Who I am? (柴猫侍)
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Ⅰ 全能

 生物に“個性”と呼ばれる超常的な力が発現してから、どれだけの時間が経ったのだろうか。

 

 超常社会。今は、現代はそう呼ばれている。

 四歳になれば、否応なしに自身に“個性”があるのかないのか、どのような“個性”でないのか分かってしまうこの世の中。

 “個性”尊重社会と呼ばれる現代、私は元々の『個性』という言葉の定義を問いたい。

 

 一人一人に個性がある。

 超能力でも、人外染みた力ではない。

 性格であったり、容姿であったり、体形であったり、何が好きなのかなど、他愛のない―――それでも唯一無二の個性の話である。

 

 人は“個性”がない者を“無個性”と呼ぶが、はた迷惑な話だ。

 それが際立った特徴のないことを言うのか、“個性”がない者を言うのか一瞬区別がつかない。

 

 言葉の意味は変遷する。否、意味が増えていくと言った方がいいだろうか。

 英雄という言葉も、前時代は困っている人々を救う超人のことや、革命的で画期的な偉業を為し得た者のことを意味していたが、今や立派な職業の一つとなってしまった。

 誰もが一度は夢見たヒーロー。

 日本において、最高のヒーローは誰かと問われれば、人は揃って『オールマイト』と答えるだろう。

 

 Almighty(全能)をもじってのヒーローネーム。

 名は体を表すと言わんばかりに、彼は数々の偉業を成し遂げている。

 

 それに比べて、“無個性”の人々はどうだろうか?

 オールマイトのように、超常社会でも際立った超人である彼と比べ、何の“個性”を持っていない人々は何と呼ばれるのだろうか?

 

 私は何度も言われた。

 

 『無能』と。

 

 

 

 *

 

 

 

「ぐぁッ!!?」

「きゃあああ!!」

 

 一人の派手な衣装を身に纏った男性が、近くの店のガラス窓に激突する。そのまま衝撃はガラスに伝わり、蜘蛛の巣のように罅が広がっていき、女性の叫び声に呼応するように甲高い悲鳴を上げて砕け散る。

 

「ア゛ァ~……アァァアァ……!!」

「つ、強い……これが『グロウイーター』なのか!?」

「俺達じゃ全く歯が立たない……! 他のヒーローの救援は―――ぐあッ!?」

 

 昼下がりの街道の中央に佇むのは、言葉を持たない獣のように唸り声を上げる異形の生物。この超常社会において、人外染みた形をしている者など星の数ほどいる。だが、そんな社会の中においても、この『グロウイーター』と呼ばれる敵は化け物染みていた。

 

 異常に肥大化した胴体。顔は隆起する筋肉によって埋もれ、頭頂部から常人の十倍はあるであろう脳味噌が剥き出しとなっていた。

 血走る眼と、欠けた歯が並ぶ口腔も、胴、腕、足など場所を選ばずに存在している。その腕や足とやらも、複数の四肢が重なり合うようにして造形されたものであり、矢張り人間の形には程遠い見た目をしていた。

 各所が肥大化した筋肉を納め切ることができていないのか、衣服の着用は確認されていないが、鈍い鼠色の輝きを放つ鋲のようなものが身体中に生えているのも確認できる。

 

 連続食人殺人鬼『グロウイーター』

 一か月ほど前、パトロールに出向いていたヒーロー数名を襲撃・殺傷した後に、殺害した一名をその場で捕食するという猟奇的な行動をした凶悪敵だ。

 その後、到る所に神出鬼没し、現れては誰かれ構わず襲い、老若男女問わず捕食しようと試み、実際に捕食の被害にあった者は十八名。周辺の被害で死に至った者は三十五名。重軽傷者は百七名と、ここ十年で史上最悪と呼ばれる被害を出している犯罪者だ。

 

 否、最早人とさえ思えない猟奇的行動から、連日お茶の間を恐怖に陥れいている敵である。

 

 今日もまた、家族連れで賑わう商店街にどこからともなく現れ、一瞬にして陽気な日常を混沌の場へと変えた。

 ちょうどパトロールしていたヒーローが応戦するも、赤子の手を捻るかのように蹂躙され、あっという間に危機に陥る。

 

 知性を感じさせない相手ほど厄介な敵は居ない。

 なにせ、これから何をするのか分からないのだから、対処のしようがないのだ。それも相手の力量が遥か上だというのだから、ヒーローたちも苦戦を強いられる。

 今もグロウイーターは、一人のヒーローを踏みつけながら、筋肉に埋もれた瞳で辺りを見渡す。

 

「ア゛ゥ……!」

 

 すると、グロウイーターの様子が一変する。

 獣の無数の眼の先に居るのは、白いワンピースに裸足という奇異な格好をした少女。15歳程度に見える少女は、濡羽色の髪をサラサラと靡かせながら、何故かグロウイーターの下へ一直線に向かって行く。

 誰もが殺人鬼から逃げるように去りゆく人並みの中、一人だけ向かって行く様は、異様な光景であった。

 

 ジッと顔を俯かせ、心ここに在らずといった様子でしとしとと歩く少女。

 ソレを見たグロウイーターはと言うと―――

 

「ア゛ァェエェエ゛ッ!!!」

「がぁッ!?」

 

 踏みつけていたヒーローのことを何も考えず、その場でヒーローごと地面を蹴りつけて跳躍する。

 標的は向かって来る少女。

 

 自殺志願者か!?

 

 誰もがそう考え、グロウイーターの標的となってしまった少女から目を逸らす。あと数秒もすれば、血肉が悲惨するという見るのも憚れる悍ましい光景が出来上がってしまう。

 誰もがそう思っていた。

 が、

 

TEXAS(テキサス) SMASH(スマッシュ)!!!」

「ゴァッ!!?」

 

 一つの影が現れ、一陣の風が吹き荒んだかと思えば、グロウイーターの体はコンクリートの地面に叩き付けられた。

 轟音を奏でて墜落した巨体は、歪な悲鳴を上げてその場に蹲る。

 数秒後、その巨体を打ち負かした張本人である人物が、少女の前に高らかな笑い声を上げながら着地する。

 同時に、この場に居る誰もが目を輝かせて、やって来たヒーローの名を叫んだ。

 

『オールマイトォ!!』

「HAHAHA!!! もう大丈夫!! 私が来たッ!!!」

 

 №1ヒーロー、平和の象徴『オールマイト』だ。

 逆立つ前髪は今日も『(勝利)』を示すように、天を衝かんばかりに逆立っている。

 

 そんな№1ヒーローは、未だに歩んで止まない少女の肩に手を置き、白い歯が輝く笑みを浮かべた。

 

「さあ、ここは危ない! すぐに逃げるといい!」

「……」

「むむッ? 聞こえているかな? ここは危険だ! すぐにヒーローや警察の指示に従って、避難するといいッ!」

「……」

「……あれッ?」

 

 全くの無反応の少女に、オールマイトは自分の喉の調子が悪いのか疑い、『ンン゛ッ!』と何度か咳払いしてから同じ内容の避難勧告を述べる。

 しかし、少女は全く同じ反応を見せるばかりで、一向に応答する気配がない。

 続いて、ペンペンと小刻みに頬を触れてみても、同様の反応。

 糸が切れた操り人形のように無機質な反応が、近くで悶え蠢きまわるグロウイーター生き苦しむ様と対になり、一層の不気味さを醸し出す。

 

「ア゛ァェエッ……!」

「む? 私の一撃を喰らっても尚、まだ動けるというのか……」

「だが―――神妙にお縄に付いてもらおうか」

 

 スッと忍び寄る“線”が、一瞬にしてグロウイーターの体に巻きつく。

 瞬く間に筋骨隆々の肉体には、繭のように糸が巻き付き、先程までヒーローたちを蹴散らしていた圧倒的なパワーを抑え込む。

 自身の体を拘束する繊維を引きちぎる為に暴れたいグロウイーターであるが、巻きつく繊維が堅すぎて動く事さえままならない。

 

 そんな敵の背後からは、一人のデニム生地の服を纏う高身長の男性が、コツコツと靴音を鳴らして歩み寄ってくる。

 

「ジーニストッ! 来るのが遅いんじゃないか!?」

「貴方が到着するのが早過ぎるんです、オールマイト。何故、本来私の警戒区域であった場所に、二つ隣の区域を警戒していた貴方が来る方が早いんですか?」

「ハーッハッハッハ! イッツァ、アメリカンジョーク!!」

「全く……これだから貴方は№1ヒーローなんだ」

 

 どこら辺が笑い所か分からないジョークに苦笑を浮かべるのは、№4ヒーロー『ベストジーニスト』だ。

 繊維を自由自在に操れるという“個性”を持ち、数多くの実践経験と、尋常ならざる鍛錬を経ることによって、服を着るという文明を築いた人間社会において強“個性”へと昇華させた。

 

 №1と№4。

 ヒーロービルボードチャートJPと呼ばれる現役ヒーロー番付で、五本の指に入るスーパーヒーローがここに居る理由は他でもない―――グロウイーターの存在だ。

 その凶暴性・猟奇性がヒーロー及び警視庁に危惧され、依頼を要請されたヒーローの内の二人が彼等というだけ。

 

 グロウイーターの出現区域はある程度絞られていた。これまでに出現した区域を集計することによって、グロウイーターは一か所を中心に、その周りの区域に現れていることが判明していたのだ。

 故に、ヒーローの中でも上位の―――とどのつまり、グロウイーターに返り討ちにされないトップヒーローが、出現予想区域内に配備され、いつでも対処できるような警備体制を敷いていたのだが、結果は御覧の通りとなっている。

 

「さて……他のヒーローたちも、移動式牢(メイデン)を携えた警察たちも直に来るでしょう」

「ああ! だが、気を抜かずに―――」

 

 グロウイーターを見張ろう。

 そうオールマイトが口にしようとした時、囚われの獣がドロリとした粘性の真っ赤な液体に変貌し、ベストジーニストの拘束から逃れた。

 

「ッ!? これは……!」

「待て! 逃がさん!!」

 

 乗用車以上の巨体が一瞬にして液体に変貌したことに驚く二人であったが、そこはプロ。すかさず再び捉える為に、ベストジーニストは繊維を、オールマイトは道路に罅が入るほど踏み込んで、グロウイーターだった物体を追う。

 しかし、その甲斐なく真紅の液体は排水溝の中へ溶け込んでいき、二人の追跡を呆気なく回避した。

 

「くッ……見たところ、『液状化』の“個性”のようですね……」

「ああ、恐らくね。これまでの出現と逃走の両方に用いた“個性”なのだろう。シット! 目の前でみすみす逃がしてしまうとは……!」

「貴方だけの責任じゃあありません。すぐに他のヒーローや警察にも知らせましょう。どちらにせよ、物理攻撃を無効化にされるのであれば、私や貴方での捕縛は難しい」

「むむぅ……そうだな」

 

 そうは言うものの、オールマイトは自分がグロウイーターを気絶させなかったことを悔いるように歯噛みする。

 同時に、ジクリと熱を帯びながら痛む左側の脇腹を押さえた。

 

(ホーリーシットだ、どちくしょう……! まだコレだ!)

 

 半年ほど前に手術した部位が痛むオールマイトは、それがバレないよう笑みを浮かべつつも、踵を返して先程の少女へ目を向けた。

 

「ヘイヘイヘイッ! 大丈夫かい?」

「……オール」

「むッ?」

「マイ、ト……」

 

 先程とは違い、白い透明な肌によく映える薄い桜色の唇が動き、目の前に居る男のヒーローネームを口にする。

 

「イエスッ! そうさ! 私がオールマイ―――」

「……ッ」

「トゥ!? ヘイッ、大丈夫か!? どこか悪いのかい!?」

 

 前のめりに崩れ落ちた少女を、丸太のように太い腕で受け止めるオールマイトは、少女の意識を確かめる為に声を掛けるが、一切目を覚まさない。

 そしてそのまま脈拍計測に映るが、

 

「NO!? 脈が無い! すぐに救急車を呼ばねば!!」

 

 一切脈を感じられず、冷たい肌の感触が脈を測った指に残る。

 

 その不気味な温度の訳を知るのは、グロウイーターの追跡が不可能だと判断され、日中警備組が解散した夜になってからだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 白亜の外壁が目を引く警察病院の壁は、月明かりに照らされて淑やかな蒼い光を放っているようだ。

 そんな病院の一室の目の前では、病院には不似合いなコートと帽子を身に着ける男性が、一枚のレントゲン写真を眺めながら唸っていた。

 

 すると、彼の下へコツコツと靴の音を鳴らして歩み寄る、痩せぎすで高身長の男性が一人。

 

「やあ、塚内くん。首尾はどうだい?」

「オール……ゴホンッ。どうしたんだい、こんな夜遅くに?」

「いや、私が救急車を呼んで搬送された少女のことが気がかりでね」

「成程。君らしいね」

 

 痩せぎすの男―――オールマイトは、塚内という名の警察の隣に、フレンドリーな声色で挨拶を交わしながら立った。

 昼とは似ても似つかない姿のオールマイト。鍛え上げられた筋肉によって、多少の無骨さの名残は残っているものの、如何せん痩せているといった印象は拭えない。

 

 なにも、彼が№1ヒーロー『オールマイト』と別人という訳でもなく、正真正銘の本物なのであるのだが、今の姿には世間に公表できない理由がある為、一部の人間にしかオールマイトの本当の姿を知らない。

 そんな数少ない人間の一人が、彼の親友であり警察である塚内直正という男性だ。

 

「近くの病院に搬送されたと聞いて行ってみれば、警察病院に移されたと聞かされたからね……なにかあったのかい?」

「ああ。ちょうどその子のレントゲンを見ていたんだ。君も見るといいよ」

「ふむふ……むッ!?」

 

 窪んで影が掛かる瞳で、差し出されたレントゲンを除いたオールマイトは、信じられないと言わんばかりに目を見開いた。

 

「これは……レントゲンでいいんだよな? ()()()()()()()()()じゃなくて」

「間違いじゃないよ。私も最初に見た時は自分の目を疑ったよ」

 

 『レントゲン写真』を『設計図』と疑ったオールマイト。

 彼が見たのは、骨や臓器が映る写真ではなく、精密な機器や配線が組み込まれている、ロボットの設計図のような写真だった。

 写真に目を向けていたオールマイトは、そのまま流れるようにガラス張りの病室を見遣る。

 

「君が救けた子は―――……サイボーグだ」

「シット……SF映画かよッ……!」

 

 次々に渡される診断書。

 脳や皮膚、それらを通る血管は人間のものとほとんど同じなのだが、骨を始めとし、他の大部分が機械で補われているとのことだ。

 この超常社会、巨大ロボットは母校で幾度となく見たことはあるが、ここまで本格的なサイボーグは一度たりとも見たことが無かったオールマイトは、驚きで打ち震えるしかない。

