竜と短槍 (ムラムリ)
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0.

 あるところに、恐怖を知らない馬鹿が居た。

 そいつは、毎日毎日、ただ自分の欲望のままに生きていた。腹が減ったら獣を狩って肉を食み血を飲んだ。眠くなれば適当な場所で鼾を垂らしながら寝て、起きたらまた気ままに獣を狩り。

 自堕落に、何も恐れずに生きられるその力を垂れ流しながら生きていた。まあ、それだけならちょいちょい居る、ただの迷惑な奴って位だった。

 ただ、な、そいつはとにかく自堕落で、そしてタチの悪い事に力を持っていた。並の奴じゃ全く太刀打ち出来ない、強大な力だ。そいつの狩りは、力任せに全てをなぎ倒しながら何かが巻き添えになるのを待つという、とにかく乱暴なものだった。狩りとも言えない。

 そんなだから、そいつの過ぎ去った痕は、木々がへし折れ、地面は抉れ、沢山の獣が傷を負った。鳥の育てていた卵は全てぐちゃぐちゃになり、守ろうと立ち向かった獣達は全て返り討ちにされた。そいつにとって、自分が好き勝手に生きる為に邪魔になるものは全て、敵だった。ストレスになるものは、存在してはならなかった。

 自堕落で、欲望のままに、力のままにそいつは生きていた。

 腹が減れば好きなように暴れて獣を必要以上に殺し、草木をぼろぼろにした。

 雌を見つければ子が出来ようが出来なかろうが、自分のソレが入ろうが入らまいが、満足するまで抱き続けた。子が出来ようが知ったこっちゃなく、またどこかへ去って行く。

 寝ていようがそいつを殺せる奴は居なかった。自分に仇為す者にはとても敏感だった。殺気とか、そういう嫌な気配にも敏感だった。

 

 そいつはある時、草原に出た。そこには豚が沢山居た。小さな柵があったが、そいつにとっては全く意味が無い。

 豚達は良く肥えていた。その肉は脂が乗ってさぞ美味いだろうとそいつは思った。

 すぐに一匹が犠牲になって、体中を食い千切られて、死んだ。満腹になれば、そいつはそこで眠った。

 そして、起きてまた一匹が犠牲になり、眠り、起きて。

 それを数回繰り返して、また横になって暫く。そいつは嫌な気配を感じて起き上がった。

 そして、そいつの体に岩が食い込んだ。

 人間達が一斉に合図をした。

 そいつはおぞましい咆哮を上げて、黒い六つの翼を広げて空へと飛んだ。

 そこに切れ味の鋭い草が沢山飛んで来る。そいつは、それらを両腕の口から吐き出される炎で燃やしながら、力を溜めていった。

 それでも、そいつは四方八方から飛んで来る葉の刃を防ぎきれず、少し喰らった。だが、大した傷にはならなかった。そしてそいつは気にせずに、天を仰いで咆哮を上げた。

 すると、空から数多の光が降って来た。

 光は、隕石となり、辺り一帯へと降り注いだ。

 確かな重さとそして、見てから避けられようの無い速度で、無数の隕石がそいつを仕留めようとする全ての命を刈り取ろうとしてきた。

 沢山の悲鳴が上がる。血肉が弾け、身体の破片が辺り一帯に吹き飛んで行く。けれどそいつは、その竜は、それを見てまだ足りない、と思った。自分のストレスとなる、敵意は、殺気は、まだ消えてなかった。だが、そいつの命運は、そこで尽きていた。

 次の瞬間、体に痺れを、悪寒を、眠気を感じた。思考が纏まらなくなっていた。

 その大技を繰り出した反動もあったが、それ以上に翼は思うように動かくなっていった。体はぶるぶると震え始めた。

 何も考えずに力のままに自堕落に生きて来たそいつには、何故そうなっているのか分からなかった。そいつが寝ている間に、その人間と共生しているその草の獣達が丹念に準備したその葉の刃には、ありとあらゆる体に悪い作用を起こす粉を塗りつけられていたのに気付かなかった。大した傷にならなくとも、掠れば、そこで役目は果たされていた。

 隕石が降り注ごうが、まだ残っている殺気を感じながら、そいつはふらふらと落ちていくしか出来なかった。

 まだ動ける人間と獣達が、その落ちていく場所に集まって行く。技を辛うじて出すが、もうそれに力は無かった。

 逃げる事も出来ず、ふらふらと落ちていくだけ。

 そして、草の獣の蔦で首を絞められ、地面に落とされた。

 命乞いをするように、そいつは泣いた。赤子のように、ただただ無知のまま。けれど、人間は、獣達は容赦なかった。腕でもある口が抑えられ、暴れる翼と尾も、小さな足もしっかりと抑えられて、目の前では水の獣が前脚からするりと自らの身体から作られた刃を抜いた。

 太く長いその刃の鋭さは、そいつを怯えさせるには十分だった。

 そいつは、力の限りに叫んだ。

 訳が分からないというように。ずっと、ずっと、自分の為だけに生きて来たそいつには、何故自分が殺されなければいけないのかすらも分からなかった。

 叫び、叫び、しかし、何事も起こらないまま、水の獣はその首を断ち切った。

 首を離されたその体は、暫くびくびくと動き、そして動かなくなった。

 

 それが、俺の……。



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1.

 肥えたポカブを連れていく。

 何も知らない、愛嬌のある顔で俺に付いて来る。紐を付けずとも、俺を信頼している。

 こいつはまだ、何も知らない。そして力もそう強くない。

 知恵も無い。そして、美味い。

 ひく、ひくと鼻を動かして回りの臭いを嗅ぎ始めた。

 それと同時にそのポカブの足取りが重くなる。

「どうした?」

 俺は振り返って聞いた。

 ポカブは俺を初めて、疑うような目で見て来た。

 しかし、後ろから、エレザードが近付いているのに気が付かない。

 その体に溜められた電気がバチッと音を立ててポカブに当たり、痺れて倒れる。

「よし、もう良いぞ」

 陰に隠れていたダイケンキがゆっくりと体を現す。老い、衰え、痩せたその体からするりと刃を抜いて、息を吐く。その一連の動作は、間違い無く、老い、衰え、どちらも感じられる。ゆっくりとした動作だ。

 けれども不思議と、速くもある。ゆっくりしていても、無駄が全く無い。

 後ろ脚で立ち、脚刀を前脚でしっかりと掴み、振りかざす。そして、ポカブが痺れに意識を囚われている間に、息を短く吐き、体重を乗せて、静かに振り下ろす。

 鋭い切り先は、いつものようにポカブの首をすっぱりと切り落とし、地面にさっくりと裂け目を入れた。

 ごろごろと頭が転がって行く。

 そして血がどばどばと出て来て、俺はその後ろ足を紐で縛り、近くの滑車で釣り下げた。

 血をバケツで受け止めていると、近くに住むヤミカラス達がやってきた。

 

 慣れたのは意外と早かった。心が痛まなくなるのはそれから数年が経った後にふと振り返ったらそうなっていた。

 家業だから、という問題ではない。

 俺の父親は、長男ではなかった。三男だった。長男と次男は、こんな血生臭い仕事とは全く無関係の仕事に就いている。

 進化すれば普通に、いや、優秀なパートナーともなれるこの獣を、美味いからという理由で殺すこの仕事は、誰にでも出来るものじゃない。

 割り切れる、いや、割り切れてしまう、持って良いのか悪いのかそれすらも分からないある一種の才能が必要だった。

 俺も、俺のパートナーであるエレザードも、そして俺の父親のパートナーである老いたダイケンキも、その才能を持っていた。

 俺は、次男だった。そして、友達は居ない。居なくなった。

 俺達のその才能は、疎まれて当然のものだった。

 そして、その代わりにやや高めの金を貰って、俺達は家族で緩やかに生きている。

 

 血が粗方抜き終わった所で場所を移し、そこで解体に移る。肥えたポカブの肉は、身体の小ささからすると以外な程多い。

 それらを部位毎に切り分け、塩漬けにしたり、挽肉にしたり、そのまま売りに出したりする。

 残りのくず肉を血と多めの香辛料、それから繋ぎとなる乾燥させてすり潰した木の実やらと混ぜ、腸に詰める。そして、腸が千切れないように優しく低温で茹でる。

 ……都に近い方では、もっと効率化が試みられているらしい。

 そのせいか、都の方に遊びに行った人達は、皆口を揃えて肉が安いと言う。ただ、そこには後ろめいた感情が隠せない。

 効率が良い。安い。そこから導き出される答は、ここよりももっと、このポカブ達をパートナーともなる獣と認めないという事だ。

 感情を廃し、ただ、美味さの為だけに、ただ、安さの為だけに、冷酷になっていく。

 俺達がそれを否定する権利はもう無いが、それでもそこまでは行きたくないと思う。

 この片田舎に住む皆も、それを思っている。

 けれども、それはその内終わるのだろうとも、俺は予感している。

 人は、効率を追い求める生物だ。

 楽に生きたいし、楽しく生きたい。ストレスなく生きたいし、嫌な事なんて無い方が良い。それはどこにでも波及していくだろう。

 片田舎のここにまでそれが来たとき、俺達の仕事は終わりを迎える。

 強い予感だ。

 

 今日作った血のソーセージが今日の夜飯になった。

 母がそれを小さく切り分けて、ダイケンキの前に置く。ダイケンキの歯はもう、大半が抜け落ちていた。脚刀も自身で研いで、そして未だに首を落とす役割を買って出ているが、いつ死んでもおかしくは無いように思えた。

 野菜と共に浸されたスープを、ゆっくり飲んで行く。その体は、もう無駄なものが無かった。寒さを凌げるような脂肪もほぼなく、剥き出しの筋肉が辛うじて肉体を守っている。

 そしてそれは祖父も同じだった。

 父は、パートナーであるそのダイケンキと、祖父をほぼ同時に亡くすであろう事に対して、ゆっくりと飲み込んでいた。ツヤも無く、垂れさがった髭を撫でて、残り僅かな時間を大切に過ごしている。

 そんな静かな夜、口数は少ないながらも家族での会話が途切れずぽつぽつと続く中、シャンデラが今日は良く光っている。その度に、時々思い出す事がある。

 子供の頃の記憶。

「ねえ、ポカブの魂ばっかり食べてて、飽きないの?」

 シャンデラは揺れるだけだった。それが何を意味したのか、俺は今でもはっきりとは分かっていない。

 四代前がこの仕事を始めて安定し始めた頃に勝手にこの家に住み着いたヒトモシは、時間を掛けてゆっくりと成長して、俺が生まれた頃にとうとうシャンデラになったらしい。

 ただただ、何も知らずに幸せに生き、そして察した所で首を落とされるポカブの魂だけを食べて、生きている。

 魂の味を、俺達は知らない。

 けれども、何となく想像はつく。

 都会の近くで屠殺されるポカブよりも、ここで屠殺されるポカブの方が、少なくとも好みなのだ。

 魂をより多く求めたかったら都会の方に行けば、いつでもどこでも何かしらは死んでいるだろう。

 けれども、中々恐ろしい言い伝えも持つこの霊獣が、都会に比べれば格段に死が少ないこの片田舎にふらっとやって来て静かに暮らし続けているのだから、その位は合っていると思う。

 

 飯も食い終える頃、台所からカチャカチャと音が聞こえる中、父が聞いて来た。

「どうだった? こいつの今日の仕事は」

 意識を痺れに囚われている内に、首を一振りで断つ。それだけの仕事だ。けれども、それが肉の良し悪しも決める。

 恐怖に囚われてしまった肉の質は、落ちる。

 幸せなまま、来る不幸を頭から追いやっていられるその僅かな時間に、そのポカブ自身も気付かないままに殺す。

 肉の質を最も左右するのは、このダイケンキなのだ。

「相変わらず、見事だよ」

 それを聞いて、ダイケンキは特に何も反応しない。それが当然だというように、耳を軽く立てたまま眠りに就こうとしていた。

「そうか」

「ソーセージの味はどうだった?」

「悪くない」

「悪くなかった」

「そうだ」

 中々良い評価、悪くない評価だった。

 エレザードの顎を撫でながら、聞いてみた。

「お前はどうだった?」

 舌で口の周りを舐めた。

「美味かったか」

 ……さて、今日も寝るか、と思ったところで、ふと、外に目が行った。

 牧場の遠くの方に炎が見えた。

 ゆらゆらと、僅かに揺れるその炎は、ポカブの炎では無い。そもそもポカブ達は夜、頑丈な小屋に入れている。

 その炎は、別の何かの炎だった。

「……ちょっと、出て来る」

 何も言わずともエレザードも付いて来る。

「俺も行くか?」

 父が聞いて来た。

 俺は、ちょっと悩んでから答えた。

「大丈夫だと思う」

 僅かに揺れるその炎からは、明確な敵意を俺は、感じなかった。

 けれどもそれは自衛しないという事でも無い。その直感を信じ切る訳でもない。

 俺は手に馴染んだ短槍と、シャンデラの青い炎で火を付けた、そのまま青く光る松明を持って外に出た。

 外は、暗闇に満ちている。

 炎に向って、俺とエレザードは慎重に歩き始めた。



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2.

 歩いている内に気が付いた。この方向は、アレがある場所だ。

 錆びた針金でぐるぐるに巻きつけられた、サザンドラの全身の骨。その骨は、細い部分はもう朽ちてしまっているけれど、全身の形はまだきちんと残っている。

 そして、首の部分が一か所、すっぱりと切れた跡がある。

 俺がまだ生まれてない頃に、どこからどもなくやってきたサザンドラ。ポカブが毎日食い殺されて、そして次第に村に近付いて来ていた。

 村人総出で駆除に乗り出す事にして、しかし、竜の獣の中でも一握り、しかも人の力も借りないと修得できないような技、流星群と名付けられているその技で甚大な被害が出た。

 けれども、毒や麻痺、混乱や眠りの粉をふんだんに塗りたくった草の刃がそのサザンドラを地に落とし、父のダイケンキが首を落とした。

 その死体は見せしめとして、牧場の囲いの、森に一番近い場所に針金で縛られ、磔にされた。

 俺が小さい頃、僅かな記憶として残っている、デコボコの残る牧場。まだほぼほぼ完全な状態で残っていたサザンドラの全身の骨。

 怖くて泣いたのは、俺ではなかった。

 

 近付いて行くに連れ、そのサザンドラの骨のすぐ近くにその獣が居る事が分かって来た。

 ゆらゆらと揺れるのは、尻尾だという事も。

 尻尾が燃えている獣なんて、俺はヒトカゲの類しか知らない。

 そして、その最終進化形の大きさである事も段々分かって来る。

 短槍を握る手に汗がじんわりと滲んで来た。エレザードからも緊張が伝わって来る。

 リザードン。エレザードとは相性が良いが、それ以前に種族の差と言うものがある。

 父は言っていた。

「俺はな、ダイケンキが居なければもうこの世に居なかったんだ。当たれば肉体そのものが弾け飛ぶ速さと重さを以て降り注ぐ流星群を、脚刀で弾き飛ばして俺から守ってくれた」

 そんな全盛期のダイケンキに、今の俺とエレザードが勝てるとは、全く思えない。相性が良かろうが、戦うイメージをしてみればその脚刀が俺とエレザードの体を両断していく光景しか見えなかった。

 ただ。

 一度、立ち止った。

 そして、エレザードに向き合った。

「あそこに居るのはリザードンだろう。

 お前も見たことがあるだろう? 色んな場所を旅しているとか言う、羽振りの良い竜使いがこの村にやって来てた時だ。尻尾から炎を出している、赤みがかったオレンジ色の竜だ」

 エレザードは頷いた。

「……俺達で挑むのは、とても危険だ。下手しなくとも死ぬ可能性だって十分にある程だ。

 だが、俺達が近付いて来ているのもそのリザードンも分かっているはずだ。そして、何もして来ない」

「……。

 罠か? 俺は違うと思う。リザードンは、竜は、罠を仕掛けるような種族じゃない。そもそも、罠を仕掛けたり気配を消して隙を伺って仕留める、と言う事をやれるような体型でもないしな。

 かと言って、戦いを求めている訳でも無いだろう。だったらこんな夜にあんな場所でじっとしていない。俺達を見止めたら、さっさと襲い掛かって来るはずだ。

 じゃあ、何だ。

 俺は、そのリザードンを何と見なせばいいのか。

 …………。一番近いのは、客、だと思う」

 エレザードは俺の目をじっと見たまま、反応しなかった。

「この辺りにふらりとやって来た、あの竜使いと同じようなもんだろう、と思う。

 要するに、様子を見る位なら大丈夫だと俺は思う。お前はどう思う?」

 これは、問いかけのようであって、俺自身への確認の作業と言った方が意味合いが強い。

 エレザードは、俺の言った事を全て理解している訳でも無い。 

 俺が思考を整理し、決意する為のルーティンだ。

 そして、エレザードはリザードンの方を向いた。

「…………行くか」

 近付いて行くと、その赤みがかったオレンジ色が段々と鮮明に見えて来た。

 

 ある程度の距離を取ったまま、俺とエレザードはまた、立ち止った。

 リザードンは座っていた。俺達を見止めながらも、関心はサザンドラの骨に集中していた。

 じっと、見つめているだけだった。

 けれども、俺達に警戒を払っていない訳じゃない。

 その体つきは、戦士、というのに相応しかった。

 竜にありがちなぽっこりとした腹がそのリザードンには無い。肉体は引き締まり、筋肉のある肉体の凹凸が見える。しなやかさと強靭さを同時に備えていた。

 尻尾の炎は静かながらも猛りを表すかのように強く燃えている。

 爪と牙はその尻尾の炎の明かりに反射する綺麗な白さを保ったまま、そしてまた鋭さがここからでも分かる。下手な刃物よりも鋭いだろう。

 皮翼は分厚い。数か所に穴が開いているが、大したものじゃない。空を飛ぶのに問題は無いだろう。

 パッと見でそれだけが分かる。強さは、やはりと言うべきか、俺達を普通に凌ぐ。断定として分かる。そのリザードンからは全く敵意を感じないとは言え、俺は父と一緒に来なかった事を後悔していた。

 ただ、そのサザンドラの骨に向けられている目は、何と形容すれば良いのか、良く分からなかった。悲しみや、怒りといった負のものはそこには無かった。かと言って、嬉しさとか懐かしさとか、そういう正の感情も無い。

 強いて言うのならば、観察や、好奇心、そういうものが近いような気がした。

「…………」

 あのサザンドラは、野生の獣達の中でも知れ渡っていた存在だったんだろうか。いや、だったとしても今更何故?

 もう、二十年以上は経っている。そして、こんなように態々夜中に見に来た野生の獣なんて、少なくともこの十何年間は全く無かった。

 その答も見つからないまま、ただただ時間が過ぎていく。

 リザードンの様子は、一向に変わらなかった。ただ、そのサザンドラの骨を、近くで眺めている。偶に骨に触れたり、臭いを嗅いだりするが、それ以上の事はせず、壊そうとか動かそうとか、乱暴な事は全くする様子は無い。

 サザンドラの骨を眺めながら、何かをずっと考えている。

 その何かは、俺には察する事も出来なかった。肉親であるのか、仇であるのか、それとも恩でもあったのか、親密な関係だったりしたのか。

 どれだとしても、二十年以上という時間は長過ぎる。

 

 暫くすると松明の光が弱くなり始めた。

「……帰るぞ」

 暫く、体をリザードンに向けたまま後退って、そして十分な距離が出来た所で、振り返って小走りで帰る。

 家にまで戻る間、何度か振り向き直したけれど、リザードンはずっと、そこに居た。

 朝になれば、流石にどこかへと消えていた。



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3.

