眠れない夜に (ふぇるみ)
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八意永琳・上

 

「——永琳」

 

 私が寝室のランプを消すために輝夜の横に腰かけようとすると、不意に彼女が声をかけてきた。

 

「私、眠れないの」

 

 またか、と私は溜息をつく。

 輝夜の教育係に任命されてからというものの、ほぼ毎日のことである。はじめは勝手が分からずいちいち対応していたが、今ではもう慣れたもので、聞き流したりすることだってあるくらいだ。

 ——とはいえ、強請られるとなかなか断れない私。

 

「姫様。目を瞑らないうちに眠れないというのは、いささか気が早すぎるのでは?」

 

 なんだかんだと今日も押し切られてしまうのでしょうね。ただし私はこれでも、嫌でないのだ。この我儘姫様に付き合ってあげることに。

 

 彼女はとても聡明だ。

 

 いつも私に我儘ばかり言っているようで、実は心地よい距離間というものを保っている。無意識なのか、それとも意識的なものなのか。まあ、それはこの際どちらでもいい。

 私は少し前かがみの姿勢で、右手で横になっている輝夜の髪を梳いた。

 すると、

 

「むぅ。二人っきりなんだから輝夜でいいわよ」

 

 輝夜は頬を膨らませて抗議した。

 

「なら輝夜。我儘を言ってないでもう寝なさい。眠れないと思うから眠れないのよ」

「えぇ~、永琳のお話、聞きたいわぁ。お話一つ聞けたら、きっと眠れると思うの」

「なによそれ」

「ほら、一人で眠るのって、少し寂しいじゃない? 寝る前に誰かが傍にいてくれるとね、安心するのよ」

「……いつも、急に一人にして頂戴とか言っている貴方が? どの口がいうのよ、もう。まったく、子供じゃあないんだから——」

 

 頭が痛くなってきた。彼女の教育係となってから大分経ったけれど、一向に奔放な性格が変わる様子がない。もう少し落ち着いてくれたら嬉しいのに。

 ……それとも、私の教育方法が悪いのかしら?

 私は眉間をゆっくり指で揉みほぐし、彼女のベッドの端に腰を下ろした。

 

「待ってました!」

 

 寂しいなどと言っていた割には元気な様子の輝夜。嬉々とした様子の彼女に思わず口が綻んでしまう。この笑顔を向けてくれるのは私にだけだと思うと、少し面映ゆくなるのだ。

 

「さて、何を話しましょうか……」

「私、永琳が地球に住んでいた頃について知りたいわ。地球の生活はどうだったのかしら?」

「そうね……」

 

 地球、か。久しく思い出すこともなかった。……ああそうか、あれから幾星霜の時が経ってしまったのか。つい最近のことのようで、遠い昔の出来事。時という概念が欠如した私達のような存在には、よくあることだ。

 そして、私は同時に自嘲した。

 私にそんな風に感慨に耽る資格なんてあったんだろうか、と。

 しかし、思い出すのにはいい機会なのかもしれない。

 

「なら、どこから話しましょうか。まずは——」

 

 寝物語にはならないかもしれないが、輝夜はきっと、そんなことを気にしない。

 ああ、そういえば、あの綿月姉妹にもこの話はしていなかった。別に隠すつもりなんてなかったし、ただ機会がなかっただけなのだが、誰かに話すのはこれが初めてになるのだろう。何だか輝夜には話してみてもいいような気がしたのだ。

 ただそれだけのこと。

 ええ、分かっているわ。

 

 私は愚かだった。

 たくさん後悔した。

 これから輝夜に話すのはあの人たちへの懺悔なの。

 

 ******

 

 そうね……まず私が地球でどんな生活をしていたのかについて話そうかしら。

 地球での生活は、それはもう大変だったわ。自分の力で生き延びていくしかなかったから。私には母も、父もいなかったのよ。

 いや、正確にはいたと言ってもいいのかもしれないわ。とはいえ、私に物心がついた頃にはいなかったから、顔も覚えていないだけれどね。

 

 ——寂しかった?

 

 いいえ。その時は毎日をただ生きるのに必死だったから、そんなことを考えている暇もなかったのだと思うわ。

 でも、どうして私はこんな辛い目にあっているんだろうって、何もかもが嫌で仕方なかった。狭い路地で、一日の食事を他の私と似た境遇の子たちと奪い合ったりして。今とは大違いね。

 そんな日々を送っていたら、ある日私に声をかけてきた人がいたのよ。

 本当、どこにでもいそうな普通の人で。

 そのとき、なぜ私に声をかけてきたのかは今でも分からない。

 

 ——なるほど。永琳を育てたのはその人ね。

 

 ええ、そうよ。当時何もかもに対して苛々していて、自棄になっていた私は初め彼女のことを拒絶していたけれど、彼女はそんなことも気にせず私を受け入れてくれた。

 何度私が酷いことを言っても、彼女は私を見捨てたりはしなかった。

 

 ——どんな人だったのかしら?

 

 不思議な人だったわ。

 次第に私が心を開くようになったのも、ある意味当然ね。

 だって誰かに優しくされたことなんて今までなかったもの。両親のいなかった私は、優しさや善意というものに飢えていたのかもしれない。

 それから、私はその人の後をついて回るようになったわ。あの人はそんな私を見て苦笑しながら、よく星にまつわる話をした。彼女は星が大好きだったの。

 

 ——ふ~ん、一度会ってみたいわね。

 

 ……。それは無理よ。

 

 ——どうして?

 

 それはこれから話すわ。

 

 ——なるほど?

 

 私は幸せだった。毎日が楽しくてしょうがなくって。

 けれどある日、生活は再びがらりと変わった。私と同じくらいの年の娘がやってきたの。私の時と同じように、ぼろぼろの姿でいたその娘を見た瞬間、あの人は固まっていた。

 どうして、と聞く前に彼女はその娘を家へ連れていったわ。それからその娘が目を覚ますまで、つきっきりで看病してた。

 そして、その娘が目を覚ましたとき、私は部屋に入らないように言われた。何だか彼女を取られてしまったみたいで、私は不安な思いに駆られて。

 だからその娘に対して八つ当たりをすることだってあったわ。

 

 ——ふふ。なんだか可愛い。

 

 新しく来た娘はとっても気が弱くて、私を怖がっている様子だったけれどね。

 私とその娘がある日妖怪に襲われたときから彼女は変わったの。

 私が地球に住んでいた頃から人間の技術は大分発展していたけれど、妖怪に対する有効な手立ては存在しなかったわ。だから人が住む領域に入り込ませないように壁を築いた。

 外へ出かけることはとても危険な行為だったの。

『能力』なんてものも当時はまだまだよく知られていなかったから。妖怪に襲われるということはつまり死に直結していた。

 そして私の能力はそのときはまだ、発現していなかった。

 

 ——『能力』の発現?

 

 そう。能力は発現するものよ。

 いつからか人間は『能力』というものを発現するようになった。その原因は分からない。

 人間の進化の賜物だという人もいるけれど、分かっていることはただ一つ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()、人間も不思議な力を持つようになったということ。

 ……話がそれたわね。

 確率としてはそう高くないのだけど、運が悪かったとしか言いようがないわね。少し外を歩いていただけで妖怪達に襲われたわ。

 大きかった。気持ち悪かった。

 そして何よりこの世界にこんなにも醜いものがいて、人を喰らっているのだということが恐ろしくてならなかった。

 私が死を覚悟したとき、目の前にいた妖怪が突然爆発したの。視線の先にはあの娘が右手を振るっていたわ。彼女は当時希少だった神通力、つまりは『能力』の持ち主だったのよ。

 そのことが周囲に知られてからというもの、『能力』の開発と研究が本格化して、都市は大きく発展した。

 治安も大幅に改善されてね。それはもう見事だったわ。それきり、私のような孤児が路地で生活することも見られなくなった。

 

 ——当然のことのように考えていたけど、『能力』って確かに不思議よね。

 

 そう。『能力』は当時の世界を大きく変えた。

 その当時私はなにもできなかったのが悔しくて。ひたすらに研究に明け暮れるようになったわね。その内に私も能力が発現していて……。

 気づいたら“天才”だとか“都市の頭脳”だとか大層な名前で呼ばれていたわ。余り興味はなかったけど。

 

 ——さ、さすがは永琳……。

 

 でも私なんて大したものではないのよ?

