。何やら賑やかに客達も騒ぎ立てる始末で白楼閣が一体となって喧騒を奏でる。強制的に目を覚まされた俺は布団から起き上がり、二度寝は出来そうにない事を悟るとちょうど戸が音を立てずに開かれて見慣れた美しい顔がひょっこりと覗き込んだ。

 

「お目覚めですかヨミ様?」

 

「ん、あぁ……フミルィルか。それにクオンも……」

 

フミルィルとクオンが二人揃って顔を覗かせて、俺の起床を確認するとするすると部屋に入ってくる。だが、不思議なことにヨハネの姿は見当たらない。

 

「しかし、朝から随分と騒がしいな……ふぁ」

 

欠伸を語尾に文句を言う。あまり好みではない目覚めに陰鬱とした気分を味わいつつ、されどフミルィルの美貌を見れば多少はそんな気分も洗い流されるというもの。気分を取り直して布団の上に座り直した。

 

「……もしかして、忘れたのヨミ?」

 

「ん……?」

 

呆れたようなクオンの溜息に思考を巡らせる。寝起きで定まらない思考をなんとか整理しつつ、この状況について整理する。どうして女子衆達が慌しいのかその一点を考えた。今日は何かあったかと。

 

「聖誕祭ですよ、ヨミ様」

 

「あぁ、祭りか……」

 

フミルィルから耳元で鈴の音のような声で囁かれて思い出す。今日はこの國の姫の誕生日であったと。もっとも知ったのはつい先日のことで気にしたこともないのだが。

 

「そうか」

 

知ったところで何をするでもない。興味がないので短い言葉で会話が終わる。祭と言われてもよく判らないためにそうなってしまう。それよりもユズハ達が来た時に帝都を案内できるくらいの地理が欲しいと思う。

 

そんな自分の手をフミルィルが柔らかく包み込むように握る。右手を両の手で大切に……僅かに彼女の胸に触れて、柔らかくも温かい感触が伝った。

 

「一緒に観に行きましょう、ヨミ様」

 

「そうか。別にそれはいいが……」

 

「じゃあ、決まりね」

 

「クオン……?」

 

左手をクオンが引っ張った。尻尾はゆるゆると揺れており何やら楽しそうである。祭と聞いて彼女も随分と楽しみだったんだろう、そういうところは子供らしい。

 

俺は早速と着替えさせられ、白楼閣を出た。

 

 

 

祭一色の帝都をあてもなしに食べ歩き辿り着いた先は聖廟の前辺り、食べ終わる前に買い集めたために手には大量の食べ物を抱えながらの観光にクオンは呆れ顔だ。フミルィルは依然と微笑むばかりで慈しみが見て取れる。実際、それで楽しそうなのかどうかは判らないが俺の隣を離れることはなかった。

 

「随分と人集りが出来ているな」

 

「例年通りなら皇女殿下が此処で神輿から降りて手を振るらしいからね」

 

「なら、この人集りも当たり前か」

 

そして、その聖廟前では通りを半分に割るように人集りが出来ている。クオンの説明では例年のイベントで姫殿下が聖廟の前で姿を現すらしく、人が集まるのも判るというもの。しかし、聖廟の直前付近では人集りが出来ておらず、物々しい雰囲気の八人の男達が道を作っていた。

 

「じゃあ、あれはなんだ?」

 

「おそらく、あれは八柱将達かと」

 

その武士らしき男達を指差すとフミルィルが答える。両手に食べ物を抱えてしまったために手を使って食べられない肉串を口に運んでもらいながら、俺はその説明を聞いた。相変わらず、甲斐甲斐しく世話をしてくれるが今回は不可抗力であると思いながら、フミルィルのお世話になっていた。

 

「まず、手前の方から–––豪腕のヴライ」

 

背が高い巨漢の名をそう呼んだ。

顔に奇妙な半面をした、鬼のような男。

漂ってくるのは殺気のみ。

剣呑で鋭利な刃物のような雰囲気だ。

 

「八柱将の中でも特に帝を狂信的なまでに崇拝する者であり、その武は無双を誇る豪傑です」

 

次に痩躯の男を指差す。

 

「聖賢のライコウ–––武術の腕は不明ですが知略による指揮力により常勝無敗を誇っており、左近衛大将のミカヅチ様の兄者だとか」

 

最近、白楼閣で見た娘の友達アトゥイという娘によく似ていた男を指した。

 

「溟海のソヤンケクル–––シャッホロの皇でありながらヤマトの海に関してを一任されている人です。アトゥイ様のお父様ですね」

 

次に指したのは八柱将の中でも年長らしき者だった。

 

「楽土のオーゼン–––荒地を開墾し國土を広げたことで皇と認められた御方です。クジュウリの皇でルルティエ様のお父様ですね」

 

次に指したのは特徴的なところのない影が薄そうな男。

 

「調弦のトキフサ–––目立った武勲はありませんが身の丈を越える十人張りの強弓を自在に扱えるらしいです」

 

次に胡散臭そうな青年を指した。

 

「影光のウォシス–––八柱将の実質的な大老で纏め役のようなところがあるとか。謎多き方ですが帝の信頼だけは厚いらしいですよ」

 

と、そこで説明は終わってしまう。八柱にしては六人しかおらず、二柱くらい足りない気がするが何か用事でもあるのだろうか。姫殿下の聖誕祭よりも大事な用向きが。

 

「あと二人は?」

 

「此処にはいない鎮守のムネチカ様と仮に八柱将の位を預かっているオシュトル様ですね」

 

「あぁ、そういえばオシュトルは兼任だったか」

 

「前まではデコポンポという将官様が八柱将を賜っていましたが、度重なる失態により廃名されたらしく今ではただの将に戻っているとか」

 

「ふむ、それでムネチカとやらは?」

 

「女性であらせますので行幸の衛護を成されているかと」

 

「ほう、女の将か」

 

カルラやトウカのような武士を見ていると珍しいことではないのかもしれない。女性とだけあってフミルィルが口を閉ざし、代わりにクオンが補足説明をしてくれたがフミルィルは不機嫌そうだった。

 

「ヨミ様、ムネチカ様が気になりますか?」

 

「ん、いや、何を拗ねてるんだ?」

 

「他の方と比べて女の方とあって反応が違いましたので」

 

フミルィルの不機嫌は俺が女の将軍に関心を示したことにあり、どうやら妬いているらしい。頰をわざとらしく膨らまして此方をジッと見つめていた。

 

「それにしても随分と詳しいんだな」

 

「ヨミ様のお役に立つためならどんなことでもしますから」

 

「そうか……」

 

どう言い返せばいいか判らず、目を逸らせば聖廟への道を御列が迫っていた。神輿の前には女将軍の姿があり、神輿の左右にはオシュトルとミカヅチ両名の大将が控えていた。

 

神輿は前を通り過ぎ、やがて聖廟の前で重鎮達に迎えられる。神輿が降ろされ出て来たのはまだ幼い少女のような者。その顔はベールに包まれており、ご尊顔を拝することは叶わず。

 

「…ん…?…重要なことを忘れているような…」

 

皇女殿下のシルエットを見て何処かで会ったかのような錯覚に見舞われる。そう、自分はあの姿を知っているはずだ。何故かそう思えて仕方ないのだ。

 

「まぁ、気のせいだろう」

 

 

 

 

 

 

聖誕祭から数日後。昼食を皆で食べた後の事である。詰所の襖を開けて暇を潰そうかと思っていたら、既に先客がいたのだ。

 

「ふんふ〜ん♪」

 

鼻歌を歌いながら書物の頁を捲り、傍にお菓子と酒瓶を置いて寛いでいる少女が。それも見た事はない相手で、だが一見その姿が姪に酷似しており困惑してしまう。

 

「……」

 

呆然と立ち尽くした自分の前で姪の姿をした獣耳娘。少女はだらしなく寝そべりまるで自宅のように振る舞う始末、姪は少なくともそんな酷い生活はしていないし、遊びに来た時は逆に世話を焼かれるくらいで面影など殆どないのだが、本当に容姿だけは酷似していて言葉だけが出てこなかった。

 

–––まさか。

 

それも束の間、一つの予想がされる。いや、正確には予想でも予感でもなく事実であるのだが、俺はそれを考えたくもなかったのかもしれない。目の前にいる存在のことを。

聖誕祭の時にも気付くべきであった。皇女殿下とは帝の娘であり、それ即ちやつの娘である。この可能性に思い至らなかったのは複製品を造るという発想が自分には欠けていたからだ。

 

「どうしたヨミナ、部屋に入らないのか?」

 

ちょうどそこに現れたのはハクである。

襖の前で立ち尽くす自分の背中に声を掛けてきた。

背後には皆が揃っていた。

最近、仲間になったキウルにアトゥイと勢揃いである。

 

「なぁ、ハク……あれは一体なんだ」

 

「何って……うぉ!?」

 

姪、に似た何者かを見てハクが驚いた声を上げた。だが、あの姿を見て合点がいったのか俺を見ると平然と答えを口にするのだ。即ちあれは誰であるのか。

 

「……帝の娘、ってことになってる。名はアンジュだ」

 

「デコイ、か」

 

「あぁ、義姉さんと同じくな」

 

姪の偽物改め、ヤマトの皇女殿下アンジュ。今のあいつに妻の類はいないらしく、それならば娘がどうしているのかという疑問は愚問であろう。帝は自分の娘さえ複製した。その事実に頭が痛くなってくる。

 

「おぉ、待ちかねたぞ。お主が叔父上殿か」

 

頭痛のする頭を抑えていると少女が此方に気づいた。呼称が不穏なことになっているが気にしない方がいいだろう。気にしたくはないが、無視をしたいが、義兄は何を考えているのか俺の外堀を埋めようとしているような気がする。これもまた自分を帝都に縛り付けるための鎖か何かのつもりであろう。

「お前も大変だな」と他人事のようにハクが呟いた。

 

「残念ながら俺はお前の叔父ではないぞ」

 

いくら遺伝子的には姪とはいえ、事実関係を否定しておく。心苦しいが義兄とはいえ心を許したわけではない。

 

「ハクよ、この者は叔父上ではないのか?」

 

「あー、なんていうかなぁ……叔父であってるんだけど。ほら、ツンデレってやつだ」

 

「ぶっ殺すぞおまえ」

 

ハクの言い分に思わずドスの効いた声というやつが漏れる。触るのも嫌なので首を掴む、という事はないがその代わりに最大限に殺意を声音に混ぜてやった。

 

「なるほど、叔父上は恥ずかしがり屋なのじゃな」

 

「はぁ……もういい」

 

帝がそう言えばアンジュにとって俺は叔父ということになってしまうのだろう。本人が否定しても、父である帝の言葉は疑いようがないというわけか。

 

「それはともかくだ。何故、こんなところにいる」

 

出来るだけ姪に似たアンジュには関わりたくないためぞんざいに扱う。とはいえ、姿が似たアンジュを相手にぞんざいに扱う事自体心苦しく平静をよそおうのは至難の技だ。

あぐらをかいて座り直したアンジュ、しかし答えを聞く前に少女はわがままを口にした。

 

「そんな硬いことを言うな叔父上殿、お代わりを所望するのじゃ」

 

「お代わり……?」

 

アンジュのわがままを耳にしてクオンが目を凝らす。正確にはアンジュの傍に転がる空の酒瓶とお菓子の器を見て、みるみるうちに顔が青くなっていく。

 

「今日のおやつにそれってばとっておきのハチミツ酒!?」

 

我が娘の喉から金属を鋭利なもので引っ掻いたような悲鳴が上がり、空っぽになった酒瓶を大事なものように拾い上げると次第に瞳を湿らせると大粒の涙が溢れ出す。

 

「割って飲むものなのに……うぅ……それに此処では滅多に手に入らなくて……ぐすっ……楽しみにしてたのに……」

 

余程ショックだったのか蜂蜜酒が。号泣し始めたクオンを見るにその悔しさがまるで自分のもののようだ。思わずその頭に手が伸び優しく撫でながら、目尻の涙を指で拭う。

 

「あらら、クオンはんがこないなるなんてなぁ……酒の恨みは恐ろしいえ」

 

他人事のように言っているアトゥイだが、本当に気の毒だと思っているのだろうか。聞けば全員が姫殿下だと知っているらしい。表立って折檻などすれば首が飛ぶ。誰も説教をする者がいなかった。ハクの立場なら可能なのだろうが、厄介事は御免とばかりに傍観しているのだから性質が悪い。

 

–––ならば自分がやるしかないか。

 

常識というものを教えてやらねばなるまい。

流石に姫殿下といえど、傍若無人な振る舞いは導かねば。

 

「アンジュと言ったか」

 

「ふぎゃっ!?」

 

反省する色のないアンジュの首根っこを掴む。無理やりにでも正座をさせ、居住まいを正すと立ち上がらないように額にぴたりと指を当てて押さえる。椅子に座って立ち上がれないのと同じような原理だ。

 

「他人の物を勝手に飲み食いする気分はどうだ?」

 

「う、うむ、大変美味であったぞ–––ふぎゃっ!?」

 

的外れな事を言っていたので尻尾を掴む。それも普段、愛でるのとは違い痛いくらいに。

 

「他人の物を奪うことが良いことだと思っているのか?」

 

「痛い、痛い!叔父上殿さては女の扱い方を心得ておらんな!?」

 

「ん?こう見えて妻は二人いるぞ」

 

「なんとっ!?」

 

寝耳に水と言わんばかりに瞳を見開く。

流石に獣耳や尻尾は愛でる。

女性を軽んじて扱った事はないし。

大事にしていた。してきた。

 

–––しかし、これは折檻である。

 

愛でる必要はない。とはいえ、殴るビンタの類は嫌いなので尻尾を掴むことにした。尻尾は敏感らしいからちょうどいい罰になるだろうと思ったからだ。

 

「悪い事をしたら謝罪しろ」

 

「よ、余は天子アンジュじゃぞ!い、いくら叔父上といえどこのような暴挙……」

 

「反省しないと大変なことになるぞ」

 

「ふにゃぁ!?」

 

掴んだ尻尾を今度は撫で回す。付け根から先端にかけていじらしく、耳も内側からしっかりと細部に至るまで弄り倒す。時に自分の愛撫は随分と気持ちが良いらしくフミルィルも絶賛してくれている。ただやり過ぎた時は過剰なまでに快楽に溺れてしまうらしく、辛くなることも暫しあるとかでユズハに怒られたこともあるのは余談である。それ故に尻尾や獣耳に対する愛撫は巧みであると自負している。念のためを言っておくと決してやらしいことではない。夫婦や恋人でしか尻尾や獣耳には触らないらしいが自分には関係ない話である。

 

「お、叔父上…こ、これは…ふにゃ…やめ…」

 

そんな愛撫を受ければどうなるか。

ご覧の通りご満悦である。

羨ましそうなフミルィルとヨハネ、ルルティエの視線を他所に尻尾をいじめ倒す。

正座をしながらで効果は絶大だ。

次第に身を捩り辛そうにアンジュが突っ伏した。

足の痺れが回ってきたのであろう。

 

「姫殿下の尻尾を……あんな風に……」

 

「気にするな。必要な躾だ」

 

「じゃ、じゃあ姫殿下の叔父というのは……」

 

「忘れろ。アンジュ姫殿下のおままごとに付き合ってやっているのだ。設定だ設定」

 

帝の出方によっては平穏は危ういがその場凌ぎにはなっただろう。金髪の美少年が腹を抑えて蹲っていたが、その横でネコネはいい気味だと呟いていた。

 

「鬼畜やなぁお兄さんも」

 

「ねぇ、ヨミ……尻尾抑えておいてね」

 

阿鼻叫喚の地獄にやっとクオンが正気を取り戻したらしく、ふらふらとした足取りで歩み寄ってくる。アンジュの額に尻尾をしゅるりと巻きつけていく。それのなんと羨ましいことか、今度ユズハにやってもらおう。

 

「ふぎゃあぁぁぁ!!!」

 

しかし、それだけには留まらずミシミシと縄が締まるような音が部屋に響く。その発生源はクオンの尻尾で、メキメキという締め付けるような音はアンジュの頭から鳴っていた。

 

「悪い事をしたら御免なさいはッ?」

 

物凄い剣幕に俺は尻尾を離す。ユズハにはあのオプションは無しにしてもらおう。

 

そんなことを思っている間にも姫殿下の頭は締め付けられていく。きっとこれが殺人事件ならば絞殺事件として片づけられただろう。怒りに身を任せているように見せて、その実死なず気を失わない程度に加減しているのだから性質が悪いのか、手加減してやる理性があるのか悩みどころであるが。

 

「クオン、一旦やめろ」

 

「そうやぇクオンはん、その辺にしといた方がええよ」

 

それでもクオンはやめない。

 

「緩急をつけた方が辛いぞ」

 

仕方なくそうアドバイスするとシュルリと尻尾が解かれた。

 

「まぁ此処はウチに任せるえ。こんなこともあろうかとウチがとっておきのお酒を隠しておいたんよ。皆で飲んで仲直りするえ」

 

アトゥイはクオンを宥めるようにそう言いながら飾り棚に近寄る。その棚の縁に手を掛けるとスライドして奥から隠し棚が出て来た。どうにも見覚えがある仕掛けだ。

 

心当たりのままにハクとキウルに視線を向けると案の定、特にキウルが判り易い程に動揺していた。ハクは俺に向けて「言うなよ」と視線で圧を掛けてくる。

 

「あれ〜、ないえ〜。ウチが隠しておいたとっておきが……」

 

このままでは犯人はアンジュになってしまうであろう。確かに厳しく当たったが、それはアンジュに非があるのは明白だったからで、ハク達の弁護をするつもりはない。それに自分にも罪の一旦はある。

一番の容疑者に空虚な瞳を向けたアトゥイが立ち上がり、クオンと伴って折檻のために近寄ったところを遮る。最大の脅威であるアトゥイとクオンを前にして俺の口を塞ぐのはもう既に不可能だ。

 

「待てアトゥイ。その戸棚の酒を飲んだのはウコン含めた男衆だ」

 

ぐりんとアトゥイの顔がハクとキウルに向いた。

あぁ、ああ–––とキウルは嘆くように呻いている。

 

「……それ、本当かえ?」

 

「なっ、裏切ったなヨミナ!」

 

「止められなかった自分にも責はあるがアトゥイの大事な酒を飲んだのはハク達だ。クオンの酒はともかくその件で姫殿下を責めるのは間違っているのではないか」

 

「そうやなぁ。……ありがとなお兄さん」

 

ゆらりと俺の隣を素通りするアトゥイ、どうやら俺の罪は許されたらしい。

 

「お、おい、アトゥイ?何故ヨミナは許すんだ?」

 