 

「それで彼女は、生きているのかい?」

「君が問う意味で言うのであれば、生きてはいるね。だけれど、病院も機械は専門じゃないから、今は精密機械に詳しい専門家待ちさ」

「むぅ……にわかに信じがたいな。義手や義足といったサイボーグならまだしも、全身だなんて……」

「ああ。グロウイーターを逮捕しようとしたら、また別件ができてしまって私も困ったものだよ」

「す、済まない、塚内くん!」

「なにを謝るんだい? 発覚しなければ、そもそも解決しようと動くことさえできない事案なんて星の数ほどあるんだ。事件に関係はなくとも、これはこれで一つ進展があったと、前向きにとらえるべきさ」

 

 ムキムキの状態―――所謂、マッスルフォームの時とは違い、オドオドとした印象が強くなってしまっているオールマイトに、塚内は謝らないように告げる。

 彼が言う通り、そもそも明るみに出ず、闇に葬られてしまう事案は悲しいことに多く存在するのだ。ヒーローや警察も努力はしているが、その性質上基本的に事件解決は後手に回ることが多くなってしまう。

 

 つまり、何かが起きなければ動く事さえままならない。

 

 『ヒーローは遅れてやってくる』という常套句は、正義の悲しい一面を表している言葉でもあるのだ。

 

「兎も角、君は明日に備えてゆっくり休むべきさ。グロウイーターもまだ逮捕はできてないから、もしもの時は君と言う絶対的なヒーローが必要なんだ。怪我のことは重々承知しているから、頑張り過ぎないように気を付けてくれ」

「うん、分かっているよ」

「そう言って頑張るのが君だ。休める時に休むのも仕事だぞ? この子のことは私たちの方で調べるから、あまり気にし過ぎないようにな」

「うっ……了解したよ」

 

 親友である塚内に『八木(やぎ)俊典(としのり)』という人間を見透かされ、言葉が詰まるオールマイト。№1ヒーローの名は伊達ではなく、昔から事件があればすぐに向かってしまう性分なのだ。

 故に、それが祟って自分が休めないという、根も葉もない事態になることも少なくない。

 

 例えどのような超人であっても、所詮は人間。適度に休まなければ真面に動けず、身体能力や判断力の著しく低下してしまう。

 平和の象徴の死因が『過労』となったら、同じ市民の平和を守る警察として堪ったものではない。彼に必要以上の労働を要したとバッシングを受けるかもしれず、更には平和の象徴が死んだことにより敵が活性化する可能性もある。

 

「さ、今日はお開きにしよう」

「うむ、そうだね。じゃあ、また会いに来るよ」

「そうだ、君を家まで送る手配をするかい?」

「いや、いいよ。此処には自分ので車で来てしまったからね」

「あの外国製の高級車かい? ははッ、この前まだソレの運転に慣れてないって言っていたのに、それで来たのか」

 

 外国製の車両をたどたどしい様子で、肩を竦めながら運転するオールマイトの姿を思い浮かべ、苦笑する塚内。

 オールマイトは物欲がさほどない。納税する金額は日本でも並み居るセレブに続いて高額だ。しかし、そのほとんどは募金に投じたりなどしており、自分の為に使うことがそれほどない。

 時折、『№1ヒーローらしく振る舞う』という為だけに、オーダーメイドのスーツや外国製の高級車を購入するのだ。

 

 ただ、高い物というのは須らく一癖ある場合が多い為、意外と日本的な感性のオールマイトには扱い辛かったりする一品であることが多い。

 

 そんな彼に気を遣う塚内であったが、『大丈夫さ』とだけ告げて、オールマイトは警察病院を後にする。

 

 

 

 トボトボと歩む平和の象徴の背中は、以前に比べ、ひどく弱弱しくなってしまったと、塚内は感じざるを得なかった。

 

 

 

 *

 

 

 

『―――おとうさん……なんで、わたしにはおかあさんがいないの?』

『居るよ。(れい)には見えないだけさ』

『じゃあ、どこにいるの?』

『ここだよ……ここで怜のお母さんは、怜が一生懸命生きられるようにって頑張ってる。怜とお母さんはいつも一緒なんだ』

 

 額を何かで押されたような気がした。

 ひどく弱弱しい。でも、とても優しく撫でてくれるような声が、鼓膜を心地よくゆらしてくれる。

 

 白亜の壁に包まれ、肌触りのよい布団に抱かれる私を、もっと温かく包み込んでくれる腕。

 

『止めろ、移木(うつぎ)ッ!! お前は娘が倒れてからおかしいぞ!?』

『黙れッ!! こんなことが……こんなことがあってたまるか!! 私は……私はあの子を……!!』

『妻が死んだ時にお前は言っていた!! 『医者としての道を外れるのはこれっきりだ』と! 今のお前は狂っている!』

『五月蠅い五月蠅い!! 待ってろ、怜……私が治して……()()()やるからなッ……!』

 

 途端に場面が変わる。

 先程の優しい声色が一変、様々な感情が入り乱れて真っ黒に染まった男が、私の体に何かをツギハギに結ぼうとしていた。

 それを必死に隣の小太りで眼鏡を掛ける男性が止めようとするも、目の下に濃い隈を浮かべている男は乱心したまま、指から白い骨格のようなモノを伸ばし始める。

 

 ……オカシイ。

 

 頭、痛イ。

 

 思イ出セナイ。

 

 知ラナイ人ガ、私ノ中ニ入ッテクル。

 

 止メテ。

 

 オ母サンノ中ニ、入ラナイデ。

 

 

 

 *

 

 

 

「ふむ……先日の一件から、音沙汰がありませんね」

「あぁ。あの戦闘で怖れを為して、居場所を移したか……はたまた、我々が警戒区域から去るのを、潜伏して待っているかだな」

 

 先日、グロウイーターと会敵してから、既に五日が経った。

 以後グロウイーターが出現することはなく、区域内で厳戒態勢に当たっているヒーローや警察たちには、長々と緊張が続き、若干の疲労が垣間見えている。

 

 そんな中で日中のパトロールが終了し、警察署内に集まるオールマイトやベストジーニスト、他数名のヒーローや関係者たちは、今後の捜査方針について神妙な面持ちで会議を開いていた。

 

「だが、奴は再び現れる! ここが我慢時だ! 頑張ろうじゃないか、諸君!」

「ふっ……貴方の激励ほど奮い立たされる励みはない。今後は、捜索にスネークヒーロー『ウワバミ』や、奴の『液状化』の“個性”に対抗手段を持ち得る抹消ヒーロー『イレイザーヘッド』や他数名にも協力を要請し、迅速な解決に臨むことにしましょう。今回の会議の決定事項は、以上でよろしいですね?」

「ああ! 私は異存ない!」

 

 髪先が蛇となっており、蛇の索敵能力で逃走中の敵を迅速に捉え、敵逮捕に貢献していることで有名なウワバミや、見た者の“個性”をまばたきするまで抹消し続けられるイレイザーヘッドを捜査に加えることを決定し終了する会議。

 その後、会議室を後にしようとするオールマイトの下へ、束になった資料を携えて塚内がやって来た。

 

「オールマイト、ちょうど良かった」

「むっ、塚内くん。どうしたんだい?」

「君が保護した子について進展があった。聞いて行くかい?」

「なんとっ! 勿論だ!」

 

 招かれるがままに、塚内が運転するパトカーに乗り込むオールマイトは、サイボーグ少女が入院している警察病院へ向かいがてらに、手に入れた情報を聞く事となる。

 

「まずDNA鑑定の結果なのだけれど、彼女の体からは複数名のDNAが確認されてね。警察署内に登録されているデータベースに該当するものがあるか確認したら、一つだけあったのさ」

「成程……それで、その該当した人は?」

「『移木(うつぎ) (れい)』、15歳。都内私立中学校の女子生徒。二年前、交通事故に遭い意識不明の重体となり、そのまま遷延性意識障害―――要するに、植物人間になったのだけれど、一か月後に入院していた病棟から忽然と姿を消し、そのまま行方不明扱いになっていたんだ」

「むむむっ……謎が謎を呼ぶ展開だな」

 

 行方不明になった少女が改造人間(サイボーグ)になって、突然現れたとなると、事件の臭いを感じずには居られない。

 

「ああ、まったくだ。人相も、今会いに行く子とそっくり。だから、我々は彼女こそ行方不明になっていた移木怜だと考えている所さ」

「もし本当に行方不明の少女であったならば、親御さんはさぞかし嬉しがるだろうなぁ」

「……オールマイト。それなんだが」

「ん、なんだい?」

「移木怜の両親は、既に故人なんだ」

「……なに?」

 

 気を紛らわせるために放った一言で、オールマイトは愕然とした表情で、フロントミラーに反射する塚内を見つめる。

 普段温和な面持ちの塚内も、ミラー越しであるにも拘わらず神妙な雰囲気を纏っていることが窺えた。

 暫し唸るオールマイトは、そのまま塚内に先を放すよう、無言で促す。

 

「母親―――移木神那(かんな)は、移木怜の分娩途中に衰弱死。もともと虚弱体質だったらしい」

「それは……残念だな。父親の方はどうなんだい?」

「父親の名前は移木(ただし)。医療界では有名な外科医だ。彼は、娘の怜と共に失踪。その後、都内の路地裏で刺殺されているのを、地元の人間が見つけたとのことだ」

「穏やかな話じゃないな……」

「ああ。彼の“個性”は非常に珍しいものだったらしくてね……死亡したことに残念がる人も多いと聞くよ」

「む、どんな“個性”なんだい?」

「個性届には『移植』と書いてあったね」

「『移植』? それは、あの~……臓器移植とかの方の移植かな?」

 

 オールマイトの例えに『ああ』と頷く塚内は、そのまま直の“個性”について語る。

 

 彼は医療に“個性”を用いる為、きちんと資格を取った上で外科医を務めていた。そんな彼の代名詞が、『移植』の“個性だ。

 これは、直本人の指が白い稲妻を模したような物に変化させ、それらを用いて移植手術を行うと、拒絶反応を起こすことなく移植片を適応させることができるという“個性”である。

 

 この“個性”を用いれば、本来血液型などを考慮しなければならない移植手術も、なんのトラブルもなく手術を完遂させられるのだ。

 

 数多く居るヒーローたちの“個性”と比べれば一見地味ではあるが、医療方面で見ればかなり強力な“個性”だと言える。

 事実、これまで助かる見込みがないとされて居た者達も、彼の“個性”の手にかかれば瞬く間に生命の息吹を吹き返してきた。その様子から、医療業界では彼自身と“個性”のことを、『神の手(ゴッド・ハンド)』と称していたらしい。

 

 医療の界隈の知名度で言えば、オールマイトと同等。

 

 そんな大物の医者が、娘と同時期に失踪し、尚且つ刺殺されているとなると、因果関係を感じずには居られない。

 

「それと興味深いことに、『移植』で手術を受けた者が、稀にだが移植片の元の人間の“個性”が発現した例もあるらしい」

「なにっ!? それは……」

 

 この超常社会、“個性”の発現が確認されるのは四歳になってからであって、それ以降の年齢で発現が確認されることはめったにない。

 しかし、上記の発現はあくまで遅くに確認されたという事例。

 後天的に新たな“個性”を授かることなど、まずありえないのだ。

 

「後天的に“個性”を得たケース。まるで、()を彷彿とさせないかい?」

「そうだな……しかし、移木直と奴に因果関係はないのだろう?」

 

 ジクリと幻痛に苛まれるオールマイトは、左胸辺りに手を当てる。

 未だに痛々しい手術跡が残る場所―――恐らく、これから一生消えないであろうほどの痕だ。

 

「ああ、今の所は確認できていない。それともう一つ気になる事実があったんだ」

「気になる事実?」

「移木怜は、無脳症として生を授かったらしい」

「無脳症……大脳が欠けて生まれてくるっていうアレかい?」

 

 無脳症―――それは、神経学的奇形症の一つであり、大脳半球は通常欠損して全くないか、または小塊に縮小しているのが特徴だ。

 脳は生命維持に重要な役割を担う。それらが無くなっていれば、まず長く生きることはできず、大半は死産……生まれたとしても、一週間以内には死亡。記録上では三年生きた者も居るものの、十年以上生存することは絶望的な先天性の病だ。

 

 しかし、移木怜は十五歳まで生き、尚且つ普通に中学校に通っていた。行方不明になる前には、都内でも有数の進学校への推薦入学も決まっており、日常生活のみならず学力も特別問題はなかったと確認されている。

 そんな彼女が生き延びることができた理由、それは……

 

「無脳症の移木怜は、分娩途中に衰弱死した母親・神那の脳を直の手によって『移植』され、十五年生き永らえていた」

「それは……色々と大丈夫だったのかい?」

「当時は、随分話題に挙げられていたらしい。だが、脳の移植が妻の意思であったから、軽いバッシングを受けて済んだだけさ。世間からの同情の声の方が大きかったからね」

 

 無脳症か否かは、胎児が子宮に居る内でも3Dスキャンなどで確認できる。

 つまり、神那は生まれてくる娘が無脳症であったことを知りながらも出産を選び、尚且つ死に際に娘の為に自分の脳を移植するよう遺言を残したのだ。そのような劇的な背景があり、世論には直の行為は支持されたという。

 

 妻の脳と共に生きる娘―――父という立場からすれば、例え法を破っても守りたい存在だったことだろう。

 

「……医者も色々大変だという訳か」

「命を預かる仕事だ。同じ命を救う仕事だといっても、ヒーローとは大きく違うだろうね」

「私は、一時だけ……人生と比べたら刹那ほどの間しか、救いを求める者を救けられない。下手すれば患者と一生付き合っていくかもしれない医者には、頭が下がるばかりだ」

「オイオイ、平和の象徴が弱気なことを言うもんじゃないよ。確かに、君の救いは一瞬かもしれないが、その一瞬が彼らの後の人生紡いでいくターニングポイントの可能性もあるんだ。それに君という“正義の象徴”が居るからこそ、人々は心を希望の火を灯すことができる。君には快活に笑い飛ばしてもらわないと」

「……ハッハッハ! それもそうだな! ちょっとセンチになっちゃった!」

「ハハッ、そっちの方が君らしいよ」

 

 大分重苦しい話に意気消沈していたオールマイトであったが、塚内の言葉を受け、自分を奮い立たせるように笑い声を上げる。

 そうこうしている内に、彼等は目的地の警察病院へと到着し、移木怜と思しきサイボーグ少女に会う為、ロビーへと向かって行く。

 

 しかしその途中、慌ただしく動き回る看護婦たちの姿を視界に入れ、何事かと一斉に駆け出した。

 

「どうしたんですか?」

「あっ、塚内刑事! 実は、五日前に搬入された例の子が病室から居なくなって……」

「なんだって!?」

 

 入院していたサイボーグ少女が忽然と姿を消したことによる騒ぎらしい。

 今まさに彼女へ会いに来た二人は、最悪且つ最高のタイミングで来てしまったと、心の中で思った。

 

「成程……二年前に引き続き神隠しか。だが大丈夫! 何故って!? 私が居る!」

「オールマイト! あの子に了承はとっていないが、我々の独断で小型の発信機を皮膚に埋め込んでいる! 病院から一定距離離れたら私などの関係者の携帯に連絡が届くんだが、今の所鳴っていないをみれば、そう遠くには離れていない筈だ!」

「流石だ、塚内くん! それならば話は早い! すぐにでも追いかけよう!」

「ああ!」

 

 踵を返し、颯爽と外へ向かって行く二人は、塚内の携帯に入っている専用のアプリで、姿を消したサイボーグ少女を追いかける。

 場所はそう遠くない。

 塚内は兎も角、オールマイト並みの足があれば秒単位で辿りつける場所だ。

 

「待っていろ! 今、私が行くッ!!」

 

 

 

 *

 

 

 

 ペタペタと少女が赴く。

 すると、彼女の眼前に真っ赤に染まる棺桶のような物が現れた。真っ赤と言っても、所々白いラインが入っている箱は、まるで血肉の間に埋もれる骨のようで、不思議と愛しい気持ちになる。そして、舌の上に甘い感覚が広がるのを覚えた。

 

―――この感覚はなんだっけ?

