アタランテを呼んだ男の聖杯大戦 (KK)
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前夜

 かつ、かつ、と踵を床に打ちつける音が響く。

「お、お待たせしました」

「ああ?」

 椅子に座る男がサングラス越しに睨め付けると、机に紅茶を置いた店員はびくりと震え、「ごゆっくり……」と一礼を残してそそくさ立ち去った。

「チッ」

 男は舌打ちをひとつ。苛々は収まらず、何度も床に靴をぶつける。
 髪を掻き毟り、何度も手の甲を覗きこむ。

「何で出ねェんだよ……」

 その剣呑な雰囲気に、絡まれては堪らないと、周囲の客は次々退店していく。「いい加減出てってくれないかなあ……」と遠巻きに様子を窺っていた店員が呟いた。

「ったく」

 やがて彼は首をふると、紅茶をぐいと飲み干した。

「支払い! ここに置いてくからな!」

 硬貨を机上に叩き付け、肩をいからせ店を出て行く。

 誰ともなしにほっと安堵の息を吐く店内。
 カップを下げようと机に近づいた店員は眉をひそめた。

「おいおい、マジかよ……」

 机の上には、男の忘れ物と思われる茶鞄が置き去りにされていた。


          #


「はぁ、疲れた……」

 ここはルーマニアの都市――シギショアラ。未だ中世ヨーロッパの面影を残す観光地である。
 石畳の大通りをとぼとぼ歩きながら、アルは盛大な溜息を吐いた。店員の服装のまま飛び出してきたので、道行く人々の視線が少々痛い。

 忘れ物に気づいた後、すぐに鞄を引っ掴み、店長に一言告げて店を出たものの、男の行方は杳として知れなかった。風貌からして観光客だろうから、鞄なしではさぞ困るだろうと思うのだが……。

「まあ忘れ物に気づいたら取りに戻って来るだろ」

 言い訳がましく呟いて、アルは店に戻ることにした。辺りは夕焼けに染まり、間もなく夜の帳が降りようとしていた。

 カフェに戻ると、既に客の姿はなく、店長が一人帰りを待っていた。

「すいません、閉店に間に合わなくて」

「結局お客さんは見付からないまま?」アルが持つ鞄に目を留め、店長が白い口ひげを撫でた。「ひとまず今日のところはウチに置いておこうか。明日になっても来なかったら、警察に持って行こう」

「はあ、そうですね……」

 俺が走り回ったのは結局何だったのか、と肩を落とす。

「じゃあ戸締りをよろしく」

「はい」

 店長を見送って、店の掃除に取り掛かる。
 実のところ、アルはこの店に居候している身分であった。

 そもそもアルは自分の名を憶えていない。記憶喪失の状態で、このシギショアラをうろついていたところを、幸運にも店長に拾われたのである。
 暇を見つけては警察や大使館を巡っているのだが、何が悪いのかまともに取り合ってももらえず、逆に疑われそうになったところを逃げかえるという始末であった。

 一通りの掃除を終え、アルは適当な椅子に座る。好きに飲み食いして良いと言われてはいるものの、流石に気が引けて、夕食は質素なものだった。

「にしても……」

 忘れ物の鞄を見る。外見の襤褸さに比べ、やけに重い鞄だった。

 ごくり、と唾を飲む。

「ちょっとくらい中を見ても……」

 自分のことを何も知らない、というのがそうさせるのか。アルは知りたがりの性質(たち)だった。

「そうそう、中を見れば誰の物か判るかもしれないし!」

 自分への言い訳を済ませ、鞄を開ける。
 ごそごそと中に手を突っ込もうとし――、

「痛ッ」

 思わず手を引っ込めた。
 見ると右手の甲が赤く腫れあがっている。

 さっきどこかでぶつけたかな、と首を捻るが、特に思い当たることはない。
 だが、その痛みがアルの良識を呼び起こした。

「やっぱり中を見るのはまずいよなぁ」

 冷静な思考を取り戻し、鞄を閉じる。

「……寝よ」

 欠伸をひとつして、アルは床にごろりと転がった。古新聞を掛け布団代わりにし、眼を瞑る。

 右手の甲がじくじく痛んだが、走り回った疲れもあってか、すぐ眠ることができた。


          #


「…………」

「…………」

 シギショアラの山上教会。月明りが照らす室内で、男と女が顔を見合わせていた。

 聖堂協会の監督役――シロウと、彼のサーヴァント――”赤”のアサシン(セミラミス)である。

「……令呪は、ないようじゃが」

「……そのようですね」

 言って、シロウは肩を竦めた。

 二人の前にはフリーランスの魔術師――ロットウェル・ベルジンスキーが白目を剥いて倒れ伏していた。
 魔術協会から送られてきた資料と目の前の男を見比べ、「間違いなく本人ですね」とシロウは首を振る。

「『令呪が出ないうえ、触媒を何者かに奪われたから匿ってくれ』――でしたか。余りに間抜けな話でしたので、こちらの罠を見破ったうえで仕掛けてきたのかと思ったのですが――」

「どうやら真の間抜けであったようじゃな」セミラミスがくつくつと笑い声を立てる。「しかしどうする? このまま記憶を消して帰してやるか?」

「そういうわけにもいきません。……なに、毒を飲ませる魔術師が一人増えるだけのこと。それくらい、貴女の力でどうとでもなるでしょう? 何を触媒にする気だったのかは聞き出す必要がありますが」

「まあ、そうじゃな」

「しかし問題は、彼の代わりに誰がマスターになるか、ですね。いったい何の目的でそんなことをしたのか……。私たちに友好的であれば良いのですが」

 顎を撫で、シロウは嘆息する。聖杯大戦は未だ始まってもいないというのに、不測の事態が発生してしまっている。自分が主導権を握れていない。あまり良くない傾向だ。

「……いえ」

 違うな、と思い直す。

 自分にとって――、聖杯大戦は六十年前から始まっているのだ。今更焦っても仕方がない。

 それに……、

 ()()()()()()()()

 サーヴァントの一騎や二騎が抜けたところで、揺らぐものではない。

 とはいえ対策を打つ必要はある。
 余裕たっぷりの微笑を浮かべ、シロウは思考を走らせた。


          #


「……む?」

 突然目の前が明るくなった気がした。と思ったら暗くなった。

 瞼を閉じたまま、アルはごろりと寝返りを打つ。

 何故か躰からごっそりと力が抜ける感覚がある。

「……そうか」

 寝ぼけた頭で何を納得したものか。
 むにゃむにゃと呟き、その疲労感に任せ、アルは再び眠りに戻った。己が何に巻き込まれたのかも知らないまま……。


          #


 ――同時刻、空の上。

 雲海を撫でるように、一機の飛行機が飛んでいた。

 乗客がすっかり寝静まっている機内。
 その中で、毛布を被った金髪の少女が、もぞりと身動ぎした。

「なるほど――。”赤”のアーチャーが召喚されましたか。聖杯大戦もいよいよ……」

「お客様、どうなさいましたか?」

 突如言葉を発した少女に驚いて、見廻りしていた添乗員が優しく声をかける。

「いっいえ何でも! すみません、寝言かな……」

 少女はびくりと震え、慌てて手を振って誤魔化す。

 彼女の真名()はジャンヌ・ダルク。此度の聖杯大戦を成立させるため呼び出された――裁定者(ルーラー)のクラスを持つサーヴァントである。

「現地を見ないことには何とも言えませんが、”赤”の陣営はどのような戦略を採るつもりでしょうか。トゥリファスは”黒”のホームグラウンドでしょうし……」

 他人に聞かれぬよう、口の中でぶつぶつ呟く。
 異例の規模の戦争を前に、ルーラーとして可能な限りの心構えをしておきたかった。

 だがそれも、眠気の前では無意味。

「ふわぁ……、眠……。考えるのは、起きてからで……」

 重く垂れさがる瞼に、聖女はあっさりと白旗を揚げた。

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邂逅①

「さて、さて」

 陽が昇るのを待って、フリーランスの死霊魔術師(ネクロマンサー)――獅子劫界離は行動を開始する。
 朝早くからシギショアラの街並みを興味深そうに眺める姿は、傍から見れば熱心な観光客に見えないこともない。だがその実は、いざという時に備え、周辺の地理を頭に叩き込んでいるだけである。
 道端の花に水をやっている女性と、辺りをじろじろ見ていた獅子劫の目が合い、彼女はぎこちなく顔を逸らした。

『嫌われてるねぇ、オレのマスターは』

 くすくす、と笑い声が聞こえる。しかし――、声の主はどこにも見えない。

「……煩瑣(うるせ)ぇ」

 獅子劫が片眉を上げ、吐き捨てるように呟いた。己の風体については先刻承知のことである。

『そんな警戒が必要か? ”黒”の連中の本拠地はトゥリファスなんだろ?』

「そりゃそうだがな」獅子劫は注意深く辺りを窺う。「監視網はこっちにも広げてるだろうよ。使い魔や一族の魔術師――俺たちの様子は筒抜けだって考えた方がいい」

『そんなもんかねぇ』

 霊体化した”赤”のセイバー(モードレッド)は、適当な返事をする。現代というからどれほどの街並みが見られるのかと思いきや、色褪せた中世ヨーロッパそのままの姿で、彼女は幾分面白くなかった。聖杯に与えられた現代知識――天を衝く摩天楼やら何やら、が彼女の望んでいた物である。
 さらに言えば、仮初とはいえ肉体を得られたというのに、霊体化してマスターの後ろを随いていくだけというのも実に退屈だった。

 少し考え、モードレッドは口を開いた。

『……マスター。頼みがあるんだが』

「おう、何だ?」

『服買ってくれ』

「……何で?」


          #


 朝陽が射し込むカフェの中。扉のベルを響かせ入ってきた店長に、元気よく挨拶を送る。

「おはようございます、店長!」

「うん、おはよう。……あれ、アル君、その包帯はどうしたの?」

 目敏く店長が、アルの手を指差した。

 見下ろすと、右手にぐるぐる巻いた包帯が眼に入る。
 昨夜の腫れがまだ引いていなかったので、取り敢えず隠すために巻いておいたものだ。湿布にするべきかもしれないが、カフェの店員が刺激臭を漂わせているのも問題かと思い、包帯にした。

「ああ、これですか?」右手を挙げ、そのまま首を抑える。「何か昨夜から腫れてて……すみません」

「そうかい? 今日大丈夫?」

「それは勿論!」

 実際痛みはもうなく、腫れているのを忘れてしまうほどであった。それにいくら店長が優しいからといって、タダ飯を喰らうのには抵抗がある。万一ここを放り出されでもしたら、野垂れ死には免れまい。

「まあ、無理はしないでね」穏やかな声で店長が言って、ぱんと手を叩いた。「そうそう、言い忘れてたんだけど、実は今日は予約が入っていてね」

「予約――ですか? 何の?」

「貸し切りの、ね。昼からウチでパーティーをやるってことでね。お客さんは入れずに、もう少ししたら準備を始めるから。今のうちに休んでおいて」

 そんな予定を伝え忘れるなんて、店長にしては珍しいな、と思いつつアルは頭に書き込んでおく。

「貸し切りか……」

 カウンターを一瞥すると、昨日の忘れ物である、茶色い鞄が置かれたままになっていた。

 仮に昨日の男が忘れ物に気づいたとして、店で貸切パーティーをやっていては、入りにくいかもしれない。とすると、今の内に警察に持って行った方が良いのではなかろうか。幸い、警察までは然程遠くない。

 そうと決まれば行動は早い。

「すいません、店長、ちょっと行ってきます!」

 言うが早いか、アルは店を飛び出した。


 昨日と同様に、鞄を持って警察までの道のりを歩く。

「あ、こういう時って、中に入ってるものを警察で確認しなきゃいけないんだっけ……」

 そうなると身分証の提示とか求められそうな気が……。いや、あのカフェは昔からシギショアラにあるそうだから、店長の名前を出せば大丈夫だろうか。
 そんなことをつらつら考えつつ、近道の曲がり角を曲がったところで。

(……勘弁してくれよ、本当に)

 そう思わずにはいられない。

 その細い路地には、小さな子供が、壁に凭れるようにして蹲っていた。

「あー……、君、どうしたの?」

「…………」

 おずおず声をかけるも、その子は肩を震わせるばかりで、何も話そうとしない。

「……迷子? 親とはぐれちゃった?」

 こくん、と頷く少年を見、アルは顔を顰めた。

 別に難しいことではない。幸い自分が向かっているのも警察なのだから、一緒に連れて行けば良い話。
 しかし、自分の身分には何の保証もない。誘拐犯に間違われるかもしれず、それは何だか――面倒だった。

 面倒だと思うと同時、アルは己の自分勝手な思考にぞっとする。

 もし記憶を失い、経験が失われたとき、人間の本質が浮かび上がるとしたら。
 以前の自分は――、こんなにも身勝手だったのだろうか。

 それは駄目だろう、と首を振る。

 溜息をひとつ。

 腰を屈め、子供の前に手を差し出した。

「お兄ちゃんと一緒に探そう?」

「……うん」

 差し出された手を暫し見つめた後、小さく頷いて、少年はアルの手を握った。

「よし、じゃあ一緒に警察に――」

「こっち」

「え」

 早速警察へ向かおうとしたアルを遮り、少年は真反対の方向へ腕を引っ張った。

「おかあさん、こっちだとおもう」

「いや思うって言われても――」

「いいから!」

 大人と一緒にいるという安心がそうさせるのか、少年の足取りは堂々としたものである。
 その確信を持った腕に、自分に確信が持てないアルは引き摺られていった。
 これではどっちが迷子だか判らないな、と思いながら……。


          #


 山上協会から逃げるように麓へ下りてきた獅子劫は、工房作りに取り掛かるでもなく、シギショアラの街をうろついていた。

『おっ、この店はいいな! マスター、ここ入ってくれ』

「……あぁ」

 モードレッドが指したのは、女性服を扱うブティックである。秋服を着たマネキンが立ち並ぶ華やかな店構えで、決して疵顔の男がひとりでふらりと立ち入るような店ではない。

「ま、約束は約束だ」

 堂々入れば意外と目立たないものである。決心を固め、扉を潜った。


「全く、酷い目に遭った……」

「まあまあ、いいじゃねえか。巧い言い訳だったと思うぜ?」

 ケラケラとモードレッドの笑う声が響いた。
 彼女はもう現代の服を身に纏い、その引き締まった体躯を惜しげもなく公道に晒していた。――とはいえ、その凶暴な雰囲気は隠しようもなく、獅子劫の風貌と相俟って、彼らの姿をじろじろ見る者などいなかったが。

 さっさと霊体化を解き、突然試着室から姿を見せた時の店員の顔を思い出し、またモードレッドは笑った。

「『違う、俺じゃない、姪に頼まれたんだ』――だったか? あれは傑作だったな!」

「……二度と行かねぇ」

 獅子劫はぐったりと肩を落とす。銃弾飛び交う戦場は幾多と越えてきたけれど、こんな恐怖や緊張は初めてのことである。そしてこれが最後になろう。いや、最後にする。固く決意する。

「そう落ち込むなって! あれはあれで――む」

「どうした?」

 突如声を落としたモードレッドに、獅子劫は即座に警戒態勢に入る。

「――()()()。判るか?」

「ああ……。だがマスターの気配しかしない。サーヴァントは霊体化したままか……もしくは」

「こそこそ遠くから窺ってやがるかってことだな。ハン……クソ面白くもねえ」

 警戒を最大限に引き上げつつ、獅子劫は考えを走らせる。
 ここで”黒”の陣営が仕掛けてくる利は――まずないだろう。現状、彼らにとっての最善手は城塞で防備を固めることのはず。未だ合流していないというアサシンの線もあるが、それならここまで気配をダダ漏れにすることはあるまい。
 とすると……。

「”赤”のアーチャーか」

 同じ結論に至ったのか、モードレッドが口の端を歪めた。

「だろうな」

 獅子劫は、先刻協会にてシロウと名乗る神父と交わした会話を思い出した。


「我が”赤”の陣営には、既に()()のサーヴァントが合流しております」

「五騎? 残りは俺たちと、あとはどのサーヴァントだ?」

「アーチャーですよ。まだこの教会にも顔を見せていません。何か不測の事態があったのでは、と思うのですが……」

「不測の事態、ねぇ……」


 魔術協会が選出した魔術師は、誰も彼もが一流である。仮に事故があったとして、死ぬような人選ではない。とすると。

「オレたちと同じく、あのアサシンどもの怪しさに気づいたってことか――それも対面する前に? そいつはなかなか……」

 やるじゃねえか、という言葉を呑み込んで、モードレッドは獅子劫に目配せする。

 決して少なくない人通りの中、二人の眼は過たず、ある青年を見据えていた――。

「ああまさかこんな遅くなるなんて……。店長怒ってるよなあ、どうしよう馘になったら。子供恐い……。見境なく走り回る子供恐い……。何度車に轢かれると思ったことか……」

 ――片手に鞄を提げ、独り言を漏らしながら足早に歩く青年の姿を。

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邂逅②

 なぜ迷子一人を送り届けるだけで、命の危機に瀕しなければならないのか。
 アルは頭を抱えながら、せかせかと足を動かす。斯くなる上はさっさと警察へ行き、店長に土下座するしかあるまい。寛容さに甘えるようで悪いけれど、きっとあの人なら許してくれるはずだ。

 ――だというのに。

「よぉ、兄ちゃん。ちょっと話さねえか?」

「俺ですか……?」

 自分を指差し、辺りを見廻す。
 アルに声をかけたのは、筋骨隆々の大男であった。サングラスの奥に覗く瞳は鋭く、疵顔(スカーフェイス)が明らかに堅気でないことを示している。

「ったり前だろ。テメエ以外に誰がいるってんだよ。巫山戯てんのか?」

 更にもう一人、隣に立つ女が眉根を寄せた。
 女――美女と呼んで差し支えないだろう金髪の彼女は、しかしその獰猛な雰囲気は隠しようもなく、ともすれば殴れかかってきそうな勢いであった。この秋空の下チューブトップなど着ている時点でマトモな人間ではあるまい。

 更に不思議なのは、女を見た瞬間、脳裡に奇妙なイメージが瞬いたことである。

 ――『筋力B+/耐久A/敏捷B/魔力B/幸運D/宝具A』

 一体何の着想かも判らず、アルは目を白黒させる。

「何じろじろ見てんだ」

「い、いえっ」

 正に二体の肉食獣。眼前に立ち竦む自分は憐れな獲物といったところか。

「か、カツアゲですか」

 鞄をぎゅっと握る。まさか客の持ち物をカツアゲされるわけにはいかない。

「あぁ? 何言ってんだよ。とにかく来い」

 女の方が先に立って歩いて行く。アルが随いて来ないとは考えもしていない背中で――実際逃げ出すという選択肢はなかった。

(何でこんな不運が重なるんだ……)

 アルの歎きは誰が聞くこともなく、消えた。


 てっきり路地裏にでも連れ込まれるかと思ったが、女が選んだのは空いたカフェだった。白いプラスチックの机と椅子が並ぶオープンカフェで、パラソルが日光を遮っている。
 水を持って来た店員に紅茶を三杯頼む。女だけは大量の食事を注文し、椅子の背もたれに腕を回した。
 彼女の様子を見、男の方が口を開いた。

「――さて。何でお前さんがマスターをやってるのかは訊かん。だが協会に派遣された奴から令呪を奪ったってんなら、それなりの手練れだろう。肚ァ割って話そうじゃねえか」

「は、は?」

「まああくまで恍けるってんなら、それでも構わないがね」運ばれてきた紅茶を一口啜り、男はニヤリと笑った。「俺は獅子劫界離。ま、今のところは仲良くやろうや」

「はあ……、あ、俺はアルっていいます」

「アル、な……」

『知ってる奴か?』

 モードレッドから念話が届き、獅子劫は少し考え、首を振った。

『いや、知らんな』

 二人のやり取りを知る由もないアルは、慎重に話題を選ぶ。

「えっと、そちらの方は……」

「”赤”のセイバーだ」

 モードレッドが素気なく応じると、獅子劫は額を抑え呻いた。

「あのなあ、お前――」

「どうせバレることだろうが。それにバレたところでどうこうなるもんじゃねえよ」

「はあ……。まあ、いい。それで、お前さんのサーヴァントは”赤”のアーチャーで良いのか?」

「え?」

 目の前の二人――獅子劫とセイバーが突然何を言い出したのか。当然ながら、アルには全く判らない。
 こういった場合、適当な受け答えをすると痛い目を見ることは必定。
 素直に「知らない」と答えようとして――、

「そんな回りっ諄い話はどうでもいいだろ」

 セイバーが口を挟んだ。だよな? と睨み付け、その眼力に圧されるようにして、アルは首を縦に振る。これは純粋な恐怖からくる行動であり、本当は今にも悲鳴を上げたい気持ちでいっぱいであった。

(ああ、訳の判らないうちに妙なことに巻き込まれている……!)

「ほら、クラスも判ったことだし、さっさと本題に入れよ」

 話を簡単にしてやったぞとばかりにモードレッドがニッと笑い、獅子劫は微妙な表情を浮かべた。
 気を取り直すように首を鳴らし、手を組む。

「まあこっちの話は簡単でな。俺たちと共同戦線を張らないかってことなんだが」

「共同戦線……」

「お前さんも気づいた通り、教会の連中はどうも怪しいから組みたくねえ。だが敵は七騎――折角なら二騎で協力した方が、何かとやりやすいと思うんだが。アーチャーの後衛があるならこちらも安心できる」

 フン、とモードレッドが鼻を鳴らす。後衛なんぞなくてもオレは戦える、というのが彼女の言い分。とはいえ獅子劫の言い分にも一理あることは認めており、この申し出は彼女が引き下がった形だった。

 躊躇う様子のアルを見て、獅子劫はメモ帳を取り出し、何事か書き込んだ。ページを千切り、相手に投げ渡す。

「まあすぐに返事しろとは言わねえよ。協力する気になったら、ここに連絡くれや」

「は、はあ……」

 ぎこちなく返事して、アルはメモを仕舞い込む。

「――それじゃ行くか、セイバー」

 獅子劫が立ち上がると、モードレッドが不満げな声を上げた。

「まだオレの食事が届いてないんだが?」

「……ここじゃ落ち着いて食えんだろう。お前は大丈夫でも、俺は厭だね」

「ま、それもそうだな。飯が不味くなる」

 モードレッドは諦めたように立ち上がり、じゃあな、と一言を残して颯爽と去って行った。

「……一体何だったんだ」

 嵐が去った後のような寂寥感に包まれ、アルは暫く茫然としていた。


 速足でカフェから離れつつ、獅子劫とモードレッドは念話を交わす。

『気配を消して追ってきてるかもしれん。遠回りしていくぞ』

『はいよ。ったく、面倒なことになったな……』

 ぼやいて、モードレッドは首筋を撫でる――つい先程まで、殺気を向けられていた後首を。

 アルと名乗るマスターに接触した直後から、二人は首筋がチリチリと焼かれるような感覚を覚えていた。
 それは紛れもなくアーチャーの殺気にほかならず、敢えて晒された気配は、明確なひとつのメッセージを送っていた。
 即ち――『妙な動きをすれば躊躇なく射る』。
 モードレッドとて、遠くからおどおどこちらを狙う弓兵風情に敗ける気はさらさらないが、相手の真名も判らぬ状況で行動を起こすほど短絡的でもない。獅子劫が連絡先だけ伝えてさっさとカフェを離れたのも、それを恐れてのことである。

「ったく、昼の内に工房を作っちまいたかったんだが……。撒くだけで結構な時間を使うぞ、こりゃあ」

 細い路地に足を踏み入れつつ、獅子劫は溜息を吐いた。


          #


「全く、何なのだアイツは……」

 歩き去って行くセイバーとそのマスターを見、()()()は弓を下ろした。

 尚も視界には、運ばれてきた大量の料理を前にあたふたと醜態を晒すマスターの姿がある。

「……まあ良い。ヤツの行動は既に見させてもらった。後は問答にて計らせてもらうとしよう。それで我が弓を預けるに能わぬ惰弱者と知れれば――」

 身を潜めていた屋根から、滑るように移動。

 完全に絶たれた気配、その姿を目に留める者はない。

 しなやかな跳躍と着地を繰り返し、冷え冷えとした声……冬の森を駆け抜ける透明な風のように、女は呟く。

「――殺すだけだ」



次回ようやく登場。おっそ


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契約

 無限に引き延ばされた時間。
 極限まで圧縮された時間。
 永い夢を、追っていた。

 ――クラス別スキル付与。
 ――必要情報挿入。
 ――エーテル体作成。

 暴風が如き魔力の迸りと共に、懐かしく肉体の重みを思い出す。

 一瞬、視界が白昼の明るさに充ちる。

 そして。

「サーヴァント”赤”のアーチャー、召喚に応じ参上した。汝がマスター……」

 体内に循環する魔力を感じつつ、アーチャーは己の主を見極めようとし――、

「……な、な」

 ぽかん、と口を開けた。

 まさかそんな筈がない、とは思いつつ、室内に他の人影がないか探る。
 当然ながらそんな存在はない。己の感覚も、目の前の男と因果線(ライン)が繋がっていると囁いている。微弱とはいえ魔力が流れ込んでくる以上、魔術師の端くれであるのも確か。

「何だこれは、どういうことだ……?」

 動揺が抑えきれない。
 幾ら百戦錬磨の英霊といえど、そんなことは想定不能。
 まさか自らを呼び出したマスターが――()()()()()などとは。


          #


 料金が先払いされていたのは助かった。が、この量は人間が一度に喰える量ではない。

 獅子劫とセイバーが去った後、アルは机に並ぶ料理を懸命に口に運んでいた。
 時折胃の内容物が食道を逆流してくるのをどうにか押し戻す。額には脂汗が浮かび、味わう余裕などあろうはずもない。
 店先で苦悶の表情を見せる彼を見て、観光客たちは黙って別の店を探しにいく。
 ある種の拷問ショーであった。

「うっぷ……」

 再びの吐き気を堪える。

 無論好きで注文した訳ではないのだから、アルが食べる必要は全くない。だが。

「料理を、残しては、いけない……!」

 それが記憶のない彼の奥底に刻まれた、信念のひとつらしかった。

「――良い心がけだな」

「それはどうも……」

 会釈を返し、机に目をやると、心なしか空き皿が増えているように見えた。これならあと一息で食べきれそうだ。
 丁度今も、向かいの人物がぺろりと一皿完食して――?

「え」

 自分の目が信じられず、ぱちぱちと瞬く。
 アルの向かいの席――先ほどまで獅子劫が座っていた椅子に、一人の少女が腰掛けていた。
 更には彼女の姿を視界に入れた瞬間、あのセイバーと出逢った時と同様のイメージが走った。

 ――『筋力D/耐久E/敏捷A/魔力B/幸運C/宝具C』

 これはどうしたことか。

 こちらの眼差しを気にも留めず、少女は次々と料理を平らげていく――特に肉料理を優先的に。

 アルは金魚のようにぱくぱくと口を動かし、何から言ったものか思案する。
 訊きたいことを数えればきりがない。
 例えばその大食漢ぶりや、アルのカフェの制服を着ていることや、不釣り合いに大きな帽子を被っている点。
 だが一つを挙げるとするならば――。

 その、異様なまでの気配の薄さである。

 同じ食事を囲むアルが、声をかけられるまで彼女に気づかなかったのだ。よくよく見ると、剽悍な獣を思わせる美女であるというのに、店員も通行人も、誰も気に留める様子がない。視界に入っていないかのよう。
 正面に座る自分ですら、気を抜けばその存在を失念しそうになる。

 この少女――人間か?

「ふむ」

 あっという間に最後の一枚を片付け、彼女はナプキンで口を拭った。

「あの、貴女は一体……」

「……端的に答えるならば、”赤”のアーチャー、となろう」

弓兵(アーチャー)……?」

 さてどこかで聞いた内容だぞ、と思う。考えるまでもなく、獅子劫が口にした名であった。

 アルの困惑を余所に、今度はアーチャーが口を開く。

「召喚されてからの振舞を監視させてもらった。別に聖者を求めている訳ではないからな――汝に人並みの正義と倫理が備わっていると判った以上、人格に文句はない。子供を助けていたのも良い。だが――」

 机のポットから紅茶のお代わりを注ぎ、アーチャーは言葉を継ぐ。

「推測するに、汝は意図してマスターになったのでもなく、聖杯戦争すら知らないのではないか……いや、この言い方も良くないな。……つまりだ」

 翡翠を思わせる深緑の瞳が細められる。

「汝は――()()()()()()()()()()()()()。違うか?」

 その言葉だけは、理解できた。

 自分が何か訳の判らないものに巻き込まれつつあるという、確かな不安がある。

 アルがしっかりと頷くのを見、アーチャーはやはりそうか、と嘆息する。

「説明――してもらえませんか?」

「言われずともそうしよう。だがその前にひとつ」緊張に強張るアルの前で、指を一本立てる。「汝には、叶えたい望みがあるか? 命を賭すに値する願いは?」

 まさかそんなことを問われるとは思っておらず、言葉に詰まる。
 少なくとも、自分にそんな願いはない。というより――持つ資格がない。
 何故なら記憶がないからだ。
 望みとは個人の経験を基に発するもの。である以上、記憶喪失のアルに望みなどあるはずもない。赤子が欲望を持たぬのと同じだ。

 だから、望みなどない……そう答えようとして。

「ひとつ、あります」

 彼女の視線を前にして、自然と口が動いていた。

「……それは?」

「生き(ながら)えること――です。自分が生きるためなら、俺は命を懸けられます」

(って何だそりゃ俺――!?)

 一体何を当たり前のことを言っているのかと。勿体ぶって言う台詞がそれかと。
 だってそんなのは当たり前のこと。
 赤子が唯一抱く欲。
 アーチャーが訊ねたのは、そのうえで何を望むか、ということなのに。

 馬鹿にされるか失笑を受けるか――恐る恐る顔を上げる。

 アーチャーは。

「……そうか。成程――それなら最低限信頼できよう」

 恐ろしいほどに真面目な顔で、こくりと頷いた。

「は、はは……」

 冷や汗を流しつつ、愛想笑いでやり過ごす。間違いではなかったらしい。

「では説明しよう――その鞄を渡せ」

 アーチャーが指差したのは、アルが持つ例の鞄である。

「え? いやでも、これはお客さんの忘れ物で……」

「持ち主の在所には心当たりがある。良いから渡せ」

 その言葉には何の悪意も感じられず、アルはごくごく自然な流れとして、鞄を手渡した。

「私が思った通りなら、この中に――」

 金具を外し、アーチャーが手を入れる。と同時。

 バリッ。

 一瞬小さな紫電が走った。反射的に身を竦ませたアルに対し、アーチャーは驚いた様子もない。

「ただの罠だ。汝であれば腕の一本も吹き飛ぼうが、私に通じる筈もない」

 ほら、と無造作に鞄を渡される。中を見ると、小さな瓶やら焦げた木材やら妙なものが詰め込まれている上へ、クリップで纏められた書類が突っ込まれていた。

「それを読め。恐らく、私が説明するより早いだろう」


          #


 虚ろな瞳――涎を垂らす口の端。
 呟きは口を離れ、誰にも届かず天井まで浮遊し、弾けて消える。
 魔術師たちが集う部屋。彼らの意識は触れ合うことなく、ただ遊離の快楽を味わっていた。

「では、すこし質問をしてもよろしいですか?」

 柔らかな口調で、シロウが声をかけると、丸いサングラスをかけた男は「何だ?」と素直に応じた。

「貴方が魔術協会から借り受けた触媒は何だったのでしょう?」

「……っはははははは!」男は突如笑い声を上げ、また元の声音に戻って告げた。「ああ……触媒、触媒ね。流石協会と言うべきか、たいそうなもんを用意してくれたよ」

「それは?」

「聞いて驚くなよ、触媒はな――」


          #


 大きく息を吐いて、アルは書類を机に投げ出した。
 目を通している間、ずっと息を止めていたような錯覚に陥る。溺れる程の情報量であり、その悉くが己の思考を超えていた。

 魔術、万能の願望器、英霊、サーヴァントとマスター、聖杯戦争、そして聖杯大戦……。

 簡潔に纏められた内容であるだけに、それを理解できてしまう。書かれたことが、自分の状況をこの上なく精確に説明していると判ってしまう。そして何より明確な証拠が目の前にいる。ただのペテンで片付けるには、アーチャーは余りにも()()()()()

「令呪ね……」

 右手を翳し、包帯の下の腫れを思い描く。

「理解したか、汝の置かれた状況を?」

「まあ、一通りは」

「では――私が問いたいことも判っているな?」

 斜めの夕陽が、アーチャーの横顔を照らしていた。

 アルは唾を呑み込んで頷く。
 問いの内容は明らかである。つまり――マスターとして闘いに身を投じるか、それとも放棄し、マスター権を手放すか。

「言っておくが、私もただ巻き込まれただけの被害者にかける慈悲は持ち合わせている。仮に闘いを放棄すると言っても殺したりはしない。よってあとは――」アーチャーはこちらの胸を指差した。「汝の判断だ」

「俺は……」

 アルはその視線から逃れるように俯いた。

 合理的に考えれば――こんな闘いからは降りるのが正しい。あらゆる願いが叶うとしても、どれほどこのアーチャーが強力な英霊だとしても、素人の自分が参加して勝利できる確率は著しく低い。それどころか、下手をすれば間違いなく死ぬ。

 だが……。

「アーチャーさん……、先ほど俺に訊いたことを、訊ね返していいですか」

「何だ?」

「アーチャーさんには、命を懸けてでも叶えたい望みがあるんですか?」

「ああ」

 アーチャーは即答した。その確信と覚悟に充ちた仕草に、アルは目を奪われる。

 覚悟とは質量のようなもの――言い換えれば意志の密度である。異なる二つの意志が接続したとき、より密度の大きな方に牽かれるのは、自然な振舞といえる。
 特にこの場合、基盤に記憶を持たぬ意志の密度は無に近く――、

「参加します、俺も……聖杯大戦に」

 その判断は必然。

「そうか」

 アーチャーは揺るがぬ瞳で、その決意を受け止めた。

「であれば、これより我らは互いを試し、計る関係となる。私に対し遠慮は不要だ。マスターも敬語を止めろ」

「は、は――ああ」思わずはい、と言い掛けたのを堪え、口調を直す。「それならアーチャー、君が聖杯にかける願いは何なんだ?」

 早速一番遠慮していたことを訊いてみると、アーチャーはフンと鼻を鳴らした。

「それを語れるほどに我らの交誼は深いと思うのか?」

「あ、いや……、すまない」

 素直に頭を下げる。

「それよりも、マスター。先に訊くべきことがあるのではないか?」

「え?」

「……真名は訊かなくて良いのか?」

 やや呆れた様子でアーチャーが言ったが、それに驚いたのはアルの方だった。

「……逆に教えてくれるの? 君の最も致命的な情報を――この素人マスターに?」

「む、それは……」

 確かにアルの言う通りだ、とアーチャーは同意した。
 通常のマスターであれば、作戦立案や令呪使用のタイミングを計る為にも、サーヴァントの真名把握は不可欠である。対してアルは完全なド素人であり、真名を教えることは徒に急所を増やす行為にほかならない。
 それに――。
 マスターを切り捨てた際、アルが敵に真名を教えるというリスクが避けられる。
 彼女にはそんな、恐ろしく冷徹な計算もあった。

「ではマスターの好意に甘え、我が真名()はひとまず秘させてもらう」

「ああ、これからよろしく、アーチャー……、あ、俺の名前はアル」

「……とっくに知っているとも」

 包帯を巻いた右手を――令呪が宿る右手を差し出す。アーチャーは静かに、そして確かに、その手を掴んだ。

 ……しかし。
 遠慮は不要と言われたものの、アルには終ぞ訊けなかった疑問があった。

 ――なぜ自分のような弱小マスターを殺害し、より強力なマスターと契約しないのか?
 勝利を真に狙うのであれば、それが合理的な解であり、アーチャーに、それを躊躇うような甘さはないように見えるのだが……。


          #


「なかなか厄介なことになりましたね」

「ほう……? 触媒は何じゃったと?」

 首を振り、シロウは口を開く。

「かの名高き英雄たちの船――アルゴー船の残骸、だそうです」

「それはそれは……」セミラミスも驚いたように、大袈裟な相槌を打った。「つまり――五十人とも百人とも伝えられる乗組員(アルゴナウタイ)全員が、”赤”のアーチャー候補であると?」

 そういうことですね、とシロウが頷く。

「イアソン程度の英霊であれば物の数に入りませんが、ヘラクレスでも召喚されていれば――」

 嘆息する彼の様子を、セミラミスが実に愉しげな表情で眺めていた。



会話ばっかり長々と……。

ちなみに迷子の子を無視→DEAD 料理を残す→BAD 望みはない→BAD。こわい


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魔術工房①

 夕焼けの空が刻一刻と夜の色を増していく。
 警察に届けるはずだった鞄は魔術師のものと判明し、当初の目的を完全に喪失したアルは、帰路についていた。傍らにはアーチャーの姿がある。
 暫し共に歩いて気付いたことだが、彼女は歩く際、一切の足音を立てない。動作は全て滑らかに連続し、風にそよぐ枝葉のように、認識の表層を流れていく。
 なるほど、と納得する。アーチャーの気配が薄いのは、ただその洗練された挙動のためなのだ。

 しかしながら、その一方で彼女の姿を際立たせているものがひとつ。

「……その、アーチャーはどうしてウチの制服を着ているんだ?」

「ん? ああ、これか」

 アーチャーは自らの躰を見下ろした。アルの服の予備であるため、男性服なのだが、すらりとした彼女によく似合っている。

「機を見て汝に接触しようと考えたのだが、事情を考慮するに、霊体化したままでは信じてもらえぬだろうと思ってな。無断で借用した。当然、戦闘時には別の装束に着替える」

「なるほど」

 確かに何処からともなく声が聴こえてきたとしたら、まず疑うのは自分の頭だろう。しかもその内容といえば荒唐無稽極まりない。彼女を前にしなければ、とても信じられなかったに違いない。

「じゃあ、その帽子は? 他にもあったと思うけど……趣味?」

「む――趣味でこんなものを被るか」

 言って、アーチャーは帽子の鍔に触れた。
 被っているのは、彼女の体躯に対してかなり大き目の帽子で、そこだけがちぐはぐとした印象を与える。これもカフェにある箪笥の隅で埃を被っていたものだ。

「ならどうして――」

 さらに訊ねようとしたところで、カフェの前に到着した。と同時に、忘れようとしていた思考が蘇ってくる。

「うう……、店長怒ってるよなぁ……。本当に追い出されるかも……」

 貸し切り客が来ると聞いた瞬間に店から出奔し、陽が沈んでから帰ってくるなど、どう扱われても文句は言えない。

 中々扉を開ける踏ん切りがつかず、ノブを握ったり離したりしていると、背後から声がかかった。

「安心しろ。それに関しては私が迷惑をかけたと説明しよう」

 アーチャーが鷹揚に頷いて見せる。
 まあ、確かにその言い訳も間違いではないが……。

「いや――、でも」

「店主には、無断で服を借りた詫びもしようと思っていたのだ。それに気になることもあるしな」

「……そういうことなら」

 やたらとサーヴァントを人に見せるものではないが、店長なら大丈夫だろう。

 よし、と気合を入れる。取り敢えず自分が先に入るからと言って、アーチャーには下がってもらった。

(まずは店に入ると同時、即行で謝罪をして……)

 ノブを下げ、扉を押し開く。

「すみません店長遅くなりました!」

 大声で叫んで頭を下げる。

「……ええっと。何か、あったのかい?」

 店の中には、呆気にとられた様子の店長が立ち竦んでいた。
 店内を見廻すが、ほかに客の姿はない。

「そうといえばそうなんですが……本当にすみませんでした。パーティーは――もう終わってますよね……」

「まあ無事でいるなら何よりだよ。どうか頭を上げて……」

 聖人君子とは正にこのこと。ますます申し訳なさで身が縮こまる。

 店長が微笑んでこちらに近づき――。

「下がれ、マスター」

 アルは後ろに吹き飛ばされた。

 正確にはアーチャーが首根っこを掴み、素早く躰を入れ替えたのである。

「ぐぇっ」

 襟で気道が潰れ、奇妙な声が出る。

 振り回された躰は、しかし丁寧に地面へ降ろされた。

「ぇほっ……、あ、アーチャー……?」

「無事か、マスター」

 激しく咳き込みながら、突然奇行に走った彼女を見上げる。
 自分の首を掴む右手、その腕、彼女の後頭部、伸びた左腕と――、その先で頸を絞められる店長。

 己を優に超えるだろう体躯の男を腕一本で持ち上げ、アーチャーは冷たい視線で相手を睨む。

「がッ……はァッ……」

 緑色の瞳に映る男は、苦悶に顔を歪め、口から泡を飛ばす。
 手足をじたばたと動かすのは、抵抗ではなく、パニックによる反射的な動作。

「…………」

 やがてその動きは勢いを失くし。
 男の手足はだらりと垂れ下がる。
 力を失った手から、小さな針が転げ落ち、床で一度弾んだ。

「触れるなよ。恐らく、毒が塗ってある」

 扼殺した男を投げ捨て、アーチャーは立ち上がろうとしていたアルを片手で留める。

「店長……?」

「他に気配は――なしか。”黒”の陣営が攻めてきた、というわけではないらしい。死亡した以上魔術は解除されるだろうが、まだ罠が残っている可能性もある。取り敢えずこの店を調べるぞ」

「て、てんちょ……」

「――おい」

 茫然と唇を震わすアルを見下ろし、アーチャーが底冷えする声を発した。
 ぶわり、と室内温度が低下する感覚。

「これ以上腑抜けているなら、今ここで切り捨てる」

 そこに慈悲の入り込む余地はない。
 彼女がそう言うのなら、必ずそうするだろう。

「己を殺そうとした敵の死に動揺するのか? それとも信じられないか? 何ならこの針で刺してやるが」

 別にアルが冷静な思考を取り戻した訳ではない。
 ただ、サーヴァントに対する恐怖が、動揺を塗りつぶしただけである。

「わ――判った。すまない、少々取り乱した」

 両手を胸の前に上げ、ゆっくりと立ち上がる。鼓動が早鐘を打ち、口内はからからに乾いていた。深く呼吸をして、どうにか体裁を取り繕う。
 アーチャーは光を失った店長の瞳を見て、軽く肩を竦めた。

「話を聞く限り、汝はこの男に恩義を感じていたのだろう? その動揺は理解できる」

(理解できんのかよ! なら何であんな脅迫を――)

「だが、戦場に於いては動揺が死に直結する。裏切り程度で取り乱してもらっては困るな」

「…………」

 そう……、自分が身を投じたのは殺し合い。
 理解はしていた。覚悟も決めたつもりだった。だが、何の実感もなかった。甘かったのだ。
 頭を切り替える。記憶がなくとも、それくらいのことはできるはず。

「ありがとう。アーチャーには迷惑をかけたけれど……、俺には幸運だった。初めてこれを経験するのが戦場だったら、多分、何もできずに死んでいたと思う」

 正直にそう告げると、彼女はその冷たい瞳のまま、しかし威圧は解いた。暖かな室温が戻ってくる。

 ほっと安堵の息を吐く。ぎりぎり機嫌を損ねずに済んだらしい。
 そんなアルの様子を見て、またアーチャーは厳しい表情を浮かべた。

「ひとつ言っておくぞ。戦場だったら――ではない。ここも戦場だ、愚か者」

「う、すまん……」


 カフェの奥、倉庫代わりに使っていた一室。その床の一部を持ち上げると、地下室への階段が現れた。

「全然気づかなかった……、俺ここで寝泊まりしてたのに……」

「魔術的に隠匿していたのだろう」

 アーチャーに続いて、階段を下りていく。蝋燭の炎が、二人分の影を壁に投じた。

 前を歩く彼女の後姿から、何となく目を逸らせる。
 それでも視界の端に入ってくるものがあった。

 毛に覆われて、ぴょこぴょこと揺れるそれ。

 アーチャーの歩みに合わせて動くそれは、どう見ても獣の耳と尻尾であった。

 帽子を脱いだ下、更に制服の内に隠していたそれを彼女が出した時は、驚きに声も出なくなったほどである。

(これ訊いていいのかな……。でも外見はデリケートな話題だし……)

「何だ、何か言ったか?」

 心の声が漏れていたか、その耳を機敏に反応させて、アーチャーが振り返る。

「いっいや何でも! えっと――、そう、どうして店長は俺を住まわせたりしたんだろう? 店長が魔術師だったら、万が一にもバレることを恐れると思うんだけど」

「記憶喪失、身寄りもなく、消えても誰も気にしない人間だろう? 魔術師にしてみれば、いくらでも使い道があったのだろうさ」

 その素気ない答えに、思わず身震いする。

「でもそうだとしたら、どうして急に襲うような真似を……」

「さあな。考えても詮無きことだ」

 階段を下り切った先には、古風な設えの一室が待っていた。
 置かれたランプに火を灯すと、その全容が見て取れる。

 重厚な机、本棚に収められた謎めいた本、秤、薬草、暖炉には大鍋、描かれた魔方陣のような図……。

 魔術師の研究拠点――魔術工房である。

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魔術工房②

ターニングポイント


 魔術工房に足を踏み入れたアルは、そのいかにもな見た目に感嘆の声を上げた。

「なるほど、薬を中心に研究していたらしいな」

 部屋を見廻し、アーチャーは顔を顰めた。薬草特有の刺激臭が鼻につく。
 つい最近まで人の出入りがあったらしく、埃は積もっていない。

「おい、触れるな」

 本棚の本に手を伸ばしかけたところを、アーチャーが声だけで射竦める。
 びくりと反応したアルを余所に、彼女は部屋中を調べ始めた。

「読むだけで呪われる書というのもある。軽々しくこの部屋のものを弄るなよ」

「……判った」

 仕方なく部屋を見るだけ見ていると、随分場違いなものが目に入った。

(……パソコン?)

 隅に押し込まれるようにして置いてあるそれは、最近使われたこともないのか、ただの棚として機能しているようだった。表面には埃が積もっている。
 買ったは良いが使い方が判らなかった、というやつだろうか。

 それにしても……。

 部屋の中で棒立ちしながら、覚られないよう彼女の後姿へ視線を送る。

(やっぱり気になる……)

 あの耳や尻尾は生えているものか、それとも付けているものなのか。

「これは……」

 アーチャーがふと首を傾げ、慌ててアルは気をつけの姿勢をとった。

「な、何か見つかった?」

「……いや、何でもないものだ」彼女は軽く肩を竦める。「まあ見える範囲に危険なものはないな。とはいえ注意はするように」

 アーチャーは、今度は部屋の壁の調査に取り掛かった。


「おや、ここは……」

「今度は何?」

「不明だ。試してみる」

 呟いてアーチャーが壁を押すと、その一部分だけが後ろへ傾き、丁度扉のように開いた。
 壁の向こうには、細いトンネルが続いている。
 通路の先へ目をやると、頬に微かな風の流れを感じた。つまり、出口があるということ。

「…………」

 謎の地下室の次はトンネルときたか、とアルは沈黙する。自分が暢気に寝ていた下に、こんなものがあったとは……。

「隠し通路か、これはいい」満足そうに頷いて、アーチャーはアルに顔を向けた。「決めた。ここをそのまま我らの拠点として使うぞ、マスター」

「え? ……どうして」

 眉根を寄せて訊ねると、彼女はどうしてではない、とばかりに息を吐いた。

「元々魔術工房だっただけあって、立地的にここは防衛拠点に適している。いざという時はこの通路から逃れることも可能だ。幸い家主も不在だしな。そして霊脈も極めて上等。この街でこれ以上の土地は望めないだろう」

「霊脈――?」

 大地を走る魔力、それが霊脈である。特に聖杯戦争に於いては、サーヴァントの魔力回復の一助となるものであり、霊脈が集まる地の確保は必須事項であった。

「これほどのものを抑えているということは、あの店主は旧くからこの街に住む一族だと思うのだが……。何か知らないか?」

「うーん……。まあ、確かにこの店はかなり昔からあると、聞いたことはあるけれど……」

 魔術に関係のない一般人にとっては、その程度の認識だろう、とアーチャーは納得する。秘匿を原則とする魔術師が客商売を営んでいた、というのは今ひとつ腑に落ちないが……。

「まあ、少なくとも現状、拠点を作るにこれ以上はない、ということだ」

「そうか……。それなら仕方ないか。他に宛があるわけじゃなし……」

 真っ当な感性として、自分が殺されかけ、更にその相手が死んだ場所に寝泊まりする、ということには忌避感を抱かざるを得ないところだが。

 よし決まりだ、と言うが早いか、アーチャーは元来た階段へ向かう。

「え、何処へ?」

「周囲に罠を張ってくる」

「へええ、そんなこともできるのか」

 幾分間抜けな声で感心する。

「当たり前だ。その程度出来てこその、森のかりゅう――いや、何でもない。行ってくる」

 途中で言葉を切り、彼女は軽い身のこなしで一階へ上っていった。


「森の顆粒……?」

 アーチャーが去って暫く、部屋に残されたアルは首を捻っていた。

「いや顆粒なわけないか」

 文脈的に考えれば、狩人、といったところか。つまりそれが彼女の正体に関することなのだろう。

「…………」

 彼の悪癖である、知りたがりがちょろりと顔を出す。

 真名を教える必要はないと言ったが、彼女が自らばらす分には何の問題もなく、調べないと約束したわけでもない。無論自分が知ってしまうことで、不利な状況に陥る可能性はあるわけだが――。

「ま、まあ、少しくらいなら……」

 アルの理性はあっさり敗北を告げた。

 とはいえ神話や歴史に詳しいわけでもない。

「……お、起動した」

 よって彼が頼ったのはパソコンである。

 ひとまず「森 狩人 英雄」で検索を掛けてみる。
 だが。

「そりゃそうか……」

 森に関係する者などいくらでもいるだろうし、英雄なら狩りのひとつやふたつして当然。
 目の前に並ぶ膨大な検索結果に、アルは早々に嫌気がさしてしまった。

「いや、待てよ」

 カーソルを動かし、「森 狩人 ケモ耳」で――

「何をしている?」

「わあぁ!?」

 突然背後から響いた声に、アルは文字通り飛び上がった。
 背中でスクリーンを隠しつつ、慌てて打ち込んだ文字を消去する。

 部屋の入口で、怪訝な顔を浮かべたアーチャーが立っていた。

「は、早かったな。罠はもう?」

「ああ。普通のサーヴァントなら手を出そうとはしないだろう」

「それは凄い」

 素直にアルが褒めると、アーチャーは軽く頷いて見せた。
 だが、安い賛辞に騙される彼女ではない。

「……それで、マスターは何をしていたんだ?」

「えーっと……、これを作ってた」

 机に載っていた紙を手渡すと、彼女は素気なく「なるほどな」とだけ答えた。

 ――「店主の海外旅行により、暫く閉店いたします。再開日不明」

 白い紙にはそう書かれていた。


          #


 そしてここにもまた、工房作りに勤しむ魔術師がいた。獅子劫界離である。

 陽がすっかり沈んだ頃、ようやく獅子劫とモードレッドは目的地に到着した。アーチャーを撒くため、また偵察をかねて、それまで街のあちこちを歩き廻っていたのである。

「目的地って……、地下墓地(カタコンベ)かよ」

 モードレッドが溜息混じりの声を出した。

「そう文句を言うな。なかなか上等な場所だぞ、ここは」早速工房作りに取り掛かりながら、獅子劫が言う。「本来なら昼のうちに完成させて、夜にはトゥリファスの偵察に行くつもりだったんだがな……」

 偵察よりも拠点の製作。獅子劫の判断に迷いはない。
 第一、既にして敵の居場所は知れているのだ。どちらを優先すべきかなど、考えるまでもない。

「ったく、さっさと暴れてえんだがな……」

 淡々と探知用の結界を張る獅子劫を傍目に、モードレッドは二つ並んだ寝袋を見比べていた。


          #


 ”黒”の陣営の本拠地――ミレニア城塞。トゥリファス最古の建築物であり、実用性のみを追求したその威容は、見る者を圧倒する。

 その中の一室。
 監視装置である七枝の燭台(メノラー)が設置されているが、今は何も投影されておらず、部屋にも数人分の影しか見えなかった。
 そのうちの一人である、”黒”のランサーが退屈そうに口を開いた。

「一騎ぐらい、斥候に来るかと思ったが」

 彼が空のグラスを掲げると、傍に控えたホムンクルスがすかさずワインを注ぐ。

「トゥリファスは事実上我らの支配下にあります。臆するのも仕方のないことかと」

 胸に手を当て、ランサーのマスター――ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアが恭しく述べた。

 特に反応を示さず、ランサーはワインを一口含む。

「……監視を続けよ」

「御意に」


 ”赤”のサーヴァントが姿を見せるようであれば、皆で様子を確かめることになっていたのだが、今夜はその兆候もなく、”黒”の陣営に属する面々は、思い思いに時を過ごしていた。

「――あら」

 ”黒”のライダーのマスター、セレニケ・アイスコル・ユグドミレニアは、ふとその足を止めた。

 彼女の視線の先――。

 通路に蹲る男がいた。

 血の香りを纏わす美女は、思わず眉をひそめた。
 その男は――どう見てもホムンクルスである。どういった理由か、彼の向こうには薬液と血が点々と続き、尋常な様子ではない。

 近づくセレニケを、ホムンクルスは弱弱しく見上げる。

「ああ――、キャスターが捜してるっていう、脱走したホムンクルスね」

 それで彼女は興味を失った。
 通路を歩く別のホムンクルスを呼びつけ、キャスターの許に運ぶよう指示し、それで終わり。

 それで――終わりだった。

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戦端は開かれた

 夜の教会には、ただ一人の人影しかない。

 瞑目し、軽く俯き、静かに祈る神父。

 そこへ。

「――ランサーが出たぞ」

 黒を身に纏った女性が姿を現した。

 そうですか、と頷いて、神父は顔を上げる。

「しかし良かったのか? ライダーはバーサ―カーの後詰へ向かわせ、ランサーはルーラーの排除。我が陣営の主力は全て出払ってしまったが」

「構いませんよ」シロウは軽く微笑み、首を振る。「何を措いても――ルーラーは除く必要があります。それに、敵の本拠地へ殴りこんでくるほど、敵も短気ではないでしょう」

 小さく息を吐き、セミラミスは使い魔である鳩を操る。ルーラーは何故か車でトゥリファスへ向かっているらしく――よってトランシルヴァニア高速道を必ず通る。カルナに待ち伏せ場所を指示したのも彼女であった。
 恐らく鳩による監視も、また”黒”による監視にもルーラーは気付いているだろう。それでいて姿を隠そうともしないのは、クラスの使命感故か、絶対の自信がある故か。

 ――恐らく”黒”の陣営は妨害してくるだろう。

 シロウは冷静に考える。かの大英雄に比肩する英雄がそういるとは思えないが、この一戦で確実にルーラーを葬れると楽観もしていない。

 これはただの戦端に過ぎず、正念場はまだ数日先……、アサシンの宝具の完成を待つことになるだろう。


          #


(……ふむ)

 己が本拠地とする家――その長い煙突の上で、”赤”のアーチャーは異変を感じ取っていた。

 魔術工房として使われていたためか、煙を上空へ逃がすため、煙突は異様に長く、周囲に視界を遮るものは存在しない。その上で、彼女は街の細部に至るまで警戒の視線を向けていた。現状、仕掛けて来ようとする敵の姿はない。

 だが、今彼女が感じているのはそれとは別の感覚。
 緊張ではなく弛緩。付近の警戒が弱まっているように感じたのである。

 アーチャーが見る限り、鳩やゴーレムが上空からこのシギショアラの街を監視していたのだが、今はその網は薄い。僅かを残し、ある方向へ向かっているようであった。

「今なら、大丈夫か」

 霊体化を解き、彼女は小さく呟く。
 これは単純に、すこし夜風に当たりたかったからであり、また監視の目が緩んでいる今なら見つからないだろうと考えたからであった。

(さて、戦闘が始まるな)

 街は死んだように静まり返っていたが、その奥底で……大気が身震いするような予感がある。

 夜の闇の中にあって、アーチャーの視覚は一点の曇りなく、遥か遠くの対象を捉えることができる。
 やがて、その優れた視力が、小さな影を捉えた。

 向かい合って立つ二騎の英霊。
 得物は槍と剣。

 剣を持った男の背後で、安全圏への離脱を図る影もふたつある。片方は資料で見た通りの顔、”黒”のマスター、ゴルド・ムジーク・ユグドミレニア。そしてもう一人は――。

「……ルーラー。なるほど、彼女の争奪戦、というわけか」

 裁定者のクラスを冠するサーヴァントは、真名看破や神名裁決といったスキルを与えられる。戦闘に転用すれば絶大な力を発揮する能力である。自らの陣営に引き入れれば、勝利をぐっと手繰り寄せることができるだろう。

