『紫煙』
日増しに空気の冷たくなり、それに引っ張られるように木々の葉も色づきつつあった。体に当たる風も体を包むような柔らかなものではなくなり、突き刺すかのように感じられるようになっていた。濃紺の軍服は季節を彩る背景にはなるが、寒さをしのぐには少しばかり作りが安物だった。
軍服姿の男からその風に乗せられた一筋の煙が流れていた。男は太く育った木の幹にもたれている。男の口元から流れ出たそれは、空へと昇ることなく流れてゆく。目は白い流れを追うでもなく、移りゆく季節やを楽しむでもなく寒空に身を任せているかのようだった。
「どうしたもんかなぁ」
男は口に出すつもりのなかった気持ちが出してしまった。他にでる言葉もない。頭の中にあるのはそればかりであった。捕まえたと思って、手を開いてみてもそこにはなにもなく、周囲に気配を感じてその方向へと手を伸ばす。そんな端から見たら滑稽なことを頭の中で繰り返していた。
「また、こんなとこでサボりかい?」
女の声が耳に届いた。脳内での盆踊りを止め、声の主のいるであろう方向へと視線を向けた。それと同時に手にしていた煙草を地面に押しつけ火を消した。
「なんだ、隼鷹か」
声の音、口調からしてありえないとは思った。しかし、一瞬だけ背筋を冷たいものが突き抜けた。だが、声の主を目で確かめることができ安心へと変わった。
「『なんだ』とはまた随分な言い方すんじゃん。 でも、加賀さんじゃなくて安心したろ?」
自分の考えをいとも簡単に当ててきた。
隼鷹。飛鷹型航空母艦二番艦にあたる艦娘である。彼女はどこかつかみのどころのない人物で本来の意味とは違うがポーカーフェイスとも言える。彼女のそれは、表情の変化がないのはそうだが無表情ということではない。見かけるときはいつもケラケラと笑っており、他の表情を見ることがないという意味である。
「提督の考えてることなんてバレバレだよ」
隼鷹はいたずらっぽく口角ををあげた。
「そんなに分かりやすいか?」
提督自身としては意識したことはなかった。
「じゃあ、次はさっきまで考えてたこと、当ててみようか? 当たったら何かちょうだいよ」
隼鷹はわざとらしい演技で考える振りをした。「ン~」と、うなるのがさらにわざとらしさに磨きをかける。
「どうせ、分かってんだろ? さっさと、言ってくれ」
焦れているわけではないが、提督は答えるよう促した。
「じゃあ、言っちゃおうか」
隼鷹も提督の言葉を待っていたかのように答えた。
「あんときのこと、ずっと考えてたんでしょ?」
提督は意表を突かれた。
自分の胸の内にのみ存在していたはずのことを見事に指摘されて、言葉が出てこなかった。心の内など他人にわかるはずもなく、そぶりも見せていないつもりでいた。当てられはしたが、素直に認めたくもないので、沈黙することでただ ただ逃げの一手を打つのみであった。
「だから、考えてんでしょ。 どうしたら良いのかをさ」
隼鷹の攻めが終わることはなかった。むしろ、この話題を簡単には終わらせるつもりなどないかのような意志を提督は感じていた。それは、隼鷹の表情から見て取れた。普段とは異なる雰囲気を纏っていた。
「そんなこと考えてないって」
隼鷹の意図はどうであれ、認めることはできない。受け入れることなどできない。上司が弱 音を吐く姿は害はあっても利をもたらすことなどない、そう考えていた。少なくとも士気を下げるであろうことは疑いようもなかった。
「あぁ~、傷つくわ~。 半年経っても信用されてないとか」
隼鷹は、こちらの返事など聞こえていないかのようだった。
「もっとさ、シンプルに考えなよ」
諭すように言葉を続ける。
「辞めらんないんだったら、どう続けていくかでしょ」
提督自身が幾度なくその前にたどり着いた扉を隼鷹は指し示した。言われるまでもなくそこに考えが及ぶこともある。 しかし、そこから先へと進むための鍵を持ちあわせてはおらず、そこから引き返して別の思考の道へと進むことを繰り返していた。
「それが分かれば苦労なんぞない」
思わずして言葉が口を突いて出た。
直接認めたものではないが、ほとんど認めたも同然だった。
「いいじゃん、とりあえず続けてりゃ。 ここの奴らはちゃんと仕事してくれるよ」
「そんな雑なもんが通るかよ」
少し前の決意もむなしく、胸の内を見せてしまっていた。自分の情けなさに呆れてしまうばかりだった。
「通るさ。 少なくともここじゃあね。 そんぐらいの信用は勝ち取れてるよ」
隼鷹はあっさりと言ってのけた。そこにはいささかの迷いもなければ、打算も感じ取れない。
「過程だって見てんだよ。 あたしらは人でなくても人の体をもってここにいんだからさ」
人であって人でないという自覚していてもなかなか口にできないことをさらりと言ってのけた。ここまで屈託なく話されると、少し意地の悪いことを言ってみたいという感情が提督の中にわき起こってきた。
