ふたりのルイズ (うささん)
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【1話】ただ飯ほどうまいものはなし

 美味しいご飯を食べられるのはいいことだ。特に三食昼寝付きの生活など他に交換するものがないくらいに素晴らしい。

 厳しい教育係がいるのは置いておくとして、家事一般、掃除洗濯まで他人がやってくれるのは最高じゃないか。

 とりあえず、今の環境が嘘でないとして、いつボロが出て追い出されるのではないかという懸念は置いておいてもよさそうである。

 一番の問題は、わたし自身の素行の悪さで追い出される可能性はなきにしもあらず。うろ覚えの礼儀作法で誤魔化しがどこまで利くのかはまったくの不明だ。

 というかボロは隠せないよな……

 何せ、ヴァリエール公爵家といえば、この国でトップを争う上級貴族の家柄である。

 この家に場違いながらも、わたしが入り込んだことから、わたしの人生は何だか狂い始めたのであった。

 

 とりあえず自己紹介をしよう。わたしの名前はエステル・フランソワーズ・ド・マイヤールだ。

 年齢は十歳になったばかり。

 名前だけは実に立派な貴族様だ。

 エトワール(星)にちなんだ名前とか、セカンドのフランソワーズとか少女趣味全開といえるだろう。

 まだ会ったことのない従姉妹の名前とおんなじらしいし。

 マイヤール家は最低限の家格を保ってたんだけど、つい最近までは見る影もないくらいの物置小屋に住んでいた。

 過去形なのはその家もすでにないからだ。

 そのマイヤール家が没落したのは家の主が変わったことが原因だった。

 厳格で鉄の掟を敷いていた婆さんが死んだことでその息子に家の利権が移り、散財癖のあった放蕩息子が家の金を使い込んでいた。

 わずかにあった財産ともいえるブドウ農園を売り払ってはまた使い込み、愛人に溺れて最後には全財産を持って女と逃げたのだ。

 その逃げた女というのも愛人とはまた別の女であったからどうしようもない。

 恥を振りまいてマイヤールの名を貶めて消えたわけだ。

 

 この息子というのがわたしの実の父親だ。

 存在そのものを消してやりたいような男だが、わたしがソレを実行する前に綺麗サッパリ消えてくれた。 

 返しようのない大量の借金を残して──

 こっからは何というか、あっという間に貴族であった頃の体裁も面子も剥ぎ取られ、ほぼすべてのものは差し押さえられてしまった。

 身内であったかーちゃんとわたしも売り払いの抵当に入っている始末。

 ぼろっちい屋敷と、庭や馬も全部取られてしまった。仕えていた使用人たちも追い出され、身ぐるみはがしに来たおっかない連中に取っ捕まった。

 親父のやつ、かなりやばい連中から金を借りて踏み倒していたのだ。ホントに殺してやりたいと思ったのはそのときだ。

 連中、ヤバイ、ヤバイ! マジ殺されるって思った瞬間、救いの主は扉を蹴破って入ってきたのであった。

 その婦人は傘一本で荒くれ者をなぎ払い金貸しのボスに小切手を叩きつけたのである。

 見るも鮮やかな立ち回りに見る目は釘づけ。

 かーちゃんは気絶となかなかの修羅場であったのだが、実際には借金の債権者が変わっただけであった。

 

 その婦人がヴァリエール公爵夫人であることを知ったのはずいぶんと後のことだ。

 あの日、傘の人は借金の肩代わりをしてくれた上にある程度まとまった金を都合して置いていったのだ。

 おかげで溜まっていたツケの返済とかを返すこともできたし、かーちゃんを医者に見せることもできた。

 でも、あばら家みたいな家に住んで、稼ぎもないまま明日をどう生きたらいいのかわからない当てのない生活に嫌気がさしてわたしはグレた。

 家出して、町の浮浪児と仲良くなった。初めて仲間といえる連中がそのときできた。

 悪いこともした。生きるために食べ物だって盗んだことがある。それを子ども同士で分けてその日暮らしをした。

 あの頃はすごく楽しかった。

 気のいい同い年のマルクとは一番に親しかった。彼と行く当てもない浮浪児たちに交じっては自分ができることでみんなの役に立とうと頑張った。

 世話を焼いてくれたスカロンさんやジェシカ姉さんもいた。お腹が減るとよくアパートに寄ってはご馳走になったっけ。

 それとやたらお節介で不良少女を更生させようと構ってきたワルドなんてのもいた。このワルドがわたしに魔法を教えた。

 向こうは更生の一環だとか言ってたけど、魔法の力で何度か危ない目を切り抜けたこともある。

 魔法こそがこの世界で生きる自分自身の力だと感じたときから人一倍魔法の練習には励むようになった。

 最初に作った自分の杖は今でも大切に持っている。今あるのはもう三本目だ。

 