 私を育ててくれた人は星を読む能力を買われて、都市の導き手にまでなったのだから。

 

 ——ま、まさか……。

 

 ええ。察しの通り、ツクヨミ様よ。

 

 ——うわぁ。

 

 なによ、その反応は。別に驚くほどのことでもないでしょうに。

 ともかく、ツクヨミ様は都市をよく導いてくださったわ。

 でも元々体調がよくなかったから、私が開発したコールドスリープを頻繁に使っていた。だから起きている間、多忙な彼女と話す機会はどんどんと少なくなってしまったの。

 

 ——永琳は辛かった? ツクヨミ様との時間が無くなってしまったことに。

 

 勿論よ。

 でもね、都市の防衛機構についてお偉い様方と会議をしていたらある日、私を助けてくれたあの娘が来たのよ。

 彼女はあの後すぐに都市の上層部に連れて行かれてしまって、あれ以来会うことがなかった。ツクヨミ様に聞いても何も答えてもらえないし、一体どうしているんだろうと思っていたけれど。

 彼女は都市の警備隊長になっていたわ。

 ふふふ。再開したとき、二人して開いた口が塞がらなかった。最初に交わした言葉が『久しぶり』じゃなくて、『そんな、嘘よ……』だもの。

 

 ——ああ、永琳の“妹”さんでいいのかしら。

 

 そうね。まあ、そうとも言えるかしら。

 私はそこで謝罪した。何も姉らしいことなんてできなかったから。でも向こうはそんなこと気にしていなくて、暢気に笑っていたわ。

 あの娘はとっても落ち着いているのに、どこか抜けているのよね。私が作った発明品を、私ですら想像しなかった使い方をして壊してしまったり。かと思えば失敗作をとっても大事に使っていたりしていて、見ていて飽きなかったわね。

 あの頃も楽しかった。私達はすぐに打ち解けたわ。初めこそぎくしゃくとしていたけど、大概は私が関わろうとしていなかっただけだったから。

 私も彼女のことを本当の妹みたいには思っていた。確かにツクヨミ様との時間はなくなってしまったけれど、妹との時間ができたのは幸いだったわ。

 そして、それからの数百年は平和だったの。特に妖怪達による大規模な襲撃なんてなかったし、人間たちの防衛力だって大幅に改善されたのよ。

 けれど。

 “穢れ”が私達の生活を大きく変えたわ。

 そのときから月への移住計画は始まっていたの。

 

 

 

 

 



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八意永琳・下

 ところで輝夜、“穢れ”について私は貴方に何と教えたかしら?

 

 ——地上における種の生存競争の副産物。私達に“寿命”を発生させる要因だったかしら。

 

 ええ。大体合っているわね。得てして人間というものは余裕が生まれてくると、どうしてもその考えに行き着くものだわ。

 不老不死。

 予想外なことに、ツクヨミ様もそれには興味を持っていてね。“穢れ”に関する研究も着々と進んでいった。

 そして私も当時、その研究をしていた。

 

 ——永琳は不老不死に興味があったの?

 

 それ自体は面白いと思っていたけれど、どうかしらね。

 言うなれば生と死に対する認識の違いかしら。私も妹も、生き物が生まれて死んでいくことは当然なことだと思っていたから。まあ、私たちの生まれも関係しているけれど。

 

 ——その言い方だと、あまり進んで自身が不老不死になりたかったというわけではなさそうね。

 

 ええ。確かに不老不死になれば時間が無限にあるわけだから、いくらでも知識を蓄えることができる。でも無限の時間というのは、同時に人間から活力を奪うわ。有限だからこそ輝く命。それも一つの考え方だと思ったの。無理して不老不死にならずとも別にいい、くらいには考えていた。

 

 話がまたそれたわね。

 

 その穢れは当時、特に妖怪達が強く持っていた。だからこそ、私達は妖怪を近寄らせないためにあらゆる手段を講じたわ。しかしどれも問題を先送りするようなものばかりでね。最終解決法として挙げられたのが月への移住計画だったのよ。

 

 ——なるほど。それは歴史で習った部分ね。確か、月への移住は大変だったって。

 

 その通り。

 月への移住は困難を極めた。

 まず、いかにして都市の人口全てを月へ送るのか。ロケットで送るにしても一隻当たりどれほどの収容人数にして、それを何隻準備しなければならないのか。そして一番の障害となったのが、月への移住を反対する人々。

 当時移住計画を検討していた都市の上層部は毎日朝から夜まで議論を続けてたわ。

 

 ——目の前に移住計画を実際に進めてた人がいると、何だか感慨深いわね。

 

 そうかしら?

 まず初めに、技術的な面では問題をすぐに解決することができたわ。

 

 ——まあ、永琳がいたらそうなるでしょうよ。ことに技術面においては。

 

 でも民意はそう簡単に変えられるものではない。置いていくべきだと主張する者、無理やりにでも連れていくべきだと主張する者。はたまた、月への移住そのものを反対する者。

 考え方はバラバラだわ。

 だからこの時期は私もツクヨミ様も疲労困憊だった。

 

 ——永琳が疲労困憊とか、何それ怖い……。

 

 貴方さっきから私を何だと思っているの?

 ……まあ、いいわ。

 結局、上層部が出した結論は月への移住を希望する者のみ連れていくことだった。ロケットの建設にはそう時間はかからず、準備そのものは着々と進んでいったの。

 

 ——そういえば、永琳の妹さんはどっちだった?

 

 彼女は一緒に月へ行くことを選んだわ。

 私自身、それを聞いたときは嬉しかった。

 

 ——ふーん。地球に残るものだと思ってた。

 

 私もそう思っていた。

 だけど彼女曰く、『家族が離れ離れになるのは嫌』だそうよ。ロケットの発射準備が完了する前には警備の仕事を終えて、私達と合流する手はずだった。

 

 ——“だった”ということは……。

 

 ええ。彼女はロケットに乗れなかった。

 上層部の陰謀で。

 

 ツクヨミ様と私を除いた当時の上層部は事前にロケット発射の日に無数の妖怪達が大規模襲撃を始めると()()()()()

 上層部と妖怪達の間に、陰で取引があったの。

 月への移住に反対し地球に残る選択をしていた人々を妖怪達に差し出すことで、自分たちが正しかったと民意を得るために。

 つまりは月へ移住した後の地盤が盤石なものにするため、彼らは移住反対派を犠牲にしたのよ。

 

 妹は当然、都市の警備隊長として妖怪達と戦ったわ。それはもう鬼神の如き働きで。

 でもそれが仇となったの。

 上層部は妹を危険視していた。私やツクヨミ様は武力で押さえつけようとすれば何とかできる。しかし妹はそうはいかない。

 何せ、たった一人で数千、数万の妖怪を相手にすることができるのよ。暗殺でもしようものなら翌日実行した者ごと葬られるわ。それほどまでに彼女は強かった。特に戦闘において。

 だからこそ、今回の妖怪達による襲撃を上層部は利用した。

 どうせ妖怪の軍勢は彼女が殲滅してしまう。ならば戦闘後の消耗した瞬間を狙えばいいと。

 

 ——それって、まさか……!?

