Fate/Remnant Order 改竄地下世界アガルタ ■■の邪竜殺し (源氏物語・葵尋人・物の怪)
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アバンタイトルⅠ

 ――力を寄越せ、東方の大英雄■■■■■■■よ。我が一族の悲願を叶える為に。

 

 何処かで誰かの声が、己を求めている。英雄はそれを聞いて、まず耳を傾けた詳細を知ろうとした。それは戦へ参ずるように求める魔術師の声であった。

 ――聖杯戦争。七人の魔術師が七騎のサーヴァントを使役し殺し合い、最後の一騎となったものが万能の願望器を手に入れる。そういった戦いへの参加を求める声であった。

 英雄はそれを聞いて、魔術師の頼みを断った。此の英雄には座に留まり、やらねばならないことがあったから。

 それに加えて英雄には聖杯を手に入れてまで叶えたいと思う願いが無かった。

 生前の英雄は――己の主観に因るが――古今東西、あらゆる英雄の中で最も幸せな人生を送っていた。

 世界を滅ぼすほどの力を持った龍を倒し、臣民を食らい続ける凶王を打ち滅ぼし、明日の生すら危うい人々に希望と笑顔を与えることが出来た。そして、五百年の長きに渡り善政を敷いた賢王として君臨し、曾孫が立派な王になったのを見届け、総てが満ち足りた儘死んだ。

 曾孫とそれに仕える二人の勇者に、後の人の世の“幸福”を見出し、総てを託して穏やかな儘死ねた。

 願いらしい願いもないことはない。

“人の世がもっと幸せになりますように”

 今の人の世に目を向ければ、絶望や不幸が幾らでも転がっている。それに立ち向かえるだけに強い人間ばかりでないことも英雄は承知もしている。だからこそ、“英雄”と呼ばれる人間がいることも心が痛くなるほど分かる。

――だが、それでも英雄は思うのだ。今の人の世は、矢張り、今を生きる人の手に因って作り出されるべきものなのだと。既に黴臭くなった、過去の遺物に出番などない。

 加えて自分を呼び出そうとする魔術師の願いには、自分が武器を振るわなければならない程の理由を見出せなかった。“この世界の森羅万象の因果でありまた結果である根源を目指し人間という種により良い変革を齎す”……壮大な理想に過ぎて、英雄には何が何だか分からなかった。

 屹度、大事な人を助けたいだとか、傷つく人を見たくないだとか、そういったある意味俗的で――けれど優しい願いであったならば、重い腰を上げていただろう。

 そう考え乍ら英雄は再び自身の使命を遂行する。

 そして、また別の声が英雄の耳に届いた。

 

 ――人類史の危機だ。頼む、力を貸してくれ。

 

 それは人理焼却という偉業に立ち向かうマスターに付き従う英霊――サーヴァントの声であった。

 立ち上がるべき時だ。英雄は居ても立っても居られず、直ぐに人類最後のマスターに力を貸そうとした。

 併し――直ぐに冷静さを取り戻した。こんな時だからこそ、自分は座に居なければならないと。そもそも英雄が座に留まり続けているのは、生前天使からの予言を受け取り、世界と契約をしたから。そして、英雄はその予言の内容を鑑み――動くべきではないと結論を下すしかなかった。

 苦渋を呑んだ。数多の英雄が星のような輝きを放ちながら人類最後のマスターに力添えをしている中、何も出来ない苦痛に耐えた。

 耐えて、耐えて――そして、人類最後のマスターは勝ちを得た。

 人類史は未だ不安定乍ら、滅びは漸く過ぎ去り、英雄はほっと胸を撫で下ろした。

 仮に若し、このマスターが力を求める事があったならば、今度は力を貸そうと思いながら、英雄は再び使命の遂行を続ける。

 そんな時だった。今度は別の声が聞こえて来た。

 

 ――殺さないで、誰か、助けて……

 

 それは助けを求める声。単純明快な弱者の懇願。分かり易いと、英雄は思った。

 誰かを救いたいと思う気持ちは本物だ。

 幸いにして複雑な柵を気にする状況が過ぎ去っていたのを良いことに、英雄は今度こそ立ち上がる。

 

 

 †

 

 人類史を救った最後のマスター、少年、藤丸立香には一つ決意していたことがあった。

 否、正確には出来たと言うべきか。 

 最後の戦い、時間神殿で人類の為に、共に聖杯探索を駆け抜けた立香やカルデアの職員達が生きる明日の為に、文字通り全存在を掛けたロマニ・アーキマンのその選択によって。

 初めてロマニと出会った時に交わした、会話。何気なく、そして何処にだってあり得るような他愛のない言葉の数々。それら総てが素敵な響きになって聞こえる日が来るように。この旅を乗り越えたマシュやダ・ヴィンチとその日を迎えられるように……。

 それまでは何があろうと生きることを諦めないと決めたのだ。何があろうと生き続けると。

 だから、人理定礎が確定した後に現れた亜種特異点にも立ち向かった。其処で相見えた崩壊する時間神殿から逃れた魔神柱の残党にも立ち向かい、これを倒すことに成功した。

 偏にそれは、自分の中の決意が強かったから。立香はそう確信していた。

 だが――

 

「はぁ……」

 

 一人、自室のベッドに腰かけ、深い溜息を吐く姿は、到底覚悟を決めた人間のそれには見えないことだろう。

 鎮痛な様子で項垂れるその姿は朝起きたばかりの漠然とした憂鬱――と言い訳するには無理があるほどであった。

 

「うぃーす。エミヤが朝飯出来たってよぉ」

 

 例えば、丁度そのタイミングでマスターの自室に入ってくる男には到底誤魔化せる筈もない。

 

「おいおい、如何した如何した。朝っぱらから湿気た顔してよぉ」

 

 気軽な笑声と共にマスターの隣に腰を掛けたのは、美しい牡丹の刺青に覆われた屈強な肉体を惜しげもなく晒す如何にも派手な男であった。

 

「燕青」

 

 “浪子”――伊達男という意味合いの異名に相応しい、自身のサーヴァントの整った顔を確認すると、立香はその真名を呟いた。

 

「……アンタと付き合いが深いわけでもねぇ、最近カルデア(此処)に来たヤツが何言ってんだかって、感じかもしんねぇけど、なんかあったなら言ってみろよ、マスター。ちょっとは楽になるかもしれねぇよ?」

 

 立香の顔が何処かやつれているように見えたからか、燕青は軽薄を装いながらも主を気に掛ける言葉を口にする。

 

「そうだね」

 

 何でもないなどと強がりも言えず、立香は無理くりな笑みを作って話始める。

 

「ドレイクって、分かる?」

「ん? 此処に来て何度か酒交わしたくらいだから知ってるたぁ言い難ぇけど、顔くらいは分かるよ。あの傷面(スカーフェイス)の姐さんだろ?」

 

 燕青がカルデアに来たのは新宿に出来た特異点を修復した直後であり、それは約一ヶ月半前になる。仲間というにはまだ日の浅い燕青ではあったが、人柄の為もあり、人理修復以前から立香と契約していたサーヴァントとも打ち解けていた。

 フランシス・ドレイク――人類初の世界一周を成し遂げた女海賊もそんな立香のサーヴァントの一人であることも燕青は当然把握していた。

 

「そのドレイクの姐さんが如何したってんだ?」

 

 躊躇いながら立香は口を開く。

 

「……いなくなったんだ」

「は?」

「だから、カルデアからいなくなったんだよ」

 

 燕青はまず自分の耳を疑った。

 だがこれは事実であり、故に立香は気落ちしていのだ。

 順を追って、燕青に昨夜起こったことを話す。

まず立香は昨晩、夕食も早々に、日課となっていた英霊の伝承について勉強をしていた。

と、言えば聞こえは良いかもしれないが、詰りは就寝前の読書である。その途中であった。突然ティーチが血相を変えて、立香の部屋にやって来たのだ。

 ――ドレイクと酒を飲んでいて、彼女が席を外したと思ったら中々戻って来ない。慌てて、カルデア内を探したが何処にもいない。

 大凡そのような内容をティーチに伝えられ、立香はティーチを連れ出し心当たりのある場所にレイシフトをし、彼女を探した。

 

「……で、見つからなくて、座に帰っちまったんじゃとか考えた――ってか?」

 

 燕青はマスターの気持ちを推察して、そのように訊ねるが立香は首を横に振った。

 

「帰るなら帰るで別に良いんだ。そこはドレイクの自由なんだから。でも、若しそうなら、俺に何も言わないでって所が辛い」

「実はアイツが信頼してくれなかったって思ったのか」

 

 小さく、そうはしたくはないかのように、立香は頷く。

 

「……それに、最近俺、人理修復を乗り越えて、亜種特異点を戦って、どっかで調子に乗っていたような気がするんだ。サーヴァントの力あってのことだったのに、それを自分が強くなったと勘違いしていた感じがして――それでドレイク、愛想尽かしちゃったんじゃないかって」

 

 はぁと、燕青は深い溜息を吐き、頭を掻き毟った後、ポンと立香の肩を叩く。

 

「燕青?」

「……安心しな。他人の力を自分のものだと思い込んでるヤツってのはもっと無自覚で無神経だ。そんな風に思い込めるウチは絶対ェそんなこたぁねぇ……そんなアンタに、黙ってどっかに行こうだなんて輩はカルデア(此処)には絶対いやしねぇ」

 

 肩に伝わる優しい暖かさに、立香は思わず燕青の顔を見た。何かを懐かしむように、遠い所を見つめ、そして哀し気であった。

 屹度、これは生前の主、盧俊義のことを言っているのだろうと、立香は考える。

 とある拳法の祖とされる燕青であるが、そもそも彼は中国四大奇書の一つ、水滸伝の登場人物であり、悪政汚職を敷き、権力を恣にする官吏と戦った、凶兆を示す百八の魔星の生まれ変わり――梁山泊の無頼漢の一人である。

 彼は同じく百八の魔星の一人である盧俊義に育てられた忠実な部下であったが、その扱いは散々であったそうだ。

 彼に武術や芸能を叩き込んだ本人ということもあって、屹度盧俊義は、燕青の力を自分のものであると勘違いをしていたのではないだろうか。

立香はそのように感じたから、

 

「有難う、燕青」

 

 笑って、彼の言葉を素直に聞き入れることにした。屹度、彼の人生は主に裏切られ続けた人生だったから。自分だけは彼を裏切ってはならないと思ったのだ。

 

「分かりゃ良いんだ、分かりゃ」

 

 からからと笑うと燕青は立ち上がり、

 

「そんじゃ食堂行って、朝飯食おうや。まず何をするにしても腹ごしらえからだぜ?」

 

 と、立香に促す。

 

「そうだね」

 

 立香も続いて立ち上がり、食堂に向かう。

 

「所で、実際ドレイクは何処に行ったんだろうね?」

 

 歩きながら立香は燕青に訊ねた。

 

「さぁ? 大方、悪酔いした勢いで大海の龍王を叩き起こして苦戦してるとか、そんなんじゃねぇの?」

「ありそうで困る……」

 

 立香は思わず苦笑した。

 何しろ只の人間だった頃の時点で、海神(ポセイドン)に立ち向かい、大したことないと言ってのける女傑だ。

 どんなことが起ころうとも不思議ではない。というか、カルデアではよくあることである。

 

「まぁ、もしホントにそうだったらあの姐さんでも加勢しねぇとヤベェだろうし、飯食ったら探しに行こうぜ。黒髭の旦那や、エミヤのヤローも拾ってよ」

「うん、そうしよう」

 

 そう気持ちを新たにしたその時であった。

 

『あ、あぁ――本日は青天なり、ってホントは猛吹雪だけど。お呼び出し申し上げまぁす。マスター“藤丸立香”』

 

 カルデア中に素っ頓狂なアナウンスが響く。

 

「あ、ダ・ヴィンチちゃんの声だ」

 声色にすら現れている溢れる自信。疑いようもなく彼女――否彼であった。

 

『サーヴァント“燕青”』

「おっと、俺もお呼び出しか」

 

 まさか自分の名前が呼ばれるとは思っていなかったのか、燕青は殊更に驚いた顔をしていた。

 

『“エミヤ”、“エドワード・ティーチ”、“エレナ・ブラヴァツキー”、“フェルグス・マックロイ”。以上の方は管制室、御集まり下さい。只今より、緊急ブリーフィングを行います』

 

 燕青ははしゃいだように、立香の肩を叩く。

 

「やったな、マスター。多分、ドレイクの姐さんが見つかったんだ!」

 

 そう言って彼は、管制室の方へ駆け出していく。

 

「ほら、マスター! 早く行こうぜ!」

「う、うん」

 

 立香はこの時、胸騒ぎを覚えた。燕青のように、プラス思考に考えても良い筈なのに。

 そして、この悪い予感は現実となる。

 

 




 この特異点のナビゲーターですが、副題にもなっている“■■の邪龍殺し”です。
 さぁ、サーヴァント真名当てクイズの始まりだ。

 あと、これが終わるまで関羽とケイネスのことは忘れて下さい。マジですいません。でも、これを書きたいんです。


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アバンタイトルⅡ

 立香と燕青が管制室に遣って来ると招集されたサーヴァント達が既に勢揃いしていた。

 

「おお、皆さん。お早いお付きで」

 

 へらへらと平時と同じ軽口を叩く燕青であったが、

 

「……軽口は良いからさっさと並びなさいな」

 

 最初に返って来たエレナの言葉に、棘があるのを感じ取り、ふざけていられる場面ではないことを察する。

 更に周りを見渡せば、機械を弄っているカルデアの職員達は皆、ぴりぴりと気を張り詰めている。

 成程、確かにこれはふざけてはいられないと、燕青は気を引き締め、フェルグスの隣に並ぶ。

 

「一体何があったの?」

 

 立香はカルデアスの前に立つマシュとダ・ヴィンチに訊ねた。

 

「うーむ。一体何から話すべきか。正直色々なことが起こり過ぎて迷っているんだ」

 

 ダ・ヴィンチは本気で困った顔をしていた。

 それが現在進行形で起こっていることの胡乱振りを如実に物語っている。

 

「時系列順に説明したら如何だね?」

 

 と、エミヤが提案した。

 

「そうですね」

 

 マシュは頷くと、説明を始めた。 

 

「まず昨夜、黒髭さんと先輩がレイシフトをしたのは皆さんご存知ですか?」

 

 件の二人を覗いた他の四人に訊ねる。

 

「ドレイクの姐さんを探してたんだろ?」

 

 立香以外の全員が彼に注目した。

 

「……さっきマスターに聞いて俺もビックリしたんだが、カルデアの職員さん方の様子を見るに、見つかったってわけじゃあねぇな、こりゃ」

 

 面倒くさそうに燕青は頭を掻いた。

 

「理解が早くて助かるよ。そして、事態は好転するどころか、寧ろその逆だ」

 

 ダ・ヴィンチは神妙な面持ちで、告げた。

 

「黒髭と立香君がレイシフトを終え、カルデアに戻って来てから気が付いたんだが……ヘラクレスの姿がカルデアから消えた」

 

 一同は息を呑んだ。

 

「そ、そういえば……」

 

 エレナが躊躇いながら口を開く。

 

「如何したの?」

「いえ、今朝ちびっこ達がヘラクレスを探していて。若しかしてあれってそういうことだったの?」

 

 立香と黒髭の捜索は、カルデア内の時間に換算して“夜通し”であった。当然その間、カルデアのスタッフ達にはヘラクレスの存在に気を配る余裕はなかった筈だ。レイシフト先での藤丸立花の存在確定や機械諸々の操作に人員が割かれたのは勿論のこと、その時間帯は丁度仮眠や食事で管制室内のスタッフが少なかった。

 故に、エレナの発言は有難かった。これでヘラクレスがいなくなった時間は今朝から昨晩ドレイクがいなくなってからの間となる。

 

「他に誰か、昨夜から今朝に掛けてヘラクレスさんの行動を目撃した方はいませんか?」

 

 マシュの問いに、エミヤは首を横に振る。

 

「昨晩はほぼキッチンに籠りきりだ。無論、バーサーカーが訪れたということもない」

 

 ティーチも、同じく首を横に振った。

 

「フェルグスさんは?」

「うーむ。関係があるかどうかは分からんが、ヘラクレスと言えば金時のヤツが……」

 

 フェルグスは顎に手を当て、昨夜の出来事に思い浮かべる。

 

「確か表に出てヘラクレスと相撲を取ったんだ。どうにもヘラクレスのヤツは強敵だったらしく、山の中腹辺りまでフッ飛ばされたそうだ」

「おい、いきなり与太話になったぞ」

 

 燕青が会話に横やりを入れると、立香は自分の唇に人差し指を当てた。

 ――ちょっと静かにしてて。

 そう伝えるように。

 

「で、命からがら頂上まで戻り、ヘラクレスに再戦を挑もうとしたのだが……」

「したのだが?」

「ヘラクレスのヤツはいなくなっていた。金時は“チクショー! 勝ち逃げされた!”とぼやいていたが……どう考えてもこれは関係ないな。すまん」

 

 フェルグスが話した内容はどの方向から攻めてみても突っ込みどころしかなかったが、立香やマシュはそこを敢えて置いておいた。

 

「って、言ってるけどどう思う?」

「無関係には思えませんね。あと、今後カルデアに於ける相撲行為の一切は禁止にすべきかと」

 

 ダ・ヴィンチも、二人と同様にフェルグスが語った出来事にヘラクレス消失との因果関係を見出し、更に彼に訊ねた。

 

「それは一体何時のことだった?」

「確かアレは俺が鍛錬を終えた直後であったから……」

 

 フェルグスが語った時間から、金時が相撲を開始した時間と雪山の中腹まで吹き飛ばされてからカルデアに戻って来るまでの時間を割り出し、そこからヘラクレスが消失した時間を求めた結果、どうやらドレイクがいなくなった時間と重なるということが分かった。

 

「成程……」

 

 と、ダ・ヴィンチが興味深げに唸った時だった。

 

「おい、ダ・ヴィンチ。それが一体俺達が集められたこととどう関係があるってんだ! 説明しろ!」

 

 今まで無言を決め込んでいた黒髭が怒鳴り始めた。

 オタクを絵に描いたようなふざけた口調すら置き去りにして。黒髭はそれだけ気が立っていたのだ。

 立香もその気持ちは痛い程よく分かった。だからこそ、

 

「黒髭、落ち着いて」

 

 立香は黒髭を宥め、

 

「話を続けて、ダ・ヴィンチちゃん」

 

 とダ・ヴィンチにそう促す。

 

「――本題に入ろう。君たちを呼んだのは、魔神柱の現出――詰りは特異点の発生を確認したからなんだ」

 

 黒髭も、他のサーヴァント達も、また立香も衝撃に目を見開いた。

 

「そして、現時点で断定は出来ないが、二騎のサーヴァントの消失と特異点発生時期がほぼ重なることから大きな関係性が疑われる」

 

 ダ・ヴィンチの答えに燕青は頷く。

 

「確かにこれだけ証拠があって無関係つーわきゃねぇな」

 

 続いて、フェルグスが掌の中で拳を打ち鳴らした。

 

「詰まり、魔神柱の討伐と仲間の捜索――同時に行うということだな」

「うん。そういう認識で構わない」

 

 依然にして特異点の修復は困難を極めることではあり、真剣に事に当たらなければならないのは当然であるが、それに加え、今度は仲間の存在が掛かっているかもしれない。そう考えると、一層、気を引き締めなければならないと、立香は奮い立った。

 

「――所で、今回の特異点が出来たのは一体何処なのだね?」

「それが……」

 

 エミヤの問いにマシュは恐る恐る口を開いた。

――恐れたのは、観測結果の誤り、また自分達の観測の誤りを疑われると思ったから。カルデアスが示したのは、そんな場所だったのだ。

 

「地底……です」

「何の冗談だ?」

 

 真っ先に胡乱そうに眉を吊り上げたのは黒髭であった。

 一九九九年の新宿も特異点の発生場所として奇妙と言える場所である。併し、今回の発生場所に比べればまだ現実的であるといえるだろう。

 そもそも特異点とは人類史に出来た染みのようなものだ。当然、それらは予め定められた正しい歴史の中では異物でしかなく、故に歴史のターニングポイントにそれが発生した結果人理焼却の要因となったのだ。

 然う――特異点は人類史に発生する。裏を返せば、人間の歴史が存在しない位相に特異点は生まれる事はないのである。

 だからこそ、地底に特異点が生まれる筈はない。オカルト小説の世界ならば話は別だが、歴史上、人間が“文明”と呼称し得る時間を地底に刻んだ痕跡はないからだ。

 

「嗚呼、勿論そんなことは在り得ないと思ったさ。併し、観測結果は変わらない。西暦二〇〇〇年の中央アジア――そこに出来た地下大空洞だ」

 

 アジア、地下空洞……。

それらのファクターを耳にした時、立香は“既知”を覚えた。何処かで誰かが、そんな話をしていたような気がする。

 その答えは直ぐに齎された。

 

「まるで、アガルタね」

 

 今、そのように評したエレナから聞いたのだ。

 地球は岩石や金属で出来た幾つかの層が積み重なり球となった、言うならば“中身の詰まったボール”であることは論ずるまでもない常識であろう。

 併し、そのような姿が明らかでなかった時代、地球はゴム毬のような“中身の詰まっていないボール”だとした説があった。

 そして“アガルタ”というのは、そんな説の上で成り立っていた概念である。超能力や超人的な能力を持った人と異なる人、自然界を超越した生命体が生息する神秘主義者たちの理想世界。それがアガルタだ。

 そして、その中空世界の地表の入り口――所謂シャンバラがあったとされる場所こそ、此度特異点が発見された中央アジアなのだ。 

 

「……成程、アガルタか。確かに。亜種特異点Ⅱという呼称では長いし、“此処”という呼称も幅が大きすぎて訳が分からなくなる。これからこの特異点を“アガルタ”と呼称しよう。その方が分かり易い」

「うん、確かに」

 

 これには立香も同意を示す。後で記録に残すにしても、名前があった方が何かと都合が良いとも思う。

 

「あと、俺達がやらなきゃいけない、このオーダーにも名前を付けるべきだ」

 

 更に立香は自分からそのような提案をしていた。

 如何してそう思ったかは――矢張り気分の問題であった。

 ロマニ・アーキマンが総てを掛けて作ってくれた未来《あした》を生きる為の、使命につけるべき題名が欲しかったのだ。

 ダ・ヴィンチも、マシュもそれは屹度同じ気持ちであったから。

 

「では、レムナントオーダーとしよう」

 

 斯くて、亜種特異点の消滅作戦の名は決定した。

 嘗て時間神殿でカルデアと争い、その隙間を縫うように『七十二の悪魔』の軛から外れた者達。

 自我を得、魔術式ゲーティアが求めた結末とは異なる命題を獲得した魔神柱。

 冠位指定のやり残しであり、カルデアの、そして最後のマスター藤丸立香の不始末の結果。

 やり残し《レムナント》。

 

「レムナント」

 

 此処に集まったサーヴァントや、カルデアの職員もまた同じように繰り返した。

 如何やら此処にいる誰にとってしてみても――最終特異点の戦いを乗り越えたわけではない燕青にも――相応しい名称のようであった。

 只、“生きる目的がやり残し”なのかそれとも、“生きる為のやり残し”なのか。どちらにせよ、やり残しが先に立つ時点で皮肉でしかないと立香は苦笑した。

 立香と英霊達はコフィンに着いた。

 仲間がいなくなったというのに――不謹慎ではあったが、子供の時分、遠足を前にした時のような流行る気持ちを立香は確かに感じた。

 すると、マシュが、立香がいるコフィンの傍に立った。

 

「先輩」

 

 何時もと変わらない、立香のことを指す、彼女特有の呼び方。

 けれど、この時の響きにあったのは、無力感と悲しみ。

 

「今回もお役に立てなくて、ごめんなさい」

 

 最終特異点を超え、そこで死んでしまったと思われていたマシュはけれど生きていて――代わりにデミサーヴァントとしての力を失ってしまっていた。

 それは、新宿を乗り越え、また別の亜種特異点に乗り込もうとしている今も変わらない。

 ――最後に一度ぐらいは、先輩のお役に、立ちたかった。

 大熱量を前にした、彼女の言葉がリフレインして、立香はとても厭な気持になった。自分はマシュがいたからこそ、あの場所に立てていたのに、あんな言葉を言わせてしまった憤り。役に立つ所か、過剰なほど返すものは貰った筈なのに、それでも返そうとした彼女の姿が、見えない槍のように、藤丸立香を抉る。

 

「大丈夫。マシュがいるから、俺は戦えるんだ。此処に戻れるんだ。此処にいられるんだ。大丈夫、大丈夫――」

 

 大丈夫を何回だって繰り返す。

 マシュ・キリエライトは優しい女の子だから、那由他を積み重ねたって届かないことは、誰であろう藤丸立香が知っているのに。

 

「アンサモンプログラムスタート。霊子変換を開始します――」

 

 そうやって、大丈夫を繰り返している内に、世界は暗転した。

 




 この物語は藤丸立香の主人公力に重きを置いた描写をしております。
 故に所謂、ぐだageに近い状態になる場面もあるやもしれません。そうなってしまった場合、それは作者の力不足です。
 どうぞ、おかまいなく石をお投げ下さい。


 そして、謎の燕青推しですが、これは作者の好みです。


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第一節 ハロー、アガルタⅠ

「痛っ!」

 

 特異点に降り立った藤丸立香の第一声はそれであった。

 ――そこまで高いわけではなかったが、立香がレイシフトした場所は空中であり、慌てて受け身を取ろうとした結果、失敗。見事な尻もちをついてしまった。

 

「……新宿の時みたいな洒落にならない高さじゃなかったけど、またこのパターンか」

 

 立香は毒づきながら立ち上がり辺りを見渡す。一見、異常はない。草原が広がっている。丘が見える。森が見える。耳を澄ませば、風の騒めきと川のせせらぎが聞こえてくる。

 ただ違うのは、地平線の向こう側に本来ある筈の無限の広がりはなく、そびえ立つ岩肌という終わりがあることくらい。

 何も問題はない、普通の光景だ。尤も、今立っている場所が、地底であるという前提を投げ捨てた場合にのみ――だが。見渡せど、見渡せど、岸壁、岸壁、岸壁だ。

 日本で普通の学生をしていた頃、立香は際立って頭が良い少年というわけではなかった。だが、それでも地下深くにあっては普段自分が見ているような木々や草花が見られないことくらいは判断が付く。

 だが、地面に生えている草はタンポポやシロツメクサ。生えている木は、欅のように見える。

 

「うーん……」

 

 彼は唸りながら上を見上げた。当然、そこに空などあるわけはない。あるのは、岩天井である。それは、白色光を放つ苔で、びっしりと埋まっていた。

 故に、地下だというのに目が見えるのだろうと、立香は考えた。

 うーんと、自分の中で考察のようなものをしていると、足元を小さな何かが突いた。

 

「フォウ、フォウ」

「あ、フォウくん」

 

 自分の足元を、元気よく走り回る小動物が一匹。

 マシュ曰く、リスっぽい生き物。新宿の時は犬と意思疎通をしていて、それでいて猫のように静電気を嫌う――立香にしていみればよく分からない白い毛並みをした何か。

 それが“フォウくん”である。

 

「やっぱり勝手に付いてきちゃったか」

「フォウ、フォウ!」

 

 苦笑する立香の肩に、フォウくんは飛び乗り、頬を摺り寄せてくる。

 フォウくんが特異点に付いてくることは最早様式美のようなものになっていた。

 ――然う、勝手に付いてくることは。

 そこまで考えて、立香はハッとする。フォウくんが勝手に付いて来るのは良い。だが、本来居なければならない“勝手”ではなく、“カルデアの正式な許可の上で”ついて来た同行者がいないのは一体どういうことなのか。

 立香の周りには、一緒にレイシフトした筈のサーヴァントがいなかった。

 

「如何しよう……」

 

 特異点に降り立って早々に立香は途方に暮れる。

 

『先輩、大丈夫ですか?』

「マシュ!」

 

 レイシフト後に当たり前に聞くだろう、カルデア側の通信がこの時ばかりは希望の光に思えた。

 早速、立香は特異点の様子と、自分と同行してきた筈のサーヴァントの姿が見えないことをマシュとダ・ヴィンチに伝える。

 

『……成程、話を聞くだけでもモニター越しだけでも分かる異常っぷりだ。この特異点の存在する座標は、地下数キロ――普通なら気圧や地熱になんらかの問題が出る。それに伴って、立香君の体調にもね』

「でも数字上俺の体に問題があったり、バビロニアみたいにエーテル濃度が高いとかそういこともないんでしょ?」

『まぁ、今のところはだけどね』

「なら問題ないね。それよりも問題なのは……」

 

 一番の懸念はサーヴァント達のことだ。

 

『そのことなんですが、サーヴァントの皆さんは此方にいます』

 

 マシュがそう告げると、画面に齧りつくようなエミヤ達の姿が映し出された。口々に立香の身を案じる言葉と――エレナのみであるが――アガルタの様子についての質問が掛けられ、立香はほっと胸を撫で下ろした。

 

『申し訳ありませんでした。如何やら、新宿の時と同様、レイシフトからはじき出されてしまったようです』

「まぁ、良くないことって立て続けに起こるもんだよね。でも、とりあえず、皆の安全が分かったなら良いや。これで一安心」

『はい。残念ながら先輩の身の安全という点では、寧ろその逆なのですが……』

 

 モニターに映し出されたマシュの表情は曇っている。自分の身を案じてくれているのだろうと、思うと立香はなんだか嬉しくなった。

 

「まぁ、悲観してもしょうがないよ。新宿の時みたいに、現地で出会ったサーヴァントが協力してくれるかもしれないし。大丈夫、何でもない」

 

 立香は無理矢理笑って、サムズアップをマシュに見せつける。

 

『うむ。後ろ向きに考えないのは良いことだ。それに悪い事ばかりじゃない。一騎、其方への移動に成功したサーヴァントがいる』

「そういえば、燕青の姿が見えなかったね」

『おお。流石に気が付いていたか』

 

 燕青――拳法の実力は勿論のこと、斥候に偵察と頼りになるサーヴァントである。彼がいるならば、百人力である。

 尤も、立香の認識ではカルデアに百人力以下のサーヴァントなんていないのだが。

 

『あの男か……』

 

 併し、そんな立香の思いとは裏腹に、エミヤは浮かない表情をしていた。

 

「エミヤ、そんな顔しないの。アイツは頼りになるよ」

『いや、それは分かってはいるが……。あの男は君と付き合いが浅い。それに軽薄な所があって如何にも信用出来ないというか……』

「じゃあ、燕青のことが信じられないっていうなら俺を信じて。彼を信じている俺のことを」

 

 そう言っても、エミヤは納得しなかった。

 不貞腐れている様に見えた。

 立香は思う。エミヤは別に、心から燕青を信頼していないわけではないと。ただ、旅に同行出来なかったことに対して悔しさのようなものがあるだけなのだと。

 一体、それは何処から来る感情なのか。

 

「俺を心配してくれてるんだね」

 

 自分で言っていて恥ずかしい上に、己惚れているとすら考えたが、立香にはそうとしか思えなかった。

 

『……当然だろう。そんな状況で心配するなという方がおかしい』

 

 更に羞恥で殺されかねないことをエミヤが言ってきたから立香は堪らなくなったが、平静を装って話し続ける。

 

「まぁ、実際知らない場所だし。エミヤもいてくれた方が絶対心強かったけどさ。でも、そっちに居てもエミヤには出来る事があるよね?」

『私に出来る……嗚呼、成程』

「職員さん達の食事、任せたよ」

 

 エミヤは立香のオーダーに頷くと、他のサーヴァントを連れて管制室を後にした。冷静さを取り戻し、スタッフの邪魔をしてはいけないと考えたのだろう。

 

『納得していただけたみたいですね』

「こうなったのはエミヤの所為じゃないんだから、納得も何もないんだけどね」

 

 立香はマシュに苦笑を送ると、立香は辺りを見渡す。

 

「さぁて、サーヴァントに頑張って貰うんだ。俺も頑張んないと」

 

 最初にやるべきことは決まっている。燕青と合流することだ。立香の見える範囲には、その影も形も無い。

 

「マシュ、燕青がどの辺に落ちたか分かる?」

『はい。そんなに遠くに落ちたわけではないようです。詳しい位置を今……』

 

 調べようとしたその時――。

 

『先輩、こんな時ですが、エネミー反応です! 十二時の方角から魔猪が時速百二十km、四十三秒後にこの位置に到達します!』

「マジかよ!」

 

 いきなり第一目的が、仲間の捜索からチキンレースへと入れ替わった。

魔猪は、雑居ビル程度の大きさがある巨大な魔獣である。当然、只の人間が太刀打ちできる相手ではない。逃げるしかなかった。

 なりふり構わず、適当な方向に疾走する。

 ――ピンポイントに自分を襲ってきてるわけじゃない筈だ。大丈夫!

 と、そんなことを考えながらふと後ろ振り返り、

 

「ぎゃああああああ!」

 

 直後に後悔した。

 運が悪いことに、魔猪は立香を追いかけて来ていたのだ。

 運動にはそれなりに自身がある立香だが、無論それは“常識の範疇”の話だ。

 魔猪を撒けるような健脚がある訳がない。詰まる所、今立香がやっていることは、死期を僅かに遅延しているに過ぎないのだ。

 ――どうすれば良い? どうすれば?

 

「う、うぉぉぉぉぉぉ!」

『先輩!?』

 

 考え抜いた末、立香は驚くべき行動に出た。なんと逃げるのを辞め、逆に魔猪に向かっていたのだ。

 無論、戦う訳ではない。彼の狙いは――

 

「いやあぁぁぁぁ!」

 

 ――股下。スライディングの要領で魔猪の顎を通過し、腹を仰ぎ、くぐり抜ける。耳に、蹄が土を叩く鈍い音が響く。弾丸のような威力を持って、跳ねあがった礫が飛んでくる。

 心臓が早鐘を打ち、呼吸が止まる様な不快感を覚えながらも、

 

「よ、良かった。生きてる……!」

 

 藤丸立香は窮地を脱した。呼吸が荒くなっているのが自分でもよく分かった。

 立香は緊張のあまりに浮遊した精神を落ち着ける為に、深呼吸をしようとする。

 だが、そうすることは叶わなかった。

 ドッ、ドッ、ドッ――。

 爆音と共に疾走が近づいてくる。

 ドク、ドク、ドク――。

 首筋から脳幹に掛けて、血液が逆巻くような音が鳴る。

 立香は一気に振り返った。

 

「なっ……!」

 

 直後に自分の目を疑う。やり過ごしたと思った魔猪が、此方に方向転換し戻って来ていたのだ。

 立香は無いなりの思考をなんとか巡らせる。

 ――横に飛ぶか? 飛距離が足りない。

 ――逃走を図るか? 最悪手だ。

 ――もう一度、下に潜り込むか? これも助走が足りない。

 ならば残された未来は二つに一つ。轢殺されるか、撥ねられても運よく助かるかだ。

 なるようになれと、立香は歯を食いしばる。

 

『大丈夫ですよ、先輩』

 

 そんな彼に、カルデアに残った後輩が優しく声を掛けた。

 

『九時の方向。超高速で接近する霊基を確認』

 

 渺――。

 刹那、風が吹き付ける。

 

『来ます!』

「十面埋伏――」

 

 魔猪と、立香との隔たりがもうあと一間にまで迫ったその時。

 百八の星が魔猪を取り囲む。否、これは星ではない。

 それは輝くような速さ。

 それは影すら置き去りにした拳。

 それは個が軍に膨れ上がったかのような絶技。

 

「無影の如く!」

 

 そして、それは一人の義侠。宝具にまで昇華された中華の拳法の奥義が魔猪を貫き、瞬く間に挽肉へと変えていく。

 

「怪我ぁ、無ぇかマスター」

 

 悪童めいた笑みを、伊達男は主に向ける。

 

「闇の侠客遅れて登場――なんつって」

 

 立香の窮地は、燕青によって救われたのだ。

 

「ありがとう、燕青。怪我はないよ」

「そいつぁ何より……てか、他の連中は?」

 

 カルデアから一緒に来ている筈の仲間がいないことを燕青は訝しむ。

 

『ありがとう御座います、燕青さん』

「おうおう、後輩ちゃんもどうも。でも、今はそれ良いから俺の質問に答えてくんねぇかな? 状況が全く分かんなくて、俺困っちゃってるんだわ」

『あ、すいません、燕青さん。えっと……』

 

 マシュはレイシフトの直後に起こった出来事を説明した。

 

「……いきなりトラブルかよ。大丈夫なんかね、コレ」

 

 燕青は深い溜息の後、

 

「おいコラ、レオナルド」

 

 非難の矛先をダ・ヴィンチに向ける。

 

「どういうことだ、こりゃ。テメェちゃんと定期メンテとかやってんのか? サボってゲームボーイとかしてねぇだろうな?」

『失礼だな、君は。勿論やってるに決まってるだろ』

「じゃあなんで、レイシフトでトラブルが起きてんだ?」

『それが分からない。ラプラス、トリスメギストス、コフィン……レイシフト直後に考えられる所は全て調べ尽くしたが問題は検出されなかった』

 

 現時点に於いて、カルデアに落ち度はないということを前提とするならば、

 

「もしかして、この特異点がエミヤ達を拒んだんじゃないか?」

 

 そのように考えるのが自然だろう。

 

『仮にそうだとして、君と燕青が選ばれる理由だ。新宿の時は悪性が肯定されていたが、このアガルタは一体どんな理に縛られているのか。分からない、全く分からないぞ』

「いくらダ・ヴィンチちゃんでも何も無い所からじゃあ分からないよね。ってことは、まずは情報収集だね、俺がやらないといけないのは」

『うん、そうだね。尤も、人がいるかどうかってところなんだけど……』

 

 立香とダ・ヴィンチの会話を聞きながら、燕青は腕を組む。

 

「取りあえず、“煙”を探すくれぇか。こんな所だ、流石に電気が通ってるとは思えねぇし、人が生きているつーなら煮炊きもするだろうし」

『今のところはそれくらいしかないか』

「それとあとは……」

 

 立香は地面を見下ろした。

 アガルタにもし人が暮らしていて、この草原を通り過ぎたとしたら、当然、足跡や馬車や荷車の轍が残っている。これもまた人がいるという根拠になり得る。

 ……発見できるかどうかは運に因るが。

 

「まぁ、何はともあれ方針は決まったな。止まっていてもしょうがねぇし、空と地面に注意しながら動くとしますか」

 

 立香の肩を叩き、燕青は動き出そうとする。

 

『その前に燕青さん、一つよろしいでしょうか?』

「あん?」

 

 燕青は怪訝な顔をして、モニターに映るマシュの顔を見た。

 いつになく、神妙な面持ちである。

 

『何か隠し事をしていませんか? 先輩に黙って、自分を傷つけるようなことをしていませんか?』

「いんやぁ? 俺、そんなことしてないけどぉ?」

『……嘘、ですね』

 

 マシュが少しだけ、寂しそうな顔をした。だが、立香にはマシュの言わんとしていることが分からなかった。

 

『……アガルタに転移する前と後で、僅かだが燕青の霊基に数値上の差が見られる』

「え?」

『燕青、君、“ドッペルゲンガー”の能力を使用したね?』

 

 ダ・ヴィンチの尋問に、燕青はバツが悪そうに目を逸らした。

 

『……君だけ特異点に弾かれないわけだ。だって、特異点の方に適合するように自分の体を組み替えていたわけだからね』

 

 立香は思考が凍結する感覚を覚える。

 燕青という義侠は、単一で成立しているサーヴァントではない。新宿の特異点に召喚された際に、“ドッペルゲンガー”という英霊未満の存在――幻霊を加えられ、それを座に持ち帰ってしまったのだ。

 故にカルデアに召喚された彼にもドッペルゲンガーが複合されていたのだ。

 

『君には新宿での記憶はないかもしれないが、それでも我々は君にその能力の危険性を説明した筈だ』

 

 普段穏やかなダ・ヴィンチであったがこの時ばかりは怒りを滲ませていた。

 “ドッペルゲンガー”とは、自分の似姿を目撃すると死ぬといった形で語られる都市伝説の一つだ。

 燕青の肉体を依代に明確な形を得たドッペルゲンガーは、“目の前の人間の似姿を取る”といった性質から“誰にでもなれる”という能力を得た。

 その変身能力はサーヴァントの記憶や経験、そして霊基をも写し取り再現する強力な力である。だが、写し取った記憶は仮令、燕青が変身を解いたとしても無くなることはないという致命的な弱点が存在する。獲得した他者の記憶は燕青自身の記憶を侵食し、彼自身を曖昧模糊にしていく。継ぎ接ぎの誰かなどというものは明確に狂気と定義されるものであり、実際新宿での燕青はそれであった。

 狂気ならばまだ良い。燕青という個人の形を取れる内は救いがある。だが、あのままドッペルゲンガーとしての転身を続けていったのならば、恐らく増幅していく記憶に呑み込まれ燕青は自分の姿すら忘れてしまっていただろう。そうなった時、一体“彼であった何か”がどんな姿で生まれて来るのか――立香は考えたくはなかった。

 

「でも、俺がこっちに来れなきゃ、マスターは死んでたんだぜ? だったらやるしかなかっただろうが」

『それについては感謝している。でも今後は絶対に使わないでくれ』

「なんで?」

 

 ダ・ヴィンチが此処まで頑な理由が燕青には分からなかった。

 ――自分一人が我慢すれば、それだけで大きな力が得られる。なのに、如何して止められるのか。

 燕青は理解出来なかった。

 

『燕青さんが燕青さんで無くなるのは……辛いから』

 

 そして、今にも泣き出しそうな声で伝えられたマシュの言葉に燕青は放心した。

 一体、自分が何を言われているのか、マシュがどんな思いでこんなことを言っているのか、分からなかった。

 ただ、分かるのは、胸が、苦しいということ――。

 

「えっとね、燕青」

 

 気恥ずかしさに、頬を掻きながら、立香は燕青に伝える。

 

「ダ・ヴィンチちゃんも、マシュも――勿論俺だって、みんな今の燕青が好きなんだよ。だから、いなくなって欲しくなんかないんだ」

 

 燕青は立香から顔を逸らし、

 

「止してくれよ」

 

 と呟いた。

 

「そういうの、慣れてないから……」

「燕青……」

 

 好意を当たり前に貰って良い人はいる――立香の持論だ。

そういう人というのは立香が思うに押し並べて“良いヤツ”であり、燕青もその中に含まれる。

だのに、燕青は好意を慣れてない言い、息苦しそうにすらしている。

 立香は、それはとても悲しいことだと感じ、燕青にそう伝えようとする。

 だが、

 

「マスター」

 

 突然燕青が立香の名前を呼び、遠くを指差した為にその機会は失われる。

 

「何?」

「煙だ」

 

 一瞬、その言葉の意味が分からなかった立香だったが、直ぐに「あ」と声を上げよく目を凝らす。

 今いる場所からでは小さくしか見えなかったが、黒い煙がもくもくと偽物の空に向かっている。

 

「ハハッ! 幸先良いじゃねぇの! 行こうぜ、マスター」

 

 立香の肩を叩き、燕青は駆け出した。

 

「ちょ、燕青!」

『待って下さい燕青さん。英霊の足で全力疾走してはいけません』

 

 はぐらかされたような、釈然としない気分を覚えながらも、立香は燕青を追いかける。

 




 アガルタにいる筈のフェルグスもエレナも登場しない。原作レイプ此処に極まれり。
 そして、フェルグスが登場しない以上、公式カップリングは死んだんだ。もういない。

 あと、アガルタの批判点の一つである『何処かで見た事のある展開』を手前でやってしまうっていうアンチ創作としての拙さよ。


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第一節 ハロー、アガルタⅡ

 煙は、一人の男が肉を焼いた為に上がっていたものだった。

 木の枝に細かく切った肉を突き刺し、香草のようなものを乗せて焙るだけのBBQのような簡素な料理。

 極めて常識的な調理法である。

 ……深紅の鎧に身を包んだ男の傍に転がっている死骸が、立香がオルレアンで戦ったファーブニル程もある巨大なドラゴンでなければ。

 

「ああっと……」

 

 燕青は言葉に詰まった。

 男の行動に困惑したのだ。

 

『先輩、サーヴァント反応です。目の前のその人はサーヴァントです』

「うん、見れば分かるよ」

 

 ふざけているとも取れるマシュの発言に、立香は苦笑いを浮かべた。

 燕青も彼と同じ気持ちだ。

 状況から見て、この大型ドラゴンを倒したのは目の前の男だ。仮に、この男が只の人間だとしよう。果たしてそれを立香と燕青は受け入れるだろうか。いや、受け入れられない。

 サーヴァントであってくれて良かったと燕青は心の底から強く思った。

 ――にしてもコイツ……。

 燕青は改めて男を見て思う。やっていることは理解不能であったが、男から感じる力はかなり強い。恐らくこの力はオジマンディアスや、ロムルスといったサーヴァントにも比するだろう。

 マシュもモニターに表示されるサーヴァントのデータを確認し、驚愕する。高水準で纏まったステータス、破格の霊格――数値上でも疑いようがないトップサーヴァントである。

 またダ・ヴィンチは焚火の傍に無造作に放置された男の得物と思われる、槌矛に注目する。彼の鑑定眼と解析されたデータは、少なくともAランク以上の宝具であるという結果を導き出す。幾ら宝具が頑丈だとはいえ、焚火の傍に置くという扱いが不可解に思える程の代物であった。

 併し、この時点ではそんなことを知る由もない立香はもっと別の場所に目を向ける。浅黒く健康的な肌、三つ編みした長い髪、快活で人が良さそうな野性味を感じさせる顔立ちといった見た目。そして、そこから受ける、男の印象。

 “無害”という概念が服を着ているのではないかと思える程に、この男には安心感がある。立香は彼のことを疑いようもない善人として認識した。

 

「俺になんか用?」

 

 肉の焼き加減を見ながら、男は無言のままの立香と燕青に問いを投げる。

 

「ええっと、俺は藤丸立香。こっちは燕青。カルデアって所から来た」

 

 人としての常識として、立香はまず自己紹介をする。

 

「藤丸立香……君があの藤丸立香君か!」

「知ってるんですか?」

「勿論! だって座にいながらもずっと活躍を見てたから!」

 

 サムズアップと共に男は太陽のような笑顔を立香に向ける。

 

「お近づきと、お詫びの印――っていうには足りないけど、コレ、あげるよ」

 

 男が差し出してきたのは焼き立ての肉であった。

 

「オイ、いい加減にしろよ、アンタ。誰がそんな得体の知れねぇ肉を……」

「いただきまーす」

「って、食うのかよ!?」

「美味い。やっぱりドラゴンの肉は最高だ!」

 

 燕青は、ドラゴン肉の串焼きに舌鼓を打つ立香を唖然とした表情で見る。

 

『これが所謂、“飯テロ”というものでしょうか? 羨ましい……ジュルリ』

「後輩ちゃんも何言ってんの!?」

 

 マシュのずれた発言に燕青は頭を抱えた。

 ――この時彼は、常識人不在の恐怖を覚えたという。

 

「思えばお腹空いてたんだ。朝食食べ損ねたし。美味ェ」

「マジか? イヤ、もう一度聞くけど、マジか?」

 

 疑いの眼差しを向ける燕青にも、肉が差し出された。

 燕青は恐る恐る、それを受け取り、南無三と念じながらかぶりつく。

 

「……うめぇじゃねぇか」

 

 男は二人の反応に、満足そうな笑みを浮かべた。

 

「まだあるから、好きなだけおかわりして良いよ」

 

 そう言いながら、男もまた肉を口にする。

 

「ところで、お近づきっていうのは、分かるだけど。その、お詫びって?」

 

 立香は素朴な疑問を口にする。

 男とは初対面で、何かされたということなどあるわけがなく、わざわざ謝られる言われはないのである。

 

「君たちの旅を知りながら、俺は力を貸せなかった。……戦えない事情っていうのはあったけど、それでもとっても悪いことをしている気がして、ね?」

「いや、そんなこと……気にしなくても良いから」

 

 申し訳なさそうな態度の男に、立香は逆に申し訳ないという気持ちで一杯になった。

 

『……なんというか。良い人ですね。その、心配になるほどに』

 