「そんなの決まってるえ〜。ヨミナのお兄さんはお酒が好きじゃないのに飲むはずがない。止めたのも本当やろうけど、力及ばずという事はお兄さんの知らないところで飲んだんやろ?」

 

「……」

 

ハクは返す言葉もなく黙り込んでしまった。

キウルは返答する余裕さえないようだ。

ルルティエやクオン達は肯定してくれている。

ネコネは呆れた顔で静かに頷いて、冷ややかな目で残りの男を見た。

確かに飲んだとこは見ていない。しかし、ハク達も反論しないあたり飲んだ事は事実なのだろう。

 

「うふふふ……あはははっ!」

 

「アトゥイ、殺すなよ」

 

「生きたまま永遠に後悔させてあげるえ!」

 

うん。ならばよし。

阿鼻叫喚の地獄に男子二人の悲鳴が加わった。




義弟に構いたい帝と関わって欲しくないヨミナの図。


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些細な抵抗

今回は短め。


 

 

「あの……ヨミナ様……」

 

その日は珍しく三人娘がいなかった。普段は自分の傍から離れないフミルィルも、クオンやヨハネに引き摺られて白楼閣から遊びに出掛けていた。この隙にと俺の世話役を今日はフミルィルと争っているルルティエが控えているのだが、どうにもその顔は優れないようである。熱に浮かされたような赤い頰、潤んだ瞳は熱を帯びて、吐息も微かに荒い。

 

「その……お客様が……」

 

「俺にか?」

 

「えっと…はい…」

 

自分に客。トゥスクルからにしても早過ぎる。と、すれば誰であろうか。面識がない可能性も考慮してトゥスクルからでなければどうでもいいかという結論に至り、すぐに興味は失せた。興味自体は失くなったがそれで終わるはずもない。

 

「誰だ?」

 

「八柱将のムネチカ様です……」

 

一応、名前を聞いてみたがピンとこない。名前を知らないわけではない。聖誕祭の時に見たあの美女将軍かと思い浮かべれば、その将軍が何故此処にと疑問が浮かんだ。その間にも襖が大きく開きルルティエの背後から聖誕祭にも見た女が姿を現す。

 

「失礼、突然押し掛けてすまない」

 

雪のように白い髪の女性が僅かに視線を下げて頭を下げる。そこまでされると追い返す気にもならず、ムネチカは確認とばかりに口を開く。

 

「貴公がヨミナ殿であらせられるか」

 

「確かに俺がヨミナだが……」

 

「小生は名をムネチカと申す。聖上の命で参った」

 

聖上、と呼ばれる人間はただ一人。この國の帝と呼ばれる義兄のことだ。それに思い当たると同時に何故か嫌な予感がして、怪訝な顔をムネチカへと向ける。

 

「はぁ、それで要件は?」

 

「聖上の命によれば帝都滞在の間、彼の御仁の警護をするようにと仰せつかっている」

 

「その人というのは……」

 

「……」

 

ムネチカの瞳が俺を見据える。その相手とは俺のことだろうか。何が目的で。何故ムネチカを寄越したか。想像が出来ず彼女の表情から読み解こうにも彼女の瞳には何も写ってはいなかった。ただ自分が写っているだけ、空のような瞳は確固たる意志で曇りなき空のように澄んでいて疑う余地もない。

思惑があるのは帝の方。義兄は一体何を考えているのか、彼女が知らされていないのであれば読み解けるはずもない。

 

「何故、俺に?」

 

「ヨミナ殿は聖上にとっても特別な存在故、と聞いている」

 

「それならばハクの方にこそ必要だと思うが?」

 

義兄の血縁であるハクこそ必要であろう。

 

「ハク殿にはオシュトル殿が付いている。基本、小生は姫殿下の衛護も任せられている故にあまり此方に顔を出すことも出来ないが、ハク殿もヨミナ殿も相当な切れ物とオシュトル殿には窺っている」

 

八柱将の中でもわざわざ一人しかいない女性の八柱将を回したのは、俺が獣耳好きだからであろう。考えれば他にも適任はいたはずなのだから。

 

「チッ、また余計なことを……」

 

「どうかなされたか?」

 

「いや、こっちの話だ」

 

昔からあれは自分をガキ扱いする。姉の手前もあったのだろうが、その構いぶりが昔と比べて一段と酷くなっているようだ。人類最後の三人とあらば仕方のないことなのだろうが。自分にとって人類が滅びる寸前だと言われても、気にしたことはないのでその気持ちはあまり理解出来ない。

 

「……あの……お茶をお持ちしました」

 

いつの間にか席を外していたルルティエが二人分の茶を盆に乗せて運んできた。ムネチカと俺の前に茶と茶菓子を出すと、自分の横に陣取るように座る。

 

「ほぅ、これは……」

 

菓子を口にしたムネチカの顔色が変わる。

はぐはぐと次々に菓子を口に入れていく。

どうやら相当気に入ったみたいだ。

 

「ふぅ……」

 

お茶を飲んで一息。堅苦しいイメージがあったがその内面は意外にも……と言ったら失礼かもしれないが、女の子らしく甘味が好きなのだろう。

 

「そのうち姫殿下の件について聖上より正式にお呼びが掛かるはず。今日のところはそれを伝えに来た」

 

その言葉に俺は一抹の不安を抱いた。

 

 

 

 

 

『鎮守のムネチカ』は八柱将の紅一点。彼女の武勲は護國において他の追随を許さない実力を示しており、その手腕を買われて八柱将の地位に就いたとか。アクルカと呼ばれる仮面を賜るのは栄誉とされており、八柱将の中でも全員が持っているわけではないらしい。武勲を帝に認められた者のみが持つ証のようなものだ。

それをムネチカが賜っているというのだから、相当な実力者なのであろう。

一眼見ただけでも、オシュトル、ミカヅチ、ヴライ、ムネチカの四名だけが仮面を持っており、もしあれがハクオロのしているものと同一であるのならば……かなり危険な力だろう。

トゥスクルの敵にならないのを願うのみである。

 

–––まぁ、考えても仕方ないか。

 

あれ以降、姫殿下とムネチカはよく白楼閣に顔を出しており、その際に出る被害は酒や菓子やキウルの腹具合くらいでアンジュ姫殿下狂言誘拐事件が起こった以外は平穏そのものだ。

 

「ヨミナ殿、小生に何も言わずついてきて欲しい」

 

だが、ある日ムネチカは白楼閣から俺を連れ出す。

白楼閣を二人で出る。思えば二人きりというのも初めてだ。

 

「何処へ行く」

 

「すぐに判る」

 

市井を見廻るでもなく、観光目的でもなく、ムネチカはただ先導する。気がつけば大内裏の門まで潜って一般市民があまり立ち入らない場所にまで出た。

 

「此処だ」

 

大内裏の中でも一番大きな屋敷の前で止まる。

城、と言っても差し支えないほどに大きな建物だ。

 

「……まさか姫殿下に会いに来た、とか言うんじゃないだろうな」

 

此処に来てもムネチカは口を割らなかった。

城内に入ると廊下を歩いていく。やがて、荘厳で巨大な扉の前で立ち止まる。

その時点で俺の中では警鐘が鳴り響いていた。

即座に踵を返し、逆再生のように廊下を後戻りしようとすると、女性のものとは思えない力で腕を掴まれた。

 

「何処へ行く、ヨミナ殿」

 

「いや、急用を思い出した。今日はヨハネと街を回る約束でな」

 

きっとこの扉の向こうは謁見の間とか格式めいた壮大な場になっているのだろう。御免被る。

 

「帰らせてもらう」

 

「やはり聖上の言った通りか……!」

 

やはり思った通り、義兄が絡んでいるらしい。そして自分が逃げることも織り込み済みと。

 

「騙す形で連れて来たとはいえ、逃すわけにはいかない」

 

しかし、ムネチカの腕力は女性のそれとは違い一度掴んだら離さない。全力で抵抗してもびくともしない彼女にこれが八柱将の力かと納得してしまうばかりだ。

逃げるためには自分も負けてはいられず、奥の手を使う事にする。

 

「これならどうだ?」

 

「何を–––ひゃぁっ!?」

 

奥の手『もふもふ』である。ムネチカの尻尾を素早く握り、かつ優しく丁寧に撫で回す。するとあろうことか彼女の口から予想もできない可愛い悲鳴が上がったではないか。残念なことに腕を掴む力は抜けていないが。

 

「くっ、卑劣な……!だが、小生も負けるわけには……!」

 

「そうか。さっさと諦めればいいものを」

 

意地でも離さないムネチカの尻尾だけではなく、獣耳も撫で回す。声を必死に押し殺すムネチカだが小さく漏れる声には蕩けたような甘さが混じっている。プルプルと震えて身を捩らせ必死に抗う。

 

「ふぁ……くぅっ……!」

 

ムネチカが掴むのは俺の左腕。そして、俺はムネチカの尻尾を掴んでいる。まるで抱き合っているような体勢だったがムネチカの躰がビクリと跳ねて、力が抜けていくのと同時、一際大きく声を漏らすとバランスを崩して寄り掛かってくる。自然と指が解け、俺の腕から手を離した彼女は立つこともままならず、そっと床に座らせてやると悔しげに呟いた。

 

「小生、一生の不覚ッ……!」

 

「残念だったな」

 

頰が赤いムネチカを残して逃走した。

 

 

 

白楼閣へと逃げ帰ると詰所にはハクが一人、長椅子に座りだらけていた。

 

「おう、やっぱり逃げてきたか」

 

「逃げてきたって……さてはハク、知っていたな」

 

義兄が自分を呼んでいることも、騙すような形でムネチカが迎えに来たことも、全ては今日よりも前に計画されていた事だったのだろう。

 

「理由は適当にでっちあげるつもりだったんだが、前に姫さんが誘拐されたろ?その事件解決の功績を称えて褒賞を出そうって話がおまえに出てる」

 

「嘘っぱちもいいところじゃないか」

 

「理由はなんでもいいんだよ」

 

そして、その褒美を大々的に下賜する計画こそがムネチカが俺を呼んだ理由。無論、真相を知らされていたら白楼閣から一歩も動かなかっただろう、というのはハクの見解であり、事実である。俺も知っていれば白楼閣から出なかった。

 

「つーわけでだ」

 

ハクがそう言った瞬間、隠し棚や襖ががらりと開けられいつもの面子が姿を現す。その中にはクオン、フミルィル、ヨハネまでいた。

 

「帝に謁見してこい」

 

もはや逃げ場はない。出口という出口は塞がれジリジリと距離が詰められる。フミルィルだけが申し訳なさそうな表情で告げる。

 

「すみませんヨミ様、帰って来たらいっぱいもふもふしていいので……今は我慢の時です」

 

斯くして、俺は帝の前に連行されることになった。

一度逃げられたことにより不機嫌そうなムネチカ随伴で。

 




やっとアルルゥが手に入りました。


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闇が渦巻く朝堂

ロスフラ、ベリーハード4で二十回も躓いたでござる。


 

 

 

荘厳な扉の奥は薄暗い空間が広がっていた。

 

長い通路の先には段差があり、その頂点には玉座のようなものがあった。顔を隠した一人の老人が座り、側にはホノカが楚々と立ち控えている。

そこでようやく、他のものにも目が移る。

奥に続く通路には八柱将が勢揃いしており、右近衛大将と左近衛大将の姿まで。欠席者といえば、國を持っているオーゼンとソヤンケクルの二人。その代わりと言ってはなんだがハクがオシュトルの隣にいる。ニヤニヤと手を振ってきやがった。

より遠くには文官のような者達までおり、この國の中枢に位置する人間であれば殆ど揃っているだろう。文字通り私腹を肥やす癌細胞のような人物もいそうだな、と感想を心の内に留めていると不意に躰が前に引っ張られる。

 

逃げ出さないように腕を組んだムネチカが前に進むに連れて、柔らかな胸が当たり同時に肘が壊れそうなほど軋んだ気がした。

 

「聖上、此処に彼の者をお連れしました」

 

朝堂まで態々引っ張られた腕組みを解くと、ムネチカは膝をつき頭を垂れて報告する。

 

「本当に何をやっているにゃも!本来の予定の時刻を大幅に遅刻した挙句、その謝意もないなんて八柱将としての自覚が足りないにゃも!これだから–––」

 

口を挟むように喚き散らしているのはでっぷりと太った悪代官のような男、唾を吐き散らさん勢いでムネチカを責め立てる。

きっとあの男にはムネチカが謝意を口にしなかった理由も判ってはいないのだろう。それですら言い訳になると判断したためか、騒ぎ立てる醜男に反論はしなかった。

文官供の間からもひそひそと声が上がる。それはムネチカへの批難を同調させるように伝播していった。

 

「ムネチカ、あの悪代官のような男は?」

 

「あぁ、騒ぎ立てている男のことか。元八柱将のデコポンポだ。今は降格させられただの武官だが、まぁ色々とある」

 

頭を下げたまま、ムネチカはデコポンポと呼んだ男にチラリと目を向けることもせず、説明を終えると此方に視線を寄越した。何をしているおまえも跪けと。

 

「–––良い、面を上げよ」

 

喧騒となりかけた場を義兄–––この場では帝と呼ぼうか–––が一声で鎮めた。

 

「……ふむ。随分と手間をかけさせたな」

 

「はっ。もったいなきお言葉」

 

簾のようなものの下は顔が隠れてよく見えないが、きっと眉間には皺が寄っていることだろう。随分と皺が濃くなったものだが、その声音は呆れというより懐かしむようなものだった。ムネチカの気苦労を労っているようにも聞こえた。

 

「–––せ、聖上!」

 

しかし、ムネチカが気に食わないのかデコポンポが声を荒げる。

 

「くどいぞ。聖上がお許しになったのだ。どの分際で口を挟んでいる!」

 

「にゃぷぷ……!」

 

ミカヅチが吠えるとデコポンポは顔を真っ赤にして反論しようとしたが、八柱将としての体裁とか色々と小言を囁いているが誰に相手にもしてもらえず、段々と尻すぼみに言葉が消えていく。

ライコウとウォシスという男は傍観の体勢で様子を窺うばかり、オシュトルは表情には出さないものの目だけは面白そうに爛々と輝いていた。

 

「……だが、理解し難い」

 

その時、ドンッと俺の前に立ちはだかる巨影が降りた。ムネチカの斜め後ろに控えていた自分の前にヴライが巨木のように見下ろし立ち塞がっていた。

 

「汝は何故、そこに立っている。–––跪け。聖上の御前である」

 

礼を尽くさなかった俺が気に食わないとばかりにヴライが唸りにも似た低い声を発し、威圧するように殺気を放つ。もしかしてそれは自分に向けているのだろうか?

 

「ヴライ殿–––ッ!!」

 

さっと顔を青褪めさせたムネチカだが既に遅し、ヴライが拳を振り上げる方が疾かった。瞬く間に拳は振り下ろされ俺の顔面を捉えようとしていた。

 

–––パンッ。

 

乾いた音が一発、音を鳴らす。

朝堂には衝撃波が響き渡った。

ジンジンと掌が痛む中、俺はヴライを見上げた。

拳を受け止める形で突き出した掌をそのままに、精一杯の殺意を視線に乗せた。

 

「ほぅ……我が拳を受け止めるか」

 

何を感心しているのかヴライの表情が緩んだ。

好敵手を見つけたと言わんばかりの笑みに、背筋が寒くなる。

 

「おやめください、ヴライ様」

 

そんな地獄にホノカが声を張り上げ、間に割って入るように妨げる。

 

「その方は聖上の義弟にあたる者、無礼はお控えください」

 

そして、そう宣った。

 

騒然とする場。

混沌、と言った方が正しいだろうか。

 

「多少の無礼は良い。……むしろ此奴が従順な方が恐ろしい」

 

帝からのお墨付きが出たところで、俺はようやく口を開いた。様子を窺おうと思ったがその計画もご破算。帝との関係性を公言されては隠し通せるものも隠し通せない。詰みだ。ヴライも聖上の命とあって引き退っていく。

 

なら、自分も自由にやらせてもらうとしよう。

 

「チッ、相変わらず何考えてるか判らないやつめ」

 

「さて、ヨミナよ」

 

ムネチカにしか聞こえないように悪態を吐き、ガシガシと髪を掻き乱すと帝が一際大きく声を上げた。

 

「その方が我が娘を救い出したそうじゃな」

 

「可愛い姪のためだ、当然だろう」

 

此処はあえてそう言っておく。

褒美は受け取らないスタンスだ。

 

「天晴れである。その方に褒美を取らす」

 

「不要です」

 

帝の言葉を遮り俺はそう断言した。

自分の声は聞こえていたのか、側にいたホノカに命を下すと彼女は頭を深々と下げた。申し訳なさそうに戯れに付き合ってくれと言わんばかりに微笑を顔に張り付けている。

 

 

気がつけば楽が奏でられていた。

何処から聞こえているのか、謁見の間に鳴り響く。

美しい旋律に聞き惚れているとふわりと黒い二つの影が舞い降りた。

外套を深く被ったあの二人。

その二人は互いに背中合わせに立つと示し合わせることもなく、旋律に合わせて手を翳し踊り始める。

音に揺れるように手が降りて、ゆらゆらと扇情的に腰が揺れる。

手を大きく振っては脚でリズムを刻み、互いに大きく離れたところでバッと交差するように跳んだ。

外套が舞い、中から現れたのは–––。

 

 

–––女だった。

 

 

双子の少女である。白い肌と褐色の肌が対照的な二人、その髪は絹のように美しく小さな光を反射して輝き、肌は滑らかに艶やかに瞳に写り汗が光った。

 

曲調が激しくなっていく。

 

双子はクルクルと踊りながら、俺の周りをクルクルと円を描くように舞う。

何度も交差しながら目の前に–––。

やがて、目前ですっと跪いたかと思うと楽が鳴り止む。

褒美にしては随分と良いものを見せて貰った。

何故か、少女達からキラキラとした視線を感じるが–––。

 

「それが其方への褒美だ、ヨミナよ」

 

『それ』を探すが少女達は何も持っていない。二人は顔を上げてじっと見つめてきていた。

 

「ウルゥル」

 

「隣が姉のウルゥル。私はサラァナと申します」

 

訳が判らないまま呆然と立ち尽くしていると双子は更に深く頭を下げた。直後、湿った感触が足の甲にしてその理由を知るや背筋にぞくっとした寒気が奔った。

 

(なんだ急に寒気が……)

 

足の甲に湿った感触がしたからではない。何か別の思惑による寒気を感じて振り返る。それは大内裏の門がある方角だった。一体そこに何があるというのか。

 

「「主様に永久なる忠誠を」」

 

紡いだ言の葉が更に寒気を強くさせた。

依然、物凄い圧力を門の方から感じる。

更に謁見の間の騒めきが酷いことになっているが気にならなかった。

 

「……何が褒美だって?」

 

俺は目の前の少女達に視線を向けた。次いで、帝を見上げる。

 

「今この時より鎖の巫は其方のものだ。大切にするもよし、玩ぶもよし、その全てが許される」

 

「許されるわけがないだろうが」

 

「無論、其方のことだ……姪を守るための力ともなろう。これからも期待しているぞ」

 

「人の話聞けよ。……こんなもの貰っても困るんだが」

 

おそらくは監視役として送り込んだのだろう。

ならば、尚更受け取るわけにはいかない。

釈然としない気持ちのまま突き返そうとすれば、更に周りがどよめいた。

一体この少女達が何なのか。

帝からの褒美を突き返そうとしたことへの反感かもしれないが、自分には全く関係のないことだと言っておく。

 

「有意義な時間であった。ヨミナよ、何れまた……」

 

そんな言葉を残して帝はホノカに車椅子を押されて出て行った。玉座と思ったものは車椅子だったのだ。世界広しといえど豪華な車椅子などあれくらいであろう。

 

去り際にふとホノカが振り返る。

目と目が合い、彼女は朗らかに笑った。

 

「私の娘達をどうかよろしくお願いしますね」

 

む、すめ……?