 

 チカチカと光を発するソレを、少女はどこか懐かしく感じ、自然と手を伸ばした。

 すると、指先の皮膚がパネルのように線が入って割れていき、黒と白が入り混じる細長い稲妻のような物体が現れる。

 人体の一部のように器用に動く物体は、そのまま真っ赤な箱に突き立てられた。

 

 次の瞬間、何かが落下する音と共に甲高い人間の声が、インクをぶちまけたように黒く染まる夜の街に響き渡る。

 

―――ああ、思いだした

 

 

 

 

 

―――この感覚は……

 

 

 

 

「……美味しそう」

 



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Ⅱ グロウイーター

『オイ、“無個性”!』

 

 違。

 

『“個性”あるんだったら使ってみ~ろよ~!』

 

 見せられないよ。

 

『嘘つきだ~! お~い、皆! こいつ嘘つきだぞ~!』

 

 違う。

 私……嘘なんか吐いてない。

 

 

 

 *

 

 

 

 空になったペットボトルが、無造作に道端へ投げ捨てられる。

 目に見える範囲だけで十数本。全て、赤と白が基調のラベルが巻かれている、有名なコーラのペットボトルだ。

 自販機の前でこぢんまりと体育座りをする少女は、歯に纏わりつく甘さを舌で絡め取りながら、もう一度指を変化させて自販機に突き立てた。

 

 ふと、彼女の肉体を張り巡らされている神経と自販機が繋がったことを、少女は感じ取る。

 

 これが何なのかはまだ思い出せない。

 だが、何故かとても大切だったもののように思えた。自分と誰かを繋ぐ、とても大切な……糸のようなものだろうか。

 明らかに人間のソレには見えぬ手を見る度、彼女は形容しがたい愛しさと孤独感に苛まれるのだ。

 自分は誰かと繋がっている。しかし、繋がっている対象はたった一人だけ。

 二人ぼっちな私と■は、互いに姿を見せぬまま、各々の存在を示す為だけに繋がった糸を張ってみせる。

 もし糸が途切れてしまえば、それこそ自分は一人ぼっちになるのではないか。

 

 自分を見失いそうで怖かった。

 

 だから少女は、大人が酒に溺れるように、記憶の糸を手繰り寄せてコーラを貪っていたのだ。

 己と自販機を『神経接続』し、意のままに自販機を操作する。

 既に十数本目になるコーラであったが、彼女は“空いた”感覚も“満ちた”感覚も分からない為、ただただ口の中に残る甘美な感覚を欲するがままに自販機を弄った。

 

「……あ」

 

 無い。

 自販機の中にあったコーラを全て飲んでしまったようだ。それもそうだ。墨汁で塗りたくったような空の下、街灯も少なく自販機から放たれる光だけが光源の狭い中、見える範囲には綺麗に飲み干されたペットボトルが無数に放り投げられているのだ。

 見えている範囲はあくまで氷山の一角。明かりがあれば、数十本という空のペットボトルが見えることだろう。

 

 しかし、少女にとっては飲んだ本数は問題ではなく、記憶の糸を手繰り寄せられそうな重要な飲み物であった品が切れたという事実の方が問題であった。

 既に、口の中で爽快感が弾ける琥珀色の液体は残っていない。

 それを理解した少女は、自販機に突き立てる“指”を元に戻した。

 

 やることが無い。

 

 暗い夜道に病衣姿で体育座りする少女など、傍目からすれば異様な光景でしかない。

 しかし、今日に限って通行人が居ないことにより、誰も彼女に声を掛ける者が居なかった。

 

 自販機が駆動する音と、遠くで自動車が走る音だけが聞こえる静寂な空間。

 

 だからこそ聞こえた。

 今まさに、獲物に狙いをつけるケダモノの息遣いが。

 

「―――!」

「ア゛ァァアッ!!」

 

 体に電流が奔ったような感覚を覚えると同時に、少女は常人ならざる反応で頭上から振り下ろされた剛腕を回避した。

 標的を見失った岩石のような腕は、そのまま少女の近くに佇んでいた自販機を、豆腐でも潰すかのように原型がなくなるほどに粉砕する。

 

「エェイ゛……! ア゛ァエエ……!」

「……」

 

 身体中に埋め込まれている口が、泣き叫ぶかのように歪みながら人のものとは思えぬうめき声を上げる。

 

―――グロウイーター

 

 連続食人殺人鬼だ。

 “個性”でいう所の異形型さえも超越したような風貌の殺人鬼は、血走った数十の瞳を一斉に蠢かし、自身の攻撃を回避した少女へ視線を遣る。

 

 一方少女は、虚ろな瞳で殺気の籠った眼を向けてくるグロウイーターと視線を交わしつつ、何時でも次の攻撃を避けられるようにと身構えた。

 すると、先程自販機を支配していた白と黒が入り混じった稲妻が指先から伸び、そのまま自身の体へと突き立てるではないか。

 

 自傷行為? 否、そうではない。

 自身に“指”を突き立てた少女の体には、基板に刻まれる回路のように規則的な黒いラインが奔ると同時に、体の周りにバリバリと白い電光が爆ぜ始める。

 

「……強制発動。『超反応』、『膂力増強』、『瞬発力』、『筋骨発条(バネ)化』」

 

 

 

―――私は何を言っているんだ?

 

 

 

 自然と口から零れる“個性”の数々に、思考が追いつかない。

 だが、彼女自身が考えるよりも先に体が動いてしまっているのだ。まるで、自分が自分ではないように。

 

 表情には出ていないものの、困惑している少女に対し、グロウイーターは依然として低いうなり声を上げるだけ。

 だが、グロウイーターの体にもまた変化が表れ始める。

 肉が埋もれ、骨が軋む音が鳴り響きながら、グロウイーターの元々巨大であった右腕が異常に肥大化した。

 更に、腕の筋肉に埋もれている口腔からは、辺りを真っ赤に染め上げる紅蓮の炎が迸る。

 

「ア゛ァァアッ!!」

「ッ!」

 

 直後、道路のコンクリートが砕け散る音と共に、両者の姿がその場から掻き消える。

 すると、続けざまに空気が破裂するかのような轟音が数度響き渡った。閑静だった場所で爆ぜる閃光と鳴り響く轟音は、驚くほどに良く通る。

 

「オ゛ァッ! ア゛ァ! ア゛ァッ!」

 

 次々と異形の腕を振るうグロウイーター。一振りする度に、近くの建造物に焦げ目がつき、触れた物は須らく破砕されていく。

 しかし、一撃でも当たれば致命傷である攻撃を、縦横無尽に駆けて回避する少女。戦場に一変した場を駆け巡る彼女は、そこらのプロヒーローよりも俊敏であった。

 

 『超反応』で敵の攻撃を瞬時に見切り、『膂力増強』と『筋骨発条化』で人間ならざる肉体の『瞬発力』で、命を叩き潰さんとする鎚を紙一重で回避する。

 

 幾度となく振るわれる剛腕が電信柱に命中し、電線はBZZと電光を瞬かせながら千切れた。弾け飛ぶ破片は偶然にも少女の頬を掠り、赤い血が滲む掠り傷をつけるに至るが、

 

「―――『超再生』」

 

 確かめるように少女が呟けば、頬の掠り傷は一瞬の内に塞がり、元の白く透き通った肌に戻る。

 この程度の傷はなんともないとでも言わんばかりの無表情。

 尤も、もともと機械のように表情が動かない少女であるが、これだけ襲いかかっても感情の変化を見せない相手に業を煮やしたのか、今日一番の咆哮を上げて拳を振りかざす。

 

「オ゛ァァアアアッ!!!」

「ッ」

「……ア゛ァ?」

 

 突き抜ける衝撃。

 そのまま少女を地面の染みにし、コンクリートの地面を砕く―――かと思いきや、拳が少女に命中した場所から一切動かない。

 

「―――『衝撃反転』」

「ッ……ア゛ァアア!!?」

 

 刹那、バツリとゴムが無理やり引きちぎられたような不快な音と共に、鮮血が宙に迸る。

 振り下ろした腕の皮膚が裂け、筋線維のみならず中の骨さえも見えるほど傷に悲鳴を上げるグロウイーターであるが、数秒後には傷口が埋まるように筋線維が盛り上がり、元通りの―――元々歪ではあるが―――腕に戻った。

 

 一方少女はと言えば、『衝撃反転』を発動させた腕を宙へ掲げたままだ。

 受けた衝撃をそっくりそのまま返す“個性”は、相手の攻撃の威力に依存する。文字通り受け返した少女の病衣の右腕部分は、敵の高温な腕も相まってか、ボロボロに破けた上に煤けていた。

 

「ッ……」

 

 痛々しい様になっている腕を見て、思わず少女の表情も歪む。

 痛くはない。ただ、その様に幻痛を覚えただけだ。

 

「ア゛ァ~……!」

「……」

 

 睨みあう両者。

 一人は、生気を感じさせない虚ろな瞳で。

 一人は、喜んでいるような、怒っているような、哀しんでいるような、楽しそうな―――様々な感情を宿す数十の瞳で。

 

 対照的な二人は容易くは崩れそうにない均衡へ突入してしまう。

 

 だが、常人であれば塵のように弾き飛ばされてしまいそうな状況の中に、一つの影が降り立つ。

 

CAROLINA(カロライナ)……」

「ッ!」

SMASH(スマッシュ)!!」

 

 隕石のようにやって来たヒーロー―――オールマイトは、その剛腕でクロスチョップをグロウイーターに繰り出した。

 しかし、以前とは比べ物にならない反応で彼の一撃を回避したグロウイーターは、慣れた様子で体を『液状化』させ、そのまま近くのマンホールの隙間を通り、颯爽とこの場から逃げていく。

 

「くぅ……逃げ足が速い相手だ。だが、まずは君の無事を確認せねばな!」

 

 拳を握り敵が逃げたことを悔やむオールマイトであったが、すぐさま声色を変えて踵を返す。

 彼が瞳に映すのは、紛れもなく目の前に居る少女だ。

 

「……?」

「むッ、大変だ。右腕を怪我したのかい? もう少し近くで見せてくれるかな?」

「……うん」

「おおッ、返事してくれたね! ちょっと感動だよ!」

「……」

「あ、ゴメンね。私だけ場違いにテンション上がって」

 

 無言で佇む少女に、無駄に嬉々としていたオールマイトがしょんぼりとする。

 そのままテキパキとした様子で、煤けた少女の右腕を確認するオールマイト。ムキムキな彼が診断など、如何せん似合わない光景ではあるが、彼はヒーローとしての資格を有す者。トリアージは医者ほどではないがやってのけられる。

 

「うん、見た目よりは悪くない……って言うより、煤で汚れてるだけで傷はないね。私の杞憂で済んでよかったよ!」

「……オールマイト」

「ああ、私がオールマイトさ! ……じゃなくてね、君が一人で勝手に病院から出て来ちゃったから皆焦っちゃってね、ハッハッハ! いや、笑いごとじゃあないんだけど、ここまで無傷だと笑うしかないって言うか!」

 

 そうは笑い飛ばすものの、オールマイトは内心穏やかではない。

 閑静な場所に居た移木怜と思しきサイボーグ。恐らくは一人で居ただろう彼女をグロウイーターが襲っていたのだ。

 あと少し遅れていれば彼女の命が危なかったかもしれない。

 

(いや……もしや、グロウイーターの狙いがこの少女だったのかもしれない。考え過ぎだろうか?)

 

 五日も息を潜めていたグロウイーターが、このタイミングで姿を現したことに形容しがたい違和感を覚えてしまう。

 

(『育ち喰らう者(グロウイーター)』―――喰らった者の“個性”を得ることができ、育ち続ける最凶の(ヴィラン)。早々に逮捕せねば……!)

