Steins;Gate γAlternation ~ハイド氏は少女のために~ (泥源氏)
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ジキルとハイド





 

 

『ジキル博士とハイド氏の奇妙な物語』をご存じだろうか。

 

ロバート・ルイス・スティーブンソンの代表的な作品の一つだが、

諸君の中でも聞いたことはあるが読んだことはない、という者が多いだろう。

言ってしまえば、〝解離性同一性障害〟、または〝二重人格〟が物語の主題。

ジキル博士なる人物が自分を薬の被験体として使った結果、

新しい人格であるハイド氏を手に入れた。

 

いや、言い方が間違っているかもしれない。

彼も、我々も、必ず持っているだろう裏の人格、欲望に塗れた罪深い自分が

表に出てきてしまっただけだった、と俺は解釈している。

以降、ジキル博士の周りで起こる怪事件の数々。

ハイド氏による凶行だと知るのにそう時間はかからなかったが、結末は予想を裏切らず。

 

彼は自殺してしまった。

 

つまり、ジキル博士は裏の人格であるハイド氏に屈したのだ。

罪の意識に、罪の重さに、罪の恐怖に。

 

……別に、今の俺がハイド氏である、などと言うつもりはない。

どこかにジキル博士を置き忘れてしまった、そんな残滓が俺の中にある。

違う世界線、いや平行世界の自分の記憶、想いが流入したのかもしれない。

ヌルく甘ったるい、腐り溶けてしまいそうな粘着物を持つ俺、に似た存在。

 

だが、ソイツと俺も本質は同じ。

一つ一つの選択、事件においてIFがあり、世界は分かたれていくのだから。

 

羨ましくはないが、興味はある。

俺の未来が確定しているのなら確定しない場所へ。

渡る手段があるのなら渡って見せよう。

これは他世界の俺への宣戦布告だ。

ジキル博士はこの俺が喰らってやる。

そう、乗っ取るのだ。

 

 

 

無限の可能性が存在する、未知なる世界、シュタインズゲートを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010:08:15:17:04

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鮮血の赤が路地裏で弾ける。

散った飛沫を見やり、不快で顔を歪めた。

血が嫌いなわけではなく一張羅の白衣に付いてしまった事が煩わしい。

八つ当たりで転がる死体にもう一発ブチ込もうと時、近くで銃声が上がる。

どうやらあちらも仕事が終わったようだ。

 

 

「……ええ、そう。FBの言う通り、相手は捜査官だった。

ユーロポールの……大丈夫、二人とも始末した。

目標αはガード下、目標βはそこから離れた路地に……死体、転がってる。……了解」

 

 

怜悧の中に僅かながら脆さを帯びる、聞きなれた硬い声。

聞こえた方向に顔を向けると、携帯電話をしまう女がいる。

ラウンダーとして俺が拾い育てた死に損ない――桐生萌郁、通称M4。

 

 

「……M3、目標ブラボーを排除してきた」

 

「そうか」

 

「後始末はFBが。私たちは撤収を」

 

「そうだな」

 

 

彼女の話を聞きながらも周囲の警戒を欠かさない。

いくら治安の悪い秋葉原でも、殺人を一般人に見られると厄介だ。

逃走ルートの確認で通りの方を見れば――――

 

 

「っ!?」

 

「!」

 

 

翻る白衣に長い茶髪。

去り際に目が合った人物は、俺が良く知る人物で。

 

その卓越した頭脳を買ってラボメンに招き入れた天才少女。

――――牧瀬紅莉栖だった。

 

 

「……どうかしたの? M3」

 

「いや、牧瀬紅莉栖に見られた」

 

「っ! すぐに始末を」

 

「待て、想定内だから追う必要はない。しかし身を隠す必要があるな」

 

「……はい」

 

 

この致命的な現状においても特に顔色は変えない。

冷静に分析すれば、大した話ではなく。

既にラボメンには俺がラウンダーであることがバレているのだから。

 

 

 

 

阿万音鈴羽という反則的なタイムトラベラーによって。

 

 

 

 

牧瀬紅莉栖が非科学的な話を信じるかどうかはわからないが、

きっと未来人から場所を教えられたのだろう。

自分の目で見てしまえば彼女も信じざるを得まい。

つまり避けられぬ事象。

 

 

「今のところ牧瀬紅莉栖が通報するとしてもこの殺人だけ。

ならば握りつぶすことは簡単だ」

 

「そうね」

 

「では、ラボに向かうとしよう」

 

「……えっ?」

 

 

だからこそこうなった時どうするかも決めている。

あのまま去るのはあまりにも後腐れがあり、俺らしくもなかった。

 

 

「M4は俺の逃走経路を確保し、隠密に観察しろ。――――行くぞ」

 

「はっ、はい……」

 

 

狂気のマッドサイエンティストである鳳凰院凶真は、常に堂々としていよう。

未来人なんて胡散臭いものに怯えて雲隠れなぞ知れれば良い笑いものだ。

 

M4の戸惑いが伝わってくるが、この程度阿吽の呼吸で理解してもらわなければ困る。

まだまだこの女には調教が足りないのかもしれない。

 

風を切り颯爽と歩く、両手はポケットの中。

どのような状況でも鳳凰院凶真に不可能などありはしない。

それは事実であり真理。

不可能なことが在ってはならないのだ。

俺の手で世界の支配構造を変えるために。

 

 

 

野望へまた一歩足を踏み出す。

待っていろ、ラボメン諸君。

さぁ、お別れのご挨拶だ―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ご感想、ご指摘ございましたらよろしくお願いいたします。


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裏切り

 

 

 

 

 

 

俺の名前は岡部倫太郎、東京電機大学に通う一学生である。

しかしそれは仮の姿、真名は鳳凰院凶真、フェニックスの鳳凰に、院、

そして凶悪なる真実、と書く。

世界の支配構造を変革し、人類を混沌へと導く狂気のマッドサイエンティストなのだ。

 

思えば2000年クラッシュが起きてからというもの、がむしゃらに走り続けてきた。

人殺しに躊躇いはなく、裏切りに罪悪感はなく、嘘をつくことに否やはなく。

甘っちょろいことの言える世界でもなかったのだ。

2000年クラッシュは世界を逆行させたと言ってもいい。

弱肉強食、強ければ生き弱ければ死ぬ、原始的な世界。

そこは俺のような身寄りのない子供が生きていくには過酷すぎる場所で。

慣れるには、腐りきった場所だった。

 

居心地がいいはずもない汚泥の中、もがき苦しんでいた時一人の少女と出会う。

椎名まゆり。俺と同じく2000年クラッシュで両親を失い、不治の病に侵された少女。

同情なのか、郷愁なのか、同族意識だったのか。

彼女の世話をするようになってから、俺には何か今までと違う感情を手に入れ始めたと思う。

SERNのラウンダーに所属することになり、秋葉原に潜伏する際学生に扮し、

未来ガジェット研究所なるものを作ったことも拍車をかける。

俺は確かに、普通の人間の生活を送ることに成功していた。

 

 

 

そして、今。

未来人が現れ俺の正体が露見したことで、その生活は終わりを告げることになる。

存外、あっけない幕引きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           

 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

ラボから少し離れた場所でM4に目配せ。

彼女は頷き、物陰に隠れた。

それを見届けずラボへと歩き出す。

 

ラボの前にいたのは、先ほどユーロポール捜査官殺害を目撃した紅莉栖だった。

落ち着かない素振りだった彼女は、俺の姿を認めると遠くからでもわかるほど動揺し。

その顔に見える感情は、――――恐怖。

 

 

「お、岡部っ……!」

 

「ここで何をしているんだ?」

 

「そ、それは……っ」

 

「――――噂をすれば、ってやつか」

 

 

紅莉栖の近くまで足を運ぶと、潜んでいた女が姿を現す。

 

 

「お前まで、どうしてここに?」

 

「いたら不都合なの?」

 

「そんなわけないだろう、お前もラボメンなんだから。

ただ外で何をしているのかと思ってな」

 

 

「……アンタを待っていたんだよ、岡部倫太郎。

目撃者を追ってくるであろう、アンタをね」

 

 

 

そう言って敵意むき出しで俺を睨むのは、ラボメンナンバー005であり

自称2036年からやってきたタイムトラベラー、阿万音鈴羽だった。

拾ってやった俺に刃向うとは、全く恩知らずな奴。

 

 

「ほう?」

「それで、一緒に居た桐生萌郁っていう女は何者なの?」

 

「同僚だ。仕事のパートナーだな」

 

 

何故M4のことを知っているのか問うことはやめる。

タイムトラベラーに常識は通じない。

虚言は首を絞めるだけなので、正直に答えた。

 

 

「なるほど、ラウンダーか」

 

「――――そんなことよりっ……何か言うことはないの!?」

 

 

鈴羽との牽制のような予定調和の会話は紅莉栖の叫びに遮られて。

気丈な彼女、その目には涙が浮かんでいた。

 

 

「何のことだ」

 

「何も……言わないつもり?」

 

 

明らかに捜査官を殺害した件について言及していることがわかる。

しかし、弁解もなければ釈明の余地など皆無。

そもそも俺としてはどうでもいい話なので、わざわざ話題にする気などなかったのだが……。

 

 

「なんで……なんであんなことしたの?」

 

「アレはラウンダーとしての仕事だ。いわゆる正当防衛でもある、かな」

 

「っ! ……全部、全部嘘だったの? 私たちを、騙していたのっ!?」

 

「騙していた、というより黙っていた、と言う方が正しい。

別に知りたくなかろう? 俺の副業なんて」

 

 

俺に特定の思想など存在しない。

『SERNと戦うマッドサイエンティスト』と『SERN治安部隊の構成員』は

俺の中で共存し得るのだ。

だから、特に問題はない。

知られてしまえば地位を維持することが難しくなるが、それだけである。

 

 

 

価値観が完全に隔絶していて話にならない。

温度差は、既に埋められるモノでもなかったのだ。

 

 

 

 

「……そう、人を殺すこともなんとも思っていないのね……人を、裏切ることも」

 

「何を言っても無駄だよ、牧瀬紅莉栖。

コイツは嘘と裏切りだけで生きている男なんだからさ」

 

「酷い言い様だな。お前の方がよっぽど胡散臭い女だろうに」

 

「……何?」

 

「阿万音鈴羽、調べさせてもらった。

お前の生きている痕跡は俺の前に現れたついこの前までどこにも存在しない。

それでいて俺のことをよく知っている口ぶり、――まるで未来から来たみたいじゃないか」

 

「!?」

 

 

当然だが、俺はわざわざ在りもしない痕跡を調べたりしない。

単なる鎌掛けである。

他愛ないものだが、彼女はまんまと引っかかった。

リアクションが雄弁に物語っている。

 

 

そうだろう?

間抜けな未来人、さん。

 

 

 

「豪く正直な女だな」

 

「……ちっ。最悪な男だね、岡部倫太郎」

 

「お互い様だ、阿万音鈴羽」

 

 

この女さえいなければ、仮初めの生活をもう少しだけ過ごすことが出来たのだ。

そして未来人なんて不確定要素が俺の未来を『確定』させ、

さらにその未来を都合のいいように捻じ曲げようとしている。

苛立たない筈がなかった。

 

 

間違いなく、この女は俺の天敵。

 

 

 

「……ねぇ、あの子、まゆりはもう長くないんだから、

悲しませるようなマネは、止めてよっ……」

 

 

膠着状態になった俺と鈴羽に割って入るように、今まで黙って俯いていた紅莉栖が

声を上げる。

途切れ途切れで掠れた声は、必死で痛々しい。

だが俺からすれば、その言葉はまゆりを盾に、人質にして

俺を止めようとしているようで心底不愉快だった。

 

 

「牧瀬紅莉栖、この男を放っておくのはまずい。証拠はあるんだ、警察に連絡を」

「……っ」

 

 

早いが、潮時か。

 

どうやらすっかり信じて、と言うより理解してもらえなかったらしい。

ちょっと前に現れた未来人程度に覆されるほど俺は弱い地盤に立っていたのか。

これは、どちらにしても滑稽な結果に行きつくわけだ。

 

マッドサイエンティストとして紅莉栖には少し期待していたのだが……

所詮、世間知らずの培養エリート。

もともと理解し合うことが不可能だったのかもしれない。

遅かれ早かれ、といったところだった。

 

 

「それではさらばだお前たち。――それなりに、楽しかったぞ」

「……えっ?」

 

 

携帯で警察に連絡しようとしていた紅莉栖は声を上げたが、視界に俺はいない。

目の前にあるのは破裂するスタングレネードのみ。

 

 

「ぐっ、……くそぅ、やられたッ!」

 

「ぅう……おかっ、岡部っ!」

 

 

苦しそうに声を上げる二人を背に、俺は低姿勢で走り抜けていた。

 

 

 

 

 

あっという間に、全てを置き去りにして。

何も見ないように、何も聞かないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

その姿は、自分でも笑い出したくなるほど惨めで無様で、哀れだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仲間たちと決別したその足で、まゆりの病室を訪れた。

そんな俺を彼女は屈託ない笑顔で迎える。

傍らには漆原るか、通称ルカ子がいた。

彼女も足繁く病室に通いまゆりの世話を焼いてくれる。

親友、というやつなのだろう。

 

 

「あっ、岡部くんだー。ようこそいらっしゃいましたー」

 

「岡部さん、今日は来ないかと思いましたよ。椅子、どうぞ」

 

「少し用事が長引いていな。遅くなった」

 

 

ルカ子の差し出した椅子に座り、一心地つく。

今現在、俺の落ち着ける場所は世界中探してもここだけと言っていい。

深い安堵の息を漏らす。

 

まゆりの顔を見ると、目が合い笑いかけてきた。

少しだけ笑い返すと、自分の中にあった凝りのようなものが解れたような感覚。

知らず知らずの内に疲労していたようだ。

特に、今日は。

 

 

「どうだ、身体の調子は」

 

「ばっちりだよー。岡部くんも来てくれたし、

今ならバック転も出来ちゃうかもね、えへへー」

 

「無茶はするなよ」

 

「はーい。それでねそれでね、今日ね」

 

 

他愛ない、下らない話を幾つかする。

それは何でもない時間のようで、俺にとっては何よりも大切な時間。

 

 

「まゆりちゃんてば、岡部さんが来ないなーってそればかりで……」

 

「わわわ、ルカちゃんっ」

 

「そう言ってもらえると来た甲斐があったよ。――実は、土産があるんだ」

 

「えっ……わぁ、ケーキだー♪」

 

「食事に関して制限はなかっただろう?」

 

「うんうんっ! 本当にありがとー、岡部くんだーい好き♪」

 

「ふふっ」

 

 

彼女の笑顔を見るだけで心が洗われる。

地上に降りた天使、は言い過ぎだと思うが、荒みきった俺にはそれぐらい輝いて見えた。

まるで手の届かない星のように眩しく、汚しがたい。

 

 

「あ、ぼく飲み物買ってきます。まゆりちゃんは何がいい?」

 

「んー……じゃあね、オレンジジュースっ!」

 

「岡部さんはいつものマウンテンデューですね」

 

「ああ、頼む」

 

 

そう言って、ルカ子は席を外した。

彼女の気遣いかもしれない。

気が利く少女だから俺の意図を良く汲んでくれる。

しかし、俺が人殺しだと知れば彼女も離れていくだろう。

少しだけ惜しい気持ちが湧く。

 

 

「――――」

 

「…………」

 

 

俺とまゆり、二人だけの病室。

沈黙するが、そんな時間も嫌いじゃなかった。

 

時計の針が奏でる音はこんなに大きかったのか。

 

 

「……岡部くん、何かあったの?」

 

 

静かな時間を終わらせたのは、恐る恐ると出たまゆりの問いかけだった。

 

 

「……何かあったように見えたか?」

 

「うん。病室入ってきた岡部くん、顔が強ばっててちょっと怖かったのです」

 

「ああ、悪い。知り合いと喧嘩してな、気が立っていたんだ」

 

「……そう、なんだ。喧嘩はダメだよー?」

 

「そうだな、反省している」

 

 

嘘、というつもりもない。

彼女にだけは誠実でありたいと思う。

本当はラボの連中にも誠実に接してきたつもりなのだが、

そんなことを言えば鼻で笑われるだろう。

 

 

「ごめんね、岡部くん」

 

「……え?」

 

 

下らない自虐的思考に手を伸ばしていると、不意にまゆりが申し訳なさそうに謝った。

予想外の謝罪に変な声が出てしまう。

 

 

「いつもいつも、岡部くんだって自分のことで忙しいはずなのに、

わざわざ足を運んでもらっちゃって」

 

「いや……」

 

「……まゆりはね、岡部くんの重荷にはなりたくないのです」

 

 

まゆりは、寂しそうな顔を浮かべて言った。

唐突、ではない。

俺の態度が彼女に誤解を与えてしまっていたのだ。

いつも慌ただしく現れて、急かされるように去っていく。

無理をして来ている、そう思われても仕方がなかった。

 

 

「……重荷なら、来るはずがないじゃないか」

 

「そ、そうだよね。ごめん、変なこと言って……」

 

「ああ……」

 

 

上手い言葉が口から出ずに、喉はその役割を忘れてしまう。

まゆりも押し黙る。

一転、微妙な空気になってしまった。

彼女のナーバスな心に、俺のささくれだった雰囲気は煩わしさを与えてしまうのか。

目が泳ぎ空中を漂っていると、一つ見覚えのある物が映る。

 

 

「……その髪飾り」

 

「えっ?」

 

「着けていて、くれたんだな」

 

「あ、うん……まゆりの宝物なのです。えへへー」

 

「そうか……気に入ってくれてよかった」

 

 

彼女の髪は、既に薬の副作用でほとんど抜けてしまって。

今は医療用のウィッグを着けて生活している。

女にとってそれがいかに辛いことか、俺に推し量ることは出来ない。

だから少しでも彼女の心が休まるようにいつだったかプレゼントした物。

大切にしてくれている、その事実は素直に嬉しい。

 

 

「本当にありがとー、岡部くん。これのおかげで、ウィッグするの嫌いじゃなくなったの」

 

「そうか、良かった」

 

「それに、薬のおかげでクリスマスまで生きられるかもって、希望が出てきたんだー。

サンタさんには、もっと時間がもらえるようにお願いしようかなっ」

 

「…………」

 

 

医者と話した記憶が蘇る。

クリスマスまでもつことはないだろう、と医者は言っていた。

彼女にその事は言わないで欲しい、好きなものを食べさせてやって欲しい、と俺が言ったことも思い出す。

本来、長く生きられるように尽力すべきだったのかもしれない。

しかし俺が彼女の笑顔を見たいがため、自分勝手な願いを押し付けた。

残り少ない命なら幸せに過ごせるようにだなんて、俺は何様だろうか。

 

誠実……なんて、虚しい。

 

 

「……ああ、頑張れよ」

「うんっ、頑張るー!」

 

 

掠れた声で、彼女を励ます。

無責任で、空々しい言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後帰ってきたルカ子を交えてケーキを食べ、

皆でアルバムを眺めて消灯の時間になり解散となった。

まゆりの病室には多くの写真が飾ってある。

俺と遊んだ、想い出も。

 

 

『またいつか行った遊園地、岡部くんと一緒に行けるといいねっ』

 

 

俺はその願いに対して、曖昧に答えを濁す。

行けるはずがなくとも頷けば良かったのに。

自分の卑劣さに吐きそうになる。

 

今はルカ子を柳林神社へ送っているところだった。

彼女は遠慮していたが、飲み物を買って戻ってきてからのぎこちなさから

俺と話があることは明白である。

どのような話かも、想像がつく。

 

 

「何か、聞きたいことがあるんじゃないか?」

 

「……!」

 

 

二人無言で歩き、既に神社の境内。

敢えて俺から切り出したのは、ルカ子の躊躇いに付き合って

先延ばしにすることを嫌ったからだ。

自ら断頭台に上るのもオツだな。

 

そして――――

 

 

「あの……ついさっき紅莉栖さんから、で、電話が、あって……」

 

 

ああ、やっぱり……

 

 

「嘘、ですよね? 岡部さん、そんなことする人じゃ、ないですよね?」

 

 

わかっていた筈のリアクションで、たくさん用意していた言葉はあったはずなのに、

全て吹き飛び、

 

 

「嘘って言ってくださいっ!」

 

 

出た言葉は何の言い訳でもなく、

 

 

「岡部さん……っ!」

 

 

ただ一言。

 

 

 

「事実だ」

 

 

 

自分の声なのか疑いたくなるような、弱々しい肯定だけ。

 

 

こうして、岡部倫太郎の学生ごっこの幕は下りた。

静謐なる神社の中で、巫女の手によって。

そこに運命すら感じる。

そう――――

 

 

「これが“運命石の扉(シュタインズ・ゲート)”の選択、か」

 

 

特に意味のない言葉を一人呟く。

歪んだ笑みを、その顔に張り付けながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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流星

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『まゆりちゃんにはこのこと、黙っておきますからっ』

 

 

そう言って背中を見せたルカ子が頭を離れない。

ルカ子は存外、俺の中で大きなウェイトを持っていたようだ。

 

それでももう切り替えなければならない。

彼女たちの前以外では、裏の人間でなければならないから。

 

既に俺は神社を去りM4の自宅まで来ている。

神社の入り口で待機していたのだから、殊勝なパートナーである。

 

 

「……はい、これ、ケバブ」

 

「ああ」

 

 

俺の好物まで言われずとも用意する。

このパートナー、プライスレス。

 

差し出されたケバブを奪うように受け取った。

腹は正直だ、食欲をそそる匂いに刺激され寄越せ寄越せと催促する。

その声に抗うことなく、貪るように喰らいつく。

 

……うん、やはり美味い。

秋葉原名物は伊達ではない。

 

 

「……FBが、連絡を」

 

「FBが?」

 

 

ケバブを食べ終え食後の小休止を取っていると、自分のケバブを

ようやく食べ終わったM4が独り言のように呟いた。

 

M4はしゃべるのが苦手だが、むしろそれは静寂を好む俺にとってもありがたい。

それでも、もっと早く伝言ぐらい寄越せと言いたくなる。

 

俺のケバブを食べる様がそんなに面白いのだろうか。

見世物ではないのだが、眺める暇があるなら伝言を取り次ぐなり、

自分のケバブを食べるなりしろ。

M4の思考は未だに読みづらい。

 

とにかく、下らない思考は捨ててFBに連絡することにした。

あの坊主は意外でもなんでもなく短気だ。

何の言いがかりをつけてくるかもわからない。

 

M4から携帯電話を受け取り短縮でダイヤルすると、1コールで繋がる。

……暇なのか?

 

 

『M3、何故すぐに連絡しなかった?』

 

「今こうして連絡しているだろう」

 

『……まぁいい、今更だが連絡事項を伝える。

 警視庁への根回しが現場レベルまで徹底されるには今日いっぱいかかる。

次の命令まで待機しろ』

 

 

本当に今更だった。

既に日は落ちて、夜を迎えているのだ。

これからわざわざ出かける気にはならない。

 

 

「了解。それと、例の俺が作った発明サークルだが」

 

『どうした?』

 

「――いい加減“回収”しようと思う。これ以上放置しておくのは危険だ。

奴らは時の禁忌に触れ過ぎている」

 

 

自分で種を蒔き、自分で刈り取る。

SERNの常套手段。

あまりにも自然で原始的な行為が、何故か背徳感を帯びていた。

刈り取るものが稲ではなく人間だからか。

 

 

『そうか……そっちはお前に一任していたから、別に構わない。

ブラボーチームを行かせるか?』

 

「いや、“鳳凰院凶真”を行かせる。アシでM4がいれば十分だ」

 

 

後始末ぐらい自分でやってやる。

誰にも邪魔させない。

この刈りは、もはや芸術なのだ。

狂気のマッドサイエンティスト鳳凰院凶真の、な。

 

 

――――それに、確かめたいこともある。

 

 

 

『……やり過ぎるなよ? 発明者の二人は予定通り、生きたまま回収しろ』

 

「くくっ、当然だろう? 彼らは俺の仲間なのだから、誰も殺しはしないさ」

 

『この間、友軍を容赦なく虐殺した人間が言うセリフじゃないな……』

 

「彼らは抵抗した。それだけだ」

 

 

殺していいのは、殺される覚悟のある奴だけだ――――

 

どこかのテレビに出ていた、仮面のヒーローが言っていた台詞。

電話の向こうから嘆息が漏れる。

俺に任せるとどうなるかわかるはずなのに、贅沢な奴だな。

 

 

『で、作戦はいつ決行する?』

「明日一七○○。場合によってはズレるが、おおよそそう見てくれ」

 

『了解、健闘を祈る』

 

「ああ。――――エル・プサイ・コングルゥ」

 

『……それ、必要なのか?』

 

 

無視して通話を切る。

厨二病のふりをしているうちに身についてしまった意味のない単語の羅列。

それでも確かに俺の中では日常的な合図になっていたのだ。

 

M4に視線を送ると、了承の頷きが返ってきた。

それを見た後窓の外を見やる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

流れ星が通った。

願う暇もない。

忙しなく、儚かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寝心地の悪いボロアパートで夜を明かす。

昨夜はM4を抱く気分にはなれなかった。

 

そのM4はすでに部屋から出ている。

様子を見に行くと言っていたから、警視庁の追及について偵察しに行ったのだろう。

 

携帯電話を取り出し、電源をつける。

昨日の着信メールはいくつかあったが緊急性はなく。

 

そして一昨日来たメールを改めて確認する。

合わせて、三通。

 

 

『明日は携帯の』

 

『電源を切って』

 

『まゆりを救え』

 

 

全て送信者は同じ、俺の副アドレス。

送信日時は――――2010年8月21日。

未来から送られてきたメール、つまりDメールだった。

 

それにしても訳がわからない。

何故、昨日携帯電話の電源を切ることがまゆりを救うことに繋がるのか。

いやもしかしたら、これらのメールに繋がりはないのかもしれない。

最後の一言は単なる依頼なのか。

 

 

 

しかし俺には仮説がある。

この携帯電話、電源をつけていなければDメールの干渉を拒むことが出来るのではないか。

 

 

 

無論、根拠はどこにもない。

それでも、否定することは出来ない。

だから俺は信じることにした。

未練タラタラの未来の俺が考え抜いて送ったものであるのだから。

 

携帯電話依存症ではないので、電源を一日切っておくことに躊躇いはない。

FBにもスポンサーにもちゃんと伝えておいたから仕事にも支障はなく。

仮説通りなら、世界線を渡ってきた俺に身体を乗っ取られてしまう危険性が高かったので、

このぐらいお安い御用だった。

自分ではない自分なんて、想像するだけでも吐き気がする。

 

記憶に繋がりがあるので結局乗っ取られはしなかったようだ。

一安心、と言いたいところだが、これからが難問である。

 

 

『まゆりを救え』

 

 

不治の病に侵された少女、椎名まゆり。

彼女を救うことによって何か未来を変えることが出来るのか。

今の俺にはわからないが、なにがしかの重要なファクターなのだろう。

 

……いや、それは言い訳だ。

彼女が死ねば間違いなく後悔する。

それぐらい想像できたことだった。

 

そして、こんなメールを送ってくるということは手段が存在することもわかる。

その手段も、俺の持ち駒の中では一つしか思い浮かばない。

 

 

(――Dメール、か……)

 

 

俺のお遊びサークルが作ったガラクタが、まさか過去の携帯までメールを送ることを

可能にするとはな。

しかもそのメールによって変えられた事象が世界に反映される脅威の機能付。

通称“Dメール”

 

事象の変化が不確定過ぎるということで没になりかけていた作品だが、

大きな成果を期待出来ることも事実。

不治の病を治すなどと言う神の所業もメール次第では可能なはずだ。

メール次第、では。

 

 

(必ず収束する事象ならば神でも変えることは不可能だが――)

 

 

いっそ思い切って大きな事件を変えてやる。

因果の収束を振り切って、今の俺が想像の出来ないような世界へ。

 

アタリはつけていた。

 

 

――――2000年クラッシュ。

 

 

2000年に起こった数々の電子的災害。

世界を混乱へ陥れて、俺やまゆりから全てを奪い去った。

忘れたくても忘れることなど出来ない歴史的な事件である。

 

アレは天災でもなんでもない、人災なのだ。

しかも俺の推測ではSERN関係者によるもの。

内情をよく知る俺が、変えられないはずがなかった。

 

 

ふと、時計を見る。

思考に耽ってもう昼になっていた。

空腹を確認していると、ドアを叩く音。

M4である。

 

 

「入れ」

 

「はい」

 

 

扉を開き、玄関先で靴を脱ぎ俺のそばまで来て腰を下ろした彼女。

ビニール袋を片手で差し出す。

 

 

「ケバブ、……とマウンテンデゥー」

 

「ご苦労。で、収穫はあったか?」

 

 

受け取って、中身を取り出した。

マウンテンデゥーを一飲みし、喉の渇きを潤す。

 

 

「M3の言う通り、漆原るかの母親はDメールをポケベルに、受信していた。

……それも、1993年に」

 

「そうか、奴の言っていたことに間違いはなかったらしい。

それでポケベルの番号は?」

 

「受け取って、来たわ。……M3の言う通り言えば、快く」

 

「だろうな」

 

 

俺が2000年クラッシュをSERNが引き起こしたものだと推測した理由。

それはワクチンプログラムを開発した人間がSERNの科学者だったからだ。

 

それだけでは確証などどこにもないのだが、SERNの手法を俺はよく知っていて。

ワクチンが出来ればウィルスを蒔く、自作自演。

マッチポンプなんてどこも使う話だが、SERNのソレは正しくお家芸だった。

 

俺はSERNの仕業と仮定して行動を進め、

ワクチンプログラムを開発した人間に辿り着き拉致した。

苛烈な拷問の末彼は色々と自白してくれたが、

その中で興味を持ったのがルカ子の母に送られてきた未来からのメール。

明らかにDメールだった。

 

そんなものがきっかけで2000年クラッシュが起こるなんて誰が想像できるだろうか。

 

バタフライエフェクト、というやつか。

蝶の羽ばたきによって起こった嵐は、俺やまゆりをどん底まで叩き落としたのである。

 

 

「よし、この番号に俺が考えたDメールを送信すれば――」

 

「送信、すれば……?」

 

「――世界が、再構成される」

 

 

2000年クラッシュの起こらない世界なんて、バタフライエフェクトを考えればもはや別次元。

正直、一昨日までの俺だったらここまでの改変はしなかっただろう。

あまりにもリスクが大きすぎる。

しかし、――――

 

 

(後悔している俺なんぞ、なりたいとも思わないからな)

 

 

Dメールの意図通り動くのも癪だが、先の盗聴記録を思い出す。

 

 

『岡部倫太郎は嘘と裏切りだけで世界を手に入れて、

またその嘘を塗り固めるために数多の命を奪い続けてる。

だからあたしはこの時代に来たんだよ。未来を変えるためにね』

 

『2036年ではさ、岡部倫太郎はSERN治安部隊ラウンダーのトップで、

300人委員会の一人。

決して表舞台には出てこない影の独裁者になってるんだ』

 

『アイツは自らを神格化してこう名乗ってた。――鳳凰院凶真。

アイツのせいで沢山死んだよ。仲間も、両親も、友達も、

あたしの知らない誰かも、アイツの手下として虐殺に加担した連中も。

……あたしも、無事じゃいられなかったし』

 

 

聞いてしまった。

知ってしまった。

未来の自分の姿を、所業を、孤独を。

 

このまま俺が走り続ければ、阿万音鈴羽の言った鳳凰院凶真になると理解している。

避ける必要もない。

目指している場所であり野望なのだから達成すべきである。

成功の保障をしてくれているのだから喜ぶべきなのだ。

 

 

それでも、俺は。

 

 

『あの時の岡部、私の知ってる岡部じゃなかった。

普段から冷たいヤツだったけど、根は良いヤツだって思ってた。

でも、あの時の岡部は……』

 

 

この世界を、否定する。

 

 

『またいつか行った遊園地、岡部くんと一緒に行けるといいなっ』

 

『まゆりを救え』

 

 

俺は、俺の命じるままに。

湧きあがる青臭い情熱が俺を突き動かし。

 

 

「テンションに流されて賭けに出る、か。――俺らしくもないな」

 

「……」

 

 

心は、久しぶりの高揚を覚えていた。

そんな自分が、嫌いではなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在ラボの前で待機している。

突入目前だ。

予定より早いが、特に問題ない。

 

 

『はぁー……フェイリスは倫太郎でも探して来ようかにゃー』

 

『死にに行きたいの?』

 

 

ラボにはちょうどラボメンが全員揃っていた。

あの忌々しい未来人も。

 

 

「銃、いる?」

 

「そうだな」

 

 

M4からミネベア9mmを受け取る。

脅迫する時銃は実に有効だ、徒手空拳と威圧感がまるで違う。

持っていて損はない。

 

FBには二人で突入すると言ったが、他者に介入させないためのブラフで

本当は俺一人突入するつもりだった。

このミッションはどうしても自分の手でクリアしたかったから。

 

しかしM4は付いてきた。

 

 

『世界を、再構成……?』

 

 

彼女に言う必要はなかったのだが、俺の偉業に見物客が一人もいないというのも侘しい。

パートナーとして信用していたから話したが、予期せぬリアクション。

 

 

『今の世界は、どうなるの?』

 

『さあな』

 

『そう……』

 

 

まさか彼女がこの世界に未練を持っているとは思わない。

一時自殺しようとしていた女である。

彼女なりの希望でも出来たのだろうか。

少し名残惜しそうではあったが、俺を止めるわけでもなく黙ってミッションに加わる。

 

結局俺も黙認することにした。

せっかくの見物客なら、すぐ傍の特等席で見せよう。

マッドサイエンティストの美学だった。

 

 

「何か心残りでもあるのか?」

 

 

このまま突入するのも構わないが、気になったことは聞いてみるに限る。

どうせこのミッションが終われば彼女と会う機会はないのだ。

 

少し躊躇うと、彼女は重々しく口を開いた。

 

 

「……私は貴方に生きる意味を、与えてもらった。

貴方は、私にとって家族も同然。……貴方との関係が崩れるのは、嫌なの」

 

 

……純心に、驚く。

M4とは長く一緒にいるが、俺にとって只の気まぐれだ。

彼女に話しかけたのも、ラウンダーとして拾ったのも、俺の傍に置いたのも。

 

 

「でも、私は貴方のためなら何でもする。……力に、なりたいの。

たとえ貴方が世界中を敵にまわしても、私だけは、貴方のパートナーだから。

……背中を、預けて」

 

 

抱きたいときに抱いて、後は雑用を押し付けた。

ビジネスライクとも言えぬ道具に近い扱いにも関わらずそんな風に思っていたとは……。

いつもより饒舌な彼女が泣いているようで、どうしようもなく別離を思わせる。

 

 

「……はあっ、終わったらあのケバブ、もう一度二人で――――」

 

 

これ以上喋らせない。

 

俺はM4に――――萌郁に、口づけた。

 

濃厚で、息もつかせぬように吸う。

舌で彼女の口内を蹂躙し、唾液を絡め取る。

 

 

 

想いも、約束も、願いも、全て飲み干して。

 

 

 

息の荒い彼女と俺の間に透明な橋が作られる。

途切れても、その瞳は見つめ合ったまま、何かが通じていた。

 

 

「行くぞ」

 

「……ええ」

 

 

無駄な言葉はいらない。

必要がない。

 

 

「カウント」

 

「1、2、3ッッ!!」

 

 

俺たちは走り出す。

光の中へ――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

急がなければならない。

鈴羽が電話レンジ(仮)を破壊する前に、SERNが回収しに来る前に。

 

 

 

ミッション、スタート。

 

 

 

 

「全員動くなッッ!!」

 

 

ドアを蹴破り突入。

威圧するように声を張り上げる。

無駄な抵抗を避けるために。

 

 

「岡部っ!?」

 

「ぅうう動かないから、うぅう撃たないで……っ!」

 

「倫太郎……なんでっ!」

 

 

ラボメンたちはこちらの思惑通り震え上がり、抵抗の意思を見せない。

……当然だ。彼らは暴力に慣れていない、単なる一般人なのだ。

銃を持った人間二人に脅されれば失神してもおかしくなかった。

 

 

「岡部さん……」

 

「……見損なったわ!!」

 

「喋るなッ! 全員壁に向かって跪くんだ!!」

 

 

突き刺すような敵意と失望の眼差しを振り払うように、威勢を見せる。

こちらの優位を大仰にでも示さなければならない。

 

 

「M4はこいつらを見張っておいてくれ。俺はDメールを――」

 

「待って! 一人、足りないっ!!」

 

 

M4が悲鳴のような警告を叫ぶ。

そう、ラボメンは声を聞く限り5人。

それが4人しか見当たらない――――

 

 

「こっちッ!!」

 

 

這いつくばるほど低空の死角から俺に向かってくる一つの影。

その声は、その気配は、憎らしく邪魔な未来人で――――

 

 

「シッッ!!!」

 

「がふっ!??」

 

 

この俺が、捕捉していないはずがなかった。

下段から打ち上げる回し蹴りが奴の腹に直撃する。

骨の折れる音、ゴムを叩くような感触。

……どうやら相当鍛えているようだ。

 

 

「鈴羽っっ!!」

 

「案ずるな、死んではいない」

 

 

盛大な音を立ててふっ飛んだが、内臓破裂までは至っていない。

肋骨数本で許してやった。

ラボメンとしての情けである。

二度目は、ない。

 

 

「戦士だかなんだか知らないが、小娘一匹でこの俺に敵うはずがなかろう。

情報不足だったなぁ阿万音鈴羽」

 

「くっ……!」

 

 

俺は基本的に銃を支給されていない。

人を確実に殺さなければならない時ぐらいしか使う必要がないのだ。

鍛え抜かれたこの身体さえあれば、大概のミッションはクリア可能なのだから。

 

 

「倫太郎、こんなことしてなんになるのっ!?」

 

「もうやめてっ!! やめてよ……。お願い岡部、自首して」

 

 

身を切るような嘆きを聞き流し、電話レンジ(仮)の前に立つ。

もはや抵抗するとは思わないが、彼らに背を向けて電話レンジ(仮)を操作する気にならない。

近くにいたルカ子に銃を突きつける。

 

 

「岡部、さん……」

 

(ルカ子。抵抗しなければ、危害は加えない)

 

「っ!」

 

 

つくづく甘い、と思う。

偽善者と、罵倒が俺の内から聞こえた。

 

 

「いいか! このメモに書かれた内容を、X68000に入力しろッ!」

 

「は、はい……」

 

「従っちゃダメッ!」

 

「黙れッッ!! ――さあルカ子、入力だ」

 

 

痛みなどどこへやら、飛び掛からんばかりの未来人を銃で牽制する。

元気な女だが、ここで動くほど馬鹿でもあるまい。

 

 

「……岡部、何する気? Dメールは安定した運用が――」

 

「俺には仮説がある。42型ブラウン管、アレこそリフターの役割を果たしている可能性が高い」

 

「っ! そう、か……アンタの仮説が間違っていたこと、ないものね」

 

 

ルカ子の操作音と入り乱れる呼吸音。

ラボ内は、不思議と凪いでいた。

 

 

「……打ち込みました」

 

「よし、後は俺の携帯から、メールを送れば――っ!!」

 

 

 

 

突如、激痛が走る。

 

 

 

外からの銃声。

俺の腕から赤い花火が炸裂する。

危うく銃を取り落とすところだった。

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

「岡部さんっ!?」

 

「スナイパー!!? 隣のビル……なんでっ!??」

 

 

咄嗟に弾道から予測した狙撃地点へ弾丸を放つ。

当たったかどうかわからないが、威嚇程度にはなる。

それより、――――

 

 

「こいつら……ッ!」

 

「FBっ……」

 

 

後詰めの前衛部隊。

轟音と共に乱入してきたのは、ブラボーチームを率いたFBだった。

 

 

(切り捨て、られたか……)

 

 

随分前から俺が危険視されていることはわかっていた。

油断した俺と、全ての一網打尽を狙った作戦。

 

 

「ブラボー、ターゲット以外無力化しろ! 撃てッ!!」

 

 

まず厄介な俺をスナイプ、後は物量。

なるほど、理に適っている。

舌打ちしたくなるほどに。

 

 

「るかッ!」

 

 

こんな狭い室内で、奴等はマシンガンを乱射した。

……ターゲットもクソもないではないか、阿呆めッ!

