魔法つかいプリキュア 想い出の魔法 (ミナミミツル)
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分かたれた世界

 

 巡り出会った日の喜びも。

 愛しき者との思い出も。

 別離の日の悲しみさえも。

 

 やがて全ては消える。

 

 それならば。

 

 それならば、いっそ……。

 

 

 

 

 朝日奈みらいはルンルン気分で旅行鞄に洋服を詰め込んでいく。

 その隣ではぬいぐるみのモフルンが、モフモフと呟きながらやはり洋服を小さな鞄に入れていく。

 モフルンの服は明日の為に、みらいと二人で作った手作りの服だ。

「久々の魔法界、楽しみだね! モフルン!」

「モフー! リコや皆に会うの楽しみモフー!」

 魔法を教えてくれた校長先生。教頭先生。アイザック先生。そしてリズ先生。

 一緒に授業を受けたジュンにケイにエミリー。

 学生服を買って、魔法の箒を買った魔法商店街の人たち。

 妖精の里のチクルンに女王様。

 人魚の里のロレッタさん……あの小さかったドロシー、ナンシー、シシーはもう学生だそうだ。

 森のクマさんやペガサスの親子は私たちの事をまだ覚えているだろうか。

 そして、なんと言ってもリコとはーちゃん!

 今から五年前。

 プリキュアとなった中学二年生のみらいは、もう一つの世界である魔法界に行き、多くの人と出会った。

 あの日々がたった一年だったなんて、みらい自身にも信じられない。

 まるで御伽噺の世界に迷い込んだかのような、不思議な日々だった。

 

 明日は休みを利用して、久方ぶりにその魔法界に行くことになっていた。

 実はこの前も少しだけ魔法界に行ったけど、その時はバタバタしていてあまり遊べなかったのだ。でも今回は違う。

 リコとはーちゃんとモフルンと一緒に、二泊三日の家族旅行だ!

「ワクワクもんだね、モフルン!」

「ワクワクするモフー!」

 お馴染みの口癖を叫んだ二人は、服を詰め込み終ると、今度はお菓子を鞄に詰め込み始める。

 準備が終わってもベッドにもぐりこんでも胸の高鳴りは収まらない。まるで子供の頃に戻ったかのようだ。

「妖精の里にも行こうね、モフルン」

「チクルンに会いに行くモフ!」

「リコのお家ってどういう所かな?」

「リコは魔法の先生だからきっと魔法の本がいっぱいあるモフ!」

「リコの……」

「……モフ!」

「の事……」

「……モフ」

「……リコ」

「……モフ」

 

 

 

「あああああああ! もうこんな時間!」

「みらいー急ぐモフー! 電車の時間に間に合わないモフ!」

「分ってる。分ってるって!」

 興奮してなかなか寝付けなかった代償は、寝坊、そして駅までのダッシュだった。

 片手に自分の旅行鞄を牽き、片手にモフルンとモフルンの鞄を持ったみらいは、大急ぎで駅までの道を駆けてゆく。

 

 ぜいぜいと息を切らせながら久しぶりに魔法のICカードであるMAHOCAを改札口に挿入すると、みらいの前に魔法界行きの専用のホームが現れた。

「ま、間に合った……」

「みらいー! 遅ーい!」

 魔法の列車、カタツムリニアの中をふらつく足どりで彷徨うみらいとモフルンに、馴染みのある声が聞こえてきた。

 手を上げてこっちこっちと呼び寄せる声の主は、花海ことは……はーちゃんだ!

「たはは。ご、ごめん……はーちゃん……」

「なんてね。私も今来たところだよ!」

 そう言ってはーちゃんは頬に人差し指を当ててにっこりと笑う。

 五年前デウスマストとの戦いの末、はーちゃんはマザーラパーパの力を受け継いだり巨大化したり神様みたいになったりなんだか凄い事になっていた。

 今も本当のはーちゃんは虹の彼方にいて、ここには意識と分身を飛ばしているらしいのだが、人を和ませるふわふわとした雰囲気は、五年前と全く変わらない。

 まだまだみらいとリコとモフルンにとっては手のかかる子供のようなものだ。

 

 やがてカタツムリニアが動き出すと、窓から見える様子は以前とは少し違っていた。

 かつてみらいが魔法界に通っていた頃のカタツムリニアは、魔法界とナシマホウ界を繋ぐ狭間の世界をゆったりと鈍行していた。

 その為、小さな星々が瞬く狭間の世界を渡る時には、まるで銀河鉄道のような光景が広がっていたものだが、今はまた別のものが見える。

「モフー! 凄いモフー!」

 その光景に驚いたモフルンが感嘆の声を上げた。

「ほんとにすごーい!」

 みらいとはーちゃんも思わず目を丸くする。

 離れ離れになった世界を繋ぐため改良されたカタツムリニアは、まるでSF映画の宇宙船がワープするかのように、時空を超えて走行する。

 そこから見える光景は目を疑うような幻想的な眺めだ。

 カタツムリニアがとてつもない速度で加速していくにつれ、散らばっていた無数の星々がぎゅっと前方に集っていく。

 そして集った星々は一つの巨大な極光となり七色のグラデーションを放って輝くのだ。

「わ、ワクワクもんだぁ~!」

「ワクワクもんモフ~!」

「ワクワクもんだし~!」

「一体どうなってるの~!?」

 みらいは答えを期待してではわけではなく、何となしにそう言った。

 だがそのすぐ隣で、はーちゃんがニコニコしたまま答える。

「あれはきっとプリズムフラワーの光だよ~きれい~!」

「プリズム……フラワー?」

「そうだよ。あっ終わっちゃった」

 みらいがそれは何だと尋ねる前に、星々は再びワッと散開し不思議な輝きも終わってしまった。

「えっもう着いたの?」とみらいは目を白黒される。

 距離はずっと遠くなったはずだが、改良によって移動時間はむしろ短くなったようだ。

 最初に魔法界に行った時は初めての車中泊にワクワクしたものだが、こんなにすぐ着くようではもうそんなことはできないだろう。ちょっと残念かも。

 

 カタツムリニアは魔法界に浮かぶ無数の島々を通り過ぎ、やがて魔法界の中心である魔法学校正門前で停車した。

「うわ、久しぶりだな~学校はどっちだっけ?」

 駅のホームに降り立ったみらいは、キョロキョロとあたりを見渡す。

「こっちよ、みらい」

 ざわざわと騒がしい雑踏の中、その声は透き通って聞こえた。

 声の主は紫のスーツに身を包み一見隙のないような印象を与えるが、ロングポニーテールの根元に結ばれた大きなリボンがその印象を和らげ、優し気な雰囲気を湛えている。

「リコ!」

「久しぶりね、みらい」

「お久しぶりモフ」

「こんにちは、モフルン」

 リコはひらひらとみらいに手を振り、かがみこんで小さなぬいぐるみと握手を交わす。

「お待たせ、リコ。今日、お仕事はもういいの?」

「今日はもう終わったわよ、はーちゃん」

 そう言ってリコは一回り小さいはーちゃんの頭をなでる。するとみらいがずいずいと寄ってきた。

「リコ、リコ!」

「わかってる、わかってるから落ち着いて、みらい」

「リコォ……」

「もう……はいはい、久しぶりね、みらい」

 そう言ってみらいとリコはぎゅっと駅のホームで熱い抱擁を交わす。

 こうして抱き合っていると、二人はお互いの腕の中にお互いの体温を感じていた。

 ――真冬の島、ひゃっこい島。

補習で向かったあの寒い島でみんなでおしくらまんじゅうをして温まったことを思い出す。

 あの時、はーちゃんはまだ今よりずっと小さくて、リコはまだ魔法が上手くできなくて……。

「みらい、リコ~。いつまでやってるの~?」

「早く行くモフ」

 ひゃっこい島の寒さに負けない冷めた視線がみらいを現実に引き戻した。

「ごめんごめん!」

「じゃあ最初はどこに行く」

「魔法商店街! フランソワさんのお店に行きたいな! あっ……」

「どうしたの? みらい」

「あちゃー。私、箒ないや」

「じゃあ商店街でみらいの箒も見繕ってもらいましょうか。それまで私の後ろに乗って行きましょ」

「えへへ。よろしくお願いします、リコ先生」

「じゃあモフルンははーちゃんの方に乗って行くモフ」

 四人は箒に跨ると、音もなく空へと舞いあがった。

 それを眺める三つの視線のことなど露知らず……。

 

 

 魔法界から遥か彼方の世界。

 そこでは燃え尽きようとしている星々、赤色の不気味な光を放ちながら夜空に浮かぶ。

 月は輝きを失い、太陽は熱を失い、海は干上がり、どこまでも続く不毛の大地が広がっていた。

 

 この彼方の世界も、初めからそのような様相ではなかった。

 かつてはその世界も魔法界やナシマホウ界のように、自然と生命のあふれた世界だったのだ。

 世界の中心には天を覆いつくすほど大きく枝を広げ、青々とした葉を茂らせる大樹があり、その樹の下で人々は繁栄し、文明を築き、黄金の時代は永遠に続くかに思われた。

 やがてそこに住む人々は偉大な大樹の加護を得ようと、寄り添うように塔を建築した。

 一万人の魔法使いが一万日かけて建てた塔は、大樹に勝るとも劣らぬ偉容を誇り、その場所は名実ともに世界の中心となった。

 人々の住む居住区、立ち並ぶ商店、政を行う行政区、農業を行う畑さえ塔の中には存在していた。まるで世界そのものを収めたかのような巨大な塔!