 向かい合う英霊の闘気は、遠く離れた彼女の許まで、痺れるように伝わってくる。

 思わず、息を呑む。

 聖杯大戦の口火は、間もなく切られようとしていた――。

「あ、おーい、アーチャー?」

 その間抜けきわまる声が届くまでは。
 見下ろすと、屋根へ出たアルが、煙突を登ろうとしているところだった。

「……何をしに来た、マスター」肝心なところで水を差されたアーチャーは、苛々を押し殺して答える。「敵の監視にかからぬよう、上へは登ってくるなと言ったはずだが」

「いや、アーチャーが実体化しているから、今は大丈夫なのかと思って」

 彼は言って、隣に腰掛けた。

「…………」

 アルが差し出してくる毛布に、無言で首を振る。サーヴァントにとって、暑さ寒さなど何ら気にする必要がない。断られることは予測していたのか、彼は大人しく毛布をひっこめた。

「安全なのは今宵だけだ。もう来るなよ」

「ああ」頷き、アルは首に提げた双眼鏡を構えた。「さて、街の状況は……わっ」

 眼にも留まらぬ速さで、アーチャーは双眼鏡を取り上げた。

「……眼を潰す気か、愚か者。それにこんなもの無くとも――」

 彼女が視線を向ける先へ、アルも顔を向ける。

 瞬間、遠くの大地が白昼の輝きに充ちる。

 大地と大気が震える。

「――見えるだろう、充分」


          #


 トランシルヴァニア高速道上に於いて、”赤”のランサー(カルナ)”黒”のセイバー(ジークフリート)が真向から相対する。

 互いに真名は知らなくとも、向き合っただけで判る。

 ――この男は難敵である、と。

 だが、二人にとってそれは恐れることではなく、喜ぶべき事実に過ぎない。

 ゴルドとルーラーが存分に退却したのを感知し、ジークフリートは血が沸騰するような感覚を覚えた。
 それはまた、カルナにしても同じこと。

 爆発するように膨れ上がる闘気。殺意を全身に漲らせ――ここに。

 聖杯大戦は始まった。


          #


 詳細は見えずとも、彼方で行われる戦闘が人智を超えたものであることは明らかだった。
 息することも忘れ、アルは瞬く閃光を見つめていた。

「間違いなくランサーとセイバーだろう」

 戦いぶりを見、アーチャーはそう断定した。
 得物が剣や槍だからといって、クラスが確定する訳ではない。むしろそういった予断が危地を招くことすらある。しかしながら、あの堂々たる渡り合いを見せられては疑う余地などない。

「マスターの立ち位置から考えれるに、ランサーは”赤、セイバーは”黒”だな」

「倒せるか?」

 毛布を躰に巻き付けたアルが訊いた。
 英雄にとっては、単純ながら、それ故に答えにくい質問である。しかしこのアーチャー、余計な誇りや過度な自尊心は持ち合わせていない。

 二騎の戦闘を見る限り、その卓越した技量もさることながら、真に驚嘆すべきは耐久力であろう。
 あれ程の打ち合いを経てなお、互いに目立った傷がないのは、単純な耐久値の高さというより――宝具によるものと推察される。自らの全力を以て貫けないとまでは言わないが、それでは手数が足りなくなる。

「少なくとも、真名が判らぬ状態で立ち合うのは避けた方がよかろう」

 アーチャーは冷静な思考の結果、そう判断した。

「そうか……」

 彼女がそう言うからにはそうなのだろう、とアルは思う。少なくとも、自分より遥かに戦闘経験が豊富なのだから。あのサーヴァントとは戦わない、と頭に書き込んでおく。
 そこでふと思いついた。

「あ、じゃあ……、ここから現地にいるっていう”黒”のマスター――ゴルドだっけ? を狙撃することはできる?」

「余裕だ。一撃で仕留められよう」

 アーチャーは即答する。そもそも大した援護も戦闘もできぬマスターが、なぜあの場にいるのか、彼女には疑問で仕方がなかった。

「じゃあ!」

 興奮するマスターを留め、彼女は首を振る。

「可能だが、それは吾々が”赤”の陣営に所属していれば、の話だ。ここで奴を射れば、間違いなくこちらの居場所が割れる。両陣営を敵に回す可能性がある現在、無闇に敵を襲うことは得策とはいえない」

「なるほど……それもそうか。すまなかった、余計な口出しをして」

「構わん。寧ろ、『マスターを狙うのは嫌だ』などと言い出さなくて安心したところだ」

 少なくとも、彼女にとっては聖杯の獲得が第一であり、その為ならば卑怯卑劣と罵られようが、何の痛痒も感じない。
 ――それが、弓兵(アーチャー)に与えられた勝利の途なのだから。



原作にある描写は基本省略。


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イデアル森林の激突

 ぱんぱんに膨らんだ袋を下ろし、アルは息を吐いた。
 昼過ぎに起きてから、買い物へ行ってきたところである。

「特に監視の目は感じなかった。例の戦闘を機に、トゥリファスを中心に警戒しはじめたのだろう」

 店に入り、霊体化を解いたアーチャーが口を開く。

 袋からあれこれと取り出しつつ、アルは彼女の方を向いた。

「まあ買い物に行く程度で見張られないのは助かるな……。はい、これ」

「何だ?」

「昼食」

 袋の中身はほとんどが食材だった。戦争を前にしてまずすることは、糧食の確保に違いない、とアルは考えたのである。
 アーチャーは差し出されたサンドイッチの包みを見て、首を横に振った。

「……知っていると思うが、サーヴァントに食事は必要ない」

「え? いや、でも……」意外そうに目を開き、アルは言う。「カフェで会った時たくさん食べてたから、てっきり必要なのかと……。俺の魔力供給が少ないから、食べ物で補給してた――んじゃないの?」

「…………」

 暫く悩んだ後、「まあ、そうだ」と小声で言って、アーチャーはサンドイッチを受け取った。


 がらんとした店内。どの机上にも椅子が載っているなか、一台の机だけ椅子を下ろし、ふたりは向かい合って食事を摂った。

「――それで、どうするつもりだ、マスター」

「どうするって?」

 もぐもぐと口を動かしながら首を傾げる。

「あの”赤”のセイバーからの申し出を受けるのか、ということだ」

「ああ……」

 柄の悪い男と女を思い出す。

「言っておくが、単独で戦うのには無理があるからな」

「うん、それくらいのことは判ってるけれど……。というか、こういう戦略に関することを決めるのは、アーチャーの仕事では? 俺が考えたところで……」

「そうだな。最終決定権は私が持っている」あっさりとアーチャーは頷いた。「だがマスターの考えも考慮に入れたい。いざという時、方針の違いは隙を生むからな」

 そう尤もらしい説明はあったものの。

(ああ……、計られているのか)

 返答に興味はないとばかりに、サンドイッチを口に運ぶ彼女を見て、アルは内心嘆息した。
 まあここで下手な返答をしたからといって、即切り捨てるようなことはないだろうが、確実に心証は悪くなるだろう。真面目に考えなければならない。

 まず、誰とも協力しない、という選択。これはない。

 十四騎――ルーラーも含めれば十五騎――が覇を競う聖杯大戦において、たった一騎でその他全てを相手どるなど、正気の沙汰ではない。何にせよ、協力体制をとる必要はあるわけだ。

 その点、セイバーとの共同戦線は悪い申し出ではない。相手は聖杯戦争に於いては最優を称されるセイバーのクラス。後衛のクラスであるアーチャーと連携すれば、戦闘を有利に運ぶことができる。
 またぱっと見に過ぎないが、彼らからは随分と「手慣れている」印象を受けた。素人の自分と組むとなれば、アドバイスのひとつでも送ってくれるかもしれない。
 更にもう一つの利点は、向こうから誘ってくれていることである。向こうから話を持って来た以上、即行で裏切るようなことはないだろうし、何より手っ取り早い。協力者を得られない状態で両陣営から襲われでもしたら、早々に退場することになるだろう。

 しかし選択肢はそれだけではない。
 少なくとも、この状況に於ける最良の手は――。

「”黒”の陣営に合流するべき、だと思う」

 慎重に口を開いたアルに、アーチャーは素気なく訊ねる。

「そうか、理由は?」

「現状、圧倒的に優位を確保しているのが”黒”の陣営だからだ」

「具体的には?」

 そうだな、とアルは指を三本立てた。

「まずミレニア城塞という、強固な防衛拠点を築いていること。二つ目は大聖杯を所持していること。三つ目は、”赤”の陣営は魔術協会が急遽招集した集まりなのに対して、”黒”の陣営には準備の期間がたっぷりあった、ということ。多分、この大戦を見据えて万全の準備を整えてきたはず」

 果たしてこの答えで及第点か、とアーチャーを窺ったが、彼女はぴくりとも表情を変えず、軽く頷いただけだった。

「して、どうやって”黒”の陣営に取り入るつもりだ?」

「それなんだよなぁ……」

 ”赤”と”黒”の対立、というのがこの戦争の形態だが、しかしそれは正確な表現ではない。正しくは「魔術協会」と「ユグドミレニア」の対立に過ぎないのである。
 よって、どちらの陣営にも属していないアルにとっては、”赤”と”黒”の組み分けは関係がない。が、関係ないことを知っているのはアルだけであり、協力を申し出たところで、”黒”の陣営が素直に迎えてくれるとは思えない。
 彼らの信頼を勝ち得るための、何かが必要だ。

「”黒”の陣営としても、戦力が増えるのは歓迎のはずだから、なんだろうな、例えば……。”赤”のサーヴァントの真名とか、そういう手土産を持っていくしかないと思うんだが」

「ふむ……、私も概ね同意見だ」

「え、そう?」

 良かった、と胸を撫でおろす。

「だが手土産に関しては少々違う」

「それは?」

 訊ねると、アーチャーは珍しく薄い笑みを浮かべた。

「真名など生温い。”赤”のサーヴァントの――首級(しるし)を挙げる」


          #


 ”赤”のバーサーカー、単独イデアル森林へ進撃す――。

 その驚くべき報に対し、ある計画を実行に移すべく、”黒”のサーヴァントは多数のゴーレムを伴い邀撃に出た。

 まずは分断。”赤”のバーサーカー(スパルタクス)と、その後詰めを引き剥がす。
 後衛にアーチャーを配置したうえで、後詰めをジークフリート、バーサーカーが足止め。その隙にライダー、ヴラド三世でバーサ―カーを拘束、アヴィケブロンが捕獲する――。

 行動可能な六騎を総動員した作戦であり、同時にこれを成功させれば、”黒”の勝利がぐっと近づくのは間違いなかった。
 そして現在、計画は概ね予定通りに推移していた。
 バーサ―カーは既に捕獲済み。残る問題は――。

「アアォォォ……ッ!」

「ハン……」

 バーサ―カーの一撃を軽くいなし、次いで切りかかってくるセイバーを牽制する。
 二騎の英霊を以てして、”赤”のライダーは余裕の笑みを崩さない。実際、彼の躰には傷一つついていなかった。

「こっちのバーサ―カーがやられたんだ。互いに痛み分けと――しようぜェッ!」

「……ゥゥ……ッ」

 振るわれる槍を受け、バーサ―カーは呻る。
 そこへ再び、セイバーが裂帛の気合を込めた一撃を放った。
 また両者の間合いが離れる。

「おっと……これは、互いに手詰まりか?」

 自分同様、傷一つない躰を晒すセイバーを見、ライダーはニヤリと笑う。
 互いの戦力は拮抗――否、僅かにライダーが上回っている。現状まともに渡り合えているものの、まだライダーは本領である戦車を出していないのだ。とはいえ、今のところ彼は戦車を出す気などさらさらないのだが……。

 さてどうする、と槍を構え直した時、バーサーカーとセイバーが同時に退いた。
 その行動に怪訝な表情を浮かべた瞬間。

 城塞より飛来した矢が、ライダーの肩に突き刺さった。
 
 その矢は如何なる攻撃をも耐えきった躰を確かに貫き、血を流させている。
 ライダーは勿論のこと、事前に念話を受けていたセイバーもバーサ―カーも驚愕を浮かべずにはいられない。

「――何者だ?」


「セイバー、バーサ―カーを共に撤退させてください。彼らでは――あの場にいても意味はない。貴方もこの場からは撤退を」

 ミレニア城塞、その城壁の上で、”黒”のアーチャーは、傍らのマスターに声をかける。

「判りました」

 フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアは素直に頷き、その場から離脱した。
 それを確認した後、アーチャーは矢を番える。狙いは知己の貌――こちらの姿を捜すライダーへ。


 バーサ―カー捕獲、敵ライダー撤退の報せを聞き、ダーニックは眉を顰めた。

「……ライダー? アーチャーではなく、か」

「ええ、アーチャーの姿は確認されていないそうです」

 フィオレが答えると、ダーニックは口の端を歪めてみせた。

「そうか……となると、ふむ」

「どうしたのですか?」

「いや、実はある報告を受けていてな……何でも、『セイバーとアーチャーは”赤”の陣営に合流していない様に見える』そうだ」

「――それは」

 サーヴァントの中でも特に優れると言われる三大騎士クラス――セイバー、ランサー、アーチャーの内、二騎が加わっていない、ということ。

「私も半信半疑だったのだが――、どうやら間違いないと見て良いだろう。奴らは一枚岩ではない。対して我々は……」

 込み上げる笑いを堪えきれず、ダーニックはくっくっと喉を鳴らした。

「一族の名の下結束している! この戦い――利は我らにある!」

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大戦終結

「何なのだ、あの為体はっ!」

 ゴルドは、目の前に立つ”黒”のセイバー(ジークフリート)に向かって唾を飛ばした。
 ジークフリートは反論するでもなく、黙って軽く俯くことで応える。

「二対一だぞ、二対一! それだというのにあのライダーに劣るばかりか、アーチャーに退けとまで言われたのだぞ、どういうつもりだ! 私に恥をかかせおって!」

 彼が怒鳴りつけているのは、先のイデアル森林における戦闘――ライダーとの一戦についてである。
 バーサ―カーと二騎で打って出たにも拘らず、戦闘では終始圧倒され、挙句にはアーチャーに嘗められる始末――少なくとも、ゴルドの認識はこうであった。
 故に怒り散らしている訳だが、しかし当の本人はこれといった反応を見せず、ただ俯いて立っているだけ。これが益々火に油を注ぐことになる。

「弁解のひとつもしてみせろ! おい!」

 ギリギリ歯を噛みしめ吠えるゴルドに、セイバーの返答は一言。

「――申し訳ない」

「……っ」

 ぶつり、と血管の切れる音がした。

「貴様ァ! 何だその態度はァァッ!」

 しかしどれ程怒っても、セイバーは「申し訳ない」を繰り返すのみ。不毛なやりとりであった。

 実際のところ、ゴルドはプライドは高いが、どうしようもないほどの愚昧ではない。己の叱責が言い掛かりに近いことくらいは理解していた。
 あの戦いぶりを見、また”黒”のアーチャーに、ライダーの性質を告げられた今、あれはセイバーがどうこうできる相手ではないことも、劣勢に追い込まれたのは已むを得なかったことも判っている。
 それでも自らのプライドが素直な物言いを妨げ、だからこそセイバーに弁解の余地を与えたのだ。
 だというのに、目の前の男はただ繰り言を述べるだけ。

 ――コイツは、自分のことを馬鹿にしている。

 そんな思考が涌いたのも、ある意味で当然といえた。

 当然ながら、セイバーの方にそんな意図はさらさらない。彼はただ、本当に申し訳ないと感じ、それを言葉にしただけだ。
 自らの性質上、あのライダーに手傷を負わせることは不可能だった。
 ――しかしそんな周辺事情は関係がない。
 厳然たる事実として、自分は「ライダーの撃破」を命じられ、ただ失敗した。それだけなのだ。
 マスターが怒るのは当然であり、謝罪するのも当然。
 それがジークフリートという英霊の思考であった。

 無論、ゴルドにそれは伝わらない。
 一頻り喚いた後、荒い息を吐いて、セイバーに「消えよ」と命じる。一礼して消える彼を苦々しく睨み付け、ゴルドはグラスに酒を注いだ。


          #


 アヴィケブロンは随喜に身を震わせていた。

「……素晴らしい」

 宝具完成に必要な、最後の一ピース。捜しに探したそれが、そこにはあった。

「先生! これなら……」

 ロシェ・フレイン・ユグドミレニアも目を輝かせ、こちらを見上げてくる。
 ゆっくりと肯いて、再びそのホムンクルスの躰を検分する。

 慎重な検査の後、改めてアヴィケブロンは確信した。

「……一流魔術師に勝るとも劣らぬ良質な魔術回路。『炉心』として申し分ない検体だ」

 それを聞き、ごくり、とロシェは唾を飲みこむ。あのアヴィケブロンをして究極のゴーレムと言わしめる存在――遂にそれと対面することができるのだと。
 ゴーレムを本領とする一族は数あれど、この栄光を拝することができるのは自分のみ。史上初の目撃者となるのである。

「先生、何なら、今からでも……」

 既に宝具は大部分が完成しており、炉心を付けただけで充分その機能を果たす状態にあった。

「…………」

「先生?」

 一刻も早く炉心を取り付けたいのはアヴィケブロンも同じ――否、彼以上にこの完成を望んでいる者はいない。
 だが悲願の達成を目の前にして、どうにか冷静な思考を取り戻す。

 ”黒”の陣営に、この宝具の正体を知る者は自分しかいない。ただ「強力なゴーレムである」としか伝えていないからだ。真実を教えれば、間違いなく発動を阻止されるだろう。
 そして、その危険は今もある。
 この宝具の性質上、発動直後のゴーレムは極めて脆弱である。恐らくステータス平均Cランクのサーヴァントにすら劣るだろう。今すぐ発動したところで、真実に気づいた他のサーヴァントに倒される確率が高い。場合によってはルーラーに見咎められ、赤と黒が結託して襲いかかってくるだろう。戦闘の最中に発動するなど以ての外である。
 だからといって大戦の決着が付くまで待つのも危うい。己の戦闘力からして、戦争に巻き込まれ死亡する、ということも充分にあり得る話だ。

 だとすれば、どうするか……。

「いや、今すぐにはしない。もうすこし機を窺うとしよう」

「わ、判りました、先生がそう仰るなら……」

 他のサーヴァントの隙を衝く。これしかない、とアヴィケブロンは判断した。こちらが城塞に引き籠っている以上、”赤”は総力戦を仕掛け、城を陥落(おと)しに来るはず。それが隙を生む。
 その闘いに”黒”が勝利、あるいは敗北した直後。引き分けて疲弊している状態でも良い。とにかく戦闘が終わり、両陣営の気が緩んでいる間に、密かに起動するのだ。
 さすれば赤も黒も関係なく、この世の楽園を見ることになるだろう。
 アヴィケブロンは仮面の下で、薄っすら微笑みを浮かべた


          #


 空前の規模で行われる聖杯大戦。幸いなことに、現時点でイレギュラーは発生していない。”黒”のアサシンの反応が城塞内にないのは気にかかるが……。

 ルーラーは身を休めながら、考えを巡らせる。トゥリファスに到着するなり争いに巻き込まれるわ、森林で戦闘が勃発するわ、人間の肉体には酷な労働であった。ベッドの上で、ようやく一心地ついたところである。

 しかし気を抜いてもいられない。小競り合いが呼ぶのは大規模な戦場と相場が決まっている。

 聖杯大戦はまだ始まったばかりなのだから――。


          #


 ――そして聖杯大戦は終わった。

 結果は”赤”の勝利。ユグドミレニアのサーヴァントを、マスターを、完膚なきまで叩きのめし、魔術協会に逆らえばどうなるか、世に広く知らしめる結果となった。大聖杯は停止したものの、魔術協会からの莫大な謝礼金、及び世間から送られるであろう賞賛、名誉は、中々に代え難い報酬である。

「皆さま、お疲れ様でした」

 シロウ・コトミネが紅茶を差し出す。マスター達は互いを労い、戦いで疲弊した躰を休めた。

「そうそう、思い出しました」シロウが手を叩く。「皆さんには、令呪の引き渡しをお願いせねば」

 聖杯戦争を経て残った令呪は監督役に移譲され、次の戦争へ備えることとなる。そういえばそうだったな、とぼんやり思い出しつつ、マスター達は己の令呪を差し出した。

「……あれ、俺の令呪はもう――」

 一人の男が首を傾げる。
 どうして自分の手には令呪が残っていないのか、と。
 令呪を失ったということは――自分は負けて――しかし――。

「貴方は、全ての令呪を以て多数の敵サーヴァントを撃破したではありませんか」シロウの柔らかい声が、男の思考を阻む。「更にサーヴァントを失ってなお、魔術師として見せた獅子奮迅の働き! 貴方の功績は誰もが認めるところだと思いますよ」

「――ああ、そうだった、な」

 言われてみればその通り。

 シロウの言う通りだ。自分は――。

 どうしたのだったか。

 それは遠い夢のように、巧く思い出せなかったけれど。

 既に勝敗は決したのだから、そんなことは些細な問題だろう。

 紅茶を啜り、男はそう結論した。

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総力戦

 辺りを見廻しつつ、アルは”黒”の本拠地、トゥリファスの街を逍遥していた。
 シギショアラと大した変わりはないものの、観光地でないからか、どことなく落ち着いた印象を受ける街である。

「見張られてはいる。が、仕掛けてくる様子はないな」

 霊体化したアーチャーが小さく囁いた。

「うーん、まあ日中は仕掛けようにも仕掛けられないか……。夜にならないと向こうの判断は判らないかなぁ」

「どう判断すると考えている?」

「普通に考えれば、保留すると思うけれど」

「理由を」

 アルは店先の窓ガラスに映った自分の顔を見つめた。店内の客と目が合い、慌ててまた歩きはじめる。
 彼はいまだに自分の顔に慣れていなかった。ちょっとした既視感は感じるのだが……。

「嘘でも本当でも、向こうが何かする必要はないから。黒に協力するっていうのが本当なら、暫く泳がせておいて勝手に潰し合わせればいいし、嘘なら嘘で、襲いかかってきた時に叩き潰せばいいだけ。じゃないかな」

 傍から見ればぶつぶつ独り言を言っているようにしか見えない姿に、通行人は黙って距離をとった。

 アーチャーは周囲の警戒をやや緩める。現段階で、人通りの多い場所で戦闘を仕掛けるほど、黒も愚かではないだろう。

「ではサーヴァントが襲いかかってきたらどうする?」

 この会話は本当に意見を求めているのではなく、マスターを計る一環に過ぎない。出会ってこの方こればかりだが、自分の働きを見せるのもそう遠くはない、と彼女は考えていた。

「赤と睨み合ってる状況で、二騎も三騎も出てくるとは思えない。まあ一騎が限度だと思う。それなら交渉の余地がある」

 交渉か、とアーチャーは呟いた。

「して、その交渉が決裂した場合はどうする?」

「逃げる。その後は獅子劫さんに共闘を持ち掛ければいい。すこし不利にはなるかもしれないけど……」

 ポケットから連絡先が記されたメモを取り出し、ひらひらと振る。

「蝙蝠の寓話を思い出すな」

 何の感情も浮かべず、彼女は平坦な口調で言った。どちらかの陣営にこの計画が漏れた時点で、二人は破滅するだろう。
 アルは小さく肩を竦めた。まあ、卑怯な策ではあろう。アーチャーが勝利より義を重んじる英霊であれば、とうの前に関係が崩壊していたことは想像に難くない。

「……ん、英霊に与えられる知識には、御伽噺も含まれてるの? グリム童話だったっけ」

 ふと気になって訊ねたが、アーチャーは応えなかった。代わりに、

「待て。あの店に寄れ」

「どうして」

「新聞を買え。サーヴァントが活動した形跡が載っているかもしれん。全く、いくら魔術師の家だったとはいえ、テレビすら置いてないとは……」

 そういった理由で、二人がシギショアラで頻発する旅行者殺しを知るのは、両陣営に多少遅れることになった。その時には既に、”赤”のセイバーと”黒”のアーチャーが動いていたのだが……。


          #


「新たにトゥリファスへ入った未確認の魔術師は、奴だけか……」

 何の用か、道端の店に寄っていく男の姿を、映像は上から捉えていた。
 ダーニックは一通の手紙を片手で弄び、冷徹な瞳で男を観察する。

「……奴が手紙の送り主か?」

 玉座に腰掛けるランサーが静かに問うた。

「可能性は高いですね。ただ、やや不可解な点も……」

「ほう……それは?」

 ランサーは片眉を上げ、続きを促す。
 一礼して、ダーニックは再び口を開いた。

「監視する魔術師によれば――()()()()()()()()()()()、と報告が。あれでは四流が良いところではないか、とのことです。そんな力しかない者が、協会の魔術師を手玉に取ったとはとても……」

 鳥型ゴーレムの監視圏外に出たのか、今投じられている映像はトゥリファスの街並みだけである。
 ランサーとダーニックは暫し、何とはなしに道行く人々の影を眺めていた。

「――仕掛けますか?」

 ダーニックの言葉に、放っておけ、とランサーは首を振った。

「味方同士で潰しあうのなら、好きにさせておけばよかろう。我らを謀り、こちらに牙を剥くというなら、改めて殺せば良い。仮にそうだとして、この城塞を単騎で陥とせるとは思えぬが……」

「動きがなければ、赤に情報を流しますか。お宅のアーチャーがこちらに付いた、とね……」

 やや驚いたようにランサーは目を大きくしてダーニックを見、それから凍るように酷薄な笑みを浮かべた。


          #


 シロウはゆっくりと、玉座の間に集まった英霊たちを見廻した。

 ランサー、ライダー、キャスター、アサシン。
 バーサ―カーは捕獲され、セイバーは単独行動、アーチャーに至っては姿を見せてもいない。

 事前の計画からは、随分と減った面子である。しかしどの英霊も――キャスターは微妙なところだが――一騎当千の猛者たちであり、ランサーとライダーに至っては単騎で聖杯戦争を制覇できるほどの勇士である。充実した戦力であることに違いはない。

 アサシンが一歩進み出て、皆の注意を惹いた。

「皆揃うたな。機が熟したとは言い難いが、我々の準備は整い、これ以上静観を続けても状況は変わらぬであろう。――小競り合いにも、そろそろ厭きが来た頃であろうしの」

虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』は行動を開始し――空中へ浮遊した。

 サーヴァントたちは驚きの声を上げ、同時に戦略を理解する。

「では、先陣はどなたが切りますか?」

 瞬間、視線が交錯する。
 ランサーは無言で首を振り、ライダーが獰猛な表情を浮かべた。やり取りを見ていたシロウは微笑み、静かに言った。

「では、そのように」


          #


 領土ごと空から攻め込んでくる、という想定外の事態に、しかし黒のマスター、サーヴァントは共に取り乱す無様など見せない。英霊が関わる出来事に、一々驚いて後手を打つようでは話にならない。

 ()()は草原の手前で動きを停めた。敵はここを戦場に選んだらしい。
 戦場は広大である。今までの戦闘など話にならぬ、正に大戦の名に相応しい激戦が繰り広げられるであろう。

 マスターが城塞に退避した後、ランサー――ヴラド三世は、威風堂々たる態度で、それぞれのサーヴァントに指示を与える。

「セイバー。前線に出て、敵サーヴァントの剣を受け止めよ」

 無言で肯くセイバー。

「アーチャー、ライダー。共に編成したホムンクルスの指揮を執れ」

「了解しました」

「ラジャー!」

「キャスター。”赤”のバーサーカー(スパルタクス)解放のタイミングは一任する」

「判った」

「バーサ―カー。お前は自由だ。思うがまま、戦場を蹂躙せよ」

「……ゥゥ」

 キャスターが造った銅鉄馬(ゴーレム)に騎乗し、ランサーは敵の要塞を睨み据えた。

「――では、先陣を切らせて貰おう」

 一言を残し、ランサーは戦場に降り立った。

 アサシンの不在を除き、今回の各サーヴァントの采配は、概ね事前に立てた作戦通りであった。
 机上の計画というやつも役に立つ、とランサーは眼前の草原を睥睨する。
 ここルーマニアに於いて、救国の英雄たるヴラド三世の知名度はほぼ最高値を誇る。更にはスキル『護国の鬼将』によって、辺り一帯は既に彼の「領土」と化している。全盛期に最も近い姿で彼は在った。
 ダーニックが召喚した大英雄。
 この聖杯大戦に於いて、間違いなく最強のサーヴァントの一角と断言できる。

 そして、”黒”のランサーに与えられた役割は。

 ――戦場を支配すること。

 それすら、今の彼には容易い。


          #


 頼む、と頭を下げるマスターを、アーチャーは冷たい眼で見ていた。

「戦場からずっと離れた場所で見てるだけだから! 総力戦の最中に遠くからぼけっと眺めてるだけの人間を気にする暇なんてないだろうから、襲われる危険も低い……多分」

「汝のその性質(たち)……知りたがりもここまでとはな」

 不満げに鼻を鳴らす。が、アルは一向に言を翻そうとしない。

 赤の宝具と思われる要塞が、遥か空に停止しているのをアーチャーは一瞥した。間もなく始まるであろう戦争に、遅れて乗り込む訳にはいかなかった。マスターの説得に時間を割いている余裕などない。

「……最低限の罠は仕掛けていく。だがいざという時に助けが来るとは思わぬことだ。ここで死んだとして、それは自業自得に過ぎない」

 溜息交じりの言葉に、アルは神妙な顔で頷いた。態度だけは殊勝なものだな、とアーチャーは内心呆れた。

「本当のところ、あれだな、マスターは。これまで一方的に計られてきたのが癪なのではないか?」

「え、いや、そういうわけでは……」

 目に見えて動揺する姿に、諦めた口調で告げる。

「――存分に試すと良いさ。気に入らなければ、その時は、私を捨てろ」

 言って、アーチャーは皮肉げに口の端を歪めた。

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相対①

 噎せるような鋼の臭い――深く沈む空気。
 戦場はその内に殺意を収縮させ、開戦の声を待っていた。
 一方は巨大なゴーレムとホムンクルスの軍。永きに亙る執念が生み出した、高品質な戦闘用具。
 対するはカタカタと骨を鳴らす竜牙兵。即席ながら、その膨大な数は地を覆わんばかりである。

 ”赤”のライダーは『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』から、眼下の草原を一望した。
 余りにも壮大。互いの総力を尽くした決戦場。如何な神話にも語られぬ、新たな戦いの場。
 不意に懐かしさが胸中を充たした。

 戦場だ――ああ、ここは戦場だ!

「さあ、開戦だ! ”赤”のライダー、いざ先陣を切らせて戴こう!」

 己を奮い立たせる叫びと共に、空中庭園から落下。
 口笛を吹くと、軍馬三頭立ての戦車(チャリオット)が躰を受け止め、空を引き裂いて走り出す。

「行くぞ! 黒のサーヴァントよ!」

 戦車は勢いをそのままに、地へ降り立ち、疾駆を開始する。
 即座に向かってくるホムンクルス、ゴーレムの大軍。
 しかし――、海神(ポセイドン)より賜った神馬の前では障碍にすらなり得ない。
 轢殺した敵は千々に砕け、戦車は縦横無尽に戦列を掻き乱す。

「さあ、このライダーの戦車を止められるものなら、止めてみせるがいい!」

 吼えたその時、彼の戦闘勘が不吉を囁いた。

「――ッ!?」

 咄嗟に手綱を引く――が、躱しきれない。
 神馬の急所を狙い放たれた一撃は、僅かに逸れ、しかしその背を抉って去って行った。

「チィッ……アーチャーか――だが”黒”ではないな」

 矢が飛来したと思しき森林へ目を向ける。妖しく騒めく森林からは、全くといっていいほど気配を感じなかった。
 馬の傷を一瞥。戦車は放棄するしかない。だが……、森林に引き籠って一方的に射かけられるというのは性に合わない。

「もう少し気張ってくれるか?」

 主の猛る気合に、神馬は荒々しい鼻息で応えた。


「ライダー、か」

 ”赤”のアーチャーは動きの鈍った戦車を見、呟いた。
 ランサーは襲えない。セイバーは未だ姿を見せず、その他のサーヴァントも投入される気配はない。残った選択肢として、ライダーに攻撃を仕掛けたのだが……。
 彼女の視界で、戦車が鼻先をこちらに向けるのが見えた。だがこちらの居場所は判っていないはず。
 瞬間、嫌な予感が靄のように脳内で拡がった。

「まさか……」

 直感すると同時、既に彼女は脱兎の如く駆け出していた。
 森林から――草原へ。

 次の瞬間、身を潜めていた森林は消滅した。


「よし、行けェッ!」

 叫びに合わせ、戦車はあらゆる物を粉砕する勢いで、森林に吶喊した。
 轟音。
 焦げた香りと共に、草も樹も地上から消し飛んだ。
 堅牢なゴーレムを容易く引き裂いた突撃である。物言わぬ樹々など、紙細工程の耐久すらない。

 御者台から静かに下り、戦車を霊体化させる。神馬が負った傷は致命傷ではないが、ここで酷使するのは得策とはいえない。

「”赤”のアーチャー……何故裏切った」

 彼の眼は、直前に森林から飛び出てきた影を逃していなかった。
 目の前に佇むは、翠緑の衣に身を包みしサーヴァント。獣の剽悍さを湛えた立ち姿、手には美しい設えの弓。
 彼女は冷徹な瞳を向け、口を開いた。

「そもそも汝と私が味方であったことはない。よって裏切るも何もない」

「そうかい」ライダーは返答を聞き、犬歯を剥き出しにした。「俺の目当ては”黒”のアーチャーだったんだが……軽い肩慣らしにはお前で充分だろう」

「さて、戦車を喪った騎兵(ライダー)が何を吠えている?」

 挑発に動じることなく、ライダーは槍を構え、身を低くした。

「見縊ったな、弓兵。この俺に喧嘩を売ったこと――瞬きの後に後悔しろ」

 刹那――。

 アーチャーの眼前、槍の間合いにライダーが立っていた。

「なっ――」

 瞬きするほどの間もなく。
 時を数える間もなく。
 既に、そこに居る。
 文字通り神速。

 ライダーにとって間合いなど意味はない。最速の脚を持つ以上、己が視界――それ全てが射程内に等しい。

「死ね」

 容赦なく振り下ろされる穂先もまた神速――だが。

「……お前、何者だ」

 振り下ろした先に敵影はなく。
 彼が一瞬で詰めた間合いを、アーチャーもまた瞬時に空けていた。

「さて、何者かな」

 飛来するは一息の内に放たれた二本の矢。空間に穴を穿つ勢いのそれを易々と弾き、ライダーは対面する英霊を睨み据えた。


 伝承に「最強」を謳われた英雄が()()()()()()――聖杯戦争では屡々起こり得る矛盾である。
 ではその際、両者の差を決定する要素とは何か?
 己の力を十全に発揮するための知名度か、マスターの魔力供給か。
 或いは、敵の属性。伝承に於いて己が天敵となる属性を持っているや否や。

 この戦闘に於いて相対するは、最速の伝説。

 知名度。これはライダーに軍配が上がる。
 魔力供給。充分な供給を受けるライダー、極めて高効率な魔力消費を行うアーチャー。どちらも不足ない。
 属性。例外的な一件を除き、アーチャーには逸話がある――「男に脚力で劣ったことはない」という逸話が。

 結果、両者の速度は……。


          #


「さて、どうしますか……」

 ”黒”のアーチャーは遠く行われる戦闘を見、考えを巡らせる。
 敵ライダーははっきり言って難敵である。赤が内紛を起こしている隙に射抜く、という案もないではないが……。
 仮にこの戦闘が演技で、自分が参戦した途端二対一に追い込まれる、という可能性は決して低くない、と彼は見ていた。唯一あのライダーを傷つけられる戦力として、過剰な警戒を敷かれた虞れもある。

「……事前の指示通り、穴を塞ぎますか」

 結局この戦いは静観するに務め、戦場で穴になりそうな場所を塞ぐことにする。
 穴――例えば、あの森林地帯などどうだろうと、アーチャーは眼を細めた。


          #


「”黒”のランサー、ヴラド三世とお見受けする」

「……ほぅ。貴様は”赤”のランサーか」

「そうだ」

 戦場の只中。向かい合った”黒”のランサー(ヴラド三世)”赤”のランサー(カルナ)の前、飛び込んでくる人影があった。
 堂々たる立ち姿――カルナへ向ける敵愾心。
 この大戦の端緒を苛烈に飾った一騎、ジークフリートである。

 無言で佇むその後姿に、ヴラド三世は微笑した。

「ほう……。因縁の相手という訳か、セイバー?」

 返答は小さな頷き。それを見て、益々笑みは濃くなった。

「良いぞ、良い、セイバー――我が寛恕を以て許可する。存分にこのランサーと殺し合うが良い」

 言って、ヴラドはその場を離脱する。
 そう、獲物は他にもいる。”赤”のランサーが抑えられている間に、他を支配するだけのこと。悠然と歩む彼の周囲に杭が立ち上り、竜牙兵は骨粉と帰した。


「再び(まみ)えたな、”黒”のセイバーよ」

 ランサーが言の端に喜びを滲ませ、語り掛けた。セイバーは黙して答えないが、しかしその身に宿した英雄としての喜悦は隠しようもない。

 それが判った以上、最早両者の間に会話は必要なく。
 渦巻く魔力が、互いの気迫が、目に見えぬ波動となって大地を鳴動させた。


 魔力放出の炎が必殺の意志を持ってランサーの躰を推進()す。

「……ッ!」

 構えた剣で巨槍を受け止め、セイバーは素早く反転攻勢に出る。が、軽くいなされ、鍔迫り合いに持ち込まれた。渾身の力をもってしても、押し切ることは叶わない。無理やり下へ弾き、激烈な打ち合いが始まった。

 僅か数秒の内、卓越した技量が何十合もの打ち合いを可能にする。
 両者の力量はほぼ均衡――否、僅かにランサーが勝るか。
 しかし互いに己を有利と考えることも、不利と認めることもない。ただ自らの全力を尽くすのみ――。

 だが、そんな事情を推し量れない者もいる。

『何をやっているセイバー! 押し切れないなら宝具を打たんか! 宝具を!』

 念話で喧しく騒ぐマスターを無視し、セイバーは剣を振るう。喋る余裕などない戦闘の最中であり、また喋ることを禁じられているが故の沈黙。宝具を使わないのは、偏にその時ではないと判断しているため。
 ただこの場は己の剣に頼り、隙を窺うしかないのだと――。


「何をやっているのだアイツは……!」

 ゴルドは今苛々の頂点にあった。髪を掻き毟り、せかせかと室内を歩き回る。

 ランサー同士の対決にしゃしゃり出たのは百歩譲って良しとしよう。最初の闘いで敵を仕留めきれなかったという汚名を返上する絶好の機会でもある。
 だというのに、それなのに、あのセイバーは……!
 劣勢に立たされてなお有効打を打てず、未だ宝具を使う素振りすら見せないとは、何を考えているのか? まさか――まさか。

 これが、ゴルドの致命的な錯誤であった。

 彼はこう考えたのである。セイバーが宝具の使用を拒むのは、それが最善だと判断したからではなく、ただ、()()()()()()鹿()()()()()()()()()()()()()()、と。
 だって彼にはセイバーが判らない。何も語っていない。何も理解していない。その思考に触れる程度の努力すら、彼は放棄したのだから……。

 普通、マスターがサーヴァントの戦闘に口を挟むことはない。何しろ相手は幾多の死線を潜り抜けてきた英霊だ。研究に血道を上げているだけの魔術師風情など、何の役にも立ちはしない。無論ゴルドとてそれを理解している。
 だが……、だが!
 サーヴァントが余りに愚かな振舞をするならば、それを正すのがマスターの役割ではないか?
 ここでまた自分が何の手も打たず、セイバーが撤退するようなことになれば、今度こそ他のマスターからの侮蔑は避けられまい。そんなことは――。

「セイバァァッ! 令呪を以て命じる! 宝具を使って敵ランサーを倒せェェッ!」


「……!?」

 己の意志と関係なく爆発する魔力に、セイバーは即座にそれを覚った。それはランサーも同様。
 青い宝玉に充ちて行く剣気は、最大限の警戒に値する。

「宝具を用いるか――良いだろう」

 淡々と備えるランサー。

 それで、セイバーも覚悟を決めた。
 令呪に逆らおうなどとは考えぬ。ただこの好敵手に、己の全力をぶつけるのみ――!

「――『幻想魔剣・天魔失墜(バルムンク)』ッ!!」

 黄昏の極光が戦場を俄かに輝かせる。

 迸る魔力の奔流。何もかもを塗りつぶすが如き一撃。その向こうに――。

「くっ……」

 しかし、大地を踏みしめ立つ男がいる。

 槍の連撃、そして身に纏った『日輪よ、具足となれ(カヴァーチャ&クンダーラ)』の防備により、傷一つない姿でランサーは立つ。

 必殺であるべき宝具を以てして、倒すこと能わず。

 そして宝具を開帳したということは、即ち――。

「聖剣バルムンク……、お前はニーベルンゲンの歌に謳われし竜殺しの勇者か」

 平坦な声でランサーが告げた。

 それ即ち、自らの真名が白日の下に晒されるということ。その致命的といえる弱点と共に……!


          #


「ほらほら、右翼もっと引っ張ってー! がんばれがんばれ!」

 右へ左へ飛び回り、ホムンクルスやゴーレムの指揮をとっていた”黒”のライダー(アストルフォ)は、愈々混戦の様相を呈してきた戦場を見、う~ん、と腕を組んだ。

「これもう、ボクの指示とか意味ないかもなぁ」

 数で勝る竜牙兵と、質で勝るゴーレム、ホムンクルス。真正面から激突した両軍は、ただ指示を正確に実行する装置だ。恐怖も躊躇もなく、己の命を勘定に入れず行動する。それ故に、争いは単純な力比べに帰結した。
 それだけであれば、両勢力は拮抗したかもしれない。
 しかしながら、現状優勢を確保しているのは黒の陣営。というのも――。

「ナァァ―――――――ゥッッッ!」

 竜牙兵が団子状になり、目の前を吹き飛んでいく。

「うひゃあ、凄いなあ」

 首を竦め、ライダーはぱちぱち、と素直な賞賛を送った。当然、本人――”黒”のバーサ―カーには届いていないのだが。

 雑兵狩り、戦列の蹂躙こそが、正にバーサ―カーの独擅場。さらに現在は魔力供給という枷が解かれているのだ。
 思うさま暴れ、思うさま戦槌(メイス)を振るう。
 文字通り一騎当千。彼女一人の働きにより、大勢は黒に傾きつつあった。

「さてさて、そうなると~っと」

 見上げる先は敵の本拠地。空飛ぶ要塞。手すきのサーヴァントで、最もあそこを攻めるに適しているのは、自分以外にいないのではないか。
 無い知恵を絞った思案の後、ライダーは決めた。

「よし、行くか!」

 召喚したヒポグリフに跨り、その首筋を叩く。頼れる相棒は一声啼いて、夜空に舞い上がった。


 要塞より差し向けられた竜翼兵を、宝具『恐慌呼び起こせし魔笛(ラ・ブラック・ルナ)』で蹴散らし、ライダーはますます勢いに乗っていた。

「やったっ、このまま行くぞーっ!」

「来るのは結構だが、その前にひとつ試させてもらおう」

 ”赤”のアサシンが呟き、指を鳴らす。瞬間、ライダーの眼前に魔方陣が現出する。その深紫の輝きは、装填済みの大砲を思わせた。

「えーっと……」

「ああ、上にも下にもあるぞ。気をつけろよ」

 言われるがまま視線を走らせ、ライダーは唖然とした。
 上に四。下に四。
 膨大な魔力を湛えた魔方陣は計八つ。後はただ、アサシンの発射命令を待つだけ。

「――失墜(おち)ろ」

 爆音を響かせ、光柱が身を貫こうとする。躱す術など――。

(でもアレ魔力消費がなぁ……あ、でもそういえば魔力供給は気にしないでいいって……)

「行けっ『この世ならざる幻馬(ヒポグリフ)』!!」

 瞬間、ライダーの姿が消えた。

「……何?」

 アサシンはすぐさま周囲の空に視線を送る。

「ふー、あぶなかった……」

 ライダーは僅かに離れた場所で、暢気に汗など拭っていた。

(高速移動? 転移? いや、あれは……)

 目まぐるしく思考する前で、ニッと笑みを浮かべたライダーが、再び突撃の姿勢をとった。
 応じるほかなく、魔方陣を再展開する。今度の数は十。

「――失墜ろ」

 耳を劈く射出音――しかし。

「ちょっとー! アサシンなのにそれってズルくない?」

 ライダーは無傷だった。

 これこそヒポグリフの真髄――次元跳躍。一次的な異次元への退避である。発動している間はあらゆる観測、攻撃から逃れ、その後再度こちらの世界へ帰還することができる能力だ。

「……ならば」

 その仕組みまでは理解できなかったものの、アサシンは単純な結論に至った。

「よ~し、今度こそとつげ……」

 手綱を執った眼前。次々と展開されていく魔方陣に、ライダーは閉口した。
 その数は最早十や二十では利かない。隙間なく、何重にも重なった魔方陣は、もはやそれだけで一個の要塞といった趣があった。

 出鱈目にもほどがある、とライダーは溜息を吐いた。

 次元跳躍する相手を――数の力で圧倒する、なんて。

「こんなのゴリ押しだぁ~!」

「すまぬな。まあ、また挑むが良い」

 号令と共に、目も眩むような密度の光がライダーを直撃する。

「あ、あああああああああああああああああっ!!」

 絶叫を残し、ライダーは失墜した。


          #


 激音が戦場に谺する。
 アーチャーが神速で移動し連射する矢を、これもまた神速で駈けるライダーが槍で弾き飛ばす。
 この戦場で最速を誇る二者が覇を競い――もはや余人にその動きは捉えられない。

 ライダーが最後の一矢を弾いた瞬間、眼前からアーチャーの姿が消える。
 即座に槍を背後に回し、突撃――。
 放った矢を躰で受け止め向かってくる相手に、僅かな驚愕を浮かべた後、彼女は後退を選択。
 喉笛を狙った刺突は、またも間一髪で躱された。

 両者の合間には竜牙兵もゴーレムもいない。近寄った瞬間磨り潰される領域に、誰が自ら近づくだろう?
 故に何者の介入もなく、両者はただ睨み合う。

「クソッ」

 ライダーは苛立ちを抑えきれず悪態を吐いた。
 互いの速度は拮抗している。つまり、己が距離を詰めた分だけ、相手は距離を離せるということ。必然的に、間合いの違いが戦力の差に直結する。
 自分は槍、敵は弓。
 常に一定の間合いが保たれる以上、間合いが狭く、一方的に攻撃をされるこちらが圧倒的に不利。
 彼は決断を迫られていた。

 しかし焦っているのはアーチャーも同様だった。

(この男……私の矢が通じないのか?)

 耐久値がずば抜けて高いのか――否。限界まで引き絞り、Aランクを優に超える一撃ですら、この敵は無傷に受けてみせたのだ。何か特殊な条件の防御を備えていると見るべきか。
 膠着は彼女の望むところではない。だが、攻撃が通じず、攻め切れないのならばこちらが不利。ライダーがまだ戦車以外の宝具を隠し持っていないとも限らないのだ。

「……しゃーねぇな」

 ぽつりとライダーが漏らした呟きに、アーチャーは怪訝な表情を浮かべる。

「俺とここまで張り合える相手がいるとはな――。姐さん、アンタの脚、大したもんだぜ」

 返事はせず、無言で彼の動きを観察する。
 何だ――何が狙いだ?
 ライダーは視線を涼しく受け流し、軽く肩を竦めた。

「その能力に敬意を表して見せてやろう――俺の全速を」

 そして――。

 この場の最速が決した。

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相対②

 戦力の穴を埋めるべく森に踏み入った”黒”のアーチャーは、静かに歩む修道服の男を監視していた。

『神父――ですか?』

『ええ』

 マスターに念話を送り、ケイローンは監視を続ける。
 褐色の肌、褪せた白髪、すぐ傍で酸鼻極まる殺し合いが行われているとは思えないほどの、悠然とした足取り。

『監督役がわざわざ出向いてきた、と……? 貴方はどう思います、アーチャー?』

 フィオレが困惑を滲ませた口調で訊ねた。

『さて、どうでしょうか……』

 少なくとも、彼が監督役の神父――シロウ・コトミネであることは、まず間違いない。ただ、これまでに得られた情報から考えるに、監督役は”赤”の陣営に加わっている可能性が高い、とケイローンは推測していた。周辺の竜牙兵が一向に襲いかかる素振りを見せないことから、どうやらそれも正しいらしい。
 だが、監督役が敵方であることなど、些細な問題である。そんなことよりも、はるかに彼の胸をざわめかせる違和感があった。

『あの存在は、少々怪訝(おか)しい』

 サーヴァント――ではない。それほどの魔力を有している訳ではない。ならば魔術師かというと、それもまた違う。それよりは逸脱している。無論、聖堂協会の構成員など、多かれ少なかれ()()()()()ものだが……。
 そうではない。あの男は、違う。
 アーチャーの神羅万象を見通す眼が、対象を解析する。
 その存在……。それが成立するとするならば……?
 精良な頭脳がひとつの結論を導き出す。

『そうか……しかし……』

 しかし、そんなことがあるだろうか。

『アーチャー? 何か判ったのですか?』

『まだ確定した訳ではありません。ひとつのことを除いては……』

『ひとつ?』

『ええ。不確定要素は排除するべき、ということです』

 二条連なった矢が、森の空気を切り裂いた。
 脚を狙って尋問しようなどという油断は、アーチャーにはない。ひとつは心臓へ、もうひとつは頭へ。仕留めることだけを目的にした二矢。

 夜の森。音もなく放たれた、不可視の矢。並の魔術師どころか、低級のサーヴァントすら屠るに足る射撃。それを――。
 神父は避けた。
 頭への一撃を躱し、心臓への一撃を、手にする刀で叩き落とした。

(見切られた、というよりは……)

 ケイローンは僅かな驚きと納得を以て、次の矢を番える。
 問題はない。仮に心眼で読まれても、対処できないだけの矢を放てばいい話。


「アーチャーですか……、これは分が悪い」

 シロウは周囲を警戒しながら呟いた。近接戦を挑んでくるサーヴァントであれば、時間稼ぎくらいはできたものを、アーチャーでは一方的に射かけられるだけだ。加えて環境も悪い。森で弓兵と闘うなど、自殺行為である。

「折角の刀も、これでは使えませんね。残念ながら……」

 肩を竦めた彼の背後に、一騎の英霊が姿を現した。巡らせる魔力は薄く、その立ち位置はマスターを盾にしているようであった。実際そうなのだが。

「全くですな! 吾輩も、マスターの戦いぶりを傍観するのを、楽しみにしていたのですが」

 大仰な仕草で”赤”のキャスターは嘆息した。

「いえ……」不意にシロウは中空を睨んだ。「仮に他のサーヴァントであっても、活躍の機会はなかったかもしれませんね」

「と、言いますと?」

「『彼女』が来ます。啓示を受けているのでしょうね、この早さは」

「ほほう! では戦場の只中で相対しますかな?」

「しませんよ」シロウは苦笑を口元に浮かべた。「撤退です。どうやら戦場でもこちらの陣営が劣勢の様子。加えて彼女が来るとなると……、第一案の実行は難しいかもしれません」

「左様ですか。しかし吾輩といたしましては、そうなった方が面白い! ですがね」

 両腕を拡げ、にやりと笑うキャスターを無視して、シロウは後退を始める。人間としては有り得ない速度でもって、夜の闇を駆けていく。

「姿が見えない以上、真名も判りませんが。……キャスター、劇団を」

「ふむ、余り面白くないので、こんな使い方をしたくはありませんが……。已むを得ませんな、ここで死んでは物語にもなりますまい」

 顎髭を弄り、キャスターは朗々と叫んだ。

「では此処に幻惑を!『人間の一生は彷徨い歩く影法師、(Life's but a walking shadow, )哀れな役者に過ぎぬ。(a poor player.)己の出番のときは、(That struts and frets )舞台の上でふんぞり返って喚くだけ!(his hour upon the stage.)』」


 声と共に、遠く睨んでいた”黒”のアーチャーの瞳は、奇蹟の現出を捉えていた。
 森の最中に忽然と現れたのは、何人もの神父――全て同じ風貌の男、シロウ・コトミネ達である。それらがてんでばらばらの方向へと走り去っていく。身代わり、ということだ。

「これはまた古典的な……」

 しかし効果的ではあった。
 彼らの出来は本物と何ら遜色なく、アーチャーの眼をして、即座には見分けがつかない。それだけの精度で造られていた。

「まあ、仕方ないですね」

 目についた神父数人の背中を射抜き――当然全て偽物であった――アーチャーは撤退を選択した。


          #


 ”赤”のアーチャーは己の不利を確信した。このまま戦闘を続ければ、死ぬのは確実に自分である。

「ハァッ!」

 ”赤”のライダーの槍が、頬を僅かに切り裂いていく。休まず繰り出される刺突と斬撃を躱す余力はもうない。
 何故なら――、相手の速度が、自分を上回ったからだ。

 アーチャーに、自らの脚への自負がなかったといえば嘘になる。彼女の脚は文字通り世界最速。並ぶ者はあれ、超える者などあるはずがない。そんな慢心も、心のどこかに潜んでいたかもしれない。
 だが実際はどうだ。
 この男、明らかに己を超えている。
 予備動作の必要上、回避に専念した彼女に攻撃の手立てはない。そもそも防戦に徹したところで、槍の連撃を防ぎきれるものではない。眼は追い付いても、腕は追い付かない。ライダーもそれに気付いているのか、苛烈な槍の向こうの貌は、どこか笑って見えた。

「名残惜しいなァ……、俺と速さで張り合える敵を倒すのは」

「張り合う? 汝の方が速いだろう」

 意外そうに眉を吊り上げた後、ライダーは表情を喜色に染めた。

「潔いな、益々好きになったぞ」

「そうか」

 一撃。威力を殺しきれず、アーチャーの躰が傾いた。
 容赦はなく、喜悦と一抹の淋しさを含んだ槍が、彼女に迫り――、

「だが、()()()()()()()()()()()

「……ッ!?」

 驚愕に眼を見開き、ライダーは咄嗟に槍を引く。

 密かに番えられた矢は、音速を超え、ただ一点を射抜く――誰もが知る、ある英雄の弱点を。


 ”赤”のアーチャーは最速の英霊である。
 マスターが未熟であろうと、敵地の中であろうと、それは揺るがない。能力ではなく、性質として「世界最速」を与えられた以上、彼女に並び立つのは、同じ伝説を持つ英霊のみ。それでも、上回ることなどありはしない。
 しかし――もし、彼女をすら超える者がいるならば?
「世界最速」を超える伝説とは?
 それは、

 あらゆる時代の、あらゆる英雄の中で、最も迅い者。

 それしかない。

 そんな英雄は数えるほどしかいない。加えて、あの三頭立ての馬車……。もはや考えるまでもない。
 該当する英霊はただ一人。
 恐らく世界で最も知られた存在。その不死性、その弱点を誰よりも謳われた、ギリシャ神話に燦然と輝く大英雄。


「――馬脚を露したな、アキレウス」

 アーチャーの狙いは完璧だった。倒された振りをし、ほんの僅か生まれた虚を衝いて放たれた一撃。踵へ向かうそれは、速度も威力も申し分なかった。
 だが――。
 ひとつ彼女の慮外であったのは、それすらを打ち砕くのが、大英雄たる所以だということか。

「ふーむ……、どうやって我が真名に至った?」

「…………」

 アーチャーは絶句し、眼前の敵を見る。
 戦闘を支配下に置き、全てを思惑通りに進めて放った一射を、この敵は軽々弾いてみせた。
 なるほど――これが大英雄。

「まあ、真名を知られようが何だって構わねぇさ。その程度で優位に立ったと思わぬことだ」


          #


 ”赤”のアサシンに撃墜された”黒”のライダー(アストルフォ)は、その衝撃から立ち直る間もなく、更なる危地に陥っていた。

(まったくどうなってるんだ! 物量ゴリ押しで墜ちた先、今度はセイバーとかち合うなんて!)