 

 

「ガッ!?」

 

「M3ッッ!!」

 

 

誰かに当たるなら俺が引き受ける。

そんな風に考えたわけでもなく、衝動的に飛び出していた。

彼女が傷つけばまゆりが悲しむから。

 

 

「皆、伏せてっ!」

 

 

鈴羽が銃で威嚇射撃を行っている。

俺も加わらなければ……。

 

 

「くっ……制圧しろォ!!」

 

 

それでも視界は霞んできて。

ルカ子を庇い出来た銃創から、止めどなく血が溢れ出す。

 

 

「ゴフッ」

 

「岡部さんっ……岡部さん、っ! すごい血……やだ、どうすればっ……死なないでっ!」

 

「ぐ、ぅう、メール――」

 

 

Dメールさえ送れば、こんな傷なかったことになる。

俺のことは、いいんだ。

だから泣くなよ……。

 

 

「M3っ!!」

 

「M4、メール、をこの携帯から、送れ――」

 

「っ……わかった! 今……」

 

 

薄れ行く意識の中、銃声の鳴り響く部屋で。

どうしてかハッキリと聞こえた彼女の声。

 

 

 

 

「岡部くん、……元気で」

 

 

 

 

だから、最期に感謝を伝えよう。

ずっとこんな俺を支えてくれた相棒に。

 

 

 

「――――」

 

 

 

 

泣き顔へ伸ばした手は届かず。

 

 

 

世界が、変わる。

想像もつかない方向へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蝶の羽ばく姿が、視えたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ドラマCD部分終了です。
行替えのタイミングがよくわからないですね。
アドバイスや感想ございましたらお気軽にお願いします。



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代償

時系列は基本原作準拠です。
何か間違いがあれば、お気軽にご指摘ください。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.615074

  ↓

0.523299

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

往来のど真ん中に立ち尽くしていた。

行き交う人々が俺を煩わしげに避けていく。

見回すと、見たことがある景色のようでそうでないような。

 

言うなれば、未知感《ジャメ・ビュ》。

 

 

(ここは、秋葉原……?)

 

 

確かに構造は秋葉原の中央通りである。

しかしこんなに活気があるような場所ではないはず。

2000年クラッシュ以来、電気街たる秋葉原が栄えることはなかったのだから。

こんな色とりどりの看板が乱立しているわけでもなかった。

 

 

(成功した、のか?)

 

 

Dメールを送れば世界が一変することぐらいわかっていて。

それでも、実際見てみると混乱するものだ。

 

自分の身体を見下ろす。

二発銃弾を浴びたはずだが傷などどこにもなく。

全く健康体そのもの、Dメール使用前と変化ない。

 

 

(……)

 

 

違和感はあるものの、今は情報収集が先である。

一旦中央通りの路地裏に入り携帯電話を取り出す。

世界を放り出された俺にとって、この小さな電子端末だけが命綱だった。

 

 

 

2010:08:16:17:03

 

 

 

Dメールを使っても時刻は当然の如く変化ない。

 

次に電話帳を見る。

登録人数が少なかったので、探そうとしていた名前はすぐ目に入った。

 

 

まゆり。

 

 

これが椎名まゆりのことかどうかわからない。

もしかしたら、同名の別人になっているかも知れず。

 

 

それでも期待してしまう。

運命を変えることが出来た、と。

俺は神を超えたのだ、と。

 

逸る気持ちを抑え、コール。

待ち時間がやたら長く感じられる――――。

 

 

『トゥットゥルー♪ まゆしぃ☆でーす。オカリンどうしたのー?』

 

 

電話口から響く明るい声。

心が満たされる、暖かくなる。

 

それにしても、――――

 

 

トゥットゥルー?

まゆしぃ?

オカリン?

 

 

流行りの言葉か何かだろうか……?

まゆしぃ……彼女の呼び方か。

オカリンは――――

 

 

『んー? ……オカリン、大丈夫?』

「あ、ああ、大丈夫だ」

 

 

間違いなく俺だな。

岡部倫太郎、略してオカリン。

……ノーコメント。

そして彼女は、

 

 

「まゆり、今どこにいる?」

 

『まゆしぃはね、まだコミマの途中なのです。ラボには帰れるかな~?』

 

 

紛れもなく、椎名まゆり。

どうやら無事らしい。

テンションは高いが、毎日聞いていた俺が声を間違えることなどなく。

 

それにしても後ろが五月蝿い。

コミマとはなんらかのイベントだろうか。

 

 

『……本当に、何かあったの?』

 

「いや、まゆりが無事ならそれでいい。明日はラボに来るのか?」

 

『んー、明日もコミマだから、終わった後に行くつもりだよー』

 

 

今日は会えない、か。

そう急ぐ必要はないな。

生存だけは確認出来たのだ。

それだけで十分ではないか。

 

 

だが、なんだ。

この沸き上がる焦燥は。

 

 

 

『あとねあとねっ、クリスちゃんの件ありがとね、オカリン♪』

 

「あ? ああ……」

 

『今はちょっといないけど、凄く楽しそうだったし、まゆしぃも凄く楽しかったのです!

オカリンも明日、こない?』

 

「……考えておく」

 

 

例の如く意味はわからないが、彼女が楽しめたならそれでいい。

コミマというものに来て欲しいなら別に構わないものの、頭をまとめる時間が欲しかったので保留にしておく。

 

 

『そっかー……コスも予備があるから、行きたくなったらいつでも言ってねー?』

 

「ああ。それじゃあ、気をつけて遊べよ」

 

『うんっ! じゃあね、オカリン♪』

 

 

通話を俺から切る。

これ以上話すと、落ち着かない今の俺ならボロを出してしまいそうだったから。

明日じっくり話を聞こう。

俺の心が鎮まってからでも遅くはない。

 

携帯電話を仕舞う。

寄りかかっていた壁から離れ、歩き出した。

向かう先は――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラボに着いた俺は深々とソファに座り、携帯電話とにらめっこしていた。

過去のデータを読み漁ることでこの世界の交遊関係を把握しておかなければならない。

俺はこれからこの世界で生きていくのだから。

別人になったなんて疑われても面倒だった。

 

結局わかったことは、この世界の俺が厨二病患者、またはソレを装っているということ。

そして交遊関係は表向き前の世界と変わっていないことである。

閃光の指圧師なんて訳のわからないあだ名だが、メールを見れば文末に名前を自分で書いている。

 

 

萌郁。

 

 

さらにIBN5100を探していることからラウンダーである可能性が高い。

確かにM4だった。

 

……だから、なんだというだろうか?

この世界の俺はおそらくラウンダーではない。

ここで彼女と接触してもメリットは低いのだ。

逆に怪しまれればまゆりに危害が及びかねなくて。

 

 

(光の世界でのうのうと生きる? ……無理だな)

 

 

それでも、俺は裏の世界に首を突っ込む。

中途半端に残してしまった野心の篝火がこの胸に宿る限り。

そも人を殺し続け罪を犯し続けてきた俺が、すぐに足を洗うなんて難しいのだと思う。

 

電話帳から“閃光の指圧師”という名前を呼び出し、ダイヤル。

ちょっとだけ、近況を聞くぐらいに済ませよう。

 

 

『終わったらあのケバブ、もう一度二人で――』

 

 

この世界でも知り合いならば、少し話す程度問題ないはずだ。

 

 

『岡部くん、……元気で』

 

 

呼び出し音が鳴り続ける。

……未だに、繋がる気配がない。

おかしい。

この世界の俺は無視でもされているのか?

いやもしかしたら、IBN5100を見つけ出すことに成功したのだろうか。

そして俺と接触する必要がなくなった――――?

 

杞憂であってほしい。

いてもたってもいられず、俺はラボを跳び出した。

視界はまだ明るく涼しくはない。

既に夜の時刻だが、日射しが優しく肌に触れる。

 

 

走る、走る、走る。

 

 

会社帰りのサラリーマンたちが邪魔だ。

すぐにアパートが見えてきた。

慣れた場所だから迷うことなく行き着く。

嫌な予感、悪寒。

青いシートが助長する。

 

 

 

なんだ?

なんで?

何が、起きた?

 

 

 

白と黒に彩られ、赤いワンポイントが悪趣味な車。

見慣れた制服を着た人間が張り付いていた。

この世界では何もしていないから、動揺を隠しながらも堂々と話しかける。

 

 

「あれは何があった?」

 

「ん? 君、関係者?」

 

「住人の知り合いだ」

 

 

アパートの二階部分一室。

今日の昼、俺はあの部屋で萌郁とケバブを食べた。

匂いも、空気も、良く覚えている。

狭くボロい場所だが、嫌いじゃなかったのだ。

 

 

「なにも聞いてないの?」

 

 

言い辛そうな警官。

無言で先を促す。

自分の仮説から目を逸らしたくなくて。

外れていて、欲しい。

 

 

「自殺だよ」

 

 

その願いは、一言で切り捨てられる。

じさつ? ……自殺。

あの女が、死んだ?

 

 

「いつ?」

 

「昨日だ」

 

 

声を絞り出し、問う。

昨日、は彼女と一緒にユーロポールの捜査官を、殺害したよな?

何を言っているんだコイツは。

 

 

「……ご遺体は、近くの千代田第三病院に運ばれてるはずだから。

身寄りが誰もいないみたいでね。困ってたんだ。会いに行ってやってくれないかな?」

 

「――――わかった」

 

 

それでも、俺の冷静な頭は答えを導き出す。

 

前の世界は消えた。

この世界で、萌郁は、昨日自殺している。

つまり、そういうことなのか?

 

確認は怠らず。

千代田第三病院へ確認の電話をして。

……間違いなく、桐生萌郁だった。

この家に住んでいたのはM4で、自殺したのは彼女――――

 

理解したから、もう用はない。

警官に背を向けて歩き出す。

終始ポーカーフェイスだったが、心臓は変な脈動を打っている。

コイツは正直なのか臆病なのか……。

 

 

夢遊病のように彷徨い、考える。

 

 

これがまゆりを救った代償?

神をも超える所業に手を出した、歪みの是正。

等価交換、質量保存の法則。

 

M4なんて、大した存在ではない。

いつ死んでもおかしくないような女だった。

単なる仕事上のパートナーでしかなく。

代償にならないじゃないか。

 

 

『たとえ貴方が世界中を敵にまわしても、私だけは、貴方のパートナーだから――』

 

 

……違うのか?

俺にとって萌郁は、大きな存在だった?

 

 

「ククッ」

 

 

笑えない。

嘘と裏切りで生きてきた狂気のマッドサイエンティストが情に囚われるか。

孤独を、恐れているのか。

本当に笑えない……。

 

 

 

 

 

ラボについた時俺の手にはケバブがあった。

その数は、二つ。

飲み干した約束とともに、一心不乱で喰らいついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

窓の外が暗くなっている。

時計は既に19時を回っていた。

誰もいないラボで自失していた、というわけでもない。

 

 

「ああ、そうだ。――ああ。また改めて連絡する。――エル・プサイ・コングルゥ」

 

 

世界が変わり自分のことすらわからなかったとしても、出来ることはあるのだ。

ハズレは多いが前の世界の知識が通じることもある。

どの世界でも屑は屑で、馬鹿は馬鹿だ。

脅迫だろうが懐柔だろうが、人を利用することは十八番だった。

危険な橋だが力を手に入れるには手っ取り早い。

 

携帯電話を切ると、急に音が消える。

外の喧騒さえ薄く遠かった。

夕方の騒々しさが嘘のようである。

 

ふと、ラボを見渡す。

世界が再構成されたにも関わらず構図も同じ、置いてあるものもほとんど同じだ。

2000年クラッシュの消失は確認済みだが予想外に変化が小さい。

いや――――

 

 

『自殺だよ』

 

『いつ?』

 

『昨日だ』

 

 

人の運命、死期が変わったのだ。

これ以上の変化はあるまい。

この俺が萌郁ではなくまゆりを選んだだけ。

そう、傲慢なる神の如く。

 

発明品を手にとる。

ラボの細かい変化を見て回るのも面白い。

部屋中に散りばめられた蝶の存在が、魔女たちの饗宴による悪戯のようでファンタジックだ。

つい夢中になりそうだった。

 

 

そのホワイトボードを、見るまでは。

 

 

 

「――何?」

 

 

 

驚愕で目を見開く。

一見、可愛らしい顔文字があしらわれた落書き。

しかし読んでみれば、若き天才の常軌を逸した革新的発明の説明図だったのだ。

 

 

「タイムリープだとッ!?」

 

 

思わず声をあげる。

だが、仕方がないだろう?

十人に聞いて十人が信じない代物だ。

俺だってこんなもの、妄想だけの与太話だと思っていた。

 

 

しかし、ここに存在する。

理論も、実物も。

 

 

Dメールを送る電話レンジ(仮)は生まれ変わり、

記憶を過去に跳ばすタイムリープマシンになっていた。

 

見た目もゴツくなっており本格仕様である。

使い方も簡単、お手軽タイムリープ。

欠点は人臨床しなければ実験が不可能といったところだろうか……。

そうすると必然的に危険性は高くなるが、誰か実験をしたのか?

 

いや、それより考えるべきはSERNの動きだ。

ここまでの物が完成してしまえば、アクションがあってしかるべきである。

 

……泳がされている、のか?

何とかする必要があるだろう。

まゆりを守るために。

 

 

――――思考の海に投じられる、一つの波紋。

波の出現を故意に狙うようにポケットが揺れ続けた。

存在を頻りにアピールしているのは携帯電話である。

取り出せば、画面に“助手”の文字。

牧瀬紅莉栖だろうとアタリをつけ、出る。

 

 

 

 

 

その時俺は、何の準備もしていなかった。

ボディブローが隙だらけの柔らかい脇腹に突き刺さった気分。

精神的に、それぐらいの衝撃だ。

 

 

 

 

 

何だ?

何を、言っている?

落ち着――――……え?

な……に……?

なんだよ……。

なんだよ、これ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まゆりが、死んだ――?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――なんだよこれッ!?

 

魂の叫びは、言葉にならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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業火

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔女たちは嘲笑う。

神の領域へ手を延ばそうとする愚かな人間を。

 

 

『……おかべ、死……った……ああ、こんなの……なん……』

 

 

この仕打ち、正に裁きの雷だ。

俺に代償で残ったのは罪と罰のみだった。

 

 

『死ん……じゃった……私の目の前で……ねえっ、まゆりが、死んだの……!

まゆりが、死んじゃったよ……! こんな……こんなの……』

 

 

無力……。

驕っていた。

俺ならば守れると、運命の荒波で手を引いて歩いていけると、本気で信じていた。

 

 

『急にっ、急に倒れたの……っ、なんで!?

なんでこんな急に……息してなくて……全然、返事もしないし……ねえ、まゆりっ』

 

 

滑稽だ。

この俺が、こんなにも見苦しく狼狽している。

奴らに見られたらさぞ笑われるだろう。

 

……そう、落ち着くべきなのは、俺だ。

 

 

『岡部、私、どう、どうしたら……どうしたらいいのか……まゆりが死んじゃった……』

 

「また、改めて連絡しろ」

 

『……うん……っ』

 

 

携帯電話を切る。

ソファに沈み、頭を抱えた。

 

 

『岡部くんだーい好き♪』

 

『まゆりはね、岡部くんの重荷にはなりたくないのです』

 

『薬のおかげでクリスマスまで生きられるかもって、希望が出てきたんだー』

 

 

前の世界では受け入れていた現実。

まゆりは、遠からず死ぬ。

遅くとも来年を迎えることはなく。

抗えぬ運命であると諦めていたのだ。

 

それでも。

それでも、……夏は、秋は、友達と最期の時を楽しむことが出来たのではないか?

たとえ薬で苦しんだとしても、短い期間だとしても、楽しませてやることは出来たはずだ。

 

 

『岡部くんの笑顔を見ると、まゆりも楽しくなっちゃうのです。えへへー』

 

 

それを、その大切な時間を、俺が勝手に奪った。

彼女の意思を全く無視し、好奇心に身を任せた末に彼女を殺害したのだ。

そう、俺が――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冷める心。

褪める夢。

 

俺は何のために…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何のために、だと?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何を、言っている?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くくっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞑った目は暗く、闇で前が見えない。

それでも、遠く先に見える光。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クククッ、フゥーハハハ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

希望などではなく。

燃え盛る創めの炎。

死者を焼く地獄の業火。

その中から聞こえてくる――――

 

 

 

 

 

「忘れない、忘れられるものかッ!!」

 

 

 

 

 

岡部倫太郎という男は、元来臆病者。

自虐的思考に囚われる時が稀にある。

越えてきた屍に涙を流してしまうような、どうしようもない偽善者。

 

 

 

 

ダメだ。

それでは生きていけない。

 

 

 

 

 

醒める心。

覚める夢。

その全身に火を通しエンジンを入れる。

 

 

 

 

 

また、野望が動き出す。

 

 

 

 

 

「そう。この俺鳳凰院凶真は、神を超え時を統べる狂気のマッドサイエンティストッ!」

 

 

 

 

 

何者も俺の邪魔立てなどさせはしない。

たとえそれが自分だとしても。

 

泣き言は不要。

まだ道を失ったわけではないのだ。

 

ラボの奥を見る。

パソコンとゲーム機と電子レンジが合体した反則マシンが堂々と鎮座していた。

 

 

――――タイムリープマシン。

 

 

これを使えば、まゆりが死ぬ前の時間に戻ることが出来る。

しかし先程の紅莉栖が言っていた様子では、まゆりの死因は突然死であるように思われた。

それならば、いくら俺がタイムリープして何をしようとも避けられない。

タイムリープは過去に戻るだけだ。

“まゆりが突然死する”という事象は揺るがないだろう。

 

ならば、その事象ごと世界を変えてしまえばいい。

 

 

(Dメールは使えるようだな。しかし――)

 

 

果たして、どのような過去に介入する?

下手を打てば大惨事を引き起こす。

今回の件で痛いほど良くわかった。

他人がいくら死のうとどうでもいいが、保護対象まで死んでしまっては意味がないのだ。

慎重を期す必要がある。

 

 

……何分情報が足りない 。

ならば、情報を持つ何者かに聞けばいい。

接触は危険かとも思っていたが、どうせ世界を変えるなら連絡を取るとしよう。

 

思えば、あの男は裏で動くには甘い男だった。

最終的に裏切ったものの、状況を鑑みれば仕方がない。

俺は裏切られて然るべき存在だったから、あの行動は理解しておく。

この世界でも、徹底的に利用してやる。

 

 

 

 

蘇った俺の猛火が宿る瞳。

その中に映し出される哀れなる羊は。

 

 

 

 

ブラウン管工房の主にして、ラウンダーでは俺の元上司。

天王寺祐吾。

通称、FB。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言えば、FBは死んでいた。

自ら銃で脳天を撃ち抜き脳漿をぶちまけていたらしい。

 

感想はない。

思い入れも、同情も。

結局情報は得られなかった、それだけだ。

ちなみに奴の携帯電話にコールすると幼女が出た。

娘の天王寺綯だと察する。

 

 

『こんにちは、岡部倫太郎』

 

 

前の世界でも何度か会ったことがある。

俺に怯えている風であまり話すようなこともなく。

それでも、明白に電話口の彼女は様子がおかしい。

 

 

「天王寺は――」

 

『父さんは死んだよ。お前のせいでね』

 

「何?」

 

 

この幼女、実に唐突である。

しかし俺には事実か判別がつかない。

この世界の岡部倫太郎がFBを……?

 

 

『お前に関わらなければ父さんは死ななくてすんだ。

お前はすぐには殺さない。殺せないからな。

お前を殺すのは15年後。それまでせいぜい怯え続けるんだ』

 

 

関わらなければ、ね。

逆恨みの線が濃厚だな。

つまりコイツは――――

 

 

「タイムリーパー、か」

 

『良くわかったな。私は15年先の記憶まで“思い出している”』

 

 

嘲るように肯定する天王寺綯。

物騒な未来人だ。

15年後に殺すのは確定事項だと言いたいらしい。

 

 

「で、お前は現代へ何しに来たんだ?」

 

『私はこの復讐のためだけに生きてきた。誰も邪魔させない。

桐生萌郁同様お前も殺してやる。“この手で”だ』

 

「――萌郁も殺害したのか」

 

『自殺なんてさせるもんか。そんな生ぬるい死に方で逃したりはしない』

 

 

コイツが萌郁を自殺に見せかけて殺害したのか。

……良くやるものだ。

 

しかし良い説を聞いた。

人間の死期は決まっていて、手段はどうでもいい。

もし俺がタイムリープしまゆりを助けようとしても何らかの形で彼女は死ぬ。

そういう理屈で、この殺人鬼は今俺を殺せない。

 

タイムリープしても運命を変えることは出来ない、ということか。

不安定ながら、Dメールこそ神への有効な対抗手段なのだ。

 

 

『お前を殺したときのこと、教えてあげよっか?』

 

 

語りたいらしいので聞くことにした。

実際のところ興味ないが、別に今忙しいわけでもない。

暇潰しである。

 

 

『なんかレジスタンスの創始者とか言って、

SERNに歯向かってたみたいだけど私が拉致して監禁してやって、

考えつく限りのありとあらゆる拷問をくわえてやったよ。

お前は痛みに泣き、喚き、クソとションベンをまき散らしながら私に命乞いをした……!

――実に醜かったよ、岡部倫太郎』

 

 

思い出すのはとある有名なSERNの科学者。

最期は見苦しく汚かった。

 

一方俺は、淡々としたもので。

コイツのような怨恨は既に遠く、義務的にこなすだけ。

終わった後に残ったのは空虚のみ。

 

 

『しょうがないから、最後に私自身の手で喉を掻き切ってやった後、

気が済むまでめった刺しにしたのよ。

いったい何回刺したか、私でも分からないぐらいにね……!

それが、15年後のお前が迎える最期だ。父さんを殺したお前を待っている運命だ……!』

 

 

天王寺綯にとって、ソレは輝かしい誉れなのだろう。

目標であり、夢。

本懐を遂げた彼女は栄光にすがり。

過去の歴史にすら手を伸ばす。

 

 

『SERNはお前の作ったタイムリープマシンを回収して、

15年もの間、いっさい手をつけずに保管したままだったんだ。

私はそれに目を付けたの。15年後、「ラウンダー」になった私はお前を殺してから、

それを使ってここまで戻ってきた。

一度にたった48時間ずつしか遡れない欠陥品だから、ずいぶん苦労したけど』

 

 

単純計算で2738回、それ以上タイムリープしたことになる。

妄執、尋常ではない。

 

 

 

 

 

『お前は今は何もしなくていい。ただ怯え、後悔し続けろ、岡部倫太郎。

15年後に、私が迎えに行くときまで』

 

 

 

 

 

……話が終わった。

天王寺綯の説が事実なら、この世界で俺は15年後に死ぬ。

問答無用で、避けようもなく。

つい先ほどまで元気だったまゆりが、突発的な原因不明の死に曝されるように。

 

 

 

 

 

 

運命、か。

 

そんなモノ、要らない。

 

 

 

 

 

「フフッ、くくくっ」

 

 

 

 

 

俺の前途に立ち塞がる壁。

押し付けられる未来。

 

 

 

 

 

糞食らえ。

 

 

 

 

 

「フゥーハハハ、フゥーハッハッハ!!」

 

 

 

 

 

気づけば俺は、誰もいないラボで哄笑していた。

 

 

『っ……何が可笑しい?』

 

 

電話の向こうでは、不快そうな舌打ちが漏れる。

それすらも心地好い。

 

 

「フフフ、そりゃ可笑しいさ、天王寺綯。下らない妄想アリガトウ」

 

『何……?』

 

「真面目に語るから聞いてみれば、阿呆らしい。俺を殺した?

ああ、勝手に何回でも殺すがいい」

 

『……っ! ふん、お前の空っぽな頭では理解できなかったか。それとも現実逃避か?』

 

 

奴の苛立ちが手にとるようにわかる。

歯を砕かんばかりの歯噛みが聞こえた。

それでも、俺は嘲笑を止めない。

 

 

「的が外れているなぁ天王寺綯。

お前の知る未来で、岡部倫太郎を達磨にしようが羹(スープ)にしようが、

全くもって構わないんだよ」

 

『未来のことはどうだっていいと?』

 

「違うな、間違っているぞ。

そもそも、そんな話を俺にすることが無意味なんだ。

この俺にな」

 

『……何を、言っている?』

 

 

彼女にしてみれば脅迫として話をしたんだろうが、見当違いも甚だしい。

そのままの意味で、俺には他人事だった。

 

 

「解らないか? Dメールを知らないわけじゃないだろう」

 

『お前の作った玩具か』

 

「アレを楽しめるのは俺だけだが、かなり便利だ。

何せ平行世界を渡ることが出来るのだから」

 

『! まさか……』

 

「ククッ、そのまさかだよ」

 

 

引き込むように。

叩き落とすように。

もったいぶって、言ってやる。

 

 

「俺は、お前の知る岡部倫太郎ではない」

 

『な……』

 

「お前が殺すはずの岡部倫太郎は、俺が喰らった」

 

『……あり、得ない』

 

「つまり――――」

 

 

 

 

 

「この世界で、お前の復讐が果たされることはないんだ。永遠にな」

 

 

 

 

 

否定する、何もかも。

事実を鋭利に研いで、耳から脳を貫かんばかりに突き立てた。

まさに、言葉の暴力。

 

 

『あ……、あ……』

 

「岡部倫太郎はお前に捕まるような軟弱者だが、俺は違う。

小娘が、俺に敵うと思うな」

 

『っ!』

 

「ラウンダー? 関係ないな。

俺の視界に写ってみろ、死ぬより苦しい思いをさせてやる。

――――岡部倫太郎のように」

 

 

 

そして、俺の部下である桐生萌郁のように。

 

 

退路を絶ち、追い詰めて、トドメだ。

電話越しに、ありったけの殺意を込めて脅す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただ怯え、後悔し続けろ、天王寺綯。15年後に、俺が去り逝くときまで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらばだ、哀れなる未来人。

業火に焼かれて失せるがいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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すれ違い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

虚言、ごまかし、脅迫。

我ながら無茶苦茶で支離滅裂な説を展開したものだ。

仕舞に最後は力押しで終わらせた。

大人げない。

何故未来人というものはこんなに俺を苛立たせるのか。

 

彼女がこれからどうなるのかは知らない。

おそらく無間地獄、煉獄の中へ堕ちていき、時の囚人、ただ腐敗していくだけだろう。

それは俺にとってどうでもいいことだった。

しかしタイムリープについての問題点が浮き彫りになったことは僥倖である。

 

トビすぎると、ああなる。

まあそういうことだ。

 

記憶だけ与えられてもそう上手くいくことはない。

子供に戻るまでする気はないが回数を抑えておこう。

廃人になる気はさらさらないのである。

 

 

時計を見ると9時を回っていた。

頃合いかもしれない。

紅莉栖もいい加減落ち着いただろう。

 

この世界にもはや未練はない。

理論的なことを紅莉栖から聞いてトンズラするとするか。

 

 

『……全部、全部嘘だったの? 私たちを、騙していたの!?』

 

 

携帯電話を押す指先が漂う。

この世界では裏切っていないはず。

目を瞑り、プッシュ。

耳に当てた。

少しして、繋がる。

 

 

『ハロー、岡部』

 

「状況を報告しろ」

 

『……性急ね。それよりあんた、まだタイムリープしてなかったの?』

 

 

簡単に聴こうかと思っていたが、牧瀬紅莉栖も十分立ち直っているようだ。

少しぐらいならこちらの状況も説明して大丈夫だろう。

 

 

『もう、どれが本当の岡部の顔なのか、解らないのよ……』

 

 

……きっと。

 

 

「タイムリープならいつでも出来る。少しお前に聴きたいことがあったのだ」

 

『そう。どんなこと?』

 

「まず言っておく。俺はDメールで渡ってきた、言わば別の岡部倫太郎だ」

 

『……え?』

 

 

あまり情報を漏らすべきではないが、ここは下手に隠すより明かしたほうがいい。

ボロを出して警戒されると面倒だ。

コイツはお人好しだから、無知を装えば得意気に色々と教えてくれるはず。

 

 

「渡ってきたのは今日の17時ほどだな。

だが前の世界でタイムリープマシンは完成していなかったよ」

 

『! ……そっか。正直、私でも岡部の状況はよくわからないわ』

 

「俺にもわからないから、仮説でもなんでも立ててくれ。

 

とにかく俺が欲しいのはこの世界の情報だ」

 

 

粛々と進める。

思い返せば前の世界では紅莉栖とぶつかることが多かった。

性格が悪い、なんて直接言われたこともある。

実験大好きなマッドサイエンティストの癖に、俺の現実的な物言いには腹が立ったらしい。

根っからのスイーツ(笑)であり構ってちゃんだった。

 

それでも今は穏やかに、淡々と。

媚びる気はないが無駄に怒らせて拗ねられてもつまらない。

 

 

『そっか……タイムリープすれば、あんた以外の記憶はなくなるからね。

いいわ、話せる限りのことは話してあげる。……その前に』

 

「ん?」

 

『っ……ううん、何でもない。それじゃあ先ずは――』

 

 

紅莉栖は懇切丁寧に話してくれた。

ラボのこと、ラボメンたちのこと、今までの経緯、その他政治状況に至るまで。

そしてこの世界の岡部倫太郎のことも詳しく。

 

彼女は誤魔化したけれど聞こえていたんだ。

その呟き、静かなる問い。

 

 

 

 

 

 

《―――― あんた、本当に岡部なの? ――――》

 

 

 

 

 

 

答えはない。

自然と目はラボを見渡していて。

 

 

 

そこには、

俺の好きでもないドクターペッパーが、

二本寄り添うように置かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姿勢を変えるのは何度目だろうか。

長電話でソファが熱くなり、仕方なく立ち上がる。

 

冷蔵庫を漁ればカロリーゼロのダイエットコーラのペットボトル。

迷わず開け、呷る。

甘味料の特有な風味が舌に残るのを無視し、ラボの物色を続け。

携帯電話の充電器は幸運にも簡単に見つかった。

耳には愚痴に近い声が響く。

聞き流しながら、話を纏める。

 

要するにIBN5100を手に入れれば俺の勝ち。

時間制限がなく、ゲームオーバーは俺が諦めた時、か。

 

 

 

なんて、イージー。

 

 

 

制限プレイでタイムリープを極力しないにしても、だ。

今までのミッションに比べれば大したものではない。

 

何も見えない闇が一気に拓けるような感覚。

“目標があれば人は努力できる”なんて、誰かが言っていた。

的が見えれば中るは必定。

俺にとってこれ程気楽なステージはなかった。

 

 

『――と、いうわけ。良くわかった? 鳳凰院凶真、さん』

 

「ああ分かりやすかったよ。説明ご苦労、紅莉栖」

 

『えっらそうに……』

 

 

適当に労うと不満そうな嘆息が返ってきた。

仮にも本気で労ってやっているのに贅沢な奴だ。

この世界の俺は助手と呼んでいたようだが、高尚すぎるあだ名である。

 

 

『……ところで、前の世界線はどんなモノだったの?