 そんで一年も経った頃、かーちゃんが今際の際にヴァリエール家の奉公人になるよう告げたわけである。

 かーちゃんの倒れた原因は栄養失調だ。神経を減りすらし過ぎて燃え尽きてしまった。

 その頃には骨と皮ばかりの姿で見ているのも辛い姿だった。

 ヴァリエール家とうちの関係を知ったのはそのときで、なぜ、そのことをかーちゃんが話さなかったのかは、祖母と叔母の微妙な関係と、兄(親父)と妹(公爵夫人)の間にあった確執が原因らしい。

 あの親父を見ているからわかる。どう見ても人間のクズでしかなかった。女と消えなければわたしが消してもおかしくなかった。

 ともあれ、かーちゃんの葬式が終わるまでは、という期限を貰って物置小屋みたいな家を整理して燃やした。

 かーちゃんの亡骸はちゃんと墓地に埋めた。トリスタニアの共同墓地だけどちゃんとした墓に入れることはできた。

 泣くことはそれで最後にした。乾ききった心でも涙は出るのだと知った。

 立ち会った人間はわずかだった。その中にヴァリエール公爵夫人がいた。彼女はわたしの横に立って肩を抱いた。

 お互いに何も言わなかった。

 憶えているのは灰色の空だ。

 かーちゃんが亡くなった日ではなく、葬式の祈りを捧げた灰色の日を鮮明に憶えていた。

 親族と呼べる人がたった一人いるのだと感じた日だった。

 それまでのわたしは人の優しさというものを肉親に感じることがなかった。

 体の弱いかーちゃんと飲んだくれのろくでなしとの生活は苦痛でしかなかった。親父はよく酔っ払っては暴力を振るったからだ。

 それに反抗することすらしないかーちゃんも嫌いだった。おどおどと人の顔色を窺って生きている人なんだと失望していた。

 でも、その生活もろくでなしの親父が消えて、かーちゃんが亡くなって一変することになった。

 わたしがした選択は、叔母である公爵夫人の好意に甘えるというものだった。

 エステル・フランソワーズ・ド・マイヤールが過去に一区切りをつけた一幕は葬式の日だ。この日をわたしは忘れることはないだろう。

 そして今現在。わたしはヴァリエール公爵家に厄介になっている。

 

 

 この物語はヴァリエール家の奉公人として上がることになった少女がとある理由からヴァリエール家令嬢の仮面をかぶり、魔法学院に入学させられてしまう。これはそんなお話である。

 偽物メイドの本物ルイズと一緒にだ。ときには入れ替わり、ルイズがエステルで、エステルがルイズになるのだ。

 本当にこれは何の冗談であろうか? いや、冗談ではない。これがっ! 現実っ!!



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【2話】ルイズとの出会い

 わたしことエステル・フランソワーズがなぜヴァリエール家に引き取られたのかの経緯は話したと思う。

 実際的な話、血縁者であるという以上に叔母に対して感情はないし、向こうも一度縁を切った実家に恩を着せる必要などなかったはずである。

 ましてや、犬猿の仲であったろう奴(もはや父とは呼びたくない)と公爵夫人の間には兄と妹という以上に根深い何かがあったのではないかと思わせる節があった。

 かーちゃんもそこまでは語らなかったし、あくまでも推測だ。

 叔母さんには感謝する立場だ。

 助けがなければ、借金取りから逃げて住所不定の放浪暮らしか、連中に捕まって春を売る仕事をさせられるかの二択しかなかった。

 十そこらの子どもであろうがスラムの花売りをさせられる。そんな子どもがスラムには沢山いるのだ。

 どっちにしろ惨めな話だ。大人に食い物にされるくらいなら死んだ方がマシだと思っていた。

 