 ”赤”のセイバー(モードレッド)の凶剣をどうにかいなし、ライダーは後退を続ける。
 両者の戦闘は全く一方的であった。英霊としての格、戦闘力、何もかもに歴然とした差がある。ライダーにとっては「どれだけ持ち堪えられるか」、セイバーにとっては「どれだけ早く殺せるか」の勝負に過ぎなかった。

「クソ、さっさと死ねよ!」

「いやいやそう言わずに、ね?」

 とはいえ、ライダーにも勝機がない訳ではない。彼が手にする宝具――『触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)』を当てさえすれば、如何に最優のサーヴァントとて倒し得るだろう。しかし相手はそのことを知っているのか、こちらの槍をあからさまに警戒した立ち回りである。だからこそ攻撃が所々緩み、ライダーの霊格でこの猛攻を凌げているといえるが……裏を返せば、唯一の勝機すら握りつぶされているということだ。
 よってこの勝負、ライダーには万に一つの勝ち目もなく、ただ死の時が刻一刻と近づくのを待つだけであった。

 程なくして、その時はやって来た。
 槍を跳ね上げ、がら空きになった腹部を一閃――セイバーの斬撃はライダーの脇腹を貫いた。
 致命傷ではないが、傷を回復する暇などなく、地に倒れ伏したライダーはただ断頭を控えた身である。

「ったく、てこずらせやがって……」

 剣を掲げたセイバーが、ライダーの首を刎ねようとした――その間際。

 ――跳べ!

「『極刑王(カズィクル・ベイ)』」

「……!」

 一瞬の直感に従って跳躍したセイバーの足許に、杭が衝き上がった。


(杭……?)

『おい、セイ――』

 遠くから監視していた獅子劫が怪訝に思った瞬間、飛ばしていた梟の眼球の視界が消えた。

「なっ……」

 それほど機敏な動きをできないとはいえ、彼の見る限り、”眼”に向けられた攻撃はなかった。捉えられぬほど高速の攻撃か、或いは……。
 ギリリと奥歯を噛みしめ、獅子劫は念話で叫ぶ。

『セイバー!? 無事か!?』


「クッ……なろっ……」

 躱し、吹き飛ばし、どれほど動き回ろうと、逃げ道はなかった。
 大地から次々と召喚される杭の数は、百や二百では利かない。逃げれば逃げるほど杭は増え、退路は断たれていく。そしてセイバーの直感が訴えるには――杭に触れた瞬間、己の敗北が決定する。先ほどからマスターが煩いが、応えている暇などない。

「何本出せば気が済むんだ、クソがッ!」

「無論、蛮族を殺し尽くすまでだとも、異邦の騎士よ」

 ”黒”のランサー(ヴラド三世)は悠然と答え、更に杭を射出する。魔力放出で宙へ飛び上がったセイバーは、再び地上へ降りることを余儀なくされた。

「おぉーすごーい」

 先ほどの自分を凌ぐほどの一方的な戦いに、ライダーが口をぽかんと開けていると、

「――ライダー」

「……はーい」

 ランサーに睨まれ、彼は首を竦めた。


 着地点に杭が生まれ、セイバーは咄嗟に大剣(クラレント)を地面に投擲した。反動で身を捻り、着地場所を変更。しかし。

「よしきた!『触れれば(トラップ・オブ)――」

 地上に馬上槍(ランス)を構えたライダーを認め、セイバーは更に強引に躰を反転させる。
 やや体勢を崩しつつも着地に成功。突き刺さった大剣を引き抜き、再び後方への退避を――。

 さくり。

 杭が、セイバーの腕を掠った。

 ほんの僅か……。
 一瞬の内に傷は塞がれ……。
 しかし、その事実は覆らない。
 決して。

「よく躱したな。だが……、終わりだ。セイバーよ」

 そして――、モードレッドは敗北を覚った。
 覚って尚、受け容れはしない。

『セイバー! 返事がないなら令呪で撤退を――!』

『駄目だ』セイバーは喧しく叫ぶマスターを撥ね退ける。『宝具だ、マスター』

『……判った』


 獅子劫はあらゆる思考を捨て去り、その言葉に従う。

「令呪を以て告げる、宝具を解放しろ、セイバー」

 赤い発光と、鮮烈な痛み……。
 小さなつながりが、獅子劫の手から消えていく。


 セイバーの体内に魔力が充ちてゆく。
 その災害のような魔力を以て、彼女の宝具は戦場を蹂躙するだろう――ランサー、ライダー共にそれを確信した。

「だが、遅かったな」

「……ッ」

 モードレッドの躰に杭が生えた。
 杭は心臓を貫き、あらゆる痛みと喪失感を齎す。
 彼女はそれを見下ろし、霊核が砕かれたことを知覚する。
 口から血が溢れ、魔力が、この世に留まる為の全てが漏れだしていく。

 嗚呼――オレは、敗けたのか。
 また……。
 胸を貫かれて……。

 敗北に恐怖はない。聖杯を獲れなかった口惜(くや)しさもない。だから……。

 否、違う。
 消える寸前に燃え盛る炎。一瞬の閃きを遺し死ぬ稲妻。
 彼女の内を焦がすように、何かの感情が通り抜けた。

 何を感傷に浸っている……?
 まだだ。まだオレは死んでいない――!


我が麗しき(クラレント)……」

 徐々に光の粒へ変わっていく姿。虚ろな瞳を懐いて地に崩れた躰から、ゆっくりと持ち上がるセイバーの腕に、ランサーとライダーは気付かなかった。
 当然だ。
 ()()()()()()()()を、誰が顧みるものか。

 その赤雷を見た時にはもう遅い。

 一歩でも離れようと駆けるライダー。
 杭を大量に並べ立てるランサー。

父への叛逆(ブラッドアーサー)

 力無き声と共に放たれた極光が、全てを押し流す。


 跡には。

「……これで……終わり、かぁ……」

 精いっぱい強がりの笑みを浮かべるアストルフォの躰が消えていき。

「そなたの叛逆、見せてもらった」

 右腕を失いながら、ヴラド三世が屹然と、抉られた大地を見下ろしていた。


          #


 モードレッド(サーヴァント)の消失を確認し、獅子劫(マスター)は戦場から離脱する。
 あちこちが傷んだ車を走らせ、荒野を去っていく。

 窓から出した手の先には、いつもの煙草が。

 煙が空へ立ち昇り、拡散して、消えた。



シェイクスピアのルビは勘弁して


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剛槍、雨を断つか

(ま――拙い拙い拙い!)

 ”赤”のアーチャーが”赤”のライダー相手に苦戦している間、アルはまた別の意味で危機を感じていた。

 アルの視界に、戦場は二つの波がぶつかり合っているように見える。ミレニア城塞側から発する波と、その逆の波。即ち、”黒”と”赤”の勢力争い。所々に生じる渦巻きのような空白は、サーヴァントが戦っている場であろう。どちらの陣営の、何のクラスかまでは判らないが……。
 以前怒られた双眼鏡は持っておらず、肉眼で戦場を眺めているだけなので、詳しく何が起きているかまでは判らない。が、大局を見る分には特に支障なかった。

 「波」の勢いは、明らかに”黒”の陣営が圧している。
 恐らく原因は、旗頭を担う英霊がいるかどうかの違い。”黒”の波は先頭にサーヴァントを擁しており、まず彼(彼女)が敵軍を攪乱、こじ開けた穴に雑兵を殺到させることで、優位を保っている。対する”赤”の陣営の波は、数こそ多かったものの、対抗するサーヴァントがいないのか、やられるがままになっている。
 つまりこの戦争、現時点では黒の優勢。

 そして実際、このアルの観測は、大きく間違っていなかった。
 黒のホムンクルスたちは、先頭に立つバーサ―カーに続いて突撃し、竜牙兵を壊滅状態に追いやっていた。またサーヴァントにしても、”赤”のセイバーと”黒”のライダーが相打ちで消滅。数の上では双方一騎ずつ喪ったかたちだが、黒からすれば、セイバーという難敵の撃破は、ライダー一騎で充分おつりが来る。
 少なくともこの戦場は、”黒”の勝利と呼んで差し支えない。これは”赤”の陣営の認識も同じだった。

 ――と、それだけならば何ら問題ない。
 アルたちにとって問題なのは、この時点でアーチャーが敵――”赤”のサーヴァントを仕留めていないことである。

 事前の取り決めでは、アーチャーが敵を一騎でも倒した場合、速やかに戦場から離脱するとしていた。さっさと退避し、安全を確保したうえで黒に取り入る計画である。
 しかし一向に彼女はアルの許に戻ってこない。倒しきれないのならば、それはそれで、すぐにでも撤退しなければならないが、それさえできない状況下にある、ということか。

 このまま赤との戦闘が長引いた場合、最も窮地に立たされるのは自分たちである。
 他の部分に戦力を割いていた”黒”も、これほどの優勢に立てば、いよいよアーチャーの戦闘に介入してくるだろう。敵が仲間割れを起こしているのだ。これ程の好機はあるまい。まとめて始末する、という方向に動くはず。
 それでも”赤”のサーヴァントは良い。あの空飛ぶ要塞に逃げかえれば、黒も早々手は出せまい。だが、自分たちは?

(いざとなれば令呪で退去させるとして――とにかくアーチャーに伝えないと! でも……)

 連絡手段がない。
 まさか電話をかける訳にも、ここから叫ぶ訳にもいかない。
 たかが話すことさえできないとは、マスターとしてここにいる意味すらないではないか。
 刻一刻と戦況は黒に傾いている。苦戦しているのなら、アーチャーには戦場を概観する余裕などないかもしれない。早く伝えなくては、伝えなくてはならないのに――!

 いや。

 待て……。

 頭痛がした。

 ()()()()()()()()()()()

 脳が攪拌され、爆発するような痛み。
 何だ、これは……?

 ()()()()()()()()()()

 それは確信。全てを思い出したなら、自分は……。
 でも、まだ大丈夫。まだ……。


          #


『アーチャー! 黒が勝ちかけてる! 令呪使ってでも逃げないと!』

 不意に脳裡で響いた声に、しかしアーチャーはすぐさま事態を呑み込んだ。顔はまだアキレウスを睨みつけ、敵に覚られないよう返答する。

『マスター、念話が使えるようになったのか』

『念話? いやそんなことより――』

『判っている。だが、令呪は使うな』

『じゃあどうやって……』

『その代わり宝具の使用許可を貰いたい。それも二回分』

『判ったから打って良いから! 相談とかなしでいいから早く逃げて――!』

「……少しは悩まんか、愚か者」

 念話を切って、アーチャーは密かに鼻を鳴らした。

 彼女に未練はない。アキレウスは真っ向勝負で倒せない、という事実を淡々と受け止め、だが「真名・アキレウス」は手土産には充分である、という計算を行い、勝つための手段を捜すことは止めない。
 不死身の英雄、アキレウス。彼を打倒し得る策などあるのか?
 たったひとつ、彼女には、小さな予感があった。

「ライダー、今宵はここまでのようだ」

 言うと、アキレウスはぽかん、と口を開けた。

「あぁ!? おいおい、そりゃないぜ姐さん! ここまで来たら決着付けるのが筋だろう!」

 子供っぽく喚く彼を見、アーチャーは苦笑する。

(なる程――どこか既視感があると思ったが……。確かに彼奴の面影があるな、この孺子(こぞう)

「それに――そうだ、俺から逃げられると思ってるのか?」

「やりようはある」

「へぇ……それはそれは」

 アキレウスは知らず笑みを浮かべ、脚に力を籠めた。
 アーチャーの一挙手一投足を注視する。
 さあ、彼女はどうやって逃げるつもりだ? 走るか? 障害物でも召喚するか? それとも姑息に令呪で転移するか? 必ずや自分はそれに追い付き、屠ってみせよう。
 その時、如何にも無粋な念話が飛び込んできた。

『カルナさん、アキレウスさん、撤退して下さい』

 シロウの念話に対し、即座にカルナが『了解した』と返答する。

『アキレウスさん? 撤退を――』

 まったく忌々しい。奥歯を噛んで、アキレウスは念話を黙殺する。この思わぬ好敵手との決着に水を差すとは……。


 両者は睨み合い、周囲の空気は痛いほど張りつめる。
 戦場の音は遠退き、細く長い風が間を吹き抜けていく。

 ――刹那。

 アーチャーの姿が掻き消え、真空を作った。
 アキレウスの眼は彼女の姿を精確に捉え、即座に肉薄する。
 矢を番えるアーチャーに、無駄だ、と叫ぶ。お前に俺は傷付けられぬ、と。
 しかしアーチャーは弓をこちらへ向けず、そのまま天空へと構えた。

(――?)

 瞬間の逡巡。

「我が弓と矢を以て加護を願い奉る」

 アーチャーが番えしは二筋の矢。狙いは遠く、空へ、雲海へ、天上へ――。
 範囲指定・極狭域。二発分の魔力をこの一撃に込める。

 三発分だったらマスターは死んでいたな、と、雑音(ノイズ)のような思考が掠めた。

「ここに災厄を捧がん――『訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)』!」

 天と地を結ぶ一射。その美しさに目を魅かれ――。
 そしてアキレウスは、頭上に降り注ぐ光の雨を見た。



 それは油断ではなく、況して慢心でもなかった。

 降り注ぐ雨――超高密度の光の矢を見た瞬間、アキレウスは納得した。確かにこれなら取り逃がすかもしれない――と。この攻撃に逃げ場はなく、この場に立って防御に専念するしかない。視界も塞がれるだろう。

(”盾”を出すか……?)

 一瞬、思案する。
 が、それは即座に破棄。ただでさえ魔力喰いの自分が二つも三つも宝具を発動しては、これまで何の連絡も寄越さなかったマスターも、いい加減耐えかねるだろう。
 それに――盾など出さなくとも、この攻撃は通じない。
 彼女の矢は己の肉体を傷つけること能わず、その条件を満たしていないのだ。であれば、防ぐのは踵のみ。
 豪雨の中、槍一振りで雨を断ち切った英雄などいないだろう。だが、踵だけならばどうにでもなる。自分はただこの場所で、弱点を守り抜けば良い。

 決して油断ではなく、況して慢心でもない。これまでの戦闘から得られた合理的判断、最適解――のはずだった。

 故に――故にこそ、宝具は一撃必殺。
 アーチャーが予感した、アキレウスを打倒し得る最初で最後の機会。


「……ッ!?」

 弾き洩らした一矢が肩に突き刺さった時、アキレウスは己の失策を覚った。
 矢は肩に深々と突き刺さり、赤い血を流している。この矢は――己の躰を傷つける!
 はっと見上げれば、もう空は見えない。
 光の雨が――尽きる事のない豪雨が頭上を覆い、その全てが……。


 アキレウス――誰もが知る不死身の英雄。
 彼を傷付けるには、たった二つの方法しかない。
 ひとつは弱点――踵を傷つけること。弱点たるそこを損なえば、不死の肉体『勇者の不凋花(アンドレアス・アマラントス)』は消失する。
 もうひとつは、攻撃手がアキレウスを上回る神性を持つか、或いは神造兵器を用いること。これだけである。
 当然、”赤”のアーチャーは彼の踵を傷つけられず、また神性などなく、神造兵器を持ってもいない。

 だが――”攻撃手”は違う。

 アーチャーが(そら)へ放った矢は、攻撃ではない。
 それは矢文。加護を求める訴状に過ぎぬ。
 文の宛先は天上に住まう、彼女の信仰――「月女神(アルテミス)」「太陽神(アポロン)」の二柱。
 ()()()()()()()()()()()()()

 切なる歎願を聞き入れ、荒ぶる神は加護を与える。

 『訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)』――それは災厄(加護)

 神が与えし、光の雨である。


 アキレウスはただ、ただ、槍を振るい、降り注ぐ矢を弾く。
 防ぐべきは頭と心臓――霊核が宿る場所。それ以外は全て放棄。踵すら守るに値しない。
 雨は最初の激しさを保ったまま、今もこの地に禍を齎す。
 豪雨の中、槍一振りで雨を断ち切った英雄などいないだろう……?
 ハ、と笑い飛ばす。
 それがどうした、と。
 誰も為したことがないならば、己が最初に為すだけのこと。
 それこそが大英雄の証明(あかし)。不可能を可能にするなど、彼にとっては日常茶飯事。それがアキレウスの伝説。栄光の記録。
 矢は腕に、脚に、胴体に突き刺さる。肉を抉り、骨を削り、血を流し、躰を引き裂く。
 しかしてなお――槍の閃きは寸毫も鈍ることなく。
 英雄は咆哮する。

「オ――オオオオオオオオオオ!」


          #


 破壊の限りを尽くされた地に、男が孤り立っている。
 何もかもが灰燼に帰した大地に、槍を構えるその雄姿。
 身体中を矢で貫かれ、しかし笑みを浮かべるその顔には、ひとつの矢もなく。
 胸に僅か一本の矢が突き刺さるほか、急所へ注ぐ雨すべてを防ぎきってみせた。

 それは正しく大英雄の偉業。誰も為し得ぬ絶技。

「油断したか……? いや……」

 倒れるような無様は晒さない。槍にも倚らず、最後まで二本の脚で大地に立ち続ける。

「ああ、なんだ、そうか……」

 今更になって、ようやくアーチャーの真名に思い至った。
 霊核を貫かれ、躰が粒子に変わりゆくなか、アキレウスは思い出す。

 いつだったか、父が話していた――彼女のことを。
 その美しさを、猛々しさを、誇り高き姿を。
 まさか出逢い、果たし合うことまでできるなんて、何という幸運か!
 ただそれだけを以て、彼は此度の召喚に満足した。

 それにしても、親子二代に亙って敗北を喫するとはな……。



全10万字予定なので、そろそろ折り返さないといけないが…


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戦後交渉

 アキレウス消滅の報は、”赤”の面々が集う玉座の間を、静かな驚きで充たした。
 本当か? という皆からの無言の問いに、霊器盤を覗きこんだシロウが、肩を竦めてみせる。
 信じられぬ話でありながら、慌てる者はいない。ランサーは普段通りの無表情で、キャスターは芝居がかった仕草で驚いて見せ、アサシンに至っては愉し気な笑みを浮かべていた。
 とはいえ彼女も気になるのか、含み笑いの後、シロウに目をやった。

「それで、あれ程の英雄が、いったい誰に倒されたというのだ?」

「姿は見えませんでした。つまり、我々の目につかないところで戦闘が起きていたということです。そうなると敵は、姿を現さなかったサーヴァント――”黒”のアサシン、あるいは”赤”のアーチャーになるでしょう」

「普通に考えれば”黒”のアサシンに不意打ちを喰らった、というところじゃが……」

 アーチャーか、と呟いて、アサシンは眉を顰めた。

「その他には”赤”のセイバー、”黒”のライダーの消滅が確認されています」

 残り”赤”は五騎、”黒”は六騎となるが、バーサ―カーが敵に捕らえられたこと、更にはアーチャーが敵対している可能性も含めると、数的戦力差は絶望といえるだろう。質的にもセイバー、ライダーが抜けた穴は大き過ぎる。純粋な戦闘力を期待できるサーヴァントは、もうランサーしか残っていない。
 しかしそれらの不利にも拘わらず、シロウは余裕ある笑みを浮かべていた。

「ではマスター、これらの悪条件下で何か作戦があるか?」

 アサシンの意地の悪い目線を、柳に風と受け流し、シロウは口を開いた。

「当初予定していた持ち去りの案は破棄せざるを得ません。流石にこの戦力差で、敵の攻撃を防ぎきるのは無理があります」

「ならば撤退するか?」

「いえ……。ここで撤退しては、ミレニア城塞を陥とすことが益々難しくなる」シロウはゆっくり首を振る。「已むを得ません、第二案を実行します。貴女の要塞を使うことになりますが……お願いできますか?」

 頭を下げたシロウに、アサシンは居心地の悪そうな表情になった。

「む……、マスター、あれは本気で言っておったのか?」

「勿論です。持ち去れないのならば、採る手はひとつしかありません」

「…………」

「どうでしょうか。貴女が嫌だと言うなら、強制はしません。令呪も使いませんが……」

 暫しの沈黙の後、はぁっと息を吐いて、アサシンはひらひら手を振った。

「これでは我が駄々を捏ねる稚児のようではないか。良い良い。好きにしろ」

「ありがとうございます」

 にこりと笑って、シロウは一同を見廻した。

「では皆さん、備えて下さい。すこし揺れますよ」


          #


 ミレニア城塞は勝利に湧いていた。

 無論、完璧な勝利とは言い難い。ライダーは消滅し、ランサーは右腕を失った。ホムンクルスの魔力を用いても、完全回復には数日かかる見込み。セイバーは真名をその弱点と共に暴かれ、敵ランサーが撤退しなければ圧し負けていたかもしれない。
 とはいえ――、”黒”の有利を確たるものにする、最善に近い勝利であったことに違いはない。気の早いマスターは前祝いと称し、杯を傾け出す始末である。

 そんな浮かれた空気を抜け出して、フィオレは城壁に立つサーヴァントの許へ向かっていた。

「休まないのですか、アーチャー?」

「ええ。私はもう少し、監視を続けます」

 目線の先にあるのは、遠く浮遊する、”赤”の要塞である。勝敗が決したというのに、未だ撤退しようとしない様子に、アーチャーは注意を向けていた。あるいは、こうして姿を見せることで、圧力を与え続けることが目的かもしれない。
 フィオレは同じ空へ視線を向け、恐る恐る口を開く。

「”赤”のライダーは――」

「倒されたようですね」

「…………」

 アーチャーとライダーの関係を知らされていただけに、彼女は何を言えばよいのか、そもそも自分が何か言っていい問題なのかと迷う。
 そんな様子を見、アーチャーはふっと微笑んだ。

「大丈夫ですよ、マスター」穏やかな声で、アーチャーは続ける。「思わぬ出逢いと、また唐突な離別――よくあることです。……尤も、彼は気付いていなかったでしょうが」

「そう、ですね……」

 フィオレは目を伏せる。
 アーチャーの心境など想像するべくもないが、たったひとつ、彼女にも共有できそうな感情があった。
 出逢いと別れ……。
 いや……、やっぱりやめておこう。
 軽く首を振り、夜空を見上げる。雲に薄く覆われた月が浮かんでいた。

「さあ、部屋に入って休んでください。またいつ敵が攻めてくるとも判らないのですから」

「ええ、おやすみなさい、アーチャー」

「おやすみなさい。良い夢を」


          #


「はぁ? 何と言った?」

「お客様がお見えです」

「客だぁ~?」

 酒をごくりと呑み、ゴルドは口を拭った。

 少なくとも彼の中では、”黒”の勝利は決定していた。それだというのに、何故味方であるダーニックから叱責を受けねばならないのか、まるで納得がいっていない。
 確かにセイバーの真名は露呈したけれど、その状態で”赤”のランサーと同等に立ち合えたのだから、つまりセイバーの方が上手ではないか――というのが、彼の都合の良い解釈である。第一、自分が宝具を使わせなければ、ランサーの足止めも叶わなかったのではないか? 賞賛されこそすれ、痛罵される謂われなどないはずである。ダーニックという男、ユグドミレニアの長という立場でありながら、案外器は小さいらしい。
 とにかくそういった訳で、ゴルドは酒を呑むことにした。名目は祝杯、実際はヤケ酒である。

 酒瓶片手に廊下をのし歩き、現在いるのは城塞の玄関である。そこへホムンクルスが客の来訪を知らせてきた。これはゴルドが最初に目に入ったマスターだったからであって、そうでなければ、最高責任者であるダーニックへ伝えていただろう。

 ゴルドは唾を吐き、やや呂律の回らない口調で言った。

「まあ良い。私が出る。玄関だな?」

 左様です、と頷いて、ホムンクルスが歩き去って行く。
 すると不意に、ゴルドの脳内に声が届いた。

『危険ではないか、マスター』

『あぁ!?』

『客の正体が不明だ。罠かもしれない』

『……だったらお前が出れば良いだろうが』

 まさかその可能性を考えていなかったとは言えず、ゴルドは吐き捨てるように言う。

「了解した」言葉通り、セイバーが姿を現す。「では行ってこよう。ここで待っていてくれ」

 その慇懃な態度が鼻につき、ゴルドはまた酒を呷った。


 二口三口酒を含んでいると、すぐにセイバーから念話が送られてきた。

『それで、客というのは誰だ?』

『”赤”のアーチャーだ。こちらと同盟を組みたいらしい』

『なに? おい、お前――』

 理解が追い付かず、ゴルドは眉根を寄せた。

『証拠として、”赤”のライダーを先の戦闘で討ったと話している』

 淡々と述べるセイバーに、またゴルドの怒りは沸点を迎えた。

『そうじゃない! 目の前に敵がいるというのに、暢気に話しているっていうのか、お前は!?』

『敵かどうか、それを交渉する為に来たのでは――』

『馬鹿が!』

 ジークフリート――コイツは本当に何を考えているのだ?
 勇者だか何だか知らないが、すぐ傍まで敵に接近されながらそんな下らない戯言に付き合っているとは……。

『そんなもん嘘に決まっとるだろうが! さっさと邀撃せんか!』

『しかし――』

『大体それが本当だろうが、もう我々は勝ったも同然ではないか。味方を裏切って勝ち馬に乗りに来た卑劣漢など、相手にするまでもないわ!』

 当然のこと、ジークフリートは馬鹿正直にアーチャーを迎えた訳ではない。今も最大限の警戒を払っているし、また彼女の言葉にそれなりの信憑性を感じたからこそ、マスターに判断を仰いだのである。しかしながら、今のゴルドにそれを察せる程の判断力はない。

『早くしろ! また私に令呪を使わせる気か!?』

『……了解した』


 念話を切り、セイバーは眼前の敵へ、武器を構える。

「交渉決裂だ、アーチャー」

「そうか」

 落胆することもなく、アーチャーは軽く頷いた。交渉に来たという意思表示か、その手に弓はない。
 セイバーは無手の敵を殺すことに若干の罪悪感を覚えながら、しかしサーヴァントの役割を全うする。

「――悪く思うな」

 剣を振りかざすのと同時、アーチャーは背後へ跳び退り、そのまま走り出した。
 一瞬間にして彼女の背中は遥か遠く、見えなくなる。
 その神速を目の当たりにして、セイバーは黙って剣を納めた。

『追い返した。追跡は不可能だろう』

『……ッ! 何をやっているのだお前はァ!』

『申し訳ない』

 アーチャーが逃げ去った先を一瞥し、セイバーはそのまま姿を消した。


『――という訳だ。恐らく”黒”が()()()()()。新たな戦略を練るぞ、マスター』

 逃走しながら、アーチャーはアルに念話を送る。

『……判った。すまない、アーチャー』

『撤退する。準備をしておけ』

 状況は最悪に近い。
 赤に敵対し、黒に拒まれ、孤立無援の体である。このまま勢いに乗った黒が赤を制圧し、自分たちもその過程で踏み潰される、といったところか。
 しかし、ひとつアーチャーは違和感を覚えていた。

 ――”赤”の引き際が良過ぎる。

 無論、自陣営のサーヴァントを失ったのだから、被害を拡げないためにも即座の撤退は、正しい判断である。ただそれにしては、余りにも退却するのが早かったように思えるのだ。まるで最初から逃げることを決めていたように……。
 そう考えると、未だ留まっているあの浮遊要塞も不穏。何かの策を打っている可能性がある。

 だが今日のアーチャーは既に限界だった。
 元々高い単独行動スキルを持つ彼女は、通常戦闘ではマスターの魔力供給を必要としない。だが相手どったのはあのアキレウス。彼女自身の消耗激しく、更に宝具を使用させられた。
 アルの魔力量では、極めて魔力効率の良い宝具も、一日二発が限度。
 両者共、これ以上の戦闘は耐えられない。仮に”赤”が何らかの仕掛けを施しているとしても、今は対処不可能。巻き込まれないよう、ただ逃走するしかなかった。

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衝撃

 ――今こそ好機。

 ”赤”の陣営は撤退、”黒”の陣営は勝利に浮かれ、またサーヴァント達は消耗し、こちらの動きには気付いていない。今なら、誰の邪魔も受けることはない。

 ここはイデアル森林の最北端。清冽な湖が、息を潜めてその時を待っている。
 準備は完璧。あとは事を為すだけ。

「先生! いよいよですね!」

 隣で目を輝かせるロシェ(マスター)の存在は想定外だったがな、と”黒”のキャスター(アヴィケブロン)は仮面の奥で呟いた。彼に覚られぬよう城塞を出たつもりだったが、目敏く見つかってしまった。
 幸運なことに、マスターも自分と同じ、聖杯大戦などどうでもよく、宝具の完成を望んでいるらしかった。このタイミングでの発動に不審を抱くことなく、また他のマスターに知らせようともしなかったので、こうして起動に立ち会うことを認めたのである。

 傍らの「炉心」を一瞥し、アヴィケブロンは湖に手を浸した。
 悲願の達成を目前にして、しかしただ粛々と。

 ” (はは)に産まれ、(ちせい)を呑み、(いのち)を充たす。
 (ぶき)を振るえば、(あくま)は去れり。不仁は己が頭蓋を砕き、義は己が血を清浄へと導かん。
 霊峰の如き巨躯は、巌の如く堅牢で。万民を守護し、万民を統治し、万民を支配する貌を持つ。
 汝は土塊にして土塊にあらず。汝は人間にして人間にあらず。汝は楽園に佇む者、楽園を統治する者、楽園に導く者。汝は我らが夢、我らが希望、我らが愛”

 さあ、神の起源を思い出せ。
 我に苦難を与えよ! 然る後――。

 ”聖霊(ルーアハ)を抱く汝の名は――『原初の人間(アダム)』なり”

 ――そして。
 湖から、()は姿を現した。

「これが、原典にもっとも忠実なゴーレム……」

 マスターの言葉など、もうアヴィケブロンの耳には届かない。
 炉心を取り、彼の胸へ――偉大なる守護者の胸へ。
 斯くして奇蹟は達される。

 草木は茂り、自然の賛歌を唄う。
 禽獣(けもの)は縋り、自ずと生命を供す。
 大気は幸福の芳香に充ち満ちる。

 ここが約束の場所。民が望んだ希望の大地。
 楽園(エデン)は拡がり――やがて全ての世界を作り替える。
 そこに苦痛はなく、哀切はなく、ただ随喜と祝福がいつまでも続く。
 自律式固有結界――『王冠・叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』。
 ここに願望は叶えられた。

「い、いやっ、こんなの、違うっ……!」

 耳障りな声が響いて、アヴィケブロンは顔を顰めた。いったい誰が喧しくしているのか……?

「先生? じょ、冗談ですよね? こんな、こんなゴーレムが起動したら……」

 ああ、マスターか、と思う。腰が抜けた様子でアダムを見上げているが、そうか漸くこの素晴らしさに思い至ったのか。
 まあ……どうでも良いが。

「先生? ……先生!?」

 アヴィケブロンはアダムの肩に乗り、世界を――これから塗り替えられる穢れた世界を、睥睨した。

「さあ――、行こうか」


「あ、あ、あ……」

 ロシェはその時、やっと気付いた。
 宝具の意味に――ではない。
 アヴィケブロンと己の食い違い――でもない。
 ()()()()()()()()()()()()()――ということにだ。

 自分が望んだのはゴーレムを造ること。
 先生(アヴィケブロン)が望んだのは楽園を創ること。
 何が目的で何が手段か? どちらが正しい存在か? 
 そんなことは……言うまでもない。

「あああああぁぁぁぁぁぁっっ!」

 自分でも判らないほどの感情に呑まれ、ロシェは逃げ出した。己が造った卑小なゴーレムに乗り、眩い光を避けるように去って行く。
 訳も判らぬまま――彼が知らず掲げていたのは。

「れ、れ、令呪をもって命じる!」


 ああそうか、と思った。
 マスターは――そう考えるのか。

 けれど幸運なことに、死に方を選ぶ猶予くらいはあるらしい。

 楽園は成る。
 その様を見られないのは――とてもとても、残念だ。
 未練がない、とは、口が裂けても言えない。だが――それでも。

「往け、『叡智の光(ケテルマルクト)』。きっと世界を――我らが民を、救い給え」

 そうしてアヴィケブロンは、アダムに溶け込んで消えた。


          #


「動き出した……?」

 ルーラー、ジャンヌダルク。彼女が見上げる先で、”赤”の空中要塞が、ゆっくりと飛行を再開していた。
 この聖杯大戦に不穏なものを感じ、啓示の指し示すまま彼女が向かった先、それがあの要塞である。どうやら赤の陣営の「何者か」に、自分は会わねばならないらしい。戦闘が起きている最中にまみえることは叶わなかったが、どこかに隙がないものかと、遠くから観察していたのである。

「しかし、あの方向は……」

 大気を低く鳴動させ、要塞が向かう先。
 それは、つい先ほど圧勝を収めたはずの敵陣営。”黒”のミレニア城塞であった。
 
 いったい何をするつもりか?

「とにかく跡を追わなければ……」


          #


 ノックの音と共に、ホムンクルスが一体、顔を覗かせる。

「ダーニック様」

「何だ」

 そちらへ顔を向けずに、ダーニックは訊ねた。
 正面には彼のサーヴァント、”黒”のランサーが腰掛けている。消し飛ばされた右腕も、形だけであれば既に再生していた。お互い、片手にワイングラスを持っている。

「先ほど、ゴルド様がお客様をお帰しになられました」

「言われずとも知っている」

「失礼しました」

 一礼を残し、ホムンクルスは部屋を出て行った。

 足音が消えたのを確認し、ダーニックはグラスを置いた。

「汚名返上の機会と思って任せてみたが、まさか腹中の敵を取り逃がすとはな。……やはりあいつに交渉事は無理だったか」

「アキレウスを討ったのだ。それなりに足が速いのだろうよ」

 最も消耗している身でありながら、ランサーの口調は軽い。配下となったサーヴァント達の働きに、随分と満悦している様子であった。それはダーニックにしても同じである。

「まあ、今更アーチャー一騎を取り逃がしたところで、我らの脅威にはなりますまい。案外、赤の連中が始末してくれるかもしれませんな」

「それよりも今後だ」ランサーは鋭い眼光でマスターを見据える。「戦力的に圧倒しているとはいえ、あの浮遊要塞に籠城されては、こちらとしても攻め手に欠けよう。何か策があるか?」

「さてさて……」

 敵の要塞を思い出す。
 長年に渡る準備のなか、様々な状況を想定したつもりだったが、あの発想を、あれ程の規模で実行されるというのは、流石に想定外であった。

「現状、あまり有効な手立ては考え付きません。情報も少なすぎます」

「ほう……?」

 ランサーは次の言葉を促す。ダーニックは、意味もなく弱気な発言をする男ではないと知っているからだ。

「ですが、それは赤にしても同じこと。彼らとてミレニア城塞を陥とす手立てはありません。暫くは小競り合いが続くでしょうが……、何、大聖杯は我らが手中にあるのです。必然、先にしびれを切らして攻め込んでくるのは敵。そうなれば――」

「迎え撃つ我らが優位に立てる、ということか」

「その通りです、領王よ」

 にやりと笑って、ダーニックはグラスを持ち上げた。


          #


 それは唐突に訪れた。

『敵の要塞が迫ってきます。皆さん、迎撃の準備を』

 ”黒”のアーチャーから、全サーヴァント、マスターに念話が届いた。
 躰を休めていた者、未だ警戒を敷いていた者、全員が一斉に城壁へ集まってくる。

「アーチャー!」接続強化型魔術礼装(ブロンズリンク・マニピュレーター)を装着したフィオレが、皆に遅れて現れた。「状況は?」

「見ての通りです」

 彼が指し示す先、アーチャーのような優れた視力を持たずともはっきり見える。
 戦場の向こうへ小さく浮かんでいた敵の浮遊要塞は、明らかに接近していた。今も徐々に大きくなっており、ミレニア城塞へ向かって来ているのは間違いない。

「ハン、奴等、破れかぶれの特攻に来たか! これはいよいよ我らの勝利が近いな!」

 ゴルドが腹を揺らして笑う。確かにその見立てもあり得なくはないが――フィオレはそこまで楽観的にはなれなかった。見ると、傍らにバーサ―カーを伴ったカウレスも眉間に皺を寄せ、難しい顔で黙りこんでいた。
 振り返ると、皆の後ろで腕を組んでいるダーニックが目に入った。

「おじ様。仮にそうだとして、この城塞は保ちますか?」

「無論だ」ダーニックは即答した。「何重にも張り巡らせた防御魔術、魔術礼装、サーヴァントの宝具を用いたとしてもまず破れぬ。仮に上空から直接乗り込んでも不可能だ。アサシンすら……」

「迎え撃つのが最善だ、と?」

 カウレスの呟きに、そうだ、と頷いてみせる。

 当主がそう言うのであれば、一族の中に反対意見を出す者はいない。早速、迎撃する方針の許、それぞれが配置に就く。

「ところでキャスターの奴は何処だ? まあ彼奴のゴーレムは役立たんだろうが」

 ふとゴルドが辺りを見廻すが、マスターのロシェと合わせて、姿は見えなかった。サーヴァントを失ったばかりのセレニケも出てくる様子はない。当然といえば当然だが……。


 殺気立った空気の中、迎撃準備をどうにか終え、皆はまた空を見上げる。
 一見すると遅く見えるが、その実、要塞はかなりの速度をもってミレニア城塞に迫っている。
 それはまるで、周囲の風を吸収して巨大化する影のようだった。月明りを遮り、ミレニア城塞に灰のヴェールを被せ、なおも接近は止まらない。

 初めに気付いたのは誰だったか。

「これ、()()()()()()()()()()()()……?」

 浮遊要塞は一向に減速しようとしない。それどころか、益々速度を上げて、真っ直ぐこちらへと――。

 まっすぐ?

「まさか――」

 ダーニックが血相を変えるのと同時。


 浮遊要塞を追って走る聖女は見た。
 ミレニア城塞へ接近したそれが、糸を切られたように、落下を開始した様を。


 魔術も侵入も通じない。ダーニックが何十年もかけ防護を整えた鉄壁城塞。
 だがしかし――。
 こんな大質量の落下など、計算に入っていない!

 浮遊要塞は、城塞を圧し潰すように墜落(おち)た。
 凄まじい轟音。城壁同士の激突。破砕される互いの構造。
 用意された結界は、破壊の前に枠ごと消え去り、無為に崩壊。

 次に目を開けた時、ダーニックに見えたのは、半分以上が瓦礫と化したミレニア城塞と、その上へ突き立つ敵要塞。
 ユグドミレニアの城は、一撃にしてその機能を喪失した。

「ランサー!」

 とにかく己のサーヴァントの名を呼ぶと、

「無事かね?」

 霊体化を解いたランサーが現れた。

「ええ、私は……」

 衝撃でばらばらの位置に吹き飛ばされたのか、濛々と立ち込める土煙のせいで、周囲に他のマスターの姿は見えない。
 予め自身に防護術式を仕込んでおいたお蔭か、ダーニックの躰に傷はない。だがもし、嵩に懸かって敵が攻め込んでくるとなると……。
 しかし、周囲を警戒して暫くしても、一向にその気配はなかった。

「何がしたいんだ、奴らは……?」

 そこへ、不意に声が響いた。

「こんばんは、黒の皆さん。こちらは”赤”のマスターです」

「っ!?」

「そんな身構えないでくださいよ。これは単なる降伏勧告ですから」

「降伏勧告、だと……?」

 見上げると、突き刺さった要塞の上、黒い修道服の男が見えた。
 瞬間、何処かから矢が飛んで、当たる寸前で鎖のようなものに阻まれる。少なくともこちらのアーチャーは無事らしい。

「大聖杯は既にこちらの手の内にあります。そしてはっきり申し上げて、そちらが数で勝ろうとも、この要塞を陥とすのは至難でしょう。ですから降伏を推奨します。如何でしょうか……、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア」

「……?」

 その呼びかけには、ただ当主に降伏を求めるという、それ以上の含みを感じた。
 もう一度その男の顔を見る。変わり果てた髪と肌色と、変わらぬ物腰。
 そう、ダーニックはこの男を知っている――。

「ば――莫迦な。何故お前がここにいる……!」

 だがその姿を目の当たりにして、なお信じることはできない。
 そんなこと、有り得るはずが……。


 そしてダーニックの煩悶に応えるように、新たな役者が現れる。
 聖なる旗を片手に飛び込んできた彼女――。

「やっと、追いつきました」

 聖女は、周囲を睥睨する少年と視線を交わす。
 真名看破が互いの正体を明かし、驚きは呼気となって漏れ出る。

「なる程――貴方は第三次聖杯戦争で召喚されたルーラーか」

「その通りです、今回のルーラー」シロウは軽く頷く。「尤も、今は正式なマスターですがね――”赤”の陣営、皆の」

 既に令呪の移譲は完了(おわ)っている。ジャンヌもそれは感じ取っていた。
 だからこそ、何故、と思わずにはいられない。
 その決然とした態度に、同じルーラークラスのサーヴァントとして。

「――何が目的なのです、天草四郎時貞」

「知れたこと。全人類の救済だよ、ジャンヌ・ダルク」


          #


「天草四郎……全人類の救済……?」

 物陰に身を隠して、”赤”のアーチャーは呟いた。

 マスターの許へ向かう途中、轟音に振り返った先に広がる光景は、彼女の想像を絶していた。まさか強力な拠点をそのまま攻撃に転用するなど、正気の発想とは思えない。
 ただ状況は変わった。この一手がどちらの陣営に転ぶか、それを見極めずに撤退することはできない。幸いマスターも無事だというし、城塞近くへ戻って人知れず様子を窺っていたのである。

 天草四郎の名は、辛うじて知っている程度であった。東洋で基督(キリスト)教信者を率いて闘い、そして道半ばにして斃れた少年。逸話に依れば数々の奇跡を為したというが……。

 否――それよりも重要なのは。

 彼女は息を呑んで、場の推移を見守る。



シロウ「銀英伝で見た」


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撤退

 不気味な沈黙が降りていた。

 少年がたった今告げた願望――その意味を、誰もが計りかねていたのである。

 時間稼ぎの戯れ言か? 何か裏で策を打っているのか? それとも……。
 全人類の救済を、本気で為すと――為せると思っているのか?

「言いたいことはそれだけか、蛮族よ」最初に動いたのは”黒”のランサーだった。「我が居城を壊して、無事にいられると思っているのか? それはまた随分と――」

 睨み上げるランサーの視線を、シロウは片手で遮った。

「宝具を使うつもりならば、お勧めはしませんよ、ワラキア公」

「何だと――?」

「気付きませんか?」軽く肩を竦め、シロウは足元を指す。「()()()()()()()()()()()()()()()()()。貴方が『護国の鬼将』で拡げた領土は、今や貴方のものではない。――この意味は判りますね?」

 ランサーの宝具『極刑王(カズィクル・ベイ)』は、予め確保された領土内においてのみ、最大の効果を発揮する。大地から無数の杭を出現させられるのは、この領土内に限った能力であり、そうでない場合は大幅な弱体化を避けられない。

「莫迦なことを……」

「試してみても良いですよ?」

 しかしシロウのあの挑発……無駄に宝具を打たせ、こちらの隙を窺うつもりかもしれぬ。

「だとして――宝具の力に頼らずとも、我は貴様を倒すに充分足ると思うが……?」

「さて、それはどうでしょう――」

 シロウは口の端を歪め、奥のアサシンへ顔を向けた。

「申し訳ありません。空中庭園を墜とすなど、貴女に対する侮辱であるとは理解しています」

「まったく……まったく! 前代未聞であるぞ、こんなことは……。ここまで損傷を受けては、もう飛ぶこと叶わぬというに……」呆れた、とアサシンは額に手を当て、微苦笑を浮かべる。「それでも、まあ、要塞としての力は残しておるが――な」

 艶然とした女帝の唇が、それを呼び出す。

「――『十と一の黒棺(ティアムトゥム・ウームー)』よ」

 それは砲台。
 数十メートルの黒い術式。
 一基一基が対軍の光弾を放つ、十一の兵器。

「さて、超至近より放たれる一射を防げるかな――!」


 瓦礫の下より浮き上がった、魔力を束ねていく黒い砲台を見、”黒”のマスター達は皆、即座に覚った。

 ――現状、あの攻撃に対処する術はない。

 残された道は撤退のみ。それも、サーヴァントの力を借りて達成できるかどうか……。

 ダーニックは血が出るほど拳を握り、ランサーと共に闇夜へ消えていく。
 他の組も同様に。この状況の拙さは言葉を交わすまでもなく、マスター達は苦渋の決断を呑み、己がサーヴァントに身を任せる。ルーラーにしてもここで”旗”を振ろうとは思わない。シロウの貌を目に焼き付け、その場を去ることを決めた。

 そんな中、たった一人だけが、違う反応を見せた。

「せ、セイバ――」

 ゴルド・ムジーク・ユグドミレニア。間近に迫った砲撃を前にして、彼は令呪を掲げていた。

 何故そんな悠長な真似をしていたのか? 無論、彼も初めはセイバーの救助に身を任せるつもりであった。
 だが、彼の心に吹き込んだ冷たい風が、その判断を鈍らせる。

(――あのサーヴァント、私が指示しなくとも救けに来るのか?)

 考えてみれば、召喚されてからというもの、セイバーの振舞はその真名に対し、あまり芳しくなかった。ランサーは倒せず、肝腎なところで宝具は打たず、のこのこ出向いてきたアーチャーを仕留めることすら叶わない。
 もしそれらを、わざとやっていたとしたら……?
 マスターへの叛逆の現れだとしたら……?
 或いは、セイバーだけが未だ実体化しておらず、他のサーヴァントより僅かに現れるのが遅かったことも、その猜疑を助長した。
 死が目前に迫った極限状態で、ゴルドは疑心を止められない。
 他のサーヴァントと違い、「黙っていても救けてくれる」ことなど有り得るのか――?

 畢竟、信頼関係を築くことを放棄したマスターの自業自得。
 ゴルドは令呪を使用して身を護らせようと考え――。

 そしてセイバーは、それを待った。待ってしまった。
 きっとゴルドが何も言わなければ、彼は黙ってマスターを救っただろう。
 だが彼はジークフリート――望まれるがまま全てを為した英雄。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「あ――」

 口を半開きにしたゴルドを、光弾が無感情に襲った。


          #


 撤退したのは”黒”の面々だけではない。密かに様子を窺っていた”赤”のアーチャーも同じである。

 砲台が出ると同時、彼女はその俊足をもってアルの許へ向かっていた。

「あ、アーチャ――ぐぇ」

 何か言い掛けたマスターを担ぎ上げ、トゥリファスの街を駆ける。今は一刻も早く敵の攻撃から逃れなければならない。

 アルはアルで、アーチャーに何を言えばよいか思案していたところを、問答無用で担がれたのだから堪らない。
 事態はもう収拾がつかない。優位を確保していたはずの”黒”が、数で劣る”赤”の一撃で木っ端と散り、大聖杯を奪われ、形成は逆転した。”黒”の信用を得る方法どころか、”赤”を裏切るという基本戦略が間違いだったのである。
 結局、アルの策は全て裏目。アーチャーに何と言って詫びれば良いのか……。

 が、今そんなことを考える余裕はない。

 アーチャーに抱えられ運ばれるこれは――もう、意味不明なまでに速すぎる。
 どろどろに融解した景色が後ろへ流れて行く。
 内臓が圧し潰されるような感覚。時折加わる浮遊感に、絶え間なく揺れる躰。
 ふわり、と脳が弾んだ気がした。

 最後に見えたのは、道々に点々と残る、己の吐瀉物。
 月明りに、てらてらとそれは光り――。

 急に重みを増したアルの躰を一瞥し、アーチャーは街の屋根上を駆ける。サーヴァントの筋力からすれば、失神した人間一人など物の数ではない。寧ろ身動きがなくなった分、運びやすくて良いくらい。
 ふと、抱えたマスターがぶつぶつ呟いていることに気付き、耳を寄せる。

「ごめん……アーチャー……ごめん……」

「……何を謝っているのだ、此奴は」

 呆れ顔を浮かべ、彼女は背後を振り返る。

 ミレニア城塞と浮遊要塞、ふたつの城が歪に組み合わさり、酷く悪趣味な玩具に見えた。


          #


 這う這うの体でミレニア城塞に辿り着いたロシェが見たのは、原形を留めぬ本拠地の姿であった。

「な、なんだ、いったい何が……」

 辺りは恐ろしいほど静まり返り、彼の声に応える者はない。

「あれ……、敵の要塞……?」

 城塞の上へ目を向けると、確かに敵の浮遊要塞らしきものが突き立っている。とすると……。
 それ以上の思考が進まない。
 己のサーヴァントと訣別し、自害を命じ、宝具の現状は判らない。そんな事で彼の脳内はぐちゃぐちゃであり、もはや他になにか考える余力はなかった。

 ただひとつ判るのは、誰も自分を守ってくれない、ということ。

「……クソっ」

 ゴーレムを城塞から離れる方角へ向ける。サーヴァントに襲われれば、彼のゴーレムはひとたまりもない。
 そうして向かう先、森の中に人影を認め、ロシェは怯気(びく)りと震えた。暗闇を透かして注視すると、向こうもこちらに気付いたのか、歩み寄ってくる。
 いつでも逃げられるよう身構えたロシェは、その顔を見、思わず声を漏らした。

「お前は――セイバー?」

「……ああ、キャスターのマスター、か」

 口を開いたのは、紛れもなく、ゴルドが召喚したサーヴァント――”黒”のセイバーである。

「な、何があったんだよセイバー! 皆はどうした!」

「敵の城が墜ちてきた……。他のマスターは、サーヴァントを伴って逃れたが……」

 そう言うセイバーは、幾分窶れて見えた。大きな外傷はないようだが、躰に力が入っていない。どうしたのだろう?
 いや……。
 こんな場所にサーヴァントが一人でいるのだ……。
 理由は考えるまでもない。

「セイバー、ゴルドは……」

 セイバーは目を伏せ、首を振る。

「”鎧”は、俺だけを護った」

「…………」

 マスターを失ったサーヴァントは、ただ消滅の刻を待つのみ――。
 微風が、樹々の葉を微かに揺らしていった。

「……なら、セイバー」ロシェは意を決して口を開く。「僕と――このロシェ・フレイン・ユグドミレニアと、契約しろ」

 セイバーは――。
 僅かに目を見開き、驚いたようだったが、すぐに頷いて見せた。

「判った」

 求められれば与えよう。

 汝の望み、それ凡て……。


          #


 (アダム)はその機能を十全に果たした。
 周囲を楽園に変え、巨きく変じ、大地をのし歩く。

 そして彼は、ミレニア城塞へ至る。
 人工物――という不浄。
 清めねばならぬ、糺さねばならぬ、導かねばならぬ。
 いざ栄光の一歩を踏み出さんとし――。

「おやおや、また随分な置き土産を遺していかれましたね」

 己を見下すニンゲンに気付いた。
 いざ楽園へ誘おうではないか――と手を伸ばす。
 だが何故か、彼は救済を拒否し、ひらりと腕から逃れた。

「ふむ……。大地から祝福を受けているようですね。それ以外はサーヴァントと同じ。頭と心臓が核ですか」

「……して、どうするつもりじゃ?」

 ニンゲンの横に、新たなニンゲンが現れた。まあ一人も二人も変わらない。だがその二人目も、彼の腕から逃げ出した。
 どうして救いを拒む? 彼は咆哮する。

「簡単です。足場を崩したうえで、頭、心臓を纏めて破壊すればいい」

「それで、それを我にしろ、と。サーヴァント遣いの荒いマスターじゃな」

 不意に大地の祝福がなくなり、彼は慌てる。見ると、黒い板から照射された光弾が、足場を崩落させていた。

「ではカルナさん、お願いします」

「了解した」

 声のする方へ視線を上げると、また新たなニンゲンが、こちらへ武器を構えていた。躱したくとも、空中に投げ出された身では何もできない。

 ただ武器の戦端に炎が集まっていくのを見――。

「まったく、ぽっと出の機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)――あいや、あれは人間でしたかな――に、こんな面白い物語を終わらされては堪りませんからなあ! 『爛れた百合は雑草より酷い臭いを放つ(Lilies that fester smell far worse than weeds.)』――というやつです」

 暢気に響く声を、最期に聴いた。



 ゴーレムが消えていった崖を見下ろし、シロウは呟いた。

「私と貴方は通じるところもあったでしょう。でもそれで全人類は救えない――()()()()()()()()()()

「何か言ったか、マスター?」

「いえ、独り言です……。この状況を、どう隠匿(かく)したものか、と思いましてね。少々協力を仰ぐ必要があるかもしれません」

 アサシンに微笑みかけ、シロウは肩を竦めた。

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Rotten

 森。

 そこに立っていた。

 緑の樹々が、陽を透かしている。風に葉が踊り、大地へ描かれた光の紋様は揺動する。

 健やかに……密やかに……。

「ここは――」

 見たことのない場所。
 その時アルはようやく自分を自覚し、同時に夢を見ていることに気付いた。
 眠る前の自分は、さて、何をしていたんだっけ?
 無意識に歩を進めると、柔らかな草が足を受け止めた。

 これは、自分が失った記憶の断片だろうか?