もはやここの岡部とは別人なような気がするんだけど』

 

「別人? フン、聞く限りではそうなのかもしれないな」

 

 

躊躇いの後、柔らかい声での問い。

話し続けていたから和ませるためのモノだったのかもしれない。

好奇心旺盛な紅莉栖が聞く機会を窺っていたのかもしれない。

 

さて、どう答えてやるか。

 

 

『その感じだと、フェイリスさんや漆原さん並みの改変なんでしょうね。

……もしかして、あんたの出生?』

 

「――は?」

 

『そうね……例えば、あんたのお母さんに、

息子はダミアンの生まれ変わりってDメールで言われた世界……とか?』

 

 

何を言っているんだコイツは。

俺は悪魔か何かか。

さすがにそこまで人間をやめたつもりもない。

……多分。

 

 

「俺からしてみれば、この世界の岡部倫太郎こそが異常なのだ。

あまりにも惚けている、腑抜けていると言ってもいい」

 

『……あんたは天然系厨二病なの?』

 

「お前はどの世界でもソレだな。人の話をマトモに聞けないのか?」

 

『ソレって何よ!? つーかあんたに言われたくないっ!』

 

「何を言う。俺は静聴したろうが、阿呆め」

 

『ぐっ……!』

 

 

食い付きが良すぎるなこの女。

面倒臭さが数段増している。

前はそれなりにシリアスでも使えた奴だったが……見直した俺がバカだった。

 

 

「まあ、コイツもここまで平和な環境で生活していれば怠けていても致し方ないか」

 

『そういうものかしら……』

 

「――それでも、まゆりを救うために独り闘い続けたことは評価してやる」

 

『っ!』

 

 

どこまでも凡人で、優柔不断で、頼りなく揺れる男。

しかし諦めず挑み続けたこの岡部倫太郎は、嫌いじゃない。

コイツのお陰で道筋が見えたようなものなのだから。

 

 

『……当然よ。岡部は私が認めた男なんだから』

 

「認めていたのか? まぁ、俺も認めてやってもいい」

 

『ほんっとに、鳳凰院さんは偉そうですね!』

 

 

彼女の息は湿り気を帯びていて、喪った哀しみを湛えていた。

おそらく俺を鳳凰院と呼ぶのは線引きなのだろう。

彼女が求める面影との。

 

殺してしまった俺にかける言葉はなく。

――そもそもそんな時間、与えられていない。

 

乾いた木のぶつかり合う音が鳴り、迷惑な客人の到来を報せている。

襲来を予期して設置しておいたモノが役に立ったようだ。

 

しかし、予想よりも遅い。

天王寺綯のやつ召集に手間取ったらしい。

 

 

「ようやく来たか」

 

『……え?』

 

「さて、前の世界を語ってやりたいところだが生憎の来客だ」

 

『こんな時間に? ……っ! 早く逃げなさいっ!』

 

「逃げる必要はないな」

 

 

階段を昇る音を聞きながら、武器を手繰り寄せる。

数は4人、ってところか。

 

 

『あんたは捕まっちゃダメッ!!』

 

 

 

 

 

「悪かった、紅莉栖。終わったら飯でも奢ってやる」

 

 

 

 

 

『ちょ――――』

 

 

携帯電話を切る。

気紛れに、果たせない約束を。

稀有な謝罪は世界に溶けて霧散するだろう。

 

俺だけが、覚えていて。

俺だけが、知っていて。

世界から孤立する。

 

直後に近所迷惑な騒音。

大袈裟な音を立てる侵入者を見て、皮肉な笑みを浮かべてやる。

無知で愚かで憐れな、狼の皮を被った子羊たちに嘲りを向けて。

 

 

 

ラウンダー、俺が所属していた組織の末端。

見る限り素人の動き、有象無象の集まりだ。

 

 

 

 

「岡部、倫太郎だな?」

 

「くくっ、何故今更問う? 問答無用で襲えばよかろう」

 

「……FBから殺害命令は出ているが、一旦確保してから処遇を決める」

 

 

FBの代理である萌郁もいない、となれば誰も責任者がいないのか。

メールだけのFBに不信を抱き、妥協案として取り敢えず岡部倫太郎を拉致。

その後正式な命令が下った時処分する。

 

 

なるほど、無難な考えだ。

停滞、保留、受身。

強者ならそれでもいい。

 

 

窮鼠猫を噛む、と言うが今は当てはまらない。

つまり、コイツらは被我の戦力差を見誤っているということだ――――。

 

 

「ふっ――」

 

 

手を挙げると同時にナイフを放る。

彼らにその動きが見えていたかどうか。

突如現れた赤い噴水にすら現実感が乏しいだろう。

白目を剥いた仲間に意識を奪われ。

 

 

その隙こそ、致命的。

 

 

 

「――ごっ」

 

「えっ」

 

 

銅像を投げつけて走り出す。

直撃した人体はトラックに轢かれたように潰れ。

それでも未だ、奴等は引き金が引けず。

 

 

「なっ」

 

「ひっ――」

 

 

悲鳴を上げようとした奴を残党にぶつけると、両者混ざりあって一つの塊になった。

首が声帯を震わす前にへし折れて。

もう助けを呼ぶことは出来まい。

 

 

 

早々にラボはまた静寂を取り戻す。

手応えが無さすぎて拍子抜けだ。

 

 

(増援がすぐ来るだろう。その前に――――)

 

 

汚れた床を早足で抜け、研究室へ。

拾った銃を出口へ向けたままヘッドセットを装着する。

 

……全く、俺らしい旅立ち方だな。

 

舌で頬を嘗める。

いわゆる鉄の味がした。

相変わらず、不味い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は今、どんな顔をしているのだろうか。

 

なぁ、まゆり。

 

こんな俺でも、お前の傍にいていいのかな――――――?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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去就

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010:08:16:23:12   0.523299

 

     ↓

 

2010:08:15:06:10   0.523307

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

収斂、破裂、膨張、縮小、明滅。

 

存在がボヤけて、視界が跳んで、意識が集約。

地面を失う浮遊感、無重力に投げ出され振り回される。

ジェット機に張り付いても味わえない疾走、大気圏突入でも味わえない圧迫。

激痛は筆舌し難く、頭を抱えて叫び出したい。

 

 

「ぐぅっ!」

 

 

舌を噛み締め堪えつつ、波が収まるのを待つ。

脳ミソを直接掻き毟りたい衝動に駆られる。

対拷問訓練を受けているが耐え続ける自信はなかった。

タイムリープなんて二度とするものか、と決意を胸にゆっくりと目を開く。

 

 

「――――ここは?」

 

 

五感がある程度戻ると、現状が見えてきた。

どう見ても車の中、助手席だ。

窓の外は見覚えのある場所で――――

 

 

「っ!」

 

 

ふいに頭を揺らす振動。

アラームに起こされるように、焦点が目の前で結ばれて。

ようやく耳に当てているものを降ろした。

手の中で震えるのは、携帯電話。

 

 

(着信……?)

 

 

表示は“助手”。

――――紅莉栖か。

深く考えず、通話ボタンを押す。

 

 

「何か用か?」

 

『……何で連絡寄越さないワケ?』

 

「ん? そうだな、話したいことがある。また改めて――」

 

『なにが起きてるのか状況を教えろ』

 

「ふむ」

 

 

この女、ご立腹である。

しかし当然凄まれたところで俺が応えられるものでもない。

 

 

『……はぁっ、今どこにいるの?』

 

「今どこにいるか、だと? ――新御徒町か?」

 

『何であんたが疑問系なのよ……』

 

 

 

 

 

「新御徒町で、……あってる」

 

 

 

 

 

「ん?」

 

『……は?』

 

 

ここで、聞き慣れた声が横から聞こえる。

 

そう、車に乗っているのなら運転している人間がいて当然なのだ。

いつも俺を運んでいたのはコイツだったではないか。

タイムリープしたのなら生きていても不思議じゃなくて。

それでも、俺は思いの外動揺していた。

 

 

 

 

 

M4――

 

 

 

 

 

「――いや、萌郁」

 

「……? 何?」

 

「今俺たちは新御徒町にいるんだな?」

 

「そう、だけど……」

 

 

喪った人間がまた現れる現象は慣れない。

そんな俺の心を知らずに、死んだはずの部下桐生萌郁はあからさまに怪訝そうな顔だった。

俺が唐突に態度を変えたから戸惑っているのだろう。

ポーカーフェイスは得意だが、俺は内心を隠しきれていなかったのだ。

 

……ここは開き直る場面だな。

推理の確認、と言う形で問い詰めていこう。

場所と面子から言って――――

 

 

「俺たちはFBの自宅を訪れている。合っているな?」

 

「……そう、だと思う」

 

「やはりか。今は、――15日の6時11分」

 

 

設定通りの時間に辿り着いたようだ。

FBが自殺するのは7時頃。

近所の住人に銃声を聞いた人間がいてタイムリープ前に聴取済みである。

 

 

 

しかし、何故俺がこの場所にいる……?

 

 

 

 

『……私もそっちに行くから、首を洗って待ってなさい』

 

 

怒気を孕んだ声を聞いて、彼女を無視していたことに気づく。

紅莉栖の怒りが既に臨海点まで到達しているようだ。

勝手なことを言って勝手に切ってしまった。

 

……まあいいか。

聞きたいこともある。

来たければ来るがいい。

 

 

「それで、萌郁よ。ここまでの経緯を話してもらおうか」

 

「経緯……?」

 

「俺は先ほどここにタイムリープしてきたのだ。

聞かせろ。何故FBに会いに行こうとする? しかもこんな早朝に」

 

「! ……そう」

 

 

コイツ相手に無駄な心理戦は不要だ。

直球で話しリアクションを見ようと思ったが、反応は薄い。

俺がタイムリープしてくるのはそう珍しくないのだろうか。

 

その後、ゆっくりと萌郁は語りだした。

俺の全く知らない世界線を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

合流して早々、紅莉栖は無言で深いため息をつく。

怒りをあからさまにし隠そうともしない。

その姿を横目に一瞬見て、また玄関前に設置したCCDカメラの画面に目を移す。

紅莉栖の息が怒りを増したような気がした。

 

 

「あんたね、少しは連絡したらどうなの?」

 

「何故お前に連絡する必要がある?」

 

「私はどうでもいいけどっ、……まゆりは、すごく心配してた。

見てて、痛々しいぐらいにね」

 

「――――」

 

「せめてあの子にだけは、連絡してあげなさいよ」

 

 

迂闊、だった。

ラボの状況を俺は全く知らないが、まさかまゆりを放置して探し物とは……。

チッ、この世界の岡部倫太郎はどこまで余裕がないんだ。

 

 

「……それと、何でその人といるの?」

 

 

視線で萌郁を指し示す。

彼女は地面をつま先で蹴り、無表情。

一言で表すなら、手持無沙汰と言った風である。

 

 

「まゆりを……殺す人なんでしょ?」

 

「そうだな。だが違う世界のことなんて関係ない。

――コイツのことは、とうに赦している」

 

「!」

 

「そう……」

 

 

それは、タイムリープ前の世界で紅莉栖に聞いていたことである。

 

 

 

 

 

 

桐生萌郁は、ラウンダーとして幾度となくまゆりを殺害した。

 

 

 

 

 

 

俺はその話を聞いて萌郁を――――特に、恨まなかった。

タイムマシンが出来たなら、その発明者を捕まえて他は処分する。

これはラウンダーとしての職務であり、義務なのだ。

ラウンダーに彼女が所属する限り避けられないモノである。

 

そもそも死ぬ時期が決まっているのなら、

それが萌郁の手によるものだったとしてどうして責められよう。

それこそ世界線など無限にあるのだから。

気にしてもキリがなく、無意味だった。

 

まぁ実際問題、目の前でまゆりが殺されれば恨みもするかもしれないが、

幸いにも目撃したことはなく。

ならば、本当に全くもって関係ない話である。

 

 

「まあいい。それで? これからどこか行くんでしょ? 私もついて行く」

 

「そうか、じゃあ付いてこい。お前には聴かなければならないこともあるからな」

 

「いやに素直ね。……聴かなければならないことって何?」

 

「着いてのお楽しみだ」

 

 

レンタカーに乗り込み、再度CCDカメラをチェックする。

前の岡部倫太郎が設置したようだが、便利で結構。

感度も良好のようで、ログを見ると未だ動きはなさそうだった。

自殺する時刻まで時間があるから、当然と言えば当然か。

 

運転席に乗り込んでいた萌郁が後部座席に紅莉栖を確認すると、視線を寄越す。

俺が応えるように頷き、車は発進した。

 

と言っても、FBの家は新御徒町駅からそう離れていない。

だからすぐに着いてしまうだろう。

時間はまだあるのだ。

この間に、聴いてしまうこと、言ってしまうことを済ませてしまうか。

 

 

 

と、その前に電話をかける。

勿論、相手は――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『トゥットゥルー♪ まゆしぃ☆でーす』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トゥットゥルー」

 

「ぶっ!! …………ダメだコイツ、早く何とかしないと」

 

 

真似してみたが、実にシュールだ。

後部座席から吹き出し笑いの後溜息が聞こえてきた。

 

さすがにこの挨拶はダメかもしれない。

色々な意味で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『まゆしぃは怒っているのです』

 

 

そうか、悪かった。

 

 

『ダメだよー? 連絡しなきゃー』

 

 

だな。

お前に心配かけるなんて愚の骨頂だ。

 

 

『……でも、オカリンが無事で、まゆしぃはとても嬉しいよー。えへへー』

 

 

俺もお前が無事で嬉しいよ。

 

 

『それじゃあ、クリスちゃんによろしくねー』

 

 

ああ、アイツの面倒は俺が見ておく。

 

 

『じゃあね♪ オカリン』

 

 

じゃあな、まゆり。

 

 

 

 

 

「はいはいリア充乙。で、誰が誰の面倒を見るって?」

 

 

まゆりとの電話の余韻に浸っているところなので、非リアの嫉妬は無視する。

というか、他人の電話を聞いておいてさらにその会話へ突っ込みを入れるとは。

なんという奴だ。

 

 

「馬鹿め、誰がお前の面倒なんぞ見るものか。オシメぐらい自分で替えろ」

 

「あんたが私に喧嘩を売っていることはよく分かった今すぐ屋上」

 

「興奮するな喪女。もう出るぞ、準備しておけ」

 

「ぐぬぬ……」

 

 

新御徒町駅から徒歩5分の場所に、FBこと天王寺祐吾の自宅があった。

寂れた平屋だ、年季を感じさせる。

来たことはないが、ネットで付近のストリートマップは調べたことがあったのだ。

 

 

現在到着間近、路上にパーキング中である。

 

 

 

「で、いつになったら満足に停められるんだ?」

 

「……あと……少し……」

 

 

ペーパードライバーとは聞いていたがここまでか……。

前の世界ではよく乗らせていたから、こんなことは有り得なかった。

 

まぁ、俺は特に急いでいないので構わないが。

時計は6時40分を回っていた。

 

のんびり話す時間はなさそうだ。

 

 

「で、話すことって何よ?」

 

「いい、帰ってきてから話す」

 

「……やった」

 

 

鏡でジト目の紅莉栖を軽くいなしていると、ようやく停車。

萌郁がコチラを横目で見ているのは褒めて欲しいのだろうか。

まるで飼い犬だ。

 

 

「良くやった。それじゃあお前は一緒に来い。紅莉栖はここで見張っていろ」

 

「……うん」

 

「……はぁ」

 

 

紅潮し俯く萌郁を置いて、紅莉栖の嘆息に押される形でドアを開け車を出る。

外は朝にも関わらず日差しが強く、一瞬目を細め。

小走りで付いてくる気配に、在りし日への懐かしさすら感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天王寺祐吾と俺が出会ったのは、秋葉原にラウンダーとして配属された時である。

SERNの実行部隊として活動を続けるラウンダーの地位は高かったが、

その中でも日本において奴は前線指揮官を任されていて。

叩き上げの幹部にも関わらずそれなりの権限を持っていたのだ。

 

俺が秋葉原に配属された当時、秋葉原制圧戦で後援の俺とは違い奴は大忙しだったから

挨拶はあっさりとしたもので。

それでも奴は俺を視線だけで殺せそうなほど睨んできた。

坊主で髭を生やす外人風の巨大で筋肉質な上司、普通足が竦むほどの歓迎だ。

 

俺はそんな化け物からの熱烈なラブコールを、どこか冷めた目で見下す。

奴は一瞬呆けて、面白いものを見たとばかりに破顔した。

それから奴が俺を何かと気にかけてきて、鬱陶しいばかりで。

 

 

『おめえ、しっかり飯食べてんのか?

ここいらはお前の出身だろう。もうちっと楽しみやがれ』

 

『M3……殺りすぎだ。これ以上暴れると、俺でも庇いきれねえよ』

 

『お前はもうちっと器用に出来ねえのか?

その実行力がありゃあ十二分に出世頭だってのによぉ。もったいねえ』

 

 

しかし俺はまるで父親のように小言ばかり言う彼を、嫌いにはなれなかった。

筋肉馬鹿で、有能なくせにどこか甘く、それでいて人望の篤い、

この非情になりきれないぶっきらぼうな上司を。

嫌いには、なれなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

FBの家へズカズカと玄関から乗り込む。

やつの平屋の中身は予想外にスッキリしていて、娘の手入れが行き届いていることを伺わせる。

そんな中真っ先に目に入る、部屋のインテリアとして大きく居座った仏壇。

 

紅莉栖には聞いていたがアレか……。

飾ってあるニキシー缶が、今も座標を精確に示していた。

 

 

「よく来てくれたな」

 

 

突然の訪問でもFBは嫌な顔一つせず、インスタントコーヒーまで出すという厚遇っぷり。

内心、邪魔に思いつつも顔には出さない。

片付けに無駄な時間がかかりそうだ。

 

奴がコーヒーを淹れてくる間注意深く観察していると、

この家には俺を含めて4つの気配があることに気付く。

やはりアレはまだ隣室に居るようだ。

聴きたいなら聴かせてやろうという気持ちで、コーヒーを持ってきたFBに声をかける。

 

 

「随分と早起きだな、天王寺」

 

「まあな。綯の学校の時間に合わせてるから、基本的に早起きなんだよ。

今は夏休み中だがもう習慣になっちまってる」

 

「娘はまだ寝ているのか?」

 

 

白々しくも、様子を探るように質問する。

まさか息を潜めた暗殺者が盗み聞きしているとは夢にも思っていまい。

俺以外、な。

 

 

「うるせえ。綯のこと聞き出してどうするつもりだ? 寝込みを襲おうとしたらマジで殺す」

 

「するわけがない」

 

「んだと? 綯に魅力がねえってのか!?」

 

 

ではなんと答えればいいのだ……。

このオヤジ、滅茶苦茶である。

社交辞令はあまり好きではないので、コイツが説教を始める前に本題に入るとしよう。

 

 

「さて天王寺よ。俺たちは何故お前を訪ねたと思う?」

 

「…………」

 

「ふん、誤魔化せば要らぬ恥をかくことぐらいわかっているらしいな。

それとも、黙りを決め込むつもりか?」

 

 

俺が一緒に来た理由は話を円滑に進めるためというのもある。

多少強引だが、この連中にはこれでいいだろう。

 

 

「…………おめえは、裏切ったのか? M4」

 

「!? もしかして……F……B……?」

 

「フェルディナント・ブラウンって知ってるか?」

 

「ノーベル物理学賞受賞者だな」

 

 

高校と大学、暇潰しと見ればそれなりに面白かった。

その時読み漁った本の中に、見た覚えがある。

 

 

「そうだ。ブラウン管を発明した偉人だよ。で、フェルディナント・ブラウン。

頭文字は?」

 

「FB……!」

 

「そういうことだ」

 

「そんな……イヤよ……」

 

「俺への依存の次は、現実逃避か?」

 

 

嘲笑は無視し、黙って聞く。

しかしFBにはそんな意味が……。

初耳である。

まあ、どうでもいいことだ。

 

それよりこの世界の萌郁はFBの正体を知らずにラウンダーへ所属していたのか。

ラボを襲撃した素人臭い連中を思い返すと、納得できなくもないが。

 

 

「本当に……FB……?」

 

「ああ、そうだ」

 

「メールは……」

 

「全部俺が書いた。なぜ女言葉かって? カムフラージュだよ。

正体を隠すためのな。ネットでもネカマなんて腐るほどいるだろ。

マジな話、大変だったんだぜM4。メール送りすぎだタコ。

おめえのくだらねえ相談に全レスしてやったんだ、感謝しろ」

 

「そん……な……。FBは……私の……お母さん……みたいな存在で……」

 

「そう仕向けたんだよ。

おめえみてえなメンヘルは、簡単に依存してくれるから操りやすい」

 

 

FBは観念したかのように語りだした。

彼の自白は投げやりで、俺が言えることは何もなく。

 

 

「なぜ……連絡……くれなかったの……?」

 

「連絡? ああ、IBN5100を手に入れた時点で、おめえはもう用済みだからだ」

 

「……用済み……」

 

 

 

 

 

 

「その言葉に偽りはないか?」

 

 

 

 

 

 

「……あん?」

 

 

それでも、何も口を挟まず聴くにも限界はある。

俺の部下であり、ラボメンの一員である彼女をゴミの様に扱われては堪らない。

 

 

「萌郁はもはやラウンダーに属さず、彼女を殺害しようともしない。

全くもって用無し、ということだな?」

 

「ああ。武士っつーわけじゃねえが、二言はない。もうラウンダーには必要ねえよ」

 

 

 

 

 

 

「だったら、今からこの女は俺の部下だ」

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

「……え?」

 

 

その時確かに、空気が固まった。

俺の高らかな宣言が時を止める。

……やはりこの俺こそ、時の支配者に相応しい。

 

 

「わかったな? M4、いや桐生萌郁。

FBなぞ単なるハゲオヤジでしかなく、お前の求める人間ではなかった。

お前に残された地位はラボメンNo.005のみ。だから、これからは俺に従え」

 

「岡部くん……」

 

「……言ってくれるじゃねえか」

 

 

確認ですらない。

強制的に奪い取った後の事後承諾。

この女は、誰かに引っ張られてこそ生きていけるメンヘル。

俺でなくては満足に扱えまい。

 

 

「ちっ……悪ふざけでメンヘル背負うと後悔すんぞ?

単なる大学生が、部下なんて持てるわけねえだろ」

 

「クッ、やはりお前は勘違いをしているらしい」

 

「あぁ?」

 

 

 

 

 

 

 

「――――いつからお前は、俺を単なる大学生だと錯覚していた?」

 

 

 

 

 

 

 

「……何?」

 

 

自信満々に胸を張って、堂々と言ってやる。

必要なのは、俺自身が鳳凰院凶真になりきることだ――――。

 

 

「お前程度の末端は知らないだろうが、いずれ俺がラウンダー、

延いてはSERNを掌握することが未来に於いて“確定”している」

 

「……何言ってやがる?」

 

「我が真名は鳳凰院凶真、――300人委員会の一員なのだよ」

 

「…………」

 

 

怪訝、という言葉を顔で表している。

疑っていると言うより呆れているのだろう。

 

虚実と真実と法螺を織り交ぜて、一方的に畳み掛ける。

それこそ、俺の舞台演出だった。

ちょっとしたFBへの手向けである。

 

 

「調べればわかると思うが、そこまでする必要はない。お前は橋田鈴を知っているな?」

 

「!! なんであの人の事をお前が――」

 

「奴は俺の部下であり、俺が遣わしたタイムトラベラーだからだ」

 

 

これはほとんど事実だ。

ラボメンは俺の部下であり、橋田鈴は紛れもないタイムトラベラー。

今のは効いたな。

FBの心が、少し傾いてきているのがわかる。

 

 

「色々と不自然な点はなかったか?

未来を良く知っていたり、それでいて現代に疎かったり、全く身寄りがなかったり、

何故かお前に良くしてくれたり」

 

「…………」

 

「そして、――――岡部倫太郎の話をし、部屋を提供させたり、な」

 

「っ!」

 

 

正確には知らない。

鎌掛けである。

それでも、おおよそ当たっているのだろう。

 

 

「俺がブラウン管工房の上の階にラボを作ることも、そこでタイムマシンを完成させることも、

お前たちがIBN5100を回収し終えて死ぬことも、全て必然なのだよ」

 

「何だ、お見通しってわけか」

 

「300人委員会で“時の支配者”と呼ばれるこの俺を舐めるな。

この後お前は机の下に隠した銃で自害するんだろう?」

 

「……本当に、トンでもねえ奴だ」

 

 

FBは、観念したように銃を取り出した。

直接自分のこめかみに銃口をあてがい、息をつく。

 

ラウンダーは使い捨てなんだよ、と彼は言った。

 

 

「ダイレクトメールでメンバーを募集すんのは、機密性の保持の観点からするとザルだけどな、

それがラウンダーのやり方だ。そして、IBN5100を見つけたメンバーは、

任務達成となり口封じされる。例外なく、全員だ。そうすることでSERNと“委員会”は、

機密を保持しつつ安い金で、俺たちみてえなはみ出し者を利用してるわけだ。

お前はよく知っているだろうがな」

 

 

奴は俺に苦笑を向けた。

だが俺の知るラウンダーとこの世界のラウンダーは違うものである。

 

俺の所属していたラウンダーは地位が高く、軍隊に近い。

当然、使い捨てなんて勿体無いことは出来なかった。

IBN5100を見つければ回収し、引き続き捜索に回されるだけ。

徹底した機密管理のために俺のような監視役を配置していたのだ。

 

 

「FB……」

 

「こいつらにしてみれば、ラウンダーは全員、駒さ。悲しいことにな。

任務達成はすなわち“処分”確定。扱いとしては家畜みてえなもんかな」

 

「……っ」

 

「逆らえば、家族が危険に晒されるんだ。大事な娘に、手出しさせられねえさ」

 

 

引き金に指を掛け、奴は自嘲するように笑った。

と思うと、俺の方に目だけ向けて。

 

 

「……本当に、任せられんのか。鳳凰院凶真」

 

「当たり前だ。コイツは俺の部下として預かったんだ、死ぬまで面倒見てやるさ。

――――だから、安心して逝け」

 

「そうかよ、助かるぜ」

 

 

少しだけ、奴は、天王寺は穏やかに笑い、

 

 

 

 

 

 

 

「ホント、なんでこんなことになったんだろうなあ」

 

 

 

 

 

 

 

引き金を引いた。

乾いた音が響き渡り。

血が、脳奬が飛び散って、その巨体は重力任せに横たわる。

 

 

あっさりだ。

あっさりと、FBは、死んでしまった。

 

 

「あ……あ……」

 

「吐くな」

 

「……っ……!」

 

 

目を向けず、静かに一喝する。

吐きそうになっていることぐらいわかった。

彼女が最初に死体を見た時、そうだったのだから。

 

 

「受け止めろ、この死を。コイツは大切なものを守るために死んだ」

 

「うっ……ん……」

 

「お前のことも守っていたのだ。だから、――吐いてやるな」

 

「ん……」

 

 

無理矢理吐瀉物を嚥下し、萌郁は頷いた。

涙だけは止められそうもないが仕方がないか。

 

横たわる死体はあまりにも醜く汚い。

見慣れなければ受け入れがたいだろう。

触るなんて以ての外。

 

棚から取り出した手袋をはめて。

そんなことをしても屍の手触りは変わらずに。

躊躇いなく漁ることの出来る俺は、客観的にどうしようもなく狂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――救えないな。俺も、お前も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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相棒

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コーヒーは片付けた。

靴は回収した。

車の隠匿も成功。……設置に手間取ったが。

銃声は聞かれても、目撃者は存在しない。

これで警察から追われることもあるまい。

 

 

「お姫様抱っこで窓から飛び出すとか、どこの乙女漫画?

あんたはどこかの王子様ですか??」

 

「ふん、スイーツ(笑)め。まさかお前もして欲しいのか?」

 

「そ、そんなわけあるかそんなわけあるかっ! 大事なことなので二回言いました!

……ほ、本当に羨ましいとか思ってないからなっ!!」

 

 

訳がわからん奴だ。

付き合っていられないので、後部座席を視界から除く。

 

緩やかに踏んでいたアクセルを改めて大きく踏み込んだ。

それでもAT新型のEVは、慎ましやかに加速する。

……物足りない。

 

 

「で、これからどこに行くワケ? もう東京を出たみたいだけど」

 

「――――」

 

「というか、あんた免許持ってないでしょ。捕まっても知らないから」

 

 

証拠隠滅後に遠方へ逃避行。

まるっきり犯罪者である。

しかしここまでしなければ逃げ切れない。

あの小さな殺人鬼から。

部下の命を、歪んだ復讐に捧げるつもりはないのだ。

 

助手席を見る。

生気を無くし項垂れた萌郁。

その目は光を宿していない。

彼女の死ぬ正確な時刻について俺は知らないが、確かに死相が出ていた。

 

 

「吐き気はまだあるのか?」

 

「……もう、平気……」

 

「平気そうに見えないが、水分補給は絶やすなよ」

 

 

FBの家から持ってきた水を差し出す。

吐いて窒息死などされてはどうしようもない。

 

彼女は覚束ない手つきで受け取り。

蓋を外してあるので、そのまま飲む。

見届けて前方に向き直った。

 

 

「あんたの運転激しく不安なんだけど……せめて、ちゃんと前を見てくれない?」

 

「お前は今日死なないから心配するな」

 

 

そういう問題じゃないっ、なんて声は聞こえない。

これでもドライビングテクニックに関してはFBからお墨付きだ。

 

 

『……ヒュー、M3の運転はエキサイティングでファンタスティックで

ドラスティックでアバンギャルドでデンジャラスだな。

ジェットコースター並の安定感にミサイル並の着実さ、

F1レーサーも裸足で逃げ出すぜコンチクショウッ!』

 

 

……褒めて貰っていたと解釈しておこう。

そう、お墨付きなのだ。

大事なことなので(ry

 

 

「それで、店長はどうなったの?

銃声が聞こえてあんたが逃げ込んできて……まさか、本気で逃避行してるワケ?」

 

「――――」

 

「……とうとうやらかしたのね。私は何、人質?」

 

「じゃあ降りるか? 俺は一向に構わんが」

 

「説明ぐらいしなさいよ。……私だって、知る権利あるでしょ」

 

 

紅莉栖の、心なしか震えた声での要求。

面倒臭い女だな……。

だが、ここで通報されてもかなわん。

少し説明してやるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そう。店長が」

 

 

簡潔かつ明快。

俺の説明に嘘はなく、選別された真実のみ語る。

心は入れず、まるで歴史家のように。

 

 

「あんたは早くDメールを送るべきよ。

じゃないと色々面倒なことに巻き込まれるかもしれないから」

 

 

紅莉栖は疑問を呈するわけでもなく、これからの方針について意見を出す。

冷静で、純粋。

頭のいい女は嫌いじゃないが、俺を信用しすぎだ。

 

 

「あんたの目的は、まゆりを救うことであって、SERNへの復讐じゃないでしょ。

……私たちが作ったタイムリープマシンのせいで犠牲が出るのは、

気持ちのいいことじゃない」

 

 

それに、少し的外れ。

まゆりを救う、それが至上命題であることは間違いない。

しかし犠牲が出る、などという下らない理由で拙速にDメールを送るべきではないのだ。

世界を変えることは神に逆らうも同然。

情報もなく挑めば、瞬く間に次元の狭間へ飲み込まれてしまう。

 

 

「って言っても無駄か。あんた退きそうにないもんね。

五月蝿いことは言わないから、これからのことを聞かせてくれない?」

 

「付いてくればわかる」

 

「……そう」

 

 

別に勿体振っているわけではない。

ただ俺の芸術を完成させるために、然るべき場所へ向かっているだけだった。

話しても彼女には理解出来ないことである。

 

 

「ねえ。さっき、店長の家でのことだけど」

 

 

前置き一つ。

躊躇いつつ口を開く。

よく話す女だ。

 

 

「私、外で見張ってて、銃声が聞こえて。その直後ぐらいに、あの子の姿……見た」

 

 

あの子……。

 

 

「綯ちゃん。……家の裏口から、走り去っていった。

呼び止めようとしたら……目が合ったわ。

何か、説明はしづらいけど……様子がおかしかった」

 

 

天王寺、綯。

この世界でもタイムリーパーなのか。

そして結局FBは死んだ、奴の主観では俺たちのせいで。

 

復讐の亡者はどこへ向かった……?

今も獲物を虎視眈々と狙っているのだろうか。

しかし、子供の足では限界がある。

この車に乗り込ませるほど俺は甘くない。

ならば、――――

 

ウィンカーをつけずに田舎道へと曲がる。

思えば随分遠くへと来たものだ。

市街地から離れ、山々が連なり辺り一面田園と民家。

狭い道をアクセル全開で走り続ける。

見通しはいい。

 

 

 

 

 

 

 

だから、わかりやすかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの車、こんな田舎までずっと後ろにいる……?」

 

「黒のレクサス。……不自然、ね」

 

 

明らかに怪しい。

俺が気づいたのは東京を出る前だが、ずっと付かず離れずあの車は存在する。

時機を待っているのか。

俺たちが孤立する時を。

 

だったら、乗ってやるよ。

 

 

「掴まっていろ」

 

「……え?」

 

 

返事は聞かない。

ハンドルを強引に切り、細い山道へ。

タイヤが悲鳴を上げた。

 

 

「キャッ!!」

 

「っ!」

 

 

このEVは小回りが利くものの、高速機動には向いていない。

バッテリー残量も厳しいが、こうなったら仕方がなかった。

コイツと共にチキンレースだ。

 

 

「耐えろ――――アイミーブ」

 

「車なんていいからっ!!」

 

「来てる……!」

 

 

レクサスは迷わずに山道まで付いてきた。

車幅を考えれば無茶もいいところだが、気にする様子もない。

動きに運転手の腕が伺える。

 

 

「チッ」

 

「なんなのよもうっ!!」

 

 

凸凹で、跳び跳ねる。

曲がりくねった獣道にコンクリートを張っただけのような道、優勢であるのはどちらか。

勿論、――――

 

 

「っ!!」

 

「ぐっ!?」

 

 

敏捷性は優るとはいえ、最高時速が2倍違うのでは流石に追い放せない。

プレッシャーは直接的になり、車体後部へ擦られる。

一瞬浮くがハンドルを取られずに済んだ。

衝撃を利用してコーナーで引き離す。

 

しかし、これだけで終わらせる気はないらしい。

 

 

「舌を噛まないようにしておけ」

 

「今更っ……え」

 

「来るぞ」

 

「……!」

 

「ちょちょ、あの人何!?」

 

 

レクサスの助手席の窓が開き、黒服が乗り出した。

その手に握られる――――拳銃。

 

瞬間、世界を揺らす。

連続する爆音。

 

 

「ふッ!!」

 

 

狙いは推測可能。

十中八九、タイヤだ。

割らせない。

蛇行を繰り返し、的を動かし続ける。

 

コーナーですかさず視界から逃げ。

また現れて、狙われる。

攻守交代の隙がない。

銃の腕も一流。

 

 

(アレはプロだな)

 

 

果たして綯がプロを喚べるのか?