 

 敵名の由来を思い返し、ギリッと歯を食い縛るオールマイト。これ以上、民間人から被害を出す訳にはいかない。これ以上被害を出せば、ヒーロー社会に不信感を抱かせるのに加え、グロウイーターそのものの戦力を向上させるに至ってしまう。

 

 平和の象徴として―――そして、一人のヒーローとしてこれ以上グロウイーターの犯罪を許すわけにはいかない。

 

 再び静まり返った街道に響き渡るのは、轟音を聞いた住民の通報を受けた警察のパトカーだ。直に、この場に急行した際に置いて来てしまった塚内もやって来るだろう。

 神妙な面持ちで唸るオールマイトは、もう一度少女を見つめる。

 

 その時、虚ろな瞳に僅かな光彩が宿ったように、オールマイトは感じたのだが、理由までは分からぬままだった。

 

 

 

 *

 

 

 

『怜。今日、お父さんはお仕事休みなんだ。どこかお出かけするかい?』

『……うん』

『そっか。じゃあ、お昼は何食べたい?』

『えっとね……ワクドナルドのワクワクセット』

 

 柔和な笑みを浮かべる父に撫でられたまま、私は一度も言ったことのない店の名前を口に出す。

 ふと、父が驚いたような顔を見せ、『そうか』と笑みを深くしてから言葉を続けた。

 

『ワクワクセット以外じゃダメかな?』

『ううん……ワクワクセットがいい』

『今月の付録のおもちゃがヒーローグッズだからかい?』

『! ……うん』

 

 図星を突かれ、私は羞恥心のままに着ていたワンピースの裾をギュッと握る。

 

『ハハハッ、分かったよ。じゃあ、今日はお父さんと怜の二人でワクドナルドに行こうか』

『……オールマイト』

『怜はホントにオールマイトが好きだな。将来の夢はヒーローか?』

『えっとね、わたしは―――』

 

 はにかんで質問を投げかける父に、私は何かを言い放った。

 すると父は突然泣き出し、ギュッと私を抱きしめてくれる。

 

 理由は覚えていない。

 私が何を言ったのかも覚えていない。

 ただ覚えているのが、頬を伝う父の涙がとても温かかったというだけだ。

 

 

 

 *

 

 

 

「やあ、調子はどうだい!? 移木少女!」

 

 BANG! と病室の扉を勢いよく開けるオールマイト。彼の右手には美味しそうな匂いが漂ってきそうなワクドナルドの袋と、左手には巨大な紙袋が複数握られていた。

 そんなオールマイトであったが、静かな病院で大声を上げれば迷惑でしかない為、すぐ横を通りかかったナースに『お静かに』と注意さえる。

 筋肉の塊というべき男が、華奢なナースに起こられてしょんぼりする姿はある意味貴重だ。

 

「ハンバーガーとポテト……食べる?」

 

 一方、またもやグロウイーターに襲われたサイボーグ少女―――移木は、返事をしない代わりに無言で頷き返す。

 その様子に『そっか!』と笑い飛ばすオールマイトは、巨体に似合わぬ小さな椅子に腰かけ、どこを眺めているかも分からぬ虚ろな瞳を浮かべる移木と喋り合う体勢に入る。

 

 先日の襲撃以来、またもや雲隠れしたグロウイーターの捜索を続けるヒーローと警察なのであったが、オールマイトはとある事情から一旦パトロールから離れ、こうして移木が居る病室に来ているのだ。

 その理由は―――

 

『オールマイト。先日、移木怜が病棟を離れた際に彼女を襲撃していたグロウイーターの血液……それをDNA鑑定してもらったんだ』

『うん。それがどうかしたのかい?』

『奴から検出された複数のDNAの一部が、移木怜から検出された複数のDNA全てと合致した』

『な……なんだって!?』

 

 衝撃の事実が塚内から知らされたのは、移木を病棟に連れ戻した二日後のことであった。

 DNA鑑定で、数十人に及ぶDNAが検出された移木―――それだけ充分異常なのであったが、更には世間を騒がせているグロウイーターのDNAと合致するという新事実。

 

 自分のDNAが他人と合致する確率は、超常黎明期以前に数兆人に一人との鑑定結果が出たこともある。それだけ、DNAとは“個性”以上に唯一無二だということなのだが、複数人のDNAを持ち、更にはそれらのほとんどが合致するということは、最早同一人物以外ではありえない事態だ。

 

『……私は、移木怜とグロウイーターに何かしらの因果関係があると読んでいる』

『ああ、そこまで合致するとなると、素人目から見ても関係があると考えるよ』

『だから私は彼女に話を聞きたいんだが……その役目を君に任せてもいいかい?』

『む? 何故だい、塚内くん』

『どうしたものか、あの子は私たちの質問には一切反応してくれないんだ。だけれど、君となら何度か口を開いてくれたんだろう?』

『成程! それで私に白羽の矢を立てたと!』

『そうだね。情けない話なんだが、君にあの子から有力な情報を得られるかどうか試してくれ』

『うむ、任せてくれ!』

 

―――などという経緯があり、今に至るのだ。

 

 しかし、幾らオールマイトと言えど、会話の中から情報を引き出すなどといった訓練は一切受けたことが無い。人質をとる敵に対し、止めるよう窘めたりといった経験こそあれど、最終的には話術で落とすのではなく、拳で相手の意識を落とすのが専らであった。

 

 更に付け足せば、普段相手にするのは直情的な思考を抱く者なのだが、今回に至ってはほぼ無感情……まさしく機械のような者が対象だ。

 難易度で言えばルナティック。

 しかも、攻略に挑戦できるのが自分だけであると思うと、全摘した筈の胃が責任感によるプレッシャーでキリキリと痛み始める。

 

(しかし、やらねばなるまい! 何故なら私は―――!)

 

「……オールマイト」

「なーんだい、移木少女!?」

 

 己の心の声に合わせるように言葉を発した移木に、思わず声が裏返る平和の象徴。

 

「私を……知ってる?」

「むむむッ、いきなり哲学的な質問だな! だが、あえて言うのであればさっぱり分からない! だから、今から君とたくさんお喋りしたいと思ってるんだが……大丈夫かな?」

「……うん」

 

 掴みは充分。

 普段から笑みも画風も濃いオールマイトが、更に笑顔の皺を濃くする。

 

「よしッ、じゃあ買ってきたハンバーガーとポテトでも摘みながら語らおう! 飲み物は勝手にコーラを選んじゃったけど、飲めないなら別のを……」

「……コーラ、好き」

「そうか、なら良かった。私もコーラは大好きだ! ハハハッ、早速一つ私と君の共通点が出来たな!」

「……うん」

 

 袋から取り出したハンバーガーを受け取る移木は、慣れた手際で包装紙を剥がし、そのままハムッと口を付ける。

 そのまま桜色の薄い唇が、具の熱で柔らかくなったバンズに触れる―――と思いきや、

 

「おぉぉおぉお……!?」

 

 噛み切るのではなく、そのまま口の中へぎゅうぎゅうにハンバーガーを詰め込み、まるでハムスターのように頬が膨れ上がる様を見て、オールマイトが驚愕と動揺が混じった声を上げて狼狽える。

 

 そのままモッキュモッキュと数度噛んでから、部屋中に響き渡るほどの嚥下音を一度ならして、ハンバーガー丸々一つを胃袋に納めた移木。

 

「ご、豪快だねぇ……」

「……美味しい」

「そ……それならよかったよ! さあ、ポテトも食べるかい?」

「……うん」

 

 全身サイボーグなのに食事ができるのだろうか?

 しかし、その辺りは考えるのを止めたオールマイトが、外側はカリカリに、中はホクホクに揚がっているフライドポテトを差し出す。

 

「さ、遠慮せずに食べて大丈夫だ!」

「……」

「おおぉおぉッ……!」

 

 またもや差し出された食べ物を、一気に口へ含んでいく少女に、オールマイトは最早一種の感動を覚えながら一連の流れを見届ける。

 徐にケースを真っ逆さまにし、そのまま数十本のポテトを口腔へ流し入れた後、頬に少しばかり凹凸を作りつつ数度咀嚼し、再びえげつないほどの嚥下音を奏でて完食を果たした。

 

「コ……コーラ飲む?」

「……うん」

「んんん~~~! 飲み物も一気なのかぁ~~~!」

 

 蓋を開けて炭酸が抜ける音と同時に柑橘系の香りが漂ったかと思えば、芸人顔負けの速度で500mlペットボトルを満たす琥珀色の液体を飲み干した移木。

 擬音で表すのであれば、『ゴキュゴキュ』ではなく『ゴゴゴゴッ』という音。まるでダムから流れ落ちる水だ。

 

―――どうしよう、もう買ってきた食べ物なくなっちゃった。

 

 『お年頃のあの子とは放課後にワックへ作戦』は潰えてしまった。

 しかし、こんなところでへこたれる平和の象徴ではない。

 

「ハーッハッハッハ! 移木少女、安心してくれ! 君が楽しんでくれるようにと、私は洋服もたくさん買ってきた! さあ、気になる物があるか見てくれ!」

 

 女の子と言えば洋服好き。で、あるならば、たくさんの服を見せればなにかしら気に入ってくれるのではないかという考えの下、オールマイトは手当たり次第に服を買ってきたのだ。

 

「これなんかどうだい!?」

 

 尤も、『女子が洋服好き』という考えはオールマイトの偏見で、選んだ服もなんとなしにチョイスした物である。

 つまり何を言いたいのかと言うと、独身の男がファッション誌も参考にせずに適当に買ってきた物など、到底普通とはかけ離れ―――

 

「……」

「……あれ?」

 

 予想以上の無反応さ。

 因みに取り出されたのは、ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツの着ぐるみパジャマ(虎バージョン)だ。

 

 心なしか、常時虚ろな瞳の移木の瞳が、あらぬ方向を見ていると感じたオールマイトは、頬に汗を垂らして頓狂な声を上げるのであった。

 

 

 

 *

 

 

 

「ここだわ……臭う。臭うわよ」

 

 スネークヒーロー『ウワバミ』が見上げるのは、寂れた雰囲気を漂わせる廃病院だ。

 

「成程、隠れるには持ってこいの場所だ……まあ、指名手配中の身で根城を一つに絞るとは、向こうも随分合理的じゃない真似をするモンだ」

「まあ、そのお蔭で我々もこうして無事根城を発見することができた……早速、他へ連絡を回すとしよう」

「ええ。アレとやり合うなら、万全を期した方がいいでしょうからね……」

 

 グロウイーターの根城を発見するという重要な役割を担い、尚且つ危険度が最も高いウワバミを護衛する為に付き添っていたイレイザーヘッドとベストジーニストが、落ち着いた様子で言葉を交わす。

 

「グロウイーター……今度こそは逃がすまい」

 

 

 

―――着々と外堀は埋められていく

 

 

 

 



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Ⅲ 能夢

 

『あの……博士って“無個性”なんですか?』

『ム? 急にどうしたんだい、怜ちゃん』

 

 私の突拍子のない質問を投げかけられた初老の男性は、目が点となっていた。

 博士は父の旧友で、母が居らずに寂しい思いをしていた私を見かねて、よく自分のラボと呼ばれる所に連れてきてくれていたのだ。

 博士は博学。なんでも、ロボット工学に精通しているらしい。

 中学に上がってようやく博士の凄さを認識した私は、かつて彼の作ってくれた小さなロボットを雑に扱ってしまっていたことなどを思い出し、申し訳ない気分になった。だが、その途中で知り得た事実がある。

 

 それは、彼が“無個性”だということだ。

 

『お父さんに聞いて……』

『ほう、移木から聞いたのか。その通りだ、私は“無個性”だよ。それがどうかしたのかい?』

『……私、“個性”があるけど“無個性”みたいで……それでもヒーローになれるのかなって……』

『ふむふむ、成程』

 

 博士は私の言葉に対し、真摯な面持ちで顎に手を当て、うんうんと唸り始める。

 私としては、中学に上がってまでこのような質問をしていることに羞恥が心の底から湧き上がってきたが、博士の真面目な態度を見れば、私なぞの羞恥は些細なもののように思えた。

 

『怜ちゃんは、月に一度“個性”抑制剤を服用しているからなぁ……まあ、子どもが夢見るような超パワーで相手を倒すようなヒーローには難しいなぁ』

『……そう、ですか』

『だが、大事なのは君がなりたいヒーローのヴィジョンだ。どんなヒーローになりたいかの違いで、自ずと歩むべき過程も変わってくるだろうに』

 

 そう、私は“個性”抑制剤なる薬を月に一度飲んでいる。なんでも、外国では認可されている薬であり、日常生活に支障がでる“個性”を少しでも抑えられるようにと、弱“個性”改善薬である個性因子誘発物質入りのトリガーとは対になる形で作られた物だ。

 四歳の頃、脳が移植されたのが原因なのかよく分からないが、私は“個性”が暴走してしまった。そんな私の“個性”を抑える為にと、大枚をはたいて父親が外国から購入していると知ったのも、ここ最近である。

 

 俯き気味になった私に、穏やかな博士の声が私の背中を撫でるように響いてくる。

 

『犯罪者を取り締まりたい。凶悪な敵を相手取る。被災地や災害現場に赴く……超常黎明期だかなんだかの所為でヒーローのやることは増えてしまったが、なにかに特化することも決して悪いことじゃあない。寧ろ、現場にしてみれば浅く広い知識の者よりも、狭く深い専門家の方が重宝されやすいものだからな』

『……私……でも、運動神経が良い訳じゃないですし……勉強はちょっとできるけど……』

『はっはっは。今がどうかなんて些細な問題さ。重要なのは、これからどうすべきか―――これからの人生をどう組み立てていく、だ。その辺りはロボットと同じかもなぁ』

 

 博士は軽く笑いながら、目の前の設計図の図面にせっせと線を引いていた。難し過ぎて私には分からない図面だ。

 

『じゃあ……ヒーローになるには、何が必要だと思いますか?』

『ふむ、好奇心旺盛なのは構わないが、すぐに他人に解を求める辺り怜ちゃんもまだまだ子どもだなぁ』

『え……』

『はっはっは、冗談だよ。でも、時には自分だけで考え、成否問わず解を出すというのも必要なことさ。それより何がヒーローに必要か、だね? 私の解で構わないなら答えるが……』

『よろしくお願いします……』

『そうか。じゃあ、私の見解はだね、『共感を持てるか』……これに尽きるよ』

『共……感?』

『ああ』

 

 目をぱちくりさせる私に、博士は陽だまりのように穏やかな笑みを浮かべつつ、私に茶菓子を差し出してくれた。

 チョコレートだ。考えるには糖分が必要と、博士がよく好んでチョコレートを食べていることは知っているし、何度もごちそうになっている。

 

 無言で食べるように促されるように、高い包装紙を剥がして中のチョコレートを口に含む私は、先程までの陰鬱な思考が少しだけゆるりと溶けた感覚を覚えつつ、ほどよい甘さとほろ苦さを舌の上で楽しむ。

 すると博士も、ポイッとチョコレートを口に放り込んだ。

 

『ふむふむ……うん、チョコは美味しいと思わないかね?』

『……美味しい』

『だろう? ほうら、今私と怜ちゃんは『チョコを美味しい』と思った訳だ。これも一つの『共感』だね』

『? ……えっと、それがヒーローとどういう?』

『まあ、そう逸るものじゃあないよ。例えばこれが災害現場だと仮定しよう。瓦礫の中に閉じ込められた人が居るとして、その人は何を思っていると思う?』

『……怖いとか、不安とか……ですか?』

『うむ、大抵はそうだろう。早く助けが来なければ死んでしまう。そんな状況の中で怖いと思わないのは、まず有り得ないね』

 

 すると博士は徐に立ち上がり、近くの戸棚に飾ってあったヒーローフィギュアを手に取った。年甲斐もなく収集している一品らしく、特に『紅頼雄斗』と呼ばれるフィギュアはウン十万円という価格で落札したものだと言う。

 そんなヒーローフィギュアの中で博士が手に取ったのは、誰もが知っているヒーロー・オールマイトであった。

 

『さて、問題を出そうか。そんな災害現場にオールマイトがやって来たとしよう。彼はなんて言うと思う?』

『……『私が来た』?』

『正解! なら、なぜ彼は『私が来た』と言うのだと思う?』

『それは……安心させるためじゃないですか?』

『ああ、そうだ』

 