 そうとでも考えなければ説明がつかない――この現実感に。

 初めて見る場所にしては、真に迫りすぎている。肌を撫でる風も、眼を突き刺す陽射しも、鼻を衝く瑞々しい香りも、何もかも。

 それにしても……心地好い場所だ。

 爽快な気分で歩いていると。

「……?」

 不意に、小さな人影が見えた。こんな場所に人……?
 近づいてみると、やはり人間である。それも、本当に幼い女児だ。赤子といっても良いほどに。

「どうした?」

 そう、声をかけようとして、声が出ないことに気付く。
 これはどうしたことだろう。周囲から空気が失われてしまったように、振動が誰にも届かない。
 仕方がないので、また彼女に歩み寄る。夢にしては随分と不便である。

 近寄っても、その子はこちらを向かなかった。ただ一点を見つめ、懸命に腕を伸ばしている。
 その先に、もう一人の人影。

 背中の大きな男だった。彼はこの子に気付かぬのか、森を去って行くばかりで、一度も顧みようとしない。

「おい!」

 当然、声は届かない。
 慌てて子供の正面に回り込む。

 その子は――。
 悲しんでいなかった。
 その両目からは涙が溢れ、恐怖に顔を歪めていたけれど、嘆いてはいない。
 状況を理解できていないのではない。幼くも聡い相貌は、すべて判っている。
 ただ、その伸ばした手が問うていた。

 何故、と。

 何故、ここに置いて行く、と。

 なんと気丈な子だろう。絶望と喪失にその身を浸しながら、眸は衰えることなく、去る背中を射抜いている。

 視線の先で、男はゆっくりこちらを向いた。

「女は、要らぬ」

 その瞳は――凍るほど冷酷で。
 低いよく通る声で、確実に彼女を否定した。


 日が暮れてゆく。男の背中が見えなくなって、周囲の気温が下がり始めてなお、その子は悲しみの声ひとつ、淋しさの声ひとつ上げなかった。
 だから、自分は泣けなかった。
 傍から見て、これ以上の悲劇はないだろう、と感じたけれど。彼女が耐えていることに、第三者の自分が屈してはいけないと思ったから。

 がさり――と茂みが揺れる。

 反射的に視線をそちらへ向ける。その子も同じく顔を上げる。
 姿を現したのは、黒々とした巨熊。

 思わず天を仰いだ。
 神はどれほどの苦難をこの子に与えるつもりだろう。
 未だ、その熊をきっと睨み上げてみせる彼女は、どれほど剛いのだろう。

 そして目が覚めた。


 硬い床と、分厚い毛布と、丸まって眠る躰を感じる。

 そうか……。

 彼女が自分を切り捨てなかったのは、それが理由か……。

 無論、それだけが理由ではないだろう。様々な条件を計算に入れ、その隅っこに、小さな記憶が詰まっていた、というだけ。
 だから、彼女を理解できた、なんて、とてもじゃないけど言えない。
 彼女を知ることができた、とも言えない。

 ただ、彼女の指先に――輝き、美しい軌跡を描くそれに、ほんの僅か触れただけ。

 掠めただけ……。

 でもそれで良いと思った。

 身を起こし、グラスに透明な水を注いだ。喉を鳴らして飲む。舌の上を流れる水は、想像以上に甘露だった。

「起きたか、マスター」

 玄関の前で、彼女が霊体化を解いた。
 朝陽で影になって見える姿に、眼を細めて頷く。

「ああ……。おはよう、アーチャー」


          #


 工房に降りて今後の方針を話し合うことになった。

「ん?」

「どうした」

 アーチャーが振り返って訊ねる。

「いや……」

 埃を被るパソコンの画面が光っていた。見ると、メールを受信したと表示されている。
 内容を見られるかと思ったが、パスワードが設定されており、開けなかった。店長に対する私信ならば、死去を知らせた方が良いのかもしれないが、まあ仕方がない。

 冷蔵庫から適当に食事を取り出し、朝食代わりにする。昨夜何も食べなかったせいか、酷く腹が減っていた。それはアーチャーも同じのようで、自分の数倍は頬張っている。

「それで、今後どうする?」口に詰め込んだパンを水で流し込み、アーチャーが口を開いた。「前と同様、汝の意見をまず聞きたい」

「……その結果が今の状況だから、俺の意見は無価値だと思うけど」

「私も同意した意見だ。責を負うべきは二人だろう」

 ひどくあっさりした調子でそう言われたので、アルは思わず拍子抜けした。
 何を言ったものか判らず、アーチャーの顔を見ていると、彼女は不思議そうに首を傾けた。

「……それとも、何か。今回の件を以て、私が汝を弾劾すると思っていたのか?」

「いや……、うん」

「そんなことを言い出せば、黒との同盟を拒まれたのは、私の交渉力不足ということになろう。そのことで私を責めるつもりだったか?」

「え? それは……」

 そもそも、そんなことは考えてもいなかった。
 アーチャーが失敗したならば、誰がやっても失敗しただろうと思われる。少なくとも自分では絶対無理だ。

「そういうことだ。責任を押し付け合うより、先のことを考えた方が、幾らか建設的だろう?」

 無言でいると、それを同意と受け取ったのか、彼女は満足そうに頷いた。

「では、汝の意見を聞こうか」

 言われるがまま、腕を組んで考える。
 状況は変わった。現在勝利に近いのは”赤”の陣営。”黒”がどうなったかは不明だが、英霊があれで全滅したとは思えないから、今は城の攻略法を練っているところだろう。そうなると……。

「二つ、あると思う」

 指を二本立てる。アーチャーは黙って、言ってみろ、と顎をしゃくった。

「一つは、”黒”と”赤”が潰しあうのを静観すること。黒はどうしたってあの城を攻めるほかないし、そうなれば数で劣る赤も無事ではいられない。互いが疲弊、或いは全滅したところに打って出て、漁夫の利を掻っ攫う、というものなんだけど……」

 目の前でみるみるアーチャーの機嫌が悪くなっていく。何と言うか、体中の毛が逆立っている感じ。恐らくはこちらにも判るよう、敢えてやっているのだろう。
 短い付き合いとはいえ、当然自分にも、これがお気に召さない案であることは判っている。彼女は聖杯獲得の過程で、消極的な態度をとるつもりはないのだ。

「というのが、一応考えられる作戦で……」

 慌てて手を横に振ってみせる。

「もう一つは、もう一度”黒”の陣営に共闘を呼び掛けること。アーチャーが行った時は優位に立っていたから断られたけど、城攻めを控えた黒は、今は一人でも多くの戦力が欲しいはず。受け容れてもらえる可能性は、充分高いと思う」

「ふむ……」話を聞いた彼女は、こちらの顔を指差した。「だがその顔を見るに、何か懸念材料があるな?」

 どれだけ渋い顔をしていたのだろうか、と思わず頬を触る。よく判らなかった。

「まあ、これは俺にもよく判らないんだけど……。人間にはプライドっていうものがあるから、一度不要と拒んだ相手を、『やっぱり大変だから協力して!』みたいに扱えるものかなって……」

「闘いよりプライドを優先させる……理解はできないが、まあ、ないとも言い切れないな」

 顎に手を当て、アーチャーは思案顔を浮かべた。何か思うところがあるのかもしれない。

「持ちかけるだけならタダだから、やってみる価値はあると思う。……黒のマスターが何処に隠れてるのか、判らないけど」

 一通りを聞いて、彼女はなる程と頷いた。
 まあ策といっても実質はひとつしかない。単騎で戦う選択肢がない以上、黒の陣営にすり寄るしかないのだ。

「待て」ふいにアーチャーが手を開いた。「私が思うに、もうひとつ道がある」

「え?」

「”赤”の陣営に加わる、というのは?」

「それは――」

「戦力を欲しているのは赤も同じ。であれば、吾々が出向けば、受け容れるのでは?」

「ま、待ってよ、アーチャー」まじまじと彼女を見つめる。「”赤”のライダーを倒したんだ、どうしたって、向こうは俺たちが裏切ったとしか見ていないだろう? それでまた仲間にして下さいって言いにいっても、警戒されるだけだって」

「む……それは……」

「…………」

 言葉に詰まった彼女を見て、また驚いた。
 これまで冷静そのものだったアーチャーが、何故こんな案を出してきたのか――それも確たる理由なしに――さっぱり判らない。戦闘の疲れが残っているのかもしれない。

「そうだ……。汝の言う通りだな。今のは忘れてくれ」

「あ、ああ……」

 方針は決まった。

 もし再度共闘を拒まれたら……いよいよ手詰まりになるだけだ。それでも今より悪くなることはない。
 そう、信じたい。

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戦略会議

 ”黒”のマスター達が一箇所に集まらなかったのは、”赤”が一般人への被害を厭わず宝具を使用した場合に、一網打尽にされることを警戒したからである。
 彼らはトゥリファスやシギショアラに予め用意してあったセーフハウスに、各々ばらばらに潜伏した。
 そのうえでそれぞれが防護結界を張り、身を休め、話し合いができるまでに回復したのは、翌日の昼過ぎを待たねばならなかった。


 カウレスは地下室のソファに腰かけ、真剣な表情を浮かべていた。

『では、各自報告を』

 念話を介した会議を仕切るのはダーニック。この戦争へ懸けてきた熱意と準備を知るだけに、圧倒的優位から叩き落とされた彼の胸中は計り知れない。

『……セイバーは万全だ』

 最初に返答したのは新たにセイバーのマスターになったロシェである。
 ゴルドの死に動揺を見せたマスターはいなかったが、キャスターの死には、皆少なくない驚きをもって迎えた。ロシェは詳しく語らなかったが、あれ程までに慕っていたサーヴァントとの離別、そして再契約……。何もなかった訳がない。その精神状態を含め、注視の対象である。
 それを知ってか知らずか、ロシェの口ぶりはいつにもまして平坦だった。無邪気にゴーレムを造っていた彼と、同一人物だとは思えないほど。

 けほん、と咳払いをして、次にカウレスが口を開く。念話なのだから、咳払いも、口を開く必要もないのだが。

『バーサ―カーにこれといった損耗はない。いつでもいける』

 あれが戦闘の直後で助かった、と嘆息する。周囲に残存魔力が充ちている状況でなければ、撤退途中で力尽きていただろう。バーサ―カーはスキルによって、魔力放出に似た高速移動を可能とするが、その際の魔力消費は著しい。

『アーチャーも同様です』フィオレが楚々とした口調で述べた。『ただ、おじ様。サーヴァントがいくら万全といっても……』

『ホムンクルスの魔力供給は受けられない、と言いたいのだろう』

 ダーニックが言葉を継いだ。ええ、と返答がある。
 ”黒”の秘策であった、ホムンクルスを用いた魔力供給。城が奪われれば、当然ながら使えない。
 つまり黒のサーヴァントの力は、マスターの実力に依ることになる。これまでのように、好きに宝具を打つなどもってのほか。それが聖杯戦争の正しい姿といえばそうだが……。

 最後はダーニックがランサーの状態を報告した。

『ランサーは未だ右腕の力を失ったままだ。無論、私の魔力だけで治癒は可能だがね』

 冠位(グランド)を戴くダーニックであるから、その魔力量は群を抜いている。”黒”のランサーを使役するにあたって申し分ない力を備えているが、とはいえ無尽蔵に魔力を使えた頃と比較すれば劣る。
 ランサーの治療に専念したとしても、余裕をもって三日は必要であろう、とのこと。

『日数をかければかけるほど、赤は城の防備を整えるだろう。つまり――』

『三日後に総攻撃をかける、ということですね?』

『そうだ。それまでに戦略を考えねばならぬ』

 会議はほぼダーニックとフィオレの会話で進行する。魔術師としても、一族内の立場としても有力な二人に意見出来る者は、そういない。

『飛行機から爆弾でも落としますか? 向こうがやったように……』

『駄目だ。”砲台”がある』

『そうですよね……』

 やはりネックになるのは、最後に敵が見せた十一の砲門であろう。地上から攻めるにしても、空中から攻めるにしても、あれをどうにかしないことには、撃ち落されて終わりである。

『地中から……ってのは?』ふとカウレスは会話に割って入った。『それなら撃てないだろう』

『カウレス……それで、どうやって地中から攻め入るの?』

 落ち着いた姉の指摘に、あっと口を押さえた。

『すまない、思いつきをそのまま話してしまって……』

 呆れられたのか、一瞬間が開いた。もう少し思慮深い発言をしなければと反省する。

『アーチャーはどう考えているのだ、フィオレよ』

 ダーニックが呼びかけると、”黒”のアーチャーがすぐに応えた。

『やはり、十一という数が問題でしょうね。囮や陽動が意味を為さない』

『破壊力が必要ということか?』

『或いは、頭数が』

『数か……』

 自由に使役できるサーヴァントの数は四騎。三騎士のクラスは皆生存しているのが、救いといえば救いか。
 しかし数を用意すると言ったって、聖杯大戦におけるサーヴァントの数は限られているのだし、ほいほい増やすという訳にもいかないだろう――とそこまで考えた所で、カウレスの脳裏に閃くものがあった。

『ルーラーはどうなんだ?』

『え? どういう意味ですか?』

『えーっとだな、つまり……』

 フィオレに訊き返され、どう話したものか思案する。
 と、アーチャーの落ち着いた声がすぐに響いた。

『ルーラーを味方に引き入れられないか、ということですね?』

『あ、ああ。そう……やっぱり無理かな』

『いえ、そうとも言い切れないでしょうね……』

 するとダーニックも興味を惹かれたのか、アーチャーに続きを促した。

『話に依れば、あの赤のマスター――天草四郎は、第三次聖杯戦争で召喚されたルーラーなのでしょう?』

『……信じ難いことだがな』

『とすれば、まずもって彼がこの世界にいることがイレギュラー。マスターとなっているのもそう。それだけでもルーラーが動くには充分だと思いますが。更に問題なのは彼の告げた願望(ねがい)……』

 ――全人類の救済。

 あの眼は本気だった、とカウレスは思い返す。
 それ程長い生涯を生きてきた訳ではないけれど、しかしあそこまで真剣な瞳を見ては、疑う訳にはいかない。あの時混乱したのは、荒唐無稽な夢を本気で望んでいると聞かされたからである。

『少なくとも私には、聖杯を使って全人類を救済する術は思いつきません。仮にそんなものがあるとすれば、相当に歪んだ形で叶えられるのではないでしょうか……。そして私と同じ危惧をルーラーが覚えたなら、彼女もまた天草四郎を討とうとするはず。我々との共闘も考えるでしょう』

『まずはルーラーに共闘を持ち掛けるべきである――と?』

 しかしアーチャーは即座の返事をしなかった。
 どうしたのですか、と傍らのフィオレに問われ、アーチャーは瞑目して首を振った。

『ただ……。だとすれば、既にこの時点でルーラーは我々の前に姿を現していると思うのです。彼女とて一刻が惜しいはず。ですがそうしないということは、恐らく――片方の陣営に肩入れしない、という規則(ルール)に縛られているのかと』

『肩入れしないってそんな』思わずカウレスは声を上げた。『あのマスターは世界を滅ぼしかねないんだろ? 黒だ赤だって言ってる場合じゃないだろう』

『しかしあのマスターを打倒した暁には、形はどうあれ、黒の勝利が確定します。外面だけ見れば、黒に協力して赤を討った、ともいえるわけです。それに天草四郎の願いにしても、ただの推測に過ぎません。あれはブラフで本当の願いは別にあるのかもしれませんし、或いは正しく世界を救済する術を見つけたのかもしれません。極めて曖昧な状況なんですよ、ルーラーにとっては』

『そんな……』

『これも私の推測ですが……』アーチャーがゆっくりと言う。『ルーラーは独自に天草四郎を討ち、”あくまで黒との共闘はしなかった”という体裁で動くと思われます。敵の敵は味方。間接的に共闘する形ならば、問題ないかと』

 例えば、彼女が動く機に乗じて城を攻めるのは可能ということ。これはそれなりに有力な作戦だろう。
 とはいえ……。

『結局、最大の問題は解決されないままですが』

 アーチャーの言った通り、ルーラーと共闘する道が開けたのは良いとして、肝心の城攻めの案がない。

 マスター間を沈黙が支配した時だった。

『ひとつ、良いかしら?』

『セレニケ――?』

 皆の驚きは尤もで、口を開いたのは、既にサーヴァントを失ったマスター、セレニケ・アイスコル・ユグドミレニアであった。
 どうやら彼女は、ライダーの敗退と共に城を出ていたらしく、一足先にセーフハウスに身を隠していた。そのまま聖杯大戦の終わりを待とうとしていたところへ、昨夜の衝撃である。人手は多い方が良いために会議に参加していた――尤も、彼女の意見に期待している者はいなかったが。
 既に勝利への情熱を失ったと思わしき彼女が何を言うのか、一同は耳を傾ける。

『昨夜の墜落が外でどう隠蔽されているか、知っているかしら?』

『外で? そりゃ監督役が――』

 言い掛けて、カウレスは首を振った。
 そう――考えてみれば、あの天草四郎が、この戦争の監督役ではないか。彼に大規模な隠匿を行う余裕があったとは思えない。起きたのは一般人の行方不明や、原因不明の陥没事故ではない。城がひとつ潰されているのだ。どうやったって隠しおおせるものではなかろう。何らかのカバーストーリーを作る必要があるが……。

『地域の新聞には、また例の一族の道楽ってことになっているけどね――』

 ここトゥリファスに住む人間ならば、ミレニア城塞に住む謎めいた一族のことはよく知っている。知っていて、誰も進んで話題に挙げようとはしない。ユグドミレニアによる情報操作の賜物であり、また触らぬ神に祟りなし、という考え方でもある。
 そのため、これまで城の付近で妙なことがあっても、住民たちは黙殺してきた。聖杯大戦が開戦してからも、彼らは夜間の外出を控えるという自己防衛に徹するにとどめた。不穏なものを感じつつも、必要以上に追及することはしなかったのである。
 とはいえ――、流石にこれは話が違う。

『城の上に城が墜ちてきた、でしょう? 何か手を打つかと思ったけれど、あの神父、結局封じ込めには失敗したみたいねえ』

『それで、何が言いたいのだ』

 楽し気に話すセレニケに、しびれを切らしたダーニックが問いかけた。

『お望み通り、一般人を焚きつけてやるのよ』

『ほう――?』

『この情報を住民だけじゃなく、街の外にも広めれば、一般人が押し寄せてくるでしょう? その陰に隠れて近づくの。奴等も無闇と砲を撃つわけにはいかないんじゃないかしら』

 神秘の秘匿とは対極を行く、一般人を盾に使う作戦。

 それは流石にまずいんじゃないか……? とカウレスは顎に手を当てた。

『それは難しいですね』だが最初に反対の声を上げたのはフィオレだった。『一般人を巻き込むとなれば、ルーラーが黙っていないでしょう。せっかく共闘の道が開けたというのに、敵に回すような真似はできません』

『あら、そう? 残念ねえ……』


 結局その日の会議は、長々と続いた内容に対して、大きな進展なく終わった。
 三日後の侵攻は確定事項として、各々作戦を考えておくように――そんな通達を残して、ダーニックは念話を切った。

 カウレスは溜息を吐いて、ソファに深く座り直した。

「作戦……ってもなあ」

 そもそもミレニア城塞というのが、ダーニックが検討に検討を重ねて選んだ城なのである。立地的にも防護に秀でており、その時点で攻めるに難い。そのうえあの主砲……。
 いくら強力なサーヴァントを擁するといっても、容易く打ち破れるわけがない。敵とてそれを考えた上で、あの作戦を実行したのだろうし。

 地下室の天井を仰ぐ。バーサ―カーは実体化させていない。一人で魔力を賄わなければならなくなった今、ただでさえ魔力喰いの彼女を実体化させる余裕はなかった。
 やれやれと嘆息する。元より怪しかったとはいえ、いよいよバーサ―カー生存の目が遠くなってきた。
 とにかく魔力供給だけでも何とかなれば良いのだが……。

「あ、そうだ」

 やにわソファから立ち上がり、彼はセレニケに念話を試みた。

 セレニケにバーサ―カーの魔力供給を手伝ってもらえないか、と思い付いたからである。全部は無理でも、彼女と半々に負担すれば大分余裕が出るはずだ。
 無論、彼女が肯く可能性は低いだろう。令呪が残っているとはいえ、彼女はもう敗退したマスター。意味もなくリスクは引き受けまい。

 だがカウレスは実行もせずに諦める性格ではなかった。少しでも勝ちの確率が上がるなら、何だってやる覚悟を有している。
 例えば、こういうのはどうだろう。カウレスが死亡した際、バーサ―カーの新たなマスターはセレニケにすると契約を結べば、彼女は乗ってくるのではないか……?

 あれこれと思いを巡らせ、カウレスは室内をぐるぐると歩き廻った。――だが。

「どうしたんだ……? 返事がないけど……」

 一向にセレニケから返事がこない。
 何か所用でもこなしているのか。それとも、先ほどは会議だから一応私見を述べただけで、やはりもう闘いに関わる気はないのか。

 時計を見るともう夜である。

 疲れて寝ているのかもしれないと思い、カウレスも身を休めることにした。寝床で作戦を考えようとしたが、その前に意識は遠退いていった。



こういう回、書くのは楽しいが読むのは…


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思惑

「これは今日も外れかな……」

 肩を落とし、アルは呟いた。正面に座るアーチャーは無言で、通りを眺めている。

 昼と夕方の間にあたる時間帯。テラス席のパラソルが、辛うじて日除けになっている。
 以前に”赤”のセイバーと出逢ったこの店を選んだのは、いよいよジンクスに縋るしかなくなってきたからだが、それを聞いたアーチャーの眼は冷ややかだった。
 同じ制服に身を包み、そのうえ片割れが古臭い帽子を被っている奇妙な二人組は、それなりに通行人の気を惹いた。尤も女のただならぬ雰囲気に、声をかけてくる者は店員しかいなかったが。

 こうしてアーチャーと二人、シギショアラの街を徘徊するのはもう二日目になる。
 この二日、裏路地から大通り、宝石店から教会までひたすらに歩き廻った。途中、帽子屋に寄った際、彼女に新しい帽子を買おうとして「無駄なことをするな」と怒られたのも記憶に新しい。
 だが依然、本来の目的は何ら達成されていない。
 適当にうろついていれば、黒の方から接触してくるだろうという目論見は、どうにも失敗に終わりそうな空気だ。黒の陣営が壊滅状態にあるのか、トゥリファスに身を隠しているのか、もうアーチャーとの共闘はない、と判断されているのか。アルには皆目見当がつかない。

「やっぱり敵だと思われているのかなぁ……?」

「敵と判断したなら、襲撃を仕掛けるはずだ。数では向こうが勝っている。仮に一騎でも、少し歩いただけで疲れたなどと抜かすマスターを狙えば、充分勝機がある」

 アーチャーが小さく口を開いた。
 さりげなく述べられた皮肉は、しかし前ほど辛辣な響きを帯びていない。……というのは自分の期待に過ぎないかもしれないが、取り敢えず無視して、脚の代わりに頭を動かす。

「つまりもう黒はやられたか、無視されているか、監視を受けているかってこと?」

「監視を受けている――だろうな。十中八九は」

「監視かぁ……」

 周囲を見廻すが、当然サーヴァントが路上を歩いている訳もない。
 アルにできることは、こうして囮の役目を果たすことだけだ。とはいえ昼夜問わず、不眠の歩き通しで、疲労がひどく蓄積している。まったく、囮すら満足にこなせないとは……。
 休憩をとるにしても、アーチャーが内心苛立っていそうで、おちおちくつろいでいられない。恨むのは自分の貧弱さである。

「監視に付けるとしたら――、アサシンかアーチャーかな」

「だろうな。人混みを歩く時は気をつけろ」

「人混み……? 白昼堂々、天下の往来で仕掛けてくるって?」

「サーヴァント次第だろうな。人通りの中、他人にばれぬようひっそり処理する方法など、幾らでも思いつく」

 冗談のつもりで言ったものを、彼女が大真面目に返答してきて、背筋に寒気が走った。確かに常在戦場の心構えを持てとは言われたが、例えば今も危機が――?
 思わず手にしたカップをまじまじと見つめてしまう。

「毒くらい、とうに私が警戒済みだ」

「あ、そりゃそうだよね……はは」

 アーチャーは半眼でこちらを見つめ、残っていた紅茶をカップに注ぎ、すうっと飲み干した。

「小賢しく考える余裕があるなら、もう休憩は充分だな?」 

「え、ちょっと……」

「休んでいてはいつまでも惰弱なままだ。立て。行くぞ」

 アーチャーの手に引き摺られるようにして、アルは店を後にした。


          #


 ”黒”のアーチャーが”赤”のアーチャーの監視をしているのは、ダーニックの指示による。

 当然、アーチャーは反駁した。この状況下で、マスターから離れるのは得策ではない。
 しかし、敵か味方か判らぬサーヴァントが、挑発でもするように街を逍遥している――そう言われれば、彼とて捨て置くわけにはいかなかった。マスターのフィオレからの後押しもあり、已む無く監視任務に就いたのである。

『やはり彼女らは、こちらの接触を待っているように見えます。戦力差は知っているでしょうから、まさか挑発とも思えない。本当に”赤”に所属しているなら、城に籠って出てこないはず。わざわざ遊撃に出る理由がありません』

 二日ほどの監視を終え、アーチャーは観察から合理的に導かれた推論を述べた。推論というのは謙遜で、彼の見る限り、”赤”のアーチャーの行動の意図は、それ以外ないと断言できる。

『なる程……。ご苦労様でした』

『いえ。マスターもお気をつけて』

『はい、ありがとうアーチャー』

 報告を受けるのはフィオレ。そして彼女が判断を仰ぐのは――。

『そうか。――監視を続行させよ』

 彼女の当主に他ならない。

『判りました。……あの、おじ様』

『何かね?』

『どうして、監視を続けさせるのですか? 試しに交渉を持ち掛けるくらいは……』

『私に理由を話せと、そう言いたいのか?』

 ダーニックは返事をゆっくりと待つが、なかなか返ってこない。

『おじ様――』

 ようやく何か言い掛けたところで、フィオレはまた黙りこんでしまった。


 この時点で”赤”のアーチャーが共闘を申し出てきたことを知っているのは、”黒”のマスターにはもうダーニックしかいない。彼女が”赤”のライダーを討ったことを知っているのも、彼一人。
 すなわち、ダーニックがこの情報を伏せ続ける限り、他のマスターがアーチャーに接触することはまずない。不確定要素が大きすぎるからだ。現に”黒”のアーチャーも、マスターの指示ということもあろうが、己の判断を押し切るような真似はしていない。

 それでは何故、”赤”のアーチャーとの共闘を避けるのか?

 当主という立場、またランサーの前で醜態を晒せないために、少なくとも表面上、ダーニックは冷静を保っている。だがそんな彼の胸中は、尋常でなく荒れ狂っていた。
 それも無理からぬことで、そもそもこの聖杯大戦の発端、魔術協会と対立した原因は、ダーニックの極めて高いプライドにある。そんな彼が、自らの城を奪われ、敗北の淵に立たされているのだ。現状を許容できるはずがなく、今や冷静とかけ離れた精神状態であった。

 そうなってくると、彼は誰も信じられない。
 ”八枚舌”の詐欺師として鳴らしたダーニック。一たび周囲の人間に自分を投影すれば、誰も彼もが疑わしく見えてくる。
 例えばゴルド。結局彼のしたことといえば、敵にサーヴァントの真名を提供することだけだった。
 例えばロシェ。キャスターを失ったかと思えば、如何なる策を弄したか、セイバーと再契約している。
 例えばセレニケ。敗退したのにどうしてまだシギショアラに居た?
 他のマスターも判らない。ルーラーとの共闘を言い出したカウレスも、天草四郎を仕留めそこなったアーチャー、フィオレも信じ難い。
 そして極めつけが”赤”のアーチャー。同陣営のはずのライダーを討ち、果ては”黒”と共闘したい……? マスターも得体が知れない。何をする気か、全く信用できない。

 疑心暗鬼に陥っている。
 実のところ、ダーニックにはその自覚があった。しかしそれでいて止めようとしない。それが彼の生き様であるともいえたし、または――。

 城塞攻略に他人の手を借りる必要などないからである。

 会議ではいかにも手詰まりのように振舞っていたが、彼にとって砲台は何の障碍でもない。敵が地脈を制圧し、ランサーの宝具が使えなくなった? そんなこともどうでも良い。
 唯一警戒するべきはあの男――天草四郎だが、裏返せばそれだけしか問題はない。
 彼のサーヴァント、ヴラド三世。彼の本領を以てすれば、聖杯戦争などすぐ終わる。
 当然それは最終手段、令呪の使用が必須になるが……、ダーニックにそれを躊躇うつもりは皆無だ。

 よって「破壊力」も「頭数」も不要。徒にリスクを負って”赤”を引き入れるなど言語道断。今はただ、ランサーの回復を待つだけで良いのである。


 ダーニックは押しと引きが人心掌握の要だとよく知っている。たっぷり間をおいた後、改めて優しい口調でフィオレに語りかけた。

『監視を続けさせよ。それが最善手だ。判ったかね?』

『…………』

 無言を肯定と受け取り、念話を打ち切る。多少の不信感は抱かれただろうが、離反するほどではない、と計算。

 今は雌伏の時である。
 天草四郎――先の聖杯戦争で、ルーラー特権を行使し勝ち上がった因縁の相手……。
 あの思い上がった小僧に鉄槌を下す日は、そう遠くない。自分に言い聞かせて、ダーニックは口を歪めた。

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霧煙る街

『おじ様――』

 人差し指が縦に切り裂かれた。

「――――!」

 声にならない叫びを上げ、フィオレは悶絶する。

「もう、念話でしゃべっちゃだめって言ったのに」

「…………」

 痛みに耐えながら睨み据えると、敵は不思議そうに首を傾げた。

 襲撃を受けた際、偶然にも開いていたダーニックとの念話。助けを求めるにはこれしかなく、そしてたった今、失敗に終わった。
 令呪を使おうにも、この距離では発動前に腕を切り落とされる。接続強化型魔術礼装(ブロンズリンク・マニピュレーター)は三メートル後方の机上。気取られず取りに動くことは不可能。
 隙は――ない。
 サーヴァント相手に魔術師ができることなど、ない。

「つぎやったら、指が七本になっちゃうよ?」

 そう言ってそれは楽しそうにくすくす笑う。

「”黒”、のアサシン……」

「うん、そうだよ?」

「あなたは、何が、目的なのですか……?」

 時間稼ぎに徹するしかない。既にアーチャーはこの窮地を察しているはず。彼が着くまで……三十秒? 一分? とにかく、ほんの僅かな時間堪えるだけで良い。それだけで……。

「そんなの、聖杯にきまってるじゃない」

 少女と呼んで差し支えない、そのあどけない頬に、自分の血が染みている。

「聖杯、なら――」

「そんなのどうでもいいの。ね、ほかのマスターさんがどこにかくれているか、教えて?」

 言葉と共に、顔の皮が剥がされた。
 メスが顔を撫でるたび、いとも簡単に、するすると。

「教えてくれたらね、すぐにころしてあげるから!」

 新たな刃物を取り出し、にっこり微笑む表情が見える。

 骨を撫でて、神経を弄って、臓腑をくりぬく。理性を保ったまま痛みだけ与える、幼稚な拷問。

 どうして……?

 脳内に谺するのは、その言葉だけ。

 どうしてこんなに痛いのに、私は死んでいないのだろう……?

「あぁあ、本当にしらないんだ? また探さないといけないのかぁ……」

 その言葉を正確に理解するだけの正気が、フィオレに残っていたかどうか。
 残念そうに呟いたアサシンは、彼女の心臓を取り出し、その場を後にした。

「でもこの心臓はおいしそう! やったっ」


          #


『――”黒”のアサシンによるものかと思われます』

 念話を飛ばした”黒”のアーチャーの足許に、血の海が広がっている。
 歩くたびに、足に血が付着し、粘性の音を立てる。

 彼は紅い海からマスターを取り上げ、腕に抱いた。
 だらりと垂れさがる腕や足に瞠目する。もはや人間の躰と思えぬ程汚され、死に際にどれだけの苦痛を受けたのか、想像もつかない。

「…………」

 何か言おうと開いた口からは、意味を為さない空気が漏れただけだった。

『セレニケと再契約する、というのはどうだね?』

 報告を受けたダーニックの第一声はそれだった。

『はい――?』

『ここで優秀なアーチャーを失うのは、我々にとって痛手だ。だが今なら、令呪を残したマスターが残っている。だから彼女と再契約してはどうか、という提案だ。聖杯に託す願望があるのではないか?』

 尤もな提案であることは間違いなかった。サーヴァントが召喚に応じるのは、自身にも叶えたい願いがあるから。その原則に従うならば、新たなマスターと契約を結ぶ、というのは当然の選択である。さらにアーチャーには高い単独行動スキルがある。そのための猶予もたっぷりあった。

『貴方は――』言い掛けて、アーチャーは首を振った。『昨日から、彼女とは連絡がとれていないそうです。恐らく、既に襲われた後でしょう』

『セレニケも?』

『はい。カウレス君が……』

 はっと息を呑む。
 マスターを殺されるという事態に至って、アーチャーも冷静ではいられなかったらしい。

 即座に念話を送る。判っていたことだが、返事はない。

 一体何をしている、と頭を抑える。
 カウレス――先ほど念話に応じた口調は落ち着いたものだったが……。
 実の姉を殺され、その犯人はすぐ近くにいるという状況。彼にはまだ報せるべきではなかった。少なくとも、自分が直接出向いて話すべきだったのだ。

『アーチャー?』

 ダーニックに言ったところで無駄だ。彼のサーヴァントは動ける状態にないし、彼が動くのも得策ではない。相手はアサシン。敵を誘い込んでの殺害など、得意中の得意だろう。或いは、それこそが敵の狙いか。

『私はアサシンと、アサシンを追ったであろうカウレス君を援護します。また後ほど』

 返答を待たず、地下室を出る。
 腕の中のマスターを一瞥し、息を吐いた。
 死体を発見してから今まで、彼にとっては驚くほどの長時間を使って、ようやくアーチャーは想いを断ち切った。

 骸をそっと安置し、街へ出る。屋根の上に乗り、周囲を睥睨。
 時刻は夕方。橙の夕陽が、斜めに街を照らしていた。

「居場所は――」

 魔力を探る。アサシンを追うのは無理だが、バーサ―カーが全速で移動しているなら、確実に感知できる。

 すぐに爆発的な魔力の迸りを見つけた。街中を移動中。人目を憚る気など一切ない勢い。

「そこですか」

 カウレスの理性には期待できない。彼はただ突っ走るだろう。言葉は届かぬだろうし、その前に決着が付くかもしれない。
 だが行かねばならない。
 それは彼が”黒”の陣営だからでも、カウレスを慮っているからでもない。

 ”黒”のアーチャーが、フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアのサーヴァントだからだ。

 脚に力を籠め、叫ぶような勢いで、彼は疾走する。


          #


 ”黒”のアサシンとそのマスター、六導玲霞が立てた戦略は至極単純。自分たちがどちらの陣営に所属する者でもない以上、他サーヴァント全てを抹殺するという、それだけだ。
 そして暗殺者(アサシン)というクラスの特性上、真向から戦っても勝機はない。不意打ちで各個撃破するしかない、というのが結論だったのだが、ある問題が生じた。

 どちらの陣営も城に籠ってしまったのである。
 いくらアサシンといえども、誰にも覚られず城に忍び込み、敵を殺すというのは至難を究める。仕方がなく侵入経路を探るため、”黒”の関係者を拷問して廻っていた。黒はそれで良いにしても、あろうことか浮遊している”赤”に関しては打つ手がなかった。

 そこへ先日の墜落であるから、アサシン陣営にとっては天恵に等しい。赤は失墜し、黒は何を考えたか、分散してシギショアラやトゥリファスの街に落ち着いた。殺してくださいと言わんばかりの振舞、皿の上のハンバーグ、正に恰好の得物である。

 手始めにサーヴァントのいないマスターを狙った。隠蔽の術式は脆く、護る者がいないのだから容易かった。女性というのも、アサシンの好みに合う。
 また街をうろついている妙なサーヴァントがいたが、ひとまず保留。罠であることを警戒したためであり、またあれなら、いつでも殺せるからである。
 他のマスターたちはサーヴァントと共に隠れていたので、少々狙い辛かったが――。
 何故かサーヴァントを遠くへやるマスターが現れた。当然の帰結として、彼女を殺した。

 これら一連の動きは、アサシンにとっては無意識でも、玲霞にとっては全て計算ずくのものである。

 まずは”赤”でなく”黒”を狙う。
 敵が勝手に潰しあってくれると楽観するほど、愚かなことはない。叩ける相手、疲弊した相手を優先的に狙うべきである。特にアサシンの場合、魔術師を殺せば殺すほど魔力が充実していくのだから、黙って大人しくしていることに利はない。
 そして仲間を殺されたとすれば、”黒”の面々は仇討ち、或いは警戒のため、アサシンを討とうとしてくるはず。そうして外に出てきた時こそ、絶好の機会である。家屋に引き籠って護りを固められるより、外に出てもらった方が隙は大きい。敵が集団でかかってきたらという危惧はあるが、そうなったら撤退すれば良いだけのこと。


 そして今、彼女らの術中にはまった魔術師が一人。

 わざと痕跡を残して撤退するアサシンを、馬鹿正直に追ってくるサーヴァントがいた。

 アサシンはマスターの言葉を思い出す。

「良い? ジャック。敵が複数で来た時、こっちが誘い込んでることに気付かれてるようだった時は、すぐに逃げなさい? そうなる可能性が高いと思うわ。そう簡単に、理想の状況が生まれるとは思えない。でももし――そうでなかったら」

 明らかにこれは理想の状況。
 そしてなにより。

 ――あのサーヴァントは、()だ。

「よし、もう一人ころしちゃおう……!」

 眼を輝かせ、アサシンは宝具発動の準備をする。それがマスターへの合図でもあった。

過去(まえ)に酸鼻、現在(いま)に毒、未来(さき)の為に患おう。
 痛みに祝福を、苦しみに喝采を、犠牲に歓迎を、重なる遺骸に舞踏(ダンス)を贈ろう?
 死を隠し、死を造れ――『暗黒霧都(ザ・ミスト)』!」


 夕景に染まる街を、それは速やかに侵してゆく。

 その中では、何も見えない。
 気管を病み、心臓を病み、無限の苦痛を齎した。
 現象は宝具に昇華し、凶悪に、獰猛に、対象を迷妄へ引きずり込む。

 霧。

 それは、人間が人間のため――発展のため、未来のため、幸福のために造り出した毒。



宝具詠唱のクオリティは・・・・。

追いかけてる最中なんですが、アニメに詠唱のシーンがあったら直します。


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黄昏と夜のあわい

 陽が没した。
 空の向こうに輝きの残滓が残り、街はいましばらく薄明に包まれるはずだった。
 だが陽が隠れると同時、シギショアラのごく一部は意外な昏さを迎えていた。

「霧……?」

 道行く男が、困惑気味に辺りを見廻す。この時間帯に突然霧が出るなど、経験のない事態である。

「ぐ……あ……」

「おい、どうした!?」

 不意に横を歩く男が、眼を押さえて蹲った。見ると、路上に疎らに立っていた人影は皆、倒れ伏している。

「一体なにが――」

 肌をピリリと焼く感覚を僅かに感じた後、喉と両目を針で刺された。少なくとも、男はそう感じた。
 耐え切れず、石畳をのたうち回る。
 痛みに意識を手放す間際――。
 遠くから――なにか、雷鳴が聴こえたような……。


「ナアアアアアアアアアアアア―――――ゥ!!」

 絶叫を上げ、”黒”のバーサ―カーは霧に飛び込んだ。
 途端に視界は白く染まり、足が重くなる。敏捷のランクが下がっているらしい。
 だが、彼女が立ち止まることはない。
 足から放出される雷電は石畳を黒く焼き、抉り、破砕していく。倒れ伏す一般人の服の裾が焦げる。
 それら一切を顧みず、バーサ―カーは突撃する。
 道々に残る魔力の形跡を、ただ辿る。

 やがて魔力の痕跡は、路地の行き止まりで途絶えた。

「ゥゥ……?」

 途絶えた――ということは、この近くに潜伏しているはず。或いは……。
 狂戦士(バーサーカー)のクラスながら、彼女が保有している理性が、思考を進める。

「! ――ゥウ!!」

 霧の中を、溶けるように迫ってきた影へ、滅茶苦茶に槌を叩き付ける。

 一瞬霧が晴れた先にいたのは――子供。

 何故ここに子供が――いや、そもそもどうして動いている――?

 バーサ―カーの手が止まる。
 見ると、霧の向こうに揺らめく影は一体ではない。何人もの子供が、彼女を取り囲んでいた。
 彼らはサーヴァントではない。どう見てもただの人間だった。
 アサシンが操っている一般人、と結論。だがこう囲われては……。

 複雑な思考を打ち消す。

 正しい一人を捜そうなんて考える必要はない!
 バーサ―カーにできることなど、限られているのだから……!

 がむしゃらに槌を振り回し、周囲の霧を晴らすだけに徹する。
 そのまま移動すればいずれ――。

 異様な動きを見せる一体を発見し、即座に打ちかかる。

 だが命中する寸前で、敵はひらりと攻撃を躱した。そのまま霧には戻らず、彼女の目の前に姿を現す。

「もう、てきとうに攻撃しないでよ。せっかくのひとじち、なのに」

 低い姿勢でメスを構える少女――これが。

「……?」

 バーサ―カーはアサシンを前にして、僅かな困惑を見せた。

 何故、姿を見せた……?

 霧の中に気配遮断で潜むという、有利な条件を何故捨てた……?

 理性あるが故に、一瞬彼女は脚を止めた。
 だがすぐに狂気が思考を支配する。

 そう、そんなことはどうでも良い! ただアイツを――潰す潰す倒す倒す殺す殺す殺――!

「ひとつおしえて?」

 収縮した視界の中心で、首を傾げる顔。

()()()――()()()()()()()()()?」

「ゥ……」

 途端、彼女は停止する。

 ”出来損ないだ! 失敗作だ! こんなもの断じて人ではない!”

「とっても変なにおいがするから――、たしかめておきたくて」

 鼻をすんすん鳴らし、眉を顰めたアサシンの言葉など、耳に入っていない。
 ただ脳天まで白くなるような怒りだけが……。

 ”来るな来るなァ! 人間の振りをして近づくんじゃないこの――”

「アアアアアアアァァァァァァァァァ――――――!!」

 ”怪物”


          #


「今さら目くらましのつもりか!? アサシン!」

 バーサ―カーに遅れること暫くして、彼女のマスター、カウレスも霧に飛び込んだ。
 即座に気管に痛みが走り、両眼からは血が噴き出すような感覚。

(罠か……そんなことで)

 そんなことで……今更追跡を諦めるとでも思っているのか?

「あ、あぁぁぁぁああああ!」

 咆哮し、己を鼓舞する。
 力を失おうとした腿を叩き、無理やりにでも動かした。

 鼻と口を覆って再び走り出す。
 こんな対処、何の役にも立たないだろうことは判っている。だが、何としてでも。

 あのアサシンだけは倒す。

「倒すんだ……絶対に!」

「――なら、落ち着きなさい」

 気付いた時には彼は抱えられ、霧から脱していた。眼下に白い霧と、所々突き出した屋根が見える。

「はぁっ?」

 躰が着地の衝撃を受ける。先ほどとは離れた、民家の屋根にいるらしい。
 首を捩じって見上げると、”黒”のアーチャーの貌が見えた。

「貴方が死ねばサーヴァントも消える、それは判っているはずです」

「あ……アーチャー……」

 彼を認識するにつれ、カウレスの顔は歪んでいく。

「お前――お前が――お前がッ!! お前がッ! 姉さんをッ!!」

「そうです。――私の力不足です」

 淡々と頷いてみせるアーチャーを前に、激憤は頂点に達した。

「放せ!」

 躰をばたつかせ、彼の腕から転げ出る。無論、人間の力がサーヴァントを上回ることなどないから、これはアーチャーが放したに過ぎない。

「ですが今口論しても仕方がない――そうではないですか」

「何を言ってっ――お前――自分のしたことを――」

「理解しています」そう話すアーチャーの顔に表情はない。「ですから、こうしてここに来たのです。あのアサシンは、私が倒す」

「それは……」

 カウレスの思考に、僅かに冷静さが戻った。

 そうだ、優先するべきはアサシン。責め苛むなど、後でいくらでもできること。
 だからこそ――アーチャーには譲れない。

「駄目だ」

「何がですか?」

「お前は手を出すな。あのアサシンは、俺が殺す」

 アーチャーはゆっくり頷いた。

「貴方が殺すのは結構。ですが手を出さない訳にはいきません。私は私でアサシンを狙います」

「な――だからお前はッ」

「貴方はマスターの役割に徹してください。あの霧に特攻するなど、倒す前に無駄死にするだけですよ」

「…………」

 押し黙ったカウレスを一瞥し、アーチャーは再び霧の中へ突入していく。

 へたり込みそうな躰を支え、カウレスは屋根から街を見下ろした。
 その中にバーサ―カーと、アサシンの姿を思い描いて。


(ああは言いましたが……)

 霧の中、アサシンを射るに適する場を求め、アーチャーは疾駆する。

(できることなら、アサシンは私が討ちたい)

 それは当然、マスターの仇討ちのためであり――同時に。

(カウレス君……彼に復讐を達させる訳にはいかない)

 去り際に見た、あの復讐に憑りつかれた顔。憎悪に染まった瞳。
 否定はしない。復讐に身を捧げる人生があり、それを為して幸福を掴む者もいる。
 だが、彼のそれは己を焼く炎だ。敵を殺すために自身を燃やし、復讐が成った時――その身もまた燃え尽きる。
 喪ったものを補おうとして、それは決して補えないことに気付くだろう。

 死者は一切の感情を抱かない。よってマスターの肉親を救ったところで、贖罪になるなどと考えていない。ただの自己満足であり、しかしだからこそ、最後の仕事として相応しい、とアーチャーは思った。


          #


 夜と霧――条件は二つまで揃っている。
 だが残りのひとつについて、”黒”のアサシンは確信を持てずにいた。

 今も霧の向こうで、槌を振り回すサーヴァント――あれは生物か、否か。

「う~ん……」

 ぱっと見た限りでは女性型と判別していたが、近づいてみると自信がなくなった。どうにも機械の臭いが鼻につく。宝具を使って良いものか。

 三秒ほど悩んだ後、アサシンはぽんと手を打った。

「ためしに斬ってみて、血がでるか見ればいいんだ!」


 ”黒”のバーサ―カー、フランケンシュタイン。正確には”ヴィクター・フランケンシュタインの造った人工生命体”だが、彼女はその名で知られている。まあそれは仕方がない。彼女には名前がないのだから。

 原初の人間――イヴを生み出そうとして造られた彼女は、しかし失敗作と詰られた。
 感情を持っていないと、理性が歪んでいると、()()()()()だと。

 それはとてもかなしくて。だから、人間になろうとした。
 けれど、結局”彼女”は人間になれず。
 怪物として消えた。

 だから――。


「ナアアアアアアゥゥゥ!」

 見えない敵に戦槌を振るう。ここが戦場でない以上、周囲の残存魔力はほんのわずかであり、間もなく機能停止することは間違いない。それを理解したうえで、彼女は暴れ続ける。

 狂気の赴くままに暴れ続け、己の身朽ち果てるまで戦い続ける。
 それがバーサ―カーの務め。

 霧の中に影が見えた――槌を振るうが、霧を切り裂いただけ。

 瞬間、背中に衝撃。

「ゥアッ」

 振り向きざま殴りつけるが、敵は軽やかな身のこなしで距離をとった。

「血がでてる……じゃあ、やっぱり」

 ナイフから垂れる血を眺め、アサシンは薄っすら微笑んだ。

「アアァァァ――――ゥ!!」

 ようやく姿を見せた敵。こんな好機はもうないと――。
 バーサ―カーは全魔力を注ぎ込んで吶喊する。

「あっ」

 重い一撃を受け止めきれず、アサシンの小柄な体躯は吹き飛ばされた。
 空中で器用に身を捻り、背後の壁に着地する。
 危なかったが、結果は無傷。路上に立つ敵へ今こそ宝具を打たんとし――。

「……あれ?」

 膝を付いたバーサ―カーを見た。


 全く同時に、カウレスも屋根の上で膝を付いていた。

「はぁ……あぁ……ったく……」

 身体中から力が抜けていく。魔力を使い果たし、こうして起きていることすらままならない。
 荒い息をついて、彼は手を掲げる。

「令呪を、もって、命じる……バー、サ―カー。……”闘え”」

 ああ、最悪のマスターだな、と自嘲する。

 それでも――ここで止まるなんて許さない。


「ウウウウゥゥゥゥゥゥ―――――ォォオオオオ!!」

 魔力が体内に充ちると同時、バーサ―カーは極限まで高めた雷を放出した。
 稲妻がうねり、紫電が街を煌々と照らす。

 宝具を使うまでもなかったな、と彼女に接近していたアサシンは、今度こそ致命的に吹っ飛ばされた。

「――――っ」

 壁に思い切り打ち付けられ、呼吸が止まる。そして一時的にではあろうが、左腕が利かない。
 さらに――今の魔力放出のせいで、あれほど濃かった霧が散っている!

 慌てて霧を操作し、自分の周囲へ集めようとしたところへ。

「――手柄をとるようで申し訳ありませんが」

 ”黒”のアーチャーが正確無比の狙いを以て、矢を放つ。

 その矢は榴弾。どうにか躱したと思ったアサシンの傍で爆発し、肉体を容赦なく抉り取る。

「……がぁっ」

 その身は地上に失墜する。
 今度こそ、本当に霧が晴れた。それを維持するだけの力は、もう残っていない。

 混乱する頭を動かし、アサシンはよろよろ起き上がる。

(いつのまに二人めが……? でもとにかく、にげないと!)

 おかあさん(マスター)の言っていた通り。二人を相手どるのは、理想の状況ではない。今は撤退し、傷を治療しなければ……!

「それは、できません。”黒”のアサシン」

 満身創痍のアサシンの前へ、また新たなサーヴァントが立ちはだかった。

 穢れなき純白の衣。
 はためく聖旗。

「ジャック・ザ・リッパー……、あなたの行いは、ルーラーとして看過できません。ここで退場して戴きます」

 晴れた霧、朧月の下、聖女は粛然と職務を執行する。

「ぅ、ぁ、ううぅぅぅ……」

 右腕で躰を引きずる。遅々たる進み、無様な逃走、芋虫のような醜態……だとしても。

「いやだ――いやだ、おかあさん(マスター)おかあさん(マスター)……!」

 アサシンは悲痛に叫ぶ。彼女が倚る者の名を呼ぶ。

 聖女が静かに歩み寄り、顔に手を当てた――その時。

 膨大な魔力がアサシンに充ちた。

「まさか――令呪で撤退を!?」

 感知した時には手遅れ。深刻な手傷を負いながらも、アサシンはその姿を消してゆく。

 ――だが。


 それは執念。
 怒り、憎しみ……そういった負の感情だけが生み出す力。

「アアァァァァァァ―――『磔刑の雷樹(ブラステッド・ツリー)』――――――!!」

 ただその姿だけは、最期の刻まで凛凛しく起つ花のように……。


          #


 嗚呼――もう、助からない。

 令呪で引き寄せたアサシンを一目見て、玲霞は確信した。

「ぁ……おかあ、さん(マスター)……」

「もう大丈夫よ、痛かったでしょう?」

「負けちゃった……わたし」

「いいの……いいのよ、ジャック」

 彼女を抱き上げ、幼子をあやすように、ゆっくり背中を叩いてやる。

 それでほっと安心したように、アサシンは呟いた。

「なんだか……ねむい」

「ええ、今はゆっくりお休みなさい。起きたら――何をして欲しい?」

「えっと……」

 ふっと微笑んだ玲霞の心臓を、矢が貫いた。

 痛みを認識する前に、二の矢が頭を貫き、彼女は即死した。


          #


「……どうして射った、アーチャー」

 アルは、矢を打ち放った姿勢のまま、街を見下ろす”赤”のアーチャーに詰め寄った。

「アーチャー!」

「どうして、だと……?」

 ゆっくりと、アーチャーは彼を見返した。

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弁明

 霧が出始めた頃、偶然にも、アルと”赤”のアーチャーはその付近を歩いていた。

「あれ? 霧かなぁ」

 暢気に呟くマスターを、アーチャーは天高くぶん投げた。
 これがサーヴァントの仕業であると確証はなかったが、警戒し過ぎて悪いことはない。とにかくマスターの安全が優先である。

「ああえぇぇ……」

 遠くなる叫び声を聞きながら、霧を吸い込む。

「なる程な……」

 サーヴァントの身に害を及ぼすほどではないが、敏捷のランクが低下するようである。尤も生身の人間が吸い込めば、ものの数分で息絶えるだろう。魔術師が防護を張れば別だが、あのマスターでは……。

 自分には目くらまし程度の効果しかないが、敵の狙いに乗ることもない。
 そう判断し、アーチャーは跳躍し、霧を抜ける。


 さて、投げ飛ばされたアルは、夜空に美しい放物線を描こうとしていた。

「ああぁぁあ……」

 口からは意味のない叫び声が溢れ、視界はぐるぐると回り、上を向いているのか下を向いているのか判らない。
 とにかくこれより上昇するのはまずい。ぎゅっと眼を瞑った刹那、さらに上への加速を感じた。

「え……?」

 どうやら何者かに抱えられているらしい。見上げるとアーチャーの顔が見えた。

 アルが打ち上げられた数瞬後、放物線が頂点を迎えるより前に、アーチャーが跳び上がった勢いのまま、彼を抱きかかえたのである。仮に霧が敵サーヴァントの燻り出しだとしても、ぎりぎり防げると判断しての行動であった。

 アーチャーは胸元のマスターを一瞥し、目標に目を向けた。

 器用に衝撃をころして、民家の屋根に着地する。
 眼を白黒させているマスターを放すと、彼はごろりと転がり、「いて」と声を上げた。

「訊きたいんだけど」上半身を起こし、アルは細やかな抗議を試みる。「前に比べて、俺の扱いが雑になってないか?」

「そうか?」

 アーチャーは生返事をしただけで、視線は街を見下ろしている。
 彼女の視線を追うと、白い霧に沈んだ街が見えた。

「うわ、何で急に……?」

「宝具だな」

「うん……」

 彼女への不満など忘れ、素直に頷く。街の一画だけを覆う霧は、不思議というより不気味だ。

「敵の狙いは……」

 そうアルが言い掛けた時、地響きと放電のような音が、同時に響き渡った。

「既に戦闘が起きているな――つまり吾々が狙いではない」

「そうかもしれないけど……。じゃあ、誰が戦っているんだ?」

 そう言って首を傾げる。
 ”赤”の陣営が城から出張ってきたとは考えにくい。そして自分たちが狙いでもないとすると……。

 ふと思いついたように、アーチャーが口を開いた。

「陣営もクラスも判らないが、以前新聞で見た――あれではないか?」

「あれ?」

 曖昧な表情で頷くマスターを見、アーチャーは眉間に皺を寄せた。

「頻発していた殺人事件だ。あの下手人が、魔力喰いを目的としたサーヴァントだとすれば――というような話を、前にしただろう」

「――えっと、つまり、黒同士の仲間割れって可能性もある?」

 ようやく頭が回転を再開したのか、アルが顎に手を当てて言った。夜間飛行の混乱からは回復したらしい。

 頷いて、アーチャーは濃霧を透かし見る。
 内部の様子は、彼女の高い視力をもってすれば、朧ながらも判別できる。どうやら追う者と追われる者に分かれているらしいが、しかしこの霧は……。

「ひとまず我らは静観する。良いな?」

「あ、うん」

 素直にアルは頷いた。アーチャーの戦闘方針に反対するつもりなどない。

「あと、あの霧を吸い込むなよ」

「判ったけど、どうして?」

「あれはただの目くらましではない。一般人にとっては、数分で死に至る毒霧だ」

「数分で……。え、じゃあ」

 口を開け、アルは次第に濃度を増していく霧に視線を向ける。その様子を、アーチャーは怪訝な様子で見つめた。

「どうした」

「いや、だって……。夜っていってもまだ早いだろ? あの辺りには関係のない通行人も……」

「だろうな」彼女はあっさり首肯した。「だが、吾々には関係ない。ここ数日の不穏な空気――それをおして夜間に外出していたのは、彼らの決断だろう。よくある不運だ」

「それは――」アルは言葉を切って、上を見る。「まあ、それもそうか」

 自衛を怠ったのは彼らの責任である。あとはもう、事故に巻き込まれたようなものだ。

 そうして納得し――。

(え……?)

 何故自分は、そんな理由で納得した?

 アルは自分の思考をなぞり、愕然とした。

 普通の善人なら、たとえ他人だろうと、救おうとするのではないか?

 以前にも、こんな冷酷な思考をした憶えがある。記憶を失う前から続く、自分の本性がこれなのか?

 だが今更善人ぶって救いに行くとは言えず、アルは沈黙して屋根に座り込んだ。
 自身に仄かな失望を抱きながら……。


 それは僅かな変化だった。

「あれは……」

 黙って霧を見ていたアーチャーの表情が、ほんのすこしだけ硬くなった――とアルは感じた。表情というより、身に纏う空気がざわついた、というべきか。
 それは彼女の顔色をおどおど窺うことの多い彼だから気付いた変化であって、恐らく他人が見ても判別できないだろう。

 しかしそれしきの変化を問いただすのも気が引け、何となく躊躇していると、不意にアーチャーがアルを見つめ返した。

「!」

 慌てて顔を逸らすと、彼女は舌打ちをひとつ残して、また視線を戻した。
 何か気分を損ねるようなことをしただろうか――と考えるが、心当たりはない。正確に云えば、心当たりはあるのだが、数多く存在する心当たりの中に、舌打ちを受けるほど突出して不味いものはなかった、という判断である。

 首を捻っていると、アーチャーに名を呼ばれた。

「マスター」

「な、何?」

 内心冷や汗をかきながら返事する。

「私はこれから霧の中へ入る。汝はここにいろ」

「え? えっとそれは……」

「すまないが罠を張る暇はない。危険はないだろうが、いざとなれば令呪で呼べ。では――」

 彼女の作戦に口を挟むつもりがないとはいえ、流石に面喰った。霧の向こうから聞こえる戦闘音に変化はないが、それほど状況に変化があったのか。

「ちょ、せめて説明を――」

 アーチャーの服の裾に手を伸ばし、そう言い掛けた時。

「――――!」

 何者かの絶叫と、耳を突き刺す轟音、視界を埋め尽くす白が同時に襲った。


 咄嗟に目を覆ったが、回復には数秒を要した。
 首根っこを掴むアーチャーの手を感じていたが、移動する様子がないことから、攻撃を仕掛けられたわけではないのだろう。

 眼をごしごし擦り、アルは視界を確かめる。

「眼に異常はないか、マスター」

「あ、ああ……」

 最初にこちらの瞳を覗きこむアーチャーの顔が見えて、ひとつ安堵する。

 次に彼女の後ろ、街の様子がはっきりと見えた。

「霧が……」

 指差すと、アーチャーも頷いた。
 何が起きたのか判らないが、重く立ち込めていた霧が晴れていた。よく見えるようになった街並みは、そこかしこが黒く焼け焦げ、破壊され、見るも無残な様相である。観光都市の面影はない。
 しかし戦闘が終わった訳ではないらしく、また爆発音と震動が伝わってくる。

「霧は完全に晴れたな――」アーチャーが翡翠の瞳を瞬いた。「では汝も連れて行く。舌を噛むなよ」

「え?」

 アルの躰は、再び宙を舞った。


 前にも彼女に抱えられ、移動したことはあったが、今回は少々勝手が違った。

 どうやらアーチャーは、横にではなく、主に上下に移動しているらしい。屋根から路地へ、路地から屋根へ。落下と上昇を繰り返すその動きは、狙撃地点ではなく、もっと別の何かを捜している。

 当然アルの躰は上へ下への重力に振り回され、胃袋は打ちのめされ、早々に酔っていた。前回で多少耐性がついたらしく、幸か不幸か、どうにかまだ気絶しないでいられている。

「令呪を使って転移したな。だが近距離だ」

 何事かアーチャーが呟いたが、それが何を意味するのか、理解する余裕はない。とにかく歯を食いしばり、遠退こうとする意識を引き留めるので精いっぱい。


 唐突に、脳の攪拌は終わった。

 先ほどと同様、アーチャーが屋根にアルを放り出す。今度は受け身がとれた。

「いたな――」

 アーチャーが目を向ける先、アルにも見えるほど近くの路上に、その二人はいた。

 一人は、薄手の衣裳を纏った、妖艶な雰囲気を漂わす女性。
 もう一人は、彼女に縋るようにして、全身から血を流す年若の少女。

 それと同時、アルの脳内に閃くイメージ。

 ――『筋力C/敏捷C/耐久A/魔力C/幸運E/宝具C』

 あの少女が――サーヴァント?
 信じられない思いで、彼女を見つめる。サーヴァントとは、全盛期の姿で召喚されるのでは……。
 ということは、傍らの女性がマスターということになるが――しかし……。

 周章狼狽するアルの横、アーチャーが滑らかな動作で弓を手にした。
 そのまま矢を番え、眼下へ狙いを定める。

「ま――待って、アーチャー」

 思わずアルは、彼女の前に身を躍らせた。

「……何をしている?」

 眼を細め、アーチャーは彼を睨む。慄然(ぞっ)とするような視線。

「えっ……あっ……」

 舌が口蓋に張りついたように、声が出ない。
 冷たい汗が背筋を流れ、身体中が痙攣する。
 どうにか呼吸を落ち着かせる。今は――怯えている場合ではない。

「お、俺でも判る。あ、あのサーヴァントは、もう霊核を砕かれてるだろう? だから」

「ああ、私が狙っているのはマスターの方だ。判ったなら退け」

 彼女は弓を下ろしていない。番えた矢は、アルの胸を指している。

「ち、違うんだ。あのマスターは――違う」

「…………」

「違うってのはつまり――あのマスターは魔術師じゃない!」

「……それで?」

「それで……」ぱくぱくと口を動かし、言葉を探す。「ほ、ほら、前に資料を読んだだろ? それに黒と赤のマスターが載っていたけど、あの人の写真は載っていなかった! だから違って――」

「だから何だ」

「だから……そ、そう! 確かに急遽マスターが変わったのかもしれないけど、だとしたらあのサーヴァントに治癒魔術を使うはずだろ? それをしないってことは、魔術師じゃない! 俺みたいにただ巻き込まれただけの一般人なんだよ多分――」

 咄嗟に考えたにしては、それなりに筋が通っているぞ、と自己評価する。
 勿論、マスターを生かしておいては、他のサーヴァントと再契約する可能性があることは知っている。だが、巻き込まれた一般人ならそんなことはないだろう。アーチャーの危惧は杞憂であり、わざわざ殺す必要はない。

 ――と、アルはこう考えている。と信じている。
 彼は自分と同じ境遇の人間に仲間意識を感じ、同情し、殺すようなことはないと請願している――気になっている。

 だが実際のところ、この主張は言い訳に過ぎない。
 先ほど、霧に巻き込まれた一般人を見捨てた、冷酷で恐ろしい自分から目を逸らすための、己に対する言い訳。
 自分は、本当は善良な人間なんだ――と。
 幼児のように喚いているだけ。

 しかし彼にその自覚はない。あくまで自分の良心と正義感が言わしめているのだと、思い込んでいた。


 アーチャーは彼が早口で叫ぶすべてを聞き、そうか、と頷いた。
 そして矢を放った。

 障害物を片足で蹴り飛ばし、開いた視界の真ん中、少女を抱くマスターの心臓と頭を貫いた。

 屋根を転がった後、蹴られた腹部を押さえながら、アルは路上に崩れ落ちる女を見た。
 少女と女は寄り添うように横たわった。

「……どうして射った、アーチャー」

 矢を打ち放った姿勢のまま、街を見下ろすアーチャーに詰め寄る。

「アーチャー!」

「どうして、だと……?」

 ゆっくりと、彼女がこちらを見返した。

 唾を飲みこみ、その視線に真向から向き合う。

「――あのマスターは子供を巻き込んだ。そんな人間にかける慈悲はない」

「子供……? 確かにあのサーヴァントは女の子だったけど――」

「そうではない!」

 はっと見つめたアーチャーの顔は、怒りで染まっていた。

「アーチャー……?」

 ただその名を呼ぶ。自分がどんな失敗をしても、これほど彼女の顔が歪むことはなかった。

 そこでようやく、アルは自分が何かとんでもないことをしたのだと気付いた。

 理由や事情もなく、アーチャーが激することなどあり得ない。
 それほどまでの――何があった?