素人を喚ぶにも手間取っていた子供が。

復讐風情にあんなモノが釣られてくるだろうか。

 

 

「代われ」

 

「……! は、はいっ!!」

 

 

萌郁にハンドルを渡し一呼吸で入れ替わる。

足元からアタッシュケースを取り出して。

開けば、二丁の銃。

 

 

「そんなものどこで――」

 

「FBの家だ」

 

「完全に盗人じゃない……」

 

「アイツのモノは俺のモノ」

 

「ジャイアンかっ!」

 

 

この女結構余裕あるな……。

話しているうちに組み立てた銃を持ち、窓から乗り出す。

口径は小さいがタイヤを割るには十分。

 

 

「危険過ぎ自重しろっ!」

 

「岡部くん……!」

 

 

風の中に身を放り出す。

緑の景色を置き去りに、樹木との距離を調整。

 

心配されるほど落ちぶれた覚えはない。

腕は衰えず、身体から力が満ち溢れていた。

 

 

「! ――ふん」

 

 

肩を銃弾が走り描かれる赤い線。

痛みなど感じず、意識より早々に消える。

片手で車に張り付き不完全ながら銃を構えて。

射撃に必要なものは、糸を針の穴に通すような一点集中力――――

 

 

(っ……何?)

 

 

牽制、示威、傷害、擦過。

打ち出された力の塊が黒き野獣に吸い込まれ。

当たりはしないものの、役割は果たした筈。

再び撃って片を付ける。

だが、――――

 

 

「なん、だと?」

 

 

一旦助手席に戻り、息を整えて。

また一呼吸で運転席に戻った。

すると耳のそばに荒い呼吸。

 

 

「どうしたのっ?」

 

「ランフラットタイヤだ」

 

「……えっ?」

 

 

通常、タイヤは傷つけば空気漏れしパンクを起こす。

ソレを防ぐために開発されたのがランフラットタイヤだが――――、

 

 

(有り得ない)

 

 

破裂には対応不可だ。

銃に耐えられるレベルのモノは聞いたことがない。

もし実現しても、乗り心地と操作性は最悪だろう。

あんな乱暴な動作をすればただではすまない筈。

 

 

(本当に、何者だ……?)

 

 

おかしい。

訳がわからない。

奴等の正体は――――

 

 

「岡部くんっ……」

 

 

気づけば、腕に細い指と冷たい手のひらの感触。

呼び掛けせずとも入れ替えに応じた萌郁だった。

掠れ声ですがり付く。

 

 

「私を……私を降ろしてっ!」

 

 

……理解していたのか。

奴らの目的、その矛先を。

そう、彼らはおそらく運命の遂行者。

正体、それは。

 

 

(300人委員会――――)

 

 

時を支配しているつもりか。

萌郁がどうせ死ぬ、なんて考えないのか。

……なるほど、理解できる。

俺の思考と、良く似ている。

 

 

「そうか、――――死神、か」

 

 

勝手に請け負った死神代行者。

運命の歯車、神の使者。

逃れられない収束の呪縛。

 

 

「岡部くん……」

 

「降ろすかよ」

 

「え」

 

 

 

 

 

 

 

「お前は俺のモノだッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

「!!!」

 

「っ!??」

 

 

だからこそ知っている。

奴らに対抗するのに必要なものは理屈じゃない。

ただの子供っぽい感情の発露。

自分勝手な、寵愛。

 

 

「お前は俺が手に入れたんだ、絶対に手放さないッ!」

 

「…………」

 

「待っていろ萌郁。お前を、必ず導いてやる」

 

「……うん」

 

 

顔は見ずに。

それでも表情が想像出来る。

それだけで十分だった。

 

レクサスの助手席から、再度黒服が顔を出す。

俺も助手席と再び入れ替わった。

アタッシュケースにあったもう一つの銃をグリップ。

弾を装填、一瞬瞑目。

 

 

「何よその狂暴な銃は……」

 

「M500、コレが直撃すれば終わりだ」

 

「チート乙」

 

 

反則、確かにそうだ。

一般流通品では威力世界一を誇るブツ、使いこなせればかなり心強い。

俺の、もう一人の相棒。

 

足だけでドアに掴まり両手を銃に添える。

安定しないが、片手で撃てるものではない。

この姿勢だと運転技術も重要になるが……。

 

 

(……チッ)

 

 

一向に定まらず。

流石にペーパードライバーに求められる領域じゃないか。

手元がブレて、当たらない。

出来るのは牽制のみ。

どうする――

 

 

(って、言っている場合じゃないな)

 

 

進行方向へ振り返り。

しきりに靡く髪が邪魔だ。

押さえて見れば、遠く先に大きな直角カーブ――――。

 

 

「曲がりきれなければ、アウトか」

 

 

声は風に爆ぜて消え。

希望が不安に侵食される。

連中はカーブで決める気だろう。

間違いなく、追い詰められている。

 

 

(入れ替わるか? ……いや、ダメだ。ココで決めなければ終わる)

 

 

実はこの車、バッテリーが危機的状況だった。

無茶のし過ぎでさすがの三菱も限界である。

よくもったと思う。

しかし、カーブを抜ければもう厳しい予感があった。

 

 

(一か八か、なんて愚かだが……)

 

 

頼るしかない。

行くしかない。

萌郁と共に。

相棒と、共に。

 

 

「速度は下げるなッッ!!」

 

 

前の世界の萌郁なら、ブレがミリ単位に抑えられた。

前の世界の萌郁なら、車を自分の手足に出来た。

M4なら、M4なら、M4なら、M4なら――。

 

下らないIF。

阿呆臭い妄想。

どうしようもない未練。

……本当に馬鹿だな、俺は。

 

カーブが現れ、前に青空と大海が広がっている。

飛び立てたら、いっそ飛び立てたなら、世界から逃れられるだろうか。

 

逃げるな、戦え。

意地でも、手に入れろ。

 

 

 

 

 

 

 

「いけM4ぉぉぉぉおおおお!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

その先は理想郷。

誰も知らない領域。

 

タイヤの断末魔を聞きながら。

全身に衝撃を受け止めて、放つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光が、音が、満ち。

風と一つになり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

輝く翼が、見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眺望果てしなくどこまでも続く地平線。

まだ中天は遠く、昇る途上の太陽が在り。

風になぶられ白衣が羽ばたく。

崖に打ち付ける波しぶきが舞い、湿気を帯びた突風に目を伏せて。

 

時計を見る。

現在、9時半を回っていた。

車を降りてから未だに一言も喋らず、後ろの二人も無言で付いてくる。

レクサスが落ちた場所から大分離れただろう。

 

そろそろいいか。

 

 

「……いい加減、話してくれない?」

 

 

不機嫌な声に振り返れば、腕を組んで仁王立ちの紅莉栖。

その表情は苛立ちを隠そうともしない。

 

視線を外して萌郁を見る。

いつも通り無表情だが、俺を見つめて目を離さない。

そこには何かを受け入れた強い意思があった。

 

 

「記憶が流入したのか」

 

「――はい、M3」

 

 

チキンレースの最後、大きな急カーブでの死闘。

ペーパードライバーが曲がりきれるような甘い場所ではなかったのだ。

安定した、まるで俺の手足のように動くアイミーブを感じて確信する。

彼女はM4として俺と過ごした日々を思い出したのだと。

 

 

「……え? ちょっと待って。

よく理解できないんだけど、とりあえずM3って何?」

 

「俺のコードネームだ」

 

「あんたコードネームって、……はいはい厨二病厨二病」

 

「まだ受け入れられないか、紅莉栖」

 

 

頭のいい彼女が気づいていない筈はない。

きっと認めたくないのだろう。

証拠に、ずっと前から俺を岡部と呼んでいない。

 

 

「お前の知る岡部倫太郎は、もういない」

 

「っ……!」

 

「今の俺はラウンダーの一員。さっき俺たちを追ってきた連中と同類だ」

 

「…………」

 

 

紅莉栖の喉が鳴り、変な音が聞こえた。

目を見開き、震えている。

 

また彼女を無用に傷つけたのか……。

心の奥に針が刺さったような感覚。

痛みを感じぬように、心を凍結させる。

 

 

「M3は……彼らのこと、知っているの?」

 

「知らないさ。ただ目的はわかる」

 

 

ゆっくりとM4の元に歩み寄った。

耳朶に潮風が響いて鬱陶しい。

背中を忙しく押し、無邪気にも運命を促す。

 

 

「お前だってわかっていただろう、M4」

 

「ええ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「そして、俺が今からすることも」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……!」

 

「…………え?」

 

 

自然すぎる動作だった。

懐に手を入れグリップを握り、セーフティーを解除しながら滑らかに銃を取り出す。

その間、刹那。

 

 

 

 

 

銃の先が、萌郁のこめかみに口づけている。

 

 

 

 

 

 

「正しく、俺と奴等は同類。お前の命を奪う者だ」

 

「…………」

 

「命乞いなら違う世界でするがいい。ここでお前は、俺が殺す」

 

「……ちょちょっと、本気なの!?」

 

「邪魔するならお前にも撃ち込むぞ」

 

 

数瞬固まっていた紅莉栖が、俺を止めるように手を伸ばす。

がしかし、その手は届かない。

俺の恫喝が本気だとわかったからだ。

 

 

「死なないと言っても傷つかないわけじゃない。

身体に穴を空けたくなかったら大人しくしていろ」

 

「何で、あんたが殺す必要あるのよ……この人は――」

 

「今日にも死ぬだろうな、自殺という形で。もしかしたら病死かもしれない。

それは百も承知」

 

 

 

 

 

 

「――だから、俺の手で死なせる。M4の命は俺のモノだ」

 

 

 

 

 

 

運命に使役され死神を代行しようとしたあの刺客のように。

自分の手で復讐するためにタイムリープした天王寺綯のように。

俺は俺の手で俺のモノである桐生萌郁を殺害したいのだ。

これは稚拙な独占欲、単なる我が儘である。

 

死に意味を求めるなんて現実主義の彼女には理解できないだろう。

俺も比較的現実主義者だが、芸術として儀式的な趣向も好んでいた。

殺し方を議論するのも悪くない。

十字を切る手を左からか右からか争うような、なんとも人間らしい知的活動である。

 

 

「本気、みたいね……。桐生さんはいいの?

まあ選択肢はなさそうだけど」

 

「……私は、構わない。M3のためなら何でもすると、決めていたから。

むしろ感謝している」

 

 

キッパリと、萌郁は言い切った。

意思は変わらず俺に向かう。

彼女は俺という人間を誰よりも信頼し信用していて。

純粋な信仰だった。

 

 

「M3は、私を助けてくれた。孤独な私を、拾ってくれた。

私の罪を、赦してくれたから。どうせ死ぬのなら、――私は彼に、殺して欲しい」

 

「そうですか……。なら私に言えることは何もありません」

 

「だったら背を向けておけ」

 

「……そう、ね」

 

 

聞こえるため息一つ。

紅莉栖が森の方へ向き直るのを確認すると、引き金に指をかける。

萌郁は俺の顔を焼き付けるように数秒見つめて、目を閉じた。

 

 

「言っておくが、お前がどう思っていようと変わらない。

俺はお前を永遠に奪うのだ」

 

「……M3は、いつもそう。私に責任を負わせてくれない。

私はM3の、岡部くんの永遠になりたいの」

 

 

勘違いするな、と言える否定の要素はない。

常に俺は責任を負うことを心がけて来たから。

彼女の意思を蔑ろに、全て押し進めてきたのだから。

 

 

 

 

しかし、最期ぐらい良いのかもしれない。

 

 

 

 

 

「わかった。お前を相棒として、パートナーとして共犯者に認める。

その上で問おう、――俺に、殺されてくれないか?」

 

 

まるでダンスに誘うように、軽く問う。

最初で最後のエスコート。

銃身が差し出す手の代わりで。

柄にもなく、緊張していた。

 

 

「……はい」

 

 

口を小さく結び目を強く閉じる。

頬が紅潮し、羞恥と喜悦の入り交じった顔。

反応がまるで嫁入り前の処女だった。

 

その姿を眩しいものを見るように目を細め眺める。

今の彼女は酷く魅力的だ。

背徳的な程に。

 

もう言葉は要らない。

抱き締める代わりにキスをしよう。

冷たくて硬い、ミネベアの銃口で。

 

 

 

 

 

 

これは断罪ではない。

抱擁よりも優しく、口づけよりも甘く、夜伽よりも蕩ける行為。

 

 

 

 

 

 

だから、穏やかに。

柔らかく撫でるように、トリガーを引いて。

空まで海まで揺らすように、長く長く、高く高く、嬌声は上がった。

音の乾きが、喉を焦がす。

湿った地面へ、衣擦れとともに彼女は倒れていき。

それを余韻に浸るように見送り、構えを解かず立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

嗚呼。

俺は確かに、彼女を――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静かなラボで二つの携帯電話を弄り倒す。

凌辱の限りを尽くし、全て曝け出して犯した。

咎める者は誰もいない。

持ち主が既に他界しているのだから。

謂わば、情報的死姦。

罪深く穢れ多い響きである。

それにしても、――――

 

 

(桁違いの量だ……)

 

 

特に萌郁は送信ボックスが半端ない。

短文もあるが、キャラの崩壊した言葉の列挙。

 

 

(俺と仕事をするとき、メールなんて業務的なものばかりだったからな)

 

 

新たな一面を見た思いである。

今更、今更。

 

 

(そんなこと、どうでもいいはずなのに……)

 

 

彼女の安らかな死相が目に浮かぶ。

それだけで、俺の行動は間違いじゃなかったと、思えたんだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの後、俺は萌郁に銃を握らせ速やかに立ち去った。

自殺に見せかけなければ要らぬ面倒を引き受けることになる。

携帯電話は回収したものの、処理を施したので足はつかないだろう。

 

 

『もしかして、歩いて帰る気?』

 

『レンタカーは放置する必要がある。タクシーを呼ぶ金はない。

だったら歩くしかあるまい?』

 

『私が払うわよ。ついでにあんたも乗せるだけだから』

 

『ご苦労』

 

『ほんっと、偉そうね……』

 

 

紅莉栖がタクシーに乗るというので相乗りする。

さすがの俺も車より早く帰ることは出来ない。

予想外に楽々とラボにつくことが出来た。

そこで紅莉栖と、昼食ついでにタイムリープについて話をすることになる。

ちなみに俺の奢りだ。

 

 

『つまり、あんたは違う未来からタイムリープしてきたってこと?』

 

『そういうことだ。俺がいた世界とタイムリープ後の世界が合致していない』

 

 

ソコは気になっていたところだった。

前の世界で紅莉栖に聞いた限り、

FBの自宅を訪れてなどいないし萌郁とレンタカーを借りに行ってもいない。

タイムリープは過去に戻るだけのはずなのに。

単純に同じ世界線を移動したわけではなかったのだ。

 

 

『……近似値、じゃない?

あんたはDメールで違う世界から渡ってきた。

だから、タイムリープするにもこの世界にあんたの過去なんて存在しない。

移動する過去を検索して、近い世界線の過去を割り出しそこへタイムリープした。

……仮説だけどね』

 

 

わかったような、よくわからない説。

俺が違う世界から来たことがタイムリープに関係あるのか?

即興であることを考慮して及第点だな。

俺なりの仮説も構成しつつある。

その糧にしてやろう。

 

 

(……それで、コイツは一体何をしているんだ?)

 

 

サンボで意見を聴いた後、俺たちは会話もなくラボへと帰った。

Dメールを送る前に、萌郁とFBの携帯電話を蹂躙することは伝えてあるのだ。

ただパソコンと携帯電話を往復しているだけの午後。

 

その姿を、紅莉栖はずっと眺めている。

変なキャラモノクッションを抱えながら。

 

 

(被験者の観察か)

 

 

実験大好きっ娘としては、俺から目を離せなくなるのも当然かもしれない。

コイツが造り出したタイムリープマシンを使ったのは俺だけなのだから。

それとも、先程提示した穴だらけの仮説を再構成しているのか。

 

 

(くくっ、目を背けてどうする……)

 

 

なんて、それは俺が考える紅莉栖の科学者としての顔で。

彼女が想像以上に感情に流されやすいことを既に知っていた。

おそらく昼間のことを気にしているのだろう。

俺はこの手で人を殺し、悪の機関に従属していたことを告白している。

 

 

「……正直」

 

 

俺の手が止まり時計を見上げた時、

ずっと見ているだけだった紅莉栖がクッションに顎を乗せて呟いた。

 

現在、18:00を回っている。

窓からの赤い射光が部屋を侵食し、積み上がったガタクタに生命の色を与えていた。

 

 

「言いたいことは山程あるんだけど……止めとく。

他の世界線は気にしてもしょうがないし」

 

 

裏切り者。

今までの経緯を知っている彼女すれば、俺はそんなレッテルを貼られても仕方がない。

 

 

「あんたはまゆりを助けるために戦っているんでしょ?」

 

「ああ、それだけは揺るぎない。何を犠牲にしようとも、俺はアイツの命を救う」

 

「なら、別にいい。あんたがどんなヤツでも協力する。まゆりは大切な友達だしね」

 

 

自分で口に出してみて、驚いていた。

我ながら素直過ぎる。

相手が単純で扱いやすい紅莉栖だからか、

 

それとも彼女に罪悪感を抱いている――――?

 

 

「――ふぅっ、お腹減っちゃった。何か買ってくるけど、要望ある?」

 

「ケバブとマウンテンデュー」

 

「……そう」

 

 

一瞬、紅莉栖は悲しげな顔をして、白衣を翻しラボから出ていった。

走り去るように、まるで何かから目を逸らすように。

見間違いでなければ、去り際に彼女は、――――

 

 

(チッ)

 

 

調子を狂わせてくれる。

女の涙なんて、卑怯で陳腐な下らない手で。

理なんて存在しない、単なる頭の悪い感情的な暴力に近いものなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭を掻き毟りながら立ち上がり、冷蔵庫へと足を運ぶ。

中を漁り、ドクターペッパーを取り出し口に含んで。

思ったほど不味くない、だからこそ不快。

爽快な後味に、吐きそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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約束

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

情報整理の後、確認の為に外へ出掛けて近隣を一回り。

そうして、柳林神社にIBN5100が盗まれた形跡を発見する。

手口から見てラウンダーであることは間違いない。

萌郁の携帯電話に送られたDメールが成功した証左だった。

 

 

(期限までにIBN5100を手に入れるためにはDメールを使うしかない、か)

 

 

他の手段を探ったがいずれも難しいようだ。

偵察が徒労に終わり、ルカ子へ挨拶はせず帰路に着いた。

 

夏の夜は眠りに程遠く、駅前はごった返し皆足早に家路を急ぐ。

中には立ち飲み居酒屋で興に耽る、サラリーマンやはたまた若いOLまで見かけ。

夜の東京を女が一人歩きとは世界も変わったものだ。

まゆりは今日死ぬ予定にないが、昼間のことを考えると少しだけ不安だった。

それでも、ラボに帰ると暖かい笑顔で迎えてくれる彼女がいて。

 

未だに感慨深い。

病床に伏せた姿をいつか思い出せなくなるのだろうか。

 

 

「はぁ。お腹いっぱーい。

まゆしぃは今日はほとんどなにも食べてなかったから、ずっとペコペコだったんだよー」

 

「明日もあるの?」

 

「うん、明日だけじゃなくて明後日もあるのー」

 

 

コミマから帰ってきて夕食のカップ麺をソファで食べるまゆり。

満足げで幸せそうだった。

その隣に座るのは、まゆりと帰り道で合流した紅莉栖。

夕方見せた悲哀が欠片も見当たらない。

隠しているというのもあるだろうが、まゆりに癒されたのだろう。

彼女の笑顔は不思議な力を宿していた。

俺が苦笑してしまうぐらいに。

 

あと、ケバブと言えば基本のオリジナルソースに決まっている。

ガーリックソースを買ってきた紅莉栖は許さない、絶対にだ。

 

 

「さてさてー、まゆしぃは明日早いから、もう帰るねー」

 

 

コミマについて昼間調べた様子だと、ファンは始発で並ぶらしい。

イベントの規模も大きく、昨年は一般参加者だけで延べ56万人にも上ったようだ。

それがあの東京ビッグサイトで行われるというのだから圧巻だろう。

前の世界のまゆりも、このイベントがあれば行きたがっただろうか。

 

 

「ねぇねぇ、クリスちゃんやオカリンは、コミマ行かないのー?」

 

「お断りよ、人が多すぎて息が詰まりそう」

 

「今日と比べるとね、2日目はそんなに多くないよー。

午後から来れば、快適そのものなんだから。

人気のある同人誌なんかは売り切れちゃうけどね」

 

 

珍しく紅莉栖に同意だが、別に忙しいというわけではない。

あとはDメールを送って世界を変えるだけ。

まゆりの死をわざわざ見届ける必要はないのだ。

しかし、――――

 

 

(まゆりの頼み事なんて聞いてやったことがないな……)

 

 

口には出さないが、名残惜しく寂しそうな表情を浮かべている。

そもそも彼女は贅沢を言わない性質だった。

重荷になりたくないとは、そういうことなのか……?

 

 

「あんたがついて行きなさいよ。まゆりの保護者でしょ?」

 

「違うよー。まゆしぃはね、オカリンの人質」

 

「ああ、はいはい。そうだったわね」

 

 

人質……?

 

 

「人質に逃げられちゃまずいでしょ。手錠でもかけて同行すれば?」

 

「そうだな。手錠はかけないが付いていこうか」

 

「…………は?」

 

「……へ?」

 

 

まゆりが人質ということも気になるが、コミマに興味が湧いたので参加を表明しておく。

すると二人は目を丸くし俺を凝視した。

空気が固まるほど意外なのか、岡部倫太郎がコミマに行くことは。

 

 

「明日朝早いのか?」

 

「……オカリン、本当に行ってくれるの? 本当の、本当に?」

 

「お前が望むならな。なんならコスプレしてやってもいい」

 

「わぁわぁわぁー、ありがとーオカリン!

じゃあねじゃあね、やっぱりゼロサムコス持っていかないとね。えへへー」

 

「……あ、あんた、何言って――んむっ」

 

 

何か余計なことを言おうとする紅莉栖の口に素早くケバブを突っ込む。

まゆりの機嫌を悪くしたらただじゃすまんぞこのガーリック娘。

まゆりに聞かれないよう耳打ちへ移行する。

 

 

(Dメールはどうするのっ!? ……それとも嘘約束?)

 

(マヌケが、そんな意味のないことするわけなかろう)

 

(じゃあどういうつもりよ)

 

(後で話す。今は黙ってろニンニク)

 

(ニンニクって何!?)

 

 

ニンニクはニンニクに決まっている。

首を傾げるまゆりと目が合い咄嗟に離脱、紅莉栖を追いやった。

ケバブを口に押し込みながら。

 

 

「っ~~~~!!」

 

「えっとー……クリスちゃん?」

 

「ヤツはケバブに夢中らしいから放っておけ。兎にも角にも明日のことだ」

 

「うんうんっ、そだねー。念のため採寸とってもいい?」

 

 

答える前にメジャーを当てるまゆり。

引き受けた手前、文句を言わず身体を預ける。

目の前の彼女は鼻歌混じりで楽しそうだ。

薄く当たる吐息がむず痒い。

 

ケバブを頬張り恨みがましく睨む紅莉栖を無視して、まゆりを至近距離から眺める。

長く整った睫毛の下に見える、活気溢れた双眸。

血色が良く、健康的な白い肌。

適度に筋肉質ですっかり女性らしくなった身体。

 

 

本当に、感慨深い。

 

 

 

「んぐ……ん、あんたがコミマとか、キャラ違いすぎ」

 

「んー?」

 

「私も行きたいですと正直に言えニンニク」

 

「ニンニク言うな! つーかそんなわけないっ!」

 

「あれあれー??」

 

「……って、まゆりどうしたの?」

 

 

密着するまゆりは、頻りに困惑の声をあげて俺の身体を弄る。

さすがの俺もこそばゆく、鬱陶しくなってきた。

 

 

「どうしたまゆり」

 

「うーん……なんか、硬いの」

 

「はぁ? ……っ! 私も触るわ」

 

 

そう言うと、紅莉栖まで許可もなく胸筋を触りだした。

いつもなら一蹴してやるところだが、まゆりの手前耐える。

 

 

 

撫でて、撫でて、撫でて。

 

 

 

無言で、一心不乱に女性陣は俺の肉体を撫で回す。

居心地の悪さが最高潮に達した。

 

仕舞いにはシャツを脱がそうとして、――――

 

 

「オイ」

 

「っ!?」

 

「やりすぎだ。大体珍しいものでも――」

 

「オカリン上着脱いで」

 

「――ああ」

 

 

まゆりの揺るがない剛き声。

……まさかこの俺が、気圧されているだと?

抵抗出来ないまま、自分で脱ぐ前に剥がれるオカリン。

もうどうにでもなーれっ!

 

 

「わぁ……」

 

「Oh……」

 

 

 

 

 

 

 

――――それは、西洋の彫像が如く。

 

 

 

 

 

 

 

克明に刻まれた筋肉の溝が研鑽の跡を語る。

一切の無駄という無駄が省かれ、狩りに特化されたしなやかで鋭利な鋼刃。

まるでサバンナを支配する肉食獣。

凄惨な過去は世界に棄てられて、その身体に疵一つない。

 

 

 

芸術的な裸は裸を思わせず、元より鎧を纏っていた。

 

 

 

「ほへー……オカリンって、いつの間に鍛えてたのー?」

 

「着痩せってレベルじゃねーぞっ! ……あんた、凄いわね……ゴクリ」

 

 

やはりこの世界の岡部倫太郎は鍛えていなかったのか……。

身体に違和感がない時点でおかしいとは思ったのだ。

かたや工作員、かたや貧弱大学生、筋肉量が違うのは当然である。

幾多の銃創が消えているのは不幸中の幸いと言うべきか。

 

 

「見えない努力をしているのが女だけだと思うな」

 

「えー? でもでも、凄すぎだよー」

 

「因果律量子論、プラチナコードを提唱した香月博士によると軍人体型の継続は

対BETA戦略に於いて要とも言える00ユニット完成に不可欠かつ恋愛原子核にも活用され

戦術機OSの革命的機動を可能にして国連軍主導の桜花作戦で大きな成果を挙げ……」

 

 

苦しいがフォローのつもりである。

納得せず、それでも目を輝かせるまゆり。

隣では経でも唱えるように電波を展開し、

頭を必死に纏めようとしていた紅莉栖だが、しばらくすると停止。

目のハイライトが消え知性なき獣の顔をし、

息を荒げて俺の身体にしがみついた。

 

 

――――本能的恐怖を感じる。

 

 

離脱を……っ!?

 

 

(体が動かない……だと……!??)

 

 

「フェロモンハアハア……筋肉筋肉ー!!」

 

「このマッチョっぷりは悪夢篇のゼロサムとも違う気がするかなぁ。

かといってスザークのコスは個人的にいまいちだし……

やっぱりサー・アボカドがいいねー。えへへー」

 

 

HENTAIの力ってすごい、そう思った。

異常に筋骨隆々なまゆりを幻視する。

気のせいだ、気のせい。

 

 

『トゥットゥルー♪ まっちょしぃ☆です。逃げられると思うなよ?』

 

 

…………。

今更だが、コミマに行くことを後悔している。

この世界にはHENTAIしかいないのかもしれない……。

汗を舐めようとしている紅莉栖を見て、俺は考えることを止めた――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あんなトンでもカーチェイスを演じていたから、薄々気づいてはいたんだけど――』

 

 

Dメールを送って世界線を移動した場合、

肉体情報に関して維持することは理論上不可能である。

何故ならDメールとは過去を改変するものであり、

改変後の歴史の延長が現在へと繋がり肉体組成を決定しているからだ。

 

ならばこの事態をどのように説明するのか。

恨む相手を見つけられない紅莉栖が、哀しみと怒りを圧し殺し推察していた。

 

 

『あんたは世界の因果情報すら塗り替えてしまうのね』

 

 

過去は綺麗に消し去られ、岡部倫太郎は完全に死に絶えたのだ。

 

 

最善の世界を奪う力――――

 

 

そんなモノを俺が持ち合わせているとしたら、タイムリープによる過去改変も説明可能。

 

思えば、都合が良すぎた。

FBと萌郁の携帯電話を手に入れるためにタイムリープすると、

丁度二人とも会うべくして会う世界にいたなんて。

 

 

『岡部倫太郎を乗っ取るウィルス。

あいつの拓くはずの未来を簒奪し自分本位に調整していく存在』

 

 

岡部倫太郎同士の生存競争において絶対なる勝者。

数多に分かたれて絡み合う世界線へ取りついた寄生虫。

異物として排除されず、岡部倫太郎に成り代わる存在。

 

 

『それが、あんた』

 

(それが、この俺)

 

 

鳳凰院、凶真――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日は曇天なり。

イベント日和とは言い難いだろう。

コスプレ会場は屋外だったから、雨に降られたらひとたまりもない。

天は俺に味方していないな……。

 

そんなムシムシした会場でスーツを改造したような、

パーティーに着ていっても引かれるであろう装いの輩が暴れている。

 

 

そう、俺だった。

 

 

 

「アボガドではない、アボカドだ。下郎め!」

 

 

旅の恥は掻き捨てと言うが、世界改変の折はこの行為も自然と捨てられる。

いずれ醒める白昼夢でしかなく。

それでも、――――

 

 

「すっっっごく、良く似合ってるよー!!」

 

 

この笑顔は捨てたくなかった。

拾い続けたい、と思う。

この生ある限り。

 

 

「それにしてもこのオカリン、ノリノリである」

 

「やばい、似すぎだろjk」

 

「サー・アボカドがいると聞いて」

 

「ハアハア……」

 

 

変な連中が盛んにシャッターを押すものの、俺には関係ない下界。

戦う相手は常に自分自身――――!

 

橋田はナチュラルに混ざるなよ……。

 

 

「それで、何で私までコスプレ?」

 

「えーいい感じだよクリスちゃんっ!」

 

「……ま、まあ嫌いじゃないけど。あいつのバーターみたいなのは気に食わないわ……。

 

まだ殴られた頭痛いし」

 

 

ゼロサムのコスプレをした紅莉栖がぼやく。

しかし当然の制裁である。

HENTAI行為の報いは受けるべきなのだ。

ここは法治国家なのだから。

 

 

「で、では、行こうか我が騎士よっ!!」

 

「Yes,your Majesty!!」

 

 

大袈裟に手を振りノイズ混じりの声で紅莉栖が呼び掛けると、周りから歓声が沸いた。

紅莉栖め……どもりおって。

せっかく昨夜は遅くまでアニメを見て研究したというのに。

緊張しているのか?

この世界でもサイエンス誌に論文が載る有名人の分際で。

しかも仮面で顔を隠しているだろうが。

 

ちなみにアニメの時系列とか、こまかいことは気にしない。

コスプレはノリである。

設定にこだわりすぎてはいけない。

まゆり先生からの教えだった。

 

 

「ふぅ……この格好暑い」

 

「頑張ってクリスちゃん!」

 

「弛んでいるからだ、ノロマ」

 

「……あんた、ムカつくわね」

 

 

こうして一日は過ぎていった。

子供のように戯れて遊ぶ。

まゆりを楽しませるためだけに演じた喜劇。

正しく道化、ピエロだった。

 

それでも俺は嫌いではない。

ラボメンとまともに触れ合ったのはこれが初めてだ。

もしかしたら、前の世界でもまゆりさえいれば

ラボメンたちに冷たくあたることもなかったかもしれない。

そんな郷愁に近い、ありえない可能性を抱いてしまうほど俺たちは満たされていた。

 

 

「……どうしたの? オカリン」

 

「いや、何でもない」

 

「アボガドこっち向いてー」

 

「アボガドではないアボカドだッッ!」

 

「きゃーかっこいいっ!」

 

「ふふっ」

 

 

終焉、終演、フィナーレの時は間近で。

儚く脆い、時の狭間に訪れた夢幻。

俺は断頭台に向かう中で、他愛ないママゴトを純心に楽しんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――兵どもが夢の跡。

 

夏で陽が長いとはいえ、七時にもなると光陰の海も形を失い、全てが薄闇の中に没する。

モダンアートで造られた城が灯りに照らされ、水溜りにも反射し幻想的な香気を放つ。

 

 

「ふぅ。まゆしぃはね、こんなに楽しいコミマは初めてなのです」

 

「そうか」

 

「終わり際夕立に降られるなんて、ついてないよー」

 

「そうだな」

 

「でもでも、皆がいてくれたおかげですごく楽しめたよっ! オカリンありがとー」

 

「いや、大した労ではない。お前が楽しめたなら俺は満足だ」

 

「えっへへー。まゆしぃ愛されてるねー♪」

 

 

コミマ二日目は無事終了。

見る限り盛況だったようだ。

それでも東京ビッグサイトは人影もまばらになり、昼間とのギャップに哀愁すら漂う。

 

 

「あんたはしゃぎ過ぎよ……サイン会に発展するとか、ないわ」

 

「ふん、こういうイベントは楽しんだもの勝ちなのだよ。

斜に構えて見下し冷めている方が損というものだ。

お前だって、なんだかんだでノリノリだったではないか」

 

「い、いやまあ、楽しかったけど。あんたのはキャラ崩壊に近いじゃない」

 

「勘違いだな。俺は悪ふざけに本気を出すタイプだ」

 

「……それもどうなの?」

 

 

合理性を以て無駄を肯定し、無駄を無駄にしない。

それが俺のスタンスだ。

Dメールを送らず得た猶予期間。

まゆりのために捧げると決めたから、キャラも体裁も取り繕うつもりはない。

 

 

「ふぅ……まだ二日目なのに買いすぎたお」

 

「あ、ダルくんだー」

 

 

キャラがプリントされた紙袋を多数引っ提げて、バックにはポスターサーベル。

典型的なヲタクの戦闘装束でホクホク顔、十二分に満喫した体の橋田が再度合流する。

まゆりは奴に駆け寄り、戦果を報告しに行った。

その背中を、何とはなしに眺める。

 

 

「……Dメール」

 

 

隣で同じように眺めていた紅莉栖が、俺にしか聞こえない声量で呟いた。

応えずに、耳だけ傾ける。

 

 

「もう少ししたら送るんでしょ? ……良かったの?」

 

「何がだ」

 

「私たちまで付いてきたら、ラボに誰もいないじゃない」

 

 

つまり、電話レンジ(仮)を起動する人間がいないことを危惧しているわけだ。

まだコイツは理解していないのか。

この俺に抜かりなど存在しないことを。

 

 

「電話レンジ(仮)は昨日改良済みだ。アニメを見て寝入ってしまったお前とは違う」

 

「いちいち嫌み臭いわね……って、あんた勝手に――」

 

「今メールを送れば自動的に起動するようセットしてある。

いわゆる待機モードだ。便利にしてやったんだから文句を言われる筋合いはない」

 

「……はぁ、まぁいいけど。そこまでして今日コミマに来たかったワケ?」

 

 

言われて、まだ明確な理由を話していないことに気づく。

一日Dメールを送らずに、敢えてまゆりの死を見届ける理由。

 

 

「Dメールの原理は大体わかっているが、失敗する可能性は少なからずあるのだ」

 

「……だから?」

 

「もしまゆりと出会うことのない世界線に移動した場合、約束が果たせなくなる」

 

「約束……」

 

 

日常の中で生まれた、叶わない筈の希望。

病床に朽ち逝く彼女の諦観で染められた哀しい願い。

 

 

『またいつか行った遊園地、岡部くんと一緒に行けるといいねっ』

 

 

遊園地よりもお前はきっとここの方が喜んだから。

彼女との約束は必ず守る。

世界線を越えて、誰も覚えていなくても、必ず。

 

……くくっ、あの男に毒されたのか。

俺はそこまで殊勝な男ではなかったんだがなぁ……。

 

 

「お前との約束も果たした。見たくないなら帰るといい」

 

「は? ……ち、ちょっとっ!」

 

「ん? オカリンどしたん??」

 

 

呼び掛けを無視してまゆりに早足で歩み寄る。

時間が、近い。

それでも暗殺者の影はなく、彼女が一人星空に手を伸ばすのみ。

 

空に星は多くとも、闇に埋もれてよく見えず。

彼女の指先も暗い沼地に触れたようで、星空は彼女を呑み込もうとしている。

 

そんな言い様のない不安に駆られて。

 

 

 

 

――――気づけば俺は、後ろから彼女を抱き締めていた。

 

 

 

 

「――――」

 

「オカリン……また、まゆしぃを助けてくれるんだね」

 

 

また……?