 マシュと同じ感想を立香は抱く。

 

「変な壺とか買わされそうだよね……」

「壺? 何それ? あ、竜は壺焼きでも美味しいよ?」

 

 立香の言わんとしていることの意味が分からず、男はからからと笑ってそんなことを言い出し、身振り手振りを交えて“竜の壺焼き”なる料理の作り方を話し始めた。

 ……なんというか、大分、呑気で緩い人だな。

 立香は男の評価を更新する。

 

『すまない。壺焼きの話は大変結構なのだけどそろそろ君のことについて聞きたいんだが』

 

 実際、男のマイペースぶりは凄まじく、ダ・ヴィンチが口を挟まなければ、与太話は留まることを知らなかっただろう。

 

「あ、そっか。俺、まだ自己紹介してなかったね」

 

 そう言って彼は、鎧の中をがさごそと漁り、掌ほどの大きさの木の板を立香と燕青に差し出した。

 何か、文字が描かれていたが、

 

「読めねぇ……」

 

 その内容を理解することは出来なかった。

 

「マシュ、なんて書いてあるか分かる?」

 

 見たこともない言語を前に、立香は匙を投げた。

 

『これは、アヴェスター語ですね』

「あヴぇすたー語? 何それ?」

『拝火教の聖典“アヴェスター”を記す為の専用言語です』

「うん、分からん。何て書いてあるの」

『今、解読します。えぇっと……“夢を追う王様 笑顔を愛する男 フェリドゥーン”』

 

 立香はその名前を聞き、腕を組む。

 

「“フェリドゥーン”……なんか知ってるような……どっかで見たことがあるような……」

『多分、“王書(シャー・ナメ)”ですね。アーラシュさんの講義を受ける前に、先輩が読んだ本に書いてあったのかと』

「あ、多分それ」

 

 立香は英霊の伝承に関する知識の無さを改善しようとして、勉強をしようと思ったことがある。

 “王書”は、立香がアーラシュの伝承について調べようとした時に読んだ本だ。内容の大半は理解出来なかったが、如何やらそれに登場した英雄の名前だけは記憶に残っていたようだった。

 

『フェリドゥーン……東方の大英雄アーラシュが仕えたマヌーチェフル王の曾祖父に当たる人物だね』

『はい、邪神アンリマユに因って産み出された千の魔術を操り人々を苦しめる邪竜アジ・ダハーカ。それを退治した神代の竜殺し(ドラゴンスレイヤー)。それがフェリドゥーンさんです』

 

 フェリドゥーンは自分の評価に対し、苦笑を浮かべる。

 

「そこまで持ち上げることじゃないって。俺は武器を持って竜と戦った。それでも倒せなくて封印するしかなかった。ただそれだけの話だよ」

 

 謙遜ではなく、本当に自分の成したことの大きさを理解していないともとれる言い方であった。

 拳を見せてフェリドゥーンは語る。

 

「これで解決出来ることをこれで解決しただけなんだ。そんなの、全然凄くないよ」

 

 自分の掌に拳を打ち付けるフェリドゥーンの顔には苦悶が浮かんでいた。

 立香はフェリドゥーンのこの表情に何を言うべきか迷った。否、何を感じているかも分からなかった。

 

『ところで気になったのだが。若しかして、君が力を貸せなかった理由というのはひょっとして邪竜の封印に関わることなのかい?』

 

 そして、立香の問いは、遂にはダ・ヴィンチの好奇心に呑み込まれる。

 

「へぇ、カルデアの魔術師ってのはすっごいな。そんなことまで分かっちゃうのか」

『勿論、このダ・ヴィンチちゃんにはまるっとお見通しなのさ』

 

 ダ・ヴィンチとフェリドゥーンの会話の内容がまるで分からない立香はポカンと口を半開きにしたまま呆ける。

 

『フェリドゥーンさんが封印した邪竜は、世界が滅びるその日に目覚めるという伝承があるんです』

「……つまり、人理焼却とかが起こると封印が解けるってこと?」

『そういうことだと思います』

 

 マシュの説明を聞き、立香は漸くダ・ヴィンチの言わんとしていることを噛み砕いた。

 

『確かアジ・ダハーカは目覚めたその日にフェリドゥーンの子孫に倒されるという予言がなされていたが……成程、実際は座に押し上げられた英霊フェリドゥーンが安全装置だったわけか。となると、アヴェスターに於けるフェリドゥーンは最初、キリストと同じく復活をする存在だったというのか? うん、これは興味深いな』

 

 ダ・ヴィンチがさも愉快そうに話しているが、立香は何が面白いのか分からなかった。

 取りあえず分かるのは、学者肌の者にしか分からない世界があるということくらいか。

 と、此処で、

 

「盛り上がるのは良いけどよ、皆さん、話戻して良いかい?」

 

 燕青が閑話休題を要求した。

 頬を栗鼠のように膨らませながら。すっかりドラゴン肉に味をしめたのか、既に彼の膝の傍には串が三本も転がっていた。

 

「俺ら、まだこの人からなんも聞いてねぇからさ」

「あ」

 

 その指摘で立香は本来の目的を思い出した。

 情報収集である。

 

「あの、フェリドゥーンさん」

「フェリドゥーンで良いよ」

「じゃあ、フェリドゥーン。君はアガルタ――この特異点について詳しい?」

 

 フェリドゥーンは首を横に振った。

 

「ここに召喚されたのはついさっきって所。だから、俺はこの世界について知っていることが一つもないんだ」

「じゃあ、他に人間かサーヴァントを見かけたりした?」

「人間なら十人くらいは見たよ」

 

 その言葉に表情を明るくしたが立香であったが、直後にフェリドゥーンが告げた事実はそんな彼を打ちのめす。

 

「全員、死んでいたけどね」

「え?」

「この世界について、一つだけ分かることがある。魔獣の人に対する殺意が異様に高い」

 

 フェリドゥーンが見た死体は状況と状態から見て、魔獣に殺されたと見て間違いはないらしい。ただ、不可解なのは死体には食われた形跡がなく、死体の近くを通り過ぎる魔獣も興味を示さなかったこと。詰り捕食目的ではなく、単純に人間を殺すことだけが目的だということだ。

 縄張りに侵入した外敵を倒しただけとも考えたが、その後出会った魔獣達の悉くがフェリドゥーンを執念深く襲ったらしい。足の一本や二本を欠損した程度では止まらないその様は、まるで、絶対に殺すまでは止めないと設計されているかのようだったという。

 

『うーん。さっきの魔猪の不自然な挙動を見るに、フェリドゥーンの見解には説得力があるね』

 

 立香は先程の魔猪の行動を思い出し、今までの特異点で出会ってきたエネミーと比較する。

 ――そして、確かに、作り物臭い動きだったという見解に落ち着く。

 

「他に何か、気になることとかない?」

「ある。これも死体に関してだけど……」

 

 と、話し出そうとしたフェリドゥーンが急に槌矛(メイス)を手に取り立ち上がった。

 それに合わせて燕青も立ち上がり、目を細め、構えを取る。

 

『すいません、生体反応が此方に近づいてきます。僅かに、拾えた音と熱源、魔力の質から恐らく、騎馬隊のようなものかと思われます。数は……』

「二百騎くらいだね」

 

 マシュの言葉の先をフェリドゥーンが続ける。

 立香も慌てて立ち上がり、燕青の隣に立った。

 

「たまたまこっちに来てるだけ……ってわきゃねぇよな……」

 

 冗談交じりに燕青はフェリドゥーンに訊ねた。

 

「あれだけ盛大に煙立てておいてそれはないでしょ」

 

 フェリドゥーンは槌矛の柄で準備運動をしながらそう返した。

 詰り、狙いは自分達ということである。

 

「まぁでも、狙い通りといえば狙い通りか。あとは、俺の知りたいことを知ってるかどうかってことだけど……さて、どうなるか」

 

 だが、地の向こう側から遣って来る土埃を見据えながらも、フェリドゥーンは余裕を崩してはいなかった。

 




【出典】アヴェスター、王書
【CLASS】ランサー
【真名】フェリドゥーン
【性別】男
【身長・体重】190cm・90kg
【属性】秩序・善・地
【ステータス】筋力A 耐久B 敏捷B++ 魔力B+ 幸運A+ 宝具A++
【クラス別スキル】対魔力A
【固有スキル】カリスマA、啓示Cなど
【宝具】???

 東方の邪竜殺し。ガチで世界を救った男。神代が生んだ山育ち。
 彼の曾孫に神代最後の王マヌーチェフル――アーラシュが仕えた王がいる。
 『夢を追う王様 笑顔を愛する男』を自称し、マイペースで緩い性格。彼に加護を与えた女神が“健康”や“豊穣”を司る為か、かなりの健啖家。好きな食べ物は竜。でも、アジ・ダハーカは食べない。


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第二節 勇夫王の涙Ⅰ

 馬に乗って遣って来たのは、女の集団であった。

 野獣の皮で作られた簡素な衣服を纏った彼女らは、それぞれが弓や槍、剣に円盾などで武装していた。

 

「……戦士、かな?」

「これで大道芸人だったら面白れぇけどな」

 

 立香に冗談を吐くだけの余裕がある燕青であったが、その実、顔からは笑みが消えていた。

 如何やら立香が抱いた印象が、そのまま彼女達の性質であるようだった。

 

「男だ、野良の男だ!」

「私の言った通り、見に来て良かったろう?」

「赤い鎧の男は強そうだな」

「私は隣の刺青の男の方が好みだ。良い筋肉をしている……それに美人だ」

「なんでもしてくれそうな、いやらしい顔がたまらない」

「……もう一人はてんでへな猪口そうだが、まぁ使い道はあろう」

 

 立香達に向けられる、舐め回すような視線。見下したような下卑た笑声。

 女戦士達は、皆、並外れた美貌の持ち主であったがその振る舞いはそれを台無しにして余るものであった。

 

「何にせよ、男は皆、我々のものだ」

 

 一斉に武器を天高く掲げ、鬨の声を上げる女戦士達。

 その気迫と、主や自分に向けられる性的な視線を警戒し、燕青は“臨戦”から“死合”へと、感情を切り替える。

 

「……殺さないでね」

「あいよ」

 

 不意に主から齎された難題を燕青は安請け合いする。笑顔と共に。

 だが、主の要求は別段難題でもない。彼が操る燕青拳は、足捌きに重きを置いた無影の拳だ。一歩目の踏み込み、そして其処からの“次”の速さに関してはカルデアのサーヴァントの中でも随一であるという自負が燕青にはある。

 その速さでもって、女達に肉薄し、最小限の動作で二、三人を同時に沈黙させる。女戦士達の士気は高いが、それでも、出鼻を挫かれれば浮足立つ筈だ。そこを一気に攻める。その状態ならば、実質的に不意打ちに近い状況になる。

 ――気絶を狙うならそういった状況を狙うのが最も良い方法だ。燕青は刹那の内に戦術を纏め上げ、行動を起こす。

 然して、燕青が一歩を踏み出そうとしたその瞬間であった。

剛――……。

 地下空洞そのものが大きく揺れた。立香は一瞬、地震かと疑う。若し地震であれば、震度は三ほどか。

 だが、これは地震ではなかった。フェリドゥーンだ。牛の頭を模した特殊な形状の穂先を持つ槌矛(メイス)。その穂先を、地面に叩き付けたのだ。

 一瞬、時が停止したかのように、女戦士達とカルデア双方の動きが止まる。

 そして、外套(マント)を翻し、両陣営の真ん中に歩み出ると、

 

「俺の名はフェリドゥーン! 恐れ多くも“有夫王”と呼ばれた者である!」

 

 フェリドゥーンはいきなり名乗りを上げた。

 

『な……』

 

 この光景を見たマシュは絶句する。

 特異点での行動は、修復を確実に行うために、またその過程に於ける人類最後のマスターの身の安全を確保するために、慎重に慎重を重ね、臨むべきものだ。

 だのに――この“有夫王”はそれをたった一言で一切合切台無しにした。

 

「この名を恐れ、震えたというなら今すぐ武器を下ろして欲しい。そして、俺の質問に答えて欲しい!」

 

 然も、いきなり相手に全面降伏を要求する傲岸さ、そして迂闊さである。

 ともすれば、これは侮辱である。戦場そのものを馬鹿にしているとさえ捉えられる。現に、女戦士達は、皆一様に、怒りに面容を歪めていた。

 

『これは……いや、私が言えることじゃないが、それでも敢えて言わせて貰おう。これはひどい! 最悪だ!』

 

 いつもは寧ろ、その頓狂な行動で周囲の人間を困らせてばかりのダ・ヴィンチすら苦笑いを浮かべていた。

 

「フェリドゥーン? ハ、知らん名だな」

 

 女戦士達の戦う理由が加わる。憤怒、或いは、戦士の誇りを傷つけたことに対する断罪。

 女たちは手綱に込める力を強め、フェリドゥーンへと馬を突撃させようとする。

 だが、

 

「うぎぃっ!」

「あんぎゃっ!」

 

 その刹那、馬上にいた戦士が五、六人、宙を舞う。

 立香は何が起こったのかまるで分からなかった。

 燕青は見ていて尚、自分の目を疑った。

 女戦士達とは大分隔たった場所にいる筈のフェリドゥーンが、槌矛を振るったのだ。そして、武器の軌道に因って生じた圧が、女戦士達を馬上から跳ね上げたのである。

 

「……胸椎、腰椎」

 

 フェリドゥーンはぼそりと、呟く。

 

「――座から得た知識に照らし合わせると、その娘(こ)たちが今、痛めた場所を然う言うみたいだ。走ることと、馬に乗ることには間違いなく、支障が出る。いや、放っておけば死ぬ可能性だってある」

 

 呆然とする女戦士達にフェリドゥーンは、自分が攻撃した者達の状態を告げる。

 真剣な眼差しで。

 

「でも、今ちゃんと手当すれば、ただ日々を暮らすことは十分出来るくらいには回復すると思う。今、俺がやったのはそういう攻撃だから」

 

 立香は、吹き飛ばされた女戦士に目を遣る。

 確かに、苦しみ悶えながらも、歩行が出来ないながらも、生きていた。

 彼としては、彼女達が生きているならば構わないのだが、それでも気に掛った。一体、フェリドゥーンは何がしたいのだろうと――。

 その答えは直ぐに出た。

 

「……お願いだ。俺が言うのはおかしいことだっていうのは分かる。でも、武器を下ろして、この娘(こ)達を手当てして欲しい。そして、頼むから俺達と戦おうなんて思わないで。それと、俺の質問にも答えて欲しい」

 

 ――フェリドゥーンは本気で戦いを避けようとしていたのだ。

 眉間に深い皺が刻まれ、瞳は悲痛に潤んでいる。武器を握る手は震え、今にも泣き出しそうだ。

 心が痛くなる。可哀想だとすら思えてくる。

 立香にはフェリドゥーンの姿がそのように映った。

 だが、

 

「その必要はない」

 

 女戦士の一人は、そんな彼の言葉をあざ笑い、地面に転がっていた女戦士に槍を突き立てる。それに続く様に、一人、また一人と、生きていた者達に槍が突き立てられていく。

 短い悲鳴の後に、足の不自由を約束されながらも、それでも生きていた女達が死んでいく。

 

「我等“アマゾーン”は誇り高く、そして強き戦士。戦場を駆けられる足も持たない弱者などいらんのだ!」

 

 女戦士達の応えを聞くと、フェリドゥーンは仮初の空を仰ぐ。

 そして、

 

「そっか……」

 

 と短く落胆の言葉を発し、落涙した。

 ――赤い。涙が赤い。血の涙だ。

 フェリドゥーンの頬を伝う赤い一筋を立香が認識したすぐ後――今度は、血の雨が降った。

 フェリドゥーンは女戦士達を鏖殺していく。一度、槌矛を振れば、十人の女が肉と血の飛沫になった。二度、槌矛を振れば、二十頭の馬がはじけ飛んだ。三度、槌矛を振れば、馬ごと女が死滅した。

 女戦士達はいとも簡単に生み出される死を決して恐れることはせず、剣で或いは槍で反撃を試みる。だが、その反撃すらも槌矛の一振りに呑み込まれ、そのまま死んでいく。

 

「え、燕青!」

「分かってる!」

 

 余りにも唐突に始まった虐殺に、思考が凍結していた立香は漸く覚醒し、燕青に指示を出す。

 それは相も変わらず、なるべく殺さないように戦うこと。

 こんな虐殺の中でそれが適うかは分からない。燕青を嵐の中に飛び込ませることに対する申し訳なさもある。だが、それでも、人が死んでいくのは見逃せなかった。

 加えて放っておけないものはもう一つある。他ならぬフェリドゥーンだ。

 これだけ酷い殺し方をする癖に、そこに情け容赦はない癖に――フェリドゥーンは泣いていた。

 祈るように武器を振るいながら、何か使命感のようなものを持って、震えながら戦っている。

 是は、あくまでも立香の所感ではあったが、“彼は戦いに向いていない”。精神性が極端に戦闘向きでないのに、戦闘能力が高すぎるのだ。

 ならば、なるべく戦わせてはいけない。なるべく殺させてはいけない。

 彼が一人多く殺すより先に、一人多く生かさなければならない。

 実際に戦うのは自分ではない癖に、そんな自分勝手な想いをサーヴァントに背負わせていることを自分の中で憤り乍ら、立香はそれでもその想いを捨てきれなかった。

 

『……そん……な……』

 

 やがて、戦闘が終わり、出来上がった光景にマシュは言葉を失う。

 地上に大きな赤い染み。腕の一本、肉片の一つすら、ほとんど見当たらない、地底の草原に出来た大きな染み。

 それが結果であった。マシュの記憶の中に在る光景でこれより酷いものは、バビロニアの魔獣戦線くらいであった。

 二百人いた戦士達の中で生き残ったのは僅かに五人だけ――。

 

「その、悪ぃ、マスター」

 

 燕青は立香から目を逸らした。

 自分がいながら、このような結末を止められなかったことに責任を感じたのだ。

 

「大丈夫、うん、大丈夫……」

 

 そうは言ってみせたが、立香はそもそも、どこにでもいるただの少年である。凄惨な光景に慣れる訳がなかった。

 

「おい、アンタ」

 

 燕青はフェリドゥーンに掴みかかる。

 

「いくらなんでもやり過ぎだ。此処までする必要があったかよ?」

「ごめん。でも、俺、これしか知らないんだ……」

 

 血みどろになりながら、フェリドゥーンは力無く笑う。

 

『不死身の怪物とばかり戦ってきたから、加減の仕方が分からないってことかい?』

 

 ダ・ヴィンチは彼の逸話からそのような推測を立てた。

 邪竜にせよ、臣民を食らう凶王にせよ、フェリドゥーンが戦ってきた敵の中には殺せる者がいなかった。

 倒したと思った怪物が実は死んでおらず、仕方なく封印するという流れになるのが彼の物語である。

 そもそもフェリドゥーンは、カルナやアルジュナのように、或いはケルトの戦士達のように幼い頃から戦い方を学んでいたわけでも、鍛錬を積み重ねていたわけでもない。いずれ凶王を打ち滅ぼす者になると予言を受けながらも、それを知らずに母や父代わりの老人と山で暮らすただの人であった。生きる為に武器の振り方くらいは習っていただろうが、その程度の技術が、優れた戦士を生み出そうとする英才教育に並ぶわけがない。

 戦士としての教育の中には当然加減というものも含まれており、それが一切施されていないということがどういうことを意味するかは想像に難くないだろう。そして、戦士になりきれないまま、手加減がいらない敵とばかり戦ってきたから、フェリドゥーンはそれを知らずに、五百年を生きてしまったに違いない。

 ――ダ・ヴィンチのそのような推論に、フェリドゥーンは肯定するでも否定するでもなくただ押し黙った。

 

「……つーか、どうすんだよ、レオナルド。さっきの口ぶりから考えるに、コイツ、俺達に協力する気満々だったらしいけどよ。コレはマズいんじゃねぇの?」

 

 燕青は、親指で今自分達がいる血だまりを指差す。

 あまり人の死を見たくないであろう立香のことを考えての発言であった。

 

『まぁ、かなりのトラブルメーカーだが、戦闘力だけを見ればこれほど心強いサーヴァントはいないし、私としては付いて来てもらった方が良いと思う。それに、そのフェリドゥーンは信用出来る』

「一体何の根拠があって言ってる?」

『君たちがフェリドゥーンと会話している間、ずっと彼を嘘発見機(ポリグラフ)に掛けて置いた。その結果、彼の言葉の中に何一つ嘘がないことが分かった』

 

 フェリドゥーンはずっと“善性”を感じさせる言葉を口にしていた。その言葉に嘘がない以上は、それがそのままフェリドゥーン自身の本質ということになる。

 

『ですが、実際に特異点を調査するのは先輩です。最終的な判断は先輩にあります』

 

 実益があろうと、実害があろうと、誰に協力を仰ぐか決めるのは最終的な決定は立香に委ねられる。

 現に、新宿に於いて、モリアーティと行動をすることを決めたのは立香の意思であった。

 

「フェリドゥーン」

 

 そして、立香は今回も決めた。

 

「俺に協力して欲しい。着いて来てくれない?」

 

 これにはフェリドゥーン自身すら驚いたようで、目を、少しだけ見開いた。

 だが直ぐに、柔らかな笑みを浮かべ、

 

「うん。元からそのつもりだよ。こんな有り様な俺でも良いなら、協力する」

 

 と返した。

 こうして、この特異点の探索に新たな仲間が加わった。

 

「それで、俺が最初にしなきゃいけないことは何かな? マスター」

「えっと……」

 

 いきなり問いを投げかけられ、立香は答えに困り、燕青に視線を送る。

 面倒臭そうに頭を掻くと、燕青は、

 

「どう考えても情報収集だろ? 折角何人か生きてるんだ」

 

 と地面に気を絶したまま転がる、ごく少数の生き残りを指して言った。

 

『くれぐれも慎重に。発言と、装備や服装から彼女達が“アマゾネス”――勇猛果敢な女戦士であることは間違いないんだ。醜態を晒すくらいならばと、自害をする可能性もある』

 

 ダ・ヴィンチの忠告を聞くと、フェリドゥーンはこくりと頷き、周囲に縄になりそうなものが落ちていないか探した。

 




 フェリドゥーンのステータスを変更致しました。
 
 それにしても、水着イベント始まりましたね。
 自分、アンメア引きましたが、清姫欲しいっす。その、関羽的な意味で。


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第二節 勇夫王の涙Ⅱ

 生き残ったアマゾネスの五人の内の一人が目を覚ます。

 女がまず感じたのは息苦しさであった。口を何かで封じられているようだった。

 心と体が分離したかのように、全身の感覚が掴めない。自分の置かれている状況もまるで分からない。目覚める前に何があったかも思い出せない。

――気持ち悪い。

 女は、心の内で毒づくと、脳味噌が浮遊したかのような漠然とした気持ち悪さに頭を押さえようとした。

 だが、それは適わなかった。腕が動かせないのだ。女は此処で、自分が縛られていることに気が付いた。

 当然、足も封じられているから立ち上がれもしない。出来る事と言えば、地面を這うことくらいか。

 そして、口にも猿轡のようなもの巻かれている。息苦しさの原因はこれであった。

 如何して、こんなことになってしまっているのか、と女が困惑したその時、

 

「目、覚めたみたいだね」

 

 声を掛けられた。

 赤い鎧を纏った優男が、自分と目線を合わせるようにしゃがみこんでいた。

 男――フェリドゥーンを見ると、女は思い出した。

 自分の仲間がこの男に殺されたことを。女は辺りを見渡した。血だまりだ。草原が血に染まり、熱気で上がった湯気までもが赤かった。そして、自分と同じように縛られている仲間を見た。

 ……五人しかいなかった。二百人はいた筈なのに。

 

「他の奴らはまだ目が覚めねぇか。ちょっと強く殴り過ぎちまったかな?」

 

 もう一人の戦士――燕青の言葉が殊更に女の癪に障った。

 仲間たちが死んだのは、フェリドゥーンや燕青が強かったからだ。強い者が生き、弱い者が死ぬ。当然の理である。だが、それでも女は怒りを抑えることが出来なかった。

剣があればすぐさま斬りかかっただろう。無ければ殴り掛かっただろう。それが出来なければ噛みついたに違いない。

 実際はそれすらも適わない。何たる無情。女は自分の無力を呪った。

 

「ごめん、自害なんてされたら嫌だからさ。体の自由を封じさせて貰ったんだ」

 

 フェリドゥーンのこの言葉が更に女の神経を逆撫でする。

 体の自由を封じるのは良い。勝った方が負けた方を自由に扱うことも成行きとしては当然である。だが、その理由が女にとっては気に食わない。

 反撃を恐れると言ってくれていたならば、女は鼻高々と笑っただろう。それは即ち自分が強いと認められているからだ。

 だが、自害を恐れるというのはその逆だ。フェリドゥーンは女を強いなどとは思っていない。寧ろ、取るに足らないと思っているのだ。

 屈辱だ。女は心の中で毒づいた。

 

『それにしても、彼女達のこの構図、大分マニアックだね。こう、ブーティカ女史とかに似合う感じな』

「おい、後輩ちゃん。ソイツの頬、ぶん殴れ」

 

 燕青は満面の笑みで、マシュにダ・ヴィンチを殴るように言った。

 

『慎重にと言った傍からふざけ出したダ・ヴィンチちゃんが腹立たしいのは分かりますが抑えてください、燕青さん』

「たっく……。こっちが真面目にやってんだから、そっちも真面目にやってくれよ」

 

 そう言いながら、燕青は、フェリドゥーンが名刺代わりに差し出してきた板を手に取る。

 そして、地面を探り、アマゾネスの持ち物と思われる短剣を拾うと、そこにアルファベットを彫り始めた。

 

「何やってるの? 燕青」

「そいつら、今話せないだろ。だから、視線で言いたいことを伝えて貰おうと思ってよ」

 

 立香の問いに燕青は得意そうに答えた。

 これは本来、何らかの病気など原因に発声が出来なくなり、また寝たきりでもある人との意思疎通に用いる手法だ。

 聞き手は文字――五十音であったりローマ字であったり――が書かれた板を用意し、話し手の目の前に持ってくる。そして、話し手の視線を辿り、本来発声したい音を辿る。それを何回か繰り返せば単語が、その出来た単語同士を組み合わせれば文章が出来るといった具合だ。

 本来ならば、視線と文字の交点が分かり易いように、文字は透明な板に書かれるが、燕青は武闘家である。相手の動き、ひいては視線を追うことには慣れている。故に、木の板であろうとなんら問題はない。

 

「さて、じゃあ質問な。と、最初は……」

「ドレイクとヘラクレスのことでしょ。若しかしたら知ってるかもしれない」

 

 立香はそれが最も気にしなければならないことだと思った。

 

「と、いうわけだ。ドレイクって名前の傷面(スカーフェイス)の女海賊と、ヘラクレスっつー鉛色の肌をしたゴリゴリマッチョのデカいおっさんについてなんか知ってるなら吐いちまいな」

 

 燕青は板を女の前に突き出し、板を用いた会話の仕方を説明する。

 だが、女からの返答は無かった。

 

「……知らないってことなのかな?」

 

 立香はそのように受け取った。

 

「他に何を聞くべきだろ?」

「俺らを襲った理由とか? 普通、人がいるってだけであんな軍勢差し向けねぇだろ」

 

 燕青の意見にマシュが同意を示す。

 

『そうですね。若しかしたらそこにこの特異点ならではの理由があるのかもしれないですね』

「よし、じゃあ俺達を襲った理由を吐け。三、二、一、キュー」

 

 再び燕青は女の眼前に板を突き付けた。

 だが、矢張り返答はなかった。

 

「燕青くん、次は俺が質問しても良いかな?」

「いいよぉ。でも、一体何を聞くんだい?」

 

 燕青から渡された板を受け取りながら、フェリドゥーンは答える。

 

「男について」

 

 そして、女の前に板を持ってきて、捲し立てるように訊ねた。

 

「この草原で死んだ男はみんな、過酷な労働と拷問の跡があった。魔獣に殺された者が殆どだったけど、中にはその労働と拷問の疲れが原因で衰弱したような人もいたんだ。君、それに心当たりはないか?」

 

 だが、フェリドゥーンに帰って来た視線は自身に対する敵意のみであった。

 

「全部だんまり。収穫ゼロかぁ……」

 

 燕青は落胆の声を漏らす。

 

「パラケルススのヤツがいりゃ自白剤の一つでも作って貰えるんだが……」

 

 病理学研究の祖であり、高名な錬金術師でもあるキャスターのサーヴァント、ヴァン・ホーエンハイム・パラケルスス。特殊な霊薬を作ることに関してはカルデアのキャスターの中でも随一であり、その技術を用いたトラブルの構築能力も抜きん出た人物である。普段はその技術力が忌々しい限りであるが、こういった場面では頼りになることこの上ないだろう。

 ちらりと燕青は横目でフェリドゥーンを見る。

 神代の戦士であるフェリドゥーンならば、或いは魔術の心得もあるかもしれないと考えて。

 

「自白剤か……俺も魔術はそれなりに出来る方だけど、薬師の真似事は専門外だな。ごめん」

「謝らなくても良いって。フェリドゥーンが悪いわけじゃないんだからさ」

 

 無い物ねだりをしても仕方がないと、立香は気持ちを切り替える。

 

「他にどうにかして聞く方法はないかな? なかったら、この人達を解放するけど」

 

 立香はフェリドゥーンと燕青、そしてカルデアのマシュとダ・ヴィンチに意見を求める。

 フェリドゥーンは黙って首を横に振り、自分には方法がないと示した。

 燕青はここでアマゾネス達を殺さないことを選ぶ立香の甘さに溜息を漏らしながらも、それを否定することはしなかった。

 

『私には良い方法が思い浮かびません。すいません、先輩』

 

 マシュの申し訳なさそうな言葉の後、立香はダ・ヴィンチの答えを待った。

 だが、暫く待っても答えが返って来ず、立香はアマゾネス達を縛っていた縄を解こうとする。

 その時、

 

『待った』

 

 ダ・ヴィンチが大分遅れて、意見を口にする。

 

『若しかしたら、彼女達、英語が分からないんじゃないか?』

 

 立香と燕青は瞬きを繰り返す。

 考えもしなかった盲点であった。

 

『このアマゾネスがギリシャ神話のアマゾネスだとしたら、彼女達はスキタイ系の騎馬民族。ということは、ヘロトドスが“スキタイ語”と呼んだものを公用語にしていた筈だ。ならば彼等の使っていた文字は……』

 

 ダ・ヴィンチはぶつぶつと呟き出すと、今度は燕青に、

 

『燕青くん、今から私の指示通りの文字盤を作ってくれ給え』

 

 と命じた。

 

「へいへい」

 

 面倒臭そうに、受け答えつつ燕青はフェリドゥーンにもう一枚木板を要求し、黙々と作業に取り掛かる。

 そして、木をかりかりと削り、

 

「出来たぜ」

 

 暫く経って燕青はダ・ヴィンチに声を掛ける。

 

『じゃあ、その板をその娘(こ)の前に持って、さっきと同じ質問をしてくれ』

「ダ・ヴィンチちゃん、翻訳出来るの?」

『おいおい、愚問は止してくれ。私は大凡、万能だよ?』

 

 なら心配いらないと、立香は燕青に板を持って貰い、再び最初の質問を投げかけた。

 そして、答えは帰って来た。

 

『“こ”、“た”、“え”、“る”、“ぎ”、“り”、“は”、“な”、“い”』

 

 拒絶という形で。

 

「ダ・ヴィンチちゃん……」

『待って、まだ続きがある』

 

 立香の発言を遮って、ダ・ヴィンチは先を続ける。

 

『“は”、“や”、“く”、“こ”、“ろ”、“せ”。“こ”、“の”、“は”、“る”、“も”、“と”、“え”、“ー”、“を”、“ぎょ”、“せ”、“る”、“う”、“ち”、“に”。ハルモトエー?』

 

 ダ・ヴィンチが彼女の名と思われる名詞に反応を示す一方で燕青は、深い溜息を吐いた。

 

「とんだ骨折り損だよ……」

 

 と、燕青がごてると、

 

『イヤ、そんなことはないさ』

 

 とダ・ヴィンチが彼を激励する。

 

『運が良かった。君の徒労は報われたぞ。とても有益な情報を今、彼女は漏らした』

 

 その言葉に燕青は勿論のこと、立香や尋問を受けていたアマゾネス――ハルモトエーすら困惑していた。

 

『君――いや、ハルモトエーに質問だ。この地下空洞にいるアマゾネスの元締めは、ペンテシレイアだね?』

 

 ハルモトエーが目を大きく見開いたのが答えであった。

 ダ・ヴィンチの言葉は真実だった。

 このアマゾネスを率いているのは、ギリシャ最古の叙事詩“イリアス”に登場するアマゾネスの女王ペンテシレイアだったのだ。

 

「如何してそんなことが……?」

 

 だが、素朴な疑問が立香の中に湧いた。

 何を根拠にダ・ヴィンチがそう断定したかだ。

 

『ここは特異点だ。今までと同様複数のサーヴァントが召喚されているのは疑いようがないだろう。そんな中で現れたアマゾネスという存在。彼女達はあるサーヴァントに引き寄せられた存在だと仮定すれば、候補は二人に絞られる』

「ヒッポリュテとペンテシレイア?」

『伝承の勉強はきちんとしているようだね。正解だ、藤丸立香君。で、仮にその両方ではなく一人が現界しているとして、その答えの最大の根拠となるのは――ずばり、彼女が名乗った名前だ』

 

 立香はここで首を捻った。

 ハルモトエーなどという名前には、心当たりがなかった。

 

『ハルモトエーというのはね、ペンテシレイアがトロイア戦争に引き連れた十二人のアマゾネスの一人なんだ』

 

 加えてと、ダ・ヴィンチは更に論理を突き詰めていく。

 

『君らが会話している間、ずっとハルモトエー嬢の脳波を計測していたんだが……会話の中で出てきた幾つかの単語によって“P300”が計測された』

「P300って?」

『簡単に言うと、記憶にあるものを見たり聞いたりすると現れる脳波のことさ』

 

 サーヴァントやそれに連なる存在にそのようなものがあるか、立香には疑問に思えたが、ダ・ヴィンチ曰く、あるとのことであった。

 だが、説明を聞いて立香は納得した。サーヴァントといえど思考はするであろうし、そこに数値として観測できる動きが出るのも当然といえば当然である。

 

「カルデアの技術力ってすげぇ……」

 

 立香は素直に感嘆の声を漏らした。

 

『ですが、これの計測を頑張り過ぎると、索敵に充てるリソースが無くなってしまいます。ですから、あまりホイホイと使える手段でないことは理解しておいてください』

 

 マシュは注意点を説明したが、それでも有用な技術であるのは間違いなかった。

 

「ん? でもそのP300が出た単語って何?」

「話の流れ的に、“ペンテシレイア”じゃねぇの?」

 

 立香の疑問を解消すると、燕青はダ・ヴィンチに質問する。

 

「で、レオナルド。お前、“幾つか”のつったよな? どこに反応したんだ?」

『それではお答えしよう。まず、一つは“ヘラクレス”だが……これは保留だ。ギリシャ神話に連なる者で、知っていない方が不自然な名前だからね。次に“女海賊”。だが、ドレイクという部分には反応しなかった』

 

 立香はダ・ヴィンチの説明を聞き、可能性を口にする。

 

「この特異点に来てからドレイクを見たことはあるけど、名前は知らない……とか?」

『それか、ドレイクとは全く別の女海賊って可能性がある。まぁ、これも現時点では推測の域を出ない話でしかない。一先ず保留だ』

 

 ドレイクのことは心配でならなかったが、それを優先して特異点の解決をおざなりにしてしまっては意味がない。立香は自分にそう、言い聞かせる。

 

『そして、もう最後に一つどうしても見逃せなかったP300の反応があった』

「それは、一体……」

『フェリドゥーンの質問』

 

 の、一体何処で反応したのかと、立香は問おうとしたが、その必要はなかった。

 ダ・ヴィンチがすぐに答えてくれた為に。

 

『彼の質問内容の、ほぼ全て。P300が出ていた』

 

 尤もそれは知らされてあまり気持ちの良い真実ではなかった。

 

「待てよ、レオナルド。お前の言ってることがホントなら、奴隷にされて、拷問されて、過労死したり、逃げ出して魔獣に殺されたヤツがいるってことだぞ?」

『勿論、私はそう言っているんだ』

 

 燕青はギリと、音が鳴る程歯を軋ませる。

 

「燕青、押さえて」

「分かってる、分かってるけどよ……」

 

 立香は燕青を宥める。

 だが、悪漢ながらに義に生きた者としての性か。人道に反することには憤りを覚えるようで、燕青の拳は固く握られていた。

 立香が止めなければ、ハルモトエーの頭は今頃無くなっていたことだろう。

 

「……成程、これで俺達を襲った理由も想像がつく。奴隷が欲しかった。そういうことだったのか」

 

 フェリドゥーンは彼女達の行動理由に酷く落胆していた。

 

「立香くん、聞くことはもうないね」

 

 だが、その一方で彼の手は武器ではなく、アマゾネスを縛っている縄に掛っていた。

 立香がこくりと頷くと、フェリドゥーンはハルモトエーと、他のアマゾネス達を解放した。

 

「これで、君たちは自由だ。もう誰かを傷つけようだなんて考えるんじゃないぞ」

 

 まるで子供の悪戯を咎めるような優しい口調でフェリドゥーンは彼女達を諭し、微笑みを湛える。

 フェリドゥーンがアマゾネスから背を向けた、その瞬間であった。

 ハルモトエーはほくそ笑む。

 どこまでも甘い連中で助かったと。今ならば一人――立香という一番弱い男ならば殺せる。まだ戦える。武器はないが拳はある。少年の小さい頭を吹き飛ばすにはそれで十分だ。

 仲間を殺された怒り、戦士の誇りを散々に穢された屈辱を晴らさんと、ハルモトエーはゆっくりと立ち上がり、

 

「うぉぉぉぉぉぉ!」

 

 立香に目掛け、一直線に飛びかかった。

 右腕を突き出す。それで脆弱な男は死ぬ。

 そう、心の中で高笑いしていたハルモトエーであったが、

 

「何をしている?」

 

 地獄の底から響くようなおぞましい声と、その後に自分の腕から聞こえてきた鈍い音に全てをかき消される。

 復讐を遂げる歓喜も、立ち上がった誇りも。

 ハルモトエーはふと、自分の腕を見た。もう一つ、関節が出来ていた。手首と肘の間にもう一つの――。

 

「うぎゃああああ! 腕がぁぁぁぁ!」

 

 すぐに自分の腕が折れていると認識したハルモトエーは、走る激痛に地面をのたうち回った。

 

「次に立香くんの優しさに付け込んでみなよ。あともう二、三個関節が増えるよ?」

 

 怒りはない。ただ、失望したような悲し気な顔で、フェリドゥーンは言い放つ。

 ハルモトエーはひぃと、短い悲鳴を上げ、後ずさりした。

 

「君たちの女王に俺がこう言っていたって伝えて欲しい。“さっさと、座に帰れ”」

 

 アマゾネス達は、フェリドゥーンの傲慢な態度に腸が煮えくり返りそうになる。

 併し、反撃は出来なかった。しても無意味なことはもう十分に理解出来たから。

 

「覚えていろ!」

 

 そう言い放って、逃げだすことが彼女達に出来る精一杯であった。

 



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第三節 くたばれアマゾーンⅠ

 アマゾネスの住処は地下空洞の西側に位置する広大なジャングルであったが、それ以外にも、幾つかの集落を落していた。森の東側にある、フランス革命期ごろのヨーロッパを思わせる外観のこの町も、アマゾネスが落とした町の一つであった。

 また、大空洞の東に支配権を持つ敵対勢力との覇権争い。その拠点となっているのがこの町であった。

 またハルモトエーをはじめとした立香やフェリドゥーンと戦った決して少なくはないアマゾネス達の生活の場でもあった。フェリドゥーンが炊いた火を見つけたのもこの町であり、無論彼女が帰るべき場所もここであった。

 満身創痍のハルモトエーと四人のアマゾネスはなんとか、その帰るべき場所にたどり着く。

 

「ハルモトエー様! 如何したのですか、その傷!」

 

 大通りを歩いていたアマゾネス達は彼女に気が付き、その身を案じ一斉に駆け寄った。

 自分達が、鎖で繋ぎ連れていた“ペット”を道端に放って。

 

「お前たち……」

「それに貴女の私兵は一体何処へ? まさか、先程見つけたといった者に……」

「残念ながらな」

 

 ハルモトエーは自分を心配する女に、自嘲交じりに笑みを返した。

 アマゾネス達は、顔面を蒼白とさせた。

 

「悪い、道を開けてくれ。行かなければならないところがある」

 

 ハルモトエーは、群がって来る女たちを掻き分けようとする。

 が、

 

「そんな体でどこに向かおうと言うのです! 急いで手当を!」

 

 最も若いように見えるアマゾネスにハルモトエーは止められる。

 腕の骨折に、体の所々には打撲痕。

 制止も当然であった。

 

「離せ! 私は女王に用があるんだ!」

 

 と、ハルモトエーが吠えたその時――。

 

「ほう、私に用向きか」

 

 遠くから声を掛けられた。

 ハルモトエーはそちらを振り返る。

 女戦士の一団が、かちりかちりと、石畳の道を踏みらしながら遣って来た。その先頭を歩く人物を見止めると、ハルモトエーは声を上げる。

 

「女王!」

 

 自分の周りにいた女たちを押しのけ、ハルモトエーは女王の前に跪き、生き残った他の女たちもそれに続く。

 周りの戦士と比べれば、随分に小柄でありながら、その体躯から溢れ出る闘気はどの戦士をも圧倒するその存在こそ、ハルモトエー達の女王ペンテシレイアであった。

 

「申し訳御座いませぬ。まさか、此方に足をお運び戴く次第になっていたとはこのハルモトエー、承知しておらず……。否、弁解の余地は御座いませぬな。この無礼、女王が望む処罰を以て、お詫び申し上げます」

 

 余りにも大袈裟なハルモトエーの振る舞いに、ペンテシレイアはクスリと、小さな笑みを漏らした。

 

「良い、許す」

「え?」

「許すと言ったのだ。その程度のことを咎めはしない。女王は寛大であるからな」

 

 ハルモトエーは、おおと、感嘆の声を上げる。

 

「寛容、誠に感謝申し上げます」

「そう畏まらなくとも良い。それより、ハルモトエーよ。お前は私に何か伝える事があるのだろう?」

「はっ! お伝え申し上げます!」

 

 女王の大洋の如き懐の深さに感涙しながら、ハルモトエーは先程の戦いのことを報告した。

 自分達を倒した相手、自分達の負け方、アマゾネスの誇りを穢されたこと、そしてフェリドゥーンの“宣戦布告”。

 話せる限り総てを。

 ハルモトエーは女王が怒ると思っていたが、意外にも女王は口を噤んでいた。

 

「成程」

 

 やっと口を出た言葉にも、聞く人間の背筋が粟立つ程、熱が籠っていなかった。

 

「それで貴様は自ら喉を斬ることも、敵に一矢を報いることもなく、敗走という恥だけを残して帰って来たというわけか」

「そ、それは……」

 

 ハルモトエーがそれに対し、申し開きをしようとした瞬間であった。

 熱がない顔の儘、ペンテシレイアは、ハルモトエーと生き残った女戦士達を思い切り蹴り飛ばした。

 

「あがっ……」

 

 真っ赤に染め上がった顔面を、ハルモトエーは手で覆うとする。

 その手を、ペンテシレイアは踏みつけた。

 

「弁明はしない――そう言ったのは貴様だろう?」

「イギィィィィッ!」

 

 ハルモトエーは悲鳴を上げる。

 踏みにじられた手の甲の骨が、粉砕したのだ。

 

「皆の者、この愚物共を“屠殺”に掛けよ!」

「そんな! 女王、それだけはお許しください!」

「五月蠅い」

 

 自分に縋りついてくるハルモトエーの顔面を、ペンテシレイアはもう一度蹴った。

 

「自ら誇りある死を選ばなかったのだ。最早、貴様等に死に方を選ぶ権利などない。嘲笑の中で哀れに逝け。死んで尚、痴者と蔑まれ続けよ。それが貴様等に唯一許された権利だ」

 

 ペンテシレイアはそう吐き捨てると、部下にハルモトエー達を捕縛するように命じる。

 

「お待ち下さい、女王」

 

 彼女の部下が行動を起こすよりも先に、一人の女が女王に懇願した。

 それはハルモトエーの身を案じた女であった。

 

「……何だ?」

「ハルモトエー様は、貴女と共にトロイア戦争を駆け抜けた掛け替えのない朋友の筈では」

「それが?」

「それがって……。貴女の大切な友なのですよ? 掛けるべき情は無いのですか?」

 

 女の問いに、ペンテシレイアは

 

「そんなものはない」

 

 と、断言する。

 

「情など不要。アマゾーンは強い戦士でなければならない。ならば、弱者は間引かねばならない。当然であろう?」

 

 微笑と共に女にそう告げると、ペンテシレイアは絶句する女の顔面に拳をねじ込む。

 

「……無論、弱さを許容する愚鈍も、アマゾーンには不要である」

 

 冷淡に、女の処遇を言い渡して。

 

「それも、処せ。我等には不要なものだ」

「はっ!」

 

 女王の勅命に、戦士達は力強く答える。

 その中にはペンテシレイアに心酔し嬉々として命令を聞く者、過激なまでの弱肉強食思想に疑問を抱きながらも我が身可愛さに従う者と様々であった。

 

「……さて、処刑を終え次第、戦の支度をせねばならんな」

 

 独り言つペンテシレイアの頭の中からは、既にハルモトエーの存在は失せていた。

 彼女の頭を占めていたのは、軍神の子たるアマゾネスにとっての存在理由。

 勇士たちの生きがい、若人の憧れ。

 血沸き、肉躍る強者との戦い――それこそペンテシレイアが最も好むものであった。

 

「フェリドゥーン……東方の邪竜殺し、か。果たして私を楽しませてくれるか」

 

 新たな得物を前に、ペンテシレイアは喜びを隠せなかった。

 

 †

 

 ――アマゾネス達を弔いたい。

 ハルモトエー達の姿が見えなくなってからフェリドゥーンは立香にそう願い出た。

 自分にはそんなことを考える資格はないと前置きした上で。

 立香は誰かを殺してしまった人にも――否、誰かを殺してしまった人だからこそ弔う権利があると持論を交えながら彼の願いを聞き入れた。

 燕青は、そんな彼のセンチメンタルな部分を窘めるように笑いながら、けれど殊更に否定せず、気が済むならと言った。

 二人は戦士というにはあまりにも甘い男に、何か出来る事は無いかと訊ねた。

 そして――

 

「フェリドゥーン、ここで良い?」

 

 立香は血だまりの外側からフェリドゥーンに大声で確認を取る。

 

「うん、そこまで離れれば大丈夫!」

 

 血だまりの中央――詰り戦場の只中であった場所に立つフェリドゥーンは満面の笑みと共に右手の親指を立てる。

 

「しっかし……結構、離れたな」

「そうだね」

 

 自分の隣に立つ燕青の感想に立香は同意する。

 フェリドゥーンと立香とを隔てる距離は凡そ百五十メートルといったところであった。

 

「でも、アマゾネス達を弔うのに、なんでフェリドゥーンから離れる必要があったんだろ?」

「さぁ? 俺には見当もつかねぇや」

 

 フェリドゥーンに出来ることはと訊ねた所、自分から離れてくれと答えられた燕青にはその理由がまるで思いつかない。

 

「陽のいと清き主よ――」

 

 二人が困惑している中、フェリドゥーンは詩を紡ぐ。

 両腕を広げ、天を仰いで。

 

「総ての智と、徳と、力を与えたもう輝きの王よ」

 

 それは立香が聞くことはなかった、アーラシュの最期の一矢の際に詠われる聖句に似ていた。

 

「我が愛する諸人の営み(アナーヒター)を守りたまえ」

 

 大地が輝く。

 女戦士達の血を吸った、草花から、蛍火のような光が、ふわり、ふわりと偽りの空へ向かっていく。

 

