不見倶楽部 (遠人五円)
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第一章 『こちやさなえ』
諏訪の日常


  万能感に酔いしれていた中学生活は終わりを告げた。理由もなく特別だと思っていた想いは打ち砕かれ、スクランブル交差点に(うご)めく無数の可も不可もない人たちと同じなのだと、嫌という程思い知った。心は欠けた満月が新月となり、いずれまた満月となるようなことはなく、欠けた想いは欠けたまま満ちることなどありはしない。普通の朝、普通の朝食、普通の毎日、突然朝起きたら窓をぶち破って宇宙人が現れるわけでもない。ある日唐突に謎の組織に狙われることもない。だからこそ、万能感に酔いしれていた中学生活は終わりを告げ、特別なことに憧れる高校生活が始まった。

 

「願子、ちょっと願子起きなよ」

 

  自分を呼ぶ声が聞こえる。机の上で腕を枕代わりに、周りから自分を守るように少しクセの入った長い黒髪を巻き込んで頭を(うず)めていた瀬戸際 願子(せとぎわ がんこ)だったが、呼ばれてしまっては仕方がないと気怠そうに頭を上げる。(まば)らに垂れる黒い髪が、離れたくないと机に張り付くが、それを振り払うように顔を上げれば、透き通った金髪をゆらゆら揺らしながら、面倒そうな顔をして幼馴染が願子を見下ろしていた。

 

「なぁに?」

「なによその気のない返事は、もうHR(ホームルーム)も終わったんだから、帰るんでしょ?」

 

  そう言って一向に重い身体を持ち上げない願子の腕を引っ張る出雲 友里(いずも ゆり)に無理やり自分の世界から引っ張りだされると、願子は渋々机を後にした。周りを見渡せば教室にもう人影は無い。窓から差す陽の光が長い影を作る数は二人分だけだ。二週間前から遂に高校生活が始まったが、まだなにもやることのない新入生のクラスメイトたちはさっさと帰ってしまったらしい。黒板の上の壁に綺麗に掛けられた時計を見なくても、学校の窓から街のど真ん中にある大きな水たまりが夕焼けによって赤く染まろうとしているのを見れば、HRが終わってから願子が思っていたよりも随分と時間が経っているのが分かる。こんな時間まで待ってくれていた友里には少し悪いことをしたかなと、願子はちょちょいと頬を掻いた。

 

「あんたなんでそんなに落ち込んでんのよ、部活動紹介気に入らなかった? ダンス部のパフォーマンスとかなかなか面白かったけど」

 

  そう、今日は新入生歓迎会だった。入学式から少し経ちどこの学校でもやるように、先生方の挨拶と各部が新入生を我が部に引き込もうと考え抜いたパフォーマンスを行ったのだ。当然一年生は全員参加のため、願子も友里も他の生徒たちと同じようにその催しを体育館で眺めている。吹奏楽部の演奏、ダンス部の軽快な踊り、柔道部は何故か演劇をやっていたりした。新入生たちのウケもよくなかなかに面白いものだったが、

 

「思ってたのと違った」

 

  願子にとってはこれに尽きる。憧れの高校生活、中学生の頃より生活も在り方も一つ上、だからきっと凄いものが見れる。凄いことがやれる。期待を胸いっぱいに膨らませ、いざ楽しみの部活動紹介となったわけだったが、見れば見る程予想の斜め下、膨らんだ胸の内がみるみると萎んでいった。

 

「なによそれ、もっとおかしな部活でもあると思ったの? それだったらライフル射撃部とか、アイスホッケー部とか変わったのもあったけど」

「いやそういうのじゃなくて……」

「じゃあ蒸気機関車部」

「なにそのピンポイントな部」

「じゃあ自宅警備員研究部」

「そんなのあったっけ?」

「じゃあなによ、ひょっとして超能力とか魔法とかそんな感じのファンタジーちっくなぶっ飛んだやつがあったらなあとかまた思ってたわけ? それは夢見すぎでしょ、中学の頃から進歩ないんだから」

「うぅ……」

 

  友里の言う通り、まるで漫画や小説みたいな部活があったらなと思っていたのに、やはり現実は甘くない。そういうものは、所詮頭の中にある空想の世界で楽しむ他ないらしい。分かってはいたものの願子は頭を抱えるしか無かったのだ。願子は中学生の頃もそうだが、折角の学校生活、部活にはとりあえず入ろうと決めていた。だから何があろうと部活は選ぶ。今日見た部活たちもきっと入れば楽しいだろうということも分かっている。ただし、そこに願子の望むものはない。

 

「ほら願子、だったらあれよ、中学の頃みたいに新聞部に入ったら?」

「いや、あれはなにか面白いこと知れるかなあってやってただけだしなぁ」

「そういやあんた学校の七不思議! とか、恐怖! 河童は実在した! だのよく変な特集組んでたね」

 

  友里はカラカラ笑いながら願子の肩を叩いた。中学の頃、願子からすれば大真面目に書いた記事だったのだが、学校でのウケはあまりよく無かった。酷い時は精神病患者扱いで、願子の話の後に、『黄色い救急車呼ぶ?』が学校で流行したほどだ。不思議なことを探し求めていろいろ怪しいことに首を突っ込んだが、得られたことは不思議なことなど無いということ。中学でそれだけ学んだから、わざわざ高校で新聞部に入る気は願子には全く無かった。第一願子たちの高校には新聞部が無いのだ。

 

「もう適当言わないでよね」

「ごめんごめん、あ、でも部活動紹介に唯一出なかった部活が願子には合うんじゃない? あーなんて言ったっけ、すっごい変な名前で……確か、ふ~……?」

 

  ふ、ふ、ふー、と繰り返しながら必死に頭を巡らしていたようだが、思い出すのを諦めて徐々に口笛に移行した友里が可笑しくて、その甲高い音色にだんだん願子のもやもやは消えていく。友里が口笛を止める頃には、すっかり願子の心は晴れていた。

 

「ふふふ、分かったから、この話はもうおしまいね、帰ろ友里」

 

  すっかり気分をよくした願子は、友里の服を軽く引いてそう促す。外へ目をやれば、赤く染まりかけていた諏訪湖は赤い絵の具を混ぜたように真っ赤になっていた。空にポツポツと浮かぶ雲を写し込んだ赤色達のまだら模様は幻想的でさえある。そんな景色をただ眺めるだけでも悪くはないが、なんにもやることもないのに学校に居座り続ける程、願子は学校好きではない。あの綺麗な諏訪湖の湖畔をいつも通りくだらない話でもしながら、さっさと帰路について帰りのコンビニでアイスでも買おうかなと考えながら階段に差し掛かった時だ。

  急にドン、といった衝撃を横から感じ、願子は尻餅をついてしまった。長い髪が衝撃に遅れて宙を漂いついてくる。どうやら階段からきた誰かとぶつかってしまったらしい。その証拠に願子の向かい側では同じように黒髪のおかっぱ少女が尻餅をついていた。

 

「ちょっと、大丈夫?」

 

  友里が心配して願子を引っ張り立たせる。体に痛みが走ることも無く問題はないようだ。しかし、向かい側の少女は違うようで、呆けた表情を浮かべ、乱れた髪はそのままに座り込んだまま。悪い転び方でもしたんだろうか? 願子たちは一度お互いに顔を見合わせる。

 

「あの、大丈夫?」

 

  願子の問いに返事はない。心ここに在らず、少女についている耳は見せかけなのか、耳にあるはずの穴が塞がっているのか、表情変わらず固まったまま。無愛想とか関係無しに嫌な気分だ、気味が悪い。何の反応も示さず、そこだけ切り取ったかのように少女の時間が止まってしまっているようなそんな感じ。そんな少女へ次に言う言葉を考えていた願子だったが、友里の「あっ」という呟きに思考が逸らされる。

 

「この子確か(あんず)さんじゃないっけ? 同じクラスの」

 

  あーそう言えば見たことあるかもしれない、確かにクラスの窓際の列の後ろから二番目に似たようなのがいたようないないような、普段使わない脳細胞を総動員して(おぼろ)げながら思い出す願子。まだたったの二週間だというのに、友里もよくもまあ覚えているもんだと友人の記憶力に感心する。

 

  しかし、そうなるとアフターケアはしっかりしなければと、願子は入学早々に仲の悪い者を作る気はないので、取りあえず杏の肩に手を置いてみる。すると、言葉よりもこっちの方が杏には効果があったようで、一度ピクッと肩を震わせて、ようやっと杏は辺りにと視線を散らし始めた。現実に帰ってきた杏に、願子は再び声をかけようとしたのだが、その声は杏の叫びににも似た声によって掻き消されてしまった。

 

「卵!」

 

  卵? 何それ? 鶏の? 突然の声に思考停止してしまった願子と友里のことなど目に入っていないのか、杏は落ちたコンタクトレンズを探すように地面を這いずり辺りに手を伸ばす。呆けていた時の間抜けな表情が嘘だったかのような必死の形相は狂気じみていた。

 

「あぁ、卵……私の……卵が……」

 

  願子は、友里へ視線を投げるがどうやら同じく何が何やら分からないらしく難しい顔をしていた。二人がそうしている間にも、杏はぶつぶつ呟きながら地面を這いずり回っている。賽の河原で石を積み上げ続ける子供のような不毛さが、その姿からは漂っていた。悪いことをしたらしい、それは願子にも分かるのだが、何を言ってもうんともすんとも言わない杏に一体何をしてやればいいのか。杏の様子はまさに狐に憑かれたのかという有様だ。願子はそんな杏の様子に目をやり続けるのも躊躇われ、ふと自分の足元へ視線を逃すと、そこには白い卵が落ちていた。

 

  足の横にコロンと転がる卵の大きさは鶏の卵の半分くらい、シミひとつ無く、真っ白い楕円形をしている。恐る恐る手を伸ばし優しく掴んでやると、その殻は思っていたより柔らかい。いったい何の卵なのだろうか? ただおそらくこれが杏の探している卵なのだろう、ぶつかった拍子に願子の足元へと丁度落ちてしまったようだ。

 

「探してる卵ってこれ?」

 

  願子が卵を杏の方へ恐る恐る差し出すと、今までの無反応は何処へやら、信じられないくらいの速さで願子の手から引っ手繰ると大事そうに胸へと抱え込む。そこまで大事な卵とは一体なんだろう? という疑問を願子たちが抱くのは当然で、それを口に出そうと開きかけたが、件の卵を持った杏は、お礼も謝罪の言葉も無しに走って階段を降りて行ってしまった。その速さにはきっと空を飛ぶ天狗もびっくりだ。

 

「え……えぇ……」

「まあなに願子、人生ってこんなもんなのよきっと」

「いや、意味分かんない」

 

  そう言って願子がふと外を見れば、諏訪湖の赤色は消え去って、すっかり暗くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  翌日、願子の頭の中は学校に着いて早々昨日の卵のことでいっぱいになっていた。新聞部に入っていた頃の知りたがりの性なのか、気がつけば窓際の席に座っている杏の方に視線が行ってしまう。おかげでさっきの授業で先生に怒られたというのに、願子の好奇心は堪えていないらしく、昼休み前の最後の授業でも変わらず視線は黒板ではなく杏の方へと泳いでいる。

 

  願子はそこまで気になっているというのに、杏の方は朝に教室に入って何をするわけでもなく、さっさと席に座り、退屈な授業の何が楽しみなのか、授業の準備を済ませてしまうとその後は全く動かなかった。その次の授業間の休みも同じ。その次も。昨日願子とぶつかったことなど少しも気にしていない様子で、願子や友子の方にちらりとすら目をやる素振りもない。それが逆に願子の興味をより一層引き立てた。

 

  (こんな子が、あれだけ狼狽えて探していた卵とはなんだろう?)

 

  こうなってしまっては願子はもうだめだ。願子の好奇心から来る勘が言っている。『きっと面白いことがある』と。中学時代に嫌という程振り回され一回も擦りすらしなかった不出来な勘だが、効力だけは素晴らしい。授業終了のチャイムと同時に、弁当片手に席を立つと、迷い無く願子は杏の前へと躍り出ていた。

 

「杏さん!」

「ぇ……あの……えっと……なにか?」

「ご飯一緒に食べよ!」

「ぇ……」

 

  そして静寂が訪れる。一分か、二分か、もっと時間が経ったのか? 願子が杏の前に掲げた弁当箱は行き場を失い宙でプラプラ揺れるばかり、杏の着陸許可がいつ出るのか、今か今かと待ち焦がれるが、GOサインがなかなか出ない。杏の口は可愛らしく空いたり閉じたりしているものの、そこから先に進むことはなく、餌が来るのを待つ鯉のようだ。この時間が永久に続くのではないかと願子は錯覚さえしたが、持つべきものは友人だ。マネキンチャレンジに突入しようかという二人を見事に一言で動かしてくれた。

 

「なにやってんのよ、あんたら」

 

  しょうもないといった顔で二人の間に立つ友里の方へ、ぐぎぎという音が聞こえそうなくらいぎこちなく、まるでブリキ人形のように二人の首が向いて行く。

 

「あんたら怖!」

「友里、ナイス」

「えっと……あの……ご飯」

「そうそう、杏さん一緒にご飯食べようよ」

「……あぁ、なるほど、願子の悪い癖ね」

「しょうがないでしょ、これはあれよ、私の宿命なのねきっと」

「はいはい、じゃああたしも一緒に食べていいよね、ね杏さん」

「あの……はぃ」

「やった! 流石友里、私の勝利の女神様!」

「なにに勝ったのよいったい」

 

  こうしてようやっと三人は席に着いた。願子お目当の卵の話はさて置き、取りあえず無事着陸できた弁当箱を開けつつ、一応これがちゃんとした顔合わせ、まずは自己紹介だ。

 

「ご飯一緒に食べてくれてありがとね、私は瀬戸際願子、よろしくね」

「あたしは出雲 友里、よろしく」

「あ……あの、桐谷 杏(きりや あんず)です。よ、よろしくお願いします」

 

  そう言い終わると、もう何も言うことがないのか、杏は黙々と弁当箱へと箸を伸ばしていく。少し長めの前髪に目が隠れ、ぶつかって髪が乱れていたせいで見えた昨日の必死の形相と違い全く表情が読めない。このままではただ弁当を食べて終わってしまいそうなので、願子は早速昨日のことのアプローチをかける。杏のさっきの様子なら、昨日のように右から左へと言葉が抜けていくことはないだろうと確信を持てたからだ。

 

「杏さん昨日は大丈夫だった?」

「え……昨日?」

「そうそう、ぶつかったでしょ私たち」

「あ……あの時の……昨日はごめんなさい、私必死で……」

 

  一瞬なんのことか分からないといった反応だったが、次の言葉で思い出したらしい。杏の謝る姿はしおらしく、高級旅館にある市松人形のようで、そんな杏の雰囲気から言ってどうやら悪い子ではない。おかげで願子の好奇心はより一層大きくなるばかりだ。あなたみたいな子がどうしてあんなに必死だったの? なぜ? Why? あの卵にどんな秘密があるの?

 

「いいよいいよ、私も悪いしさ」

「……あ、ありがと」

「それで怪我とかしてない?」

「あ、はい……大丈夫です……瀬戸際さんは?」

「こう見えて頑丈だから、平気平気!」

 

  いい空気だ。流れが来ているような気がする。だからこそここであの手を使う! 卵のことを聞きたいが、ぶつかった者同士少し遠慮してしまう。ならば関係ないがその場にいた者に聞いて貰えばいい。

 

  向かいに座る杏に気がつかれないように友里を肘で小突くと、大変面倒くさそうな表情を願子に返してくれる。それににっこりと笑顔で対応する願子の顔は本当に苛つくほどいい笑顔だ。友里は諦めたように一つ息を吐くと口を開いた。

 

「……杏さんあっちは大丈夫だったの?」

「……あっち?」

「そ、昨日探してた卵の方」

「あ……えっと」

 

  困ったように口をもごもごさせる杏。何かしら言いたくない理由があるらしい、それを見てわざとらしくいかにも今気づいたかのように願子が声を上げ畳み掛ける。そんな願子に友里がまた一つ息を吐くのは当然だろう。

 

「そうそう卵よ、卵! 昨日ぶつかった時のやつ、大丈夫だった? 割れたりしてない?」

「うん、大丈夫……ちょっとひびが入っちゃいましたけど……」

「え、それ大丈夫? 」

「あ、はい……ひびくらいなら多分平気です」

「そっかよかった、それであれってなんの卵なの? 鶏?」

「蛇の卵……です」

「蛇の卵!へぇ、すごい、私昨日見たので初めてだよ! 大事なものなの?」

「あ、はい……その……なんていうか、おまじないで」

 

  そう言うと、杏は懐からハンカチに包まれた卵を大事そうに願子たちの前に差し出した。真っ白い小さな卵にちょこっと言われなければ気付かない程度の小さいひびが入ってしまっているが、普段よく見る鶏の卵と違い不思議な美しさがある。

 

「これに願いを込めて持っていれば割れた時願いが叶うって」

 

  杏はにっこり笑うと、大事そうに卵を懐に戻す。

 

  願子は顔がにっこりとした表情のまま固まってしまい、好奇心が霧散していった。願子の勘はまたしても外れてしまったようだ。要はミサンガである。どうも女性は占いだのおまじないだのが好きらしい。願子が中学の頃に首を突っ込んだ一人が無類の占い好きであり、今日のラッキーアイテムは赤色と、赤い靴下、赤いブレスレット、赤いシュシュといった赤々尽くしに染められたことが一度ある。願子にとって全く嫌な思い出だ。

  しかし、好奇心がすっかり息を潜めてしまった願子と違い、今度は友里の方が興味を惹かれたようで、願子たちのやり取りを静かに見守っていた友里が杏の方へと顔を向けた。

 

「ふーん、それって(かえ)るの?」

「……さあ、どうなんでしょう……多分、孵らないと思います」

「分かってるのに持ってるなんて、そんなに叶えたいお願いがあるわけ?」

「あ、その、秘密です、言ってはいけないんですよ」

 

  へー、と言って友里は弁当箱をつつく作業に戻る。そういったことにあまり興味を示さないこの友人が興味を持つなんて珍しいもんだなと願子は弁当をつつきがら何か考え事をしているらしい友里をちらりと見ると、目が合ってしまった。

 

「なに?」

「いや、友里が興味持つなんて珍しいなーって」

「ん、あたしってあんたと違って友達多いからそう言う噂話みたいなのってよく聞くんだけどさ」

「あっそ」

「はいはい拗ねない拗ねない……ただ初めて聞いたなーって、そんなおまじない」

 

  友里はそんなことを言いながら杏の方に向き直ると、どこで知ったの? というように箸の持った方の手を軽く招くような仕草をする。杏は困ったように首を傾げていたが、少しすると、内緒ですよと言って願子たちの方へ顔を寄せてきた。

 

「あの、小上さんに教えていただきました」

 

  周りからは見えないように小さく指をさした方へ願子たちが視線をやれば、そこには一人で黙々とご飯を食べるゴテゴテと色とりどりの装飾品を纏った少女の後ろ姿、垂れるツインテールは長く、エビの触覚を連想させる。どうやったのか髪を巻き込みながら一緒に垂れる赤い布の装飾のおかげで余計にだ。指輪、ブレスレット、腰からも紐のようなものが伸び、あまりの装飾品の多さに同じセーラー服を着ていると思えない。そんな少女の姿に願子の顔色がみるみる悪くなっていく。彼女の名は小上 塔子(おがみ とうこ)、中学の頃に願子がある意味お世話になった占い好き少女である。

 

「ぁあ、小上さんね」

 

  気の抜けた声でしか願子は返事ができなかった。この占いは当たる、このおまじないは凄い、もはや嘘としか思えないような内容であったとしても、 好奇心と言う名の中毒に侵されている願子がやらされたくだらないことの数は計り知れない。願子を真っ赤に染めた件の少女こそ塔子のことで、幻想などありはしないのだと思い知った大きな要因の一つが彼女だ。

 

  突き刺さる視線に気がついたのか、振り返った塔子と、願子は目があってしまう。やばい! 咄嗟に視線を切ったがもう遅い。嫌な予感が願子の頭の中で警報を打ち鳴らす。後ろの方から占いの悪魔の足音が聞こえる。来るな来るなと頭の中で復唱するが、そっと肩に手を置かれる手はまるで死神からの死刑宣告だ。だらだら嫌な汗をかきつつ願子が再び振り返れば、普段働かない勘はこういう時だけ働くらしい。にんまりとした塔子の顔が頭上から願子を見下ろしていた。

 

「あらあら、誰かが見てると思ったら、可笑しな友人の願子さんじゃあないの、何かご用かしら?」

「いえいえ、なにもー」

「あらあらあら、そうかしら? ……ん? 誰かと思ったら杏さんまで……へーふーんなるほどねー、さすが私の友人目敏いわね、それで? 相変わらず知りたいのね、おまじない」

「ぁ……あの、私……」

「あら、おまじないのことを言ったのなら別にいいわよ、願子さんに目をつけられたのなら地平の彼方まで追われちゃうもの、ただあんまり人に話すことではないわよ、杏さん」

「は、はぃ」

「それで、知りたいことは何かしら。願子さん」

「いやいやまっさかー、知りたいのは私じゃなくて友里だよー」

 

  友里からの肘打ちが願子の脇腹に入る。なんていい一撃、種目によっては世界を目指せるかもしれない。咽せる願子を尻目に、珍しいわねーと言ってどこからともなく椅子を持って来て、塔子はどかっと三人の輪に混じった。

 

「それで何が知りたいのかしら? 友里さん」

「……ハァ、あたしは別に内容が知りたいんじゃなくって、初めて聞いたなって」

「あぁ、そう、うーん、私も聞き伝てなんだけどね、隣のクラスの村田さんから」

「たらい回し感が凄いね」

「しょうがないじゃない願子さん、おまじないの始まりなんて得てしてそんなものでしょう?」

 

  (おど) けるように懐に手をやって、無駄に刺繍が施されたハンカチ、それに包まれた蛇の卵を机の上に広げる。真っ白い楕円形の小さな卵、それが再び願子たちの眼の前に置かれた。

 

「願いを込めてただ持っているだけ、割れた時に願いが叶う。まあミサンガと一緒、逆ジンクスの一種よ。徒労に終わりそうだから教えてあげるけど、村田さんも誰かから聞いただけみたいね、その村田さんは実際に割れたって言ってたけど本当かどうか」

「あんたも何か願い事があるわけ?」

「あらいい質問ね! それはあるわよ、まず健康祈願、あとは今までのおまじないが全部成功しますようにとか、それとイケメンの彼氏ね、それに……」

「はいはい、強欲強欲」

「もう、つれないわね友里さんは。まあいいわ、願子さんと友里さんにも特別に分けてあげる」

 

  塔子は、懐から新しく二つの卵を取り出すと願子と友里の前へと置いていく。

 

「え、いいよ塔子別に、高そうだし」

「ぁ、ぁの……」

「あら願子さん、お金なんか取らないわよ、あるルートから大量に入手できたから、こうやって知った人には分けてあげてるの」

「いやいいよ私は、なんかヤバそう」

「ぁ、あの……塔子さん……」

「あたしもいらないんだけど」

「もう、願子さんも友里さんも遠慮しないで、私達友達でしょう?」

 

  わざとらしく組んだ手の上に顎を乗せる塔子の呟きと同時に昼休み終了のチャイムが鳴り響く。卵をさっさと懐に戻すと、残念そうには見えなかったが、そんな感じの台詞を残して塔子は去っていった。結局、後には面倒そうな顔をした願子たちと、呟きを華麗にスルーされてしまい彼岸の人のように佇んでいた杏の三人が、弁当も食べきれず授業が始まる少し前までただお見合いしていただけで、目の前に置かれた怪しい美しさを持つ卵は、捨てるわけにもいかず二人の懐に収まる他なかった。

 

 

 



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蛇の卵にご用心

  朝起きたら卵をまず磨く。なんとなく受け取る羽目になった卵だったが、願子の中ではここ数日すっかり日課となってしまっていた。あまり力を入れないように、柔らかいハンカチで優しく撫ぜられる卵はどこか嬉しそうに見える。

 

「どうよ!」

「どうってあんた……」

 

  そうしてツヤツヤになった卵だが、それをここ最近毎朝見せびらかされる友里からしたらたまったものではない。登校中にこんなものを見せられる人生とはいったいなんなのか、ほぼ倒されることが決まっているヒーロー物の悪役でもまだマシな人生を送っているだろう。これが見知らぬ他人からだったとしたら、友里はすぐさま諏訪湖の水底に沈むように祈りながら、湖目掛けて投げ捨てているところだ。

 

「この前まで死んだ魚みたいな目して卵を見てたってのに何愛着持ってんの、あたしはあんたの将来が心配だわ。変な宗教にはまりそうで」

「まあまあ、私の勘が告げているの、卵を大事にしなさいって」

「勘は勘でもそれは勘違いよ」

 

  片側に流された髪をかき上げ大きなため息を一つ。友里の長い金髪が風に揺れる姿が湖の湖面にゆらゆら映る様は蛇の卵なんかより十分美しい。そんな友人にいつもなら、すいませんといった態度を見せる願子だが、何かに夢中になっている時だけはてこでも動かないほど頑固だ。中学から同じことを繰り返しているというのに、本当になんの進歩もない。

 

「友里〜、卵に罪はないんだからさ」

「そりゃそうだろうけど……まあ今のあんたに何言っても無駄ね、それで何をお願いしてるわけ?」

 

  卵が割れた時に叶うお願い。当然願子も叶って欲しいお願いを卵に刷り込むように毎日磨きながら祈っている。

 

「ふふーん、もう友里ったら分かってるくせにさぁ」

 

  友里の質問に満面の笑みを浮かべて答える願子の顔に拳を埋め込みたい衝動を抑えつつ、「面白い不思議なことがありますよーにってやつね」と、仕方がないとなんだかんだ言って答えてくれる。

 

「そうそう、その通り!」

「帰りは怖いわよー」

「もうなによそれぇ」

「それに願い事って言ったらダメなんじゃなかった?」

「あっ……私自身が言ってないからセーフよセーフ! そんなことより友里は卵どうしてる?」

「あたし?」

 

  うん、と肯定した願子の顔を見て、なんとも言えない難しい表情になる友里。しばらくそのままにらめっこが続いたが、先に折れたのは友里の方で、嫌そうに懐から卵を取り出した。

 

「なんだかんだ言って持ってるじゃん!」

「あのね、あんた考えてみなさいよ、今まで中学生だったやつが高校に上がってすぐ蛇の卵持ってますなんて親にばれたらどうすんのよ。それもただ持ってるんじゃなくて、あんたみたいに毎朝磨いてますなんて言ったら口すっぱく早く学校行けなんて言ってる親から次に出る言葉は早く病院行けに決まってるでしょ。だから制服に隠しておくしかないの!」

「だったら捨てればいいのに」

「嫌! なんか呪われそうだし!」

 

  そう言って卵を懐に戻すと、友里はつかつか先に行ってしまう。湖に小さく寄せる波の音をBGMにしながら、諏訪湖の湖畔を十数分も歩けば学校だ。(なび)く金色の後に続いて、願子は学校の校門をくぐり抜ける。

  学校に着けば、いつもと変わらぬやかましさ。湖から一変したリズムに少し戸惑いながら二階の教室へ行けば、その教室の一番後ろの席の真ん中、そこが願子の席だ。友里の席はその隣。いつもより数割増しで面倒くさそうな顔をした友里は、席に着くとどっかりと鞄を席の横に置いて机の上に腰掛ける。

 

「もう、友里早いよ。ほら拗ねない拗ねない」

「別に拗ねてなんかない」

「その顔でそれは無理があるから」

 

  そんな風に幼馴染特有のいちゃいちゃを繰り広げる二人だったが、中学の頃から変わらないそんな二人の光景に、卵を持っている以外にも高校に入って変わったことがある。その証拠に、ポツンと二人の間に影法師が伸びてきた。そっちへ願子達が向けば、座敷童子のような少女が、二人の方に笑みを浮かべて歩いてきている。

 

「あ、あの、おはよう」

「おはよう、杏ちゃん」

「おはよ、杏」

 

  杏はその言葉により一層笑みを深めると、嬉しそうに願子たちのそばへと寄っていく。相変わらず長い前髪に目元が隠され表情を読むことは少し難しいが、願子たちはここ数日の交流のお陰で、なんとなくの雰囲気は読むことができるようになった。願子は新聞部に入っていた時に磨かれた洞察力、友子はもともと願子と違って友達が多いことからそういうことは自然と身についていた。

 

「ど、どうかしたの?」

 

  可愛らしく、こてんと首を掲げる。友里の眉間に寄ったシワが気にかかったのだろう。杏は二人と違ってコミュニケーション能力は低いらしく雰囲気で察することはできず、長年一緒にいる願子ならまだしも、あって数日の杏に拗ねてるだけなんてこと分かるわけなかった。

 

「なんでもないよ、友里はちょっと拗ねてるだけー」

「だから拗ねてないって」

「ま、まあまあ二人とも、落ち着いて。それで、なんで、友里さんは拗ねてるんですか?」

「なんだかんだ言いながらも、結局卵を持ってる友里なのだったってことでね」

「べ、別に持っててもいいと思いますけど」

「あんたたちには良くても、あたしは嫌なの。捨てたくても不気味で捨てずらいし、大っぴら気に持ってても今度はあたしが不気味になるだけ。もはや呪われた装備よこれ」

 

  教室で卵を出すのは躊躇われるのか、外から懐を指差す友里。アメリカのギャングが、表立って言えないところで銃なら持って来てるぜというポーズに微妙に似ている。そんな友里に第一に反論したのは、当然ながら絶賛好奇心中毒者に成り下がっている願子だ。懐から恥ずかし気もなく卵を出すと、友里の目前に掲げた。ハンカチの淵に綺麗に彩られたレースがひらひら舞って、友里の鼻を優しく撫ぜる。

 

「そんなことないって、これが意外と可愛いのよ」

「可愛いってあんたねえ、いくらなんでも毒されすぎよ。中学生の頃からほんっとに変わらないんだから、大体それって目的変わってない? ペットが欲しいなら他のにしなさい」

「うっ……まあ、ほら孵らないのは九分九厘そうだとして、宝くじを買ったと思えば楽しめるみたいな感じで、折角なら可愛がって楽しもうと」

「ならもうちょっと大人しく楽しんで」

 

  ハンカチが擦った鼻を擦りながら放たれた友里の文句はド正論だった。もうぐうの音も出ないというやつだ。居た堪れない空気の中いそいそ卵を戻す願子の隣で、意外にも杏が次に口を開いた。

 

「捨てるのは良くないですよ」

 

  うん? と願子はこれに違和感を持つ。吃りながらも一生懸命話すのが可愛らしい杏だが、前にも一度全く吃らず言葉を発したことがあった。それは初めて願子たちと杏があった時。階段でぶつかり卵が少しの間手から離れたあの時だ。

  それを思い出した願子が杏の方を見れば、檻のように視線を阻む前髪の隙間から薄っすらと覗く眼光の強さに軽く足が竦む。

 

「どうして?」

 

  少しイラついているためか、それに全く気がついていない友里の言葉に、「い、いえ、あの」と、鋭い眼光は直様なりを潜めてしまい、元の杏に戻ってしまった。面食らった願子だが、そんな杏を見ているとさっきのは気のせいだったように思えてしまう。あと少しでも時間があれば、願子の中で何かしらの答えが出たのかもしれないが、思考に決着がつく前に、占いの悪魔が三人のところへ姿を現したことによって、そうなる機会は失われてしまった。

 

「あら、友里さんどうかしたのかしら? 不機嫌そうね」

 

  相も変わらずにんまりとした表情を貼り付けている塔子の辞書には遠慮という文字は無いらしい。不機嫌だと分かっているのなら来なければいいのに、触らぬ神に祟りなしである。じゃらじゃら打ち鳴らされるクリスマスツリーのような制服がより一層不快感を募らせてくれるが、願子達は慣れてしまって、思うことなど今日は黄色が多いから天秤座のラッキーカラーは黄色だな、なんてことくらいだ。

 

「あんたがあたし達にこんなもの渡すからよ」

「いいじゃない、減るものでもないし」

「あたしの余裕が磨り減るの」

「あらあら余裕がないのね、だからそんな髪色なのかしら」

「これは地毛よ」

 

  頬に手を当て心配なのよーとふざける塔子に、髪を見せつけるように靡かすことで返す友里。興味ないのか、「あら、そう」と返事をした後、塔子は少し悩む素振りを見せ、「でも捨てないほうがいいわね」と、杏と同じことを口にする。

 

「なんでよ」

「私も貰ったものとはいえ、貴重なものなのよ友里さん」

「なら他人にあげるべきじゃあないわね」

「あらあらあら、友里さん、私達は他人じゃなくて友人でしょう?」

 

  何か言おうと口を開きかけた友里だったが、ここでまたもやHR始まりのチャイムによって阻まれてしまう。塔子はどうやらチャイムの女神様に好かれているらしい。もしこれが装飾品達の効果なら凄まじいが、如何せん恩恵がしょぼすぎる。ただ今回に限っては効果覿面(てきめん)で、友里は舌打ちを一つすると、開く教室の扉に合わせて、先生に注意される前に机から椅子に座りなおした。

  HRが終わると、退屈な授業が始まり、願子は早速授業そっちのけで外の諏訪湖へと視線を逃す。杏と塔子の言った卵を捨ててはならないといった発言がどうしても気にかかったからだ。願子からすれば塔子のことはどうだっていいが、やはり杏の言葉が頭の片隅に引っかかる。あの場で杏に続きを話せてもらえれば一番だったのだが、恐らく次に聞き出すのは難しいだろう。

 

「どうかした?」

 

  いつの間にか席を願子の方へと寄せていた友里が小声で聞いてくる。塔子が友里に与えたイライラのおかげで今朝のことは吹っ飛んだらしい。視線はしっかり前に向けたままなあたり慣れたものだ。

 

「いや、卵を捨てちゃダメっていうのが気になって」

「まあ確かに気になるけど、サッカー選手がボールは大事にって言うのと同じようなもんじゃないの?」

 

  趣味で何かをやっている場合、その趣味のものを捨てるというのは確かに考えられない。しかし、

 

「そうかなあ?」

「なにが気にかかるのよ」

 

  もちろん杏だ。たったの数日ではあるが、あの少女が心優しく嘘をつけない少女であるということは願子も友里も十分分かった。だからこそ、疑問が頭の中を泳ぐのだ。

 

「だって杏ちゃんが言うんだよ?」

「それはあたしも思ったけど、なんとなくじゃないの? 塔子はそれに乗っかっただけ」

「そうかなあ、もっと何かあるんじゃない?」

「何かって?」

「今朝友里も言ってたじゃん、呪い……とか?」

「馬鹿言ってんじゃないわよ」

 

  友里が離れて行き、どうやら話はここまでらしい。考えのまとまらないまま、昼まで願子は諏訪湖の眺めに逃げ込んだ。

  そうして授業を逃避しながら消費して、今日もこの時間がやってくる。およそ全校生徒の半数による、昼休み恒例購買部へのパン買い競争の時間だ。いつもなら弁当のある願子だったが、この日はたまたま母親が忙しく、パンを求めて願子も廊下を走っていた。最短距離を行っても多くの生徒が邪魔で逆に遅くなると考えた願子は少し遠回りして購買部を目指す。急がば回れの精神だ。願子の他にもちらほらと同じ廊下を走っている生徒がいるあたり、この考えは間違ってはいないらしい。しかし、購買部に着いた時にはもう長蛇の列。いったいこの中の何人がなけなしのお小遣いを握りしめ並んでいることか。パンを買うまでのこの無駄な待ち時間をどう消費するべきか願子は頭を回す。突っ立っているだけでできることなどたかが知れているというもので、壁に画鋲の穴が開いてるだとか、前に並んでる人の肩にゴミが、といったどうだっていいことしか目につかない。ただ困ったことに、無意味に意識を散らしている時こそ不意の一撃とは来るものだ。

 

「あら願子さん、今朝ぶりね」

 

  占いの悪魔に願子は肩を叩かれた。なぜここにいるのか、最初並んでいる時には願子の目につくことはなかった。塔子の目立つ風貌を考えれば嫌でも目につくはずだ。驚きと嫌悪の表情が隠されることも無く願子の顔には出てしまい、これが種明しよというように、塔子は見事なドヤ顔を披露してくれる。

 

「願子さん何をそんな難しい顔をしているのかしら、別に横入りするようなズルはしてないわよ。ただ占ってあげる代わりに私に代わって先に並んで貰っていた子と代わっただけだわ」

「へーそーですか」

 

  塔子の占いを信じるとは変わった子がいたものだと願子は思う。占いの悪魔が好む占いは、単純な星座占いや手相占いなども好むが、それらとは明らかズレたものが多い。蛇の卵などはまさに最たるものだ。

 

「それでまた卵でも振る舞うの?」

「私だってそうホイホイとはあげないわよ、言ったでしょう? 貴重なものだと」

「だいたいどっから貰ってきたのよ」

「それは企業秘密ですわ」

 

  口に人差し指をつけて内緒のポーズ、このポーズで塔子程人を不快にできるものがいるだろうか、いやいない。ツヤのある黒髪が黄色い布を巻き込んで垂れるツインテールの黒と黄色の二重螺旋は引きちぎりたくなり、ぱっちりした目にほのかに淡い唇と高い鼻、薄く化粧を施された顔は墨で塗りつぶしたくなる。無駄に端正な顔立ちをしている割に、中身がそれを台無しにしている。この少女の容姿に騙され何人が占い地獄に落ちたことか、一言でも喋らせ口を開けさせたら最後、シュールストレミングのような少女だ。願子からすればそんなものを相手に時間を潰すなど校長先生の長話よりも嫌なのだが、今回ばかりは朝の友里とのやりとりが頭の片隅に引っかかる。気になったのなら突っ込まずにはいられない、迷惑さで言えば願子も江子もそう変わらなかった。

 

「まあそれは今はいいけどさ、朝に言ってたけど、なんで卵捨てちゃ駄目なわけ? 私は捨てる気ないけどさぁ、どうせ塔子のことだから貴重以外にも何か理由あるんでしょ」

「あー、うーん、そーねー」

 

  悩むそぶりを見せる塔子に、願子はイライラが募っていく。こういう時塔子はいやに勿体振る癖があるのだが、こうなるとパンを買う順番が来るのが早いか、塔子が口を滑らせるのが早いか根比べだ。

 

「ちょっと、勿体振る必要があることなわけ?」

「あら、あんまりすぐに言ってもありがたみがないでしょう?」

「いやありがたみとかいらないから早く言ってよ」

「そーねー、それは……って」

 

  「村田さん……よね?」と塔子は願子の質問に答えることを放棄して、購買の方から歩いてきた一人の少女へと言葉をかけた。隣のクラスの村田さん、おまじないの通り蛇の卵が割れた少女。その存在は当然願子の好奇心センサーに引っかかる。それに抵抗する素振りさえ見せず、少女の方へ振り向いた先に待っていたのは、願いを叶えた輝かしい少女、ではなく、骨に皮を張り付けたと言わんばかりの動く木乃伊(みいら)がそこにいた。

 

「えぇと、あー村田さん?」

「塔子……さん」

 

  願子の問い掛けは村田の嗄れた耳には届いていないらしく、この世の黒いものを掻き集めたかのように濁った瞳には塔子のことしか写していないらしい。ボサボサの髪に痩せこけた頬、今にもパトラッシュと共に天に召されそうな少女から絞り出された声は摩り切れすぎて老婆のようだ。廊下にポツンと立つ人外じみた少女には近寄りがたいのか、それとも少女から染み出る陰々滅々(いんいんめつめつ)とした空気のせいか、生徒が避けて少女を取り残しぽっかり開いた小さな空間はおよそ日常とかけ離れている。

 

「あ、あら村田さん、あなたどうしたの? そんな急に痩せてしまって」

「え、そうなの?」

「ええ、だって一週間前に卵をくださった時はまだ普通で……」

「卵?」

 

「あ」と、どこか今まで余裕のあった塔子の口が間抜けなOの字を描く。

 

「塔子……さん……卵…………あげたの?」

「え、ええ何人かには」

 

  少女の空気に圧されてか、普段答えないようなことも塔子は口を滑らせてしまう。その摩擦のない一言で、ただでさえ顔色の悪い少女の顔が血の気が引いてより一層土気色になり、抑えきれない感情を表すためか所々髪の抜け落ちた頭を掻き毟り、ポタポタ赤黒い血が廊下の色を塗り潰す。

 

「くそぉ……なんで、それでも……まだ駄目なの」

 

  ボリボリ、ボリボリ、鈍い嫌な音が廊下に木霊する。少し騒がしかった購買に並んだ生徒たちも、その異様な様子に気がついたのか、ちらほら少女に注目し始めた。濁りきった瞳には光は無く虚ろで、その目にはもう塔子の姿も写っていない。塔子も願子も少女の雰囲気に飲まれてしまい、さながら石像のように固まってしまった。ボリボリ、ボリボリ、ツーっと少女の顔に一筋の赤い雫が垂れ始めて、ようやっと願子の手が少女の腕を捉えた。

  少女の自傷行為を止めることができたものの、未だ声は出ない。そんな願子の瞳は、行き場に困り少女の顔へと照準が合う。変だ、と願子は眉をひそめた。何も見ていなかったはずの少女の瞳が、確かに何かを捉えていた。息は荒く、願子のつかんだ少女の腕の脈は、異常なほどに早く脈打っている。僅かに震えながらも、一点を捉え続けている少女の瞳の先へと、願子はゆっくりと顔をやったが、そこにはなんの変哲もない窓があるばかりで、そこから見える諏訪湖はいつもと同じく静かなものだ。

 

「窓に!窓に!」

 

  しかし、少女にとっては違うらしい。枯れきった喉から最後の力と言わんばかりに喚き、願子の手から逃れようと後ろに大きく仰け反る。ただ、痩せ衰えた少女の非力では、その場で蠢くことしかできず、遂に廊下にいる生徒全員がひそひそと少女に注視し始めた。ここにきて塔子もようやく動き始め、願子と同じように少女の腕を掴むと、少女の顔が自分へと向くように引き寄せる。

 

「村田さん落ち着きなさい、いったいどうしたというのよ」

「あぁ……こち……が……」

「え? こ……何?」

「ぁぁぁぁああああ!」

 

  少女は願子の言葉に腕を振り切ると喚きながら走り去って行ってしまった。追おうにも追えなかった。少女の濁った瞳が最後に願子の顔を覗いた時、願子の勇気や優しさといった輝かしい気持ちが須くくすんでしまったようだった。足の裏は廊下に張り付いてしまったかのように重く、生徒の誰もが動かず少女の去っていった廊下の方へと視線を向けるだけで、動く素振りもない。願子はもう一度少女が見ていた窓へと向くが、小さな波が静かに立つ壮麗な諏訪湖が奥に佇むばかりで、おかしなものなどありはしない。しかし、何かがおかしい。それはここにいる誰もが分かっているが、原因が何かが分からない。願子の横で、余裕の表情が完全に崩れ、噛み合わない歯を打ち鳴らす塔子ただ一人を除いて。

 

 

 

 

 

 

  それから数日、結局これまでと変わらない日常がまた巡る。普通の朝、普通の朝食、普通の毎日。全く当てにならない麻薬のような中毒性を持つ好奇心の向かうまま、変わったことに首を突っ込み変わらない日々を過ごす。不思議を望み、変わったものを好み、幻想を夢見て、不思議なことなどないのだと、幻想は所詮幻想なのだと知っていながらだ。しかし、日常とはくだらないことで一変してしまう。事実は小説より奇なり、始まりがどれだけ些細でも、気がついた時には大きくなっているものだ。そう、まだ願子は気がついてはいなかった。いや、むしろ気がつかなかった方が幸運だったのかもしれない、自分が首を突っ込んだ先がギロチンの処刑台なのだということに。

  いつものように、友里と共に通い慣れた諏訪湖の湖畔を通り学校へ行き、だらだら授業を受けて家に帰る。その日もそうなるはずだった。ただ、今にも降り出しそうな雨雲に覆われた雲と、灰色に染まった諏訪湖がなんとなく今日は良くない日だということを願子に告げていた。家を出てから、空気中に多分に含まれた空気が、長い願子の後ろ髪を引く。

  教室に入ると、少し騒ついたクラスメイト、普段気取っている塔子も、物静かな杏もどこか落ち着かない様子で、塔子に至ってはカタカタ貧乏ゆすりまでしている。願子はそんな教室を眺めながら友里に問うてみても答えが返ってくるわけもなく、しばらくするといつもより早く先生が教室に入ってきた。騒ついていた教室が、さーっと波が引いたように静かになる。聞こえるのはポツポツ窓に当たり始めた雨の音と、嫌という程はっきり聞こえる先生の話し声のみ。

  先生の話が終わる頃には、雨は本降りになっていて、いつも窓から綺麗に見える諏訪湖が、今日に限って霞みがかってよく見えない。塔子は先生の話が終わると同時に教室を出て行ってしまった。杏は呆然と座ったままで、いつも能天気な友里も難しい顔をしている。そんな中で、願子の頭の中では、好奇心が最大限の中毒性を持って願子に訴えかけている。『きっと面白いことがある』いつも外れるはずの勘が、今回ばかりは嫌な方に当たる気がした。

 

 

 

  隣のクラスの村田さんが死んだ。

 

 

 



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卵の中身

「ちょっと待ちなさいよ!」

 

  願子は、雨雲のせいで暗い放課後の無駄に長い廊下をこれでもかと走っていた。前方にはゴテゴテと装飾まみれの少女がジャラジャラ騒音を立てながら同じく全力疾走している。

  いつもと違う朝、隣のクラスの村田さんが死んだという知らせが回り一番取り乱したのは塔子だ。一度教室を出て戻ってきてからも、授業中落ち着きがなく何かに怯えたように小さく縮こまり辺りをきょろきょろ見回していた。理由は分かっている。間違いなく蛇の卵のおまじないに関することというのは確かだ。死んだ村田さん、それに反応を見せた小上 塔子、桐谷 杏、この三人に関係しているのは、蛇の卵のおまじないで間違いない。それを裏付けるように、願子の呼びかけにも答えず、教室を無言で走り去っていった塔子の態度が何より物語っていた。

  一段飛ばしで階段を駆け上がっていき、途中すれ違う生徒も突き飛ばす勢いで塔子は遂に屋上まで走り抜けた。屋上へと続く鉄製の扉を開け放ったが、落下防止で建てられた高いフェンスの内側に広がる水溜り、土砂降りの屋上に出るのは無理があると、屋上への扉を開け放ったまま壁を背にして座り込んでしまった。屋上の扉から這い寄ってくる冷たい空気が頬を撫でる中、息も絶え絶えに願子もようやく塔子に追いついくと、運動不足が原因か、立つのもしんどい願子は階段の一番上の段に腰を下ろす。

 

「全く! 一体なんだってのよ!」

 

  吐き捨てるように言う願子の言葉を拾う者はなく、二つの荒い息遣いだけがその場に流れる。何を言うわけでもなく二人とも座り込みんでいたが、願子は息が整ったところで、塔子の方へ顔だけ振り向くと同じ質問を繰り返した。

 

「一体なんなのよ」

「なにがかしら?」

「なにがって、あんたは分かってるでしょ!」

 

  塔子は膝を抱え込み頭を埋めていた状態からちらりと願子を(うかが)ったが、荒れている願子の返答を受けると、ゴツっと音がするほどの勢いで再び頭を埋め直す。

 

「……分からないわ」

「っ……塔子!」

「分からない! 分からないわよ! 願子さんはこう言いたいのでしょう? 卵が原因で村田さんが亡くなったって、だって、だってそんなはずないでしょう! おまじないはおまじない所詮お遊びじゃないの、それで死んでしまうなんてありえないわよ! そう、現実的ではないし願子さんの方こそ分かっているはずだわ、そんなことはあるはずがないって! 失敗したら危険だなんて言われているおまじないなんてそれこそいくらでもあるし、もしそれらが全部本当だったとしたなら私も願子さんもすでにこの世にいないはずでしょう! だから、だから…………分からないのよ」

 

  急に立ち上がり願子に詰め寄った塔子だったが、一通り言い切るとぺたりとその場に座り込んでしまう。いつも余裕を感じさせる少女の面影は無く、打ち鳴らされる装飾たちの音もこの場では虚しいだけだ。だからこそ願子は理解してしまう。今起こっていることは本当に異常事態なのだと、普通とは違う願子の望んでいたものなのだと。これが望んでたもの? 吐き気に襲われ喉元まで登ってくる胃液を口を押さえることによってなんとか抑え込む。懐にある卵が今は妙に重い気がする。

  そうして項垂(うなだ)れて動かない二人の元に、雨音に紛れて二つの足音が登ってきた。そっと目をやると、願子の視界に映るのは長い金髪と黒いおかっぱ。

 

「……友里、杏ちゃん」

「願子何やってんの、あんな大声で会話してたら嫌でも聞こえるよ」

 

  面倒くさそうな顔をする友里の顔はこの場に似付かわしくないほど普段通りで、願子のどうしようもなくこんがらがった頭を少し冷静にしてくれる。二人は階段を登りきると、願子と塔子を立たせて屋上前の廊下で全員向かい合うように円になった。

 

「ちょっと、塔子も何やってんのよ、あらあら五月蝿いのがあんたでしょうが」

「友里さん……だけれど」

「だけれどもへちまもないの、あんた分かんないとか言ってたけど知ってはいるんでしょ? これのことちゃんと話しなさい」

 

  そう言って友里は懐から今は誰もが見たくないだろう卵を取り出す。ニヤついた笑顔は消え去って、いつになく嫌そうな顔をしている塔子は一瞬目を見開いて、しかし一向に口を開く様子は無く、直ぐに視線は明後日の方向へと逃げてしまい辺りをキョロキョロと見回すだけだ。この現在命さえ掛かっているのかもしれない問題に願子たちを巻き込んだのは間違いなく二人に卵を渡した塔子である。最初におまじないのことに首を突っ込んだのが願子からだったとしても、塔子には全てを話す義務があるのだろうが、そうだとしても躊躇(ためら)われるのだ。異常だ。不可思議だ。人の常識を超えたことが起こっている。何をしても悪いことが起こってしまうようにしか思えない。だからこそ塔子はただおまじないのことを話すといった簡単な一歩でさえも踏み出すことができない。

  そんな塔子に業を煮やす願子だったが、それが限界に達する前に今まで黙っていた杏が前に出てきた。

 

「あ、あの、私がお話します」

「ちょ、ちょっと杏さん」

「で、でも蛇の卵のおまじないが本当に危ないものなら、ちゃんと話さないと」

「そうは言ってももうなにがなんなのか分からないのよ! 本当に危ないのならそれこそそれについて話すだけでも危ないかもしれない! 村田さんのようになるのなんて私は嫌よ!」

「だ、大丈夫ですよ、それなら塔子さんはなにも話さなくていいですから、私が全部話せば問題ないでしょうきっと」

 

  「大丈夫なの?」という言葉は、願子からも友里からも出ては来なかった。きっと話せば直ぐに村田さんのようになると分かっていても杏は絶対に話すだろう。そういった覚悟を、走ってきたせいか少し乱れた前髪から覗く二つの瞳が言っている。

 

「そ、そうは言ってもあんまりお話することは無いんですけど……ふ、二人とも多分気になってると思うんだけど、卵を捨てちゃいけないって私が言ったことが関係あるの」

「だからあたしが捨てたいと思ってるって言った時止めたわけね」

「う、うん……その理由は、卵が割れて願いが叶うまで卵を無理に割ったり粗末に扱ったりしないことだって、それが唯一のルール」

「え、それだけなの?」

「う、うん、でもそれはかなり難しいと思うの。ネットとかで調べたんだけど、蛇の卵って下手に動かしちゃうと孵らないっていうから私たちの持ってる卵が割れることは無いの。その卵を粗末に扱ったりせずに割らずに一生持ってるなんて、で、出来るはずないもん」

 

  確かに、と願子も友里も納得するしかない。そうなってくるとこの蛇の卵のおまじないは、

 

「それじゃあもうこれ罠じゃん!」

 

  願子は叫ぶしかなかった。絶対に孵らない卵が割れた時に願いが叶う、つまり願いが叶うことなどありえないのだ。しかもその願いを叶えてくれないただの卵を粗末に扱うことも許されない。

 

「いったい誰が考えたのよこんなおまじない! 塔子は知らないの!」

「最初に言ったけど知らないわよ! 私も聞いただけ、村田さんもそう、いったいどこが発信源かなんて分かったものじゃないわ」

「あたしたちの発信源はあんただけどね」

「そ、それは悪いとは思うけれど、だってしょうがないじゃない、こんなことになるなんて誰が思うのよ!」

 

  塔子の言うことも最もではある。今まで数多くのおまじないをやってきた塔子に、中学時代それに首を突っ込みながら巻き込まれた願子、今まで成功しようが失敗しようが何も起きなかったのに、今度のおまじないだけ警戒しろという方が無理な話だ。一通り全員言いたいことはいい終わり、また雨音だけが一時その場を支配したが、それを破ったのはまた友里だった。

 

「でもこれで一つ分かったんじゃない?」

「なにがよ」

「隣のクラスの村田さんが死んだ理由」

 

  友里は、「まあみんな分かってると思うけど」と、一旦置いて、

 

「もし村田さんがおまじない関係で本当に死んだとしたなら……村田さんて卵が割れたんでしょ? でも『割れた』んじゃなくて『割った』が答えなんじゃない? つまりルールを破ったから」

「そうね、本当に卵が原因ならだけれど」

「塔子、まだそんなこと言うわけ? そんなに怯えてるのに?」

「確かに状況だけ見れば卵が原因なのでしょうけれど、常識的に考えてそれが原因だと言える? それに……信じたくないのよ」

「そうは言っても卵が原因だと思ってこれからどうするか考えた方がいいんじゃない? あたしだってこんな馬鹿げたことで死ぬのなんて嫌だし、それに今一番危ないのは、あたしでも願子でも塔子でも無くて卵にヒビが入ってる杏よ」

 

  その言葉にハッとして願子と塔子の視線が杏へと集まる。卵が割れることが死に近づくというなら、確かに今一番危険なのはこの四人の中だと杏だ。当の杏は困ったように小さく笑みを作るが、その表情は弱々しい。

 

「だ、大丈夫ですよまだ生きてますよ、足だってちゃんとあります」

「杏ちゃんそんな冗談言ってる場合じゃないって! 本当に大丈夫なの? その、あんまり言いたくないけど何か見えたりしない?」

「よ、よく分からないけど大丈夫。私には三人の顔しか見えませんよ」

 

  その杏の様子に願子はほっと肩の力を抜いた。願子の隣にいる塔子も同じようだ。二人が最後に見た村田さんの様子から言って、彼女には何かが見えていたようにしか思えない。それも彼女にしか見えないであろうものだ。卵の所為で精神がいかれてしまったのか、それともそれ自体が卵の呪いというべきものなのかは二人には分からないが一先ず安心だろう。しかし、村田さんを見ていない友里と杏には当然何がなんなのか分からない。

 

「願子、なんで何か見えるって発想になるのよ、それが割った時の代償なわけ?」

「どうなんだろ、分かんないけど私と塔子は数日前に村田さんに会ったのよ、凄い錯乱した様子で、誰にも見えない何かを見てた。それに怯えてたから卵の呪いに関係あるのかなって」

「なんであんたはそんな大事なこと早く言わないのよ」

「しょうがないでしょ、塔子も言ってたけどこんなことになるって分かってたらすぐに言ってた」

「それで? 見えるって何が見えるのよ」

「それは……よく分かんない。確かこちなんたらって言ってたんだけどよく聞こえなくて、塔子分かる?」

 

  振られた塔子は一瞬迷った顔をしたが、ようやく塔子も覚悟を決めたのか、しっかりと三人の顔を見るとこう言った。

 

「こちやさなえ……確か村田さんはそう言ってたわ」

 

  塔子はしっかり聞いていた。願子よりもあの時村田さんの近くにいたから。しかし、それがいったいなんなのか塔子には分からない。何よりその名を口にするのも悪いような気がして、その名前を村田さんから聞いた時から、何か心が毛羽立ったような感じがしたからだ。ただ、杏が卵のことを口にしたのに、自分が口を開かないのは流石に無いと吹っ切れてのことだった。

  こちやさなえ、恐らく人の名前であろうことは四人にも想像がつくが、それがいったい誰のことなのかというと、

 

「「「誰?」」」

 

  全く心当たりが無かった。

 

「誰よこちやさなえって……友里知ってる?」

「知ってるわけ無いでしょ。多分姓がこちやで名がさなえなんだろうけど、そんな珍しい苗字一度聞いたら流石に覚えてるはずだし、杏はどう?」

「し、知らないです。でも村田さんが危険な状況で口にするくらいだから重要な人なんじゃないですか?」

「そうね、ひょっとしたらこのおまじないの発案者だったりするのかしら」

「マジで?」

「知らないわよ」

 

  知らない。分からない。このおまじないに関して、情報が出たとしても分からないことが多すぎる。四人が四人とも今までに無いくらい頭を回すが、行き着く先は『分からない』という答えでしか無い。

  一歩も前に進まず、雨音が強くなり天候もますます悪くなるのに合わせるかのように事態は悪化していく。今分かっていることは、おまじないのルール、村田さんが死んだこと、こちやさなえという誰かくらいのものだ。しかし、そのどれもが不可解なものばかり、本当に分かっていることなど無いと言っても過言では無い。

 

「……もうやめにしないかしら?」

 

  そんな進まない状況で塔子が言った言葉は諦めだった。

 

「少し冷静になって考えてみるとやっぱりおかしいわよ、おまじないで人が死ぬなんて考えられないわ。それをこんな場所で大真面目に考えるなんて、この状況の方がよっぽど異常だわ」

「塔子がそれを言っても説得力無いよ。私も塔子も村田さんを見た時にこれは普通じゃ無いと感じたはずだし、逃げたってしょうがないじゃん」

「じゃあどうすればいいのよ! 探偵気取っておまじないの謎を追い求めてそれで本当に助かるの? むしろ村田さんは病気で、たまたま卵が割れたという事が重なって卵のせいで死んだように見えるだけかもしれない!」

「塔子少し落ち着きなさい。あたしだって信じられないけど、何もしなきゃ下手すればあたしたち早くて明日にでも死んでるかもしれないの。そうはならなくてもこの卵を持って一生怯えて暮らすなんてあたしはごめんよ」

「じゃあどうするってのよ!」

 

  重苦しい空気と、雨のせいで、目に見えない暗いものが可視化されいるんじゃないかと錯覚するほど空気が悪い。堂々巡りの状況に、誰よりも信じたくない塔子のストレスは限界を超えてしまう。こうなってしまっては最悪だ。このままでは何の答えは出ず、卵のおまじないのことなど放って置いて普通の日常に戻ることになるのかもしれないが、それは決して普通ではない。絶対に普通ではないのだ。一歩間違えればあの世行きの片道切符を持っての生活など正常でいられるはずがない。そして、その切符が早くも切られかけている杏がいる。このままでは、また村田さんのようになる少女を見ることになるかもしれないのだ。骨に皮だけ纏い、声は(かす)れて死人のように生きる生活。今度は他人ではなく友人が壊れる姿を見ることになるかもしれないのだ。だから、

 

「……分かった。じゃあちょっとみんな卵前に出してくれる?」

「願子?」

「いいから、私にいい考えがあるの。これなら一発で問題を解決できるかも」

 

  願子の呼びかけに、もともと出していた友里、杏もおずおずと、塔子はかなり渋っていたが、それでももうどうにでもなれといった感じで取り出した。願子も懐から取り出し、四つの卵が目の前に現れる。

 

「こう見ると綺麗なんだけどね」

 

  卵を持っていない方の手を一度固く握り締めて、願子は心の中で覚悟を決める。今まで望んでいた普通でないこと。しかし、それが楽しくも無く、友人たちを危険にさらすものなど受け入れられるはずが無い。だったらやるのは自分であるべきだ。 おかしなことに首を突っ込むのは慣れている。行くなら行くところまで行くしかない。それが自分なのだから、こうなったら最後まで突っ込もう。こんな状況でも、頭の最奥で『きっと面白いことがある』とありえない考えが(くすぶ)っている自分の頭に自嘲気味の笑みを浮かべて、願子は握り締めていた手の力を抜く。

 

「割るのがいけないんだったら、『割られた』なら平気でしょ?」

「願子!」

 

  誰が願子の名前を読んだのかそれは分からない。しかし、誰が反応するより早く三人の卵を引っ手繰り、

 

「お願い!」

 

  全ての卵を廊下に叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?」

 

  おかしい、なんだこれ。

  卵を叩きつけた瞬間、くしゃりと(ひしゃ)げた卵が急激にスローモーションになったかと思えば、いつの間にか雨音はしなくなり雨が止んだ。

  いや、止んでいるのでは無い。

  屋上へと開け放たれた扉から見える景色に願子は静かに息を呑んだ。

  雨が止まっているのだ。雨粒一つ一つが重力に逆らって空中を漂っている。歪な楕円を描く雨粒は、周りの風景をくっきりと写し取り、数多の雨粒たちに反射して雨粒の中はまるで万華鏡だ。その景色をバックに視界に映る三人も人形の様に動かず、願子自身の身体も卵を投げ放った体勢のままピクリとも動かない。しかし、意識だけははっきりとしていて、まるで静止画か写真の世界に入ってしまったようだ。

  ただし、そこには世界が止まっている以外に一つ違和感があった。

 

  パシャリ

 

  間抜けな音を響かせて、水面を踏む音が聞こえる。それは間違いなく願子の方へ向かって来ていた。屋上から滑り込む冷気は消え失せ、どろりとした生ぬるい空気が肌を撫ぜる。重い鉄製の屋上の扉は、紙にでもなってしまったかのように、嫌な空気を受けて簡単に左右に揺れて、その軽やかな動きに似合わぬ鈍い金属音を立てる。

 

  パシャリ

 

  雨が何かを避けることは無いのに、地面に広がる水溜りが一つ、また一つ小さく爆ぜ、雨粒たちも景色を写す仕事を止めてしまっているのかその見えない存在を写すことはない。ぬるい空気に当てられて、脂汗が(にじ)み出る。世界が止まっているはずなのに、(にじ)み出た汗は額を伝い、ポタリと地面へ落ちていった。

 

  ペタリ

 

  扉の軋む音に合わせて遂に足音が変わった。乾いた一歩、屋上へ続く廊下にべったりと足跡が残される。水滴で形成された足跡は、最初ただの跡といった何の生物かも分からないものから、一歩一歩進むごとに、見慣れた人のものへと一歩ずつ変化していく。

  その足跡の先には、スローで拉げていた四つの卵が、全身にヒビを入れ細かい破片を辺りに散らばしていた。

  入ったヒビを押し分けるように、暗い(もや)のようなものが表面に染み出し、それは徐々に量が増え、ペタリと足跡が卵の隣に落ちた時それは姿を現した。

  (もや)が、落とされた足を伝うようにそれの全身を包み、緑黒いヘドロが何もない空間から沸き立つように流れ落ちながら形を変えていく。頭、身体、足、およそ生き物に見えないそれがとった形は人に見えなくもない。頭には穴が三つ空き、顔を模しているようだ。マネキンより出来の悪い泥人形、こちらに二つそれから(あふ)れるように伸ばされるものは、流動的に先端が五つに分かれ、手となり目の前まで迫ってきた。

 

  目に映っているのはいったいなんだ?

 

  手を形作るヘドロに含まれる黒い結晶は嘆きの塊。吸い込まれるように視線を奪われ、瞳を通じて心を侵食されてしまう。鳥肌が立つ、吐き気もする、耳鳴りがして頭痛もする。苦痛を直接脳に捻じ込まれたみたいだ。

 

  やだ、嫌だ、こっちに来ないで!

 

  しかし、身体は言うことを聞かず、伸ばされた手がぬるりと頬に触れた。焼け(ただ)れたのかと間違うほどに熱を持ち、身体中の血管に火が放たれたようだ。それが巡って心臓に達し、鼓動の早さが一段と上がる。全く動いていないはずなのに、全力で運動した後の辛さに、そこから爽快感を引いた感じ。今自分が息をしているのかも分からないが、喉が詰まった感覚に陥り、首を引きちぎりたくなる。頬に触れられた指先は、その場で願子を弄ぶかのようにくるくると指先を回される。それに合わせるかのように思考がシェイクされ、嘔吐感が急激に増幅されるが、口から放たれることがない胃液はそのまま願子の喉を焼く。

  そのヘドロは、苦しむ願子の様子に満足気に口に見える溝を弧の形へと変えると、より一層人に似た形状を取った。顔は相変わらず三つの点でしかないが、長い髪を思わせる器官が伸び、身体には服のようなものが浮かんでくる。だが、どれだけ人の形に近くなってもそれは人にはなりきれない。形を成している全てのものは、上から下へと流れ落ち、一度真っさらに戻ったかと思えば内から新たなヘドロが(こぼ)れ、またある程度精巧な人の形となる。

 

「こちや……さなえ?」

 

  願子の口から不意に出た言葉に、自分自身が困惑する。誰かも知らない人物なのに、何故目の前の泥人形をそうだと思ったというのか。それは名前を呼ばれ、より嬉しそうに願子の傍へと一歩近づく。分からない。分からない。それを気にする余裕も無いほど願子の意識は混濁(こんだく)して、近づいたそれの圧力に(うめ)き声すら上がらない。

  笑みを浮かべるそれがより深く手を伸ばし、手を重ね合わせ絞るような形で首に差し掛かった時、急に後ろ髪を引かれて、鋭い痛みが走るのと同時に願子の意識は遠のいていった。

 

 




こちやさなえだ! こちやさなえが出たぞ!


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部室へようこそ

「……願子……願子!」

「……う、うん?」

 

  ぼやけた目を擦りながら願子が目を開ければ、三人の心配そうな顔が自分を覗いていた。柔らかい感触を背に受けて、目に映っているのは友人たちだと理解すると、微睡(まどろ)んでいた意識が徐々に覚醒していく。

 

「友里、ここは?」

「よかった、大丈夫そうね」

 

  安心したといったように笑顔を見せる友里の顔。それは、願子が意識を失う前に見た泥人形とは比べ物にならない暖かな人間味を帯びていた。普段ジャラジャラと五月蝿(うるさ)い塔子の装飾たちの音も、表情の読み切れない可愛らしい杏の微笑みも日常に戻ってきたという感じを与えてくれる。

 

「って、そうだ! あれは!」

「ちょっと、まだ寝てなさい」

「そんなことより! あのヘドロみたいな、ああもうなんて言えばいいの!」

 

  身体を起こす願子に友里は静止の声をかけるが、効果はない。辺りを見回す願子の目には、『こちやさなえ』と勝手に口から出た存在は見当たらなかった。それに次いで自分の身体を(まさぐ)るが、特に異常は見当たらない。あれは本当のことだったのか? 痛みも倦怠感も綺麗さっぱり無くなり、白昼夢でも見ていたとしか思えない。そんな願子がそこらかしこに動かした目に映るのは、友里、塔子、杏の変わらない三人と、木造の壁に床、高そうなカーテン。

 

「ここ……どこ?」

 

  少し落ち着いて周りを見ると、部屋の雰囲気が明らかに変だということに気が付く、保健室などではない。置かれた木造の本棚や箪笥(たんす)は相当に凝った装飾が施され、木造の床には綺麗な赤い絨毯(じゅうたん)が敷かれている。照明は学校に似つかわしくないこれまた凝ったランプが所々に置かれ、暖かい電球色のオレンジ色の光が辺りを照らす。高そうなカーテンを両脇に添えた窓からは、もう雨の止んだ諏訪湖が星々の輝きを写し込んでいる。その景色を伝えてくれる窓に嵌められた硝子は、今はあまり見かけない少し表面の歪んだ磨り硝子と呼ばれるものだ。入り口の扉は両開きの重厚な造りで、これもまた木造で出来ていた。取っ手には蛇の装飾が彫り込まれ、燦爛(さんらん)たる姿から、金箔が貼られているらしい。

  願子が自分の寝ていたものに目を落とすと、それはベットではなく高そうなソファーだった。柔らかい臙脂(えんじ)色をしたそれは校長室にすら置いていないかもしれない。

  学校の中にあるとは思えない古い高級ホテルのような一室に、願子は口が開いたまま塞がらない。そんな願子の様子に当然というように、残りの三人は小さく笑みを浮かべた。

 

「気が付いたようでよかったよ」

 

  そんな願子に次にかけられた言葉に、願子は肩を跳ねさせる。

  その声は女性のものではなかった。低く、この空間に響く声は男性のもののそれだった。

  願子がそっちへ目をやると、執務室に置かれるような重厚な机に、一つの写真立てとこの部屋には似つかわしくないパソコンが一台置かれ、その脇には書類が高く積み上げられている。その奥には、学校指定の学ランを身に纏った一見冴えない男が座っていた。

  目に掛かるくらいの黒い長めの前髪に、眼鏡を掛けた以外に特に特徴のないどこにでもいそうな男。何か手元で書いていたようであったが、願子の方へ一度目を向けると、手を動かすのを止めてペンを置き、数少ない特徴の眼鏡を外すと、男が座っていた執務机の隣にもう一つ置かれた執務机の方を回って願子の前へとやってくる。

  身長はそこそこ高い。175はありそうだ。しかし、細い見た目からは威圧感を感じることはなく、むしろ存在感が薄い気さえする。息を吹きかければ消えてしまいそうだ。初対面の男に戸惑う願子だったが、そんなことなど御構い無しに男は口を開く。

 

「えっと……あの」

「ああ、自己紹介がまだだったな。俺はここ不見倶楽部(ふーけんくらぶ)の副部長だ。よろしく」

「不見倶楽部?」

「まあ要はオカルト研究部だよ、それで名前を聞いてもいいかい?」

「あ、瀬戸際願子です」

「そうか、それじゃあ瀬戸際さん。ようこそ、我らが不見倶楽部へ、歓迎しよう」

 

  副部長はそう言うと願子の座っている向かいの同じようなソファーに腰を下ろし、立っていた三人にも座るように促した。全員が座るのを確認すると、ソファーの間にある背の低いソファーテーブルに置かれた小洒落たポッドで、飲み物を入れて全員に配ってくれる。角砂糖の入ったビンとミルクが置かれ、綺麗な白いカップから漂う匂いからしてコーヒーのようだ。部屋の雰囲気と相まって普段目にしているものよりも高級に見える。実際に手に取ったカップの感触から、本当に高いのかもしれない。

 

「悪かったな、瀬戸際さん」

「へ、なにがですか?」

 

  出されたコーヒーの飲みやすさと、口に広がる丁度いい苦味に頬を綻ばせていた願子だったが、急な謝罪に間抜けな声を出す。

 

「ここ」

 

  副部長は後ろ髪のあるあたりを指差した。願子がそこに手をやると在るべきはずのものが無くなっていた。少し癖の入った長い髪がバッサリと無くなって、首に少し掛かるくらいにまで短くなっている。願子の手が虚空を数回掴んだ。

 

「あれ! なんで!」

「あ、あの願子さんそれは副部長さんが」

「副部長さんが?」

「き、切ったんです」

「なんで!」

 

  副部長へ勢いよく振り向くと、副部長は「だから悪かったと言っているだろう」と、無駄に洗練された動作でコーヒーを飲んだ。その様子から本当に悪びれてはいないらしい。願子は歯軋りするように歯を噛み合わせ遺憾の意を表明するが効果は無く、これでは願子がただ駄々をこねているようにしか見えない。そんな願子を気遣ってか、願子の疑問に答えたのは塔子だった。

 

「願子さんが卵を割ってから、あなたおかしかったのよ」

「塔子……」

「卵を割った体勢のまま固まって、何かよく分からないことをぶつぶつと口ずさんでいたわ、まるで村田さんみたいにね。私たちもどうしたらいいのか分からずにただ突っ立てるしかなかったのだけれど、急に来た副部長さんがあなたの髪を切ってあなたは倒れてしまったというわけ。どういうことか分からなかったけれど、今のあなたを見る限りあれはよかったみたいね」

 

  塔子の説明のおかげでなんとか願子は理解できたが、それで髪を切られる理由が分からない。別段思い入れがあるわけでは無く、切るのが面倒だったから伸ばしていただけだったが、急になくなってしまうと少しショックだ。あるはずの無い髪を触る動作をしつつ願子が副部長の方に目をやると、面倒そうに、しかし、マナーを気にしてか音を立てずにコーヒーのカップをテーブルへと置いて副部長はようやっと話し出した。

 

「信じなくても結構だが、オカルトっていうのは意味合いの掛け合いなんだ。君たちは、いや瀬戸際さんだけかな? 今日オカルトに遭遇しただろう? あのままだと瀬戸際さんは死んでたよ、凄い祟りだった。髪は女の命と言う。だからそれをできるだけ乱暴に、粗末に、暴力的に奪う事によって祟りを逸らしたんだよ。男だったら何も出来ずに見殺しにするしかなかった。瀬戸際さんが女性でよかったよ。それに近くを俺が通りかかったのも幸運だったな。ただそのせいで毛先が傷んでいるからケアはしっかりしとしたほうがいい」

 

  副部長はそう言い終えると、壁にかけられている錆び付いたボロボロの包丁を指差し、また一口コーヒーを飲んだ。願子たち四人はコーヒーを飲むことを忘れて副部長の方をただ呆然と見ている。この男は変だ。なぜそうも当然のようにありえない話をするのか。卵の事すら目にしても四人は未だ信じ切れずにいるのに、この男はオカルトであると断言している。それも錆びた包丁で女性の髪を切る狂人だ。卵を割った願子本人すら、今はあれは夢だったのではないかとすら感じているというのに。何よりこの男は卵の事を知っているのか?

 

「あの知ってるんですか?」

 

  全員が思い浮かんだ疑問を真っ先にぶつけたのは友里だった。この豪胆な性格は日常生活では少し鬱陶しいこともあるだろうが、こういう時は本当に頼りになる。その疑問を受けて、副部長は少し難しい表情を浮かべ何か考えていたように見えたが、それも一瞬のことで「それは蛇の卵のことかな?」と、口にする。

 

「知ってはいる。だがあれはもっと前からある」

「前から?」

「そうだ、出雲さん。卵というより『こちやさなえ』かな? あれは去年の丁度今くらいの時期に始まった」

「こちやさなえ!」

 

  副部長から出た言葉に願子は強い反応を示す。急に立ち上がった願子に座るように副部長は促すが、興奮している願子は聞く耳持たず、机に身を乗り出して副部長に詰め寄った。その衝撃で幾つかの角砂糖がサイコロのようにビンから転がり落ちてしまう。

 

「副部長、知ってるんですか!」

「分かった! 話してやるから暴れるな、座れ! 全く凄いお嬢さんだな君は。……どこから話そうか、そうあれが初めて出てきたのは去年の春だった。その時は蛇の卵なんておまじないのおまけじゃあなくてな。ただ『こちやさなえ』という形になった祟りが一人歩きしていた。その時は酷かったぞ、五月までの間に学校で八人が死んだ。そのうち学校の外へと広がり半年で死んだ数は百を越える。とはいえあれが諏訪市内から出ることはなくてな、しかも半年経ったらぱったり聞かなくなったもんだから消え去ったと思ったんだが、まさか蛇の卵なんて依り代を得て復活するとは俺も驚きだ」

 

  誰かの唾を飲み込む音が響く。

  去年にこちやさなえによって百人以上が死んだ?

  信じられない、信じられるはずがない。ただなんとなく手を出したものがそんなに危険なものだったなど信じたくない。

  願子は卵を叩き割った時確かに覚悟を決めていた。それは卵のおまじないのせいで死んでしまうかもしれない覚悟。だがそれは心のどこかでそんなはずはないと願子も思っていたからこそ踏ん切ることができたのだ。それが村田さんだけじゃなく、もっと大勢の人間が死んだものが原因だと言われ正気でいられるはずがない。

  先程まで立ち上がっていた元気は消え、代わりに現れたのは恐怖と焦燥感。身体の内側が逃げ出さないように強く肩を抱く。

 

「あの、それは本当のことなのかしら?」

「嘘言ってどうする。それにお前たちもたとえさわり程度でもおまじないの祟りを見たんだろう? 百聞は一見に如かずさ」

「でも信じられないわ!」

「信じなくてもいいさ、だが事実だ」

「あ、あの副部長さん」

「どうした桐谷さん」

「そ、それで願子さんはもう無事なんでしょうか?」

 

  杏の言葉に今一度全員の視線が副部長の方へと向いた。落ちた角砂糖を一つづつ摘んではビンに戻す作業をしていた副部長はやっぱり来たかといったように、手を止めるとため息を小さく零し、軽く首を左右に振った。

 

「残念ながら駄目だな。凄い祟りだ、俺のやったことは所詮気休めだよ。ただ瀬戸際さんはオカルト研究部の素質があるぞ、卵を奪いカチ割ったおかげで君たち三人が祟られることはほぼ無いと言っていい」

「い、いや私たちじゃなくて、願子さんは!」

「うーん、そうだなぁ、まあ手が無いわけじゃあ無いか」

「ほ、本当ですか!」

「まあね、ただしそれには瀬戸際さんの協力が必用不可欠なんだよね」

 

  願子はその言葉にまたも身を乗り出すと、机を乗り越えて副部長の肩を掴む。綺麗に元の場所へと収まったはずの角砂糖が今度は宙を舞った。

 

「ほんとに、ほんとにほんとですか! 私助かるんですよね! 卵の呪い解けるんですよね!」

「だから落ち着けと言っとるだろうが! 確証は無いし、呪いじゃなくて祟りだ」

「の、呪いと祟りと、な、なにか違うんでしょうか?」

 

  呪いと祟り、似ているようだがそれは全く異なる。呪いとはある程度人為的な要因が元になって起こるものだ。呪いをかけるという言葉があるが、祟りをかけるといった言葉がないのがその証拠。それに、

 

「いいか桐谷さん。この蛇の卵のおまじないというのは、言ってしまえば信仰なんだよ。蛇の卵という御守りに祈っているだろう? だから厄介なんだよねぇ。君たちだけじゃあない。どこから始まったのかもしれないおまじない、数多の蛇の卵を持つ者の祈りがあれの力になってしまう」

 

  願子たちだけで四人、死んだ村田さん、他にももっといるだろう。願子たちの学校でもいったいあと何人の生徒が懐に卵を忍ばせているのか分かったものではない。ふと廊下を通りすれ違った生徒が持っているのかもしれないのだ。そうだとすると、あれはいったいどれほどの力を持っているのか想像も出来ない。

 

「そんなのに対処できるの?」

 

  願子が弱気になるのは当然だ。四人の中で唯一あれに遭遇した願子だからこそ、あれの恐ろしさがよく分かる。きっとそれでもあれの本質に(かす)りすらしていないということも分かってしまう。これは、友里、杏、塔子には絶対に分からない。副部長の言った通り百聞は一見に如かずなのだ。たとえ願子が一日かけて精一杯説明したとしても、あれのことの一割も伝わらないだろう。

 

「方法はあるさ」

 

  願子の不安に副部長の答えは是。不敵な笑みを浮かべて、コーヒーの最後の一口を啜り切る。その姿は頼もしくはあるが、どうにもまだ拭いきれない不気味さがあった。要は信じ切れない。急に現れたよく知らない男を信用しろというのがまず無理な話だ。それは願子だけでなく、他の三人も同じこと。

 

「信じていいんですか?」

 

  だからこそ友里は力強くそう言った。

 

「願子は私の親友です。あたしは願子をとりあえず助けてくれたからといってあなたのことをまだ信用しきれません。まだ本当なのかも疑わしいこんな状況で願子の命を預けるなら、あなたよりもその道のプロに頼んだ方がまだ信用できます。だけれど一度願子を助けてくれたのも事実なんでしょう。はっきり言ってこの異常な事態をあなたに任せていいんですか?」

 

  友里の目には今までにない決意が宿っている。願子がおよそ十年間見てきた能天気さは無く、もしここで副部長がふざけた一言を放とうものなら、間違いなく拳でも蹴りでも飛ばすだろう。そんな視線を受けた副部長は、萎縮するどころか目を細め、より笑みを深めると、「断言しよう」と、友里の決意に答える。

 

「あまり言いたくはなかったが、君たちは幸運だよ。この問題に関して俺より詳しい人間はこの日本どころか世界中探してもいやしない。悪いがその理由を話す気は無いが、世界中で唯一俺だけが対処できるだろう。それだけは間違いない」

 

  副部長はそう言い切ると、「安心したか?」と、頼んでもいないのに全員のコーヒーのおかわりを注ぐ。しかし、それでも友里は納得仕切れないようで、「理由を話してください」と続けた。

 

「話す気は無いと言っただろう」

「なら信用しきれません」

「ちょ、ちょっと友里! いくらなんでも」

「あたしはあんたに死んでほしく無いの! あんたはあたしの初めての友達で、小学校も一緒、中学校も一緒、高校もそう! きっとこの先も一緒にくだらないことしてたいの! いつか誰かと結婚して、子供が出来て、孫が出来て、それでも偶に会って縁側でくだらないこと言うようなだらだらした人生一緒に過ごしたいのよ……いつまでも……」

「友里」

 

  零れ落ちそうになる涙をなんとか堪えて願子に届けられる言葉は、正しく友里の本音だった。澄ました様子も、演じた様子も無く、噓偽りもありはしない。ただ泥臭く絶対に言わないような友里の心の奥底の言葉。ありえない不思議なんかじゃあない。煌びやかな幻想なんかじゃあない。どこにでもあるような人の言葉でしかなかったが、それでもこの場で友里の言葉よりも美しいものはないだろう。それがここにいる誰にも分かるから、副部長はこれまでにないほど大きな口を開けて笑い出す。

 

「はっはっはっ! いや、久々に良いもの見せて貰ったよ! 参った! やられた! 最高だ! 分かったよ話そう君のために。ただし全てを話すには残念ながら時間が足りない。だからここで言うのは一つだけだ。後は全部終わった時に話そうか」

「……なんですか?」

 

  目尻に溜まった涙が落ちる前に指で弾き出し、副部長の顔を真っ直ぐ見つめる友里を、副部長もまたしっかりと見つめ返し、副部長は全員の意識が自分の方に確かに移ったのを確認すると、目の前に一枚の白紙を取り出すとそこに文字を書いていく。東、風、谷、草、苗、五つの文字を書き終えると、副部長はゆっくりと口を開いた。

 

「俺は東風谷早苗(こちやさなえ)を知っている」

 

  その一言で十分だった。東風谷早苗、誰も知らない誰かをこの男は知っている。

  それが逆にこの男の怪しさを一段と引き上げたが、それと同様に酷い違和感が四人の頭の中に広がった。『こちやさなえ』と『東風谷早苗』。呼び方は全く一緒だが、理由は分からずともこれらが全く違うものだということがなぜか理解できてしまう。書かれた文字からはコールタールのようにどろりとした粘つく陰鬱な『こちやさなえ』の空気は感じない。山を流れる小川のような爽快さをむしろ受ける。

 

「なんで?」

 

  その言葉が願子から出たのは当然だが、これ以上は話す気がないのか、副部長は書いた紙を丸めると執務机の隣に置かれたゴミ箱へとそれを投げ捨てた。綺麗な放物線を描き、寸分の違い無くゴミ箱へと吸い込まれる。

 

「今はこれ以上言う気はない。約束通り終わったら全部話すさ、何より今は時間が無さすぎる。言っておくが俺が保たせた君の命は一日だけだ。明日の放課後にはまたあれがやってくるぞ」

「嘘!」

「本当だ。だから今から作戦を伝える。そうしたら俺は明日のための準備をしなければならないからな」

 

  副部長の話で覚悟を決めたのか、そこで副部長に何か言う者は居なかった。東風谷早苗という名前はそれほどまでに効果があったのだ。一番頑なだった友里が黙っているあたりその効果の強さが分かるだろう。副部長は願子を元の場所に戻るように言い、願子が座ったのを確認するとゆっくりと話し始める。命が懸かっている願子は聞き逃さないように耳を澄ました。

 

「いいか、まず明日の放課後になったら瀬戸際さんにはそこら辺をほっつき歩いてもらう」

「はい?」

「そうしたらやつが出てくるだろうから」

「ちょっと待った! ひょっとして私囮ですか?」

「ひょっとしなくても囮だ」

 

  囮、つまり餌である。

 

「いやいやいや、待ってくださいよ! 助けてくれるんですよね!」

「そうだよ」

「ならなんで囮なんですか! はっきり言って私あれから逃げ切れる自信無いんですけど!」

「こうなるまでの経緯は瀬戸際さんが寝てる間に聞いたが、瀬戸際さんはあれだろう? 漫画や小説のような展開に憧れてたんだろう? だったらよかったじゃあないか、遂にそれがやってきたぞ」

「いや、こんなの望んで無いですから! だいたいそういうのって三枚目の役所じゃないですか!」

「よかったね、三枚目」

「嫌だぁ!」

 

  『きっと面白いことがある』

  うるさい! と不出来な脳味噌からの薬物を拒否して願子は首を大きく横に振る。楽しそうに笑う副部長を見る限り九割九分ふざけていた。願子と副部長の漫才はしかしそれ以上続くことは無く、「……副部長?」と冷え切った友里の言葉に、副部長は咳払いをして誤魔化すと真面目な顔つきに戻る。

 

「悪いが、今おまじないの祟りを受けているのはこの場では瀬戸際さんだけだ。新しい卵を持ってきて誰かが割ったとして、それでは問題が増えるだけだからな。瀬戸際さんに頑張ってもらうしかない」

 

  「それに」と、また一口コーヒーを飲んで、

 

「困ったことにあれは俺の前には姿を表すことが無くてな。だから一年前は結局捕まえられなかった。誰かにおびき寄せてもらうしかないのさ」

 

  これには四人とも首を掲げた。副部長の前にあれが姿を表すことはない? なぜ?

 

「なら願子と副部長が一緒にいれば願子は安全なんですか?」

「そりゃそうかもしれないが、それじゃあ本末転倒だろう。一生あれに怯えて暮らす気か? 何よりその方法だと、寝る時も風呂の時もトイレの時も俺と一緒じゃなきゃダメだぞ」

「それは嫌!」

「だろうねぇ」

 

  四人の疑問はさて置いて、副部長は話を進めていく。副部長に願子たちの疑問は暈されてしまったが、結局代替案が出たとしても全員分かっているのだ。『こちやさなえ』をなんとかしない限りこれが終わることがないということを。

 

「分かりました、囮やりますよ」

「それでいい。それに逃げるのは大丈夫だ、あれが出てきたら俺がなんとかする。その間に瀬戸際さんが逃げて時間を稼ぎ、俺の仕込みでさようならというわけだ」

 

  作戦は以上である。なんともアバウトな作戦であるが、副部長は失敗している未来など見えていないようで、コーヒーのお代わりいる? といつの間にか飲み干していた自分のカップに新しいコーヒーを注ぎながらどうだっていいことを聞くくらいの余裕があるようだ。願子は逃げるだけ。願子は自分の仕事に納得したが、ここで残りの三人が口を挟んだ。

 

「それであたしは何をすればいいんですか?」

「わ、私も何かできることがあったらなんでもします!」

「そうね、願子さんに借りを作るのは癪だし私も協力しようかしら」

「友里……杏ちゃん……ありがとう!」

「私は?」

 

  塔子は放って置き、杏と友里の手を握る願子の心内に不安はもう存在しなかった。繋いだ手から伝わる熱は、あれに触れられた時とは違い安心感が身体を包む。塔子は放って置き、今までにない一体感を感じる。きっとこの先も彼女たちの友情は変わらないだろう。

 

「君たち二人には俺の考える仕込みで最も重要なことをやって貰う。いいか、全ては明日決まる。明日が勝負だ」

「私は?」

 



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最後かもしれない今日

  机に突っ伏しても邪魔にならなくなった髪を指先で弄り、隣に座る友里を見る。面倒そうな顔をして透き通った金髪を掻き上げる友里はいつも通りのようで、その先の窓からは、昨日の悪天候が嘘だったかのように雲一つない快晴の空と、そこから降り注ぐ陽の光が窓から差し込み願子の目を焼いた。

 

「痛ったぁ」

「何やってんのよ」

「もう今日の放課後なんだなって黄昏てるの」

 

  昨日、副部長は話が終わると願子たち四人を残して、次の日また来るように言うと本当にさっさと帰ってしまった。あんなことがあった当日だというのにほっとかれ、副部長曰く大丈夫とのことだったが、『こちやさなえ』が姿を現さないかビクビクしっぱなしで願子は一睡も出来なかった。おかげで朝から上手く頭が働いてくれず、濁った頭では煮え切らない行動をとることしか出来ない。

 

「もう信じるしかないでしょ、あの不見倶楽部の副部長って人あれだけ余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)って感じだったんだから」

「そういえば副部長てさあ、いったい何者なんだろうね」

 

  不見倶楽部。新入生歓迎会にも出ず変な名前の部活のよく分からない男がただ一人だけ部室にいた。学校とは思えぬ豪華な部室、そして願子たちの知らないことを知る男。副部長のおかげで話は急激に進みはしたが、副部長のこと、おまじないのこと、『こちやさなえ』のこと、願子たちの中の疑問は、ほとんど解決していないと言っていい。

 

「この問題に異様に詳しくてさあ、それに不見倶楽部って副部長だけなのかな?」

「副部長っていうんだから最低でも部長はいるんじゃないの? 昨日は一切姿は見えなかったけど」

「っていうか普通ああいう立場の人ってすごいイケメンだったりさ、なんか特徴あるもんじゃない? なんか平凡って感じの容姿だし」

 

  副部長は本当に特徴の無い男だった。容姿は良く言って中の上、悪くて中の下、唯一言えそうな特徴は、身長に対して少し長めの手足と、ある意味それに見合った細い体躯。髪は無造作で、制服を改造しているわけでも無い。どこにでもいそうな風貌は、学校で見かけたとしても記憶に残らないであろう。

 

「あのね、それはあんたが夢見すぎよ、むしろ容姿までおかしかったら逆に信用できないでしょうが。ってか副部長ってなんなのよ結局名前分かんないし」

「え、そうなの? 友里たちは知ってると思った」

「知らないわよ、部室でもあんたが起きるまで黙ってなんかずっと書いてただけだし、私たちと自己紹介した時も副部長としか言わなかったし」

 

  友里は、「だから信用しきれない」と肩をすくめる。こうして情報交換していても、解決に向かわず疑問が積み重なっていくだけ。願子からすればどっちに転がろうとこの問題は今日終結することが決まっているのだが、歯痒いことこの上無い。

 

「にしてもあんた意外と落ち着いてるね。もっと取り乱すと思ってた」

「ヘヘっ、私も」

 

  にへらと笑う願子の笑顔には、無理している気配は微塵も見られない。願子が落ち着いているのには当然理由がある。言ってしまえば、あんな目にあってもこの特殊な状況を信じ切れていないのだ。一度幻想などないと思ってしまったからこそ信じ切れない。中学生がする妄想や、テレビでやっているオカルト特集の方がよっぽど真実味があるとさえ思っている。。まさに起きながらに夢を見ているような気分。それに合わせて、『きっと面白いことだある』と叫び続けている好奇心センサーがいい具合に願子の心を麻痺させていた。

 

「そんなんで放課後大丈夫なの?」

 

 そんな一見能天気にしか見えない願子の態度は友里からすれば心配でしかない。一歩間違えば、すでに精神をやられていると思われても仕方ないかもしれないが、おまじないに対して覚悟を決めていると見れば、願子には落ち着いていられるもう一つの理由があった。

 

「大丈夫だいじょーぶ! 友里たちがいてくれるんでしょ、副部長はまだよく分かんないけど、友里たちがいてくれるなら大丈夫だって」

「全くあんたは」

 

  呆れる友里を尻目にまたにへらと笑う願子。おかげできっと大丈夫だという思いが、友里の中でも僅かながら強くなる。

 

「あらあらあら、願子さんに友里さん朝から仲良しね」

 

  しかし、それもすぐに終わった。

 

「塔子、あんたはもういつも通りってわけ?」

「あら友里さん、折角願子さんが私たちの命を助けてくれたのだからいつも通り過ごさなければ逆に申し訳ないというものでしょう?」

 

  無駄に豊かな胸を張って宣言する塔子に向けられる目は侮蔑(ぶべつ)の目が四つ。昨日は最も錯乱していた癖に、最も立ち直りが早いとはタチが悪い。当然そんな塔子には願子たちが何か言ってあげるわけもなく、微妙な空気が流れる。

  しかし、流石に塔子も思うところがあって何か心境の変化があったのか、いつもなら自分の言いたいどうでもいいことを紡ぐ口は、微妙な空気の中少し慌てた様子で咳払いをすると、「あらあら」とまた始めた。

 

「そんな顔をしないでちょうだい。私だって流石に今回は悪いと思ってるわ」

「ってことは今までは私たちに悪いと思ってなかったと」

「まあまあそんな細かいことはいいじゃないの、今回反省した私は、願子さんの助けになるべく昨日頑張ってきたのだから」

 

  副部長に次いで昨日すぐに帰ってしまったのは、四人の中では塔子だった。今のようなうるさい姿はまだ無く、多少気落ちしたまま帰って行ったのだが、それでいったい昨日何を頑張ってきたと言うのか二人には見当がつかない。見当がつかないが、碌なことではないだろうと予測できる。

 

「塔子がいったい何を頑張ったのよ」

「あら、願子さん気になるのかしら? ……分かったわもったいぶったのは悪かったからそんな目で見ないで頂戴。おまじないに関しては無理だったけど副部長さんの言っていたことの裏取りをしてきたのよ、結果は副部長の言った通り。確かに去年この学校の先生と生徒合わせて八人が亡くなっていたわ、これで副部長さんのこと少しは信用できそうでしょう?」

「そんなのよく分かったね」

「占いマニアの(つて)を使ったのよ」

 

  ドヤ顔の塔子を見る限り嘘ではないらしい。てっきりゴミと大差ない情報が出てくると思っていた願子たちの予想は大ハズレ。本当に塔子なりに力になるため頑張ってきたようだ。ただ占いマニアの伝というわけの分からない情報網にはお近づきになりたくないので、願子たちは深く突っ込むのをやめた。

  しかし、ここでまた新たな疑問が願子の中では湧いてきてしまった。元新聞部だからこそ余計になのだろうが、一年の間に八人もの人間が死ぬというのは大事件だ。だというのに入学する前も後もそんな話は全く聞いたことがない。残念ながら願子たちにその理由を調べる時間は無いため、これは副部長に聞くことが増えたなと願子は心の中でそう決めた。

  そんな疑問の応酬とも呼べそうな何も進まない不毛な会話劇を繰り広げる願子たちに近付き辛かったのか、三人の遠巻きで足踏みしていた杏がようやっと三人の方へとやってきた。

 

「お、おはよう」

「おはよう、杏ちゃん。昨日はよく眠れた」

「あ、いえ、実はあんまり」

「私もー」

 

  幸薄そうな杏が来て、遂にこれで四人が揃った。この四人プラス副部長で今日の放課後におまじないの決着を付けるのだ。四人からすれば副部長は頼りにはしているが然程当てにはできない。しかし、ここに今揃っている四人は違う。親友、新しい友、腐れ縁。繋がり方は違えども、いつでも背中を預けられる者たちだ。そう思えるくらいには、お互いがお互いを分かっている。

 

「も、もう今日の放課後ですね」

「ねー、なんか不思議な感じ」

「あんたはもうちょっと緊張感持ちなさい」

「あらいいじゃない、いつもの願子さんて感じで」

 

  ひょっとすると願子にとって最後かもしれない朝。だが願子には確信があった。三人の顔を見ているとこれが最後だという感じがしない。だからきっと大丈夫。そんな思いを胸に授業まで他愛も無い普通の会話に花を咲かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ううむ」

「早く入りなさいよ」

「だってぇ」

 

  放課後、タイムリミットは近付くどころかもう過ぎているかもしれない。不見倶楽部の重厚な扉の前で四人は二の足を踏んでいた。願子は昨日意識の無いうちから無駄に豪華な調度品に彩られた空間に居たからこそそこまで気にしなかったのだが、まるで別世界のあの空間に自分から入るとなると少し気が進まない。絢爛豪華(けんらんごうか)な扉の上の壁に掛けられた不見倶楽部と文字の入ったプレートが、今いる場所が間違いでは無いことを十分願子たちに教えてくれているため、後は入ればいいだけなのにまごついてしまう。そんな願子の姿を高そうな取っ手の蛇の装飾たちは笑っているよに見える。西日になり差し込む陽の光をキラキラ反射させて輝く取っ手は、もういいからさっさと握れと自己主張するが、それでも願子の伸ばす手は空を切るばかり。

 だいぶ間が空き、ようやく手を取っ手へと伸ばした願子だったが、痺れを切らしたのは扉も同じようで、願子の手が触れる前に扉は小気味好く軋む音を立てながらひとりでに開いてしまった。願子たちの方にと外開きに開ききった扉の先には誰かが立っているわけではなく、本当に扉が勝手に開いたらしい。その不可解な光景に願子は手を伸ばしたまま固まっていたが、

 

「遅かったな」

 

  窓際の執務机に座る副部長の低い声が、昨日のように願子の意識を覚まさせた。副部長はまた何か手元で書いていたようだったが、扉が開いたことによって入った日差しに目を細めると、副部長は四人に手を招いてソファーの方へと身を移した。四人がソファーへと移った時には、すでに四つのコーヒーが置かれ、その光景は昨日の焼き直しだ。願子たちが座ると、扉が勝手に開いた説明も無く、前置きも無しに早速本題へと口を開く。

 

「その様子だとあれはまだ姿を見せてないようだな。お前たちがここに来る前にやられてなくてよかったよ。そんなわけで改めて作戦を伝える」

 

  ゾッとする遠慮の無い言葉を挟むと、副部長はおもむろに懐へと手を伸ばし、緑色をした布に包まれた何かを取り出した。その布は見たところ一般的にハンカチと呼ばれるもので間違い無い。刺繍などは無くまっさらな無地で、何の変哲も無いように見える。ただ、それに包まれたいるのは?

 

「あの、副部長。それっていったい」

「多分瀬戸際さんが考えている通りのものさ」

 

  そのハンカチの膨らみは、ここ数日嫌という程見てきたものだ。願子に友里はもちろん、塔子に杏はもっとよく分かるだろう。楕円を思わせるシルエット。それだけで間違いないと断言できる。

 

「副部長、どういうことですか? あたしにも分かりますよ、それって『蛇の卵』でしょう?」

 

  蛇の卵。

  それで間違いなかった。今願子たちの最大の悩みの種であり、最も見たく無いもの。現に塔子は目線を逸らし、願子も麻痺していた恐怖心が刺激され、一気に冷たいものが背中を流れる。

 

「そうとも、これが俺のとっておきだよ」

 

  そう言った副部長の顔は歪みなど一切なく口が綺麗な弧を描いた笑顔だった。確信しているのだ。これが、蛇の卵があれを穿つと。信じられない。意味が分からない。文句の一つでも言いたいのに、願子も誰もあっけにとられて喉が詰まってしまった。そんな反応を待っていましたと言わんばかりに、楽しそうに副部長の口は滑り出す。

 

「気持ちは分かる。しかしなあ、これは冗談なんかじゃあなく本当にとっておきなんだよ。よって昨日言った通りだ。これは出雲さんと桐谷さんの二人で持っていてくれ」

 

  大事に静かに包みを置いて二人の前へとそれは差し出される。国によって月の模様の見方が変わるように、ここ数日で卵の見方は随分と変わってきた。願子にとっては、初めは興味の対象、次にくだらないおまじないの道具、願いを込めたもの、恐怖の対象、そうやって形を変えてきた。それは他の三人だって同じはずだ。だから目の前に置かれた卵に全く手を伸ばそうとしない二人の姿は間違っていない。

  副部長はいったい何を考えているのかここにきてより分からなくなる。副部長だって分かっているはずだ。友里が四人の中で最も副部長を信用していないと分かっているはずなのだ。そんなこと願子にだって分かっている。副部長がそれを分からないなんて願子には思えなかった。他のものならまだいい。鉛筆でも消しゴムでも、スコップでも箒でも、蛇の卵以外ならなんだっていい。なのに『それ』は絶対駄目だろう。しかも副部長は昨日の段階で二人に最も重要なことを頼むと言っていた。つまり最初からこれを友里に頼むと決めていたのだ。

  願子が恐る恐る横目で友里の方を盗み見れば、コーヒーに全く手を出さず、行儀良く膝に置かれた二つの手は力一杯握り締められていた。友里だって分かっている。副部長は冗談じゃないと言ったからには本当にとっておきなのだろうと。しかし、友里からすれば今まさに親友で幼馴染の命が無くなるかもしれない状況を作り出した卵を手に取るなんてことしたいはずが無い。だからこそ、卵に手を伸ばしたのは友里ではなく杏だった。

 

「ふ、副部長さん。これを持ってればい、いいんですか?」

「ああ、それを二人は持っていてくれ、ちゃんと卵に祈ってな。後は瀬戸際さん、ほれ」

 

  卵を手に取った杏に念を押すと、副部長は懐からまた別のものを願子に投げて寄越す。一瞬蛇の卵かと警戒した願子だったが、受け取った手の感触からそれが卵などではなく、もっと平べったいものだということが分かる。手へと目をやれば、形状的に紙で出来た御守りらしい。

 

「あのー、副部長これはなんですか?」

「何って御守りだよ。昨日ぶっちぎった瀬戸際さんの髪を使った」

「私の髪!」

「そうだ、髪は女の命。昨日瀬戸際さんの命は俺が刈ったからな、つまりオカルト的に瀬戸際さんは命を取られたんだよ。だから昨日は奴は去った。でも瀬戸際さんが死んでないと分かったやつは戻ってきて瀬戸際さんの命を狙ってるというわけだ。そこでこの御守りは瀬戸際さんの命で作られ、やつに奪われていないからやつが来ても瀬戸際さんと瀬戸際さんの命に意識が分断されて逃げやすくなるって代物なわけだ」

 

  副部長の説明を受けたが、よく分からなかった願子は取り敢えず凄いなあといった声を上げる。ただ手にある御守りを見ても、副部長が言うような効果があるとは信じられない。

 

「さて、これで準備は整った。瀬戸際さんはもう後はほっつき歩いて来てくれ。やつは祟りとして凄いパワーを持っているから出れば分かる。そうしたら俺が行くからそれまでなんとか逃げてくれ。出雲さんと桐谷さんの二人は部室で待機だ。瀬戸際さんは俺がやつに追いついたら部室まで逃げる。これで全部だ」

 

  何度聞いてもシンプルな作戦だ。そんなんで大丈夫かと少し心配になるが、もうやるしかないと今一度願子は覚悟を決める。

 

「じゃあ俺も行くから」

「へ? 何処にですか?」

「部室じゃなくてもっとどこにやつが出ても駆けつけやすい所に行くのさ」

 

  副部長が動いたことでより一層始まる雰囲気が強まった。心臓の鼓動が早くなる。これは恐怖でもなければ武者震いでもない。ただ始まるという緊張によってだ。ただ、そんな副部長に一人が待ったを掛けたせいでそんな緊張も消え去った。

 

「あの……副部長さん、私は?」

「あー、悪い悪いすっかり小上さんのこと忘れてたよ。だからそんな顔するな、大丈夫大丈夫ちゃんと決めてる。いいかい、小上さんはな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぜんっぜん来ないんだけど」

 

  すっかり日は落ちた。

  部室を出てからまだ部活動に勤しむ生徒たちと煌めく諏訪湖を眺めながら行ったり来たり、登ったり下ったり、立ち止まって休憩したり、願子が不見倶楽部の部室を出てから数時間。全く『こちやさなえ』の影すら見えず、これではただ学校内を散歩しているだけだ。おかげで入学して一ヶ月も経たずに願子はこの数時間で校内に随分と詳しくなってしまった。日が傾いて段々諏訪湖の色が消え失せるのに合わせて願子の心も焦っていき、終いには小走りになって学校中駆け回ったが、現れたのは先生だけで、廊下は走らないようにと注意されただけだ。それに副部長とも三回すれ違った。

  今日で全てが終わると副部長から言われていたのに、もしこれで『こちやさなえ』が現れなかったら願子はただのまぬけでしかない。人生の中でこれだけ無意味な数時間を過ごしたことを願子は恐らく忘れないだろう。貰った御守りもこれではゴミ当然。何よりこの時間を無駄だと感じる要因のもう一つは今も願子の隣にいる。

 

「あらあらあら、願子さん駄目よそんな暗い顔をしていては、それではきっと来るものも来ないわ」

 

 ーーーージャラジャラ

 

 ーーーージャラジャラ

 

  来ない原因はその(やかま)しい騒音のせいなのではないかと文句の一つでも言ってやりたい。

 

「てか塔子はなんで私と一緒にいるのよ」

「あら、聞いていなかったの? 副部長さんが言っていたでしょう? 願子さんのサポートよ」

 

  やれやれといった動作まで鬱陶しい塔子に願子が返すのはため息だけ。

  願子が副部長の言葉を聞いていたかと言われれば、聞いていたに決まっている。聞きたくなかったが聞こえてしまった。聞き返したかったが、その時には副部長はもう出て行ってしまったため無理だった。おかげで願子は数時間も塔子と一緒に校内旅行だ。

 

「まあ副部長が言うんだったら仕方ないけどさ、せめてその騒音どうにかならない? なんの装飾か意味わかんないし」

「まあそう言わずに、ほら一つあげるわ、これは凄いのよ、いざという時助けになる紐で要は命綱みたいなものでね」

「いや、別にいらないし他のいっぱいあるやつは外さないわけ?」

「あら願子さん、これにはちゃんと意味があるのよ、悪霊退散とか幸運をとか。それに分かりやすいのもあるわ、ほらミサンガとかね、まだ何もお願いしていないけれど」

 

  これ見よがしに手首を見せて来るが、ミサンガよりも他の幾つもの派手な装飾品のせいでよく見えない。幾つもの小さな髑髏が付いているもの。木でできたよく分からない言語が綴られているもの。ミサンガよりもよっぽど禍々しく効果がありそうだ。いったいどこから見つけてくるのか。

 

「ミサンガとかどうでもいいよ。そんな装飾付けてるから出てこないんじゃないの?」

「そうね、だから付けてるのだけど」

「はい?」

 

  意味がわからない。願子の歪めた顔を見ても願子に差し出した紐を握ったままあらあらといった顔を止めない。『こちやさなえ』が出なければ副部長の作戦も意味はないのに。

 

「どういうことよ塔子」

「どういうことってそのままだわ、出なければ出ない方がいいじゃない。昨日のことも、卵のことも悪い夢だったでいいじゃない」

 

  塔子の顔が変わる。

  昨日と同じだ。塔子の余裕の空気は無くなった。あるのは虚しい音だけ打ち鳴らす数多の装飾と、怯えたただの少女だけ。

  願子もここまでくれば流石に分かる。塔子は怖かったのだ。昨日からずっと『こちやさなえ』に、蛇の卵に怯えていたのだ。今朝のいつもの様子もただの虚勢だっただけだ。

 

「それとも願子さんは出てきて欲しいの? あれは願子さんの命を狙っているのよ。出てこない方がいいに決まっているじゃない」

「でも塔子」

「それに友里さんだけじゃない。私だって願子さんがいなくなるのは嫌だわ、それも私のせいで。だって私たち友達でしょう?」

 

  塔子の言葉に嘘はないのだろう。

  昨日と同じような気弱な塔子の姿は初めて願子が塔子と会った時のことを思い出させてくれる。

  塔子を初めて見た時、今のように派手でも余裕な様子もなかった。ただどこにでもいる女の子で、杏に少し近かったかもしれない。初めて話した時も覇気が無く、今の弱ってる塔子と同じ様子だった。それがいつの間にか装飾が増え始め、占いに没頭し、気がついた時には今の塔子の出来上がりだ。

  思えば、あの時の塔子は今のように怖かったのかと願子は思う。それはきっと『こちやさなえ』のような常識外の範疇のものではないが、その何かから自分を守るために着飾ったのだろう。何かから自分を守り、逃げたい気持ちは願子にもよく分かる。だがしかし、今回はそういうわけにもいかない。

 

「塔子、私もあんたとは付き合い長いからあんたのことは少しは分かるつもりよ。でも今逃げてどうするのよ、友里も言ってた、一生あれに怯えて人生終えるの?」

「でも、願子さん」

「分かるよ、怖いんでしょ。それは私も同じ。多分塔子たちより実際にあれを見た私の方があれの怖さはよく分かるよ」

 

  嫉妬、怒り、欲望、悲しみ、恐怖。あらゆる負の感情、その形のないものを無理矢理水に溶かしこんだように、濁りきった泥水よりももっともっと黒い色に塗りつぶした色を宿している。あれを一目でも見てしまえば、常識なんて忘れてしまう。

 

「でもそれは駄目だよ、逃げるのは駄目。不思議なことやありえないことを前にした時、逃げるのは誰にだってできるよ。でも、でも違うの、私はずっと憧れてた。幻想や不思議に。今更出て来て、それも酷いものだけどそれを前にして逃げるのなんてありえない。私の好きな漫画や小説の登場人物だってそんな時は逃げないで立ち向かうの。塔子、あんただってそうでしょ、きっとあんたも幻想に憧れてる。分かるよ、私と塔子はどこか似てるから」

「願子さん」

「やろうよ、塔子。私たちならできるって!」

 

  困った笑顔だ。

  好奇心に犯された不純物の一切ない願子の笑顔が塔子に向けられる。

  塔子は願子のこれに弱い。

  自信もないだろう。根拠もない。なのになんでこんなにいい顔が出来るのか塔子には一切分からない。だから、そんな願子だから塔子は憧れたんだ。

 

「そうね……たまにはいいかもしれないわね……一回くらいなら」

 

  塔子の瞳に生気が戻っていく。それに合わせて打ち鳴らされる装飾の音からも喧しさが戻ってきた。

 

「塔子はなんだかんだ言ってそっちの方がいいよ、私たち友達でしょ」

「あら、願子さんにもようやっと私の良さが分かったようね」

「はいはい」

「じゃあそうね、このミサンガにはあれが出て来てくれるようにでも願いましょうか」

 

  塔子はすっかり戻ってきた。やっぱり腐れ縁の二人だ。友里とは違った友情の形が願子と塔子には確かにある。塔子が言う通り、確かに塔子と願子は友達だから。

 

「そうだね、じゃあついでにさっきの紐も貰っとこうかな」

「ええ分かったわ」

 

  握った紐を願子に渡すために引っ張ると、なぜか引っかかったように動かない。人の手に渡るのを嫌がるとはとんだ命綱だ。

 

「あら、おかしいわね。願子さん引っ張ってくれる?」

「えー、なんか締まらないなぁ」

 

  細い頼りなさげな紐を両腕で掴むと願子は力いっぱい引っ張った。

 

  ーーーープチッ

 

  そして確かに切れた。

  何が?

