ダンジョンにミノタウロスがいるのは間違っているだろうか (ザイグ)
しおりを挟む

第一話:覚醒と猛牛

1覚醒と猛牛

 

 

 ——気が付いたらミノタウルスだった。

 

 

 何を言ってるんだこいつ、と言いたいだろうが僕は頭がイカれているわけでも、正気を失っているわけでもない。

 

 目が覚めたら何処か薄暗い洞窟の中に居たんだ。

 訳も分からず彷徨い、階段を登ったりすると数人の人間に出くわした。薄暗い中で心細かった僕は彼らの元に駆け寄った。すると

 

「なんでミノタウルスが12階層に⁉︎ ここは上層だぞ!」

「知るか、上がってきたんだろ! とにかく戦え!」

「俺達も中層に行けるだけの力はあるはずだ。倒せるぞ!」

 

 何故か彼らは剣や槍を構えて僕に襲いかかった。

 

 正直、死んだと思った。でも、無我夢中で振るった腕が一人に命中。その人は壁面まで吹き飛ばされた。

 

 自分のやったことに呆然としていると彼らは倒れた人を担いで逃げていった。

 その時、僕は「待って」と叫んだけど口から出るのは人ならざる咆哮。

 

 流石にここまで来れば自分の異常性に気付く。

 

 人を吹き飛ばす剛腕、言葉を喋れない口、頭を触ってみれば突起物のようなものまである。

 

 僕は自分の顔を見ようと鏡になるものはないかと周囲を探すと——大剣が地面に刺さっていた。

 

 多分、僕が殴った人が手放したんだろう。丁度いいと大剣を握り、剣身に顔を映すと

 

 ——牛がいた。

 

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ⁉︎』

 

 

 自分の顔を見て悲鳴を上げたが、出てくるのは牛の鳴き声。

 

 首から下は先程いた彼らが小柄に見える筋肉隆々の巨軀、上は威嚇するような眼光と鋭い角を生やした牛頭。牛頭人体。神話に登場する姿そのものの猛牛の怪物。

 

 

 僕はミノタウルスになっていた。

 

 

——なんでぇっ⁉︎

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

『ヴゥオ……』

 

 僕は落ち込んだ。ため息しかでない。だって気付いたら人間から怪物になってたんだよ?

 こんな醜い外見になってしまって、さっきの人達の対応を見るにミノタウルスは人類と敵対関係にある。

 このまま上層に上がっても人に襲われるだけと思った僕は来た道を戻り、下へ下へと降りていった。

 

 途中、馬鹿デカイ犬や二足歩行する兎とすれ違ったがそんな摩訶不思議な生き物も気にならないほど僕は落ち込んでいた。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

 階段を三つか四つ降りた時に聞こえた咆哮に僕は顔を勢いよく上げる。

 この咆哮は間違いなく僕と同じミノタウルス。人でくなったのなら、同族の仲間が欲しい。

 他にミノタウルスがいるなら、同族がいるのなら仲間になりたい。

 そんな思いから僕は咆哮のした方へ走った。真っ直ぐな通路を駆け抜け、横道を曲がる。そこには二匹のミノタウルスがいた。しかし

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

『ヴゥオッ⁉︎』

 

 片方のミノタウルスが石器時代に出てくるような石斧で、もう片方のミノタウルスの頭をカチ割っていた。

 

 

 …………えぇ。

 

 

 せっかく見つけた同族は殺し合っていた。仲間を見つけたという僕の希望は粉々に砕け散るのであった。

 

 いやいやいやいや、おかしいでしょ、なんで殺し合ってるの! えっ、ミノタウルスって、人から敵視され、同族でも敵視する種族なの⁉︎ ……だったら、最悪だ。

 

 とりあえず僕は物陰に隠れてミノタウルス達の行動を観察した。

 石斧持ちミノタウルスは頭を割られ即死したミノタウルスの胸部に腕を突き立て、何かを抜き取る。すると抜き取られたミノタウルスが灰になった。

 

 ………あれは宝石? いや、水晶か?

 

 ミノタウルスは抜き取った紫紺色の石を口に放り込んだ。——て、石を食うの⁉︎

 

 マジか。ミノタウルスの知られざる生態。主食は鉱石だった。……そんな訳ないか。そもそも生物の中にある時点で普通の石じゃない。

 紫紺石を抜き取られたミノタウルスが灰になったのを見る限り、あれが心臓みたいなものなんだろう。

 

 しかし、どちらにしろ食べ物にありつくには同族を殺さなければならないのか。ミノタウルス以外を襲うにしても戦闘は避けられないな。

 

 そんなことを考えていると背後の壁面に亀裂が走った。

 

『ヴォ?』

 

 脆くなっていたのかと振り向くと、壁面を破って(・・・・・・)ミノタウルスが現れた。

 

『ヴゥオッ‼︎⁇』

 

 あまりに現実離れした光景に僕は声を上げる。だって壁から怪物が這い出てくるなんて普通は思わない。

 襲われたら堪らないと僕は壁面か現れたミノタウルスから距離を取り、持ってきてしまった大剣で構えて威嚇する。

 

『ヴォ……?』

 

 しかし、壁面から現れたミノタウルスは何故警戒されているのか理解できないのか首をかしげる。そしてそのまま歩き始めた。

 

 襲ってこない? てっきり鉢合わせたら、即殺し合いかと思ったけど。腹が減ってないのか?

 

 と思っていたら、歩いて行ったミノタウルスは先にいた石斧持ちのミノタウルスに襲われた。

 

 ……あ、ひょっとしてあの石斧持ちミノタウルスが特別なだけで他のミノタウルスは同族を襲わないのか?

 だって殺されたミノタウルスは無警戒で近づいて、何で襲われたのかも分からないって顔——表情の変化が殆どないのに分かるのは僕がミノタウルスになったからか——してた。

 

 そうと分かればあの石斧持ちミノタウルスは排除だ。あのミノタウルスがなんで同族を襲うのか謎だけどあのまま生かしておくと僕も危険だ。だから、殺られる前に殺るしかない。

 

 僕は足音を立てないように石斧持ちミノタウルスにゆっくり近付く。幸い奴は死体から紫紺石を抜き取るのに夢中で背後から忍び寄る僕に気付かない。

 気付かれる事なく真後ろに立った僕は大剣を水平に構え——振り抜いた。

 

『ヴォオオッ‼︎』

 

 大剣は石斧持ちミノタウルスの首を綺麗に切断。少し遅れて首は地面に転がった。

 

『………?』

 

 石斧持ちミノタウルスは紫紺石を食うと大口を開けたまま何が起きたのか理解できず、その瞳から光が消えた。続けて首を失った胴体が倒れた。

 でも、僕はそれを気にもせず同族を斬った大剣を見つめていた。

 

 

 ——同族を殺しても罪悪感が湧かない。

 

 

 思えば上層で人を殴り飛ばした時も何も感じなかった。あの人は腕が折れ、血を吐き出すほどの重傷を負った。なのにあの時僕の中を埋めていたのは罪悪感でなく人を吹き飛ばせる剛力への疑問だった。あの人を心配する気持ちを欠片も抱いていなかった。

 

 これはつまり心まで怪物になっているってことか?

 

 それを証明するようにこの結論に至っても僕は平常心を保っている。怪物になっている時点でパニックになってもおかしくないのに平然としていられるのは人でないことが気にもならないほど怪物に染まっているからか。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

 その事実に僕は無意識に悲鳴のような咆哮を上げた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 咆哮を上げて落ち着いた僕はこれからの事を考えた。いくら叫んでも僕がミノタウルスということは変わらない。なら、いまどうするかを考えるべきだ。

 

 ……でも、どうすればいいんだ?

 

 ここは右も左も分からないどことも知れない暗い洞窟の中。何も思い浮かばないまま途方に暮れていると足元で光るモノに目がいった。

 

 足元を見るとそこにあったのは光を反射して輝く紫紺石。先程のミノタウルスが食おうとして石だらう。

 

 ——これって美味いのか?

 

 石斧持ちミノタウルスが何故、これに執着していたのか。考えられるのはこれが美味いぐらいしか理由が思い浮かばない。

 僕は試しにとその石を拾い、食べてみることにした。

 拾ったモノは食べてはいけないと教えられたけど、怪物になったいまは関係ないよね。

 どうでもいいことを考えながら、僕は紫紺石を口に入れた。

 

 

 ——瞬間、全身を漲るような刺激が流れ込んだ。

 

 

 美味いわけではない。そもそも味がない。だが、全身から漲る力。自分が無敵になったような感覚。

 力が溢れるような全能感。また紫紺石を食べたいと思ってしまう。あのミノタウルスが執着していたのも頷ける。理性ある僕でさえ抗い難いものがある。

 無意識に僕は首を斬り落としミノタウルスの胸部を引き裂き、内部にある紫紺石を取り出し、食らっていた。

 

『ヴウウウウッ……!』

 

 その紫紺石から流れ込んでくる力に僕は興奮した。先程の紫紺石の五倍以上はある力が溢れ出した。どうやら紫紺石は他の紫紺石を食べた怪物の方が純度が高いようだ。

 新しい発見だけど、そんなことはどうでもいい。いまはこの紫紺石をもっと食べたい。もっともっと欲しい!

 

 僕は欲求に任せるまま他の怪物を探すために洞窟を徘徊することにした。

 こうして僕の怪物生活が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ミノタウルス・強化種
推定Lv.3相当
到達階層:15階層(出現した階層)
装備
【大剣】
・冒険者が落とした大剣。
・実は中層進出を視野に入れて購入した業物。
・中層のモンスターにも通ずる武器。


補足
洞窟=ダンジョン
人間=冒険者
紫紺石=魔石
二足歩行の兎=アルミラージ
馬鹿デカイ犬=ヘルハウンド
石斧持ちミノタウルス=強化種


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話:疾風と猛牛

 あれから僕は様々な怪物と戦った。痛みに慣れていない現代っ子だった僕自身考えられないほど好戦的になってしまった。

 これも麻薬のような全能感を紫紺石のせいだ。この紫紺石欲しさに見境なく怪物を襲った。執拗に。貪欲に。

 

 集団戦を得意とする二足歩行の兎。

 口から火炎放射を吐くデカイ犬。

 顔がなく口だけが存在する巨大ミミズ。

 素早い動きで襲い掛かる大型の虎。

 そして牛頭人体の怪物ミノタウロス。

 

 戦闘の度に怪我を負いながらも怪物を倒して、紫紺石を貪った。気付けば、僕はこの辺りの怪物では負けなしなほど強くなった。

 それに装備も充実した。怪物は倒すと基本的に灰になるけど一部が残ることがあるんだ。それは爪、牙、角、毛皮と様々でゲームのモンスターを倒すとアイテムをドロップするみたいに。だから、僕はこれらを『ドロップアイテム』と呼んでいる。

 

 で、そのドロップアイテムのうち、爪とか牙は使い道がないから捨ててるが毛皮は使用している。

 怪物の毛皮なだけあり、普通の獣より丈夫だ。だから、僕は兎や虎の毛皮を着込んで防具にしている。

 おかげで外見は『猛牛』というよりモフモフの『バイソン』みたいになってしまった。

 そのせいか時折見かける人間達に『新種』、『亜種』だと騒がれることがある。

 

 そうそう、人間って言えば最近僕に喧嘩を売ってくる人達が増えた。なんでも僕に賞金がかかったらしい。

 こっちは自分から人を襲わず、攻撃してきたのを返り討ちにしていただけなのに酷い話だ。

 まぁ、あまり手応えはないから問題なく返り討ちにできる。ついでに防具とか拝借しようと考えたけど、二メートルの巨体なんてそうそういるはずもなく小さ過ぎて身につけるのは断念した。

 

 ただ装備が充実してもある階層から下には降りてない。だって、その階段の前に灰色の巨人が陣取って進めないんだよ。

 いろんな怪物と戦ったけど、あの巨人は別格だって一目で分かる。ゲームでいう中ボスみたいな存在だろう。

 ちょっと勝ち目がなさそうだったんで放置してたら、何か大規模な冒険隊みたいなのが来て巨人を瞬殺していった。……上には上がいるって実感したね。戦う相手は選ぼう。

 

 それはそれとして、僕はこれ幸いと灰色の巨人がいなくなった階層を降りることにした。巨人のせいで降りられない下の階層が気になっていたからね。

 そして目の前の光景に絶句した。

 

 

 ——神秘的か光景が広がっていた。

 

 

 空間は地下でありながら暖かな光がそそぎ、地面には静寂を帯びた森が広がる。至るところに点在する水晶が光を反射して森全体に淡い光で包んでいた。

 空を見上げればより幻想的な光景がある。階層の天井には無数の水晶が生え渡り、中心には太陽のように輝く白水晶。まるで水晶の大輪が咲いているようだ。

 

『フゥーッ、フゥーッ……!』

 

 あまりにも予想外な光景に僕は興奮した。しばらく薄暗い洞窟の中で生活していたから、その感動はより大きい。

 僕は時間を忘れたようにこの神秘的な景色に魅入ってしまった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 幻想的な光景から現実に戻ってきた僕は早速、この綺麗な階層を探索することにした。

 淡く発光する森は歩くだけで楽しい。ゴツゴツした岩肌しかない薄暗い洞窟の中で怪物と殺し合いしかしていなかった僕に安らぎも与えてくれる。

 やっぱり、人間——怪物にも息抜きは必要だ。

 

 何せ、この階層は上の階層とは何もかもが違う。目に付くもの全てが珍しい。

 森には地下には無いはずの色とりどりの果実があり美味しそうだ。試しに綿を蜂蜜に浸したような果実を食べてみたら吐き気を催すほど甘過ぎたけど。

 所々に上にはなかった湖もあり、思わず飛び込んでしまった。冷たくて気持ち良く怪物になってから一度も洗えてない汚れた体を洗えてサッパリした。

 あと地下なのに『街』があった。一際大きな湖畔とそこに浮かぶ大島。その大島に人間達は街を築き上げていた。橋を渡った先には門もあり、おそらく街の名前が書かれているんだろう。

 残念ながら日本語じゃないので読めない。でも、名前の隣に書かれてるのが数字だってのは何となく分かった。多分、『三百三十三』って書いてあるんだろうけどどういう意味だろう?

 しかし、人間の生き汚さには驚嘆するしかない。僕がいた階層でもそうとう深いだろうに、それより深く怪物が跋扈する場所に街をよく作ったものだ。

 街の中がどうなってるのか興味はあるけど、ミノタウロスが入ったら攻撃されるのは目に見えているので素通りすることにした。

 

 そうやって森の中を当てもなく歩いていると変な場所に出た。僅かに開けた空間と周囲を囲む木立と水晶。

 

 これは……墓場(・・)か?

 

 僕が見つけた場所はそうとしか表現できなかった。

 木を紐で結ばれ作られた十字架がいくつも並び、一つ一つに白い花が添えられている。それぞれに十字架を飾る装飾品や武器はその人達の遺品だろう。

 定期的に誰かが墓参りに来てるのか、森の奥にあるにも関わらず荒れた様子は一切ない。

 しばらく墓場を観察しているとあるモノが目に映る。

 

 それは十字架の一つに飾られた装飾品。見た目は何の変哲もない首飾り。ただその首飾りに埋め込まれた美しい宝石に惹きつけられた。

 宝石そのものに興味はないし、見向きもしなかっただろう。その宝石から紫紺石に似た力のようなものを感じなければ。

 

 おそらく何らかの力を宿したアイテムだ。戦った人間達が似たようなのを持ってたから、間違いないだろう。

 

 さて、どうしよう? 役に立つモノであるのは間違いないが、墓荒らしみたいなのは気が引ける。……でも、ゲームとかだとこういうのが後々大事になってくるんだよな。

 現実にゲームの話を持ち出してどうするって思うけど現実だからこそ手に入られるものは手に入れておくべきだと思う。命は一つ、セーブもコンティニューもできないなら何でも利用すべきだ。

 そう結論を出し、僕は装飾品を掴んだ。

 

 

「それに触るなああああああああああああああああああああッ‼︎」

『ブゥオッ⁉︎』

 

 

 瞬間、怒鳴り声が僕にそそがれた。

 慌てて声の聞こえた方に視線を向けると、凄まじい勢いで接近する影。

 疾風の如く駆け抜ける人影。フードを深く被り顔はよく見えないが、瞳には僕への激情が宿っていた。

 細身な体付きと胸の膨らみから女性であることが分かる。その覆面の女性は、僕が出会った人達の中で最も速く鋭い一太刀を見舞う。

 

 だが、僕も動作速度も負けてはいない。反射的に引き抜いた大剣で防ぐ。金属音を響かせ木刀を弾く。

 

「……やはり通常のミノタウロスとは違う」

 

 攻撃を防がれて警戒したのか、覆面の女性は距離をとり、こちらを睨みつける。

 

『ゥ、ヴォオ……⁉︎』

 

 その鋭い眼光に僕は怯える。いまさら眼光で僕は怯まない。殺気立つ人間達と何度も戦ってきたんだ。それくらいの肝は座る。

 僕が怯えたのは彼女の実力だ。いまの一太刀だけでも上の階層で戦ってきた人間とは比べものにならない身体能力。受け止めた大剣から伝わる痺れは僕に『痛撃』を与える威力を備えていると教えてくれる。

 人間も怪物も格下としか戦ったことのない僕は初めて死の恐怖を感じた。このままではいけない。戦わなければいけないと分かっていても恐怖を抑えきれない。

 

「ッああ!」

 

 動揺する僕をよそに覆面の女性は動いた。地を這うよいに走り、木刀を突き出す。狙いは左手。咄嗟のことで握ったままの首飾りを取り戻そうとする。

 動揺していようと攻撃されれば体は動く。木刀を躱し、反撃の大剣を見舞うが、覆面の女性は余裕を持って回避する。そして彼女は足を止めずに加速した。

 その速度は分身しているといって良いほど速く、僕を翻弄する。今度は右手以外も狙ってきた。

 僕が彼女を追い、左を向けば右腕に叩き込む。頭を庇えば脚を狙う。背後に気配を感じて振り返れば胸部を突かれた。彼女は巧みに死角から攻撃し、傷が増えていく。

 

 ——痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!

 

 防戦一方の僕は恐怖していた。彼女を捉えることができず、体中に痛みが走る。

 勝ち目がない。身体能力は拮抗しているが『技』も『駆け引き』も『経験』も覆面の女性が上。逃げようにも覆面の女性の疾風のような速さからは逃げられない。

 首飾りを返せば見逃してくれるか? 体が動かない。握り締めた拳を開けない。頭はフル回転してるのに体は恐怖に縛りつけられている。

 

 棒立ちしてる間にも三閃。両脚と大剣を握る右腕に木刀を叩き込まれた。

 

『……!』

 

 巨体を支える脚を打たれ、痛みに耐えきれず倒れる。更に大剣も落としてしまった。

 

 ……ああ、もう駄目かもしれない。

 

 両手両足は地につき、武器を手放し、僕の中に諦めが芽生え始めた。

 

 ——だって仕方ないだろう。こんな強い奴に敵うはずない。全身が痛みに悲鳴を上げてる。こんな苦痛は長く続けるより諦めて早く終わらせた方がいいに決まってる。

 足掻いても結果は目に見えてる。抵抗するだけ無駄だ。人間なら脅威に屈するのも仕方な——『人間』?

 

 この時、僕の中で違和感が生まれた。

 

 人——、人間——、ニンゲン(・・・・)——、誰が、僕が? そんな訳ないだろう。

 転がる大剣。剣身に映るのは二メートルの巨躯をした牛頭の怪物、ミノタウロス。

 

 ——そうだ。僕はもう人間じゃない。

 

 ——僕は怪物。人間に脅かされる存在じゃない。

 

 ——何故なら、怪物(ぼく)が人間を脅かす存在だから。

 

 自分の本質を自覚すれば恐怖は消えた。体も動く。痛みも感じない。

 さあ、教えてやろう。どちらが脅威(・・)であるかを。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

 この日、怪物(ぼく)は本当の意味で目覚めた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——空気が変わった。

 

 咆哮するミノタウロスにリューは思う。

 私が18階層に来たのは墓参りのためだ。かつて所属していた【ファミリア】の仲間が眠る場所。遺体は埋められなかったけど彼女達が好きだったこの階層(ばしょ)に墓を立てることにした。

 今日も墓参りにこの場所に訪れると——モフモフした塊がいた。

 正直、あれは何だと一瞬思考停止したほどだ。よくよく観察してみれば毛皮を被ったミノタウロスだと分かった。

 何が起こればあんなミノタウロスが生まれるのか見当もつかないが——そんな考えが吹き飛ぶ光景を目撃した。

 

 ——ミノタウロスが仲間の遺品に手を伸ばしている! ……ああ、それも彼女の。自分を【ファミリア】に誘ってくれた快活な少女に私があげたお守り。受け取ると笑顔で喜んでくれた思い出の品。

 

 そこまで考えた時には激情に任せてミノタウロスを攻撃していた。ただこのミノタウロスは、他のミノタウロスとは訳が違った。

 標準のミノタウロスはLv.2相当。だが、現在相対するミノタウロスはLv.4のリューに引けを取らない潜在能力(ポテンシャル)がある。

 加えて何重にも被る毛皮が衝撃を緩和し、ただでさえ強靭なミノタウロスをより強固にしている。リューの連撃にビクともしない防御力だ。

 だがあの防御力を貫くために魔法で撃滅する訳にはいかない。ミノタウルスの手には彼女のお守りがある。魔法ではお守りも消してしまう。

 幸いだったのが潜在能力(ポテンシャル)に反して動作が鈍いことだ。モンスターにありえないことだがまるで怯えたように動きが遅かった。

 そこからは一方的で、遂にミノタウロスは倒れた。だが、立ち上がったミノタウロスは先程までになかった殺気を放っている。

 

「ッッッ!」

 

 来る、と直感した瞬間。全力で右に跳んだ。一瞬後、私が立っていた地面は大剣によるフルパワーの振り下ろしによってクレーターを作り上げる。

 速い。先程の怠慢な動きが嘘のような『敏捷』。あの速度を乗せた怪力の一撃は当たればリューを絶命させる威力がある。

 ミノタウロスの攻勢は止まらない。彼我の距離を一歩で詰め、大剣を振り上げる。爆撃のような一撃をまた放つつもりだ。

 リューはさせまいと木刀の一太刀を頭部に見舞うが——ミノタウロスは怯まない。『下層』のモンスターさえ粉砕する一撃が効いてない。怪物生粋の打たれ強さに加え被った毛皮が衝撃を軽減する。先程までは何故か怯んでいたがこの程度は無意味とばかりに攻撃を続ける。

 ミノタウロスはそのまま大剣を振り下ろす。リューはそれを凝視する。一撃必殺を避け、カウンターの一撃を叩き込むためのタイミングを図る。

 そのために凝視していた大剣は凄まじい勢いで振り下ろされ——途中で止まった。

 

「……ッ⁉︎」

 

 避けるタイミングを図っていたリューは大剣に連動するように停止。その彼女の意識の外、左側から拳咆が迫る。

 

 ——フェイント!

 

 大剣を囮にした鉄拳の攻撃。気付いた時にはもう遅くリューは反応できずに直撃。彼女は宙を真横に飛び、木に叩きつけられた。

 

「ぎっっ!」

 

 それは致命的な一撃。華奢な彼女にあれに耐え切るだけの『耐久』補正がない。なんとか意識は保ったが足が震え、立つこともままならない。

 それでも彼女は立ち上がろうとするが絶望が迫るようにミノタウロスが歩み寄ってくる。

 

 ——まだ、まだ終われない。あのミノタウロスの手には未だ首飾りがある。あれを取り戻すまでは死ねない!

 

 不屈の意思で体に喝を入れ、迫る絶望を睨む。

 一歩、また一歩とミノタウロスは近づき、彼我の差が5M(メドル)に縮まった時——リューは弾かれるように前に出た。

 

 助走を付け、地を這うように風が走る。木刀を構え、渾身の刺突を放つ。狙いは胸部。全てのモンスターが持つ急所、魔石(・・)

 決死の一撃にミノタウロスは真正面から迎え撃った。筋肉を膨張させた正真正銘フルパワーの振り下ろし。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

 圧倒的な『力』に小細工は無意味。そう言わんばかりにミノタウロスは純粋な怪力で木刀を迎撃する。

 爆撃めいた一撃が地中を掘り返し、土砂もろともリューを上空に打ち上げた。振り抜かれた大剣もミノタウロスの怪力に耐えきれず砕け散る。

 

 ——ごめんなさい、アリーゼ。首飾り、取り戻せませんでした。

 

 頭から落下運動に入る中、リューは心の中で謝罪した。もう体に力が入らない。受身も取れない瀕死のこの身では即死だろうと他人事のように思いながら目を閉じた。

 

 しかし、感じたのは頭が潰れる衝撃でなく、優しく受け止められる温もりだった。

 

「ぇ……?」

 

 誰が、と思うのと同時に、その誰かはこの場は一匹(・・)しかいない考える。それはありえないと閉じた目を開けると

 

 ——眼前に牛頭があった。

 

 信じられない事に落下したリューをミノタウロスが受け止めたのだ。

 怪物が人を助ける。それが理解できず頭が空白になるリューを無視してミノタウロスはまたも予想外な行動をする。

 握られた左手を開く。掌には美しい宝石の埋め込まれた首飾り。握り締めていたとは思えないほど傷一つ付いていない。

 ミノタウロスは十字架の元に進み、首飾りを掛け直した。

 

「な、ぜ……?」

 

 その行動を理解できず、リューは疑問を投げ掛けるがミノタウロスは答えず、彼女を樹に背を預けるように下ろした。

 彼女を下ろしたミノタウロスはそのまま移動を開始、森の中へ姿を消した。

 

 

 ——貴方が何者だったのかはわからない。ですが、首飾りを返してくれたことには礼を言いましょう。

 

 

 見送ることしかできなかったリューは消耗した体を樹の幹に寄りかからせた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ……後味の悪い戦いだった。彼女はあの墓の関係者なんだろうね。それを僕が墓荒らしして首飾りを取ったから怒った。

 全部僕が悪い。戦ってるときは勢いで吹き飛ばしちゃったけど、罪悪感が湧いた。だから、覆面の女性は助けたし、首飾りも返した。——彼女が僕が怪物という自覚を与えてくれたお礼もある。

 それにしても大剣が駄目になってしまった。他の武器を探そうにも洞窟なんかにある訳ない。と考えていると武器のありそうな場所に心当たりがあった。

 確かこの階層に『街』があったよな……。

 

 名案を思い付いたと僕は手をポンッ叩く。その場所に向けて移動した。

 

 

 

 この日、『リヴィラの街』は強大なミノタウロスの襲撃により壊滅。翌日には三百三十四代目の街が築かれた。

 余談だが、何かを盗られたと喚く街の大頭(トップ)がいたとか。

 

 

 




ミノタウロス・強化種
推定Lv.4相当
到達階層:18階層
装備
【大剣】
・冒険者が落とした大剣。
・実は中層進出を視野に入れて購入した業物。
・中層のモンスターにも通ずる武器。
・【疾風】との戦闘で破壊された。
【毛皮の衣】
・毛皮を被っただけの服とも呼べない代物。
・何重にも着込んだ毛皮がクッションとなって損傷(ダメージ)を軽減する。
・材料にドロップアイテム『アルミラージの毛皮』と『ライガーファングの毛皮』を使用。

補足
顔がなく口だけが存在する巨大ミミズ=ダンジョン・ワーム
素早い動きで襲い掛かる大型の虎=ライガーファング
灰色の巨人=ゴライオス
大規模な冒険隊=【ロキ・ファミリア】遠征隊
綺麗な階層=18階層『迷宮の楽園』
街=リヴィラの街
覆面の人=リュー・リオン
街の大頭=ボールズ・エルダー


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話:樹海と猛牛

 

 あの覆面の女性と戦ってから数日——いや一週間? 太陽の光も届かない洞窟の中では時間の感覚が麻痺してくる。そんなことは置いといて彼女との戦いで力不足を痛感した僕は綺麗な階層の更に下の階層に降りることにした。

 色々な怪物と戦ってみて分かったけどどうやらこの洞窟は下に行けば行くほど怪物が強くなる傾向がある。つまり下層の怪物が持つ紫紺石を食べた方が効率良くパワーアップできるんだ。

 新しい大剣も奪——ゲフンゲフン、手に入れたので強い怪物とも戦えるだろう。僕は戦意を高揚させ下へ続く階段を降りた。

 

 

 

 ——結果から言うと大したことなかった。

 

 

 

 降りた階層は樹の中という表現がしっくりくる木肌に覆われていた。階層内には奇々怪界な植物が群生。上の階層とは違った形で目を楽しませてくれ、ジャングルのような場所を進むのは探検隊になった気分だ。

 ただ出現する怪物の力は大したことなかった。剣みたいな角を生やした鹿、巨体に似合わない速さの熊、その熊よりデカイ猪、二足歩行する甲虫、二メートルを超える太ったゴブリン、人型の蜥蜴リザードマンなど様々な怪物がいたが僕の敵ではなかった。

 むしろ、実力より警戒すべきは『毒』などのいままでいない攻撃をする怪物達だ。

 

 毒胞子を撒き散らす巨大茸を知らずに触った時は死ぬかと思った。この体は毒に強い抗体を持つのと解毒効果のある薬草を見つけられたので助かった。どうやらこの階層には回復効果や解毒効果のある薬草が多いようだ。

 他には空を飛ぶ怪物なんかも厄介だった。紅の大鳥は火炎放射を、巨大蜻蛉は弾丸で手が届かない上空から攻撃してくる。その時は拾った岩を力任せの投擲で撃墜した。

 慣れない攻撃に苦戦しながらも僕は順調に探検をしていた。

 

 あ、それから防具も新調した。というより新調せざるをえなかった。

 全長が人間並みにある巨大蜂に手を出したのがいけなかった。叩き斬った瞬間、壁面が吹き飛んだ。そして現れたとてつもなく巨大な『蜂の巣』。僕の四倍はあるだろう巨大な巣はネバネバしてくっつく粘液を吐き出して僕の毛皮に付着。そのまま取れなくなった。

 地面にくっついて身動きがとれなくなり、巨大蜂の大群が襲ってきたので毛皮は泣く泣く脱ぎ捨てた。……その後のことは正直、思い出したくない。

 倒せとども倒せとども飛来し続ける巨大蜂の大群。あの『蜂の巣』が巨大蜂を無尽蔵に産み出すと気付いたのは巨大蜂を百——、二百——、三百——数え切れないほど倒した後だった。

 毛皮は粘液で駄目になったけど、不幸中の幸いは巨大蜂が硬殻の『ドロップアイテム』をゴロゴロ落としてくれたことだ。

 この巨大蜂は僕が出会った怪物の中で一番硬い。これを使用すれば鎧が作れると思った僕は鎧——硬殻を繋ぎ合わせただけ——を作ってみた。少々形は歪になったが毛皮より遥かに防御力のある鎧が手に入ったので良しとしよう。 それに漆黒の鎧……カッコイイじゃないか。

 

 新装備を手に入れた僕はいま——

 

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

『——オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ⁉︎』

 

 

 十メートル以上もある竜を大剣で突き刺していた。

 

 数分前、探検中の僕はひときわ目立つ樹を発見した。それは果物の代わりに青や赤の美しい宝石が実るまさに金のなる樹だった。

 怪物の身では宝石なんて石ころと同じ価値しかないが、宝石が宿る樹そのものが摩訶不思議な光景なのでもっと近くで見ようと歩いた。そして根もとに体躯を寝かせている竜に襲われた。

 近づくだけなら平気だろうと思ったが、あの竜は宝石が宿る樹を守っていたらしい。近づく者は怪物・人間問わず襲うようだ。

 やはりファンタジーにおいて最強の生物とされる竜だけあり、その力は他の怪物とは一線を画す。

 圧倒的な身体能力と巨大な体躯で暴れられるのは脅威だ。でも、ハッキリ言って覆面の女性の方が強かった。

 素早い相手が苦手という相性の問題もあったが、彼女の『技』と『駆け引き』は怪物がすることのない既知外もので僕を苦しめた。

 対してこの竜は純粋な身体能力は覆面の女性より上だが、それだけ。戦闘経験を積んだ僕には大きな体躯など的でしかない。

 現にいまも大剣が吸い込まれるように竜の翼を斬りつけ、切断する。竜は地に落ちた。

 

『グオオオオオッ⁉︎』

 

 片翼を失い、血飛沫を飛ばす竜は怒り狂う。先程とは比べものにならない暴れっぷりを見せた。

 暴走する体躯を掻い潜り、僕は肉薄する。それを許すまじと竜は体躯を回転。

 長大な尾が渦を巻き、近付く全てを薙ぎ払おうとする。冒険者の上級武器にも劣らない凶悪な鈍器を僕は

 

『ゥウウウウウウウウウウウウウウウッ!』

『⁉︎』

 

 受け止める。その尾を片手で抱え込むように掴んだ。全身に力を入れ竜の尾を引っ張り、持ち上げる。

 

『……ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

 咆哮を上げる。次には、ねじれる僕の上半身の動き合わせ、竜か地から浮かび上がった。

 そのまま僕は回転を始める。尾を掴まれた竜も鉄球投げのごとく振り回された。

 

『ァ、ァァアアアアアアアアアッ⁉︎』

 

 竜が悲鳴を上げる。僕は構いもせず仕上げとばかりに宝石が宿る樹に竜を叩きつけた。

 叩きつけられた竜が口から血を吐き、地に倒れこんだ。竜を受け止めた宝石が宿る樹もメキメキと嫌な亀裂音を奏で、轟然と倒壊する。

 僕は体躯を倒れ伏した竜に急接近し、首を狙って大剣を見舞った。

 長い竜の首を切断する。

 竜は負けたことが信じられないと緑眼を見開き、絶命した。

 

 ふぅ。中々の強敵だった。歯応えのない怪物ばかりだったから、いい運動になった。

 では、さっそく食事にしよう。僕は竜の死体に手を突っ込み、紫紺石を取り出す。心臓部を抜かれた死体が灰になった。

 紫紺石を口に放り込み、咀嚼する。そして全身を駆け巡る力の奔流。

 

 

 ——ああ〜、堪らない。このなんとも言えない全能感。病み付きだよ。

 

 

 強かった分、大幅に強化されているようだ。力が漲る。

 満足した僕は意気揚々と次の獲物を探そうとし、ある事に気付いた。

 周囲を見渡す。一面の植物群。どうやら勘違いではないらしい。

 

 

……ここ、どこ?

 

 

 僕は迷子になっていた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

『ブォ……』

 

 僕は目の前に生える宝石が宿る樹——戦闘後しばらくして再生した——にため息を吐く。三日前に発見したあの樹だ。つまりまた同じ場所に戻ってきてしまった。

 最初の一日は楽観していた。二日目は不安になった。三日目でヤバイと思った。この三日間、僕は階層内をグルグルと回っている。

 

……正直ヤバイ。完全に方向感覚が狂ってしまった。道を聞こうにも怪物にそんな知能はなく、そもそも何言ってるか分からない。かと言って人間に聞くこともできない。手詰まりである。

 

 半ば諦めかけていると——運命は僕を見放さなかったらしい。

 階段を求めて彷徨っていると人影が現れた。

 背は高い。ミノタウルスの僕と比べれば明らかに小さいが、長身と言っていい背丈はある。長い外套を被った人物が正面に立った。歩き方から多分、女性と推測する。

 

「……」

『……』

 

 外套の人物は何も言わない。フードを深く被り、表情を伺うこともできない。僕と対峙して攻撃や逃走しないのは変な人間——人間(・・)

 僕は自分で思ったことに疑問を覚える。外套なんて怪物は身に付けない。ならば必然的にアレは人間のはずだ。ただ人より優れた嗅覚が、アレは人間以外のモノだと教えてくれる。この匂いは僕と同じ——

 

「——貴方ハ同胞?」

 

 問われた事に驚愕する。僕が辿り着いた答え。それが正しければ彼女は人間の言葉を喋れないはず。そして彼女が言った『同胞』という言葉。

 

「返事はなシ……喋れなイ、それとモ言葉ヲ理解できないのでしょうカ?」

 

 察した正体に絶句する僕に構わず、彼女は呟く。

 

「……私ヲ見ても襲ってこなイ。でも、貴方モ他ノモンスターに襲われてイない。判断ニ困りまス」

 

 何やら困惑しているようだが、それは僕だって同じだ。僕みたいな、それも喋れる存在がいたことに困惑を隠せない。彼女も転生を? それとも別の理由で? 答えを聞こうにも僕は喋れないからどうしようもない。

 

「答えハでませんネ。いマは保留としテおきましょウ。貴方ハ強いかラ冒険者二遅れをとることモないでしょうシ」

 

 勝手に結論出したよ、彼女。まあ答えがでないのはお互いだ。それより僕は現状において一番知らなければならないことがある。

 指を上に指す。彼女に何とか意思を伝えようとする。

 

「……?」

『ヴォ、ヴゥオッ』

 

 何度も腕を上に向け、上層。上に登る階段がどこかを教えて貰おうと努力する。腕で上を指したり、身振り手振りのジェスチャーを行う。……筋肉隆々なミノタウロスがこんなことしてるのはかなりシュールだと思う。

 

「……もしかしテ、上ノ階層二行きたいのですカ?」

 

 必死の演技が通用したようで彼女が問う。僕は勢いよく頷いた。

 

「……………言葉ヲ理解できル。やはリ異端児(ゼノス)なのでハ? いえでモ同胞ノ匂いがしなイ。う〜ム……」

 

 疑問に思いながらも彼女は階段のある方角を教えてくれた。そして、両膝を深く折って屈んだ瞬間——彼女は跳んだ。

 高い動体視力のおかげで目で追うことができた。鳥のように軽やかに、僕が跳んでも到達できないほど大跳躍。彼女はそのまま上空にある横穴に姿を消してしまう。

 そして僕は見た。跳ぶ瞬間に見えた外套の下、彼女に人の腕の代わりに翼が生えているのを。ひらひらと舞い落ちる金色の羽根が錯覚でないと証明してくれる。

 

 

 

 やっぱり彼女は僕と同じ——『怪物』だ。

 

 

 

 彼女がどんな存在なのか気になったが、それはまた巡り会ったときに教えて貰おう。僕は彼女に教えられた方向へと歩き出した。

 

 




ミノタウロス・強化種
推定Lv.5相当
到達階層:24階層
装備
【大剣・二代目】
・『リヴィラの街』で入手した大剣。
・武器狂(ボールズ)が集めた逸品。
・【Hφαιστοs】のログが刻まれた第二級武装。
・強奪品のため固有名不明。
【黒蜂の鎧】
・硬殻を紐で繋いだだけの簡素な鎧。
・第三級冒険者の攻撃を防ぐ防御力がある。
・材料にドロップアイテム『デッドリー・ホーネットの強殻』を使用。
・ズバ抜けた『耐久』を誇る彼には無用の長物。

補足
樹の中のような階層=19〜24階層『大樹の迷宮』
剣みたいな角を生やした鹿=ソードスタッグ
巨体に似合わない速さの熊=バクベアー
バクベアーよりデカイ猪=バトルボア
二足歩行する甲虫=マッドビートル
二メートルを超える太ったゴブリン=ボブ・ゴブリン
毒胞子を撒き散らす巨大茸=ダーク・ファンガス
紅の大鳥=ファイアーバード
巨大蜻蛉=ガン・リベルラ
全長が人間並みにある巨大蜂=デッドリー・ホーネット
巨大な『蜂の巣』=ブラッディー・ハイヴ
十メートル以上もある竜=木竜(グリーンドラゴン)
宝石が宿る樹=宝石樹
外套の人物=歌人鳥(セイレーン)のレイ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話:逃走と猛牛

 

 

 怪物の女性に上への階段を教えて貰った僕は階段をいくつか登り、綺麗な階層まで戻った。でも、そこに留まることなく更に上に登る。

 実は灰色の巨人に戦いを挑もうと思っている。あの辺りで唯一戦ってなく、一番強いのはあの巨人で間違いない。

 まだ未熟だった時は冒険隊に討伐され、戦う機会がなかったが他の怪物同様、壁から産まれ落ちてると思う。

 いまの僕は武器も防具もより強力なモノを手に入れている。勝機は十分ある。

 何より、巨人から取れる紫紺石のことを考えると涎が出る。あの巨人は他の怪物より上質な紫紺石を持っていると僕の食欲が告げている。

 

 という訳で僕は装備も万全な状態になったので灰色の巨人に挑もうと階層を上がったけど——いなかった。

 灰色の巨人は綺麗な階層の階段前に陣取っていたはずだが見当たらない。ひょっとしたらあれは特別な怪物だから産まれ落ちてるまでの期間が長いのか、別の誰かに討伐されたか。戦闘痕がないから前者だな。

 

 肩透かしをくらった僕はここに居ても仕方ないので上に登ることにした。

 なんか同族(ミノタウロス)の大群がいたが襲う気にもなれず素通りして階段を登り始めた。すると後方からミノタウロスの咆哮が響く。人間がミノタウロスと接触したのかな?

 あの大群相手では人間側は死んだな、と同時に人間の遺品から使えそうなモノがあれば貰おうと考え、階段を降り、大広間に戻ったんだけど。

 

 

 ……何、この状況?

 

 

「——蹴り殺してやるぜええええええええええええええええッ‼︎」

「うるさいわよッ、バカ狼! 次はどいつだああああああああッ‼︎」

「ティオネもうるさいじゃん! とりゃあぁ——ッ!」

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ⁉︎』

 

 ミノタウロスの大群相手に人間達が無双していた。特に先頭で暴れる狼の青年と褐色の姉妹の暴れっぷりは凄まじい。

 ミノタウロスが吹けば飛ぶようにポンポンと宙を舞っている。どっちが怪物かって話だよ。

 でも、実際問題これはマズイ。あの三人は僕と同等かそれ以上の怪物だ。他の人達も強いし、後方に待機してるのはもっと強いのかも知れない。

 勝ち目はないと判断し、来た道を戻ろうとすると

 

「あっ、なんか鎧着たミノタウロスがいる! あたしが貰うねッ!」

 

 褐色の姉妹の片割れに気付かれてしまった。しかも口振りから僕をスコア程度にしか思ってない。

 それだけ彼女は強さに自信があるのかもしれないけど——気に入らないな。僕だって強いんだよ?

 

「うりゃあぁ——ッ!」

 

 一瞬で距離を詰めた褐色の少女が振りかぶった拳を僕に叩き付ける。その渾身の拳撃を——僕は片手で受け止めた。

 

「…………あれ?」

 

 遥か格下のミノタウロスに受け止められるなど欠片も思っていなかったのだろう。褐色の少女は戦闘中ということも忘れ呆然とする。

 

 

 ——そしてそんな致命的な隙を見逃すほど僕は甘くない。

 

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

「——ッ⁉︎」

 

 猛牛の咆哮を響かせ、今度はこちらが渾身の鉄拳を見舞う。褐色の少女は受け身をとることもできずに直撃。そのまま遥か後方、静観していた人達を通り抜けて壁面に激突し、停止した。彼女はモロに食らった打撃に耐えられず気絶したのか、起き上がることはなかった。

 

「「「……」」」

 

 信じられない光景に人間達は硬直した。

 彼は知りえないことだが、いま吹き飛ばした少女の名は『ティオナ・ヒリュテ』。

 二大派閥の一角【ロキ・ファミリア】を代表するLv.5の第一級冒険者である。本来Lv.2にカテゴライズされるモンスター『ミノタウロス』では百匹の群れで挑もうと蹂躙されるだけの英雄(かいぶつ)だ。

 その彼女が一撃で吹き飛ばされた。その事実が【ロキ・ファミリア】に与えた衝撃は計り知れなかった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

「嘘……」

「ティオナさんが……」

「……負けた」

 

 第一級冒険者が負けた。その事実に団員達の中に不安が広がる。

 実は【ロキ・ファミリア】は未到達階層を目指していたが異常事態(イレギュラー)なモンスターの襲撃に遭い、物資と武器の殆どを失って遠征を断念。帰還する途中だった。

 そこにまたも異常事態(イレギュラー)なモンスター。先の戦闘では死者こそ出なかったものの多くの負傷者を出した。同じようなことが起こるのではないかと彼らは恐怖した。

 

「——落ち着けッ!」

「「「——ッ」」」

 

 しかし、よく響き勇気ある声が彼らの不安を吹き飛ばした。声を張り上げたのは金髪の小人族(パルゥム)『フィン・ディムナ』。

 体は小さいが全団員から信頼される勇気と力を持った【ロキ・ファミリア】団長。彼の一言はパニックになりかけた彼らを落ち着かせるには十分だった。

 

「リヴェリア、ティオナの介護を。重傷なら回復魔法を頼む」

「ああ」

「アイズ、ベート、ティオネは鎧を装備したミノタウロスを! 他の団員は決して近くな!」

「「「了解!」」」

 

 次々と出される指示に団員達は素早く動いた。あの異常なミノタウロスは第一級冒険者が三人がかりで抑え、他のミノタウロスは団員達が仕留める。彼らは下っ端といえど通常のミノタウロスに遅れをとることはない。

 

「最後の最後に変なモンスターに出会したのう」

「そうだね、ガレス。あれはおそらく、『強化種』だ」

 

 近くにいたドワーフの呟きにフィンは答える。

 

 『強化種』。同族を殺し、『魔石』を取り込むことで能力を上げるモンスターの総称。

 別のモンスターの『魔石』を摂取したモンスターは能力が飛躍的に上昇する。そして力の全能感に酔いしれ、ひたすら同族の『魔石』を食い漁るようになる。文字通り弱肉強食の法則によって力を引き伸ばすのだ。

 

「多分、ボールズが言ってた『略奪のミノタウロス』はアレのことだろうね」

「聞いた話ではLv.4相当という話だったが……ティオナを吹き飛ばす『力』から見るにLv.5相当に強化されたようじゃ」

 

 『略奪のミノタウロス』。それは『リヴィラの街』に襲来した『異常事態(イレギュラー)』。

 最初は15階層に出現するミノタウロスが12階層に進出するという異常事態(イレギュラー)だったが、後に『リヴィラの街』を襲った時にはギルドの推定Lv.を遥かに超える強さを見せつけ強化種であると断定。更に冒険者の大剣を略奪して自分の武器にするという高い知能を見せた。そのため付けられた二つ名が『略奪のミノタウロス』。

 

 ギルドは即座に『略奪のミノタウロス』を賞金首(バウンティ・モンスター)にして討伐を呼び掛けたが——残念ながら【ロキ・ファミリア】が遠征中に討伐されることなく強くなり続けていたようだ。

 

「確かにあそこまで強くなり、武器の使い方まで覚えていたのは驚いたけどアイズ達なら問題ない」

 

 フィンは見つめる先、『略奪のミノタウロス』が大剣を抜き、構えるのを見て呟く。

 熟練者であるフィンから見ればまだまだ素人の域だが、理性なきモンスターが剣術を覚えている時点でおかしいのだ。

 だが、それは何の問題もない。アイズ達、第一級冒険者は技術も実力もある。敵が能力(ステイタス)で上回り、少し『技』を覚えていようと倒せる。

 ティオナも完全な不意打ちでなければ気絶しなかっだろうし、主武器(ウガル)が健在だったのなら、最初の一撃で仕留めていたかもしれない。

 

「そうじゃな。あの三人が負けることはないじゃろう」

 

 ガレスもフィン同様、彼らの勝利を確信していた。

 

 

 ——ただ一つ。彼らに誤算があるとすれば『略奪のミノタウロス』を知らなかったことだろう。知能が高くとも所詮はモンスター。ならば絶対に襲いかかってくるはすだと。

 彼の中身が自分達と変わらない理性と知性を持った人だったなど夢にも思わない。

 だから、彼の次の行動が読めなかった。

 

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎‼︎』

 

 

 彼がまずしたのは『咆哮(ハウル)』。

 生物の心と体を『恐怖』で縛り付ける威嚇。Lv.5相当の『略奪のミノタウロス』の雄叫びは凄まじいが、同格のアイズ達を縛るには至らない。

 だが、彼の狙いはアイズ達ではない。アイズ達には効かなくとも下っ端である団員は耐えれない。

 彼らはなす術もなく強制停止(リストレイト)に追い込まれてしまう。すかさず『略奪のミノタウロス』は第二声を放つ。

 

『ゥウウウウウウウウウウウウウウウッ!』

 

 次は咆哮ではないただの唸り声。アイズ達に対して何の意味もない行動。冒険者に対して意味のない声(・・・・・・・・・・・・・)。では、この場にいる多数のミノタウロスにはどう聞こえたのか?

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ⁉︎』

 

 ミノタウロスが集団逃走を開始した。彼の唸り声を合図にするように逃げ出したのだ。

 

「ええっ⁉︎」

「お、おいっ⁉︎ てめえ等、モンスターだろ⁉︎」

 

 その光景にティオネとベートは驚愕する。アイズも金色の双峰を見開いた。

 その隙を見逃す『略奪のミノタウロス』も逃走を開始。Lv.5相当の『敏捷(あし))で疾走し、瞬く間に先頭に躍り出た彼は猛牛の群れを先導するように走り出す。

 

「追え、お前達!」

 

 動揺を抑えたリヴェリアの号令が飛ぶ。

 だが、逃走するミノタウロスを追おうにも大多数の団員は未だに硬直状態にある。

 動ける極一部が追跡を開始するが、『略奪のミノタウロス』はあろうこうと16階層に続く階段を駆け上がり、猛牛の群れもそれに続いて上層に消えていった。

 

「ちょっと、そっちは⁉︎」

「面倒な予感しかしねえぞ……⁉︎」

「あの『略奪のミノタウロス』、これを狙って……?」

「だとしたらタチが悪いのう!」

 

アイズ達は死にも狂いでミノタウロスを追いかけていった。

 

 

 

 

 




補足
狼の青年=ベート・ローガ
褐色の姉妹=ティオナ&ティオネ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話:邂逅と猛牛

5邂逅と猛牛

 

 一階層に、更に一階層、もう一階層——『略奪のミノタウロス』率いる猛牛の群れの暴走は破竹の勢いで続いた。

 まるで道筋を覚えているように12階層まで先頭の猛牛のが最短ルートを突っ切り、そのまま『中層』を抜けて『上層』へ進出。

 途中、撹乱するように各階層に数匹のミノタウロスが散り散りになったは彼の策略だったのかもしれない。

 ただでさえ少人数で追跡していた【ロキ・ファミリア】は討伐の為に分散するしかなく、追跡は困難を極めた。

 

 

 ——そして先頭にいた『略奪のミノタウロス』をアイズ達は見失ってしまった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ……ここまで来れば大丈夫そうだね。

 

 階段を十以上登り、追撃を振り切った僕は物陰に隠れて息を潜めていた。

 隠れて十分くらいはたっただろうか、あの怖い人達がくる様子はない。どうやら逃げおおせたらしい。

 

 それにしても何であんな化け物みたいに強い連中が徒党を組んでんだよ。ゲームとかだと中ボス、ラスボスは一体とかだろう。

 

 そんな愚痴を内心で零しながら、物陰から出ると

 

「あっ」

『ブォ?』

 

 白髪の少年に出くわした。どうやら強い気配にばかり気を取られて、弱い気配に気付けなかったようだ。てか、どうしよう?

 

「……」

『……』

 

 人と怪物。予想外の事態に両者は思考が停止し、見つめ合う。そして少年の方が先に我に返った。

 

「ほぁあああああああああああああああああああああああっ⁉︎」

 

 ——叫ぶな馬鹿あああああああああああああああああああっ!

 

 折角逃げ切ったのにこんな悲鳴を上げられたら、見つかってしまう。僕は少年の口を塞ごうと手を伸ばすが——それより速く疾風が迫った。

 

『ヴゥッッ!』

「……!」

 

 防げたのは獣の勘、いや奇跡だった。咄嗟に盾のように構えた大剣が僕へ見舞われようとしていたサーベルを弾いた。しかし、代償として大剣に亀裂が入る。

 追ってきたのは金髪の剣士。名前は……なんて呼ばれてたっけ? まぁ、金髪の剣士でいいか。

 なんてどうでもいいことを考えていると少女は斬りかかってきた。僕はサーベルと真っ向から打ち合わず、攻撃の軌道をずらように大剣を振るう。

 さっき一撃防いだだけで大剣には亀裂が入った。見た目は細く脆そうなサーベルだが武器の質は間違いなく向こうが上。まともに打ち合えば折れてしまう。

 だから、僕は大剣を攻撃に使わず防御に回した。向かってくるサーベルに対し、側面を狙う。

 攻撃の軌道をずらし、受け流す。その僅かに生じた隙に反撃の剛腕を振るい回す。

 

「……っ!」

 

 流石にこんな戦法を取る怪物と対峙したことがないのか少女も戦い辛そうにしてる。

 一流の剣士である彼女にとって僕の拙い技など大した障害にはならない。せいぜい牽制になる程度。実際に何度も防御を掻い潜り、身に付けた鎧を簡単に斬り裂かれていく。

 

『ゥウウウウウウウウウウウウウウウッ!』

 

 でも僕は構わず猛攻を仕掛ける。傷つくくらいではもう怯まない。

 彼女は攻めきれない。防御をすり抜けようと、鎧を斬ろうと、サーベルは僕の体を浅く斬るだけ。かすり傷しか与えられない。

 

 ——僕の体、というよりミノタウロスの体がそもそも断ちにくい。ミノタウロスという種族は強靭かつ過剰なまで重なった筋繊維がぶ厚いゴムの役割を果たし、半端な攻撃は通じない。

 加えて紫紺石を大量に食らった僕は大幅にパワーアップしており、他のミノタウロスとは比べものにならない怪力と耐久力を誇る。

 金髪の少女が強くても簡単には斬れない。でも、このままだどジリ貧。だから、僕は攻撃に出た。

 

『ヴゥムゥンッ‼︎』

 

 蹄による踏み込み。足に力を込め、彼我の距離を一瞬で縮める突進。

 カウンターとして二、三撃は貰うだろうが『怪物』生粋の打たれ強さと強靭さを持つ僕なら耐えられる。

 そして捕まえれば彼女より遥かに怪力な僕の勝ちだ。

 

 実際に掴みかかると彼女の剣撃が胴体、両腕、首と予想より多い四箇所を深く斬られ血を流すが許容範囲だ。こんな軽傷はしばらくすれば完治する。

 概ね僕の予想通りになり、あと少しで彼女の肩を掴もうとして——大剣を真横に構えた。

 

 瞬間、凄まじい衝撃が大剣越しに伝わる。元々亀裂の入っていた大剣は耐久力の限界を超え——砕け散る。

 

 衝撃の正体は金属製のブーツを装備した蹴り。どうやらあの僅かな攻防の間に彼女の仲間が合流したらしい。

 

「——吹き飛びやがれええええええええええええええええッ‼︎」

 

 駆け付けたのは狼の青年だった。攻撃を防がれた彼は即座に体を回転させ反対の足で振り下ろすような蹴りを放つ。僕も負けじと腕を交差させ、強烈な蹴りを受け止めた。

 

「ちぃっ!」

『ヴォ……!』

 

 足を押し返そうと力を込めると腕の隙間からサーベルの刺突が繰り出された。両腕で蹴りを受け止めているので防げず、蹄が地面に食い込むほど踏ん張っているので避けることもできない。

 サーベルは吸い込まれるように僕の片目を貫いた。

 

 

『ヴゥ、ヴゥモオオオオオオオオオオォ——⁉︎』

 

 

 一瞬遅れてやってきた激痛に僕は絶叫を上げた。ミノタウロスになって一番の痛みにのたうち回る。

 

「よくやったアイズ! 畳み掛けるぞ!」

「うん……!」

 

 好機と見た二人が容赦なく攻めかかる。迎撃しようにも痛みに動きが鈍り、剣撃や蹴撃をモロに食らってしまう。

 

 ——マズイ、マズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイ‼︎ このままだと殺される! でも、この窮地を打破する方法があるのか⁉︎

 

 激痛で体は鈍り、片目が潰されたことで視界半減、この二人に硬殻の防具は何の意味も成さず大半が砕かれ、大剣も破壊された。

 ……無理だ。詰んでる。逃げようにも敵二人の方が早いから逃げ切れない。さっきみたいに囮が必要だ。

 僕は死ぬのか? こんな暗い洞窟の中で。ここがどこかも分からずに。ただ一匹の怪物として。

 

 

 ——いやだ! まだ終わりたくない! 僕はまだ何も成していない!