「その過程になんか見れるもんでもあったのか」
少々取りづらいボールを投げてみた。
「ここの奴らでまだ沈んだやつっていないじゃん。 そんだけで十分じゃないのかい」
隼鷹はそのボールを悠々受け取り投げ返してくる。自分から始めた手前、引く気にはならなかった。
「別に優しさでそうなるようにしてきたわけじゃない。 戦力が無尽蔵にあるような相手と戦ってんだ。 沈めないで 初めて五分の勝負になる、そう思ってるだけだ」
またしても意図せずして考えをさらけだしてしまった。自身の意志の弱さかがつくづく嫌になる。
「理由はどうあれ、そいつのおかげで旨い酒が飲めるんだからいいよ。 聖人であることなんて求めちゃいないさ」
隼鷹の言っていることが聖人じみていることに言及するべきか否か提督を迷わせてしまう。隼鷹のつかみ所なさの一端に触れた気がした。
「お前、実は酔ってるんじゃないのか。 聞いてるこっちが恥ずかしくなる」
知りうる限り、普通は口に出すことをためらうようなことを臆面もなくぶつけてくるため参ってしまう。しかも、隼鷹はそうされることで戸惑っている提督を面白がっているように感じられた。
今に限って言えば、そうしたストレートな言葉の方が身によくしみる気がした。
「それと、加賀も気にしてるみたいだしフォローしときなよ」
視線は目の前の海に向けながら隼鷹は加賀の名を口にした。
ここ最近、加賀は秘書艦として日常業務の補佐を請け負っている。実際のところは、補佐というよりもダメだし担当といえなくなくもない状態ではあるが。
「そうだ、当てたんだからなんか賞品ちょうだいよ」
そう言って手を差しだし催促した。
「くれって言ったって、何ももってないぞ」
さぼりをしてる人間がそう都合よくモノを持っているわけもない。せいぜい中身の寒い財布ぐらいのものである。
「じゃあさ、その煙草、一本吸わせてよ」
隼鷹は胸ポケットの中身を指さした。
「煙草吸ってんのか?」
自分のところの艦娘に喫煙者がいたことに驚いた。
「そうじゃないけどさ、提督が吸ってんの見てたら吸ってみたくなったんだよ。 ダメ?」
「別に構わんが、無理して吸うもんでもんないぞ?」
タバコなんてものは特に体に利するとことなどなく、極論すれば毒を味わっていることに他ならない。吸わぬ者に薦める気などさらさらなかった。
とは言え、強く拒否してしまうのもなんとなく無粋な気がしてしまう。
考えても仕方ないので、胸からライターとタバコを一本取り出し隼鷹に渡した。
タバコをくわえ、火をつける。
その姿が妙に絵になることに提督は思った。
煙が口から吐き出される。
「ん~、こいつはあたしには合わないよ。 これが美味いの?」
そう言って火を地面に押しつけ消した。思っていたものとだいぶ違ったのか顔をしかめている。
「俺には美味いもんなんだよ」
提督は吸い殻を受け取り、携帯灰皿へと押し込んだ。
「そういうもんかねぇ。 まあ、いいや。 確かに賞品も戴いたし退散するよ。 提督も早くした方がいいよ。 大雨がきそうだし」
「そういうなら、そうするか。 もう一本吸ったら帰るよ」
空には雨の気配など微塵も感じられないが、空模様には人一倍気をつかうであろう航空母艦がそう言うのだからそうなのだろう。
「じゃ、お先に」
幾分か早足で隼鷹は去っていった。
隼鷹の独特の雰囲気に圧倒されたひとときを思い出しつつ後ろ姿を見送った。
「こんなとこで長々と休憩ができるなんていい身分ね」
突然の苦言に振り返るとそこにはまた艦娘が立っていた。噂をすればなんとやら、である。そこにいたのは加賀だった。
気配らしいものは何一つ感じていなかっただけに余計に驚かされた。
「私の顔に何かついていて?」
つい先ほどの隼鷹の言葉を思い出した。
大雨の件。
そして、加賀も気にかけているという言葉を。
「いえ、何も」
そう提督は答えた。
「なら、早く部屋に戻って頂けますか? 未処理の書類が残ってるわ」
用件を伝えると加賀は来た道を戻り始めた。
周りを気にかけることばかりに目がいき、周りの人間の心情に気づこうとしていないことに改めて気づかされた。
そう長いつきあいでもない者をここまで気にしてくれることに提督は感謝した。
「提督にはこの際お話しなければいけないこともありますから」
加賀は向き直り淡々と告げた。
どうやら雨は長くなりそうだ。
「今回のことも含めて、隼鷹にも言わなければならないことがありますし」
隼鷹よ、今日の雨は逃げられないみたいだぞ。
「よろしいですね?」
自分で蒔いた種である。収穫もしますとも。
色々なことが山積みになっている執務室へと向かっていく。そこにはわずかな煙の匂いと不要になった荷物が残るだけだった。
(了)
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