  切れたのはミサンガ。

  願子の視界の端に映る窓に何かが現れる。

  月明かりを通すはずのガラスに確かに人のような形の跡を残す。

  影より黒く。

  何よりも醜悪な祟りの汚泥がやってくる。

 

「どうしたの願子さん?」

「……塔子、やっぱりあんたないわ」

 

 




占い大好き塔子のことはもっと深くいつか書く


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友里と杏

  日が傾いて真っ赤な太陽が友里の顔に紅い化粧を施そうとしても、それより紅い感情が、友里の肌をより紅く彩り陽の光を弾いてしまう。薄暗くなってきた部室を飾るいろいろな形をしたランプの光も同様に、むしろ友里の姿だけ別だというように浮き彫りにした。数多の光に背を向けて、より深く、より深く、自分の内側に入り込み、音も光も遮断して己の中の真っ暗な空間に浮かぶのは友里ただ一人。

 

「ゆ、友里さん」

 

  こんなに近くにいる杏のことも目に入らず、ただ自分の思いに没頭する友里に、杏は何も出来ずにいる。

  副部長は言っていた。最も重要なことを二人に任せると言っていた。その結果がこれだ。渡された卵を両手で抱きしめる杏と、ソファーの上で体育座りでまるまる友里。折角の豪華な部室もこんな二人だけでは、綺麗な調度品も、上品な雰囲気も台無しだ。

  三人が出て行ってから三時間近く経っても、全く状況は変わっていない。今頃願子と塔子の二人は、学校中を駆け巡っているのだろうに、二人がこれでは全てが台無しになってしまう。

 

「ゆ、友里さん」

 

  そんなわけにはいかないのだ。杏もよく分かっている。この三時間で何百回も友里の名前を呼んだが、そよぐ柔風(やわかぜ)のようなか細い杏の声では友里に全く届かない。友里の真っ暗な内側には、小石が投じられるほどの波紋すら立たず、ただ無へと沈み込む。しかし、それでも辛抱強く言い続け、塵も積もれば山となる。積み上げられた小石は、暗闇から溢れるように友里の元へと一つが落ちた。その衝撃に友里の怒りが少し外に漏れ出るように、

 

「うるさい」

 

  たったの数日だが、杏がまだ聞いたこともないような低い声が返される。マグマが地面から吹き出す前兆のような、導火線に火がつこうとしているような、そんな空気が声の感じから漂っている。顔すら上げず呟いた一言の大きさは決して大きくはなかったが、それでも杏の耳はしっかりその一言を拾い上げた。

 

「よ、よかった」

 

  三時間、三時間だ。

  ただ隣にいる人間に声をかけ続ける時間に比べれば、どんなものでも反応が返ってきてくれる方がずっといい。大きな岩にただ声をかけ続けるような意味もないことをしているわけではないのだ。ただ、それは杏から見た場合の話。友里から僅かに漏れた怒りは、雨水が集まり大きな川となるように導かれ、怒りの矛先が変わっただけだ。それが向かう先は、ただ一人友里と同じ空間にいる杏に他ならない。

 

「何がよかったの?」

「だ、だって友里さんずっとそんな感じで……ようやっと動いてくれたから」

「動いてくれたからなに? なにもよくないでしょ、あたしが今からその卵を握り潰すって言ったらそれでもよかったと言えるわけ?」

 

  ゆっくりと身を起こす友里の目は冗談ではないと訴えている。その瞳に映るのは、この三時間燃やし続けた怒りの炎。徐々に暗くなる空とは対照的にその輝きは一層強くなるばかり。友里の目からは、空に輝く一番星光すら掻き消すほどの光が見える。

  それでも杏はにっこり笑顔を浮かべるだけで、引き下がる様子は見られない。

 

「そ、そんなこと友里さんはしませんよ」

 

  何の確信がある?

  いくら杏が気丈に振る舞ったところで、友里には火に油を注ぐ行為でしかない。そんなことは杏にだって今の友里の様子を見れば分かるだろうに、的外れな杏に友里の手がより強く握られる。

 

「なに? それ? あんたにいったいなにが分かるの?」

 

  理解できるはずが無い。友里の中に渦巻く気持ちなど、杏には絶対分からない。そんな確信が友里にはある。

 

「た、確かに全部は分からないかもしれない……それでも、友里さんが自分に怒ってることは分かります」

「は?」

 

  だからこそ、杏から出た言葉に友里は固まってしまった。それは正しく友里の図星だった。友里の思いは外に向けられるものではない。

 

  イラつく。

 

  イラつく。

 

  副部長が出て行き、塔子も願子も出て行った。残された友里の頭の中に渦巻いたのは単純な怒り。蛇の卵の存在も、『こちやさなえ』も、副部長も、何よりも今自分が不見倶楽部の部室に座っていることに大きな怒りを感じていた。

  不甲斐ないんだ。他の誰よりも付き合いの長い親友に自分は何一つしてあげられない。もしそれを友里が願子に言ったとして、きっと「そんなことはない」と、願子なら言うだろう。だが違うのだ。はっきり言って、一緒にいることなんて誰だって出来る。今の自分は願子にとって所詮そんな気休めのようなものでしかない。

  しかもそんなちっぽけな存在の自分が副部長に任されたのは、他でもない忌避すべき蛇の卵を持っていること。なんだそれは。副部長の手から目の前に置かれた時にどれだけ自分を抑え込んだのか理解できる者は友里を置いて誰もいない。本当ならすぐにでも両手で粉々に握りつぶしてしまいたかった。見えないぐらいに遠くへ投げ捨ててしまいたかった。でも出来ない。何故ならそれが親友を救うために大切なものだと、信用出来ない男が言ったから。

 

  ふざけるな。

 

 友里は自分の手に爪が食い込むほどに握りしめ、歯を食いしばった。目の前に卵が置かれたあの時、友里が口を開かなかったのは、言えなかったのでは無く、言わなかっただけだ。きっと一言でも口から出れば、芋ずる式に副部長の作戦を台無しにするようなことを言っていた。それがどれだけ幼稚なことなのかは当然友里には理解できる。だから何も言わなかった。それでも、口を開かなかった自分に嫌気がさすし、きっと口を開いたところで、副部長に説き伏せられるだろうと予測できるところも腹が立つ。

  願子は友里にとって初めての友達だ。

  小さい頃に髪の色が原因で虐められていた友里に、駆け寄って来てくれたのが願子と友里の始まり。あの日から、どれだけ多くの友達が友里にできても、友里にとっての一番の友達はいつだって願子だ。

  だから友里はずっと昔に決めていた。願子が危機に陥ったなら、次に願子に誰より早く駆け寄ろうと決めていた。願子が危険に陥っている今だからこそ、力になりたいのに、その力が友里にはない。踏み出す一歩は、どこに踏み出せばいいのか分からない。道は果てし無く遠く、願子の後ろ姿すらも友里の目には映らない。

  自分には何も出来ない。

 

「分かりますよ、私はいつもそうだったから」

 

  だが、杏だって同じだ。

  小学校も、中学校も、いつも席でただ一人だった。

  何かしたわけではない。容姿が悪いわけでもない。それでもずっと一人だった。それは自分が何もしていなかったから。

  毎日、毎日呪うのは、周りの人間ではなく、まるでただの観客のように遠巻きで眺めているだけの自分。映画やテレビのような光景をチャンネルも替えずに某っと眺める行為に嫌気がさしているのに、リモコンを握ろうともしない自分に何度も腹が立った。それでも自分の手は、足は言うことを聞いてくれない。いつしか心のどこかで諦めていた。きっと自分はずっとこの先も一人なのではないかと思っていた。

 

「でも違った」

 

  高校に入って杏はようやく一人ではなくなった。

  大事な友達。

  友里にとっての初めての友達が願子であるように、杏にとっての初めての友達も願子だ。それに友里と塔子だって。

 

「私たちにはまだやれることがありますよ」

「そんなこと言っても、その卵に祈って何になるの?」

「そうですね……本当は黙ってるつもりだったけど言っちゃいます。実は私だけは本当に蛇の卵に願いを叶えて貰ったんです」

「は?」

 

  二度目の驚愕が友里を襲う。

  卵が願いを叶えてくれた? そんなはずないだろう。もしそんなことがあったとして、なぜ杏はそれを願子に伝えていない? しかし、微笑む杏からは嘘を言っている気配は全くしない。いつの間にか吃る口調もどこかに行ってしまった杏は、強い自信に溢れている。今自分がしていることは正しいことだと確信があるのだ。

 

「私は自分を変えたかった。でも、それが出来なくて、そんな時に塔子さんに教えてもらったのがあのおまじないで、私はつい祈っちゃったんです。親友と呼べるくらいにいい友達ができますようにって、それが叶ったらいいなって、馬鹿みたいに卵を大事に握って……結局卵は割れなかったけど、それでも本当に出来ちゃいました」

 

  閉め切った窓からは風が滑り込む隙間もない。それなのになぜか杏の目を隠していた前髪は、モーゼが海を割ったように杏の顔を明らかにするため左右に開いた。

 

  いい笑顔だ。

 

  部室に散らばる個性的なランプのように、芯に強い光が灯っている。いつもたどたどしい杏の面影が全く見られず、別人かと友里が思うくらいに。

  でも、それでも、

 

「杏の言いたいことは分かった。でも、その卵に祈るのだけは絶対嫌」

 

  ここまで来たらもうただの意地だ。

  杏に絆されようとも、それでも友里に最後に残るのは卵に対する純粋な怒り。確かに副部長に対しての嫉妬、杏に塔子は知らなかったから、それらを全て飲み込んでの自分へと向けた怒り。それらに怒りをぶつけるのは御門違いなのかもしれない。だが、こんな状況を生み出した卵への怒りには何の戸惑いもありはしない。

  友里が思うに願子は少しおかしいのだ。

  こんな状況に自分をした蛇の卵に対して、あまり怒りを見せていない。訳は分かっている。中学の頃にあれだけ幻想や不思議を求めていた願子だからこそ、恐怖や怒りの源にきっと喜びがあるのだろう。ずっと隣にいた友里には、願子が口に出さずともそれが分かってしまう。

  だが、それはおかしいのだ。

  願子はもっと怒っていい、喚いていい。

  こんなことになったのは蛇の卵のせいだ。渡してきた塔子のせいだ。止めてくれなかった杏のせいだ。見ていただけの友里のせいだともっと怒っていいはずだ。

  なのにそれをしないなら、少なくとも親友である自分くらいは蛇の卵に対して怒りを向けなければ、それさえなくなったら本当に自分には何も無くなってしまう気がするから。

  起こしていた身体がまた小さく丸まっていく。自分の中に没頭する。漏れ出ないように、自分の身体を殻のようにして、これ以上気持ちすら失わないように自分を守る。

 

「友里さん!」

 

  杏の声はもう届かない。

  だが、そんなまるまる友里に待ったを掛けたのは、杏が起こした行動でも、願子でも塔子でもない。

  窓が震える。

  テレビでしか聞いた事のない炸裂音が後から部室に響いた。

  続いてやって来た振動の第二波に、杏も友里もバランスを崩してしまった。

 

  「卵!」

 

  咄嗟に杏は自分の身体を下に入れ込み、卵が潰れるのだけは回避する。うまく背中で床を受け、胸の前で杏の手に優しく包まれていた卵は無事らしい。まるで他人事のように杏の様子を眺めながら、床に大の字に転がっていた友里も何とか立ち上がる。

 

「友里さん、今のなんでしょう」

 

  友里は口を開かない。分かるわけないからだ。

  それに、振動の原因よりも、結果の方が気にかかる。異常な揺れだった。十数年しか生きていない友里にも、今のが地震などではないと理解できる。今友里たちの周りで起きている異常。蛇の卵と今のが、関係していない訳が無い。

 

  願子は無事?

 

  その考えが過ぎった時には友里はもう走り出していた。怒りは力だ。燃える怒りが燃料となって友里の心臓の回転数を上げる。血液が全身を駆け巡り、指先ひとつ余すことなく友里の怒りを強く伝えた。

  もし願子に何かがあったら、友里の怒りはどこへ飛ぶのか分からない。飛ぶ火矢のごとく、日が落ち橙色に照らされた蛇の取っ手に手を伸ばす友里を阻んだのは隣にいた杏だった。

  杏は横合いから思い切り友里の肩口に向かい飛び込むと、ぐるぐる二回転ほど友里を巻き込んで回り、友里を絨毯へと引き倒す。両手に握られた蛇の卵を友里の胸元に押し付けるように腕を突っ張って杏は勢いよく上半身を起こした。友里が下。杏が上。友里に馬乗りになった杏は、しっかり友里が聞こえるように強く叫んだ。

 

  「ダメですよ友里さん!」

  「何が!」

 

  押さえつけられた杏の腕を押し返すように友里は上半身を起こそうとするが、全く身体が動かない。凄い力だ。華奢な杏の身体からこれほどの力が出るとは信じられない。驚愕を押し殺して怒りに任せる友里の顔を杏は真っ直ぐ見つめて言う。

 

「出てはダメです」

「何でよ! 願子がピンチかもしれない!」

「それでもです。私たちの役割はここで願子さんが来るのを待つことでしょう?」

「今ので願子は来れなくなったかもしれないのに? 今更何言ってんの! あたしが、あたしが行かなきゃ」

 

  全身に力を入れて身体中動かすが、ピクリとも杏は動かない。ただ、静かに友里の顔だけを見ている。やがて、暴れるだけだった友里にも、自分を見る杏の顔が嫌にはっきり見えてきた。口を真一文字に結んだ杏の目は、とても悲しそうに見える。敵意はない、恐怖もない、ただ静かな悲しい覚悟が杏にはあった。そして友里が最も聞きたくない決定的な言葉をゆっくり口にする。

 

「友里さんが行っても、何もできないじゃないですか」

「……それは!」

「それに願子さんには塔子さんが一緒にいて、副部長だっています。友里さんが行かなくても、願子さんは一人じゃないですよ」

「……それは…………それは」

 

  視界がぼやける。

  副部長に啖呵を切った時でさえ溢れなかった涙が、頬を伝って濃い紅色の絨毯(じゅうたん)を湿らせた。

  行き場の無い怒りは、遂に行き先を決めもう抑えることは友里にはできない。

  溢れていく。消えていく。ダメなのに、これじゃあ本当にあたしには何もない。

 

「……それじゃああたしには、何があるの? 何をすればいいの?」

 

  音も無く零れ落ちる怒りの雫に顔を濡らし、友里が見つめたのは杏の顔。暗闇を見続けていた友里がようやく杏の方へ心を向けた。悲しそうにしていた杏の目は、優しい暖かみを内包し、不見倶楽部の部室を照らすランプのように瞬いている。

 

「何もしなくていいです」

 

  押さえつけていた両手を退けて、友里の手を掴むと引っ張り立たせる。言葉の意味が分からないのか、面食らっていた友里は、杏のされるがままに立ち上がった。聞き返そうにも、力の源が零れた身体には全く力が入らず、これ以上零したく無いがために、友里は歯を食いしばり、次の杏の言葉を耐えるしか無い。

 

「何もしなくていいんですよ、友里さんが行かなくても、願子さんの方から来てくれます。友里さんは自分を壊しすぎなんです。友里さんがいつも面倒そうにしてるのは、自分の心を、思いを壊して周りに合わせているからでしょう? 私には分かりますよ。でも、そんなことをしなくても願子さんがいつも隣にいてくれるように、きっとすぐに願子さんは来ます。だって、願子さんの親友が泣くほど自分を思ってくれてるんですもん、きっと来ます」

 

  限界だった。最後の一線は簡単に超えてしまった。止まらない涙は、友里の心を洗い流し、最後の一滴まで怒りの心を消していく。そのぽっかり空いた心の溝を埋めるために友里は叫んだ。言葉なんかじゃないもっと原始的なもの。

  それが段々小さくなり、消えるまで杏はずっとそばにいた。両手に握った卵ごと友里の両手を優しく包んで。泣き腫らした友里の顔がいつも通りに見えるように暖かく照らし隠すランプの光は、部室も友里を慰めているように見えた。

  怒りは消え去り、外に広がる静かな夜と同じく平穏を取り戻した友里の少し目尻に残った怒りを杏は片手で拭い取る。そうしてやればもうすっかりいつもの友里が戻ってくる。泣いた後だというのに、もう不機嫌そうな面倒くさそうな顔をする友里に、杏は自然と小さく笑みを作った。

 

「全く……かっこ悪いところ見せちゃったね」

「大丈夫、友里さんはかっこいいですよ」

「あっそ、それよりどさくさに紛れてなに握らせてんの」

「ダメでした?」

「ダメ……とは言ってられないか、困ったことにこれが今のあたしのできることなんでしょ」

 

  不敵に口を歪める友里には、もう迷いは見られない。しっかりと両手は杏と一緒に卵を優しく包み込む。祟りを生み出すはずのそれは、ずっと握っていた杏のおかげか、掌を通して妙な暖かさを友里に伝えてくれる。これが間違った行動ではないと友里に訴えているようだ。

 

「本当に嫌になるわ」

「なにがですか?」

「副部長、きっとこうなるって分かってたの、あたしが杏に負けるってね。だからあたしと杏を一緒にしたのよ。本当に信用ならない」

「その割には嬉しそうに見えますけど」

「ま、今回は副部長の言う通りにしましょう、新しい親友も出来たしね」

「友里さん……」

「あたしが泣いたこと、願子には内緒」

 

  小指を立てて杏の前へと手を伸ばせば、満面の笑みで同じく片手を出し迷い無く小指を絡ませる。

  杏にとって初めての友達との秘密。嬉しくない訳が無い。

 

「さっさと願子が助かるように願いましょ、ついでに副部長に一発報いられますようにってね」

 

  強く握る卵が聞いているかもわからないが、言葉に出して確かに友里は卵に願った。嫌いだけどそれしかないから、たったの一度でいいから奇跡を見せて欲しいと卵に伝える。

  杏も同じだ。自分は十分卵に助けられたから、それが悪いだけのものじゃないと知っているから、今度は願子が助かるように、優しく卵に力を込める。

  緑色のハンカチを通して、確かに蛇の卵は二人の熱を受け取った。

 



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蟲の目が見てる

  走る。走れる。

  『こちやさなえ』が願子の元に現れたが、今度は世界が止まってしまうことは無く、思う存分木造の廊下を塔子と共に走れていた。副部長から渡された御守りはゴミなどでは無く、確かに御守りとしてその効力を存分に発揮する。『こちやさなえ』が現れないことに焦りを感じていただけに、恐怖と嬉しさが混じり合ったおかしな笑みを浮かべながら足は止めずに後ろへ目をやれば、追って来ている『こちやさなえ』が願子の目に映る。

  相変わらずドロドロと流れ落ち続ける身体は走っているのに大きさは変わらず、その源がどこから沸き立っているのか分からないが、それは走る願子たちに離されることは無く、しかし距離も縮まることもなく、一定の距離を保ってぴったりとついて来ていた。ただし走っているためか、それの形は定まっておらず、人を模倣していた時ほどの視覚的な恐怖はあまり感じられない。おかげで、願子は気兼ね無く走ることに集中することができている。

 

「どうなの願子さん。私には見えないから分からないのだけれど」

「今のところ余裕、足は速くないみたい。この分なら絶対捕まらないと思うけど」

 

  逃げる願子たちが思い切り走れる理由は『こちやさなえ』の足が遅い以外にもう二つ理由がある。それはもう大分暗くなり、部活に勤しんでいた生徒たちが帰ってしまったために前を気にせず気兼ね無く走り回れること。もう一つは、学校の形にある。柵型のような縦に幾つか離れて並んだ形では無く、長方形に近い四角の形を四階建ての学校はしていた。おかげで登ったり、降りたりといった余分な動作をせずに回っていられるのだ。『こちやさなえ』が現れてから三周、体力的にもまだ大丈夫。

 

「どうしよう塔子、このまま部室まで行っちゃおうか?」

「あら、それもいいかもしれないわね」

 

  願子たちが駆け回っているのは三階、不見倶楽部の部室があるのは二階の角であり、今願子たちがいる場所からは丁度対角に位置した場所になる。階段があるのが角から長手側に少し内側に入っていることを考えれば、願子たちが部室に行くまでに降りられる階段は三つ。そのどれを選ぶかによって道順が異なってくる。ただ、どこを選んだとしても今の調子で行けば大差ない。

  そこで走り続ける願子たちが選んだのは、最も遠い対角に位置する階段だった。階段自体は最も遠い位置にあるが、降りてしまえば部室はすぐ隣、それも階段まではこのまま走り続ければたどり着くことができるからだ。『こちやさなえ』が全く願子たちに追いつきそうにないのを考えれば、選んだのは当然だと言える。

 

「ならこのまま行っちゃおう、副部長には悪いけどお役御免ってことでね」

 

  そう決めたなら後は短期決戦だ。部室まで全力で走れば三分も掛からない。願子はギアを上げ、それに続いて騒音をたてながら塔子が続く。目の前には何の障害もありはしない。ギアを上げた願子たちの後ろからは、『こちやさなえ』が変わらずついて来ていたが、曲がり角を曲がったところでそれももう見えなくなった。後は少し先にある角を曲がって階段さえ降りてしまえばゴールだ。

  副部長の言っていた作戦ももう関係なしに部室へ向けて一直線に向かう願子だったが、浮かべる笑みとは裏腹に嫌な予感が頭を過ぎった。

 

  簡単過ぎないか?

 

  初めて見たときにあれだけ願子に恐怖を植え付けた『こちやさなえ』が、まるで赤ん坊のように簡単にあしらえている現状が、嬉しいながらも不安になる。

  不安の材料は、不気味な『こちやさなえ』だけではない。

  副部長がどういった男であるのか、当然まだ知り合って二日の願子が全てを知っているわけではないが、頭が良く強かであろうことは十分分かった。

  その男がわざわざ何回も『こちやさなえ』が出たならば自分が相手をすると言っていた。つまり副部長でなければ相手にならない。そんな『こちやさなえ』のことを最も知っている男がそれほどまでに言っているのに、このまま簡単に決着になるとは願子には思えなかった。

 

「……塔子、本当にこのまま行ってもいいのかな?」

「あら? どうして?」

「簡単過ぎない?」

 

  願子の問いに塔子は頭を巡らせるが、答えがなかなか出てこない。それも当然、塔子は『こちやさなえ』を知らないのだ。簡単かどうか聞かれても、答えに必要な最も大切なピースが欠けている。願子のように一度でも見ていたならば答えも変わったのだろうが、塔子から出た言葉は「そんなこともあるんじゃないかしら?」といった答えにもなっていないものだった。

 答えの出ないまま走ることを止めるわけにもいかず、進めるときに進んでおこうと吹っ切って足を動かすが、頭の中で動き回る不安がその動きを鈍らせる。装飾のせいで願子より少し遅れていた塔子が、願子を抜くくらいにはその速度が落ちてしまった。しかし、それが功を奏した。

  曲がり角に差し掛かろうとしたその時、月の光に照らされた廊下を塗りつぶように突如として緑黒い粘着液が湧き立ち人の姿を模ると進路を阻む。穴のような唇のない口が弧を描き、獲物が自ら飛び込んで来るのを待ち構えている。

 

「塔子!」

 

  間一髪。それに突っ込みそうになっている塔子の腕を強引に引っ張り願子は何とか足を止めた。慣性に従って暴れ回る装飾が、制服の上から掴んだ願子の腕を打ち付ける痛みに歯を食いしばりながら足を思い切り踏ん張って、『こちやさなえ』の手前で何とか勢いを殺し切った。

  何が何だか分からないといった顔をする塔子だったが、青ざめた顔の願子を見ると咄嗟に理解し、自分を引っ張り立ち止まった願子の反動を利用して、今度は塔子が願子を引っ張って来た道をなぞるように走り出した。

 

「願子さん平気?」

「あんたのアクセサリーからのダメージの方が大きいよ! これが終わったら絶対に引き千切ってやる!」

 

  微妙な顔をする塔子から視線を切って願子は背後を見ると、『こちやさなえ』は特に動きを見せることはせず、笑った顔を崩すこともない。悔しがるそぶりも見せず、むしろ描いた弧はより三日月型に広がったようにさえ見える。

  あの笑顔は嘲笑だ。

  『こちやさなえ』は楽しんでいるのだ、間違いない。初めて願子が遭遇した時に、割れ物を扱うような手振りで触れたのは、どうやって殺そうかとご馳走を前にして舌舐めずりする肉食獣と同じ、それは今も変わらない。

  そう考えると、願子の全身に悪寒が走りくまなく鳥肌が立つ。それではまるで『こちやさなえ』に感情があるようではないか。見て、聞いて、あの汚泥が人のように考えて行動しているのだとしたら、これほどゾッとすることはない。単純なシステムを相手にするのとは訳が違ってくる。

  背後に佇む『こちやさなえ』へともう一度目を向ける願子の表情が分かっているように、それは小首を傾げると、重力に従って頭を思わせる部分がべちゃりと廊下に落ち、この世で最も汚れた泥溜まりを作る。ありえない動きをして恐れる願子の反応をまるで楽しんでいるかのようだ。

 

「塔子やばいよ。あれ感情があるのかも」

「あれって、こちやさなえ? まさか……」

「私から見た感じそうとしか思えないの」

 

  『こちやさなえ』の疑問は尽きないが、議論を交わしている余裕はない。捕まるわけにはいかないのだから、とにかく足を動かすしかないのだ。しかし、改めて前を向く願子の顔は、新たな驚愕によって簡単に足を止めてしまった。

  沸き立つ。沸き立つ。今まで背後にいたはずの『こちやさなえ』が目の前に現れる。不快な笑みを浮かべて、流れ落ちる体を揺らしながら月の明かりを吸い込み空間を自分色に染め上げるとあっという間に人の姿を形作る。

 

  どういうこと?

 

  後ろの廊下に振り返るが、そこには『こちやさなえ』の姿はもうない。二体いるわけではないのなら、つまり一瞬にして願子たちの前に現れたということだ。

  どうやって? という願子の疑問は、しかし、すぐに解消された。蜘蛛の糸すら映し出すと言われる月明かりのおかげなのか、照らし出される廊下の違和感に願子はすぐに気がついた。

  動いている。

  木造の廊下、張り合わされた木の間、目地の中をものすごい勢いで何かが流れていた。それを目で追っていけば、目の前にいる『こちやさなえ』へとそれは全て続いている。

  それはそうだ。相手は人のように形を変えられない生物ではなく、流れ続ける汚泥なのだからこんな芸当できて当たり前。それが示すのは、いつでも願子を捕まえることができるということ。

  副部長に貰った御守りを願子は強く握りしめるが、そんな行為意味を成さない。止まった世界でなくとも、『こちやさなえ』にとって人間は、自分で動くことのできない人形のように好き勝手できる玩具と大差ないのだ。

  足がすくんでしまい固まる願子はもう動けない。しかし、ここには蛇に睨まれた蛙を救い出せる者が願子の隣に控えていた。

 

「願子さんこっち!」

 

  願子の手を掴み、引っ張る塔子の目には『こちやさなえ』の姿は映らない。だからこそ塔子は何に怯えることもなく動くことができていた。しかし、塔子が向かうのは『こちやさなえ』がいる方向。見えていないのだから仕方がない。勢いよく突っ込む塔子を止めようと願子は足に力を入れるが、震える体には思った通りの力が入らない。

  やばい。

  まずい。

  いけない。

  『こちやさなえ』との距離が段々と縮まるなか、願子に出来ることは既にない。ただ塔子に引っ張られて、地獄への片道切符を切ってしまった。

 

  捕まる!

 

  目を閉じて、灼熱と化した黒い感情が再び自分に流れ込むのかと身構えた願子だったが、いつまで経ってもそれは来ない。まだ肌寒い春の夜の空気が肌を撫で、繋がれた塔子の手の熱だけを感じる。そっと目を開ける願子の前には『こちやさなえ』の姿は無く、背後でただ不気味に笑っている。

 

  あぁ、見逃された。

 

  『こちやさなえ』はまだ楽しむつもりだ。逃げ場のない夜の学校で願子を弄ぶつもりだ。

  なんだかどっと疲れた。

  塔子に連れられ廊下を走る願子の体から力が抜けていく。手から伝わる弱い力に塔子は眉を顰めると、このままではいけないと近くの部屋へと転がり込んだ。

  大きな黒い実験台、フラスコ、ビーカー、鼻をツンとくすぐる多くの薬品の匂い。ホルマリン漬けにされた動物の目が塔子たちを覗いている。塔子たちが入ったのは理科準備室。普段鍵が掛けられているはずの部屋がなぜ開いているのかは分からないが、扉を閉めて急いで鍵を掛ける。

 

「……願子さん大丈夫?」

「いや、無理だって……あれは無理だよ、逃げ切れない……」

「願子さん!」

「分かってるよ、諦めちゃダメだってことはさ、でもいったいどうすればいいの?」

 

  項垂れる願子の目が死んでいく。目の光が消え失せ、『こちやさなえ』の目のように、輝きだけを吸い込む穴となっていく。薬品の匂いに包まれる空間が、より一層死に近づいていることを暗示しているようだ。部屋自体が大きなホルマリン容器になったみたいだ。

  これではいけない。自分に発破を掛けたくせに、誰より早く一抜けるなど許さない。それに、このままでは願子さんが願子さんでは無くなってしまう!

  塔子は強く拳を握り、

 

「願子さんのお馬鹿さん!」

 

  願子の顔に拳が打ち込まれた。

  普通平手打ちじゃないのか?

  構えも無く、フォームもバラバラな一撃だったが、元気付けるだけのものとは違うマジな一撃は、願子の頭を強く揺らし一時的に『こちやさなえ』のことを綺麗さっぱり吹っ飛ばした。

  感情だけでは足りないと、願子は物理的にも後ろへよろめいて、実験台の上に幾つか並んだフラスコたちを突き飛ばし、硝子の音が部屋に響く。

 

「痛ったッ! 塔子、あんた元気付けるにもやり方があるでしょうが! 普通本気で殴る? 私にも一発殴らせなさいよ!」

「やった! 願子さんが元気になったわ!」

「この! 塔子!」

 

  『こちやさなえ』のことは頭の中から消え去り、願子は塔子に拳を振り上げて近づいていく。しかし、それに怒ったのは、塔子では無く『こちやさなえ』の方だった。

  自分がいるのに、こんな漫才を見せられて喜ぶほど能天気な祟りではない。

  カチャリ、と願子の背後から漏れ出た汚泥が硝子の破片を飲み込んで姿を現わす。てっきり恐れ戦くと考えていた願子は、頭の中に広がった怒りのせいで、その顔に恐怖の影は無くなっていた。

  面白くないのは『こちやさなえ』だ。

  浮かべていた笑みを歪めると、それに合わせて身体から幾つかの手が流れ出す。しかし、願子の方へ伸ばされる手を、飛んできたフラスコたちがその進行を防いだ。

 

「なんで! 私が! いつまでも! あんたの! 相手を! しなきゃ! ならないの! 今は! 塔子を! 殴りたいの!」

  「その調子よ願子さん!」

 

  手当たり次第に置かれているフラスコやビーカーを引っ掴み、『こちやさなえ』に投げつける。別にダメージが入っているわけではないが、手は飛んでくるフラスコに当たるとその勢いに押し負けてその場に流れ落ちてしまう。

  塔子の目から見れば何もいない空間にフラスコを投げ続けるというシュール極まりない光景であるが、願子の顔を見る限り悪い状況でもないらしいことが分かると、願子に続いて同じくフラスコたちへと手を伸ばす。

  しかし、フラスコも無限に存在しているわけではない。部屋に響く硝子の音が続くにつれて、その数は当然減っていく。だが、それより早くしびれを切らしたのは『こちやさなえ』。

  千日手に飽きた『こちやさなえ』が手を引っ込めると一気に願子へと飛び掛かった。

  投げる手を止め、願子の視界を汚泥が覆い尽くす。怒りが恐怖に塗りつぶされ、願子の顔が歪んでいく。

  あぁ、ダメだ。

  しかし、次に願子の目に映ったのは、目の前に広がる祟りの泥ではなく、両手を開いて間に立ち塞がる塔子の姿だった。

 

「塔子!」

 

  塔子の身体に汚泥が纏わり付く。数多の願いを込められた装飾たちは、その効力を発揮することなく『こちやさなえ』へと飲み込まれる。塔子の優れた肢体も余すことなく隠されて、聞こえてくるのは塔子の僅かな呻き声。

  焼かれている。

  犯されている。

  何も見えないはずの塔子の身体にも、負の感情を含んだ熱が駆け巡る。

  願子は勘違いしていた。

  見える願子よりも、見えない塔子の方がある意味恐ろしい。塔子から見ればなんの変化もないのに、全身をくまなく痛みが襲う感覚など、願子に理解できるはずがない。

  祟りを向けられていない塔子なら、その痛みも襲わないと思っていたのは甘過ぎる。『こちやさなえ』はそんなに甘い存在ではない。殺されないまでも、心を蝕む痛みは確実に塔子の身体を(なぶ)っていく。

  どうすればいいのか。

  もし願子が手を伸ばし『こちやさなえ』に触れようものなら、あれは確実に願子の方へ目を向ける。次は命まで手を伸ばすことだろう。手を出さなければきっとこのまま、祟りに心を満たされて塔子は廃人になってしまう。

  人は自分が思っているより自分が大切だ。しかし、それでも願子はその思いをかなぐり捨てて塔子の方へ手を伸ばす。

 

「ダメよ!」

 

  塔子の叫びも虚しく、願子の手は伸びていく。頑固だから、一度心で思ったならば終わるまで願子は止まらない。しかし、その手は塔子に触れる前に願子の思いとは裏腹に止まってしまった。

  願子の手が掴まれる。骨張ったゴツゴツとした男の手。

 

  「瀬戸際さん、離れていろ」

 

  部室で聞いた優しくも戯けた声よりも数度温度が下がったかのような低い声に、自然と願子の足は一歩、二歩と後ろへ下がる。

  そうして男が構えた形は、塔子の素人丸出しのものではない。両足を開き、左手は緩く前に出され、胸の前で優しく握られる右の拳。その姿は知識のない願子にも分かるくらいに堂に入っている。

 

  「副部長!」

 

  願子の泣きそうな声を合図にするように、突き出された手は拳ではなく開かれ、流れ落ちるだけだった『こちやさなえ』を確かに掴んだ。流動的なはずのそれは固まってしまったかのように、手の隙間から零れ落ちる事はなく、副部長は思い切り塔子から『こちやさなえ』を引っぺがし準備室の壁へと叩きつける。

 

  『ぁぁぁぁああああ』

 

  泥から生まれる(あぶく)が弾け、空気の抜けたような叫び声を挙げる『こちやさなえ』は、再び飛び込んで来るのかと思われたが、その場で止まるだけで、なんの動きも見せなかった。

  あれ?

  しかし、僅かな違和感を願子は見逃さない。およそ傍観者になっている願子の目には僅かに震える『こちやさなえ』の姿が見えた。

  怒っている?

  喜んでいる?

  恐れている?

  矛盾を孕んでいるように震えながら小さく収縮と膨張を繰り返す『こちやさなえ』が何を考えているのか願子には理解できない。

  時折浮かんでは弾ける(あぶく)を見ながらただ突っ立っているだけだった願子だが、急に飛んできた塔子に意識が戻され落としてしまわないようにしっかりと受け止める。塔子の重さに膝を着くも、腕に伝わる心臓の鼓動と上下する胸から塔子の生を実感できる。

 

「……塔子」

「……願子さん……どうよ、私もやってやったわ」

 

  弱々しく笑う塔子に笑顔で返し、支えてやれば大分気だるそうではあるが、それでもなんとか塔子は自分の足で立ち上がった。

  塔子を投げてよこした副部長の前では、副部長がいるだけで抑止力になっているようで、未だにその場に微睡んでいる『こちやさなえ』はもう願子のことなど眼中にないようだ。

 

「いやいや、瀬戸際さんが四つも卵をぶち割ってくれたおかげでようやく会えたな」

 

  こんな状況でも比較的いつも通りな副部長は、願子たちに背を向けたまま理科準備室の扉を静かに指差す。その先には常識では考えられないないほど(ひしゃ)げた扉が目に入る。端にくっきり残る手の跡が、そこから副部長が入って来たという証。副部長は逃げろと言っている。だが、そんなことよりも副部長の言葉に意識を持って行かれた願子は聞き返さずにはいられない。

 

「副部長、見えるんですか!」

 

  願子にしか見えないはずの『こちやさなえ』が、副部長には見えている。いくら詳しいと言っても副部長は祟られてはいないはずだ。御守りも持っていない副部長が存分に動き回っているところからもそれが分かる。

副部長は何か悩んでいるように見えたが、こめかみの辺りを指で掻き、ぶっきらぼうに願子の疑問に答えてくれる。

 

「んー? そうだなぁ……瀬戸際さん突然変異って知ってるか?」

「突然変異?」

「そうさ、突然変異。生物が集団の中であらゆる要因で異なった形質を持つようになることさ。有名なのならアルビノ、メラニズムなんかは聞いたことがあるんじゃないかな?」

 

  アルビノ、メラニズム、確かに願子も聞いたことがある。しかし、それがいったいなんの意味を持って副部長が言っているのか理解出来ない。肌の色が異なるからって、見えないものが見えるわけではない。そんな願子の疑問などお構いなしに副部長の話は続く。

 

「アルビノだったら一、二万人に一人の確率。メラニズムならもう少し少ないかな」

「はぁ? それで?」

「瀬戸際さんと小上さんは運がいいなあ、これはあいつにも見せたことないんだぞ。……いいか、俺の確率は七十億分の一だぞ」

 

  ゆっくりと振り返る副部長の姿に、二人は静かに息を飲んだ。恐怖ではない、物珍しさに目を奪われたわけでもない。ただその綺麗さに目が奪われる。七十億分の一、地球上にただ一人。

  深い深い森のような濃い緑色をした複眼が二つ。月明かりを反射して、ほのかに光るその両目が二人の心を掴んで離さない。夜の景色を背景に浮かぶ様はまるで大きなホタルにようだ。

 

「複眼は目の中でも特殊だ。俺には人の目には見えないものが見えている。さあ行け瀬戸際さん、ここからは本気でいく」

 

  たった一人であろうとも、副部長の両目に光る無数の目が『こちやさなえ』の姿を捉える。副部長の心を感じてか、水溜まりのようにそこにあるだけだった『こちやさなえ』は収縮を止め、身体から無数の手が伸びた。

  やる気だ。塔子の時とはわけが違う。『こちやさなえ』は副部長を殺す気だ。伸びる手の一本一本から漂う濃厚な負の空気が、凝縮して空間さえ犯していく。

  足が竦む。声も出ない。

  そんな願子と塔子とは違い、副部長はそんな様子に深緑の目を細めおかしそうに笑うことで『こちやさなえ』の殺気に返した。

 

「あぁやだやだ、そんな姿で俺に向かうなよ」

 

  副部長が笑顔から口を結び直すと、周りの空気が弾け飛ぶ。

  ああそうか、副部長は怒っているんだ。

  誰かは分からぬ東風谷早苗を唯一知っている副部長の気持ちなど、今まで知ろうともしなかった。

  きっと副部長は東風谷早苗のためにここにいる。

 

「あんまりこういうこと言うとあいつが調子に乗りそうで嫌だがなぁ、早苗の方がお前より美人だ」

 

 

 




*副部長に程度の能力はありません。なぜならこれは体質だから。


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奇跡

  壁が抉れ、窓が割れ、床が削れる。

  双方本気になった『こちやさなえ』と副部長の衝突で巻き起こった光景は、この世のものとはとても思えない。

  目を疑い夢ではないのかと目を点にして呆然とする願子と塔子を誰が責められるだろう。

  準備室を塗り潰す勢いで伸ばされた無数の手を全て無視して、限界まで引き絞られた弓のように身体をしならせ放った副部長の一撃は、(ただ)れた『こちやさなえ』にくっきりと拳の後を残して、準備室の壁に打ち付けた。割れるフラスコと同じように簡単に壁は砕けちると、隣の理科室まで『こちやさなえ』は吹っ飛んだ。

  与えられた攻撃の跡へ、『こちやさなえ』の無数の手が発狂し拳の跡を隠すように集中する姿は、確かに痛みを『こちやさなえ』に与えていることが分かる。

  副部長の一撃は、拳を打つというよりは、杭を打ち込んでいるのに近い。柔らかく形のないものを殴っているはずなのに、巨大な木の杭がぶち当たったかのような低く鈍い音。その衝撃は『こちやさなえ』だけに限らず、準備室の窓も全て砕け散らし、地面に散らばるフラスコたちの破片さえ振動させて僅かに宙に浮かせるほどだ。

  粉々に砕けた壁の欠片が願子たちの頭を叩き、漫画のような光景に息を飲んでいた意識をようやく覚醒させた。

 

  逃げなければ。

 

  願子の脳は無意識にそう判断を下す。支える手から伝わる震える塔子の身体がそう判断させたのかもしれない。塔子の目に映る衝撃的な副部長のパントマイムでは、そうなっても仕方ない。

  しかし、願子たちがその場を離れると決めたのは、タイミングとして遅すぎた。揺れ動く状況が簡単にそれを許してはくれない。

  『こちやさなえ』から再び手が伸ばされる。副部長に殴り飛ばされたせいで隣の理科室まで飛んだために距離が離れているにもかかわらずだ。そのせいで現れるのは、異形の姿。

  伸びる。伸びる。

  人の形の限界域を優に超えて伸ばされる無数の手は、祟りを宿した八岐大蛇(ヤマタノオロチ)。腕は形状を変化させ、その一本一本は生物的な形をとった。腕は流に合わせて大きく膨らみ、表面に流れる祟りは(うろこ)を思わせる線を走らせ、掴んで離さないために牙が伸びる。『こちやさなえ』の姿は(うご)めく大蛇に潰されて、もう見ることも叶わない。祟りの蛇に触れられた規則正しく並んだ理科室の実験台は、それが内包する負の熱に当てられ溶けてしまう。嫌な臭いが辺りに漂い、瘴気の風が空気の質を塗り変える。

 

「行け! 振り返るな!」

 

  副部長の声だと理解するより早く、願子と塔子は(ひしゃ)げた扉から廊下へと飛び出した。本能が力の入らなかった足を力強く動かす。背後から次に聞こえてくるのは、打ち込まれる杭の轟音。その衝撃波に押されるように、願子と塔子は飛ぶように走る。だが、そう簡単に願子たちの逃走劇は簡単にはならない。

  潰すように爆ぜる音、砕くような低い音、焼けるような高い音、溶かすような不快な音、背後から様々な破壊音が願子たちの隣に並ぶ教室たちを飲み込んでいく。それが横に並ぶと、教室の壁を溶かし切り姿を見せる祟りの蛇。電気線、ぶら下がる蛍光灯を押しのけて、顔に開いた穴が僅かに細められ、祟りが願子たちを飲み込もうと大きな口を開くが、上から落ちてきた副部長の拳がそうはいかないと強引にその口を閉じさせた。拳の衝撃で祟りの緑黒い飛沫が辺りに漂い、願子たちの肌を焼く。鋭い針が身体を貫通するような痛みに二人は顔を(しか)めるが、ここまで来て足を止めるわけにはいかない。

  思い通りにならない状況に、祟りの蛇は背筋が凍るような叫びをあげて副部長を振り払う。しなる体に弾かれると、副部長は半ば溶かされ崩れ落ちそうな壁だったものを巻き込みながら吹き飛んだ。それでも願子たちの目では追えないくらい早く体勢を立て直すと、床が抉れるほどに踏み込んで、再び祟りに突っ込んでいく。

  集るハエを払うように躊躇(ためら)いの無くなった祟りによって起こされる光景は、最早人の埒外(ちがい)。無数の蛇はその体躯をより大きく膨らませ、狭過ぎる学校を削るように凌辱していく。蠢めく蛇はやたらめったら壁を壊し、願子たちには後戻りする道すら残されない。人の身を大きく超えるそれの相手を続ける副部長は、一騎当千の働きを見せるが、如何せん一人では手が足りなさすぎる。

  副部長の張る防衛線を超えて這いずる蛇は、願子たちにはどうすることもできず、また一つの教室が無くなった。

 

  無理だ。とても部室まで行けない。

 

  一本道では逆に危険と、存在の意味が無くなった廊下を外れてなんの部屋だったのか分からなくなっている教室に足を踏み入れた願子たちに、訴えかけてくる退廃的な光景が手に余る存在だということを改めて思い知らせてくれる。祟りのあまりの大きさに少し足を緩めてしまった願子たちを、副部長の相手をしながらも無数の蛇は見逃さない。床に散らばる元がなんなのか分からなくなった障害物を避けるため、さらに速度の落ちた願子たち目掛けて、阻む副部長の拳をその体躯では考えられないほど柔らかく避けると一匹の蛇が願子たちへと飛び出した。

  今度こそはと、大きく広げられた大蛇の口は、横へと裂けて限界以上に開き切り廊下を全て埋め尽くす。願子たちに迫り来る大蛇の口。木も、鉄も、電気も、生物非生物問わず全てを呪う祟りがこの世から存在を奪っていく。月明かりも喰らい、空気も喰らい、希望さえも全て喰らう。願子の視界の端に映るのは、光すら存在しない黒一色の世界。そこに小さく瞬く淡い光は祟りの炎。綺麗に見えるが、その光一つ一つが人を殺しきる祟りの塊だ。少しでも触れてしまったら、今度は肌を撫ぜるだけでなく、心の奥深くまで穿(うが)たれてしまう。そうなってはもう今の自分には戻れない。

  しかし、どれだけ足を動かしても、閉じる世界は無慈悲に願子に迫っていく。少しずつ視界を埋めていき、夜のはずなのに夜になっているみたいだ。遂に祟りの雫が願子の肩口に垂れるほどに近づいた。

 そんな迫る死から願子の命を救ったのは、今も拳を振るい続ける副部長ではなく、隣にいる塔子でもなく願子自身だった。塔子から渡された命綱を手放さずに懐に忍ばせていたお陰か、走る願子の勢いに逆らって懐からスルリと蛇の口に願子の命を引っ張り出す。願子の命よって作られた紙の御守りが祟りの中に落ちると反射的に蛇は口を閉じてしまった。御守りは最後の役割を終え、祟りに包まれるとあっという間にこの世から姿を消してしまう。

  九死に一生を得た願子だが、弱い人の身を守るものはもう何もない。その証拠に動き続けていた願子の体が段々と停滞していく。触れられてさえいないはずなのに、離れたところで口を開く蛇たちに生きるために必要なあらゆるものが吸い込まれてしまう。ゆっくりと絶望を教え込むかのように指先から力が抜け、踏み出す足は廊下の固さに負けたかのようにぐにゃりと膝をついた。

  蛇はそれを見逃さないが、それをよしとする副部長ではない。数を数えるのも億劫になる程の蛇たちの顔を余すことなく映す複眼が、膝をつく願子の姿を捉えていた。

 

「衝撃に備えろ!」

 

  蛇たちの相手を止めて願子たちの方に振り返ると、拳を伸ばすのはボロボロになった廊下へ目掛けて。拳を起点に廊下が弾け、木の板が衝撃に耐えかねて宙に反り返る。蛇たちに体を穴だらけにされている廊下は、打ち込まれた衝撃を受けきることはできずに大穴を開ける。浮遊感が願子たちを襲い、木の破片が柔い肌に突き刺さる感触が、手放しかかった願子の意識を僅かに繋ぎ止めた。

  身体が下階の廊下にぶちあたり、願子の身体は無造作に跳ねるとついに指先一つ動けなくなってしまう。床に横たわる身体はマネキンのようで、とても一人では動くことができない。だが今までで違うのは、目だけは動かせ景色が止まってしまうことはないということ。頭上で続く副部長と『こちやさなえ』の激突音。空からパラパラ舞い落ちる何かの破片。はっきりと目と耳にそれが伝わる。止まってしまう世界よりも、今は伝わってしまう状況が恐ろしい。一匹の蛇が頭上で跳ねると、今にも崩れかかった廊下から破片が願子のこめかみに落ちてきた。避けることもできずその与えられる力に逆らえず頭は流れ、鈍い痛みに手を伸ばすことも叶わない。

  絶望だけが彩る世界の中で、意識があるのは救いなのかもう一つの絶望なのか、視界が動かされた廊下に転がる願子の目の先には、不見倶楽部のプレートがしっかりと写り込んでいた。

  ゴールだ。ゴールが見える。願子と塔子はここに行き着くために死ぬような思いをして走ってきた。希望はすぐ目の前にある。後少し歩けば辿り着くそこは、しかし、果てしなく遠い。一歩が出ない。頭の中でどれだけ暴れても何も変わってくれはしない。力が出ないとかそういう問題では無いのだ。自分の身体がまるで他人の身体、映画を観ている観客と一緒だ。現実感がまるで無い。目を閉じれば上から再び迫る破壊音だけが願子の意識を包み込む。

 

  もうここまでなのか?

  死ぬ? 私が?

  いや…………ダメだ!

  塔子も副部長も、命を懸けてここまでしているのに、ここで死んでしまっては何にもならない!

  動け!

  動いて!

  私はまだ逃げていただけで何もしていない!

 

  そんな願子の思いに応えるように奇跡は起こった。

  近ずいている。

  瞳に映る不見倶楽部の文字が少しずつ大きくなっていく。

 

「諦めちゃダメよ! 願子さん!」

 

  起こった奇跡は簡単なことだ。願子が目を開ければ、願子の身体を肩に担いで、ボロボロになっている塔子が自分の身体を引きずりながらもなんとか願子を運んでいた。

  塔子は足から血を流し、着飾っていた装飾も半分以上が無くなっている。それに加えて先ほどまで『こちやさなえ』に飲み込まれていたのだ。願子を支える塔子の足は千鳥に動き、かなり無理をしているのが分かる。

  それでもゆっくり、少しずつ、確実に、一歩また一歩不見倶楽部の小洒落た扉へ歩き続ける。

 

「ここまで来たなら勝たなきゃ嘘でしょ!」

 

  吠える塔子に願子は何も返すことができない。それでも塔子は願子の気持ちが分かっているように笑顔を見せた。

  実際に分かっているのだ。身体に伝わる願子の熱は、祟りの炎に負けないくらい熱く、その思いの強さを塔子に教えていた。

 

「分かるわよ願子さん。願子さんが知りたがっていた幻想は確かにあった! 凄いものね、『こちやさなえ』も、副部長も、私も目が奪われたわ。だったらその初戦くらい勝たないと、きっとまだまだ続くわ、まだまだあるわ、私たちの物語はまだ始まってすらいない! こんな祟りなんかに終わらせない! だから、私に、願子さんに、それと……」

「願子!」「願子さん!」

 

  扉が開く。

  扉に付いた蛇の装飾は、祟りの蛇と違い異様に頼もしく見えた。それが見えなくなると同時に視界を覆うのは友里と杏の笑顔が二つ。

  真っ暗な廊下に部室から伸びる光が二人の姿を照らし出し、願子たちへと伸びてくる。

  光の道を遮るものは無く、眩い光が願子たちへと確かに届いた。辿り着けはしなかったが、諦めず走り続けた願子たちを迎えるために向こうの方からやってきた。

  願子たちの元へ辿り着くと、迷い無く今まで温め続けていた友里と杏の想いが、二人の手によって願子の手へと握らされる。それに続けて合わせられるのは、友里、杏、塔子の手。

 

  あぁ、温かいなぁ。

 

  友里の想い、杏の想い、塔子の想い。それぞれ描く想いは違うが、その熱は心地よく願子の動かない身体を解していく。その熱に当てられて動かないはずの願子の手が、ピクリと一度強く手の中の卵を握り込んだ。手に握る卵は四人の熱を感じ取ると、こそばゆいのか小さく握られる願子の手をハンカチ越しに小突き返す。

 

「願え!」

 

  副部長の声が、響く破壊音を遮って頭上から降り注いだ。ここまでの激戦を終え、副部長も限界が近い。四人の邪魔をさせないために最後の力を振り絞り、祟りの一滴も下に落とさないように壁という壁を跳ね回り縦横無尽に駆け巡る。ここまでする副部長の思惑は四人にはさっぱり分からないが、そんな副部長の熱も四人が握る卵に伝わっているのか、願子の手を小突く卵の動きが次第に強くなっていく。

 

  願い?

  私の願い?

  祟りに勝つこと?

  幻想を見ること?

  どれも違う。

  願うことなど、そんなこと当然決まっている。

 

  願子たちの願い。それは示し合わせたわけでもなく、四人は同じ想いを卵に願った。

 

『四人でこの先も一緒にいたい』

 

  ーーーーパキリ。

 

  卵にヒビが入る。四人の熱が一つに重なり、小さく刻み込まれた願いが蛇の卵に消えない跡を残す。願いの想いが強くなるごとに、その小さな溝を押し広げ、入るヒビは卵の表面に願いを描き切ると、卵の欠片がぽとりと落ちた。

  遂におまじないは成就(じょうじゅ)する。

  緑黒い祟りの蛇を見据えて、卵に開いた小さな穴から覗く白く美しい二つの手が、残りの殻を打ち破り、四人の想いを乗せた形が姿を表した。包んでいたハンカチは音も無く四人の手から離れるとパサリと地面に吸い寄せられる。

  長い緑の髪、青く縁取られた白い上着と、御幣(ごへい)のような模様が描かれたスカートは、形状からして巫女装飾で間違いない。艶やかな髪には、蛙と白蛇の髪飾りを付け、手には特徴的な形をしたお祓い幣を握っている。高い鼻にパッチリとした両目、風に揺れる長い髪は(なび)く麦畑のような人の世の原風景を思い起こされる。豊かな胸、細くしなやかな手足、シミひとつ無い白い肌、抜群のプロポーション。ふわっとした服装でも分かるほど発達した女性の象徴は、同じ女性の願子たちでさえ息をのむほどの美しさだ。およそ人としての美の頂点を思わせる少女の容姿は人間離れしていた。しかし、ほのかに白く発光し薄く透けている様が、生きている生物ではないことを表している。

  少女は四人の姿を見据えると、太陽のような満面の笑みを向けて願子の手へと手を伸ばした。動けない願子だけでは無く、動けるはずの三人も少女から溢れる神々しさに息をすることも忘れ、ただ手を伸ばすだけの少女の姿をただ目で追っているだけで動けない。

  逃げるという選択肢は、はなから存在しないが、その選択肢があったとしても願子は選ばないだろう。絶対に悪いことにはならない。そんな確信が願子にはあった。

  優しいが力強く少女の手が願子の手を握ると、それに合わせて願子の心を縛っていた祟りは、その一切合切を少女の小さな手によって握りつぶされる。

  少女の手から伝わり願子の身体に流れるのは祟りを裏返した奇跡の力。気怠さは無くなり、身体全体に(みなぎ)る力が戻ってくる。

 

「あ、あの」

 

  ようやく絞り出された願子の呟きは、しかし少女に遮られてしまう。願子の想いはもう既に分かっていると、白魚のような指が願子の口を塞ぎ、少女は頭上に蠢く祟りの方へ向き直る。

 

「ーーーー」

 

  少女が何かを呟くと、何もない空間から沸き立つのは、祟りと対になる奇跡の光。

  月明かりよりも透明な優しい光、祟りの蛇を喰らうため無数の光の線が束なり形作るは神聖なる白い大蛇の姿。きめ細やかな鱗、白く三日月を描く牙、そのどれもが少女に負けない美しさを放っている。

  それが空へと飛び立つと、隅々にまで走っていた黒を白に塗り潰し始めた。

  消える。

  不安も、恐怖も、乱れた心を正すように、溶けた心を整える。

  あれほどの祟りが何の(すべ)も無く、最後の一滴まで喰らい尽くされてしまう。不安になる叫びは悲痛に染まり、大きく見えていた祟りは、白い大蛇と比べればそこらへんに転がる塵芥(ちりあくた)と何の違いもありはしない。

  白い輝きが晴れた後に残るのは、荒廃した校舎と身体中から血を滴らせた副部長のみ。崩れた校舎の隙間から差し込む月明かりが、副部長の瞳を何も無い空間に浮かび上がらせた。

  副部長の無数の目に映る自分を見上げる五つの顔。口を開けて固まる四人と、やることを終えて消えていく少女に柔らかい笑顔を向けると、最後の言葉を言い放つ。

 

「俺たちの勝ちだ」

 

  願子たちが副部長の言葉を理解して歓声の声をあげるのには、それから少しの時間を要した。

 

 




次回は積み重なっている願子たちの疑問の解答編です。


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不見倶楽部

「東風谷早苗はうちの部長だ」

 

  初めに副部長が答えてくれた疑問は願子たちの顔を驚愕に変えるのに十分だった。

  願子たちが不見倶楽部の部室を再び訪れたのは、非現実的な夜から一週間も経ってから。『こちやさなえ』を打ち破ったその日は五人ともくたくたでとても話し合える状態ではなかったことが要因の一つ。それは願子たちの対面のソファーに座る副部長の身体にこれでもかと巻かれた包帯を見れば、どれだけ凄まじいことをやってのけたのかが分かる。

  後は単純に崩壊した校舎では危ないと、学校側が少しでも復旧してからと休校にしてしまったためだ。三階と二階の半分程が融解してしまっているのだから当然だ。校舎の耐力的には奇跡的に問題がないらしく、今はそこに生徒が立ち入らないように立ち入り禁止の看板が数多く立たされている。

  あの日に大変だったのは願子たちだが、今は先生たちの方が大変だろう。次の日になんとか普通に登校した願子たちが見た、たったの一夜で常識外の壊れ方を見せる校舎を見て大きく口を開けていた先生たちの顔はおそらく忘れることは無い。

  生徒からすれば突然の休みでラッキーくらいのもので、この問題に願子たちのように手を出す生徒がいるかと思われたが、噂話として全員が知っているものの、それ以上に手を出す生徒は見られなかった。ひょっとすると然程騒がれていないのは、四人でいたいと願った蛇の卵の最後の奇跡なのかもしれないが、それを証明する手立ては何も無い。

  一週間ぶりの学校は、朝に開かれた緊急の全校集会で生徒会長から学校の壊れた部分には近づかないように注意を促され、無事だった教室に戻ってからは驚くべきほどいつも通りの授業が進んだ。

  そんな普段の日常を存分に願子たちは謳歌していたかと言われると、残念ながらそうで無いと言わざるを得ない。終わったら全てを話してくれると言っていた副部長の言葉が嘘では無いことは、『東風谷早苗』の名を口にしていることで分かっている。積み重なった疑問が遂に解消される楽しみで、四人とも授業の内容など右から左に流れてしまい全く頭に入らなかった。

  異様に長く感じられた授業を終えて、昼休みに聞きたいことを相談しつつ放課後に訪れた不見倶楽部の部室の扉を今度はしっかり握って開けば、分かっていたというように「やっぱり来たな」と、その時には美しい二つの複眼は消え去り、特徴の特に無い状態に戻った包帯塗れの副部長が出迎えてくれた。

  そうして変わらずソファーの方に身を移し、四人にコーヒーを差し出して副部長が口にした一言は、四人の予想を軽く超えるものだった。

 

「『こちやさなえ』って不見倶楽部の部長なんですか!」

 

 願子がすぐにそう返したが、それには大きな間違いがある。『こちやさなえ』と『東風谷早苗』は全くの別物だ。願子の考えが分かるというように、副部長は呆れたように笑うと、「『東風谷早苗』の方だからな?」とやんわりと訂正を入れる。

 

「不見倶楽部は、元々中学の頃に俺と東風谷さんの二人で始めたんだ。あの時は色々やったぞー、海に行ったり山に行ったり、今回みたいなぶっ飛んだことは無かったけど、なかなか楽しかったな」

「その『東風谷早苗』と『こちやさなえ』にいったいなんの関係があるんですか? あたしにはさっぱり分からないんですけど」

「今回のことはとりあえず異変とでも呼ぼうか。その異変が生まれたのは言ってしまえばある意味で俺と東風谷さんたちのせいなんだよ」

 

  副部長はそう言って少し悲しそうな顔を見せるが、それも一瞬のことで、一口コーヒーを飲んで再びカップの影から副部長の顔が見えた時にはすぐに元の戻っていた。

  副部長の言葉には当然願子たちは驚くが、しかし、それが副部長の言う通り、副部長たちのせいであると願子たちは言えそうもなかった。事実、願子の命を救った最大の功労者は副部長であり、これまで言うことに冗談はあっても嘘や間違いの無かった副部長のことを考えると、それが不可抗力で起きたことであるということが簡単に予想することが出来たからだ。だからこそ、願子たちは次の副部長の言葉を待つ。それが分かったのか、副部長はもう一度笑みを形作ると、願子たちが聞き漏らさないようにゆっくりとした口調で話し出してくれる。

 

「まず最初に言っておきたいが、東風谷さんはもうこの世界にはいない」

「え?」

「あぁ勘違いするなよ。死んでなんかないさ、東風谷さんは行ったんだよ幻想郷にな」

 

  幻想郷。

  その単語は当然初めて聞くものだ。三人の顔を願子は見回してみるが、それに心当たりがあるという表情を誰もしていないことを見るに、四人とも初めて聞く言葉ということが分かる。

  幻想郷、幻想が住まう夢の世界。幻が引き込まれる不思議な土地。そういったことが副部長から語られるが、願子たちにはさっぱり理解できなかった。何よりそこに東風谷早苗が行ったことでなぜ「こちやさなえ」が生まれたのか全く理解できない。

 

「幻想郷に行ったのは東風谷さんだけじゃあない。他に御二方ほど幻想郷に行ったんだが、それが今回の異変の元凶とも言える」

「二人? それって誰なのかしら? 私たちの知っている人?」

「人、というか神様だな。洩矢神様と八坂神様の御二方だよ」

「「「「神様⁉︎」」」」

 

  遂に四人の頭はショートした。幻想郷という聞いたこともない作り話のような話に続き、出てきたのは神様というありえない言葉。ここまでくると普通信じられないが、驚く四人を見て可笑しそうに不敵に笑う副部長の顔が、嘘ではないと訴えている。

 

「その中の洩矢神様が幻想郷に行ったのがちと不味かったんだ。元々分かっていたことだが、それでも俺は止めることはしなかったがな」

「どう不味かったんですか?」

 

  石像と化した中から最初に人に戻って来たのは杏だった。神様といういないはずのものの存在を口にされても、さほど動じていないあたり、杏は信仰心が他の三人より高いことが伺える。それが良いことなのかは分からないが、副部長はそんな杏を見据えると、困ったように疑問に答えた。

 

「洩矢神様は土着神の頂点であり、最大級の祟り神でもあった。それが不味かったんだよ。一夜にしてこの土地から消えた洩矢神様と共に殆どの祟りがこの諏訪から消え去った」

「それは…………別に良いことなのではないですか?」

「いや、そうでもない。例えば大海のど真ん中に突如として大穴が開いたとしよう。その大穴はそのまま何時までも残るかと言われれば、そんなことはありはしない。周りの海水がその穴を埋めようと流れ込んでくるのが自然だ。それと同じように抜けた祟りの穴を補うために大量の祟りがこの諏訪に流れ込んだのがことの始まりだ。洩矢神様の力も衰えていたらしいが、それとは関係なく存在の大きさが仇になったとも言えるなぁ」

「そうなんですか」

「とは言えこれは俺の予想なんだがな。まあ九割九分合ってると思うが、俺は御二方と直接喋ったことも会ったこともないから真相は分からん」

 

  副部長の作り話のような話と合わせてのとんでも仮説に石像化が長引いていた他の三人も、ようやっと身体に力が帰ってきた。次に疑問を口にしたのは願子。今の副部長の言葉にどうしても気に掛かる部分があったために、その話をよく咀嚼(そしゃく)する間もなくするりと疑問が口から滑り出る。

 

「会ったこともないって、副部長見えなかったんですか? だって……」

 

  複眼。蟲の目。人のでは見えないものを見てしまう美しい深緑の二つの目。祟りを受けた願子にしか見えなかった「こちやさなえ」が見えていたことからも、その目が飾りではないことは願子には分かっていた。それなのに、

 

「会えなかったんじゃあ無くて会わなかったが正しいのかなぁ、あの時言っただろう? 東風谷さんにも見せたことないって。特殊なコンタクトを昔貰ってな、それを付けておけば普通の人の目と俺の目はあまり大差無いんだ。今思えば神様を見るってことが少し怖かったのかもしれないな」

 

  そう言って目に手を伸ばすと、薄いレンズを目から取り出す。シールを剥がすように徐々に下から(あらわ)になるのは、闇夜に光っていた優しくも怪しい深緑の光。見惚れる四人を満足げに眺めると再びすぐにそれは薄い膜に隠されてしまう。

  副部長の言っていることの意味が友里たち三人にはよくよく理解出来る。もし、『こちやさなえ』の姿を見れるかどうか選べたとして、『きっと面白いことがある』という毒物に頭をやられている願子は別として、他の三人からすればあれほどの破壊を見せつけたものを目に入れたいとは思えなかった。

 

「えー、勿体無いですよ。副部長見とけば良かったのに」

 

  だからこんなことを言う願子がおかしいのであって、三人が隣で溜息を吐くのは当然の流れだった。あんな目に会ったというのに、人はそう簡単に変わらないらしい。副部長から語られる想像を超えた話たちに、『きっと面白いことがある』と好奇心に目を輝かせる願子に向けられる顔は呆れたものばかりだ。

 

「あのねえ瀬戸際さん、言っておくがそれは少し控えた方が身のためだぞ。好奇心は猫をも殺す。九つの命を持つ猫を殺す程に有毒だ。……それに俺の目に見えるのか分からなかったからな。御二方の存在はその時消えかかっていたんだよ。だから御二方が消えないために幻想郷に行くしか無かったんだ」

 

  「お代わりいる?」と、副部長は席を立って一度話を打ち切った。願子たちが部室を訪れてから二十分くらいしか経っていないというのに、与えられる情報の凄まじさにすっかり願子を除いた三人は気疲れしてしまった。早く話の続きが聞きたいなと、ワクワクしながら美味しいコーヒーで喉を潤わせる願子の姿は生き生きとしていて、とても『こちやさなえ』を前にして暗くなっていた人物と同じだとは思えない。

 

「願子、あんた少し落ち着きなさいよ」

 

  そんな願子に口を出す友里は間違っていない。

 

「いやいや友里、だって凄いじゃん! 今まで私はこんな話が聞きたかったの! 神様だって! 幻想郷だって! いいなぁ、凄いなぁ、もう私は今日のために生きてきたと言っても過言じゃないよ!」

 

  興奮する願子は聞く耳持たず。すっかり好奇心に頭の中枢が支配され、副部長に言われたことも全く効果がないらしい。友里は諦めたように視線を願子から外すと、コーヒーのカップを手に取り、心地いい苦味と共に出そうと思っていた言葉を喉の奥に流し込んだ。

 

「あらあら願子さん。それでも少しは落ち着かないと最後まで持たないわよ。副部長さんに東風谷早苗さん、不見倶楽部のことを聞くのもいいけれど、私たちはまだ聞きたいことを聞いていないじゃない。ねえ杏さん?」

「はい。蛇の卵のおまじないに関することを聞こうって昼休みに話し合ったわけですし次はそれを聞かないと。それに質問に答えて貰ってばかりだとあれも出来なくなっちゃいますよ」

 

  そう言って杏が取り出したのは一枚の用紙。職員室に行っても誰も分かっていないようで探すまでかなり苦労した。それを目に入れると四人の顔はニンマリと悪い顔になるが、新しく作ったコーヒーのポッドを持って戻ってきた副部長の姿を確認すると慌ててそれを隠し四人は苦笑いを浮かべる。

 

「何?」

「「「「なんでもないですなんでも!」」」」

 

  手を前に突き出し遮る者、首を大きく横に振るう者。あらあら誤魔化す者。逆にいつも通り努めようと面倒くさそうな顔をする者。それは大変怪しく、なんでもないわけがない。しかし、無理に突っ込むのも野暮というもの。副部長は一度肩を竦めると、四人のカップにコーヒーを注ぎ再び席に着いた。

 

「それで? 次に聞きたいことは?」

「今回のおまじない……異変? に関することです」

 

  便宜上異変と呼ぶことになった蛇の卵のおまじないを言い直し、願子は首をかかげて次の疑問を口にする。

 

「ああ、要はさっき言った話の続きになるが、答えは流れ込んできた祟りがある形を得た状態の一つだよ。東風谷さんたちが幻想郷に行ったのが俺たちが高校一年の夏だったんだが、それから違う形の祟りがこの諏訪では頻発していた。そのうちの一つでしかない」

「他にもあったんですか? あたし全然知らないけど……」

「あったよ、数え切れないくらいな。ただ、基本的に人の手を超えた事件なんかはあまり報道されないものさ、だから出雲さんたちが知らないのも無理はない。それに考えれば今回のも大きな異変の中の一つでしかないとも言えるから、幾つもあったとも少し違うか」

「あら……じゃあこれまでに私たちの知らないところで起こっていたことも副部長さんが解決してきたのかしら?」

 

  「そうだよ」となんでもないようにコーヒーを啜る副部長の凄さをここに来てようやく四人は理解した。

  『こちやさなえ』一つ取ってもあれだけのことが起きたのだ。それを幾つも知らないところで、きっと今みたいにボロボロになって解決したに違いない。そう思うと、副部長の存在が一回り大きく願子たちの目には映る。

 

「まあでも今回の異変は他のと比べて大きかったな。時間も掛かったし、給料くらい出てもバチは当たらないよなぁ」

 

  そう戯ける副部長の姿は、初めて会った時とは比べものにならないくらい頼もしく見えていた。何が起こったとしても副部長がいれば大丈夫。そんな想いがブレなく四人の頭には巡る。

 

「でも副部長、今回の異変結構不思議なことがありましたよ。鍵が掛かっているはずの部屋が空いてたり、広まってなきゃおかしい話が広まって無かったり」

「ああそれね、話は簡単だよ。鍵は俺が開けて回ってたんだ。瀬戸際さんが言った通り、瀬戸際さんがほっつき歩いてる間に俺がやってたのそれ。生徒会長と俺は知り合いでね、全部の教室の鍵を事前に借りてたんだ。うちの学校生徒の自主性に任せるとかいう投げやりな教育方針のおかげで生徒会長が結構な権力持ってるからな、話が広がるのを防げたのも生徒会長のおかげさ」

 

  生徒会長、新入生歓迎の言葉で願子たちも一度は見ている。茶髪をポニーテールに纏め、マイクを使わずとも声が通る快活そうな女性だった。そんなに力があったとは驚きだ。

 

「でも学校で八人が死んだとか、諏訪市内ならある程度広いから話にならなくも仕様がないとして、それはいくらなんでもありえないんじゃ?」

 

  願子の疑問は的を得ていた。今回の異変で現実的に見た場合、一番問題になるには今回では無く一年前のもので間違いない。

  副部長は今までで一番困った顔をすると、五人しか居ないはずなのに、周りに聞こえないように四人の方へ顔を寄せた。副部長の行動はこの話はそれだけ問題があるということを示している。四人は少し迷ったが、ここまで来たならと副部長の方へ顔を寄せる。

 

「うちの校長が揉み消した。八人の死に方は発狂した人のそれ、原因も不明、治療も無理。そんな人が八人も学校から出たとなるとうちの学校の存続が危うくなってしまう。だから俺や生徒会長が手を回すよりも早く校長が揉み消しちまったのさ。やり方に問題はあるだろうが、それは校長のせいじゃあない。結果として手間が省けたから俺も生徒会長もその件に手を出すことは止めたんだ」

 

  顔を外すと、「絶対口外するなよ」と念を押して副部長はコーヒーを啜る。確かに間違ってはいないのかもしれない。しかし、

 

「それでいいんですか?」

 

  例え偽善であろうとも、願子から出た言葉にも間違いはない。それに副部長は、仕様がないのさと両手を挙げた。

 

「これに関してはどうしようもない。祟りのせいで人が死んだなんて、平安時代ならそれこそ信じて貰えただろうが、今の時代にそれを馬鹿正直に信じる人間はいないんだよ。小学生にも通じやしない。確かに嫌な話かもしれないが、本当にどうしようもないことはある。それに校長のことを告発したとして校長だって被害者だ。うちの校長悪い人じゃあ無いしなあ」

 

  確かにその通り。副部長の話にも筋が通っている。全ての原因は東風谷早苗たちが幻想郷へ行ったことだったとして、今はもうここにいない者を裁くことなど出来はしない。それに東風谷早苗だって、こうなると分かっていてやったわけでは無いのだろう。それは副部長の話の端々に浮かぶ悲哀の色が教えてくれていた。

 

「分かりました。じゃあ最後になんで蛇の卵がとっておきだったのか教えて下さい。最後はあれに助けられましたけど、どうしてあれを使おうと思ったんですか?」

「んー? それは簡単だよ。オカルトを打ち破るには矛盾を責めるのが一番なのさ」

「矛盾?」

「そう矛盾。蛇の卵の恐ろしさは絶対に孵らない卵を使ってこそ真の恐ろしさを発揮する。そうすることによって割れた時に叶うお願いは絶対に叶わないわけだ」

 

  蛇の卵の唯一のルール。卵が割れるまで粗末に扱ってはいけない。表面の希望に引き寄せられた者を絶対に引っかからせる罠。どこから始まったのか知らないが、これを考えた者の性根の悪さが滲み出ている。

 

「だがしかし、もう孵る直前の卵を使えば? それなら何もしなくても勝手に卵が割れてくれる」

「嫌でもそれって狙って割れてくれるわけじゃあ無いですよね? え? ひょっとして最後のあれって博打だったんですか⁉︎」

「そんなわけ無いだろ」

 

  願子の前に差し出されるのは一枚のハンカチ。緑一色に染まったそれは蛇の卵を包んでいたものに間違いない。あの後どこに行ってしまったのか分からなかったが、副部長がしっかり回収していたらしい。そのハンカチの端の部分を副部長は指で叩くように示した。白い糸で刺繍されたそれははっきりと東風谷早苗という名前を描いている。

 

「え? うぇ⁉︎」

「昔東風谷さんに渡された後、そのまま返せなかったんだがそれが今回は役に立ったよ。東風谷さんの力を借りてタイミングは完璧だ。何を隠そう東風谷さんは奇跡を起こせたのさ」

 

  ーーーー奇跡。

  その言葉は願子たちを救った美しい少女を思い起こさせる。願子の手を握ったあの美しい手の温もりは、今でも手にしっかりと残っている気がする。願子はその手を摩りながら副部長に問うた。

 

「奇跡を起こすって?」

「説明できない特別なことを起こせるってことさ」

「いやもっと具体的に」

「説明できない特別なことなんだから説明できないの」

 

  なんたる適当、冷めた目が四つ副部長に向くが、副部長はそれを豪快に笑って吹き飛ばす。

 

「はっはっはっ、まあいいじゃないかこれにて異変は解決だ。嫌なことばかりだったかもしれないが、いいこともあったんじゃないか?」

 

  願子は幻想を見た。

  友里は親友のために行動できた。

  杏は友を得た。

  塔子は自分になれた。

  異常な事態は、願子たちの人生に多大な歪みを起こしたが、その歪みは小さな一歩を四人に踏み出させた。

 

「瀬戸際さんも出雲さんも初めてここに来た時と違っていい顔してるよ」

 

  願子と友里、今まで(くすぶ)っていた中学生活とは違う。追い求めていた幻想が願子の前に姿を現し、今まで親友に力を貸せなかった友里は遂に願子の助けになった。

 

「まあね副部長、私は遂に私の殻を破ったのよ」

「次はあたし自身の力でもっと派手にやるわよ」

「そりゃ頼もしいな。……それで桐谷さんは前髪上げたんだな、いいんじゃないか?」

 

  杏の顔はもう前髪に隠されてはいない。怯えたように薄い檻越しに覗いていた瞳は、夕焼けを存分に写し込み輝いている。前髪を上げるために結わえた髪を結んでいる紐は後利益が多分あると、願子と塔子から渡された命綱。

 

「私も前に進まないと、親友たちに置いてかれちゃいますから」

「なるほどね。そして……小上さんは…………装飾が増えたな」

 

  その姿はまるでアフリカの祈祷師。塔子だけは踏み出した一歩を盛大に踏み外しているように見える。きっと明日には生活指導の先生に捕まるだろう。

 

「あらあら副部長さんはいい目をしてらっしゃるわ!」

「まあ小上さんがそれでいいならいいさ」

「ふっふーん、進化した私たちを分かってもらえたところで、副部長、私たち実は副部長に渡すものがあるんです」

「ほー、そりゃ働いた甲斐があるってもんだな」

「はい。これがそうですよ」

 

  そうして副部長の目の前に差し出されるのは一枚の用紙。書かれた四つの名前は個性的な筆跡で、願子たちの性格がよく表れていた。用紙の一番上を飾る文字は入部届け。

 

「おいおいおい、こりゃ俺に残業しろってか?」

「「「「先輩、よろしくお願いします!」」」」

 

  夕焼けに染まる部室に浮かぶ四つの笑顔。困ったように笑顔を返す副部長。

  願子たちは決めた。明日からも部室に足を運ぼうとそう決めた。今回はたまたま普段人の踏み込まない領域に紛れてしまっただけ。きっとこの先知らぬ存ぜぬを決め通せば普通の生活を送れるだろう。しかし、それを願子たちは止めた。

  ここにいれば副部長が怪しく輝く蟲の目で、幻想も、見たことのない自分も見せてくれるから。

 

「…………ならもう一度あらためて自己紹介しよう。俺はここの副部長。ようこそ、ここは不見倶楽部! 見えないものを見て聞こえないものを聞く部活さ」

 

 

 




ここまで読んで頂いた皆様ありがとうございます。
伸びていくUA数に背中を押されここまでなんとか書けました。
取り敢えずここで第1章というか、長いプロローグはお終いです。
ダレるのが嫌だったのでここまでかなり勢いに任せて書いたために誤字、脱字、おかしな表現多々あると思いますが、自分で読み返して気がついたところは随時修正していきたいと思います。

この話は幻想郷の外に目を向けた時にどうしても幻想郷の住人たちが外の世界に出てくるのが想像出来ず、幻想郷で色々あるように外でだって異変はあると思い書き始めた結果、オリジナルキャラクターばかりになりました。最初に生まれたのは東風谷早苗と対になる副部長。次に願子と友里。杏と塔子の順。まだ出てませんが生徒会長と副会長もちょいちょい出るでしょう。
もう終わりまでの構想は出来ており、あと大きな流れの話が四つで大筋は終わりです。その間に一話限りの書きたい話が幾つかあるので、その時に幻想郷の話も書けるといいなぁと思います。
大筋の方はこれからもオリジナルキャラクターが出まくってしまいますので、原作の裏、外の世界ではこんなこともあるのかなあと温かい目で見て頂けると幸いです。

皆様読んでいた中で思われた多くの疑問があると思いますが、気軽に送って頂ければ、なるべくお応えさせていただきます。これからも不見倶楽部の五人をよろしくお願いします。


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不見倶楽部活動日誌 春〜夏
入部


不見倶楽部活動日誌は基本一話完結の日常話です。


  不見倶楽部の部室は大変辺鄙な場所にある。学校の中には確かにあるのだが、周りは普段使われない教室に囲まれ、他の部室も周りに存在しないため、人っ気のない不見倶楽部の部室はその重厚な扉のせいで寂れた博物館の一部のように見える。歴史あるという名の古ぼけた木造の校舎と年季に入った木造の廊下は掃除もされていないので、ところどころ廊下に張られている蜘蛛の巣や、溜まった埃に埋もれるように存在するただ一つ綺麗に手入れされた扉は浮いて見えた。そんな部室は学校のいじめられっ子でも寄り付かず、不良でさえ近寄らない本当に(さび)れた場所なのだ。

  今日も願子たちはそんな人通りの無い廊下を四人で進み、見慣れた蛇の装飾に挨拶しながら部室に入ったところで副部長から発せられた言葉に呆然としてしまう。

 

  「入部テストを行う!」

 

  入部テスト。

  普通の部活動と違い入るのに一定の条件がいるということ。

  東風谷早苗と副部長。たったの二人しかいないはずの部活動。今は部長がいないはずのため、実質副部長一人だけだ。

  そんな消滅一歩手前の部活動にいったいなんの条件があるというのか、四人が抗議の声を上げたのは早かった。

 

「えー! 副部長そんなこと昨日一言も言って無かったじゃないですか! ようこそ不見倶楽部へってなんだったんですか!」

「そうですよ副部長先輩! 私たち今日から始まる部活楽しみにしていたのに」

 

  最初に声をあげたのが願子。次が杏だ。

  すっかり杏はか弱い少女から元気いっぱいな少女に変わってしまった。願子と共に騒ぐ姿は友達と笑い合う普通の女子高生だ。

  もう四人は一向にここまで来たらその方が面白いからという理由で自分の名前を喋らない副部長から名前を聞き出すのを諦め、副部長という呼び名が定着してしまっていた。杏の呼ぶ副部長先輩という名は非常に間抜けっぽいが、副部長は満更でも無い様子だ。

 

「あたし何も用意してないんですけど」

「あら、何か特別なものが必要なら私のこれをお貸ししてもいいわよ」

 

  普段面倒くさそうな顔を見せる友里も今回は本当に面倒くさいといった顔を見せ、てっきり生活指導部屋行きだと思われていた塔子はどうやったのかいつもと変わらず身体中につけられた装飾の一つを手に取ると三人に渡そうとするが、苦笑いを浮かべるだけで誰も受け取ろうとしない。

 

「文句は受け付けませーん。これは中学の頃に部長が考案した由緒正しいものである! これを拒否するのであれば諸君に入部する権利は残念ながら与えられない!」

「なんですかそのキャラは」

 

  ツッコム友里に毒気を抜かれたのか、肩の力を抜いて副部長は面倒くさそうにいつもと同じくコーヒーを入れ始めた。本当に副部長はコーヒーが好きである。副部長の体液の半分はコーヒーで出来ているのかもしれない。

 

「だいたいお前たち本当にうちでいいの? うちの学校、なんかやたら部活動の種類が豊富なんだから仮入部期間も前なのに選ぶ必要無いんじゃないか?」

 

  本来願子たちの学校で仮入部が始まるのがゴールデンウィークが終わってから、それより前に入部を決めるなど、スポーツ推薦で入学した生徒並みだ。

  今は丁度ゴールデンウィークに入る一週間前、願子たちの学校の全校生徒数が千人を軽く超え、部活動の種類が五十種類以上もあることを考えれば、この段階で入部することを決めた願子たちは異常だとも言えた。

 

「いえ副部長、私たちはもう決めたんです! この不見倶楽部こそが私たちの入る部活だと! 入部テストが必要なら受けましょう!」

 

 願子の言葉が全員の総意だ。四人の顔に影は見られない。副部長は仕様がないと呆れたように執務机から四枚の用紙を取り出すとそれぞれを四人の前に置く。

 

「俺が言うのもアレだけどお前たち変わってるねぇ。じゃあはい、これ書いてね」

 

  そうして出された用紙はアンケートのようなものだった。

  書かれていることが願子たちが遭遇した『こちやさなえ』のように変わったものなのかと少し身構えた四人だが、実際に書かれている子供っぽい内容に一様に眉を(ひそ)めると、副部長の顔を(うかが)った。しかし、副部長は優雅にコーヒーを飲むだけで、なんの説明も言う気は無いようだ。もう一度願子たちはアンケートに目を通すが、書かれている内容に間違いはないらしい。

 

 《次の質問に嘘偽りなく神に誓って答えて下さいね!

 

 ・あなたが一番好きなロボットは?

 

 ・あなたが一番好きな漫画は?

 

 ・あなたは神を信じますか?

 

 ・私を驚かしてください!

 

 ・副部長より私の方が偉いんですからね!

 

 ・副部長より私は凄いんです!

 

 ・副部長より私の言葉を優先するように!

 

 ・副部長より私を敬うように!

 

 ・一緒に副部長にアッと言わせてやりましょう!

 

  以上が入部テストになります! 結果は後日追って連絡しますね!》

 

  書かれている筆跡からこれが手書きであるということが分かる。オリジナルのコピーがこの用紙なのだろう。書かれている文字は恐らく部長である東風谷早苗の字。書かれていることはふざけているが綺麗な字から育ちの良さが窺える。

  願子たちが真面目にアンケートを書き始めてから五分経ち、十分経ち、一向に手が進まない。三つ目まではまだいい。三つ目まではまだいいのだ。問題はその先。

 

  なんだこれ?

 

  後半はもう質問でもなく部長から副部長への文句でしかない。それが純粋な質問よりも多いとはこれいかに。四人は字を書いている時間よりもコーヒーを飲んでいる時間の方が長い。

  願子は一度ちらりと副部長を見ると、暇そうにしている副部長と目が合い「できた?」と用紙を取り上げられてしまう。

 

「ああ、副部長ちょっと!」

「何々、ああうんなるほどねー、はい瀬戸際さん合格」

 

  入部テストにあっさり受かってしまった願子は目を丸くした。何故なら半分も書かれていないアンケートで合格してしまったのだから当然だ。

  それから副部長は残りの三人のアンケートも回収すると、桐谷さんマジか! とか、出雲さんやるねとか、小上さんはまあ……うんとか適当な感想を言うだけ言うとあっさり合格の言葉を口にした。

 

「いやだってこれほとんど東風谷さんの文句だし、四つ目に関してはいない人物を驚かすなんて無理だろう。まあ東風谷さんなら入部希望者が来たってだけで驚くからいいだろうしね、それに中学時代は東風谷さんのせいで誰も合格しなかったんだからもっと喜んだら?」

 

  副部長が言うにはそういうことらしい。

  副部長の様子から見るにきっと願子たちが適当に書いても合格の言葉を出していただろう。そうなると真面目に書いていた四人はただの阿呆だ。

 

「副部長! だったら書かせなくてもいいじゃないですか!」

 

  願子の声が部室に響く。周りの廊下や教室には誰もいないから怒られないため存分に声を張るが、静かに木霊する声のうるささは変わらない。扉の取っ手に乗る蛇たちがいない人に代わり抗議の目を願子に向けるが、口は聞けないので代わりに答えるのは副部長。

 

「瀬戸際さんちょっとうるさい。それに意味はあるさ、四人の好みが分かりだろう? いや面白いよ特に桐谷さんには驚いた。ただこれロボットじゃあないよね?」

「でも好きなんです! あのフォルムとか色使いとか完璧ですよ! 全長2947mm、全高1171mm、全幅831mm、最高速度はなんと243km/hですよ! いいですよね、乗ってみたいなあ」

 

  恍惚(こうこつ)の表情を浮かべる杏は杏では無いようだ。副部長は押してはいけないボタンを押してしまったらしい。当の押した本人は苦笑いを浮かべるだけで収める気は無いようで、隣に座る友里が杏の肩を叩くことで杏はようやくこちら側へ帰ってくる。

 

「あ、すいません興奮しちゃって」

「いや構わないよ。あれは俺もかっこいいと思うし、好きなものがあるってのは良いことさ。ただ……ただなぁ、小上さんのこれって何?」

 

  そう言って副部長は塔子のアンケートを前に出し三つ目の欄を指差した。そこには文字ではなく絵にしか見えないものが書かれているのだが、下手すぎて何が描かれているのか副部長を含めた四人には全く分からない。人、に見えなくもないそれの周りには何かが浮かんでいるが、なんだ? ゴミか? 漂うゴミに囲まれた人?

  はっきり言って壊滅的に塔子には絵のセンスが無い。幼稚園児でも描けるだろう。しかし、描いた本人は会心の出来というように胸を張っている。

 

「それは私たちの願いを叶えてくれた素晴らしい人よ! きっと神様に違い無いわ!」

 

  塔子の言うことを考えると、どうやらこれは最後に蛇の卵から現れた幻想の少女のことを言っているようだ。だが、これではあの少女に失礼だ。もしこの場に少女がいたら絶対に殴られていると言える。そしてそれは次に副部長が持ってきたものでより鮮明になった。

  副部長は一度悪い笑みを浮かべると、席を立って執務机に置かれた一つの写真立てを持ってくると、願子たちに見えるように手渡してくれる。そこに写るのは今より少し幼く見える副部長と、髪の色が緑色では無く普通の黒色だが、間違いなく蛇の卵から現れた少女だった。

 

「それが部長」

 

  諏訪湖をバックに柵に肘を掛け適当にピースする副部長と、身体を屈めて写真の中央に来るように満面の笑みでVサインを作る部長。少し遠巻きから撮られた写真は、およそ中央にいる二人の両脇に一人分ずつのスペースが空いているように見える。

  たった一枚の写真だが、これだけで部長と副部長の仲の良さが分かる良い写真だ。

  つまり四人はしっかり部長に会っていたわけだ。本物じゃあ無いだろうが、あれが部長で間違いない。それは消えていく少女に見せた副部長の笑顔からも分かる。

 

「部長ってこんな美人な人だったんですか」

 

  出来れば会ってちゃんと話したかったなと少女に手を握られた願子は四人の中では誰よりがっかりしていた。それに合わせて、東風谷早苗は願子の理想そのものだったのも大きい。入る部活は最高、さらにこれほど美人な部長がいれば超最高だ。それがチラチラ副部長の顔と部長を見比べる願子の顔に出てしまい、副部長は呆れたように肩を竦めた。

 

「悪かったな俺で、まあ何にせよ入部おめでとさん。これからよろしくな」

 

  副部長の笑顔にようやく本当に入部したんだという実感が四人の中では強くなる。これから願子たち四人と副部長の物語は始まるのだ。

  さあ、今日の活動は!

 

「今日は解散! お疲れ様ぁ!」

 

  副部長の一言で四人はその場でズッコケかけた。

 

「いや何でですか!」

 

  願子の抗議の声がまた入るが、副部長は申し訳なさそうに頬を掻くと、出てくるのは落ち込んだ声。

 

「今日は、生徒会長に呼び出されてるからこれから行かなきゃならないんだよねぇ。まあゆっくりしてても良いよ、帰るときはそのまま帰っていいから。それじゃあまた明日!」

 

  もう抗議は受け付けないと足早に副部長は部室から出て行ってしまう。後に残るのは副部長が消えた先を何も言えずに見つめる四人の少女。

  願子たちの不見倶楽部の部員としての一日目は何とも締まらないものだった。

 




不見倶楽部の入部テスト、あなたは受かるかな?


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GW

長かったよ……


  皆さんは佐渡島(さどがしま)を知っているだろうか? と聞かれれば勿論知っていると答えるだろう。小学生の時に地図帳を開き、誰もがぴょこんと飛び出した佐渡島を見て、日本にはこんなところがあるんだと思ったに違い無い。

  佐渡島は新潟県に属していながら本州から離れた島である。

  佐渡島の歴史は古く、奈良時代から流刑地の一つとされていた佐渡島は、万葉歌人の穂積朝巨老、順徳上皇、世阿弥など、多くの貴族や文化人が流され、伝統文化が盛んな土地の一つになっている。

  中でも能楽の一つである能が暮らしの中に溶け込んでいる珍しい地域で、江戸時代には二百を超える能舞台があった。今でも三十以上の能舞台があり、その数はなんと全国に残る能舞台の三分の一に相当する。

  歴史や伝統文化以外にも、佐渡島には古くから伝わっているものがある。それが有名な日本三名狸である佐渡団三郎狸だ。

  佐渡の狸の総大将。人を化かしてからかったり、木の葉を金に見せて買い物したりと自由奔放で人間臭い大妖怪だ。しかし、お金に困っている人にお金を貸したりと意外と優しい面もある。

 

「そのため団三郎狸は人々に厚く信仰され、二つ岩大明神として祀られている。だって」

 

  佐渡島のご当地キャラが描かれた薄いパンフレットを読む願子の言葉に耳を貸すものはいない。

  友里も杏も塔子もそんなことを気にしている余裕は無いからだ。どうも『こちやさなえ』の異変から願子から危機管理能力が欠如しているように見える。

 

「さらに団三郎狸は」

「願子ちょっと黙って」

 

  数十分も前からパンフレットを読み続ける願子に遂に友里から文句が出た。それも仕様がない、話は数時間前に遡る。

  五月に突入し、全校生徒が待ちに待ったゴールデンウィーク。不見倶楽部に入り一週間、副部長はその間四日も生徒会長に呼び出されておらず、コーヒー研究会なのかと間違えるほどコーヒーしか飲んでいなかった願子たちは、この日をそれはもう一週間が一年にも感じるくらいに楽しみにしていた。

  前々から副部長からゴールデンウィークに旅行に行くから外出届け書いてねと、渡されていた用紙を四人は速攻で親に頼み込み了承を得、不見倶楽部としての初めての活動を待っていたのだ。

 

『さあ諸君! 待ちに待ったゴールデンウィークだ! ゴールデンウィークが終われば始まる仮入部期間や体育祭を楽しみにしている者たちもいるだろう、だが楽しいことばかりで無く中間テストも待っている。私たちはこの短い休みをいかに大切に使うかが重要になってくる。勉強も大事だろう、スポーツも勿論大事だ……しかし! 遊べる時に遊ばずして何が高校生だ! 私は行くぞお! 遊びに行くぞお! うおおおおおおお!!!!』

 

  生徒会長もゴールデンウィーク前の全校集会でポニーテールを存分に揺らしながらこう言っていた。三年生なのに大丈夫なのだろうか? しかし、生徒会長の言うことは最もだ。勉強よりもスポーツよりも今は不見倶楽部のことで頭がいっぱいの四人は生徒会長に合わせて声を上げた。あの友里ですら小さく声を上げたあたりどれだけ四人が楽しみにしているかが分かるだろう。

  そしてゴールデンウィーク初日、何も言わない副部長に連れられて、諏訪駅から電車を乗り継ぎ新潟へ、そこからフェリーに揺られて一時間。着いた土地は佐渡島だった。移動の運賃は全て部費で出るらしく、快適な時間を送れたが、全員が思う『なぜ佐渡島?』という疑問には全く副部長は答えてくれなかった。

  しかも着いて早々、

 

「じゃあ俺は行くから」

 

  と飛ぶように走り去ってしまった副部長は本気の走りを見せ、誰一人として副部長に追いつけず、気付いた時には右も左も分からない森の中にすっかり四人は迷い込んでしまった。

 

「ねえ、副部長に会ったらあたしぶん殴りたいんだけど間違ってないよね?」

 

  と言う友里の感想に否と答える者はおらず、そうして歩き続けて数時間。島のはずなのに全然町に出ず、願子たちの前に現れたのはそれはもう大きな大豪邸。

  平安時代によく見られる豪邸の代名詞、寝殿造りの大きさに圧倒され、名所なのかと島に着き唯一手に入れたパンフレットと格闘してもそれがいったいなんなのかさっぱり四人には分からない。

  何時の間にかあたりに霧が立ち込みだし、せめて道を聞こうと足を踏み入れたのが間違いだった。

 

 これやばいんじゃない?