 最も細い回廊ですら、差し渡し10メートル以上の幅があり、その回廊は西へ東へ縦横無尽に伸びている。

 それだけの規模を誇りながら、大樹の加護を祝う祭りの日には、足の踏み場もないほどの人でごった返した。

 

 しかし、今。

 栄光の日々は過ぎ去り、壮麗な塔の中を歩くのはたった三人だけだ。

 大理石の床を一歩踏みしめる度、カツンカツンと寂しげなこだまが塔に響く。

 何もかもが終わりかけていた。

 

 塔の最上階。王座の間にある鏡には、魔法界の様子が映し出されていた。

 鏡の中で無邪気にショッピングを楽しんでいるのは、みらい、リコ、はーちゃん、モフルン。すなわち魔法つかいプリキュアの四人だ。

「信じられない」

 それを覗き見する三人のうちの一人が首を傾げた。

「これが本当にあのデウスマストを倒したプリキュアだっていうの?」

 二人目の人影もそれに同調する。

「私もメモリーと同じ意見ですわ。彼女たちにそれができるとはとてもとても……マザーはどうご覧になりましたか?」

 マザーと呼ばれた三人目、玉座に腰かけた老女は、ゆっくりと口を開いた。

「……これほどの距離を隔てていてもその者らが互いを想い合う強い絆を感じる。なによりもその者らは若く瑞々しい。どのような奇跡を起こそうとも不思議ではないだろう」

「じゃあやっぱりこいつらがあのデウスマストを……」

「そうだ」

 老女がそういうと二人の少女は一層気を引き締めた顔で向き直った。

「私たちは奇跡など起こさせません」

「必ずや彼女たちを倒してご覧にいれましょう」

「頼んだぞ、お前たちだけが頼りだ。メモリー、そしてソーサリー……では、始めようか」

 そう言って老女が玉座から立ち上がると、その姿は透き通った半精神体へと変化していき、どんどんその大きさを増していく。

 やがて老女は塔よりも大樹よりも世界そのものよりも大きくなり、天を超えついには星々の世界に至った。

 そこで巨大化した老女は皮膚がたるみ皺くしゃになった腕を伸ばした。

 より高く、もっと高く……

 老女が伸ばした腕の先には、一輪の花が輝いていた。

 

 

 

「うわー! リコの家って大きいーっ!」

「リコはお姫様だったモフ?」

「全然そんなことないし。これくらい普通よ、普通」

 商店街で買い物を終えた四人が次に向かった先は、リコの家だった。

 家というか、屋敷と言っていいほどの邸宅に、思わずみらいとモフルンが目を丸くする。

「ま、お父様とお母様はなかなか帰って来ないから広く感じることもあるけどね。今はお姉ちゃんと二人暮らしみたいなものだし」

「ああリコのお母さん、最近またTVに出てるよ」

「お菓子作ってたモフ!」

 モフルンがそういうとリコがコホンと咳払いした。

「じゃあ、私がお母様仕込みのお菓子作りの腕前、見せてあげるわ! みんなでイチゴメロンパンを焼きましょう」

「おおっ!」

「リコ凄ーい! 自分でイチゴメロンパン焼けるの~!?」

「ふっ。それくらい簡単だし!」

 羨望の眼差しを向けるはーちゃんにリコは自信たっぷりに答えた。

 魔法界とナシマホウ界が分断していた期間に再三イチゴメロンパンを焼く練習していたことは黙っていた。

 親の威厳は重要である。

 

「焼き上がりも計算通りだし!」

「はー! いい匂い~!」

 かまどから焼きあがったイチゴメロンパンを取り出すと、えもいわれぬ甘い芳香が部屋中に漂った。

 実に食欲をそそる香りで、はーちゃんは食べる前から口の中に溢れた涎を拭う。

「リコ~早く食べよう!」

「まだ熱いから少し待ってね。今紅茶を淹れるわ」

「早くー」

「リコ早くー」

「早くモフー」

「……今日は問題児が多いわね。まだ学校にいるみたいだわ」

 ブーブーいう三人を見てリコは苦笑した。

 ティーカップに紅茶を注いだリコが席につくと、四人は大きな声で「頂きます」と一礼する。

 そして魔法学校の教頭が顔をしかめそうなほどの大きな口を開けてイチゴメロンパンへとかぶりつき……。

 

 その時である。

 寸前まで無邪気な笑顔を浮かべていたはーちゃんに異変が起こった。

「……!」

 イチゴメロンパンを皿に戻したはーちゃんはじっと自分の両手を凝視する。

 すぐに様子がおかしいことに気づいたみらいとリコが心配そうな顔ではーちゃんを覗き込んだ。

「はーちゃん?」

「どうしたの?」

「か、体が……」

 ガタッと音を立てて乱暴にみらいが椅子から立ち上がった。

「どこか痛いの? お医者さん行く?」

「安心して。痛くはないよ……でも、体が……体が消えちゃう……」

 みらいとリコは大きく目を見開いた。

 目の前ではーちゃんの体がすーっと音もなく透き通っていく。

「ど、どういうこと?」

「私にも分からない……何か変なの。私じゃなくて世界の方が変」

 そう言っている間にもはーちゃんのどんどん消えていく。

「はーちゃん!」

 消えていくはーちゃんの体を本能的に掴もうとしたみらいの腕が、虚しく空を切った。

 はーちゃんの体は、もう向こう側が見えるほど透き通っている。

 最後に何かを伝えようと、はーちゃんは口を開いたが、その言葉すら消えかかっていた。

「……みら……り……」

「なに? 聞こえないわ、はーちゃん! 分からないよ!」

 何とか聞き取ろうとするみらいの悲痛な叫びが部屋に響く。もうはーちゃんの姿は消えかかっていて、言葉も殆ど聞き取れない。

 しかし消えてしまう寸前、はーちゃんは三人に向かって笑みを浮かべた。

 それが親に心配させまいとする健気な行動であることは言うまでもない。

 それが分かっているからこそ、みらいは震えた。突然の予期せぬ別れ。奥歯がカタカタと鳴る。

 はーちゃんの口が再び開いた。

『み ら い リ コ モ フ ル ン』

 もうはーちゃんの言葉は消えていた。それでも口の動きが三人に彼女の意思を伝える。

『わ た し は だい じょう ぶ』

「はーちゃん!」

 それを最後にはーちゃんの姿は三人の目の前から完全に消え去った。

 歯形の残ったイチゴメロンパンだけが、先ほどまではーちゃんがここにいたという証拠だった。

 

 

「一体、はーちゃんに何が起こったの?」

 愕然としたリコが答えのでない疑問を口にした。

「……」

「みらい……」

 モフルンが心配そうにみらいを見上げる。

 当のみらいは押し黙ったまま俯いていた。

「……」

 五秒か、五分か、それとも五時間か。

 時間の感覚が分からなくなるほど重苦しい沈黙が流れる。

 ややあって、消え去りそうな声でみらいが囁いた。

「…………行かなきゃ」

 ぱしっ。

 みらいが一歩目を踏み出すのとほぼ同時に、リコがその肩を掴んで制止した。

「どこへ行くつもり」

「はーちゃんの所」

「場所は分かっているの?」

 動転したみらいの声は刺々しく、あからさまに怒気を含んでいた。

 対してリコの声は表面上は平静だった。それがさらにみらいを苛立たせる。

「分からないよ! でも早く行かないとっ!」

「待ちなさい、みらい」

「待ってなんかいられない!」

「落ち着きなさい」

「落ち着いてなんかいられないッ!」

 ギリギリの状態だったみらいの感情がついに爆発し、リコの手を振り払った。

 抑えきれない衝動を剥き出しにして、みらいが駆け出す。

 しかし。

 貴方がそう来ることってことは、知っているし。

 みらいが駆け出すよりも早く、リコはみらいに覆いかぶさるように飛び込んだ。

「えっ? うわっ」

 リコにのしかかられたみらいはバランスを崩し、二人はもみ合うように派手に転ぶ。

 二人は床やテーブルに体をぶつけながらゴロゴロと転がる。バタン、バタンと痛そうな音が鳴る度、モフルンが顔をしかめる。

 

 したたかに体中を打った後、リコがみらいに馬乗りする形でようやく二人の体が止まった。

 二人はハァハァと呼吸を荒げて互いに見つめあう。

「な、なにす」

「それはこっちのセリフよ!」

 今度はリコが感情を爆発させて叫んだ。

 リコは馬乗りになったままみらいの上半身を起こすと、ぎゅっと苦しいくらい抱きしめた。

「私を置いていくつもりなの? 私たちはずっと一緒なんじゃないの!?」

「リコ……」

 抱き合って初めて、みらいはリコが震えていることに気が付いた。

 それだけでなくドクンドクンとリコの高鳴る鼓動を感じる。

 はーちゃんが消えた時、リコもまた怖かったのだ。

 それなのに動揺した自分は焦ってリコの前からも消えようとした。

 ……前も同じ失敗をしたことがある。

「覚えてる? モフルンが攫われたとき」

「……うん」

「あの時も、貴方は飛び出したわね」

「うん……ごめんなさい。私ビックリして……頭がカーってなって……リ、リコの気持ち考えてなかった」

「頭は冷えた?」

「うん……ごめんなさい……あの時約束したのに……」

 リコは流れかけたみらいの涙を拭ってやると、優しく声をかける。

「分かってるならいいのよ。さ、泣くのはあと! はーちゃんを助けに行くわよ!」

 

「でも、はーちゃんはどこに行ったモフ?」

 二人が立ち上がるとモフルンが率直な疑問を口にした。

 顎に手を当てながらリコが答える。

「前にはーちゃんから聞いたことがあるわ。はーちゃんは本当はずっと遠いところにいて、そこでみんなが笑顔になるようにお祈りしてるって」

「それ、私も覚えてる。つまりさっきまでここにいたはーちゃんは分身みたいなもので」

「はーちゃんの本体は別のところにいるはずよ! そこに行けばいいわ!」

「どうやってそこまで行くモフ? とっても遠いところのはずモフ」

「ええ。箒じゃ絶対無理……でも、パワーアップしたカタツムリニアなら例え虹の彼方までだってひとっ飛びよ。校長先生にお願いして何とか一両貸して貰いましょう」

 

 

「なんと。うむ、うむ……あい分かった。わしの方でも原因を調べてみる。それまで運休じゃな。うむ。では、な」

 水晶玉を通した通信を終えると魔法学校の校長は深く椅子に沈み込んだ。

 また原因不明の厄介なことが起きた。デウスマストが消えた昨今、まさかこのような事態が起きるとは。

 見かけは二十代の姿を保っているが、校長の実年齢はその五十倍以上である。こうしたことが起きるとなんだかどっと老け込んだ気分になるな、校長は溜息をついた。

 コンコン。

 校長の思想をドアをノックする乾いた音が遮った。

「誰じゃ?」

「リコです、校長先生」

「おお、リコ君か、丁度よいところへ来た。入りたまえ」

「失礼します」

 リコがドアを潜り、その後ろに続く女性とヌイグルミを見て、校長が目を丸くする。

「やや。これはみらい君ではないか。久しぶりじゃのう」

「ご無沙汰しております」

 みらいが礼儀正しく一礼すると校長が気さくに笑った。

「そう畏まらずともよい。ふむ、リコ君に劣らず綺麗になったのう」

「ははは……」

 あながち世辞というだけでもなかったが、みらいから返ってきたのは乾いた笑いだった。

「む……」

 その表情に校長は二人の顔に浮かぶ憂いを目ざとく見つける。

「何か起きたようじゃな、話してみなさい」

 校長がそういうと三人は堰を切ったように話し始めた。

 