 貝刃が打ち合わされる音で目が覚める。

 窓から外を覗けば、今日も朝っぱらから父がフタチマル達に稽古をしていた。

 父のパートナーであるダイケンキの子は、七体。そして、この仕事をする適性があると父によって見做されたのは五体。獣は、人と比べてそういう性質が遺伝し易いらしい。

 その五体が、暫くの間、稽古で力を付けている。

 貝刃じゃ、体を刻む事が出来ても、首を切り落とす事は出来ない。脚刀でなければいけない。そして、父のダイケンキには時間が無い。

 

 朝飯の時間になる頃に、貝刃の音は鳴り止み、父だけが戻って来た。

 適性がある事と、最初から仕事を上手くやれる事は全くの別問題だ。フタチマル達は、ダイケンキが父ではあるが、住んでいる場所はここではない。

 それぞれ、この町の人達の家で、その人達のパートナーとしてなれるようにも暮らしている。

 自分達家族が引き取るのは、最も適性があった一体だけだ。

 後は、この町の誰かのパートナーとして暮らしていく事になる。

 朝は、簡素に豆のマトマスープとパン。ダイケンキには、パンがスープにしっかり浸かって解された状態で出され、エレザードには辛さを控えめに。

 そのエレザードは皿を両手で掴んで、ぐい、ぐい、と口の中に流し込み、パンを口に加えて、窓から屋根にさっさと登って行った。

 仕事が無い時は、大抵そうして太陽を浴びてうとうとと過ごしている。

 エレザードが出て行ってから、祖父が昨日の事について聞いて来た。

 昨日俺が帰って来て、問題ないと判断すると、殆ど何も聞かずに寝てしまった。

 帰って来た時間は、普段なら祖父がとっくに寝ている時間だった。

「リザードンは……サザンドラの骨をずっと……見ていたんだな?」

「そうだった」

「どのように……見ていた?」

 昨日父とも多少話した事でも言った。

「強い感情は、正負どちらとも無かった。嬉しいとか、悲しいとか、そういうのは全く無かった。けれど、ただ見ていた訳でも無かった。見る事自体に何かしらの目的があるように見えた」

 それを、端的に上手く形容する言葉が無い。一夜過ぎた今でも。

 強いて言うならば、鑑賞する、というのが一番似ていると思うが、どう考えても、鑑賞などと言った優雅な事をしているようにも見えない。

 あそこにあったのは……緩いものじゃない。

 真剣な……何かだ。

 祖父は、スープに浸したパンをゆっくりと咀嚼し終えてから、言った。

「……子供、かもしれんな」

「子供……」

 子供だったとしたら、少なからず父親を殺した俺達を恨んではいないのだろうか。

 それを聞こうとした時、祖父が続けた。

「竜は……獣の中でも賢い。言葉を使ったような……複雑な意志疎通も出来る……。

 そして……サザンドラは……何に対しても凶暴だ……。少なくとも……あの20年ほど前のサザンドラは……子を持っているようには……思えなかった」

 父がそれに口を挟んだ。

「家族持ちの獣は、大抵、守ろうとする意志が生まれて来るんだ。如何に攻撃的な奴であろうとも、多少性格は丸める。20年以上前の事でもはっきり断言出来る。あれには、そんな意志は微塵にも無かった」

「じゃあ、何で子が出来ているんだ?」

 そう聞いてから、あ、と思った。

「そういう事だ」

「……そういう事」

 小さく反芻した。子を作っても、家族にはならなかった。子をどうやって作ったかは、そういう事だ。

「獣には多少ある事だ……尊敬出来ない親なんて……人間にもごまんと居る」

 父親や祖父に対して俺は、尊敬と言ったような自覚するような思いを持っていない。かと言って、尊敬していない訳でも無いし、多分尊敬は自覚する事でも無いと思う。

 けれど、その尊敬出来ない死んだ親に対して向き合っている、と言うような状況は昨日見たそれに似合っているように思えた。

「……あ、そうだとしても、何故、今更? 20年以上も経った後で」

 それに対しては、やっと面と向き合えるけじめがついたんだろう、というような答が返って来た。

 何となく、曖昧だと思った。

 

 ポカブ達の様子を見て、特に何事も無い事を確認する。一匹減った。

 偶に、その答に辿り着くまで行かなくとも、その可能性を考えてしまう個体が居る。生まれてからこれまでずっとほぼほぼ外敵の危険にも晒されず、ただただ柵の中の牧場で食っちゃ寝を繰り返していても。

 しかし、それに辿り着いたところで、この環境から逃げ出せまではしない。ストレスが無い環境、それは強くなれない、そして学習出来ない環境だ。

 ただ、不安の芽は摘み取っておくに限る。

 一つのミスから全てが瓦解した牧場の例だって聞いた事が少しだがある。

 日々の仕事に入る前にまた、そのサザンドラの骨の場所に行く事にした。

 遠目から見た限りじゃ何も無かったが、近くにまで行って確かめておきたかった。

 リザードンがこれからまた来ないとは限らない。

 ……そう言えば、何故夜に来たんだ?

 リザードンは夜行性じゃない。人に関心を持たれない為?

 ……ああ、反面教師ってやつか。リザードンは、サザンドラの死に様を知っているんだろう。そして、自分はそうはならないと思っているのだろう。

 でも、それが何故20年後の今になって、なのかはまだ分からない。やっと面と向き合えるけじめ、というのはどうも答としては曖昧で納得し辛かった。

 

 サザンドラの骨の場所まで来ると、地面には焼け焦げた痕と、少しの爪痕が残っていた。それでも、ずっと座っていたとしたら、かなり大人しくしていた感じだ。

 サザンドラの骨には、何の変哲も無い。

 長い時間、何を思っていたんだろうか。竜は知能が高い。きっとそれは、人とそう大差ないレベルだ。

 心の中で罵倒し続けていたのか。もやもやした気持ちが溶けるのを待っていたのか。こんな人間の場所に骨が無ければ、ぶっ壊していたのか。それを、あの時の仕草だけで察する事は、心を読み取れる獣でも無い限り不可能だ。

「また、来るのかな……」

 来ないで欲しい気持ちもあるが、このまま終わるのもモヤモヤしたものが残って嫌な気分だった。

 

 その、夕方だった。

 ポカブ達を餌で釣って、小屋の中に入れている最中の事だった。

 小屋の中への入り方は、早く餌に食らいつくグループと、そこまで急がずにのそのそ歩いて来るグループ、そして俺やエレザードがケツを引っ叩いて中に入れるグループと、ある。

 早くに餌に食らいつくグループにブーブー言われながら餌を給餌場所に流し込んでいると、カン高い悲鳴が聞こえた。

 持っていたバケツを投げて、すぐさま外に出ると、パニックになって走り回るポカブ達と、そして夕日に向かって飛んで行くリザードンの姿が見えた。

「……ああ、そういう事」

 俺は、あのリザードンがあそこで思っていた事を理解した。

 "俺は、お前のような馬鹿にはならない。賢く奪ってやる。"

 きっと、そんなところだろう。

 ポカブの数は案の定、一体少なかった。昨日と今日、殺した分を含めても。

「そんな風に反面教師にして欲しくなかったなあ……」

 せめて、人間には関わらないとか、関わっても穏やかに、とかさあ。

 そんな事を思いながら、これからとても面倒な事になると、俺はもう確信していた。



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4.

 次の日から、町の腕っぷしの強い獣を持つ人達に要請して、代わる代わるに見張りをして貰った。

 ポカブ達が小屋の外に出ている間の時間に、複数人での体勢で。

 けれど、俺は何となく、来る事は無いだろうと思っていた。あのリザードンは、そこまで危険を冒してまでここには来ないだろう、と。

 一日、二日が経った。やっぱり、リザードンは来なかった。

 空を何度も見たが、あの赤みがかったオレンジ色の姿は、見えない。

 別の町の牧場にも姿を現していない事は、三日目で分かった。

 サザンドラの二の舞にならないように、リザードンはずる賢く人間から食い物を奪っていくつもりだとしても、それをどれだけ慎重にやっていくのか、という事まではまだ分かっていない。

 ただ、味を占めて隙を見せる、という事はまず無さそうだった。

 

 念の為、一週間は取り敢えず見てもらう事にしていたが、森の先から姿さえも見える事が無いとなると、監視している側の緊張も薄れていく。

 金属も使った強靭な大弓と燃えにくい金属の矢を背に番えた、初老の男性と、それに仕えるバルジーナ。

 長剣を持つやや初老一歩手前の男性と、その隣でじっとしているドサイドン。

 リザードンが一匹を連れ去ってからと言うものの、ポカブ達は少し落ち着きがない。見張りの有無に関わらず、夜、小屋に近付いてみれば、上手く眠れていないような唸り声が少し聞こえる。

 リザードンは、もう一度来るだろうか? あの一回だけしか、ポカブを奪いには来なかった、という事はあるだろうか?

 翼を持つ種族だ。噂なんて全く届かないような遠くに行って、そこでまたポカブやらアチャモやらを奪っているかもしれない。

 三日が経ち、四日が経つ。

 リザードンは姿を現さない。全くと言って良い程、遠くから様子を窺うような事すらも無い。噂もどこからも聞かない。

 ポカブ達は落ち着きを取り戻してきた。落ち着きを取り戻すまでの間も、屠殺して肉にしていたが、それには気付いていない。

 取り敢えず、見張りは効いているようだ。ただ、問題は、見張りが居なくなった瞬間、また奪いに来るなんて事があり得そうだという事だ。

 実際、そう来たら本格的に対策を練らなければいけない。

 あのリザードンを、空からも追い掛け、二度と来る事が無いようにする。

 戦士のように鍛え抜かれた体を持つリザードンに対して、それが可能かどうかは別として。

 

*****

 

 そう、そうだ。前足で柄を優しく握れ。強い力はそんなに必要ねえ。力んでいると、流れがそこで止まっちまう。力が刀まで伝わらん。

 それから、頭の上まで振り被れ。人間のように直立するのは俺達にゃ苦しいが、数瞬の間で良い。その数瞬の間で、自分の体の軸をしっかりと固めるんだ。

 震えるな。息を整えろ。落ち着け。自分を空っぽにしろ。

 吸って、吐いて、そして、体重を掛けて。目の前だけを見て、重力に任せて、すとん、と振り下ろせ。

 さくっ。

 薪に向って振り下ろされた脚刀は、後少しで真っ二つになるまで食いこんでいた。

 うん、中々良い。でも、まだまだだな。

 次。

 柄を握って。そうじゃねえ。包み込むようにだ。優しく握ると言ったが、すっぽ抜けちゃいけねえ。そう、この指をこっちに回して……。

 

 もう一度、手本だ。私ももう先は短いからな、ちゃんとと見ておけ。

 刀を抜いて、前脚で握り直す。優しく、だが、しっかりとだ。それでいて、力まないようにな。

 そして、刀を立てて立ちあがる。私はもう、立ち上がるのも一苦労だがな。でもまあ、まだ大丈夫だ。

 振り被り、息を整える。体の軸を感じて、その中心に刀を揃える。

 そして、息を吐いて、振り下ろす。

 とんっ、からから……。

 そうだ、力が無くとも、薪位ならぱかっと割れる。この刀の鋭さに、自分の重みをちゃんと乗せる事が出来れば、それだけで薪位なら割れるんだ。

 じゃあ、今日は誰かに実際にやってもらうからな。

 緊張する事だろう。最初はそれでも良い。いや、そうじゃなきゃいかん。殺すって事は食うって事だ。それをちゃんと、身体の中に刻み込め。

 人間と生きる俺達はそれを忘れがちだ。狩りもせずに生きていたら尚更な。

 ちゃんと出来るようになるのは、それを身体に染み込ませてからで良い。

 あ、あとな、"これ"は戦う技術じゃねえ。心を無にして楽にしてやる技術だ。実戦にゃ全く役に立たない。そこははっきりさせておけよ。

 ……まあ、楽にさせる、なんて結局人間達のそして私達のエゴでしかないんだけどな。

 

 一回目を閉じろ。そうだ。心を落ち着かせろ。色んな事が頭の中をぐるぐると渦巻いているだろうが、やると決めたならばやるんだろ?

 ……私は最初は、貝刀で切り裂いていたんだ。その立派な刀でなく、あの小せえ貝刀でだ。痺れて動けなくて、何も考えられない、涎をだらだらと垂らしながら白目を剥いているポカブの目の前に行って、首の血管を切り裂いたんだ。

 その度に私の顔に血が跳ねたさ。

 でも、私はそれをやった。……私は、生まれた時からあの主人と共に生きて来たからだ。兄弟も居たが、どれもこの仕事には合わなかった。

 私だけが慣れる事が出来た、主人の力になれた、そんな薄汚さもある優越感もあったが、それ以上にこの役割は、誇りを持てる。

 そう毎日村の人達が食える程の量を捌いている訳じゃないがな、祭りとかそういう時に、人も獣も私が切った肉を美味しそうに食べている所を見るとな、誇りが湧いて来る。

 この刀を血塗れにする価値がある。

 そう思った。

 それも、薄汚い優越感かもしれんが。結局、私は、こうして人と暮らし、互いに力になれる獣を殺す事を受け入れた。

 長く続けて来て、殺す事が日常になって、ほぼほぼ何も思わなくなったが、それでも私も、全てを完全に割り切れている訳じゃねえ。

 主人だってそうだろう。

 ああ、……そろそろ来たな。

 大丈夫か?

 何とかなる、か。そうだな、その程度で良い。

 エレザードがポカブに近付いて行ったら刀を抜け。

 分かってる。そうか。

 力んでるぞ。息を吸って、吐け。もう一度、ゆっくりと、吸って、吐くんだ。

 よし、抜けた。

 そら、痺れさせた。行け。

 ざっ、ざっ、ざっ、ざっ。

 時間無いぞ、でも急ぐなよ。

 おお、中々良い構えだ。そして、振り下ろす。

 最初にしては、うん、かなり上出来だな。

 さて、と。近付いてみると、ちゃんと首が切れている。骨もすっぱりと。でも、肉が潰れてるな。

 まあ、上出来上出来。

 どうだった? そんな顔するなよ。誰だってやってる事だ。やってない奴は、肉を食わなくて良い奴だ。それか、こういう事から目を背けてるだけの奴だ。

 お前は、やったんだ。目を背けていない。それは、偉い事だ。

 ほら、息を落ち着かせろ。吸って吐いて、吸って、吐いて。

 よし、段々落ち着いて来た。さて、これで終わりじゃない。刀を洗わないとな。洗わないと血がこびりついて、切れ味も悪くなる。

 ほら、若いんだから、動け。動いている内に気も少しずつ解れる。

 動く気にならない?

 そうか。でもな、そうするとな、記憶がこびりつくんだ。悪い方向にな。

 夢を見るんだ。切った首がぐるり、と動いて、俺の顔にじりじりと近付いて来る夢だ。血をどばどば流しながら、どう見ても頭にある以上の血が地面に溜まって行って、真っ赤に染め上げて行って。そして俺は動けない。

 首も動かせなくて、ただ只管に、時間を掛けて、じりじりと、な。足が血に浸されて。ぴちゃぴちゃと音が鳴って。びくびくと震えながら、白目を剥いたまま俺を睨み付けるようにしたり。

 そして、目の前まで来て、口をぱっかりと開けて、ピギィィィィィィィイイイイイイイイイって、叫ぶんだ。

 ほら、そうなりたくなかったら、空でも見て、……。リザードン。

 あ、手に持ってるの、俺はもう見えないが、まあ、ポカブだろう?

 やっぱりか。

 追い掛けていく。

 私はもう、戦える身じゃないからな、結構悔しい。でも、あれは……アレとは別物だな……。

 アレ? まあ、近い内に話してやるよ。



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5.

ペルソナ5及びにドラクエ11三昧してました。
グレイトドラゴン種は格好良いなーやっぱり。


 強い殺気を感じる。強くて、そして静かな殺気だった。

 私に対して向けられたそれは、狩人としては失格だった。後ろを軽く振り返る。骨鳥……バルジーナの上に立ち、大きな弓を構えた人間。

 狩人と言うよりは、趣味人だった。

 集中が分かる。狙いが分かる。いつ、どのタイミングで矢を放ってくるであろう事が分かる。

 放たれたタイミングで宙返りをすれば、矢は私の下を飛んでいった。

 泣き叫ぶ子豚の首に爪を突き刺し、黙らせた。血が私の手に滴る。

 私は死なない程度の炎を吐いて、人間を追っ払った。

 

*****

 

 やや焼け焦げた姿で、弓も失って、追っていった男が帰って来た。

 バルジーナから降りて、互いに手当てをしながら、「俺には無理だ」と最初に呟いた。

「相手にもされなかった。……矢を避けられたんだ。俺の殺気を感じられているような、頭の中さえも読まれているような……。

 それから殺すつもりも無い炎を吐かれて、それで俺も相棒もぼろぼろだ。……悔しいが、俺達じゃ敵いそうにない」

 後は黙ってしまった。

 ……。どうするべきか、俺はすぐに決められなかった。

 男は弓の名手だった。バルジーナの背からでも、安定した姿勢で狙った獲物は外さない。祭りでは数多の風船をバルジーナの曲芸飛行の最中に次々と撃ち壊していた。

 鳥を撃ち落とす事も良くやっていた。人と獣、そのコンビの強さとしては、この村の方でもかなり強い方だった。

 そして、一番強いコンビも特別強い訳ではない。村外から専門職を雇うのも、あのリザードン相手となると、かなりの金を支払わないと敵う者はやって来ないだろう。

 夜になり、人が去っていく。空っぽの農場。小屋の中から落ち着きの無いざわめきが感じられる。

 考えても、その金を支払わなければいけないのだろうとしか、良い案が見当たらなかった。

 

 次の日、見張りは居なくなった。

 ドサイドンを連れた初老の男性も。

「矢を避けられるのでは、岩石砲も当たらんよ。それに、刀を持った私が近付く事も許さないだろう」

 そう、言われた。

 ポカブの怯えは伝染していた。見張りが居ない事にリザードンが気づいたらどうするだろう。

 調子に乗る、とは余り考えられなかったが、それも無くは無いとも思った。

 気休め程度に自分とエレザードで見張りをするが、来られても成す術は無い。

「なあ、エレザード。

 お前、強くなりたいか?」

 何となく、聞いてみた。エレザードは、頷きも、否定もしなかった。

「俺もだ」

 あんな戦士のようにまで強くなろうとは、俺もエレザードも思わない。思ったとしても、なれるとも限らない。

 あの夜に見たリザードンの姿は、強く印象に残っていた。

 肉体と、そしてサザンドラの骨を見ていたその、複雑な決意の目。

 その話に聞いた中のサザンドラが本当に親だったとしたら、その目には納得が行った。

 "俺は、お前のような馬鹿にはならない。賢く奪ってやる。"

 俺のその想像する決意は、きっと合っている。そう思える。

 はぁ、と息を吐く。

 本当に、もっと良い決意は無かったのか。

 正直、殺したくない気持ちもある。賢くて、強くて、悪い奴では無いという事はあの夜の内に分かっている。

 けれども、敵対するというのならば、こちらも黙っている訳にはいかない。

 早いうちに専門職を呼ばなければいけない、か。今日中に手紙を出そう。

 内心嫌だなあ、と思いながらその決意を固め、手紙を書いて、出す。

 けれど、リザードンは来なかった。

 次の日も、その次の日も。

 

 四日後。

 腕の良いドラゴン使いが来るという手紙が来た日。

 ダイケンキとも一緒に一応見張りをしている最中。リザードンが来た。

 着地し、リザードンは、その老いたダイケンキを見て、止まった。

 ダイケンキが脚刀を一本だけ抜き出し、立ち上がった。

「……戦える力、お前もう無いだろ」

 そう諌めたが、ダイケンキはリザードンを見据えたまま、しっかりと立っていた。

 張り詰めた緊張が漂っていた。エレザードが臨戦態勢に入るのを抑えて、やや距離を取った。リザードンとダイケンキの間には俺達を除いた何かがあった。

 そして、このダイケンキは、現役時代、この村でも最も強い方だった。

 力が残っているのかどうかは分からない。それでも戦うとするならば、その脚刀の間合いには入ってはいけない。

 下手すれば、胴体がちょん切れる。

 ただ、リザードンから、敵意は感じられなかった。警戒はしているが、敵意は無い。

 サザンドラの骨を見ていた時と同じように思えた。ただ、その目に決意めいた何かは無かった。

 ダイケンキが後ろ脚で立ったまま、ゆっくりと距離を詰めていった。

 リザードンは警戒を強めたが、戦おうとする気は相変わらず見えない。

 ……まさか、リザードンは、あのサザンドラを最終的に殺したのがこのダイケンキだと知っているのだろうか。

 ダイケンキは、ある程度まで距離を詰めたところで、脚刀を地面に突き刺して立ち止った。

 そして、止まってしまった。

 

*****

 

 ――お前は、何だ?

 そう、聞くとリザードンは、少し考えてから言った。

 ――……あのサザンドラの、子供だ。

 私が想像している事、相棒の父親が言っていた事と、同じだった。

 ――やっぱり、そうだったか。

 ――分かって、いたのか。

 ――言ったら、怒るか? どこか、似ていたと。

 認めたくないような、苦い顔をした。

 ――……不快だ。

 ――……それで、その様子だと私があのサザンドラの首を落とした事も知っているんだろう?

 ――ダイケンキが首を落とした、とまでは知っていた。どのダイケンキが、までは知らなかった。……あんたがあいつを殺したのか。

 ――私だけで殺した訳ではないがね。……どうだ、このもう戦えもしない実物を見て。

 歯も抜け、人間の手助けが無ければもう、物も碌に食えないこの体だ。

 ――……いや、若かった頃は、私よりも強かったと分かる。老いても、貴方の目は、まだ死んでいない。肉体も、その強さの痕跡が残っている。

 ――あんたはまだ若いだろう。まだまだ強くなるさ。若い時の私よりも、あのサザンドラよりも。

 ――……そうだな。

 そうでなきゃ困る、とリザードンは小さく付け足した。

 リザードンの警戒が薄れていた。多分、父親であるあのサザンドラを殺した私と話したかったのだろう。

 後ろを見ると、相棒の息子とそのパートナーであるエレザードは、緊張しながらも手出ししようとは思っていないようだった。

 ――それで。何故、ここのポカブを襲う?

 ――……それを聞くなら、私からも聞かせてくれ。

 ――いいだろう。だが、あんたが先だ。ポカブを襲う理由を、私が聞いてからだ。

 ――…………分かった。……でも、貴方にも何となく想像付いているんじゃないか?

 ――あんたの口から聞きたいんだ。

 ――……。あのクソの痕跡が、どこに行ってもあるんだ。季節が十回、二十回以上も巡った今になっても。……私は、あのクソに犯されて正気を喪ったリザードから生まれたんだ。リザードンじゃなくて、リザードだ。体格の差なんて、酷いもんだ。……生まれて最初に目にした光景は、母が、先に生まれた兄を、泣きながら殺している姿だったよ。…………私は、あのクソの全てを否定したいんだ。あのクソから生まれてしまった、あのクソが母親を壊していなければ私は生まれなかったとしても。私の中にあのクソから遺伝した力が死ぬまであっても。だから、ここで馬鹿して人間に殺されたなら、私はここで賢く立ち回って、良い思いだけをしてやる。……そう、しなければいけなかった。

 しなければいけなかった。そう、リザードンは言った。

 このリザードンは、生まれた時からずっと、その父親の呪縛に苛まれている。

 ――それで、今度は私の質問だ。

 ――……。

 ――あのサザンドラを殺すまでの間、どう思っていた?

 ――殺すまでの間?