「汝が厭う穢れはこの腕(かいな)で引き受けよう。どうか、彼の者らに最後の安らぎを――」

 

 そして、その光は段々と増えて行き、

 

「葬送式実行――沈黙の楼閣(ダフマ・アータル)

 

 フェリドゥーンに与えられたその名が紡がれた瞬間、泡沫のように、空気に溶けて、消えた。

 立香と燕青は一瞬、何が変わったのだろうかと、疑問を抱いた。

 だが、

 

「え?」

 

 直ぐに、目の前で起こったことに驚くことになる。

 地を濡らしていた血、土を穢していた肉の一切が跡形もなく消えていたのだ。

 

「これが、俺の知ってる弔い方」

 

 フェリドゥーンは、立香に歩み寄り、何処か空し気な笑みを浮かべた。

 

『これは……ひょっとして、鳥葬や風葬の再現かな?』

「うん。俺が生きていた時代には何年かかっても肉が残ってしまっている人達がいたから。その人達の為に考えたんだ」

 

 ダ・ヴィンチは一人得心していたが、立香は何一つ理解出来なかった。

 

「“ちょうそう”とか、“ふうそう”って何?」

 

 その疑問にマシュは答えた。

 

『葬式の形態ですね。無くなった方の御遺体を、肉を啄む鳥に食べさせることを“鳥葬”。風にさらして、風化を待つことを“風葬”と言います』

「焼いたり、埋めたりするんじゃ駄目なの?」

『ゾロアスター教では人の遺体は悪魔の住処――穢れの源とされていたそうです』

「火葬や土葬じゃ、その“穢れ”っていうのは落ちないってこと?」

『いえ、寧ろ、火や土が清らかなものとして考えられていたから、汚せなかったという方が正しいかと』

 

 宗教に明るくない、立香はますますよく分からなくなった。

 そんな彼にダ・ヴィンチが助け舟を出す。

 

『ゾロアスター教は“善”と“悪”の二つではっきりと区分された神々で成り立つ、善悪二元論の考え方をしているんだ。そして、“土”も“火”も“善の神様”が作ったもので綺麗なものだと定義している。そして遺体に巣食うとされる悪魔は悪と付くくらいだから、汚いものだ。とすれば、簡単だ。綺麗なものを汚したくないから、そこに汚いものを近づけない。当たり前の考え方さ』

「卸したての真っ白いシャツに、泥まみれの手で触れて欲しくない……みたいな?」

『そういうこと』

 

 ダ・ヴィンチは肯定してくれたが、屹度細かいニュアンスは違うのだろうと、立香は思った。

 こういう機会があると立香はまざまざと思い知らされるのだ。自分が何も知らないということを。

 ――もっと知識を付けないとと、立香は強く思った。

 

『それにしても、変わった術だ。今、ちょっと解析したんだが、君の魔力で囲んだ空間の微生物の活動と増殖が異常値を示していた。それこそ、生きている人間であっても腐食が起こる程に。当然、神代にも原生動物や菌類はいただろうが、その概念がなかった時代によくこんな術式を思いついたものだ。一体どうやったんだ?』

 

 そんな彼の新たな決意をよそに、万能の天才の知識欲はまるで自重を知らない。

 フェリドゥーンの見せた魔術に興味津々の様子であった。

 

「あ、俺、そんなことしてたんだ。こう、なんか、“おりゃあー”って感じにやったら出来たから。自分が何やってるか、よく分かってなかったんだ」

 

 ハハハと、フェリドゥーンは笑い飛ばした。

 

『君は何を言ってるんだ! 大体、“おりゃあー”ってなんだ“おりゃあー”って!』

 

 理論もへったくれもない、魔術誕生の経緯に、ダ・ヴィンチが珍しく声を荒げる。

 

「はいはい、レオナルド。突っ込みたいのは、俺も分かるが、お口にチャックな。こっから真面目な話するから」

『君は無礼だな!? 燕青くん!? まるで私が真面目じゃないみたいじゃないか!?』

 

 ダ・ヴィンチのことを気の毒に思う立香であったが、彼女の普段の振る舞いだけを抜き取ると、擁護しづらい部分があった為、触れるのを敢えて控え、話を進める。

 

「真面目な話……っていうと、これからどうするかってことだよね?」

「そっ。今のところ、この地下空洞にいるって分かっているのはアマゾネスの女王ペンテシレイアだけだ。コイツの所を調査するか、若しくは戦うかってことさ」

 

 そこにマシュが口を挟む。

 

『今のところ、魔神柱のいる正確な位置は特定出来ていません。ただ、今まで特異点の忠心となっていたサーヴァントと共にしていたことが多かったですから、今回もそうだと仮定すると……』

「アマゾネスの女王が、そのサーヴァントでないと今の所は言い切れないから、調べる必要がある……ってことだね」

『はい、そのとおりです』

 

 現状、特異点を解決する上で“避ける”という選択肢は在り得ないということである。

 況して、ハルモトエー達の足跡がアマゾネス達の本拠地、ないしは何かしらの活動拠点の場所を示してくれている現状なのだから。

 

「つっても、攻めるにせよ、潜り込むにせよ問題はどっからって話だな。当然、入り口には見張りがいるし、それに何よりアマゾネスの町ってことは表立って歩けんのは女だけってこともある。いくら俺が色男だっつっても女装なんぞ無理があるし……」

 

 燕青は己の刺青に覆われた筋肉質な体を見て言う。

 

「俺だって、もう女装はこりごりだよ……」

 

 新宿での悪夢を思い出し、立香は震えた。

 やって下さいよと、マシュが言ったような気がしたが、立香はこれを幻聴ということで片付けた。

 どうあっても騒ぎは避けられない。二人が途方に暮れていると、

 

「上からとか?」

 

 フェリドゥーンが人差し指を天井に向けて、そんな提案をする。

 

「上って……どうやってそんなことやるんだよ?」

 

 燕青は冗談だと思ったのか笑いながら訊ねた。

 

「こうする」

 

 フェリドゥーンがそう答えた瞬間であった。

 立香と燕青は目を見開くことになった。

 ばきり、ばきりと、フェリドゥーンの体が音を立て、あっという間に五倍程の大きさに膨れ上がる。それだけではない。首は長くなり、腕は羽根に代わり、足は消え代わりに長い尾が生えた。

 牙の揃った咢。爛々と燃える金の眼。赤銅色の金属のような光沢を持った鱗。

 立香はこれを知っている。これをなんと呼ぶべきか分かる。

 

「ドラゴン?」

 

 立香が知る限り、それは間違いなく、そう呼ばれるもの。

 フェリドゥーンは竜に変じていたのだ。

 

「第二宝具“愛し子らよ、新世界へ飛翔せよ(サルム・トゥール・イラージ)”。これなら、上からって選択肢も出来るでしょ?」

 

 竜の口がつり上がった。

 得意げな顔をしているように、立香には見えた。

 




宝具設定

『愛し子らよ、新世界へ飛翔せよ(サルム・トゥール・イラージ)』
ランク:A++ 種別:対人(対己) レンジ:- 最大捕捉:一人

 第二宝具。
 フェリドゥーンが三人の子供達を試す為に竜に姿を変えた逸話の再現。竜という最強の幻想種になることによりステータスが大幅に上昇する。
 飛行能力や、A+ランク宝具に相当する熱量を誇る竜の吐息などの強力な能力を獲得する他、逃げる相手、フェリドゥーンと戦おうとする相手にはさらにステータスが上昇する。その反面、彼と対話を試みようとする者に相対すると強制的に竜化が解けるという致命的な弱点が存在する。(三人の子供の内、知恵を振り絞り説得を試みた子供に最大の讃辞とイランの統治権を与えたことに由来)
 勿論、竜化中は対竜能力を持つ宝具に弱くなる。


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第三節 くたばれアマゾーンⅡ

Q.プライベートが忙しくて更新が遅れた僕は一体如何すれば良かったんだ?

A.ヴァルゼライド閣下なら出来たぞ?


『待って下さい! 空からって……そんな無茶看過出来ません!』

 

 フェリドゥーンの案にマシュは強く反対する。

 

「大丈夫だって。俺、竜になると目が良くなるし。山より高く飛んだって、地上の足跡ぐらいは見えるからさ」

 

 フェリドゥーンはあっけらかんとして答えた。

 ――口を閉じたまま。この大きな竜は一体何処から声を出しているのだろうかと、立香は疑問に思ったが、それを問う場合ではないと敢えて触れなかった。

 今論ずるべきはそこではないのだ。

 

「フェリドゥーン、一つ聞くけどよ」

 

 燕青が問い掛ける。

 

「空から発想は……まぁ、意味不明だけど分かるわ。けど、上がってから実際に向こうさんの拠点に侵入する算段ってのはあるのかい? まさか、そのデカい図体で奇襲かけるってわけじゃねぇよな?」

「そんな騒ぎと被害が大きくなりそうなことはしないさ。勿論、君たちに飛び降りて貰おうと思ってる」

 

 冗談で言っているとは思えない真剣な口調で齎されたフェリドゥーンの作戦は、とても策などと言えたものではない、場当たり的で――有体に言ってしまえば馬鹿の発想であった。

 

『なんでそんな突飛な発想に行き付くんですか!?』

 

 マシュはエルサレムでの“アーラシュフライト事件”を思い出す。そもそも“アーラシュフライト”とは陸路で二日掛かる距離を攻略しようとした際にアーラシュが考え出した、台に括りつけた矢をアーラシュが弓で飛ばすという至極単純な移動方法である。

 理論など存在しない手段ではあったが、そこは西アジアに於いて弓兵といえば彼と言われる程の大英雄、ペルシャ・トゥルク間の国境制定の為に距離にして二五〇〇kmを飛翔した矢を放った男である。二日掛る道のりが、十数分程度で済んだ。

――済んだのだが、この移動方法に伴う危険性については言うに及ばないだろう。少なくともマシュは立香に、二度と行って欲しくないと思っている。

 

「……つーか、一体どれくらいの高さから落とす気だよ?」

 

 生前の主を遥かに超える無謀ぶりに燕青は半ば呆れつつ、流石にそれを超える無謀を見せる事はないだろうと期待しながらフェリドゥーンに訊ねる。

 

「勿論、この空洞の天井からだよ。アマゾネス達に見つかるわけにはいかないからね」

『何言ってるんですか! それ、高度二万フィートを超えてますから!』

 

 マシュは声を荒げ、予想の遥か上をいく勇夫王の馬鹿っぷりに燕青は頭痛を覚える。

 立香もその具体的な高さ――旅客機の飛行高度とほぼ同じ――は分からなかったが、二万という数字に極単純な戦慄を覚える。

 

「おいおい、そんなにビビって如何したんだよ? 君だって魔術師だろ。ちょっと高い所から飛び降りるくらいは余裕じゃないの?」

 

 フェリドゥーンは、自身も魔術を扱えるが故にそう考えた。

 気流制御と、質量操作による自律落下。高高度から、羽毛が舞うようにふわりと柔らかな着地を決めるということは、魔術師であれば造作もなくこなせることだ。

 藤丸立香が、本当に魔術師であったのならば――。

 

「ごめん、フェリドゥーン。俺には出来ない」

「……如何して?」

「俺、魔術が使えないんだ。簡単な魔術ですら、礼装の力を借りないと駄目なんだ」

 

 立香は普段意識するまいと努めている自分の無力さを噛み締め、顔を悲痛に歪めた。

 フェリドゥーンは少年の言葉をすぐには理解出来ず、その咢を半開く。

 

「魔術が……使えない?」

 

 鸚鵡返しは驚く程愚鈍で、立香の発した言葉の意味を解していないようであった。

 暫しフェリドゥーンは押し黙った後、

 

「じゃあ、君は本当に何も持たないまま最後まで駆け抜けたの?」

 

 立香にその真偽を問う。

 その問いに立香はただ頷いた。

 

「嘘……だろ……?」

 

 立香は特異点の戦闘の中でしか竜というものを見たことがない。

 大抵そういった場面は自分の命の危機であって細かな仕草を観察する余裕などありはしないし、戦闘以外で竜を見たことが無いから平素どういった振る舞いをするのかも詳しくはない。

 それでも、フェリドゥーンが驚愕しているということが、立香にはありありと理解出来た。

 ――まさかカルデアの、人類最後のマスターがこんな無力なヤツだなんて思ってなかったんだろうな。

 フェリドゥーンの気持ちを推測し、立香は自身を心中で卑下した。それが証拠と言わんばかりに、フェリドゥーンは黄玉のような大きな両の瞳から車軸の涙を流していた。

 

「ごめん、フェリドゥーン」

 

 立香の口からは怠状の言葉が吐いて出た。

 

「如何して謝るの?」

「だって……」

 

 立香は言いよどんだが、そんな彼の振る舞いからフェリドゥーンはその内を察し、

 

「違う。そうじゃない」

 

 と、それを否定する。

 

「……嬉しかったんだ。力がないことを分かっていながらそれでも前に進んで行ける人間がいるってことが。そんな人が困難でいつ投げ出したっておかしくない道を最後まで進んで来れたってことが」

 

 そう言われる意味が立香には分からなかった。

 立香にしてみれば、生きる為にはそれしかなかったから、また自分しかいなかったから戦うことを選んだというだけだ。

 然もその戦いも、藤丸立香である必要はなかった戦いである。或いはカルデアに集められた他の候補生であってもこのオーダーは乗り越えられたかもしれない。

 人理修復という大偉業の成立は英霊の力とそれを繋ぎ止めるシステムフェイトが所以であり藤丸立香個人の資質は特に関係はないからだ。寧ろ魔術を扱え、英霊の伝承をよく知っていたであろう他の候補生達の方が戦力という意味では上である。

 誰でも良かったことなのだ。少なくとも藤丸立香の認識に於いては。

 それをフェリドゥーンに伝えると、

 

「そっか、君はそう思ってるのか」

 

 と嬉しそうに返した。

 そして暫し宙を仰いで、

 

「まぁ、そういう感じでも良いんじゃないかな。いや、君はきっとその方が良い」

 

 と断ずる。

 どういうことと、立香が訊ねようとすると、

 

「ごめん、話が逸れた。本題に戻ろう」

 

 フェリドゥーンは自ら話題を切り上げた。

 

「さて、如何したもんか。見ての通り俺は斥候とか潜入ってのは苦手でさ。姿形を彼女達に似せる事は出来なくもないけど、振る舞いまで再現する自信は正直に言ってない。これは立香君も同じだろう?」

 

 立香はこくりと頷き、別の方法

 

「じゃあ、ここはまず燕青一人に任せて、下調べをしてから街に入るか決めるのはどうだろう? 燕青の負担が大きくなっちゃうけど、ドッペルゲンガーの能力を使わなくてもアサシンクラスの燕青一人ならばれずに済むんじゃない?」

 

 事実、燕青は戦闘行動に移りさえしなければサーヴァントしての気配を完全に断ち索敵に対応する“気配遮断”のスキルと、気配そのものを敵対者だと思わせない“諜報”のスキルを持つ。

 敵陣に紛れ込むことは彼にとって造作もないことだろう。

 

「いや、まぁそりゃ俺にとっちゃそんくらい軽いけどよ……」

 

 だが、燕青は目線を逸らし、また歯切れも悪かった。

 

『如何したんですか? 何か心配なことでもあるんですか、燕青さん?』

 

 マシュの問いに、フェリドゥーンが代わりに答えた。

 

「俺が信用出来ないんだよ」

 

 立香は燕青の顔を見た。

 フェリドゥーンの醸し出す雰囲気に立香がすっかり油断をしている間にも、燕青は警戒をしていたのだ。彼が敵である可能性を。故に立香から離れる

 その答えを燕青は慌てて否定しようとする。

 

「いや、良いんだ。見知らぬ土地で会って間もないヤツが信用出来ないっていうのは当たり前のことだから。況して良き従者であろうとしてるサーヴァントなら特に」

 

 フェリドゥーンの言葉に燕青は赤面し、声を張り上げる。

 

「おまっ……何人の内面勝手に決めてんだよ!」

「君こそなんで恥ずかしがってるの?」

「恥ずかしがってなんかねぇつーの! てか、お前変身解け! 頭が高くて、こっちは首が痛ェんだよ!」

「そっか、俺、変身解いてなかったか」

「今気付いたのかよ!」

 

 ケラケラと笑声交じりにごめんごめんと軽く謝りながら、フェリドゥーンは人の姿に戻ろうとした。

 だが、

 

『待った!』

 

 それを制止する声があった。

 不意の大声に立香はびくりと背筋を伸ばし、燕青は盛大にこける。

 

『ダ・ヴィンチちゃん!?』

「黙ってたと思ったらいきなり大声出しやがって……ビックリするだろうが!」

 

 股の間から逆さまに顔を覗かせる芸術的な体勢から訴えを起こす燕青に、

 

『メンゴメンゴ』

 

 とダ・ヴィンチはふざけているとしか考えられない返し方をした。燕青の着地姿勢をせせら笑いながら。

 

「それで如何して俺が変身解くのを辞めさせたの? ダ・ヴィンチさん」

『勿論、君が竜である必要があったからさ』

 

 一同は、彼女の言っていることの意味を解せず、胡乱気に眉を吊り上げたり、口を半開きにしたりする。

 

『分かり難かったかい? まぁ、はっきり言ってしまうとだ。私としては、上空からの侵入――名付けて“フェリドゥーン降下作戦”を推奨する! ってことさ』

「もっと捻ったネーミング出来なかったの?」

「ツッコむべきはそこじゃねぇ!」

 

 燕青は鮮やかな宙返りから立ち上がり、立香の脳天に手刀を叩き込む。

 すこんと、小気味の良い音が鳴った。

 

「レオナルド、テメェ話聞いてたか? 空から侵入するのは無理って結論が出たばっかりだったよな?」

 

 燕青がいれば飛び降りても死なないということはないだろう。

 無論それは到底潜入とは言えない。

 敵陣中という死地を自ら作り出す愚行である。

 

『フッフフフフ』

 

 併し、ダ・ヴィンチは不適に笑っていた。

 

「ダ・ヴィンチちゃん?」

『心配御無用。天才は“こんなこともあろうかと”と下準備は怠らないものさ。ちょっと驚きに掛けるお披露目会だが魔術礼装に追加しておいた新機能を使う時が来たようだ』

「新機能!? 一体いつの間に!?」

『そりゃ勿論君が寝ている間にこそっと部屋に忍び込んでさ。いやぁ、添い寝組は強敵だった』

 

 自信満々に語るダ・ヴィンチであったが、この時立香は彼女のことを本物の馬鹿だと思った。

 所謂添い寝組――清姫、静謐のハサン、頼光の三人は戦闘向きでない文化英雄であるダ・ヴィンチがまともに相手にすべきサーヴァントであり、そして戦った理由がサプライズの演出に過ぎないともなれば、これを馬鹿と言わずしてなんと呼ぶべきか。

 

『さぁ早く、赤き竜の背に乗りたまえ。私の発明が見せられないじゃないか!』

 

 最早当初の目的も忘れ、自分の発明を自慢することにのみ固執し出したダ・ヴィンチに呆れつつ、立香は大人しく彼女の指示に従った。

 

 

 †

 

 

「うはぁ! 高ェ! 絶景だな、マスター!」

「そうだね」

 

 フェリドゥーンの背から見える下界の光景に子供のようにはしゃぐ燕青に、立香は同意した。

 木々や川、山脈のようなものや町、あらゆるものが豆粒のように小さく見える。

 吹き付ける風は鼓膜が痛むほど五月蠅かったが、それもまた悪くないと立香は思った。

 

『先輩。体に不調はありませんか?』

 

 渺々と喧しい風の隙間から、マシュの声が響く。

 

「特に無いかな?」

『ふむ。こういった高高度に出ると気圧の変化で何かしらの不調が出るものだが……バイタルが地上……この場合は“床”というべきか。そこにいた時と変わっていない。この地下空洞の気圧は高地だろうが低地だろうが一律みたいだ』

 

 ますますアガルタという特異点が胡乱な存在になっていく。

 

「……そこを論ずるのは後にしよう。ホラ、あいつらの拠点の真上に来たぞ」

 

 フェリドゥーンは自らの背に向けて言葉を掛ける。立香と燕青は浮かれていた気持ちを再び引き締めると下を覗く。

 立香の目には、小さな塵のような、辛うじて煉瓦造りの建物かもしれないと思うものが見えていただけであった。

 

「燕青、何か見える?」

「勿論。これでも本領は弓兵(アーチャー)と自負してる身でね。目は良い方なんだよ」

 

 にっこりと燕青は笑みを返し、状況を立香に伝える。

 

「……人が一ヵ所、街の中央の開けたトコに集まってるな。しかもかなりの数だ。イスカンダルのおっさんと喧嘩でもすんのかってくれぇの。んで、全員が全員鎧と武器で固めてやがる」

「それってもしかして……」

「ご名答。アイツら昨日の今日どころか、さっきの今でいきなりこっちに報復しに来るつもりみてぇだ」

 

 と、燕青が意見を述べ、

 

「で、フェリドゥーンアンタの目には何が見える。アンタの方がもっとよく見えるんじゃないか?」

 

 と自分の足元に呼び掛けた。

 

「人が集まっているのは燕青くんの言った通り。武器で固めてるのも確かだ。でも、よく見ると、武器を持ってないヤツらが半々くらいいる。そして、武器を持っていない方は全員鎖で繋がれている。性別は……」

「男か」

「この目で見るまで信じないつもりだったけど、男が奴隷になっているっていうのは、残念だけど本当みたいだ」

 

 此処まで真実が重なったのだ。

 傷つけられ、また過酷な労働を強いられている男がいるのも本当なのだろう。立香はそれを歯がへし折れそうな程に、食いしばった。

 

「それと、その街の中央から強い魔力を感じる。恐らく、コイツが女王様ってヤツだと思う……立香くん、気持ちは分かるし、俺も気が狂いそうなほどブチギレてるけど抑えて。うっかりしてると足を踏み外すかもしれない」

 

 フェリドゥーンは至って冷静に立香を宥め乍ら、燕青との状況確認を続ける。

 

「まぁでも、俺としては潜入のついでに奴隷の救出も視野に入れたい所ではあるかな……と、話が逸れたな。俺の悪い癖だ。燕青くん、他に気が付いたことはある?」

「街の外に別の軍勢がいる。数は、さっき俺達が戦ったくれぇか。街の連中と合流する気かね?」

「いや、アマゾネスじゃない。彼等は違う」

 

 燕青の意見をフェリドゥーンは否定する。

 その根拠はわざわざ語るまでもなかった。

 

「成程、“男”ってことね」

「うん。然も、率いてるのはサーヴァントだ」

「何?」

「それもかなり強力なヤツだ。得物から言ってクラスはランサー。そして……多分トップサーヴァントだ」

 

 と、ここで立香が意見を挟む。

 

「ひょっとして、そのサーヴァントが奴隷にされてた男達を解放したんじゃないかな?」

 

 その答えに、フェリドゥーンはそうだねと同意を示す。

 

「ねぇ、そのサーヴァントにも協力して貰えないかな?」

「敵の敵が味方とは限らねぇんじゃねぇか?」

 

 燕青はそう諫言するが、フェリドゥーンは、

 

「やってみようか」

 

 と立香の意見を肯定した。

 

「おい」

「いくらソイツが強力といってもアマゾネス達との間にある戦力差には大分開きがある。というか、実質一騎対数千内サーヴァントを含むとの戦いだ。猫の手も借りたい状況だろう。それに……」

「それに?」

「若しかしたら、ソイツがすっげぇ良いヤツかもしれない!」

 

 燕青は元気の良いフェリドゥーンの答えに脱力し、その勢いで空中に投げ出されそうになる。

 寸での所で踏みとどまり、足元の発言者を思い切り蹴りつける。尤も、鋼のような鱗の為か竜は対して痛がる素振りを見せなかったが。

 燕青は思わず溜息を漏らした。そして、疑問に思った。如何してこんな気の抜けた発想に至れる脳内に花が咲いたような人物が王になれたのだろう、と。

 彼の脱力をよそに、フェリドゥーンは件の英霊に念話を飛ばす。

 

「繋がったよ、立香くん」

「何て言ってる?」

「皆に聞こえるようにするね」

 

 フェリドゥーンがそう言うと、立香と燕青の脳内に声が響いた。

 

『Hello(ヘルォー),Hello(ヘルォー)! Boys(ブォウィズ) and(エン) girls(グァリゥズ)! Not(ナァト),Ladies(ルェデス) and(エン) gentlemen(ゼントォメン)? まぁ、どっちでも良いんだけどね? 始めまして、知らない人達』

『フェリドゥーンだ。今は偶々出会ったカルデアのマスターとそのサーヴァントと行動を共にしている』

『Oh(ヲー),Really(ラァルィ)? あの勇夫王、そしてあのカルデアか。コイツは流石に驚いたぜ。メンツがメンツなだけにボクとしても自己紹介したいんだがこっちにも都合ってのがあってさ。真名は伏せておきたいんだ。でも呼ぶのに困るから此処はレジスタンスのランサーか、さもなくば桃園のランサーとでも名乗っておこう。便宜上ってヤツ。You(ウー) understand(イァンダースタン)?』

『了解した。では、早速だが本題に移りたい』

『ほいな』

『俺達は今、大体君の頭上の遥か上、もっと言えばアマゾネス達の拠点が置かれてる街の上空にいる』

『ほうほう、それで?』

『そこから街への潜入を試みようと思っているんだ』

『またすっごい所から入ろうとするね。まぁ、でも一番監視が手薄な所と言えばそこだし悪くはないんじゃないかね? ……ああ、成程。詰りボク達と君達で多分利害は一致するから協力しないかってことね。良いよ!』

『……マジか』

『マジだよーん。てか、君らこのままボクらの仲間になりなって。寝る場所とか隠れ家とか困るでしょ? カルデアってことなら協力は惜しまないからサ!』

『話が速くて助かる』

『それで具体的に僕らは何をすれば良いの?』

『まずカルデアのマスターとそのサーヴァントが街に侵入する。そこからカルデアのシステムを使ってあるものの有無を確かめる。それが終了し次第……』

『奴隷の解放に以降? 街の中でカルデアのサーヴァントサンに暴れて貰ってる間にボクと君が乗り込んで横合いから殴りつける? 阿鼻叫喚?』

『……頼めるか?』

『正直、ペンちゃん――ああ、アマゾネスの女王ね。結構強いんで一騎打ちになったら協力してね』

『分かった』

『んじゃ、お互いに良き戦を。Have(ファヴ) a(ァ) nice(ヌァス) day(ドゥエ)!』

 

 ここで念話は切れた。

 

「なんか、うん……」

「ああ、そうだな。うん……」

 

 立香と燕青はどっと疲れた顔をした。

 

『先輩、燕青さん!? 一体たった数分間の間で何があったんですか!?』

「ああ、マシュ……うんとね、嵐に巻き込まれた感じ? それと英語の発音が大分怪しい」

『すいません。私には、全く意味が分かりません』

 

 マシュは困惑するばかりであった。

 

『結局、その協力者の英霊とやらはどんなヤツだったんだい?』

「分かったのはよく分からんヤツということだけだった。多分、話してると疲れる」

 

 念話までは拾うことが出来なかったカルデアサイドとしては、謎が一つ増えるという結界を残しただけだった。

 

「疲れてるとこ悪いが早速降りて貰いたいんだけど良い?」

「テメェ、鬼かよ!?」

 

 マイペースなフェリドゥーンに燕青は声を荒げる。

 嵐のような会話の矢面に立っていたのはフェリドゥーンだというのに疲れた様子すら見せていないのには、尊敬すべきか呆れるべきか。立香は苦笑した。

 そして、一度思い切り息を吸う。

 協力者の所為ですっかり穴を開けられてしまった気を再び入れ直す為に。

 そして、立ち上がり、

 

「行こうか、燕青」

 

 自身の、今は唯一のサーヴァントに声を掛けた。

 




イスカンダルのおっさん(推定年齢32歳)


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第三節 くたばれアマゾーンⅢ

 俺に言わせればな、更新っていうのは呪いと同じなんだ。
 呪いを解くには完結させなきゃいけない。
 でも、途中でエタった人間はずっと呪われたままなんだ。


 立香と燕青は落ちていく。

 喧しく横切っていく風の音を聞きながら。

 麦粒のようだった街の景色が少しずつ遣って来る。立香は心臓が喉の裏側に登ってくるような嫌な気持ち悪さを覚える。

 その時、豪と風が叫び、立香の体が大きく流されかける。

 

「クッソ……ッ!」

 

 燕青は咄嗟に彼に手を伸ばし、腕を掴み、抱き寄せた。

 

「ありがと……」

「礼なら後にしてくれ。舌咬むぞ」

 

 主を離すまいと燕青は両手に込める力を強くし乍ら、大声で叫ぶ。

 

「レオナルドォ! 早くなんとかしろ! 策があるんじゃなかったのかァ!?」

『ごめんごめん。刺激的な構図にちょっと思う所があってね。まだ何も知らない画用紙のような少年主と、色々と知り過ぎている美形の従者。良いと思わないかね?』

「それをこのタイミングで思うんじゃねぇよ……」

 

 燕青は米神に確かな痛みを覚えてそこを押さえた。

 立香は空気を読まないダ・ヴィンチの言動に先ほどまでの恐怖を忘れ、マシュは彼が言っている内容の意味を察して恥ずかし気に目を伏せる。

 

『そう怒らなくても良いじゃないか。本気だけど冗談さ』

「その冗談をやめろと……まぁ、良い。テメェに言っても無駄だな。兎に角速く秘密兵器とやらを出してくれ」

『仕方ないなぁ。では、立香君、ベルトのバックルを“押して”みてくれ』

 

 不審げに立香はダ・ヴィンチが言う場所を見つめる。

 何の変哲もない、衣料品店或いはホームセンターでも買えてしまうようなシンプルなデザインのGIベルト。それを留める鈍い銀色のバックルを。

 

「これを押す?」

『ああ。ポチッとなって感じで』

 

 恐る恐る、立香は目を閉じて“スイッチ”を押した。

 瞬間、徐々に速度を上げて近づいて来ていた地面が、その歩みを緩めた。まるで、紙風船のようにフワフワと、ゆっくりと落ちていく立香と燕青。

 

「凄い……」

 

 驚嘆しながら立香は頬に当たる風の感触が柔らかくなったのを感じていた。

 通信越しにダ・ヴィンチの愉快そうな含み笑いが、立香の耳に届いた。

 

『ビックリした? 驚いた? そうだろう、そうだろう! 何せ天才の発明だ! 喝采したまえ!』

 

 爆発したようにダ・ヴィンチが自画自賛を始める。

 

『ボタン一つで流体操作と質量軽減の魔術が出来るようにするこの技術力は天災ならでは! 礼装の仕様上、一度使うともう一度使うのに時間が掛ってしまうという弱点はあるがそれはそれだ!』

「有難うダ・ヴィンチちゃん。流石、万能の天才だ!」

『そうだろう、そうだろう。いやぁ、第六特異点から向こう落下することが多くなっていたからね。ヒロインかよってくらいに。君にはこれが必要だと思っていたんだ。役に立てたというならそれは何よりだ』

 

 これからもこの“秘密兵器”は役に立つ。立香がそんな確信を抱いた。

 

 

 †

 

 

 立香を抱えたまま燕青は民家の屋根の上にふわりと着地した。

 

「なんつーか、アレだな。マスターから聞いた第一特異点の街並みそのままみたいな」

 

 燕青は凸に手を当て周囲を見渡しながら所感を述べる。

 

「この座標の年代、確か二〇〇〇年ごろつってたよな? それなのに中世ヨーロッパってのは……」

「燕青」

「知れば知る程訳が……」

「燕青!」

 

 ぼそぼそと独り言を始めた燕青の名を大声で呼び掛ける立香。

 半ば億劫そうに、燕青は自身の腕の中に目を遣る。

 

「どした?」

「下ろして下さい……」

 

 あまりにも気軽に訊ねる燕青に訴える立香は耳を真っ赤にしていた。

 

「ん? 良いよぉ?」

 

 燕青は顔をくしゃくしゃに崩し、白い歯を見せると、立香を自分の隣に降ろした。

 瞬間、カルデアから通信が入る。

 

『そういうの、よくないと思います』

 

 マシュのその一言で通信は途絶えた。

 

「え? 何? 今の?」

「さぁ?」

 

 二人は困惑したが、自分達がいる場所が敵の領域であることを鑑み、後輩の珍妙な行動については置いておくことにした。

 

「……ホントに誰もいないね」

 

 立香は街にアマゾネス達の姿が見えないことにまず感想を漏らす。

 道を歩く者はおらず、また生活の営みの音も全く聞こえて来なかった。

 

「街の真ん中に集まってるつっても、まさかホントに全員とはな」

 

 燕青は視線を上に移す。その先にあったのは街の四方に立っていた背の高い塔のような建物であった。

 

「……街の外を監視するやぐらにも人員が割かれてねぇ。マジの総力戦か……どうやら女王様、大分キレてなさるぜ?」

「フェリドゥーンに仲間を倒されたから?」

「そういう情みたいなモンでキレてるならまだ良いがな。てか、キレてる以外の感情があるならそれはそれで厄介か?」

 

 楽しそうに笑いながら語る燕青を立香は不思議そうに思いながらも話を続ける。

 

「ねぇ、燕青。ホントに街の中に人はいないのかな?」

「どういうことだよ?」

「フェリドゥーンは、奴隷にされた男がアマゾネスに連れられてたって言ってたけど、それって全員なのかな?」

「ああ、成程」

 

 燕青は目を細め、自分達がいる場所の向かい側に立つ建物を見た。

 そして、次に屋根の際まで移動し、体を乗り出す。

 

「そうかそうか」

 

 立香の方に向き直ると燕青は結論を出す。

 

「窓がないな、この街の建物」

「……もしかしたら」

「本当に逃したくない奴隷なら戦場に連れていかない。連れてっているのは奴隷としては無価値な盾代わり。そう考えてるってことかい?」

 

 立香は蒼褪めた顔で、こくりと頷いた。

 そうあって欲しくはないと言わんばかりに。

 

「……従順な奴隷の作り方だな。外界の刺激を極端に減らした空間で、飢餓と暴行で徹底的に追い詰める。そんで弱みを見せてちょっと優しくすればお気軽にご主人様になれるつーアレだな。ああ、よく知ってるさ」

 

 燕青はそう言ってケラケラと愉快そうに笑った。

 まるで昔を懐かしむかのように。

 

「それで、主。ちょっと悪いお知らせなんだが……多分、アンタの想像当たってるぜ?」

 

 意地が悪そうな笑みを浮かべると、燕青は親指で足元を指差した。

 

「こっから音が聞こえてくる。人の呼吸だ。衰弱って程でもねぇが、大分弱ってる」

 

 それを聞いた立香は、

 

「助けられない?」

 

 と燕青に訊ねた。

 何の迷いもなく、間髪も入れず。

 すると、燕青はにこりと笑った。

 

「“助けられない?”じゃねぇ、“助けろ”だ。アンタは俺の主で、俺はアンタの従者。ならなんでも俺に言って良いし、俺は命を懸けても成し遂げるまでさ」

 

 そう応えると燕青は膝を屈み、屋根を粉砕すべく拳を振り抜こうとした。

 だが、

 

「ストップ!」

 

 立香が彼の腕を掴んだ為に、止めざるを得なかった。

 

「ん?」

「そこは流石に忍び込もう。いくら向こうはこっちに気付いてないからって派手に物音を立てるべきじゃない」

 

 燕青は鳩が豆鉄砲を食ったように目を見開いた。

 

 †

 

「ああ、ハイハイ。こんくらいなら楽に外せるな」

 

 一端下に降り、その家の玄関に来て燕青は鍵穴を覗き込み、そう結論する。

 

「開けられるの?」

「まぁね。ちょっと見てな」

 

 そう言って燕青は籠手の隙間から十センチほどの長さの針のようなものを二本取り出し、鍵穴に差し込む。

 カチャカチャと何度か鍵穴の中で音が鳴ると、

 

「開いたぞ」

 

 扉はあっさりと開いた。

 

「こんなことも出来るんだ」

「まぁな」

 

 燕青は誇らしげな顔をすると針を籠手の中にしまう。

 

「よし、じゃあ行くか」

「うん、そーっとね」

 

 蝶番の軋む音すらを気にしながら、立香達は部屋へと踏み込む。

 そこに広がっていたのは、ありふれた風景であった。

 立香はそれを見た時、日本にいた頃にやっていたテレビゲームを思い出していた。ありふれた、剣と魔法の世界を舞台に怪物と戦うようなRPGゲーム。そこに描かれるような民家をそのまま立体に起こしたようなものというのが受けた印象であった。

 木を敷き詰めたフローリングというには雑な床と、木製のカップボードがあり、ダイニングセットがあり、簡素な立香が生きる二〇〇〇年代で言う所の流し台のようなものがあった。

 異質と言えたのは猛獣を入れるような檻か、或いは害獣を生け捕る為のような罠のようなものが置いてあったこと。その中に、首に鎖を繋がれた裸の男がいたことであった。

 痩せ細っている。寝ていないのか、深い隈が刻まれている。そして、頭髪が薄く、また脂ぎっていた。獣のような、饐えた臭いが漂っていた。

 

「あれ、アナタ達は?」

 

 その男が立香と燕青に気付き、虚ろな目を向けた。

 

「ご主人様に御用ですか? ですが、ご主人様は戦に出掛けています。いつ帰って来るかは分かりません。心苦しいのですが此処はお引き取り下さい」

 

 並べられる言葉は機械的で、精気が感じられない。

 

「ご主人……様?」

 

 それがとても不気味に映り、立香は図らずも鸚鵡返しに男の言葉を繰り返した。

 

「はい、ご主人様です。時々、殴ったり蹴ったりすることもありますが、優しく逞しく強く美しい方です。毎晩のように愛して貰っています。眠れない日々が続いていますが私は幸せです」

 

 そんなわけが無いと、立香は思った。

 目の前の、この有様が幸せである筈がないと。

 

「貴方に……」

 

 憤ったのか、それとも憐憫を感じたのか。

 立香は自分でも分からないまま、口を開く。

 

「貴方に家族は?」

 

 支離滅裂な質問であった。

 如何してこんなことを聞いてしまったのか、藤丸立香自身ですらも責めてしまいたくなるほどに。

 

「私にはご主人様がいます。ご主人様がいればそれで良いのです」

 

 そう応える男の柔らかな笑みは疲れ切っていた。

 

「そうじゃねぇよ」

 

 苛立ちと共に呟くと、燕青は男の首を鷲掴んだ。

 

「あぐっ……!」

「そうじゃねぇ。テメェを消費するだけの物とかそういうんじゃなく、愛を注ぐ対象として見てくれるヤツはいなかったのか? テメェがそう思えるだけの誰かはいなかったのか? そう聞いてるんだよ!」

 

 本当に絞殺しそうな勢いで燕青は男を捲し立てる。

 燕青の怒気に、立香はたじろぐ。

 

「答えろ! 家族じゃなくて良い。恋人でも、友達(ダチ)でも、恩師だって構わねぇ! テメェにそういうのねぇのかよ!」

「燕青、止めて! それ以上やったら死ぬ!」

 

 立香は燕青を男から引き剥がそうとする。

 サーヴァントと人間の力の差は大きく、本来ならばそんなことは出来ない筈だった。併し、結果として燕青を男から引き離すことが出来たのは、激情に駆られ乍らも主の言葉だけは逃すまいとする義侠としての在り方故であった。

 

「悪い、マスター」

「謝る相手が違うよ、燕青」

 

 目を伏せる燕青を立香は叱責し、男の方に向き直る。

 

「ごめんなさい。遣り過ぎました。でも、俺も知りたいです。貴方にそういう人がいるのか」

「……如何して?」

「だって、もしいるなら会わせてあげたいから」

 

 これといって取り立てるでもない、並み一通りの回答であった。

 だが、その人としてありふれた言葉が、同じく極ありふれた人である男の心に響く。

 

「……います」

 

 男はゆっくりと口を開いた。

 

「私には、家族が、います! 妻が、娘が、帰りを待っています!」

 

 男は泣いていた。

 望むことに疲れ、諦め、受動的に生きて、流されて死ぬことしか選べなかった。そんな中で齎された立香の言葉は、希望のように聞こえたから。

 それを感じてか、立香は困った顔をした。荷が重いとすら思いながら。

 

「燕青、この人を解放して」

 

 だが、それでも立香はマスターとしてサーヴァントにオーダーを下す。

 自分のやりたいことを押し通す為に、他人の意志を剣に変える身勝手を遂行する。

 

「良いよぉ」

 

 そんな彼の在り方を全肯定するかのように、燕青はオーダーに応える。

 手刀を檻に一閃。

 たったそれだけで、格子がバラバラに裁断され、親指程の大きさになった鉄棒がごとごとと音を立てて床に転がった。

 

「これで自由だ」

 

 その光景に驚き、瞬きを繰り返す男を燕青は愉快そうに見下ろした。

 

「有難う御座います!」

「礼なら主に言いな。俺の意志で助けたんじゃないんで」

 

 燕青は嘯いたが、立香は首を横に振った。

 

「違うよ。燕青がちゃんと俺が言いたいことを言葉にしてくれなかったら、何にもなってなかった。この人が助かったのは燕青のお蔭だ」

 

 自分ですら名状できなかった感情の形をはっきりさせてくれた、従者に感謝を述べる。

 

「有難う」

 

 と――。

 燕青は気恥ずかしそうに、

 

「んなことより」

 

 と、話を逸らした。

 

「これからどうするよ? コイツと同じ状況のヤツ、まだいると思うけどさ」

「助ける」

「まぁ、そう言うと思ったよ」

 

 当初の目的が早速変わったことを面倒くさそうに感じながら、燕青は頭を掻いた。

 

「あと、女王と――ペンテシレイアと話がしたい。なんでこんなことをするのかその理由が知りたい」

「知って如何するんだよ?」

「……勿論、納得できなきゃ止めさせる。全部諦めるまで、人を追い詰めるなんて、俺がやられたら嫌だから」

 

 とどのつまりは、自己保身である。

 若しかしたら自分がそうなるかもしれないから止める。其処には倫理や正義が如何といった理性が挟む余地は無く、唯嫌という個人的な感情のみだ。

 立香はそれを、理不尽で残酷なことだと思った。

 

「了解。アンタの思う通りに」

 

 併しそれすら嫌がらず、燕青は嬉々として答えた。

 ――まぁ、お話の舞台はちょっとお膳立てさせて貰うけどな。

 悪意を含んだ一言を呑み込んで。

 

 

 



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第三節 くたばれ、アマゾーンⅣ

 投稿するとな、俺の顔くっしゃっとなるんだよ。


 立香と燕青はアマゾネスの奴隷となっている男達を次々と解放しながら、彼女らが集う広場に向かう。

 

「あの人達、連れて来なくても良かったのかな?」

 

 燕青が示すアマゾネスの軍勢が在る場所に向けて走りながら、立香は自由の身となった男達をそのまま放置してしまったことを懸念し、燕青に訊ねた。

 

「若しかしたらこれからアマゾネス共と戦うかもしれねぇんだ。一緒にいねぇ方が寧ろ安全だろ。レジスタンスのランサーとやらもいることだし、俺も色々と手を打ってあるし」

「色々って?」

「それはナイショ」

 

 悪戯っぽい笑みと共に、燕青は唇に人差し指を当てた。

 

「それよか主。そろそろアマゾネスさん方の集会場近いぜ?」

 

 立香の詮索を妨げるように燕青は道の先を指差す。

 

「……そっか」

 

 実際に立香はそれで追及を辞めた。

 思考がそちらに向いた為に。

 

「向こうは気付いてるの?」

「俺のクラス、何だったっけ?」

 

 この人を食ったような態度が答えであった。

 気配遮断を持つアサシンのクラスは当然――サーヴァントが固有に所有するスキルを考慮に入れなければであるが――敵の察知の点で優位に立てる。

 索敵が先ならば、先手を取れる。

 然もその先手が“戦闘行動”でさえなければ、例えば“逃走”などであれば、アマゾネスは敵が近くまで来ていたことを知ることすらないのだ。

 アサシンのクラスの妙とは畢竟、情報戦に於ける優位性である。

 

「さて、まずは女王様がどんなもんかこっそと品定めといきますか……っと」

 

 男伊達にして武芸者というのが本質である魔星は、併しそんな自分に宛がわれた役割(クラス)の在り方に相応しい行動を取らんとする。

 

「うわっ」

 

 燕青がまずやったのは主である藤丸立香を抱きかかえることであった。

 断りもなしに、唐突に。

 そして、そのまま屋根の上に飛びあがったのだ。

 

「なっ……」

「おっと、お口はチャックな」

 

 驚きの声を上げようとした立香の口を塞ぎながら、燕青は飛翔する。

 天狗のようにと言うが相応しいかもしれなかった。

 また元来、天狗とは日本の伝承や絵物語に描かれるような妖怪変化の類ではなく、失墜する流星を狗に例えたものだという。燕青の飛ぶさまは逆しまの流星のようでもあった。

 

「心臓に悪すぎる……」

 

 併し、立香は自身のサーヴァントの飛翔の美しさを褒める事はせず、屋根への着地後、まず悪態を吐いた。

 

「悪ィ、悪ィ。でも、観察すんなら全体を見渡せるところの方が良いだろ?」

 

 立香は反論しようとしたが、今はそんな場合ではないと思いそれを呑み込み、

 

「……燕青、下ろして。このままだと目立つ」

 

 やろうとしていたことに思考を向ける。

 耳に僅か乍らも届く、乱痴気沙汰と紛うほどの女達の歓声へと。

 アマゾネス達の狂騒へと。

 

「了解」

 

 燕青は立香を下ろすと、彼と共に身を屈めながら、音のする方へ匍匐前進気味に移動する。

 

「さて、祭りの会場はここかな、っと」

 

 そして大棟から顔を出し、燕青と立香は恐るべきものを目撃することとなった。

 そう、耳に届いていた騒々しさは、決して戦前の宴などではなかったのだ。

 立香の目に映っていたのは晒し台(ピロリー)にかけられたハルモトエーであった。その隣にはもう一人、別のアマゾネスが同じく晒し台に掛けられている。

 衣服を脱がされ、目からは光が失せていた。股からは濁った白色の液体が滴り落ちていた。

彼女たちの傍らには、それぞれ牛刀を持った男が控えている。ズボンも下着も穿いていない。

 何が起こったのか立香と燕青は何となく察した。

 だが、立香は分からなかった。

 

「如何してこんなことに」

 

 ハルモトエーがされている仕打ちの意図が。

 

「刑罰……なんだろうな。俺達を討ち損ねたことに対する」

 

 燕青は耳に届くハルモトエーに対する悪言から想像する。

 ――家畜のモノは美味かったか、スベタ。

 ――子猫一匹仕留められん戦下手の癖に、そっちの戦は得意かよ。

 ――売女のアソコは何色だったぁ? 教えてよ、犬ゥ!