 

『シ———』

 

 無意識に僕は口を動かしていた。心の底からいまの想いを。終わってたまるかという気持ちを。

 

『シネ——』

「え……」

「何だ?」

 

 何事か口ずさむ僕に二人は訝しむ。いまはそんな彼らの事も気にならずに自分の激情をブチまけた。

 

『死ネルカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼︎』

「モンスターが……!」

「喋りやがったぁっ⁉︎」

 

 咆哮や鳴き声しか出せないはずの怪物。それが明確な言葉をしたことに狼の青年と金髪の剣士は驚愕する。後ろで恐怖に震えていた白髪の少年も双峰を見開いている。

 だが、言葉を話せたからと言って何だというのか。戦闘能力が向上するわけでも、逃げ足が速くなるわけでもない。この場ではまったくの無意味だ。ただ——

 

 

 壁面——左右及び彼らの背後——全てに亀裂が走った(・・・・・・)

 

 

 偶然か、はたまた我が子を想う迷宮の意思か。それともここが袋小路だったからか。彼の窮地を救うようにそれは起こった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

「嘘だろ、ここは5階層だぞ!」

「それにこのタイミングで……!」

「え、ええ、何これ⁉︎」

 

 壁面全てに亀裂が走る。この現象に熟練の冒険者二人は覚えがあり、初心者の少年は何が起きているのか分からずに狼狽えていた。

 壁面に亀裂が走るのは前触れ。モンスターが迷宮より産まれ落ちようしている。それも全壁面という大規模に。

 

 『怪物の宴(モンスター・パーティー)』。突発的なモンスターの大量発生。通路口方向を除くコの字型の包囲網。逃げ場のない悪辣な迷宮の陥穽(ダンジョン・ギミック)。本来は10階層以下でしか起きない現象。

 それは問題ではない。ここはダンジョン5階層。出現するモンスターは『ゴブリン』などの雑魚中の雑魚と呼ばれるモンスターばかりだ。

 アイズ達第一級冒険者なら片手間に一掃できる。だが、その片手間といえる時間さえ目の前の猛牛に与える訳にはいかない。

 戦ってみてわかった。このミノタウロスの潜在能力(ポテンシャル)は自分達と同じLv.5に届く。更に『力』と『耐久』に特化したモンスターなだけありその二つだけなら完璧にアイズやベートの上を行く。

 加えて他のミノタウロスを先導し、武器を扱うなど何を仕出かすか予想ができない。

 ここで確実に仕留めなければ途方もない脅威になると冒険者の勘が告げていた。

 だが、無情にもダンジョンは待たない。不快な産声を響かせながら、百近いゴブリンが壁面を破って現れる。

 産まれ落ちるのと連動するように『略奪のミノタウロス』も動き出す。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 『略奪のミノタウロス』はゴブリンの一匹を掴み——力任せに投擲した。豪速球と化したゴブリンが投擲された先には白髪の少年。彼はアイズ達にとって急所ともいえるべき少年を標的にした。

 

「……!」

 

 すぐざまアイズが投擲されたゴブリンを斬り刻み、少年を庇うように立つ。彼ではゴブリンの群れに対処できず蹂躙されると判断したからだ。

 

「アイズ、その雑魚を守ってろ!」

「でも……!」

「言う通りにしろ!」

 

 ベートの有無を許さない迫力にアイズは頷き、四方八方から襲い掛かるゴブリンを瞬殺していく。

 そしてベートも『略奪のミノタウロス』との戦闘を再開した。

 【ロキ・ファミリア】随一の俊足を活かして『略奪のミノタウロス』を翻弄。群がるゴブリンを踏み抜きながら、蹴撃を叩き込む。

 『略奪のミノタウロス』も防御を捨て強靭さにものを言わせた捨て身の攻撃に切り替えた。

 いくら蹴撃を叩き込もうと猛牛は怯まず、猛牛はベートを捉えられず剛腕は空振りに終わる。

 両者は対極の戦闘スタイルをしている故に互いに決め手に欠けていた。

 『スキル』の恩恵もありLv.6のフィン達より僅かに速いベートに猛牛は追いつけずに必殺の剛腕を当てられない。

 『耐久』に特化した防御力がLv.6に匹敵する猛牛にベートの蹴撃が有効たりえない。

 なまじ実力が拮抗している両者では中々決着がつかない。だが、拮抗状態が続けば不利なのは『略奪のミノタウロス』だ。

 いまは少年をゴブリンから守るために動けないアイズだが、彼女の実力なら一分もすればゴブリンを全滅させるだろう。そうなればまた二対一となり敗北は必須。

 

 ゆえに『略奪のミノタウロス』は勝負に出た。近くにいたゴブリンの頭を掴み——握り潰す。

 

『ゥウウウウウウウウウウウウウウウッ!』

「ぶわぁっ、てめえッ‼︎」

 

 握り潰したことで手に付着したゴブリンの血肉をベートの顔面目掛けて投げ付け、見事に命中。目潰しである。

 

 卑怯——とベートは思わない。命懸けの戦いだ。怪物が勝つ為に最善を尽くしているだけに過ぎない。

 

 顔にべっとり着いた血肉にベートが視界が塞がれ、一瞬だけ動きが止まった。それを『略奪のミノタウロス』は見逃さない。

 猛牛は両手を地面に叩き付け、踏み締めた(・・・・・)。ミノタウロスの突撃姿勢。己の角を用いて全てを粉砕してのける強力無比なラッシュだ。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

「————がぁッッ」

 

 ベートにラッシュが直撃。双角が腹に食い込み、そのまま壁面に彼を叩き付けた。轟音を響かせベートの体が壁面にめり込む。

 腹部に風穴を開けられ、大型モンスターと壁面に挟まれた衝撃にベートは白目を向き、全身から力が抜ける。

 

「ベートさん……!」

 

 それを目にしたアイズが悲鳴上げるように彼の名前を呼ぶが返事はない。代わりに『略奪のミノタウロス』が反応し、またもゴブリンを彼女に投擲した。

 

「……!」

 

 アイズは愛剣で斬り刻もうとするが、『略奪のミノタウロス』は次の行動に出た。

 半ばから折れた大剣。もはや使い物にならなくなった武器を猛牛は渾身の力で投擲した。

 投擲した大剣は前方を飛ぶゴブリンに命中。衝撃に耐え切れずゴブリンは炸裂し、血飛沫を盛大にブチまけた。

 

「……っ」

「うわっ⁉︎」

 

 四方に飛び散る血を全身に浴びたアイズと少年は顔をしかめる。

 その隙に『略奪のミノタウロス』は背中を見せ、逃走をした。Lv.5相当の剛脚を解放し、その背は瞬く間に見えなくなる。

 直ぐにアイズは追おうとしたが踏み止まる。気絶したベートや怯えた少年を放置するわけにはいかない。もし、あの猛牛がそこまで理解して逃走したのなら、恐ろしいとアイズは思った。

 まずアイズは背後に庇っていた少年に声をかけた。

 

「……大丈夫ですか?」

「だっ——」

「だ?」

「だぁああああああああああああああああああああああああ⁉︎」

 

 少年は全速力でアイズから逃げ出した。先程逃げたミノタウロスに彷彿とさせる逃走っぷりである。

 アイズは呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 この日、第一級冒険者を撃破した『略奪のミノタウロス』は第一級の賞金首(バウンティ・モンスター)に格上げされ、Lv.5以下の冒険者には手出しせないようにギルドは告知した。

 また二つ名も装備品を殆ど失い他のミノタウルスと外見の区別がつかくなったので、【剣姫】が片目を潰したことから『隻眼のミノタウロス』に変更された。




『隻眼のミノタウロス』
推定Lv.5相当
到達階層:24階層
装備
【大剣・二代目】
・『リヴィラの街』で入手した大剣。
・武器狂(ボールズ)が集めた逸品。
・第二等級並の威力を持つ。
・強奪品のため固有名不明。
・ベートの蹴りに耐えきれず折れた。
【大蜂の鎧】
・硬殻を紐で繋いだだけの簡素な鎧。
・第三級冒険者の攻撃も防ぐ防御力がある。
・材料にドロップアイテム『デッドリー・ホーネットの強殻』を使用。
・ズバ抜けた『耐久』を誇る彼には無用の長物。
・アイズとベートの攻撃に耐えきれず全損。

補足
金髪の剣士=アイズ
白髪の少年=ベル


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話:瀑布と猛牛

 

 ——死ぬかと思った。

 

 あの滅茶苦茶強い人間達から逃げおおせた僕は一旦、樹の中のような階層に身を潜めた。そして追撃がないと判断した後、更に下の階層を目指すことにした。

 パワーアップした僕は強い。それこそ相手はなるのは灰色の巨人みたいな特別な怪物くらいで、人間に負けることはないと思った。

 その根拠のない自信は粉々に砕けた。今回は幸運にも恵まれ、何とか逃げれたが次もそうとは限らない。力が必要だ。どんな敵が来ても勝てる力が。そのためには上質な紫紺石を。

 膨大な紫紺石を食べて分かったことだけど、ある一定からパワーアップが微々たるものになった。おそらく質の低い紫紺石では強くなり過ぎた僕を強化できない。だから、上質な紫紺石を持つ強い怪物を求めて下の階層に降りる。

 

 それに装備も整えないと。先の戦いで僕は武器と防具の全てを損失した。

 防具は怪物を倒して得る『ドロップアイテム』でどうにかできる。ただ武器はどうしようもない。あの強い人間達がいるかもしれない街にはいま近づきなくない。かと言って他の怪物が使う棍棒や石斧は脆い。しばらくは素手で戦うことになりそうだ。

 体一つで未知の階層に降りるのは一抹の不安があるが強くなるためには多少のリスクは仕方ない。

 覚悟を決め、下の階層へ続く洞窟へ入った。

 

『——』

 

 次の階層へ続く洞窟。その先の『絶景』に心を奪われた。轟然と音を奏でる、凄まじいまでの大瀑布。

 どうどうと地響きにも似た音を何百メートルも離れた僕に届ける馬鹿デカイ滝を、目の当たりにした。

 

 幅は四百メートル、その倍はある高さから大質量の水が絶え間なく流れ落ちる。光を反射して緑玉蒼色(エメラルドブルー)に輝く滝は惚れ惚れとするほど美しい。

 何より凄いのは、崖から真下に広がるのは大きな滝壺。その滝壺から更に下へと瀑布が続いていること(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)だ。

 信じられないことにこの大瀑布は階段のように、滝が下の階層へ貫通していた。

 階層を貫く滝。上の階層てはありえなかった現象だ。綺麗な階層を見た時も打ち震えたが、この階層はそれにも勝るとも劣らない。

 

 ——それにしても『森』の次は『滝』か。つくづくこの巨大洞窟は常識外れな場所だ。

 

 階層毎に独特な環境をしているのも、壁面から怪物が産まれるのもありえない。もう慣れてしまい、考えたってわからないと思考を放棄。

 そして僕はこの水の階層の探索に乗り出した。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ……帰りたい。

 

 探索を開始してしばらく。僕は心が折れそうになっていた。

 あれだけ意気込んでおいてどうした、と思うだろうけど仕方ないんだ。

 

 美しい絶景に気を取られ忘れていた。この階層はヤバイ。ヤバ過ぎる。僕にとって天敵といえる環境をしていた。目の前の大瀑布。通路と並走する水流。この水に満ちた場所は僕が戦うには致命的だ。何故なら

 

 

 ——前世からのカナヅチ(・・・・)なんです。

 

 

 いまの発言に訝しげな表情をした人もいるでしょう。でも、本当なんです。人間だった頃から泳ぐ才能がからっきしで何度チャレンジしても溺れていた。

 だからと言って今世では泳げてもいいはずだと思うかもしれないが、この猛牛(からだ)を見て欲しい。——超重量級の筋肉の塊。

 

 

 ——泳げるかああああああああああああああああああああっ‼︎

 

 

 見てよ。この筋骨隆々なミノタウルスを! 無駄な脂肪など一切ない全身筋肉は浮かない! 足なんて蹄だよ、蹄! バタ足もできない! これでどう泳げと⁉︎

 

 ゼェ〜、ゼェ〜……申し訳ない、取り乱した。でも、どうしよう? 強くなると意気込んだ手前、帰りづらい。かと言って武者修業で溺死なんて笑えない。

 

 僕が頭を悩ませていると後ろから足音。それも複数。怪物……ではない。怪物はこんな隊列を組んだような規則正しい足音にならない。おそらく人間。人数は三、いや四人かな。

 いま僕がいるのは一本道。横道に逸れることもできず、背後に不安要素を抱えたまま進むのも避けたい。仕留めようと判断し——疑問に思った。

 

 人間達はどうやってこの水の階層を攻略しているんだ?

 

 人間は純陸上生物。猛牛(ぼく)よりは泳ぎは上手だろうけど水棲生物の形をした怪物には足元にも及ばないはず。ならば水中の怪物を倒す為の対策をしているはず。それを僕も使えないだろうか?

 

 可能性はある。僕は気配を消して人間達に近づいた。

 人間は四人。全員耳が長いからエルフかな。気付かれないように隠れて様子を伺うと会話が聞こえる。

 

「これから『下層』に入る。全員、『水精霊の護布(ウンディーネ・クロス)』は装備したな?」

「この美しい蒼色が見えないのか、ルヴィス」

「我々は何度も『下層』に攻略(アタック)している。この階層でこの護布が必需品なのは理解しているさ」

「これさえあれば水中活動の恩恵がある。水流に落ちても大丈夫だ」

「馬鹿を言うな。水棲のモンスター相手に恩恵など気休めにしかならぬと知っているだろう!」

「そう声を荒げるなルヴィス。場を和まそうとしただけだ。気を張りすぎるのはよくない」

 

 ふむふむ。『カソウ』とかよく分からない言葉があったが、つまりあの蒼色の布が人間達の水中対策か。

 蒼色の布は水の抵抗や水圧が低減し、素早く泳げるようになる。

 ……あれがあれば僕も泳げるようになるか? 少なくとも浮遊力ぐらいは得られる。

 

 ——そう判断した僕の行動は速かった。

 

 蹄にも関わらず無音かつ高速でエルフ達に接近。リーダーらしき男に裏拳を見舞う。完全な不意打ちに男の頭は胴体から離れ、大きく弧を描きながら地面に転がった。

 リーダーの体はその場に崩れ落ちる。あまりの早業にリーダーは何が起きたかも分からずに絶命した。

 

「え……?」

「ル、ルヴィス……」

 

 仲間も目の前の光景に思考が追いついていなかった。彼らからしたらいきなりルヴィスの首が飛び、背後にミノタウロスが立っていたのだ。

 

「な、何で『下層』にミノタウロスが!」

「いいから殺れ‼︎」

「待て、片目がない! あの『隻眼のミノタウ——」

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 動揺しながらも彼らは『下層』に到達した熟練の冒険者。すぐに剣を抜き、弓を構え、詠唱を始める。だが、ミノタウロスの方が速かった。

 詠唱を始めた者の首を手刀で落とし、構えた剣もろとも剛腕で吹き飛ばし、弓に矢を番えた者は双角で貫かれた。

 

 瞬殺。全員がLv.3の第二級冒険者。それが瞬く間に全滅した。

 

 よしよし。蒼色の布は無事だな。

 僕は仕留めたエルフ達から蒼色の布を剥がす。エルフというイメージ通り華奢な体をしている彼らの衣服はミノタウロスの巨躯が装備するには小さすぎたが、四人分を合わせれば全身を覆う外套になる。

 

 ……装備しただけだと特に何もないな。水の中でこそ真価を発揮するので当然といえば当然だけど。纏う前より涼しくなった気もする。

 早速、効果を試そうと僕は水の中に入ってみることにした。なるべく脚が水底に届く浅い所を選んで。

 

 結果を言えば大成功。水の抵抗が無いように体の動きに違和感が殆どない。軽く水の中を漂ってみる筋肉の塊が浮いた。手足を動かすと泳ぐこともできた。

 

 

 ——やった。やったぞ。やったあああああああああああああっ‼︎

 

 

 僕は水を克服した。前世からできなかったことができるようになった。流石に蹄では水中速度は亀の歩みだが、確かに僕は泳いでいた。潜っても不思議なほど息苦しくない。水中で息ができるわけではないが30分は息継ぎは必要なさそうだ。

 いける。いけるぞ。これで僕もこの階層で戦える。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 興奮した僕は雄叫びを上げる。初めてみる水の世界の探索を開始。あちらへこちらへと泳ぎ回った。

 

 そのすぐ後、調子にのった僕は、大瀑布に巻き込まれ落下した。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 途切れることのない滝の音が轟く。暗い水底を背中に感じながら、死の淵に引きずりこもうとする冷たい水の手を振り払い、一気に浮上した。

 昇る大量の気泡とともに、光が揺らめく水面をぶち破る。

 

『ブハッッ⁉︎ ブフゥッッ、ブウゥッ——ブハッ⁉︎』

 

 勢いよく水面から顔を出し、盛大に咳き込んだ。し、死ぬかと思った……。

 広大な滝壺のド真ん中で、僕は生還した。人間なら砕け散ってしまう激流落下も馬鹿げた耐久力と怪物特有の強靭性(タフネス)のおかげで問題なく動ける。全身を打ちつけられて痛むが骨折どころか骨にビビも入っていない。自身の体ながら出鱈目だ。

 ばしゃばしゃと音を立てて水をかきわけ、滝壺と接する岸を目指した。距離はさほどなくすぐに浅瀬へと辿り着く。

 水が脛ほどまでの浅瀬で立ち上がり、僕は顔を上げ、大瀑布を仰いだ。

 

 ——かなりの高さから、落ちたな。よく無事だったよ。

 

 緑玉蒼色(エメラルドブルー)の水を直下させる大瀑布。この階層に下りた時、彼方から一望する雄大な水の流れは見とれるほど美しく映ったけれど、死にかけたいまとなっては、途轍もない怪物に見える。どれだけ強くなろうと、巨大で恐ろしい大自然の前には矮小な怪物(じぶん)なんて無力に思える。

 立ち上がって周囲を見渡す。滝壺はまるで湖のようだった。大空洞の半分を占めるほどに広大で、滝の直下は深さを物語るように濃い蒼色をしている。頻りに舞っているのは細かな水飛沫で、白い霧を生み出している。滝音は甚だしく鼓膜が破れそうだ。

 滝壺、いや湖に背を向ければ幻想的な風景が広がっている。まるで岩場に見える水晶の岸辺、水晶の谷、水晶の崖。全て蒼水晶(ブルークリスタル)で形作られている。その光景は見とれてしまうほど美しい。

 

 だが、見とれていると——ビキリッ、と聞こえた。

 

 ——何処かで怪物が産まれ落ちるな。

 

 僕はこの音が何の予兆か瞬時に理解した。この洞窟で暮らしていれば日常茶飯事な現象。壁面から怪物が産まれようとしている。でも、見渡す限り亀裂が見当たらない。何処だ、と疑問に思いながら下を見ると見つけた。

 滝壺の中、膨大な水で満たされた水晶壁に亀裂が走り抜いていた。それも夥しい量のヒビが、水底の全域にわたって。

 

 ——ああ、大繁殖(・・・)か。

 

 大繁殖。彼がそう呼ぶこの現象は、冒険者の間では『大量発生』、『怪物の宴(モンスター・パーティー)』などと呼ばれる異常事態(イレギュラー)。通常とは比べものにならない、それこそ一つの空洞を埋め尽くすほどのモンスターが一気に産まれる現象だ。

 そして水晶壁を破り、夥しい数のモンスターが現れた。

 

 ——おお〜、でかい蛇、いや水中にいるから海蛇か。

 

 現れた巨大な海蛇。薄緑(ライトグリーン)の鱗と蛇の頭を持つ大型級の怪物。大きな鰭を有する頭部の威容はいっそ竜にも見える。大きさにバラツキはあるはけど最長で十メートルはある。それが大群を成していれば壮観だ。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

 ……ただ、今回はその数が仇になった。滝壺には幾匹もの大海蛇が重なり合い、何匹いるのかもわからない。でも、これだけは言える。水面から溢れ出すほど(・・・・・・・・・・)いる。

 

 例えるなら、バケツに詰められた鰻だろうか? 広大な滝壺は長大な海蛇の群れで埋め尽くされ、まともに泳ぐことさえできない。仲間同士で体をぶつけ合い、うねうねと動く様は気持ち悪い。

 

 紫紺石に貪欲な僕もこれに飛び込む気にはなれずにその場を後にしようとする。

 

『ヴゥオ?』

 

 すると変なものが視界の端に映った。水が膝までもない浅瀬。滝壺を埋め尽くす海蛇から逃げるように匍匐前進のような姿勢で岸辺へ這う生き物がいた。

 緑の鱗と魚の尾びれを有した下半身と、人の体を持つ(・・・・・・)上半身。誰もがお伽話で見たことがある存在。最もポピュラーな幻想生物の一つであろうその名は

 

『——マーメイド?』

 

 あ、ちなみに僕、金髪の剣士達との戦いの後から喋れるようになりました。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——コレ以上、逃ゲラレナイ!

 

 『人魚』のマリィは追い詰められていた。滝壺を優雅に泳いでいたらモンスターの大量発生。それも大型のアクア・サーペントが湖を埋め尽くすほどの。

 どれだけモンスターが増えようと余程の事がない限りモンスター同士で争いは起こらない。でも、彼女は違う。

 マリィは普通のモンスターではない。『異端視(ゼノス)』というモンスターの常識から外れた存在だ。

 

 異端視(ゼノス)。通常のモンスターより高い知能——知性を有し、何より心を持つ破壊と殺戮の衝動に支配されない『怪物』達。

 人型のモンスターに限っていえば多くが人間に近い容姿を持ち、本来なら真っ白な眼球や血の気が一切感じられない青白い肌などおぞましい容姿の人魚でありながら、マリィが美しい容姿をしているのはこのためだ。

 そして何より理性を宿している『異端視(ゼノス)』は通常のモンスターにさえ襲われる。

 

 もしあの滝壺を埋め尽くすアクア・サーペントの群れの中にいたら、彼女は四方八方から喰い荒らされていただろう。

 水棲モンスターの中でも人魚は『水の中の鳥』と比喩されるほど群を抜いた水中速度と旋回能力があり、通常の人魚より、『異端視(ゼノス)』である彼女の方が速い。その水中速度は全水棲モンスターの中で最速だ。

 そんな彼女でも逃げ場なければその速さを発揮できない。マリィは巨駆のアクア・サーペントがこない浅瀬へ避難するしなかった。

 

「ドウシヨウ……」

 

 浅瀬の最端。もうあとは陸しかない場所でマリィは途方にくれる。魚の下半身を持つ彼女は陸地を移動できず、水中は隙間がないほどのアクア・サーペント。完全に身動きがとれなくなった。アクア・サーペントがいなくなるのを、せめて数が減るのを待つしかない、と思っていた時だった。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

「ヒッ……!」

 

 水面を勢いよく爆発させて現れたアクア・サーペント。彼女の存在に気付いた一匹が顎を開き、襲ってきた!

 浅瀬で彼女の機動力は活かせない。食べられる、と死を覚悟した時

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 突然の横槍。繰り出された拳砲が炸裂。アクア・サーペントの頭部を粉砕した。

 何が起きたのか理解できないマリィは乱入者を見た。

 

 全長は二メートル強。牛頭人体の外見を持つ筋骨隆々の巨躯。モンスターの代表格と呼ばれ、しかしこの階層には出現しないはずの怪物の名は

 

「ミノタウロス……」

 

 マリィは怪物を見詰めながら呟いた。

 

 

 

 




補足
階層を貫く滝=巨蒼の滝(グレート・フォール)
水の階層=25〜26階層『水の迷都』
蒼色の布=水精霊の護布(ウンディーネ・クロス)
リーダーのエルフ=ルヴィス
エルフの冒険者達=シャリオ、ラーナ、アレク
巨大な海蛇=アクア・サーペント


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話:人魚と猛牛

7黒剣と猛牛

 

 ——勢いで助けたけど……どうしよう?

 

 僕は窮地を救ったマーメイドを見る。怯えた目で見上げる姿は、可憐な容姿も合間って庇護欲を誘う。

 というよりも本当に『怪物』と問いたいほどいままで見た怪物とか乖離した姿だ。肌の色や下半身が魚でなければ人間と区別がつかない。

 ……剥き出しの乳房を隠さない羞恥心のなさは怪物らしいが。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

 一人悶々としていると大海蛇が何匹も水面から飛び出した。こちらの存在に気付いたのか、同族の死を察したのか、敵意を剥き出しに襲い掛かる。

 僕は咄嗟に彼女を抱き上げてその場から離脱した。

 

「エッ? ——ヒャア⁉︎」

 

 跳躍で襲撃を回避。落下に任せて蹄の踵落としで大海蛇の頭部を粉砕。そのまま裏拳を繰り出し、別の大海蛇の胴体を破砕する。一瞬で二匹の大海蛇が屠られるが、水面を破りながら次々と大海蛇は現れる。

 

 だが、くねる長駆を足場に僕は縦横無尽に跳躍。大海蛇達の攻撃は当たらず、僕の攻撃は一撃で大海蛇を粉砕し、引き千切り、瞬く間に数を減らしていく。

 

「ワァ……!」

 

 戦闘中の僕とは対照的に、抱えられたマーメイドは目を輝かせる。

 水中を泳ぐのとは違う空中を舞う景色。自分が見たこともない水晶洞窟の光景が次から次へと流れ、目まぐるしく変わっていく。それは水の世界しか知らなかった彼女にとって冒険に等しいだろう。顔を興奮に染めて喜んでいた。

 

「スゴイ、スゴイ! ミノタウロス、大好キ!」

 

 ——おぉ、立派なモノが密着して……。

 

 興奮したマーメイドが首もとに抱き着いてくる。怪物である僕達は基本裸体なので……その、柔らい弾力が直に伝わってくる。

 だが、その感触を楽しんでいる暇はなかった。大海蛇とは別の、ヒュンッッ、風を切る存在がいる。僕の動体視力でも姿がブレる緋色の斜線が飛来した。

 マーメイドを狙ったそれを僕は掴み——握り潰した。

 なんだと思い、掌のモノを見ると

 

『……燕?』

 

 ぐしゃぐしゃに潰れていたが、それは燕の死骸。濡れた緋色の羽毛がこぼれ落ち、桜色の肉から紫紺石が剥き出しになっている。

 それにしても驚異的な速度だ。猛烈な滝水を破れほどの速力をもって宙より突撃してくる。その光景はまさに射出される弾丸のごとく。そして空中には、まだ幾筋もの緋色の斜線が飛び交っていた。

 

「『イグアス』……!」

 

 マーメイドが怪物の名前らしきものを口にした。

 

 『イグアス』。彼が知らないモンスターの名前。

 25階層から27階層に出現する緋燕(つばめ)のモンスター。大瀑布の裏側、崖の表面を根城にしており、冒険者の間では『不可視のモンスター』と言われるほど速い。

 『閃光』という異名まで冠し、この階域で最も恐れられる——下層最速のモンスターだ。

 

 ——マズイ、厄介な組み合わせだ。

 

 上はイグアス、下はアクア・サーペント。空中ではイグアスに、水中ではアクア・サーペントに地の利があるのでどこで戦おうと不利。

 イグアスは異常なまでの『耐久』を誇る彼に攻撃すれば、その速度が祟って自らを潰死させるだろう。だが、いまイグアスはマリィを集中攻撃しており、無視するわけにはいかない。——だから、先にイグアスを潰す(・・・・・・・・・)

 

 僕は攻撃目標をイグアスに変更。残る五匹ほどのイグアスの先に片付けて制空権を確保。大海蛇はその後ゆっくり片付ければいい。

 僕は緋色の軌道を視線で追う。イグアスが近づいた瞬間、剛腕を振り回して蹴散らしていく。その間に大海蛇も攻撃してくるがマーメイドを抱き込むように自分を盾にして防ぐ。体当たりも、噛み付きも、強靭な体を持つ僕には効かない。

 体中に大海蛇が噛み付くが、その間に数匹しかいなかったイグアスを殲滅。続いて大海蛇の殲滅に移る。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ⁉︎』

 

 圧倒的な能力(ステイタス)にモノを言わせた暴力に、大海蛇達は抵抗する力はなかった。滝壺を埋め尽くす大海蛇は倒され、あるいは逃げて姿を消した。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

「助ケテクレテアリガトウ」

『勝手二、助ケタダケ。気ニシナイデ』

 

 大海蛇がいなくなり、安全だと判断した僕は彼女を滝壺に戻した。

 

「……」

『……何?』

 

 が、彼女は首もとに抱き着いたまま離れようとしない。それどころか鼻をくっつけ、すんすんと鳴らした。

 

「レイノ匂イ……」

 

 ——いや、レイって誰? 僕、滝に流されてたのに匂いなんて残るの?

 

同胞(なかま)ノ匂イハシナイケド、貴方モ『異端児(ゼノス)』ナノ?」

ゼノス(・・・)? 知ラナイ。何ノコト?』

 

 僕の質問にマーメイドは教えてくれた。この洞窟がダンジョンと呼ばれる場所であること。『異端児(ゼノス)』はダンジョンから産まれ落ちた怪物の中で破壊と殺戮の衝動に支配されない知性を有したモンスター——この時、怪物の名称を知った——であること。

 紫紺石の正式名称が魔石で、それを食べるモンスターが強化種と呼ばれるなど。自分も知らない自分のことを彼女は色々教えてくれた。僕の種族名がミノタウロスであることは、予想通りだが。

 ただ僕が理性を持つモンスターでありながら、異端児(ゼノス)特有の匂いがしない理由は彼女もわからないらしい。……彼らと違い僕が異世界転生した存在だからかな?

 あとレイってのは歌人鳥(セイレーン)らしいから樹海の階層であった人だと思う。喋るモンスターがそうそういないだろうし。

 

異端児(ゼノス)ハ、他ニモ、イルノ?』

「イルヨ。可愛イ、リド……恥ズカシガリヤ、グロス……他ニモイッパイ」

 

 可愛い……恥ずかしがり屋……モンスターが? 兎型のモンスターとかかな? 

 

『君ハ、エット……』

「私、マリィ!」

 

 名前を聞いていなかったと思うと、マリィは即答してくれた。仲間はかなりの数がいるようだが、彼女は一人だ。おそらく水中でしか活動できない彼女を連れて行けないのだろう。

 

「ミノタウロスノ名前ハ?」

『名前……』

 

 マリィに問われてフッと思う。僕はダンジョンから産まれたモンスター。当然、名付け親などいない。名乗る相手もいなかったので名前なんて考えていなかった。さてどうしよう。

 

 ミノタウロス……牛のモンスター……猛牛……牛……オックス……ブル……。

 

『……ミノタン?』

 

 ——ないないないないないないないないない。自分で考えておいてこれはない。ダサ過ぎる。

 

「ミノタン?」

 

 マリィの呟きに僕はハッと口を塞ぐ。いつの間にか口に出していたらしい。それも一番、聞かれたくないことを聞かれた!

 恥ずかしさのあまりプルプルと震え出す。

 

『チ、チ……』

「チ?」

 

 純粋な目で見つめてくるマリィ。そこが限界だった。

 

『違ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ!』

 

 その場から僕は逃走した。現実逃避するように全速力で走り、僕の姿はあっという間に見えなくなった。

 

「変ナ、ミノタン……」

 

 マリィから盛大に誤解されていることを、走り去った僕が知ることはなかった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 マリィから逃げ出してしばらく。太陽がないので『昼』か『夜』かも分からず、水中にいることが多くなったので時間の経過も分からない。

 あれ以来、マリィとは会ってない。というより恥ずかしくて気配を感じたら逃げてしまう。

 それからはひたすら水棲モンスターと水中戦をする毎日。地上では無類の強さを誇るミノタウルスといえど『圧倒的地形の不利』の前には遥かに弱い怪物にも手を焼く。

 幸い怪物は僕を無意識に同胞と思っているのでこちらから手を出さなければ襲ってこない。それに馬鹿だから襲ってくるのは手を出した一匹だけで実力差があっても逃走しない。一対一なら負けはしない。

 

 だから『ドロップアイテム』もかなりの数が手に入った。特に金属の青い蟹は群れを作り、陸上も行動するので倒しやすかった。倒した数は群を抜き、その蟹の甲羅の『ドロップアイテム』も一番多い。

 だから、この甲羅で鎧を作った。この蟹の甲羅は巨大蜂以上の防御力を秘めている。あの強い人間達を相手にするには役不足だろうけどこれがいま用意できる最高の防具だから仕方ない。それと武器になりそうな『ドロップアイテム』は残念ながら出なかった。

 

 それから水中活動を向上させる物も手に入れた。水中戦で陸上戦との最大の違いは機動力と呼吸。

 機動力は重量級で脚が蹄の僕では泳ぐのは人間より遅い。加えて巨体なので水の抵抗も人間以上だ。

 呼吸は肺呼吸する陸上生物では長時間の潜水は不可能。

 それらを解消するためのモノを僕は入手した。

 まず機動力を向上させるモノは、巨大な海蛇の『ドロップアイテム』である鰭。大きいモノでは十メートルにもなる海蛇の鰭はそれだけでも十分、大きい。それを蹄に付ければまるでダイビングに使用する『フィン』のようになる。水掻きを得たことで水中速度が速くなった。

 次に呼吸は、何故か水中じゃなく地面に生えていた薄紅色の珊瑚の塊。その中に隠れていた貝殻に入っていた七色に輝く真珠で解決した。真珠が潜るのに何の関係があるのかと思うだろう。でも、この真珠凄い効果を持っていた。

 何と口に入れると水中で呼吸する『酸素ポンベ』のように水中で息ができるようになる。

 こんな便利なモノがあるのになんで人間達は使わないのか疑問に思ったけど、高く売れるからだろう。装飾品として加工すれば高額になるだろうから、売り物を口に入れる馬鹿はいない。だから、この真珠の効果に気付かない。

 え、なんで誰も気づかなかった事に気付いたって? ……真珠って飴玉に見えないこともないとだけ言っておく。しばらく甘味を口にしてないから、飢えてた訳じゃない。

 

 こうして水中活動が改善されてから一日の大半を水中で過ごすようになってしまった。

 もう『猛牛』じゃなくて『水牛』に改名すべきかもしれない。そんなくだらない事を考えながら水面を漂ってるいると足音が聞こえてきた。——この数は二人。人間だな。

 足音を聞き僕はそう判断した。この水の階層に二足歩行の歩き方をする怪物はいない。なら、人間しかありえない。

 そういえばこの前のエルフ以外に人間を見ていなかったなと足音のする方を見ると

 

『ブゥフッ⁉︎』

 

 僕は盛大に咳き込んだ。あまりに予想外な人物がいたからだ。

 一人はエルフ。始末したエルフと違い絶世の美貌と王族の気質を持つ女性。杖を持っているので魔導士と推測。

 問題はもう一人だ。激戦を繰り広げたのだろうその装備はボロボロで、長い金髪と整った顔をした女剣士。死闘したあの顔を見間違えるはずかない。

 僕は金髪の剣士と早過ぎる再会を果たした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




『隻眼のミノタウロス』
名前:ミノたん(仮)
推定Lv.5相当
到達階層:26階層
装備
【ウダイオスの黒剣】
・アイズの身の丈より長大な剣。
・第一級武装にも劣らない階層主の『ドロップアイテム』。
・彼は未加工のまま使用している。
【ウンディーネ・クロス】
・精霊の護布。水属性に対する高耐性。水中活動ての恩恵ももたらす。
・型はマント
【蒼蟹の鎧】
・甲羅を紐で繋いだだけの簡素な鎧。
・第二級冒険者の攻撃も防ぐ防御力がある。
・材料にドロップアイテム『ブルークラブの鋼殻』を使用。
・ズバ抜けた『耐久』を誇る彼には無用の長物。
【海蛇の水掻き】
・足に鰭を取り付けただけの簡易な水掻き。
・水中速度が上昇する。
・材料にドロップアイテム『アクア・サーペントの鰭』を使用。
【真珠の呼吸器】
・『迷宮真珠(アンダー・パール)』を口に入れるだけ。もはや装備品ですらない。
・水中呼吸可能。
・冒険者は未だにその真価を知らない。

捕捉
金属の青い蟹=ブルークラブ
薄紅色の珊瑚の塊=迷宮珊瑚(アンダー・コーラル)
七色に輝く真珠=迷宮真珠(アンダー・パール)

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話:黒剣と猛牛

 ——どうしよう。正直、まだ会いたくない人達が向こうから来ちゃった。

 

 水面から頭上半分だけ出して彼女等の様子を伺う。二人はこちらに気付いていない。新しい防具は得たが武器はまだ入手していない。無手であの金髪の剣士は相手にしたなくないからこのまま通り過ぎて貰うのが一番。……なんだけど、どうにも金髪の剣士が持つ黒い大剣が気になる。

 大剣といっても人の手で作られたものではない。磨き抜かれた漆黒の光沢を放ち、黒く染まった巨大な骨ような塊だ。おそらく強大な怪物の『ドロップアイテム』。

 黒大剣という一部だけになりながらその存在感は、怪物がどれだけ強かったのか知らせてくれる。そしてそれを倒した金髪の剣士はやっぱりデタラメだ。

 

 ——でも、あれ欲しいな。

 

 黒大剣は僕が使っていた大剣より遥かに強力だ。並の武器ではもう怪力に耐えきれず自壊してしまう。あの黒大剣なら僕の怪力にも折れないはずだ。なんとしても欲しい。

 物欲が溢れながらも僕は冷静に敵を観察する。相手は二人。金髪の剣士も強いが、絶世の美女エルフも強そう……というよりあっちの方がヤバそうと野生の勘が告げている。

 単独でも勝てるかわからない相手を二人同時にするのは無謀だ。でも、勝機がないという訳でもなさそうだ。

 まず金髪の剣士はボロボロだ。表情の変化は乏しいが疲労が見てとれる。察するにあの黒大剣の怪物(もちぬし)との戦闘が原因だ。以前、戦ったときより戦闘能力は低下しているので戦えば僕が勝つ。

 次に絶世の美女エルフ。こちらは傷一つなく疲労もない万全な状態。そして僕の勘が正しければ金髪の剣士より格上。だが装備や外見は典型的な後衛魔導士。極めて強力な魔法を使うと思われるが単純な身体能力は僕が上回る。つまり攻撃さえ当てれば倒せる。

 更に相手はこちらに気付いていない。奇襲を仕掛ける絶好の機会。でも、ただ奇襲するだけでは気づかれる。もう一工夫欲しいところだ。

 

 そう考えていると隣に気配。視線を向けると巨大な蛇頭が僕と同じように人間達を見ていた。どうやら大海蛇も人間を襲う気らしい。勇気は認めるが瞬殺される未来しか見えない。

 

 

 ——でも丁度いい。こいつ使おう。

 

 

 僕は腕を伸ばして大海蛇の鰭を掴む。そのまま上方に投げる。片手とはいえ尋常ならざる怪力は十メートル近い巨躯を宙に放り投げた。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ⁉︎』

 

 同族だと思っていた怪物(ぼく)の奇行。大海蛇は訳も分からず悲鳴を上げる。しかし、その姿は第三者から見れば水面を勢いよく飛び出した怪物が人間を襲おうと咆哮しているようだ。そして金髪の剣士達もそう考えた。

 

「アクア・サーペントか」

「リヴェリア。私がやる」

 

 巨大な怪物が襲いかかろうと両者に一切の動揺がない。強者である彼女達の敵ではない。

 金髪の剣士が黒大剣を地面に下ろし抜刀。跳躍して大海蛇を一刀両断する。彼女は大海蛇の紫紺石の位置を正確に把握していたのか。斬られた大海蛇は一瞬で灰と化した。

 淡々と作業のように戦闘が終了する——はずだった。

 

 アクア・サーペントを水面から弾いた水飛沫。その水を隠れ蓑に、一匹のミノタウロスが絶世のエルフに突進した。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

「「⁉︎」」

 

 怪物が囮を使った完全な奇襲。水飛沫を突き破り、絶世の美女エルフに肉薄。片腕を大きく広げる。

 ラリアット。全てを薙ぎ払う剛腕が彼女を襲う。絶世の美女エルフは咄嗟に杖を盾にするが無駄だった。

 

 

 ——リヴェリア・リヨス・アールヴ。名実共に認める都市最強の魔導士。絶大な魔法を使用するが基礎戦闘能力は同Lv.の者達には劣る。まして怪力を誇る『隻眼のミノタウロス』には無力。その華奢なエルフの痩躯は致命的な一撃を受けてしまう。

 

 

「——っ⁉︎」

 

 激重の衝撃。杖越しに伝わる痺れは腕が折れそうになり、踏ん張る足は耐えきれずに地を離れる。

 一瞬で猛牛の姿が目の前から遠ざかり、宙を飛ぶ彼女は後方の水晶に叩きつけられた。

 

「うっっ⁉︎」

「リヴェリア!」

 

 吐血して絶世の美女エルフは音を立てて倒れ込む。それを見て悲痛な声を上げる金髪の剣士。

 その隙に地面に置かれた黒大剣を拾う。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

 戦利品を得た僕は雄叫びを上げた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

「リヴェリア!」

 

 倒れ伏すリヴェリアを見て私は悲鳴を上げた。

 

 37階層に君臨する『迷宮の弧王(モンスターレックス)』。Lv.6『ウダイオス』を単独撃破するという偉業を成し遂げた帰りにそれは現れた。

 赤髪の調教師(テイマー)に惨敗し、強さ(・・)を求め猛り狂う黒い炎が私の中で燃え上がった。

 その炎に駆り立てるまま階層主に一人を戦いを挑み、死に瀕しながらも辛勝。その激情をリヴェリアは鎮めてくれた。

 そのすぐに後に現れた猛牛。強さ(・・)を求める黒い炎を鎮火したことを弱い(・・)と嘲笑うように鎮めてくれたリヴェリアを叩きのめした。

 17階層で遭遇し、5階層でベートさんを倒した悪夢。『隻眼のミノタウロス』の出現に私の中の黒い炎が再燃した。

 

「ああああああああああああああああああああああっ‼︎」

 

 愛剣《デスペレート》を構え、黒大剣に手して咆哮する猛牛に突貫する。

 風のごとき勢いで距離を詰めたアイズ。深層種でさえ認識する前に斬られて終わる速さに『隻眼のミノタウロス』は当然のように反応した。

 『隻眼のミノタウロス』は真っ向から受け止め、《ウダイオスの黒剣》で弾き返した。

 サーベルと大黒塊が激突する金属音が響き渡る。5階層で圧倒した剣技でアイズは立て続けに斬りかかった。空気を斬り裂く鋭い一撃を『隻眼のミノタウロス』は受け止め、拮抗も許さね怪力で押し返す。

 

「……?」

 

 激しく打ち合う最中、アイズの人形のような機微の少ない顔に焦りの感情が現れる。

 前回は二対一だったとはいえ単独でも倒せる相手だと思った。装備も『ブルークラブの鋼殻』の鎧と『水精霊の護布(ウンディーネ・クロス)』。『アクア・サーペントの鰭』を蹄に取り付けている理由は分からないが水中戦に特化したような装備に変わっていた。それだけなら問題なく倒せるはずだった。それなのに

 

 ——押し負ける⁉︎

 

 迫る轟閃。徐々に速くなっていく剣筋はアイズの動体視力を持ってしても追うのが難しい。《デスペレート》で払おうとするも、そんな小細工は無駄というように『力』で無理矢理アイズを吹き飛ばした。

 

「くっ……!」

 

 空中で何とか体勢を立て直して着地。アイズは確信する。能力(ステイタス)が明らかに向上している。

 一戦目の時点でアイズ達に匹敵する身体能力を秘めていたが、いまや『力』だけでなく『敏捷』に至るまでの身体能力が完全に上をいかれた。Lv.6に迫る飛躍。

 遭遇から一週間も経たずに激変した猛牛にアイズは戦慄する。

 

 ここで冒険者とモンスターの違いが出た。

 冒険者は神の眷属になることで刻まれる神々の『恩恵』——【ステイタス】によって強くなる。

 眷属は戦闘などで得た【経験値(エクセリア)】を神々の手によって抽出される。それを元に【ステイタス】を更新することで眷属はより強くなる。

 だが、【ステイタス】の更新ができるのは『恩恵』を授けた主神のみ。そして神はダンジョンに入ることを禁じられている。

 つまり冒険者はどれだけ偉業を成し遂げた後でも地上に戻り【ステイタス】の更新をしなければ強くなれない。

 

 モンスターは『魔石』を捕食することで【ステイタス】を更新するように能力が強化される。

 『魔石』はモンスターが必ず持つ心臓部。モンスターを殺せばいくらでも手に入り、ダンジョンでは無限にモンスターが産まれ落ちる。

 そして強化するには『魔石』を食べるだけ。地上に戻る必要も、主神がいる必要もない。

 

 一週間。常に強化され続けた猛牛と【経験値(エクセリア)】を蓄積しただけのアイズ。その差が現れた。

 アイズの斬閃。全てが一撃必殺となって『隻眼のミノタウロス』に牙を剥いた。

 決して生かしておかないという逃げ場のない斬撃の渦。

 

『ゥウウウウウウウウウウウウウウウッ!』

「——」

 

 だが、防がれる——いや、弾き返しされるという表現が正しい。

 『隻眼のミノタウロス』は真っ向から迎撃する。恐ろしいことにこの猛牛は剣を目で追ってから(・・・・・・・・・)反応して黒大剣を《デスペレート》の軌道に割り込ませている。

 アイズの身の丈をゆうに超える大剣が細剣(デスペレート)に追いつく速さで振るわれる。つまりこの猛牛はアイズよりも速い。

 黒大剣の迎撃。打ち合うどころか圧倒的な『力』で振るわれた大黒塊は《デスペレート》を容易に弾き返す。攻撃したアイズが反撃の一振りで腕が痺れるほど。桁外れな剛力もガレスに並ぶほどほど上昇している。

 このままでは負ける。それを悟ったアイズは『魔法』発動を決断する。

 ウダイオス戦での精神力(マインド)消費が激しくまだ回復していない。精神疲弊(マインドダウン)で倒れる可能性があるから使用を控えていが、勝つためにやるしない。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】‼︎」

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ⁉︎』

 

 予想外の反撃。突然生まれた風。形として視認できるほどの大気の流れが、猛牛の全身を叩いた。その風圧に押された体が数歩、後退する。

 

 【エアリアル】。

 アイズが使用できる唯一の魔法。体や武器に風の力を纏わせることで対象を守り、攻撃を補助し、速度を上げる、『風』の付与魔法(エンチャント)

 

 特にアイズの風は異常(・・)だ。

 

 単独で階層主(ウダイオス)と渡り合える途方もうない出力は付与魔法(エンチャント)の域を超えている。しかし

 

 ——風が……弱い!

 

 ミノタウロスのような大型モンスターでさえ数匹纏めて吹き飛ばせる暴風。それがいまはたった一匹を後退させる程度の出力しかない。

 それがアイズの現状。万全とはほど遠い状態で目の前の強敵に挑まなければならない。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

「ッッッ‼︎」

 

 そんな弱風は効かんと言わんばかりに『隻眼のミノタウロス』は打ち付ける風の中を前進。再び激突する。

 爆風とともにアイズはかき消える。一瞬で距離を詰めて放たれる風の斬撃も防がれる。

 《ウダイオスの黒剣》と《デスペレート》がかち合う。信じられないことに怒涛の斬撃に、『風』の速度に、敵は食らいついてくる。

 攻撃が届かない訳ではない。現に『隻眼のミノタウロス』の鎧は風剣の衝撃に耐え切れず一撃ごとに剥がされる。『精霊の護布』は破れる。肌に裂傷を負う。だが、怯まない。退かない。

 全身に傷を刻まれようと怪物特有の強靭性(タフネス)と桁外れな『耐久』補正で前へひたすら前へと距離を縮めていく。勝利への執着。ただ目の前の少女(えいゆう)に勝ちたいと猛牛(かいぶつ)は突き進む。

 

 そして猛牛の剛腕が彼女に届く間合いに踏み込んだとき、怪物が仕掛けた。息を吸い込み——口内の何かを吹き出す。

 

『ブゥッ!』

「っ……⁉︎」

 

 怪物が口から吹き出したモノがアイズの顔面に飛来する。飛来物はアイズの体を取り巻く気流が防ぎ、粉々に砕ける。

 七色に輝く無数の破片が光を乱反射し、アイズの視界を塞いだ。

 

迷宮(アンダー)……真珠(パール)……?」

 

 七色の煌めき、小さな球体。アイズの頭に蓄えられた膨大なダンジョン知識が僅かな特徴からその正体を看破する。そんなモノを口に含んでいたのかは謎だが、確かなことが一つ。

 

 アイズは一瞬とはいえ七色に輝く破片によって『隻眼のミノタウロス』を見失った。それは致命的な隙を生む。

 

『ブゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ‼︎』

 

 標的を掴もうと伸びる片腕。尋常ならざる『力』を秘めた剛腕がアイズに迫る。剛腕は『風』の守りを貫き、彼女の細腕を掴んだ。

 隠し玉を使った猛牛は、この時、完全な不意打ち——『駆け引き』においてアイズの上をいった。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 この手は離さないと決意した咆哮と一緒に、背後へ身を投げた猛牛は自分ごとアイズを水中へと引きずり込む。

 

 ——私はようやく敵の狙いを理解した。いまは私が戦局を有利に進められたのは魔法(エアリアル)があるから。ならばその魔法を封じればいい。

 

 風を封じるにはどうするか? そんなのは簡単。『風』とは大気の流れ。空気がなければ風は起きない。空間が水で満たされた『水流』の中では無力。水中に引きずり込めばいい。

 

 

 でも、魔法を封じられるのとは別の理由で顔色が蒼白になる。だって私は——

 

 

 抵抗する間もなく衝撃と水飛沫。視界が蒼い水の色に変わった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 よし! 水中に引きずり込めた。これで厄介な風は使えない。

 最初は身体能力の差で押し切れると思ったけど、金髪の剣士は何かを唱えて風を纏った。それから身体能力の差を覆され、また鎧や蒼色の布をズタズタにされてしまった。

 このままでは削り潰されると判断した僕は戦場を水中に変更。隙を作るために水中呼吸する真珠を吐き出してしまい、蒼色の布は大半が破れたがまだ機能している。鎧はもう使い物にならないので脱いで軽量化。

 これで水中戦もまだできる。仕切り直しだと金髪の剣士を見据えると

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ⁉︎」

 

 パニックに陥ったウサギのようにもがきまくっていた。

 

 ……え〜と、え……どういうこと?

 

 眼前の少女は目の前の僕に意識も向けず、ぼこぼこぼこぼこっ⁉︎ と酷いを音を立て虚しく沈んでいく。

 全身に力が入り過ぎてまともに水を掻くこともできず、水面に上がろうという考えも浮かばないのだろう。ただがむしゃらに暴れるだけだ。その光景に既知感を覚える。具体的にはこの水の階層に来たばかりの僕に。

 

 

 ——この人もカナヅチかよ!