 ――ここに現れて、貴方が殺すまでの間、だ。

 ……。記憶を呼び覚ます事は、難しくはなかった。

 ――とんだ迷惑な奴が来た、と最初は思った。駆除が決まった時はさっさと殺したい衝動に駆られていた。あれ程自分が世界の中心に居ると勘違いしているような奴は、これまで生きて来て、アレ以外に知らない。そして、多大な被害を出しながらも何とか弱らせる事が出来て、そして殺す時は、とにかくウザくてしょうがなかった。死ぬと分かってギャンギャン泣き喚くあいつの姿を、もう見たくも無かった。泣き喚く声も、耳に入れたくなかった。……こんな所だな。

 リザードンは、それを聞いて黙った。

 リザードン自身がクソ扱いしていても、父親だからか、他者から酷く言われるのは何かあるのだろうか。

 黙ったままのリザードンに、続けた。

 ――これ以上ウチを荒らし続けるなら、こっちも本格的にあんたを駆除しに掛かる。それ専門の腕の立つ、あんたなんかよりも強いポケモンを多く引き連れた人間を呼んであんたを地の果てまで追い掛けて、殺しに掛かる。あの父親と同じ目に遭いたくなきゃ、もう、止めろ。あんたは父親とは違うだろう?

 リザードンは、黙ったままだった。

 …………。

 ――……私は、あのクソを越えなきゃいけないんだ。

 そう言って、翼を広げて去って行った。

 ……勝負するつもりか?

 ポカブを捕まえずに遠くへ去って行くその姿は、もう、止められそうになかった。

 相棒の息子は、あのリザードンの事を戦士、と称していたが、あれはそんなものじゃない。父親のせいで、選ぶ道がもう一つしか無くなってしまった、ただただ哀れな奴だ。それ以上でも、それ以下でも無い。

 



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6.

 獣同士の話、というのは人間には分からない。喋る獣は人間と共存するしないに関わらず確かに居る。ただ、共通して声もほぼ出さずに喋り、まだ原理も解明されていない。

 ダイケンキは確かにリザードンとあの時喋っていた。ただ、何を喋っていたのか、俺も誰も、知る事は出来なかった。

 その数日後、腕利きの鳥獣使いがやってきた。

 相棒となる獣は、乗って来た一匹だけ。

 ピジョットと言うらしき赤と黄の毛を頭から長く生やした鳥獣に乗ってやってきて、その鳥獣には宝石が付いた首輪が付いていた。

 また、本人もその宝石と良く似た宝石を嵌めた腕輪をしていた。

 それに目が行っている事に気付き、それが獣の力を人間との絆によって引き出すものだと説明された。

「ただ、石は良く分からない代物でね。似たような石が沢山あるが、それぞれ特定の獣しか強められない。

 更に、どちらかの力が不十分だったりすると、獣自身が暴走してしまう事もある」

「暴走、ですか?」

「文字通り、暴走さ。人が死んだ例だってある」

 怪訝な目で見ると、もう扱いなれているから安心しろ、と返された。

 

 専門のトレーナーが来た所で、リザードンが来なければやる事は無い。

 見張りも露骨に一人だけでしていれば、怪しまれるだろうという事で、見張りも立てない。しかしリザードンは来ないまま日は悪戯に過ぎて行った。

 暇ならその宝石の力を見せてくれと言ってみたが、人も獣も酷く疲れるから、と断られてしまった。

 ポカブ達はその間ずっと、サザンドラの骨の方、小屋から遠く離れた場所までは行こうとせず、そわそわと落ち着きが無いままだった。

 肉の味も、毎日のように殺して食べている自分達でしか分からない位ではあるが、落ちた。

 それでも、専門のトレーナーにソーセージを食べてもらうと、絶賛されたのだが。

「やっぱり、こういう田舎でちゃんと牧場で伸び伸びと育てられたポカブは、都会で食べるポカブとは全く違う。今まで食っていた肉が、無機質なものに思えて来てしまう程に」

「無機質?」

「色んな依頼を片付けて、色んな場所に行ってきた身でもまだ、上手く言い表せないのだが……この肉は、生きている、と感じられるという感じか……」

 生きている、か。

 多分、それは育て方の違いなのだろう。

 都会でのポカブの育て方を俺は知らない。ただ、効率を求めたものになっているとは知っている。

 それが、肉質の違いにも響いているのだろう。

「都会だったらもっと高く売れるよ、この肉」

 褒めちぎられると、流石に抑えるべきだと思っても嬉しくなってしまう。

 やっている事は、ある種の才能が無いと出来ない、残酷な事なのにも関わらず。

 旨い肉を作る事、それは誇りと言われれば違う気がした。

 誇りと言うよりは……殺す以上、無駄にしてはいけないと言うような…………使命だ。

 フライパンの上で、皮が破れて中の脂が弾けたソーセージ。肉汁が染み出て来る前に、またトレーナーの前に置いた。

 パリっと音を立てて、トレーナーが沢山食べる。

 

 

*****

 

 気付けば、収穫祭のひと月前となっていた。

 七日間が過ぎても、リザードンは来なかった。流石にトレーナーも退屈し始めていて、そして雇っている日数だけ金が嵩んで行く。結構な分の金が。

 そんな事を言うと、流石に何もしてない日は半額でいいよと言われた。その代わりに肉たっぷりくれと言われたり。

 助かったは助かった。でも半額でも高い事には変わりはないのだが。

 

 収穫祭に向けて、一日に殺す量が増える。そして、卵で入って来る量も。

「何で人間だけ卵で生まれないんだろうな」

 卵は、別の場所で生産される。卵を産んでいるチャオブー、エンブオー達は、子供達が肉として消費されている事を、知らない。

 俺は、その問いに適当に返した。

「人間が特別優れているのか、それとも特別劣っているのか、そのどっちかだろうな」

「後者だったらどうする?」

「……別に優れていたって劣っていたって関係ないだろ」

「……そうか」

 卵を生産している方の人も、思う所はある。

 互いに、美味い物を食う為に、ちゃんとパートナーにさえなれる獣達を犠牲にしているのだ。

 割り切れてしまう才能は良い物なのかどうか、と言われれば正直余りそうだとは思えない。

 

 痺れさせ、首を落とし、血を抜いて、切り分け、加工する。

 父は加工所に掛かりきりで、俺は慎重に、慎重に、ポカブ達に気付かれないように、より多く殺す。

 牧場のポカブ達に殺している事が気付かれたら、終わりだ。

 若いダイケンキ達にも手伝って貰って、血の臭いを洗い流す。日が照って、その水が蒸発していく。

 いつもは一か所で足りるのだが、この時期になると二か所、三か所と別の場所を使わなければいけない。

 血の臭いを嗅ぎ取られないように、風向きも考えて、ポカブを連れて行くのも緊張する。

 最悪、血の臭いまでは気付かれて大丈夫ではある。牧場のポカブ達に気付かれてしまう事が、終わりに繋がる。

 気付いたポカブが逃げて、牧場のポカブ達が異変に気付く。痺れさせる所を見られる。

 その二つが無ければ、問題はない。だから最悪、他のポカブ達が見えなくなった直後に痺れさせ、その状態のまま奥まで引っ張っていき、殺すと言う手も無くはない。

 でもそうすると勿論、肉質は落ちる。収穫祭に出す肉は、最高の質でありたい。気付かれる危険を最小限までに抑えて、そして、その気付かないままの幸せの中で、殺す。

 今日の分が終わった後、吐いているダイケンキが居た。

 父のダイケンキ……吐いているダイケンキの親が近付き、様子を見守る。

 ……あれは、無理そうだな。

 この作業は、野生だった獣でさえも受け付けない事が多いのだ。無理も無い。

 

 後始末も終わり、加工所へ父を手伝いに行く前に、トレーナーがやってきた。

 青い顔をしていた。

「……見ていたんですか」

「興味を持ってしまってね……。でも、見るのは初めてだったんだ」

「面白いものでも無いでしょうに」

「……でも、何となく、都会の肉との違いが分かったよ」

「そうですか」

「ここのポカブ達は、死ぬ直前まで生きているんだ。出来るだけ、気付かせないようにしている」

「……そんなの、当たり前じゃないですか」

「…………。そうか」

 言ってから気付いた。多分、都会の近くで効率的に育てられているポカブ達は、殺される前からとうに気付いているのだ。気付いていながら、逃げられない環境に居るのだろう。きっと。

 それが、死ぬ直前まで生きている、の否定になる。

「都会の方じゃ、そうじゃないんだ」

 そう言って、青い顔のまま生気が失ったようにふらふらと戻って行った。

「…………いや、考えるのは止そう」

 都会への憧れは、元々そんなに持っている方では無かったが、それでも更に減った。

 

*****

 

 ……さて。お前に質問だ。

 お前はあそこで、何をしていた? いや、どうなる予定だった?

 …………。

 分からない、考えた事も無い、か。そうだよな。

 全く羨ましくないが、いや、ある意味羨ましい。私は、そんな馬鹿みたいに生きられていない。

 馬鹿とはなんだって? そりゃあ、馬鹿だよ、お前は大馬鹿だよ。

 お前は、あそこで育てられていた理由も知らずに生きていたんだからさ。

 理由? 分からないのか? お前、言っただろ自分で。それが正解だよ。それが。

 嘘? いや、嘘じゃない。

 思い当たるような顔しているじゃないか。

 お前、私に言ったよな? 進化してから、喋れるようになってから、私に聞いたよな?

 僕を何の為に連れ去ったの? 僕を食べる為に連れ去ったんじゃないの?(・・・・・・・・・・・・・・・・・) ってさ。

 それが紛れも無い正解だよ。

 あんたは、食べられる為に育てられていたんだ(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 まあ、私も一匹目は、最初に連れ去ったポカブは食ったよ。そりゃ美味かったさ(・・・・・・・・・)。人間達が態々育てる程だって分かったさ。

 …………。

 連れ去った理由?

 ああ、私がお前を連れ去った理由ね。私は、これからお前に聞く問いを、お前自身がどう答えるかを知りたかったんだ。

 ……お前は、これからどうしたい? お前は、これからどう生きていきたい?

 私は、それを聞く為に、お前を食べなかったんだ。




設定ミスというのは後から気付くものです(殺す場所屋内にすれば臭いが漏れる心配も無いよなあ)。


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7.

 誰がどうして生まれたのか、どうやって生きるのか。

 そんな事考えないで生きられる奴は幸せだよ。お前達だって、きっとあの場所に居たままならそうだったんじゃないか? 死ぬ直前まで、そんな事考えないで居られるんだからさ。

 ……。

 答えられないよな。こんな事知った後じゃな。

 私はな、私自身がどう生きていくべきなのか、分からなくなってしまったんだ。

 私の事はこの前話しただろう? 自分の事しか考えないクズが、成長しきっていない雌を犯して生まれた子供だと。

 私はな、そいつの、父親の全てを否定したかったんだ。でもな、この前気付いたんだ。

 そいつの全てを否定するって事は、そいつをより深くまで知るって事だ。そいつを忘れないように心に刻むって事だ。

 私は、その父親の呪縛から解き放たれたいのに、解き放たれようと足掻けば足掻くほど、逆に引きずり込まれているんじゃないか、と思ったんだ。

 でも、私はどうしたら良い? 私は、父親の呪縛から解き放たれる為に何をしたら良い?

 私にはまだ、分からない。忘れて生きる事なんて出来ない。そのクズの為に、私はどれだけ苦労してきたか。私の心にはもう、しっかりと刻まれてしまっているんだ。

 刻まれたまま、解放される事は可能なのか?

 やっぱり、私には、分からない。

 だから、私は他の誰かの生きざまを、進むべき方向を見ようと思ったんだ。

 お前のような運命を持った奴が、この先どうしたいか私が見る事で、何か掴めるんじゃないか、とね。

 ……。

 まあ、ゆっくり考えるといいさ。

 お前は(・・・)、私は食わない。

 

*****

 

 ことり、と目の前に皿が置かれた。

 分厚いハム。テカテカと光る脂身と、引き締まった赤身。流れ出るアツアツの肉汁。昼、吐いたと言うのに、美味しそうに見える。

 腹が鳴っている。何故だろう。

 何故、僕は、腹が鳴っているんだろう。

 ――食べないのか?

 隣で父さんが聞いて来た。身体の至る所に皺があって、髭にハリは無く、身体を支える筋肉さえも衰えている、僕の父さん。でも、その目はまだ、死んでいない。

 僕は、そんな父さんを見て、突拍子も無く浮かんで来た疑問を聞いた。

 ――生きるって何なの? ……人間と生きるって、どういう事なの?

 父さんは、少しの間、黙った。そして、言った。

 ――それは、多分それぞれによって違う。私と、お前でもな。でも、私にとって、野生ではなく、人間と生きる、という事は、無駄の為に生きる、という事だった。

 ――無駄の為?

 ――私は野生の暮らしをした訳じゃないがね、それでも何となく分かるんだ。野生の獣達は、生きる為に生きているんだと。生きている事こそが、生きる事を繋ぐ事こそが、そこへの過程全てが幸せなのだと。それを邪魔するもの全てが不幸なのだと。けれど、私達はそうじゃない。生きている事は、当たり前だ。

 ――当たり前。

 ――生きている事は、当然な事なんだ。争いなんてちっぽけもない、この町ではね。だからこそ、人間はそれ以外に物事に生きる価値を見出す。野生の獣達からしたら馬鹿らしいものに見出す事だって勿論たっぷりとある。

 僕は、目の前のハムに目を戻した。

 このハムも、それ以外の物事に当たるんだろうか。当たるんだろう。

 そうじゃなきゃ、僕は吐いたりしていない。

 ――人間と生きるって事は、その生き方に身を委ねる事だと、私は思う。だからこそ、野生の獣にとっては馬鹿らしい事でも、無駄に思えるような事にも、私自身が価値を見出せる事ならば、人間達が価値を見出す事ならば、それは十分、生きる意味になる。

 ……。

 ――僕自身が、それに意味を感じられれば、……幸せを感じられれば、それは生きるって事になるの?

 ――……誰しもがそうではないと思うが、私は、そう思う。

 ハムに齧り付いた。

 ……美味しい。とても、美味しい。

 幸せは、そこにある。

 ――でもね。忘れちゃいけない事がある。

 ――忘れちゃいけない事?

 ――この幸せは紛れも無く、人の手によって作られたとても多くの死の上にあるって事だ。

 …………。

 それでも、美味しいのだ。

 ――……父さんは、それに対してどう考えてるの?

 ――……結局、曖昧なままさ。命の重さなんて、誰にも決められる事じゃない。

 …………。

 人は、……いや、僕達は、人と、その人と一緒に暮らす僕達は、命の価値を、決めつけているように生きているんだろうか。

 それは、どういう事なんだろう。

 分からない。

 でも、人達は、僕達は、このポカブのハムを食べる皆は、ポカブの命を、立派に成長出来るその命を、食べ物として見ている。態々育てて、殺して。

 それは、どういう事なんだろう。

 命の重さなんて、誰にも決められる事じゃない。でも、人は、それを決めつけている。人と暮らす以上、僕達はその決めつけられた命の重さに従って生きる。

 だから、この美味しいハムが食べられる。

 考えれば、いつの間にか、堂々巡りになっている。

 結論が出るようなものじゃないのだと思った。

 ――食べるなら、熱い内だぞ。

 父さんが、言った。

 ――……うん。

 僕は、もう一口、小さく齧り付いた。

 やっぱり、美味しい。とても。

 ――父さんは、いっぱい、悩んだ?

 ――……いや。ほら、この前言っただろう? 私はお前より小さい頃から、進化する前からポカブを殺し続けて来たんだ。物心ついた時から、と言っても差し支えない。その位からずっとやって、体が何度も血だらけになったり、沢山の悪夢を見たり、それでも必死こいて主人の役に立とうとしている内に、悩むような余裕が出来る頃には慣れてしまっていたんだ。

 ――……そう。

 ――でもな、私はお前じゃない。悩むか悩まないか、それも自由だ。

 ――……分かった。

 結論が出ないとしても、悩む事に価値はあるんだろうか。

 僕は、もう一口、食べた。

 

*****

 

 なかのいい友だちだって、たくさんいたんだ。

 いっしょにすなあそびしたり。いっしょに追いかけっこしたり。いっしょにお昼ねしたり。いっしょにご飯を食べたり。いっしょにねて、いっしょにけんかして、いっしょになか直りして、またいっしょにご飯を食べて。

 それい外の事なんて、何も考えなかった。

 それで、ぼくはとても幸せだったんだ。

 ニンゲンはご飯をくれる。ぼくたちをねらう何かがいれば、それを追いはらってくれる。

 たまに、ニンゲンは大きくなった友だちをつれていくけど、それはみんな、大きくなったらべつのばしょに行くんだ、って思ってた。もっと、いい、べつのばしょに。

 でも、その大きくなった友だちがつれて行かれたあとに、たまに、へんなにおいがする時があったんだ。

 ある時まで分からなかった。でも、ころんで足から血が出ちゃった時、それが分かったんだ。血のにおいだったんだ。

 でも、ぼくはそれとそれをすぐにはむすびつけなかった。

 ここに連れさられるまで。

 だって……だって……ぼくたちを食べるために育ててたなんて、そんな事なんて、思うはずないじゃないか!!

 友だちが連れて行かれたあと、みんな、ころされて、食べられてたなんて、そんな、そんな事、そんな!

 ああ、ああ!

 …………。

 それで、ぼくは、これからどうしたいかって?

 助けたいけど、むりに決まってる。ぼくは、あなたみたいに強くない。空を飛べないし、足もおそい。力はちょっと強くなったけど、それでもみんなを助けられるほど強くないし、あのがんじょうな小屋をこわせるわけでもない。

 ぼくが、これからどうしたいかって?

 どうしたいかなんて決まってる。でも、何が出来るかも決まってる。

 ここで、生きるしか出来ないよ。ぼくは。

 何もかもをあきらめて。

 うう。うう……。

 …………。

 …………え?

 今、何て言ったの?

 ……本当に? 本当に!?



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8.

 ――お前、は……。

 初めて会った時に向けられた目は、驚きと、憎しみと、怒りと、若干の怯え。そんなものが入り混じった目だった。

 ――俺が、どうかしたのか?

 そんな目を向けられる理由としては一つしか思い浮かばなかったが、敢えてそう言ってみた。

 鍛えられた肉体。尻尾の炎は激しく燃え盛っていた。

 ――……まだ成長してもないリザードを、犯した事はあるか?

 ――無いよ。

 ――……本当か?

 ――それをやるとしたら、俺の死んだ父親位だ。

 ――…………死んだ?

 ――ああ。もう、死んでるよ。とっくの昔に。もう、20年位は経つかな……。

 ――……にじゅう、ねん? そんなに?

 ――お前は、何だ? そのリザードの娘だったりするのか?

 ――……そうだ。

 ――なら、俺とお前は兄妹って事になるな。

 ――…………え?

 その顔は、正にマメパトが豆鉄砲を食らったようだった。

 

 ――命乞いをするように、そいつは泣いた。赤子のように、ただただ無知のまま。けれど、人間は、獣達は容赦なかった。腕でもある口が抑えられ、暴れる翼と尾も、小さな足もしっかりと抑えられて、目の前では水の獣が前脚からするりと自らの身体から作られた刃を抜いた。

 太く長いその刃の鋭さは、そいつを怯えさせるには十分だった。

 そいつは、力の限りに叫んだ。

 訳が分からないというように。ずっと、ずっと、自分の為だけに生きて来たそいつには、何故自分が殺されなければいけないのかすらも分からなかった。

 叫び、叫び、しかし、何事も起こらないまま、水の獣はその首を断ち切った。

 首を離されたその体は、暫くびくびくと動き、そして動かなくなった。

 それが、俺の、そして、お前の、父親だ。

 俺は、それを、遠くから見ていたんだ。

 進化したばかりの体で。その進化を、まだ見た事の無い父親に自慢したくて。

 ……。父親が酷い奴だって事はまあ、分かってたんだけどさ、それでも俺の母親はそっちのリザードみたいに、成長してない体で犯された訳でもない。無理矢理とは言え、俺の母親は半ばそれを受け入れて、犯された。

 酷い奴だって事は分かっていたんだけれど、俺にとってはまだ、父親だったんだ。

 荒らされた光景を何度見ても、その痕跡を辿っている最中に同じサザンドラの姿に酷く怯える獣達を見ても、それでも父親には一度会っておきたかったんだ。

 そして、やっと見つけたと思ったら、殺されている最中の姿だった。

 ……酷い奴だ、という認識と、それでもそいつは父親だっていう認識がせめぎ合っている内に首も落とされて。

 何か良く分からない内に俺のサザンドラとしての、生は始まった。

 ……良く分からないって言うのは、その通りだよ。俺は、父親に会ってどうしたかったのか結局分からないままなんだ。進化したな、と褒めて貰える事なんてあり得ない事位分かってたし、会ったところでそもそも話が出来るとも思えなかった。それでも会いたかったんだ。目と目を合わせて、何かをしたかったんだ。

 その何かが分からない内に、人間達を敵に回して、首を落とされて死んでしまった。

 恨みとかも湧いて来なかった。そうなるべきだとも、会いたいと思っていた時から心底では分かっていたし。

 でも、残されたこの感情をどうしたら良いか、未だに俺は知らない。ただただ放置したまま、俺は今まで生きている。

 

 リザードンは、母違いの妹は、暫く黙ってから聞いて来た。

 ――苦しくなったり、しないの?