 満足げに笑う博士は、そのままオールマイトのフィギュアを自身のパソコンの隣に置いた。

 パソコンの画面には、私には理解し難い複雑な機構が組み込まれていそうなロボットの設計図が映し出されている。紙に描くのかパソコンで描くのか、どちらかにするべきではないかと思う私であったが、そこは私がズケズケと言える範疇ではなかったので、素直に博士の言葉に耳を傾けた。

 

『救けを求める人が『怖い』と感じている……その感覚を共有するからこそ、彼は自分が―――ヒーローが来たと伝えることで、相手を安心させようとしている』

『成程……』

『でも、それだけじゃあない』

『え?』

 

 私はてっきり話が完結したと思ったが、博士はさらに話を続ける。

 

『救けを求める人々の立場になって共感することのできるヒーローは、彼等の声に応えて更なる力を発揮するのさ』

『……へ?』

『……信じられないって顔してるね。そりゃあ科学的な根拠なんてないさ。でも、人の心にはにわかに信じがたい力が秘められていると、私は思っているんだよ』

 

 しみじみと言葉を紡ぐ博士を前に、私は僅かに覚えた胡散臭さなどとうに消え失せてしまい、真剣な面持ちになってしまっているのが、ブラックアウトしたパソコンの画面に映った自分を見て気が付いた。

 そして、博士は握った拳をちょうど自分と私の間辺りに突出し、もう一度力強く握り直して見せる。

 

『心は目に見えない……だけれども、人は『在る』と信じて疑わない。この世は『在る』ことを証明することよりも、『無い』ことを証明する方が難しいものだ。心が例え霊的な存在……早い話オカルトだとしても、私は『在る』と信じよう。そんな心は、多くの人々の『共感』を得て、強大な力を発揮する! だからヒーローは負けない! ……これが、私のヒーローに必要だと思う要素と持論だよ。どうだい、役に立ったかな?』

『はい。とっても……』

『はっはっは、それはよかったよ』

『博士。でもなんで、そう言う博士はロボットを作ってるんですか?』

 

 ふとそんな質問を投げかければ、博士はガクリと椅子から滑った。

 

『う~む……ヒーローじゃない私に言われてもなぁ』

『あ……すみません』

『いや、謝られることじゃあないよ。私も人を助ける為のロボットはたくさん作っているが……何と言えばいいものか。ヒーロー以外の人が共感の無い人間だと言う訳じゃないことは、勿論分かるね?』

『はい』

『ふぅ、なら良かった……』

 

 感情のない冷血な人間だと思われていなくてホッとしたのか、博士はチョコレートを食べたばかりで甘ったるい香りがする溜め息を吐き、ピッと私を指差した。

 

『そもそも、今の質問を鑑みるに怜ちゃんは、ヒーローを職業ヒーローのことだと思っているね?』

『え? あ……まあ、そうなります』

『ふむ、なら私の説明が足りなかったな。なにも、ヒーローは別に公務員としてだけのものじゃあない。人々を助ける偉大な者は須らく『英雄(ヒーロー)』と呼ばれる。そこに職業の縛りなどは一切ない。例え、“個性”持ちであろうとも“無個性”であってもね』

 

 そこまで語った博士は徐にパソコンをいじり出し、画面一杯に数々のロボットを映しだした。全て彼が設計した災害救助用のロボットだ。更には防犯ロボットも幾つか散見できるが、ほとんどは人命を助けんと作られたロボット。

 

『私も、未だヒーローと呼ばれたことはないが、日々人命を救おうと努力は積み重ねている。君の身近にも、人を救けようと頑張る人は居るだろう? 私なんかより、直接たくさんの人を救けた立派な男が』

『あっ……』

『彼もまた、ヒーローさ』

 

 一瞬脳裏を過った後ろ姿に、私は自然と声を出してしまった。

 

 

 

―――ああ、あの人もヒーローなんだ

 

 

 

 納得する私を前にした博士は、うんうんと再び頷いて、無数に画面に映し出したロボットの画像を消していく。

 最後に映っていたのは、人型のロボットだった。

 

―――ロボットは、その場その場の最善を導き出すことはできるが、やはりヒーローのように……人間のように相手の気持ちを理解することはできないのさ

 

 そう言ってパソコンの電源を落とした博士の声は、どこか寂しそうに聞こえた。

 

 

 

 *

 

 

 

「……」

 

 少女は、一人病室でファッションショーに勤しんでいた。

 特に楽しんでいるという訳ではない。ただ、昨日傍らで延々と笑いながら話をしてくれていた男性が持ってきてくれていた服を、なんとなしに来てみたかったという好奇心からの行動であった。

 着ぐるみパジャマを始め、ワンピースにTシャツなどなど……種類を数えればキリがなさそうだ。

 

 そんな中で彼女が目に留まったのは、一式揃っている真っ黒なスーツ。

 

 手慣れた様子で病衣からスーツに着替える少女は、最後にキュッとネクタイも締め、墨汁で塗りたくったかのように真っ黒に染まる外へ体を向け、鉄格子が嵌められているガラス窓を鏡代わりに扱い、自分のナリを確認する。

 

―――ああ……反対だ

 

 ふと、そう思った少女。

 なにが反対なのだったのだろうか? 少女は何度も思慮を巡らすも、上手く言葉が出てこない。

まるで失語症にでもなった気分だ。頭では色々と考えられているのに、言葉に出そうとすると上手く出てこなかったり、すぐに出なかったりする。口が体に馴染んでいない。思考と動きが直結しないのだ。

 

 形容し難い違和感が喉につっかえているようだ。

 

 そのような感覚を覚えながらもスーツ姿の自分を眺める少女は、己の真っ黒な姿を、とある人物と重ねる。

 

『少し前まで相棒(サイドキック)だったんだが、少し仲違いがあってしまってね……』

 

 そう言ってオールマイトが少女に見せたのは、かつての相棒であった『サー・ナイトアイ』というヒーローの画像。

 大柄な彼には似合わぬ大きさの携帯電話。その画面に映し出されるナイトアイの顔は、中々の仏頂面であった。オールマイトとは対照的な印象を与えるナイトアイ―――彼のコスチュームであるスーツが、少女の網膜に強く焼き付いていた。

 

「……」

 

 徐に、オールマイトが置いて行ってくれた紙袋の中を見つめる。

 すると、乱雑に脱ぎ捨てられた衣服の中に、キラリと照明の光を反射する物体が一つあるのが窺えた。

 サングラス。本来、日差しや強い照明から眼を守る為に使う物だ。既に日も落ちた時間帯に着けるべきものではないが、ムズムズと胸の内に疼く感覚のままに、札付きのままであるサングラスを掛けてみる。

 

「……おぉ」

 

 アメリカの映画で出てきそうなSPだ。

 月並みな表現であるが、少女は率直にそう思った。

 ただ、サングラスに札付きのままでは如何せん恰好がつかない。クッとナイロン製の輪に指を掛け、無理やり引きちぎろうと試みる。

 しかし、サングラスを抑えぬまま引っ張れば、当然サングラスは少女の目元を離れ、その勢いのままに掛けていた指からもすっぽ抜け、あらぬ方向へ飛んでいった。

 

 数秒後、虚しくサングラスが床を転がる音が病室に響き渡る。

 

 それを拾おうと腰を屈める少女であったが、ふと夜の街の奥に瞬く閃光が視界に入った。

 

「え……?」

 

 同時に、誰かに呼ばれている気がした。

 自分以外、誰も居ない筈の病室に、得体が知れない者の声が響き渡る。

 否、知っている―――まるで、初めて自分の生の声を聞いた時のような気分だ。

 

「あ……」

 

 ズキンと、頭に痛みが走る。

 

「あ……あぁ……あぁ……っ!」

 

 突然体が震え始め、焦点の定まらなくなった視界が混沌とした彩を見せ始めた。知っている景色が、明滅するようにフラッシュバックする。

 

 

 

『返せ』

 

 

 

 グロウイーターに埋まる口の一つが、少女に向かって発していた言葉。

 それが今、理解できた。

 

 脳が疼く。

 頭が焼き切れそうな情報量に吐き気を催しながら、覚束ない足取りでガラス窓の前に立つ。鉄格子の向こうで荒れ狂う光を前に、少女は徐に足を突出し、鉄格子を蹴り飛ばす。

 派手な破砕音を響かせ、ぽっかりと穴が空く窓。

 遠方の赤い空辺りから聞こえる子どものような泣き声のような咆哮を耳にした少女は、迷わずその身を外に放り投げた。

 

―――待って

 

 そのまま宙で翻り、鮮やかな着地を見せた少女は、先日の一件の時のように白黒の稲妻を指先から奔らせ、自らの体内に潜り込ませる。

 

―――今、救けに行くから

 

 そのまま奔り行く少女。

 彼女が向かう先は、戦火の中。

 帰る場所を失くした、自らの半身の下へ……。

 

 

 

 *

 

 

 

 数十分前、東京都校外の廃病院内。

 十数年前に廃れた病院の内部は、所々の壁には亀裂も入っており、大地震でも来たらすぐさまに崩れ落ちそうな危うさが散見できた。

 しかし、既に何度も崩れ落ちそうな衝撃が、この廃病院内には轟いている。

 

「チッ……聞いていた“個性”と大分話が違う……!」

「みっともないぞ、イレイザーヘッド。一流はそんなものを失敗の理由にしない……っ!」

「分かってますよ。でも、こんなのを相手にしたら愚痴りたくはなりますっ!」

 

 激震が走る廃病院内、今回のグロウイーター逮捕の為召集されたメンバーであるイレイザーヘッドとベストジーニストであった。

 ベストジーニストが己の身に纏う衣服の繊維を解く横で、真紅に染まる目を輝かせながら、捕縛武器である布を宙に奔らせるイレイザーヘッド。

 

 彼等が縛っているのは錆が酷い鉄屑とコンクリートが固められたような人形。

 カタカタと異様な効果音を発する人形は、ゾンビのように今回の突入メンバーである者達に迫り寄るが、プロヒーローである二人を前に容易く縛られる。

 だが、縛られればすぐに崩れ落ち、また構築されていきようにして生を得る人形は、突入隊に肉迫した。

 

「っ……俺の“個性”が効かない。こいつら、本体じゃない!」

「そのようだな。縛った先から解かれれば堪ったものじゃない……」

「オールマイトとの連絡は!?」

 

 声を荒げるイレイザーヘッド。

 彼の背後に居る突入隊に選ばれた警察官は、既に人形に襲撃されて手負いとなった同僚に肩を貸しながら、焦燥の混じった声色で現状を報告し始める。

 

「ダメです! 病院全体に電波ジャックがかかっていて……他の突入隊との連絡も!」

「グダグダだな……!」

 

 今回の作戦は突入隊を二つに分け、正門と屋上からの突入し、グロウイーターと遭遇した次第交戦を開始し、そのまま捕獲に入るという段取りであったのだ。各隊に、グロウイーターの『液状化』に対抗できる“個性”を持つ者を編入していた。この隊で言えば、『抹消』を持つイレイザーヘッドが対抗できる人材に値する。

 イレイザーヘッドとベストジーニストが居る突入隊は、各々の“個性”や装備を用いて屋上に到達し、錆びついたドアを開けて屋内に侵入したものの―――今に至っていた。

 

 得体の知れない相手を前に前進することは難しく、更には汚れた壁に彫刻のように掘り出された口腔から伸びるコンクリートの触手が、彼等の進行を妨げている。

 無機物である物質が、まるで生物のように蠢く様は、夜中という時間帯も相まって一層不気味さを醸し出していた。

 

 イレイザーヘッドとベストジーニスト……彼等二人は、特段物理攻撃に秀でているヒーローではない。

 どちらかと言えば捕縛を得意とするヒーローである以上、このような乱戦に“個性”を解放して一掃という真似もできない。故に地道に対応しているのだが、状況が芳しくないのは火を見るよりも明らかであった。

 

 乱戦と化す廃病院内。

 すると、ふとイレイザーヘッドが異変に気が付いた。

 

(……地響き?)

 

 ゴゴゴと唸りを上げる廃病院。まさか、戦闘の衝撃で建物が崩れかけているのだろうか。

 有り得―――なくはない。なにせ、今回の突入隊にはオールマイトが居るのだから、彼の怪力が発揮されれば、この程度の建物は跡形なく吹き飛ばされてしまうことだろう。

 

 だが、モラルのある彼がそのような危険な真似をするだろうか?

 

 そこまで考えたイレイザーヘッドであったが、解はすぐ近くまで迫り寄っていた。

 

「っ……水!?」

 

 ふと、悲鳴を上げる床に亀裂が蜘蛛の巣のように広がり、間から真っ黒な液体が噴き上げる。

 だが、顔に触れる液体は水というには粘度が高過ぎる。

 水というよりは、血のような―――。

 

「まさかッ!?」

「全員! 備えろォ―――ッ!!」

 

 ハッとした二人のヒーローの声に、後に続いていた他のヒーローや警察たちは身構える。

 

―――真下から、液状化になったグロウイーターがやってくる!