 

 

 間違いなく金髪の剣士は泳げない。完全なパニックになった彼女は息を止めるこも忘れ、口から盛大に気泡を吐き出して肺を空にしてしまう。代わりに水を大量に吸い込んでしまった。

 そうなればブラックアウト。意識を保てず、彼女は気絶する。意識を手放した体が水中を漂った。

 

 ……なんていうか予想外すぎる結末。というより不完全燃焼で納得いかない。

 このままほっとけば金髪の剣士は溺死。もしくはモンスターに食われるだろう。でも、それはあれだけ勝ちたいと思った敵との決着ではない。

 僕は自らの手でこの少女に勝ちたいんだ。だから、いまは、いまだけは助けよう。……あとカナヅチだった同情も少し。片腕を彼女に伸ばして掴む。少女を抱きかかえたまま水面に向かって泳いだ。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

「うっ、ぐぅ……!」

 

 最初に感じたのは、込み上げる吐き気。腹部に強烈な打撃を受けたせいで胃の中のモノを全て吐き出しそうになるが寸前で堪える。未婚の女性としてそんなことはできない。

 吐き気を抑え、ぼやけた視界を開いていく。ゆっくりと鮮明になっていく意識の中で状況を確認する。

 水流の音、水晶の壁。そして登ってきた階層を数えてここが25階層と判断する。

 そして何故、倒れていたのか思い出そうとして——目を見開いた。

 

「アイズ⁉︎」

 

 37階層からの帰路、猛牛による水中からの奇襲、ベートを倒した『隻眼のミノタウロス』、壁に叩きつけられ気絶。全て思い出した。

 第一級冒険者二人ががりで取り逃がし、一名を重傷に追い込んだ怪物の出現。私は真っ先にアイズの安否を確認しようとする。

 そして動こうとした次の瞬間、激しい痛みが体を襲った。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ⁉︎」

 

 水晶に叩きつけられた背中、剛腕で薙ぎ払われた腹部は内臓が掻き回されたようだ。

 気絶するほどの攻撃を受けた体をいきなり動かす。普段のリヴェリアなら絶対にしない初歩的なミス。アイズを心配するあまりそれを忘れていた。

 なんとか痛みを抑え込み、周囲を確認する。

 

 あの猛牛はいない。だが、アイズの姿もない。

 そして水面には巨何か大きな物が落ちたような波紋が広がっていた。

 この状況からアイズがどうなったのか察した私は蒼白になる。アイズは泳げない。その原因を自分が作ってしまい、未だに克服できていないのを知っていた。

 もし水中に引きづり込まれたのならアイズに勝ち目は——いや勝負にするならない。

 

 痛む腹部を手で押さえ、杖を支えに立ち上がる。この有様では戦闘は不可能。だが、私の中であの子を見捨てる選択肢はなかった。

 何とか岸辺に向かおうとすると

 

 光が揺らめく水面をぶち破り、見上げるほどの巨躯が上半身を引き上げた。

 

 

「——」

 

 姿を現した怪物に息を飲む。姿を現したのはアイズではない。あの小柄な少女とは似ても似つかない体躯。鎧は脱ぎ捨てたのか装備していない。『水精霊の護布(ウンディーネ・クロス)』も殆どが破れ、マフラーのように首回りだけに残っている。その手にはアイズがウダイオスを倒して手に入れた『ドロップアイテム』が握られている。

 だが、私の頭を真っ白にしたのは黒大剣を握る手とは反対側に担がれた存在。下を向いた頭から伸びる長い金髪は水分を吸って張り付き、表情は分からない。

 それでもアイズが担がれ『隻眼のミノタウロス』が健在という事実に、その柳眉を吊り上げた。

 アイズを傷つけられ滅多に見せることのない激怒の表情を浮かべる。彼女を取り戻そうと動く。そして予想外の行動に瞠目した。

 

 猛牛は担いでいたアイズを下ろし、背中を軽く叩く。するとアイズが飲み込んだ水を吐き出された。

 

「……手当てを……しているのか?」

 

 あれは攻撃ではない。殺す気ならあんな優しく叩く必要はないし、黒大剣で斬ればいい。つまりあの猛牛はアイズを助けようとしている。

 人類の敵であるモンスターが人間を救う。それはリヴェリアでさえ思考が追いつかない光景だった。

 その間にも猛牛は水を吐き出し、呼吸が再開されたのを確認。彼女を抱えてリヴェリアの元に歩いてくる。

 

「……!」

 

 咄嗟に身構える私を気にもせず猛牛は目の前まで歩み寄るとアイズを地面に下ろす。その後、こちらに体を向けたまま数歩、後退。

 しばらく観察して私が何もしないと判断したのか、身を翻してその場を去っていく。

 

「——ま、待て!」

 

 その背中に思わず声をかける。現状を考えれば見逃してくれるのなら沈黙すべきだ。それでも問わずにはいられなかった。

 

「お前は何者だ? ただのミノタウロスではないのは分かる。私達を襲ったにも関わらず何故助ける?」

 

 私達をここまで追い詰めておきながら、トドメを刺さずに去ろうとしている。やっていることがデタラメで何がしたいのか理解できない。

 『隻眼のミノタウロス』は顔だけをこちらに向け、口を動かした。

 

『……違ウ』

 

 目を見開く。相手はモンスター、返事があるとは思っていなかった。だが、目の前の猛牛は発音はたどたどしくもハッキリと人間の言葉を喋った。同時にアイズ達が言っていたことが記憶の片隅から蘇る。——あのミノタウロスは人の言葉を発した、と。

 

『望ンダ、決着ト、違ウ』

 

 それだけ呟き猛牛は上層に登る通路へ消えた。

 『望んだ決着と違う』。それだけでリヴェリアは理解する。おそらくアイズの『風』を封じるために戦場を水中に移したがアイズが溺れて戦えなくなってしまった。

 だが、そんな勝利をあの猛牛は認めない。この子(アイズ)に己の実力での勝利を切望している。そのために勝負を預けた。

 

「……厄介なモノに目を付けられたな、アイズ」

 

 アイズがようやく元気を取り戻した矢先に舞い込んだ厄介事にリヴェリアはため息を吐く。




『隻眼のミノタウロス』
名前:ミノたん(仮)
推定Lv.5相当
到達階層:26階層
装備
【ウダイオスの黒剣】
・アイズの身の丈より長大な剣。
・第一級武装にも劣らない階層主の『ドロップアイテム』。
・彼は未加工のまま使用している。
【ウンディーネ・クロス】
・精霊の護布。水属性に対する高耐性。水中活動ての恩恵ももたらす。
・大半が破れ、残りを首元に巻いている。型はマフラー。
【蒼蟹の鎧】
・甲羅を紐で繋いだだけの簡素な鎧。
・第二級冒険者の攻撃も防ぐ防御力がある。
・材料にドロップアイテム『ブルークラブの鋼殻』を使用。
・ズバ抜けた『耐久』を誇る彼には無用の長物。
・アイズとの戦闘で全損。
【海蛇の水掻き】
・足に鰭を取り付けただけの簡易な水掻き。
・水中速度が上昇する。
・材料にドロップアイテム『アクア・サーペントの鰭』を使用。
・『水の迷都』から移動して不要になったので破棄。
【真珠の呼吸器】
・『迷宮真珠(アンダー・パール)』を口に入れるだけ。もはや装備品ですらない。
・水中呼吸可能。
・冒険者は未だにその真価を知らない。
・粉々に砕けて失われた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話:大群と猛牛

 

 金髪の剣士と戦闘後、上の階層に登った僕は久々に樹の中のような階層に来た。

 水の階層も良かったけどこの階層も面白くて好きだ。とりあえずは傷だらけの体を癒すために体力回復の薬草を食べるとしよう——と思ってたんだけど

 

 

 ——この階層ってこんなにモンスター多かった?

 

 

『『『オオオオォ——————————ッッ‼︎』』』

 

 正面には怪物。右にも怪物。左にも怪物。上にも怪物。

 怪物、怪物、怪物、怪物、怪物、怪物、怪物、怪物、怪物、怪物、怪物、怪物、怪物、怪物、怪物、怪物、怪物、怪物、怪物の大群——いや、もはや『鯨波』と表現した方がいい数が殺意を放ちながら押し寄せる。

 

 この階層で体力回復の薬草を探しているときだった。植物を掻き分ければ巨大茸が毒胞子を撒き散らす。樹を登れば巨大蜂が針を突き刺す。花畑にいけばリザードマン、進路を変更すれば鹿のモンスター、未開の森に入れば熊のモンスターが襲ってきた。

 何処に行こうにも必ずモンスターに遭遇する。元々生息している数は多かったけどこれはおかしい。

 極めつけは広い通路内を埋めつくすモンスターの大群。

 

 あまりの遭遇率の高さにイライラしていた僕は怒りを発散させるように一番近くにいたデカイ猪を蹴り飛ばした。

 するとどうなるか?

 僕の剛脚による蹴撃をデカイ猪は堪えることもできずにボウリングの球のように転がった。そして進路上のモンスターをボウリングピンのごとく弾かれる。ストライク!

 

 結果、怒り狂ったモンスターが鯨波のごとく押し寄せる。……うん。自業自得だね。

 

 はぁ、とため息を一つして背中の黒大剣を抜くと同時、モンスターの大群と猛牛の戦端が開かれる。

 掃討が始まった。凄まじい剛閃の嵐が殺到する怪物を容易く両断し、絶命へと至らせる。猛牛より身の丈のある大型モンスターも、硬い外殻に守られた甲虫も、大輪(はな)の盾で防ごうとしたリザードマンも関係ない。等しく切り捨てられる。

 押し寄せる群れに対し、猛牛は真っ向勝負、正面からぶつかり合う。その潜在能力(ポテンシャル)の高さを活かしてモンスターの鯨波の中を前進、たった一匹で押し返す。

 猛牛が前進した後には怪物は姿を消す。埋め尽くされていた通路には代わりに大量の屍と灰が残る。

 まさに死の暴風。近付くモンスターは問答無用で切断される。誰も彼の歩みを止めることができない。

 その桁外れの怪力が繰り出す斬撃は防御不能。どれだけの数が集まろうとこの階層のモンスターだけでは纏めてねじ伏せられるだけ。

 興奮する怪物の雄叫びは、瞬く間に絶叫へと変わり果てた。

 猛牛の前進は止まらない。接近戦では歯が立たないと巨大蜂や巨大蜻蛉が空中から仕掛けるが無駄だった。凄まじい剛脚が地面を蹴りつけ宙へ。空中を舞う怪物と同じ高さまで跳び両断する。

 ならばと蹂躙する猛牛に巨大茸が味方を巻き込んでまで一斉に毒胞子をばら撒くが——これも無意味。猛牛は迫る毒の霧に黒大剣を力の限り振り抜く。発生した風圧が毒胞子を吹き飛ばし、周囲のモンスターに猛威を奮った。

 喘ぎ苦しむモンスターの群れを素通り、唯一自分に有効的な攻撃をする巨大茸に突っ込む。そのまま群れを駆逐する。

 単身ならば第二級冒険者でさえ命を一つ二つ落としておかしくない過酷な戦場。それを第一級冒険者の中でも上位に食い込む潜在能力(ポテンシャル)を誇る彼は無傷で有り続け、モンスターを蹂躙した。

 

『シャアッ!』

 

 それを阻止せんと向かってきたリザードマン。一匹で勝負を仕掛けるなど無謀としか言えず一振りで絶命するはずだが——このリザードマンは違った。

 

『ヴゥオッ⁉︎』

 

 必殺の剛撃を大輪(はな)の盾を斜めに構えることで逸らし、花弁の短剣を首目掛けて鋭い一閃を放つ。猛牛は素早く一歩退がることで回避。

 

 ……このリザードマン。人間みたいに『技』を使ってくる。それにいまの一撃の速さ。他のリザードマンとは身体能力が明らかに違う! 僕と同じように魔石を食べてるな!

 

 彼の予想は正しい。目の前のリザードマンは彼と同じく魔石を食べて身体能力を飛躍させた『強化種』。その潜在能力(ポテンシャル)は通常種を遥かに上回るLv.4に届く。加えて自分と同じ盾と剣を使う戦闘型(バトルスタイル)の冒険者と死闘を演じた『戦闘経験』があり、このリザードマンは冒険者の戦い方を見て『技』を修得していた。このまま魔石を食らい続ければ優れた身体能力と剣技を併せ持つ冒険者にとって危険極まりない『異常事態(イレギュラー)』になるだろう。——だが、相対する猛牛はそんなリザードマンとは比べものにならない前代未聞の『異常事態(イレギュラー)』だった。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

 黒大剣を振り上げ、力任せに振り下ろす。

 リザードマンは盾に傾斜を付けて斬撃を逸らそうとするが——黒大剣は更に加速。大輪(はな)の盾を両断。リザードマンの肩に食い込み、そのまま腕を斬り落とした。

 場数が違う。戦ってきた敵の強さが違う。食らってきた怪物の数が違う。いままでの戦闘の中で積み重ねてきた『経験』も『技』も『駆け引き』もこのリザードマンは『隻眼のミノタウロス』に劣る。

 

『ガアアアアアアアアアアアアッ⁉︎』

 

 腕を切断され、絶叫するリザードマンに猛牛は情け容赦ない。既に握られた拳を振りかぶり、拳砲を炸裂させる。

 リザードマンは咄嗟に残った腕で防ぐ。だが、彼の剛腕はLv.4程度の『耐久』補正で受け止められるものではない。

 防御した腕は折れ、拳が頬に突き刺さる。鱗を貫き、牙を粉砕し、顎を破壊した。その勢いのままリザードマンの体を殴り飛ばした。十メートル以上を飛んだリザードマンは壁面に激突。

 片腕は斬られ、反対の腕も折れた。顎が砕けたのでまともに鳴き声も出せずリザードマンは壁面に背を預けたまま動けない。そこに猛牛が歩み寄る。

 

『シャァ……ァァ……』

 

 満身創痍になりながらもリザードマンは威嚇の咆哮を上げようとするが、出るのは掠れた弱々しい鳴き声。それでもその瞳に敵意を込めて睨みつけてくる。

 

 ——絶望(ぼく)が目の前にいながら衰えないその戦意はすごいと思う。だからこそ確実に仕留めなければいけない。

 

 リザードマンを見据えたまま、黒大剣を大上段に振り上げる。別れの言葉を告げた。

 

『コレデ、終ワリ』

 

 ドゴンッ、という黒大剣が振り下ろされた轟音が炸裂。ザクロが潰れるようにリザードマンの頭から真っ赤な飛沫が飛び散った。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 戦闘終了後。僕はモンスターが押し寄せてきた方面へ向かっていた。

 あの数は異常だ。この階層で何か(・・)が起きているのは間違いない。そうなればここを活動範囲にしている僕も無関係じゃない。

 問題解決、とはいかなくても事態の全容くらいは把握しておいた方が身の為だね。

 そして大群が押し寄せて方面へ向かった先で

 

 

 

 ——何これ? 気持ち悪る……。

 

 

 

 来たことを後悔した。目の前の光景は来たのを間違えだったと思うくらいには気持ち悪くて醜悪だ。

 僕をここまで気持ち悪くさせるものは、通路を塞ぐ巨大な大壁だった。

 

 不気味な光沢があるのが気持ち悪い。

 

 ぶよぶよと膨れ上がっているのが気持ち悪い。

 

 肉質なのに緑色なのが気持ち悪い。

 

 肉壁が放つ鼻を突く腐臭が気持ち悪い。

 

 

 生理的嫌悪をこれでもかと催す肉壁に僕はいますぐ半周回って逆走しそうになるが、踏み止まる。

 正直、触れたくもないがこれは元々この階層にあったものじゃない。

 見たところ、何かが(・・・)壁面に被さっている。ここだけなら目を瞑っても構わないが、この肉壁は何かが(・・・)肥大化してダンジョンに張り付いているみたいだ。

 だとしたら、このまま肥大化を続けて階層全体を飲み込んでしまうなんて……あぁ、ヤダヤダ。想像もしたくない。鳥肌になってしまう。

 

 とにかく。僕の生活を脅かす可能性もある以上、行くしかない。でも、どうやって入ろう。一応、『門』みたいなものはあるけど……ノックしたら開くわけないよね。友達の家じゃないし。

 

 肉壁の中心には花の花弁が折り重なったような『門』、あるいは『口』のような器官がある。僕の巨躯でも優に通り抜けられるほどだが、開く気配はない。……壊すか、岩壁に比べれば脆そうだ。

 

 黒大剣を抜剣。そのまま三度、振るう。三箇所に切れた割れ目の端が重なり、ちょうど三角形を形作る。

 僕が三角形に切れた肉壁を押す。肉壁は抵抗なくズレて奥に落ちた。目の前に三角形の穴が空く。

 空いた穴から僕は中に入った。

 

 

 

 ……うぁ〜、予想してたけど中も肉壁に覆われてるよ。

 

 

 

 内部は全面が緑壁と化していた。壁も、天井も、地面もそうだ。あたかも生物の体内に入り込んだ錯覚を受ける。更に後方では三角形の穴が気色悪い音を立てて盛り上がっいく——修復していく肉壁は、口が閉じていくようでまるで食べられた気分になる。

 

 肉壁が完璧に塞がるのを見届けた僕は通路を進んだ。いくつもの分かれ道があったが道には迷わない。肉壁から発散される腐臭。その臭いがより濃くなる方に進めば肉壁(これ)を作った元凶に辿り着ける。

 

 そして進路が正しいと示すように不自然に散乱した灰を発見する。

 魔石を抜かれた怪物の成れの果て。怪物の死骸だ。

 

 

 ——僕と同じように『門』を破った複数の怪物。ここまで侵入して何か(・・)に殺されたんだね。

 

 

 黒大剣を抜き放つ。侵入した怪物を食い荒らしたように、大量の死骸(はい)はばらばらに周囲へ散らばっている。

 侵入を防ぐ『門』。その先には奥にある何か(・・)を守る番人がいる。ならば侵入した僕も例外じゃない。潜んでいる敵を探すように神経を尖らせる。

 複数空いている薄暗い横穴の奥、通路の前方、そして後方。鋭い視線を周囲に配る最中、僕の耳が頭上で蠢く音(・・・・・・)を拾った。

 

 ——上か!

 

 頭を振り上げる。視線の先には、薄闇の中を蠢く何本もの長駆(・・)があった。

 その細長い形状から蛇かと思ったが違う。頭部に開かれた何枚もの花弁。毒々しく染まる色彩は極彩色。中央には牙の並んだ巨大な口が存在し、粘液を滴らせている。

 遥か上方の天井をうぞうぞと這うのは花のモンスターだ。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

 破鐘(われがね)の咆哮とともに花の怪物は天井から落下した。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 僕も咆哮を返し、怪物の群れを迎撃する。

 




『隻眼のミノタウロス』
名前:ミノたん(仮)
推定Lv.5相当
到達階層:26階層
装備
【ウダイオスの黒剣】
・アイズの身の丈より長大な剣。
・第一級武装にも劣らない階層主の『ドロップアイテム』。
・彼は未加工のまま使用している。
【ウンディーネ・クロス】
・精霊の護布。水属性に対する高耐性。水中活動ての恩恵ももたらす。
・大半が破れ、残りを首元に巻いている。型はマフラー。

補足
『技』を使うリザードマン=リザードマン・強化種
花のモンスター=ヴィオラス


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話:怪花と猛牛

10怪花と猛牛

 

「レヴィス、侵入者だ」

 

 赤光に照らされる不気味な大空洞で、男の警告がもたらされる。

 

「モンスターか?」

「ああ、それも珍しいことにミノタウロスだ」

 

 興味の欠片も示していなかった赤髪の女、レヴィスが白づくめの男の言葉に肉壁の一部、月の表面を思わせる蒼白い水膜を一瞥した。そこには食人花と交戦する一匹の猛牛が映し出されていた。

 彼女が興味を示したのは侵入者がミノタウロス(・・・・・・)だからだ。

 ミノタウロスの出現階層は15階層から。モンスターの階層間の移動は度々あるが、それも精々上下2階層までというのが一般見解だ。つまりミノタウロスが現れるのは13〜18階層まで。『大樹の迷宮』と呼ばれる19〜24階層に姿を現わすことはない。ましてここは中層最奥部の24階層。ミノタウロスが現れることそのものが『異常事態(イレギュラー)』だ。

 だが、それだけならミノタウロスが迷い込んだで済ませられる。ミノタウロスの潜在能力(ポテンシャル)はLv.2相当。Lv.3相当の食人花は物量で押せば第二級冒険者でさえ圧殺できる。ミノタウロス程度なら瞬殺だ。そう水膜を見ていたレヴィス達は判断したが

 

「——強いな」

「そのようだ。通常種とは比べものにならん」

 

 水膜の向こうに映し出されていたのは食人花が猛牛を食い荒らす光景ではなく、猛牛が食人花の群れを一方的蹂躙(ワンサイドゲーム)する光景だった。

 

 猛牛の跳び蹴りが炸裂する。硬質な蹄が食人花の頭部を粉砕。そのまま食人花を踏み台に宙へ。二方向から襲おうとした食人花を黒大剣で両断した。

 落下中にも更に二匹の食人花を切り捨てる。地面に着地。着地の隙についた食人花が必殺(たいあたり)をするが猛牛はあろうことか片手で受け止める。歴然たる『力』の差をまざまざと見せつけた。

 

「……Lv.5以上か」

食人花(ヴィオラス)だけでは歯が立たん。間違いなく『強化種』だ」

 

 白づくめの男は「あんなものがいま来るとは」と憎々しげに呟く。

 レヴィスは興味をなくしたのか、水膜から視線を外し、再び地面に座り込んだ。

 

「放っておいていいのか、レヴィス?」

「ああ、私は動かん。たまにはお前が動け」

「……わかった」

 

 白づくめの男は背を向けて、大空洞から動き出す。侵入した猛牛を抹殺するために。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——数が多過ぎる⁉︎

 

 

 花のモンスターを倒して進んだと思ったら別の群れに襲われ、また倒して進んだら別の群れが襲ってきた。数えていないがそろそろ百に達しそうだ。

 

 斬っても斬っても湧いて出る花のモンスターにため息を吐くと、また前方から花のモンスターが押し寄せてくる。

 

 ——ああもう、しつこい!

 

 悪態をつきながらも敵の体躯と体躯の隙間をすり抜け、すれ違いざまに斬りつける。長駆を深く、鋭く斬り込まれた花のモンスターは絶命。すぐさま別のモンスターに斬りかかり、頭部を叩き割った。

 その場で跳躍し、頭上に控えていた花のモンスターを両断。しかし、別の個体が大口を開け、強襲する。

 落下中で避けることができない僕は花のモンスターに食われるが、片腕で上顎を、両脚で下顎を、押し広げることで口を閉じられないようにする。そのまま空いている腕に持っていた黒大剣を弱点(ませき)に突き立て、砕いた。急所を破壊された花のモンスターは灰と化す。

 

 ——しまった。せっかくの魔石を砕いてしまった。

 

 何度目とも知れない花のモンスターの強襲をはね返し、最後の一匹を仕留めた時。

 長く続いている通路の先から、血の色のような赤い光が漏れ出ているのを僕は視認した。

 

 ——通路の灯りと違う。あれがゴールかな?

 

 そもそもこの先に何があるのか知らない。でも、他とは比べものにならない濃い腐臭からあそこに原因があると直感した。

 そう思った僕は緑壁の迷宮を駆け抜ける。

 

 ——あ、『ドロップアイテム』らしい『花弁』は回収していこう。斬撃には弱いけど僕の打撃に耐える固さだ。良い防具になりそう。

 

 腐臭が濃くなっていく中を突き進み、赤い光が滲む通路の出口へ飛び込んだ。最奥の大空洞へ、足を踏み入れる。

 

『——』

 

 視界が一気に開けた直後、僕は絶句した。——違う。ここに来たことない。だから、この光景が正しいのかは知らない。でも、この光景が‘ありえないくらい異常(・・)なのは肌で感じ取れる。

 ここまでの道のりと同じように緑の肉壁に侵食された広大な空間。大きさが異なった無数の蕾が至る場所から垂れ下がっており、何よりも視線と意識が向かうのが中央にある神秘的な光を放つ水晶の大主柱には寄生する巨大なモンスター(・・・・・・・・)だった。

 

 

 ……あれは、宿り木(・・・)

 

 

 計三体、先程まで戦った花のモンスターに酷似しているが、高さ三十メートルはある赤水晶の大主柱に絡みついている。

 毒々しい極彩色の花頭を三輪咲かせた超大型は、全長も、体躯の太さも、花のモンスターの十倍はくだらない。大長駆から派生した蔦に似た触手を大主柱の表面にくまなく行き届かせている。

 ドクンッ、という間隔の長い鼓動音の度に、何かを吸い上げるかのような奇音は、まるで大主柱から養分を吸っているようだ。いや実際にそうなのだろう。巨大花は水晶から滲み出す液体を片っ端から吸収していた。

 

 ——あれがこの気持ち悪い肉壁を作っている原因で間違いなさそうだね。

 

 巨大花の触手や根は大主柱だけにとどまらず、そのまま大空洞全域に伸びて緑色の肉壁を作り上げていた。大主柱から溢れ出る養分を無限に吸収し、体の組成を爆発的に拡大させるモンスターが、この緑色の迷宮の正体だ。……で、あそこで殺気立ってるのがこの巨大花で何かを企ててる人達か。

 

 僕の視線の先、上半身を隠す大型のローブに、口もとまで覆う頭巾、額当て。顔を素性を隠したいかにも怪しい人です、と言わんばかりの格好をした謎の集団がいた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

「ここまで来たか」

 

 猛牛がこちらを見ていたように男も猛牛に対して身構えていた。

 大主柱の根もとの側で待機する全身白ずくめの男は、白骨(ドロップアイテム)から作られた鎧兜から侵入したミノタウロスを睨む。

 

「何をやっているっ、どうしてたかがミノタウロス一匹にここまでの侵入を許した⁉︎」

「あのミノタウロスは強化種だ。食人花(ヴィオラス)だけでは歯が立たん」

 

 白ずくめの男がミノタウロスを見据えていると、一人のヒューマンが彼に非難する。男は感情を押し殺した声音で返した。

 

「仕事をしろ、闇派閥(イヴィルス)の残党ども。『彼女』を守る礎となれ」

「ッ……言われなくとも!」

 

 ローブの男は目もとを歪めながら踵を返す。続くように闇派閥(イヴィルス)の残党と呼ばれた集団は次々と白刃を抜き放った。

 

「殺せ‼︎」

 

 周囲とは色違いのローブを纏った男——指揮を預かる頭目らしきヒューマンの一声に、大空洞にいるローブの者達は呼応した。獲物を掲げ、ミノタウロスのもとに押し寄せる。

 

 猛牛は黒大剣を握り直し、開戦。怪物と人の集団の激しい争いが巻き起こる。

 ローブの集団は三十人以上の人数を誇り、中には上級冒険者級の動きを見せる敵も複数いる。だが、そんなものは『隻眼のミノタウロス』の前には無意味だった。

 

 繰り出される剣と槍、敵後衛が放つ矢。その全てがまとめて無力。ミノタウロスは一切の防御をしていない。

 彼のぶ厚い筋繊維は第一級冒険者のアイズの斬撃さえ通さない。そんな彼の体に第三級冒険者程度しかない者達の攻撃が通るはずがない。そして彼が繰り出す攻撃は全てが敵にとって必殺となる。

 

 剣で防ごうとしても剣もろとも胴体を両断される。槍で受け流そうとしても問答無用で叩き割られる。回避しようとしてもそれさえ許されず斬り捨てられる。

 数の差も小細工も圧倒的な力の前には無意味とばかりに猛攻は止まらない。

 

「神よ、盟約に沿って、捧げます……」

 

 だが、敵もただで終わらない。脚を折られ、狩られるのを待つだけの男の口もとから、くぐもった声が漏れる。

 男が意を決したように眦を切り裂き、勢いよく腰に手を回すと——その反動でローブの中身があらわになる。

 彼の上半身に巻き付いていたのは、炎を封じ込めたかのような、真っ赤な紅玉だった。

 

『ブォ?』

 

 猛牛はその正体を知らず、首をかしげる。ゆえにかしげるだけでそのまま斬り捨てようと黒大剣を振り上げる。男はその隙に手を動かした。

 導火線が繋がる腰の小箱——発火装置から伸びた紐を勢いよく引く。

 

「この命、イリスのもとにぃ——————‼︎」

 

 叫んだ瞬間、火箱を点火させた男の体は、爆散した。

 

『ブゥオッ⁉︎』

 

 予想外の反撃。防御姿勢もとれなかったミノタウロスは、巻き起こった大爆発に呑まれた。

 

 彼が知らないことだが、紅玉の正体は『火炎石』。

 深層域に生息するモンスター『フレイムロック』から入手できる『ドロップアイテム』。加工されていない怪物の肉体の一部は強い発火性と爆発性を持つ。

 男の体に巻き付けられた火炎石は入手できる『ドロップアイテム』の中でも殊更巨大なものであり、それも数珠のようにいくつも繋がっている。

 

 それが間近で起爆すれば第一級冒険者でもタダではすまない。倒せぬねらば道連れにしても殺す。文字通り、決死の覚悟で実行された自爆(・・)

 

「——愚かなるこの身に祝福をぉ‼︎」

 

 そして男に続くように次々とローブの者達が爆煙に飛び込み、自爆を行う。あの強大なミノタウロスを殺し切るには一つ二つの命では足りないと言わんばかりに。

 ミノタウロスのいた場所が激しい光に包まれる。耳をつんざく轟音とともに炎の塊が、飛び散り、大空洞を煌々と照らし出す。

 

 ——彼等は死兵(・・)だ。使命のために全てをなげうった者達。最も性質(・・)の悪い、死をも覚悟した一団。

 本能のおもむくまま殺意を剥き出しに襲いかかる怪物。狂気に促されるまま命さえ爆弾に変えて襲いかかる死兵。果たしてバケモノはどちらなのか。

 答えは人によって違うだろう。だが、今回は

 

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 

 ——前者である、と断言できる。

 爆炎からミノタウロスが姿をあらわす。彼の体は傷ついてはいる。大爆発によって焼け焦げた胴体は、しかしそれだけだ。深手にはほど遠い。

 更に、ミノタウロスの皮それ自体は耐熱耐寒効果を持つ。強化種である彼の皮は耐性が極めて高くなっており、『水精霊の護布(ウンディーネ・クロス)』と組み合わさることで、幾度もの大爆発を間近で食らおうと健在なほどの火耐性を獲得していた。

 戦闘に支障がないことを確認したミノタウロスは再び蹂躙を開始した。ローブの者達が自爆するのも気にせず襲いかかる。

 

「やはり、神に縛られる愚者どもは役に立たん——食人花(ヴィオラス)

 

 白ずくめの男が口を開いた瞬間、大空洞中のモンスターが一斉に首をもたげた。まるで一つの意思のもと統率されたように、沈黙を破って凄まじい勢いで行動を開始する。周辺から蛇行して、猛牛のもとに殺到した。

 食人花は数え切れない触手と巨大な牙で襲いかかり、必殺(たいあたり)を繰り出す。

 手当たり次第な攻撃は敵味方見境なしに蹂躙を働くが

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 それがどうしたとばかりに彼の『咆哮(ハウル)』が轟く。食人花も、ローブの者達も、強制停止(リストレイト)に追い込む。ミノタウロスは硬直しているモンスターの中で一番近くにいた食人花の大口に手を突き入れ、魔石を引き抜く。急所(ませき)を抜かれた食人花は灰となった。

 握られた魔石を猛牛はそのまま口に持っていきパクリ、とオヤツ感覚で食べてしまった。そして未だ硬直するモンスターと人間に襲いかかった。

 

食人花(ヴィオラス)では餌になるだけか……私が出るしかないな」

 

 ただ一人、彼の『咆哮(ハウル)』を浴びて一切の硬直を見せなかった白ずくめの男が、鎧兜の奥から覗く両眼を細めた。

 

 

 




補足
巨大花=ヴィスクム
白ずくめの男=オリヴァス・アクト


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話:白鬼と猛牛

11白鬼と猛牛

 

 

 ——数が多過ぎる⁉︎

 

 前話でも同じようなことを言った気もするが何度でも言おう。数が多過ぎる。

 

 あの自爆する狂った人達を相手にしていたら、花のモンスターまで襲いかかってきた。その数は通路で戦った比じゃない。

 ここは奴らの巣なの、と叫びたいくらい尋常じゃない数が襲ってくる。ざっと見渡しただけでも百は下らない。

 正直、きりがない。殲滅するにも一匹一匹が速いから時間がかかる。となれば

 

 色違いのローブの男がいる場所の更に奥、白骨(ドロップアイテム)の鎧兜を被る白ずくめの男。あの人物の動作で花のモンスターが一斉に動き出した。あの男がモンスターの指揮をしているのは間違いない。人間にモンスターが従っているのか疑問だけど、いまはあの白ずくめの男が指揮官なのは事実。ならば頭を潰せば花のモンスターも統率を失う。

 白ずくめの男に狙いを定め、僕は駆け抜ける。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 再び『咆哮(ハウル)』。敵全てが強制停止(リストレイト)している間に高速で白ずくめの男のもとへ。途中、人間側の指揮官らしい色違いのローブの頭目に黒大剣を一閃。

 

「があっ⁉︎」

 

 致命的に硬直していた色違いのローブの男は避けることも、防ぐことも、武器を構えることも許されずに切り捨てられた。崩れ落ちる男を置き去りにそのまま駆ける。

 

「やはり私が始末するしかないか……」

 

 口端に皺を寄せる白ずくめの男は、自ら前に出る。迫る猛牛を迎撃する素振りを見せるが、あっという間に埋まる間合い。先に猛牛が仕掛けた。

 上段から振り下ろされた黒大剣を、白ずくめの男は難なく空振りに終わらせる。振り下ろした一瞬の隙を、男は見逃さない。

 腕を伸ばし、猛牛の角を掴む。そのまま地面に叩きつけられる。

 

「ぬんッ!」

『ブゥッ⁉︎』

 

 頭から地面に当たり、脳に響く衝撃。視界がチカチカしてうまく見えない。

 

 ——なんて馬鹿力!

 

 お前が言うな、と言われそうだけどこの男の膂力は尋常じゃない。巨躯の僕を難なく片腕で持ち上げ、そのまま振り回す恐ろしい怪力。……いや、そもそもこの男、人間(・・)か? 人間の匂いはする。ただそれに混じってもう一つ匂いが……。

 思考を巡らせていると男が追撃をかけようとする。

 僕は逆さまになったままカポエイラのように体を回転させ、回し蹴りを繰り出す。男は後方に飛ぶことで回避。

 その隙には片腕だけで自らを持ち上げ、跳躍。一回転して姿勢を元に戻し、再び接敵する。

 

 男が掌撃を繰り出せば、猛牛は片腕を掲げ防御する。黒大剣で反撃すれば男は難なく回避して蹴撃が返される。

 男も、猛牛も、並の冒険者では視覚で捕捉もできない恐ろしい速度の白兵戦を展開する。

 凄まじい攻撃と反撃の応酬だ。両者の戦い方は似ている。素手で人を粉砕できる恐ろしい膂力、異様とも言える打たれ強さ。

 男は掌撃を、猛牛は鉄拳を、何度も防御を超えて直撃させているにもかかわらず、互いに応えた素振りを見せない。打撃が効かないほどの強靭性(タフネス)を発揮しながら攻撃を与え続ける光景はいっそ異常だ。

 ただ一つ勝敗を分ける要素があるとすれば、それはミノタウロスが持つ《ウダイオスの黒剣》だ。

 

 繰り出す鉄拳の連撃ともに繰り出される《ウダイオスの黒剣》の一閃。男は大きく後退して回避する。

 《ウダイオスの黒剣》は上級鍛治師(ハイ・スミス)が鍛え上げた第一級武装に匹敵する『ドロップアイテム』。

 男が並の刃物では食い込むこともできない強靭な筋繊維をしていようとこの黒大剣だけは防げない。猛牛の攻撃手段の中で有効打を受けてしまう唯一の武器だと理解しているから、男は《ウダイオスの黒剣》を異常なまでに警戒する。

 ゆえに黒大剣の攻撃は絶対に当たらず、拮抗が続く。

 

食人花(ヴィオラス)!」

 

 時間が経過する中、戦況を動かすべく男は声を張り上げる。

 猛牛の遥か頭上、緑肉の天井に無数に存在する蕾が複数開花した。醜悪な牙と口腔を真下に晒すモンスターは、男の叫びに応じるように次々と落下する。

 猛牛は迫りくる長駆の影を黒大剣で次々と切断。食人花に意識が向いた隙に白ずくめの男がたたみかける。

 手を掌撃でなく手刀に変えて喉を狙った攻撃。人間に近い肉体構造をしているミノタウロスは肉体的急所も人間に類似している。

 筋繊維の少ない喉は他に比べて脆い。そこに白ずくめの男の手刀が突き刺さった。

 

『ヴォ……⁉︎』

「終わりだ、化物め!」

 

 ミノタウロスが初めて血を流す。何より喉の傷は呼吸困難に繋がる、戦闘能力の低下は免れない。

 

 ——マズイ。このままだとジワジワと追い詰められる。

 

 食人花は続々と襲い掛かる。モンスターの処理に集中すれば白ずくめの男にまた急所への攻撃を許してしまう。かといって無視できるほど食人花は雑魚ではない。

 

 しばしの思考の後、ミノタウロスは黒大剣を両手で掴み、大上段に構える。

 いかなる防御も一刀で斬り伏せる威力を秘めた攻撃態勢。代わりに防御の一切を行えない捨て身の構えだ。

 当たれば必殺。外せば致命的な隙を生む。生死を賭けた大博打。

 

「破れかぶれの特攻か? 単純なモンスターらしい」

 

 男は冷笑を浮かべながら迎撃の構えに入る。

 応えるように『隻眼のミノタウロス』が咆哮する。

 大剣によるフルパワーの振り下ろし。彼の怪力から繰り出される剛閃は一撃必殺。階層主さえ仕留める威力がある。

 

「防げ!」

 

 白ずくめの男はモンスターを無理矢理操り防護壁を形成した。何匹もの食人花が折り重なって作られた肉壁により男の姿が見えなくなる。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 猛牛は構わず攻撃する。盾となったモンスター達に大剣が食い込み、容易く斬り裂く。何匹ものモンスターを切断しながらも大剣は減速しない。威力を衰えぬまま必殺が全てを両断し、地面まで到達。爆撃めいた一撃が地中を掘り返し、巨大なクレーターを作り上げる。

 

 食人花の肉の欠片と体液が飛び散る。モンスター達は塗料と化し、地面を凄惨な光景に染め上げた。だが、その中に白ずくめの男の死体はなかった(・・・・・・・)

 

「やはり知性なきモンスター。このような手に引っかかるとは……」

『——ッ!』

 

 真横から聞こえた声に猛牛は驚愕する。視線を向ければ、そこには手刀を振り上げる男がいた。狙うは黒大剣を振り下ろしたことでこうべを垂れるな姿勢になったことで突き出された首。

 

 食人花は防護壁ではなく目眩し。男はモンスターで姿を隠した後、僅かに横にズレることで黒大剣の軌道から逃れた。そして攻撃後の無防備な猛牛に止めを刺す気だ。

 男の怪力と硬い手刀ならば猛牛の首も切断可能だろう。まさかに絶対絶命。——この猛牛が‘ただのモンスター’だったら。

 彼は地面を踏み締め、無理矢理方向転換。真横にいた男に突進を繰り出す。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

「何ッ……⁉︎」

 

 男は忘れていた。あまりにこのミノタウロスが人間らしい動きをするから。目の前にいるのは人外の存在。人が持たない武器(つの)を持ったモンスターであること。

 『隻眼のミノタウロス』の角は、度重なる魔石の摂取によって極めて硬くなっている。武器として使用すれば《ウダイオスの黒剣》と同等の第一級武装に匹敵する『ドロップアイテム』と化す。

 これが彼の切り札。生来から持つ最大の武器。第一級冒険者(ベート)さえ倒した必殺が白ずくめの男に牙を剥いた。

 

「————————————————ッッ⁉︎」

 

 完全な不意打ちに、防御もできず男は凄まじい勢いで後方へと吹き飛んだ。

 背中で緑肉の地面を削り取りながら勢いは止まらない。うずたかく積まれていたモンスターの死灰を巻き込む男の体は、巨大花が寄生する大主柱の前でようやく止まった。

 

 ……やったか?

 

 いまの完全な致死の一撃(クリティカルヒット)だ。胸を相当深く抉った。良くて瀕死。悪ければ即死。あの必殺を受けて無事で済む道理はない。

 固唾を飲んで僕は灰が巻き上げられて煙が発生する先を見据える。そして

 

『——ッ』

 

 煙の奥から長身の影が浮かび上がり、ゆっくりと歩み出てくる。

 

 ——化物だね、あれが直撃して動けるなんて。

 

 白ずくめの男は、全身をボロボロにしながらもその二本の足で立っていた。

 猛牛の必殺による損傷は激しい。白骨(ドロップアイテム)の鎧兜は破壊され、猛攻を受けた部分の戦闘衣(バトル・クロス)は大きく破け、薄紅色の血肉を晒していた。特に胸部が酷い。角の直撃によって皮膚と肉が抉られ、肋骨があらわになっている。だが、それ以上に目を見開くのが中心に埋め込まれていた極彩色に輝く結晶(・・・・・・・・)

 

「……惜しかったが」

 

 埋め込まれてモノに猛牛が絶句する中、血の気のない男の唇が動く。

 うつむいて目もとを隠す前髪の下で、男は薄気味悪く笑った。

 

「『彼女』に愛された体が、この程度で朽ちるわけがない」

 

 唇が裂けんばかりに吊り上がった、その時だった。男の体に変化が訪れる。

 角で抉られた胸部、そして鉄拳を浴びた胴体も含めて。ゆっくりと、傷口が塞がっていく(・・・・・・・・・)

 回復魔法が発動しているわけではないにもかかわらず、ありえない自己治癒能力。彼の視線の先で男が損傷がなかったことになっていく。体中から蒸気のようにうっすらと立ち上がっているのは、『魔力』の残滓と思わしき極小の粒子だろうか。

 男は、『魔力』を燃焼させることで怪物特有の自己再生を行った。

 そして再生する男の体を観察して彼は気付く。下半身、破けた服の中。二本の足はまるで食人花の体皮と似た黄緑色に染まっている。

 

 ——異常な打たれ強さ。ありえない自己治癒能力。花のモンスターと同色の足。何より胸部にある極彩石。ここまで揃えば決定的だね。

 

 僕は自分の推測が正しかったと確信する。この男からは二つ(・・)の匂いがしていた。一つは人間。もう一つは

 

 ——僕と同じ怪物の匂いだ。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——くっ、自己治癒に体力と魔力を消耗し過ぎたか……。

 

 白ずくめの男、オリヴァス・アクトは内心で悪態を吐く。

 顔色にこそ出してないがいまのオリヴァスは碌に動かない。

 

 ——私を生かそうとしてくださる『彼女』の加護は、未だこの身には過ぎた代物か。

 

 体の傷は完全に消えている。だが代償として多大な魔力と生命力(エネルギー)を使用し、先程まで猛牛と繰り広げた攻防は不可能になっていた。

 動けるまでの体力を回復させるためにどう時間稼ぎをするか、猛牛(バケモノ)に視線を向けると

 

 生存本能がそうさせるのか、それともオリヴィスがしたことを真似ているのか、首元から『魔力』の残滓が立ち上がり、喉の傷口か塞がっていく(・・・・・・・・・)

 ミノタウロスもオリヴァス同様、魔力を燃焼させ自己治癒を行っていた。

 

 これで互いに外傷なし。しかし、仕切り直しとはいかない。ミノタウロスが首元の損傷だけに対してオリヴァスは全身の打ち身、特に胸部の自己治癒に魔力を消耗し過ぎた。いま戦闘になればオリヴァスに勝ち目はない。

 こうなれば巨大花を、と思考していた時

 

『……オ前、何?』

「——なっ⁉︎」

 

 オリヴァスは絶句する。理性なきモンスター。人と意思疎通が不可能なはずのミノタウロスが言葉を発した(・・・・・・)

 言葉が出ないオリヴァスに構わず、ミノタウロスは疑問をぶつける。

 

『オ前、人間ノ匂イ、スル。デモ、怪物ノ匂イモ、スル。ドッチデモ、アッテ、ドッチデモ、ナイ。……オ前、何?』

 

 ミノタウロスの疑問。オリヴァスは同胞(かいぶつ)仇敵(にんげん)、果たしてどちらの存在なのか。

 そんな疑問が込められた言葉にオリヴィスは唇に笑みをしたたらせながら、その白髪を揺らした。

 

 ——私が何かだと? 私は『彼女』に選ばれた存在。いかに言葉を喋れる程度の知性を有そうと特別(わたし)を理解はできんか。ならば無知なモンスターに私がどれほど崇高な存在か知らしめてやろう。私は高らかに宣告する。

 

「人と、モンスターの力を兼ね備えた至上の存在だ」

 

 オリヴァスはミノタウロスを見下しながら高言を吐いた。

 人とモンスターの『異種混成(ハイブリッド)』。

 知性と能力(ステイタス)、そして怪物の怪力と強靭な肉体を有する個体。

 混じり合うはずのない二つの力を持った——そのような荒唐無稽な存在だと言う。

 

食人花(ヴィオラス)も、私も、全ては『彼女』という起源を同じくする同胞(モノ)。『彼女』の代行者として、私は『彼女』の願いを叶えよう!」

 

 オリヴァスは饒舌になる。歓呼するように『彼女』への想いを叫ぶ。

 

「『彼女』は空を見たいと言っている! 『彼女』は空を焦がれている‼︎ 『彼女』か望んでいるのだ、ならば私はその願いに殉じてみせよう‼︎ そのためにお前などに邪魔される訳にはいかんのだ、ミノタウロス‼︎」

『……ソウ』

 

 長々と続いた宣告。黙ってきいていたミノタウロスは短く答えて黒大剣を構えた。

 

『オ前ガ、何ヲシタイカ。『彼女』ガ、誰ナノカ。ソンナ事ハドウデモイイ(・・・・・・・・・・・)

 

 どれだけ崇高な目的があろうとミノタウロスには関係ない。もとより彼がここに来たのは緑壁の迷宮が自身に害である判断したからだ。

 オリヴァスの言葉で自分に関係ある計画ではないのは分かった。だが、ここまで戦った以上は互いに収まりはつかない。

 少なくとも彼はオリヴァスの魔石を捕食しなければ割に合わないと考えていた。

 

「野蛮なモンスターに理解できんか。ならば死ね。——巨大花(ヴィスクム)

 

 オリヴァスはばっ、と片腕を高々と上げた。直後、大主柱に寄生していた三体のモンスターの内、一輪の巨花が蠢き、震え、毒々しい花弁を眼下の仔牛(ミノタウロス)に向ける。咆哮の代わりに鳴り響くのは、大主柱と緑壁に一体化した体をベリベリと引き剥がす、耳を塞ぎたくなるような裂音だった。

 階層主、いや全長から見れば優にそれ以上の大きさを誇る巨大花のモンスターは、恐ろしいほどの体積を鉄槌にして地面に叩きつけた。

 

『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ⁉︎』

 

 避けた猛牛は、大空洞を震撼させる衝撃波に全身を揺さぶられる。

 

「蹴散らせ」

 

 オリヴァスの命に従い、巨大花が動いた。

 迫りくる濃緑の大長駆にミノタウロスは回避行動を取る。これほどまでに巨大な相手に半端な行動は許されない。巨大な長駆が蛇行するだけでそれは必殺となりうる。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 巨軀から幾多も伸びる蔦の触手を躱しながらミノタウロスは反撃する。跳躍してフルパワーの横薙ぎを見舞う。

 凄まじい剛閃に、巨大花の体の一部は大きく切り裂かれるが、それも焼け石に水だった。モンスターは痙攣して苦しむ素振りを見せるものの、致命打には遠い。

 動きの速度や攻撃そのものは大したことはないが、まともに戦うのが馬鹿馬鹿しいほど質量と規模が違い過ぎる。

 

「ふははははははははっ⁉︎ 行け巨大花(ヴィクスム)、この神聖な空間に足を踏み入れたモンスターを根絶やしにしろ‼︎」

 

 戦場を傍観するオリヴァスの高笑いが響く。

 未だに二体の巨大花を手の内に残す男の余裕は微塵も崩れなかった。全身の傷も塞がりゆるりと体力回復を待つ中、周囲の食人花も使役してミノタウロスに襲いかからせる。

 

 あまりに多勢に無勢。食人花だけならまだしも巨大花はミノタウロスも無視できない。しかし、渾身の一刀は大して効かず、食人花達が邪魔で巨大花に集中できない。そして巨大花は食人花が巻き込まれることも気にせず体当たりを繰り返す。

 そんな絶望的状況の中、ミノタウロスは何を思ったのか。巨大花の体躯を駆け上がり、花頭部分に到達。そのまま巨大花の正面に跳び出した。

 

「はははっ、血迷ったか‼︎ 丸呑みにしてやれ、巨大花(ヴィクスム)

 

 オリヴァスの命令に巨大花は食人花より何倍もある大口を開ける。その大きさは大型モンスターのミノタウロスを一飲みにして有り余るほどだ。

 巨大花は空中のミノタウロスに突進。ミノタウロスは口腔に消えていった。

 

「ふははははははははっ⁉︎ これが『彼女』に刃向かった者の末路だ! 自身の愚かさをあの世で悔い——」

 

 それ以上は続かなかった。巨大花の動きが突如、停止。不自然に何度も痙攣するモンスターは、断末魔を発さないまま、大長駆が膨大な灰へと果てる。

 

「なっ、なぁっ……⁉︎」

 

 充満する灰で視界が塞がれ、一歩、二歩と、オリヴァスはその場から後退する。何が起きたか理解できない。その一瞬の空白、オリヴァスは迫る影の接近を許してしまう。

 灰煙を突貫した手刀が、オリヴァスの胸部に突き刺さった(・・・・・・)

 

『フゥウウウウウウウウウッ……!』

「なっ——」

 

 オリヴァスの前に現れたの喰われたはずのミノタウロス。破った胸の中に埋める手刀。生々しい鼓動の音に合わせて溢れていく血液。

 ミノタウロスは、ぐぐっ、と更に手を押し込んでいく。口には極彩色の魔石が咥えられており、それを目の前で噛み砕いた。

 

 ここでオリヴァスは悟った。ミノタウロスが巨大花に喰われたのは血迷ったわけではない。弱点(ませき)を破壊するためだったのだ。

 食人花と巨大花は大きさは違うは姿形はよく似ている。必然的に魔石の位置も類似する。だから、わざと食べらせたのだ。

 そして巨大花を撃破したミノタウロスは、オリヴァスの魔石も喰らおうと手刀を突き刺している。

 

「よせ、やめろ! 私はこんなところで死ねない! 『彼女』を守らねばならん! 『彼女』の望みを叶えなければ——⁉︎」

 

 オリヴァスの叫びを無視して、ミノタウロスは勢いよく胸部から手を引き抜いた。その手の中に握られているのは、血に濡れた極彩色の『魔石』。

 核を引き抜かれたオリヴァスは、モンスターの末路と同じく、あっけなく灰となって崩れ落ちた。

 オリヴァスから摘出した『魔石』を口の中に含み、嚙み砕く。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 漲る力。いままでで一番の全能感にミノタウロスは咆哮した。

 飛躍的な能力(ステイタス)の上昇。彼は新たな段階に力を進化させた。

 

 

 




『隻眼のミノタウロス』
名前:ミノたん(仮)
推定Lv.6相当
到達階層:26階層
装備
【ウダイオスの黒剣】
・アイズの身の丈より長大な剣。
・第一級武装にも劣らない階層主の『ドロップアイテム』。
・彼は未加工のまま使用している。
【ウンディーネ・クロス】
・精霊の護布。水属性に対する高耐性。水中活動ての恩恵ももたらす。
・大半が破れ、残りを首元に巻いている。型はマフラー。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話:赤髪と猛牛

 ……疲れた。それに体中が痛い。

 

 白ずくめの男との死闘に勝利した僕はドカッとその場に座り込んだ。

 ここにくるまでのモンスターの大群、花のモンスターの群れ、そして巨大花と白ずくめの男。相次ぐ連戦による疲労に体は限界を迎えていた。

 

 僕は周囲を見渡す。肉壁から間欠的に生まれる花のモンスター、大主柱に絡みついた巨大花、どちらも動く気配はない。白ずくめの男の指示がなければ行動は起こさないようだ。

 丁度いいとばかりに、僕は休息をとる。そこら中に散らばる極彩色の魔石をオヤツ感覚でポリポリと食べながら、体力を回復させる。

 

 ——さて、これからどうするか……。

 

 この緑肉の迷宮を作っているのが巨大花だと分かった。そして元凶らしき白ずくめの男も始末した。あの男の指示がない限り、巨大花は活動停止しているだろうから、ほっといてもいいかも知れない。

 元々ここに来たのは肉壁がこのまま広がり、僕の生活圏を脅かすんじゃないかと危惧したからだ。でも、指揮官(あたま)を失ったことで巨大花は活動停止。これ以上広がることはないだろう。だったら後は他人事、この気持ち悪い緑肉の迷宮からオサラバしよう。

 

 辺りを見渡しながら今後のことを考えていると——大主柱の根もとにあるモノを見つけた。

 戦闘中は気付かなかった緑色の球体が、取り付いていた。近くに寄り、観察してみると

 

 ——何、これっ……?

 

 僕の片手に収まる大きさの球体。

 緑色の宝玉。薄い透明の膜に包まれているのは液体と——不気味な胎児だ。

 丸まった小さな体に不釣り合いなほど大きな眼球が、僕を見上げている。まるで雌であることを象徴するかのように髪が生えており、頭部の位置から曲線を描く背筋の先端まで伸びていた。謎の幼体は身動ぎせず沈黙を守っでいるものの、ドクンッ、ドクンッ、というかすかな鼓動を打っている。

 

 ——モンスターの……子供? 