 ――俺は、その感情を、疑問を、放置出来たんだ。

 妹よ。お前程、俺のその感情は、重くなかったんだ。その言葉を飲み込んで。

 …………。

 黙る時間が、互いに長かった。

 同じ父親から生まれた兄妹だ。同じクズから生まれた兄と妹だ。

 でも、その生きて来た過程は、そのクズから受け継いでしまった負の遺産は、妹の方がずっと大きかった。

 妹は、それを抱え込んだまま生きていた。

 ――……もう、夜だ。俺の住処へ来ないか? ゆっくり寝よう。

 ――……うん。

 少なくとも、俺と出会って少しは楽になったのだろうか。

 

 住処にしている洞穴に戻って、互いに近くで体を丸めた。

 リザードンは、妹は、その燃え盛る尻尾の炎を丸めた身体の中に埋めていた。

 ――熱くないのか?

 ――加減はある程度調節出来る。

 ――ならいい。

 目を閉じて暫く、ぽつ、ぽつ、とリザードンが独り言のように話し始めた。

 ――私の母は……生まれてすぐ逃げた私を、追っては来なかった。笑って、泣いて、その場で立ち尽くしているだけだった。そこから少しして、その母の知り合いに助けられて。

 ――訳が分からないまま成長して、言葉を使えるようになって最初に知った事実が、自分の父親があのクズだと言う事で、元々母と愛し合っていた雄のリザードはそのサザンドラに殺された事で。私はもう、そこに居られなくなった。私を除いた全ての兄妹を殺して、壊れてしまった母はもう、成長した私を見ても何とも思わなかった。誰を見ても、同じような鈍い反応が返って来るだけだった。

 ――私は……私は……どうして生まれて来たの? 私は……私は……そもそも、幸せになっていいの? それに……勘のいいような奴は、私を見て、あのサザンドラの幻影を見るんだ。怯えて逃げて行くんだ。私の背後には、父親がずっと、まとわりついてるんだ。……私は、ずっと、こんなまま生きていかなきゃいけないの? この幻影を振り解くには、どうしたらいいの?

 弱さが、我慢が、一気に漏れ出して来ていた。

 次第に、ひっぐ、ひっぐ、と泣く声が聞こえて来た。

 体を寄せると、抱かれた。抱き締められて、涙が頭に掛かって来た。

 泣き疲れて、寝る頃には朝が近かった。

 強く後ろから抱き付かれたまま、その妹の鋭い爪が、体に食い込んで血が少し垂れていた。

 そんな事にも気付かないまま、すやすやと寝ていた。

 動こうとは、思わなかった。

 

*****

 

 それから暫くして、今、俺は、この牧場に居る。

 俺と妹の父親が惨めに死んだ牧場に。

 ――手伝ってほしい事がある。

 そう言って来た妹の隣には、俺に怯えるチャオブーが居た。

 ――そのチャオブー……。

 ――こいつに協力してやってくれ。

 聞いた時には驚いた。最初に盗って来た時には食っていたのに。

 

 生き方が分からないから、誰かの生き方を参考にしたい。

 妹の動機は、単純に言えばそれだ。

 家畜として育てられ、それに気付かされたチャオブー。妹が連れ去って食わずに真相を話した。

 そこからどうしたいか、聞きたいが為に。更に、そのどうしたいか、が出来ないと言われたら、手伝ってやるとまで言った。

 ……疑問はある。誰かの生き方は、自分の生き方の参考に出来るのか?

 ふと浮かんだそれは、俺には何にせよ、分かる事はないだろう。生き方になんて悩んだ事が無い俺には。

 妹は、チャオブーに稽古さえもつけた。

 あくまで、ポカブ達を助けるのはチャオブーのやるべき事で、俺と妹は、陽動に徹する。

 ……俺には、妹の悩みの大きさしか分からない。その中身の重さは分からない。

 この事が、妹の助けになるのか、否か、俺には分からない。けれど、助けになる可能性があるのならば、やるべきだと思った。

 このリザードンは、生まれてからずっとずっと辛い思いをしてきたこのリザードンは、俺の妹なのだ。

 俺は、息を吸った。ゆっくり、体の隅々にまで力を溜め込むように。

 そして、口を閉じ、数瞬の溜めの後、口を開く。

 溜めた力を、一点に集中させ、口の前に光を作っていく。凝縮され、圧縮され、内側で暴れまくる限りなく明るい光を。

 そして、前方に解き放った。

 闇夜の中、破壊光線が、眩い光を散らしながら牧場の真中に飛んで行く。

 地面に直撃したそれは、激しい爆発を引き起こした。




ポケモンストーリーフェスというポケモン二次創作のコンペに作品2つ書いてたからこっち疎かになった。
そろそろ投票期間だから、もし良かったら色々読んで投票してみてね。


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9.

 一気に目が覚めた。激しい爆発音。震えるガラス。窓の向こうには、ちりちりと燃え始める牧場の草地と、その炎で見えるどでかいクレーター。

「何だ!?」

 寝巻のまま階段を駆け下り、エレザードを呼ぶ。短槍を持ち、外に出た。

 月明かりだけの夜。町では火が焚かれ始めていた。

 何が居る、誰が居る? リザードン? そんな訳ないだろう。あいつが訳も無くこんな事をするとは思えない。

 その時、眩い光が新たに視界に入った。

 次第に縮んで行くその光は、更に輝きを増していく。その光の正体は、サザンドラだった。

「サザンドラ……?」

 出て来た父と祖父も、唖然としていた。

 何故? どうしてこんな時間に? 何をしに?

 その全てが分からない。光が、飛んで来た。唖然としている俺達家族の、その隣に。

 爆発して、耳がイカれそうになる。体が思わず吹き飛びそうだった。着弾した場所は、耳がイカれない、体が吹き飛ばない、けれど、絶妙に恐怖を感じる、そんな場所だった。

「おかしい……」

 父が呟いた。俺も、祖父も、そう思った。

 サザンドラは、狙ってこの場所に破壊光線を撃った。外した訳じゃない。

 その時、空から人がやって来た。ピジョットに乗った鳥獣使いだ。

「リザードンじゃないな?」

「驚いてます……。でも、リザードン同様に、恨みを買わないようにしている節があります。

 そうじゃなきゃ、俺達はもう、死んでいる」

 隣のクレーターを見て、俺はそう言った。

「何か目的があるな」

「そう思います」

「リザードンもこの近くに来ていると想定して良いだろう」

「……まさか」

 小屋、豚舎を狙っている? 頑丈に作ってあるとは言え、獣の強力な技に耐えられるようにまで耐えられるようには出来てない。壊されるとしたら、時間の問題だ。

 ……いや、だったら。どうして、あのサザンドラが豚舎を破壊しないんだ? あの破壊光線を一発当てれば、豚舎なんて弾け飛ぶ。

 くそ、分からない。

 鳥獣使いが口を挟んだ。

「問題は、俺は、獣をこいつしか持っていないって事だ。対象は一体、そう聞いていたから、俺が寄越されたし、この状況は俺も想定していない。

 どうする? これは俺が決めるより、雇い主であるあんたらが決める事だろう」

 父と祖父と、話し合った。父も祖父も、戦える獣を持っていない。祖父はもう、自分の相棒とも死に別れ、新たに組む事をしていない。父の相棒は、死にゆく間際だ。新たな相棒はまだ、作っていない。

 そして俺のエレザードは、そう強くない。俺自身も。

 それでも、俺達家族は、決めなければいけなかった。

「……サザンドラの対処を、お願いします」

 サザンドラのしている事は、陽動、そして、豚舎へ行かせない事だろう。何をするにせよ、サザンドラを抑えなければ、俺は何も出来ない。

「分かった」

 そう言って、ピジョットに乗って、鳥獣使いは空へ飛んで行った。宙で光に包まれ、その次の瞬間、ピジョットの姿が変化していた。

「あれがメガシンカ……」

 一際大きくなり、体色の変化、トサカが変貌。羽ばたきによる強烈な風が、ここまで届いて来る。

 サザンドラが再度、破壊光線を放った。それは、メガピジョットのすぐ脇をすり抜けて行った。脅しは、もう意味を為していなかった。

 ……驚いている暇はない。

 俺も、行かなければ。

 リザードンは一体、何をしようとしているんだ?

 とにかく、それを知らなければ何も始まらない。

 

 松明も持たずに、ひっそりと豚舎に近付いて行く。リザードンの尻尾の炎は見えない。

 ただ、音は聞こえて来た。ドン、ドン、壁を強く叩く音だ。

 豚舎狙いである事は間違いない。ただ、どうしてサザンドラの破壊光線で壊そうとしないのか、それが分からない。

 ……。

 サザンドラとピジョットの方を見た。

 三つの口から放たれる火炎放射を高速移動で躱し、そしてその翼から象られる暴風が、サザンドラを包み込んだ。

 鳥獣使いが言っていた事を思い出す。

「メガシンカするとこいつは、一切の攻撃を躱せなくなり、そしてこちらの攻撃が全て当たるようになる。

 とにかく、敵に一直線になっちまう訳だ。

 それを、俺がサポートする。上に乗って、俺が敵の動きを読んで、こいつの体に直接指示する。そうすれば、こいつは敵の攻撃を躱し、そしてこちら側からは一方的に攻撃を当てられるようになる」

 それが、単純に実行されていた。命懸けでなければ出来ない事を、淡々と。

 聞いた時から違う生物だ、と何となく思った。あんな、専門家とは俺は全く違う。

 顔を前に戻す。相変わらず、リザードンの尻尾の炎は見えない。そして、叩いている音は相変わらず聞こえる。

 かなり強い音だ。中のポカブ達の悲鳴も聞こえる。

 サザンドラは、リザードンの仲間だろう。だとしたら、リザードン以外にも仲間が居る? だとしても、おかしい。豚舎を破壊する事そのものは、一番の目的じゃない?

 だったら、何だ。

 訳が分からない。

 豚舎にこっそり、こっそり近付いて行く。月明かりだけの中、段々と叩いている誰かの輪郭が見えて来た。

「……チャオブー?」

 何故、ここに。

 リザードンが、生かしていた? それ以外に余り考えられない。野生のポカブはここ辺りに居ないし、脱走した形跡も無い。

 だとしても、チャオブーに助けさせる事に何の意味があるんだ。何もかも、分からない。

 

 豚舎まで辿り着いた。壁に張り付き、槍を握り直す。ポカブ達の悲鳴が、耳を支配している。角の向こうで、チャオブーが、ポカブ達を助けようと壁を壊そうとしている。

 手に、短槍に汗が滲んでいた。狩りをした事は、一応ある。一応だ。この手で、屠殺でなく、単純に獣を殺した事は、一応ある。その程度だ。

 面と向かって戦闘なんてほぼした事ない。槍術も、一応身に付けている程度だ。

 でも、こっちにはエレザードも居る。電撃が使える。それなら、問題はない。問題はない。

 暴れたポカブとそんなに変わらない。四つ足じゃないから、動きも鈍いはずだ。大丈夫、大丈夫だ。チャオブーを止めるのには、何の問題も無い。

 ぎゅっ、と短槍を握り直した時、後ろから唐突に押された。

「えっ?」

 後ろには、いつの間にかリザードンが居た。片手にエレザードの首を握っていた。エレザードは気を失っていた。

 ポカブ達の悲鳴のせいで、全く気付けなかった。

 俺は、チャオブーの目の前に出された。

 

 チャオブーは、俺を恨みの籠った目で見て来た。壁を叩く音は、失せた。

 俺の腰位までしかないその高さで。格闘の気が入り、筋肉質になったその体で、俺に敵意を向けて来た。

 リザードンの羽ばたきの音が聞こえて、屋根に座ったのが見えた。エレザードも掴んだまま。

 チャオブーがリザードンを見る。何かしら会話らしきものをしたらしいが、どうやら、リザードンは手出しはしないようだった。

 戦わせる事が目的だった? どうして、何故。

 ただ、そんな事を考えている余裕はなかった。心臓が高鳴っている。

 虚勢を張るように、俺は言った。

「殺してみろよ。助けたかったらな」

 そんな事を言おうとも、緊張は収まらない。心臓は静まらない。でも、腹を括った。殺さなければいけない。俺の為に。俺達家族の為に。

 そして俺は、悪役だ。紛れも無く、チャオブーから見たら、悪役だ。

 利益の為に相棒にもなれる獣を、育てて殺して食べている。そんな事をしている以上、それで飯を食っている以上、こうなる可能性だってちゃんと分かっていたはずだ。

 短槍を一回しし、腰を落として、構えた。

 チャオブーが息を吸いこんだ。俺は、走った。



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10.

 走る俺に対し、チャオブーは迎え撃とうとか動かなかった。顔面に向けて槍を突き出し、後ろに跳んで躱される。二度、三度と槍を突き出すものの、後退して全て避けられた。

「どうした? 助けたくないのか?」

 半ば勝手に口から言葉が出て来る。余裕から出て来る言葉ではなく、緊張から出て来る言葉だった。

 追い打ちを仕掛けようと、足を更に前に出す。

「ごほっ」

 その時、咳が唐突に出た。急に息が苦しくなってきていた。

 ……スモッグだ。

 足が止まったのを見て、チャオブーが体に炎を纏って突進して来た。ニトロチャージ、槍を構え直す時間はあった。

 けれどチャオブーはそのまま突っ込んで来た。突き出した槍は、腕で受け止められた。

 ……妙に硬かった。チャオブーは突進して来たというのに、骨にまで突き刺さった感触が全く無かった。

 そのまま槍を払われ、体が前につんのめった。槍の感覚は、肉が少し切れただけだった。

 チャオブーは、俺の懐に潜り込んだ。咄嗟に片腕で胸を守った。

 飛び出した肉弾が、その片腕に容赦なくぶつかった。

 ぼきり、と音がした。

「っあっ、ぐっ」

 弾けるような痛み、着地したチャオブー。

 歯を食いしばった。死にたくない。殺されたくない。

 折れていない方の腕で握り締めたままの短槍で、チャオブーを殴りつけた。けれど怯まなかった。俺の腿が突っ張られた。みしぃ、と骨が軋む。俺がもう一度槍で殴りつける前に、更に、腿を殴られて、足が折れた感覚がした。

 膝を付く、眼前にチャオブーの顔がある。加えて殴ろうとするそのチャオブーの蹄に、何か物が挟まっているのが見えた。

 それは、見た事があるものだった。そして、さっきの違和感でそれの正体が、分かった。顔面に向けられた蹄を何とか避けた。その蹄に挟まっている物を、短い槍で弾いた。

「進化の輝石……」

 片腕と片足が折れた。酷く痛い。それも、一番最初、チャオブーが妙に硬かったのが原因だ。

 妙に硬かったのは、この石のせいだ。

 進化前の獣が持つと、何故か硬くなる石。焦ったチャオブーの腹に、槍を突き刺した。

 

 深くは、突き刺さらなかった。けれど、反撃に殴られたその力はとても弱っていた。

 槍が抜けた腹から血がだらだらと流れ出す。チャオブーも膝を付いた。そして、びくびくと震えはじめた。

 ……? 毒なんて塗ってない。

 嫌な予感がした。心臓が竦み上がった。

 ……リザードンは、戦いそのものに手を出さなかったとしても、チャオブーがここまで来れるようなお膳立てはしたはずだ。

 その目的なんて分からないが、ポカブからチャオブーに進化もしていた。

 進化の輝石なんてものも与えていた。

 けれど、そこで終わりじゃなかったとしたら。 チャオブーの進化形のエンブオー……その顎髭は常に燃え続けていて、非常に目立つ。わざと進化してなかっただけだったら。

 槍をもう一度突き刺そうとして、その槍を掴まれた。強い力で引っ張られ、奪われた。

「あ、あ……」

 まだ、助けは来ない。祖父や父が村の人達を連れて来るよう言っていたのに、まだ。まだ。

 めきめきと大きくなるその姿。突き刺した腕と腹の傷はみるみる小さくなった。膝をついている俺と同じ大きさだったのに、一気に倍以上に大きくなった。

 足と腕は、人間ではとても太刀打ち出来ない太さになった。

 エンブオーは、槍を折って投げ捨てた。

 燃え盛る顎髭に照らされたその顔は、俺への憎しみで満ち溢れていた。拳が握られて、頭が真っ白になった。

 けれど、いつまで経っても俺の意識はまだ、あった。

 

 ――何故止める! 殺させろ!

 ――駄目だ。

 リザードンは、その拳を止めていた。

 ――どうして!

 ――人間を殺すって事は、それ以上の報復が待ち受けているからだ。

 口が詰まったエンブオーに、リザードンは続けた。

 ――それに、もう時間が無いぞ。そろそろ他の人間達が来る頃だ。

 ――……。

 エンブオーは、渋々と言ったように、また壁を壊し始めた。

 強くなった肉体では、壁はそんな苦労せずに壊れ始めた。みしみし、と音を立て始め、支柱が裂ける音がし、そして、壁が壊れた。

 エンブオーは叫んだ。

 ――助けに来たよ、みんな!

 中は、狂乱している、ポカブ達だけだった。

 ――みんな……? みんな、僕だよ! 助けに来たよ! 助けに来たってば!

 けれど、その言葉に誰も、反応しなかった。ただ、その壁を破って来たエンブオーに怯えて、中には狂ってしまったポカブもいた。

 ――どうして……? どうして! みんな、逃げてよ! ここに居たらみんな食べられちゃうんだ! だから! みんな、逃げようよ! はやく、ねえ、外に出れるんだよ! ねえったら!

 必死に話しかけても、誰も耳を貸そうとしない。そもそも、ポカブ達は言葉を解せなかった。エンブオーがそれに気付いた時、リザードンが破れた壁の後ろで、言った。

 ――人間達がもうすぐ近くまで来てる。逃げないとマズい。

 エンブオーは、それを聞いて震えはじめた。

 ――う、う、う……。ああ、ああ! なんで、どうして! あああああああ! ああああああああっ! ああああアアアアッ!

 エンブオーは叫んだ。豚舎さえもが震えるほどに。

 そして、止まった。

 リザードンがその腕に触れようとして、エンブオーはそれを思い切り払った。

 ――どうして、どうして……。

 涙を流しながら、エンブオーは、狂ったように腕を振り回し始めた。すぐ側に居た、リザードンに向って。

 ――おい……。

 リザードンの呼びかけは、通じなかった。滅茶苦茶に振るわれる拳、そして炎も吐こうとしていた。

 リザードンの後ろには、動けない男が居た。

 ――…………。

 エンブオーは、止めようとしなかった。リザードンの頭に、一発、拳が入った。二発、三発。

 それでも、エンブオーは止めようとしなかった。

 ――…………。

 リザードンは身を翻した。尻尾の炎がエンブオーの目の前を通り過ぎる。

 びくっ、とエンブオーは一瞬、震えた。

 その次の瞬間、リザードンは回転した勢いで、爪をエンブオーの首に振り下ろしていた。

 血が、噴き出した。

 エンブオーは膝を付いて倒れ、そして呆気なく、動かなくなった。リザードンは力なく、座った。

 

 その後ろ姿は、とても悲し気だった。

 何をしたかったのか、それは結局分からないままにしても、リザードン自身、こんな結末を迎えるとは予想していなかったのだろう。

 項垂れて、尻尾の炎も小さくなっていた。

 そしてやっと、人がやってきた。

「おい、大丈夫か? ……そいつは!」

「…………大丈夫だ、こいつは人間には危害を加えない。

 とにかく、俺と、屋上で気絶してるエレザードだけ、運んでくれ。

 俺、今動けないんだ」

「あ、ああ。って、動けないって何があった」

「そこで死んでるエンブオーにやられたんだ、リザードンじゃない」

「そのリザードンが助けた、のか?」

「……何と言うかな、そうとも言えるし、そうとも言えない」

「なんだそれ」

 人が多くやって来ても、リザードンはそこから動かなかった。

 眠り粉を掛けられようとも、全く動かなかった。自暴自棄になっているように。

 倒れて、眠ったのを確認されてから、どうする? と聞かれる。

「……どうするか。

 そう言えば、サザンドラは?」

「あの鳥獣使いが抑え込んだよ。殺してはないみたいだが」

「そうか……。そうだな、こいつも殺さないでおいてくれ」

「……ああ、分かった」

 縛られて、俺とエレザードと一緒に、連れて行かれる。

 そして、壁の応急的な修復が始まろうとしていた。ポカブ達は、誰も外へは出なかった。誰も、逃げなかった。



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11.

 タブンネの癒しの波導でも、骨折となると中々治らなかった。しかも、折れたのは腿の骨だ。ひと月位は安静にしておいた方が良いだろうと言われた。

「何があったんだ?」

 父にそう聞かれるが、俺は、事実をそのまま説明するしか出来なかった。それが何を意味するのかは、獣同士でしか分からないだろう。

 エレザードは俺の上で丸まっている。リザードンに気絶させられた事すらも覚えていないようで、けれど何かに怯えるように目を閉じていた。

 鳥獣使いがそれからやってきた。

「サザンドラを倒したんですってね」

 そう言うと、ラッキーだった、というような安堵とも、不満とも言えるような顔をした。

「……俺達が戦いを挑んでも、殺意を向けて来なかった。あいつは、時間稼ぎに徹しようとしていた。

 そこを突けただけだ。

 本気で殺そうとしてきてたら、どうなったか分からない」

 そんな事言いながらも、鳥獣使いにもピジョットにも、傷は殆ど無かった。

「俺の仕事はこれで終わりかな?」

「……ええ、そうですね」

「あの二匹はどうするんだ?」

「……正直、分かりません。20年前のサザンドラとは全く違う。人間を分かっている。人間を殺していない。

 被害は、ポカブ数匹と、豚舎の壁と、俺の骨折だけ。

 捕えられたなら、殺すまでも無いかと思ってます。……それに、殺すのは勿体ないとも」

 あのチャオブー、エンブオーに殺されそうになったとは言え、それの原因がリザードンだとは言え、リザードン自身は人間には危害を加えようとは思っていなかったし、それをさせないように振る舞っていた。

「同感だ。

 でも、もし手が余るようだったらこちらで引き取ろう。良い竜使いを数人知ってる」

「……分かりました。ありがとうございます」

 そう言うと、去って行った。

 

*****

 

 色んな考えが頭の中をぐるぐると渦巻いていた。

 腕も足も口も縛られて、兄と一緒に暗い場所に閉じ込められた、その間、ずっと。

 兄が幾ら解こうとしても、全く解ける気配はなかった。私の爪も、完全に縛られてどこかの紐を切る事も出来無さそうだった。

 殴られた頭が、頬が、じんわりと痛かった。とても、重い痛みだった。

 私は、私は……。

 その時、がらがら、と目の前の扉が開いた。入って来たのは、数匹のダイケンキと、一人の男だった。エレザードを連れていた男をそのまま老いたようにしたような。父か、祖父といったところだろう。

 兄が怯えた。その前足に収められている脚刀に対してだろう。

 私は、未だに、自分の命すらもどうでも良くなっていた。

 老いたダイケンキが、脚刀を抜いた。老いていても、その脚刀は刃毀れ一つも無かった。

 それで、私の口を縛っていた紐を切った。怯える兄のも切った。

 ――……目的は、ある程度察しはつくが。一応聞く。何でこんな事した?