 

目の前で今も跪く少女達に目を向ける。

言われてみれば、面影があり似ている部分も多々あった。

 

「…………」

 

「全く大変なことになったな」

 

放心しているとムネチカが隣に立ち、袖を引っ張る。

 

「それより騒ぎが大きくなる前に帰るぞ。事態が事態だ、聖上の縁者とあらばすぐに面倒なことになる。その前にさっさと出て行った方がいい」

 

「全くどういうつもりなんだか」

 

「小生には聖上のお考えを理解する事は到底不可能だ。だが、関係性を公言した理由は幾つもあるだろう。後継者争いのようなものがあるかもしれないが、ヨミナ殿は國を出るから問題はないと判断したのだろう」

 

そう語るムネチカの頰は若干吊り上がっている。

さっき尻尾を辱められた意趣返しか。

 

「それにだ。大遅刻をかまして何の咎めもなしにするには縁者であることを大々的に宣言するしかないだろう」

 

「辞退したかった」

 

「それこそ打首で済むかな」

 

褒美か、打首か、選択肢が大雑把過ぎやしないか。

 

「しかし、別の噂も立っているようだぞ」

 

言われて外野のひそひそ話に耳を傾ければ、帝がいた時よりも大きな声で噂を広げていた。

「やはり、多くの巫を輩出する一族は帝の縁者なのでは……」「あの男もホノカ様と同じ一族の血が」「いやもしかしたらあの双子の巫はあの人の血縁者である可能性も」「にゃぷぷ、この私を差し置いて鎖の巫など……」「俺じゃなくてよかった」

最後のは紛れもなくハクだ。

 

「まぁ、用は済んだしさっさと帰るか」

 

長居は不要とばかりにムネチカの手を引き、謁見の間を逃げるように去った。

 




これから色々と巻き込まれたり巻き込まれなかったり。


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三つ巴の戦争

ミトが当たらない


 

 

 

歩く度にジャラジャラと金属が擦れ合う音が響く。その発生源は双子の首元、首に嵌められた首輪に繋がれた鎖が擦れ合う音が原因だった。

 

「…………」

 

そして、双子の首に繋がれた鎖の先は俺の手にある。双子を鎖で繋ぎ散歩をする奇妙で犯罪的な光景に住人達はひそひそと指を刺さないようにしながら話題に上げ、不審な者を見るような目を向けた。それは皆も同じで唯一、フミルィルだけが微笑みを絶やさないでくれる。だが、大内裏で自分を待っていた時から何処か不機嫌そうに見えるのは気のせいだろうか。少し背中に刺さる若い娘達の視線が痛い。

 

「此処が白楼閣だ」

 

現実逃避も佳境に差し掛かった頃、ようやく見えた宿にほっと息を吐き、逃げるように回廊を抜けて詰所に入った。その間、ゆっくりと足を遅らせるように歩く双子に歩調を合わせて、首を引っ張らないように気にするだけの余裕はあった。

 

「まったく一体どういうつもりなんだか……」

 

どっかりと長椅子に座り、羞恥と疲労を一気に解放する。

恨み言を吐きながら、襟を緩めて深く溜め息を吐く。

 

「……それでこの方達は?」

 

浮気じゃないですよね、と言わんばかりに双子にちらりと視線を向けてからフミルィルはそう告げて、自分の居場所を主張するように俺の隣に座る。

 

「だからさっきも言っただろう。帝から下賜された褒美だ」

 

その場におまえもいたんだから説明できるよな。と、ハクに視線を向ければ無言でしらを切るように視線を逸らされる。あの兄にしてこの弟あり、裏切りやがった。

 

「ハク様?」

 

「お、おう……兄貴がヨミナに褒美として贈ったのがそいつらだ」

 

美女の無言の圧力に気圧されてハクは吐いた。

しかし、まだ納得していないのかフミルィルは俺と双子の間に視線を右往左往させていた。

気になることでもあるのか。

此方は包み隠さず話すつもりだ。疚しい事は何もないのだから。

 

「でも、似ていますよね……?」

 

見比べるように視線を右往左往していたが、やがて俺の顔に視線を止めるとにっこり微笑む。何を疑っているのだろうか。

 

「実は隠し子……なんてことはありませんよね?」

 

「断固否定する。隠し子はいない」

 

あくまで姉の模造品から生まれた、遺伝子が酷似した別の生命だ。この場合、姪ということになるのだろうか。

 

「肉人形」

 

「隠し子ではありません。肉人形です」

 

そんな自分の否定も双子の一言で一瞬にして打ち砕かれる。フミルィルの頰がぴくりと引き攣り、笑っていない瞳が目蓋の間から覗く。

 

「肉、人形……?」

 

「お世話する」

 

「いつ如何なる刻も主様にご奉仕を。おはようからおやすみまで、食事に不浄、お望みとあらば夜伽の相手も受け付けます。むしろ推奨します」

 

空気が凍るとはこのことを言うのだろう。大昔、姪に獣人とベッドに裸で寝ていたのを目撃されたのと同じくらいの動揺が、自分の背筋を寒気となって疾った。

それに対して三人娘の反応を見てみると、クオンだけ顔を痙攣らせたまま冷たい視線を寄越し、ヨハネは双子に何かを感じたらしくじっと双子を見遣り、フミルィルだけは顔を俯かせて表情が窺い知れなかった。

 

「ふ、フミルィル?」

 

「……それは私のお仕事です」

 

するりと腕が伸びて俺の腕をフミルィルの指が捉え、胸に引き寄せる。柔らかな胸に沈み込むように腕が抱き締められ、抵抗も虚しく二の腕が幸せになった。

 

「ヨミ様のお世話をするのはこの私です」

 

堂々たる宣言をして、自分の存在をアピールする。もっとも主張が激しいのは胸部装甲の方であったが。

 

「そ、それなら、私だって……」

 

恥ずかしそうに小さな声でルルティエが呟くが、その小さな声が一体どれほどの人に届いているか。宣戦布告を受けたフミルィルとウルゥルとサラァナは鋭敏に反応したが、表情は動かない。

 

「聖上の命」

 

「これは聖上の勅命です。勿論、私情もありますので精一杯のお世話をさせていただきますのでお引き取りを」

 

ウルサラは権力に訴えた。

 

「うふふ……私はヨミ様の妻より直々にお願いされているのです。私がお世話を任されているのです。そこに他人が入る余地なんてありませんよ」

 

母は強し、とフミルィルが訴える。

恐妻ではなく愛妻なので効果は抜群だ。

 

「う、うぅ……」

 

今回に限ってはルルティエの分が悪く、上手く自分の取り柄をアピールすることが出来ず歯噛みして、どうにか形成を逆転させようと頭を回転させているところだった。

 

「こ、此処はヨミナ様に決めてもらうのはどうでしょう。お茶の腕等を競うというのは」

 

苦し紛れに出した回答は意外にも的を射ていて、ウルサラとフミルィルはコクリと頷く。

 

瞬く間に茶を入れるべく動き始めた四人は本人の了承もなく対決を始め、数分後にはそれぞれお茶を一つずつ淹れてきた。

 

「勝負」

 

「私達のお茶からどうぞお召し上がりください」

 

「お、おう……」

 

ウルサラが差し出したお茶を見る。湯呑みの中には澄んだ緑色の液体が注がれており、この世界特有の乳や蜂蜜を入れたお茶とは異なったお茶のようだった。それに香りが……。

 

「むっ、これは……!」

 

確信を得て茶を啜る。口の中には懐かしい渋みが拡散し躰中に染み渡る。後味の良さにほっと一息、紛う事なく緑茶がこの世界には存在していた。

 

「この緑茶は何処で?」

 

少なくともこの世界で緑茶を飲めるとは思っておらず、双子に問い掛けると二人は瞑目して答えた。

 

「聖上から賜った。大いなる乳に勝つために」

 

「帝より最終兵器としていただきました。大いなる乳……大いなる父には効果抜群だと」

 

何故、フミルィルの胸を最後に見た?

 

「そうか……まぁ、あの男なら可能か」

 

植物の栽培くらいどんなものでも環境を整えることができるだろう。緑茶の栽培くらいお手の物ということか。だが、称賛すべきは双子の緑茶を淹れる技術かもしれない。

 

「では、次は……」

 

「私のです」

 

間髪入れずルルティエが踏み切ってくる。ずいっと湯呑みを差し出してさぁ飲めと、湯呑みを受け取るとじっと見つめてきて随分と飲み辛いのだが、ルルティエは手に汗握るといった様子で此方の緊張にも気付いていないらしい。

 

「じゃあ、いただこう」

 

湯呑みの中には白く濁った茶が入っている。動物の乳を混ぜたのだろうか、仄かに甘い香りが漂う。ちょうど良い量で注がれた動物の乳入りの茶を一口含み、味わうようにして飲む。すると口内には茶の独特の苦味と仄かな甘みが広がり、飲み込むと滑らかに喉を下る。それに程良く緩くなっておりホットミルクのような味わいだ。

 

「ルルティエの國の茶か」

 

「はい。乳もクジュウリから取り寄せました」

 

「美味いな」

 

「っ、はい!」

 

ルルティエは花の咲いたような笑みを浮かべた。

優勝にしてやりたいところだが、選ばなければ収まらないだろう。

 

「では、ヨミ様。ご賞味ください」

 

最後にフミルィルが湯呑みを自分の前に置いた。その横には茶菓子としてトゥスクルで食べていた煎餅が二つほど乗っている。塩辛さが丁度いいのだ。

まずは煎餅を一口食べて口の中の甘さを掻き消す。

次に湯呑みの中を覗き込んだ。中身はルルティエと同じく動物の乳が入っており、白く濁っていた。

 

「では、いただこう、か……?」

 

湯呑みを持ち上げて口をつけようとした瞬間だった。

緑茶と同じく懐かしい香りが鼻腔を満たした。

その発生源はフミルィルの淹れた茶。

飲む直前、喉の奥が蓋をしたように一瞬息が詰まる。

 

今度はゆっくりとその液体を口に流し入れる。

すると広がったのは懐かしくも遠い第二の故郷の味。

 

「おぉ、これは……っ」

 

動物の乳と蜂蜜をお茶に混ぜたものだ。

とろりとした蜂蜜が舌を滑り、乳の甘さと混ざり合う。

茶の渋味を殺さず、甘過ぎもせず。

いつもとは違うのは蜂蜜を使っていないからか。

 

「……教えて貰ったのか」

 

「ヨミ様の好みの味だとお聞きしています」

 

道理で懐かしいわけだ。

トゥスクルで飲んでいた茶なのだから。

 

「勝者、フミルィル」

 

文句なしに勝者の名を告げる。

そこに異議を唱えたのは双子だ。

 

「不正行為」

 

「思い出を使うのは狡いです」

 

「そ、そうです。狡いです!」

 

同調するルルティエだが、言わせてもらうことがある。主にそこの双子。

 

「狡いと言うならウルゥル、サラァナ、緑茶を引っ張り出してくるのは反則ではないのか?」

 

そもそも同じお茶を淹れさせればいい話なのだが、個性としてそこは見逃しておこう。だから、双子を諫めるために緑茶の件を出せば双子は沈黙した。

 

「後学の為」

 

「転んでも只では起きません」

 

「お茶を拝借」

 

「味見です」

 

双子は負けをあっさり認めると俺の手からフミルィルが淹れた茶を引っ手繰る。競うように一口含み、味を確かめること数秒、不思議そうに首を傾げた。

 

「知らない乳、と蜂蜜」

 

「お茶そのものもトゥスクル産のものを使用しているようです。そして、これは……」

 

動物の乳、その謎を解明しようとして双子は顔を見合わせた。

 

「エラー」

 

「知らない乳です。この乳は何処で?」

 

「うふふ、さぁ何処ででしょう」

 

微笑み誤魔化すフミルィルが勝者の特権とばかりに俺の腕にくっついた。たゆんと大きな胸が揺れて、腕が押し返されそうになる。なんたる暴力か。

 

「あの胸部装甲……」

 

「一番の脅威と認定します」

 

「驚異。脅威。胸囲」

 

「私達では遠く及びません」

 

自分の胸に手を当てて恨めしそうにフミルィルのおっぱいを見詰める。

第一次世話係戦争は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

その数日後には全く同じような光景が広がっていた。三つ巴で誰が俺の世話をするか歪み合う闘争が繰り広げられる。食事の世話から始まり、風呂にまで乱入し、寝床まで侵入して来るともう誰も止める者はいない。元より傍観の姿勢で周りの者達は状況を遠巻きに見守っていたのだから。

 

「どうぞ、主様」

 

「あーん」

 

食べさせようとしてくれるのは嬉しいが双子で同時にアマムニィを突き出すのはやめて欲しい。切に願う。

 

「ヨミ様、今日も不埒な輩が侵入して来ないか一緒の部屋で寝させてもらいますね」

 

一度、双子が寝床に夜這い目的で侵入して来たことがあり、フミルィルは防波堤として毎晩自分の部屋で眠るようになった。本当の脅威はフミルィル自身だが、それに気づいた様子はない。もっとも本人は襲われてもいいと思っているようだが。

 

「はい……ヨミナ様、お茶をどうぞ……」

 

ルルティエの出してくれるお茶を飲み、「どうしてこうなった」と頭を抱える。取り敢えず、ユズハが来るまでにこの修羅場めいたどうにかしておかなければならないのだから。

 

「フミルィルだけなら大人しかったんだがなぁ……」

 

妙に対抗心を燃やし始めた彼女の行動に心当たりがないわけでもなく、見て見ぬ振りをして平和な日々は過ぎていく。




ロスフラ、ベリーハードの最後のクリアしたけど星が一つ。
最近、ウルサラでゴリ押しができなくなった。


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國境の開戦

ウズールッシャ編突入。


いつもの朝市。だというのに妙に騒がしい帝都の姿が今此処にあった。

 

「朝から賑やかですねー」

 

「うん、鬱陶しい」

 

朝の低血圧から不機嫌そうに耳を垂れさせているヨハネとは対照的に、フミルィルは市場を覗き込みながら物珍しそうに物色を始める。そんな二人の背中を見ながら、俺とクオンは朝の通りを歩いていた。

理由は単純、朝食の材料の買い出しに付き合わせられているからである。まだ重い目蓋を抉じ開けるためにも散歩は効果的で、誘われた手前断れずに付き合う羽目になっているのである。

 

「戦が近いって話だけど……」

 

そんな中、クオンが不穏な言葉を漏らした。

 

「実際、辺境にある國が陥落したって話もあるくらいだし、ヤマト側も軍備を増強して戦の準備に取り掛かっているらしいっていうのがオシュトルからの話かな」

 

それも右近衛大将という役柄からの御墨付き、疑う余地もなく断定されてしまった。

 

「なるほど、そうか……」

 

それが他人事ならまだしも。今となっては他人事とは言えず、内心で唇を噛む。あぁ、きっとそれは良心的な話などではなく、帝を心配しているわけではない。この國に妻達を呼んでいるのだ。それも戦時に入ろうとしている國に。懸念すべきはその事のみで、この國がどうなろうが関係はないわけである。

ただ惜しむらくは、獣耳の血が流れる事でそれは戦争に参加した男衆のみならず女子供の血も流れる可能性があるという事だ。実に耐え難い事態である。

 

「まぁ、心配するだけ無駄だろうがな」

 

「どうしてかな?」

 

「そんなの決まってる。帝がいるからな、この國は」

 

しかし、心配するだけ無駄というもの。この國を支配しているのは義兄である。そして、何より八柱将とやらの存在は伊達ではなく、あの仮面からはとても嫌な予感……力を感じたからだ。ウィツアルネミテアに近い何かを。

 

「ふーん。そうなんだ」

 

「オシュトルやムネチカのような強者がいる。義兄はともかく、腕だけは確かだろう」

 

当然のことながら、トゥスクルの連中クラスの実力者が多い時点で獣人という存在は地力と底力が知れないものだから、他國もそれなりの武力はあるはずだ。そう考えれば、よく大いなる父は獣人の手ずから滅ぼされなかったものだ。

 

「それに結局、戦うのは八柱将の仕事だろ。この國の奴らに任せて高みの見物といこうじゃないか」

 

そんなことを宣いながら、白楼閣への帰路を歩いた。

 

 

 

白楼閣、朝食の後。食後に俺を甘やかそうとしてくるフミルィル達の攻防は熾烈を極めていたが、ルルティエのいない争いはあっさりと終息しヨハネの勝利に終わった。決め手は漁夫の利、お茶出しである。

抜け目のないウサギ、ヨハネが出してくれた手慣れていない渋いお茶を飲みながらゆっくりしていたが、今朝から妙にルルティエの様子がおかしいことに気づいている。

 

そろそろ問う頃かと、俺は湯呑みを置いた。

 

「さて、と……ルルティエ」

 

「……あ……はい、ヨミナ様……あの、なんでしょうか……?」

 

「それは此方の台詞だ。今朝から元気がないぞ。どうしたんだ?」

 

クオンが気付いていたんだ、みたいな顔をしたが無視をする。それほど鈍感ではない。

ルルティエは問い返されて返答に困った様子で視線を下げ、なおも迷う。どうやら相談するかにも悩んでいる様子である。

元気がなさそうなのはルルティエだけではなくアトゥイもなのだが、其方はハクに対処して貰う。あくまで自分が相談に乗るのは何時もルルティエには世話になっているからだ。無論、相談してきたなら対処するが。

 

「遠慮するな。言いたくないことなら言わなくてもいい。これは普段、世話になっている礼……にはならないと思うが、感謝の気持ちととって欲しい」

 

当たり障りのない言葉を選びつつ踏み込む。するとルルティエは決心がついたのか、懐から一枚の書簡を取り出した。

 