 

  初めにそれを口にしたのは誰だっただろうか。右に左に、上に下に、縦横無尽にどこまでも続く廊下は無限回廊。網代縫(あじろぬ)いの凝った天井が地平の彼方まで続き、薄暗い廊下を一定の間隔で置かれた大きな信楽焼(しがらきやき)の狸の持つ提灯(ちょうちん)がほのかに照らした。両脇には障子がずらりと並び、障子を開ければまた障子。その障子を開ければまた障子。障子、障子。開けずにきめ細やかな和紙を打ち抜いてみても先にあるのは障子だけ。

  異常事態だった。先の異変と同じくありえないことが起こっている。なんでもない旅先で、副部長に連れられて、四人がどれだけ頬をつねってみても覚めないのだから夢ではない。

  そうして願子はパンフレットを読み、三人は呆れた。

 

「で? どうするの?」

 

  パンフレットを読むのをようやく止めた願子を含めて、四人は歩くのを止め、なんとか頭を回し始める。

  目の前に広がるのは廊下、後ろに広がるのも廊下。右には障子、左にも障子。

  不気味だ。『こちやさなえ』のような直接的なものでは無く、害のない無限迷宮には、手がかりの一つも転がっていない。そもそも、蛇の卵というキーアイテムがあったからこそ乗り切れたようなものなのに、それすらない状況では、四人には手の打ちようがない。

  友里から零れた疑問を拾う者はおらず、疑問は零れ落ちて無限回廊の奥へと消える。

 

「あら、どうしようもないんじゃないかしら?」

「そんな事ないですよ、副部長先輩に連絡取るのはどうでしょう?」

「副部長の連絡先知ってる人いるの? あたし知らないよ?」

 

  会話は一向に進まない。廊下と同じく会話まで無限回廊に迷い込んでしまったように何も上手くいかない状況にフラストレーションのみが高まっていく。

  しかし、そんな三人の意識を変えたのは願子だった。

  何も言わずに願子は急にずんずん奥に進み出し、慌てた三人は願子を呼び止めるが、全く気にせず願子は進む。

 

「いや止まってても何にもならないって、友里も杏も塔子も暗いよ。だって副部長が私たちを連れて来たんだから危ないわけないじゃん」

 

  進む願子に諦めて着いて行く三人の顔はまだどこか納得していないが、仕方が無いと先へ進む。

  廊下、障子、廊下、障子、景色は一切変わらない。異常な状況に関わらず、何にも変わらない状況が逆に三人を焦らせる。ひょっとしてずっとこのままなのではないか? 死すら訪れず、永遠に歩き続けるのではないか? そう考えると生温い空気が氷点下まで下がってしまったように感じてしまう。死を感じさせる幻想は恐ろしいが、死を感じさせない幻想もまた恐ろしい。世界は常にあらゆるものが流れているのに、そんな中で永遠に止まってしまうというのは耐え難い大きな恐怖の一つである。

 

「ねえ願子、やっぱり一回立ち止まって少し考えようよ」

「そうですよ願子さん、あの異変みたいにただ進めばいいってわけじゃないですよ」

 

  願子は進む、進む、進む。壊れた玩具のように足を止めず、ただ前に、前に、前に進む。

 

「願子さん聞いてるのかしら?」

 

  応えず歩き続ける願子の前方で、不意に一枚の障子の奥で何かが弾けた。その光は障子に影を落とし、シミのように広がっていく。浮かび上がるのは、虎、雉、猿、蛇。あらゆる生物が浮かんでは消え、浮かんでは消え、混じり合い、この世ではありえない生物の群れが行進を始める。障子に描かれるのは影の百鬼夜行。

 

「願子!」

 

  足は止まらない。影の一部になったように魑魅魍魎(ちみもうりょう)と歩みを合わせる願子の姿は常軌を逸していた。そんな中でくるりと振り向く願子の瞳に光は無く、大きく手を広げると、影がぞわりと大きく波打つ。

 

「大丈夫大丈夫、ほら行こう皆が呼んでるよ」

 

  信楽焼の狸がゲラゲラ笑い、障子が押されてガタガタ揺れる。真っ直ぐ伸びていた廊下は捻れ、願子は立ったまま三人の視界の中を九十度も傾いた。提灯から溢れる炎が障子を焼いて、人の身ほどもある目玉が動き三人の姿を捉えた。

 

「ちょ、ちょっと」

「あらあらあらあら」

 

 脆い和紙を破って人ならざる手が無数に伸びる。頼りない木の檻を今にも砕き、三人の命を掴もうと醜悪に手をこまねいている。爪が、舌が、牙が、あらゆる器官が三人の肌を撫ぜ、恐怖で逆立つ肌の味を吟味する姿を眺める願子の口が弧の字に裂けた。

 

「願子さん!」

「なに!」

 

  一枚の障子が勢いよく開かれて姿を表すのは瀬戸際願子。なにやら顔に青筋を立て、非常にご立腹らしい。

  願子の開いた障子の勢いに追いやられるようにもう一人の願子を除き、景色は崩れいつの間にか長かった廊下は奥に壁の見える短いものへと変わっている。

 

「ちょっと三人とも酷いんじゃないの? ここに入ってからすぐに私を置いていなくなっちゃうしさあ、何時間一人で待ち惚け食らわされたと思ってんの⁉︎ しかもそんな大声で呼ぶことないじゃん、こんな狭い家なのにそこまで私耳悪くないから!」

 

  願子の奥に見える空に浮かぶは真ん丸満月。それが照らし出す四人の踏み入った場所は豪邸ではなく、数多く月明かりを通す隙間から大変な荒ら屋だということが分かる。

  そんなことより三人は、無言で一斉にもう一人の願子の方へ指差した。未だ怒り心頭の願子は力強くそっちへ向くと、段々と真顔になっていき、終いには口を大きく開けた。

 

「私がいる!」

 

  願子の目の前に願子がいる。鏡が置いているわけでもないのにその姿は瓜二つ。願子が手を挙げればもう一人の願子も手を挙げる。願子が回ればもう一人の願子もくるりと回る。足が縺れて願子が転べば、もう一人の願子も同じようにその場で転けた。

 

「なにこれ!」

 

  段々楽しくなってきたのか、アホなポーズを取り続ける願子。三人からは恐怖の色は完全に消え失せ、鏡合わせでポーズを決める二人を残念な顔で見続けていたが、偽者の願子の方はもう飽きてしまったらしく、一度頭に手を乗っけると、

 

  ーーーーポフン。

 

  緩い音とともに四人の目にまず入ったのは人に身ほどもある大きな狸の尻尾。

 

「いやいや、まさかこんなに早く戻ってくるとは驚きじゃな、あの男が言うようにお前さんそっちの素質はあるらしいのう」

 

  赤み掛かった茶髪に丸眼鏡。願子たち四人とは比べものにならない大人の色気が現れた少女からは漂っている。百人に聞けば百人が美人だと答える容姿には、ただ二つの違和感があった。頭から伸びる二つの獣耳。腰あたりから伸びる大きな尻尾。しなやかに動くそれは作り物のような気配はない。四人の口からは唾を飲み込む音だけが聞こえ、少女はつまらなそうに息を吐いた。

 

「素質はあってもお前さんらまだまだじゃのう、あの男があれだけ褒めるのも珍しいから期待してたんじゃが、まあこんなものか」

「あの男って副部長先輩のことですか?」

「うむ、なんでもまだ見えないものを見たことないお前さんら三人に幻想を見せてやってくれと頼まれてのう、年甲斐もなく久しぶりに儂も頑張ってしまったぞい、ほっほっほ」

 

  そういうことか。

  三人の顔に納得の二文字、副部長がここに来た理由は友里と杏と塔子の三人のため。目の前で笑う少女? にお願いしてまだ見て感じていない三人に幻想を見せるためにやって来たのだ。

  それにしたってもう少し説明があってもいいんじゃないかとも思う。三人とも本当に一度死を覚悟した。

 

「あのうそれでお姉さんは誰なんですか?」

 

  当然の疑問を口にしたのは、副部長への怒りゲージが溜まり始めた三人ではなく、今回おまけ扱いである願子から。

  少女は「儂を知らんのか⁉︎」と言うと、一度こほんと間を置いて、大層大袈裟なポーズを取った。

 

「佐渡の狸の総大将、築いた伝説は一つや二つじゃ指が足らん。生き物、道具変化するならなんでもござれ。佐渡団三郎狸こと二ッ岩マミゾウとは儂のことじゃあ!」

「「「「……へー」」」」

「……最近の若者は冷めとるのう」

 

  ブルーな色を背負うマミゾウになんだか悪い気になる四人。しかし、現代っ子の四人には団三郎狸と言われてもピンとこなかった。

 

「そんなマミゾウさんは副部長さんと知り合いなのかしら?」

「ぁあ、うむ、ちと前に縁があっての、借りを作ったり貸しを作ったりまあ腐れ縁というやつじゃ、出会って一年経っておらんがなかなか面白い時間を過ごさせて貰ったぞい」

「へぇ副部長先輩が」

「うむ、それでお前さんら嫌に普通じゃが儂が怖くは無いのか?」

 

  怖く無いのかと聞かれれば、さして怖くは無いと三人は首を振った。

  頭上を跳ね回る副部長。誰も触れていないのに割れる天井、溶ける壁、それが徐々に自分たちの方へ降りてくる光景が放つ圧倒的な死の気配に関わらず、それが欠片さえも瞳に映らない。

  それと比べれば、マミゾウの見せた光景は背筋が凍るには十分だったが、変化を解いたマミゾウは、それよりも卵から現れた部長の幻に近い雰囲気を持っており、三人の緊張がほぐれるのにも十分だった。

 

「ふぉっふぉっふぉ、変わった奴らじゃ、もうそろそろ時間もいいだろうしそろそろ行くとするかのう」

「どこに行くのよ?」

「来れば分かるさ」

 

  そう言ってマミゾウは四人を連れて森の奥へと入って行く。暗い森の中であるが、不思議と前を行くマミゾウを見ると、四人の中には不安はなかった。

  マミゾウが進んでいくごとに、四人に合わせて足音が増えていく。近くの茂みが一度ガサリと音を立て顔を出すのは一匹の狸。それが二匹、三匹と気づけば狸たちの大行進。願子たち人間に恐れることなく、誰もがマミゾウの後を追い、時折楽しげな声をだす。

  それから五分も歩けば開けた野原に辿り着き、そこでは数多くの狸が総大将の登場を出迎え一斉に声を上げた。その丁度真ん中に、頭に肩に腕に足、狸に埋れて見慣れた男が願子たちの方へ手を振っている。

 

「ようどうだった?」

 

  軽い感じで言う副部長から一斉に狸たちが飛び去ると、助走をつけて友里が突っ込む。見惚れてしまうような綺麗に伸ばされた拳は副部長の顔に突き刺さり数メートル程吹き飛ばす。

 

「こうでした」

「……うん、良かったね」

「ほっほっほ! 面白い人間たちだのう! さて、人でも獣でも集まったならやることは決まっておる! 今日は夜通し呑み明かすぞ! ぱーてぃーの始まりじゃ!」

 

  白い徳利をマミゾウが掲げれば、溢れる酒は七色の火に変化して何もない野原を幻想的に彩った。それに合わせて跳ねる狸はそれぞれ龍や鳳凰といった空想の生物へと変化する。どこからともなく取り出した篠笛を副部長が吹けば、楽しげな音色に合わせて狸たちが踊りだす。満月の光を存分に浴びて、空を彩る空想の宴。願子たちに人懐っこく(じゃ)れ付く狸たちとそれを眺めながら過ごした時間。願子たちが送ったゴールデンウィークは紛れもなく人生最高のものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ただ、後日二日酔いになった。

 




マミゾウさんにはこれからもちょくちょく出て頂きます。
四人の姉貴分の一人として頼れるお方。


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生徒会長と副会長

「お前私の話聞いてたのかぁぁぁぁ‼︎」

 

  着るセーラー服は肌の一部と言えるほど似合っており、その豊かな胸と揺れるポニーテールを結ぶ大きな深紅のリボンは願子たちには非常に見覚えがあった。つい先日、ゴールデンウィーク前の全校集会で喚いていた生徒会長その人である。

  ゴールデンウィークが終わってすぐだというのに、いったい何の用があるというのか生徒会長の来襲によって不見倶楽部の活動はお預けになってしまった。

  ゴールデンウィークの前に副部長は生徒会に四日も呼び出されていた癖にすぐにまた生徒会長が会いにくるあたり副部長は願子たちを扱うのと同様に生徒会長をあしらっていたことが窺える。そうでなければ、生徒会長が般若のような形相で副部長に詰め寄っている理由にならない。

  しかし、怒っている割に内開きでは無く外開きのせいで、扉を勢いよく開けた登場にも関わらず生徒会長の登場はどうも迫力に欠けたものだった。

 

「聞いてたよ」

 

  ポニーテールをブンブン回し怒る生徒会長とは対照的に、普段の口調で返す副部長。そんな副部長のせいで生徒会長がより滑稽に見えてきてしまう。二つのソファーに二人ずつ座る願子たち四人のことなどお構い無しに執務机をバンバン叩く生徒会長へ、いつもの調子でコーヒーを差し出す副部長の胆力は凄まじい。生徒会長はそんなコーヒーを副部長のように優雅に飲むことは無く、カップを掴むと勢いよく喉に流し込みおかわりを要求した。

 

「学校が今修繕費でいくら予算が飛んでるかお前も知ってるだろ! あんな壊れ方をしたのに、奇跡的に耐力に問題がないとかいうせいでいろいろ問題だらけなんだよ! なのに原因のお前が悠々(ゆうゆう)と部活旅行なんてしてるんじゃない! しかも部費で行くなんて…………どうせなら私も連れてけぇ!」

 

  あ、この生徒会長ダメだ。

  四人の意見は完璧に一致した。

 

「俺が原因? 証拠が無いだろ」

「私から鍵を借りただろ!」

「鍵を借りたからなんだって言うんだ。俺が素手で壊したとでも? あんな壊れ方人間にできるわけ無いだろ、専門家が言う通り理科室でのガス漏れだって」

「んな訳あるかぁぁぁぁ‼︎」

 

  白々しい副部長に願子たちは冷たい視線を向けるが、副部長はコーヒーを飲むことで全てを受け流す。こういう時でも変わらない副部長に願子たちは少し感心するが呆れもする。

 

「だいたいその話は最初に呼び出された時に終わってるだろう、今日はサボリか? 仕事しなよ会長」

「それはお前が! うっ、くっ、うわぁぁぁぁん!」

 

  副部長のぶっきらぼうな対応に興奮しすぎて息を切らす生徒会長に代わって、生徒会長を助けるためにまた一人部室に人が現れた。

  生徒会長と違い、礼儀正しくノックする少女に目の前で喚く生徒会長を覗くような形で躱し、「どーぞー」と、やる気の無い声で応える副部長の声に少女はゆっくり部室に入ってくる。生徒会長とは対照的に入ってきた少女は全くセーラー服が似合っていない。服と体が合成写真のように無理やり合わせられているように見える。ベリーショートの髪型に首に掛けられたイヤホン。絶壁の胸と長く鋭い目つきから只者では無い空気を感じる。冷め切った表情は絵に描いたようなクールビューティーで、抑揚の薄い口調で生徒会長へ語り掛けた。

 

「会長、代わりましょう」

「副会長来たのか⁉︎ いやでもここは会長として私が」

「会長は昔馴染みに甘いからダメです。私が話します」

「いや私だって」

「私が、話します」

 

  表情を真顔のまままるで崩さず頑なな副会長に生徒会長は簡単に折れ、ぶつくさ文句を言いながら願子たちのいるソファーへと来るとどっかりと腰を下ろした。近くで見ると凛々しく快活な生徒会長は相当な美人だ。部長である東風谷早苗ほどじゃないとはいえ、並を平然と超えている。部長や生徒会長、副会長と、美人揃いな副部長の交友関係は謎に包まれているが、副部長を前にして目を離さず顔も崩さない副会長を差し置いて質問できる雰囲気では無い。

 

「不見倶楽部の副部長、今回は流石に見逃せません。仮入部期間前に新入生を部員とし、部費での活動はルール違反です」

「そうなんですか?」

 

  口にしたのは生徒会長の隣に座る願子のもの。しかし、勇気を出して口にした願子の一言に副会長は目線すら寄こさず、鋭い目は副部長の方だけを見ている。この場で副会長は副部長以外の相手をする気は無いらしい。それは、副会長が仕事に忠実で、副部長からほんの一瞬でも目を離さない方がいいと副会長が考えているからなのだが、心を読むことができない願子は副会長って見た目通り冷たい人だなとしか思えない。その副会長の代わりに願子の疑問に答えてくれたのは生徒会長だった。

 

「仮入部期間の前では原則として入部できない。部員でない者に部費を使わせるわけにはいくまい。入部届けが出されてはいたが、君たちはまだ不見倶楽部の部員ではなかった。つまりそういうことだ。分かったか? 一年八組出席番号十五番の瀬戸際願子さん」

 

  副部長を前にした時の子供っぽさは彼方へ消え去り、カップを手に持つ生徒会長は生徒の代表としての空気を取り戻していた。足を組み手慣れたものといったように振舞われる完璧な所作、その綺麗な所作に少しの間目を奪われた願子だったが、持ち前の好奇心に背中を押され、すぐまた次の疑問を口に出す。

 

「私のこと知ってるんですか?」

「くっくっく、私を誰だと思っている! 中学の頃も三年間生徒会長を勤め上げ、生徒会長連続勤務今年で六年、元を辿れば寺子屋から始まり百年以上の歴史を誇る一葉高校の生徒会長だぞ! 我が高校の生徒なら、顔、クラス、出席番号、部活、委員会、誕生日まで全て記憶しているに決まっているだろう!」

「会長、静かに」

「はい」

 

  副会長に注意され、項垂(うなだ)れる姿は先生に怒られた生徒のようにしか見えないが、願子たちは生徒会長の純粋な凄さに驚いていた。千人を超える生徒の顔から始まり誕生日まで記憶しているなど、信じられるはずがない。しかし、それを証明するように、驚く顔が見たいのか残りの三人のことも言い当てる生徒会長の能力に嘘は無いようだ。

 

「いい反応だ。その顔が見たいがためにやっているようなものだからな。しかし驚いたぞ。まさかさなちゃんの部に新入部員が入るとはね」

「さなちゃん? それって」

 

  部長?

  願子の答えは正解だと生徒会長は大きく頷いた。東風谷早苗の名前が出るということはつまり生徒会長も部長の知り合いだということ。その証拠に格好をつけて懐から出された生徒手帳、そこに挟まっている取り出された写真には、副部長の持ってるものと違い、部長、副部長、生徒会長、副会長の四人が今とは違う制服を着て笑い合っている姿が写っていた。少し幼い四人の姿は、副部長の持っていた写真と同じ中学生だった頃のもの、この写真も何故か少し遠巻きで撮られている。

 

「え、副会長も知ってるんですか?」

「私たちは全員同じ中学出身でね、その頃から生徒会長だった私と副会長は嫌でも部の部長と副部長だった二人と知り合う機会があってそれ以来ずっとこの調子ってわけ」

「へー」

「たださなちゃんのことはあまり外で言っちゃダメ。さなちゃんのことはもう私たち三人しか覚えてないからね」

「え?」

「会長、終わりました。上半期の不見倶楽部の部費の三分の一を生徒会に献上することで話がつきました」

「流石だ副会長!」

 

  副会長に阻まれ、話すことはもう無いというように生徒会長は願子へ向けていた視線を切った。東風谷早苗のことを三人しか覚えてないという新たな疑問に答えられる者がこの場には三人もいるはずなのに、そのことに関して誰も口を開く気配は無い。副部長は副会長分のコーヒーを入れるとソファーの方へやって来て、それに続いて副会長も生徒会長の隣に座る。副部長三人たちの気負ってない感じからあまり気にして無いのだろうが、願子たち四人の中では少し気まずい空気が流れる。

 

「まあこんな機会もそうそう無い、ゆっくりしていってくれ」

「くっくっく、仕方ないやつだ。もてなされてやろう」

「副部長、感謝します」

 

  談笑する三人の姿は、格式高い不見倶楽部の部室にとてもよく似合っている。隠された複眼を持つ男、千人を超える生徒の頂点、常に頂点の側に控える女。こうして字に起こすととんでもない三人だ。その三人が学校の中で最も変わった部の部室にいるという事実が、目に見えない重圧となって願子たちの肩に掛かる。もしここに部長までいたら願子たちには耐えられないかもしれない。

 

「会長はお代わり禁止で」

「なんでだぁぁぁぁ‼︎」

 

  しかし、そんな重い空気も彼らが口を開けば霧散するあたり本当に残念なトップたちだ。

 

「だいたいお前の部は部費があまり余ってあるんだからケチケチするな!」

「無いよー」

「嘘つけぇぇぇぇ‼︎」

「え? うちの部ってそんなにお金あるんですか?」

「ありますよ。今回献上される三分の一でおおよそ百四十万になります」

「「「「百四十⁉︎」」」」

 

 内訳はこうだ。一葉高校の生徒全員に課せられている生徒会費の支払いは年二回で一万円ずつ、単純計算でおよそ一千万とここではしよう。その内十パーセントが体育際や文化祭で使用され、二十パーセントが委員会、七十パーセントが全ての部活の部費に当てられるわけだが、その七十パーセント、七百万の内、六十パーセントがなんと不見倶楽部の部費なのだ。およそ四百二十万も一つの部が半年で使えるというのは異常と言える。そんな話を副会長から受けた四人も、学生には大き過ぎる金額に唖然(あぜん)としてしまう。

  そして気付く。不見倶楽部の凝った内装はその膨大な部費によって整えられたということを。大きな箪笥も、複雑な本棚も、数多くのランプ、重厚な執務机、ただ一つ窓に嵌められたステンドグラス、願子たちが一番お世話になっている蛇の取っ手、その全てが副部長の散財の結果。そう思うと急に願子たち四人の肩身が狭くなる。

 

「なんでうちの部そんなにお金あるの⁉︎」

「副部長、あたし拳が疼いてきたんだけど」

「こらこら不正なんてしてないぞ、ちゃんと貰える理由があるから貰ってるんだよ」

「それっていったいなんなんですか? 副部長先輩」

 

  しかし、副部長は話してくれない。話すことに嘘は無い副部長だが、必要無いと決めつけたことは話さない、この十数日で願子たちが気がついた困った癖である。そんな副部長を見かねてか、話してくれるのは生徒会長。ただし様子が少しおかしく、よく見ると額に青筋が浮かんでいるのが分かる。

 

「そう、あれは忘れもしない高校一年の部長や委員長を集めた会議でのこと、うちの学校は歴史はある、歴史はね……人気のある野球部もサッカー部もバスケ部も地区予選すら勝てないせいで百年以上の歴史の中で得た賞状の枚数はゼロ。得たトロフィーの数もゼロ。文化部ですら表彰されたことがない。なんの成果も持っていない部活たちに公平に部費を少しばかり分けるはずだった。なのに……なのに! うわぁぁぁぁん! お前とさなちゃんがあんなことするからぁぁぁぁ、私をちょろいやつだとみんな思うんだぁぁぁぁ‼︎」

 

  初めはカリスマ溢れる姿を見せてくれていた生徒会長の顔が福笑いのように崩れていき、最後はもう幼児退行レベル、百面相を見せる生徒会長の顔は忙しい。副会長から差し出されたハンカチを受け取ると思いっきり鼻を擤み、響きわたる音はズビィィィィ。生徒会長から再び受け取ったハンカチを華麗にゴミ箱へ投げ捨て、話は副会長が引き継いだ。

 

「どうやったのか副部長はその会議の場で賭け事で与えられる部費の割合を決めると事前に全ての部長たちに話を通していたんです。少ない額を貰うより他の部より少しでも部費が貰えるならいいかもしれないと皆様思っていたんでしょうが、そこでさなちゃん……失礼、東風谷様が連勝に次ぐ連勝で部費は不見倶楽部の総取りとなりました」

「あら? それでは不満が出るのではないかしら?」

「ええ、ですから事前と同じ額を全ての部に不見倶楽部が支払うことによりその不満を解消しました。その気になれば実は学校の保有する部費は全て不見倶楽部のものというわけです」

「そのくせこんな家具を大量に買いやがってぇぇぇぇ‼︎ 無駄遣いなんだよ! なんで生徒会より豪華なやつを使ってるんだよお前は! 私に寄越せ‼︎」

「やだ」

「なんだとぉぉぉぉ! それでも友達か!」

 

  不満を見せるのはむしろ生徒会のようだが、それでも不見倶楽部に支払われている部費を削る様子は見受けられない。昔からの知り合いだからか、副部長のお陰か、それとも。

 

「たまーにコーヒー煎れてやるからさ」

「納得できるかそんなもん!」

「じゃあ私はお願いします」

「ふぅくかぁいちょう⁉︎」

 

  どうやら三人はこれでいいらしい。部長がここに居たとして、入部テストの用紙に書かれた文の感じから騒がしさが増すだけだということが容易に想像できる。きっとこんな感じの会話を通して副部長は生徒会長を煙に巻いたのだ。

  不見倶楽部の部費の話は驚いた。部長を知っている人が副部長以外にもいるということもだ。部長が幻想郷に行った時にいったい何があったのか、それは四人には一生教えられないことかもしれない。しかし、それより四人には今気になることがある。

  四人は目配せすると、代表で生徒会長の隣にいる願子が単純な質問をした。

 

「生徒会長と副会長の名前ってなんなんですか?」

「「教えない(ません)」」

「「「「なんで⁉︎」」」」

「「その方が面白いから(です)」」

「意味分かんないです!」

「いいか! 人生とは面白いことが何より優先されるのだ。どれだけ辛いこと、厳しいことがあろうとも面白ければ問題ない!だからこそ私は常に生徒が面白いと感じるであろう政策を取っている!」

 

  背筋をピンと張り、部の中で最も豊かな胸を持つ塔子よりも大きな胸を存分に前面に押し出す生徒会長は大真面目に言っているようだ。こんな生徒会長で学校は大丈夫なのだろうか? しかも面白い政策を取っていると言っているが、それには願子たちにも適応されているはずなのに四人には思い当たる節がまるでない。首をひねる四人に踏ん反り返る生徒会長からは具体的な話はまるで出てこず、少しの間目を瞑っていた副会長が代わりに話してくれる。

 

「瀬戸際様たちが一番早く体験した生徒会長の政策は、入学式の日に体験しているはずです」

 

  入学式?

  四人は思い返してみるが、特に変わったことは無かったように思われる。どこにでもある学校の普通に退屈な入学式だった。それが四人の顔に出ていたのか副会長から補足が入った。

 

「教室に行ってからです」

 

  教室、この言葉にハッとした顔をしたのは友里。しかし、その顔も少しするとくだらないものを見るときの無愛想な表情になってしまう。願子、杏、塔子の三人の視線を受けると、いつものように溜息をついてから答えを言った。

 

「くじね」

「正解です」

 

  願子たちが一葉高校に登校した初日、入学式の後。教室に着いた願子たちはくじを引いていた。それは、初日に関わらず席をくじ引きで決めたから。それが生徒会長の政策よるものと理解した途端友里と同じように三人の顔は冷めてしまった。

 

「なんだその顔は‼︎」

「初日にくじ引きで席を決めても別に面白くないですよ、ほとんど全員他人なんですから」

 

 とは、副会長の言葉。願子たち四人より早く苦言を(てい)した副会長に生徒会長が勢いよく詰め寄った。それでも、副会長の顔は崩れずコーヒーを飲む手を緩めない。

 

「分かってるなら事前に言えぇぇぇぇ‼︎」

「会長、そんな耳元で叫ばなくてもちゃんと聞こえています。副部長、おかわりを」

「はいはい、あ、会長にはやらないからカップ寄せてこなくていいよ」

「お前という奴はぁぁぁぁ‼︎」

 

  よく見ればコーヒーを飲む副会長の口が僅かに口角が上がっている。明らかに生徒会長の反応を楽しんでいた。そんな二人を眺める副部長の顔も楽しそうだ。喚いているだけの生徒会長も楽しそうな顔をしている。

 

  あぁ、この三人似た者同士だ。

  四人は心の底からそう思った。

 

 




入学式の時

「続いて新入生歓迎の言葉、生徒会長お願いします」
「諸君‼︎ 私が生徒会長である!」
(名前は?)

全校生徒の心がほぼ一つになった瞬間である。
残りは生徒会長の胸デケェなというダメな男子たち。


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副部長と願子のとある一日

「副部長ってなんで眼鏡掛けてるんですか?」

 

  五月のまだ冷たい陽気の中で、ソファーからキラキラ輝く諏訪湖を見飽きた願子の零された疑問は至極どうでもいいものであったが、副部長の目を考えれば当然の疑問ではある。

  こんな話になったのも、部室には今副部長と願子の二人しかいないからだ。友里も杏も塔子も今日は用事があるらしく、何もやることのない願子はたまにはいいかなと副部長しかいない部室へと足を運んだのだが、執務机に座り相変わらず副部長は何かを書いてるだけで、願子の相手はしてくれなかった。

  そんな副部長が何か手元でやっている時だけ掛けられる眼鏡がどうしても気になってしまったのだ。

  副部長は目は悪くない。寧ろいいと言える。人の見えないものを見る深い森の色を宿した蟲の目は、願子に見えないものを平然とその目に写すのだ。

  そんな複眼を持っていて、いくら特殊なコンタクトをつけているからといって眼鏡をかけている理由が願子には皆目見当もつかない。

  願子の質問に副部長はようやっと動かしていた手を止めると、眼鏡を外して立ち上がり、二人分の珈琲を煎れるとソファーの方にやってくる。

  眼鏡を外す、珈琲を煎れる。どちらも副部長が誰かと話を始める時の特徴だ。なぜわざわざ形式張った形をとるのか理解できない願子だが、副部長の煎れる珈琲はもうすっかり願子の中でお気に入りになっているため文句を言おうとは思わない。

 

「俺は瀬戸際さんが思ってるほど目は良くないのさ」

「そうなんですか?」

 

  いつもと変わらぬ珈琲の優しい苦味に舌鼓(したづつみ)を打ち、副部長の意外な秘密に言葉を返す。

 

「ああ、複眼っていうのは動体視力はいいんだが止まっているものを見るのは苦手でね。それにコンタクトで隠してる分余計にさ」

「だから眼鏡ですか」

「そう、それもちょっと変わったね。掛けてみるといい」

 

 そう言って執務机から副部長愛用の深い緑色の縁の眼鏡を持ってくると願子に手渡してくれる。それを掛けてみると酷いの一言に尽きた。

  周りがぼやけすぎて先がよく見えない。これ程の度が必要になるとすると副部長の目は相当悪い。

  歪む視界に願子は軽い頭痛を覚えて、急いで眼鏡を外すと副部長に手渡した。

 

「副部長本当に目悪いんですね」

「物凄くな」

 

  これでは生活も苦労しそうなものであるが、副部長の立ち振る舞いを見る限り問題は無いようである。

  眼鏡を受け取った副部長は、執務机の上に眼鏡を戻し、備え付けの引き出しの一つを開けるともう一つの眼鏡を持ってきた。

 

「副部長それは?」

「瀬戸際さん一人で暇そうだからな、折角だから面白いものを見せよう」

 

  副部長に新しく手渡されたそれは眼鏡ではなくサングラスだった。虹色に輝く丸いレンズが嵌め込まれたそれは一般にラウンドと呼ばれる種類のものだ。手の上に乗っているにも関わらず、そのサングラスからは重さが余り感じられず、一枚の薄羽が乗っているような感じがする。実際に願子の手に触れる今にも折れてしまいそうな薄い木製のフレームの感触は非常に柔らかくマシュマロの感触に近い。

 

「副部長、これっていったい……」

「色眼鏡さ」

「はい?」

「色眼鏡だって」

「え?」

「色眼鏡だって!」

 

  色眼鏡、サングラスのこと。しかしそんなのは見れば分かる。副部長だって分かっている。

  副部長が言っていることはもう一つの意味の方だ。偏見。先入観、偏ったものの見方。

  それでも意味が分からないと願子は首を捻り、副部長はおかしそうにそんな願子の顔を見ている。必死に考えを巡らすが、少しすると願子は簡単に両手を上げてギブアップ宣言し、副部長に答えを求めた。

 

「それは色眼鏡、感情によって見るものが変わる不思議な眼鏡さ」

「感情、ですか?」

「そう感情、そのレンズの色は感情の色を表している。掛ける者の想いによって違うものを見せてくれるのさ」

 

  それは凄い!

  副部長の説明で一気に好奇心が爆発した願子は急いで色眼鏡を掛けてみる。すると柔らかいフレームの感触が伝染するかのようにふわふわとした感覚が願子の視界を包み込む。

  赤、青、黄、緑、紫、茶、白、黒、数多の色彩が視界を彩り見えるのは色の変わった部室だけ。色が変わっただけで見えるものに違いは無かった。

 

「全然何も見えないですけど……」

「瀬戸際さん好奇心で見てるだろう、ふわふわした感情じゃあ見えるものもふわふわするだけさ」

「そうですかぁ……」

 

  高ぶった意識が容易くポッキリ折れていく。不思議や幻想を追っている時にはありがちなことだが、一度ダメだとどうしても次の一歩が出ないのだ。

  色眼鏡をソファーテーブルへ置く願子は力の抜けた空気を発し、分かっていたというように、副部長は仕切り直しだと珈琲のおかわりを注いでくれる。

 

「まあそんなに落ち込むなよ」

「分かってますよ」

「ならいいんだが、瀬戸際さんはどうしてうちの部に入ろうと思ったんだ?」

「え?」

 

  副部長は含みは無いさと肩を竦めると願子へ再び疑問を促す。それでもなんとなく言いたくない願子は言い淀み口をモゴモゴ動かすだけで、そこから言葉が続かない。

  見かねた副部長は珈琲を一口(すす)ると、カップを置く音で願子の気を引き口を開いた。

 

「俺が部に入った時はまだ不見倶楽部って名前じゃなくてなあ、ただのオカルト研究部だったんだ。東風谷さんが部長をやってて引き入れられたのが始まり。もともとオカルト研究部になんか入る気なかったんだ」

「へぇ」

 

  少し気が紛れたのか、相槌を打つ願子に次はお前だと言うように手で催促すると、ずるいといった顔をする願子だったが、やがて顔が落ち着くと副部長と同じように珈琲を一口飲んで話し出す。

 

「私不思議なものに憧れてたんですよ、副部長はもう知ってると思いますけどね。それで、副部長がそれを見せてくれたから」

「見つけたのは瀬戸際さんだろう?」

「それでも! 副部長が見せてくれたんですよ」

 

  少し力の入った口調で言われる願子の言葉に少し副部長は引いてしまったが、珈琲を飲むことによってそれを流す。願子も同じく珈琲を飲み、静寂がしばらく部室を占拠したが、それも副部長がコンタクトを外すことで、願子の唾を飲み込む音が追いやった。

 

「俺の目は自分が見えるだけで、他人に見せることはできないよ、瀬戸際さんが見たんであって、俺が見せたわけじゃあないさ。そうだろう? 瀬戸際さんはなんで不思議に憧れたんだ? それには瀬戸際さんだけの理由があるはずだ」

 

  蟲の目が願子の僅かな動きも見逃さないというように、夕暮れ近い陽の光を浴びてキラリと光る。それに目も離せず、某っと副部長の目だけを見て願子はポツリと呟き始める。冷たい風が空いた窓から願子の肌を撫で付けるが、少なからず火照った願子にはまるで効果がないらしい。

 

「あれは小学生の頃なんですけど小学校の近く、諏訪湖のほとりに一本の大きな木があって、そこに木の精霊が出るって噂があったんですよ。子供心にそれが見たくって、毎日毎日、時には深夜にも通ったんですけど見えなくって。多分それが始まりですかねーって。中学の頃はきっと私にも見える、私にしか見えないものがあるはずだって色々やってもそれもダメで」

 

  そこまで言うと馬鹿ですよねーと悲しそうに笑う願子は話を切って珈琲へ逃げる。啜る珈琲は心なしか苦味が増したように感じてしまう。

  副部長はその話を聞いて、よしと一度言うと急にカップを片付けだして帰る準備を整え始めた。

 

「今日は帰るんですか?」

「ああ、行く場所行ってからな」

 

  そう言って願子にまで仕度を催促すると、いつもより早く部室を後にする。

  諏訪湖の湖畔の帰り道、いつもなら願子の隣を歩く友里の代わりにそこを歩くのは副部長。バックすら持たず手ぶらで歩く副部長は教科書をどうしているのか全くの謎である。真っ赤に染まる諏訪湖を眺めながら、「よく部長ともこうして帰ったよ」という副部長の顔はすごい笑顔で、夜が近づくこの時間帯が一番副部長に合っているように願子には思えた。

 

「瀬戸際さんは視界が狭いんだよ、一度こうと決めて見て、それがダメだとそうだと決めつけてしまう。もっと色眼鏡で見ないとダメさ。いろんな色で見てこそ見やすくなるんだよ。諏訪湖だってそうだろう?」

 

  朝の澄んだ色をした諏訪湖。昼の晴れ晴れとした諏訪湖。夕日を受けて真っ赤に染まった諏訪湖。夜の星々を写し込んだ闇夜に染まった諏訪湖。

  表情はどれも違くとも、それが諏訪湖であることに違いはない。

  願子と副部長が歩く今の諏訪湖、赤い色が薄くなり、黒と赤に青、三色のグラデーションが描かれる諏訪湖は美しい。色が混ざっているからこその複雑な綺麗さがそこにはある。

 

「さて、着いたな」

 

  諏訪湖の綺麗さに見惚れたせいか、知らず知らずのうちにいつも曲がる家への道を通り過ぎ、願子の視界の先に映るのは一本の大柳。

  願子が小学生の頃に何度も通った柳の木だ。

 

「副部長?」

「今の想いに嘘は無いだろう? さあ」

 

  そうして副部長から手渡されるのは色眼鏡。極彩色のレンズは願子の方へ向いている。

 

「副部長、でも」

「さあ」

 

  強引に手に押し付けられ、色眼鏡は願子の手の中に滑るように入ってくる。レンズに反射する周りの景色は普段絶対に染まらない色に染まっている。

 これを掛ければ見えるの?

 でも、見えなかったら?

  願子が初めて追って挫折した幻想が今目の前にある。願子の始まり、無理だと決めたそこを見つめ直してそれは見えるものなのか? 願子にそれは分からない。自信に満ちた副部長の顔も今は不安でしかない。

 

「見たいのか? それとも見たくないのか?」

 

  副部長の声に背中を押される。

  今ここにあるのは、見るのか見ないのかの二択のみ。

  しかし、見たとしても見えないかもしれない。

  その不確かな事実が願子の前に大きな壁となって現れる。

  見えれば願子は、『こちやさなえ』の時と違って大きな一歩を踏み出せる。見えなかったら踏み出す足はここから先にもう出ない。

  それでも見たいかと聞かれれば、見たいに決まっている。

  願子が見た最初の夢。絶対に見たかった特別な夢。

  見たい。

  見たいから。

 

「不思議なものは純粋な子供の時しか見えないなんて伝承は日本各地にたくさんあるが、成長してからしか見えないものもあるさ、いろんな色を知ってからしか見えないものもあるんだよ」

 

  柳の影に小さなものが瞬いている。赤いような、青いような、緑のような、何かが確かに瞬いている。それは人のようだが羽があり、大きさは人の掌くらいしかない。しかし、それは確かに存在している。

 

 

  ----見えた。

 

 

  見える。見える。極彩色の景色の中に確かに見える。

  私が見てる。

  私が見たんだ。

  私の想いで私が見た。

  見えないものを私が見た。

 

「ふぐぶぢょうぅぅぅぅ!」

「瀬戸際さんに似合ってねえな色眼鏡! あまりにも似合ってないからそれはやるよ」

 

  願子の視界に映るのは、おかしな色をした副部長の姿。あまりにおかしなものだから、願子はどうしようもなく綺麗だと思ってしまった。

  今日の出来事は、願子と副部長二人だけの秘密。




後日。

友里の場合
「どうよ!」
「願子あんたサングラスめちゃくちゃ似合ってないわね」

杏の場合
「どうよ!」
「うーん、願子さん外した方がいいんじゃないですか?」

塔子の場合
「どうよ!」
「が、願子さん!あっはっは、ちょ、ちょっとやばいわそれ! あっはっは!」


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副部長と友里のとある一日

「副部長、お願いがあるんですけど」

 

  もうすぐ梅雨に入ろうかという時期のある日。帰ろうかと副部長が執務机を後にするために立ち上がるはずだった腰は、上がることなく再び執務机と並ぶ高そうな椅子に吸い込まれた。

  一時間も前に願子たち三人と一緒に帰ったはずである友里がなぜ戻って来たのかは副部長に知るところではないが、いつになく真剣な友里の顔を見ていると聞かれればならないという気に副部長をさせた。

  何より友里が副部長に何かお願いするというのは大変珍しいと言える。願子、杏、塔子の三人と異なり、友里の立ち位置だけは四人の中で少しばかり異なっていた。

  初めて会った時から最も副部長を信じていなかった友里も、異変を通して副部長の認識を多少は変えたようではあったが、それはやはり多少であり、信頼できるが当てにはできないという一歩引いた位置にいた。

  願子も杏も塔子も、まるで妹が兄に(じゃ)れつくように副部長の周りをうろちょろするが、友里だけはいつも不機嫌そうにその三人の様子を眺めているだけ。

  そんな友里が一人で副部長の前に立っているのだから気にならないわけがない。

 

「あたしを鍛えてください」

 

  強くなりたいから。友里の言葉はシンプルな思考からくるものだ。

  前の異変の時、友里は親友である願子に力を貸せたと言っても、それは微々たるものでしか無かった。

  親友のために今まで祈らなかった蛇の卵に祈っただけに過ぎない。

  次に何かあった時、それでは嫌なのだ。

  願子は幻想を追うことを決して止めないだろう。副部長が近くにいる今なら尚更だ。

  祟りの蛇を打ち払った副部長のように、次こそ親友の、願子の隣に立ちたい。願子に這いよる恐怖を自分の力で打ち勝ちたい。

  そう考えた時、頼るべき相手は自ずと限られた。

  副部長は気に入らないが、副部長以外に頼るべき相手がいない。

  副部長ほどの不可解な相手を見つけるとなると、十五年ほどしか生きていない友里にはアテがなかった。

 

  「お願いします」

 

  頭まで下げる友里に副部長は言わずもがな困ったように部室の隅に置かれる柱時計へと顔を向ければ、時刻は九時に差し掛かろうとしている。

  しかし、時間が遅いからといって友里は引き下がる相手ではない。このままでは明日は生徒会長に呼び出されるコースまっしぐらだ。

  流石にそれは勘弁願いたい副部長は、取り敢えず帰りの準備を整えてしまうと友里を伴って学校を後にした。

  波打つ月を見ながらの帰り道は、清々しい訳はなく、非常に重苦しいものだ。

  一度仕切り直そうと副部長が雑談を振っても、友里には少しも響いておらず、先程の問いへの答え以外は受け付けてはくれないらしい。

  澄まして歩く友里の顔は、答えを求めている癖に副部長の方は向いておらず諏訪湖で揺れる月にしか向いていない。

  この問題に対してあまり話したくない副部長は、それを良しとし何も言わず帰り道を進んでいく。

  諏訪湖を外れると疎らだった人通りはグンと少なくなり、規則正しく並ぶ民家の影も見えなくなる。副部長が足を進める先にあるのは、霧ヶ峰の森。しかも大通りは通らずに獣道にしか見えない人一人分の細道を進んでいく。

  街灯が消え、月明かりしか差さない道を、先を行く副部長から離れぬように、それでもまだ友里は副部長の後をついて行く。

  森の暗闇から覗くのは野生動物の光る目と空に浮かぶお月様。夜闇という原初の恐怖に何度も本能が友里の足を元来た道へと戻そうとするが、副部長にお願いしてしまった手前途中で引き返したのでは自分自身を許せない。

  しかし、学校を出てから既に一時間近く歩いているというのに歩みを止めない副部長はどこまで行くのか? 歩みを森の中で止めてもらっても困るが、流石に友里は不安になってくる。

  それでも意地を押し通し歩く友里の視界が開けると、月明かりはスポットライトのように一軒の家を照らし出した。

  二階建ての木造でありながら、壁が滑らかに波打っている。切妻でも片流れでもなく、木の板をこれでもかと重ね合わせられた住居部分より大きく見える楕円の屋根。そこから伸びる真っ黒い煙突からは煙が上がり、異様な形をしていながらも、広い縁側と引き戸、霧除け庇が和の家であることを示していた。

  映画のセットのような家に戸惑う友里を放って置き、副部長は手慣れた様子で、土間に続く引き戸を開けると友里へ手招くこともせずに中へと消えていく。

  ここまでくれば友里にも分かる。

  珍妙奇天烈な家は何を隠そう副部長の家なのだ。

  来た道を一度振り返る友里だが、月明かりのおかげであれほど明るかったはずの道は森の暗闇が完璧にその道を隠してしまい、どこをどう歩いてきたのか分からない。

  一分、二分、三分、四分。

  家に行くのも戸惑われたが、森の中で一夜を過ごすなど御免被ると恐る恐る玄関の取っ手に手を伸ばす。

  その先にあったのは、外見とは裏腹に古く格式高い日本の古民家のような内装だった。

 

  「副部長?」

 

  薄暗い廊下を仄かに照らす行灯(あんどん)の先へと友里は言葉を放るも、返事はまるで帰ってこない。

  ゆっくりと靴を脱ぎ廊下へ足を下せば、床が軋む(うぐいす)張りの廊下だけが友里の来訪を歓迎してくれる。

  唾を飲み込み先へと足を進めるが、生活感を感じられない副部長の家には、副部長が入ったはずなのに誰もいないように感じられる。しかし、土間には見慣れた副部長の靴が置かれていたので、誰もいない訳ではない。

  埃一つない廊下に幾つかの行灯以外の光は無く、年季の入った日に焼けた木の柱が規則正しく並ぶ。

  一歩一歩を石橋を叩いて渡るように慎重に出し、三つ目の行灯を通り過ぎ縁側へと差し掛かった時だ。

  月の光を存分に受けて、蟲の目が友里の方を覗いていた。

  見慣れた制服姿では無く、真っ黒い着物に身を包む副部長は、目だけが宙に浮いているように見える。

  副部長は何を言う訳でも無く、縁側に座ったまま指でトントンと自分の隣を小突いた。

  座れと言っている。

  友里は少し戸惑ったが、人の家に上がりこんでいる手前我儘はできないとそこへ座れば、和を前面に押し出した家だというのに副部長から手渡されたのはアイスコーヒーだった。

  銅製のコップに大きな氷が浮かび、夜の寒さが加わり非常に冷たい。それを喉に流し込めば、ここまで歩いて来た疲れが吹っ飛ぶようだ。

 

「副部長、家族は居ないんですか?」

 

  出されたアイスコーヒーを一気に飲み干し、副部長以外誰も出てこない家には誰か居ないのか、まるで人の気配は無い。副部長ですら幽鬼のようで、現実感を感じられなかった。副部長は友里に珈琲のおかわりを注ぎながら、

 

「俺は一人暮らしだ。家族はいないよ」

 

  なんでもないように言う副部長は本当に気にしていないらしい。だから、咄嗟(とっさ)に謝罪の言葉が出そうになった友里はその言葉を飲み込んだ。

 

「さて出雲さん。こんなところまで付いてくるとは驚いたが、そんなに強くなりたいのか?」

 

  友里の気まずい空気を読んでか、遂に副部長は友里のお願いへの問いを口にする。しかし、その目は友里が副部長を見ていなかったように、空に浮かぶ月だけを見ていた。

 

「なりたいです。副部長みたいに」

「俺は別に強くないさ、部長の方が俺の百倍は強かった。何より俺を見ない出雲さんに俺は何を教えればいい?」

 

  そう言うと、ようやく副部長は友里の方へ顔を向ける。二つの複眼が友里のことを余すこと無く見つめ、友里が口を開くことを許さない。

 

「俺は弱いよ、こんな目を持っているだけで、特別な力は何一つない。東風谷さんは凄かった。溢れんばかりの神力に空まで飛べた。対して俺は生まれ持ったこの目の代償に魔力や霊力、気といった誰の中にも眠るはずの力が根こそぎ奪われゼロに近い」

 

  副部長の言う意味は友里にはイマイチ理解出来ない。魔力、霊力、東風谷早苗が空を飛べるというありえないことを言う副部長の顔は真面目でいつも通り嘘を言ってはいないらしい。それがあると無いの違いが分からない友里は分かっている事実だけを返す。

 

「でも副部長は戦えてたじゃないですか」

「俺があれらと戦えるくらいになったのは高校に入ってからさ、それまでは出雲さんたちとなんら変わらない」

「じゃあなんで副部長は戦えるまで強くなろうと思ったんですか?」

 

  親友のためでしょ? 友里の続く言葉を受けて副部長は面食らったように少しの間固まっていたが、やがて動き出すと小さく頷いた。

 

「そうだな、俺は凡人なりに東風谷さんの隣に立ちたかったのさ。出雲さんが瀬戸際さんの隣に立ちたいのと同じように」

「だったらあたしを鍛えてください」

「だが俺が戦えるようになったのはそうならなければいけなかったからだ。東風谷さんが居なくなり、溢れ出す祟りと戦うために力をつけるしかなかった」

 

  それを知り、それを見て、立ち向える人は副部長しかいなかったから。

  友里とは状況が違う。副部長がどれだけ親友のために力を振るってもその親友は隣には居ない。友里は親友のために力を震えなかったとしても親友が隣に居てくれる。それに二人の隣には副部長がいるのだ。

 

「でも副部長が居なくなったら?」

 

  そう、副部長は三年生だ。対する友里たちは一年生。副部長が一緒に居てくれるのはもう一年もない。力を震えなかった時、助けてくれる者はその時にはもういない

 

「願子は副部長が居なくなってもきっと幻想を追うことを止めない。だって副部長と会っちゃったから。だから副部長が居なくなった後、どんなものを相手にしても(こぶし)を握れる者が必要でしょう?」

 

  副部長の蟲の目は拳を握り掲げる友里を見ている。

  友里を見ているのに、今まで友里は副部長を見て来なかった。

  それは無意識で理解していたからだ。

  友里と副部長は似ている。

  似ているからこそ見れなかった。

  だが、それもおしまいだ。

  友里は見なければならない。

  友里の目は副部長を見ている。

 

「副部長、あたしを鍛えてください。お願いします」

「出雲さんは頑固だな。まあたまになら見てやるさ、さあ何から始めようか」

 

  その日から副部長と友里の秘密の夜が始まった。

  夜になると深緑の光る目と透けるような長い金髪が暗闇の中で踊っているという噂が諏訪で騒がれるようになり、願子たちがそれを追おうと躍起になるが、それはまた別のお話。

 




「友里! 最近諏訪で流れてる噂知ってる?」
「え? あ、ああまあ知ってはいるけど所詮噂でしょ? 見てもつまんないって」
「そんなこと無いって面白いよきっと!」
「いや見られたく無いし」
「何言ってんのよ?」
「あ」

願子には無意識に嘘をつけない友里。


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副部長と杏のとある一日

先に書けたので


  やべえや。

 

  副部長の心の内を支配している言葉はこの一言に尽きる。ある日少し早めに今日は帰ろうと部室を後にした副部長は、たまにはいいだろうといつもの帰り道である諏訪湖の湖畔を離れて諏訪の街中へと足を伸ばした。

 

  そこまでは良かった。そこで杏に会ってしまったのがそもそもこの一日の放課後が非常にエキサイティングになってしまった原因である。

 

  副部長と杏の二人きりというのは不見倶楽部のメンバーの中ではかなり珍しい組み合わせであった。副部長は基本的に自分から誰かを誘うことはない。放任主義というか事勿(ことなか)れ主義である副部長は誰がなにをしても自分に関わること以外はどうだっていいと思っている節があるからだ。

 

  対して杏はいつも願子や友里、塔子と一緒におり、副部長に自分から寄って行くのは願子と塔子が筆頭であり、自分から副部長のところに行くことはない。

 

  だから二人が街中で会ったのは偶然であり、杏が身の丈以上の大きなバイクに跨って目の前にいる状況が副部長は信じられなかった。

 

「副部長先輩今日はもう部活はいいんですか?」

 

  一葉高校にもちゃんとテスト期間なるものがある。勉強に集中するために部活動は休みとなり、二日前から不見倶楽部も休みのはずなのだが、そんなことは気にしないというように部室には変わらず副部長の姿がありそれは願子たちも勿論知っていた。副部長がいるならと願子たちも部室に籠城する構えだったのだが、勢いよく登場した生徒会長と副会長の活躍によりあえなく御用となった。

 

  願子たちはしっかりとテスト勉強をしなくてはならなくなったわけであるのだが、副部長はというと長い付き合いだからなのか会長と副会長になにも言われることもなく部室にいつものように通っていた。不満が出るのは当然だが、後ろで光る会長の目がそれを許してくれない。

 

「まあね。それより桐谷さんなかなか凄いのに乗ってるな」

「分かります⁉︎」

 

  副部長の言葉に嬉しそうに顔を輝かせる杏は心の底にあるスイッチが入ってしまったようだ。テスト期間中に大型バイクに跨る理由を是非とも副部長は聞いてみたかったが、エンジンがどうのマフラーがどうのと専門的なバイク知識を語る杏の姿を見るにそれは不可能らしい。というか免許取れないんじゃないか? ということすら聞けない。

 

  興奮して話す杏の話に分かっているような雰囲気で相槌を打つ副部長に杏はある程度満足するとようやっと落ち着いたようで、重いバイクを押しながら副部長と並んで歩き始めた。杏の意外なパワーはここから来ているのかもしれない。

 

「それで副部長先輩今日はどうしたんですか?」

「たまにはオカルトを追おうと思ってね。帰るついでに最近噂のとこに行こうかと」

 

  副部長が今日早く部室を出た理由はそれだ。ここ最近の約二年間は祟りの相手をするために諏訪中を駆け回っていたが、中学の頃の不見倶楽部はこうやって毎日東風谷早苗と共にオカルトを探して諏訪を歩き回っていた。たまには初心に帰ろうと副部長がふと思い立ったのが切っ掛けである。

 

「噂ってどういったものなんですか?」

 

  杏の疑問にどうしようかと副部長は首をかかげた。このオカルト探索とも呼べる行為は基本的に徒労に終わる。噂は所詮噂でしかなく、大体は幽霊の正体見たり枯れ尾花だ。だが二年前の東風谷早苗たちの幻想入りによって多少の変化が見え始めた。

 

  基本的に流れ込んだ祟りはそれら同士で混じり合い固有の形をとるのだが、余った祟りがもともとあったものと結びつくことがままあった。しかしそれは小さな変化であり、それによって生まれる幻想は祟りの塊たちと比べるとものすごく弱い。一応危険そうなものは副部長が見つけた時に潰していたのだが、狭い諏訪市内で祟りの余波を受けて誕生した幻想は数多く今でも副部長の取りこぼしたものが多くある。

 

  だから今回の探索でそういったものが出る確率は半々といったもの。副部長の知った噂の内容が内容だけに杏に話そうかどうか迷っているわけだ。杏だって不見倶楽部の部員である。そういった話を聞けば着いてくるにに違いなかった。

 

  足を止めて暫し考えていた副部長だが、杏の押す大きなバイクを見ると小さく頷き話し始めた。

 

「最近諏訪の近くにできたトンネルがあるだろう?」

「まさかその最近できたトンネルを車やバイクで走っていると、どこからともなく後ろから見たこともないバイクが迫り勝負を仕掛けてきて、いつの間にか周りの景色が変わり気がついたら事故してしまっているというあれですか? そのバイクはどこのメーカーにも規格がなくて、回る車輪は火を噴きまるで生きているように走るとも、最近だと諏訪で有名な走り屋数人が馬鹿馬鹿しいと飛び込んでいき漏れなく全員病院送りとなったあれですか?」

「知ってるじゃん」

 

  まだトンネルとしか言ってなかったのに杏から語られるそれこそ副部長が聞いた噂。目をギラリと光らせて話す杏の姿は正しくオカルト部員のあるべき姿だった。感心している副部長に「そうですか……」と返すと急にバイクに跨りヘルメットを副部長に投げると後ろの空いているスペースを指す。

 

「副部長先輩乗ってください! 副部長先輩がわざわざ見に行くってことはそういうことなんでしょう? この祟りは許せません! 二人で退治しちゃいましょう‼︎」

 

  そう言う杏に副部長は何も返せなかった。杏は勘違いをしている。副部長は本当に今日はただ見に行こうと思っていただけだ。だが杏の方がどうもやる気になってしまっているらしい。何が彼女をこうさせるのか、入部テストと称した部長お手製のアンケートのおかげで杏がバイクが好きだということは副部長も分かっている。だがそれは踏み込んではならなかった領域らしい。

 

  暫くバイクの後ろのスペースと杏の顔を交互に眺めていた副部長だが、「さあ!」と力強い杏の言葉によって背中を押され、こうなったらどうにでもなれと後ろへ跨る。

 

「たまにはこういうのもいいか、桐谷さん安全運転で頼むよ」

「はい! 全開でぶっ飛ばします!」

「いや安全運転で……」

 

  この後に副部長はこう語った。祟りを相手にするより死ぬかと思った。もう絶対に桐谷さんの後ろには乗らないと。

 

  風になった二人を乗せてバイクは走る。少し日が伸びてきた諏訪の道路の上に長い影が伸びた。ただ佇む影と違いそのスピードが尋常ではない。目測でも100キロ近いスピードが出ているのが分かる。周りを守られた車と違って全身で風を受けるバイクに乗る二人が感じる体感速度は100キロ以上。嬉しそうな杏と違って副部長の顔はみるみる青ざめていく。

 

「ちょ、ちょっと桐谷さん、まだトンネルに入ってすらいないんだから40キロくらいでさあ!」

「副部長先輩何言ってるんですか! 折角バイクに乗っているんだから速く走らないと意味ないですよ‼︎」

 

  そう言って杏はさらにアクセルを回す。副部長はもうなんだか泣きたくなってきた。

 

  そうして二十分ほどの過激なアトラクションに揺られる副部長と杏の目の前にトンネルの入り口が見えてくる。山の中央にぽっかりと空いたそれは大きな生物の口のようにも見え、また冥府への入り口にも見えた。

 

  そのトンネルに入る手前でバイクを横にし急ブレーキをかけるとバイクは停車する。トンネルの先には小さな光が出口の位置を示しており、それへと続く最近は青色系の方がいいという理由の蛍光灯の緑がかった光が不気味に点々と続いている。

 

「見た目は普通のトンネルですね」

「あ、うん……そうね」

 

  もうトンネルどころではない副部長は生返事しか返せない。虚ろな目の副部長とは対照的に決意を持ってトンネルを見る杏。これでは杏の方が副部長という地位に相応しく見えてしまう。杏は再びバイクの先をトンネルへと向けると、「行きましょう」と力強く宣言した。

 

  流石に噂を聞いて、それを見る間もなくトンネルを出てはいけないと、ここに来る道中よりも随分遅い速度でバイクは走る。

 

  普通なら邪魔だと他の車からクラクションの雨を受けても仕方がないくらいの牛歩だったが、ある程度噂が広まっているせいかまだ五時を過ぎたばかりだというのに薄暗いトンネルの中を走るのは杏と副部長を乗せたバイクのみ。

 

  トンネルの中の冷たい空気が二人を包み、暗い少し湿った道路がバイクのヘッドライトを反射して光る。重々しいバイクのエンジン音だけがトンネルには響き渡った。普通のトンネルだ。誰が見ても普通のトンネル、ここに噂通りのバイクが出るとは信じられない。しかし、幾分か進んでいくとそれも変わる。道に残る蛇行したタイヤの跡。それも一つや二つでは足りない。およそトンネルの中央に残されたタイヤの跡は絡み合い一匹の蛇のようにも見える。

 

  確かに噂通りの何かがこのトンネルにはあるらしい。アクセルを握る杏の手に力が入り、副部長は眉を顰める。

 

  丁度タイヤの跡の残る中央に来たところで副部長がついにコンタクトを外した。暗いトンネルの中で全ての明かりから浮く緑の光。それがトンネル中を余すことなく見つめ始める。

 

「どうですか?」

「いやいやこれは……何も見えんなあ」

 

  結果は白。副部長の目には特に何も映らなかった。蛍光灯の明かりとところどころ滴る水滴が見せる波と波紋の世界。それだけがトンネルを構成しており、むしろ異物なのはバイクの方だ。祟りの気配はまるでなく、普通としか言いようもなかった。

 

「じゃあただの噂でこれはただみんなが同じところで事故しただけですか?」

「うーん、まだそうとも言い切れないんだよねこれが」

 

  幻想にはルールがある。『こちやさなえ』蛇の卵のおまじないがそうであったように何事にもルールがあるのだ。手順と言ってもいい、妖怪のように性質にそれがあるものもいれば、その場に現れるだけでもそれを必要とする存在がいる。例えばこっくりさんやトイレの花子さんがいい例だ。このトンネルの祟りもそういった類のものであれば説明がつく。

 

「なあ桐谷さん、確か事故ったのって走り屋だったんだよな? 他の事故ったのもそういう感じなんじゃないかと俺は思うんだが」

「つまり、速度が関係しているってことですか?」

「そうそう、唯一ここで事故った奴らに関係しそうなことと言ったら一番関係ありそうなのがそれだろう?」

「なるほど分かりました!」

 

  杏が勢いよくアクセルを回す。前輪を少し浮かして破壊的な加速を見せるバイクと共に、副部長の目には確かな変化が見えていた。

 

  それはバイクのエンジンによって起こる振動。それが強くなっていき一定の波に変わった時だ。杏と副部長の後ろから轟音が聞こえる。二人の姿を消してしまうほどの光が二人を飲み込んだ。

 

  急いで後ろを振り向けばそこに居たのはバイクなんてものじゃなかった。火を纏った人よりも大きな車輪が回り、大きな牙の生えた口が付いている。車輪の数は合計八つ。その形は誰もが知るある生物と同じ形をしていた。

 

「副部長先輩、一体これって……」

「こいつは大蜘蛛だ。なるほど、祟りが混じってこうなったか!」

 

  大蜘蛛。大きな蜘蛛の妖怪の伝承は多くある。その中でも有名なのは『信濃奇勝録』というものに記された大蜘蛛が人間の生気を吸い病死させたというものだろう。信濃と名のつく通り、これは長野県での話である。それらの伝承は年月を得た蜘蛛が怪しい力を持つという俗信から来ており、どうも日本人はそういうものが好きらしい。

 

  そんな大蜘蛛は大小様々で、弱い者から強いものまで千差万別。その内の一体が祟りと混じったのが今の姿に他ならない。

 

「祟りが混じったらって、どう混じるとこうなるんですか⁉︎」

「祟りにも流行があると言えば分かるかな? 時代によって信仰される対象は異なる。ここ百年あまりで急速に普及し見ないことはなくなった車。それに対する信仰の負の感情が祟りとなったんだろう。速度に対する怨みかな? まあ何にせよこれは困ったな、桐谷さん周りを見てみろよ」

 

  迫り来るあまりに巨大な大蜘蛛が目につき、周りを見ていなかった杏が少し目を大蜘蛛から外しただけで副部長の言いたいことが分かった。

 

  トンネルだったはずの周りの景色がガラリと変わっている。果てしなく続く荒野とたまに生えているサボテン。そして今走っているどこまでも伸びている大きな道路。照り付ける日差しは眩しいが、全く肌はその熱を感じることはなく、身体に当たる暑いどころか寒い風だけは、そこがまだトンネルの中であると訴えていた。

 

  しかし目を奪われてばかりもいられない。挑発するようにこつりこつりとバイクの後輪を大きな車輪が小突いてくる。大蜘蛛からの挑戦状、バイクの手綱を握る杏にもっと本気で走れということだ。どっちが速い、どっちが速い? ヘッドライトのように光る八つの目が細められ、見下し笑っているように見える。

 

「普通なら人を食うことを第一とする小妖怪だろうに、祟りのせいでスピード勝負に目覚めたとか笑い話にもならないな、さっさとおさらばして貰おう」

「待ってください副部長先輩! 」

 

  腕を振りあげようとしている副部長に杏の叫びにも似た声が掛けられる。副部長は怪訝そうな顔でどうしようか思案するが、ヘルメット越しに見える杏の激情に腕を下ろす。

 

「私はバイクが好きです。バイクを粗末に扱う者は許せません!」

 

  杏がバイクに触れたのは丁度中学生になった頃だ。杏の家は個人営業のバイクショップだった。小さな頃はなんの興味も持てず、親がドライブに連れて行ってやると言っても首を縦には振らず近寄りすらしなかった。その理由は単純に怖かったからだ。無骨なボディーにくっついているのは二つの車輪。そんなものが超スピードで走る姿が恐ろしかった。だが中学生になったある日、遂に杏の孤独に対する自分自身への怒りが爆発した。その日杏の親がたまたま言った乗ってみるか? という冗談。今までバイクに近寄りもしなかった杏が乗るわけない。そう思っていた杏の親の期待を裏切り杏はバイクに跨った。感じる風が、果てしないスピードが杏の心を癒してくれた。杏だけの秘密の相棒。どこへでも一緒に連れて行ってくれ、普通の人では届かないスピードという世界を見せてくれる最高の友人。初めて乗ったその日から、『ドゥカティ 900MHR』は杏が何があっても手放したくないものの一つ。

 

「だから副部長先輩、 私は勝ちます! このスピード勝負だけはやらせてください! 私とドゥカちゃんがやられたバイクの仇を討ちます!」

 

  ドゥカちゃんてなんだよと思いながらも副部長は拳を振るうのを止める。勝負の心に燃える杏の目から覗く光は凄まじい。勝ちだ。今杏は何より勝ちを欲している。『こちやさなえ』の時も最初から最後まで唯一折れなかった最も心の強い杏が勝ちを欲している。副部長は持ち上がる口角を止めることができなかった。おどおどしていた時も、自分の意見をはっきり言えるようになった今でも杏の本質は変わらない。普段口数が少なくても、杏はやると言った時はやる女だ。

 

「分かったよ杏、ここは任せた」

「はい!」

 

  杏の返事と同時に周りの景色がまた変わる。自分とに勝負を受けたと大蜘蛛の車輪の音に合わせて現れたのは深い森と高い山。荒野から砂を掻き分けて生えてくる木々は相当シュールだ。整えられた勝負の場は山だ。それもただの山ではない。

 

「霧ヶ峰とはこっちもホームグラウンドだな」

「昔から走ってる道です! 負けません!」

「頼もしいがゴールはどうする? 別に設定されてはいないだろう?」

 

  ちらりと横を見れば霧ヶ峰スキー場の看板が映る。ここから諏訪湖へ向かってのダウンヒルの形になるのは明白だった。

 

「この道は途中で国道二十号と直角に交わるから諏訪湖までは無理。そうなると……」

「療護園前バス停が距離的にベストです! そこまで抜かれなければ私の勝ち! もし追いつかれたら後ろの化け物の勝ちです!」

 

  それを了承するかのように大蜘蛛が吼える。車輪の音が一段と高くなり、地面を擦る車輪の強さに負けて砕けていく。それに混じって弾ける火花が大蜘蛛の後を引いて道に散る。

 

「あの子! 道路はみんなのものなんだから大事に使わないとですね‼︎」

「おい杏! 文句はいいから前だけ見てろ、どうせこれはあいつが作り出した世界だ‼︎」

 

  副部長の目に映る妖気によって作られた世界。その世界を繋ぎ止めるように伸びる大蜘蛛から伸びる糸たちが副部長には確かに見えていた。

 

  そんな妖怪の作った世界ではあるが、この幻想の霧ヶ峰は現実と忠実であり公平らしい。祟りに犯されどう変わったのか、この霧ヶ峰のレースに本気で挑んでいるようだ。

 

  そうして訪れた最初のカーブ。昔から走っていると言った通り杏はなかなかのスピードで突っ込むも危なげなく曲がる。曲がる邪魔にならないようにほぼ地面と平行に身体を倒した副部長の目に映ったのは驚くべき光景。大蜘蛛の八本の脚が器用に動き、速度を下げるどころか上げて突っ込むも、大蜘蛛は遠心力に負けることもなく二人にジリジリ近づいた。八つの目が、大きな口が真横に走る。大蜘蛛は負けると考えてはいないらしい。大地を割る車輪の炎の熱が杏と副部長に届く距離だ。

 

「おいおい、いざとなったら俺が潰すがいいよな?」

「大丈夫です、まだ行けます! もっとスピード出しますから振り落とされないでくださいね‼︎」

「え?」

 

  アクセルを目一杯捻る杏の想いを形にするようにスピードは上がっていく。最高速度200キロを超える杏の愛車は下り坂と二人分の体重を受けてその速度域の限界を突破する。縮まりはじめていた大蜘蛛との距離がまた僅かに遠ざかる。それでも千切れずくっついてきている大蜘蛛も相当な速度だ。

 

  あまりの速度によって生まれる風の壁が細々と身体にぶち当たり副部長の目を涙目に変えていく。それも気にせず杏は二つ目のカーブへ速度を落とさず突っ込んだ。

 

  霧ヶ峰スキー場から療護園前バス停までの間にある大きなカーブはおよそ六つ。その六回が勝負を左右する。少しでも速度を落とそうものならカーブですら足を緩めず楽々と曲がる大蜘蛛には勝てない。

 

  いくら杏のドライビングテクニックが高かろうと、200キロ以上の速度で曲がり切れるわけがない。それが大蜘蛛にも分かっているのかからから車輪が笑い声を上げた。だが大蜘蛛にも分かっていないことがある。今まで勝負した相手にはいなかっただろう、副部長のような男が。

 

「副部長先輩‼︎」

「ったくそういうのはいいのか……よ!」

 

  カーブに入った瞬間にそのカーブに合わせて身体を倒し、地面に打ち付けられた副部長の拳を起点に曲がり切れないカーブを強引に曲がった。大蜘蛛の大口開けた顔を置き去りにして二人は走る。大蜘蛛が本気になるのにはちょっとばかり遅かった。走るというより落ちるといった勢いに近い二人は大蜘蛛が再び視界に入ることもなく三つ目、四つ目、五つ目と同じようにカーブを曲がった。

 

「副部長先輩! この調子なら勝てますよ!」

「いや、どうやらそうでもないらしい」

 

  療護園前バス停に続く最後のカーブの手前は比較的真っ直ぐな道が続く。最高速度を超える二人の後ろから、速度の祟りがその本性を現し迫っていた。八つの車輪が限界を超えて回転し、八つの火の道をアスファルトに刻みつける。その車輪に任せていた綺麗な走りではない。身体を揺らし、限界まで口を開き、機械的な力と生物的な力が一体となった走り。迫る。迫る。迫る。速度の限界が見えずどこまでも加速していく。

 

「おい杏」

「分かってます‼︎…………速いですね、すごい速い。副部長先輩次のカーブでは助力は最低限でお願いします。副部長先輩の力を借りた曲がり方は速いですけどそれでも速度は僅かに落ちます。次のカーブは私が最速で駆け抜けます‼︎」

 

  カーブが迫る。超スピードの世界では曲がり角が曲がり角には見えない。立ちはだかる壁のように行くてを塞ぐものと何も変わりがない。それに自ら飛び込み、(あまつさ)え最高のタイミングでハンドルを切らなければならない恐怖に打ち勝った者だけが最速の道を行ける。

 

  副部長の手が地面に触れる。打ち込むのではなく触れるだけ、杏の力を完全に伝えるためだ。迫る壁を前に杏の身体を一ミリもぶれず呼吸に一切の乱れもない。

 

  壁が迫る。

 

  まだだ。

 

  壁が迫る。

 

  まだだ。

 

  壁が迫る。

 

  まだまだ。

 

  壁が迫る。

 

  今だ!

 

  ブレーキは掛けない。その代わり頭が地面を擦るほどに倒れ込み、速度の方向を強引に捩じ曲げる。浮く車体を力で押さえつけ、哀れな人間を吹っ飛ばそうと掛かる遠心力に逆らい進む。200キロを超えるスピードでの曲がり、杏は確かにやった。およそ人間離れした技、療護園前バス停の標識がもう目と鼻の先に見えている。だがそれでも大蜘蛛は剥がれない。それどころか速度の祟りは人の技を嘲笑うかのように横に並んだ。

 

  負けない、自分は負けない。哀れな人間たち。速度という世界において人という身は遅すぎる。鉄の馬に乗らなければ自分と遊べないとはなんと哀れ。

 

  大蜘蛛の口が動き、二人に何かを伝えようとするが分かった言葉は一つだけ。

 

『おそすぎる』

 

「そんな……私今までで一番速かったのに……なのに私……」

「おいおい杏、折れるなよお前は」

「でも私……私勝つって言ったのに……」

「勝ったさ」

 

  副部長が杏の後ろから飛び降りる。鍛え込まれた副部長の身体は軽くはない。およそ175センチの副部長の体重は80キロ近い。所詮80キロではあるが、それでも重しとしての働きは存分に出来る。副部長のいなくなった分、前輪を上げて急加速した杏と相棒は、最後の瞬間確かに速度の祟りの前にいた。

 

  最初にテープを切ったのは杏。勝負は決した。その瞬間に幻想は砕け散り、元の風景に戻っていた。速度の祟りは断末魔を上げ、トンネルを包み込んでいた幻想と共に欠片も残さず消えていく。それが終わる頃に二人の視界に映るトンネルの入り口。トンネルの中の幻想は一人の少女の勝利をもって終焉を迎えた。

 

「まさにこれぞ妖怪退治、相手のルールを破っての勝利は気持ちいいもんだな」

「……勝ったんですね、私が勝ったんですね‼︎」

「ああ」

 

  バイクから飛び降り杏は両手を上げて似合わない雄叫びを上げる。杏が不見倶楽部に入ってから初めて自分で掴んだ勝利だ。

 

「俺のサポートもなかなかだったろう?」

「はい副部長先輩のおかげです! ただその衝撃と副部長先輩がやった最後の行動のせいでドゥカちゃんのボディが軽く凹んだので弁償してくださいね‼︎

「……はい」

 

  結構高かった。

 

 

 

 




実は一番書き始めた時にキャラに困った杏ですが段々とキャラが立ってきて書いてて一番面白いオリキャラです。


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占いもほどほどに




  最近学校で流行っている占いがある。

 

  六月の頭に流行り始めた占いは瞬く間に学校中に広まって、当然願子たち不見倶楽部の耳にも入っていた。願子たちと違い『こちやさなえ』とのことなど(つゆ)とも知らない学校の生徒たちだから仕方ないのかもしれないが、全く懲りないものである。

 

  その占いは至極単純なもので、どちらかと言うと心理テストに近いだろう。塗り絵があり、その塗った感じを見て深層心理を当て、未来に何が起こるか見るというもの。

 

  願子も友里も杏も大して気にしていなかったのだが、占い大好き塔子がそれに引っかからない訳がなく、大量の塗り絵を持って部室に姿を現したのは当然の流れだった。

 

「ちょっと塔子、それなによ」

「あら願子さん塗り絵に決まっているじゃない。ちゃんとクレヨンもあるわよ」

 

  そう言ってソファーテーブル一面に幾つかの種類の塗り絵の紙とクレヨンを広げると得意そうに胸を張る。他の生徒たちと違い『蛇の卵』という最悪のおまじないを体験した願子がいい顔をするはずもない。

 

「私たちはオカルト部でしょう? こういったことには手を出さないと!」

「あのね塔子、それマジで言ってんの?」

「いいじゃないの友里さん。ね、副部長さんもそう思うわよね」

 

  願子と友里を相手にするのは分が悪いと感じたのか、いつものように執務机に座る副部長に助けを求める塔子。副部長はゆっくり眼鏡を外すと、考えていますというように「うーん」とこめかみを抑える。

 

「副部長こんなのはやらなくてもいいよね」

「あら酷い願子さん、副部長さんもたまにはこういうのもいいと思うわよね?」

 

  自分の我を通そうと、二人して詰め寄ってくるが、その相手の方が面倒くさいというように副部長は顔を(しか)める。「どうだっていいんじゃない?」なんて言おうものなら罵詈雑言の嵐だろう。悩む副部長は言葉を選んでいたのだが、そんな不見倶楽部の部室にその状況を終わらせる者が姿を表す。

 

「副部長ぉぉぉぉ‼︎」

 

  スパーン! と小気味いい音でもなればいいのだろうに、外開きのため、いそいそ扉を開けて姿を見せた生徒会長が、副部長の執務机の前にいる願子と塔子の間を掻き分け副部長に詰め寄った。ぶんぶん揺れるポニーテールから見るに今回もどうやらお怒りの様子。と言うよりも、怒った時くらいしか会長は不見倶楽部にやって来ない。

 

「おい副部長! なんか知らん間にまた変なのが学校中に広まってるぞ! まさかまた校舎が吹っ飛んだりしないだろうな? な? そうだよな? 頼むからそうだって言ってくれぇぇぇぇ‼︎」

 

  副部長の(えり)を掴みガックンガックン揺らしながら泣き付く生徒会長にはカリスマ性が欠片も残っていない。それを止めたのは開け放たれた扉をゆっくり閉めて入室してきた副会長だ。やんわりと副部長たちの間に入ると、するりと襟を掴んでいた生徒会長の手を外す。

 

「それでどうなんでしょうか副部長、流石にこれ以上校舎が壊れたりするのは此方としても困ります。ただでさえ前回の騒動で市長やPTAに誤魔化したというのに立て続けにこういったことが起きれば庇いきれませんよ?」

 

  会長と違いピリピリとした雰囲気で淡々と追及を口にする副会長は少し怖いが、今回の件に関して、本当に不見倶楽部はなにも関係なく、全くどうだっていいと思っている副部長からしたら溜まったものではない。

 

  これが冤罪か……。とこれまで自分がやってきたことを棚に上げて悩むそぶりを見せる副部長に天から閃きが降りてくる。

 

「分かったよ、よかったな小上さん。今回は君の勝ちだ」

 

  そう言うと願子と塔子、会長に副会長の四人を伴ってソファーの方へやってきた副部長は、座ると早速クレヨンを手に取り、真っ白い紙の中を走る無色のバスに好きな色を塗りたくっていく。

 

「実際にやってみよう、そうすれば分かるだろ?」

「やったわ!」

「えー……」

「おいおい大丈夫だろうな!」

 

  はしゃぐ塔子とは対照的に項垂れる願子と友里だったが、副部長がやれというならやるしかない。ちゃっかり静かに展開を見守っていた杏は早速戦闘機が描かれた紙に副部長に続いて楽しそうに色を塗り始めており、関係ないはずの会長と副会長も騒がしく色を塗っている。

 

  高校生にもなってこんなお遊戯会みたいな事をするなんて、と最初は願子も思っていたが、なんだかんだ占いが気になってはおり、一度クレヨンを手に取ると本気で白い塗り絵に色を付けていく。

 

  そしておよそ三十分、大人気なく本気で塗り絵に挑んだ七人の作品が、他の余った塗り絵の紙やクレヨンを除けられたソファーテーブルの上に広がっていた。

 

「それでどうするのよ?」

 

  ただ塗り絵を披露する展示会をやりたいわけじゃないため、事の発端である塔子へと言葉を投げてやれば、塔子はバックから一冊の大学ノートを取り出しパラパラと手馴れた様子で捲っていく。

 

「あら大丈夫よ、どうゆう風に見るかはちゃんと書いてきたもの。それで誰から行く?」

 

  自分の方を向く六つの顔を見渡して楽しそうに塔子は聞く。その姿は本当にこの占いを心から楽しんでいるらしい。少しの間間が空いたが、勢いよく手を挙げたのは他でもない我らが生徒会長だった。

 

「こういう時こそ先陣を切らねばな‼︎」

 

  生徒会長が塗ったのは副部長と同じバスの塗り絵。それを消防車のように真っ赤に塗りたくっている。線から(わず)かにはみ出て、クレヨンを持ち変えるのが面倒だったのか、タイヤやバンパーの部分まで赤一色だ。

 

「えーっと、バスなどの大型の車を赤く塗るのは消防車などの危機が迫っていることへの暗示、少なからずこの先問題が起きる事を表している。いざという時のために用心しておきましょうですって」

「うわぁぁぁぁ‼︎ 絶対お前のせいだぁぁぁぁ‼︎」

 

  ポカポカ隣にいる副部長を叩きにかかるが、凄まじいスピードで副部長はそれらを全て捌いていく。なんて無駄な事をと願子たち不見倶楽部の四人が副部長を睨むがどこ吹く風だ。それにしても幸先の悪いスタートである。

 

  続いて手を挙げたのは副会長、会長が最初だったのだから当然と言える。副部長を叩くのに疲れてソファーの上にまるまる会長を慰めている副会長が塗ったのは船の塗り絵だ。会長の遂になるかのように真っ青に塗られているが、線からはみ出すことは無く、ライトは黄色、錨は銀色としっかり塗りこまれており、これぞ塗り絵の手本のようだった。

 

「えーっと、船に青色は気苦労の印、近い将来疲れを覚えるような問題が訪れる。ただ線から色がはみ出していなければ沈みはしないだろうから乗り切ることができるでしょうですって」

「問題ありませんね、いつものことです」

 

  それって会長のこと? と会長と副会長を除いた全員が思いはしたが、小さくなっている会長が可哀想なので誰も口には出しはしない。

 

  次に手を挙げたのは遂に不見倶楽部の杏だ。生徒会長たちが先陣を切ってくれたおかげか、迷うことも無く直ぐさま元気よく片手を上げた。

 

  杏の塗っていた絵は戦闘機、それを塗るのは目を引く黄色だ。塗るだけで無く、やたら細部まで書き込まれたメカメカしい絵はやたら上手い。間違いなく絵としては杏が描いたものがこの七つの中では一番だろう。

 

「えー、戦闘機を塗った貴女には、闘いの時が迫っている。スクランブル発進する戦闘機のように、必ず貴女が必要な時が訪れる。そして塗るだけでなく書き足している貴女は、まだその時の準備が足りていない証拠、強くなりなさいですって」

 

  バトル漫画ですか? 当然の疑問を持ってなんとも声をかけずらい結果を聞いた杏は乾いた笑い声を上げるだけで何も言うことが無いらしい。一度『こちやさなえ』を見た願子からすれば、もし自分が今と同じ事を言われたら絶対に顔が引きつる自信がある。だが杏はひとしきり笑うと、「よしっ!」と胸の前で両手を握り気合をいれることで答えた。

 

  次に手を挙げたのは意外にも友里だった。塗った塗り絵はバスの塗り絵。そのバスは真っ黒に塗られている。余すことなく黒に塗られたバスは、真っ白い紙の上では酷く浮いて見え、かっこよくはあるがいい結果では無いだろうことが塔子の説明を聞かなくても分かってしまう。

 

「バスを黒に塗った貴女の前には困難の道が広がっている。その困難が物質的なものなのか精神的なものなのかは分からないが、強靭な精神を持つことが出来れば跳ね除けることができるだろうですって」

「強靭な精神ねえ……」

 

  はなからこういったことをあまり信じていない友里には別にどうだっていいらしい。一度自分の塗った塗り絵をしげしげと眺めると、くだらないと言うようにテーブルの上へと放る。

 

  そして次は願子の番だ。塗った塗り絵はヘリコプター、ピカピカ眩しいのは金色を塗ったせいだ。金色のヘリコプターとは見るからに痛々しいのだが、願子は自信満々のご様子。こういう時いったいどこからこの自信が来ているのか、それは本人にも分かっていない。

 

「あら願子さんよかったわね」

「ほんと!」

「ええ、金色は宝物を表している。それも空を飛ぶ乗り物ならば遠くまで見え行けるということ。つまり失せ物、無くした大切なものが見つかるそうよ!」

 

  失せ物って……微妙。って言うか何も失くしてないんだけど。という願子の嘆きは届いていないらしく、「よかったじゃない」と塔子は満面の笑みを返してくれるだけ。所詮占いなどこんなものだろうと願子はがっくり肩を落とした。

 

  そして最後は副部長だ。副部長なのだが、もうこれはひどい。真っ先に塗りだしたかと思えば、バスの塗り絵に描かれるのは今の諏訪湖の景色がクレヨンで描かれている。これは塗り絵ですよ? という当然の疑問の視線を全員から受けるが、「よく描けてるだろう?」と何故か誇らしげだ。これでは占いにならないだろうと誰もが思ったが、塔子が普通にノートを読み上げているあたりそうでもないらしい。

 

「えーっと、えーっと、あらあったわ。バスに景色は訪問者の報らせ、貴方に会いに何人もの者がやってくる。歓迎の準備をするのが吉ですって」

「なんともまあ面倒そうだな」

 

  結果出るんだ。占いの意外な守備範囲の広さに誰もが唖然としてしまう。だがこれで塔子を除き全員の結果が出た。塔子の目がキラキラと輝き、早く聞けと周りの者を急かしている。ほうっておきたい衝動に誰もが駆られるが、一応今回最も頑張ったのは塔子である。

 

「あー……それで塔子はどうだったのよ」

「あら、あらあら願子さん気になるの? 気になるのかしら?」

「わーきになるなー、ねえ杏ちゃん」

「え! あ! はいそうですね、気になります!」

「しょうがないわねえ!」

 

  塔子が塗ったのは戦闘機、それが願子と同じく金色に塗られている。戦闘機は戦闘の暗示、金色は宝、いずれ宝を勝ち取る。つまり願いが叶うということ。

 

「あらあら困ったわね、私だけいい結果で。まあこれも普段の行いと言うか占いを愛する心の違いというか」

「塔子あんたズルしたでしょ?」

「あ、あら?」

「結果知ってたからそう塗ったんでしょどうせ」

 

  友里がつまらなそうに吐く言葉は見事に塔子にとって図星らしい。あらあら壊れたラジオのように分かりやすく狼狽えている。

 

「ちょっと塔子それはやっちゃダメなやつでしょ」

「あ、あらあら違うわよもう何言ってるのかしら?」

「でも塔子さん確か教室で違うの塗ってましたよね、蝶の塗り絵をいろいろな色に」

「「蝶々?」」

 

  杏の一言で願子と友里の二人が塔子の手元からノートを引っ手繰ると、パラパラと蝶の項目を開いていく。

 

「ちょ、ちょっと二人とも、別に前に私がなにを塗っててもいいでしょう! そんな風に調べなくても!」

「「あった!」」

「あらあらあらあら」

 

  蝶々を選んだ貴女はひらひらと迷いに迷うだろう。色とりどりの色もまた同じ。貴女の行く先には多くの誘惑が待っている。どこにとまるのかは貴女次第、もし間違えたものにとまってしまったのならその時が貴女の最後だろう。

 

「「うわぁ……」」

「だから知られたくなかったのにい!」

 

  信じるか信じないかはあなた次第、占いもほどほどに。



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六月、野尻湖セイレーン伝説

なんか本筋の話以外だと長野県とその周辺の紹介になってきてる気がする……。


  不見倶楽部の活動は野外活動が意外と多いということに願子たちがに気が付いたのは六月に入ってからだ。ゴールデンウィークに佐渡ヶ島に行った願子たちだったが、六月に入った第一週の土日を使い不見倶楽部の五人は野尻湖(のじりこ)に来ていた。

 

  野尻湖。長野県の天然湖としては願子たちの住む街にある諏訪湖に次いで二番目に大きいにも関わらず貯水量では一番という深い湖だ。

 

  野尻湖と言えば何より有名なのはナウマンゾウ、遥か昔に生息していたと言われる象の化石が出土したことが有名であろう。野尻湖ナウマンゾウ博物館と言えば有名な観光スポットの一つだ。そういった歴史的な価値を除き、不見倶楽部の部員たちが望むオカルト的なものも当然ある。湖とそういった伝承や伝説には切っても切れない縁があるからだ。

 

  だが今回彼らが野尻湖に訪れたのは、ネットで調べれば出てくるような情報を追って来たわけではない。風の噂である話を耳にしたからこそやって来た。その話は珍しく杏が持ってきたもので、曰く夜の野尻湖で女性の歌声が聞こえることがある。その歌声を聞き、気がつくと野尻湖の湖畔に立っているというものだ。野尻湖のセイレーン伝説、それを追って彼らはやって来た。

 

  そこそこ豪華なホテルに泊まれるとあり浮き足立つ四人だが、四人の中には大きな心配事が二つあった。その一つは生徒会。ゴールデンウィークの時に無駄遣いするなと生徒会長に言われたのにも関わらず、一ヶ月で早速小旅行に出ている不見倶楽部は大丈夫なんだろうか? と思うのはごく自然のことだ。

 

  しかし、行き掛けに「お土産買えばいいだろ」とあっけらかんと言う副部長を見た限り多分副部長がどうにかするんだろうといった結論が四人の中で出たため生徒会については今はそれでいい。問題はもう一つの方だ。

 

「副部長先輩大丈夫ですか?」

 

  副部長が見たこともないほど項垂(うなだ)れている。男女に分かれて二部屋借り、今夜のことを話すために大きな部屋を借りた願子たち四人の部屋に姿を見せた副部長は、最初電車に乗った時もそうだがどことなく元気がないように見える。

 

「大丈夫だよー」

「いやいや明らかに変でしょ、理由があったら話してください」

 

  煮え切らない副部長に釘を刺すのは友里の役目。鋭い友里の視線に当てられて、副部長は小さく唸ると小さな声で話し出す。

 

「本当は野尻湖ホテルに泊まりたかったんだ……。なのに! まさか潰れてるなんて誰が思う! あぁあぁもうなんだろうなこの言葉にできないがっかり感? なあ?」

「いや知らないですよ」

 

  野尻湖ホテルはクラシックホテルの一つである。副部長が言っているのは今は無き旧野尻湖ホテルのことだ。茅葺の屋根にも関わらずオランダ調の木造の外壁に囲まれた美しいホテル。副部長が嘆いて元気が無かった理由はそのホテルに泊まれなかったからだ。なんだそれはといった感想を四人が持つのは当然だが、副部長を見る限り本気でがっかりしているらしい。しかし、今不見倶楽部の泊まっているホテルも、絨毯の敷かれた廊下に部屋を照らす少し錆びの入った高そうな照明と決して悪いわけではない。それを考えると副部長の態度は(いささ)か失礼に思える。

 

「副部長ってそういうの好きですよね」

「だっていいじゃないか、見てよし居てよし完璧だろう? 人が目指すのはそういったものであるべきだって瀬戸際さんたちもそう思わないか?」

「あら、私はその意見に賛成ね」

「私もいいと思いますよ!」

 

  塔子と杏が副部長に乗っかって、装飾がどうの形がどうのわいわい話が脱線しながらも盛り上がっていく。楽しそうで実にいいが、今回不見倶楽部はホテルを見に来たわけではない。騒ぐ三人の間に滑り込むと両手を上げて無理やり自分にと願子は注目を集めた。

 

「はいはい終わり! そのお話は終わりよ! 副部長もしっかりしてくださいよ、今日来たのはそんなことのためじゃないでしょ」

 

  「そ、そんなこと……」と改めて副部長は項垂れてしまう。何時もは頼りになるというのに、副部長のポンコツ具合にため息を吐くのは友里。そんな二人は放って置いて願子は杏と塔子の二人へ向くと話を進める。

 

「今日来たのは杏ちゃんが持ってきた野尻湖のセイレーン伝説を確かめるためでしょ! もう夕食も終わって午後八時、いつその歌が聞こえるのかも分からないんだからもっと気を張ってなくちゃ‼︎」

「それはいいけど願子さん。流石にいつ始まるのかも分からないものを待って気を張り続けるのは無理よ。もうちょっとリラックスしないと」

 

  塔子の言っていることは最もだ。修学旅行のしおりのように時間が決まっているわけではないのだから、気を張っても人の集中力というのは長く続かない。何より今願子が元気なのはお得意の好奇心のなせる技のおかげなのであって、それが切れて仕舞えば真っ先に夢の世界へ旅立つのは願子だろう。

 

「そうは言ってもじゃあどうするのよ」

「トランプでもしますか?」

「へーいいんじゃない? 準備いいわね杏」

 

  そうして始まりました、第一回不見倶楽部大富豪大会。ルールは簡単、普通の大富豪です。罰ゲームとして最下位の人はオカルトの話をするただそれだけ。それが超面白かった時に限り大富豪に一気に昇格できるシステムです。

 

 

  〜〜少女大富豪中〜〜

 

 

「あら負けてしまったわ」

 

  大量の手札を残して大貧民は小上塔子、もうかれこれで5回目である。残りの四人はというと、もうなんの表情も浮かべず真顔で塔子の方だけを見ている。この後の塔子の話など、最初の頃はまだしももう誰も興味がないらしい。

 

「そうねー、それじゃああれにしましょう。そうあれは二年前のことだったわ」

「ああ! もういいよ塔子! 占いして失敗した。占いして失敗した。他の話はないの? もう5回も同じような話ばっかりじゃん!」

「流石に飽きちゃいますね」

 

  願子と杏が塔子の話を遮って喚き立てる。そう、塔子の話すオカルトは全てが中学の頃に行った占いの話。コックリさんをやったら紙が途中で破けて慌てた。前世占いをやったら神だった。花占いをしてたら蜂に刺された等々なんとも盛り上がりに欠ける中身の薄っぺらいものばかり。大富豪自体は白熱するのだが、異常に運が悪いのか負け続ける塔子の話に全員が飽きてしまっていた。

 

「あらじゃあどうするの?」

「塔子の話は今回はもういいよ、次に絶対他の人を負けさせる! 特に副部長!」

「おいおい、俺狙いか?」

 

  この大富豪のルールは願子が押し切って決めたものだ。ジュースを買ってくるといった普通の罰ゲームの案も出たわけだが、副部長の面白そうな話を聞くためにはいい機会だと最初から願子は副部長狙いで勝負を仕掛けていたのだが、これが意外と決まらない。

 

  副部長が上手いということもある。大富豪になりはしなくても、最低でも常に平民よりも上の位置で副部長は上がってしまう。勿論塔子が弱すぎるということもあるが、それにしても勝てなさすぎた。願子の位置は副部長を狙っているためか常に副部長の一つ下だ。

 

「副部長まさか複眼とか使ってませんよね?」

「なんだよ瀬戸際さん使っていいの?」

「ダメに決まってるでしょ⁉︎」

 

  疑いを掛ける願子にまだ冗談を言う余裕まで副部長にはあるらしい。負けた塔子が新しくトランプを切り、配られた手札を見て願子は静かにほくそ笑む。

 

  きたきたきた‼︎ 2が二枚、エースも二枚、ジョーカーも一枚。それ以外のカードも絵札が多めで強いカード。現在平民の願子は手札を交換する必要もない。副部長に勝つには今しかないだろう。この手札なら塔子を援助しつつ副部長を負けさせることも可能かもしれない。

 

  静かに顔をポーカーフェイスへとなんとか戻し、最初にダイヤの3が塔子から出され、続いては杏、友里、副部長、願子の順。自分の番を今か今かと待ち、手に持つカードたちに力が入る。

 

「8切りです!」

 

  杏が直ぐさま8で流す。なかなか早い展開だが、これも願子にとっていい傾向だ。8が一枚減って残り3枚、副部長が持ってる可能性が少しだが減った。他の人がどう上がろうと、副部長さえ落とせれば願子は満足なのだ。手札を持って少し考え込む杏に早くしろと目で催促していると、願子と杏の目が合った。

 

  少しの間見つめ合った二人だが、ここで願子の頭に電気が走る。そうだ、協力すればより簡単に副部長を落とすことができる。今まで一応ゲームであるためそういったことは控えようと考えていた願子であるがもうそうも言っていられない。きっとこのままではまた塔子が最下位だ。杏に目だけで副部長の方を指し、小さくこくりと頷けば、顔をぱあっと明るくさせて杏もまた小さく頷く。

 

  繋がった! これが不見倶楽部一年生の力! 力強く杏が手元から最高の一手を解き放った‼︎

 

「革命です‼︎」

「違う杏ちゃんそうじゃなーい‼︎」

 

  最下位は塔子でした。

 

  都合六回目の罰ゲーム、もういいよと判断を下した四人はジュースを買いに行くことで手を打った。これ以上やっても十回も二十回も塔子のくだらない話を聞くよりマシだ。

 

「うぅ、杏ちゃんと確かに繋がったと思ったのに……」

「もうやってやれと思っちゃいまして」

「まあよかったんじゃないの? 願子のあんな顔初めて見たしさあ」

「よくない‼︎」

「元気だねお前ら、俺はもう眠いよ」

 

  白熱した大富豪のおかげで十時を回り、すっかりあたりは静かになっている。窓の外から野尻湖の景色を望めば、諏訪湖よりも光の無い野尻湖は真っ暗な穴のようであり、昼間に見た美しさはどこにも無い。

 

  噂に聞いた歌声すら微かにも聞こえず、聞こえるのは疲れを覚え始めた三人の息遣いだけ。副部長は眠いよとかいいながら全く普段と変わらずに眼鏡をかけ本を読み始める。その読んでいる本が遠野物語であるあたり流石は不見倶楽部副部長といったところか。

 

  瞼がだんだんと重くなり、体も気だるくなってくる。そんな中で誰が言ったことなのか頭も回らないが、誰かが言った「塔子遅くない?」という言葉に副部長を除いた全員の頭が急に覚醒していく。

 

  塔子が罰ゲームでジュースを買いに行ってからすでに十五分が経過しているにも関わらず、全く戻ってくる気配がない。

 

  何か事件に巻き込まれた? 嫌な予感が願子たち三人の胸に渦巻くが、それを副部長が勢いよく本を閉じる音で搔き消した。

 

  眼鏡を外すとその奥に隠された複眼までも曝け出し、二つの眼がその場であたりを見回している。

 

「うーん、取り敢えず安心していい、近くにはいるみたいだ」

「副部長先輩分かるんですか?」

「人っていうのは誰もが固有の微弱な電磁波を発している。だから近くにいるのは分かるんだが、ただ何処にいるかが見えないな。瀬戸際さんはどうだ?」

 

  副部長の問いかけを受け、急いで胸ポケットから『色眼鏡』を取り出すと目に掛け塔子の姿を思い浮かべる。しかし、虹色の世界は虹色のままなんの姿も映さない。

 

「駄目です副部長、見えません」

「ちとまずいな、探しに行くとしよう」

 

  副部長の一声で三人は手早く出る準備を済ませると夜の廊下へと躍り出る。危険がないようにギラギラ光る蛍光灯の光が昼間と変わらずホテルの廊下を照らし、願子たちの目に入り込み急な眩しさに目を顰めた。

 

  真っ直ぐ伸びる廊下には人っ子ひとり見当たらず、その階の自販機コーナーや他の階も手分けして見て回ったが、塔子の姿は何処にも見られなかった。小さかった不安の芽が欲しくもない栄養を受けてすくすく大きくなっていく。

 

「友里どうだった?」

「ダメいない、塔子いったい何所まで行ってんの?」

「電話はどうだったんだ?」

「駄目です副部長、塔子全然出ないです」

 

  首を振る願子に合わせて四人の中でもしかしたらという決定的な不安が花を咲かせる。進まない状況に誰もが足を止めてしまうかに思われたが、急に杏が走り出したことによりそうはならなかった。

 

「ちょっと杏どうしたの⁉︎」

「みなさん聞こえないんですか? 歌が、歌声が聞こえます!」

 

  歌が聞こえる。そう言って走る杏の足取りは確かであり迷いは見られない。願子たち三人も走る杏の後を追いながら耳をすますがこれっぽっちもそういった類の音は聞こえなかった。副部長ですら同じらしく、何も言わずに杏の後をただ無言で付いていく。

 

  ホテルを飛び出した杏を追って夜の暗闇を突き進む。数少ないポツンとある街灯を頼りに走り続ければ、スポットライトを浴びるかのようにふらふらした足取りで塔子がただ一人歩いていた。

 

「塔子!」

「待ってください!」

 

  塔子の名前を呼び飛んで行こうとする願子を、先を走っていた杏が止める。その杏の目は真剣そのもので、ふざけて止めている様子はない。

 

「杏ちゃんどうしたの? 塔子が何か」

「歌です。歌が聞こえます。塔子さんから……」

 

  杏の言葉を受けハッとして願子は塔子を見るが、願子の耳には何も聞こえない。しかし、虚ろな目をした塔子は確かに口を動かしており何かを言っているように見える。これだけ近くに願子たちがいるにも関わらず、全くそれには気づかずにふらふらと塔子は歩くのをやめない。

 

「私全然聞こえないんだけど友里は?」

「私も聞こえない。副部長はどうですか?」

「聞こえんな、だが歌っているのは確かみたいだ空気の震えが見える。ただこんな波は見たことがない。小上さんの居場所が分からなかったのはそのせいかな」

 

  願子たちには分からないが、副部長の目には願子たちの見えない何かが見えているらしい。羨ましく願子は思うが、副部長の見える景色よりも気になることが今はある。

 

「杏ちゃん本当に聞こえるの?」

「はい、すごい優しい歌です。皆さんは本当に聞こえないんですか?」

 

  頷く三人に自分自身もよく分かっていない杏は首をかしげるしかない。そんなことをしている間に歩き続ける塔子を追って願子たちは野尻湖の湖畔まで来てしまった。暗い暗い穴のような湖に向かって足を進める塔子は地獄へと歩を進める亡者のようだ。

 

  不意に水面に反射した月明かりが映し出すのは塔子の姿だけではない。願子たちが目を凝らせば、ポツポツと他の人影が塔子と同じようにふらふら野尻湖を目指して歩いている。

 

  止めようかと考え始めた願子たちは塔子へ走り寄ろうとするが、それより先に湖に足が着く数歩手前で塔子は足を止める。塔子に続くようにそこらに見える人影も同じように足を止めると、次の瞬間不思議なことが起こった。

 

  歌が聞こえる。最初聞こえなかったはずの願子たち三人の耳にも、今度は優しい歌声がはっきりと聞こえる。湖の水面と同じように重なり合い僅かに震える不思議な声は、塔子を含めた十数の人影の合唱に他ならない。

 

  光が弾けるような明るい声で、夜を告げる鳥のような静かな声で、燃える炎を思わせる激しい声で、リズムに合わせて次第に歌う人影たちは踊り始める。誰に見せるわけでもないはずのそれはしかし素晴らしく、夢を見ているようだ。

 

「あら?」

 

  しかし、一糸乱れぬ舞う人影たちの中でかなり残念なことが起こってしまった。次第に激しさを増す踊りの中、それに合わせて跳ね回る塔子の装飾が自分の主人へ牙を剥き、ペシんといい音を響かせて塔子の額に見事ヒット。間抜けな声を上げて覚醒した塔子は夢から覚めたようにあたりをキョロキョロ見回して、願子たちに気がつくとトテトテ歩み寄ってくる。

 

「願子さんたちどうしたのこんなところで?」

「それはこっちのセリフでしょ塔子、急にいなくなったと思ったら歌いながら野尻湖まで歩いちゃうし、急に踊り始めるしで大変だったんだから」

「あらそうなの? 私なんだか急に眠くなったと思ったらとてもいい夢を見ていたのだけれど。あら本当野尻湖ね」

 

  どこか抜けた答えを返す塔子に願子と友里の二人は盛大なため息を返し、杏は良かったと安堵の息を吐く。塔子が正気に戻ったからといって舞う人影たちはその動きを止める気配はなく、歌声も止まずに響いている。

 

「副部長何か分かりますか?」

 

  正気に戻った塔子に安心した三人は、答えを求めて副部長へと問いを投げるが、副部長はいつもと違いむづかしい顔をして考え込むと、一応の答えが出たからか歌声の邪魔にならないように小さな声で話しだす。聞き逃さないようにしっかりと願子たちはその声に耳をすませた。

 

「所詮予想でしかないが、科学的に見るのだとしたらば野尻湖は諏訪湖と違い湖の外はすぐに山に囲まれている。それに深い水深も相まって強い風が吹いたりした際に特別な高周波とかが出ているのかもしれない。それが相性のいい人間の耳に届いた時、催眠にかけられたかのように決まった動きをさせているのかもしれないなあ、催眠音声という言葉を全員聞いたことはあるだろう? 桐谷さんが俺たちよりも真っ先に聞こえたと言ったのは単純に耳が俺たちよりもいいからだろう。ただ」

 

  そう言って言葉を切ると、副部長は野尻湖の水面へと静かに指差した。

 

「ただ野尻湖には黒姫伝説というお話があってなあ、ひょっとするとその姫様が寂しがってるのかもしれないなあ」

 

  副部長の指差す先、野尻湖の水面に月明かりが落ちている。ゆらゆら揺れる水の揺籠(ゆりかご)の上に波紋が上がっては消え、見えない人が歩いているように見える。無音の波紋は上がり続け、舞う人影たちの中心で立ち止まると、浮かぶ波紋は激しさを増した。

 

  一切れの雲が一瞬月明かりを隠したその先で、願子たちは和服の麗人が人影と同じように舞う姿を見たような見なかったような。すぐに戻った月明かりはその答えを隠してしまい、後に残ったのは浮かび続ける波紋のみ。

 

  優しい歌声に包まれて、静かな宴を誰一人声も上げずにただただそれが終わるまで五人は眺めていた。




「副部長!お前なぁぁぁぁ‼︎」
「はいお土産」
なんとかなった。


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戸隠そばを食べに行こう

「お待ちしていました」

 

  六月の半ばに入り不見倶楽部は戸隠に来た。

 

  あ、蕎麦が食べたい。そう思った不見倶楽部の行動は早かった。長野で蕎麦と言えば戸隠そばである。戸隠そばは岩手県のわんこそば、島根県の出雲そばと合わせて日本三大そばに数えられている。戸隠は山岳信仰が盛んであり、古くから修験者が多く通った場所だ。彼らの携行食料としてそばは戸隠に入って来たと言われ、幾つかの特徴を持ち、その中でも特に特徴的なのがぼっち盛りと呼ばれる独特な盛り付け方である。

 

  今では戸隠だけでなく、長野市周辺の旅館に泊まれば必ずと言っていいほど食事に出てくるほどに当たり前だ。しかし、戸隠そばだ。戸隠とついているからには、戸隠で食べなければ意味がない!