「というわけで、カタツムリニアを一両何とか貸していただけないでしょうか!?」

「いきなり押しかけて無礼は承知の上ですが、お願いします、校長先生」

「むう……ことは君がな……」

 リコからはーちゃんが消えた顛末とその為にカタツムリニアが必要であることを伝えられた校長は、困ったように目を閉じて考え込んだ。

 やがて目を開くと、校長は自分の言葉を確かめるようにゆっくりと今魔法界で起こっている異常を語り始めた。

「わしも助けてやりたいのは山々じゃが、今は難しい。というのも、先ほど駅から連絡があってな、突然魔法界とナシマホウ界の繋がりが閉ざされたそうじゃ」

「ええっ!?」

「繋がりが閉ざされたって……つまりまた行き来ができなくなったって事ですか?」

「そういうことになる……但し繋がりが失われたとなれば、前回と違い単に距離の問題というわけではない。魔法界とナシマホウ界の間に横たわる狭間の世界に入ることができないのだ。カタツムリニアでもな」

「一体何が起こったんですか?」

「はっきりしたことはまだ分からぬが、プリズムフラワーに何かが起こったとしか思えぬ……それをこれから調べようとしていたところだ。既に移動魔法の使えるソルシエール君とバッティ君にも調べさせておるが……あの二人の魔法でもナシマホウ界へ行けぬらしい」

「校長先生、もしかしてはーちゃんが消えたのも、ナシマホウ界に行けないのと同じ理由では」

「うむ……二人の話を聞いてわしもそう考えていた。世界と世界の繋がりが失われ、ことは君はこちら側に分身を維持できなくなった……とな」

「あの、プリズムフラワーってなんですか?」

 みらいがおずおずと訊ねた。そういえばはーちゃんも列車の中で同じ言葉を口にしていた。

「プリズムフラワーと世界と世界を繋ぐ光の道であり、同時にそれを維持する力の源のことじゃ」

「カタツムリニアや移動魔法で別の世界に行けるのもプリズムフラワーがあるからなの」

「それがなくなったってことは……」

 そこまで言いかけて、モフルンは口を閉じた。

 もうはーちゃんに会えないモフ? そう口にすると、それが現実になる気がしたのだ。

「いや……一つだけまだ試していない方法がある」

 校長がそういうと、はっと三人が顔を上げた。

「君たちなら時空を越えることができるかも知れん、奇跡に賭けてみるか? 伝説の魔法つかいプリキュア?」

 勿論三人の返事は決まっていた。

「はっはいっ!」

 

 魔法界は途方もないほど巨大な樹の上に作られた世界である。

 その最上、すなわち魔法界の頂に校長はみらいとリコとモフルンを連れ出した。

 木の枝が折り重なってできた広場の上に、ポツンと立っているのは巨大な扉。

 何もない場所に立派な扉だけがあるそれは、一見ただのモニュメント。だがこれこそ開かずの魔法の扉である。

「使い方は分かっておるな?」

「……はい」

 みらいとリコは杖を構えると目を閉じて精神を集中させた。

 二人は前にもこの扉を使たことがある。

 行きたいところを念じてこの扉を開ければ、その場所に行ける魔法の扉。

 確かにこれでダメならお手上げだ。

 二人ははーちゃんの姿を思い描き、カッと目を見開いた。

「キュアップ・ラパパ! 魔法の扉よ! はーちゃんのところへ開きなさい!」

 みらいは叫んだが、扉は固く閉じられたまま微動だにしない。

「キュアップ・ラパパ! 魔法の扉よ! はーちゃんのところへ開きなさい!」

 リコが杖を振るが、扉はうんともすんとも言わず立っている。

「キュアップ・ラパパ! 魔法の扉よ! はーちゃんのところへ開きなさい!」

 やはり扉は開かない。

 それでも二人は胸から溢れる言葉を口にする。

 思いが言葉となり。

 言葉は魔法となり。

 そして魔法は奇跡を呼ぶ。

「キュアップ・ラパパ!」

「魔法の扉よ!」

「私たちをはーちゃんのところへ送りなさい!」

 二人の杖から迸る光が、扉の上部にある紋章を照らすと、扉はギィギィという音を立てて開いた。

 

 

「はー。困ったな~」

 どこまでも続く花の海。蝶やミツバチがひらひらと舞う原っぱの中心で、困り果てたはーちゃんは不貞腐れるように仰向けに寝転んだ。

「いったいどうしちゃったの~。いい所だったのに~」

「何かあったのか、マザー・コトハ?」

「はー。うんとね~、なんだか急にみらいたちのところに行けなくなっちゃったの」

「それはそれは」

「はー。困ったな~って、ん?」

 異変に気付いたはーちゃんががばっと上体を起こした。今いる場所は妖精さえまだ生まれていない原初の世界だ。喋られるものは自分しかいない。

「……あなたはいったい誰?」

 はーちゃんの前に現れていたのは背の高い老女だった。

 頭の上に花の冠をのせ、薄緑のドレスの端が風に煽られてひらひらと揺れる。

 初めて会う人物だったが、はーちゃんはなぜだがその女のことを知っている気がした。

「……はー、不思議! 初めて会うはずなのに私、あなたのこと知っているわ」

「お前はマザー・ラパーパの後継者だ。私のことを知っているというのならば、それはお前ではなくラパーパの記憶だろう」

「はー。ラパーパの知り合いなの?」

「ああ。古い付き合いになる。私はラパーパが誕生する場に立ち会った者だ。ちょうど二人のプリキュアがお前の誕生を見守っていたようにな」

「……!」

 その瞬間、果てしない過去の断片がどっとはーちゃんの頭へと流れ込んだ。

 突然の衝撃に、はーちゃんは立ち眩みを起こしてクラクラと頭を振る。

 

 その間、脳裏に浮かんだのは、遠い遠い昔の記憶……マザー・ラパーパの幼年期だ。

 今のはーちゃんと同じくらいであろう小さなラパーパの傍らには目の前の老女がいた。

 記憶の中の老女の見た目は今よりもずっと若いが、その頃ですら老女の顔には皺が刻まれている。

 老女は右も左もわからないラパーパやその他の子供たちを見守り、時に導いていた。

 

 立ち眩みが収まると、並大抵のことには動じないはーちゃんも目をぱちぱちと瞬いた。

 そしてはーちゃんは脳裏に浮かんだ名前を叫ぶ。

 その名前は……。

「はー! あなたは……グランマザー・ルカ! いちば~~~~~ん年上のマザー!」

「いかにもそうだ。マザー・コトハ、最も若いマザーよ」

 そう言って、この世に生まれた最初のマザーは、微笑んだ。

 



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思い出と魔法

「ここはよい世界だ」

 グランマザー・ルカははーちゃんを連れて、原っぱをあてもなく歩き出した。

 ひらひらと舞う蝶が時々グランマザーの肩に留まって羽を休めていたが、グランマザーは払う様子もなくそのままに留まることを許していた。

 心ここにあらずといった様子で、心の内でどこか遠くを見ているようだった。

「はー?」

 はーちゃんが心配そうに息を吐くと、グランマザーはそれを察したのか、やがてつらつらと語りだした。

「先の戦いでは力になれずにすまなかったな。ラパーパやお前たちだけに苦労をかけた……だが許してくれ。私にはもう何をする力も残っていないのだ」

 グランマザーは悲しげに俯く。

「……多くの同胞が、デウスマストの犠牲になったというのに」

「それはルカのせいじゃないよ」

「例えそうであっても、割り切れぬものではない……デウスマストは命の溢れる世界を優先的に狙っていた。だから私の世界など食らう価値もないと見なし、無力がゆえ私は生き長らえた。戦うこともなく、戦うこともできず……皮肉なものだ」

 そういってグランマザーはがっくりと肩を落とした。

 

 グランマザー・ルカの話を黙って聞いていたはーちゃんだったが、デウスマストの名前が出た時、ピンと今起こっている異常とその名が結びついた。

 終わりなき混沌、デウスマスト!

 全部浄化したと思っていたけれど、もしかしてまだどこかに残っているのかも!

 はーちゃんは単刀直入にグランマザーに切り出す。

 力は衰えたというが、それでもグランマザーは膨大な知識と深い知恵を湛えた存在である。困りごとを相談するのにこれほど頼りになる存在はいない。

「ルカ、大変なの! さっきも言ったけど、突然世界と世界を繋ぐ道が消えちゃったみたい! ひょっとしてこれもデウスマストのせいなのかな?」

 グランマザーは俯いたまま首を振った。

「いや、プリズムフラワーがなくなったことが原因だろう。その力が失われた影響で数多の世界の繋がりが失われたのだ」

「プリズムフラワーが? 一体どうして……」

「私だ」

 その時、一陣の風が舞い小さな花びらがはらはらと舞う。

 美しく風雅な光景の中で、はーちゃんの表情が凍った。

「……はー? ルカ?」

「あの花は私が摘んだ」

 グランマザーの言葉に、はーちゃんは耳を疑った。

「そ、そんな……ルカ! いったい何を……」

「マザー・コトハ……見るがいい、時に打ちのめされ老いに侵された私の体を。残念だが我々とて永遠の存在ではない」

 グランマザーは見ろと言ったが、その純真な瞳に耐え切れず、思わずはーちゃんから体を背けた。

 はーちゃんはグランマザーが何を語るのか待っている。

 グランマザーは思った。

 今この場でコトハに真実を語れば思い描いた計画があっさり破綻するかもしれない。

 嘘をつくのは容易い。何も語らないまま有耶無耶にするのはもっと容易い。 

 だがそれでも、コトハは私がプリズムフラワーを摘んだのには何か事情があるんだろうと、そう信じて疑わない目で私を見ている。偽りもなければ、偽る必要もない目。

「……」

 とても嘘などつけぬわ、とグランマザーは真実を語ることにした。

「……もうすぐ私は消える。誰のせいでもなく、ただ自然の摂理に従って。どんな魔法も、どんな奇跡もそれを止めることはできない」

 はーちゃんは深い悲しみを表すように息を吐いた。

「はー。グランマザー……」

「そんな声を出すな。ラパーパや他のマザーのことを考えれば私は十分すぎるほど生きた。なればこそ潮時と思っていたのだがな……ある時気づいてしまった。私の命はもはや私だけのものではない、ということに」