「ご、ごめん、でも俺は……」

 震える唇で謝ろうとした時、彼女がそれを遮った。

「待て――何か――」

「え?」

 詳しく問う前に、アルもそれを感じた。

(何だ――何だこの――悪寒は?)

 寒々しく背筋を這い回る感覚に、身震いする。

 ただ、アーチャーが感じていたものは微妙に違った。
 彼女が覚えたのは――恐怖。
 
 強大な敵へ抱く恐怖ではない。過酷な逆境に対する恐怖でもない。今更そんなものを畏れることはない。
 
 恐怖するのは――ある確信。

 ()()()()()()()

 何が?

 彼女はそれをマスターの窮地と解釈し――、アルの腕を摑んだ。

「私の傍を離れるな、マスター!」


 そうして、あたりに()()()()()()

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願望

 意識を失う間際、少女は己の上に崩れる女を見た。

「――どうして?」

 そこには何の感慨もなく、ただ純粋な疑問があった。



 ジャック・ザ・リッパー(切り裂きジャック)とは、何か?

 その問に答はない。答を知る者がいない。無限の解釈が無限の真実を生み、事実は発散して、形をなさない。ただその名だけが世界に広まり、忌避すべき殺人鬼として知られているだけだ。
 しかしサーヴァントとして召喚される以上、それは何かの真実に基いて発生し、何らかの容器に収めねばならない。

 そうして彼女は召喚された。

 発生は堕胎された子供たちの怨霊。
 容器はあどけなさを残す少女。
 付けられた真名(ラベル)はジャック・ザ・リッパー。

 ――それが”黒”のアサシン。

 ”容器”は破壊された。少女の霊核は砕かれ、怨霊を囲む匣に孔が空いた。
 中身は漏れだし、大地に染み込んで消える。
 だが――その、吸収されるまでの一瞬。
 確かに、中身は世界へ曝される。


 そして。
 少女の口から、黒い塊が濁流のように流れ出る。
 濃密な怨霊の集合体、ホワイトチャペルで棄てられた胎児たちは、指向性なく拡がり、すぐ近くに生者を見つけた。


          #


 黒い霧があたりに充ちた――と思う間もなく、アルはその身をそこに移した。

 最初に感じたのは、悪臭。
 酸性の煙、吐瀉物、干乾びた血、饐えた水。

「何だ……ここは……」

 シギショアラの街ではない。
 だが景色をじっくり鑑賞している暇はなかった。

 彼の周りを、何人もの子供が取り囲んでいた。黒い靄を纏い、虚ろな瞳で、真っ直ぐこちらへ向かってくる。

「えっと……」

 何か言う前に、先頭の一人が腕を伸ばした。

「わっ」

 咄嗟に身を引いて躱す。
 だが、それで子供は止まらない。わらわらと彼に集り、手を触れようとしてくる。
 そして口々に言った。

「どうしてこばむの?」

「一緒にいて」

「あなたもおなじ――」

 包囲の輪は狭まり、いよいよ逃げ場が――何から逃げているのか自分でも判らなかったが――なくなった時。

「……アーチャー!」

 道の向こうから駆けてくる彼女が見えた。

 必死に伸ばした腕をアーチャーが摑み、そのまま跳躍して逃走する。

「アーチャー――これは」

 低空を飛びながら、アルは眼下へ目を向ける。

「……見ない方が良い」

「なにが?」

 忠告は手遅れで、アルは眼下に広がる街を見た。
 そこには、地獄があった。

 霧の都(ロンドン)、ホワイトチャペル。
 人間が発展の名の下に切り捨てた、黒く倦んだ澱。

 汚れた娼婦が日銭を稼ぎ、孕んだ子供を堕して流す。
 小さな少女が娼婦を真似し、彼女の稼ぎを男が奪う。
 皆がその日を生きようとしていた。ただ人間としての善を為そうとした。
 そんな人々が行きついた涯は、美しく完成された人体処理場。完璧なシステムとしての悪。

 物陰から、こちらを見上げる子供がいた。
 消費された胎児の怨霊が、物欲しげな眼で生者を見つめていた。
 何人も、何人も、何人も。

「――低級の悪霊だ。触れられなければ、害はない」

 その様子を一瞥し、アーチャーが殊更に乾いた口調で言った。
 必要のない感情を抱かないように……。

 実際のところアーチャーは、マスターの危機という意識がなければ、自分が子供らの包囲から脱せられたか、自信はない。
 だが彼らは瀕死のサーヴァントの悪足掻きに過ぎないのだ。付き合ってやる義務など――。


 すこし離れた路地に降り立ち、アーチャーとアルは並んで歩く。

 二人で地獄の遊覧会。目を閉じても耳を塞いでも、五感全てが伝えてくれる。

 時々子供たちが顔を覗かせるが、先ほどとは違い、力ない仕草で、襲いかかるほどの元気はないらしい。

「これはあのサーヴァントの攻撃だ。だが奴もマスターも死んでいる。徐々に弱体化していき、躰に残っていた魔力が尽き次第、吾々も解放されるだろう」

 アーチャーが自分に言い聞かせるように言った。彼女は真っ直ぐ前を見据え、堂々道を歩いている。

 やっぱりアーチャーは凄いな、と嘆息する。アルは彼女ほど毅然とした態度はとれない。今も道々に蠢く悪性を見ては、吐き気や眩暈に襲われていた。

 歩んでいると、唐突に彼女が口を開いた。

「先ほどの汝の問いに対し、説明をしておこう」

「説明って?」

 額に手を翳して、アルは訊き返した。

「子供を巻き込んだというのは、サーヴァントのことではない。あのサーヴァントは戦う際、子供を囮に使っていたのだ。……私にはそれが許せなかった」

「囮に……」

 あの霧の中で、彼女が目撃したのはその光景だったのだ。

「それはマスターも同罪だ。彼女もまた、子供を巻き込むことを容認したのだから」

「子供――か」

 子供――確かに子供が傷つくのは許せない。それは一般的な感覚であろう。
 だが彼女のそれは、常軌を逸しているように見受けられる。
 詳細は判らない。ともかく、彼女の逆鱗は「子供」らしい。

 前を歩くアーチャーの足が止まって、アルも立ち止まった。

「……あれ?」

 大通りを真っ直ぐ歩いてきたはずが、何故か路がぷっつり途絶え、高い壁が聳える行き止まりにぶつかっている。
 単なる道路事情にしては、あまりに唐突だった。
 つまりは、この世界の行き止まり――なのだろう。

 アルはアーチャーの横まで歩を進め、壁を眺めた。

「もうひとつ訊いても良い?」

「好きにしろ」

「どうして大人が巻き込まれた時は放っておいた?」

「大人は自由と責任を持っているからだ」彼女は即答した。「自由なく、したがって責を負えぬ存在が子供だ。だから庇護せねばならない」

「なる程……そういうことか」

 そう呟いた時、壁の下に降りている陰が、不気味に蠢いた。

「ふん……最後の抵抗か」

 アーチャーが鼻を鳴らした。

 陰は滲み、どろりと姿を変え、壁際に子供の形を成した。
 咄嗟に背後を向くと、いつの間にか、そちらにも子供たちが大挙して押し寄せている。
 手を伸ばし、呪詛を呟きながら。

「どうして――?」

「わたしたちがわるいことをしたの?」

()()()()()()()()()()()()()?」

「助ける……?」アルは首を傾げた。「攻撃してるのはそっちだろうに、何を――?」

 否、そうではない……のか。
 この地獄が単なる精神攻撃ではなく、子供たちの起源の風景だとすれば。
 サーヴァントは、ただただ救いを求めているだけ、なのか……?

 そう言っている間にも、前から後ろから子供がやってくる。
 追い込んだつもりだろうが、幼稚な包囲だ。こちらにはアーチャーがいる。先ほどのように、また跳んで逃れればいい。

「アーチャー、すまないがもう一度――」

「助、けを……」

「アーチャー?」

「…………」

 どうしたことか、傍らに立つ彼女は、自失の体だった。
 一言呟いたきり、焦点の合っていない瞳を晒して、俯いている。

「アーチャー! どうした?」

「あ、ああ……大丈夫だ……」

 彼女の肩を強く叩くと、一瞬彼女はこちらを見返し、しかしすぐにまた呆然と俯いた。
 まったく声が届いていない。
 彼女の子供に対する想いとは――それ程までに強いのか。

「あ、アーチャー、まずいって子供が――」

 必死に呼びかけても、彼女は気のない返事を寄越すだけで、反応を見せない。

 それどころか、寧ろじわりじわりと迫ってくる子供へ、手を差し伸べようとしているような――。

「駄目だ!」

 アーチャーの手を強引に摑み、そのまま背後へ引っ張る。今にも彼女に触れようとしていた子供が、手をすかされ、つんのめって転んだ。

 彼女の背中から脇の下に手を回し、ずるずると引き摺る。囲まれているのだから、逃げ切ることは叶わない。
 しかしこれは、アーチャーの言った通り、もう死んだサーヴァントの悪足掻きだ。子供たちの動きは鈍く、伸ばす手に力は籠っていない。時間を稼げば、間もなく魔力が尽きるはず……!

「助ける方法は……ある、のか?」

「――え?」

 心配するまでもなく、アーチャーは正気に戻ったようだった。瞳に光が宿り、真っ直ぐな視線で迫り来る子供たちを見つめている。
 手を離すと、彼女は一人で立った。

 その背中が――あまりにも脆弱で。

 この世界に留めようと、必死に言葉を捜した。

「アーチャーそれはどういう――」

「彼らは助けられるはずだ……救いを求める者は救えるはずだ……何か方法があるはずだろう!?」

 誰を――とは問うまい。
 目の前の子供たち。誕生すら叶わず、地獄に叩き込まれた彼らを、彼女は救おうとしている。
 そしてその術を持たぬ自分自身にこそ――、彼女は最大の怒りを懐いている。

 嗚呼、()()()()()()()()()()

 その姿は――峻厳たる霊峰のように美しく、潔白で、気高い。

「マスター!」彼女が振り返った。「あるだろう!? 救う方法が!」

「それは……」

 自分たちを襲う怨霊を救う? そんな方法は……。
 アルは己の危地など忘れたように、瞑目して考えた。

 彼らが望む通り、手を差し伸べれば、救えるのか?
 否、それは救いではない。望みを与えたところで、怨みは増幅するだけ。
 平和的に、対話を試みるか?
 無駄。そもそも何と言って説得する? 彼らは発展の為の”尊い”犠牲とでも言うつもりか?
 それとも逆に戦ってみるか?
 論外だ。

 わずか数秒の思考で、結論は出た。
 元よりそれは考えるまでもない。答えは、社会に、世界に、厳然として存在しているのだから。

 大人も子供も関係ない。

 ――全てを救うことなどできない。

 たったそれだけの話。それこそ、子供でも知っている理屈。

(言うのか――それを――アーチャーに?)

 アルは唇を噛む。

 だってその答えは――間違いだ。
 アーチャーが正しい以上、それが正解であるはずがない。そんな諦観は許容できない。

 唯一解にして、絶対的な誤り。

「あるはずだ、何かがある――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「――いいえ、ありません」

 彼女の声に応えるように、その解答は降臨した。

「ッ……! ルーラー……!」

 アーチャーがきっと睨みつける先、白い外套に、旗を掲げる聖女がいた。

「ルーラー? じゃあこの人が……」

 アルは初めて見る姿に瞬いた。ステータスが見えないのは、ここが現実世界ではないからだろう。彼女の背後にももう一人、サーヴァントらしき青年がいる。弓を手にしているということは”黒”のアーチャーか。だが彼は手を出すつもりはないらしく、ルーラーの後ろ、儚げな視線を子供たちに送っていた。

「救わない……? 聖女たる貴様が、よりによって子供を救わぬ――と言ったか?」

「ええ、”赤”のアーチャー。彼らを救う術は、もうない」

 ひとつ頷いて、ルーラーは聖なる文句を紡ぐ。

”主の恵みは絶えず、慈しみは永久に絶えず。
 貴方は人なき荒野に住まい、生きるべき場所に至る道も知らず”

「もうない――? 貴様ッ」

 ルーラーへ飛び掛かろうとして、アーチャーは、躰が動かないことに気付く。

「馬鹿な……何故……?」

 理由はひとつしかなかった。この世界が「彼ら」によって作られたものである以上、「彼ら」の望まぬことはできない、というだけ。

”餓え、渇き、魂は衰えていく。
 彼の名を口にし、救われよ。生きるべき場所へと導く者の名を”

「子供らは既に、私との対話によって受け容れています。魔力切れによる消滅ではなく――洗礼詠唱による昇華を」

 ”渇いた魂を満ち足らし、餓えた魂を良き物で満たす。
 深い闇の中、苦しみと鉄に縛られし者に救いあれ”

「やめろ……救う方法はある、あるんだ……! 聖杯を――聖杯の力ならば、彼らを、全ての子供を、きっと!」

 絞り出すような声でアーチャーが叫ぶ。

 首を振って、聖女は右手を伸ばした。

「貴女にも判っているはずです、アーチャー」

 子供たちは、一人また一人と、彼女の許へ集う。
 救いを求める民のように……。

”今、枷を壊し、深い闇から救い出される。
 罪に汚れた行いを病み、不義を悩む者には救いあれ”

 けれどそれは救いではない。
 怨霊を浄化し、世界から彼らを抹消する。言い訳のしようもない、ただの殺し。

”正しき者には喜びの歌を。不義の者には沈黙を”

「――聖杯に、そんな力はない」

「あ――」

去りゆく魂に安らぎあれ(パクス・エクセウンティブス)


 アルは、”赤”のアーチャーの願望と、その願いが砕ける様を、同時に知った。

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選択

 生前、様々な邪悪を見た。
 人の為す悪徳と、その結果生まれた地獄を見た。
 見た――はずなのに。
 しかしあんなものがあるなんて、想像だにしていなかった。

 誰も悪くない地獄。

 一人の、あるいはもっと大勢の悪人を殺せば終わる、そんな話ではなかった。
 どうすれば終わる?
 誰を救えば終わる?

 声が。

 ”――彼らを救う術は、もうない”

 遮断しろ!
 耳を塞げ!

 ”――聖杯に、そんな力はない”

 戯言だ!
 不実だ!

 けれど。
 もし、本当に救う方法がないとしたら……。
 放置する悪と、処理する悪しかないとしたら……。

 私はどうすれば良い?

 他に道があるなら、その僅かな糸さえ摑んでいれば、聖女を悪だと弾劾できるのに。

 誰が間違っている?
 誰も間違っていない?

 それとも。

 答えを誰も見つけてないだけ?

 あるはずだ……。
 なくてはならない。
 そうでなくては――。


          #


 昨夜起きたシギショアラの昏倒騒ぎが、世間ではどう報道されたのか、アルには興味がなかった。
 だから彼が新聞を手に取ったのは、自分の意志ではない。他人に手渡されてのことである。

「『ガス漏れで死傷者多数』……? こんなので皆納得するんですかね。巻き込まれた子供が無事だったことも、特に説明はないし……」

 一面記事にざっと目を通すが、大した情報は記載されていない。責任をとって配管工事の責任者が辞めたとあるが、その程度である。

「他に説明のしようがないからな。陰謀論にも限度がある」

 新聞を渡した男――カウレスが、興味なさそうな口調で言った。以前の彼であれば、一般人の被害者を出したことに心を痛めたかもしれないが、もうそんな余分な感情は残っていなかった。わざわざ新聞を持って来たのは、単に会話の糸口とするためである。

 シギショアラの観光名所がひとつ、時計塔。
 その下にあるベンチに、二人のマスターは並んで腰かけていた。サーヴァントは実体化していない。目の前では、大勢の観光客が騒がしく行き来し、写真撮影などに興じている。

 アルがこの場所を指定したのは、当然襲撃を警戒してのことであった。真っ当な魔術師であれば、日中、それも大勢の一般人を巻き込んでの戦闘はしないだろうという推測からである。
 お客さんなら喫茶店に招いて珈琲の一杯も淹れたかな、と暢気な考えが頭を過った。
 だが、彼は客ではない――少なくとも今は。自分がこうして敬語を使う理由も、敬意ではなく警戒の印だと判っているだろう。

「それで、訪ねてきた用件は何ですか?」

 アルは新聞を畳み、脇に置いた。例の記事のほか、興味を魅かれるような内容はなかった。

「じゃあ、本題に入ろう」カウレスが真剣な表情を浮かべて、顔の前で手を組んだ。「昨日の”黒”のアサシンとの戦闘、お前たちも参加してたんだろ? それにアーチャーの報告によれば、どうも”赤”とは手が切れてるらしい」

 肯定も否定もせず、アルは前を見続ける。
 カウレスは眼鏡に軽く触れて、言葉を続けた。

「今、俺たち”黒”の陣営は、あの城攻めを予定している。明日か、遅くても明後日には攻めるつもりなんだが。つまり、そこに加わらないか――と、提案しにきた」

 どうだ? と眼鏡の奥の瞳が瞬きする。

 一も二もなく飛びつきたくなるのをぐっと堪え、アルはゆっくりと思案を巡らせる。

「そうですね……」

 願ってもない申し出であることは間違いない。黒との共闘は、勝利のための最低条件。それを向こうから提案してくれたのだ。理想の状況といえる。
 だが、待ってましたとばかりに受け容れては足元を見られる。何か不利な条件を付けてくるつもりかもしれない。ここは情報収集に徹するべき。

『アーチャ――』

 アーチャーに念話を送りかけて、慌てて途中で止めた。
 本来ならばこれは彼女と相談するべき案件だが、しかし……。
 あれからアーチャーと、一度も話していない。何と声をかければ良いのか判らなかったし、彼女も霊体化して姿を消してしまったからだ。それは無理もないことといえた。
 直接聞いたわけではないけれど、アーチャーが聖杯に託す望みは、全ての子供が救われること。そしてルーラーは、聖杯でその願いは叶えられないと否定した。
 もしルーラーの言葉が真実だとすれば――アーチャーが聖杯を獲る理由はなくなる。
 聖杯は……。
 聖杯?
 アルは一瞬何かを閃きかけたが、すぐにその画は散逸し、形を成す前に消えてしまった。

 とにかく、いずれ彼女と話し合う必要はあるにせよ、今ではない。ここはマスターである自分が、交渉に臨むほかない。

「いくつか質問しても良いですか?」

「どうぞ」

 カウレスが軽く頷いた。

「”黒”の陣営の戦力は?」

「それは、味方になると言ってから教える」

「”赤”のサーヴァントについて判っていることは?」

「それもだ」

「本当に? 実は判っていないんじゃ……」

「すぐばれる嘘を吐くと思うか? ごたごたしたが、何とかまだ霊器盤は持っている。サーヴァントの状況は一目瞭然だ」

「…………」

 まあ当然か、と心の中で溜息をつく。このまま続けても、有力な情報は得られまい。
 これはアプローチを変える必要がありそうだ。

「えっと……貴方はユグドミレニアの当主じゃないですよね。ここで共闘すると言って、その決定権は貴方にあるんですか?」

「心配しなくとも、この会話はダーニックに聞かせている」

「あぁそう……」

 つまりダーニックは生存している、ということ。他のサーヴァントは不明にしても、”黒”の当主がここルーマニアで召喚する英霊など考えるまでもない。
 もしヴラド三世が味方になるならば、これはかなり心強い。そしてカウレスの先ほどの発言――「アーチャーの報告によれば」――から考えるに、”黒”のアーチャーも生存している。

 他に何か探れないか、と質問を考えていると、カウレスが鞄から携帯電話を取り出した。

「何なら直接話すか?」

「誰と?」

「ダーニックとだが」

 ベンチに置かれた、銀色の装置をまじまじと見つめる。画面には既に通話中の文字。何か魔術的な通信手段かと思いきや、ただの携帯だったらしい。

「魔術で盗聴したら、警戒されるだろ」

 疑問が顔に出ていたのか、カウレスが頬を掻いて言った。

 爆弾でも仕掛けられてないだろうな、と思いながら携帯を耳に当てる。

『どうも、ダーニックさん?』

『ああ、君とは一度話したかったよ』

 電話越しにも威厳あるその声は、アルを萎縮させるに充分な圧迫感を備えていた。

『……確か以前、共闘はそっちから断られたはずですが、どういう風の吹き回しで?』

『君にも判っているだろう? 状況が変わった。それだけだ。引き入れたいと言い出したのはカウレスだがな』

『なる程』

 単純な回答だが――しかし。
 カウレスの瞳が微妙に揺れている。少なくとも今まで、彼はこちらが共闘を申し出たことを知らなかったのだろう。ユグドミレニアというのも、一枚岩ではないらしい。

『ではもし俺が”黒”に参画するとして、その際の条件は?』

『条件などない』

 ダーニックがそう答えたことは、少々意外だった。

『本当に? 後から何か請求するとか――』

『言っただろう、状況が変わった、と。我々から君に求めるものはないし、逆に君に差し出すものもない。あくまで対等な関係を結びたいと考えている。……尤も、城を陥とした暁には、また聖杯を巡って相争うことになるだろうがね』

『はあ……』

 無条件に対等な関係――ということはつまり、それだけ”黒”の戦力が逼迫していることを示している。
 恐らくは……。
 長い沈黙は得策ではない。数秒で結論を出す。
 ヴラド三世、”黒”のアーチャー、そして後もう一騎か二騎といったところだろう。

『しかしですね、ダーニックさん。その場合――つまり”黒”が勝利した場合、その後の聖杯戦争で真っ先に狙われるのは、俺になるんじゃないですか?』

『何故そう思う?』

『えっと、そちらのマスター、サーヴァントも皆、聖杯を狙っていることには変わりないでしょう? そして貴方たちは、一族の魔術師ということで結束している。城を攻めた直後、背後からぶっすり、ということも……』

 ――そうだ。

 聖杯で、願望を?
 もしかすると……。
 アルの脳裏で、先ほどの閃きの残滓が集まり、ようやく形を成し始めていた。

『無論、その可能性は大いにある』ダーニックは愉し気に言う。『だが、それは通常の聖杯戦争でも同じことではないかね? 君もマスターの端くれなら、手練手管を用いて”黒”に取り入ってみればどうだ?』

『正論ですね』

『ではどうだね? ここは手を取り合い――』

『待て』

 不意に電話口から、違う声が響いた。
 雑音に交じって、ダーニックとその声の主が言い合う音が聴こえる。やがてダーニックが折れたのか、新たな人物が電話を手にした。

『……”赤”のマスターか』

『貴方は?』

 一応訊ねたものの、アルには誰か判っていた。
 先ほどのダーニックとは比べ物にならぬ、本物の迫力。声から染み出るような、王の風格。

『余は”黒”のランサーにして、”黒”の王――真名が必要かね?』

『いえ、結構です』

 紛れもない――ヴラド三世だ。
 ここルーマニア最高の英雄。シギショアラにも銅像が設置されているのを、見たことがある。

『一体何のご用件で……?』

『対等な関係、というところに注意が必要かと思ってね』ランサーは優しい口調になった。『無論、一時的にでも、君とそのサーヴァントが我が陣営に加わるのなら、我々はそれを歓迎し、対等の立場として遇することを約束する』

『それはどうも』

『――だが。それは()()()()()()()()であることを忘れるな、と、それだけ言っておく』

『は……?』

『余は”黒”の領王――此の地は我が領土。である以上、”黒”のサーヴァントは我が家臣であり、”赤”のサーヴァントは土地を侵す蛮族である。こちらに加わるということは、我が配下に就くということだが……判りにくかったかね?』

『いや、しかしそれは……』

 配下に入ることは構わない。アーチャーも、勝利のためならば、その程度の行為は気にしないだろう。
 アルが気にしていたのはただ一点、その立場が、今後の戦争において不利益を生むのではないか、ということに過ぎなかった。

 その思考に費やした僅かな沈黙を――”黒”のランサーは誤解した。
 彼にとって当然の道理を説いたにも拘らず、相手が承服しかねている、と考えたのである。

『当然だが……、マスターだけでなくサーヴァントにも頭を垂れてもらう』

『ええ、そうでしょうね……』

 なおも言い淀む相手に、やや不機嫌になり、ランサーは口の端を歪めた。

『――尤も、戦場で子守りに興じるサーヴァントに、どれ程の働きが期待できるものか……』

『……なんだと?』

 咄嗟にそんな声を出してしまったのが、アルの愚昧さの証明。
 冷静に己の利を見極めねばならない場面で、感情の制御を手放してしまった。どう言い繕っても補えない錯誤。

『何か言ったかね、”赤”のマスター?』

『ええ……』

 そうだ……。
 こんな奴に頼る必要はない……。
 もし、もしも、あの言葉が真実なら……。

『ただ、ちょっと可笑しかったもので……』

『……何が言いたい?』

『それは――』

(駄目だ!)

 手が真っ白になるほど、携帯を強く握りしめ、アルは堪えた。

(そんな小さな可能性に賭けるのか? 一時の激情に身を任せて――しかし――)

 不意に、手から携帯がすっぽ抜かれた。

「え?」

 見上げる先――彼女がいる。

『”黒”のランサーよ、私も隣で聞いていて、笑いを堪えるのに必死だったぞ』

『”赤”のアーチャー……』

 ああそうだ、と彼女は頷く。
 いつもの地味な制服、時代遅れの帽子を被って……。

『城を奪われた王が、”領王”を名乗るとは、恥を知らぬのか、とな……!』

『貴様――!!』

 ”赤”のアーチャーは携帯を畳み、アルに投げ渡した。

「アーチャー……!」

 それがどんなものであれ、彼女の姿を見られたことが嬉しかった。こちらの喜びに対して、彼女はそっぽを向いたまま、反応しようとはしないが……。

 手にした携帯に一度目を落とした後、アルは晴れやかな表情で、カウレスにそれを返した。

「……良いのか?」

 落胆も憤慨も見せず、カウレスは淡々と訊ねる。

「すまない、せっかく誘ってくれたのに」

 それだけ答えて、アルは雑踏に去った。


 観光客に紛れて歩んでいる最中、アーチャーは黙って後ろを随いてきた。
 途中で公園に入り、木陰に踏み入った時、初めて彼女は口を利いた

「――叱責するか?」

 その質問には答えず、アルは先ほどからずっと考えていたことを言った。

「”全人類を救済する”――と言ったんだよな? あの天草四郎ってマスター……だかサーヴァントだか知らないけど、そいつ?」

「は? ――ああ、そうだが……」

 突然何の話をするのかと、アーチャーは困惑しながら返答する。

「話が本当なら、第三次聖杯戦争のルーラーで、しかもあの馬鹿みたいな浮遊要塞を造らせた男だろう? それだけの時間と準備があったなら――当然、見付けているんじゃないのか? その方法まで」

「……まさか」

 ぽつりと呟いた彼女の前で、アルは朗々と語る。

「全人類なんだ、当然子供も含まれている。だから――」

「信じたのか? あんな訳も判らん男の戯言だぞ!? そんな曖昧な……薄弱な根拠で、黒の申し出を蹴ったのか――?」

「……蹴ったのはアーチャーだろ」

 つい苦笑を浮かべて言うと、彼女は言葉に詰まった様子で俯いた。

「でも、蹴っても良いと思っていたのは確かだ。そこまでの覚悟はなかったけれど……」

 一人で、先に立って歩き出す。

「ひとつだけ、聞かせてくれ」

 振り返って、なに、と訊ねる。

「汝がそうするのは――あの子らを憐れんだからか? それとも、私を憐れんだからか?」

「違う」ゆっくり二度、首を振った。「アーチャーの願いが正しいと思ったからだ」

 道はある。摑めば消える蜃気楼かもしれないけれど、追いかけもしないで諦めるには、あまりに綺麗な幻想(ゆめ)だから。
 だから行こう、とアーチャーを促す。



アルが怒りを態度に出さなければ→アーチャー出てこない→黒と共闘ルート


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 聖杯は万能の願望器である。

 凡百の魔術師には一生かかっても使いきれぬ魔力を蓄え、それを用いてあらゆる奇蹟を現出させる。
 巨万の富、魔法の完成、根源の到達……叶えられない望みはない。

 そこに過程など必要ない。戦争の勝者が願えば、聖杯はただ「結果」を与えてくれる。最初に結果があるのだから、達成に障碍はない。

 だが――それは決して、過程を必要としない意味ではない。

 結果の後に過程が現れるのだ。
 順序が逆転しただけで、省略される訳ではない。

 願えば叶えられる。間違いなく、絶対に叶えられる。
 ただ、手段は判らない、というだけ。

 ……まあ、願望は達されたのだ。そんなこと、些細な問題だろう?


          #


「問題は……」

「どうした?」

「いや、何でもない。独り言」

 アルは肩を竦めて、道の先に聳える建築を眺めた。

 ミレニア城塞――という呼び名には「元」を付ける必要がある。歴史ある石城を土台とし、不思議な造形の浮遊要塞が突き立ったその様相は、何とも表現しがたい威容だ。
 周囲に黄色いテープが張り巡らされ、警官が警邏に立っている。野次馬の姿もなく、市民は普段通りの生活を過ごしているようだった。

 奇妙なことに、今にも崩れそうな城からは、煉瓦のひとつも落下してこない。いかにも不安定な見た目をしているが、強風にかしぐこともなかった。

 アルとアーチャーが近づいていくと、警官が無言で左右に割れた。

「おや」

 敬礼をして並ぶ彼らに会釈を返す。顔を見ると、警官の瞳は、一様に灰色で染まっていた。

「歓迎されているらしいな」

 皮肉気に口を曲げて、アーチャーが先に歩いて行く。アルも慌てて随いていった。
 敷地内の粉塵は落ち着いているが、瓦礫が積み上がっていて、ひどく歩きにくい。正面玄関までの間、何度も転びそうになったところを、アーチャーに助けられた。

 玄関の扉は開け放されていた。最初から開いていたのか、自分たちの接近に応じて開けたのかは判らない。冷たい風が、内に吹き込んでいる。

 踏み入った城は静まり返っていた。
 崩壊した瓦礫の山と、静止した古城の組み合わせは、不思議とアーチャーによく似合った。彼女だけならば、敵は侵入されたことに気付けないのではないかとさえ思う。これを言ったら怒られるだろうが。

 だしぬけに、先を行くアーチャーが足を止め、右腕を出してアルを庇った。

「――”赤”のアーチャー、そのマスターか?」

 二人の前に、幽鬼のような青年が佇んでいた。
 ほっそりした肢体、真っ白な肌色に、胸元の赤石が映える。儚げな風貌だが、その眼光は鷹のように鋭い。

 ――『筋力B/耐久C/敏捷A/魔力B/幸運D/宝具EX』

 ステータス情報など知らなくとも、対面しただけで、このサーヴァントの力量は感じ取れた。

「その通りだ――”赤”のランサーだな? セイバーとの緒戦は見させてもらった。さぞや名のある英雄なのだろう」

「そうか」

 アーチャーの賞賛にもこれといった反応を見せず、ランサーはゆるりとこちらに背を向けた。
 それは敵対するつもりはないという意思表示であり、同時に、背後から襲われたところで、何の問題もないという自信の表れであった。そして実際、この英雄はそれだけの力を持っている。

「マスターからお前たちを案内するよう言われている。……随いてこい」

 ゆったりした仕草で、ランサーは回廊の奥へ消えていく。
 アルはアーチャーの横顔に顔を向けたが、彼女は視線を返さず、すぐに歩き出した。

 廊下は複雑に折れ曲がっている。途中で何度も建材が変わり、足音が違う音を響かせた。尤も、足音を立てているのはアルだけだ。

(問題は――)

 アルは考える。
 聖杯の仕組みを考えるに、願望を叶える際、問題となるのはひとつだけ。

 ――その願いを叶える過程がたったひとつしかない場合、それがどんな邪悪でも、その過程は発生してしまう。

 聖杯に問題はない。
 願いを叶える者、人間の方に問題がある。すなわち、善悪の概念を持っていることが問題だ。
 純粋に考えれば、願望が叶うのなら、その過程でどんな犠牲が生まれようと気にするべきではない。しかしそれを切り離して考えられないのが、人間の弱さ、あるいは社会性と呼べるものだ。

 とはいえ、犠牲の発生を厭うなら、それはそれで解決策はある。願望に過程を含めてしまえば良い――犠牲を生まない過程を。

 矛盾している。

 唯一解に別解を求めるなど、無為。
 そんなものがあるとすれば……。


 やがて広間に着いた。
 天井が高い。

 広い円形の間で、奥に玉座が置かれている。黒い衣裳を纏った女が、ひとり腰掛けていた。艶然とした笑みを浮かべて、入ってきた自分たちを見つめている。

 ――『筋力E/耐久D/敏捷D/魔力A/幸運A/宝具B』

 当然ながら、彼女もサーヴァント。そしてもう一人、豊かな髭を蓄えた男が、悪戯っぽく目を輝かせて、玉座の手前に立っていた。

 ――『筋力E/耐久E/敏捷D/魔力C++/幸運B/宝具C+』

 おや、と思う。今まで会った中で、このサーヴァントが最もステータスが低い。というより、これでは戦闘力としてはほぼ期待できないのではないかと思われる。
 つまり、戦闘力以外の部分で、極めて強力な力を発揮するか、あるいは本当の役立たずかだ。

 アルとアーチャーが広間の中央まで進むと、案内は終わったとばかりに、ランサーは入口沿いの壁際にもたれた。

 形だけ見れば、完全に囲まれたことになる。彼らに揃って攻撃されれば、抵抗の余地なく殺されるだろう。

「おお! ”赤”のアーチャーよ、歓迎致しますぞ?」

 髭の男が、大仰な身振りで話しはじめた。

「……突然の訪問には驚きましたがね。しかし、『招かれざる客は(Unbidden guests are)去るとき最も(often welcomest when)歓迎される(they are gone.)』――などということはございませんよ! いやはや、ご覧になった通り、現在我々が自由に動かせるサーヴァントは、こちらとこちらの御仁のみでして」

 こちら、と言った時にランサーを指し、次のこちら、で玉座のサーヴァントを指して見せる。

「大変心細く感じておったのです。何しろ吾輩、キャスターですから。それも全く戦闘には役立たぬ、ただの作家ですからなあ――」

「キャスター。黙れ」

 玉座の女が頭を押さえ、苛々した声で言った。キャスターはこれまた芝居がかった仕草で肩を竦め、よく回る舌を止めた。

「――ということは、汝はアサシンか」

 目の前のやり取りを、顔色一つ変えずに受け流したアーチャーが口を開いた。

「ほう、何故そう思う?」

「どう見ても、セイバーのように堂々立ち合う性質(たち)ではなかろう。バーサ―カーが一軍を率いるとも思えないしな」

「なる程の」

 正解とも間違いとも言わず、アサシンはくすくす笑う。
 ”黒”ではランサーが王だったように、”赤”ではこのアサシンが女王なのだ。

「してアーチャー、今頃になって顔を出すとは、随分遅い合流ではないか?」

「赤だ黒だの色分けは、召喚者の都合だ。生憎と、我がマスターはそのどちらでもなかったからな」

「つまり……、自分は未だどちらにも与していない、と言うつもりか?」

 アサシンがすうっと眼を細めた。
 
 無視して、アーチャーは淡々と告げる。

「ライダーの件について謝罪はしない。あの時点では私以外の皆が敵だったし、奴も納得したうえでの戦闘だ。そこで負けたのは、奴自身の問題だろう」

「そうさな。確かにライダーは撤退命令を無視した……と聞いておる。判った、そのことで責めるのは止めよう」

 当然ながら、これはアサシンの寛容さではない。敢えて許すことで、この後の交渉を有利に進めようという肚である。

 アサシンは薄っすら微笑み、玉座に座り直した。

「では訊こう、アーチャー。貴様は何をしにきた?」

「確かめるべきことがある」

 アーチャーの鋭い声音に対して、広間の雰囲気は弛緩したままだ。
 相変わらずキャスターの男はにやつき、ランサーは興味なさげに眼を瞑り、アサシンは玉座で隙を晒している。

「確かめること……?」

「ああ。天草四郎を出してもらおう」

 天草の名が出た瞬間、僅かな驚きが呼気となって、アサシンの口から漏れ出た。

「あの男に何の用だ」

「奴の願い――”全人類の救済”、その真贋を確かめにきた」

 ぷっ、と、キャスターが噴き出した。

「貴様何が可笑しい――」

 アーチャーが即座に睨み据えると、キャスターは片手を拡げ、肩を震わせながら、ぶんぶんと首を振った。

「い、いえいえ! 吾輩てっきり、無謀にも単身特攻に来たのかと――そう思っていましたもので、ふ、ははは、まさかマスターと志を同じくする者だったとは、よ、予想外だったものでして……!」

 必死に笑いを堪えながら、キャスターは髭を引っ張った。そのままくるりと身を翻し、アサシンに顔を向ける。

「いかがです女帝殿! どんな悪鬼が来るかと警戒してみれば、なんと我らがマスターの大望に付き合って下さる、世にも奇特な婦女子ではないですか! これはもう、天草殿を出してよろしいのでは?」

「しかしだな――」

 アサシンが不服そうに言い掛けた時、玉座の奥から足音が響いた。

「ええ、キャスター。私も同じく思っていたところですよ」

「マスター……!」

「大丈夫ですよ、アサシン。彼女の真名()を見れば判る。勝利のために嘘を吐く者ではあれど、決して下卑ではないとね」

(この男が……)

 この男は、果たしてアーチャーの願いを託すに足るものなのか……?

 アルもアーチャーも、彼の姿を食い入るように見つめた。

 黒い修道服を纏い、褪せた髪に褐色の肌。胸に十字架を提げた、どこからどう見ても柔和な神父にしか思えない男。
 第三次聖杯戦争のサーヴァント、今回の聖杯大戦における最大のイレギュラー。

 ――天草四郎時貞。

「では伺いましょうか、”赤”のアーチャー。貴女は何を求めますか?」

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訣別

 永い夢を追っている。
 追い縋り、脇目もふらず走り続け、けれど少しも近づけない。

 ……仕方がないさ。

 間には無限の距離が横たわっているのだから。
 どれほど地上を走っても、月には手が届かないように……。

 そうして諦めた人間が何人いるだろうか。


「全ての子供が愛される世界――それが私の願望だ」

 アーチャーの声は幽かな残響を残して、大気に飛散した。

 誰も何も言わなかった。彼女の言葉が真実であることは、その沈黙が痛いほど語っていた。

 最初に口を開いたのはアサシンだった。彼女は真剣な瞳で、一つひとつ丁寧に発音した。

「お前の願望を穢す意図はないが、言わせてもらう。……それは、不可能ではないか?」

 アーチャーは殺意すら感じさせる瞳で、アサシンを睨んだ。
 だがその反応もまた、想定通りのものではあった――彼女自身が何度も自問したのだから。

「不可能を可能にすることが奇蹟ならば、奇蹟を為すのが聖杯だろう」

「確かにそうかもしれぬが……」

「では”全人類の救済”なら可能と言うつもりか?」

 視線は天草に移る。
 彼の微笑は途絶えることなく、真正面からその問を受け止めた。

「可能です。私は全人類を救済する」

 何でもないことのように、あっさり彼は言った。

「その言葉に偽りはないな?」

「ありません」天草は胸の十字架を握る。「神に誓いましょう。そしてそれは、貴女の願いと重なります」

「ならば、次は貴様の番だ、天草四郎。汝は如何にして救済を為す?」

 アーチャーの眼光と、アルの揺れる瞳が、彼を射抜いた。

(あるのか……? そんな方法が、本当に……?)

 天草はゆっくりと口を開いた。

「――人類を『有限』の枷から解き放つ。全人類に、第三魔法を適用します」


          #


 たったひとつの家族しかない世界。
 その世界は幸福に充ちていた。父と母は互いに寄り添い、子に惜しみない愛を注ぐ。
 誰もが幸せで、善性を信じ、悪という概念すら存在しなかった。

 ふたつの家族がいる世界。
 その世界は争いで充ちていた。ふたつの家族は、それぞれ愛する者のために剣を執った。
 幸せのために、悪徳が広がり、頽廃と死が精神を侵した。

 どうして?

 幸せになりたいだけなのに。
 幸せになるために、不幸にならなくてはいけないの?

 どうして?

 どうして個の善が集団の悪を生む?
 それが人類共通のシステムだから?

 ――だとすれば。

 どうして人類は連帯の指向性を与えられたのか。
 社会を構築することを、生存戦略に選んだのか。

 ああ、我々は間違えた!
 人類は最初の一歩で、地獄に踏み込んでいた。
 繁栄の道と信じて、巨大な陥穽に堕ちたのだ。

 ……。

 ……違う。

 違うさ、人類は間違えてなんかない。
 ただ、この戦略を循環させるための、ある技術が完成していないだけ。たったひとつの障碍……針のように小さなそれが、流れを堰き止めているだけ。

 有限。

 この世の全てに限りがあるから、人は善のために悪をなす。
 たったそれだけの些細な障碍が、幸福を妨げている。

 ならどうすれば、皆が幸福になれるのか。

 もう、判ったね?
 本当は、ずっと知っていただろう?
 太古の昔より、人類はずっと追い求めてきたのだから。

 第三魔法による、魂の物質化――不老不死を。


          #


 覚束ない足取りで、アーチャーとアルは玉座の間を出た。アサシンが庭園へ続く扉を開いてやり、二人は導かれるまま外に出た。
 さかしまの庭園。瑞々しい青葉と花々が彩り、水路を清らな水が逆流していく。

 美しい場所だ。

 こんな状況でなければ、もっと楽しめただろう、とアルは思う。
 制御されているのか、高度に対して柔らかな風が、前髪を揺らした。
 風景に馴染んだテーブルと椅子が見つかり、二人はそこに腰掛けた。

 すこし考えさせてくれ、という申し出に、「存分に話し合い、考えて下さって結構ですよ」――と天草は答えた。そのほかに何も言わなかったが、きっと彼は判っていたのだろう。自らの正しさを。

 魂の物質化。
 真なる不老不死を全人類に……。
 その方法まで、天草は懇切丁寧に教えてくれた。魔術や魔法に全く疎いアルにも、判り過ぎるくらい判るほど。だから断言できる。

 ()()

 天草の願望は正しい。
 法律も倫理も関係ない、絶対的な善。
 不老不死が悪などというのは、小説や映画の戯言。一度は不老不死を夢見、不可能と知った者が吠える負け惜しみに過ぎない。

 正解!
 正解だ!
 人類は救われる!

 なのに何故、素直に快哉を叫べなかったのか……?

「……あの男の願いは」

 アーチャーの声を聞いて、アルはようやく顔を上げた。それまで自分が俯いていたことにも気づかなかった。

「気が狂っていると思った。……だが、正しいな」

「……そうだね」

「けれど――私は」

 それ以上言葉を続けられず、アーチャーは口を噤んだ。

 彼女が何を迷っているのか、アルは理解していた。理解しているからこそ、伝えるべきかずっと躊躇していた。
 だが、話さなくてはいけないだろう。それが自分の示すべき誠意だ。

「アーチャー……、君の願望を聞いてから、俺はずっと、叶える方法を考えていた。その結果、全ての子供が愛される世界をつくる、ひとつの方法を思いついた――それは」

 彼女は無言で頭をもたげた。

「”子供の数を減らすこと”……。世界から子供が減れば、人類は否が応でも子供を愛さない訳にはいかなくなる。そんな馬鹿げた答えだ。もちろん、それがアーチャーの望みに沿わないことは判っている。本気じゃない……。でも、もし俺が聖杯に願ったら、過程はそうなるだろう」

 アルは無理に笑ってみせた。

「でも、天草四郎のそれは、犠牲を生むような、俺みたいに完成度の低い方法じゃない」

 アーチャーは何も言わないが、その瞳は確かに、アルを見つめている。

「――ただ」息を吐く。「その世界に、”子供”はいない」

 不老不死の世界に、子供は存在しない。
 年齢という概念が消滅するだろうし、不老不死の生物は子供を必要としない。
 それこそが、生物種としての進化を果たし、より完璧に近付いたことの証であるからだ。

「アーチャーが悩んでいることは、たぶん判る。でもこれは、君が考えているような、複雑な問題じゃない。命題はひとつ――『全ての子供が愛される世界』と『愛されない子供がいない世界』は同一か?」

 アーチャーがわずかに眼を見開いた。

 彼女の煩悶は、たったそれだけの命題に集約できるだろう。何を言われなくても、それだけは判る。
 判るさ……。
 あの地獄で、子供を救おうとした彼女の背中を見たのだから。
 その姿に魅かれて、自分は戦うことを決意したのだから。

「――それでね、アーチャー」

 アルは席を立って、空を仰ぐ。
 青い空に、白い月が、冗談みたいに浮かんでいる。
 ああそうだ、と思う。決して手の届かない地、月へ、人類は旅立ったのだ……。

「俺は、その二つは同じだと思う。天草四郎の願いは、君のものと重なっている」

 その時、初めてアーチャーが口を利いた。

「……本当にそう思っているのか?」

「…………」

「答えろ!」

「……ああ。本心から、そう思っている」

 本心だ――本心だとも。
 少なくとも、アーチャーが救われて欲しい、という願いは本心だ。
 彼女が救われるには、天草の願いに乗るしかない、という想いは本心だ。

 アーチャーはアルを睨んだ。

「汝は――その意味を判って言っているのか?」

 黙って肩を竦め、その場を離れる。背中に彼女の視線を感じながら、歩き去っていく。

 ――意味なんて当然判っている。

 天草に協力すると言ったら、自分がどうなるかぐらい判っている。

 確かに、自分の願いは生き(ながら)えることだと言った。
 けれどアーチャーはもう、一度ならず命を救ってくれたのだ。彼女に報いるためには、それくらい……。


          #


 気付いた時には、躰の拘束は終わっていた。
 全身に鎖が巻き付き、ぎりぎりと絞り上げられる。

「ぐ……ぁっ……」

 骨の軋む音がして、アルは苦悶に顔を歪めた。

「――一人で出歩くとは、愚かなマスターよの」

 耳元で誰かの声がしたが、振り返ることなどできない。
 呼吸ができなくなり、意識が遠退くのを感じる。

 油断した。
 どうにか、どうにか抵抗しなければ。しかしそんな術は――。

 術は、ある。
 ()()()()()()()()()()
 いや……、まだ大丈夫か?

 頭痛。

 迷っている暇はなかった。
 躰に残る全ての力を掻き集めて叫ぶ。

「――Perde te ipsum!(喪え!)

 鎖の締め付けは一瞬緩んだようだったが、しかし逃れられる余地はなく、すぐにもっと強い力で縛られた。

「……どんな奥の手があるかと見てみれば」

 ああ、これはアサシンの声だなと、やっと思い至った。

「一秒にも満たぬ間、ただ忘我させるだけとは……。貴様、本当に協会の魔術師を謀ったのか? しかもこんなつまらぬ魔術で、魔力を使い切った……?」

 躰から力が抜けていく。
 足にも腕にも、何の力も入らない。崩れそうな躰を留めているのは、敵の鎖だった。
 結局自分には何もできないのだなと思い知る。

「よくもまあ、あのアーチャーが付き合ったものよ」

 すっかり失望したように、アサシンが呟いた。


「アル! 貴様、アサシン――!」

 ――遠くから彼女の声が聴こえるような。

「そう怒るな、アーチャーよ。もう結論は出ているのだろう? その決断を少し早めてやっているだけではないか」

「それは……、だからと言ってッ……!」

「のう、アーチャー。お前はなぜ腹を立てている? 天草(やつ)の願望に瑕疵が見付かったのか? それともこの、惰弱で愚鈍なマスターが大事か?」

 惰弱で――愚鈍。
 脳内にその単語が谺した。
 まったくその通りだなあ、と笑いたくなる。
 アーチャーが口を酸っぱくして、常在戦場の心構えを持てと言っていたのに。敵地の中をたった一人、サーヴァントから離れてうろつくなど、自殺行為にもほどがある。
 こうなったのは自業自得だ。自分の無能が招いた、自分の責任。
 こんな馬鹿マスター、今回ばかりは、彼女も愛想が尽きただろう。

「何を躊躇っている? 胸の内で決めたことを、言葉にするだけだろうに」

「私は――私は……」

 白い靄が覆ってゆく視界に、アーチャーの端正な瞳が見えた。迷い俯く、その顔が。

 ――肯け!

 ――こんな愚かなマスター切り捨てろ!