 

  そうして不見倶楽部は土日を使い戸隠へ発った。だが、困ったことに一度戸隠の地を踏んでしまうと右を見ても左を見ても蕎麦屋蕎麦屋蕎麦屋蕎麦屋。

 

  一家に一人蕎麦打ち職人が居ると言われる戸隠なのだからしょうがない。だが全ての蕎麦屋を回れるほど時間はなく、しかし最高のそばを食べたい。

 

  そんな不見倶楽部の問題は、副部長が生徒会副会長を頼ったことによって解決した。何を隠そう副会長の親は戸隠出身。蕎麦屋程ではないが、数多く宿のある戸隠で祖父母が旅館を営んでいるのだ。

 

  その宿の戸を開けば、女将の代わりに和服に身を包んだ副会長が姿を現し願子たちは相当驚いた。ベリーショートの髪型に和服姿の副会長はスナックの若いママみたいだった。それが妙に似合っている。固まる願子たちと違い唯一驚いていない副部長が手続きを済ませた。

 

  通された部屋は昔ながらに日本旅館を絵に描いたような部屋だ。床の間があり、洒落た長押に部屋の大きさに見合わないちっちゃなテレビ。背の低いテーブルの上にはお茶請けの入った木のお盆が乗っている。部屋の説明も副会長がしてくれ、この土日は仲居として願子たちの相手をしてくれるらしい。

 

「でも驚きましたよ、副会長のお婆ちゃん家が旅館でたまに手伝ってたなんて」

「そうですか? 私たち三学年の中では常識なんですよ瀬戸際様」

「ねえ副会長、そのなになに様って呼び方どうにかなりません? なんかこそばゆくて」

「もう癖ですから出雲様が慣れていただければいいかと」

 

  無表情で淡々と言葉を返す副会長はロボットか何かと間違えてしまうほどに抑揚もない。家の手伝いは立派であるがこんな感じで接客をして大丈夫なのか疑問である。だが副会長曰くこれはこれで人気らしい。実際旅館のホームページでは看板娘として紹介されている。

 

「それで副会長、いったいどんなそばを食べさせてくれるんですか⁉︎」

 

  そう、今回はそばを食べに来た。杏が珍しく目をキラキラさせて副会長に詰め寄る。普通なら身体を反射的に下げてしまう場面であるにも関わらず、副会長は全く動じない。血が通ってるのかも怪しいと感じてしまう副会長から返される言葉は。

 

「チキチキそばを手に入れろ。手裏剣ゲーム、いえーい」

 

  やる気の無い口調で虚空を見つめる副会長から齎される言葉。いえーいの部分に哀愁が漂っている。そう言い切った副会長はバッと和服を脱ぎ捨てると下から現れたのは見慣れた一葉高校のセーラー服。急なことで思わず目を手で覆っていた願子たちを残し副会長は部屋を出て行ってしまう。その形のままどうしていいかわからず突っ立っている四人を残し副部長までも荷物を部屋に置くと出て行こうとしていた。

 

「あら副部長どこに行くのかしら?」

「どこにってお前たちも行くんだよ」

「いやどこに行くんですかって話なんですけど分かってます?」

「ああ、いいか行くのはちびっ子忍者村だ!」

 

  ちびっ子忍者村。戸隠で有名なのは何も蕎麦だけではない。戸隠流忍術という言葉を聞いたことがある者もいるだろう。世界で最も有名な忍術の流派であり、なんと門下生は世界中に十万人を超える。

 

  そんな戸隠流発祥の地である戸隠にあるのが忍術体験が出来るちびっ子忍者村だ。そんなちびっ子忍者村で出来る忍術体験の一つが手裏剣投げ。

 

「五枚の手裏剣を投げ何枚的に刺さったかで今日うちの旅館で夕飯に提供するそばの量を決めさせていただきます。これは会長発案ですので文句は帰った後に会長に言ってあげて下さい」

 

  ちびっ子忍者村に向かう道中、副会長がゲームの説明をしてくれる。普段なら願子と塔子あたりが喚き散らして文句を言うか喜ぶかの場面であるのだが、別のことが気になって全く願子たちの耳に入ってこない。

 

  道を先頭で歩く副会長。なぜか地元の人と思われる人とすれ違う度にその人たちが副会長に頭を下げているのだ。なんだこれは、意味が分からない。願子たちが知らないだけで副会長は相当有名らしい。

 

「あの副会長? そのーなんていうか副会長って実は凄い人なんですか?」

 

  ちびっ子忍者村の入り口が見えてきたあたりでついに願子は副会長に聞いてみたが、「そんなことないですよ」と華麗に受け流されてしまう。入り口に着いた願子たちがチケットを買おうとチケット売り場へ足を向けようとしたが、それは副会長に止められてしまった。

 

  何事かと副会長に言う前に、副会長が入り口に近寄ると、何人もの職員が急に副会長に駆け寄り大地に頭を打ち付けんばかりに頭を下げる。願子たちの頭の中で警報が響いた。確定だ。この人やばい。

 

「ちょっと副部長、副会長っていったい何者?」

「そうですよ、なんか凄いですよ。副部長先輩は知ってるんですよね?」

「まあね。 まあそんな気にしなさんな、副会長がなんなのかは見てればすぐに分かるさ」

 

  勿体振る副部長も副会長に続いてさっさと忍者村の中に入ってしまい、願子たちはそれを追うしかない。そこまで広くはない忍者村の中でお目当の場所に着くのには時間は掛からず、どういうわけか手裏剣投げ体験コーナーには願子たち以外の客の姿が見えない。

 

  そに疑問には副会長の「一時的に貸し切りました」と副会長が答えてくれる。本当に何者なのか願子たちには分からないが、副会長は自身自分に向けられる疑問には興味がないようで、気にした様子もなく再びゲームのルールを口にした。

 

「先程も言ったとおりルールは簡単です。手裏剣は五枚、向こうに的がありますね、距離はそうでもないですから安心してください。その的に何枚刺さるかで提供させていただくそばの量を決めさせていただきます。別に的のどこに当たろうと構いません。当たるか当たらないかでカウントさせていただきます。このように……投げて当たれば一ポイントです」

「ねえ副部長、私凄い気になることがあるんですけど」

 

  願子の言葉に頷く三人。副会長が無造作に投げた手裏剣は真っ直ぐに的の中央に向かい飛んでいき小気味いい音を響かせた。続いて投げられる手裏剣も先に投げた手裏剣の軌道をなぞるように同じ場所に吸い込まれる。投げるというより落ちているに近い。それほどスムーズで無駄がない。

 

「なにが?」

 

  だが副部長が願子たちの疑問に気づいていないフリをして答えてくれない。それどころかさっさと五枚の手裏剣を投げると全てが的に刺さっている。副会長と比べると如何にも素人といった感じで刺さった位置もバラバラだが、流石である。

 

  「だから副会長が何者かって話ですよ!」

「副会長? 我が一葉高校生徒会副会長様だよ」

「いやそういうことじゃなくてですね」

 

  ニヤつく副部長は真面目に返す気は無いらしい。肝心の副会長は今は杏に手取り足取り手裏剣の投げ方を教えており、その姿は嫌に堂に入っていた。その教えを忠実に再現した杏のポイントは二ポイント。ふらふら飛んだ手裏剣はなんとか二つは刺さっている。その奥では変なポーズで投げている塔子が見事全部の手裏剣を外している。代わりにすっ飛んだアクセサリーが一つ的に刺さった。

 

「あらあらあら」

「あらあらじゃないでしょ塔子、投げ方がおかしいの、せめて普通に投げれば……ほら当たる」

「友里さん凄いわ!」

 

  しれっと友里は五枚中三枚の手裏剣を的に当てた。副部長や副会長ほどではないにしろ、そこそこのスピードを出し的に当たるあたり運動が得意のようだ。それにしても上手いもんだなあとほのかに輝いて見える友里の手を眺めながら願子は一人驚くが、その理由を願子はまだ知らない。

 

「おい瀬戸際さん。後はお前だけだぞ」

「うぇぇぇぇ」

「大丈夫ですよ瀬戸際様、投げ方はちゃんと教えてあげます」

 

  嘆く願子の手を取って、副会長が教えてくれる。手裏剣はメンコを持つように手で挟む、肘を直角に曲げて顔の横に、足は肩幅より広く開きぶれないように。どれも分かりやすい説明で副会長曰く基本中の基本らしい。

 

  これだけ詳しい副会長がいったい何者なのか、地元だからでも通りそうだが、願子の好奇心は別の答えを導き出した。ここはちびっ子忍者村。やたら手裏剣を投げるのが上手い副会長。ちびっ子忍者村の職員が頭を下げる存在。

 

「副会長……副会長ってまさか忍者?」

「違います」

 

  違うそうです。だがそう言う副会長は普段のストレスを発散するように的に手裏剣を投げまくる。的の中央に落ち続ける手裏剣によって出来る針のむしろ、願子に教えていた手裏剣の投げ方を無視して投げられ、願子たちの目に映るのは手裏剣の軌跡のみ。その姿は誰がなんと言おうと紛れもなく忍者だった。

 

  さて残されるは願子、ポケットから『色眼鏡』を出す。願子が唯一他の者と違うのは、この眼鏡を上手く扱えるということ。不見倶楽部の一年生四人の中で特別な世界を覗ける願子の視界が虹色に包まれる。

 

「行ける! ソバが見える!」

 

  一つ目、外れた。二つ目、明後日の方向へ。三つ目、隣の副部長の足元に。四つ目は副会長の目の前に飛び指で掴まれる。五つ目はそもそも手から溢れ足元に。

 

  色眼鏡は視界が変わるだけで身体能力は別に上がりません。がっくりと願子は地面に膝をついた。

 

「結果は出ましたね。先に旅館に戻って準備をしますのでゆっくり帰って来てください」

 

  どこからともなく取り出したビー玉ぐらいの黒い球体を副会長が地面に叩きつけると、爆発的に広がった煙幕が願子たちの視界を隠し、それが晴れた時に副会長の姿はそこには無かった。

 

「ちょっと副部長、あれ忍者ですよね」

「そうだよ、副会長は若くして戸隠流忍術の免許皆伝。ああ見えて世界中にいる門下生十万人の中で最強の実力者よ。単純な近接戦闘だと俺より強いんだからやんなっちゃうよ本当に」

 

  なにそれ。驚きたくても話がぶっ飛び全ていまいち頭が追いつかない。そんな願子たちを無視して言うだけ言って帰路につこうと歩を進める副部長。その後を追いながら副部長に副会長のことを聞き出そうと追求するも自分で聞けと言うばかり。

 

  どうも不満な願子たちが旅館に着き部屋の扉を上げると既に夕飯の準備はできてるらしく、天ぷらと辛味大根、胡瓜と茄子の漬物が盆に乗って置かれている。その盆にぽっかり空いたスペースにこそ願子たちが待ち望んだそばが来る。

 

「お待たせしました」

 

  開け放たれた扉から、打ち立てであろうそばの微かな香りが願子たちの鼻をくすぐる。口いっぱいに啜れば絶対に美味い! 今か今かと待ち切れない願子たちの目の前に幻想が姿を現した。

 

「副会長が」

「「「「増えてる!」」」」

 

  部屋に入ってきた和服に戻っている副会長の後ろからまたそばの盛られたザルを持った副会長が入って来る。その副会長の後ろからも副会長。副会長の後ろから副会長。これぞ分身の術。願子たちの口を間抜けに開かせるには十分過ぎる。

 

「副会長、忍者ですよね?」

「違います」

 

  違うそうです。副部長からもう答えを貰っているため間違いはないのだが、それでもシラを切る副会長の姿があまりにも動揺してないせいでそうなんだと勘違いしてしまいそうになるが、そんなことはない。

 

  寧ろ違いますと言いながらより忍者っぽい動きをする副会長は願子たちが思っているよりノリがいいのか、これが副会長なりの楽しみ方のようだ。

 

  副会長によって配られたそば。それに目を落とし誰もが目を開く。水に濡れ光り輝くそばのきめ細かさ。ぼっち盛りという独特であるが美しい盛り付け。すぐにでも箸を伸ばしたい衝動に駆られてしまう。そばが置かれ完成した盆の上で、そばを彩る真っ白な辛味大根と、普段そこまで口にすることの少ない山菜の天ぷらは最強のお供だ。そして願子と塔子のザルの上にはそばが無かった。

 

「「え?」」

「ゼロポイントだからね。仕方ないね」

 

  副部長の言葉を合図に待ちきれないと友里と杏が箸を伸ばす。箸からしなだれるねずみ色の輝きを口に入れれば、想像以上のそばの風味と滑らかさ。そば特有の喉越しまで美味しい。思わず綻んでしまう顔を止めることができない。

 

  そして願子と塔子は世界を呪った。そばが食べたい、そばが食べたい。口に広がるのは代わりに口に含む山菜の香り。昇る太陽、立ち込める霧、それが育てた美味しさが、山の恵みが願子たちに怨みパワーを与えてくれる。

 

「おい瀬戸際さんに小上さん、そう辛気臭い顔をするな。分けてやるから元気出せ」

 

  世界は優しい。世界はそばの香りに包まれている。願子と塔子も両手を投げ出しその世界へと飛び込んだ。




「私も行きたかったよぉぉぉぉ! 置いていくなぁ‼︎」
「会長、お土産です」
なんとかなった。


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第二章 『博麗』
新しい日常


大筋の話は不見倶楽部活動日誌と並行してあげていきます。


  けたたましく鳴く蝉がどれだけ頑張ったところで、 諏訪湖の水面には波紋一つ立たないそんな季節。

  副部長の方針で、やたら豪華な家具に囲まれている割に冷房設備の一つもない部室はさながらサウナのようだ。

  拭いても拭いてもしみ出し続ける汗を、もういいやと投げ出し願子、友里、杏、塔子の四人はお馴染みとなっているソファーに座り、目の前のソファーテーブルに死体のように突っ伏し動かない。

  副部長はそんな蒸し風呂の中でも、夏服になったというのに学ランを着続け、眼鏡をかけて相変わらず何かを書いている。その手は淀みなく、暑さというものを感じていないようだ。

  四人がソファーに座り談笑し、時折振られる話に執務机に座り何かをやっている副部長がぶっきらぼうに返す。数ヶ月で出来た不見倶楽部の新しい形だったが、夏休みをすぐ目の前にして、遂に暑さに音を上げた四人によってそれも崩れてしまう。

  夏になり部室に新たに置かれた陶器の豚から立ち上る蚊取り線香の煙と、普段珈琲の匂いに埋もれている中に混じる蚊取り線香の匂いが、より夏の暑さを四人に押し付け、項垂れる四人の制服は汗でぐっしょり湿り、男が同じ部屋にいるというのに気にする様子もないあたり、副部長の立ち位置はなんとも微妙なものであった。

 

「副部長、暑ーい」

 

  七月を回ってから何度目かも分からない願子の声は、要は冷房を買わないのか? ということを暗に言っているのだが、副部長はそんな願子の声を当然のようにスルーする。

 

「これもいずれいい思い出になるさ」

「なりませんよ! 暑いだけで、嫌な気分になるだけですって」

「そんなことないさ、暑いって言うから暑く感じるだけだよ、心頭滅却すれば火もまた涼しって言うだろう」

「暑い暑い暑い暑い暑ーい!」

「止めて願子、頭の中まで茹だっちゃったの?」

 

  なんとか上半身を起こし喚く願子に返される友里の言葉は、ぐったりとした体勢から言われたもので、普通に言われる苦言よりも酷く悲哀に満ちている。一言を言うのにも、額から垂れる新たな汗を気にしなければならないのだから当然だろう。茹だるような暑さにゾンビと化している四人を副部長は一瞥すると、溜息をついて眼鏡を外した。副部長が眼鏡を外すのは、やっている何かを止める合図であり、また、願子たちが喜ぶであろうことを言う合図でもある。

 

「お前たちもうすぐ夏休みなんだぞ、そんなんじゃあ連れて行けないな」

 

  副部長の言葉は相変わらず初めて聞いた時は要領を得ないものであるが、それでも四人の意識を変えるには十分なものだった。突っ伏していた身体を好奇心で無理やり起こし、なんとか聞く体勢を整える。

 

「連れてくってどこにですか? 副部長先輩」

「軽井沢さ」

 

  軽井沢。

  長野県の中でも、避暑地として一等有名な場所である。およそ都会と違い田舎の集合体のような長野県の中でも少し変わった場所であり、観光地としても有名だ。

  長野の諏訪出身である四人でも、軽井沢に行けるとなると僅かにテンションが上がる。それぞれ軽井沢に行きたい理由は異なるが、行ける、それも恐らく部費でタダでとなると、行きたくないと言う方が不自然だ。

 

「しかも、宿泊は万平ホテルだ」

 

  さらに、続けて副部長から齎された情報に、四人は堪らずソファーから立ち上がった。クラシックホテルの代名詞の一つ。軽井沢の万平ホテルに泊まれて嬉しくない筈がない。

 

「本当ですか、副部長!」

「本当だ。しかも部費で行くから全部無料だぞ」

 

  最高の副部長だ! と、手の平を返して喜ぶ願子たちだが、友里だけは大手を振るって喜ぶ三人とは対照的に少し難しい顔になる。

  それもそのはず、ゴールデンウィークやこれまでの幾つかの休日に、部費を用いての小旅行を何度も行ったため、『こちやさなえ』によって出た学校の修繕費と相まり、無駄遣いしないよう生徒会長から釘を何度も刺されているからだ。

  もし、高級ホテルに泊まるなんて言ったなら、優しい生徒会長も流石に不見倶楽部にとって良くない手を出すに違いない。

  しかし、それを分かっていない副部長ではない。友里の心配など杞憂であるというように、満足気に四人を見回した後、一度手を叩いて四人の注目を集めた。

 

「一つ言っておくが今回は遊びに行くんじゃない。ちゃんと行く理由があるから行くのさ」

 

  そう言って執務机に高く積まれた書類の塔から一枚の用紙を引き抜くと、ソファーテーブルへ放った。乱れなく四人の見える位置に滑り込む用紙には、大きく全日本オカルト連盟総会のお知らせと書かれている。

 

「あら、これは?」

「文字通りだ。日本中の中学、高校、大学のオカルト関連の部活、サークルが全て集まる年二回の夢の祭典かな一応。まああんまり出席率はよくないらしいんだが、実際に俺と部長が中学の頃にも来てたけど一度も行った事がない。理由は開催地が毎回バラバラで諏訪からだと遠いことがほとんどなんだ。前回は北海道、前々回は京都だったかな。今回は軽井沢だから出てみようかなってことになったわけ、な? ちゃんとした部の活動だろう?」

 

  そんなことを知らなかった四人は当然目を丸くする。オカルト研究部にそんな大規模な活動があるなど信じられないといった感じだ。運動部と違い明らかにマイナーな部に日本中から集まるインターハイのようなものがあるというのは驚きだ。何より総会を開けるほどオカルト研究部が日本中にあるとも思えない。

 

「前回集まった部の数はおよそ二百、千五百人近く来たらしい」

 

  しかし、それも副部長の言葉で疑問は解消される。後に残るのは高揚感。願子たち四人は入ってまだ日が浅いから別として、長年不見倶楽部をやってきた部長や副部長のような存在に会えるかもしれないと考えれば、気分が上がらないわけがない。

  ただ、願子たちが知らないのは、不見倶楽部の部長と副部長は相当稀有(けう)な存在であり、四人の中でも特に願子が望んでいるようなものはほとんど無いと言っていい。その証拠に、

 

「言っとくけどそこまで楽しいものじゃないよ、

 

  と副部長は言うのだが、舞い上がっている四人には聞き入れられていないようで、あまり重要では無いからか副部長は肩を竦めるだけで再度同じことを口にすることは無かった。

 

「副部長先輩、総会って何をするんですか?」

「要は情報交換会みたいなもんだよ、今までやってきたことの発表とかね、素晴らしいものなら一応賞状なんかも出る」

「うわ、じゃあ頑張らないと! それっていつなんですか副部長」

「お盆の初日」

 

  夏休みが始まり三週間前後、まだだいぶ先は長いが、大きな楽しみが出来たため四人には活力が戻る。もう滴る汗も気にならないと意識は総会へと向いていた。

 

「じゃあまだ時間あるんですね副部長先輩」

「私たち不見倶楽部の名を売るチャンスじゃない!」

 

  名を売る気は無いんだけど、という副部長の呟きは届かず、折角総会に出るのだからと、少しでもオカルトを見つけるため、その日から数日四人は暑さを物ともせずに駆け回り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「諸君! 来たぞ、遂に来た! 何が来たって? 夏休みだ! 一ヶ月近い休日に諸君もやりたいことが多くあることだろう。勉強に力を入れるもよし、部活動を頑張るのもよし、勇気を持って告白し恋人を作るのもいいだろう。私はそのどれもを応援する! 夏休みこそ高校生の最も楽しい行事なのだから楽しまないのはむしろ罪だ! 恋に勉強にスポーツに、最高の一ヶ月を共に過ごそう! あぁただ体調管理や事故には十分気をつけてな、夏休みの大半を病院で過ごしてましたぁ、なんていう悲しいことにならないように! そんな馬鹿には私が直々にお見舞いに行って説教するからそのつもりで! 終わり‼︎」

 

  生徒会長の短くも力強い言葉で、待ちに待った夏休みが始まった。それから数日、授業が無い為毎朝学校がある時と同じように八時半までには四人とも部室に集合している。

  どれだけ早く四人が部室に行こうとも、扉を開けば必ずいる副部長の私生活は謎に包まれているが、そんなことはもう気にすることでもない。

  そして四人が話すのは総会までに集めるオカルト情報のことだ。ここまでおよそ四ヶ月で、不見倶楽部は最高の部活であると確信を持って言える四人は、日本中から集まるその場で不見倶楽部を見縊(みくび)られたくないのだ。

  だから毎日朝から晩まで、知識の乏しい頭をなんとか捻って四人は議論を重ねるのだが、いい案が全く浮かばない。

  四人の気持ちを分かっているのか、いないのか、副部長は執務机に座ったまま四人の会話を眺めるだけで口を出すことはほとんど無い。

  そんな副部長に一度四人は質問ではなく助言を頼んでみたりもしたが、直ぐに首を軽く横に振って、頑張れー、と笑みを返すだけ。

  副部長は副部長でもう用意しているらしく、四人のやることには一切手を出さないことに決めたらしい。

  それは信頼なのか試練なのかは分からない四人であったが、副部長を頼るのは(しゃく)である友里を筆頭に、こうなったら副部長をアッと言わせてやると決めた四人は、狭い部室にいてはどうにもならないと、外へ飛び出して諏訪中を駆け回るのが日課になっていた。

 

「見つからなーい!」

 

  総会まで残り十日ばかり、捜索率を上げるためバラバラに探す四人は照り返すアスファルトの熱に負け、ラムネを片手に所々にある諏訪神社の一つに集まると境内に続く階段に座り込んでしまっていた。

  これだけ暑いにも関わらず、座る願子たちを飛び超えて虫を捕まえるためか虫網を掲げる小学生の元気を分けてくれと、濁った眼差しを向けるが、小学生の眩しさに逆に目をやられてしまう。

  ラムネの瓶に浮かぶ雫が額から垂れる汗とシンクロして落ちていく。喉を流れる冷たい感触が僅かばかり気力を戻してくれるが、終わりの見えない行動に落ちた腰が上がらない。

  境内に響く蝉の声が重しとなってより一層四人の立ち上がる気を奪っていく。頭上に登る太陽と、雲一つない晴れやかな空に、この数日ですっかり四人は日に焼けてしまった小麦色の肌から流れる汗を強引に手で拭う。

 

「そんな簡単に見つかったらオカルトじゃないでしょ」

 

  友里の言うことは尤もだが、今はそれでは困るのだ。このままでは四人は副部長について行くただのオマケになってしまう。まだ四ヶ月だからと言い訳はできるが、そんな格好良くないこと四人はしたくなかった。四人だって不見倶楽部なのだ。自分の中に不見倶楽部である意味を見出したい。

 

「副部長みたいに凄い目があれば楽に見つけられるのになあ」

「無いもの強請っても仕様がないでしょ、それに見たこと無いわけじゃないんだから、あるにはあるんだし」

 

  『こちやさなえ』に始まり、もう両手では足りないほどの不思議を四人は目にしている。つまり無いわけではない。それらは普段目に見えないだけであり、隣にいつも控えていたりする。それを見つけられるかどうかが大事なのだ。

  副部長の複眼なら、適当に首を動かすだけで見えないものが転がり込んでくるのだろうが、四人には足を動かすことしか出来ることがない。

 

「でもどうしましょうか? 普通に探してたんじゃ見つかりそうも無いですよ」

「私のアイテムをお貸ししてもいいわよ」

「「それは要らない」」

「あら酷い」

「なら頑張るしかないですね。一体他にどんな部や人が来るのか分かりませんけど」

 

  杏の当然な疑問には既に副部長が答えている。

  数日前に副部長から渡された参加者一覧を一様渡されているのだが、書かれていた部の数は二百を超え、願子たちは全く覚える気にならなかった。

  書かれている名もほとんどの部がどこどこ高校のオカルト研究部といった具合で、不見倶楽部のように一目で分かる名前は非常に少ない。お陰でその少ない部の名前だけは覚えられた。

 

「えっと、五光同盟にカルト新聞部、後うちに似た名前で秘封倶楽部っていうのもあったっけ? どんな人たちなんだろうね」

「どうなんでしょう、副部長先輩みたいな人たちがたくさん来るのかもしれませんよ願子さん」

 

  副部長みたいな人がいっぱい?

  複眼を持つ何人もの人々が集まり願子たちを見つめる光景を一瞬思い浮かべたが、馬鹿らしいと願子は直ぐに首を振った。

 

「副部長みたいな人が何人もいたら日本は終わりね」

「あら、そうかしら友里さん。かなり面白いことになりそうだけど」

「それはない、あんなの一人で十分よ」

 

  空になったラムネの瓶をゴミ箱に突っ込んで、四人は再び足を動かす。うだうだ言っても意味が無い。一人一人が怪しいと思う場所へ足を向ける。

  部室とは違い、波打つ諏訪湖の小さな波音が涼しげな空気を巻き上げて、歩む足をなんとか止めずに動かせているが、困ったことに何を探せばいいのか四人にはさっぱりだ。折角神社に集まったのだからと賽銭(さいせん)を入れてみたりもしたようだが、その効果はまるで無いらしい。

  一口にオカルトと言ってもその種類は膨大な数に及ぶ。宇宙、深海、都市伝説、超能力、あらゆる分野に存在するオカルトをどれと決めずに探すのは無謀以外の何ものでもないと言える。

  副部長でさえその中に得意分野があり、全てを知っているわけではないのに、これといった分野を持っていない願子たちには酷と言えた。だが、それは塔子を除いた三人のことであり、それがオカルトを探す姿にはっきりとした違いを見せている。

 

「あらあら、次はどこかしら」

 

  塔子の探す姿は異様の一言に尽きた。時折落ちている棒を立てて倒す。花弁(はなびら)を毟り方向を決める。腰についた装飾を急に振り回す。職質されないのが不思議でならないが、時折見せる通行人の悲しい目から、病人だと思われているのかもしれない。

  占いだってオカルトの一部だ。占いマニアの力を十分に発揮して探す塔子が実は一番オカルト研究部としては正しい姿なのだが、その姿は真似したいものではないだろう。

  装飾塗れの少女が騒音を立てながら奇怪な行動を取っているとなれば、当然人目についてしまう。

  そんな新たに落ちている棒を拾う塔子の方へ向かって、遂に人影が一つ近付いていく。

  ジャラジャラ鳴る自分の装飾の音のせいで全くそれに気付いていない塔子は、肩を叩かれるまでその存在に気がつかなかった。

  軽く面倒くさそうな感じで肩を二回叩かれて、そうして振り向いた先にいた人物は塔子が初めて見る少女。

  その少女の容姿に塔子は目を()いた。

  ツーブロックに後ろで束ねられる黒髪、耳に付けられた大量のピアス。額や鼻にも小さな輪っかを付けている。それに合わせた切れ長の眉に猫のような目、端正な顔立ちの分、与えられる迫力はもの凄い。来ている服は、塔子の通う一葉高校のセーラー服では無く、真っ黒いセーラー服は諏訪あたりでは見られないものだ。靴は先の尖ったこれまた黒いヒールであり、そこから伸びる細い足は奇怪な模様の入った黒いタイツに包まれている。全身を真っ黒に染めている中で、唯一真っ赤な巻かれたスカーフが非常に浮いて見え、その鮮血に近い色から血が垂れているようにも見える。

 

「少しよろしいでしょうか?」

 

  しかし、そんなパンクな少女から出た第一声は非常に礼儀正しいものであり、身構えていた塔子は肩透かしを食らった気分だ。

  にっこり微笑む少女の顔は柔らかく、見た目と非常に合っていない。ピアスを外し普通にすれば清楚な美少女の誕生だろう。

 

「あら、何かしら」

 

  初対面の相手に引いたままでは失礼と、いつもの口調を挟んで普段通りを装う塔子。しかしそれも少女の次の一言でまた簡単に崩されてしまった。

 

「その制服一葉高校の制服ですよね、私一葉高校に用が有って来たんですけど場所が分からなくって案内して貰ってもいいでしょうか?」

「え? うちの学校に用なの?」

「ええ」

 

  少女は再度「ダメでしょうか?」と少し困ったような笑顔で聞いてくるが、ダメか? と言われればダメに決まっている。塔子は今オカルト探しで忙しいのだ。しかもそれは時間がない。今日も傾いていく太陽が、残る時間を減らしていく。

  きっと今日も成果の上がらない三人に変わって何かを持ち帰り存分に踏ん反り返りたい塔子にとってそれは手痛い時間ロスだ。

  断ろうかと口を開きかけていた塔子だったが、不意に持っていた棒が地面に落ち、少女の方へパタリと倒れた。

 

「もちろんいいわよ!」

 

  答えは出た。少女が答えだ。

 そうと決まれば塔子の行動は早く、 塔子は少女の手を引いて諏訪湖の湖畔を歩いていく。装飾の音は嬉しそうに跳ね、手を引く少女は少し迷惑そうに笑っている。

  見た目派手な二人が歩く姿はかなり目を引くものだが、その格好が方向性は違くとも、手を出したくない類のものは確かだ。目を反らす通行人は気に留めず、軽い談笑を交えながら歩く二人の足取りは軽い。

 

「貴方遠野から来たのね」

「電車を乗り継いで九時間も掛かってしまいました」

「それは大変だったわね、それでうちの学校になんの用なのかしら?」

「不見倶楽部ってご存知でしょうか、そこの副部長さんに用があるんです」

 

  不見倶楽部⁉︎ まさかその単語を見知らぬ他人の口から聞くとは思わなかった。ただ、少女の崩れない顔は言ったことが嘘ではないことを表している。それでも気になった塔子は「本当に?」 と、念を押して聞くが、少女から帰ってきたのは肯定の言葉。

  遠く離れた遠野の地でさえ名前が届いている驚きに塔子は固まってしまったが、身体を叩く装飾に直ぐに意識を取り戻すと、電光石火で聞き返す。

 

「副部長さんに用なの⁉︎」

「ええ、ちょっとした野暮用が」

 

  そう言う少女は少し目を伏せ、その表情を塔子は伺うことができない。それからまた少しなんでもない談笑をして学校に着いた時には日は傾き切り、夕日に染まる学校が二人を出迎えてくれた。大きく抉れたように無くなっていた二階から三階にかけての壁は大分直ってきていたが、大袈裟にかけられたシートは嫌でも目を引いてしまう。

 

「あれはなんでしょう?」

「あれは前に『こちやさなえ』っていうお化けと副部長が戦った跡よ、すごいでしょう」

 

  当然の疑問を口にする少女に答える塔子の言葉は嘘ではなく本当のこと。

  これは副部長の指示で、嘘みたいなことだから本当のことを言えば誰も信じないという方針から来ており、実際に何人も塔子たちはこの方法で話を終わらせている。

  しかし、少女からは「ふぅん……」といった声が出るだけで、それ以上の質問はやって来なかった。

  あら?おかしいわね、という違和感を塔子も覚えたものの、合ってまだ少ししか経っていない相手に邪推するのも悪いとそれ以上聞くことはせずに、学校の中へと少女を案内する。

  夏休みだというのに学校の中からは誰の声も聞こえず、塔子と少女の二人の足音だけしか聞こえない。一葉高校の運動部や文化部が弱いのはこういう部分から来ている気もするが、学校を不見倶楽部が独占しているような気分になり、塔子は悪い気はしなかった。

 

「貴方は長いんですか? 不見倶楽部に入って」

 

  学校に入ってからなぜか上履きに履き替えない少女の廊下に響くヒールの固い音に合わせて少女は少し早足気味になりながら塔子に語りかける。それほど副部長に早く会いたいのか、塔子もそれに押されるように歩く速度を僅かに上げた。なぜか注意しないあたり流石塔子だ。

 

「あら全然よ、半年も経っていないわ」

「そうなんですか、副部長はどんな人です?」

「うーんそうねぇ、私から見た副部長は面白い人かしら、なんだかんだ言って優しいし私たちのことよく見てくれてるわ。私ってこんな見た目でしょう? だから敬遠されがちなんだけど、副部長にそれはないの」

「へぇ……それで、副部長さんは強いんですか?」

 

  今までの質問と違いこの問いは少しばかり強い口調で少女から発せられた。ちらりと後ろを歩く少女に塔子は視線を向けるが、そこにあるのは特に変わらぬ少女の顔。

 

「強いわ、私が会った人の中で一番よ」

 

  少女は顔を俯かせ、塔子には見えないように深い笑みを浮かべる。

  強い。それはなによりだ。

  目に強い光を灯す少女の顔に違和感を持ちながらも先を行く塔子は気が付かない。その目に宿る輝きは、夕日よりもなお赤く、遂に視界の中に現れた不見倶楽部の部室へと繋がる扉を見つめる顔は醜悪な笑顔に染まっている。

 

「そう言えば名前をまだ聞いていなかったわね、教えて貰えるかしら?」

 

  扉に手を掛け、振り向く塔子に最高の笑顔を返し、少女は笑う。何も知らない無垢な塔子の顔を馬鹿にしたように自分の名前を口にする。その少女の口の動きに合わせて夜のべったりとした嫌な熱が塔子の肌を包んだ。少女の視線は開いていく部室の中へと動き、塔子から外されると、もう興味もないように塔子に戻されることは無かった。

 

「博麗……博麗伯奇(はくれいはくき)

 

  そして、部室の扉は開かれる。

 

 




第二章が始まりました。この章では、この世界での博麗の話を掘り下げたいと思います。原作キャラも少し出ると思いますので、お楽しみに。


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博麗が来た

  開け放たれた扉の先、不見倶楽部の部室の中には誰も居なかった。

  塔子たちがいつ来ても執務机に座っている副部長の姿は無く、開けられた窓と、風に揺れる蚊取り線香の煙が人がいた痕跡は残しているものの、副部長の気配さえ感じない。外で騒ぐ(ひぐらし)の鳴く声だけが二人の少女を出迎えた。

 

「あら? どこへ行ったのかしら?」

「居ないんでしょうか?」

「うーん、そうみたいね」

「…………ハァ? ふざけんじゃねぇ」

「え?」

 

  急に口調の変わった伯奇の方へ振り向いた塔子の視界が光に染まり、強烈な衝撃と共に次の瞬間には本棚に突っ込む。装飾と破けた本の破片が宙を舞い、血を撒き散らして力無く塔子は床に叩きつけられる。伯奇はそれを心底つまらなそうに見ていた。

 

「おーい、生きてるかぁ? まあどっちでもいいけど、手からすこーしばかり霊力を放ってやればこの通り、脆いんだよ一般人」

 

  ぐったりと動かない塔子の身体を足蹴にすれば、小さな呻き声を零す。そんな塔子などどうだっていいというように、視線を外すと、伯奇は乱暴に部室の中を物色し始めた。

  別に奪いたいものがあってやっているわけではない。ただ、なんとなく面白いものが見つかるかな? くらいの軽い気持ちだ。そんな伯奇の行動は(むし)ろ余計に立ちが悪いと言える。

  箪笥(タンス)をひっくり返し、執務机を蹴り飛ばす。舞い落ちる書類を時折手に取って眺めるが、目に入るのは全日本オカルト連盟総会のお知らせという伯奇に取って心底どうでもいいものばかり。面白みもないというように伯奇の手が何度か光、それに合わせてまた書類が宙を舞い窓が割れる。

 

「荒れているわね、伯奇」

 

  夜盗紛いの行為をする伯奇に苦言を言う者は、この場では倒れる塔子しかいないはずだが、意識の戻らぬ塔子に何か言える元気はない。しかし、その言葉は確かに部室にいる伯奇の耳に届いていた。伯奇は何処へ目をやるわけでもなく、また一つ執務机を吹き飛ばす。

 

五月蝿(うるさ)い」

「諏訪で起きていた異変はいつも通りあの男が解決しましたわ、貴女がいちいちここに来なくても」

「五月蝿いって!」

 

  投げられたランプはただ一枚嵌められたステンドグラスへと飛んでいくが、何者かに掴まれたようにそれは空中で静止した。

  差す陽がステンドグラスを通り、数多の色彩が彩る中に一本の線が通る。世界を割るように走る線が何処までも広がらぬように両端をリボンで括り付け、世界を押し広げて穴が開く。

  穴の奥では無数の瞳が怪しい光を持って輝き、その目に見守られるように一人の少女が浮かび上がってきた。

  長い金髪の毛先を幾つかのリボンが結び、金色の瞳がじっとりと伯奇を見据えている。時代錯誤のフリルのついた紫色のドレスに身を包み、白い手袋に覆われた手に持つ扇子で口元を隠す姿は怪しい占い師のようだ。怖いくらいの美貌(びぼう)は世界がずれたような空気を纏い、人の姿をしているはずなのに確信を持って人でないと言える。

  そんな少女はつまらなそうに扇子を閉じると、手を一振りしただけで荒れに荒れていた部室が、何も無かったように元に戻った。その常軌を逸した光景に伯奇は驚くこともなく忌々しげにもう一度執務机を蹴飛ばした。

 

「なんだよ紫、こんなとこに来るなんてさぁ、霊夢の奴はいいのか?」

「あの子は私が居なくても問題ないわ。やる時はやる子だもの」

「へーへー、さすがあんたのお気に入りだね」

不貞腐(ふてくさ)れるのは止めなさいな。霊夢は貴女の従姉妹でしょう、仮にも貴女はお姉さんなんだからもう少し心配してあげてもバチは当たりませんわ」

 

  倒れる塔子に八雲紫(やくもゆかり)が手をかざせば、重力が消えたように浮き上がり、ゆっくりとソファーに寝かされる。その身体には本棚に叩きつけられた時に出来た裂傷は既に無く、気持ち良さそうに寝息を立て始めていた。

  対照的に伯奇は忌々しげに顔を歪めると、紫に対して光を放つ、しかし、片手間に振られる紫の手に霞のように簡単にそれは掻き消されてしまう。それを見て伯奇は一つ大きな舌打ちをして生活感のないもう一つの執務机の上に乱暴に座る。

 

「で? 本当なのかよ、この不見倶楽部とかいう訳の分からない部活の副部長が異変を解決したってのはさ」

「本当ですわ、別に私が頼んだ訳でもないけれど、確かにあの男が異変を解決したわ。霊力も無い、魔力も無い、ただの一般人よりも素質では劣るあの男がね」

 

  紫の言葉に伯奇は強く歯を食い縛る。

  気に入らない。

  ただの一般人が調子に乗って幻想に手を出すのが何より気に入らない。

  そんな伯奇の思考など手に取るように分かるというように紫は僅かに目を細めた。

 

「あの男は使えるわ、彼は幻想郷の外にいる人間の中でその思考も能力も有用よ。上手く使えば貴女の仕事も」

「そんなのどうだっていいんだよ、あの男のことはあんたからもう聞いてる。だからこそ気に入らないんだよ。大丈夫だって、ちょっと試すだけさ」

「貴女が試さなくてもあの男の能力に間違いはないわ、この諏訪を取り巻く異変はなるべくしてなったもの。それは私にも止めることは出来ないわ、それをやってしまうと世界の均衡が崩れてしまう」

「おいおいなんだよ、随分そいつを買ってるなあ、あんたの言うただの人間より劣るその男」

「あの男は試金石よ、今ではなく未来の幻想郷のために必ず役に立つ」

 

  ここまで人間を評価する紫に伯奇はさらに顔を歪める。その顔が伯奇の前で博麗霊夢(はくれいれいむ)程では無くとも、霧雨魔理沙(きりさめまりさ)十六夜咲夜(いざよいさくや)を褒めた時のものと同じなのが気に入らない。

 

「それにあの男を買っているというのならそれは私よりも洩矢諏訪子(もりやすわこ)八坂神奈子(やさかかなこ)の二人の方ね。あの二人、不見倶楽部の副部長さえ一緒に幻想郷に来ていたら自分たちの異変は成功していたと吹いていたわ」

「は! 神に好かれた男ってか? そりゃ大層な男だな」

 

  伯奇の意見には紫も賛成だ。洩矢諏訪子と八坂神奈子、幻想郷の中でも力の強い二柱の神が、東風谷早苗以外の人間をあれだけ褒めたものだから、さすがの紫も普段隠している表情に出てしまうほど驚いた。

  それから副部長のことを探るのは非常に簡単だったと言えた。諏訪子と神奈子の二人が口を開かなくても、東風谷早苗が勝手にベラベラ喋るものだから、知らなくていい情報まで知ってしまったほどだ。

 

「でもあまり彼を見縊(みくび)ってはダメよ。彼は東風谷早苗、洩矢諏訪子、八坂神奈子の三人を幻想郷へ送った男なのだから」

「あっそー、それは余計に気に入らねえな」

 

  そう言って伯奇は元に戻った執務机に立てられた写真立てを吹き飛ばし部室を後にする。

 

「貴女ではダメなのよ。『沈む程度の能力』の貴女では」

 

  目を閉じて諦めたように溜息を吐く紫が扇子を広げれば、紫がここにいた痕跡(こんせき)は綺麗さっぱり消え去って、部室に残されるのは、夢の世界へ旅立った塔子と壊れた写真立てだけだった。

 

 

 

 

 

 

  部室に帰った願子たちは部室の光景に大きく溜息を吐く。

  もう総会まで時間が無いというのに、準備を済ませた副部長を除き四人しかいない不見倶楽部の部員の一人が盛大に部室で(いびき)をかいているのだから当然だろう。

  蜩たちの大合唱の中、嬉しそうに腹を出してソファーの上に寝転がる塔子を起こそうと、床に垂れる装飾の一本を掴み願子は力強く振るった。

 

「塔子起きなさい! と、う、こ‼︎」

「うぇ?」

 

  ぶん回される装飾に引っ張られて意識を覚醒させる塔子の間抜けな一言に再び三人は頭を押さえ、塔子が身体を起こすのを見届けるとソファーに座り込んだ。

 

「あんた何寝てんのよ、いいものでも見つけたの?」

「……あら?」

「大丈夫ですか塔子さん、何かあったんですか?」

 

  詰め寄る三人になんとか言葉を返そうと塔子は頭を捻るが、何も口から出て来ない。喉元まで確かに何かが上がって来ているのだが、ふわふわと確証の無い記憶から形を得たものが何もない。覚えているのは急に光が自分を包んだ光景だけだ。なぜそうなったのか、なぜ部室にいるのか(おぼろ)げにしか思い出せなかった。

 

「確か誰かと部室に来たのだけれど……」

「誰かって……副部長先輩?」

「そうじゃ無くて……」

「じゃあ生徒会長とか? 副会長かな?」

「そうでもなくて……」

「ならいったい誰なの? あんた寝すぎておかしくなってんじゃないの?」

 

  必死に考える塔子は本気で思い出そうとしているのだが、全く思い出せない。そんな塔子に呆れて視線を散らす三人の中で、願子の目に部室の中の唯一の違和感が目に付いた。

  いつも綺麗にされている部室の中で、最も手入れされている写真立てが硝子を撒き散らし床に転がっている。

  それは副部長が最も大切にしているものだ。部長と副部長が二人で写っている写真。それが分かっているから、願子たち四人の中でそれを粗末に扱う者はいない。この部室を訪れる数少ない者である生徒会長と副部長も雑に扱うことは絶対しない。それが乱暴に床に転がっている事実が願子の思考に影を落とす。

 

  何故?

 

  願子の疑問を尻目に、何処からともなく伸ばされる手が写真立てを拾い上げた。その手はゆっくりとした動作で、腕一本からも哀愁が漂っている。

  音も無く部室に戻ってきた副部長は、壊れた写真立てを悲しい目で見つめると、散らばった硝子の破片には目もくれず変わらずに執務机の上に戻す。写真立ての中の思い出は、ところどころ穴が開き焼き焦げており、部長と副部長の姿はそこにはもう無かった。

 

「あの、副部長?」

 

  いつもなら呼び掛ければなんらかの反応を示す副部長も、願子の言葉が聞こえていないのか呆然と焼け焦げた写真だけを見続け突っ立っている。その姿は年頃の男子高校生のものであり、なんら変わりない普通の人間だということを願子に教えてくれていた。

  副部長の異変に気付いたのか、願子だけでなく友里たち三人の意識も副部長へと向いていくが、そんな中で副部長は周りなど気にしていないように(おもむ)ろに自分の目へと手を伸ばすと、隠された蟲の目が姿を見せた。

  綺麗な蟲の目は、その輝きの中に僅かな怒りの色を忍ばせて、無数の瞳がただ一つの写真を見ている。

 

「……霊力の残光が見える」

 

  零された副部長の言葉は願子たちに確かに届いたが、意味が分からず何も言えない。そんな願子たちに向き直ると、部室で寝ていた塔子に詰め寄り強引に肩を掴んだ。込められた力は強く、塔子の顔が痛みに歪む。

 

「塔子、お前からも霊力……それにこれは妖力だな。見えるぞ俺には、何があった」

 

  向けられる言葉は『こちやさなえ』を前にした時のような威圧を含んだものであり、目の前に広がる二つの蟲の目の迫力と相まって塔子は何も言えず震えるばかり。その様子に見兼ねて友里が慌てて副部長の腕を掴む。

 

「副部長止めて! 塔子痛がってる!」

 

  友里の叫びで僅かに正気が戻ったのか、「すまない」と力無く腕を離し副部長もまたソファーに座り込んだ。落ち込む副部長の姿は非常に珍しいものであるが、できればこんな形で見たくは無かったと四人は思う。

  それでも副部長の脳は回転を止めてはいないようであり、蜩の声に混じるようにポツポツと話し始めた。

 

「不見倶楽部の部室には敵意ある部外者が入れないような呪術式を組んである。一種の結界だ。吸血鬼が招かれなければ家に入れないのと同じようなな。つまりそいつは小上さんが連れてきた、これは間違いない。小上さんと写真立て、それだけじゃあなく至る所に見える霊力の残光がそれを証明している」

 

  また一つ明かされる不見倶楽部の秘密に驚いている暇はない。三人は塔子の方へ振り向くが、当の塔子は何がなんだか分からないといった風にキョロキョロ辺りを見回すだけだ。

 

「思い出せないなら別にいい。手はあるさ」

 

  そう言って副部長は執務机の棚を開け、一枚の用紙をソファーテーブルへと放り投げる。

  書かれているのは全日本オカルト連盟総会とは全くの別物。

  はい、いいえ、その間にある鳥居、男、女、数字、あから始まる五十音表、それは紛れもなく二十世紀に流行した最もお手軽な降霊術。

 

「小上さんはよく知っているだろう?」

狐狗狸(こっくり)さんね!」

 

  狐狗狸さん。

  日本で1970年代に大流行したテーブル•ターニングを起源にした占いの一種。霊を降ろし、机に乗せた指が勝手に動く最も知名度の高いオカルトの一つだ。

  塔子の答えに副部長は、そうだと頷き、一枚の五円硬貨を用紙の隣に静かに置いた。

 

「五円は御縁があるように、俺たちの人数も丁度五人、これが丁度いいさ。部室にいる他の奴に聞くとしよう」

 

  五円硬貨を紙の上に置き直し、人差し指をその上に乗せる。さあ早くというように副部長は怪しく光る複眼で四人に促すと、塔子は勢いよく、残りの三人は渋々五円硬貨に指を乗せる。

 

「さあこれから言うことは分かっているな?」

「あらもちろんよ!」

 

  声を上げる塔子とは違い、残りの三人はゆっくり頷く。そうして五人は声を揃えて決まった文言を口にする。

 

『こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。おいでになられましたらはいへお進みください』

 

  そうして、

  ゆっくりと、

  五円硬貨は動き出す。

 

  『はい』

 

  「「「「動いた!」」」」

 

  中学の頃に願子も狐狗狸さんは当然試したことはあるが、その時はピクリとも動かなかった。それが今は当たり前のように簡単に動いてしまった。

  ただ眺めているだけで、全く力を入れていないのに指を立てた五円硬貨は紙の上を滑っていく。

 

「さあ始めようか、こっくりさん、こっくりさん、我が部室に来た不届き者の名をお教えください」

 

  副部長の言葉を受けて、五円硬貨は滑っていく。その動きには迷い無く、示す文字は、

 

  『は』

  『く』

  『れ』

  『い』

  『は』

 

  しかし、そこまで行って怯えたように五円硬貨は震え出し、動かなくなってしまった。不安になって副部長の方を見る願子たちだったが、副部長は何かを考えるように顔をしかめているだけで、何の行動も起こさない。

 

「副部長?」

 

  呼びかけにやっと戻ってきた副部長は、もういいだろうと言って鳥居まで戻るようにお願いするが、五円硬貨は動かない。焦り始める四人だったが、虚空に拳を突き出す副部長に続いて壁に謎の凹みを残すと、副部長はさっさと手を離しソファーに埋もれるように身体を預ける。

 

「博麗かぁ……」

「そうだわ! 博麗よ! 博麗伯奇って名乗ってた」

「誰よそれ、何でそんなの連れて来たの?」

「仕様がないでしょう願子さん、初対面の相手に不見倶楽部の副部長に用があるなんて言われたら」

 

  肩を竦める塔子に願子は呆れるが、ソファーに沈む副部長は何も言わず「博麗かぁ……」としか呟かない。

 

「副部長先輩、博麗っていったい何なんですか?」

「博麗は幻想郷で最も重要な役職に着く一族とでも言おうかなー、遠野物語を読んだことはあるか? 遠野では昔から妖怪との親交があってな、その中で最も繋がりが強かった人間たちのことを博麗と呼んだ。その中でも特に力が強く、人と妖怪の調和を司る者を博麗の巫女と呼ぶ。それは今でも続いているとかいないとか」

 

  怠そうに言う副部長は、目頭を押さえ本当に参っているように見える。

 

「その博麗さんが副部長先輩に何の用だったんでしょう?」

「そんなの俺の知ったことじゃあないが、部室に散ってる霊力から言って碌なことじゃあないな」

 

  それに、と一言挟むと副部長はより一層険しい表情を見せる。光る複眼はその輝きを深く落とすが、目に宿る輝きの質はむしろ増す。

 

「残る妖力の方が問題だ。完璧に消せた筈なのにワザと残していったに違いない」

 

  誰なのか? といった疑問は誰も口にすることは出来なかった。忌々しげな顔をする副部長がそれを許してはくれないからだ。周りの反応など気にせずに身体を起こすと、一人の名前を口にする。それは博麗では無く、

 

「八雲紫だ、間違いない。一度この妖力の形は見た。あの性悪妖怪が来やがった」

 

  八雲紫、その名前は願子たち四人は当然知らないものだ。しかし、博麗の時よりも顔を(しか)める副部長の様子から言って面倒な相手に決まっている。

  副部長はそう言うと、執務机の書類の束からまた一枚の用紙を願子たちの方へ差し出すと「読んでおくといい」と言って出て行ってしまった。

  渡された用紙は今までのものと異なり質のいい紙で、不見倶楽部の印が押されこう書かれていた。

 

不見倶楽部レポート 百十八番 『博麗』




八雲紫が出るだけで、東方って感じがするから不思議。流石幻想郷の管理人。


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夏の花火は五〇号玉

  不見倶楽部レポート 百十八番 『博麗』

 

 ----博麗。

 

  その名が遠野で呼ばれ始めた時期は定かではない。

  その名が初めて出たのは、遠野物語の中である。

  遠野物語とは、日本民俗学の開拓者と呼ばれた一人の男が岩手県遠野地方の逸話、伝承を纏めた説話書だ。

  明治四十三年に発表されてから、今なお読んでおらずとも聞いたことがある者は多いだろう書物。しかし、博麗のことについて書かれた項が世に出回ることはなかった。

  印刷ミス、政府の圧力、それとも全く別の何か。

  憶測は幾らでも浮かんでくるが、答えを知ることは出来ない。例え知ることが出来たとしても碌なものではないだろう。

  それでも博麗という名さえ知っていれば、知ることのできる情報は無数にある。このレポートには、俺が知りえる博麗についての情報を纏めたいと思う。

  博麗とは、遠野で古くから妖怪と親交を持つ者たちの総称だ。これは古くから続く旧家の書物でも漁れば容易に知ることができる。

  人が忌避し、恐れるだけのものの隣に立ち、普通のどこにでもある村々と同じように生活を送る。

  その姿は一般の人の中でしか生きてこなかった者たちから見れば妖怪の傍に立つ人など妖怪と大差ない。

  だからこそ人でない人を自分たちと分けるために『ハクレイ』という名が呼ばれ始めた。

  漢字にするなら『博零』が正しい。

  物事を広く多く知るという意味を持つ『博』という字。しかし、人の世を見ていないということから『零』がつき『博零』。

  周りの人間がそう呼び始めてから『博零』は徐々に広まった。まだ日本が閉鎖的な時代であるがため、それは遠野地方全体でしかなかったが、その時代の規模で考えれば相当大きい。

  人が『博零』と妖怪を避けていた時代は長く続いた。だが時代が移っていく中で、妖怪の中から神にも等しい力を持った者が現れる。

  それはより恐ろしい存在だったが、雄々しく、美しく、目が離せない魅力があった。周りの『博零』以外の人間たちはそのものが持つ豊かな力に惹かれ始め、少しづつ祈り始める者たちが現れた。

  しかし、今まで君悪がり自分たちを(ないがし)ろにしていた人間に神でもない妖怪が手を貸すはずがない。そんな中で人間たちに手を差し出したのが『博零』だった。

  それからだ。『博零』が『博麗』と呼ばれるようになったのは。

  唯一妖怪のことを良く知り、どんな異形を前にしても凛々しく対等に語り合う姿は美しい。

  だからこその『麗』の文字。

  『博零』は『博麗』になり、今まで見下されていた存在が、(あが)(たてまつ)られる存在となってそのあり方を確固たるものとして確立した。

  しかし、それだけではダメだったのだ。

  妖怪と人を繋ぐ『博麗』はその勢力を強めたが、増える人間と妖怪を繋ぐのにはただの郡集団である『博麗』では限界があった。

  そのために必要になったのは圧倒的な取りまとめ役。即ちそれが『博麗の巫女』、幻想と現実を繋ぐ最強の存在。

  そんな博麗の巫女は血筋で決まるのではない。

  長らく妖怪と関わったことで培った『博麗』独自の技術。それを最も上手く扱える者、そして誰もが憧れを抱く者が『博麗の巫女』として選ばれる。

  人の身でありながら、妖怪すら手が届かない存在。

  その力は圧倒的であり、『博麗の巫女』のおかげで遠野地方の平穏は長らく保たれた。

  だが発達する人の技術と比例するように幻想は忘れられていく。それは妖怪も、それに近い『博麗』も例外ではない。

  人は得た技術を試すためにより強い妖怪を相手にし、『博麗の巫女』に(すが)ることもなく、幻想が消える速度は加速度的に上がっていった。

  消えていく幻想は見る機会さえ減り日本各地で忘れ去られ、遂に無かったことにされるまでに落ちぶれて行く。

  そうして幻想が消えていく中でそれを守らんと立ち上がったのが八雲紫という妖怪だ。

  八雲紫はこの世の全ての境界、あらゆるものの線引きを操ることができると言われている。

  そんな八雲紫が取った手とは、幻と実体を分ける線を引き、幻想が生きることのできる隔離された世界を作るというもの。

  それこそが後に『幻想郷』と呼ばれる土地になる。

  とは言えそう簡単に『幻想郷』が出来た訳ではなく、完成するまでには多くの問題があった。

  大きくは二つ。まず場所、人と妖を組み込むに当たって文明が大いに発達していっている都会では絶対に不可能、それでいてある程度不便なく生活できる場でなければならない。

  次に必要だったのは取りまとめ役だ。ただ人と妖怪を隔離しただけでは起こるのは生存を賭けた戦争。八雲紫は強大な妖怪だったが、だからこそ人々妖怪に関わらず恐れられ、その事態は避けられたろうが適任であるとは決して言えなかった。力だけの支配では長く持たないということは八雲紫が誰より知っていたということもある。

  その二つの条件に当てはまる唯一の土地が遠野だったのだ。『博麗の巫女』といううってつけな存在がそもそも存在し、人と妖怪の間で古くから親交があり、いざ妖怪が暴れたとしても『博麗の巫女』以外にも妖怪との戦いに精通した者が多い。

  そして八雲紫は遠野地方の奥深くに結界を張り、念願の『幻想郷』を作り出した。

  八雲紫の提案で、『博麗』を多く引き込みすぎるのは良くないとし、『博麗』からは『博麗の巫女』だけが幻想郷に移り、妖怪との調和を保つこととなった。

  『博麗の巫女』だけを幻想郷に引き込んだ理由としては、『博麗』自体が強すぎたこと以外に、張った結界を外から守る者が必要だったからだ。

  人と妖怪の数はその当時、幻想郷よりも外の世界の方がまだ多く、ようやく作った八雲紫の理想郷を良くないことに利用しようとする者たちから結界を守る多くの者が必要だったために、その大部分を『博麗』が担うことになったという経緯がある。

  人であるために寿命を迎える、なんらかの原因で死んでしまったなどの時には、外に残った『博麗』から新たな巫女が選ばれ、晴れて『博麗の巫女』となる訳である。

  例え『博麗の巫女』に選ばれなかったとしても『博麗』の力は相当に強い。もし遠野地方に出向くことがあるのなら、『博麗』という文字は出来れば避けたほうがいいだろう。

 

  ----以上。

 

 

 

  読み終えた紙から顔を上げ四人は顔を合わせた。

  書かれた内容は詳しく綿密であり、もう副部長のやることにいちいち驚いていられない。

  つまり不見倶楽部レポートに書かれた博麗がやって来た。副部長はそう言っている。

  書かれている内容を信じるならば、不見倶楽部部長である東風谷早苗が行ったとされる幻想郷にいるであろう最強の『博麗の巫女』ではなかったとしても、来たのは博麗、その強さを計り知ることは出来ない。

  博麗伯奇、その博麗が副部長になんの理由があってか会いに来た。

  それは何故?

  ただ前回の異変の時と違い四人に分かることは、

 

「副部長やばいんじゃないの?」

 

  友里から出た言葉は今ここにいる四人の総意だ。

  副部長が書いたレポートにも書いてある。博麗の文字は避けたほうがいい。他でもない副部長がこう書いているのだ。つまり四人が最強だと思っている副部長をもってして相見(あいまみ)えないほうがいい相手。

  これが本当ならば四人にはまず手に負えない。

 

「塔子、博麗ってどんなのだったのよ」

「容姿は覚えてるわ願子さん。特徴的だったから。でも伯奇さんが何をやったのかはあんまり覚えていないの、ただ言えるのは気がついたら私は気絶してたってことだけよ」

 

  申し訳なさそうに答える塔子の精神力は決して弱いとは言えない。

  見えない『こちやさなえ』を前にして、願子を身を挺して守ったことからもそれが窺える。

  それだけでなく願子同様に幻想に対して貪欲だ。占いマニアと呼ばれるだけの知識欲を(たずさ)えている。その塔子が何もできず、見ることさえできずに気絶させられたとなると、副部長のレポート通り戦闘の素人ではないということが分かるだろう。

 

「でも博麗さんという人は副部長先輩にいったいなんの用があったんでしょうか?」

 

  それが四人には一番分からない。

  人と妖怪の調和を保つのが『博麗』だというのなら、それを正すためにわざわざ諏訪まで来たということになる。

  しかし、副部長がそのバランスを乱したとは四人には到底思えなかった。それどころか四人の知る副部長は、レポートに書かれた『博麗』同様に妖怪の知り合いがいるくらいだ。

  唯一四人が知っているそれとは真逆の行為は、諏訪に流れた祟りを潰していたということ。その行為が乱したと言われれば、四人はすぐに否と答えるだろう。

  祟りから願子を、四人を助けてくれた副部長の行いが間違っているなどと四人は言って欲しくはない。

  だが、なんにせよ事実として博麗はやって来てしまっている。その事実を(くつがえ)すことは出来ない。

 

「副部長とただ戦いに来たとか?」

「どこのバトル漫画よいったい」

「でも友里、戦いに来た以外に考えられないでしょ?」

 

  でなければ副部長の写真を吹き飛ばしたりしない。それが理由だ。

  不見倶楽部に生徒会は絶対に手を出さない写真。副部長の言葉からそれをやったのが博麗伯奇であることに間違いない。

  伯奇がそれを知っていたのかどうかは定かではないが、副部長に対する宣戦布告として、これほど効果がある行為はないはずだ。そうでないならただの自殺志願者でしかない。

  事実副部長は今まで見せない激情を願子たち四人の前で見せた。いつも苗字にさん付けで呼ぶ副部長が名前を呼び捨てにするほどに。

  副部長がそれほどまで余裕が無かったのは、願子たちが見た中では『こちやさなえ』と対峙した時のみ、それを考えれば、また同じ死闘が繰り広げられるかもしれないという考えが浮かぶのは自然と言えた。

 

「副部長先輩やる気なんでしょうか?」

「十中八九そうだよ、あの副部長があんなに怒ったのなんて私初めて見たもん」

「博麗はまだいいとして八雲紫って方はどうなの、妖怪なんでしょ? それも副部長が相手するの?」

 

  八雲紫、幻想郷を作った妖怪。

  それが本当ならば、副部長よりも、部長よりも、博麗よりも上の存在である。

  しかも、八雲紫だけでなく博麗がセットで来ているのであれば、いくら副部長でもただでは済まないであろう。

  何より副部長があれほど顔を(しか)めたのだ。それが他でもない不安となって四人に押し寄せる。

 

「副部長勝てるかな?」

「どうかしら、いくら副部長でも」

 

  たった数時間前までオカルト総会に浮かれていた願子たちにもうそのことを考える余裕はない。四人にとって最も考えたくない問題が目の前にあるからだ。

  副部長が負ける。するとどうなる?

  それが四人には分からない。

  四人が不見倶楽部に立っているのは副部長がいたからだ。

  『こちやさなえ』相手で勝ったとはいえ一週間以上包帯を巻いた痛々しい状態だったのに、負けたとなれば死んだとしてもおかしくないだろう。

  副部長がもし今居なくなってしまうなど、そんなことを四人は許せるはずがない。

  副部長が負ける姿を想像するのも四人には難しいが、今回はそれがあり得てしまう。

 

「私たちにできることってないかな?」

 

  願子の口から出る言葉に、返される言葉はない。

  願子は命を副部長に助けて貰った。

  その恩を返せるチャンスなどそうそうあるものではない。だが、今がその時だ。

  もう脅威だと分かっている者が目と鼻の先に来ている。手を伸ばそうと思えば、届かなかろうと伸ばす先が分かっている。

 

「あればいいけど、私たちにできることってなんなのかしら」

「確かに。あたしたちは副部長のように戦えない。(むし)ろ足手纏いになる可能性が高いし」

「でも副部長先輩の力になりたいです」

 

  どうする?

  堂々巡りの思考の中で、残念ながら四人に考える時間は無い。

  それは目も眩むほどの光が部室を包んだから。

  痛みは無い。不自由も無い。

  ただ眩しい光が部室に差し込んでいる。

  四人が光を追って部室の窓に急いで貼り付けば、遠く諏訪湖の上で七色の光が渦巻いていた。

  それは夏の夜空を彩る大きな花火より遥かに大きく、それでいて眩しい。数多の光は星々の輝きすら塗りつぶし諏訪湖を照らし、霊力の塊が何も無いように見える空間から溢れシャボン玉のようにゆっくりと地面に沈んでいく。

  その光は祟りとは真逆の性質のはずなのに、酷く願子たちの心を不安にさせる光景だ。ピリピリとしたよく分からない力によって、肌の産毛が逆立っていく。

 

「ちょっと待って!」

 

  背筋に流れる痺れを振り払うように願子が急いで懐から取り出すのは虹色に輝くレンズを持った眼鏡。

  それは何を隠そう数ヶ月前に副部長から直々に貰った色眼鏡と呼ばれるものだ。

  副部長曰く感情によって見たいものが見える眼鏡。

  願子が躊躇なく全く似合っていない色眼鏡を掛ければ、ふわふわとした感覚が頭を巡る。

 

  集中、集中して。

 

  そのふわふわした形の無いものを、絞るように一つのものへと向けていく。

  見たいのは、霊力の花火の中心地。

  赤、青、黄、数多の色が視界の中で重なっていくごとに、願子の意識が飛び出したかのように先へ先へと伸びていく。

  視界は飛び立ち、霊力の飛沫を通り過ぎ、辿り着いた場に見えるのは闇に溶けるセーラー服と深紅のスカーフ。(なび)く髪に光るピアス。

 

  見えた。

 

「塔子! あの空飛んでる真っ黒いセーラー服着てるのが博麗伯奇でいいんだよね!」

「嘘、見えるの願子さん。いったいどれだけ離れてると」

「いいから早く!」

 

  しかし、塔子が答えるよりも早く知りたい答えは飛んで来た。目視できるほどに巨大な光の(うね)りを縫って、光りの塊を踏み締め深緑の二つの目が宙を跳ぶ。

  数多の色彩が乱れる中でも、副部長の目は衰えることを知らず、寧ろその輝きは強さを増して博麗の少女の姿を捉えていた。

  相変わらず人の領域をやすやす超えていく副部長の姿にホッと息を吐く願子であったが、今回ばかりは相手が悪いと言わざるおえない。

  伯奇は自由自在に空を飛び、その手に握られた格好とはアンバランスなお祓い棒から光りの塊を無数に放つ。

  対する副部長は飛んでいるのでは無く跳んでいる。足の出す位置は、伯奇の放つ弾幕の上。自由に動ける者と動けない者、副部長の動きは素晴らしいが、空を舞う伯奇に決して届かない。

  それが分かっているかのように、上へ上へ飛ぶ伯奇の弾幕は確実に副部長に擦り始め、赤い飛沫が僅かに空を彩り始めている。

  副部長が危険だ。

  それは見えている願子が四人の中では誰より分かっている。それが分かっている願子が次に取った行動は副部長を助けに行くというものではなく、もう一つの脅威をを見ること。

  いくら危険でも副部長が簡単にやられるとは願子には思えない。ならば今一番起こって欲しく無いことは、副部長すら顔を顰める八雲紫が二人の戦闘に関与すること。

 

「……ダメ」

 

  しかし、それには一つ問題があった。

  願子は八雲紫の姿を知らない。

  伯奇の姿が見えたのは偶然の産物だ。

  霊力の中心地を見ようとした結果伯奇を見つけただけに過ぎない。

  いくら感情で見たいものが見えるとして、形の分からないものを見るのでは感情を形にするのに手間取ってしまう。

 

「ちょっと願子、あんた見えてるの?」

「うん……この眼鏡は副部長に貰った感情によって見たいものが見える眼鏡。博麗って人は見えてる、副部長と戦ってる。副部長キツそうだけどまだ大丈夫みたい。今は八雲紫を見ようとしてるんだけどダメ、八雲紫の姿が分からないから見辛いの」

 

  願子は拳を強く握り口を歪めた。

  副部長のおかげで今自分は今までの自分では出来ないことが出来ている。

  幻想を見るだけではなく、幻想を手にさえ握っている。

  だというのに少しですら副部長の力になれない。

 

  悔しい。

 

  副部長は自分のために力を貸してくれるのに、自分は貸せるものが何も無い。

  今副部長と願子の立ち位置が違ったのなら、副部長は部室を飛び出してすぐに願子の元に駆けつけるだろう。

  願子にはそれが出来ない。

  願子にそんな力は無い。

  悔しさに震える願子の意識を戻したのは背中に叩かれた一発の張り手。

  小さな手だった。

  小さな手だったが、その力強さは願子を戻すのに十分な一発。

 

「願子さんしっかりしてください!」

 

  杏の瞳はブレておらず、しっかりと願子を見据えている。その杏の強い芯が願子のブレを支えるように小さな手が願子の肩に添えられた。

 

「私たちは不見倶楽部でしょう! 見えないものを見る部の一員なんですよ! 例え形が分からなくても見ちゃえばいいんです!」

  「……そうだね……そうだよね!」

 

  集中、集中して。

 

  杏の心を受け取って、今一度願子は感情を束ねていく。

  見たいのは八雲紫。

  注ぐ感情は副部長のため、願子と杏の二人分だ。

  例え何も出来なくても、見えるのと見えないのでは雲泥の差がある。

  だから見なくてはならない。

  色眼鏡は願子の感情を汲み取って、見えないものに照準を合わせる。しかし、やはり無理があるのか、熱を持つ色眼鏡が願子の顳顬(こめかみ)を焼いた。その痛みを振り払って感情を注ぎ続ければ、四方八方に散っていた視界が一つに纏まり願子の視界を明瞭にする。

  空に浮かぶ月の(かたわら)に、日傘をさした少女が見える。だが、見えているはずなのに、そこにいないかのような朧げな少女は異様と言えた。

 

「……嘘」

 

  そして願子に見えたものは願子の想像を超えていた。

  少女の周りに月以外何も見えないことから八雲紫という少女もまた空に浮かんでいるのだろうことが分かる。その少女がどれだけ願子たちから離れているのか願子には想像も出来ないが、願子が少女を捉えた瞬間、その少女の光る黄金の瞳は可笑しそうに細められ、確かに少女を見ているはずの願子の方へ向いていた。

 

「どうですか願子さん?」

「見えた」

「あら凄いじゃない!」

「見えたけど、私が見たと同時にあっちも私を見てきた」

「「「は?」」」

 

  三人の間抜けな声が部室に響いたが、それに言葉を返すことは願子には出来ず、三人が続いて何か言うことも無かった。

  願子の視界に変化があった。少女の姿は見えている。変わらず見えているはずなのに、周りの風景が変わっていく。

  豪華な箪笥、凝った本棚、敷かれた赤い絨毯、古びた柱時計、重厚な執務机、呆気に取られている友里と杏と塔子の姿。

 

「面白いですわね。流石東風谷早苗とあの男の後輩と言っておきましょうか、特別なものを使ったとはいえまさかただの人間に見つかるとは思いませんでしたわ。一応簡易な結界を引いていたのだけれど、その眼鏡と貴女の相性はいいようね」

 

  いつ。何をして。分からない。分からないが、これだけは四人に分かる。八雲紫がいつの間にか部室にいる。

  凄い威圧感が部室に渦巻いた。別に八雲紫が何かしたわけではない。ただ居るだけ、それだけで目に見えない重圧が四人にはのし掛かり、息をするのも苦しくなる。少しでも気を抜けば意識を手放してしまいそうだ。

  日傘はいつの間にか消え去り、扇子で口元を隠す上品そうな出立ちだが、八雲紫に四人が感じるのは掴み所のない恐怖。

 

「あの男、確か副部長と呼ばれていたかしら。こんな可愛い子たちに囲まれて幸せね、それでその眼鏡はいったいどうしたのかしら?」

 

  過呼吸を起こしかけている四人のことなど知ったことではないと、八雲紫は散歩ついでに会った知り合いとちょっとした会話をしているかのように口を開く。

  その目は喜劇を眺める観客のように変わらず可笑しそうに細められ願子へと向いていた。自分で見た手前ここは引き下がっていい場面ではない。黄金の瞳を真正面から見つめ返し願子は口に溜まった唾をなんとか飲み込んだ。

 

「これは副部長に貰ったんです」

「そう副部長が、あの男はやはり見る目があるわね」

「と、当然ですよ! なんたって私たちの副部長なんですから!」

「ふふ、そう。その貰った眼鏡で私を見ていた理由是非お聞かせ願いたいですわ」

「それは、あなたが博麗伯奇って人に手を貸さないように取り敢えず見張っておこうと」

「私が伯奇に?」

 

  扇子で隠された口元は見えないが、それでは漏れ出る笑いは隠せない。願子の見当違いな発言が八雲紫のツボにはまったのか、四人が持つ真剣な空気は紫には関係ないようで、場にそぐわない声が部室に木霊した。

 

「ふふふ、そんなことを考えていたのね。なら安心していいわ、私はこの戦いに決して手を出さないことを誓いましょう」

 

  そう言って扇子をピシャリと閉じ、笑い声を止めて宣言する紫の言葉に嘘は無いのだろう。しかし、願子を見つめる薄い笑みからは胡散臭さが(にじ)み出しており、いまいち信用することができない。

 

「そんな顔しなくても誓いを破ったりしませんわ。それよりも貴女達の副部長が危ないわよ?」

 

  なんでもないようにゆったりと指された指の先、諏訪湖の上では先ほどの数倍はあろうかという色とりどりの大きな光球が空を駆け沈んでいく。

  その恐るべき淡い光の重量に押し潰され、一つの影が諏訪湖に落ちる。

 

「伯奇はやり過ぎね、ただの人間相手に夢想封印は撃ってはダメでしょうに」

 

  ポチャリと呆気なく副部長は小さな波紋を残して諏訪湖の底へと沈んでいく。

  副部長が負けた?

  落ちていく影が誰であるのかこの場でわかる人間は願子だけ、その願子の目には確かに見えていた。

 

「あら行くのね」

「ちょ、ちょっと願子!」

 

  分かっているという声に戸惑いの声。二つの真逆の声が願子に掛けられるが、願子が返すのはどちらに対しての返事でもなく自分が見たもののこと。

  それが一番信じられる。自分で見たものに嘘は無いから。

 

「副部長笑ってた! だからまだ負けてない! でも、それでも副部長が危ないなら私にもできることがあるはずだから!」

 

  それだけ言って願子は走り去ってしまう。その姿に迷いは無く、もう誰の声も届かない。開け放たれた部室の扉をそのままに、願子の姿はあっという間に見えなくなった。

 

「貴女達は行かないのかしら?」

 

  願子は行ってしまった。三人を残して行ってしまった。三人は願子のようには動けない、願子と違って自分で見ていないのだから無理もない。

  しかし、副部長の姿が見えなかろうと、見えているものは確かにある。

 

「行くに決まってんでしょうが!」「あら行くわよ」「行きます!」

 

  親友が走る姿が見える、スタートが遅れようと関係ない。願子の後を三つの影が並ぶ為に追っていく。

 

「青春、というものですわね。こればかりは人の少ない幻想郷ではあまり見ることのできない外の世界の数少ないいいところですわ」

 

  紫が窓から外へ目を向ければ、花火はもう終わってしまっていた。空へ浮かぶのは抜け殻のような博麗伯奇ただ一人。祭りの後の寂しさを背負うように、なんの覇気も感じられない。荒く肩を上下させる様子から言って、伯奇もまた余裕は無いようだ。

 

「伯奇、副部長も彼女達も貴女が持っていないものを持っているわ。これから貴女のもとに向かう彼女たちは弱いけれど強いわよ、精々それを知りなさいな」

 

  八雲紫の微笑みは、開かれた扇子に隠されて今は誰にも見られない。




次回は副部長と伯奇の話です。


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博麗を殴れ!

さあ拳は握ったか?


  伯奇が副部長を呼んでいる。

  夜の川辺を漂う蛍のように残された副部長にしか見えない霊力の残光が誘導灯となって歩む方向を教えてくれていた。諏訪湖の湖畔から山の方へ伸びていくそれを重い足取りで副部長は追って行く。

 

  副部長の足を動かすのは単純な怒りだ。

 

  薄暗い夜の道を歩く副部長の心は見るものが見れば何より眩しく見えるだろう。心の奥底に揺れる怒りの火は、進む足の一歩一歩に合わせてその揺らぎを大きくする。

  東風谷早苗が幻想郷へ旅立って、諏訪に残されたものは本当に少ない。副部長、生徒会長、副会長がそれぞれ持つ一枚の写真。その三枚の写真以外ではもう東風谷早苗の姿を見ることはできない。

  そのうちの一枚がこの世から消えた。それも人の手によって失われた。東風谷早苗と最も付き合いの深い副部長のものがだ。

  親友と二人で映った最後の写真、それを意図的に他人に壊されて怒らないわけがないだろう。

  夜の山、獣道さえない木の間を進み、深緑の光が迷いなく進んでいく。その光がピタリと止まった場所は、周りに雑多に木が並ぶ人の手が入っていない山間の中だ。

  大きな岩、長く風雨を受けて曲がり曲がった木々、それ以外は何もない。何もないからこそ、二つの深緑と深紅の首輪が異様な存在感を持って宙に浮いている。

 

「遅かったなぁ」

 

  月明かりが無かろうと退屈そうに一本の木の枝の上に座る伯奇の姿が副部長にははっきり見える。お祓い棒をつまらなそうに弄り副部長を見下ろす伯奇の顔を見るだけで、両手に力が入ってしまう。酷く歪んだ伯奇の顔は面白そうに副部長のその手を眺めている。

 

「お前が諏訪の異変を解決したっていう男だろう? ボランティアご苦労さん。名前も分からないふざけた男が頑張っちゃってさあ」

「生憎と博麗に名乗るような崇高な名前を持っていないものでね」

「は! お前の名前なんてどうだっていんだよ」

 

  ふわりと木から降りる伯奇は重力を感じさせず、月の地へと足を下ろすようにゆっくりと大地に立つ。膝より上のスカートの裾も、決して(ひるがえ)らずに重しでもついているように動かない。ニヤリとした顔は副部長の顔を捉え、その目には蔑視の色がありありと浮かんでいる。

 

「本当にそんな目なんだな、気持ち悪いって言われるだろ?」

「残念ながらそんなに無いな、崇め奉られることの方が多かったさ」

「そんな冗談いらねえんだよ、ボケが」

「嘘じゃないさ」

「あっそう」

 

  伯奇はゆったりと副部長の周りを歩く。副部長を見定めるように向けられる目に副部長は笑顔で返すが、その内にある想いはもういつでも伯奇に放つ準備が出来ている。それが分かっているように同じく笑みを浮かべる伯奇の言葉は止まらない。

 

「なあ、お前本当に強いのかよ? こんだけ近くにいるのにマジで霊力も魔力も感じねえ、強い奴を前にすれば何かしら感じるもんだ。それがお前には全くねえ。私の頭はそんな変な目を持ってようとお前は一般人だと言ってる」

「その判断は正しいさ、俺はどこにでもいる人間と大差ない」

「そんななんの力もねえ奴がどうやって異変を解決したんだよ、あたしにはそこんところがよく分からねえ」

「力が全てじゃないさ、それがない者のために技や知恵がある」

 

  副部長の姿がブレ、次の瞬間には隣に立っていた木に拳が叩き込まれる。轟音と共に木がひしゃげると、幾千の矢となって破片が伯奇に飛来する。

  それでも伯奇の顔は崩れず、なんの抵抗も見せずに笑顔のまま突っ立っているだけ。しかし、飛来する矢は滑るように伯奇から反れ、多くの滑る破片は、伯奇を中心にした見えない球状の壁をくっきりと映し出した。それを過ぎれば、破片は大地へと帰っていく。

 

「それが技ってか? 面白えがせっかちな野郎だな。落ち着いて話もできやしない」

「会う前から自分の周りに結界張ってるような奴には言って欲しくないな」

「おいおい、こんなところで男と女が二人きりなんだぜ? か弱いあたしはこれぐらいしなきゃあ安心できないんだ」

「か弱いねぇ……」

 

  ふざけたようにサッと振られるお祓い棒から、霊力が払われ飛び散るが、伯奇と同じく笑顔の副部長は動かない。副部長のすぐ近くを通り過ぎる霊力の塊は、地面や木々に当たるとそれらを大きく削り取って消えていく。

 

「そんなバリバリ霊力を周りに放出しているくせに、随分と危険なか弱さですこと」

「女が自分のことか弱いつったらか弱いんだよ。それよりお前あたしがお前に当てないの分かってたな?」

「見えるもんでね」

「へぇ……」

 

  ジリジリと二人の意識が高ぶっていく。笑顔はもう二人の顔にはありはしない。どちらかが動けば、その時が始まりだ。副部長の目の光が引き絞られるかのように凝縮し、伯奇の纏う霊力の質が変わる。その攻撃的とも言える色合いは副部長の視界を覆うように彩った。

 

「じゃあさ……これも見えるか⁉︎」

 

  伯奇の色が限界を迎え爆発した。ダムが決壊したように、伯奇から出た霊力の奔流(ほんりゅう)が副部長へ襲いかかる。人間一人など軽く飲み込んでしまう霊力の流れは壁となって副部長に迫っていく。副部長は強さで言えば妖怪や魔といった相手と比べた場合決して強いとは言えない。それらと真正面から打ち合える博麗の力の壁を打ち壊すことも押し返すことも当然できない。ただ、副部長は見えるのだ。常人以上にものが見える。誰でも可視できるほどに濃い伯奇の霊力の奔流も、一般人からすればただの光の流れにしか見えない。一般人の目では捉えきれない小さな霊力すら捉える副部長の目は正しく迫るそれを文字どおり壁のように映し出す。迫る壁を前にした副部長の行動は至って単純、越えるだけだ。迫る壁に自分の方から突き進み、足を掛けるとそのまま伯奇の霊力さえ利用して、一息で霊力の流れから大きく跳ぶ。

 

「お前! それがお前の技ってやつか⁉︎」

 

  伯奇が驚いたのには理由がある。ただ人が高く跳ぶだけならば、はっきり言って伯奇が驚くには足りない。そんなこと『博麗』たちには出来て当然のことだからだ。

  伯奇が驚いたのは副部長が伯奇の霊力に触れたからだ。

  霊力とは固体ではない。電気や光に近い普通なら手で触れられないものだ。霊力や魔力同士の反発を使うのならば伯奇にも同じことが出来る。しかし、それをやったのはつい先ほど自分で見て霊力や魔力がからっきしと分かっている男。それもただ放ったのではなく、相手を潰すためにと攻撃の意思を持って放ったものだ。副部長が触れたにも関わらず、霊力は爆発すらせずに何事も無かったかのように副部長がいた場所にある岩や木々を抉っていく。

 

「見えるって言ったろ? 見えれば掴めるようにだってなるさ。ここまでくるのにはかなり苦労したがな」

「チッ、なるほどだから異変を相手に出来たわけか。霊力も魔力も無い野郎があたしの力に触れる……気に入らねえな」

「気に入らないのはお互い様だろ。行くぞ‼︎」

 

  重力に従って副部長は落ちていく。突き出した拳を伯奇は余裕で避けるが、拳の当たった地面は杭打ちされたように拳以上の大きな跡を残して凹み、砂が舞って伯奇の視界を覆い潰した。

  伯奇の視界から副部長が消え、副部長の視界からも伯奇が消える。普通ならそうなるが、副部長の蟲の目は砂のカーテンの向こうにいる伯奇の霊力の姿を(しか)と捉えていた。

  砂のカーテンを押しのけて副部長は伯奇に肉迫する。伯奇の驚いた顔が見え、副部長は躊躇い無くそこへ拳を叩き込む。大きな鈍い風切り音が空を走り、拳から伝わる感触は無い。

  伯奇は大きく身体を反らしバク転の要領で後ろへ跳ぶと、札を二枚投げそのまま宙へと浮かぶ。

  二枚の札はひらひら舞うわけも無く、直線的に副部長の元へ飛んでいく。しかし、伯奇が副部長の一撃を避けたように、それに当たる副部長ではない。最小限の動きでそれを躱す。札は地面に当たると沈み込むように破裂して大地を削った。それに巻き込まれ吹き飛ぶ岩を副部長の足が伯奇の方へ蹴り上げるが、結界に阻まれ明後日の方向へ滑っていった。

  そのまま伯奇は空を飛び副部長に突っ込んだ。放たれる拳、躱される。そのまま力を利用して空中からありえない体勢で蹴りを放つが、分かっているように避ける副部長には当たらない。大きな攻撃はそのまま大きな隙となり、副部長がそれを見逃すはずが無かった。

  大きく腰を落として振るわれた拳は、伯奇の結界を捉え滑ることも無く鈍い音を響かせる。鐘を撞木(しゅもく)でついてような音に見合った衝撃は、木々や岩を巻き込んで伯奇の身体を弾き飛ばした。十メートルは吹き飛んだ伯奇は、しかし怪我一つしてはおらず、舞う誇りを弾いて手の届かない空へ跳ぶ。

 

「気に入らねえ、気に入らねえが認めてやるよ。格闘戦じゃああたしの分が悪い。なぜか分からねえがお前やたら力が強いみたいだからな。だが空中ならどうだ?」

「……参ったな」

 

  夜の空に花火が上がる。

  伯奇から広がる色とりどりの霊力の飛沫は美しいが、その一つでも身に当たれば一般人にはひとたまりも無い力の結晶。

  伯奇から隙間無く一度広がったそれは空を彩り、副部長へと落ちていく。木々の隙間を縫って、副部長のみを目指し霊力の欠片が殺到した。

  大地を蹴り、木々を蹴り、副部長は自然の中を跳ね回る。

  時に太い枝の上を滑り、時に大地へ飛び込み、どこまでも追ってくる弾幕を紙一重で避けていく。

 

「おいおいダセえな、さっきまでの勢いはどうした? 避けるだけかよ!」

 

  弾幕の密度がさらに増し、副部長の退路を塞ぐ。

  副部長の目には、超常の景色が広がった。

  副部長の目はレントゲンのように生物、植物問わずその身に流れる電流といったエネルギーすらその目に写す。

  いつも複眼を(さら)せば見える電波も含めた光の筋の世界の中を、明らかな異物が群れとなって追ってくる。

  いくら目が良かろうと、人の身体には限界がある。

  目の前数センチを霊力の塊が通り過ぎ、それを追ってきた数発の霊力はそこらの枝を掴み身体を捻って回避する。しかし、いくら避けようと迫り来る霊力の群れを躱し続けることはできない。

  伯奇のように空を飛んでいられるなら別だ。上も下も横も三百六十度どこにだって行くことが出来る。副部長にそれはできない。特別な力の無い副部長は、大地を駆ける以外に移動する術は何も無い。常に足は大地を踏み、行ける場所には限りがある。

  だからこそ副部長の技は大地を掴んでこそ発揮されるものなのだ。出来ないことは出来ない。ならば出来ることをやるしかないのだ。

  自分を取り囲む霊力の群れは無視してしまい、足を止めた副部長は諦めた訳ではない。地に着いている右足を一度強く踏み締めると、それを起点とするように大地が隆起した。(うね)る大地に弾かれて宙へ勢いよく上がる石飛礫(いしつぶて)は、迫る霊力の群れを打ち落としていく。その様子を見ていた伯奇が、副部長の技のカラクリに気がつかない筈がない。仮にも『博麗』、副部長としてはあまり手の内を晒したくは無いのだが、手を抜けるほど『博麗』は甘い相手では無い。

 

「嘘だろお前、龍脈を使ってやがるのか?」

 

  ----龍脈。

 

  龍脈とは世界中の大地を流れる大きな『気』の流れ。それは誰のものでも無く、星そのものが持つ無限のパワー。人がおいそれと扱えないそれを副部長は確かに使っている。伯奇の目には確かに副部長が大地を踏んだ瞬間に大地に波紋が立つのが見えた。『博麗』以外の術師には気がつかれないかもしれない僅かな揺らぎ、それに気付く伯奇も並ではない。

 

「使えはしないさ、流れを多少変えたり波紋を起こせるだけだよ俺は」

 

  それでもそれは相当凄いことだ。下手に龍脈に手を出せば、人の身では耐え切れず龍脈の流れに負けて身体の内から砕け散ってしまう。(ひとえ)に副部長が龍脈を扱うことが出来ているのは、見えるからに他ならない。大地の下に流れる大きな光の流れは、蟲の目がいつも見せてくれている。

  見ることができるのとできないのでは雲泥の差がある。

  これは間違いなく副部長だけの技だ。なんの力もないはずの男が自分には出来ないことが出来ている。

  伯奇は気に入らない。それが何より気に入らない。それがまるで『博麗霊夢』のようだから。

 

「ふ、ふざけるなぁ‼︎」

 

  伯奇の身体から溢れる霊力の波は大きさを増し、夜の暗闇を塗りつぶして副部長の世界を覆っていく。光の壁は一つの世界のようにあらゆるものを()き潰し副部長さえ弾き飛ばした。そのあまりの強さに宙に身を投げ出され、一気に諏訪湖まで副部長は飛んでいき、黒い水面に叩きつけられる。

  それで終わる訳がなく、空を埋め尽くす一つの世界は諏訪湖に沈み込むように落ちてくる。

 

「はぁぁ……面倒だなマジで、」

 

  目に映る水流の流れを掴み、水面に立つ副部長周りには世界の欠片が落ち始め、水飛沫(しぶき)一つ、波紋一つ起きずに暗い水底に沈んでいく。それを見た副部長の身体を痺れが襲い鳥肌が立った。伯奇の力の一端が、怒りの爆発により分かりやすく副部長の無数の瞳に映った。

  普通に見るのでは分かりずらいが、霊力の塊が水面に沈んでいるのではない。水面の方が伯奇の霊力に沈んでいる。伯奇の霊力は小さなブラックホールに他ならない。自分の霊力の何倍もあろうという諏訪湖の一部を吸い込んでも崩壊しない。もし伯奇の一撃が副部長に触れようものなら、抵抗虚しく沈み削り取られてしまうだろう。

  そんな落ちてくる小さなブラックホールを避けつつ、副部長が取った行動は一つ。

 

  見ることだ。

 

  突き詰めれば、副部長の最強とも言える能力は見ること一つである。副部長の目から逃れられるものはありはしない。およそ三百六十度に近い視界に見えないものが映る瞳。電気、電波、霊力、魔力、妖力、龍脈、粒子の動きに至るまで、副部長の目が取り零すものはない。

  そうして見た光景から、副部長が今まで蓄えた知識と経験によって、触れられるレベルまで上げていく。それが副部長の唯一の技だ。

  副部長は逃げるのを止め、水面を強く蹴る。向かう先は霊力の塊。ゆっくりとそれに足を下ろせば副部長はそれに確かに立った。

 

「……くそっ」

 

  だが完璧では無い。時間が経つごとに少しずつではあるが足が沈んでいっている。足の裏が溶けるような感覚に襲われ、痛みよりも痒いようなおかしな痛みが襲ってくる。

  時間は無い。すぐにそこから跳び去り次の塊へ、その次へ、その次へ、その次へ。

  しかし道は果てしなく遠い。落ちていっているものを踏み締めながら前に進むのでは、僅かでしか前に進めない。悠々と宙を舞う伯奇は、足掻く副部長の姿を可笑しそうに見ている。

 

「はははっ、やっぱりそうだ! お前みたいなやつがあたしに敵うはずが無い。そうやってどこにでもいる誰かのように下で足掻いてるのがお似合いなんだよ!」

「お前は何を焦ってるんだ?」

 

  伯奇の顔が今一度歪む。副部長の目は伯奇を見ている。その副部長の目が気に入らない。全て分かっているというような副部長の目が。無数の目が自分だけを見ていることに伯奇は言いようのない不安に駆られる。今優位に立っているのは紛れもなく自分のはずなのに、自分が下にいるように錯覚する。

 

「は? お前は何を」

「なぜ俺に会いに来た。力を示したいならそれは俺にじゃ無いだろう? 八雲紫か? それとも噂に聞いた博麗の巫女か?」

 

  伯奇の顔が崩れ、副部長の口はニヤリと弧を描く。副部長は伯奇の逆鱗に触れた。

 

「う、うるせえ! 霊夢のやつが選ばれたのは何かの間違いだ! あたしが! あたしこそが『博麗の巫女』に相応しいんだ! あたしこそが幻想郷に行くべきなんだよ!」

「それで俺を相手に力を示すか。だったらそれは完全に何かを間違えてるぞ。俺は強くは無い。俺に勝ったとしても何の意味も無いだろうさ」

「よく言う。それでもお前は異変を解決したんだろう? 紫に聞いたぜ、幻想郷でもあまり目にかかれないような異変だったそうじゃないか。それを解決したんだ。あたしが解決するはずだった。それを! お前が解決した! 『博麗の巫女』のように! それもあたしよりも劣るような奴がだ‼︎」

 

  弾幕は激しさを増し、代わりに副部長の足場が増える。二人の距離は確実に縮まっていた。

 

「それで博麗伯奇、お前はそんなことのためにあれをやったのか?」

「そんなことだと!」

「そんなことさ、俺にとってあれは、早苗との写真は何より大事なものだった」

 

  副部長の瞳の輝きが増す。形振り構わず前に進み、擦り始める霊力も気にしない。赤い雫が宙に垂れ始め、霊力に触れると沈み消えていってしまう。

 

「そんなこと知ったことか!」

「初め会った時の自信満々な方がマシだったな。今のお前は何より気に入らない」

「うるさい! あたしは! あたしは‼︎」

 

  伯奇の弾幕が止み、その力が振り上げられた両手に集まっていく。どこまでも収縮、圧縮し、全てを沈み込ませる力は質量を強め、その緊張が高まり切った瞬間、七色に光る光りの玉が副部長に落とされた。

 

「あたしは霊夢より強いんだぁぁぁぁ‼︎」

 

  大きな塊は副部長をゆっくりと取り囲んでいく。だが副部長はもうそれを見ていない。副部長が見ているのは博麗伯奇ただ一人。力を振り絞って伯奇へ向かい最後の跳躍を行う。空中で身体を引き絞り、気に入らない顔を殴るためにその手を伸ばした。

 

「お前は何も見てないな」

 

  伯奇の目の前まで伸ばされた副部長の拳は伯奇に当たることは無かった。伯奇の結界の隙間にさえ滑り込み視界を覆った拳は、直前に大きな塊に副部長が押しつぶされたことによって届かなかった。その代わりに届いたのは副部長の言葉。伯奇は動かず、呆然とその伸ばされた拳だけを見ている。

  霊力の塊が消えた先には副部長の姿が消えずにあった。副部長が霊力の海に沈まなかったのは、副部長の言葉が伯奇の心を揺らし能力を完全には発動させなかったからだ。

  だが副部長にもう身体を動かす力は残っていない。落ちていく副部長が最後に見た光景は、伯奇でも無く、落ちるであろう諏訪湖の水面でもない。虹色の世界を通してこちらを見る願子の姿。

  色眼鏡を掛けた願子が心配そうに副部長を見つめ、その後ろには友里、杏、塔子の姿が見える。なぜかその中に四人と比べ非常に浮いた八雲紫の姿も見えるが、今更そんなことを気にする余裕は副部長にはない。

  ただ自分を見つめる色眼鏡を掛けた願子の姿があまりに似合っていないものだから、自然と副部長の口角は上がってしまう。

  まだ終わりではない。

  東風谷早苗以外にも、副部長には戦う理由がある。

  諏訪湖の心地いい波音が近ずいてくる音に身を任せ、副部長は少しの間休むべく水の底へと沈んでいった。

 

 

 




戦闘描写……ムズイよ……


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伯奇と霊夢

  空を飛ぶ霊夢の姿をあたしは毎日羨ましく眺めていた。

 

  小さい頃、あたしが八歳、霊夢は五歳、決して広いとも言えない博麗の里をよく二人で駆け回っていた。山に立つ木々や小川が何よりも最高の遊び場で、いつも二人で日が暮れるまで妖怪たちと遊び倒した。

 

  霊夢は小さい頃に両親が亡くなってしまい、あたしの家で暮らしていた。一人っ子だったあたしは霊夢をそれはもう可愛がり、周りからは本当の姉妹のようだとよく言われたものだった。

 

「ちょっと霊夢、飛ぶのは禁止!」

「えーいいじゃない。一角も点も飛んでるよ?」

「そーだそーだ!」

「一角も点も飛ぶの禁止! あたしたち人間に合わせなさい!」

 

  その頃から霊夢の才能は抜群で、あたしを含めた他の博麗たちとは格が違った。生きてる世界が違うとでも言うのだろうか? 一つあたしが結界を張る間にも、霊夢はより強く多くの結界を張ることができた。だから鬼ごっこなんかの遊びでも霊夢が負けたところを見たことがない。たまに大人も混じって遊んだりしたが、それでも一番は霊夢だった。そんな霊夢を周りは神童だと騒ぎ、長からも直々の修行をつけて貰っていたりしたが、その頃のあたしはそんなことどうだってよかった。ただ可愛い妹分がすごいことが他らしくて、霊夢と二人毎日毎日楽しく過ごしていたんだ。

 

「伯姉ちゃん、今日はどうする?」

「んー魚釣りにでも行く?」

「行こう行こう!」

 

  でもそんな日は長く続かなかった。ある日あたしと霊夢は魚釣りにでも行こうと近くの川へ向かおうとしていたが、それは長に呼ばれたことで中止になってしまった。子供心に遊びに行けなかった不満を二人でぶーたれながら長の待つ屋敷へと向かったが、そこにいたのはあたしたちも含めた博麗の里の全住民。隣の家のお兄さんも、力の強い叔父さんも、かっこかわいいお姉さんも一人残らず集まっている。それと同じようによく見る妖怪たちの姿もちらほら見え、あたしや霊夢を含めた小さな子たちは珍しいこともあるもんだと楽観していたが、大人たちは違ったようで、緊張した様子で長の方に全員が顔を向けていた。

 

「伯姉ちゃん、なんか来るよ」

「え?」

 

  霊夢があたしの裾を引っ張って呟いた後に現れた者のおかげで、大人たちが緊張していた理由がすぐに分かった。丸く円になるように座っていたあたしたち博麗の視線がその中心に走る空間の裂け目に集まる。子供も大人も関係なく、スルリとそこから伸ばされる白い手袋に包まれた腕を見た。それに続いて現れたのはテレビでしか見たことがないような金髪の麗人、それに続いて九つの狐の尾を持つ者と、二股の猫の尾を持つ者がふわりとあたしたちの前に現れた。

 

  次元が違う。生まれた頃から妖怪たちを慣れ親しんできたあたしたちにはそれがよく分かる。よく一緒に遊ぶ妖怪たちとはまるで異なる。ただそこにいるだけで息苦しい感覚。存在の密度が桁違いだ。周りの妖怪たちは頭を垂れ、その者の帰還を歓迎している。ここでようやくあたしは思い出した、博麗の盟友『八雲 紫』という存在がいることを。そして彼女がそうなのだ。例え誰が彼女の名前を呼ばなくても、一目見ればそれが分かった。

 

  「元気そうで何よりね」

 

  紫がなんでもない一言を口にするだけで、周りの博麗の大人たちの緊張が一気に高まる。誰もが紫の一挙一動を見逃す者かというように瞬きも忘れて彼女を見ていた。それが当然というように紫は周りを眺めると、世間話もなく、淡々と来た理由を口にする。

 

「私が来た理由はお分かりね。この中から博麗の巫女を選びますわ」

 

  小さな頃から親に聞かされていたことがある。あたしだけじゃ無く、博麗の里に住む全員が親から子へと必ず聞かされること。いつになるかは分からない、しかし必ずいつかこの中から博麗の巫女を選びに幻想郷の賢者がやって来る。話半分に聞いていたことがまさか本当にあるなんて。

 

「恐れながら八雲様おひとつお聞きしたいことが御座います」

 

  まるで夢を見ているみたいにふわふわしていたあたしと違い、流石は博麗の長と言うべきか、周りの博麗と同じように緊張しているだろうが、しっかりとした言葉で紫に言葉を投げる。固唾飲んで見守るのは博麗の里の民たちのみで、狐と猫の妖怪の瞳がキラリと長の方へ向く。

 

「何かしら?」

「現博麗の巫女は亡くなったのでしょうか? そういった話はまるで聞いていませんので」

「当然の疑問ですわね、安心して頂戴まだピンピンしてますわ」

 

  この言葉に周りの大人たちがざわめき始める。あたしたち子供はこの時まだ知らなかったが、博麗の巫女が交代するのは当代の博麗の巫女が亡くなった時のみ、それを考えれば大人たちが騒ぎ始めたのは当然だった。

 

「少しうるさいわね」

 

  紫の一言の後、突如二体の妖怪から放たれた妖気がその場にいる人の口を塞ぐ。静かになった空間に続く紫の声が嫌にはっきり聞こえた。

 

「貴方たち博麗はむしろ喜ぶべきよ、当代の博麗の巫女は仕事を終えたのよ、五百年前から続く長い仕事を。貴方たちは見る資格がある、貴方たちが作った世界を」

 

  紫が手を掲げると、空間に大きな裂け目が一つ開く。裂け目の向こう、薄暗い空間から覗く無数の瞳があたしたちの方を覗き、その瞳が閉じられると、あたしたちの瞳に映ったのは正に幻想の世界。

 

  どこまでも続くひまわり畑、見たことも無い大きな桜の木と空を覆うほどの桜吹雪、神々しい大きな山、ジェット機のように縦横無尽に空に引く雲を残す天狗たち。見たことも無いほど澄んだ川からは河童が覗き、燃え盛る大地に雄々しく立つ鬼。

 

  素晴らしい。それ以外の感想を持つことが出来ない。目を見開き、息を飲む音だけが聞こえる。中には涙を流す博麗がいるほどに、その景色は美しかった。

 

「幻想郷はこれから変わりますわ。だからこそ必要なのは新たな幻想郷に合う新たな博麗の巫女、選ぶのは一人よ。ただ今すぐにというのは色々酷でしょう、此方にも準備がいりますし、選ぶのは半年後よ。ではよろしく」

 

  それだけ言うと紫と二体の妖怪は直ぐにその場から魔法のように消えてしまった。初めてだ。あたしは初めて心の底から欲しいと思った。博麗の巫女、その地位を。もし選ばれればあの美しい世界に行ける。幻想に囲まれた素晴らしい世界に。ただ浮かれていたあたしは全く気付いていなかった。去っていく紫の目が最後に霊夢へ向けられていたことに。

 

  その日からあたしは努力した。霊夢との楽しかった日常を止めて、連日今までやらなかった修行に打ち込んだ。度重なる霊力の消費で毎日気絶して倒れ込み、慣れない走り込みや格闘の修行で手足はボロボロ。それでも良かった。傷が一つ増える度にあたしは確実に前に進んでいる。そうして三ヶ月後、ついにあたしは。

 

「すごーい! 伯姉ちゃん飛んでるよ!」

 

  飛べた! あたしは飛んだ! いつも眺めていただけだった霊夢と同じように、あたしはあたしだけの力で空を一人で飛んでいる。これがどれだけ凄いことか分かるか? 分からないだろう!

 

  ただ可愛いだけだった霊夢に強く憧れたのは博麗の巫女を選ぶと紫から告げられてからだ。空を飛ぶ霊夢をただ凄いと言っていた時は終わった。あたしと霊夢は何が違う? 同じ人間で、同じように過ごし、それもあたしの方が年上だ。なのに霊夢は人が呼吸するのは当たり前なのと同じように空を飛ぶ。その場へあたしはようやっと辿り着いた。血反吐を吐き、泥を(すす)り、女の子らしかった白く透き通る肌や黒く長い髪をボロボロにしてようやっと飛べた。あたしは博麗の巫女への道を確かに進んでいる!

 

「やったね伯姉ちゃん! 飛んでるよ! 空に散歩に行こうよ!」

「はいはい、今日だけね」

「やった!」

 

  地獄を見ているあたしと違い霊夢は能天気そのもので、あたしが相手をしないからこそ妖怪たちと毎日遊んでいるだけだ。悪い気はしたけどあたしはどうしても博麗の巫女になりたい。正直に言うと霊夢が博麗の巫女を目指すと言わなくてホッとした自分がいた。もし霊夢が本気で博麗の巫女を目指していたらあたしの最大のライバルは霊夢だっただろう。「伯姉ちゃんと一緒にいたいからいい」と言ってくれた時は嬉しかったが、ごめんね霊夢、あたしは博麗の巫女になりたいんだ。たった一人でもあの幻想の世界に行きたい。

 

  残りの三ヶ月は更なる地獄だった。長にまで頼み込み、それこそ常に死が隣り合うような修行をして、髪も爪も手も足も傷が無いところなど無いというほどに修行漬け。そして遂に噂で聞いた程度の能力さえ手に入れて。

 

「半年経ちましたわね」

 

  そして再びあたしたち博麗の里の全住民が集められ、紫が姿を現した時、あたしの顔はそれはもう満面の笑みでもうあたしが選ばれることは決定事項だと思っていた。一週間前の修行で他の博麗を寄せ付けず圧倒していたあたししかもういないと。

 

「博麗の巫女はもう決めていますわ、はっきり言って彼女以外に博麗の巫女はありえないわ」

 

  彼女! つまり女!

 

「次期博麗の巫女は博麗……」

 

  呼ばれる。あたしの名前が。自然と握る手の力が強くなり、鼓動が早くなる。そうだ、早く呼んで! あたしの名前を! あたしの名前を‼︎ さあ、さあさあさあ‼︎

 

「霊夢」

「やっ!………え?」

 

  今なんて言ったの? 霊夢? あたしじゃなくて? なんで? 嘘? え? だっておかしいでしょ、あたし頑張ったよ? 今までの全部かなぐり捨てて頑張ったよ? なんで? なぜ?

 

「霊夢貴方よ、早くいらっしゃいな」

 

  隣にいた霊夢が一度あたしの裾を掴むが、驚愕に目を見開き固まって何も言わないあたしには何も言うことが無いというのか、手を離して紫の方へ歩いていく。ちょ、ちょっと、ちょっと!

 

「ちょっと待って!」

 

  紫の前で霊夢が立ち止まり、紫が面倒くさそうにちらりと此方へ目をやる。なんだよその目は、あたしは頑張ったんだよ、頑張ったのに。

 

「なんで、なんで霊夢なの! あたしは、あたし頑張ったんですよ! この半年誰よりも! 霊夢よりも! あたしの方がずっとずっと!」

「そう、それは凄いわね。でもごめんなさい貴方じゃ駄目なのよ」

「なんで! あたしは、あたし‼︎」

 

  紫の目は冷めきっている。紫の背後に控える二体の妖怪もゴミを見るかのような目だ。なんだよ、なんなんだよいったい!