「どういうこと?」

「未来もなく、ただ消えることを待つ身となった私に最後に残っているものは何だと思う?」

「……分からない」

「お前にはまだ分からぬか、無理もない……それはな、思い出だよ」

「はー。思い出?」

「ああ。そうだ」

 グランマザーは空を仰いだ。頭上では黄色い太陽がさんさんを光を振り舞いている。グランマザーの世界ではとうの昔に見られなくなった光景だ。

「私の世界の思い出、私の中で生まれた命の思い出。そこに生きた人々がいたという思い出。私が消えればそれらも失われてしまう。それだけは耐え難い……だから私はあの花を摘むことにした」

「はー! まさかルカはプリズムフラワーを使って、若返るつもりなの?」

「……」

 グランマザーは目を閉じて口を一文字に結んだまま押し黙った。

 そして長い沈黙の果てに消え去りそうな声でグランマザー・ルカは答えた。

「……違う。それでは問題を先送りしているだけだ。ただ力を取り戻すだけでは駄目なのだ……始まりある限り終わりはある……この世は皮肉だ。永遠の生を求めれば、生の始まりすら否定しなければならん。そうでなければ終わりなき者にはなれぬ」

「終わりなき者……」

 本能的にはーちゃんははっとして、グランマザーから後ずさった。

 凄まじく不吉な予感がする。思っていたよりずっと状況が悪い気がした。

「デウスマスト……?」

「そうだ。始まりも終わりもない混沌、残念だが永遠足りうる方法はそれだけなのだ。プリズムフラワーの力を使い、私は新たなデウスマストとなろう。それが私の結論だ、マザー・コトハ」

「そんな、そんなことが……」

「出来ぬと思うか? 混沌と宇宙は表裏一体。お前とてデウスマストをこの世界へと変えたではないか。その逆を行うだけだ」

「違う! そんなことを言っているんじゃないよ! 本気なのルカ! 本当にそんなことをしたら、思い出だって消えちゃうのに!」

「消える、とは少し違う。全てが無意味な虚無となるのだ」

「じゃあ消えるよりもっと悪いわ!」

「……永遠の虚無、全てが意味を失った世界。そこでは消えた、という事実さえ無意味となる。なればこそ、かつての光景の断片が泡沫の夢として荒れ狂う混沌に浮かぶかも知れぬ……」

「そんなことは止めて! ルカ!」

 縋るようにはーちゃんはそういったが、グランマザー・ルカは顔を背けたまま首を振った。

「断る」

「キュアップ・ラパパ! エメラルド!」

 はーちゃんは素早く魔法の本であるリンクルスマホンを取り出し、伝説の魔法つかいの名を刻む。

「フェリーチェ、ファンファン、フラワーレ!」

 その呪文とともにはーちゃんの体は光に包まれ、純朴な少女から世界の守護者キュアフェリーチェへと変身する。

 緑色を基調とし薔薇を象ったドレスに、花と蝶をの髪飾り。そして高貴さを表すサークレットを身に着けて、同時に体つきも大人のそれに成長していく。

「あまねく命に祝福を……」

 花吹雪を纏い現れたキュアフェリーチェは、そう呟き悲しげにグランマザーを見据えた。

「グランマザー・ルカ。あなたの悲嘆はきっと私の想像を絶するのでしょう。ですが! 新たなデウスマストを生み出すのを見過ごすわけには参りません! プリズムフラワーを元に戻してください!」

 グランマザーはフェリーチェの言葉を無視して言った。

「お前の目元にはラパーパの面影があるな」

 フェリーチェは自身専用の杖、フラワーエコーワンドを取り出して、威嚇するように花のついた杖先をグランマザーに向けた。

「とぼけるのは止めて下さい! これが最後です! プリズムフラワーを元に戻しなさい!」

「そうやって怒った顔もよく似ているわ」

「私は本気です!」

「それは分かっている。しかし、お前はあまりに若く、優しすぎた。私に警告などしなければよかったのだ……虹の花よ!」

 パチンッ。

 グランマザーは中指と親指をこすり合わせて弾く。

 一瞬のうちにフェリーチェは不思議な光のヴェールに包まれていた。

 フェリーチェは抵抗しようとしてもがいたが、その光はまるでタールのように体にへばりつきどんどん動くことさえ困難になっていく。

 それだけでなく力がどんどん抜けていく。体が重くなり意識を保つことさえ難しい。

「グ、グランマザー……な、なにを」

「眠れ、幼子。深く深く……」

 フェリーチェは意識が遠ざかっていくのを感じた。

 抗うことを止めた時、あれだけ重かった体が羽のように軽くなっていく。

 プリキュアの使命もマザーラパーパの後継者としての役割もなく、フェリーチェの心にあったのはただ平穏だけだった。

 変身は解かれ、伝説の魔法使いキュアフェリーチェは、花海ことはという少女になっていた。

 やがてその姿も変化し、少女花海ことはは、小さな妖精のはーちゃんとなっていた。

 寝息を立てるはーちゃんは柔らかな光と化し、リンクルスマホンの中に収まると、魔法の本は静かに表紙を閉じる。

「お前たちにはすまないと思っている……」

 夢うつつの中ではーちゃんは誰かがそう呟くのを聞いた。

 

 

 はーちゃんの入ったリンクルスマホンを拾い上げたグランマザーは、文字通りそれを胸元に収めた。

 グランマザーの体はまるで粘土のようにリンクルスマホンを飲み込んでいく。

 今の自分が混沌と化したところで大した存在にはなれない。ラパーパのプリキュアはすぐに浄化してしまうだろう――だからこうせねばならなかった。

 胸の中でリンクルストーンエメラルドの魔法力と、コトハの鼓動が脈打つのを感じる。その二つが私をかつてのデウスマストよりも強大な混沌へと変えるだろう。

 ……とうとう落ちるところまで落ちたな、とグランマザーは自嘲した。

「マザー・ルカ!」

「ご無事ですか?」

 いつの間にかグランマザーの背後に二人の少女が出現していた。

 振り返ったマザーはぎこちない顔でその二人に微笑みかける。

「ああ、全ては順調だ。だが私が混沌となるにはしばし時間がかかる。それまでの守備は頼んだぞ」

 はい、と二人は頷いく。

「いい子だ」

 今度は本当の微笑みだった。

「でも、本当にラパーパのプリキュアはここに来るのかな? 道はもうないのに」

「そうですわね。このまま何事もなく……という可能性もありますわ」

「いや……」

 二人の少女は半信半疑だったがグランマザーは既に微かな魔法の揺らぎを感じていた。

「来る。プリキュアが来る」

 

 グランマザーの言葉とほぼ同時に、三人の前にバンと巨大な扉が現れた。

 少女たちはたじろいだが、それを見たグランマザーは目を広げ、やがて喉の奥でくぐもった笑い声を出した。

「クックック。なるほどそうきたか。懐かしいものを見せてくれる」

「な、なんですの、これ!?」

「魔法の扉だ。かつては私の世界でも広く用いられていた」

「なんにせよ、やっぱり来たってわけか!」

 少女の一人はガチンと拳を叩き合わせた。

 そしてグランマザーは三歩後ろに退き、目を閉じてプリズムフラワーの力を開放させる。

 夕日に照らされて伸びる影のように、グランマザーの体は膨れ上がり半透明の巨人へと変わっていく。

 痩せても枯れてもその姿はまさしく大いなる太母と呼ぶに相応しい威厳を備えていた。

 しかしその姿にはほんの僅かに奇妙な歪みがあり、その歪みは少しづつ少しづつ大きくなっていく。

 生命を抱くグランマザーから生命を飲み込む混沌へ。定命の存在から終わりなき者への変貌が始まっていた。

 そして三人の目の前で、ついに扉が開き始めた。

 

 ガタンと勢いよく扉を潜ったみらいの目に飛び込んできたのは、聳え立つ巨人とその足元に控える二人の少女である。 

 一呼吸の間に、みらいはその三者の姿と顔を見回した。

 知らない人、知らない人、知らない人。

 そして確認作業が終わるとその存在を完全に無視した。

「はーちゃん! どこ? いるなら返事をして!」

「甘い匂いがするモフ! はーちゃんはあそこモフ!」

 みらいから少し遅れて扉を潜ったモフルンはそう言いながらう指差したのはグランマザーの胸元である。

 暴走気味のみらいと対照的になにやら怪しげな雰囲気を感じ取ったリコは、もう少し常識的な反応だった。

 みらいを抑えつつ、目の前の三人の動向から目を離さない。

「み、みらい。なんだか様子がおかしいわよ……あなたたちは一体何者なの?」

「我らは彼方の世界よりやってきた者……残念だがコトハを返すわけにはいかない」

「返して欲しければ私たちを越えて行きな!」

「ですがあなた方も私たちの最大の不安要素、こちらも全力で排除させてもらいますわ」

 ただならぬ様子を察知したみらいとリコは、互いに視線を交わし無言で頷くとかつて何度も繰り返してきたように手と手を繋いだ。

 二人は手を繋いだまま片手を上げ、魔法の言葉を叫ぶ。

「キュアップ・ラパパ! ダイヤ! ミラクル・マジカル・ジュエリーレ!」

 二人の首に提げられた宝石が、モフルンの胸の中で融合し、美しい輝きを放つ。

 永遠を象徴する輝きに包まれた二人はうら若き乙女から、伝説に謳われた魔法使いへと変貌する。

 可愛らしい印象を与えるみらいの瞳は、純然たる意志を秘めた力強い瞳に。

 おっとりとしたリコの表情は、挑戦的な野心を感じさせる深慮の表情に。

「二人の奇跡! キュアミラクル!」

「二人の魔法! キュアマジカル!」

「魔法つかいプリキュ……!」

 ミラクルとマジカルの声が重なり、過去何度もそうしてきたように二人は伝説の名を名乗ろうとした。

 それが続かず二人のの声が途中で止まったのは、予想だにしなかった光景を見た驚きからだ。

 二人は瞠目した。

「キュアーアップ・ルカルカ! ダイヤモンド!」

 まるで合わせ鏡のように、謎の二人の少女たちも自分たちと同じことをしたのだ。

 金と薄紫ではなく、赤みかかったピンクと涼し気な空色の髪。

 スカートの裾から見え隠れするスパッツに、ハートをあしらったレザーブーツ。そして力の源である輝く宝石は、胸元ではなくブレスレットに。

 輝きに包まれた二人の少女の装いは、細部こそ違うものの紛れもなく自分たちの同類であることを物語っていた。

 そしてそれを裏付けるかのように二人の少女は、自分たちの名を名乗る。

「想いの軌跡! キュアメモリー!」

「想いの魔法! キュアソーサリー!」

 