 

 一瞬、そんな考えが浮かんだが、それはありえないと頭を振る。

 モンスターは成体で産まれる。生まれてすぐ人間と戦えるために。だから、モンスターに幼体は存在しない。じゃあ、これは何ってことになるけど。

 でも、確信できることが一つ。この緑肉の迷宮も、花のモンスターも、巨大花も、白ずくめの男も、この胎児で何かをしようとしていたんだ。

 改めて見上げる胎児を見る。

 

 ——それにしても、本当に何の反応もしないね、これ。

 

 鼓動を感じるから生きている。僕をハッキリと認識しているから、意識はある。でも、沈黙を続けている。

 人間の赤ん坊なら、目の前にミノタウロスなんてモンスターがいれば泣き叫ぶぞ。いや、どう見ても人間じゃないけどさ。

 あまりにも反応がないので、僕は色々試してみることにした。とりあえず——よし、これでいこう。

 

『イナイイナイ……』

 

 両手を閉じ顔を隠す。阿呆である。あろうことかこの猛牛。不気味な胎児に『いないいないばあ』を実行しようとしている。それとて赤ん坊にすることであって、胎児にすることではない。

 

『——ヴゥオ!』

 

 両手が左右に開かれ、そこには凶悪で、獰猛で、醜悪な牛頭が現れる。しかも掛け声が雄叫びになっており、威嚇しているようにしか見えない。

 

 ——うん。やって思った。こんなこと赤ん坊にしたら泣く。泣き叫ぶに決まっている。

 

 しかし、胎児は無反応。恐怖心もない無感動の瞳で猛牛(ぼく)を見つめ続ける。

 ここまで反応がないと、なにがなんでも反応させてみたくなる。

 変な意地を発揮させ、僕はあの手この手で胎児の興味を引こうとした。花のモンスターのドロップアイテムである『花弁』で数個の小石を包んでガラガラを作ってみたり、ローブの人達の所持物から人形を作ってみたり、とにかく胎児か何か反応しないか試した。

 だから、僕は接近する気配に気付かなかった。

 

「……何をしている?」

 

 背後から呆れた声。僕はビクッとなって振り向いた。

 

 

 そこには呆れた目で僕を見る赤髪の女性がいた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 オリヴァスとミノタウロスの死闘。オリヴァスの敗北を見届けた私は食料庫(パントリー)に向かった。

 

 ——あれだけ啖呵を切っておいて、使えない。

 

 悪態とは裏腹にその歩みは焦りがあった。

 あのミノタウロスが何の目的で来たからわからない。だが、番人がいなくなった以上、『宝玉』が無防備となった。それは危険だと、走る速度は速くなる。

 

 『宝玉』は無事か、ミノタウロスに破壊されていか、ミノタウロスに寄生して暴走していないか、不安を顔色に出さず進むと

 

 

 宝玉を前に珍妙な行動をするミノタウロスがいた。

 

 

「は……?」

 

 こんな光景は予想していなかったのか、レヴィスは開いた口が塞がらない。

 破壊と殺戮の衝動に支配されたモンスターが——彼女はこのミノタウロスが喋るのを知らない——まるで赤ん坊をあやすような行動をしている。そのことを理解するのにレヴィスはたっぷり一分かかった。

 

 ——何だ、あのミノタウロスは⁉︎

 

 侵入した時点で異常に強い個体とは理解していた。しかし、こんな行動をするとは予想外だった。……何となく声をかけずらいが、宝玉に変なことをされては堪らないので止めることにした。

 

「……何をしている?」

 

 突然の問い掛け。ミノタウロスはビクッとなりながら振り返った。

 レヴィスを認識すると、気まずそうな——牛頭だがそんな雰囲気——顔をした。

 その人間らしい仕草に困惑するが、次に表情が驚愕に変わる。

 

『誰?』

「——っ!」

 

 ——喋った! モンスターが⁉︎

 

 それはレヴィスの知らない存在。未知の怪物。怪物と人間の力を持つ怪人(クリーチャー)とは違う、異端の怪物に瞳が驚愕に見開く。

 

『人間ト、怪物ノ、匂イ……サッキノ白イ奴ノ仲間?』

 

 白い奴とは、オリヴァスのことだろう。先程まで死闘をしていた敵の仲間だと分かり、ミノタウロスが警戒する。

 

「アイツと私が同族(なかま)? ——違うな」

 

 オリヴァスはアレを女神だと盲信している。アレを守るのは自分だと勘違いをしている。

 アレはそんな崇高なものである筈がない。アレを守ってきたのは私だ。

 オリヴァスも、そして私も、アレの触手に過ぎん。それに気付きもしない愚か者と一緒にするな!

 

『ソウ……ジャア、コレハ?』

 

 ミノタウロスはレヴィスの言葉をアッサリ信じたのか警戒を解き、宝玉を指差す。

 

「知っても無意味だ。ここで死ぬお前にはな!」

 

 そう言って、レヴィスは地面に片手を突き刺した(・・・・・)。細い腰が曲がり豊かな胸が揺れる中、ズズッ、と水が渦を巻くような音が足もとから発せられる。

 やがて勢いよく手を引き抜くと、赤い液体を散らしながら長い棒状の塊が吐き出された。柄が存在する、紛れもない長剣(・・)

 天然武器(ネイチャーウェポン)。ダンジョンがモンスターのために用意した武器。怪物の異種混成(ハイブリッド)である彼女もその恩恵を受けて、ダンジョンから武器を取り出すことができる。

 レヴィスが取り出したのは、生物から切り取った血肉をそのまま鋳型に流し込んだかのような不気味な外見。鍔を始めとした装飾は一切なく、紅の剣身は全く切れ味がないように見える。傷付けられれば呪われてしまうかのような、そんな禍々しい威圧感のある大剣だ。

 レヴィスは剣を振り、付着した液体を飛ばす。次の瞬間、突撃した。

 赤い髪が血飛沫のような斜線を描きながら、長剣を振り下ろす。

 ミノタウロスは真っ向から受け止め、黒大剣で弾き返した。

 響き渡る鉄塊同士を殴りつけたような鈍い音。レヴィスは凶暴な勢いで立て続けに斬りかかった。空気が悲鳴を上げる大薙ぎの一撃をミノタウロスは難なく躱し、すぐさま斬り上げを放つ。

 レヴィスも紅の長剣で受け止めるが——出鱈目な『力』に体勢を崩すほど、長剣が大きく弾かれる。

 

「なっ⁉︎」

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 動揺する暇も与えず、ミノタウロスは咆哮を上げ、追撃する。

 甚だしい連撃を浴びる女はぎりぎりの防御を積み重ね、次の一撃で堪らず大きく後退した。

 

 残念ながら、レヴィスではこのミノタウロスに勝てない。オリヴァスと戦う前ならまだしもいまのミノタウロスははLv.6。Lv.5相当のレヴィスでは文字通り格が違う。

 

「あぁ、面倒なッ……‼︎」

 

 吐き捨てられた言葉には、苛立ちが滲む出ていた。押されている事実に対する苛立ち、追い込まれている自分への怒りを力に変えるように渾身の振り下ろしを繰り出した。——だが、この時、レヴィスは冷静さに欠けていた。ミノタウロスの背後に『宝玉』があることを。

 怒りに任せた単調な攻撃。ミノタウロスは右に逸れることで難なく回避した。長剣の勢いは止まらず、直線上にあった『宝玉』に振り下ろされた。

 

「しまっ——」

 

 失態に気づいたがもう遅い。彼女自身でさえ長剣の勢いを止めることができない。長剣はそのまま『宝玉』を叩き割る——前に差し込まれた手によって阻まれた。

 

「⁉︎」

 

 渾身の一撃は差し込まれた手に掴まれ、停止。『宝玉』は傷一つないが、代わりに長剣が深く食い込んだ手から大量の血が流れ落ちる。

 レヴィスはゆっくり、手を差し込んだ本人——ミノタウロスを見据える。そして疑問の声を発する。

 

「……何の真似だ?」

『別ニ……タダ宝玉(アレ)ガ気ニナルダケ』

「……」

 

 怪我をしてまで『宝玉』を守った理由が、気になるから(・・・・・・)。その答えにレヴィスは毒気が抜かれたように、紅の長剣を下ろした。ミノタウロスから二、三歩後ろに下がって、口を開く。

 

「お前には関係ないことだ。首を突っ込むな」

『……ワカッタ』

 

 反論の一つでもあるかと思ったが、ミノタウロスはレヴィスの言葉に従い、宝玉から離れ座り込んだ。そして巨大な花弁を何枚も使い、何かを作り始める。

 

 ——『ヴィオラスの花弁』……あんな物で何するつもりだ?

 

 次々と不可解な行動をするミノタウロスにレヴィスは困惑する。彼がすることを黙って見てるしかなかった。

 

 『ヴィオラスの花弁』。

 植物型モンスターゆえに炎や斬撃に弱いが、ダンジョン攻略最前線【ロキ・ファミリア】でさえ到達していない深層域に生息しているモンスターなだけあり、第一級冒険者の打撃が全く効かない頑丈さを持つ。

 

 ミノタウロスは花弁と花弁の端を結び、一つに繋げていく。時折、紐を通す、花弁を重ねる。自分の体に合わせて大きさを調整する。

 ここまでくればレヴィスもミノタウロスが何をしているか理解した。彼は『ヴィオラスの花弁』で戦闘衣(バトル・クロス)を作ろうとしている。

 確かに打撃に対してほぼ無敵の防御力を発揮する食人花の『ドロップアイテム』で作成された防具は一級品だ。……なのだが

 

 ——へ、下手すぎる……。

 

 戦闘衣(バトル・クロス)の出来栄えにレヴィスは自然と口が引きつる。

 ミノタウロスはお世辞にも器用といえない。極太の指が細かいことに向かないのもあるが、本人も大雑把なのだろう。明らかに衣服とも呼べないものを纏って満足気味だ。

「……お前、それは防具のつもりか?」

『? ソウダケド……』

「はぁ……ならば無駄な部分は切れ。動くときに邪魔だ。強引に巻き付けるのもやめろ。体を圧迫して負担になる。——私がやった方が早いな。貸せ、仕立ててやる」

 

 レヴィス自身、何を言ってるのかと思う。見ず知らずの、それもモンスターを相手に、自分がここまでしてやる理由がない。

 ただ、このミノタウロスを相手にしていると、敵意皆無なことや、子供のような雰囲気のせいで毒気が抜かれる。

 彼女も女だ。世話のやける子供のようなミノタウロスに、知らず知らず母性本能が芽生えたのかもしれない。そんな親切心からくる発言だったが

 

『デキルノ?』

 

 ミノタウロスは懐疑的だった。その視線はレヴィスの首から下を、胸もとからつま先まで見ている。

 レヴィスの服装は戦闘衣(バトル・クロス)のみ。あちこちが痛んでおり、長く手入れをされていない。あたかも追い剝ぎしたものをそのまま着ているようだ。端的に言って、仕立てなんてできる人物には見えない。

 

 ブチッ、と何かが切れる音とともに蟀谷に青筋が浮かぶ。純粋な親切心に懐疑的な態度をとられれば誰だって腹は立つ。

 

「いいから、寄越せ!」

『エッ、チョッ——ヴォオオオオオオオオオオオオオオオッ⁉︎』

 

 レヴィスは戦闘衣(バトル・クロス)を剥ぎ取った。

 剥ぎ取られたミノタウロスが涙目になっていたのが、印象的だった。




オリジナルドロップアイテム
『ヴィオラスの花弁』
 食人花のドロップアイテム。第一級冒険者の打撃も効かない頑丈さを持つ。反面、斬撃には弱い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話:侵入と猛牛

今年最後にもう一話投稿します。


 ——結論から言うと赤髪の女性は器用だった。

 

 ただの花弁から巨軀に合わせた衣装を作るのに一日ほどかかったが、僕にピッタリな戦闘衣(バトル・クロス)が完成した。

 形状は体に張り付くようなどこか赤髪の女性の戦闘衣(バトル・クロス)に似たデザイン。毒々しい極彩色もうまく適合していて素人目からもよい出来だ。

 正直、ここまで立派なものは作れるとは思っていなかったけど

 

戦闘衣(これ)は冒険者から奪ったものだが、寸法を合わせたのは私だ。……私が着るには窮屈な服ばかりでな」

 

 ということらしい。——窮屈ねぇ。どこがとは聞かないのが賢明かな、とレヴィスの首から下、腹より上の一部を見ながら思う。

 

『アリガトウ。……ソウダ、名前ヲ聞イテナイ』

「名乗る必要もない気はするが、レヴィスだ。お前に名前はあるのか? ミノタウロス」

 

 ——おお、これはマリィの時の再現。でも、抜かりはない。彼女と別れた後に名前を色々考えていたんだ。僕の名前は

 

『僕ハ——アステリオス』

 

 前世にあったギリシア神話に登場するミノタウロス。でも、それは猛牛の本名ではない。ミノタウロスという『異名』が世界的に知られていたから、本当の名前で呼ばれることがなかったから。

 その名こそアステリオス。『雷光』を意味する今世における彼の名前だ。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 自己紹介を終えた後、僕はレヴィスと行動を共にすることにした。

 戦闘衣(バトル・クロス)を作ってくれたお礼に何かしたいと言ったら、食料庫(パントリー)——名称はレヴィスに教えてもらった——の守護を手伝えと言われた。

 白い奴、オリヴァスとローブの人達、闇派閥(イヴィルス)を始末してしまったから人手が足りないようだ。僕にも責任があるから守護を引き受けることにした。

 

 それから二、三日ほどして侵入者が現れた。

 

『レヴィス、来タ』

「またモンスターか?」

『違ウ、冒険者』

 

 監視用の水膜。そこには食人花と交戦する冒険者——ダンジョン探索する人間の総称——の一団が映し出された。

 

 ——二、四、六……十六人。それも全員手練れっぽいな。

 

 冒険者はお互いを補完し合う連係と、高い身体能力で食人花を苦戦せずに倒していく。何より

 

 ——また金髪の剣士。何か縁でもあるのかな?

 

 一人だけ動きが隔絶した冒険者がいる。靡く金髪と整った容姿を持つ人形のような少女は食人花を瞬殺する、圧倒的な強さを見せつけている。

 

「『アリア』だ」

『知ッテルノ?』

 

 興味の欠片も示していないレヴィスが——水膜の中に金髪の剣士が現れた瞬間、目の色を変える。

 

「探し物だ。『アリア』と周りの奴等を引き剥がす。アステリオスは他の奴等を始末しろ」

『……ワカッタ』

 

 本音を言えば金髪の剣士と決着を付けたかったが、レヴィスの有無を言わさぬ態度に頷くしかなかった。

 レヴィスは通路に、僕は食料庫(パントリー)に向かった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

「もう少しで食料庫(パントリー)ですね」

 

 【ヘルメス・ファミリア】団長、アスフィ・アル・アンドロメダは血の色のような赤い光を視認した。

 食料庫(パントリー)と呼ばれるダンジョン最奥の大空洞には特大の石英(クオーツ)が立つ。

 24階層の大主柱は赤水晶——通路の先の赤光を目視し、誰もが終着点までもう僅かであることを悟った。

 

 【ヘルメス・ファミリア】。主神の方針によって『深層』にも足を踏み入れる戦力がありながら中堅ファミリアに留まる変わり種。

 今回はそれが災いし、脅迫材料に使われて、この危険な冒険者依頼(クエスト)に挑んでいた。

 途中、協力者である【剣姫】と分断されてしまったがアスフィ達は目的地に到達した。

 食料庫(パントリー)の大空洞へ、足を踏む入れる。

 

「——」

 

 視界が一気に開けた直後、アスフィ達は言葉を失った。

 彼女達を待ち受けていたのは、緑の肉壁に侵食され変わり果てた空間だ。

 そして、そんな大空洞の中でもアスフィ達の視線と意識を奪ったのは、食料庫(パントリー)の大主柱に寄生する、食人花を遥かに上回る超大型のモンスターだ。

 驚愕する彼女達の中で、ルルネという少女だけは視線を赤色の石英(クオーツ)に縫い付けられていた。

 呆然とする彼女の視線が向かう場所、三体の巨大花が巻き付いた大主柱の根もとには。以前の冒険者依頼(クエスト)で彼女が見たことのあるモノがある。

 (おんな)の胎児を内包した緑色の球体が、取り付けられていた。

 

「あの時の、『宝玉』……⁉︎」

「待ちなさい、ルルネ」

 

 あれが全ての元凶だと悟ったルルネは宝玉を回収しようと、一歩踏み出すが、アスフィに止められた。

 

「何で止めるんだよ! あれさえ回収すれば——」

「それほど重要なモノなら無防備に晒しておくはずありません。——出てきましたね」

 

 アスフィの言葉に同意するように大主柱の影から一匹のモンスターが出てくる。

 

「え、あれって……」

「何でこの階層に?」

「……ミノタウロス?」

 

 牛頭人体。二M(メドル)を超す巨軀。大型モンスター『ミノタウロス』。

 

 だが、【ヘルメス・ファミリア】の面々はそのモンスターの登場に気を緩めた。

 ミノタウロスは、正面からの殴り合いならば第三級冒険者でさえ手を焼く、『力』と『耐久』に特化したモンスターの代表格。

 そのカテゴライズはLv.2。対して、この場にいるメンバーは大半がLv.3で、アスフィに至ってはLv.4。

 食人花の群れを相手にした後では完勝できると思われても仕方ない。

 

 ——何でしょう。この何かを見落としている感覚は。

 

 ただ一人。アスフィだけは引っかかるものを感じていた。あの宝玉は敵とって絶対死守すべきモノのはず。なのに食人花はおらず、巨大花も動きをみせない。たった一匹だけいるミノタウロスに不安が募る。実際、あの猛牛は他と比べて異質(・・)に感じた。

 

 全身を包むのは毒々しい極彩色の戦闘衣(バトル・クロス)。巨軀のミノタウロスに見合うそれは特注品のようだ。その戦闘衣(バトル・クロス)の下には筋骨隆々の肉体。露出した部分だけでも至る所に傷跡があり、片目が潰れた風貌と相まって歴戦の戦士のようだ。

 武装も天然武器(ネイチャーウェポン)でなく見たこともない黒い大剣を背負っている。

 

「アスフィ。誰か先行させてミノタウロスを——」

「いえ、あのミノタウロスが囮の可能性もあります。戦力を分散させずに全員で行きましょう」

 

 結局、彼女自身も不安の答えが出せずに前進を決断。……この時、アスフィもどこか慢心していたのだろう。どれだけ不気味でも所詮はミノタウロスと。それを彼女はずく後悔することになる。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 奇襲などを警戒したアスフィ達は陣形を保ちながら慎重に食料庫(パントリー)を進む。

 予想に反して奇襲はなく、前方のミノタウロスも動く気配がない。

 

 ——何もない。私の思い過ごし?

 

 アスフィ自身も警戒し過ぎていたと思い始めたとき——ミノタウロスが動いた。

 

「ッ、総員戦闘態勢!」

 

 ミノタウロスが背中の黒大剣に手を伸ばす。アスフィ達もいつでも迎撃できるように前衛は盾を構え、中衛・後衛が遠距離攻撃の準備を始める。しかし、アスフィ達のやることを嘲笑うようにミノタウロスが踏み込んだ。

 

 

 瞬間、前衛にいたドワーフの女性が叩き潰された(・・・・・・)

 

 

「はッ……⁉︎」

「な、何が……」

「エリリー!」

 

 アスフィ達は何が起こったか分からない。十M(メドル)以上離れていたミノタウロスが一瞬で眼前に現れ、仲間の一人が死んだ。

 だが、ミノタウロスがしたことは単純だ。ただ『距離を詰めて大剣を振り下ろした』だけ。

 その単純なことでさえLv.6の洗剤能力(ポテンシャル)を誇る『隻眼のミノタウロス』がやれば『突然、仲間が死んだ』ような常識外れな結果となる。

 疾走はアスフィ達の動体視力では捉えることができず、フルパワーの振り下ろしは盾もろとも力自慢のドワーフを潰した。

 

「う……うおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 

 仲間の死をようやく認識した大柄な虎人(ワータイガー)が仇を討たんと大剣を振るう。それ以上に速くミノタウロスの裏拳が彼に叩き込まれる。

 

「がぁ……⁉︎」

「ファルガー!」

 

 裏拳は構えた盾を粉砕。虎人(ワータイガー)、ファルガーの胴体にめり込み、脚が地面を離れた。

 そのまま宙を舞い、ファルガーは十M(メドル)以上もの先に落下した。

 僅かに身じろぎしているので一命を取り留めているようだが。このままでは息絶えるのも時間の問題だ。

 

「誰か、ファルガーに回復薬(ポーション)を!」

「ミノタウロスを早く仕留めろ!」

「魔法でも魔剣でもいいから撃て!」

「エリリーの仇だ!」

 

 ——まずい。異常事態(イレギュラー)混乱(パニック)を起こしている!

 

 アスフィは冷静さを失う仲間をどうやとた落ち着かせるか素早く考える。頭の中で結論を出し、すぐにそれを実行に移す。

 ベルトのホルスターから緋色の液体が詰まった小瓶を取り出す。

 瞬時に小瓶を上空に投じられ(・・・・・・・)——爆発。

 

 魔道具製作者(アイテムメイカー)謹製の手投げ弾、爆裂薬(バースト・オイル)だ。都市外の資源——大陸北部の火口近辺に発芽する火山花(オビアフレア)を原料にアスフィが手を加えて生成した液状の爆薬。彼女にしか作製できない緋色の爆液は小瓶一つ分で中層出身のモンスターを絶命させる威力を備える。

 上空で広がる爆炎。その衝撃と爆音に全員の意識がアスフィに集まる。

 

「総員、冷静に! ネリーはファルガーの治療を。他は包囲網を作りなさい! 不用意に近づいてはいけません!」

 

 混乱しかけても熟練の冒険者。冷静さを取り戻し、弾けるようにアスフィの指示に従う。

 取り囲まれた片目の(・・・)ミノタウロスを見て、アスフィを苦虫を噛み締めたような表情をする。

 そう片目がない(・・・・・)。更に人間の武器を使う。これだけでも相手の正体を知ることはできたのに、気づかなかった自分の浅はかさを呪った。仲間にアレがどれだけの脅威か伝えるために口を開く。

 

「あれは賞金首(バウンティ・モンスター)、『隻眼のミノタウロス』! リヴィラの街を壊滅させ、第一級冒険者を返り討ちにした強化種(バケモノ)です! 心してかかりなさい!」

 

 想像以上の怪物。自分達より遙かに格上の出現に【ヘルメス・ファミリア】は戦慄した。

 

 

 

 

 

 




『隻眼のミノタウロス』
名前:アステリオス
推定Lv.6相当
到達階層:26階層
装備
【ウダイオスの黒剣】
・アイズの身の丈より長大な剣。
・第一級武装にも劣らない階層主の『ドロップアイテム』。
・彼は未加工のまま使用している。
【ヴィオラス・クロス】
・レヴィス作。大型の戦闘衣(バトル・クロス)。
・第一級冒険者の打撃を防ぐ高い防御力がある。
・【ウンディーネ・クロス】を編み込んだことで弱点である炎属性を克服している。
・材料にドロップアイテム『ヴィオラスの花弁』を使用。
・彼の体格に合わせているので動きやすい。形状(デザイン)はレヴィスの好み。
・ようやく手に入れた彼の実力に見合った防具。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話:脅威と猛牛

 

 ——ふ〜ん。最初の一撃で内部崩壊するかと思ったけど、持ち直したね。

 

 周囲を囲む冒険者を観察する。一定距離に僕の側に近寄ることなく、お互いが補佐し合える円陣を維持している。一人一人の動作にも隙がなく、動きも早い。

 

 ——能力(ステイタス)はLv.3以下。でも高度な連携を考えればLv.以上の戦闘能力と考えるべき。そして眼鏡の女性だけがLv.4かな?

 

 アステリオスは冷静に敵戦力を分析する。そして幾度も上級冒険者と戦ってきた彼は、ほぼ正確に相手のLv.を把握した。

 ちなみに冒険者という呼称やLv.という概念はレヴィスに教えてもらった。アスフィ達がくるまでの数日、やることがなかった彼はレヴィスからダンジョンや冒険者関連のことを色々聞いていた。

 そしてレヴィスの見立てではアステリオスの潜在能力(ポテンシャル)は推定Lv.6相当。小細工せずともアスフィ達を鏖殺できる力がある。

 

 彼我の力量は把握した。負ける要素がないなら——蹂躙するのみ。

 アステリオスは行動を開始すべく一歩踏み出した。

 

「撃——ッ!」

 

 アステリオスの行動を合図にするようにアスフィが号令を上げる。

 弓、投石、鞭、魔剣。即座に放てる遠距離攻撃の嵐が殺到する。前衛・中衛もアステリオスが攻撃してきた迎撃できるように瞬きもせずに動きの一つ一つを凝視する。

 

 ——鬱陶しい。それに距離を詰めさせない気だな。

 

 だが、アステリオスをアスフィ達の警戒を無視するように歩いて前進する。

 無防備な体に矢が、石が、鞭が、雷が当たる。それを蚊にでも刺された程度だというように前進は止まらない。異常なまでの『耐久』補正が、アスフィ達の攻撃を歯牙にもかけない。

 アスフィ達も最も近接戦に秀でた二名が完封されたことで接近されるのは危険だと分かっているのだろう。円陣を維持したアステリオスの前進に合わせて後退していく。

 このままでは埒があかない。アステリオスは前進を止め、その場で黒大剣を振りかぶる。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

 咆哮とともに振り回される黒大剣。真横に振るのではなく地面すれすれを剛閃が振り抜かれた。

 するとどうなるか? 凄まじい『力』はそれだけで風圧を生み、砂煙を巻き上げた。

 アスフィ達の視界は大量の砂煙で塞がれてしまう。

 

「いけない! すぐに砂煙から脱出を! 近くにいる者と固まりなさい!」

 

 眼鏡の女性は瞬時にこちらの狙いに気付いて指示を飛ばす。でも、遅過ぎる。彼女が指示を出したときには僕は獣人の背後に迫る。人間より優れた五感を持つ僕には視覚が潰された状況で敵を探し出すのは造作もなかった。

 

「う、うああああああああああああああああああ‼︎」

 

 背後に迫る脅威に獣人は気付くがもう遅い。黒大剣が振り下ろされ——鮮血が爆せる。

 

「この声っ⁉︎ くそっ、ホセがやられた!」

「馬鹿、ルルネ! 大声を出すな! 居場所を教えるようなものだぞ!」

「セインの方が声デカイだろ⁉︎」

 

 漫才のような声が聞こえる。会話の内容通り、声が聞こえた方に急行。Lv.6の『敏捷(はやさ)』はあっと言う間に距離を詰め、砂煙の中に二つの影を捉えた。

 

「ルルネ、離れろ‼︎」

 

 僕の接近にエルフの青年が犬人(シアンスロープ)の少女を突き飛ばし、攻撃範囲から遠ざける。

 

 ——身を呈して仲間を守る……カッコイイね。でも、さよなら。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

「——ぁ」

 

 振りかぶられた剛腕。繰り出された鉄拳はエルフの青年の頭部に直撃。頭部が弾ける。

 続いて犬人(シアンスロープ)の少女に向こうとすると——複数の小瓶を投げつけられた。

 

『ヴォ……!』

 

 先程、眼鏡の女性が上空に投げだ小瓶と同種のモノと判断したアステリオスは飛び退く。

 次の瞬間、小瓶の一つが炸裂。他の小瓶にも引火し、連鎖爆発を起こす。

 爆炎を警戒してアステリオスが近寄らない間に眼鏡の女性が犬人(シアンスロープ)の少女に駆け寄った。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

「ルルネ、無事ですか!」

「ああ……でも、セインが」

 

 ルルネの視線の先——頭部を失った死体を見て、アスフィも悲痛な顔をする。

 だが、敵を目の前に悲しんでいられないと気持ちを押し殺し、仲間をかき集めて素早く陣形を組み直す。

 

「被害は?」

「死亡三。重傷一。ファルガーさんの戦線復帰は不可能です」

 

 ファルガーを背負う少女の報告を受け、アスフィは次の作戦を考える。

 

「……これ以上長引けば被害が増すだけ。一気にケリをつけます」

「どうやってだ? 攻撃が全然効かないぜ」

「魔石を狙います。どれだけ規格外だろうと相手はミノタウロス。魔石(きゅうしょ)を破壊すれば灰になります」

 

 モンスターが肉体構造上、必ず持つ弱点——魔石。理論上、どれだけ強いモンスターだろうと、階層主でさえ魔石さえ破壊してしまえば倒すことは可能だ。

 彼我の力量差は絶望的。ならアスフィ達が勝つ為には魔石(じゃくてん)を狙うしかない。そしてアスフィの脳内では既に作戦が組み上がっていた。

 窮地を打破するため、アスフィは地面を蹴りつけた。

 

「私が切り込みます! 全員援護に徹しなさい!」

 

 状況やLv.の差から致命的一撃(クリティカルヒット)を『隻眼のミノタウロス』に与えられるのはアスフィのみ。いや彼女でも力不足かもしれないが、他の者では近づけば犬死するだけ。ならば最も可能性のある彼女が最前線に出るのは必然だった。

 まずアスフィは、爆炸薬(バースト・オイル)——ともう一つ小瓶を前方に投げつけた。

 小瓶はミノタウロスに届かず失速。地面に落下し、炸裂。ともに割れた小瓶の中身が爆風に煽られ蔓延する。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ⁉︎』

 

 瞬間、ミノタウロスが鼻を抑えてひっくり返る。地面をごろごろともの凄い勢いでのたうち回る。

 

 あの強大なミノタウロスが苦しんでいる原因は悪臭(・・)爆炸薬(バースト・オイル)とは別の小瓶に入っていた異臭の液体が、ブチまけられたのだ。

 冒険者にとっても有害なその『臭い』は、モンスターにとって毒そのもの。どれだけLv.が高かろうと耐えれない攻撃にミノタウロスは成す術もなく苦しむ。

 

「偶然の産物でしたが、役に立ちましたね」

 

 稀代の魔道具作成者(アイテムメイカー)であるアスフィは様々な道具(アイテム)を作成している。その様々な材料を組み合わせる過程で、彼女は悪臭の液体の開発に成功した。

 ちなみに試しに臭いを嗅いだアスフィも目の前のミノタウロスと同じようにのたうち回っていた。

 

『グゥウウウウウウウウッ……!』

 

 突如、のたうち回っていたミノタウロスは黒大剣を己の足もとに叩きつけた。

 最初は、怒り狂った意味のない行動だと思った。しかし、それは間違いだった。

 叩きつけられた衝撃で地面が爆発し、無数の弾丸となって殺到した。

 

「ぐっ⁉︎」

 

 アスフィは何とか回避に成功する。しかし、Lv.4の彼女ですらギリギリの回避。すなわち

 

「……っっ」

「——ぁっ」

 

 双剣のエルフと鞭使いの獣人の女性二人が、いくつもの石飛礫を浴び、悲鳴が散った。

 ミノタウロスは二度、三度と黒大剣を足もとに叩きつけ、散弾を無差別に撒き散らす。

 

 広範囲の散弾攻撃。悪臭によって敵に集中できない現状。ミノタウロスは広範囲攻撃で牽制し、悪臭を振り払う時間を稼ごうとしていた。

 

「総員、攻撃! 効かなくても構いません! 奴の動きを止めなさい!」

 

 叫びながらアスフィも爆炸薬(バースト・オイル)を投擲。ミノタウロスに命中し、炸裂。全身を紅蓮に包む。

 他の冒険者も投石や魔法で妨害する。——でも、遅過ぎた。

 

『フゥゥ——ッ……!』

 

 ミノタウロスが爆炎を突き破る。『火炎石』の大爆発にも耐え切ったこの肉体。小瓶一つ程度の爆発では怯みもしない。

 悪臭から脱却したミノタウロスが目を向けたのは、小人族(パルゥム)の少女。長文詠唱を謳い、高威力の魔法を放とうとしている。

 彼女の前には覆面の冒険者が大岩を盾のように構えて守っている。あれでは散弾攻撃は無意味。ならば

 

『ヴゥモオオオオオオオオオオォ——ッ!』

 

 黒大剣を引き絞り——投擲。ミノタウロスの怪力で投げられた黒大剣は凄まじい速さで宙を切り裂き、大岩に突き刺さる。

 あまりの勢いに黒大剣は剣身の根もとどころか柄の部分までめり込んだ。

 

「きゃあ⁉︎ ドドンさん大丈夫——」

 

 小人族(パルゥム)の少女の言葉はそこで途切れた。彼女の視線の先、覆面の冒険者は背中から黒色の刃が生えていた(・・・・・・・・・・・・・・)

 刃を中心に赤いシミが広がり、ドドンの体から力がある抜ける。黒大剣が大岩を貫き、ドドンを串刺しにした。貫いた場所は心臓。即死である。

 

 いまので仕留められなかったか、とミノタウロスが小人族(パルゥム)の少女に接近する。

 

「行かせるか!」

「吹き飛べ、化け物‼︎」

 

 窮地を助けに入ったのは同族(パルゥム)の双子。左右からメイスとハンマーが叩きつけられるが——微動だにしない。

 Lv.6相当の『耐久』補正と怪物特有の打たれ強さ。そして第一級冒険者の打撃さえ防ぐヴィオラスの防具が組み合わされば非力な小人族(パルゥム)攻撃(だげき)は意味をなさない。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 邪魔だ、と言わんばりにミノタウロスは剛腕を振り回す。咄嗟に割り込ませた武器は粉砕され、破壊の怪腕が双子を吹き飛ばした。

 

「痛……っ、ポット、早く戻ら——」

 

 素早く立ち上がろうとする彼の目に飛び込んだのは、胸から下が喪失した(・・・・・・・・・)姉の姿。彼が五体満足なのは運が良かっただけだ。たまたま剛腕が武器のみに当たり、体に触れることなく吹き飛んだ。だがポットは微かに剛腕が触れた。それだけで胸部を抉られた。

 Lv.3——それも前衛型のファルガーが一撃で瀕死になる怪力。Lv.2である彼女がその必殺に耐えられる道理はない。

 ミノタウロスに目を向ければ、彼を無視して小人族(パルゥム)の少女へ突き進む。お前など眼中にないと言わんがりに。

 強力な攻撃魔法を使う魔導士(パルゥム)と軽傷も与えられない前衛職(パルゥム)。どちらを優先させるべきかは言うまでもない。その事実に彼は奥歯を噛み締めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話:万能と猛牛

 

 阻む者がいなくなったミノタウロスは進撃する。狙うは

小人族(パルゥム)の少女。魔導士である彼女を警戒して最優先に排除しようとしていた。

 腕を伸ばせば手が届く。そんな距離まで迫ったとき

 

「ああああああああああああああああっ!」

『ヴォオッ⁉︎』

 

 背後から小人族(パルゥム)がミノタウロスに飛び付く。そのまま頭部にしがみ付いた。

 

「ポック⁉︎」

「メリル、何してる! 早く逃げろ!」

 

 振り払うと暴れるミノタウロスに必死にしがみ付きながらもポックは叫ぶ。このまま逃げていいかとメリルは思うが、彼の必死な形相を見てすぐにその場から離れた。

 それを見届けたポックは短剣を抜き、突き立てる。

 狙いは眼球。元々片目のミノタウロスがもう片方も失えば盲目となり戦力低下は確実。だが、そんな企みはもろくも崩れ去った。

 ミノタウロスは迫る短剣に頭を動かした。頭部の角が振るわれ、短剣を迎撃。砕いた。

 

 勇者(ブレイバー)を憧れて彼の短剣を真似て作らせたレプリカ。彼の短剣(ゆうき)は呆気なく砕かれた。

 大事な短剣を失い硬直する彼を他所にミノタウロスは次の行動に移る。

 頭部をズラして角を器用にポックの袖に引っかける。そのまま頭部を前に倒す。首の力だけでポックを引っ張り——地面に叩きつけた。

 

「がぁ、ぎぃっ⁉︎」

 

 叩きつけられた衝撃に口から吐血し、痛みで体が動かない。無防備なポックにミノタウロスは片腕を振り上げ、必殺の鉄槌を見舞う。

 目前に迫った死の気配(かいぶつ)。彼には走馬灯のようにある事を思い出していた。

 

「今度、フィンを紹介しようか?」

「いや……今は……まだやればできるってとこみせらんねえし……で、でも……サイン……とかなら、受け取ってやっても……いいぜ」

 

 それは道中、アイズと交わした言葉。素直になれない自分が精一杯引き出した小人族(パルゥム)の英雄への気持ち。

 

「あーぁ……サイン欲しかったな」

 

 爆撃めいた一撃が振り下ろされ——それで終わりだった。ポックは一瞬で潰れた肉塊と化す。

 ミノタウロスは大岩から黒大剣を引き抜き、次の標的を探して首を巡らせる。

 

「——総員、退避! 援護不要、決して近づいてはいけません‼︎」

 

 アスフィは叫ぶ。その表情は苦渋と焦燥に染まっていた。

 

 ——甘かった。格上でも連携すれば勝てるなんて、私は馬鹿ですか⁉︎

 

 アスフィは一緒に冒険してきたファミリアを信頼し、実力も認めている。だからこそ相手が階層主並の怪物でもこの仲間となら勝てる。そう信じ込んでしまった。

 だが、結果はこのザマ。既に重傷者二名、死者は三名も出してしまった。

 これで先の戦闘を合わせて半数以上が脱落。圧倒的な『個』の前には有象無象の『群』など無意味と、まざまざと見せつけられた。

 

 ——これ以上、無駄死にさせる訳にいかない。団長(わたし)が命をかけて奴を仕留める!

 

 決死の特攻。アスフィはミノタウロス目掛けて疾走する。一見、無謀にも見えるがこれはミノタウロスの注意が彼女以外に向かないようにする意味もある。

 

『ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウンッッ‼︎』

 

 目論見通り。ミノタウロスの意思は彼女に向く。同時に死も迫る。黒大剣を大きく振りかぶる。

 横薙ぎの大斬閃。眼前全てを真っ二つにする必殺が振るわれた。

 それに対してアスフィはしゃがんで回避——と同時に足に装着した(サンダル)を指で撫でだ。

 

 横一閃の攻撃。回避するには上下に動くしかない。だが、上に跳べば空中で身動きが取れなくなり、次の攻撃でやられる。ならば下に逃げるしかないが、その行動が早すぎた。ミノタウロスは軌道を下方修正。地を這うように疾るアスフィに黒大剣が迫る。

 

「っっ!」

 

 アスフィは跳ぶことで間一髪の避ける。あと一歩遅れれば足を持っていかれたほどギリギリの回避。

 しかし、ミノタウロスはつかさず追撃。空いていた左腕で黒大剣を振り回した勢いを利用して鉄拳を繰り出す。

 空中では回避不能。ミノタウロスは勝利を確信した。

 

「『タラリア』」

 

 唇に言葉が乗ったのと同時、彼女の体が宙で更に上昇した(・・・・・・)

 ミノタウロスの双峰が驚愕に見開く。頭上を振り仰ぎ、宙の一点を見る。

 天井まで遥かな高さが存在する大空洞の空中に、アスフィが、(サンダル)に生えた白翼を広げ浮遊していた。

 

 飛翔靴(タラリア)。【万能者(ペルセウス)】が作り出した至上魔道具(マジックアイテム)

 過去、誰よりも空に焦がれていたとある海国の王女(しょうじょ)が生み出した『神秘』の結晶。

 二翼一対、左右合わせて四枚の翼を広げることで。アスフィは二人としていない飛空能力を操ることができる。

 飛行モンスターのお株を奪う空中戦。宙へ躍り出たアスフィは眼鏡を押し上げる。

 

「出し惜しみはしません。完璧に仕留めさせてもらいます」

 

 後の事は考えない。持っている道具(すべて)を使ってあのミノタウロスを倒すと誓い、アスフィはマントの下に手を伸ばした。

 ホルスターを空にする量の爆炸薬(バースト・オイル)予備(スペア)までつぎ込まれた大量——ついでとばかりに悪臭の小瓶も——の小瓶を、ばっと腕を広げ、直下にばらまく。

 眼下でミノタウロスが瞳を見開いた。ばらばらと音を立てて、緋色の液体が詰まった爆発弾が投下される。

 

『ヴゥンンンンンンンンンンンン……⁉︎』

 

 爆撃が始まった。

 凄まじい爆炎の華が咲き乱れ、ミノタウロスを脅かす。周囲一帯を埋めつくす緋色の閃光が四方から迫り、逃げ道は存在しない。

 絨毯爆撃と言って相違ない規模に、大空洞が震える。

 

『……ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

 それでもミノタウロスは健在。耐熱効果を持ち耐久力が高い体皮は多少は焼け焦げているが、それだけだ。更に植物型モンスターゆえに炎に弱い食人花のドロップアイテムを使用したと思われる戦闘衣(バトル・クロス)さえ燃えずに残っている。

 その理由を、アスフィは戦闘衣(バトル・クロス)の所々に編み込まれた薄い蒼色の生地を見て、看破した。

 

 ——『水精霊の護布(ウンディーネ・クロス)』⁉︎ そんなものまで……!

 

 『精霊の護布』によって『火炎』の耐性を得た戦闘衣(バトル・クロス)は爆炎に晒されても燃えない。

 予想外に敵の装備が充実していることに彼女は戦慄するが、その程度はあのミノタウロスならやりかねないと判断し、次の行動に移る。

 ミノタウロスは先程の不意打ちで学習したのか、充満する悪臭に苦しみながらものたうち回らない。それどころかアスフィへの警戒を緩めない。だが、今更彼女を警戒しても遅い。既に次の手は打たれていた。

 

『ヴォ……?』

 

 プスッと肩に蜂にでも刺されたような微かな痛み。何だと思い視線を向ければ混ぜ込んだかのような真紅の針が刺さっていた。

 こんなものが効くわけない、と針を抜こうと手を伸ばすと——変化はすぐに現れた。

 

『ヴゥ、ヴゥモオオオオオオオオオオォ——⁉︎』

 

 突然、襲ってきた頭痛。理性で沈められていた殺戮と破壊の衝動が蘇る。感情が爆発するような興奮が襲う。

 いままで感じたことのない精神(・・)への攻撃にミノタウロスは悶え苦しむ。

 

 モンスターを興奮状態、凶暴化させる『紅針(クリゼア)』。迷宮探索においては強化する危険性(リスク)を孕みつつも怪物を同士討ちを誘発させる【万物者(ペルセウス)】謹製の魔道具(マジックアイテム)だが、もとより圧倒的な力量差がある。強化されたところで大した問題ではない。

 彼女の狙いは凶暴化による思考力の低下。あのミノタウロスが通常種より遥かに知能が高いのはいままでの行動で明白。だから、隙を突くためにあえて凶暴化させた。

 

 事実、悶え苦しむミノタウロスは無防備。好機と判断したアスフィは降下した。

 重力の助けも借りて、なおも加速。作製者本人である彼女は飛翔靴(タラリア)を自由に使いこなし、上空から獲物を狙う鷹のごとく急接近する。

 苦痛に意識が向いているのに乗じて、敵を強襲した。

 急降下から地面すれすれを滑空し、男の背後へ急迫。

 未だ苦しむ、丸腰のまま敵に必殺を見舞う。

 

 ——もらった!

 

 鋭い短剣の一突が繰り出された。だが

 

「——⁉︎」

 

 剣身を素手で(・・・)捕まれ、止められた。

 

「なっ……⁉︎」

 

 眼前の光景にアスフィは瞠目する。振り向きざま、ミノタウロスの左手が短剣を捉え、阻んだ。

 武器を素手で掴みかかるという無謀な防御にもかかわらず、飛翔靴(タラリア)の最大速度を乗せた刺突を、腕一本で完全に押さえ込む。

 この強化種の防御力が異常なのはわかっていた。それでも剣身を握りこんだ左手は出血をしているものの、指の皮膚以上に刃が食い込まないほどの筋繊維には驚愕を禁じえない。

 それ以上に気になるのはミノタウロスの状態だ。その瞳には理性の光が宿り、殺戮と破壊の衝動に支配されていない。

 何故、と思う前にアスフィの眼前に解答があった。

 ミノタウロスの右手に握られた黒大剣。その剣先が己の‘太股に刺さっていた’。

 

 ——自傷して凶暴化を解除したというのですか⁉︎

 

 ミノタウロスは己を傷付けることで、極度の興奮を激痛で塗り潰した。冒険者でさえ躊躇うだろう行為をこの怪物は迷いなく実行した。

 

『フゥーッ、フゥーッ……!』

 

 凶暴化を解放されたばかりだからか、それとも激痛か、息を荒くしながらもミノタウロスはアスフィを睨む。

 得体の知れない悪寒がアスフィを犯す。

 頭の中で打ち鳴らされる警鐘に、剣を話して退避しようするも、視界の端で敵の足が動いた。

 

「ぐあっ⁉︎」

 

 蹴撃が繰り出され、腹部に蹄が喰い込む。自身の意思とは関係なく体がミノタウロスから離れ、地面を何度も転がる。

 打ちつけられた腹の痛みを歯を食い縛りながら、何とか足を地面に埋め勢いを殺す。すぐに立ち上がろうとしたが——立てない。

 

「うっ、げぇっ……」

 

 胃の中身が逆流し吐瀉物が、そして内臓も潰れたのだろう吐血もしている。

 Lv.6の剛脚。Lv.4——それも女性であるアスフィが耐え切るには無理があった。

 ミノタウロスは動けない彼女に仕留めるために歩み寄った。

 そこに飛来する投擲物。ミノタウロスは片腕を構えて簡単に防ぐ。しかし、腕に触れた途端に弾け、煙がミノタウロスの視界を覆う。目くらましの道具(アイテム)だ。

 

「アスフィさんに近づくんじゃねぇっ‼︎」

「キークス⁉︎ 駄目です。来てはいけません!」

 

 こちらに駆けてくるヒューマンの男性にアスフィが叫ぶ。救援に来たのだろうが彼では強化種(ミノタウロス)を倒せない。ましてアスフィを連れて逃走など不可能だ。

 それはキークスも理解していた。だが、惚れた女を見捨てるなんてできない。例え犬死になろうと彼女のために死ねるのは漢の花道なのだから‼︎

 キークスは懐から試験管を取り出し、投擲の構えをする。

 

「こいつを使ってください‼︎」

 

 それは道中、アスフィを庇って負傷したときに彼女から貰った改良型高等回復薬(ハイ・ポーション)。勿体なくて使うことができなかったが、彼女の命を救えるなら惜しくはない。

 アスフィが手を加えた高等回復薬(ハイ・ポーション)なら、あの重傷も完治する。キークスが高等回復薬(ハイ・ポーション)を届けようとし——ミノタウロスが動いた。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 地面に指を喰い込ませ、巨大な岩塊を引き剥がす。剛腕による投擲。砲弾と化した岩塊がキークスに迫る。

 

「——」

 

 キークスの動体視力を上回る速度。彼は反応もできずに直撃した。

 それはまさに巨人(ゴライオス)の巨拳。グチャッ——とキークスの右半身が潰れた。

 アスフィに惚れた男のあっけない最後だった。

 

「キークス……‼︎」

 

 邪魔者を始末したミノタウロスはアスフィに向き直る。そして片脚を上げた。硬い蹄がアスフィの頭部を狙う。

 

『ヴゥムゥンッ‼︎』

 

 標的を踏み潰さんと脚が落下した。

 だが——次の瞬間、一条の雷鳴が大空洞に轟き渡る。同時に蹄が踏み砕いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話:援軍と猛牛

 

 ——びっくりして外した……。

 

「ぁ、ぁ……」

 

 僕の眼下。眼鏡の女性の頭部を粉砕するはずだった蹄は顔の真横にめり込んでいる。

 雷鳴に驚いて狙いがずれ、彼女は一命を取り留めた。

 原因は何だと振り返ると、見覚えのある狼の青年と——杖を構える二人のエルフが現れた。

 

 ——またああああああああッ⁉︎ 金髪の剣士といい、狼の青年といい、僕って取り憑かれてるの‼︎

 

 アステリオスが嘆くのも仕方ない。出会えば殺し合う関係。それも何度も死にかけた。そんな彼にとって死神のような連中にいい感情を持てる筈がない。

 

 ——狼の青年(あれ)は手加減して勝てる相手じゃない。速すぎて攻撃が当たらないのが厄介だよ。

 

 前回より僕は強くなった。純粋な能力(ステイタス)じゃ僕が勝ってる。でも、凄く戦い慣れてるから苦戦する。それに金髪の剣士のように切り札(まほう)があるかもしれない。油断できない。

 

 先制攻撃を仕掛けようと考え、太股を負傷している——自分でつけた傷だけど——ことを思い出す。

 流石にこの脚であの俊足と競うのは無理と判断し、成り行きを見守る。

 眼鏡の女性は後回し。あの『敏捷(はやさ)』ならこんな距離は一瞬でなくなる。視線を外す訳にはいかない。

 

 狼の青年達を見据えていると、犬人(シアンスロープ)が彼らに駆け寄る。そしてこっちを指差して何か話してる。

 

 ——あ〜、これは僕を倒してくれとか、食料庫(パントリー)がこうなってるのは僕の仕業とか言ってるね。

 

 その予想は正しい。狼の青年は琥珀色の瞳に剣呑な光を宿して僕に向かってきた。

 両手には双剣を装備し、やる気満々だ。僕も黒大剣を構える。

 両者の距離が五M(メドル)を切った時——開戦。

 

「死ねええッッ!」

 

 初手はベート。『敏捷』で勝る彼の攻撃が必然的に先に届く。

 鎌のように放たれた鋭い上段蹴りを、アステリオスの右肩に直撃。それを意にも介さず、アステリオスは黒大剣を振り抜こうとしたが——灰色の毛並みがそれ以上の勢いで一回転した。

 軸足を変え連続で放たれたベートの回し蹴り。顔面を狙った攻撃にアステリオスも左腕を掲げ防御する。

 

 ——やっぱり、滅茶苦茶速いな、この狼!

 

 こちらが攻撃する合間に二度も攻撃を許してしまう速さにアステリオスは驚愕し

 

「ちッ⁉︎」

 

 ベートもまたアステリオスの異常なまでの打たれ強さを再認識し、舌打ちを漏らした。

 

『ヴゥンンンンンンンンンンンン……!』

「牛野郎、アイズをどうした⁉︎」

 

 黒大剣と双剣が交差し、拳砲と蹴撃が繰り出される。激しい戦闘の中、ベートはアイズの安否を問い質す。

 

 ——アイズ? 誰それ?

 

 だが、アステリオスは答えない。正確には答えられない。アステリオスは『アイズ』という名前を知らず、レヴィスも彼女を『アリア』と呼んでいたので、それが自分が幾度も戦った『金髪の剣士』と結びつかなかった。

 だから、狼の青年を無視して猛攻を仕掛ける。

 

「てめえ、だんまりか!」

 

 何も語ろうとしないアステリオスに殺気を膨らませるベート。しかし、徐々に劣勢になるのはベートの方だった。

 速さでは僅かに(・・・)にベートが上を行く。だが、他の能力(ステイタス)、反応速度や初動の速さなどは全てアステリオスが上だ。

 前回の戦いからベートはLv.5のまま。対してアステリオスはLv.6を超えている。たった一段階。されどその差は絶対的だ。

 ベートの攻撃は決定打足りえない。だが、アステリオスの攻撃は全てが必殺。それがベートの速力をもってしても紙一重で躱すしかない速度で放たれる。

 ダンジョン5階層。あそこでアステリオスを仕留められきれなかった時点で、ベートに勝ち目はなかった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——ベートさんと互角、いえそれ以上⁉︎

 

 猛牛も、ベートも、恐ろしい速度の白兵戦を展開しレフィーヤの捕捉を振り切ってしまう。視認できる分だけでも凄まじい攻撃と反撃の応酬だった。

 次元の違う戦いにレフィーヤの紺碧色の瞳が震えた。

 

 【ロキ・ファミリア】の中でも身体的な速力は随一のベート・ローガと、あのミノタウロスはほぼ拮抗した速力で動き回っている。

 レフィーヤの眼から見て、ベートの方が若干速い、だが、それが何の慰めにもならないほどミノタウロスの膂力は桁違いだ。更に異様とも言える打たれ強さ。

 白銀のメタルブーツが何度も防御を超えて直撃しているにもかかわらず、ミノタウロスは応えた素振りを見せない。それなのにミノタウロスは、レフィーヤの身の丈よりも長大な黒剣を馬鹿げた速度で繰り出す。

 

 ——あれが『隻眼のミノタウロス』!

 

 ティオナさんを不意打ちで殴り飛ばし、【ロキ・ファミリア】の精鋭を振り切り、ベートさんを一騎打ちで撃破した正真正銘の怪物。

 初めて邂逅したのは17階層。ティオナが倒されたあの場に私もいた。その後、逃亡した『隻眼のミノタウロス』を幹部総出で追いかけた時は、楽観していた。

 アイズさん達ならあの化け物を倒してくれると。あの人達が負けるはずがないと。——結果は完敗。『隻眼のミノタウロス』には逃げられ、重傷のベートを背負ったアイズを見た時は気が遠くなった。

 その悪夢が、再び目の前で起ころうとしている。

 

 ベートの劣勢は明らか。双剣はミノタウロスの肉を断てず、蹴撃はミノタウロスに効かない。にもかかわらず、ミノタウロスの黒大剣はベートの戦闘衣(バトル・クロス)を掠めただけで肉を切り裂く。拳砲は戦闘衣(バトル・クロス)を掠めただけで肉を抉る。ベートの傷が目に見えて増えていく。

 

「っ——すいませんフィルヴィスさんっ、護衛を!」

 

 ここまでパーティを組んだ他派閥のエルフ、フィルヴィスの返答を待たず、レフィーヤは杖を構えて詠唱を始める。

 

「【解き放つ一条の光、聖木の弓幹】!」

 

 魔法円(マジックサークル)を広げ、髙々と呪文を唱える。

 当てられる気はしない。いまも防御したかと思えば側面へ回り込み位置が目まぐるしく変わる。狙撃しようとした側から二人の体が逆方向へ転進し、杖の先端がぶれ、照準が定まらない。

 例え、魔法を放とうと空振りに終わるか、ベートを巻き込んでしまう。それでも動かずにはいられなかった。

 だが、レフィーヤの思惑とは別に事態は急変した。

 

『ヴゥモオオオオオオオオオオォ——ッ!』

「なっ、てめえッ⁉︎」

「——退がれ、ウィリディス!」

 

 ベートと戦闘中だったミノタウロスが反転。レフィーヤ目掛けて駆け出した。

 突然の奇行にベートも反応が遅れる。だが、考えてみればこの行動は必然だ。

 『隻眼のミノタウロス』は知能が非常に高い。ならば冒険者の詠唱が魔法が発動する前兆だと理解していても不思議ではない。

 『魔法』は起死回生の切り札。格上さえ倒せる可能性を持つ強力な攻撃。あの怪物はそれを知っているからこそ、レフィーヤを真っ先に潰しにかかった!