 肺に空気はなく、苦痛の吐息が漏れただけだったけれど、声が出たならそう叫んでいただろう。

「さあ、アーチャー。答えを聞かせよ。こんな男、切り捨ててしまえば良いではないか」

「…………」

「早くしろ。この男が大事なら大事で、死ぬまで迷うつもりか?」

「……いいだろう」

 嗚呼――でも。
 意識を失う間際、ほんの一瞬だけ。
 助けてくれと思ってしまったことを、アーチャーは許してくれるだろうか。

 最後に、彼女の迷いを断ち切った表情が見えた。

「――私は、このマスターを裏切る」

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対話①

 そもそもセミラミスの宝具、『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』は、ミレニア城塞に体当たりするために造ったのではない。ミレニア城塞地下に隠匿された大聖杯を奪い去るために拵えたのである。要塞が備える「さかしまである」概念を用い、地脈より無理やり引き剥がす計画だった。

 状況の変化によって、その計画は破棄され、予備案として用意されていた墜とす方を実行に移したのだが、だからといって「さかしまである」概念が失われる訳ではない。浮遊するほどのエネルギーを失くしたとしても、庭園内の水は逆流を続けるのだ。
 そしてそれは、大聖杯強奪用に用意された構造も同様。装置は墜落の最中も稼働を続け、大聖杯を取り込もうとし続けた。

 結果的に、大聖杯は地脈より剥離し、半端に上昇し、城塞と要塞の中間あたりに位置する部屋で停止していた。


 その部屋より出てきたセミラミスは、部屋の前の廊下で、腕組みをする”赤”のアーチャーと顔を合わせた。何か言うより先に、向こうが口を開いた。

「天草は中にいるか?」

「ああ、いるぞ。何か用か?」

「大した用ではない」

「そうか」

 そう言って立ち去りかけた時、アーチャーが腕を解いた。

「お前にも用がある、アサシン」

「何か……?」振り返り、セミラミスは小首を傾げた。「その言葉に対して、全く喋りたくなさそうな顔をしているな、おまえは」

「我がマスターは無事だろうな?」

 アーチャーは淡々と訊ねた。感情を完全に制御した無表情で、声に一切の震えはない。
 すこし不思議そうに、セミラミスは訊ね返した。

「そんなに不安なら、見に行けばよいではないか。奴は地下の牢に隔離している。誰も逢瀬を邪魔したりはせぬ」

「質問に答えろ、アサシン。無事なのか?」

「……もちろん約束は守っているとも。傷一つつけてはいない」

「本当か?」

「そう疑うなら見に行けというに……。仮に殺したりすれば、すぐにおまえが気付くであろう? 今敵対者を増やしたりして、こちらに何の得があるというのだ」

「そうか。ならいい」

 話は済んだとばかりに口を閉じたアーチャーを見て、セミラミスは口元を吊り上げた。

「裏切ったというのに、無事を保証せよとは、おまえも随分あのマスターに情が移ったのだな」

「情? 何を言っている」

「違うのか」

「言っただろう。お前たちに生殺与奪の権を握られたくないだけだと。魔力供給どころか、令呪まで奪われては、いつ自害を命じられたものか判らんからな」

「その割に、扱いを一任するというのは不思議だな。いったい何を考えている? ――それとも、考えが纏まっておらぬのか」

 フンと鼻を鳴らし、アーチャーは部屋へ入って行く。

「……なかなか難儀な奴よの」

 セミラミスは溜息を吐く。決して仲間と信用した訳ではないが、彼女はそれなりにアーチャーへ同情を寄せていた。彼女の境遇に憶えがあったというのもあるし、そこから発したであろう願望に、何となく物悲しさを感じていた。天草と違い、足掻く時間すら与えられなかったからだろうか……。


          #


 アーチャーが部屋へ入ると、大聖杯の前で懸命に作業を続ける天草四郎の背が見えた。

「おっと! マスターの邪魔はしないようにお願い致しますよ」

 部屋の隅の暗がりに、キャスターが姿を現した。右手の人差し指を、口の前に立てている。

「キャスター……」

「ただいまマスターは、大聖杯と吾輩の間に魔力供給のパスを通している最中でして。ま、もっとも、潤沢な魔力を戴いたところで、戦いには役立ちませんがね」

「大聖杯が蓄えた魔力ならば、サーヴァントの数騎程度、余裕で運営できる、か」

「その通り!」大声で叫びかけ、キャスターは口を抑えた。「ランサー殿は、これまで力を制限していたようですから、ようやく本領発揮というところでしょう。直に目にすることは叶わないでしょうが……」

 そんな場にいたら、吾輩など戦闘の余波で消し飛んでしまいます! とキャスターは(おどけ)た。

「アーチャー殿も、如何です? 今ならまだ接続は間に合うかもしれませんよ?」

 その時、一段落ついたのか、大聖杯の前から天草が近づいてきた。

「残念ですが、間に合いませんよ」

「おや、そうでしたか。期待を抱かせてしまったようなら申し訳ありません、アーチャー殿?」

 アーチャーは返事せず、軽く溜息を吐いた。

「アーチャーさんの持ってきた情報によれば、黒は今日か明日の晩に攻めてくる――ですね?」

 天草の問いに、目線で頷く。

「であれば、事情がない限り、今夜攻めてくるでしょう。時間がありません。本来であれば、それまでに大聖杯の起動も済ませたかったのですが……」

「優れた物語には、優れた逆風が必要なものですよ、マスター。『逆境の甘美なことといえば(Sweet are the uses of adversity,)それはヒキガエルのように醜く有毒で(Which, like the toad, ugly and venomous,)しかし宝石を冠している(Wears yet a precious jewel in his head.)』――というものです」

「貴方はそう言うでしょうね」軽く肩を竦め、天草は上を仰いだ。「ところでアーチャーさん、私になにか用事があって来たのでは? それとも、キャスターに十四行詩(ソネット)を作ってもらおうと?」

「ほう! ようやく吾輩の本業が必要とされる時がきましたか!」

 キャスターを視界から外し、天草を見据える。このキャスターは、まともに相手するだけ時間の無駄だと、そろそろ彼女も気付いていた。

 向こうに、大聖杯の光がぼんやり見えた。
 ずっと求め焦がれ続けてきた、自らの望みが……。

「先に使わせてほしいということでしたら、すみませんがお断りします」

 彼女の視線を追って、天草が微笑んでみせたが、眼は笑っていなかった。

「そうではない……」

 アーチャーは瞬きした。
 大聖杯の残光が瞼の裏に残った。

「天草四郎――お前は、なぜ全人類の救済を望む? それを正義と信じるからか?」

「人類を愛しているからですよ」天草はすぐ答えた。「だから救いたい。貴女も子供が好きだから、願望を抱いたのではないですか?」

「私は――」

 なぜか彼女は言葉に詰まった。

 子供は好きだ。だから彼らが愛される世界を望んだ。
 けれど……。そう、その願望を抱いたのは――いつだったろう。
 どうして、この望みを追い続けられたのだろう。

「……失礼する」

 アーチャーは踵を返し、大聖杯の間を後にした。


 彼女が去った後、作業に戻ろうとする天草に、キャスターが語り掛けていた。

「吾輩、彼女はあまり好きませんな」

「おや、これはどうしてです? 彼女の生涯は、なかなか貴方好みだと思いましたが」

 髭を引っ張り、キャスターはつまらなさそうに言った。

「人生ではありません。気になるのは過去ではなく、現在……。彼女、マスターと同じような大望を抱きながら、聖杯に願えば何とかなると考えていたのでしょう? まったく怠惰というほかありますまい! 何やら色々悩んでいるご様子でしたが、吾輩に言わせれば全て自業自得。子供を救う術を思考放棄した、その怠惰が今の煩悶を呼んでいるのですからね!」

「それは――それは違いますよ、キャスター」天草は真剣な口調になった。「彼女は考えています。考えに考え、思考を続けた末に――聖杯に頼ると決めたのでしょう。怠惰ではなく、むしろ真摯な姿勢といえます」

「ほう、マスターにはそう見えましたかな? しかしそれにしては……」

「何か気になりますか?」

「……いえ、やめておきましょう。味方の精神を弄ぶというのも――ま、それはそれで面白そうではありますが――吾輩も、そこまでの冷血漢ではありませんからな!」

 軽薄な口調で話し、キャスターは現れた時同様、唐突に姿を消した。


          #


「ランサー、ここにいたか」

 アーチャーが最後に訪れたのは、魔術師の集う間だった。
 魔術師たちは円卓を囲み、口から雑音を吐き出し、脈絡ないそれらは誰に届くことなく、天上まで昇っていく。

 本来”赤”のマスターとして腕を振るうはずだった、哀れな者の集まりだ。尤も、今は彼女のマスターも似たような境遇にあるのだが……。
 彼らはアサシンの毒によって、聖杯大戦に勝利したという幻想を抱いたまま、それ以上の思考をやめていた。

 本来であれば彼らを生かしておく利はない。殺す利もないのだが、その二者択一を迫られれば、アサシンは殺す方を選択するだろう。
 彼女にそれができない理由は単純で、”赤”のランサーが常に目を光らせていたからだ。

 細面の青年は、魔術師の背後に、何をするでもなく、ただじっと立っていた。アーチャーが入ってきたことに気付き、顔だけそちらに向けた。

「ランサー……、訊ねるが、貴公のような英雄が、なぜ天草に従っている?」

 彼女の言葉は、魔術師たちの頭上を、鋭く切り裂いた。

「我がマスターのためだ」

 表情一つ変えず、ランサーは答えた。

「マスターの……? どういう意味だ、それは」

「我がマスターは聖杯を望んでいる。報いるために、あの男に協力する必要がある」

「…………」

 ランサーの理屈は単純で、だからこそアーチャーは眼を瞠った。

 英雄としてではなく、一人の人間として、あまりに完璧な高潔さ。

「ならば……、その為ならば、天草の願いを正しいとするのか?」

「正しい――?」ランサーは僅かに首を傾けた。「ああ、お前たちの不思議な議論のことか。……オレは命令に従うのが役割で、ただその役割を全うする。だから結果に興味はない。好悪を断ずることもない」

 その返答は概ね想像通りだった。彼ほどの英傑ならば、そう答えてもおかしくない――ただひとつ、気になる点を除いては。

「不思議な議論とは、何の話をしている?」

 アーチャーが訊ねると、唐突にランサーが頭を下げた。

「……お前とマスターの会話内容を、あのアサシンが盗聴して広間に流していた。聞いてしまったこと、謝罪しよう」

「あ、いや……、謝罪は不要だ。問いに答えて欲しい」

 ゆるりと頭を上げ、ランサーは「そうか」と口を開いた。

「ならば答えよう。お前たちは、『第三魔法の適用が正しいか』を議論していたが、そのことについてだ」

「……それのどこが、不思議なのだ」

 少し考え、ランサーは答えた。

「人類発展の方向性を考えるに、いずれ人類は魂の物質化を成功させ、種としての進化を果たすだろう。第三魔法――それは人類がいつか至る道だ。であれば、結果の正誤を議論しても意味がない。仮に議論するなら、その過程で大聖杯を用いるのが正しいか、だ」

「…………」

 アーチャーが沈黙したのは、ランサーが想像以上の饒舌だったからではない。
 彼の指摘が、全く正鵠を得ていたからだ。

 そう、それはどうなんだ?

 結果は正しくとも、その過程は……。

「それともう一つある」ランサーは独り言のように話した。「おまえの願望については話し合っていたが、マスターの願望に言及していなかっただろう。願望なく戦うマスターがいるのかどうか、オレは詳しくないが」

「ああ――それなら心配はいらない」

「心配はしていない」

 アーチャーは苦笑した。彼の突慳貧な物言い……喧嘩を売っていると解釈されても仕方ないだろう。

「我がマスターの願望は生存だ。不老不死になれるなら、それに越したことはないだろう」

「そうなのか?」

 やや驚いた様子でランサーが言う。尤も声に色がついただけで、表情に変化はない。

「そうだが……、何が疑問だ?」

「いや……生存と不老不死は別の概念だと思っていた。欲求と願望では違いがあると」

「――それは」

 アーチャーは思わず息を呑んだ。
 だが言葉を探しているうちに、まあオレの勘違いだろう、とランサーが呟いて、それきり口を噤んでしまった。


 部屋を出る際、ランサーを振り返ると、彼は入った時に見た姿勢のまま、静かに佇んでいた。

「礼を言うぞ、ランサー」

 彼は少しして、ぽつりと呟いた。

「……何の話をしている」

 アーチャーは、また、苦笑した。

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対話②

 いくらユグドミレニアの当主といえど、セーフハウスまで豪華なものを選ぶ訳にもいかず、その地下室は他のそれと大差ない造作をしていた。

「攻撃は今宵、か」

 深緑の硬いソファに腰掛け、”黒”のランサーは遠い目をした。
 ダーニックが対面に座り、重苦しい表情を浮かべている。

「申し訳ありません、領王よ。私が有効な策を見出せなかったばかりに……」

「仕方あるまい。それで、どう攻めるつもりだ?」

「は。それは――」

 三日間話し合いを重ねてきたが、とうとう”黒”は、城塞攻略の手立てを見付けられなかった。
 もう数日粘って、作戦を練るという手もあったが、ダーニックがそれを否定した。三日間考えて思いつかないのであれば、これ以上考えても無駄と判断したのである。
 よって戦略は限りなく単純なものになった。


 一通りを説明し終え、ダーニックは息を吐いた。どうやらランサーの不興は買わずに済んだらしい。

 地下室を照らすランプの灯が、二人の影を背後に投じている。

「ダーニックよ」ふいにランサーが口を開いた。「我が領土を侵した”赤”の蛮族を、余は赦すつもりはない。無論聖杯はこの手に収めるが、その前に奴等を根絶やしにしなければ、余の心は安まらぬ」

「承知しております」

「特に――あのアーチャーを赦す気はない。……奴は我が名を侮辱した」

 口調は冷静そのものだが、その底に隠された深い怒りを感じ、ダーニックは戦慄した。メフメト二世すら恐怖したという、その冷酷かつ苛烈な本性の一端に触れた思いだった。

 とはいえダーニックにも聖杯を欲する理由がある。ランサーの言いなりではない。

「しかし領王よ――」

「お前の懸念は判っている、ダーニック」手を開き、ランサーは鷹揚に頷く。「私情を優先して、大局を疎かにすることはないと約束しよう。あのような虫けらのために、大聖杯を手放すことはない。……だが」

 ランサーの瞳が、すっと鋭く細められる。
 遠くどこにいるか判らない敵すら、視線で殺しかねない凶悪さ。

「だがもし、機会があれば……。奴にはただ死を与えるのみならず、余を穢したのと同様、相応の屈辱を味わってもらう……。そうなれば止めるなよ、ダーニック」

 ダーニックは恭しく胸に手を当てた。

「貴公が名誉のためにこそ戦っておられることは、よく存じております。その邪魔をどうして私がしましょうか」

「ならば良い」

 それっきり、秒針の音のみ響く室内に、重く冷たい沈黙が降りた。


          #


「――という経緯で、僕はせんせ――キャスターを自害させ、君に()うまで逃げてきたって訳。……それじゃあ次は君の番ね、セイバー」

 ロシェ・フレイン・ユグドミレニアが、微笑みを浮かべる。

「あ、ああ……」

 唾を飲みこみ、セイバーは曖昧に頷いた。


 二人がセーフハウスに避難してきた頃に、時は戻る。

「ゴルドには、人前で喋るなって言われてたろ? でも今のマスターは僕だから。好きに喋っていいよ」

「そうか。判った」

「それで、早速教えてもらいたいことがあるんだけど」

「何だ?」

「……その前に、座ったら?」

「了解した」短く答え、セイバーはソファに腰を下ろす。「何を聞きたい? 俺の真名と宝具は先ほど話した通りだが、敵の戦力についてか?」

「いやいや」

 ロシェは大袈裟に首を振り、セイバーの胸を指差した。

「セイバーのこと――君の生涯について教えてほしい」

「……すまない、俺の――何について?」

「生涯について。良いでしょ?」

 ロシェは小首を傾げ、セイバーの瞳を覗きこんだ。

 セイバーはこの新たなマスターに対して、ゴルドに対するものとはまた別種の戸惑いを感じていた。というよりむしろ、これならばゴルドの方がやりやすかったと思うくらいである。

「俺の生涯か……。しかし何を言えば――」

「全部」

「全部? とは……」

「だから、全部だよ。生まれてから死ぬまで、誰と逢ったか、誰と別れたか、誰を愛したか、誰を嫌ったか、好きな食べ物とか、暇つぶしの方法とか、冒険とか、何を考えていたのかまで。全部」

「…………」

「大丈夫。時間はたくさんあるんだよ。総攻撃は三日後ってダーニックが言っていたから、それまでずうっと話せる」

「……俺のことを知りたいなら、その、歴史書なり何なり読めばいいのではないか? 俺が語るよりも整理され、判りやすいと思うが」

「僕が知りたいのは、そんな表層のことじゃない! 君の全てを知りたいんだ!」

 ロシェは紅潮した頬で、熱っぽく語った。

「そうか、す、全てを……」

 実際の所、セイバーは圧倒されていた。数え切れないほど強大な敵を打ち倒し、困難な冒険を潜り抜けてきた勇者でも、このように追い込まれた経験は初である。

 なかなか口が重たいセイバーを前に、ロシェは腕組みをして考えた。
 彼はすぐ手をポンと打ち、そうか、と声を上げた。

「なるほど、確かにセイバーにだけ話してもらうっていうのは、不公平だよね」

「いや、俺は別に」

「判った。先に僕のことを話す。えっと、僕が産まれたのは――」


 それから長い話が始まった。
 ロシェは自分について語れることの全てを語った。他人に対する悪感情も、キャスターを自害させたことについても、包み隠さず伝えた。話は脈絡なくジャンプし、遡り、矛盾し、主観的になり、客観的になった。彼は持てる言葉を使い尽くしてなお、さらに延々と語り続けた。

 或いは、それは恐怖だったのだろう。

 セイバーと判り合うためには、彼に自分を知ってもらい、自分が彼を知るしかない。年相応の幼さでロシェはそう考えた。そしてそれは正しい。老いた者がなし得ない正しさである。

 彼が滅茶苦茶になりながらも全てを話したのは、そうしなければ相互理解は得られないと恐れたからであり、語り漏らしがあった場合、その欺瞞をセイバーは見逃さないだろうという、強迫観念に駆られたからである。ひとつの見逃しもあってはならないと、どんな細かいことにも言及した。


 ロシェの話を、セイバーはただ真剣に聞き続けた。
 相槌も打たなかったし、聞き終えた後になにか感想を述べることもしなかったけれど、それで充分だった。

「……それじゃあ次は君の番ね、セイバー」

「あ、ああ……」

 セイバーにもう戸惑いはない。このマスターがどれほど真剣であるか、痛いほどよく判っていたし、自分も彼に応えなければならないと、自然に考えていた。

「俺は――」

 セイバーの話は、ロシェよりずっと纏まっていたが、その分量は凄まじかった。
 彼は数知れず経験した冒険を、一つひとつ詳細に語り、そのたびにロシェは顔色を赤くしたり青くしたり、様々な表情で受け止めた。

 これほど長い間他人の話を聞いたことも、自分の話をしたことも、セイバーには初めてのことだった。


 やがてセイバーの話も終わった。三日あった余裕は、もう半日も残っていなかった。

「はぁーっ」

 薄い隈を残した顔で、ロシェがソファで横になる。
 まだ十三余年しか生きて生きていない彼が、英雄の密度の濃い人生を受け止めるために、かなりのエネルギーを消耗した。

「……あまり面白い話でなくて、すまなかったな」

 セイバーが呟くと、ロシェはがばりと身を起こした。

「ううん、面白い――というのは不謹慎だけど、聞いてよかったと思う」

「そうか」

 セイバーは話の内容を反芻する。
 思えば――こうして自分の人生を具に振り返ることなど、これまでしてこなかったかもしれない。

「それでも、たぶん僕には、セイバーの半分も判ってないんだろうね……」

 ロシェは溜息を吐く。なにしろ、あれほど憧れ、何度も調べたアヴィケブロンのことでさえ、自分は理解していなかったのだから……。

 その様子を見て、セイバーは何気なく口を開いた。

「悲観することはない。そうだとしても、今この世界で、一番俺のことに詳しいのはマスターだ」

 不思議そうに瞬きして、ロシェはセイバーを見つめた。

「……何か?」

「なんでもない、けど……」ロシェはくすっと笑った。「案外、僕とセイバーは似ているのかと思って」

「似ている?」

「正反対って意味でね」

 それだけ言うと、大欠伸して、ロシェは今度こそソファで横になる。
 夜になったら起こしてね、と小さく呟いた後、すぐに寝息を立てはじめた。

「正反対……?」

 セイバーは暫くの間、首を捻っていたが、やがて納得したように頷いた。


          #


 カウレスは室内を歩き廻っていた。
 何度も時計に目を向けては、まだ大して経過していないことに苛立ち、忙しなく足を動かす。

『――()()()()。無駄な体力消費です』

『判ってる』

 アーチャーからの忠告にも、怒鳴りつけるように返し、乱暴にソファに座った。

「クソ、大聖杯を早く……」

 ”黒”のアサシンを倒した時点で燃え尽きるだろう、というアーチャーの予測は外れた。カウレスは新たに為すべきことを発見したのである。燃え尽きている場合ではなかった。

「大聖杯で――早く、姉さんを生き返らせるんだ……」


 アサシンの消滅を確認した後、屋根の上で倒れ伏せるカウレスに、アーチャーが近づいてきた時。
 
 カウレスに迷いはなかった。

「アーチャー……、俺と――契約してくれ」

「良いのですか? 君は、それで」

 カウレスを見下ろすアーチャーの顔は、人を導く温和な教師のそれではない。
 教え子には決して見せない、どこまでも冷たい瞳が、彼を見透かした。

「当たり前だ……! マスターを護れなかったお前には、その責任がある。違うか!?」

「その為ならば、バーサ―カーの想いを踏みにじっても構わないと? その覚悟が君にあるのですか?」

「ああ、ある――そうだ、踏みにじるさ。踏みにじってやる、いくらでも!」

 ふとアーチャーは、カウレスの手に残る二画の令呪に目を留めた。

「そう――でしたか」

 バーサ―カーへの魔力供給で一画、宝具の強制に一画と思っていたが……。

 眼を瞑り、アーチャーは短く息を吐いた。

「いいでしょう。君をマスターと認めます。カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニア」


 暗い地下室で、カウレスは戦いの時を待ち続ける。
 静かになるとすぐ、バーサ―カーのことを思い出しそうで、彼は立ち上がり、また室内を歩き廻る。

「絶対に……俺は謝らないからな」

 以前カウレスは、バーサ―カーに、宝具を全力で打つことを禁じた。彼女はよく判っていない様子だったが、それは勝ち残るための絶対条件だった。

 宝具『磔刑の雷樹(ブラステッド・ツリー)』を最大出力で使用した場合――()()()()()()()()()()()()()()()

 そして彼女は、アサシンを倒すため、全力で宝具を放った。
 令呪で命じた訳ではない。だが彼女が宝具を打とうとしているのを知りながら、それを留めなかったのは、ほかでもないカウレスである。

 だから、バーサ―カーを殺したのはカウレスだ。
 彼はその事実から逃げるつもりはなかった。

 でも――後悔しない。
 バーサ―カーに詫びることもない。

 絶対に。

 だって謝ったら、それこそ嘘だ。何もかもを打ち棄てる覚悟で、この道を行くと決めたのだから。どんな犠牲も無視して進む義務がある。

 たとえ自分の命を失おうと……。

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決戦

 夜を迎え、トゥリファスの街は森閑とした空気に沈んでいた。

 外灯に照らされた路の上、ミレニア城塞へ向かう影が揺れた。

 万夫不当、いと名高き”黒”の英霊達。傍らにマスターの姿もある。戦場へマスターが出向く不利と、サーヴァントから離れたところで奇襲を受ける不利を比べた結果だ。

 先頭を行くのは”黒”のセイバー。アーチャーとランサーが続く。戦闘能力の高い三騎士のサーヴァントが残ったことは、彼らにとって幸運だった。
 なぜなら、これから”黒”が実行する策は力押し。搦め手など講じる余地はないからである。

 やがて目指す姿が見えた。
 敵に奪われ、脆くも崩壊した、その名残……。

 セイバーが足を止め、大剣(バルムンク)を構える。要塞は敵の接近を感知し、既に砲塔を転回しつつあった。

 十一門の巨砲すべてに狙われ、セイバーは汗一つ流さない。黙々と宝具発動のタイミングを見計らう。

 両者の緊張の糸が張り詰め、臨界を超えようとした瞬間。

「――なんだ?」

 遥か上空に、きらりと輝く軌跡を認め、セイバーは眉を顰めた。


          #


「うむむ……どうやって攻め込めば良いのでしょうか」

 ルーラー、ジャンヌ・ダルクは悩んでいた。
 とにかく”赤”の城に攻め入らねばならないが、どうやって陥としたものか、皆目判らなかったのである。
 いや、陥とす必要はないか。入り込めさえすれば良いが――それも難しい。
 周囲を囲む十一門の砲台、あれが厄介極まる代物である。自らの宝具を使えば、ダメージを受けることはないだろうが、それだけでは不足。併せて接近しなければならない。

「何か悩みごとでも?」

「あ、いえ、何でもありません。このシチュー、とても美味しいです」

「それはありがとう」

 向かいに座るシスターがにっこり微笑んだ。

(せめて誰かに相談できれば良いのですが……)

 まさかシスター(アルマ)に訊ねる訳にもいかない。

 どうすれば陥とせるか――いや陥とす必要はなくって――おとす――落とす――墜とす?

「そうです!」

 思わずガッツポーズを決め、ジャンヌは立ち上がった。

「解決しました?」

 さして驚いた様子もなく、アルマはシチューを口に運んだ。
 かあっと赤面し、ジャンヌは慌てて席に座り直した。

「あ、これはその……このシチュー、ほ、本当に美味しいです!」

「それはありがとう」

「それとですね、えっと、数日ほど留守にしますから」

「あら、明日もシチューを作る気になったところだったのに」


 それからの彼女の行動は迅速だった。

 とにもかくにも金が必要。それもかなり纏まった額を短期間で。となると、金策はひとつしか思いつかなかった。

「主よ、お許し下さい……」

 山と積まれた現金を前に、聖女は淋しく呟いた。

「しかし、私にはこうするしか……」

 両手を見下ろし、がっくりと項垂れる。

 現界時に得た能力、「聖骸布の作成」によって作り上げた聖骸布を、売却したのである。
 真の聖女が新たに作ったものであるから、その価値は一般に出回っているそれとは別格であり、欲しいと手を挙げる魔術師はいくらでも見付かった。二回の使用で壊れるよう設定したが、値は上がりに上がり、何とか云う貴族が意気揚々と手に入れていった。対する彼女は、主に由来を持つ物品を、金儲けに使ったという事実に圧し潰されそうになっていた。

 その代わり、望みのものは手に入った。

 有り余るほどの大金。

 これだけあれば……。


          #


「あのルーラー――正気か!?」

 玉座の間で外部を監視する”赤”のアサシンが、目を丸くして叫んだ。

「いやはや、田舎娘らしい、ぶっ飛んだ発想ですなあ」

 大笑いして肩を震わせるキャスターの傍ら、壁に投じられた映像には夜空。そして。

 高高度より要塞へ一直線に落下してくる、小型飛行機の姿。
 コクピットに桿を握る女が、月の影になって見えた。

「素直に迎える訳にはいきません。アサシン、邀撃を」

「あ、ああ」

 天草が落ち着いた声で指示を出し、アサシンは慌てて砲台を操作する。要塞を囲む『十と一の黒棺(ティアムトゥム・ウーム―)』を直上へ向ける。
 あのルーラーの防御力は、生半可な破壊力では突破できない。半端に戦力を割くよりは、という判断から、全門を動かした。

「――では、地上の防衛にはオレが出よう」

 一連の騒ぎを見守っていたランサーが、音もなく進み出た。

「ええ、そうして戴けると助かります。カルナさん」

 微笑んだ天草に目礼を返し、ランサーは静かに玉座の間を辞した。

「これで暫くは”黒”を気にする必要はありませんね。ルーラーの処理に集中できます」

「判っておる。しかし――足止めしかできぬぞ」

「ええ、それで結構ですよ。いずれにせよ、この要塞に入った時点で、貴女の術中ですから。さて、私も準備を……」

「待て待て。マスターも戦う気か?」

 思わず映像の注視をやめ、アサシンが顔を上げた。

「まあ、最後の砦代わりですよ。人材は払底していますからね。こちらのキャスターはこの通り――」視線を向けられたキャスターが腕を広げ、肩を竦めた。「戦力には役立ちませんから」

 それ以上文句を言う訳にもいかず、アサシンは瞑目した。天草という男は、そういう人物であると、彼女はもう嫌というほど学んでいた。

 そのとき不意にアーチャーが霊体化を解き、広間の中央に現れた。

「私も防衛に出よう。ランサーが漏らした敵を討つ」

「ええ、お願いします」これもまた、天草は素直に許可する。「入口から大聖杯の間までの道中、貴女の戦闘に適した部屋があります。そちらを使ってください」

「――どこで戦うかは、私が決めることだ」

「構いませんよ。信頼していますからね」

「フン、心にもないことを」

 その言葉が響き終わる前に、彼女は姿を消していた。


「く、もう、限界……!」

 ジャンヌ・ダルクに騎乗スキルはない。よって、この小型飛行機の運転技術は、購入してから一日そこらで身に付けたものであり、砲台からの猛撃を躱しきるには大分足りなかった。
 どかん、と馬鹿みたいな爆発音が上がり、右翼が燃え墜ちる。

「もう少し……」

 すでに飛行機は自由落下状態に入っており、翼など不要である。着々と脱出の準備を整え、聖女は”旗”を手にした。
 次の一撃で左翼も喪失。飛行機は鉄の芋虫と化し、黒煙を上げて落下してゆく。

「やはり、もっとお金があれば……」

 本来はこんな小さな飛行機を買う予定ではなかった。彼女は嘆息する。
 現代の航空機事情には明るくないが、無人爆撃機とか、ジャンボジェットとか、そういった目隠し兼攻撃になるようなのを買う予定だったのである。だが彼女が用意した金額では、そんなものはおろか、新品を買うにも不足した。仕方ないので泣く泣く中古を買った。いくらなんでも高価(たか)すぎではないか。

 そんな文句を言っている暇はない。

 手足を捥がれ、軌道修正できなくなった飛行機を、十一門の砲台が見つめていた。
 一斉砲撃が、破片すら残さず消し飛ばす。

 ――だが。

 聖女の姿は一切穢れることなし。
 ”旗”を掲げ、月を背負い、彼女は要塞を見据える。

「――『我が神はここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)』」

 容赦のない砲撃が、あまりにも小さい彼女を襲う。しかし”旗”を振るだけで光弾は霧消し、傷ひとつ付けること叶わない。

 『我が神はここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)』――聖女へ、その味方へ、絶対的な護りを与える結界宝具。使用中攻撃できなくなるデメリットはあるが、落下中の身なら問題ない。そのまま落ちるだけである。

「あのルーラー――」

 段々と大きくなるその姿に、アサシンが苦々しく呟いた。
 
 続々と放たれる光弾が彼女を煌々と照らし、夜空に白昼を生んだ。
 だがアサシン必死の砲撃も、その落下を僅かに留めるだけで、押し返すには至らない。

 やがて聖女は、要塞の真上に降り立った。城を狙う訳にもいかず、砲台は沈黙する。

「さあ、天草四郎……待っていなさい」

 呟き、ジャンヌは”旗”で天井を殴りつけた。


          #


 聖女が特攻した隙を衝き、侵攻を続けていた”黒”の陣営は、城塞の入口を前にして足を止めた。

 扉を開け、滑るように出てきた青年――太陽を身に宿す英霊が、彼らの前に立ちはだかっていた。
 大槍を構え、”赤”のランサーは眼前の敵を睥睨した。

「……引き受けよう」

 ”黒”のセイバーが彼の前へ進み出る。剣を低く構え、もう臨戦態勢は整っている。

 二人が睨み合う横を、アーチャーとランサーが足早に通り抜ける。無論、”赤”のランサーは彼らを見逃しているのではない。ただセイバーの前で隙を晒すことの愚かさを知っているだけだ。

「三度見えたな、”黒”のセイバー――ジークフリートよ」

 僅かに高い語尾が、ランサーの悦びを伝えた。

「そうだな……。そしてここで、決着がつく」

 セイバーが答えると、ランサーは驚いたように首を傾げた。

 ああ、と納得し、セイバーは背後に立つマスターを一瞥した。

「これまで貴公の言葉に返せなかった無礼を詫びる。……すまなかったな、ランサー」

「気にしていない。お前は存分に戦ってくれた」

 淡々とランサーは答えた。
 それからすこし俯いた後、彼は迷ったように口を少し開いた。

「いや、必要ない」ランサーを制し、セイバーが小さく片手を挙げた。「真名を知られたのは俺の落ち度だ。貴公に他意がないのは判っているが、その真名を享けることはできない」

「――そうか。お前がそう言うなら、オレは真名を明かさないことで敬意に代えよう」

 戦争の始まりを告げた、鐘にしてはあまりに激しい激突。
 広大な戦場の中央を飾った、華にしてはあまりに眩しい宝具。

 聖杯大戦で生まれた因縁、敵対、敬意。

 すべてを綯い交ぜにして――三度の闘いが決戦の幕を開けた。

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饗宴

 土台となるミレニア城塞と、その上から突き刺さる浮遊要塞は、アサシンの魔術によって歪に繋げられていた。廊下と廊下を無理やり接続するため、構造自体がぐねぐねと捻れ、無駄な曲がり角が現れ、遠回りを強制され、アサシンの妨害抜きにしても、案内なしで正しい道を選択するのは至難を極めた。

「概ねこちらの方向だと思いますが……」

 それでも”黒”のアーチャーの先導で、ここまでは迷わず進んでこれた。
 ”黒”の面々の前には、上へ向かう廊下と、下へ向かう階段が並んでいる。これより先は、どちらにせよ深部であることは間違いなく、上でも下でも敵の心臓部に向かっているだろう、というアーチャーの推測である。

「では、我々は下へ向かおう」

 ここで悩むのは無駄と考え、ダーニックは即座に決めた。
 アーチャーが傍らのマスターに目線を送る。カウレスは慌てて頷いて見せた。

「あ、ああ。構わない。俺たちは上へ行く」

「では、領王よ」

 ダーニックとランサーが階段の下へ、警戒しながら降りていく。それを見届けた後、アーチャーも上へ進んだ。


 建材を継ぎ接ぎ(パッチワーク)したような、滅茶苦茶な見た目の廊下を抜ける。所々見覚えがあるのは、ミレニア城塞の石材が使われているのだろう。

 アーチャーの眼力を以てしても、魔術によって狂わされた空間を迷いなく通り抜け、間断なく仕掛けられる罠から易々マスターを護るとはいかなかった。逸る気持ちと対照的に、歩みは遅々として進まない。

 だが「大賢者」たる彼が、間違えることだけはない。
 多少時間がかかろうとも、冷静に思考し、また磨き上げられた戦術眼を用いれば、アサシンの偽装など容易く見破れる。一つひとつ確実に、彼らは深部へ向かっていた。

 無数の扉が現れる間を抜け、次に踏み込んだのは、広大な空間だった。
 室内は暗く、そこかしこに石塔が突き立っている。
 石塔それぞれに仕掛けが施されているのを、アーチャーは見抜いた。対象者に方向感覚を失わせる魔術らしい。

「マスター、私から離れないように」

 無論その魔術も脅威だが――アーチャーはこの空間に入った瞬間から、肌を突き刺すような敵意を感じていた。
 カウレスを庇うように立ち、周囲を警戒する。

 ”赤”のランサーは、こちらのセイバーと交戦中。残った”赤”のサーヴァントで、この空間を戦場に選ぶクラスといえば……。

「”赤”のアーチャー!」

 思い至ると同時、暗闇より三条の矢が飛来する。

「くっ……」

 弾く余裕はない。マスターごと突き飛ばすように躱す。
 鋭い音を立て、矢は大理石の床を穿った。

 咄嗟に弓を構え、目についた石塔を破壊する。魔力を籠めた矢で、塔の根本から爆砕した。
 しかし数本壊したところで塔は無数に並び、この暗闇では、そのうちどこから仕掛けてくるか、目視は難しい。加えて標的は高速で移動を続けている。
 だが――”黒”のアーチャーには関係ない。

「……そこですね」

 無造作に放った矢は、遥か遠く立つ一本の塔を破壊。
 崩れ去る石の破片に紛れ、黒い影が降り立つのが見えた。彼は流れる様な動作で、二の矢三の矢を放つ。躱されたが、それは想定内。

「”赤”のアーチャー、なぜ天草に付いたのです!」

 返答は風切音。だが発射点が見えているなら、撃ち落すことは容易い。逆に”黒”のアーチャーの射撃も、敵は撃ち落してくる。

 必然、両者は間合いを詰めるしかない。

 交差する矢と、衝突音が谺する。近付けば近付くほど、音の間隔は狭く、激しくなる。
 夥しい量の矢を近距離で放ち合い、遂に二人は数間を残すのみとなった。

 互いに弓を構え、牽制する。どれだけ接近したところで、相手はこちらの矢を撃ち落せると、双方が理解していた。

「ランサーの言い方に憤ったのなら、私から謝罪しましょう。だからといって天草の理想に付き合うことはない。貴女とて判っているはずです、彼の願望の歪さを」

「お前の真名を聞いたぞ、ケイローン」”赤”のアーチャーは斜めに敵を睨んだ。「まさか、敵方である私を教導するつもりか? それはそこのマスターにしてやったらどうだ?」

「まさか」

 ケイローンは微笑みを浮かべた。
 敵から目を離すことなく、背中に庇ったカウレスの顔を思い出す。

「我が役目は、迷う者を導くこと。己が道を見定めた者を、導く必要はありません。そちらこそ、マスターはどうしました? 戦場に出ず、口だけを出しているのですか?」

 挑発にも、”赤”のアーチャーは皮肉気に口元を曲げるだけだった。

「ああ、あんなマスターがいたところで、何一つ役立たんからな。できることといえば、戦場の隅で震え、みっともなく喚き、あとは吐くか気絶するか謝るか、だ」

「何ですか、それは」

 ケイローンは苦笑する。これ以上の会話は無意味だろう。
 軽く身を捻り、覚られないよう間合いを詰める。
 時間稼ぎされるよりは、こちらから仕掛けたい。矢を放つと同時、弓を放棄して接近戦を挑み、敵の隙を衝く。

 短く息を吸い、指先に神経を集中させた刹那、”赤”のアーチャーは構えを解いた。隙が生まれた訳ではないが、意表をつかれ、ケイローンは矢を放つ動作を止めた。

「なに――? 意外に早いな……」そう呟き、彼女はケイローンに目を向けた。「では、これで私は去る。お前たちは好きに進むがいい」

「おや、撤退指示ですか?」

「私の仕事は終わった。それだけだ」

 言うが否や、”赤”のアーチャーは部屋の奥へ駆け去った。ケイローンの声も届かないほどの速度であった。

「罠じゃないのか? 先へ進んだところを、挟み撃ちにするつもりじゃあ……」

 カウレスが眼鏡に手を当てた。突き飛ばされた衝撃で、フレームがやや歪んでいる。
 少し考え、ケイローンは首を振った。

「だとしても、彼女に有利な戦場を捨てる理由はありません。先に進みましょう」

「そうか、アーチャーがそう言うなら」

 頷いて、舞い上がった粉塵を吸い込み、カウレスは咳き込んだ。


          #


「そら、まだ行くぞ」

 アサシンが軽く指を振るだけで、五十本の鎖が一斉に鎌首をもたげた。

「――ッ」

 ジャンヌはほとんど反射的に背後へ跳躍したが、しかし濃緑の鎖は軌道を変え、彼女の手首へ絡みつこうとする。
 聖旗で弾いたものの、部屋の最奥までの後退を余儀なくされる。

 神明裁決を行使するか――と考え、首を振る。敵にも令呪があるだろう、相殺されて終わりだ。

 なおも玉座に腰掛けたままの相手を睨み上げる。
 アサシンは聖女の視線に気づき、くつくつと笑い声を立てた。

「我が居城へ、無礼な入り方をしてくれたのだ。それなりの歓待を覚悟しておろう?」

 再び鎖が殺到する。その数百。

(やはり――この間に於いては、無限にも等しい魔力供給を受けていますか)

 つまり、百本の鎖程度では手加減されている、と考えるべき。アサシンが本気を出した時こそ脅威だが――裏返して言えば。

(油断している今しか、彼女を討つ機会はない――!)

 鎖を避け、壁際を走り抜ける彼女の眼前へ、追加の鎖が召喚される。
 速度の乗った躰で回避すること叶わず、鎖は彼女の手足を縛りあげた。

「ぐっ――」

 完全に躰の自由を奪われる前、まだ拘束が緩いうちに暴れ、強引に鎖を引き剥がす。

 だが、僅かな停止も見逃すアサシンではない。
 何重にも束ねられた鎖が、動きを止めたルーラーの許へ殺到し――、彼女は天井の湖へ叩き付けられた。
 水底に()()、暗転する視界。音を頼りに旗を振るい、向かってくる鎖を弾く。

「セミラミス――」床に飛び下り、ジャンヌは雫を払う。「貴女が天草四郎を誑かしたのですか」

 追撃を加えんとしていたアサシンは、その言葉を聞いて、驚いたように手を止めた。

「ほう? それは中々面白い推測だぞ、ルーラー」

「答えなさい! もしそうであれば……」

「そうであれば何とする?」

「――貴女を、この命に代えて弾劾します」

「弾劾する? 無様に逃げ惑うので精いっぱいの、お前が?」

 そう言って可笑しそうに笑ったが、ジャンヌの眼光は弱まらない。
 大した反応を得られずつまらなかったのか、アサシンは退屈そうに手を振った。

「まあ、同じ主を崇める者として、そう信じたくなるのは判るがな」

「……ならば、何故」

「残念だな、聖女よ……。お前には一生判らぬだろう」

「ええ――ですから、私はここで貴女を打倒し、直接その罪を糺さねばなりません」

「そうか。……ん?」

 アサシンは何かに気付いた様子で、眉間に皺を寄せた。
 警戒し身を低くするジャンヌの前で、彼女の表情は段々と喜悦に変わっていく。

「……どうしたのです」

「ん? いやいや……」笑いを堪え切れぬといった風に、アサシンは顔を手で覆った。「ははは……これは面白い……待ちかねた時の到来だ」

「いったい何を――?」

 疑問符を浮かべたジャンヌの、さらに後ろへ、アサシンは指を向けた。

「お前の援軍だ、ルーラーよ。喜ぶが良い」

 旗を構えながら、ジャンヌが振り向いた先――。
 玉座の正面の扉を開けて、一騎のサーヴァントが姿を見せた。

「この状況では共闘せざるを得ないのではないですか、ルーラー?」

「”黒”のアーチャー……」呟いて、ジャンヌは小さく頷いた。「ええ、こうなっては仕方ありません。貴方が味方なら心強い」

 できるだけ”黒”の肩を持つような真似はしたくないが、状況は切迫している。あのアサシン相手では、二対一でも苦戦を強いられるだろう。

 しかしながら、アサシンはなぜか手を叩いて彼の登場を迎えた。

「これはこれは。待っていたぞ、”黒”のアーチャー」

「……何だと?」

 部屋に入りかけていたカウレスは、怪訝な表情を浮かべた。確かに彼女の優位は変わらないとはいえ、二対一の不利を喜ぶ理由が見付からないからである。

「気付いておらぬのか? この間に通じるよう、お前たちを誘導してやったというのに?」

 朗々と語る彼女の前で、アーチャーの研ぎ澄まされた戦闘勘は警告を発していた。

 なにか――不味い。

「マスター!!」

 彼がカウレスを部屋の外へ突き飛ばすのと、アサシンが艶めかしく唇を動かすのは同時だった。

「賓客は揃った。時機は来た。我が饗応に不足なく、此の間を充たし、汝らに隔てなく与えよう。今や宴の刻である。()()も望むが儘に……」

 セミラミス――古代アッシリアの女帝。
 彼女がアサシンとして召喚された理由は、何とも単純な逸話に因る。

 世界最古の毒殺者。

 彼女が造成したこの『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』において、その性質は最大限引き上げられる。

「――『驕慢王の美酒(シクラ・ウシュム)』」

 ……そして彼女の第二宝具が毒牙を剥く。

 蕩けるような表情で、セミラミスは瞳を揺らした。

「特にアーチャー……否、賢者ケイローン。お主の大好物――我が手ずから調合してやったぞ? 存分に、(くる)しめ」

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勝利条件

 ケイローンに突き飛ばされたカウレスは、目の前で扉が閉じるのを見た瞬間、令呪を行使した。
 彼の行動に迷いはない。この場で扉を閉じる目的は、サーヴァントを閉じ込めることにしかないのだから。

「令呪をもって告げる――我が下に馳せ参じろ、アーチャー!」

 二画目の令呪が消える。これにより、ただちにアーチャーは空間転移を完了する――はずだった。

「なんだ!? いったい何が……」

 膨大な魔力が消費され、しかし何も起こらない。アーチャーが現れるどころか、微風ひとつ吹かなかった。

『アーチャー! 返事をしろ! どうなってる!?』

『――煩瑣い奴よ。折角の見世物を邪魔するでない』

 必死に念話を送ったカウレスに返答したのは、アーチャーではなく、”赤”のアサシンであった。

『アサシン――どうして……』

『我が領域でそんな小細工は認めぬ、というだけよ。……ああ、そうじゃ、お前にも声くらいは聞かせてやろう。こんな機会は二度とないぞ?』

『お前――!』

 彼女との念話が断ち切られ、代わりにアーチャーとの回線が開く感覚がある。
 カウレスは悪態をついた。しかし今は状況把握に努めるほかない。

『アーチャー! 大丈夫か!? アーチャー!』


          #


「――あ……ぐ……」

 何か込み上げてくる感覚。咳き込むと、口からごぼりと血が溢れる。
 どうにか頭を持ち上げた視界は、紅く染まっている。それで目から血が流れていることに気付いた。次いで、耳から血が噴き出す感覚。

「あ、ああああ……」

 ――知っている。

「どうだ? ケイローン。お前を殺した毒の味は?」

 全身の細胞一つひとつを擂り潰されるような。
 血を抜き取られ、代わりに硫酸を流し込まれたような。

 そんな幼稚な比喩で、とてもこの苦痛は形容できない。

 耐える苦しみを知る者は、天地にただ一人、ケイローンしかいないのだから。

『アーチャー! 返事をしてくれ、アーチャー!』

 念話は聞こえても、認識する余裕がない。脳領域全てが、痛みの感知にのみ使われている。

「ああああ――ぁぁぁあああああ!!」

 死なせてくれと懇願した。

 こんな苦しみを味わうくらいなら――不死など要らぬと叫んだ。

「ヒュドラの猛毒――調合には骨が折れたぞ」

 悶える彼を前に、セミラミスがうっとり微笑んだ。


 宝具の発動とほぼ同時、咄嗟の判断でジャンヌは聖骸布を召喚し、自らの口元に当てていた。
 それでも毒は防ぎきれない。大気に溶け込んだ毒は、身体中から這入(はい)り込み、全身を侵していく。

「ぐっ――……」

 旗に寄りかかるように立ち、セミラミスを睨む。全身が痺れ、動きが鈍くなっているのを感じた。
 だがどうにか、致命傷には至っていない。

 それよりも――。

 絶叫を上げるケイローンへ視線を向ける。

 この数秒で、毒はもう全身を巡っているだろう。聖骸布を渡しても無駄だ。そもそもこの毒は、彼を殺した直接の死因。この間に入った時点で、死亡は確定していたのだ。

 ケイローンは苦しみ踠き、それでも弓を手放さない。

「アサ……シン……!」

「ほう、まだ立つか? 中々骨があるな」

 そう……。寧ろ、()()()()()()()()()()()()()()
 ヒュドラの毒――触れた者が即絶命する猛毒。不死を捨てたはずの彼は、既に死んでいなければおかしいのである。執念のみで生きているのだろう。
 だがそれも、僅かな間のこと。
 すぐにケイローンは立つこともできなくなった。ずるずると崩れ落ち、床に小さな血の池ができた。

「セミラミス――!」

 力を振り絞り、ジャンヌは玉座へ驀進する。
 時間と共に状況は悪くなるだけ。まだ動けるうちに全霊の攻撃を叩き込むしかない。

「邪魔をするな、ルーラー」

 膨大な数の鎖が向かってくるが、そんなものは無視。
 身を低く保ち、体内の魔力を脚にのみ集中させ、一直線に駆ける。

「なに――?」

 ジャンヌの突撃が、ほんの僅か、セミラミスの予測を上回った。
 鎖の下を抜け、玉座の彼女へ旗を突きつけ――。

みずの、おう(a lugal)

 突如、女帝の前に、鱗のような盾が投影された。

 原初の海に棲んだ神魚の鱗――その硬度は、聖女捨て身の一撃を防ぐに余りあるものだった。
 反動を受け、動きが止まった彼女を、直ちに数百の鎖が縛り上げる。

「お前に付き合っている暇はない、今はあの男の苦しむ様を――?」

 だが――ジャンヌに注意を取られたセミラミスは、ほんの一刹那、ケイローンから意識を逸らしていた。

 ……それで充分。

「……貴女は勘違いをしている」

 セミラミスの視界には血溜まりしか映っていない。
 慌てて首を振り、ケイローンの姿を捜す女帝の下へ声が届く。彼女が座す、その真上から――。

「我が願望は不死の返還。だからこそ……私は決意したのです。今度こそは、と」

 顔を上げたセミラミスの上、弦は限界まで引き絞られ、音速を超えて標的を貫くであろう。

 全身の血管が破裂し、身体中の孔という孔から血が噴き出る。
 常軌を逸した苦しみを湛えてなお――ケイローンは正気を失わず。

「今度こそは不死を捨てることなどしない――どんな苦しみが齎されようと、死という慈悲を願わぬと。それが仮令(たとえ)……、我が身を滅ぼせし猛毒の苦しみであろうと……!」

 大賢者が放ちし、渾身の一射。

 何者も追い付けぬ、光の如き一矢。

 殺意を全身に宿し、空間を切り裂く軌道は過たず――、

 ()()()()()穿()()()

「な――に?」

「これは意表をつかれたな、ケイローン。貴様の足掻き、中々に良質な観劇であった」

 無限に等しい魔力供給、庭園という主戦場。
 セミラミスはこの場の主人(マスター)。令呪を撥ね退け、無数の鎖を生み、神魚を召喚し、大気を毒で充たし、そして――空間転移すら、彼女の意のまま。

 ケイローンの躰が失墜する。

 もう何の力も出ない。即死の毒は、賢者の躰を丹念に殺し切った。

 紅い視界にセミラミスの立ち姿を――部屋の中央に見付けた。

 だが、もう遅い。

 いつかと同じだ。

 少しずつ――薄れてゆく。
 確実に――喪われてゆく。

 音が、視界が、呼吸が、身を灼く痛みすら……。

 ケイローンは苦しみの内に目を瞑った。

(最期に……ルーラーにはお礼を言いたかったのですが)

 保証はない。けれど、上手くいく方に彼は懸けた。

()()()()()()()()()()()()()()――ありがとう、と)

 最硬の盾、自在の転移。
 どんな大英雄が勝負を挑んだところで、攻撃を掠らせることもできまい。

 ただひとつ、意想外の一撃を除いては。


 ――その矢は既に番えられている。

 ――その弦は既に引き絞られている。

 ――その狙いは既に定められている。

 予備動作不要。故に予測不能。
 すべて弓兵が願ってやまぬ――射撃の窮極。

 天蠍一射(アンタレス・スナイプ)

 ――それは星から放たれる。


 回避する術はなかった。矢は女帝の脳天を――霊核を貫いた。

 躰を縛る鎖が消え、ジャンヌは静かに着地する。

 消える間際のセミラミスの表情は見えなかった。もしかすると、射られたことにも気付かなかったかもしれない。理由(わけ)を知って死ぬことと、知らぬまま死ぬこと。どちらが良いのだろうと思う。

「…………」

 首を振り、聖女は想いを断ち切った。まだ彼女の戦いは終わっていない。

 それと同時、啓示が降りる。

「――え? まさか……」

 二、三度瞬き、彼女は要塞を包む空気を感じ取る。どうやら間違いではないらしい。

 ここまで侵入したのに、とは思うものの、ジャンヌは啓示に従い、逃走を選択した。


          #


「クソ――クソッ!!」

 カウレスは廊下を走り、壁を殴りつける。
 来た道を戻れる保証はない。すぐ敵サーヴァントが追撃に来るかもしれない。
 それでも――今は走ることだけに集中する。

 ケイローンは消滅した。

(俺じゃなければ――姉さんなら)

 (フィオレ)ならば、むざむざ敵の罠にかかることもなかっただろうか。
 アーチャーを救う術を思い付いただろうか。マスターとして何もできないまま敗退することもなかっただろうか。

 カウレスは逃げる。
 ひたすら逃げ続ける。

(逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!)

 仮に逃げ切ったとして、その先に何があるだろう?

 自分に何が残っているだろう?

 そんなことは――どうでも良い。

(姉さんさえ蘇るなら――もう、どうでも良いさ)

 世界中で、亜種聖杯戦争が執り行われている。

 ほとんどの聖杯は作成途中に頓挫。やっと完成したものはどれも暴発。どうにか体裁を整えた戦争ですら、塵芥(ゴミ)のように劣化した聖杯だというが――。

 無数に行われる戦争のなかに、一つくらいあっても良いだろう。

 真の力を持つ、聖杯が……。 
 

          #


 一合武器を交わすたび、閃光が散り、夜を明々と照らす。
 戟音は耳を劈き、何よりも質量と密度を以て、周囲の空間を歪めていた。

 ”黒”のセイバー(ジークフリート)は、剣を両手で握る。
 上段から振り下ろした先、敵の姿は既にない。振り向きざま逆袈裟に斬り上げると、ランサーの突進とぶつかった。敵の勢いは抑えきれず、大地に轍を残して後退する。

 ”赤”のランサー(カルナ)は魔力放出をもって押し切ろうとしたが、それに合わせてセイバーが力を抜き、身を反転させた。勢い余って進む躰の背後から斬撃が来ると判断。更なる炎を放出、加速して難を逃れる。

 二度の戦闘を経て、互いの手の内は判っているつもりであったが、二人は共に、相手の隠された実力に戦慄していた。

 魔力供給の枷を解かれた”赤”のランサーは、猛火を駆使し、空を地を縦横無尽に駆ける。その速度はとても目で追えず、セイバーは己の勘のみで対処していた。
 対する”黒”のセイバーは、ランサーのように直接的な変化があった訳ではない。しかしながら、彼のあらゆる感覚が、自分でも驚くほど明敏に研ぎ澄まされていた。

 外面のみを見れば、カルナの優位は確実であった。敵の真名を知り、致命的な弱点も判っている。黄金の鎧を纏った身体は、セイバーの剣閃をもってしても断ち切ること叶わない。
 それだというのに、なぜ押し切れないのか……?
 無論、易々と倒せる相手だとは考えていない。だがこの戦闘におけるセイバーの剣の冴えは、これまでのそれとは次元が違った。

 遠くに佇むセイバーのマスターを一瞥する。

 それでいいと、カルナは思う。

「――ハァッ!」

 宙を飛び、セイバーの視線が外れたことを確信して、突進する。
 槍の切っ先が当たった――刹那、セイバーは身を引き、最小限のダメージで受けきってみせた。逆にランサーのがら空きの懐へ、大剣(バルムンク)が唸りを上げて襲いかかる。

 そのまま激しい打ち合いが始まった。
 極至近において、大剣と巨槍が交差する。
 振るう武器の奥に好敵手の瞳を見――両者は口元を緩めた。

 技術も誇負(プライド)も、勝敗すら、今は思考の外。
 ただ戦士としての、祈りにも似た意地だけが、躰を突き動かす原動力。

 渾身の一撃をぶつけ合い、二人は間合いを取った。
 言葉を交わすような無粋はしない。
 慎重に武器を構え、相手の出方を窺う。

 その時、背後の要塞から凄まじい轟音が響いた。

 だが、そんなものに気を取られ隙を晒す、未熟な二人ではない。
 一秒にも満たぬ探り合いを経て、意志を固めた。

 大地を蹴り、英雄たちは更に苛烈な剣戟の坩堝へ飛び込んでいく――!


 ――この感覚は何なのだろう。ジークフリートは考える。

 乞われるまま戦い、乞われるままに死んだ。
 この戦闘だって同じだ。マスターに戦いを命じられ、それに従っているだけ――否。
 益体のない言い訳だ。
 さっさと認めてしまおう。

 これは、己が望んだ戦いだ。

 思わず笑い出しそうになる。

 自らの生涯を、選択を、悔いることは決してない。ただ、こんな生き方があるのかと、それを知れたことが嬉しいだけ。

 敵の技量は己のそれを陵駕している。食らいつくので精いっぱい。とうに限界は超えている。いつ敗北してもおかしくない。――だというのに。
 どうしてこうも躰が軽いのか。心に清爽な風が吹いているのか。
 剣を振るうことに、これほどの歓びを覚えたことが――果たしてあっただろうか。


 永遠に続くかに思われた戦いも、いずれ決着を迎える。

 このまま続けても押し切れないと判断し、カルナは賭けに出る決断をした。
 成功確率は不明だが、彼の考える限り、これが最も勝利に近い。だがもし失敗したら――。

(失敗すれば敗北する)

 その事実に、カルナは何の感慨も抱かない。元より命懸けの勝負をしているのだ。そんなことは当たり前。

 セイバーの剣に思い切り槍を叩き付け、宙へ飛び上がる。
 体勢を崩した敵の背後。躰を”鎧”で覆ったジークフリート唯一の弱点、露出した背中を視認。
 彼が振り向く、その前に。

 カルナは槍を投擲した。

 神速で飛ぶ巨槍を、セイバーに確認する暇はない。
 炎の軌跡は、一直線に彼の背を目指す――しかし。

 セイバーは、槍を弾いた。

 体勢を崩された瞬間、敵の狙いを直感したセイバーは、咄嗟に剣を後ろへ回していたのである。重い衝撃を受けながらも、彼はランサーの一投を防ぎ切った。
 そして、槍を弾いたこれこそ、唯一無二の好機。

 敵が武器を失った今、最後の猛攻を仕掛ける……!

 だが――振り返った先にランサーの姿はない。

「――ッ!?」

 一瞬の驚愕を浮かべるセイバーの背後。
 槍の投擲に隠れ、上限を超えた魔力放出により、瞬間移動が如き速度で、カルナはセイバーの後ろを取っていた。

 眼前には、好敵手の弱点。

「武具など不要。真の英雄は眼で殺す……!」

 勝負が終わる寂寥。

「――『梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)』」

 酷烈なる眼力は熱線と化し――、ジークフリートの背を貫いた。


 仰向けに倒れたジークフリートの許へ、カルナが静かに歩み寄る。何かを言おうと思ったのではない。ただ、己が倒した相手を看取ることは、最低限の礼儀であると考えたからだ。

「ランサー……。虫のいい話だが、ひとつ、俺の頼みを聞いて、くれないか……」

 下半身から粒子に変えていくセイバーの言葉に、言ってみろと頷いた。

「俺が消えた後、我が、マスターを、殺さないで欲しい」

「――そんなことか」こちらへ駆けてくる、彼のマスターを一瞥する。「言われるまでもない。戦いは既に終わっている」

 ロシェは懸命に足を動かし、セイバーの許へ走った。そのすぐ傍に敵サーヴァントがいることなど、考えてもいなかった。

「セイバー!」

 息を切らし、己がサーヴァントを見つめる。既に彼の躰は、半分ほど消えかけていた。

 顔を傾け、ジークフリートは唇を動かした。

「すまない、マス、ター……。俺は、敗けてしまった」

「謝るな――! それに……それに……」

 目元に涙が浮かんだことに気付き、ぐしぐしと拭う。
 喉に何かつかえているように、なかなか声が出なかった。

「それに……敗けてなんかない。セイバーの勝利だよ……!」

「……?」

 横で聞いていて怪訝に思ったカルナは、間もなくその言葉の意味を知る。

「なる程――確かに、お前の勝利だ、ジークフリートよ」

 魔力供給が――途絶えていた。

 この戦闘で消費した莫大な魔力、その分が補填されていない。これでは戦闘どころか、現界すら覚束ない。

 ジークフリートは驚いたように眼を見開いた後、穏やかな笑みを浮かべた。

「勝ちを譲るな、ランサー。俺は……、いや……。そうだな、受け取っておこう。我が、マスターのために」

 そして、彼は消滅した。

 先ほどまでの死闘が嘘だったように、城の前を静謐が支配した。

 瞑目し、カルナは自らの消滅に備える。

 その前に、マスターに謝罪をしたかったけれど。
 心残りを晴らしてしまえるほど、時間は残されていないらしい。


「…………」

 ロシェは少しの間、崩れた城壁を無言で睨み上げていたが、すぐ身を翻して、遠く駆けて行った。

 ミレニア城塞から、トゥリファスから、遠く……。

 遠く……その、もっと向こうへ。


          #


 とはいえ、これは”黒”が想定した経過ではなかった。

 確かに作戦通りではある。”赤”のランサーを真向から倒すのは難しい。よってセイバーが足止めし、その隙に別動隊が魔力供給を断つ。
 しかし――これは彼らが知る由もないことだが――この作戦にはいくつか想定外があった。

 まず、セイバーが稼いだ時間内では、複雑怪奇に入り組んだ迷宮を通り抜け、天草の許へ到達できなかったこと。
 次に、仮に時間内に辿り着いたとして、現在ランサーの魔力供給を担っているのは、大聖杯であるため、天草を倒すだけでは不十分であること。

 結局のところ、”黒”の作戦は破綻していた。にも拘らず、なぜランサーは斃れたのか。


          #


 大聖杯の間で、天草四郎はひとり佇んでいた。
 もし”赤”のサーヴァントが敗北した場合、敵が最後にやってくるのがこの間である。

 大聖杯だけは、何としても守り抜かねばならない。

 たとえ味方が全滅し、自分ひとりしか残っていなくとも。

 絶対に……。

 絶対に……!