「実は……その……私宛に父から、名代として参加するようにと……」

 

「読んでいいのか?」

 

「は、はい……」

 

こくこくと頷くルルティエから書簡を受け取り、要領を得ない彼女の説明に疑問を抱いているとそれはすぐに解決した。

 

「あー、なるほど、それでか……」

 

ルルティエに宛てられた書簡にはただ一つ、クジュウリ皇、八柱将オーゼンから戦争に名代として軍を率いて戦うようにとの要請があったのだ。父は國から離れられないからと。

この分だと、アトゥイも似たような悩みだろう。書簡をすぐに返して腕を組む。

 

「怖い、か」

 

「あ、えと……私には父の代役などとても……」

 

本人の自身の無さを引いても、ルルティエは女の子だ。獣人の中では割と珍しい勇しくないタイプの守ってあげたくなるような娘だ。トウカやカルラ、ムネチカはどうも例外に見える。それにアトゥイもお嬢様というよりは中々に強そうな女というイメージが定着しており、獣娘を甘やかしたい身としてはそれだけで十分だった。

 

「ふむ、そうだな……」

 

自分にも無害とは言い切れず、少し考え込む。

ユズハ達が来る。その時、戦時中であればどうだろうか。まず間違いなく危険だ。そんな國についてしまえばどうなるか判らず、最悪の未来がある可能性も否定はできない。

その戦争に参戦するのがルルティエとあれば、無視することなど到底不可能と判断する。

もしそんな選択を取れば、クオンやフミルィルに見放されてしまうかもしれない。

 

–––決断は疾い。

 

「なら、俺も行こう」

 

自問自答を繰り返した結果、戦に首を突っ込む事になってしまった。その事に驚いたようにルルティエが目を見開く。

 

「で、でも……」

 

「ダメだよルルティエ。私達も友達を見捨てて逃げるなんて、出来ないから」

 

ガン、と頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。

 

「クオン。君も来るのか」

 

「当然だよね、お友達が困ってるんだもん」

 

「できれば来ないで欲しいのだが」

 

「なんで?嫌だよ、ねぇ……フミルィル?」

 

「はい、私は何処までもヨミ様と共に。死が二人を別つまで……とは言いますが、死んでも離しませんよ」

 

当然の事ながら、クオンはそう言ってのけ、フミルィルはジッと真剣な眼差しを向けてきた。親の心子知らずとはよく言ったもので、誰に似たんだかと思えば、自分から首を突っ込んでいる俺が言えた義理ではなかった。

 

「さて、他の者は?行く奴は挙手だ」

 

当然の如く、全員が–––ハク以外の全員が手を挙げた。

 

「……おまえ意味判ってるのか?」

 

「当然だ」

 

「待て、冗談だ。行くって。確認だ確認、冗談だからそんな目で自分を見るな」

 

慌てて挙手するハクだが、ネコネの冷たい視線とキウルの呆れた溜息がハクの心臓を冷たく刺す。

 

「と、いうわけだ」

 

「みなさん……」

 

「気にするな。皆、ルルティエを護りたいんだ。それに無用な血が流れるのも見てはいられない」

 

その無用な血はあくまで自分の知る命のみ、それ以上を護れると思えるほど自分は強くない。分相応の振る舞いというのを心得ているし、手加減などできるはずもない。

 

「満場一致だ。準備に取り掛かるぞ」

 

 

 

 

 

 

それから二日後、帝都を出立した。馬車に必要な物資を詰め帝都から三日ほど旅を続ける。相変わらず、のどかな山道や街道が続くばかりで戦の気配もない。

 

「皇手」

 

「ま、待った、手が滑ったこっちだ」

 

「じゃあ、こっちかな」

 

「あぁ、私の飛車が……!」

 

馬車の中では遊戯による戦争が繰り広げられており、女衆が一塊りになって楽しんでいる声が聞こえてくる。自分は御者、そして他の男衆は別の馬車に物資と一緒に積まれて、ハクの御者で列となりついて来ている。

そんな自分の隣に座るのはフミルィルとヨハネ、誰が自分の隣に座るか別の戦争を繰り広げた結果、遊戯にて勝利を収めた二人だ。荷台の簾から双子が恨めしそうに見ているのを察するに、二人は負けたのだろう。

 

「平和だな……」

 

「そうですね。ヨミ様も昔は、トゥスクルのために戦に出た事があるとか」

 

「昔の話だ。まぁそれより、あと何日すれば着くんだ……?」

 

もう既に三日、北西を目指して馬車を走らせている。だというのに一向に戦場に辿り着く気配がなく、ヤマトに棲まう民が避難した気配もなく、通りがかった集落は未だにのほほんと平和に暮らしている獣人の姿があった。

 

「すぐそこ」

 

「もう数分ほどで見えてくると思います」

 

そんな自分の訝しげな質問に対して、双子は口々に教えてくれる。地の理で言えば二人は巫として叩き込まれており正確な位置情報が判ってしまうのだろう。もうすぐとのことだ。

 

そんな噂をしていれば–––。

 

「おっと」

 

ヒュン。と、音がして何か先端が光る棒状のものが飛んでくる。懐から鉄扇を取り出し仰ぐとフミルィルに刺さりそうだった矢はキンと金属が擦れ合う音がして弾かれて木の根に刺さった。

 

「お見事」

 

「主様、本当に人間ですか……?」

 

それは最近、疑わしくなってきたところだ。

 

「大丈夫か、フミルィル。怪我はないか?」

 

「はい。ヨミ様が守ってくださいましたので」

 

さっきまで死が直面していたというのに、なんでもないようにフミルィルは微笑み応える。声は弾み何処か嬉しそうな印象があり、ならいいんだと言い聞かせる事にした。細かいことまで気にしていられない。

 

「ねぇ、今さっき矢を弾いたみたいな音がしたけど……」

 

「敵襲か?」

 

騒ぎを聞きつけて、クオンとノスリまでもが顔を出す。

 

「いや、流れ弾が飛んできただけみたいだ」

 

近くでは合戦の怒号、複数の金属が擦れ合う音が響いてきており、戦場が近いことを指し示す。遠目には開けた平原で武器を張り合う両軍の戦いが繰り広げられている。

 

「さて、どうしたものか」

 

「ならばまず、私が偵察に出よう。行くぞオウギ」

 

「はい、姉上」

 

停車した馬車の上にノスリとオウギが立っていた。示し合わせると二人は荷物を置き、駆けるように木を登っていく。そうして数分、高い所から周りの情報を収集して、二人は戻って来た。

 

「で、どうだ?」

 

「うむ、奴ら背後から別動隊に奇襲させるつもりらしい。谷の方から敵國の兵が迫っている」

 

正面では合戦。ヤマトとウズールッシャ軍の両軍によるぶつかり合い。それを挟み撃ちするためにウズールッシャの軍が迫っていると報告を挙げられ、少し考え込む。

 

「しかし、妙だな。ウズールッシャは他國でも丸め込んだのか?」

 

「あぁ、もしかしてあのウズールッシャ軍の方にいる鎧が違う人達のこと?」

 

気になるのはウズールッシャ軍の方にいる鎧の違う妙に疲れ切った兵達であったが、クオンの説明によると剣奴と言われる奴隷らしい。あの國は人質を取り、他國の獣人を無理矢理戦わせているという話だ。

 

「女子供の獣耳を人質に捕るのか奴らは」

 

「ん、ヨミ……?」

 

「許せんな。断じて許せん」

 

「あ、ヨミの変なスイッチ入った」

 

何時も無表情なヨハネがクスクスと妖艶に微笑む。嬉しそうに、楽しそうに、懐かしそうに。それは親愛の証を秘めた揺るぎない感情の一つで、それを見たキウルは縮み上がる。まるで恐ろしいと言わんばかりに。

 

「よし、やることは決まったな。まずは別動隊を叩き、人質の居場所を突き止める。そして、判明したら人質の解放だ」

 

これで剣奴は無力化できるだろう。

無駄に戦わなくて済むし、無益な血も流れない。

 

馬車はまた、戦場を求めて動き出した。




此処は脳みそが足らず原作通り。


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迷子と敗残兵

ウズールッシャ編という名のエントゥア編。


 

 

 

全て順調に進んでいた筈だった。

 

「まさか、こんなことになるなんてな……」

 

ウズールッシャ軍を打ち倒し、ヤクトワルトという剣奴であった仲間も増え、彼の情報に従いウズールッシャの國の方にある人質が集められている地点を目指していた時だった。運悪くウズールッシャ軍と鉢合わせ、撤退も撃退も不可能な状況に追い込まれた。ならばと自分が馬車を降り、『此処は任せて先に行け』と皆を逃した。

 

それだけが唯一、実行可能な作戦だったからだ。

 

その後、十分に時間を稼いだ自分は運良く逃げ仰せ、クオン達の後を追ったのだが……行く先々でウズールッシャ軍が網を張り巡らせており、痕跡を見失ってしまった。

 

「この歳で迷子とは……」

 

合流地点を決めていたわけでもなく、示し合わせていたのは目的のみ。その上、現在地点も判らないときた。合戦の音は遠くに聞こえるものの、あまり近づくと敵として処理される可能性もある。困ったものだ。

 

「幸いにも食料はある。それだけが救いか」

 

逃げる際、クオンが投げ渡してくれたのは薬と食料が入った袋で、中身は干し肉等が入っていた。

 

「まぁ、なんとかなるだろう」

 

目指すは人質がいる後方の拠点だ。

 

 

 

迷子二日目。

合戦の音がなくなった。

だいぶ遠いところまで来たみたいだ。

此処は既にウズールッシャの土地なのだろう。

戦火が広がるのはヤマトの國ばかりで、ウズールッシャは平穏そのものだった。

 

迷子三日目。

よく考えたら正確な場所を知らないことに気づいた。

そして、此処が何処かも判らない。

 

迷子四日目。

ウズールッシャの部族の集落を見つけた。

女子供、老人が固まって生活しているようで若い男の姿がない。

徴兵されたのだろう。

 

迷子五日目。

部族の娘が怪我をして荒野で蹲っていた。

助けたら懐かれた。

集落に連れて行かれ、好待遇を受ける。

戦争中のなのにこんなことをしていていいのだろうか。

 

迷子六日目。

泊めてもらったお礼に食料になりそうな獣を狩った。

随分と集落の人達は喜んでくれた。

 

迷子七日目。

人質達のいる場所を集落の人間が教えてくれた。

集落の獣人に別れを告げて、その場所へ向かう。

 

迷子八日目。

ようやく目的地に辿り着いた。

だが、その場所は既にもぬけの殻で人の気配がない。

天幕が焼けた痕、兵糧の残骸。

他には何もなかった。

きっとあいつらが上手くやったのだろう。

 

 

 

そして、更に三日が過ぎた……。

 

 

 

 

 

 

薄暗い森の奥深くを歩いていた。既に大規模な戦闘音は届いて来なくなり、各地では残党狩りが始まっていた。逃げ惑うウズールッシャの兵に追い討ちを掛けるようにヤマトの兵が侵略を開始する。

 

そんな時、自分のいる方向へ走ってくる気配があった。慌てて樹の上に登り、茂みに身を隠して様子を窺う。すると丁度、自分がいる樹の真下を少女が逃げるように走って行くところだった。

 

「はぁ…はぁ…!」

 

「待て、そこの女!」

 

必死に逃げ惑う女性の後を追うようにヤマトの兵が姿を現す。

ひー、ふー、みー。三人の兵が武器を手に女に迫って行く。

 

「あっ–––!」

 

そんな時、逃げていた少女は樹の根に躓き、うつ伏せに倒れ込む。

彼女を取り囲むようにヤマトの兵が包囲網を敷く。

我先にと距離が縮まり、ついに女の腕を捕らえた兵の一人が苛立った様子で声を荒げていた。  

 

「ったく、てこずらせやがって」

 

「しかし、随分と身形がいいな」

 

「きっとかなりいいご身分のお嬢様なんだろうよ」

 

兵達の言った通り、少女の身形は良い。服は何処か気品に溢れていて、髪は少し汚れているが整えられており、泥で汚れた頰はそれさえ落とせば美人に見える。特にあの尻尾に耳、かなり色艶が良かったのだろう。汚れながらも艶々とした色を放っており、それだけで目を奪われた。

 

「だけど、運が悪かったな。俺達はデコポンポ様の部隊でよ。あの野郎、手柄は全部自分の物にする癖して不味いことがあれば全部部下に押し付け、挙げ句の果てには賃金だってロクに払いやしねぇ。こういうところでいい思いをしないとよ」

 

「まぁ、そういうことだ。あんたらだってやってんだろ」

 

「お互い様ってやつだな」

 

兵達は弱り切った少女に群がった。

 

「いやッ、誰か–––」

 

暴れて助けを求める少女。

その前に降り立つ、一つの影。

 

「呼んだか、お嬢さん」

 

俺は一息にそう呼び掛けた。

慌てて、ヤマトの兵が振り返る。

 

「な、なんだお前っ!?」

 

「敵……なのか?」

 

突然、樹の上から飛び降りた自分を警戒して兵達が呆然と此方を見る。如何に間抜けでも武器を握ることは忘れず、その矛先を俺に向けることで牽制しているようだ。

 

「いや、俺は帝都から来たのだが……」

 

「なんだよ脅かしやがって」

 

安堵したように肩の力を抜き、兵は武器を下ろした。

こいつら、少し無警戒過ぎないだろうか。

問題はそこではなく、この兵達のしようとしたこと。

確か、軍では禁止されていたはずだ。

 

「単刀直入に言おう。その女性を此方に引き渡せ」

 

任せておけば最悪の結果になると判断したため、引き渡しを要求する。すると奴ら、武器を構えてあからさまに抵抗の意思を見せる。

 

「ウズールッシャの兵に身の程を弁えさせるのは聖上のご意志、楯突く奴は誰であろうと極刑に処すぞ!」

 

それはおそらく侵略に対して、相応の地獄を見せるという意味だったのだろうが、権力を笠に思い上がっている馬鹿は意外にも多いらしい。きっとこういう奴らはムネチカやオシュトルの率いる部隊にはいないのだろう。

 

「一応、聞かせてもらうがその女性が何をしたって言うんだ?」

 

「この女はウズールッシャの兵を率い、侵略を繰り返した将だ。敵将を討ち取るのは聖上のご意志。そこには何人も口を挟むことはできないと知れ!」

 

「なるほど……」

 

随分と可憐で美しい少女……は、よく見ればより美しく。まだ十代の少女にも見えた。目を合わせると僅かに視線を下げ逸らされる。この状況が絶望的だと悟ったのだろう。

 

「だがな、実に惜しい。そんな獣耳や尻尾をお前達に無遠慮に傷つけられるのはどうも看過できない」

 

「馬鹿め、楯突くか!」

 

「馬鹿はそっちだ。確かデコポンポの部隊だと言ったな?」

 

「それがどうした?」

 

「俺はオシュトルやムネチカに顔が効く。聖上にも話を通すことが可能だ。末端の兵と比べて、どちらが偉いかな?」

 

秘技–––虎の威を借る狐。

実はやばいやつと話してるんだぞ、という脅しに兵達はたじろいだ。

しかし、それも一瞬のこと。

そんな筈がない、と喚き始める。

 

「黙れ!貴様、ウズールッシャの兵だな!」

 

「結局、そうくるか……」

 

次の瞬間には槍が迫っていた。兵の一人が突き出した槍だ。それは俺の心臓目掛けて一直線に伸びる。

 

「流石に屑でも殺すのは忍びない。寝てろ」

 

戦場に来た時より腰に差していた刀を一閃、槍の刃先を切り取り、返す刀で峰打ちする。一人があっさりと崩れ落ちたところを見て驚いた二人も一緒に眠ってもらうため、峰打ちで昏倒させておく。

三人の兵が気絶したところを確認して、俺は少女に手を伸ばした。

 

「大丈夫か?」

 

「–––ッ」

 

差し出した手から遠ざかるように少女が身を引く。

警戒したような様子で、自分を睨み付けていた。

 

「何で私を助けたんですか……?」

 

「はぁ……?」

 

「私は敵です!」

 

そう主張する少女はヤマトの兵が落とした刀を拾い、俺に突きつけるように向けた。

 

「あなただって知っているでしょう。ヤマトとウズールッシャは戦争をしていて、私達が今まで何をしてきたか知らない筈がないでしょう。そして、たった数日前に敗走を始めたんです」

 

だから、助ける必要などなかった。

こうされることは当然だった。

生きるも、死ぬも、全ては結果。

私達が招いたことだと。

彼女はそう言いたいらしい。

 

伏した瞳からは、大切な何かが零れ落ちる。

 

「そうだな。敢えて言うなら一目惚れというやつだ」

 

そんな泣いているように見える少女に対して俺は言う。

 

「敵の女を好きになった。そういうものでいいんじゃないか、助けた理由なんてものは。少なくとも綺麗な理由だけじゃないぞ」

 

一目惚れしたのは本当だ。あの獣耳と尻尾、存分にもっふもふしたい。そんな娘を悪い兵の毒牙にかけるなど間違ってはいないだろうか。

 

「感謝される謂れはないな。うん」

 

「……バカ、なんですね」

 

呆れたように少女が言う。

 

「名前……」

 

ふと、思い出したように少女は呟く。

 

「貴方の……名前は……?」

 

「ヨミナだ」

 

「私はエントゥアと申します」

 

黒髪の少女はそう名乗ると、俺の手を取った。

 

 

 




デコポンポの兵にはこういう輩がいそう。
逆にムネチカの兵にそんなのがいたら汚物を見るような目で見られる。汚物を見るような目でな!
大事なことだから二回言った。


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戦争の終結

ミト当たりました。
もう八十回はガチャしましたね。


 

 

 

西へ。ウズールッシャの兵が撤退しているとの情報を得て、エントゥアと共に其方を目指し、放浪する中でそれは突然現れた。

 

『ウオオオオォォォォォォ–––!!!!』

 

白い巨影。それはいつか見た禍々しいウィツアルネミテアの姿とは違い、甲蟲のような奇妙な顔をした巨人だ。まるで羽虫を払うが如く腕を一振り、するとその一撃で巨人に向かって行ったウズールッシャの兵が虫けらのように飛んでいくではないか。血を撒き散らし、骨は砕け、命を散らし、天を舞い、地に落ちる。そして、それは骸となった。

 

「あれは……なんですの……!?」

 

巨人の姿を見たエントゥアが驚きの声を上げる。しかし、答えを求めていたわけではないのか、その巨人がいる方へ走る。

 

エントゥアはウズールッシャが敗走し始めたのを聞き、ウズールッシャ軍の本隊にいる父を探すべく行動していたらしい。自分を置き去りにして彼女は茂みの奥に消えてしまった。