 

「品がねぇなぁ……」

 

 喧騒に対して、燕青は思わず感想を漏らす。

 出来れば止んでくれないだろうかと、そんな願望を燕青が抱いたその時であった。

 意外にも喧しい罵詈雑言の雨は止んだ。

 

「鎮まれぇい!」

 

 この一喝によって。

 その声は晒し台の更に奥に座した人物からであった。

 木で組んだ簡素な椅子に腰を掛けた少女。銀色の髪を持つ美しい少女であった。併しその肉体は極限にまで鍛え上げられており、発する闘気は鎧のような筋肉をも千切らんばかりである。

 燕青は彼女から充満する魔力と周囲に満ちる気で理解する。

 立香は背筋が粟立つ感覚で察する。

 この少女こそがアマゾネスの女王――ペンテシレイアであると。

 

「これより我らの誇りを穢したハルモトエー、並びにその惰弱を許容した愚かなる戦士を処刑する。私は願うぞ、ここに集いし我が同胞(はらから)がこの愚か者とは違う、誉れ高き戦士であるということを! 禊の儀がこれで最後になることを!」

 

 瞬間、戦士達は沸きたった。

 大空洞の天蓋を揺らさんばかりの咆哮。女王万歳と皆が、ペンテシレイアを讃えた。

 そして、その後に殺せ、殺せの大合唱が始まる。

 

「コイツら、イカレてやがる……いや、この女王がイカレさせてんのか?」

 

 人の上に立ち、人々を狂気に落とし込む人間というのはいる。

 そういった資質こそが“カリスマ”であり、それの持ち主が王たる者である。

 燕青は理解する。彼女は生まれついての、天性の王であると。

 

「やれ」

 

 この時、燕青は彼女の才気が生んだ異様な雰囲気に呑まれ、意識が白んでいた。

 だから、ペンテシレイアの端的な命令が意味することを考える間もなく行動に移させてしまったのだ。

 

「ぎゃぁぁあああ!」

 

 悲鳴によって燕青が意識を取り戻した時には遅かった。

 ことは既に成っていた。

 

「そんな……」

 

 呆然とその様子を見つめる主の姿が、燕青には嫌に印象的に映る。

 その気持ちには大いに共感できた。何故なら彼の目線の先では、とても残酷なことが起こっていたのだから。

 ハルモトエーとその隣にいる女戦士は、自分達を犯した男に牛刀で四肢を切断されようとしていたのだ。

 男達は泣いていた。唇が動いている。燕青はそれをよく観察した。

 彼等は謝っていたのだ。“ごめん”と。何度も何度も――。

 世の中には色々な人間がいる。戦いが好きな者、そうでない者。家族を愛する者、そうでない者。願いを持って生きる者、そうでない者――。

 屹度彼等は、自分の主のように誰も殺さずに生きたい、“普通の人間”なんだろうと、燕青は思った。出来る事ならこんなことなんてしたくなかった人間なのだろうと。

 だが、何故それがこんなことをしているのか。それは単純であって、死にたくないからだ。自分の命か、他人の命かと言われれば普通は自分の命である。人間が生物の範疇にある限りそれは仕方のないことだ。いざその機会が来て、その選択に押し潰されないか否かは別として――。

 彼等はそんな自分の仕方のない選択で、押し潰されてしまったのだろう。

 

「酷い……」

 

 立香はただ一言、呟いた。

 

「如何して、こんなことを……」

 

 男達にこれを強いているのがペンテシレイアであることを前提に立香は疑問を口にした。

 その答えは、囃し立てるアマゾネス達の中から齎された。

 

「しっかりやれー! お前たちの飯になるんだからなぁ! シャッハハハハハッ!」

 

 それを聞いて立香は、故郷である日本の“築地市場”に思いを馳せる。実際に行ったことはないが、そこでは二〇〇キロはあるマグロの解体を、市場を訪れた客に見せているのだ。所謂、“解体ショー”である。

 今、立香の目の前で行われているのは解体ショーであった。

 

「……成程ね。テメェらの恥になったものは、“家畜”の餌にする。戦士であるアマゾネスにとっちゃ屈辱だろうな」

 

 と、燕青は涼しい顔で語ったが内心では腸が煮えくり返っていた。

 別に食人に対して忌避があるわけではない。息子を殺しその肉を桓公に捧げた易牙然り、名君である劉備に捧げる肉がないと自身の妻を食事に振る舞った劉安然り、燕青が生きていたとされる中国に於いては寧ろ人の肉を振る舞うのは義を示すことの最たるものとして捉えられている。

 併し、目の前で行われていることはそれとは違う。ただ名誉を穢し、その過程を見世物にする悪趣味だ。

 それだけならば、燕青個人の見解というだけで拳を振るう理由には身勝手というものだろう。

 だが、それを無関係のこの時代を生きる人間にふりかざすというならば話は変わる。

 

「燕青――」

 

 今ここにいる主が否とするならば話は変わる。

 

「こんなことは駄目だ。止めなきゃ、どんな理由があっても。それが仕方なかったとしても!」

 

 立ち上がり、立香は悲痛な顔で訴える。

 こんなことは間違っていると。

 にぃと、笑みを浮かべ燕青は立ち上がる。

 

「よし来た。我が主の御心のままに」

 

 そう応え燕青は猫科の獣を思わせる前傾姿勢を取る。

 立香は自らの右手の甲に刻まれた刺青のようなものを見た。盾を模様に置き換えたような、三画で構成されるそれは“令呪”と呼ばれるものである。

 強力な魔力の塊であり、サーヴァントの切り札である宝具の魔力消費の代替など、サーヴァントの行動を三回に限りサポートすることが出来るものだ。本来の聖杯戦争――カルデアの英霊召喚の元となった儀式に於いてはサーヴァントの意を無視した命令すら強制させるほど強力なものであったが、立香の手に宿るそれにはそこまでの力はない。

 令呪の使い切りという弱点を補い、カルデアのシステムによる充填を可能にする過程で弱体化した型落ち品である。

 それでも立香にとっては強力な武器であるのは間違いない。

 

「令呪を以て、アサシンのサーヴァント“燕青”に請う。『彼等を救え』」

 

 況して、この場で意にそぐわぬ殺人を強要される者達を救うには十分に過ぎる。

 

「良いよぉ」

 

 燕青はまるで簡単なことであるかのように笑い、狂った催しの只中に降りた。

 令呪の魔力に寄り、燕青は男達を救うまでの間、ステータス以上の速力を得る。

常態であってさえ無影の体捌きを誇る義侠の脚は屋根から晒し台の前までの距離を一歩で踏み砕く。

 ペンテシレイアや周囲のアマゾネス達が驚く間もなく、次の瞬間には燕青は晒し台を蹴り砕いていた。

 それとほぼ同時に、掌底と肘鉄砲でハルモトエーと名も知らぬ戦士を近くの建物の壁まで弾き飛ばし、その後次いでとばかりに男の手に握られていた牛刀を蹴り落とし、

 

「楽しそうな宴だな。邪魔させて貰うぜ?」

 

 と皮肉りながら、ペンテシレイアを前に左手を伸ばし下から突きだす挑発的にも見える構えを取る。

 瞬間、文字に起こすことすら出来ないような、言語として体裁すら曖昧模糊なが鳴り声がアマゾネス達から湧き、次々に腰に帯びた剣を抜刀し、燕青に襲い掛かろうとする。

 

「狼狽えるな!」

 

 併し、そんな彼女らの声よりも大きくペンテシレイアが大きく一喝しその行動は止まる。

 

「……何だ、貴様は?」

 

 配下の戦士達が鎮まったと見ると、ペンテシレイアは椅子から立ち上がり、いきなり現れた胡乱な男に訊ねる。

 

「通りすがりの義侠さ」

「一体どういう道理があって我等の禊を邪魔した?」

「こう見えて飲んで騒ぐ宴の類には、一家言も二家言もあってねぇ。気に入らないんでぶち壊したくなった」

 

 と、満面の笑みで以て、答える燕青の鼻先に突然強い風が吹き、刹那と経たぬ間に豪と足元で轟音が鳴った。

 足元の石畳を抉るそれは鉄球であった。鎖で繋がれ、辿ると其処には女王がいた。

 

「……そんな道理が許されると思っているのか?」

「じゃあ、無理にでも許して貰おう」

 

 燕青はペンテシレイアの言葉に更に軽口を返す。

 ぴきりと音を立て、女王の絹のような白い肌に青筋が浮かび、戦闘が始まろうとしたその時であった。

 

「女王!」

 

 突然、ペンテシレイアを呼びかける声が上がった。

 それは燕青に突き飛ばされたハルモトエーだった。

 

「その男は勇夫王の仲間に御座います! 無影の拳を駆使する拳士、どうか――」

 

 相手が誰であるのかを伝え、自分を辱め命まで奪おうとした女王にハルモトエーは必死の忠告をしようとする。

 

「クロニエ」

「はっ!」

 

 だが、それはペンテシレイアの命に因って放たれた矢によって中断させられた。

 額に命中した矢は、フェリドゥーンの一方的な暴力と、仲間に寄って受けた拷問と凌辱で既に襤褸切れのようになっていたハルモトエーの命をいとも簡単に奪い去った。

 

「なっ……」

 

 驚愕する燕青を尻目にペンテシレイアは心底厭そうな顔をして毒づく。

 

「それ以上口を開くな、空気が淀む」

 

 女王の言葉にアマゾネス達はどっと爆笑した。

 

「おい、貴様。一体何のつもりだそれは」

「何のつもりか、だと? 不敬だな、貴様は。だが、良い。答えてやろう」

 

 寛大な態度のつもりなのか、ペンテシレイアは嘯いた。

 

「弱者の吐いた息など吸いたくない。私まで腐ってしまいそうだろう? だから息の根を止めたまでだ」

 

 さも当たり前のことを言っていると言わんばかりの態度で。

 燕青は心の中で『蹴鞠野郎より酷い』と彼女を評価した。それと同時に、立香の目にこの振る舞いがどう映っているのかも気に掛る。

 

「それよりも、貴様の先程の動きだ。影すら残さない拳とは面白い。かの竜殺しを殺る前の準備運動には悪くないぞ。私と死合え。拒否権はないぞ?」

 

 だが、気をそちらに向ける暇はなさそうだと燕青はすぐに改める。

 女王が今にも自分と殺し合いたくて堪らないことを見て取ったから。

 

「上等ォじゃねェかァ……」

 

 ならば今はそれに応えるしかないだろうと、闇の侠客は狂ったような笑みを浮かべながら、自ら闘争の火ぶたを切った。

 



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第三節 くたばれアマゾーンⅤ

 お久しぶりです。
 覚えてますか?



 ――山が動いている。

 鉛の色をした巨大な巌がズシン、ズシンと地底空洞を揺るがしながら動く様をこの目で見た人間がいたのならば、屹度そのような感想を抱いただろう。

 併し、これは山ではない。

 否、或いは山と言えたのかもしれないが。

 何故ならそれは、嘗て地に落ちてくる蒼い天蓋を支えていた槍の柱、現在も地名としてその名を人類史に残す山の巨人の代替を果たした英雄なのだから。

 アガルタの“空”を支配する筈のワイバーンも、その英雄を認めるや否や一目散に失せていく。

 怖いのだ、それが。

 そしてそれ以上に怖かったのだ。それの肩の上に坐した男が。

 男の姿は頭の上からすっぽりと覆れており、その容は判然としない。

 暗んだ顔の中でも白く爛々と光る、鏃のような異様な視線を除いては。

 

「告げるは我が困惑。

不測の事態/異物/義侠。

交戦せし者/戦闘女王。

未だ欠いてはならぬ者/道理/巨英疾走!」

 

 男は歌っていた。

 焦燥に駆られるように、尋常な精神構造では到底理解出来ない韻文を。

 

「優勢・女王/拳士・防戦/不確定事象

急、急、急!

まだ死なせてはならぬ!/魂魄不足!/増殖必須!」

 

 屹度、この男を観測出来る者がいたならば、精神分裂症と診断してもおかしくはなかっただろう。

 狼狽え切った様子から、秒も立たない内に泰然自若――それどころかどこか気怠に欠伸をする始末であった。

 

「なぁ、燕雀」

 

 男は何かに向かって話しかけた。

 巨人ではない。

男は知っている。巨人にされたその英雄は狂乱の首枷を嵌められている為に、言語能力の一切を失っていることを。

 

「俺の口を使ってピーコラピーコラと意味の分からん歌を歌うんじゃねぇ。舌が腐り落ちるだろうが……!」

 

 故に言うまでもないだろう。

 男が話しかけているのが、己の内にだということは。

 

「不死鳥だか鳳凰だか知らねぇが、俺の体にへばりついてねぇと朽ちる燕雀が誰の許可を得て囀っている? 忘れるんじゃねぇ。俺の気まぐれで手前の自我を、もみ消すことだって出来るってことをよォ!」

 

 結論から言えば男の中にいるのは、この特異点を起こした元凶であった。

 即ち魔神柱――その階梯は三十七位。

 エジプトに於いて混沌より出で創生の丘に降り立ったとされる神鳥ベンヌを起源とする不死鳥。

 詩歌と散文の才を与える偉大なる悪魔――その名もフェニックス。

 

「ヒィィィ! 嫌だァ……! 消さないでぇ……! 死にたくない消えたくない嫌だ嫌だ嫌だァァァァ!」

 

 なんということか。

 恐るべき悪魔の名を冠し、事実超越存在であるはずの魔神柱は怯えていた。

 それは消えることになのかもしれないが、何よりも取り憑いている筈の男にだった。

 そんな魔神の心が分かって嬉しかったからなのか、

 

「キッハハハハハッ!」

 

 男は大笑した。

 

「そうだ。それで良い! お前に俺を自由にして良い権利はねェ……俺の体は嫦娥だけのものだ……」

 

 †

 

「如何した! その程度か!」

 

 アマゾネスの女王は嘲けながら、鎖鉄球《ハンマー》を振り下ろす。

 

「クソッ……!」

 

 紙一重の所を燕青は横に飛んで躱す。

 瞬間、石畳が抉れ裏返宙を舞った。

 先程からこの調子である。燕青はペンテシレイアの両腕に巻き付いた鉄球に因る嵐のような連撃に防戦状態となっていた。鎖付きの鉄球は射程が長い上に、一撃一撃が重い。破壊力に対して近づきながら戦うのはカウンターによる致命傷が付きまとうことになる。それが燕青を機動力と体裁きでもってなんとか致命傷を防いでいたが、拳打と蹴撃の間合いに入れない。

 無論それでは不利になっていくばかりであり、近づかざるを得ないわけであるが、そうすればそうしたで、今度は手の甲に装着した爪が待っている。

 何しろペンテシレイアは超重の鉄球を護謨毬(ゴムマリ)であるかのように軽々振り回し、アスファルトの建築物を粉微塵に変えるような剛力の持ち主である。

 ただ肉体から放たれる一撃が必殺となり得る。

 

「マジで厄介だな……」

 

 意図せず、燕青の口から毒が漏れる。

 光明が見えない闘争ほど、戦士として苛立ちが募るものもない。

 ――救いと言えば、この数の部下にマスターを襲わせないことくらいか。

 逃走経路を塞ぐ形で陣取りながらも、闘いを遠巻きで見守るアマゾネス達を燕青は一瞥する。

 男たちの扱い、自分に仕えている筈の戦士への仕打ちなどからは到底想像出来ないことであったが、アマゾネスの女王は戦いに美学を持つ人種であるようだった。

 それを証拠に、ペンテシレイアは配下を戦闘に投入しようとする素振りを見せないし、部下たちもしないことをよく分かっているのか小指の一寸足りとも動かそうとしない。

 また未だに屋根の上にいる立香に襲い掛かろうと、建物をよじ登ろうともしない。

 このことから、

 ――舐めてるってわけじゃねぇな。一対一の闘いに余程拘りがあると見た。

 と、燕青は判断し次の行動を決める。

 それは“時間稼ぎ”――。

 情けなく映るかもしれないが、燕青は第三者の介入に賭けた。

 命を賭けることに恐れがあるわけではない。寧ろ一人の戦士として戦って果てられるというのならそれは無上の幸福である。

 併し、それは自分の命がベッドされている場合のみである。己の感情を優先させ、主の命を危険にさらすのであれば、それは侠客としての名折れであり、恥だ。

 故に燕青は他のサーヴァントの介入を待つ。

 フェリドゥーンはその気質から言って、傷つけてはいけない無辜の民が多くいる場所では戦えないだろうから、期待するならレジスタンスのランサーである。

 

「如何した! 反撃してみよ! 女王を超えてみよ!」

 

 鉄球と共に放たれるペンテシレイアからのあらゆる挑発をいなしながら、

 ――問題はレジスタンスのランサー……桃園のランサーとも言ったっけか? ソイツが実際どれだけやれるかだ。

 冷静に燕青は思考を巡らせる。

 否、実際は冷静なふりをしているだけだ。胸の奥で炎が燻っている。武芸者として、戦に臨むときに発生する宿痾のような熱が。

 この熱に溶かされてしまえれば、どんなに良いのか。だが、義侠は義である為にその熱を振り払い、攻めに転じようとする心を嚙み砕いた。

 だが、防御に徹したからと言って無傷というわけにはいかない。

 鉄球が何度も肉を裂き、その度に流血する。

 

「はぁはぁ……良い、とても良い。女王の硬いものが、美人の体に食い込んでるぞ!」

「嗚呼、分かるとても良い! 血の色が映えるなんて良い男なんだ!」

「むしゃぶりつきたいなぁ! 半死半生くらいになってくれないかな!」

 

 囃し立てるアマゾネス達の声は、大地が揺れているのではないかと錯覚するほどであった。

 

「ッ! 令呪を以て……」

 

 自身のサーヴァントの不利を見て取った立香は、状況を打開するために令呪を一画切ろうとした。

 と、その時だった。

 トゥルルルートゥルルルールール……――。

 アマゾネス達の歓声を縫うように、旋律がやって来た。

 それはむせび泣くような、何処か物悲し気なハーモニカの音――。

 アマゾネス達は先程の興奮は何処へやら、気もそぞろに周囲を見渡した。

 ペンテシレイアすらも不意に攻撃の手を止める。

 

「この音は……!」

 

 すると、今度は車軸のような豪雨が起こる。

 

「ヤツだ……」

「ヤツが来る……!」

 

 アマゾネス達の動揺に、立香と燕青も得体の知れない期待にも似た胸の騒めきを覚える。

 そして、ヤツは現れた。

 目も眩むような雨を引き裂くように、眩暈がするような赤い星が墜ちてきたのだ。

 

「赤い……ペガサス?」

 

 残像としてギリギリ留めたその姿に

 その正体は血のような赤い体毛を持ち、天使を思わせる二枚の翼を有した駿馬であった。

 流星のように空を疾走する天馬から騎手が飛び降りた。

 ――依然として、ハーモニカを奏でながら。

 艶やかな腰まで伸びる波打つ黒髪が印象的な男性であった。知的な雰囲気を醸し出す黒縁の眼鏡が、春の訪れを告げる薫風を思わせる優美な顔によく映える。龍を象った肩当てを有する翡翠に似た輝きを放つ重鎧を纏うその姿は、男が優れた戦士であることをありありと示していた。

 男は不意に演奏を中断し、

 

「HAHAHAHAHAHAHA! 待ったかい? 待ちかねたかい?」

 

 狂ったような調子で吠え始めた。

 

「レジスタンスの……ランサー!」

 

 忌々し気な口調でペンテシレイアが告げたその名に、立香は『えっ』と困惑したような声を上げ、燕青は頭痛に苛まれているかのように頭を抱えた。

 併し、そんな二人の気持ちにはまるで関心を示さず、レジスタンスのランサーは大仰に腕を広げ見栄を上げる。

 

「そう! ボクだ! 誰もが待ち望んだ、レジスタンスのランサーだ! FUHAHAHAHAHA!」

 

 かと思うと、今度は柔和な笑みを浮かべて、立香と燕青のいる場所を振り返った。

 

「君らがカルデアから来たっていうマスターとサーヴァントだね? アマゾネスに囲われていた()()()を開放してくれたのは君たち?」

 

 立香と燕青が解放した奴隷は一人ではなかった。

 広場に着く前に、二人は目についた家屋に片端から侵入し檻を破壊して男たちを助けていたのだ。

 

「そうです」

「まず、礼を言おう。ありがとう。そして、安心してくれ。君たちが救った命は我々レジスタンスの保護下にある」

「……良かった」

 

 ほっと胸を撫でおろす立香に、レジスタンスのランサーは満足そうな笑みを湛えた。

 

「さて、街から僕の率いる軍団が奴隷達を連れて完全に退けたら、フェリドゥーンが降りてくる手筈になってる。それまでちょいとばかり暴れさせて貰おうか」

 

 そう言うとレジスタンスのランサーは、燕青首根っこを片手で掴んで、

 

「そいッ!」

 

 と立香のいる屋根の上に放り投げた。

 

「のわぁぁぁぁぁ!」

「えぇぇぇぇ!?」

 

 いきなり飛ばされた燕青も、突然空からサーヴァントが降ってきた立香も慌てふためくことになる。

 なんとか立香は燕青をダイビングキャッチし、抱きかかえると、

 

「いきなり何するんですか!」

 

 レジスタンスのランサーに抗議する。

 

「Oh(ヲォ),Sorry(スゥヲルィ)! でも許してくれよ。手負いを庇って戦える程、ボクってば器用に出来てないから」

 

 ぺろりと舌を出してレジスタンスのランサーがお道化てみせたその時だった――。

 

「潰れて死ね!」

 

 鉄球(ハンマー)が彼めがけて飛んできた。

 

「Oops(ヲプス)!」

 

 あからさまに驚いたような顔をしてランサーは鉄球をはじき返した。

 腰に帯びた匕首で以て。

 

「馬鹿なんじゃないか、キミは! 話の途中で凶器を投げてくるヤツがあるか!」

「敵を前に話す貴様が悪い」

 

 ペンテシレイアは冷淡に切って捨てた。

 何故ならば彼女には、それ以上に話題にすべき事柄があったのだ。

 

「そんなことよりも、貴様の得物だ。どういうことだ?」

 

 指差したのはランサーの手に握られた匕首である。

 

「これまでも私と貴様は幾度と無く争ってきた。そして貴様は、最初に相対した時からランサーを名乗りながら一度として槍を使っていない。何のつもりだ?」

 

 その問いに、レジスタンスのランサーは肩を窄め、ため息を吐いた。

 

「何が可笑しい?」

「……ペンちゃんさぁ、Lion(ルィオン)がRabbit(ルァビトゥ)を狩るのに全力を尽くすって聞いたことある?」

「聞いたことがない。そもそも貴様のふざけた言葉づかいでは元の言葉が何だったかすら分からん」

「まぁ、良いさ。そういう言葉がある。それを前提に話そう」

 

 大げさな身振りで自分の胸に手を当てるレジスタンスのランサーのその姿はまるで舞台役者のようんであった。

 

「良いかい? ボクを讃えた人達はね、ボクを獅子ではなく虎と言ったんだ。虎と獅子の違いとはなんだと思う?」

 

 ペンテシレイアからの返答はなかった。

 

「怠けられる戦いで怠けられる所――だよ。森に潜み、山に混じりゆるりと得物を捕らえる虎は、地を駆け回る獅子のように無駄な汗を流しはしないんだよ。Can(カン) you(ウィウ) understand(アダーストゥァン)?」

 

 メキリメキリとペンテシレイアの面容が、鬼のようなものへと変貌しようとしていた。

 レジスタンスのランサーの言葉の意味を理解したからだ。

 

「もっと力を抜けというのなら、ソイツは出来ない相談だぜ? だって、これ以下の刃物の持ち合わせがないんだもん」

「貴様ァ!」

 

 女王への無礼に対して激怒した配下の一人が、レジスタンスのランサーに向けて矢を放った。

 併し――

 

「弱いと言われて怒るなよ。女王様が弱く見えるだろ?」

 

 レジスタンスのランサーは横合いから放たれた矢をあっさりと掴んで、ばきりと握り割った。

 

「ボクの言葉が間違いだとおっしゃりたいなら、女王様の細腕に委ねるべきだよ。だって女王様自身の誇りとやらの問題だからね、コレは」

 

 穏やかで余裕を含んだ微笑みのままレジスタンスのランサーはペンテシレイアに問いを投げる。

 

「それで君は如何したいんだい?」

 

 答えは決まっていた。

 

「貴様は殺す! 戯れにアマゾネスを侮辱したことを後悔させてくれる!」

 

 軍神アレスの子たるアマゾネスの女王の五体からは、それを象徴する殺気を孕んだ凄まじい魔力が溢れ出した。

 




 何があったかって、仕事とFGOが忙しかったんですね、コレが。


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第四節 お前は誰だ?Ⅰ

「ふーん」

 

 心底どうでも良いとでも言いたげにレジスタンスのランサーは懐を探り始めた。

 そこにあったのは“BLACK STONE”と印字された煙草の包み紙であった。

 そこから煙草を一本取って咥えると、レジスタンスのランサーはマッチを一本取って火を点し、煙を呑み始めた。

 

「何のつもりだ?」

「一本」

 

 レジスタンスのランサーは人差し指をピンと立てて、それをペンテシレイアに見せつける。

 

「キミを殺すのに必要な時間だ。ボクが煙草一本吸い尽くす間にキミは死ぬ」

 

 煙と共に吐かれた言葉は明らかにペンテシレイアを侮蔑する意図が含まれていた。 

 

『このランサー、物凄く馬鹿なんじゃないのか?』

 

 怒髪天を衝くと形容すべき様のペンテシレイアを見ながら、突然通信を繋げてきたダ・ヴィンチはレジスタンスのランサーについて結論した。

 

「お前はどこまで、軍神の子たる私を愚弄すれば気が済むのだ!」

 

 案の定、ペンテシレイアは怒りに任せレジスタンスのランサーに飛び掛かり、鉄拳を振り下ろした。

 レジスタンスのランサーは飄々とした調子を崩すことなく後ろに体を引いた。

 瞬間、石畳が大きく削られた。

 

「第一今まで私を殺せなかっただろうが!」

 

 腰に帯びた山鉈を引き抜き、レジスタンスのランサーの首を薙ぎに行った。

 

「軍神の子ってならそりゃ愚弄もするってばさ」

 

 刃の軌道上に匕首を当てると、レジスタンスのランサーはその勢いを利用し左に飛んだ。

 それを好機と見たペンテシレイアは鎖を振り回し、鉄球を飛ばす。

 両手に繋いだ二つの鉄球がレジスタンスのランサーへと襲い掛かる。

 だが、レジスタンスのランサーはここで驚くべき行動に出た。

 なんと手に持っていた唯一の得物である匕首を鉄球の片方に投げつけたのだ。

 誰もが気でも違ったかと考えた。併しながら、意外、匕首は砕けることなく鉄球の軌道がズレたのだ。軌道が変わった鉄球がもう片方の鉄球を弾き飛ばす。

 ペンテシレイアは何が起こったのか理解できないのか、目を丸くし、ほんの一瞬だが立ち尽くした。

 その一瞬の間をレジスタンスのランサーは狙ったかのように行動を起こす。自由落下に委ね地面に足が着くや否や鉄球の落ちた地点に走り、鉄球を繋いでいる鎖を握った。

 

「フン……ヌッ!」

 

 そしてそのまま鎖を引っ張り、体の周りでグルグルと回し始めた。

 宛ら、プロレスリングのジャイアントスイングのように。

 ペンテシレイアは鎖を自ら千切って逃げ出そうとはしなかった。否、出来なかった。

 アマゾネス達もこのような状況になっているにも関わらずそれでも女王を助けようとはしなかった。否、出来なかった。

 それほどまでにレジスタンスのランサーの回転が速かったのである。

 

「オリャァァァアア!」

 

 その回転の勢いを乗せレジスタンスのランサーは背負い投げの要領で、立香達がいる家屋とは真反対の家屋の壁にペンテシレイアの体を叩きつけた。

 石造りの建物が瓦礫の山に変わるほどの威力と速度で以て。

 

「だって、ボク、その軍神だし?」

 

 レジスタンスのランサーは顔をくしゃくしゃにして笑った。

 

「な、なんだこれ」

 

 目の前で起こっていることに対して立香がまず持った感想はそれであった。

 

『絵面が笑劇(コミック)過ぎて気の毒になるな、これは』

 

 ダ・ヴィンチも苦笑していた。

 

『ですが、この膂力は凄いです』

 

 一方でマシュは至って素直にランサーの力に驚き、そして称賛する。

 間抜けにしか見えない光景であるが、事実を分析するとバーサーカーという特に腕力に優れたクラスで召喚され、しかも軍神の血を引くペンテシレイアよりもレジスタンスのランサーは腕力が上であるということになるのだ。

 

『一体、彼は何者なのでしょうか?』

 

 ランサー本人が言うには軍神そのものであるという。

 軍神として祀られる英雄というのは意外に多く、候補を絞り切ることは難しい。

 併し、

 

「なんとなく、誰か分かった」

 

 中華の義侠はその正体に気が付いたようだった。

 

「誰? 同じ国の人?」

 

 ランサーの鎧の意匠から立香は中国の英霊であると踏んで、燕青に訊ねる。

 

「ああ、多分そうだ。多分、そうなんだけど……」

「けど?」

「正直そうであって欲しくねぇ」

 

 立香には燕青がそのように願う理由が理解出来なかった。

 

「俺の知り合いに、その英雄がめっちゃ好きなヤツがいてね。もし会った時にどう説明したら良いか……」

 

 なるほどと、立香は燕青が言わんとしていることを理解した。

 燕青の知り合いが一体どれほどその英雄を好いているのかは分からないが、実物がふざけた言葉で相手を散々に愚弄しおまけにコメディ宛らに戦うとあってはショックを受けるかもしれない。

 例えば本物のアルテミスを見たアタランテのように、である。

 だが当のレジスタンスのランサー本人が燕青の心配を知る由などある筈もなく、吞気に煙草を吹かし、

 

「こんなモンかね、アマゾーンのQueen(コゥイーン)? 他愛無さ過ぎるぞ?」

 

 火種を突き付けるように、瓦礫の中に埋もれたペンテシレイアに向けて更なる挑発をした。

 

「ほざけ!」

 

 自身の背にのしかかった瓦礫をまるで綿か羽根かと言わんばかりに払いのけ、ペンテシレイアは立ち上がる。

 

「ハァァアアアッ!」

 

 そして、ペンテシレイアの体から殺意を伴った膨大な魔力が立ち上る。

 それは神気だ。彼女の体に巡る軍神の血。それが起動したのだ。

 立香はサーヴァントのマスターとしての経験からペンテシレイアが切り札を――宝具を発動するのだと結論した。

 併しレジスタンスのランサーはそれに対し微塵も身構える様子を見せない。

 それどころかレジスタンスのランサーはニタリと、口角を釣り上げた。強い力を前にして喜ぶといった類の笑い方ではない。強敵との戦いを至福とする英霊はカルデアにも多く存在するが、立香の直感が正しければレジスタンスのランサーはそういう英霊ではない。

 立香が近いものを覚えたのは子供の頃の記憶であった。まだ就学前の幼少期、近所にいたずら好きのガキ大将がいた。その子のいたずらに付き合わされ仕掛けをし、物陰に隠れていた時のことだ。大人が仕掛けに気が付かずに罠に近づこうとしていた。ふと立香が横を見るとその子は笑っていたのだ。

 丁度、今のレジスタンスのランサーと同じように。

 

「殺ス、殺す、殺すゥゥゥッ!」

 

 闘争本能に呑まれたペンテシレイアの目には悲しいかな、その笑みは映らない。

暴風のような速さと圧を以て、レジスタンスのランサーに突進する。

 レジスタンスのランサーは咥えていた煙草を地面に吐いた。そしてその瞬間にランサーのすぐ隣の空間が揺らめき、次の瞬間には何か重たいものが空高くから落ちたような轟音が鳴った。

 それは、ペンテシレイアには使わないと宣言していた筈の得物であった。形状は薙刀だ。それもかなり大きく、身長一九〇センチ近い長身を持つレジスタンスのランサーよりも長大だ。そして筆舌すべきはその刃渡りだ。見ているだけで切り裂かれそうな白銀の刃は、ランサーの片腕ほどの長さはあるだろう。

 立香にも理解出来た。これこそランサーが最も頼りにする兵装。その英雄を証左する宝具であると。

 

「“青龍艶月(チンロン・グアンダオ)”」

 

 レジスタンスのランサーが宝具の真名を告げた。

 

「アキレウスゥゥゥ! “我が瞋恚にて果てよ英雄(アウトレイジ・アマゾーン)”!」

 

 もう遅いとばかりにペンテシレイアがレジスタンスのランサーへと迫る。実際、ペンテシレイアは鼻先三寸のところまでレジスタンスのランサーに近づいていたのだ。あとは一歩踏み込んで手に装着した鉄爪を振り下ろすだけ。

 それだけでランサーは死ぬはずだった。

 

「惜しい。あとちょっとだったね」

 

 しかし、ペンテシレイアはたった一歩を踏み込むことが出来なかった。

 足が石畳ごと凍り付いてしまった為に。

 薙刀――“青龍艶月”の刃が付き刺さった場所からペンテシレイアに向かって手を伸ばすように凍っていた。石畳を濡らした雨の跡を伝って。

 

「貴様、一体何をした!?」

「見ての通りだ。ボクの宝具で足を凍らせて、地面に縛り付けた」

 

 得意げに両手を広げ、ランサーは語り出した。

 

「“青龍艶月(チンロン・グアンダオ)”――ボクが振るうコイツは刃に本物の青龍が、星が宿った神造兵器だ。風と気象の全てを司る青龍の神気は、この大刀に冷気を与えた」

 

 故にランサーは薙刀を――正確な分類にあっては大刀を介して冷気を操ることが出来る。それどころか冷気の操作によって気象現象に介入することすら可能とし風や雨、雷すら起こすことが可能だ。

 立香と燕青の前に姿を現した際に雨を降らせてみせたのもこの宝具の効果に因る。

 

「キミはもう少し、周りの状況に気を配るべきだった。Crazy(コゥルェイズィー)か、Mad(ムァド)でなきゃ雨なんて戦う前に降らさないってばさ」

 

 最初から掌の上で転がしていたと言わんばかりのランサーにペンテシレイアは底知れぬ怒りを覚える。

 

「槍など使わずとも倒せるなどと嘯きながら出来なかった癖に! 何を得意になっている!」

 

 結局ランサーはこの状況に持って来るのに得物を使った。

 痛い所を付いてやったとペンテシレイアは嘲笑った。

 併し、ランサーは

 

「HAHAHAHAHAHA!」

 

 突然、壊れたように哄笑した。

 

「何が可笑しい!?」

「イヤイヤ! これが笑えなかったら、何に笑えば良いのサ!」

 

 レジスタンスのランサーは両手の人差し指をペンテシレイアに向けてこう訊ねる。

 

「ペンちゃんひょっとして、乗せられちゃった?」

 

 そこで立香は漸く気が付いた。

 

「もしかして、ランサーの言葉は……」

 

 もしかしたらと疑ってはいた、しかしそこまでランサーが見下げた男だと思っていなかったペンテシレイアは怒りの灯った声で真実を言いあげた。

 

「全部嘘か!?」

 

 端からレジスタンスのランサーには大刀を出さないという選択肢など無かったのだ。

 今までの戦いを匕首だけで乗り越えて来たのも、今この戦いでペンテシレイアを見下すような言葉で匕首を振るっていたのも全てはこのたった今の為。

 

「サーヴァントの宝具ってのは攻略法を見つけられたらそこでThe end(ズィエェン)。だから、他の陣営に見られず、対する敵には次なんかないという場面で切るべきなのさね」

 

 そう語りながらランサーは匕首を鞘に戻し、“青龍艶月”を握る。

 

「……例えば、こんな場面で」

 

 明るい声色を崩さなかったランサーの声色に冷気が帯びると、街一帯を振るわせるような魔力が刃に集中した。

 その輝きの色は翡翠のような緑。さらによく見ればその輝きはあるものを象る。

 

「龍?」

 

 立香の目には今まで見て来た中でも最も力強く、最も美しい龍が白銀の刃に刻まれているのが見えた。

 

「青龍偃月刀……やっぱり確定か……」

 

 刃に描かれる龍を見て、燕青は諦めたような表情で呟いた。

 そもそも“グアンダオ”とは青龍偃月刀の別名である。そして青龍偃月刀がそのような名で呼ばれる所以とは刃に青龍が描かれているからだ。

 

「紅く凍って、咲いて、散れ! これこそ覇王をも下す氷の華、虞美人草なり!」

 

 そして刃を天高くに振りかざし、絶技の名を高らかに唱え、

 

「“美塵葬・大紅蓮(チンロン・ユーメイレン)”!」

 

 美しき女傑達の女王に刃を振り下ろした。

 “振れば玉散る氷の刃”という言葉があるが、ランサーの振るう大刀が描く軌跡はまるで星を砕いて飾り付けたかのように美しかった

 




 お久しぶりです。
 前回も同じこと言いましたが、それでもお久しぶりです。


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第四節 お前は誰だ? Ⅱ

 併し、美しい斬撃は美しい女王を捉えることは出来なかった。

 

「おろ?」

 

 刃がそこを通り過ぎた頃には、ペンテシレイアはそこにはいなかったのだ。

 

「恐れ入った……神代の金属よりも強烈な氷から逃れるとは」

 

 ペンテシレイアは元居た場所よりも後方にいた。

 宝具の発動プロセスとなっている軍神アレスの力。これを自らの限界を超える形で起動したのだろう。

 

「流石は我らが女王!」

 

 傍で見守る配下の女戦士達は、レジスタンスのランサーの必殺の一撃を躱した女王に歓声を上げる。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 その歓声に答えるように腕を天に突き上げるペンテシレイアであったが、まるで疲弊しきったように肩で息をしていた。自身の肉体の耐久を超えた膂力を発揮した為だ。屹度、体の内側は思い描くのすら恐ろしくなるようなミンチ状になっているのだろうとレジスタンスのランサーは想像した。

 

「でりゃあぁッ!」

 

 とどのつまり普通ならば戦闘行動の一切が行えない筈の重篤な状態なのだ。

 にも関わらず、ペンテシレイアは大地を揺るがす程の拳を足元に振り下ろした。めくり上がり、あるいは裏返りながら石畳が吹き飛ぶ。

 

「うわっ!」

 

 不意に立香は体の平衡を失った。

 ペンテシレイアの拳打の威力は、立香と燕青が立つ家屋にも伝播し揺るがす程のものであったのだ。

 

「ッ!? マスター!」

 

 咄嗟に燕青は立香の腕を掴み自分の体に寄せる。

 ――追い詰めたと思ったのになんて女だ! こんな力を残しているなんて!

 燕青の戦いを見守る目に、レジスタンスのランサーを見守る目に不安が灯る。

 

「拳圧で石を湿らせていた水分を散らしたかぁ。やりおるWoman(ヲマァン)

 

 だが、レジスタンスのランサーは未だに微笑みを崩さず、皮肉たっぷりにペンテシレイアを称賛する余裕を見せていた。

 

「笑っていられるのは今のうちだぞ、レジスタンスのランサー。いや、関羽雲長」

 

 不遜に笑うペンテシレイアの言葉に、レジスタンスのランサーはヒューと口笛を鳴らした。

 

「あ、分かっちゃった?」

「そりゃ分かんだろ……宝具まで解放しちまえば……」

 

 燕青はレジスタンスのランサーの吞気も極まった態度に呆れ果て、脱力した。

 

「関羽雲長って確か……その、三国志の髭の人?」

『そう、それだ。三国志の髭の人』

 

 貧困な知識と語彙力で以てひねり出された立香の回答に、ダ・ヴィンチが正解を与える。

 

『はい、関羽雲長は呂布さんと同じ時代――三国時代の中国の武将です。同時代に存在した三つの国の内、蜀を立ち上げ統治した劉備玄徳に仕えた人で武人でありながら知に富んだ人でもあったとか……』

「解説ご苦労Kitty(キツィー)。いやぁ、頭良いとか改めて褒められると照れるよねぇ」

 

 マシュの解説に浮かれたような笑みで頭を掻く関羽雲長のその姿には、微塵も知的さは存在しなかった。

 

『実際は見ての通りのクルクルパーだが。その知力から算術盤の産みの親ともされ財務神“関帝”としてあがめられているらしいけれど……私が言えたことじゃないがこんな男を信仰したら多分後悔すること間違いなしだ』

 

 ダ・ヴィンチの辛辣と言えば辛辣な評価に燕青は全くもってその通りと全面的に同意した。

 

「ホント、関勝の旦那になんて言って説明すりゃ良いんだよ、コレ」

 

 関勝とは燕青と同じ梁山泊の好漢の一人、百八魔星が一つ天勇星の生まれ変わりである。

 関羽の子孫を称し、伝承に於いて“美髯公”と呼ばれた関羽と同じように長い髭を蓄える程に関羽を崇拝した人物である。

 そんな男がこのイカレポンチを目にしたらと想像しただけでも燕青は寒気がした。

 

「つーか、どうすんだよ美髯公。真名知られたぞ」

「ついでに切り札も、な。この私に二度同じ技が通じると、まさか思ってはおらぬよな?」

 

 実際、状況的には関羽が有利とは言い難いのだ。

 身体的な外傷に於いて確かにペンテシレイアは追い詰められているのであるが、一方の関羽は最大の切り札と目される宝具を躱され更には真名と言う直接的な敗因になり得る情報を開示してしまっている。

 中国にあっては神と言えば関羽と言うほどには著名な英雄だ。それだけにその逸話は多く、その弱点も詳らかにされている。

 

「ああ、その点は大丈夫。だって、君には二度目なんてない」

 

 だが、それでも余裕を崩さない関羽は

 

「ここよく確認してみなよ」

 

 と言って、自らの鼻を人差し指で叩いた。

 訝しげにペンテシレイアは鼻に手を触れる。

 ほんの僅かに、薄皮一枚程ではあるが切れていた。

 

「これが如何した?」

Checkmate(ツェクメェー)ってヤツさ」

 

 関羽は勝利を宣言した。

 その根拠はペンテシレイアの鼻に出来た傷が先程の斬撃に因って出来たものであるからだった。

 “美塵葬・大紅蓮(チンロン・ユーメイレン)”。関羽の持つ“青龍艶月(チンロン・グアンダオ)”には本来対城規模――城塞を一つその中にいる人間ごと凍結させるだけの凍気を内包している。無論、それを普通に放てばただ強力なだけの広域破壊宝具に過ぎない。しかし、これを刃に押し留め敵の体に直接当てた場合は話が違う。

 城一つが凍結するほどの冷気がただ一人を殺すために全て使われることになるのである。その状態の青龍偃月刀の刃に触れた場合――それがほんの僅か、爪の甘皮ほどの微々たる接触であろうとも――その者は凍り付き、固まった肉体が割けまるで虞美人草のような赤い花が開いたかのような姿を晒すこととなるのだ。

 これこそが関羽が最も頼りにする宝具“美塵葬・大紅蓮”。決まったが最後逃れる術はない。

 

「そうか」

 

 例えば、宝具に因って出来た傷を体から取り除くといったことをしない限りに於いては。

 

「は?」

 

 ついに関羽の顔から余裕が消えた。

 あまりにも突然で、そしてあまりにも突拍子のない行動であった。

 

「それもどうせ嘘なのだろう?」

 

 アマゾネスの女王は真っ赤に染まった顔で関羽に問う。

 

「いや、おい待てよ」

 

 ペンテシレイアは自らの鼻をなんの躊躇いもなくえぐり取ったのだ。

 どこでペンテシレイアが宝具の効果に気が付いたかは見当も付かない。動物的な第六感か、はたまた戦士としての培った経験則なのか。

 いや、例えその前提があったとしてもその行動に移れるという点が関羽には信じ難かった。

 

「その美貌を手前で傷付けるか、普通!?」

 

 関羽の知っている中にも女の戦士というのはいる。彼が義兄として慕い仕えた王もまた勇ましい女戦士であった。それでもきっとその人物も己の顔を傷付けることだけは躊躇っただろう。

 一度は仕え、唯一無二の主にとっては不俱戴天の敵とも言える王にも女の臣がいた。その女はある戦いで目玉を射抜かれ隻眼となったが、そのことを揶揄されるとヒステリックを起こし、関羽が知る限りにあっては目に付く鏡という鏡を叩き割ってすらいた程だ。

 男である以上、その重みを理解しきれるわけではないが、それでも関羽は男女という性差に於ける顔の価値が違うということは知っているつもりであった。

 それがこのアマゾネスの女王はどうであろうか。

あまりにも軽い。それどころかことの次第を重く受け止めている関羽を軽蔑するように嘆息を漏らしてすらいた。

 

「貴様もあの男と……アキレウスと同じようなことを言うのだな……」

 

 怒り、歎き、或いは悲しみ。

色々な感情が内包された顔面は、大きくえぐられた傷と相まって見るも無残であった。

 

「美しい……その言葉は私の誇りを常に傷付ける。貴様一体、私の何を以てそう評した?」

「見た儘を、に決まっている。キミの顔は美しいと、ボクが心でそう思った! それが理由だ! ボクの心が決めたことにはボクだって逆らえないんだ!」

 

 そう答える関羽の顔には余裕ぶった笑みは一切ない。

 

「ならば貴様のココには何も詰まってはいないし、何も見えていないめくらも同然だな!」

 

 ペンテシレイアは自らの胸に手を当て叫んだ。

 

「私はまだ力も、生き様も、その全てを貴様に晒したつもりはない!」

 

 そして、女王は再び構えを取る。

 その姿は虎に似ていた。少なくとも関羽はそう思った。

 関羽に五虎将という肩書きが与えられた時のことである。自分に言い習わされる虎という生き物に興味を持った関羽は山に入り、虎を間近で観察したことがある。

 ペンテシレイアの姿は虎と称された関羽よりも虎に近かった。

 一見脱力しているように見えながらその身には力が蓄えられ、今にも獲物を仕留めんとする虎だ。

 ペンテシレイアは再び力を溜めているのだ。また宝具を発動するつもりなのだ。充満する魔力と込められる殺気は先程の比ではない。ただ殺すという意志による技ではなく、自分が死んでも必ず殺すという断固たる決意に因る正真正銘の訣別の一撃を放たれようとしている。

 そしてそれが向けられる獲物たるは、

 

「ボクだ」

 

 関羽雲長に他ならない。

 風が金切り声のように喧しくこちらに近づいてくる。獣の唸り声のような風が。

 関羽は後ろを振り返り、藤丸立香と燕青に笑顔を向けた。

 

「ごめん、地雷踏んだ。ここまでみたいだ」

 

 それは太陽よりも輝いた笑顔であった。

 あまりにも無邪気で、つい守りたいと思ってしまうような笑顔を見て立香は、

 

「このおバカァァァ!」

 

 と叫んだ。

 散々余裕綽々に相手を煽っておきながらその結果自分の窮地を招いているのだからそれを馬鹿と言わずしてなんと言おう。

 

「“瞋恚絶唱・英雄殺し(オールキリング・アマゾーン)”!!」

 

 尤もそれを呪おうが、時すでに遅し。

 ペンテシレイアは魔力を充填し切り、関羽に迫る。限界を超えた魔力はペンテシレイアの速力を極限まで高める。

 この時の彼女は、己を殺した世界最速の英霊を超えてなお速かったことだろう。

 関羽はその速度に反応できなかったし、反応出来たとして実際に躱すほどの速力がなかった。

 高められた膂力もかなりのものであり、直撃すれば関羽どころかギリシャ最大の英霊ヘラクレスが七度は死んでいたことだろう。

 だが――

 

「なぁんちゃって」

 

 その攻撃が関羽に当たることはなかった。

 ペンテシレイアの当て身は関羽の体をすり抜け、その後ろの家屋に直撃した。

 

「な……!?」

 

 突然のことにペンテシレイアは茫然自失となる。

 そして外壁に大穴が穿たれた為に家屋は自重を支えるだけの耐久力を失いそのまま瓦礫の山へと変わる。

 

「何故だ! 何故女王の絶技が効かぬ!?」

「不死身か、貴様は!?」

 

 女王の勝利を確信していたアマゾネス達は動揺を隠せなかった。

 そんな彼女らを宥めるように関羽は口を開く。

 

「不死身? 冗談はよしてくれ。ボクは首を切られたら死ぬ、普通に弱い人間だよ」

 

 突然、関羽の体が風に晒される柳の葉のようにゆらめき消えたかと思うと、すぐ隣に関羽の体が現れ、

 

「ただキミらの女王様が自滅したってだけのことさね」

 

 と嘲笑うような声で答えた。

 

「なんだ今の!?」

 

 話の合間に起きた現象。

 恐らく、これがペンテシレイアの攻撃を躱すことが出来た理由だというのは立香にも分かったが、それが何なのかまでは分からなかった。

 

『そうか! 蜃気楼! 関羽クンはあの槍を使って蜃気楼を起こしていたんだ!』

「大正解! 流石は万能の天才!」

 

 あっさりとからくりを見破ったダ・ヴィンチを関羽ははやし立てるように褒めた。

 

「蜃気楼って砂漠にありもしないオアシスが見えたり、車の排気ガスで景色が揺らめいて見えるってアレ?」

『その通り。温度差などで空気の密度の違いが起こると光の屈折が起こり、景色が揺れたり逆さまに映ったり、遠くにあるものが近くに見える現象のことだ』

 

 そこまで説明されれば立香にも分かった。

 関羽は突然消えてすぐ近くに現れたのではなく、すぐ近くに現れたと思った場所に元々ずっと立っていたのだ。

 立香や燕青、アマゾネスにペンテシレイアが見ていた関羽はそもそも幻影だった。そして、ペンテシレイアはその幻影に向かって玉砕攻撃を仕掛けた形になってしまったのである。