「まさか、貴方たちもプリキュアなの?」

 マジカルの驚きをよそに、グランマザー・ルカのプリキュアは瞬時に構える。

「そういうことよ、ラパーパのプリキュア!」

「待って! 私たちはただ……」

「問答無用!」

 ミラクルの言葉を遮り、メモリーとソーサリーは勢いよく飛び出した。

 同時に二人の手首に装着した腕輪が青く輝き、違う世界の銀魔法が発動する。

「リンクルブレス、サファイア!」

 ミラクルのマジカルの手前で突如急加速したメモリーとソーサリーは、二人が反応するよりも早く背後に回り込むと、無防備な背中を蹴りつけた。

 きゃっと短く悲鳴を上げながら、吹き飛ばされたミラクルとマジカルに対し、さらにメモリーとソーサリーは追い打ちをかける。

「リンクルブレス、トパーズ!」

 次にメモリーとソーサリーが使った銀魔法は、トパーズスタイルに似た魔法だった。

 メモリーらの前に現れたのはハンマーである。柄の部分だけで差し渡し10メートル以上あり鎚の部分も直径2メートルを優に超える超巨大なハンマーだ。

 二人は柄の部分を掴み協力してハンマーを振り上げると、躊躇なくそれを倒れ込んでいたミラクルとマジカルに振り下ろした。

 それはまさに神の鉄槌だった。

 爆薬を炸裂させたような爆音と落雷を混ぜ合わせたような轟音が響き渡り、大地は地鳴りに揺れ、空気も震えていた。

 そしてその衝撃はミラクルとマジカルをいた小さな丘をそのものを完全に吹き飛ばしている。

 

「……」

 メモリーとソーサリーは互いに視線を交わし、自分たちが作った巨大なクレーターの上から中の様子を覗き込んだ。

 普通であればもう勝負ありだ。

 例えまだ立ち上がれたとしても、ダメージが大きすぎて戦う力など残っていないハズ。

 しかし、キュアミラクルとキュアマジカルは“普通”ではなかった。

「!」

 クレーターの中で僅かな動きがあったことにまずメモリーが気づき、次いでソーサーもそれがプリキュアが立ち上がる動作だということを確認した。

「リンクルブレス、ルビー!」

 とどめを刺すべく、三度ブレスレットが輝くとメモリーとソーサリーの体は炎に包まれた。その炎はやがてメモリーとソーサリーの手に収束し、二人の拳が灼熱に燃える。

「これで」

「終わりッ」

「……やめて」

 バンッという乾いた音が響く。

 メモリーとソーサリーの攻撃は完璧な一撃だった。虫の息の相手にだって手を抜いたつもりはない。

 しかし、二人の拳はあっさりと受け止められていた。

 メモリーは驚愕し目を見開く。

「私たちはただはーちゃんを探しに来ただけなの」

「だからそこをどいて」

 ぎゅっとミラクルはメモリーの拳を受け止めた手に力を込めた。

 その握力から相手の力量を察したメモリーの額に冷や汗が浮かぶ。

 まずい。

 向こうの方が格上……。

「はっ!」

 メモリーとソーサリーの胸にドンっという鈍い衝撃が走った。

 拳でなく開手、掌底打ちだ。ラパーパのプリキュアは明らかに手加減している。

 でも、でも!

 ソーサリーの顔に驚愕の色が浮かんだ。

 それでも強い!

 一撃で分かる戦力差。

 相方が倒れそうになるのをメモリーが支え、自分も倒れそうになりながら檄を飛ばした。

「ソーサリー! 一気に叩くよ! 足を止めたら負ける!」

「分かりましたわメモリー! リンクルブレス!」

「サファイア!」

 再び銀魔法が発動するとメモリーとソーサリーは目にも留まらぬ青い旋風と化した。

 空中を縦横無尽に飛び回る二つの風は、何度も交差し合いまた動きに緩急をつけてミラクルとマジカルを幻惑する。

 そして示し合わせたようにそれまでよりも一段速く加速しながらミラクルとマジカルへと襲い掛かる。

 メモリーは正面から。しかしそれは囮だ。同時にソーサリーが背後から襲い掛かる二段構えの攻撃。

 もらった!

 

 

 ぐしゃ。

 気が付くとメモリーの視界はぐにゃりと歪み、次の瞬間、自分は大地に叩きつけられていた。

「クッ……」

 ふと目をやると隣には呻き声を漏らすソーサリーがいる。

 どうやら自分たちは迎撃されたようだが、何をどうされたかすら分からない。

 自分のやられっぷりに思わず笑みがこぼれた。普通にやったら勝てないなこれは……。

「ふっふふふふ。大丈夫、ソーサリー?」

「ええ。なんとか……まだ大丈夫ですわ」

「降参しなさい。何か事情があるならまずは話し合いましょう」

 互いに支え合う二人の姿を見て、もう相手は戦えないと判断したマジカルはそう語りかけた。

 しかしその提案をメモリーとソーサリーは一蹴する。

「御冗談を。あなたたちは確かに私たちより強いようですが、この程度は想定通りですわ」

「こっちも退けない理由があるの。ここからはズルさせて貰うよ!」

 そう言ってメモリーとソーサリーは手を手を結んだ。

 何かの技か、と思ったミラクルとマジカルは身構えたがどうやら違うらしい。

 メモリーとソーサリーは何やら静かに言葉を紡いでいる。

「想いは軌跡となり……」

「軌跡は魔法となり……」

「そして願いを叶える!」

「プリズムフラワー! 私たちに力を貸して!」

 メモリーとソーサリーは片手を結びながら、もう片方の手で虹色に輝く花びらを天に掲げた。

 二人のプリキュアに世界と世界を結ぶほどの力が流れ込み、その存在をさらにもう一段階押し上げる。

 より鋭く、より強く、より美しく。

 激しい光に世界が明滅し、その後には伝説を越えたプリキュアが降臨していた。

「永遠を越えた輝きを私たちに! キュアーアップ・ルカルカ! ロンズデーライト!」



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永遠を超えて

 私たちは、ただはーちゃんに会いに来ただけだ。

 でもなぜか向かった先には知らないプリキュアがいて、私たちはそのプリキュアと戦っている。

 良くないカンジだ。

 そしてメモリーとソーサリーと名乗るそのプリキュアは、追い詰められてプリズムフラワーの力を使った。

 ますます良くない。

 プリズムフラワー。それは世界と世界を繋ぐ花で、その力は“誰か”という個人が使うべきじゃない。

 でもその光を吸い込んでメモリーとソーサリーの力は増していく。

 こうしているだけでその力の凄まじさが分かる。

 嵐がくる前みたいに空気がビリビリして、本能が今すぐ逃げろって叫んでいる。

 闇の魔法使いやデウスマストと戦った時もこうだった。それでも私が逃げずに戦い抜けたのは、隣に一緒に戦ってくれる人がいたから。

 リコやはーちゃんやモフルンがいたから。

 

「ミラクル~、マジカル~」

 迸るパワーを前に、ミラクルとマジカルが構え直すとモフルンの声が聞こえた。

「あの二人から甘い匂いがするモフ!」

「そうね。モフルン」

「ええ。分かるわ」

 モフルンの言葉にミラクルとマジカルは頷いた。

 きっとあの二人もそうなんだろうなってことは伝わってくる。

 誰かのために必死なんだってことは分かる。

 でもそれは私たちも同じだ。

 

「おおおおおおおおおおっ!」

 雷光に似た光を放ちながら、メモリーとソーサリーが飛び出してきた。

 その勢いは先ほどまでとは比べ物にならない。

 ミラクルとメモリーがぶつかり合い、他方ではマジカルとソーサリーが激突していた。

 メモリーの足がしなり鉄の鞭のような蹴り放たれる。

 ミラクルは何とかブロックするものの、その衝撃に受けた腕は痺れ、体の芯を揺らした。体がメキメキと聞いたことのない音を立てる。

「だああああああっ!」

 ミラクルは何とか一発防ぐのが精一杯。しかしメモリーの猛攻は止まらない。

 プリズムフラワーの力を受けた拳は虹色に輝き、容赦なくその力を振るった。

 まともに受ければ一発一発が致命傷になりうるだけの攻撃、それが瞬きする間に何十発もの嵐となってミラクルを襲う。

「……っ!」

 ミラクルは歯を食いしばり、体を小さく丸めて耐えていたがやがて押し破られることは明白だった。

 どうにかしないと。

 でも反撃の切っ掛けがまるで見つからない。

 

「きゃああああっ!」

 荒れ狂う力がミラクルの防御を食い破る寸前、聞き覚えのある悲鳴が聞こえた。

 その瞬間、ミラクルは心臓を鷲掴みされたような感覚を覚える……悲鳴はマジカルのものだった。

「マジカルっ!?」

 大砲の雨に等しい攻撃を受けている、まさにそのさなかに、ミラクルは相手から視線を外し思わずマジカルの方を振り向いた。

 戦いの中よそ見するという致命的なミス。

 だが、その無意識の行動がメモリーの動きを止めた。

 ミラクルが振り向いた瞬間、その動きに釣られメモリーも同じ方向を向いたのだ。

 激しい戦闘の中に生まれた刹那の空白。

 一瞬早く気づき、その間隙を突くことができたのはミラクルの方だった。

「――!」

 ガシャという金属を拉げたような音とともにミラクルはメモリーの顎を蹴り上げた。

 会心の一撃だった。しかし相手がどうなったのか確認するよりも、ミラクルはマジカルの元へと急ぐことを優先した。

「たあああッ!」

 ミラクルは声を張りあげ、マジカルの相手をしているソーサリーの無防備な背中に力の限り飛び蹴りを放った。

「えっ?」

 痛みよりも先に、驚きがソーサリーの体を支配した。

 意識していなかった方向からの攻撃を受け、ソーサリーは踏ん張ることができず勢いよく吹っ飛ばされる。

 

「マジカル、大丈夫?」

「ええ。ありがとう、ミラクル」

 ミラクルは腕を伸ばしマジカルが立つのを手助けした。

 再びマジカルが立ち上がった。しかし、満身創痍の二人の前に、やはりメモリーとソーサリーが立ちふさがっている。

 なんて強い相手。こんな時はーちゃんがいてくれたら……。

 ミラクルはその思考を振り払うようにかぶりを振った。

 この二人を何とかしなければ、はーちゃんの所には行けない。大変な相手だが私たちだけで何とかしないといけないのだ。

 やるしかない!