俺も彼女を追って巨人の方へ向かう。そして、やっと追いついたかと思うと茂みで身を潜め、戦場の一点をただ見つめていた。

 

「お父さま……!」

 

視線の先、旗下には仮面の将とウズールッシャの将が対峙していた。もう既にエントゥアの父–––千人長ゼグニと呼ばれた男は満身創痍の状況で、立っているのがやっとな状況だった。

最後の一太刀。一振りに向けて、対峙していた二人が動き出したのはすぐ後で、娘の叫びさえ戦場には無用とばかりに届きすらしない。

 

「参られよ、ゼグニ殿!」

 

「うおおおぉぉぉぉ–––!!!!」

 

対峙していた二人が交差し、刃を断つ嫌な音が響いた。お互いに立ったままで……やがて、膝をついたのはゼグニだった。肩口から胸に掛けて袈裟斬りに斬られ、鮮血を吐き出していく。その姿を見てエントゥアが叫んだ。

 

「いやああああぁぁぁぁッ–––!」

 

倒れ伏した父、ゼグニに駆け寄り泣き叫ぶエントゥア。その姿にようやく二人は別の者がいたことに気づいたみたいだ。オシュトルは俺の姿を見て、仮面の下の顔を少し驚きに眉を潜めたように見えた。しかし、やがて娘と父の姿を見て、自分を見ると何も言わず敵國の皇を追って静かに去って行く。

 

「お父さま! お父さまッ!」

 

エントゥアが父の躰を揺さぶるも反応が薄い。意識が朦朧としているのか、実の娘がそこにいることもわかっていないようだった。

 

 

 

それから数分後、瀕死であるゼグニが身動ぎ思い目蓋を開けた。エントゥアの必死な呼び掛けが功を制したのか、それとも最後に残された親娘の時間か、それは奇跡と言ってもいいだろう。

 

「エントゥア、か……」

 

「お父さま……!」

 

父が目を覚ましたことにエントゥアが喜ぶ。それが最後の奇跡だと、彼女も判っているのだろう。目元には涙を溜めて、ただ父の手を握って涙を流していた。

 

「よくぞ無事で……怪我もないな……あぁ、其方の男は……そうか、助けてくれたのだな。其方が」

 

「はい、ヨミナが助けてくれましたから」

 

勝手に自己完結して、それにエントゥアが力強く肯いて、しかし俺は素直に肯定することは出来なかった。自分もまた彼とは敵対するヤマトの一人なのだから。

 

「それよりお父さまこそ治療を–––」

 

「よい。儂はもう……」

 

ゼグニ自身も死期を悟り、最後の時間を娘と過ごそうとする。

そこに後悔などあるはずもなく、ただ清々しいくらいに穏やかな顔で娘を見つめていた。

 

「思えばお前は……昔から機織りや料理ばかり好いていたな。集落では振り向かぬ男などいないくらいに誰もがもてはやす、妻に似た美しい自慢の娘だった」

 

それは誰に向けた言葉だったのか、或いは独白か、ゼグニは空を仰ぎ見ていた。

 

「……生きよ」

 

ぽつり、と呟く。

 

「エントゥア」

 

「お、お父さまの仇は必ず–––」

 

「もうよい。よいのだ……お前は……普通の娘だ」

 

復讐に身を滾らせようとした娘に父の叱咤が飛ぶ。

消え入りそうなほど弱い声で、娘を諫めた。

そんな父の姿に娘は口を噤む。

父の最後の言葉を一字一句、聞き逃さんと。

 

「女としての幸せを掴め……普通に生き、幸せに……それだけが儂の願いだ」

 

「お父さま……」

 

初めて父の願いを耳にしたのだろう。エントゥアの驚いたような顔が証明だった。次第に流れる涙がポタポタと地面を濡らす。

 

「……ヨミナ殿」

 

そして、ゼグニは次に俺を見る。

離れたところに立っていた自分をだ。

呼ばれて俺は歩み寄った。

 

「……娘を頼む」

 

「あぁ……判った。命に変えても守ると誓おう」

 

「フフッ、そうか……恩に切る」

 

ゼグニは笑った。

きっと彼には、自分がどっち側かも判っているのだろう。

それでも託すと決めたのか。

憑物が晴れたような顔を浮かべる。

 

「未練があるとすれば……娘の花嫁姿を拝めないことか……あぁ、実に残念だ」

 

そして、その言葉を最後にゼグニは目蓋を閉じた。

 

 

 

啜り泣くエントゥアの泣き声だけが後に残る。父の亡骸を前にして、悲しみ泣く娘の姿が戦場にはあった。そこに近づく足音にエントゥアは気づいたのか涙を拭った。

 

「……行きましょう」

 

「いや、ちゃんと弔おう」

 

「ですが……」

 

戦場で散った命の残骸、骸が弔われないことはよくある話だ。負けた國の誰かも判らない死体は野晒しになったり、獣に喰われたり、弔えない場合というのが多々ある。エントゥアもそう思い、この場を離れようとしたのだろう。敵兵である千人長ゼグニの死体を手厚く弔うなど、ヤマトの兵がするとは考えなかったのかもしれない。

現に今も残党狩りは行われており、弔う余裕などはなく、何処の誰かも判らない死体は増え続ける一方なのだから。

 

「忘れたのか。俺はヤマトの兵……まぁ、それなりには権限がある。敵兵を弔おうとも誰にも文句は言わせないさ」

 

だから、ゼグニを弔う時間もある。そうエントゥアに伝えると彼女は泣きそうな顔で頷いた。

 

「はい」

 

それから数秒後、足音が複数、ヤマトの兵がこの場に姿を現した。

 

「貴様ら、何処の者だ!」

 

「……む?まさか、ウズールッシャの!」

 

エントゥアがゼグニの亡骸を抱えていると、そうなることは予想していた。千人長ゼグニはウズールッシャの兵の中でも特別な装いをしており、ヤマトの兵と言い訳は出来ないだろう。

強く父の亡骸を抱くエントゥアの前に出て、懐を漁り双子に渡された印籠のようなものを取り出し、前に掲げる。どのような効果があるかは知らないが、ヤマトの者だと証明するには十分な代物とのことだ。

 

「これが目に入らぬかッ」

 

「なっ、それは–––!?」

 

「ははぁ–––ッ!!」

 

特殊な印籠を掲げた瞬間、ヤマトの兵が平伏する。

思った以上の効果にドン引きした。

 

「此処はいい。おまえたちはオシュトルの後を追い、グンドゥルア討伐に努めよ」

 

「は、はい!……あの、その女性は……?」

 

ウズールッシャの者ではないかと疑いを掛けているのだろう。

訝しむような視線がエントゥアに突き刺さる。

 

「俺の女だ。気にするな」

 

手を出すなよ、との意味を込めて言ったら何故か騒然とした様子で兵達が顔を見合わせる。きっと敵の女を囲ったとか思われてるんだろう。どうでもいいが。

 

兵が去った後で脇腹を小突かれる。

 

「誰が誰の女ですって?」

 

「そうでも言わないと収まりがつかなかっただろう」

 

 

 

 

 

 

ウズールッシャの國は死者を弔う場合、枯れた大地に死体を埋葬するらしい。その血と肉がやがて栄養となり、地に還元されることで作物が育つと信じられてきたとか。

埋葬を終えたエントゥアは名残惜しくも立ち上がり、前に進み始めた。一眼に見てウズールッシャの者と判る彼女は自分の隣を付かず離れずついてくる。

 

「それで。ヨミナ、貴方は何処を目指しているんですか?」

 

出会ってから約三日程の時が過ぎ……お互いのことを未だに知らないままのエントゥアが、今度は俺の目的について聞いてきた。

 

「仲間の元だ。オシュトルがいたんだ……きっとこの辺にいるはずなんだが」

 

自分を見捨てて帝都に帰っていなければ、と注釈が付くがそんなことはないだろう。見捨てて帰ったとかあり得ないはずだ。フミルィルやヨハネ、双子に至ってはその可能性は低いだろう。

 

そうして岩場を渡り歩いている時、前方から声がした。

 

「……言いたくはないが、もう……」

 

「旦那ぁ、まさかそれを姐御達に報告するんで?」

 

「だが仕方ないだろう」

 

「……」

 

「もう一週間と経っているんだ。それにあの数、生きていられるとは思えない」

 

聴き慣れた声と、戦場で手を組むことになった男の声。

何やらひそひそと話をしているみたいだ。

 

「捜索を切り上げて、帝都に帰るべきだと思う」

 

「それ、姐御達に言えんの?」

 

深刻な様子で話し合う二人の背後に忍び寄り、俺は様子を窺った。どうやら何かを探しているようだ。

 

「何の話をしているんだ?」

 

「だから、犠牲になって残ったヨミナを……おぉわっ出たっ!」

 

ハクが振り向いた瞬間、吃驚して腰を抜かし地面に尻餅をつく。大袈裟に飛び退いて腰を打ったハクは俺を指差し動揺したままの声で問い掛ける。

 

「おまえ、何で生きてッ!?」

 

「勝手に殺すな。あの程度、自分一人ならどうとでもなる」

 

「いやでも良かったじゃない。フミルィルの嬢ちゃんなんてもうそわそわしぱなっしで、もう何日も元気がなくなってて正直、フォローのしようが……」

 

「それはすまなかったな」

 

心配されていることに対して嬉しいと感じることは不謹慎だろうか。少し、吊り上がった頬を悟らさないように無表情を貫いてみる。

 

「……なぁ。おまえの後ろにいる女は?」

 

「あぁ、拾った」

 

呆れか、驚きか、二人の顔色はどうも良くない。

何故だろうとエントゥアを見ると、彼女も驚いたような表情で二人を見ていた。

 

「ヤクトワルト!」

 

「え、なに、知り合い?」

 

「「「……」」」

 

そう聞くと三人は気まずげに視線を逸らす。そうして数秒沈黙しているとヤクトワルトが身を寄せて俺に耳打ちしてくる。

 

「一体何がどうしたらそうなるわけ?相手が誰だか判ってんの!?」

 

「ウズールッシャの者、ということか?そんなの大した問題ではないだろ」

 

「いや、匿ったりなんてしたら……それに朝廷に引き渡しを要求されたり、色々と問題があるじゃない」

 

「案ずるな。俺はエントゥアを見捨てないし、誰にも傷つけさせはしない、そう約束したからな。たとえ誰が相手だろうとそのような命令に従う気はないぞ」

 

そうきっぱり言い放つとヤクトワルトは溜息を一つ。

 

「姐御といい、ヨミナの旦那といい、なんていうか……二人とも似た者同士というか肝が座っているというか」

 

「そうか、似ているか。あれはどちらかと言えば妻に似ているのだがな」

 

「……え?」

 

「すまない。今のは忘れてくれ」

 

つい口が滑ってしまい、口止めにそう言った。

聞いていたのはヤクトワルトだけだった。

 

「ヨミ様ッ!」

 

何か追求したげであったがそれよりも早く、岩場の影から世にも美しい少女が姿を現す。足場の悪い場所を転けそうになりながらも跳ねるように移動して、勢い余って胸に飛び込んで来た。

 

「もう、心配したんですよ、勝手に…いなくならないでください…危ないことはしないでください…ユズハ様に言いつけますよ」

 

それで普段の彼女からは想像もできないような震える声で責め立ててくる。

 

「それは困ったな」

 

全然困っていないことを隠そうともせず、腕の中で顔を埋めるフミルィルを宥めるように背中を撫で続けた。

 




ロスフラの復刻VH5、ゲンジマルの火力はもう笑うしかない……クリアしたけどね!カミュの攻撃アップ封印がなけりゃ詰んでた。ゲンジマル以外はミトの連撃で全滅するとは思ってなかったわ。


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家族

都合上、クオン視点。


 

 

 

「おはよう、ヨミ」

 

「……あぁ、クオンか。おはよう」

 

その日、ヨミナは様子がおかしかった。

 

戦争が終わって数日、いつも通りの日々に戻ったというのに彼は毎日眠れない様子でいる。その日というか、ここ数日ずっと様子がおかしいと思う。眼の下には隈ができ、顔色は良いのだけど何処か影を帯びている。何処かそわそわと落ち着かない様子で出掛けたりしては、夜遅くに帰って床に着く。

 

はっきり言ってもいいかな。

 

–––おかしいというか、心配だ。

 

ハクが別に何をしていても不思議には思わないんだけど。

ヨミナは……拾った手前、特別に気になる。

 

「ねぇ、ちょっと」

 

だから私は、ふらふらになりながらぼーっと何処かへ行くヨミナを引き留めた。

 

「ん、どうした……クオン?」

 

「どうしたってそれはこっちの台詞!もしかして、眠れないの?」

 

「あぁ、まぁ、な……」

 

そう歯切れの悪い言葉で返すが、困っているようではなく、何処か嬉しそうな笑みを溢す。ますます訳が判らない。

 

「何かあったの?」

 

「まぁ、そんなところだ」

 

いや、私が聞きたいのはその先のことで。

勿体ぶるヨミナに私は膨れっ面を見せた。

 

「できれば教えて欲しいかな」

 

「うん。実は知り合いから手紙が来てな、嫁がもうすぐこの帝都に来るらしい」

 

「そっか……」

 

「子供っぽくて悪いが、楽しみで緊張して眠れん」

 

なんというか心配して損した。

私は安心してほっと息を吐いた。

 

「そんなに奥さんに逢うのが楽しみなんだ」

 

そして、揶揄う。心配させられた意趣返しに。

 

「愛しているからな」

 

「……」

 

そんな素直な答えが返ってきて聞いていた私が恥ずかしくなってしまう。そんな彼の影響だろうか。

 

「そっか。そうだよね。私も……会いたいな」

 

父に、母に、私も会いたくなってしまった。

 

「じゃあ、私はヨハネ達を起こしてくるから」

 

「……」

 

「あれ、ヨミ?」

 

返事がなくて訝しげに顔を覗き込むと、立ったまま壁に凭れてヨミは寝ていた。

 

 

 

 

 

 

行動を起こしたのは今日の用事が済んだ昼頃。詰所にてヨハネとフミルィルを中心に数人の仲間が集まった。なお、ヨミナは倒れるように寝てしまって今頃はエントゥアに介抱されて自室で休んでいる頃だろう。

 

「姉様、もうヨミさんは大丈夫なのです?」

 

「うん、もう大丈夫かな。よく効く睡眠薬を飲ませて寝かせてあるから」

 

皆も最近のヨミナは大分心配していたらしく、ネコネが異様に気にしていた。フミルィルはヨミナのお世話をしたがったがエントゥアの気迫に負けて今は私の隣でおとなしくしている。

 

「でも、ヨミナさんがあそこまで浮かれているってなんだか不思議ですよね」

 

キウルがそう言って、お茶を啜る。

 

「まぁ、確かにあの人は不思議な人なのです。本当にハクさんの義弟とは思えないくらいです」

 

「おい、そりゃどういう意味だ」

 

「ハクさんよりヨミさんの方がしっかりしているという話です」

 

ネコネの吐いた毒に言い返すことができず、ハクはむぐっと口を噤んだ。ニヤリとしてやったりなネコネの顔がとても満足げに見えるのが微笑ましい。

 

「ところで、ヨミさんの妻ってどんな人なのです?」

 

それから一息お茶を飲んで、ネコネが呟く。

そういえばそれ私も聞いてないかも。

ヨミナがそこまで気にする相手、というのが想像できなくて。

そもそも結婚しているのが想像できないかも。

と、失礼なことを思ってみたり。

 

「二人は何か知ってる?」

 

フミルィルとヨハネはよくヨミナの側にいるからそれなりに知っているだろうと思い話題を振る。

 

「んー、どう説明したものでしょうか」

 

「勿体ぶらないで教えてくれよ」

 

どうやらハクも気になるみたいだ。

フミルィルとヨハネは顔を見合わせてひそひそ話す。

やがて、結論が出たのか此方を向いた。

何故か、私の方を注視している。

 

「とっても綺麗で優しい方ですよ」

 

「……ん?まるで会ったことあるみたいな言い方だよね」

 

「クーちゃんだって会ったことありますよ」

 

「私が会ったことあるって……」

 

会ったことある人が多過ぎて見当がつかないのだけど。

私の知っている人……なわけないよね。

 

「正直、私なんかではあの人にはきっと敵わないと思います」

 

「そ、そんなに綺麗な方なんですか?」

 

ネコネは驚いているようだった。それもそのはず、フミルィルこそトゥスクルで一番綺麗と言っても過言ではないほど、絶世の美女という言葉が似合う女性はいないわけで、私もそんなフミルィルが誇らしくて自慢の親友で幼馴染なのだから。自意識過剰なタイプではないけど、フミルィルがそこまで言うのも珍しい。

 

「姉様は心当たりがないのですか?」

 

「うん、正直フミルィル以上に綺麗な人なんて見たことないから」

 

誇張しているわけでもなく、事実だ。

 

「しかし、そんな相手があいつと結婚か……想像できん」

 

「少なくともハクさんと比べるまでもないと思うのです」

 

「自分だって……」

 

「相手がいないのです」

 

「でも、あいつが結婚できたんだぞ。自分にだって–––」

 

「ヨミさんは普段、のほほんとしているように見えますが、仕事はちゃんとするし怠けたりしないのです」

 

「あいつが仕事しているところなんて見たことないぞ!?」

 

「最近、白楼閣で人気の甘味類は全部ヨミさんが作ったらしいですし、その他甘味処でも働いていてヨミさんは厨房に引っ張りだこみたいですよ」

 

何か言う度にハクはネコネに言い負かされ、いつもの戯れが始まる。

それを尻目に見ながら、気になることを思い出した。

 

「ねぇ、そういえばだけど……フミルィルはヨミナにお嫁さんがいるって何時から知ってたの?」

 

フミルィルは前からヨミナに好意を寄せている。

ヒトとしてではなく、男女関係のそれだ。

それは依然、ヨミナに妻がいると判っても変わっておらず。

フミルィルが強かなことに私は驚きを隠せない。

大丈夫だとは思うけど、もしフミルィルを弄ぶようなことがあれば、ヨミナには地獄を見てもらうことにしようと思っている。

そんな私の決意も他所に、フミルィルはあっけらかんと言い放った。

 

「ずっと前から知ってましたよ?」

 

「……もう私、この件に関わらなくていいかな」

 

心配しても無駄ということに気付いて、私は手を引くことにした。首を突っ込むとフミルィルに振り回される気がしてならない。

 

「話せば話すだけ気になってきたです」

 

ようやくあの二人の喧嘩が終わったのか、ネコネが不満そうな面持ちでそう呟く。

 

「皆さん、何の話をしてるんですか?」

 

「ヨミのお嫁さんの話。エントゥア、ヨミは大丈夫だった?」

 

「はい。死んだように寝て起きません」

 

「それ本当に死んでないよね……?」

 

「ちゃんと脈はありましたし、呼吸も正常、問題はないかと」

 

ヨミの世話が終わり、エントゥアが顔を出す。淡々と報告しながらも随分と心配するあたり、彼女もそれなりにヨミの人柄を好いているのだろうか。

 

 

 

 

 

「ねぇ、ヨハネ」

 

その夜。私達三人の部屋の隅で妙な板を弄っているヨハネに声を掛けた。彼女はジッと板を見つめながら、顔を此方にも向けず「なに?」と返す。とても興味がなさそうだ。

 

「私達のお父様ってどんなヒトだったんだろ?」

 

そんな疑問を呟いたと同時、ヨハネが珍しく視線を寄越した。板を弄っていた手を止めて不思議そうな顔。

 

「気になる?」

 

「それは勿論。気にならないと言えば嘘になるかな」

 

私も母に一度くらい聞いたことはある。

どうして私には父がいないのかと。

他の子供にはいるのに。何故、私にはいないのかと。

どうしても気になった私は母に聞いた。

そうすると寂しそうに告げるものだから、私は父の話をしてはいけないものだと思っていた。

だから、私は父の事をよく知らない。

知っているのは母が父の事を好きな事だけ。

 

逆に私には他の子供にはないものがあった。沢山の母親、大きな家、大家族と言えばそうなんだろう。血の繋がりもないけれど、それは紛れもなく家族というやつで。だから、寂しくはなかった……というのは少しだけ嘘。私も父が欲しかった。だって、父の代わりは何処を探してもいないから。

 

だから、私はこの旅に出たのだ。

父を探すために。

 

もう、今は見つかったらしいけど。

 

「ねぇ、ヨハネは今も会いたいと思う?」

 

昔から、ヨハネは会いたがっていた。

今はどうだろうか?