 

 そう。

 前時代からの負の遺産。彼らにとって最も扱いやすく、それでいて命を確実に刈り取るには、とても便利な大量殺戮兵器よ。

 無数の核爆弾。

 彼らは初めから、妖怪達ごと殺すつもりだった。

 投下後に妹から通信が来てね。彼女がいつまで経っても来ないから心配した私とツクヨミ様は通信機に飛びついたわ。

 彼女はそこで言ったの。

『“人間は弱い”から、こうなるのは仕方ない』と。

 何度もロケットに乗れと言っても、彼女は最後まで避難者を守るために戦い続けた。そして核爆弾が炸裂。

 光に包まれた後に地上は真っ黒に染まり、何も残らない荒野に変わった。

 私がもっと早く上層部の動きを察知できていれば、この目論見を阻止できたかもしれない。でも、全てが遅かった。

 

 ——…………。

 

 それから私と、生き残った者達で当時の上層部を残らず排除して、現在の体制が形作られた。移住者たちもあんなことがあったから、地球に戻ろうとなんて考える人もいなかったわ。

 

 そして私は、ツクヨミ様に何度も謝った。だけど彼女は何も言わずに星をただ見つめているだけだった。

 月へ移住してからしばらくして、ツクヨミ様は再び体調を崩してそのまま亡くなったわ。どうして、心を痛めたツクヨミ様を傍で支えてあげられなかったのでしょうね。

 本当に、私は愚かだった。

 ……私にとって家族とは、暖かくてそれはもう幸せなものよ。

 だから輝夜、貴方は大切にしなさい。

 失ったものは、もう返ってこないのだから。

 

 ******

 

「——終わり」

「ええ、終わり?」

「その後は何もないわよ。今のツクヨミ様が任に就いて、私が貴方の教育係として今ここにいる。それだけ。さあ、もう寝なさい。もう十分に話したわ」

 

 私は布団を輝夜にかけてその場を発とうとした。

 しかし、輝夜は私の服の裾を掴んで問うた。

 

「じゃあ、最後に。永琳、貴方は妹さんがもしも生きていたらどうする?」

「彼女が生きているわけがないじゃない」

「だって彼女の最後を見たわけではないんでしょ? もしもの話よ」

 

 ……その問いは、少しずるいと思う。

 考えないようにしていたのに。

 

「さて、どうするのかしらね。私にも分からないわ。なにせあれから時が経ち過ぎた」

 

 嘘。本当は思い出すなんて建前で、ずっと考えていた。

 あまりよく誤魔化せなかったとは思う。しかし、

 

「そう……。永琳がそれでいいのなら、それ以上は問わないわ」

 

 輝夜は意外なことに、それ以上追求しようとはしなかった。

 

「あら、珍しい。輝夜がそんなことを言うなんて」

「うふふ。私だって、永琳が気づかないうちに成長しているのかもしれないのよ? おやすみ、永琳。なかなかいい夜だったわ」

 

 輝夜は笑った。本当に、お姫様らしい美しい微笑みだった。

 もしかするとこの娘は、本当は気づいているのかもしれない。

 

「……それはよかった。おやすみ。輝夜」

 

 けれど、今はいい。これくらいでいいのだ。私達は。

 私は輝夜の寝室の扉を静かに閉め、部屋を後にした。

 

 ******

 

 もしもあの娘に会えたなら。私はどんな顔をするのだろう。

 泣くのだろうか? 笑うのだろうか? それとも怒ってしまうのだろうか?

 それは分からない。しかし、きっとこんな風に悩んだりすることは、悪いことではないような気がする。

 

 ふと、自分の口が綻んでいることに気づく。なんだ、私も案外期待してしまっているんじゃないか。

 

 ねえ、————。

 待っているわ。私。

 いつまでもずっと、貴方のことを。()()()()()()()()()()()()

 

 ******

 

 月の都。

 その広大な敷地の中の、隠された一室。

 そこはかつて“ツクヨミ”と呼ばれた一人の少女の部屋である。

 彼女の部屋には、夥しい数の手紙と綺麗に手入れされた二つの帽子。

 

 それは、ずっとずっと永遠に。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 八意永琳 完

 



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博麗の巫女

 夜、それは人ならざる者達が活動を活発化させる時間である。しかし夜が人間の根源的な恐怖を連想させるものである以上、当然のことと言えるかもしれない

 その最たる例、妖怪はその存在が人間の恐怖といった感情を元にして生まれているのだから。

 では、どの妖怪でもその特性は当てはまるのだろうか?

 答えは否。

 境界の大妖怪、八雲紫の式である八雲藍は睡眠を必要としていた。精神は見た目に引き込まれるとはよく言ったもので、十ばかりの幼い容貌の彼女は妖怪であるのにも関わらず真夜中には瞼が重くなる。

 以前に主がいる前で寝ないようにと考えをめぐらし、指で瞼を持ち上げ続けることでそれを解決しようとしたところ、主人は苦笑。近くにいた亡霊の姫からは『あらあら、まあまあ……』と微笑まれる始末。

 そんな、自分が真面目に考えた上での行動がなぜか苦笑されてしまうという衝撃的な経験をした彼女はすぐさま主から『素直に寝るように』と言われ、亡霊の姫の従者が用意した布団に寝かしつけられた。

 ゆえにそれからは、自らの主の身の周りの世話をするなりしてすぐに寝付いてしまう。

 彼女にとって主人が眠りにつく前に寝てしまうなど、言語道断と言っていいものであったが己の性には勝てなかったのだ。

 

 そんな彼女はある日、珍しく寝付けないでいた。

 理由は至極単純。

 今宵は主が一人で出かける用事があり、人間の守り手である博麗の巫女がいる博麗神社に託児所よろしく預けられてしまったことにある。絶対的な主の存在が幼い藍に安心感を与えていたため、彼女が不在の今、藍は夜を越すということに一抹の不安を覚えていた。

 

「(う、うぅ……ね、ねむれません……)」

 

 行儀が悪いとは分かっていながら、布団の上でごろごろと転がって体勢を変えてみたり、目を瞑ってじっとしてみたり。思いつく限りの手立てを試してみるもあまり効果は見込めなかった。

 いざ眠れそうな体勢に落ち着けたと思えば、そんなときに限って藍が自慢とする狐耳が妙に痒くなったりするのはどうしてであろうか。

 

「(なんというか、ねぐるしいです……)」

 

 きっと、主がいないからであろう。

 そう、藍は自分で理解していた。それを自己分析する程度には冷静であったが、感情を自制できるまでには至っていなかった。

 

「(ゆかりさま、いまごろいかがなさっているのでしょうか……)」

 

 寝返りを打ちながら主の心配をする藍。そうしている内に眠りにつけないものかと期待していたが、むしろ布団と擦れることで体が火照っていく一方であり、毛並み豊かな三本の尻尾がむず痒くなるばかりである。また汗で寝巻が体に張り付き、あまり気分がよろしくない。

 不快なあまり、ますます不安に囚われそうになってしまう。

 

「(い、いけません。ゆかりさまに、るすをまかされたのです。ここはいちど、からだをさまし、きぶんをかえましょう)」

 

 だるい体を起こそうとするのには少なくない労力を必要とするが、そのままでいても眠れるわけではない。

 

「(すずしいところ、すずしいところ……すぐそこにある、えんがわ……?)」

 

 そう思い至った藍はむくりと起き上がるや否や部屋の襖を静かに開け、神社の縁側へと抜き足差し足で向かった。ここの住人を起こさないことが理由に挙げられるが、実はそれだけではない。

 藍にとっては大事なことであり彼女は今宵の心地よい睡眠のためには必須事項だと考えていた。

 しかし藍の努力も虚しく、

 

「うげっ……」

 