 

「……っ、【汝、弓の名手なり】!」

 

 迫りくる脅威(モンスター)に怯えながらもレフィーヤは、詠唱を紡ぎ続ける。

 フィルヴィスも彼女を守るために前へ出た。左手の短杖(ワイド)を前方に突き出す。

 

「【狙撃せよ、妖精の射手】——」

「【一掃せよ、破邪の聖杖(いかずち)】!」

 

 淀みない超短文詠唱でレフィーヤを追い抜き、魔法を完成させる。

 こちらへ真っ直ぐ突進するミノタウロスに——短杖(ワイド)を照準させた。

 

「【ディオ・テュルソス】!」

 

 多大な精神力(マインド)が傾けられた迅雷が撃ち出される。

 射線上の地面を抉り取りながら、黄金の雷がミノタウロスに驀進した。

 フィルヴィスの砲撃。中層出身のモンスターならば一瞬で灰塵にする雷撃にミノタウロスは迷わず突っ込む。

 フィルヴィスの赤緋の瞳が、大きく見開かれた。

 ミノタウロスの突き出した左腕が電流を受け止め、前進に合わせて左右に引き裂く。超短文詠唱とは言えLv.3の砲撃をかき分けて突進してくる出鱈目な相手に、エルフの少女は時を止めてしまった。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 それを見逃すミノタウロスではない。筋肉を引き絞り、黒大剣を振り上げた。渾身の振り下ろしを見舞うとしている。

 

「馬鹿エルフがッ!」

「ぐぁ⁉︎」

 

 ミノタウロスの振り下ろしが叩き込まれる、その寸前だった。

 罵りとともに駆け抜けたベートの足が、フィルヴィスを蹴り飛ばす。少女の体が黒大剣の間合いから大きく弾き出される。

 少女が視界から消えたミノタウロスはフィルヴィスを逃したベートに目標を変更。戦局を決定付ける一撃を放つ。

 レフィーヤの詠唱も今更間に合わない。渾身の一撃にベートが耐えられる道理もない。完璧な詰み。

 眼前に迫りくる必殺の一撃に、ベートは不安定の体勢のまま防御の構えを取った。

 それがどうしたとばかりに、ミノタウロスが渾身の振り下ろしを放とうと——した瞬間、左腕を掲げ防御の構えをした。

 勝利を目前にしての不可解な動きに、えっ、とレフィーヤが胸の中で呟きをこぼしたその瞬間——ミノタウロスの腕なに一線が走り抜け(・・・・・・・・・・)鮮血が噴き出した(・・・・・・・・)

 レフィーヤも、フィルヴィスも、そしてベートも顔を驚きに染める中、匂いか、気配か、見えない何か(・・・・・・)の位置を正確に捉えた怪物が片腕を薙ぐ。

 

『ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウンッッ‼︎』

 

 横殴りの拳が、鈍い音を発し、何かを捉えた。そして鉄らしき破砕音が鳴り響いた後、突如女性の体が虚空より現れる(・・・・・・・)

 

 ——【万能者(ペルセウス)】‼︎

 

 きらめく水色(アクアブルー)の髪に瞳を映し、レフィーヤは出現した女性の正体を看破した。

 都市に名を馳せる魔道具作製者(アイテムメイカー)。ルルネに救援を求められた【ヘルメス・ファミリア】の団長、アスフィ・アル・アンドロメダその人である。

 『透明状態(インビジビリティ)』——誰にも見えなくなる(・・・・・・・・・)魔道具(マジックアイテム)を装備し、ミノタウロスに不意打ちを仕掛けたのだ。

 装着していた漆黒兜を破壊され——『透明状態(インビジビリティ)』を解除され——黒鉄の破片が散っていく。

 

 ——瀕死だったのに、どうやって⁉︎

 

 レフィーヤが見たときには彼女は瀕死だった。なのにどうやって動けるようになったのか?

 

「——受け取りましたよ。キークス……‼︎」

 

 それは偶然か、必然か。彼がアスフィに届けようとした改良型高等回復薬(ハイ・ポーション)。ミノタウロスに阻まれた回復薬(ポーション)はキークスの手を離れ、彼女の近くに転がっていた。

 一瞬とはいえアスフィに意識を向けたミノタウロスに、血に飢えた凶暴な狼が舌舐めずりを行う。

 ベートは双眼を吊り上げ、逆襲とばかりに襲いかかった。

 

「らあああああああああァッ‼︎」

『——ッ⁉︎』

 

 矢のような前蹴りに、双剣による乱舞。

 嵐のように繰り出される蹴りと斬撃がミノタウロスを連斬連打した。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 だが、ミノタウロスも負けじと押し返す。全身を打ち抜かれようと、顔面に蹴りを決められようと、応えた素振りも見せずに反撃する。

 突き出された双剣を拳砲が叩き折った。繰り出されるメタルブーツを砕かんと黒大剣を振るう。

 先ほどの繰り返しのようにまたもベートは追い詰めれていく。

 

「——【穿て、必中の矢】!」

 

 繰り広げられる一進一退の攻防を前に、レフィーヤはここに来て詠唱を終了させる。矢を番えた弓は引き絞られ、後は弦を解き放つのみだ。

 凄まじい攻撃に何度も身を削られているにもかかわらず向かってくるミノタウロスは——階層主といっても過言でない相手だ。ベートは決定打を欠いており、砲撃(まほう)を放つなら今しかない。

 

 ——どうすれば。

 

 しかし、レフィーヤには迷いが生じていた。第一級冒険者さえ倒す怪物に、単純に撃ち込んでも『魔法』が通用しないのは目に見えている。先程のフィルヴィスと同じように。

 

「迷ってんじゃねえ‼︎」

「!」

 

 そこへ、ベートの声がレフィーヤの肩を掴む。追い詰めれながらも彼は一瞥を寄こした。立ちつくすレフィーヤに向かって、大声で叫びける。

 

「来いっ、撃て‼︎」

 

 琥珀色の瞳と視線を交わし、レフィーヤは覚悟を決める。

 彼女は迷いを振り払い、引き絞った弓から矢を撃ち出した。

 

「【アルクス・レイ】‼︎」

 

 魔法円(マジックサークル)から光が弾け、大光閃が放たれる。

 一直線に伸びる光の柱に、ミノタウロスはやはり反応してのけた。

 

『ヴゥオ!』

 

 左腕を突き出し受け止めようとするが——大光閃は怪物の眼前で曲がった(・・・・)

 

『⁉︎』

 

 直角に折れ曲がった先、飛来してくる光の巨矢に、ベートが白銀の長靴を叩きつける。

 第二等級特殊武装(スペリオルズ)《フロスヴィルト》。精製金属(ミスリル)で作られたメタルブーツの特殊能力は、魔法効果の吸収だ。

 

「上出来だ」

 

 攻撃魔法【アルクス・レイ】は自動追尾の属性を持つ。照準した対象に着弾するまで何度も転進する矢の魔法でレフィーヤが狙ったのは、ミノタウロスではない。味方であるベートだ。

 ミノタウロスの虚を突く形で自分のもとに運ばれた大出力の光弾に——自分の真意わ正しく理解したレフィーヤに、ベートは口端を吊り上げた。

 魔法を喰らった右足のメタルブーツが、眩い光輝を放つ。

 

「死ね」

『ッッ⁉︎』

 

 狙いすました最高速度の肉薄。

 振り向いたミノタウロスにベートは回避の隙を与えない。瞬く間に間合いを零にし、その閃光の一撃を叩き込んだ。

 

『ヴゥンンンンンンンンンンンン……!』

 

 それでもなおミノタウロスは反応した。回避できないと判断すると凄まじい反応速度で鉄拳を繰り出し、迎撃。

 『魔法』の威力とブーツの攻撃力(インパクト)が組み合わさった光の蹴撃と激突する。

 拮抗は一瞬。勝ったのはベートだ。鉄拳を跳ね返し、ミノタウロスの体は巨星のごとき大光華に包み込まれ、凄まじい勢いで後方へ吹き飛んだ。

 背中で緑肉の地面を削り取りながら止まず、巨大花が寄生する大主柱(はしら)の前でようやく止まった。

 

「やったのか……?」

「殺すつもりでブチ抜いてやったがな」

 

 肩を押さえるフィルヴィスにベートは前を見据えたまま返す。彼の《フロスヴィルト》は装弾された魔法の力を全て吐き出し、通常時のブーツに戻っていた。

 人間ならばどんなに『耐久』が高い相手だろうが、あの必殺を受けて無事で済む道理はない。——そう相手が人間(・・)ならば。

 

「——っ」

「化物ですか……」

 

 煙の奥で猛牛の影が浮かび上がり、ゆっくりと歩み出てくる。

 ルルネに肩を貸してもらっているアスフィは目を眇める。

 

 そう敵は『強化種(バケモノ)』。人間の道理など通じるはずもない迷宮に巣食う怪物である。

 あれだけの攻撃を浴びながらミノタウロスは二本の脚で平然と立ち上がった。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 痛みを怒りに変え、咆哮が大空洞に轟いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話:凶狼と猛牛

 

 ——痛い! すっごく痛い! 腕が折れた⁉︎

 

 あの強烈な一撃は僕の『耐久(かたさ)』でも防ぎ切れるものではなかった。

 

 迎撃した拳は衝撃に耐えられず骨が折れている。逆に言えばあの階層主さえ仕留めかねない一撃をこの猛牛は腕が折れた(・・・・・)程度で済んでいる。尋常ならざる強靭性(タフネス)だ。

 

 ——とりあえず回復しよう。この傷は流石にマズイよね。

 

 体内の『魔力』を解放するように全身に巡らせる。駆け巡る『魔力』は流れを阻害する箇所(きず)を正常にしよう体に働きかける。すると猛牛の体に変化が訪れる。

 

「え——」

 

 冒険者達は目を疑う。当然だ。

 ベートに折られた左腕、そしてアスフィに深く切り裂かれた傷も、自傷した太ももさえゆっくりと、傷口が塞がっていく(・・・・・・・・・)のだから。

 

 自己再生。魔力を燃焼させることで自己治癒力増幅に用いたのだ。階層主並の魔力がなければ許されぬ力業である。

 損傷がなかったことになっていく。治癒の名残なのか、体中から蒸気のように『魔力』の残滓かうっすらと立ち上がっていた。

 傷口は完全に塞がり、完全回復。アステリオスは『全快』した。

 

 ——さて、反撃開始だ。借りを返さないとね。

 

 猛牛が冒険者を睨みつけ、動き出そうとしたとき

 

「てめえ、いったい何なんだ?」

 

 ベートから投げかけられた言葉に脚を止めた。

 あれだけ無視されたにも関わらず、それでも話しかけてくる彼にアステリオスは逆に感心した。だから、耳を傾けてみたくなった。

 

「強化種だってのは分かってるんだ。だが、それだけじゃ説明がつかねえ。武器や防具を使う知性と、剣術や戦術を組み立てる知識。——少なくともただのモンスターじゃありえねぇ」

 

 ——そんなこと言われても僕自身がなんでミノタウロスになったのかわからないんだから、答えようがないよ。

 

 気付いたから異世界からミノタウロスに転生してました。……こんなこと言ったら切れられそうだな。黙っとこ。

 

「さっきから黙ってんじゃねえっ! てめえが喋れることくらい俺は知ってんだよっ‼︎」

「えっ、モンスターが喋る⁉︎」

 

 ベートの言葉にレフィーヤが驚愕する。他の冒険者も驚愕の眼でこちらを見る。

 彼は5階層でアステリオスが言葉を発するのを目撃している。だからこそ、沈黙を保つアステリオスがこちらを馬鹿にしているようで腹立たしかった。

 

『……オ喋リトハ、余裕ダネ』

「⁉︎」

 

 アステリオスが観念したように口を開く。モンスターが言葉を発したことにベートを除く全員が眼を見開いた。

 

『僕ガ、何カ……ソンナ問イニ、意味ガアルノ?』

「何?」

『ココハ、ダンジョン。怪物(ボク)ト、冒険者(ニンゲン)ガ、対峙シタ。殺シ合ウ理由ハ、ソレダケデ、十分』

 

 僕はモンスター。人外の怪物。人類の敵。恐怖の体現者。それが殺し合いを宿命づけられた人間と怪物の関係で、そうあるべきだ。

 言葉を発せるなら語り合えばいい? 否。憎み憎まれ、殺し殺されてきた因果は言葉なんかで解決できるものじゃない。消せるものじゃない。殺し合うことでしか僕たちは語り合えない。

 だから、僕は人間と出会っても喋ることなく、怪物の咆哮を響かせる。殺し合いに言葉は不要なのだから。

 

「そうかよ。それは俺も異論はねえ。だが、これだけは答えろ。アイズはどうした?」

『知ラナイ。サッキカラ、思ッテタケド、誰?』

「ふざけんな、お前らが分断した【剣姫】のことだよ! 知らないはずがあるか!」

 

 疑問を疑問で返すアステリオスにルルネが食ってかかる。そこまで言われて彼は、『アイズ』という名前が、金髪の剣士を指していると理解した。

 

『アノ金髪ノ剣士……アイズ(・・・)ッテ、言ウンダ。彼女ナラ、レヴィスガ相手ヲ、シテル。——無事デハ、ナイダロウネ』

「——殺すぞ」

 

 アステリオスの言葉にベートが殺気立つ。再び激突。

 最初の開戦のように初手はベートに——ならなかった。

 

「っ……⁉︎」

『ヴォ……!』

 

 メタルブーツと黒大剣がぶつかり合う。

 初手は同時(・・)。ミノタウロスは『敏捷』で勝るはずのベートと変わらない速度で攻撃してみせた。

 だが、それは不思議なことではない。なぜなら彼はベートとの戦闘中も、開戦前からも、脚を負傷していた(・・・・・・・・)

 つまり、彼は第一級冒険者(ベート)と十全でない状態で互角以上に戦っていた。いかに負傷も問題ない強靭な肉体を持とうと、全快時に比べて誤差は生まれる。

 強者の戦いにおいてその差は大きい。それがなくなったということは、アステリオスの一方的蹂躙(ワンサイドゲーム)の始まりだ。

 

 メタルブーツを振り上げ、痛烈な一撃を相手の黒大剣に叩き込む。しかし、馬鹿げた『力』で逆に弾き飛ばす。

 負けじと反対の脚で蹴撃を放とうとするが、それよりも速く、黒大剣が連続で振り回され視界を無数の大閃が埋めつくした。回転してはメタルブーツで受け流すも、もらえば一溜まりもない必殺がベートの体を脅かす。

 例え黒大剣を躱しても拳砲の連打が繰り出され、ベートを決して間合いの外に逃さず、追い込んでいく。

 『敏捷(はやさ)』という有利的要素(アドバンテージ)を失ったベートをアステリオスは圧倒していた。『技』と『駆け引き』をもってしても敵の力が上回る。踵落とし、蹴り上げ、回転蹴り、独楽のように回りながら凄まじい勢いで繰り出される二本の俊脚をアステリオスは全て捌き切る。お返しとばかり鉄拳を叩き込む。

 

「がっ、ごふっっ⁉︎」

 

 腹部に打ち込まれた強烈な一撃。口から吐血しながら後方へ吹き飛ぶ。追撃すべく凄まじい速度でアステリオスは駆ける。

 もはやレフィーヤ達では視認することさえ難しい。まして援護など不可能だ。

 未だに宙を舞うベートに、瞬く間に追いついたアステリオスは黒大剣を薙ぐ。空中では回避不可。あの怪力に防御など無意味。アステリオスは勝利を確信する。

 

「——くたばれるかああぁぁぁぁッッ‼︎」

『ヴゥオッ⁉︎』

 

 だが、相手は第一級冒険者。一筋縄ではいかない。血を吐きながらも凶暴な相貌を浮かべたベートは迫る黒大剣に、上段蹴りを叩き込む。その衝撃を利用してベートは更に上空へ。黒大剣の間合いから逃れる。

 

 ——焦ったね、空中に逃げ場はないよ!

 

 いまのようなことができるのは一度だけだ。二度目はない。上昇が終わり落下してきた時がベートの最後だ。

 そう思い、上空を見上げたアステリオスは——眼を見開いた。

 

 上空にいるベートが握る二本のナイフ。破壊された双剣に代わる予備(スペア)を取り出したのかと思えば——違う。

 金の装飾がある黄色のナイフからは、バチッと電気が瞬く。燃えるような緋色のナイフは、ゴオォッと炎に包まれる。あれはただのナイフではない。振るうだけで魔法——と同じ効果——を発揮できる『魔剣』だ。

 レフィーヤの砲撃(まほう)と同じようにベートは、ナイフを《フロスヴィルト》に添え、それぞれが雷撃の力と緋色の波流を食らう。

 魔法の力を喰らい尽くされた『魔剣』は破砕してベートの手からこぼれ落ちる。代わりに左脚のメタルブーツに凄まじい雷を纏い、右脚のメタルブーツに点火したかのように火炎を吐き出した。

 メタルブーツに魔法を装弾したベートは、落下しながら、直下にいるアステリオス目掛けて、雷閃となって《フロスヴィルト》を突き出した。

 

「死ね」

 

 炸裂。仰いでいた猛牛の顔面にメタルブーツを叩き込み、大閃光を発生させる。

 『魔剣』の(かみなり)と《フロスヴィルト》の攻撃力(インパクト)が合わさった最大威力。大型モンスターさえ即死させる渾身の雷の蹴りを浴びたアステリオスは背中から倒れ込んだ。

 畳み掛けんとベートは反対の炎脚で追撃を仕掛け——アステリオスが繰り出した鉄拳に相殺された。

 『魔剣』の炎の付与効果によって、爆炎が咲き誇る。それを桁外れな『耐久』でモノともせず、そのまま凄まじい『力』でベートを弾き飛ばしたアステリオスは素早く立ち上がり、襲いかかった。

 

「——蹴り飛ばしてやる」

 

 両足の雷炎を駆使し攻めかかるベート。なけなしの『魔剣(ナイフ)』をつぎ込み、後がない狼人(ウェアウルフ)は全力を尽くす。

 

『ヴゥンンンンンンンンンンンン……‼︎』

「ッッ……⁉︎」

 

 だが、黒大剣と拳砲の猛攻を仕掛けるアステリオスはそれすら凌駕する。更なる速度を纏う黒大剣。力強さを増す拳砲。その全てがベートに襲いかかり、彼を防戦一方にする。

 体が大きく揺らぎ、かすっただけの攻撃で血まみれになっていく。それでもベートは引かない。引くわけにはいかない。死力を尽くして押し返す。敵わぬと悟りながらも戦い続けるのは、強者の矜持と、男の意地だ。

 

「この場で一番俺が強ぇんだよ! 俺がてめーを倒さなちゃ誰がやるってんだァ! 誰があいつ等を守れる⁉︎」

 

 弱者(なかま)強者(おれ)が守らなければいけない。それが理想の強者だと考えるからこそ、ベートは最前線に立つ。もう誰も失いたくないから、仲間を脅かす敵を真っ先に打破するために。

 まるでベートの感情の高ぶりに呼応するように雷炎はより苛烈になり、より激烈に使いこなす。防御を強いられ瞠目するアステリオスは、楽しそうに口端を吊り上げ、黒大剣を振りかぶった。

 ベートもまた踏みしめた地面を粉砕させ、己の炎脚を振り上げた。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ‼︎」

 

 咆哮を轟かすアステリオスは剛閃を振り下ろし、哮り声を引き連れベートは渾身の炎脚を繰り出した。

 衝突する。途方もなく重い衝撃と、目も眩むような火炎の大輪が互いに潰さんと激しい音を響かせる。

 勝ったのはアステリオスだ。火炎は吹き飛び、貫通する黒刃。

 黒大剣とぶつかり合った白銀のメタルブーツに、夥しい亀裂が走り抜けた。

 ブーツを装着した足の皮膚が、肉が鮮血を吐き散らし、骨が圧砕する。

 尋常ならざる衝撃と灼熱の激痛に、ベートの瞳が血走った。——それをアステリオスは見逃さない。

 追撃の拳砲。ベートの胸部に剛腕がめり込み、口から血を吐き出す。アステリオスは力を緩めず、拳を押し込んだまま地面に叩きつけた。

 フルパワーの鉄拳はベートを押し潰し、地面に小さなクレーターを作り上げた。

 

「がぁ——」

「ベートさん⁉︎」

 

 地面に沈んだベートに、レフィーヤが悲痛な声を上げるが彼が答えることはなかった。

 ベートを倒したアステリオスは拳を引き抜き、レフィーヤ達の方に振り向く。

 

「ひっ……!」

「後ろへ、ウィリディス!」

 

 恐怖はレフィーヤは声を引きつらせ、フィルヴィスが彼女を背に庇う。だが、その額には大粒の汗が滴る。【ヘルメス・ファミリア】の生き残りも戦闘態勢にこそ入っているが、その表情は絶望に染まっている。

 当然だ。最高戦力である第一級冒険者(ベート)が敗れた。これはこの場いる全員が力を合わせても勝てない相手ということだ。冒険者達の心は折れかかっていた。現に

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

「——ッッ⁉︎」

 

 アステリオスの『咆哮(ハウル)』。生物の心と体を『恐怖』で縛り付ける強制停止(リストレイト)は、弱気になっていた冒険者を例外なく硬直させた。

 後は案山子となった冒険者にアステリオスが止めを刺せば終わり——になる前に彼の脚を掴む者がいた。

 

「待ち……やがれ……!」

 

 アステリオスの脚を掴んでいたのはベート。握る力は普段の彼からは想像もできないほど弱々しい。だが、その瞳がこの手は絶対に離さないと告げていた。

 

「……俺の、戦意(きば)はまだ……折れてねえ! まだ生きている……てめーを、殺す気……でいる! あいつ等に手を出す、なら……俺の息の根を……止めてからに、しろ‼︎」

 

 ——命懸けで仲間を守るか……。自分の命第一の僕には真似できない生き方だね。でもさ

 

『地二伏シテ、言ッテモ、負ケ犬ノ、遠吠エダネ』

 

 僕はゆっくりと黒大剣を振り上げた。まるで断首刃(ギロチン)のごとく、振り下ろそうとした、間際だった。

 

 

 大空洞の壁面一角が、爆発する。

 

 

 轟然たる破砕音に大空洞にいる全ての者が視線を向け、何筋もの煙を引いて二人の影が飛び出してきた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話:共闘と猛牛

 ——今度は何?

 

 また邪魔が入ったことに内心、溜息をつきながら爆発した壁面に視線を向ける。

 煙からまず姿を見せたのは赤髪の女——レヴィス。

 吹き飛ばされたかのように凄まじい勢いで壁を破壊してきた彼女は、背中から叩きつけられ、ガガガガガガッと地面を削っていく。

 矢のごとく進む彼女の体は、アステリオスの遥か前方で止まった。

 

「ぐッッ……⁉︎」

 

 呻き声を上げ、剣身が折れた紅剣を放り捨てる。

 体中を傷まみれにしながら、消耗を物語るようにその場で片膝をついた。

 

「はっ、はぁッ……⁉︎」

 

 女が粉砕した壁面から次に姿を現したのは、金髪金眼の——冒険者が言うにはアイズという名前——少女だ。

 彼女もまた軽装と全身に裂傷を負いながら、盛大に肩で息をしている。

 

『レヴィス⁉︎』

「アイズさん⁉︎」

 

 アステリオスとレフィーヤが同時に叫んだ。

 銀のサーベルを掲げ大空洞に踏み込んだアイズは、レフィーヤ達の姿に驚いた顔を見せ、倒れたベートに顔色を変え、アステリオスを睨む。

 ここまで激しい交戦を繰り広げたのたろう。傷だらけの両者の体、破損した防具と戦闘衣(バトル・クロス)、滴る大粒の汗。

 お互いに疲弊しているが、武器の性能もあってか、アイズの方がほんの僅かに優勢といったところか。

 紅剣を失って片膝をついているレヴィスを、アイズは油断なく見据えている。

 

 ——僕の見立てではアイズって人よりレヴィスが強いと思ったんだけど……力量を見誤ったかな?

 

 アステリオスが疑問に感じるのも仕方ない。彼の見立てではレヴィスの潜在能力(ポテンシャル)はLv.6相当。対してアイズの能力(ステイタス)はLv.5。魔法(エアリアル)を使用してもレヴィスに軍配が上がるはずだった。だが、いまのアイズは【ランクアップ】したことでLv.6。更にもう一度、剣技を鍛え直した彼女は『魔法』に頼らずともレヴィスと互角以上に戦えるようになっていた。

 

 ——少なくとも黙って見ている訳にはいかないね。加勢しよう。

 

 脚を掴んでいたベートの顔面を蹴り飛ばす。剛脚を解放し、アステリオスは疾走する。片膝をつくレヴィスを素通りし、アイズに斬りかかった。

 黒大剣の振り下ろし。アイズは素早く飛び退いて回避。標的を失った黒大剣は地面に小さなクレーターを作る。

 

「はッッ!」

『ブゥオ!』

 

 反撃の一刀。アステリオスを切り裂くべく繰り出された一閃を、黒大剣で防御。そのまま弾き返す。

 武器を敵に向け、両者は睨み合う。

 

 ——速い。それに前回より数段、重い剣……明らかにパワーアップしてるよ。

 

 僅か数日で激変した少女(てき)に、アステリオスは舌を巻く。

 それでも能力(ステイタス)はアステリオスの方が上だ。だが、それも魔法(かぜ)を使われれば上回れる。彼我の力量は逆転してしまっている。このままでは負けるだろう。——一人で(・・・)戦えば。

 アステリオスは後方へ跳躍。レヴィスと並ぶ地点に着地した。

 

『レヴィス、大丈夫?』

「……手出しするな」

 

 心配するアステリオスを、レヴィスは突き放す。アイズにそこまで執着しているかはわからないが、戦力差を考えると単独で戦わせる訳にはいかない。

 

『アノ剣士、強イ。一人ダト、負ケル。勝ツニハ、協力スル。少女(アレ)ヲ手二入レ、タカッラ、手段ヲ選ブベキ、ジャナイ!』

「……いいだろう。足は引っ張るな」

 

 アステリオスは手を差し伸べながら説得する。レヴィスは渋々でも納得し、彼の手を取り、立ち上がった。

 二人は目の前の敵を見据える。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——『隻眼のミノタウロス』⁉︎ なんで、ここに!

 

 アイズは驚愕する。謎の黒衣の人物からの冒険者依頼(クエスト)。【ヘルメス・ファミリア】と協力して食料庫(パントリー)を目指していた彼女は分断され、レヴィスと交戦。激しい戦闘をしながらも目的地(パントリー)に辿り着いた。

 しかし、そこで目にしたのは瀕死の【ヘルメス・ファミリア】の面々と、ここにいるはずのない同派閥(レフィーヤ)と地に沈むベート。そしてこの悲惨な光景を作り出したであろう片目のミノタウロス。

 

 ダンジョン5階層。そして26階層で対峙した強化種(バケモノ)。それが、また私の仲間を傷つけている。

 傷つき、死んでいった【ヘルメス・ファミリア】。涙を流すレフィーヤ、血溜まりに沈むベート。心の奥底から激情がこみ上げてくる。

 でも、激情のまま駆け出しそうになるのを堪える。目の前にいるのは『隻眼のミノタウロス』と、先程まで戦っていた赤髪の——ミノタウロスにレヴィスと呼ばれていた——調教師(テイマー)

 信じられないことに両者は協力関係にあるらしい。怪物と人間。相見えることのない存在が手を取り合う。それはアイズには受け入れられない光景だった。

 そして何よりも不味いのが猛牛と赤髪の女。片方だけでも勝てるかわからない相手に共闘されれば、アイズに勝ち目はなくなる。

 

 ——魔法(かぜ)で一気にケリをつける!

 

 長期戦は不利と判断したアイズは短期決戦で片をつけようとする。Lv.6になった後、己に課した『(エアリアル)』の封印。赤髪の調教師(テイマー)との戦闘時でさえ解くこのなかったそれを解禁。詠唱を紡ぐ。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】」

 

 直後、呼び起こされた風の大渦が周囲の空気を押しのける。

 大主柱に寄生する宝玉の胎児が叫喚する。巻き起こった風の力に反応するように、付着した石英(クオーツ)の表面でもがき始めた。

 見据える先は『隻眼のミノタウロス』。規格外のモンスターに対し、アイズは最大出力の暴風を愛剣(デスペレート)に付与した。

 次には、一閃。

 剣身が纏った風の力、放たれる斬撃の光、咆哮した神風。

 真一文字に迸った風の剣は、超大型モンスターさえ一撃で仕留める威力がある。対してミノタウロスは

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 正面から迎撃した。肩の筋肉を隆起させ、黒大剣の柄を両手で握り締める。

 正真正銘のフルパワー。構えた大黒塊が振り下ろされた。

 風の大斬撃と必殺の剛閃がぶつかり合う。凄まじい力と力の衝突が発生し、気流が暴れ、踏みしめる地面が陥没する中——爆音が巻き起こった。

 地面に叩きつけられた暴風が逃げ場を求めて、大空洞中に吹き荒れる。間近にいたミノタウロスは、全身を殴りつける衝撃波に、桁外れの『耐久』補正で平然と凌ぐ。

 

 ——破られた⁉︎

 

 アイズは驚愕する。いまの暴風は間違いなく全力だった。魔力も温存し、一切の加減もない。

 だが、破れた。純粋な力によって。

 Lv.7に匹敵する『力』がアイズの全力(かぜ)を相殺してみせた。

 

 ——想定以上。前回より遥かに強い!

 

 アイズが強くなったようにミノタウロスも更に強くなっている。純粋な潜在能力(ポテンシャル)はLv.6になった彼女より上だ。

 アイズはまずミノタウロスを倒した後に、レヴィスと一騎打ちに持ち込むつもりだった。だが、それは文字取り打ち破れた。これではミノタウロスとレヴィスを同時に相手にしなければいけない。

 危機感を抱くアイズを他所に、レヴィスは口を開く。

 

「よくやった、アステリオス。畳み掛けるぞ」

『消耗シテルケド、大丈夫? ソレニ、マダ冒険者ガ、残ッテルヨ』

「それなら、私たちが動く必要はない。——巨大花(ヴィスクム)

 

 直後、背後の石英(クオーツ)から発せられる赤光が揺らめいた。

 大主柱に寄生していた二体のモンスター、階層主を超えた超大型モンスターが‘二体同時に蠢いた’。

 咆哮の代わりに鳴り響くのは、大主柱と緑壁に一体化した体をベリベリと引き剥がす、耳を塞ぎたくなるような裂音だった。

 凄まじい死臭を放ちながら、一体がレヴィスのもとへ、もう一体がレフィーヤ達の頭上から、巨大な影が、巨大な長軀が、重力に従って落下する。

 

「——危ない!」

『フゥウウウウウウウウウッ……!』

 

 アイズが声を張り上げ、救援に向かうおうとするが、ミノタウロスが黒大剣を構え、進路を阻む。

 彼女が阻まれている間にも、恐ろしいほどの体積が鉄槌となって地面に叩きつけられ、衝撃が大空洞中を震撼させた。

 地面が粉微塵に弾け緑肉が飛沫となって降りそそぐ中、舞い上がった灰煙の奥でその巨軀は傲然と存在していた。

 まさに絶体絶命。誰もが満身創痍。ベートも瀕死。頼みの綱のアイズの前には強敵が二人も立ちはだかる、彼らにあの巨軀を止める術がない。

 食人花のように首を高くもたげることもできない超重量の体をミミズのごとく蠕動させ、周囲の冒険者にまとめて襲いかかる。

 

「寄越せ、巨大花(ヴィスクム)

 

 一方、レヴィスのもとに来た巨大花は彼女の声に応えるように、巨大な顎を開き、口内にある『魔石』を露出させている。

 超大型な体躯にしてはあまりに小さな握り拳ほどの、しかし、食人花に比べれば巨大な『魔石』。それをレヴィスは無造作にむしり取る。

 『魔石』を失った巨大花が膨大な灰へと果てる。

 

「この程度では大した血肉(たし)にはならんが……食人花(ヴィオラス)よりはマシか」

 

 それを一瞥もせず、レヴィスは『魔石』を口の中に含み、嚙み砕く。

 ぺろり、と紅い舌が唇を舐めた。

 人としてありえない行為にアイズが言葉をなくす中、ぐっっ、と漲る力を確かめるように握り締められるレヴィスの右手。彼女の赤い髪もまた、逆立つようにらざわっと揺れる。

 直後——レヴィスは地面を粉砕し、アイズへ砲弾のごとく爆走した。

 

「っっ⁉︎」

 

 アステリオス——レヴィスが呼んでいたミノタウロスの固有名——の横を駆け抜け、アイズへ剛拳を叩き込む。

 真正面からの拳打にアイズは風が付与された《デスペレート》を構え、防御。次の瞬間には真後ろへ凄まじい勢いで弾き飛ばされた。

 

『ゥウウウウウウウウウウウウウウウッ!』

 

 追従するようにアステリオスも動く。アステリオスとレヴィスの二人ががりでアイズに襲いかかる。

 連携——などと呼べるものはない。もとより出会って数日。共闘など今回が初めてだ。

 だから、ただ攻める。怪物の本能を剥き出しにして、攻め続ける。アステリオスが黒大剣を薙ぐとレヴィスが剛拳を繰り出す。レヴィスが上段蹴りを放つとアステリオスが鉄拳を叩き込む。

 攻撃こそ最大の防御と言わんばかりに、反撃の隙を与えないほど連斬連打を浴びせ続ける。

 

 ——捌ききれない……!

 

 怒涛の猛攻。仲間への配慮さえない。アステリオスとレヴィスは、ただ敵を殲滅しようとする自分勝手な攻撃は予測不能でアイズは防戦一方になる。

 でも、それ以上に気になるのが、レヴィスの変化だ。

 魔法(エアリアル)で強化したアイズに引けをとらないほど能力(ステイタス)が上昇したレヴィス。

 極彩色の『魔石』、灰となった巨大花、吸収された結晶——モンスター。

 レヴィスの正体を掴めていないアイズの脳裏に、叩きつけられた断片的な情報が渦を巻いて錯綜し、やがて一つの解を導く。

 繰り出される上段蹴り。昇格(ランクアップ)した風鎧(エアリアル)に力負けしないその威力。疾風の斬撃を放てば容易に回避し反撃を見舞ってくる。先程までは防御することが精一杯であった筈の彼女は、ことごとくを見切って対応してきた。更に襲いかかるアステリオス。先程とは立場が逆転してアイズは防御することで精一杯になる。

 

 ——『強化種』‼︎

 

 激上した敵の戦闘能力に、アイズは受け入れるしかなかった。

 『魔石』を摂取し力を得るモンスターの理、【ステイタス】を宿す人類と相反する弱肉強食の業。彼女が怪物(ミノタウロス)と協力できるのも納得した。目の前の敵は人の形をした怪物である。

 恐るべききとに、巨大花の『魔石』を喰らったレヴィスの純粋な身体能力はLv.6のアイズと同等か、微かに(・・・)上回る。それだけなら【エアリアル】の力を借りたアイズの勝利は揺るがない。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 もう一匹の怪物がそれを許さない。アイズの攻撃を封じ、馬鹿げた『力』が風鎧(エアリアル)ごと彼女を斬り裂こうとする。アステリオスの存在がアイズを劣勢に追い込む。

 レヴィスは腕を振りかぶり、渾身の一撃を放った。アイズが間一髪後退すると振り下ろされた拳が地面を砕き、円状に陥没させる。レヴィスは手を突き刺した地面の緑肉から、ズズズッ、と音を奏で——次には勢いよく引き抜いた。

 現れる紅の大剣、地面から抜剣された天然武器(ネイチャーウェポン)

 両手に持った大剣とともにレヴィスは突っ込み、アイズもまた応じるように突貫する。

 

「「ッッ‼︎」」

 

 衝撃と轟音を発生させ、風の銀剣と紅の大剣が真っ向からぶつかり合った。

 そこへ、忘れるな、と言わんばかりに黒大剣が振り下ろされ、アイズは瞬時に回避。地面に小さなクレーターを作り上げる。

 後方へ下がるアイズに、レヴィスはアステリオスは互いを押しのけるように追撃を仕掛けた。

 

「——仮面(エイン)‼︎」

 

 レヴィスが声を張り上げ、誰かを呼ぶ。応じるようにどこかに潜んでいたのか、紫の外套(フーデッドローブ)、そして呼び名通りの不気味な紋様の仮面。

 正体を隠した謎の人物は、大主柱の近く、『宝玉』の前にに降り立つ。

 

「完全ではないが、十分に育った、エニュオに持っていけ!」

 

 戦いながら、レヴィスが仮面の人物に向かって声を張り上げた。

 エインと呼ばれた人物は『宝玉』ごと握り締め、アイズの『風』に反応し叫び続ける胎児を黙らせる。そのまま取り付いている大主柱から強引に引き剥がした。

 

『ワカッタ』

 

 エインは様々な肉声が折り重なったような不気味な声で返事をし、直ちにその場から離脱する。

 宝玉を持って数ある大空洞の出入り口の一つに疾走した。

 アスフィ達は止めようとするが、巨大花が巨軀を地面に叩きつけて阻止。エインはそのまま洞窟に姿を消した。

 

 暴れ回る巨大花、逃げ惑う冒険者達。猛攻を続けるアステリオスとレヴィス、追い詰められるアイズ。

 刻一刻と状況はアイズ達の悪い方へ向かっていく。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話:終幕と猛牛

 

 巨大花の頭部が迫る。隕石のごとき体当たりが小人(ヒューマン)を押し潰さんと繰り出された。

 

「うわあああああああああああああああああああッッ⁉︎」

 

 狙われたヒューマンが絶叫を上げ——恐ろしいほどの巨軀が激突した。

 膨大な粉塵を撒き散らし、大空洞に衝撃が走る。彼の生存は絶望的である。

 

「ゴルメスまで!」

「止まっている暇はありませんよ、ルルネ!」

 

 仲間がまた一人死んだことに愕然とするルルネに、アスフィが叱咤する。

 止まった彼女を逃すまいと、巨軀から幾多も伸びる蔦の触手が迫るが、なんとか回避する。

 

「どうする、アスフィ〜⁉︎」

「……【千の妖精(サウザンド・エルフ)】に『魔法』をブッ放してもらいたいところですが、この巨体相手では前衛壁役(ウォール)がいようが意味がありません。それに——」

 

 大人数で盾を並べようが、巨大花の蛇行の前では全てが轢き潰される。防ぐ防げないという次元の問題ではない。

 それにレフィーヤを見れば、彼女は気絶したベートを抱え、フェルヴィスに護衛されながら、防戦するのが手一杯だ。とても助力を頼める様子ではない。

 

「きゃあ⁉︎」

 

 そして事態は悪化する。重傷のファルガーを背負うヒューマンの少女(サポーター)がしなる触手に受け、吹き飛ばされた。それでも仲間(ファルガー)を離すまいと必死に彼を掴む。

 

「痛……!」

「……ネリー……俺を、置いて……いけ」

 

 自分を庇ってくれた少女にフィルガーが声をかける。足手まといがいては生き残れない。だから、俺を捨てていけと。

 

「何言ってるんですか! そんなことできません!」

「だが……このまま、では……俺も、お前も……助からない!」

「……っ」

「俺がいては、共倒れ、だ……だから、お前だけでも……」

「でも——」

 

 なおもいいすがろうとするネリーの頭上。幾多もの触手が襲いかかる。回避も間に合わず、防御する術もない。もうダメだと思ったとき——無数の火球が放たれ、触手を全て撃ち落とした。

 

「大丈夫ですか!」

「メリル、ありがとう!」

 

 小人族の少女(メリル)に助けられ、安堵した次の瞬間。

 地面から夥しい緑槍が撃ち出される。不意打ちの第二波。弧を描きながら冒険者を突き刺さんと殺到する。

 ネリーは咄嗟にファルガーをメリルのもとに投げ飛ばし、短剣型の『魔剣』を抜き、迎撃しようとするが——触手の方が早かった。

 

「————」

 

 彼女の腕、肩、足、腹、胸、ありとあらゆる箇所を触手が突き抜けた。誰が見ても致命傷。助かる見込みはない。ネリーの瞳から光がなくなり、魔剣が手から落ちる。

 

「ネリー……!」

 

 仲間が一人また一人と倒れていく中、アスフィは唇を噛み締めながら、切り抜ける手段を探す。

 だが、あんな巨体を倒す術などなく、頼みの綱のアイズは化け物二人に防戦一方。どれだけ考えてもいい案が浮かばない。もはやこれまでかと、心が絶望に染まろうとしたとき

 

「【万能者(ペルセウス)】!」

 

 自身の二つ名を呼ぶ声に、ハッと顔を上げる。見ればこちらに駆け寄るフィルヴィスがいた。

 レフィーヤの側を離れて大丈夫なのかと思えば、視界の端で、彼女を守る獣人とエルフの女性がいた。

  タバサとスィーシア、先程の戦闘で石の散弾を受けた彼女達は回復薬(ポーション)で回復して戦線復帰したようだ。だが、完治したとはいえず、その動きはぎこちない。

 

「【白巫女(マイナデス)】、何か策が⁉︎」

巨大花(やつ)の頭に()を開けられるか、そこから私が魔法(いかずち)を叩き込む!」

「——わかりました」

 

  フィルヴィスの狙いを察したアスフィは、即席の連携を仕掛けた。

  ネリーが落とした『魔剣(ナイフ)』を拾い上げる。そして再び、飛翔靴(タラリア)を起動。飛行能力を駆使して触手を掻い潜り、フィルヴィスが体皮を駆け上がる。

  二人は巨大花の頭上へ。アスフィは『魔剣』を構えた。

 

「はぁっ!」

 

 花頭部分に鋭い刺突を見舞い——次の瞬間、炎刃が大爆発を起こした。

  爆炸薬(バースト・オイル)は先のミノタウロス戦で使い果たした。ならば『魔剣』の最大火力で風穴を開けるしかない。

  特製マントで防御しながら、自爆覚悟の攻撃。巨大花の頭部に大穴を開けてみせた。

 

「あとは……頼みます!」

「任せろ!」

 

  爆風で吹き飛ばされるアスフィと入れ替わるようにフィルヴィスが駆け抜ける。

  広がった深い傷口に向かって、すぐさまフィルヴィスも飛び込んだ。

 

「【一掃せよ、破邪の聖杖(いかずち)】!」

 

  詠唱過程を一瞬で終わらせ、眼下の傷口——体内へ続く()短杖(ワイド)を突き刺す。

 

「【ディオ・テュルソス】‼︎」

 

  短杖(ワイド)から放出された雷が巨大花の体内へ叩き込まれた。

  不自然に何度も痙攣するモンスターの体皮の下がうっすらと発光し、冒険者達が刻んだ傷から電流がこぼれ落ちる。大量の精神力(マインド)が支払われた最大威力の暴雷が、モンスターの巨軀から『核』の在りどころを探し回った。

  巨大花の動きが停止したのは間も無くだった。体内の『魔石』が雷撃に焼きつくされ、断末魔を発さないまま、大長軀が膨大な灰へと果てる。

  文字通り崩れ落ちた巨大花のモンスターに、【ヘルメス・ファミリア】から歓声の声が上がった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

  ——巨大花(ヴィスクム)がやられた⁉︎

 

  灰となった巨大花に僕は驚愕する。

  巨大花は重鈍で戦闘能力は第一級冒険者には劣るが、その規格外の巨体と大きさゆえの耐久力は尋常ではない。肉弾戦主体であれば第一級冒険者でも討伐困難な超大型モンスターだ。

  それが大半がLv.3の冒険者に負けるとは予想してなかった。

 

「——はッ」

『⁉︎』

 

  巨大花が倒された事実に一瞬止まった隙をアイズは見逃さない。首を断とうと風剣を見舞う。

  しかし、それは割り込んできた紅の大剣に阻まれた。

 

「油断するな、馬鹿が」

『……ゴメン』

「有象無象など私達で幾らでも始末できる。いまは『アリア』に専念しろ」

 

  レヴィスの言葉に頷き、黒大剣を構える。

  レヴィスの言う通り、巨大花は巨体過ぎるのを除けば潜在能力(ポテンシャル)は大したことない。頑張って一匹のモンスターを倒したところで事態は好転しない。

  僕とレヴィスに対抗できるのはアイズだけ。だから、アイズが倒れたら冒険者達は詰みだ。

  彼女さえ倒せばこちらの勝ちだ!

 

『ヴォオッ!』

「っっ!」

 

  剛閃と鉄拳の嵐。一撃でも直撃すれば風鎧(エアリアル)を貫通して命を奪う連撃にアイズを苦悶の表情になる。そこにレヴィスも紅の大剣と拳打を繰り出す。彼女の体に徐々に傷が増え始めた。

  レヴィスの大剣を防御し、打ち合ったかと思えばすかさずアステリオスの横槍が入った。途切れることのない二人の猛攻は決してアイズを逃がそうとしない。アイズがレヴィスの攻撃を防御すれば、アステリオスが攻撃する。アステリオスの攻撃を防御すれば、レヴィスが攻撃する。

  互いの攻撃を囮にして、アイズを仕留めにかかる。

 

  ——よし、このまま攻めれば勝てる!

 

  止まない猛攻に常に神経を研ぎ澄まさなければならず精神を磨耗させ、二人分の攻撃に対応し増えていく傷に体力を消耗させる。アイズの精神と体力と限界に近づき、動きも洗練さを失っていく。

  弱ったアイズを好機と見たアステリオスとレヴィスは同時に動いた(・・・・・・)

  左右から挟撃してきた敵に、アイズは風の力を借りて大跳躍。上空へ逃れた。

 

「『ッッ‼︎」』

 

  敵を見失った黒大剣と紅の大剣が真っ向からぶつかる。上空へ逃げたアイズを一瞥し、示し合わせたようにアステリオスとレヴィスは目を合わせた。それだけで互いの狙いを察した彼らは行動に移る。

  レヴィスは軽く跳ね、地面から足を離す。片手で紅の大剣の柄を握り、反対の手を剣身の峰に添えて大剣を固定する。

  それに合わせるようにアステリオスが筋肉を隆起させ、黒大剣をフルパワーで振り抜いた!

  結果、黒大剣とぶつかっていた紅の大剣もろともレヴィスは上空へ投げ出され、アイズを狙う砲弾と化した。

 

「——っ⁉︎」

「墜ちろ」

 

  超速で飛来したレヴィスは、紅の大剣を薙ぐ。迫る斬閃にアイズは風を推進力に体を無理矢理方向転換して回避した。空振りに終わらせたアイズは、空中で回避ができないレヴィスに反撃の一閃を繰り出そうとするが——彼女を大きな影が覆う。

 

「えっ——」

 

  反射的に振り向いたアイズが目にしたのは、黒大剣を振りかぶるアステリオスの姿が。

 アステリオスは読んでいた、アイズなら回避すると。レヴィスを投げた直後、Lv.6の剛脚で自身も大跳躍をして追撃したのだ。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 渾身の振り下ろし。豪速で迫るそれを不可避と悟ったアイズはなんとか愛剣(デスペレート)を自身と黒大剣の間に割り込ませ、最大出力の風鎧(エアリアル)を纏う。アステリオスの全力攻撃(・・・・)に、アイズは全力防御(・・・・)で対抗する。

 黒大剣と《デスペレート》がぶつかり——轟音とともにアイズが叩き落とされた。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ⁉︎」

 

 両腕が折れるかと思う衝撃と耐えることもできない重撃にアイズは、急激に落下。地面に激突しても勢いは止まらず、背中で地面を削っていく。そして大主柱にあと少しでぶつかるという位置で止まった。

 

 ——終わりだ‼︎

 

 僕は倒れ伏したアイズを仕留めるべく、鉄拳を振りかぶった。

 重量級の落下と重力による加速。それらが加算された拳砲は第一級冒険者(アイズ)といえど即死は間違いない。

 

「っ——待て、アステリオス!」

『……エ?』

 

 レヴィスが突然の中止するように叫ぶ。しかし、もともと自由落下に身を任せていたため、僕も攻撃を止めることができなかった。

 迫る脅威(ぼく)に、アイズは残り少ない精神力(マインド)を振り絞り、突風(エアリアル)で自らの体を弾き飛ばす。多少の痛みを伴おうと、あれを喰らうよりはマシと彼女は蹴撃の回避に成功する。

 僕の拳はそのまま地面に激突。地面を大きく抉り、幾筋もの亀裂が広がる。その衝撃は地面に留まらず、手前の石英(クオーツ)の大主柱全体に駆け巡った。

 たちまち竜の爪痕のような巨大な亀裂が生じ、罅が天辺まで上ったかと思うと、次には甲高い破砕音が響いた。磨耗していた大主柱はとうとう倒壊してしまう。

 そして、連動するかのように食料庫(パントリー)の天井が崩れ始めた。

 

『コレ、ハ……!』

大主柱(あれ)食料庫(パントリー)中枢(きも)だ。壊せば食料庫(パントリー)は崩壊する」

 

 状況を把握できない僕に、レヴィスが何をしてしまったのか教えてくれた。……滅茶苦茶ヤバイことしちゃった⁉︎

 もう戦闘は不可能。この崩壊の早さではアイズを倒すよりも生き埋めになる方が早い。逃げるしかない。せっかくのアイズを倒す好機を僕が潰してしまった。

 

「こうなっては仕方ない。——『アリア』、59階層へ行け」

 

 レヴィスがアイズに声を投げかける。てか、59階層? 僕が潜った一番深い階層は26階層だが、倍以上も深い階層があるのか、このダンジョン⁉︎ どれだけ深いの?

 

「ちょうど面白いことになっている。お前の知りたいものがわかるぞ」

「……どういう、意味ですか?」

「薄々感づいているだろう? お前の話が本当だとしても、体に流れる血が教えている筈だ」

「……」

「お前自ら行けば、手間も省ける」

 

 僕がダンジョンの深さに驚愕している間にも、レヴィスとアイズの会話は続く。何かすごく重要そうなことを言っているけど……正直、全然理解できない。

 一人置いてけぼりを喰らっていると、レヴィスと睨みあっていったアイズは、仲間の呼ぶ声に出口へと走っていった。……それより、これ僕達も逃げないとヤバくない?

 

「来い、冒険者(やつら)の知らない抜け道がある」

『ア、出口別二、アルンダ』

 

 レヴィスに先導され、崩壊する迷宮から僕達は姿を消した。

 この日、24階層の食料庫(パントリー)は崩壊した。

 

 【ロキ・ファミリア】重傷一名。軽傷二名。生還三名。

 【ディオニュソス・ファミリア】。生還一名。

 【ヘルメス・ファミリア】。死者九名。重傷四名。生還六名。

 24階層食料庫攻略(パントリーアタック)パーティ、総勢十九名。その大半が死亡及び重傷という深い爪痕を残す結果に終わった。

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

『レヴィス、ゴメン……』

「……お前に助けられのも事実だ。それで水に流そう」

『コレカラ、ドウスル?』

「私は傷を癒す。しばらくは動く気はない。お前は?」

『強クナル。ダカラ、モンスターヲ狩ル』

「そうか。ならば共闘はここまでだ。何処へでも好きに行け」

『ウン。マタネ』

 

 

 

「…………『またね』か。再会の約束などしたことがなかったし、する相手もいなかったな」

 

 アステリオスの姿が見えなくなった後、レヴィスは一人呟いた。




『隻眼のミノタウロス』
名前:アステリオス
推定Lv.6相当
到達階層:26階層
装備
【ウダイオスの黒剣】
・アイズの身の丈より長大な剣。
・第一級武装にも劣らない階層主の『ドロップアイテム』。
・彼は未加工のまま使用している。
・連戦により磨耗気味。
【ヴィオラス・クロス】
・レヴィス作。大型の戦闘衣(バトル・クロス)。
・第一級冒険者の打撃を防ぐ高い防御力がある。
・【ウンディーネ・クロス】を編み込んだことで弱点である炎属性を克服している。
・材料にドロップアイテム『ヴィオラスの花弁』を使用。
・彼の体格に合わせているので動きやすい。形状(デザイン)はレヴィスの好み。
・ようやく手に入れた彼の実力に見合った防具。
・連戦により大半を損失している。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話:猪人と猛牛

 

 レヴィスと別れた僕は上層を目指す。特に行くあてもなかったから、久しぶりに産まれた階層(こきょう)にでも帰ろうかと思ったんだ。

 大樹の迷宮を抜け、18階層に入り、小休憩。そこから17階層へ登った。そこには

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 ——そういえばいたな、灰色の巨人。確か……『ゴライオス』って言うんだっけ?