 

「別に」

 

と、思ったら辛辣な答えが返ってくる。

 

「え、昔はあんなに会いたがっていたのに!?」

 

どういう心境の変化だろうか。

私の変化を面白可笑しそうに見ている。

 

「きっとすぐに判る。認識していないだけで、ずっと傍に……」

 

「え、なに?」

 

「なんでもない」

 

悪戯兎は微笑みながら、月を見上げた。




エントゥアがそのうち実装される事を信じてる。


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時を刻んで

ユズハ視点。


 

 

あれから、何年の時が経ったのでしょう。

 

ヨミナ様が私の前から消えてから、幾星霜。

私のお腹に芽吹いた命が産まれ、クオンと名付けた娘はすくすくと育ち、やがて大人になっていく。まだまだ子供っぽいけれど、元気に育ってくれて何も文句はありませんでした。私みたいに病弱じゃなく、元気に育ってくれて。それだけが唯一の懸念でしたから。

そんな娘も大きくなって、娘の成長を一緒に見守ることが出来なかったのは残念でしたが、私はそれでも貴方を待ち続けています。

 

–––また、いつか会えると信じて。

 

そう思わないと生きていけない。あの人がいない生活はとても退屈で、色褪せていて、まるで世界が私に意地悪をしているかのようにゆっくりと時は過ぎ……。

 

春が来て、花が咲き。

夏が来て、緑が生い茂り。

秋が来て、世界が枯れていく。

冬が来て、雪が降る。

 

–––貴方はいつまで待っても来ないのに。また、春が来た。

 

季節が過ぎて、また一年。

私は貴方を待ち続けた。

信じている。信じていた。

でも、一年が過ぎる度、季節が変わる度に、私の胸中には不安が募った。

まるで雪が積もるかのように私の心の中を不安が押し潰していく。その重さに耐え切れなくて、何度泣いてしまったことか。

そんな私を元気付けようとして、娘や兄、友達が色々としてくれたけど寂しさは増すばかりで、私の心はポッカリと穴が空いたように虚しく感じてしまう。

 

「ヨミナ様……貴方は何処にいるのですか……?」

 

トゥスクル中を探しても、彼は見つからなかった。きっと私の知る世界にはいないのだろう。このトゥスクルが私の知る世界。海に囲まれていると知ったのはつい最近の話だ。何処までも陸が続いていると思っていた私には寝耳に水で、酷く驚いたのを覚えている。同時に落胆したのも、私が知る世界はなんて狭いのだろうと。

 

今日も月を見上げた。私の目には映らない。だけど、喩えるなら……きっと今日の月は満月だ。私の瞳の代わりに世界を写す、綺麗なまあるいお月様。きっとお月様が私の代わりにヨミナ様を見ている。

 

「早くしないと……ユズハ、おばあちゃんになってしまいます」

 

老いてしまった私にヨミナ様は興味を示してくれるでしょうか?

不安で仕方ありません。

 

「……ユズハは立派な母親になれたでしょうか?」

 

夜風が吹く。

その気持ち良さに身を委ねている時だった。

 

「ユズっち!」

 

「起きてるー?起きてるね、よしっ!」

 

襖が勢い良く開けられて、私のお友達が二人入って来た。

アルちゃんとカミュちゃん、私の大切なお友達。

二人が何やら慌てた様子でがっしりと私の腕を掴んだ。

いったいこんな夜中になんだと云うのか。

紙をくしゃっと握り潰す音に、ムックルののっしりとした足音、本当に訳が判らない。

 

「今から、ヤマト、行く」

 

「急いでユズっち、レッツゴーだよ!」

 

「急過ぎませんか!?」

 

突然、突撃してくる二人には慣れたものだけど、最近は形を潜めていたはずなのに彼女達の暴走癖はまだまだ健在のようでなんだか微笑ましくなってしまう。

 

「まぁ、いいですけど……」

 

あまりトゥスクルから離れたくはないけれど、閉じ籠っていてばかりではヨミナ様を見つけられないのは事実。

 

「じゃあ、サクヤちゃんも拾って行こっ」

 

「んっ」

 

「でも、どうして急に……?」

 

そう聞くと二人は顔を見合わせた。

返答まで若干、間があって。

 

「ほ、ほら、お仕事だよ。大使的な」

 

「あと、クーもヤマトにいるって」

 

何故だか、二人は私に内緒で何かを企んでいるようだった。

いいでしょう。気づかないふりをしてあげます。

 

 

 

陸路をムックルで四日程、潮風の匂いがした。

どうやらヤマトという國は海の外にあると、二人は言う。

馬に車にと船に詰めて、船旅を始める。

私は未知の世界に少し胸が躍っていた。

この先にヨミナ様がいるかもしれない、そう思うだけで少し気分が軽くなる。

 

「気持ちいいですね」

 

「そうですね、ユズハ。クーヤ様を連れて来れないのが残念です」

 

甲板の上で潮風と太陽を日差しを受けながら、私は隣にいるサクヤに話し掛ける。昔は私のことを『様』付けで呼んでいたけれど、今では同じヨミナ様の妻として大の仲良しになって、こんな風に話す仲だ。

 

「お仕事ってなんでしょう?ユズハにもできますか?」

 

「だいたいお話を聞いているだけの楽な作業って聞いてますけど、きっと疲れてしまうのでユズハには合わないかもしれないです」

 

「お話を聞くのは得意ですよ?」

 

「いえ、経験上やめておいた方がいいと進言しておきます」

 

何故だか、頑なにサクヤは私に仕事を薦めはしなかった。

深くは聞かない。サクヤが言うから。

 

「ふふ、トゥスクルの……あの島の外に出るのは初めてですから楽しみです」

 

「宿泊先の楼閣はカルラ様がやっているらしいですから。期待していいと思いますよ」

 

「あれ、カルラ様は楼閣なんてやっていたんですか?」

 

「随分と前かららしいですよ。あの人を探す拠点に建てたらしいです。それに他にも情報収集のために色々とやっていますから、帝都で隠れ蓑にするには便利な肩書きなんだとか」

 

「随分とあの二人にはご迷惑を……」

 

「大丈夫ですよ。多分。それより、大丈夫ですか?」

 

波に船体が揺られ、風が帆を撫で、太陽の光が海に反射する。

そうサクヤが私に情景を教えてくれた。

想像しても、やはり想像できないというか……。

不思議な感覚だ。船に乗る、というのは。

 

「もう慣れました」

 

「さっき転けましたからね」

 

だって、地面が揺れるなんて思わないじゃないですか。次は大丈夫です。私はそう言い張ったが、サクヤは私の手を引くことをやめることなく先導してくれる。

 

「こんなにドキドキしたのは久しぶりです」

 

貴方に会うために私は國を出ました。

それだけで私にとっては冒険なんですよ。

 

 

 

船旅は一週間くらいで終了。再び陸路に戻る。遠い異國の地は匂いが新鮮で、何処か活気に溢れていて、人で溢れていた。

 

「此処がヤマトですか?」

 

「正確には帝都はまだ先ですけど。ヤマトという國は沢山の國からなっているらしいです」

 

「なるほど……?」

 

よく判らない。けれど、相槌を打っておく。

 

「行くよー、二人とも!」

 

「先を急ぐ」

 

カミュちゃんとアルちゃんが準備した車に乗り込み、私達は再び陸の旅を。珍しく市井を見て回らない二人に訝しげに思いながら、娘達がいるという帝都をただひたすら目指した。

やがて、潮風の匂いがしなくなり、森の中に出る。涼しげな風が車に吹き込み、カミュが呟いた。

 

「やっと半分。もうすぐだからね」

 

「随分と急ぐ旅路なんですね」

 

「あ、あははは、まぁね〜……」

 

誤魔化すようにカミュちゃんが笑う。目の見えない私だからこそ判る違和感。彼女は何かを隠している。この旅のこともそうだし、何より不自然すぎるのだ。今はまだ騙されたふりをしておくけど。

そこで私は気になっていた疑問を解消しておくことにする。

 

「ヤマトってどんな國なんですか?」

 

「ヤマト?ヤマトね〜」

 

うーん、と考え込んで一言。

 

「得体の知れない國、かなぁ?」

 

困ったような顔でカミュちゃんは言った。

 

「実はだいぶ前から接触してるんだけど、神の眠りし地に興味があるらしくて調査させてくれって煩いの。普通はオンカミヤリューである私達でさえ、入ることが難しい土地なのにね。あいつら遠慮なしに再三要求してくるんだよ。ダメって言ってるのに」

 

怒っているような、困っているような、そんな声で。溜息を一つ零す。

 

「相手は大國だし下手したら戦争になるから、対応にも気を付けてるんだけど。やっぱり他國のヒトを大事な場所に入れるのも無理だから、本当に困ってるんだよね〜」

 

そこまで愚痴を漏らせば、カミュちゃんの口は止まらなかった。

 

「帝は荒人神であるとかあっちの宗教観を押し付けてきたり、それでこっちはウィツアルネミテアを崇め奉ることを主張したら平行線だし、妙なところまで立ち入ってきて嫌になっちゃう。私達が信じている大いなる父は一人だけなのにね」

 

「大変なんですね」

 

國同士の問題はまだまだあるようで今はお互いに仲良くしていきましょうの段階らしく、ぴりぴりとした緊張感があるのだとか。それでカミュちゃんが大使として選ばれてしまったらしい。

 

「でも、まぁ、そんな仕事ぜーんぶ押し付けちゃうんだけどね」

 

カミュちゃんに代わって、いったい誰が代役をこなせるというのだろうか。

少なくとも大事な役目だからこそ、彼女に任せたはずなのに。

 

 

 

 

 

約一週間程の旅路。

そしてついに、私達はヤマトの中枢、帝都へ辿り着いた。

 

「ん。見えて来た、帝都」

 

御者をするアルちゃんがそう言うと簾を除けて、カミュちゃんが窓枠から身を乗り出す。

 

「おー、本当だ、すっごーい!」

 

緩やかな丘を下っていく。他にもトゥスクルから連れて来た車を引き連れ、私達は帝都へと入る大門の前に。すると異國の地の匂いが車の中に吹き荒れる。何処か知らない匂い。でも、その匂いが、人々の活気が、人々の喧騒となって溢れ。アルちゃんもカミュちゃんもサクヤも楽しげに見渡している。

 

「ん。いた」

 

それから数分、帝都の門を潜って中へ。

大通りの真ん中で、車が止まる。

いったいどうしたというのだろうか。

 

「うそ、どこどこっ!?」

 

カミュちゃんが窓枠から誰かを探す。

だいぶはしゃいでいるみたいだ。

 

「あ、ほんとだ」

 

人々の喧騒の中に何を見つけたというのか。

楽しげな生活音に耳を澄ませているとそっと風が吹いた。

また、異國の風が車内に入ってくる。

風に乗って、匂いが……。

 

「…………え、うそ…?」

 

その中に混じった匂いが鼻先を掠めた時、ふと懐かしい感覚がした。

大好きな人の匂いが紛れていた。

一瞬だけ、ヨミナ様の匂いが……した気がして。

私は思わず、車から身を乗り出した。

 

「ヨミナ様……近くに、いるんですか?」

 

問い掛けても返答は無い。

ユズハの勘違い?

でも、あの匂いは……。

 

「ヨミナ様!」

 

ユズハは今まで出したこともない大声であなたの名前を呼びました。

そこにいるんじゃないかと思って。

姿は見えないけれど、そこにいると思いたくて。

あなたがすぐに応えてくれると思って。

でも、すぐに答えは返らなくて……今すぐに探さないと見つけられない気がして、私は車を飛び出し–––。

 

「きゃっ!?」

 

気がつきました。

此処は車の上で、脚を踏み外したことに。

宙に浮いて躰が倒れ、車から転げ落ちるその刹那。

 

「お母様っ!?」

 

誰かの声が聞こえて……でも、誰だか判らなくて、そんなことを考える余裕はなくて。

思わず顔を顰めて痛みに備えようとした時、倒れる私を誰かが抱き留めた。

優しくて、懐かしい匂いがする、両腕が。

私を受け止めて、地面に下ろした。

その腕の中から私は……ユズハは離れられなかった。

より顔を埋めて、匂いを確かめる。

 

あなたの匂いがする。

あなたの温もりがする。

あなたの心臓の鼓動が聞こえる。

 

それだけで涙が溢れた。

 

「ヨミナ…さま…?」

 

私の頭を撫でる優しげな腕が、私を抱き締める。

 

「あぁ、此処にいる。ユズハ」

 

その声が私の名前を優しく鈴を転がすように呼び、ついには私の心を掴んで離さない。

聞きたかった声が此処にある。

あなたがいる。それだけで私は満足してしまった。

言いたいこと、色々とあるはずなのに。

母親として立派な姿を見せようとか、色々思っていたのに。

あなたの前ではユズハは普通の女の子です。

 

「……この時をどんなに待ち侘びたことか」

 

長かった。本当に長かった。

あなたがいない間、その時間が永遠にも感じられて。

苦しくて。辛くて。

せめてもう一度会えたら。何度、そう思ったことか。

でも、本当の私はもっと欲張りで。逢えただけでは、飽き足らず。

伝え足りない言葉を補完するように、そっと唇を重ね合わせた。

 




注意。ユズハさんに周りは見えておりません。


おまけ

ヤクトワルト「なぁ、ヨミナの旦那の動き見えたか?」
オウギ「全然見えませんでしたね。あれも愛がなせる技かと。ふふっ、僕もまだまだですかね」
ハク「クオンが物凄い形相で直立不動なんだが、どうしたらいい?」
フミルィル「クーちゃんは私が回収しておきますねー」


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クーちゃん奮闘記
私のお父様


この章は数話で終わる予定。
その間、クオン視点の話になるかなぁ……。


 

 

 

ムックルが引く車はサクヤを降し、再び帝都中枢を目指してゆっくりと進んで行った。「またあとで」とアルルゥとカミュは言い残して、その後ろ姿を見送ったのがほんの少し前、何をするわけでもなく白楼閣へと戻って来た。

 

「長旅で疲れただろう。今日はゆっくり休め」

 

「ヨミナ様も一緒ですか?」

 

「そうして欲しいならそうさせてもらおう」

 

大通りから握って離さない手を恋人繋ぎのままに、これでもかというほど腕に尻尾が絡み付いている。上機嫌なユズハはすりすりと擦り寄りながら、だいぶリラックスしているようだった。

その対面にクオンが無言で固まったまま正座して、呆然とした表情で見つめているがそれを全く気にした様子もない。

 

そして、その空間を取り囲むように他の面々が着席し、行く末を見守っている。

 

「ヨミ様、ユズハ様、お茶をお持ちしました」

 

全員が全く動けないこの気を逃しまいとしたのか、フミルィルがお茶を四人分用意して現れる。この時ばかりはウルサラもルルティエもエントゥアも手が出せず、彼女だけが空気に臆されることなくいつも通りに動いていた。クオンと俺とユズハ、それとサクヤに一つ置くとクオンの斜め後ろに座る。

 

「クスッ、フミルィルも久しぶりですね」

 

「はい、ユズハ様が元気そうで何よりです」

 

まるでなんでもない会話。

此処でようやく、クオンが再起動を果たした。

 

「……あ、あの、お母様」

 

初めて見た母親の奇行に困惑気味に触れるクオンの表情は硬い。だが、決心したのか確認の言葉を紡ぐ。

 

「えっと……一応、聞くんだけど、そちらの人は?」

 

其方の人、で視線は自分を指していた。

そんな娘に対して、ユズハは何を言ってるのこの娘は?である。

 

「何って……クオンのお父様ですよ」

 

叩きつけられた現実。

もはやクオンには逃げる術もない。

否定の意味も込めて願ったのだろうが結果はご覧の通り。

衝撃の事実である。

 

「…………私のお父様、うん、お父様……えぇ?」

 

なおも認めたくないのかクオンは受け入れがたい現実と闘っていた。諦めか、困惑か、感情が抜け落ちたような表情を一瞬見せたかと思うとお茶を啜る。

 

そして、一言。

 

「取り敢えず、判ったから二人とも離れてくれないかな?」

 

平静を装った娘からの辛い要求であった。

 

「気にしないでくださいクオン、お母さんはこのままがいいです」

 

「もう恥ずかしいからやめてって言ってるのぉ!」

 

目の前で母と父がいちゃいちゃと絡む様子など誰が見たいだろうか。一見、ただのカップルがくっついているだけに見えるがクオンからすれば恥ずかしいことなのだろう。自分も他人の前でそういうことをするのは気が引けるがそれはそれ、ユズハが望むなら妥協も辞さない覚悟である。

クオンが無理やりに引き剥がしにかかろうとして、手を引き剥がすことに成功するが、厄介なのは尻尾の方であった。

 

「お、お母様、尻尾を離してください!」

 

「……何故でしょう。尻尾が私のいうことを聞きません」

 

「そんなことあるわけないでしょ!?」

 

まるで他の生き物のようにぴったりと張り付き、腕から離れようとしない。もう私達は引き裂けないと言わんばかりである。

 

「ところでサクヤは何故遠巻きに見つめているんだ?」

 