 

だが、その考えは甘かった。

的を射ていなかった訳ではない。

ただ、彼らが想定していたよりも、規模が段違いであっただけだ。

 

コンクリート製の床は瞬くまに砂利と化し、爆発するかのように噴き上がった液体は―――グロウイーターの体は、ヒーローや警察たちの体を文字通り呑み込んでいく。

咄嗟の機転を利かしたベストジーニストは、己の衣服の繊維を味方に巻きつけ、辛うじて破壊されなかった鉄筋に巻きつけ、滝のような勢いの激流に呑み込まれんと抗う。

 

「―――っ……ブハァッ! ハァッ……ハァッ……!!」

 

 十数秒に渡る激流は、屋上突入隊の居た場所のコンクリートをほとんど抉っていた。

 外から見れば、薄汚れた白亜の建物の一部が、鉄筋が露わになるほどボロボロになっている光景が窺えることだろう。

 それだけの勢いの中、なんとか意識を保っていたベストジーニストは、先程巻き上げられたコンクリートや、剥き出しになった鉄筋に体を打ち付け、死屍累々となっている突入隊の状態を目の当たりにする。

 

「中々……派手なことをしてくれる」

「ッ、すいません。『抹消』が間に合わなかった……」

「いいや、まだ君が戦闘続行可能なら巻き返せる。下の突入隊と合流して……」

「大丈夫か!?」

 

 なんとか立ち上がる二人のヒーローの前へ降り立つ影。

 何を隠そう、№1ヒーロー・オールマイトであった。

 

 少々コスチュームが破けている彼の姿を見れば、下の階でもう一方の突入隊がグロウイーターと戦闘していたことは明らかだ。

 

「奴は個性因子誘発物質を含む薬を使用したようだ! あの、異常なまでの液状化した体の大きさはそれ故のように見える!」

「トリガー……ですか。通りで……ん? 見える? 直接見た訳じゃないですか?」

 

 ふと、オールマイトの言葉に引っかかったイレイザーヘッドが、言葉を聞き返す。

 するとオールマイトは、神妙な面持ちで頷きながら答えた。

 

「ああ。私たちの突入隊は、入り口に入ってすぐに謎の人形や触手の妨害を受けた。それでも私たちは進んでいったのだが、途中で異常に肥大化していたグロウイーターと会敵した! その時、奴の舌が黒く染まっているのが見えてね……」

「随分夜目が利きますね……」

 

 個性因子誘発物質を摂取すると、副作用として口腔部に血流障害が起こる。

 具体的には、今オールマイトが口にしたように、舌が黒く変色するなどの外的特徴が垣間見えることとなるのだ。

 

「それでそのまま戦闘に移ったんだが……何故か、私の攻撃が効かなかった」

「効かなかった?」

「ああ。まるで拳の衝撃を吸収されているように、ね」

「……チッ、ますます厄介なことになっている」

「その通りだ。奴を町に繰り出させ、好き勝手暴れさせる訳にはいかんッ!」

 

 以前の戦闘で用いなかった“個性”の使用。

 しかもそれが、現戦力の中で最高であるオールマイト対策と来た。これが厄介以外の何と言うのだろうか。

 やはり自分が赴いて、『抹消』の下に相手を無力化するほかない。イレイザーヘッドがそう考えた時、徐にオールマイトのコスチュームに備えられていたホルダー内の電話が鳴る。

 すぐさま取り出したオールマイトは、この電話が塚内によるものだと把握した上で、電話に出た。

 

「私だ! なにかあったのかい!?」

『オールマイト! グロウイーターはそっちに居るかい!?』

「いや、追ってはきたものの、全くと言っていいほど見当たらない! 塚内くんに心当たりはないか!?」

『なら、今すぐ君がここ最近行っている警察病院へ向かってくれ!』

「なんだって!?」

 

 廃病院の地上に近い階に居る塚内。彼曰く、グロウイーター出現場所付近の床に、巨大な穴が開いており、そこからシェルターのような場所に繋がっていたらしい。

 内部は、病院とは思えぬ陰鬱な雰囲気を醸し出しており、腐敗した死体の一部が無数に散乱していた。

 もしやここに隠れているのではと無事なヒーローと共に捜索したところ、比較的最近死亡したと思しき遺体が、一冊の日記を握っており、直感でそれを手に取って読んだとのことだ。

 

『奴の……グロウイーターの狙いは、移木怜だ! グロウイーターは、あの子の脳味噌を狙っている!!』

「むッ!? それは一体どういう……!」

『とりあえず今は、君が向かってくれ! ウワバミの話だと、奴はもうこの病院内には居ないみたいだ! それに、他のヒーローの『マーキング』の“個性”で奴の向かっている場所は把握できている! 先回りして、君は奴の暴挙を阻止してくれ!』

「ッ……ああ!」

 

 塚内には珍しく焦燥した色を見せる声で促され、オールマイトは強靭な脚力で宙へ跳ね、少女が入院している病院目がけて駆け出した。

 

(移木少女……どうか無事で居てくれ! どうか、私がたどり着くまでは―――)

 

 そう心の中で願うオールマイト。

 そんな彼の耳に当てられている電話の先では、手に入れた日記を、塚内が淡々と読み進めていた。

 信じがたい真実を。

 グロウイーターが誕生した理由を。

 

 

 

 *

 

 

 

 ○月○日

 

 移木が植物状態の娘を連れてきた。なんでも、私の秘密基地同然のラボを借りて、娘をヒーローにしたいと言い出したのだ。

 最初は気が狂ったのではないかと思い必死に止めたが、結局はやつの剣幕に圧されて貸し出してしまった。

 ……やつの“個性”なら、娘の脳……いや妻の脳も治せるだろうに。

 なにをそんなに焦っているのだ?

 

 ○月×日

 

 私は恐ろしい物を見てしまった。

 奴の気の狂いが一過性のもだとばかり思いラボを貸し出した、私の間違いであった。移木は、どこから持ち出してきたのか、得体の知れない死体の肉を、娘の体に移植しているではないか。

 すぐに止めろと言った。

 だが、止めれば殺すと言われた。

 私はなにもできなかった。……いや、なにをすればいいのか分からなかったと言えばいいのだろうか。

 狂気に走る友人の行動も、死体をツギハギに移植される孫同然の子を前にして、私はただ怖れることしかできなかったのだ。

 きっとなにかの間違いだ。奴は、娘思いの父親。きっと、治す為に必要なんだろう。私は自分にそう言い聞かせた。

 

 ○月△日

 

 ……私は何度も止めろと言った。

 だと言うのに、奴は延々とどこの馬の骨とも分からぬ輩の肉や臓器を娘に埋め込む。どこから調達しているのだろうか? 考えるだけで背筋が凍るような気分だ。

 だが、問題はそこじゃあない。植物人間でも……生きている娘を、原型を失くすほどに改造しているのだ、奴は。

 母親似であったあの子の面影はない。フランケンシュタインの方がまだマシだ。

 何度も止めろ、これ以上娘を徒に弄るな。私は何度も忠告した。したのだが……。

 

 ○月□日

 

 能夢(のうむ)

 奴は、原型の無くなった娘にそう名付けた。

 『全能(オールマイト)を夢見る者』という意味らしい。

 娘をオールマイトのようなヒーローにする。『能夢計画』だ。奴は嬉々として言い放った。

 

 なにが全能だ。これが本当に、娘が夢見ていたことなのか?

 私には分からない。私には、どうすればいいのか分からない。最早遅すぎるのだ、なにもかも。

 

 △月○日

 

 あれからも、移木の能夢計画は進んでいる。

 私も、なにかするべきか。

 あの子を……優しいあの子を助けられる何かを。

 

 △月△日

 

 ……どうにも、移木は胡散臭い連中とつるんでいるらしい。

 もしやすれば、奴がこの凶行に奔った理由に関係があるのだろうか。

 

 △月□日

 

 なんでも、移木は死体や生きたままの人間を、その胡散臭い連中から買い寄せているようだ。それを娘に移植し、新たな“個性”の発現を促すとのことだ。

 買い寄せた人間は、専ら外国の人身販売に売り出されている者達……恐ろしい世界の一端を見て、この筆を走らせることさえも憚れる。

 ああ、日に日にツギハギにされていくあの子を見る度に、何故もっと早く止めてやれなかったと後悔は募るばかりだ。

 今は少しでも……奴の凶行を抑えねば。

 

 ×月○日

 

 数か月に渡る説得で、奴もとうとう自分の罪に気が付いたようだ。

 だが、もう遅かった。怜の体は……人間の肉や骨で造られているものの、最早人間のソレではない。

 私と移木は何時間も、何日も、何十日も話し合うことにした。

 怜を元に戻せまいかと。

 

 □月×日。

 

 インナーフレーム及び、インナーボディが完成。

 移木が、怜の核脳(コア・ブレイン)を素体に移植。

 

 □月△日

 

 何十人もの人間がツギハギされた怜の体から、あの子の脳だけを機械に移植しようという突拍子な真似ではあったが、経過は良好だ。幸い、神那の“個性”は『神経接続』。有機物であろうと無機物であろうと、体から伸びた神経を通わせれば、意のままに操れる“個性”だ。

 それを私が造った機体に移植すれば、脳は本来の形を取り戻さんと動いてくれる筈。

 なにせ、移植した者達の中には幸い『超再生』を持つ人間も居たのだ。発現さえ確認できれば……。

 

 不謹慎ではあるが、私が造り上げた素体は、人生の中で最も素晴らしい出来であった。これは少しでもあの子に助かってもらいたいという、私の贖罪の意識からだろうか? 今は少しでも、あの子の人生を取り戻せればそれでいい。

 

 □月□日

 

 発現を確認。

 『超再生』によって生まれた肉や臓器が、素体に癒着するのを確認した。しかし、如何せん『超再生』の速度が遅い。一度、個性因子誘発物質の投与を考慮すべきだろうか。

 

 *月○日

 

 USAより取り寄せた個性因子誘発物質により、超再生の速度は各段に上がった。

 ……なんという奇跡だ。私が記憶を頼りにあの子と同じ等身大に造った素体に、脳から始まり再生した肉や皮膚は、ピッタリと癒着したではないか。

 そして、皮膚までも再生した時には驚いた。

 瓜二つだ。もしや、あの恐ろしい姿に再生するのではと危惧していたが、長い間核脳が入っていた体に合わせたのだろうか。

 

 お前が死んだことをニュースで知ったが……なにがあったのかは、私にはわからない。

 だが、これでいいんだろう? 移木。

 

 *月△日

 

 生まれ変わった怜の稼働確認をしている時だった。

 核脳を失っていた筈のプロトタイプが動き出したではないか。元々、奴は核脳があった時でも動いては居なかった。脳は一部を失っても、残った部位で補完するというが、まさか……失った怜の脳の代わりに、他に移植されていた人間の脳が主導権を得たとでも言うのか?

 怨念で動いているのだろうか。奴は、失った脳味噌を求めて怜に襲いかかってくる。……いや、本来あるべき場所へ戻す為に動いているのだろう。

 

 まずい、このままでは怜が。

 

 ☆月○日

 

 今 シェルター

 

 怜 逃がした。

 

 奴 まだ来ている

 

 誰か あの子を助け く

 

 ゴメン 怜

 

 

 

―――この先は、血で汚れていて読めない

 

 

 

 *

 

 

 

「……背景はいまいちよく見えてこないが、一つだけはっきりと分かったよ」

 

 夜の街を行くオールマイト。

 彼の顔は、かつてないほどに険しく、かつてないほどに悲しさが浮かんでいた。

 

「グロウイーターは……移木少女自身、ということなんだね?」

『……まだ、推測の域を出ないがね』

「……ならば、救けなければなるまい」

 

 次々と建物の屋上を飛び継いでいくオールマイトは、その視界の遠方に、少女が居る警察病院を捉える。

 

「私が……彼女を―――」

「オ゛ォォオオオウ゛ッ、ア゛アイォオオオオオオオオオオオオオ゛オ゛ッ!!!!!」

「なッ!!?」

 

 突如、着地した地面の間近にあったマンホールの蓋が吹き飛び、中から酸化した血のようにドス黒い体色のグロウイーターが―――移木怜だった人間が、オールマイトに腕を振りかぶった。

 不意の攻撃に流石のオールマイトも反応できず、真面に攻撃を喰らってしまい、近くの建物にその身をぶつけてしまう。

 

「ぐぅッ!」

「ジェァォオ゛ッ、ジュゥアアアアアアアアア゛ッ!!」

「おぉ!?」

 

 邪魔をするな。

 そう叫ぶグロウイーターが、個性因子誘発物質を摂取することにより巨大化した腕で、打ち付けられたオールマイトに追撃を加える。

 理性が吹き飛んでいる。

 個性因子誘発物質を摂取することで、今迄掛けられていた枷が一気に外れた。

 最早目の前にいる敵は、人間でさえないような見た目の怪物だ。

 

 その巨体はビルに匹敵せんばかりで、若干液状化している両足は付近の人間や車を次々に呑み込んでいく。

 

「シット! こいつは……!」

(カエ)ゼェエエエエエエエエエエエエッ!!!!」

 

 一人の男の狂気によって狂わされた怨念の塊が、かつて情景を抱いた男へ、嘆きの咆哮を上げた。

 

 全てを返せと。

 

 二度と取り戻せない、過去を求め。

 



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Ⅳ レイ

「ふんッ! ふんッ! でやああああッ!!」

「ア゛アアァッ!」

 

 市街地のど真ん中で繰り広げられる乱打戦。常人と比べても巨体な者達の殴り合いによる衝撃波は、周囲に甚大な被害を及ぼしていた。

 巻き上がる砂塵。

 砕け散るガラス。

 跳ね上がるコンクリート片は、周囲の建造物を抉る速度で飛散していく。

 

「ぐッ……ホント効いてないな!」

「オ゛ァッ!!」

「おぉ!?」

 

 『ショック吸収』と思しき“個性”を前に決定打を与えられないオールマイト。そんな彼の胸板を、グロウイーターの腕に埋まる口腔から伸びた触手が穿った。

 乗用車に追突されたかのような勢いで飛んでいくオールマイトは、近くのビルの壁に叩き付けられるも、すぐさま立ち上がってグロウイーターの下へ飛ぶ。

 

(これまで食ってきた人々の“個性”を余すことなく、私を倒す為に使用しているのか……!)

 

 平和の象徴である自分の手を手こずらせる相手。

 これまで、彼を殺そうと謀っていた有象無象などは、結局のところ傷一つ付けられることなくお縄につかせられた。

だが、今目の前にいる化け物は違う。膨大な数の“個性”から最適な組み合わせを見つけ、自分と互角以上の戦闘を繰り広げている。

 

 オールマイトの戦闘は基本的に拳。拳一つで相手をぶん殴り、気絶させるなりなんなりしてから戦闘力を奪うことがほとんどであるのだが、一方で他のヒーローのように捕縛に適した技も武装もない。

 

「DETROIT SMASH!!」

「ア゛アァ!!」

 

 なんとかグロウイーターを戦闘不能にしようと振るう拳も、これまた複数の“個性”を発現させている腕に一撃で防がれてしまう。

 グロウイーターは個性因子誘発物質も摂取していることから、初めて会敵した時と膂力は比べ物にならない。品質にもよるが、個性因子誘発物質の持続時間は数時間続くものもある。

 もし、それだけの時間市街地で戦ったとなれば、周辺への被害は計り知れない。

 今でさえ、車から火の手が上がり、電柱が倒れて千切れた電線からスパークが奔るなどと阿鼻叫喚に似た光景になっているというのに―――。

 

(何を弱気になっている、平和の象徴よ!! ここで()が折れてしまえば、壊れてしまうあるのだ!!)

 

 しかし、オールマイトは自身を鼓舞する。

 №1ヒーローは敗北してはならない。もし負けたとなれば、この超常社会に不安と不信が伝播し、社会に亀裂が入ってしまう。

 

 かつて、力も何も無かった頃に恩師に告げた心意気を思い出す。

 

(原点―――それが私を一歩先へ行かせる!!)