 ヴァリエール家からの正式な向かい入れの準備があると申し込まれたときもどんな詐欺なのかを疑ったほどだ。

 むしろ、叔母である公爵夫人の意趣返しの報復の一環かと思ったくらい。

 スレた思考だけど、この当時はトリスタニアの不良少年少女のグループに属していたわたしとしては人の好意をはい、そうですかと受け入れることは不可能だった。

 金はないが頼りにはできる不良のチビどもがいて、わたしが困っているときは助けてくれたし、あいつらが困ってるときはできるだけのことはした。

 魔法を使ってムカつく連中を追い払ったこともある。そのせいか、巷では札付きの不良少女として恐れられていたほどだ。

 お節介焼きの銃士(ワルド)が更正させようとやたら構ってきたこともある。

 その繋がりを断って本物のお貴族様になる。

 何だか気持ち悪かった。今までの自分を否定しているみたいで余計に尖っていたのだ。

 どんなに欲しくても、どんなに必要でも、金があっても手に入らないものがある。

 それを貴族はいとも簡単に捨てて無駄にしてもヘラヘラしていられるのだ。わたしの父親のようにだ。

 

 ムカついた。どうしようもなく。

 でも、かーちゃんがいた。かーちゃんはわたしにとって捨てられないものだった。

 どちらかと言うと堅苦しい人だった。

 夫が外に愛人を作って家の金を好き勝手に使っているのにそれを止めようともせず、妻としての仕事と役割を果たすことに心を砕いていた。

 そして最後には心と体を壊して医者の治療すら受け付けなかった。 

 ヴァリエールの家に奉公に上る。そうすることがマイヤールの名を残す道だった。

 わたし自身は家のことはどうでも良かった。でもかーちゃんに約束させられたのだ。

 奉公に上がって、ちゃんと勤めてマイヤールの名前を残しなさい、と。

 かーちゃんの言葉にわたしは逆らえなかった。嫌だとは思った。それでも、その約束は守らないといけないのだと理解した。

 きっと、それがかーちゃんとの最後の約束なのだろうと思ったからだ。

 わたしは一度した約束は絶対に守ると決めていた。

 それがくそったれな父親を見てそうなったのかは自分でもよくわからない。

 スラムでは誰も信用はできない。信用できるのはいつも自分だけだった。

 だから、自分で決めたことを守った。

 友人は見捨てない。例え、相手にどう思われていようが、助けたいと思ったら助けるし、約束は守るのだと決めていた。

 そうすることでしかわたしは自分自身でいられなかった。

 誰かが何かをしてくれるのを待ってなんかいられない世界だ。変えるなら自分から変えてやろうと。

 

 奉公に上ることを仲間たちに話したら返って来たのは冷たい視線ばかりだった。

 歓迎されるとは思っていなかった。

 わたしも彼らも天上世界とは正反対にいると思っていたからだ。

 でも、投げかけられた言葉は予想していたよりもはるかに突き放すものだった。

 結局はお貴族様──

 口では何とでも言える──

 本当は俺たちを見下してたんだろう?──

 何が友だちだよ──

 わたしは自分の信じたもののしっぺ返しを食らった。あいつらの言うことは違うけど本当のことだろう。

 人からどう思われてるかなんてわからない。それでも、どう思われても仕方がないと思った。

 唯一、ワルドだけが否定しなかった。

 

『人は生きるべき場所がある。その舞台に上がると決めたならそうすればいい』

 

 その言葉に後押しされるようにスラム街から貴族の屋敷がある通りへ歩いて公爵家の門を叩いた。

 マイヤールの名前を出すといかつい番人の代わりに執事が現れた。

 用事はたった一言で済んだ。

 

「ヴァリエール家に奉公に上がります」

 

 と。その一言でわたしのすべてが変わった。

 

 