 

「悪いのだけれど半年前から博麗の巫女は霊夢に決めていたの。だからどれだけ貴方が頑張ろうとこれは決まっていたことなのよ、この半年間は霊夢が最後にここで過ごすための期間、それだけよ」

 

  なん……だよそれ。だっておかしいじゃん、あたし頑張ったのに、初めから何をしても選ばれないってそんなの、そんなの、だってあたし。あたし……。

 

「それに霊夢と貴方では格が違うわ。貴方じゃ幻想郷では」

「うわぁぁぁぁ!!!!!!」

 

  やだ! やだやだ! 聞きたく無い! 聞きたく無い! あたしの身体の内側から言葉に表せない感情が溢れ出す。小さな子供のあたしの身体から何倍もあろうかという霊力の塊が零れ落ちる。

 

「「紫様‼︎」」

「貴方たちは下がっていなさい」

「「ハッ!!」

 

  赤い赤いあたしの感情の塊が伸ばされた紫の指先に触れる。

 

  ズブリーー。ズブリとーー。

 

「これは」

 

  あたしの心が沈んでいく。深く、深くどこまでも。なんで、どうして、嫌だ、聞きたく無い。沈んでしまえば聞こえないから。どこまでも深く深く沈んでしまえば。

 

  紫の人差し指が沈んでいく。その力強さに咄嗟(とっさ)に手を引いた紫の人差し指は綺麗さっぱり消え去って、存在そのものが喰われたように何もそこには残っていない。

 

「このガキ!」

「やめなさい藍、これは」

「伯姉ちゃんダメ!」

 

  飛び出したのは博麗霊夢。もう濁って見づらいあたしの視界に霊夢が飛び込んでくる。なんだ、なんだよ、この半年遊んでしかいなかったお前が! あたしにいったい何をしたい!

 

  霊夢が手を伸ばし感情の海へと飛び込んだ。紫の指を引きちぎったあたしの感情にいったい何がしたい。沈めや沈め、霊夢、霊夢、霊夢霊夢。なんでお前が、なんで、なんでお前なんだ。寧ろ他の子ならまだ良かったのに。他の子なら許せたのに。あたしが一番大好きな、一番大好きだったのに。

 

  あたしの感情は薄まらずそれより深さを増していく。なのに、なんで? 感情の海から光が溢れる。全てを包み込んでしまうような優しい光。それがあたしを包み込み、視界が真っ白に染まっていった。

 

  あたしが次に目を覚ましたのは霊夢が博麗の巫女に選ばれてから三日後のことだ。目が覚めてから里中駆け巡ったが、霊夢の影はどこにも無く、幻想郷に行ったと長に聞いてもまだ何処か信じられなかった。

 

  笑えるだろ? あたしはとんだピエロだよ。絶対に無理なことを目指して死ぬ程努力していたなんて笑い話以外の何者でもない。それに最後の最後でなんの努力もしていなかった霊夢に手も足も出ずに負けるなんて笑うしかないだろう。

 

  分かった、あたしがやるべきこと。強くなることだ。誰より強く、何より強く、紫があたしを選ばななかったことを後悔する程に。強く強く強く強く強く強く‼︎ そのためならなんだってしよう、なんだってやろう、あたしこそ博麗の巫女なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう、あたしは強くなるんだ。強くなくちゃダメなんだ。分かるか?」

「分からない!」

 

  諏訪湖の湖畔に全速力で走ってきた願子は息を切らせた口で、虚空を見つめながら零された伯奇の言葉に吐き捨てた。それになんの反応も見せず、願子の言葉など無かったかのように言葉を続ける。

 

「なあお前天才って会った事あるか? あいつらは凄えぞ、笑っちゃうほどな。凡人たちなど嘲笑う必要もないというほどに圧倒的でもう生物が違うって程にな」

「だからなんなのよ? 貴方が天才だとでも言うの?」

「違うって、違う違う。ただ言えるのは、そんなことも分からないお前如きがあたしの前に来て何がしたいのってこと」

 

  伯奇の身体から圧力が増す。願子に軽い調子で向けられた掌に伯奇の感情が集まっていく。願子の不幸は見えてしまうこと、掌に集まる赤い赤い炎のような感情が火を噴いた。

 

「ちょっ!」

「へぇ……」

 

  咄嗟に動かそうとした足が絡まってその場に倒れこんでしまう願子だが、そのお陰で伯奇の感情に飲まれずに済んだ。だがそれで終わりでは無い。向けられた掌はそのままに、次の感情が込められる。

 

  やばい、やばいやばいこのままじゃ私!まだ何もやってないのに!

 

  転んだ願子に動くことは許されず、手を前に突き出して身を守る姿勢を見せることしかできはしない。虹色のレンズの向こう側で、真紅の感情が弾ける。

 

「え……あ!」

 

  そんな願子を救ったのは、轟音を響かせて迫る一台の単車。伯奇から放たれた霊力と願子の間に勢いよく滑り込み、願子へと伸ばされた手はしっかりと願子の手を掴む。

 

「杏ちゃん!」

 

  なんとか願子を引き寄せようと引っ張るが、それより早く後輪にぶち当たった伯奇の霊力が単車の後ろを喰いちぎる。その結果殺しきれなかったスピードに引っ張られ、二人は諏訪湖に落っこちてしまう。

 

「ちょ、ちょっと願子! 杏!」

「あらあら大丈夫?」

 

  ブクブク泡を吹き出して勢いよく顔を出す願子と杏の二人に二本の腕が伸ばされる。がっちり手を繋ぎ引き上げられた二人は、伯奇がその場にいるのも忘れてへたり込んでしまう。

 

「あーあー、一つだった的が四つに増えちゃってまあ。で? 何してきたわけ?」

 

  はっきり言って四人に伯奇を倒すことなど不可能だ。しかし、それでも、副部長が帰ってくるまでの時間なら稼げるかもしれないから。四つの息が一つになり、八つの目が一人の少女に向けられる。

 

「「「「 私(あたし)たちは不見倶楽部! 貴方(あんた)を倒す‼︎ 」」」」

「寝言は寝て言えボケどもが‼︎」

 

  諏訪の夜はまだ続く。

 

 




凡人VS凡人、最も泥臭い闘いが今始まる!


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凡人の意地

  諏訪の夜に再び花火が上がる。一般人ではどうにもならない光の脅威が空を走り、街灯の柱をへし折り大地を抉る。突っ立っているだけの四人の間を縦横無尽に走り抜け、光の奔流が不見倶楽部の四人の目を焼いた。どこにくるかも分からない弾幕の雨を伯奇以外にただ一人見ている者がいる。

 

  願子のかける似合わない虹色のレンズ越しに(うごめ)く真紅の輝きは弾け、走り、渦巻き続ける伯奇の感情を怖いながらもその感情を押し殺し、目を閉じずに飛来する弾幕から目を離さず覗き続ける。

 

  四人がこの場を離れずまだ弾幕の中に立っていることが出来るのは(ひとえ)に願子のおかげだ。魔力も気力も伯奇と違って使い方の分からない願子が唯一勝っているものは好奇心の強弱でしかない。だが、願子の底知れぬ好奇心が、今回は四人を良い方向へ進めていた。

 

「友里しゃがんで! 杏ちゃんは左に! 塔子はジャンプ!」

 

  どこまで行ける? どこまでやれる? 副部長と違って凄いことなど何もない自分たちがどこまで行けるのか見てみたい。不見倶楽部として過ごした数ヶ月は無駄ではないと信じたい。別に誰かと闘いたい訳ではないが、それでも副部長に自分たちは近付いていると信じるために。先走る伯奇の感情を追い走る弾幕を見逃さないように願子は見ることに集中する。その願子の指示に一片の疑いも持たず友里、杏、塔子の三人が動き、迫る弾幕をかわし続けていた。

 

  かれこれ五分、不見倶楽部の四人が放たれた弾幕を避け始めてから五分が経過した。避け続けている四人は凄いがそこまででしかない。五分経って四人は息が上がり始め、このままではいずれ被弾するのは確実だ。何より四人は副部長と違い一発でもまともに当たればそれでリタイアしてしまうだろう。だがそれで終わりにしてしまうわけにはいかない。あれだけ啖呵(たんか)を切ったというのに、何もせぬまま倒れたのでは格好がつかない。

 

  だがどうする? 願子の顔に浮かぶのは焦燥の色、この場で願子の働きは目を見張るものがあるが、見るだけでは相手を倒すことができない。

 

「ほーら、あんよが上手あんよが上手。なかなか頑張るじゃねえか、意味もねえのにさあ」

 

  うすら寒い笑みを浮かべて伯奇から齎される弾幕の密度が少し上がる。願子の視界が赤い光に染まっていく。

 

「みんな伏せて‼︎」

 

  願子の叫びに脳が理解するより早く反射で全員が地面に伏せる。友里は別としても、経ったの四ヶ月とはいえ不見倶楽部という特別な空間で共に過ごした信頼がなせる技。

 

  頭上を通り過ぎる深紅の波は願子たちの後ろに聳える電柱やベンチを粉々にすり潰して元の形さえ分からない。

 

  やばい無理だ打てる手が無い。願子の頭の中では諦めの二文字が大きく脳内を侵食していく。今まだ四人が無事なのは伯奇が舐めに舐めて遊んでいるからだ。地面に足を付けて立っているのもそう、その段階だから願子の指示で避けられているが、もし伯奇が少しでも本気になれば、副部長に放ったような弾幕を放たれれば無事では済まない。まず間違いなく最低でも死んでしまうだろう。

 

  その考えは願子だけでなく、杏も塔子も同じ考えが頭を過る。しかし、そんな中で願子の視界に映る一つの違和感。友里が見ている。願子の方から目を離さず何かを訴えるかのように強い目の輝きが願子の目を射抜く。

 

「友里?」

 

  友里の目が言っている。ここは自分に任せろと言っている。長い付き合いだからこそ分かる。友里が何も言わずに強く此方を見つめる時は自分に全て任せろという時。レンズの中に友里の激しい感情が渦巻き、その輝きが強く願子に訴える。

 

  いいのか? 本当に? 何をするのかは知らないが、もしここで友里に頼って友里が怪我をすることがあったら、死んでしまうことがあったら自分で自分を許せない。

 

  だがやるしかない。親友がやれると言っているのに、それを無下にできるほど願子は優しくは無かった。

 

「友里! 左に避けたら次に右に三歩! そしたら開ける! お願い‼︎」

「オッケー! 任せて!」

 

  来た、この時がついに来た! 『こちやさなえ』から四ヶ月、願子のため、親友のために力を貸せるこの瞬間をずっと友里は待っていた。そして願子からようやっと信頼が渡される。例えこんなことがなくても願子は自分を信じてくれている。だがそれだけではない、しっかりと言葉で欲しいものを受け取れた。

 

  足が軽い、疲れた身体が今動き始めたかのように自然に動く。迫り来る弾幕をまず左に避ける。きっちり右に三歩足を出せば、顔の横を霊力の塊が通過する。視界が開けた。

 

「舐めんじゃないの‼︎」

 

  そうこの時、この時のためだ。およそ二ヶ月ほぼ毎日副部長と血反吐を吐くような特訓をした。次は自分が殴るためだ。親友たちの障害を他でもない自分が殴るため。

 

  握る友里の右拳がほのかに輝き信じられないほどの熱量を持つ。副部長は友里との特訓の際手を抜くことは無かった。友里が怪我をしないように最低限の注意を払っていたが、飛び散る龍脈の輝きに触れることになった友里が得たのは、それを弾くために身に付けた僅かばかりの気の操作。自分の中に巡る熱い思いが薄っすらと拳と足から(にじ)み出し、地面に踏み込んだ足が大地を抉り友里は風になる。

 

  決して消える程の速さではない。しかし、油断していた伯奇に肉薄するには十分過ぎるスピードだ。伯奇の顔が僅かに歪んだ。

 

「てめえ!」

「くらえ‼︎」

 

  突き出された腕は確かに伯奇に伸ばされた。響くのは固い激突音。歪んでいたはずの伯奇の顔が笑みに変わる。友里の拳は伯奇の周りにある不可視の領域に(はば)まれていた。

 

『結界』

 

  博麗の技の真骨頂の一つ。その堅牢さは世界最高峰、残念ながら今の友里にその領域を越えることはできはしない。

 

「なんちゃって、いい夢見れたか? 消えろ」

 

  伯奇のお祓い棒が無造作に振るわれ、数多の弾幕が友里に迫る。

 

「まだです‼︎」

 

  友里の作った隙を突いて近づいていた杏が友里を無理やり引っ掴み、その場から転がるように離れた。間一髪、友里がいたはずの地面に弾幕が沈みぽっかりと小さな穴を残して弾幕は消え去る。

 

「ちっ‼︎ うざってえなあ」

「友里! 杏ちゃん後ろに下がって!」

 

  願子の指示を受けて即座に二人は後ろに下がる。二人のいた位置に上から大きな弾幕が沈んだ。その弾幕がバリケードのように伯奇と四人を分け、一時の静寂が辺りを包んだ。

 

「ごめん願子あたし無理だった……」

「どうしましょう願子さん」

「あら……ちょっと不味いわよ、ちょっとね」

 

  友里の動きは凄かったが、それで分かったのはそれでも通用しないということ。詰み? これで終わり? 僅かな希望ももう見えず伯奇の弾幕に沈むしかないのか? そんな思いが三人の内に渦巻くが、願子だけは違った。なぜなら見えていたから、友里の行いは決して無駄ではなかったから。

 

「大丈夫、友里もう一度行ける?」

「でも……」

「お願い、見えるから分かるの。友里にしか頼めない」

「……分かった。任せて!」

「うん、杏ちゃんと塔子もお願いあいつの気をそらして」

「「了解(です)‼︎」」

「ん? なんだよ作戦会議か? 無駄だな」

 

  伯奇はまだ油断している。ここが最後のチャンスで間違いない。願子が見たのは僅かな伯奇の結界の綻び。何度も副部長に叩かれすり抜けられた結界、その結界の綻びが友里の手から結界に沿って僅かに流れた気の流れがその綻びを願子にはっきりと見せてくれた。ならば後はそこを撃ち抜くだけだ。

 

  四人が覚悟を決める。これ以上何も言わなくとも全員分かっているからだ。これが自分たちのラストアタック。成功しようが失敗しようが自分たちの最後の行動となる。その四人の表情に気が付いたのか、伯奇も僅かに眉を(ひそ)めた。

 

  間髪入れず友里が突っ込んだ。

 

「友里左に四歩!」

 

  願子たち四人の中で唯一闘えるのが友里だと分かったからか、伯奇の弾幕が友里一人へと集中する。ここからは願子と伯奇の勝負だ。本気でないとはいえ永遠と放たれ続ける霊力の雨の軌道を見極めて友里に伝えるのは願子の役目。友里からそれる弾幕に気をつけ、それでも願子は目だけは伯奇から離さない。

 

  紙一重で友里は迫る弾幕をかわし、空いた空間へと足を向ける。願子の視界の中を駆ける友里に向かって伸びる感情の線が絡みつき、友里の左手前に赤色が弾けた。

 

「友里! 次は右に跳んで!」

 

  間髪入れず飛ぶ願子の指示に一切の疑問を持たず友里は右に飛ぶ。友里の元いた場所へ高速で飛来した弾幕が、その場所をことごとく吹き飛ばした。普通に歩けば友里と伯奇の距離は二十歩くらいだが、その距離は限りなく遠い。

 

  右に、左に、飛んで、しゃがんで、休憩する時間は与えられず、途切れることのない弾幕の雨の中をそれでも少しずつ友里は前に進んでいく。副部長との特訓で身に付いた体力と身のこなし、微々たるものではあるが、手足から滲み出る気のおかげでなんとか友里は()っている。

 

  残りおよそ十五歩の位置、ここまで友里が近付くのにおよそ五分、最初と比べ僅かに力の入った伯奇の弾幕を避けて進むだけでこれだけの時間が掛かってしまう。もう少しでも本気を出されれば動けなくなりすぐにゲームオーバーだろうが、可笑しそうに片手間にお祓い棒を振るう伯奇からはまだその予兆は見られない。

 

「頑張るねえ、そうやって身を粉にしていったいなんになるんだ? お前らだって分かってるだろ、絶対にあたしに勝てないってことぐらい。精々あたしの敵になりそうなのはお前らの副部長くらいで、悲しいかなお前らじゃああいつの十分の一程の脅威もねえ」

「うるさい!」

「お前避け続けてる割にはまだ元気だなおい。うるさいねえ、じゃああたしの声が聞こえないようにしてやるよ金髪野郎、お前がいなくなったらそれで終わりだ」

 

  僅かに笑みを深めた伯奇から速度を増した弾幕が友里の元へと殺到する。人の身で反応出来ない速度の弾幕は、見ていたはずの願子も反応できず、次の瞬間には友里が被弾してしまうだろう距離まで近づいた。

 

  終わる?

 

  いやまだだ。目前まで迫る霊力の塊を気を滲ませた友里の拳がはたき落とした。纏うというところまでいっておらず、その霊力の力に焼かれる痛みが友里の手を襲うがそんなことに構っている暇はない。二つ目、三つ目と迫る弾幕を反らし、叩き、身体にだけは当たらないように手を出し続ける。弾幕が止み、たった数秒の出来事だったにも関わらず、友里の両手からは血が噴き出し、目も当てられないほどボロボロだ。

 

「なかなか粘るな、だがその手じゃあもうあたしを殴る事も叶わねえ。お疲れさんまあ頑張ったんじゃねえか? 雑魚の割にはさあ」

 

  再び高速の弾幕が友里に向かって落ちていく。友里も、塔子も、伯奇もこれで本当に終わりなのだと確信していたが、それとは全く異なる想いを持っている者が二人。

 

  一瞬の隙を突き、両手を広げて友里の前に立つのは杏。友里のように気を僅かでも扱えるわけではない。伯奇のように結界もない。防げる技を持っておらず、伯奇の霊力を受けるのはその身体ただ一つ。友里に当たるはずだった弾幕はそのことごとくが杏に直撃する。

 

「「杏(さん)⁉︎」」

 

  友里と塔子の絶叫が響く。無事なわけがない。平気なわけがない。噴き上がる血潮がポツポツと友里の顔を汚し、閃光が次々と杏の身体から上がり、友里に降りかか真っ赤な量を増やしていく。

 

  願子は奥歯が砕けるのではないかというほど歯を食いしばり、杏の方をちらりとも見ず伯奇の動きにのみ集中する。

 

  杏が飛び込む直前、当然願子には見えていた。だがそれを止める事はたとえ神でも叶わなかっただろう。声を掛ける暇がなかったとか、手を出す暇もなかったとか、そんな事じゃあない。願子の瞳に映るのは強固な杏の意思そのもの。

 

  友里を助けたい。伯奇に負けたくない。そんな想いの中心にあるのは勝ちたいという意思。勝つ。人の持つものの中でこれほどシンプルで強い想いは存在しない。

 

  杏がいったいどんな考えの元にそういう想いを抱いたのかは分からない。だが、それでもその杏の輝きが伯奇の光よりもずっと強く、それに一瞬でも見惚れてしまった願子に止める権利などないだろう。

 

  だから願子は伯奇を見る。今願子に出来る事は杏の行いを嘆く事でもなく、悲しむ事でもない。勝つこと。杏の望んだ勝ちを目指してただ進むことそれだけだ。

 

  肉の焼き焦げる嫌な臭いが充満し始め、真っ赤に染まり顔も見えない杏だが、膝を折ることもなくまだ二本の足で立っていた。意識があるのかも分からないほどフラフラだが、それでも崩れ落ちはしない。

 

「杏!」

「…………友里さん……行ってください…………私たち四人……なら……きっと……」

 

  杏から聞こえる声はか細く、諏訪湖のさざ波と同じくらい小さなものだが、それでもはっきりと友里の耳には届いた。杏はまだ立っている。どれだけ弾幕が来ようとも決してその場から離れる気は無いらしい。そんな杏に友里が出来ることは、願子と同じく先に進むことだけ。

 

  杏の想いが友里の心に火を灯す。踏み締める足に再び力が込められる。杏がもう自分を守らなくてもいいように白奇へ向けて飛び出した。

 

  しかし、それを黙って見ている白奇ではない。笑みを消しくだらないと顔を歪めるが、その白奇の顔を覆うように幾つかの影が降り注いだ。白奇の結界に阻まれそれが白奇に当たることはないが、自らに飛んできた異常な物体に目が奪われ少なからず白奇の動きが止まってしまう。

 

「なんだこれ?」

 

  結界に張り付いているのは髑髏のゴテゴテとしたブレスレット、紐にくくりつけられたお札、数多のなんの意味もないガラクタが白奇の視界を覆っている。

 

  願子も、友里も、杏も自分を示した。なら私は? ただ突っ立ているだけでこのとんでもない光景を見ているだけなのか? そんなわけにはいかない!

 

  『こちやさなえ』の時でさえ外さなかった装飾たちを強引に引き千切る。それで服が破れるのも気に留めず白奇に向かって放り投げた。

 

  そしてそれらは塔子の願い通り伯奇の元に辿り着いた。なんの効力もないおまじないたちにも伯奇の目を奪う能力はあったらしい。

 

「友里さん今よ!」

 

  どんな理由があろうとも、この一瞬が必要だった。残り十五歩の間合いを詰め、伯奇の前に友里が立つ。拳が握れないのなら、放つべきは蹴りしかない。結界という不可侵領域を踏破できないと分かっていても友里は大きく足を振りかぶった。伯奇の顔はニンマリと深い弧を描き、無駄だと嘲笑う顔が友里に向けられる。

 

  それを打開する術は『色眼鏡』が握っている。この瞬間のためにただ願子は伯奇を見続けた。伯奇を中心に球を描く透明な膜に走る小さなヒビ。副部長が拳で叩き、友里の気によって浮かび上がったその場所を、ようやっと願子が口にする。

 

「友里! そいつの左の顳顬(こめかみ)を蹴り抜いて‼︎」

「クソが‼︎ てめえら‼︎」

「了! 解‼︎」

 

  四人の想いが遂に届く。小さな小さな隙間を通り伯奇の領域に確かな一歩を踏み込んだ。軽い音に続いて重い衝撃が伯奇を襲い、赤い糸を引いて諏訪湖の手前まで吹き飛ばす。血が滴る顳顬を抑え、伯奇の顔が憤怒の表情へと変化した。

 

「なんだよお前ら凡人の癖にあたしの顔をクソ‼︎ なに蹴ってんだ! あたしをたった一発蹴れたからっていったいなんになるってんだよぁあ⁉︎ そんな頑張っていったいなんになる? 無駄なんだよ、無駄無駄無駄‼︎」

「無駄じゃない! 私たち四人は確かに弱い、それでもあなたを殴れるんだから! どれだけ掛かっても、どれだけ少しずつでもそれでもあなたを殴れるの!」

 

  叫ぶ伯奇に叫び返す願子の元に、杏に肩を貸して塔子の二人、戦う姿勢を崩さずに友里が並ぶ。脆いはずだ。弱いはずだ。吹けば飛ぶような四人なのにしつこく剥がれない四人に向ける伯奇の表情は優れない。死に向かいあっているはずなのに異様に晴れやかな四人の顔、その四人の顔が昔の自分を見ているようで。

 

「ざけんな、ざけんなクソ‼︎ 意味ねえんだよ、何をやろうともどんな想いだろうと圧倒的なものの前では意味なんてねえんだ! お前らだって知ってるはずだろうが! そうじゃねえのかヘンテコ眼鏡!」

「うん、知ってるよ。よく知ってる。でも知ってるからこそ近づきたい。どれだけ時間が掛かろうとそれらを前にしても引かない人も知ってるから、少しでもその人に近づいて同じ景色が見てみたいの、私たちには今はこれが本当に精一杯。でも、それでもそれが無駄じゃないってあの人が見ててくれるから」

 

  四人の視界が伯奇を前にしていながら溢れる想いを止められずピントがズレてボヤけていく。諦めや恐怖からではない。伯奇の姿はもう四人の目には映らない。

 

  湖が割れる。

 

  モーゼの奇跡のように。

 

  季節にしては早過ぎる御神渡りは、伯奇の前まで続いている。

 

  暗い波打つ水の壁に挟まれて、月明かりの下に二つの複眼が輝いた。

 

「お、まえ」

 

  ボロボロだ。願子たち四人と比べても、擦り切れ破れた学ランに、身体のあちこちに見られる流血の後、それでも四人に向けられる副部長の顔からは優しい笑顔が向けられており、目の前にいる伯奇を完全に無視してひとっ飛びに四人の前へと副部長は降り立った。

 

「「「副部長!」」」

「願子、友里、杏、塔子、四人とも頑張ったな。側には居てやれなかったけどずっと見てたよ。後は俺に任せて三人とも杏を連れて後ろに下がって見ててくれ、次は俺の番だ」

 

  副部長が再び伯奇の前に立つ。満身創痍だ。今にも倒れそうな気さえする。それでも願子たち四人の副部長を見る目に不安はない。

 

「なんなんだよお前ら意味わかんねえ!」

「なんだ知らないのか? 俺たちは不見倶楽部、お前を倒す奴らさ」

 

  副部長が拳を握る。深緑の両眼を爛々と輝かせてその眼は伯奇だけを見る。

 

 




この瞬間に限って言えば、願子、友里、杏、塔子の四人は誰より強い。


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何が見える?

  一瞬だった。心のブレた伯奇では副部長の想いの込もった一撃を受け止めることなど叶うはずもない。両手を前に広げ崩れた結界を貼り直そうとするもそれより早く突っ込んだ副部長の拳が伯奇の顔を確かに捉え、結っていた髪をバラけさせて伯奇は諏訪湖の湖畔に立つ大きな木へと轟音を立て衝突する。

 

  大木の表面はクッキーのように簡単に凹み、軋む木の音に合わせて骨の潰れる音が聞こえる。傷を負った顳顬からより多くの鮮血を撒き散らし、諏訪湖に零れ落ちる血は闇夜に混じって消えていく。

 

  友里の一撃とは一線を画す必殺の一撃。人がまともに受けたならば、身体が四散し絶命するであろうほどの一撃を受けても、それでも伯奇は大地に膝をつくこともなくなんとか二本の足で立っている。無造作に揺れる髪はべったりと血を吸い顔に張り付きまるで幽鬼のよう。

 

  視界はすでにぐちゃぐちゃだ。実際伯奇が木に叩きつけられた時、一瞬とはいえ意識が飛んでしまった。それでも伯奇がまだ立っているのは小さなプライドに他ならない。しかしそれは自分から喧嘩を売ったから、博麗だからといったものではない。

 

  本気でなかったとはいえ自分の弾幕のシャワーの中で最後まで立っていた奴がいる。目の前にいる男よりも先に自分に一撃を叩き込んだ雑魚がいる。そんな者たちが見ている前で、誰より先に自分が地に伏せるわけにはいかない。何より嫌なのは何の才能もないと思っていた者に負けることだ。

 

  才能、それがどれだけ強大な力を持っているのか伯奇はよく知っている。知っているからこそそれに負けるわけにはいかない、それがない者になら尚更だ。

 

  目の前の男も、その男の背後に控えてこちらを見つめる四人の女も才能なんてない。それは伯奇自信に才能がないからこそよく分かる。願子の目、友里の技、杏の覚悟、塔子の意思。どれも才能なんて呼べる代物ではない。彼女たちのする行動の源になっているものはこれまで培って来た時間。それがどんなものであろうとも、泥臭ければ泥臭いほど負けるわけにはいかないのだ。

 

「ぁあ、なんだよおいそんなボロボロのせいで力が入ってねえんじゃねえのか? 全然効かねえぞ」

「そんな姿で言われても説得力に欠けるな」

「はっ! ハンデだよ、これくらいじゃねえとあたしとお前らじゃあ釣り合わねえ!」

 

  例え限界が近かろうと、伯奇の底なしの怒りが宙を彩る。

 

  この男だ。伯奇が何より気に入らないのはこの男、不見倶楽部副部長というわけの分からない生物が一番気に入らない。願子、友里、杏、塔子の比ではない。ダメージを押し殺し迫る伯奇の想いを背後にいる願子たち四人に届かぬように全て叩きおとす。手から(したた)る真っ赤な雫を気にせずに両手を振り回し、弾ける想いと合わせて副部長の手もまた弾けていく。小さな肉片が大地に落ち、ところどころ小さく白い断片が手から覗くが、それでも副部長は振るう手を止めない。その動きは痛みで緩むどころかより速さを増し、伯奇までの距離を詰めながら一歩一歩確実に足を前に進めていた。

 

  これだ。副部長の一足一挙動に垣間見える修練の後。どれだけ努力した。魔力もなく、気も扱えず、妖力、神力、仙力、なんの力もないはずなのに、龍脈という莫大な力の宝庫に手を触れるまでに至る間にどれだけの努力をしたというのか。伯奇にはよく分かる。分かってしまう。努力という近道のない(いばら)の道を同じく突き進む彼女だからこそ副部長が辿ったであろう地獄など生温い三千里よりはるかに長い道のりが副部長が動く度に脳内にちらつく。

 

  なぜ? なぜだ? いったい何を追えばそこまで行ける?

 

  この場で、伯奇を含めた六人の中で間違いなく群を抜いて副部長が最も才能が無い。そんな男が自分に迫るところまで来ていることが伯奇は信じられない。信じたくない。

 

「なあお前は何を見てるんだ?」

 

  ただ呆然と副部長の動きを傍観者のように眺めていた伯奇の目の前に副部長が到達する。腕は裂け指は曲がり、しかしその手を強引に拳へと握った副部長の一撃が伯奇に迫る。

 

「クソが!」

 

  紙一重でなんとか三度顔に放たれた拳を躱すも、反撃する力は伯奇には残されていなかった。不確かな足取りで副部長から距離を取ると再び弾幕を放つが、心の込もっていないそれが副部長に通用するはずもなく、軽く副部長が地面を足で叩いただけで、広がる大地の波紋がその一切合切をかき消してしまう。

 

「お前やる気あるのか? なんのためにここに来た」

「うるせえ、早く終わっちまうと興醒めだから遊んでやってんだよ」

 

  虚勢を張って吐き捨てる伯奇だが、やはりそれは虚勢でしか無く、無理をしているのは誰の目からも明らかだ。副部長よりも傷が少ないはずの伯奇だが、副部長よりも一つ呼吸するだけで大きく肩が上下をし、向けているはずの瞳もその位置が定まらない。

 

「なあお前は何を見てるんだよ? 俺には願子に友里、杏と塔子、そしてお前が見えている。お前の目には何が映る? 博麗の巫女しかお前は見ていないのか?」

 

  博麗の巫女、ああそうだ。何より求めたもの。何より欲したもの。幻想郷を見た日からそれを夢見なかった日はありはしない。

 

  博麗伯奇を突き動かすのはその日見た夢と初めての挫折。

 

「それのいったい何が悪い? 幻想郷を見た日からそこがあたしの目指す場所だ。そこがあたしの居場所なんだ。なのに今そこにはあたしの代わりに霊夢の奴が行ってやがる。なあおかしいと思わないか? 何より望んでいる奴がいるのにそいつが行けず、才能があるというだけでどうだっていいと思っている奴がそこに居る。努力は報われず、選ばれなかった奴はどうすればいい?」

 

  自分の言葉に背中を押され、伯奇のボルテージが再び上がっていく。身体はボロボロでも心までは壊れない。歪であろうが、その想いに嘘はない。不純な、だが純粋な伯奇の尖った心が副部長に向けられる。意味がないどころかやってはいけない行いだ。折れかけていた相手を鼓舞するなど闘いの中では愚の骨頂。だがそれでも副部長はそれでいいと僅かに目を細めた。

 

「お前が教えてくれるのか? お前が送ったんだろう? 東風谷早苗を幻想郷に」

「ああ教えてやるよ。今度は怒りに任せてじゃなく本気でな」

 

  伯奇が空を飛んだ。それを追って副部長も宙を跳ぶ。二人が見せるのは初めから持っていたものでは無く、自分の手で掴んだ自分だけの技。

 

  伯奇は正確に言えば空を飛んでいるのではない。正確には空に沈んでいる。だからこそ伯奇の動きは空を自由に羽ばたく鳥よりも、深海を泳ぐ魚に近い。空へ浮く霊夢よりも流動的で滑らかな動き、その伯奇を捉えるのは容易ではなく、深海を漂う生物たちの怪しくも暖かな光のように薄っすら光る弾幕の質は先ほどまで放っていたものとは明らかに違う。

 

  これが伯奇の本気の本気。真っ暗な一寸先は闇の世界で確実に獲物をしとめるための深海生物が持つ最大の牙を思わせる弾幕は、軌道を読むことなど叶わず、ただ相手を魅了するように好き勝手な方向に散っていく。

 

  行燈『夢見る提灯鮟鱇(あんこう)

 

  数年前、興味無さげに、しかし実際は聞き漏らさないようにしっかりと聞いていた紫の幻想郷の話の中にあった弾幕ごっこの話。スペルカードという存在を知った伯奇が自分の技に名前をつけるとしたらこれがそうだ。

 

  四方八方に相手を誘うかのように走る優しい光。だがそれに釣られてしまったら最後、本命の隠された牙が確実に相手の喉笛に喰らいつく。これが普通の相手なら、空に出現した深海世界に目を奪われてしまうだろうが、全てが見える副部長は違う。

 

  ゆったり漂う光の奥で、伯奇を表すかのような尖りに尖った何本もの槍が静かに照準を合わせ今か今かと獲物がかかる時を待っている。だが副部長が引っかかるはずもないと分かっている伯奇は、相手が動くよりも早く限界まで引き絞った槍を射出する。

 

  空を裂き、相手へ一直線に走る槍は今までの弾幕の速さの比ではない。弾幕ごっこに当て嵌めれば相手を殺すような一撃はご法度。しかし伯奇と副部長のしているそれは心を削りきるような闘いだ。

 

  確実に相手を射止めるために放たれたそれは、直線でしか動けない副部長を貫くと思われた。だがそうはならない。

 

  空を跳ぶ副部長は大地で立っている時の力の十分の一も力を発揮することができない。『こちやさなえ』の時もそうだが、しっかり二本の足で立っていても、地面ではなく三階という僅かに地面から離れただけで副部長の戦闘能力はぐんと落ちる。あの時はまだ地続きだったからこそ少しの力は発揮できたが、地面と接していなければ龍脈の恩恵を受けることができないのだ。それが空中なら尚のこと。

 

  しかし、その代わりに空には空で副部長には掴めるものがある。最初の伯奇との激突の際は怒りに任せて突っ込んだために出来なかったことだが、諏訪湖に頭を冷やされた今なら掴める。

 

  地球という大きな存在に流れる大いなる力は龍脈だけではない。空を縦横無尽に走るそのものの名は気流、遮ることはできるかもしれないが、決して止めることが叶わないそれを掴んだ副部長は、迫る槍をするりと躱す。

 

  身体で感じる風に乗り、空を滑る副部長を止める術などない、気流を止めることは出来ないのだから。副部長の視界を走る風のレールに乗っかって、伯奇の弾幕を今度こそ危なげなく避け切った。追尾してくる弾幕も、世界を駆ける風の速さには敵わない。

 

「なんだお前空飛べるんじゃねえか」

「飛んでないさ、滑ってるだけだよ俺は。滑空にむしろ近い。見た目よりキツイんだぞ、明日は全身筋肉痛確実だ」

「あたしだって沈んでるだけだぜ? 面白い、ならこれならどうだ?」

 

  十足『クラーケンの腕』

 

  一つ一つ漂うだけだった弾幕が数珠繋ぎのように十本の極太の鞭を形成する。実態が無い筈のそれは生物のように畝り空を切る轟音とともに副部長へと殺到した。

 

  右に、左に、上に、下に、振るわれる腕は小さな嵐を再現する。一本の腕が振るわれる度に、引っ張られた空気が暴風となって吹き荒れる。

 

  今まで伯奇の周りを滑るだけだった副部長はそれを見た瞬間に伯奇の元へと飛び込んだ。およそ物理的な闘いとなった今伯奇を叩くため? それは違う。副部長は迫る幻想の腕を避けるために伯奇の元へ近づいた。

 

  鞭とは根本よりも先端の方が速度が上がる。楽に避けるためには、離れるよりも近付くほか無いのだ。その証拠に副部長が迫る腕を躱したその後ろで、空気の弾ける音が鳴った。その音は最早爆弾の炸裂音に近い。背後で巻き起こった空気の衝撃波が副部長の背中に刺さり、服が弾け真っ赤な色が夜空を染める。

 

  その痛みに歯を食いしばり、副部長は前に進むしかない。少しでも恐れ後ろへ下がろうものならば、逆に破れたサンドバッグのようになってしまう。後ろに控えるのは絶対な死を与えてくれるギロチンだ。道はただ一つ、前にしか残されていない。

 

  だがそれは伯奇の狙い通り。この技を見て頭のいいものは誰もが伯奇に近付こうとする。好き勝手に振るうだけで遠距離の攻撃からも身を守れる攻防一体の矛と盾。そうして近づいてきた者に対して引くだけで千日手の出来上がりだが、伯奇の狙いはそれではない。何よりそれでは意味がない。

 

「流石と言っとこうか、一目見ただけで安全地帯を見抜いたその慧眼」

「そりゃどうも」

「だからこそ、とっておきを見せてやるよ!」

 

  霊符『夢想封印 海月(くらげ)

 

  海の怪物が闇に沈み、月が浮かんだ。海面に映る月の写しのようにゆらゆらと極大の光の塊が幾つも空へと浮かんでくる。そのまま空間に沈み込み、擦り込むような勢いで存在の塊が世界を支配した。それは伯奇の想いそのもののように自分はここにいると主張している。

 

  その強度は伯奇の世界そのもの。例え副部長が叩いてもビクともしないだろう。その正体は極限まで内に向けられた結界。下手に手を出せば、世界の摩擦に当てられて容易く削り切られてしまう。

 

  なんとかその場に留まる副部長だが、上下左右満遍なく漂う海月の群れは、動いているのかも怪しいゆっくりとしたスピードだが、着実に副部長の残りの人生を終わらせていく。

 

「これがあたしのとっておきだ。対霊夢や紫みたいなやつ専用の技さ。千にも迫る枚数の結界を重ねた絶対強度の塊が答えだ。例え境界を操る紫でさえこの技は無力化するのに時間が掛かるそんな代物だぜ」

「そんなもの俺に使っていいのか?」

「お前だからいいのさ」

 

  伯奇の口が三日月を描く。その表情は嘲笑といった相手を馬鹿にしたものは一つも込められていない。しかしそれに浮かべている本人さえ気がつかない。伯奇は心の底では既に副部長を認めているのだ。本人は絶対にそれを認めないだろうが、最初の技を副部長が避けた時点でそれは決定的なものとなった。

 

  どの技一つ取ったとしてもそれは伯奇がこれまで血反吐を吐くような努力をして一つ一つ丁寧にコツコツ積み上げてきた努力の結晶。それを副部長が避けた時点で副部長もまた同じように血反吐を吐くような努力をしてきたことが心の底で感じられたからだ。

 

  伯奇は異常だ。それこそ矛盾している。彼女は努力をしている者を嫌う、それは自分を見ているようだから。だが同じように努力をしている者を認めてしまう、それは自分を見ているようだから。

 

  伯奇の心にある想いは二つ。最も気に入らない目の前の男をさっさと消し去ってしまいたいという想いと、いったいどうやって自分の最高傑作を攻略してくれるのかという想い。

 

  ここが分岐点だ。副部長が越えられるかに全てが掛かっている。

 

  そして副部長が取った行動は酷く単純。

 

  その場で掴んでいた気流を手放し副部長は落ちていく。

 

  向かう先は足元に迫った一つの海月。

 

  ゆっくり落ちていく副部長に伯奇は声を上げそうになるが、次の瞬間に副部長が両足でそれに立ったことにより違った意味の声となる。

 

「は? おいなんだ?」

「質の問題だ」

 

  驚愕に身体の動きを止めてしまった伯奇の耳に副部長の芯のある言葉が響く。

 

「質、だと?」

「ああ、この技はおそらく真球を描くことでその真価を発揮する。完全なる球はチリ一つ残さず周りから全てを奪うだろうが、これは真球ではないな。僅かな綻びが内へと向かう力を捻じ曲げ、弱い部分を作り出している。それでもこれだけ存在が強いから掴むのは容易だ。完全ならこの上に立つなんて無理さ、俺の力では掴みきれずにシュレッダーにかけられた紙のようになってしまうだろう」

 

  なんだそれは? 破るのならもっと力尽くで破ってくれよ。人の理解も及ばない圧倒的な力で破られた方がまだ喚けるから。昔の霊夢のように飛び込んで全てを崩してくれ。それならまだ私は頑張れる。先に行ける。なのに破られた原因があたしのせい?

 

「ふざけんな! そんなこと、そんなことで‼︎」

「そんなことでもそれが理由だ。だから言っただろう? お前がもう少し今を見ていたらきっと結果は変わっていた。今も見れていない奴が幻想を見れるはずがないだろう?」

「う、くっ、がぁ‼︎」

 

 

 

 

 

 

  それからのことをあたし自身はよく覚えていない。気がついたときには諏訪湖の波に揺られて空に浮かぶ月を見ていた。その湖の冷たさに任せて沈んでしまおうかとも思ったが、何を思ったのかへんてこ眼鏡と金髪野郎が湖へと飛び込むと、ただ波に任せて揺れるあたしを湖畔まで引っ張っていく。

 

  意味の分からない連中だ。あたしのことなど放っておけばいいものをなぜあたしに構う。あたしを見る。今日会ったばかりでボコボコにしてきた相手の対応を完全に間違っているだろう。

 

  冷たい世界から伸ばされた三つの腕に引き上げられ、十の瞳があたしの顔を覗く。その目だ。その目が嫌だ。あたしを拒絶しない目が嫌だ。霊夢のように何の嫌味もなく覗く目が。

 

「伯奇も追い付きたい人がいるんだね」

 

  大の字で地面に転がるあたしの隣にへんてこ眼鏡は同じように寝転がるとそんなことを言ってくる。追い付きたい? 違うな、追い越したいんだ。あたしは霊夢の姉なんだぞ。……そうだ。あたしは霊夢の姉なんだ。あたしは霊夢になりたいんじゃない。あたしは……、あたしは……。

 

  声はあげない。そんなみっともない真似はできない。しかし、それでも頬に流れるものは諏訪湖の残った水滴ではなく暖かな想い。

 

  静かに泣く伯奇に誰が何を言うこともなく、残りの四つの影もその場に転がった。

 

  月が見える。

 

  優しく大きな月が。

 

  一頻(ひとしき)り泣いた後、腫らした目を擦ることもなく伯奇は上半身を起こして辺りを眺めた。強い、この五人を弱いとはもう伯奇には言えそうもない。そんな伯奇の顔を見上げる複眼が目に止まり、副部長は静かに口を開いた。

 

「そう言えば自己紹介がまだだったな? 俺は不見倶楽部の副部長」

「私は瀬戸際願子!」

「出雲友里」

「桐谷杏……です」

「小上塔子よ」

 

  伯奇の顔を見上げる目が優しく細くなる。なんてお人好しな連中だ。こいつらに自分から近づいた時点で既に自分は負けていたらしいと伯奇はようやっと長い長い一息を吐く。

 

「副部長ってお前ふざけてんのか? 名乗ってねえじゃねえか」

「いいんだよ俺はこれで、それでお前は?」

 

  期待の込められた副部長の視線が伯奇を射抜く。これだからこの男は気に入らないと、小さくどこか嬉しそうに伯奇は舌打ちを一つ打った。

 

「あたしは博麗、博麗伯奇、博麗の巫女を()()()()()()馬鹿な女さ」

 

  その答えを受けて副部長の顔がニヤリと歪む。

 

  あぁクソ、絶対いつかあたしが勝つ。

 

  急激な疲れに襲われて、伯奇の意識は暖かい感情の中へと沈んでいった。




副部長は蟲のような奇怪な男。
伯奇は深海魚のような奇抜な女。
彼らには一応コンセプトがあるのでどこかで登場人物のまとめを書きたいですね。次回はいつものように後日談です。その後にちょっとだけ幻想郷の話を書きます。幻想郷では何をやっているんでしょうね?


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一日が終わって

  博麗伯奇がやって来た。その顛末(てんまつ)は言ってしまえば何もなかったと諏訪に住む全員が思ったことだろう。朝のテレビではいつもと変わらぬニュースが流れ人の往来も変わらない。

 

  夜が明けて、『こちやさなえ』よりもとんでもない爪痕を残した不見倶楽部と博麗との闘いは、そんなことなど無かったかのように昨日と変わらぬ景色が諏訪に広がり、学校へと向かう願子たちは狐につままれた気分だった。

 

  しかし、昨日夜空に上がった花火の姿は忘れることができず、それが自分たちに向かった時の恐ろしさを拭い去ることができない。その時の感情が嘘や夢ではないのだと願子たちに教えてくれる。

 

  こんな魔法のようなことをやったのは誰なのか? そんなことは全員分かりきっている。

 

  八雲紫だ。

 

  仰向けに転がる六人が見つめる月の影から、お気に入りの喫茶店に寄るかのように気軽に舞い降りた紫が一つ指を鳴らしただけで、今まで起こったことが幻のように消えてしまった。

 

  ボロボロだった副部長、伯奇、杏の怪我は綺麗さっぱり消え失せて、摺り切れ原型を留めていなかった全員の制服も元に戻り、いつもと変わらぬ諏訪の夜が戻ってきた。

 

  それだけではない。『こちやさなえ』の一件で、忙しなく動かざるおえなかった生徒会や学校の先生と同じように警察や役人が動いたり、テレビやネットで報道されると誰もが思ってていたが、そうなっていない辺り紫が他にも色々と手助けしたのは明白だった。

 

  此度の一件で、最も謎の多い存在は紫で間違いないだろう。伯奇の隣にいた癖に、願子に誓うと言った通り終わるまで本当に影も形も現さなかった。願子たち一般人の頭では幻想郷の賢者の考えを読むことは不可能らしい。

 

  だが、分かりやすいこともある。博麗伯奇、願子たちはその存在に手を届かせたのだ。『こちやさなえ』を相手に逃げることしかできなかった時とは違う。自分の意思で立ち向かい、どれだけ小さかろうと一矢報いた。

 

  伯奇がやったことは許せないことかもしれない。自分の我儘のために本当なら死人が出てもおかしくないことをやったのだ。だがしかし、それは大きなチャンスとなって願子たち四人の前に転がった。

 

  何を言っているんだと思われるかもしれない。馬鹿なんじゃないかと、自分から危険に突っ込んで頭がおかしいのかと、しかし、願子たち四人は見事にそのチャンスを掴んで見せた。そんな四人の胸の内はこれまでにないほど晴れやかで、今日も不見倶楽部の活動を行うために四人はきっちり八時に校門の前に集合すると、足取り軽く部室へと続く扉の取っ手を引っ掴み勢いよく開く。

 

「おっはようございまーす!」

「よお」

 

  空気が凍る。

 

  片手を挙げて意気揚々と部室への一歩を踏み出した願子はそのまま動けず、何事かと願子の後ろから部室を覗き込んだ三人も同じように固まってしまう。

 

  部室のソファーの縁に両腕を投げ出し足を組んで四人を出迎えたのは顔を彩る多くのピアス、夜闇では完全にその姿を隠してしまう真っ黒なセーラー服、博麗伯奇その人だ。

 

  よく見ればいつもと変わらぬ定位置にしっかり副部長も居るが、腕をダラリと下へ投げ出し真っ白に燃え尽きていた。

 

「うぇ? え? なんで伯奇が居るのよ⁉︎」

「副部長先輩になにしたんですか!」

「なんもしてねえようるせえな、来たんだったらさっさと座れ」

 

  面倒くさそうに伯奇は願子たちにそう返すと、顎で対面のソファーを指す。燃え尽きている副部長には一切触れる気は無いらしく、おっかなびっくりソファーへ向かう願子たちをただジト目で見ているだけだ。

 

  願子たちが座るのを確認すると、伯奇は投げ出していた腕を前で組み体を起こし、しげしげ四人の顔を眺める。その顔は形容しがたい難しい顔をしており、しきりに波打つ眉毛の動きが面白く、願子と塔子は少し口がにやけてしまう。伯奇は一通り四人の顔を見終えると、顔を歪めて小さく舌を打った。

 

「見れば見る程弱っちそうだよなお前ら」

「負けた人に言われたく無いんだけど」

 

  掛けられた言葉に真っ先に牙を剥くのは一撃を叩き込んだ友里。副部長といい伯奇といいこういった手合いには口だと本当に強い。それに気分を悪くするほど伯奇の器は小さくないらしく面白いものを見るように、

 

「弱いとは言ってねえだろうが、まあ強いとも言ってねえがな」

 

  そう言ってようやく伯奇の表情は変わるが、その顔は明らかに相手を見下す笑みだ。昨日の今日でよくもまあこれほど高圧的になれるものだと苦い顔を願子たちは伯奇に返すが、全く効いていないらしい。

 

「それよりなんで伯奇さんがいるのかしら? てっきり私はもう帰ったのだと思っていたわ」

 

  動じない伯奇と同じくらい空気の読めない塔子が、前回よりも更に進化したアクセサリーの山がカチカチ打ち鳴らす音をBGMに当然の疑問を口にする。それを聞くと伯奇は急に不機嫌な顔になり再びソファーに身体を預ける。「ーーーーだよ」と伯奇の声は呟くよりも小さく聞き取ることが難しい。

 

「え? なに?」

「だからーーーーだって……」

「全然聞こえないんだけど、昨日のダメージで頭でもやられちゃったの?」

「だから! 追い出されたんだよ‼︎」

 

  口ごもる伯奇を良しとし少しからかった願子と友里に勢いで伯奇はまくし立てた。追い出された。今度はしっかりと聞こえた願子たちだったがそれは全く要領を得ない。まずどこを追い出されたのかも分からないし、それで伯奇がここにいる理由にもならない。それが伯奇にも分かっているらしく、気恥ずかしさを誤魔化すためか組んだ足を組み直し何度も舌打ちをしている。

 

「紫のやろうのせいだ。あのやろう長に告げ口しやがった。おかげであたしは博麗の里に戻れねえ」

「で?」

「だからしばらく世話になるぜ」

「すいませんちょっと意味が分からないんですけど」

 

  博麗の里を出禁になった。それはまあいい、伯奇の自業自得だということが四人にも分かる。だがそれでなぜ不見倶楽部に厄介になることになるのか。友達いないの? だとか言いたいことはたくさんあるが、流石に昨日の伯奇を見ている四人はそこまで強く出られない。

 

  副部長に助けを求めるかのようにちらりと執務机の方を四人は見るが、なにがあったというのか完全燃焼している副部長は全く使い物にならない。この四カ月で願子たちが分かったことの一つ、副部長はいざという時とオカルトでは頼りになるが、日常的なことでは意外と役に立たない場面が多いということ。

 

「しかしなんだ? この部屋なかなかいい趣味してるよなあ気に入ったぜあたしは」

 

  部屋に置かれた置き物のように大人しい四人を尻目に伯奇はソファーから立つと部室のものを物色していく。元が美人なだけにランプを指先で撫でる伯奇の姿は一枚の絵画のようだ。ただ塔子同様姿が奇抜すぎるためにパロディのような匂いが酷い。

 

「まあ居るのは副部長がまだなにも言ってないから分からないけどあんたいったい住む場所はどうするのよ」

 

  伯奇の後ろ姿に問い掛けた願子の言葉を受け、可笑しそうに笑うと伯奇は執務机で死体ごっこをしている副部長の方を指差した。

 

「そいつの家に泊まってるから心配は要らねえ」

「「「「は?」」」」

 

  泊まってる? 副部長の家に?

 

「ちょっとなによそれ? それいいの? ちょっと副部長‼︎」

 

  執務机に飛び付いた願子が副部長の襟を掴みガクガクと揺らす。力無く揺れる副部長は、願子の叫びと力任せの運動のおかげで瞳に光が戻ってきた。目の前にいる願子を一瞥(いちべつ)すると、部室にいる伯奇の姿を捉えまたガクッと椅子に沈む。

 

「副部長ぉぉぉぉ!!!!」

 

  その副部長のポンコツ具合により強く副部長を強く願子が揺すれば、あまりの願子の力強さと副部長の力の抜け具合が相まって固い執務机の天板に頭を打ち付けた。机の上に血の池が生まれ、部室の中はさながら殺人現場。その光景に流石に願子も正気を取り戻す。

 

  しばらくそのまま動かない副部長だったが、赤い糸を引いてゆっくりと執務机から立ち上がると、前髪を掻き上げ何時ものようにコーヒーを淹れる準備を進めていく。

 

「あの、副部長?」

 

  副部長が壊れた。そう思っても仕方がないがそうでは無いらしい。六人分のコーヒーを手早く淹れるとソファーの方へ移動し腰を下ろす。まだふらふらしているが、それでもようやっと副部長が帰ってきた。

 

「副部長先輩大丈夫ですか?」

「……平気」

「それで伯奇さんのことなのだけれどなんでここにいるのかしら?」

 

  割れた額を気にも留めずコーヒーを飲む副部長に四人が聞きたかった疑問を塔子が聞けば、一度手を止め、一気にコーヒーを飲み干すと普段では絶対やらないだろうに大きな音を立てカップをソファーテーブルに叩き付ける。

 

「……あぁそれね。八雲だよ、八雲紫。あいつのせいだ。あのやろうマジで人の足元見やがって……。もうダメだマジで。俺の家にあんなのが住み着くなんて最悪だ」

 

  また八雲か……。話し続ける副部長の口調には悲しみの色が少なからず見え隠れし、話が進むごとにまた副部長は真っ白になっていく。元の原因は自分であるのにも関わらず、勢いよく伯奇は副部長の隣に腰を下ろすと気安く副部長の肩をバンバン叩いた。

 

「なんだよしけてんなぁ、あたしみたいな美少女と一緒なんだからもっと喜べよな」

「うるせえ! 八雲紫のやつがあんなこと言わなきゃ絶対お前を居候させたりしねえよ! 昨日も急に家で酒盛りしだすしもう嫌だ!」

 

  伯奇の手を払い抜け喚く副部長はかなり参っているようだ。八雲紫がどんな注文を付けたのか気になる四人は当然そのことを聞く。副部長は疲れた顔を持ち上げて、コーヒーのおかわりを注いだ。

 

「今回の件を揉み消したのは全員知っての通り八雲紫だ。 その労働費としてこいつを住まわせろというのが一つ、もう一つはお前たち四人の修行に関してだ。まあ他にも頼まれごとが幾つかな」

 

  そう言うと副部長は話を切ってソファーに沈む。願子たち四人は予想外の一撃を受けて間抜けな顔を晒すことしか出来ない。修行? なにそれ?

 

「あのー副部長なんか今およそ現代じゃあ聞きなれない単語が聞こえたんですが」

「ああ修行ね、よかったねお前たち八雲紫がたまーにこっち来て修行つけてくれるってさ」

 

  修行。仏教における用語の一つ。ではなく副部長が言っているのは漫画や小説のようなもので間違いない。滝から落ちてくる丸太に技をかけたり、崖を落ちながら走るとかそういった類のものを想像した四人の顔から血の気が失せる。

 

「いやいやいやいやちょっと待ってください副部長、え? なんでそうなったんですか?」

「私たちはいつからバトル漫画の世界に迷い込んでいたのかしら、不思議ね気がつかなかったわ」

「塔子、あんた病院行ってきな」

 

  そんな光景に大爆笑している伯奇は置いておき、どうしてそうなったのか四人には全く理解できない。その疑問に答えてくれたのは副部長ではなく、意外にも伯奇。笑い終えると目尻に溜まった涙を指で弾く。

 

「いやいやよかったじゃねえか、見所があるってことだろうよ。まあなんにせよお前らこの先強くならなきゃどうしようもねえぞ」

「それはなぜなんでしょう?」

「んー、なんだよ杏分かんねえのか? お前らは少し、本当に少ーしだがあたしに対抗して、終いには勝っちまった。まあそれは副部長のおかげだがそれでも不見倶楽部のことを奴らは知ったぜ」

 

  指を立て「大変だな」と笑う伯奇の言っていることが理解できず四人は首をかかげる。それをコーヒーを飲みながら横目で眺めていた副部長は仕方がないと補足した。

 

「博麗はオカルト世界じゃそりゃもう有名だ。その博麗に勝っちまったってことは少なからず力を試したい馬鹿共に目をつけられるだろう。少しでも力を付けておいた方がいいということだ」

 

  要は有名税のようなものだ。今回の勝利を四人は喜んでいいのだろうが、ただこの先未知の脅威が迫るということ。何か言わなければいけないのだろうがどうも口が上手く動かずなんとも言えない表情しか浮かべられない願子たちは悪くない。そんなことになるとは博麗に向かっていった時の願子たちは思ってもみなかった。だが、そんな願子たちの心中を分かっているようで副部長は続いて口を開く。

 

「だがまあそんな危ない目に合わない方法もある。お前たち不見倶楽部を辞めろ。今はまだ不見倶楽部という名が一人歩きしているだけだろうから誰かが来る前に抜けてしまえば問題はないだろうさ、そっちの方が俺はいいと思うよ」

 

  副部長の顔は大真面目で、冗談で言っているのではない。

 

  不見倶楽部を辞める。

 

  今までそんなことを考えたことなど四人には無かった。入部してから四ヶ月。たったその四ヶ月だけでこれまで見ることのできなかったものをどれだけ見ることができたか。そんな最高の部から遠ざかる考えを持つことなど無かった。

 

  だが今は? 願子たちが不見倶楽部に入ったのは闘いたいからではない。見たいものを見るために入った。それは自分であり、不思議であり、幻想である。決して突き出される拳や放たれる弾幕を見たいから入ったわけではないのだ。

 

  今回博麗に向かったのも副部長への恩返しのためであり、決して自分の力を示すためではない。だが次は違う。副部長の噂を聞いてやって来た伯奇のように、何かの噂を聞きつけて脅威が自分の元にやってくる。もしその時一人っきりならば、それを自分の手で振り払わなければならない。

 

  異常だ、それこそ日常とはかけ離れた生活になるだろう。およそ幻想を忘れ去った現代でお伽話に出てくるようなことをするなど普通なら考えられない。

 

  副部長の言葉を受けて少なくない沈黙の時間が部室に流れる。黙り込む四人に副部長は決して何も言わず、ただ帰ってくる答えを待っていた。

 

  「辞めません」

 

  最初に答えを出したのは杏。その目はしっかり副部長の目を見ており、膝の上に置かれた手にギュッと力が込められている。僅かに震えている肩は武者震いのためか恐怖のためかそれは本人にしか分からない。

 

「いいのか?」

「はい、私はまだここにいたいです。私が不見倶楽部に入ったのは強い自分になりたいから、だから修行ならむしろばっちこいってやつです。それに私は今回まだ何もできませんでしたから、友里さんと願子さんに任せっきりで……。だから私も強くなりたいです副部長先輩」

「……そうかい」

 

  何もできなかった? それは違う。博麗との闘いで最も身体を張ったのは杏だ。それは全員が分かっている。伯奇だって副部長を除けば、口にこそ出さないが四人の中で最も認めているのは杏である。だが本人がそう思っているのであれば何も言うことはない。この少女はまだまだ強くなる。部室の隅で聞いていた伯奇はニヤリと笑った。

 

「私だって辞めないわ、だってまだまだここでやりたいことがたくさんあるんですもの」

 

  続くのは塔子。大げさに動き装飾たちの打ち鳴らす音も嬉しそうに跳ねる。その顔はいつも通りのムカつくほど清々しい顔に戻っており、副部長は何も言わずただ笑顔を返した。

 

  出遅れた! とそれに黙っている願子ではない。勢いよくソファーから立つと、ビシッと副部長を指差した。他の者たちと違って願子は辞めないだろうなあと思っていた副部長は、特に驚くこともせず少し呆れた眼で願子を見る。

 

「私だって辞めない! 副部長にはまだ教えて欲しいことがいっぱいあるし、見たいものだっていっぱいあるんだから! なんだってどんと来いよ」

「そうだな、それに瀬戸際さんにはこの傷の治療代くらいは働いて貰わんと」

 

  副部長! という叫びを残し、けらけら笑う副部長の声に合わせて願子はソファーに座り直す。同じ一年生三人を眺めていた友里は小さくため息を零すと、全員の視線を受けていることに気づきまたため息を零した。

 

「これじゃあ辞めたいって言っても辞められないじゃん。まああたしだって辞める気は無いけど、ね? 副部長、あたしの言った通りになったでしょ?」

 

  何ヶ月か前に友里が口にした言葉。何があろうと幻想を追うことを止めない。それは願子を指して言った言葉であったが、他の二人も同じらしい。副部長は肩を竦め、友里の方に向き直る。

 

「ああ、出雲さんの言った通りだったよ」

「何よ、なんの話?」

「別になんでもないさ、ただ出雲さんが俺に鍛えてくれって言った時にちょっとな」

「はい? 鍛えるってちょっと待って友里、あんた黙ってそんなことしてたの? ズルいよ抜け駆けじゃん!」

 

  ここでようやく友里が唯一闘えていた理由に願子は合点がいった。自分に隠して一人だけそんなことをしていたとは。願子の目がジトッと濁っていく音が聞こえるようだった。

 

「ふーんだ。別にいいよ、私だって修行して強くなるんだから! 友里なんてすぐに追い抜いて副部長や伯奇みたいになるんだから‼︎」

「いやそりゃ厳しいな」

 

  拗ねる願子に掛けられるのは副部長の言葉。なんと心無い一言だろう。普通君ならきっとできるといったようなことを言うべきではないのか? 願子のジト目が副部長に向けられる。

 

「何でですか⁉︎ 掛ける言葉間違えてませんか‼︎」

「間違えてないよ、俺には追いつき追い抜けるかもしれないが伯奇にはほぼ無理だ」

「なんで!」

「そりゃ八雲紫曰く程度の能力のせいだよ」

 

  程度の能力。

 

  副部長が言うにはオカルト中のオカルト。その発現方法は不明、科学的な根拠は何も無く人妖問わず発現する。突発的、後天的、発現時期も分からず法則もない。それには魔力気力霊力妖力関係なく、常識が絶対届かない領域。

 

  東風谷早苗の奇跡を起こす程度の能力。博麗伯奇の沈む程度の能力。どちらも驚異的な能力だ。願子たちが今程度の能力を持っていないのならば、それが目覚める確率はほぼゼロに近い。

 

「え? 副部長は?」

「俺のは体質だ」

 

  そう、副部長の蟲の眼は突然変異の賜物である。程度の能力という夢のような力ではない。副部長が見えないものが見えるのは、複眼が見えるレンズ眼では不可視の電磁波が見えるのと、人の巨大な脳のおかげと答えが出ている。そして副部長が振るうのはそれによって掴んだ圧倒的なまでの努力の技。普通の人が見れば程度の能力も副部長の力も大差ない凄いものなのであろうが、根本的に根元が異なる。程度の能力を再現することは出来ないが、副部長の技はできる。

 

「まあそんなことはいいさ、お前たち不見倶楽部に残ってくれるというのは嬉しくはあるがいいのか今日は? オカルト総会がもうすぐだぞ」

「「「「あ‼︎」」」」

 

  さあ走れ願子たち、時間がないぞ駆け抜けろ。副部長は笑い、願子たちは走る。オカルト総会まで残り九日、今日こそオカルトを掴むため足を動かし続けるのだ。

そんな不見倶楽部の戻った日常を、いつの間にかすっかり元に戻った部長と副部長の写真が執務机の上から眺めていた。

 




これで一応第二章は終わりとなります。ここまで読んでくれた皆様ありがとうございました! 次回はちょっとした蛇足として幻想郷の話を書きます。部長は何してるんでしょうね。

まだまだ不見倶楽部の中で副部長と部長の中学時代の話や出来れば幻想郷の話を書きたいですね。

第三章は神様の話になります。諏訪で神様と言えばあのお方。そのお方に関わるお話になります。

第三章に入るまでまた多少不見倶楽部活動日誌の方が合間合間で書こうと思っていますのでよければ眼を通してください。

これからも不見倶楽部の五人をよろしくお願いします。


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閑話 幻想郷の日常

*この話には非想天則、早苗ストーリーのネタバレが含まれております。読む際にはご注意下さい。


  影を追った。

 

  大きな大きな黒い影、ブロッケンの妖怪を。

 

  それを巨大ロボの影だと信じて幻想郷中を駆け回った。

 

「早苗あんた馬鹿なんじゃないの? そうじゃなきゃイかれてるのね」

「酷くないですか⁉︎」

 

  幾人かが空に浮かぶ巨大な影を追ったその夜に、博麗神社で開かれた宴会で大きな胸を存分に張って駆け回った内の一人である東風谷早苗が話した内容に毒を吐くのは博麗霊夢。二人でまだ一升瓶を二本しか開けていないあたりまだ酔っ払ってはいないはずなのに大分胸に効く一撃をするりと口から出す霊夢は、もし外の世界の姉がこの場にいたら喧嘩を売るより早くどうしてこうなったと頭を抱えることだろう。ちなみに二人の足元に転がる二本の酒瓶の中身の八割は霊夢が飲んだ。

 

  しかし、霊夢が早苗を馬鹿にするのも頷けるもので、追った先にあったものは非想天則、蒸気によって膨らみ自在に動くアドバルーンだったのだから当然だろう。勝手に思い違いをし、そんなもののために一日無駄にした挙句神とまで闘ったとなれば馬鹿にされて当然だ。

 

「まあそういうなよ霊夢。しょうがないさ、なんたって巨大ロボを見ちまったんだぜ? なあ咲夜」

「ええそうね、仕方ないと思うわよなんたって巨大ロボを見ちゃったんだものねえ妖夢」

「そうですね、仕方ないですよ。なんたって巨大ロボを見ちゃったんですから、ね霊夢さん」

「そう言われればそうね、まあ確かになんたって巨大ロボを見ちゃったんだもの。ねえ早苗」

「そうですよ、なんたって巨大ロボを……ってもういいですよ‼︎ 皆さん意地悪なんですから!!!!」

 

  話を聞いていた霧雨魔理沙、十六夜咲夜、魂魄妖夢の三人が寄って来た。揶揄(からか)われた早苗は怒って両手を振り上げるが、口元は嬉しそうに笑っている。それをもし外の世界にいるある男が見たならば、きっと自分の行いは間違って無かったと思うだろう。しかし、その後に煽るようにお酒の入ったグラスを口に傾ける早苗の姿をもし見たなら死んだような顔になるはずだ。

 

「あら霊夢楽しそうね。なんの話かしら」

 

  楽しげな空気に誘われたのか空中からヌッと八雲紫が上半身をスキマから覗かせる。右手に一升瓶を、左手にはグラスを、臨戦態勢は完璧。いつまでも飲み続けられるスタイルだ。

 

  霊夢は伊吹萃香や西行寺幽々子のところにでも居ればいいのにと強く頭を悩ませながら、他の四人へと救援求む視線を投げるが全員から受け取り拒否されてしまう。なんて血も涙もない奴らだと顔を顰めた。

 

「何よ紫、ほらこんなとこに居ないで萃香とか幽々子とか幽香のところに居なさいよ。ほらあっちで騒いでるでしょ」

 

  何があったのか巨大化した萃香が転げ回っている。その下にある手水舎を押し潰し、耳障りな笑い声を上げた。あとで絶対弁償である。紫も面白そうに友人の乱痴気騒ぎを眺めるが、あらあら微笑んで視線を切ると目を細め霊夢へと顔を戻した。

 

「それもいいのだけれどね霊夢。今日は貴女に話があるのよ」

「話? それって面白い話なんでしょうね」

 

  八雲紫から個人指名の話。絶対にろくでもないことだと容易に予想できてしまう。霊夢は災難だが、早苗たち四人からすれば酒の肴に他ならない。視線は決してそちらに向けず、耳だけはしっかりと立てていた。

 

  紫の顔から笑顔が消えると、少しだけ申し訳なさそうな顔になる。普段絶対見せない紫の表情に少し霊夢は驚くと、手に持っていたグラスを境内の地面に置き、聞かされる話を聞き逃さないように集中した。それを確認した紫はあまり外に漏れないように霊夢の耳に口を近づけ、

 

「伯奇が負けましたわ、コテンパンに」

 

  そう口にした。

 

  誰だそれ? と早苗たち四人が思うのもしょうがない。博麗伯奇。霊夢が幻想郷に来るより前、博麗の巫女を目指した少女のことなど知っているはずも無かった。だが霊夢は違う。自分の姉代わり、数少ない本当に血の繋がった相手。

 

  幻想郷に行く日、伯奇と霊夢との別れは最悪と言っていい。大好きな姉に仕方ないとしても一撃を加え、別れの挨拶もなしにもしかしたら一生会うこともない近いが遠い地に移った。だから幻想郷に来てから霊夢が伯奇のことを口にしたことはない。

 

「ちょ、ちょっと紫それどういうことよ! 大丈夫なの⁉︎ け、怪我とか⁉︎」

 

  だが決して伯奇のことを霊夢が忘れたことはない。大好きな姉だ。例えどんな姿を自分に見せてもいつも傍に居てくれた最高の姉。霊夢は知っている、姉は強いことを。そんな姉が負けたと聞いて心配しないはずはない。

 

  取り乱し紫の襟を引っ掴んで引き寄せる姿に驚かない者はいない。近くにいた四人は勿論のこと、その叫び声と急なことで紫が落として割れたグラスと一升瓶の音を聞いた萃香、幽々子と永遠亭の者たち、アリスと紅魔館の面々、妖精に地霊殿の者、八坂神奈子と洩矢諏訪子の神さえも霊夢の声を聞きつけ集まって来る。

 

  紫の襟を掴む霊夢の必死の形相に誰もが一度止まってしまうが、一番近くに居た早苗がその霊夢の腕を慌てて掴んだ。

 

「落ち着いて下さい霊夢さん! それじゃあ紫さんが話せませんよ!」

「そうだぜ霊夢! それに伯奇っていったい誰なんだぜ? 一人で焦ってても分からねえよ!」

 

  早苗に続く魔理沙の援護にようやく霊夢は掴んでいた腕を離すと、一度息を吐いて頬を叩いた。自分の心をリセットする。心配そうに自分を見つめる数十の視線に答えるため、ゆっくりと息を吸った。

 

「伯奇姉ちゃ……姉さんはあたしの姉よ」

「「「「「姉⁉︎」」」」」

 

  そうして落とされたのは特大の爆弾。博麗霊夢に姉がいた。一番霊夢と仲の良い魔理沙ですらそんな話は聞いたこともないのだから当然だろう。この異変絶対解決するマシーンのような霊夢の姉など想像もできない。霊夢が姉ちゃんと言おうとした事実は周りの驚愕に押されスキマに流された。

 

「正確には従姉妹だから姉というより姉のような人なんだけど」

「いやそんなのどっちだっていいぜ‼︎ お前の姉ってどんなとんでもない奴だよ。咲夜は知ってたか?」

「いいえ知らなかったわ」

 

  当然、伯奇の存在を知っているのは霊夢、紫、藍、橙、紫の友人である幽々子、萃香、幽香、と例外として運命を操る程度の能力を持っているレミリアとその友人のパチュリーといった当事者たちと幻想郷での権力者しか知り得ていない。

 

  その情報が出回らなかったのも、霊夢自身が話さなかったことが一つ。紫や他の権力者も必要以上に語らなかったことが一つ。面白いと思い口外しなかったレミリアと、偶然が重なり霊夢に近しい幻想郷の友人たちが知る機会が無かった。

 

「それで? 伯奇姉さんは大丈夫なの?」

 

  一通り落ち着いた霊夢と周りの者たちの視線が紫に集まり、こんなはずじゃあ無かったと少し紫は反省した。まさかあの霊夢がこれほどまだ伯奇を思っていたとは見誤った。しかも伝える情報は大変というより、

 

「ええ大丈夫よピンピンしているわ、寧ろ前より元気なくらい」

 

  という全く心配もないもので、霊夢に(ささや)くように伝えるという思わせ振りな態度で言ったのはなんだったのか? 一気に紫に怒りが爆発した霊夢が拳を放ったことを咎める者は誰もいない。寧ろ紛らわしいことを言った紫に向かって魔理沙の援護射撃やこれに便乗して普段の鬱憤(うっぷん)を晴らそうと色とりどりの弾幕が紫を襲う。

 

  煙が晴れた先には流石に悪いと思ったのか、甘んじて弾幕を受け続けた少し焦げ臭い紫が地面に無様な姿で転がっていた。

 

「紫、次紛らわしいこと言ったら退治するわよ」

「いやもうこれは退治してしまっているのでは?」

 

  主人(あるじ)の友人であるために傍観者に徹していた妖夢の言葉の通りピクピク痙攣している紫は退治されたと言われた方が納得できる。そんな妖夢とは対照的に笑いながら紫に弾幕を放っていた幽々子のことはここでは語らないでおこう。

 

「でも霊夢さんの姉ですか、やっぱり強かったんですか?」

 

  なんとも間抜けな間が空いてしまった宴会場に響くのは空気の読めない早苗の声。だがそれはこの場にいる誰もが気になっていることだ。すぐに答えが返ってくると思われた。しかし、その疑問に一番に答えてくれるはずの霊夢は口を開かない。霊夢は知っている姉が強いと言うことを。ただその強さの理由を語ることができない。最後に霊夢が伯奇といたのは五歳の頃だ。もうあまりその時のことを覚えていない。だからこそ早苗の疑問に答えたのは紫だった。ボロ雑巾のようになった紫はなんとか立ち上がると、なけなしの残ったチリのような優雅さを絞り出す。

 

「ええ強いわよ、博麗伯奇、その能力は沈む程度の能力。幻想郷の住人たちと比べても殺傷能力、攻撃能力、それ以外の能力もトップクラス。博麗の名に恥じない者よ」

 

  八雲紫が言い切ると言うことはそういうこと。その寸表に間違いはない。そうなると気になるのは伯奇を倒した者。それほど強い者に勝てる者が外の世界にいるというのか? だが幻想郷という箱庭でさえ上には上がいるのだ。外の世界に幻想郷の住人より強い者がいてもおかしくはない。

 

「そんな霊夢の姉ちゃんに勝つなんてどんな妖怪なんだぜ?」

「まあお嬢様より強い妖怪なんていないと思うけれどね」

「いえ、それを言うなら幽々子様の方が」

「何言ってるんですか! 神奈子様と諏訪子様の方が」

「主人自慢しているところ悪いけど伯奇を倒したのは妖怪ではなく人間ですわ」

 

  妖怪ではなく人間。再び落とされた爆弾に一時宴会場を静寂が襲う。続いて人間たちは驚愕に、妖怪たちは面白そうに顔を歪めた。『博麗』、その凄まじさは幻想郷にいる者ならば誰もが知っている。霊夢程ではないだろうと誰もが思うが、それでも紫が強いと断言する『博麗』に勝つ人間。妖怪たちにとって面白くないわけがない。

 

「おいおいいったい誰なんだぜ⁉︎」

「そうですよ教えて下さい‼︎」

 

  『博麗』に勝った人間。それに興味を持たない魔理沙と早苗ではない。自称博麗霊夢のライバルである二人が自分の目指す相手に類する者を倒した相手を知りたいのは自然な流れで、だから面白そうに早苗の方を見る紫の目に二人は気が付かなかった。

 

「不見倶楽部。早苗、貴女はよく知っているでしょう?」

「「「は?」」」

 

  間抜けな声を上げたのは早苗、それに合わせて神奈子と諏訪子。不見倶楽部。その名を三人が知らないわけがない。それどころかどこまでもよく知っている。不見倶楽部が勝ったということは、伯奇に勝ったという人間は早苗たちが知っている中では一人しかいない。自分たちを幻想郷へ送った男。外の世界にいる『守矢』の男。

 

「副部長?」

「ええそうよ、貴女が自慢するだけあるわね強かったわよ彼」

「本当ですか⁉︎」

 

  不見倶楽部副部長。それを受けて顔を輝かせたのは早苗を含め神奈子と諏訪子の三人だけ。残りの者の顔は総じて渋いものに変わっていく。

 

  早苗は酒に弱い。グラス一杯飲み干せばすぐにヘロヘロだ。そうなった早苗の口から出るのは早苗が外の世界にいた頃の話。その内容も七割が副部長との不見倶楽部での思い出話で残りの三割は生徒会長と副会長という者の話。もう早苗が来てから約二年、その話はここにいる全員耳にタコができるほど聞かされてきた。たまに神奈子と諏訪子まで乗っかって話すものだから止めるのも難しく、中には暗記してしまった話まであるほどだ。

 

「あれ? でも本当に副部長が勝ったんですか? だって副部長って」

「ええ分かってるわ、霊力も魔力もない凡庸な男。でも勝ったわ。強くなったのよ、貴女が居なくなった一年半で。その理由は……貴女の方が詳しいでしょうね諏訪子」

「うん……そうだね。そっかあ、やっぱりやったんだ。全く格好つけちゃってさあ、男の子だねぇ」

 

  話を振られた諏訪子は帽子を深くかぶり直し明後日の方向へ視線を逃す。諏訪に起こるであろう事態を遥か太古から諏訪を治めていた諏訪子が分かっていなかったはずがない。諏訪に起こることは副部長が予想した通り、諏訪子の空いた穴を埋めるために流れ込んだ祟り。それが巻き起こす異変を諏訪子は無視して幻想郷へやって来た。本当ならばぐちゃぐちゃになっているであろう諏訪、だがそれは副部長が残ったことによりそうはならなかった。

 

  副部長が外の世界に残ると分かった時、諏訪子もどうにかしたかったが、自分を見ることのできない副部長に、存在が消えかかっていた自分ではどうにも出来なかった。その後の副部長がどうなったかは諏訪子の知るところでは無かったが、まさか生きていてそれほど強くなっているとは露とも思わなかった。諏訪子たちが幻想郷に移った時、諏訪子は心の中で半ば副部長のことを諦めていたのだ。いったい何をして、いったいどうして、そんな言葉が頭に浮かぶが、結局のところ諏訪子に神奈子、早苗の中では副部長だからで答えになってしまう。

 

  自分たちを幻想郷へ送った男。その当時何の力も無く一般人だと思っていた男が見せた奇跡。それだけで三人が副部長を信じる理由になる。

 

  その副部長が『博麗』に勝った。つまりそれは、

 

「『守矢』が『博麗』に勝ったってことでいいんですよね? いいんですよね⁉︎」

「なーに言ってんの早苗! いいに決まってるじゃん! だって副部長は私たちの家族も同然‼︎」

「そうだねぇ、言うなれば守矢の四人目、わたしたちが『博麗』に勝ったってことでいいでしょ。すぐに烏天狗たちに新聞を書かせるとしよう」

 

  浮き足立つ三人に鋭いお札が投げ込まれる。神奈子と諏訪子は余裕の表情で防ぐが、早苗だけは顔面で受けてしまう。目も眩むような光が目前で弾け、早苗の髪型が面白くなる。投げたのは博麗の巫女。宙へ溶けるように浮かぶ霊夢は、肉眼でも分かるほど周囲の空気を歪ませて、肌を刺す霊気は攻撃的で激しく(ほとばし)っている。

 

「ちょっと待ちなさいよ。うちの姉を倒したのがあんたらの身内? へー面白いわね。どうやって落とし前つけてくれるのかしら?」

「いやいややだねえ、勝った負けたなんていうのは自己責任だろうに、それにどれだけ霊夢が騒いでも事実は覆らないよ。ね? 神奈子」

「そうそう、これを機に我ら守矢の大躍進が始まるのよ。これで信仰もがっつりゲットね」

「新しい異変の企ては止めて貰える? 今から退治するわよ、博麗の力を知りなさい」

「「上等!」」

 

  転がる早苗を無視して夜空に数多の光が散る。これこそ幻想郷でしか見ることのできない光のアート。誰もが目を奪われる最高のショー。ちょっと危ないがこれを見ることが出来ることがどれだけ幸せなことか。空を見上げ誰もがそれを肴に酒を煽るが、ただ一人紫だけが転がる早苗に向かって近寄っていく。

 

「早苗、副部長だけじゃないわよ。貴女の後輩も頑張ったわ。…………あらあら聞こえてないみたいね」

 

  乱れた髪とは異なり満面の笑みで夢の世界へ落ちた早苗に紫は優しい笑みを向ける。その心のうちの半分は少しだけの申し訳なさと、もう半分は紫だけの秘密だ。




この作品の霊夢が努力が嫌いなのは伯奇を見たからです。報われない努力をした大好きな姉なのですからしょうがないですね。

早苗だけでなく神奈子と諏訪子の二人も副部長が蟲の目を持っていることを知りません。諏訪の住民を見捨てた諏訪子は仕方がないです、先に見捨てたのは人間ですから。もし、副部長の複眼のことをもし三人が知ったら雷が落ちるでしょう。もちろん副部長に。

次回はまた閑話です。副部長の家での八雲紫と伯奇との会話を上げます。

やっぱり原作キャラが出るといいですね。ただ今回まるで出番が無かったキャラがいるので、次回は少しでも多くのキャラクターを登場させたいです。本筋には全く今は関係ないですが、幻想郷の話もちょくちょく書きたいと思います。書いてたら書きたくなっちゃいました。


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閑話 呼んでない来訪者

博麗との戦いが終わった後、副部長の家にて


「お邪魔していますわ」

 

  いや帰れよ。と思った俺は悪くないはずだ。伯奇との戦いで最もボロボロになっていた杏をおぶって送り届けた後(杏の親にばれないように泥棒よろしく窓からお邪魔した)、家に帰り居間にいたのは八雲紫、その美しさは作り物の人形のようで俺の寂れた家でもただ居るだけで美しく彩ってくれるがどうだっていい。それに加えて八雲紫の式である確か八雲(らん)(ちぇん)と昔名乗っていた二人、加えて伯奇まで勝手にお茶を飲んでいた。よく見れば開けられた茶葉の缶が居間に置かれたこたつ机の上に転がっており、おいちょっと待てそれ結構高いやつだぞ。

 

「おい人間さっさと座れ!」

 

  呆然と立ち尽くす俺に妖怪という奴らは全員そうなのだが、全く俺に失礼なことをしている気は無いらしく心ない言葉を投げつけてくる。追い出したいと思ってもこの四人を相手にそんな無謀なことができるはずもなく、だって怖いし、俺に主人の手を(わずら)わせまいと牙を剥く子猫の言葉に渋々従うほかなかった。そんな俺に嬉しそうな顔を向ける子猫は可愛いが腹が立つ。もう帰りたい。あぁここが俺の家だ……。

 

  決して広くはない俺の家の居間に五人もいるというのはなかなか無理があるもので、紫たち四人が机を囲んでいるため部屋の端に座るしかない。しかも九本の狐の尾が開いているはずのスペースを陣取っており邪魔なこと邪魔なこと。蹴りたい衝動にかられるが、読心術でも使えるのかギラリと向けられる美しい狐目が非常に恐ろしい。なあなんか違くない? そんな俺をなぜかいる伯奇が不機嫌な顔で見ているが、不機嫌な顔をしたいのはこっちだ。

 

「それで要件はなんです?」

 

  八雲紫が俺の家にいる理由などそれしかない。二年前、早苗たち三人が幻想郷へ行く手助けをした時も、後日急に現れたかと思ったら早苗たちを幻想郷で受け入れる代わりと称して面倒くさい頼まれごとを幾つかされた。今回別に頼んだわけではないが、諏訪を元に戻したことと住人の記憶を弄ったことの二つの代金を支払わせるつもりなのは明白だ。クーリングオフできるならしたいが、それをもしするとむしろ問題が増え生徒会長が過労死するかもしれないので無理だろう。

 

「あら酷い、私とは世間話もしてくれないのかしら?」

「そんな間柄じゃあないでしょう、それに今日は流石に俺もさっさと寝たいもので」

 

  いや本当にもう横になりたい。心からの本音なのに「またまたぁ」と手をこまねく紫は本当に憎たらしい、もし幻想郷の賢者でなければ拳が出ているところだ。絶対負けるだろうが……。そんな俺と紫の会話にお茶を飲みながらツンとすましている二人の妖怪はまるで興味がないらしくなぜここにいるのか。

 

「まあそこまで言うならいいでしょう、要件はまず貴方と東風谷早苗の不見倶楽部にいる四人に関すること、後は伯奇のことでね」

 

  ん? なぜ紫が願子たちのことを気にかける? 願子たちが博麗に手を出し一撃を入れた。その意味は俺にも分かる。それがどういうものを引き寄せるのかも。だがそれを加味しても紫が願子たちになぜ手を出そうとする?

 

「貴方明日彼女たちに不見倶楽部を辞めろと言うつもりでしょう? それは止めなさいな」

 

  こいつ……。腐っても幻想郷の賢者か、よくもまあ俺の考えを読んでくれる。だがこいつ分かってるのか? このまま不見倶楽部にいるのは危険だ。俺はいい、早苗たちが幻想郷へ旅立った後の一年半と比べればある程度のことは些細なことだ。願子たちは普通の女の子だぞ、今回だって見ていて正直怖かった。

 

「あの子たちは原石よ、貴方だって分かっているでしょう? 貴方と同じく彼女たちは強くなるわ、それに何を言っても彼女たちは辞めない」

「ですけど」

「それに貴方が思ってるより女の子は強いのよ……いえそれは貴方が一番分かっているわね」

 

  くそ、これだからこいつは嫌だ。こいつとはしっかり話をしようと思うだけでも本気にならなければならない。およそ未来予知じみた会話術ははっきり言って気味が悪い。

 

  胸糞悪い話だがこいつの言った通り分かっている。願子たちは俺が言っても辞めないだろう。それは普段俺を見ている時や部室にいる時の目を見れば分かる。だがそれでも願子たちには危ない目には極力あって欲しくない。あいつらは俺と、俺と早苗の初めての後輩なんだぞ。それでも辞めさせるなというのなら……。

 

「おい人間!」

 

  ゆらりと立ち上がる俺に子猫が吠える。狐の視線が俺を貫いた。だからなんだというのか、俺に当てられる妖気は凄まじく、それはコンタクトを外さなくても分かるほどに肌がピリピリとする。だがそんなものはとうに慣れた。俺の道を塞ごうと同じく立とうとする二人の妖怪より早く紫に詰め寄った。

 

「じゃあどうする、辞めさせないなら修行でもさせろって? 馬鹿いえうちは妖怪退治倶楽部じゃないぞ」

「でもそうするしかないわ、それに恐らく彼女たちもそれを望んでいる」

「それは! …………いやあんたがそう言うならそうなんでしょうね」

「ええ、女心は女に任せなさい」

 

  あぁくそ! いちいちイラつくがそれが恐らく最善手なのだろうことも認めたくないが分かる。実際辞めさせただけでは完全に危険は去らないだろう。全てが八雲紫の掌の上だという事実が腹立たしい。

 

「分かりましたよ! ただ言っておきますけど一度は辞めろと言いますよ。それに」

「ええ、たまに私が直々に見てあげるわ、それで街を直した件はチャラ」

「ああ」

「紫様! 人間なんかに」

「いいのよ橙、それと伯奇をしばらく泊めてあげてちょうだいね。それで記憶を弄った件はチャラ」

「ああ……ああ?」

 

  今なんて言った? ちょっと待った。え? 本当に? 伯奇の方へ顔を向ければ、もう伯奇は了承しているらしくそっぽを向いて舌打ちした。おいおいおいおいおいおい、うちに泊まる? 流石にそれは読めなかったぞ!

 

「おい伯奇お前はそれでいいのか⁉︎」

「仕方無えだろ‼︎ 博麗の里を追い出されちまって行くとこがねんだよ‼︎」

「いやそれは読めてた。お前友達いないの?」

「は?はぁぁぁぁ⁉︎ お前、お前ふざけんなよ‼︎ 友達くらいいるわボケ‼︎ 点に一角に」

「人間のだぞ」

「い、いるし普通にいるわ、そうほらあれだ博麗の里にいっぱい」

 

  ああ、あれだけ猛威を振るった伯奇がだんだん小さく見えていく。でも悪いがうちには泊めたくないから他をあたってくれ。癇癪起こされただけで家が壊れそうだし。

 

「おい紫さん、それしかダメなのか?」

「ええダメよ、全然ダメね。それ以外一切受け付けませんわ。まさか貴方伯奇に手を出すわけじゃないでしょう?」

「ハァ……出すわけないでしょ」

 

  ああちくしょう飲むしかないか、困ったことに紫の要求に対する手札がまるでないこの状況ではイエスマンになる以外道がない。ノーと言える手札があればいいのだが、唯一出せそうな手札はなぜ伯奇と一緒にいたかということ。しかしそれも街が壊れたら直すためだとかいくらでも言い訳がきく。それより伯奇はなんで胸を隠して後ずさってるんだ? 手なんか出すか馬鹿! 呆れながら俺は元いた場所に腰を下ろす。

 

「それで……本当の要件はなんですか?」

 

  俺の言葉を受けて狐の目がきつく細められる。言っておくがそれぐらい俺にも分かる。願子たちのこと、伯奇のこと、この二つの件は俺も関わっているが言ってしまえば他人事でしかない。わざわざ八雲紫が式まで連れて家を訪ねて来たのだ。個人レベルの話なわけがない。間違いなくもっと凄い面倒ごとを腹のうちに抱えているはずだ。それを証明するかのように袖から出されるのは一枚の写真立て。

 

「貴方たちの部室にお邪魔した時に見つけたわ。酷いことをする人もいたものね。あんまりだと思ったから直しておいたわよ」

 

  俺と早苗が写っている写真。会長と副会長と共に写っている二人が持っているものを除けば、最後の早苗の姿が見れる写真だ。なるほど……なるほどね、こいつは参った。俺が打てる手はこれに関しては本当にゼロだ。首を縦に振るうしかない。

 

「で、要件は?」

 

  俺を見つめる怪しい輝きを持った瞳は面白いというように俺の顔から外されない。分かっているのだろう、俺が絶対に次の要件を断らないことを。だからこそ薄ら笑みを浮かべて可笑しそうに笑っている。それは自分の思う通りに事が進んで嬉しいのか、それとも目の前にいる無力な人間が哀れだからか、それともその両方か。多分両方だろう。

 

「貴方にはなって欲しいのよ。外の異変解決者に」

「……なるほど」

 

  紫の要求はたったそれだけ。だがそれがどういうものなのか、それに対しての疑問は残念ながら俺には湧かなかった。早苗たちが幻想郷へ行くと言った際に幻想郷の情報を集めたのは俺だからこそ分かってしまう。それがいったい何をする者であるのか。

 

「外の異変解決者と来ましたか。言い得て妙ですね、もっと分かりやすく殺し屋とかでいいんじゃないですか?」

「あら嫌よそんな物騒な呼び名。それに別に間違ってはいないでしょう?」

「まあそうですね」

「おい人間、お前本当に分かってるのか?」

 

  また子猫が噛み付いてくる。おいちょっとこの子化け猫だからって自由すぎやしませんか? 確かに周りで聞いている者からすれば俺と紫の会話はかなり飛ばし気味かもしれないが、分かってなければこんな会話はしない。俺の左手前に座る八雲藍も、その奥にいる伯奇も何も言わないあたり分かっているのだろう。何より俺の予想が正しければ、既に伯奇は外の異変解決者だ。

 

「分かってるよ」

「本当か?」

「ねえ君なかなかしつこいね、俺に恨みでもあるのかい?」

「ふん! 人間なんて信用してないだけだ!」

 

  面倒くせえな! だがここは大人になって一応仕事内容の確認をした方がいいだろう。子猫も黙るし一石二鳥だ。

 

「外の異変解決者、異変とは幻想郷にとってだろう? 単刀直入に言うと幻想入りしてしまっては困るものの排除。今になっても妖怪や変わった人間など色々いるが、その中の一番は」

「「「幻想の否定」」」

 

  俺の言葉に続いて伯奇と紫の声が重なる。幻想の否定、何を言っているのかと思われるかもしれないが、これが今最も幻想郷に入ってはいけないものだ。

 

  今の世の中には、妖怪などいない。魔法もない。神様なんているわけない。と言った考えが大部分を占めている。いや普通にいるじゃんと思う人がいるかもしれないが、日本と同じ、民主主義だ。大多数の知恵あるものがそう思えばそれが概念、常識となる。だからこそ今世界に溢れている概念のひとつに幻想の否定がある。

 

  さて問題はここからで、もし今日起こった伯奇と俺たち不見倶楽部の闘いを見て覚えている者がいたとしよう。その者の中では幻想が肯定され、幻想の否定は幻想となる。一人ならまだいい。ならこれが十人なら? 百人なら? 千人なら? 一万、十万、百万千万一億十億、七十億なら? そんな多くの幻想の否定という名の幻想が狭い幻想郷にぶち込まれればどうなるかは目に見えている。小さな紙コップに海の水を全て注ぐが如し、一夜にして幻想郷は綺麗さっぱりこの世から姿を消すだろう。

 

  そうならないために話が通じる相手はまだいいが、『こちやさなえ』のようなものが人目の付くところで盛大に暴れたらその時が最後だ。だからそうならないためにそういうものはこちらから出向き討ち滅ぼし、一滴も雫を残さずに全てを消し去る。だからこそ俺は殺し屋と言ったのだ。

 

  それを考えると今回の伯奇の行動は非常に幻想郷にとって不利益だろう。自分の我儘のためにここまでやったのだ。寧ろ博麗の里を出禁になったくらいでは罰としては軽すぎる。処刑だと言われてもしょうがない。

 

  だがそれをしないのは伯奇の能力が有能だからだ。博麗の巫女に伯奇が選ばれなかったのはおそらくそこにあるのだろう。伯奇の程度の能力は殺傷能力が高過ぎる。人妖の共存を旨とする幻想郷には合わないと紫も判断したに違いない。悪いが俺が紫の立場でも同じ判断を下す。外の異変解決者、こちらの方がよほど伯奇の能力は向いている。最後に全て沈めてしまえば後始末も完璧だ。なんか言ってて恐ろしくなってきたな。だがまあそういうことなのだ。

 

  俺の説明を受けてようやく子猫は納得してくれたらしい。「なんだ分かってるじゃない」とか喧しいわ。肩叩くな。最初に分かってるって言っただろうに。だが少しだけ俺に向けられた目が優しくなったあたり少しは認めてくれたらしい。本当に少しみたいだが。

 

「あら橙と仲よさそうで安心したわ、取り敢えず貴方が外の異変解決者として安定するまではこの家に置いて様子見と伝言を頼もうと思っていたのよ、良かったわ」

「「え?」」

 

  ちと待てよ。待て待て待て。え? 伯奇だけでも嫌なのにおまけでペットまで付いてくるの? おかしいでしょう、だってこいつ俺と一緒に「え?」って言ったよ。了解してないじゃん。ほらなんかすっごい嫌そうな顔で俺の方睨んでるんだけど、ちと待て俺悪くないからね。睨むんならあっち、紫の方睨んでよ。くそこいつ頑なに紫の方を向こうとしねえ! 完全に俺に八つ当たりする体制に入ってやがる。

 

「頼むわね橙」

「頑張れ橙」

「はい! 紫様! 藍様! 私にお任せください!」

 

  紫と今まで全く一言も発しなかった八雲藍が聖母マリア像みたいな顔で子猫に激励の言葉を掛ける。掌を返すように速攻で了承したけどそれでいいのか? なんともブラックな一面を見てしまった気分だ。てかこいつ二人に見えない位置で俺の背中(つね)ってやがる! お前居候先の主人が俺だと分かっているのか? このままだとお前の飯は三食ねこまんまだぞ。

 

「でも良かったわ、貴方が快く受けてくれて。最悪東風谷早苗の近況でも教えなければ動かないと思っていたから」

「紫さん、俺が東風谷さんの名前出されればなんでも引き受けると思ったら大きな間違いですよ」

「ふふっ、そうね。そういうことにしておきましょう」

 

  なんだかなぁ、なんかこの先もこんな感じでいいようにこき使われる気がする。幻想郷で紫が酷い目に合うように洩矢諏訪子様と八坂神奈子様に祈っておこう。

 

「さて、それじゃあ後はこれね」

 

  こたつ机の上空に紫が手をかざすと、スッと通った一筋の境界からズルッと取り出したのは真澄。長野の酒といえばこれである。

 

「あのー紫さん?」

「異変解決の後はお酒で全てを洗い流す。これは決まりよ! 今回のはさしずめ博麗異変とでもいいましょうか、ねえ伯奇?」

「はいはい悪いのは全部あたしだよ」

 

  酒を掲げて叫ぶ紫に先程までの少女染みた面影も幻想郷の賢者の面影もない。ただのお酒大好きおばさんにしか残念ながら俺には見えなかった。それは伯奇も同じらしく、舌打ちすると頭を抱えている。え? 本当にここで酒盛りするの?

 

「ちょっと紫さん俺はお酒弱いんで勘弁して欲しいんですけど」

「あらそうなの? 東風谷早苗と同じね」

 

  いやそんな情報いらねえ、てかあいつ幻想郷になにしに行ったんだよ。酒飲みに行ったの? 俺の努力はいったい……。 だめだそりゃ。

 

「さあ今日は飲むわよぉ! 藍! 橙!準備なさい‼︎」

 

  勘弁してくれ……。

 




副部長の心の内はこんな感じ。



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不見倶楽部活動日誌 夏〜秋
言葉って不思議


「おい伯奇ちといいか?」

「なんだよ面倒くせえ」

 

  伯奇が来ておよそ数日しか経っていないが、すっかり不見倶楽部の風景の一部として定着していた。あれだけの死闘を演じた彼らだが、だからこそ打ち解けるまで時間はそう掛からなかった。口は悪いが副部長や願子たちが名前を呼べば絶対に返事を返し、少し揶揄(からか)っても弾幕が飛んでくることはない。

 

  そんな副部長と話している伯奇を眺めながら、願子はここ数日のことでそれよりも気になることがあった。

 

「副部長って伯奇のこと呼び捨てで呼んでるんですね」

 

  そう、副部長は普段苗字にさんずけで呼ぶのであるが、伯奇に関しては常に呼び捨てで呼んでいる。副部長も余裕がない時は願子たちのことを呼び捨てで呼びはするがその時だけでしかない。

 

  副部長は「ああそうね」といったどうだっていいといった返事しか返せなかった。そこまで呼び方にこだわっていないからだ。さんを付けるのは副部長の中では女性に対する最低限の礼儀のつもりなのだが、はっきり言ってどうだっていいだろう。まあつまり副部長は伯奇に礼儀を払うつもりはない。

 

「あぁ? なんだよ願子お前そんなこと気にしてんのか?」

 

  副部長との話を終えてソファーに腰を下ろす伯奇の手にはしっかり不見倶楽部ではお馴染みの副部長印のコーヒーが握られている。最初「コーヒー?」と顔を顰めた伯奇だったが、一度口を付けると気に入ったらしく今では自分から副部長に催促するほどだ。

 

  伯奇はそんなことと言うが、願子は実は結構気にしていた。四ヶ月で願子は副部長と結構仲良くなった気になっているのだが、願子以外の友里たちの呼び方も同じだからまだいい。しかし、伯奇の登場によってそうではなくなった。不見倶楽部に入っていないとはいえ一番新入りの伯奇が呼び捨てなのはおかしい。

 

「別になんだっていいじゃねえか呼び方なんてよお」

「いやいや伯奇はそれでいいのかもしれないけど私は気になるの! なんか私たちより伯奇の方が副部長と仲良いみたいじゃん!」

 

  実際そうなんじゃね? と両手を掲げる伯奇に願子は噛み付こうとするが結界によって阻まれる。なんて無駄な能力の使い方なんだろうか。それを馬鹿な目で見つめる友里と副部長は間違っていない。

 

「ちょっと願子、そんなのどっちだっていいでしょ」

「そうよ願子さん。副部長にどう呼ばれようと関係ないじゃない」

 

  どうやら塔子もそっち側らしく、人をイラつかせる不快な笑顔で優雅にコーヒーを(すす)る。無駄に絵になるのがさらに人をムカつかせるポイントだ。何も言わない副部長、どうだっていい伯奇と友里に塔子。唯一残った杏に願子は助けを求めるが、その思いはどうやら通じてくれたらしい。

 

「私もそう思います。副部長先輩にはもっとフランクに接して欲しいですね」

「だよねー!」

 

  杏に飛び付き両手を握る。願子は万軍の味方を得た気分だ。杏の笑顔が眩しい、今ならなんだって出来る気がする。

 

「なら次からはそう呼ぶよ願子、それでいいのか?」

 

  とあっさり口にした副部長のおかげで台無しになってしまった。

 

「えー……、いやそういうことなんですけど、なんか急に呼ばれるとありがたみが」

「願子あんた何がしたいのよ、めんどくさ」

 

  幼馴染にまで面倒くさいと言われては何も言えない。「でもなんか違うのー」とソファーにまるまる願子を慰めてくれるのは杏だけだ。

 

「ったくなんだよ意味わかんねえな」

「ふふっ、いいじゃないですか願子さんらしくて、それに願子さんの言う通り呼び方って面白いですよね、同じ物でも違う呼び方があったりして」

 

  例えば大根にも蘿蔔という呼び名があり、天気の雷にも地方によって色々な呼び方がある。杏が言っているのはそういうことだ。

 

「副部長さん、オカルトでもあるわよね」

「前にやったこっくりさんとかだな、ありゃ呼び方もそうだが亜種が結構あるな、呪文だったり真言(マントラ)だったり言葉は人類文化の基本だからね」

 

  魔法使い、祈祷師、巫女、願子や塔子の好きそうな職業の者たちが技を振るおうとするなら必ずそれに必要なのが言葉。それが数少ない人と不思議を結びつけるものであるのは確かだ。何かしらの効果が無かったとしてもそれによって妖怪であろうと意思疎通がはかれるそんな代物。人の持つ最強の武器の一つと言ってもいいだろう。

 

「まあ言葉の話をするなら絶対に外せないのは言霊(ことだま)だろうな」

 

  そう言ってソファーの方にやって来る副部長はどこか楽しそうな顔を見せる。言霊。言葉自身に宿る力。言霊学という学問すら存在し、遥か昔から日本で研究されてきたものだ。

 

  実際もし言霊を自由に操れたのならそれだけでその者は最強の存在の一つと言える。口を開くだけで良いことも悪いことも自由に起こせるなどとんでもない。

 

  妖怪退治の技の中にも、ただ妖怪を払う(うた)を読み上げるだけで撃退する技があるあたりその凄まじさが分かるというものだろう。

 

「まあ言霊の凄まじさを知りたかったら生徒会長に本気を出して貰えばいいさ」

 

  一葉高校の生徒会長、千人を超える生徒の頂点。戸隠流最強の忍びである副会長と蟲の目を持つ副部長、奇跡を起こす程度の能力を持つ現人神である東風谷早苗を親友に持つ生徒会長が普通なはずがない。

 

  いやそれは生徒会長を知っている者からすれば逆だと言うだろう。生徒会長が普通でないからこそ生徒会長と共にいられる三人も普通でないと。

 

「そうなんですか?」

「前に言っただろう? 生徒会長は凄いんだって、対人戦最強なんだぞー、あんなだけど」

 

  ただ副部長の言う通り残念ながら生徒会長は普段があんななためにその本質を知る者は少ないどころか副部長三人しか知っていない。

 

「嘘でしょ副部長」

「嘘じゃないって今度聞いてみろよ友里、びっくりするぞ〜」

「あら、伯奇さんもそういう技みたいなの使えるのかしら?」

「ああ博麗の技にちゃんとあるぜ」

 

  妖怪と共に長い時を過ごした『博麗』の技にそういったものが無いはずがない。寧ろ妖怪というものを知り尽くしている『博麗』の技のほとんどは妖怪退治に特化したものがほとんどであり、過去の博麗の巫女には弾幕も放てず格闘能力も低いが言霊だけでその地位まで上り詰めたものがいるらしい。

 

「へー見せてよ伯奇」

「んー? めんどいがまあいいぜ、この前の迷惑料ってことでな」

 

  そう言うとどこに隠し持っていたのかお祓い棒を取り出し、目の前で両手で握ると、伯奇の口から譜が漏れる。同じ日本語であるはずのそれは、息の伸ばし方、息の切り方、抑揚のつけ方といった細かい違いだけでまるで異国の言葉のように感じる。

 

  伯奇の口から流れる譜は空気を震わせ、部室を霊気で満たしていく。何かを払うように左右に時たま振られるお祓い棒によってそれは空気と混じり合い、蒸し暑いはずの部室の温度が下がった気がした。

 

「ーーーー!!!!」

 

  最後に伸びる語尾に合わせて一気に空気が膨らむと部室の窓を震わせるように弾け、今まで部室に渦巻いていた不思議な空気はもともと無かったかのように消え去った。

 

「凄い! 伯奇凄いじゃん! ってあれ」

 

  興奮してソファーから立ち上がった願子を物凄い違和感が襲う。ソファーから立ち上がったのは自分のはずなのに、願子の目には願子の姿が映り、友里と杏、そして自分が自分を見つめている。

 

  立ち上がった自分のはずの身体を見下ろせば、ごちゃごちゃと自分の動きを阻害するおまじないの装飾たちが目に入る。こんなものを身に付けてよく走れるなと思う願子だったが、それも一瞬で次の瞬間には叫び声をあげていた。

 

「え! ちょっと塔子になってる! なになに⁉︎」

「これは『博麗』に伝わるその名も『心身入替の法』だ」

 

  心身入替の法、九代前の博麗の巫女が幻想郷に移る前に編み出した技である。それはずっと幻想郷で博麗の巫女をやっていると疲れてしまうだろうから外の『博麗』の者と心を入れ替えたまに外の世界でのんびりしようと考えた博麗の巫女によって作られたのだが、幻想郷は結界で隔離され他の博麗がいないために無駄に終わるという悲しい技だ。この技は言霊により心を入れ替えるというその本質から『博麗』の上級技で、博麗の巫女としての合格ラインの一つとして博麗の里で決定されている技なのであるが、どうも博麗の巫女になる者には残念な部分が見える技でもある。

 

「いやいや凄いけどなんで今それやったの? 私の身体には誰が入ってるのよ!」

「私よ願子さん、いいわね貴女の身体肩が凝らなくて」

「それは宣戦布告と受け取った。覚悟はいいよね塔子!」

「入れ替えたのはお前らだけだよ、あたしはそんなにこの技得意じゃねえからな、大丈夫だすぐに戻る」

 

  拳を放った願子だが、伯奇の言う通りすぐに元に戻ってしまい自分が放った拳を自分で受けるハメとなった。いい音が響き願子は自分の鼻を摩る。なんだか非常に大きな悲しみが願子を襲い泣きたくなってきた。

 

「うぅぅ、なんで私ばっかりこんな目に」

「普段の行いじゃないかしら?」

「塔子には言われたくない‼︎」

 

  ソファーに座りなおし願子は項垂れる。自分の前にあるソファーテーブルに乗った一枚の原稿用紙の上に額を置いてため息を吐く。願子、友里、杏、塔子の前にある原稿用紙はオカルト総会に向けての話し合いに使うものなのだが、一向に白紙。今日もそのためのネタを集めるために集まったのに全然ダメダメだった。

 

「あー、今の書く? ちょっと願子起きなよ」

「うーんちょっと厳しくないですか? 一瞬でしたしあんまり面白みが無かったと言いますか」

「そうね、それにいろいろなものを書くよりも一つのことをとことん書いた方が多分いいわ、私たち副部長さんみたいに知識があるわけじゃあないんだし」

「そうだねー、どうしようか」

 

  痛みをコーヒーと共に内に流し込みようやっと息を吹き返した願子が会議に参加する。すぐに復活するあたり願子も相当オカルトに慣れてきた。しかし、慣れたのはいいとしてもうオカルト総会まで一週間もない願子たちは焦っていた。なにも答えてくれない副部長の代わりに増えたオカルトスペシャルアドバイザー博麗伯奇に期待していた願子たちだったが、副部長になにを吹き込まれたのか全く答えてくれない伯奇は部室に置かれた置物と変わらない。それどころかたまに煽ってくるあたり置物よりもタチが悪かった。

 

「何を書けばいいのかここまでくると分からなくなってくるわね」

「そうだけど、そうも言ってられないでしょ」

「どんなのがいいんでしょうね? 要は自由研究みたいなのものだと思いますから何やってもよさそうですし」

「朝顔の観察日記みたいに? それって面白いかなあ?」

 

  オカルト総会の話を聞いてからずっとこの調子だ。情報を集めるために駆け回り、少しでも集まった後は会議をする。今回の会議では初め『博麗』についてのことを書こうと考えていた四人だったが、それは速攻で副部長と伯奇から却下されてしまったために今日話すことが無くなってしまった。

 

  しかしこれは副部長と伯奇のファインプレーだ。もし願子たち四人がそれをオカルト総会という人目の多い記録の残る場で発表していたらいろいろ大変なことになっていた。だがそれでも今回かなりやる気になっていた四人の出鼻を挫いたのは悪かったと思ったのか副部長の方から助け船を出す。

 

「そういえばなんだが、最近家に化け猫が住み着いてさあ」

「はい?」

「いやだから化け猫が住み着いてな?」

 

  化け猫。みんな知ってる猫の妖怪。実は猫又と化け猫は違うものであるのだが、それはここではいいだろう。猫の持つ神秘性、夜闇で光る大きな目、と不思議な魅力を持つ猫は昔から神聖視されることが多かった。それも相まって老いた猫が化け猫になるとよく言われ、長野県では十二年生きた猫が化け猫になると言われている。化け猫になるとなんと手拭いを被り二本足で立つ。みんなも二本足で立って頭に何か被っている猫を見つけたら気をつけようそいつは化け猫だ、マタタビを投げつけてやれ!