 

 

「でもね、もう大丈夫だよー。オカリンの人質じゃなくても、もう大丈夫」

 

「昼間の限りでは大丈夫に見えなかったぞ」

 

「そお? そうかなー、えっへへー」

 

 

コスプレ会場でも、途中の交通機関でも。

彼女は目を離すと居なくなりそうだった。

今だってそう、まるで空に誰かがいるように――――

 

 

……そう、か。

この世界の俺も、同じように思ったのか。

だから浚われないように人質にして縛ってしまおうなんて。

 

強引な手だ。

しかし、悪くない。

コイツと一緒に居られるなら、未来永劫いられるなら。

 

つまり、全部俺の我儘で――――

 

 

「――なんかじゃ、ない」

 

「……オカリン?」

 

「お前は、重荷なんかじゃない」

 

「そっか……」

 

「必ず、必ず救ってやるから――待っていろ」

 

「……ん、よかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあな、まゆり。また会おう」

 

「うん……またね、オカリン……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以心伝心の簡潔な別れは、星空の下。

 

まだ暖かいのに、穏やかな顔なのに。

俺に体重を預けて彼女は天を仰ぐ。

息も、鼓動も止まっていて。

安らかな永眠は、俺の腕の中で。

 

そして俺は彼女を抱えて歩き出す。

心地好い重さを腕に感じながら。

孤独の観測者は世界すら置き去りにして。

収束へと、加速する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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呼鈴

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0.523307

0.571046

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有り体に言おう。

気づけば、ラボにいた。

タイムリープマシンの前で所在なく立ち尽くしていて。

 

 

(過去改変が成功したのか?)

 

 

まゆりをベンチに寝かせて、FBの携帯電話を操作しDメールを送ったところまでは覚えている。

内容は萌郁への活動中止命令。

彼女のメールボックスの中に未来からのメールを見つけ、それを取り消すには

FBの携帯電話からIBN5100を探さないよう通達しなければならない、と判断したのだ。

性格上、彼女は依存相手の役に立ちたいと思えばどんな怪しいメールでも飛び付くし、

どんな無茶なメールでも依存相手からならば従うだろう。

この世界で彼女の依存相手が俺ではなくFBであることは、メールを読めば容易にわかる。

 

 

(IBN5100は……あるな)

 

 

ラボの中を探せば、橋田の最新パソコンの側に見覚えのあるマシンがあった。

ラウンダーとして回収した際に見かけたものと瓜二つ。

ご丁寧にパソコンとセッティング済みだ。

 

それこそDメールによって世界線移動が成功した証拠である。

セッティング済みなのは、また都合の良い世界線を喰らったからだろうか。

 

 

(さて、どう動くか……)

 

 

感慨などはなく、次の行動を模索するのみ。

おそらくまゆりの死亡日時は一日ずれているはずで。

その場合明日約束を守りたいところだが、

この世界線ではコミマへ一緒に行くのは難しいかもしれない。

まゆりが死んだ直後、IBN5100を橋田に操作させるのはあまり得策じゃないからだ。

落ち着くのを待つ、なんて悠長なことをする気もない。

 

コミマは諦めて、まゆりが死ぬ前に世界線を渡ろう。

約束にこだわるのも危険である。

今は戦争中なのだ。

 

 

(だったらいっそ、一刻も早く世界線を移動するか)

 

 

今現在20時前。

橋田がコミマに行っていたとして、既に帰宅している可能性が高い。

わざわざ呼び出す必要性。

 

 

(……ない、な)

 

 

急いては事を仕損じる、と言う。

IBN5100を使うチャンスは一度きり。

万全を期して挑むべきだ。

 

というわけで、今夜は情報収集と下準備に時間を費やすことにする。

まずは俺の携帯電話を漁ろう。

己を知らば百戦危うからず、である。

 

コイツを俺とするのは誤解があるか。

誰もいないラボで独り自嘲していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつの経験かわからない。

いや、俺の記憶かどうかすら朧気だ。

 

曖昧な視界の中、目の前に人間の顔が見える。

場所はおそらくラボの開発室、向かい合う女性は見覚えがあって。

牧瀬紅莉栖だと気づくのに数瞬かかった。

 

 

『俺は、お前が好きだ』

 

『…………っ』

 

 

自分の口から恥ずかしい言葉が零れ出る。

止められない、止める暇もない。

俺の告白を聞き、顔を真っ赤にしてうつむく紅莉栖。

 

 

なにがなんだかわからない……。

 

 

 

『お前は……?』

 

『えっ!? と、言いますと!?』

 

『お前は、俺のこと、その、どう思ってる?』

 

 

話しは勝手に進み、俺は彼女に返事を促す。

夢だな、リアルすぎる夢だ。

こう言うと現実逃避みたいだが、九分九厘夢だろう。

この俺が紅莉栖に告白するなんて妄想でも有り得ない。

 

 

『し、知りたいのか?』

 

 

それにしてもこの胸の高鳴りは、異常な発汗は、紅莉栖の顔補正はどうなっているのか。

まるで本当に俺が彼女を――

 

すると紅莉栖は表情を引き締め、顔を上げて詰め寄る。

そのまま俺の襟元を掴み引っ張った。

 

 

『……目を閉じろ』

 

『なぜ、目を……?』

 

『いいから、閉じなさいよ!』

 

 

正直閉じたくない。

だが無情にも瞼は降りて、シアターは闇に包まれる。

不安な気持ちに襲われ気分が悪くなってきた。

 

このシチュで不安……?

もしかしてコイツ、鈍感野郎か?

 

 

『…………』

 

『んっ……』

 

 

柔らかな感触が柑橘系の芳香とともに訪れて。

予想通り、キスをされた。

 

 

『な、な……』

 

『べ、別に、したくてしたんじゃない……から……』

 

 

その時、俺に電流走る――!

脳天を貫くような衝撃。

夢の中なのにあまりにも鮮烈で目が覚めるような口づけ。

 

 

頭がおかしくなりそうだ……。

 

 

 

『ただ……さっき、約束したでしょ……。私のこと忘れないでって……』

 

 

つらつらと照れ隠しか壊れた機械の様に理論を垂れ流す紅莉栖。

その顔を、愛しいものを見るように眺めて。

感情の激流に流されてしまう。

 

 

『どうしても、岡部にだけは、私のこと忘れてほしくなかったから……』

 

 

紅莉栖、愛してる。

お前のことは絶対に忘れない――。

 

 

 

 

『ねえ、岡部。

相対性理論って、とてもロマンチックで――とても、切ないものだね……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ハッ!」

 

 

荒々しく、乱れた呼吸と共に跳ね起きる。

どうやら情報収集の最中に眠っていたらしい。

 

 

「はぁはぁ、はぁっ」

 

 

目の前にはパソコンのディスプレイ。

黒い画面に映し出される、寝惚けた顔。

 

 

(夢、か)

 

 

仮眠だったはずなのに、夢を見るほど熟睡するのは珍しく。

生温い雰囲気に気が緩んだのか。

元の世界だったら死んでいただろう。

 

……まあ、いい。

それよりも俺が見た夢――。

 

 

(最後、おぞましいことを考えていたな……)

 

 

唇を指でなぞる。

紅莉栖との口づけの感触が未だに残っていて、想いの奔流に心が落ち着かない。

 

 

(世界の記憶……か?)

 

 

間違いなく、俺の過去ではない。

夢にしては有り得ないリアリティー。

ならばこの世界の岡部倫太郎の残骸なのか。

それとも俺が奴を喰らったから、記憶すら吸収したのか。

 

 

(どちらにしろ、あの夢は――)

 

 

この世界で起こり得た出来事。

二人の男女が交わした愛の契りは果たされることもなく消えた。

死別、という形で。

 

 

『相対性理論って、とてもロマンチックで――とても、切ないものだね……』

 

 

紅莉栖、またお前を、――――

 

 

「トゥットゥルー♪ まゆしぃでーす」

 

 

明るい声に沈んでいた意識が浮上する。

反射的に振り向き、入り口へ顔を転じた。

 

 

「あー、オカリン。おはよー♪」

 

 

元気なまゆりが弾けんばかりの笑顔を浮かべる。

それだけで、俺は救われてしまう。

 

それが逃避だと気づいていても止まる術はなく。

何を傷つけても、何を失っても、ただひたすら突き進む。

 

 

 

 

 

(――――これこそ、運命石の扉の選択だ。牧瀬、紅莉栖)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0.571046

1.130205

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『牧瀬紅莉栖が』

 

『男に刺された』

 

『みたいだ。男』

 

 

エシュロンに捕らえられていたDメールの内容は上記の3通だった。

これらのメールを岡部倫太郎はラジ舘前で送ったらしい。

そしてラウンダーに見つかり、目をつけられた。

タイムマシン研究を阻むSERNに。

俺が最初にいた世界とはまるで違うということだ。

 

自演。

 

ラボの存在は言ってしまえばソレだったから。

偶然の産物だったとしてもその事実は変わりない。

俺にとっての玩具に等しい。

邪魔になれば片付ける、それだけだ。

それだけだったはず。

 

しかし、

 

 

(得難い場所……なのかもしれない。もう少し大事に扱うべきか)

 

 

IBN5100を先ほどまで操作していた橋田と,

世界線が変わっても何も変わらないまゆりを見る。

橋田に関してもはやその腕は疑うものではない。

まゆりの居場所を護るために必要な力だ。

 

怪訝な表情をするまゆりの頭に手を乗せ、優しく撫でる。

紅莉栖も、頭脳として、補佐として十分使えることがわかったものの、

まゆりに代えられる人間ではない。

惜しい人材を亡くしたものだ。

それでもまゆりのために死んだと思えば。

 

目を細めてされるがままに撫でられるまゆり。

この世界では彼女がいつ死ぬかわからない。

もしかしたら明日散る命かもしれない。

俺に出来ることは、傍で見守ることだけ。

 

 

――――だが俺は、黙って奪われるほど弱くはないぞ。

 

 

 

「なんかリア充空間が構築されている件」

 

「オ、オカリン……まゆしぃは嬉しいけど、ちょっと恥ずかしいよー」

 

「ん? 俺は気にならないな。まゆりが嬉しいならばそれでいいだろう」

 

「それはそうだけども……非リアに対する配慮ぐらいしろし」

 

「オカリン、何かあった……?」

 

「――――」

 

 

相変わらず、まゆりは鋭い。

気遣う視線が手元から投げ掛けられる。

しかし答える言葉はなかった。

語るような話でもないのだ。

妄想と一蹴出来る、荒唐無稽な物語。

 

 

「ラボメンNo.004は誰だ?」

 

「え?」

 

「は?」

 

 

それでも、確認しないわけにはいかない。

俺が俺に勝利したこの日、戦いの日々が白昼夢へと消えないために。

 

 

「ラボメンNo.004て、そんなのいるん?」

 

「さあ……? まゆしぃは知らないよー」

 

「誰なん誰なん? 僕としては貧乳ツンデレ美少女キボンヌ」

 

「女の子が欲しいのは同意かなー」

 

 

橋田のスレスレ発言がリーディング・シュタイナーから来ているとは考えづらい。

つまるところ、牧瀬紅莉栖はラボメンではないようだ。

 

当然だった。

前の世界で彼女自ら語った、その残酷な宿命――――。

 

 

「牧瀬紅莉栖。知っているか、橋田」

 

「……当たり前だろ、jk。今丁度スレを見てたとこだっての。これはメシマズ」

 

「クリスさん、って誰?」

 

「脳科学の権威で、サイエンス誌にも論文が載った天才美少女でごさる。そんで――――」

 

「7月28日にラジ館で刺殺された女、か」

 

「……うん」

 

 

沈鬱な表情を浮かべ陰を作る橋田に、確かな実感を得る。

 

 

 

 

 

そう、オレガ彼女ヲ殺シタ――――。

 

 

 

 

 

見えるはずのない真っ赤な染み。

手にへばりついた血糊。

床に甲高い音を立てて落ちるナイフ。

 

夢か現か、もはやわからない。

目の前の視界が歪み、堪らず膝をつく。

 

俺は、間違いなく辿り着いたんだ。

望む世界、1%の壁を越えた場所。

 

 

 

それでも、

 

 

 

 

 

 

「……大丈夫だよ、オカリン。ココが、オカリンの場所だから」

 

「――っ」

 

 

 

 

 

まゆりに支えられてすがり付く、空っぽな俺がいる。

全てを失った虚無感に浸る俺が、そこにはいたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――慌ただしい日々が唐突に訪れて。

 

 

 

世界線変動率1%の壁を越えたあの日から、

俺はこの世界で使えるカードを揃えるために奔走した。

俺が本来いた3%の世界を利用し、最低限の力を取り戻すことに成功する。

 

 

情報しかり、人脈しかり、武器しかり。

 

 

電話レンジ(仮)を早々に破壊したためこの世界ではやり直しが効かない。

そのため危険に伴うリスクは段違いだが、それも今更である。

俺は戦いの中で生きることしか知らないから。

裏に潜り、影に伏せて、地を這いずる。

どこまでも愚かな男だった。

 

まるで一件が片付いたような言い様だが、それは間違いである。

俺にはこの場所で未だやり残した仕事が残っていた。

大事な大事な、劇の幕引き。

 

 

「……オカリン? オカリン、謎の女が代われってさ」

 

 

パソコンでゲームに没頭していた橋田に着信。

内容が意味不明といった困り声で俺へと渡される。

特に何も問わず受け取った。

 

 

 

 

 

予感がある。

この電話こそ、終劇のベルをもたらす予感。

 

 

 

 

 

 

「誰だ」

 

「お願いっ、今すぐラジ舘屋上に来てッ!」

 

「――お前、は」

 

「私は、2036年から来た橋田至の娘、阿万音鈴羽。

お願い、私の言うことを信じて。――――第三次世界大戦を防ぐために」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年8月21日。

 

待ちに待った運命の動くはずのこの日。

俺たちラボメン3人が呼び出されたのは、

三週間前牧瀬紅莉栖の殺害された、あのラジ館の屋上だった。

 

 

「わあ、あれなにー?」

 

「……ロボじゃね? 変形とかしたりして」

 

 

何と言ってもまだ新しい殺人現場。

現場保全のための封鎖は続いていたが、侵入は造作もない。

日の長い夕暮れ、未だ太陽の存在感は衰えず。

目の前には巨大で奇っ怪な金属の塊が赤く紅く照らし出される。

 

 

(タイムマシン――)

 

 

一見、人工衛星に見えなくもない。

だが俺は、呼び出した人間が何者か知っているからわかる。

そう、かの機体の影から出てきたのは――

 

 

「……岡部倫太郎?」

 

「阿万音、鈴羽」

 

 

薄汚れた戦闘服に身を包むタイムトラベラー、別名橋田鈴。

電話での印象通り切羽詰まったような固い表情である。

緊張、焦燥、疲労、安堵の色が織り混ざって。

戦場下の兵士に特有な悲哀を感じさせた。

 

 

「質問に答えて。君が岡部倫太郎?」

 

「だと、言ったら?」

 

「あたしは2036年から来たタイムトラベラー。オカリンおじさんに頼みがあるの」

 

「おじさんなのー?」

 

 

頼み。

我が天敵の話など聞く気にならないが、

俺やまゆりに利する可能性も考えられたので、口を挟まず黙っていよう。

すると奴は感情を舌に乗せ、訴えかけるように自身の窮状を語りだす。

 

 

「この世界線の未来では、第3次世界大戦が起きちゃうんだ!

それを回避するために、あたしに協力して過去を変えて! お願い!」

 

「――――」

 

 

驚き半分、納得半分。

タイムトラベラーの目的なんて、観光でもないなら予想は簡単だった。

 

そして想像通り、

世界線変動率1%の壁を越えても歴史的には何の解決にも至っていなかったのだ。

 

奴曰く、戦争により人類の総人口は10億人になっていて。

タイムマシンをめぐり冷戦による核兵器の使用が行われた、とか。

EUとロシアとアメリカの開発競争が火種である、など。

 

人間の業が集大成へ向かいつつあるような、眉唾物の終末論。

まるでどこぞのSF小説に出てくる世界史だった。

 

 

「2036年には戦争は終結してるけど、地球はボロボロ。

もうさ、人がまともに住める世界じゃないんだ」

 

 

嘆きに憂いを重ねて悲しみが寄り添い。

無力に歯噛みし、端整な顔立ちに影を作って。

自らの意志により本気で世界を救いたいと、瞳に光を宿す。

 

 

 

嗚呼、この女は――――本物の救世主なのかもしれない。

 

 

 

 

「あんなひどい世界を変えるために、あたしはここに来たの。

そして過去を変えるためにはオカリンおじさんの協力が――」

 

「断る」

 

 

だから奴の行く手を阻む俺は、さながら裏切り者の中ボスあたりか。

正義の味方、英雄ごっこには付き合いきれないのだ。

 

俺の答えに目を白黒させていた奴が、食って掛かるように剣呑な眼差しを向けてきた。

断られるとは露ほど思っていなかったのだろう。

 

 

 

真っ直ぐに押し付ける、その青臭い正義も鼻につくんだよ。

 

 

 

 

「……何で?」

 

「わからないか?」

 

「わからないから、聞いてるんだけど?」

 

「……ち、ちょっ待てよ! 何で二人とも険悪なふいんき()になってるん?

オカリン、別に手伝ってあげてもバチは当たらないんじゃね」

 

「黙っていろ、橋田」

 

「は、橋田ぁっ!?」

 

 

橋田のテンションがおかしいが、この際捨て置き。

今は目の前の天敵に意識を払う。

奴もこの空気に苛立ちを露にしていた。

挑発しがいがあるというものだ。

 

 

「もしかして、あたしのこと信じてないの?」

 

「いや? ただお前の話に俺へのメリットがまるでないからな。

同情を誘うだけの子供騙しじゃ人は動かんぞ」

 

「……今までの話をちゃんと聞いてた?」

 

「聞いていたさ。人が何人死のうと、地球がボロボロになろうと知ったことじゃない。

ラボメンの生死ぐらいは提示してもらわないと、な」

 

 

まゆりと、そして萌郁。

その二人の運命は最低限聞いておいて損はない。

弱みにならない形で。

 

 

「ラボメンの、生死……?」

 

「わからないならここにいる人間の寿命だけでも構わない。

まさかそんなこともわからない役立たずな未来人(笑)なのか?」

 

「っ! それぐらいわかるよ!

父さんと椎名まゆりは2036年も健在、オカリンおじさんは――岡部倫太郎は、

10年ぐらい前……今からだと、およそ15年後。2025年に、亡くなった」

 

 

15年後――――前の世界と、同じ。

収束する運命だとでも言うのか。

この俺に15年もの月日を与えて下さるなんて、なんともお優しい神様だな。

 

 

 

それより、まゆりが生き延びている――――それが事実ならば。

 

 

 

 

「その運命から抜け出すために、目指すべきは――アトラクタフィールドの狭間。

どのアトラクタフィールドからも一切干渉を受けない、

たった1つの世界線――通称『シュタインズゲート』」

 

 

“どのアトラクタフィールドからも一切干渉を受けない”……?

ならば俺の特殊能力も、至るはずの未来も、全て失われるのだろうか。

 

 

「『シュタインズゲート』はさ、まだ誰も見たことのない未知の世界線らしいんだ」

 

「らしいって、それ誰かが観測したんじゃないん?」

 

「観測はされてないんだよね。だから“未知”なわけで」

 

 

俺が何も知らないこの世界で、

せっかく手に入れた未来の確証を捨て去りわけのわからない世界へ旅立てというのか。

 

 

 

一寸先には、2000年クラッシュだろう?

 

 

 

 

「でも、シュタインズゲートの世界線変動率は、

父さんとオカリンおじさんとですでに割り出されてるよ。

相対値で、ここから、-0.081609%。そこがシュタインズゲート」

 

 

行け、と。

勝手に決めつけた使命を果たせ、と。

未来人たちは、この俺に傍迷惑な脅迫を突き付けた。

 

 

「――――ふふっ」

 

 

思わず吹き出す。

待て、まだ笑うな。

しかし…………堪えきれない。

 

 

 

 

 

 

「くくく、フーッハハハ! フーッハッハッハッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

「……えっ、ここ笑うとこ?」

 

「…………」

 

 

余りにも滑稽だ。

腹を抱えたくなる程に。

 

 

「…………オカリンおじさん、何か雰囲気が随分違うね。まるで別人みたい」

 

「ククッ、そう見えるか?」

 

「見えるよ。全く隙がないし、何より――戦場の臭いがする」

 

「はっ? えっ? オカリンは単なる厨二病患者で――」

 

 

 

 

 

「お前、何者だ?」

 

 

 

 

 

含む響きは、困惑、疑念、多分に敵愾心。

腰を落とし手は背中の武器へ。

臨戦態勢に移行する。

 

今更な質問も、小動物が威嚇するようなその姿さえ滑稽だ。

俺の口元は極限まで吊り上がり――

 

 

 

 

 

「名前を言えば解るかな?

――――我が名は、鳳凰院凶真。

狂気のマッドサイエンティストにして時の支配者、

300人委員会の一人である鳳凰院凶真だよ」

 

 

 

 

 

まるで悪魔のようだった。

成る程、人間を弄んで愉悦に浸り魔に堕ちる存在が悪魔なら、正しく俺は悪魔だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アア、愉シイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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契約

 

 

 

 

 

 

 

俺が小学生の時2000年クラッシュは起こった。

危惧されていたミサイルの誤射の他、様々な悲劇的パニックが現実と化し、

大勢の人間が死んでいったのだ。

 

被害の規模は計り知れないが、俺にとっての損害は親類、財産の全てである。

取り残された俺は身寄りもなく特別な施設で過ごすことになり。

2000年クラッシュ直後の混乱期、俺のような子供はたくさんいて珍しい境遇でもなく。

 

その状況に目をつけて規模の拡大を謀ったのがSERNだった。

俺が入った施設もSERNが予め用意していたものだ。

英才教育、と言えば聞こえはいいが洗脳と大差ない。

人を殺すことに躊躇いを持たない殺人マシンの量産である。

 

俺は幾多の脱落者の屍を越えて、幸か不幸か幹部候補に選ばれる。

すると洗脳教育から解放され今度は場数を踏むことが要求された。

連れていかれた先は戦争の真っ只中。

人を殺し、仲間を裏切り、そのままの意味で屍肉を喰らうこともあり。

中学校卒業程度の年齢まで世界中を転々としてミッションを受け続けた。

 

皆脱落していく中で俺だけは生き延びてしまった。

死ぬはずがない、なんて変な自信があったのだ。

事実いくら無茶をしても死ぬことはなく。

俺はその力を“星の加護(アヴァロン)”と勝手に呼んでいた。

……厨二病真っ盛りである。

 

そして四年前、日本のとあるSERNの協力病院に入り込み、

腰を据えてミッションに備えることになる。

SERNの直属部隊“ラウンダー”による秋葉原制圧戦争、その援護だった。

どうやら秋葉原をラウンダーの日本支部へと加えたいらしい。

 

俺はあくまでも後援として配属されたから秋葉原に待機するだけ。

……時間が余ってしまった。

そこに寄宿先の病院の理事長から提案を受ける。

 

 

『高校にでも通ってみないか?

君の年齢で学校に行っていないのは不自然だよ』

 

 

言われてみればそうだ。

高等教育に興味があったことも否定しない。

SERNからは身分がバレなければ許可するとのこと。

秋葉原を探りつつ、俺は高校生活を過ごすことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

転機は一年後。

現状報告と指示確認のため理事長室を訪れた際、

置いてあった書類にふと目が止まる。

 

 

『この一覧は、』

 

『ん? ああ、入院患者だね』

 

 

椎名、まゆり。

見たことのある名前だ。

かつて2000年クラッシュが起こる前、少しだけ遊んだ覚えのある友人。

 

 

『この横にある日付は?』

 

『……それは彼らがSERNに“提供”される日付だよ』

 

『!』

 

 

“提供”……それは、被験者として命が捧げられるということ。

この病院はSERNに従属しているから、

協力という形で生け贄を差し出さなければ存続できない。

俺もよく知る事実だった。

 

 

何せ俺が監視役も兼ねているのだから。

 

 

 

『リストの名前は2000年クラッシュで扶養者を失った孤児たちが多い。

……君と同じ立場だ』

 

『――――』

 

『当然金銭さえあれば生き延びる術はあるだろうね。しかし――』

 

 

家族や親類を失った彼らにマトモな資産がある人間は少ない。

俺のように施設に入るという選択肢もあるが、

入院している患者などSERNは取り合わないだろう。

椎名まゆりも、その口か。

 

 

『その中に知り合いでもいたのかい?

君の力なら、全員とは言わずとも一人ぐらい救うことなどわけないと思うが』

 

『――――』

 

『……会ってきなさい。

君が失くしたものを見つけることが出来るかもしれない』

 

 

この男は時折年長者ぶってアドバイスをする。

俺と同年代の子供がいるからそのせいだろう。

彼の思惑はともかく、素直に従うことにした。

 

結末を予測していながら、それでも。

大事にしまっておいた宝物は、簡単に手放せなかったんだ。

 

 

『キミは……、あ、あーーっ、岡部くんだーーーーっっ!!』

 

 

彼女が捨ててしまったのなら、俺も忘れようと思っていた。

でも彼女は、その宝物へ未だに手入れを欠かさず。

 

結局、皆そうだ。

大人も子供も、あの頃はよかったなんて現実逃避にも似た懐古に思いを馳せている。

あの悪夢以降、特に。

 

その後俺は毎日彼女の病室に通った。

わざわざ個室へ移し、医療費も全額俺が負担し、最新設備の環境すら整える。

それはペットへの施しに近く、

金の使いどころのない俺の手慰みみたいなものだったのだろう。

 

そうしていつしか俺は彼女の前では笑うことが出来るようになっていた。

そう、彼女の前だけでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋葉原抗争も小康状態を迎えた頃、有力な手がかりを見つけることに成功した。

俺が独自に調べていた2000年クラッシュの原因である。

高校を休みがちながら探し続けた熱意の賜物だった。

 

 

『君の調べた通り、2000年クラッシュはSERNの自作自演だったよ。

ウィルスを作った人間とワクチンを作った人間が同じだなんて……

お粗末なマッチポンプだね』

 

『そうか、ご苦労だった』

 

『何、君には世話になっているから、このぐらい構わないさ。

……しかし、確かめてどうする?

今彼は知っての通り世界的英雄、紛れもないVIPだ。

手を出せばタダでは済まないよ』

 

 

裏を理事長に取らせたが、俺の予想を裏切ることもなく。

辿り着いた仇は俺も良く知る科学者でSERNの人間だった。

スケープゴートの可能性は高いが情報を持っている可能性はある。

2000年クラッシュ、その真実。

 

 

『ほら、リンゴの皮が向けたよ』

 

『わぁ可愛いうさぎさんだー♪ ありがとー、岡部くんっ』

 

『どう致しまして』

 

『岡部さん上手ですね』

 

 

まゆりを訪れる度に思う。

何故、こんなことになってしまったのか。

彼女の原因不明な病は2000年クラッシュ後に流行っているモノと同じ。

それなら2000年クラッシュのことがわかれば、助かる可能性は上がるかもしれない。

 

 

『あーん』

 

『あ、あーん……』

 

『……ん、おいひー♪』

 

『ふふっ、まゆりちゃんったら』

 

『んー?』

 

『…………』

 

 

愛らしく、愛しい。

この穢れた世界の中でこんなにも純粋無垢な美しい命。

彼女のためなら俺は悪魔に魂を捧げよう。

 

 

『……本当に、行くのかい?』

 

『ああ』

 

『一個人じゃ厳しいんじゃないかな。人手を集めて――』

 

『単独ミッションは慣れている。逆に足手まといだ』

 

『そうか……わかった。せめて、往路は私が手配しよう。

今の欧州は危険すぎる』

 

『任せよう』

 

『必ず帰ってくるんだ。……いいね?』

 

『――――当然だ』

 

 

理事長の助けを得て、俺は欧州のSERN本部近郊へ向かった。

対象は厳重警備の中研究に勤しんでいる。

誰であろうと関係ない。

俺の意思を阻むようなら、排除するのみ。

 

 

『だ、誰だね君は!! ぐむ――』

 

『き、貴様――か、は』

 

『ごっ……』

 

 

警戒の薄い時間を虎視眈々と見計らい拐かす。

証拠など残してやるものか。

スグに彼が消えたことは伝わるが問題ない。

バレなければ全てなかったことになるのだから。

 

 

『――おおっ! 良く帰ってきた。……すでに話は聞いたよ。無茶をする』

 

『道理を通してなんとかなる相手ではなかったからな。それより――』

 

『バレてはいないみたいだね。

まるで霧にさらわれたようだ、なんて地元紙には書かれていたよ』

 

 

数週間後、無事に日本へ帰りつく。

2000年クラッシュの真相は知れた。

しかし、病気に関して奴は因果関係を掴んでいなかった。

あれだけの拷問で聴き出せなかったのだから、知らなかったと言って差し支えあるまい。

……虚しさだけが募る。

 

 

『望んだ情報は手に入らなかったのか。しかし無事で良かった。

もし君が帰らなければ彼女たちが悲しむ』

 

『関係、ないな』

 

『私は君を高く買っているんだ。君にいなくなってもらっては困るんだよ』

 

 

この男は俺をまるで息子のように扱う。

そのせいか、俺の欲しいモノを何でも揃えてくれる。

利害関係で釣り合っているか疑問な程だ。

 

心苦しい、などとは思わないが、何を要求されるかわかったものではない。

借りは早急に返そう。

彼の子供に危機があれば、金銭なしで動くとするか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は珍しく楽観視していた。

SERNを舐めていた、いや世界を舐めていたのだろう。

なんと言っても世界的英雄を拉致して殺したのだ。

 

忘れてはならない。

油断してはならない。

罪と罰が、四六時中付け狙っているということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『学校は楽しい? 岡部くん』

 

『聞かれるほど特別なものでもない』

 

『特別じゃないものこそ、大事なんだよー?』

 

『そういうものか?』

 

『うんっ』

 

 

まゆりが入院し始めて数ヶ月、俺は高校と病院を往き来していた。

それでも度々M4、桐生萌郁のボロアパートに通っていて、

仕事がなければ病院に帰るようにしている。

タバコや酒のようにM4の身体も手慰みだが、

いずれにしろ溺れるつもりはないのだ。

 

 

『……M3、最近のこと、なんだけど』

 

『どうした、動きがあったか?』

 

『ええ……』

 

 

ある日の睦言、裸のまま報告を受ける。

玄関からすぐに犯してしまうことがままあるため、こういうことはよくあって。

我ながら猿みたいだな。

 

報告によると、この頃秋葉原に外人を良く見かけるらしい。

観光客は珍しくもないが、連中のソレが同業者だという。

 

 

『M3の動向を探っている、と考えるのは穿ち過ぎかもしれないけど……、

キミの領域を、徘徊している風だった』

 

『そうか、わかった。警戒しておこう』

 

 

勘違い、と打ち捨てるほどM4の目を疑ってはいない。

大っぴらに追われているわけではないが、仮にも俺は国家的犯罪者なのだ。

証拠を隠滅したとはいえ絶対バレないなんて驕る気もなく。

用心に用心を重ねて行動する必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、避けようもなくその日は訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『報告は以上だ』

 

『……ふむ、ご苦労様』

 

 

理事長室で定時報告を行い帰ろうとした時だ。

珍しく理事長に一服誘われ、屋上まで付いていく。

こういう時彼は、どちらかと言えば私事について相談がある。

前は子供についてノロケられたか。

逃げ方も考えておこう。

 

 

『…………フゥ』

 

 

理事長の口から吐き出された紫煙が、濁った大気に混じって消える。

病院の最上階からの景色は、一面灰色。

曇り空であるにしても色に乏しい。

活気というものが見当たらないからかもしれない。

威圧的に居座るビル群が、ドミノや段ボールのように無機質だった。

 

 

『今日呼び出したのは他でもない。――例の件が、露見したみたいだ』

 

『そうか』

 

 

予測していた事だったので驚きはしない。

しかし、随分早い

 

 

『と言っても、ユーロポールや日本警察にではないよ』

 

『?』

 

『300人委員会だ』

 

『!』

 

 

さすがに、俺も驚いた。

バレた相手が相手である。

彼らはもはや都市伝説ではなく、2000年クラッシュ以来世界の実質的支配者だ。

 

 

 

まさか、本当に……。

 

 

 

 

『君の思っている通り。先日君が暗殺した男は300人委員会の一人さ』

 

 

拷問していた時、奴が言ったのだ。

300人委員会に属する自分を殺せばタダでは済まないぞ、と。

無視していたわけではないが、放置したのは事実である。

 

普通思わないだろう?