 そして二ヶ月が経った──

 トリスタニアのヴァリエール公爵館。そこがエステルの教育の場だ。

 ヴァリエール領はトリスタニアから離れているのでこの館は出張館のような扱いだ。

 この館にはヴァリエール家の人々は住んでいない。

 じゃあ、誰が住んでいるのかというと、ヴァリエールに縁のある上級貴族やヴァリエールの代官がこの館を利用しているのだ。

 商人や仕入れの業者も出入りしていて彼らの身元は商工議会によって保証されていた。

 人が出入りするサロンがあり、議論を好む若い貴族などが滞在していたりもする。

 彼らのスポンサーはヴァリエール公爵なのかよくわからないが自由に出入りを許されているようだ。

 ヴァリエール館には公爵家の家格と威厳を示す大きな門と張り巡らされた高い柵が館を囲んでいる。

 広い中庭に大きな噴水が外からでもかいま見ることができる。

 本館は左右に伸びた棟が対照になった同じ造りの建物でかなり多くの部屋があった。

 主が不在でも使用人の数はかなり多くいて館を管理している。

 まさにヴァリエール家の富を象徴するような館だ。

 中でもダンスホールが超広い上に天井もクソ高い。

 彫刻一つとってもいちいち一つ一つの部屋に細やかな細工を施しているほどだ。

 館っつーよりもうお城だよ! 何度も迷ったよっ!

 初めて見たときはここが王宮なんじゃないかって思ったくらいだ。まさに住む世界が違う。

 夢ではなく今そこに住んでいるという事実を嫌でも思い知るのはミセス・クロウリーの鞭でだった。

 

「ミス・マイヤールっ!」

 

 ビシっ! と短い鞭が小さなテーブルに叩きつけられる。

 その音に居眠りしていた頭が現実に立ち返りエステルは意識をはっきりとさせるのだった。

 

「もーしわけありません。せんせー」

 

 エステルは棒読みな謝罪で返す。

 白髪で七十を迎えるミセス・クロウリーは教育係の一人である。

 一般教養、歴史、言語に才能のある老婆でヴァリエール家の息女達に教育をしてきたベテラン教師だ。

 クロウリーは眉を吊り上げる。その上品な威嚇の仕草はエステルには通じない。屁にも思っていないのだ。

 肉切り包丁で鶏の頭を目の前で切り飛ばされる方がまだ見所がある。

 ミセス・クロウリーの細腕では無理だろうけど。

 

「これで三度目ですよ。同じことを何度も言わせないでちょうだい。また本を頭に載せるほうがいいかしら?」

 

 エステルの苦手な姿勢正し歩法である。

 これを始めるとミセス・クロウリーはかなりしつこいのだが運良く時計が鳴り響いてようやく解放されていた。

 ぎりぎりこみ上げてきたあくびをどうにか噛み殺す。彼女の前ではどんなに些細な粗相もいびりの対象になる。

 

「いいですね、ミス・マイヤール? 宿題は明日までに終わらせること」

「わかりました。ミセス・クロウリー」

 

 お行儀の良さを何とか取り戻して用意した返事を返す。

 この厳しい教育係の前では、まるで自分が機械仕掛けの人形になったかのような気分にさせられる

 扉が閉められようやくエステルはソファに倒れこむのだった。

 

「ぐへ~~、ちかれたよー」

 

 そして脱力する。毎日がまるで拷問だ。この後の授業はないが、明日もスケジュールはいっぱいだ。

 ヤバイ、外に出たい。

 

「二ヶ月か~~」

 

 お上品にセットしたピンクブロンドの髪を片手でいじくり回して解く。

 エステルがここに来て二ヶ月が過ぎた。ずいぶんと長く感じるがまだたったの二ヶ月だ。

 このクソ広いプチ王宮にはなかなか慣れない。出会う人間すべてにお行儀よくしなければならないのは苦痛だった。

 人の名前を覚えるのはもっと苦手だ。ここで会う人の名を次に言えないとミセス・クロウリーから宿題を増やされるのだ。

 自由時間に館を出てふらふらすることは許されなかった。

 馬車に乗っても自由に出歩くことは禁止された。貴族令嬢は自分の足で歩くことがあってはならないらしい。

 何が貴族令嬢だ。

 大根の一本だって買えやしないじゃないか。買い食いがしたい。油たっぷりで上げた屋台のチキン丸かじりしたい。

 それどころか台所仕事さえ拒否されるとかおかしくない? 