 そこには先客がいた。紺に近い色の髪を短く整え白衣に緋袴という伝統的な巫女装束を纏った一人の女性。その者は姿勢を微塵も崩さぬまま、茶を一度啜った後に横目で藍を捉えると静かに述べた。

 

「声に出ているぞ、藍。こんな夜更けにどうした?」

 

 今代の博麗の巫女。

 藍がもっとも苦手としており、天敵とも呼べる存在である。

 

 ******

 

「あの」

「なんだ、藍」

「どうしてわたしはいま、ここにいるのでしょうか?」

「それはまた哲学的な質問だな。だが、この状況下では不似合いだろう」

「いや、なぜあなたにつかまえられているのか、ということですっ!」

 

 藍は今、天敵の膝の上に座っていた。否、博麗の巫女に無理やり抱えられ拘束されていた。

 藍の体躯が齢十に届かないばかりであるため、博麗の膝の上にすっぽりと収まってしまっている。誰に見られるわけでもないが羞恥に駆られた藍は顔を真っ赤にして博麗の膝の上から抜け出そうとした。

 

「はなしてくださいっ!ていうか、はなせっ!!」

「暴れるな。まるで癇癪を起こした子供のようだぞ。……いや、子狐だったな」

「ッ!?きさま~!!」

 

 ジタバタと拘束を逃れるべく暴れる藍。しかしその手足は短く、博麗の拘束を振り払えるまでには至らない。むしろ傍から見れば仲睦まじくじゃれ合っているかのように見えなくもない。

 そして藍の必死の抵抗を何のこともないかのように押さえつける博麗の巫女は息を吐くように藍を挑発していた。しかし博麗はまったくそれを意図しているわけではなく、悪気がないだけになおさら質が悪かった。

 

「こらこら、そんなに興奮していては、寝付くことなどできまいに」

「あなたから、いってきたのでしょうがっ!」

 

 振り向き、尻尾を逆立てながら抗議する藍を博麗は見つめ、

 

「ふむ、それは済まなかったな。一つ詫びよう」

「だからそういうことではないと……はあ、もういいです」

 

 藍は呆れた。

 先程まで軽快にこちらをおちょくってきた癖して、急に自らの行いを詫びるのだ。

 真面目で融通が利かなくて、どこか抜けている。そんな博麗を藍は苦手としている。とはいえ“嫌い”になれないのもまた事実であり、未熟な藍は頭を悩ませているのだが、そんな気も知らず、ずばずばと言いたいことを言うのが博麗という人物である。

 ゆえに彼女は藍にとってどう接したらよいものか決めかねてしまう“天敵”なのだ。

 

「詫びの印に、寝物語でもしようではないか」

 

 だから急に意味不明なことを言い出すのもまた、

 

「なんでそうなるんですか……」

 

 藍にとって理解不能だった。

 そして藍が再び自分が抱えられたままであることに気づく頃には時既に遅かった。

 

 ******

 

 夏も終わりに近づいて、境内からは鈴虫のリー、リーという鳴き声が響いている。かと言ってうるさいほどでもないため、耳心地がよい。

 夜風も秋の足音を感じさせるもので昼間の生暖かい風と違い、涼しく過ごしやすいものである。

 そんな、静かな神社の縁側には二人の影。

 

「藍、博麗が持つ役割を知っているか?」

「ひとと、ようかいのかけはし。そう、あかねからおそわりました」

 

 むすっとした顔の藍だが、答えたときの表情はどこか得意げである。

 

「そうだな。間違ってはいないが、正しいわけでもないだろう。確かに博麗は人の願いから生まれ、初代はその架け橋になろうとした。しかし架け橋になること自体が役割なのではない。我らに求められるのはあくまでも秩序を守ることだ」

「?」

 

 小さく首を傾げる藍に、博麗は珍しく表情を綻ばせて言った。

 

「それほど難しく考える必要はない。形は違えど、目的は同じなのだからな。だから茜が言ったことも間違いではないからそこまで気にしなくていい。ただ——」

 

 振り返る藍に博麗は言う。

 

「博麗にはもう一つ、役割があるのだ。それは人々の望みではなく、初代の望みから生まれたものだがな」

「そんなの、きいたこともありません……」

「だろうな。紫様はきっとお前に話さないだろうから」

 

 なぜ、ここで自分の主人の名が出るのか。

 今代の博麗は、その性格からして嘘をついたりすることができない。すると、紫が藍に隠し事をしていたことは事実であると言える。

 だから、藍はその言葉を聞き流すことができなかった。

 

「ゆかりさまは、わたしをしんじていないのですか?」

 

 それは普段、藍が博麗に見せないような弱々しい表情であり、声も少し潤んでいた。

 情緒が不安定なところ、まだまだ未熟であると言えないでもないが、泣きださないだけ十分に立派である。

 

「……わたしがみじゅくだから——」

 

 だからこそ博麗はそれを遮った。

 

「いや、それは違う。お前はあの方唯一の“式”だ。信頼していないわけがない」

「……」

 

 これもまた博麗の本心であると、藍は理解した。

 

「つまりお前に話せない理由があるということだ。別にお前を信じていないとか、未熟だからといった理由でなく、な」

「なぜあなたにはわかるのです?」

「ふむ。それは博麗になったとき、と言うべきか。継ぐということは得てしてそういうものだからな。初代様が考えていたことが今になってみれば、少しだけ分かる気がする」

 

 博麗を継ぐこととはいったい何のか。藍にはまだ分からない。

 

「わたしは、はくれいにはなれません。しかし、わたしにもわかるひが、いつかくるのでしょうか?」

「お前が紫様を見失うことなく、お傍に仕えていることができればその内にきっと」

「そう、ですか……」

 

 ほっとした様子の藍。

 博麗は半ば冷めてきてしまったお茶を一度啜り、ぽつりと呟く。

 

「立派な狐になれよ」

「うがぁぁっ!!」

 

 藍は激怒した。

 そして彼女を宥めすかすこと数分の時を要するのだった。

 

 ******

 

「う~」

 

 未だご機嫌斜めといった様子の藍を差し置き、

 

「話を戻そう。結論から言えば、私達博麗の役目とはお前の主人である八雲紫という存在をいつの日か解放することにある」

 

 博麗はまたしても不可解なことを述べた。

 最早、自分を抱えて座る博麗が一体何者なのか。藍は足元が崩れ去っていく感覚に陥りそうなった。

 寝物語とは何だったのか。

 

「こ、こんどは、どういうことですか?」

「あの方は望んで祝福を受けたわけではなかったということさ。望みもしない定めを与えられて今もきっと運命と戦っているのだろう。だから私達は“八雲紫”を開放しなければならない。私達以外にはきっとそれはできないからな」

「わけがわかりません……」

「従者である以上、知っておいて損はない。心の隅にでも置いておけばいい。さっきも言ったが、いつか分かる日がくるだろう」

 

 そう言って、博麗はすぐ横に置いてあった茶をまた手に取り啜った。言いたいことだけ言って満足したようにも、藍には見えた。

 

「ほんとう、なんですかっ。きゅうに」

 

 目で訴える藍に気づいているのかいないのか、博麗はお茶を啜り終えると藍の頭を片手で撫でる。

 

「そこまで構えることはないさ。幸運なことにお前は賢い。きっとこの先、良い従者になるだろう。だからこそ従者が主人の全てを把握しようなどと努々(ゆめゆめ)考えぬよう、私が忠告したまでのことだ」

 

 答えになってるのだか、なっていないのだか分からないような言葉。

 しかし、博麗の無骨な手はどこか温かみがあって。

 

「ふ、ふんっ……そのちゅうこく、きょうだけはきいてあげます」

 

 博麗に顔を見られないよう前を向く藍は、自分の尻尾が今どんなにご機嫌に振られているか気づいてない。

 

「ああ、それはなにより」

 