 

「策は二重三重に仕掛けるもんだってフクリュー先生も言ってたしね。ペンちゃんのことだから、多分腕だの脚だのもいで生き延びるかもって心配はあったし。そん時はそん時で口八丁手八丁で命賭けさせちゃえって」

「その癖に女王様が顔を抉った時には本気で狼狽えてたじゃねぇか」

 

 燕青の指摘に関羽はバツが悪そうに頭を掻いて苦笑を浮かべる。

 

「いやぁ、まさか顔に当たるなんてボクも思ってなくてさ。それなのに普通に対処しちゃうもんだから。あれはビビるよね、絵面的にも」

 

 そう言って関羽が阿呆のように大笑いを上げた時であった。

 パラリと瓦礫の山から、小石が転がり落ちた。

 その音に反応した関羽は笑い声を止める。積み重ねられた煉瓦の欠片からまず腕が突き上げられ、そこから這いずるようにしてアマゾネスの女王が出てきた。

 

「……殺す……殺す」

 

 呆れたように溜息を漏らしながら、関羽は偃月刀の穂先をペンテシレイアに向ける。

 

Stop(スツォプ)Srop(スツォプ)! もう止めときなって。君はさっき命を賭けての一撃を放った。もう現界しているだけでも苦痛だろう。じきに消滅が始まる。これ以上の流血は無意味だ」

 

 優しく諭すような口調で関羽はペンテシレイアを制止する。

 だが、

 

「まだだ……」

 

 その言葉に耳を貸すことはなく。

 フラフラと、糸の切れたマリオネットのような覚束ない足取りで尚も関羽に向かって行く。

 心の底から厭そうに眉間にしわを寄せながら、関羽は少しばかりずり落ちた眼鏡を中指で持ち上げ、

 

「……死体蹴りなんて趣味はないんだが」

 

 ゆっくりとした足取りでペンテシレイアに向かって行く。

 その時であった。

 ごうと、何かが爆発したような轟音が鳴り響いた。その音がどんどんこちらに近づいてくる。

 

「なんだ?」

 

 音がしている方向に燕青は首を動かし、

 

「これは、なんだ?」

 

 もう一度同じ言葉を繰り返した。

 

「アレだ! アレがやって来る!」

 

 アマゾネス達はそれの到来に慌てふためいていた。

 

「このタイミングで……だと!?」

 

 関羽は舌を打ち鳴らす。

 

「アトラスゥッ……!」

 

 ペンテシレイアはそれの名前を唱える。

 “アトラス”と。

 立香はその名に憶えがあった。それはギリシャ神話に描かれる巨人の名前だ。地球上に存在する山と同じ名を持つその巨人は、嘗て絶えず落下を続ける空を一人で支えていた、星の柱とも言える存在であった。

 しかし、立香の目に映るそれは別のものに見えた。

 本物のアトラスが如何なる姿であったか立香は知らない。しかしそれでも、煉瓦造りの家屋をまるで空き缶のように蹴散らしながら現れた巨人は立香の知る者と同じに見えた。

 大きさこそ違う。しかし鉛のような肌と巌のような面差しはそのままであった。

 

「ヘラクレス?」

 

 カルデアから姿を消したサーヴァントの一人。

 ギリシャ最大の英雄にして、不死身のバーサーカー。

 ヘラクレスその人であった。

 




瞋恚絶唱・英雄殺し(オールキリング・アマゾーン)
 アウトレイジ・アマゾーンのオーバーロード版。霊基を削り命がけで放つ通常のアウトレイジ・アマゾーンよりも段違いに威力が高い。大活性した肉体に因る攻撃である為速力も極限まで上がる為、回避も困難。
 ネーミングの由来は『EAT,KILL ALL』と『Armour Zone』。


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第四節 お前は誰だ?Ⅲ

『霊基パターン九七パーセント一致。俄かには信じられないが、この巨人はカルデアのヘラクレスである可能性が高い。予想はしていたがまさか本当に特異点にいたとは……』

 

 管制室のモニターに映される天を衝くと言うにもあまりに大き過ぎる巨人をダ・ヴィンチは解析した。

 導き出された結論に、

 

『ですが、何故ヘラクレスさんはアトラスと呼ばれているのでしょうか? それに、この姿は一体……』

 

 疑問を呈したのはマシュだ。

 

『関羽さん、あのヘラクレスさんについて知っていることを話して下さいませんか?』

 

 恐らくこの場で最も地下世界の事情に詳しい人物にマシュは答えを求める。

 

「実はボクもよく知らない。この地下世界で戦が起こると時折やって来て、戦場を滅茶苦茶にして帰って行く。そして、なんでアトラスっていうと……」

 

 関羽は巨人を見上げ、その肩に視線を向け、

 

「アイツがそう呼んでいたからだ」

 

 と答えた。

 立香と燕青は視線を上に向け、カルデアの管制室ではダ・ヴィンチが映像を切り替えその人物を映した。

 その場所があまりにも高過ぎた為に立香の目には人の形をした黒い影としてしか映らなかったが、サーヴァントであり目が利く燕青と管制室のスタッフ達はその姿を捉えた。

 その布のようなものを顔からすっぽりと被り、姿を隠した謎の人物であった。

 その人物がサーヴァントであることは燕青や機械に因る観測を行うカルデアにいるスタッフ達は勿論、立香にも理解出来た。

 どうしてここまで近づいて初めてその存在に気が付いたのか不思議で堪らなくなるほどに圧倒的な威圧感を有していたからだ。

 それをより実感したのはサーヴァントとしてサーヴァントの気配を探知出来る燕青だ。その気配はあまりにも巨大過ぎた。人間としては常識的な範疇の体躯である筈なのに、アトラスよりも巨大な何かとしてしか認識できない。

 カルデアの管制室でそのサーヴァントを数値化している者達は絶望に近いものを感じていた。最上位のサーヴァントであるフェリドゥーンと同等かそれ以上の霊基。しかも霊基の中には何か別の反応も存在する。極めつけにそんな存在があの不死身の大英雄ヘラクレスを引き連れているのだ。絶望するなと言う方が難しかった。

 

「……おい、そこのお前」

 

 だがそんな絶望と死に浸されたような緊張感の中でも立香は行動する。

 

「答えろ! この巨人は本当にカルデアのヘラクレスなのか!?」

 

 敵意を向けてはならない相手に敵意を剥き出し、問わねばならぬことを質す。

 

「……何処の阿呆だ、貴様は。この俺に対して口を利こうだなどとは」

 

 億劫そうに男が口を開いた瞬間、カルデアの管制室にいた職員の一人が短い悲鳴を上げた。その理由は悲鳴を上げた本人にすら分からなかった。ただ無性に怖いという気持ちが湧き上がってきたのだ。

 男は立香に視線を向けると、

 

「嗚呼、お前はカルデアの……そうか、お前が……」

 

 ブツブツと空気に溶けてしまいそうな声でそのように呟き始めた。

そして暫し押し黙りると、つい今しがた起床したかのような緩慢な動きで自身を覆っていた布をはぎ取りその姿を晒した。

 現れたのは異様な男であった。無造作に伸ばされた血のように赤黒い髪は顔を覆う程乱雑に伸ばされ、雪よりも真っ白い肌と合わせて幽鬼のような印象を与える。白内障でも患っているかのような白く濁った眼は併し、その中に宿る光は鋭利であり、見つめられているだけで鏃を喉元に突き付けられているかのような感覚に襲われる。ルビーのような赤い鉱石で作られた鎧は罅割れ、また血や泥に塗れ、その男が装備を整える時間すらない程戦いに明け暮れていた者であることを示していた。

 この男の姿を見た一同はもう既に意識していた筈の感情を深めた。

 ――この英霊は危険だと。

 

「手前ェは藤丸立香だ。ゲーティアとかいうつまらんヤツの企みを破ったあの藤丸立香だ。それが分かったから、このゲイが姿を晒してやったぞ。有難く思え?」

 

 見下したような、嘲るような声色で男は言った。

 

「俺の質問に答えろよ!」

 

 一方的に話すだけの男に立香は怒りを覚える。

 だが、その怒りもどこ吹く風と言った様子で男は、

 

「それを決めるのはゲイよ。ゲイの意志を決めるのはこの俺であるが故に」

 

 とそれがまるで至極当然であるかのように語った。

 そして男はその言葉通りに自分の心が赴くが儘に喋り続ける。

 

「そして、このゲイの体を晒すと決めたのは藤丸立香のみ。一体誰の許しを得て俺を見ている、燕雀?」

 

 そう男が言葉を紡いだその瞬間であった。

 アマゾネスの一団から不意に赤い雨が降った。

 

「ぎゃああああ! なんだコレ、なんだ!? 血が、血がァ!」

「私の腕が! 何処、何処ォ!」

「お、お前、頭無いぞ!? アレ? 私の体? いやぁぁぁぁ!」

 

 彼女たちは一斉に体から血を吹きだしたのだ。その部位は胴体からだったり、四肢からだったり、頭からだったりと様々だ。体のパーツが吹き飛んでいる者までいた。

 

「貴様ァ!」

 

 同胞たちが呑まれた地獄に、アマゾネスの女王は絶叫した。

 

「遠くから俺を覗き見ている連中もだ! ゲイを見るなァ!」

 

 一体どうやってカルデアから監視されていることを気が付いたのか、男は怒り狂ったように叫んだ。

 すると、

 

『グアァァァァッ!』

 

 通信機越しに叫喚が響いた。

 

「今の声はムニエル!?」

 

 燕青は声の主をそう判断した。

 それは立香と燕青がよく知るカルデアのスタッフの一人であった。

 

『ムニエル!? 大丈……ウアアアアアッ!』

『いやぁぁぁぁ! 目が、目がァァァ!』

『痛ェ、痛ェよォ!』

 

 カルデアの通信から聞こえてくるのは激痛を奏でる嗚咽のみであった。

 

『みんな落ち着け。一旦通信と映像を切るぞ……ウグッ……』

 

 痛みに耐えながらダ・ヴィンチは所長代理としてスタッフ達に指示を下していた。

 

「マシュ! 一体そっちで何が起こってるんだ!?」

『ッ……せん……ぱい……私達は、大丈夫……です……』

 

 後輩がそう言い残した所で通信は完全に切れた。

 

「大丈夫って……」

「後輩ちゃんがそう言ったんだ。多分、そうなんだろ。あの子は嘘を吐くような子じゃないってアンタ知ってんだろ?」

 

 燕青は不安そうに顔を曇らせる主を鼓舞しようとしたが本心では、目の前でたった今起こったことがカルデアの管制室で起こったのではないかと内心では考えていた。

 そもそも燕青の言葉はマシュの事実からはかけ離れていた。確かにマシュは清廉で真面目な少女ではあった。だが、立香の知るマシュは同時にこういう場面で平気で嘘を吐くような少女でもあったからだ。

 

「テメェ、一体何やりやがった?」

 

 燕青の問いに男はニヤニヤと笑みを浮かべるだけであった。

 自分で考えてみろと言わんばかりに。

 

「弓兵なんだから、射でやったに決まってるでしょうよ」

 

 それにあっさりと答えてみせたのは関羽であった。

 

「弓兵……だぁ?」

「“羿”って言ってるんだから弓兵だろうさ」

「まさかこいつが言ってた“ゲイ”ってあの“羿”!? 自分の真名だったのか!?」

 

 驚いた顔をする燕青に、関羽は呵呵と笑った。

 

「サーヴァントが自分の真名を名乗るなんて……とは思うけど、普通に考えて戦いにあって自分のSexuality(セクサァティー)を話したりはしないだろう」

 

 英霊の真名についての話だということだけは立香には分かったがそれ以上のことは分からない。

 

「“羿”って何だ?」

「俺と関羽がいた国の古い時代の英雄だ」

 

 燕青が答えた。

 

「羿って名前の弓を引く中華の英霊は二人いるが、この力の巨大さなら恐らく“后羿”の方だな。古代の中原に在って、数多の魔性を葬った幻想殺しにして太陽を落とした男。それが“羿”だ」

「太陽を落としたってドレイクみたいな比喩だよね?」

「いや違う」

 

 立香の問いに燕青は首を横に振った。

 

「后羿は文字通りの意味で太陽を落としたんだ」

 

 そして中華最大――いや、全世界の中でも最大級の射手の最も有名な伝承について語る。

 

「神代の中国で太陽を生んだ神様ってヤツはこれを十個も作っちまってな。取り敢えず、最初は毎日代わり番こで太陽が現れるってことで上手く行ってたんだが、ある日を境に太陽が十個一遍に現れるようになっちまってな。当然、太陽が十個もあったら熱いどころの話じゃねぇ。作物は育たなくなるわ、水は枯れるわのてんやわんやだ。そこで当代の最高神は弓の名人であった羿に一つだけを残して太陽を射落とすように命じた。羿は最高神の勅命を果たし以後、最大の英雄として人々や神々から讃えられるようになった。これがあの男に纏わる伝承だ」

 

 男は燕青が話したことを、

 

「如何にも」

 

 と肯定した。

 

「羿はその羿だ。中原に於いてただ一つ――否、天地にあって並ぶ者無き、蒼穹を翔ける鴻鵠よ」

 

 鴻鵠という言葉に立香は不遜なものを感じた。

 “燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや”――偉大な人物の考えはただの人には理解出来ないといった意味合いの言葉があるように鴻鵠というのは大人物、取り分け英雄的な行いをする人物を指す言葉だ。 

 この羿という弓の英雄は自分がただ一人の英雄であり、並ぶ者などないと言っているのだ。

 

「力もそうなら態度のデカさもギルガメッシュ級かよ……」

 

 立香が思っても口には出さなかったことを、燕青は忌々し気に口に出した。

 併し、その在り方は同じく弓兵の器に在り最強の英霊でもあるギルガメッシュとは異なる在り方だ。

 ギルガメッシュが弓兵とは言い難いアーチャーとして最強であるならば、羿は生粋のアーチャーとして最強であった。

 燕青が立香に聞かせた逸話もまさしく弓兵と言ったところである。

 また立香は知らないことではあったが、羿は魔性退治に於いても殆どの戦いを弓で解決しているほど弓の腕を頼みにした英雄だ。

 その最大の戦闘力は当然弓兵に於いて発揮されるのが道理だ。

 

「でもよ、美髯公さんよぉ。羿が弓兵なのは分かったがこの惨状が射に因るものだってのには首を縦に振りかねるね。だって、こいつは弓も矢も構えちゃいない」

 

 だが、そんな弓兵らしい弓兵である羿は意外にもその姿を現してから今に至るまで、弓も矢も構えてはいなかったのである。

 その両手は弛緩したようにぶら下がったまま無手であったのだ。

 

「“射を思い射之射をしているうちには真の射には至らず。射を思わず不射之射をしてこそ真の射手足り得る”」

 

 その答えを示すように関羽はそんなことを言い出した。

 

「なんだそりゃ?」

 

 訝しげな顔をする燕青に対して立香は、

 

「名人伝?」

 

 とある作家の短編のタイトルを口にした。

 話の筋書きとしては弓の名人を目指した紀昌という若者が、弓の名人である仙人に弟子入りをし、修行の末に仙人の住む山を下山。晩年は弓を持たない弓の名人と言われ、そして遂には弓という名前すら記憶から消え去ってしまう――といったものだ。

さてその名人伝に登場する仙人は矢を放つことなく空を飛ぶ鳥を落とす技を見せるのだが、その時に言った言葉が確か関羽が言った言葉と似ていたと立香は記憶していた。

 

「その名人伝ってヤツはDon’t(ダンタ) know(ナァウ)だが……ボクが聞いたのは張遼ってヤツからだ」

 

 まるで昔を懐かしむかのように関羽は語り始めた。

 

「その男はまぁ、とんでもない弓の名手で矢を番えずに矢を放つという正直説明していて自分でも何言ってんだか分らんLevel(ルェベェ)のことが出来た。一体どんな理屈でそれが出来るのかとボクが尋ねると返ってきた答えがさっきのアレだ」

 

 関羽は不意に乾いた笑声を上げる。

 

「納得できなかったね! いくら友達と言えど舐めたこと言ってっとぶっ飛ばすぞとい思ったよ! 悔しくて悔しくて、必死になってそのからくりについて考えたさ!」

「で、答えは見つかったのか?」

「勿論!」

 

 燕青に対し、関羽は自信たっぷりに答えた。

 

「その正体、それはズバリ“思い込み”だった」

「思い……込み?」

 

 立香は関羽の言わんとしていることが分からなった。

 

「例えば熱した鍋に手を触れて火傷をした人間がまた別の時に熱していない鍋に手を触れたら火傷する……こういうことがあるんだ。鍋に触れると火傷するという先入観が本当に火傷を起こさせるワケだね」

「ということは、張遼って人が矢を放たずに矢を放っていたっていうのは……」

「アイツの弓を鳴らす音を聞いたヤツが“矢を射られた”と思い込んでいた。そういう話だったというわけさ」

 

 似たような事例というのは他にも存在する。

 ある監獄に於いてこのような実験があった。刑の執行が迫った死刑囚をベッドに縛り付け、まずメスを見せつけ『今からお前の手首をこれで切りつける』と言って目隠しをする。実際のところメスは手首に当てられているだけで、手首には血と似た感触を与える水がしたたり落ちているだけであったのだが、その死刑囚は絶命したのだ。

 それだけに人間やサーヴァントといった存在は思いこむことに弱いのだ。

 否、サーヴァントこそこういった思い込みに弱いのかもしれない。現に立香は思い込みだけで竜になった少女や、性別を自由に変えることが出来る騎士を知っている。

 

「張遼はちょっと変わった出自の所為か独特な殺気を持つ男だったが、キミの場合思い込みを起こさせているのは弓の腕を鍛えた末に身に付けた闘気だろう。“コイツに見つめられてるだけで、矢に射抜かれたような嫌な緊張感に苛まれる”……それがアマゾネス達やカルデアの職員さん方に本当に矢傷を生じさせたんだ」

 

 羿はその答えににちゃあと、粘り気のある笑みを浮かべた。

 

「ご名答」

 

 そう言って彼は自身の手を天に翳しうっとりと見つめた。

 

「この羿の腕は射を極めた末に射の究極に至った。即ち、真に射を極めた者に! 弓も! 矢も! 必要ないという答えになァ!」

 

 ギャハハハハハと羿は下卑た大笑を上げる。

 

「で、その答えを暴いた手前ェら燕雀に一体何が出来る? まさかそれでこの羿を超えられると嘯くわきゃあねぇよなァ!?」

 

 羿の言葉の通りであった。

 不射之射という羿の技を解明して見せた関羽であったがその具体的な攻略法は存在していないも同然だったからだ。

 

 



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第四節 お前は誰だ? Ⅳ

「おい、関羽。不射之射の攻略法は分かってるんだろうな?」

 

 不射之射は確かに厄介極まる力であるが、関羽はその不射之射の使い手である張遼と荊州城で対峙していた筈だ。

 故に攻略法はあると燕青は踏んだ。

 しかし、現実は非情である。関羽は首を横に振った。

 

「攻略法はあるにはあるが、今の状況じゃ実行出来ない。それにその方法を取るには相手が悪過ぎる」

 

 そして関羽はどのように張遼の不射之射を破ったかを説明した。

 

「不射之射は生きとし生ける者なら、或いは生き物に近い程の精度で作られた被造物ならば必ず抱えている本能的な恐怖心に訴えかける催眠術のようなものだ。だからかからないようにするにはその恐怖心そのものを一時的に無くすしか方法はない」

 

 燕青は言葉を失った。

 

「……ボクはヤツと戦う時に薬で意識を飛ばして戦ったし、一緒に戦ってくれた張飛は仙人の秘術とやらで心を閉ざしたまま戦うことが出来た。だけどこの状況ではその両方が残念ながら存在しない」

「……ってか、出来たとしても悪手でしかねぇな」

 

 その通りと関羽は頷いた。

 張遼の場合は関羽と張遼の実力が元より拮抗していたこと、そこに張飛という数の優位が加わったことで出来たことだ。

 併しこの場合の相手は羿とヘラクレス。意識を飛ばして戦って良い相手ではない。

 

「キィハハハハハッ! そう狼狽えんなや。安心しろォ。藤丸立香は不射之射では殺らん」

 

 ひたすらどのように不射之射を攻略するかを議論する二人を嘲笑うように告げ、羿はその手に弓を出現させた。

 木材、金属、獣の骨や皮と様々な素材で作られた極端な弧を描く歪んだ弓であった。

 しかもかなり長大な弓だ。羿の身長と同程度の大きさがある。

 

「合成弓か!」

「ああ、蒙古なんかが使ってたヤツと同じような弓だ。けど、あんな大きさのは流石に見たことないぞ」

 

 合成弓――コンパウンド・ボウとはその名の通り複数の素材を使用した弓のことだ。単一の木や竹で出来た弓よりも小型で大きな張力を持ち破壊力も高かったが扱いについては難しいとされていた。

 弓というものは基本的に大型化すればする程に張力を上げ、扱いも難しくなるが羿のそれは合成弓というカテゴリーに在っては下手物と言える代物だった。

 

「藤丸立香は人理を救い、この羿に機会をくれた。故に賛辞と感謝として、羿はこの腕で手前ェを殺すと決めたのだ!」

 

 その下手物を立香に向け羿は吠える。

 

「何の機会だ?」

「人理が焼却されてしまったら、世界を殺せなくなるだろう?」

 

 涎が張り付いた粘っこい笑みと共に羿はそう答えた。

 

「何……だと?」

 

 立香は己の耳を疑った。

 羿の言わんとしていることの意味は理解出来たがそれでも信じがたかった。燕青の話を聞く限り羿は正しいことを為す、善性の英雄であったから。

 世界を滅ぼそうとしているなどとは思ってもみなかったのだ。

 

「どうして世界を壊そうなんて思うんだ!」

「羿は答えん。そこはこの羿以外が触れて良い領域じゃあねェ」

 

 羿はそう断言し、話を無理矢理切るように言葉を紡いだ。

 

「だが、貴様が聞きたい別のことなら答えてやるよ。このアトラスのことについてだ」

「本当か」

 

 羿はああと言って小さく頷く。

 

「死に逝く者が真実に到達しないのは何より哀れだからなァ。心して聞け。このアトラスはカルデアのヘラクレスだ」

 

 食ってかかるような勢いで立香は口を開こうとした。

 

「“何故、カルデアのヘラクレスにこんなことをしたのか?” と、聞きたいのか?」

 

 立香は目を大きく見開いた。

 羿が今言ったことは立香が問おうとして内容であったからだ。

 

「この羿は射手だ。この目にその程度映っていなくて何が射手かよ。……と、話が逸れたな。カルデアのヘラクレスだがな、これは器だ」

「器って何の?」

「“アトラス”の、だ」

 

 アトラスは神霊だ。尋常な手段であっては召喚することすら難しい。

故にヘラクレスの霊基に降霊させるという手段を取ったのであろう。神話の中で、ヘラクレスは一度だけアトラスの代わりに墜落する天蓋を支えたことがある為器にするには打って付けだったというわけだ。

 

「尤もこのアトラスはまだ完全じゃあねェからな。完成させなくちゃあならねェ。このように!」

「■■■■■!!」

 

 咆哮を上げながらヘラクレス――アトラスは大きく口を開いた。

 するとアトラスは大きく空気を吸込み始めた。それはまるでブラックホールのように。崩れた家屋の破片や、石畳に敷き詰められた煉瓦を持ち上げ飲み込む。

 飲み込まれたのはそれだけではない。殺害されたアマゾネスの魂もだ。アトラスはアマゾネス達の魂を食っていた。

 

「おのれ! 私の同胞に何をする!」

 

 溜まらずペンテシレイアは羿に向かって飛び掛かる。

 併し、

 

「五月蠅ェ!」

「グアッ!」

 

 羿がペンテシレイアをちらりと横目で見ると体中に穴が穿たれ、噴血しながら墜落した。

 不射之射である。

 

「ペンテシレイア!」

 

 立香は石畳に叩き付けられるペンテシレイアに目を遣り彼女の名を呼んだ。

 反応はなかった。

 ギリと立香は歯軋りをして、再び羿に向き直る。

 

「何をするんだ!」

「ヘラクレスに魂を食わせている。そうして出力出来る魔力を増やし、アトラスとして完成させようとしているんだ」

 

 立香は羿のやっていることに怒りを覚えた。

 立香の知るヘラクレスはバーサーカーというクラスもあって、その詳しい人格を知ることは出来ないもののそれでも清廉な人物に間違いはないと確信させるような英雄だった。

 立香は酷いと思ったのだ。

 そのようなヘラクレスに羿がしている仕打ちが、あまりにも。

 

「許せねェか? この企てがつまらんと思うか? 俺もそう思う!」

 

 怒りを滲ませる立香の顔を見ながら羿は楽しそうに笑いながら手の中に矢を発生させた。

 それは東方の大英雄アーラシュと同じように魔力を編んで作った矢であった。

 その矢を弓に番えると、

 

「だったら、剣で主張しろォ! マスターの剣はサーヴァント! 二本もあるんだ! ソイツでこの羿を糺してみせなァ!」

 

 その叫びと共に立香に矢を放った。

 それはまるで一筋の光であった。羿の放った矢は常人には到底視認不能、サーヴァントに在ってもまず目に映せる者の方が少ないと言えるほどの速さであった。

 ――ヤバイ!

 咄嗟に燕青は立香の前に立とうと走り出す。

 ――畜生! 間に合わねぇ!

 燕青は手を伸ばす。たった数歩の距離が千里も隔てたように遠かった。

 ――五虎将筆頭、舐めるんじゃないよ!

 関羽も燕青と同時に走り出す。

 ――打ち落としてやる!

 “青龍艶月(チンロン・グアンダオ)”を握りその手に力が籠った。

 しかし、二人の奮戦も虚しく立香の体に凶矢が穿たれようとした。

 ――その時だった。

 

「“悲しき者よ、新世界まで眠れ(ドーズ・イン・ダマーヴァンド)”!!」

 

 立香の体を黒い影のようなものが包み、その黒い影と共に立香は姿を消した。

 

「ハッ!」

 

 そのまますり抜け地面に中る筈の矢であったが、なんとその直前で上昇し軌道を変えた。

 矢は家屋を一軒爆砕しその向こう側にいた者に的中した。

 

「グアッ……!」

 

 砂塵が晴れて見せるその姿は異形そのものであった。

 それは全身鱗に蔽われた真っ赤な人の形をしたものであった。それの頭には鍬形を思わせる大きな角が生えていた。それは顔の殆どを覆うような大きさの緑色の複眼を有していた。

 

「ヌオォォォォォ!」

 

 それは頭に突き刺さった矢を物ともしていないかのように、矢を引き抜いて握り潰し咆哮を上げ、アトラス目掛けて真っ直ぐ突進していく。

 

「おい、美髯公。またなんか現れたぞ。ありゃ何だ?」

 

 燕青の問いに関羽は、

 

「いや、知らない。ボクも初めて見る」

 

 呆然とした表情で答えた。

 アガルタに以前からあるものであったならば忘れる筈がない。関羽はいきなり現れた者に対してそのような感想を抱いた。

 禍々しい、まるでこの世全ての悪を煮詰めたようなおぞましい魔力を有するその存在は屹度忘れたくても忘れられなかっただろう。

 と、二人の注意が突然の乱入者に完全に向いていた時であった。突然燕青の隣に影が発生する。

 

「のわっ! ってマスター?」

 

 思わず後ろに身を引いた燕青であったがそこから出てきたのは己の主であった。

 

「ってか大丈夫かよ。変な影みてぇなのに呑み込まれてたけど、なんともなかったか?」

「平気だよ、大丈夫」

 

 立香は微笑みを返し、でもと続けて視線を別の所に向ける。

 目に映るのは、突然現れた赤い爬虫類とも虫とも人間とも似つかない何か。

 しかし、その何かが自分を助けたのは間違いないと確信できた。

 

「お前は誰だ?」

 

 立香の問いは誰にも届くことなく掻き消される。

 その赤い悪魔のような何かの疾走によって。

 

「面白れェ……」

 

 強敵の登場に羿はにちゃあと口角を釣り上げ、その手に矢を作り出す。

 その数、十本。羿はそれを同時に放つ。

 矢の速度が大きすぎた為か。矢は摩擦熱でプラズマ化しながら乱入者へと迫る。その軌道は最早矢ではなかった。蛇行しながら、或いは渦を描きながら、ものによっては羿の立っている場所からは到底あり得ない位相と角度で以て。兎に角一矢一矢がおかしな軌跡をしていたのだ。

 

「アァッ!」

 

 だが赤い乱入者は怯むことなく。腕から魚の鰭を思わせる刃のようなものを作りだし、矢を全て切り落として速度を緩めずアトラスへと走る。

 そして、そのままアトラスの体を走ったまま垂直に登り始めた。

 

「アトラス、振り落とせ!」

「■■■■■■■■!」

 

 羿の命令でアトラスは盲滅法に暴れ出す。まるで体に止まった蚊を潰すように自らの体を叩いたり、地団駄を踏むように足踏みをしたり、飛び跳ねたりと滅茶苦茶に動き回った。

 

「クソッ! まるで地震じゃねぇか!」

 

 アトラスが暴れる様に悪態を付きながら燕青は立香の元に跳躍する。

 

「でもアイツ、全然落ちないねぇ」

 

 併し、大地を揺らすほどの振動を受けても、乱入者は止まることはなかった。

 

「ソラソラソラソラァッ!」

 

 羿は乱入者を射で以て迎え打つ。

 自身の足場も不安定であるというのに、羿の技量にまるで変わりはない。相も変わらず奇妙な軌跡を描く光の矢が赤い乱入者を追尾する。

 

「ついでにコイツも食らえや!」

 

 叫びながら羿は眼を見開き、乱入者を睨みつける。

 瞬間、乱入者の五体に無数の穴が開き噴血した。不射之射である。

 併し、そのダメージで以ても乱入者が止まることはなかった。周り込むような疾走で追尾する矢を躱し、時に撃ち落としながら羿を目指す。

 ギリと歯嚙みし、手に矢を作り出し弓に番えようとした羿は、

 

「チィッ! 手数が足りねェ!」

 

 なんと矢をその場に捨て弓の弦を引き弾く。

 一見、意味のない動きに見えたが、

 

「グアッ!」

 

 乱入者の体が大きくずれた。

 

「なんて野郎だ。弦で空気を弾いて、飛ばしやがった」

 

 弩の名手でもある燕青は羿が何を行ったのかを分析し舌を巻いた。

 弓の弦が生み出す衝撃波すら、射を極めた者にとっては矢となるのである。

 

「確かに矢を一々番えて放つと攻撃のTempo(トェンプ)が悪くなる。牽制目的ならこっちの方が良いだろう。でも……」

 

 戦いの様子を見ながら関羽は淡々と、

 

「効果はなかったみたいだ」

 

 と結果を口にした。

 空気の矢による衝撃と不射之射による傷をのべつ幕無しに負い続けているのにも関わらず乱入者はそれでも止まることはなかったのだ。

 最早、乱入者を止めることは出来ず羿の目前にまで迫っていた。

 

「このッ……!」

 

 舌を打ちながら羿は弓の弦を引き絞ろうとする。

 だがその瞬間に耳に入ったのはプツンという軽い調子の音であった。

 ――チィッ! 限界か!

 羿は忌々しげに心の中で呟いた。射手として最高峰の力を有する羿であったがその技量には致命的とも言える欠陥が存在する。

 それは技量が高すぎるあまりに扱える弓が限られるということ。

 並ぶ者がない程の高い技量を有する羿であるがそれ故に並みの弓では羿の力に耐え切れず壊れてしまうのだ。勿論、力を抑えればある程度の連続使用も可能ではあるがそれにも限界がある。

 今まで使っていたのは羿が自身のスキルを用いて作り出した弓だ。当然一流の射手であっても一流の職人ではない羿の腕で作り出した弓が羿の技量に耐え切る是非はない。

 

「ルァッ!」

 

 羿が反撃の手段を失ったのを好機と見た乱入者は腕の刃を羿の喉元へと振るう。

 

「クソがッ!」

 

 咄嗟に羿は左手に矢を作り出した。鏃を大きめに作りまるで短刀のような形の矢だ。羿は逆手に持ったそれで腕の刃を防ぐ。

 しかし――

 

「ヌアッ!」

 

 急ごしらえの矢にそこまでの耐久力はなく、羿はそのまま突き上げられる形で後方に投げ出された。

 

「これで終わりだ!」

 

 空中に投げ出され落下する羿を乱入者は更に追い立てる。

 背中から魔力を放出し、赤い怪物は加速落下。その勢いで以て羿の腹に蹴りを入れようとした。

 

「調子に……乗るなァ!」

 

 羿は止めを確信していた乱入者に怒りを滲ませ手の中に弓を作り出し、乱入者の蹴りを受け止める。

 それは赤い色をした飾り気のない質素な印象の弓であった。しかし、その見た目に反し弓は乱入者の蹴りに一つの傷を作ることもなかった。

 

「うるぁ!」

 

 そのまま腕力で乱入者を斜め下に弾き飛ばし、自身は翻って地に降りた。

 乱入者は膝をついて着地する。一方で凡そ三〇メートル程隔て真っ直ぐ向かい合う羿も肩で息をしていた。

 

「屈辱……」

 

 ぼりと、首を引っ掻いて羿は呟く。

 そして、

 

「屈辱、屈辱、屈辱、屈辱ゥ! この羿に“紅蓮(ホン)”を抜かせやがって! 燕雀風情が、この鴻鵠たる俺の傍らを飛翔するかァ!」

 

 まるで堰が切れた川のように怒りをぶちまけた。首を激しく掻きむしりながら。その為に羿の白い手はどろどろと地に塗れ、首筋からは赤い肉が露出していた。

 

「許さん! 手前ェは殺す! 藤丸立香よりも疾く殺す!」

 

 羿は紅蓮の弓を乱入者へと向ける。

 

「羿の真なる射でなァ!」

 

 そして羿は左手に矢を召喚した。それは羽も矢柄も鏃も、目が眩むほどに白い美しい矢であった。

 この場にいる誰もが確信する。これは羿の逸話の再現。落日の射――即ち宝具の開放であった。

 

「……お前に並んでいるつもりはないよ」

 

 赤い怪物はどこか悲し気に呟く。

 その手に武器を握りながら。それは牛の頭を象った穂先を持つ大振りの戦槌(メイス)であった。

 

「あれは!」

牛頭の戦槌(グルザ・イ・ガウザール)

「ってことはあの赤いヤツの正体は……」

 

 関羽も、燕青も、立香も。

誰もが赤い怪物の正体を確信する。

 そして、赤い怪物は戦槌を両手で持って剣道で言う八相の構えを取る。

 

「英雄は、こんな生き方は俺一人で良い」

 

 彼もまた宝具を開放するつもりであったのだ。

 羿は悲痛な声で絞り出されたその言葉を一笑に付した。

 

「それはこれを破ってから言うんだな! 我が射の“太極(タイチー)”を!」

「“鐵の牛よ、(グルザ・イ)”……」

 

 二つの強大な宝具が激突する。

 そう思われた時であった。

 

「ぐわっ……」

 

 突然、羿が顔を顰める。

 

「クソが……喚きやがって……耳が腐ると言っているだろうが!」

 

 突然意味の分からない絶叫を上げるその様に一同は困惑した。

 そして何を思ったのか突然弓と矢を消し、ペンテシレイアに歩み寄る。

 

「なん……グフッ……」

 

 ペンテシレイアが何かを答える暇すら与えず羿は彼女の腹に無言で蹴りを入れ意識を飛ばし肩に担ぐ。

 

「何のつもりだ?」

 

 乱入者が問うと羿は、

 

「帰る」

 

 と不機嫌そうな顔で返した。

 

「突然どうして?」

「この時代の言葉で言うならば……そうさな、同居人との騒音悶着と言ったとこだな」

 

 そう言って彼はペンテシレイアを担いだままアトラスの肩に飛び乗りそのままどこかへ走り去っていた。

 

「えげつない程速ぇな。それに気配があっと言う間に消えた」

 

 燕青がその様子を見ながら言う。

 

「でもま、去ってくれて良かったね。現状で羿やアトラスを殺るのはリスクが大き過ぎた」

 

 関羽はこの流れを肯定的に見ていた。

 この特異点について立香が知らないことは多い。それ以前から特異点にいる関羽もまだまだ知らないことだらけであった。

 その段階で重要度の高そうなアトラスや羿を倒してしまっても良いものなのかは測り兼ねたし、カルデアの管制室が完全に落ちたこの状況でやるにはあまりにも軽率な行動でもある。

 

「ま、でも」

 

 取り敢えずこれからのことは置いておき、まず立香は自分達を救ってくれた恩人に礼を言おうと彼に歩み寄った。

 赤い鱗の怪物に。

 

「何にせよ、ありがとう。フェリドゥーン」

 

 立香が感謝を告げると怪物の姿は何の前触れもなく元の姿へと戻る。

 弁柄色の鎧を纏う人の良さそうな顏をした浅黒い肌の男に。

 

「遅れてごめん。でもちゃんと間に合った」

 

 フェリドゥーンは顔をくしゃくしゃに壊しながら親指を立てて立香に見せつけた。

 




Q.羿が右手で弓を構えていたように見えたんですが、利き手に関わらず弓って左手を前に構えるものじゃないんですか?
A.羿は物心つく前に両親に山に捨てられそれ以来一人で生きて来た山育ちの為弓術は我流です。その為、どっちで弓を構えれば良いとかそういうことは知らないんです。ちなみに羿はどっちの手を前にしても弓を扱えます。


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第五節 不死鳥の計画

 インフルエンザから回復後初めての投稿。



 街を離れて暫く。

 アトラスの肩に揺られながら羿は密林を征く。深い、深い森の奥。それはフランス革命頃のヨーロッパの街並みが広がっていた場所から程近くにあるとは信じがたい熱帯雨林を抜けると、そこにはあらゆる建物が黄金で出来た都市が広がっていた。

 そこにある建物群は南米の古代文明に見られる物と――金造りか石造りかの違いはあれど――極めて近く、都市の中央に聳え立つ神殿はメキシコに存在するアステカ人に因るものにそっくりであった。

 ここは“エルドラド”。黄金卿の伝説にその名を記す空想の土地にして、この地下世界に於けるアマゾネスの本拠地でもある。

 羿はアトラスをエルドラドの神殿の傍に付けると、ペンテシレイアを担ぎ上げ飛び降りる。

 

「そこで待っていろ、アトラス」

「■■■■」

 

 アトラスにそう命じると羿は神殿の中へと入っていた。

 神殿の中に置かれた調度品などに一切目をくれることもなく羿は神殿の奥を目指す。そこには玉座が一つ置かれていた。

 その玉座の上にペンテシレイアを放り投げると、

 

「己の力の分も弁えず、命までかけやがって。これだから子供は苦手なんだ」

 

 気持ちよさそうに眠る少女の姿で限界したアマゾネスの顔を見ながら忌々し気に呟いた。

 羿は子供が苦手であった。子供とは大抵親或いはそれに準ずる己よりも強き存在からの庇護を受ける者のことを指すが、羿は子供であった期間がなかった。

 ある日気が付くと羿は一人だったのだ。日々の糧を得るのにすら苦心する両親に山の中に置き去りにされた。乳離れをするかしないかといった幼子であったにも関わらずだ。普通ならばここで死ぬのだろうが、何せ普通でない者のことを英雄と言う。英雄である運命にあった羿は山にただ一人残されたことを自覚した瞬間に弓を作り、矢を射て獣を殺し、肉を食らって生き延びた。

 英雄という運命が羿を生き永らえさせたのでないとして、もし他に理由を求めなければならないとすれば、羿は生まれながらに特別な目を持っていた。人より多くのモノが見えて同じ年の子供よりも余程多くのことをその時点で見ていた為、羿は乳飲み子から射手へ一足飛びに成長したのである。

 その生き方を後悔したこともそう生きさせた両親を恨んだことも羿はなかった。羿は生まれながらにして羿であったと確信しているが故に。

しかし事実として、それ以降ただ生を勝ち取る為だけに魔獣や幻獣と戦う日々が天帝に弓の腕を認められ神の勇士として召し抱えられるまで十余年にも及んだ。その日々の中に他の子供を観察するだけの余裕があったかと言われれば、そんなことはなく結局羿は無力な子供というものが理解出来ぬまま力ある英雄として完成してしまったのである。

 だから羿は子供が苦手だ。いや、子供でなくとも力無き者は須らくともいうべきではあるが。

 

「二度と子供のお守りなんぞはしないと誓った筈だったんだがな」

 

 そして、力無き者の中でも一等子供が苦手だ。

 羿の中には子供と接した記憶があるから。

 その時点で羿は二度と子供には接しないと誓っていた筈だった。それが、世界を壊すという目的の下再びその機会が巡って来るのは一体どういう理由なのか。

 

「感傷に耽っているのか?」

 

 そこに想いを馳せていると己の口がそう問うので、羿は笑い飛ばした。

 

「馬鹿馬鹿しい。羿の感じるとは羿が定めるということよ。ならばそこに(ヒビ)が入る余地はないだろうが」

 

 それに関してだけは羿にとって譲れないところであった。

 

「さて、ではそろそろ問い質そうとしようか」

 

 再び羿は、いや羿の中に潜む者が己の体に向かって声を掛けた。

 

「何故、藤丸立香に我らの目的を話した?」

 

 自分の口から紡ぎ出された言葉に羿は失笑した。

そして、突然手の中に矢を作り出すと、

 

「話して悪いか!」

 

 とそれを壁に向かって投げつけた。

 瞬間、黄金で出来た壁は爆砕し大穴が穿たれる。

 

「羿がヤツのことをこの手で殺すに値する勇士と定めた。だから話した。俺はそう言った筈だ。手前ェも聞いていただろう、フェニックス?」

「違う。話す必要などなかったと言っているのだ」

 

 フェニックスは羿の口を借りて続ける。

 

「アレは我らが大願の障害、知識を与える我らに損害。如何して、それを理解しない?」

 

 羿のした行動は二人の目的を思えば益にならないどころか、カルデアが特異点の修復を目的としている以上完全に不利益になるものであった。

 

「そもそもわざわざあの場に危険を冒してまで介入したのは、アマゾネスの女王が未だ必要な駒であった為! 龍殺しと矛を交え、況して宝具を開帳する必要などなかった!」

「手前ェに何が分かる!」

 

 苛立ちの儘に羿は怒鳴った。

 

「羿の心はそうじゃねぇ! 人の心はそうじゃあねぇんだ! 合理でしかモノを考えられん術式風情が知ったような口を叩くんじゃねぇ! その足りてねぇ言の葉で俺の口をこれ以上穢す気なら今度という今度はもみ消してやろうか!?」

「ま、待ってくれ! 分かった! 次からは羿、お、お前の好きなようにやらせよう。戦いにも口を挟まないし、その理由についても詮索しない。だから頼む、消さないでくれ!」

 

 フェニックスは慌てて命乞いをした。

 

「ハッ。もう何度聞いたか分からん言葉だ。そもそも、手前ェ、利用価値があるから活かしてやっているがそこの真偽も怪しいものだ」

 

 そもそも羿がフェニックスに体を貸しているのも、その恩義を忘れて度々羿の行動を阻んだことを不問にしているのもフェニックスの計画が正しく遂行された場合の見返りが大きかったからだ。

 フェニックスの理論が正しくなければこの場で消した方が良いだろうと、羿は思っていた。

 ――体にへばりついていても、下手詩を吟ずるくらいで役に立ちはしないのだから。

 

「あのアトラスを完成させて本当に根源の渦とやらに行けるのか?」

 

 その一点さえ不確かなことが明らかになれば、羿は今すぐにでもフェニックスを消すつもりでいた。

 併し――

 

「間違いなく、可能だ」

 

 フェニックスの言葉には確信めいたものが帯びていた。

 

「ほう? 術のことなんぞ聞いてもつまらんと思っていたから聞かなかったが……話せ。もう少し生かしてやる」

 

 そしてフェニックスは、羿から生を勝ち取ったのだった。

 



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第六節 猪鍋Ⅰ

 さて羿がペンテシレイアをエルドラドに戻したその頃。

 立香達四人はすっかり人気の無くなったアマゾネスの拠点だった街を歩いていた。

 

「そういえば、フェリドゥーン。さっきのアレはなんだったの?」

 

 立香は隣を歩くフェリドゥーンに訊ねる。

 

「ああ、これのこと?」

 

 そう言いながらフェリドゥーンは赤い鱗の怪人に変化してみせる。

 

「俺、宝具で竜になれるでしょ? その力を収束して人型にしたのがこの姿なんだ」

 

 そう言いながらフェリドゥーンは人の姿に戻る。

 

「そもそもフェリドゥーン、アンタどうやって竜になってんだ?」

 

 燕青は疑問を口にした。

 無論、宝具でなどという具体性の欠ける回答ではなくその宝具の原理に関する解を求めているのだ。

 

「悪竜現象――燕青くんも英霊なら知っている筈だろう?」

 

 フェリドゥーンの問いに燕青はああと肯定する。

 

「宝物に執着した人間が竜になるってヤツだろ」

 

 例えばジークフリートが倒したファーブニルがそれである。伝承に曰く、あの竜は宝に執着した人間が身に余る欲望の為に変じた姿であるという。

 

「正解。まぁ、それ以外にも条件があるんだけど、俺はそれを発生させてしまった」

「だから竜になれるってわけか。だけど俺にはアンタが欲深な人間には見えねぇな」

 

 燕青にはフェリドゥーンが至って能天気な男にしか映らなかった。

 こと戦闘になると加減が分からず暴走する嫌いはあるが勇夫王の闇とも言えるその部分でさえ欲が深いとは結び付かない。

 

「いや――」

 

 だが、立香は知らず知らずのうちに燕青の言葉を否定していた。

 立香にはフェリドゥーンがこの場にいる誰よりも――それどころか今まで出会って来た誰よりも欲の深い人間に見えて仕方なかった。

 

「どうした、マスター?」

「ううん。なんでもない」

 

 併し、それを口に出して言うのは憚られた為、燕青に追及された立香は首を横に振る。

 

「というか、話は変わるがフェリドゥーンさんや。どうして到着が遅れたんだい?」

 

 関羽がフェリドゥーンにもう一つの疑問を訊ねた。

 そもそも当初の予定では、フェリドゥーンは関羽が率いるレジスタンスがアマゾネスに捉われている奴隷を助け街から脱出した時点で関羽や立香と合流することになっていたのだ。

 

「ああ、それは……」

 

 と、フェリドゥーンがそのことについて答えようとした時だった。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 男の悲鳴が言葉を割る。

 

「街の外からだ」

「話の途中でワイバーンが……ってか?」

 

 街の外にはレジスタンスの男達やアマゾネスの奴隷だった男達がいる。

 そしてその街の外には狂暴化した魔獣が跋扈しているのだ。襲われたとしても不思議はない。

 

「とにかく、急ごう!」

 

 立香はそう言って走り出した。

 

 †

 

 立香達が声のした場所に辿り着くと、そこではレジスタンスの男達が解放した奴隷を守りながら戦っていた。

 いや、レジスタンスの男達は全員が戦っていたがその殆どが敵に対して押される一方でほぼ一人が奮戦していた。

 黒く長い髪を後ろに撫で付け、無精ひげを生やした強面の男だった。中華風の軽鎧を纏う長身の男で、手には簡素な意匠の戟を持っている。その大刀で敵対者である()()を一振りで四、五人を一遍に吹き飛ばす獅子奮迅の活躍をしていた。

 対する女達は皆一様の黒いロングドレスのようなものを纏い、顔面を布で隠していた。手に持った得物は鋸のような刃のついた刀剣や平形の金鑢のような形をしたびっしりと棘の付いた鈍器といった戦闘に使う武器というよりもどちらかと言えばもっと一方的な暴力行動に使われる拷問具といった風情の代物であった。

 つまりは元々戦士ではない女達であったがその数は筆舌に値するものがあった。レジスタンスの男たちが三〇〇人に対して女達の数は一五〇〇人程。

 人数の差に開きがあるし、一人一人の戦闘力も向こう側に分があるという絶体絶命の状態である。

 