 

 大き過ぎる輪郭。太い首、太い肩、太い腕、太い脚。人の体格に酷似したその形は、猛牛(ぼく)と同じだが総身は七M(メドル)にも届こうかという、巨人。薄闇の中で捉えた体皮は灰褐色だった。

 後頭部に位置する場所からは、脂を塗ったように照り輝くごわごわとした黒い髪が、首もとを過ぎる位置まで大量に伸びている。

 17階層の階層主。迷宮の弧王(モンスターレックス)——『ゴライオス』。

 冒険者(にんげん)のダンジョンへの挑戦を阻む絶対的な怪物である。………なのだが。

 

 ——これぽっちも脅威を感じないな、このデカブツ。

 

 ゴライオスが強大な怪物であることは確かだ。だが、その潜在能力はLv.4。対してアステリオスはLv.6。一段階違うだけでもその力には隔絶した差があるのに、二段階も差があればそれも勝負にはならない。巨大な象が小さな鼠に恐怖を感じないように、彼がゴライオスに恐怖を感じないのは当然のことだった。

 そんなことを考えているとは知らず、ゴライオスがその巨腕を頭上へと振り上げた。階層主にといっては自分の縄張りに入ったものは、モンスターも、冒険者も関係ないらしい。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 振り下ろされた大鉄槌。避けることもなく佇んでいた僕に直撃。爆砕音と——衝撃波が発生した。

 爆風が大広間を殴りつけ、ゴライオスは勝利を確信し——次の瞬間、目を見開いた。

 

『……』

 

 無傷(・・)。アステリオスは傷一つなく佇んでいた。あろうことか彼は、巨腕の一撃を片腕で受け止めていた(・・・・・・・・・・)

 圧倒的な体格差をものともしない、桁違いな『力』。ゴライオスが非力な訳ではない。全てを粉砕する一撃と言っていい威力がゴライオスにはある。それを物語るようにアステリオスの足もとは大鉄槌の衝撃に耐えきれず、粉砕され、彼は膝まで脚が地面にめり込んでいた。

 アステリオスはつまらなそうにゴライオスを見上げ、腕に力を込める。

 

『フゥー……‼︎』

『グッ——オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ⁉︎』

 

 徐々に押し上げられる腕にゴライオスも力を込めるが——『力』が違う過ぎた。アステリオスが軽い掛け声とともに押し飛ばしただけで、ゴライオスの巨腕は頭上高くに跳ね上げられ、ゴライオスは片腕を大きく上げた、階層主らしからぬ格好になる。

 その無防備な姿をアステリオスは見逃さない。素早く黒大剣を引き抜き、槍を投げる姿勢で黒大剣を構えた。

 そのまま投擲する。それも信じられない速度で、真っ直ぐゴライオスに飛んでいく。

 

『——————————————ッッ⁉︎』

 

 ゴライオスの額に黒大剣が突き刺さる。七M(メドル)もの巨体が、頭部に自分以外の巨人の一撃を食らったように大きく弾かれ、そのまま倒れていく。巨体が倒れた証拠に轟音とともに地響きが起こる。

 たった一撃。頭部を貫かれて生きている生物はいない。ゴライオスは呆気なく絶命した。

 

 ——やっぱり、あの程度(ゴライオス)じゃあもう相手にもならないか。

 

 下層に下りる前は、勝てないと思った敵さえ片手間で倒せるほど僕は強くなっていた。——まぁ、そんなことはどうでもよくて。戦利品(ませき)を頂こう。

 僕は黒大剣を抜き、ゴライオスの胸部を一閃。胸は裂け、中から特大の魔石が現れた。

 大きい。大きさだけでいえば僕が見た中で一番の大きい魔石だろう。流石は階層主といったところだね。

 両手でも収まりきらないそれを僕は胸部から抜き取り——魔石(いのち)が抜けて巨体が灰と化した——かぶりついた。

 

 ——う〜ん。大きくて食いごたえはあるけど……オリヴァスほど上質じゃないね。

 

 簡単に言えば、質より量。ゴライオスの魔石は質が悪いわけではない。むしろ中層、下層のモンスターに比べて上質といえる。だが、Lv.5の魔石(オリヴァス)を食べた身としては、どうしても薄味——正確には味でなく、どれだけ力が漲るか——に感じてしまう。

 まぁ、中層のモンスターにして上質な方だと、納得する。そして散乱した灰を見渡し、その中に埋もれていたものを持ち上げた。

 取り出したのは、灰褐色の硬い皮膚、その一部分。ゴライオスのドロップアイテムだ。

 『ゴライオスの硬皮』。階層主のドロップアイテムなだけあり、非常に硬く、下層のモンスターの攻撃さえ通用しない。流石に、打撃に対する防御力は『ヴィオラスの花弁』には及ばないが、火に弱いなどの弱点はなく、硬質なので斬撃にも強い万能性がある。

 今回、発生したドロップアイテムは、アステリオスがすっぽり覆える大きさをしていた。

 

 アステリオスは新ためて自身の姿を確認する。

 レヴィスに仕立てて貰った戦闘衣(バトル・クロス)。ベートの雷炎の蹴撃、アイズの風剣。雷炎で焼け焦げ、風に切り刻まれた防具は、大半を失い、残った部分も、酷い有り様だった。もう使い物にはならない状態だ。

 

 ——『水精霊の護布(ウンディーネ・クロス)』は……ダメだね。まだ使えないかと思ったけど、手ぬぐいほどの大きさもないんじゃあ、身につけることもできないや。

 

 せっかく、レヴィスが作ってくれたけど、防具にならないものをつけていても意味はない。僕は戦闘衣(バトル・クロス)を名残惜しみながらも脱いだ。そして『ゴライオスの硬皮』を首もとで括り付けて、外套(フーデッドローブ)のようにかぶる。

 僕は仕立てることなんてできなし、そのまま使うしかないか。

 新しい防具を身に纏い、通路を進む。まぁ、ここからはLv.2以下のモンスターしか出現しない。たいした危険もないだろう。

 ………………………………………………って、思ってたんだけど

 

 

 

 

 

 

『ヴゥンンンンンンンンンンンン……‼︎』

 

 猛牛が渾身の一撃を放つ。対峙する大男は、銀の大剣で迎撃した。

 大黒塊と大銀塊が交差し、ぶつかり合う。拮抗は一瞬 ——打ち負けたのは猛牛の方だった。

 『力』では負けていなかった。他の能力(ステイタス)は全て劣っているが、単純な打ち合いならばこうもあっさり、押し負けることはないはずだ。

 単純な能力(ステイタス)だけではない。純粋な場数による‘経験値’と、果てない鍛錬に裏付けされた戦闘技術。

 熟練の武人(てき)に、潜在能力(ポテンシャル)が高いだけの怪物(ぼく)が勝てる道理はない。

 後方に弾かれた猛牛は、尻餅をつくように倒れこんだ。それを見下ろしていた大男はただ一言

 

「立て」

 

 情け容赦なく告げた。止めを刺すこともせず、ただ戦い続けろと。

 

 ——僕は出鱈目に強い冒険者(にんげん)にしごかれてます。……なぁぜッ⁉︎

 

 それは数時間前に遡る。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ごつごつした岩肌が、上下左右、視覚の全面を占領している。

 天井が高いにもかかわらず生まれる閉塞感。壁から剥き出しになっている巨大な岩が四方から重苦しい圧迫感を放ってきている。光源が心もとなく、薄暗いのもその一因だ。

 地面は当然舗装などされておらず、でこぼこした石の通路は歩きにくい。洞窟、炭鉱、坑道。

 規則性なく道が入り組むこの迷宮から連想するのは、そんな岩盤の洞窟だった。

 

「この階層にとどまるのも久しいな……」

 

 ダンジョン17階層。Lv.2の冒険者達が縄張りとする階域を一人の冒険者が歩む。

 防具を装着する巌のような巨軀。ニM(メドル)を超える身の丈。

 鋼鉄と見紛う筋肉で編まれた強靭な四肢。

 錆色の短髪から生える獣の耳は獣人、獰猛と知られる猪人(ボアズ)の証であった。

 オラリオ二大派閥の一角【フレイヤ・ファミリア】団長、オッタルが探索を行っていた。

 彼がこの階層にいるのは、ハッキリ言って場違いだ。オッタルはオラリオ唯一のLv.7。すなわちオラリオ最強の冒険者である。

 『深層』さえ単独攻略(ソロ・アタック)できる彼が『中層』の半ばにとどまるなど異常だった。

 だが、答えは簡単だ。オッタルの行動原理はただ一柱の神のため。心酔する美の女神の望みを叶えるために彼はこの階層にいた。

 崇拝する女神、フレイヤ。かの女神が見初めたベル・クラネルという未熟な冒険者。

 フレイヤが恋い焦がれる魂の輝きを持つベル。その輝きを曇らせる原因(モンスター)。ミノタウロスの因縁を払拭させるために彼は、フレイヤから命を授かった。

 フレイヤは言った。少年、ベルの大成にオッタルのやり方で働きかけろと。

 ミノタウロスをベルに送り込む。用意された道は、少年にとって残酷なまでか茨の道だった。

 

 ——膳立てには過ぎるかもしれんが。

 

 オッタルはこの時まで、数多のミノタウロスを吟味し、抜選を繰り返していた。

 ひとえにベルの一皮を剥くために。フレイヤの望む輝きを引き出すために。

 Lv.1の冒険者にとって、Lv.2にカテゴライズされるミノタウロスの相手はあまりにも過酷。純粋な能力の差は言うまでもない。まともに戦えば自殺行為に直結する相手だ。その中でも選りすぐりの個体を探している。

 いっそ横暴なまでに、オッタルはベルを虐げる真似をしていた。

 

「……む」

 

 オッタルの歩みが止まる。額当てに近い被覆面積の狭い黒鉄の兜、そこから覗く猪耳がピクリと反応を示した。常人よりも五感が鋭い獣人である彼の聴覚が近づく存在を感知した。しかし

 

 ——この強大な存在感……中層にいる強さではない。階層主(ゴライオス)? いや、それ以上の強さだ。

 

 オッタルは長年の経験から、未だに姿も見えない存在が強大なモンスターであると直感した。

 彼は油断なく、接近するものが来る方を向く。ブーツに包まれたつま先が方向を変える先、岩盤の壁に空いた横穴から、ぬぅっと赤黒い牛頭が生えた。

 

『ヴォオ?』

ミノタウロス(・・・・・・)だと……?」

 

 相手もオッタルに気づき、間の抜けた声を出し、彼も訝しむ声を発した。

 『ミノタウロス』。牛頭人体の外見を持つ筋骨隆々の大型級モンスター。通常種に比べて筋肉が膨張しており全長が三M(メドル)近いが、その体型からして、非常に彼と似通った点が多い。

 だが、いまはそんなことはどうでもいい。問題はオッタルがこの猛牛から感じた潜在能力(ポテンシャル)の高さだ。

 Lv.2にカテゴライズされるミノタウロスなど彼にとっては雑魚だ。片手間で葬れる。だが、目の前のミノタウロスは違う(・・)。オッタルは一目で理解した。片目のミノタウロスは自身に届こうかという能力(ステイタス)を誇る。 

 

——待て、片目だと(・・・・)

 

 オッタルは改めて目の前のミノタウロスを観察する。片目を失い、全身には戦闘痕が刻まれた肉体。別の個体(ミノタウロス)に比べて幾度もの戦闘を経験したとわかる。それと数多のミノタウロスを吟味した彼だからこそ、気付いたことだが、この個体のみ一回り大柄で筋肉が盛り上がっているようだ。同じ種族(ミノタウロス)でありながら、肉体的特徴が顕著で、隔絶した存在感を放つ。こんなことが起こる現象は一つしかない。この怪物は数多の同族(モンスター)を食らった強化種だ。

 そして、体より目を引くのは装備だ。羽織っているのは灰褐色の外套(フーデッドローブ)。色から察するに『ゴライオスの硬皮』だ。そして背負った規格外の黒い大剣。磨き抜かれた漆黒の光沢を放っており、まるで黒く染まった巨大な骨のようだ。黒骨のドロップアイテムは、オッタルに深層の階層主を思い出させる。

 オッタルから見ても見事な武装をした片目のミノタウロス。該当する賞金首(バウンティ・モンスター)を彼は知っていた。

 

「……『隻眼のミノタウロス』か」

 

 冒険者に甚大な被害をもたらし、オッタル達【フレイヤ・ファミリア】の宿敵【ロキ・ファミリア】が何度も交戦しながら、討伐できていない強化種(バケモノ)

 つい先日も冒険者パーティと戦い、大量の死傷者を出したとき聞く。噂を聞くたびに懸賞金は跳ね上がり、現在の賞金は——一億ヴァリス。

 そしてベルに心傷(トラウマ)を与えた張本人(ミノタウロス)である。

 

「……」

 

 オッタルの頭にある考えがよぎる。だが、それはあまりにも残酷な仕打ち。それでも因縁たる過去を決別させるには、これ以上——いや、これしかいないといってよいほど適任だ。

 そんな彼の思考も知らず、『隻眼のミノタウロス』は黒大剣を抜剣し、距離をとる。

 圧倒的な身体能力に頼らず、構えた姿勢も剣術の心得があるようで、モンスターらしからぬ冷静さでこちらを出方をうかがっている。

 あまりにモンスターとして異質な行動。その行動にオッタルは口端を吊り上げ、決意を固めた。

 

「……面白い。お前に決めたぞ」

 

 やがて後ろに手をやる。腰のところで交差させてある二本の双剣——規格は大剣のそれだ——の一本を抜き取り、構えた。

 それは残酷な運命か、非情な呪いか、あろうことかオッタルはベルにぶつけるミノタウロスにアステリオス(・・・・・・)を選んだ。

 横暴を通り越して残虐と言ってよい。Lv.2のモンスターにも勝てないLv.1の少年に、Lv.6の化物をぶつけようとしている。

 オッタルは、女神を夢中にさせる少年に嫉妬しているのか。ゆえにフレイヤの視界からベルを消そうとしているのか。

 その自問に対し、否、とオッタルは断言することができる。

 ベルが死んだところできっとフレイヤは彼の魂を追いかけるつもりだろう。すなわち天界まで戻ってを自分の胸の中へ誘う。でなければ、万が一にも死の危険を孕むとわかっていてオッタルに扱いを任せることはしない。

 もはやベルの生死に意味はない。生きようが死のうが、愛の女神による呪縛(ほうよう)がその未来に待ち受けている。

 これは嫉妬ではない。これは、洗礼(・・)だ。——そしてなにより、直感か、神託か、それはオッタル自身にもわからないが、ベルとアステリオスはぶつかるべきだと確信したからだ。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

「——まずは、その拙い剣技を直させてもらうぞ」

 

 こうして猛牛(じゃくしゃ)英雄(きょうしゃ)からの教育(・・)を受けることになった。

 

 

 




『隻眼のミノタウロス』
名前:アステリオス
推定Lv.6相当
到達階層:26階層
装備
【ウダイオスの黒剣】
・アイズの身の丈より長大な剣。
・第一級武装にも劣らない階層主の『ドロップアイテム』。
・彼は未加工のまま使用している。
・連戦により磨耗気味。
【ヴィオラス・クロス】
・レヴィス作。大型の戦闘衣(バトル・クロス)。
・第一級冒険者の打撃を防ぐ高い防御力がある。
・【ウンディーネ・クロス】を編み込んだことで弱点である炎属性を克服している。
・材料にドロップアイテム『ヴィオラスの花弁』を使用。
・彼の体格に合わせているので動きやすい。形状(デザイン)はレヴィスの好み。
・ようやく手に入れた彼の実力に見合った防具。
・連戦により損傷が激しく処分した。
【ゴライオス・ローブ】
・『ゴライオスの硬皮』をそのまま羽織っている。
・第二級冒険者の攻撃は防げるが、第一級冒険者の攻撃は防ぎきれない。
・未加工なので着心地も悪い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話:教育と猛牛

 

 

 

 ——あれから、どれだけの時がたったろうか。

 

 何時間、何十時間、何日たったのか。極限の疲労と肉体の酷使におかしくなりそうになりながら——僕は戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦い続けている。目の前の獣人(かいぶつ)と。

 

『ゥウウウウウウウウウウウウウウウッ!』

「……」

 

 散っていく火花は収まることはなく、金属の喚く音が広大な洞窟内に幾重にも反響していった。気の遠くなる打ち合いの末に、僕の剣戟はより鋭く、より重くなっていく。——なのに崩せない。どの角度から打ち込もうと、どんな力を込めようと、どこでフェイントを仕込もうと、この冒険者は軽々と対応してくる。

 表情筋の一つも動かさず、その場から一歩も動かず、休憩もなく連日戦闘をしながら、汗の一つも流さない。

 これではどちらが化物かわからない。そう思いながら、黒大剣を振り下ろす。大男は真横に銀の大剣を構え、防御しようとする。でも、同じことを繰り返す気はない。

 当たる直前に軌道修正。銀の大剣に当たらないすれすれを真横に薙ぐ。狙うは首。強敵を両断せんと黒大剣が迫る。獲った、と思ったその時

 

「——ふん」

『ヴゥバァッ⁉︎』

 

 大男が片足を振るう(・・・・・・)。蹴撃が僕の鳩尾に直撃。予想外の攻撃に踏ん張ることもできずに背中から地面に倒れた。

 

 ——あ、足癖が悪いな……! いや、これは予想してなかった僕が悪いか。剣だけが攻撃手段じゃない。

 

 そう考えを改めて立ち上がろうとして、膝が震えて自身を支えきれずに崩れ落ちた。

 体力の限界。何日も格上を相手に戦い続けてアステリオスの精神と肉体は磨耗し切っていた。

 

『フゥー……フゥー……!』

「……限界か」

 

 息を荒くし、起き上がろうとする度に倒れるアステリオスを見て、大男は呟く。そして無造作に壁面に一閃。ダンジョンの壁に傷跡を作り、自身も腰を下ろした。——休憩と言うことなのだろう。

 アステリオスは知らないが、ダンジョンはモンスターを産み落とすとだけでなく自己修復機能がある。そのため崩落が起きようと、地形を変えるほど戦闘が起ころうと時間が経てばダンジョンは元に戻る。

 同時に壁を修復中はモンスターを産まないという特性がある。それを利用し、冒険者達は壁を壊して休憩をとる。

 もっとも、アステリオスはモンスターなのでこちらから手を出さなければ危害はない。そして目の前の大男はLv.6の彼より格上だ。その存在感に怯えて、弱いモンスターは影さえ現さない。

 少しでも、体力を回復させるために僕はそのまま座り込んだ。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——順調……いや、想定以上の仕上がりになりそうだ。

 

 オッタルは目の前に座り込むミノタウロスを観察する。能力(ステイタス)は推定Lv.6相当。それもかなり上位に食い込んでいる。剣技は拙いものだが、それだけ身体能力が高ければLv.5の冒険者を力押しで倒せるだろう。【ロキ・ファミリア】を退けたというのも納得だ。

 それにしてもよくぞ潜在能力(ポテンシャル)をここまで強化できたものだと、オッタルは感心した。

 通常、強化種が確認された場合は早期討伐が求められる。時間が経てば経つほど強化種は貪欲に魔石を求め、より強くなっていく。そのため、強化種が発見されればギルドは強制任務(ミッション)を発令し、精鋭パーティによる討伐を行う。だから、強化種は短命だ。

 目の前の強化種は、討伐にきた冒険者のことごとくを返り討ちにし、一ヶ月と経たずに第一級冒険者に匹敵する力を得たのだろう。

 強くないはずがない。冒険者(おれ)が『冒険』をして【ランクアップ】するように、この猛牛(モンスター)も『冒険』を乗り越えて強化されてきたのだ。——だが、その成長速度が速すぎた。

 冒険者の話になるが、【ランクアップ】したばかりの冒険者は、己の身体能力に振り回される傾向にある。

 これは激上した肉体の出力に精神がついていかない、【ランクアップ】という『器』の激変に感覚が追いつかない故の現象。そしてこれは、強化種(ミノタウロス)にも当てはまる。

 一ヶ月足らずで第一級冒険者に匹敵する潜在能力(ポテンシャル)にまで強化したのは見事というしかないが、その身体能力に反して『技』と『動き』が未熟すぎる。

 第一級冒険者達ならば、大きな戦闘を一つこなせば調整できる肉体と精神の『ズレ』。

 それがオッタルという絶対強者との戦闘及びその『技』を目の当たりにしたことで、解消された。

 動きの精彩が、格段に良くなっている。拙い剣技がメキメキと上達していく。この数日でLv.6に相応しい、『技』と『動き』を貪欲なまでに身につけていく。このまま成長していけば、いずれオッタルを凌ぐ怪物になるかもしれない可能性を秘めている。

 今後のことを考えれば、手に負えない脅威になる前にこのモンスターに始末すべきだが。

 

 ——俺の不安などより、フレイヤ様の望みが優先に決まっている。

 

 例え、この選択が己の死に繋がるとしても、オッタルは迷わない。

 脳裏によぎった未来を即座に消し去る。いますべきはベルにミノタウロスを送り込むこと。それが奇跡が十回起ころうと倒せないだろう、強化種(バケモノ)が相手でも。

 彼を影が覆う。見上げればミノタウロスが眼前に立っていた。——続きを始めろ、と言いたいのだろう。

 ふっ、と笑みが零しながらオッタルは立ち上がる。そして教育が再開された。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 それからも僕と大男は戦闘——というより稽古と言ったほうがいい行為は続いた。

 剣の腕が上がった自覚はある。体の動きも 良くなった。脳裏がなぞる軌跡に体の軌道が乗る。意識しなければ気付かないほどのズレ、それらが全て解消されている。体中の感覚が、今までにないほど鮮明(クリア)だった。——それでも届かない。

 渾身の袈裟斬り——いともたやすく弾く。

 斬り刻もうと放たれる夥しい斬閃——全斬撃が弾かれる。

 必殺の拳砲を繰り出す——手甲を纏った左腕一本に押さえ込まれた。

 強力無比なラッシュ——振り下ろされた剛腕に撃墜された。

 武人が誇る完全防御を、僕は切り崩せない。思いつく限りの攻撃を仕掛けるが、彼は小揺るぎもしない。

 暴風に呑み込まれようが悠然とそり立つ巨岩のごとく。

 不動の壁にはね返される。勝機は欠片も見えず、攻めかかってこない代わりに、アステリオスを何度も目の前から弾き飛ばした。

 途方もない『技』と『駆け引き』が、アステリオスの猛攻を抑え込んでいる。

 異なり過ぎる経験値(・・・)、純粋な場数。彼我を隔てるのは培われてきた心身だ。

 果てない鍛錬に裏付けられた身体能力と、戦闘技術だ。

 底なしかつ、出鱈目過ぎる。傑物。才能も、不断の努力も、そして揺るがない意思も惜しまなかった現代の英傑。

 産まれてから一ヶ月足らずのアステリオスでは絶対に埋められない大渓谷が彼らの間には存在する。

 

 ——それがどうしたッッ!

 

 それじゃあ仕方ない、と言えるほど僕は諦め良くはない。地を這いずり回っても生き延びようという意地汚さと、どんな強敵にも勝ちたいという執念深さが僕を奮い立たせた。

 でも、そんな想いだけで勝てるほど目の前の武人は甘くない。だから、せめて一太刀。たった一度でいいからこの英傑を見返したいと思った。

 それができる道はただ一つ、正面突破だ。剣技が見違えるほどうまくなろうと、別人のように精彩された動きになろうと、この武人の前では些細な差に過ぎない。

 ならば、己が持つもので唯一武人に対抗できる『力』で勝負するしかない。

 僕は馬鹿だから、知恵を振り絞ってもいい考えは浮かばないし。小細工をしても、全てねじ伏せられるに決まっている。だからこそ、この一撃に全てを込める!

 

 金属音はより激しさを増していき、並の冒険者では両者の腕がかき消えているように見えるだろう。

 ありとあらゆる角度から打ち込まれる剛閃を、武人はものともせず、正確に撃墜した。その打ち合いがしばらく続き——アステリオスは仕掛けた。

 

 ——ここだッ!

 

 アステリオスが真横に一閃。武人は銀の大剣の鋒を上に向け、真っ直ぐに構えた。幾度も弾いた方向からの斬撃。彼ほどの達人ならば無意識でも対処できる。だが、今回は違った。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

「!」

 

 武人が初めて顔色を変えた。アステリオスは肩の筋肉を隆起させ、黒大剣の柄を両手で握り締めていた。

 いままで片手で振るっていた黒大剣を両手で振るう。単純に威力は二倍。フルパワーの大薙ぎを見舞った。

 完璧な体捌きと、確立した剣技。それらを全て一つにしてアステリオスは銀の大剣に叩きつけた!

 

 拮抗は——なかった。大銀塊はまるで粘土細工のよいに、あっさりと切断された。その断面は綺麗なもので、それはただ力任せに叩き潰された(・・・・・・)のではなく、技によって斬り裂かれた(・・・・・・)とわかる。

 何日もの打ち合いの末、アステリオスは武人から一本取ってみせた。

 

『フゥー……フゥー……!』

 

 だが、代償も大きい。極限の集中力と限界まで酷使した肉体。それが達成感から緊張の糸が切れ、一気に僕に襲いかかった。

 踏ん張ることもできずに僕は倒れこみ、意識が遠ざかっていく。

 

「……仕上がったな」

 

 折れた大剣の断面をまじまじと見ていた武人は、そう呟く。それを最後に僕の意思は闇に堕ちた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——ん、んぅ……寝てみたいだね……。

 

 疲労から寝ていた僕は目を覚ました。体を起こして状況を確認する。

 真っ暗だが、光が乏しいダンジョンで暮らすモンスターは夜目も効く。すぐに四角形の大きな箱に入れられていると気付いた。あの武人は僕を何処かへ運ぼうとしていたらしい。拘束などがされていないので捕縛するのとは目的が別のようだ。

 

 ——さて、どうしよう。このまま運ばれて訳のわからない場所に連れて行かれるのは嫌だ。でも、武人に歯向かってもねじ伏せられる未来しか見えない。どうすればいいのかなぁ……。

 

 そんな風に頭を悩ませていると、外から声が聞こえた。

 

「やったな、カヌゥ!」

「ああ、中身は第一級冒険者の戦利品に違いねぇ! 一体どれほどの価値があるのか……先日のリリの件といい、俺達はついてるぜ!」

「そうだな、それにしても【フレイヤ・ファミリア】も【イシュタル・ファミリア】も馬鹿だぜ! 互いを潰し合うことに夢中でカーゴを取られたことにも気付かねえなんてよ!」

「だよな! それより早く開けようぜ。中には何が入ってんだろうな」

「そういや、【猛者】はずっと中層に留まってたって聞いたぜ?」

「中層? なんだよ、第一級冒険者の戦利品だから、深層のお宝だと思ってたのに……」

「いやいや、それがよ。噂は聞いたことないか、あの片目のミノタウロスの話を!」

「片目……『隻眼のミノタウロス』か⁉︎」

「ああ、目撃情報だと【猛者】は『隻眼のミノタウロス』とずっとやりやってたらしい」

「マジか⁉︎ じゃあ中身は『隻眼のミノタウロス』のドロップアイテムか、死体か!」

「そりゃ、スゲェ! アレの懸賞金は1億ヴァリス! それだけあればチマチマ稼ぐ必要もねぇ!」

 

 ——ええ、入ってますよ。死体じゃなくて生きてるのが。それにしても聞いてもないのにベラベラと頭の悪い会話を……第一、同族がいるモンスターならまだしも、僕みたいな単一個体は誰が討伐したかわかるんだから、バレるに決まってる。コイツ等、馬鹿だな。

 

 でも、お陰で状況は把握した。武人は襲撃を受けて、カーゴから目を離し、泥棒に盗まれたと。——正直、あの武人(ひと)は技と盗ませたと思う。

 そんなことを考えているとガチャガチャと鍵を外す音が響き、扉が開かれた。——さて、泥棒なら遠慮はいらないよね?

 

 扉から光が射した瞬間、冒険者目掛けて疾走。三人の中で左側にいたヒューマンに黒大剣を振り下ろした。

 鮮血が爆ぜる。狙われた冒険者は何が起きたかもわからずに、頭から圧殺(・・)された。潰れた果実から飛び散った真っ赤な液体が僕の全身を彩る。

 

 ——うへぇ、汚いなぁ……思ったより脆かったな。

 

 本来なら真っ二つにするつもりが、相手の『耐久』補正が弱すぎた。Lv.1の冒険者は黒大剣が当たる前に、剣圧に押し潰された(・・・・・・・・・)。結果、果実を潰せば果汁が飛び散るように血飛沫が撒き散らされた。とりあえず気持ち悪いから、顔を外套(フーデッドローブ)で拭う。

 

「ひぇあっ……⁉︎ ひひゃああっ⁉︎」

「な、何でっ⁉︎ 何で生きてやがんだよぉおおおおおおおお⁉︎」

 

 残り二人はようやく一人殺されたことに頭が追いついたらしく、今頃になって悲鳴を上げる。

 そして蜘蛛の子を散らすようにバラバラに逃げ出した。

 生存本能。弱者(にんげん)ゆえに強者(かいぶつ)に勝てないと彼らは本能で察した。だから、一目散に逃走を選択した。その判断は間違っていない。相手が逃げ切れる存在ならば(・・・・・・・・・・)

 

 ——Lv.1の『敏捷(はやさ)』で逃げ切れるわけないよ。……ていうか、あっちって行き止まりじゃない?

 

 アステリオスが思った通り、逃げ惑う冒険者は、迫る濃厚な死の気配に冷静な判断を失っているのかルームの隅へと自らを追いやっている。

 これは走るまでもないと、悠然とした足取りで、のしのしと背を晒すヒューマンの男へと歩み寄っていく。

 ドロップアイテムで装備を固めたアステリオスの姿は不自然なほど様になっていて、カヌゥ達には、見ているこの絵が酷く現実離れしているように見えた。

「いっ、行き止まっ……⁉︎」

『ヴゥンンンンンンンンッッ……!』

「うあああああああああああああああああああああっ⁉︎」

 

 壁面と猛牛に挟まれたことを理解したヒューマンの男は惨めな一人芝居を演じる。でも、それに付き合う気はない。命を刈り取らんと迫る。

 

『フゥゥーッ……!』

「何でだよっ、何でてめぇがっ、ココにいやがるんだよぉおおおおおおおおおおおお⁉︎」

 

 壁面を背にして喚き出すヒューマンの男を、僕は見下ろす。

 ずるずると音を鳴らしながら地面にへたり込む相手を前に、黒大剣を構える。

 引き締まりスリムな印象さえ与えてくる筋肉質な体をギリギリと絞られ、まさにその姿は断頭台を彷彿させた。

 黒い巨影がヒューマンの男を覆い隠し、絶望が彼の顔に差す。

 もはや言葉になっていない喚き声がルームを盛大に木霊し、転瞬。

 

『ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウンッッ‼︎』

 

 ドゴンッ、という黒大剣が振り下ろされた轟音が炸裂し。グチャ、と僕の眼前で、真っ赤な飛沫が飛び散った。また一つ潰れた肉塊が出来上がった。

 

 ——うわぁっ、くそぉ……また汚れた。なまじ強敵ばかりとしか戦ったことないから、雑魚はやりにくいなぁ。

 

「……ぁ?」

 

 またも顔を外套(フーデッドローブ)で拭いていると背後から声。そちらを見れば隠れることも忘れ棒立ちになり、通路口の前から一部始終を見ていた獣人——確かカヌゥとか呼ばれていた——の口から、乾いた呟きがこぼれ落ちた。……いや、逃げようよ。死にたいのか? あ、逃げた。

 カヌゥは脱兎のごとき勢いで、佇んでいたアステリオスの視界から消えた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——ふ、ふざけんなっ⁉︎

 

 カヌゥは反転し、あらん限りの力で地面を蹴りつける。彼は全速力でその場から離れた。

 呼吸がおかしい。舌が干上がる。意味をなさない思考が再三にわたって弾けていく。

 頭の中に埋まっている脳が沸騰しているかのようだった。熱い。とにかく熱い。狂ったように、汗が溢れ出してくる。

 カヌゥはなりふり構わず走り続けた。足が何度ももつれそうになる中に 、ひたすら趨走する。

 現在は深夜。周囲に冒険者の影は見当たらない。無人のダンジョンは今のカヌゥにとって迷宮のようであり、いくら走れとも同じ景色から脱出できていないような気がした。

 

 ——振り切れねぇ、振り切れねぇっ、振り切れねえぇぇ……⁉︎

 

 どれだけ逃げようと、大き過ぎる存在感が消えない。

 強烈な違和感。あのモンスターはさっきの場所から動いていない。気配は遠ざかっているのでそれはわかる。——なのに常に捕捉されているような、死神が首に大鎌を突きつけているような死の気配が消えない。

 決して抗えない死を臭わす猛牛のモンスターとは掛け離れた化物に、話が違うと、カヌゥは叫び散らしなくなる。

 

「はっ、はっ、はぁぁっ!」

 

 呼吸を乱すカヌゥはとにかく前へ、とにかく距離を。と我武者羅に走り続ける。不幸中の幸いというべきかモンスターは突然、この階層に現れた強大過ぎる強化種(バケモノ)に怯えて彼の前に姿を見せることはなかった。

 もっとも、平静さなど放り出し、とにかくこの恐怖からの解放を望んだカヌゥには、そんなことを考える余裕もなかった。

 そしてそんな彼に希望の光が射した。ダンジョン6階層。上層へ繋がる階段が視界に飛び込んできた。

 

 これで助かる、と思ったカヌゥを絶望が覆った。

 

 突如——暴風。カヌゥの体を吹き飛ばしかねない強風が吹き荒れ、真横を何かが通り過ぎた(・・・・・・・・・・・)

 強風に咄嗟に目をつむった彼が目を開けると

 

『ヴゥンンンンンンンンッッ……!』

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ⁉︎」

 

 絶望(ミノタウロス)が立ちはだかる。カヌゥが必死に稼いだ距離をモンスターは一瞬で走破した。

 カヌゥは絶叫を散らす。一度線を越えてしまえば、混乱(パニック)に陥るのは容易かった。

 ミノタウロスが黒大剣の柄をギュッギュッと握り具合を確認しながら、一歩一歩と間合いをゆっくりと詰めていく。確かな質量と大きさを誇る黒骨(ドロップアイテム)は、その巨身と見比べても大剣という規格に入っている。

 

「く、来るんじゃねぇええええええええええええええええええっ⁉︎」

 

 カヌゥは腰に手を回し紅色のナイフを取り出した。

 先日【ファミリア】の仲間であった(・・・・・・)小人族(パルゥム)から奪い取った……手に入れた『魔剣』を振り抜く。

 

『………』

「来るなっ、失せろっ、消えやがれええぇッ‼︎」

 

 炎の塊がナイフより放出されミノタウロスに当たる。

 カヌゥは出鱈目にナイフを振るい、劣化した魔法を何度もぶつけた。逃げ場を失った空間の中で小爆破が連続する。——が、ミノタウロスは煩わしそうにするだけで体皮に焦げ目一つない。

 ミノタウロスの体皮は耐熱効果がある。それがLv.6まで強化されたいまの耐性は大魔法さえ炎属性なら、暑く感じる程度だ。それを劣化した魔法——更に下位の『魔剣』では、何の痛感も与えられない。

 それでもカヌゥは壊れたように魔剣を閃かせ続け……やがて紅の刀身はバキリと音を立て、木端微塵に砕け散った。

 

「は……はぁああああああああっ⁉︎」

 

 寿命がつきたかのよつに光を失った刃は、無数の鉄屑となって地面に散乱した。

 驚愕の声を上げながらその目を剥く。魔剣が使用限界を超えて自砕した。最後の最後でカヌゥは武器に裏切られた。

 

『フゥーッ、フゥーッ……!』

「ひ、ひぃいっ⁉︎」

 

 火の粉を引き連れるモンスターが目の前までやって来た。

 モンスターとは思うない冷静さを宿した双眼が、カヌゥを見抜く。

 やがてこれ以上は何もないと判断したのだろう。巨大なシルエットは上腕の筋肉を膨張させ、黒大剣を大上段に振り上げる。

 

「やっ、止めええええええええええええええええええええええええっ————」

 

 額が叩き割られる感触とともに、カヌゥの意識はあっさりと潰えた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——呆気ないなぁ……手応えがまるでなかった。

 

 最後の一人を仕留めた僕は——今度はちゃんと力加減ができて断殺できた——背後の曲がり角、その物陰になった場所に隠れていた人物に視線を向ける。

 相手も隠れる気はなかったのだろう。曲がり角から姿を現した。

 

「……」

 

 出てきたのは予想通りの、巌のような巨躯をした冒険者。いままで僕に修行をしてくれた武人だ。

 姿を見せたということは僕を『上層』に連れてきた理由くらいは教えて欲しい。

 

「……手加減はできるか。それならば出会い頭に瞬殺はされまい」

『?』

 

 武人は口を開いたかと思うと、よくわからないことを言い出す。僕に言っているというよりは、自分を納得させている感じだ。

 

「明日、ここに白髪赤眼の冒険者が来る。お前にはその少年と戦ってもらう」

 

 ——うん? 白髪赤眼の少年? どこかで見たような……どこだっけ?

 

「殺すか殺さないか、それはお前の判断に任せる。お前の望むままに戦え」

 

 ——てか、これって、僕が人の言葉を理解してる前提で話してるよねぇ。まぁ、あれだけ訓練中に言われた助言に頷いていれば当たり前か。

 

 特に断る理由もなく、むしろ修行をつけてもらった恩がある僕は頷いた。

 それを確認した武人は背を向け、その場を去ろうとする。そこへ僕は

 

『アリガ、トウ』

 

 お礼の言葉を述べた。すると武人は勢いよく振り返り、初めて驚愕した顔を見せる。それに満足した僕も背を向け、その場から離れた。

 

 ——あははははは。初めて武人の度肝を抜けたね。また会えたら、稽古してほしいな、師匠(・・)

 





補足
獣人の下級冒険者=カヌゥ・ベルウェイ
ヒューマンの冒険者二人=【ソーマ・ファミリア】の下級冒険者


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十ニ話:心傷と猛牛

 

 僕、ベル・クラネルはサポーターの少女、リリルカ・アーデとともにダンジョンに来ていた。

 アイズさんに教えを乞い、魔法も習得して順調な探索をしている。……なのに今日は、どうしようもなく不安が襲ってくる。

 

「……」

「ベル様?」

 

 僕は緊張感に高鳴る心臓に手を当て、ぐるっと周囲を見る。

 木色をした壁面に背の低い草花が繁茂する広いフロア。9階層の『ルーム』で僕は押し寄せる不安を隠せない。

 すぐ横で見上げてくるリリにも、言い訳をする余裕さえなかった。

 

「何か気になることでも?」

「……いや、何て言うんだろ。ここにいては行けない気がするんだ」

 

 冒険者の勘か、臆病者の本能か、ベルは未だかつてない警鐘が鳴り響いているようだ。

 

 ——違う。未知じゃない。この感覚には覚えがある。……どこだ、どこで僕はこの警告を知った?

 

 必死に記憶を掘り起こすが思い出せない。むしろ、思い出すことを心の奥で拒絶しているような、そんな感覚。……いよいよ気のせいでは片付けられなくなってきた。

 朝早くからダンジョンにやって来たので、他の冒険者の数は極端に少ない。でも、それだけでは片付けられない静けさにダンジョンが包まれている。

 

「ちょっと、おかしくない……?」

「おかしい、ですか?」

「モンスターの数が少な過ぎる」

 

 ここはダンジョン。モンスターの巣窟。冒険者はいなくてもモンスターは昼夜を問わずに闊歩している。なのに9階層についてからやけにダンジョンの中が静かだ。現在地は階層の深部と言っていい、10階層を目の前にしておきながらモンスターとはまだ一度も遭遇(エンカウント)していなかった。

 せいぜいゴブリン達が逃げるように走り回っていたのを、ちらりと見かけた程度だ。

 まるで階層中のモンスターがナニカ(・・)に怯え、身を隠しているようだ。

 

 ——何だろう……息苦しい。これは、恐怖?

 

 違和感が積み重なって、胃が捻じ切れそうだった。

 思い出したくない何か(・・)を無理矢理掘り起こされている感じ。——そう。あの時も、ダンジョンなこんなにも静まり返っていて……。

 僕はそこで頭を振った。そんなはずない。あの怪物(・・)がこの階層にいるはずはないと自分に言い聞かせて。

 

「ベ、ベル様?」

「……行こう。10階層に」

 

 口もとを押さえてかろうじて言う。

 「今すぐここから離れよう」とは、情けない気持ちかこみ上げてきて、言えなかった。心のどこかで急かされるように前を向く。

 二つあるルームの出入り口の内、10階層へと繋がる方向へ足を進めようとした——まさにその時。

 

 

 

 ——見ツケタ(・・・・)

 

 

「————っ」

 

 幻聴か、空耳か。いきなり頭に直接響いてきた、どこか拙くたどたどしい声に、僕は目を見張る。

 いまのが何だったのかわからない。でも、これだけは確信を持って言える。——何かに捕捉された!

 

『——ヴ——ォ』

 

 足が、固まった。

 

「……」

「い、今のは……?」

 

 リリが何かを言ってる。だけど頭に入らない。

 何かが聞こえた。何かが、聞こえてきた。

 脳裏に刻まれたあの雄叫び(・・・・・)と酷似した音の欠片が、僕の神経という神経を焦がす。

 

「……」

 

 潤滑さを失った玩具のように、錆びついた動きで首を背後に巡らす。

 音源の方角はちょうど僕達が通ってきた道からだ。あの一本の通路の奥に、何かがいる。

 気づけば僕の呼吸は乱れていた。心臓の鼓動が張り裂けそうだ。指先が震えて力が入らない。

 喉の代わりに頭が『嘘だ』とがなり立てている。そんなことがあるわけないと子供のように泣き叫んでいる。

 リリが固唾を呑んで眼を凝らす中、僕は必死に何かを祈っていた。そして

 

『……ヴゥゥ』

 

 現れがった。

 

「——ぇ?」

「……」

 

 予感は的中した。してしまった。いや、そもそも、僕がアイツ(・・・)の声を忘れるはずがないのだ。思い出す機会は幾らでもあった。ただ無意識に思い出さないように封じ込めていた。

 何度夢に出てきたのかわからない。何度別のモンスターにそれの面影を重ねてきたのかわからない。

 何度アイツ(・・・)を怖がってきたのか、もう、数え切れない。

 

『オオオオォオオォオオォオォオオオ……』

 

 ミノタウロス。モンスターの代名詞となるほど強力な猛牛。更に目の前のミノタウロスは灰褐色の外套(フーデッドローブ)をかぶり、黒い大剣を背負う異常な出で立ち。そして何より片目(・・)がなかった。

 そう。片目がないのだ。そんなミノタウロスを僕は知っている。何故なら、片目を潰される瞬間を僕は目撃していた。

 

 ——間違いない。あの時のミノタウロスだ!

 

 確証なんて何もない。でも、僕にはわかる。あれはあの時に遭遇したミノタウロスだと。僕を恐怖のどん底に叩き落した怪物だと。

 あの時、逃げ延びたミノタウロスの悪評は都市(オラリオ)中に轟いていた。そんな怪物が何でここに⁉︎

 

「な、なんで、9階層にミノタウロスが……」

 

 僕が聞きたい。ああ、でも僕は知っている。このどうしようもない理不尽を知っている。

 言葉では語りつくせないこの絶望感を知っている。この戦慄を、僕は経験したことがある。

 その時、もう隠す必要もなかったのだろう。ミノタウロスが押さえ込んでいた存在感を解放した。

 

「「ひぃ……!」」

 

 その物理的に押し寄せてくるようなド迫力に僕とリリは悲鳴をあげる。逃げなければ、と思うが視線が動かせない。足が動かない。あの赤黒い化物に射竦められ、僕も、リリも、行動を奪われた。

 

 強制停止(リストレイト)。モンスターが生物の心と体を『恐怖』で縛り付ける『咆哮(ハウル)』。通常は雄叫びで行う威嚇(・・)。それをこのミノタウロスは存在感だけの威圧(・・)で行った。Lv.6の威圧に、Lv.1の二人は成す術もなかった。

 そして、ミノタウロスは一歩、地面を踏みつけた。絶望が僕達に迫る。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——白髪に赤眼、この少年が師匠が言ってた人みたい。……というより、な〜んか見覚えある顔なような……?

 

 師匠に明日来る、と言われた少年と——オマケに少女が一人——と対峙していた。ていうより、明日(・・)って曖昧なんだよ。

 ダンジョンでは太陽もないから昼か夜かもわからず、時間がさっぱりわからない。

 その上、僕は気絶していたから余計にいまが何時かもわからない。だから、師匠と別れた後、一睡もせずこの階層を通過する冒険者を一人一人確認していた。そしてようやく目的の少年に出会えた。長かったぁ……。

 

 ——で、会えたけど……どうしよう?

 

 会った後のことを考えてなかった。師匠には僕に任せると言われたけど、恐怖で固まって動くこともできなくなっている。これじゃ師匠が何をしたかったのかもわからない。

 

 ——う〜ん。考えてもわからないから、とりあえず邪魔なもの(・・・・・)から消すか。

 

 僕は少年の横にいる小さな少女を見る。この少女に関しては何も言われてない。つまり——いてもいなくても(・・・・・・・・)良いってことだ。

 少女を見下ろしたまま、僕は歩み寄り、そのまま目の前まで来る。

 恐怖で縛られた少女は視線を動かすことも、逃げることもできない。眼前にモンスターがいながら、指一本動かせない。

 僕は片足を上げ、蹄が少女を捉える。

 三M(メドル)近いのミノタウロスと、ヒューマンより小柄な小人族(パルゥム)の体格差では片足を上げるだけで踏み潰せる高さがあった。そして上げた剛脚を少女目掛けて

 

『ヴゥムゥンッ‼︎』

 

 踏み降ろした。蹄が少女の頭部を粉砕しようとした瞬間

 

「ああああああああああああああああああああぁっっ‼︎」

 

 我武者羅な叫びとともに真横にいた白髪の少年が、小人族(パルゥム)の少女を抱えて跳ぶ。標的を失った片足は地面を踏み砕いた。

 恐怖に縛られた白髪の少年が、束縛から脱したことにちょっと驚きながら視線を向ける。

 

「ッッ‼︎」

 

 白髪の少年は小人族(パルゥム)の少女を横へ思い切り投げ、僕と真っ向から対峙する。投げた小人族(パルゥム)の少女に目を向けようとすると白髪の少年が叫ぶ。

 

「——ファイヤボルトォオオオオオオオオオオッ⁉︎」

『……』

 

 緋色の雷が顔面に直撃。視線が逸れた隙をついたというより、ベルに意識を集中させて少女にいかないようにした攻撃だ。

 だが、無傷。Lv.1の、それも元々威力の低い魔法でLv.6の『耐久』補正は微塵も揺るがない。直撃したアステリオスの顔には焦げ目一つない。

 

「うああああああああああああああああああああああああああっ⁉︎」

 

 それでもベルは取り憑かれたように魔法を使う。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。

 闇雲に剣を振り回すかのように魔法を行使し続ける。

 鋭い炎の矛がアステリオスの巨体を何度も刺し貫き、炸裂。爆発音とともに猛火が荒ぶる。

 

 ——あの魔法、詠唱してない? 魔法の連射が可能なんて便利そう。

 

 でも、効かない。無防備な体を爆炎に包まれながら、アステリオスは苦悶の声一つ発さず、ベルを観察する。

 もとより、アステリオスの狙いはベルだ。彼が注意を引かずともリリに手を出す気はなかった。彼女を踏み潰そうとしたのは行き掛けの駄賃のような感覚だった。生きていようが死んでいようがどちらでもよかった。

 

 ——でも……いい加減鬱陶しいかな?

 

 アステリオスは未だに魔法を行使し続けるベルに目を細め——次の瞬間に姿が掻き消えた。

 

「え……?」

 

 恐怖の猛牛の姿が消えたことにベルは唖然とし、すぐに蒼ざめだ。

 突如、ベルを覆う影。そして背後から感じる絶望的な存在感。見たくないと本能が叫びながらも、恐る恐るベルが振り返ると

 

『ヴゥッ……』

 

 アステリオスが真後ろから見下ろす。彼はベルが視認不可能な速度で疾走し、背後を取っていた。

 アステリオスは無造作に腕を振るう。握られてさえいない掌手による攻撃。それこそ集る虫を払う程度の気持ちしか込められていない。——だが、本人(Lv.6)にとっては虫を払う程度でも、ベル(Lv.1)にとっては即死してもおかしくない出鱈目な威力がある。

 

『ンヴゥッ』

「——」

 

 フォンッ、という風の切る音がベルの鼓膜を殴った。

 迫る巨腕は、ベルの腹に吸い込まれるように収まり、衝撃が爆ぜた。軽鎧(ライトアーマー)が砕け、吹き飛ぶ。

 

「がっっ⁉︎」

 

 ——へぇ、自分から後ろに飛んで威力を半減させたのか。思ったより、実戦慣れしてるな。

 

 アステリオスが欠片も本気を出していないのもあたっが、ベルのアイズ(Lv.6)と訓練した経験があり、それが体を動かした。咄嗟に後ろへ飛ぶことで、その殴打の威力を半減させた。

 勿論衝撃の全ては殺し切れない。棒立ちになっていれば間違いなく腹を爆発させていた一撃だ。ベルは決河の勢いで吹き飛んで——通路の奥に消えていった。

 

 ——狙い通りに行き止まりのルームに追いやったからいいか。

 

 そう、アステリオスも初めから殺す気はなかった。叩いのはベルを通路の向こう——行き止まりのルームに吹き飛ばし、逃げ道を塞ぐためだ。

 彼は吹き飛ばしたベルを追って通路の奥へ歩いていった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 通路の先、ルームでは通路の反対側の壁面に白髪の少年が叩きつけられていた。

 どうやら、通路を抜けただけでは勢いが止まらず、そのままダンジョンの壁面に激突したようだ。

 

 ——えぇ……軽すぎない? え、死んでないよね?

 

 自分でしたことながら、思わず心配してしまうが、よろよろと少年は起き上がった。

 だが、魔法が通用しないという現実がもたらす無力感と、絶対的な力量差に力が入らない。せったく立ち上がった膝が、今にも折れてしまいそうだ。文字通り、突けば倒せるほど弱々しい。

 

 ——これ以上何か目新しいものが出るとは思えないが……もうちょっとだけ試そう。

 

 やる気を出してもらうために僕は口を開く。

 

『……君ハ弱イ』

「⁉︎」

 

 モンスターが言葉を発する。そのことに僕にとってはなれた驚愕を見せる少年に構わず、挑発は続ける。

 

『コノママダト、君ハ死ヌ。……ソシテ、アノ女ノ子モ——死ヌ』。

「………——————畜生ッ‼︎」

 

 ベルはプロテクターに右腕を突っ込み、《バゼラード》を抜剣。地面をしっかり踏み締め、武器を握る腕に力を込める。アステリオスと正対した。

 泣きたいのか怒りたいのかわからない。体の中で絡み合う感情の束は既にぐちゃぐちゃだ。

 もはやヤケクソの境地に片足を突っ込みながらも、ベルはアステリオスと戦う決断をする。アステリオスの言葉の真意を悟ったからだ——ベルを殺したら、次はリリを殺す、と。もう逃げられない。少女のためにベルは戦うしかない。

 

「あああああああああああああああああああああッッ‼︎」

 

 ベルは狂ったように叫びながら疾走。僕が死ねばリリも死ぬ。そんなことをはさせないという想いは限界突破したかのような『敏捷(はやさ)』を発揮し、ルームの端から端を一気に走破した。その勢いを殺さず、加速を乗せた《バゼラード》を一閃。《バゼラード》は吸い込まれるようにアステリオスの首に当たり——砕け散った。

 

「——⁉︎」

『ソンナノ、効カナイ』

 

 ベルの武器は駆け出し冒険者が持つような安物。対してアステリオスは深層の階層主(ウダイオス)に匹敵する化け物だ。並の武器では傷つけるどころか武器が破壊されてしまう。

 

 ——これ以上は無駄かな。

 

 アステリオスは剛腕を振るう。先程よりは僅かに——ベルにとっては桁違いに——速く、強く。

 結果、ベルは反応もできずに打撃を叩き込まれた。

 

「ぶぅっ、ぐはぁっ……⁉︎」

 

 皮膚が裂け、肉が抉れ、血飛沫が散った。吹き飛ばされたベルは再びダンジョンの壁面に叩きつけられてた。

 先程よりも強烈な攻撃。だが、ベルはまだ生きていた。瀕死ではあるが胸が上下し息をしていることがわかる。それでもここまでだ。止めを刺そうとアステリオスが歩み寄る。

 

 ——強くなかったし、隠し玉があるようにも見えなかったなぁ。結局、師匠は何が——⁉︎

 

 それは既知感。襲いかかる悪寒。迫る疾風。僕はこれを体験したことがある!

 素早く黒大剣を抜剣。僕を斬り裂かんとした細剣(デスペレート)を弾いた。

 

「……!」

『ヴォッ!』

 弾かれた影はそのまま僕を跳び越え、正面に——少年を庇うように立ちはだかる。

 靡く金髪。美しい容姿。剣を持つその姿が神秘的な女剣士。

 幾度となく戦ってきたその強敵の名は忘れたことがない。

 

 ——つくづく僕は君に縁があるようだね、アイズ。

 

 少年の窮地にオラリオ最強の一角と名高い少女が駆けつけた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話:再戦と猛牛

ゴールデンウィークなのでもう一話書き上げました。


 ——間に合った!

 

 『隻眼のミノタウロス』と正対しながら、アイズは背後に倒れるベルを見る。

 血を流し、痛々しい姿になっているが一命は取り留めている。いまならまだ救えることに彼女は安堵した。

 

 何故、彼女がこの場にいるのか? それは少し前まで遡る。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 私達【ロキ・ファミリア】は未到達階層攻略のための遠征に出発した。

 目指すのは59階層。ダンジョン『深層』を攻略する派閥精鋭にとってはLv.1冒険者達の狩場である『上層』は何の問題もなく素通りできるはすだった。取り乱した形相で四人の冒険者達に出会うまでは。

 

 只事ではない彼らから事情を聞いた私達は驚いた。この上層でミノタウロスを見たというのだ。『中層』出身のモンスターが『上層』にいるのはどう考えても『異常事態(イレギュラー)』だ。そしてミノタウロスに襲われていた少年を見捨ててしまったとも。

 

「はっ、そりゃ下級冒険者(おまえら)に手に負えねぇな。どっちにしろそのガキは助けられなかっただろうぜ」

「ちょっとベート、言い過ぎよ!」

 

 冒険者達を見下したようにベートが言い、ティオナが彼を怒鳴りつける。

 ベートの態度に冒険者の一人が睨みつけ、声を張り上げた。

 

「うるせぇっ! そもそもあの牛の化物がいるのはお前等のせいだろ! あのガキを死に追いやったのは、お前達【ロキ・ファミリア】だ‼︎」

「何だと……?」

 

 声を荒げる冒険者にリヴェリアが疑問の声を出す。アイズ達も声には出さないが訳が分からないという顔をしていた。

 確かに【ロキ・ファミリア】は前回の遠征で、ミノタウロスの大群を上層中に逃がしてしまうという失態を犯していた。しかし、それから一ヶ月以上経っており、その間に『上層』でミノタウロスの目撃情報は皆無。それに『上層』に進出した全てのミノタウロスは仕留めたはずだ。ただ一匹を除いて(・・・・・・・・)

 そう思い至り。誰もがハッとする。

 

「あのミノタウロスは片目がなかった(・・・・・・・)! お前等が撃ち漏らした『強化種(バケモノ)』だろ! それに黒い大剣も背負ってたぞ、あれもお前等が盗られた品らしいじゃねぇか!」

 

 そして冒険者の言葉がそれを肯定した。【ロキ・ファミリア】にとって忘れられない悪夢。

 ミノタウロスの大群の中にいた異色の個体。モンスターとは思えない行動をし、その能力(ステイタス)第一級冒険者(じぶんたち)に匹敵する化物。

 あの時は取り逃がし、その後もアイズやベートは幾度も遭遇(エンカウント)しているが、討伐できず、それどころか手痛いしっぺ返しを受けていた。

 更に『隻眼のミノタウロス』に殺されたと思われる冒険者の遺体や遺品が見つかっており、それを知るたびにアイズ達は罪悪感を覚えていた。

 

「あの白髪のガキが襲われたのは(・・・・・・・・・・・・)お前等のせいだ!」

 

 ——ドクンッ、と冒険者の叫びに私の心臓が跳ねた。

 全身という全身から汗が噴き出す錯覚に襲われる。

 呼吸をするのを忘れながら、今しがた告げられた言葉を必死に呑み込もうとする。

 

 ——白髪の、少年……ヒューマン?