 こうして二人の夜は、少しずつ更けていく。

 

 ******

 

「夢想天生という技を聞いたことはあるだろう」

 

 次なる話題は、博麗の巫女の技である『夢想天生』。

 

「はい。はくれいの、さいしゅうおうぎだとききました」

「然り。しかし夢想天生とは決まった形を持たない。一人として、同じ形のものを使う博麗の巫女はいないだろうな。なぜなら夢想転生は初代の技であるからだ」

 

 何となく従者の心得を説いてくれているだとは自覚している。しかし藍は、先程からなぜ自分にこれほどまで重要そうな話を矢継ぎ早にしているのか、分からなかった。

 とはいえ知っておいて損はなく、いつか主のために役に立つと考え、素直に博麗の話に耳を傾けた。

 

「それでは、『むそうてんせい』とはぜんぶひとつのわざ、ということなのですか」

「そうだ。もしも別の技であるならば、名前が一つ一つ変わることになるだろうからな。一代にただ一つの形をもってして、夢想天生と成す。覚えておくように」

「それはわかりましたけど……。それじゃあ、あなたの『むそうてんせい』は……?」

「……式神を使う」

「ふむふむ、それで?」

「それだけだ」

「…………え?」

 

 まさに拍子抜け。博麗が戦うところを見たことがないのもあって、想像もつかない。

 藍は目が点である。

 というか『式神を使う』では簡潔過ぎて何が何だか分からないのもうなずけるというもの。茜あたりが聞いてもきっと、『何ですか、それ?』となるだろう。

 今代の博麗はいつも言葉が足りないということを、身をもって思い知った藍は深く溜息をついた。自分の瞼が重くなり始めたことにも気づかずに。

 その後はずっと、博麗がぽつりぽつりと“博麗の巫女”について藍に語り、それを聞き終える頃には藍は眠気で舟を漕ぎ始めていた。

 それからまた数刻、丁度真夜中になった頃、空に浮かぶ月は一番高く昇ろうとしている。

 

「少し、喋り過ぎたな……」

 

 もう残り少ない湯飲みに手を掛けようとしたとき、ふと気づく。

 

「……おや?眠ってしまったか」

 

 すぅすぅと膝の上で寝息が聞こえる。規則正しく寝息を立てる藍は博麗の胸を背もたれにしてよく眠っていた。

 

「……まあいい。賢い子狐よ、お前の未来に多くの幸があらんことを願おう」

 

 博麗は起こさぬよう、優しく藍の頭を撫で、寝所へと抱えていった。

 

「おやすみ、藍」

 

 ******

 

 二代目博麗の巫女。

 彼女について記された文書は少なく、彼女の功績を疑問視する者もいる。しかし史実の通りであれば、幻想郷創立直後の不安定な人里を守り抜きながらも“博麗”の地盤を盤石なものにした功績は大きく、『彼女失くして博麗は存続しえなかった』ともされている。

 彼女が妖怪を退治する様はほとんど目撃されていないが、残された数少ない伝承によれば外からやって来たとある大妖怪が人里を襲った折に、白い人型の紙のようなものが幻想郷の空を覆いつくしたと言う。

 また御阿礼の子からしても初代と同様に突如として現れ、二代目となった彼女は謎の多い人物であったらしい。

 その実際は真面目で堅物な、融通の利かない天然娘であったのだが真実を知る者は少ない。そして八雲の従者である九尾の今の性格を形作った人物であるという事実を知る者は、もっともっと少ない。

 

博麗の巫女 完

 

 



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紅美鈴

「……なに、あれ……」

 

 魔法使いは見た。

 天敵である太陽の光を左手から放つ、翼を広げた吸血鬼の姿を。

 

 ******

 

 ある館の地下室。

 そこは誰もが想像するような、薄暗くてじめじめとした場所ではなかった。金の燭台やステンドグラス、シャンデリアなど美しい装飾が施され、客人が見ればむしろ荘厳だという感想を持つであろう。

 しかし地下ゆえに、静まりかえると窮屈さを感じることはあるかもしれない。

 洞窟のような構造ならともかく、全体が紅い壁で覆われた部屋はどうやら防音処置が施されているようだった。

 

 そんな地下室にリンッ、と鈴の音が鳴り響く。

 

 ひっそりと、音のない空間であったため、それはより際立つものであった。

 

「ねっ!めーりんっ!!」

 

 当然のこと。

 

「今日もいつもみたいにお話しして!」

 

 それまで努めて静かにしていた金髪の少女が言う。彼女はもう待っていられないとばかりに足をばたつかせていた。

 

「お話し一つ聞かないと、眠れないの」

 

 彼女は真紅を基調とした、半袖にミニスカートという格好で、ナイトキャップを被っている。そして背中にはもっとも目を惹くであろう、不思議な形状の翼。

 

「ねぇ」

 

 豪華な部屋の中において彼女の姿はよく映えていたが、よくよく考えれば、地下室という空間に彼女のような幼気な少女がいるのもおかしな話である。

 

「ねぇ、ちょっと」

 

 しかし、その理由は至極単純。

 なぜならここは、

 

「めーりんったら!」

 

 紅魔館。当主である紅い悪魔。その妹のフランドール・スカーレットが過ごす部屋だからである。

 

「ひ、ひゃい。わひゃりまひたから、ひっはらないへくだひゃい」

「あははは、めーりんの頬っぺたよく伸びる~」

 

 おねだり、もとい可愛らしい悪戯に対して、美鈴と呼ばれた少女はフランドールのなすがままであった。

 しかし彼女は、後ろから手を回され、頰をむいむい引っ張られながらも背中にしがみつくフランドールを落とさないようにと、しっかり腕で支えている。

 苦労人らしさがよく滲み出ていた。

 

「むぐぐ……」

「頑張れ~」

 

 無事にフランドールを落とさずベッドまで辿り着くと、美鈴は腰を落として降りるよう促す。

 すると、フランドールは軽やかに背から降りてベッドに腰掛けた。

 

「到着!」

「ふぅ。もう、びっくりするじゃないですか、妹様」

「察しの悪いめーりんが悪いのよ」

 

 子供らしくも意地の悪い笑みを浮かべるフランドールに、美鈴は苦笑いする他なかった。

 

「いやぁ、参ったなぁ……」

「少しでも申し訳ない気持ちがあるなら、大人しくお話をすることね!」

 

 ふんす、と鼻息を立て、胸を張りながらフランドールは言った。

  対する 美鈴。

  『あ、これはもう話さなきゃ部屋がぶち壊されるパターンですね……』と、悟りを開いた様子である。

 

「さあ、今日はどんなお話しをしてくれるのかしら?」

「あぁ、そうですねぇ……う~ん難しいなぁ……」

「もしかして、ネタ切れ——」

「や、やだなぁ!そ、そんなわけないじゃないですかぁっ!?」

 

 美鈴は分かりやすく動揺した。目は彼方此方に泳ぎ、フランドールが向けるジト目にシドロモドロしている。

 彼女が必死に悩むこと数秒。

 勿論、素直に待っていることなんてできなかったフランドールは言う。

 

「うーん、それじゃあリクエストするね」

「は、はい」

 

 指を頰に当てて、

 

「えっとねぇ、いつもは人間のお話ばかりだから、今日は妖怪のお話がいいな!」

 

 それを聞いた美鈴の顔が途端に明るくなった。

 

「あ、それでしたら……!」

 

 そして拳を手の平にポンと乗せ、

 

「世にも珍しい吸血鬼の少女のお話は如何でしょうか?」

 

 ある物語を提案した。

 

「なにそれ、面白そう!」

「ふふ。そうでしょう、そうでしょう」

 

 当主の妹と使用人という関係でありながら、気の置けない様子の二人は顔を合わせ、微笑み合うのであった。

 

 ******

 

 そういえば他の吸血鬼のことなんて知らないなぁ、と私は思いながら美鈴の話に耳を傾けた。

 でもよかった。毎日私が美鈴にお願いしてるものだから、そろそろお話のタネが尽きちゃったのかなって思ったもの。

 

「こほん。それではある吸血鬼の少女の物語のはじまりはじまり~」

 

 ふむふむ。

 

「昔、昔。とある国のはずれに、吸血鬼の女の子が住んでいました。人間達が行きかう街道から少し離れたところにある立派な館が、その女の子のお家です」

 

 その、ある国ってどこなの?