「関羽、あれは!?」

「不夜城の酷吏だ!」

 

 立香は関羽に質問したが返って来たのは初めて聞く単語であった。

 

「不夜城って?」

「説明は後だ!」

 

 関羽は話を切って戦陣へと走る。

 

「周倉ォ!」

 

奴隷達の頭上を飛び越えレジスタンスの男達の前に出ると関羽は青龍偃月刀を振り回し酷吏と呼ばれた女達を蹴散らす。

そして、ものの一分も立たぬうちに、戦力の一割から二割ほどを削られた酷吏達は攻撃の手を止める。

 

「撤退だ。男の捕獲は辞める」

 

 関羽の介入に因って圧倒的優勢を崩された為に、一人の酷吏がそのようなことを言った。

 

「委細承知。これ以上の流血は無意味也」

「是。犠牲を払えど果は莫し」

 

 口々にこれ以上戦うだけ無駄だと言って酷吏達は立ち去っていた。

 それを確認すると関羽は、

 

Are(イァ) you(ウー) all(ウォル) right(ルァイ)?」

 

 総髪の男の傍に寄り無事を確認した。

 

「横文字で聞かんで下せぇ、旦那。あっしにゃ何言ってんだかさっぱりでさぁ」

 

 困ったような顔をする男に、関羽はあからさまに顔を覆ってしまったと言うかのように振る舞った。

 

「それはすまんかった。大丈夫かい、周倉?」

「心配にゃ及びやせん、あっしゃあ無事です」

「さっきの悲鳴は何だい?」

 

 周倉は言葉を詰まらせた。

 

「話せ、周倉。Spinach(スパイニツ)は大事だといつも言ってる筈だぞ?」

「その大変情けのねぇ話になりやすが……」

 

 関羽の言葉に周倉は躊躇いながら口を開いた。

 

「旦那達を待ってる間に不夜城の連中がやって来やして。それで、つい勇んだ男が敵に突っ込んじまって」

「それで返り討ちにあったと……」

 

 関羽は後ろのレジスタンス達を見た。その中には確かに一人、深手を負った男が別の男に庇われながら立っているのが確認出来た。

 

「面目ねぇ。止めきれなかったあっしの責任でさ。何なりと申し付けて下せぇ」

 

 周倉は沈痛な面持ちで首を垂れる。

 すると関羽は苦笑して、

 

「おいおい周倉。大げさだってば。お前が止められなかったからってそれで死なせてしまったわけじゃないんだ」

 

 と周倉の肩に手を置いた。

 

「旦那……」

「人間なんだ。そりゃ怪我したら痛いかもしんないけど、生きてりゃ治る」

 

 そう言って今度は怪我をした男の元に歩み寄る。

 

「キミ、怪我は大丈夫かい?」

「なんとか……」

 

 男はバツが悪そうに答えた。

 先走って相手を焚き付けた挙句に怪我までしてしまったことが恥ずかしいのだろう。

 だが、関羽は、

 

「良いGutsy(グァッチー)だ」

 

 と彼の行動を寧ろ称賛した。

 彼は驚いて関羽の顔を見る。

 

「魁るってのは誰にも出来ることじゃあない。敵を見るや真っ先に切りかかるBrave(ヴレヴ) heart(ヘァトゥ)を持っているって点でキミは優れている」

 

 関羽は男の胸を叩いて言った。 

 

「だが、それ以上に大事なのは敵を見て味方を見るってのはもっと大事なことだ。己より力の強い者に一人で立ち向かう必要はない。協力は恥ずべきことじゃあない。それに千斤力の周倉も着いていたんだ。強者にはどんどん頼れ。自分一人で解決出来ないことは数の力やそれを解決出来る力に頼ったって良いんだ」

「ランサーさん……」

 

 男を励ます関羽の言葉を聞きながら立香はおおと声を上げた。

 

「どうした主?」

「いや、なんというかリーダーって感じだなって思って」

 

 見たところ関羽はレジスタンスの男たちに頼りにされているようであった。その言葉にも皆しっかりと耳を傾けている。

 

「関羽雲長は特に身分の低い兵卒には慕われてたみたいだからな。得意なんだろ、ああいうのが」

 

 燕青はその様子を見ながら関羽という男についてそのように評した。

 

「さて、そろそろ傷を治さないとね。フェリドゥーン!」

 

 目の前の男の傷は、致命傷でないとはいえ出来るだけ速く治療した方が良いと判断した関羽は治癒魔術をフェリドゥーンに頼もうとした。

 しかし、フェリドゥーンの声が返ってこない。

 そもそも立香や燕青の傍にもフェリドゥーンの姿は見えない。

 

「ねぇ、フェリドゥーンは?」

「そういえば……」

「どこに行ったんだろう?」

 

 三人が探していると、

 

「ここだよ」

 

 少し離れた場所から声がした。

 なんとフェリドゥーンはそこに座り巨大な魔猪をナイフで捌いていたのだ。

 

「何してんだアンタ!?」

 

 立香達三人の声が重なった。

 

「いや、今まで囚われてた人達、ロクなモン食べてなかったのかやつれてる感じだったから。腹ごしらえをと思って」

「ボクが戦ってる間ずっとやってたのか!?」

 

 こくりとフェリドゥーンは頷く。

 

「関羽くん――あ、関羽くんって呼んで良いかな? 関羽くんと燕青くんに任せとけば戦闘の方は大丈夫そうだったし。俺がやるとやりすぎるし。だからって手持ち無沙汰なもんで」

「何なんだキミは……」

 

 関羽は脱力した。

 今まで関羽は自分以上に身勝手で自由な振る舞いをする人間に出会ったことがなかったのだ。

 

「ところで、その魔猪は?」

「ああそれはさっきその人達を襲った魔獣のうちの一匹だよ」

 

 フェリドゥーンはレジスタンスの男達を指で示す。

 さっき――というのはフェリドゥーンが立香達と合流する前のことである。

 そのうちの一匹と言われ関羽は辺りを見渡した。

 酷吏に夢中で気が付かなかったがあちらこちらにワイバーンや魔猪、さらには巨大な竜の死骸が転がっている。

 

「なるほど、だから来るのが遅れたのか」

 

 立香はフェリドゥーンが遅れたことに合点がいった。

 

「あの男が多勢に無勢で困っていたあっし等を助けて下すったのは事実でさ」

「うむ」

 

 元よりそこを疑うつもりはなかったが、周倉の耳打ちに関羽は頷く。

 

「でも、フェリドゥーン。まずは、怪我人の治療が優先だ。そっちから……」

「ほい」

 

 ナイフで肉を大きく切り分け、串に刺しながらフェリドゥーンは怪我を負った男の傷を治した。

 

「……話が速くて助かる。でも、もう一つキミに言わなければならないことがある」

 

 少し苛立ったような笑みを浮かべながらフェリドゥーンににじり寄ると、フェリドゥーンの手から猪肉の串を取り上げ、

 

「猪の肉をこんなに厚く切ったら固くて食べられないでしょうが!」

 

 分厚く乱雑に切られた肉を指差しながら叫んだ。

 関羽を除いたこの場の誰もが口をポカンと開ける。

 

「確かに奴隷ぐらいで活力がない人達に腹一杯食わせたいって気持ちは分かる! ここからボク等の隠れ家まで結構な距離有るから活力がいるのも確かだ、それは分かる! でも、薄く切って煮込むんだよ、猪は! 特に弱った人に食わせる場合、喉に詰まらせるかもしれないしね!」

 

 話が四方八方に飛びまくる、支離滅裂な主張だったがこの時の関羽には有無を許さない圧があった。

 そして、関羽は頭上で大きく手を打つと、

 

「ということでみんな鍋を探すぞ!」

 

 と言い始める。

 最早誰もが困惑の坩堝に落ちていたが、ともかく今この瞬間の関羽を止めることは不可能だということだけは理解出来た。

 

「よ、よし、探すぞ。街の中漁れば見つかるだろ」

「俺、あっち見てくる」

「出来るだけ大きいヤツの方が良いかな?」

 

 レジスタンスの面々は口々に言い出して、鍋探しに乗り出す。

 

「マスター、俺たちもやんの?」

 

 ウンザリとした顔で燕青は立香に救いを求めるように問い掛ける。

 

「なんか面白そうだし、やろっか」

 

 満面の笑みで返す。

 力無く肩を落とすと燕青は立香の後に続いた。

 




 猪肉は実際、厚く切って唐揚げとかにすると固いので気を付けよう。


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第六節 猪鍋 Ⅱ

 エイプリルフールは過ぎた。

 この更新は噓じゃないぜ。


 結局一同は鍋の他に包丁や調味料を見つけ、街の外れで和やかな炊き出しが行われた。

 

「美味ェ! こんなに美味いモンを食ったのは久しぶりだ!」

「生き返る! 生きててよかった!」

「ほらほらもっと食え。沢山あるぞ」

「酒もあるぞ、どんどん飲め」

 

 虐待に近い冷遇を受けていた奴隷達は暖かな食事に感涙し、レジスタンスの男達はそんな彼らを優しく迎え入れる。

 とても和やかな楽しい宴の席であった。

 

「この野郎! なんだその包丁使いは! そんなギシギシ切ったら切断面が汚くなるでしょうが!」

「サー、すいません、サー!」

「もっと素早く! 流れるように! お前の包丁には速さが足りない!」

「サー、イエス、サー!」

 

 一部を除いては。

 猪鍋を囲む男たちの楽しい宴のすぐ傍では関羽による地獄の料理教室が開かれていた。

 生徒はフェリドゥーン一名。

 肉を一切痛めぬ為に、包丁の鋭さを生かし切る為に、与えられる包丁術の速さは人智を超えている。

 振るう刃どころか腕すら見えない。その衝撃たるや凄まじく、肉の下に敷いたまな板が粉微塵に吹き飛んでもおかしくない。にも関わらず、肉を破壊してはならないというのだ。

 成り立つ筈のない道理を無理で成立させる為にフェリドゥーンの腕は悲鳴を上げていた。腕がまるで毒を盛られたかのように二の腕が不自然に振動している。

関羽の要求はそれほどまでに苛烈なものであった。

 

「これは、本当に料理教室なの?」

 

 その様子を見ながら鍋をかき混ぜる立香は目に映る光景に“料理教室”などという柔らかな表現を用いることを拒んだ。

 

「なんというか……レオニダスの兄さんが引くレベルだろ、コレ」

 

 肉を切り分ける燕青もげんなりとした顔をした。

 

「驚かせてしやいやしたか?」

 

 そんな二人に後ろから声を掛ける者がいた。

周倉である。

 

「いや、皆まで言わんで下せぇ。アレを見たら誰だって度肝ォ抜かれるんでさぁ。分かっとりやす」

 

 嘗てユーラシア大陸のほぼ全土を支配した大英雄を相手にエキサイトする関羽を見つめる彼の顔は甚く沈んでいた。

 

「おっと、自己紹介をしとりませんでしたな。あっしの名前は周倉と申しやす。何のことはない、そこの関羽の旦那の子分でござんす。頭にとどめておくほどでもねぇ。呼ぶときゃおいとかお前で構いやしやせん」

 

 恭しく首を垂れる強面の男は関羽の従者であったから。

 関羽のこういったわがままな上に良そうも付かないような頓狂な一面には悩まされているのだろう。

 

「おいおい、やめてくれよ。アンタに頭を下げさせたとあっちゃ、梁山泊の仲間の何人かを敵に回すことになっちまう」

 

 慌てて燕青は周倉に近付き顔を上げるように促す。

 

「……そんなに凄い人なの?」

 

 立香は周倉の名を知らない為、燕青が狼狽する理由がまるで分からない。

 

「大刀の旦那の言葉を借りれば“関雲長にその人ありと言われた従者の中の従者”だそうだ。関帝廟と関羽信仰はこの人の遺言を聞いた子孫が世に広めたってほどの凄い人らしい」

 

 へぇと、立香は分かっているのか分かっていないのか判別できないような声を上げた。

 

「お褒めに預かり恐悦至極」

 

 自分はそこまでの器ではないと赤面する周倉の代わりに喜びを露わにしていたのは、いつの間にか燕青の隣に現れ、彼の肩に手を回していた関羽であった。

 

「なんであんたの方が嬉しそうなんだよ……」

「そりゃNatural(ヌァツラー)でしょうよ。だって、周倉が褒められてるんだぜ? いっつも褒められるのはボクばっかりだったんだ。ボクは褒められるのは好きだけど、ボクの周りの人間だって頑張ってるしボク以上に成果を上げてるのに、そんな人達が褒められるってことはなかった。だから嬉しいんだよ、ボクの好きな人達が認められている瞬間に立ち会うのは」

 

 これと並ぶくらいに喜んだ瞬間があるのだとしたら、それは屹度終局特異点からカルデアに戻った後で、マシュの生存を知ったあの時だろう。

 立香がそんなことを思ってしまうくらいに関羽の喜びようは凄まじかった。

 

「つーか、いつまで引っ付いてんだよ。アンタ、そういう趣味なの?」

 

 いい加減に鬱陶しくなったのか燕青は関羽をはねのける。

 関羽は手をひらひらとはためかせると、

 

「本当にボクがそういう趣味ならいいところのお嬢様が鼻血を吹いて卒倒するだろうさ」

 

 と冗談交じりに笑って見せる。

 その時だった。

 

「フォウフォウ!」

 

 ふとどこかでフォウが鳴いた。

 立香は、

 

「どうしたのフォウ……くん?」

 

 彼の名を呼びながらその方向を見た。

 ――途中言葉が詰まったのは、それを見て呆然自室としてしまったから。

 フォウがペロペロと舌で舐めていたのは横たわった一人の男。

 

「えええええッ!? フェリドゥーンさん!?」

 

 ペルシャの大英雄。神代きっての龍殺しフェリドゥーンであった。

彼は包丁を振るう速度を速め過ぎた為に肉体に負荷をかけ過ぎた為に気を失ったのである。

 

 

「生存率5percent(ペーセン)、関羽さんの厨房の試練。矢張り勇夫王でも超えられなかったか……」

「何言ってんだアンタは!?」

 

 何故か真面目な顔で語る関羽に燕青は声を荒げてつっこむ。

 

 

「……いつかいらんの人達に謝って下せぇよ」

 

 周倉は頭痛に頭を押さえていた。

 

 †

 

「いやぁ、ホントに焦った。死ぬかと思ったよ」

 

 なんとか命を繋ぎ止めていたフェリドゥーンは、猪鍋をたらふく食べたことで復活を果たした。

 

「大英雄ってスゴイ」

「てか、冷静に考えて調理で死にかけるってなんなんだよ」

 

 フェリドゥーンと同じテーブルで鍋をつつく立香と燕青はそれぞれ所感を述べる。

 

「旦那は反省して下せぇ。生前、アンタの料理教室のせいで何人の兵卒が辞めてったと思ってんですか」

「いやぁ、面目ない」

 

 周倉から椀に盛られた肉を受けとりながら、関羽は頭を掻いた。

 

「旦那、全く悪びれとらんでしょう?」

「おいおい周倉。今この時だけはSpeak(シュペク) Child(チャアド)なしで行こうゼ」

 

 見てみろと、周倉に言いながら、関羽は猪鍋の酒精に盛り上がる、レジスタンスとアマゾネスに捉われていた男たちに目を向ける。

 

「これだけ盛り上がってるんだ。ここでお説教なんて酒と飯が不味くなる。粋じゃあないだろ、そういうの」

 

 と言いながら、関羽はアマゾネスが置いて行った蜂蜜酒を豪快に瓶ごと煽った。

 

「いやぁ、Mead(ミド)って言うんだっけ? 相変わらずコイツは美味いねぇ。よく益徳が飲んでるヤツを貰って飲んだモンだが、麦や米で出来た酒とはまた違った面白味があって良いよなぁ」

 

 関羽は周倉の苦言を煙に巻くつもりであった。

 それを分かってか、周倉は重い嘆息を漏らす。

 

(なんというか、大分苦労させられているみたいだね)

(まぁ、上司がアレじゃあなぁ。気持ちは分からんでもない)

 

 立香と燕青は周倉に心から同情し、

 

「フォウ……」

 

 猪肉を鼻でつつく白い栗鼠なのか犬なのか判然としない小動物ですら憐みの目を向ける始末であった。

 

「そういえば、話は変わるけど」

「なんだい立香Boy(ブォイ)?」

「立香ボーイ? いや、そんなことよりさっきの酷吏って人達と不夜城っていうのは? 状況が状況だったから有耶無耶になっちゃったけど」

 

 その言葉を聞くと関羽の眼鏡の奥の目が鋭く細目られた。

 

「……そうだね。ここの現状については話しておくべきか」

 

 そう関羽が言った時であった。

 

『ごめん、突然通信を切ってしまって。こっちは復旧した。安心してくれたまえ』

 

 カルデアからダ・ヴィンチの通信が届いた。

 

「良かったそっちは無事だったんだ」

『ナイチンゲールさんとフィンさんが頑張って下さいました。お陰様でカルデア職員は誰も掛けることなくこうして先輩の存在証明に当たれています』

 

 通信から聞こえてくるマシュの声は弾んでいた。

 后羿の不射の射の脅威を見事カルデアが打ち破ったのだからそうなるのも当然ではある。

 

「復旧がVery(ヴェリ) Speedy(シュペディ)! いやぁすげぇなカルデア。流石は古今東西、色んなHero(ヘロォ)が集うだけあって医療チームも粒ぞろいだ。しかもかなり良いTiming(トゥアミン)! 二度同じ説明をする手間が省けるってモンだ」

 

 関羽の感激と称賛は立香にとっては誇らしいものだった。

 何故なら自分が終局特異点を乗り越え、新宿を生き残れたのはカルデアのスタッフ全員の活躍があってこそだから。

 成程、関羽が周倉を褒められたことを自分のこと喜んだのはこういう感覚なのかもしれないと立香は実感した。

 

『うん? 今からこの特異点の状況を説明するところだったの? 本当に良いタイミングで復帰出来たなぁ』

「ああ、有史以来最大のLucky(ルァッキー) Girl(ガル)だぜ? レオ嬢さんや」

『レオ嬢……なんか良い響きだな、それ! 気に入った! と、喜んでる場合じゃなかった。それで、この特異点――アガルタは今どういう状況にあるんだい?』

 

 関羽は蜂蜜酒を喇叭飲みに一気に空にすると、アガルタの状況について話始めた。

 

「君らがアガルタと呼ぶここは現状五つの勢力に分かれて争っている。言うまでもなく一つはボクが率いるレジスタンスだ。これはこの地下世界に落ちてきた男達、不幸にもその後他の陣営の女に捉われた男達とボクの従者たる周倉、それとボクの息子の関平で構成されている」

『待って下さい。この特異点には、地上の人達が落ちてくるんですか?』

 

 マシュの問いに関羽はこくりと頷いた。

 

「ああ、定期的に物凄い頻度で落ちてくる。そして彼らは間違いなく二〇〇一年を生きている人間だ。それもどういうわけか男ばかりが落ちてくるって始末だ」

『それ、地上では大問題になってるだろう。魔術協会は? これについての調査はしていないのか?』

「そこら辺の事情はボクには分からないなぁ。ただ、現状魔術師と思われる人間を見たことはない」

 

 関羽はそう言いながら、煙草を咥え、火を点けた。

 

「あと、現状ボクたちは問題を抱えている。一つはボクの魔力消費。使える人材は多い方が良いってことで常時結界宝具を展開し、周倉と関平を現界させてる所為で青龍艶月(グアンダオ)の連続開放が出来ない。その所為で今の今まで戦いをいたずらに長引かせるくらいのことしか出来なかった」

 

 ペンテシレイアに対し圧倒的な実力を見せた関羽が今の今まで戦いを長引かせていたのはこういった理由であった。

 関羽が万全の状態であれば、呼び出されている土地が中国に比較的近い場所であることも手伝い美塵葬・大紅蓮(チンロン・ユーメイレイ)は魔力消費が少なく連続使用も可能なのだが、別の宝具を使用し続けてというのが前提になると話が変わってくるのである。

 況して種が知れるとこういった一撃必殺、初見殺しの属性を内包する宝具は一気に弱体化してしまうのだから、『確実に殺せる』状況まで出し渋るのも無理はなかった。

 

「すまねぇ。あっしが関羽の旦那の助けなく現界出来ていればこんなことには……」

「いんや、謝る必要なんてないさ。ボクの資質が圧倒的に足りないってのが君をボクに紐付けさせる形でしか召喚出来ない原因なんだから」

 

 自棄に陥りそうな周倉を関羽は煙を吐きながら笑ってフォローした。

 

『一つということは他にも問題を抱えてるということですか?』

「まぁ、その通りなんだが……これについちゃ、実際にボクらのアジトを見て貰った方が早いな。百聞は一見に如かずってヤツ」

 

 マシュの疑問を一端保留にし、関羽は次の話題に移った。

 

「さて、他の勢力についてだ。まず皆さんご存知のアマゾネス。女王ペンテシレイアを頂点にした武力で男を支配する女傑の集団だ。一人一人が強い上、諦めも悪いししつこい兎に角厄介な奴らだ。苛烈なまでの実力主義者だから奴隷にされた男が弱いと平気で殺したりもするし、目下の胃痛ですらあった。正直ほぼ壊滅してくれたのは助かってる」

 

 立香も燕青も、そしてフェリドゥーンでさえも痛いほどそのことについて理解していた。

 

「ほぼ壊滅っていうのは、ペンテシレイアしか残っていないから?」

 

 立香にそう問われると関羽は首を横に振り、

 

「ペドロ」

 

 と宴の中にいた少年に声をかけた。立香がいた日本の基準でいえばまだ小学生の高学年くらいの年齢である。

 

「僕に何か用ですか、ランサーさん」

「君のゲームボーイアドバンスを貸してくれないか?」

「良いよ、でもあんまり長くは遊ばないでね」

 

 ペドロと呼ばれた西洋人らしき少年は関羽に白い色をしたゲーム機を差し出した。

 それは立香にとってはあまり馴染みのないゲーム機であった。

 

「さて、このゲーム機には今、“ピキムン”というソフトが入っている」

 

 ゲーム機のスイッチを入れると関羽は解説を始めた。

 

「あ、それなら知ってるよ。Wiiのダウンロードでやったことあるから」

 

 ピキムンというのは不慮の事故にあった宇宙飛行士が別の惑星に降り立ち、そこでピキムンという植物的な生命体と出会い元いた星に戻る為に宇宙船のパーツを集めるというゲームである。

 

「知ってるなら話が速いね。ではこのピキミンでピキミンが全滅するとどうなる?」

「ゲームオーバーになってゲーム内時間が“次の日”になる」

Exactly(イグザクチュリー)。では、その後はどうなる?」

「確か、その後はまた新たにピキムンが生まれて……あ」

 

 そこで立香は関羽が言わんとしていることの意図を掴んだ。

 

『先輩、何か分かったんですか』

「いや、もしかしたらアマゾネスはペンテシレイアさえ生きていればいくらでも復活できるんじゃないかなって思って」

 

 突拍子のない想像――というよりそれは妄想の域に入っていたものであった。

 だが、関羽はそう思っていると肯定する。

 

『何か根拠はあるのか?』

「ヤツら増えるのを見た。分裂と言えば良いんだろうか? 一人のアマゾネスが二人のアマゾネスになる。んでどうやらそれには男の遺伝子情報つーもんが欲しいみたいってところまで分かってる」

 

 ダ・ヴィンチの問いに関羽はそれを上げた。

 

『だが、根拠としては弱いんじゃないのかい?』

「じゃあ、もう一つ。あの后羿がペンテシレイアを生かした上で連れて帰った。なんかちょっと意味ありげじゃないか?」

 

 燕青も確かにと肯定する。

 

「あの男、興味のわかない相手には(えもの)を構えることすら面倒くさがった。そんな物臭なヤツが瀕死もいいところな女王を連れて帰ったことには何か意味があると見るべきなんだろうな」

「そういえば、羿はヘラクレスに魂を食わせて、アトラスにするとかって言ってた。もしかしたらその為に必要なことだったのかも」

 

 立香は羿の言葉を思い出して言った。

 そう考えれば、ペンテシレイアが残ってさえすればアマゾネスはまた復活するという説も信憑性を帯びる。

 状況証拠に過ぎないが警戒して損ということはないだろう。

 

「でも、一体アトラスを使ってあの弓兵は何がしたいんだろう?」

 

 フェリドゥーンが疑問を向けたのはその目的の更に先にあるものだった。

 

「ボクとしては万能の天才の意見を聞いておきたいね」

 

 関羽に話を振られるとダ・ヴィンチはこのような考察を述べた。

 

『根源に至る……とか?』

 




ゲームボーイアドバンス……二〇〇一年、任天堂から発売された携帯ゲーム機。アガルタの時系列は二〇〇一年の為、発売したての新作ゲーム機ということになる。立香の年齢を加味すれば触れたことのない可能性は有り得ない話ではない。

蜂蜜酒……古代ケルトでの一般的な酒。張飛は葡萄酒と並んでこの蜂蜜酒を好んで飲んでいた……というよりも麦や米の酒が一切飲めなかったらしい。


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第六節 猪鍋 Ⅲ

 藤丸立香はカルデアに来る以前は神秘の“し”の字すら知らない普通の高校生だった。

 カルデア最後のマスターとして、人理を救う未来など予測もしていなかったのだ。

 そして、カルデアの職員達は人理焼却を解決した後藤丸立香が再び元の日常に戻れるようにと、神秘に関する知識をなるべく開示しないようにしていた。

 

「根源って何?」

 

 故に根源について知らないのも無理はなかった。

 

『“根源”というのは全ての事象の因果となっているものだ。魔術師はそれを目指している為に魔術を扱うのだが……今はどうでも良いだろう。問題はこの根源には本当にありとあらゆる情報が内包されているということだ』

「よく分からないけど、そこに行くとなんでも出来るってことで良いの?」

『その認識でも間違いはない』

 

 ダ・ヴィンチの言葉を受けて立香は再び后羿が何を言っていたかを思い出す。

 

「……例えば、世界を滅ぼしたりとかも?」

『可能だろうね。あの睨み野郎はそんなことを言ってたの?』

「なんか世界を殺すとか、そんなことを」

 

 その仮説を聞きながら関羽は白煙を吐いた。

 

「だが、根源に至るって言っても、それでどうしてアトラスを使うことになるんだい?」

『アトラスとはどういう英霊――いや神霊かな?』

「ゼウスに空を支える役目を負わされた巨人だろう?」

『その通り。そして空を支えることが出来るということは空に張られたテクスチャに触れることが出来るということだ』

 

 ここまで聞いて立香は顔を痙攣させながら首を傾げた。

 何を言っているのかまるで分からなかった。

 

「えっと、テクスチャってことは、俺たちが普段見ている空は何かに貼り付けられている一枚の布みたいなものってこと?」

 

 ダ・ヴィンチの発言を嚙み砕いて言い直し、その考え方が正しいのか確認を取るかのように周りの英霊達に視線を投げる。

 燕青は自分もよく分からないとばかりに顔を顰め、フェリドゥーンも分かっているのだか分かっていないのだが分からない笑みを返す。

 

「それであってる……術師でも知識人でもないボクが言ってるんじゃ、信用にゃちょい欠けるけどね」

 

 関羽だけが吸い終わった煙草を地面に捨て、次の煙草を咥えながらそう答えた。

 

「話を続けてくれ、レオ嬢」

『ん、了解。で仮にそのテクスチャを剝がすと何が出てくるかなんだけど、多分根源が現れる。そうすれば根源に到達することも可能だと思うんだ』

 

 待ってくれと口を挟んだのはフェリドゥーンだった。

 

『どうしたんだい、勇夫王』

「根源への到達っていうのは本来星にとって不都合なことだから抑止力が働く筈だ。そこに至った後に為すことが世界を滅ぼすことならなおさらだ。上手く行くとは思えない」

『これがまともの状況だったらそうだろうね。でも今は人理焼却のあれこれで世界の修正力がまともに機能しない可能性がある。こんな雑な方法でも根源に至れてもなんらおかしくはない』

 

 関羽は煙草を吹かしながら一つ疑問を口にする。

 

「なるほどお嬢さんの考えは分かった。でも、気になるのことがある。羿は一体どうやってそんなことを思いついた?」

 

 いくら神代の中華に雷名を響かせた大英雄といえども羿は射手でしかない。

 魔術的な逸話は一切なく、根源云々の概念に長じているとは関羽には到底思えなかった。

 

『あの、これは私の考えなのですが。もしかしてあのアーチャーがこの特異点を発生させた魔神柱の宿主なのではないでしょうか?』

 

 マシュの考えにダ・ヴィンチは

 

『確かにあのアーチャーにはもう一つ分、おかしな数値の霊基が含まれていた。数字上は死んでいるおかしな霊基が。それが魔神柱である可能性は大きい』

 

 同意を示した。

 

「魔神柱って君らが戦ったゲーティアとかいうヤツの一部だろ? 確か。死んだとか消滅したって聞いてたんだけど」

「それがどうも一部は生き残っていたみたいで……」

 

 レムナントオーダーの詳しい発生経緯を知らない関羽に立香は自分たちカルデアが置かれた状況を説明した。

 

「皆様方も随分と面倒を抱えちょりますな」

「彼らだけの問題じゃあないぜ、周倉。世界がかかってる以上ボク等の問題でもある」

「すいやせん、旦那。そうでしたな」

 

 他人事のように言う周倉を関羽は窘める。

 

『無論、この特異点も問題の一部だしねぇ。と、話が大分逸れてしまった。この特異点の状況について話してくれ関羽クン』

「おう、任された。と、その前に酒を……」

 

 と言って関羽が立ち上がろうとすると、

 

「へい、旦那」

 

 と言って周倉は立ち上がり凄まじい速さでレジスタンスの面々の宴の中に突入。

あっという間に赤ワインの瓶を取って来てそれを関羽に差し出した。

 

「相変わらず気が利くねェ。そういうところはVery(ヴェルィ) Good(ゴォウ)だぜ」

 

 関羽は素手でコルクを引っこ抜くと、血のように赤黒い液体を煽り出した。

 

「んで、どこから話せばいいかな?」

「レジスタンス、アマゾネス、までは話した……羿とアトラスについては他に何か話せることはあるかな?」

Real(レヤァ)な話、ボクが知ってることは少ないから次の話題に移った方が良いね」

「じゃあ、不夜城とさっきの酷吏とかいう人達のことから話して」

 

 そもそも立香が訊ねようとしていたのはそのことであり、関羽はそれを思い出し、

 

「そういえば、まだ話してなかったね」

 

 とワインを口に流し込んだ。

 そして少しばかり濡れて赤くなった口元を拭うと、

 

「不夜城ってのはこの巨大な洞窟の北側くらいにある常に明るい城のことだ」

「城っていうのは城壁に囲まれた街って意味の城か?」

「その意味で間違いない」

 

 燕青の問いに答え乍ら関羽は吸い終わった煙草を足元に捨て、再び煙草を吸い始める。

 

「一見は普通の、大体ボクが生きていたくらいの文明レベルの街で人々は比較的穏やかに暮らしている。ただ所詮は見せかけだ。住んでいる男は皆地上からこの地下世界に迷い込んだ哀れな男だし、四六時中その街の女におべっかをつかってなきゃいけない。もしそれに反感を抱いたりすれば……」

「すれば?」

「殺される」

「え?」

 

 関羽の言葉に立香は自分の耳を疑った。

 

「本当だ。嘘じゃあない。女を誉め続けてなければいけないなんて嫌だ、思ってもいないことを言い続けるなんて嫌だ。そう思ったら処刑されるんだ」

「なんで思っただけで殺されたりなんて……」

「同じ奴隷である筈の男同士で監視し合ってるんだ。反逆者がいることを伝えた者は不夜城を支配する皇帝とやらから恩賞を預かることが出来る」

 

 立香はその不夜城のあり方をあまりよく思わなかった。

 この異聞帯に落とされた人達は地上で送るべき日常がある筈だった人達でそれを前触れもなく奪われた被害者である筈だった。その被害者同士で騙しあい、足を引っ張り合い、いがみ合っている。

 これほど悲しいと思うことはなかった。

 

「んでさっき戦った酷吏っていうのは、男達の処罰や粛清を任された不夜城の処刑人達。特異点に落ちた男達をかどわかすことも仕事の一部だが、住民に恐怖を見せるのが仕事の大部分と言って良いだろう。弱い者イジメが本分だからあんまり強くないが常に冷静で機械的、そして完璧に統率された動きをする中々に厄介な連中だよ」

『その不夜城を支配する人は誰か分かっていますか』

 

 マシュの問いに関羽は首を横に振る。

 

「不夜城についてはボクたちが助け出せたりなんとか逃げだせたってのがほぼNathing(ヌァスィン)。その数少ない生き残りの中にも皇帝と実際に会った、見たってのもいなかった」

『それは残念だなぁ』

 

 ダ・ヴィンチの声は沈んでいた。

 

「ないものねだりをしてもしょうがないでしょ」

「勇夫王の言うとおりだぜ、画家先生。それに次に教える勢力についちゃ、Boss(ブヲス)の名前まで分かってる」

 

 人を食ったような笑みを浮かべながら関羽は紫煙を味わう。

 

「最後の勢力っていうのは?」

「東に存在する海の上。そこに浮かぶ都市“イース”を本拠地にする女海賊達の軍団」

「女海賊!?」

 

 その語句に思わず身を乗り出した立香と燕青に、関羽はたじろいだ。

 

「もしかしてそのリーダーの名前ってドレイクだったりする?」

Not(ナァト)……というか、ドレイクってあのドレイクだよね? 初めて生きたまま世界を一周したとかっていう。女だったの?」

「今は良いから、そういうことは!」

 

 立香の必死さが関羽としてはやりづらく、思わず視線を泳がせた。

 

「……でも本当に違うんだよなぁ。イースの元締めの名前はダユーっていうんだよ」

「ダユー?」

 

 立香はその名前に心当たりがなかったのでマシュに訊ねた。

 するとマシュはすらすらとイースとダユーの伝説について語り始めた。

 イースというのは、五世紀頃のフランスに存在したと言われる伝説上の海上都市である。洪水から都を守るための水門が象徴的だったその都市は、そこを横切る船に海賊行為を行い巨万の富を築き上げたという。

 だが、人々はやがて享楽におぼれ、街には背徳が蔓延り、最後には悪魔の悪戯で水門がこじ開けられ街は一夜にして海の底に沈んだ。

 これが伝説の顛末である。

 そしてその伝説の海上都市の支配者だったのがダユーという女性である。彼女の持つ富と美貌は誘蛾灯のように多くの貴公子達を惹きつけたが、彼女を満足させる男はいなかった。皆一夜にして飽きられると殺され、海に捨てられたという。

 

「良い後輩を持ったねぇ、立香Boy(ブォイ)。かなり有能だ」

『恐縮です……』

 

 関羽に褒められるとマシュは恥ずかし気に声を揺らした。

 屹度、顔を赤らめているのだろうと、立香は思った。

 

「まぁ、ここでの勢力争いに参加してるイースも概ねそういう連中だよ。唯一伝説と違うのは、男を一夜で捨てるのはダユーだけじゃあないってところだ」

「それってつまり……」

「そのImagination(ウィムァズィヌェション)残念ながらRight(ルゥアイ)だぜ」

 

 立香が想像したのはダユーの部下の女海賊達もまたダユーと同じように一夜で男を捨てた挙句に殺すといったものであった。

 フェリドゥーンはそれを聞くと体を小刻みに震わせ、血の涙を流していた。

 

「ちょ、大丈夫かよ。フェリドゥーン」

「大丈夫。ちょっと目にゴミが入っただけだから」

 

 燕青の心配に対しても笑顔とサムズアップで答えるフェリドゥーンであったが、その豹変ぶりはとても尋常といえる状態ではなかった。

 

「フォウ……」

 

 フォウですらフェリドゥーンを気遣うかのように手元までやって来て、彼の指をペロペロと舐めた。

 

『勇夫王が怒るのも無理はないな。今のところ、そのイースって連中が一番この特異点に落ちた一般人の害になってる』

「もし攻めるとしたらそこだね」

 

 周倉は関羽を無言で見つめていた。

 彼の決断を待っているかのように。

 

「……君らに求められるまでもなく最初に滅ぼすならそこだと思ってたさ。でもちょっと時間をくれ。問題があるんだ」

「問題って?」

「闇雲に攻めると、羿が現れる。そうなるともう攻略どころの話じゃなくなる」

 

 ペンテシレイアを倒そうとした土壇場に割り込んできたのと同じように、ダユーを倒そうとしても横やりを入れてくる可能性は考えられる。

 であれば、やることは一つである。

 

「羿の注意をイースとは別の所に向けながら、イースを攻略する?」

Absolutely(ワヴスォリューチョリー)! 流石は梁山泊! Terrorism(チェルォリズ)に精通していらっしゃる!」

 

 指を鳴らして関羽は燕青を褒めた。

 

「……で、その方法ってのは具体的にどういうモンだ?」

「それは……」

 

 関羽は天を仰いだまま押し黙った。

 そして突然立ち上がると、

 

「アジトに戻りながら考える! てか、みんなにボク等のアジトを見せておきたいし」

 

 と満面の笑みで答えた。

 残念ながら、策などなかった。

 




 葵尋人、実はTwitterをやっとるのですが、ヘラクレス=アトラスのアイデアっていうのは結構ありふれているんだなと痛感してます。
(結構前にその発想をしている人をTwitter上で見た為)


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第七節 桃源郷

 マイトガイという言葉を知っているだろうか。

 日本のとあるプロレスラーに付けられた綽名であり、意味合いとしては“ニトログリセリンを用いた爆弾のような極めて強烈な人格を有する男”といった具合になる。

 

「ウォォォォオ!! お疲れ様ですッ!! 父上ェェェェ!!」

 

 例えば藤丸立香の目の前にいるこの男のように。

 容姿は髪が短いこと以外は関羽と極めて似通っており、そしてその性格は関羽とは別ベクトルで最悪であった。

 やたらと声を張り上げる。それこそ喉にダイナマイトでも仕込んでいるのではないかと疑われるほどに。

 さて、現在藤丸立香がいる場所は巨大な岸壁に空いた洞窟の中である。当然フェリドゥーンや燕青、レジスタンスの面々も一緒だ。狭い空間で爆音を響かせれば一体どのような結果が待っているだろう?

 

「ぐああ耳がぁぁぁ」

「頭が痛ぇぇぇ」

 

 一同が鼓膜をやられのたうち回る地獄絵図が出来上がるのは当然の成り行きであろう。

 

「一体どうされましたァ! 皆様方ァ! 何やら初めて見る方もいらっしゃるようですが!? どうも、お初にお目にかかります!! 蜀が誇る大英雄、五虎将筆頭関羽雲長が子息ゥ!! 姓は関、名は平、字は坦之!! 以後ォ!! お見知りおきをォ!!」

 

 周倉と二人耳を塞いで音波攻撃の難を逃れていた関羽は、

 

「今日も元気だねぇ。うんうん、人間やっぱり元気が一番だよ」

 

 バシバシと肩を叩いた。

 

「ボクがいない間に敵襲はなかったか?」

「いえッ!! 今日も“桃源郷”は平和でございまする!!」

「そうかそうか、ソイツは良かった」

 

 そして関羽は後ろを振り返りカルデア一同に、

 

「ボクからも紹介しておこう。この子は関平。ボクの息子でボクに似てとても優秀なんだ」

 

 と、改めて紹介した。

 頭を押さえながら立香と燕青は立ち上がると、

 

「それよりも先に言うことあるよね!?」

「特異点攻略前に死ぬところだったぞ、こっちは!?」

 

 と抗議する。

 

『か、管制室が再びロストするところでした……』

『この親にしてこの子ありだな……耳が痛い』

 

 カルデアのスタッフ達も九死に一生を得たような様子である。

 そして彼ら以上に驚き四肢が乱雑に絡んだ名状しがたい態勢で地面に仰向けになったフェリドゥーンは、

 

「一体、何が起こったんだ? 俺は今、何をされた?」

 

 と前後不覚に陥っている。

 これほどの惨状にも関わらず、

 

「さてそれじゃあ、我がアジトをお見せしよう」

 

 と何事もなかったかのように関羽は歩き出そうとした。

 

「おいこらふざけるな! 後でちゃんと謝れ!」

 

 だが結局、此度の不慮の事故が取り沙汰されることはなかった。

 

 †

 

 さて、レジスタンスのアジトは岸壁にぽっかりと小さく空いた洞窟の向こう側にあった。

 高い岩山に囲まれた盆地であるそこは桃の花が咲き乱れる美しい花園だったが――

 

「なんだ!? この臭いは!?」

 

 しかしそこに漂うのは華の甘い芳香などではなかった。

 立香が思わず鼻を腕で庇った異臭。その正体は人間の糞尿であった。

 地面を見ると掘り返されその後で何かが埋められた跡がある。それが至る所に存在していた。

 立香はこの中に排泄物が埋まっているのだろうと想像した。

 そして埋まっているだけならばまだ良かったのだが――現物が木の根元に放置されていた。

 腹を壊す時に出すとこのようなものが出る――というのが、立香が黄褐色で幾ばくか液化しているそれに対して抱いた感想である。

 そして、糞尿臭い桃園の至る所に、男達が腰を落としていた。

 彼らの顔はどこか虚ろで、皆項垂れ、覇気がなかった。ここがレジスタンスのアジトというのならば、アマゾネス、不夜城、イースのいずれかに捉われていた男達であろう。

 併し、捉われの身になった為に消耗している――とはまた違うような疲弊の仕方をしているように立香には見えた。

 

「ここがボクたちのアジト。ボクにとって最も大切な風景に、似ているから“桃園”―と呼んでいたが正直このあり様になったこれをそうは呼びたくはないので“桃源郷”と呼んでいる」

 

 桃園とは言うまでもなく三国志演義などに描かれる蜀の創始者である劉備が後に彼に仕える関羽と張飛、二人の豪傑と義兄弟の契りを交わした桃の花が咲き乱れる園のことである。故に関羽にとってその名自体に特別な意味があったのだろう。

 そしてその特別な名を汚さない為に代わりに与えられた桃源郷という名前。これは中国のある詩人の作に登場する俗世から離れた場所、または精神的に至る境地とされるものである。

 とはいえ、その名にしても現状とはほど遠いことには違いはない。

 

「関羽、ここの問題っていうのは……」

「ぶっちゃけ“下痢”だね」

 

 関羽も漂う悪臭には耐え難いのか、堪らず煙草を吸い始めた。

 

「ここは見ての通り高い岩に囲まれていて敵の侵入はない。唯一の出入口であるあの洞窟もMy(ムァイ) Son(ソォヌ)が守ってるし、防御面に関しては完璧と言って良い。ただ、厄介なのが……」

 

 そう言いながら関羽は手近な木から実を一つもいだ。

 丸々と大きく肥えた桃である。

 

「食料がこれしかないってことだ」

「桃だと何か問題があるの?」

 

 立香の疑問に関羽が答えるより早くマシュが答えた。

 

『桃というよりも果物であることが問題なんだと思います。果物に含まれる甘味成分のフルクトースには食欲を増進させる働きがありますから』

「……中々お腹いっぱいにならなくて食べ過ぎる?」

 

 立香が説明を嚙み砕いて出した回答をマシュは肯定する。

 

「これだけ汁っけの多い桃を食べ過ぎりゃ、そりゃ腹も下すわな」

 

 近くの木からもいだ桃をもきゅもきゅと咀嚼しながら燕青は答えた。

 

「関羽くん、流石にこの桃だけを食べていたということはないと思うが……この人達はここにどれくらいいるんだ?」

「ざっくり一ヶ月。ちなみにMeat(ムィート)は時折ご飯に出るけど、それ以外はほぼ桃って生活だよ」

 

 関羽の答えにフェリドゥーンは、ゾッと顔を白めた。

 

『一ヶ月下痢が続いてる状態か……精神衛生的にも、公衆衛生的にもよくないな、これは』

 

 ダ・ヴィンチの言う通り、下痢という状態は精神的にあまりよくない状態である。

 “ストレスで胃に穴が開く”などという比喩がよく使われるが、実際に胃に穴が開くまではいかなくとも胃壁が爛れるということは十分あり得るし、ストレス性の下痢や便秘といったものは医師の診断として存在する。

 人間の活動において消化器官と精神状態というのは密接に絡んでいるのである。

 加えて見知らぬ土地に突然連れて来られたこと、捉われの身になり生かさず殺さずの状態が続いたことも重なっているのだ。

 鬱病を発症したとしてもおかしくはない。

 いや、断じてしまえばここに残された男達は皆、軽度重度に差はあれど抑うつ状態にあった。

 

『関羽さん、こんな状態で一ヶ月もあったということは、この地下空洞に出入口は……』

 

 マシュの問いに脱力した顔で関羽は首を振った。

 

「なかったよ、どこにも。ここに最初に招かれて囚われになっていた男達を助けてからすぐにそれを探して、その後も探し続けてるけど結局見つけられなかった」

 

 そして関羽は、

 

Sorry(スォルゥイ)、周倉、灰皿」

 

 と灰がすっかり長くなってしまった煙草を見せながら周倉に灰皿を要求する。

 

「そんくらい自分で取って下せぇ。へい」

 

 と文句を言いながらも周倉は言われるよりも早く桃源郷のどこからか灰皿を取りに行っていたようで、それを関羽に差し出した。

 

Thanaks(スァンキュッシュ)。あまりに出口が見つからないからねぇ。対城宝具をぶっ放して天蓋をぶち抜こうかとも思ったんだけど」

 

 灰を落としながら、通信機越しにダ・ヴィンチを射抜くように関羽は目を細めた。

 

Probably(ポーヴァリー)、それをやったらBad(バァ)だったんだろう? レオ嬢」

『ご明察。ここはヒマラヤ山脈のほぼ真下に存在する』

「あ、分かった。上から山が落ちてきてDead(ドゥェド)

『それどころか地上で大規模な土砂災害になってたかも』

 

 フェリドゥーンは重い溜息を漏らす。

 

「何なんだここは? 男を奴隷にする女達がいて、それから逃げようとすれば、殺意の高い魔獣に餌にされる。上手くここに逃げ着いたとしても最終的には精神を削られる。脱出する手段はない。無理矢理脱出しようとすればやっぱり死ぬ」

「あ、勇夫王も気づいちゃった感じ? すっごい趣味悪いConcept(カンスェット)で出来てるよね、ココ。もう、兎に角人を――ここに落とされてるのが男なんだから多分対象は男に限られてるんだろうけど、苦しめたいって思いがひしひしと伝わってくる感じ」

 

 このアガルタは男を苦しめるための監獄のようなものであると言えるのかもしれない。

 その事実を今まさに詳らかにしてしまった為か、

 

「俺たち本当に元居た場所に帰れるのか?」

 

 レジスタンスの男の一人から疑問の声が上がった。

 

「もう何日も妻の顔を見ていない」

「息子の誕生会を開く予定だったのに……」

「母ちゃんのスープが飲みてぇなぁ……」

 

 帰り方が分からないという事実を今まで考えないように努めていたのだろう。男達は突然泣き出したり、発作のようにホームシックを起こしたりした。

 大の男が人目もはばからず、である。

 

「大丈夫だって!」

 

 そんな彼らを関羽は笑って励ました。

 

「君たちは絶対帰るべき場所に帰す。それは約束するって言ったろ?」

「でも……」

「ああ、確かにこんなことを言い続けてもう一ヶ月だ。でも言い続けて、明日はきっと良い日になるって思って頑張ってたら事態は変わった。頼もしい仲間が加わっただろ? だからきっと大丈夫だ。駄目だったら荊州にあるボクの像を破壊したって構わない」

 

 関羽はヒステリックに陥りかけた男たちに親指を立てて誓った。

 

「おい、関羽くん、それは俺のポーズだ。盗ったら駄目だろ」

 

 サムズアップにアイデンティティーを見出しているのか、フェリドゥーンが膨れた顔で関羽の前に割り込み、

 

「俺も誓うぞ。みんなを絶対に助ける」

 

 と見本を見せると言わんばかりに親指を立てて男達に向けた。

 ほんのりと男たちの顔色が明るくなる。

 

「……分からねぇな」

 

 二人の行動を見て呆れような顔で燕青が言った。

 

「何が?」

「二人ともどうしてそういうことが出来んだ? 知らない人間だろ?」

 

 関羽は燕青の答えが意外だったのか眼を丸め、フェリドゥーンはすぐに答えを返した。

 

「俺は夢を追う王様だから。この人達も俺の夢の中にあるから、だから助けるんだ」

「夢?」

「みんなを笑顔にしたい。昔、約束したんだ。“この星を笑顔で溢れさせる王様になる”って。それが俺の夢」

 

 まるで子供のような、具体性もない願いだった。

 ――この王様は、頭に雲か霞でも詰まってんのか?