目の前のちっぽけな男がそんな大物だなんて。

 

 

『彼はスケープゴートだったけど、

2000年クラッシュのワクチンを開発したことによって表向き力を得ていた。

300人委員会も混乱していたから、その程度の小物も受け入れたみたいだ』

 

『混乱? 奴らが仕掛けた事件じゃないのか?』

 

『確かにそうだが、彼らにも派閥争いがあってね。

2000年クラッシュが利用されて何人か死んだんだよ』

 

 

なるほど、良くある話だ。

300人委員会は神格化されているが、結局人の集まる組織。

纏まりなんて期待できないだろう。

 

 

『それで、そんな詳しいことを知っているということは――』

 

『…………』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お前も300人委員会の一人だったということか。秋葉原の大地主、――秋葉、幸高』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋葉留未穂の父親、まゆりの入院する病院の理事長も勤める男。

俺の監視対象であり、スポンサー。

やり手実業家の彼は、元好青年といった穏やかな風貌を崩さずに微笑んでいた。

 

 

『ならば300人委員会に俺の犯行が筒抜けなのも当然、か』

 

『……勘違いしては困る。別に私が教えたわけではないよ。

君が捕まるなんて私も避けたいところだ。前も言ったが、私は君を買っている』

 

 

いつもと変わらない顔で、いけしゃあしゃあと良く言う。

俺がこうも簡単に出し抜かれるとは迂闊以外の何物でもない。

 

 

『君の犯行は完璧だった。誰しも迷宮入りを確信していたさ。

しかし、300人委員会には完璧な暗殺者に心当たりがあった』

 

『つまり、完璧過ぎたと?』

 

『そういうことだ。君はとある界隈で有名だからね』

 

 

狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真は死神であるなんて誰が言ったのか。

俺が完全犯罪のスペシャリストとしてSERNに貢献していることは、

上層部なら知っている話だ。

 

 

『君が犯人だという証拠はない。

それでも300人委員会は疑わしきを罰する精神で動いてきたから』

 

『結構なことだ。それで、お前は一人でノコノコ何をしに来た?

俺を捕まえたくないが責務だから仕方がない、と?』

 

 

一瞬で制圧出来る自信はある。

 

だが、相手は300人委員会。

 

果たして、そう上手くいくのか……?

彼を人質にしたところで、無意味なのは言うまでもなかった。

 

 

『私は君を捕らえに来たわけではない。交渉しに来たのだよ』

 

『交渉?』

 

『どうだい、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――300人委員会に入らないか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『な、に?』

 

 

耳を疑う。

俺が暗殺したことを知った上で、勧誘だと?

器が広いのか、適当なのか……。

 

 

『別に私の独断という訳じゃない。

君の名前は元々候補に挙がっていたんだ。これが機会かと思ってね』

 

『断った場合――』

 

『特に制裁はない、と言いたいところだが、いずれ君の排除命令が下るだろう。

300人委員会にも面子というものがある』

 

 

 

俺が300人委員会に入れば、先の暗殺も粛清なり何なりと理由付け出来る。

 

 

 

無罪になるか、有罪になるか、自分で選べと言っているのだ。

俺だけの話なら逆らっても問題ない。

しかし相手に理事長がいるなら、まゆりの命を握られているも同然。

 

 

 

つまり、実質の脅迫。

 

 

 

 

『汚い、な』

 

『やり口は褒められたものではないがこれでも腐心したんだよ。

君にまで彼ら、いや我々の目が及ぶなんて予想外だった』

 

『何故、お前は300人委員会なんてものに属している?』

 

 

あまりにもキナ臭く、胡散臭い連中だ。

理事長とはイメージが合わない。

家庭を何よりも大事にしている姿は偽りだったのか。

 

彼は俺の問いに答えず携帯吸殻入れに荒々しくタバコを突っ込んだ。

金網に寄りかかり、泣き出しそうな空を見上げて口を開く。

いつもより乱暴に、いつもより投げやりに。

 

 

『……先程言った通り、SERNは2000年クラッシュの直後混乱していた。

彼らにとっても人員減は想定外だったらしい。

誰がいなくなろうとも基本的に気にしない連中だが、人数に拘りがあるようだ』

 

『300人ではありたい、と? ふん、下らん』

 

『下らない話だが、彼らにとっては切実だった。

早急にその問題を解決するため、元より誘っていた人間を強引に組み込むことにしたのさ』

 

『それが、お前か』

 

『あれは忘れもしない、2000年クラッシュ直後の娘の誕生日だった』

 

 

遠い目を隠すように瞑って。

目蓋の裏に映る記憶を、苦々しく吐き出すように彼は語った。

 

 

『私もその頃資金繰りに困っていてね。忙しくて、娘の相手をしてやれていなかった。

だからせめてあの娘の誕生日ぐらいは、と思って約束したんだ。

誕生日は留未穂の側にいる、と。だが急な仕事が入り、その約束も守れなかった。

罵られてしまったよ、パパなんて死んじゃえってね』

 

『――――』

 

『そして家出した留未穂をそのままに、私は仕事へと向かった。

その途中の飛行機だ、接触してきたのは。

彼らは言ったんだ、もし300人委員会に加われば資金の援助を厭わない。

しかし加わらなければ――』

 

『娘を、殺害する?』

 

『そうだ。すでに彼らは留未穂を拉致していたよ。

もとより力を見せつけて強引に加える気だったんだ。

結局私は屈した、何より留未穂が大事だったから。

その決断は今でも後悔していない。

本来、私はその時死ななければならなかった。

いや、死んだことにならなければならなかったんだ。

それが300人委員会における通例だからね。

しかし、2000年クラッシュ以降その掟はなくなって、

私は今秋葉原を任され彼らの末席に加わり、こうして生きている』

 

 

死人のみ列席を許される円卓、ヴァルハラ。

世界の頭脳、300人委員会はそのようにして隠匿されてきたというのか。

 

 

『確かに、300人委員会に加わることで娘を危険に晒す可能性もあるかもしれない。

しかし、300人委員会の力を借りれば、大概の危機は回避出来たのもまた事実だ』

 

 

ポケットから手を取り出し、見つめて。

何かを包み込むように、強く握る。

と思えば手を開き、俺の方へ大きく伸ばす。

 

その顔は、その目は、俺が知る彼のまま。

家族を想う父親の表情だった。

 

 

『手を取りなさい。

護る力を手に入れるんだ、岡部くん。いや、――鳳凰院、凶真』

 

 

大きな流れの中でまゆりを護るために。

濁流に逆らい彼女を導くために。

利用すべきは、奴等の力。

惹き寄せられるがまま、彼の手を握った。

自分の意思を表すように、しっかりと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そうだな、――結ぶぞ、その契約ッッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を頑なに逸らさない。

契約に綻びを与えたくなかったから。

 

すると彼は、意思を汲み取ったのか満面の笑みを浮かべた。

 

 

『そうか……これで、君に任せることが出来るよ。宜しく、頼む』

 

 

後釜……と言っても彼が300人委員会を辞めるわけではあるまい。

ならば、どのような意図か。

 

 

『君はちゃんとした地位を得るべきだ。留未穂の婚約者として』

 

 

…………何?

聞き間違いか?

 

 

『これで私も安心だよ。300人委員会の一人なら体面も立つからね』

 

『何を、言っている?』

 

『ん? 何度も言っているだろう、私は君を買っていると。

君には是非とも義理の息子になって欲しいんだ。

……それともまさか、留未穂に不満が?』

 

 

いや、いやいや、ちょっと待て。

殺気を垂れ流す秋葉だが、それに屈してはならない。

でなければ両者が望まぬ婚姻を強いられてしまう。

 

 

『奴は、留未穂はそれを承知しているのか?』

 

『……まだ言ってはいない。しかし君が相手ならば否やはないはずだ。

何せ君はあの娘の王子様だからね』

 

『王子、様?』

 

『妬けることだが、あの娘と家で話すことはもっぱら君のことなんだ。

我が子ながら健気なことだよ、わざわざこの病院にまで通うなんて』

 

 

 

 

 

…………。

ああ、気づいてはいたさ。

過度なスキンシップ、露骨なアプローチ、愛らしいリアクション。

無視できるはずのない秋波だった。

相手にしていなかったのは嫌だったからではない。

スポンサーに気を使っただけである。

 

始まりは、そう、有りがちで。

彼女を俺が助けた時だったろう。

不良に絡まれた彼女を、スポンサーから頼まれていた通り庇ったのだ。

囲んでいた有象無象は一瞬で無力化。

しかしギャラリーもいて、ちょっと演出過剰だったかもしれない。

色気より血の気、あまりに乱暴で凶悪な光景。

それでも思春期である彼女には俺が王子様に見えたのか。

それ以来、病院へ行く度に顔を合わせていたような……。

 

焦らしに焦らした放置プレイ。

ふむ、我ながら女泣かせである。

父親が不憫に思って強硬手段に出たのも納得だった。

 

 

『君は責任を果たす男だ、それは良く知っている。

私もまゆりくんのことを理解していないわけではない。

答えは追々貰うとしよう』

 

『――――』

 

『色よい返事、期待しているよ』

 

 

肩に乗せた手の力が雄弁に語っていた。

娘を泣かせたら許さない、と。

 

 

 

 

 

どうしてこうなった……。

 

 

 

 

 

 

へたりこみたくなるものの、

未だにポーカーフェイスを維持する俺は何らかの欠陥があるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『とにかく、300人委員会へ入会おめでとう。

歓迎しよう、――同志、鳳凰院凶真』

 

『――ああ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして俺は、魑魅魍魎が跋扈する百鬼夜行、

地獄に蠢く亡者どもの中で権謀術数を競う世界へ身を投じた。

狸や狐と化かしあうなんて柄ではなかったが、全てを利用し力を手に入れてやる。

欠陥だらけの俺がまゆりを護り抜くために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今更ですがオリジナル設定入れてしまいました。
ご質問にご意見ご感想お待ちしております。


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対峙

 

 

 

 

 

遅すぎる自己紹介を四角く枠どられた空に、大袈裟な手振りをもって高々と響かせる。

夕焼けに包まれ不自然なほどの静寂が辺り一面拡がって、

俺は満足げな笑みを浮かべていた。

 

 

 

「“300人委員会”の鳳凰院凶真……!?」

 

「まーた始まった。ここふざける場面じゃないっしょ?

未来人さんもあんな厨二病設定を――」

 

「聞いたことがあるんだ。

オカリンおじさんの妄想だけじゃなく、第3次世界大戦で――ぐっ!」

 

 

赤い静画から脱け出しいち早く動き出そうとした阿万音鈴羽。

しかし、突発的な頭痛が起きたように頭を押さえて膝をつく。

 

 

 

 

 

その姿は奇っ怪、非現実的。

ノイズ混じりで今にも消えてしまいそうだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「お、おい、どうしたん? ……つーかまゆ氏っ!?」

 

「…………」

 

 

橋田が何気なく顔を向けた先には、白衣の上に倒れ伏すまゆり。

気配を消して隣に移動し薬品を嗅がせてゆっくりと横たえる。

その間は一秒にも満たず。

 

 

 

我ながらファインプレーだな。

 

 

 

 

「それよりまだ気づかないのか?」

 

「――へ? って何ぞ!?」

 

 

ただ一人まともに立つ橋田が、ようやく状況を把握した。

タイムマシンは偉容をそのままに、周りのビル群が曲がり歪み狂い踊って。

 

 

 

 

 

 

うちゅうの、ほうそくが、みだれる!

 

 

 

 

 

 

 

「この場所は、既にお前たちの知る世界ではない」

 

「何故……椎名、まゆりを……?」

 

「邪魔だったからだ、お前を殺すにはな」

 

 

教育上良くない、という理由もあるのは内緒だ。

 

 

「オカリン、てめえ……!」

 

「あ?」

 

「ひっ!」

 

「椎名まゆりに近付いたら容赦無く撃つ。心得ておけ」

 

「イエッサーッ!!」

 

 

橋田はガンをつけて抑え込む。

これで手出しのできるほどこの男が無謀じゃないことは、最初の世界で立証済みである。

 

俺の舞台の中心で、俺だけが笑っていればいい。

顔を歪ませて、異常な世界を振り仰ぐ。

 

 

「時空すら俺の支配下に置く我が奥義――」

 

「まさか……固有結界だと!? おのれ雑種めッ」

 

「――というわけではない。

タイムトラベラーなんてモノが違う世界へ強引に割り込めば

世界線も乱れるだろうよ」

 

「違う、世界……?」

 

 

偶然の産物。

俺も一因を担ってはいるが、既にラジ館の屋上は次元の挾間の中で。

 

 

「先程言ったように、俺はお前の会ったことのある岡部倫太郎ではない。

奴は“運命探知(リーディング・シュタイナー)”しか持たなかったが」

 

「――っ」

 

「“運命改竄(ハッキング・シュタイナー)”

――最善の世界線を乗っ取る事が出来る能力も、

この俺鳳凰院凶真は持っているのさ」

 

「オカリン、おじさんは……」

 

「消失済みだ。

つまり、お前の世界とこの世界は繋がっていないんだよ」

 

「っ!」

 

 

それは、タイムパラドックスを起こすのに充分な矛盾。

タイムマシンの余波も重なり、ここは滅茶苦茶な状態になっているのだ。

 

 

 

だから、もう邪魔者は一人だけ。

 

 

 

「さてと、俺がキャスティングボードを握るために、――散り逝け」

 

「っ!?」

 

 

自然な動作で銃を抜き、撃つ。

弾は阿万音鈴羽の胸に吸い込まれる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふっ!」

 

 

尋常じゃない敏捷性でステップ、回避して。

 

 

「――長い説明有難う、鳳凰院凶真」

 

「ふん」

 

 

前出会った阿万音鈴羽とは違う、不敵な笑み。

ようやく現状を理解したと言うことだ。

ノイズも収まり、頭痛がなくなったのか確りした足取りで立つ。

 

 

 

 

 

 

 

……悪くない。

立ち上がるか、ヒーロー。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あたしはお前の話を鵜呑みにはしない。

オカリンおじさんは必ず助け出す!」

 

「――――良いだろう」

 

 

二人で、睨み合って。

闘いが今、再び始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風を呑み込んで咆哮する二枚目の白衣を身に纏って。

空の禍々しいキャンバス、滲む夕陽を背に宿敵と対峙する。

奴の眼は、依然俺を捉えて離さずに。

一触即発といった風である。

 

 

「“300人委員会”……第3次世界大戦を引き起こし、

あたしの時代においても支配構造の頂点に君臨する連中。

そしてオカリンおじさんが生涯闘い続けた、あたしたちの敵」

 

「え? でもオカリンは300人委員会に属しているわけで……内部抗争?」

 

「この男は鳳凰院凶真、オカリンおじさんじゃないよ。

こいつ、鳳凰院凶真こそが、世界線を跨ぎ

300人委員会を造り出した創造主なんだ」

 

「日本語でおk」

 

「人類の敵は根源において“大祖の業”を始まりとしている、

ってあたしの未来では言われているの。そして、大祖ってのが鳳凰院凶真。

まあ要するに、こいつがあたしたちの敵である300人委員会の教祖、親玉で、

オカリンおじさんの身体は乗っ取られてるってこと」

 

「マジでっ!? なんか色んなもん超越し過ぎだろ……大した奴だ」

 

 

“大祖の業”

――タイムマシンを使い『根源』まで遡った鳳凰院凶真が産み出す、人類の原罪。

 

そうか、それが俺の選択か……。

ならばやはり殺さねばなるまい。

 

業深き世界で罰を受けようとも。

未来人というイレギュラーを、この手で。

 

 

「念のため聞いておく。

お前は岡部倫太郎に何を頼もうとしてここに呼び出したのだ?」

 

「……お前には関係ない」

 

「俺にメリットさえあれば手伝うだろう。諦めるのはまだ早いと思うが?」

 

「…………」

 

 

シュタインズゲートなる世界線へ渡る方法は俺にも想像がつかない。

少なくとも、岡部倫太郎が手伝うことで達成可能なミッションなのだろうが……。

 

一旦銃口を下げ、答えを促す。

奴の口が、開いたり閉じたり。

目線も揺れて、眉根を寄せて。

最後に一瞬だけ橋田を見た後、ようやく答えた。

 

 

「…………牧瀬紅莉栖。彼女のことは?」

 

「知っている」

 

「もしも。もしも、この世界線の未来を変えるために必要なのが、

2010年7月28日に亡くなった牧瀬紅莉栖を助けること……って言ったら、

お前はどうする?」

 

「!」

 

 

牧瀬紅莉栖を……助ける?

この、俺が?

 

 

「えっ、マジで?

天才少女が颯爽と生き返り世界を救う……それなんてラノベ??」

 

「ごめん、理由はわからないんだ。でも違うと思うよ」

 

「ですよねー」

 

 

そんなものカードにはならない、と。

以前の俺ならば一蹴出来たはずなのに言葉が出ない。

 

 

「オカリンおじさんなら牧瀬紅莉栖を助けるって言えば

力を貸してくれるらしいんだけど……」

 

「時空を超えて女の子を助けるヒーローとか、オカリンマジリア充」

 

 

前の世界で見た彼女の仕草、笑顔、涙。

先に交わした約束と、夢で交わした口付けと。

岡部倫太郎が取りこぼした彼女の記憶は毒となり、俺の身体を蝕む。

 

 

「嫌だと言っても無理矢理連れてくよ。

地獄のような未来を変えるため、滅び逝く人類のためにっ!」

 

「それは止めた方がいいと思われ」

 

 

しかし、しかしそれでも。

ようやく見つけたこの世界線を、変えさせるわけにはいかなかった。

 

 

「牧瀬紅莉栖、使える女だった。世界に必要な存在であることもわかる」

 

「だったら――」

 

「確かに彼女の頭脳を無くすのは惜しい。単純で利用も簡単、お手軽天才少女だな」

 

「言い過ぎワロタ」

 

「だがっ、この世界線には代えられない。代えられる存在では、ないっ!」

 

「なっ……人類の未来も懸かってるんだよ!?

お前はあくまで世界の混沌を望むというの!??」

 

「人類など、世界などどうでもいい。己の意思だ!」

 

「……お前の、意思? この世界線でお前は15年後に死ぬのに?」

 

 

 

 

 

 

 

「――俺が、俺だけが望む世界線はここにある。

たとえ俺の命が15年で尽きようとも、

お前が地獄と称した未来こそ俺にとっての最善ということさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、見たくはないんだ。

まゆりが死んでしまう未来。

幾多の死に逝くまゆりを見届けてきた岡部倫太郎の嘆きが、諦観が俺にのし掛かるから。

 

 

 

意地でもこの世界線にかじりつくしかないのだ。

 

 

 

 

「……そう、お前にも譲れないものがあるんだね。

なら最初からこうするしかなかったんだ」

 

「そうだ。俺たちは闘う運命にあった!」

 

 

語り合うなら、奪い合うなら拳と剣と銃を取れ。

それが俺たち戦士の共通言語――――。

 

 

 

カオスに震える背景が、はりつめて鋭利に尖る。

 

 

 

合図はなく。

構えざまに俺の銃は凶悪な火を吹いた。

 

 

「今のあたしは絶好調っ!」

 

「抜かせ!」

 

 

回避がほぼ不可能な精密射撃を奴はスレスレでかわし、自分も腰から銃を抜く。

移動しながらも、奴の銃は精確に俺の足へ照準を当てていて。

 

寸での所で横へ跳び、転がる。

銃弾がコンクリートを削った。

 

 

「チッ、当たらないか」

 

「ふん」

 

「…………ひ、ひぃっ!」

 

 

橋田が今頃になって壁際まで逃げていく。

……そう言えば、この男への配慮が欠けていたな。

これから行われる銃撃戦にこいつは耐えられるだろうか。

 

橋田は役に立つ。

いくら死なないとはいえ、壊すのももったいない。

 

 

「オカリンおじさんの癖に身体能力がおかしい件。……というか、何の真似?」

 

「いや何、橋田を巻き添えにする気はないのでな。お互い銃は無しにしないか?」

 

 

銃を下ろした俺に、奴は当然怪訝な声をあげた。

今撃たれても奴が引き金を引くまでの時間で避ける自信はある。

この馬鹿正直なあまちゃんがそんなことをするとは思えず、

また俺の誘いに乗る自信もあったのだ。

 

 

 

 

 

そうなれば、俺の独壇場だというのに。

 

 

 

 

 

 

意図が掴めず困惑していた奴だが、諦めたように息をつき、銃を下ろした。

 

 

「いいよ、わかった。あたしだってお父さんを傷つけたくはないしね」

 

「おおっ、なんか知らんがフラグktkr!」

 

「勘違い乙。とにかく危ないから下がってて、この男は間違いなく強敵だよ」

 

「マジか……オカリンのもやしボディなのに。

つーかもしかしてボディも鳳凰院凶真なん?」

 

「その通り」

 

「だって」

 

「答えちゃうんだ!?」

 

「お前が油断している隙に頭蓋を叩き潰してもよかったが、さすがにそれでは締まらない。

これは俺の決意を世界に表す示威行為も兼ねているのだよ」

 

 

この空間は次元の狭間、時空が混沌に支配された場所。

何が起きてもおかしくないなら、己が力を誇示することで流れを掴み取るが肝要。

 

そんな、俺の持つ下らない遊び心とも言える戦闘美学。

これはある意味絶対に負けない自信から来る余裕でもあった。

 

 

「……その余裕、腹立たしいね」

 

「ククッ、これは失敬。では始めよう、かかってこい」

 

「そのどや顔もムカツクッ!!」

 

 

疾ッ!

 

 

地を這うほど低姿勢で石床を蹴り、

ホルスターからサバイバルナイフを抜きながらも迫り来る阿万音鈴羽。

迎え撃つ俺は反応せず、徒手空拳で仁王立ち。

 

 

「無礼るなッ!」

 

「フッ」

 

 

跳躍し上を取る形でナイフを振り上げる奴はスピードが格段に速い。

この女にも因子が流入している――――?

 

と、迫る刃を眺めながら益体もないことを考えつつ、冷静に躱す。

 

 

「ハァッ!」

 

「おっと――」

 

 

外した奴は勢いをそのままに再び地を蹴って、回転しながらの膝蹴り。

確実に頭へ直撃の打突と判断、後ろへ反って避ける。

 

そのまま後ろに跳んで体勢を立て直し。

奴もその場で様子見をしていた。

 

 

「鳳凰院凶真は逃げることしか出来ないの? 興醒めだね」

 

「ハッ、まともに相手してもらえると思ったか。小娘が自惚れるな」

 

「……今度は本気で行くよ。吠え面掻かせてやる」

 

 

ナイフを構え直し、再び突貫してくる阿万音。

馬鹿の一つ覚え――――何?

 

 

「くぉのぉおお!!」

 

「ぬんッ」

 

 

爆発的加速は最初の比ではなく。

瞬時に懐へ入り込んできた奴の気配は、初めて死を連想させて――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だがまだ甘い。

 

 

 

 

 

 

 

 

「カッ!」

 

「ぬおっ!?」

 

 

風圧を感じつつも、腰を捻りローキックを鋭く相手の足めがけて繰り出し。

惜しくも外れる。

 

 

 

 

今が好機。

 

 

 

 

 

「ハァアア!!」

 

「うわおお!?」

 

 

捻っていた腰を元に戻す形で、大きく前へ足を下ろす。

踵が奴の頭があった場所を通過し石畳にぶつかる。

 

 

 

金属音とともに破砕音、屋上のコンクリートは大きくひび割れて崩れた。

 

 

 

 

「墳ッッ!!」

 

「うぐぅっ!」

 

 

まだ俺のターン!

削れて出来た砂塵や石礫を蹴り散らす。

 

弾幕は薄いが広範囲攻撃は確実にダメージを与え視界も奪い。

勢いを殺さず一歩で迫り、回転しながらの後ろ回し蹴り――――。

 

奴の軽い身体は大きく吹き飛び、強かに地面へと叩きつけられて。

そのまま転がり擦られて受け身もまともに取れていない。

 

……ふむ、感触はイマイチだな。

 

 

「なかなかの身の熟しだ、少々舐めすぎていたらしい」

 

「ぐ……くぅ……!」

 

「しかし致命傷は避けてもその状態では反撃することも出来まい」

 

「……っ……」

 

 

足を鳴らし、わざと聴かせる凶器の音。

靴の裏に仕込んだ金属はその華奢な腕をへし折り、臓器に達しただろう。

もはや動くこともままならない。

 

 

非現実世界において良くある長々と会話をしながらの殴り合いは現実に起こることもない。

起こったとしてもそれはあくまで子供同士の喧嘩だ。

プロとプロが肉弾戦を行えば、一撃一撃が致命的で決着は一瞬である。

 

阿万音鈴羽の実力は確かにプロの中でもプロ、俺もその戦闘力は認めよう。

もしかしたら彼女に軍配が上がる可能性もあったかもしれない。

 

しかし現実、彼女は俺の前にひれ伏している。

それが実力の差であり経験の差だった。

 

 

いつの間にか眼下に奴を見据えていたので、自然と足を踏み潰す。

骨の軋む音が響き、苦悶の唸り声が聞こえた。

 

全てが遠い。

手応えのない争いは虚無感を生み、決して達成感を与えてくれない。

そも俺の勝利は必然だったのだから、言葉攻めすら放棄する。

 

拍子抜け、面白くもない。

 

 

「……シュタインズ、ゲートを……!」

 

「眠れ、俺の手で」

 

 

思えば、奴も哀れなる操り人形だった。

意思を持たない子供に永劫なる安らぎを。

 

頭蓋に手を伸ばす。

 

果たして何人この手で握り潰してきただろう。

足で狩り、手で食す、ルーチンワーク。

 

それでも、宿敵を葬ることが出来るなら。

まゆりの命を守ることが出来るのなら――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「駄目だよっっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然の出来事。

本当に気配もなく、たった今世界に誕生であろうほど唐突。

 

 

 

 

 

「駄目だよ……ダメ、だよ……!」

 

 

 

 

 

まるで万力に締め付けられたかのように動けない。

柔かくて、優しくて、暖かくて。

振りほどこうなんて思えるはずもなく。

 

 

 

「鈴さんを、殺さないで……」

 

 

 

覚えている、知っている。

忘れた時きっと俺は俺ではなくなるだろう、原初の温もりが背中に伝わり。

この狂いに狂った世界で、妄想ではないその存在を教えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――私の、彦星様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の、大切な、大切な宝物。

居る筈のない二人目の椎名まゆりが、そこにはいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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双日

 

 

 

 

 

 

 

 

『えっ!?』

 

『どうしたの? 鈴さん』

 

『設定した座標に着いたはずなのに、なにコレ!??』

 

『パラメーターが滅茶苦茶に……!?』

 

『どういうことなの!!? 燃料の残りまで分からないよっ!!』

 

『…………』

 

『……ごめん、まゆ姉さん。ちょっと待ってて』

 

『鈴さん、外に出ることは出来る?』

 

『不可能ではないけど……現在地も分かんないからあまりに危険だよ!』

 

『大丈夫、外にオカリンがいるから』

 

『何でそんなこと――』

 

『まゆしぃはね、アークライトを見失うことはないんだー』

 

『…………』

 

『だから、大丈夫。ハッチを開けて?』

 

『――――分かった。気を付けてね』

 

『うんっ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悔しげにこちらを見る阿万音鈴羽へ伸ばしていた手が、やり場を失って懐へ戻り。

横目で昏倒している椎名まゆりを確認し、抱きつく影へと意識を集中。

 

 

「…………なんかバトルが始まったと思ったらまゆ氏が二人に増えてた。

オカリンの覚醒といい視聴者置き去り、ブリかプリかどっちだってばよ!?」

 

 

シリアスに付いていけていなかった橋田が今頃ながら突っ込む。

黙殺が残念でもなく当然。

 

 

「…………」

 

 

突然現れた彼女は、未だに俺を離さず無言で。

心音だけが俺に語りかけてきた。

 

彼女がまゆりなのは疑うべくもない。

ならばどのような存在だろうか。

 

次元の狭間というイレギュラーな場所に起きた超常現象か、実体化した俺の夢か。

何でもアリに近いこの世界においてその問いは無意味かもしれない。

 

 

 

ならば、受け入れた上での冷静な答えを。

 

 

 

 

「――離せ、まゆり。俺は奴を殺さなければならんのだ」

 

「……やめよう、オカリン。他に選択肢を探そう?」

 

「他の選択肢などない」

 

「諦めちゃダメだよっ!

……まゆしぃは知ってるもん。オカリンは絶対に最後まで諦めたりしない」

 

「俺はオカリンではない!!」

 

 

思わず、苛立ち紛れに激昂する。

まゆりへこんなにも強く当たるなんて初めてだった。

手の震えが止まらない。

 

 

「……違うよ」

 

「何が違う!?

お前の知る岡部倫太郎は“運命改竄(ハッキング・シュタイナー)”で殺したッ!!

今の俺は鳳凰院凶真、単なる殺人鬼で――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――まゆりの、命の恩人だよね。岡部君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 

なん……だって……?

 

 

 

 

 

 

 

『岡部君』

 

 

 

 

 

 

 

そんな呼び方をするまゆりなんて、一人しか知らない。

まさか――――

 

 

「まゆりね、知ってたよ。

まゆりが殺されるところを拾ってくれたの岡部君だって。

それから毎日、毎日毎日病室へお見舞いに来てくれたよね。

ずっと、いつだって、まゆりを励ましてくれた」

 

「そ、れは……」

 

「だからまゆり、頑張れたんだよ?

薬の副作用で髪の毛が抜け落ちて死んじゃいたくなった時も、

ウィッグ可愛いねって笑ってくれる岡部君がいたから、生きたいって思えたんだー」

 

「……っ……」

 

 

 

 

俺が最初に生きていた世界の、まゆり。

彼女の姿を感じるだけで涙が出そうになった。

 

 

 

 

何故、ここにいる?

 

 

 

 

 

 

 

「このまゆりはね、一年後の七夕からタイムマシンで来たはずなんだけど、

色々なまゆりの記憶があるの。

このままの世界に住むまゆりの記憶も、なんとなくあるんだー」

 

「!」

 

「岡部君は、ある日突然私たちの前からいなくなっちゃった。

手紙とかメールは返してくれるんだけど、電話に出ないし直接会ってもくれない。

でね、いつの日か気づくの。……もう、岡部君はいないんだって」

 

 

俺は狡猾だから、何者かへ代筆を頼み先に逝ったのだろう。

死んだと悟らせないために。

 

 

 

 

気づかれているとも知らず、自分だけ満足して。

 

 

 

 

 

「その後も、まゆりはずっとお空の星に手を伸ばしてる。

届くはずもないのにおかしいね、えへへー」

 

「……お前、は……」

 

「まゆりは、病気だって、死ぬのだって恐くない。

でも、独りぼっちは嫌だよ……だから、岡部君」

 

「だがっ……だが俺は、お前を喪うことにもう耐えられないッ!!」

 

「……岡部君、自分勝手」

 

「…………」

 

「でも、まゆりも言えた口じゃないね。二人とも同じ、自分勝手だ」

 

 

えへへー、と無邪気に笑う声。

自分の独善に嫌気がさしていた。

独善の塊である、この俺が。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしようもなく弱い二人。

光を見失えば、歩む意味すらわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まゆりはね、岡部君のことあまり知らない。

病室の中で、岡部君のお話を聴いていただけだったから。

……でもね、まゆりの知る岡部君なら、確定した未来なんて大っ嫌い」

 

「っ!」

 

「未来が怖いなら俺がクールに演出してやるって、

自信満々にまゆりを導いてくれるはずだよ?」

 

 

……そうか、そうだった。

世界を変える時に思っていたじゃないか、

――――押し付けられる未来なんて、糞食らえだって。

 

弱さで目も頭も曇るとは、なんたる不覚。

俺もまだまだ未熟だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、岡部君。世界が真っ暗闇になって無限の影に怯えても、目を閉じないで。

諦めないで。鳳凰院凶真を、殺さないで。そうすれば想いはきっと届くよ。

何百年、何千年の時を旅してきたあの星の光みたいに」

 

 

 

 

 

 

 

「……ああ、そうだな」

 

「未来を恐れないで。

岡部君ならどんな逆境でも跳ね返せるって、まゆりは信じてるから」

 

 

この娘がいる限り、諦めない。

諦める必要なんてこれっぽっちもなかった。

未来はこの俺なら切り拓けるから。

可能性を狭めるなんて間違っている。

 

そう、まゆりの信じる俺を信じるだけで良かったのだ。

やはり最大の敵は、常に臆病な自分自身――――

 

 

「ありがとう、まゆり。俺は危うく重大な間違いを犯すところだった」

 

「えへへー、まゆりは岡部君の役に立てて嬉しいのですっ!」

 

「お前はいつも俺を助けてくれているよ。だから、――重荷なんかじゃない」

 

「っ! ……そっか」

 

「ああ、そうだ」

 

 

力強く笑ってやる、俺は大丈夫だと伝えるかのように。

すると背後でも笑う気配があり。

 

 

 

 

そして。

 

 

 

 

 

 

「……ごめん、岡部君。もう行かなきゃいけないみたい」

 

「そうか、時間か」

 

「うん。もっと、ずっと一緒にいたいよ……」

 

「いられるさ、絶対に。俺がクールに演出した未来で、な」

 

「――えへへ、そっか。うん、そうだね」

 

 

 

 

 

背中の体温が下がり。

腰に回された手が無くなり。

 

 

 

 

 

霧のように現れて、霧のように去って行く。

もう会うこともない、か。

いや、――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『岡部君。次は、シュタインズゲートで逢おうねっ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まゆり。

シュタインズゲートへ、必ず逢いに行くよ。

もはや何もない虚空に誓う。

 

 

 

 

 

そのために、この不安定な世界を確定させなければならない。

 

 

 

 

 

携帯電話を取り出して。

保存メールを呼び出し、送信ボタンに指を置く。

 

 

『明日は携帯の電源を切ってまゆりを救え』

 

 

このメールを2010年8月14日に送れば、全てが始まる。

次元の狭間だからこそ成せる現象だ。

だが未来人を殺していたらこのメールは消えていただろう。

 

 

 

未来を見つめ直し、向き合おうとする俺だからこそ、ここまで来れたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

送信――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

顔を上げる。

 

 

空は突き抜ける朱を取り戻し。

世界は既に彩りが定められて。

どこまでも、どこまでも美しい夕焼けだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平穏を取り戻したラジ館の屋上には、思い出したかのように秋葉原の喧騒が響き始める。

異常な世界から日常へと帰還し。

会話を見守っていた阿万音鈴羽と橋田至の時間も動き出す。

 

 

「まゆ姉さんはさ、空に手を伸ばしてぼーっとすることが多かったんだ。

――寂しそうに、まるで誰かを求めるみたいに」

 

「まゆ氏はいつまでも変わらんね」

 

「そう言えば、まゆ姉さんの漏らした言葉を聞いたことがあるよ。

『あの日、私の彦星が復活していたら、全ては変わっていたかもしれない』」

 

「……どゆ意味?」

 

「さあ?」

 

「――――」

 

 

二人の話を聞きながら、白衣の上に横たわるまゆりの頬を緩やかに撫でる。

それでも彼女の安眠は終わらず。

無邪気に笑う寝顔に、自然と俺も頬が弛んでいた。

 

 

「……お前も、そんな顔が出来るんだね。てっきり感情のない悪魔かと思っていたよ」

 

「ふん。ところで、貴様はいつまで寝ている? さっさとタイムマシンを動かせ」

 

「手と足と肋の骨を誰かさんにへし折られたんだけど……」

 

「チッ、軟弱者が」

 

「えー……」

 

 

とは言え、折れた骨が根性で治れば苦労しない。

簡易な治療を施し屋上の柵へ座らせる。

 

 

「いてて……ふぅ、まあ安くはなかったけど、お前がやる気になったんならいいや。

でもこんな身体じゃ、ちょっとサポートは難しいかな」

 

「構わん。貴様はタイムマシンの操作だけすればいい。牧瀬紅莉栖は俺が何とかする」

 

「オカリンが頼もし過ぎて違和感」

 

「そっか……わかった。取り敢えず色々なことはタイムマシンに乗ってから説明するよ」

 

「――――いいだろう。橋田、こいつを運び込め」

 

「オーキードーキー」

 

 

ここで躊躇っていても仕方がない。

最後にまゆりを見て、巨体に身体を預ける。

 

四肢に迷いなく、心に淀みはない。

岡部倫太郎と鳳凰院凶真の意思が統一されているのだろう。

 

ならば、敗北などあるはずがなく。

俺は今神すらも凌駕する――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010:08:21:18:07

    ↓

2010:07:28:11:51

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――状況を開始する。

 

 

これこそ、過去の色。

一面赤だった上空が、真っ青に染め上がり。

容赦なく太陽光が降り注いで、夕焼けではなく日焼けを危惧する。

コンクリートから湯気が立ち上ぼり、蜃気楼すら薄く見えた。

 

それでもタイムトラベルの不快感よりは断然マシだ。

脳味噌シェイクの後、ウェルダン。

最低のレシピである。

 

 

『改めてこのミッションについて説明するね。目的は、牧瀬紅莉栖の死の回避』

 

 

不満を言っている暇はない。

階下より騒ぎ声が聴こえた。

タイムトラベルが気づかれているようだ。

 

素早く無音で屋内に忍び込む。

その後防火扉に振り返って『工事中につき立ち入り禁止』という紙を貼り、

鍵を壊して屋上を封鎖。

ことなかれ日本人なら強硬突入まではしないだろう。

 

これでタイムマシンの隠匿は完了。

些細な相違は世界の修整に任せるしかない。

 

 

『その日こそ分岐点だから、牧瀬紅莉栖の死の可能性はおおざっぱに計算して50%』

 

『収束は起きない、と?』

 

『起きるかもしれない。ううん、たぶん起きる。でもきっと、抜け道があるはず。

その抜け道こそが「シュタインズゲート」の入り口なの』

 

 

その入り口とやらを見つけ出すことが俺の役割らしい。

未来人でも出来そうなものだが……考えてみると、

岡部倫太郎こそが“運命探知(リーディング・シュタイナー)”を持つ観測者。

だったらそもそも俺が牧瀬紅莉栖の生存を観測しなければ意味がないのでは……?