 だから部屋の前に人影が現れた時も、彼は動じなかった。誰であれ、己が為すことは変わらない。

 しかし――敵が何者か見定めた時。

 さしもの天草も、動揺を禁じ得なかった。

 彼の前に立つ、その男は――。

「何故――何故だ。何故お前がここにいる……!?」

 ――その男は、筋肉(マッスル)だった。

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蜜と声

 ……しあわせ。

 ここはとても心地良い。

 なんてすばらしい場所だろう。

 暖かくて、静かで、穏やかで……。

 甘い、甘い……。

 蜜のなかにいるような。

 無限に引き延ばされた、黄金の微睡み。

 ”――それで良いのか?”

 ……。

 ”赤”のアサシンの、最も意地悪いところを挙げるなら、これだろう。
 彼女は理性を奪わなかった。正しい思考能力を残したうえで、この蜜に漬け込んだのだ。

 その半端な理性が……より深いところへ堕としてくれる。

 だってそうだろう?

 何度も繰り返した戦いのなか、何もできなかった。
 果ては自分の不注意で、敵に囚われた。
 戻ったところで、また自分の愚かさを知るだけじゃないか。

 このまま死んでしまえば、いい。

 ”――それで良いのか?”

 良いんだ、これで。

 アーチャーにだって、見放された。

 記憶を失って、何かが欠落した日々を送っていた。けれど彼女のお蔭で、その穴から眼を逸らせた気がしていた。

 甘えていた。
 ただ、甘えていた。
 それを受け容れてくれた彼女は、どれだけ優しかったことか。

 それももう終わり。

 アーチャーは。

 ”――それで良いのか?”

 ……?

 微かな違和感。

 なぜ、彼女は()()()()()()()()

 いや、勘違いに違いない。そんなのは言葉の綾。ただの……。
 でももし、そうでなかったとしたら。

 しかし……。だが……。


 ”――それで良いのか?”
 ”――それで良いのか?”
 ”――それで良いのか?”

「それで良いのか青年ンンンンン!!」

「うるっせええええぇぇぇぇ!!」

 叫んで、アルは思い切り躰を起こした。

「はぁ……はぁ……え?」

 頭から血が引き、一瞬くらりと眩暈がする。傾いた躰を支えようと、床についた腕に、力が入らず、ばたりと横に倒れた。冷たい石床が頬を冷やした。

 ここは……。

 横になった視界で、周囲を見廻す。
 目の前には鉄格子がある。どうやら、牢獄に繋がれているらしい。湿っぽい空気と、黴の臭いが鼻腔を擽った。
 壁に窓はない。牢の外にある壁際に、小さな灯が点っていた。

「……ん?」

 対面する牢――その暗がりにも、何か閉じ込められている。
 躰を慎重に起こす。相変わらず力は出ない。
 目元を擦り、眼を細める。何故か判らないが、巨大な岩が置いてあった。

「おお、圧政に屈してより二日、それが叛逆だ青年よ! その底力、胆力、我が同胞と呼ぶに相応しい!」

 とんでもない大音声が反響し、寝起きの頭をぐらぐら揺らした。

「うぅ……」

 額に手を当て、深呼吸する。酸素が脳に染み込んで、徐々に思考がすっきりしてきた。

 思い出せる記憶はそれ程多くないが……自分の置かれた状況は判る。”赤”のアサシンに捕らえられた後、何らかの処置を受けて、この牢獄に入れられていたのだろう。

 もう一度、恐る恐る対面の牢を観察する。
 岩山のように見えたそれは――、筋骨隆々の大男であった。

 ――『筋力A/耐久EX/敏捷D/魔力E/幸運D/宝具C』

「さ、サーヴァント……!」

「はははははは。その名で呼ばれる屈辱、それこそが我が叛逆を輝かせるのだよ」

「……?」

 どうやら言葉は通じているようだが、何を言いたいのかさっぱり判らない。

 しかし、何故牢屋にサーヴァントがいるのだろうか。
 まさか囚人を見張っている訳ではあるまい。というより、よく考えると、彼も捕まっている立場である。
 いったい、何のために……?
 敵サーヴァントなら殺せばいい。味方サーヴァントの手綱が執れないのなら、令呪を使えばいい。檻に入れる意味がない。

「えっと、貴方は……」

「君と志を同じくする者だ。出自は知らねど、圧政に抵抗するその矜持を見ればこそ」

「はあ」

 やはり意味が判らないが、これだけは言える。
 このサーヴァント、間違いなくバーサ―カーだ。”赤”か”黒”か知らないが……。
 だが……その声には聞き覚えがあった。

 あの蜜のなか、何度となく聞いた声。

 ”――それで良いのか?”

 己の理性の囁きだと思ったが……どうやら、彼が引き戻してくれたらしい。

「あの……」通じるか判らないが、頭を下げた。「ありがとうございました。貴方のお蔭で、俺は……」

「私はただ君の叛逆心を呼び覚ましたに過ぎぬ。君の叛逆は君が負い、君が誇り、君が果たすものだ」

 なにか金属の触れ合う音がした。

「……ん?」

 音がするのは、こちらの牢ではない。自分の手足は拘束すらされていなかった。
 対面するバーサ―カーのものかと、暗がりを透かし見る。

「……ひっ」

 思わず悲鳴を上げてしまう。

 バーサ―カーは、見るも無残な有様だった。
 身体中を鎖で巻かれている――なんてレベルではない。
 腕にも脚にも胴体にも、鎖が刺さっている。一本や二本ではなく、何十という数が、隙間なく打ち込まれていた。全身から血を流し、指一つ動くことを許されない様は、痛ましさのあまり直視できない。

「だ、大丈夫なんですか、それ……」

 震える手で、彼の躰を指差す。
 発言した直後、失言だと思った。大丈夫な訳がないではないか。

 しかしバーサ―カーはあろうことか、にっこり微笑んだ。

「大丈夫。ほら傷口も笑ってる」

「そ、そうですか……」

 どう見ても笑ってはいなかったが、曖昧に頷いておく。なんにせよ、彼も一角の豪傑らしい。

 それにしても……これからどうすれば良いのだろう。
 思い付いた時は正解だと思ったけれど、こうして冷静に考えてみると、とんでもない勘違いをしているだけに思えてきた。夢の論理が、目覚めると同時に溶けていくように……。

「どうした青年。圧政者の傲慢を打ち倒してこそ叛逆は為されるのだ。途中に休む暇はない」

 溜息が聞こえたのか、バーサ―カーが呼びかけてくる。彼の言葉の意味も、何となく判るようになってきた。

 その声が抱く、自信と覚悟に魅かれたからか。
 気付いた時には、口を開いていた。

「あのう……。もし、ですよ」

 言いながら、馬鹿なことをしているなと思う。
 バーサ―カーに相談を持ち掛けるなど……。

「もしも、圧政者の力が虚栄に過ぎず、叛逆の途上で城が崩れた場合、貴方はどうするんですか?」

「次なる被虐者を救うのだ。我らが道程に終わりはない」

 これ以上ないほど、明快な答え。

 誇りに充ち満ちた、彼の生き様そのもの。

「……そう、ですよね」

 思い悩んでいた自分が莫迦らしくなる。

 まったく……。

 まったく、本当に莫迦だ……。

 壁に手を付いて立ち上がる。力が抜けそうな腿を叩いて、檻の出口に向かう。

 軽く手を触れただけで、扉は向こうに開いた。鍵はかかっていなかった。ずっと自由の身だったのだ。恐らくそれが、”赤”のアサシンの愉悦なのだろう。

 牢屋を出て、向かいの鉄格子に近寄った。

 近くでバーサ―カーを見ると、いっそう痛々しさが増すと共に、その存在感に圧倒された。どれ程の間こうしているのか、床には血が溜まり、回復を始めた肉がみちみちと鎖を銜え込んでいる。それでも彼の瞳は爛々と輝き、全身に闘気が漲っていた。

「あの……。出られない、んですか?」

「鎖の縛は極めて堅固。さらに現在の私は力の供給を断たれた状態にある。素晴らしい、素晴らしいほどの逆境、圧政ではないか。ははははは」

「鎖か……」

 格子の間から腕を差し入れる。一本の鎖を摑んで引っ張ってみるが、鎖の先端は奥の壁にがっちり喰い込んでおり、まったく抜ける気配はない。

「ぐぐぐぐぐ……」

 仮に抜けたところでどうなるのか、正直見当もつかない。自分に有利に働くのか、或いは殺されるのか。理性を喪失した戦士の行動など、判るはずがない。

「必要ないぞ青年!」

 間近より、大声が鼓膜を震わせる。

「でも……」

「これは我が叛逆。私が負ったことなのだ。手助けは不要だ」

 その言葉で、心は決まった。

「手助けじゃないですよ」歯を食いしばり、思い切り引く。「俺は、ただ貴方の叛逆心を呼び覚ましているだけ、ですから……!」

 その時、鎖の張りが緩んだ。
 勢い余って手が鎖から離れ、後ろに転がる。

「っててて……。――え、どうして……?」

 見ると、バーサ―カーを繋いでいる鎖が、どれも力を失ったように弛んでいた。
 間違いなく自分が引っ張ったこととは関係ない。そんな程度でどうにかなる強度ではなかった。
 理由は判らないが、ともかく――。

 一瞬、バーサ―カーの躰が肥大したように見えた。

 腕が脚が、じゃらじゃらと鎖を引き、固定されている背後の壁ごと拘束を破壊していく。

「これが愛の為せる業。叛逆は続くのだ青年」

 実に爽やかな微笑みが――こちらを見下ろしている。

「え、えっと……」

 冷や汗が額を滑って行った。

「お、俺は関係ないですからね!? そのこれは……、し、失礼します!」

 振り返らず、出口へ向かう。横に檻が立ち並ぶ廊下を抜け、冷たい空気が流れてくる方へ走る。……正直なところ、彼ともう一度会いたいとは思えなかった。

雄々々々々々々々々々々(オオオオオオオオオオオ)――!」

 背後から雷鳴のような雄叫びが届く。それと共に、城の構造自体が軋むような、厭な音が響き始めた。


 重い扉を抜けた先は、先ほどの陰気な牢獄とは違う、豪奢な城の廊下。窓がないということは、地下なのだろう。

 さて右と左、どちらへ向かったものかと首を振り――。

「アーチャー……」

 腕を組んで立つ、アーチャーの姿を見つけた。

「――遅い」

 彼女は開口一番、そう言った。

「ああ、ごめん……遅くなった」

 でも「裏切り程度で取り乱してもらっては困るな」――なんて、なかなか思い出せないよ。そう言い掛けて、ぐっと言葉を呑み込んだ。

「急げ、恐らくもう勘付かれている」

「判った」

 アーチャーの先導に従って走る。
 柔らかい絨毯が足音を吸収する、静かな廊下に、とても小さな声が聞こえた。

「だが、よく戻った」

 聞き違いかと思って、彼女の横顔をまじまじと見つめる。アーチャーの表情に変化はなく、よく判らなかった。
 
 それよりも、訊ねなければならないことがある。

「でも……良いのか? アーチャーはそれで……。君の願いは……」

「やはり、そうか」

「え?」

「本当は天草の願いが私のものと完全に重なる――などと、汝は考えていなかったのだろう?」

「な、なにを言って――?」

 走る先、廊下の天井を見上げる。

「……それだけ目を泳がせておいて、よく言う」アーチャーが溜息交じりの声を出した。「あの時は、あまりにもわざとらしかったから、敢えて指摘しなかったが……まさかここまで嘘が下手だったとは」

「…………」

「勘違いするなよ。我が願望を諦めた訳ではない。ただ……、天草の解答は、汝を犠牲にしてまで縋るものではないと……、そう思っただけだ」

 俯いて足を動かす。

(本当に、莫迦だ……)

 彼女の願望を侮辱したのだと、今の今まで気づかなかったなんて……。


 三度目の行き止まりにぶつかり、アーチャーは舌打ちした。

「チッ……私が地下に来た時点で、既に構造を変えていたか」

 振り返ると、アルが息を切らし、今にも死にそうな顔をしながら走ってくる。アサシンによる最低限の栄養補給しか受けられず、二日に渡って寝続けていたのだから、無理もないといえばそうなのだが――。

「早くしろマスター!」

 アーチャーは容赦しない。いざとなれば、自分の命と引き換えにしてでも、彼一人を逃がさなければならないのだから。

 いくつもの部屋を抜け、扉を開けた先。
 広大な空間に、二人は踏み込んでいた。

「ここは……」

 あたりを見廻し、アルが呟く。

 静かな場所だった。
 どこか神秘的な、無機質な、人間が立ち入ってはいけないような……。

 硝子の円柱が、整然と立ち並んでいる。硝子の内側には薬液が充ち、その中に――。

「ひ、人……?」

 ゆらゆらと、人間が浮かんでいた。男女関係なく、いずれも裸、白い髪の人間が揺蕩っている。意識はないのか、一様に眼を瞑っていた。

「いや、ホムンクルスだろう」

「ホムンクルス?」

「天草に聞いている。マスターからではなく、予め鋳造したホムンクルスに魔力供給を担わせるのが、”黒”の戦略だったらしい。その施設が残っているのだろう」

「それは……」

「なにを傷付いた顔をしている。魔術師というのは、並べてそんな存在ではないのか」

 アーチャーの冷静な指摘に答えるように、この場に似つかわしくない、暢気な声が響いた。

「その通り! しかしアーチャー殿、戦闘を放り出してお出かけとは、女帝殿はたいそうご立腹であられましたぞ!」

 硝子の柱の陰から、髭面の男が芝居がかった仕草で歩き出てくる。その顔は、アルにも見覚えがあった。

「……キャスター」

「いかにも」

 アーチャーの眼光を受け流し、”赤”のキャスターは悪戯好きの子供のように、瞳を妖しく煌めかせた。

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終焉

 横薙ぎの小剣(グラディウス)を、ぎりぎり身を引いて躱す。

「くっ……」

 後退せざるを得ない。
 一撃でも受ければ、躰は耐え切れず行動不能になるだろう。そう思わせるだけの圧を感じた。

 手にした刀――三池典太光世を一瞥する。

「おお、我が愛から逃れようというのかね?」

 目の前に立ち塞がる敵は、法悦そのものといった笑みを浮かべた。
 天草四郎は、苦々しい想いで”赤”のバーサ―カー(スパルタクス)を睨み付ける。鎖によって与えられていた彼の傷は、既に回復を始めていた。

 巨躯に、はち切れんばかりの筋肉を纏い、スパルタクスは見る者を威圧する。その一撃は、正しく嵐であった。
 彼が暴れた後、壁にも床にも亀裂が走り、相対する者は衝撃波のみで吹き飛ばされる。

 その筋力に、天草が太刀打ちできる道理はない。
 彼に分があるとすれば、ただ一点――敏捷のみである。

「――ハッ」

 気合一閃、スパルタクスの懐に踏み込み、首筋を切り上げる。
 みちり、と密度の高い繊維を切り断つ感触。これが人間の躰かと思うほど重い。無理やり刃を押し通し、即座に背後へ跳ぶ。

 スパルタクスの首は半分以上切り飛ばされていた。人間なら言うに及ばず、英霊とて致命の傷となるだろう。
 ――だというのに。

「素晴らしい……!」

 微笑みは絶えず。というより、いっそう濃い笑みを浮かべ。
 巌の如き拳が、たった今まで天草が立っていた床を打ち抜いた。

 スパルタクスの視線がゆっくりと、逃れた天草を捉える。

 切り裂かれた首は湯気を上げ、元通り癒着していた――否。傷口が、若干盛り上がっている。
 ただ元の形を復元するだけでない。何かが()()()()()

 具体的には――首の傷口から、頭の先端が覗いていた。

 異常にして、異形の化物。

「やはり……、魔力の変換効率が暴走していますか」

 天草の見立ては正しかった。
 本来スパルタクスの宝具――『疵獣の咆哮(クライング・ウォーモンガー)』は、受けたダメージを魔力に変換し、回復やステータス強化に充てる能力である。断じて畸形の回復を生むようなものではない。しかし聖杯大戦という例外であるためか、或いはマスター不在という異常事態であるためか、その能力に何らかの障碍が発生していたのである。

 そんな思考にお構いなく、スパルタクスはがばりと両腕を拡げて突進してくる。

「汝を抱擁せん――!」

「――ッ」

 間一髪逃れたと思ったが、指先が僅かに胸を掠った。肋骨が纏めて折れる感触。

「ぐっ……ハァ……」

 胸に手を当て、傷の具合を確かめる。

 この回復速度を見る限り――、三池典太でいくら斬りつけようと、黒鍵を投擲しようと無意味。この敵に有効なのは手数ではなく、圧倒的な破壊力。それだけだ。

「困り、ましたね……」

 即ち、スパルタクスを打倒し得るサーヴァントは、カルナしかいないことになる。だが彼は現在、”黒”のセイバーと交戦中。セイバーとて難敵。放置して良い相手ではないし、カルナが全力で当たったとしても、早々に決着はつかぬだろう。

 無論、勝機はある。スパルタクスは魔力供給を受けていない。刻一刻と消滅の時は迫っているはず。
 しかし……、本当に消えるのか?
 天草は必死にバーサ―カーの暴威を受け流す。戦闘が始まってより、力の衰えを一切感じぬ剣尖。むしろ傷付けば傷付くほどに、その力は増すばかりだ。

 時間稼ぎをするしかないのか――狂戦士(バーサ―カー)を相手に?

 それまで果たして耐えられるものだろうか。

 いつの間に切れたのか、額より垂れる血を拭う。

 重い疲労感が躰を支配している。一発喰らえば敗北という重圧、常に微笑みを浮かべた敵の表情もまた、こちらの精神を削り取る。

 背筋を冷たい汗が流れた。

(だが……これが試練だというのなら……)

 六十年を伏した。如何なる艱難辛苦も乗り越えると決めた。天草四郎に躊躇はない。


          #


 なぜ”赤”のバーサ―カーは囚われていたのか。それはやや込み入った事情による。

 まずスパルタクスは、召喚とほぼ同時に、ミレニア城塞へ向けて進撃を開始。ユグドミレニアに囚われ、マスターを”黒”のキャスターに書き換えられた。
 そして”赤”と”黒”が草原にて激突した際、”黒”の捨て駒として扱われる予定だった。戦列を掻き乱し、その場で朽ちさせる計画だったのである。
 だが、戦局はユグドミレニアにとって予想以上に上手く運び、スパルタクスの出る幕は最後までなかった。結局解放されなかった彼は、ミレニア城塞の地下牢に出戻り、次なる戦いの時を伏して待っていた――のだが。

 空中庭園が城塞に突っ込み、さらに”黒”のキャスターが死亡したことで、スパルタクスの立場は宙に浮く。

 ”赤”はバーサ―カーを奪還したものの、自然災害が如き彼を持て余したのである。
 城に進撃するならまだしも、”黒”の面々が街に潜伏している現状、徒に被害を撒き散らすだろうバーサ―カーを、解放する訳にはいかなかった。
 が、だからといって殺すのは惜しい。”赤”の戦力は充分とはいえず、何かに使えるかもしれないと思い、セミラミスによる拘束を行ったうえで、そのまま地下牢に繋ぐことになった。魔力切れで消滅するならそれで良し、決着が付いたなら、殺すなり、移植した令呪で自害を命じれば良い。

 そういう訳で、”赤”の面々はスパルタクスの存在など、ほぼ思考の外だったといえる。天草が驚いたのも当然といえば当然ではあった。

 彼らは警戒するべきだったのだ。否、警戒はしていた。だがしかし、拘束が解かれるや謎の嗅覚を発揮し、壁を天井を砕き、天草四郎の居場所へ一目散に突進してくるなど、いったい誰が想像できるだろう?

 今、天草は身を以て実感していた。
 「叛逆の英雄を拘束した」ことの意味に――。


          #


 戦闘でこれ以上持ち堪えることは無理だと、天草は直感した。
 であれば、後はもう、舌戦を挑むしかない。

 拳の一撃を避け、天草は口を開いた。

「スパルタクスさん――、貴方と同様、私も圧政に抗した身です」

 予測通り、スパルタクスの微笑んだ顔が傾げられた。

「ほう……? 君も叛逆を」

「その通り」深く頷き、天草は刀を下ろす。「上から押し付けられた拘束に反し、私は被虐の民を率い、戦い続けました。結果は敗北に終わりましたが……」

 スパルタクスの動きが止まる。眼前の敵が語る内容が、紛れもない事実であると理解したのだ。

 圧政に抗い、民衆を率いた英雄――天草四郎時貞。

「圧政、蹂躙、虐殺。そういったものは何もかも、私が忌み嫌うものです。現在もそれは変わらない」

 落ち着いた口調、天草もまた微笑を浮かべ、誠実な言葉を並べる。目の前に立つ男には、カルナとは別の意味で嘘が通じないだろうと判っていた。

「だから――、貴方とも手を取り合いたい。私は今もなお、圧政と闘っている。それは個人の名ではなく――システムへの叛逆。我々人類を苦しめる死を除き、皆に真なる救いを与えたいのです」

「叛逆……。君もまた、我が同朋であったか」

「ええ。ですから――」

 急速にスパルタクスの戦意が萎んでいく。

 剣闘士、奴隷たちを救うべく戦ったスパルタクス。
 弾圧に対して立ち上がった天草四郎。
 実際に、二人の出自は似ていた。手を取り、共に理想を目指せるほどに……。

 だが、思考は環境に与えられる。
 どれだけ論理的な思考を積み上げているつもりでも、人間の判断は環境による歪曲から逃れられない。強靭な精神力をもつ天草四郎とて例外ではなく、それはどうしてもやむを得ない感情であった。

 つまるところ――天草四郎は()()()()()

 自覚はなかった。だが予想外の敵、不意に現れた死線、勝ち目のない戦い、それともスパルタクスの微笑み――この場における混沌とした要素すべてが、少しずつ天草を追い込み、脳の働きを鈍らせ、冷静な思考を奪っていた。

 だから。

「ですから――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それは普通のサーヴァント相手ならば、これ以上ない最善の一手であった。敵が傾きかけたところで、武器を引かせる。あとは冷静な対話で納得させれば良い。
 だが、スパルタクスは、普通の英霊ではない。天草四郎が見逃したのはそれだけ。

 スパルタクス――理性を失った、叛逆する機械。

 令呪という圧政を本能から嫌い、なにより一画の消費で止まるような存在ではない――!

「ははははははははははは。その傲慢――報いを見るがいい!」

「なっ……」

 スパルタクスは盲目的な突進を始めた。その瞳は灰色に濁り、もはや眼前の”圧政者”を潰すことしか頭にない。

「重ねて令呪をもって命ずる!」天草は叫ぶ。「バーサ―カー、止まれ!!」

 二画を消費し、ようやく敵の動きは止まった。中空にて突如錘を付けられたように、彼の躰は地に叩き付けられる。

 ふう、と息を吐いたのも束の間。

「な――馬鹿、な……」

「我、が……愛、を……」

 重い肉体を無理やり引き摺って、スパルタクスは指先を天草へ向ける。
 令呪に背く代償に、全身の筋肉はぴくぴく痙攣し、そこかしこの筋が音を立て断裂していくが――叛逆の意志は止まらない。

「重ねて命ずる……! 止まれ――!」

「オ、オ、雄々々々々(オオオオオ)……」

 遂にスパルタクスの歩みは止まった。口から雄叫びを漏らし、足掻けども足掻けども、躰はまったく動かない。

 ――しかし、天草を脅かすには、それで十分だった。
 胸に生まれた小さな焦燥が、彼のなかで膨れていく。

 三画ある令呪は全て使い切った。もしもう一度、奴が動き出したら……?

 クソ、なぜ自害を命じなかった……! もう奴を殺す術は……。

 ――圧倒的な破壊力。

(やるしかないのか……?)

 天草の視界が狭まっていく。

 間もなく彼は決断した。

 令呪の拘束が切れる前に――一片残らず消し飛ばす。それしか道はない。たとえそれで、ルーマニア全土の霊脈が枯れ果てようとも――!


 両腕を霊脈へ接続する。途端、膨大な魔力が流れ込んでくる。

 ……ここミレニア城塞は、近隣の地脈を全て束ねた、超極太の霊脈が通る場所。発動に申し分ないだけの魔力を集められるはず。

「『右腕・空間遮断(ライトハンド・セーフティシャットダウン)』、『左腕・縮退駆動(レフトハンド・フォールトトレラント)』」

雄々(オオ)雄々々(オオオ)……!」

 不気味にスパルタクスの肉体が蠢動を始める。

(まさか――自ら躰を壊して脱する気か!?)

 壁に付いた手に力を籠め、ゆっくりと押し、押し続け、腕がぐしゃぐしゃに壊れるまで押すような所業。

 正気の沙汰ではない。いかに理性なき英霊とはいえ、そんな真似ができるのは……。

「スパルタクス――!」

 右腕に全神経を集中させる。流れ込む魔力は許容限界を超え、回路は暴走している。右腕が壊れれば、大聖杯の書き換えは叶わなくなるが……仮にそうなったとしても。

 ――何百年かかろうと、また待つだけだ。

 爆発寸前の脳で命令を紡ぐ。

「――『右腕・零次収束(ライトハンド・ビッグクランチ)』」

 全てを呑み込むブラックホールが、バーサ―カーを擂り潰していく。

 肉体は肉塊へ、肉片へ、細胞へ。

 叛逆の剣闘士の躰を消し飛ばし――。


 魔力の充填が足りなかったか?

 焦燥が集中力を狂わせたか?

 それとも――執念の強さで劣ったか?


 半身を喪失し、霊核すらほぼ砕け散った容態。

 未だ剣闘士(グラディエーター)は死なず。

 天草四郎による規格外の破壊は、臨界を超えてなお余りある損傷を、スパルタクスに与えた。

 ……そして、消し飛ばされた傷口より、最後の破滅的な()()が始まる。

 指が腕が爪が髪が頭が舌が眼が歯が脚が鼻が首が神経が筋が骨が腱が臓腑が血が管が筋肉が筋肉が筋肉が肉が肉が肉が肉が――――。

 うまれて。

 ふくらんで。

「――ああ」

 それは、どちらの嘆息だったろう。

 夢の終りを視た男か。

 憤怒と愉悦に狂った男か。


          #


 爆発は天草四郎のみならず、大聖杯にも少なからぬ衝撃を与えた。

 微妙な調整のもと繋がれていた、魔力供給のパスを歪め、切断する程度には……。

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彼岸

 キャスターが何か言い出す前に、アーチャーの矢が彼の眼を貫いた。

「これはこれは、過激なご挨拶をどうも」

「……やはり幻影か」

 キャスターの姿はゆらゆら揺らめき、徐々に透けて消えた。
 アーチャーは苛立ったように声を荒げる。

「キャスター、汝の下らぬ戯言に付き合っている暇はない。退いてもらおう」

「マスターと二人連れ添い、それ程に急いでどちらへ? 劇場(グローブ座)にでも、観劇に向かわれるのですかな?」

 こつこつと足音を響かせ、また別の硝子柱の陰から、キャスターが現れる。これも幻影だろう。

 無視して、アーチャーは全身に殺意を漲らせた。

「汝では私に勝てぬ。それくらい判っているだろう。それとも『レイピア使いは(many wearing rapiers)ガチョウの羽ペンを恐れる(are afraid of goosequills.)』ことを証明したいのか?」

「おおう! これは嬉しい驚きですな。吾輩の戯曲(ハムレット)をご存知で?」

「…………」

 アルとアーチャーをじっくり観察するように、キャスターは彼らの周囲を歩き始めた。

「しかし意外でしたぞ。貴女の願いを叶えるためには、天草四郎(マスター)に従うしかないと思っていたのですが……。彼の願望に間違いでも見付けましたか?」

「正義は並立を許すという話だ、”赤”のキャスター(シェイクスピア)」アーチャーは鼻を鳴らした。「奴の願望は正しいが、私のそれとは、向いている方向が違った」

「なるほど、なるほど……」

 顎髭を弄り、キャスターは二人の正面で立ち止まった。

「では、こういった趣向は如何でしょうか。せっかくのマスターとの逢瀬なのでしょう。予定通り観劇と洒落込むというのは?」

「去れ、文人」

 弓に矢を番え、アーチャーがキャスターを睨み付けるが、彼の不敵な笑みはますます濃くなっていくばかりである。

 付き合うだけ時間の無駄。無視して通過するか、宝具でこの部屋ごと倒すか――と、アーチャーが思案した時。
 彼女は、この部屋を充たし始めた魔力の渦を感知した。

「まさか――宝具を使うつもりか?」

「その通り! 貴女方のため、ここに劇場を開きましょう!」

「そんなことをして……!」

 無論宝具は警戒すべき代物だ。だがアーチャーの見る限り、キャスターは一切の敵意を発していない。彼はこちらに攻撃しようとしていないのだ。発動されるのがどんな宝具であれ、直接ダメージを与えるようなものでないことは見当がつく。悪足掻きのつもりか。
 目の前に立つ彼を射たが、やはり幻影。三人目のキャスターが現れ、にやりと笑った。

 アーチャーの殺気をものともせず、キャスターは――幻影の方だが――腕を開き、声高らかに叫んだ。

「貴女が敵に回った今、天地に上映を拒む者なし! さあ我が宝具の幕開けだ! 世界は我が手、我が舞台! ――『開園の刻は来たれり、此処に万雷の喝采を(ファースト・フォリオ)』!」


 アルは劇場に座っていた。

「は――?」

 座っているのは、観客席のなかでも真ん中の、一番いい席。正面の奥に、紅い緞帳の降りた舞台が見える。座席のクッションが程よい硬さで、躰を受け止めていた。
 目に入る限り、自分以外に観客の姿はない。しかし静まり返った劇場には、開演を今か今かと待つ時特有の、わくわくとした空気が充ちていた。

(これがキャスターの宝具? ならアーチャーは……)

 アーチャーは――舞台にいる。
 なぜかそう直感した。

「(アーチャー!)」

 しかし、張り上げたはずの声は響かない。
 席から立とうとしても、釘で打ち付けられたように、脚が動かなかった。

「野次はご遠慮いただきたい。上映中暴れるのもね」

 不意に左から声がした。
 はっとして顔を向けると、座席を一つ空けて、キャスターが座っていた。

「(お前、何を……!)」

 怒鳴ったつもりだが、口がぱくぱく動くだけで、やはり何の音も耳に入らない。

 キャスターは口の前で人差し指を立て、子供にするように「シーッ」と言った。
 こちらが諦めて黙ったのを見届けると、彼はウインクをひとつ残し、次の瞬間には消えていた。

 呆然として、正面の舞台へ視線を戻す。

 するとそれを待っていたかのように、深紅の幕が上がり始めた。

 アルにはどうしようもなかった。
 あの向こうに――アーチャーがいると判っているのに。

 観客と役者の距離。
 人間と英霊の距離。
 此岸と彼岸の距離。

 その断絶は、あまりに深い。


          #


 景色が切り替わる。

 アーチャーは森のなかに立っていた。
 どこか見覚えのある――森のなかに。

 やれやれと首を振る。この程度でダメージを受けると思われているのだろうか?

「下らぬ幻影だな」

《幻影? まさか!》呟きに呼応して、朧な人影が現れ、大袈裟に手を振った。《貴女もご存じの通り、吾輩の本分は物語。これは貴女を主役に据えた芝居なのです! もちろん元ネタは貴女の人生そのもの。さぞ、演技にも身が入ることでしょうな……はは……》

 人影が溶けるように消えていく。

「なるほどな」

 いずれにせよ下らないと、心の中で吐き捨てた。

 しかしこの強制力は本物だ。演劇宝具とでも言おうか、彼に指名された役者は、この悪趣味な劇が終わるまで、攻撃も退場を許されない。付き合うしかなかった。

 そして上演が始まった。


 森。

 遠ざかっていく背中と、必死に伸ばした腕。

 予想通りの展開だ。

(まあ、まずはこれを見せるだろうな)

 これがアーチャーの始まった場所。男児を望んだ父に、森へ棄てられた記憶。

 当時の彼女にとって、森は恐るべき異界であった。恐ろしい獣や化物が住み、人間の力が及ばぬ地。ひとりで入ってはいけないと言われていた場所へ、置き去りにされたのである。

 暮れていく空は、己の命を映している。陽が完全に没した時、生命の灯もまた消えるだろうと思った。

 だが、追体験しようとショックを受けることはない。何度も夢に見て、何度も苦悶した。ここは彼女が既に通り過ぎた場所。
 この程度で攻撃とは笑わせる。

《親の愛を受けられなかった原初の記憶! ああ、なんとも涙を誘うではありませんか?》

 キャスターの鬱陶しい語りも、今のアーチャーには通じない。

《しかし幸運とはあるもので、女神の慈悲を受けた彼女は、精悍な狩人へ育つのです……》

 時が過ぎ去っていく。
 熊の乳を飲み、獣の剽悍さを手に入れた。狩人の養育を受け、比類なき弓使いと変貌した。

 成長した彼女は船に乗る。ギリシャ中の英雄が集った船だ。死を待つばかりの捨て子だった彼女は、いつの間にかそれほどの力を手に入れていたのだ。

 潜り抜けた冒険の数々、航海を共にした仲間……。
 仲間内で争うことも、酷く心を傷める出来事もあったけれど、それらを含めて、間違いなく、彼女の人生で最も輝かしい時だった。

 飛沫を上げ、勇ましく進む舳先……。
 船尾に白く残る曳波……。
 そんな、滄溟の栄光。


 冒険を経るうち、彼女の名声は、留まることなく広まった。その美しさ、勇ましさは、野を越え山を越え喧伝された。その麗姿を一目見ようと、男たちは彼女の許へ押し寄せた。

 彼らの対応に苦慮しながら、冒険を終えたアーチャーの前に現れたのは、ひどく懐かしい顔だった。

「父上……」

 柔和な表情を浮かべ、彼女の父、イアソスが立っている。

 その姿を見た時、どれほど喜んだろう。
 各地を巡り、愛される子の歓びを知った。そして自分がそうでないことに、ずっと煩悶を抱えていた。
 けれどもう悩む必要はない。
 女は要らぬと言った父も――、我が功績を認め、今は私を愛してくれる。

「ああ……」

 嗚咽を漏らし、父に近寄る。長い時を経たが、ようやくその腕に抱かれるのだと思った。

「やっと逢えたな、我が娘」

 イアソスは満面の笑みを浮かべ、彼女の両肩に手を置いて――。

《ああ、しかし何たることか! どうして『父親は子がわからない(It is a wise father that knows own child.)』!?》

「求婚者が押し寄せておる。結婚し、子を為せ。アルカディアの跡継ぎを我が眼に見せてくれ」

 その眼は、彼女を見るためにあるのでなく。
 その腕は、彼女を抱くためにあるのでなく。

「断らないでくれるな? 父の頼みを、まさか娘が断るなど、そのような親不孝をお前は為さぬな?」

「わた――しは」

 真っ白な頭のなか。

 たったひとつ、確信した。

 自分が愛されることはない。

 だから、親の愛を求めてはいけない。

 愛の存在を知り、だが己は決して愛を得られないいのだと知った。

 きっとその時、何かを諦めたからだろう。

 悲しみも痛みも、もう感じなかった。

 イアソスの言葉を受け止める彼女の表情は、普段通りの平坦なそれに戻っていた。否――戻ったのではない、変わったのだ。

「ええ、判りました父上。ですが伴侶を選ぶ際、ひとつだけ条件を付すこと、お許し願いたい」

《おお”赤”のアーチャー! 親の愛を失った子供よ!》

 それからは早回しの映像が、眼前を掠めていった。
 伴侶を得、獅子の姿に変えられ、そして……。

「死んだ、か」

 舞台上には、何も残っていない。
 背景も大道具もない。暗い壇上に佇む彼女を、スポットライトが上から照らしていた。

 アーチャーに対面する形でもう一人、舞台の隅に本の頁を捲るキャスターが座っていた。彼にライトは当たらず、灰色の人影としてそこにいる。

「あ、終わりましたか?」分厚い本を閉じ、彼はアーチャーに目線を送る。「どうです、お気に召していただけましたかな?」

「予想通り、下らない出し物だったな。いつの間に落書き屋に鞍替えしたのだ?」

 アーチャーは冷たい瞳で、キャスターを見下ろした。

 そもそも、自分の人生を見て絶望する英霊などいるのだろうか。彼女は思う。
 
 だってそれは自分の経験、自分の思考だ。それを経ているからこそ今があるのであり、その過程にどんな挫折や後悔があろうと、それは生前に済んだこと。死後に持ち込むような真似はしない。少なくとも、自分はそうだ。

「馬鹿にされたものだな。こんな宝具で私をやり込めるつもりだったのか」

 溜息を吐く。世紀の大文豪シェイクスピアも、所詮はこの程度ということか……。

「おっと! アーチャー殿、貴女は勘違いされているようだ。吾輩とて、この毒にも薬にもならぬ人生をもって、物語とする気はさらさらございません」

「何だと……?」

「だってそうではないですか? こんなもの、悲劇にも喜劇にもなりやしない。そうですなあ……吾輩が書くならば……そう。悲劇であれば船を嵐に沈没させていたでしょうし、喜劇であれば、獅子でなく、兎の耳と尻尾を生やしたでしょう」

 両手を頭の上にのせ、兎のジェスチャーをしてみせるキャスター。
 しかしそれ程ウケていないと判るや、すぐに手を下ろし、咳払いで誤魔化した。

「……ともかく、ここまでは第一幕。観客に登場人物(キャラクター)のことをよく知ってもらうための、言うなれば挨拶のようなもの。物語が山を迎えるのはこれからです」

「シェイクスピア……ついに気が狂ったか」

 敵意を通り越し、もはや憐れみの籠った視線で、彼を見つめる。
 アーチャーの生涯は幕を下ろした。生まれてから死ぬまで演じきり、これ以上何の物語を続けるというのか……。

「はっはっはっは! それは作家には誉め言葉ですな! その通り、吾輩、過去の記録になんぞ、何の興味もありません。興味があるのは現在(いま)のみ! 眼前で次々と色を変える、最強の娯楽――感情にこそ、物語の妙味があるのです!」

「現在――だと?」

 なにを言っている……?

(奴は――私に何を見せるつもりだ?)

 アーチャーの思考に、僅かながらでも動揺が生まれたのはこの時だろう。

「さあさあ、幕間はこれにて終い! 席をお立ちの皆様方も、急いで戻って席に着け!」

 勢いよく立ち上がり、シェイクスピアが朗々と声を張り上げる。

「これより――第二幕を開演する!」

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此岸

 スポットライトが消え、アーチャーの視界は暗転する。

 一寸先も見通せない、暗闇の劇場。

 舞台の端に立つキャスターが、声を響かせた。

「ただいま上演したは彼岸の記録。これよりお見せするは此岸の記憶にございます」

「此岸……、マスターに手をだすつもりか――?」

「まさか。吾輩、あのような愚物に興味はございません。最初に言ったではありませんか、この芝居の主役は貴女だとね――」

 姿は見えないが、こちらを指差して笑っているのだろう。衣擦れの音が聞こえた。
 弓を握ろうと、手に力を籠めるが、当然なにも召喚されない。

「さて、第一幕において生涯を閉じた彼女は、ここへきて第二の生を享けました。英霊として召喚され――、聖杯を巡る戦いへ身を投じます」

 無意味だ、と思う。
 生前の景色を見せられても、何も動じなかったのだ。召喚されてからそう日が経った訳でもないし、挫折や後悔を経た訳でもない。これならば、まだ第一幕の方が辛かったといえる。

 息を吐いて、僅かに安堵する。

「明転の前に、ちょっとした問答をしてもらいましょう。よろしいですかな……!」

 返答はしなかったが、キャスターが満足そうに頷く気配があった。

「それでは最初の質問――貴女は何のために戦っている?」

「大聖杯を得るためだ」

「大聖杯を得て叶えたい、貴女の願望とは?」

「すべての子供たちが愛される世界をこそ望む」

 すぐ答える。考える必要はない、自分の存在意義そのものだ。

「ほう……」その時、キャスターの口調が変わった。「では訊きましょう。貴女にとって、”子供”とは何ですかな?」

 それは、以前された問いと同じ。
 だから答えも変わらない。

「自由なく、したがって責を負えぬ存在だ……まだ己の人生を定める力なく、庇護を必要としている者だ」

 キャスターは大きな拍手を送る。

「素晴らしい。……ところで、願いを叶える過程で生じる犠牲を、貴女は良しとするのでしょうか?」

「それは……、子供を救うために子供を犠牲にするかという話か?」

「そう理解していただいて結構」

 溜息を吐く。彼のやり口だと判ってはいるが、なぜこうも当たり前のことばかり問うのか……。

「認める訳がなかろう。願望を果たす過程で、己が願望を汚して何とする? そんな者に願いを叶える資格はない」

「ふむふむ……。回答ありがとうございます。興味深い問答でしたな?」

「なあキャスター。悪足掻きはやめろ。このようなことを続けたところで、私が屈することはない」

 暗闇に呼びかける。
 暫し沈黙した後、キャスターが渋々といった感じで返事した。

「……ま、確かにそうかもしれません」

「そうだろう? では――」

「ですが終幕の前に、もうひとつだけ質問をしても?」

「いいから早くしろ。まったく……」

「では訊きますが――」

 なぜか厭な予感に襲われた。
 空気が――重い。

(……?)

 黒い帳の向こう、キャスターの笑みを透かし見た気がした。

「この光景を見た時、貴女が抱いた感想をお教え願いたい!」

 ぱん、と打ち合わされた手。

 途端に明転する視界。

 その前に現れたのは――。


 一瞬、キャスターの宝具が効力を失ったのかと思った。魔力が切れて、劇場ごと消失したのかと。
 だが魔力の渦は消えていない。ここはまだ舞台の上。

 周りを取り巻く空間は、先ほどの地下室。

 ”黒”がホムンクルスを安置した、硝子の円柱立ち並ぶ部屋。

 そのただ中に、一人ぽつんと、アーチャーは立っている。

「キャスター、何をふざけている!」

 声は室内に響き渡り、しかし何者も応えない。ただ薬液の中で泡が膨らむ、ごぼごぼという音しか聞こえなかった。

「やはりそうですか……」

 キャスターの影が現れ、大袈裟に溜息を吐いてみせる。

「また時間稼ぎのつもりか!?」

 怒鳴りつけると、彼は大きく首を振った。

「吾輩の問いに答えていただきたかったのですが――もういいです。貴女の蓋は、想像以上に強固なようだ」

「また戯言を……」

 無視して、キャスターは喋りはじめた。

「どうでしょうか、この光景。人型電池が立ち並び、静かに死を待つ彼らの姿。ホムンクルス、造られた生命よ、彼らには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

「な……に、を――」

 当然の話だ。
 ホムンクルス――戦いのために生み出された人工生命。
 硝子に囚われた彼らに自由はない。責任など負えない。生まれた時から未来を決定されている彼らに、己が人生を定めることは許されない。

 薬液のなかでゆらゆらと――、眠り続ける彼らに見覚えは?

「アーチャー殿――貴女の言うところの、子供のようではありませんか!」

 駄目だ。

 壊れてしまう。

「違う……ちが――」

「何が違うのでしょう? 造られた生命というのがお気に召しませんか? では疑問なのですが、すべて生命とは親によってつくられるものでは? 彼らの命の価値は違うと?」

「彼ら、は」

「成長していることが問題ですか? つまり背が低くなければ子供でない? ああ、年齢が気になっているのですね? ご安心下さい、彼らはまだ随分と年若ですよ」

「だが」

「おお、それとも人間でないところがご不満で? つまりアーチャー殿は、子猫や子犬を見殺しにする分には構わないと!」

 詭弁だ、暴論だ、屁理屈だ!

 何でもいい、奴の言葉を認めるな!

 否定しなければ――否定しなければ!

 そうしなければ……。

「ぁ――」

 だがどれほど必死に口を開いても、漏れ出る声は意味を為さない。

「ぁ……」

 壊れてしまう。

 この光景を見て、何の感情も抱かなかった自分を否定しなければ。

 マスターと逃げていた最中だから仕方ない。”黒”のやったことだから仕方ない。彼らを救う術を知らなかったから仕方ない。外見が子供に見えなかったから仕方ない。仕方なかった。

 それなのに。

 思い浮かんだ言い訳のひとつも、口にすることができない。

「吾輩は疑問なのです――ホムンクルスを救おうとしなかったことではございませんよ? ここで反論できない貴女が判らない!」

 キャスターは言葉を紡ぐ。

「だってそうでしょう? 彼らは救いの対象外だと言うなら納得できる。急いでいてそこまで頭が回らなかったと言うなら、それはそれで納得できる。なぜ貴女は何も言わないのですか?」

「それ、は……」

「何も考えていないからですよ、勿論。貴女は自分の願望について考えたことなど一度もない! どうやって叶えるか考えたことはあれど、その意味について考えたことがない。だから答えられない。だからこの光景を見て何も感じない。考えていないから!」

 私は。

「願望に命を懸けておいて、なぜ考えないのでしょう? でもそれは当然のことでしょうな……なにしろ、貴女の願望はただの逃避だ」

 なにを。

「なぜ子供を救おうと思った? 自分が愛されない子供だったから? ……なら、どうして()()()()()()()()()()()()()()? 貴女はその想いに蓋をし、代わりの願望をもって目を逸らした。見えない振りをした。願望が叶った後、子供たちに過去の自分を投影して、己も愛されようと思いましたか? だが残念! そんなものは幻想に過ぎない! 貴女は一生愛されない! 子供だって救えない! さあどうだアーチャー! 言いたいことがあるなら言ってみろ!」

 しているんだろう。

「喜劇だ! この物語は喜劇に決定! さあ皆並べ! 乞食がパンを配るとさ!」

 幕が降りる。

 これにて閉幕。宝具は終わる。

 景色が溶けて、現実の世界が目に映る。

 並び立つ硝子の柱。薬液。膨らむ気泡。道具と化したホムンクルス(子供たち)

 ――けれど。

 もう、何も見えなかった。


          #


 ぱち、ぱち、と乾いた拍手が響いた。

「……なかなか興味深い劇だったぞ。娯楽という点では、不満を覚えないでもなかったが」

 声の主を探し、キャスターは額に手を当てた。

「おやおや、”黒”のランサー殿に、そのマスター殿。これはしたり、公もご覧になっておいででしたか」

 地下室の壁に沿って設けられた階段の途中に、”黒”のランサーとダーニックが立っていた。

「城の構造を捻じ曲げおって……、こんなところで時間を潰している暇はないというのに……!」

「そう苛立つな、ダーニック」片手を挙げ、ランサーが頷く。「”赤”のキャスター。突如巻き込まれて見た芝居とはいえ、余はその出来に満足している。褒美を取らそう」

「ほほう? であれば、豪華な書斎など――」

 ちくりと、小さな痛みを感じ、キャスターは己を見下ろす。

 鋭い杭が、霊核を貫いていた。

「『極刑王(カズィクル・ベイ)』。余の城を侵した蛮族への褒美だ」

 体内から杭を射出し、ランサーは悠然と微笑んだ。
 同時に何本も召喚された杭は、いくつも浮かべられていたキャスターの幻影すべてを、その中に紛れていた本体と共に貫いた。

「はは……ははは……客に殺されるとは……作家、冥利に尽きます、な――」

 激しい痛みと消滅する肉体を感じ、しかし最期まで、シェイクスピアは笑みを絶やさなかった。

 ランサーはそれきりキャスターへの興味を失った。
 次に彼の眼が捉えたのは――部屋の中央で呆然と肩を落とす、”赤”のアーチャー。

「さてアーチャー。余を侮辱したお前にどんな仕打ちを与えるか、ずっと考えていたのだ。皮を剥ぐか、腕を切り落とすか、じっくり時間をかけて杭に刺すか……。だが、思いもよらぬところで天恵は訪れるものだな?」

 ランサーの言葉に、アーチャーは一切反応を示さない。
 それが彼にはすこし不満だった。

「……まあ良い」

 鼻を鳴らし、ランサーは彼女を見下ろす。

 唾棄すべき野蛮人に与えるものは、ひとつ。

「――これは罰である。『極刑王(カズィクル・ベイ)』……!」

 射出された杭の狙いは、アーチャーではない。


          #


 ぱりん、と硝子の割れる音が耳朶を打った。
 反射的に顔を上げる。

 やけに景色がゆっくり流れていく。

 次々と杭が飛び。

 硝子を砕き。

 子供を殺した。

 子供を殺して、子供を殺して、子供を殺した。

 子供はみんな死んだ。

「――どうだね、この罰は? 敵の手に落ちた燃料、壊すしかなかったとはいえ、ホムンクルスも、なかなかどうして役に立つ」

 私が見捨てたせいで死んだ。

 私の眼の前で死んだ。

「反応がないのはつまらんな……。まあ、あとは貴様を殺すだけだ」

 杭が飛んでくる。
 杭が向かう先も、尖端の鋭さも、所々に入った瑕も、よく見えた。
 躰は動かない。動かそうとも思わなかった。

「令呪をもって命じる――逃げろ、アーチャァァァ――ッ!」

 腹に杭が刺さって、内臓を傷つけて、かと思ったら夢のように景色が変わった。

 それっきり。

 なにもない。


          #


「……判らぬな」

 ランサーが首を振り、部屋の片隅に目をやった。

 右手を伸ばしたマスターが、恐怖に引き攣った顔でこちらを見上げている。

「サーヴァントを囮に逃げ出すというなら判る。だが、何故お前はサーヴァントを逃がした? その後は自分が殺されるだけだと、その程度の計算もできないのか? そうなればサーヴァントとて消えるだけだというに」

 返事はない。
 怒りというより、嫌悪を覚えた。
 歯をかちかちと鳴らし、全身を震わせる無様な姿は、これ以上見ていたいものでもない。

「あああああああぁぁぁぁぁぁ――っ!!」

 そのマスターは泣き叫びながら逃げ出そうとする。もたついた足取りで、情けなくなるほど遅い。

 軽く手を振って、杭を召喚する。

 その時、凄まじい爆音が響いた。

「何だっ?」

 傍らのダーニックが天井を見上げる。
 城全体が軋み、今にも崩落を始めそうな震動が襲う。

「ここは避難を――」

「ああ。判っている」

 ふと視線を下ろすと、あのマスターの姿がなかった。爆発音にも気付かず走っていったのだろう。
 だが人間の足だ。今追いかければ、悠々追い付ける。

「追いますか?」

「いや、追わぬ」首を振って、ランサーは地下室の出口へ向かう。「領王たる余が、あのような虫相手に討って出る必要はない。のこのこ出向いてきたところを、殺してやるとしよう」

「は、御意に」

 ダーニックもランサーに続いた。


          #


 ただ走った。
 口からはずっと、訳のわからない叫びと涎が零れていた。

 足を動かし続けていると、いつの間にか外に出ていた。
 瓦礫塗れの地面を、こけつまろびつ、這うように駆けた。全身に傷を負ったのだろう。躰のそこかしこに痛みが走った。

 道路に出て、たまたま通りかかった車の前に飛び出した。
 怒って出てきた運転手に、獣のように喚き散らした。
 しばらく叫んでいると後部座席に乗せてくれた。そのままシギショアラに向かってもらった。

 早くしろと、何度叫んだか判らない。

 早くアーチャーに伝えなければ……。

 キャスターの言い分は滅茶苦茶だった。筋は通らず、論理が破綻した、穴だらけの言葉だった。非難にもなっていない単語の連なり。戯言に過ぎない。
 ただアーチャーの動揺を誘い、その隙に付け込んだだけ。存在しない傷口を思い込ませて、その上に塩を塗っただけ。

 だから早く彼女の許へ行かなければならない。キャスターの欺瞞を暴かねばならない。

 車が停まった。ドアを蹴破るように外に出た。


 喫茶店の扉を押し開ける。きっとアーチャーは、この先に――。

 血の池に彼女は浮かんでいた。

 赤い、赤い血が。

 真っ白な肌と。

 翠緑の髪を染め上げて。

「ああ、ああああ……」

 跪いて、彼女の腹に手を当てる。引き裂かれた傷を押さえる。
 けれど血は止まらず。
 刻一刻と冷えていく躰。

 それが宝具による損傷だからか、或いは自分の魔力が足りないのか、傷が塞がる様子はない。

「待ってくれ……待って……」

 血は熱く、躰は冷たい。

 治す術が――自分にあれば。
 治癒の魔術を使えれば。

 破裂しそうなほど頭が痛んだ。

 否……。

 知っている。

 知っているじゃないか……。

「そうだ……。治さないと……」

 使えば、もう戻れない。

 魔術回路を開く。
 魔力を掻き集める。
 足りないのなら、寿命でも何でも削り取る。

 そして。


 ふらふらと立ち上がり、足は自然と地下室へ向かっていた。

 魔術工房へ下りる。暗い部屋を見廻す。

 その真ん中で、膝を付いた。

 思い出してはいけない……?
 思い出したくなかっただけだ。

 どれほどの間、そうしていただろう。

 背後から、階段を下りてくる足音が響く。
 ゆるりと振り向くと、蒼白い顔のアーチャーがいた。

 ああ……、良かった。

 彼女は、小さな紙を取り出した。

「……この工房へ初めて来たとき、見つけたものだ」

 受け取る。色褪せた写真で、細かく切り裂いた後、修復した跡があった。

 ぼんやり目を落とす。

 それは、どこにでもある、平凡な家族写真(ポートレート)

 父と母と、子が一人。

 右端で母が、やたらと大きな時代遅れの帽子を被って、無表情にこちらを見つめている。

 左端で店長(ちち)が、仏頂面をして目を逸らしている。

 二人に挟まれて、無邪気な笑みを浮かべた少年(アル)がいる。

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×××

 無価値な記憶。


「オマエがこれから学ぶことは、全てが無駄なのだ」

 最初にそう教えられた。

 どんな家系であろうと、魔術師が最初に教えられることは同じ。
 目指すは根源。道程は果てしない。一代や二代で成し遂げられるものではなく、子へ孫へ、その望みを託す義務がある。

 だが。

 それを諦められない魔術師がいた。


 その家系は「忘却魔術」に特化した一族だった。一つの魔術系統に拘泥らず、「忘却」に関するものなら、あらゆる魔術を横断的に研究した。他人の成果を盗むことも厭わず研究を続けたため、魔術師たちは手を組んで彼らを排斥した。何代も前の先祖は、追われるようにしてトランシルヴァニアへ逃げ延び、やがて諍いは忘れ去られた。

 彼らはその地に店を構え、一般人を試料に実験を続けた。

 研究成果は次々と上がった。 
 例えば忘却の種類。記憶の機能は銘記、保存、再生、再認の四つ。通常の忘却魔術はこのうち、「再生」を封じているが、彼らはそれだけでない。任意の機能に不全を発生させられるようになった。 
 例えば精密性。特定の記憶を高精度に――それこそ「ちょっとした物忘れ」程度まで選んで、忘却させられるようになった。 
 そのほか、期間も、範囲も、対象人数も自由自在といえるほどに魔術は発展した。

 だが、そんなものは、副次的に得られた成果にすぎない。
 彼らの目的は手を広げることではなく、最深へ至ることだった。

 そもそも、なぜ忘却を偏執的に追求していたのか。
 魔術師である以上、目的はたったひとつ。記録にも残らぬほどの昔に誰かが得た閃き。

「完全な忘却を得れば――根源の渦に至れるのでは?」

 忘却を、ただの機能不全で終わらせない。

 記憶を完全に消去し、精神を零に戻す。
 人格を完全に消去し、肉体を空にする。
 記録を完全に消去し、魂を漂白する。
 最期に――起源を忘却する。

 これにて我らは根源の渦へ至る。

 深い深い忘却を望み、恐ろしいほど長い時間を経て、遂に人格の消去まで完成させた。

 答えは近い。


 その魔術師はそれら成果を全て受け継ぎ、自分の代で根源に至ると決意した。
 だから妻をとらず、子を為さず、研究に没頭した。幸い、亜種聖杯戦争とやらの頻発で、事後処理のため、忘却魔術の特許は頻繁に使用されることになり、資金には困らなかった。

 ――しかし彼は限界を知った。
 それなりに優秀であったが故に、どうしたって自らが死ぬまで、研究は完成しないと気付かざるを得なかった。

 だが知ることと、認めることは別だ。魔術師は認めることを拒んだ。

 周囲からの強い勧めもあって、渋々魔術師は妻をとった。だが、それでも魔術師は子を作ろうとしなかった。ようやく二人の間に子ができたのは、彼が老境に差し掛かった頃であった。晩産がたたり、妻は程なくして死んだ。

 子を設けてなお――魔術師は現実を認めない。
 己が根源へ至るのだから不要だと、刻印の移植も、魔術の教育も、全く行わなかった。

 嫌々ながらも教育を始めたのは、子が第二次性徴を迎えた後だった。
 いい加減意地を張るのは止めようと、ようやく魔術師は認めかけていたのである。
 
 しかしながら、もはや手遅れだった。

 何も知らず育ってきた子は魔術師の精神をなかなか受け容れず、果ては回路を活性化させるトリガーが「恐怖」になった。
 無理やり刻印を移植したため、ほんの少し移したところで肉体が拒否反応を示し、機能も効率も大幅に落ち込んだ。さらに移植時、回路にも損傷を与えたせいで、一族の跡継ぎとしては到底考えられないほど、生み出せる魔力は低下した。

 ――出来損ない。

 もう何も教えようとは思わなかった。初歩的な魔術を教え終わったところで、彼は教育をやめた。
 こんな出来損ないに何を教えても意味はない。欠陥品を産んだ妻への怒りが湧き上がった。

 どうしてこんな目に遭うのだろうと、何度も嘆いた。
 このまま根源へ至れず、自分は惨めに死ぬのだと――。

 そう思っていた魔術師は、千載一遇の好機を得る。

 「聖杯大戦」

 亜種聖杯戦争で争われるチンケな聖杯でない、真なる願望器、大聖杯の存在。
 
 魔術師は随喜に打ち震えた。
 一度閉ざされたと思った道が開いたのだ。根源へ至る道が……。


 魔術師は眠っていた情熱を再燃させた。

 まずはマスターになること。派遣されるマスター候補をひとり、店へ誘い込み、「荷物の存在」のみ忘却させて追い出すことにした。魔術協会のこと、さぞ素晴らしい聖遺物を持たせているだろう。
 次に欠陥品の処理。すでに用済みだが、勝手に動かれるのも目障りだ。適当に忘却魔術をかけ、そのうえで手元に置くことにした。囮でも、非常時の魔力タンクとしてでも、使い道はある。

 そうして記憶を失った奴は、間抜け面を晒して、魔術師に頭を下げた。

「ありがとうございます! 俺、もうどうしたらいいか……」

「いいんだよ。君のことが判るまで、ここにいなさい」

「本当に……ありがとうございます……」

「そうだ、それまでアル――を」

「え、アル、ですか?」

「ん? ああ……」

 今まで呼んだことがなかったので、元の名など憶えていないが、これはなかなか良い名前だと思った。不思議と心穏やかに話すことができる。

「そうだね、取り敢えず君はアル君と呼ぼう。良いかな?」

「は、はい。もちろん」

「それではよろしくね――」魔術師は微笑んで、小さく付け加えた。「他人(アルタ)

 魔術師にとって、聖杯大戦の勝利は確定事項だった。魔法陣まで描き、召喚の時を今か今かと待っていた。


 だから。

 そんなことは、許されなかった。

 奴が聖遺物を持ち去り、翌日、マスターになっていた。

 侮っていたことは事実。召喚には少し巡りが悪かったため、一晩の間、奴に保管させようとした油断。
 だが、魔術の存在すら忘れたはずの奴が、その日のうちにサーヴァントを召喚するなど、考えられない事態。

 自分の令呪を、英霊を、マスターの資格を奪われた。

 あってはならない。

 そんな悲劇が許されるのか……?