「マジカル! 行くわよ!」

「分かったわ、ミラクル!」

 ミラクルとマジカルは素早くリンクルステッキを取り出し金魔法を発動させる。

「永遠の輝きよ!」

「私たちの手に!」

 二人の魔法が杖の中でさらに収束し、ステッキの柄にはめられたダイヤの宝石が眩い光を放っていく。

「フル!」

 ミラクルとマジカルがそう言って杖を一振りすると、メモリーとソーサリーの目の前に魔法の結晶が構築されていく。

「フル!」

 結晶は輝きを増しながら強度を増していく。

「リンクルン! プリキュアダイヤモンドエターナル!」

 物質化された魔法の結晶がメモリーとソーサリーを閉じ込めると、ギリギリと締め付けるように二人を圧迫していく。

「おおおおお……ソ、ソーサリー……!」

「メ……メモリー!」

 ミラクルとマジカルがそうするようにメモリーとソーサリーもまたぎゅうっと手を握り合った。

「永遠を!」

「超えたと言ったはず!」

「があああああああッッ!!」

 閉じ込められたメモリーは獣じみた咆哮をあげ、ソーサリーも力の限りダイヤモンドの魔法に抗った。

 反発する両者の魔法力がぶつかり合い、稲光のように恐ろしい光の奔流となって周囲を照らす。

 ピシッと石の割れる音がすると、マジカルが目を見開いた。

 まさか……!

「ダァァァァァッ!」

 次の瞬間、ダイヤの魔法をぶち破ったメモリーとソーサリーは、その勢いを駆ってミラクルとマジカルへと襲い掛かった。

 回避する間もなくメモリーの強烈な蹴りがミラクルの脇腹を打ち抜き、魔法が込められたソーサリーの拳がマジカルの腹部に突き刺さる。

 

 ミラクルとマジカルは数秒宙を舞った後、バタンと無造作に地面に叩きつけられた。

「うぐ……」

 痛む体を引きずって、何とかミラクルは身を起こそうと踏ん張ったが、そうして立ち上がるよりも早くソーサリーが目の前に立ちふさがっていた。

 ぞっとするほど冷たい目で、ソーサリーはミラクルを見下ろしていた。その瞳に射すくめられまいとミラクルもソーサリーを見つめ返したが、両者の間には歴然たる力の差が横たわっていた。

「噂に違わぬ戦いぶりお見事でした。しかし、これで終わりですわ。キュアミラクル」

「止めろ、ソーサリー」

 トドメを刺そうとしたソーサリーを制止したのはメモリーである。

 彼女は相棒を止めると「見ろ」と親指で背後を指差した。

「マザーの用意が整った。これ以上傷つける必要はない」

 ソーサリー、そして這いつくばったミラクルもメモリーが指差したモノを見た。それが視界に飛び込んだ途端にミラクルの顔から血の気がさっと引いていく。

 屹立したソレは巨大であった。また脈打っているようにも見えた。

 ソレは巨木のようであり、人間のようであり、山のようであり、大気のようであり、そのどれにも似ていなかった。それはまさに混沌であった。

「デ、デウスマスト……」

 かつて倒したはずの大いなる悪。それが再びミラクルの目の前に出現していた。

「あ、あなたたち、一体何をするつもりなの!? あれがどんなものか……」

「知っていますわ」

 ミラクルの言葉を遮ってソーサリーが語りだした。

「終わりなき混沌。それによって世界を混沌に還すことこそ、私たちの望みです」

「そんな……なんでなの! あなたたちはそれででいいの!?」

「……混沌の中では全ての要素がばらばらになって意味を失くします。全てが消えてしまうよりは、混沌に砕かれた残骸としてでも残した方が慰めとなると私たちは考えたのです」

「私らもいい方法だとは思ってないけどさ。ま……考えようによっちゃ悪い事ばっかりじゃないよ。アンタにも嫌な思い出の一つや二つあるだろ? そういう事も無かったことになるからな」

 二人はミラクルを一瞥すると、そのまま混沌の方へと歩みだした。

「もし運が良ければ混沌の中でまた会おう」

「……さよなら、キュアミラクル」

 渦巻く混沌の中へキュアメモリーとキュアソーサリーは向かっていく。

 その瞳には勝利の喜びはなく、ただ深い悲しみだけがあった。

「……マザー」

 漏れ出すようにそういうと、二人は混沌の渦中へと消えて行った。

 

 

 

 消える。

 消える。

 未来も。

 過去も。

 魔法界やナシマホウ界も。

 私も。

 お母さんやお父さんも。

 友達も。

 モフルンや、はーちゃんや、リコも。

 何もかも。

 混沌に飲まれて消えてしまう。

 

 ……いつかこんな日が来るってずっと心の奥で思っていた。

 モフルンを失くしてしまう日。

 リコと離れ離れになる日。

 はーちゃんが消えてしまう日。

 いつか別れる日が来るって分かっていた。分かっていたはずなのに……。

 

 膨れ上がる混沌を前にミラクルは戦慄した。恐怖が心を鷲掴みにして、戦う意思さえも挫かんと胸の内を締め上げる。

 体から力が抜けていく。心が絶望に支配されていく。

 自然と涙が溢れていた。

 

「ミラクル」

 優しい声がミラクルの耳に沁み込んだ。その声の主はボロボロで所々土が付いている。それでもキュアマジカルは確かに立っていた。

「大丈夫? 立てる?」

 涙で喉が詰まり声は出なかったが、差し伸べられた手を握りながらミラクルはこくこくと頷いた。

「やられちゃったけど、まだ方法はあると思うの」

 渦巻く混沌の方を見ながらマジカルは淡々と告げる。その顔には、自分たちを倒した相手への恐れも気負いもなく、ただ凛々しさがあった。

「確かに相手は私たちの力を上回っているわ」

 リコ。あなたはまだ立てるんだ。

「けれど、それはフェリーチェやプリズムフワラーが向こうの手に落ちているからだと思うの」

 リコ。あなたはまだ諦めてないんだ。

「だから……危険な方法だけど、私たちも混沌に飛び込んでフェリーチェやプリズムフワラーをデウスマストから引き離すってのはどう?」

 リコ。あなたはまだ戦えるんだね……なら私も戦えるわ。もう立てないと思ったけど、あなたのおかげで私もう一度戦えるわ。

「う、うん」

 ぐずぐずと洟を啜りながらミラクルは頷いた。

「やろう、マジカル! 一緒にやろう!」

「ええ。ミラクル。一緒にはーちゃんの所に行きましょう」

「モフルンもいるモフー!」

 ぴょんとモフルンはミラクルの背中に飛び乗ると小さな手で混沌の中心を指差した。

「甘い匂いがするモフ! はーちゃんはあそこにいるモフ!」

「分かったわ、モフルン」

 ぎゅっとミラクルとマジカルは互いの手を握り合った。

 まだ少し怖くて、手が震えているのを隠すようにミラクルが少し力を入れると、マジカルもより強く握り返す。

「怖いのは私もよ」

 小さな声でマジカルが囁いた。

「でも、あなたがいてくれるから……ううん、あなたと出会えたら私はこうして立ち向かえるのよ、みらい」

「出……会え……」

 不思議そうに見つめるミラクルにマジカルが微笑み返す。

「あなたがいない五年間は寂しかったわ。でもいつかまた必ず出会えるって信じてたから、なんとかやってこれたのよ」

 ミラクルの瞳に、拭ったはずの涙が再びじんわりと湧きだしていた。

「……私も。私もだよ。リコと出会えて良かった! それにまだ終わりにしたくない! 終わりになんかさせない!」

 

 もう一度奇跡を起こす為、ミラクルとマジカル、そしてモフルンは混沌へと飛び込んだ。

 



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想い出は奇跡の魔法となりて

 混沌に飛び込んだキュアミラクルはゾっと身を震わせた。

 暗い。

 寒い。

 そして夢のように朧気で現実感がなかった。

 無言の圧迫感だけがあり、まるで自分という存在が少しずつバラバラになっていく気がした。

 この感覚は孤独感に似ている。

 ……孤独は知っている。

 十三歳の春休み。私は偶然もう一つの世界を知った。そこは魔法がある世界で、知らない人たちが住んでいた……私にとって大切な人も。

 そして十四歳の冬。二つの世界は離れ離れになった。

 あの素敵な魔法界に行けないなんて、私は半身を引き裂かれる思いだった。

 それからずっとずっと私は自分の半分を探していた。それこそ私にとっての孤独だった。

「ミラクル!」

 鈴の音を鳴らしたようなマジカルの声が私を呼ぶ。

「気を引き締めた方がいいわよ、何があるか分からないから」

「うん。大丈夫だよ、マジカル。少し暗いなって思っただけ」

 もう私は孤独じゃない。

 

 