 

 

 

 

 

 

 

 

道筋が見えてきた。

まず俺のやるべきことは牧瀬紅莉栖の探索。

 

 

 

 

 

 

 

ラジ館の4階まで降りて、踊り場で一息つく。

そこで一旦、俺の調べた牧瀬紅莉栖殺害事件の状況を確認する。

 

牧瀬紅莉栖の殺害現場はラジ館8階の一室。

腹部を鋭利な刃物で刺され、血溜まりの中うつ伏せで倒れていたらしい。

その後まもなく出血多量で死亡。

凶器と犯人の目撃情報はない。

 

この世界では、事件として“確定”しているのだ。

しかし変えられないこともない。

 

ちょっとした根拠としては、あの未来人が挙げられる。

橋田が頼りになる男であることは俺も認めていて。

その橋田が大事な娘を、何の勝機もなく過去に送り出すはずはない。

俺はあの男の想定通り動いてやればそれでいいのだ。

だから、速やかに8階へ行かなければならない――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「すいません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

のだが、早速躓く。

おかしい、俺が気づかなかった?

まるで今世界に出現したかの如く、一人の少女がそこにいた。

 

……タイムトラベルの影響で感覚が麻痺していた、と納得しよう。

いやもしかしたら、これは強制イベント――――?

 

 

「さっき、このビルの屋上から下りてきましたよね?」

 

 

生意気で耳に障る声。

世間知らずの無謀な好奇心に満ちた目。

 

 

 

 

 

 

間違いなく、あの牧瀬紅莉栖だった。

 

 

 

 

 

 

 

「屋上で妙な音がしたし、ビルが揺れたように感じたけど、それとなにか関係が?」

 

「っ!?」

 

「いったい、なにがあったんですか?

ドクター中鉢の仕込み……とか言わないですよね?」

 

「――――」

 

 

な……に……?

 

訳のわからない感情が、俺の中に溢れ出す。

前に見た夢のように、俺が経験していない彼女との記憶。

 

こみ上げる涙。

今すぐ彼女を抱き締めたい……っ!

 

 

「聞いてますか?」

 

 

沸き上がるナニかを力ずくで抑え込む。

流されるつもりはない。

意味不明な動揺はミッションに悪影響を及ぼす。

 

早急に退散が無難――――。

彼女から視線をきり、逃げ出すように背を向ける。

 

 

「質問に答えて下さいっ」

 

 

追いすがる彼女を置き去りにして、その場から立ち去った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ように見せかけて、物陰に潜み彼女を観察している俺だった。

牧瀬紅莉栖の行動を追うことが助けるために最善だろうという判断である。

 

岡部倫太郎の因子に引き摺られぬようこの身を律し、ただひたすらに息を殺してストーキング。

触れた石の壁で火照った身体を冷ます。

 

 

「――本日は、ドクター中鉢によるタイムマシン発明成功記念会見にお集まりいただき、

まことにありがとうございます」

 

 

間は一瞬。

彼女は俺を追うのを諦め、上の階に向かう。

俺は黙々とその後を付いていく。

 

すると、ちょっとした寄り道の末着いた先は8階の会見場であり、激論の真っ最中。

彼女はその中へ勇敢にも突っ込んでいった。

 

 

「それより、今貴方が語ったタイムマシン理論はいったいなんだ!?」

 

「――っ!」

 

 

『ここには7月28日現在のオカリンおじさんがいる。

今、世界に岡部倫太郎は2人いることになるの。

いい? 自分自身との接触は絶対避けて。

深刻なタイムパラドックスの発生する可能性があるから』

 

 

「――――チッ」

 

 

未来人の忠告が頭の中に響いた。

俺と同じ声が室内より聴こえている。

そう、ドクター中鉢会見にアレも出席していたのだ。

この世界の、岡部倫太郎である。

 

……俺と同じ声で、そんな小物臭漂うしゃべり方するな。

中に入ってぶん殴りたくなった。

 

しかしそれには及ばない。

なんと突貫した彼女が強引に馬鹿を摘まみ出してきたのである。

 

話を聞くに、彼女はどうやら俺の先程見せた素振りが気になっているらしい。

それをこれまた頭のおかしい人間が答えるから会話にならず。

馬鹿は去り、彼女だけが廊下に取り残されて。

 

 

 

 

 

俺は目の前で自分の黒歴史を見させられたような恥ずかしさを覚え、

隅で頭を抱えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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修正

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010:07:28:12:52

    ↓

2010:08:21:18:08

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うお、もう帰ってきたお! まだ1分も経ってないのに」

 

 

タイムマシンで元の時間に戻ると、すぐ耳に入った橋田の声。

タラップより颯爽とオレンジの屋上へ降り立ちまゆりを確認して。

1分ばかりでは起きるということもないようだ、静かな寝息が聞こえてくる。

 

 

「それで、牧瀬氏の命は救えたん? つーかその格好は……仕方ないね」

 

「自分じゃ出られないから、不本意だけど。

……とにかく、シュタインズゲートに辿り着いていないことは確かだよ。

だから牧瀬紅莉栖は助けられてない、と思う」

 

「……ん? じゃ、失敗したってこと?」

 

「サポートしてないあたしにはよくわかんない。この男に聞いてよ」

 

 

俺の腕の中で湿っぽい溜め息を漏らす阿万音鈴羽。

説明をしていないからずっと不満タラタラでうざったい。

このまま放り投げてやろうか……。

 

兎にも角にも、ぞんざいながら屋上フェンスに置いてやる。

軽かったので全く苦ではなかったが、この女を運んでやるなんて面倒この上なかった。

 

 

「ぐっ! ……うぅ……ほんっっと、ムカつくヤツだ鳳凰院凶真!」

 

「黙っておけ、傷に障るぞ?」

 

「くぅ……っ!」

 

「オカリン、説明プリーズ!」

 

「――結論から言えば、今回のタイムトラベルは単なる確認だ」

 

「…………」

 

 

阿万音鈴羽の恨みがましい目線は無視して俺の計画を教える。

整理、という意味で声に出すことは必要なことだ。

 

携帯電話でメールを打っている間の口慰みでもある。

 

 

「はっきり言って、

俺は牧瀬紅莉栖の殺された7月28日のことを報道レベルでしか把握していない。

つまり、世界線を変えるにしても、

今現在俺が存在する世界線での出来事すら見たことがなかった、というわけだ」

 

「……なるほど、考えてみれば当然だお。

今のオカリンは、オカリンであってオカリンでないわけですしおすし」

 

「だからこそ一回目は捨て石なのさ。複数回跳べることはコイツに確認済みだったからな」

 

「でもあと一回だけしか跳べないよ」

 

「マジでっ!?」

 

「それは嘘だろう」

 

「――っ!」

 

 

携帯電話に意識を向けつつ、未来人の観察も忘れない。

驚愕で目を丸くしている姿は存外愛らしかった。

 

 

「……どういうことだってばよ?」

 

「推測だが、あと最低一年は跳べる燃料が残っているはずだ。

それを使えば八回以上トライ出来る」

 

「…………何で、嘘だって分かった?」

 

「簡単な話だ。

まゆりが跳んできた時間は来年の七夕だからな、燃料の量まで変化しているとも思えない。

あとは、お前の自白」

 

「本当に、ムカつくヤツだよ」

 

「ククッ。お褒めに与り、ヘドが出る」

 

 

ドヤ顔で笑うと、顔をしかめてそっぽを向いた。

素直過ぎて論戦にならんな。

虚しすぎる勝利だった。

 

 

「だがだからと言って悠長に何度もチャレンジする気はない。次で終わらせてやる」

 

「おおっ、このオカリンすげぇっ! TASさんちぃーっす!」

 

「――なんて自信と実行力なの……。この男、味方になったら頼りになりすぎるよ。

……あー、父さんが言ってたオカリンおじさんの策ってやつも必要無さそうだね」

 

「策?」

 

「そ。鳳凰院凶真、携帯電話にDメール来てない?」

 

「Dメール――そうか、やはり送っていたか」

 

 

ずっと考えていたのだ。

未来の岡部倫太郎がDメールを送るならいつのタイミングか。

 

 

 

 

 

そして俺の導きだした答えは――――本日、2010年8月21日。

 

 

 

 

 

「……そう言えば気になってたんだけど、オカリンケータイ変えたん?

いや機種は変えてないんだけど、妙に新しいっつーか」

 

「よく気づいたな。これは俺の二つ目のケータイだ、ついこの間仕入れた」

 

「え? じゃあいつものケータイは――」

 

「ここにある。電源は切ってあるがな」

 

 

ポケットから取り出すのは今この手に持っている携帯電話と同じもの。

紛らわしいが、使い慣れているということもあるし、意外と気に入っているのだ。

 

 

「わざわざ買うとか、ブルジョワってんなー」

 

「この程度、他人に身体が乗っ取られることを考えれば大した出費ではない」

 

「えっ!? つまりDメールを受け取りたくないからケータイ買ったの!!?」

 

「そうだ」

 

「なんてヤツ……重大なヒントが送られてくるかもしれないのに」

 

「ふん、腑抜けた岡部倫太郎からの手助けは不要。俺に必要なのは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――お待たせ致しました、鳳凰院様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ!?」

 

「有能な人材だよ」

 

 

明らかに常人とは違う熟練の動きで、気配なく屋上に降り立った一人の男。

その姿も珍妙であり、ゴツいナイトビジョンを着けて長いポニーテール。

 

手に持っているのは、俺がメールで頼んだ物品一式だろう。

 

 

「ご苦労だった」

 

「いえ……貴方様には大きな借りがありますので……」

 

 

この世界には短期間しかいないので信頼など作れないが、

貸し借りを作ることぐらいは出来るのだ。

わざわざ繋げておいたツテは使わないと宝の持ち腐れである。

 

 

「……誰なん? かなり不審者だけど、手練れの悪寒」

 

「動きが尋常じゃない。もしかしてアレがSHINOBI?」

 

「そりゃないっしょ、HAHAHA」

 

「コイツは忍者だ」

 

「本当にっ!?」

 

「冗談は言わん。名は――バルトロメオか」

 

「……左様に御座います」

 

「Oh……」

 

 

バルトロメオは洗礼名(クリスチャンネーム)。

本名は敢えて伏せる。

この男、正確には特殊工作員の元締なのだが、

やっていることは大差ないので忍者ということにしておこう。

男のロマンだった。

 

 

「そう言えば鳳凰院様はタイムマシンに御興味がお有りの様でしたが、

ニュースは御覧になりましたか?」

 

「いや、特には。何かあったのか?」

 

「であれば、こちらのテレビをお使い下さいませ。

その方が門外漢である私の説明よりもわかり易いでしょう」

 

「そうか、重ねて御苦労だった」

 

「……勿体無きお言葉。それでは、これで……」

 

「ああ」

 

 

頼んでおいた物と携帯用テレビを俺に渡し、忍は屋上より去っていった。

まるで霞の如く。

つくづく気配の希薄な男である。

 

 

「忍者の知り合いがいるって凄すぎだろ……」

 

「で、バルトロメオさんは何を置いていったの?」

 

「――なるほど、これは面白い」

 

 

テレビを点けてすぐ目に入る顔。

その男は飛行場の前で誇らしげに偉業を語る。

 

 

 

 

 

 

愚かで、卑劣で、矮小で。

 

 

 

 

 

 

この上なく汚らわしいその手を大仰に翳しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

「え? 確かこの人……」

 

「なっ!?」

 

「そう――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「牧瀬紅莉栖の父親であり、彼女を殺した真犯人。ドクター中鉢こと牧瀬章一だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界の歪み、その元凶。

この俺が修正してやる、必ず――――!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

take2

2010:8:21

  ↓

2010:7:28

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラジ館8階の通路で繰り広げられる父子の久しい再会。

しかしそこにあるのは感動のドラマではなかった。

父は娘の才能に妬み、惨めな恫喝で八つ当たり。

娘は父の愛情に餓え、無垢な同情で逆撫でする。

 

決定的なすれ違いは溝を深くするばかりで、ズレは大きくなるばかり。

逆上して父が手をあげるしか終わりは用意されておらず。

行き着く場所も、また限られていた。

 

 

(このまま無抵抗に殺害されるか、それとも――――)

 

 

外的要因による妨害。

だがこの人気のない場所に於いて都合の良い通行人など望むべくもない。

 

 

 

 

 

そも、これは脚本の存在する悲劇である。

脚本の中に登場する人物が邪魔をするはずないのだ。

 

そう、結果が変わるとすれば、脚本外要素の介入のみ――――

 

 

 

 

 

物陰に潜んでいた俺は、中鉢が紅莉栖の首を絞めている場面で飛び出した。

中鉢の死角から懐へ一歩で踏み込み、奴の両手を掴んで捻る。

骨を折らぬよう、軟らかく。

 

 

「なっ!? ぐあああぁあぁあぁっっ」

 

「ごほっ、げほげほげほっ……!」

 

「――チッ」

 

 

あまりにも大袈裟な声をあげるため手を離し突き飛ばす。

中鉢の身体は壁にぶつかり、変な声を出して尻餅をついた。

牧瀬紅莉栖は咳き込み俯いている。

 

この隙に床に転がっていた論文を拾い上げて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これで第三次世界大戦は、少なくとも中鉢論文によっては起きることがなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手首を押さえて蹲る中鉢を冷めた目で見下し、静かに観察する。

 

 

「な、なんだお前は!?」

 

 

面白いぐらい狼狽し錯乱した中鉢が、声を引っくり返して叫んでいた。

耳障りで思わず脚が出そうになる。

頭が蹴りやすい場所にあることも不味い。

路傍の石より気軽に蹴飛ばしてしまいそうだ。

 

 

「お前……さっきの……!」

 

 

今頃奴は俺の顔を思い出したらしい。

こっちは相手が取り乱せば取り乱すほど落ち着いてくる。

 

位置関係を確認、少しずつずらしていく。

 

 

「お前のせいで……お前のせいで私の発表会は台無しだ!

よくもぬけぬけと、私の前に顔を出せたな……!

どいつもこいつも……私の邪魔ばかりする……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『勝算が、あるんだね……?』

 

『このオカリンなら全て任せられる希ガス』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

送り出した二人を思い出す。

勝算?

当たり前だ、俺を誰だと思っている。

 

 

「さてはお前、紅莉栖と示し合わせていたな!? そうだ、そうなんだろう!」

 

 

俺が介入する場面はココだけであり、変える部分も明白。

難易度ベリーイージー。

この小さな羽虫に世界の命運が懸かっていることは、いっそ滑稽でしかない。

 

 

「許さん……許さんぞ……ガキども……!」

 

「やってみるがいい」

 

 

そうだ、煽りに煽ってコイツを動かした方が流れとして自然なのだ。

わざわざ明確に提示された解を変える必要はなかった。

 

 

「小僧……何者だ!?」

 

「我が名は――鳳凰院凶真」

 

「なに?」

 

「知らないなら構わん。お前程度の分際に知られても嬉しくないからな」

 

「貴様馬鹿にして……ッ!」

 

 

奴が懐から取り出したのは、やはり刃物。

時を操る、というのもつまらないものだな。

予想を裏切ることが有り得ないのだから。

 

 

「逃げて……っ」

 

「断る」

 

 

狙い通りで、配置も完璧。

あとはせいぜい牧瀬紅莉栖の動向に注意しよう。

勝手に死なれても困る。

 

 

「どうした、ドクター中鉢。お前の威勢は口だけか?

この俺を殺すのではなかったのか? ふん、無能は口からも放屁するんだな」

 

「ふ、ふざけるな―っ!」

 

「ダメ……、パパ、やめてっ」

 

「貴様には俺を殺すことなどできない。絶対に」

 

「死ねぇっ!」

 

 

中鉢は俺の低レベルな釣りに引っ掛かり、中腰に構えていたナイフとともに突進。

俺はその場で悠々と迎える。

 

腹部への軽い衝撃。

意外に深々と突き刺さった。

 

 

「!」

 

「は、はひひ、はひひひひひ……」

 

 

血が吹き出て床を濡らす。

特有の臭いが立ち込めて、紛れもない出血を示していた。

一般的に致死レベルの創傷だろう。

 

 

「あ、があ、ああああ!」

 

「ざ、ざまあ見ろ……あひひひひ……私を、バカにするからだ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なーんて、な」

 

「――は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手を血だらけにして狂い笑う中鉢に、早々とねたばらし。

服の下に入れた輸血パックと防刃着を見せた。

 

下らない茶番劇。

噴飯物である。

しかしミッションクリアへの必須条件。

全力で演じきろう。

 

刺される気はないし、一滴の血を見せる気もない。

それでも血が必要ならば、この程度見繕うさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が演出するクールな未来のために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひっ……!」

 

「ククッ、よくもやってくれた。殺してやるよ、糞虫が」

 

 

こんな小者に懐を取られた屈辱はある。

ちょっと凄んでやると臆病風を吹かせて。

一気に形勢が逆転し、すでに奴は逃げ腰だ。

 

……小者過ぎて、手応えが無いな。

 

 

「さて――」

 

「えっ――うっ!」

 

 

輸血パックをしまって、あっと言う間に牧瀬紅莉栖へ肉薄。

スタンガンで優しく寝かせる。

血だまりへ、いい案配でうつ伏せになった。

 

 

 

 

 

これにて『牧瀬紅莉栖殺害事件』の再現完了である。

 

 

 

 

 

あとは、

 

 

「娘は、後でたっぷりいたぶって殺してやる。中鉢、まずは貴様だ!」

 

「ひいいい!」

 

 

コイツを追っ払おう。

大袈裟に恫喝。

失禁しない程度で。

 

 

「ひええええ!」

 

 

なんとも拍子抜けな声を出し、中鉢は走り去っていった。

本当にこれでシュタインズゲートに辿り着けるのだろうか?

疑問を残す、締まらない幕切れである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「くくく、フーッハハハ!! フーッハッハッハ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時。

 

 

 

 

 

そう、俺は簡単すぎるミッションに気が抜けていたのかもしれない。

 

もしかしたら違う世界に来て油断していたのかもしれない。

 

知らず知らずの内に疲れがたまっていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

全て、取り返しのつかない言い訳だ。

 

愚者の挙げる敗因はこうも聞き苦しいものか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――あ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

喉から漏れる間抜けな声。

 

身体から力が無くなり、膝をつく。

 

地面を目の前にして手で頭をなんとか支えた。

 

 

 

 

 

それでもどうにか顔を上げ、通路を見る。

 

霞む視界が夢を見ているように朧気で。

 

そんな中、あり得ないはずの人影が在った。

 

見間違いではなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何故、今ここに貴様がいる……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――岡部、倫太郎ッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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収束

 

俺と橋田と未来人の三人で顔を突き合わせて見た中鉢の飛行場インタビュー。

ただ第3次世界大戦における牧瀬紅莉栖の重要性を再確認したというだけなので、特にコメントはない。

 

 

『ドクター中鉢をどうにかしないとあたしの生きる最悪な未来は確定的だね……って、何脱ぎだしてんの!?』

 

『ウホッ、イイ筋肉』

 

 

過去へ跳んだときついでに論文を盗む必要があるので、早速準備のために着替える。

脱ぐには心地好い気候だが、コイツらのリアクションはいらない。

初心なネンネじゃあるまいし……ホモはNG。

 

 

『それ、防弾チョッキ? と、血液!?』

 

『リアルチャンバラごっこ出来そうだお。そんな物すぐに手に入れるなんて、さっすが忍者だってばよ!』

 

 

最初に跳んだタイムトラベルで“牧瀬紅莉栖殺害事件”の真相は掴んだ。

ニュースで見た通り致死量の出血が現場に存在し、観測者たる岡部倫太郎も目撃している。

 

だから、

 

 

『これで牧瀬紅莉栖が死んでいると岡部倫太郎に勘違いさせる』

 

『――なるほど! オカリン早漏乙ってことですねわかります』

 

『いや、それはどうかと……』

 

 

最初のDメールを岡部倫太郎が送る、ということはこの世界での決定事項だ。

ならば岡部倫太郎が同じ内容のDメールを送らせるように誘導しつつ、牧瀬紅莉栖を死なないようにすればいい。

 

要するに、

 

 

『牧瀬紅莉栖が殺されていたと思ったけどただ他人の血の上で寝てただけだったぜ!』

 

『うわ、なんというご都合主義』

 

 

そんな生温い展開こそがシュタインズゲートへの道である、というのが俺の推理だ。

しかし全ては推測でしかない。

実行あるのみである。

すでにサイは投げられた。

白衣を着込み、堂々と鎮座するタイムマシンへ足を踏み出す。

 

 

『勝算が、あるんだね……?』

 

『このオカリンになら抱かれてもいい』

 

 

足を一旦止め、振り返る。

どこまでも不敵に、自信満々で余裕綽々な笑みを浮かべよう。

 

 

 

 

 

 

 

なんて、無様。

 

それが、コレ。

真っ赤な血にまみれて這いつくばり、すでに五感は虚ろ。

思考すら儘ならない。

自分が何故、こんな状態なのか仮説も立たずに。

あまりにも無力だった。

 

 

「……賭けに、勝ったようだな。悪く思うなよ、もう一人のオレ」

 

 

薄い意識の中で、頭に響く自分の声。

足だけは見えるが、恐らく目の前にいる俺と同じ顔をした男の声だろう。

 

 

「本当は出てくるつもりもなかったが、あまりにお前が俺と解離した存在だったから介入させてもらった。パラドックスでどちらの存在が残るのか五分五分だったが……15年経っても、ちゃんと世界は俺を岡部倫太郎と認識してくれたようだ」

 

 

15年……つまり、未来からタイムマシンで来た岡部倫太郎だということか。

 

どうして、どうやって――?

 

疑問ばかり湧き出ては消える俺のぼやけた頭。

そんな俺へ、奴は優しく教えるように歩きながら語る。

 

正しく、勝者の余裕だった。

 

 

「まさか同じ時間に現れる訳にもいかないから、昨夜からずっとラジ館で待機していたよ。ああ、タイムマシンはダルに頼んですぐさま送り返したさ」

 

 

帰る気のない過去への片道切符。

そうまでして挑みかかってくるとは、完全に予想外である。

 

未来からの奇襲は、見事に俺の首を討ち取っていた。

 

 

「元々、“未来を司る女神作戦(オペレーション・スクルド)”は俺の実行する計画ではない。俺はDメールを送るだけの裏方に徹するはずだったのだ。しかし肝心のDメールが送れない。何か不測の事態が起こったのかと思い、次善策にでたわけだが……正解だったな。まさか俺が乗っ取られているとは」

 

 

Dメールを受け取り拒否したのが裏目にでた、というわけか。

そして先程、中鉢と牧瀬紅莉栖に見せた岡部倫太郎とは思えない所業が決め手。

 

身からでた錆は猛毒だった。

笑えない、笑うことが出来ない。

既に顔の感覚がなく、俺はどんな顔をしているのだろうか。

 

いつの間にかこぼれ落ちていた鍵となる論文。

岡部倫太郎はソレを拾い上げて、牧瀬紅莉栖の頬を撫でる。

 

 

「身体が軽いな。岡部倫太郎と認められたお蔭で若さも取り戻したらしい。

――――今は抱き締められないけど、必ず助けるよ、紅莉栖」

 

 

……そうか。

確かに、この男こそシュタインズゲートに相応しい岡部倫太郎だ。

世界に選ばれし救世主であったこの男と、殺人鬼で驕り油断したこの俺。

 

 

勝てるはずはなかったんだな。

 

 

岡部倫太郎とともに人間の機能が消えて。

俺が俺である要素、因子が、本物の岡部倫太郎へと吸収されていく。

 

 

「――さらばだ、偽者。シュタインズゲートへは俺が行く。お前は安心して逝くがいい」

 

 

――――嗚呼、そうだ。

コイツも岡部倫太郎なのだから、まゆりを任せられるはず。

 

約束も、決意も、失われて。

その時俺は、穏やかに自分の終わる音を聴いていた――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これより先は語る必要がないだろう。

岡部倫太郎は無事シュタインズゲートへ到り、1ヶ月後に牧瀬紅莉栖と再会する。

怪我を負ってはいないものの、その程度の誤差は世界にとって些事だ。

 

物語は本編へと収束し、終息して。

未来は誰もわからないけれど、それでいいのだと、誰かは言った。

きっと主人公たる岡部倫太郎は、どんな壁でも必ず乗り越えるはず。

 

では、岡部倫太郎の今後の活躍をご期待下さい。

 

皆さん、ご機嫌よう。

エル・プサイ・コングルゥ――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お久しぶりです。
もし宜しければもう少しだけお付き合いください。


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鳳凰院凶真

感想ありがとうございます。
思いの丈をお気軽にお聞かせいただけると幸甚です。


 

 

世界は安定を求める。

たとえ、何を犠牲にしようとも――――。

 

 

 

 

 

ラジ館の一室にて行われた、誰にも知られる事のない私闘。

一人は自分を手に入れて役割を奪還し、一人は暗い血の海に沈んでただ消滅を待つのみ。

岡部倫太郎同士の生存競争は決着し、シュタインズゲートへ世界が再構築されれば本当の終幕だった。

 

そんな中、牧瀬紅莉栖殺害事件の現場には二つの人影がある。

一つは勿論被害者の牧瀬紅莉栖、もう一つは――空っぽの岡部倫太郎に似たナニか。

既に岡部倫太郎としての意識を喪失してはいるが、確かに未だ物質として存在していた。

 

 

(なぜ、俺は消えない……?)

 

 

パラドックスは岡部倫太郎が二人存在することを認めなかった。

正確には、シュタインズゲートに辿り着く岡部倫太郎を一人に統一しただけ。

だから、その脱け殻に在る者は岡部倫太郎ではない。

 

 

(俺は――)

 

 

自分でも何者かはわからない。

頭の中は冴えている、しかし五感を失っているためそれこそ亡霊としか思えない。

それでも自分が確かに存在している、考えることだけはできる。

 

内から浮かび上がる名前は、自分の考えた偽名だけ。

しかしそれは安直に過ぎる。

厨二病とはアレが付与したキャラであり、椎名まゆりを救うための偽病でしかないのだから。

 

 

(……いや――)

 

 

果たしてそうだっただろうか。

彼の世界に於いては違うのではないか。

2000年ショックが起きて椎名まゆりとは離ればなれになったのだ。

時系列としてあり得ない。

 

ならば、ココに残されたモノは一体何なのか。

彼の抱えた因子を垣間見れば、答えがわかる。

 

 

2000年ショックで荒廃した大地、助けを求める声を無視して歩く。

学校へ編入し、同じ境遇の仲間達と出会い。

仲良くなった同級生を初めて殺した道徳の授業。

信頼する教師に騙され、汚い男たちに乱暴されて食べさせられた汚物。

餓死しそうになり、已むに已まれず食べた他人。

虐げた人間を殺し、今度は虐げる強者になった。

ただ一方的に虐げ続け、踏みにじった弱者は数知れず。

列挙することも憚れる悪逆非道の記憶。

 

 

そう、全て覚えていたのだ。

他の日常は思い出せないのに。

 

 

(――嗚呼、なるほど)

 

 

そこで彼は、ようやく理解した。

 

残された自分は、岡部倫太郎がシュタインズゲートへ持っていくことを拒否した負の軌跡である、と。

 

犯した罪で、負うべき責。

置き去りにされたモノは、岡部倫太郎が防衛本能で投げ出した凶悪な真実だったのだ。

 

理解すると同時に、彼の意識は急速に落ちていく。

 

何処へ導かれるのか――――

だがきっと、ロクでもない場所。

 

もしシュタインズゲートが現世なら、対極へ逝くのが道理。

天国へ旅立てる筈もなく、ただただ墜ちていく。

それでも目は見えないから、視界に映るモノは彼の記憶から引き出した風景。

 

ソレは岡部倫太郎が直視出来なかった醜悪な景色しかない。

特に鮮明なソレこそ、彼が糧にした犠牲者たちだった。

 

殺し、奪い、犯し、汚し、乱し、壊した人々の顔、声に満たされる。

怨嗟が耳に溢れた時、彼は初めて死にたいと思った。

 

 

(そう、彼らの望み通り――――、?)

 

 

憎悪の罵声、怒号が既にないはずの聴覚に爆撃の如く襲いかかる。

最初彼は、その形にならない叫び声が自分を地獄へ引き摺りこむものかと思っていた。

ひたすら、ただひたすらに彼の死を望んでいるのだと、そう思いたくて。

 

しかしそれは、都合の良い願望。

 

死ぬな、と。

生きろ、と。

苦しみ悶え自分を貫け、と。

一様に彼の生を望んでいる。

 

死んで楽になどさせない。

無価値、無意味、無駄な痛みを、お前が背負え。

私たちの、無限なる憎悪の捌け口になるのだ。

そう、そのためにお前は創られたのだから――――。

 

 

 

2000年ショックの時、無垢で真っ白な男の子は独りずっと泣いていた。

何も持たず、しかしその心に強靭な精神を宿して。

 

故に彼は心鉄に選ばれた。

億万人の血や涙や体液、脂を使って打たれた一刃の刀。

その銘こそ、――――

 

 

 

 

“鳳凰院凶真”

 

 

 

 

牧瀬紅莉栖の傍に横たわっていた岡部倫太郎らしき物体は、岡部倫太郎なわけがない。

岡部倫太郎ではないのに形在る鳳凰院凶真は、つまり岡部倫太郎がなくとも存在出来るということ。

パラドックスで消えないのは当たり前だ。

彼はもはや、彼一人の肉体ではなかったのだから。

 

 

 

 

地獄の業火に、鳳凰院凶真たる欲望で指向性を与え。

狂気のマッドサイエンティストは輝きを取り戻す――――。

 

 

 

 

鳳の如く、大仰な仕草で立ち上がるソレ。

おぞましく、恐ろしく、禍々しい。

見ているものがいたら怪奇現象、オカルトとしか思えないだろう。

先程まで消えかかり呼吸もしていなかった死人が、まるでフェニックスのように蘇ったのだから。

 

 

「ガアアアアアアアアアッッッッ!!!!!!」

 

 

罪深い魂が産声を上げる。

存在を望まれぬ命は、世界を滅ぼす魔王だった。

狂いに狂ったソレはまさに野獣、理性などない。

ただ暴れるだけである。

 

四肢で体を支え、涎を垂らし、凶悪な表情を浮かべて。

フェニックスなんてとても言い表せない濁りきった瞳が、コンクリートの箱部屋を見渡す。

“牧瀬紅莉栖殺害事件”の様相は変わらず、第一発見者であるところの岡部倫太郎が出現するのも時間の問題だった。

 

そして、ソレは目を止める。

視線の先には、赤いベッドの上に眠るお姫様。

穏やかな顔で、どのような夢を見ているのか。

助けてくれた王子様でも夢想しているのかもしれない。

 

 

 

スグニ悪夢ヲ見セテヤル――――

 

 

 

ソレが、大きく歪んだ笑みを浮かべ、羅刹の如く嗤った。

これから行うカーニバル、その悦びが既に口から漏れ出ている。

 

 

 

モウ、我慢出来ナイ――――

 

 

 

ソレの跳躍は電光石火。

翔ぶが如く消え去り、無人の廊下を抜けて。

 

屋上に出る防火扉、その手前。

壊れた鍵に手間取る影を見つけて、ソレは吼える。

 

 

その哀れな影の名は岡部倫太郎。

15年後より不退転、決死の覚悟で現れた獲物は。

断末魔をあげて、文字通りソレの餌食となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛も、友情も、正義もない。

弱き救世主は強き巨悪に呑み込まれた。

空想の英雄譚ではなく、ソコにあるのは単なる現実だけ。

 

岡部倫太郎はその瞬間に存在しなくなり。

世界が安定を求めて、シュタインズゲートへ辿り着く岡部倫太郎の代替品を探す。

妥協した結果、再び鳳凰院凶真に役割を与えたのだ。

 

 

シュタインズゲートに罪も責も持ち込むなら、その罪悪感に押し潰されない岡部倫太郎でなければならない。

 

 

こうしてジキルは死に、ハイドが残る。

タイムマシンに導かれて、今、未来へと旅立つ。

 

バッドエンドなのか、ハッピーエンドなのか。

それは誰にもわからない。

敢えて言うなら、そう。

 

 

 

 

もう一つのSteins;Gate――――――――

 

 

 

 

 



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再起

 

『助かったよ、鳳凰院凶真』

『――ふん』

『でさ、きっと7年後に……会おうね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから1ヶ月が過ぎた。

 

 

 

俺は特に怪我などしていなかったため、この1ヶ月忙しく活動していた。

海外での活動が主体であり、地盤固めにいくら時間があっても足りないぐらいで。

しかし別の世界で培った力と手に入れた情報を駆使して戦い続けた結果、1ヶ月ばかりで一段落つける事が出来たのだ。

 

大学生として生きるなら、ギリギリな期間だろう。

気づけば夏休みも終わって季節は秋になろうとしていた。

 

守るべき者を傍で守る。

それは存外難しい。

自分のポジション、領土と武力を確保しておかなければ安心しない、難儀な性質である。

1ヶ月も秋葉原を空けるのは我ながら危険な賭けだったが、これも世界安寧のため。

俺なりに気を配っていたし、連絡は絶やさず取り続けたので許してもらいたいところだ。

 

秋葉原に降り立ち、雑踏に紛れて歩く見慣れた、それでいて新鮮な街並み。

ゆるりと見物するのはこれが初めてかもしれない。

雑多で、世俗的。

前の世界でも電気街ではあったものの、こんなに萌え文化は栄えていなかった。

踊る広告、媚びる二次元娘、街頭に立つメイド。

騒がしく、きらびやかだ。

 

旅立つ前より増えているのは気のせいか……?