 欠陥品の分際で……!

 憎悪に染まった頭は、冷静な思考とは程遠く。

「すみません店長遅くなりました!」

「……ええっと。何か、あったのかい?」

「そうといえばそうなんですが……本当にすみませんでした。パーティーは――もう終わってますよね……」

「まあ無事でいるなら何よりだよ。どうか頭を上げて……」

 潜ませた毒針を持ち上げる。こんな塵芥(ゴミ)は、最初から処分しておくべきだったのだ。

 次の瞬間感じたのは、喉を絞められる苦しみ。

 何が起きているのか把握する余地もなく。

 視界が白く。
 意識が消えていく……。


 魔術師は死んだ。
 だから、これは無価値な記憶。誰も知らないし、知ったところで得はない。
 ただ魔術師の息子が、その断片を経験しただけだ。


          #


 写真のなかで、アルは笑っている。
 いつ、どうして撮った写真だろう。
 まだ何も知らない頃。物心つく前に撮影したものかと考えた。記憶にある限り、こんな清々しい笑みを浮かべたことはないはず。

「隠したのは私の判断だ。あの時これを見せれば、汝がどうなるか判らなかった。だが……それは私のエゴに過ぎない。私は聖杯のために……、汝に犠牲を強いていた。本当はすぐに見せるべきだったのに……。すまない」

 アーチャーが唇を噛んで、頭を下げた。

「謝る必要なんてないさ……。俺は……本当は、気付いていた、のに」

 本当は憶えていた。いつだって思い出せた。その気になれば、最初から。
 父のかけた魔術は、彼の死と同時に消えていたのだから。

 悲しくはない。痛みもない。ただ欠けている。
 記憶を失った故の欠落だと思っていた。

 でも、違った。

 それは愛を与えられなかった者が抱える欠落。

 ずっとそこにあったのに。
 ただ、目を逸らして。見えないふりをして。

 逃げた。

 逃げ続けた。

 舞台で傷付く彼女を、傍観していた……。

「ずっと、逃げていただけ、なんだ……。ごめん……ごめん、アタランテ」


          #


 その時、ようやくアタランテは、アルゴナウタイのなかで自分が選ばれた理由を知った。

 親に愛されなかった者同士だからだと、今まで思っていた。けれど、そんな見せかけの境遇のために呼ばれたのではなかった。

 結局のところ、二人は。

 傷を負い、痛くない振りをしてきただけの。

 目を塞いで、逃避を繰り返してきただけの。

 二匹の、手負いの獣なのだと。


 アルの背中を見ながら、彼女は憂いに沈んでいた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それでもせめて、今だけは……。



この方法で根源には(たぶん)至れません。勘違いでしょう。


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Discord

 遥かに広がる草原。

 風が草をさざめかせ、緑色の波が揺れる。

 遠くの方に、黒山の人だかりができていた。
 取り敢えずは、そこを目指して歩を進める。

 夢を見ているな、と気付いた。

 大勢の人間が集まって、それぞれが何やら喚いていた。ほとんどが男である。
 彼らの中心にいるのは、誰あろうアーチャーだった。以前の夢で見たような子供ではなく、いつも見ている、精悍に育った狩人の姿である。ただ、その頭に獅子の耳はない。

「誰からでも良い、早く始めろ」

 無表情で彼女は顎をしゃくった。

 一人の男が名乗りを上げ、進み出た。緊張した面持ちで、走る構えをとる。
 その後ろで、片手に矢をぶら下げ、アーチャーは退屈そうに佇んでいた。

 審判役か、別の男が手を挙げ、号砲代わりの雄叫びを上げた。
 男は瞬時に走り出す。なかなか逞しい豪傑で、馬のような俊足。瞬く間にその背は小さくなっていく。

「さて」

 その時、アーチャーが小さく呟いた。
 見物人が唖然とした顔で振り返る――まだ走り出していなかったのか、と。

 そして。

 彼女は駆けた。
 まったく信じ難い速さだった。

 男の激走など、赤子が這っているようにしか見えない。草原を吹き抜ける風さえ置き去りにして、彼女は滑るように走った。

 ――美しい。

 装飾の美ではない、洗練された、清涼な美しさ。

 夢ならではの便利さで、視界は彼女を追って滑っていく。その美しさを見逃すまいと、彼女の背に張りつく。

 すぐに、男を抜いた。アーチャーの走りを見た後では、当然の道理にしか思えない。彼女に徒競走で勝つなど、天地が逆さになっても叶わないだろう。無謀に過ぎる挑戦だった。

 アーチャーは追い抜いた男を振り返った。
 罵倒のひとつでも浴びせるのかと思っていると、彼女は流れるような仕草で弓を構えた。

「……え?」

 誰にも届かない声で呟く。

 狙う先は、男の心臓。彼女の鍛え上げられた射撃の腕ならば、一射必中で殺すだろう。

 弦を引き絞り、何の躊躇いなく、アーチャーは矢を放った。
 鏃は過たず男の胸を貫き、男は駆ける勢いのまま、地面に転がった。

 アーチャーは矢を放った時点で興味を失ったのか、つまらなさそうな表情のまま、人だかりへ戻っていく。

 その背を見送り、倒れた男の許へ、呆然と向かった。

 彼はもう絶命していた。虚ろな瞳が空を映し、流れ出る血を草が吸っている。
 無謀と判って挑み、こんなにもあっさりと死んだ。彼女はこの者の名すら知らないだろう。

 それなのに。

「どうして――そんな満足そうな顔をしている……?」

 彼は弓を向けられた時、なぜか満足げな微笑みを浮かべた。
 見間違いかと思った。けれどこうして、一片の曇りもない表情で死んでいる。

「なんでだよ……」

 どさりと、また誰かが倒れる音を聞いて、はっと振り返る。

 別の挑戦者が現れ、同じように殺されたのだ。

 それでも名乗りは止まらない。一人、二人と彼らは走り出す。 

 次から次へと男たちは命を捨てる。

 気付けば、アーチャーの後ろに、男たちの死体が累々と積み上がっていた。
 皆一様に、満足そうな笑みを浮かべて……。

「なんで……」

 視界をアーチャーへ移す。彼女は淡々と最高速で駆け、機械のように矢を番え。
 男を射る。射る。射る。
 勝利を諦め、満足そうに眼を閉じた男たちを、一人ひとり殺していく。

 最後の男が、猛追する彼女を振り返り、諦観の笑みを浮かべた。

 どうしてそんな仕打ちを与える……?
 どうして彼女の想いを踏みつけにできる……?

 誰にも届かない声で。

 やめろ――と絶叫した。

 無情に矢が飛翔した。
 緑の草原に、赤い斑の模様ができた。

 何にも汚されぬ顔で、アーチャーは鼻を鳴らし、歩き去っていく。

 男たちの群衆は消えていた。皆挑戦して死んだのだ。

「なんで……そんな酷いことができるんだ……」

 血を吸って揺れる草原を見た。
 猛烈に怒っていた。満足そうに死んでいった男たちを、殴り飛ばしてやりたかった。
 お前たちはいいだろう。己の命を懸けて挑み、無謀と知りつつ僅かな可能性を信じ、そして宣告通りに死んだのだ。充分だろう、満足だろう。死に際に笑みのひとつも浮かべるだろう。

 だが――彼女はどうなる?

 自分を愛すると言った男たちを、一人ひとりその手で葬る彼女は? 確かに、始まりは怒りから提示した条件だったかもしれない。だとしても、命懸けの微笑みへ向けて、矢を射る彼女の気持ちを、誰も慮れないのか。あの無表情は、無感動の証明だと思っているのか。

 己の満足のために、愛する者を傷つけて、それで満足か?

「ふざけるな……」

 翌日も男たちは集まってきた。昨日の惨劇は知っているだろうに、なお彼女を傷つけようというのである。
 当たり前のように全員殺され、その分彼女を傷つけていった。
 そんなことが繰り返されるうちに、競争を挑む者は減っていた。

 また、新たな挑戦者がやってくる。

 その男が現れた時、お前もか、としか思わなかった。
 お前も、彼女を傷つけにきたのか、と。

 彼はそれなりの偉丈夫であったが、今までの挑戦者より足が速いとは到底思えなかった。

 しかもよくよく見ると、初日に審判を務めた男だった。
 まったくふざけている、と思った。あの光景を見ておきながら、愚かにも挑戦しようというのだから。

 いつも通り、彼女は無表情で挑戦を受け、弓を手にした。


 ――それはアーチャーを救ったのだろうか。

 結婚を拒んでいた彼女にとっては、生涯最悪の想い出だろう。その男には怒りしか抱かなかっただろう。最期の時まで恨み言を述べていたかもしれない。
 その男がやったことだって、他の男と変わらない。自分の欲望を優先して、それが上手くいっただけだ。
 しかし、彼の行いによって、彼女はある種の地獄から抜け出したといえる――自分の望まない卑劣な形だとしても。

 判らない。

 いったい、救いとは何だろうか?

 価値はどこにあるのだろう?

 どうすれば……。


 目覚めた時、もうアーチャーの姿はなかった。

「…………」

 目を擦り、躰を立たせる。まだ体力が戻っていないのか、足がふらついた。
 咄嗟に手をついた机に、パソコンが載っていた。

 立ち上げて、前はパスワードが判らなかったメールを開く。

「……なるほど」

 天草四郎には悪いことをしたなと、場違いな感情を抱いた。妙に可笑しくて、思わず笑ってしまった。

 要塞の落下に関して、トゥリファス、シギショアラ全域の記憶操作に協力してほしい、という内容だった。


          #


 食卓にずらりと並んだ皿を見て、アーチャーは目を丸くした。

「どうなるか判らないのに、残しておいてもしかたないし」

 アルが言って、席に着くよう促した。

「まあ、戦いの前の腹ごしらえは重要だが……」

 こんなに食べることはないだろうと思う。とはいえ折角出してくれたのだから、全て食べるのだが。

 窓の外は夕景で、黄金に似た陽が、窓から斜めに射し込んでいた。

 目の前で料理を頬張るアルを見ながら、アーチャーはぼんやり考える。

「――アル」

「なに?」

 皿から顔を上げた彼の眼を、真っ直ぐに見据える。

「汝もキャスターの宝具を体験したなら判るだろう? 私は”黒”のランサーを許せない。己の為に子供たちを搾取し、惨殺した輩を許すことは、絶対にできない」

 爆発するようなものでない、静かに伏流するような憎しみを感じていた。

「……ああ」

「けれど、奴のステータスは見たな。私はランサーに勝てない」

「……ああ」

 両者のステータスの差は歴然。さらに”黒”のランサー(ヴラド三世)の知名度からいって、その能力はここルーマニアにおいて、最大限発揮されるだろう。
 アキレウスのような不死性はないにせよ、真っ向勝負で倒すことは不可能に近い。かといって、この状況下では不意打ちも通じない。

 アーチャーはランサーに勝てない。
 認めざるを得ない事実だった。

「勝てないのだ……絶対に……あの悪を……」

「……アーチャー、それは」

「だが……だが――」

 それ以上言葉を続けられない。

 話していいのか?
 それはアルに責任を押し付ける行為では?

 最後までその葛藤に決着は付けられなかった。

 彼は自分の言葉を待っている。

 その眼を見て、口を開いた。

「ひとつだけ、方法がある」


 話が終わって、アーチャーは俯いた。

「なあ――どちらだ? 汝は、どちらが間違っていて、どちらが正しいと思う? 教えてくれ、どちらが……」

「本当は自分でも判っているんだろう?」淋しい微笑みを浮かべて、アルは首を振った。「どっちも、間違いだ」

 そうだ……。

「ああ――そうだな」

 これは逃避した者への、当然の報い。
 前に目を逸らした命題が、追いかけてきただけだ。

 ”放置する悪と、処理する悪しかないとしたら……”

 正しい願望を捨てる悪。
 悪を討つための悪。

「……私は、どこで間違えたのだろうな」

 答えるようにアルは口を開きかけ、途中で止めた。アーチャー自身も気付いていると判ったからだろう。

 出来得る限り正しい道を歩いてきたはずだ。
 生まれて、ひとつの生を経て、死んだ。その生涯に間違いはなかった。
 願望を抱いて、これまで戦い続けてきた。その選択に間違いはなかった。

 けれど……そんなの救いがなさすぎる。

 正しい生涯、正しい願望、正しい選択の涯に残っているものが――間違いだけなんて。

 正しい場所へ至る道が、常に正しいとは限らないなんて。

 そのことに気付くまで、これだけ時間がかかるなんて。


          #


 そしてまた、夜がくる。

 幽陽(つきあかり)が、二人の道筋を照らしている。
 薄い灰色の影を落として、黙々と歩を進めた。

 話すことはない。目線を交わす必要もない。

 ゆっくりと歩んでいるうちに、朝陽が昇ってしまわないかなと思った。

 この期に及んで甘い期待を捨てられない自分を嗤って、アルは踵を鳴らす。
 一歩ずつ終わりに近付く。


 夜の旅路は、案外すぐに終わった。

 半壊した城塞が見える。
 もう元の面影はどこにもない。城の上半分は吹き飛んで、子供が壊して捨てられた玩具のように見えた。

 一本の太い道が、城の入口へ続いている。

 ――その途上。

 旗が揺れていた。
 月に照らされて、蒼い燐光を纏った聖女が佇んでいた。

「貴女がたの戦いが終われば、私の役目も終わります」

 その時初めて、残ったサーヴァントが二騎だけなのだと知った。もうそんなことに興味はなかった。

 ルーラーを無視して、アーチャーは歩んでいく。
 その背中を追いかけようとして、ふと思い立ち、アルは聖女に向き直った。

「ルーラー、ひとつお願いがあります」

「何でしょうか。私は――」

「いえ、加勢のお願いではありません」彼女の言葉を遮り、口早に告げる。「この戦いの結果どうなろうと、俺が責任をもって処理します。だから……、最後まで、貴女には介入しないでほしい」

 意味を計りかねたのか、聖女は思案顔を浮かべ、しかしすぐ首を振った。

「それは、約束できません。私は私の役目を果たす義務があります」

「そうですか。……ええ、それでいい。そうするべきだ」

 軽く頭を下げて、城へ視線を戻す。もうルーラーと会うことはないだろう。

 小走りでアーチャーを追った。
 当然……彼女は立ち止まってくれない。

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二つの悪

 崩れかかった玉座の間に、”黒”のランサーは座していた。
 その下に、マスターのダーニックが控えている。

「さて、罰を受ける覚悟はできているな?」

 ランサーが堂々たる態度で言った。ほぼ崩壊した空間であっても、彼がいるだけで厳粛な王の間に見える。

 アーチャーは無視して、部屋に入った。

 その背中を見送って、アルは部屋の入口で立ち止まった。

「フン……やはり蛮族か」

 冷酷な瞳で、ランサーは二人を睥睨した。

 アーチャーの歩みは止まらない。まるで何も見えていないように、敵地へ踏み込んでいく。

 ――弓と”皮”を手にして。

 ダーニックが腕を拡げ、口の端を歪めた。

「”赤”のアーチャーとそのマスター。どうだ? お前たちが降参するな――」

「……『神罰の野猪(アグリオス・メタモローゼ)』」

「ら……?」

 ダーニックに見えたのは、掻き消えたアーチャーの姿。そして、ぽっかりと抉られた、自分の脇腹。肉と内臓が円く欠け、思い出したように血が噴き出した。

「あ……何、を……?」

 考える前に治癒の魔術を行使する。失った組織を戻すことはできないが、幸いすぐ命に関わる損傷ではない。痛みは抑えられないが、止血する。
 既に背後ではランサーとアーチャーの戟音が響いていた。

 ”赤”のアーチャーに噛み切られたのだ、という現実を呑み込むにつれ、怒りが躰を支配していった。

「この……サーヴァントの分際で……!」

 赤く染まる視界の中で、そのマスターが身を翻し、駆けていく様子を捉えた。
 ほとんど無意識に、彼の足は敵を追う。

「許さんぞ、五流魔術師……。貴様は、絶対に殺してやる……」


 ステータスが塗りつぶされていく。

 ――『■■■/■久■/敏■■/■■■/■運■/■■■』

 アーチャーを包んでゆく黒い靄を見て、アルは終わりを確信した。

「……さようなら、アタランテ」

 呟いて、未練を断ち切る。拳を固く握って、その場から離れた。


          #


 ”赤”のアーチャーは異質な何かに変貌を遂げていた。

「貴様――!」

 ”黒”のランサー(ヴラド三世)は手にした槍を振るう。が、アーチャーの動きを捉えきれない。

 黒い靄が蠢き、彼女の躰をぐねぐね折り曲げているようだった。
 その手に弓はない。だが――先ほどダーニックを襲った一撃……。

 予備動作が皆無だった。

 武器など必要ない。視認不可能の速度で、予備動作すらないのなら、彼女の攻撃を予測し、回避できる者などない。
 だが、それは生物の――この世のものがしていい動きではなかった。

 出し惜しみする余裕はない。

「チィ……。『極刑王(カズィクル・ベイ)』!」

 天草四郎が消え、ランサーがこの場を再び”領地”とした今、宝具の本領は遺憾なく発揮される。
 
 敵の躰を粉微塵にするべく、数百の杭を同時に召喚した。

「――――ッ!!」

 人ならざる絶叫を上げ、アーチャーは背後へ跳ぶ。地に突き立った杭は、掠りもしなかった。

 ”優れた敏捷性”では説明がつかない挙動。明らかに超越している。

「……狂化だとしてもこのようなことは有り得ぬ。もはや化物とも呼べまい……貴様、いったい何をした」

「ころ、してやるころしてやる――お前をころしてやる」

 憎悪に染まった唸り声が、低く反響する。

「――そうか」

 ランサーが同時に出せる杭の数は二万。この狭い部屋を埋めるには充分すぎる数。

 躊躇いも戸惑いも消えた。全力で杭を召喚する。
 瞬間的に跳ねるアーチャー。彼女の着地点へ――杭を召喚する。
 突き立つ杭を蹴り飛ばし、強引に軌道を変えたその躰へ、杭を射出。数十の杭が黒い靄ごと串刺しにせんと襲いかかり――。

「――――……!」

 ばきりばきりと、何かが砕け折れる音。

「人外が……っ」

 ランサーは吐き捨てた。

 アーチャーの腕は奇妙に捻れ、歪んだ翼を形作っていた。
 彼女は飛翔し、部屋の壁に張りついた。そのままぎこちない仕草で、鈍い軋轢音を発しながら、放棄したはずの弓を構えた。

「『闇天の弓(タウロポロス)』よ」

「……ッ!」

 肉体と融合した弓。捻れ切った腕から放たれる魔矢の前へ、どうにか杭の壁を築く。理性は失われても、戦いの術理は残っているらしい。

 忌々しい。
 虫唾が走る。

 ランサーは奥歯を噛みしめた。

「貴様のような、見るだけで穢れる輩が、最後の相手とはな……!」


 『神罰の野猪(アグリオス・メタモローゼ)』――アーチャー本人もその使い道を理解していなかった宝具。神が遣わした魔獣の皮。使えば呪われ、理性を失い、憎悪の機械となる代わり、力を得る。自爆に等しい能力。

 その宝具を使用する条件は一つだけ。
 ――命を棄てるほどの憎悪を抱くこと。

 条件はいつの間にか充たされていた。

 気付いた時には、ランサーへの憎悪は深く、静かに、彼女の身を浸していた。
 皮を被る瞬間、地下深くに滞留していたマグマが噴き出すように、思考が憎悪に書き換えられていくのをアーチャーは感じたが、決してそれは呪いが生んだ憎悪ではない。彼女自身が抱く憎悪が表に出たに過ぎなかった。

 そしてその憎悪を覚った時点で、彼女に残された選択肢は二つしかなかった。
 ランサーに挑み、死ぬか。
 宝具を使って、ランサーと刺し違えるか。

 ()()()()()()()()()()()()

 彼女に敗北以外の道はない。どちらを選ぼうと、必ず命を落とす。

 ……であれば、どちらの悪を選ぶか(The lesser of two evils)


 もうアーチャーに思考はない。ただ一個の”憎悪”が動いているだけ。

 壁にも杭が召喚される。それを感知すると同時、彼女は宙を舞っていた。即座に杭が己を目掛け飛んでくる。

 床にも壁にも、宙にすら逃げ場はない。

 それでも、アーチャーの肉体は適応する。躰の構造が変わる。
 骨が砕け、神経が断裂し、生物としてあってはならない形を造る。痛みを感じない訳ではない。その無理は、全て彼女へ還っている。狂った理性を、狂いそうな激痛が襲っている。

 だが、そこに引き返す道はない。間違えた者に逃避は許されない。


 数千を超える杭の猛撃を受け、依然アーチャーは立っていた。
 逃げるばかりでなく、隙あらば矢を放ち、ランサーへ接近を試み、戦いは一進一退の攻防を見せていた。この場において最強といえるサーヴァントと渡り合っているのだから、尋常ではない。

 戦闘は膠着状態に陥りつつあった。双方とも決定打に欠ける――。

 ランサーが口元を歪めた。

「――とでも思っているかね? アーチャー……!」

 途端、アーチャーに杭が生える。

 そう――既に攻撃は完了している。
 ホムンクルスの地下室で、その腹を杭で裂いた時に、ランサーの勝利は決定された。

 血が流れていく。
 杭はアーチャーの躰に突き刺さった状態で顕現し、神速の動きを封じる。機を逃さず、杭が彼女の許へ殺到し――。

 ずるり、と。

 裏返った。

「……なるほど」ランサーは軽蔑の瞳を浮かべた。「貴様は”モノ”へ堕したのだな」

 躰の内と外を()()()、”ソレ”は杭を排出した。
 串刺しの束縛より逃れ、襲いきた杭を躱しきる。

「蛮族ですらない。名誉なく、理性なく、生きてもいない。そんなモノ――もはや我が敵とは認めぬ。人間として、慈悲に代えて引導を渡してやろう」

 ソレは唸りとも、躰の破砕音とも知れない声で応える。
 濁った瞳で、ころす相手を見上げる。

 ころしてやるころしてやるころしてやる。

 彼女は既に何もかも喪失していた。

 願望も、記憶も、葛藤も、その憎悪さえ――。


          #


 アルはひたすら走っていた。
 自分の仕事は、アーチャーが決着をつけるまで逃げること。
 今もユグドミレニアの当主が追ってきている。アーチャーの攻撃を受けたとはいえ、魔術師の技量は己と比べるまでもない。

 振り返る暇はなく、背後に死の予感を抱えて走るだけ。

 それ以外ににやれることはなかった。アルにできるのは児戯に等しい初歩的な魔術のみ。弱体化した刻印でできるのはほんの一瞬の忘却。これでは虚仮威しにも使えない。

(結局、逃げることしかできなかったな)

 聖杯大戦の間、マスターとしての役目は何一つ果たせなかった。ただ隠れて逃げて、アーチャーを援護することも、助けることもできないで、よくおめおめと生きながらえたものだ。

「この虫がァァァァ――ッ!」

 雄叫びが聞こえる。敵が何をする気なのか確かめる余裕はない。破れかぶれで横っ飛びに階段へ突っ込む。
 背中を何かが焼く感触が、通り抜けていった。

 頭を抱えて、階段を転がり落ちる。鎖骨の一本も折れただろう。踊り場の壁にぶつかって、躰は止まった。
 すぐさま立ち上がって、逃走を再開する。絶対に死ぬわけにはいかなかった。


 しかしながら、両者の差は如何ともしがたい。

 重傷を負ったところで、アルごときに後れをとるダーニックではない。力任せの魔術を連発しながら、少しずつ行き止まりへ追い込んでいく。

「私の邪魔をしおって……!」

 腹の傷が酷く痛む。血を失い、頭は朦朧としている。それもこれもあの虫共のせいで――!

 視界に曲がり角へ逃げ込もうとする(マスター)が映り、即座に魔術を放つ。
 距離が近づいていたためか、ようやく命中した。

「あああああぁぁぁぁぁっ!!」

 虫は半分千切れた左脚を抱え、悲鳴と血痕を残し、這いずるように角の陰に逃げ込んだ。

「……クク」

 その無様な姿に、顔を引き攣らせてダーニックは哄笑する。

「はははははははははは! ああそうだ、虫は虫らしく、地を這って死なねばなあ……!」

 小賢しく逃げ回られ、うっかり人間を追っている気になっていた。敵は虫けら。人間である自分が本気を出す必要はない。少し小突いただけで腕も脚も失うような奴に、何をムキになっていたのか。

 悠々とした足取りで、ダーニックは歩いていく。

 曲がり角の先には、べったりと血の痕が続いていた。そのすぐ先に、腕だけで必死に這う虫がいる。

「ああ――なるほど、お前はナメクジだったのか」

 自分の冗談に肩を震わせて笑い、ダーニックは大股で三歩進んだ。

 それだけで逃げ道はなくなった。呆然と顔を上げ、虫は間抜けな表情でこちらを見ている。

「さて……」

 頭を鷲摑んで持ち上げる。取れかけた脚がぷらぷら揺れる様子が面白く、またダーニックは笑った。

「何か言いたいことはあるかね? 虫ふぜいが人語を解すとも思えないが……」


 これでアルにできることはなくなった。
 逃げることしかできないくせに、逃げることもできなかった。

 絶対死ぬわけにはいかないのに――。

 無意味な抵抗であるとは判っていた。
 渺でも死を遅らせられるなら何でもいいと、半ば無意識に口は開いていた。

Perde te ipsum(喪え)……」

「何を――……」

 ダーニックの笑みが消えていく。
 瞳から光が失われ、表情の色が薄れていく。

「――でっ」

 不意に頭を摑む力が緩み、アルは床に落ちた。すぐさまがむしゃらに這う。一秒でも時間を稼がなければ、一ミリでも逃げなければ――と。

 虚空を見つめたまま、呆然とした顔で立つダーニックを見た。

「え……? なんで……」

 自分の魔術が効いたとしても、”赤”のアサシンのようにすぐに回復するはず。その他の要因があると思われるが……。
 結局、理由は何一つ判らなかった。


 無論、アルには知る由もない。
 彼が魔術刻印を通して発動したのは、一族の研究成果。
 効率も能力も大幅に落ち込んでいるが、本質は同じもの。

 即ち、記憶と人格の消去。
 精神と肉体を空にする魔術。

 とはいえ、その効果が永続するならともかく、アルのようにほんの僅かな間しか続けられないなら意味がない。効果が切れると同時、魂に刻まれた記録に従って、記憶も人格も復元されるからである。人間の恒常性が、意識の連続を保とうとする。
 だから彼の魔術に意味はないのだ――通常は。

 ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。彼の主な研究対象は、魂。
 百年近く、その若さを保ってきた理由も同じ。

 彼は不老のため、己の魂に、他人の魂を融合させている。

 記録は破断し、雑ざり合い、互いを侵し、既に人格は連続していなかった。辛うじて”ユグドミレニアの当主”という器に収まっているだけだった。

 よって彼だけには、その忘却が致命傷であった。

 ほんの僅かでも記憶と人格が消えてしまえば、復元を担うは畸形の魂。

 ――「自分は誰か?」

 ダーニックは二度と、問いの牢獄から逃れられない。


 しかし。

 それもまた、人間の強さ。全てを失い、最後に一欠片だけ残るもの。
 執着心が、ダーニックを稼働させる。

 意識はない。自我もない。無意識の義務をもって、彼は己のサーヴァントと視覚を接続し――。

 互角の戦いを繰り広げるサーヴァントを見た。

 かたなければならない。

 かつために、なにをするべきか。

 機械的な思考が、最も単純な解を実行し、停止した。

「令呪をもって命じる。英霊ヴラド三世、宝具『鮮血の伝承(レジェンド・オブ・ドラキュリア)』を発動せよ」


          #


「ダーニックゥゥゥゥゥ――ッ!」

 ランサーは本能に近い反応で、その命令を拒む。それだけは――それだけはできない。使ったが最後、”ヴラド三世”は破綻する。

 だが令呪の強制力は絶大だ。彼の対魔力をもってしても、発動を遅らせるだけで、止めることはできない。

「やめろ……、余は吸血鬼では、ない……!」

 ――その、隙を。

 見逃すはずはなかった。

 あるいは、それがなければ、この戦闘はランサーの勝利に終わっていた確率が高い。戦力が互角である以上、状況は持久戦に移行する。そうなった場合、ダーニックという強力なマスターを持ち、冷静に戦闘を進めているランサーが有利。アーチャーの滅茶苦茶な戦い方では、どれほど優れたマスターでも、そう長く保たない。
 勝てる勝負だった。余程の失策を打たない限り、ランサーは勝てるはずだった。

 不意に視界が落下し、ランサーは瞠目する。
 すぐに事態は理解した。

「……そうか」

 首を噛みきられ、生首が落下したのだ。視界の端、頭を失った躰が、遅れて崩れ落ちる。

 ヴラド三世は敗北した。

 既に退去が始まっている。打つ手はない。

「余は、敗けたか……」

 早々に現実を受け入れた。
 未練も悔いもあるが、醜く生き足掻こうとは思わない。それが彼の人間としての矜持だった。

 ぼやけた視界に、アーチャーの末路が映った。

「フッ――皮肉なものだな」

 何とも皮肉な結末ではないか……。

 化物になることを拒否して、化物に夢を断たれるとは……。


          #


 床にばたりと倒れたダーニックを見下ろす。
 口からは意味不明の呟きと、涎が漏れ続けている。焦点の定まらぬ瞳は、何も見ることはない。

 廃人と化した敵に背を向けて、重たい躰と千切れかけの脚を引き摺り、アルは這うように歩き出した。

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黎明

 力任せに縛った止血は不完全で、傷口からはいまだに血が流れ出ていた。

 壁に手を付いて、無理やり前に進む。足の裏に付いた血が滑って歩きにくい。
 何度も転び、その度気力が萎えそうになった。

 止まることはできない――最後の義務を果たすまで。

 城内は静まり返っている。
 自分の荒い息と、足音がやけに大きく響いた。

 一生辿り着かなければ良いと思った。この先に待っている運命を思えば、永遠の痛みなど安い代償だ。

 心臓の鼓動にあわせて、突き刺すような痛みが走る。
 苦悶の声を上げる毎に、頭のなかで問いが渦巻く。

 ――俺は、どこで間違えたのだろう。

 答えは、もちろん判っている。

 全部だ。

 ずっと間違えてきた。正しい道なんて、ひとつも選べなかった。

 アーチャーを止めなかったことが、間違い。
 聖杯大戦に参加したことが、間違い。
 父の期待に応えられなかったことが、間違い。
 生まれたことが、間違い。

 アルという人間の始まりが、そもそも間違いだった。それからしてきた全ての決断が間違いで、だからこれは当然の結末。

 やっと抱いた正しい願望さえ、自分の手で握りつぶさなければいけない。

 自業自得の末路だというのに、それを嫌がる自分がいる。その感情は間違っている。

 だって、約束をしたから。

 ――なあ、アル。”皮”を被った私は、理性も願望も失ってしまうだろう。仮にランサーを倒しても、止まることはない。

 ――きっと汝のことも忘れてしまう。そうなった私はアタランテではない。一体の化物だ。目標を見失った化物が何をしでかすか、考えるまでもなかろう?

 ――令呪を使っても無駄だ。生半可な命令では反抗を許してしまう。だから絶対に抗えないような……それだけで化物を停止させるような、強力な命令をするしかない。

 ――だから……もしそうなった時は……。

 ”私を終わらせてくれ”

 何て残酷なことを頼むのだろう、と思ったけれど。
 きっと彼女は、それがこちらとってどれほど辛いことか、知らないのだろう。

 でも約束した。
 知られてはいけない……そう思ったから。自分が責任をもって終わらせると言った。そのために逃げて、そのために生き延びた。

 マスターとして、彼女に何かしてやれることがあるとすれば、精々それくらいのこと。

 だから歩く。失血によって遠退く意識を、傷の痛みが覚ましてくれる。
 先の見えない昏い廊下。闇のなかを泳ぐ。

 やがて、辿り着く場所が見えた。


 巨大な広間だった。

 石造りに設えられた柱、壁、玉座の壮麗さは語るべくもない――しかし。
 そこに在りし日の面影はなかった。瓦礫が堆積し、床と言わず壁と言わず弾痕のように抉り取られ、部屋は今にも倒壊しそうである。

 その先に、ひとつの人影。

 獣のような唸り声を立てる少女――、いや、違う。
 それは、悍ましき獣。

 腕も脚も奇妙に捻れ、身体中を血で汚し、有り得ない場所に臓腑が覗く。

 嗚呼……なんて酷い姿をしているんだ。
 泣き笑いの表情を浮かべる。

 獣はこちらを見据え、容赦のない殺気を放った。原動力である憎悪を失い、寄る辺を失った獣は、次なる獲物を捜している。それが誰だろうと関係ない。喉笛を噛みちぎり、熱い血を浴びようとしている。

 ランサーの姿はない。

 アーチャーは約束を果たした。だから、次は自分の番。

 彼女との唯一の絆……右手を掲げる。
 赤い燐光が、場を充たしはじめる。

 躊躇うことは裏切りだ。

「令呪をもって命じる――自害しろ、アーチャー」

 獣の絶叫が響き渡った。

 獣は鼓膜を震わす咆哮を上げ、苦痛にのたうち回る。
 自分を殺そうとする正体不明の強制力に、その狂気の全てをもって抗おうとする。生きる理由を失ってなお、死ぬことはできないと啼く。

 そして。

 獣は動きを止めた。自分を害することなく、しかし抵抗に全精力を使い果たし、弱弱しく目の前の人間を見た。
 その噛み合わない口から、掠れた声が漏れる。

「ア……ル……」

 そう、自害の命令と、それに抗う狂気が打ち消し合って、アーチャーは正気を取り戻したのだ。魔獣の皮を脱ぎ捨て、いつもの彼女に戻った。勝利した二人は大聖杯に各々の願望を託し、祝杯を上げる。錚々たる面子のなかで、まさか自分たちが勝ち残るなんて、巡り合わせとは不思議なものではないか。

 ――と。

 そんな、甘い幻想(ユメ)を視た。

 不意に、アルの視界が傾いていく。

「あれ……?」

 踏ん張ろうにも、床がなくなってしまったように力が入らない。
 躰は止まらず、そのまま左に倒れ伏した。

 横になった視界の真ん中に、人の脚を咥えるアーチャーが見えた。

 不思議に思って、自分の躰を見下ろすと、千切れかけていた左脚が、とうとうなくなっていた。

 ああそうか、と思った。
 この期に及んで、自分は何を期待していたのだろう……?

 倒れたまま、右手を上げる。

「重ねて命じる――」

 最後の令呪が消えてゆく。

「自害しろ……アーチャー」


          #


 獣は今度こそ命令を実行した。自らの手で胸を刺し貫き、霊核を確実に破壊した。

 力を失ったその肩から――ずるりと、”皮”が落ちた。

 アーチャーの躰が傾いて、倒れていく。

「アーチャー……!」

 両腕と残った右脚で、必死に彼女の許へ這う。

「アーチャー、アーチャー……!」

 もどかしいくらいに遅い進み。すぐ目の前に倒れているのに、躰が動作を拒否している。

「アーチャー!」

 やっと辿り着いて、肩を揺する。片足のない躰では、彼女の上体を抱くこともできない。

「……煩瑣い奴だ」

「アー、チャー……」

 眉根を寄せて、アーチャーは瞼を開けた。

「そうか……。私は……ランサーを倒した、か」

「そうだよ! アーチャーの勝ちだ……!」

 アーチャーは鼻を鳴らした。

「まさか……こんなもの、勝利とは呼べまいよ」

「…………」

 何か――手はないのか。
 理性を取り戻したアーチャーのために、何か……何か!

 その時、大地が揺れた。

「……!?」

 震動は徐々に大きくなり、この部屋へ到達する。呆然と顔を上げると、玉座が粉々に砕ける様子が見えた。その下より、何か巨大なものが浮上してくる。

 それは。

「……遅いよ」

 大聖杯。

 低い音を響かせ、大聖杯は勝者の前に顕れた。

 そこかしこに罅が入り、切れかけの電灯のように、不安定な明滅を繰り返してはいるが、間違いない。見れば判る。嘔吐しそうなほどの魔力を、その裡に宿している。

 あれほど望んで、命を懸けてきた報酬が、手を伸ばせば届くところにある。

 誰に何を教えられた訳でもないが、確信した。

 望みを口にすれば、必ず叶えられる。

「アーチャー……あれ」

「ああ……」彼女もそちらに目をやると、苦笑を浮かべた。「あれを望んでいたのだったな、私たちは」

「そうだ……大聖杯なら……願いを言えば」

 消えかかっているアーチャーに――そうだ、受肉を願えばどうだ? 彼女を死なせたりしないで、この世界に留めて――それで――。

(それで、お前に何ができる?)

 自分には何もできない。アーチャーに迷惑をかけることしかできなかった自分が、彼女を引き留めて、何をするというのか。

 もっと他にあるはずだ。アーチャーのためになる……彼女の願望!

「アーチャー! 願いを言うんだ! 今なら間に合う、全ての子供が愛される世界を――」

 アーチャーは、静かに首を振った。

「いいのだ、その願いは」

「え――?」

 彼女は美しい微笑を浮かべる。

(やめろ……その顔は……)

 清々しい、澱を洗い流したような表情。諦観の笑みだ。

「もうその願いはいいのだ……。ここに至るまでに、私は私の願望を穢してしまった。犠牲を出し、間違った道を選び、悪に堕ちた。だから、願望を叶える資格などない」

「資格なんて――そんな、それじゃあ、アーチャーが――」

「私の願いは正しい、と言ってくれただろう?」

「ああ言った! 君の願いは正しい、だから――」

「……アルだけだ」

「なにが……」

 優しい瞳が、空を見上げている。

「汝が、汝だけは、私の願いを正しいと、そう言ってくれたから……だから、それでいい」

「ふざけるな!」

 怒鳴ると、彼女は驚いた表情でこちらを見返した。

「なら俺が叶える! 俺がアーチャーの願いを叶えてやる! 大聖杯! 全ての子供が――」

 ……声が出ない。

「全て、の……」

 肺がなくなってしまったように、息が続かない。

(――叶うのか?)

 大聖杯はどんな過程をもって、この願望を叶えるだろう?
 アルに思いつくのはたったひとつ、”子供の数を減らす”というふざけたものだけ。もしも、大聖杯がそれを採用してしまったなら――。

 願望は……。

 救いは……。

「俺の願い、は――」

 俯いた顔、震える唇が、言葉を紡ぐ。

「アタランテに、幸福を与えてくれ……」

 ……それが、アルの罪。
 またしても彼は間違えた。
 過程など気にせず、ただ全ての子供が愛される世界を望むべきだったのに。
 アーチャーの願望を絶対に叶えなければいけない場面で、彼は()()()()()()()()()()()
 生涯に亙って、彼はこの時の選択を悔いることになる。

「何を――愚かな」

 翡翠の瞳を瞬き、アーチャーはアルを見た。

「ふざけているのは汝ではないか……。富でも根源でも願えば良かろうに……下らぬことに聖杯を使って……」

「……下らなくてもいい。叶うなら、何だって」

 しかし、大聖杯は何の反応も示さない。

 アルが願望を叫んだ直後、大聖杯はいっそう眩い光を放ち、またすぐ元に戻った。魔力が消費されることもなく、アーチャーの退去が止まることもなかった。

「なんで……おい、なんでだよ!? 聖杯は万能の願望器だろ! 叶うはずだろう……?」

 罅が入って不完全な状態だったせいか、あるいは願いの対象が既に消えかけているからか。

「あまりに愚かな願いに、大聖杯も呆れたのだろうよ」

 悲痛に叫ぶアルに、アーチャーが手を伸ばした。

 その手を両手で包んで、アルは首を振った。

「駄目だ……頼む……」

 アーチャーの姿が薄れていく。もう下半身は粒子に変わり、天に昇っていた。

「なにを泣くことがある……子供か」

 アーチャーの頬に雫が垂れていた。それが自分の涙なのか、彼女の涙なのか、よく判らなかった。

 話したいことが沢山あって、訊きたいことが沢山ある。
 彼女の生前の話を聞きたかった。冒険譚や、仲間のことについて語って欲しかった。
 どうしても気になっていることがあった。あの檻の鍵を開けておいてくれたのは、実は君じゃないのか――。

 けれど、そんな時間はなくて。

「帽子を――帽子を買う! あんな時代遅れの帽子じゃなくて、もっと綺麗な、アーチャーに似合った帽子を……! だから……」

 最後に、馬鹿みたいなことを口走っていた。

 きっとアーチャーもそう思ったのだろう。

 彼女は一度目を見開いて、それからわざとらしい溜息を吐いた。

「本当に、愚か者だな、汝は……。それにな――そう、ひとつ教えてやろう」

 そして、それはもう見惚れるような――。

 最高に魅力的な笑みを浮かべて。

「この耳も、存外気に入っているのだ、正直言って……」

 可愛らしく耳を揺らした。


 消えていく……。

 光の粒へ溶けていく……。

 必死に握っていた掌の感触が、突然消えて。

 伸ばした腕は、此岸と彼岸の距離に阻まれた。

 頬を暖かい風が撫でて、前髪を揺らして、昇っていく。

 視線は自然と上へ。

 穴の空いた天井の向こうに、黎明の空が見えた。

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 青々とした草原。
 ただ中に、白亜の建築。
 奥には濃緑の森が広がっている。
 視線を上げれば、薄い水彩で描いたような青空。

 躰を木の幹に預けて、景色を眺めていた。
 色のコントラストが眩しくて、瞼を薄く閉じた。

 白い建物から、女教師に連れられて、大勢の子供が飛び出してくる。

 子供たちはてんでばらばらに草原を駆け、ある子はおしゃべりに興じ、ある子は草原の虫を探し、自由気ままに遊んでいる。
 二人の子が走って近付いてくる。途中でこちらの存在に気付いたのか、指をさした。何事か言い合って、笑っている。

 彼らの視線の先を追うと、不格好な義足の左脚を見て笑っているらしい。
 見た目は粗悪だが、それなりに値は張った。本当は自分のための金なんて一銭も使いたくなかったが、お蔭で杖をつけば、ゆっくりながらも歩けるようになった。雨が降るたび痛むのが悩み。

 やがて教師が気付いて、笑っている子たちに声をかけた。叱っている様子。しかし彼らは悪びれず、また別の方向へ走って行く。

 教師はこちらを見て、深々と頭を下げた。
 気にしないでと言う代わりに、右手を軽く振って応える。子供たちには自分の存在を教えていないのだから、仕方ない。

 あの建物は、元は新兵の養成所に使われていたという。
 諸々の事情から、それほど使用しないうちに廃棄され、売りに出されていたところを購入した。
 建物を含め、近隣の森林地帯ごと買い上げた。子供の遊び場には絶好であるし、いざとなれば、森を潰して増築することもできる。

 何となく振り続けていた右手を下ろそうとして、ふと、手の甲を見る。
 右腕を精いっぱいに伸ばしてみる。

 あれからずっと、魔術師の世界とは関わっていない。魔術を使ったこともない。

 過去を思い出すこともしなかった。

 ただ、時折こうして……腕を伸ばす。

 此岸と彼岸の、決して届かない距離を確かめるように。


          #


 あの後、魔術協会の魔術師とやらがやって来て、戦いの概ねの後始末をしていった。

 お前は何者だと問う彼らに、色々と嘯いてみた。

 例えば、こうだ。自分はユグドミレニアに私怨あって戦いに参加した魔術師で、情けない”赤”のマスターに代わり、ダーニックを倒し、聖杯大戦に勝利した者である。
 ”赤”のマスターは皆、爆発の余波で死亡したが、自分が大聖杯を獲得したのだ、と。

 結果アルは、協会が秘密裡に放った刺客、という形で処理された。

 魔術協会も信じた訳ではないだろう。だが送り込んだ魔術師が全滅し、どこの馬の骨とも判らぬ輩が勝利した、とするよりは、名誉が守られる方を選択したのだ。

 ダーニックを倒したこと。大聖杯を引き渡したこと。諸々の口止め料をかねて、協会から莫大な謝礼金を受け取った。
 ”赤”のマスターの一族からも――特に時計塔の講師を務めていた男の親族から――口止め料を受け取った。戦争に敗北し死亡した事実は、一家にとって恥であるらしい。

 更に、瓦礫に雑じっていた聖遺物も、戦利品として与えられた。召喚された数と合わなかったが、協会がくすねたのか、本当に見つからなかったのか、”黒”のマスターが持ち出していたのか、アルに知る術はない。
 興味はなかったので、全て競売にかけた。亜種聖杯戦争の影響で相場は高騰しており、目が飛び出るような価格で売れた。

 そうして、何度でも豪華な人生を送れるほどの大金が手に入った。
 金が必要だったのだ。

 何もかもを失ったアルに残されていた、たったひとつの約束。
 一方的に取り付けた約束だが、果たさなければいけない。


          #


 子供たちは出てきた時と同じに、走って帰っていく。勉強の時間だ。

 誰もいなくなった草原が、アルを嘲るように揺れていた。

 これから、どうすれば良いだろう。

 世界中に、信じられないような数の子供たちがいた。

 少年兵として弾除けに使われる子供も。
 娼婦として死んだ目で犯される子供も。
 餓え、病み、世界を恨むことさえ知らず、死んで行く子供が、いくらでもいた。

 そんな子供たちを片っ端から掬い上げて、けれど全く足りなかった。

 あの白亜の建築で、今日も何千という子供が学んでいる。

 けれど……。

 こんな孤児院をつくって、それで誰が救われたというのだろう?

 たったこれだけの子供を集めて、何を為したというのだろう?

 いったい、救いとは何だろうか?

「……これから、どうすれば良い?」

 記憶の彼女を描いている自分に気付き、慌てて遮断する。

 過去に縋ってはいけない、思い出してはいけない、答えを求めるなどもってのほか。

 アルゴー船の残骸だって、売ってしまった。
 彼女の願いを叶えるのに、彼女に頼ってはいけないから。

「これから、どうすれば……」

 全ての子供が愛される世界を作れるだろう。

 世界中に孤児院を建てようか。
 どこかの国の政治家になって、社会構造を変えるか。
 誰にでも命令できるくらい金を増やして、そして……。

 そして――どうなる?

 答えは、もちろん判っている。


 背後で森の騒めきを聞いた。
 息を吐いて、もたれていた幹から躰を起こし、杖をついて歩き出す。


          #


 いいかい?

 干からびた海に、一艘の小舟を浮かべたら。
 たった一人で乗り込んで、櫂で漕ぐんだ。
 櫂は荒れた大地を削るだけ。少しも前進しないけど。
 手を止めることは許されない。決して舟から降りられない。もう誰とも繋がれない。
 愚かで、滑稽な、観客のいない喜劇。無価値な一生。無意味な生涯。絶望の旅路。


 ……まあ、でも。
 一人の(ひと)さえ救えなかった男に与えるには、ちょうどいい罰だろう?

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醒めるまえに

 大聖杯は万能の願望器である。

 それは間違いない。

 その身に蓄えた魔力を用い、あらゆる願望を叶える。最初に結果を与え、その後に過程が現れる。既に結果が出ているのだから、達成に支障はない。空前の規模で起きた大爆発で罅が入ろうと、機能は停止しない。

 願望は叶う。無論、叶うが――。

 ”幸福を与えてくれ”

 ()()()()()()()()()()()()()()()は、すこし面倒な手続きが必要になる。


 「幸福を与える」――その言葉が意味するところは何か?

 大聖杯はまずそこから思考を始めた。無論、大聖杯に意志はない。極めて高性能な計算機と考えれば良い。達成のために必要な工程を導出するのだ。要件定義は必須といえる。

 例えばこれが、「幸福にしてくれ」ならば簡単だった。幸福に「する」――即ち、一時的に脳が快楽を感じさえすれば良い。ヘロインを投与すれば終わる。
 しかし「与える」とは何事か――?

 人類の幸福に関する思考様式、記述を参照し、大聖杯は解釈を完了した。

 ――幸福とは状態であり、「与える」とは、状態の半永久的な持続を求めている。

 解釈は終わったが、なかなか難度の高い望みである。

 変化は容易いが、状態の維持は難しい。
 「水を氷にする」のは簡単だが、「永遠に氷の状態をとらせる」のは難しいことと同様の話。大聖杯の魔力は膨大だが、永遠に冷却を続けることはさすがに不可能である。


 さて、どうする?

 第二の問いを大聖杯は思考する。

 この時点で既に対象者が消失しかかっていたため、その身柄を内側に格納、保護して、大聖杯は思考を継続した。
 何やら人間たちが大聖杯を運び出し、地下深くへ押し込んだが、特に抵抗することはなかった。思考はどこでも続けられるからだ。周囲の魔術師たちが、内側の魔力を取り出そうと躍起になったので、それだけは妨害した。

 さほど長い時間もかからず――大聖杯の処理速度を考えれば、相当な時間なのだが――最適解と思われる答えを発見した。

 ――状態の維持を達成するためには、周囲の環境を整えるほかない。

 氷そのものに干渉するのではなく、冷凍庫を造成する、という発想である。当然、冷凍庫はいつか壊れるから、永久凍土に埋めるなり、地球外に飛ばすなり、手段は考えなければいけない。


 こうして大聖杯は最後の問いを得た。

 どのような環境であれば、対象者の幸福な状態は、半永久的に持続するか?

 恐るべきことに、解はほぼ無限に存在した。「結果」の後に「過程」を出そうにも、これは過程そのものが結果。大聖杯の魔力をもって起こせるありとあらゆる奇蹟が、候補になって立ち塞がるのだから、当たり前ではある。

 いつの時代へ送る? 何の形をとらせる? 傍らに誰を置く? どの記憶を封じ、どの記憶を与える? 

 演算は続く。

 永遠の命を与えるか。巨万の富を与えるか。全ての美酒美食を与えるか。好みを完璧に充たした異性を与えるか。一生分の薬物を与えるか。過去の後悔をなかったことにするか。遠い未来、対象の願望が叶った世界へ送るか。

 演算は続く。

 対象者は何に最も幸福を感じたか、繰り返す出来事は幸福感を低下させるのではないか、幸福値をどうやって評価するのか、判断の基準はどうするのか。

 演算は続く。

 根源的な問い、人間の欲望と幸福。何度も始めに立ち返り、魔力をもって引き起こせる事象を再検討。無限に近い候補を、最初から最後まで計算し尽くし、別候補の結果と比較。

 環境はいくらでも存在する。虫の一匹、微風の温度、日光の角度まで……。

 人智を超えた魔力資源を用いても、演算には長い時を要した。

 それでもなお――大聖杯は万能の願望器。そうである以上、答えが出ないことは有り得ない。
 埃を被り、地下室の奥深くで、誰からその存在を忘れられても、ひたすら演算を続ける。検討再検証を繰り返す。


 そして――。

 答えは出た。

 この世に存在する無限の可能性を検討した結果、対象が最も幸福になれるだろう環境を発見した。

 即座に、大聖杯は起動する。解を実行するために必要な魔力を算出。ようやく本来の仕事を果たすのだ。
 誰もが忘れた地の底に魔力が充ち満ちる。奇蹟の輝きが溢れ出し、遂に願望が叶えられる時。

 最終検討完了。演算に間違いはない。対象を送り出す。


 とはいえ。

 それでも、対象が幸福になるという保証はない。大聖杯はもっとも確率の高い環境を選んだだけで、絶対に幸福になるかといえば、それは誰も判らないことである。
 こればかりは仕方がない、そもそも願望の内容が破綻していた。

 ”幸福を与えてくれ”――?

 ()()()()()()()()()()()()()
 どんな人間でも、大聖杯でも、たとえ神でも、それだけは不可能。

 それはそうだろう。

 幸福とは与えられるものではなく、自分で摑むものだから。


          #


 ――永い夢を、視ていた。

 願望を慟哭した。喉が枯れるほど叫んで、動けなくなるまで踠いて、全身から血を流して、それでも夢を追い続けた。
 その痛みは胸に残っているが……何故だろう。

 不思議なことに、焦燥や悲愴――身を灼く炎は、消えていた。

 理由は判らない。どこかに捨てたのか、誰かが肩代わりしたのか、微かに脳裏を走る影があったけれど、思い出すことはできなかった。

 願いは忘れていない。いまも心の底から望む世界がある。
 けれどそれは以前のように、己を駆り立て、背中に重く圧しかかる咎としてではなく。
 晴れ渡った空のように、清々しく気持ちが好い、軽やかな羽となって、背中を押してくれている。

 ああ、これなら。

 どこまでも飛べる。理想を求めて、夢に舞える。


 眠っていたらしい。
 瞼を閉じたまま、ゆっくりと感覚を取り戻す。

 躰は横たわっている。
 温かい大地がこの身を受け止めて、揺り籠のように包んでいる。

 嗅ぎなれた香りが鼻腔をくすぐる。
 囁き合う草、静謐を望む樹々……森のなかにいるようだ。

 いつから寝ていただろう。
 いつまで眠っていられるだろう。

 疑問は切望の残滓。

 あるいは、裏返し。

 草を踏み分ける穏やかな音……森精(アルセイス)の足音だろうか?

 それなら――たぶん、大丈夫。もう少しだけは。

 だから目を瞑っていよう……そう思う。

 すぐに肩を叩いて、声をかけて、起こしてくれるだろう。

 誰が?

 誰かが……、きっと。

 柔らかな木漏れ日の下。

 その声を待っている。




ありがとうございました。


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