 私は答えた。

 ――家畜として生きて来て、真実を知ったポカブの生きる姿を見たかった。

 ――何故?

 ――そうすれば、私がどうするべきか、それが掴めるかと思ったから。

 ――それで、そのサザンドラは?

 ――私の、腹違いの兄。

 ――……そうか。

 口が自由になっただけで、手足は縛られたまま。そして、数匹のダイケンキが私達の周りを囲んでいた。脚刀もそれぞれ抜いていた。

 ――それで、どうしてエンブオーを殺したんだ? どうして、その後逃げなかったんだ? 聞くところによれば、その兄を助けようとも、逃げようともしなかったようじゃないか。

 兄は、それを聞いて驚いていた。

 ――……。エンブオーは、壁を破壊して、ポカブ達を助けようとしたんだけれど、でもポカブ達は壁を壊して入って来たエンブオーを見て怯えて、誰も逃げようとしなかった。エンブオーを、味方と誰も思わなかった。それに絶望して……エンブオーは自殺した。

 ――自殺? お前が殺したんじゃないのか?

 ――自殺だった。あれは。

 殴って来た。二度も、三度も。そして、私はもう、エンブオーが狂ってしまったと思った。

 そして、尻尾の炎で怯ませ、そのまま爪で首を切り裂いた。

 切り裂いた、その瞬間、エンブオーの顔が見えた。その顔は、その目は、狂っていなかった。

 悲し気で、悲し気で。

 純粋にただ、それだけだった。

 ――……なんか、分かっちゃった。生まれついた呪いは、ずっとまとわりつくんだと。忘れるとか、無視するとか、解消するとか、そういうのが出来なかったら、ずっとずっと、その呪いを背負って生きていかなきゃいけないんだと。その呪いに負けたら、もう、死ぬしかないんだと。…………嫌だなあ。

 ――……。

 ――私を、殺すの?

 ――……いや。どうやら、それは無い。

 ――そう。

 ――他人事みたいに言って。

 ダイケンキは、怒ったように言った。

 ――死んだら、終わりなんだ。何もかもが終わるんだ。その先に何が待っているかなんて、誰も知らない。死ぬっていうのは、永遠の暗闇に放り込まれるようなもんだ。ずっと、ずっとだ。入り口があっても出口は無い。戻る事も出来ない。そんな完全に真っ暗な、闇だ。そこに自分から入りに行くのか?

 ――完全な、闇……。

 ――ああ、そうか。お前は知らないな? その炎があるからか?

 ――なら、味わわせてやるよ。完全な闇をな。それでも死にたかったら、殺してやるよ。おい、サザンドラは別の所へ連れて行け。それで、目隠しと、口も耳もだ。

 目隠しがされて、耳をふさがれた。

 私はただ、それを黙って受け入れていた。

 目隠しをされる寸前、兄の顔が見えた。こんな私の身を心配そうに案じている顔だった。

 

*****

 

 動けないまま連れ出された。

 ――あんたが、あのダイケンキか。

 ――あの、というのはお前の父親を殺した、でいいのか?

 ――ああ。

 まじまじと見てみれば、もう生気も欠けているほどに、老いている。けれども、老いていても、衰えていない、そんな印象がある。

 ――恨みはあるか?

 ――無いね。妹のように俺は生きていない。……それで、俺と妹はこれからどうなるんだ?

 一番気になるのはそれだった。そもそも、負けるつもりなんて全く無かった。それなのに、あの鳥と人間に、訳の分からない内に抑えられてしまった。

 ――ま、高い可能性で、あのピジョットのようになるね。

 ピジョット……あの鳥の事だろう。確認すれば、その通りだった。

 ――あのピジョット、か……。あんなの見たことなかった。……まあ、ああいうのも悪くはないかな……。

 ――そういうものか?

 ――そういうもんさ。

 ――それで、こっちからも質問だ。お前もサザンドラ、お前の父親もサザンドラ、なのにどうしてああも違う? いや、お前の父親は、何だったんだ? どうしてあういう生き方をしてたんだ?

 ――単なる先祖返りだよ、あれは。

 元々、サザンドラという種族は、全部あんな生き方をしていた。誰もが好き勝手に全てを破壊しながら生きていた。けれど、獣と人間が結託して、反撃し始めて、一気に数が減って行った。

 生き残ったのは、賢かった、恐怖した、珍しかった気性の穏やかな、ほんの僅かなサザンドラだけ。今生きているサザンドラは全て、その僅かなサザンドラ達の子孫である。

 ――俺達の種族にだけ言い伝えられている、大昔の話さ。

 ――人間の中でも言い伝えられてないが、本当か?

 ――俺も聞いただけだ。本当かは知らない。でも、ああして実際に居たんだ。俺は信じている。

 ――……分かった。じゃあ、そろそろ、な。私ももう、とうに寝る時間を過ぎている。

 そう言って、俺の口はまた、縛られた。

 何も出来ないまま、連れて行かれる。殺される事は多分無いにせよ、全く何も出来ないというのは、恐怖だった。

 けれど、会話が終わり、俺も別の場所に連れて行かれる時に一番案じた事はやはり、妹の事だった。

 妹は……どうなるのだろう。俺は妹でもないし、妹の思っている事など、誰も分かる訳ではない。エンブオーが自殺した、とはどういう事だったのだろう。

 あいつは、呪いを解こうとして、もしかしたら新しい呪いを身に受けてしまったのかもしれない。

 そんなの……辛過ぎる。



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12.

 耳鳴りがする。何も音が聞こえない時に聞こえるアレだ。

 それ以外、何もない。尻尾は固定されて動かせない。目隠しをされて何も見えない。手足も動かせない。体を少し、捩れるだけ。

 ただ、それだけ。

 真っ暗だった。ただただ、真っ暗だった。

 死は、こんな感じなんだろうか。真っ暗。何も無い。いや、私はある。私は。私さえもが無くなるのが死だ、これは死ではない。

 私は、生きている。私は考えている。

 でも、それだけだ。こんな所で、拘束されている。

 ……あのダイケンキは、どうして私にこんな事をするのだろう。私は、死んでも良いと思っていた。ダイケンキはどうしてか、私を殺したくはなかったみたいだ。あの男を危険に晒したのに。ポカブを連れ去ったのに。色々と、人間にちょっかいを出したのに。人間にとって、私は悪なる存在なのに。どうして。

 …………あ、駄目だ。

 この暗闇の中で動けないと、何も出来ないと、思考を止めてしまうと、何か、駄目になる気がする。駄目だ。何か考えなきゃ、何か。とても怖い。

 エンブオー……私は結局、何をさせたのだろう。呪いが掛かっている事を自覚させて、そしてその呪いに打ち勝てるか見たかったのか。エンブオー……あれは、呪いに打ち勝てなかった。後ちょっとの所で。そして、死んだ。死んだ。私に殺させるように仕向けて、死んだ。

 あの目を、私は忘れる事は出来ないだろう。見てしまったあの目。ただただ、悲し気で、悲し気な、悲し気な目。絶望、恐怖、諦め、そんな先にあるような、虚ろな目。あのまま生きるより、死ぬ事を選んだ。エンブオー。

 兄に、生きている意味を聞いた事がある。そんな事、兄は考えたりしなかったようだった。享楽的に生きている兄。羨ましかった。私は、この呪いを背負ったまま生きたくなかった。あのクソの父親が荒らしたここら一帯から逃げる事は、出来なかった。忘れる事は出来なかった。

 私を殺そうとした母。壊れてしまった母。私に父親の面影を感じ、逃げる野生の獣達。私は……、私は……負けたくなかった。でも、勝つ方法が分からなかった。ずっと、ずっと、そして、今も。

 勝つ方法は、きっと、無いのだろうとも思う。忘れる事も出来ない。逃げる事も出来ない。その父親はもうとっくに死んでいる。

 多分、私はこれまで、いつか、この呪いに打ち勝てると思っていたのだろう。打ち勝てないと思ってしまった今、それを突きつけられてしまったような今、私は、もう本当に、呪いに負けてしまった。

 この呪いと一生付き合っていく覚悟なんて、出来ない。したくない。

 ああ……。…………。駄目だ、考えなきゃ、考えなきゃ。

 やだ、でも、死ぬのは、嫌だ。こんな真っ暗の中、消えたくない。

 嫌だ。消えたくない。……死にたくない。死にたくない。あんな死んでからも見せしめのような骨になるのは、嫌だ。死ぬなら、ちゃんと死にたい。何か、してから死にたい。私はまだ、何もしてない。

 何か、何か、何をしたいんだ、私は。ああ、そうだ。私は、何をしたいかなんて、呪いに打ち勝ちたい以外、何も考えて来なかった。私は、私は、他に、何かしたい事は、あるんだろうか。

 私は、何をしたい?

 私は。

 

*****

 

 獣同士の会話を聞く事は出来ない。どこかにそんな力を持つ人間が居るとも聞いた事があるが、俺はそんな特別な人間じゃない。特別な力なんて、何一つ持っちゃいない。獣の扱いだって良くない。

 ただの、一般市民だ。獣を家畜として扱えるという点だけが、取り得の。

 寝ていると、父とダイケンキがやってきた。

 ダイケンキは心なしか、怒っているように見えた。

「こいつが、リザードンとサザンドラと話してきた。あのリザードン、生きる気力を失くしているみたいでな、こいつが目も耳も塞いで体も縛って、暗い場所に一匹で閉じ込めた」

「……随分とした事を」

 それは、ポカブを泥棒しようとした人間や獣にやる罰だった。一日でも閉じ込めておけば、もう本当にげっそりとする程に、衰弱しきる。

 何もされない。何も出来ない。

 それによるストレスは、とてつもなく大きいものらしい。

「それで、サザンドラは別の場所でまあ、普通に監視している。

 ……リザードンに一番接していたのはお前だろう。お前にとってあいつは、どういう奴か分かるか?」

 そう、唐突に聞かれて、少し悩んだ。

 けれど、あの死んだサザンドラに対して執着をしている事、そして悩みも抱えている事は分かっている。

「賢い、とても賢い奴で、そして、それ故に、あの死んだサザンドラに対して強い悩みを抱え続けている」

 そこまで言って、その悩みを解消する為に、今回のような事を起こしたのだろうとも、何となく思った。

 ダイケンキは、俺の返答に対して、否定するような素振りは見せなかった。

「そうか。……ダイケンキは、リザードンを試しているんだと思う。

 あれをされても、死にたいかどうか。

 そうなのか?」

 ダイケンキは軽く頷いた。歯が抜け落ちても、体が皴々でも、肉体が衰えても挙動には一つ一つ、芯がある。きっと、死ぬまでそうなのだろう。

「それで、だ。

 その後、どうする?」

「もう、そのまま返す訳にもいかない、か」

 人的被害も物的被害も、意外なほど少ない。けれど、こうして色々と仕掛けてきたのだからそのまま黙って野に返す訳にもいかない。

「……やっぱり、その専門の竜使いに渡すしかない気がする。

 俺達家族、それにこの村の誰も、あの二匹を抑え込めはしない」

 ダイケンキは、俺の事をじっと見ていた。

「……嫌なのか?」

 ダイケンキは、反応しなかった。俺の事をじっと見たまま。

 ただ、それは肯定と大体同じだった。

 その時、父がおもむろに口を開いた。

「……俺達は(・・・)そうするしかないんだ」

 ダイケンキが、父の方を向いた。

「……小さい頃から、長い付き合いだったな、お前とは。けれど、お前があの二匹に対してどう思ってるか、長く深く付き合って来た俺でも分からないし、そしてお前にとって、それ以上の最善があるのかもしれない」

 ダイケンキは、最善じゃない、というように首を振った。

「良いんだ、別に。お前の意志を俺は理解出来ない。

 それに、あの20年前から、ずっと思ってたんだ。お前に助けられた事はあっても、お前を助けた事は無いな、って。

 そんな事、お前は気にしてないかもしれないが、俺は、ずっと気にしていた。ありがとうとか、そんな言葉だけじゃ、貸しを返せない。そう思ってた。

 ……お前がしたい事があるなら、してもいいさ。俺が全て責任を持つ。

 そんな事が、貸しを返す事になるか、分からないが」

 ダイケンキは、何度か瞬きをして、そして一足先に部屋を出て行った。

「……父さん」

 父は、何も答えなかった。

 無言のまま、暫く立っていた。それから一言、寝るか、と言って出て行った。

 骨折の痛みも、タブンネの癒しの波導である程度は和らいでいる。俺の隣のエレザードが寝ぼけまなこで、俺を見ていた。

「…………」

 何か問いかけようと思ったが、何も問いかけられなかった。

 頭を撫でて、蝋燭を消した。

 月明かりが、窓から差し込んでいた。

「…………賢いって、嫌だな」

 ふと呟いたそれが、誰に対しての事なのか、俺自身分からなかった。



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13.

 まだ、誰も起きていない早朝。ゆっくりと起き上がり、そのまま音を立てないで外に出る。

 暗闇がまだ濃い、夜明けの更に前の時間。

 寝ていた時間はそう長くはない。体の疲れは色濃く残っていた。大して動いていないのに、だ。

 死期は近い。けれどまだそれは、ぼんやりとした先にある。

 四つ足でゆっくりと歩く。30年ほど、この町で暮らして来た。この町の外には、余り出た事はない。ただただ、ポカブを殺し続けた毎日。

 その一生に意味があったかどうかなど、私自身にも分からない。誰かが、私が殺したポカブを美味そうに食う姿を見て、自分が自ら汚れ役を買っている、人や獣のより良い幸せを作る生業をしている、それが生きがいなのは間違いない。けれど、それが完全に、自分がポカブを殺す事を納得させる理由にはならなかった。

 自分の奥深くに、今でも僅かに、しかし確かにそれ(・・)はある。

 私がポカブを殺す姿は、全くもって無駄が無いとか、ある時には美しいとまで言われた事がある。

 それは、集中しているからではない。その僅かなそれ(・・)を、無視する為にはそうならざるを得なかっただけの事だ。半ば機械的に。

 生きがいが強かろうと、自分でその旨みを堪能しようと、僅かに残るそれ(・・)は、きっと無くてはならないものでもあったのかもしれない、と思い始めたのはいつだっただろうか。

 

 先にサザンドラを起こしに行く。口と手足を縛っただけの、サザンドラ。閉じ込めている小屋の前で、腕が立つ方の私の子と、人間一人が見張りに立っていた。

 ――こんな早朝に何を?

 ――手伝ってくれるか?

 ――え、ああ、うん。

 扉を開けて中に入ると、目を覚ましたサザンドラが私の方を見て来た。

 口を縛っていた紐を解く。

「おいおい……」

 人間が声を出すが、無視した。

 ――随分、早いな。

 ――そうだな。

 ――こんな早朝にどうするんだ?

 その声には怯えがあった。まあ、普通、そうだろう。

 ――妹を迎えに行こうか。

 サザンドラを昨日と同じように台車に載せて、子に引かせて、外に出た。

 ――俺だけじゃ重いよ。

 ――まあ、少しだ。踏ん張れ。

 ずり、ずりと土に痕跡を残しながら、そのリザードンが居る小屋の方へゆっくりと進んで行く。

 サザンドラが話し掛けて来た。

 ――……なあ、どうして俺達に優しくしてくれるんだ?

 ――優しく? まあ、確かにそうだな。殺した方が手っ取り早いし安全だしな。

 脚刀を抜く振りをすると、より一層怯えた。

 ――……なら何故。

 ――あのリザードンに、無性に腹が立っていたんだな。毎日のようにポカブを殺し続けて来た私だからか、命を自ら無駄にするような奴は、腹が立って仕方なかった。

 ――……良く分からないが、まあ、ありがとう、とでも言えば良いのか?

 ――さあな。

 あのリザードン次第だ。多分、あのリザードンが本当に死にたいのならば、私はこれから殺すだろう。

 そして、それを見て怒り狂うであろうサザンドラも。

 僅かながら、私は緊張、していた。

 今まで殺すという事は、数えきれない程してきた。殺す事に緊張したのは、最初の頃だけだ。あのサザンドラを殺す事には緊張しなかった。

 そして今、僅かに感じている緊張は、最初の頃の緊張とは全くの別物だった。

 恐怖か、と私は思った。何に恐怖しているのか。殺してしまう事に? 何故?

 答が出ない内に、リザードンが閉じ込められている小屋が近付いて来る。思ったのは、きっと、そのリザードンの命を私が、重く見ているからだろう、と言う事だった。家畜のポカブなんかよりもずっと。

 

 扉の前には、モロバレルと女性。さっきと同じように無視して扉を開けた。

 薄らと明かりが入る。リザードンは倒れていた。暴れようとした痕跡がいくつもあり、傷が沢山ついていた。

 サザンドラを連れて来る前に、先に私が近付いて、頭の縛りを解いた。

 ――……起きてるか?

 ――…………ああ。やっと。

 ――……どうだった。

 顔には、涙の痕もあった。

 ――暗闇に呑み込まれないように、必死に考え続けた。私は、私が何をしたいのか、分からなかった。……呪いが解けたとして、その先に何が待っているか、私が何をしたくて呪いを解こうとしているのか、分からなかった。……考えて、考えて、分かったんだ。呪いの正体が。それしか考えられなくなる事が、呪いだったんだ。……私は、エンブオーとは違う。……申し訳ないけど、私は、違う。今は、兄が、居る。私に優しくしてくれる兄が。……私は、もう、頑張らなくて良い。呪いは、解けたよ。私の中にずっとあったそれは、もう解けるようになってたんだ。兄という存在が見つかったから。私は、私だけで頑張らなくて良くなってたんだ。生きる理由を、私自身の中に置かなくて済んだんだ。私は、私は……私は、やっと、抜け出せた。

 それは、半ば独り言だった。私自身、その独り言を全て理解出来た訳じゃない。

 ただ、その一言一言には、重みがあった。光が見えた。前向きに進んで行こうとする光が。

 子を呼んで、サザンドラを引っ張って来て貰った。

「ま、なるようになったみたいだ」

 心配と安堵が入り混じる顔をしながら、サザンドラは妹のリザードンを見つめていた。

 それを見て、私の中で、一つ合点がいった。

 私自身がずっと生業にしてきた、ポカブを殺す事よりも、この二匹のような絆を守る事の方が、私にとって重かったのだ、と。私と相棒のように。

 沢山の迷惑を被っても、越えてはいけない一線を、この二匹は越えなかった。だからこそ、守ろうと思えた。だからこそ、私はこんな事をしている。

 リザードンの拘束を全て解き始める。

 子が驚くが、それも無視した。

 解き終えて、サザンドラの拘束も解いた。

「何というかな、仇を恩で返されたような、ちぐはぐな気持ちだが……本当にありがとう」

「さっさと行け。私の独断でやっているんだ」

 そう言いながらも、ありがとうと言われた事に、私はかつてない程の充実感を得ている気がした。

 兄が妹を立たせてそしてゆっくりと飛んで行く。倉庫の外へと出て行き、段々高く、遠くへと飛んで行く。

 私も外に出る。人間とモロバレルが私を訝し気に見て来たが、無視して、飛んで行く二匹を眺めた。

 冷たい風が体を撫でる。牧場の先へと飛んで行く。下にある、兄妹の父親の死体には目もくれず、飛んで行った。

 粒程にしか見えなくなる頃、私の体から、力が急激に抜けていくのを感じた。

 

*****

 

 目が覚めた頃にはもうとっくに、リザードンとサザンドラは、ダイケンキの手によって逃がされていたらしい。

 タブンネの治療をまた受けたが、流石にその強い癒しの力を受けても一朝一夕で治るような傷ではなく、ベッドの上で寝たきりのまま。

 気絶させられただけで傷なんてもともと無かったエレザードは、外に日光浴をしに行った。呑気な奴め。

 眠気も全くない中、陽射しが入る窓を眺めながら、はぁ、と息を吐く。

 結局、俺にとっては、迷惑を掛けられただけなんだよな、と思う。俺は殺されかけて、俺だけじゃなくて家族にとっても、あの鳥獣使いを長い間雇った事で金はかなり吹っ飛んで行ったし。でも、俺自身の事でさえ、どこか他人事で見ている自分が居る。こんな家業をしているからだろうか。

 エンブオーに憎しみを籠った目をされようとも、殺されかけようとも、それを思い出す俺の心は、平静を保ったままだった。

 きっと、俺はこれからもポカブを殺し続けるのだろう。感情を持たずに。

 ポカブは殺され続けるのだろう。知らないままに。

 俺は、完全に狂っているのだろうか? あのリザードンとサザンドラの言葉を聞けたならば、俺はダイケンキと同じ選択をしたのだろうか?