 もぞもぞと靴をつま先で脱ぎ、ソファーに寝っ転がる。行儀の悪さは知ったことではない。

 あいつらどうしてるだろうな……

 そばかすのマルクとかジェシカを思い出す。腹ペコのときに食べるスカロンさんのご飯が恋しい。

 あれからスラム街にも一度も顔を出していない。

 スラムをこんなフリフリドレスのお貴族様が出歩いてたらあっという間に誘拐されてしまうことだろう。

 我が家のことも思い出す。

 旧実家の敷地はすでに草ボーボーの無人状態だ。

 外出では墓参りと言えば馬車で出ることを許されているので御者にトリスタニアのあちこちを走らせたりもした。

 想像以上にこの世界は厳しい。エステル的には全部放り出して戻ってみるかという気にすらなっている。

 敵はミセス・クロウリーだけではない。

 魔法学の教授もいれば、妙に人を蹴飛ばそうとする馬もいる。上級貴族は馬に乗るのも義務付けらしい。

 溜まっているのは不満とストレスである。ソファに寝転がりながらグーッと鳴ったお腹を押さえる。

 昼食は食べたが、例のごとくミセス・クロウリーが行儀作法を監視していて食べた心地がしなかった。

 

「腹減った……」

 

 夕餉までまだ時間がありそうだ。備蓄庫に入り込んで物色するのもいい。この密やかな窃盗行為はエステルの意趣返し的な楽しみとなっていた。

 そのとき扉が開いていて、その隙間から部屋の様子を覗きこんでいる目があることに気がつく。

 

「誰かいんの?」

 

 言ってから、やべー、と思うが後の祭りだ。

 ミセス・クロウリーがいたら減点の上、宿題を増やされる言葉遣いである。

 返ってくる気配は戸惑いだった。エステルは自分から扉を開けに行く。

 

「あにやってん?」

「はうっ!?」

「へ?」

 

 二人同時に顔を合わせた。目の前にいるのは背格好は同じくらいのピンクブロンドの女の子だ。

 年も背格好も顔までそっくりだ。まるで鏡合わせの二人がびっくりした顔で互いの顔を見つめ合う。

 

「おおおおおっ!?」

 

 どっかで見た顔が目の前にある。

 そう、近頃はエステルも鏡をよく見るようになったのだ。まるで同じ顔だし声まで気のせいか似ている。

 

「はわわ?」

 

 エステルの妙な気迫を前に少女が怯える。

 

「お、おおおっ!」

「お、お?」

「おい、真似すんなよ?」

「ま、真似なんかしてないわ。そっちこそ真似しないで」

 

 少女が反撃する。口調にわがまま特有の響きが交じる。

 何となくだが誰かは見当がついた。

 

「あんた誰さ?」

 

 挑発的にエステルは腰に手を当てて少女を見下ろす。年の頃は同じだがエステルの方が若干高い。

 

「あなたこそ誰よ?」

 

 女の子は気の強そうな目でエステルを見返してくる。

 組んでいた腕をほどきエステルは頭の上に星模様を描いてみせる。

 

「エトワール。お星様よ?」

「エトワール? 何それ名前なの?」

「本当の名前はエステル・フランソワーズ」

「私とおんなじ名前だ!」

 

 目を大きく開いて少女はエステルを上から下まで眺める。

 

「ボンジュール。あんたが従姉妹のルイズ・フランソワーズ?」

 

 わざとらしくステップを踏んで淑女の作法でお辞儀と一緒にスカートを広げてみせる。

 自分的に85点くらいだ。

 

「お母様が言ってたのあなただったのねっ!?」

 

 何をどう聞いているのかは不明だがエステル自身のことは知っているようだ。

 

「ねえ、お腹空いてない? これから美味しいもの発掘に行くけど、一緒に来るなら分けてあげる」

「え? でも……」

 

 ためらいがちに呟いてルイズは尻込みする。

 

「スイーツ食い放題。ケーキもあったかなぁ?」

「クックベリー?」

「あるかもねえ? 特大のがさ」

 