再会してからずっとべったりなユズハとは対照的に、サクヤは自分に近寄って来ない。エントゥアと意気投合したようで、あっちはあっちで楽しくやっているようだ。

 

「私はちょっと……今は……」

 

ぴょんぴょん跳ねて此方に来ると、真っ赤な顔でユズハに耳打ちする。

そこまでして自分と話したくないのか。

何か怒らせることを自分がしたか。

それも当然かと、悩んでいたら……。

 

「あの……サクヤは発情期で、近寄り過ぎると……」

 

ユズハからサクヤの伝言が返ってきた。

つまり、自分と今話せないのはそういうことらしい。

再びエントゥアの横に戻ったサクヤは彼女を盾に此方を見ていた。

 

「まぁ、それは仕方ないか」

 

悪戦苦闘していたクオンがようやくユズハの尻尾を引き剥がすと、またしゅるりと腕に絡み付いた。

 

「っていうかフミルィルとヨハネはなんでいつも通りなのかな!?二人からも何か言ってやってよ!」

 

一人では無理だと悟り応援を呼ぶがきょとんと小首を傾げるばかり、クオンの期待する役には立ちそうにもなかった。

 

「おめでとうございます、ユズハ様」

 

「右に同じく」

 

「そうじゃなくって!」

 

二人は興奮気味のクオンを見て更に小首を傾げる。顔を見合わせて一言、何を言いたいのか察した。

 

「だって最初から知っていましたし……」

 

「知らないのはクーだけ」

 

「えっ!?なんで教えてくれなかったの!?」

 

裏切り者がいたことにクオンは驚愕し、二人に詰め寄る。

そこでふと何かに気づく。

 

「ん?待って……フミルィルの好きな人って……それに最初から知ってたって……」

 

顔が青褪め血の気が引き、目まぐるしく顔色が変わる。

ついには詰所の床にぱったりと倒れてしまった。

 

「えーっと、クーちゃんには刺激が強すぎたみたいですね」

 

倒れたクオンの顔を覗き込みながら、フミルィルは呑気にそう言った。

 

 

 

 

 

 

「うぅっ…うーん……」

 

–––酷い夢を見た。

 

ヨミの奥様を迎えに行ったら私のお母様が出てくる夢。

ヨミに抱き着いて、キスして……終いにはお父様だって紹介するの。

それだけでも驚愕なのに、フミルィルが懸想しているのはよりによって私のお父様という事実が判明したり、実はそれ自体前から知っていたと重大な告白をされる夢。

そこで夢は終わって、私は眠りから目覚めた。

実に生々しくてリアルな夢だった。

 

「……あははは、まさかね?」

 

布団から上半身を起こして周りを確認する。

珍しく同じ部屋でフミルィルが寝ている以外は不審な点が見当たらない。

いつもは何かと理由をつけてヨミと寝たがるのに、今はすやすやと私達三人の部屋でぐっすり。

それが異常と思えてくるあたり、フミルィルの想いは本物なのかもしれない。

 

「……でも夢に出てくるあたり、心当たりがないわけじゃないんだよね」

 

嫁が二人。トゥスクル出身。この二つだけで、私の探しているお父様と条件はほぼ一致する。そう考えて邪推するあまりあんな夢を見たようだ。

でも、まさか自分の父親であるはずがない。

そんな都合のいい展開があるはずないと私は何処かで決めつけていた。

 

「そういえば今日はヨミのお嫁さんがトゥスクルから来る日だっけ」

 

前日どころか手紙が来た日からそわそわしているヨミの慌てっぷりと言ったら見るに耐えない。私も父と会うことになればそうなるのかな、なんて少し共感しながら、身支度を始めた。

寝巻きの浴衣を着替えて、いつもの私服に。

準備が完了して、私はいつも通り詰所を覗きにいく。

 

「まぁ、まだ誰もいないよね……?」

 

襖を開けた時だ。

ブワッと、濃い酒の匂いが詰所の中から広がった。

 

「うわっ、皆こんなに飲み散らかして……男衆皆いるし。まぁ、いつも通りヨミだけがいないんだけど」

 

詰所の中にあったのは死屍累々の酒に溺れた男達の山。案の定、酒精が苦手なヨミだけが詰所には居らず、他の面子が転がっている有様である。

 

「でも、昨日飲み会なんてやってたっけ?」

 

前祝いだとかなんとか言って飲んでいた気がする。

妻と再会するヨミのための前祝いなのに、本人はいないのだろうけど。

所詮は飲みたいだけの男達。

飲む理由なんて、あればなんでもいい。

 

「取り敢えず、ハク達を起こして掃除しないと」

 

この惨状では客人を招くことも出来ない、そう思い立ったが為に常世と化した詰所に足を踏み入れようとした瞬間だった。

 

「大丈夫か、クオン?」

 

「あっ、うん、おはようヨミ–––」

 

背後から声を掛けられて振り向くと、ヨミがいた。

それも見知った二人をはべらせて。

両手に花とはまさにこのこと。

私の実のお母様だけでなく反対側にはサクヤお母様までくっついていた。

腕を組み、とても歩き難そうだとは現実逃避の感想。

夢の内容より更に酷く、あの時は良識的だったサクヤお母様まで……。

 

「–––と、お母様達」

 

もう諦めた。

これは現実。

受け止めるしかないのだと。

 

お母様が幸せそうならそれでいいかと。

それで私が受け止められるかは別問題だけど。

でも、文句があるなら一つだけ。

手を繋いだりラブラブするのは出来るだけ控えて欲しいと、私は切実に願った。




ロスフラ次の実装キャラはなんだろうか。
流れ的にアトゥイ出たからあっちの方からだろうけど。
やっぱり当たらないんだよね、新キャラ。
それはともかくムネチカ欲しい。


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尾行、追跡、失敗

フミルィル狙って百連。
結果、アトゥイ、アンジュ、ムネチカ、カミュが当たりました。

ピックアップって都市伝説ですかねぇ……。
ムネチカさん欲しかったんだけどさ。
フミルィル……。


 

 

 

私のお母様は一言で表すなら『病弱で儚げな女性』だ。故郷では傾國の美女ほどではないにしろ民の間では噂になるほど綺麗で、兵達は揃って見惚れる。盲目で、病弱、そんな弱々しい姿が保護欲を誘うのだとか。その物静かな雰囲気とか、優しい笑顔に惹かれて、玉砕覚悟で告った猛者もいるらしく……その後、その者がどうなったかは知らないが、とにかくお母様は密かに人気を博していた。

 

これはきっと他者の主観が入ったお母様の話。

 

私の中でのお母様は自慢の母だ。

綺麗で、優しくて、強くて。でも、病弱で、盲目で。

時折、そんなお母様でも弱くなることがあって。

病に伏せるといつも泣いていた。

貴方は–––父は、何処にいるのだろうと。

そんなお母様を元気にしたくて、私は薬師を目指し、お父様を探す決意をした。

私はお母様の強さも、弱さも知っている。

全部知っていたつもりだった。けれど、それはあまりにも傲慢で……。

 

 

 

「あんなお母様初めて見たかも……」

 

私は何も知らなかったことを知った。

 

今、私の目の前には笑顔のお母様がいる。お父様と腕を組みながら帝都を練り歩くお母様が。その笑顔は私に向けるものとは違って、なんというかこう本当に幸せそうな笑顔でよく微笑うのだ。そんな姿、私は一度も見たことがないというのに……。

 

「で、クオンはんはどうしてこんなところで隠れて見てるのけ?」

 

対して、私とアトゥイ、ネコネはまるで尾行でもするかのように離れた場所から二人を盗み見ていた。

 

「気になるんやったら一緒に行けば良かったのに」

 

「……いや、ほら、二人の邪魔しちゃ悪いかなーっと思って」

 

そんなの嘘。いや、本当に邪魔をする気はないしお母様の邪魔はしたくないとは思ってるのだけど。本当のことを言えば、私はお父様とどう接していいか判らないのだ。

 

「夫婦水要らずですか、さすが姉様です!」

 

そんなことも知らずネコネに尊敬の眼差しで見られると、罪悪感が沸々と沸き上がる。

 

「そうけ?なんやクオンはんお父様と接し辛そうやったけど」

 

「うぐっ、そんなことは……」

 

ないとは言い切れない。実際にあの人のことは避けているし、どう呼んでいいのかも判らず顔を合わせることもない。鉢合わせればその場から即離脱して、今は避けている状態だ。

私のそんな対応に反して、あの人はいつも通りだったけど。

 

「……じゃあ、逆に聞くけど。一度も会ったことがない父親がいきなり現れて、しかもそれが旅の仲間だった場合、二人はどうする?」

 

開き直って二人に聞き返せば、まるで困ったような顔。

 

「恋しとったら大惨事やぇ〜」

 

「いや、それはアトゥイさんだけなのでは……姉様のお気持ちは心中お察しするのです」

 

そして、他人事みたいに流される。

 

「うひひ、でもクオンはんの父様も母様も綺麗やえ。こうしてみると美男美女のカップルでクオンはんが生まれたのも納得いくえ」

 

「はい。そうなのです。まぁ、ヨミさんが姉様の実の父親っというのにはびっくりしましたですが」

 

「本当にね!」

 

鬱憤を晴らすように声を大きくして、すぐに愚行だったと口を塞ぐ。見れば夫婦揃ってデートに夢中なようで此方に気づいた様子はまるでない。ちょっと複雑な気分だ。そんな私の気分を現実に引き戻すネコネの質問が飛んでくる。

 

「それで姉様、どうして私達はヨミさんの後を尾けてるです?」

 

「どうしてって言われても……ねぇ?」

 

「やっぱりクオンはんも気になるんやえ」

 

アトゥイに代弁され、私は否定することもなく肯定の意を示した。

 

「だって、お母様ってば盲目だから一人にしておけないし……」

 

言い訳がましくそう呟けば、目の前の光景がそれを否定する。さっきから観察しているがお母様が転びそうになればお父様が支えているし、不自由な代わりの補助を完璧な所作で行っているのだ。それこそまるでお母様の躰の一部のように自然な動作で支える姿に他人が割って入るような隙はない。

言いたくはないが、二人はお似合いの夫婦。

ただ、少し新婚ほやほや感があるのが否めないが。

 

「見ている限り、大丈夫なように見えるですが」

 

あっさりと私の逃げ場をネコネは塞ぐ。

 

「でも、二人とも気になるでしょ?」

 

二人は否定しなかった。つまりはそういうことだ。

夫婦を尾行するのも、二人が望んだこと。

この場にいるのは二人も望んだのだ。

私がお父様のことを知りたいのと同じように、二人にも好奇心というやつがあったのだ。

 

「って、あ、見失ったですよ姉様!」

 

人混みに消える二人を追って、私達も後を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

「まさか見失うなんて……」

 

結果を言えば、私達は撒かれてしまった。尾行していることに気付かれたのか、それともただ単に見失ったのか、白楼閣に戻って来た私達はお風呂に入りながら今日の疲れを癒していた。

主に精神的な疲れを。お母様とお父様が売店で食べさせ合いっこをしていたり、白楼閣で露天風呂を貸し切って混浴していたり、一緒に寝ているとか、そんな諸々の精神的ダメージをケアするために。

湯船に浸かりながら、私は今日一である寝起きのお母様のお父様への甘えっぷりを記憶から消し去ろうとした。

 

私は見てない。

何も見ていないのだ。

見てはいけないものを見てしまったような気分で、私は映像を記憶から消す。

 

「あそこからが面白くなってきたところやのに残念やえ」

 

意外にもノリノリで尾行していたアトゥイがはふぅと一息つく。そんな様子の彼女を横目に、肩までお湯に浸かったネコネが呆れたようなため息を吐いた。

 

「案外、ヨミさんって鋭い人ですから尾行に気づかれていたかもしれないです」

 

その話はあり得なくないのだ。普段、のんびりしているように見えて割と抜け目ない、というのがこれまでの印象。私が彼を父だと知る前の印象でも、それを感じたことは事実、覆ることはない。

 

きっと今日、私が尾行したのも現実逃避からで未だ彼が父親だと信じたくなかったからなのか、私の複雑怪奇な心を納得させる理由が欲しかったからなのかもしれない。

あれはお母様に相応しくないと–––勿論、そんなこと言えないし、あんなお母様の幸せそうな顔を見ればそれが間違いだというのも判っている。素直に祝福はしたいけれど、こんな形で父親と知らなければ他にもやりようはいくらでもあったはずで、今の私は駄々を捏ねている子供みたいなものだ。それも判っている。

結局、私が何を求めているのか……それもよく判っていないが、判ることは一つ。

今、お母様は幸せなのだ。

 

「私、何やってるんだろ……」

 

ヨミは悪い人ではない。旅の途中も、お母様と一緒にいる時も、私は見てきたはずだった。そんな相手を疑うような素振りをしている私がどうにも情けなくなってくる。

 

それでも何故か、まだ納得出来ていないのだ。

あれが父だという実感がないせいかもしれない。

 

「姉様、まだ続けるですか?」

 

そんな私の心中を察したかネコネは直接問い掛けてきた。今日のようなことをまだ続けるつもりかと聞いているのだろう。私が受け入れるにしろ、拒絶するにしろ、彼女達は変わらないと思う。そう確信ができる温かい言葉だった。

 

「うん。まだ判んないこともあるし……」

 

一瞬、脳裏に先日受けた遺跡調査の途中で出て来たタタリのことが過ぎった。人から化け物へと、変貌した怪物の不気味な姿を。もしかしたらあれになるかもしれないと、そう思って……チクリと胸が痛む。

 

「あ、そういえば……」

 

「どうしたですか姉様?」

 

「ちょっとお父様に関わることで、私の國に伝わるお話があってね」

 

タタリとは別の話だ。

興味津々なネコネに語って聞かせる。

 

「実は私の故郷では、幼い頃から言い聞かせられる怪物の話があって」

 

「え、怖い話ですか……?」

 

ネコネの顔がさっと青褪めた。

 

「悪い子にしてるとコトゥアハムルから死神がやってくるって」

 

「ま、待って、聞きたくないです。何処がヨミさんの話ですか怖い話です!?」

 

「……それで常世から来た死神はね。悪い子にしてる子供の尻尾や耳を斬り落としたり、女の子だと攫って行ってしまうの」

 

「……そ、それで、どうなるですか?対処法は?私はきっといい子だから大丈夫ですよね姉様!」

 

怖いながらも耳を抑えながら、ネコネは続きを促して来た。知らない方が怖いということもある。ついでに自分が対象外だと主張しておくところになんだか可愛らしさを感じた。

 

「いや、まぁ此処までなんだけど」

 

「……こ、子供騙しです。よくあるやつなのです」

 

強がっているようだけど、まだいけるだろう。私はそう判断する。

 

「此処からが本題というか、フミルィルに聞いた話なんだけど」

 

「あの人あんな優しそうな微笑みで怖い話するですか!?」

 

子供の頃から聞かされたコトゥアハムルからの死者の話。

それには盛大なオチというか、元ネタがあるわけで。

 

「実はこれの元になった話があって」

 

「ま、まさか、実際に存在する……ッ」

 

「うん、そうらしいの」

 

私がネコネの予感を肯定した瞬間、彼女はどんどん真っ白になる。血の気が引いた様子だが此処からが本当に面白い話というか、呆れた話であるのだが。

 

「私が生まれる前、トゥスクルは戦争をしていたらしいんだけど。その時に現れたのがコトゥアハムルの死神でトゥスクルに襲いくる敵を一騎当千の勢いでばっさばっさと切り倒したらしいんだ。戦の時に突如現れて、戦が終わると共に消えた伝説となって今は語り継がれているその話が元になっているらしいの」

 

「尻尾や耳を斬り落とす、ですか……?」

 

見ればネコネは湯船の中で寒そうに震えていた。

 

「実はコトゥアハムルの死神って大の尻尾好きで耳も好きらしいの」

 

「だから、子供の尻尾や耳を斬り落として回って……!」

 

そう、私も子供の頃はそう思っていた。怖かったし、でも逆に子供を守るという話もあったくらいで。フミルィルはその話を聞きたがった。今思えば納得だ。

 

「で、その正体がお父様らしいんだけど」

 

「…………え?」

 

私が告白した瞬間、ネコネの表情が抜け落ちた。

そして、血の気の引いた顔が真っ赤になる。

 

「あ、姉様、揶揄ったですね!?」

 

「くすくす、ごめんね?ちょっとネコネが可愛くてつい」

 

うがーっと唸るネコネから逃げるように浴場を出た。




※補足。
時系列的に既に遺跡調査には行っています。
ヨミは行ってません。


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石橋と扉は叩くべし

脳が溶けそう。


 

 

 

一月も過ぎればそれは既に見慣れた光景だった。父と母は四六時中共に時を過ごし、寝食を共にして、果てにはお風呂まで同伴する始末、最初は恥ずかしいような見たくないような気持ちだったものの慣れた故か少し微笑ましく思い始めてしまっている。夫婦仲が良いことは悪いことではないし、むしろあれは私が夢見たものに近しい光景であるのだ。

 

–––お母様が幸せそうにしている。

 

笑顔で、楽しそうで、幸せそうな、その光景は私が望んだ家族の構図そのもので、私が欲しかった居場所だ。少し過剰な気もするけど間違い無いと思う。

 

「落ち着いて考えてみると、悪いことじゃないよね……?」

 

ヨミナ–––お父様は普通に見れば良い人だと思う。お母様を大切にしていることも一目瞭然であるし、お母様の幸せそうな表情が何よりの証拠であろう。

 

「……お父様」

 

詰所の襖の前で一人呟いてみる。

そう呼べば、お母様は喜んでくれるだろうか?