 

「ちょっと副部長! なんでそういうことを早く言ってくれないんですか⁉︎」

「いや友里さん、住み着いたの結構最近で」

「最初に会議で出たマミゾウさんに取材は遠いから無理ってことになりましたけど、これでなんとかなりそうですね!」

「取材どころじゃないよ! 住み着いてるんならこれは化け猫の観察日記とか!」

「あらいいわね面白そう」

「マミゾウさんに取材なら電話できたのに」

「「「「え?」」」」

 

  どうやら願子たちの方針は決定したらしい。伯奇は昔から知っている猫の妖怪の冥福を祈った。

 

  一方その頃副部長の家で一人留守番していた橙はというと、縁側で日向ぼっこをしていたにも関わらず持ち前の第六感によって逆立つ毛を止められないでいた。

 




次回、橙に好奇心に侵された人間たちの魔の手が迫る。頑張れ橙、負けるな橙、八雲の姓を手に入れるその時まで!

多分ちょいちょい不見倶楽部活動日誌 部長編 ってことで幻想郷の話を書くと思います。大筋関係なく原作キャラだけで書く予定の話なので出てきてほしいキャラクターがいたら感想などで教えていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。


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化け猫&不見倶楽部with博麗

「や、やめろ人間!」

 

  少女の叫びは虚しく日の傾きかかった夕焼け空に消えていった。背中には木造の壁が立ちはだかり逃げることは許されない。少女に向けられる八つの瞳はギラギラと輝き、天照大神の子孫であることを存分に証明していた。その輝きは太陽の恵み、闇に閉ざされた世界を照らす妖魔滅却の輝きである。内から湧き出る無からの光に背中を押され八本の腕が伸ばされる。その腕に容赦の二文字はない。ただ自分を満たすため、うちに湧く疑問を払拭するために伸ばされた腕は少女の願い虚しく刻一刻と少女への距離を縮めていく。

 

  なぜこうなったのか? 主人の主人から頼まれた時、久し振りの直々の仕事であると少女を奮い立たせていた。主人からも貰えた激励の言葉。それだけで少女はどこまでも歩みを進めることができる。仕事として住むはめになった場所でも知り合いがおり、家主の出す飯もうまいときた。なんて楽な仕事、最高だと喜んだのも束の間だった。

 

  最悪の状況や不幸というのは油断した時にやってくる。急にやって来た四人の悪魔は話を聞かず、少女がどれだけ喚こうとも一切の慈悲はなしに盤上にチェックをかけた。逃げるための道はない。唯一の昔からの知り合いに助けを求めようとしても、向ける視線は拾われず、伸ばした手を取ってはくれない。

 

  動体視力のいい猫の目を今こそ恨んだ。目の前に迫る手が、見たくもないのに見えてしまう。その手の動きに後ろめたいものは何もないのか、速度が落ちるどころか近づくほどに加速した。

 

  そしてそれは確かに掴んだ。少女の頭に被られた帽子から伸びる二つの幻想。その手触りを楽しむかのように伸ばされた手は艶かしく動く。

 

「ちょ、ちょっと人間、止めろって」

 

  止めるはずがなかった。寧ろ少女の言葉を受けてその動きは加速する。嫌がる少女など御構い無しに少女の隅々まで手は伸ばされた。嘆きは無視され腰から伸びる二つの尻尾まで余すことなくその上を手が滑る。

 

  拒絶の人を人と思っていない少女の言葉もそれこそが油に火を注ぐ行為であるとも気づかずに少女は油を注ぎ続けた。それを受けて四人の悪魔の中に潜むその原因は(くすぶ)るどころか天まで届く勢いで伸びていく。

 

  身体を這いずり回る感触が絶えず動き回っている。だが少女は負けるわけにはいかない。この先に待っているのだ。八雲の姓を受け取り、いずれ自分が偉大なる二人に並ぶ時を夢見て足を止めるわけにはいかない。

 

  しかし、それには大きな壁が立ちはだかっていた。本当なら四人の悪魔なんてどうにでもなるのだ。少しでも爪を伸ばせば悪魔の心臓に容易く届く。だがそれは許されない。それは他でもない主人たちから止められていた。少女はこの悪魔四人を守らなければならないのだ。それが少女にかせられたもう一つの仕事。

 

  憧れの主人たちに追いつきたいが、何よりその主人の指示が少女の足に絡みつき、底なしの沼へと誘っている。そして少女は……少女は…………。

 

「はいはいそこまでにしろよ、困ってるだろう」

「遅いんだよ副部長! ぶっ殺しちゃうぞ!」

「わーこわーい」

 

  今まで見ていた嫌いな男によって救われた。橙から伸びる化け猫の証に飛びついた願子たち四人の手から子供を抱き上げるように救出すると、すぐに飛び離れた橙は伯奇の後ろにその身を隠す。この数日でそこそこ気心の知れた橙と副部長は、人間という呼ばれ方から副部長にランクアップしていた。が、そこまでであり、伯奇の影からアーモンド型の瞳がきつく向けられている。

 

「副部長ズルいですよ! なんで言ってくれなかったんですか!」

「そうですよ副部長先輩! あんなに可愛い子のこと黙ってるなんて酷いです!」

「うるさいぞ人間! お前たちはもう少し反省しろ!」

「「「かわいいー!」」」

 

  橙の叫びは意味が無いらしい。何を言っても願子たちは「かわいいー」と返すだけだ。友里まで一緒に言いはしないが、それでも頬が緩んでいる。恐るべきは女子高生の力と言えばいいのか 、家の前で流石にこんな感じになると思わなかった副部長は見えないところで頬を掻く。橙の今日の晩御飯が人知れず豪華になった瞬間だ。

 

「だいたいなんでこんないっぱい人間を連れてきたんだよ副部長!」

「化け猫観察日記を書きたいんだって」

「は? 化け猫? か、観察日記? 馬鹿なのかこいつら! 馬鹿でしょ‼︎」

 

  思わず語尾が仕事モードから素に戻ってしまうほど橙はドン引きした。

 

  実際人間個人に向かってお前の観察日記が書きたいなんて言われた日にはその日から赤の他人決定。病院をオススメしさようならだ。知性ある橙に観察日記書かせろと言って了承されるはずもない。

 

「まあそう言わないでくれよ、なあ橙今日の晩御飯豪華にするからさあ」

「そんなんで釣られるわけないでしょ! だいたいなんで私が人間の頼み事なんて聞いてやらないといけないんだ!」

 

  もっともである。だが橙の叫び虚しく再び願子たち四人が橙に躙り寄る。反撃できない橙が取った行動は伯奇を盾にすること、右から寄られたら右に伯奇を押し、左に来たら左に伯奇を押す。小さな子供がするような行動に「かわいいー!」と返され流石に堪忍袋の尾が限界まで引っ張られた橙から妖気が膨らむ。

 

  ただの子供と思う無かれ。かわいい子供に耳と尻尾がただ生えているわけではない。八雲紫と八雲藍という強大な妖怪二人になんだかんだ言って認められているのがこの橙だ。幻想郷の住人たちはそれこそ腰を抜かすような存在が多くいるからその者たちからすればそうでないのかもしれないが、橙だって強力な妖怪であることに違いはない。

 

  もしここで橙が本気で暴れた場合、勝てないことはないのだが、副部長と伯奇二人掛かりでも苦労するくらいに橙は強い。

 

  その理由の一つに橙の能力がある。橙の能力の一つ、人を驚かす程度の能力。なんともしょぼそうで弱そうと思うかもしれないが、そう思った者から死んでいく。驚くという状態は言ってしまえば完全な隙状態だ。身体が硬直し、言葉も出せずただ突っ立っている案山子と何も変わらない状態となる。さらにショック死という言葉がある通り、過度な驚きはそれだけで人を死に貶めてしまう。それを任意で引き起こせることがどれだけ強力か分かって貰えただろう。ただし人をとついている通り人にしか使えないのがこの能力のちょっと残念なところだ。だがそれでもここでは十分過ぎた。

 

  膨らむ妖気に当てられて、特に何もされていない願子たちの毛が逆立つ。手を伸ばしたまま全身の筋肉の一瞬の痙攣に身体が固まってしまった。声もです、動けもせず、黄色い大きな猫の目が願子たちを睨んでいる。その姿はただのかわいい子供ではない。人が恐るべき妖怪そのものだった。

 

  しかし、それもすぐに伯奇が橙の頭を小突いたことで霧散した。背中に流れた冷ややかな空気は願子たちから完全に流れ去り、蒸し暑い夏の陽気が肌を撫ぜる。激しく脈打つ胸を押さえ四人は橙に手を伸ばすのを止めた。

 

「おい橙、お前少しやりすぎだぜ」

「うーだって人間たちが!」

「まあ気持ちは分からなくもねえけどよお、お前の主人の紫や藍だったらもっと上手く対処するだろう? 持ち前のカリスマと大きな器で引き受けてやろう、それで報酬は? ぐらいの心構えじゃないとあの二人みたいにはなれねえぞ」

「うぅぅ……!」

 

  頭をぐりぐり撫で回す伯奇の姿は妹をあやす姉のようだ。こんな形で、口も悪い伯奇だが、元々姉として十分に霊夢の相手をしていた伯奇である。小さな子供を扱うのは慣れている。伯奇の言葉に思う部分もあったのか、橙は妖気を発するのは止めて一度鼻を鳴らすと願子たちの前へと姿を現した。

 

「しょうがないわね、引き受けてやるわよ」

 

  偉そうに胸を張って答える橙に願子たちは苦笑いを返すことしかできなかった。窮鼠(きゅうそ)猫を噛むというか、窮猫人を噛むといったところだ。何事もやりすぎは良くない。ただかわいいだけだった橙が、手を出してはならない者へと変貌する。それに気をよくしたのか、仕事モードを止めて橙は楽に話すことに決めた。

 

「よかったなお前ら、橙ほど強い妖怪と話せる機会はそうそう無いぞ、しっかり礼儀を払って接せよな」

「え?マミゾウさんより強いんですか副部長」

「いやマミゾウさんの方が圧倒的に強い。どれくらい強いかというと俺をデコピンで完封できるくらい強い」

「マミゾウ? 二ツ岩 マミゾウ⁉︎」

 

  さっきのようにならないためか副部長からも釘を刺される。なら最初から言っておけという視線が副部長に突き刺さるが全くそれが効いてない副部長は、「コーヒー入れてくるわあ」と家の中にと消えた。マミゾウの名を聞いて驚いた橙は無視された。

 

「おい人間たち、二ツ岩マミゾウと知り合いなのか?」

「え、はい一応知り合いです。えっと橙さんは知ってるんですか?」

「知ってるけど会ったことは無いわ。ただ強大な妖怪だって紫様と藍様が話していたのを聞いたことがあるのよ」

 

  そう話す橙の中では先ほどの願子たちと同様驚愕が渦巻いていた。ただの人間かと思えば自分の主人でさえ一目おくような大妖怪と知り合いだと言う。どうもまだ底が見えないと願子たちのことを計り兼ね、難しい顔になってしまう。

 

  そんな橙に同じく疑問を持ったのは願子たち。伯奇の先ほどの話しと今の橙の話の中で出てきた紫というワード、これがどうにも引っかかる。紫と言えば願子たちも知っている相手に一人いる。その場にいるだけで空間の雰囲気をガラリと変えてしまう本物の大妖怪。その前に願子たちが出会っていたマミゾウも大妖怪であるのだが、その纏う空気が全く違った。

 

  マミゾウは出会い方こそ恐ろしいものであったが、その姿を現してからは気のいい優しいお姉さんといった感じであり、一夜を共に過ごしただけだが四人はすっかりマミゾウのことが好きになった。

 

  対して八雲紫は違う。一度会っただけだが決して仲良くなれないという考えが巡る。副部長も性悪妖怪と言っていた通り、柳に風な副部長ですら苦手とするような相手だ。願子たちからすれば全くお近づきになりたく無い。

 

「あのー、橙ちゃん紫様ってもしかして八雲紫?」

「様をつけなさい様を! でもそうよ八雲紫様。流石に紫様のことは知ってるのね! 流石は紫様ね!」

 

  悪い方に願子たちの予感は当たってしまった。苦い顔をより苦くして橙のキラキラ輝く顔を見る。わざわざ紫に様を付けさっきの伯奇の話。橙が紫の手の者であるのは明らかで、八雲紫の魔の手がこんなところに伸びていることに願子たちは笑うことしかできない。

 

「あはは、橙ちゃん八雲紫……様のこと好きなんだね」

「そうよ! って橙ちゃんってなによちゃんって! 呼ぶなら橙様でしょうがヘンテコ眼鏡!」

「いやこれは副部長から貰った凄い眼鏡なんだよ! 橙ちゃんもきっと驚くから! ね? みんな」

「「「うーん……」」」

 

  三人の反応は良くなかった。願子の色眼鏡の話はどうだっていいというのもあるが、伯奇の一件以降いつなにがあるか分からないという理由でポケットではなく額に掛けられた色眼鏡は困ったことに全く願子に似合っていない。背伸びした子供がサングラスを着けているようにしか三人には見えないし、その特徴的なサングラスが目立って街や学校を歩いた時の通行人の目が痛い。だがそれに関して言えば塔子もどっこいどっこいのため人のことは言えないのだが……。

 

「まあなんだっていいけど、観察日記って私のなにを書くのよ」

「それは……どうしよう」

「そうですねー、好きな食べ物とかなにが嫌いかとかでしょうか?」

「後は一日どうやって過ごしているかとかかしらね」

「せめて決めてから来なさいよ……」

「悪いわね、あたしもそう思うわ」

 

  なんとも段取りのよろしくないスタートであったが、それでもなんとか願子たちは橙の話を聞くことができた。お立てれば結構口を滑らせてくれる橙の話は橙だけの話に限らず、願子たちが特に惹きつけられたのは幻想郷の話だ。

 

  副部長や伯奇からその存在こそ聞いてはいたが、存在を知ってしかいない二人からは具体的な話は一切無く、いざ幻想郷の中の話になってもらしいだとかかもしれないといった予測の域を出ないものが大部分を占めていたため、橙の口から語られる夢物語のような話が頗る面白い。

 

  吸血鬼の住む真っ赤な館、遥か上空に住む天人、紫の友人であり最強の亡霊が治める冥界、かぐや姫がいる迷いの竹林、魔法使い、巫女、妖怪、あらゆる空想、幻想の話。退屈なわけが無かった。

 

  その中でも特に気を引いたのは妖怪の山と山の神の話。妖怪の山に突如と現れた三人の神、それこそ不見倶楽部と最も関わりの深い者たち。東風谷早苗、洩矢諏訪子、八坂神奈子。願子たちは実際に会ったことはないとはいえ、四人が不見倶楽部を知り、入る原因を作った三人だ。気にならないわけがない。

 

「現人神? 部長って人間じゃ無かったの⁉︎」

「いや人って付いてるから人なんじゃない? 知らないけど」

「なんだか凄い話ですね」

「あらあら、どうしましょうか? 化け猫観察日記よりこっちの話の方が面白そうよ」

「おい‼︎」

 

  すっかり当初の目的を忘れ幻想郷へと想いを馳せる四人に橙の怒りが飛ぶ。いざ話に乗ってやったのにどうだっていい扱いを受ければ当然だ。だが、願子たちの新たに浮かぶアイデアは、一人静かに五人を眺めていた『博麗』によって止められた。

 

「おいおいお前ら幻想郷の話を書くのはやめとけ、ろくなことにならねえし、最悪あたしと副部長がお前らを退治しなくちゃいけなくなる。分かったら素直に化け猫観察日記とやらを書いとけよ」

 

  笑みもなく冗談でもないといった表情の伯奇の注告には従った方がいい。伯奇はまだ分かるが、なぜ副部長にまで? といった疑問を四人は抱くが、真剣な伯奇の顔に四人はなにも言えなかった。

 

  そんなどうもおかしな空気になってしまった六人の元に、コーヒーを淹れてくると言いながら全く今まで姿を現さなかった副部長が七つのカップを持って帰ってきた。タイミングを読んでいたのだろうが、それによって空気が和らいだため文句を言う者はいない。

 

「どうだ、上手くいきそうか?」

「はい! ただ副部長、もうちょっと詳しく橙ちゃんのことが知りたいんですよね」

「そうですね、化け猫のことは確か不見倶楽部にレポートがあるんですよね? なんでそれはいいんですけどもうちょっと橙さん個人のことを知らないと観察日記の形にはならないかと」

「あら、それならいい案があるわ! 橙さんも不見倶楽部の部室に来て貰えばいいのよ!」

 

  名案でしょう? と胸を張る塔子に珍しく名案だと賛成したのは同じ一年生の三人。副部長と伯奇は口を(つぐ)みなにも言わないことに決めたらしい。そうなると残された橙に決定権があることになるのだが、これに橙は難しい顔しか出来なかった。

 

  橙からするとこれは断じて名案などではない。名案とは自分の主人や主人の主人が思いつくようなことを言うのであって、決して人間がパッと思い浮かべるようなことを名案と言うのではないと橙は考える。

 

  しかし、占い大好き塔子の今回の案は愚策であるとも言いずらかった。橙に任された仕事の一つに四人を守ることがある。守るのならば近くにいた方がいいのは当たり前だ。ただ人間が好きでもない橙は自分から今日からお前たちを守ってやると表立って言うのも(しゃく)であり、かと言って仕事を(ないがし)ろにするほど不真面目でもない。その結果浮かべるのは難しい顔。

 

  だがただ喜ぶ願子たち四人の姿を見て、考えるのが馬鹿馬鹿しくなった橙は流れに任せることにした。その結果近い未来に不見倶楽部のペット扱いになったのは言うまでもない。副部長と伯奇の目は悲しい目をして橙を見ていた。

 

 

 




次回は大妖怪が不見倶楽部に訪れます。少し真面目な話になるかもしれません。オカルト総会までもう少し。


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取らぬ狸の皮算用

  今日の不見倶楽部は一味違う。オカルト総会まで残り二日と迫り化け猫観察日記を急ピッチで完成に向ける。そんな願子たちを労うため……ではなくただ副部長から取材したいんだってと電話が来たために旅行も兼ねてマミゾウが不見倶楽部の部室にいた。

 

  八雲紫の異物感とは打って変わって少しでも馴染むために一葉高校のセーラー服に身を包んだマミゾウは女子高生と言えばそう見えるだろう。

 

  ただどうしても滲み出てしまう大妖怪としてのオーラがただの女子高生ではないことを教えていた。ズレた眼鏡を直すように指で押さえ、不見倶楽部の部室に立つマミゾウを願子たち四人が歓迎しないわけがない。

 

「久しぶりじゃな、みな元気そうじゃの!」

「マミゾウさーん!」

 

  快活に手を掲げるマミゾウの胸に願子が飛び込む。それを両手を開いて笑顔で受け止めるマミゾウはやはり心が広い。

 

「フォッフォッフォッ、相変わらず一番元気じゃのお前さんは、副部長が苦労しそうじゃ」

「副部長の前にあたしたちの方が苦労してますけどね」

 

  友里の一言を受けても「そうかそうか」とおおらかなマミゾウに友里も口元が緩んでしまう。友里と杏と塔子にとっては初めて幻想を見せてくれた相手だ。今日マミゾウが来ると聞いて喜ばないわけがない。

 

「それでマミゾウさんいつまでいるんですか?」

「いつまででもいたいところじゃが、佐渡の狸たちが寂しがるからのう、今日には帰るぞ」

「あら、なら今日は是非とも楽しんで行って! こんな狭い部室だけど」

「狭くて悪かったな」

 

  塔子の一言に返される副部長の皮肉も四人の耳には入っていないらしくマミゾウを囲んでキャッキャウフフと楽しそうだ。もうこのまま胴上げでもするんじゃないかという勢いの四人の相手をなんとか終えると、マミゾウはソファーの上にいる一人と一匹に顔を向ける。紛れもない伝説に残る大妖怪の視線を受け、妖怪に慣れているはずの伯奇と大妖怪の式である橙もゴクリと生唾を飲み込む。

 

「ほうほう、なんじゃ副部長また新入りか? これまた個性の塊みたいなやつじゃのう、それにこいつは化け猫じゃな。どこで拾った?」

「拾われてない! 私は紫様の命を受けてここにいるんだから……です」

 

  人間に拾われたなどと言われて黙っている橙ではない。しかし相手は噂に名高い大妖怪。それも紫と藍の話に上がるような相手だ。強気で口を開いたはいいものの語尾に迫るごとに迫力は抜けていき、終いには敬語になってしまう。そんな橙にマミゾウは嫌な顔一つせず笑い声で応えてくれる。

 

「はっはっは! お主八雲紫の式なのか! こりゃあ愉快じゃ! あの八雲紫がお前さんみたいなのを式に取るとはのう」

「違う! 紫様は確かに凄いけど私の主人は藍様だ!」

「なんじゃと⁉︎」

 

  大きな笑い声を上げていたマミゾウの顔が醜悪に染まる。先日の橙や伯奇の比ではない強大な妖気が一気に部室を包み込み、強制的に発せられた嫌な汗が願子たちの肌を濡らす。

 

「あの、マミゾウさん?」

 

  願子の声を受けてもマミゾウは元に戻りはせず、優しかった目が獣の雰囲気を帯び始める。瞳が鋭く細くなり、犬歯が伸びた。狸の特徴的な尻尾の毛は全て逆立ちそれに合わせて攻撃的に変わっていく妖気が人間たちの肌を刺す。

 

「藍、八雲藍。あの性悪狐が! なあにが動物の中では狐が一番じゃ! 狸は所詮煽てられて木に登る家畜のような存在じゃと⁉︎ 狐のどこがいいというんじゃ、ジ●リを見ろ! 狸は映画にもなったんじゃぞ! それだけで狸の偉大さが分かるというものじゃ‼︎だいたい」

 

  迸る妖気がだんだんと膨らんでいき、マミゾウの口は止まらない。マミゾウに取って絶対に踏んではいけない何かを橙が踏ませてしまったらしい。あわあわ動けない願子たちの代わりに苦笑いを浮かべた伯奇が副部長に近づいていく。

 

「おいおい副部長よお、ありゃ間違いなく大妖怪なんだろうがなんだあれ、藍への怒りが半端じゃねえぞ」

「狐とタヌキだからなあ、狐と狸の化かし合いなんて言葉があるぐらいだし仲悪いんじゃない?」

「そんなもんかねえ、まああの姿を見る限り仲良くはねえだろうな」

「絶対に次会うことがあったら赤い狐を食わせてやる! 同族食らいじゃ‼︎」

 

  ああこりゃあダメだと副部長と伯奇の冷めた顔がマミゾウに向けられるが、部室に充満する妖気の量は馬鹿にならない。青ざめた願子たちと橙は限界に近く、流石に不味いかと二人が動いた。

 

「おい副部長、あたしが結界張っててやるからあいつの相手は頼むぜ」

「ヘーイ……おいマミゾウさん。そろそろ落ち着いてくれよ。願子たちが怖がってるぞ」

「なんじゃあ! お前さんも狐が一番じゃと言うんか⁉︎」

 

  獣の目が副部長を射抜く。三日月のような視線を受けて副部長は内心ため息を吐いた。一度こうなったマミゾウは落ち着くまでに時間が掛かる。何度かマミゾウと一緒に行動している副部長はよく知っていた。普段は気のいい完璧なお姉さんだが、八雲藍が関わるとどうも子供っぽくなる。過去に何があったのかは副部長の知るところではないが、数少ない友人のためにもここは自分が落ち着かせるしかないと副部長は覚悟を決める。蟲の目が獣の目と相対する。

 

  副部長とマミゾウに限って言えば、副部長のマミゾウに対する相性は最高の一言に尽きる。ただ人より目のいい副部長だが、マミゾウの能力を看破するには十分すぎる。妖気の流れすら見透す副部長の目は、化させる程度の能力という規格外の能力に唯一完璧に対抗できるジョーカー。マミゾウはただの妖力による攻撃だけでも副部長を圧倒できはするが、それを持つだけで圧倒的な程度の能力を完封できる副部長の数少ない相手である。

 

  マミゾウにはデコピンだけで完封されると副部長は言っていたが、流石にそれは冗談だ。かなり厳しくはあるもののマミゾウの相手を副部長は存分にすることができる。

 

  膨らみ続ける妖気を前に一歩も引かずにマミゾウへと歩みを進める副部長の身体に緊張が走る。マミゾウの獣染みた表情が副部長の顔をしかと捉え、二人がぶつかる轟音と衝撃に願子たちは目を瞑ってしまう。次に目を開けた時には窓に大きな穴を一つ残し二人の姿は消え去っていた。

 

「マミゾウさんも面倒なことしますね、普通に出ていけばいいのに」

 

  大穴の空いた不見倶楽部の部室で願子たちがてんやわんやになっている頃、副部長とマミゾウの二人は学校の屋上の貯水槽の上で諏訪の街を見下ろしていた。行き交う車、湖畔を歩く人々、陽の光を受けて光る諏訪湖の鏡面の上を小さな船が滑っていく。

 

「なあに、ああでもせんとお前さんと二人で話すことは難しそうだったからな。それにしてもここも変わったのう」

 

  先ほど見せた怒りは何処へやら。すっかり元に戻ったマミゾウは遠くの小舟を指で摘めないかとちょいちょい指を動かしながらしみじみと口にする。副部長の顔を見ようともしないが、マミゾウも分かっているのだろう。副部長は困ったように笑うとマミゾウと同じように遠くの小舟を摘もうと指を動かす。

 

「俺としてはここに初めて来た時から何も変わっていませんよ。東風谷さんが居なくなっても、神様が居なくなっても諏訪は変わりませんよ」

「そういうことじゃあないさ」

 

  ここでようやくマミゾウは副部長の方へと振り返る。眼鏡の奥の優しい目が副部長の顔に向けられた。たったの一年ぽっち、その中の数日であるが、副部長とマミゾウの過ごした時間はそれはもう濃いものだ。

 

  初めてマミゾウが副部長に会ったのは諏訪にぶらりと立ち寄った時。旅行などではなく、その時には『こちやさなえ』の時とは比べものにならないほどの祟りの瘴気が諏訪中に立ち込め、諏訪に住む狸からの救難信号を受けたからだ。

 

  そこで見た光景をマミゾウは一生忘れないだろう。祟りの渦の中を二つの深緑の目が転げ回っていた。死ぬと思った。いとも簡単に、何もできず。だがそんなことはなく、死にはせずにその男は生き残った。惨めだ。その時その男がやったことは立ち向かったというより逃げていたに近い。大地を這いずり、小枝のように飛び、血と泥と汗に塗れて崩れ落ちる。

 

  そんな男はきっともう諦めると思ったのに、次の日も、また次の日も祟りの渦に飛び込んでいく。弱いくせに諦めの悪い人間そのもの。それが副部長に対するマミゾウの評価。

 

「あんな弱っちかった男がこうも化けるんじゃから人間は面白い! 儂よりお主の方が狸じゃろう!」

 

  そんな男が自分の想像を超えて会うたびに強くなる。その本質は変わっていない。この男の本質は初め見た時から何も変わらず、今でも初め見た時のまま。困ったような顔をする副部長がそれを何より証明している。脅威に震える足でなんとかその前に立ち、無謀と分かっていても拳を振るう。臆病だが強く弱い人間。

 

「初めお主に会った時は不見倶楽部はお主一人だったのにのう、それが五人になって七人になって、賑やかなものじゃ」

「まあ伯奇と橙は部員じゃないですけどね」

 

  博麗と八雲かとマミゾウは少し寂しい顔をする。博麗と八雲、その二つがさす先は一つしかない。それが副部長にはよく分かる。その顔は幻想郷に旅立つ前の親友の顔によく似ている。

 

「マミゾウさん幻想郷に行くんですか?」

 

  マミゾウが電話一本で諏訪に来た理由。それは決して電話口で言った遊びに来たというものではない。知人に会いに来る。急に昔話をする。どちらも遠くに行くための準備をする行動のそれだ。マミゾウの行動もそれと何も変わりがない。

 

「ははは、まだ行かんさ、ただ古い古い友人から手紙が届いてのう、今幻想郷にいるそうじゃ。儂にも思うことがあってこうしてお前さんに会いに来たというわけじゃ、ついでに可愛い妹分たちの顔でも見れればいいじゃろうとな」

「何か分かりました?」

「そうだのう、儂はきっと変わらないものを見に来たんじゃ。例え何があってもお前さんら不見倶楽部は変わらないじゃろう? なぜならお前さんがいる。お前さんがよく言う東風谷早苗が居なくなっても神が大地から消えても変わらないように儂が居なくなってもきっと変わらん。それはお前さんを見てよく分かった。ならばお前さんがそれほど言う東風谷早苗に会いに行ってみるというのも悪くなかろう? 儂はお主みたいな弱い人間と違って幻想郷を行き来できるしの!」

 

  そう言って締めくくるマミゾウに副部長は何も言えなかった。副部長は幻想郷に行こうとする者を止めることは出来ない。夢を追うのは誰もが自由だ。どれだけその相手が親しく寂しいと思ってもその手を掴むことは許されない。

 

  見えないものを見て、聞こえないものを聞くのが不見倶楽部。もしここでマミゾウを止めてしまったら副部長は副部長でなくなってしまう。だから早苗を送り出した副部長がマミゾウを止めることはない。部室に向かうマミゾウの背中を副部長はただただ眺めるしかなかった。

 

「いやあ悪かったのう!」

 

  部室に戻ったマミゾウはわざとらしく頭を掻いて願子たちに詫びる。部室に空いた穴は消え去り戻ってきたマミゾウと同じくすっかり元に戻っていた。これこそマミゾウの程度の能力、化させる程度の能力である。

 

  本当に空いていたはずの穴が消え去るとそこにあるのはいつもの部室の景色、相変わらずマミゾウの見せる幻想は分かりやすく凄まじい。

 

「もうびっくりしましたよマミゾウさん、副部長は大丈夫なんですか?」

「うむ大丈夫じゃ、もうすぐ帰ってくるさ」

「それで副部長とマミゾウさんどっちが勝ったのかしら? 副部長? マミゾウさん?」

「そりゃ当然勝ったのはみんなのマミゾウさんじゃ!」

 

  そう言って胸を張るマミゾウにすごーいと群がる願子たちはなかなか薄情だった。それを入り口に佇む副部長が悲しい目で見つめている。それを労ってくれるのが白起と橙だけというのがさらに哀愁を漂わせている。

 

「じゃが残念なことに儂もそろそろ帰らんといかん」

「えー、もうちょっといてくださいよ、私たちもっとマミゾウさんと話したいです! ねえ杏ちゃんもそうだよね!」

「そうですよ! まだ全然お話してないのに‼︎」

「ははは、可愛い奴らじゃ! なにまたすぐに会えるさ約束じゃ!」

「「「「はい!」」」」

 

  マミゾウへの返事はそれはもういい返事だ。副部長が泣きたくなるくらいいい返事だった。両肩を叩く白起と橙の手が温かい。それがどうにも悲しい気持ちにさせてくれる。

 

「副部長もまたの! 必ずまた会うとしよう‼︎」

「うわあ、俺にその台詞を言いますか、その台詞あんまり俺信じてないんですけどね」

 

『また、また絶対会いましょう! 約束です! きっと、きっとまた、いつかきっと‼︎』

 

  夏の終わりに諏訪大社で緑の髪を宙に漂わせ言った少女の言葉は二年経った今でも果たされていない。その言葉を再び副部長に信じろというのは酷だろう。二度目三度目はそうかもしれないが、一度目の約束は今でも信じている。不見倶楽部の部室から空飛ぶ狸を眺めながら副部長は少しだけ昔の記憶に潜って行った。




次回はオカルト総会に入ります。副部長と部長の話を書こうとすると非常に長くなるのでまたどこかで。マミゾウに届いたぬえからの手紙は今幻想郷にいるよー的なものでありまだ呼んでいるわけではありません。幻想郷の異変は不見倶楽部の時系列に合わせるためにちょっと加速して貰います。どれくらい加速するかというと四ヶ月くらいの間にアマノジャクくらいまで進むという異変過労死状態まで加速します。もう霊夢達は毎日出勤です。そして毎日宴会です。ウコンの力を常に懐に忍ばせて頑張って貰いましょう。


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軽井沢でオカルト総会!

  軽井沢。

 

  避暑地と言えば? という質問で多くの人間が思い浮かべるだろう土地の筆頭であろう。多くのアーティストや文化人もこの軽井沢をこよなく愛し、日本離れした空気を孕む軽井沢は日本人だけに限らず外国人の愛好家も多い。

 

  そんな軽井沢は歴史も古く、有名なクラシックホテルが二つもあり、その内の三笠ホテルは営業を辞めてから観光スポットになってしまったが、もう一つの万平ホテルの方は今現在も営業を続けている。

 

  万平ホテル、『鬼平犯科帳』『剣客商売』という人気作を生み出した著名な時代小説家『池波正太郎』。言わずと知れた『ビートルズ』の『ジョンレノン』。明治期には教科書に載る『東郷平八郎』までもが宿泊した歴史、気品共に完璧なホテルだ。

 

  明治期からというようにその歴史は古く、江戸時代後期に旅館としてできたのが始まりだ。そんな万平ホテルにオカルト総会を前日に控えた不見倶楽部のメンバーとオマケ二人は宿泊している。

 

「やばいよ……」

「やばいね……」

「やばいです……」

「やばいわね……」

 

  そんな中で願子たち四人はベットに腰掛け動けないでいた。万平ホテルに来る前までは願子たちのテンションは最高潮、遠足に来た小学生のようだったのだが、いざ万平ホテルを目の前にすると借りてきた猫のように大人しくなってしまう。

 

  ただ眺めるだけなのと泊まるのでは全く意味が異なってくる。それも泊まるのは本当に一流のホテルなのだ。願子たちはただのと言うには少し変わっているが、それでも今までは普通の女子中学生で女子高生、木造の豪華で荘厳な空間にいて緊張しないわけがない。

 

  万平ホテルのアルプス館。明治十一年に造られた万平ホテルを代表するクラシックツインルーム。それを二部屋借りている。緑の落ち着いた若草色の床、すっきりとした色合いで主張し過ぎないベット、欧州の空気を存分に吸いながら確かに見える日本の色との調和の美しさは見たものにしか分からない。

 

  少しでも壁に触れるのも戸惑われベットから一歩どころか体を動かすのも億劫(おっくう)だ。そんな四人のなんとも庶民的な態度に舌打ちを打ちつつ呆れている伯奇、なんだかんだこういう空気に慣れているため椅子の上で丸まり寛いでいる橙、壁際のテーブルでいつものように眼鏡を掛け手元で何かを書いている副部長と完全に部屋の中は二分されていた。

 

「おいおいお前らよお、なあにそんな風に縮こまってんだよ」

「いや伯奇、あんたはなんでそんなに普通にできるのよ。なんかこうおっかなくないの?」

「お前なあ、壊しちまうのが怖えのか? 言っとくが金払って来てんだからそんなこと気にしてんじゃねえよ」

 

  泊まる対価にしっかりお金を払う。伯奇の言う通り払うものは払っているのだからそんなに気にすることでは無いのだが、四人には伯奇に言いたいことが一つある。

 

  なんでいるの?

 

  これだ。オカルト総会には不見倶楽部が参加するためにわざわざ軽井沢まで来た。不見倶楽部がだ、しかも一応一葉高校として学校行事として来ているのだ。八雲紫からの命で動いており、四人の近くにいなければならない橙は一緒にいるのはしょうがないとして、伯奇がさも当然のように一緒にいるのはおかしい。

 

  自分たちのことを守ってくれているとも知らず、猫のように顔を掻いている橙の可愛さに癒されつつ四人は伯奇にそのことについて問い詰めたいが、残念ながら鬼のように強い伯奇に早々文句を言う勇気は無い。そんな四人に変わって珍しく副部長が眼鏡を外して口を開いた。

 

「まあ確かに、お前たちうちの部室で慣れてるだろ」

「副部長、不見倶楽部の部室はすごいと思いますけどここと比べるのは流石に無い」

「友里酷くね?」

「私は部室の方が好きですよ副部長先輩!」

「あんがとさんよ、で? なんで伯奇までここにいんの?」

「あ?」

 

  副部長の問いに答える伯奇の威圧した声。だが数日繰り返した伯奇との会話に慣れた不見倶楽部の部員たちがそれに引き下がることはなく、ジトッとした目が伯奇に集まる。少し気まずそうに頬を掻き目線を反らす伯奇は、口をモゴモゴ動かして、やがてゆっくり話し出す。

 

「なんだよ、あたしがいちゃ悪いのかよ」

「悪い、お前が勝手に予約変えたせいで追加料金が発生したんだよ。その金は不見倶楽部の部費なんだぞ、五人の中に無理やり橙をねじ込んでただでさえ金が追加でかかってんのにお前の分までもう払っちまったせいで諏訪に帰った時に会長に怒られるのが確定になった。どうしてくれる」

「いや知らねえよ、だいたいお前と橙が居なくなったらあたしは一人で留守番だぜ? 飯はどうすんだよ」

「自分で作れよ、俺ばっかりに任せてないで」

「無理、作ったことねえ」

 

  誇らしげに言うが全く自慢にならない。そんなことよりも伯奇と橙と副部長が一緒に住み始めてから副部長がずっとご飯を作っていたという事実に死んだ目になった四人の目が伯奇に集中する。

 

「なんだよお前らその目は! しょうがねえだろうが、あたしは博麗の仕事で今まで忙しかったんだよ!」

「あらそんなに自分の生活力の無さをアピールしなくてもいいと思うのだけれど」

「うるせえな‼︎ だいたい今まで田舎で生活してたせいでこういうとこ来んの初めてなんだ、着いて行くに決まってんだろ!」

 

  伯奇の叫びは強く悲しい。不見倶楽部以上に実は今回の子旅行を楽しみにしていたのは伯奇だった。オカルト総会という千人以上の同じ想いを持ったものがが一同に集まり、その場は歴史も古く日本離れした軽井沢。妖怪と山しか無かった遠野からあまり出たことがない伯奇からすれば、博麗の里を出禁になったものの、今まで尖っていたためにそこまで仲の良い者がいない博麗の里よりも、ある程度好きに言い合える不見倶楽部の者達との万平ホテルでの時間が楽しくないわけがない。オカルト総会についてはそこまで楽しみにしてはいないが、今この瞬間は伯奇が望んでいたもの。叫びの余韻に浸りながら少なからず伯奇の口角は上がっている。

 

「まあ過ぎたことはしょうがない。伯奇に関してはどこかで今回の分働いて貰うとしよう」

「へいへい、分かりましたよ副部長様」

「全く心がこもっていませんね」

 

  「なんだよ杏ー」と、ベットを大きく弾ませながら杏の横に飛び付く伯奇の姿はただの女子高生の姿。初め会った頃からは想像もできないくらい柔らかい。伯奇のおかげで緊張の無くなった四人だったが、消えた緊張が移ったかのように急に橙が毛を逆立てる。

 

「うぇ? どうしたの橙ちゃん」

「黙って! 副部長‼︎」

「ん? なんだ?」

 

  橙が椅子から飛び降り副部長の前へと躍り出る。橙が何かに気がついた。それは動物の第六感なのか伊達に八雲の式ではないからか、副部長でさえまだ気付いていないらしいホテル内の僅かな変化を橙は見逃さない。

 

  橙に続いて変化に気がついたのは伯奇だった。杏の横で上げていた笑い声をピタリと止め、顔を醜悪に歪めていく。だがそんな伯奇とは異なって、いつもならこういう事態に(おちい)った時に真っ先に立ち上がる副部長は何が何だかといった感じで眉を顰めるばかりで動かない。

 

  そんな副部長に橙と伯奇はイラついたように溜息を吐く。副部長が動かないのならしょうがないと動いた伯奇が入り口の扉の前に立ち、扉をゆっくりと開いた。

 

  白い影だ。扉を開いて少しするとそうとしか言いようのないものがゆっくりと静かに音も立てずゆらゆら揺れる足を動かして開いた入り口の前を横切った。空間に無理やり色をつけたかのようにぽっかりとそこだけ白く、それがゆらゆら揺れる様は生きているものでもなければ、今まで願子たちが出会ってきた不思議な者たちとも違う。あまりに唐突に現れた幻想に思わず願子は無意識に間抜けな声を出す。

 

「え?」

 

  すぐに消え去った白い影を願子の声を合図にして伯奇が追って外へ飛び出す。逆に橙は願子たち四人の前へと立ち塞がるように移動した。願子が一度目を擦り再び入り口を見てみるがそこにはもうなにも無く、まるで夢を見ていたみたいだ。だが目の前で同じく入り口の方を鋭い目付きで眺める橙の姿が夢ではないと言っている。

 

「別に危険は無いさ」

 

  今まで黙っていた副部長の声に橙も含めた五人が副部長の方へと振り向くと、いつの間にか複眼を晒した副部長が同じく入り口の方を眺めている。その顔はなんとも微妙なものであり、呆れ半分期待半分といった感じだ。

 

「万平ホテルは百年以上の歴史があってな、当然そんなに長く続いていればオカルトの一つや二つは持っている。万平ホテルには幽霊が出るという噂があるんだが」

「あれがそうなんですか? 副部長」

「いやあ、どうかなあ、幽霊にしてははっきり見えたし、あっ!」

 

  願子の問いにもどうにも煮えきれない副部長に誰もなにも言えなかったが、急に声を上げた副部長に全員の肩がぴくりと跳ねる。副部長の肌からぶわりと冷や汗が流れ、顔色がどんどん悪くなっていく。

 

「副部長先輩どうかしたんですか⁉︎」

「ああやべえぞ、伯奇のやつがちょっかい出そうとしたんだが、その瞬間に伯奇の野郎が吹っ飛ばされた。それで衝突した壁が凹んじまってる。最悪だ……。お前ら全力で他人のふりをするぞ! 出禁になったら人生おしまいだ!」

「いやあんたなに言ってんの!」

「そうだよ副部長! だったら助けに行かなきゃ!」

「いやいやお前らが思ってるほどピンチじゃ無い…………行っちまった。なあ橙、俺も行った方がいいのか?」

「そりゃそうでしょ、って私も行かないと!」

 

  副部長と橙を残して部屋を出た四人は伯奇を助けるため走ろうとしたが、部屋を出た途端に立ち上がろうとしている伯奇が目に入り、少し安心する。副部長の言っていた通り伯奇の後ろの壁は伯奇の形に綺麗に凹んでしまっており、素晴らしいホテルが一部相当残念なことになっていた。伯奇が衝突した音が聞こえなかったあたり衝突したというよりは押し付けられたように感じる。そんな風に凹んでいる壁には目もくれず、伯奇の目は今はいない幽霊を探しているようで、忌々しげに顔を歪めていた。

 

「あー伯奇? 大丈夫?」

「ぁあ⁉︎ 大丈夫だよ! くそあの野郎ふざけやがってクソが!」

「なにがあったのかしら?」

 

  怒り心頭の伯奇は塔子の呼び掛けにも答えず攻撃的な霊気が辺りに充満する。凹んだ壁はそれに耐えることができず小さな木の破片が散らばせ始めた。さらに悪いことに、軋むホテルの音が呼び寄せたのか、他の宿泊客の客室のドアが次々と開いていく、夜にホテルの廊下でこれだけ騒げばそうなるのも当然だ。

 

「ちょ、ちょっとどうすんの」

「私たちは悪く無いはずだけどこれ絶対面倒臭いことになるって!」

 

  それも気にせず怒りの火を纏う伯奇のせいで打てる手も無く、軋む壁の音は弱まるどころか段々強くなっていくばかりでこの場にそれを止められる者はいない。無情にも開くドアからは一人、二人と外の様子を見に人が出てくる。

 

「あ、あのうこれはですね」

 

  先手必勝、相手に何か聞かれる前にこちらから適当なことを言ってはぐらかしてしまおうと考えた願子だったが、続く言葉が出ない。なにも思いつかなかったからというわけでは無く、どうも出て来た人たちの様子がおかしい。キョロキョロ辺りを見回したかと思えば、他の客と顔を見合わせなんだったんでしょうねと言って部屋に帰って行ってしまった。まるで願子たち五人などここにいないといった反応に困惑する四人。

 

「全く世話が焼けるんだから!」

 

  そんな四人の意識を奪ったのは、急に目の前に飛び出してきた橙だ。得意げな顔で出て来たあたり橙がどうにかしたらしい。諏訪を発ってから目立つ猫耳と尻尾を持っていながらここまで願子たち以外の者たちが誰も気にしなかったのは橙の持つ妖術を操る程度の能力のおかげだ。その力は微々たるものであるのだが、人間を騙すにはそれだけあればいい。その能力のおかげで今もこうして他の客の気をそらした。

 

「ほら今のうちに戻るわよ! 早くしなさい!」

「ありがとう橙ちゃん!」

「ありがとうございます!」

「うんうん、もっと敬いなさい!」

 

  気分を良くした橙を先頭に怒れる伯奇をなんとか動かし部屋に戻ると、全く副部長は動く気が無かったようで、願子たちが出て行ったのと全く同じ場所で複眼をぱちぱち開けたり閉じたりしているだけであり、そのおかげですっかり願子たち六人から毒気が抜けてしまった。副部長が動く気がないということは、この件はそこまで切羽詰まったようなものでは無いことを表している。落ち着いた六人が部屋に入り次にとった行動は伯奇になにがあったか聞くことだ。落ち着いたとはいえそれでもまだ興奮していた伯奇だったが、いつどうやって淹れたのか部室にいる時と同じように副部長がコーヒーを全員に手渡したため、間が外れて肩透かしとなった伯奇がようやっと話してくれた。

 

「霊力も魔力も感じなかったから少し驚かせてやろうと思ってよ、それまであたしが近づいても見えてないみたいに気にされなかったからさ。だがあたしが霊気を放とうとした途端振り返ってこう手をかざされたんだ。だが霊力も魔力もねえから特に警戒しなかったんだが、急に全身をなんて言うんだ、掴まれたに近いな。それでこう壁に押し付けられちまったってわけでよお、結界だってめっちゃ簡単なやつだが張ってたんだぜ? だっていうのにクソ! 話してたら段々イラついてきた。あのやろう……!」

「分かったからあんた少し落ち着きなさい」

「全く友里の言う通りだな。お前これ以上何か壊したらもう俺は知らないぞ」

「チッ! 分かったよ!」

 

  そっぽを向く伯奇の顔に多少赤みが差しバツの悪そうなものになっているあたり反省はしているらしい。ただ伯奇が落ち着き一件落着ではない。残された謎をそのままにしておくことを不見倶楽部は許さない。その中でも、例え間違っていようともなにかしらの答えを出さなければ、願子の頭の中に潜む好奇心という名の悪魔は満足してくれないだろう。『こちやさなえ』や『博麗』の時でさえ止まなかった『きっと面白いことがある』という悪魔の(ささや)きが願子の心の中で反響する。伯奇から目を離した願子が、次に副部長に飛びついたのは言うまでもない。

 

「それで副部長、あれっていったいなんなんですか?」

「霊体であるのは確かだ。まあそれはお前たちも見たから分かっているとは思うんだが、ただ構成している要素が異なる」

「構成している要素ぉ? なんだよおい副部長なにが見えた」

「電気」

「え?なんですか副部長先輩」

「電気だよ電気、普通霊体ってのは霊気が構成してる形の中核を担っているんだがあれはそれが電気だったんだよ。意味わからん、どうやったらあんな風になるのやら」

 

  バチバチ弾ける電気の塊、それを無理やり人の形に押し込めた。そういったものが副部長の目には写っていた。似ているようでも霊気と電気ではまるで違う、電気を人の形に固定するということがどれだけ異常なことなのかこの場で理解できるのは副部長、伯奇、橙の三人くらいのものだ。それよりも副部長でさえ理解出来ない存在がいるということに願子たち四人は驚く。

 

「それがどう凄いかいまいち分からないんですけど」

「うーん願子、そうだなぁ説明が難しいな、取り敢えず分かってて欲しいことはあの幽霊ちゃんが自然発生した場合のものだとしたらまさしくオカルト中のオカルト、世界の仕組みの何かがズレたんだろうさ」

「自然発生した場合って、副部長さんはまさかそうじゃないと言いたいのかしら」

「そのまさかだよ塔子。あの幽霊ちゃんには何かが繋がっていた。細い糸のようなものがどこからか伸びていてな、つまり誰かしらが何かしらの力であれを動かしていたのさ。あれは幽霊というよりは分かりやすく言えばドローンに近い、オカルト用語なら幽体離脱だ。つまりあれはちゃんとものを見て感じ考える頭がある」

「それを霊力や魔力もなしにその誰かさんはやったってのか? 何者だよそいつは」

「知らね」

 

  誰かさんが、何かしら、それはつまり何も分からないということだが、願子たち四人にも聞き覚えがある単語が混じっていた。

 

  幽体離脱。

 

  人の身体から魂が、霊体と実態の中心となる幽体となって抜け出た状態のことを言う。それに関しては膨大な数のレポートが不見倶楽部にあり、願子たちもその全てとは言わないが目を通していた。不見倶楽部だけでそれだけの数のレポートになるほど幽体離脱については専門の研究家までおり、心霊的、科学的な見地両方から研究されているものでもある。

 

「でも副部長、あの幽霊が誰かが意図的に出したっていうなら近くにその人がいるんですよね? 明日のオカルト総会大丈夫なの? 絶対その関係者でしょ」

「友里の言う通りその可能性は高いかもしれないな、なにせ全国から千人以上が集まっているんだ、それもオカルトに興味のある連中ばかりな。その中から何人かは分からないが目当ての人物を探し出すとなるとそれは無理だろう」

「それでも頑張って探せば!」

「ちょっとへんてこ眼鏡! 変なこと考えないでよね、副部長が無理だろうって言ってるんだから無理なんでしょ。それにお前たちはオカルト総会に参加しに来たんであって、今見たばっかりの奴の正体を探りに来たわけじゃないでしょ⁉︎」

 

  このままでは仕事が増えてしまいそうだと慌てた橙の制止がかかる。橙自身自分のための行動ではあるが言っていることは至極正しい。願子たちはオカルト総会に出るために数週間も前から諏訪を駆け回っていたのであって、今日偶然遭遇した幻想を追うためでは断じてない。しかしそうは言っても気になってしまうものは気になってしまう。それがそれなりの時間付き合っている副部長が分からないはずもなく、

 

「分かった。俺が調べとくからお前たちは総会に出ろ」

 

  という副部長の鶴の一声でようやく四人はおとなしくなった。もともと総会に出に来たのだからそれが正しい。だがそうなると副部長が出れなくなってしまうわけだが、副部長は出れなくて残念なのかと言われると実はそうでもない。中学の頃から誘いを受けていながら一度も行かなかったのだ、今回行かないくらいどうってことない。

 

  副部長のおかげでようやっと空気が落ち着きかけていたが、それは部屋の扉が叩かれたことによってそうはならなかった。橙が誤魔化したとはいえ伯奇の凹みは残ったままだ。ひょっとすると橙がどうにかする前にそれを見ていた誰かが伺いに来たのかもしれないと考えた副部長は真顔でコンタクトを戻し顔が死んでいく。使いものにならなくなった副部長の代わりに一番近くにいた塔子が扉を開けた。

 

  二度目に開いた扉の先、一番最初に目につくのは大きな黒い帽子。その下で怪しく光る眼鏡と、来訪者の身体をすっぽり包む黒いマント、ちらりと見えるマントの裏地は真っ赤であり、何かがマントの上で光っていた。僅かな胸のふくらみと肩に掛かる長めの髪、幼い顔立ちが少女であることを表している。

 

  なんともおかしな出で立ちの少女だ。普通ならこのおかしな少女を前に思考も身体も止まってしまうだろうが、そうなるには願子たちは幻想に関わりすぎた。願子たちの頭に浮かぶのは、副部長であり、マミゾウであり、紫であり、伯奇であり、橙である。警戒の色を滲ませつつ塔子は少女に向かって言葉を投げた。

 

「何かご用かしら?」

 

  塔子の言葉を受けると少女は大きく、それこそ口が裂けるかと思うほどの笑顔を見せると部屋の中へ一歩を踏み入れる。全員の目が少女へと向き、それを受けた少女は満足げに、大袈裟にマントをはためかせる。

 

「どうも皆さん初めまして、宇佐見菫子と申します」

 

 

 




宇佐見菫子のキャラが掴み辛い……。


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秘封倶楽部と不見倶楽部

「えーですからですねー、幽霊というのは一種のタルパのようなものであると思うんですよ。それは個人の領域を出ないものですが、集団が認知したタルパが幽霊として見えると、それが我らの説でありまして」

 

  遂に始まったオカルト総会であったが、それは副部長の言う通り別に楽しいものでは無かった。軽井沢大賀ホールというコンサートでよく使われている会場を一日借り切っての発表会。本来耳を(くすぐ)る美しい音色と光に包まれているステージ上での発表は、それがどうしても退屈で仕方なかった。朝八時から始まったオカルト総会は基本的に二つの部門に分かれている。成果物の発表がまず一つ。もう一つは成果物の展示だ。展示と発表の両方をやる部活もあるのだが、不見倶楽部は後者に当たる。願子たち四人の書いた化け猫観察日記と、副部長が出したものは展示のみのものであり、数日前に審査のために提出は済ませてあるため、後は他の部の発表やら展示品を見て表彰までの時間を潰せばいいのだが、その時間すら今の四人には苦痛であった。

 

  その理由は幾つかあるが、一つは昨日訪れた少女だ。秘封倶楽部会長『宇佐見菫子』、そう名乗った少女は、昨日ホテルの一室で何をしたのかというと結論から言えば何もしなかった。大袈裟な登場にもかかわらず、少女がやっていたことは先程まで無かった壁の凹みが気にかかり、ホテルの宿泊客たちに聞いて回っていたらしいということ。その時に伯奇が苦い顔をしたのは言うまでもない。副部長が「知らね」というと特に菫子は何も言わずに出て行ってしまったが、部屋に入ってからずっと伯奇を見ていた菫子の様子と、願子たちが今まで会ってきた幻想の存在とどこか似通った雰囲気を持っていることが頭の片隅に引っかかる。

 

  もう一つは今まさにこの状況だ。

 

「はあ? あの人間何言ってるのよ、タルパってなに? 幽々子様とかがそんな存在なわけ無いじゃない。ね?」

「ははは、そーだねー」

 

  オカルト研究部たちの発表は頑張っているのは分かるのだが、普段聞く副部長の話と比べるとどうにも具体性に欠け、また実演の実験もあるのだがどれも失敗するものばかり。これがネクロマンサーだと言ってカエルの死体に電極をぶっ刺し破裂させた発表を見たときは四人ともドン引きした。そんな発表を受けて、それに詳しい橙が口を挟まないわけがなく、解説のためにきたオカルト関連の教授たちよりも詳しい橙のダメ出しが続き、願子たちはあまり発表自体を楽しめなかった。

 

  今四人が出来ることと言えば橙を(なだ)めつつ、その橙が時折零す教授たちの解説よりも面白い解説に耳を傾けることだけだった。

 

「まさかこんな感じになるとは思わなかったよ……。なんて言うんだろう、勝手に自分でハードル上げてたっていうかさあ」

「なに言ってんの願子、副部長がもともと楽しくはないって言ってたでしょ」

「あら、それはそうだけど私ももっとこう楽しくなくとも面白いものだと思っていたわ」

「だからね、紫様が仰るにはね!」

「へーそうなんですか、知りませんでした。まさかホブゴブリンにそんな使い方があるなんて」

 

  ぼやく三人の代わりに杏が橙の相手をしているが、どうも話がだいぶ明後日の方向に飛んで行ってしまっているらしい。それを三人は横目でちらりと見てみるが、かなり面倒くさそうなので橙の相手を杏に完全に投げ渡し、右から左に流れていく話をBGMに会話を続ける。

 

「それにしてもあの宇佐見菫子って人なんだったんだろうね」

「知らないけど、前に一度話題には上がったじゃん。まあ菫子じゃなくて秘封倶楽部がだけど」

 

  伯奇が不見倶楽部を強襲した日、丁度その日にオカルト総会の出席名簿に上がっていた秘封倶楽部を名前が似ていることもあり、オカルト総会前から願子たちも気にはしていた。

 

「名前しか分からなかったけどね」

「あらそれなら今日貰ったパンフレットを見ればいいのよ。部活の紹介文が乗っているでしょう? うちも副部長さんが書いていたし菫子さんも書いているんじゃないかしら?」

 

  久し振りの塔子のグッドアイデアに願子たち三人は入り口で手渡されたパンフレットをパラパラと(めく)る。出席校の数が数なので結構分厚く、部活の名前の下には塔子の言った通り部活紹介文と、部員数が載っていた。どうも文字数制限が無いようであり、どの部活も五行以上の長ったらしい紹介文である。秘封倶楽部のページを探す中で三人の目に付いた不見倶楽部の紹介文。

 

『見えないものを見て、聞こえないものを聞く部活』

 

  このたった一行だけであり、周りの文字だらけの紹介文たちの間ではそこだけぽっかり穴が空いているように見える。しかも他の部は普段の活動などを書いているというのに、はっきり言ってこれでは意味が分からない。さらに部員数が、副部長と願子たちで五人のはずなのに六人と表記されており、副部長は別に名が売れなくていいと言っていたが、これでは悪目立ちしてしまう。実際に受付で願子たちが不見倶楽部の名を出した時白い目で見られたのだが、確実にこれのせい、間違いなく周りは厨二病の残念な集団だと思っているに違いなかった。

 

「ふ、副部長……」

「これ絶対他に書きようあったでしょ、副部長絶対楽しんで書いたでしょこの紹介文」

「副部長さんて実は愉快な人だものね」

「言っとくけど塔子、これのせいで今愉快なのはあたしたちだから」

 

  後で説教ね、とまるでお母さんのようなことを言って友里がさらにページを捲り、三ページほど捲ったところでようやっと秘封倶楽部の項を見つけることが出来た。部員数はたったの一人、つまり宇佐見菫子だけである。そして肝心の紹介文に書いてあったのは、

 

深秘(ひみつ)(あば)く』

 

  不見倶楽部の紹介文よりさらに短い、というかもう一言である。それに曝くってなんだ、もう活動とか以前にそれはただの宣言ではないのか、同じようにパンフレットに穴が空いたように載っている秘封倶楽部の紹介文にそんなことを考える三人。

 

「なんでだろう、凄いシンパシーを感じるね」

「その言い方だとあたしたちまで仲間見たいじゃん、副部長と菫子がでしょ」

「実際どうなのかしらね、副部長も部長がいなくなってから一人で部を廻していたんでしょう? 副部長と菫子さんて実際似てたりするんじゃないかしら?」

「そんなことはどうだっていいけど、その副部長と伯奇はいったいどこに行ったのよ」

「私が見てみようか?」

「別にいいでしょ、そこまでしなくて」

 

  三人がそんな話をしている時、あまりオカルト総会に興味のない副部長はこの時会場の外にいた。会場の外のある池を眺めることもなく、手すりに寄り掛かる副部長の隣に伯奇もおり、副部長と同じ方向へ厳しい視線を飛ばしていた。

 

  二人の前には昨日部屋を訪れた少女、ニコニコと愛想笑いを浮かべた宇佐見菫子がいる。軽井沢大賀ホールに着いてからというもの、副部長たち一行に気づかれないように尾行していた菫子だったが、願子たちには気がつかれ無かったものの副部長たち三人にはバッチリ気が付かれていた。

 

  昨日同様に菫子が伯奇を見ていることに気が付いた副部長が伯奇を伴って菫子を釣ったというわけだ。その作戦は見事に成功したと言える。オカルト総会も始まり今この場には三人しかいない。

 

「宇佐見さんだっけ? うちのおまけに何かご用ですかね?」

「おい! 誰がおまけだよ‼︎」

「だってお前不見倶楽部の部員じゃないだろう」

「それでも言い方ってもんがあるだろうが!」

「あの、そろそろいいですか?」

 

  菫子はというと副部長と伯奇のことをどうにも測りかねていた。副部長たちが自分を誘導していることには分かっていたが、菫子もあえてそれに乗っかったのだ。だというのにいざ三人きりになった途端こんな漫才を見せられるとは思っていなかった。

 

「ああ悪かったな、それで要件は? 出来れば過激なことじゃないといいんだがどうかな?」

「へえわざわざそう言うってことは過激なことだと思ってるんですかね? 私普通の女子高生ですよ?」

 

  今まで伯奇に向けられていた目が副部長の方へ向く。ただその目は見下したものであり、副部長は初めて伯奇と会った時のことを思い出していた。なんでこんな女の相手ばかりしなければならないのかと内心で溜息を吐く。太陽の光を受けてキラリと光る菫子の眼鏡がどうにも鬱陶しく、好奇心という名の毒に侵された者の顔を毎日嫌という程見ている副部長には願子の姿と重なって見えた。

 

「半々だな。俺は別に読心術者じゃないものでね」

「それでも半分はそう思ってるんですね」

「そりゃあだって、昨日万平ホテルで伯奇を壁に押し込んだのはお前だろう?」

「は? おい副部長マジで言ってんのか」

「マジもマジだよ、それだけは間違いない。幽体離脱はその構成要素の半分に自分の魂を使っているからな。それが器となり、後はそれを満たしているものが電気だろうと霊気だろうと器は変わらない。魂の形っていうのもその者固有のものだから一目見れば分かるさ」

 

  副部長の言葉を聞いて目の色を変えたのは伯奇ではなく菫子の方だ。昨日不見倶楽部の宿泊室に赴いたのは、自分に手を出そうとしてきた存在が気になったからだ。今までいろいろとおかしなものに触れてきた菫子であるが、人が幽体の自分に手を出そうとしたのは初めてだった。だからこそ興味の対象である伯奇を追ったのだが、そこに着いてきたおまけ。部屋の中にいた六人の中で副部長には特に期待していなかった菫子の考えは変わる。

 

「見れば分かる……ですか、おかしな事を言いますね貴方は。ひょっとして貴方も普通じゃないんですかね?」

「すこーしだけな」

「へぇ……」

 

  菫子の問いに目の前で指で何かを摘むような動作を付けて答える副部長はふざけているように見えるが、そうでは無い。初めて伯奇と会った時のように、好奇心から段々と好戦的な空気を発し始める菫子を落ち着かせるためのものだったのだが、これは逆効果であったらしい。挑発していると受け取ったのか、横に伸びる口端はどうにも平和にはいかない事を示していた。

 

「まあ待ってくれ、お前のお目当の相手は俺じゃなくて伯奇だろう? なら俺に絡むのはそっちの要件を終わらせてからでいいんじゃないか?」

「んー、そうですね、いいですよその口車に乗ってあげましょう」

「おい副部長お前なにあたしを売ろうとしてんだよぁあ?」

「これが今回の旅行代だ」

「チッ、クソ!で? あたしに用事ってなんだよ、くだらないことだったら泣かす」

 

  冗談じゃないと示すためか伯奇の身体から真っ赤な霊気が漏れ始める。相変わらず怒りで霊力を振るう伯奇の霊力の色は赤。可視化できるほど濃度の濃い霊気を受けても菫子は戸惑うことはなく、寧ろ嬉しそうに顔を綻ばせる。そうすると伯奇の元へと歩いて行き、急なことで面食らっていた伯奇の手を両手で掴んだ。

 

「凄い! 私とは違うみたいだけど似たようなことができる人に外で初めて会ったの! やっぱり貴方は本物だったのね! ねえお願い名前を聞かせてくれないかしら⁉︎」

「なんだよお前……ったくあたしは博麗伯奇だよ」

「博麗⁉︎」

 

  パッと手を離し距離を取る菫子の顔からは笑顔が消えていた。その理由は明白だ。『博麗』、その名を聞いてこの反応、菫子は博麗のことを知っている。

 

「貴方、博麗の巫女……じゃないわね、前に幻想郷で見た人とは違うみたいだし」

「なっ! お前幻想郷に行ったことがあんのか⁉︎」

「ある。まだ短い時間しかあっちには行けないけどね。その意味はそっちの男の人の方が詳しそうね、博麗の名も幻想郷の名も聞いても全く動じてないみたいだし」

「幽体離脱だろう? 面白いことを考えるもんだ、半分幻想でも半分はそうじゃないからってところだろう」

「その通り! 貴方話が分かるわね、やっぱり普通とは違うみたい」

 

  少し落ち着き余裕が出たのか、口調も砕け偉そうな態度に戻った菫子に向けられるのは厳しい伯奇の目と、同じく厳しいものになる副部長の目。自分から幻想郷へ行こうという存在を止めることはしない副部長であるが、菫子の様子はどうもそれとは違う空気が言葉の端々から感じられる。

 

「それで? 博麗は分かるけど貴方はなんで幻想郷のことを知ってるの?」

「知ってちゃ悪いか? うちだってオカルト研究部だぞ、知っててもおかしくないだろう?」

「その割には博麗と一緒にいたり普通より詳しそうじゃない、なんで?」

「……べつに言うことでもないさ」

 

  副部長の煮え切らない態度に菫子が取ったのは単純なこと。足元に散らばる小石が急に空中に浮いていく、それに驚いたのは副部長ではなく伯奇の方だ。霊力や魔力といった力をまるで感じることができない。それなのに目の前では普通ではありえない事象が起きている。手を前に掲げる菫子の動きに従って浮き上がっていく小石は菫子がやっているのに間違いない。菫子が指を鳴らしたのを合図に副部長へと小石が降る。石飛礫の時雨に綺麗さはなく、あるのは単純な破壊力を内包した無骨さのみ、ただそれは伯奇の結界によって簡単に阻まれ軽い音を上げると何もなかったように大地に帰った。

 

「てめえ……!」

「へぇそれが結界、初めて見たわ」

「お前いったいなにしやがった!」

「あれ? 分からないの? 博麗なのに」

 

  小馬鹿にした表情を浮かべる菫子がこてんと首をかかげる姿は伯奇の怒りの導火線に見事に着火させた。世界を沈ませる力が徐々に溢れ出し地面に影のように広がろうとしたが、副部長が伯奇の肩を叩いたことで最悪の事態は避けられた。

 

「おい落ち着け伯奇、ここでおっぱじめてどうする。こんなとこでやってみろ、八雲紫もいないんじゃあ誤魔化すのも無理、仕事が増えるどころの騒ぎじゃ無くなるぞ」

「だがよ!」

「分かってる。が、それでも今はダメだ。……宇佐見さん、あんまりこいつを挑発するなよ、お前が思っているより伯奇は強いし負けることになるぞ」

「そんなのやってみなければ分からないでしょ、それに私の力がなんなのか分かっていないみたいだし負けるのはそっちなんじゃない?」

 

  不敵に笑いまた小石を浮かせる菫子は本当にそう思っていた。それは副部長にも伯奇にも分かるのだが、それに乗っかりここで闘いを始めて仕舞えば会場にいる千人以上に幻想を知られてしまう可能性が大きい。それもただの一般人ではなくオカルトに興味のある者たちにだ。それは避けなければならないため、仕方がないと副部長は言葉を続けた。

 

「そうでもないさ、それは超能力だな。悪いが俺は宇佐見さんほどじゃないが超能力を使う奴を一度見ているからその流れで分かるぞ」

「嘘……貴方……人間?」

 

  言葉だけでは効力が薄いかもしれない。そう考えた副部長が遂に秘密を隠していた薄い膜を取り払う。昼間でも目立つ深緑の輝きに目を奪われた菫子から出る言葉は副部長が人間であるかどうかも疑わしいといったものであった。その感想からして効果は絶大だ。

 

  小石がポトリと地面に転がり、それに繋がっていた見えない手のような流れが消える。

 

  それにしてもすごい力だと副部長は思う。

 

  超能力、通常の人間にはできないことを実現できる力、サイコキネシス、パイロキネシス、テレパシー、アポート、テレポーテーション。超能力と言われるものだけでその種類は膨大な数に及び、実現する現象も全く異なる。科学的な見方が強く、一般人に近代最も身近なオカルトの一つと言っていい。

 

  そんな果てしない万能に近い能力は副部長でも一度見ていなければ気づかなかっただろう。諏訪の祟りの中にあった超能力に対する信仰、その負の感情によって生まれた祟りの怪物との闘いは副部長が思い出したくない祟りランキングの上位に位置する。

 

  動かなくなった菫子を見て、副部長はここで決めるために口を動かし続ける。好奇心によって動く者を止める時は、その好奇心を満足させ、別のものに興味を移すのが一番だ。副部長の蟲の目を見つめる菫子の意識は伯奇から副部長へと確かに移り始めていた。

 

「人間だよ、どうしようもなく人間だ。それよりこれで分かっただろう? ここには伯奇にお前の能力を看破できる俺がいる。ここで闘えばそっちの負けは確実だ。土産に俺が幻想郷のことを知っている理由を話してやるからそれでここは手打ちにしないか?」

「……分かったわ、話して」

「俺は昔親友を幻想郷に送った。だから知ってる満足か?」

 

  幻想郷に送った? 副部長の話を受けて菫子の目が見開く。人が人を幻想郷へ送る。それがいったいどれだけ凄いことなのか分からない菫子ではない。菫子は『超能力を操る程度の能力』という規格外の力を持つ少女だ。そんな菫子でも入るのに苦労し、(あまつさ)え妖怪や幽霊ではなく人を幻想郷に送るということがどういうことか。

 

「本当に? 貴方が?」

「俺はこういう時に嘘を言えるほど器用じゃなくてな」

「ふーん……いいわ、引く。ただ貴方とはまた絶対会うわね」

「いや多分もう会うことないんじゃ」

「私が会いに行くもの」

「あ、そう」

「だから名前教えてくれない? そうじゃないと不便でしょ」

「……俺は不見倶楽部の副部長だよ」

「いや、そうじゃなくて名前」

「俺は不見倶楽部の副部長だよ」

「いやふざけてないで」

「俺は不見倶楽部の副部長だよ‼︎」

「……はいはい分かりました、分かりましたよ」

 

  明らかにドン引きしている菫子におかしいなと首を傾げる副部長の方がおかしいのだが、困ったことにここにはそれを指摘してくれる者がいない。

 

「それではこの辺で私は失礼しますね副部長さんに伯奇さん」

「てめえ次会う時は首を洗っておけよ!」

「そんなことしなくても私の首は綺麗ですよ」

 

  捨て台詞を残して菫子は飛び去っていく。会場に行かず空を突き進む菫子はそのまま帰る気らしい。丁度菫子が見えなくなったのと合わせて、会場から五つの影が副部長と伯気の元に走ってきた。色眼鏡を掛けた願子が先頭にいるあたり副部長たちを見つけたのは願子であり、その願子の姿に副部長は少し汗を流し、急いでコンタクトを付ける。

 

「副部長探しましたよ! 全く‼︎」

「ぉお願子? どうしたんだよそんなに急いで何かあったか?」

「なにかあったか? じゃないですよ! もうすぐ表彰ですよ! なんで外なんかにいるんですか⁉︎」

「いやあちょっと風に当たりに」

「なんか副部長先輩怪しいです」

「え? いやそんなことないってなあ伯奇?」

「ん、おうそりゃあれだ副部長が昨日の幽霊の正体見つけてよ」

「あら凄い! 流石副部長さんね! 教えてくれるかしら?」

「いやそれは後でもいいでしょ、今は表彰!」

 

  幽霊の正体に目を輝かせる三人の代わりに友里が全員の背中を押し、会場の中へと戻る。発表の時は席はかなりの数埋まっていたが、まだ疎らに空いていた席が目に付いた。その時とは異なり表彰のために全国のオカルト研究部が一同に集まっている場は壮観の一言に尽きる。

 

  暗い会場の中唯一スポットライトを浴びるステージは光り輝いて見え、最初に発表部門の優秀者たちが表彰されていった。司会の若い男性の声が会場に響き、渋い髭面の偉そうな人が賞状を渡していく。

 

「あ、カルト新聞部の人たちが呼ばれてるよ」

「あれは表彰されますよ、なんていうか情報量が段違いでしたもん」

「流石新聞部って付いているだけあるってことかしら?」

「へー、なんだよ面白かった?」

「「「「うーん……」」」」

「あ、そう」

 

  表彰は特に問題なく粛々と進んで行き、発表部門の方の最優秀賞は京都の五光同盟が選ばれ終わった。次は展示部門、これこそ不見倶楽部の部員たちが待ち望んでいたものだ。優秀賞、最優秀賞、この二つのどちらかには選ばれたいと願子たちは強く手を握る。

 

「優秀賞は、ーーーー」

 

  不見倶楽部の名前はない。選ばれたのは五校、その展示物は確かに面白く願子たちも納得せざる終えないものだった。悪魔を呼ぶ触媒の作り方、幽霊の見方、地獄の歩き方等々良く作り込まれていたものだ。最後に残った最優秀賞は流石に無理だろうとがっくし四人は肩を下ろす。

 

「最優秀賞は、不見倶楽部‼︎」

「「「「え?」」」」

 

  だが天は彼女たちを見放さない。そう、諏訪で駆け回っていた日々は無駄では無かったのだ‼︎

 

「おい、これ名前は?」

「それが分からなくて……」

「はあ? なにやってんだ」

「いやですけど」

 

  ただマイク越しになんかごちゃごちゃと聞こえてきて願子たちは喜ぼうにも喜べずにいた。横にいる副部長の顔を伺おうとちらりと見ると、副部長は満足気に頷いているばかり。

 

「えー最優秀賞は不見倶楽部の副部長が書いた信濃物語です! ここまで詳しく長野の民間伝承をまとめ上げるとは素晴らしい! まさに長野版遠野物語です! 特に諏訪の項目は教授たちでさえ唸るような出来でした! おめでとう‼︎ あ、あと同じく不見倶楽部の化け猫観察日記も努力賞です。発想は面白い、次回も頑張ってください!」

「おーやったなお前たち、努力賞だってさ」

「副部長、それって嫌味?」

「いやそういうわけではなくてですね友里さん」

「副部長先輩のいじわる!」

「いや杏? そういうことじゃなくて」

「流石に酷いわ副部長さん」

「いやいや塔子さん⁉︎」

「見損なったよ副部長!」

「いやいやいやいや」

「お前が悪い、諦めとけよな副部長」

「お前ら絶対楽しんでんだろ!」

「「「「代わりに今日のディナーは豪華にお願いしまーす!」」」」

「ああもう分かったよ‼︎」

 

  これなら高くなってもディナー付きで万平ホテルに予約するべきだったと副部長は激しく後悔した。

 

 




宇佐見菫子が出てきましたね。皆さんが思ってるだろう通り深秘録への布石です。ただこれは最終章での出来事になるのでまだ大分先になりますね。

一葉高校念願の症状ゲット、生徒会長が転げ回って喜びます。オカルト総会編は次回で終わりです。またオリキャラの新キャラが出ちゃいますね。原作キャラを書いてバランスを取りたいです……。


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打ち上げられた面倒事

  高そうな食器、並ぶワインボトル、賑やかな人々の声。運ばれてくる料理は一枚の絵画のよう、ナイフとフォークを手に眺めている間皿という名のキャンパスに描かれるそれらは時が止まる。だが一度手を付ければ食欲をそそる香りに誘惑され、皿上の芸術品を壊さずにはいられない。

 

  口の上で繰り広げられる味のミュージアムに願子たちは頬を緩ませ、伝票を見た副部長は泣いた。

 

「副部長、どうせ部費なんですからそんな顔しなくてもいいじゃないですか」

「馬鹿、願子! 豪遊ばかりしていたらすぐに金は底をつくぞ! もっと節約精神を大事にしなさい」

「副部長が部室にいろいろものを買わなきゃいいんじゃないですか?」

「友里さん、あれは別なんですよ。あれは夢を買ってるんです。杏がバイクの部品買うのと一緒」

「それなら分かります!」

 

  未成年のためお酒は入っていないが、思わず指を這わせたくなるようなグラスを突きながら言う副部長には哀愁が漂っているが楽しそうでもある。

 

  オカルト総会が無事に終わり、最優秀賞と努力賞に選ばれた不見倶楽部の面々は、打ち上げと称して結構高めのお店でディナーと洒落込んでいた。流石は軽井沢、高いお店には事欠かず、夏の夜を楽しく過ごすために旅行客でいっぱいの庶民寄りのお店でさえ七人で数万円はかかる。

 

「お前らよく味わって食べろよ! 払ったお金を無駄にはするな」

「あらあら、それで副部長さん結局ホテルで見た幽霊の正体はなんだったのかしら?」

「あああれね。秘封倶楽部の宇佐見菫子が幽体離脱していたのが正体だった。だから消えた後にうちの部屋を訪ねてきたんだ」

「やっぱりそうだったのね!」

「やっぱりってよぉ、なんだよ塔子お前気づいてたのか?」

「ええ、だって格好が怪しかったもの!」

 

  お前が言うなと伯奇から白い目を向けられても、店内にうっすら響くピアノのBGMに合わせて装飾を打ち鳴らし身体をくねらせる塔子には全く効いていない。もう慣れている不見倶楽部のメンバーは何も見ず、何も言わず目の前の料理に集中する。

 

「でも幽体離脱なんてどうやったんでしょうか? 狙って出来たりするんですか副部長先輩」

「宇佐見さんは超能力が使えるみたいだったからそれだろう、幽体離脱だって超能力の一種であるし」

「超能力! それってスプーン曲げたりとかのあの超能力ですか!」

「発想がなんとも庶民的だな願子は、だがまああってるよその超能力で間違いない。てか食い付きがすごいな、好きなの? 超能力」

「違いますよ副部長、願子小さい頃超能力を使えるようになるって言って隠れて特訓してたりしましたから」

「そうそう……って友里なんで知ってるの⁉︎ 誰にも話したことないのにぃ⁉︎」

「幼馴染を舐めちゃダメ」

 

  幼馴染に暴露され顔から火が出るのかというほど赤くなった顔を急いでジュースを飲むことによって誤魔化す願子だが全く誤魔化せていない。なんとも生暖かい目が自分に集中し、色眼鏡を掛けることによって視線を飛ばすことで願子は逃げた。

 

「でも所詮は人間ね! 超能力? なんて言うのが使えても私のこと気付いてないみたいだったし」

「そりゃ橙の能力は対人向けなんだから初見ではしょうがないだろう。俺は気付くけど」

 

  そう、宇佐見菫子はオカルト総会の時伯奇を追って尾行していたが、もしホテルで初めあった時に橙を見つけることができていたらそっちを追っていただろう。橙の能力は対人向けというように、人に対してどちらの程度の能力も絶大な力を発揮する。複眼ではない副部長、伯奇でも初見では本気で自分の姿を隠す橙に気付くかどうか半々といったところだ。菫子が橙に気付くには絶対的に経験が足りなかった。それに加えて菫子の自分は上にいるという態度も問題である。周りの細かいことに注意を払っていれば菫子なら気付いたはずの違和感に気がつかない。そんな菫子を今は面倒だが脅威ではないと副部長も伯奇も考えている。

 

「へえでもいいなあ超能力かあ、ねえ副部長そう言えば修行っていつから始まるんですか?」

 

  伯奇を倒したことによって力をつけるしかなくなった願子たちの修行、ただそれは一向に始まる気配が無かった。副部長も何も言わず、はや一週間が過ぎ少なからず願子たちは不安になる。それはすぐにでも脅威が襲ってくるかもしれないといったものではなく、早く副部長に近づきたい副部長のようになりたいという想いからくる不安だ。このまま何もなくまた副部長の足手纏いになることだけは四人は嫌だった。

 

「修行はオカルト総会が終わるまで紫さんに待ってて貰ってるんだよ、オカルト総会の前にすぐにでも修行じゃあいくらなんでも大変だろう? 安心していい諏訪に戻ったら始まるから」

「どういったことをするんでしょうか?」

「さてね、悪いが俺には分からん。魔力や霊力のない俺はそっちを伸ばそうと思ったことがないからなあ」

 

  事実副部長はそっち方面はあまり詳しくない。橙や伯奇の方が詳しいだろう。オカルトの分野でも副部長は地方伝承と神様に詳しく超能力や霊力といった特別な力に関してそれほど詳しくないため語ることができない。

 

「いいから覚悟してなさいよ! 紫様は凄いんだから!」

「あらそれは期待できそうね」

「へえ八雲紫?」

 

  不意に声が願子たちに落とされた。鈴のような声が頭の中で響き周りを見回すが自分たちの方を向いている人は見当たらない。そんな不思議に続くように、小洒落たドアベルを鳴らし入り口の扉が開く。位置的に入り口の方が見える席に座っている副部長と願子、杏と橙は入ってきた人物を見て眉を顰めた。

 

  切れ長の眉に細長い狐目をした端正な顔立ち、長めの髪を(かんざし)で纏めた今では珍しいだろう髪型。着ている服は願子たち同様セーラー服であるが、その上から青っぽいカーディガンを着ている。セーラー服のデザインは願子たちのものとも伯奇の黒いものとも異なっており、別の学校のものであることを表している。昼に発表部門で最優秀賞を得た京都の五光同盟、そのうちの一人で間違いなかった。壇上に上がり賞状を受け取る人の中に確かに少女と同じ人物がいたことを願子たちは思い出す。

 

  五光同盟、最優秀賞を獲得した部活であるため願子たちはパンフレットでその部を確認していた。基本は普通の紹介文であったが、その中にやたら登場していた『式神』の文字。五光同盟の発表も式神の歴史とその実演であり、折った折り紙が動き出した時は願子たちもようやっと面白い発表だと喜び、橙は難しい顔をした。

 

  その五光同盟の一人が、明らかに不見倶楽部のいる席を見つめ、柔らかな笑みを顔に貼り付けて歩いてきている。いったいなんの用なのか分からない願子たちに言いようもない緊張が走った。

 

「どうも不見倶楽部の皆さん。うちは五光同盟の安倍 伊周(あべ これちか)言います。展示部門で最優秀賞取りはった不見倶楽部の方に挨拶しよう思っとったらなんや面白そうな話してはりますなー思てつい声掛けてしまいました。許してくれはります?」

 

  目を細めて悪びれながら浮かべる笑顔は美しくつい見惚れてしまうが、それと同時に願子たちに浮かぶ疑問。今ここに来たばかりの少女が話を聞いていた? いったいどうやってといったことを伊周も顔から読んだのか、すぐに言葉を続ける。

 

「あーえらいすいませんなあ、うちこう見えても式神使えるんですよ、だからそれでちょっと盗み聞きしてたんです。それにしてもまあ……橙さんもいてはるんやったらさっき言ってた話は八雲紫さんのことで間違いなさそうやんなあ」

 

  首を可愛らしく傾げて橙の方を見る伊周の言葉に合わせて願子たちも橙の方を見る。そこにはなんとも面倒くさそうな顔をした橙がおり、知り合いならと副部長が一つ席を追加した。

 

「わあ紳士さんやね、それじゃあ失礼して……橙さんがいるいうことはあんさんたち普通のオカルト研究部やないね、今回のオカルト総会に集まったオカルト研究部の中で所謂(いわゆる)本物の数はとても少ない。その中の一つとお会いできるのは光栄なことやね」

「はあ、どうも。それより橙ちゃんこの……えっと」

「安倍伊周ですー。伊周でええよ」

「伊周さんと橙ちゃんは知り合いなの?」

 

  願子の問いに橙は難しい顔をさらに難しくして何も言わず黙り込んだ。説明が難しいのだ。安倍伊周、京が生んだ安倍晴明の生まれ変わりと讃えられる式神使いの天才。彼女こそ何を隠そう副部長や伯奇と同じ外の異変解決者の一人である。それをここで言うのは、外の異変解決者のことを知らない願子たちに言うのは戸惑われ、またすぐにシラを切って話し出せるほど橙にはまだ経験が足りなかった。この橙の様子にある程度察した副部長と伯奇は顔を見合わせ、同じ結論に至ったことを確認するとすかさずフォローに入る。

 

「まあそんなことはいいだろう。伯奇だって橙と知り合いだし他にも一人二人そういった奴がいたって不思議じゃあない。それに安倍さんは式神が使えるんだそうじゃないか、そういった不思議な力を持った人間と八雲紫が接触していないはずがない。なあ伯奇」

「そうだぜ、あいつは変わった人間が好きだからな。それに今回なんであたしたちに会いに来たのかを聞いた方がいいんじゃねえか? その京都の五光同盟様がいったい何の用なのかさ」

「別に本当にただ会ってみようと思っただけや、あんまり期待はしてへんかったけど、嬉しい誤算やわ面白い人達で良かったわ(本当に)」

 

  ニコニコしたまま副部長と伯奇の顔を伊周が見ているあたり伊周も察したらしい。この中で本当に話が分かる相手は副部長と伯奇の二人であり、それ以外の四人はおまけであると感じた伊周の中で早々に願子たちへの興味が失せる。それを示すかのように副部長と伯奇の頭の中で伊周の声が響き、願子たちへと目だけ向けるが、全く反応していないためこれが二人にだけ向けられたものであると二人は悟った。

 

「伊周さんは京都で式神の研究をしてるんでしょうか?」

「うん? いやあ研究というより家業やね、うちは古くから式神を扱うことを仕事としてきたんやよ。(あんさんたち噂に聞く博麗と諏訪の守護神やろ? 初めましてやなあ)」

(諏訪の守護神だってよ)

(なに笑ってんだよ伯奇、俺はそういう風に名乗ったことは一度としてねえぞ)

「家業ですか! やっぱりそういう人達っているんですね」

「探せば以外といるもんや、それにしてもあんた変わった眼鏡持っとるなあ。(ふふふ、面白い人達や、同じ外の異変解決者としてこれからよろしく頼むわ)」

 

  願子たちの相手をしつつ全く違う会話を繰り広げる伊周は相当器用だ。頭が回らなければこういった芸当はできない。それが分かるからか副部長の顔は渋くなる。一日のうちに二人も面倒くさそうな女に絡まれれば当然だ。宇佐見菫子といい、この安倍伊周も相当曲者の臭いを感じる。見ることに慣れている副部長は複眼でなくても長年の経験である程度相手の表情からなにを考えているか分かってしまう。願子たちを見る伊周の目は人を見下すそれだ。こういった人間は絶対面倒ごとを起こすというのは世の常である。

 

「分かります⁉︎」

「勿論分かるよ。(よろしくついでに聞きたいんやけど、今日総会中に外で暴れようとしとった子は誰や?)」

(秘封倶楽部の宇佐見菫子って名乗ってたよ)

「あら、見ただけで分かるものなのかしら?」

「ある程度見ることに慣れれば誰だってできるようになるよ。(秘封倶楽部、聞いたことはあるけど、厄介やったんか?)」

(ああ面倒だぜ、なんたって超能力者らしいからな、あたしも初めて見たよ)

「へえ、今度教えてくださいませんか?」

「それはいいけど、あんさんたちの副部長さんに聞いた方がええんとちゃうん? (そらうちも見てみたかったなあ、ただなんで逃したんや? その場で叩きのめしたらよかったやないの)」

「それもそうですね!」

(おいおいあそこで暴れたらお前だって困るだろう)

 

  副部長の心の声を聞き、それでもそんなの関係ないといった顔を浮かべる伊周はそれによって起こるだろう問題は置いておき菫子と同様にいざやっても負けるとは微塵も思っていないらしい。同じ外の異変解決者であるはずなのにこうも好戦的でいいのだろうかと思う副部長だったが、伯奇の例があるためそれ以上は言えなかった。

 

「それじゃあそろそろうちは帰ります。あんまり長くいても折角の打ち上げがシラけてしまうやろ? ほなまたな。(あんさんたちとはまたすぐに会う思うけどな、そんな予感がするんや)」

(いやだ)

(悪いが願い下げだぜ)

(おやまあ酷い人達やー、でもうちの予感はよく当たるよ?)