 燕青の中でフェリドゥーンの評価が下方修正された瞬間であった。

 此方にならば望む答えが得られるのではないかと、次に燕青は関羽の方に目を遣った。

 

「簡単だよ。ボクの王様だったらこの人達を見捨てない。ボクの王様だったらきっとボクに助けろって言う。だから、言われなくても助ける」

 

 関羽は春風のような柔い笑みを燕青に返した。

 

「それはキミだって同じだった筈だろう?」

「あん?」

「梁山泊百八魔星の一人、燕青。同じく魔星の一人、盧俊義の従者。キミだって主人に命じられて誰かを助けて来たんだろう?」

 

 燕青からは答えがなく、彼は突然心がなくなってしまったかのような漂白した顔で立ち尽くしてしまった。

 

「燕青?」

 

 立香の呼ぶ声にもまるで反応が無い。

 関羽は煙草の吸殻を灰皿に捨て、突然燕青の鼻先三寸の所まで顔を近づけた。

 

「うわっ! と、突然どうしたんだよ?」

 

 そこで漸く意識を覚醒させた燕青を関羽はなおも無言のままで見つめ続ける。

 

「なるほど」

 

 何かを悟ったかのような顔をして関羽は遠ざかると、眼鏡のブリッジをくいっと持ち上げ、

 

「作戦が決まった」

 

 と突然言い始める。

 

『はぁ? 今ので?』

 

 天才を自称する奇人ですらも驚く、奇妙な思考であった。

 

「うん、最強のボク達が、最強のままに戦える方法」

 

 関羽は燕青の顔を指差す。

 

You(ウィウ)!」

 

 そして彼の打ち立てた作戦は――

 

「単独行動。キミ一人でイース攻略ね」

 

 関羽自身の正気と、それを聞いた人間の耳の調子が疑われるようなものであった。

 




・関平について
 史実では関羽の実の息子、演義では養子という扱いの彼ですが、この作品においては両方が正解です。実は彼は戦場に落ちていた関羽の血液から黄巾党が作り出したホムンクルスで、黄巾党崩壊から時が経ち暫くして関羽に養子として迎えられた――という設定になってます。
 だから実子でも養子でも両方正解なんです。

・荊州の関羽像について
 こんなもんぶっ壊そうものなら大事件になります。読者の皆様はくれぐれも絶対にやらないで下さい。


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第八節 作戦決行

 関羽が言及した通り、アガルタには定期的に地上から男が落ちてくる。

 落ちる場所はランダムであり、男は基本的に落ちた支配域の所有物となる。そして領土の境目に落ちた場合は戦闘となる。

 此度、男が落ちた場所は不夜城とイースの中間拠点(ベースキャンプ)の丁度目と鼻の先であった。

 この特異点にあって男というのは女にとって他に変えの無い財産である。

 女たちは男の遺伝子情報を取り込むことで分裂を繰り返し、そうすることで数を増やし勢力を増していくのだから。

 無論、労働力としての価値やストレスの解消に消費されるといった存在意義も勿論存在するがこの特異点に於ける第一のは矢張り繫殖の材料としての価値だろう。

 

「あれ? ここは何処だ?」

 

 尤もそれは地上から落ちてきたばかりの男たちが知る由もないことであった。

 だが、無知ということは法を逃れる盾には如何なる場合であってもあり得ない。

 

「人間、男、確認。補足開始」

「ヒャッハァ! 男だ!」

 

 北側からは不夜城の酷吏が。

 南側からはイースの女海賊達が。

 男を虐げる女というこの特異点(世界)の絶対法則が男達に迫る。

 

「うわぁぁぁぁ! なんだ一体!?」

 

 土埃を立てながら凄まじい勢いで自分達に迫る女が皆、手に武器を持っているのを見て取って男達は絶叫した。

 

「可哀想に」

 

 そんな様子を少し離れた場所から見守る者が一人いた。

 燕青である。 

 

「そもそもこいつらはどうして勢力争いなんてしてんだろうなぁ」

 

 燕青が口にした疑問は結局誰も解決させることのなかったものであった。

 関羽が言うには、“本当に何故か争っている”“理由を聞いても答えが返ってきた試しはない”らしい。

 そこで立香がホームズに頼ることを提案したが、ダ・ヴァンチが『朝からコカインを服用した為に今日はもう使い物にならない』と彼の状態について言及した為このアイデアは敢え無く却下となった。

 実際世界で最も知られた探偵であり、新宿の事件後アドバイザーとしてカルデアに留まっているサーヴァント“シャーロック・ホームズ”。アーサー・C・ドイルの小説に登場するその人と同様に明晰な頭脳とそれに裏打ちされた推理力を持つ彼であるが、矢張り小説と同様にその人格には難を抱えている。

 その一つがコカインの使用である。小説の時代の認識であれば体に悪い程度薬物だが、現代ではその危険性が広く知れ渡っている違法薬物だ。服用すればサーヴァントであっても認識障害や妄想を起こすことは既に彼自身の身を持って証明されておりカルデア職員からも散々服用を辞めるよう勧告されている。

 尤も刺された釘がどれほどの効果を持ったかは――ホームズは糠床であったといえば分かるだろう。

 

「まぁ、分からねぇなら分からねぇなりに今できることをやらないとなぁ」

 

 無い物ねだりに意味はないと燕青は行動を開始する。

 独り言ちた次の瞬間には、燕青は木の葉を飛ばす風の中にその身を溶かしたかのように姿を消した。

 

「この男たちはアタイらのもんだ!」

「否。我々が所有する」

 

 そして、次の瞬間に燕青が現れたのは、酷吏と女海賊が鍔迫り合いを演じていたまさにその場面。

 

「そらっ!」

 

 燕青は酷吏を蹴り飛ばしその手から鑢剣を奪い取ると、

 

「苦戦してんね、姐さん達。手ェ貸してやろうか?」

 

 それを手首でくるくると遊ばせながらイースの女海賊達に笑みを投げかけた。

 

「なんだテメェは!?」

「通りすがりのはぐれサーヴァント……おっと危ねェ!」

 

 彼の素性について訊ねてきた女海賊の後ろに酷吏が今まさに剣を振り下ろさんとしていたのを燕青は見逃さなかった。

 秘宗拳特有の体裁きと足遣いを以って、燕青はその酷吏との距離を一気に詰め、その顎を蹴り上げた。

 そして、空中で翻り、酷吏の顔へと奪い取った剣を一閃させる。

 

「俺にばっか気を取られてると脇が甘くなるぜ、姐さん方」

 

 燕青が酷吏を沈黙させ女海賊達に振り返った。

 すると、

 

「ッ! ふざけたことをぬかすんじゃねぇ!」

「誰がお前の顔になんか見とれるか!」

「美人だからって調子に乗ってんじゃねぇ! 犯すぞコラァ!」

 

 女海賊達は燕青に、欲望の見え隠れする怒声を浴びせた。

 しかし、燕青は

 

「へぇ」

 

とそれを意にも介さず、酷吏達に向かっていく。

 そして、彼女たちをほぼ一方的に剣撃と白打で以っていとも容易く打倒していく。

 さて、集団戦の基本原則としてその総数が全体の七割を切ると、撤退を開始するというものがある。

 酷吏達もその例に則り撤退を開始した。

 

「マジかよ、結局一人で酷吏の奴らを倒しちまったぞ」

「でも一体どうして……?」

「んなこと知るかよ」

 

 突然現れた燕青の不審な行動に疑念を持ちもせず、

 

「そんなことよりも、戦利品だ」

 

 彼女たちの興味は“男達”へと移る。

 と、燕青はそんな女達の前に立ちふさがった。

 

「何だ、お前? まだなんか用か?」

「……ご褒美」

「あん?」

「俺まだご褒美貰ってない! あんた達の為に戦ったご褒美」

 

 女海賊達は沈黙した。

 

「は?」

 

 突然何を言い出すのかと。

 

「付き合ってらんねぇ」

 

 と一人の女海賊が突っぱねようとすると別の女海賊が、

 

「待て」

 

 とそれを制止する。

 

「なんだよ、キャシー」

「ちゃんとコイツをよく見ろ。かなりの上玉じゃないか」

 

 そう言われてキャシーと呼ばれた海賊は燕青の姿態を丸吞みするかのようにじろじろと品定めをする。

 鍛え抜かれた四肢を、ありありと見せつけられた胸元を、その美しい顔を――。

 

「じゅるり」

 

 キャシーは思わず涎を垂らした。

 

「な? ちゃんと話聞いてやっても良いと思わね?」

「だな、“ご褒美”も含めてな」

「どっちにとっての“ご褒美”なんだってハナシだけどな」

 

 女達はひそひそと耳打ちしながら下卑た笑い声を上げる。

 

「“ご褒美”のことは考えてやるが、だがその前に聞いておきたい」

 

 キャシーと呼ばれた女が咳払いをしつつ燕青に向き直り問い掛けた。

 

「どうして私たちに味方をした? 教えろ」

「俺、はぐれサーヴァントでさ。気が付いたらここにいて……」

 

 燕青は女達に嘘を話し始める。

 

「何も分からない状態で頼れるのは自分だけ。そんなだったからずっと心細くてさ。だから、誰かに頼りたい、人に囲まれることで安心したいって思うようになって……」

「……お前」

「色んな女達がいる中であんた達が一番話分かりそうだったから。手柄を立てりゃ、傍に置いてくれるかと思ってさ」

 

 この燕青は言うまでもなく、カルデアが召喚した藤丸立香の従者たる燕青である。

 当然はぐれサーヴァントなどではなく、彼の話した経緯は真っ赤な嘘である。

 

「……なんて不憫な。安心しろ。私達の傍に置いてやる」

「辛かったろう。寂しかったろう。お姉さん達にうんと甘えると良い」

「公女様にも話して私達の傍にいられるようにしてやる」

 

 だが、誰一人として燕青の話を疑おうとする女はいなかった。

 薄幸の美青年を前に女達は淫猥な妄想を膨らませながら舌の三寸で愛を振りまいた。

 不運な身の上にある人物に淫靡なイメージが付きまとうのは男も女も関係ないことは言うまでもないが、それにしてもイースの海賊達はそちらに引っ張られ過ぎていた。

 一体何故なのか。それは燕青が持つ諜報のスキルの効果が大きかった。

 諜報のスキルは一部のアサシンクラスのサーヴァントが持つ気配を偽造する能力である。この能力があれば気配そのものを敵意のないものとして敵に見せることで容易に懐に忍び込むことが可能である。

 畢竟するに女海賊達は燕青に対して“何かの組織・所属”といった臭いを見出せないのだ。

 

「ありがとうな、お姉さん方」

 

 燕青の微笑みに女海賊達は黄色い歓声を上げる。

 ――さて、ここまでは作戦通り。

 冷淡な燕青の思考に気が付けないまま。

 

 †

 

「本当に上手くいくのかなぁ」

 

 草原を歩く立香は独り言つ。

 

「立香くんが心配しているが成功率はどんなもんだい? 義勇王殿」

 

 立香の隣を歩くフェリドゥーンは自分達の前を歩く関羽に質問した。

 関羽が立て作戦。

その概要は、燕青をイースに忍び込ませ、その主であるダユーを暗殺。主を失い海賊達がパニックを起こしている間に周倉が率いるレジスタンスを突入させ、囚われている男達を救出させる。その作戦と同時進行でフェリドゥーン、関羽そして立香の三人で羿の注意がイースに向かないように彼を引き付ける――こういったものであった。

 

「君の中であの伊達男クンの評価はどんなモンさね?」

 

 関羽は振り返りも、足を止めもせず藤丸立香に問い掛ける。

 

「燕青の? 彼は、俺には勿体ないくらい強くて優秀なサーヴァントで大切な仲間ですけど……」

「そんだけ君が評価してんならOK(ウォクェ)でしょ」

 

 何故そこまで言い切れるのか、立香には分からなかった。

 

「仕える従者の信頼に何があろうと答えるしそれだけの実力がある。あの子はそういうヤツだ。なら多分上手くいく」

「それ根拠になってないですよね」

 

 図星を付かれたためなのか関羽からは振り返って、

 

「……No(ヌォオ) choice(ツォイス)。あの羿が強すぎるんだ。多少分の悪いGamble(ガンブー)にもなるって」

 

 と力弱く弁明した。

 関羽は決して愚か者ではない。もし羿がいなければ、羿の存在を知らなければ、或いは羿がもっと弱ければ、地に足のついた方策を取っただろう。

 このような胡蝶に乗って浮遊するような奇策をせざるを得ないのは羿一人が存在する為にこの特異点の一切合切が台無しになる可能性があるからに他ならないのだ。

 

「ところで関羽くん。あの羿を引き付けるたって具体的に何をするんだ? そっちも分が悪い賭けってことはないよな?」

「まさか」

 

 関羽は不敵な笑みを浮かべた。

 

「九分九厘くらいの成功率はあるぜ。何せ奴さんの執着しているものが分かってるんだからな」

 

 そう言っているうちに三人が歩く方向の遥か遠くに城の影が見えてきた。

 不夜城である。

 

「ここら辺で良いかな」

 

 ふと関羽は足を止めぴゅーと、口笛を吹いた。

 するとアガルタの天井()が揺らぎその中から、赤い天馬(ペガサス)が現れた。白い翼を羽搏かせ、中空を蹄で鳴らしながら関羽の傍らに降りると歓喜でもしたかのように嘶いた。

 

「この赤い天馬は!」

「紹介しよう。ボクの相棒、赤兎馬の“愛紗”だ」

 

 赤兎馬というのは三国志演義などに描かれる一日に千里を走る駿馬である。

 西遊記では玉帝の馬倉に召し上げられた天馬の内の一頭として言及されており、翼を持つのはそのような経緯があるからだ。

 

Max(ムァッス)時速四〇〇kmで空を飛べる。コイツがあれば不夜城の主のいる楼閣までは一飛びさ」

 

 現状不夜城の主が何者かは分からないが不夜城の何処にいるかまでは分かっている。

 場所が分かっていれば関羽の言葉の通り一飛びで不夜城の女帝の下に辿り着けるだろう。

 

「それは分かったが一体何をする気なんだ?」

「攫ってくる」

 

 フェリドゥーンの問いに関羽は準備体操をしながら答えた。

 

「攫ってくるって、その主っていうのをか?」

「その主ってヤツを、だ」

「羿の執着が“各陣営の女王を生かすこと”だからか?」

 

ちっちっちっと舌を打ち鳴らしながら、関羽はぴんと立てた人差し指を振り子のように振った。

 

「“各陣営の女王を生かす”って目的で真剣に行動しているのは羿じゃないだろう。君との戦いの最後の方で羿に語り掛けただろうSomeone(スァムワヌ)。羿はその言葉に渋々従ったって感じだった」

「待ってくれ。それじゃあ、羿の執着ってのは一体」

 

 関羽は人差し指をフェリドゥーンの顔に突き付け、

 

「そら勿論君だよ」

 

 と返した。立香の顔にも指を向けながら、

 

「あと君もね」

 

 と続けた。

 

「俺? どうして?」

「至極簡単なLogic(ルォギク)奴さん、伝承通り生きてた頃は無敵だったんだろうね。それこそ並ぶ者が無いくらいに。そんなヤツの前に地を舐めさせかねない猛者が現れたっていうならば、分からんハナシじゃないさ」

 

 藤丸立香に対する執着は、羿本人が口にしていた為、この際言うまでもないだろう。

 

「なるほど、俺と立香くんに囮になれって言ってるわけか」

「んにゃ、Exactly(ウィグザチュリー)。出来るかい?」

「言うまでもなく俺は出来る。でも……」

 

 フェリドゥーンは立香を見つめた。

 

「フォウフォウ」

 

 彼の足元で鳴き声を上げたフォウも心配しているようだった。

 だが、藤丸立香が人理修復を成し遂げた藤丸立香である以上答えなど決まっていた。

 

「大丈夫。それしかないなら俺はやるから」

 

 



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第九節 “邪竜殺し”対“射の太極”

 流れ星が翔ける。

 星がないはずの地下空洞(アガルタ)の空に。

 紛い物の昼の空を疾走するその星の名は“赤兎無塵(チィェンリーシィン)”と言った。

 それは愛紗と名付けられた関羽の愛馬がその力を最大に発揮した状態――真名解放でもあった。

 時速四〇〇㎞にも及ぶ速度で以って飛翔する天馬がその勢いのままに地に墜ちれば、その目的物の如何によっては塵すら残さないだろう。

 故に関羽はその速さに無塵の名を付けた。

 立香達のいる草原から不夜城まで僅か十数秒。

 

「うわぁぁぁぁ! 不敬過ぎてビックリするゥゥゥ!」

 

 悲鳴を連れて流星が戻って来るまで僅か数十秒の出来事であった。

 赤兎馬から飛び降りた関羽の肩の上で暴れているのがまさに不夜城の主であった。

 併し、それは――

 

「子供?」

 

 立香の目には童女にしか見えないものだった。

 いかにも高価そうな着物に身を包んでいるが如何せん背丈が小さい。関羽が比較的長身であることも相まって野うさぎのように見えてしまう。

 拍子抜け、というのが立香の抱いた率直な感想である。

 

「めんこい姿だからって油断しない方が良い」

 

 だが、嘗てユーラシアのほぼ全土を支配した大王たるフェリドゥーンの目は彼女の本質を捉えた。

 彼女の持つ気風はまさしく王であると。

 故にこの童女に対して警戒はせねばならなかった。

 しかしそれは適わない。

 フェリドゥーンの意識は空を覆いつくす光線に釘付けになってしまっていたから。

 人間の眼球と同程度の太さの光の筋が此方に向かってくる。筆舌すべきはその数は凡そ二万。そして恐ろしいことにそれは、ドーム状にフェリドゥーン達を囲む形で迫って来ていた。

 

「うわぁぁぁ!! なんじゃこれはァァァァ!?」

「羿の、宝具か!?」

 

 その規模と想定される威力から関羽はこれが対軍宝具であるものと予測する。

 

「この羿の(かいな)が宝具か。キハハハハハ!! 燕雀にはそう見えるか!!」

 

 その想像を一笑した后羿の言葉が関羽の耳に届くことはなかった。

 それもその筈だ。羿は約二〇㎞も隔てた場所から彼らを迎撃しているのだから。声が届いている筈がなかった。

 況して羿は標的との間に遮蔽物が存在すれば気配を絶つことが出来る特殊スキルを持っているのだからなおのことである。

 そして、逆に羿からは彼らが見えている。アーチャークラスのサーヴァントは多くの場合恵まれた目を持っているが羿の目は射手として最高峰であると言えた。視界は三六〇度、天体望遠鏡クラスの遠視能力と電子顕微鏡クラスの分解能を併せ持ち、遮蔽物を無視する透視能力、極まった動体視力による疑似未来視も可能とする。

 そして羿にはこの視力を腐らせないだけの射の技量があった。二〇㎞先の目標物を矢の軌道を自由自在に捻じ曲げ、取り囲んだ上で的中させるだけの技量が。二〇〇〇〇本の矢に因る死の牢獄を宝具無しで作り上げる技巧が。

 否、宝具無しというのは語弊があった。羿の手に握られている赤い弓。その銘を“紅蓮(ホン)”。これは羿の最も有名な逸話“射日”を為した時に使われた弓であり、丹弓とも呼ばれる。そして、その性質は絶対不破。全霊を以って矢を射続けるだけで弓を壊してしまう羿が、二〇〇〇〇本の矢を五秒で打ち尽くす無茶をやっても壊れることがないというただそれだけの弓である。

 ただそれだけの弓であるが、羿が最も頼りにする武具であり、それだけ羿が本気になっているという証左でもあった。

 誰であろう東方の邪竜殺したるフェリドゥーンに対して。

 だが、、そこまでしてもフェリドゥーンは落ちなかった。矢を見るや否やフェリドゥーンは宝具を開放し、竜人形態に変化。そして、口から炎を吹きドーム状に展開し矢を焼き尽くしたのである。

 

「……言動に騙された。あんな傲岸不遜なヤツがまさかこんな慎重な戦法で来るなんて」

 

 矢を防ぎながら、フェリドゥーンは羿の人物像を見誤ったことを実感していた。

 神秘殺しの逸話を持つ中華の大英雄という前提と尊大な言動から彼が戦士であるという前提をフェリドゥーンはなんとなしに持っていた。

 だが、実像は違う。彼の本質とは全霊とは殺し屋であり、弓兵(アーチャー)としての在り方は狙撃手(スナイパー)であった。

 そしてその狙撃手(スナイパー)は標的が生き残っていることを見て取ると歯ぎしりした。

 ――この距離ではアレに到達する前に矢の威力が死んじまうか。

 羿の実力に問題点があるとすれば、それはその技量に耐え切るだけの武具がないという点であろう。絶対不破の弓を用いても、番える矢は弓矢作成の矢で生み出したただの矢である。

 光と化した矢は一見強力そうに見えるが所詮は華拳繡腿。実際は矢をプラズマ化する為に無駄なエネルギーが消費されている為、羿の射の威力が完全に乗り切っていない状態なのである。

 これを打開するには矢も弓と同じく壊れないものを使うしかないのだが、羿の手にそれは十本しかない。鏃も矢柄も全てが雪のように白い矢でその銘を“純白(パイ)”。九つの太陽を落とすために用いたまさにそれである。

 羿はこの純白(パイ)紅蓮(ホン)に番えようとした。この二つが揃って初めて成立する宝具を、射日神話の再現を行うつもりで。

 だが、羿は番えようとしただけに留まった。この宝具は羿の持つ宝具の中では最大の威力を誇る宝具であり放たれたが最後外れることはまず有り得ないという代物である。しかし羿はフェリドゥーンが一度なんらかの魔術か宝具を用いて矢を消したのを見ている。

 

「確か、“ドーズ・イン・ダマーヴァンド”とか言ったか」

 

 羿の切り札はその性質上、初見の敵に対して使うのが最も有効であり、もし仮に防がれてしまった場合二度目以降は一切通じないという可能性も孕んでいた。

 その上“純白(パイ)”は十本しかない。矢を回収しないという前提であれば羿は切り札を十回しか使うことが出来ないのである。

 であれば遠距離からの宝具使用は極めて危険だ。

 では、羿の側から近付くのは? 確かに、彼の切り札は中・近距離であれば防ぐのはまず不可能な代物ではある。

併し、羿は接近について論外という結論を下した。竜人形態のフェリドゥーンは高い機動力と膂力を持つ為、接近戦に持ち込まれれば羿の方が圧倒的に不利である。加えて先ほど矢を防ぐのに使われた竜の吐息(ドラゴンブレス)。あれには、Aランク宝具相当の火力がある。熱の及ぶ範囲に近付くことは自殺行為に等しいと言えるだろう。

 それにもう一つフェリドゥーンが持つ最大と思われる宝具。竜殺しを成し遂げた牛頭の戦槌(グルザ・イ・ガウザール)。これの存在がネックであった。

 

 ――矢張りこの距離で射を以って戦うしかねェか。

 

 羿は戦術を決定した。

 その方策とは持久戦である。竜種というのは呼吸しただけで魔力を生成可能な永久機関のような存在だ。その形質を持ち合わせるフェリドゥーンもまた例外ではないだろう。だが、羿は知っている。竜種であろうと魔力が枯渇するということがあり得るということを。例えば、息をする間もなく吐息(ブレス)を吹き続けた場合などは例え竜種であっても枯死を招く可能性がある。

 羿はそれに掛けることにした。

 羿の矢の作成は魔力消費が少なく、自身の保有している魔力の量も極めて高い。勝ち筋があるとすればそこ意外に他はない。

 

「関羽くん。今の攻撃どっから来たか分かる?」

 

 一方でフェリドゥーンは羿が何処から攻撃しているか分からず関羽の頭脳にその答えを求めた。

 しかし関羽は首を振った。

 

「矢に一切の時間差が無い。加えてボク等を取り囲んだのも大分遠くと来た。余程良い目を持った英霊か、フクリュー先生並みの頭でもなきゃ場所を割り出すなんて不可能だ」

「じゃあ、もう一つ質問。羿の攻撃何度防げる?」

「さっきの掃射と同じヤツなら良くて二回が限度だ」

「なら、その二回全力で防いでくれ」

 

 そう言うとフェリドゥーンは仏教で言う智拳印のように手を結ぶ。複眼からは光が失せまるで瞳を閉じているようにも見えた。

 

「一体何を……ってうわ来た!」

 

 フェリドゥーンの真意を聞くより先に羿の掃射がまた一同を取り囲む。

 迷っている暇はないと関羽は宝具を発動した。

 

「“君美・永劫氷柩(ヨンユェン・シエンドゥ)”!!」

 

 それは対城宝具であった。城一つを凍り付かせる冷気を以って襲いかかって来る矢の全てを凍り付かせつつさらに分厚い氷の壁で自分達の周囲三六〇度を覆う。

 

「封印を四つまで解いて作った氷壁だ。並みの対軍宝具くらいならもう一度耐えられる」

 

 関羽の顔は汗に塗れていた。何せ対城宝具の開放である。魔力消費も半端なものではない。連発するのは困難と見て、関羽は青龍艶月(チンロン・グアンダオ)の能力で空気中の水分を操作、起こした凍気を利用し氷の壁を生み出したのだ。

 苦肉の策とはいえ、これでフェリドゥーンの要求に答えられたと関羽は気を緩ませた。

 

「キハハハハハ! 燕雀の頭はどこまで行っても燕雀だな」

 

 だが、羿はそれを見ると失笑した。

 

「デカいだけで隙だらけの力だ! 砕くのは容易い!」

 

 物体もエネルギーも、それが大きくなればなるほど綻びや脆い個所というものが生まれる。況して羿は特殊な目の持ち主であると同時に歴戦の勇士である。当然の如くそれを見切り、

 

「ぶっ潰れろォォォオオッ!!」

 

 羿はそこに向かって矢を放つ。寸分違わぬ軌道で一〇〇〇〇本の矢を氷壁の同じ個所に。

 

「なんだと!?」

 

 関羽は啞然とした。いとも容易くは壊れないと疑っていなかった防壁が簡単に砕かれてしまった為に。

 そして防壁を砕いた矢の後ろには九九九九本の矢が待ち受けている。

 

「マズ……」

 

 やられると、関羽は目前に迫る矢を前にして思った。

 だが――

 

「Gaaaaaaaa!!」

 

 関羽に矢が的中することはなかった。

 一発一発がDランク対人宝具にも値する威力を持っていると目される矢は総て燃やし尽くされていた。

 フェリドゥーンの竜の吐息(ドラゴンブレス)である。

 

「時間稼ぎありがとう。お陰で分かった」

「そいつはどうも。何が分かったの?」

「羿の居場所さ」

 

 声こそ届いていなかったが羿には口の動きが見えているから何を言っているかは分かる。故に羿は驚きに目を剝いた。

 

 ――ハッタリか?

 

 羿は疑った。

 それは立香も同様であった。

 

「分かったって一体どうやって?」

 

 しかし関羽は、

 

「多分説明出来ないよ。理屈が本人にも分かってないんだ」

 

 フェリドゥーンが何をやったのかを理解したかのような口ぶりであった。

 

「キミ、啓示スキルを持ってるでしょ?」

 

 関羽の言葉にフェリドゥーンはこくりと頷いた。

 啓示とは天からの声を受け取り、目標に到達する為のあらゆるものが示されるというスキルである。

 生前から魂に宿るこの力は幾度となくフェリドゥーンを助けた。例えば、その身に蛇を宿す人喰いの王と戦った際にはその声の為に殺めずに封印を選ぶことが出来た。もし殺めていればその体から数多の悪獣が厄災と共に飛び出し人の世は混沌に陥った可能性が伝承に於いて示唆されており、もしそれが現実となっていたのならばフェリドゥーンにとっては何より苦痛だっただろう。

 そして、今この瞬間にも啓示はフェリドゥーンを助けた。羿のいる場所を示すという形で。

 

「羿はあっちにいる」

 

 指を指した方角は南の方角であった。

 

「場所は川の中だ」

「川の中って!? じゃあ、羿は……」

「潜水しながらずっとこっちに向かって矢を放ってたってことだ」

 

 関羽は口笛を吹き、Amazing(ヤメイズィン)と驚嘆した。

 

「……でも場所が割れればどうってことない。こっちの速度なら、一気に詰めてぶっ叩ける!」

 

 そう言ってフェリドゥーンは陸上競技のクラウチングスタートのような態勢を取り走り出そうとした。

 

「待って」

 

 と立香はそんなフェリドゥーンを呼び止める。

 

「俺も一緒に連れてって」

 

 そんな立香の発言を、

 

「馬鹿を言うな、死ぬぞ」

 

 関羽は一蹴した。

 誰の目から見ても明らかである。竜種であるフェリドゥーンの機動力を以ってすれば立香が死ぬ可能性だってある。しかも、機関砲の如き羿の射に対し前に出るという前提まで存在する。この時点で既に生きている方が難しい状況である。

 

「分かった、立香くん。俺の背中にしっかり掴まってくれ」

「フェリドゥーン、君まで何を言って」

「冷静になれ、関羽くん」

 

 己を諫めようとした関羽の肩にフェリドゥーンは手を置いた。

 

「この子は今までだって生きるために何度も死ぬ目に遭ってきた。その度に何とかしたし、周りの人達がきっと何とかしようとして来た。そして、今は俺が何とかする。だから、大丈夫」

 

 フェリドゥーンはそう言って力強く親指を立てた。

 

「さぁ、そうと決まれば行こう、立香くん。俺と一緒に!」

「ああ、行こう!」

 

 最早、二人を止めることは出来なかった。

 立香を背に乗せるとフェリドゥーンは風のような速さで走り出した。

 

「HAHAHAHA……マジかよ……」

 

 関羽はそれを見送りながら力なく笑声を上げる。

 

「キハハハハハ! 悪くねぇ判断だ! 人類最後のマスター!」

 

 一方で羿はその行動に高らかな大笑をしていた。

 羿が敵と定めた相手には藤丸立香も含まれているのは依然未だ変わりない。それだけですでに生きるか死ぬかも定かではないのだ。

 ならば安全を確保するのは当然だ。そして、その安全圏とは羿の猛攻を凌ぐことが出来るフェリドゥーンのすぐ傍に他ならない。

 

「余裕を装うのはよせ、射手よ」

 

 それは羿の口を借りた魔神柱の声であった。

 

「あ?」

「あの竜殺しはここを言い当てている。それは貴様も分かっている筈だ」

「だから何だ?」

「震えているぞ?」

 

 歯が砕けたかと思うほど、羿は激しく歯を鳴らし、

 

「五月蠅ェ! 黙れェ!」

 

 と苛立ちのままに叫んだ。

 終局を逃れ未だ死に体に等しい魔神風情に図星を付かれてしまったから。

 

 ――糞がァ! まさか、あの竜殺しに羿の生き方に、鴻鵠たるに耐え得る器があるとは思わなかった!

 ――山戯(ザケ)ンじゃねェ! これは羿だけのものだ! 無敵の頂は、怪物は俺だけだ!

 ――でなければ俺に価値は無い。君にとって意味が無い。

 ――そうだ! 羿は無敵でなければならない! 君を許さなかった総てを許さぬ為に!

 

 逡巡、葛藤、焦燥、追憶。

 あらゆるものが羿の内を駆け回る。

 

「ぶち殺す! 君の願いを認めなかった世界を! 東方の竜殺しを! 星見最後のマスターを! 引き裂いて、引き毟って、襤褸切れのように!」

 

 そして忘我するほどに怒号を上げ、

 

「ハァァァァアアアッ!!」

 

 川底を蹴り上げ、水面を破り、空へと舞い上がった。

 そして、羿は弓を後ろ手に構えると矢も番えていないそれを打ち始めた。弦がはじき出した空気が砲弾になって飛び出す。そして驚くべきことに――羿はその反作用を以って飛翔した。

 きっとそれは此方に向かってくるフェリドゥーンの速力にも匹敵していただろう。

 羿は翔ける。まさしくそのフェリドゥーンに向かって。

 

「十把一絡げに死にやがれェェェェエエッ!!」

 

 切り札である宝具を、羿の持ちうる最大の射でフェリドゥーンを滅ぼすために。

 




華拳繡腿……魔法少女の台詞としてあまりに有名な言葉。本来は武術用語であり、見た目ばかり華やかで中身がない技の例え。羿にとってビーム化した矢は華拳繡腿である。


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番外編:英霊伝承~后羿~

 気が付いたら一人だった。

 貧しい家に生まれ五歳の頃に扶持減らしの為に山に置き去りにされた羿には頼る者はおらず、頼みとなるのは持って生まれたよく見える目のみ。

 羿が置き去りにされた山は人里へと続く道が閉ざされており、羿に生家へと戻る手段はない。加えて彼が生きた神代――特に山という人の理が及ばない環境には魔獣や幻獣、さらには神獣すらも跋扈しておりいつ餌になってもおかしくはない状況であった。そして、悲しいかな人である以上羿は食らわなければ生きていけない。己よりも力も速力も優れた幻想種の生き物を狩り、それを糧としなければならない状況でありかつ羿は目に優れる。

 であれば彼が弓矢を頼りにするのは必然であった。巨躯から放たれる幻獣の膂力も弓の射程があればその恐怖を殺すことが出来る。優れた目以外はただの人として生まれ、頑強な肉体も不死性も持たない羿にとっては打ってつけの武器であった。

 そして、幸運にも羿は弓引きとしても狩人としても優れた才を有していた。その為に二〇年の月日を生き延びることが出来た。その頃には閉ざされた山の中で羿に勝る生き物などおらず、また彼の目が及ぶ範囲にも彼より強い生き物などいなかった。

 ――何故、羿はこんなにも強いのだろう?

 ――父や母は何故、羿にこんな優れた目をくれたのだろう?

 故に羿は疑問を抱いた。過剰なまでの己の強さに。それを与えられた意味に。

 そんな頃であった。羿の前に人の姿をした何かが現れた。男とも女とも分からず、髪の代わりに白い蔓のようなものが生えた金色の鎧に身を包むそれは己を“帝夋”と名乗る。

 羿の記憶する限りでは神々の首長の名であった。

 

「神の長が羿に何の用だ?」

 

 そう問われると帝夋は羿に手を差し伸べて言った。

 

(けい)を迎えに来た。今この世界で最も優れた射手にして勇士、それが(けい)である。この天地の安寧と人々の平穏を守る為に、私は(けい)の力を求めたい」

 

 その言葉を聞き羿はその目に映る人々を改めて観察した。

 

「この羿にこんなにも弱い生き物を守れというのか?」

 

 それらはどうして二本の足で立てているのかさえ分からないような弱い存在だった。

 些細なことですぐに死ぬ。この山にでも迷い込めばいとも容易く失われるような命であった。

 

「弱いからこそ守るのだ。この天地にあって何より強い(けい)が」

 

 その言葉は羿が抱えていた疑問を容易く打ち破った。

 

「キハハハハハハハッ! 何だ、それが俺がこの世界に在る意味だったのか!」

 

 羿は呵呵大笑した。

 確かに人間は弱い生き物だった。だが、だからこそその生は尊いものであった。他者を愛し、時には傷つけながらそれでも懸命に生きている。その営みが、この世界でそれが行われているという事実が羿には奇跡に感ぜられた。

 否、ずっとそう思っていたのかもしれない。閉ざされた山の中で時折下界を見ながら羿はきっと素晴らしいと思っていたのだ。

 

「有難い。手前ェの為に漸く理解出来たぞ。俺の力が一体何なのか」

 

 感謝と共に羿は帝夋の手を取った。

 そして感謝を述べた対象は帝夋のみではなかった。羿をこの世界に存在させてくれた両親。素晴らしき世界を守るだけの力をその肉と精とで練り上げてくれた親に羿は心から礼を述べた。

 帝夋に連れられ天に昇ると羿は神格と共にその実力に相応しい弓と矢を与えられた。

 神となった羿の活躍は目覚ましいものであった。黄帝に不死の力を与えられた人面を有した雄牛窫窳(あつゆ)、尾が揺れるだけ津波が立つ大蟒蛇の巴蛇(はだ)、火炎と水を操る魔力を持った九つの首を持つ大蛇の九嬰。一匹一匹がそこにいるだけで中原を転覆させかねないような恐るべき悪獣を羿は弓を以って討ち取った。

 その他人々の生を脅かす幻想種の数々を葬り去り、そんな彼を人々は英雄と讃えた。併し、その称賛を受ける度に羿の傍らからは人が、神々が彼の元から離れていった。

 羿は中原で起きる総ての脅威を沈黙させる程に強かった。強過ぎた。

 そして総ての脅威を治める程に強いということは、逆にあらゆる脅威になり得るということでもあり、故に羿は恐れられる存在となった。

 燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや。人も、神も誰も羿の心の内を理解しなかった。

 

「それで良い。羿は強い。その身を焼くかもしれん力を恐れるのは当然だろうよ」

 

 だが、羿は己に対する恐怖の一切を受け入れた。

 

「手前ェらが健やかであれば羿はそれで良い」

 

 それが羿の願い。故に羿は傍らに何も無く、無謬の空を飛ぶ鴻鵠として振る舞った。

 孤高であろうとした。

 本当に羿が孤高の英雄であったのならば、屹度羿は幸せだっただろう。

 だが、現実はそうではなかった。接触の無い生き方は羿の心に否応なしの痛みを与える。

 己を鼓舞するように敢えて言葉にしなければならない程に羿は痛んでいた。

 

「アナタ、寂しいのね」

 

 それに気付かされたのは篠突くような雨が降るある日のこと。

 ただ羽ばたくだけで嵐となる怪鳥“大風”を討伐し、空を見上げ早くこの雨が止まないものかと顔を顰めていた時だった。

 突然羿は後ろから声を掛けられた。

 戦いに因る疲労が原因で視界の一部が霞んでいた為だろう。後ろにいる彼女に気が付くことが出来なかった。

 艶やかな長い黒髪、喉元に刃を突き付けられているかのような心持にさせる冷ややかな美貌の人。月白色の羽衣は月の女神たる証。彼女は天上の神の中で最も美しいとされる嫦娥であった。

 

「女神嫦娥か。何故こんな所にいる?」

 

 羿は後ろを向いたまま視界から嫦娥を文字通り消して話した。何故か今まで姿を見ることはなかったが、嫦娥は噂に違わぬ美貌の持ち主だった。もし目と目が合えば自分に何が起こるか分かったものではない。

 狂い始めた挙句に、この清廉な女を欲してしまうかもしれない。

 羿にはそれが恐ろしくて堪らなかった。

 

「アナタを見ていたから。ずっと」

「月の女神は浪費が激しいんだな」

 

 弓以外に何もない武骨漢に一体どんな面白味があると言えるだろう。万物にとって時間とは有限であり、その中でも最も退屈な時間の過ごし方をすることは間違いなく浪費と言える。

 

「浪費ではないわ。私にとっては、ね」

「よく口が回るな、月の女神。さっさと手前の宮に帰ったらどうだ?」

「いやよ。アナタを手に入れるまで、私はここを動かない」

 

 羿は嫦娥の見せた意志に困り果てた。

 女神というのは須らく完璧な肉体を持つ者であり当然、風邪などにはかかりようがない。それでも体を冷やすのは良くないだろう。

 羿としては嫦娥にはすぐに雨の当たらない所に移動して貰いたかった。

 

「何故、俺を欲する? 番犬の代わりでも要るのか?」

「いいえ、違うわ」

 

 羿に思い至る理由などそれしかなかった。

 だが、嫦娥はそれを否定した。

 

「可哀想なの。寂しそうなアナタが」

 

 真に羿が孤高であれば屹度、激昂しただろう。

 だが、そうはならなかった。

 己の抱えていた痛みの名前を言い当てられたこと、自分でさえ分からなかった痛みの名前を教えられたこと、そしてその痛みに手を差し伸べられたこと。

 

「……俺は“孤独”だったのか」

 

 羿の目は、肉体は溢れ出した感情の前に敗北し、降りしきる雨と共に土を濡らした。

 

「……そうだな。君が言うのなら羿は寂しいのだろう。ならば羿はその言葉に従おう」

 

 この時、羿は嫦娥の方を向くことも嫦娥に視線を向けることも出来なかった。

 鴻鵠たる羿に敗北は許されない。己に対してすらも、である。

 この時の羿の顔は正しく敗者のそれであった。こんな惨めな姿は嫦娥に見せられない。見せたくはない。

 それに幾度の戦いで羿の手は、魂はきっと汚れてしまっているから。それを思うと羿は怖かったのだ。視線が合うだけでも彼女の清らかな魂を穢してしまいそうで。

 ――恋に落ちた羿の前には何もかもが恐ろしかった。

 誰も気づきすらしなかった心の乾きに気付いてくれた人。抱えていた傷に触れてくれた優しい心。

 全てが羿の前には輝きとして映った。

 そしてこの日より羿の傍には嫦娥があった。

 夢のような日々だった。あまりに美しい嫦娥に触れることも視線を向けることも出来なかったが、それでも傍にいるだけで心が満たされた。

 そんな羿の暮らしが一変したのは、彼の最大の偉業、射日を成した後だった。

 彼が落とした九柱の太陽神は現代で言う人工衛生軌道上に存在していた。射落とすことなど不可能である筈だった。少なくとも中原の神々はそのように想定していた。

 だが羿の射は帝夋の想像を遥かに上回っていた。今後、二人として現れないと思われる射の太極に至った者。

 神々が彼を危険視したのは当然と言えた。万物は経年によって劣化する。どれほど完成された精神性を持っていてもその魂は歪んでいく。

 それは神であっても代わりはない。例えば百手巨人(ヘカトンケイル)独眼巨人(サイクロプス)をタルタロスに幽閉したウラヌスを討ちながら、自身も同じような行いに手を染めたギリシャのクロノスのように。

 日に日に神々の中から羿を除けとする声は大きくなり、彼を神にした帝夋でさえそれを抑えることが出来なくなった。

 

(けい)とその妻嫦娥を神籍から除く。許されよ」

 

 苦渋に満ちた顔でそう告げる帝夋に羿は自分のことは構わないと言った上でこう願い出た。

 

「嫦娥のことはこのまま天に留めてくれ」

 

 隣で自分と共に跪く嫦娥には目を向けず、羿は帝夋のみを見つめた。

 

「それはならない」

「何故だ?」

 

 問い掛ける羿の神性を奪い、また嫦娥からも神性を奪い帝夋は悲し気な顔をして答えた。

 

「分かってくれ。最早、定命になるしかない(けい)に与えてやれる唯一つの救いなのだ」

 

 帝夋には羿を散々に利用してしまったのに守り切れなかったことに強い負い目を感じていた。

 そんな彼を孤独の中で老い死なせることなど帝夋には出来なかった。せめて彼が愛する人と共にあることが帝夋に出来る最後の償いだったのだ。

 併し、帝夋の償いは裏目にしか出なかった。

 

「どうしよう、羿。私、女神でなくなってしまった。もう永遠に美しく在れないの。醜く老いてしまうの」

 

 地上に落とされた嫦娥は己の身に起った不幸を嘆き悲しんだ。

 嫦娥にとって女神であることと永遠の美を持つことは何よりの誇りであったのだ。

 

「……崑崙山に不死の霊薬に通じた仙人がいるらしい。待っていてくれ」

 

 羿は嫦娥が人になろうとも、どんなに老けようとも愛する自信があったが嫦娥にとっては重要な問題であったのだろう。

 であれば羿にとって奮迅する万の理由になる。

 そして羿は崑崙山に登ると不死の霊薬を二つ持ち帰り嫦娥に差し出して言った。

 

「この霊薬を一つ飲めば不死を得られる。二つ飲み干せば神籍を取り戻すことが出来るらしい。どうするかは君が決めてくれ」

 

 久方振りの人の身の為か、羿は冒険に疲労しそう告げると寝てしまった。

 そして、その眠りから目を覚ますと嫦娥はいなかった。

 

「そうか、嫦娥は望みを叶えられたのか。良かった」

 

 そう口にしている筈なのに、羿は己の頬が湿っているのを感じた。

 地上の栖は屋根の作りが悪いのか、雨が差し込むのだろう。

 そんなことを思いながら、羿は独り言ちた。

 

「羿は欲が深いな。君に与えられたものはあまりにも大きかったというのに」

 

 嫦娥の傍にいたかったという思いを殺すことが出来なかった。

 再び一人きりになった羿はそれでも生きようとした。両親から貰った命を殺すことは悲しみの中でも羿には出来なかったのだ。

 そして数十年の時が経ち、朽木のように老いた羿の隣には一人の青年がいた。

 

「お師匠、見て下さい。星が綺麗です」

 

 岩に腰掛ける羿の隣でただの星に感動する男の名前は逢蒙(ほうもう)と言った。幼い頃羿が狩りをする姿に見惚れ、彼の弟子になった男だ。

 羿は子供が苦手であったが、彼があまりにも情熱的で執念深かった為、根負けして弟子にし今日まで一緒にいてしまった。

 

「そうか」

 

 羿は答えたが、星など見ていなかった。

 嫦娥が自分の元を去って以来、羿は空が苦手だった。特に彼女を象徴する月がある夜空は見ることさえ出来ないほどに。

 

「お師匠。お師匠は昔、弓で星を落としたとおっしゃいました。俺にも星を落とすことが出来るでしょうか?」

「まだ遠いな、手前には」

 

 羿から見て逢蒙の才は自分にも迫るものがあったが、星を射抜くにはもう少し鍛錬を重ねる必要があるだろう。

 それが五年先か十年先かは羿にも分からない。

 唯一分かるのは羿には、その瞬間を見届けることが出来ないということだけだった。

 寿命がもう間近まで迫っていた。それが明日なのか、一週間先なのかは分からないが、それでも近いことだけは確かだった。

 

「嫦娥……」

 

 そんなセンチメンタリズムに救いを求めるように羿は無意識のうちに月を見てしまった。

 そして、老いてなお衰えなかった羿の目は嫦娥を捉えてしまったのだ。

 醜い蟇蛙に変じてしまった嫦娥の姿を。

 

「嘘だァァァァァ!!」

 

 月は古くより狂気の象徴とされている。人狼が人から狼に変ずる際は月の光が関わるし、狂気のことを月的などと表現する国もある。

 羿はこの時月に正気を奪われ発狂した。

 いや、元より嫦娥に出会ったその瞬間に既に狂ってしまったのかもしれない。

 彼女が誇っていた美貌が失われてしまったことが羿にとっては怒らざるをえないことだった。

 一体嫦娥が何をしたというのだ?