 

「おおお!!」

「ア゛ゥッ……!?」

 

 歯を食いしばり、振り抜いた拳。

 それはグロウイーターの頬に命中し、自身の何回りも大きい体を向かい側の建物に叩き付けた。

 グロウイーターはすぐさま立ち上がるも、ショック吸収を無効化してしまうほどの一撃に、脳を揺さぶられるグロウイーターの足取りは覚束ない。

 

「アァ……ア゛ァアアッ……!!」

「聞こえているなら……理解できるならばやめたまえ、移木怜くん!」

「ア゛ッ……!?」

「私は……君を救けに来た!!」

 

 揺らぐ視界の奥で咆えるオールマイトに、再び襲いかかろうとしていたグロウイーターの足はピタリと止まる。

 その他者の言葉を理解したような様子に、オールマイトは確かな手ごたえを覚えつつ、更に言葉を続けていく。

 

「君がどれだけ辛い思いを……苦しい思いをしてきたのかは、私が推し量るには憚られるほどだ。だがしかし、君に少しでも人の心が残っているのなら……共に社会を生きる者として、善意の心があるのであれば、私は君を傷付けずとも君に手を差し伸べることができる!!」

「ア……」

「さあ……来るんだ! 君はまだやり直せる!!」

 

 無責任な言葉だ。すでに百人にも及ぶほど死傷者を出しているにも拘わらず、社会でやり直せすことなどできはしない。他でもない、社会の基盤を担う市民がそれを許さないだろう。

 だが、婉曲した物言いをオールマイトは得意としない。だからこそ、己が考えていることをそのまま言葉として発するのだ。

 強い思いは真っ直ぐ相手の心に伝わる―――そう信じているからだ。

 

「アァ……」

「……良い子だ」

 

 オールマイトの言葉を受けた所為か、グロウイーターはその場にペタンと腰を下ろす。その様子を目の当たりにしたオールマイトは、笑顔を浮かべたまま一歩、また一歩とグロウイーターの下へ歩み寄っていく。

 怪物に改造されても尚、人の心を失っていない。

 それが分かっただけでも、オールマイトは自分の心が救われたような気分になる……なれると思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァ゛……♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なッ……に!?」

 

 周囲に立ち上る紅蓮の炎に照らされるグロウイーターの顔。無数に埋まる口腔は、酷く歪んだ弧を描いている。

 それに気付いた時は、もう既に遅かった。

 巨体の至る所に生えている腕の指先から、黒と白が入り混じる稲妻のような物体が伸び、オールマイトの左わき腹を的確に射抜く。

 

 雷に撃たれたような激痛が、オールマイトの体に奔った。

 

「むぅッ……ぐ!!」

 

 瞬時に突き刺さる物体を引き抜いて後退するオールマイト。

 

「はぁ……はぁ……!!」

「ア゛ァ~~……ハァ゛~~……ア゛ッ、ア゛ッ、アゲャゲャゲャ!!!」

 

 体の至る所に浮かび口腔が、人と思えぬ嗤い声を絶えず発する。

 

(シット!! あの笑み……ありゃあ、徒に力を欲する者のものだ!! そう、()のように……!!)

 

 ふと脳裏を過る男。思い出せば、左わき腹に走る痛みもより一層激しくなる。

 しかし、痛みと共に体全身から力が抜けていく感覚をオールマイトは覚えた。

 

―――血を流した所為で、力が緩んでしまったか?

 

 そう思ったオールマイトであったが、己の体から発せられる蒸気にハッとした。

 

(これはまさか……マッスルフォームが!!? 馬鹿な、時間はまだ……!)

 

 制限時間。

 とある敵の所為で、“個性”に制限時間がついてしまったオールマイトは、プライベートで居る時の『トゥルーフォーム』と、戦闘時の『マッスルフォーム』を使い分けている。

 制限時間を乞えれば否応なしにトゥルーフォームに戻ってしまうのであるが、まだ制限時間は超えていない筈だ。

 

 何故体が萎みはじめているのか思慮を巡らすオールマイト。すると、自身の左わき腹に埋まっている物体を見つけた。

 注射器のような物体。稲妻のような物体で貫かれた痛みの方が凄まじかった為、注射器が刺さっている痛みなど気付かなかったのだ。

 

 “個性”抑制剤。

 

 移木怜が“個性”の暴走を抑える為に服用していた薬であるが、彼女は中学に入ってからは注射器に入れて用いるタイプの物も使用していた。これはその余りだ。

 オールマイトほどの者の“個性”を抑制できるのか―――答えはYesである。ただでさえ手術跡を抉られているのにも拘わらず、そこへ追い打ちをかけるかのように深々と突き刺さり、体内に広がっていく抑制剤の効果は、みるみるうちにオールマイトの外見に影響をもたらしていた。

 

(不味い、これでは―――)

 

 “個性”が無ければ、自分は他人よりも筋肉が付いている人間だ。

 

 そう思った時、グロウイーターが嬉々として繰り出した拳が、オールマイトの体をボールのように弾き飛ばした。

 

「ぐ……はぁ!」

「アァ!! アゲャゲャゲャ!! ゲャア゛ァアアァ!!!」

「良心まで失ってしまったのか……!」

 

 マッスルフォーム時に纏っている筋肉の鎧が削がれたオールマイトは、壁に叩き付けられた衝撃にむせ返りながら、鋭い眼光をグロウイーターに向ける。

 もはやアレは人間ではない。

 度重なる人体改造で人間の心を失ってしまった怪物だ。

 

 そんな怪物は、オールマイトを食わんとばかりにノシノシと歩み寄っていく。

 狙うは、平和の象徴の“個性”。世間では『怪力』や『ブースト』として通っている“個性”は、オールマイトとそれ以外のヒーローの実力を隔絶するに至っているほどの存在だ。

だからこそグロウイーターは、彼の“個性(チカラ)”を求める。

 

 喰らわんと。

 

 奪わんと。

 

 異常なまで肥大化した“個性”を求める欲求は、何よりもグロウイーターを怪物足らしめ、平和の象徴と渡り合えるほどの暴力をもたらしていた。

 

 涎を垂らす口腔からは、歪に欠けた歯が覗く。

 今迄何人もの無関係な人間を貪ってきた口が、今度はこの国の柱を食い砕かんと剥かれる。

 

「ハァ~……―――ア゛ァッ!?」

 

 あと数メートルと迫った所で、グロウイーターの右半身が爆炎に包み込まれる。

 それは常人には視認できない速度で突っ込んできたバイクが、グロウイーターに直撃したから起こった光景だ。

 思わぬ攻撃に狼狽するグロウイーターと、何者かの援護に目を見ひらくオールマイト。

 

(一体誰が……!?)

 

 てっきり、付近に事務所を構えるヒーローが応援に来てくれたと思っていた。

 しかし、現実はその想像の斜め上を行く。

 

 依然として狼狽するグロウイーターの頭上からヒラリと舞い降りるのは、黒いスーツを纏った華奢な少女。

 如何せん、グロウイーターとは渡り合えそうにない見た目の者が登場しただけでも驚きであったが、オールマイトが最も驚愕した点はそこではない。

 

「移木少女!?」

「……はい」

 

 オールマイトの驚愕が混じった声に、少女はそっけない様子で振り向き、端的に返事をした。

 

「何故君が此処に……いや、それよりも! グロウイーターの狙いは君だ!! ここは……私に任せてくれ!!」

 

 体に力が入らない中、気力だけで立ち上がるオールマイトは、虚勢を張るように何とか立ち上がる。

 狙いが少女である可能性が高い以上、彼女を避難させることが最優先。

 例え、自分の身が打ち砕かれたとしても、死人を出す訳にはいかない。

 

 オールマイトは、トゥルーフォームを見られていることも忘れたまま、少女を押しのけて前に出ようとする。

 だが、押しのけようとした腕を、逆に少女が押さえつけた。

 

「な……」

「……違う」

 

 そう呟く少女の指からは、グロウイーターと同じ白黒の稲妻が伸び、続けざまに少女の体に突き立てられる。

 バチリ、とスパークが宙を駆け抜けたかと思えば、少女の虚ろな瞳には猛々しく燃え上がる炎の如き闘志が宿った。

 

「私が……救けなきゃ……」

 

 憐憫を含む声色で呟く少女は、黒い線が規則的に刻まれている腕に目をやりながら、グロウイーターの目に立ちはだかった。

 

 

 

 

 

―――『えっとね、わたしは……医者になりたいな。お父さんみたいに……たくさんの人を助けられる人になりたい。お父さんは、わたしにとってヒーローみたいなものだから』

 

 

 

 

 

「貴方は……怜じゃない。彼女は、人を殺めたりはしない」

「アァ……アアァアァ~……ッ!!」

「私にも貴方にも、彼女を騙る資格はない」

「ア゛ァッ!!」

「貴方は……誰だ?」

「―――」

 

 訝しげに眉を顰める少女に、グロウイーターの体表に浮かぶ口の一つが、気にくわなさそうに曲がった後、道化師のように愉快な弧を描く。

 そして、一瞬の空虚の時間が過ぎた頃合いを見計らい、グロウイーターの極太な腕が少女の居た場所に振るわれる。

 

「ッ……移木少女!!」

 

 巻き上がる砂埃に目を細めるオールマイトは、少女の安否を心配するかのような声を上げる。

 だが、直後に砂埃から抜け出した二人の姿を捉え、一応の生存を確認した。

 

 オールマイトは、少女の“個性”を知らない。だからこそ、グロウイーターと相見えさせたくなかったのであるが、戦いは彼の予想の遥か上を超えていった。

 

(互角にやり合っている……だと!?)

 

 グロウイーターと互角に肉弾戦を繰り広げている少女に、オールマイトは仰天した表情を浮かべる。

 そう、少女はグロウイーターと同じく複数の“個性”を有しているのだ。

 持ち合わせている“個性”……それらを、対オールマイトに“個性”をカスタマイズしているグロウイーター用に、瞬時に解を導き出した。

 

「―――強制発動。『膂力増強』+『筋骨発条化』+『瞬発力』+『空気を押し出す』=……『エアバースト』」

 

 乱打の最中、少女の右腕が風船のように膨らみ、掌底から大砲のような空気の弾が発射され、グロウイーターの胴体に命中する。

 かなりの威力であったのか、グロウイーターはそのまま肉弾となってビルを一棟貫通した。

 突き抜けた先で立ち上がるグロウイーターは、首と思しき部位に手をかけ、そのままゴキゴキと骨を鳴らしてから、肉迫する少女に語りかける。

 

「アァ……イイ“個性”ノ組ミ合ワセダ。参考ニサセテ貰ウヨ」

「……もう一度問う。貴方は誰だ?」

「ハハッ、ソロソロ無知ナ獣ノ真似ハ飽キタ頃ダッタンダ。君ガ気付イテクレテ、正直嬉シカッタヨ」

「答えになっていない」

「マア、ソウ急カサナイデクレヨ。オールマイトモチョットハ気付イテタミタイダッタケレド、『君ハマダヤリ直セル』ダナンテ言ワレタ時ハ、笑イヲ堪エルノニ必死ダッタンダ」

「……問答は無用か」

「オォ、怖イ怖イ」

 

 突然、カタコトながらも理性を感じ取れる流暢な言葉で話し始めるグロウイーター。

 動くのは、何度も不気味な嗤いを見せた一つの口だ。ケラケラと嘲笑でもするかのように動く口を余所に、二人は周囲の建造物が崩れかねない衝撃を放つ肉弾戦を行う。

 

 丸太のような腕と、細枝のような腕が何度もぶつかり合い、肉が打ち据えられる音と、骨と鉄が軋む音が何度も漆黒の空へ轟いていく。

 

 そんな中、親しい友人と軽口を叩くような声色で、延々と一つの口が動き続けていた。

 

「全ク……オールマイトモソロソロイイ歳ナンダカラ、現実ヲ見ナキャイケナイト思ワナイカイ? 只デサエ、僕ガ腹ニ穴ヲ開ケタッテ言ウノニ。コウシテ、無関係ナ君ニ助ケラレテ……サッサト引退シテ欲シイト、君カラモ言ッテオイテクレヨ」

「……無関係じゃない」

「……ナニ?」

 

―――強制発動『ドリル』

 

 刹那、少女の腕が途轍もない速度で回転し始めた。周囲の空気を巻き込むほどに回る腕は、貫手の形を作ってグロウイーターの肉を抉る。

 

「ンッ!」

「その体は貴方の物じゃない。弄んでいいものじゃあ……ないッ!」

「ッ()~……手痛イノヲ貰ッチャッタネ。ジャア、オ返シダ」

「ッ!!」

 

 グロウイーターの右腕が、先程の少女の腕と同じようにブクブクと膨れ上がる。

 咄嗟に防御体勢を取る少女。次の瞬間には、付近の建物のガラス窓が割れるほどの爆音が響き渡り、少女は向かい側のビルを三棟ほど突き破った。

 

「ぐぅッ!」

「コノ体ハ僕ガ与エタ『捕食』ッテ言ウ“個性”ノオ蔭デ、他人ヲ食ベレバ食ベル程、“個性”ノストックハ増エテイクヨウニナッテルンダ。ダッタラ、怜チャンノ脳ガ移植サレタ時点デ“個性”ノ数ガ頭打チノ君トハ、“個性”ハ数ガ違ウッテコトハ分カルヨネ?」

 

 更なる追い打ちをかけるべく、グロウイーターは鋲を生やした拳で、瓦礫の中に埋もれた少女を殴りつける。

 

「慈悲ダ。君ハ、コノ身体デ止メヲサシテアゲルヨ」

「う゛ッ……!」

 

 反撃を許す隙も与えない。

 絶え間なく振り下ろされる拳に、少女は苦悶の声を上げる。

 

 皮膚が裂ける。

 肉が抉れる。

 骨の代わりであるフレームが拉げる。

 

 『超再生』で襤褸雑巾のように嬲られる肉は元通りになるが、ダメージが無い訳ではない。

 スーツも瞬き間に千切れていき、辺りには体に通っていた血が飛散し、見るのも憚れる血の海が出来上がっていた。

 

「笑イモノダヨネ」

 

 グロウイーターは、嘲るようにして言い放つ。

 

「コンナニモ君ガピンチダトイウノニ、ヒーローハ誰モ救ケニ来テクレナインダゼ? ヒドイト思ワナイカイ? ドウシヨウモナイ虚飾ニ彩ラレタ世界。コノ世ニハ、『英雄』ヲ語ルニ実力不相応ナ者達ガ多スギル。ソウイッタ意味デハ、今ヤ黎明期ト言ワレテイタ時代ハ楽シカッタナァ」

「ぐ……ぅ!」

「誰モヒーロー社会ノ闇ニ目ヲ向ケヨウトシナイ。ダカラ、君ヤ君ノ家族ノヨウナ悲劇ガ起コル。君ハ、憎イト思ワナイカイ? コノ社会ガ。壊シテミタイトハ思ワナイカイ?」

 

 今日一番の勢いで振り下ろされた拳が、少女を巻き込みながら大地を揺らす。

 近くのビルの一部も崩れ落ち、視界が塞がれるほどの砂埃が巻き上がる。そんな中から右腕を掴まれて宙吊りにされる少女に、グロウイーターは顔を近付けた。

 

「ドウダイ? 僕ト一緒ニ来ルナラ、命ヲ救ケヨウ……イヤ、カツテノ移木怜ガ夢見タヨウニ、君ヲ全能ニ近シイ“個性(チカラ)”ヲ与エテモイイヨ。ドウスル?」

「……こ……とわる」

 