 エステルは手で円を描く。ホール丸ごとはないかもしれないが、きれっぱしの一つや二つはあるだろう。

 ここの保管庫はでかい。おっきい特大の氷を解けないように特殊な魔法で固定化させて保存しているくらいだ。

 夏場ならそこにいればいくらでもキンキンに冷えることができる。

 エステルの誘いにルイズは心を動かされたようだ。コクリ、と頷いたのを承諾の証と受取りエステルは手を差し出す。

 共犯になっちまえば言い訳なんてどうとでもだ。

 おずおずとルイズが手を出す。エステルはその手を握ると二人は秘密の共犯者となって廊下を走り出すのだった。

 籠の中の鳥の少女の名はエステル・フランソワーズ。

 初めて訪れた館で自分と同じ顔の少女と出会ったのはルイズ・フランソワーズ。

 フランソワーズの名を持つ二人の出会いはそのようなものであった。



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【3話】ヴァリエール家にて

 わたし達はどこか似通っていた。

 勝ち気なエステルと少しわがままなルイズ。二人は年が近い者同士で、その容姿と雰囲気も双子のように似ていた。

 そのこともあったし、気質もどこか通じ合うのか、ルイズとはすぐに仲良くなっていた。

 お互いに自分は世界で一人だけのように感じているところも似ていた。それは二人の出生やら生まれ育った環境に関する事柄だったといえる。

 どこか近い存在だったことが、ごく自然に二人を結びつけていた。

 

 ルイズの遊び相手として引き合わせるつもりであったらしいことは執事からそれとなく聞き出していた。

 ルイズお嬢様は難しいとメイド達が話しているのも立ち聞きして知っていた。

 ヴァリエール家では三女のルイズは腫れ物的な扱いをされているらしいこともだ。

 叔母である公爵夫人とは葬式以降は顔は会わせていない。もっぱら手紙だけのやり取りで代理人を通しての関係だった。

 公爵はヴァリエール領にいるらしく、夫婦そろって公爵館(こっち)まで来るのはあまりないことのようだった。

 長女エレオノールと次女のカトレアとも顔を合わせていない。

 本来ならこちらから挨拶とお礼をいう立場であるが、公爵家の人間がトリスタニアに来ないのであればそんな機会は与えられることもなかった。

 わたしも無作法を披露するよりはその方が都合がよく、従姉妹と言ってもほぼ他人に等しいヴァリエール家の空気に馴染むまで時間はかかりそうだ。

 厳しい教育係を付けられて毎日礼儀作法やら歴史の勉強三昧だ。

 もっとも、サロンに出入りする若い貴族らの話を聞く機会もあったから、それとなくこの家の事情などは知ることができた。

 

 公爵家への奉公というのはほぼ建前だった。ヴァリエール家はわたしをマイヤール家の跡取り娘として迎え入れる気でいたのだ。

 そうでなきゃあんな厳しい教育係なんてつかないでしょ、というのが厨房で親しくなったメイドの言だ。

 貴族令嬢としての教育。貧乏でろくに貴族らしいことを学んでいなかったわたしとしては勉強は苦痛でしかない。

 初めは面食らった。宮使え奉公でメイドで雑巾がけでも何でもやるつもりが、実は貴族令嬢扱いなのだから。

 幸運と思うより、やはり騙されたような気持ちの方が強い。

 こちらが隙を見せればミセス・クロウリーはオーク鬼の首を取ったかのように宿題を増やすし。

 魔法学は難しいし。

 相も変わらず馬は蹴りを食らわそうとしてくる。

 

 そんなとき、うっ憤が溜まると二人は入れ替わった。

 ルイズはエステルに。エステルはルイズに変身する。

 それは衣装棚でメイド達に見つからないように隠れごっこをしていたときにルイズが思いついた遊びだった。

 エステルがメイドに見つかってルイズに間違われた。それから二人はたまに着ているものを取っ替え引っ替えするようになった。

 鏡に立てばわたしはルイズだ。お互いの口調とか、振舞い方とかは真似しあって諳んじるくらい覚えた。

 

「ミス・マイヤール。この問題を問いてください」

 

 すらすらと中身ルイズのエステルが問題を解いてミセス・クロウリーを黙らせたり。

 

「はいやーっ!」

 

 蹴り癖のあるエステルの天敵を乗りこなして馬丁を驚かせる。もちろん中の人はルイズ。

 あんた……何でも超人かっ! 思わず突っ込みたくなるほどルイズは貴族令嬢として完成していた。

 それに比べ、わたしときたら勉強は教科書開いたまま寝れちゃうし、馬に乗るのは超ど下手。編み物刺繍など糞食らえである。

 でも、ルイズにもダメなものはあった。

 ボンッ! 爆発音は木製の立ち人形を吹き飛ばす。中庭にその破片が散乱するのだ。なお、今のは魔法の練習だ。

 

「うう……やっぱり爆発する……」

 

 そう、魔法がダメなんだよな。コモン魔法も属性魔法も一切成功したことがない。それどころか爆発しちゃうのだ。

 どうしたらええねん?