きっと私がお父様に対して距離を取っているのはお母様にも判っているだろう。

その距離を埋める為に、私は呼んでみようと少し思って練習してみる。

 

「……うぅ、なんか恥ずかしいかも」

 

今更、ヨミナをお父様と呼ぶことがこんなにも難しいなんて……。

 

「でも、釈然としないけどしっくりくるんだよね」

 

それが当たり前みたいな、そんな感じがする。

ヨミナをそう呼ぶと、心の中にそっと温かい何かが溢れた。

 

「……お父様」

 

まだぎこちないけどちゃんと形にはなっていると思う。

 

「よし、試しに一回本人を相手に呼んでみよう」

 

そう思い立ったが為に詰所の前に私はいた。今、二人は詰所でのんびりと午後の時間を過ごしている、とフミルィルには前情報を貰っているので意を決して襖を開いた。

 

「お父様–––」

 

襖を開けると同時にお父様を呼び、そしてそれ以外に何も考えていなかったことを今更になって思い出す。用があったわけでもないし、何があったわけでもない。

 

「……あら?この匂いは……クオンですね」

 

ただ、次の句は目の前の光景を見て強制的に決められた。

何も考えてなかった頭も真っ白になるほど、目の前には一瞬で思考停止するような光景が広がっていたのだ。

詰所の長椅子の上に目的の二人はいた。……いたのだが、その状況を理解するに苦しむ。

 

–––端的に言うと父が母の尻に敷かれていた。

 

いや、自分でも何を言っているのか判らないのだけど、文字通りお父様がお母様の尻に敷かれていたのだ。長椅子の上で寝そべっているお父様の背中にお母様がちょこんと。そんな二人と目が合ってしまい、私はどうしたらいいか苦悩した。

 

取り敢えず、無言で襖を閉めた。

 

「あのぉ〜、クーちゃん?」

 

そんな私の背中に鈴を転がしたような音の声がかかる。

振り返ると、フミルィルがいつもより三倍増しの嬉しそうな顔で立っていた。

 

「あ、うん、どうしたのフミルィル?」

 

「いえ、一人でヨミ様を恥ずかしげにお父様と呼んでいる姿が微笑ましくて声をかけづらくて……」

 

「まさか最初っから聞いてたの!?」

 

不覚にも最初から最後まで全部見られていたらしい。フミルィルがいつにも増して母性溢れる微笑みを浮かべているのはそういう理由があったからか、苦い薬を飲んだヨハネくらい苦い顔になって私はそっぽを向いた。

 

「入らないんですか?」

 

「ちょっとお取り込み中みたいで……」

 

フミルィルが首を傾げる。問答して、さらに首を傾げる結果になってしまったが、フミルィルはそのまま私の横を通り抜けて詰所の襖をスッと開けて滑らかな所作で入っていく。

 

……。

 

数分しても出てこない。

私は自分の目を疑った。

もしかしたらあれは見間違いかもしれないと。

意を決して、もう一度襖を開ける。

 

「フミルィル」

 

すると、襖の向こうには母の尻とフミルィルの尻に敷かれているヨミナの姿があった。見ぬ間にさっきより酷い状況になっている。

 

「……えぇ?」

 

困惑。困惑だ。驚愕も、過ぎれば全部それに変わる。普段のいちゃつき具合に慣れたせいかもうこの状況に慣れつつある自分がいて、現実を直視するだけの余裕が生まれた。追い討ちのおかげか逆に冷静に。

 

「クーちゃんも座りますか?」

 

そんなフミルィルの誘いをやんわりと断って、私は対面の長椅子に座った。

 

 

 

 

 

 

今日もまた夜が来る。蝋燭の明かりの中で三人分の布団を敷くフミルィルと、もう既に眠いのか座りながら船を漕いでいるヨハネ、二人と一緒の部屋で私はずっとフミルィルの背中を見つめていた。終わりましたよ、と言って全員分の布団を用意してくれたフミルィルに世話を焼かれているなと思いつつ、ありがとうと伝えるといつものように彼女は微笑んだ。

 

–––どういたしまして。

 

いつも、フミルィルは私達の世話を焼く。

姉のようで、親友のような、特別な人。

私は最近、フミルィルのことが判らなくなっていた。

 

「おやすみなさいクーちゃん」

 

「あ、うん、おやすみフミルィル」

 

ヨハネを布団の上に転がして、布団を被せるまで数秒。

蝋燭の明かりを消して、フミルィルは布団に横になった。

 

私も布団に横になって数分程、目を瞑ってみた。でも眠れない。代わりに、ヨハネの規則正しい寝息が聞こえてきて、相変わらずの寝付きの良さに私も気が抜ける。

だけど、フミルィルだけは起きているのか気配があった。

 

「ねぇ、起きてるフミルィル?」

 

「ふふっ、なんですかクーちゃん。眠れないなら子守唄を歌ってあげましょうか」

 

「いや、いらないけど」

 

「残念です」

 

トゥスクルでは小さな子の面倒を見ることもあり、フミルィルはよく子守唄を歌う。それで眠れない子供はいなかった。傾國の美女という渾名だけではなく、お母さんと呼ばれることも少なくなかった。

今ではフミルィルが背伸びをしていた理由もよく判る。お父様に好かれたかったからだ、私は勝手にそう思ってる。

 

「フミルィルって…その…お父様のこと好きなんだよね?」

 

「はい」

 

はっきりとした応答に私は喉が詰まる。

いつもはのんびりとしたフミルィルが本気だ。

 

「そう」としか言えず、また天井を見つめて三人川の字になって寝転ぶ。左にヨハネ、真ん中が私、右がフミルィルの順番で並べられた布団で眠るのは幼い頃はよくこんな感じで寝ていたものである。時が経つなり離れて、でも旅が始まってから私達はいつも三人一緒に寝ていた。ヨミナが仲間に加わる前までは。

 

思い出すのは三人で旅をした時のこと。

そして、お父様を発見した時のこと。

目まぐるしく過ぎた日々、出会い、別れ。

その全てが間違いなく私は嫌じゃなかった。

ヨミナのことは嫌いじゃない。

こんなことを言うのもなんだけど、お父様はお父様に相応しいと思った。彼で良かったと思った。

 

「どうするの?お母様が相手じゃ勝てないと思うよ」

 

お母様には幸せになって欲しい。だけど、その気持ちと同じくらい私はフミルィルに幸せになって欲しい。

 

それが可能であるのなら……。

 

「勝つ必要はないですよ」

 

「え?」

 

ふと、予想していなかった答えがフミルィルの口から漏れた。勝つ必要はない、とはどういうことか。穏便に済ませる方法があるのなら私が知りたいところだ。現状私の悩みはそれ全てに尽きるのだから。

お父様と呼ぶには少し……いや、かなり恥ずかしいけど、この問題に比べたら些細なことなのだ。その解決策はもう既にフミルィル自身が用意しているという。

 

「でも、だって……好き、なんだよね?」

 

「はい、好き……いえ、愛している、と言った方がいいでしょうか」

 

本当に綺麗な声で淀みなく言い切るフミルィルの姿に、ぱちくりと瞬きをして見遣る。すると彼女は横を向いて私に視線を合わせてきた。とても大事な話をする時、フミルィルは絶対に相手の目を見る。

 

「クーちゃん、勝つ必要はないんですよ。奪い合い、争うなんて、まず無理な話です。いいですかクーちゃん、ヨミ様は絶対にユズハ様をお捨てにはなりません。あの人は情の深い方ですから」

 

「うん。確かに……」

 

思い返してみれば、お父様は気に入った相手にはかなり深く入れ込む性格のようだ。危険なことに私達が首を突っ込むとなにかとついて来てくれたり、私達が絡めば必ずだ。

それに理由は判らないけど離れ離れだった二人の様子を見れば、お父様がお母様を捨てるなんてまずあり得ないだろう。

 

「ねぇ、フミルィル。勝つ必要はないって……」

 

「クーちゃん。ヨミ様の妻は二人です。その三人目に私はなりたいんです。独占したいなんて思いません。私が好きなのは好きな人を大切にするヨミ様なんですから」

 

ちょっと何言ってるか判らないけど、穏便に済みそうなことに私はほっとした。

 

「お母様達がそれを許してくれると思う?」

 

問題はお母様達がどう思うか。

お父様がフミルィルのことをどう思っているか。

こればかりは予想できない。

 

「大丈夫ですよ、クーちゃん」

 

謎の自信に満ち溢れた顔でフミルィルはそう言い、さっさと一人寝てしまうのであった。

 

 

 




なんで尻に敷かれているかは勝手に妄想してください。
多分、そのうち書くかもしれませんが。


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てのひらのうえ

ロストフラグのガチャ。
もちろん、持ってないフミルィルで確定させました。
神ガチャすぎてテンションばくあがりよ。
あとはユズハイベントフルボイス欲しい。


 

 

 

ホオホオと鳴く夜鳥の声に目蓋を開ける。月光だけが頼りな部屋で、視界が闇に慣れると私は上半身を起こした。隣ではフミルィルとヨハネが幸せそうに眠っている。

 

「……ヨミ様」

 

「ヨミぃ〜」

 

二人が寝言でお父様の名前を呼ぶ。でも、ふとフミルィルの目尻から溢れた涙を見て、それが決して幸せなだけではない夢だと気づいた。最近、お母様が来てからフミルィルは以前のようにはお父様に甘えられていない。そのことがどうにも引っ掛かって不憫に思えてくる。

 

「どうにかしようにも、お父様とお母様が離れる瞬間なんてないしなぁ」

 

私の両親は再会するなり片時も離れようとはしなかった。互いに想い合っているからか、二人一緒が常で単独行動を取ることがないのだ。故にフミルィルのアピールポイントも少ない。そして更に言うならば、私もどちらか一方と話すという機会を持てずにいた。頼めば一対一で会話をしてくれるのだろうけど、私には二人を引き裂くなんて事が出来るはずもなかった。

 

「はぁ、ちょっと夜風に当たってくるかな」

 

このままでは眠れそうにないので、二人を起こさないように部屋を出る。特に何処に行こうという意思はないけれど、夜風に当てられたい気分だった。

玄関から白楼閣の外に出て、ぐるりと廻る。立派な庭が見える通路の方へと歩いた。するとその縁側には先客がいて、一瞬戸惑ったのも束の間、更なる驚きが待っていた。

 

「お、お母様……?」

 

なんとそこにはお母様がいたのだ。縁側に腰掛けて中庭に視線を向けるお母様が。勿論、お母様の瞳には今私が見えている光景が映らないので観ているとは言い難いが、僅かに私が漏らした声と匂いに反応して此方を向いた。

 

「おや、こんな真夜中にお散歩ですかクオン」

 

「……よく私だってわかったね」

 

「母親ですから」

 

関心ながらにお母様の隣に座る。何をしているんだろうと口を開こうとすると、風が一際強く吹いた。それに乗って凛と鈴の音が鳴った気がしてお母様の視線を向けている方を見ると、案の定お父様の姿があった。お母様を一人にしないあたり、お父様の愛の深さが目に染みてなんだかすとんと胸に落ちる。

 

「…………」

 

会話の切り口を失って私は父の姿を眺め見た。

 

月光に煌く白刃が軌跡を描き、その度に凛と鈴が鳴る。刀の鍔に付けられた鈴のせいだろう。それもまた月の光を浴びて、煌びやかに夜を彩っていた。さながら父は踊るように刀を振るう。その姿は何処か楽しんでいるようだ。ただ一瞬、納刀したかと思うとカチリと鈴以外の音が鳴る。風が吹き荒れ、鈴が凛と鳴った。父は難しそうに眉根を寄せた。

 

私は気づく。

抜刀した瞬間も、納刀した瞬間も見えなかった。

不満なのは鈴の音が鳴った事らしい。

動けば鳴る鈴の音が聞こえるのは道理だと思うが……父の考えている事が判らない。

 

「そういえば前から聞きたいことがあったんだけど……」

 

「私とヨミナ様の馴れ初めですか?」

 

「いや、違う。違わなくはないんだけど……お母様はお父様の何処を好きになったの?」

 

父は未だに何度も納刀しては抜刀を繰り返す。

あれ以上の疾さを求めていた–––。

その姿を見遣りながら、お母様はうーんと考え込む。

すぐに答えが出なかったようだ。

 

「そうですね……言葉で表現するのは難しいです」

 

と、言う割には難しい顔をしていない。何処か懐かしむようで恋焦がれるような少女の顔をして、そのひたむきな美しさに私は引き込まれた。相変わらず、私の母は綺麗だ。

 

「ありきたりな言葉でいいのなら、全部です」

 

そんな母が出した答えは欲張りなものだ。

 

「優しいところ、甘いものが好きなところ、子供が苦手そうな顔をして面倒見がいいところ、辛いことも隠しちゃうようなところ、その全部が私は好きですよ」

 

「そっか」

 

あぁ、そうだ。確かにお父様は隠していた。お母様と本当は早く会いたいのにその辛さを押し殺して私達と接していた。それはまるで親子の間にあるはずでなかった時間を埋めるようなものだった。

 

「……ねぇ、やっぱりお父様とお母様の話全部聞きたいな」

 

お母様がこんなにも恋焦がれて、お父様に逢いたがった理由。一端では理解出来ない理由も判るんじゃないかと思って、そんな風に母と父の出会いの話を催促する。

 

すると、騒ぎを聞きつけてお父様が刀を仕舞ってやって来た。

 

「いったい二人で何の話をしてるんだ?」

 

「お父様はお母様の何処を好きになったの?」

 

ちょうど、“父が刀を帯刀して来た”ので話題を振ってみる。こういう場合、“飛んで火に入る夏の虫”と呼ぶべきか。大昔は“鴨葱”と言ったらしい。

 

「……また難しいことを言うな」

 

どんな言葉が飛び出すかと思えば、渋い面をしてお父様は私の隣に座る。奇跡的にも私が願った親子三人並んだ構図だ。私を挟んで両親が笑う。そんな光景を夢想したことは一度だけではない。

 

「言葉にするのは難しいが。……最初は、一目惚れだった」

 

恥ずかしそうに喋るお父様は何処か嬉しそうだった。その頃のことを思い出しているのか、頰が少し赤い。でも、すぐに言葉が紡がれる。

 

「だけど、その後ユズハを知っていくたびに俺は全てを好きになった。強いて言うのであれば、死を宣告されてもひたむきに生きるその姿が綺麗で、他者に優しくあろうとするその心に惹かれたよ」

 

「そのお母様をお父様が救ったんだよね」

 

私が興味を惹かれたのは、エルルゥお母様ですら治せないと言わせしめた病を治療した、お父様が持つ大いなる父の医学知識だ。

 

「お父様って“大いなる父”なんだよね」

 

「この時代ではそう呼ばれているな。もっとも、大いなる父なんて大層な名前で呼ばれているが、その実、少し頭が良いだけの人間だ。然程特別ではないよ」

 

この時代はまだ文明のレベルが低い、とお父様は言った。

 

「どのくらいのレベルなの?」

 

「昔の子供なら、誰でも学士の試験に合格できるレベルと言ったら判るか?」

 

「……それってつまり、ネコネより頭の良い人がうようよいるってこと?」

 

「学士の試験がどの程度か判らんが。まぁ、そうだな」

 

恐ろしや、大いなる父。

 

「俺の生きていた時代にネコネが生まれていたら、あいつは科学者になれたかもしれん」

 

手放しにお父様が称賛するのはこれが初めて。

ネコネってそんなに凄いんだ。

そう思う反面、白塗りの貴人の顔が思い浮かぶ。

学士である、不憫な男の顔が。

 

「じゃあ、マロロは?」

 

「あれはそれなりの知恵者だが、広い分野で見ればネコネに負ける。でも、軍師としてなら、才能の塊だろう。環境が良くてあいつに自信さえあればかなり違う結果になるんじゃないか」

 

聞けば、マロロの上司は最悪の一言で才能を潰す原因だとか。借金の件もそうだし、不憫過ぎてなんて声を掛けていいのか判らないというのが皆の意見。ウコンも酒を奢ったりしてるらしい。

 

話を戻そう。

 

「実はお父様にお願いがあるの」

 

「なんだ?」

 

「大いなる父のこととか、古代のこと教えて欲しくて……」

 

私の趣味嗜好は大いなる父が遺したという遺跡や文献の調査だ。その大いなる父が父親とは大層驚いたが、俄然興味が湧いてくる。多分、これはきっとお父様についてもっと知りたいと思っているからだろう、なんて恥ずかしくて言えないけど。

 

「それはいいんだが、何を教えればいいんだ?」

 

お父様は二つ返事で了承してくれた。

 

「うーん。私もよくわかんないかな」

 

喜んだのも束の間、何を聞いていいか判らなくて考え込む。一旦、この件は保留にする。

 

「ところでもう一つ聞きたいことがあるんだけど……」

 

私情も大事だったが、此方が本題だ。

首を傾げる二人、私は爆弾を思い切ってぶん投げる。

 

 

 

「お父様はフミルィルのことどう思ってる?」

 

 

 

言った。言ってしまった。不和の種。お父様の返答次第できっと家族会議になってしまうだろうが、そんなことは知ったことか。お母様の反応も怖いけど、フミルィルのためを思えば致し方ない。

 

そんな覚悟を決めて、緊張感を飲み込む。

するとお父様はお母様の方に視線を移す。

 

「どう思ってると言われても……」

 

「ふふっ、ヨミナ様はどう思いますか?さぞ、可愛らしいでしょう」

 

なんだかお母様は楽しげだ。

その様子にお父様は肩を落とし溜息を吐いた。

そして、予想もしなかった事を告げる。

 

「フミルィルを俺にけしかけたのはユズハだろ」

 

「えっ?」

 

「おや、ばれてしまいましたか」

 

「ええっ!?」

 

二人だけで判り合ったような雰囲気に私は戸惑って、目を白黒とさせているとお父様が月を見上げた。その横顔は何かを思い出しているようで、何処か懐かしげ。

 

「サクヤをたきつけたのも君だったな」

 

「クスッ、懐かしいですね……随分と前のことなのに、昨日のことみたいに思い出せます」

 

除け者にされた私は、お母様に掴みかかった。

 

「ど、どういうことなの!?」

 

「サクヤの話は聞いていたんでしたっけ。フミルィルのことですか?」

 

「そうだよ、けしかけたって!」

 

「そのままの意味ですが」

 

きょとんと首を傾げる母、ますます意味が判らない。

お母様はのほほんとした様子で続ける。

 

「昔からフミルィルもヨミナ様のこと好きでしたから。ならいっそヨミナ様好みの女の子に仕立て上げてしまえばいいかと」

 

「なんでそうなるかな!?」

 

「ヨミナ様はモテますから。それなら此方で用意してしまおうかと」

 

あぁ、確かにお父様の周りには女が増えつつある。それの邪魔をするためにフミルィルを利用したというのも頷ける話だ。それがまさか数年規模どころか、だいぶ前から画策していたと思うとお母様の本気度が窺えるというもの。

 

「……それでお父様がフミルィルに手を出していたら、どうするつもりだったのかな?」

 

「その場合はエルルゥ様がハクオロ様を宗廟の奥にかんき–––大切にしまっているように、私もなんらかの手立てをするつもりではありましたが。もちろん、嫉妬はしますよ。待っていたのに浮気なんてされたら」

 

ねぇ、今、エルルゥお母様がハクオロ様を監禁してるって言い掛けた?

思い違いだと思いたく、私はその話題には触れまいとした。

 

「そういうわけで私とサクヤはフミルィルがヨミナ様の妻になるのは大歓迎ですよ」

 

もしかしなくても、全て私の取り越し苦労な事に気づいてしまったのだった。




裏タイトルをつけるなら『首輪』『黒幕』とあったんだけど、この話の内容はシリアス一割の奮闘記(笑)ですから仕方ありませんね。
というわけで、この章は終わりです。
そろそろカミュとアルルゥにも出番はあるはず。
例によって不定期更新ですが。


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