 

  一通り副部長たちと秘密の会話を楽しんだためか席を立つ伊周を誰も止めることはなく、恐るべきほどなにもなく伊周は帰っていった。後に残された七人はただそれを眺めていたが、伊周が居なくなったところで願子たちが再び橙に詰め寄る。副部長たちに誤魔化されたことくらい願子たちだって分かっている。自分たちへの隠し事を願子たちは許さない。

 

「で? 橙ちゃんあの伊周さんって人は誰なの?」

「そうそう、すぐに吐きなさいよ。普通の人じゃないのはもう分かったから」

「うー……分かったよ。安倍伊周は陰陽道の天才って言われてるやつで副部長たちの言った通り紫様が気に掛けてる人間の一人なの。式神を扱うってあたりで分かると思うけど私あいつ苦手なのよ。本当にね、副部長と伯奇が相手してくれて助かったよ」

 

  ある程度の時間を貰っていたため、重要な部分を隠して橙は願子たちに知っていることを話す。別に嘘というわけではない。伊周は陰陽師、式である橙とは相性が悪く、橙は伊周のことがどうしても好きになれなかった。

 

「ふーん、それだけなの?」

「なによ金髪、私が何か隠してるとでも思ってるの?」

「まあまあ友里さんも橙さんも落ち着いてくださいよ」

「そうねー、それより凄いわよね、副部長さんや伯奇さんみたいな人がまだまだいるなんて、橙さんや副部長さんにも私たちが知らないだけでそういった知り合いがまだいるのかしら?」

 

  ここだ! っと副部長は橙に目だけで畳み掛けろと合図を送る。興味が移ろい始めた願子たちの頭の中の方向を変えるにはこのタイミングしかない。目を剥く副部長に橙は内心引きながらもなんとか記憶の棚を漁り話を続ける。

 

「いるわよ、副部長や伯奇クラスの人間なら私もあと二人は知ってるわ」」

「へーどんな人たちなの?」

 

  四人の視線が橙に集まる。ここ数日で橙は口の滑りやすいと分かった副部長と、もともとぬけていると知っている伯奇も、橙の話に注意しながら気付かれないくらい僅かに目を開いた。橙が副部長や伯奇と同等だという人間、伊周と同じく外の異変解決者で間違いない。興味ないフリをしつつ副部長たちも橙の話に耳を傾ける。

 

「一人は青森の恐山にいるよ。聞いたことあるでしょ、自らに霊を降ろす口寄せの術に長けたイタコって言う巫女の話、その中で自分に降ろせない霊はいないって言ってる人間。もう一人は四国、山々を好き勝手練り歩いてておよそ今の外の世界の人間たちと比べると幻想郷で生活してるんじゃないかってくらいの野生児。ただし気の量がバカみたいに多くてそこらの妖怪じゃあ手がつけられない人間」

「本当にそんな人たちががいるのかしら? 橙さんの妄想とかじゃなくて?」

「なんで聞いといて信じないんのよ!」

「まあ副部長や伯奇みたいな人がいるなんて簡単には信じられないけど」

「えーなによ友里、いいじゃん別に、その方が面白そうだし」

「あたしはどんな奴らかとかどうだっていいけどよお、なあ橙名前くらい知ってんだろ教えろよ」

 

  伯奇の顔が悪い顔へと変わっていく。副部長たちの前に現れた時と同じ顔だ。少しは落ち着いた伯奇であるが、自分の力を示したいという戦闘狂として長い時間を過ごしたためか、その一面は未だに払拭できずにいるらしい。そんな伯奇の目の前にいる副部長は困った顔になった。

  名前を教えろと言う通り伯奇はその二人のことを知らない。伊周が伯奇に対して初めましてと言った通り伊周と伯奇も面識がない。橙が話に挙げた人間の数を考えれば、今までに話に出てきた五人が外の異変解決者の全メンバーである。選ばれたばかりの副部長はしょうがないとして、最古参である伯奇が知らないということはこれまで外の異変解決者は顔合わせすらせずに個々人で動いていたということに他ならない。

 

「確か桑原(くわばら) 美代(みよ)刑部(おさかべ)って言ったと思うけど」

 

  今橙の口から出た美代、刑部、伊周、伯奇、副部長という五人が外の異変解決者。橙の説明も合わせて自分を棚に上げて面倒そうな連中だとより困った顔を顰めて副部長は内心ため息を吐いた。

 

「へー凄いなあ、副部長以外にも凄い人っているんだね! 会ってみたいですよね副部長!」

「全く会ってみたいとは思わないな」

「えーなんでですか?」

「伯奇を見ろよ、顔合わせた途端に殴りかかってくるような奴かもしれないだろ」

「悪かったな!」

「でも副部長先輩、伊周さんはなんていうか普通でしたよ」

「お前たちはまだまだ何も見れていないな、あいつお前たちのこと超見下してたぞ」

「知らぬが仏だなぁ」

 

  橙の頭の痛くなるような話を聞いて、願子たちにもそろそろ細かなところを見ろと今までなら言わないだろうことを口に出す副部長の話を受けて、信じられないのか四人は目を丸くする。だが、伯奇からも同じ話が出たことによって、四人の顔は一気に不機嫌なものとなった。

 

「なによそれ、本当に? 全然気が付かなかった……」

「ハァ、どうして伯奇といいこうちょっと不思議な人ってそうなのよ」

「なんだよ友里、あたしに文句でもあんのか?」

「悔しい! また私たちは副部長と違って戦力外通告だなんて!」

「大丈夫ですよ! これから私たちは強くなるんです!」

「あら杏さんいいこと言うわね、私ももっともっと占いを極めないと!」

「「それは止めて!」」

 

  なんにせよ伊周の登場によって四人のやる気に火が付いた。それがいいことなのかは分からないが、ろくでもない今日一日の中ではいいことだと副部長は綺麗なグラスに入ったアイスコーヒーを眺めながらこの先訪れるだろう面倒ごとを苦味とともに喉の奥へと流し込んだ。




外の異変解決者はこれで全員です。日本では……。これで記念すべきオリキャラ十人目、多いなぁ、橙がいてくれてよかった……。


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不見倶楽部の特別講師

  オカルト総会も無事に終わり一日の休養を経て再び学校へと向かう願子たち。オカルト総会が終わったためにこれから始まる修行のため部室へと向かっていた。

 

  相変わらず容赦の無い夏の日差しのなか汗を垂らしながら諏訪の湖畔を歩く願子と友里は校門前で待ち合わせをしていた杏と塔子を見つけて手を振った。その元気の良さだけは夏の暑さに負けていない。

 

「お待たせー」

「おはようございます、願子さん、友里さん」

「おはよう」

「おはよう杏、塔子」

 

  朝八時にいつも通り集合して入る学校にはやはり人の姿は無い。お盆中だということもあるが、一葉高校の運動場や体育館で他の学校のように生徒が部活動に勤しんでいる姿は見られず今年も彼らは予選落ちのようだった。人気(ひとけ)の無い学校の外周を歩く、いつもならすぐに部室に向かうのであるが、学生用の駐車場へと四人は向かう。その理由は今杏が押している相棒のためだ。

 

「それにしても知らなかったよ、杏ちゃんがそんな大きなバイク持ってるなんて」

「伯奇が来た時願子を追ってバイクで走っていった時はあたしもびっくりした。人は見かけによらないって言うけどさ」

「でも伯奇さんに壊されたというのに直って良かったわね」

「はい! そこは紫さんに感謝ですね! いつもは先生たちにバレないように乗ってきて近くに隠してたんですけど副部長先輩が許可を取ってくれて良かったです!」

 

  一葉高校は基本的に自転車通学はOKなのであるが、バイクや原付での登校は認められていない。だがどうやったのか本日から杏のバイク通学が認められたのだ。学校側にどう認可させたのか願子たちには分からないが、生徒会長をおそらく頼っただろうことは分かる。ピカピカの杏のバイクは異様な存在感を放ち、夏休みで学校に置いていった生徒たちの自転車と並んでいるのを見ると自転車が少し可哀想だった。

 

「今日から修行が始まるって副部長は言ってたけどさ、なんかあんまり実感湧かないよね」

「あたしは前から副部長と特訓してたけどあたしも最初はそんな感じだったから、そんなもんじゃないの?」

「そうですか? 私はちょっと緊張してますね。ドゥカちゃんを持って来いって副部長先輩に言われてましたから私は始まるんだって感じが強くします」

「私もおまじないのアクセサリーを出来るだけ厳選して持って来いって言われたわ」

 

  いつも以上に朝日を受けてギラギラ光るアクセサリーに願子と友里はそういうことかと納得した。いつもよりジャラジャラうるさい派手なアクセサリーをどうやって外させようかと悩んでいた二人は今回はそれは無理だと結論付け部室への道を急ぐ。

 

  静か過ぎる校舎の中に響くのは四人の足音とアクセサリーの騒音だけ、昼間だというのに人のいない学校は、広いこともあり絶好の修行場なのかもしれないが、不気味でもある。実感の無いと言っていた願子と友里もだんだんと錆びれ汚くなっていく廊下を幾分か歩き目的地に近づく事に少しずつ緊張感が顔を出し始めた。目に入る過剰に豪華な両開き戸を前に一度大きく息を吸って願子は扉を開けようとしたが、取っ手に手を触れるよりも先に扉が開き、ぶつからないように後ろに急いで下がる。

 

「よく来たなぁ! 待っていたぞ!」

 

  腰に手を置き大きな胸を張って満面の笑みを浮かべた生徒会長が出迎えてくれた。咄嗟のことでぽかんとする願子たちの肩を痛いくらい叩き部室へ引き入れると、中には副会長、伯奇、橙、副部長もいつもの場所におり疲れた顔で座っていた。

 

  どういうことかと四人は副部長の方を見るが無言でソファーの方を目で指し、座れと言っている。どうしようとそれでも立っている四人を生徒会長が強引に座らせ副部長にコーヒーを頼む。嫌そうな顔を副部長は返したが、それでも淹れるらしく席を立った。

 

「ふふふ英雄のお帰りだ! 諸君! よくやってくれた! 念願の賞状、我が一葉高校念願の初賞状だぞ! 君たちこそ百年以上に及ぶ我が学校の歴史を変えたのだ!」

「あれだけ潤沢(じゅんたく)に部費があるのにそれぐらいやって頂けなければ困りますけどね」

「細かいことはいいじゃないか副会長、これは快挙だ! 伝説だ! もう連絡を受けた時は嬉しすぎて涙が出てきたぞ!」

 

  生徒会長は労うためにわざわざ朝早くの部室にいるらしい。副部長の顔を見る限り願子たちが来るよりずっと前から生徒会長の相手をしていたようであり、願子たちはお疲れ様と心の中で労いの言葉をかける。副会長の吐く毒もものともせずに賞賛してくる生徒会長は、嬉しくはあるのだが少し面倒臭い。しかし、心の底から喜んでいることが分かる生徒会長を見ていると願子たちの頬も自然と緩んでしまう。

 

「いや本当によくやってくれた!」

「会長、先程から同じことしか言ってませんよ」

「む? そうか、だがそれだけ私は嬉しいということだ。副部長もよくやったぞ、最優秀賞なんて流石は我が友だ!」

「もう飽きるほど聞いたよ一時間くらいな、まあお前が喜んでくれてるようで良かったから他の話は無しでどうだ?」

 

  呆れた顔の副部長の言葉を受けてようやっと生徒会長は普段の会長に戻った。肩に入っていた力を抜き、会長然とした顔に戻ると「そうはいかん」と口にする。急激に態度の変わる生徒会長のピリピリした雰囲気になんだかんだ言って生徒会長は凄いなあと願子たち四人は感心しながら傍観者のように副部長を見る生徒会長を見ている。

 

「お前たち不見倶楽部はいい。だがそうでない者に部費を使うのは流石に無しだ。そこにいる二人は我が一葉高校の生徒ですら無いだろう?」

「まあそうだが、なに会長、ちゃんと理由はある」

「ふむ、聞こうか」

 

  真面目な顔になった生徒会長に対して副部長が浮かべるのは怪しい笑み。いつもの生徒会長をあしらう時に浮かべる顔だ。副部長がこの顔を浮かべて生徒会長をあしらえなかったことは無い。そのため願子たちは未だ傍観者。何の心配もなく目の前で起こるだろう茶番にコーヒーを啜りながらただ眺める。

 

「その二人は言うならば運動部で言うコーチだ、うちの部の部員では無いが関係者。なら部費を使ったっていいだろう?」

「なに⁉︎ いやいくら何でも騙されないぞ! こんな若いコーチがいてたまるか! そっちの……なんだ? コスプレ? してる少女もそうだと言うのか⁉︎ というかなんだあの格好は副部長お前まさかそういう趣味があったのか⁉︎ おい頼むから違うって言ってくれぇぇぇぇ! さなちゃんに顔向けができないじゃないかぁ!」

「くそ、話がズレたと思ったらなに言ってやがる! 俺にそんな趣味があるわけないだろうが! ありゃ化け猫でもともと生えてんの!」

「ちょ、ちょっと副部長‼︎」

 

  それ言っていいの? と傍観者を止めて声を上げる願子の心配をよそに、「なんだ化け猫か」と生徒会長は慌てた素振りも見せずに額を腕で拭う。生徒会長だって東風谷早苗と副部長に昔から付き合いがあるから今更化け猫くらいで驚くわけがない。

 

「だがダメじゃないか副部長、我が学校はペット禁止だぞ」

「はあ⁉︎」

 

  これに声を上げたのは橙だ。部室に来てすぐに副部長を褒めちぎり始めた生徒会長は伯奇と橙には見向きもせずにずっとしゃべり続けたと思えば気が付いた瞬間にこれである。文句の一つでも出るだろう。ただ生徒会長の少しぬけた行動のせいで橙も気が付いていないが、橙は別に姿を最初から現していたわけではない。菫子同様に気がつかれないようにしていたのだが、普通に気が付いた生徒会長の異常性に生徒会長の性格のせいで誰も気がつけないでいた。願子たちが強くなる道は遠いなと副部長はため息を吐き、伯奇も僅かながら驚愕する。

 

「誰がペットよ人間‼︎ っていうかお前生徒会長って呼ばれてるってことは、あんたが春夏秋冬 芍薬(ひととせ しゃくやく)ね!」

「うわぁぁぁぁ‼︎ なんでお前私の名前知ってるんだ! 止めろぉ‼︎」

「え、会長ってそんな名前なんですか?」

「なんだ悪いか瀬戸際願子! どうせラノベのキャラっぽいとか奇抜過ぎる言うんだろ! 私だって好きでこんな変な名前になってるわけじゃあないぞ! 副会長ぉぉぉぉ!」

 

  副会長の胸に飛び込み泣く会長からはすっかり学校の頂点にいる者の姿では無くなっている。会長の頭からはすっかり伯奇たちのことなど抜け落ちてしまった。そんな生徒会長の代わりに適当に会長をあやしながら話を引き継ぐ。

 

「驚きました。まさか会長の名前をご存知だとはどうして知っているのですか?」

「そういうお前は確か山田 華子(やまだ はなこ)だったっけ? 別に聞いただけよ」

「私の名前まで知っているとは……聞いたとは誰にですか? まさか副部長は無いでしょうし」

「さっきそこの芍薬が自分で言ってたじゃない。東風谷早苗に聞いたのよ、耳が痛くなるほどね」

「わぁぁぁぁ! 私の名前を呼ぶな!……ってちょっと待て、今早苗って」

「言ったわよ、東風谷早苗。お前と副会長と副部長の話はそれはもう嫌という程聞いたわ」

「本当にさなちゃんから? おい副部長この子はいったい何者だ⁉︎」

 

  東風谷早苗の名前を出されたことによって一気に復活した生徒会長が副部長に詰め寄った。もともとの問題がそっちのけになったのは喜ばしいことだが、さらに疲れそうな問題に副部長は肩を落とす。目の前にいる期待に目をキラキラさせる生徒会長を見て諦めて副部長は話し出す。

 

「名前は橙、幻想郷からやってきた客人だよ」

「幻想郷から! さなちゃんは元気か? 病気とかしてないか? 友達はできたか? あとは」

「ちょっとそんな質問攻めにされたって答えられないわよ芍薬!」

「いいじゃないかちょっとくらい教えてくれても!」

 

  早苗の名前を出されて黙っている生徒会長ではない。これ見よがしに橙に名前を呼ばれてももうそんなことは気にせずに早苗のことを教えてくれと生徒会長は食い下がる。生徒会長だって東風谷早苗の親友なのだ。遠く離れた親友がどうなったのか気にならないわけがない。勿体ぶって喋らない橙だが東風谷早苗の名前を出したのは失敗だったと言える。生徒会長はそこまで好戦的な性格はしていないし、副部長だってそうだ。だがこういうときのために生徒会長の側には常に鋭く研ぎ澄まされた刃が佇んでいる。そして残念なことにその少女もまた東風谷早苗の親友なのだ。

 

  自分が優位に立っていると勘違いして偉そうにしていた橙の足元に三本のクナイが姿を現す。あまりの速度に刺さった時の衝突音が遅れて聞こえて来るほどだ。橙はそれに気づいたかと言われればそうでなかったと言える。静かだが身体から目に見える程の黄色いオーラを出す副会長の姿を見て橙は完全に萎縮してしまった。

 

「話して頂けますか?」

「いや、あの」

「話して頂けますね?」

「……はい」

 

  口調は丁寧だが完璧に脅迫だった。戸隠で少しお茶目さんだった副会長を見て副会長に対する抵抗が無くなっていた願子たちだが、絶対に怒らせてはいけないと心を新たにする。

 

「でも別にこれと言って話すことは無いわよ、私別に東風谷早苗とそこまで親しいわけじゃないしね。私の知ってることは幻想郷で異変が起きたら信者獲得のために毎回駆け回ってるってことと宴会があると早々に酔っ払ってお前たちや副部長の話を話すだけ話して真っ先に酔い潰れてるってことくらいよ」

「さなちゃんは何をやってるんですか……」

「おい、俺を見るな。知らんぞ」

 

  東風谷早苗のがっかりな日常を聞いて副会長の表情筋が無いんじゃないかと思われる顔が誰が見ても分かるくらい呆れたものに変わっていく。そんな副会長の視線に晒された副部長は身の潔白を証明するが、全く信じてもらえていないということが傍目で見ていた願子たちにも理解できる。それに加え副部長から凄いと聞いていた部長のがっかりさに四人も副会長同様に呆れた顔になってしまう。

 

「まあ副会長落ち着け、さなちゃんが元気そうでよかったじゃないか」

「なによ芍薬、それだけでいいの? もっといろいろ聞いてくると思ったんだけど」

「うむ、それだけ分かれば私は満足だ。宴会によく出ているんだろう? 宴会とは一人では出来ないからな。それにそこで真っ先に潰れても安心だからこそ潰れるんだ。なあ副部長?」

「そうだな」

「さなちゃんのことが聞けて良かった。橙と言ったな、ありがとう‼︎」

 

  確かになんとも残念な東風谷早苗の話であるが、逆に考えればそんなことをしても問題ないくらい早苗は幻想郷を謳歌しているということだ。遠くへ旅立った親友の無事に生徒会長と副会長は顔を綻ばせ橙にお礼を言った。なんの意図もないただ純粋なお礼に橙はどうしたらいいのか分からず頬を掻いて誤魔化す。

 

「全く副部長といい芍薬といい本当に変な人間。お前たちならきっと幻想郷でも上手くやれるわね」

「お褒めに預かり光栄だがさなちゃんと違って私は幻想郷に行く気はないよ。ただ私を名前で呼ぶな! 私は生徒会長だ!」

「分かったわよ会長」

 

  あまり人間のことを好んでいない橙でも生徒会長は別らしく、直ぐに会長という呼び名に戻る。裏表のない生徒会長の姿は、例え相手が人間では無くても不思議な魅力ですぐ仲良くなれるようで、生徒会長のことをよく知っている副部長と副会長は少し驚く。だがすぐに会長だからなあと自己完結するのだった。

 

「さて、いい話も聞けたことだし副部長!」

「なんだよ帰るのか?」

「そんなわけないだろう、橙の話と部費の話は別だ。化け猫は確かにオカルト研究部とすればいてもいいかもしれないがそこの彼女は違うだろう。見たところ制服を着て未成年、流石にコーチでは通らんぞ」

 

  復活した生徒会長は話まで復活させ副部長の顔から笑みが消える。言い訳はいろいろと思いつくが、それを間に受けるほど取り乱していない生徒会長は甘くない。それが分かっている副部長は内心汗をかくが、部室にある時計が八時半を指していることを確認すると先程とは打って変わってまた悪い顔になる。

 

「いや生徒会長、コーチで合ってるよ」

「む、なら証拠を」

 

  生徒会長の言葉は最後まで続かなかった。ゆっくりと開く部室の扉から発せられた軋む音が生徒会長の話を掻き消したからだ。不見倶楽部の関係者が全員部室にいる中でいったい誰がやってきたのか。誰もが開いた扉の先を見つめ、副部長の顔が嫌そうではあるが、口は弧の字に歪んでいく。

 

  扉の先にはOLと言われればそう見えるスーツ姿の女性がいた。目立つ金髪を存分に揺らして部室に入ってくる女性に願子たちは一度会っている。異様に似合っているスーツ姿の女性の名は八雲紫。眼鏡をかけて来客用のスリッパを履いていても人形のような怖いくらいの美しさや幻想郷の賢者としての格の高さを隠し切れていない。一葉高校の生徒の頂点である生徒会長とは違ったベクトルのカリスマ性を放つ姿に願子たちは声も出ないが、こういうことに慣れているのか生徒会長と副会長は驚くほど普段通りで、部室の扉を閉めて目の前にやってきた女性を前に生徒会長が前に出る。不見倶楽部を訪ねてくるという怪しさもあり生徒会長の口調には少し威圧的な色が含まれた。

 

「これはどうも、来客の方ですね。我が高校になんの御用でしょうか?」

「貴女がここの生徒会長さんね。噂は聞いていたけれど……なるほど、面白いわね貴女」

「御用向きを聞いているのですが?」

「あらそうだったわね」

 

  願子たちも初めて見る警戒の色が強い生徒会長の姿は、普段うっかりでおちゃらけている少女には見えない。これこそ学校の頂点にいる生徒会長の真の姿だ。生徒会長の力強い言葉に背筋に微弱な電流を流されているかのように無意識に背筋がピンとなってしまう願子たちとは違いまるで堪えていない紫は懐から名刺を取り出すと丁寧な動きでそれを生徒会長へと手渡す。

 

「私はボーダー商事の八雲紫と申しますわ、この不見倶楽部に臨時講師として呼ばれましたの。先にうちの博麗伯奇を手伝いに寄越していたのだけれど、連絡が遅くなって悪かったわね」

「なに?」

 

  名刺をしげしげ見つめる生徒会長だが、名刺に別におかしなところはない。ボーダー商事代表取締役『八雲 紫』と書かれた名刺を副会長に手渡してそこから離れると再び副部長の前に出る。

 

「副部長」

「悪かったな会長、それと重ねて悪いな」

「全く……お前風に言うなら見れば分かるというやつか。ただし釘は刺すぞ、なにをするかは知らないが校舎は壊すなよ。後、今度ゆっくり話をしよう」

「分かった、ありがとうな会長」

「よせ水臭い。副会長帰るぞ」

「はい会長。副部長、会長との話の際は私も今回はご一緒させて頂きます」

「あいよ」

 

  願子たちにはまるで分からないが、何かを察した生徒会長はそれだけ言って副会長と共に出て行ってしまった。ゴールデンウイークの時のように小難しい話になるんじゃないかと考えていた四人の予想は裏切られ、部室に残った一番の違和感である八雲紫に全員の視線が集中する。

 

「ここは面白いところね副部長。貴方といい彼女たちといい東風谷早苗といい神代には及ばないけれどいつから諏訪は特異点のようになったのかしら」

「会長たちには手を出さないでくださいよ、いくら紫さんでもあの二人に何かしたら許しません。その時は俺が敵になると思ってもらって結構」

「あらいやだ、私が気に入った人間全員にちょっかいを出してるみたいじゃない」

「その通りでしょう」

 

  幻想郷の賢者に副部長は全く遠慮がない。刺々しい副部長は普段あまり周りを気にしないが、願子たち後輩や生徒会長については違う。自分が大事だと認めたものに限ってはこの男はどこまでも本気になる。普段よりもこっちの方が気に入っている紫は口角を上げて視線を切ると自分の従者の従者へと目を向ける。

 

「元気そうね橙。頑張っているようで何よりよ」

「はい紫様! ですが申し訳ありませんこんなところにわざわざ来て頂いて」

「あらいいのよ、これも約束ですもの。さて、貴女達と会うのは二度目ですわね。いちいち説明などはされたくないでしょうし私が来た理由はお分かりね?」

 

  橙から視線を外すとその目は今度こそ願子達へと向けられる。眼鏡越しに覗く黄金の瞳が発する威圧感は半端ではない。それがこれから始まることの過酷さを現し、ふわふわとした現実感のなかった今を一気に引き締める。

 

  ついに始まるのだ。引き返せるタイミングは伯奇を倒した次の日にもう終わっている。突如訪れた大きな人生の分岐点で願子たちは不見倶楽部に残ることを選んだのだ。覚悟は既にできている。後はそれを口に出すだけだ。

 

「「「「よろしくお願いします!」」」」




次回は修行と行きたいところなのですが、書きたい話が多くて困りますね。生徒会長と副部長の話。東風谷早苗の幻想郷での話、八雲一家の話、どれも閑話となるでしょうがちまちま書いていきます。



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閑話 八雲の日常

「いいのですか紫様?」

「ええ約束ですもの」

 

  幻想郷のどこか。質素だがよく見れば洒落た装飾が目に付く数寄の家の居間で二人の美女が向かい合っている。小さな机の上に乗った湯飲みは見る者が見れば目を剥いて気絶するような名工の一品だ。それをなんでもないように持つ一人は言わずと知れた幻想郷の賢者である八雲紫。もう一人は紫の式である八雲藍だ。

 

  外の世界で暴れた博麗伯奇のために副部長と取引という名の一方的な要求を通したまではいいのだが、それによって紫は不見倶楽部の修行を見ることになった。

 

  その時は橙が抗議の声を上げたが、もし橙が居なければ藍が上げていただろう。紫が外の世界に行くことは度々あるがそれは幻想郷のためのものだ。わざわざただの人間のために主人が幻想郷の利益にもならないことをしに行くというのは如何なものか。

 

  自分よりも圧倒的に頭が良く、未来視しているのではと思うほどの主人の頭の中ではそうでは無いのかもしれないが、紫とは違い遠目で誰にも見られず盗み見た不見倶楽部の少女たちは博麗霊夢や東風谷早苗のような才能溢れる者では無い。そんな人間たちのためにわざわざ主人が出向く必要は無いだろうと藍は考える。

 

  それを顔に出さないうように努めるが、僅かなままならない思いが九本の尻尾を軽くパタパタと動かす。ただでさえ藍の式神である橙を付けているのだ、藍が面白く無いのは仕様が無い。

 

「不見倶楽部の副部長、あの男のことは使えるとは思っていたけれどなんだかんだ言って伯奇には感謝ね。まさかあそこまで使えるとは予想外というやつよ」

「紫様でも読めなかったのですか?」

「だってあの子なんでもない普通の時はそこらを歩いている一般人と変わりないんですもの。私でも読めなかったわ、予想外というのは怖いものではあるけれど面白いものね。もともと早苗や諏訪子、神奈子の三人に聞いていたとはいえ嬉しい収穫よ。外の異変解決者に引き込めたんだもの」

 

  嬉しそうに笑顔を浮かべる主人に藍はなんの顔も返すことができない。外の異変解決者、その重要性は藍にも分かっている。人妖の共存が形になってきた幻想郷とは異なり外の異変解決者のやっていることは昔の幻想郷で博麗の巫女がやっていたことのようなものだ。必要なのは力。ただ目の前のものを壊すことのできる能力が必要とされる。今まで藍も会ってきた伯奇、伊周、美代、刑部の四人は藍でもまだ納得できる人選だったが、副部長に限っては違う。

 

「ですが紫様、あの男は本当に必要なのですか? 確かに面白い眼を持ってはいるようですが私にはどうしてもあの男が必要だとは思えません。弱いか強いかで言えば強いのでしょうがそれは人間の範疇を出ません。もし私とあの男が闘えばまず私に負けはないでしょう」

「そうでしょうね、私もそう思うわ。あの男の優れている点はその目の良さだけ、それも本当に微々たるものよ。私たちや霊夢と比べてその力は決して優れているとは言いずらい。ただ藍、人間には私たちが持っていない技というものがあるわ」

「龍脈に触れるという技ですか? 確かに人間にしては凄いでしょうがそれほど脅威でしょうか?」

「分からないわ」

 

  シレッと分からないと口にして紫は可笑しそうにお茶の入った湯飲みを手に取り口へ傾ける。藍はそれを呆然と眺めているだけで、なんの言葉も喉から出てこない。

 

『分からない』

 

  その言葉が紫から出るのは相当珍しい。全て見た段階でも紫がそう言うことはほとんどない。長年紫の式をやっている藍でさえ紫からその言葉を聞いた数は両手の指の数よりも少ない。その言葉を引き出したのがただの人間だということに藍の内で言いようもない想いが渦巻いていく。

 

「困ったことにそういったものはその者の潜在的な力を見ればある程度分かるものだけれどあの男の場合それは意味をなさない。元がないからよ、彼がどれだけ凄い技を振るっても彼の内では何も変わっていない、だからあの男の限界も分からないの。ある意味最悪の初見殺しね、強い者ほどあの男の強さを見抜けない」

 

  強い者はそれだけ力を見ることに長けている。だからこそ引っかかってしまう。道端の石ころにしか見えないものが急に隕石のように自分に降ってきたら誰でも驚くだろう。不見倶楽部の副部長とはそういう男だ。

 

「それに加えて副部長はその在り方が非常に有用なのよ。彼は幻想郷にいる親友のために動く。そこには後ろ暗い計算などなくただ親友のためだけ。いいでしょう? 他の外の異変解決者と違って信頼できるわ」

「それが一番の理由ですか」

「ええ、能力、力、頭脳、どれも大事であることに違いはないわ。でも信頼できるというのはいざという時に最強の武器となる。外の世界、それも人間でそういうものがいるということは非常に強みになるわ。だからこそあの男を手放すのは惜しい。そのためなら不見倶楽部にいる少女たちに修行をつけてあげるくらい安いものよ。それに思わぬ拾い物をするかもしれないでしょう?」

 

  主人にここまで言われては藍はこれ以上何も言うことができない。反論は残されている。だが何を言ってもそうと決めている紫を説き伏せることは藍には出来ないだろう。それは藍だけではなく幻想郷にいる誰もが出来ない。月の賢者でも軍神でもサトリでも八雲紫の思惑を完全に潰せる存在は地球上には存在しない。

 

「あの人間たちがですか?」

「瀬戸際願子、出雲友里、桐谷杏、小上塔子、今は弱いわ。でも彼女たちには自分でも気がついていない才能が眠っている」

「程度の能力ですね、ですがあれは発現方法もよく分かっていないものですよ。分かっていることは我々幻想の存在は強弱の差こそあれ必ず持っており、人間でも稀に発現する者がいるということくらい。ですがその能力の根本を理解することは本人にすら不可能であるために程度の能力。そんなものがあの人間たちに眠っているものでしょうか?」

 

  藍の疑問に紫は深い笑みで返す。藍にも分かっていないことだが、程度の能力というのは本来誰もが内に秘めているものであるのだ。なぜなら人とは神の子孫、その血が薄まり表に出ることは少ないが、本当なら世界に蠢く人間全員が程度の能力を持っている。だがそれを知っている紫がそれを言うことはない。それでは人妖のバランスが崩れてしまうからだ。それに今人間たちにそれが現れるのも偶然と才能による。例え知っている紫がどうにかしようとしたとして程度の能力に目覚める人間は外の世界の人間たちの中で一割いればいい方だ。

 

「それは問題ないわ。問題があるとすれば間に合うかどうかね」

「最近幻想郷に来ている影のことですか」

「そうあれは困ったものだわ。目星はついているけれどもう一つの方がね」

 

  幻想郷に来ている影。その正体は幽体離脱した秘封倶楽部会長宇佐見菫子だ。ここ最近幻想郷内で謎の影が目撃されている。人里、紅魔館、迷いの竹林、冥界とあらゆる場所で目撃され、紫から不見倶楽部の話を聞き熱が再燃した東風谷早苗が魔理沙や霊夢などといった数人を連れて探していたりするが結果は思わしくない。

 

  だが彼女たちは知らないことだが、幻想郷に来ている影は一つではない。菫子以外にも幾つかの影が定期的に幻想郷に訪れている。その頻度が最近では増してきており、紫の一番の悩みの種でもあった。未だその正体が掴めないのだ。分かっていることはそれが外から来ているということだけ。

 

「おそらく外の世界で近々大規模に動く必要が出てくるわ。でもそれは外の世界の者に動いて貰わなければならない。外から侵略者が来ているからといって霊夢を向かわせることは出来ないわ、それは霊夢の仕事ではない」

「外の異変解決者たちが私たちの思う通りに動いてくれるとは思いませんが」

「そのための副部長よ。伯奇を倒した時のようにあの子たちを上手く諭してくれるはず」

「そう上手くいくでしょうか?」

 

  残った外の異変解決者は三人。その誰もが伯奇と同様に面倒な存在であると藍は知っている。外の異変解決者と言われている割にその誰もが素直に紫の言うことを聞かない者たちだ。能力的には申し分ないが、だからこそ困ってしまう。

 

  博麗 伯奇、『沈む程度の能力』を持つ外の世界最強の博麗。外の異変解決者の代名詞、能力的に見て彼女ほど外の異変解決者が合っている者はいない。

 

  安倍 伊周、陰陽道の天才式神使い。式神の扱いだけならば八雲紫さえ凌ぐ技量を持った少女。藍が最も苦手としている外の異変解決者でもある。

 

  桑原 美代、二十一世紀が生んだ降霊マシーン。彼女に降ろせない霊はなく、人以外にも動物、神まで様々なものを自分に降ろす能力と反して死ぬほど能天気な少女。

 

  刑部、四国の野生児。誰よりも自由奔放であり外の異変解決者で最も言うことを聞かない人間。紫と藍が会いに行けば顔を合わせる度に必ず殴りかかってくる人間だ。

 

  それらをぶつけようとしている男こそ不見倶楽部の副部長、不安だ。強さの質が異なる三人に勝てるかどうか疑問が残る。

 

「大丈夫よ藍、そのために橙をつけているのだから」

 

  橙の能力は対人向き、そして外の異変解決者を全員知っている数少ない者だ。紫からしても藍の式神であり、遠くに置くとなると不利益でもあるのだが、それを加味しても副部長と伯奇の近くに置くしかなかった。橙がいることにより築一情報が入り、尚且つ外の異変解決者と闘いになってしまった際に勝つ確率が飛躍的に上がる。紫や藍程では無いにしろ副部長は情報戦を得意とする。得た情報を元に経験と技で穴を埋めていくのが副部長の闘い方、その副部長の情報源として橙は最適だ。願子たち四人の護衛として破格の存在でもある。

 

「ただ紫様、見た限り今橙をつける必要がありますか? なんというか橙は旅行気分のようですし、扱いを見る限りあの人間たちに拳骨の一つでも落としたいのですが」

 

  藍の拳に力が入る。藍にとって初めての可愛い式がよりによってペット扱いとはふざけている。とは言え願子たちは橙の後ろに藍がいるとは知らないのだからそんな扱いにもなってしまう。橙は恐ろしい割にぬけている部分が多すぎた。

 

「そう言わないで藍。橙に伯奇という幻想に近い存在に常時触れることによって潜在意識を変えるのに必要なのよ。あの四人の少女も橙と仲良くなってくれてよかったわ。他の幻想郷の妖怪ではこうはいかないでしょうし、貴女をつけるとしたら幻想郷にとって非常に不利益だもの」

「ここまでするのですからあの四人が期待ハズレでは無いことを祈るしかないですか」

「あらそれは大丈夫よ、だって副部長と東風谷早苗の後輩よ? 変わり者でもなければあんなところに居ようとは思わないでしょう」

 

  酷い言い草である。これを副部長が聞いたら顔を顰め東風谷早苗が騒ぐだろう。そんな二人の姿を思い浮かべ紫の頬が緩む。もしあの二人をセットで目の前にしたらこれほど揶揄いがいのある二人もいないのだが、それは叶わないことだ。紫がその気になればいつでも副部長を幻想郷に引き込むことができるが、それをやっても副部長は喜ばず、敵対することになるのは確実だ。

 

  今の副部長には外の世界にいる理由がある。前は諏訪を襲っていた祟りの相手をするためであり、もう二人の親友のため、それに今は後輩のためが加わっている。その溺愛ぶりたるや副部長は顔にこそ出さないが凄いものだ。紫にとっての幻想郷、それが副部長にとっては不見倶楽部なのである。

 

「外の異変解決者以外で至急戦力が必要よ、あの四人がそれに数えられるようになればよし、そうで無いなら外の異変解決者に纏まりが必要になる。外の世界にいる脅威がなんであるのか未だ不明瞭。それに合わせてさらに問題がもう一つ」

「諏訪ですか」

「ええそう、諏訪子が抜けた穴に急激に雪崩れ込んだ祟りは副部長が長い時間をかけて落ち着かせてくれたわ。でも今はそれが落ち着きすぎている。伯奇が諏訪に行って以降その速度は急激に上がっているわ。近々諏訪でまた大きな何かが起こるでしょうね、その相手をするのは間違いなく不見倶楽部」

「東風谷早苗たちを動かしますか?」

「いえそれはやめておきましょう。あの三人に言えば必ず動くでしょうね、でもそれだと逆に問題が増える可能性が高い。今危惧すべきは早苗ではなく寧ろ諏訪子の方よ。地獄と化した諏訪を諦めていたのにそれを副部長が守り切ってしまった。そこに新たな問題が諏訪で起きようとしていると知ったら誰より早く飛んで行くでしょうね。そこには副部長もいるのだから尚更よ。自分の国を守ってくれた人間に言いたいこともあるでしょうし、諏訪に対する未練もあるでしょうから」

「全く我儘な神ですね。自分で手放したというのに」

「あら神とは我儘なものよ、寧ろそんな神が人間を気に掛けているというのが面白いでしょう? だから東風谷早苗と副部長は面白いのよ。やっぱりいつか少しだけでも副部長と不見倶楽部も幻想郷にお呼びしたいわね、それならあの男もそこまで怒らないでしょうしこれまでのご褒美に伯奇も呼びましょうか、面白いことになると思わない?」

「紫様がそう仰るなら」

 

  紫の碌でもない計画が今ここに決定した瞬間である。副部長も伯奇もこれを聞いたら嫌な顔をするのは間違いない。紫の策略に乗るほど無謀なことはないのだ。

 

「そうと決まれば今度の宴会で話を出しましょうか? こんな面白そうな話はみんなで共有しないとね。珍しく霊夢も興味を持っているようですし」

 

  霊夢はそこまで激情家ではない。そんな霊夢が感情を剥き出しにした姉である伯奇を倒した男。気にならないはずはない。それは霊夢にしては非常に珍しいことだ。だが伯奇の今を知らない霊夢にある副部長に対する感情の中には多分に敵意が含まれており、副部長には御愁傷様であるとしか言えない。博麗の巫女に狙われていると知ったら幻想郷の住民からご冥福をお祈りされるレベルだ。

 

「それはまた、ここまであの男に対して私はよく思っていませんがあの男も可哀想ですね。特に紅魔館の主人がうるさそうです」

「彼女は面白い人間が好きだから仕方ないわ。博麗を倒したと言った時一番面白そうに笑っていたもの」

「それだけではないでしょう、鬼の顔も見ましたか?」

「ええ萃香が会ってみたいとうるさかったわ。そこまで期待しても肩透かしを食らうだけなのだけれどね」

 

  レミリアスカーレット、伊吹萃香、星熊勇儀、風見幽香といった強大な妖怪を楽しませる存在は少ない。彼女たちは普段持て余している力の発散場所をいつも探している。その相手ができるのは人間ならばなお良い。幻想郷では霊夢、魔理沙、咲夜、早苗くらいしか純粋な人間で遊び相手になる者はいない。そんな中で降って湧いた新たな玩具に興味を示さないわけがなく、手の届かないショーケースの中からそれが手に取れると分かった日にはどうなるか想像に難くない。

 

  だが彼女たち大妖怪が勘違いしていることは、その玩具が超合金ロボットなのではなく、しゃべるぬいぐるみくらいのものだということだ。面白がって押し続ければすぐに壊れてしまう。わざわざ副部長の詳細を語っていない紫にも問題があるのだが、それも含めて紫は楽しんでいる。

 

「まあなんとかなるでしょう、あの男ならきっと上手くやるわ」

「まあ守矢が黙っていないでしょうしね」

「あの男や伯奇のように人間にとって一番必要なのは経験。そこから学ぶ能力が人間は一番高い、妖怪ならば力を求めるのに人は単純な力ではなく技術を求める。霊夢達にとっても良い経験になるわ、そういう意味ではあの男と伯奇はその道の極致に近い存在だもの」

 

  なんにせよ幻想郷の内も外も戦力の底上げが必要なのだ。それが最も見込めるのが人間であり、変化の乏しい妖怪ではこうもいかない。副部長と伯奇のいないところで進んでいく話を止める者はおらず、将来彼らが幻想郷の地を踏む日は遠くない。

 

「まあ取り敢えず今は不見倶楽部の者達のことをどうにかしましょう、折角だから橙の修行も兼ねてね」

「紫様直々に修行をつけていただけるとなれば橙も喜ぶでしょう」

「橙は未だ完成していない妖怪、今伸ばさなければこのまま完成してしまうもの。良い機会でしょう? ただ橙は貴女の式だもの。貴女が見てあげる方が喜ぶでしょうし、たまに着いてきてもらって良いかしら?」

「はい紫様、橙のためなら行きますとも。他の人間たちのことは私はどうでもいいですが」

「ふふふ、そうね」

 

  「きっと貴女も気にいるわ」という台詞はわざと紫は口には出さなかった。天照大神の子孫である人間と妖怪は陰と陽、そっけないフリをしていても必ず惹かれあってしまう。目の前にいる優秀な従者も近いうちに意見を変えるだろうと紫は一人内心で微笑んだ。

 

「そうと決まれば格好を変えないといけないわね。外の世界に合わせなければ目立ってしょうがないし」

 

立ち上がり軽く手を振って紫の姿が変わっていく。短く、下着が見えてしまうのではないかという程のスカート、スカーフは無造作に緩く結ばれ、ヘソが出るほど裾の短いセーラー服。足を覆うのはルーズソックス、その姿は今では外の世界でも滅多にいないガチガチのギャルのそれである。

 

その姿でくるりとその場で回りピースサインでポーズを決める紫の姿は似合ってはいる。街を歩けばナンパ間違い無しの超絶美少女だ。だが幻想郷の賢者のする格好かと言われればそうでないことは明白であり、「似合ってるかしら?」と満面の笑みを浮かべる紫にスッと藍が手を差し出す。

 

その手の上に乗ったスーツとノーフレームの眼鏡、名刺入れを差し出す藍の顔は死んでいる。たまに見せる主人のこういった面だけは絶対に認めたくない藍である。

 

「紫様、流石にないです。お歳を考えて下さい」

 

差し出された服と心無い言葉に紫の顔もまた死んでいく。八雲の日常はこうして過ぎていった。




副部長と伯奇にとって非常に迷惑な話である。自分よりも圧倒的な連中から狙われる彼らは不見倶楽部の運命や如何に。多分きっと大分先になりますが彼らは幻想郷に行くことになります。五泊六日くらいの不見倶楽部の修学旅行となるでしょう。


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山の主

  山。

 

  四国の山にはあの男がいる。

 

  だから妖怪も人も近寄らない。

 

  もし山で迷ったら隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)に祈りを捧げよ。

 

  そうすれば助かるかもしれない。

 

  そんな話が四国にはある。四国の中でしか知られていない話だが、その話の影響は強く小学校では山に行かないようにと注意すら出されている。街の至る所では指名手配の張り紙が貼られているが、その写真は全て遠巻きに撮られて影になり顔は分からない。

 

  だからこそわざわざ街に降り立ってから山へと足を向ける紫に何人もの人が声を掛ける。「危ないからやめておけ」「死ぬ気なのか?」「女性が一人で行く場所ではない」紫のことを知っている者が見れば何を言っているんだというようなことだが、彼らは誰もが本当に心配してのことだ。その反応が面白いからこそ山へと入る姿をわざと見せる。

 

  迷惑な話だ、それを見るものからすれば溜まったものではない。だが声を掛けても誰も彼女の後は追いかけない。知っているからだ、山の主が四国の山にはいる。山の工事現場で重機がひっくり返っていればそれは山の主のせい、山で猟師が怪我をすればそれも山の主のせい。香川、愛媛、徳島、高知とどこでも関係なく山に足を踏み入れれば山の主に見られていると思った方がいい。

 

  紫は山へと悠々と入っていくと赤や黄色に変わった葉の美しさを存分に楽しみながら適当に足を動かす。人が立ち入らないおかげで大きく潤沢な秋の味覚たち、風にほのかに揺れながら葉を叩き合わせる木々たちの歌は紫の来訪を歓迎しているように聞こえるが、一人に限ってはそうではない。

 

  紫の耳に木々の軋む音が聞こえる。山々に反響して遠くからもの凄い勢いでそれは迫ってくる。紫は笑みを深めて歩くことをやめない、そうして遂に目の前に落ちて来たそれはなんの躊躇もなく手に持った鉈を紫に向かって振り下ろした。

 

  鋭く眼にも止まらぬ一線はしかし紫の周りに貼られた結界を切り倒すだけにとどまり紫までは届かない。ふわりと距離をとった紫の目の前の男の姿は奇抜の一言に尽きる。背が高く筋肉質だが細い山猫のような体躯、靴は履いておらず服も着ていない。腰に長めに巻かれた動物の毛皮のみであり、髪は長く邪魔なのか無造作に所々結ばれた髪型は現代アートのようだ。そんな男が紫の方へ鉈を突き出し吠えた。

 

「お前隠神刑部の婆ちゃんの山を狙いに来たな! 懲りない奴らだ全く全く! その首切り落としてやる!」

「貴方は何度言っても分からない男ね。私は別にこの山を狙ったことはないですし、用があるのは貴方によ」

「なにぃ!俺を倒して婆ちゃんの山を狙ってるのか‼︎ 許さんぞ! 許さんぞ!」

 

  何度もやたらめったら振られる鉈を紫は面倒くさそうに結界で反らすが、それが全て斬り伏せられる。技量は確かなのだがどうも頭の緩さが目立つ外の異変解決者に頭痛を覚える紫は、一度指を鳴らすと地面に開いたスキマから数えるのも億劫(おっくう)になるほどの標識が飛び出し男の周りを動けないように遮った。

 

「あのね、私は隠神刑部と知り合いだし用があるのは貴方なのよ。山など狙っていないし何度も私と貴方は会っているでしょう」

「なんだ婆ちゃんと知り合いか、それは悪かったな! だが俺は人の顔を覚えるのが苦手なんだ。どっかで会ったか?」

「ええ何度もね。ほら八雲紫さんよ」

「八雲? 紫? 誰だそれ俺は知らんぞ」

「ちょっと」

 

  本当に知りませんといった風に首を傾げる男に紫は頭を押さえため息を吐く。なぜこんな男を外の異変解決者に選んでしまったのか会う度に少し後悔するが、見過ごせない力の持ち主なのだからしょうがない。

 

「それでその八雲むかりが何しに来た?」

「八雲紫よ……ええ貴方にちょっとした話があってきたのですわ。いいかしら、貴方たちの山に」

「なんだとぉ! やっぱり山を狙って来たのか‼︎ 許さんぞ! 許さんぞ! 許さんぞ!」

 

  周りを囲む標識たちを切り裂き紫へと飛びかかるが、スキマへとするりと逃げ込んだ紫は男の手の届かない空中に身を移す。下には紫が空にいることに気がついた男がちょこちょこ跳び上がっているが全く届かない。それでも十メートル以上跳んでいる男はとんでもない、それも跳び上がるごとにその距離を伸ばしていっている。捕まらないように少しずつ高度を上げる紫に男は忌々しげな顔を向けた。

 

「こらぁ! 降りてこおい卑怯だぞ! なんで翼もないのに飛べるんだ? お前さては新種の鳥だな!」

 

  全く話が進まないことに紫はもう慣れてしまったがそれでは困る。副部長との会話がどれほど楽だったことか、あの男を引き込めて良かったと改めて感じる。下で叫んでいる男には小難しいことを言っても無駄だとあらゆる過程をすっ飛ばし自分の目的を遂げるために最短であろう言葉を口に出す。

 

「いいかしら刑部、貴方たちの山を狙っている者がいるわ」

「なんだとぉ! 誰だそれはお前じゃないのか‼︎」

「山を狙っている者は諏訪にいる。名は不見倶楽部よ! いい不見倶楽部!間違えちゃダメよ不見倶楽部よ!」

「よっしゃ分かった! なんだお前いい奴だな! ようし諏訪だな! 諏訪、諏訪……諏訪ってどこだ⁉︎ くっそお適当なこと言いやがって! お前嘘言ってるんじゃないのか? やく……えっとやっくん‼︎」

「誰よ! もう私が送ってあげるからさっさと行ってきなさい!」

 

  ぴょんぴょん跳ねる刑部は大地に戻ることはなくスキマへと消えていく。なんにせよ目的は達したとようやっと紫は一息つく。本当は刑部たちの山に近々客を寄越すと言いたかったのだが、いろいろ面倒になった紫はもういいやと刑部の方を諏訪へと送った。だがそれで大丈夫なのかとすぐに帰った時藍に言われたが、副部長たちならどうにかするだろうと無責任に全て投げ出すのだった。

 

 

 

 

 

  秋だ。この季節諏訪湖から一望できる周りの山々は大きな紫陽花(あじさい)のように色取り取りの顔を覗かせる。だがそれを見れないぐらい学校へ足を向ける願子と友里、杏と塔子の足取りは重く顔は俯いていた。いつもなら校門に集まるのだが、今日は早くに諏訪湖に集合した四人。それはこれまで一緒にいる時間が減ってしまったためだ。ろくに話もできないためその時間を作ろうとこうして集まった。

 

  八月の中頃に始まった修行は願子たちをこれでもかと削っていた。ただの筋トレのようなものなら今よりマシだっただろうが、願子たちの考えていた以上の修行の内容に参ってしまっているのだ。

 

「ああなんで土曜日なのに修行のためとかで部室に行かなきゃいけないんだろう……夏の前は良かったよね、なんて言うかさ」

「しょうがないでしょ願子、あたしたちで選んだんだから」

 

  始まる前はやってやるぞと息巻いていた願子もいざ始まるとそれが正しかったことなのか疑問に思ってしまう。ゲームのようにパラメーターをいじれるわけではないのだから日々過酷なことをするのは仕方ないのだが、それにしても今やっていることが正しいのか信じずらい。

 

「そう言う友里はどうなの? いつも何やってるのよ」

「あたしは元々副部長と格闘の特訓してたからその延長みたいなものね、橙が相手してくれてるんだけどはっきり言って今まで橙のこと舐めてた、すっごい強いんだから。ほら見なさいこの腕の引っかき傷、また今日も傷が増えるのよどうせ、親を誤魔化すのも大変なんだから」

 

  八月から一番身体に傷が増えたのは友里だ。友里が掲げる腕には大きな三本の細い線が残っており、それ以外にも細かな傷が身体のあちこちに見えている。

 

  友里の修行は橙との格闘だが、友里はどう? と願子が言った通り四人は全く異なる修行を別々に行っている。夏の日に部室に姿を現した紫がまず四人に言ったことは「貴方たちは副部長や伯奇のようにはなれない」、その言葉に反発しようと口を開きかけた四人に続けて紫が言ったことは納得できるものだった。

 

  副部長も伯奇も努力の結果自分だけの技を磨き今の位置にいる。どれだけ副部長や伯奇のようになりたくてもそれは不可能、自分を磨くしか道はない。だからこそ願子たち個人の長所を伸ばす修行をする。

 

  この方針に乗っ取って願子たち四人がやっていることは全く別のことなのだ。今まで自分の修行が大変でそういったことを話さなかった願子は友里の話を聞いて自分はまだマシかもしれないと思い直す。

 

「杏ちゃんは? なんかバイクを使ってるってことだけは聞いてるけど」

「その通りで私の修行はバイクでずっと走ることですよ。平日も食事や睡眠授業以外ではほとんどずっとバイクで走ってますね。紫さんが来ている時はよく分からない空間の中を延々と走っています。この前紫さんが来た時なんて一日のうちに二十万キロも走っちゃいましたよ。時間の違う空間なんであそこまで一日で走ったのは初めてですね。もうすぐ修行での総走行距離が三千万キロいきそうです」

「さ、三千万?」

 

  杏の修行を聞いて願子の顔が引き攣る。バイクで走るだけなら楽に思えるがおよそ修行を始めてから二ヶ月ほどで三千万となるととんでもない距離を走っている。四人の中で一番背の低い杏の中にいったいどれほどの力があるのか、その胆力に願子は言葉が出ない。今も一人バイクを押して歩く杏はなんでもないようで、まるでバイクが無いように普通に願子たちの隣を歩いている。

 

「辛くない?」

「いえ別に、私バイク好きですから」

「そっか……で? 塔子はどうなのよ」

「あら私? 私はそれはもう凄いわよ!」

 

  力強く言う塔子に確かに凄いんだろうなあと願子は無言で頷く。修行が始まり見た目が一番変わったのは塔子だ。まずジャラジャラうるさかったおまじないの装飾たちがぐんと減った。それでも多いが、今身につけている物は過剰な飾りを施されたものなどではなく、質素だがどこか品のあるものが多い。おかげで元々の見た目と合わさり今は美しさに磨きが掛かっている。これまで祈祷師のようだった見た目から呪い(まじな)師へとジョブチェンジしたらしい。

 

「私はおまじないや占いを一から学び直しているのよ。物の意味や形、それの効果的な配置に(まじな)い道具の製作までね。それと合わせて霊力の使い方の修行もしているわ。今なら本当に効果のあるおまじないをちょっとなら使えるわよ。紫さんや副部長さんの教え方が上手いし、ほら少し前から来るようになった藍さんという人が今は一番見てくれているんだけどもうあの人は凄いわよ! あの人こそ私の師匠だわ!」

 

  最近不見倶楽部に来るようになった八雲藍という妖怪、綺麗な見た目と鋭い目つきから怖い人だと願子は思っていたが、塔子の姿を見る限りそうでは無いらしい。寧ろ塔子に気に入られるとは藍の方が御愁傷様だと心の中で祈りを捧げる。

 

「そう言う願子さんはどうなのかしら? 願子さんの修行はなんて言ったって紫さんよりも多く副部長さんが直々に付けてくれているんでしょう?」

「うん、まあね」

「へーそうだったんですか」

「私も師匠に聞いただけなのだけれど、友里さんは元々副部長さんと特訓してたのよね、どうなのかしら?」

「あー副部長は分かってると思うけど凄いわよ。なんていうか格闘ゲームのキャラクターと勝負しているみたいな、ね願子」

 

  大地を踏みしめれば大地が(うね)り、拳を突き出せば空気が弾ける。動きを目で追うのは難しく、全て分かっているというように動く副部長は相手にすれば凄まじい。だが願子が友里の言葉に頷くことは無かった。

 

「いやあ私は副部長に格闘は教えて貰ってないのよねー」

「あら、じゃあ何を教えて貰っているのかしら? 私も副部長さんからは格闘じゃなくて魔力や霊力を使わないで使える呪術なら少し教えて貰ったけど」

「なんでも部長がいた時に副部長が考えていた霊力とかを使った技なんだって、ただ考えたのはいいんだけど自分では使えないからお蔵入りしてたらしいそれを引っ張ってきたみたい。そのおかげで私はいつも目がしょぼしょぼしちゃって……」

「そう言うってことは目を使った技なんですか?」

「うんそう、この色眼鏡と合わせて使うの。なんでも色眼鏡を使っている時は強制的に霊力も消費してるらしいから特訓して霊力を操るようになるまでの時間を短縮できるから効率がいいって。おかげで前よりこの眼鏡を使えるようになっちゃって最近は形の無い電気なんかも見えるようになっちゃった」

「へえ凄いじゃん、副部長みたいに龍脈まで見えるの?」

「それは無理、電気とかはまだイメージできるから見えるけど、初めて紫さんを見ようとした時みたいにイメージできないものを見るのは相当負荷がかかるっていうか、副部長と違って私が見るには感情や想いに左右されるからあんまり勝手がよくないのよね」

 

  額に掛けられた眼鏡を手に取り覗き込んでやれば、最近ではすっかり身体に馴染み自分の一部のようになった色眼鏡は嬉しそうにキラリと光る。虹色のレンズは相変わらず色々な色を願子に返し、それを見た願子も相棒に笑顔を返した。

 

「でも副部長に近づけてるって気はするかなあ、副部長が凄いからあんまり実感無いんだけど」

「それは分かる、なんていうか特訓相手が凄すぎて」

「私はドゥカちゃんと走っているだけですから強くなってるのかどうかも分かりませんよ」

「そうね〜、私もおまじないの知識を蓄えているだけって……何かしらあれ」

 

  願子たちは塔子の呟きに引っ張られて顔を前に向ける。そこにあったのは目を疑うような光景だった。ほぼ全裸のような身長二メートルはあろう鉈を持った男が空から降ってくる。意味が分からない光景に四人は声も出ず、地面にぶつかる! と叫びを上げそうになる四人の目の前で、男はなんでもないように地面に着地してしまった。しかし、その衝撃を無かったことには出来ないようで、地面に大きな凹みを残して雄叫びを上げる。

 

「痛えぇ! くそ、やっくんめ許さんぞ! 許さんぞ! 全く全く困ったやろうだ! …………ちょっと待て、ここ山じゃねえぞ! どこだここは⁉︎ うわあ海がありやがる! 向こうに見えるとこは噂に聞く外国かあ⁉︎」

 

  海ではなく湖である、続いている陸地が見えないのかという四人の心の中のツッコミは入れられず、諏訪湖の手摺に飛びついた男は「なんてこった、異国に来ちまったのか?」と、手摺にしなだれかかるように崩れ落ちる。

 

  本能が言っている。これはやばいやつだ、絶対に関わっていけない者だ。突如現れたおかしなものがこれまで良かった試しがない友里たちの足を男とは反対方向へと向かせるが、願子だけは動けずいた。

 

  『きっと面白いことがある』、これだ。いつものように絶対よくないことであろうと願子の頭の中で弾ける麻薬に願子は逆らえない。だがそれを残った理性がなんとか押し留め願子の取った行動は向かうでもなく引き返すでもなく動かない。

 

  願子たち以外の諏訪の住人は怪しすぎる男にとっくに離れて行ってしまっており、残った願子に男が近寄って来たのは仕方がないことだった。

 

「おいそこの女!」

「え? 私?」

「そうだお前だお前! ここはどこだ? 外国か?」

「いやここは諏訪ですよ、長野県にある」

「諏訪! どこかで聞いたような…………」

「ちょっと願子何やってんの」

 

  逃げ遅れた願子の元に離れようとしていた三人が戻ってきた。近くで男を見ればその威圧感は凄いものがある。ほぼ全裸の男が目の前におり、それも自分たちより頭一つも二つも大きいのだ。少し猫背だがそれでも十分大きい。ミケランジェロの彫刻のような肉体には所々大きな傷が目に付き、明らかに一般人ではない。

 

「いやでも友里、こんなおかしな人だと逆に副部長の知り合いとか」

「……ありえそうだから困るわね」

「それでどうしたんですか?」

「この人自分がなんでここにいるか分かってないみたいで」

「あらそうなの? ねえ貴方はどこから来たのかしら?」

「山からだ‼︎」

 

  胸を張って宣言する男に四人は微妙な表情を返す。しばし沈黙が続き、風に乗って熟れた葉っぱが諏訪湖に落ちる姿を見ていた方がよほど人生にとって有益なのではないかと四人は思い始めていたが、男にとっては違うらしく沈黙をものともせずに再び言い放った。

 

「山からだ‼︎」

「いやそれはさっき聞いたから、だいたいどこの山よ」

「隠神刑部の婆ちゃんの山だ!」

「隠神刑部? たしか四国の方にそんな妖怪いなかったっけ?」

「いたわね、確かいたはずだわ」

「じゃあこの人は四国の方なんですかね、いったいどうしてここにいるんでしょうか?」

「俺か? それはやっくんが婆ちゃんの山を狙ってるやつが…………そうだった! 山だ! 山を狙ってるやつがいるんだった! 許さんぞ! 許さんぞ!」

 

  喚きながらなんの意味があるのか鉈を虚空に向かって振るう男の姿は完全に不審者のそれだ。遠巻きから諏訪の住民が願子たちの方を指差し何やら話しているのが見えてしまう。一度話してしまった手前取り敢えず話を折りたたもうと四人は急いで口を動かした。

 

「山を狙ってるっていったい誰がですか?」

「む、なんだヘンテコ眼鏡、お前も山を狙ってるのか⁉︎」

「いや私じゃなくて誰が狙ってるのかって!」

「うんそうだな、そうだ、確か……風船倶楽部!」

「なにそれ、バルーンアートの部活かなんか?」

「凄い微妙な人たちが狙ってるのね」

 

  山を狙うという言葉からもっと凄そうなのが出るのかと思いきや、どちらかと言うと可愛らしい名前に四人の肩から力が抜ける。

 

「でも風船倶楽部ですか、てっきり副部長先輩の関係者だと思っていたのに違うんですね」

「副部長? なんだそれは、美味いものか?」

「いや食べ物じゃなくて私たち不見倶楽部の副部長ですよ」

「ん? おいヘンテコ眼鏡、今なんて言った?」

「はい? だから不見倶楽部の」

 

  急な衝撃に襲われた願子の膝が崩れた。それに驚く暇もなく頭上を通過する鉈が目に入り、続け様に靡く金髪が視界をかすめて願子は友里に連れられ男から跳び退いた。

 

「ちょっとあんたいきなりなにするわけ? 今の当たってたら怪我じゃ済まないよ」

 

  橙との特訓の成果か友里に動揺は見られず、逆に急に死が迫った願子は心臓が張り裂けるのではないかというほど急激に脈拍が上がった。友里に引っ張られた反動で額からずり落ちた眼鏡が目に掛かる。

 

「そうだ不見倶楽部だ、不見倶楽部‼︎ 危うく忘れるとこだったぜ! お前らだな婆ちゃんの山を狙ってるって奴は!」

「あら? さっきは風船倶楽部って言ってなかったかしら?」

「塔子、今はそれどころじゃないでしょ! 危ないからあたしの後ろに下がってて!」

「ええそうね、私の仕事は終えたわよ」

 

  塔子が友里の言う通り後ろへ下がるのと同時に願子たちと男を見ていた市民たちが思い立ったかのように話を止めて遠ざかっていく。こういう事態のために塔子が最初に教えられた技が『人払い』だ。簡単なもので規模も大きいものから小さなものまである(まじな)いの基本的な技の一つ。かっこつけた台詞を言いながら、ちゃんと成功したことに塔子は一人喜び気持ち悪い笑みを浮かべる。

 

「なにニヤついてんのよ」

「おいいつまでくっちゃべってんだ! さっさと構えろ!」

「友里さん、なぜか知りませんけど待っててくれてるみたいですよ」

「当たり前だ! こういうのは卑怯なのはよくない、うん、卑怯なのはよくないからな」

「どの口が言ってんの?」

 

  自分が最初に奇襲したことなど頭にないようで「早くしろ!」と男は一番近くにいる友里を急かす。その誘いに乗って前に出ようとした友里だったが、願子に袖を掴まれて止まってしまう。

 

「願子?」

「……友里、あれやばい。真面目に戦わない方がいいよ。馬鹿みたいだけど気の量が尋常じゃないの、まともにやったら絶対勝てない」

 

  願子の目に映るのは視界を覆う黄色いオーラ。それは異常な濃さを誇り、少しの興味しか抱いていなかった願子の目に簡単に映ってしまった。修行のおかげで願子が新たに身につけたのはただ見たものに驚くだけではなく、正確に実力差を見抜く力だ。まだ友里も男も臨戦態勢に入っていないのに手前の友里の十倍以上はあろうかという気が身体から発せられている。

 

「じゃあどうすればいいの?」

「ごめん友里、ちょっとだけあれの相手できる? 多分逃げようとしても逃してくれるような感じじゃないし、だから避けるのメインでまともにかち合わないで、その間に杏ちゃんと塔子と作戦練るから」

「分かった」

「おいおいまだかよ!」

「今行く! ……全く変に律儀な馬鹿ね」

 

  ため息を吐き男の前へと出る友里だが、内心はどうしようもなく緊張していた。自分の力が通じるのか? といった不安からではない。願子に注意されるよりも早く友里は目の前の男の実力が自分よりも上であることに気がついていた。なぜなら友里も同じく気を扱う者だ。修行しているのにそれを見抜けないようではどうしようもない。

 

「来たな! お前はいい奴だな、やっくんは駄目だ。あいつは悪い奴だ、卑怯だからな」

「やっくんって誰よ、それに聞く耳持たないみたいだけど一応言っとくとあんたの勘違いよ、私たちは山なんて狙ったことないわ」

「いや俺は確かに聞いたぞやっくんから!」

「それ騙されてんのよ、悪い奴なんでしょ? そのやっくんって人」

「うん? そうなのか? うーん、駄目だ。騙すだのなんだのよく分からん! こういう時は取り敢えず倒しておけば問題ないな!」

「……なんて言うかあんた今まで会った中で一番酷いやつね」

 

  頭の悪いことをいいながらも友里に鉈を差し向ける男の身体から爆発的に気が膨らんでいく。その気によって大地が震え振動によって重力に逆らった小石や砂が宙に浮き上がる。ただそれを受けた友里が感じたのは伯奇のような攻撃的なピリピリしたものではなく、山で大きな動物を前にしたような不思議な感覚だった。静かだ。莫大な気とは裏腹に向けられる気からはなんの感情も感じない。あまりの奇妙さにふと友里の身体から力が抜ける。

 

「友里‼︎」

 

  それを見逃さず一気に友里の目の前まで瞬間移動したかのように近づき男が横薙ぎの一線を放ったが、願子の一声で我に返った友里は紙一重でその斬撃を屈んで躱す。金色の線が数本宙を舞い、男に隙ができた。副部長や伯奇と比べて男の動きは決して洗練されているとは言いづらい。友里の目の前に移動した速度は早く、振るった鉈の速度も速い。だが動きは雑で大振り、友里が拳を伸ばせるガラ空きな場所が多くある。だが友里が取った行動はそこから跳び退くこと。隙だらけだった。いい的だった。それでも鉈を振り切った態勢から笑みを浮かべ友里を見続けていた男に友里は言いようのない危険を感じた。それは橙と闘い身に付いた感のようなものだったが、それは正しかったと言える。

 

「なんだ来ないのか」

「……あんたそこまで甘くないでしょ」

「うん? お前頭いいな。わざとこうポカッと開けて来たところをスパっとするつもりだったのに」

「そういうことは口に出さない方がいいと思うんだけど」

「それもそうか! お前やっぱりいい奴だな、名前を聞いとこう、大丈夫、死んでもちゃんと俺が覚えててやる」

「いい奴とか言っときながら殺す気なわけ? はぁ、全く頭が痛くなってくるわ…………出雲 友里よ」

「出雲友里だな、覚えたぞ! 俺は刑部(おさかべ)、犬神刑部狸の婆ちゃんの末子だ!」

「は?」

 

  男の名乗りに友里は間抜けな声を上げた。それは隠神刑部の末子という方ではなく、刑部という名前の方に反応してのことだ。いつか橙から聞いた副部長と同等だろう人間の名前。四国の野生児。点と点が線で繋がっていく、やっくんというのは八雲紫で間違いない。つまりこの事態は紫のせいだということ。友里の怒りのボルテージが上がっていく。

 

「ちょっとあんたやっくんって!」

「行くぞぉ‼︎」

「ちょっと!」

 

  男の動きが変わる。友里を試すためだった最初の一撃とは違いやたらめったら届こうが届くまいが関係なく刑部は鉈を振るい始めた。そうして現れるのは刃の壁だ。刑部に近ずくことは叶わず、急所に当てるとも考えていない刑部の斬撃を友里は躱すことも叶わず被弾していく。それでも適当に振られている分致命傷にはならず、友里の肌に薄っすらと赤い線を残すだけに留まった。だが突破口がまるで見えない。鉈を振り回し続けながら友里へ寄っていく刑部を止める術はなく、友里の退路が短くなっていく。

 

「ちょっとあんた待ってって!」

「うぉぉぉぉ‼︎ 負けんぞお!」

「友里‼︎」

「ムッ⁉︎」

 

  願子の叫びと同時にピタリと動きを止めた刑部の目の前に鉄の馬が横切った。それが過ぎ去った後に友里の姿は無く、友里の後ろにいた願子たちの姿もない。刑部は鉄の馬が走り去っていった方向を見つめ笑うと後を追って走り出す。

 

「友里大丈夫?」

「なんとかね」

 

  杏のバイクに無理やり四人で乗っかり学校への道を走る。四人も乗っているにも関わらずバイクは百キロ近い速度で走り、車道を走る他の車の間を縫うように走り抜けていく。願子たちの思いついた作戦はこのまま副部長のいる学校まで走っていくこと。勝てない相手には無理に闘わない、修行を始める前に副部長が願子たちに言ったことだ。

 

「でもいったいどうやったの? あいつの動きが急に止まったけど」

「あはは、私も役に立ったみたい? これも副部長との修行の成果って奴ね」

 

  副部長直伝の技、曰く『眼で刺す』。視線が刺さるという言葉から発想を得たこの技は、眼から感情を飛ばす技だ。眼のレンズを引き絞る要領で感情を集め、それを相手に叩きつける。霊力という火薬で放つ見つめるだけというおよそタイムラグの生じない光速の弾丸。どんな相手でも急に圧縮された感情をぶつけられれば一瞬身体が硬直してしまう。橙の程度の能力の一つに近いこの技は簡単だが強力だ。もしこれを開発した副部長が使えたとしたら願子と違い三百六十度どこでも視線を刺せる恐るべき技と化す。

 

「それで友里さんなにかあの人と話していたようだけれどなんだったのかしら?」

「ああ、多分聞いたら嫌になるようなことをね。あの男の名前は刑部、橙が前に言ってたでしょ? 紫が送ってきたのよあいつ、嘘まで吹き込んでね」

「え? 本当に? ってことはこれも修行の一環なの?」

「知らないけどあいつマジでこっちを倒そうとしてきてるしそうじゃないのかも、ただあたしが言えるのは今度紫に会ったら一発殴らないと…………って嘘、杏‼︎」

「分かってます! まさか走るバイクに追いついてくるなんて」

 

  運転している杏を除き後ろを振り向く三人は驚きの表情を浮かべた。半裸の男が山を駆ける動物のように手と足を使い走って願子たちに迫っている。百キロ近い速度で走るバイクに追いつく勢いだ。笑顔を浮かべていることからまだ余裕まであることが分かる。

 

「おいおい、なんだおい! お前ら速えな! そのバイクいいなあ! だが待て待て‼︎ まだ終わってないだろ逃がさんぞ‼︎」

「バイクは知っているみたいね」

「いや塔子感心してる場合じゃないでしょ! てか声が大きい! なんでこんなにはっきり聞こえるのよ! 杏ちゃん大丈夫?」

「はい‼︎ これまで死ぬほど走ったんです! 四人乗っても速度は落としませんし学校までショートカットしますから少し荒っぽくなりますよ! しっかり捕まってて下さいね!」

「ショートカットって、ちょっと杏!」

 

  何を思ったのか杏は諏訪湖に向かってハンドルを切る。諏訪湖の湖畔に向いている学校に行くには確かに湖を突っ切るのが最短距離、実際四人の目には学校が既に見えてはいる。だが杏が運転しているのは船では無くバイク。水に浸かれば沈むだけのそれを迷わず湖へと突っ込ませる。

 

  目を瞑り水の衝撃に備えた三人だったがいつまで経っても冷たい水が自分たちの肌を撫ぜることが無く、薄っすら開けた目の先には、水上を滑る車輪が見える。

 

「今のドゥカちゃんはガソリンで走ってるんじゃありません! 私の霊力や気を燃料として走ってます! 車輪を回すのは私の力、今の私とドゥカちゃんに走れない場所はありません!」

 

  杏の言う通り願子の色眼鏡越しの視界には細く鋭利な霊力の輪が車輪とともに回っているのが見える。それが水の上を高速で回っており、遠心力によって浮いているのだ。だがそれで逃げ切れるほど刑部も甘くはない。願子たちの後ろから凄い水飛沫を上げて水面の上を走ってきている。

 

「なんだそりゃ! バイクじゃなくて船だったのか⁉︎ 待て待て待て‼︎」

「やっぱりあいつ馬鹿だわ」

 

  友里の呟きを置き去りにしてバイクは水面に一筋の跡を残して駆けていく。水上では杏に分があるのか、縮まってきていた距離はそれ以上縮まらずに学校までの距離を縮めていった。

 

「待てって‼︎」

「やった! 学校ってうぇえ‼︎」

 

  陸地にバイクが乗ったと同時に投擲された鉈が車輪に絡まり四人はその場に投げ出される。なんとか受け身を取って起き上がった四人の前には、息を切らせた刑部が既にそこにいた。流石に水上を走るのは疲れたようであるが、顔から笑みが消えていない。

 

「私のドゥカちゃんがぁ‼︎」

「ようやっと追い詰めたぞ、全く全く困った奴らだ」

「ちょっと待ちなさい、あんた勘違いしてんの! 八雲紫にそそのかされてんだから!」

「八雲? 紫? 誰だそれ、俺は知らんぞ友里」

「ちょっと」

 

  本当に知りませんといった風に首を傾げる男に友里は頭を押さえため息を吐く。なぜこんな男が自分たちよりも強いんだと頭痛がしてきた。

 

「ふうん、兎に角観念しろ! 隠神刑部狸の婆ちゃんの山を狙うやつは俺が許さんぞ!」

「全くなんなのいったい隠神刑部、隠神刑部って‼︎」

「隠神刑部狸ってことは狸の妖怪よね? マミゾウさんとはえらい違いね、こんな人を野放しにしておくなんてマミゾウさんの爪の垢でも煎じて飲んで欲しいわ」

「うん……うん⁉︎ ま、マミゾウ? マミゾウ婆ちゃん⁉︎ お前らマミゾウ婆ちゃんの知り合いなのか⁉︎」

 

  二ッ岩マミゾウの名前を聞いた刑部の顔が急に悪くなる。汗をダラダラ流し、目は焦点が定まっていない。その姿は親に悪さがばれて怯える子供のようだ。

 

「うん、マミゾウさんは私たちのお姉ちゃんみたいなね」

「お、お姉ちゃん⁉︎ おぉう、そうか、そうかあ、分かった! 俺が悪かった‼︎ マミゾウ婆ちゃんの妹が隠神刑部の婆ちゃんの山を狙うはずがねえ‼︎ だから頼む、マミゾウ婆ちゃんには言わないでくれえ、もう茶釜は嫌だ! 嫌なんだよお!」

 

  四人が分からないうちに何かのトラウマスイッチが入ってしまったらしい刑部は「茶釜……茶釜……」と呟きながら呆然としてしまっている。強大な気は鳴りを潜めてしまい、ただの不審者に戻ってしまった。急にことにあっけにとられる四人だったが、これ幸いと友里が刑部に言葉を投げる。

 

「ふーん、どうしようか? こっちはすっごい迷惑かかってるんだけど」

「わあ⁉︎ だから謝ってるだろう! なあ友里勘弁してくれよお、茶釜は嫌なんだよお‼︎」

「なら今度紫を一発殴る時手伝って、あたしがやるよりあんたがやった方が効果ありそうだし」

「おお分かった‼︎ 任せとけ! そのむかりって奴を殴ればいいんだな!」

「紫よ、紫」

 

  その友里の姿は聞き分けの悪いペットを躾けているようだった。なんとも言えない顔で願子と塔子はそれを眺め、杏はひしゃげたバイクの車輪に泣き縋り相棒の安否を祈っていた。

 

「…………お前たちなにやってんの?」

 

  そんな光景を、校門近くで騒いでいる後輩たちの姿を見た副部長が言うのは当然で、なんとも気まずい空気が流れる。別に誰も悪くはないはずだがなんとなく気恥ずかしい四人はなんと言おうか口籠ってしまい、そんな四人は放っておき、友里の前にいる半裸の男に気がついた副部長が刑部の前に出た。

 

  無言で見つめ合う二人の男。伯奇を前にした時のように副部長から言いようのない力の波動を四人は感じる。それに呼応するかのように刑部の気が再び高まっていく。一発触発の空気の中二人の手が動く。止めようと動こうとした四人の行動は遅すぎた。

 

「副部長だ!」

「刑部だぜ!」

 

  それはもうガシッという音が聞こえるくらいの見事な握手だったと後に部室に辿り着いた四人は疲れた顔で伯奇と橙に報告したという。

 

  ちなみに何度言っても四国への帰り方を理解しない刑部は、なぜか友里の家に住み着いた。友里が親へと言った言い訳は拾ってきたペットを飼っていいか聞く子供のようだったそうだ。




無言の男の詩があった、奇妙な友情があった。副部長と刑部は意外とウマが合った。


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その時後光が差した

  秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋、冬を控えた秋にはイベントがそれはもう多く残されている。その中でも学生にとって最も大きなものは何かと言われれば、誰がなんと言おうと文化祭であることに間違いない。

 

 そんな文化祭を前に不見倶楽部はと言うと窮地に立たされていた。その理由としては夏に最優秀賞と努力賞という二枚の賞状を受け取ってしまったからに他ならない。

 

  文化祭とは学生にとって楽しい大きなイベントではあるのだが、困ったことに学生がただ馬鹿騒ぎするだけでは終わらないのである。保護者やその高校を志望している中学生といった外部の者へのアピール、そういった面が文化祭にはあるからだ。

 

  これが去年となにも変わらなければ、生徒が楽しむことに重きを置いた文化祭になったのだが、今年は全国から集まったオカルト研究部の中から一番に選ばれた部がいる。

 

  それを生徒会長が見逃すわけもなく、校内向けのものはいいから校外向けのものに力を入れろと文化祭前のなんと全校集会で直々の使命をされてしまったものだから不見倶楽部に退路は既に存在しなかった。

 

  これに一番参ってしまったのは言うまでもなく副部長だ。不見倶楽部の知名度は残念ながら校内では全く高くはない。それどころかほとんどの生徒がその存在を知らないのだ。先生ですら知らない者がいる。

 

  それもそのはず、各部の部長や副部長は不見倶楽部の存在を当然部費のことがあるから知っている。しかし、不見倶楽部にいい感情を持っているかと言われれば否であると言わざるおえない。だが不見倶楽部の温情で部費を得ることが出来ている現状を考えれば、悪口の一つも言えるはずがなかった。それがもし副部長の耳に入り、部費がゼロになってしまうことを恐れてのことだ。結果起こった事態は口を噤んだ部長たちによって不見倶楽部の存在が語られないということ。

 

  もともと不見倶楽部の活動自体も別に学生に発表するといった活動的ではないことが合わさり、全校集会で名前が出た際や新学期初めに賞状を受け取った際にほとんどの全校生徒が首を傾げたのは想像に難くないだろう。

 

  だがこれは不見倶楽部としてはチャンスでもある。名前を一気に売って、全生徒の内に存在する無意識のカーストの最上段に一気に上がれるかもしれないのだ。

 

  しかし、この話を受けた時、副部長以外の四人も同じく顔を顰めており、生徒会長の思惑は見事に空振りしてしまった。

 

  夏までは願子たち四人も最高の部活をみんなに知って貰おうと頑張ったのだが、今現在目下修行の身である四人に学園祭を楽しむ力は残っていても、学園祭で楽しませる力は残っていない。

 

  副部長はと言うとこちらも八雲紫に外の異変解決者としての仕事を願子たちの修行を見る合間にちょくちょく入れられており、文化祭に向けて新たに何かを作り考える時間は全く残されていなかった。

 

  だがそんな事態でも副部長の見事な発案によって事態は急激に加速する。

 

  展示物は複製がありそれを展示すれば最低限不見倶楽部としての体裁は整う。これに加えて校外、校内向けの発表を同じく最優秀賞を取った京都の五光同盟に任せてしまおうと副部長は考えたのだ。同じオカルト研究部であり、最優秀賞をとったもの同士これは使えると白羽の矢がたった。

 

  ただ自校の文化祭に他校の生徒を呼ぶというのは些か問題があるのではないかと生徒会長、副会長、珍しく姿を見せたヘルメットを被ったような髪型にでっぷりとした体型の校長が疑問の声を上げたが、それに答えられない副部長ではない。

 

  五光同盟が在籍している高校は京都でも歴史が古く西日本では優秀だと有名な学校である。そんな学校と繋がりがあり、そこの優秀な生徒が発表をしてくれるような間柄であると知れれば学校の評価も上がるだろうといった副部長の口車にまんまと乗せられた生徒会長と校長が了承、副会長は未だ疑問を持ってはいるが、生徒会長が是とした意見に反対することはなく、生徒会長は意気揚々と五光同盟の在籍校へと訪ねて行った。

 

  だが誰もがここからが問題になるだろうと思っていた。いくらこちらが来てもらうことにしたとはいえ、向こうがそれを了承することはないのではないか? この疑問を副部長が受けた時の全て手のひらの上といった悪そうな笑みを願子たちは絶対に忘れないだろう。

 

  結果を言うと相手側は生徒会長を含めた短い協議の結果二つ返事で了承した。一葉高校の無駄に長い歴史がここで遂に効果を発揮したのだ、一葉高校も歴史という点で見るならば相当に格式は高い。恐るべきはそれを誰より早く見抜いていた副部長であり、情報戦が得意という看板に偽りはなかった。それに合わせて短い協議だけで相手を丸め込んだ生徒会長の手腕も見事だったことを忘れてはならない。

 

  だがそこまで決まった段階で今度は不見倶楽部の内側から待ったの声が聞こえたのは副部長の予測を超えていた。

 

  願子たち四人ではない。彼女たちは修行でそれどころではなく、寧ろ副部長の案に、楽になるならなんだっていいと大手を振るって賛成した。反対したのは橙だ。

 

  外の異変解決者である安倍 伊周が絶対に来ると予測した橙は、わざわざ苦手な相手を呼びたいわけもなく、また願子たちに外の異変解決者のことがバレることを恐れ反対した。

 

  好奇心の強い願子を筆頭に外の異変解決者のことを知れば自分たちもと言うに決まっている。だがそれを受けても副部長が顔を縦に振ることは無かった。刑部の一件を聞いた副部長は、そろそろ願子たちに過保護になることを止めようと考えていたのだ。自分の身は自分である程度もう守れるとの判断だったが、そうは言っても自分の仕事が増えてしまうと橙も頷かない。

 

  そんな橙の反抗は、しかし「飯抜き」という副部長の決して長くない言葉によって呆気なく終わりを見る。こうして全ての問題は綺麗に片付き、文化祭までの残りの期間は各々悠々自適に過ごせると思われた。

 

「不見倶楽部の皆さん久しぶりやなー」

 

  だがそうはならなかったのだ、困ったのは伊周のレスポンスの早さ。まだ文化祭まで二週間はあろうかというのに、日曜日にひょっこりと部室に顔を出してきた伊周に誰もが驚きの顔を向ける。

 

  この事態は副部長も知らなかったようであり、伊周を見た後続けて副部長の方を見る十二の目に副部長は苦笑いしか返せなかった。

 

  部室に入って来た伊周に不見倶楽部流の挨拶とも呼べるコーヒーを手渡しソファーへと促すと、伊周は「なんやうちお茶の方がええんやけど」と全く遠慮のない一言を言い、苦い顔をする副部長をよそになんだかんだ言って口をつけるとそれ以上文句が出ることは無かった。副部長のコーヒーマジックとも呼べるこの現象を願子たちが理解出来る日は来ないだろう。

 

  昼間でも点いている部室のランプの柔らかい灯りが伊周の肌を照らし、日本人らしい美しさを持つ伊周の魅力を存分に引き上げる。大正浪漫の空気を放つ部室にいる伊周を全く不見倶楽部のことを知らない誰かが見れば、誰もが彼女が部長なのだろうと勘違いするほど伊周は部室に似合っていた。

 

「で? なんの用なんだ?」

 

  それが気に入らないのか、自分で呼ぼうと決めた癖に副部長の棘のある声が伊周にかけられる。しかし、件の伊周はそんなこと全く気にしていないようであり、細い目をさらに細めるだけだ。

 

「なんの用って、あんさんたちの文化祭に決まっとるやろ、本番一発で上手く発表出来るほどうちは手慣れとらんし、下見や下見」

「ならここに来なくてもいいじゃあねえか、発表する体育館にでも行ってりゃいいだろ」

「あーん、伯奇さん冷たいなあ」

 

  上手く発表が出来ないという見え透いた嘘に出会った当初から静かに攻撃的な色を瞳に含む伊周に伯奇も苦言を言うが、子供っぽい伊周の返事に簡単に流されてしまう。言っていることは最もであるのだが、伊周という女はどうも信用に欠ける空気があると副部長も伯奇も口には出さないが同じ意見だった。

 

「驚いたわ、あんさんたち強うなったなあ、ちょっとだけやけど、何したんや?」

 

  副部長と伯奇が相手をしてくれないことをいいことにすぐに伊周は願子たちにちょっかいをかける。執務机の椅子に座る副部長とその執務机に腰掛ける伯奇を見ていた顔がぐるりと百八十度回り同じくソファーに座っていた願子たち四人に向けられて、願子たちは何も言えなかった。

 

  それは向けられた細い目の奥に宿る瞳に恐れを抱いたわけではなく、純粋な驚きによるものだ。まだ伊周がここに来てより一言も修行をしていると言っていない四人の今の実力を見抜き、馬鹿にしている言葉も含めて彼女の実力がやはり相当高いことを表している。

 

  それに加え今まで会ってきた身近な人間の実力者である副部長、伯奇、刑部の誰とも違うオーラが四人の口を開かせてはくれない。ランプの灯りがそんな張り詰めた空気に揺られ、照らされた四人の顔は弱者のそれだ。そんな四人の様子にこんなものかと一人納得して、それ以上何も言わずに副部長と伯奇の方に振り返る。

 

 そんなある種傲慢な伊周の態度に辟易(へきえき)しながら、ソファーの一番奥でそれを見ていた橙は鼻で笑う。橙の様子から少なくとも伊周より願子たち四人のことを橙が好いていることは間違いない。

 

「修行だよ修行、前時代的かもしれないがな」

「なるほどなー、ええやない。昔から効果あるって分かってることに間違いはないよ? それが微々たるもんでもな」

「嫌な言い方してんじゃねえよ、初めて会った時みたいに猫かぶるのは止めたのか?」

「だってどうせもうばれてるんやろ? だったら自然体のままの方がうちも楽やしそっちも気を使わんといてええから楽やろ」

 

  確かに伊周の言う通りではある。軽井沢で会った時のように素知らぬ顔で心の会話を続けるのは副部長も伯奇も疲れるだけだ。それが分かっていての伊周の発言。副部長は特に表情を変えないが、伯奇の顔は攻撃的な笑顔に変わった。

 

「なら気を使わないついでに一発やるか? お前もどっちが上か気になってんだろ? 教えてやるよ」

「いややわあ実力を見抜けない人間ほどよく吠える思わへん?」

「ぁあ⁉︎」

「伯奇止めろ、部室壊したらただじゃおかんぞ」

 

  勇んで腰を上げる伯奇に副部長の低くなった声がかかる。伊周と副部長を何度か見比べた後大きな舌打ちをすると不機嫌な顔で伯奇は元いた場所へと静かに腰を下ろした。それにより深い笑みを浮かべるのは伊周。『博麗』が人の言うことを素直に聞いたのがそれほど可笑しいらしい。だがこれは純粋な力量差によって伯奇が動いたわけではなく、普段の生活力の差から、今夜のおかずの減り具合を考えて伯奇が従っただけであることを伊周は知らない。

 

「なんや伯奇さんその男の言うことを聞くんやなあ、諏訪の守護神なんて言われてるし噂も紫さんから聞いとるけど、こう前にしたら全く強そうやないやんか、なんでそんな男の言うこと聞くん?」

「うっせえな、お前には分かんねえよ」

「おやまあ、なら是非とも教えて貰いたいなあ諏訪の守護神さん?」

「その呼び方マジで止めろ」

 

  相変わらず変な女に興味を持たれる副部長は不憫である。なにを試そうかと頭を働かせ始める伊周だったが、この殺伐とした空気に遂に耐えられなくなったのか動いたのは橙だった。今諍いを起こしているのは外の異変解決者たちでもある。その監督役である橙が使命感に背中を押されて動いたことで最悪の事態は避けられた。

 

「ちょっといい加減にしなさいよ! 私結構ここ気に入ってるんだから変なことしたら許さないわよ伊周!」

「……はーい、橙さん怖いなあそんな怒鳴らんでも変なことなんてせえへんよ」

 

  どこか不満げではあるものの伊周は素直に一応返事は返す。もともとそこまでやる気は無かったということもあるが、自分を前にした時橙がそういうことを言ったことが無かったために少し驚いたということの方が大きい。半歩程であろうが成長を見せる橙が伊周には面白くない。

 

「全く! そんなに誰かと闘いたければ刑部と闘ってればいいのよ、あの戦闘狂なら満足させてくれるでしょ!」

「刑部さん? 確か私たちと同じ外の異変解決者の一人やね、なんで今その名前を出すんや?」

「今諏訪にいるからよ」

 

  この橙の素っ気ない答えに伊周の細い目が少しだけ開いた。諏訪に外の異変解決者が三人もいる。式神を使えることから、伊周はたまに橙の視界を覗いていたりするため、実は全ての外の異変解決者を知っている。その異変解決者がこの狭い街に三人も集まっている事実が信じられない。

 

「……なんや始まるんか?」

「別に偶然でしょ」

 

  偶然では無いだろうと、伊周は心の内で舌を打った。実は伊周がこれだけ早く諏訪の地を踏んだのには当然先ほど自分が述べた以外の理由がある。それをおくびにも出さずぬけぬけと言う伊周は相当曲者だが、そんなことは副部長も伯奇ももっと胡散臭い相手を知っているため気にはしない。

 

  その副部長たちが胡散臭いと言う相手に伊周は言われたからここにいるのだ。「諏訪に行きなさい」と言ったただ短い一言を残してスキマへと消えた妖怪の言葉に従って来てみれば、なんとも面倒くさそうな状況が息を潜めて待っていた。橙の言葉を聞いて能天気な反応が出来るほど伊周は頭が悪く無かった。

 

  おそらくこれ以上なにを誰に聞いても望んだ答えが返ってこないだろうと決めつけた伊周は口を噤んだが、その代わりに口を開いたのは願子たちだ。外の異変解決者という新しい怪しげな言葉と、実力者であると分かっている伊周の思わせぶりな態度は四人の心を不安にさせる。

 

  自分たちが頼りにしている男がまた内緒で何かしている、それもきっと自分たちにも関わるかもしれんしことでと勘付いた四人の目が一気に副部長に集まり、それを向けられた副部長は分かっていたというように柔らかな笑顔を返す。

 

「副部長? 私たちの聞きたいこと分かりますよね?」

「ああ、分かるよ、そして話そうか。そろそろいいだろうからな、なあ橙」

「え、私⁉︎」

 

  なんとも大物ぶった副部長の言葉は、しかし自分一人で責められるのは嫌だというチキンな想いによって幼気な子猫を道連れにする言葉が後に続く。副部長に向いていた顔が一転して自分の方に返って来たのを確認すると、橙は副部長をこれでもかと睨みつけるが、「橙が全部知ってるんだ」と追い打ちをかけてくれた。

 

「ねえ橙、分かってると思うけど言ってくれないなら刑部を向かわせるよ」

「刑部さんいつの間に友里さんのペットみたいな立ち位置に……」

「いや杏ちゃん、初めっからだった気がしないでもないよ?」

「あら友里さんと刑部さんは仲がいいのね!」

「塔子、今はそういうのいいから……」

 

  塔子のおかげで少しだけ糸を張ったような空気が緩む。だがふざけていても四人の目は決して橙から外されることはない。伯奇も副部長も諦めたように橙を見て頷くばかりであり、なんの手出しもしないことに決めたらしかった。橙の目が二人を射殺さんばかりに細くなるが、そんなことは願子たちには関係無い。

 

「それで?」

「うん、外の異変解決者のことでしょ、それは紫様が認めた外の世界で幻想郷のために動く者たち、幻想郷の不利益になる者を殺す役目の者だよ」

「いや殺すってそれは」

「冗談じゃないよ?」

 

  決して目を離さないで四人の顔を見てくる橙に本当に嘘ではないということが四人に伝わってくる。想像以上に殺伐とした正体に四人の頭は理解しないようにと喚こうとするが、先日に出会った刑部の姿がそうはさせまいとちらついてしまう。

 

  刑部は馬鹿ではあったが、願子たちを本気は出さなかったが殺そうと動いていたのは確かだった。『こちやさなえ』と『博麗 伯奇』によって常識では考えられないほど続けざまに来た強烈な死の色を含んだものを前に四人の心は刑部に会う頃には麻痺してしまっていたが、それが親しい者から言葉として伝えられたために解けていく。

 

「え? つまり副部長はそんなことをやってるの?」

「言っておくけどあんたたちが思っているようなことではないよ、どちらかと言うとあんたたちが副部長と最初に会った時に出た『こちやさなえ』の退治みたいなものよ」

「そんな、副部長先輩またあんなのと闘ってるんですか?」

「まあね」

 

  えらく簡単に告げられる副部長の肯定に喉から出かかる文句も飲み込みざるおえなかった。副部長という男の困ったところは、その行動の根元を探ると、どこかしらで必ず四人のためという言葉が付いてくる。今回もそういったものがどこかしらで垣間見えることは間違いなく、それに対してなぜ? という言葉を副部長に投げるには四人は副部長と長く居すぎた。そんな四人に今できることがあるとすれば、文句を言うことではなくこれからのこと。

 

「副部長次からは私もついて行きますよ」

「そうね、これ以上蚊帳の外は嫌かしら」

「折角強くなったんです。副部長のためにも頑張りたいです!」

「ていうか帰ったら刑部はお仕置きね。あいつ何にも言わないんだから」

「あんさんたち意気込むのはええけど本当にうちらの手伝いする気なんか? やめといた方がええよ、怪我するだけや」

 

  これまで黙っていた伊周だったが、自分が見つめた時とは打って変わって元気になった四人を嗜める。それは足手纏いになるだろうからということと、単純に死に急ごうとしている者を止めようという人なら誰にでもある小さな優しさから出た言葉だ。

 

「大丈夫! もう怪我なんて慣れてますからね!」

「…………分からんなあ」

 

  伊周の頭の中でどうしようなく弱い存在である願子たち。その評価は初めて会った時から多少強くなろうとも変わっていない。なぜなら伊周は天才なのだ。どれだけ願子たちが強くなろうと決して手の届かない領域に自分がいるとこれまでの人生で分かっている。それは副部長も伯奇もそうだ。同じ外の異変解決者でも同じ評価だ。伊周が認めるのは同じ天才だけ、外の異変解決者でそれに該当すると伊周が思っているのは美代だけである。

 

  だが伯奇、刑部のことは凡人なりに使えるやつらだという認識があるからまだ何も言わない。そうでない願子たちがなぜ自分から危険なことに首を突っ込もうとするのか全く理解できなかった。いくら親しい者のためや自分のためでも無理なことは無理であるというのが伊周の考えだ。

 

「副部長先輩、もう一つの方はどういうことなんですか?」

「外の異変解決者が集まってる理由か?」

「そうです」

「まあ橙の言ったように偶然じゃあないな、紫さんが一枚噛んでるのは確かだし、なあ安倍さん」

「んー? そやなあ、まあ言ってしまうと私がここに居る本当の理由は紫さんに行ってこい言われたからやし」

 

  さらっと手の内を明かす伊周に四人と橙は驚くが副部長と伯奇はそうではない。伯奇は紫だからという理由であったが、副部長は別のことでそうだろうなと納得していた。

 

「あらなんで紫さんが?」

「お前たちには言ってなかったが最近諏訪で祟りが減り始めたんだ。おそらくそれの関係だろうな、全く頼んでもいないのに面倒ごとを増やしてくれる。人数だけ集めたってまだ何も始まっていないし何が始まるのかも分からないというのにいったい何がしたいのやら」

「なんやあんた分かっとたの?」

「ここは諏訪だぞ、ここのことなら俺は誰よりも詳しい」

 

  伊周は内心本当に驚いた。自分でも気がつかなかったことにこの弱そうな男は気がついているという事実。それがどうにも面白くない。さえない風貌の一般人と変わらぬ男を伊周はまじまじと見つめるが、全く何も分からなかった、それがより忌々しい。

 

「副部長、祟りが減ると良くないんですか? ひょっとしてまた祟りが流れ込んでくるとか?」

「いやこれはそうじゃないな、減っているとは言ったが落ち着いていると言った方が正しいだろう。『こちやさなえ』を最後に大きな祟りの塊は無くなり、伯奇が来たあたりで急激に残りの祟りが沈静化し始めた。それを紫さんも分かってるのさ、これはきっと嵐の前の静けさだって」

「なんだよおい副部長、お前には何が見える?」

「それがまだなにも、だから不気味なのさ」

 

  副部長の言ったことに嘘はない。おかしいと常々思っていた副部長は勿論複眼で毎夜諏訪の様子を眺めている。しかし、その眼に映るのは静かに佇む諏訪子と代わり映えのしない文明の光の線だけであり、なんの変化も起きていなかった。祟りが勝手に落ち着くことなどあり得ない、だからこそ不気味と言ったのだ。何かが水面下で動いていることは間違いないのに、それが全く感じられない。あらゆる祟りの相手をしてきた副部長でもこれは初めての経験だった。

 

「あたしがお前と闘った時にあたしが退治しちまったってことはねえのか」

「ずっと見てたんだからそうなら分かるさ」

「なんやあんさんら闘っとったんか、で、どっちが勝ったんや?」

「う、うるせえな! お前実は知ってて聞いてんじゃねえのか⁉︎」

 

  もし伯奇の言った通りなら伊周はわざわざ聞いたりせずに皮肉を言う。それを引いても伯奇の態度から伯奇が負けたのだろうという事実に行き着くのは簡単だった。そのため伊周の顔が再び悪いものとなったのは言うまでもなく、広がる霊気が部室の磨りガラスを揺らし始め、また副部長に怒られることとなった。

 

「仲がいいのは結構だが、それはここじゃあなくて外でやってくれ。ただでさえ新しい面倒が増えることが確定したってのにそんなことをしている場合じゃあないだろう」

「仲がいいように見えんのか? だったらお前の眼は節穴だな。だいたいその面倒って奴もいつ来るか分からないんだろう? だったら今はいいじゃねえか」

「馬鹿、言っておくが諏訪の祟りのことじゃないぞ」

 

  ここまで諏訪の話をしていたのだからそう思うだろうと、伯奇は眉を顰めたが、それによって落ち着いたおかげで副部長の言いたいことに伯奇はすぐに辿り着いた。

 

「あたしがいてお前がいて伊周がいて刑部がいる。五人目のことか?」

「そうだ、間違いなく五人目も諏訪に来るぞ。いくらなんでも大袈裟に準備しすぎだな。これまで外の異変解決者の仕事でここまで大掛かりなのはまだ体験していない。安倍さんや伯奇はどうなんだ?」

「なんやむず痒いから安倍さんやなくて伊周でええ。うちも今までこんなに異変解決者が揃ったのはあったことがないな」

「あたしだってそうだぜ、だいたいのやつは今まで一人で十分だったし、ここ最近はお前と橙が居たから楽でしょうがなかった」

 

  二人の答えを聞いて副部長は参ったと頭を押さえて椅子に沈み込む。高い椅子の反発力に身体を揺らしながら思考の海へと潜る副部長だったが、望む答えに行き着くことはない。副部長には珍しく分からないことが多すぎた。

 

  副部長が沈黙したことにより、話題は自然と五人目の異変解決者が気になった願子たちによって美代の方に話が移っていく。

 

「五人目の人ってイタコなんだっけ? どんな子なのか知ってるんだよね橙ちゃん」

「前に言ったけど自分にどんな霊でも降ろせる子。凄いわよ鬱陶しくて、刑部もうるさいけど、刑部よりもずっと頭が回る分隙のないうるささっていうか」

「取り敢えず困った子だっていうのは分かったから、本当に来るわけ? あんた紫の部下なんだから知ってるんじゃないの?」

「……知らない」

 

  悲しいことに橙は本当に知らなかった。紫に信頼されていないのではないかという不安の種が一粒橙の心に落ち、それが芽を出すかに思われたが、そんなことではいけないと自分の手でそれを握り潰す。

 

「でも紫様のことだもの、きっとマリアナ海溝より深いお考えがあるのよ!」

「そうですね、紫さんて何考えてるのか全然分かりませんし」

「意外と何にも考えてないんじゃないかしら?」

「安心していいぜ、それだけはありえねえ」

 

  伯奇の言った通りそれだけはありえない。八雲紫は例え死んだとしても頭を回し続けているんじゃないかというような妖怪だ。それが小さいことであれ大きなことであれ絶対裏がある。橙を除き最も紫と付き合いが長く、また紫のことが嫌いな伯奇にはそれがよく分かる。

 

「なんにせよ近い未来に厄介ごとが起こることが分かったんだ。それもお前たちの故郷でな、修行の質を高める必要があるだろうぜ、これからはあたしも相手してやるよ」

「え? 本気なの伯奇」

「ったりめえだろ、お前らあたしが協力するからには今よりもっと強くなれよな。そこで薄気味悪い顔で笑ってやがる奴をボコれるぐらいにな」

「ひどいなあ、うちがいったいなにしたっていうんや」

「それだよそれ! それが気に入らねえ、周りがなにしても自分は関係ねえ、その気になれば全て自分で終わらせられるって顔がな。今に見とけ、凡人の力って奴をお前に教えてやるよ」

 

  凡人の力、それがいったいなにになるというのか全く伊周は理解できない。だがまるで自分たちはなんだってできるといった顔を見せる願子たちと伯奇の姿からは後光が差しているように眩しく見え、それが伊周にはどうしようもなく羨ましく思える。

 

  努力できるというのは一種の楽しみである。それをすれば新たな自分に近づけると実感できるからだ。無理なものは無理であるが、そうでないものに手を出して、全て上手くいってしまう自分には遠いことだと伊周は一人五人から離れて執務机へと腰掛ける。

 

「なにを怒っているんだお前は」

「なんや諏訪の守護神さん復活したんか? 起き抜けに女の子に言う言葉やあらへんね」

「その呼び方はマジで止めろ伊周。まあなに、紫さんにどんな思惑があれ俺たちは所詮駒だろう。だから与えられた仕事を断ることは出来ない。俺も、お前もそうだろう? 仕事が終わるまではうちでゆっくりしていけばいいさ」

「そやな、うちもこの部屋は気に入った。部屋だけな。あんたみたいなオマケが多いけどそこは我慢やね。なあ副部長さん、うちにはまだ分かんないんやけどあんたはうちを楽しませてくれる?」

「知らね」

 

  短く告げられた副部長の言葉からは勘弁しろと言った苦労の色が滲み出ていた。それを受けた伊周は退屈にはならなそうだとしばらく副部長とのなんでもない会話を楽しんだのだった。




年末の長期休みに今までノリと勢いで書いてきた話を大幅な誤字、脱字の修正、加筆を加えます。多分文体的にはこの話や前回の話みたくなるでしょう。安定した文章力が欲しいものです。


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死の向こう側

  一葉高校の文化祭は大盛況と言って問題なかった。長い歴史はそれだけ多くの一葉高校出身者を排出し、大学生から皺の多い御仁まで多くの者が久々の古巣を訪ねようと足を運んだ。お目当は学生たちの出店や展示であることにはあるだろうが、校外の者も校内の者も誰もが見に行くのは花形である体育館のステージ上での催しだ。そんな中でバンドや演劇に続き幕開けた五光同盟の発表は音楽と喜劇を超えた見世物に違いなく、同じ国にいながら全く異なった伊周の雰囲気に誰もが息を飲む。真っ暗になるように目張りされ、唯一昼間のように明るい体育館のステージの上は今まさに伊周の独壇場と化していた。発表が終わる頃、伊周より前の発表を覚えている者は残念ながら出てこないだろう。

 

  式神という日本人ならば誰もが知っている事柄を非常に簡潔に説明し、専門的な部分は省き誰もが面白いと感じる小噺のような内容は、小さな子でも退屈せずに伊周の話に耳を傾ける。

 

「皆さんご存知の通りや思いますけど、式神というのは陰陽師ーいう者が使役する簡単なものから小難しいものまでいろいろあるまあ術というよりは技でして、今回はそれをお披露目しよう思うとります。皆さん不思議やなーと思ってることがあると思うんですけど、なんで陰陽師も巫女さんもそういった人たちは技を使う時にお札なんか持っとるん? って思ったことあるやろ? あれは要は言葉遊びみたいなもんで、陰陽師の場合式に神様やなくて本当は意識の識にペラペラの紙いう字が合わさって識紙なんよ。識別する紙ってなんや思うかもしれんけど、何か決まった要因を受けた時にそれが反応するってことで、一種のシステムを作るってことなんです。そこのちっちゃな僕も例えば友達の家に行ってインターホンを押すやろ? そうすれば音が鳴る。それと一緒なんや、だから例えば熱に反応するゆう式神作ってやれば……ほら、そこのお嬢ちゃん手出してみ?」

「…………うわぁ」

 

  伊周が手渡した折り鶴が少女の手のひらに乗って少しすると、少女の小さな熱に反応し弱々しい羽を大きく動かして照明の消された体育館の闇の中を飛んでいく。ステージの前に噛り付いている子供一人一人に手渡す分だけ、空を舞う折り鶴の群れは増え、大人たちは口を開けたまま目を丸くし、子供たちは飛び立った折り鶴を追って走り回る。

 

「なんや手品かいな思うとる人もいる思いますけど、そう思う人は手え上げてな、足りなくなってもすぐにそこらに落ちてる紙でも使って折ますから心配せんでくださいね」

 

  その宣言通りに上げられ続ける手の数だけ鶴を折り、発表が終わる頃には空で鶴たちが渋滞を起こし非常に窮屈そうだったという。一葉高校始まって以来の大歓声に包まれた五光同盟の発表を見た者たちが、同じく最優秀賞を取った不見倶楽部に興味を持ち来てくれるのだが、不見倶楽部の部室内は体育館とは正反対で、一目不見倶楽部の展示物を見ると溜め息を吐いて出て行ってしまう。

 

  客が見たいのはパフォーマンスであって、学術的に価値のあるものでは無いらしく、不見倶楽部の展示物を褒めてくれるのは年輩の方たちばかりであり、それも「こんなこともあったなあ」といった懐かしさに浸ることしか言わない始末。おかげで天辺まで登った太陽が傾き始める頃には、客がくる数よりも五人があげる欠伸の数の方が多くなってしまった。

 

「副部長、これでいいんですか?」

「いいよ別に、有名になりたいわけじゃないし」

「でも悔しかったりしないんですか?」

「全く」

 

  不見倶楽部の部員として願子たちは同じオカルト研究部だというのに全く違う扱いの差に一言言いたい気分なのだが、こういう時こそ率先して動いて貰いたい副部長はこういう時こそ動かなかった。

 

「いいじゃないか、楽するために伊周を呼んだんだ。目論見は大成功、ゆっくりコーヒーブレイクと洒落込もう」

「副部長先輩は本当にそれでいいんですか? 折角来てくれたお客さんに舐められていますよ私たち」

「いいさいいさ、俺たちが本気を出すのは幻想を見に行く時だけだよ。やる気が無いんじゃなくてやる気の方向が違うんだ、だいたいパフォーマンスするとして俺はどうしたらいい? 複眼晒して壁に拳でも突き立てろって? 俺の首が飛んじまうよ」

「あら面白そうね」

 

  これ見よがしにコンタクトを取り外し塔子を睨む副部長の精一杯の皮肉に願子たちは困ったように笑顔を返すことしか出来ない。沈黙に耐えかねた四人は示し合わせたかのようにコーヒーに逃げ込む。

 

「全くお前たちそこまで言うなら文化祭らしく宣伝でもしてきてくれよ、それと文化祭を大いに楽しんでるだろう伯奇と橙の様子を見てきてくれ」

「……分かりましたよ副部長」

「頼むぞ願子、ああ後友里さっき複眼を出したおかげで気が付いたんだが刑部が来てるぞ、二年のお化け屋敷で暴れてるから先に回収した方がいいだろうな」

「ちょっと嘘でしょ家で大人しく待っててって言ったのに、もうしょうがないんだから願子たちは先行ってて私そっち行ってから合流するから」

 

  金色の髪を鬱陶しそうに搔き上げて部室を出て行く友里の後ろ姿は、男の元に向かうというのになんの色気も感じない。すっかり友里と刑部の立場はどちらが上か誰が見ても分かるほどはっきりしていた。色恋沙汰は残された三人も嫌いでは無いが、ピンク色の色が欠片も見えない二人には呆れて乾いた笑いしか出てこない。友里を追って三人もまた部室から出て行き、ようやく静かになったと副部長は一人深く椅子に身体を預けた。

 

  一葉高校の文化祭は在校生徒数が多いなだけに大学の文化祭と比べても十分遜色が無い。一年生も二年生も三年生もこの日ばかりは学年の垣根を越えて学校中に学年を表す色違いのスカーフが溢れている。

 

  一年生の出し物は初めての文化祭ということで気合が入っているものが多く、また三年生も最後の文化祭ということで同じく気合いが入っている。二年生もそれらに負けじと気合いを入れているものだから、行事としてはこの時点で成功していた。

 

  これも生徒会の仕事の合間に率先して陣頭指揮した生徒会長のおかげなのだが、それにしてもここまで頑張れるのに部活動などになるとどうして結果を出せないのかと三人は疑問に思う。

 

  それは生徒会長が動いているからに他ならない。どんな生徒も彼女の言葉に背中を押され、普段ならば手を出さないようなことでも手を出してしまう。そのおかげで一葉高校の学生はどんな子でも学校行事には真面目という比較的いい印象を学校外の者たちに与えていた。

 

  だがそれも一年生の願子たちのとなりのクラスがやっているコスプレ喫茶の盛況ぶりを見ればどうでもいいことだと見切りをつけて三人は煌びやかに彩られた学校の廊下を生徒たちの邪魔にならないように端を歩いて行く。

 

「凄いね、なんていうか修行ばっかでクラスの行事さえ部活を理由に出てなかったから別世界に来たみたい」

「そう考えますと私たちって随分遠くに来ちゃいましたね、もし副部長と会ってなかったら私たちもああして騒いでたんでしょうか?」

「あらあら珍しいわね杏さんがそんなこと言うなんて、私から言わせれば人生にたらればはないのよ占いにもね」

「よくズルするのに?」

「あらあらあらあら」

 

  輝かしい学生生活を願子たちが送れる日はもう来ない、それは願子たちが誰よりも分かっていた。普通という一般常識の領域に戻るにはもう随分と道を違えてしまった。だがその道は何より明るく色々な色に溢れているものだ。副部長の信濃物語を見て昔を懐かしむ先人たちと同じ、懐かしみこそすれ戻ろうとは思わない。

 

「うお、 なんじゃありゃ! みろよ友里魔法使いだ、魔法使いがいるぞ! 魔法を見せて貰おう! おいお前なんか面白いことやれ!」

「え? ぇえ⁉︎」

「ちょっと刑部その人困ってるでしょうが! やめなさいマミゾウさんに言いつけるよ!」

「茶釜は……まずい」

 

  人でごった返していても質の違うものというのは嫌でも目に付くものである。とんがり帽子にマントという魔法使いのコスプレをした少女に飛び付く半裸の刑部の姿はどことなく犯罪的で遠くにいようと目に入ってしまう。三人は一度顔を見合わせると笑顔になって友里と刑部の元へと歩いて行った。こういう方が願子たちには似合っている。

 

「友里! 友里は友里で楽しんでるみたいだね」

「願子! はぁ、ようやく合流できたわ。もう刑部があっちこっち勝手に行っちゃってどうしようも」

「おい友里見ろよ、悪魔だ! 悪魔がいるぞ!」

「なんですか貴方、 ってなんで上裸‼︎」

 

  そう言っている間にも好き勝手に動く刑部に友里は頭痛を覚えて目頭を抑える。悪魔のコスプレをした生徒の叫びによって生徒たちの目が集中したが、すぐに目を逸らした。それは上裸の偉丈夫を恐れたからでは無い。薄く光る塔子の身体に巻きつくように存在する装飾の数々がその正体だ。人払いという技はこういう時本当に役に立つが、それに気分を良くして顔を綻ばせる塔子の顔は腹が立つほど清々しい。

 

「ほら行くよ刑部! 塔子にお礼言って!」

「おおよく分からんがありがとなこう子」

「刑部さんは相変わらず副部長先輩と友里さんのことしかちゃんと覚えてないんですね」

「そんなことねえぞアイス!」

「……覚えてないじゃん」

 

  刑部を回収することには成功したが、これにより不見倶楽部の宣伝という目的は不可能へと変わる。制御不能の珍獣をそばに置いての宣伝など目を引くだけで話を聞いては貰えないだろう。そもそも副部長の言う宣伝自体が無茶なものであった。不見倶楽部はその名前からオカルト研究部であるだろうと分かりずらく、オカルト研究部と宣伝しようものなら誰もが今来ている五光同盟のことだと勘違いする。しかし、この事態は副部長の思惑通りだったと言っておこう。副部長が願子たちを追い出したのは真面目に宣伝させるためではなく、遠回しに文化祭を楽しんで来いという想いがあってのものだ。あまりの回りくどさに願子たちは気が付かない。

 

「どうしよう、刑部がいるんじゃ宣伝出来ないし、適用に回って副部長にお土産でも買ってく?」

「いいと思いますよ、そうでもしないと副部長先輩部室でコーヒーしか飲みませんし」

「こんな時でさえ部室に引きこもるなんて困った副部長なんだから」

 

  そうして多くので店を回る五人だが、これがなかなかいいものが見つからない。並ぶ出店のところへ行っても不見倶楽部に入ってから副部長に連れられて各地を回り美味なものばかり食べていた願子たちにはどれも少しばかり物足りなく写ってしまう。非常に贅沢な話ではあるが、肥えた舌といものの我儘さには人は抗えない。四人の代わりに刑部が騒ぎ食い散らかしたため冷やかしにはならなかったがいい迷惑だろう。

 

「楽しむのは結構ですがあまり騒ぎすぐて問題を起こさないでくださいよ」

 

  刑部たった一人ではあるが目立つ格好に目立つ行動をしていて騒ぎを聞きつけた生徒会が動かないわけがなく、六つ目の教室を出たあたりで廊下で待っていた副会長と生徒会長が注意を促しにやって来た。副会長はいつもと変わり無いが、夏祭りを楽しむ子どものように両手いっぱいに生徒たちの出店の品をぶら下げている生徒会長には威厳は無い。

 

「流石に大丈夫だとは思うがな、その男刑部だったか副部長の知り合いだと聞いている。まあ楽しんでくれ」

「おうよ! お前いい奴だな!」

 

  副部長といい生徒会長といいなぜか癖の強い者ほど仲良くなるのが早いらしい。いい笑顔で握手をする二人は十年来の友人のようだ。

 

「いやあしかし良かった。文化祭は大成功、私も口を出した甲斐があったな。最後の文化祭がこれだけ賑わえば憂いもない」

「そっか、会長も副会長も副部長も今年で最後ですもんね」

「不思議ね、副部長さんたちが居なくなるなんて思えないわ」

「でも半年もしたらいなくなったっちゃうんですよね。副部長先輩も会長先輩も副会長先輩も……」

 

  失言というわけでもないが、自分の言葉のせいで少し暗い雰囲気になってしまった空気に生徒会長は内心で舌を打つ。彼女にとって一番いいことは生徒が楽しそうに騒いでいる姿であって暗く沈んでいる姿を見ることではない。少し不味ったなと会長は頭を掻いてすぐに話を逸らした。

 

「まあそれは置いておいて‼︎ お前たちが連れてきた五光同盟は凄いな! あれだけ体育館が賑わったのは初めてだ。幻想かそうじゃないかを感じるギリギリのラインを攻めることができているあたり彼女もさなちゃん同様そっちの天才という奴だな」

「会長までそう言うってことはやっぱり伊周って凄いんだね」

「凄いのは認めますが、少々恐ろしくもありますがね。副部長が呼ぶということは普通ではないと思ってはいましたがもし暴れられでもしたら春の二の舞です」

 

  副会長の懸念はそれであった。最後まで五光同盟が来ることに反対していた理由は、文化祭で集まった異端たちが学校ごとここを破壊するかもしれないということにある。副会長も副部長は信頼しているが、副部長が連れてきたものはそうではない。実際伊周は好戦的な性格であり、いつ手が滑って教室が吹き飛んでもおかしくはない。しかし、それはより大きな問題が先に控えていることによって無視できる問題でもあった。諏訪の祟りの問題、それは当然副部長から生徒会長と副会長に話がいっているため二人は知っている。それを加味した場合、伊周が動くことは無いのだが、それを理解できるほど二人はまだ伊周のことを知らない。

 