 

 次々と語られる冒険者達の情報に心臓の律動が痛いほど高鳴る。

 フィン達が行う会話をもはや耳から素通りさせながら、アイズは、冒険者達に詰め寄った。

 

「そのミノタウロスを見たのはどこ?」

 

 彼女の声に、全ての者が動きを止める。

 ティオナ達も、眼前の冒険者達も、進行が止まった遠征部隊も。

 アイズのその鬼気迫る眼差しに、誰もが時を止めた。

 

「冒険者が襲われている階層は、どこですか?」

「きゅ、9階層……動いていなければ……」

 

 駈け出す。聞くや否やアイズは、冒険者達が来た道を風のごとく走り出した。

 

「アイズ⁉︎」

「何やってんだ、お前!」

 

 遥か後方に置き去りになるティオナとベートの声。

 部隊を放り出し、『遠征』中であることも忘れ、アイズは加速する鼓動の声に従った。

 動揺と混乱、危機感に突き動かされた。

 

 ——あの子が——襲われてる⁉︎

 

 アイズの脳裏に、恐ろしい巨影がベルに覆い被さる光景を幻視する。

 それは悪夢で見た、父を、母を、皆を飲み込んだ黒闇と重なった。また一つ。彼女の大切な人が消えようとしている。

 道中、倒れた小人族(パルゥム)の少女からベルの居場所を聞き、ベルと彼を襲おうとする『隻眼のミノタウロス』を発見。ベルを守るようにアイズは対峙する。

 

 今度こそ大切な人を守るために、彼女は愛剣を振るう。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

『ヴゥオッ!』

「——っあ!」

 

 開始の合図などなかった。視線が交差した瞬間、アステリオスとアイズは互いを殺そうと剣を見舞う。

 

 ——君との因縁も長いね。いい加減、決着をつけよう!

 

 もはやアステリオスはベルのことなど眼中になった。いや、構っていられないという方が正しい。幾度も戦った仇敵が現れたのだ。余所に意識を向ける余裕などない。

 

 小細工なしの渾身の踏み込み。知覚を許さない神速の袈裟斬りを、接敵したアイズはアステリオスへと放った。

 

『ヴォ……!』

「‼︎」

 

 その全力の斬撃に対し、アステリオスは黒大剣でいともたやすく弾く。

 剛腕から放たれた斬り払いに体が泳ぐ中、アイズは瞠目する瞳を瞬時に吊り上げ、弾かれた勢いを利用し回転斬りを見舞う。

 再び、防がれる。

 夥しい火花が拡散する中、アイズは委細構わず全身を加速させた。

 

「ああああああああああああっ‼︎」

 

 仮借ない連続斬撃。少年の危機に【剣姫】の仮面が剥がれ、奮い立つ斬撃は喉から咆哮を引きずり出す。

 夥しい斬閃の一つ一つが全て一撃必殺となってアステリオスに牙を剥いた。

 昇華した階位、Lv.6に上り詰めた能力(ステイタス)。都市最上級(トップクラス)の力と速度が剣に宿り、立ちはだかる目の前の怪物を斬り刻もうと銀光を放つ。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

「————」

 

 だが、アステリオスも尋常ではない。

 防がれる。全斬撃が防がれる。完全防御(・・・・)

 逃げ場のない斬撃の渦に対し、アステリオスはそのことごとくを撃墜した。

 前回のような潜在能力(ポテンシャル)にモノを言わせた迎撃ではない。右手に持つ大剣のみで、『力』と『速さ』でなく、『技』と『正確さ』を持ってアイズの攻撃全てを無効化する。

 信じられない光景にアイズは驚愕する。確かにアステリオスはモンスターでありながら、剣技を得ていた。しかし、それはまだまだ未熟なものでアイズには遠く及ばないものだった。

 それがいまはどうか? 剣士として超一流のアイズに、アステリオスは『技』と『駆け引き』で互角に渡り合っている。

 前回の戦闘から一週間。その短い期間で成長(・・)と呼ぶのも生温い飛躍(・・)を遂げた怪物にアイズは戦慄する。

 

 ——貴方のおかげだ。礼を言うよ、師匠!

 

 オッタルという絶対的強者との七日七晩不眠不休の実戦訓練はアステリオスの戦闘技術をアイズに追い付かせるほどに飛躍させた。

 蹴散らされる細剣(デスペレート)が振り撒く甲高い絶叫。アイズの瞳が震える中、アステリオスは反撃の拳砲さえ繰り出す。

 大気を抉り取った剛拳が、アイズを懐から吹き飛ばす。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ⁉︎」

 

 握り拳の間に滑り込ませた《デスペレート》ごと弾き飛ばされ、アイズは決河の勢いで後退を余儀なくされる。

 両足で地面を深く削り続け、何とか停止すると、彼女の真後ろには倒れたベルがいた。彼にぶつかる前に止まれたことに——安堵したのも束の間、目の前にアステリオスが迫る。

 振り下ろされる剛閃。アイズは身を仰け反って回避する——が彼女の胸の辺りで切っ先が急に止まる、そして放たれるのは神速の突き。

 

「——っ⁉︎」

 

 それさえアイズは回避するが完全には避けきれず、肩を斬り裂かれた。

 以後の流れも考えて、一撃一撃を組み立てていく戦術をモンスターが当たり前のようにする。その戦い方にアイズも翻弄される。

 

 ——浅いなぁ。できれば魔法(かぜ)を使う前に仕留めたかったけど、そううまくはいかないかぁ。

 

 アステリオスの危険視するアイズの魔法【エアリアル】。攻防ともに絶大な力を発揮する風を使われれば戦局は一気にアイズに傾く。ゆえにアステリオスは風を出される前に仕留めたかったが、失敗。危機感を覚えたアイズは魔法を解禁するだろう。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】‼︎」

 

 アステリオスの予想通り、彼女は詠唱を叫ぶ。

 疾走の途中から気流の恩恵を纏い、爆風とともに搔き消える。

 彼女は全力で、目の前の怪物を倒しかかった。

 

「ッッッ‼︎」

『ヴゥンンンンンンンンンンンン……‼︎』

 

 裂帛の声を引き連れ放たれる風の斬撃。

 アステリオスも咆哮を上げ、迎え撃った。

 防がれる初撃。黒大剣が細剣(デスペレート)とかち合った光景に一度は目を見張り、それでもアイズは止まらない。

 更なる気流を付与し、比喩抜きの嵐となって攻めかかった。真っ向から激突する。

 数秒間、信じられない光景がアイズの眼前で続いた。

 彼女の怒涛の斬撃に、『風』の速度に、敵はついてくる。攻撃を受け流す。

 『水の迷都』で戦った時と違い、アイズはLv.6となり、アステリオスと能力(ステイタス)は同等。【エアリアル】の出力も精神力(マインド)は十分であの時の比ではない。これだけ条件が揃えば剣技が五分でも、圧倒できておかしくないはすだ。

 甚だしい風剣の衝撃に押されるアステリオスの黒大剣。その巨軀も疾風の猛威に度々震え、にもかかわらず決して後退しない。衝撃に負けようが猛威に脅かされようが全身の膂力が支える凄まじい体捌きと、左腕から繰り出される鉄拳も駆使し、アイズの嵐を押さえ込んでいた。

 それを可能としていたのはアステリオスがミノタウロス(・・・・・・)だからこそ。怪物特有の強靭性(タフネス)と、『耐久』に特化したミノタウロスの特性。Lv.6まで高められた能力は素手で第一級武装(デスペレート)と打ち合っても薄皮一枚が切れる程度の頑丈さを発揮する。

 魔法(エアリアル)を用いてアステリオスを上回る身体能力をもってしても、この猛牛に致命傷を与えるのは容易ではない。

 無論、無傷とはいかない。身体能力で上をいかれた以上、防ぎきれない攻撃はある。全身に斬り傷を作りながらもアステリオスは猛進した。少女(えいゆう)から勝利をもぎ取るために。

 剛腕がアイズに当たる距離までジリジリと間合いを詰めていく。射程距離に入った瞬間、拳砲と黒大剣の連打連斬で攻めきる腹積りだ。

 対してアイズはアステリオスの狙いを察しながらも動けない。彼女の背後には守るべきベルがいる。後退することも、左右に逃げることも彼を危険にさらす行為になるため、アイズはアステリオスに追い詰められていく。

 そして後一歩で剛腕の射程距離に入るという間合いで——不意に。

 

『——⁉︎』

 

 たんっ、という跳躍音とともに、背後からアステリオスに飛びかかる影が出現する。

 獰猛な風切り音をもって振り下ろされた大双刃を、猛牛は本能的に払い、打ち返した。

 

「どうなってんのコレー⁉︎」

 

 大双刃(ウルガ)を弾かれ着地したアマゾネスの少女は驚きの声を上げ、すかさず仲間が争う怪物へと肉薄する。

 アイズが目を見張る中、先行した彼女に追い付いた女戦士(アマゾネス)は超大型武器を振り回した。

 

 ——その顔、見覚えがある! あの時の姉妹の片割れだな!

 

 僕をスコア呼ばわりしたから、殴り飛ばしてやったからよく覚えている。

 同時にマズイ、と思った。一対一でも勝てるからわからないのに二対一。勝ち目が薄くなった。

 

 彼の予想通り、アイズとともに猛攻を仕掛けてくる狂戦士(バーサーカー)に、アステリオスも後退を余儀なくされる。甚だしい破壊力を秘める大双刃(ウルガ)に防御が揺さぶられ、その上から畳みかけられる複数の斬撃が繰り出さられる。

 堪らずフルパワーの鉄拳を繰り出し、躍りかかるアマゾネスの少女を後方へ殴り飛ばす。だが

 彼女と入れ替わるように、今度は地を這う影がアステリオスに牙を剥いた。

 

「牛野郎ッッ‼︎」

 

 ——またお前か、狼男ッッ‼︎

 

 僕に上限なき憤怒と憎悪をありったけ孕んだ眼光で睨むベートが渾身の蹴りを放った。——恨まれる心当たりは山ほどあるからなぁ……。

 片腕で防ぐが、まだ終わらぬとばかりに高速回転する湾短剣(ククリナイフ)が飛来する。それも咄嗟に角で弾いた。

 

『ッ……!』

「どうなってんのよっ、コレ……⁉︎」

 

 妹と同じ台詞を口にしながらアマゾネス姉妹の姉もまた参戦を果たした。

 四対一。第一級冒険者の援軍。

 

 ——これは……詰んだ?

 

 唯一あるルームの出口に視線を向ければ、槍を携え金髪のた小人族(パルゥム)小人族(パルゥム)の少女を抱いた絶世の美貌を持つエルフがいた。

 小さな男の子と細身の女性。アイズ達を相手にするよりもあの二人を突破して脱出した方が簡単に思えるだろう。でも、無理だと僕にはわかる。あの二人はアイズ達より強いと。つまり生き残るには目の前の四人を倒して、アイズ達より強い二人も倒さなければならい。——はっきり言おう、不可能だ。

 

 ——ははは、ここまでかな……?

 

 どう考えても生き残れる方法が浮かばない。諦めて首を差し出す? 無駄な努力をするよりは潔いかもしれない。それに悪足掻きするより苦しまずに死ねるかも。

 

 

 

 

 ——ふざけるなぁッッッ‼︎

 

 ——諦める? 死を受け入れる?

 

 ——そんな潔かったら、人間を殺したりしない。同族(モンスター)を喰ったりしない!

 

 ——どれだけ意地汚くても生きてやる!

 

 ——この世界に産まれた理由を見つけるまで生きてやる!

 

 ——さぁ、戦おう。生き残るために、英雄(かいぶつ)と!

 

 譲れない想いのために。僕は決死の戦いに挑む。

 

 

 

 

 




補足
アマゾネスの少女=ティオナ・ヒリュテ
アマゾネス姉妹の姉=ティオネ・ヒリュテ
槍を携えた金髪の小人族=フィン・ディムナ
絶世の美貌を持つエルフ=リヴェリア・リヨス・アールヴ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話:魔法と猛牛

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 『隻眼のミノタウロス』が雄叫びを上げる。それは威嚇というよりこれからの死闘に自身を奮いたたせるようだった。

 それでも桁外れの『咆哮(ハウル)』。

 生物の心身を原始的恐怖で縛り上げる威嚇。Lv.6相当の怪物が放つ強制停止(リストレイト)に追い込む雄叫びは、階位(レベル)を昇華させた上級冒険者でさえ満足に動けなくする。

 

「!」

「アイズ一人で行っちゃ駄目!」

「先走るんじゃねぇ!」

「あんた達もね、ティオナ、ベート!」

 

 だが、そんなもので臆するアイズ達ではない。アイズが先陣を切り、ティオナとベートが彼女に呼び掛け、最後にティオネが声を張り上げる。誰一人、微塵も硬直していない。

 Lv.5以上の能力(ステイタス)。オラリオの中でも一握りしかいない第一級冒険者。現代の『英雄』と呼べる者達。怪物の咆哮で屈するなどありえない。

 アイズが神速の一刀を見舞う。猛牛は黒大剣で防ぐ。反撃の拳砲を放とうとするが、それより速くメタルブーツと大双刃が迫る。

 猛牛は後退を余儀なくされ、更に湾短剣(ククリナイフ)が数本飛来した。

 

『ブゥオッ!』

 

 それを猛牛は灰褐色の外套(フーデッドローブ)をはためかせることで散らす。それどころか宙を舞う一本を掴み、追撃してくるアイズに投擲した。

 

「!」

 

 迫る湾短剣(ククリナイフ)をアイズは一振りで払い落とす。その一瞬の隙を見逃さず彼女を断ち切らんと猛牛が剛閃を振るう。

 

「させるかああああぁぁっっ!」

 

 割り込んだベートが黒大剣を蹴り飛ばし、軌道をズラす。そのまま踏みつける。黒大剣は地面にめり込み、踏み締められているせいで抜けなくなる。

 

『ヴォッ⁉︎』

「いまだ、やれ!」

「言われなくても!」

「とりゃあぁーっ!」

 

 ベートの掛け声に応じるように、アマゾネス姉妹がそれぞれの獲物を繰り出した。

 斬り刻まんとする二刀の湾短剣(ククリナイフ)とカチ割らんとする大双刃。迫る死に猛牛は黒大剣から手を離した(・・・・・・・・・・)

 使用できない武器を放棄。身軽になった彼は体を大きく仰け反らせ、ティオナ達の攻撃を回避。

 

『ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウンッッ‼︎』

 

 仰け反らした体を弾かれたように突き出し、剛力の双腕と牛角の頭突きを放つ。

 両腕の剛拳をティオナは大双刃で、ティオネは二本の湾短剣(ククリナイフ)。必殺の双角をベートはメタルブーツで迎え撃った。

 激突する。三人の第一級冒険者による迎撃。——なのに勢いが止まらない。

 

「えっ⁉︎」

「マジか!」

「嘘でしょ⁉︎」

 

 『隻眼のミノタウロス』は『力』だけならLv.7に匹敵する。だからと言ってLv.5三人がかりで押し切られる事実にベート達は驚愕を禁じえない。そして吹き飛ばされた。

 

『ヴゥンンンンンンンンッッ……!』

 

 追撃しようとする猛牛。それを阻むようにアイズは風剣を見舞う。

 猛牛は地面に刺さった黒大剣を蹴り上げ、掴むとフルパワーで薙ぐ。

 風撃と剛撃がぶつかり、互いに弾かれた。両者はすぐに立ち直り、激しい打ち合いを始める。そこへベート達も加わり、四人がかりで攻め立てた。

 黒大剣をベートが蹴り弾き、鉄拳をティオナが打ち返す。風剣が肉を抉り、湾短剣(ククリナイフ)が体皮を裂く。猛牛は血塗れになっていく。

 それでも止まらない。どれだけ傷つけようと猛牛は決して止まらない。その動きは全く衰えない。異常なまでの『耐久』補正が彼の体を傷だらけになろうとも十全に動かす。

 猛牛は文字通り、命懸けで暴れ続けた。

 

「……凄まじいな」

「ああ、前回見た時とは身体能力も戦闘技術もまるで別物だ。一ヶ月でこれほど急成長したモンスターは初めてだよ」

「それに頭も回るようだ。あれだけ動き回りながら、常に私達と猛牛の間にアイズ達がいるように位置取りをしている。間違いなく私の魔法を警戒しているな」

 

 後方からアイズ達の見守るリヴェリアが、激しい抵抗を見せる猛牛に驚愕し、フィンも同意する。

 【ロキ・ファミリア】最古参であるフィン達は冒険者として長年活動してきた。当然、『強化種』を何体も討伐したことがある。その中でも今回の『隻眼のミノタウロス』は別格だ。

 推定Lv.6相当の潜在能力(ポテンシャル)。第一級冒険者に匹敵する『技』と『駆け引き』。武器を使いこなし、防具を身につける知能の高さ。どれもいままで見てきたモンスターの中でも最上位(トップクラス)にして、ありえないほど『異常』だ。

 あれは‘計算できない’存在の一つだ。

 

 ——アイズ達を信じないわけではないけど、隙ができたら僕が仕留めよう。

 

 親指のうずきを感じなら、フィンは槍を握り直した。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——はは、わかってたことだけどジリ貧だよ、これ。

 

 元々アイズ一人でも手一杯だったのに、そこに三人も追加されれば攻撃を捌ききれるはずかない。かと言って一人づつ仕留めていこうにも一人に集中すれば他の三人に攻撃を邪魔されて決定打が与えられない。

 逆にこちらは全身に傷を負う。アドレナリンが過剰分泌でもされているのか、痛みはたいして感じていない。負けるのは確実だ。だからと言ってこの状況を打破できる名案を閃くほど僕の頭は良くない。

 

「うりゃああぁーっ‼︎」

 

 どうやら僕には考える余裕もないらしい。短髪のアマゾネスが巨大な双剣で振り回す。

 黒大剣で受け止め、押し返そうとするが彼女は渾身の力で踏ん張る。それでも僕の怪力には遠く及ばない。吹き飛ばすべく更に力を込めようとすると

 

「貰った!」

 

 二刀使いの長髪のアマゾネスが背後から迫る。二刀が振るわれアステリオスの背中に十字の傷を作る——がそれだけだ。彼は微塵も揺るがず、ギロッと彼女を睨む。

 

「!」

 

 ——そんな不意打ちでやられるほど弱くないよ!

 

 鍔迫り合う黒大剣に角度をつけ、大双刃を下に受け流す。大双刃は地面にめり込み、蹄で踏みつけて固定。ベートのやったことを彼は再現した。

 

「え……⁉︎」

『ヴゥンンンンンンンンッッ……!』

 

 短髪のアマゾネスを動けなくしたアステリオスは受け流した勢いを利用して背後に黒大剣を繰り出し、長髪のアマゾネスを狙う。

 だが、彼女も第一級冒険者。その程度は簡単に回避しようと——して黒大剣が止まる、そして握り締められた柄が鳩尾に直撃した。

 

「ごふぅっ⁉︎」

 

 予想外の攻撃。『駆け引き』で上をいかれた彼女は無防備な体に直撃を許す。長髪のアマゾネスは女性らしからぬ声を出した。そのまま吹き飛ばされそうになる彼女の足をアステリオスは掴んだ(・・・)

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

「なっ、待っ——」

「嘘、ティオネ——」

 

 驚愕する姉妹を無視し、アステリオスは長髪のアマゾネスを振り回した(・・・・・)。その先には短髪のアマゾネス、彼女の妹だ。

 まさかの人間武器(・・・・)。人間同士でありえない。まして知性なきモンスターが実行することもない。『知性を持つモンスター』だからこそ成せる非情な手段。その人間を力任せに見舞い、妹を吹き飛ばした。

 

「ぎぃ……!」

「が、ぁ……⁉︎」

 

 吹き飛ばれる妹と、衝撃に苦痛の声が漏れる姉。金属のような硬質な物体ではないとはいえ、高速で人体がぶつかり合えば損傷(ダメージ)は甚大だ。

 

「ティオナ、ティオネ!」

「この牛野郎!」

 

 仲間の名を叫ぶアイズと、怒りに燃えるベートが接近する。そうはさせまいとアイズにティオネを投擲。彼女は攻撃を中止し、彼女を受け止めた。

 その隙にアステリオスは空いた手で大双刃を掴み上げる。

 

 《ウルガ》。超硬金属(アダマンタイト)製の巨剣。その特性は超重量、超威力。誰も装備できない。したがらない。ゆえに専用装備(オーダーメイド)。

 だが、ティオナ以上の『力』を誇るアステリオスには何の問題もない。

 双剣装備(ダブル・ソード)。二本の大剣でベートに攻撃を仕掛けた。

 

「チィッ——得物を取られてんじゃねぇぞ、馬鹿アマゾネス!」

 

 ティオナに文句を言いながら迎撃するベート。しかし、黒大剣だけでも必殺だというのに大双刃まで繰り出されては防ぎきれない。その上、一撃でも当たれば致命傷は免れない。彼の顔に焦燥の色が浮かぶ。だが、そこにアステリオスに爆進する影。

 

「調子にのってんじゃねえぞッ、牛野郎ッッ‼︎」

 

 ティオネだ。アステリオスに投げ飛ばされ、完全にブチ切れた彼女は、受け止めてくれたアイズも置き去りに突っ込む。

 ベートと交戦するアステリオスに向かって左拳を振りかぶった。

 

『ヴゥオッ!』

 

 武器も持たずに向かってくるなど愚かと言わんばかりに大双刃を見舞う。しかし、追いついたアイズが細剣(デスペレート)で防ぐ。

 大双刃を潜り抜け、ティオネは己の拳をぶち当てた。

 

『⁉︎』

 

 極厚の腹筋に初めての直撃を許し、アステリオスの体が後方に揺らめく。

 が、負けじとアステリオスは盛り返し、両手の武器を繰り出す。すると横からまた襲撃。

 

「あたしの《ウルガ》を返せー!」

 

 吹き飛ばされたティオナも戦線復帰し、姉同様、徒手空拳で躍りかかる。

 これでまた四対一の攻防に戻る。アイズとベートが黒大剣と大双刃を受け流し、ティオナとティオネが怒涛の連撃をアステリオスに叩き込む。

 だが、やはり効果は薄い。馬鹿げた『耐久』補正と怪物特有の強靭性(タフネス)の前には第一級冒険者の殴打も決定打にはなりえない。それを彼は理解しているのだろう。先程と違い、アマゾネス姉妹の猛攻を無視して異常な打たれ強さで受け止めている。

 二人を意識から度外視した分、アイズとベートへの攻撃が増す。

 

「!」

 

 このままではいけない、と判断したアイズは勝負に出る。アステリオスの背後に回り込み、呪文(うた)を口ずさむ。

 

「【吹き荒れろ(テンペスト)】‼︎」

 

 剣身に大気流(エアリアル)を流し込み、暴走させる。より精神力(マインド)を注ぎ込むことで風を強化。アステリオスの『耐久』を、強靭性(タフネス)を、凌駕する一撃を生み出す。

 

『——ヴオオオッ!』

 

 危険を感じたアステリオスは振り向きざま、大双刃を繰り出す——が風が鳴る方が速い。神速の袈裟斬りが走った。

 アステリオスの左腕を——切断(・・)する。

 

『————』

 

 アステリオスの時が止まる。何が起きたのか理解できなかった。

 風を纏った剣閃によって、アステリオスの上腕が大双刃を持ったまま宙を舞い、地面に突き刺さった。

 

『————————————ッッ⁉︎』

 

 絶叫が打ち上がり、上腕の半分より下が消え失せたアステリオスの腕から血飛沫が迸った。

 

「いまだ、仕留めろ!」

「言われなくてもそうすんだよ、クソ狼!」

「《ウルガ》が返ってきた! ありがとうアイズ!」

 

 好機と見た第一級冒険者の総攻撃。片腕だけでは防ぎきれない。急いで『魔力』を燃焼させ、自己治癒力増幅に用いるが焼け石に水だ。止血はできても、失った腕を元通りにするほどの再生力はアステリオスにない。

 

 ——ダメだ! このままじゃ死んじゃう! 何か、何か手は⁉︎

 

 必死に思考を巡らせるが生き残れるとは思えない。元よりアイズ達がここに来た時点で、彼の命運は尽きていた。それでもアステリオスは最後まで諦めない。

 

 ——この体じゃ勝てない。逃げることもできない。諦める気はないけど、生き残れはしないよね。

 

 この状況から生き延びれると思うほど楽観的ではない。人間を何人も殺してきたんだ。今度は僕がそちら側になっただけ。覚悟はできてた。まだまだ生きたいけどそれは受け入れよう。ただ——死ぬ前に心残りがある。

 アステリオスは自身に猛攻を続ける冒険者達、その内の一人。アイズに視線を向ける。

 

 ——せめて彼女との決着をつけたい!

 

 一度目は逃亡した。二度目は見逃した。三度目は有耶無耶になった。何度も戦ったが、彼女との決着をついておらず、彼女に勝つことが僕の目標の一つだ。

 彼女と決着をつけたい。誰にも邪魔されず、一対一で戦いたい。でも、ただ戦うだけではダメだ。あの反則(まほう)に勝つにはそれに対抗する力が必要だ。

 誰にも邪魔されず、魔法を覆せる、——そんな『魔法(ちから)』が欲しい。

 何かがカチリッと嵌った気がした。何かが僕の中で発現したような感覚。気付けば僕は詠唱を口ずさんでいた。

 

『【迷エ——】』

「詠唱⁉︎」

 

 アイズ達が、そして傍観していたフィンとリヴェリアまでもが驚愕する。

 

『【彷徨エ——】』

「モンスターが⁉︎ 嘘でしょう⁉︎」

 

 凶暴な破壊衝動と本能のまま生きるモンスターが呪文を唱えることは絶対にありえない。『魔法』に伴う理性と叡智は人類の領分であり、決して怪物が立ち入れる領域ではないのだ。

 『隻眼のミノタウロス』が言葉を喋る知性があるとはいえ、所詮はモンスター。超えれないはずの領域に踏み入った詠唱行為に、ティオネが堪らず叫び散らす。

 

『【ソシテ死ネ——】』

「不味いぞ、止めろ!」

 

 ベートが吠えるがもう遅い。詠唱は完成し、『魔法』が発動する。

 

 

『【ケイオス・ラビュリントス】‼︎』

 

 

 瞬間、紅光領域がアステリオスを中心に拡散。アイズを除いた(・・・・・・・)全員が後方に弾き出された。

 

「これは……!」

「——『結界』だ」

 

 ベート達が自身のいるところまで弾かれ、アイズとの間にできた紅光の壁。フィンが目を見開き、最強の魔導士であるリヴェリアが一目で正体を看破した。

 『結界魔法』。アステリオスがアイズとの決闘をするために、用意した闘技場。誰も侵入できず、誰も脱出できない。出る方法はただ一つ、生き残ること。

 

『決着ヲ、ツケヨウ!』

 

 アイズに黒大剣を向け、アステリオスは叫ぶ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話:決着と猛牛

 

 アイズとフィン達を分断した『結界』。だが、異変はそれだけに止まらない。

 結界内にいるアイズが、外にいるフィン達まで四肢が重くなる。力が入らない。

 

 ——な、に……?

 

 アイズは体の不調に疑問を浮かべる。猛牛が魔法を発動してから全身が鉛のように重い。身を守る鎧を剥がされていくような喪失感。愛剣(デスペレート)を握る手から力が抜けていく。

 間違いない。能力(ステイタス)が弱体化していく。この現象にアイズは覚えがある。敵に影響を及ぼすこれは

 

 ——能力下降(ステイタス・ダウン)

 

 異常魔法(アンチ・ステイタス)。炎や雷、氷の放出など敵を直接攻撃する魔法と異なり、相手の能力(ステイタス)の悪影響を引き起こす魔法。

 アステリオスの異常魔法(アンチ・ステイタス)は、その中では珍しくもない【ステイタス】低下。敵の能力(ちから)を下げ、弱体化させる魔法だ。

 だが、出力が、規模が出鱈目だ。

 

 ——『力』と、多分『耐久』も、まるで——Lv.5に戻されたみたい。

 

 能力下降(ステイタス・ダウン)ではなく階位下降(レベル・ダウン)。そう錯覚してしまうほどの大幅な弱体化。大出力によってアイズの能力値(アビリティ)が低下してしまっている——救い『敏捷』や『魔力』に影響がなく、素早さと、魔法の出力が下がっていないことか——。

 そしてその影響は結界外のフィン達も、それだけに留まらず、9階層にいる他の冒険者、更にはモンスターにまで影響が出ていた。

 恐ろしいことに階層全域(・・・・)。階層一つに影響を及ぼすありえないほどの超広範囲魔法。

 超広範囲にして超高出力の能力下降(ステイタス・ダウン)。加えて自由自在に敵の隔離・分断ができる結界魔法としての側面も持つ。しかも、超短文詠唱。

 

 ——反則過ぎる!

 

 自分の反則(エアリアル)を棚に上げてアイズはそう思わずには入られない。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 彼女の考えでも読み取ったのか『お前が言うな!』と言わんばかりに猛牛が攻撃してきた。

 片腕を振りかぶり、黒大剣が鉄槌となって降ってくる。

 

「!」

 

 アイズは回避するが、空振りに終わった黒大剣は地面を叩き砕き、石飛礫がアイズを襲う。

 

「うぅ……!」

 

 幾つかが風鎧(エアリアル)を突破。怪我こそしないが微かな痛みを感じる。やはり『耐久』も低下している。つまり、一撃でも直撃を喰らうのは、彼女の『死』を意味する。

 続けて放たれる蹴りを慌てて回避。もはやアイズに余裕はない。能力(ステイタス)が低下し、仲間とも引き離された。鋭い一閃を見舞うが低下した『力』では猛牛は応えない。少女(えいゆう)は孤独に、目の前の猛牛(かいぶつ)に挑む。

 互いに命懸けの激しい攻防が始まった。

 

 一方、結界の外に弾かれたベート達は結界を破ろうと奮闘していた。

 ベートの蹴撃が、ティオネの破拳が、ティオナの大斬撃が、目の前の紅色の光壁を砕こうと叩き込まれるが——無傷。結界には亀裂一つ入らない。

 紅光領域が極めて強固なのもあるが、低下した能力(ステイタス)では十全な力を発揮できずにいた。

 

「くそっ、何なんだよ、これは⁉︎」

「ちくしょう! 破れろ、破れやがれ!」

「硬い〜!」

 

 口々に悪態を吐きながら、ベート達は仲間(アイズ)を助けるために攻撃を続ける。

 強固な壁を殴り付けるように拳や足に損傷(ダメージ)が入ろうと、獲物から伝わる衝撃に手が痺れようと彼等は止めない。

 

「無駄だ。止めろ、お前達」

 

 それを凛とした声が静止する。声の方に視線を向ければリヴェリアが結界を見つめていた。

 

「これの破壊は困難だ。お前達でも……私でもな」

「君の魔法でもかい、リヴェリア?」

 

 魔法の専門家(エキスパート)にフィンが問う。頷くリヴェリアに、彼は続きを促す。

 

「この強度は『結界』というより一種の『異界』だ。隔絶された別世界と言ってもいい。私の【ヴィア・シルヘイム】より上かもしれない」

 

 彼女の説明に全員が息を飲む。オラリオ最強の魔導士が作る最硬の防御魔法を上回る結界魔法。それはこの場の誰にも破壊できないことを、意味していた。

 リヴェリアの最強の攻撃魔法ならば打ち破ることも可能かもしれないが、ここは狭い閉鎖空間。逃げ場のない破壊の奔流が、リヴェリア達を、そしてアイズさえ呑み込んでしまうだろう。

 

 ——それにしても、あの超短文詠唱でこの強度はありえない。何か別の存在が力を貸している?

 

 リヴェリアは静かに考える。

 まるで迷宮の一部を隔離したような結界、そして階層中に発動した弱体化。これが本当にたった一匹の怪物(・・・・・・・・)が成せるものなのか?

 

 ——まさか、ダンジョンが?

 

 母なる迷宮が、産み落とした怪物(こども)に助力している。そんな仮説が思い浮かんだ。

 だとすれば最悪だ。ここ正しく敵の腹の中。地面も、壁面も、天井も、全てがいつ牙を剥くかわからない。

 

 ——アイズ……。

 

 声には出さず、結界の向こうで一人戦う少女を彼女は見つめた。内心では誰よりもアイズを心配している、その眼差しは正しく子供を心配する母のものだった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 黒大剣の振り下ろし、暴風を纏う細剣(デスペレート)が迎撃する。

 激突。しばしの拮抗の後、互いに弾かれた。

 アステリオスとアイズ。威力は五分。互いの力はほとんど差はない。

 アステリオスは圧倒的な『力』を誇るが隻腕では全力は発揮できない。

 アイズは五体満足ではあるが『力』と『耐久』が大幅に低下している。

 付与魔法(エアリアル)で上昇した分を異常魔法(ケイオス・ラビュリントス)で相殺され、彼女は身体能力はLv.6相当だ。むしろ弱体化しながら、まだそれだけの能力(ステイタス)があることに驚愕すべきか。

 舞い狂う黒大剣とサーベルが打ち鳴らされ、大黒塊の剛閃と銀色の斬閃が宙を何度も行き交う。互いの姿が霞み、縦横無尽、決して広くないルームで何度も立ち位置か入れ替わった。

 

 ——わかっていたけど、強い‼︎

 

 眼前の少女にアステリオスは瞠目する。

 彼も片腕になったとはいえ、攻め切れない。弱体化しながらもこの実力。彼女は紛れもなく『英雄』の『器』だ。

 

 ——だからこそ、戦う価値がある! 倒す意味がある!

 

 古今東西、英雄譚というものは英雄の勝利(・・・・・)で終わる。中には悲劇の死を遂げた英雄もいるだろう。だが、その冒険の中で怪物に倒れた英雄(・・・・・・・・)はいない。

 ある剣士は邪竜を斬った。

 ある騎士は大蛇を屠った。

 ある聖女は悪竜を沈めた。

 ある槍兵は海獣を滅した。

 ある戦士は巨人を倒した。

 ある英雄は——猛牛を殺した。

 

 英雄(せいぎ)怪物(あく)に勝つ。ああ、それは正道にして王道。誰もが望み、誰もが納得する結末。

 何もおかしくない物語の終わり方だ。でも

 

 ——怪物(えいゆう)英雄(かいぶつ)に勝ってはいけないと誰が決めた! そんな結末、怪物(ぼく)は納得できない!

 

 それを証明するために僕は彼女を倒す。文字通り命を削りながら、戦う。英雄が勝つ英雄のための『英雄の物語(ヒーロー・ミィス)』ではない。怪物が勝つ怪物のための『怪物の物語(モンスター・ミィス)』を作るために。

 目にも止まらない速さで銀刃が放たれる。瞬きする間に十を超える攻撃が両者の間で乱舞し、剣身と剣身があまりの衝撃に軋んだ。銀の手甲が斜に浅く斬りつけられ、互いの肌に斬り傷を刻んでいく。

 

『ヴゥンンンンンンンンンンンン……‼︎』

「っ……‼︎」

 

 互角の攻防。だが、徐々にアステリオスが圧倒し始めた。

 馬鹿げだ『力』で放れる剛閃が付与された風のサーベルを高速で何度も叩き落とすが、怪力の衝撃が纏った気流の鎧を超えて幾多もアイズの体をぐらつかせた。

 対してアイズの風閃に、アステリオスは一歩も引かず、純粋な白兵戦でアイズの猛攻を防いでは攻めかかる。

片腕を失ってパワーが半減しようと、『耐久(まもり)』は健在だ。弱体化する前からアイズの猛攻に耐えたアステリオスを、いまの彼女に屠れる道理はない。

 アイズの人形のような顔に焦燥が浮かぶ。

 

『フゥーッ、フゥーッ……!』

 

 だが、アステリオスも余裕があるわけではない。先程まで四対一の死闘。疲労はアイズより色濃く。更に全身から力が抜けていくような虚脱感と意識が遠ざかっていく酩酊感。この原因はアステリオスもわかっていないが、このまま続けばヤバイことくらいはわかった。

 アステリオスは知らないことだが、その原因は精神疲弊(マインドダウン)

 魔法は代償もなしに行使できるものではない。体力の対をなす精神力(マインド)を削って、行使、発動させるものだ。無論、体力に限界があるように精神力にも底はある。

 精神力(マインド)は魔法を使うことで、『魔力(アビリティ)』の熟練度が加算されていく。魔力値(アビリティ)が高いほど多くなる。

 当然、魔法の発動など今日が初めてのアステリオス。それでもLv.6相当の『魔力(アビリティ)』そのものの値は高い。

 それらを考慮しても【ケイオス・ラビュリント】は膨大な精神力(マインド)を消費する。超高出力かつ超広範囲にして強固な結界まで発動していればそれも納得だが。

 つまり、互いに長期戦は不利。早期決着を望んだ。

 

『ヴォオッッ!』

「っっ⁉︎」

 

 アステリオスの大閃が風の鎧を捉える。放たれた大薙ぎの一撃が直撃し、気流、細剣(デスペレート)を超えてアイズの身に衝撃を貫通させた。

 凄まじい勢いで後方に吹き飛ぶが、アイズはこれを待っていた(・・・・・)

 空中で姿勢を整えたアイズは——結界に着壁(・・・・・)

 紅の光壁を踏み締め、右手の剣に溜める。纏う大気流。一驚する猛牛を射抜く金の瞳。

 アイズの『必殺』。それを行使する機を伺っていた。

 

「——リル・ラファーガ‼︎」

 

 風の閃光。超大型、あるいは階層主専用の神風。目の前の怪物はそれに匹敵すると切り札を放つ。

 ルームを縦断するその大風の螺旋矢に対し、アステリオスは——カッと双眼を見開いた。

 肩の筋肉を隆起させ、黒大剣を振りかぶった。

 迫りくる一撃に、フルパワーで大黒塊を振り下ろした。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 咆哮する。神風と剛閃がぶつかり合った。死力を尽くした迎撃。

 風に包まれるアイズの視界が揺れ、アステリオスが纏う灰褐色の外套(フーデッドローブ)がズタズタになる。

 凄まじい力と力の衝突が発生し、気流が暴れ、踏み締める地面が陥没する中——黒塊が砕ける音がした。

 黒大剣に食い込んだアイズの螺旋矢が、そのまま突き進み、果てには刃をへし折った。

 

『——————』

 

 武器は磨耗する(・・・・・・・)。碌に整備の受けられなかった剣は、磨耗する。

 アステリオスという力自慢に振り回され続け、相次ぐ第一級冒険者との激戦に、著しく強度を下げていた黒大剣は、ついに限界を迎えた。

 半ばの辺りを粉々に破砕され、その上からの剣身が明後日の方向に飛ぶ。

 神風の勢いは衰えず——貫通する。武器を失い無防備となった体が穿たれる。アステリオスの左胴体が消えた(・・・・・・・)

 

『ガハッ、ゲッハッ……⁉︎』

 

 口から吐血し、折れた黒大剣が手から落ちる。アイズは勝利を確信した。ゆえに気づかなかった。アステリオスの目がまだ死んでいないことに。

 最後の力を振り絞るように拳を強く握り込む。

 

 ——僕は

 

 「!」

 

 大きく引かれた剛腕にアイズは気付くがもう遅い。

 

 ——諦めが悪いんだよぉおおおおおおおおおっっ‼︎

 

 渾身の拳砲が炸裂する。風の鎧を貫通し、気の緩んだアイズの腹部に叩き込まれた。『耐久(まもり)』が著しく低下した彼女にこの一撃は致命的だった。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ⁉︎」

 

 華奢な体は耐え切れずに殴り飛ばされ、縦断した道を逆走。再び紅光の結界に——着壁できず——激突した。

 

「か、はぁ……⁉︎」

 

 今度はアイズが吐血する。衝撃で破れたのだろう、小鞄(ポーチ)からルルネから貰った携帯食や、アミッドから貰った高等回復薬(ハイ・ポーション)万能薬(エクリサー)がルーム中に飛散する。

 そのままアイズは重力に従って地面に落下し、起き上がることはなかった。

 

「「「アイズッ⁉︎」」」

 

 目の前で倒れた——けれど結界で決して手の届かない——少女にベート達が悲鳴を上げた。そして

 

 ——勝った!

 

 僕は英雄(かいぶつ)に勝利した。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——終わってみると、呆気なかったなぁ……。

 

 アイズを倒した最初の感想がそれだった。宿敵を倒せたのに思ったほどの満足感はなかった。むしろ喪失感に近いものがある。

 

 ——英雄(アイズ)を倒せば英雄譚を覆せると思ったけど……何かが違う。何が物足りない。

 

 考えても終わってしまった以上は答えはでない。僕は思考を中断し、黒大剣を拾い上げる。

 そしてアイズに目を向ける。気絶しているが、微かに呼吸音が聞こえるから生きてる。

 怪物と人間の勝敗は生死に直結する。勝者が生き残り、敗者も生き残るなどありえない。僕等の勝敗はどちらかが死ぬまでだ。

 血を流しながらアイズに一歩、二歩と歩み寄る。

 

「! てめぇ、何する気だ!」

「クソ牛が、止まれ! 止まりやがれぇぇっ!」

「アイズ! 起きてアイズ!」

「くっ、こうなったら、魔法で——」

「待て、早まるなリヴェリア!」

 

 外野がうるさいが無視する。結界の向こうで指を咥えて見てろ。

 ゆっくりと歩み、倒れたアイズの眼前で止まる。そして折れた黒大剣を振りかぶる。

 折れていてもこれだけの大塊を喰らえば第一級冒険者といえど生きていられない。そしてアイズの命を刈り取る死神の鎌が振り下ろされた。

 

「うぁああああああああああああああああああああああああああああっ‼︎」

『——ッ⁉︎』

 

 突然の猛り声。大黒塊が当たる直前だったアイズを飛び込んだ白兎(・・)が掻っ攫った。標的を失った黒大剣は地面にクレーターを作る。

 理解が追いつかずに白兎が走り抜けた方に目を向ければ

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

 息を荒くし、アイズを抱き抱えた——俗に言うお姫様抱っこ——白髪の少年がいた。怪物に殺されかけた少女を間一髪で助けたのはアステリオスが興味を無くし、瀕死に追い詰めたただの少年だった。

 

 ——あの傷でどうやって⁉︎

 

 それは幾つもの偶然が重なって起きた奇跡だった。

 もし、アイズが助けにくるのが後一歩遅ければベルは死んでいただろう。

 もし、アステリオスが敵と認識していればベルは結界の外に弾かれていただろう。

 もし、飛散した万能薬(エクリサー)がベルに当たらなければ彼は立ち上がれなかっただろう。

 もし、アステリオスがアイズに妄執しなければ起き上がろうとするベルに気づいていただろう。

 もし、ベルがアステリオスの前に立つ勇気がなければアイズは殺されていただろう。

 幾つもの偶然、そして小さな勇気がアイズを救った。

 

 ベルはアイズを寝かせるとアステリオスに向き直った。その瞳には最初に対峙した時の『恐怖』はなかった。

 

「勝負だッ……!」

 

 いま少年は少女を救うために怪物に挑む。

 

 ——はは、そうか。そういうことか。アイズに勝っても満足しないはずだよ。

 

 覚悟を決めた少年に対して、僕は獰猛な笑みを浮かべた。

 アイズに勝つことで英雄譚を覆せると思っていた。でも、それは間違いだ。なぜなら、本当の英雄は目の前にいるのだから(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 ——死んだ振りをしていれば僕は気づかなかった。

 

 ——逃げ回れば僕の命が尽きる方が早かった。

 

 ——あえて立ち向かう意味なんてなかった。

 

 ——だからこそ認めるよ。君は『英雄』だ。

 

 満身創痍でありながら、勝てない敵でありながら、心傷(トラウマ)を刻み込んだ相手でありなから、それでも少女を守るために少年は立ち上がった。

 弱者でりながら強者に挑む。その譲れない想いのために。実力を覆して勝利を掴もうとするその姿。これだ。これこそが、僕の理想とする者。打破すべき英雄の姿だ。

 

 ——さぁ、戦おう少年! 君に勝つことで僕は英雄譚を覆すことができる! 『怪物の物語(モンスター・ミィス)』を証明できる!

 

 満身創痍の少年(えいゆう)と半死半生の猛牛(かいぶつ)。互いの想いのために二人の死闘が始まった。

 

 

 

 

 




『隻眼のミノタウロス』
名前:アステリオス
推定Lv.6相当
到達階層:26階層
装備
【ウダイオスの黒剣】
・アイズの身の丈より長大な剣。
・第一級武装にも劣らない階層主の『ドロップアイテム』。
・彼は未加工のまま使用している。
・限界を迎え、半から折れている。
【ゴライオス・ローブ】
・『ゴライオスの硬皮』をそのまま羽織っている。
・第二級冒険者の攻撃は防げるが、第一級冒険者の攻撃は防ぎきれない。
・未加工なので着心地も悪い。
・第一級冒険者との戦闘でボロボロになっている。

《魔法》
【ケイオス・ラビュリントス】
・迷宮魔法
・能力下降(ステイタス・ダウン)
・一定領域内における結界発動
・迷宮内でなければ発動不可
・詠唱式【迷え、彷徨え、そして死ね】

補足
魔法の元ネタはFate/Grand Orderの宝具『万古不易の迷宮』。本来の宝具の迷宮創造は現実的ではない、というよりダンジョンが既にあるので、結界効果とゲーム性能のデバフ効果を採用しました。
迷宮内でしか発動できない代わりにダンジョンから多大なバックアップを得れるので、詠唱量に反して結界強度・弱体効果は大出力を発揮します。
余談ですが、主人公はFate/Grand OrderもやったことがないのでFateの原作知識も持っていません。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六話:白兎と猛牛

 

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

「ッッッ!」

 

 『隻眼のミノタウロス』が振り下ろした爆撃めいた一撃を僕はなんとか回避。

 半から折れていようと長剣(ロングソード)と変わらない規格の漆黒のドロップアイテムは、猛牛の怪力が組み合わさればLv.1の冒険者を簡単に挽肉(ミンチ)にしてしまう。ゆえにベルは一撃一撃を命懸けで避けるしかない。

 

 ——よく見ろ、目を瞑るな! 敵の動きを見逃すな!

 

 自身に言い聞かせながら、ベルは疾走する。止まれば一瞬で叩き潰される。それを理解しているからこそ彼は最高速で駆け抜ける。

 

『ヴゥンンンンンンンンンンンン……‼︎』

 

 だが、Lv.1(ベル)の最高速などLv.6(アステリオス)には止まって見える。その動体視力でしっかりとベルの姿を捉えた一撃は——空振りに終わる。

 

 ——相手は瀕死だ。僕にも追いつけないほど重鈍になってる(・・・・・・・)

 

 『隻眼のミノタウロス』は瀕死だ、いや、死に逝くだけの存在と言った方が正しい。

 体に甚大な損傷(ダメージ)を負った猛牛(ミノタウロス)は『耐久』補正で辛うじて生き繋いでいる状態だ。そして『魔石』に大きな破損を負ったことで潜在能力(ポテンシャル)も大幅に弱体化している。いまの彼はミノタウロスがカテゴライズされるLv.2、それより少し強いLv.3下位といったところだろう。

 加えて【ケイオス・ラビュリントス】を維持できないほど精神力(マインド)を失って、精神疲弊(マインドダウン)寸前に陥っており、剣技の精彩を著しく欠いている。

 そして魔法を維持できなければ能力下降(ステイタス・ダウン)もなくなり——何故か結界だけは残り、フィン達の侵入を防いでいる——ベルの能力(ステイタス)は元に戻っていた。

 無論、それだけならLv.1のベルが避け続けられるのはおかしい。格上の猛牛にギリギリ喰らい付いていけているのは彼が持つ二つ(・・)のレアスキルだ。

 

 一つは、【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)】。

 成長速度に影響を及ぼす前代未聞の『レアスキル』。スキルを発現させてしまうだけの憧憬(アイズ)への想い。成長速度を促進させるほどの懸想の絶対量。

 彼女に追い付くために出鱈目に成長するベルは全アビリティオールSを通り越し上限の限界突破オールSS——『敏捷』はSSS——に至っていた。

 そしてもう一つは、【英雄疾走(アレギス)】。

 不死身と謳われ、神速とも称えられた大英雄の名を冠する『レアスキル』。他でもない、目の前の怪物に襲われて一歩も動けなかったベルが望んだ英雄の駿足。

 絶体絶命に陥った時、ベルは圧倒的な『敏捷(はやさ)』と速ければ速いほど攻撃力が増大する能力(スキル)を得た。

 限界突破した【ステイタス】と速度強化のスキルによっていまのベルはLv.3にも引けを取らない『敏捷(はやさ)』がある。

 だがら、猛牛はベルを捉えても体が追いつかない。いまやベルの方が猛牛より速い(・・・・・・・・・・・)

 

「ふッッ!」

 

 ベルの《ヘスティア・ナイフ》が煌めく。猛牛の体皮に吸い込まれるように触れ——斬り裂けない。

 

「⁉︎」

『ヴゥンンンンンンンンンンンン……‼︎』

 

 どれだけ潜在能力(ポテンシャル)が下がろうとLv.6まで強化された『耐久(まもり)』は健在だ。城壁を針で砕けないように、ベルの攻撃は猛牛には無意味。むしろ、猛牛の斬り裂いて、自壊しなかった《ヘスティア・ナイフ》を賞賛すべきだ。

 猛牛が反撃の一刀を繰り出そうとするが、それより速くベルが右手を突き出した。

 

「【ファイアボルト】!」

『グッ……ゥウウウウウッ⁉︎』

 

 炎雷の直撃を受けたミノタウロスが苦しむ。先程は何発当たろうが顔色一つ変えなかった猛牛が一歩下がった。

 城壁を針で砕くことはできないが、崩れかけた城壁ならば穴の空いた箇所に針を素通りさせるのは簡単だ。

 アイズ達の戦闘で猛牛は傷だらけだ。全身に傷を刻まれ、それを回復させる『魔力』も残っていない。そんな体に炎雷を受けるのは、傷口に塩を塗りこまれるようなものだ。ミノタウロスが苦しむのも当然だった。

 ゆえに身体能力(キャパシティ)で勝り、高圧的にねじ伏せられるはずの猛牛は攻めきれない。後一歩というところで魔法による妨害が起こる。

 決定打を与えられない英雄(ベル)と、彼を殺せない怪物(アステリオス)。形勢こそ、その身体能力(キャパシティ)を活かし攻め続けるミノタウロスが終始有利だが、互いの命を平等な条件のもとで賭けた、死闘であることに変わりはない。

 

 

 その光景にベート達は固まった。瀕死とはいえあの『隻眼のミノタウロス』に挑む、無謀な少年。何故か魔法が解除されても残る結界に阻まれ、第一級冒険者は助けにいけない。まるでダンジョンが我が子の邪魔はさせないというように。これから起こる悲惨な光景を見るしなかった。

 しかし、起こったのは誰もが疑わなかった一方的蹂躙(ワンサイドゲーム)ではなく、互角(・・)の攻防戦。

 かつてベートが嘲笑った、みじめな冒険者はもういなかった。そんな中、フィンが口を開く。

 

「僕の記憶が正しければ……一ヶ月前、ベートの目には、あの少年がいかにも駆け出し(・・・・・・・・)に見えたんじゃなかったのかい?」

 

 激変を遂げていた。ミノタウロスからみっともなく逃げ回っていた惰弱な冒険者の一人ではない。確かな実力の片鱗を窺わせる、紛れもない新人冒険者(ルーキー)だ。

 『隻眼のミノタウロス』に襲われたのが一ヶ月前。まだ、一ヶ月である。

 僅か三十日前後の時間幅(スパン)では、才能に恵まれた冒険者とはいえ見違えるほどの成長は得られない。並大抵の冒険者ではそれこそ亀の歩みだ。底辺の脱出からの、ありえない飛躍。

 モンスターとヒューマンが真っ向から衝突し、力と速度の戦いを継続させる。

 誰もが口を閉ざし、一人と一匹が交わす闘争を最も近いところから凝望した。

 その光景にティオナはあるお伽話を思い出した。

 

「『アルゴノゥト』……」

 

 英雄になりたいと夢を持つただの青年が、牛人によって迷宮(ラビリンス)へ連れ攫われた、とある国の王女を救いに向かう物語。

 時には人に騙され。時には王に利用され、多くの者達の思惑に振り回される、滑稽な男の物語。

 友人の知恵を借り。精霊から武器を授かって。なし崩しに王女を助け出してしまう、滑稽な、英雄の名前。

 

 いまの状況はそのお御伽と非常に酷似している。

 王女(アイズ)を襲おうとする牛人(アステリオス)。そして彼女を助けようとする英雄(ベル)

 (フレイヤ)の思惑に振り回され、王女(アイズ)に鍛えられ、精霊(ヘスティア)に武器を授かって、必死にミノタウロスと戦う姿は、まさに『アルゴノゥト』。

 そしてティオナ達もアステリオス本人も知らぬことだが、そのお伽話こそが、猛牛が覆したいと思っている『英雄の物語(ヒーロー・ミィス)』そのものだった。

 

 もはや結界がなくとも、乱入しようなんて無粋なことを考える者はいない。それだけベート達の瞳を掴んで離さない何かがあった。

 それは【ファミリア】を統率する首脳、そして幹部になり、万が一を侵せないベート達にとって、眩しい瀬戸際の戦い。

 冒険者ならば誰もがかつて夢見た戦い(すがた)。忘れて、失って、けれど胸の奥底でくすぶり続ける——真っ白な情熱(ほのお)

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——あは、あはははははッ! すごい。すごいよ!