 

「エステルはいいなあ……」

 

 いじけるルイズ。重度の魔法コンプレックスである。

 逆にわたしは魔法学の先生には褒められることもあった。そっち方面だけは何とかなるのだ。それが今はちょっとマイナスだ。

 ルイズの魔法には程良いという加減がない。なので魔法は入れ替わりできない。

 午後の腹ごなしのサンドイッチを食べながら、二人して庭の噴水の前に寄り添って座る。

 

「人には不向きなこともあるじゃん。わたし見ろよ。勉強、ダメ~~。乗馬、ダメ~~~。刺繍、最悪~~。あーあー、落ち込んじゃうよ」

 

 人には向き不向きがあるのだ。ルイズはわたしが欲しい物をすべて持っている。

 

「ねえ、このまま入れ替わらない? わたしがエステルで、エステルがルイズでいいじゃない」

「そりゃ不味いべ? わたしゃ貧乏貴族で、あんたは公爵家のお姫様じゃん? すぐバレるよ」

「貴族で魔法が全然使えないなんて終わってるもいいとこよっ! そうでしょっ!?」

「そうかな?」

 

 別に放っておいてもルイズは食っていける。

 問題はそこじゃないにせよ、魔法が使えないからといって生きていけないわけでもない。

 でも、今のルイズにとってはそれが大事なことなのだ。正論なんて意味が無い。 

 

「そうよ!」

 

 ぷりぷり怒るルイズ。落ち着くまでは何を言っても無駄なんである。 

 確かに貴族といえば魔法を使える。それは例え貧乏貴族であろうが守ってきた血統というものが関係している。

 エステルが受け継いだ力も伝統に準じた魔法の力だ。

 ルイズは公爵家の正当な血筋を引いている。それなのに魔法が一切使えない。つまり存在定義の矛盾だ。

 真っ当な魔法の形にならないだけでまったく使えないわけではないことが問題らしい。それが爆発という謎魔法となって現れている。魔法学の権威を集めても解決にすら至らない。

 そういうことがよくあることではないようだが、わたしはルイズの魔法を否定することは止めた。

 そんな風に生まれついただけだ。足りないものがあるなら補えばいいのだ。足らないピースは二人がいれば埋めあえるのだから。

 

「じゃあ、いいよ」

「え?」

「入れ替わってあげる。ルイズがもう嫌だって思ったら、いつだってわたしが代わってあげる」

「本当?」

「その分、またミセス・クロウリーをギャフンって言わせてくれたらね!」

 

 エステルが肩をルイズにぶつけるとルイズは笑いながらぶつけ返してくる。しばらく二人でおしくらまんじゅうする。

 

「いいよ! じゃあそうしましょうっ! これは契約よ。わたし達だけのっ!」

 

 お互いに望むものを補填し合う等価交換だ。お互いに秘密にしあうのが契約の条件。ルイズにならその程度は安いものだった。

 彼女はわたしがこの息苦しい貴族の世界で初めて得た友人だ。寄る辺のない者は肩を寄せ合うもの。

 公爵令嬢と貧乏少女では釣り合いが取れないけど、今の関係は誰にも壊すことはできない。

 

「指切りげんまんする?」

「するっ!」

 

 ルイズが勢い良く立ち上がってエステルも立つ。二人の小指が絡み合う。

 

「指切ったっ!」

 

 二人は神聖な儀式を交わす。

 指きりげんまんは何だか知らないけど、どっかの地方の風習らしい。葡萄酒が美味いタルブだっけか。

 二人の指が離れ、指切りの約束は契約として交わされたのだ。

 ルイズが公爵館にいたのは夏の一時だけだ。

 別れを惜しんでから、ルイズが帰りの馬車に乗り込んで門から出ていくのを見送った。

 それから一週間くらい経って、ヴァリエール家の人々に引き合わせられることが決まった。

 叔母さんとルイズは知ってるから、おじさんと長女と次女との対面だ。

 王都しか知らないわたしからすると初めての長旅になった。

 ずっと馬車に揺れて腰は痛くなるし、挨拶の台詞を考えるのに必死で外の景色を眺める余裕もなかった。

 着いたと降り立ってみればでっかい門前にいた。

 