 

「えぇ……?そ、そうですね。まあ、欧州の小国といったところでしょうか。」

 

 う~ん……。それじゃあどこだか分かんないよぉ。

 

「と、とにかく!そんなところだと思っていてください……」

 

 しょうがないなぁ。

 なんか、この先が少し思いやられるんだけど。私の視線に、美鈴は気づく気配もなかった。

 それはともかく。

 

「……ふぅ。さて、お話に戻ります。時折、旅人がその館を訪れると出迎える彼女の美しさに見惚れました。誰もが彼女を見ると、美しい瞳に心奪われその命を差し出そうとするほどだったのです」

 

 あら、それは食事には困らなかっただろうなぁ。

 だって旅人さんの血を一杯飲めるもんね。

 

「ええ。仰る通り、どうやら血に困ることはなく、また旅人からその正体に気づかれることもなかったみたいですよ。そして、彼女は優しい両親と可愛い妹がいまして、それはそれは幸せな日々を送ったそうです」

 

 へえ~、羨ましいな。私のお姉さまとは大違い。

 

「しかし——」

 

 しかし……?

 

「幸せな日々はいつまでも続かず、彼女の両親は人間達によって殺されてしまったのです。それは嵐の酷い冬の日のことでした」

 

 うん?

 

「今まで女の子の家族は人間達からその正体を気づかれずに生きていました」

 

 そうだったよね。それなのにどうして……。

 

「しかし、なんの前振りもなく突然館に攻め入ってきたのは武装した多くの兵隊。そして運の悪いことに、その誰もが吸血鬼の弱点をよく知った吸血鬼ハンターです。必死の抵抗も虚しく、彼らが去った後には女の子とその妹だけしか生き残っていませんでした。すると、心も体もぼろぼろになった姉妹の前に、時を見計らったように現れたのが彼女の叔父」

 

 まさか、そいつが……!

 

「その真相は分かりません。しかしその叔父はいつも悪巧みをしていたので、彼女は彼のことが嫌いでした。今までは姉妹に手を出すことができなかったのですが、両親が亡くなったのをいいことに、館に居座って好き放題したのです」

 

 ……やな奴。生き残った二人の気持ちなんて知らないんだ。

 私、そいつ嫌い。

 

「同感ですね。妹様の言う通りです」

 

 うん。私だったらけちょんけちょんにしてあげるんだから。

 こう、きゅっとして——

 

「えっ、わぁぁ!?おやめくださいっ、妹様!!」

 

 右手を前に出すと、美鈴は慌てて私を止めてきた。

 なんだろう?

 素直に手を下ろしたら『ふぅ、よかった。またお掃除が大変になるところでしたよ』なんて美鈴は言っていた。

  …… 私、そんなに壊したりしてないのに。

  だから抗議の意味も含めてじーっ、と美鈴を見つめたけど今度は目をそらされちゃった。

 

「こほん……そんな叔父は野望にも満ち溢れていて、姉妹の力に目をつけました。特に姉であるその女の子は強い力を持っていたのです」

 

  ん?

 ええ?なんで?

 どうして、そんなに強い力を持っていたのに逃げなかったの?

 

「彼女にはまだ幼い妹がいました。人質に取られてしまえば、置いて逃げるわけにもいきません。妹は力の制御がまだうまくできておらず、叔父にかかればすぐにでも殺されてしまう危険性がありましたから」

 

 あぁ……じゃあ、その女の子は?

 

「彼女は逃げることなく、自ら進んで叔父に囚われることを選びました。もしも逃げ出せば妹に危険が及ぶどころか、誰も叔父を止めることができないと考えたのです。だから叔父を止めるためには、ただ耐えるしかないと」

 

 ……そんな、それじゃあ——。

 

「それから彼女は何百年もの間、囚われ続けました。体の自由を奪われ、両手両足に鎖を掛けられたまま四六時中ずっと、叔父の拷問を受けたのです」

 

 そんなの、気が狂っちゃうよ……。

 

「……物語の人物です。私には彼女が何を思い、それを選択したのか分かりません。しかし——」

 

 隣に腰掛けていた美鈴は此方を向いて、私の目を見て言った。

 

「後悔、していなかったのではないかと思います」

 

 なんだかいつもよりもずっと、強い意味がこもっているみたいだなって思った。

 その女の子は強いなぁ。私にはきっと、耐えられないよ。そんなひどい目に合ったら気がおかしくなるもん。

 

「ふふふ、まずこの私がそのような事態にさせませんよ。こう見えて私、長生きした分、腕には自信がありますので」

 

 ええ~、大丈夫かなぁ?

 

「なんと!?」

 

 だって美鈴いつも門の前で居眠りして、妖精たちに悪戯されてるんでしょう?

 

「そ、それはアレですよ。いざという時のために力をこう、貯めているというか……そう!温存しているんですよ!」

 

 ふ~ん……?

 なんか、変なめーりん。

 

「あはは、まさか妹様に変、と言われてしまうとは…………ショックです」

 

 それじゃ、続き話して。

 

「……はい。それから数百年が経ってから、叔父は言いました。『これから他の国に攻め入る。お前には力を使ってもらうぞ』と。もちろん彼女はそんなことを望んではいません。自分の能力を他人に好き勝手使われることなんて許せませんでした。それでも、これは良い機会だと彼女は考えました」

 

 良い機会って?

 

「叔父を倒す機会を、ずっと彼女は待ち続けていたのです。そして遂にそのときが来たと、彼女は思いました」

 

 おぉ。反撃開始だね。

 

「侵略が始まったとき、彼女は幽閉中に知り合った魔法使いに、逃げ出すのを手伝ってもらいました。元々その魔法使いは女の子を捕らえておくための監視役だったのですが、紆余曲折あって友人となり、手を貸してくれることになったのです。二人にとって、混乱の中であれば、抜け出すこと自体はそう難しくはありませんでした」

 

 その魔法使いと、何があったの?

 

「ええっと……。何があったんでしょうね……?」

 

 ええっ!!?なにそれ、結構大事なとこだよ!?

 

「申し訳ありません。大分昔の話なものですから、私が存じていない部分もあるんです」

 

 む~、残念だなぁ。

 

「さて、彼女は無事逃げ出すことに成功しましたが、妹を助けようにも閉じ込めている扉の魔法陣を施しているのは叔父本人。救い出すためには叔父を倒さねばなりません」

 

 そうか、今まで、その妹が捕まっていたから逃げようにも逃げられなかったものね。

 でも、それって結構リスキーじゃない?もしも逃げ出したことがバレて、叔父を倒せなかったら大変よ?

 

「その通りです。しかしずっと囚われたままでは何時まで経っても助けに行くことはできません。かといって、失敗も許されない。そこで確実に仕留められるよう、外で他の妖怪と戦っている最中、叔父を背後から襲いました」

 

 やった!それならきっと——。

 

「いいえ。見事一撃を与えましたが、叔父はすぐさま相手をしていた他の妖怪達を蹴散らし、驚異的な再生力によって次第に彼女を追い詰めたのです」

 

 うぅ……。

 そ、そんなに凄かったの?