 それは、どう足掻こうとも分からない事だ。人間には、獣の言葉は聞こえない。

 獣の精微な感情を、人間は読み取る事が出来ない。

 ドアが開く音がした。父が入って来た。

「今居るポカブ達、一気に殺しておくか。あの一件でやっぱり、少しざわつきが残ってる」

「……、俺もそうした方が良いと思う。エレザード、連れて行く?」

「ああ、今日は天気も良い。太陽の力も借りて、放電で一気にやってしまえるだろうさ」

 ……ただ、聞けるようには、余りなりたくない。



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14.

 収穫祭の日がやって来た。

 朝、派手な祝砲が打ち上がり、それからカボチャの重さを競ったり、人間とポケモンが舞いを披露したりと、色々な催しが開かれている。

 俺達家族は、もうやる事は無い。大忙しだった日は、俺が傷を治している内に終わった。

 父と祖父が、豚舎の中のポカブを一斉に殺し、そして肉が傷まない内に全て加工した。俺が立ち上がれるようになった頃には、二人とも、寝ても寝ても寝足りないと言う程に疲れていた。

 その肉を卸し、そして役目は終わった。例年よりも肉の量としてはとても多い。残っていた全てのポカブを殺して肉にしたのだから。

 でも、肉質は良いものではなかった。

 太陽の光をたっぷりと浴びて電気をため込んだエレザードでも、豚舎の中のポカブ達全てを即死させられる訳ではない。電気を全て吐き出しても生き残っていたポカブも居たし、それらの肉はとても不味かった。

 そして、殺した数に比べて、シャンデラもいつも通りだった。強く燃える事も無く、その身に栄養として取り込んだ魂は、いつもと同じだったのだろう。

 それから、その肉をどうするか悩んでいた所に個人的に残っていた鳥獣使いが来て、それを試食した。

「ああ、これ、都会の肉の味だよ」

 ……都会はやはり、そういう事なのだろう。

 

 エレザードと一緒にぶらぶらと祭りを巡る。リザードンとサザンドラの痕跡は、ほぼほぼ無かった。バルジーナを相棒に持つ男の弓の腕前が更に増していたり、その位だ。暗い影はどこにもない。

 あの二匹が残していったものに、後ろめたい精神的痕跡は全く無かった。殺されかけた俺を含めて。

 豚舎の修繕も近い内に終わる。破壊光線で出来たクレーターも、日が経てばただの窪みに変わる。

 肉を食う人達。ポカブを食う獣達。美味しそうに、口周りを脂で汚しながら食べている。この中に、ポカブを殺している現場を見て、それを食べられなくなる人達もきっと居る。

 これは、罪なのだろうかと思った事は、若い頃は幾度となくあった。けれど、幾度とあったとしても、俺がこうして続けている以上、家業を継がなかった兄や弟達よりは少なかったのだろう。深刻に思わなかった。

 こんな事があっても、俺はこの仕事を続けて行くのだと、当然のように俺は思う。それがある程度異常な事も、俺自身分かっている。

「……なあ、ポカブを殺した時、何か思ったか?」

 エレザードは相変わらず答えない。その体と、その小さい頭には、リザードンやダイケンキほど物事を考えられる複雑さは無いようだ。

 殺す、という行為。パートナーにもなれる、知性を持てる獣を殺すという行為。

 それに対してエレザードが何を思っているのか、何も思っていないのか。

 分かる事はやはり無いだろうが、俺と同じ()に居るのは間違いない。

 ……いや、そもそも、その境界そのものも無いのかもしれないが。

「……良いな、お前は気楽で」

 エレザードは、そうだよ、と言うように呑気に欠伸をした。

 ……まあ、俺も似たようなものだ。

 俺は考える事はあれど、そこから先には行こうとしない。その理由を強いて挙げるとするならば、この体のどこかでとっくに納得しているからだろう。生まれた時点で、才能のように。

 ダイケンキの二匹が、檀上で剣舞をしていた。華やかなものではなく、静かな舞だ。ある意味、恐怖を覚えるような、そんな舞だった。

 ……父のダイケンキは、本当に死期が近くなっていた。あの一件以降、力を使い果たしたかのように眠る時が多くなっていた。

 

*****

 

 夜になり、月が出て来た。花火が数発打ち上がり、そして祭りは程なくして終わった。

 鳥獣使いが、挨拶に来た。隣に眠たげにしているピジョットを連れて。

「明日、帰るよ」

「そうですか」

「良い町だったよ、ここは」

「何も無いような町ですけどね、それは良かったです」

「……恨んでないのか?」

 ……?

「あんたが殺されかけたのは、俺の責任でもあるだろうしな」

「ああ、その事ですか。別に何とも思ってはいませんよ。サザンドラが来た事自体、予想外でしたし」

「……そういうものか?」

「そういうものじゃないんですか?」

 実際頼んだのは、サザンドラを制圧してくれ、だったし。

「……もっと早く倒せてればな、あんたの方にもすぐに行けたんだが。それにしても、あんた、死にかけたというのに随分けろっとしてるな」

「きっと、毎日のようにポカブを殺している身だからか、心の奥底でどこか、復讐に対して覚悟しているようなものがあるんだと思います」

「……辛くないのか? その仕事」

「辛かったら続けてませんよ」

「そういうものか」

「そういうものです」

 それから、ふと気になった事を聞いてみた。

「ところで、サザンドラは手強かったんですか?」

「手強い、というよりしぶとかったな。殺意も無かったし、敵意も余り無い内に、仕留めに掛かったが、中々倒れてくれなくてな……」

 そんな間に、豚舎での出来事は終わってしまったと。

 あそこで鳥獣使いが間に合っていたらどうなっていただろう。俺は骨折せずに済んだかもしれないが、今よりも後味は悪い事になっていたような気がする。

 ただの勘に過ぎないが。

「じゃあ、こちらからも最後に質問だ。

 どうしてダイケンキはあんな事したんだ?」

「父から聞いた事ですが……、あの二匹はどうやら腹違いの兄弟だったようで。サザンドラの方が兄で、悩みを抱えている弟を助けようとしていたみたいです。それがどうしてあんな事をした結果に繋がったのかは、そのリザードンを間近で見た俺でも分かっていませんが。

 ……ダイケンキは、あのリザードンに何かを感じて、本当の意味で自由にしたかったみたいです」

「それが自身の場所を土足で踏み荒らされようとも?」

「踏み荒らされようとも、です」

「こういう時ほど、獣の言葉が分からずにもどかしい事は無いな、なあ? ピジョット」

 ピジョットは立ちながらもう寝ていた。

「ああ、もう。で? そのリザードンは自由になれたのか?」

「そうみたいですね」

「じゃあ、もうポカブを荒らしに来る事も無いと」

「そうですね」

「それは断言か?」

「はい。あのリザードンがポカブを奪いに来た理由は、それが美味そうだったから、という理由よりも、殺された父親よりも優れている事を示したかったから、という事でしたし。

 その悩みが解決された以上、敢えて人間にちょっかいを出しに来るとは思えません」

「理解、しているんだな。あのリザードンを」

「まあ、ある程度は、って程度ですけどね……。間近で見てきましたから」

「でも、肝心なところは一つ、見逃しているようだ。

 まあ、それは、リザードンを余り見たことの無いあんたにはしょうがない事だろうが」

「肝心なところ?」

「あのリザードンは雌だよ」

「えっ」

 

*****

 

 朝から、何となく今日で終わりだな、と体が理解していた。

 段々と、体が軽くなって行くような感覚がしている。死への恐怖は、受け入れるとか、受け入れないとか、そういう能動的なものではないようだった。

 私には、余り無い。気付いたら、受け入れられていた。

 何故なのか、それを考える時間ももう余り無いが、その一因に、あの二匹があるような気がしてならなかった。

 相棒が、隣でずっと座っていた。

 私が私自身の死期を悟ったように、相棒にも分かったのかもしれない。

「寿命が同じだったらいいのにな」

 相棒がぽつりと、そう言った。

 馬鹿らしい、と思った。あのリザードンと似ている、とも。

 沢山のポカブを殺し続けて来た身だからこそ、自ら死を選ぶような事は馬鹿らしいと、より強く感じる。けれど、自ら死を選んでしまうような辛い出来事がある事もきっと事実だ。

 相棒にとって、私の死はそれに近いのだろう。

 馬鹿らしいとも思うが、嬉しくもあった。

 

 昼が過ぎ、日が暮れていく。体が段々と軽くなっていく。重さを失っていくような感覚。

 起き上がる事ももう、多分出来ない。眠気が段々と強くなってきた。

 背中を撫でられるその手は、温かかった。淡いオレンジ色の空の色と、白い雲。広がる空っぽな牧場。私が殺したサザンドラの死体。町中で聞こえる賑やかな声、私の兄弟、そして、息子達。

 ポカブを殺し続けた一生。

 ゆっくり、ゆっくりと、走馬燈というものが流れていく。

 自分の意志でなく、体が、そうさせている。

 生きる意味さえもを見出させず、無知な幸せのままにポカブを殺し続けた私と、相棒をサザンドラから守り、そして自死を選ぼうとしたリザードンを助けた私が居る。

 傍から見たら馬鹿げているのかもしれない。理解出来ないのかもしれない。

 けれど、私自身、その背反した二つの私にどこか納得をしていた。理解は出来ていない、ただ、どちらかが無ければどちらかも無かったのだろうとは思う。

 私は、空を眺めた。暗闇と、そして星が見え始める夜空。

 そうだな、悪くない一生だった。

 温かい手を感じながら目を閉じるのに、後悔はなかった。




おしまい。
読んでくださってありがとうございました。


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しあわせ

注:
これは、ポカブ視点から書いたものです。
要するに、バッドエンド確定及びに、胸糞悪い話となっております。実際それを狙って書いたものでもあります。
それを分かった上で、覚悟した人だけ読んでください。


 今日は良い天気! 太陽はぎんぎらぎんに輝いていて、寒い空気の中でもボクの体はぽっかぽかに温まる!

 そんな日はやっぱりお昼寝だよね! ね? 右欠けちゃんもお昼寝しない? キレイになった砂場見つけてあるんだけどさ。……ダメかあ。右欠けちゃん、ときどきボクと一緒にお昼寝してくれるんだけど、どうして君はいつもきまぐれなんだい? お昼寝より楽しいことなんてぼくは知らないんだけど。

 お昼寝、楽しいんだけど、でもやっぱり、ぼくだけでお昼寝するのはちょっとさびしいんだよなあ。だれか、いないかな。あ、ねえ、夕焼け君夕焼け君、君はお昼寝しない? ……その寝ぼけた顔は、君、朝ご飯も食べないでさっきまで寝てたね。見かけなかったけどさ、君、よく朝ご飯食べないでお腹空かないよねえ。それで、やっぱりお昼寝なんてしたくないよねえ。もうっ!

 やっぱり、誰か居ないかなあ? 夕焼け君も右欠けちゃんもお昼寝しないって言ってるし、半分くらいは泥遊びに夢中だし、もう半分は今日も木の実飛ばしに夢中だし。お昼寝してくれる誰か、後ちょっとののんびりしてる誰か、いないかなあ? 泥遊びも、木の実飛ばしも、どっちも嫌いじゃないんだけどさ。やっぱり僕はお昼寝が一番好きだし。それに、泥だらけになると水で洗わないと夜気持ちよく眠れないし、というかみんなよくこんな寒いときも泥遊びなんてするよね。寒くならないのかなあ。木の実飛ばしも、鼻に木の実を詰めて、ポンッと勢いよく出して、みんなで距離競うのは楽しいし、疲れると夜もぐっすり眠れるよ。でも、疲れた体で夜ご飯食べるの結構大変なんだよね。みんなをかき分けて必死に口の中にご飯を詰め込んで。食べられなかったら、夜、ぎゅるぎゅるお腹が減る音を聞きながら必死に眠らないといけないし。暗い中、とにかく目を閉じて、朝が早く来ないかなと思いながら寝るのってとても辛いんだよ。お昼に木の実飛ばしと泥遊び両方やってから疲れ果てて夜ご飯食べられなかったときなんて、涙を流しちゃった。

 ……思い出したらちょっと今でも悲しくなってきちゃった。うん、まあ、とにかく。

 お昼寝ならそんなこと起きないからね。夜ご飯もみんなを勢いよくかき分けてたくさん食べられるし、流石にお昼ずーっと寝てると夜はちょっと眠りづらいけれど、みんなの寝息を聞いていると、なんかとても安心した気分になれて夜も夜でぐーっすり眠れるんだ。

 でも、お昼寝、誰かいないかなあ。ぼくだけで寝るの、やっぱりちょっと寂しいんだよ。でも、きれいな砂場見つけたし、きれいな砂場だからこそ誰かと一緒にお昼寝したいんだけどなあ。

 うーん、あ、あれ? 僕の見つけたきれいな砂場にもう、だれか寝てる! うん、ちょっとくやしいけど、まあいっか。誰だろ? あ、尾長くんだったかあ。いつもは泥遊びたっぷりやってるけど、疲れちゃったのかな。もう寝てる。

 じゃあ、ぼくもその隣で寝かせてもらうね。うん。

 砂にお腹を埋めて、体を丸めて。ぎんぎらぎんの太陽の、温かい日差しを浴びて。すぐに眠たくなってくる。今日も良い天気だ。うん……。……眠い。あくびも出てきて。……とても大きなあくびで。悲しくないけど涙が出てきて……。

 うん……あたたかい……。ねむい……。いい、きもち。

 

♡ ♡ ♡ ♡

 

 ……、あれ? 尾長くん? 先に起きたのかな。空はまっかっかでもうそろそろ一気に暗くなるなあ、これ。

 あ、ご飯を持ってきてくれるニンゲンさんがもう来てる。ぼくも急がないと。

 尾長くん、先に目が覚めてあっちに行ってるのかな。うん、多分そうだろう。みんなも集まってきてるし。

 背伸びをして、体がちょっとだけぽきぽきと言った。もう一度あくびが大きく出て、ふぁ~あ、でも走らなきゃ。夜ご飯を食べられないのはイヤだからね。夜ご飯を絶対に食べるためにぼくはお昼寝してると言ってもいいんだから。

 お腹が減ったまま夜、小屋に戻るより悲しいことなんてある? ぼくはないと思う。

 走って、走って、他の色んな場所で遊んでいたみんなももうご飯の時間だと気付くと走ってきて、でもみんなやっぱり疲れてる。いつものように、ずーっと遊んでいるんだから当たり前なんだけど、ぼくの方が速い!

 走って、走ってみんなの所に追いついて、みんなをかきわける! 鼻をぐいぐいと前に押し出して、みんなぶぅぶぅ言ってるけど、ぼくもぶぅぶぅ言うけど、そうやって後ろ足でふんばって、もっと前に行く。もっと、もっと、前へ、前へ! ご飯がざぁーっと一気に箱に流し込まれるまであと少し、ニンゲンさん、もうちょっとだけ待って、ぼくが前に辿り着くまで、あとちょっとだけ待って! あとちょっとだけだから! あと、少しなんだって! ああ、だめだ、まにあわない、いや、そんなのイヤだ! ぐぐ、と足に力を入れて、鼻を前に出して、出して、あ、待ってニンゲンさん! まだ箱に流さないで! うん、あとちょっとなんだって! あとちょっと! あと……あー、あー、流されちゃった。今日は、一番に食べるのはだめだったかぁ……。

 まあ、もう後二、三歩のところだから箱の中のご飯が空っぽになる前にお腹いっぱい食べられるのは変わらないんだけど。でも、やっぱり最初にご飯にありつけるのは良い気持ちじゃない? 後少しだったのに、今日はちょっと寝すぎちゃったなあ。さて、ご飯ご飯。食べて、食べて、後ろから押されるのをこらえながらとにかく口の中にほおばって。もう十分になるまでちゃんと食べられたら、横にさっさと逃げる。

 なんとか出ると、ふぅ、と息を吐いて。お腹もいっぱいで、今日も良く眠れそうだ。

 あ、なんか忘れてるような。うーん? なんだったっけ? えっと、うーん、あ、尾長くんはどこにいるんだろ? ぼくより先に起きてご飯待ってたならもう食べ終わっている場所にいてもおかしくないと思うんだけど。尾長くーん? どこにいるのー? 尾長くーん? 尾長くーん!? ……うーん、それっぽいの見つからないなあ。あ、右欠けちゃん! 尾長くん見かけなかった? 尾長くんだよ尾長くん、え、見かけなかったかあ。うーん。尾長くんどこにいるんだろ?

 他の誰かと遊んでたのかなあ。ちょっとそんなのあまり考えられないんだけど。尾長くんみたいなの、いるかなあ。ぐるっと回ってみて。後ろのみんなは泥んこだったり砂ぼこりに塗れていたり。でもやっぱり尾長くんいないなあ。うーん。尾長くーん? 尾長くーーーん!!

 本当にどこ行ったんだろ。どれもこれも尾長くんじゃない。

 長耳くんに朝焼けくんにもち肌ちゃんにお月ちゃんに泥んこくんに炎くんに短耳ちゃんにどれもどれも尾長くんじゃない。ねえ、誰か尾長くん知らない? 誰も知らないの? ねえ、誰か知らない?

 ちょっと、ここまで見つからないとなんかぼく不安になってくるんだけど、本当に誰も知らない? ……まさか、柵の外に行っちゃったとかないよねえ。柵の外、何があるかは分からないんだけど、見たことのない動物がいろいろいたりするし、大きな鳥が空を飛んで行ったりするし、この中にいれば安全なのに。

 何かがやってきたとしても、叫べばニンゲンさんがダイケンキっていう青い強い動物を連れてきてくれるし。柵の外に出ちゃったとは思わないんだけど、うーん、でもやっぱり尾長くん見つからないなあ。

 みんなご飯食べ終わっちゃったし、本当に尾長くん見つからない。尾長くん尾長くん。本当にいないの? 尾長くーん! 尾長くーーーん!! お・な・が・くーーーーんっ!!!!

 …………。

 やっぱり、いないみたいだ。

 うーん。外に出ちゃったのかなあ。よく分からないけど、そのくらいしか後は思いつかないや。でも、ねえ。本当に外に出ちゃったのかなあ。

 ぼくが寝ている間に、ぼくを起こさずに外なんかに行っちゃったんだろうか。

 分からないけど、でも、そのくらいしか思い浮かばないしなあ。尾長くん。

 明日になったらひょっこり出てきたりしてくれないかなあ。尾長くん。

「さー入って入って、もうお休みの時間だよ」

 ニンゲンさんがそう優しい声で言ってくる。

 尾長くん探したいけど、でも、みんなの後ろをついて行ってもやっぱり尾長くんはどこにもいない。本当に、どこにも見当たらない。

 雨を凌げる小屋の中にぼくも入ってしまって、あまり誰もいない後ろを見て、やっぱり尾長くんはいなくて、そしてニンゲンさんは全員が入ったのを確認すると、大きな扉をガラガラと閉じていってしまう。

 何度も何度も探したけど尾長くんはどこにもいない。どこにも、本当に。この中には尾長くんはいない。

 だったら、どこに? ガラガラガラガラと大きな音を立てて、そして夕焼けの真っ赤な太陽の明かりが段々とせまくなっていく。

 ゴン、と音を立てると、ガチャン、とついでに音がして、それからニンゲンさんが去っていく足音。

 振り向くとみんなもう、それぞれのお気に入りの場所で寝始めて、ぼうっとしていたらぼくが好きな場所は全部取られてた。

 やっぱり、尾長くんはいないよねえ。

 念のため、もう一度みんなのところを探してみて。

 尾長くーん、尾長くーん。

 尾長くーん、尾長くーん?

 尾長くーん、尾長くーん、尾長くーん、尾長くーん。

 尾長くんのお気に入りの場所を全部見ても、お気に入りじゃないところも、ぼくの他によく尾長くんと一緒にいる誰かのところ全部を見ても、どこからどこまでを見ても、やっぱり尾長くんはいない。

 …………やっぱり、柵の外に行っちゃったのかなあ? うーん。ニンゲンさんも尾長君がいなくなったことに気付いていないのかなあ。

 寂しいけど。

 でも、もしかしたら、朝起きたら外でお腹空かせて待っているかもしれないし。うん、外に行っちゃったならそれはとても不安だけど、やっぱり尾長くんはどこかに行ってしまった。

 だったら、帰ってくるのを待つしかできない。

 寂しいけど、不安だけど。ぼくを起こさずにこっそりどこかへ行ってしまったのがどうしてかも分からないけれど。

 尾長くん。ぼく、帰ってくることを信じて今日は寝るね。

 ……って言っても、もう、ふんわりした藁の寝床なんて、どこにもないんだよなあ。まあ、寝られないこともないし、うん。

 ああ、ここ辺りの藁をかき集めれば十分ふかふかな寝床になりそうだ。

 せっせ、せっせと。

 うん、このくらいでもうふかふかだ。じゃあ、うん、お休み。

 尾長くん、明日になったらまた会えるよね?

 

♡ ♡ ♡ ♥

 

 尾長くーん、待ってよー。どこ行くの? ねえ、尾長くーん、ぼくを置いて行かないで、尾長くーん?