 上も下もなく、光もない深淵の闇。

 今まさに他の世界を食わんとする混沌の内部は、確かに無限に続くのではないかと思わせるものがあった。

 だが全てが混じり合うはずの混沌の中でグランマザー・ルカは声を震わせた。

「なぜだ……なぜ私はまだ存在している……?」

 混沌の中で自我を保つなど不可能なはずだ。何かが保存されるということは混沌という事象に反している。

「……我が身は混沌と化し、全てが朧げに揺蕩うのではなかったのか?」

 グランマザー・ルカはそう自問する。しかし混沌の中には確かに自分が存在していた。

 そして暗闇に目を凝らすと、両手を組んで眠る小さなマザー、キュアフェリーチェの姿も見える。

 それもまたありえないことだ。

「なぜだ。混沌にならぬ……」

 やがて一筋の光とともに、キュアメモリーとキュアソーサリーが姿を現した。

 二人はこちらに気が付くと不安そうな視線を向ける。

「……マザー?」

「これは一体どういうことですの? 私たちは混沌に溶け合うのではないのですか?」

「私にも分からぬ……プリズムフラワーの影響か、そこで眠るマザー・コトハが何かをしているのか……何かが混沌化を妨害しておる」

 

 その時、三人の目を晦ませる稲光が闇の中を奔った。

 少し遅れて耳をつんざめく大声が響き渡る。

「キュアップラパパ!」

「混沌よ! はーちゃんを返しなさい!」

「ぬ」

 思わずマザーは顔をしかめた。

 混沌に飛び込んできた者の正体は聞かぬでも分かる。やはり、あの二人はこの程度では諦めないということか。

「いまマザー・コトハを奪い返されるわけにはいかぬ。メモリー、ソーサリー。追い返せ」

「はっ!」

「死地に飛び込んできたということは、いよいよあの二人も覚悟を決めたということだ。ゆめ油断することのないよう用心せよ」

 

 

 ミラクルとマジカルは混沌の中に飛び込んだ。

 いくらプリキュアといえど恐ろしくないはずがない。

 中に入った瞬間にその存在が消えてしまうかもしれないのだ。

 ……でももう大丈夫。

 私はここにいる。そしてリコとモフルンもいる。誰も消えていない。

 はーちゃんもきっといる。

「キュアップラパパ!」

「混沌よ! はーちゃんを返しなさい!」

 ミラクルとマジカルは闇を裂いて突き進む。どれほど深き闇でも一緒ならば乗り越えられると信じて。

 

「そうはさせるか、ラパーパのプリキュア!」

「何度やっても同じことですわよ、ここから先は行かせません!」

 怒涛の勢いで進むミラクルとマジカルの前に立ち塞がったメモリーとソーサリーは先ほどと同じように手を結び片腕を上げる。

「プリズムフラワー!」

「もう一度私たちに永遠を超えた力を!」

 混沌の闇の中で二人の頭上に輝くプリズムフラワーの光は、太陽のようにキュアメモリーとキュアソーサリーを照らす。

 二人のプリキュアは、再び激しい稲光を纏いキュアミラクルとキュアマジカルに向き直る。

「ロンズデーライトスタイルですわ!」

「悪いね、最初っから飛ばさせと貰うよ!」

 メモリーとソーサリーは莫大な力が自分の中に漲っているのを感じていた。プリズムフラワーの輝きを纏ったプリキュアに敵はいない。

 例え相手があの魔法つかいプリキュアであっても例外ではないのだ。

「……!」

 絶体絶命のピンチに、ミラクルは険しい顔をしながら蛇に睨まれたカエルのように動けず、マジカルは無言で自分たちと相手を見比べていた。そして何かを思いついた。

「……それ、いいわね」

 マジカルはぽつりとそう言って右手を上げた

「こうかしら? プリズムフラワー、私にも力を!」

「えっ?」

「し、しまった!」

「はあっ!?」

 マジカルの予想外の行動に三者が唖然とする中、頭上に輝くプリズムフラワーからキュアマジカルに神々しい光が流れ込む。

「さ、さすがリコ!」

「ホラ、みらいもやって」

 思わず素の自分を出しながらミラクルはマジカルに続く。相手のプリキュアに使えて、自分たちが使えない道理はない。

「はあああああっ! 魔法つかいプリキュア!」

「ロンズデーライトスタイル!」

 プリズムフラワーの力を身に受けた二人は、真夏の太陽の如く輝く……プリズムフラワーの輝きを纏ったプリキュアに敵はいない。

 例え相手が誰であっても。

「ま、まだ同じ条件になっただけですわ!」

「その通り。お前たち二人をマザーの所へは行かせない!」

「……『お前たち二人』ねえ。本当にそれで大丈夫かな」

 マジカルは誰にも聞こえない小さな声でそういうと、一瞬だけキュアメモリーとキュアソーサリーの背後に目をやった。

「ウルサイ! 行くぞ!」

 そう叫ぶとキュアメモリーは電光石火のスピードで飛び出した。

 しかし、今度はミラクルにもその姿がはっきり見える。

 直後、雷が落ちたかのようにドォォォォォンという凄まじい衝撃が鳴り響いた。

「お、お前っ……!」

 メモリーは目を見開いた。全力で放った蹴りがキュアミラクルに完全に受け止められている。

 めりっとメモリーの足首を掴むミラクルの手に力が入った。

「私は絶対に諦めない!」

 ミラクルはメモリーの足首を掴んだまま力任せに放り投げた。慌ててソーサリーが、投げられたメモリーを体で受け止めてキャッチする。

 キッとミラクルを睨みつけると、二人は声を揃えて吼えた。

「それは私たちもですわ! マザーの為に!

「そしてこの世から全ての悲しみを消す為に! 永遠の混沌を!」

「キュアメモリー、キュアソーサリー。私も少しは悲しみっていうものがどういうものか知っているわ……寂しくって心細くて胸がジクジクする……大切な人がいなくなるって事は辛いわ、本当にね」

「ミラクル……」

 マジカルが心配そうに顔を向ける。ミラクルは続けた。

「でも、でもね……その悲しみは出会えたからこその悲しみ。なかったことになんてしたいと思ったことは一度もない!」

 その瞬間カッとプリズムフラワーが輝きを増した。

「う、うおお……」

「なんですの、この力は」

 凄まじい輝きが四人を包み込み、さらに四方の闇を払いのけていく。

 

 

「モフーー!」

 混沌の中に地面はない。そんなわけでモフルンは泳ぐようにしてはーちゃんがいる場所を目指していた。

 事前にリコが立てた作戦はこうだ。ミラクルとマジカルが敵の注意を引き付ける。その隙にモフルンがはーちゃんを助け出す。

 作戦はドンピシャ。メモリーとソーサリーはミラクルとマジカルの相手にすっかり夢中で、小さなぬいぐるみのモフルンのことなど気にも留めていなかった。

 ここまでは作戦通り……。しかし大変なのはここからだ。早くはーちゃん……キュアフェリーチェを見つけなければいけない。

 作戦の成否は自分にかかっている、そう思うとモフルンは体の中の綿が引き締まる思いだった。

「頑張るモフ! はーちゃん、どこにいるモフ?」

 この辺りのはずだが……とモフルンはキョロキョロと辺りを見渡した。

 光源が殆どないので周囲は非常に見づらい。

 しかしモフルンは視覚というより嗅覚を使って、しばらくの探索の後ついに目当てものを見つけた。

「あったモフ! リンクルスマホンモフー!」

 モフルンは戦利品を高々と掲げた。ここからはーちゃんの甘い匂いが漂ってくる。きっとこの中にはーちゃんがいるはず――。

 

「妖精? いや、違うな」

「!」

 背後で聞こえた声にモフルンはギクッと全身を震わせた。

 決して大きな声ではなかったが、その巨大な力が伝わってくる。まるで彼方で嘶く遠雷のように。

 恐る恐る背後を振り向くと、半ば闇と同化している老女が額に皺を寄せてこちらを眺めていた。

「お前は何者だ?」

「モ、モフルンはモフルンモフ」

「……キュアミラクルのぬいぐるみ……人形に命を吹き込むとは面白い魔法を使う……だが、なぜだ? 私やプリキュアのみならず、お前のようなものさえ混沌の中で個を保っているとは?」

「モフ?」

「私はグランマザー・ルカ。この世に最初に生まれた命。そして今は終わりなき混沌……それがなぜ人形一つ飲み込めぬ……お前は本当にただの玩具なのか?」

 モフルンが逃げようとあがこうとした時はもう遅かった。

 音もなく忍び寄る蛇のようにグランマザー・ルカの腕が伸びると、あっという間にモフルンは捕まってしまう。

「モフー!」

「見せてみよ、お前が何者なのか」

 モフルンはぎゅっとリンクルスマホンを抱きしめた。

 その中のキュアフェリーチェに助けを求めているのではなく、キュアフェリーチェを守る為にだ。

「はーちゃんは渡さないモフ!」

「……」

 

 グランマザー・ルカは心の奥底さえ見通す両目をカッと見開き、モフルンという存在を覗き込んだ。

 そこに見えたのは。幼いキュアミラクル……いや朝日奈みらいと共に眠るモフルンだ。そしてみらいは次第に成長していく。

 首がすわると、みらいはモフルンを相手にままごとを始めた。出かける時はモフルンを抱いて持ち歩いていた。

「……」

 幼稚園で男子に泣かされたみらいを慰めたのはモフルンだった。みらいが小学校に上がってもモフルンは学習机の上でみらいを見守り続けていた。

 あの運命の日。みらいはいつものようにモフルンをバスケットに入れ、桜並木の散歩道を歩いていた。

 そして慌ただしい、だが輝ける魔法の日々が過ぎ去っても、モフルンはみらいの傍にいた。二人はいつも一緒だった。

「……」

 

 グランマザー・ルカは見開いていた目を細めると深く息を吐いた。

「そうか。お前は……人形でありながら、キュアミラクルの姉妹なのか。そしてお前を動かしている魔法は……」

 グランマザーは少し言いよどみ、短く息を吸った。

「想い出の、魔法か……」

 その言葉が鍵であったかのように、モフルンの手の中にあったリンクルスマホンが淡い光を帯びたかと思うと、秘本はパラパラとひとりでに開いた。

 驚いたモフルンが思わず大きな声で叫ぶ。

「はーちゃん!」

 モフルンと対照的に気だるげな声がそれに答えた。

「う~~ん……あーモフルン、おはよう……ふぁ~よく寝た~」

 リンクルスマホンから現れたはーちゃんは眠たそうに瞼をこすって背筋をぐっと伸ばすと、グランマザー・ルカに向き直る。

 

「見たでしょうルカ。モフルンは魔法で動き出す前からモフルンだったんだよ。二人はねぇ、ずーっと一緒で、モフルンもみらいもお互いにお話ししたいなってずっと思ってたから、奇跡が起きたんだよ」