 

「そうですねぇ、塵一つでも残っていれば復活できるくらいにはしぶとかったのではないでしょうか」

 

 うわぁ……、それはないわ……。

 そんなの勝てるわけないよ。だって吸血鬼の再生力を越えているじゃない。

 

「はい。通常の手段ではまず叔父を倒すことはできません。女の子はそれでも最後まで奮闘しましたが、強力な吸血鬼である叔父を倒すまでには至らず」

 

 至らず……?

 

「最後の手段を使うことを選びました」

 

 最後の手段?そんなのあったの?

 

「彼女は懐から小さな一冊の魔導書を取り出しました。なんと、その魔道書には太陽の力を付与する魔法について書かれていたのです。太陽は吸血鬼にとって大きな弱点。使えば例え驚異的な再生力をもつ叔父だって元も子もありません。そこで彼女は考え付いたのです。ならば太陽の魔法を自分に向かって唱え、直接魔力を操作した上で叔父にぶつければよいと」

 

 え、それって?

 

「はい。勿論彼女も吸血鬼。身を包む太陽の炎に焼かれました」

 

 死んじゃったら意味がない。そう私は思った。そもそも太陽の魔法を使った吸血鬼なんて聞いたことない。

 それはつまり、今まで誰も成功させたことがないってことだもの。

 

「苦痛の中、懸命に術を唱えます。

 

 じゅうじゅうと体の表面は音を立てて燃えていきました。太陽の光はまさに退魔の光。白かった彼女の肌は黒く焼け焦げ、醜いものとなってしまいます。

 術を施した左腕が焼け落ちかけたとき、彼女の努力は報われました。術は見事成功」

 

 っ!?

 成功、させちゃったんだ……。

 

「巨大な白い槍が彼女の左手に発生し、眩い光を放ちました。彼女は確かに悪魔でしたが、その姿はまるで、神話に出てくる天使のように神々しかったといいます。

 その太陽の槍をもって、彼女は叔父に向けて投げました。

 避けようと空を飛んで逃げる叔父でしたが、避けても避けても槍は止まりません。何処までもついて来る槍にとうとう逃げきれず、太陽の炎に燃やし尽くされ、叔父は断末魔をあげて消滅しました。

 その代償に、彼女は全身に酷い火傷を負い、太陽の槍を持っていた左腕を失いましたが」

 

 腕なんて、再生するはずじゃ——。

 

「強い太陽の光は、再生を許しません。全身の火傷自体は徐々に良くなっていったらしいですが、失った左腕が再生することはありませんでした」

 

 どうして……どうしてそこまで女の子は最後まで戦おうとしたのかな?

 

「そうですね。意外と、答えは単純なことかもしれませんよ?」

 

 単純なこと……。

 

「ええ」

 

 何だろう……って、めーりんは答えを知っているんじゃないの?

 にこにこしちゃってさぁ。

 

「いいえ。私は私なりの答えを持っているに過ぎませんよ。だから、妹様もご自分で見つけ出さねばなりません」

 

  急に真剣な顔になった美鈴。

 でも、そっか。そうだよね。こういうのって、自分で考えなきゃだもんね。

 ……。

 ねえ、美鈴。

 

「何でしょう?」

 

 お話を聞いていて思ったんだけどね。

 

  私、本当は自信がないの。ここを出る日が来たとしても、ちゃんと前を見ていられるか。

 

 たとえその女の子と同じことができなくても、私も、いつか——。

 

 いつか、その女の子みたい強くなれるかな。

 

 そうやって勇気を出せるかな?

 

「……」

 

 私、お外に出てみたい。

 それでね、友達をいっぱい作るの。

 

「……妹様。できますよ、貴方なら。妹様はご自分で思っていらっしゃるよりも、ずっとずっと勇気があります。だから、きっと」

 

 そう?えへへ、なんか、照れちゃうね。

 

「案外、すぐに叶うかもしれませんよ?」

 

 うん。そうならいいな。

 素敵だな。

 

「うふふ、なら幸運をもたらすものを予言してあげましょう」

 

 美鈴は、このとき一緒に咲夜への悪戯を思いついたときみたいな顔をしていた。

 何か、心当たりがあるみたいに。

 

「そうですねぇ……ラッキーカラーは金色です。妹様のその美しい髪の色のような」

 

 金色……。それはモノ?それとも——。

 

「どうでしょうかね?」

 

 えぇ~、勿体ぶらずに教えてよ。何か知ってるんでしょ。

 

「さあ……?」

 

 顔がにやけてる。

 むぅ、美鈴のいじわる!!

 

「はいっ、今日はここまでです。お休みなさいませ、妹様」

 

 あっ、ちょっと待って……!

 

 ドアの前で、美鈴は振り返ってくれた。よかった。これでちゃんと言えるよ。

 

 ——おやすみ、美鈴。また明日ね。

 

「はい、また明日。よい夢をみてください、妹様」

 

 パタンと戸が閉まり、部屋には私一人になった。

 

 

 美鈴が私のところに来るようになってから、もう100年とちょっとになる。いや、体感としては()()()()()()

 だって私の意識はここ一月前に戻ったばかりだもの。

 ある日、目を覚ましたらすぐそこに美鈴がいた。なんか知らない場所だったし色々不安になっていたけれど、一つ一つ美鈴は私に説明してくれた。

 どうやら私は495年間ここに幽閉されていたらしい。

 それと、美鈴以外に人間とも知り合った。十六夜咲夜。彼女はここのメイドをやってるみたい。時々、美鈴と一緒に悪戯を仕掛けては、その反応を楽しんでいる。普段は冷静そうに取り繕ってるけど、驚いた時が面白いんだ……でもまあ、その後二人でとっても叱られるんだけどね。咲夜が言うには、他にもこの館には魔法使いのぱちゅりーってやつがいるらしいんだけど、まだ会ってない。

 あ、そういえば、目を覚ましてから出会ったのがもう一人いた。

 ……あんまり思い出したくない奴だ。

 でも、記憶がない私は、悔しいことにアイツの顔だけは覚えてた。それと、どうしてか、アイツを見たとき、頭がカッとなっちゃうんだ。

 私の姉、レミリア・スカーレット。

 一度私の顔を見に来たとき、思いっきりそいつを殴ってやった。そしたら何の抵抗も、やり返したりもしないで、そのまま帰っちゃった。

 何をしに来たんだろう?

 そう、美鈴に聞いたら苦笑された。

 

 そうだ。

 

 アイツのこと、顔と姉だってこと以外何も覚えていないんだった。

 思い出そうとすると、何か、きりきり痛くなって。

 きっと全部アイツが悪い。

 そう、私は思うことにした。

 

 

 ******

 

 

 

 ……ん?……そういえば、美鈴に聞き忘れていた。

 

 

 

 あの物語で出てきた女の子。

 

 

 

 結局最後は、妹に会えたのかな?