 ねえ、ぼくの方向いてよ、尾長くん、そんなに急いでどこに行くの? ねえ、ねえ。待ってよ尾長くん、ぼく追いつけないよ、どうしてぼくを見てくれないの? ねえ、ねえ、尾長くん、尾長くん! ちょっと、ちょっと待ってよぼく、追いつけないってば尾長くん! 尾長くん!! ああ、待って尾長くん行かないで、行かないでよ! せ、せめて、ぼくの方に顔を向けてよ、どうしてそんなに行っちゃうのさ! どうして、どうして? 尾長くーん!! ああ、ああ、待って、行かないで、ぼくもう足が動かないよ、尾長くん……、尾長くん……、ぼくたち、もう一生会えないの? そんなのイヤだよ! だから、だから尾長くん、待って、待って、待って!!!!

 

 待って!

 はっ、とぼくは顔を上げると、みんながぼくの方を見ていた。

 小屋の中。外はまだ薄暗い。戸が開けられるのはもうちょっと後。

 ……夢だったのか。なんか、とても嫌な夢だった。……どういう夢を見ていたんだっけ、うーん、どうしてかあんまり思い出せないけど。うん。

 もう少し、寝ようかな……、なんか忘れてるような……あ、尾長くん。よく思い出せないんだけど、そうだ、尾長くんの夢を見ていたのは確かだ。なんだか、とても寂しい夢。それで、とてもとても悲しい夢。

 …………尾長くん、もしかしたら外で待ってたりしないかなあ。体を起こして、背伸びして。う~~んっ、よし。

 歩いて、すぐに戸の前に立って、前足の蹄で軽く戸を叩いた。

 尾長くん? いない? 尾長くん?

 ……。

 いない、かぁ。

 尾長くん……。

 

 あんまり眠れもしないで藁の上で丸まっていると、次第にみんな起き始める。窓から差し込んでくる日差しもだんだんと明るくなってきて、その光がぼくの赤い体にやんわりと当たった。

 じんわりと体が温まってくる。そのままじっとしているとまた眠くなってきたけど、けれどもう、時間だった。

 ぼくが欠伸をしたと同時に、がらがらと戸が開く。

「起きろー」

 ニンゲンさんが大きな戸を開けて、みんな外へと出ていく。もうそろそろ朝ご飯の時間だ。

 朝ご飯は食べないと。なんか、ちょっと気が進まないけどでもやっぱりお腹が空くのはイヤだし。

 きゅるるると、ボクのお腹がそうだよ、というように一緒にないた。

 外に出ると、ニンゲンさんが柵の外で、ダイケンキからぼくたちの朝ご飯を受け取っていた。

 体はぼくの何倍も大きくて、いつもは四足でよく歩いているけど、後ろ足だけで立ち上がってニンゲンさんのように物を持つこともできる。頭と腕にタマゴの殻みたいな固いものを身に着けていて、特に頭のそれは尖っていてなんだかカッコイイ。あと、腕のタマゴの殻みたいなものからは、またタマゴの殻みたいなものを抜き出して、それはもの凄く鋭い。ぼくは木の実を噛みちぎったりできるけれど、ぐちゅ、とすり潰してもしまう。でも、その鋭いものはスパンッ、と木の実を本当にキレイに真っ二つにできてしまって、なんだか怖いほどだ。ぼく達を食べようとしてきた敵が来たときも、その鋭いものを見せるだけで敵は慌てて逃げてしまったほどだったもの。

 ぼく達はポカブ、って言うみたいだけど進化したらどんな風になるんだろう? どんな姿になるのか全く知らないけど、あんな強い感じになれるのかなあ?

 強くなったら、どうなるんだろう? それでもここで暮らすのかなあ。それもいいけど、ちょっと外も見てみたいかな。ぼくたちを狙ってくる敵もたくさんいるんだろうけれど、強くなったらそれも追い返せるだろうし。

 もう、みんな朝ご飯が配られる場所に集まり始めてて、ぼくもあわててそこに行く。あー、だめじゃないかこれ、う、ん……やっぱり朝はみんな力が強いなあ。中々前へ行けない。この場所のままだとお腹いっぱい食べられないぞ。

 ぐいぐい前に行きたいけれど、みんなやっぱりそれは同じで前に行けば行くほど後ろからも割り込もうとされて、横から後ろからとにかく押される。あー、お腹いっぱい食べられないのちょっとイヤだなあ。

 ざあああっ、とニンゲンさんがご飯を箱に入れてみんな一気に食べ始める。がつがつと食べてのけて行ってそれの繰り返し。ぼくがようやく箱の前に立てた時にはやっぱりもうそんなに量は多くなくて、必死に箱に残っているご飯をかき集めて食べる食べる。沢山あるご飯を頬張れることなんてなくて、残ってるご飯をどれだけ僕の口の中に入れられる競争になってくる。

 それで、まあ、お腹が半分くらい満たせればおしまい。後ろからのかき分けて前に出ようとする力ももうあんまり強くなくてゆっくりと箱の前から出ていく。

 はぁ。

 なんか、フクザツな気分。結局、尾長くんどこにもいないし。ご飯もそこまで食べられないし。

 どうしようかなあ、今日。お昼寝する気分でも、みんなと遊ぶ気分でもないし。とりあえず、歩いていようかな。うん。

 それが一番いいや。

 

 ニンゲンさんとダイケンキが砂地をキレイにしたり、固い木の実をばらばらと置いていく。ダイケンキは、ぼく達が炎を吐けるように水を吐けるみたいで、ところどころに水を撒いていく。口から出た水でも、ヨダレみたいに汚い水じゃなくて、普通の水。そうして泥んこ遊びをする場所ができていく。

 柵の周りをのんびりと歩いて行く。一番目につくのは、おぞましい形のした動物の骨が木に縛られてあること。胴体は一つなのに、首は三つのとても怖い形。大きさはダイケンキよりも大きそうで、口には鋭い牙がたくさんあって、じっと見ているとどんどん怖くなってくる。あんなものがぼくの目の前にきたら、ぼくはきっと、おもらしもして、足も動かないんじゃないかと思う。そしてそんなぼくを……、いやいや、なんでそんなこと考えるのさ、ぼくは。怖くなってきちゃった。

 でも、多分、その骨が木に縛られていることはその先にある森からぼく達を狙う動物が来ることを防いでいるようにも思える。ダイケンキは、容赦しないぞ、ぼくたちを襲おうとしたらこんな目に遭うんだぞ、と。

 ダイケンキ、ニンゲンさんと一緒にいるその動物は、もしかしてこんなおぞましそうな動物より強いんだろうか。

 ぼくはそれを知らない。柵の外からやってくる敵とダイケンキが実際に戦ったところを見たことはない。一回、見てみたいなあ、と思ってたりする。

 柵の周りを歩いて行くと、今度はぼく達が寝泊まりするくらいの大きな建物が一つ、それから小さな建物が色々と建っているのが見える。石を積み上げて作ったような家で、壁は赤茶色のぼくの体と似たような色をしている。

 ニンゲンさんとダイケンキは大きい建物の方に住んでいるみたいで、ぼくたちも大きくなったら、柵から出ても大丈夫なようになったらあっちの方で暮らすのかなあ、と思う。

 そのニンゲンさんとダイケンキが掃除やらを終えると、いつものようにすぐには帰らずに、きょろきょろとぼく達の方を眺め始めた。ぼくの方も見てきて、そして最後に太っちょくんとみにみにちゃんに目をつけて、ひょいと拾い上げた。

 そして、柵から出てどこかへと連れて行った。

 ……尾長くんもニンゲンさんに連れて行かれたのかな。柵の外に出るってことは、もしかしてここから別の場所で暮らすことになるのかなあ?

 でも、ちょっと分からないこともある。

 太っちょと尾長くんは両方とも体は大きい方だったんだけど、みにみにちゃんはどうもそうも思えない。元々体も小さくて、ご飯もそんなに食べないから最後の残りものをちょびっと食べて、それで終わりにしていたし。

 連れていかれる条件ってなんだろう? 体の大きさだけじゃないのかな?

 でも、ちょっと安心した。尾長くんは自分で柵の外に出て、どこかに行ってしまったわけじゃなかった。尾長くんはニンゲンさんに連れていかれたんだ。どうして一番最初の方に連れていかれたのかちょっと分からないけれど、多分ぼくもその内そっちに行くんだろう。

 安心したら、なんだかぼくも眠くなってきた。昨日はなんかよく眠れていなかったみたいだし、うん、眠いや。

 こんな朝っぱらからだけど、うん、寝ちゃおうかなあ。

 

♡ ♡ ♥ ♥

 

 気付いたらお昼も過ぎていて、ひゅるるると、肌寒い風が吹き始めるほどの時間になっていた。太陽が沈み始めるのにももう、そんなに時間はない、かな。ぼくはお昼ご飯を食べ損ねていた。……夕焼けくんのこと、ぼく何も言えないなあ、これじゃあ。

 流石に、お昼抜きはちょっときついけれど、夜ご飯の時間にもそんなに遠くない。夜はちゃんと食べないと、とにかくひもじい思いをしちゃうだろうし、今日はちゃんと食べないとね。早めに箱の前に行っておかなきゃね。

 あくびをして、周りを見渡すとニンゲンさんがダイケンキを連れて夕焼けくんを抱えているのが見えた。

 今度は夕焼けくんかあ。そう思っていると、ニンゲンさんがダイケンキを連れてぼくの方にやってきた。

 ぼくも、か。

 今日も多分、お昼ご飯すら食べずに今もまだぐっすりと寝たままの夕焼けくんとぼく。ニンゲンさんが更にぼくを片腕に抱えてひょいと持ち上げた。

 ……ぼく、結構重いはずなんだけどなあ。ご飯も結構食べてきたし。でも、ニンゲンさんはその細腕で夕焼けくんとぼくを普通に抱えてしまっている。

 ニンゲンさんって、体は全体的に細めなんだけど、意外と力あるんだなあ。

「じゃあ、行くか」

 ニンゲンさんは、ぼく達ではなく、ダイケンキにそう行って柵を出た。

 ……?

 なんか、変な気分になったけれど、その理由はよく分からなかった。首を捩じると後ろがちょっとだけ見える。

 柵の外に出たんだ、とぼくは思った。タマゴから生まれてずっと出たことの無かった柵の外。

 これからぼくはどこに行くんだろう? ちょっとワクワクしていた。

 

 外に出て、暫くニンゲンさんに抱えられて歩いて行くと、その先にある建物が見えてきた。

 たたたた、と走る小さな動物。姿形からしてダイケンキの子供のような気がした。笑いながら数匹が追いかけっこをしていて、そしてニンゲンさんと抱えられているぼくと夕焼けくんにきづいた。すると、なんか妙な目で見てきた。笑っていたその顔から笑いが一瞬で消えて、じっと見られる。

 なんで、そんな目で見られるんだろう?

 こ、こんにちは?

 ぼくもその小さな動物の方を見つめ返すと、目を外されてまた、たたたたと走り去っていった。……ぼく、なにかした? ……あれ、いや、そもそもなんでぼく達にはお父さんとお母さんがいないんだろう? あれ? うん? あれれ?

 それも分からないうちにニンゲンさんが更に歩いて行くと、黒い鳥たちが数をなして建物の上から僕たちの方をじっと見ているのにきづいた。

 獲物を見る目で見ていて、それにニンゲンさんがきづいたけど、特になにもすることはなかった。

 それから、ぼくと夕焼けくんは新しい小屋の中に入れられた。その小屋の中の、小さな檻の中にぼくと夕焼けくんは別々に入れられる。

 水の桶があって、あんまり歩くこともできない。

 ……ねえ、ニンゲンさん。ぼくここでなにするの?

 ニンゲンさんの方を見てもけれどなにも口には出してくれなかった。がちゃんと檻を閉めると、もうぼく達の方を振り向くこともなく無言で小屋の戸も閉めてしまった。

 薄暗くて、狭くて。あんまり歩くこともできなくて、あるのは水だけ。

 なんだろう、不安しかない。太陽の光もあまり入ってこなくて、温かさもない。

 ……なんで? ぼく、どうしてここに連れてこられたの?

 夕焼けくんとも、仕切りを挟んでいて顔を合わせることもできなくて。でも、寝ていたら何か起きるかなあ? 起きるよねえ?

 

 ちょっとすると、夕焼けくんがぶぅぶぅと不安げに鳴く声が聞こえた。

 ぼくもぶぅぶぅと鳴いて、でも、それっきり。

 不安な気持ちを紛らわすように少し大きく息を吸うと、尾長くんとみにみにちゃんの匂いがしたのにきづいた。……みにみにちゃんも、尾長くんもここにいたんだ。

 でも、どうしてここで閉じ込められていたんだろう。ぼくにはよく分からないよ。匂いを辿っていくと、おしっこの臭いが檻の端っこに少しと後、檻からもそこそこ匂いが残っていた。

 ……おしっこ、我慢できなかったらここでしなきゃいけないの?

 水をちょっと飲んで、じっとしているしかできない。お昼寝は好きだし、じっとしているのは嫌いじゃないけれど、でも、じっとしているしかないのはとてもなんか、辛い。その気になれば走り回ったりみんなが遊んでいるのを見たり、そういうことができるからじっとしているのが好きなんだとぼくはきづいた。

 ぶぅぶぅと夕焼けくんがまた鳴く。ぼくも鳴き返す。

 時々。

 外は夕焼け。まっかっかな夕焼けくんの色。でも、この小屋に入ってくるその光はほんの少しで、もう、とても暗い。

 みんなで寝る小屋の中で見える月明かりより暗くて、そして、しん、としていて、とても冷たい。空気の冷たさ以上に、みんながいない寂しさが、とても冷たい。

 とても、とても不安だった。

 ぶぅ、ぶぅ、と夕焼けくんが何度も鳴く。ぼくも鳴き返すけれど、鳴いているだけじゃこの寂しさはとてもこらえ切れない。どうして、ぼくと夕焼けくんは、太っちょとみにみにちゃんは、尾長くんはこんな目に遭ったんだろう。どうしてこんな目に遭う必要があるんだろう。

 ふと、人間が歩く音がして、でも小屋の前で立ち止まったりはしなかった。歩き続けてそのままどこかへ行ってしまった。

 夜ご飯もないんだろうか。水だけ? お昼ご飯も食べていなくて、ぼくはとてもお腹が減っていることにきづいた。きづいてしまうと、お腹がぐぅぅぅと減ってきて、ああ、ああ、ひもじいよ。

 ひもじいよ。ひもじいよ。そうか、夕焼けくんが鳴いてたのって、寂しい以上にお腹が減っていたんだ。ぼくもだよ、ぼくもお腹が減っているよ。

 またしばらくして、ニンゲンさんが歩いて行く音が聞こえてきた。

 ぼくと夕焼けくんはぶぅぶぅ!! ぶぅぶぅ!! と強く鳴いた。でも、ニンゲンさんは、後ろを歩いているであろうダイケンキは歩くことを止めることも、この扉を開けてご飯を持ってきてくれることも、何もしてくれなかった。何もしてくれなかった。

 暗いのが怖くて、夕焼けくんは今度はひのこを吐いたけど、燃えるようなものがここにはなくて、ちょっとの間燃えるだけだった。すぐに暗闇が戻ってきて、それに耐えられずに何度か夕焼けくんが火の粉を吐いて、でもそのうちげほげほとするだけになって、ひのこも吐けなくなってしまったみたいだった。

 すると夕焼けくんがとうとう、本当に泣いてしまった。

 ぼくも泣きたくなった。動けないし、お腹も減ったし、ぼくもつられて泣いて、水を飲んだ。

 暗闇に耐えかねてぼくもひのこを吐いたけど、すぐに燃え尽きるだけでお腹も減って体力もなくて。寂しかった。寂しかった。とても、とても。

 そして、水もそんなに無いことにきづいた。泣いて、いられない。

 でも、多分、明日になったらここから出られる。

 だって、太っちょとみにみにちゃんが出てから、一日も経たないうちにぼくと夕焼けくんがここに入ったんだから。だから、この一晩我慢すればいいんだ。

 でも、寂しいよ。お腹が減ったよ。ひもじいよ。ひもじいよ。

 ぼくは、夕焼けくんは泣くのを止められなかった。

 水を飲み切っても、止められなかった。

 ああ、寂しいよ。寂しいよ。どうして、こんなところにぼくはいるんだろう。ぼく、悪いこと、なにかしたのかなあ? みんな、こんな辛い目に遭わなきゃいけないのかなあ。

 

 夕焼けくんが泣き止んだ、って思ったら、今度はがしゃん、と強い音がした。

 だめだよ、夕焼けくん。多分、みんなそうしたんだ。でも、皆開けられなかったんだ。

 匂いが残るほどみんな体当たりしたんだ。でも、開けられなかったんだよ。

 お腹も減っていて、夕焼けくんの体力もほとんどなくなってしまったのか、あとは、ぐす、ぐす、と鼻をすする音しか聞こえなくなってきた。

 ぼくも体を丸めて、目を閉じた。

 とにかく、明日になればいいんだ、明日になれば。

 うん。明日になればいい。

 はやく、はやく。こんな場所から出て、太陽を見たいな。温かい日差しを浴びて、ちゃんとご飯をたっぷりと食べて、またみんなと一緒にお昼寝して、遊んで、みんなと一緒に温かく寝たいな。

 うん。はやくここから出たいな。

 だから、今日は、寝よう。

 お腹が減ってても、喉が渇き始めても、おしっこを垂れ流しにするしかなくても、今日は寝よう。うん、そうしよう。

 明日、明日になれば……。とにかく、あした……。

 

♡ ♥ ♥ ♥

 

 あ、朝……。

 お腹、空いた……。喉も乾いた……。

 どうして、ぼく、こんなことになってるんだっけ。どうしてぼく、こんな目に遭っているんだろう。

 やっぱり分からないなあ。

 なんでだろうなあ。ぼくには分からないよ。

 早くご飯、貰えるかなあ。お水も欲しいんだけど。

 そんなことを思っていると、ざむ、ざむ、とニンゲンさんがやってくる音が聞こえた。

 かちゃかちゃ、とぼくが体当たりしてもびくともしなかった柵の縛りを解いて「飯だ」と言った。

 やっと、やっとなんだ。

 なんでこんな目に遭わされていたのか分からないけれど、それでもなにか必要なことだったのかな。

 起き上がると、足が軽くがくがくしていた。お腹がとても、とても減っているんだ。こんなにもお腹が減っていること、本当に初めてだよ。どうしてぼくは、夕焼けくんは、みんなは、こんな目に遭ったんだろう。

「ほら、こっちだ」

 ニンゲンさんがぼくをここに連れてきたときのように抱きかかえはせずに、黙々と歩いて行く。夕焼けくんの方を見ると、まだ寝ていた。体を丸めて、じゃなくて、体を放り出すようにして、疲れ果てている感じ。なんか死んでいるようにも見えた。

 ニンゲンさんはそんなぼくをじっと待っていた。

 どうして、ぼくをここに連れてきたときのように抱えてくれないの? ぼく、ふらふらなんだけど。

 そう思ったけど、ついて行くしかなくて。

 なんだろう、ニンゲンさんからいつもとは違う、冷たい感じがした。なんていうんだろう、静かにしている感じ。

 でも、それがなぜか、ぼくは考えるほど頭も回らなかった。お腹が減って、もう前を向いて歩くくらいしかしたくなかった。

 ふら、ふらとそれでもぼくは前に進む。ご飯が食べられる。ご飯が。

 ニンゲンさんが道を右に曲がった。ぼくも右に曲がろうとして、けど、体が、止まった。

「どうした?」

 ……血の、臭い。とても濃い、血の臭い。

 みにみにちゃんの、太っちょの、尾長くんの、血の、臭い。

 そこで、ぼくの中で、ばちばちと何かがつながった。何かが、何かが、ぴったし、がっちり、あてはまるように。

 ダイケンキの子供がぼくを見ていた目。ヤミカラスたちがぼくを見ていた目。ニンゲンさんのぼくを見る目。ぼくにお父さんとお母さんがいない理由。

 …………。

「どうしだんだ、早く」

 ニンゲンさんが、ぼくの方を見てくる。その目は、まっ黒だった。どこからどこまでも、ぼくに対して、なにも感じていなかった。

 ぼく達が、育てられた理由。

 ぼく達が、育てられた、理由、それは、それは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼく達は食べられる為に育てられた。

 ぼく達は殺される。食べる為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵は、敵は、ニンゲンさんも、ダイケンキも。敵だった。敵だった!

 ぼくは来た道を振り返って、地面を蹴った。がくがくな足で、でも、走らなきゃ!

 走らなきゃ、走らなきゃ、それを伝えなければ駄目だ柵の中は安全じゃないんだ! みんな逃げなきゃいけないんだ!!

「そっち行った、逃がすなよ」

 その声は、やっぱりぼくに対して何も抱いていなかった。ぼくというポカブに対して、何にも、何にも感じていなかった、どうしてぼくはこんな事にも今まで気づかなかったんだ、ばかばかばかばか!!

 に、逃げなきゃ。で、でも、足ががくがくする。息が乾いている。もっと速く走らなきゃだめだ追いつかれる皆に知らせなきゃいけないのにだめだだめだ。

 たたたた。

 後ろから、静かに走る音。だんだん音が大きくなっている追いつかれる嫌だ死にたくないやめてやめてやめてやめて!

 しゅるり、と何かを抜いた音がした。それは見なくてもわかる、それはダイケンキの腕に備わっているとても鋭いもの、木の実を真っ二つにしてしまうもの、それは、それは今、ぼくを真っ二つにしようとしている! いやだ、いやだ! どうしてなんで!

 ま、前を走ってても追いつかれるだけだ殺されるだけだ、右、左、曲がり道がある、どっち、狭い方が追いづらいよな、そうだよな、うん、左だっ!