「……願いを言葉に、言葉は魔法に、そして魔法は奇跡を呼ぶ、か」

「そうだよ。それが魔法なの。もう分ってるでしょうルカ。あなたが混沌になりきれないのは、私たちが何かしてるわけじゃないよ。それはあなたの問題」

 グランマザー・ルカは、はーちゃんから突き付けられた言葉に愕然とした。

 しかし、心の一部では確かにその通りだと思った。

「……バカな。私自身が混沌となることを拒絶しているというのか!」

「私よりあなたの方が魔法に詳しいと思うけど。心の底からそう思っていないと魔法も叶わないし奇跡も起きないよ」

「この私はどの道消える身だ。混沌に堕ちることは恐れない」

「でも、思い出を裁断しちゃうことは望んでいないんでしょ?」

「……」

「ホラ、そうやってすぐ顔に出る。あなたは混沌になれない」

 グランマザーはしばし苦虫を噛みつぶしたような顔をして目を瞑っていたが、やがてがっくりと肩を落として頷いた。

「その通りだ。思い出は捨てられぬ……私は混沌になりたくない」

 

 グランマザーの胸にいくつもの過去の思い出が去来していた。

 彼女は永劫に近い時を生きた。その後ろには無数の記憶と共に膨大な過去への道が続いている。

 まるで白昼夢を見ているかのように、グランマザーはふらつく足取りでめくるめく過去への道を踏み出した。

 思い出の旅路を始めると、すぐに何かがしなやかに動くのが見えた。

 それは巨大な蛇だった。重さは何トンもあるだろうに信じられないくらい静かに素早く動く。

 大蛇はこちらの動きを探るように舌をチロチロと出している。

「全ての蛇の祖ククルス。私の枝に絡みつき、いつも目を光らせていた静かな捕食者」

 大蛇はグランマザーにかしずくように頭を下げた。その頭をなででやると、つるつるした鱗の隅々まで精力が漲っている。これが過去の幻影にすぎないとは信じられない。

「そなたの抜け殻は今も私の枝に残っているぞ……」

 その時ドンとグランマザーの胸に何かがぶつかった。

 それは小鳥くらいの大きさの生き物で、体つきは少しミツバチに似ているが羽根は蝶のようにも見える。

「あわわわ……すみませーん!」

 不思議な生き物は慌ただしく謝ると一目散にどこかへ行ってしまった。

「トゥトゥか。世界に初めて生まれた妖精。どこまで蜜を採りにいったやら、しばらく……しばらく……顔を見せんな」

 グランマザーはさらに歩みを進めた。

 木の扉があって中に入ると、一人の男が机にかじりついて、一心不乱に何かを描いている。

 男の顔にも、男が描いているものにも見覚えがあった。これは建物の設計図だ。それもただの建物ではない。史上最大の天にも届く巨大な建築物だ。

「我が神官ゾロア。『塔』を建てようと声を上げた最初の男。そうだったな、あれほど巨大な塔も、お前の夢想と熱狂から始まったのだったな」

 グランマザーはゾロアの設計に空調と防災に関する注文を加え、部屋を後にした。

 次に現れたのは美しい顔をした若い男だ。男は両腕に愛人を抱き、その顔には完璧に人工的な彫刻のような笑顔が張り付いている。

「タンホイザー。私の前ですら傲慢も好色も隠そうとしないとはいい度胸だな」

 男はわざとらしく気取った態度で礼をすると、自分の作り上げた商品のプレゼンを始めた。

「さあさあ! 今日ご覧に頂くのは、願った場所にたった一歩で行けるという摩訶不思議な扉! 本日これより、昨日までの移動手段は全て過去のものとなります!」

「……だが一方で確かにお前は天才だった。魔法の扉……タンホイザーの門を作ったのだからな」

 慇懃無礼な科学者を後にすると、ふくよかな女が美味しい、美味しいとクリームパフェを食べていた。

 本当に美味しそうに食べるのでこちらまで自然と笑顔になってしまう。

「ティーナ。お前は本当に美味そうに食べるな。私の知る限り最も甘味を愛した女だ……それは何個目だ?」

「七杯です!」

「今日はその辺にしておけ」

「ルカ様がそう仰るのであれば、あと三杯で止めます!」

 

 思い出は穏やかな日々ばかりではなかった。

 宇宙の果てより混沌が現れ、星々を食らい始めたのだ。だが暗黒の日々の中ついに立ち向かうものが現れた。

 花の冠を頭に乗せた、自分と同じ世界の守護者。その名はマザー・ラパーパ。

 彼女とデウスマストは激しい戦いの末相打ちとなって共に消えてしまった。

「ラパーパよ……あの恐ろしいデウスマストにさえ、最後まで屈することはなかったお前こそ生き残るべきだったな……」

 そして最後に、ただ消えていくのを待つばかりとなった世界に、最後の命が生まれた。

 少し考えたらずの猪突猛進な所があり、だがどこまでも突き進む力強さのあるキュアメモリー。

 理論先行で少し頭でっかち、しかしどっしり腰を据えて考えることを厭わないキュアソーサリー。

「キュアメモリーとキュアソーサリー。我が世界最後の子。この私に最後に残ったもの……」

 二人のプリキュアが生まれた時、自分にまだこれほどの力が残っていたとは、驚きだった。だが今なら分かる。

「私の、想い出と魔法……私はそれが残ることを望んだのだな……もう一度奇跡を起こすほど……私の願いはもう叶っていた……」

 

 その時白い光が混沌の中を満たし、全ての闇を払いのけた。

 

 

 次の瞬間には混沌の闇が消えていた。

「ここは?」

「よく分からないけど戻ってきたのね、私たち」

 四人のプリキュアも、はーちゃんも、モフルンもポカンとした顔で、生まれたばかりの世界の上に立っていた。

 急に明るい所に放り出されたグランマザー・ルカは立ち眩みがして体を傾けた。キュアメモリーとキュアソーサリー慌ててそれを支える。

「大丈夫だ、大丈夫……」

 グランマザー・ルカはミラクルとマジカルの方に向き直ると、身体を支えられながら深々と頭を下げた。

「そなたたちから大事なものを奪い、すまなかった。そして私の過ちを止めてくれてありがとう、魔法つかいプリキュア」

 ミラクルとマジカルはどうしたものかと顔を見合わせた。

「う、うん? なんだか、話がよく分からないんだけど……」

「っていうか、あの~どちら様なんでしょうか?」

 すかさずそこではーちゃんが割って入り、二人にグランマザーのことを説明する。

 

「えっじゃあラパーパ様の先輩、みたいな?」

 ミラクルがそういうとグランマザー・ルカは自嘲するような笑みを浮かべた。

「いうなれば。だが、それがこのザマだ。星々を繋ぐ光を奪い、キュアフェリーチェを襲い……私などよりラパーパの方がよほど立派だった」

「マザー!」

「でもそれにはわけが……」

 庇おうとするメモリーとソーサリーをグランマザー・ルカは手を挙げて制止した。

「やめよ。いかなる理由があったとしても、してはならぬこともあるのだ……しかし、それは全て私の意志。ラパーパのプリキュアたちよ、どうかこの二人のことは許してくれ」

 マジカルが優しく言った

「……ううん。グランマザー様、私たちははーちゃんが帰ってきてプリズムフラワーが元に戻ればそれでいいのよ」

「胸がギュっと苦しくなってどうしたらいいか分からなくなること、私にもあるし」

「はー! グランマザーさえよければ、ここにずっといてもいいんだよ?」

「キュアフェリーチェ……マザー・コトハよ、ありがたい申し出だが、それはできない。いかに消えかかっているとはいえ、私には私の世界がある。帰る所はそこなのだ」

 はーちゃんが消えた時のように、グランマザー・ルカとキュアメモリー、キュアソーサリーの姿がすっと薄くなり始めていた。

「世話になった。プリズムフラワーは私が責任をもって戻しておく。それで全てが元通りになろう……最後に一つだけ言っておく。私にはもはや過去しかないが、お前たちには未来がある。後悔のない生き方を……」

 

「……行っちゃったね」

「うん、なんだか嵐みたいな一日だったわ」

「モフ」

 みらい、リコそしてモフルンはしんみりと顔を見合わせた。

「……で、ここどこ? 帰って校長先生に報告しないといけないんだけど」

「ちょっとリコ! 魔法の扉消えちゃってるよ! どうしよう!?」

「はーちゃん、なんとかならないモフ?」

「はー! グランマザーがプリズムフラワーを元に戻したらすぐに魔法界に送るから、ちょっと待っててね」

「あのはーちゃん、ちょっとってどのくらいなのかしら?」

「さあ? それは分からないなー。まあゆっくりしていってよ。どうせ仕事はお休みなんでしょう?」

「休みは三日しかないの! 学校が!」

「大学が!」

「はー、大丈夫、大丈夫。ここは毎日日曜日だよー、あははははは!」

 

 無垢な原野に、無邪気な少女の笑いが響く。途方に暮れたこの日の出来事も、いつか楽しい想い出となるだろう。彼女にたちには未来があるのだから。

 

 

 

 エピローグ

 

 キュアメモリーとキュアソーサリーは涙を拭きながら、魔法の扉を開き、生まれた世界を後にした。

「我が世界の灯を絶やすわけにはいかぬ」

「灯とはなんですか?」

「まさに、お前たち自身だ。この世界から旅立ち、新たな世界を築くがよい」

 目を閉じると、そう言って姿を消したグランマザー・ルカの姿が浮かぶ。

 だがキュアメモリーの心の中は悲しみのばかりではなかった。今までと違う、全く新しい世界に行くのはちょっとワクワクする。そういえばラパーパの世界に行くのも少しワクワクした。

「どこかの世界にはサファイヤの海ってのがあるらしい」

 メモリーが大真面目にそういうとソーサリーは呆れながら否定した。

「ありえませんわ、そんなこと」

「ホントだって! 本で見たんだ!」

「あなたに文字が読めたとは驚きですわ」

「ちょっとは読めるよ! それによると、ダイヤモンドラインっていうダイヤでできた道があってだな」

「ハイハイ」

 世界は秘密が茂る不思議の国だ。

 夢の宝石となる世界を求め、冒険と探検の旅が今始まる……。

 

 了

 



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