 

 

 

 

 

 



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森近霖之助・上

約一年と二カ月ぶりの更新となります。


「おや?」

 

 傍から見ればガラクタにしか見えない“商品”が並んだ香霖堂の倉庫。無論、商品にならないような本物のガラクタが混ざっていたり、非売品などもひしめき合っているわけだが、その区別はそう簡単にはつかない。

 

 ただし、それは素人の場合に限った話である。森近霖之助には、その区別がつくだけの“能力”を持っていた。

 

「この槍……懐かしいな」

 

 霖之助は久しぶりにと倉庫の整理をしている最中に、ある木箱を見つけた。中には見るからによく使い込まれた短槍。

 それを見た彼は、頬を緩めた。彼からしてみれば、まさか千年近くも形状を保っているとは思っていなかったようである。

 

「(捨てようにも捨てられなかった……そう、なんだろうな……)」

 

 柄は木製で、かつては表面が粗くささくれだらけであったが、使っている内に、いつしか手に吸い付くように滑らかになっていった。

 ここまで手に馴染むようになるまで、一体何度この槍を振るったことか。そして、穂先をどれだけの血で染めたことか。

 今ではすっかり武器を振るうことなどなくなってしまった彼であったが、手にしただけで身体に眠っていた感覚が呼び起こされそうになる。

 

「(ふむ、いけないね。このままじゃ、片付けにもならない……)」

 

 名残惜しくも、槍を手放し丁寧に箱にしまう霖之助。丁重に紐で結び、元の場所に戻していく。

 さて、他の道具の整理でも行うかというところで、倉庫の中の異変に気付いた。

 

「(何か、隅がうるさいな)」

 

 何かふんわりとした材質の物が壁に擦れているような物音がしたのだ。

 まさか自分が片づけをしている最中に、収納していた道具が落下したとも考えられない。霖之助が訝し気に視線を向ければ出口の扉付近に、どうやら何か毛玉のようなものが丸まっているのが見えた。

 

「(こんなところに、金色の毛玉……?)」

「(うわ、ばれたっ!?)」

 

 生憎、彼は普段愛用している眼鏡を小さな同居人に盗まれ、もとい、奪われているため、よく物が見えていない。それゆえ、彼が毛玉と認識しているものが一体、何なのかを認識するのにはしばしの時間を要した。

 しかし、それもほんの数秒程度。

 

「……魔理沙。こんな夜更けに、それもこんなところで何しているんだい?」

「ちょ、ちょっと夜の散歩に、な……?」

 

 霖之助は天を仰いだ。やがて顔を手で覆い、横目で魔理沙の手元を窺いながら言った。

 

「眼鏡は?」

「あ、あるよ……ここに……」

「返しなさい」

「え、ええ? い、いや……今、持ってないもん。返せないよ」

 

 急いで眼鏡を後ろ手に隠そうとする魔理沙。

 今ので彼女の手元にあることが完全に発覚してしまったのだが、あくまで白を切るらしい。眉間を指でゆっくりと揉みほぐしながら、彼は魔理沙の元へと歩いて行った。

 彼は幻想郷の中でも高身長に分類される。それゆえ、魔理沙を見下ろすと、それなりの迫力があった。

 一方、魔理沙。彼女は迫りくる霖之助に恐怖をまったく感じていない様子である。そんな彼女だが、今の格好は腰まで届こうかという髪を束ねることなく、伸ばしっぱなしにした格好をしている。霖之助が毛玉と勘違いするほどなのだから、相当なものであった。

 

『ああもう、今度髪を梳いてやらねば』と内心思いつつも、霖之助は魔理沙の視線の高さを合わせるようにしゃがむと、努めて優しい声色で言った。

 

「僕の眼鏡については、まあ、良しとしよう。しかし、こんな時間まで起きているなんて、身体によくないんだよ? せっかく魔理沙が眠れるようにと外来の香を焚いたのに……」

「煙臭くて逆に目が開いちゃった」

「……そうかい」

 

 彼は気を利かせたつもりであったが、逆効果であったらしい。少しばかり魔理沙に申し訳なかったかと反省しつつ、それでも魔理沙が夜更かしをするのを認めるわけにもいかず、彼は唸った。

 

「まったく、困ったな」

「うんうん、香霖には困ったものだ」

「あんまり調子に乗るもんじゃない」

「アタッ!?」

 

 脳天にチョップを食らい涙目になる魔理沙であったが、霖之助を困らせるのがよほど面白いのか、相変わらず意地わるそうな笑みを浮かべている。一方、『これは将来が心配だなぁ……』などと霖之助は魔理沙の将来を親のように心配していた。

 

 何故、彼がこのように幼い魔理沙の面倒を見ているのか、それはそれなりの経緯があってのことだが、二人はかれこれ三年程の付き合いとなる。はじめは魔理沙に人見知りされてしまい中々手を焼いていたものの、元々好奇心旺盛だったのだろう、道具屋である彼の店の品物をきっかけに徐々に距離を縮めていった。

 今では、この有様だが。

 

「ねぇ、私のことはいいから、続けてよ」

「そいつはできない相談だね。君はまだまだこの先、成長するんだから。ほら、よく言うだろう? 寝る子はよく育つって」

「霊夢はあれだけ寝ておいて、ちっこいままなのに?」

「……」

 

 霖之助は黙った。

 さすがに彼女について触れるのはどうかと思ってしまったのだ。

 

「どれどれ……おいで、魔理沙。君が眠るまで倉庫の片づけは後回しだ」

「!?」

 

 ゆえに強硬手段を取ることとした。

 

「っ!? な、なにするんだよっ!?」

「なにって、抱えただけだろう? どうやら素直に言うことを聞いてはくれないようだし、しょうがないじゃないか」

「だ、だからって……。もう、霖之助のあほっ!! 変態っ!! 眼鏡っ!!」

「おい最後の奴はどう考えたって悪口じゃあ、ないだろう? それに今、僕は眼鏡をかけていないんだが」

 

 やれやれと言いながらも彼は手慣れた手つきで抵抗する魔理沙を抱え、倉庫を後にする。その間、幾度か顔面に魔理沙の腕がぶつかったりしたが、お構いなし。彼にとっては痛くも痒くもなかった。

 

「は~な~せ~っ!!」

「はいはい、暴れない暴れない」

 

 さらには前述の通り、霖之助と魔理沙の身長差はかなりのものである。腕で抱えられてしまえば、拘束を逃れるのは難しい。

 

「(いや、考えてみれば、そうか)」

 

 しかしふと、霖之助は魔理沙の様子から何かを感じ取ったのか、表情を緩めた。

 

「……分かった。今日はもう止めにする。だから明日、手伝ってくれるかい? 流石に商品になるような物を触らせるわけにはいかないけどね」

「むっ、なんだよ、急に」

 

 霖之助は魔理沙を地面に下ろすと、ゆっくり歩いていく。彼は、魔理沙が眠れないと言っていた理由を見抜いたのだ。

 彼女は恐らく——。

 

「……それじゃあ、香霖っ!! いつものやつお願いっ! それでチャラにしてあげる」

 

『やっぱり』と、彼は微笑みながら魔理沙の手を引き母屋の方へと歩いて行った。

 

 

 ******

 

 

 いいかい? 僕が目にしてきたものは、幻想郷の、ほんの一部分。

 魔理沙には悪いけど、僕はこの楽園の中じゃ大した腕っぷしを誇っているわけでもないし、誰かを導くような力を持っているわけでもない。

 

 汎百のうちの一人に過ぎないんだ。

 

 だけどね、だからこそ味わってきたこの生がある。価値なんてものは、それぞれが決めることだ。最終的に自分がよかったと思えたのなら、それはそれでいいんだよ。

 

 ……少し、納得できないみたいだね?

 

 まあ、そうかもしれない。魔理沙は僕の様にはならないだろう。君には才能があるからね。いずれそれが開花して、この幻想郷で君の名を知らない者はいなくなるかも。

 ああ。勿論、誰かと共有できるような価値だって、大切さ。

 

 話が逸れたね。

 

 何が言いたいかというと、これから僕の話すことは、あくまで僕から見た“幻想郷”。そして、僕から見た“博麗の巫女”ということさ。

 いろんな見方があるんだ。これから話す出来事で、僕がやってきたことについて、僕は僕なりに整理がついている。けれど、魔理沙からすれば納得できないものだってあるだろう。

 ……すまない。話す前に、これだけは言っておきたくてね。

『そんなことはいいから早く』? わ、分かったから、そんなにつねらないでおくれよ——。

 

 それじゃあ、そろそろ話そうか。

 

 昔、昔。

 東方のある小国に、空を飛ぶ不思議な巫女がいました——。

 

 

 森近霖之助・上 完

 



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