 ただ、羿と共にいただけだ。

 何もしていない筈だ。

 霊薬を独り占めしたことなら俺は許した。彼女には俺の総てを奪う権利があったのだから。

 なのにこれは何だ? 因果応報とでも言うつもりなのか? そうだと言うならこんな因果は認めない。こんな世界は認めない。

 生きてきた中で感じたことのなかった胸を焦がす劫火。

 今まで抱いたことのなかった怒りという感情を羿はこの時初めて抱いた。

 

「死んでしまえッ!! こんな世界欠片も残さず!!」

 

 そう叫んだ瞬間、羿の視界が眩んだ。

 最後に霞む視界の中に映ったのは、血に濡れた剣を握り、涙を流した逢蒙の姿であった。

 こうして中原を翔け抜けた鴻鵠は座へと召し上げられた。

 嫦娥の受けた罰に対し理不尽に怒り、世界の総てを恨んだまま。

 滅亡の願いを持った最低最悪最強の弓兵が生まれてしまった。

 



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第九節 “邪竜殺し”対“射の太極” Ⅱ

「オエェェェェッ!」

「フォロロロロォ!」

 

 フェリドゥーンの乗り心地は最悪であった。

 リニアモーターカーにも迫る速度で走る上に、生物である特性上どうしても体が上下にブレる。

 所謂ブレ球として知られる野球のナックルボールは球速が大きくなればなるほどそのブレが大きくなるものだがそれと同じだ。

 藤丸立香と彼について来たフォウは疾走する英雄の為に頭蓋部を大きくシェイク。結果として嘔吐した。

 今まで多くの特異点を踏破して来た藤丸立香であったが“英雄酔い”の経験など初めてのことであった。

 

「ごめん、フェリドゥーン」

 

 背中に吐瀉物がかかれば不快感を示すのが当然というものだが、フェリドゥーンは気に留める素振りすら見せなかった。

 

「立香君、このまま走り続けてれば、あと二〇秒で羿が宝具を使ってくる」

 

 何故なら彼の啓示スキルがそれ以上の火急を告げていたから。

 

「ちょっと怖いかもしれないけど、気張ってくれ!」

 

 宝具の迎撃の為に、フェリドゥーンも宝具をその手に呼び寄せた。

 牛の頭を模した大振りの槌矛(メイス)――鐵化神牛(グルザ・イ・ガウザール)を。

 

「やっと来たか! 竜殺し!」

 

 迫る大王が得物を構えたのを見て取ると、待ち構えていた羿は紅の大弓に、白い矢を番えると渾身の力で弦を引き絞る。

 

「手前ェは確かに強かった! この羿が真なる射を以って滅ぼさなければならない程に!」

 

 入力する。

 矢に殺意を。竜殺しの死という目的を。

 そして、大英雄后羿の五体を巡る魔力を。

 

「だから死ねェ! 旭日天墜“太極(タイチー)”!」

 

 真名解放と同時に羿は弦を解き放った。

 フェリドゥーンが視界の中に羿を捉えたのは彼が宝具を発動したのとほぼ同時であった。

 そして、その前提に於いて極めて不可解なことが起こった。弦を弾くや否や番えていた時には見えていた筈の矢がにわかに消えたのである。いや、消えたのではない。残像すら、その矢の奇跡すら残さない程速い為に、また不滅の矢が羿の射に因る光化を許さなかった為に消失したかのように見えただけだ。

 矢は確かに存在し、フェリドゥーンを襲わんとしている。

 そうである以上はフェリドゥーンにも対処が出来た。

 視認不能な速度で風の間を通り抜ければ、矢が耳を劈くような金切り声を上げる。竜人態であれば聴覚も強化されている為、これである程度の位置と距離感は分かる。

 魔力も既に充填されている。

 であるならば迎撃し、逆に后羿を倒すことも可能である。

  

「“鐵の牛よ、(グルザ・イ)”」

 

 フェリドゥーンは急停止し、槌矛を振りかぶる。

 充填された魔力が穂先から溢れ出し、曙を思わせる茜色の光を放つ。

 今、この瞬間再現されるのはこの世総ての悪の化身たる終末の邪竜(アジ・ダハーカ)に齎された運命。

 

「“新世界を起こせ(ガウザール)”!!」

 

 振りかざした槌矛と共に放たれた光は牛の姿を象っていた。

終末の邪竜(アジ・ダハーカ)が三つの首を有するようにその牛もまた三つの首を有する。

 それもその筈だ。この宝具の原理とは例えるならば、“波”である。音や光といった物理現象に於ける“波”は同振幅、同周波数の二つがあったとしてそれらがぴったり半波長分ずれると消滅するという性質を持つ。フェリドゥーンの振るう鋼鉄の神牛もそれと全く同じことである。半波長分、詰り一八〇度違うだけの終末の邪竜(アジ・ダハーカ)

 それこそがこの宝具の正体。

 拝火教に於ける善悪二元論の悪側にとっては天敵たる“対悪宝具”。牛の形をした巨大な熱量の塊であるそれは純白の矢を飲み込み、そのまま后羿に襲い掛かる。

 

「グァァァァアアアアッ!!」

 

 神牛は羿を矢と同じように飲み込んだ。

 だが羿の宝具もまたさるものであった。

放たれた純白の矢は“鐵の牛よ、新世界を起こせ”を貫通しフェリドゥーンへと迫る。

 

「そいッ!」

 

 迫る矢をフェリドゥーンは槌矛で払いのける。

 

「やったの?」

 

 立香はフェリドゥーンの背から降りながら、羿の生死について訊ねた。

 

「いや」

 

 フェリドゥーンは首を横に振った。

 

「なんらかのスキルの補正を受けたんだろう。戦闘から離脱してギリギリ直撃しなかったみたいだ。あの弓兵は生きている」

 

 そのスキルの名を“狩人の極意”と言う。

 獲物に対して絶対安全圏を保持する為の戦闘離脱能力、狩人にとって必要不可欠である弓と矢を作成する能力、更には(ターゲット)に対して気取られない為の気配遮断。

 それら全てを内包した、羿が生れついての狩人(ナチュラルボーンハンター)たるを示す特殊スキルである。

 それによって羿は竜殺しの再現たる曙光に焼かれずに済んだ。

 済んだのであるが――

 

「ド畜生が……! こんなに痛ェのは久しぶりだ……!」

 

 無謬の草原を離れ、アマゾネスの支配域である草原を歩く羿は全身血塗れであった。身に纏う鎧は完全に砕け、額から胴にかけてを切り裂かれていた。

 見た目よりは浅い傷であるが、それでも羿にとっては動揺するだけの理由となった。

 羿の生のなかで肉体の傷というのは忘却の彼方にあったものであったから。

 だが、死ななかっただけでも僥倖である。

 ――悪なる存在に対する粛清が滅びを望むこの身に届かなったことは不可思議だが。

 疑問を抱きながらも、羿は笑った。

 

「次はちゃんと勝つからよォ。だからちょっと休んで良いだろう? なぁ? 嫦ォ~娥ァ~」

 

 ふらふらと力弱くよろめきながら、

 

「あの竜殺しに次があるかは分からねェけどなァ? キハッ! キハハハハハッ!」

 

 高笑いを上げる。

 だが、一体どうして満身創痍の羿が笑ってられるのか。

その理由がフェリドゥーンに降り注いだのは、まさに狩人が哄笑した瞬間だった。

 

「危ない立香君!」

 

 咄嗟にフェリドゥーンは近くにいた立香をはねのける。

 その行動に困惑した立香の目に、

 

「え?」

 

 宙を舞う鱗に覆われた腕が映った。

 それは竜人フェリドゥーンの右腕であった。

 そして次の瞬間、フェリドゥーンは見えない何かから逃れるように突然辺りを眼蔵滅法に飛び回った。

 

「一体どうしたの!?」

 

 フェリドゥーンの行動は立香の目には極めて不自然に映った。

 それもその筈だ。ただの人である立香の感覚は英霊であるフェリドゥーンとは共有しえないものなのだから。

 

「宝具だ。羿の矢が俺を追いかけて来てる」

「羿の矢!? それならさっき弾いたんじゃ……」

 

 立香にとってはそれが真実である。

 だが、今も右腕から血を撒き散らしながら辺りを飛び回るフェリドゥーンにとってそれは虚実でしかなかった。

 

「ああ! その筈だった! 確実に防いだ! だが、いなした筈の矢が戻ってきた! これはそういう宝具だ!」

 

 啓示がフェリドゥーンに中華に伝わる后羿射日の真相を伝える。

 そも羿が射日の再現に“太極”と名付けているのは伊達や酔狂などではない。

 彼は本当に射に於ける“太極”に至っているのだ。“太極”というのは中華の思想に於ける万物の根本――魔術という学問に於いては“根源”と定義されているものである。そして、それらは万象の発起であると同時に結果でもあるとされている。

 では、射に於いての始まりであり終わりであるものとは何のか?

 言うまでもなく、『中てたいものに中てたいように中てる』ことである。

 そして、その到達点にある羿が、その力に耐え切るだけの弓と矢を用いて射を行うということは即ち何があろうとも放った矢が羿の望んだ結果を導き出すということに他ならない。

 たとえどれほど遠い場所に逃げようとも鴻鵠の目が届く範囲であれば、どのような防具、回避手段、生命力を持とうとも羿が殺すと望んで放った矢はその対象の息の根が止まるまで止まることは有り得ないのである。

 

「美事、中原の偉大なる弓引きよ。だが、それではこの勇夫王は殺せない!」

 

 だが、幸いにしてフェリドゥーンにはこの矢を防ぐ手段があった。

 “悲しき者よ、新世界まで眠れ(ドーズ・イン・ダマーヴァンド)”――フェリドゥーンが持つ三つの宝具の内の一つ。

 その正体は固有結界に似て非なる大魔術。(みなごろし)の蛇王ザッハークを殺さずにダマーヴァンド山に封印した逸話の再現。フェリドゥーンの心象風景たる何も存在しない闇の中に対象物を閉じ込める“封印宝具”である。

 フェリドゥーンはそれを使おうと地面を滑走しながら急停止し、迫り来る矢に向き直る。そして、禿鷲の断末摩のような甲高い風切り音を上げるそれに向かい勇夫王は左手を翳す。

 

“悲しき者よ、新世界まで(ドーズ・イン・ダマーヴァンド)”」

 

 彼の王の心象への扉を何処に築くかは王自身が決める。この時王が定礎した場所は己の左手の平であった。矢が直撃するのとほぼ同時に穿たれた風穴は羿の宝具を丸吞みにした。

 

「……フゥー」

 

 目の前から驚異が去った安心感からかフェリドゥーンは全身の力が抜けたかのような深い息を吐いた。

 こうしてしまえば、純白(パイ)がフェリドゥーンを追いかけてくることはない。

 羿の鴻鵠の眼がフェリドゥーンの心象風景までもを捉えられない以上、そこに彼の殺意が及ぶことは有り得ないからだ。

 一先ず驚異が過ぎ去ったのを見て、フェリドゥーンは変身を解除し人の姿に戻る。そして、ぴんと立てた左手の親指と満面の笑顔を立香に見せた。

 それを見ると立香は顔を綻ばせ、フェリドゥーンに駆け寄った。

 

「良かった……生きてて」

「心配させちゃってたか。その点は安心して! これでも気合いだけで五〇〇年生きた男だから! しぶとさには自信があるんだ!」

 

 からからと笑いながら、フェリドゥーンは切り落とされた右腕を拾い上げる。

 

「……腕、治るの?」

「治癒魔術も使えるからな。多分、治ると思うんだけど……」

 

 そう言ってフェリドゥーンは上腕の切断面に切り落とされた部位をあてがうと、

 

「フンヌゥゥゥ!」

 

 と奇妙な唸り声を上げた。

 しかし、何も起こらなかった。

 

「あちゃあ……マズイな……」

「治せない?」

「矢に込められた殺意が不治の呪いみたいになってるらしい」

 

 そういうことならばと立香は右手をフェリドゥーンに翳す。

 

「令呪を以って命ずる。右手を治せ」

 

 カルデアのマスターの令呪は通常の聖杯戦争に於ける令呪とは違い絶対命令権ではなく至極単純な魔力リソースに過ぎない。

 だが、令呪である以上はその仕組みは変わらない。

 そして令呪は『命令が短期的であり』『具体的であり』『手向ける者にとって都合の良い命令であればあるほど』その力が強く働くものである。

 

「やった! くっついた!」

 

 であれば、フェリドゥーンの治癒魔術が太極射の呪詛を跳ね除けるのも必定であった。

 彼は元通りになった腕を立香に見せながら、子供のようにはしゃいだ。

 

「……本当に大丈夫なの?」

「うん! この通り!」

 

 クルクルと腕を振り回しながら、フェリドゥーンは治癒をアピールする。

 訝し気に目を細めた立香であったが、

 

「そっか。なら良かった」

 

 とすぐに柔らかな笑みを浮かべた。

 

「フォウ」

 

 その様子を見守っていたフォウがフェリドゥーンの足元にすり寄った。

 フェリドゥーンはフォウを見下ろすと、左手の人差し指を己の唇に当てた。

 そして、自身の全く動かなくなってしまった右手を見ながら藤丸立香の能力を評価する。

 ――流石に英霊を多く見てきただけのことはあるな。このくらいの嘘はお見通しか。

 と。

 実際のところ、フェリドゥーンの右腕は治ってなどいなかった。ただ、くっついたというだけであった。放っておけばいずれは動くようになるだろうが、暫くの間はまともに動くことはないだろう。

 問題としては対悪宝具を発動するには、両腕で思い切り“鐵化神牛(グルザ・イ・ガウザール)”を振り抜かねばならないということである。暫く、フェリドゥーンは最大火力を持つ札を切ることが出来ない。

 フェリドゥーンはフゥーと大きく息を吐いた。

 前途は、極めて多難であった。

 




『太極(タイチー)』
ランク:A++ 種別:対人宝具 レンジ:測定不能 最大補足:1
 太極とはあらゆる現象事象の根本を指す。また逆説的に事象の結末でもある。魔術世界では根源と定義されるものこと。
 アーチャー・后羿が誇る最大宝具こそ、射の太極――始点にして終点。一射入魂、ただ矢を番え、弓を引く。たったそれだけ。併し、ただそれだけが九つの太陽を穿った逸話の再現となる。
 威力はA++ランクの宝具としてみれば平凡――寧ろ弱いくらいであるが筆舌すべきはその性質。流れる星の速さと威力で放たれた矢は、后羿が中てたいと思った対象に中るまで、殺したいと思った対象を殺すまで決して止まることはなくその速さと威力が衰えることもない。
 この絶技は『真紅』に『純白』を番えなければ成り立たない。故に、なんらかの方法で放った矢を回収しない限りは一度の聖杯戦争で十回しか使用できない。
 これを防ぐには后羿の目には映らない場所に――世界の裏側や並行世界に逃げるか、時空断層か魔法域の転移を以て矢そのものをアーチャーの目には映らないこの世界とは別の場所に飛ばすしかない。

 

 何を言っているか分からない?
 絶対殺すマンの劣化版みたいなものだと思えば良いよ。


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第十節 Disclosed 真実! Ⅰ

 お久しぶりです。
 
 生きていました。



 フェリドゥーンは気分を変えようと空を見上げた。

 すると、

 

「おーい」

 

 視界の奥からやって来る赤い胡麻粒のようなものから、こちらに掛ける声があった。

 次第に近づいてくると、その声の主が関羽雲長であることが分かった。赤兎馬を駆りここまで飛んできたのである。

 

「よっと……首尾の方はどうだい?」

 

 軽妙な調子でとんぼ返りを決めながら愛馬から飛び降りると、関羽はフェリドゥーンと立香に状況を訊ねた。

 

「こっちに来たってことは何となく分かってるんだろ?」

「Exactly《イグザクチュリー》。とはいえ、実際やられるとAstonished(アストゥニシュド)。一人の中華の人としてね」

 

 フェリドゥーンの勝利は関羽にとっては青天の霹靂であった。

 中華の英雄の一人である彼にとって后羿とは競う意味すらない程強大な射手であり、打ち破るなど奇跡に値する存在であったから。

 

「倒しきれなかったけどね。あの弓兵は本当に強い。俺の戦って来た中で一番強い敵と並ぶくらいだ」

 

 そう説明するフェリドゥーンの顔が曇っているのを関羽は見て取った。

 

「ほう」

 

 関羽は眼鏡のブリッジを持ち上げながら、表情に指した影の原因を探る。

 ――強い羿を生かしたままにしてしまった……ってわけじゃなさそうだ。これは“痛み”か?

 関羽はフェリドゥーンの体を具に観察し、彼の右手の指が不自然に固まったまま動かないことに気が付いた。

 

By(ヴァイ) the(ズァ) way(エイ)勇夫王。ここからの行動なんだが、羿に対してツメに入った方が良いと思うんだ。単独任務に当たらせた伊達男クンが気にかかるところだけど……」

 

 フェリドゥーンの右手が動かないのは羿の宝具かスキルによって何らかの呪詛を受けた影響である。

 そう踏んだ関羽は、解呪の可能性を考えてフェリドゥーンにそう提案した。

しかしフェリドゥーンは、

 

「いや、燕青を助けに行った方が良い」

 

 その提案を棄却した。

 

「羿の戦術も宝具も既に見切った。万全の状態でも多分いける気がする」

 

 ここまでフェリドゥーンが強気でいられるのは彼の保有する啓示スキルの性質によるところが大きい。

 彼の持つ啓示スキルは、自らの意思で予め前兆を知っておきたい概念を設定することが出来るのである。

 現状フェリドゥーンの脅威となるものは羿の不意打ちと彼の切り札たる旭日天墜の太極射であり、この二つを事前に察知出来さえすれば、封印宝具と持ち前の耐久力と速力で充分に対処可能だ。

 それでも厳しい戦いにはなると思うが、現状に於いて万全の状態の羿は差し迫った問題とは言えない。

 

「それよりも今心配すべきはアトラスの存在だ」

 

 寧ろフェリドゥーンにとっての懸念はそれであった。

 

「羿が弱ったことでアトラスは一時的にその支配から離れることになる」

「もしかして、暴走する?」

 

 立香の問いにフェリドゥーンは首を縦に振った。

 

「大変だ!」

 

 暴走したバーサーカーがどのような行動に出るかは立香にも想像が出来た。

 それは誰にも分からなかった。もしかしたらイースに現れるかもしれないし、不夜城に向かうかもしれない。無論、岩壁を破壊して桃源郷を荒らす可能性もある。

 それに加えて、立香の目にはアトラスはカルデアにいたヘラクレス以上に狂化しているように見えた。

 しかもどの場合にせよカルデアやレジスタンスにとっては好ましくない。

 それがどこに行くにせよ、特異点に巻き込まれた男達がいるからだ。

 

「勇夫王、あの巨人がどこら辺にいるか分からないのかい?」

「正確な場所は分からない。ただ、一番近いのはイースだ」

 

 フェリドゥーンの回答に関羽は苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべた。

 

「……ヤバイな。イースの外には周倉に率いさせた部隊が待機してる。彼らであんなMonster(ムォンスツァー)に太刀打ちできるわけがない」

 

 周倉は百人力とも語られる剛腕と赤兎馬にも匹敵する速力を持つ戦士であるが、空を支える巨人の霊格で強化されたギリシャ最大の英雄に及ぶ是非はない。

 況や、戦士ですらないただの人をや。

 アトラスと相対すればレジスタンスの部隊は一分も持たずに全滅するだろう。

 

「関羽君、馬を出してくれ。君の愛馬と俺の速さなら間に合う筈だ」

 

 フェリドゥーンは関羽の肩に触れ、宝具の召喚を促すと“愛し子らよ、新世界へ飛翔せよ(サルム・トゥール・イラージ)”を起動しようとした。

 だが、

 

「Fished?」

 

 突然、関羽はフェリドゥーンの腕をはねのけた。

 慮外のことにフェリドゥーンの思考が一瞬止まる。

 

「“美塵葬・大紅蓮《チンロン・ユーメイレン》”」

 

 その僅かな隙間にフェリドゥーンは絶対零度の偃月刀を振るう。

 このまま呆然としたままだったならばフェリドゥーンはここで死んでいただろう。

 しかし、受け入れられないまでも状況を理解。足のみを竜化させ、後方に飛び氷の牙を躱す。

 そして、フェリドゥーンは腰を落とし力強く拳を突き出した構えを取ると、

 

「“愛し子らよ、新世界へ飛翔せよ(サルム・トゥール・イラージ)”」

 

 再び竜人態に変身した。

 

「え!? 何? どういうことなの?」

 

 立香は目の前で起きていることを飲み込めず、動揺していた。

 

「どうもこうもない。見ての通りだ。関羽雲長は俺たちを裏切った」

「裏切ったって、なんで?」

 

 少しだけ顔を下げたフェリドゥーンの表情は立香には分からなかった。

 フェリドゥーンの竜人態に表情は存在しないのだ。

 

「……俺たちが后羿と戦っている間に不夜城の女帝に何かされたんだろう」

 

 どこか希望が籠ったような想像に、

 

「FuHAHAHAHAHAHA!」

 

 関羽は盛大に失笑した。

 

「座からキミの頭に流れ込んだ関羽雲長(ボク)ってのはそんなに弱かった?」

 

 関羽は自分の頭を人差し指で突きながら、フェリドゥーンの言葉を否定する。

 

「こうしてキミ達に刃を向けているのはボクの意思だ。それにまず前提が違う。ボクは全存在が終わるまで劉備玄徳以外の誰かに与する気はないんだ」

「どうして今劉備玄徳の名前が出てくる?」

 

 マシュが言及した通り、劉備玄徳というのは三国時代の中国に於ける蜀を統治した王であり、関羽にとっては自身の主君でもあった人物だ。

 現時点に於いて、この特異点自体には無関係な人物である筈だった。

 

「決まっているだろう。今こうして君に切りかかったのは劉備玄徳の命令だからだ」

 

 しかし、ここでその前提は覆る。

 そして、立香の頭に最悪の想像が過る。

 

「まさか、さっき関羽が連れて来たあの子が……」

「そう、ボクの義兄(あに)。漢中王劉備だ」

 

 関羽から帰ってきた答えは肯定であった。

 

「奴隷を助けてレジスタンスを結成したのも?」

「義兄さんの命令さ。三つ巴の小競り合いに横合いから現れてはアマゾネスや女海賊達の奴隷を開放し、期が熟したところで総取りして一気に覇権を握る。そういう算段だった」

「カルデアに協力したのは?」

「……羿の撃破っていうのも与えられた任でね。アイツがいる限り義兄さんに明日は無い。その上で人理焼却を防いだカルデアと大陸のほぼ全てを支配した勇夫王の存在は大きかった。だから利用したのさ」

 

 関羽は立香に青龍艶月の切っ先を向ける。

 

「――聞かれる前に言っておくぜ。キミたちと今こうして敵対しているのは羿を瀕死に追い込んだ以上はもう用済みになったから。そして、ペラペラと明かしちゃいけないような真実を喋っているのは、知る意味がここで途絶えるからさ!」

 

 そう宣言すると関羽は詠い始めた。

 

「8935901,347,321109,299462――

 334022, 225986973, 238070, 139555346433, 12284――

 4739456, 154634094, 185862, 14881, 156――

 343980, 347, 146848625814――」

 

 その詠唱は――否、演算は関羽最大の奥の手を起動する為のものであった。

 関羽雲長の神としての名は関聖帝君。司るものは財。

 ならば詠唱も数式であるのも当然である。

 

「地面が光って……」

 

 立香は足元から湧き上がる青白い光に目を覆った。

 

「これは……」

 

 フェリドゥーンはそれが関羽を中心にして周囲二百メートル程に起こっていること、鬼火のような光の粒体が可視化された魔力であることを理解する。

 

「定礎――玉皇伽藍(グァンディー・ミィアオ)

 

 そして紡がれた宝具の真名と共に関羽の傍に二人の英雄が現れた。

 立香にとっては既知の顔である。

 

「周倉! 関平!」

「一応忠告しとくけど、呼びかけても無駄だぜ。彼らの思考はボクと完全に同化している。ま、分かれてたってキミよりはボクに従う可能性の方が高いんだけどね」

 

 それは本来星の抑止力として召喚される英霊と似ているかもしれなかった。

 目的遂行の為だけに用意された人の形をした力の塊。

 関羽の隣にいる表情を無くした二人の英雄はまさにそれであった。

 

「まぁ、無駄話はこれくらいにしよう。今はゆっくりとボクの(たまや)を観光していってくれたまえ」

 

 一方的に話を切り上げると関羽は立香が言葉を返すよりも早く立香の前に現れ、

 

「ただしその時間があったらね!」

 

 その頭に大紅蓮地獄を内包した翡翠の輝きを振り下ろした。

 



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第十節 Disclosed 真実! Ⅱ

 お久しぶりです。
 月日が経つのは誠に早いですね。



「やめろォ! 関羽ッ!」

 

 咄嗟にフェリドゥーンは火炎を吹いた。

 炎の噴射速度は立香の脳天に落とされる偃月刀の速さを大きく上回る。

 関羽はそれを見抜き攻撃を中断。宙を翻り、竜の吐息を躱す。

 

「“美塵葬・大紅蓮(チンロン・ユーメイレン)”」

 

 返す刀で関羽は青龍艶月を投げつけた。

 藤丸立香に。

 関羽は槍兵であっても投槍の逸話は存在しない。そもそも青龍偃月刀の重量を考えれば本来投擲に使用することなど不可能なのは明々白々だ。それを関羽はいとも容易く投げつける。

 発射速度はごく一般的なライフルとほぼ変わらない。大刀の質量と相まってそれだけでも並程度のサーヴァントならば決別の一撃となるだろう。ただの人間については言うまでもない。

 とはいえ、悪竜の肉体を近接戦闘に特化させた形態である“竜人”の速力にかかれば関羽の投槍など雀のようなものだ。フェリドゥーンは問題なく、立香に大刀が直撃するよりも速く回り込むことが出来る。

 併し、ここまでは関羽の予想の範囲内である。

 ――どうする竜殺し? 流石の竜の吐息だろうと神造兵器を焼き尽くすなんて真似は出来ない筈だ。防ぐには鐵化神牛(グルザ・イ・ガウザール)を振るうしかない。

 絶対零度の刃を放った真意は藤丸立香を殺すことでも、フェリドゥーンを殺すことでもない。

 本命は勇夫王の最大宝具“鐵の牛よ、新世界を起こせ”を封じることである。

 美塵葬・大紅蓮はその刃に一寸でも触れた者を殺すが、何もそれはサーヴァントや人に限らない。真名解放された青龍艶月は宝具をも凍結し、破壊することが出来るのだ。

 宝具の格が上がれば上がるほど、破壊は困難になるがいかにも強力な宝具であろうと凍結することに変わりはない。

 たとえそれが鐵化神牛のような高ランクの宝具であってもだ。

 そして凍結した宝具は人体で譬えれば仮死状態に陥り、真名解放が出来なくなる。

 

「せいりゃあ!」

 

 武装に触れさえすれば。フェリドゥーンは無論、青龍偃月刀を防いだがそれに用いた武器は牛頭の戦槌ではなかった。

 右腕の甲から骨で形成された刃が突き出していた。フェリドゥーンはそれを振るい美塵葬・大紅蓮を防いだのだ。

 

「なっ……!?」

 

 それは関羽にとっては予想だにもしない行動であった。掠りでもすればあらゆる命が死に絶える氷の刃をよりにもよって体で受け止めた形になったのだから。

 当然フェリドゥーンの肉体は凍結が始まる。最上の神秘を内包する竜の肉体であっても例外なく。

 しかし、フェリドゥーンは刃から肉体に凍気が侵食するよりも速く、手の甲にある刃を抉り取る。

 夥しい流血。それに比例し激痛も凄まじいものがあったはずだが、その痛みに怯みすらせずフェリドゥーンは関羽に飛びかかる。

 左の腕の前腕に魚の鰭を思わせる刃を作り出し、その刃道を関羽の喉元に目掛けて。

 

「攻略法なら知ってる。アマゾネスの女王が教えてくれた!」

「このッ……!」

 

 だが、竜の刃は関羽の首を史実と同じようにすることはなかった。

 聴色のごつごつとした刀身の双頭の剣だった。鉱石が剣のような形を胡乱に象っているように見えるその剣は、けれど竜の肉体から生み出された刃をまるで寄せ付けぬ硬度を有し、フェリドゥーンの斬撃に傷一つ付かない。

 フェリドゥーンの膂力を以って破壊されないその強度がただの武具である筈はない。これは、ランサーの宝具である。しかし、フェリドゥーンはそれ故に驚愕していた。

 ――槍兵(ランサー)が剣の宝具だと!?

 刀剣の宝具を持つサーヴァントが必ずしも剣士(セイバー)のクラスだとは限らない。宝具の強さに因った特色を持つ弓兵(アーチャー)騎兵(ライダー)のサーヴァントであればクラスに適合しない剣や槍の宝具を所有している場合もあるだろう。

 しかし、槍兵(ランサー)のサーヴァントは白兵戦闘が強く宝具に因った性質ではない。無論、雷名ある英霊であれば華やかで強力な宝具を有する場合もあるが、それでも大抵他のクラスで所有出来る武装系宝具に制限が生れてしまう。

 故に関羽が剣の宝具を持っているのは不自然であった。

 ――と、そんな疑問をフェリドゥーンが抱いた隙を関羽は見逃さない。

 

「周倉! 関平!」

 

 呼びかけに応じ、二騎の英霊が立香を挟み撃ちに襲う。

 ――殺らせない!

 フェリドゥーンは立香に向かい自身の口から何かを吐き出した。立香の周囲にばらまかれたのは無数の歯であった。そして、その歯はまるで種から芽が出るように裂け割れると、そこから骨で出来た戦士が生れ、あっという間に立香と変わらぬ丈にまで膨れ上がりさらには枝分かれし、分裂を始め無数の軍勢へと拡大した。

 立香はこれを知っていた。今までの冒険でも幾度となく見てきた。

 

「竜牙兵!?」

 

 ギリシャ神話において竜の牙から生まれたとされる戦士が存在する。それこそがスパルトイ――竜牙兵である。とはいえ、生れたての竜牙兵などサーヴァントにとっては象に嚙みつく蟻も同然の惰弱な存在である。一体、二体ではまるで意味を成さないだろう。

 それが一体、二体であれば。だが、現れた竜牙兵はその数は二千体。

 骨で出来た雑兵達はスクラムを組み、周倉と関平の突進を受け止める。

 

「ッ……!」

 

 周倉と関平は竜牙兵に纏わり付かれてもなお、前に進もうとするが何しろ数が数だ。二人の戦士はすぐに制止を余儀なくされ、そこに竜牙兵が山のように積み重なり完全に沈黙。

 

「何!?」

「隙アリだ!」

 

 そして、その間にもフェリドゥーンは関羽に火の吐息を浴びせつつ、地上に蹴り落とした。

 

「……やった?」

 

 地上に降りたフェリドゥーンに立香が訊ねる。

 

「まだだ」

 

 フェリドゥーンは首を横に振った。

 

「たっくもう。嫌になる無法っぷりだよね、勇夫王ってのはさ」

 

 彼の目線の先には、火達磨になりながらも余裕の笑みを浮かべる関羽がいた。

 

「悪いけど、俺パルスの王様だからね。イモータルくらいは率いるさ」

「Immortal? これが? HAHAHAッ! 確かにこりゃあ不死身の軍勢だ」

 

 関羽は苦笑を漏らした。

 イモータルまたは不死隊(アタナトイ)。カルデアに現界するダレイオス三世や旧約聖書に於いて救世主として伝えられるキュロス二世が君臨したアケメネス朝ペルシャに実在した精鋭部隊である。一万から成るこの部隊は一人が死傷し戦えなくなろうとすぐに代わりの兵士が補充され戦闘を続行出来たと言われている。対峙する敵から見ればそれは“不死の軍勢”であり、ならばフェリドゥーンが召喚した竜牙兵も“不死隊”と定義されるだろう。

 何故ならば――

 

「身一つ、ほぼNo riskで兵士をいくらだって増やせるんだ。悪い冗談の大行進だろ」

 

 フェリドゥーンの竜牙兵は尽きることがないからだ。

 ただ呼吸だけで魔力を精製する永久機関に等しい存在である竜種であるが、同時に竜が強大である理由は人を含めた凡百の生物が有する細胞分裂の限界――言い換えれば命の限界と言われるものが存在しないからだ。

 神話や伝承に描かれる竜は多くの場合、寿命で死ぬことはなく、大抵“英雄”という外的要因でその活動限界を終える。

 そして、細胞分裂が無限に行われる為、竜の牙というものは抜け落ちてもまたすぐに生えてくるのである。故に勇夫王の兵は彼が生きる限り尽きることがない不死隊と化すのである。

 

「良いよなぁ、それ。大陸を支配するとか楽だったんだろうなぁ。ボクの王様にも、蜀にもそういうのがいてくれればなぁ」

 

 子供のような羨望を向ける関羽はなおも火達磨であったが、余裕の態度を崩さなかった。

 

「まぁ、でも勝つのはボクだけどね」

 

 何故なら、炎を消すことはいつでも出来たから。

 関羽がフィンガースナップを打つと、頭上から滝のような大量の水が降り注いだ。

 そして、水で肉体を焼く炎をそうやって払うと、もう一度フィンガースナップ。

 すると、今度は竜牙兵の山に埋もれていた筈の周倉、関平の二騎が関羽の傍に現れた。

 

「なるほど宝具が発動している間、周倉と関平は君の隣か。まさしく関帝廟だ」

「関帝廟って横浜にある関羽を祀った神社みたいなヤツだよね?」

「ヨコハマっていうところが何処かは分からないが、君が言ってるモノは関帝廟で間違いない」

 

 ここでカルデアからの通信が入り、マシュが関帝廟についての説明を繋ぐ。

 

『関羽さんは義に厚い中国では古くから人気のある武将でやがて神として拝されるようになりました。その神としての関羽雲長――関帝を安置する場所が横浜を始め世界の各地に存在する関帝廟です』

「そして、恐らく関羽の本当の切り札の正体でもある」

『関羽雲長が関帝廟を“使う”……ですか?』

 

 訝し気な顔をするマシュを見ると関羽は小馬鹿にしたような微笑を浮かべた。

 

「何もおかしなことはないさね。サーヴァントの宝具ってのは多かれ少なかれそういうもんだし? ボクの場合はまだlogicalだぜ?」

『論理的だというならちょっと証明してみてくれないか?』

 

 ダ・ヴィンチから求められると、関羽は親指で自分の顔を指した。

 

「ボクがいる」

『……何だって?』

「いや、だからボクがいる。関帝廟には関聖帝君が、つまりは関羽雲長たるこのボクが祀られている。そしてボクを祀りさえすればどんな形式だろうと、他に何が祀られていようとそれが関帝廟だ。なら、いまボクがいるここが関帝廟でしょ?」

『どこが論理的だ! 暴論じゃないか!』

「そういった文句はボクじゃなくてボクを崇めた連中に言ってくれ給え」

 

 関羽は呆れ腐ったような表情で溜息を吐いた。

 

「大体にして関帝信仰なんて宗旨は滅茶苦茶なんだ。関帝に祈りを捧げるだけで、何を祈ろうとどんな形で祈ろうとOK。そんなのが何百年にも渡って支持されているんだ。ボクの宝具が簡単な発動条件とそれに見合わない絶大な効力を発揮するのも当然さね」

「絶大な効力?」

 

 立香が抱いた疑問に答えたのは、啓示のスキルを以って関羽の宝具の全容を暴いたフェリドゥーンであった。

 

「関帝廟であると決めた場所にいる間のステータス強化し、知名度によって受ける補正を最大化。同時にあらゆるクラス、あらゆる可能性におけるスキル、宝具の使用を可能にする。そうだろう?」

「おっと勇夫王。彼らのことを忘れちゃあ駄目だぜ」

 

 関羽は両脇に控える臣と義理の息子の肩に手を回すとフェリドゥーンを窘めた。

 

「“そこが関帝廟である以上関羽の隣に周倉と関平が在るのは当たり前”――関帝に祈りを捧げる人達の中ではそういうのが常識になってるお陰でボクが宝具を発動させるとこの二人が勝手に現れるんだが、二人ともボク以上に強くて優秀だからね。一番の強みと言って良いだろう。ボクの宝具もしっかり使いこなせるしね」

 

 そう言いつつ関羽は周倉が後ろ手に持っていたものを見せた。

 

「例えばこういうのとかね」

 

 どこか未来的、空想科学めいた意匠ではあったが立香にはそれが、

 

「ソロバン?」

 

 に、しか見えなかった。

 

「Right!そう、算盤だよ。しかも、ただの算盤じゃない。ボクが開発したオリジナルの魔術deviceさ」

『魔術……デバイス?』

「トンデモパワーも所詮は情報に過ぎないわけだからね。コイツはそれを数式化することが出来る。そして、その数式をコイツに打ち込むことで術理を再現することが出来る」

 

 その言葉を聞きダ・ヴィンチは顔を強張らせる。

 

『まずい! みんな、そこから逃げろ!』

「もう遅いぜ、Lady。とっくに発動してる」

 

 関羽は人差し指で地下空洞の天井を指差した。

 

「神の杖とかって兵器が現代にはあるらしいが、まぁ、それみたいなモンさね」

 

 顔を上げた立香は驚愕に目を見開く。

 アガルタの空の一部が筒状になって自分達の上に落ちてきていたのだ。

 それも途轍もない速さで。

 

「お前が喋っている間、周倉が算盤にコマンドを打ち込んでいたのか!?」

「今さら気が付いても遅いよ。キミたちの上に落ちてくるの、ここから地上まで全部だから。勇夫王がいくら頑丈だっていっても流石に死ぬでしょ」

 

 そう言っている間に関羽の生み出した神の杖が立香とフェリドゥーンに直撃した。

 

「ボクの言葉には針で出来た筵が織り込まれていると思った方が良い。言ったろ? 無意味にペラペラと喋っているわけじゃないんだ」

 

 砂塵が巻き上がり白んだ視線の向こう側に向かって関羽は勝ち誇ったように語りかけた。

 







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第十節 Disclosed 真実! Ⅲ

Q.更新遅れたけど何してたの?

A.デュエマのCSとか出てた


「勘違いしてもらっちゃ困るな」

 

 しかし、意外。

 関羽の耳には聞こえてはならない筈のフェリドゥーンの声が聞こえていた。

 いや、聞こえてしまうのも無理はなかった。

 

「おいおい嘘だろ……。噓と言ってくれよ、フクリュー先生」

「伏龍じゃなくてただの竜で言いなら俺が真実を語ろう。勇夫王フェリドゥーンは我慢強さと諦めの悪さだけが取り柄だ。だから、大地が脳天に落ちたくらいじゃ死なない!」

 

 フェリドゥーンは生きていたのだから。

砂埃が晴れた先には、大地をくり貫いた超大な円筒を片腕で受け止めるフェリドゥーンがいた。

 大地は割れ大きく凹んでおり、隣に立つ立香は立っているのがやっとであったがそれでも生きていた。

 

「……と、カッコ付けてみたのは良いんだが、流石に片手一本じゃキツイな」

 

 フェリドゥーンの目配せを受け取ると、立香は表情を引き締める。

 

「分かった! 礼装起動“瞬間強化”!」

 

 そして礼装に内包された術式を発動させる。

 行われるのはフェリドゥーンの筋力ステータスの一時的な強化。

 強化された腕力で大地の砲弾を支えつつフェリドゥーンは、

 

「そぉい!」

 

 膝の()()を使い地上に押し返す。

 そして円筒にくり貫かれたヒマラヤ山脈だったものは元の位置に戻り、フェリドゥーンの魔術を以って元通りに修復される。

 

「だったらこれはどうだ!」

 

 だが関羽は自分の戦術が崩されるのを見るや否や、すぐに冷静さを取り戻し次の手を繰り出す。

 算盤に入力した数式によって構成されるのは召喚術。時空間の壁を引き裂いて現れたのは、石と木材と金属で出来た巨人であった。

 

「……ロボット?」

 

 立香がそれに対して抱く率直な感想であった。

 子供の頃見ていたテレビアニメや特撮ドラマに出てくる、ビルよりも大きな巨大ロボット。目の前に現れた巨人を敢えてカテゴライズするならばそれになると思われた。

 

「違う。これはボクの城だ!」

 

 と関羽は嘯いたが正確には少しだけ違う。

 確かにその城の主であったことはあったがそもそもこの城の持ち主は関羽雲長ではない。

 本来の主の名を呂布奉先。半人半機という同時代の武人にあっては極めて異質な性質を持つ彼の為に超軍師陳宮が拵えた変形し起動する“鎧”。それ単体でも自走式の対軍殲滅兵装として機能するその名を荊州城。

 

「Show time! Full burst!」

 

 関羽の命令(コマンド)によって荊州城の体の至る所に取り付けられたハッチが解放され、そこから鉄球が射出される。

 爆裂を伴った猛烈な熱風と共に。

 

「――愛し子らよ、新世界へ飛翔せよ(サルム・トゥラーン・イラージ)!」

 

 その爆風の中を赤き竜と化した王が翔ける。

 カルデアのマスターを背負って。

 

「大丈夫か、立香君?」

 

 背に跨る立香にフェリドゥーンは立香に声を掛ける。

 

無問題(モーマンタイ)! だけど……」

 

 立香は横風に振り落とされそうになったところを背中に生えた突起に掴りながらなんとか耐えると、

 

「もうちょっと、真っ直ぐ飛べない?」

 

 フェリドゥーンに苦言を呈した。

 先程からフェリドゥーンはフラフラとした不安定な飛行姿勢を取り続けている。

 

「荊州城、主砲用意……Fire!」

 

 関羽が駆る荊州城は熱光線を放ちながら、凄まじい速さで追いかけてくる為、速度を出さなければならないのだが、立香の場合は竜の背から落ちた時点で致命傷となる。

 いや、確実に死ぬ。

 故に飛行姿勢の安定は文字通りの死活問題であるのだが――

 

「ごめん! 今は調子が悪い!」

 

 立香の提案は断られる。

 何故とは、立香は聞かなかった。

 原因をなんとなく察することが出来たからだ。

 恐らくは羿の宝具を受けて動かせなくなった右腕。竜化した際にはその右腕が右翼に対応するのだろう。つまりフェリドゥーンは現状、左翼のみで飛んでいるということだ。

 バランスを欠くのは当然であり、高速での飛行を可能に出来ているだけでも驚くべきことなのである。

 

「それよりも関羽君をまずどうするかだ、立香君。一応あの城ごと彼を焼き払う炎は出せるけど……」

「待って欲しい」

 

 真っ向から関羽を排除しようとするフェリドゥーンを立香は制止した。

 

「立香君?」

「ねぇ、マシュ。関羽が劉備玄徳といった子、君にはどう見えた?」

『え? そうですね……』

 

 マシュが長考に入っている間にも荊州城の砲撃は続く。

 フェリドゥーンは旋回し躱す。だんだんと立香の腕からも力が抜けていく。

 

『先輩!?』

「大丈夫だよ。続けて」

『高貴な身なりをしているように見えました』

「劉備玄徳って、確か子供の頃は貧しい身分だった筈だよね?」

『いえ身分というよりも、暮らしが貧しかったというべきでしょうか。父劉弘の死をきっかけに暮らし向きが悪くなり筵織りをして日々の糧を得ていたと言われて……あ!』

 

 自分で話しながらマシュは気が付いた。

 

『関羽さんが劉備と呼んだあの少女は』

『偽物だろうね』

 

 ダ・ヴィンチもまた正解にたどり着いた。

 サーヴァントは特殊なケースを除き基本的に、英霊本人が全盛期の姿で現界する。本人が現れる以上、歴史書で男とされていた人物が女であることもあるし、“全盛期”は当人の捉え方にもよるためそれは若年期かもしれないし老年期かもしれない。

 故に劉備玄徳が童女の姿で現れることは問題ではないのだが、それが高貴な身なりをしているとなると話は変わってくる。サーヴァントとして現界する際の装束は、当人が生きていた頃とは異なっていることもあるが、それに影響を与えるのはズバリ集合知。万人が持つその人物に対するイメージである。

 広く知られている劉備のイメージとは三国志演義に描かれる聖人君主たる英雄であり、その物語の始まりに於いては貧しい身分であったことが語られている。

 であるならば高貴な身なりの子供の姿での現界というのはまず有り得ないのである。

 

『でも、だとしたら関羽さんはどうしてあの少女を劉備玄徳だと言ったのでしょうか?』

 

 その疑問にダ・ヴィンチはこのような仮説を立てた。

 

『認識操作か記憶操作か。恐らくそのどちらかを何者かに受けたんだろう』

 

 その推測を聞き、フェリドゥーンは立香の狙いを察する。

 

「成程。関羽君を再洗脳しようってわけだな」

『簡単に言うなフェリドゥーン。結界宝具を展開した関羽の対魔力は神代の大魔術だろうと容易にレジストする。いくら君が魔術の達人と言えど、それは不可能だ』

 

 カルデアの管制室のモニターに映し出された関羽雲長のステータスを見ながらダ・ヴィンチはそう断じた。

 

「ああ、だから立香君にも命を賭けてもらう」

「俺の命を?」

「関羽の懐に潜り込んで直接彼の霊基(からだ)に触れる。それだけ近づいた上で立香君の令呪のバックアップを貰えれば出来ないことはない」

『そんな、危険すぎます!』

 

 強く反対したのはマシュであった。

 

「いや、俺はやるよ」

『先輩!?』

「多分だけど、関羽にとっての劉備は、とても大切な人だ。それが分からなくなるなんて、そんなのは駄目だ」

 

 仮に自分の身に同じようなことが起こるとして。

 もしも、明日マシュのことを忘れてしまうとして。

 それを考えることさえも藤丸立香にとっては嫌なことだった。

 屹度それは関羽にとっても同じこと。

 

「だから――フェリドゥーン、頼むよ」

「お安いご用だ」

 

 そう言いつつフェリドゥーンは竜人態に変わり立香を背に乗せ直すと、

 

「それじゃあ行くぞ、カルデアのマスター! 舌噛むんじゃないぞ!」

 

 掌と足の裏から青白い魔力の光を噴出し、関羽を乗せた荊州城に突撃する。

 

「向かって来たな……何をする気だ!?」

 

 フェリドゥーンが自分と接触するまでに掛かる時間を割り出すと、関羽は手元の算盤に(コード)を撃ち込み、荊州城の腕を近距離戦闘用に切り替える。

 それは現代に於いてトンネルボーリングに用いられるシールドマシンに似ていた。おろし金状の細かい歯が付いた円盤の回転によって岩盤を掘削し土中を掘り進むための機械だ。

 無論荊州城の右腕に取り付けられた円筒も回転し目の前にあるものを砕く為にある。接触すれば竜種といえども挽き肉になるだろう。

 

「食らえ!」

 

 カウンターの形で飛び込んで来たフェリドゥーンに右腕を当てに行く関羽。

 だが、荊州城の右腕が龍人を破砕することはなかった。

 出来なかったのだ。荊州城の回転する円筒は、ドロドロに溶かされていたのだから。

 フェリドゥーンは炎を吹いて攻撃を無力化したのだ。腕に飛び乗り、フェリドゥーンは関羽に向かって走る。

 関羽は青龍艶月を召喚し、フェリドゥーンを迎え撃つ。

 

美塵葬・大紅蓮(チンロン・ユーメイレン)

 

 宝具を発動するが、ここで急に関羽は体に違和感を覚える。

 刃の速力が自分で思っている以上に出ない。

 あっさりとフェリドゥーンに躱されてしまう。

 ――しまった!? ボクとしたことが、こんなことを失念するなんて!?

 その理由はすぐに分かった。時間切れだ。結界宝具を展開し続けた結果少しずつ綻び始めたのだ。まずそれがステータスの一部に現れた。大刀の速さが鈍ったのはそれが原因だ。

 しかし――

 

「捕まえたぞ」

 

 気付いた時には遅かった。関羽は腕を掴まれ、フェリドゥーンが体を変形させ生やした棘が突き刺さり身動きを取ることが出来なくなってしまった。

 

「場は整えた! 頼むぞ立香君!」

 

 自分の後ろに立つ立香に声を掛けた。

 

「任せて!」

 

 息も絶え絶えにそう答えた立香の姿を見て関羽は目を見開いた。

 彼は震えていた。いや、震えるのも当然なのだ。何せフェリドゥーンは風すらも置き去りにするほど速く飛んでいたのだから。ただの人間である藤丸立香は最悪死ぬ可能性だってあった。本来人は死ぬのが怖い生き物だ。そうではない種類の人間も関羽は何人も知っているが大抵は死を恐れるものだ。自分も例外でなく。

 おまけに体のあちこちに焦げたような跡まで見られる。先程フェリドゥーンが炎を吐いたためにその熱に当てられたのだろう。

 

「そんなザマでどうして立てるんだよ!? オマエも! アイツも!」

 

 関羽の叫びに立香はこう答えた。

 

「分からない。気が付いたらここにいた」

 

 と。

 そして紡ぐ。

 

「令呪を以って命ずる。関羽に大切なものを思い出させろ」

 

 その言葉と同時にフェリドゥーンに膨大な魔力が充填される。

 

「良かったら、聞かせて欲しい。その、“アイツ”の話を」

 




『荊州城』
・超軍師陳宮が呂布奉先用に作った城兼鎧。本来は呂布と変形合体することでその機能を発揮するが単独でも自走する機動兵器となる。
 関羽が一時曹操の下に身を寄せることになった戦いに於いて関羽が立てこもったのもこの城であり、大いに義軍を手こずらせたという。


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