 

それらの中の一つ、『メイクイーン+ニャン2』という名のメイド喫茶が待ち合わせ場所である。

あまり入ったことのない類いの店だ。

サングラスをとって息を整え、扉を開き足を踏み入れた。

 

来客ベルが軽快な音をたてる。

するとすぐに猫耳メイドがとんできて、軽やかに一礼。

 

 

「お帰りニャさいませ。ご主人様♪」

 

 

ピンクのおさげが特徴的で、良く似合っている。

クリクリと輝く瞳に好奇心と愛嬌を湛えて。

この店の店長、フェイリス・ニャンニャンこと秋葉留実穂だった。

 

 

「あっ、凶真様……っ!」

 

「ふむ、盛況だな。悪くない、悪くないぞフェイリス!」

 

「は、はい……いつ、お戻りになられたのですか?」

 

 

すがるように、拗ねるように上目遣いで問うてきたフェイリス。

突然俺が訪問したからか、彼女の調子が狂ったようだ。

……そんなことでは困るな。

 

 

「今日、つい先程帰った。――俺は客だ、フェイリス」

 

「――っ! ご、ごめんなさいニャ! マユシィは――」

 

「まゆりが休みなのは知っている。それより、待ち人がいるんだ。ヤツはもう来ているはずだから、取り敢えず奥まで頼む」

 

「かしこまりましたニャ♪」

 

 

そこはそれ、さすがこの店のナンバーワンメイド。

切り替えも早く、満点の笑顔を浮かべて俺を案内してくれた。

店内は客も多く、歩き辛いはずだがストレスなく導かれて。

熟練ウェイトレスの妙技なのか、人の扱いが上手いのか。

おそらく両方なのだろう。

 

 

「そうそう、メイクイーンは2号店を出すことが決まったのニャ。しかも中央通り沿いなのニャン。すごいニャ? すごいニャ?」

 

「ああ、お前は凄いやつだよ。――良く頑張ったな、偉いぞフェイリス」

 

「っ! えへへ……」

 

 

この10年を聞いているから、純粋な気持ちで彼女を褒め称える。

すると彼女は、照れ臭そうに笑う。

可愛らしい笑顔で、橋田が夢中になるのもわかる気がした。

 

そんな風に彼女を愛でるよう観察し、視界の端に見えるものをシャットアウトする。

しかし当然そうもいかず、口の中で溜め息を噛み殺しながら顔を上げた。

 

そしてそこにいる、満面の笑みで手をふる一人の髭を生やしたグラサン着用で白人の翁。

明らかに周りから奇異の目で見られている。

毎度のごとく恥ずかしいヤツだった。

 

 

「おーい、凶真く~~ぶっ!」

 

「黙れ」

 

「いたた……いきなりなんだい。君は、故郷に帰ったばかりで不機嫌なのか?」

 

「大声を出す必要性を感じない。だから合理的に叩いただけだ」

 

「なるほど、まあ仕方がないかもしれないな。正直なところ、僕も酷く舞い上がっていると自覚しているよ」

 

「自己を省みる冷静さは持ち合わせているようだな。だったら自分の立場を理解しろ、プロフェッサー」

 

 

自分が目覚まし時計と同じ扱いであることも自覚しているのか。

向かいの席に座り、無駄とわかりつつも忠告をしておく。

翁は豊かな白髭を撫でて、全く意に介した風でもなく笑った。

 

 

「立場、なんて大層なものはとうの昔に捨ててしまった。今は探求心ばかり肥大化する憐れな老いぼれ研究者にすぎない。――彼にも僕と同じコーヒーを出してくれ」

 

「かしこまりましたニャ!」

 

「バカめ。お前のことを知っている人間がここにいてもなんら不思議ではないんだぞ?」

 

「まさか、この極東の地まで監視の目は及ぶまいよ。知られていたとしても、コレを着けていれば早々わからないだろう」

 

 

サングラスを指差して得意気な顔をする翁。

だったらその特徴的な髪型と髭をなんとかしろと言いたいが、これまた無駄なので言わない。

調べて出てくる写真そのまんまじゃないか……。

 

 

「それにしても、このメイド喫茶とやらは素晴らしい、素晴らしいねッ! ここに来てから僕のテンションは天井知らずさ!!」

 

「お前、まさか俺が来る前にセクハラ紛いなことをしてないだろうな?」

 

「いやいや、僕も紳士だから。丁寧に聴かせてもらったよ、『パンツの柄をお聞かせいただけませんか?』ってね」

 

「死ね、苦しみながら死んでくれ」

 

「ははっ、君は相変わらず厳しいなあ。と言っても、君と会ってから1ヶ月も経っていないのか。僕のような老いぼれには、十年に匹敵するほど濃密だった」

 

 

シミジミと遠い目で語る男は、確かに歳を取った老人然としていた。

しかしその意見には激しく同意である。

俺としては、最初の世界と合わせてコイツとの付き合いが長い。

 

 

 

1ヶ月前、海外に行く上で俺は先ずこの男に接触することにした。

力があり、利用しやすく好都合な人材だったからだ。

300人委員会で柔軟かつ自分の意思がある人間は稀有。

その稀有な一人が、目の前の変態だったのである。

 

300人委員会に属するだけあって戸籍上死人で、居場所は厳重に秘匿されている。

それでも最初の世界で大方目星はついていたため、すぐに見つけることが出来た。

 

既に齢100歳を越えている上に、教科書に載ってもおかしくない有名人だから動きづらい。

はずなのだが、別組織まで立ち上げて研究に勤しんでいた食わせものの爺である。

 

 

「しかし君も大したものだ。300人委員会を相手取り派手な大立ち回りを演じて、結局この短期間で君の要求を全て受け入れさせたのだから」

 

「奴らにとっては駄々をこねるクソガキに玩具を寄越すような感覚だろう。まだ油断出来ん」

 

「しかし彼らに妥協を引き出したのは有史以来君が初めてじゃないか? 君にとっては不満かもしれないが、1ヶ月では十分すぎる成果だよ」

 

「――ご注文お待たせしましたニャン♪」

 

 

俺にとっては絶妙のタイミングでコーヒーが運ばれてくる。

フェイリスは俺にウィンクをして、その有能ぶりを示していた。

 

 

「ああ、そうだった! 彼の娘がここの経営者だったんだね。――秋葉留実穂君、だったか」

 

「えっ?」

 

「フェイリス、コイツはこの間ベルリンにいた男だ」

 

「……あっ! し、失礼致しましたニャ!」

 

「何、仕方がないよ。君はあの時感動の再会でそれどころではなかっただろうから」

 

「コイツが彼を精力的に探し回ったのさ。そして俺が海外を回っていた時偶然報せを受けて、急遽お前を呼びだしたというわけだ」

 

「本っっ当に、パパの件有難う御座いましたっ! また改めて御礼させて欲しいのニャ。オジ様も、凶真様も」

 

 

俺のことは気にするなと言おうとしたが、この女は鋭いから全て見透かしているのかもしれない。

恩に思っているのなら、それはそれで今後動きやすくなるだろう。

そう、俺が探し出して日本へ連れ戻した――秋葉幸高、フェイリスの父のことである。

 

 

 

彼は戸籍上、10年前に死亡した事になっていた。

ニュースにもなり、家族には遺体の証明すら行われていたのだ。

しかしそれは仮初め、本当は300人委員会に選抜されて死亡したことにされただけだったのである。

 

自らの意思で300人委員会に加入したことは知っている。

しかし俺の勝手な判断で、彼を脱退させた。

彼も事後承諾という形だが賛同してくれたので、あとは300人委員会の説得のみ。

そしてつい先日、ようやく身柄の安全な脱退許可が正式に下りて、家族とともに日本へ帰国したという流れである。

 

マスコミが五月蝿かったものの、色々な口添えのお陰ですでに下火。

今は対応に忙しいだろうが、それも家族を置き去りにした痛みと思って甘受してもらおう。

 

前の世界と同じように、秋葉原の元大地主としてコキ使ってやる。

人材は常に欲しているのだ。

だから、別にフェイリスより感謝される謂れなどない。

 

 

 

全ては俺のため。

俺の中にいる“鳳凰院凶真”の欲望を満たすためでしかなかった。

 

 

 

その後いつかフェイリスの自宅でディナーをご馳走になるということで、秋葉幸高の件は決着した。

正直、前の世界のように婚約者へいつの間にか仕立てあげられそうで嫌ではある。

まあ、なんやかんや理由を付けて遠慮しておけばいいか。

 

 

「“凶真様”、か。慕われているね」

 

「チッ。――ところで、地球皇帝はどうしている?」

 

「あからさまな話題逸らしだなあ……まあ、いいだろう。彼女は今鎌倉に観光中さ。“緑龍会”の見解ではあの辺りも秋葉原と同様、鍵になる」

 

「鍵、か」

 

 

緑龍会――――

この男が、地球皇帝と呼ばれるふざけた小娘と支えている色物組織である。

コイツ曰く『パンツを先に履く足が利き足である事を証明する団体』らしいが……意味不明だった。

危ない新興宗教の一種であり、属する人間が金や地位を有している厄介な組織であると理解していれば十分だろう。

 

ちなみに、俺は度々その力を利用している。

忍者のバルトロメオも所属している組織なのだ。

 

 

「うんうん、彼女たちは熱心で実に結構! 僕はもう少し秋葉原を歩いてから合流するとしよう」

 

「お前、この地に骸を埋めたらどうだ?」

 

「おお、それもいいかもしれないね! 祭祀の方頼むよっ!!」

 

 

嫌味も解さない変態はその場に残し、俺は店から出ることにした。

奴はもう少しパンチラチャンスを待つらしい。

入店禁止になれ、このパンツ爺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メイドたちに元気良く送り出されて、晩夏の空気に身を晒す。

活気溢れる秋葉原の中央通りを早足で歩き路地に入って。

太陽は秋晴れに相応しい装いで、中天近くより照りつけ昼時を訴えていた。

 

ランチ、か。

 

なんて迷っている風だが、元々何を食べるのか決まっている。

笑顔で杖を突いたカーネル・サンダースを無視して、車内販売をしている外人からケバブ三つ、適当な自販機でマウンテンデュー二本とダイエットコーラ一本を購入。

 

秋葉原と言えばやはりコレだろう。

世界が変わっても変わらないこの味は素晴らしい物で、望郷の念すら覚えてしまう。

 

そんな上機嫌で歩いて行けば、いつの間にやら我がラボが見えてきた。

下の階はいつも通り客などいないブラウン管工房。

そこにいたのは、親子に見えなくもない三人組だ。

 

 

「……っ」

 

「よお、岡部。おめえ、帰ってたのか」

 

 

坊主で髭面、筋肉質でエプロン姿の巨漢が気軽に挨拶してきた。

その背中に隠れる、一匹の小動物。

FBこと天王寺裕吾と、彼の娘である天王寺綯だった。

 

 

「…………」

 

 

そして隣にはバイトらしき風貌のM4――桐生萌郁。

FBとお揃いのエプロンがシュールで和やかだった。

彼女はこういう道をえらんだのか……。

 

 

「そうそう、紹介しとくぜ。今日からウチでバイトすることになった子だ」

 

「…………」

 

 

内気で人見知りということが揺れる視線と見える怯えでよくわかる。

しかし震えていても、その気丈さは確かに彼女の面影があった。

 

萌郁は萌郁、か。

ならば強引に押し切れる!

 

 

「じゃあ、俺と上で食事するぞ」

 

「……え?」

 

「……は?」

 

「ここに食料はある。俺の奢りだ」

 

「っ……!」

 

「ちょっ、ナンパが唐突すぎんだろ!? つーかうちの店は営業中なんだから――」

 

「客もいないのにバイト一人抜けたところで気にするな。――ふむ、仕方がない」

 

 

萌郁の手を取るついでに、天王寺へ封筒を渡す。

キョトン顔の天王寺が滑稽である。

 

 

「なんだよコレ……って、現金!?」

 

「家賃にイロをつけておいた、それで見逃せ。――では行くぞ、萌郁」

 

「えっと……あっ……」

 

 

何やら言っているタコ坊主を置いてきぼりに、萌郁の手を引きラボへと帰る。

抵抗が少なかったのは好都合だ。

俺の手元を見ていたから、ケバブに釣られたのかもしれない。

 

狭苦しい階段を登り、ノックもせずラボへ入る。

すると、パソコンを睨み付けていたピッツァが顔だけこちらに向けて出迎えた。

 

 

「あ、オカリン! いつの間に帰ったん?」

 

「今日、つい先程だ。留守番ご苦労」

 

「いや、別にいいけど。……つーか、そ、そのエロいお姉さんは……」

 

 

俺の右腕とはあまり呼びたくないが、頼りになるスーパーハッカーの橋田である。

プロフェッサーと同じくHENTAIなこの男は、絶賛エロゲ中だった。

鼻息荒くするなよ……。

 

そんな奴に、萌郁はいつもの無表情に怯えを一層大きくしている。

一般人では仕方があるまい。

 

 

「まあ、お前はよくやってくれたからな。差し入れだ、受け取れ」

 

「え? ……うおっ、ダイエットコーラにケバブとか、オカリン気が利きすぎだろぉ!」

 

「お前もそこのソファーで食え。昼飯まだなんだろう?」

 

「……そう、だけど。いいの……?」

 

「構わん。俺をこのむさ苦しい男と二人でランチさせる気か?」

 

「ちょ、オカリン酷くね? まあ正直僕としても、お姉さんがいてくれるなら嬉しいけどさ……」

 

 

ぶつくさ文句を垂れるものの、鼻の下を伸ばしているのだからどうしようもない。

所在無さげに突っ立っていた萌郁も、遠慮がちにソファーへ座りケバブを口にする。

それを確認して、俺もケバブにかぶり付いた。

 

うん、やっぱりケバブはオリジナルソースだな。

 

 

「で、オカリン。例の件は大丈夫なん? かなり無茶してたみたいだけど」

 

「ああ、奴らようやく妥協したよ。これでしばらくは日本で活動出来る。念のため偽情報をばら蒔いておけ。お前も捕まりたくはないんだろう?」

 

「当然、童貞のまま死ねないお! こっちは綱渡り成功したんだから、オカリンも気を付けろよ」

 

「誰にモノを言っている? 俺の辞書に不可能の文字はない」

 

「……今の確変オカリンなら、本当に何でも出来そうで困る」

 

 

橋田はそう言うが、実際のところ俺一人ではたった1ヶ月で日本に帰ってくることなど出来なかっただろう。

各国を渡り歩く中でも橋田へ高頻度で連絡し、度々ハッキングを依頼して国家レベルの情報を手に入れ、改竄させた。

戦果に見合う額の金は振り込んでいるものの、正しくコイツは俺の右腕だったのだ。

 

 

「……ていうか、そちらのお姉さんをいい加減紹介してほしいんだが……」

 

「…………」

 

 

濁しに濁した会話へついていけない、というかついていく気もなさそうな萌郁。

チビチビとケバブを摘まんでいたが、話を振られて顔を上げる。

 

お前はオコジョか。

 

取り敢えず、無難な紹介をしておく。

 

 

「こいつは桐生萌郁、ブラウン管工房の新しいバイトらしい。無理矢理連れてきた」

 

「げっ、マジで? ブラウン氏怒ってんじゃね?」

 

「金で解決済みだよ」

 

「さっすがブルジョワ。僕なんか、通帳の額見て小便チビりそうだったのに」

 

「成功報酬だ、あのぐらい簡単なバイトだと思えばいい。お前も――」

 

 

俺がケバブを食べる姿を、いつもの通り眺めていた萌郁。

怯えないよう、出来る限り柔らかく話しかけた。

 

 

「……?」

 

「お前も、金が欲しいならいつでも言え。あんな店よりもっと割に合うバイトを紹介してやる」

 

「…………」

 

「オカリンが紹介するバイトって危険なかほりしかしない件。それにしてもバイト紹介するとか、お姉さんのこと気に入ったん? ……まさか一目惚れってヤツ?」

 

「お前は何を言っている。コイツはすでにラボメンだ。な?」

 

「……?」

 

「って、了承してないじゃん!」

 

 

彼女には前の世界で日常生活を与えてやれなかった。

ケバブを共に食べる約束を果たし、ラウンダーでもない俺にはなんの繋がりもない。

 

だったらせめて、この世界ではラボメンとして迎えよう。

彼女が俺の道具ではなく、本当の意味で仲間になるために。

 

 

「お前は前世よりラボメン入りの権利が与えられている。だから、いつでもここにこい」

 

「…………」

 

「今日からお前は、俺たちの仲間だ」

 

 

困惑する萌郁へ手を差し出す。

光の道に歩き出した彼女を、俺が認める。

これは彼女への二度目のエスコートだった。

 

無言で差し出された手に視線を注ぐ萌郁。

躊躇いつつも、何か感じ入る事があるのか僅かながら笑みを見せ。

俺の手をとった。

 

 

 

俺たちの過去も現在も前途も、決して綺麗ではないけれど。

俺とお前なら、大丈夫だから。

 

 

 

 

「――改めて、宜しく頼む。萌郁」

 

「……うん。ありがとう、岡部くん」

 

 

 

またやり直そう、相棒。

今度は、日の当たるこの世界で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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蠢動

 

怒れる天王寺へ貴重なアルバイトを返し、ラボを出た。

元々昼飯を食べるために寄っただけなのだ。

長い寄り道だったが、有意義ではあったと思う。

 

俺の行き先は決まっている。

だが、急ぐ必要はないはず。

ラジ館方向へ足を踏み出そうとして――止めた。

 

 

誰かがその場所へ行け、と背中を押している。

そして俺の勘が行くなと囁いていた。

 

 

“牧瀬紅莉栖殺害事件”が“牧瀬紅莉栖傷害事件”へと変わった2010年7月28日。

ラジ館に残った2つの夥しい血痕は合致せず、当初2人の死者が予測された。

しかし8階の一室にも屋上の入り口前にも、またその近辺にも死体が存在しなかったため被害者は牧瀬紅莉栖だけになり。

加害者であるところの牧瀬章一が早々と捕まって、一応事件は解決を見せたのである。

 

しかし解決と言っても捜査上の話であり、謎は多く残したまま。

そんな中、あの好奇心旺盛な牧瀬紅莉栖が素直にアメリカへ帰るだろうか。

答えは、否、である。

 

 

(犯人は現場に戻る、と言うが……)

 

 

別に後ろめたいことがあるわけでもないし、約束もあるので牧瀬紅莉栖といつしか会わなければならないが……今ではない。

会うとしても、彼女を助けた岡部倫太郎として会いたいとは思わなかった。

 

今でも覚えている。

恐怖に歪む岡部倫太郎の顔を剥がし、抉り、咀嚼する感触を。

彼女が愛する男を殺して、俺は確かに悦んでいたのだ。

罪悪感が湧くことはないものの、あの男と同一に扱われるのは迷惑であり、我慢ならない。

だからきっと、次に彼女と出会うのは鳳凰院凶真で、彼女に立ちはだかる壁としてだろう。

 

今現在、おそらく未だ一人で勝手に捜索活動をしているであろう牧瀬紅莉栖と遭遇したくはない。

ラジ館には近づかずに、俺の足は彼女の元へ動き出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とあるどこにでもあるような墓地、その入り口に色々な意味で場違いな巫女がいた。

自分でも自覚しているのか、恥ずかしそうに縮こまっている。

まるで小動物のように愛らしいが、それが知り合いとなると近づきづらい。

 

しかし、俺の目指す場所も残念ながらこの墓地だ。

敢えてスルーしてもいいが、泣かれると面倒なので堂々と歩み寄る。

巫女は俺をその目で認めて、光輝くような笑顔を浮かべた。

主人を待つ小動物そのまんまである。

 

 

「あ、岡部さん……!」

 

「ルカ子、久しいな」

 

「はいっ!! 岡部さ……じゃなくて凶真さんは、海外に行かれていたんですよね?」

 

「ああ、自分探しにな」

 

「自分探し……凶真さんレベルだと世界中に足を運ぶんですね。さすがです!」

 

 

我ながら適当な理由だ……。

 

軽い挨拶だが、ルカ子と話したのは別の世界が最後だった。

俺を正面から咎め、否定した現代人はルカ子のみ。

罪の象徴であり、俺に罪悪感の欠片を見せてくれる数少ない人間の一人である。

 

 

「何をしている、なんて愚問だったな。中に入らないのか?」

 

「はい、ここで待っています。やっぱり、巫女服のままだとちょっと……」

 

「ふむ、撮影会でもあったのか?」

 

「そうですね、ここの近所で」

 

「そうか。コスプレイヤーも大変だな」

 

「ええ。でも、結構楽しくもあります」

 

「なら良いが。アイツが無茶言ってきたら断れよ」

 

「はは……」

 

 

ルカ子がそそのかされてコスプレデビューしたのは、ついこの間の話だ。

いわゆる“男の娘”というジャンルは珍しいようで、ニッチな需要を独り占めにした形である。

テレビから、はたまた海外からの取材まであるらしい。

 

それにしても、ルカ子が男……信じられん。

中性的というレベルではない。

性別まで変わるとは、バタフライ効果恐るべしだった。

 

 

「……何だか、凶真さん雰囲気変わりましたね。大人っぽくなったというか、お、男っぽくなったというか……」

 

「む、男子三日云々と言うだろう。それともオヤジ臭くなったか?」

 

「いえいえ、とんでもないっ! なんというか、ワイルドで逞しくて、かっこよくなりました!!」

 

「そうか、海外で荒事を経験したからかもしれない。いつかお前も連れてってやろう」

 

「えっ、本当ですか!? ふ、二人で海外旅行……」

 

「――――」

 

 

コイツは男だから、何の問題もないな。

いやそもそも、コイツ本当に男か……?

 

 

「僕、凶真さんと旅行に行きたいですっ!」

 

「旅行じゃないぞ。修行だ、修行」

 

「あっ。えへへ……」

 

 

……うん。

男だろうが女だろうが関係ない。

ギリギリセーフだろう?

何がとは言わんが。

 

 

「ともかく、俺と一緒に海外で修行すれば鍛えられるかもしれんが、今のお前には少し荷が重すぎる。下手すれば命を落としかねん」

 

「い、命を……ですか?」

 

「ああ。それにお前には巫女として秋葉原を守る義務がある。それは俺にも出来ない、お前にしか出来ない責務なのだ」

 

「僕にしか出来ない、責務……」

 

「だから焦るな。この地でお前は研鑽を積み、来るべき戦いに備えろ。わかったな?」

 

「……はいっ!」

 

 

厨二病の妄想にしか聴こえない話だが、パンツ教授の論文という名の夢想、緑龍会の説を語っただけだ。

 

秋葉原は近い未来に戦場となる可能性を秘めている、なんて。

 

だがソレを一笑に付すことは出来ない。

奴らには実現する力があり、どんな手を使ってでも妄想を現実にするだろう。

第3次世界大戦でも、ディストピアでも。

 

宗教団体に対抗するその時、凛とした巫女は重要なファクターと成り得る。

秋葉原を救う象徴、旗印として。

 

 

「――さて、そろそろ行くか。アイツも、いつまでも拝んではいないだろう」

 

「……そう、ですね。きっと凶真さんを待っていますよ」

 

「じゃあな。――エル・プサイ・コングルゥ」

 

「エル・プサイ・コンガリィ……?」

 

「コングルゥ、だ」

 

 

彼の肩を叩き、歩き出す。

この細い双肩に俺たちの運命を託す日が来るかもしれない。

 

 

 

『嘘、ですよね? 岡部さん、そんなことする人じゃ、ないですよね?』

 

 

 

俺は嘘つきで、卑怯な人間だよ。

きっとその時、また俺は――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルカ子と別れて、墓石の飾られた迷路を歩く。

 

結論から言えば。

ルカ子の人気は海外でも聞いていたが、納得するモノを持っていると思う。

上手くマネージメントすればいけるかもしれない

 

……それはそれで厄介だ。

変な連中に柳林神社へ凸されても困るので、適度にコントロールする必要があるだろう。

 

気は進まないが口添えでもするか……。

 

そんな意味不明な鳳凰院P誕生フラグを立てていると、林立する墓標の中彼女を見つける。

語る言葉を出し尽くしたのか、墓石を優しい目で見つめていて。

横顔が儚く遠くに見え、俺は子供のように音を出して近づく。

 

もうその場所には行かせない、逝かせてたまるものか。

彼女の意識が欲しい、ただその一心だけで声をかける。

 

 

「あ、オカリン! トゥットゥルー、おかえリン♪」

 

「……ああ、ただいま」

 

 

おかえりとオカリンを結びつけたのか……。

俺のイメージと激しく異なるが、概ね良好なセンスだ。

俺としてもその呼ばれ方は新鮮で、今では悪くないとも思っている。

 

 

「海外旅行楽しかったー?」

 

「楽しくはなかったよ。ただ海を隔てた場所に行っただけという感じだ」

 

「そんなものなのー?」

 

「そんなものだ。それに旅行らしい場所には一つも行かなかったかな」

 

 

1ヶ月、そうたった1ヶ月だ。

寝る間も惜しんで飛び回り、駆け回り、這いずり回った。

余裕がなかった訳ではないが、特に物珍しい場所に居る訳でもなく。

ぶっちゃけ、忙しさにかまけて土産を忘れていただけなのだった。

 

 

「土産話はいつか伝記にでも綴るとして」

 

「うん! 書けたら見せてねー」

 

「お前、もうお参りはいいのか?」

 

「……そう、だね。もう大丈夫、かな」

 

 

まゆりは今一度墓石に笑いかけると、立ち上がって俺の方へ向き直った。

そんな彼女が愛おしくなり、手頃な位置にあった頭に手を置いて撫でる。

彼女もされるがままに預けて。

 

 

 

帽子越しに触れた髪がウィッグでないことを確認し、俺は自己満足に耽っていた。

 

 

 

 

「そう言えば、何故お参りに来たんだ? 盆には遅すぎるだろう」

 

「……うん、ほら、ね。フェリスちゃんのお父さん、帰って来たでしょー?」

 

「……ああ」

 

「だからなんとなーく、かな。えへへー」

 

「…………」

 

 

彼女が祖母を慕っていたことは聞いている。

友の奇跡にセンチメンタルな気持ちを抱くことも解らんでもない。

しかしそれでも俺は、ここにいて欲しい。

今現在を、笑っていて欲しいのだ。

死者が喜ぶとか、そんな他人のことなどどうでもよくて。

 

 

「――これ」

 

「……えっ?」

 

「これをやる。土産はぱっとした物がなかった。だから、お前にやれる物はこれぐらいしかない」

 

「……え、えと、えとえとえと、まゆしぃが貰っていいの……?」

 

「ああ。お前以外にコレを渡すつもりはない。いらないなら破棄しろ」

 

「そそそんなことしないよーっ! あわあわ、あ開けても……いい?」

 

「…………」

 

 

なおも疑うまゆりに、黙って頷き開封を促す。

それを確認して、彼女は恐る恐る慎重な手つきで包みを解体していく。

 

爆発物じゃあるまいし……。

 

 

「……わぁーっ! 可愛い髪飾り!!」

 

「帽子を被っているお前に、このプレゼントはナンセンスかとも思ったのだが……」

 

「ううん、そんなことないよー! うわぁ……着けてみてもいい?」

 

「勿論だ」

 

「やったー!」

 

 

帽子を預かり、彼女は俺の買った髪飾りを着けようとしている。

俺が彼女に昔買ったことのある髪飾りを。

 

失った世界、俺にとっての故郷にあたる場所。

縁起が悪いかもしれないし、彼女への侮辱かもしれない。

だが、やはりこの髪飾りは彼女に似合うから。

自然と俺の手元にあり、プレゼントにはこれしかなかった。

 

 

「早く帰ろう、まゆり。鏡で整えると良い」

 

「うん、そうだねー。本当にありがと、オカリン♪」

 

「……いや、気分で贈った物がそうまで気に入って貰えるなら――ん?」

 

 

まゆりに手を引かれて、まゆりの手を引いて。

共に歩き出そうとしたとき、俺のポケットが振動し着信を知らせる。

 

揺れ続けるお邪魔虫、無視するのも面倒で。

機嫌のいいまゆりの手を一旦放し、彼女から数歩離れ、背を向けて話し始める。

 

 

『もしもし』

 

「――――ああ」

 

 

誰かと思えば、秋葉幸高、フェイリスの父だった。

ちょうど噂の人物であり、やはり少し疲労が見える声。

 

 

『聞いたよ、留美穂から。また今度、我が家に来てくれるんだって? 何時でも大歓迎さ、大事な話もある』

 

「ただ礼を受け取るだけだ。それで、事後処理に追われて忙しい今、敢えて俺に連絡を寄越した用件は何だ?」

 

『……もしかして、間が悪かったかい? だったら謝るよ。では、手短に話そう。――――カンパニーが動き出したみたいだ』

 

「そうか。奴らが、な」

 

 

帰国して対応に忙しい所だったが、秋葉には様々な指令を与えていた。

ずっと世界では闇が暗躍しているのだ。

見張りや牽制に、人手はいくらあっても足りない。

 

彼にもその身体で俺と緑龍会に恩を返してもらわないと。

勝手に押し付けた恩でも、取り立ては厳しく。

まさに外道である。

 

話が長くなりそうなので、視線でコンタクトをはかる。

すると、まゆりは髪飾りに夢中だった。

……彼女はそれでいいんだ。

いつまでも、そうであって欲しい。

 

 

『君に観察しておくよう言われていたから気づいたものの、彼らの動きは速かった。危うく手遅れになるところだったよ』

 

「ということは間に合ったのか。N計画はどうなった?」

 

『カンパニーの土地買収は抑えたけれど、霧島の動向までは掴めなかった。しかし“水”の幼生体は捕えられそうだ。これであの土方も止まるだろう』

 

「――ああ、奴はもう動けない。あれだけ叱りつけたからな」

 

『……本当に、君はとんでもないね。あの化物を相手に退かず、さらには退けるなんて。さすがは“獄炎”の鳳凰院』

 

「下らない話はいい。お前は博士と霧島、両名の所在が分かり次第報告しろ。もしかしたら実働部隊が動くかもしれん。この俺自ら作り出した部隊があっただろう。あいつらと連携を取って、ことによっては迎撃し、殲滅しろ」

 

『噂には聞いていたけど、まさか本当に動くのかい? 霧島が力を与えた存在であり、妹でもあるという“N GIRL”』

 

「奴を追い詰めれば間違いなく出てくる。それでも俺の妹たちなら負けないはずだ。お前が今すべきことは霧島を炙り出す事。俺に命じられたことを忠実にこなせばそれでいい」

 

『もう今更私も引けないさ。300人委員会ですら戦々恐々としているんだ。奴らの思い通りになれば第3次世界大戦どころでは済まない。――最悪、世界の破滅もあり得る』

 

「そうだ。だから、全て“なかったこと”にしなければならない。アンドロイドも、神も。――当然、俺たちの力も」

 

『…………そこまで覚悟を決めているのか。だったらもう何も言わないよ。私は私に出来ることをするだけ。世界のために、――何より、私の愛する留美穂のために』

 

「ククッ、ああそれでいい。頼んだぞ。――――エル・プサイ・コングルゥ」

 

 

決まり文句の後、電話を切る。

知らない人間には単なる厨二病の妄想にしか聞こえない会話である。

だがこれは、現実に起きている世界の危機。

俺にしか防げない世界的災害なのだ。

 

目の前の鬱陶しい羽虫は面倒でも叩き潰す。

たとえ神モドキでも、連中が如何に化物でも、俺の同格たらんとする者には鉄槌を。

世界に示しをつけるにはうってつけのビッグイベントだった。

 

それにしても、フェイリス親子は子が子なら親も親、厨二脳という奴である。

妄想と現実は紙一重、というやつか。

 

 

「ケータイで誰と話してたのー?」

 

「聞くな。それがまゆりのためでもある」

 

「そうなんだー。オカリン、ありがとー」

 

 

会話が終わったと見るや飛びついてくるまゆり。

その手を取って、再度二人は歩き出す。

 

短い間だったが、時を、世界を渡る旅も終わり。

それでも世界は廻り続けて。

 

俺がやることは変わらず、ただ欲望のまま暴れ回るのみ。

 

 

「そう言えば、冬コミにルカ子と出るんだよな」

 

「うん! 今は新作コスの開発中なのですっ」

 

「だったら俺の分も作ってくれないか?」

 

「……えっ?」

 

 

いや。

今の俺は、ただ闇雲に破壊する鳳凰院凶真ではない。

岡部倫太郎として、この世界で、まゆりとともに生きていく。

 

 

「俺も冬コミとやらに出たいと思う」

 

「……本当にー? でもでも、オカリンが出ても楽しくないかも……」

 

「楽しいさ。お前と一緒なら、どこでも楽しい」

 

「っ! ……えへへー、まゆしぃ愛されてるねー」

 

 

彼女を守るために、彼女とともに生き続ける。

独りになんてさせやしない。

 

 

彼女と、約束したのだから。

 

 

 

 

 

『岡部君。次は、シュタインズゲートで逢おうね』

 

 

「ああ、――――これも、運命石の扉(シュタインズ・ゲート)の選択だよ」

 

 

 

 

これで終わりなんて。

ハッピーエンドは有り得ない。

 

未来永劫、エンディングなんて迎えてやるもんか。

意地汚く生き延びて、他人に恨まれても蔑まれても世に憚り続けてやる。

憎まれ役の反英雄、アンチヒーロー。

 

ハイジはジキルを喰らい、自殺なんてすることもなく。

地獄の炎を纏い、ただただ進み続ける――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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