 

 僕は歓喜する。僕の方が強い。唯一『敏捷』は負けているが身体能力も戦闘技術も、経験値も間違いなく僕が上だ。

 それなのに勝てない。追い詰めているのに攻め切れない。間一髪で生き延びて喰らい付いてくる。おかしい。理不尽だ。でも、納得できる。勝てないはずの強者(かいぶつ)に勝ってしまう弱者(えいゆう)。神から愛されたように奇跡を呼び、勝利してしまう存在。だからこそ、彼に勝てば僕は怪物でも勝者になれることを証明できる。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

「ああああああああああああッッ‼︎」

 

 咆哮する。爆発する感情を力に僕は斬閃の嵐を加速させる。比例するように少年も加速。僕を上回る連撃を繰り出した。

 限界突破した速度の一閃。黒いナイフが正確に傷口を狙う。皮膚が裂けてあらわになっていた肉質を見事に抉るが、それだけだ。浅く斬りつけるに終わり、せいぜいかすり傷がいいところだろう。

 どれだけ傷口を突こうが、ナイフの短いリーチでは深手は負わせられない。刃が届かないのだから、有効打を与えられない。

 どんなにベルがアステリオスと張り合い奮戦しても、攻撃が成立しないことには勝機は絶対に訪れない。

 だが、アステリオスもぐずぐずしていられない。彼の命は風前の灯火だ。刻一刻と消え続けている。

 時間切れによる不戦勝。そんな結末アステリオスは、そしてベルも望んでいない。ゆえにアステリオスは勝負に出たのは当然の流れだった。

 

『ヴゥムゥウウウウンッ!』

「⁉︎」

 

 振り上げられた蹄が地面に打ち込まれ、爆発する。Lv.6時に比べればあまりに弱々しい威力の踏鳴。それでも岩盤は割れ、発生した衝撃は綿糸を飛ばすようにベルの体を宙に浮かせるには十分だ。

 地面から足が離れ、行動の自由を奪われるベル。蹴る地面に足がついていなければ、自慢の『敏捷(はやさ)』を発揮できない。

 

 ——避けられないよ! どうする、少年(えいゆう)

 

 正面で浮遊している動けない獲物(ベル)に向かって、アステリオスはフルパワーで黒大剣の薙ぎ払いを放った。

 絶対絶命。誰もがベルの死を予感する。だが、英雄(ベル)は諦めない。彼の瞳は死んでいない。カッと目を見開き、《ヘスティア・ナイフ》を見舞う。

 

『——⁉︎』

「うあああああああああああああっ!」

 

 今度はアステリオスが両眼を見開いた。迫る黒大剣に《ヘスティア・ナイフ》を叩きつけて軌道を逸らした。なんとか攻撃を回避したベル。だが、彼の行動はそれだけでは終わらない。黒大剣を弾いた勢いを利用して猛スピン。そのままもう一閃。

 

 この時、Lv.という概念を考えればありえない現象が、常識外れな奇跡をベルは引き起こした。

 

 アステリオスの桁違いな『力』を自身の『回転(いきおい)』に変え、

 『回転(いきおい)』を《ヘスティア・ナイフ》を振るう『敏捷(はやさ)』に変え、『敏捷(はやさ)』を『英雄疾走(スキル)』によって『攻撃力(ちから)』に変える。

 

 限界突破した一撃にアステリオスの『力』が合わさった攻撃力(インパクト)

 更に《ヘスティア・ナイフ》は鍛冶神(ヘファイストス)が作成した神造武装。ナイフ自身に【ステイタス】が発生しており、装備者の成長と連動して強化されていく。生きた武器だ。

 つまり、ベルの一撃の威力が強ければ強いほど、《ヘスティア・ナイフ》の攻撃力も上昇する。

 強力な一撃と強力な武器。この二つが合わさったことでベル(Lv.1)の一閃は猛牛(Lv.6)の手首を斬り裂いた。

 

『——————』

 

 予想外な出来事にアステリオスは呆然とする。勝負を仕掛けた時、彼なら生き延びると予想していた。だが、結果はどうだ? ベルは生き延びるどころか反撃し、手痛いしっぺ返しを喰らった。

 アステリオスの視線の先は自身の剛腕。最硬を誇る体皮を裂かれ、強靭な筋組織も斬られ、強固な骨も断たれた。

 見事に断絶された(・・・・・)腕。黒大剣ごと右手を空へと斬り飛ばされた。

 

『ゴ、ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ⁉︎』

 

 遅れてやってきた激痛にアステリオスは天井へ仰け反る。

 間近で爆発する絶叫にもかかわらず、ベルは膝を溜め、その場で跳んだ。アステリオスの巨体を梯子に見立てるかのようにら。膨れ上がった肩へ足をかけて蹴り飛ばす。中空へ飛翔した。

 ぐぐっとその細腕を懸命に伸ばす先には、血塗れの黒大剣。

 フォンッ、フォンッ、と空中で円を描く長大な剣の柄に指を掠めて、次には——掴み取る。間を置かず、フロアへ落下。

 そこへアステリオスは反転し、後方に落下するベルに猛進する。

 斬られた剛腕を振りかぶり、鉄拳——握り拳はないが——繰り出す。

 

 ——この手じゃもう剣は振るえない。その大剣はあげるよ。ただし、代金は君の命だ!

 

 逃げられない落下途中のベルに剛拳が迫る。それに対してベルは右腕を静かに突き出し、一声。

 

「【ファイアボルト】」

『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ォ、ッォォ⁉︎』

 

 大爆発。至近距離からの射撃に、傷口を焼かれ、アステリオスは悶え苦しむ。接近しようにもこの炎雷に阻まれることを、頭に血が上った彼は失念していた。

 間髪入れず。視界を塞ぐ爆炎の中から、黒煙を突き破ったベルが、黒大剣を両手に斬りかかった。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああッッ‼︎」

 

 狙うは左胴体。安い矜持など捨て、アイズに皮膚も、肉質も抉られ、臓物さえあらわになっている左側を果敢に突いた。

 大上段から振り下ろされた、渾身の一撃。

 

『ヴグゥッッ⁉︎』

 

 内臓を直接攻撃された損傷(ダメージ)はアステリオスでも耐えられるものではない。彼の巨体がぐらりと後方によろめいた。

 ベルはこの好機を逃さない。

 

「んのぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼︎」

『ヴオォォッ⁉︎』

 

 相手の手に渡った黒大剣がアステリオスへ牙を剥く。

 肉厚の刃が風を巻き込んで、ベルの手を散々焼かせた破壊力を解放した。立て続けに迸る強撃。

 

 ——下手くそ……ド素人の技だね。でも、キツイ!

 

 追い詰められる中、アステリオスは他人事のようにそんなことを思った。

 お世辞にもベルの大剣捌きは格好がいいとは言えなかった。

 大剣を振るうのではなく、むしろ大剣に振り回されている絵。細い体が大重量の黒塊に外見負けしてしまっている。しかし、激痛に苦しむアステリオスを追い詰めるには十分だった。

 まるで風の渦だ。剣が縦横無尽に走り抜け、ベルの咆哮を道連れに黒の大閃を見舞っていく。

 だが、それで終わるアステリオスではない。灰褐色の外套(フーデッドローブ)を口と手のなくなった腕で器用に巻き付け、簡易の籠手(ガントレット)にする。

 

『——ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 右手に巻いた外套(フーデッドローブ)籠手(ガントレット)代わりにして、反撃の拳砲を放つ。

 調子に乗るなと全身を怒らせ獣の本能を取り戻す。もはや『技』も『駆け引き』も抜きにしてモンスターの潜在能力(ポテンシャル)で圧倒しにかかる。

 

「『——————————————————ァッッッ‼︎』」

 

 決戦する。もつれ合う気勢と気迫が空気をわななかせた。既に意味をなさない互いの轟声がダンジョンに満ち満ちる。

 アステリオスの剛拳に応えるようにベルが黒大剣を振るった。人の剣技に真っ向から対決するように怪力がつくされた。

 妥協を彼方に放り投げたぶつかり合い。凄烈な一進一退を繰り返す。アステリオスは怒涛の連撃を叩き込む。ベルは加速する。猛牛以上の速さで黒大剣を繰り出し、全ての鉄拳を打ち返す。

 なけなしの力を振り絞る怪物と英雄は決して止まろうとしなかた。決して手を休めようとしなかった。

 止まらない。止まれない。譲れない。血塗れた黒大剣と布切れが巻かれた剛拳が激突し——アステリオスが渾身の力で押し返した。

 ベルが後方に吹き飛ばされ、その僅かな隙にアステリオスは動いた。

 

『フゥーッ。フゥーッ……⁉︎ ンヴゥウウウウウオオオオオオッ!』

 

 離れた彼我の間合い、およそ五M(メドル)

 隻腕がたった一本で地面を踏み締め(・・・・)、頭部を低く構えらはれる。臀部の位置を高く保たれ四つん這いになるその姿は、まさに猛牛のそれだ。

 追い込まれたミノタウロスに度々見られる突撃姿勢。己の最大の(ぶき)を用いた切り札。

 例えて黒大剣を失おうとアステリオスには最高硬度まで高められた双角が残っている。

 ただし、この距離では助走が足りない。短い感覚では威力も半減する。なりふり構ってられないほどアステリオスが瀬戸際まで追い詰められた、何よりの証だ。

 

 ——もう時間がない! これで最後だよ!

 

 アステリオスは自身の死期を悟った。この瞬間が永遠に続けばいいと思った。ベルとの全てをぶつける戦いがいつまでも終わることなく。だが、アステリオスの命は残り僅かだ。時期に全ての命を使い果たし、彼は屍となるだろう。

 そうなる前に眼前の英雄(ベル)だけには勝ちたかった。

 ベルの眼差しと、アステリオスの眼光がかち合う。そして

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

「ああああああああああああああああああああああああああッッ‼︎」

 

 突っ込んだ。真っ向からの突撃を断行したベル。本来ならベルがこの正面対決に付き合う必要はない。むしろ潜在能力(ポテンシャル)で負けている分、自殺行為と言える。

 でも、ベルはこの勝負に応えなければいけない気がした。そしてアステリオスも少年ならこの勝負を受けてくれると確信していた。

 今日が初対面。人間と怪物。殺し合うだけの関係にもかかわらず、両者は誰よりもお互いの事を理解していた。

 一気に縮まる間合い。黒大剣が振り下ろされ、牛角がすくい上げられる。瞬く間に、決着の一撃が邂逅した。

 黒塊が砕ける音。黒大剣に食い込んだアステリオスの角が、そのまま突き進み、ひび割れ、剣身全てを破砕した。

 当然だ。既に限界など超えていた武器を更に酷似したのだ。耐えられる訳がない。

 アステリオスの角は、傷一つついていない。勝機を見出したアステリオスはそのまま振り下ろした体勢で無防備になったベルに突進する。

 牛角が吸い込まれるようにベルに突き進む中——彼は《ヘスティア・ナイフ》を抜いた。

 

「ッッ!」

『ヴオッ⁉︎』

 

 急激な超ブレーキ。最大酷似される膝からの悲鳴を無視し、回転。英雄の脚力が可能にしたギリギリで回避。

 アステリオスの角をスレスレで避けたことでインナーを斬り裂かれるベル自身は無傷だ。

 そのままアステリオスの懐に潜り込み、傷口に《ヘスティア・ナイフ》を突き刺した。

 モンスターの本能のままに戦ったアステリオスを、ベルは彼が捨ててしまった『駆け引き』で上回った。

 そしてベルは、体内に届いた黒刃をぐっと押し込み、ありったけの力を込めて——砲声(・・)した。

 

「ファイアボルト!」

 

 ドゴンッ、とアステリオスの全身が振り乱れる。体内で何かが爆発したかのように、肉厚な胸板が膨張した。

 全身の傷口から、口から、鼻から、火炎の息吹がばっと溢れ出し、アステリオスの瞳が限界まで見開き——悟ったように穏やかな目になる。

 

 ——僕の、負けだね……。

 

 いくら魔法を無効化させる強靭な肉体でも、体内(・・)に放たれては防げない。刃伝いに送り込まれた炎雷が体の中で暴れ狂い、僕を直に焼き焦がすのを感じて敗北を確信した。

 

 ——結局、英雄(かいぶつ)には勝てなかったなぁ。

 

 懐にいる少年を見る。最後まで諦めず、勝利をもぎ取った英雄を。そこで、名前を知らないことを思い出す。

 

『名前ヲ、教エテ……』

「⁉︎」

 

 突然、語り出した僕に少年が驚く。でも、構わず言葉を続けた。

 

『僕ハ、アステリオス』

 

 先に名乗る。僕に勝った英雄に名前を覚えてもらいたいから。

 

『君ノ、名前ハ?』

「……ベル。ベル・クラネル」

『……ベル』

 

 その名前を心に刻む。死んでいく僕には関係ないかもしれないけど、最高の戦いで終わらせてくれたベルに感謝する。

 

『アリ、ガトウ……ベル。楽シ……カッタヨ……。——ヤッテ』

 

 介錯を頼むようにお願いすると、ベルは意を決したようにありったけの精神力(マインド)を注ぎ込んで魔法名を唱えた。

 

「ファイアボルトォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎」

 

 爆砕する。魔石が砕け散り、ドロップアイテムを残して体が灰と化した。

 

 

 

 

 

 

 所要期間、約一ヶ月。

 ベル・クラネル、Lv.2到達。

 『隻眼のミノタウロス』討伐報酬はフィン達の交渉の結果、【ヘスティア・ファミリア】の取り分は賞金の一割とドロップアイテム『ミノタウロスの角』と『ミノタウロスの体皮』となった。

 

 

 




ベル・クラネル
Lv.1最終ステイタス
力:SS 1082
耐久:SS 1000
器用:SS 1088
敏捷:SSS 1349
魔力:A 851
《魔法》
【ファイアボルト】
・速攻魔法

《スキル》
【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)】
・早熟する。
・懸想(おもい)が続く限り効果持続。
・懸想(おもい)の丈により効果向上。
【英雄疾走(アレギス)】
・逆境時における『敏捷』の超高補正。
・スキル発動時、速度が上昇すればするほど攻撃力に補正。

補足
アステリオスの原作乖離に伴い、ベル君も大幅強化しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七話:再誕と黒牛

 

 ——ここはどこ? 僕は死んだはずじゃ……。

 

《不思議だ。二つが混ざり合った魂》

 

 ——誰?

 

《転生しようとその魂があれば自我を失うことはないだろう》

 

 ——ひょっとして、まさか……。

 

《お前ならあの都市(ふた)を破壊してくれるかもしれない》

 

 ——この声の主は。

 

神々(やつら)の真似事になるが恩恵(ちから)を与えよう》

 

 ——お母さん(ダンジョン)

 

 そこで僕の意思は落下した。まるで赤子が生まれ落ちるように。

 

 

 地中の奥深く。いくつもの道が錯綜する広大な地下迷宮。

 平面を描く壁と床、天井。計られたように造られた規則正しい地下天然の通路が、いくつもの曲がり角や十字路を形成し、足を踏み入れた者を惑わせる。

 そこで、ビキッ、と。迷宮の一角で壁面に亀裂が走り、また新たなモンスターが産まれ落ちようとする。

 ビキリ、ビキリ、と音を立てて壁面を破り、最初に現れたのは、漆黒の極太い腕だった。

 すぐに同色の肩、首、頭部、次には一気に上半身と下半身が出て、地面に落ちる。

 迷宮の闇の奥から生まれたかのような漆黒の体皮。三M(メドル)近い巨軀は岩のような筋肉で覆われており、頭部から生える双角の色は紅。

 その威容から連想させる単語は、猛牛。だが、ミノタウロスと聞かれれば違う、と答えるほどそのモンスターは規格外だった。

 やがて倒れ伏した体勢から、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……ここ、どこ?」

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——死んだと思ったら、またモンスターに転生した件について。

 

 そんな事を思いながら、僕はダンジョンを歩く。まさか転生を二回も経験するとは思わなかった。世界広しといえど僕くらいじゃない? あ、いや、生き物は死んだら輪廻転生するんだとしたら誰もが経験してるのかな? 覚えてないだけで。

 それはどうでもいいとして

 

「……まよった」

 

 絶賛迷子です。前世でも迷子にならなかったかと言われるかもしれないが、仕方ないでしょう。ここの迷宮構造は本当の意味で『迷路』だ。入った者を迷わせようとする気満々だ。

 

 ——それに問題は迷宮だけじゃないしね。モンスターも何故か襲ってくるし。

 

 僕は前方を見る。そこにはごつごつと黒光りした皮膚組織を持つモンスターの一群が敵意をむき出しにしていた。

 二足歩行を取る犀型のモンスター。皮膚の色から同族かと思ったが違った。

 だって、あれ犀だよ。僕は牛だから普通に考えて同じ種族なはずない。

 体格も、二M(メドル)に届く個体はいない。対して僕は三M(メドル)近い。それに何より弱い。

 体格で勝るミノタウロスよりは、潜在能力(ポテンシャル)は高いが僕より遥かに弱い。

 現にいまも、放たれた剛拳が最後の犀型モンスターを屠った。

 僕の体の潜在能力(ポテンシャル)はLv.6相当。それに対して犀型モンスターはLv.4以下。多少の差はあれど産まれ落ちたばかりの同種で潜在能力(ポテンシャル)にここまでの差はないと思う。

 

 ——少し、休憩しよう。ちょっと疲れた。

 

 考えを纏めるために座り込み、壁面に背を預ける。そして裏拳を壁面に見舞い、破損させた。

 ダンジョンが壁面を修復している間はモンスターが産まれ落ちない特性を利用して、冒険者が休んでいるのを真似たのだ。

 倒したモンスターの『魔石』をぽりぽりと食べながら状況を整理する。

 

 ——さて、整理すると、まずここは何階層か。まぁ、間違いなく『深層』かな?

 

 アステリオスは既に『上層』、『中層』、『下層』を訪れたことがある。いまいる階層はそのどれにも当て嵌らない構造をしている。ならば未到達階層——深層域しかありえない。

 モンスターの強さも『下層』とは比べものにならないほど強いのも理由の一つだ。

 

 ——次に僕が何のモンスターかは……深層出身のモンスターなんて詳しくないし、名前も知らないからわからない。いまは置いておこう。次。

 

 最有力候補は同色の犀型モンスターだったか、体格も、姿も、能力(ステイタス)も、違いすぎると結論を出していた。

 

 ——次に同じモンスターの僕が襲われる理由だけど、これも簡単だね。おそらく僕は『異端児(ゼノス)』になってる。

 

 モンスターに襲われるモンスターを僕は知っていた。

 『異端児(ゼノス)』。人魚(マーメイド)のマリィや歌人鳥(セイレーン)のレイ。彼女達は知性を有する、言葉を話せるモンスター。

 ただし、喋れるというモンスターの中でも異端である彼女達は冒険者だけでなく、同族(モンスター)にさえ嫌われて殺意と爪牙を向けられる。

 あ、そういえば転生してから言葉を大分流暢に話せるようになってるのも『異端児(ゼノス)』になった影響かな?

 

 ——最後は転生する直前に聞いた声。まぁ、十中八九あれはダンジョンの声だね。

 

 母は都市(ふた)を壊してと言った。母は地下からの解放を望んでいるのかもしれない。……でも、その期待には応えられない。僕には、僕の願望がある——願望(・・)

 

 ——願望……僕の望み? 僕は何をしたい? 何をするために生き返った? 死ぬ前に何を望んだ?

 

 ダンジョン9階層。アイズ達と戦い、倒した。——その後は? 誰かと戦っていた気がする。弱々しく、でも誰よりも強かった誰か。

 思い出そうとすると強烈な雷光が全てを塗り潰してしまう。何か、何か大切なことを忘れているような……。

 

「……ん?」

 

 必死に思い出そうと頭を抱えていると背後に違和感。

 背中にジュウゥゥゥと焼けるような音(・・・・・・・)がする。恐る恐る背後を見れば壁面に預けていた背中から煙が出ていた。

 

 ——熱つつつつつつつつつつつつつつつつつつ…………くない?

 

 慌てて背中を離し、転げ回る。が、気のせいだったようで全然熱くない。背中を触ってみても火傷はなく、岩のようなごつごつした肌触りだけだ。ていうより、本当に硬いな僕の皮膚。

 背中に問題がなかったことを確認した僕は、次に壁面に目を向ける。そこには

 

 ——文字?

 

 焼印でも押したような、そんな形の文章が壁面に書かれていた。

 どうやらさっきの焼ける音はこれだったらしい。

 

 

アステリオス

Lv.6

力:I 0→H 107

耐久:I 0→H 103

器用:I 0→52

敏捷:I 0→88

魔力:I 0→71

《魔法》

【ケイオス・ラビュリントス】

・迷宮魔法

能力下降(ステイタス・ダウン)

・効果対象の『力』と『耐久』が低下する

・一定領域内における結界発動

・迷宮内でなければ発動不可

・詠唱式【迷え、彷徨え、そして死ね】

《スキル》

天性猛牛(ミノタウロス)

・『力』と『耐久』の超高補正。

・炎属性と氷属性に対する耐久力強化。

天性黒犀(ブラックライノス)

・皮膚硬度強化。

・魔法攻撃に対する耐性強化。

 

 

 それは【ステイタス】だった。驚くべきことに人類が神々から与えられた『神の恩恵(ファルナ)』——人外のモンスターと戦うために冒険者が得た力と同じもの——が、怪物(アステリオス)の背中に発生していた。

 アビリティが上昇していることから、先程の焼音は【ステイタス】の更新(・・)。神々が神血(イコル)を使って【ステイタス】を更新するように、ダンジョンの一部である壁面に背中が触れた(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)ことで【ステイタス】が更新されたのだ。しかし、この上昇幅はおかしい。能力値(アビリティ)熟練度、上昇値トータル450オーバー。

 Lv.6もの高位の『怪物(うつわ)』が数回交戦しただけでこれだけの【経験値(エクセリア)】は得られない。

 通常、【ステイタス】の更新は交戦などをして蓄積された【経験値(エクセリア)】を抽出し、それをもとに【ステイタス】に組成として成長の礎に変えられていく。その【経験値(エクセリア)】はLv.が高ければ高いほど獲得にしくい。深層のモンスターを相手にしたとはいえこの上昇幅はありえない。

 この急成長するアステリオスと冒険者の違い。それは彼がモンスターだからだ。本来、【ステイタス】を持たないモンスターの潜在能力(ポテンシャル)は産まれ落ちた時から変動しない。しかし、魔石を食べて『強化種』となることで能力(ステイタス)を強化できる。

 【経験値(エクセリア)】による熟練度の上昇。魔石を食べて潜在能力(ポテンシャル)を強化。

 冒険者(ステイタス)強化種(モンスター)。二つの力を得たことでアステリオスは【ステイタス】の二重(・・)更新を行っていた。

 その証拠に、魔法を使ってもいないのにアビリティ『魔力』が加算されている。魔法を使わなければ【ステイタス】には反映されない。それでも『魔力』の熟練度が上昇しているのは、魔石を食べた影響だ。

 魔石はモンスターの核であり、魔力の塊だ。それを取り込むということは自身の魔石に他のモンスターの魔力を吸収するということ。むしろ、『強化種』は魔石の純度が高くなることで能力(ステイタス)を強化しているといえる。

 

 次に《魔法》と《スキル》の項目。魔法に関しては転生前に使用した異常魔法(アンチ・ステイタス)が記載されているだけなので省略しよう。

 問題は『スキル』だ。スキルの項目に記載された二種のモンスター名称。これはおそらく【ステイタス】を得たことで種族特性の能力(スキル)が現れている。狼人(ウェアウルフ)なら『敏捷』、ドワーフなら『力』を強化する種族特有の『スキル』が発現するように、アステリオスはモンスターが持つ種族特性の能力(スキル)を『スキル』という形で発現させることでより強力にしていた。二種族が載っているのは今世(ブラックライノス)前世(ミノタウロス)能力(スキル)を引き継いでいるからだ。

 

 【天性猛牛(ミノタウロス)】。前世の種族であり、『力』と『耐久』に特化したモンスターの代名詞。攻防一体を体現するように、『力』と『耐久』を大幅に引き上げている。そしてミノタウロスの皮それ自体も耐熱耐寒効果を持つので、炎属性と氷属性にも強くなっている。

 【天性黒犀(ブラックライノス)】。今世の種族であり、鎧と見紛う皮膚は硬く厚く、とてつもない硬度を誇る防御特化した深層種である。『スキル』として発現したことでその硬度はより凄まじいものになっている。アステリオスは否定していたが、先程まで戦っていた犀型モンスターと彼は同種だ。ただし、アステリオスは『異常事態(イレギュラー)』、通常種より遥かな力を秘めた『亜種』なのだが。

 更に『スキル』として発言した影響か、ブラックライノスが持ち得ないはずの魔法耐性さえ獲得している。これによってアステリオスは物理攻撃だけでなく魔法攻撃も効きづらくなっていた。

 まさにダンジョンからの祝福。【ステイタス】を得たことで彼はミノタウロスの時より、遥かに強大なモンスターと化した。が

 

 ——よ、読めない……。

 

 そうアステリオスはミノタウロスになって二ヶ月もたっていない。その間、この暗いダンジョンの中でひたすら戦う日々を送っていた。無論、この世界の文字を学ぶ機会などない。文字が読めるわけがない。

 ダンジョンが気を利かせてくれたのか、神々と一部の人類しか読めない【神聖文字(ヒエログリフ)】ではなく、一般的に使用されている共通語(コイネー)で書いてくれているが、何の意味もなかった。

 

 ——まぁ、いいや。ほっとこ。

 

 そして読めないものは速攻で諦めた。アステリオスはのしのしと歩き去っていく。

 何故か、ダンジョンが悲しげに震えた気がした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八話:強竜と黒牛

 

 

 迷路を彷徨うこと早三日。犀型モンスターを倒しては進み、大蜘蛛を倒しては進み、巨大蠍を倒しては進み、雷を発する蛇を倒しては進んだ。

 いい加減、出口はどこだと言いたい。せめて喉も渇いたから水分補給もしたい。モンスターの不味い血で誤魔化しているが限界だ。吸血鬼はよくあんなものを美味しそうに飲める。絶対に味覚が壊れてる。

 そんなことを考えていると、チョロチョロと液体が流れる音が聞こえてきた。

 

 ——水だ!

 

 水音と判断した僕の行動は早かった。音のする方へ爆進。立ちはだかるモンスターを蹴散らし、音源たる『ルーム』に突入した。

 迷路とは違い、林には届かない密度で疎らに木々が生え渡る。そしてルームの最奥にある美しい蒼色の水面を揺らす清冽な泉。

 壁にできた割れ目——小さな岩窟から、僅かな量の水が不定期に湧き出ている。蒼いきらめきを宿す神秘的な泉水は、草花が広がる窪みに徐々に溜まっているところだった。——そんなことはどうでもよく、喉が渇いた僕は泉に駆け寄り、頭を突っ込んだ。泉の近くに‘うずくまる塊’に気付かずに。

 

 ——ぷはぁっ、美味い! 何だこの水。喉越し最高で、まるで疲れが癒されるようだ。

 

 喉を潤した僕は水面を見る。そこには体色こそ漆黒であるが十人中十人が見ても『ミノタウロス』と答える牛頭が映っていた。ただ目立つのは左目にある一度潰された後のような紋様(・・・・・・・・・・・・・)だ。紋様は片目だけでなく全身に傷痕のように刻まれている。まるで生前の経験(きず)を忘れないように彫り込んだようだ。

 

 ——この片目(きず)もアイズに付けられたもの。ベートとも戦って死ぬかと思った。……でも、それだけじゃない他にも誰か(・・)いた気がする。

 

 その人物を思い出そうとする死の瞬間の時と同じように閃光が頭を塗り潰してしまう。僕の死因も未だに思い出せない。アイズ達じゃない。僕は誰に(・・)殺された?

 思考の渦に呑まれていると巨大な影が僕を覆った。何だと思い顔を上げると

 

 ——ドラゴン?

 

 それは竜だった。強靭な四肢、全身を覆うのは強固な鱗、僕より高く見上げなければいけないほどの体高。腰から伸びる長く硬質な尾まで含めた全長は間違いなく大型級のモンスターだ。

 竜の瞳は怒りに燃えていた。まるで自分のものを取られたと言わんばかりに。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 泉の番人は咆哮を上げ、巨大竜は強靭な前脚を振り上げ、鋭くも巨大な竜爪を見舞う。

 アステリオスも片腕を掲げで防御する。が

 

『ヴォオッ⁉︎』

 

 吹き飛ばされた(・・・・・・・)。出鱈目な『力』に耐え切れずに防御もろとも押し切られたのだ。

 アステリオスは鎧のような皮膚のおかげで無傷だが、それでも衝撃は凄まじい。

 

 ——なんて馬鹿力! いままでのモンスターとは(レベル)が違う!

 

 自分のことを棚に上げて何を言ってるんだと言いたいが、それも仕方ない。

 この竜の名は『強竜(カドモス)』。階層内でも絶対数が少ない『希少種(レアモンスター)』であると同時に、強力な泉の番人でもある。

 その力は階層主を抜きにすれば、現在発見されているモンスターの中でも間違いなく段階的能力構造(ピラミッド)の最上位に君臨し、『力』だけならばLv.6の階層主(ウダイオス)を上回る。

 アステリオスがいままで戦ったどのモンスターよりも強竜(カドモス)は強い。

 アステリオスが反撃しようとするが——眼前に強竜(カドモス)が迫っていた。

 

 ——速い⁉︎

 

 一瞬で間合いを詰める『敏捷』。大型級の巨軀には似合わない俊敏さで追撃がくる。

 だが、アステリオスは何発も受ける気はない。竜爪を回避すると回り込み、横腹に剛拳を叩き込む。しかし、

 

 ——か、硬い!

 

 強竜(カドモス)に剛拳は直撃したもかかわらず応えた様子もない。かの竜の鱗には小さなひびが入っているが、それだけだ。損傷(ダメージ)はない。

 強竜(カドモス)はその場で回転。尾が渦を巻き、アステリオスを薙ぎ払った。

 

『グゥッッ⁉︎』

 

 またも吹き飛ばされるが宙で体勢を整え、着地。対峙する。

 強い。段階的能力構造(ピラミッド)の最上級は伊達ではない。階層主(ウダイオス)のように多彩な能力(スキル)があるわけではない。強竜(カドモス)は単純に『敏捷(はやく)』、『耐久(かたく)』、『(つよい)』。潜在能力(ポテンシャル)が高基準で纏まっているだけ。単純ゆえに弱点がない強竜(カドモス)に搦め手は通用せず、正攻法でしか攻略できない。

 

『グオオオオオオオオオオオオオオッ!』

 

 強竜(カドモス)は巨体に見合わぬ速さで突進。巨大な顎を開き、比喩抜きで牙を剥く。

 だが、アステリオスも潜在能力(ポテンシャル)では負けていない。『敏捷』では一歩劣るが『力』と『耐久』は『スキル』の恩恵もあって、こちらが上だ。

 その『力』と『耐久』を存分に発揮し、突進する巨軀を受け止めた。押しても動かないと判断した強竜(カドモス)は噛み付き、牙を突き立て——砕けた。

 

『——オオオオオオオオオオオオオオオオッ⁉︎』

 

 牙が砕けた痛みに強竜(カドモス)が悲鳴をあげる。アステリオスの皮膚はとてつもない硬度を誇る。更に『スキル』によって硬度は強化されており、階層主でさえ傷つけることは困難である。

 アステリオスは剛拳を振りかぶり——顔面に繰り出した。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ⁉︎』

 

 出鱈目な『力』が強竜(カドモス)を宙に浮かせた。そのまま仰向けに倒れる。そしてアステリオスは倒れ伏す強竜(カドモス)の尾、その先端を掴んだ。

 両手と全身を用いて、竜の尾を引っ張り、持ち上げる。硬質な竜鱗を突き破り食い込む五指が強竜(カドモス)の巨軀をずるっ、ずるっと引きずった。

 次には、咆哮を轟かせる。

 

『……ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

 竜の尾を担ぎ、背負うようなアステリオスの動きに合わせ、竜の巨軀が地から浮かび上がった。

 背負い投げ。尾を掴まれた強竜(カドモス)は宙を半周。そのまま地面に叩きつけられた。

 

『ァ、ァアアアアアアアアアアアアッ⁉︎』

 

 地面に激突した痛みに竜が悲鳴をあげる。しかし、すぐに立ち上がりアステリオスと対面する。高い『耐久(まもり)』はこの程度ではビクともしなかった。

 強竜(カドモス)の目にはもう怒りは消えた。アステリオスを見据える目は、縄張りに迷い込んだ獲物ではなく、危険な『敵』を見る警戒したものに変わっていた。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 二匹の怪物が激突する。始まったのは後退なき超近接戦闘(ブル・ファイト)。互いに遠距離の攻撃手段を持たない以上は白兵戦しかありえない。ならば絶対の自信を持つ潜在能力(ポテンシャル)で押し切るのみ、と竜と猛牛は共有の認識をした。

 全てを粉砕する剛拳が繰り出され、硬質な竜鱗が防ぐ。全てを破壊する剛爪が見舞われ、鎧の如き皮膚(アーマー)が弾く。絶大な破壊力を秘めた蹴撃が放たれ、あらゆるものを蹴散らす長大な尾が薙ぐ。

 何発も互いの体に直撃しながら、怪物達は怯まない。一歩も引かない。引いた方が負けると言わんばかりに攻め続ける。

 

 ——攻撃が効きにくいなぁ。何か武器が欲しい。

 

 アステリオスの攻撃は聞いていないわけではない。だが、それは鱗にひびが入るような微々たるもの。竜種特有の硬鱗と怪物特有の強靭性(タフネス)、何より圧倒的な巨軀には殴打による損傷(ダメージ)が効きにくい。大型武器の一つでもあれば話は違っただろうが、無い物強請りをしても仕方がない。

 だが、このまま超近接戦闘(ブル・ファイト)が続けば追い込まれるのは強竜(カドモス)だ。

 『敏捷(はやさ)』で勝る分、強竜(カドモス)の方が攻撃速度も手数も上だ。それに階層主(ウダイオス)さえ超える『力』が組み合わされば一撃一撃が必殺の剛爪の嵐を生む。——それでもアステリオスには無意味。

 彼の皮膚は鉄壁の鎧。剛爪の嵐に晒されながら、その体には傷一つ入っていない。ダンジョンの恩恵(あい)を受けたモンスターが、同じダンジョンが産んだ最上位のモンスターに屈することはない。

 強竜(カドモス)に短所はない。だが、逆に言えば長所もない。出鱈目な潜在能力(ポテンシャル)は攻撃の一つ一つが必殺だった。ゆえに切り札と呼べるものは持っていない。

 すなわち、強竜(カドモス)の爪牙が効かないほど硬い化物が現れたならば、かの竜に勝つ方法はない。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ⁉︎』

 

 ここで初めて強竜(カドモス)は恐怖を覚えた。己の強力な爪が、全てを破壊する攻撃が効かない。体に擦り傷さえつけれない。それなのに相手の拳はこちらの硬質な鱗を砕き、損傷(ダメージ)が蓄積していく。このままでは負けると強竜(カドモス)は本能的に悟った。

 

『グオオオオオオオオオオオオオオッ!』

『フゥウウウウウウウウウッ……!』

 

 アステリオスの拳砲。己に迫る脅威に強竜(カドモス)の巨軀は上昇した(・・・・)

 

『⁉︎』

 

 アステリオスは驚愕する。彼を遥かに上回る巨大でありながら、強竜(カドモス)は飛行してみせた。

 最強の——階層主を抜きにすれば——モンスターの名は伊達ではない。背中に生えた翼は飾りなどではなく、出鱈目な潜在能力(ポテンシャル)に加えて飛行能力さえ持ち合わせている。

 強竜(カドモス)は宙空より急降下。拳が空振りに終わったアステリオスに全体重を乗せた剛爪を繰り出す。アステリオスは大質量の塊の落下に衝撃に耐え切れず、地面に全身がめり込む。

 たが、アステリオスは上に乗った竜の腹を蹴り上げ、退かすと素早く立ち上がり、対峙する。

 距離が離れたことで戦いは振り出しに戻った。二匹の怪物は睨み合う。だが、少なからず傷を負った強竜(カドモス)と無傷のアステリオス。どちらが有利か明白だ。

 このまま攻めれば勝てる、とアステリオスが一歩踏み出すと

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ⁉︎』

「……え?」

 

 強竜(カドモス)が疾走した。アステリオスではなく、‘ルームの出口’に向かって。

 敗北を悟ったまさかの行動。恐怖に支配された生存本能が突き動かした答え。——敵前逃亡だ。

 勝てない敵に、強竜(カドモス)は逃げ出した! 凄まじい『敏捷(はやさ)』を遺憾なく発揮し、あっという間に竜はルームから姿を消した。

 

「ま、まって……!」

 

 強竜(カドモス)の行動に呆然としていたアステリオスは慌てて追跡を始めた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 強竜(カドモス)の追走は困難を極めた。元々、『敏捷』では劣っている上に広大な迷路を出鱈目に走り回るのだ。そこに邪魔なモンスターの群れが襲いかかる。

 でも、それでもアステリオスは強竜(カドモス)の『魔石』を諦めきれなかった。あれだけの強さを秘めたモンスター。さぞ良質な魔石を持っているだろうと唾を飲み込みながら追いかけた。強竜(カドモス)の匂いや巨軀が響かせる音を頼りに追いかけ回し、ついには袋小路に追い詰めた。

 

『———————————————ァァッ⁉︎』

 

 力尽きた強竜(カドモス)が倒れ伏す。魔石を抜かれ、膨大な灰が残った。長期戦の末、ついに竜を倒した。

 

『フゥー、フゥー……!』

 

 流石のアステリオスも半日近く続いた殴り合いには疲れたようだ。その場に座り込み、壁面に背中を預ける。またもダンジョンが焼けるような音を立てながら【ステイタス】を更新。それに構わず、アステリオスは魔石を噛み砕いた。

 

 ——おぉ〜〜〜! 溢れんばかりの力を感じる! 大きさはゴライオスには及ばないが、質はオリヴァス以上だよ!

 

 極上の魔石を食べたことで全身に力が漲る。長期戦の疲労さえ吹き飛んでしまった。栄養ドリンクも真っ青な効力である。

 満足したことだし、しばらく休憩しようと思ったその時——響いた。

 地の底から昇ってきたかのような禍々しい雄叫びが。

 

 ——竜の、遠吠え? どこから? 周囲には何もいない。いや、この音源は——下から(・・・)

 

 耳朶に喰らいつく、怪物の王の叫喚。その元凶をアステリオスは察したがもう遅い。次の瞬間。彼の真下が(・・・)爆砕した。

 

『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ⁉︎』

 

 突き上げる轟炎、そして紅蓮の衝撃波。全身を灼熱の色に焼く凄烈な爆炎に、アステリオスの目が限界まで見開かれた。

 まるで特大の地雷が炸裂したかのような現象。階層の床がまるごと紅炎に包まれ、蒸発させる。

 アステリオスの体は階層に空いた大穴に、そのまま落下した。飛行手段を持たない彼に抗う術はなかった。

 

 

 

 




アステリオス
種族:ブラックライオス:亜種
所属:ダンジョン
到達階層:51階層(27〜50階層未到達)
ステイタス:Lv.6
力:H 107→S 909
耐久:H 103→S 932
器用:I 82→E 515
敏捷:I 88→C 623
魔力:I 71→C 605
《魔法》
【ケイオス・ラビュリントス】
・迷宮魔法
・能力下降(ステイタス・ダウン)
・一定領域内における結界発動
・迷宮内でなければ発動不可
・詠唱式【迷え、彷徨え、そして死ね】
《スキル》
【天性猛牛(ミノタウロス)】
・『力』と『耐久』の超高補正。
・炎属性と氷属性に対する耐久力強化。
【天性黒犀(ブラックライノス)】
・皮膚硬度強化。
・魔法攻撃に対する耐性強化。
《装備》なし

補足
大蜘蛛=デフォルミス・スパイダー
巨大蠍=ヴェノム・スコーピオン
雷を発する蛇=サンダー・スネイク


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十九話:落下と黒牛

 

 

 深く、深く、深過ぎる大穴。何層もの階層をぶち抜いて(・・・・・・・・・・・・)形成された長大な縦穴。

 降下する中、僕は見た。穴の底で落ちてくる己を仰ぐのは、無数の牙の隙間から煙を吐く、数匹の巨大な紅竜。

 穴の最下層、砲撃地点に居座るのは二本の脚で立ち全長十M(メドル)の巨軀を誇る大紅竜だ。

 その内の一匹が顎を開いた。砲身のごとき口腔が爆熱。大火球が装填され真っ赤に染まる竜の口が真上へ照準される。

 

『——————————アァッッ‼︎』

 

 大紅竜から砲撃が放たれる。直径五M(メドル)を超える大火球が打ち上がり——直撃。

 大爆発。アステリオスを紅蓮が包んだ。

 

 ——熱っ、階層を壊したのはあの竜達か⁉︎

 

 真下の大爆発の正体は——遥か下の階層からの砲撃(・・・・・・・・・・・)。アステリオスは数百M(メドル)先の地の底から狙撃されていた(・・・・・・・)

 凶悪な咆哮が前兆を告げる、竜の火砲。狙い撃ち、幾多もの分厚い岩盤を破壊してのける莫大な大火球(フレア)。深部に生息するより強大なモンスターの攻撃がアステリオスを脅かす。

 階層到達の能力基準を無視する暴挙。まさかの、『階層無視』。

 既階層ならば特級の異常事態(イレギュラー)に値する現象。信じられない事態。この階域にそれまでの常識は通用しない。

 規模が違う。尺度が違う。脅威が違い過ぎる。これこそが本当の——地獄‼︎

 

 ——出鱈目過ぎる!

 

 大紅竜もアステリオスだけには言われたくないだろう。深層の階層主に匹敵する怪物でありながら、上層域、中層域、下層域を好き勝手に動き回っては、遭遇(エンカウント)した冒険者もモンスターも襲っていたのだ。冒険者達にとってはこれほどの悪夢はないだろう。

 

 ——でも、違うコイツ等じゃない。最初の火球はあんなものじゃなかった(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 アステリオスの最初の大火球を放ったのは、いま仰ぎ見ている紅竜ではいと断言した。その根拠は全身に負った火傷だ。

 あれだけの大火球の直撃を受ければ火傷など当たり前。むしろ骨さえ残さず蒸発しかねない大火球を受けてその程度で済んだことを驚くべきだろう。——だが、違う。

 アステリオスは直撃した大火球で火傷一つ負っていない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。彼は【天性猛牛(ミノタウロス)】で炎属性に対する高耐性と【天性黒犀(ブラックライノス)】で魔法に強い耐性を得ている。大紅竜の攻撃は、体内の魔力を燃焼させて大火球を放つ、言わば魔法のような攻撃だ。ゆえに魔法耐性は有効。

 火耐性と魔法耐性、桁外れの『耐久』補正も相まって並の炎属性の魔法には焼かれない。

 結果、アステリオスは炎に対しては桁違いな耐久力を発揮し、Lv.6の潜在能力(ポテンシャル)が組み合わされば階層をぶち抜く大火球さえ無傷で耐え切るほどだ。

 しかし、最初の大火球は違った。落下中よりも遠距離、更には分厚い岩盤をぶち抜いて威力が落ちていたにもかかわらず、アステリオスの耐性を貫通して、強竜(カドモス)でさえ傷一つ付けられなかった皮膚(アーマー)に火傷を負わせている。

 

 ——大火球(あれ)を撃った竜が、他の紅竜より強いモンスターがいる!

 

 縦穴からはそれらしいモンスターの姿は見えないがこのまま落下するだけでは狙い撃ちされる。縦穴の壁面を蹴りつけ直下へと疾走する。風を切り、強大な怪物が待ち受ける縦穴の底へ。

 だが、敵は大紅竜だけではない。蟻の巣のごとく縦穴に繋がる横穴から、多くの竜が翼を打って飛翔してくる。尾を入れれば体長は三M(メドル)に及ぶ飛竜(ワイヴァーン)だ。

 大紅竜の火球が開通かせる縦穴を通じてダンジョンの異物(ゼノス)を始末せんと紫紺の飛竜が襲いかかる。

 穴の底には大紅竜、縦穴の階層には飛竜の群れ。この階域はまさに『竜の巣』だ。

 横穴から続々と出現してくる竜種に、拳を握り締めるアステリオスは駆け出した。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 巨軀にもかかわらず、未だ降下中ということを忘れてしまうほどの素早さでアステリオスは岩盤を蹴り、矢となって、真っ直ぐに飛んできた飛竜(ワイヴァーン)の一匹に振りかぶった鉄拳を叩き込んだ。

 

『アアアアアアアアアアアアアッ⁉︎』

 

 出鱈目な『力』に硬い鱗も何の意味もなさず砕かれ、致命傷を負ったモンスターは絶叫をあげる。そのままアステリオスは力任せに殴り飛ばし、別の飛竜(ワイヴァーン)と衝突させ、それでも勢い衰えずに他の個体を巻き込みながら壁面に激突した。

 

 ——あーあ、せっかくの魔石(おやつ)が勿体無い。

 

 身動きが取れなくなる空中戦。その上、下から砲撃まで晒されている中では魔石を食うこともできない。飛竜(ワイヴァーン)達の魔石は良質そうなだけに残念だ。

 放たれる飛竜(ワイヴァーン)達の火炎弾——一斉射撃も全身で受け止めて突進。被弾しながらも全く堪えた様子を見せず、近くにいた飛竜(ワイヴァーン)の一匹に襲いかかる。

 爆音とともに放出された大紅竜の大火球も、鉄槌のごとく振り下ろした剛腕で相殺し、砲撃の第二波も凌いだ。

 捲き起こる大爆発。墜落していくモンスター。耳を塞ぎたくなるほどの竜達の吠え声。

 この世のものとは思えない凄まじい戦闘を繰り広げながら、アステリオスは穴の底に近づいていく。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 ——だあぁぁぁぁっ、次から次へときりが無い!

 

 大紅竜の砲撃に晒されながら、アステリオスは飛竜(ワイヴァーン)の群れと戦闘を繰り広げる。

 大火球によって階層を破壊し規模が広がる。それに比例するように飛竜(ワイヴァーン)は倒しても倒しても湧いてくる。むしろ、数は最初より増えていた。

 

 ——それに滅茶苦茶速い飛竜(ワイヴァーン)がいる⁉︎ 僕と同じ『強化種』だな!

 

 降下を続けるアステリオスは壁を蹴っては跳びかかり、能力(ステイタス)にものを言わせた出鱈目な戦法で飛竜(ワイヴァーン)を撃墜していくが、翼のない彼には限界があった。

 前肢が翼と化した両翼で高速飛行する飛竜(ワイヴァーン)、その中でも殊更速度が飛び抜けた個体にアステリオスは悪戦する。突撃と同時に繰り出される爪あるいは牙に加えて、すかさず尾で弾かれ止めとばかりに火炎弾を連射される。『強化種』といえどアステリオスとは潜在能力(ポテンシャル)に大きな差があるので傷一つつかないが、彼の反撃も空を切るだけだ。

 同胞(モンスター)を襲い多くの『魔石』を取り込んだ『強化種』。より獰猛により精強となった飛竜達の王は、血走った獣の瞳で傷付けられない敵を睥睨し、苛立ちながら風を切った。紫紺の鱗を持つ周囲の飛竜達もまた逆襲しようと飛びかかる。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 アステリオスは剛腕剛脚を振り回し、近付く飛竜(ワイヴァーン)を片っ端から粉砕する。そして周囲の飛竜(ワイヴァーン)を粗方一掃したアステリオスは岩盤に両腕を突き刺し——引き剥がした。

 両手に掴まれた大質量の岩石。それを『強化種』目掛けて投擲。しかし、『強化種』は悠々と回避。が、それだけでは終わらない。

 アステリオスは次々と岩盤を引き剥がし、巨大岩石を連続投擲。幾度となく宙を貫く大塊。己より遥かに大きな岩石が減速もせず弾丸のごとく飛来する豪速球に必死に避け続けていた飛竜の王の動きも次第に陰りを見せ、すかさずそこを狙う撃ちし——とうとう被弾。衝撃に耐え切れず『強化種』は錐揉みする。崩れた体勢を何とか立て直そうとするが——アステリオスがそれより速く動いた。

 Lv.6の脚力を解放。疾風のごとく跳びかかり、『強化種』にしがみついた。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオッ⁉︎』

 

 竜は必死にアステリオスを振り払おうとするが、硬質な紫紺の鱗を突き破り食い込む五指がそれを許さない。

 

 ——逃がさない。『強化種(おまえ)』の魔石だけは頂くよ!

 

 ただでさえ魔石に貪欲なアステリオスが飛竜達の魔石を取り逃がしているんだ。魔石を取り込み特に良質になった『強化種』の魔石だけは絶対に手に入れたかった。

 胸部に片腕を突き刺し——引き抜く。その手には紫紺色に輝く魔石が握られていた。

 魔石(かく)を失ったことで飛竜の王は灰塊へと成り果てる。

 アステリオスは魔石を口へ放り込み、ぱくっと食べる。良質な魔石を取り込めたことに満足した彼は残る飛竜(ワイヴァーン)達に攻めかかった。

 

『——————————ッッ‼︎』

 

 壁を蹴り、宙に身を躍らせ、弾丸となって高速落下してくるアステリオスに飛竜(ワイヴァーン)達の口腔が火を吹いた。火炎弾の嵐にアステリオスは構わず突っ込む。顔色一つ変えず、傷一つなく突破する。そして急白する飛竜(ワイヴァーン)に剛拳を見舞う。頭蓋を粉砕され、脳漿を飛び散らせながら、そのまま死骸を足場代わりにして跳躍する。巨軀ゆえの長大な射程(リーチ)の剛腕をもって周囲のモンスター達をいっぺんに薙ぎ払った。

 

『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ‼︎』

 

 こちらを忘れるなとばかりに大紅竜の咆哮、そして砲撃された大火球。そんなもの意味がないとばかりにアステリオスは振るった片腕が紅蓮の大火球を粉砕した。

 

 ——いい加減にうざいな。穴の中も近くなってきたし、紅竜の方へ殴り込もう!

 

 飛竜(ワイヴァーン)の撃破を続けていたベートは縦穴の底を睨みつけた。視界内に確認できる紅竜は四匹、穴の底までの高度はニ〇〇M(メドル)を切った。迫りくる『竜の巣』の終点にアステリオスは獰猛な笑みを浮かべた。飛竜(ワイヴァーン)を無視し穴の底へまっしぐらに疾駆する。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

 四対の紅竜の瞳が接近してくるアステリオスに照準し、四つの大火球を放つ。真上を見上げる四体の紅竜からの一斉砲撃が行われた。その威力は第一級冒険者さえ消し飛ばすほど絶殺。——だが、アステリオスは一気に加速。回避行動も取らずに真正面から大火球の砲弾群に突っ込んだ。

 大爆発。四つの大火球が同時に炸裂し、これまでにない紅蓮の大輪を咲かせた。

 流石に仕留めただろうと紅竜達は思い——次の瞬間、その瞳に驚愕を浮かべる。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』

 

 爆炎の中からアステリオスが現れる。流石にあの大爆発を無傷とはいかなかったのだろう。所々に焦げ目があるが、それだけだ。五体満足な彼は竜達に向かって降下した。

 次の瞬間、『竜の巣』を走破し、大穴が空いた天井から最下層へ抜け出る。

 だんっ、と勢いよく踏み切ったアステリオスは、直下にいる大紅竜の一匹に狙いを絞り、鉄槌となって剛拳を振り下ろし——炸裂。

 仰いでいた紅竜の頭部を粉砕させ、ゆっくりと背中から倒れ込んだ。

 一〇M(メドル)に及ぶ竜の巨体が地に沈み、倒壊した塔のような轟然と階層を震撼させる。

 そのすぐ脇に着地を決めたアステリオスは、竜達の混乱の吠え声を耳にしながら顔を上げ——ようとした瞬間、特大の火球が撃ち込まれた。

 

『グッ……ゥウウウウウッ⁉︎』

 

 先程の大火球の砲弾群に匹敵、いや、それ以上の破壊の紅蓮が撒き散らされ、アステリオスは耐え切れずに吹き飛ぶ。全身を焼かれ、痛々しい火傷を負う。

 

 ——この威力……間違いない。最初に攻撃してきた竜だ!

 

 だった一発で大火球四発を超える威力を誇る特大火球。それを放った元凶を見ようと顔を上げると

 

『ルゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』

 

 ——何、あれ……?

 

 驚愕に目を見開いた。その正体はやはり竜だった。だが、姿が他の紅竜達とはあまりに異なる。

 紅竜より頭一つ抜きんでた巨体。竜鱗も紅色ではなく中に吸い込まれそうな漆黒。だが、全身を覆うのは鱗というより殻のようで骸骨を連想させる。その瞳には眼球がなく、闇が充満する巨大な眼窩の奥では、朱色の怪火が小さく揺らめいていた。

 その中でも異彩なのが、頭部に生やした(オウガ)を彷彿させる二本の角。そして骸骨そのものの竜腕だ。どちらも他の紅竜にはない特徴だ。到底、紅竜と同じに思えない漆黒の大骸竜。

 

 ——姿もそうだけど匂いが気になる。これは……同胞(ぼく)の匂い?

 

 生前にあったレイやマリィと同じ匂い。そこで僕はある答えを導き出した。——この竜は『異端児(ゼノス)』だと。

 だが、もしアイズ達【ロキ・ファミリア】がこの竜を見た場合、あるモンスターを連想しだろう。

 

 

 

 ——竜骨のウダイオス(・・・・・)、と。

 

 

 

 




補足
大紅竜=ヴァルガング・ドラゴン
紫紺の飛竜=イル・ワイヴァーン
竜の巣=『竜の壺』


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。