「副会長の疑問も分かるがな、そう問題ばかり見ていたら疲れてしまうぞ、ほらもう一つの爆弾も歩いてきたしな」

「あ? なんだよあたしに言ってんのか? ったく副部長といいお前といい口が達者なことで」

「お前はもっと自分が問題児だということを理解しろ‼︎ うちの在学生でもないお前が毎日学校に来ているせいでそれをもみ消し続けている私の身になってみろ、副部長との約束がなければ今すぐにでも私が叩き出してるところだぞ!」

 

  いつの間にかふらりと願子たちのところに来ていた伯奇と橙を見て、生徒会長は苦言を言う。副部長との約束というのは、修行のことではなく、有事の際に一葉高校を守るというものである。この約束を簡単に生徒会長は漕ぎ着けてしまった。副部長を介して伯奇を縛るこの約束は非常に一葉高校にとって有益であり、生徒会長も口では厳しいことを言っているが叩き出す気など毛頭ない。伯奇程のボディーガードを雇うとなれば本来ならいくら金を積んでも足りない。

 

「分かってるさ、あたしだってここは気に入ってるし大人しいもんだぜなあ杏?」

「そうですかね?」

「全然駄目じゃん伯奇」

「ったくなんだよ、杏も願子も酷えよなあ」

 

  そう言いながらも楽しそうにしている伯奇にもう小言は言わないようで、生徒会長も副会長も小さく笑って頷いている。祭りの賑やかさも加わり心地いい空気にその場に誰もが笑顔を見せていたが、橙だけはそうでは無かった。それは動物の勘か妖怪の勘か、猫の髭を刺激するような光の中に隠れたピリピリとした空気を橙は感じていた。そしてそれが形になるように小さな悲鳴が一つの教室から聞こえてくる。

 

「? 橙ちゃんどうしたの?」

 

  裾を力強く握ってくる橙の視線に気付いた願子がそれを追えば、お化け屋敷をやっている教室を見ていた。そこからは断続的な悲鳴が上がっているが、お化け屋敷だということを考えれば別段おかしなことではない。だがよく耳を澄ませば、聞こえてくる悲鳴にはふざけた要素が無く、演技ではない本気の悲鳴だということに気づく。

 

「ちょっと刑部?」

「下がってろ友里、死だ。山でよく嗅ぐ死の匂いがする」

 

  橙に続いて刑部が友里を手で押し下げ前に出る。肉眼でも分かるほど薄っすらと黄色いオーラを纏う刑部の姿が、その場の全員の意識を変えた。全員の視線がお化け屋敷へと集まり、悲鳴を上げて飛び出してきた生徒に続いて姿を現したのは人だった。だらりと垂れ下がった手の指先から血が滴り、死んだような目をしているが確かに人だ。

 

「あらすごいリアルね、スーツもヨレヨレで自殺したサラリーマンって感じだわ」

「全く急に態度変えないでくれる刑部、びっくりしたでしょうが」

 

  友里はそう言って刑部の肩に手を置くが、戦闘態勢を全く崩す気は無いらしい。それは伯奇も橙も生徒会長たちも同様であるようで、願子が徐ろに色眼鏡をかけたのは、知り合いの手練れが気を抜いていないということが多分に含まれていた。

 

  そして願子が色眼鏡をかけたのは正解といえば正解であるのだが、やめた方がよかっただろう。願子の目に映るのは人の形をした何かであった。色眼鏡を通して見えるものは基本流動的である。副部長の見る光と波の世界もそれは同様であり、願子が見る感情と好奇心の世界だってそうだ。心も力もエネルギーも全てが止まってしまっているように動かない。刑部の言った死の匂いという言葉に引っ張られ、それの答えを願子の脳は即座に弾き出す。

 

「……ゾンビ?」

「違うよヘンテコ眼鏡、そうじゃない。質量が濃すぎてそう見えるだけかもしれないけどあれは幽霊だよ。それも無理やり実体化、降ろされたね」

 

  橙の言葉を合図にしたようにスーツの男に続いて続々と同じようなものが廊下に溢れ出した。一人では薄かった死の匂いが、急激に増されていく。本当にそこに存在しているように見えるのだが、生徒の一人に近づいたそれは触れることも無くすり抜けていく。橙の言う通り実体の無い幽霊で間違いなかった。

 

「どうしましょう伯奇さん、副部長を呼びましょうか?」

「それでもいいがよお、こいつら別に誰かに危害を加える気は無いみてえだな。死の匂いは強いがそれを振りまいてるわけじゃねえ、それより問題はこれを起こしたやつだろううさ」

 

  迸る霊力はそのままに形だけは闘いの格好を解いた伯奇はそう言ってあたりへと視線を泳がせる。誰も口には出さないが、これを起こしたであろう犯人はもう分かっている。

 

「五人目が来たの伯奇?」

「だろうよ、なあ橙」

「うんそうだね、ほら来るよ」

 

  指を指した橙の先から、まだ教室を出ていないにも関わらず明らかに雰囲気の違う空気が漏れ出している。それを肌で感じた願子たち不見倶楽部の四人は不思議な気分に身を包まれていた。複眼を晒した副部長からは神秘的な空気が、伯奇の場合は肌を刺すような痛々しい空気、伊周は甘い花のような空気、刑部からは山の広大な空気をそれぞれ感じるが、それはそのどれとも異なる。

 

  肌を撫でるひやりと冷たい空気は川辺の空気に近い。それも心の芯まで掴まれるような冷ややかなものだ。だというのに不気味な程拒絶感を覚えない、いずれ生きる者誰もが足を踏み入れる三途の川に降り立ってしまったとでもいうようだった。

 

  その冷たさが一段と強くなりそれは姿を見せる。

 

  風に揺れる草原を思い起こされる長く癖のない透き通った緑色の髪、白い陶器にようなシミひとつ無いきめ細やかな肌。優れた絵画や彫刻のように異常に整った顔立ちとそうであるべきというような作られたようにメリハリのあるプロポーションは性別関係無く生唾を飲み込むだろう。その人物を願子たちはいつも部室で見ている。副部長の執務机に乗った写真立ての中でである。

 

「……さなちゃん?」

 

  誰より早く口を開いたのは生徒会長だった。何も言わないが副会長も驚愕に目を見開き、生徒会長と共に溢れている亡者には目もくれず、その後ろに一人控える部長の方だけを見る。

 

「さなちゃん‼︎」

 

  次の瞬間には生徒会長は駆け出していた。願子たちが止めることも叶わず亡者の壁も気に留めず一直線に早苗の元へと駆けていこうとしたが、今まですり抜けていたはずの亡者にぶち当りそれも叶わない。それをにっこりとした顔で早苗は見ると、すぐに振り返り廊下の奥へと消えていく。生徒会長は叫び、副会長は動けない。

 

「さなちゃぁぁぁぁん!」

「……嘘、本当に部長?」

「やべえな、いったい何がなんだか分からねえが……取り敢えず流石あの男が惚れ込んだ女と言っとこうか、ありゃ人間だって言われても信じられねえな」

 

  伯奇の感想こそ、生徒会長たちを除いた全員が思っていたことだ。蛇の卵から出てきた時とは違う生気を感じる早苗は綺麗すぎた。それこそ神力という神の力の一端なのかは願子たちの知った事ではないが、何も言わず、何もせずともただ視界に入っているだけで超常の空気をあたりに振り撒く。それも決して恐怖感を覚えない優しいものでだ。冷たい黄泉の空気に包まれていたような空間が、早苗が出ただけで太陽を目一杯受けて大空の下でそよぐ地平線まで続く大草原のような空間に変わった。

 

「でも部長さんって幻想郷にいるんじゃないんだったかしら? なんでここにいるの?」

「分からないけど部長が来たんでしょ? だったら一つしか行く場所ないんじゃないの?」

「副部長‼︎」

 

  願子の予想は当然といえば当然であり、そしてそれは当たっていた。この時副部長はまだ部室で一人コーヒーを飲んでいた。久しぶりに昼間に一人きりになった静かな時間を楽しんでいたのだが、それも遠くから聞こえる本気の悲鳴にそうもいかなくなってしまった。だが強くなった願子たちと、その近くに刑部がいることは分かっている副部長はそこまで焦らずコーヒーをちびちびと飲んでいたのだが、遠かった悲鳴が近くでも上がりだしたことによって本当にそうもいかなくなっていた。

 

  副部長は仕方がないと複眼を出し、そして愕然とする。それは今まで見たこともない光景が目に入って来たからだ。学校中に薄暗い影が無数に動いている。星々の合間で見えないが存在しているブラックホールのようであるが、それとは異なり破壊的な空気はない。その強烈だが確かな静かさは死の体現である。

 

  そうしてそれに目を奪われている間に、その内の一つが不見倶楽部の扉を開けた。あたりに散らした視線を集めてそちらへ集中すると、入ってきた影を見て副部長は眉を顰める。

 

  他のものと違い中心部にはいつも見る人の輝き、流れる電流と熱のエネルギーを循環させる者がおり、その周りを白っぽい影が覆っていた。他の影とは明らかに違う呼んでいない客人を暫く眺めていたが、それからかけられた声に副部長は目を見開く。

 

「副部長……」

 

  忘れるはずのない声。かつて共に短くも濃厚な三年間を過ごした親友の声だ。それを受けて副部長の内に巡ったのは、怒りでも喜びでもないなんとも言えない想いだった。だがそれは攻撃的な色を確かに内包し、踏みしめた床が畝り早苗の影に触れると幻のように消えてしまう。

 

「ありゃりゃりゃ、やっぱり生き霊を降ろすのは厳しいねえすぐに崩れちゃったよ。それにしても酷いんじゃないの? 影とはいってもあれは東風谷早苗なのにさあ」

 

  消えた影のその奥から剥き出しになった人の光がより強くなり、その本性を隠すこともなく曝け出す。明るい声とは対照的に、副部長の目にはゆっくりと冷たく冷静な流れが映る。以前橙が言った隙のないうるささというのは的を得ていたと言える。副部長よりも頭二つ分小さな小ちゃな体躯に明るい亜麻色の癖の入った髪が元気よく跳ねる。

 

「お前が「美代でいいよ」…………五人目だな。派手な登場じゃないか、事後処理の大変さが分からないわけじゃないと思うが」

「分かってるよー、大丈夫〜だってふっくんがどうにかするでしょ? 最悪ゆかりんに頼むしー」

 

  ふっくんという急な渾名に副部長は微妙な表情を返すが美代に気にした様子はない。

 

「いったい何しに来たんだ?」

「あーそれ聞いちゃうの? 分かってる癖に〜、ただ私が来たってことはさ、もうすぐ始まるよー」

「なぜ分かる? 俺にだって時期は分からないのに」

「それはまあ私は死の専門家だからさー、今のこの土地ははっきり言って相当やばいよ。私だったらさっさと引っ越すレベルだねー、だってさ、ここには私にも降ろせない霊がいるんだもん。それも百人以上ね」

 

  副部長にしか見えない世界があるように、美代にしか見えない世界がある。この時複眼の副部長には見えなかったが、真っ黒い瞳まで黒い美代の瞳は諏訪湖の奥に潜む何かを確かに見ていた。

 

「多分だけどさ〜、これ勝てないんじゃないかなって思うんだよね私〜、これまで集まったこともない異変解決者が全員集めらされてさ、それでどうにかなる問題じゃないっていうか、慣れないことはやるもんじゃないっていうか」

「なんだ忠告しに来たのか? 悪いがやばいのは元から分かってるよ、だがどれだけやばくても」

「出て行ったりしないんでしょ〜? 知ってる。ふふんいいねー、私結構気に入ってるよふっくんのこと、いい友達になれそーだねー」

「そりゃどうも」

 

  部室内を跳びはねてソファーの上でトランポリンの真似を始める五人目を怠そうに眺めると副部長はいつも通りコーヒーを差し出す。美代は珍しく怪訝な表情すら見せずに喜んでそれに飛び付いた。

 

「わーい、聞いてた通り美味しいね、将来は喫茶店でも開くの?」

「それもいいかもしれないが、俺に喫茶店のマスターは合わんだろうさ」

「そんなことないと思うけどねー、それで? どうするの? 私が来て五人が集まったし、それ以外にも戦えそうな子が何人かいるよ。でも厳しい」

「だがそれでもやるんだったらやるしかないさ。おそらくこの状況、諏訪ではなく例えばお前のいる恐山が同じ状況ならそこに五人が集められただろう。つまり紫さん的には是非ともこの問題は片付けたいんだろうよ」

「ゆかりんああ見えてお腹真っ黒だからねー、どうこの先は、ふっくんに見える? 死の向こう側が」

「死の向こう側とは勘弁だな。俺に死相でも出ているか?」

「さーてね、ただ言えるのは私にはいつでも見えてるよ。ふっくんよりもそれだけはね」

 

  その美代の言葉を最後に部室に飛び込んできた願子たちによって諏訪の守護神と死の巫女の会話は終わりを見る。いつの間にか部室に現れた五人目に誰もが驚き、口を噤んだ副部長と空気を読んだ美代によって部長の事は隙間送りとなり、この文化祭の幽霊騒ぎは、結局美代の言った通り副部長と生徒会長の尽力によって学校の七不思議の一つとして落ち着いた。

 

  そしてこれによって遂に異変解決者である五人が揃ったことになる。それを諏訪が待っていたのか、それとも紫の天才的な知略の結果なのかは誰にも分からないが、遂に事態は動き始める。



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第三章 『土着神』
始まりの日


第三章 始まります。


  十二月某日、その日は天気予報で夜から雪と報じていた通り細かな白い結晶が宙を舞っていた。穏やかな夜の霧ヶ峰の森の中を一匹の猫が寒さに息を白く吐きながら空を飛ぶ鳥よりも早く木々の上を駆けていく。

 

  橙が走っているのは(かね)てより懸念(けねん)されていた事態が動き始めたからだ。その証拠に橙が後ろを見れば、木々の間の影を這うように黒々とした泥が橙を追って走っている。目の前の障害物を溶かしながら突き進む泥は、また一本木を溶かし倒し、鈍い音が森に響く。その衝撃にゆらりと舞う雪が跳ねた。

 

  早く、より早く橙はそれに捕まらないように全速力で木々を蹴る。単純に空を飛ぶより早いからこそ選んだ手段であったが、それは正解であり間違いでもあった。矢のように飛ぶ橙にぴったりと付いてくる泥に空を飛ぶだけなら簡単に追いつかれてしまい、だが木々の間を跳ぶのでは相手の視界から逃れることはできない。それに合わせていくら橙が妖怪とは言え体力には限界というものがある。

 

  橙に置き去りにされる白い吐息の大きさが徐々に増え、泥との距離が徐々に近づいていく。祟りを押し固めた泥に包まれれば、いくら妖怪とはいえ無事には済まず、憎悪と怒りの熱に身体の芯を焼き尽くされてしまう。

 

  捉えられる距離だと泥は木々を掴み橙の元へと飛び出した。無数に枝分かれした手が橙へと伸ばされるが、橙はすでに泥など眼中にない。目に映るのは独特な木造の楕円の屋根。

 

「副部長‼︎」

 

  橙の声と呼応して、橙の横を深緑の二つの輝きが通り過ぎた。次の瞬間に轟音が響き、振り返った橙の瞳には、叩きつけられ凹んだ大地とそこで泥溜まりが痛々しげに手足を動かしている。

 

「流石だ橙、時間ぴったし。よくアレを引きつけてくれた」

「死ぬかと思ったわよ! アレって例の『こちやさなえ』って奴なの? 気持ち悪いわ、妖怪じゃなければ幽霊でもない」

「いや『こちやさなえ』とは元が異なるただの泥だ。アレは『こちやさなえ』の百分の一程の祟りだが、性質は神に近い、あの時は決着を着けるに足る要素が手元にあったが今はない。さて困ったな」

 

  隣に降り立った橙の横で副部長は顳顬を指で掻いた。神を殺すとなると容易ではない。どれだけ小さかろうと神を消すというのは膨大な労力を必要とする。

 

「ならどうするの? アレを放っておけるわけないでしょ。副部長でダメなら私でもダメ。だいたいなんで急にあんなのが」

 

  いつ飛び掛かってくるか分からない泥を睨みながら橙は愚痴を吐き捨てる。今まで静かだった諏訪に湧き出た泥を見つけた美代から連絡を受けたために急遽橙が囮となって副部長の家まで連れてきたのはいいのだが、急だった所為で闘い方が纏まらない。だがそれを見越していたように忌々しい顔をした橙の頭に優しく副部長の手のひらが乗せられる。気温の低い夜の中でその熱は嫌に熱く橙には感じられた。

 

「俺もお前でもダメでも手はあるさ」

 

  なんの心配もしていないという副部長の顔の目の前で、泥が手を出されるのを待ち切れずに弾ける。副部長と橙の目前まで一気に迫る泥に思わず橙は目を瞑ってしまったが、いつまで経っても身体に何かが触れる感触は無く、冷たい雪が身体に触れて溶ける感触しかしてこない。薄っすら目を開けた先には刃の壁が泥を滅多斬りにし、その量を捌ききれず、かつ反撃も出来ずに身に降り注ぐ力に負けて空中に泥が止まっていた。

 

「ハッハー! おい副部長、約束だぞ約束だ。これが終わったら山に返してくれるんだろうなあ!」

「ああちゃんと電車で四国まで送ってやるよ、終わったらだけどな」

 

  振るわれる鉈の音は鈍いものでは無く、鋭すぎて戦闘機のエンジン音のようであった。異常に練り込まれた気の色の所為で黄色い閃光が空を彩る。細かな粉雪さえ更に細かく切り裂かれ、目の前で繰り広げられる斬撃のサーカスに橙は目を奪われてしまい、副部長の服の裾を弱々しく掴んだ。

 

「ん、終わったな」

 

  副部長が小さく零した言葉に橙は副部長の顔を見上げるが、その橙の顔は副部長を通り過ぎて夜空に浮かぶ海の月に奪われた。ゆっくり、ゆっくりと大地へ沈みこむ塊は、泥を飲み込むとそのまま大地の奥へと姿を消す。伯奇の技の後には幻想すら一つの泡も残されない。その通り泥はその姿をもう見せることはなかった。

 

「よお副部長、終わったろ?」

「見事なもんだ。今思えばなんでお前に勝てたのか不思議でならないよ本当に」

「へいへいあたしが未熟でしたよ」

 

  軽口を叩きながら降りてくる伯奇には疲れた様子は見られず、余裕だったようでありその顔には明るい笑顔が描かれていた。だが、副部長の顔は優れず、木の上で高笑いしている刑部とは対照的であった。

 

「副部長、これっていったいどういうことなの? 急に泥が湧き出すなんておかしいよね」

「…………そうだな、ちょっと調べる必要があるらしい」

「遂に始まったってことじゃねえのか?」

「だといいんだがな、なあ橙、紫さんに連絡取れるか?」

「やってはみるけど……」

「頼むよ」

 

  なんとなく橙は嫌な予感がした。それは副部長が紫を頼ったこともそうだが、冷たさを増す空気の所為でもあった。視界を過ぎ去る雪を眺めながら、小さく白い吐息を吐き出し副部長の家へと帰って行った。

 

 

 

  そんなことが幾日か前にあったのだが、諏訪は表向きはいつもの日常だった。朝になれば人々は起き学校や会社へと向かう。車も事故を起こすことなく走り、大きな事件もない。十二月に入って寒さは厳しく、この日も天気予報では雪であると報じていた通り、空からは細かな白い粒が風に揺られて細々ではあるが舞っていた。

 

  学校も通常通りに授業をやって、願子たちもいつもと変わらず幻想に思いを馳せながら授業を聞き流していた。なんでもない一日。冬休み前の期末試験に向けて部活も無いのだが、その点で言えば今日は変わっていた。

 

「もうダメ……終わったわ。修行しながらテストの勉強なんてできるわけないって」

「あのねえ願子、そんなこと言ってられないでしょ」

「そうですねー、私たちは学生ですし」

 

  困ったことに一葉高校の偏差値は低くはなく、そのレベルは高い。生徒会長や副会長は全国模試で一桁が取れるほど頭がよく、それに連なる学生もそこそこの数が在籍している。そのため平均点は高くなり、赤点の危機がすぐそこまで迫っていた。

 

「あらあら願子さんたら、普通に授業を聞いてれば勉強なんてしなくてもなんとかなるわ」

「塔子が勉強できるってことだけが私には未だに信じられないよ、友里! 助けて〜」

 

  四人の中で意外にも一番勉強が出来るのは塔子であり、続いて友里。願子と杏は二人と比べるとスズメの涙がいいところだった。泣き付く願子を鬱陶しそうに相手をする友里に絶望の目を願子は向けるが、何も変わらぬ昼休みが、話したことも少ない同級生に願子が呼ばれたことによって変わっていく。

 

「えーと、瀬戸際さん?」

「え? あ、何?」

 

  名前はなんだったかと声を掛けてきた男子生徒を見ながら頭を捻る願子だが、それは相手も同じようで困った表情を浮かべている。男子生徒は何も言わずに教室の入り口を指で差し、そちらへと目を向けるといつも部室でしか見ない副部長が立っていた。

 

「副部長! ……どうしたんですかいったい」

 

  初めて願子たちのクラスに顔を見せた副部長に驚きつい声を張ってしまい周りの注目を集めてしまったために気まずく語尾が小さくなる。副部長は気がついた願子たちに向かって周りには目もくれずに近づくと、今日は部室に来るように言ってさっさと去ってしまう。急な上級生の登場に教室は少し騒めくが、それよりも驚いたのは願子たちだ。

 

「なんだろうねいったい」

「あらまた何処か久しぶりに連れて行ってくれるんじゃないかしら」

 

  そんな風に考えていた四人だが、そうでは無かった。陽気に放課後に部室に入った四人は、場の重い空気に喉を鳴らす。副部長、伯奇、刑部、伊周、美代、生徒会長、副会長、橙の八人が真面目な顔で向かい合っていたからだ。

 

  誰も何も言わずコーヒーのカップが受け皿に置かれる高い音だけがたまに聞こえる空間は異様と言えた。だが願子たちが入って来たのを確認した副部長は微笑を見せて四人をソファーに座るように言う。

 

「副部長? いったいどうしたんですか、全員部室にいるなんて」

「悪いな願子こんな時期に、だが集まらないわけにはいかないんだ。これを見れくれ」

 

  そう言って願子たちの目の前に置かれたのは朝刊の新聞だ。大きくUFO発見かといった見出しが書かれており、それが長々と二ページに渡って写真付きで乗っていた。

 

「なにこれ、これであたしたちまで呼んでみんな集まってるの?」

「UFOなんて凄いですね! やっぱり早いんでしょうか?」

「おいざけんなそっちじゃねえ」

 

  願子たちの見当違いの感想に伯奇を筆頭に伊周と橙は呆れたように視線を明後日の方へ投げる。勢いよく何枚かページを捲った美代に続いて、橙がペシっといい音を響かせて小さな記事を指差した。

 

『諏訪大社の下社で女性が死亡、殺人事件の可能性』

 

  その内容は記事を書いている本人もどうも疑わしいと思っているというのが文章を読んだだけで伝わってきた。時間にして昨日の朝、散歩をしていた老夫婦が立ち寄った下社で女性の遺体を発見したという。死亡推定時刻はその日の深夜二時頃であり、女性に外傷は見られなかった。死因は窒息死で、肺が水で満たされていたという。だがこれの不可解な点は、女性の身体が全く濡れていなかったことと、その肺を満たしていたのが真っ黒い水だったことだ。さらにおかしな点として、女性の身体からは心臓が無くなっていたとされる。だが先述した通り外傷は無く、この死体解剖をした医師は気味悪がってそれ以上取材を拒否。いったいどういうことなのか全く分かっていることはないのだが、身体が欠損していることから殺人事件の可能性があるとして警察は追っているらしい。

 

「これっていったい……副部長たちが全員いるってことは普通じゃないんですよね、それは記事からも分かるけど、ひょっとしてこれが?」

「ああ、遂に始まったみたいだぜなあ副部長」

 

  八雲紫すら懸念している諏訪に隠れた問題。それが急浮上してきたに違いない。記事だけでも分かる明らかな異常事態、だがそれは正しくはあったが間違ってもいた。その証拠に伯奇に名指しで呼ばれた副部長は小さく首を横に振るう。

 

「いや、違うんだ。気付くのが遅すぎた、遂に始まったんじゃあなくもう始まっていた。その証拠は……美代」

「あいあいさー、うんとねー、諏訪でこういう死に方したのは一人じゃないみたいなんだよね。普通に死んじゃったなら私は簡単に降ろせるしよく見えるんだけど、今この諏訪にはそうじゃないのがいっぱいいるみたいなの、それも近い時期のものならその記事のを抜いて二週間前と一ヶ月前、それもそれらは私が降ろせない霊ともちょっと違う。その霊と同じものなら一番古くて四ヶ月前かなー」

「つまり俺たちと伯奇が闘ったすぐ後だ」

 

  諏訪に不可解な遺体が出始めたのは四ヶ月前、それから美代が言うに同じような遺体が今までに五体は出ているらしい。

 

「あーと、副部長? 四ヶ月前からそのよく分かんない遺体が出始めて、それとは別に美代ちゃんに降ろせない霊がいて、それとは別にまた降ろせない霊がいて?」

「難しく考えすぎや、もっと頭を柔らかくせんと、美代さんの言うことをただ纏めると、普通に降ろせる霊これをAとしよか、そして諏訪にいる降ろせん霊これをBとしよ。後は四ヶ月前から出始めたおかしな遺体の霊、これをCとして三種類の霊がいることが分かればまあいいやろ。そやないと話が進まんしな」

 

  伊周が分かりやすく纒めたおかげで、ようやく願子たちにも話を聞く冷静さが帰ってきた。

 

「それで今回問題になってるのはそのCのやつってわけでいいの副部長」

「そうだ」

 

  そう言いながら副部長はまた一枚のA4の用紙をテーブルへと放る。新聞に書かれている内容と合わせて他の五つの遺体の情報が事細かく書かれていた。

 

  上から一人目は市内の女医、時期は四ヶ月前、諏訪湖に水死体となっているところを発見される。両足が綺麗に切り取られたように亡くなっており、警察の見解では船のスクリューに巻き込まれたとされた。それ以外の外傷は特に無く、恨みも買っていなかったために事故死とされた。

 

  二人目は市内の中学生、霧ヶ峰近くの森の中で遺体が発見される。発見された当初野生動物に食い荒らされたためにボロボロであった。それでもなんとか遺体は回収されたが、両手足、頭部を除き身体が無かった。野生動物に持っていかれたとされ、森に居たところを動物に襲われたと見られる。ただ遺体の周りが異常に湿っており、この日と前日、前々日に雨が降った記録はない。

 

  三人目は市内の老婆、仕事も随分前に辞め静かに余生を過ごしていたのだが、最近姿を見ないということで様子を見に来た近所の住民に死亡しているところを発見された。その住民はえらく取り乱し、現在は市内の病院の精神科に入院している。発見された老婆の遺体には頭部が無かった。殺人事件として捜査班が組まれたが、すぐになんの証拠も出ずに迷宮入となった。

 

  四人目は市内の病院で生まれたばかりの赤ん坊である。分娩室に置かれた赤ん坊を助産師が少し目を離していた間に死亡した。赤ん坊には何ら不自由な部分は見られずいたって健康であったとされる。だが死亡した際に両腕が綺麗になくなっており、その場で助産師は気絶。後日赤ん坊の母親は気が狂い自殺した。

 

  五人目は市内の高校生、市内の公園で死亡していた。その光景は異様の一言に尽き、発見された当初は風船が引っかかっているように見えたと言う。死亡した高校生には身体から一つ残らず骨が無くなっていた。あまりの意味不明さに警察や医者もお手上げであり、あえなく迷宮入となる。

 

  この四人の全ての遺体の肺は黒い水で満たされており、外傷が目立ったものは二人目を除いて無かった。

 

  そう書かれた紙を眺めながら願子たち四人の肌に薄っすらと冷たい雫が覆う。淡々と記された死亡者の記録は現実離れしているが、だからこそ春の異変のことを四人は思い出す。

 

「生徒会長と副会長と俺と美代でなんとかそこまで情報を集められた。年齢も職業もバラバラだ。警察はここに来て無差別殺人なんじゃないかということで毎夜パトロールをしているらしい。だから最近よく街で警察官を見るだろう?」

「確かに見ますけど、これってやっぱり異変なんですよね。いったいどんな……」

 

  そこまで言って願子は難しい顔をしている五人の異変解決者を見るが、全員顔を顰めるだけで全く口を開く様子がない。そんな五人に変わって口を開いたのは、誰より偉そうにソファーの端に腰掛けたいた生徒会長だ。

 

「さてな、私はこういうことには副部長と違って強くはないからそこまで偉そうなことは言えないが、準備をしているという見方で間違いないだろう。全員身体から一部を奪われ、死に方も同じ。死亡した高校生がうちの生徒なら私も強く出られるのだがそうでないから探りも最低限だ。他校の生徒のことを根掘り葉掘りは聞けなかった」

「それだけではないのですよ。この件に関わることを警察が強く警戒しているのです。六人目は死亡記事が出ていますが、残りの五人は世間一般では出回っていませんから、それを知っている者はおかしいということであまり強引な手段が取れません」

 

  今回の情報を集めるに当たって最も尽力したのは美代だ。つまり諏訪の彼方此方にいるAの霊たちから大部分の情報を得ており、生徒会長と副会長の交渉によって得られた情報はその裏付けくらいの効力しか残念ながら無かった。

 

  そして生徒会長の言った通り、この六件の事件の狙いは準備というのが一番しっくりくる。全員に共通する死因と、持っていかれる身体、無差別殺人とも取れるがそうではない理由がある。幻想が関わっているからだ。

 

「更に悪い知らせがある、この五人目の女子高生の事件の当日、今から二週間前のその日に俺と橙と伯奇と刑部は祟りの泥と闘ったんだが、おそらくそれと同じものがその学生を襲ったらしい。つまりたまたまその日に美代が見つけたからいいものの、それらは俺らにも見つけることが困難で、一体ではなく何体も今の諏訪にいるということだ」

 

  副部長の声が静かに部室内に響いた。雪の静けさが合わさったように淡々とした面白みもない口調だからこそ嫌に願子たちの耳に副部長の声が聞こえる。副部長とそれに類する者たちですら気が付かない存在が今の諏訪に大量に存在しているなど願子たちは信じたくなかった。だがその事実に現実逃避している間にも副部長の話は続いていく。

 

「そしてこの事件が後何回起こるのかも分からない。後百回もあるのか、それとも既に終わっているのか、準備が終わると何が起こるのか、知らなければいけないことが多すぎる」

「つまり今は情報収集に徹するしかねえってことか?」

「それはダメやろ。そんな後手後手じゃあ手遅れになること請け合いや」

 

  伊周の言うことは的を射ていた。事態が動いているというのにその周りに手を出すだけで中心部に飛び込まないというのはあり得ない。いくら不明の危険が燻っていたとしても、それを見ているだけで何もしなければいつ爆発してもおかしくない不発弾なのだ。近づかなければ危険度も測ることはできない。それを分からない副部長たちでも無く、だからこそ伊周の言葉を受けて副部長は指を二本立てて全員の目前に掲げた。

 

「分かっている。今更この件から手を引くかどうかを問う段階は終わっている。だからこそこの場にいる全員を二つに分ける。調査と捜査でな。調査は会長、副会長、美代、願子、友里、杏、塔子にやって貰い、後は警察と同じくパトロールで泥の警戒をする。それがいいだろう」

「なんであんさんが仕切ってるのか納得できんのやけど、まあ諏訪に一番詳しい言うあんさんが言うんやからここは正直に従っときましょか」

 

  唯一伊周が不満の色を見せたが、それ以外は別段何もないようで、その話は終わりを見る。だがそれ以外に願子たちが聞きたいことが多すぎる。

 

「それはいいんですけど泥って副部長見たんですよね。それも何も分からなかったんですか?」

「……いや、そうだな。アレは春の時の泥と違ってもっと明確な意思があった。自分が何をすべきか分かっているといった感じだ。つまり俺たちが二週間前に会った存在は気付いた俺たちの注目を集める囮として動いたということであり、その上に何かしらがいる可能性が高い」

「何かしらっていったいなんなんですか副部長先輩」

 

  杏の問いに副部長は答えなかった。それは未だその存在の尻尾も掴んでいないということに他ならない。その代わりにふわりと前に出た生徒会長が話を引き継ぐ。

 

「さて、兎に角そうなれば調査班は調査班で動くとしようか、調査は夕方までで夜まで掛けるのは危険だろう。警察も動いていることだ下手な動きはかえって疑惑を招く。よって私たちが動くのは日が暮れるまで、チームは2、2、3に分ける。どうだ?」

「それは私も賛成だけどさ〜、メンツはどうするの? 知り合い同士で固めるのはいいけど、それだと私が溢れるよね、私一人でも私はいいけどさ」

「それは止めた方がいいでしょう美代様、一人だといざという時危険です。二人以上なら片方が連絡も取れることですし、ここは個々の能力で分けるのが最善だと思われます」

 

  副会長の意見が通り、その結果分けられたのは生徒会長と願子、副会長と友里と塔子、美代と杏という形で分かれることとなった。索敵能力の高い願子、副会長、美代がそれぞれの班に配置されそれ以外の必要な所を他の者が補うバランスの取れたチーム分けだ。

 

「チームは決まったが今日は止めておこう。時間があるかどうかも分からないが、急に決めてその日に動いたとしてもいい結果が齎されるとも思えん。よって今日は解散、明日に備えて色々準備もあるし私と副会長は帰る。願子たちも帰れ、私たちが送っていこう」

 

  そう言って生徒会長は半ば強引に願子たちを部室から引っ張って行ってしまい、残されたのは副部長たち異変解決者。生徒会長の気遣いに部室を出て行く生徒会長へと副部長は目で礼を言う。生徒会長はそれに微笑で答えると何も言わずに出て行った。

 

「……副部長いいの? へんてこ眼鏡たちを関わらせてさ」

「いいさ、伝えない方が今回は逆に危険だろう、橙には一番動いて貰うことになると思うがよろしくな」

「それはいいけど、副部長たちはどうするの? パトロールって言ってもそんなに広い範囲カバーできないんじゃ」

「大丈夫や、うちが式神で警察さんの無線傍受するからな、それでカバーできるやろ。問題はいざ対峙した時に泥に勝てるかどうかや」

 

  祟りの泥、前回は伯奇が片付けたが、それ以外の手段となると実は他の四人には手が無かった。『程度の能力』を伊周も美代も持っているのだが、それは攻撃という面で見れば伯奇ほど優れたものでは無い。そして副部長と刑部は足止めは出来るが決定打を与えることは出来ない。そうなると確実に潰すには伯奇が必要であり、それは厳しいものになることが容易に想像できる。

 

「見つけたならば伯奇が来るまで足止めするのが基本戦術になるだろうな。それが一番確実だ」

「そりゃいいがよお、そうなると結局あたしたちは問題の先送り係で、問題を解くのは願子たち次第ってことか? そうなると大分回りくどくなるぜ」

「だがそれ以外に今は方法が無い。橙、紫さんとは連絡取れたか?」

「それがダメ、何故かこっちの声が届かないみたいで妨害されてるみたい」

「やっこさんもこっちに気付いてるみたいやな、見えない相手と闘うなんてしんどいなあ」

 

  それは副部長が一番感じていた。普段人よりも見えてしまうからこそ、見えない相手の存在がより不気味に感じてしまう。

 

「兎に角今はやるだけやるしかないさ」

「……ん、おい副部長、泥の匂いだ。泥の匂いがするぞ向こうの方から」

「刑部さん分かるんか?」

「前に一度嗅いだからな」

「わんちゃんみたいだね〜、でも当たりかな? 幽霊ちゃんたちにお願いしてた通りあっちの方で騒いでるよ、これは出たかな?」

「なら行こうぜ」

 

  伯奇の言葉を合図に六つの影が部室の窓から飛び出していく。この日こそ後に語られる人の世になってから諏訪で起きた最も大きな異変の始まりの日、紫と連絡が取れなくなった時点で誰かが気付くべきだった。諏訪はこの時点で周りからすでに隔絶されていたのである。

 

 

 

 

  諏訪湖、その遥か下誰にも気付かれす見つけられない所に多くの柱が埋まっている。過去、大和の神々との闘いで打ち立てられた巨大な柱。永遠に抜かれることは無かったはずの大きな墓標。その内の一本が何かに抉られたようにへし折られていた。そこに地を伝い黒い水が注がれていく。

 

「…………こ」

 

  それは小さな声だった。柱がへし折られてから四ヶ月、常に小さく誰にも聞かれることもなくその声は地の底で響き続けていた。怨み、怒り、悲しみ、繰り返されるただ一つの言葉にあらゆる負の感情が込められている。

 

「…………わこ」

 

  多くの神話でそうであるように、唯一神として語られる宗教でもその神以外の神は存在する。諏訪王国に存在した神が一柱だけであるはずが無い。かつて存在し忘れられた神の嘆きを拾う者は誰もいない。

 

「…………諏訪子」

 

  その声は大地を微塵も揺らすことは無いが、黒き水には波紋を残す。その細い蜘蛛の糸を掴むように一本の腕が伸ばされる。細い手だ。木乃伊のように乾ききり、小枝のような手は弱々しいが確かにそのか細い糸を手で掴む。

 

「…………洩矢諏訪子」

 

  手が水を掴んだ途端に黒き水の方が掴んだ手へと食い込んだ。点滴のように伸ばされた手に祟りの塊を送り込み、身体に流れる血のようにそれは枯れ果てた神の身体へと力を送る。枯れた身体はかつての水々しい肢体を取り戻していき、美しい少女の姿を浮き彫りにしていく。

 

「洩矢諏訪子!」

 

  叫びに乗じて震えた水を通し、諏訪湖の周りに立つ電灯の一つが急にひしゃげる。後日電気会社交換されたことによって手がかりになるはずだったそれは永遠に消え去ってしまう。それが十二月頭の出来事。少女の力は最盛期の万分の一しか戻っていないが、それでも外へ出るだけの力が戻りつつあった。

 

「洩矢諏訪子!!!!!!!」

 

  忘れられた神の怒りを鎮める巫女はもう諏訪には存在しない。祟りの頂点、土着神の頂点の傍に立ったもう一柱の土着神。かつて闘った軍神に諏訪子を除き最も厄介だったと言われた神、諏訪を制定するにあたり諏訪子を除き柱によって大地へ打ち捨てられた神、鉄を司る神が目を覚ます。

 

  神が神に対する祟りを持って、大地を割ってその顔を覗かせるまで既に秒読みの段階に入っていた。その時こそが諏訪で起こる最後の聖戦、それに対する不見倶楽部と異変解決者、もう一柱の土着神と諏訪の守護神との闘いは既に始まっている。




いずれ本筋の章は書き直したいですね、もっと内容掘り下げて映画みたいな雰囲気に出来れば最高です。ただ今は兎に角完結に向けて書き進めていきます。この三章では橙が活躍してくれるかな? 第四章で終わる予定なのでこれで半分は話が終わったことになりますね。


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パンドラの箱

  ここ二週間程は驚くべきほど平和だった。と言っても泥は絶えず湧き出ており、それの対処に副部長達は奔走してはいたのだが、泥の発する電磁波を覚えた副部長、匂いを覚えた刑部、幽霊に情報を貰っている美代、式神で情報を集める伊周といった情報収集に長けた四人のおかげで泥が満足に動く前に補足し撃滅することが出来ている。

 

  異変解決者である五人の働きは最低限のラインは超えており、そのため調査班の為の時間は存分にとは日が短くなっている冬においては言えないが、確かに確保することに成功していた。しかし、それでも調査班の進展はおもわしくは無かった。

 

  二週間、たったの二週間であるが動いている調査班の質は決して低くはない。まだ二十歳前の少女達であるが、いずれ人の頂に立てるだけのポテンシャルを秘めた少女、現代最強の忍、死とともに歩む巫女、奇跡と突然変異の後輩達、だがそんな彼女達でさえ事の真相を追う道程は果てしなく遠く、ようやく手掛かりを指が触れ始めたのは冬休みに入る数日前、十二月二十二日にだ。

 

  期末テストをなあなあで済ませ、冬休み前で早めに終わった学校の長い放課後を使って杏と美代は諏訪湖間欠泉センターにいた。今年は例年と比べて冬の寒さは厳しく、冬将軍のやる気が高いようで、諏訪湖の外縁には氷が張り、舞う雪の量も日に日に増えている。そんな景色を眺めながら映画のようにその中を矢のように飛ぶバイクは氷の結晶にタイヤを取られることもなく、間欠泉センターの前にピタリと停車した。

 

「いいね〜杏ちゃん早かったよ、また乗せてね!」

 

  杏の後ろに乗っかり、腰に回していた手を離すとヘルメットを脱ぎ捨てて元気よく飛び降りる。舞う白い結晶の中に跳ねる亜麻色の髪は美しいが、その下に光る真っ黒な瞳は無機質な雪とは対照的に同じく黒いものを捉えている。

 

「はい! ……でも美代さんなんで間欠泉センターなんですか? 今までずっとバイクで街中駆け巡っていただけでしたけど」

「楽しかったよね〜、ビューンって早いし」

「当然です、私の相棒ですから!」

 

  バイクに乗れたことを心から喜ぶ美代の言葉に杏も嬉しそうに笑顔を見せる。美代に限らず副部長達異変解決者は誰もが一般的とは言い辛い生活をしているため、こういう体験は当然初めてなのだ。副部長も普段は山の中に一人でいるように、伯奇は閉ざされた山奥の里で育ち、刑部は山の中で一年を過ごす。伊周も格式高い古いしきたりのある家におり、美代も恐山から普段は出ない。時代錯誤の生活を送る五人からすれば、普段目にはするものの手は出せない文明の利器に触れられることはこの上ない楽しみであった。とは言えそれを気に入るかどうかは当人次第で、副部長と違い美代は気に入ったらしい。

 

「特にこう音が良いね!恐山でやったら怒られちゃうし」

「そうなんですか?」

「イタコのおばあちゃん達から霊さんが逃げるだろ〜って」

 

  目尻を無理やり指で釣る上げ美代はそんなことを言う。

 

「ゲームも駄目〜、テレビも駄目〜、つまんないよ〜」

「大変そうですね」

「本当にね、イタコでいるためにはそういうのは必要無いんだってさ」

 

  霊を降ろす行為には、およそ現代の娯楽や生活は邪魔になると考えられており、一般よりもズレた生活が基本とされる。それ故諏訪に行けという紫の指示は美代にとって良い息抜きの時間でもあった。しかし、いざ来たら大きな仕事が待っており、ただ楽しむわけにもいかない。

 

  異変解決者の中で唯一調査とパトロールを兼ねており、死を見る美代にしかある意味分からないことがあるために今回美代は杏に言って間欠泉センターまで来た。いつまでも話を続けるわけにもいかないので、

 

「さーて、間欠泉センターに来たのはね、間欠泉センターが唯一身近で地下と繋がっているからだよ。ちょっと危ないかもだけどさ、そろそろ行かないことにはもうどうにもならなそうだからね」

 

  そう言って間欠泉センターの中へと遠足に来たように消えていく美代を追って杏も急いで駐車場にバイクを停めると間欠泉センターの中へと走っていく。

 

  間欠泉センターは昭和五十八年に温泉採掘中に掘り当てた間欠泉を見る為の施設である。当時は五十メートルも噴き上がった間欠泉だが、今では人工的に噴き出すものへと変えられている。元世界第二位とまで言われた間欠泉も見る影は無く、その一時の栄華からの衰退ぶりは世界の縮図のようでもある。

 

  入館料は無料であるため、諏訪湖に向いた間欠泉のところへ二人は顔を出すと、湖畔の柵へと美代は飛び付いた。

 

「いや〜相変わらず何て言うかすごいね〜」

 

  諏訪にいればほぼ何処からも望める諏訪湖を見て何がすごいというのか杏には分からないが、黒々と真珠のように鈍く光る美代の目を見ていると薄ら寒いものを杏は感じる。

 

  杏も随分おかしなものと関わってきたが、美代はその中でも極めて異質な存在だった。異変解決者五人の中で最も浮いた空気を纏っており、今現在まだ詳細も分からない事態と直面しているにもかかわらず一番取り乱していない。

 

  それは彼女が死に関して普通の人とは明らかに考えの相違があるからだ。霊を身に降ろせる者というのは誰でもそうであるのだが、身体の内に流れる波長が死に近い。その中で誰より死に近いのが美代である。

 

  例えこの異変で美代以外の人が全員死んでも彼女は悲しまない。例え死んでも彼女だけはいつでも死人と語らうことが出来るからだ。そんな美代が言うすごいという言葉の重みを杏は感じることもなく、間欠泉の前で諏訪湖を眺める美代の隣に立ち同じく諏訪湖を見てみるが、杏の目に映るのは水面に消えていく粉雪だけだ。視界一杯に広がる水溜りに白い結晶が溶けていく光景は美しいが、すごいと言えそうには無かった。諏訪に生まれて十六年、杏は飽きるほどこの光景を見ている。

 

「美代さんいったい何が凄いんですか?」

 

  だからこそ杏はそう美代に聞くが、美代は甲高い笑い声を上げるだけで何も答えない。数分笑い続けた後、美代はくるりと間欠泉の方を向いて笑い声を止める。ただ一人違う世界を生きているような美代に杏は異変を追うよりも美代といることに少し不安になるが、これも必要なことだと自分に言い聞かせて再び美代の名前を呼ぶ。

 

「美代さん?」

「杏ちゃんはいいよね〜、見えないんだからさ。私はもう帰りたいよ、ここに来てからずっとそう」

「……美代さんには何が見えてるんですか?」

 

  杏が美代と調査を始めてから美代はずっとこの調子であった。何か思わせ振りなことを言うのだが、その根本を語ることはなく、ひょっとすると既に彼女は全て分かっているのかもしれないが、その証拠もない。しばらく何処かに留まると、すぐにもう行こうと言ってはぐらかす。だが今回はそうでは無かった。

 

「杏ちゃんはあの泥ちゃんのことどう思う?」

「どうって……私は副部長先輩と違って知識も無いですから詳しいことは言えないですけど、ただただ気持ち悪いです」

「うんうん、私も同じ。ただおかしいと思わない? ふっくん一人取ってもさ、見つけるのに時間がかかり過ぎだって」

「でもそれって普段目に見えないからとかじゃあないんですか?春の異変はそうでしたし」

 

  春の異変、蛇の卵というルールに則り手順を踏まなければ普通の人はそれは見ることも叶わない。杏が遭遇した速度の祟りもそれであり、それを指して杏はそう言うのだが、美代はすぐに顔を横に振って否定する。

 

「そんな質の高いのじゃないよ、ルールすら持たないもっと雑な存在だよあれは、ただ祟りの集まった粗悪品。だからこそ誰の目にだって映るんだ〜」

「じゃあなんで……」

「なーんでだ?」

「それは……どうなんでしょう、私は副部長先輩ではないですから分かりません。美代さんが帰りたいと言うのはそこにあるんですか?」

 

  杏の言葉に美代は満面の笑みを見せる。その黒い目が細められ、正解だと手を叩いた。

 

「広野や野原の中にさ〜、一本だけ木が立ってれば誰でも気付くでしょ? でもそうじゃないから気がつかないんだよね」

「それってどういう」

「今も居るよ、幽霊ちゃん達に頼んでからずっと喚いてる。諏訪のそこら中で、つまり」

 

  そこまで言って、場所を示すように美代は足元を足で小突く。

 

「すっごい大きな泥溜まりがすぐ足元にあるんだよ、常にそこにあるそれから泡のようにたまに地上に出てくるの、だから何処にでもいつでも泥ちゃんは姿を現せる。望めば今すぐにでも私と杏ちゃんの目の前にね」

 

  最後にそう締めくくり、美代はまた笑い声を上げる。杏は何も言えなかった。美代から語られた事実は軽く杏の想像を超えていたと言える。常に人が生活している足元で、『こちやさなえ』の何倍もの大きさの泥がいるなど誰が思う。それが暴れた時の被害は、校舎の一部が吹き飛ぶだけで済むはずがない。そして美代が帰りたいと言う理由もこれで明らかになった。だがそんな時限爆弾がすぐ下にいる中でどうして美代が笑っていられるのか杏には分からず、それがまた美代の不気味さを引き立てている。

 

「それがずっと分かっていたんですか?」

「うん」

「ここに来てから?」

「うん」

「怖くないんですか?」

「全然、面倒くさいから帰りたいだけで怖くないよ〜」

「なぜです?」

「だって死んでも私は皆に会えるもーん」

 

  ここに来てようやく杏は美代の異常性に触れる。死というものの捉え方が異なり、日常の挨拶のように『死』という単語を口に出す。薄暗いものの中で底抜けの明るさを持つ美代は空元気や勇気からそれが来ているのではなく、気にしていないからこそ明るいのだ。人にとっての終点は彼女にとっては旅の途中に転がる石でしかない。その寂しさに気付いた杏は悲しそうに目を細めた。

 

「どうしたの杏ちゃん?」

「美代さんそんな悲しいこと言わないで下さい」

「なんで? 死がそんなに悲しいの?」

「はい……だって、私は美代さんと二人でドゥカちゃんと走れて楽しかったですよ、死んじゃったらもう二人で走れないじゃないですか」

「…………ふーん」

 

  十四時を報せる鐘が鳴り、間欠泉から水の柱が噴き上がる。真っ黒い瞳を一度閉じてそれを見る美代はなんとも言い難い気持ちが胸の中で渦巻いていた。美代は忌み子だ。彼女は死体から生まれ落ちた。世に絶望し自殺した妊婦から生まれた彼女には生まれた時から死が隣り合い、初めて母に抱かれたのも母の幽霊からである。彼女が過ごした十五年は幽霊だけが共にあり、きみ悪がって人は彼女に近づかない。それがどうも諏訪に来てからはそれが違い、副部長や杏といった不見倶楽部の面々は彼女にとって幽霊以上におかしな存在であった。友人とは死んだ者としかなれないという彼女の常識がそれは良いことなのかどうなのか、未だに彼女の中で答えは出ないが、今は目に映る脅威をどうにかしてからでも遅くはないと顔を笑顔に戻して杏の方へ顔を向ける。

 

「そろそろ帰ろう〜、見たいものは見れたからふっくんに報告しないとね、死以外なら私よりもふっくん目は良いからさ〜」

「それはいいですけど何が見えたんですか?」

「地下の水は今表層にいる泥ちゃんよりも死の色が強いみたい。つまり泥ちゃんは下に潜るのに力を使ってるんだってこと〜、多分だけど私達が追ってる相手は地下にいるよ、それが何かは分からないけどね〜」

「じゃあ早く副部長先輩に伝えましょう!」

「うん、じゃあまた後ろに乗っけてね? ぶっ飛ばして行こお!」

「はい! しっかり掴まっててくださいよ!」

 

  そうして杏は背中に生命の熱をしっかり感じながら間欠泉センターを後にして学校へと走るのだが、活動拠点となっている不見倶楽部の部室は現在足の踏み場もない状態にあった。

 

  二週間前から学校に保管されているかつて在籍していた生徒の資料という資料をごった返し、副会長、友里、塔子の三人はあるものを探していた。それは別で調査をしている願子と生徒会長が副部長と美代、伊周の予想の元掴んだ手掛かりのおかげだ。

 

「副会長、本当にあるんですか?」

「そのはずです、我が一葉高校の長い歴史はこういう時にこそ活かされるべきです」

 

  この数日あまり成果の上がらない行為に疑問を覚える友里の声に抑揚の薄い声で諭される。

 

「被害者に共通点を見つけたのは良いけれど、なんというか地味だわ」

「仕方ありませよ、貴女達不見倶楽部が本気で幻想を追う時だって膨大な資料を漁るでしょう? それと同じです」

 

  塔子の文句も直様訂正され、束になっている資料に目を通し、投げ捨て、目を通し、投げ捨てを三人とも繰り返す。部室に聳える紙の塔の中心だけはぽっかりと開き、その中心にある一枚の紙、それを元に照らし合わせているのだが、数日で見つけられたのは六人分の資料、あと一人分が足りなかった。中心の紙に書いてあるのは人の名前で、八つの名前が書かれている。古い紙で少し黄色くなっているそれは願子と生徒会長が神長官守矢史料館から持ってきたものであり、そこに書かれている人物達こそ今回の被害者の共通点である。

 

「それにしてもなんで今更洩矢の巫女さんが狙われてるのかしら?」

「そんなのあたしに聞かれても分からないわよ」

 

  紙に書かれた八つの名前は、かつて諏訪において神事を取り仕切っていた者の名である。その筆頭は東風谷であるのだが、それ以外の七つの血筋、その内の六つの者が既に泥に喰われたことが確認することができている。最後の一つを探るために今こうして三人は動いているが、何万枚とある生徒の資料からただ一つを探す作業は拷問に近かった。

 

「でも副会長よく気づきましたね、諏訪にいればそのほとんどの人が一葉高校出身者だからその生徒の進学先や就職先を見て軌跡を追うなんて」

「これも生徒会だからこそ気付いたことと言いましょうか、私の立場が役に立ってよかったです」

「それは良いのだけれど悔しいわね、折角見つけた六つは既に終わっているんだもの」

「ただおかげで残りの起こるであろう回数は分かりました。後はそれが起きるよりも早く私たちが七人目の手掛かりを見つければ未然に防げるかもしれません」

 

  残り一枚、それを探すために副会長は分身すら駆使して資料を探る。それさえ分かれば後手だった状況を同等までに引き上げられるのだ。しかし、その道のりが遠い。例え見つけられたとしても、その進学、又は就職先へと連絡し、姓が変わっているようならばまた振り出しに戻る。そんな作業を計六回も繰り返し、それだけで十日近く消費しているのだ。だが逆に十日しか掛かっていないのは副会長の力が大きい。

 

「七人目だってもう手掛かりは掴んでいるんです。あと少し頑張りましょう」

「最初は北川屋、次に等々力、次に石光、次に向井、比較的少ない苗字に変わってくれてるからまだ良いけどこれで次に田中、とか鈴木だったら最悪ね」

「やめてよ友里さん、もしそうなったら友里さんの所為よ」

「なんでよ、最悪な事態を言っただけでしょ」

 

  実際に二人目を見つけた時に途中で苗字が佐藤に変わっており、その時は三人とも地獄を見た。数百枚近い佐藤の進路先に連絡を取り、数時間電話をし続けてようやっと目当ての相手を見つけることが出来たのだ。それをもう一度やりたいとは思えない。

 

「……ありました。向井 照さん、これで三人目ですね」

 

  この日二時間掛けてようやく目当ての資料を見つけたというのに三人に喜ぶ姿は見られない、それが意味の薄いものであることが分かっているからだ。すぐに携帯で電話を掛ける副会長の姿に小さく二人は祈りを捧げる。数分話して電話を切った副会長の顔を僅かな期待を込めて二人は伺うが、無表情の副会長を見ると心の中の希望が崩れ去る音が聞こえるようだ。

 

「どうだったのかしら?」

「当たりでした」

「本当ですか! それじゃあそのまま」

「ええ、次の苗字は門司です。まだ先は遠そうですね」

「あらあらあらあら」

 

  そう言って塔子は幾つかの紙の塔の上に倒れ込み紙雪崩を起こすが、それに文句を言う者はいない。もしこの紙の塔が年期別に分けられていたりすればその限りではなく拳が塔子を襲うのだが、積もり積もった過去の資料は最初から使われることは無いとごちゃ混ぜにされていたためそれがさらに三人の歩む速度を落としてしまっていた。今更さらにごちゃ混ぜになったところで気にする必要は無い。

 

「気持ちは分かりますが最近のものに近づいたおかげで次は整理されている束に手が出せます。生徒会室に行きましょう」

 

  目当ての人物を見つければ、そこから二十年分くらいの資料は飛ばしてしまうことができる。そうして現在に近くなれば比較的作業は楽になる、最近のものはまだ使うことがあるためにしっかりと分けて保管されているからだ。その資料は生徒会室に、それ以外を部室に分けることにより効率化をはかったのだが、これがなかなか功を奏した。生徒会室にまで行ける程に近づければ、目的の相手に行き着くまであと少しである。

 

  部室を出れば廊下にはいつも通り生徒の姿は見られず、それどころかどこからも生徒の声も聞こえない。テストも終わり部活が再開しているのだが、降り続ける雪のおかげで外で活動する部活は休止しており、それに便乗する形で中で活動する部活も同じく休止、不見倶楽部と生徒会以外は早めの冬休み気分を味わっていた。これに副会長は溜め息の一つでも零したいところではあるのだが、現状が現状のため今回はやる気のない学校の部活たちに感謝をする。

 

  白くデコレーションされた校庭とその奥で輝く諏訪湖を見れば、この街で泥が人を殺しているなどとは信じられない。だが実際に電話を掛けて行き着いた六つの出口の先には死が待っており、それが現実であるのだと泥に対峙しなくても、調査班の中でこの三人が一番嫌という程思い知らされた。上履きのゴムの擦れる音だけが嫌に耳をつき、しんしんと降る雪を窓から眺めていると、少しだけ現実逃避ができるため三人は特に会話もせずに景色を眺めながら生徒会室まで移動をした。

 

  生徒会室へと入れば、再び目に付く紙の塔に三人とも目を瞑って嫌そうな顔を見せるが、すぐに扉を閉めて作業に入る。どれだけ大変であろうとも、この単純作業が一番の近道であり、今まさに欲しい重要な情報なのだ。

 

「門司……門司……見つからないわね」

「はぁ、もう今日でまたこれで三千枚目よ、ギネスに登録できるって、一日にどれだけ多くの紙に目を通したってね」

「少し休憩しましょうか、あまり長い時間ずっと続けても疲れに負けて見落としが増えてしまいますからね。生徒会室でもコーヒーくらいはお出しできますから少し待ってください」

 

  昼前から作業を始め午後三時、疲れた目を瞬かせる二人の限界が近いことを察した副会長によって一時の癒しの時間が訪れる。暖房は薄っすらと点いてはいるものの、それでは窓から這い寄る寒さを完全には打ち消せないため冷えてしまった身体に副会長から手渡された湯気の立つカップがそれを和らげてくれた。

 

  ただ休憩といっても特にやることがあるわけではなく、手が伸ばせる範囲にあるのは資料とコーヒーカップくらいのもので、休憩でありながら資料をただ眺めるといったことに時間を割いていた塔子がここ数日疑問に思っていたことをふと副会長に漏らした。

 

「そういえば副会長さん、これだけ資料があるのに部長の資料は無いのね」

 

  何度か気になって手を伸ばして副部長と同じ現三学年の資料、部長が幻想郷に行ったのは高校一年の頃であるためあるはずなのだが、部長の資料は影も形も無かった。まるで最初から無かったように見えるが、その年の入学生徒数を見るとしっかり部長を含めた数になっている。

 

「それはそうです。幻想郷に正規の手順で入るとなるとその存在が幻想へと変わってしまいます。別に種族が変わるわけではない感覚的なものでありますが、その結果外の世界ではその存在がいた証が消えてしまうのですよ。だからさなちゃんのいた証も消えてしまったというわけです」

「でもそれっておかしくないですか? だって副部長は覚えてますよね、副会長だって」

「それは副部長がさなちゃんが幻想郷に行く最後の瞬間まで見届けたからですよ、副部長曰く通り道に最後までいたからこそ消え去る証に触れることができたとか、それで副部長がその時持っていた写真にさなちゃんの姿が消えずに残っているのです。その恩恵で私と会長の写真にもさなちゃんが残り忘れ去ることが無かったというだけですよ、私と会長は悲しいですがお零れで覚えているだけなんです」

 

  そう言って副会長はカップを置いて寂しそうに生徒会室のソファーの上で膝を抱える。副会長も生徒会長も早苗と親友であることに間違いはないのだが、早苗にとって副部長が特別であるように、副部長にとって早苗は特別なものなのだ。たった二人で続けていた不見倶楽部という部活で過ごした時間はやはり特別なもので、そこで築かれた関係は親友の中でも特に強い繋がりを持つ。それを羨ましいと副会長は思いはするが、決してその位置に立ちたいとは思わない。早苗と副部長はその二人だからいいのだ。早苗の代わりにそこに立つ者も、副部長の代わりにそこに立つ者も合わないだろうと副会長は思ってしまう。

 

「副部長はなんて言うか幸せなのかしら、部長と離れて」

「心配しなくても大丈夫ですよ、さなちゃんと別れた最後の日に副部長は神を見たと言って笑っていましたから」

「神って……確か八坂神と洩矢神とかいう二人だっけ? 本当に居たんですか?」

「さあ? さなちゃんはよくその二人の話をしていましたが私も会長も見えませんでしたし副部長も見ようとはしませんでしたから、それでもその話を会長と副部長は信じているようでしたけどね」

 

  神はいるという話を信じるかどうかとは個人の自由であるが、実際信じるという人間が現代にどれほどいるというのか。早苗がその話をする時は微塵も信じていないという影は見えず、確かにいるのではないかと思わせるだけの空気はあった。それでも副会長は半信半疑であり、全面的に肯定し面白そうに話を聞いていた生徒会長、信じていたように見える副部長と、だからこそ早苗と仲良くなれたのだろう。そんな中で神を見たという副部長の言葉に嘘はないだろうと思われた。

 

「あら私も信じるわよ……それより友里さんほら副部長の資料はあるわよ」

「副部長の? ってなにこれ、正式な資料なのに名前が書いてないじゃん、どこまでふざけてるのよあの人は」

「仕方ないですよ、副部長の名前は私も会長も知らないですしひょっとするとさなちゃんは知っているかもしれないですけど……その代わり分かることもありますよ」

 

  そう言って友里達の方へ近寄ってきた副会長が資料の中に指を差す。

 

「え……出身地がこれどこ?」

「聞いたことないわね」

「なんでもロシアとヨーロッパと中東の間にある小国だそうです」

「副部長って外国人なの⁉︎」

「意外でしょう? 血筋的には日本人らしいのですがね」

「あらあらようやく副部長のことが一つ分かったわね」

「さあそろそろ休憩は終わりにして作業に戻るとしましょうか」

 

  副部長の意外な事実に驚いている暇は無く、膨大な資料の海へと戻っていく。それでも副部長の秘密が後を引き、どうにも友里と塔子は資料を探すのに身が入らない。しかし、ここまで来ると探す相手は随分と絞られているためすぐに目当ての人物まで行き着くことができた。

 

「見つけましたね、門司 薫、これで最後だといいのですが」

「でもそろそろ最後じゃないかしら、これで違っても年を考えれば後一人くらいでしょう?」

「そうね」

 

  見つけた相手の生年月日が1975年なのを考えればこれが最後に近いのに間違いはなく、ようやっと三人の肩から力が抜ける。電話をかける副会長も気が楽そうで、二人は安心して見ていられた。

 

「それにしても驚いたわね、副部長が外国から来てたなんて」

「でも副部長って一人暮らしでしょ? 前に副部長に聞いたけど外国に家族がいるって感じじゃないけど」

「あらあら、あんまりそこは詮索しない方がいいんじゃないかしら、今度外国の話でも聞いてみたら?」

「話してくれると思う? 副部長って秘密主義なところがあるから」

「…………はい……失礼します」

 

  もう終わったものだと呑気に会話をしている二人だが、副会長が電話を切ったことによって意識がそちらに向けられる。期待を込めて顔を向けた二人だが、副会長の顔は今までで一番優れないものであり、二人の脳内で嫌な警報が鳴り響いた。できれば副会長から口にされることは聞きたくないが、耳を塞ぐわけにもいかない。いったいなにがあったのかわざわざ二人が聞くよりも早く、副会長の口から最悪の一言が飛び出した。

 

「困りました……次の苗字は村田。ここ数年で村田という苗字を持っている生徒は一人だけ……残されるは東風谷だけです」

 

  なにも言えず、塔子の頭の中だけで目当ての少女の姿が描かれる。最後に見たのは木乃伊のように痩せ細り消えていった少女の姿、すでに諏訪の大地には王手が掛けられてしまっていた。



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祟り神

  拾い集めた情報を前に生徒会長と願子は難しい顔でそれらを眺めていた。神長官守矢史料館の代々の資料は綺麗に保管されていたおかげで探すのは容易であり、十二月二十二日には必要な資料を全て掻き集めることに成功する。普段は紙の劣化を抑えるために保管されている資料も、副部長の繋がりのおかげで見ることができているのが大きい。その資料は代々東風谷が記したものであり、今も東風谷の家の居間でそれを眺めることができていた。

 

「なんだか分からないけど大変ねー、今の部活はこんなことしちゃうのね」

 

  そう言ってお茶の入った湯飲みを二つ妙齢の美女が願子達に差し出しながら太陽のような笑顔を向ける。彼女こそ東風谷早苗の母親であり、その母親と知り合いであった副部長や生徒会長のおかげで特例で資料を眺めることができていた。

 

「すいません家にまで上げていただいて」

「あらいいのよ、普段貴女達みたいな若い女の子と触れ合う機会なんてあまりないし」

「叔母様も十分若いですよ!」

「芍薬ちゃんたらそんなお世辞言ってもお茶のお代わりが出るだけよ」

 

  普段呼ばれることを嫌う生徒会長の名前も、早苗の母親から言われる分には気にした様子もなく生徒会長が浮かべる笑顔は崩れない。柔らかい早苗の母親の雰囲気は、願子も数回しか見てはいないが確かに部長の母親なんだと言えるくらいに似通っている。数日前に知り合ったばかりの願子もすでに彼女のことが好きになっていた。

 

「でも良かったわ、あの子に後輩が出来たんだもの、五年間も一人でやっていたんだからきっと嬉しいでしょうね」

「…………そうですね」

 

  だが嬉しそうに不見倶楽部のことを語る早苗の母親の言葉にだけは願子も生徒会長も何も言うことができない。早苗の母親は東風谷早苗のことを覚えていない。ただ彼女が覚えているのは、かつていた娘を訪ねてやって来ていた副部長と生徒会長、副会長のことだけだ。彼らが何故東風谷の家を訪ねたのかというのは、娘に用があったからではなく東風谷の歴史に興味があってというものに書き換えられていた。早苗のことをよく知っている生徒会長が真実の話を出したとしても早苗の母親には冗談としか思われないだろう。それに真実を話そうとも願子も生徒会長も思わない。言ったところでどうにかなるわけでもなく、副部長にも口止めされていた。

 

「副部長はよく来てるんですか?」

「ええ良く来てるわ、東風谷の資料によっぽど興味があったんでしょうね、ただその分お願いもいろいろしちゃってるんだけどね」

 

  縁側の方を見ながらそう言う早苗の母親の視線を追ってみれば、縁側では副部長が赤ん坊の相手をしながら座っていた。赤ん坊はすこぶる元気がいいようで、伸ばされた手が副部長の耳を掴み面白そうに引っ張っている。

 

「私もようやっと娘が持てたし、あの子がよく相手をしてくれるおかげで子育ても大助かりよ」

「そうなんですか、あのお名前を聞いても?」

「勿論、(たまき)って言うの! 本当は娘には早苗って名付ける予定だったんだけどあの子が大反対してね。それなら名付け親になってってお願いしたの、彼は我が家にとって結構重要人物なのよ」

 

  東風谷早苗が幻想郷に行って一年、早苗には妹が出来ていた。かつて娘がいたからか、早苗の存在が消えてから子供が欲しいということで生まれた新たな東風谷。願子は知らなかったことだが、副部長は部活の無い日はよく赤ん坊の相手をしに東風谷の家に来ていたらしい。その証拠に赤ん坊は随分と副部長に懐いており、兄妹のようにさえ見える。

 

「環もすっかりあの子に懐いて、ほらお兄ちゃんが出来て良かったわねー」

 

  そう言いながら早苗の母親は副部長の腕に抱かれた環へと手を伸ばすと、流石親子と分かるのか環は嬉しそうに伸ばされた手を握る。後ろからそれを眺める生徒会長と願子はなんとも言えない気持ちに包まれ、早苗の母親が居なくなったことで資料に目を戻すことでその気持ちを追いやった。

 

「さて……叔母様と環ちゃんの相手は副部長がやってくれている。今の内に情報をまとめるとしようか」

「はい、でも不思議ですね。部長の家にいて、そのお母さんと環ちゃんが居るのに部長がいないなんて」

「それは言うな、今はそれよりも大事なことがある」

 

  狙われているのがかつて諏訪の神事を執り行っていた巫女の末裔であるということは既に分かっている。ならばそれを狙っているのは? 祟りの泥が従う相手など祟りの神以外ありえないのではないか? その考えを基に東風谷の資料に書かれたかつて諏訪に存在していた神を追うために願子も生徒会長もここにいる。

 

「でも神様なんて本当にいるんですかね、副部長が前に二柱の神が部長と一緒に幻想郷に行ったとは聞きましたけど」

「日本は八百万の神というように多くの神が存在する。おそらくちゃんといるだろうさ」

「それはそうかもしれませんけど神様ですよね、なんか凄そうですし本当にいるなら副部長がすぐに見つけちゃいそうですけどそんな話は聞きませんし」

「今の世は信仰が薄れているそうだから神の力も弱まってるそうだ。それが関係しているのかは分からんが、だからこそ私達はここにいる」

 

  テーブルの上に広げられた資料はたったの三枚、諏訪の神について書かれた資料はとても少なかった。おかげで得られる情報も少なく、これだという決定打に欠けていた。最初の資料は大和の神との戦争について、もう一枚はその後の顛末。最後の資料には幾つかの神の名前が書かれている。

 

「最初の資料はあまり意味がないな、調べればインターネットでも分かる」

「諏訪の神と大和の神が戦って大和の神が勝ったんですよね」

「ああ、だが諏訪の民は諏訪の神の祟りを恐れて信仰を捨てなかった。よって諏訪の神の存在はそのままに、大和の神である八坂神と共に諏訪を治める形に落ち着いたわけだ」

 

  神代の戦争の中で数少ない大きな戦争の一つ。八坂神と洩矢神との戦いの記録はすぐに知ることができる。当時鉄輪という最新の武器を扱った諏訪の神は、八坂の持ち出した藤の枝によってそれが朽ち果て敗北したというのは有名な話だ。

 

「だが、問題はこの二枚目だろうな」

 

  一枚目を脇にどけ、二枚目をテーブルの中央にと持ってきながら生徒会長は唸った。その内容は、戦争に負けた諏訪の神達、主神を除きその全ての神は八坂の御柱によって地に打ち付けられたというもの。

 

「なんで八坂神はこんなことしたんでしょうか?」

「それはよくある話だ。戦争に負けた相手を戦犯として吊るし上げるなんてことは今だってあるだろう、諏訪の神を諏訪の民は恐れていたとはいえ、勝ったのにそれだから全く手が出せませんでしたじゃあ八坂が来た意味がないし面目が丸潰れだ。だから恩情として主神は残し、それ以外を刑に処したんだろう」

「殺されたってことなんでしょうか?」

「どうかな、そうは明記されていないが……」

 

  三枚目に書かれた五つの名前をちらりと見ながら生徒会長は顔には出さないように心の内で不安な想いを募らせる。犯人が未だ分かりはしないが、その正体が神である可能性が高いことは既に分かっていた。祟りと一年半に渡って戦い続けた副部長が言うのだからその信憑製は高い。だがそれは外れて欲しい推測だ。これまで祟りの塊と闘ってきた親友の姿を見ている生徒会長にとって、次の相手がそれよりも格が高い祟りの神であるとするといったい諏訪がどうなってしまうのか分かったものではない。

 

  三枚目の紙の一番上に書かれた洩矢諏訪子の文字を見ながら、ついぞその姿を生徒会長は見られなかったとはいえ、その凄まじさは早苗から嫌という程聞いていた。それに類する存在に副部長が勝てるか否か、困ったことに正真正銘の神を前にして勝てるとは言えない。

 

「だがこの資料に書かれていることが本当だとして、その場所が分からない。御柱を突き立てたとは書いているが、場所は書かれていないし、そんな昔からあったなら嫌でも目立つはずなんだが」

「御柱祭りとは関係ないんでしょうか?」

「あれはおそらくこの二枚目の事をなぞった神事というだけで関係ないだろう。人が神を繋ぎ止め続けるなど出来るとは思えん」

「そうなると手詰まりじゃないですか、神の名前は分かっても何処にいるか誰が犯人かしれないかも分からないんじゃ」

 

  ぼやく願子だが、生徒会長の厳しい眼が願子に刺さり、その先に続くはずだった愚痴を飲み込ませる。

 

「だから願子、君がいるんだ」

「私?」

「名前は分かった。副部長の眼と違いお前は遠くの離れた存在も見れるんだろう? 八雲紫も名前だけでその姿を見ることに成功したと私は聞いたぞ」

 

  生徒会長が願子を伴い神探しを行っていたのはそれが理由だ。最も確率が高いがあって欲しくない問題に早々に答えを出すために願子を連れてここに来た。神の姿を追い、それを見られたならこれほど分かりやすい判別方法は存在しない。

 

「いやそれはそうですけど……出来るかどうか」

「出来るさ」

「でも」

「君に無理なら誰にも無理だ。願子、今は君にしか出来ないことがある。それにさなちゃんと副部長の後輩なんだろう? なら大丈夫だ。私はあの二人を信頼している。その内の一人が信頼する君を信頼しよう」

 

  少しも目を逸らさずに願子の目を見てそう告げる生徒会長の言葉を聞いていると、本当に出来るのではないかという気になってくる。ピリピリとしたよく分からない熱が願子の身体中を駆け巡り、今ならば出来ると脳がそう判断を下す。視界の端で環の相手をしている副部長の方を願子は一度見る。副部長ならばどうするか、きっと見れば分かると言っていつものように綺麗な複眼を晒すのだろう。神が見れるかもしれないといった好奇心と、憧れの人の姿を思い願子は額に掛けられた色眼鏡を目の前に下ろした。

 

  ふわふわとした浮遊感が願子の脳内に広がって、数多の色が折り重なるが瞳に映るのは不鮮明な景色だけだ。目的のものが何処にいるのか探すように飛ぶ視界に、脳のキャパシティを超えた情報が願子の頭を回す。姿形の分からない相手を探す時はいつもこうだ。限界まで行使される色眼鏡の放つ熱が顳顬(こめかみ)を焼き、その痛みが回る視界の情報をシャットダウンしようと休止寸前の脳の尻を叩く。

 

「きっつ……」

 

  一度息を吐いて視界を切る。八雲紫を見た時は抜き差しならない切羽詰まった状況であり、それ故膨れ上がった大きな感情を向けられたからこそできたものの、危機が迫っているとはいえそれが身に感じられない今の状況では難しい。

 

  洩矢諏訪子。今回おそらく関係がないと分かっている五神の内の一柱の名前を願子は少し充血した目でそれを眺める。副部長が幻想郷へ送った神、願子の命を狙う祟りを生み出す原因となった神、願子が不見倶楽部に入る切っ掛けを作った神、良くも悪くもその神のおかげで今の願子がある。見るべきなのが諏訪子ならば願子の想いの強さも違ったのだろうが、そうでないから身が入りづらい。

 

  洩矢茅野、洩矢霧峰、洩矢湖子、洩矢鍬子、諏訪子の下に並ぶ四つの名前を見てもどうにも願子の中で何かが嵌らない。日本人が普段生活している中で神というのは身近に過ぎる。日常生活の中にさえ溶け込み、何処の家にあるように願子の家にも神棚がある。その正体を見るといっても、あまり実感が湧かなかった。寧ろ妖怪や幽霊といった存在の方が好奇心も湧くというものだ。

 

  だがだからと言って見れませんでしたという訳にもいかない。生徒会長をがっかりさせたくないということも勿論だが、何より副部長に信頼されていると言われてそれを無下に願子はしたくない。憧れ付いて行った夏までの四ヶ月、その憧れから直にものを教えてもらった四ヶ月、身を結ばせ副部長に見せるチャンスはもう三ヶ月しか残されていないのだ。

 

  神が見たいという想いでは無く、副部長に自分はここまで出来ると言うために、その想いを新たに膨らませて色眼鏡の視界へと集中する。

 

  視界の中は黒一色に染まった。一寸先は闇と言う言葉はこういう時のために存在するのだと思う程の黒。視界だけが黒く、色眼鏡さえ外すか視界を切れば生徒会長が前にいる風景があると分かっていても頭まですっぽりと黒に浸かってしまったような感覚になる。

 

  左に視線を飛ばしても、右に視線を飛ばしても、映る景色は黒だけで果てしなく続いているのか一寸先に壁があるのかも分からない。

 

「願子……平気か?」

 

  暗闇の中でしっかりと聞こえる生徒会長の声に今いる場所が東風谷の家であると思い出した願子は小さく安堵の息を漏らす。今見ているものは所詮見ているだけであり、身体はしっかりと信頼できるものの前にいる現実がより深く視界を潜らせる原動力に変わる。そうして視界に色眼鏡の新たな色が重なると全く別のものが見えてきた。

 

  よく見れば、黒一色の不動の世界だと思われたそれは緩やかに流れていた。細い糸が敷き詰められたかのように大きな流れとなって一方向に突き進んでいる。

 

「嘘……」

「どうした⁉︎」

「なんて言ったらいいか、まだ神様は見えないですけどこれって……」

 

  願子が初めて見た幻想、『こちやさなえ』と同じ祟りの泥。視界一杯に広がる本流の正体はそれで間違いない。

 

  願子の色眼鏡の一番の特徴は、視界を飛ばせることでなければ、比較的誰にでも扱えるということでもない。副部長にも不可能な感情を見ることこれに尽きる。目の前を過ぎ去っていく無数の小さな声、その色は黒く濁り切っている。

 

 怨み、

 

 嘆き、

 

 怒り、

 

  一方的で理不尽な嫉妬と呪詛の声に目を瞑りたくなるが、自分を奮い立たせて願子はその先へと視界を進ませる。

 

「生徒会長、これ神様だろうとそうじゃなかろうと相当不味いですよ、一つ一つは本当に小さいんですけど全体なら春の異変以上の大きさの祟りが見えます。それもどこかを目指してる」

「目指してる? 願子、お前は神を見ようとして視界を飛ばしたんだ、つまりその祟りの進む先には神がいるはず…………恐れていた事態だな、余り現実味がないが……場所は分かるか?」

「分からないです、今も祟りの流れに乗って視界は常に動いてますけど黒一色でなんの景色も見えません」

「……犯人が神の可能性が飛躍的に上がっただけでもいい、視界を切るか? その方が」

「いえ生徒会長大丈夫です。まだ行けます」

 

  視界は流動し続け、上に下に右に左に、どこへ向かおうとしているのか絶えず動き回り休むことは無い。だがただ一つの変化として、流れは突き進む毎に細くなり、それに合わせて圧縮される祟りの色が濃くなっていく。粘性を帯びているのではないかと思える程に色が濃くなった頃、細くなり続けていた視界が一気に開けた。

 

「開けた! 見えました!」

「本当か!」

「はい! ……これは……柱が四つ、資料の通りです」

 

  暗い空間に聳える四つの柱、上は果てまで続き、下も同じく底抜けに伸びている。資料の通りなら神代から続くもののはずが傷一つなく、機械で作られたかのような綺麗な八角形の巨大な柱からは圧倒されるだけの力を感じる。隠された神秘性や打ち付けた者の神力よりも、ただその御柱の大きさに圧倒されてしまう。遠くから見れば釈迦(しゃか)の手から伸びる指のようだったそれは近づけば摩天楼のように立つ壁にしか見えない。

 

「大きいですね、御柱祭で見る御柱の太さだけで十倍以上はありそうですよ」

「そんなに大きいのか……なぜそこまで大きなものなのに普段見えない。異空間にでもあるのか?」

「さあそれは分かりませんけど、でも一つも抜けているようには見えないですし神様が犯人じゃ無いんじゃないですかね」

「それならその方がいいんだがな、しかし、祟りの泥はどうした? そこに続いていたんだろう、どこに行ったんだ」

 

  生徒会長の疑問は当然だ。それを受けて願子は辺りを見ると、開けた空間に広がった泥はその全てが下に向かって落ちている。四つの柱に沿うようにして滴る泥は、柱にへばりついているもののそれには興味が無いようで、落ちることを止めるものは何も無い。

 

「……下です生徒会長、全部の泥が下に向かって落ちていってます、それに……」

「それに?」

「いえ、兎に角視界を下に進ませてみます」

 

  言おうとしたことを願子は飲み込んだ。自分が祟りの泥に乗って出た場所以外からも周りの空間から自分が出た時のように至る所から泥が染み出して来ている。一つの流れだけでも人の手に余る量の祟りが何倍にも増えていき、その空間の色が黒を塗り重ね過ぎて赤みを帯びているように見える。

 

  下に進めば、泥以外に目に映るものは所々御柱に巻き付けられた御柱に負けぬ程の太い注連縄(しめなわ)とそれから垂れ下がる大きな幣紙。捻れた注連縄は大蛇のように力強く、祟りに晒されながらも漂う幣紙はそれに染まらずあらゆる不浄を跳ね除けている。幣紙には全く読めないが格が高いだろう筆跡で何かが書かれており、読めないはずなのにそれの意味が理解できた。書かれているものは神の名前、打ち付けられた神の名前だ。神を鎮めるために最大級の敬意を払い書かれただろう文字からは数多の祈りの色が見える。

 

  黒の中に浮かぶ祈りの極彩色の彩雲が暖かく眩しく願子の瞳を包み込み、下へと進む願子の背を押し進む速度を加速させ、また視界に別のものが散り始めた。

 

「? え?」

 

  塵のように細かなそれらは次第に大きさを増し、それが何かの破片であることが分かり始める。鋭く砕けた木片の量が視界に増え、それを見て祟りの泥が嬉しそうに進む速度を上げ身体をくねらせた。四本の柱に異常がないか願子は細心の注意を払い視界を進ませるが、その様子は見られず四つの柱は雄大な姿を保ったまま底無しの空間へ伸び続けるが、それに加えて木片も大きくなっていく。

 

「やばい……やばいですよ……」

「おいどうした‼︎」

 

  その木片を過ぎ去る度に言葉にできない重圧が願子の身体を襲い続け、視界を切りたくても何かに阻まれているかのように視界が下に引きずられる。そして目に映るのは遂に柱の形状を保ったままへし折れた柱の姿。

 

「おい願子!」

「……生徒会長、柱が折れてます」

「なんだと‼︎ くそ、やはりそれが答えなのか、いったい何が……いやそれよりどれだ? どれが折れている!」

「それがどれでもありません」

「なに?」

「五本目です」

 

  四本の柱は全く微動だにしていない。その代わりにそれ以外の不浄を一手に引き受けたかのように一つの柱が根元から引き千切られていた。その柱が作る影に向かい周りから泥が殺到している。主人に貢げ物を捧げるように嬉しさに打ち震え、その振動が願子が決定的なものを見ないように視界を遮っていた柱の亡骸を僅かに動かした。

 

「あ……」

 

  なんだろう? 目に映った存在の答えは分かっている筈なのに脳が理解しないように情報のシャットアウトを図る。普通の女の子だ。偏見なく見ればそう見えるかもしれないが、それは絶対に違うと示す少女の特徴が嫌に目に付く。闇に輝く銀色よりも鈍い鉄色の髪、その上に被せられた西洋甲冑の兜のように丸みを帯びた被り物には剥き出しの目玉が二つ付いている。白内障を患っているかの如く霞みがかった白い瞳がギョロリと暗闇の中を泳ぎ、それは願子と目があった。

 

「か……あ……?」

 

  その目玉の後を追って鉄色の髪が暗闇の中を靡く。

 

  待て

 

  待て

 

  向くな

 

  向かないで

 

  拒絶の心を露わにしてもその想いは受け入れられない。強大な力に引っ張られて願子の視界は固定されてしまう。透き通ったとは決して言えない日に焼けた鉄のように黒っぽい肌、全てを削れ切れそうな尖った爪と、針金のように細い指。着ている服は鍛冶師のように無造作でぼってりとしているが、その内の細い少女の線を浮き出している。その上にある小さな頭と滑らかに動いているが髪の(つや)は硬そうな光を発し、機械に作られたように整い過ぎている少女の顔が願子の方を向き切ってしまった。

 

  青銅色の瞳が願子の目を射抜く。歪な少女の容姿と雰囲気は願子の心を鷲掴みにし、不安を一気に爆破させるどころか握り潰した。脳の情報処理を軽く超えた恐怖が願子の思考を停止させ、何も言うことを許さない。

 

  神。

 

  目にしただけで分かってしまう、これはダメだと頭の中で防衛本能が警鐘を鳴らす。人が敵う存在ではない、伯奇も刑部も伊周も美代も、人の中で最高方の者たちを見てきた願子も即座にその答えを叩き出した。例え八雲紫であろうとも、橙であろうと、藍であろうと、マミゾウであろうと目の前の神と比べると小さな存在に見えてしまう。かつて諏訪に身を置いた人々が身を投げ打って信仰したもの。その想いを一身に受けて揺らぎすらせずに君臨した存在。その途方もない大きなものが今願子を見ている。

 

「………………ハァ」

 

  漏らされたのは溜め息。その場にはいない願子の視界を見て漏らされる落胆の色は、色眼鏡がなかろうともひしひしと願子に伝わってくる。

 

「久しぶりに……本当に久しぶりに人が見に来たと思えば……風祝でさえないとは……諏訪子の奴は衰えたな」

 

  静かに黒の中に響くメゾソプラノの心地いい声色が願子の視界に流れてくる。聞こえないとはいえ、透き通った感情の色は願子が今まで見てきたものよりも遥かに綺麗だ。

 

「私に気が付くのが遅すぎる、諏訪大戦の頃ならこうはならなかっただろう。こいつらから聞いたよ、外では信仰が薄れたとな……いくら力が衰えているとはいえそこまで堕ちたか」

 

  願子の目に映り続ける感情の色は綺麗ではある。黒の中に鮮明に映る一色の色、だがそれは優しさや嬉々とした明るいものではない。祟りの泥から見える無数の呪詛の何倍もの質を持った感情が目の前の神から発せられている。鈍い鈍い錆び付いた鉄の色。赤い赤い鮮血よりも真っ赤な怒りの色。

 

「だから言ったのだ、八坂に降伏するぐらいなら諏訪一丸となりて全ての民が死に絶えようと闘いを続けるべきだと……それをしなかった現状が今だ、何という……何という体たらくだ。なあ?」

「あ……ぐ……」

「おいどうした願子!」

 

  虚空に伸ばされた神の手がその場にいない筈の願子の首元を確かに掴んだ。生徒会長の目には明らかな異常が見えていた。目の前に座る願子の首にくっきりと浮かぶ手のひらの跡。それを引き剥がそうと手を伸ばすが、それに触れることは叶わない。

 

「弱い……いつから諏訪の民はここまで弱くなった。貴様が諏訪子が送れる最強の者だと言うのではあるまいな、祟りを潰せる者達がいることは既に聞いている。まさか貴様がそうでは無いだろう? だが偵察でさえ私に送るのが貴様のような弱い者など侮辱にも程がある」

「……うぁ」

「貴様いつまで黙っているつもりだ、何か言うことは無いのか? それとも好奇心で覗きに来ただけか?」

「……あ、あなた、誰?」

 

  それを聞いて願子の前の神の目が釣り上がる。一瞬般若のように怒りに顔を歪ませたが、すぐに破顔させると大きな声で笑い始めた。だが願子の首に込められる力はより強くなり、首の音が悲鳴をあげる。

 

「はっはっはっ!!!! くっくっくっ……誰か、誰などと聞かれる日が来るとは……愉快だな本当に愉快だ。貴様芸人になれるぞ」

「う……ぐ……」

「だがそれ故に貴様は死ぬ、神に不敬を働き死ぬなど珍しくもないだろう? 私の名前は洩矢(さなき)、冥土の土産に持っていけ、先に三途の川で他の者が来るのを待っていろよ」

「願子‼︎」

 

  握り潰そうと握った手が虚空を掴む。自分を見ていた筈の視線は消え去り、暗闇だけが支配する世界が戻ってきた。

 

「……消えたか、完全に気配が消えた。なかなか奇怪な技を使う……ふふふ、なあ諏訪子、久しぶりに遊べるな。精々手駒を揃えておくといい、もう少しだ。もう少しで……」

 

  暗闇に溶ける呟きに呼応して鐸に送られる祟りの点滴の量が上がる。祟りに力と諏訪子に相見える嬉しさに打ち震える神の姿を最後に願子は日常へと戻ってきた。色眼鏡は吸いついたかのように願子に張り付き剥がれなかったが、生徒会長が無理矢理引き剥がしたことによって視界は切れ、願子の目には神の代わりに尻餅をつき色眼鏡を手にしている生徒会長の姿が見える。

 

「ゲホッゲホッ!……あぐ」

「ぃたたた、おい願子無事か! 生きているか!お前目から血が出てるぞ!」

「……大丈夫です。なんとか、生きてますよ」

「良かった。その様子を見る限り見たな、酷なようだが聞かせてくれるか?」

「……はい」

 

  夢を見ているようだったが、思い起こせばくっきりとその姿を願子は思い浮かべることが出来る。圧倒的に存在の質が違う存在、初めて見た神の姿は強烈過ぎた。血涙を零す目を優しく擦り、見たものをそのまま生徒会長にと伝える。

 

「副部長や生徒会長の言う通り神が犯人みたいです。洩矢鐸って名乗ってましたよ、鉄色の髪を持った怖いくらいに綺麗な神でした」

「やはりそうか、私は直接見てはいないが凄まじいだろうことは分かったぞ」

「……生徒会長、勝てますか私たち? 勝てる気がしません。あれは駄目ですよ、人が神を崇め奉る理由がよく分かります」

「それは……」

「分かってます。例え勝てなくても、副部長は闘うんでしょう? 死ぬことになろうと拳を振るうんでしょう? あれに……」

 

  こちやさなえの時のように、博麗伯奇の時のように、きっと副部長は向かっていく。今までは勝った。だが今回は? あれに向かって行っても副部長が勝てるビジョンが浮かばない。それで私達はどうすると願子の頭にこびり付く疑問が拭えない。副部長が勝てない相手に自分がどうにか出来るという甘い考えを持つことなどできず、僅かな希望も見えてこない。

 

「私は副部長の力になりたいです。憧れの人だから……でも……でも私は今回きっとなんの力にもなれない」

「……言いたいことは言ったか?」

「え?」

 

  泥に触れたせいか底無し沼に嵌ったように堕ちようとしている願子の手を取るものは何も無いなんてことは無い。願子と共にいるのは生徒会長、生徒の頂点に立つ存在だ。自校の生徒が絶望に染まろうとしているのを見て何もしないわけがない。自分を奮い立たせる為にも生徒会長は言葉を紡ぐ。

 

「願子、君はもう十分力にはなっている。それで逃げたいと言っても誰も咎めはしないさ。副部長だってそうだろう、後は君が決めることだ。副部長には私から話せばいい」

 

  柔らかく笑顔を見せる生徒会長の言葉に嘘は無いと感じることが出来る。だが、それにしてにずるいと願子は思う。屈託の無い優しさを向けられ、そんなことを言われたら逃げたいなどと言えるはずがない。願子だって逃げたいわけではないのだ。ただ嫌なのだ、副部長が死んでしまうなどと考えたくはない。それでも副部長はやるのだろう、いくら悩もうと、遅かれ早かれ副部長に着いて行く以外の選択肢などありはしない。その踏ん切りをつけさせるのに生徒会長の言葉は十分だった。

 

「……いえ、私が言います。私が見たんです! すいませんでした。それとありがとうございます生徒会長!」

「うむ!」

「それじゃあ部室に戻りましょう! 副部長も連れて早く皆に教えてあげないと!」

「ああそろそろ此方の番と行こうか、神なんて怖くはないさ、なんて言ったて私の親友は現人神だからな!」

 

  大分騒がしくしていた筈だが、それは縁側にいる副部長が上手く早苗の母親の意識を反らせていたらしく、奮い起つ二人の姿を副部長はおかしそうに眺めながら環に頬を引っ張られていた。それに笑顔を返して二人は副部長へと向かって行く、願子にもう迷いはない。



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不見倶楽部活動日誌 付録
登場人物


どうしてもオリキャラが多いので分かりずらいのと、おまけ要素として登場人物の紹介、誕生秘話等を書きます。ネタバレも書いちゃうかもしれませんが気にしないでください。またこの項目は随時加筆していきます。


副部長

種族:人間 性別:男 歳:18

程度の能力:なし

コンセプト:人になりたい神様

 

不見倶楽部の副部長、東風谷早苗たち三人を幻想郷へ送った男。生まれながらに複眼という突然変異が発生しており、その代わりに霊力などの人になら大なり小なり備わっている力の一切がないという悲しい男。つまりどれだけ修行しようと不思議な術を行使することがほぼ不可能である。しかし、諏訪を守るために闘った一年半に及ぶ地獄のような生活の中で、龍脈という自分の中にはない特大の力に触れるに至った。だがそれは本当に僅かに龍脈を揺らがせることしかできず、もし龍脈を少しでも自分に流そうものならその瞬間にさようならである。結果副部長の総評としては、目が良く、一年半の間に鍛えられた身体と格闘能力が高い、オカルト知識が豊富くらいのもので、総合戦闘力として見た場合幻想郷の住民と比べると下の上、中の下くらいが妥当である。これはこの世界の程度の能力を理解不能のオカルトという位置付けをしているためであり、程度の能力無しの場合ならば中の中から中の上くらいまではいける。幻想に対しては苦手意識が実はあり、いつも闘う際は人知れず内心ビビって冷や汗を流していたりする。それでも闘うあたりメンタルは強い。目のおかげで得られる情報が多く情報戦に長ける。それを上手く使うだけの頭もあるが、それは数学的な頭ではないため勉強ができるわけではない。塔子曰く実は愉快な人。コンセプトでは神なんてついてるがちゃんと最初から人間です。そこを書くと超重大なネタバレになるので今は保留、ちゃんと名前も決まっていたりする。

 

 

瀬戸際 願子

種族:人間 性別:女 歳:15

程度の能力:無し

コンセプト:好奇心の塊

 

不見倶楽部一年生四人組の一人、好奇心中毒者、その名の通り気になったことなら危ないことでも突き進むことを決定されている少女である。それ以外では普通な感じ。能力としては好奇心が強い以外今は特になく副部長に貰った眼鏡が一番大切な物である。実際副部長に貰った眼鏡は感情でものを見るため、好奇心という強い感情を持っている願子とは相性がいい。他の者たちからすると、大分個性的な願子の色眼鏡は装備したくは無く、またもし付けたとしても願子ほど上手く使えないためいい判断である。副部長は今まで自分が見たかったことを見せてくれるため尊敬しており、いつか副部長やまだ会ったことのない部長のようになるのが今の目標。『こちやさなえ』の時に長かった髪を切られており、それ以降髪は短いまんまにしている。中学の頃に一度幻想を諦めているためにメンタルといった面ではそこまで高くはない。戦闘能力としては今の段階で一般人に毛が生えたような存在。幻想郷へ行ったら数日で妖怪に喰われて死ぬ可能性が高い。名前の由来はそのまんま、瀬戸際で願う子。

 

 

出雲 友里

種族:人間 性別:女 歳:15

程度の能力:なし

コンセプト:いつも側にいる友人

 

不見倶楽部一年生四人組の一人、東風谷早苗と副部長の関係の願子verであるが、側にいる形が異なる。副部長は親友のために側から離れることを選んだが、友里は逆に何があっても側に居続けるタイプ。その理由としては幼少期に髪の色が異なるという理由を皮切りに壮絶なイジメにあっており、そこから願子が助けてくれたから。願子に対しては過保護な面があり、依存している部分がある。真っ先に幻想と闘うことを選んだ。今の段階で多少外に気をにじませることができる。所詮にじませるなので、強度は防弾チョッキくらい。それでも一般人よりも随分と強い。結構人を嗜めるようなことを言うが、本音を口にすることは少なく、それは先述の通りイジメられていたから。常に人の顔色を伺い自分を押し殺している。人当たりはいいため不見倶楽部以外での普通の友人が多い。副部長のことは同族嫌悪から苦手としているが尊敬もしている。祖母が欧米人であるため天然の金髪を持つクオーター。容姿はギャルが一番近いかもしれない。実は一年生四人組の中で最もメンタルが弱い。先述の祖母の設定を生かしスカーレット関連の話を書こうとも思ったが、本筋とは全く関係ない話になることが確定しているので書く予定はない。名前の由来はいつも→出雲、友がいる場→友里。

 

桐谷 杏

種族:人間 性別:女 歳:15

程度の能力:なし

コンセプト:実は強い子

 

不見倶楽部一年生四人組の一人、もともとぼっち生活が長かったため吃音交じりに喋っていたが、初めての友人へ意見を通すために克服した。バイク大好き。初めての友人たちのことが何より大事であり、彼女たちのためなら怪我すら厭わない。それと同時にバイクの相棒であるドゥカちゃんが最も大切な物である。杏本人としては幻想はそこまでどうだってよく、友人と共にいられることが何より一番であり友人と尊敬できる先輩である副部長がいる不見倶楽部のことが四人組の中では一番大切に思っている。バイク好きのためそっち方面の知識が詳しく、その知識はオカルト方面にも及び副部長よりも詳しい部分があったりする。不見倶楽部に入り一番変わったのは杏であり、これからもそうなるだろう。スリルがあることを好んでいる節がありバイクに乗るともの凄いスピードを出す。いざという事態の時に副部長と伯奇が一番で信頼を寄せているのが杏。普段丁寧で大人しいが、最も過激な行動を取る。バイク操作に長け、副部長を除いて専門の技能を持っている頼りになる少女。結構言う時は言う。名前の由来は桐と杏の花言葉より選んだ。

 

 

小上 塔子

種族:人間 性別:女 歳:15

程度の能力:なし

コンセプト:我が道を行く

 

不見倶楽部一年生四人組の一人、何かを間違えている少女。占い大好きっ子であり、最もオカルト研究部の部員らしくはある。常に服にはゴテゴテとしたおまじないのアクセサリーをつけており、毎度毎度パワーアップして帰ってくる。中学時代は普通だったが、変わるために占いに傾倒した結果倒れこみそのまま沈んでしまい今の形になった。自分には何かが足りないと思っており、それを補うためにおまじないのアクセサリーを付けていたのだが、いつの間にかそれが彼女を表すものとなって自分であるためにおまじないのアクセサリーで自分を守るという悪循環に陥っている。自分には友人がいないことを気にしていないふりをしているが、本当はそうではなく、願子や友里、杏と本当の友人になれたと分かった『こちやさなえ』の事件の後は一人枕に顔を埋めて喜んでいたりした。自分を拒絶しないと分かった願子たちと副部長のおかげでアクセサリーの量が増えるという訳わからん少女、普通減るんじゃないのか。不見倶楽部内ではギャグ担当でトラブルメーカー、メンタルは弱くはないのだが強くもない。ただ立ち直りが早い。一番書きやすいキャラでもある。名前の由来は拝む→小上、タロットの塔から。

 

 

生徒会長

種族:人間 性別:女 歳:18

程度の能力:人の上に立つ程度の能力

コンセプト:愛される生徒会長

 

東風谷早苗の親友の一人、中学高校と六年間生徒会長をしている少女。実は程度の能力の持ち主でもあるのだが、かなり限定的なため本人も気が付いていない。彼女の能力は言うなれば将軍や大将の人を鼓舞する能力のようなもので、人間相手に言葉を投げかけるとやる気が出るというものである。それだけ。ただしこの能力のおかげで人に好かれ、彼女の下につきたいと思われる。それに合わせて裏表ない性格も合わさって生徒会長のことを嫌いになる人間はいない。最初は嫌いになったとしても、生徒会長の言葉の力と器の大きさに絆されてしまう。情に厚く、友人は絶対見捨てない。一葉高校の中ではトップクラスで頭のいい人間であり、情報戦に長けた副部長と共によく裏工作しているのだが、普段が普段であるせいでいまいち凄さが周りに伝わっていない残念筆頭。学校を守ることを第一としているため、不見倶楽部の厄介ごとの際ではそこで表には立たず裏で頑張っている人。不見倶楽部は頭痛の種ではあるのだが、副部長と東風谷早苗の二人がいるため大事な場所でもあり、中学の頃は不見倶楽部の幽霊部員のような立ち位置だった。名前は決まっているのだが、だいぶ変わった名前であるため気に入ってはおらず、副部長にならい生徒会長で通している。名前で呼ばれていた中学の頃まではよくラノベの登場人物の名前とか言われてよく副会長と早苗の二人に泣きついていた。

 

 

副会長

種族:人間 性別:女 歳:18

程度の能力:なし

コンセプト:影の実力者

 

東風谷早苗の親友の一人、戸隠で宿をやっている祖父母の手伝いをよくしている。戸隠流忍術の免許皆伝であり、この物語内だと屈指の天才型である。程度の能力こそないが、気を用いた忍術を操り、一葉高校内の近接戦闘では最強を誇る。幻想郷の住人と比べてもその戦闘能力は高く、相手が程度の能力を使おうと彼女の強さは中の中くらいに位置する。副部長と生徒会長からはバグキャラと言われており、勉強、スポーツ共に完璧であり頭の回転も早い。だが本人はそれを別に気に入ってはおらず、仕事に忠実なことも相まって本当に忍者のように目立たず常に影に徹している。だが気に入った人物をからかう事を趣味としている結構酷い性格でもある。東風谷早苗も勿論からかう対象の一人だった。生徒会長のことを一番気に入っておりだいたいは生徒会長の隣にいる。生徒会長がうっかりさんなのでそのサポートに全力を出し、生徒会が実は生徒会長と副会長の二人しかいないにも関わらず回していけているのは副会長のおかげ。常に生徒会長と共にいるため不見倶楽部の厄介ごとの際では同じく裏に回っている。影を意図的に薄くしているのと生徒会長の人気が合わさり学校内の生徒たちに彼女が生徒会副会長だと知っている者は少ない。自分の名前が生徒会長と比べて地味なことを気にしており、生徒会長と副部長が名乗らないことをいいことに自分も名乗っていない。

 

 

第二章『博麗』より

 

博麗 伯奇

種族:人間 性別:女 歳:18

程度の能力:沈む程度の能力

コンセプト:外の博麗の巫女

 

博麗の巫女を目指していた少女、副部長と同じく圧倒的な努力と経験のみで闘う。小さな頃に博麗の巫女を選ぶとやって来た八雲紫に魅せられた幻想郷に憧れ博麗の巫女を目指すがそこには才能という大きな壁が立ち塞がっていた。彼女もまた凡人であり、副部長が霊力などを使えていたらこんな感じになっていただろう。死ぬような修行によって手に入れた程度の能力沈む程度の能力はめちゃくちゃ強力な能力であることは間違いなく、その能力を使いこなせれば幻想郷の住人と比べても最強クラスの能力。ただ本人に才能がないため、一般人がF1カーに乗るようにその能力を完璧に使えない。才能を嫌い報われない努力をしたために努力も嫌う。だが努力している人間は嫌いじゃないとも思っている。副部長は自分と似ているため嫌いだが気に入っているというなんとも微妙な関係。八雲紫のことは普通に嫌い。小さな頃に霊夢と共に育ち姉代わりをやっていたので面倒見がいい。霊夢のことは大好きだが博麗の巫女の座を奪われ憎いという想いを持っていたが、博麗の巫女を諦めた今となってはただもう一度取り敢えず会いたいと思っている。現在副部長の家に居候中、名前の由来は、夢を食べるバクの別の呼び名である伯奇から。

 

種族:化け猫 性別:女 歳:不明

程度の能力:妖術を操る程度の能力、人を驚かす程度の能力

 

八雲の末席にいる少女、原作キャラだが最も登場頻度が高いため記述する。副部長が外の異変解決者として正式に任命されたためにそのサポートとして選ばれた。さっさと幻想郷に帰りたいとも思っているが、不見倶楽部はなかなか居心地がいいとも思っている。不見倶楽部の部員と比べると副部長以外には勝てる。幻想郷ではそこまで強くはないのだが、外の世界では結構強い。伯奇を昔から知っており、博麗の里にいた時の伯奇への連絡係もやっていた。東風谷早苗が軸にいるはずのこの話でまさかの準レギュラーを勝ち取った。もともとそこまで登場することが決まっていなかったのにどうしてこうなったのか。おそらくこの先も含めて最も登場頻度が高い原作キャラになる。八雲紫や八雲藍と違って未完の大器であるため、この物語中に最も成長する妖怪は彼女だろう。未来の伯奇と副部長の相棒ポジまで確約されている本作屈指の棚ぼたキャラである。

 

『外の異変解決者』

 

外は広いので当然副部長や伯奇以外にもいる。

 

 

第三章『土着神』

 

外の世界の話であるため当然オリキャラが出る。

 

 

最終章『幻想』

 

この最終章で重要な新しいオリキャラが十一人増えることが既に決まっており、今から頭痛の種だったりする。副部長の過去の話が絡むのと、幻想郷のキャラがいっぱい出ることも確定している。



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