 命を助けてやってもいいという安直な提案。

 しかし、依然光が消えない瞳のまま、少女は断る旨を口に出した。

 そんな彼女に、グロウイーターは面白くなさそうに溜め息を吐く。

 

「ソウカァ……残念ダヨ。実ニ……残念ダァ!!」

「うッ!」

 

 そのまま剛腕を以て投げ飛ばされた少女。

 抵抗する力もなくなってきた少女には、受け身を取る事さえできなかった。このままでは、投擲された先にある建物に全身を打ち付け、更なるダメージを受けることは必至。

 

「はぁ!!」

 

 しかし、少女と建物の間に割って入ったオールマイトが少女の体を受け止めたことにより、大事には至らなかった。

 

「大丈夫……じゃなさそうだな! 君はここで休んでいるといい!」

「……オー……」

「喋らなくても大丈夫だ!! 例え“個性”が使えなくとも、人より筋肉がある自信はある!! なんとかしてみせよう!!」

 

 少女を建物の壁にもたれかけさせ、己は拳を握って唸り声を上げるグロウイーターの下へ歩んでいく。

 平和の象徴としての体裁などは、すでに関係のなかった。この視界不良の中では、自身のこの姿を見ることが可能なのは限られてくるだろう。ならば、幾分か筋肉が萎んだ姿でも、グロウイーターを前に引き下がる理由もない。元より、敵を前に背を向けて退くつもりはない。

 

「何故なら……」

 

(好都合だよ、オールマイト)

 

 真正面から歩み寄ってくるオールマイトを前に、グロウイーターに『寄生』している者は不敵な笑みを浮かべさせた。

 

(以前は殺しきれなかった。だが、今ここで君を殺せれば、『ワン・フォー・オール』も取り返せて、尚且つヒーロー社会を崩壊させる足掛けにできて一石二鳥だ)

 

 グロウイーターの体表に埋もれる口は下種な笑みを浮かべ、血走った瞳も醜く歪む。

 

「私は……!」

 

 拳をいざ振り抜かんとするオールマイトに、応対するようにグロウイーターも拳を振り抜こうとする。

 

「平和の象徴なのだから!!!」

「ア゛ァアアアアアアア!!!」

 

 

 

 

 

 激突する拳。

 

 

 

 

 

 砕かれたのは―――グロウイーターの拳であった。

 

 

 

 

 

「ア゛ッ……!!?」

「こ、れは……!!」

 

 信じがたい現象に、グロウイーターのみならずオールマイトもまた目を見開く。グロウイーターに至っては、寄生者の意思に反して間の抜けた声を上げてしまう。

オールマイトの“個性”は、現在“個性”抑制剤で発現が抑えられている筈。

 しかし、そのオールマイトの体が、筋骨隆々のマッスルフォームに戻っているではないか。

 

 一瞬、背中に若干の痛みを覚えたオールマイトが、スッと背後に視線を送る。

 

(移木少女……!?)

 

 先程、休ませる為に壁にもたれ掛けさせた少女。そんな彼女が、脱力した四肢の先から白黒の稲妻状の物体をオールマイトに突き刺していたのだ。

 彼女の瞳は、オールマイトと同じく、依然輝きを失わぬままにグロウイーターを見つめている。

 

(まさか……そんな使い道があったとはね)

 

 グロウイーターに寄生する者は、内心穏やかでないままに、そのような感想を抱いた。

 少女が行っていることは単純。

 自らの遺伝子に刻まれた“個性”を用いて、燻る平和の象徴の(個性)を熾しただけ。その“個性”の名は―――

 

Trigger(トリガー)-N(ナーヴ)

 

 移木直の『移植』と移木神那の『神経接続』が複合したことにより誕生した“個性”。神経が変異した指先から伸びる第二の手を用いて、体内を弄った相手の“個性”を発動させることができる。この“個性”自体の強度もかなりのものであり、攻守共々に用いることもできる。

 

 

 

 

 

―――個性強制発動『ワン・フォー・オール』

 

 

 

 

 

 少女の“個性”により、再び燦然たる輝きを放ち始めた“個性”を身体中に巡らせるオールマイトは、渾身の力でグロウイーターの拳も貫かん勢いで振り抜く。

 『ショック吸収』さえも、意味をなさないほどの威力で。

 

(ありがとう、移木少女……!)

 

 体表を覆う鋲も、皮膚も、筋肉も、骨も。

 怨念の塊ともとれるグロウイーターの体を打ち砕き、オールマイトの拳が進撃する。

 

(君の、ヒーロー足り得る想いと行いに応える為にも、私は……君の過去との決別に手を貸そう!!!)

 

「オオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

 

 振り抜かれた拳は、大地を揺るがし、大空を震わせた。

 

 

 

 UNITED STATES OF SMASH!!!

 

 

 

 そのまま直線状に振り抜けば、奥に立ち並ぶビル群が一瞬にして瓦礫に化すほどの威力。その衝撃を逃がすべく、地面に向かって振り下ろす軌道で放たれた拳撃は、グロウイーターの頬を穿ち、その巨体をコンクリートの地面に叩き付けた。

 クレーターが作り上げられるほどの一撃。

 隕石が落下したような衝撃波は周囲に広がっていく。砂塵は巻き上がり、轟々と燃え盛っていた炎も一瞬にして掻き消される。

 

 その時、オールマイトは気付いていなかった。寄生虫のような液状生命体が、グロウイーターの体から抜け出していたことに。

 だが、決着はついた。

 

「はぁ……はぁ……ッ!」

「――」

 

 沈黙。

 打ちのめされたグロウイーターは、『超再生』で砕かれた腕を元に戻すこともなく、ただジッと地面に伸びているだけだ。

 

(勝ったのか……)

 

 暫し伸びるグロウイーターを眺めたオールマイトは、自身の勝利を悟った。

 それから後ろを振り返り、依然として自分に“個性”でマッスルフォームの維持に貢献してくれている少女に目を遣る。

 壁に凭れ掛かる少女の瞳は、どこを眺めているのか分からないほどに焦点が定まっていなかった。

 

 その理由を察したオールマイトは、覚束ない足取りで少女の下へ赴き、お姫様抱っこで華奢な身体を抱え、ゆっくりとグロウイーターの下へ連れて行く。

 逞しい腕に抱えられている間、少女の目尻からは大粒の涙がたった一滴だけ零れ落ちる。

 潤んだ視界の中、瀕死の怪物に視線を向ければ、ほとんどの瞳が瞼を閉じているのに対し、涙を流す双眸を見つけるに至った。

 

 どこかで見たような面影を漂わせる双眸もまた、潤んだ視界でボロボロな少女を見つめる。

 他でもない、怜の瞳だ。

 全く同じ双眸が見つめ合う。

 

「……ごめんなさい」

 

 先に謝ったのは、少女の方だった。

 

「でも……私は、貴方じゃない」

 

 そして否定もした。

 

「私は……他でもない私だから。だから……貴方も……」

「ァ……」

 

 ひどく弱弱しい鳴き声を上げたグロウイーター―――否、怜は涙を零しながら、泣きながら笑った。

 

「イィ……エ……」

 

 生きて。

 

 人間の耳というものは、自分の都合のいいように聞こえるものだ。だからこそ、少女とオールマイトの耳には、怜の口にした言葉が『生きて』という言葉に聞こえた。

 すると少女は、徐に腕の中から飛び降り、ゆっくりと怜の下へ歩み寄っていく。

 

 元より、生きながら死んでいた体。

 動くに至っていた原因である寄生主が去った今、彼女の命は長くなかった。

 

 命を分けた二人は、半身の最期にそっと寄り添い合う。

 ボロボロになった手で怜の涙を拭う少女は、瞳孔が開き始めた瞳の瞼を撫でる様に下ろす。

 

 

 

―――さようなら、グロウイーター

 

 

 

―――さようなら、能夢

 

 

 

―――ありがとう、怜

 

 

 

 心の中で告げた別れの言葉。

 すると、絡繰り仕掛けの体の鼓動を子守唄にし……怜は、眠りについた。

 

 何故か、涙が止まらない。

 理由も分からない涙に、少女はひどく混乱したまま、ぽっかりと胸を穿たれた感覚を覚えながら、遠方より響いてくるサイレンに耳を傾けた。

 

 

 

 そのサイレンの音も、今は『懐かしい』と思えてしまった。

 

 

 

 直後、暗転する意識。

 間近で声を上げるオールマイトの声に鼓膜を振るわせられながら、少女もまた深い眠りに着く。

 

 

 

 連続食人殺人鬼『グロウイーター』

 ヒーローと戦闘中、致死量を大幅に超える薬物を摂取していたことによる薬物中毒により死亡したと、世間には公表された。

 本名・移木 怜。享年17歳。その他大勢の命をその身に宿した少女は、社会に名も真実を知らされることなく、生涯に幕を下ろす。

 

 こうして、『グロウイーター事件』と呼ばれる犯罪史に残る事件は、一先ずの終息を迎えるのであった。

 

 

 

 *

 

 

 

 どことも分からぬ暗い部屋。

 ひどく陰鬱な雰囲気を漂わせる空間の中、無数のチューブを体に繋ぐ男は、近くの椅子に腰かけている白衣の老人に声を掛けた。

 

「どうだい、ドクター? アレの進み具合は」

「気が早いなぁ、先生。幾らグロウイーター……だったかの? あのサンプルがあっても、ありゃあ『移植』っていう“個性”があったからこそだからなあ。『脳無』を作るには他人のDNAを見繕わねばならないことが分かっただけでも充分だが、もう少し時間はかかるだろう」

「ハハ……ま、多くの脳無を作るにはそれなりの“個性”が必要だからねえ。結構な数のストックを得られただけでも、死体に『寄生』した価値はあったよ」

「あの自分の体の一部を寄生させられるっていう“個性”だったかのう?」

「ああ。あの能夢(プロトタイプ)には可能性を見いだせた! 中々楽しかったよ……」

 

 歪な笑みを浮かべる『先生』は、ふぅと困った溜め息を吐く『ドクター』に嬉々として語る。

 そして、ゴツゴツとした指の先を天井へ突き伸ばし、白黒入り混じった稲妻状の物体を発動させた。

 

「オールマイト……次会う時が楽しみだよぉ……」

 

 闇は、虎視眈々と計画を進めていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 時は進み、四年後。

 雲一つない青空の下、糊の効いた黒いスーツを身に纏う女性が、携帯電話を耳に当てながら、キャリーバッグを引き摺って歩いていた。

 ここは空港。空を見上げれば、遠くまで響き渡りそうなエンジン音を轟かせて彼方へ飛んでいく飛行機が幾度となく垣間見える。

 

「……はい。もう日本に着いてます。これから雄英に向かうつもりです」

『ハッハッハ、そうかい!! 私は君と会うのが今からもう楽しみだよ!! あ、ケーキでも買っておく?』

「大丈夫です」

『あ、そう……?』

 

 快活に笑い飛ばしていた電話の先に居る男性は、女性の淡々とした断りにシュンとした声を漏らす。

 

『うん、ならいいんだが……そうだ! 合衆国でのヒーロー活動はどうだったんだい? いい刺激になっただろう!!』

「はい、それはもう」

『うんうん! 刺激ってのは大事だぞ! 日本(こっち)との差異を感じ取れただけでも、合衆国に行った意味はある!! ところで、そっちではずっとフリーだったのかい?』

「一応は。ですが、相棒(サイドキック)は一人居ます」

『む? 置いてきて良かったのかい?』

「はい。他の事務所に預けてきましたし」

『おぅっふ……そ、そうかい』

 

 空港前に留まっていたタクシーに乗り込みながら、通話を続ける女性。

 

「それより、()()()についてですが……―――ッ!?」

『うん? どうしたんだい、急に?』

 

 発進したかと思えば、すぐさま急停止するタクシーに眉を顰める女性。電話の奥の男性は、何が起こったのか分からず困惑した様子だ。

 

「……すみません。敵と遭遇しました」

『む!? それはイケないな! ならば―――』

「解っています。一旦離れます」

 

 通話を切り、運転手にメーターに表示されている金額よりも高い札を手渡し、タクシーから飛び出す女性。

 彼女の視界の奥には、無骨な機械鎧を身に纏った敵が通りで大暴れしていた。

 

 敵の場所を把握した女性は、身体中に黒い規則的な線を奔らせ、一回の跳躍で百メートルほど先の敵の真ん前へ降り立つ。

 

「うぉ!? 誰だ、てめえは! ヒーローか!?」

「……ああ」

「はッ、見たことねえ顔だな! どうせ、名も知れてない雑魚ヒーローだろ! さっさと退かねえとぶっ殺すぞ!」

「……そうか、日本じゃまだ知られてないか」

「あ゛あ? てめ、何言って―――ぷごふッ!?」

 

 刹那、数度の打撃音が響き渡ったかと思えば、敵が纏っていた機械の鎧が砕け散り、中に入っていた貧相な体つきの男が地面にひれ伏した。

 

「知らないなら教えよう」

「み、鳩尾にぃ……!」

「私は」

 

 悶える男の前に歩み寄った女性は、徐に胸ポケットから一枚の資格証を取り出した。

 

 

 

「オーバーロードヒーロー『RAY(レイ)』。以後、お見知りおきを」

 

 

 

 RAY()

 今は亡き少女の影のような存在で生まれた彼女が、影もまた光であると、燦然たる光には目を潰されてしまう闇に手を差し伸べられる光で在らんと名付けたヒーローネーム。

 

 全能(オールマイト)を夢見た(レイ)

 

 今は亡き少女の名を冠すヒーローは、彼女が遂に果たせなかった夢を継ぎ、誰かを救けんと絡繰り仕掛けの体で今日も奔る。

 

 

 

 To Be Continued?

 




ご愛読ありがとうございます。
これにて、『Who I am?』は一先ず完結となります。

色々ぼかした点はありますが、RAYがヒーローになった経緯は『Peace Maker』の方で明らかにする予定です……たぶん。本編の方でも、とあるイベントでちょこっと登場する予定です。

とりあえず、私がこの作品で書きたかった点を述べるとするのであれば、

・脳無が脳無と呼ばれる由縁

……です。
 全能を夢見た娘を個性で改造する計画が『能夢』計画。だが、途中で計画を破棄してグロウイーターの大本となった人間である怜の脳―――生命維持に必要な核脳を、機械のフレームに移植したことにより、能夢は脳を無くした。
 故に『能夢』から『脳無』へ……要するに言葉遊びです。作者のふとした言葉遊びから、ここまで壮大な話になりました(笑)

 他にご質問等ございましたら、随時感想欄等で回答します。だいぶぼかして書いた部分が多いので、わかりにくいかと思いますので。

 


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