 くらい、先は、壁だった、みぎ、ひだり、あれ? あれ? え、ちょ、ちょっとまって。

 ちょっとまって。

 ……行き止まり? うそ、うそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそだ! うそだ! もどらな、きゃ……。

 ダイケンキ……。そんな、鋭い、どうして……。ニンゲンさんと同じ、どうしてそんな目を、どうしてぼくに向けてるの……。

 や、やめ、て……。

 いやだ、ぼく、殺されるために生きてきたの? 食べられるために生きてきたの?

 ぼくだけじゃなくて、みんなも? みんなも? ほんとうに、そう、なの? みんなに伝えなきゃいけないんだ! 逃げてみんなみんな逃げて逃げて!

 ダ、ダイケンキ、さん。そんな冷たい目でぼくを見ないでよ、そんな鋭いものを上に掲げないでよ、ぼくに向かって歩いてこないで、いやだいやだいやだいやだ、いやだいやだいやだいやだ!

 ひ、ひのこ!

 ぼんっ。

 何にも、動じないって、そんな、そんな! ひのこっ、ひのこっ、ひのこっ、げほっげほっ、ああ、ひ、ひのげぶっ、ごぶっ! ああ、ひ、ひのこ、でて! おねがい! びの゛ごっ゛!

 すぅ、とダイケンキが息を吸った。

 ひっ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♥ ♥ ♥ ♥

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ピギイイイイイィィィィィィィィィィィィィッ!!!!」

 えっ、何、今の。

 あれ、ちょっと、ミカンくん? ミカンくんいる? ねえ、ミカンくん、ちょっと、ちょっと、いまの声ミカンくんじゃないよね? ミカンくーん、ミカンくーん!!

 えっ、なに、今の声、ちょっと、ちょっと! ニンゲンさん? どうなってるの?

 扉はちょっとだけ開いているんだけど、ざむ、ざむ、と足音が聞こえてきて、えっ、なに、なに……この臭い。

 これ、血の、たくさんの血の臭い。とても多い血の臭い。

 がららっ、と扉が開く。ニンゲンさんが扉を開けた。

 後ろで、ダイケンキが、血まみれのダイケンキが、何かを運んでいた。

 ねえ、それ、何? 何なの?

「次、お前の番だ」

 ニンゲンさんが近寄って来る。

 え、ちょっと、ちょっと待って、ちょっとちょっとちょっとちょっと、あれ、何だったの? ねえねえねえねえ!

 怖いよ、だれか、だれか、だれかだれかだれかだれかだれかだれかだれかだれか!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 だれか!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 




何故こんな話を書こうかと思ったか

数年前、ポケモン小説のコンペでカルテットという、4匹のオドリドリが死ぬだけの話を書いた。カルト的な注目を浴びて、嬉しくなった。
そういう感想を見るのが楽しくなって、チキン・デビルやらジャロンダやら、モモちゃんのワシボンやら、サイコロの欠けた角達やら、色んな胸糞悪い話をこれまで時々書いてきた(サイコロの欠けた角達以外は全てポケモン・テイルに入ってる)。
そして分かったことは、最初からバッドエンド確定と分かるようなものより、バッドエンドと途中で分かりながらも、読んでしまうような話の方が多分印象に残るしウケも良い(バッドエンド前提で何言ってんだこいつ)。ポケモンの二次創作のコンペでバッドエンドの作品でまさかの優勝取った作品もあったりして、そう確信して、何か試したいなーと思ったら、竜と短槍のポカブ視点から書けばそうなるじゃん、と気付いて、書いた。
ちょっとしたコンペに投げたんだけど、結果はあんまり良くなかったというか、そもそも1万文字超えてて、本当は失格だった。カルト的な感想やらは貰えた。


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欠落

4年半振りに書く番外編。
本編書いてた時から5年くらい経ってるのかぁ……。


 ポカブの首に抵抗なく入ったホタチの切れ味。

 きちんと研いでいたとは言え、想像以上に少ない力でさっくり入った事に僕自身が驚いた。

「うわっ!!」

 それと同時に、脳へと血液を送る太い血管が切れた瞬間、吹き出した血が僕の目を真っ赤に染めた。

 炎タイプらしく、少し熱いくらいに感じる血。処分する事になってしまったとは言え、丁寧に育てられてきたそのポカブの体はふっくらとしていて、初めて嗅ぐ血の匂いも嫌な感じは全くしなかった。

「……おいしい」

 思わず舐めてしまって、そんな言葉が自然と出ていた。

「おい」

 びく、と体が震えた。後ろを振り返ると、おじいちゃんが僕を見下ろしていた。

「血の味に溺れるなよ。

 殺す事に快楽を覚えるようになったらおしまいだからな」

「おしまい?」

「あのサザンドラと同類って事だ」

 そう言って、骨になっても磔のままのサザンドラの方に首を振った。

「それは……」

「俺達が獣だから、じゃない。殺しに快楽を覚える奴は何であろうと、共に生き、心を預ける相手になり得ない。

 胸に刻んでおけ」

「……うん」

 でも、僕はその血の味を、夜になっても忘れられなかった。

 人間達が作る保存性の効くようにした肉よりも、濃くも薄くもない、混じり気のない味。

 勿論、そういうハムとかベーコンとかソーセージとかも好きだけど、僕はそっちの方が好きだと思った。とても。比べものにならないくらいに。

 ……血の味が好きな事と、殺す事に快楽を覚える事は別じゃないか。

 そう思いながら、また次、ポカブをこのホタチで切り裂く時を楽しみにしていた。

 

*

 

 翌日、やっていけないと見做された兄妹達が分けられて、普通に平穏に、この街の誰かと共に生きていく事となった。

 残った数匹の、ポカブを殺した昨日から特に変わらずぐっすりと寝て起きた僕達。

 いつもより遅い朝ご飯を食べていると、衰えた祖父が残った僕達の事をじっと見つめてきた。

 何かを見定めるように。

 そんな僕達も、祖父の事をじっと見ていた。

 あの日以来、祖父の体は一気に衰えていた。立派な髭はだらりと垂れて、頭の兜もぽろぽろと欠けていく。角の先も気付いたらぽきりと折れていた。

 祖父は、近い内に死ぬ。それを僕達は、特にポカブをこの手で殺して命が失われていく様を間近で見届けた僕達は、はっきりと理解していた。

 見つめ合う、長いようで短い時間。

 それから祖父は自分のご飯に顔を落とした。僕達よりもとても少ない、それでいて柔らかくされたご飯。それを飲み干すと、祖父は日当たりのいい場所にゆっくりと動いて、そこでまた目を閉じた。

 

 精肉の作業にも僕達は各所で携わる。

 ダイケンキになれば四足でも二足でも動けるようになる僕達は、力仕事に関しては人間よりも役立てる。細かい作業とかは流石に人間に勝てないと思うけれど。

 そういう作業をしている場所に足を踏み入れるとまず、濃い、酔いそうな程な血の臭いがした。

 肉が痛まないように各所に氷が置かれていて、寒いところもある程度平気とは言え、体が出来上がっていない僕達は一気に凍えそうになる。

 中には既に解体された、肉の塊として元の形が見る影もなくなったポカブが数多に吊り下げられている。

 畜舎を壊して中の皆を助けに来たというエンブオーのような、大きな肉はなかった。

 ……僕達は、まだ、ポカブだから食べようと思うのだろう。エンブオーにまでなったら食べようとは思わないのだろう。

 僕達も、もしミジュマルの時の肉が美味しくて、そして管理しやすいとかまで条件が揃ってたら、こんな吊るされる側になっていたのかな。

 そこまで考えて少しぞっとしたけど、それ以上に僕は、この血の匂いに口の中が涎で一杯になっていた。

『血の味に溺れるなよ』

 祖父の言った事を思い出す。

 でも、無理だよ。だって、だって好きなんだもの。血の味が。

 そんな事を必死に隠して、溢れでそうな涎をごくりと飲み干していると、現役のダイケンキ達からやるべき事を指示される。

「肉から骨を外していけ。こびりついた肉もこそぎ落として無駄にするなよ」

 冷たい声。ふざけたりする事はおろか、笑ったりサボったりする事も許さないと言った……毎日、主人と共に陽気に生きている僕の父のダイケンキからは全く想像出来ない冷たさ。

 有無を言わさない声に、僕はもう一度涎を飲み込んで付いていく。

 そして目の前にどんと、皮と内臓を取り去ったポカブの骨付きの肉が置かれた。

 僕はがっかりした。それと同時にほっとした。

 目の前に置かれた肉からは血の匂いが大してしなかったから。僕の涎は自然と収まっていた。

 血を飲み干したい欲求に惑わされる事もなさそうで、でもそれを少し期待していたのもあって。

 触ってみると、とてもひんやりとした肉。隣でダイケンキが手本を見せてくれる。ある程度ざっくりと切り離してから、骨の周りの肉を、骨に刃を滑らせてこそいでいく。

 焼いたら美味しいんだろうけど、でも、この生肉には対して僕は涎が出てくる事はなかった。

 黙々と作業をこなす。真面目に、何と言うか初めてだけどいつも通りって感じに。

 こなしながら、僕はやっぱり思う。

 あの、首から吹き出してくる血が好きだ。そして更に思う。

 きっと、この場所で冷たくなった血を飲んでも満足する事は出来なかった。あの温かい、熱いくらいの、首から吹き出す血を全身に浴びたい。いや、生きているポカブの首に食らいついて、直でごくごくと飲み干したい。

 そうしたら、僕はとても満たされると思う。

 でもそんな事をしたらきっと僕は、あのサザンドラと一緒になるんだろう。ここを襲っておきながら何故か解放されたサザンドラではなくて、磔にされたままのサザンドラと。

 どうして。僕はあの温かい血を飲みたいだけなのに。

 

 その晩、僕は、僕だけ呼び出された。呼んできたダイケンキは、いつも通りのようでそうじゃなかった。

 何か、あの仕事をしている時のような雰囲気を隠しきれていなかった。

 ……僕、何かしちゃったのかな。仕事をしている時はきちんとやっていたと思うんだけど。

 食堂に着く。毛布を掛けられた祖父が居た。

「……何故、連れて来られたか、分かるか?」

「何も変な事はしていないと思うけど……」

「それだ」

「え、ええ?」

 何を言ってるのか分からない。

「……じゃあ、聞こうか。最初にポカブの首にホタチを滑らせた時、何を思ってた?」

「え、えっと……」

 血の味が美味しかったなんて、言える訳ないじゃないか。

「血の味に酔いしれていた事自体は別に良い。そういう嗜好は仕方ない」

「え?」

「それ以外に何か思ったか?」

「え、えっと……」

「何も思っていなかっただろう。肉を骨から外していく時も特に黙々と、誰よりも淡々とこなしていたな」

 えっと……それの何が悪いの?

 困惑するばかりの僕に、祖父は溜息を吐いて言った。

「私達の仕事に、何が一番重要か分かるか? 普通は自然に分かるものなんだけどな」

「えっと……ポカブを苦しませないように殺せる事?」

「違う」

「え、じゃあ、……皆と仲良く暮らす事?」

「……違う」

 もう一度、祖父は長く細く、溜息を吐いた。

「心を切り離す事だ」

「心を、切り離す?」

「言い換えようか。罪悪感と折り合いを付ける事だ」

「罪悪感……?」

「そうだ。私達は人と共に在る事の出来る生物を、食べる為に殺している。

 その事実と向き合っていかなければいけない」

「…………」

 薄らと、僕が呼ばれた理由を、僕は理解し始めていた。

 祖父はもう一度呼吸を整えて、言った。

「心を切り離す必要がない。

 罪悪感と折り合いを付ける必要がない。

 ……そう。ポカブを殺す事に何も感じないお前は、この仕事をしてはいけないんだ」

「えっと……向いているんじゃなくて?」

「お前は、誰よりも、向いてない」

 はっきりと言われた。目と目を合わせて。

「……どうして?」

「……私が言った事を覚えているか?」

「血の味に溺れるな、殺す事に快楽を覚えるな」

「そうだ。ただ、殺す事に何も思わないお前も、それに等しい」

「え……。じゃ、じゃあ、僕、どうなるの? クビ?」

「……そうだな。だが、申し訳ないが、親元にも返せん」

「えっ……」

 僕はふと、後ろを振り返った。ダイケンキが居る。僕の目の前の祖父の隣にも、元気なダイケンキが。

「え、あ、あ……ぼ、僕、生きてちゃいけないの?」

「殺すつもりなら、こんな場所で話さない」

「あ、うん……。じゃ、じゃあ」

「選べ。それでも人と生きたいか、野に帰るか」

 そんな事言われたって……。

「え、あ…………、ぼ、僕は……」

 急かすような雰囲気。考えさせてとか、それぞれを選んだ後に僕にどんな道があるのか、そんな事聞けそうにもなかった。

 ……僕は直感のまま選んだ。

 

*

 

 翌日の朝早くに、僕はどこかへと連れて行かれる。

 ダイケンキと人間に連れられて、街中を歩く。

 ……もしかしたら、僕はこの街並みを見る事ももうないのかもしれない。僕はどこか遠くに連れられて、それきりもうここには帰って来れないのかもしれない。

 そんな、嫌な想像が思い浮かぶ。でも、合ってる気がしてならなかった。

 ……僕、どこかで間違えたのかな。

 いや、でも。今回、そういう事を騙せたとしてもきっと、僕はどこかでボロを出していたと思う。祖父の言う通り、僕はポカブを殺しても何も思い詰める事とかはなかった。残っていた皆は全員そうだと思ってた。

 もしかすると、ダイケンキになってから僕が本当にポカブの首に齧り付いたとして、それが見つかってしまったら、多分その時点で僕の首も切り落とされてしまったのかもしれない。あのサザンドラの隣に、同じように針金でガッチガチに固められた案山子にされていたのかもしれない。

 だからと言って、こんな仕打ちをされるのを受け入れられる訳じゃないんだけど。

 長く歩いて着いたのは、村の反対側にある村長の大きい家。朝早くからあのサザンドラを捕まえたピジョットが空を飛んでいる。

 大きな門の前。人間はベルを鳴らしたけれど、中に入ろうとはせず誰かを待つ。

 やってきたのは、その鳥獣使いだった。鳥獣使いと人間が何か会話している間、ピジョットが降りて来て僕を見つめてくる。

「……ふぅん」

「何がおかしいのさ」

「野に帰った方が幸せかもしれないぞ」

「そういうあんたはどうなのさ」

「俺は幸せさ。何もかもが滑稽だからな。

 都会は楽しいぞ? 人が人を殺すのは日常茶飯事。毎日どこかしらで人も獣も食い荒らされるより悲惨な目に遭って死んでいくし、そんな中で大半の人は笑いながら生きてやがる。人の本質って汚泥を毎日のように見ていられるんだ」

「…………」

「逆に言えば、こんな長閑な場所で生きて来たお前等なんて、来たらそれだけで発狂しちまうかもな。食われる為に生まれて来たポカブなんかの命の一つ一つにそれぞれ重みを抱いているお前等なんて、毎日のように丹精込めて育て上げられた人間がゴミのように死んでいく都会に来ただけで、その毒にやられちまう。

 でも、お前だけはうん、見込みがありそうだ。ぐちゃぐちゃになって死んだ人や獣を何も思わず踏み歩きながら新たに屍を積み上げていく、そんな未来が俺には見える」

「…………」

 人間と鳥獣使いの会話が終わり、僕の方を見てくる。

「さあ。選べよ。どうせお前、この村には居られないんだろ?

 ここが最後の選択肢だ。俺と来て人間の混沌に身を投げるか、それともつまんねー野生で他の有象無象と変わらず生きるか。決めてみろよ」

「……行くよ」

「どっちにだ?」

「あんたと行く」

 くつくつと笑うような鳴き声を出しながら、ピジョットは言う。

「……ふぅん。精々後悔しない事だな」

 けれど。

 そこで僕は、久々に期待されるような感覚を覚えていた。

 

*

 

*

 

 それから少し。

 収穫祭の翌日。

 鳥獣使いと、ピジョットと共に、僕は村を出る。

 生き物を殺す事に何も抱かない僕は、この村には居られないという烙印を押されて、村を追放される。

 別に、血を飲むのが好きなのも、殺す事に何も抱かないのも、元からだったのに。それだけで、僕はこの村には居られなくなる。

 分かる部分もあるけれど、後からムカムカとした感情が湧いて仕方がなかった。

 今、僕はフタチマルだった時のように二つの足ではなくて、四つ足で立っていた。

 

 あの日から暇を持て余していたピジョットに鍛えて貰っていた。どうしても、この村を出るまでにダイケンキになりたかった。

 そんな事で僕の本質やらがどうにかなる訳でもなかったけれど、少しでもこの村の奴等を見返したくて仕方がなかった。そもそも、じっとしている事なんて耐えられそうになかった。

 大して飛ばずに僕のホタチが届く位置に居てくれていても、僕のホタチは全く届かない。

 ホタチを振るう腕を掴まれて地面に叩きつけられて。

 背中に回り込まれて蹴り飛ばされて、風に吹き飛ばされて一気に木まで叩きつけられて。

 それでも木の実を口に詰め込んで再び無理矢理立ち上がってと、感情に突き動かされるままとにかく動いて、体力に限界が来て立ち上がれなくなったり、ホタチを握れなくなったりしたら倒れて眠り果てるのを繰り返していたら。

 収穫祭の日の朝に起きたら進化していた。

 殺人者としての烙印を押されたかのような、普通のダイケンキとは全く違う、血が赤黒く染まったような色をした兜と、捻じ曲がった角と、捻じ曲がったアシガタナを持って。

 こんな異様な姿。収穫祭の日には最後に親と会える事も決まっていたけれど、それも無しになった。収穫祭にも出られなくなった。

 全てを切り刻みたくて仕方なかった。

 終わっても良いとも思った。

 そんな僕にピジョットは言った。

「都会に戻ったら殺し放題さ。手強い奴等ばかりだけどな。お前なら出来る」

 人を馬鹿にする言葉。それと同時に、僕への信頼、期待が少しばかり。

「……約束だからね。このアシガタナが……いや、僕が、血を求めている」

 

 収穫祭の跡が残る街並み。朝早くに起きて来ていた人達は、僕の姿を見て誰しもがぎょっとする。

 目を離せないようだけど、僕が振り向けばと恐れるかのようにして逃げていく。

 僕が生まれた家の前を通る。二階の窓から、父が覗き込んでいるのが見えた。父は、まるで別の世界のものを見ているような顔つきで僕をじっと見ていた。

 牧場の近くを通る。この姿になってからだと、血の匂いをより鮮明に感じられた。

 どこでポカブがどれだけ殺されたのか、その血の味がどんなものなのか、はっきりと分かる。

 それは収穫祭で残る様々な肉の焼けた匂いより僕をとても唆らせた。

「幸せに育ったポカブより美味しい血ってあるかな」

 周りの物全てを馬鹿にするような雑言を撒き散らすピジョットも、ここの肉の味にだけは目を丸くして何も言えてなかった。

「さあな。俺には血の味は分からん」

「そっか……」

「だが、少なくともここよりは、血の味を覚えられるさ」

「それは楽しみだ」

 

 村の入り口で、ダイケンキを連れた人間が挨拶にやってきた。

 父の世代のダイケンキ。精肉を手伝うダイケンキ。悪感を覚えながらもひたすらにポカブの首を切り落とすダイケンキ。

 そのダイケンキが僕を見て驚きながらも伝えて来た。

「親父が、昨日とうとう死んだよ」

「え、ああ。そう」

 でも、想像以上に僕はそれに対して何も思わなかった。

「…………」

 ダイケンキは、そんな僕に対して何か言おうとしてやめていた。

 僕も何も言わなかった。

 短い挨拶を連れて、鳥獣使いが僕達を呼ぶ。

 僕からは、何も言う事もなかった。生まれ育って、追放されて、帰る事もない村。

 今となっては、もうどの思い出も色褪せていた。

 無言のまま外へと出る。振り返ろうとも思わなかった。

 村の外に出た瞬間、一気に開放された気分になった。

 

*

 

*

 

*

 

*

 

 昼過ぎに、簡単な食事を摂る事になった。

 ピジョットが主人である鳥獣使いから、土産物の中の血のソーセージをひったくって僕に投げ渡す。

 ぶつくさ言う鳥獣使いを無視して、ピジョットが言う。

「ほれ。お前が最後に味わう地元のポカブの味だ」

 受け取って、食べてみた。

「…………」

 美味しいけれど。

 やっぱり、新鮮な血を飲みたいと思った。




格好良いヒスイダイケンキ書きたいなーって思ってたら思いついたのがコレだったんだけど、どうしてでしょうね。
※最後の何十行か、執筆中小説を保存せず投稿してたところがあって、欠落したまま投稿してた。履歴から回収できてよかった……。

ヒスイダイケンキ:
生き物を殺す事に何も思わない生まれながらの異常。
人里で生まれ育ちながらも、野生の趣を人里で暮らすには難しい位に持ち合わせていた、と言う方が正しいかもしれない。
でも、肉より血が好きなのでやっぱり異常かもしれない。
それでヒスイダイケンキになった理由は、その異常が理由と言うよりは、追放される事に悪感情を溜めまくったから、という方が正しい。
追放した側が原因だけど、追放しなかったらそれはそれで危ないのでどっちもどっち。

成長したら残虐な暗殺者として大成して、殺した痕跡は血が至る所に撒き散らされた挙句、大抵首から血を飲んで食いちぎった跡が出来るから、変な二つ名でも付きそう。
舞台は一応イッシュだし、殺すとしても一応どれも犯罪者とかだけど、ジャック・ザ・リッパー扱いされるのかも。

ピジョット:
後付けで
・口が凄く汚い
・大抵のものを見下している
というキャラ付けがされた。
でも、良い物だったりはきちんと認める。
幸せに育ったポカブの肉の味とか、鳥獣使いとか、ヒスイダイケンキとか。


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