「ここがルイズのはうすか~」

 

 軽口を叩いてみるものの滅茶苦茶緊張している。

 ルイズはともかく、叔母さんはおっかないイメージあるし、まだ会ったことない従姉妹二人と上手くやれるかの自信がない。

 付け焼刃の礼儀作法がどこまで通じるのか。

 

「粗相があってはなりませんよ」

 

 介添え人役のミセス・クロウリーがしゃんと背を伸ばしなさいと背中を軽く叩く。

 

「はーい」

 

 道中、ずっと公爵家での注意事項やらを聞かされていたので休まる間がなかった。

 そしてわたしはミセス・クロウリーと大きな門をくぐっていた。

 

「よく来たね。疲れていないかね?」 

 

 出会って早々ハグしてきたのが公爵だ。いきなりなフレンドリー対応に心臓がバクバク言い始める。

 屋敷の玄関口には沢山の使用人が並び、その中心に公爵家の人々がいた。その大仰しさにはびっくりした。

 ルイズと目が合うと小さく手を振ってきたので、抱きすくめられたまま片手で振り返す。

 あれが一番上の姉さんで、こっちが二番目? だよね? 教わっていた通りだ。

 長女エレオノールはすっごい美人だけど性格きつそうな口元だ。叔母さんに似ている。

 それに対し、次女カトレアはふわっとした印象だ。どっちかと言えばおじさんだろう。 

 ハグからようやく解放され一歩下がってお辞儀をする。

 

「エステル・マイヤールです」

 

 どうにか挨拶をする。

 

「中にお入りなさい」

 

 事務的に叔母さんが告げて、わたしは公爵家の人々に迎え入れられた。

 すぐに夕食になって、一緒のテーブルに座るよう言われてようやく気持ちは固まった。

 貴族令嬢として、マイヤール家の娘としてこれから扱われるのだ。

 王都から持ってきた数少ない荷物をやたら広い部屋に放り込んだ。

 思い出と言えるものはここにはまだ何一つない。

 王都に置いてきたのはろくでなしの親父の記憶とかーちゃんのお墓。

 苔むした古い実家に焼き捨てた請求書。

 もう別世界となった別れてきた仲間達のこと。

 変わらないのは──

 

「やっと来たっ! これからずっと一緒よっ!」

 

 抱き着くのはルイズ。

 夏に帰ってからずっと寂しかったのは一緒だ。彼女だけがこの屋敷での唯一の逃げ場だ。

 

「約束したじゃん、当たり前だろ?」

 

 二人の約束と関係はそれからも変わらなかった。向こうは主家で、こっちは厄介者でしかないけれど。

 勉強は公爵館にいたときよりも濃密になって、毎日課題が波状攻撃してくる。

 ミセス・クロウリーの怖い顔の前でバックレルのは不可能に近い。

 それと、エレオノールさんがやたらオタクな問題を出してきたり、疲れ切った後にカトレアさんが紅茶に誘ってくれたりと、飴と鞭で生かされてる気になったり。

 

「ちかれた~~ ルイズ、頼むわ」

「あいあいさー」

 

 下町言葉も覚えたルイズと服を取り換える。

 二人が入れ替わる頻度はますます増えていった。公爵家に仕える家人で気がつくのはごくわずかに過ぎない。

 新人のメイドや奉公人をからかっては二人は入れ替わり、また元に戻る。

 ルイズがエステルなのか、エステルがルイズなのを見分けられるのは叔母さんと次女のカトレアだけだ。

 

 

 そうして、わたしがヴァリエール家に来て早くも二年が過ぎた頃──

 叔母さんは相変わらずおっかないとこもあって近寄りがたい。けれど、わたしが魔法が得意だと知ると時間を割いてわざわざ教えに来るようになった。

 それは忘れかけていた家訓まで思い起こさせることになったわけだが……あの恐ろしい修行のことは長くなるから省略する。

 あのおばはん、人をなんだと思っているのか……

 おかげで魔法。特に風魔法は必殺技というほどまでの技を得るに至った。

 誰に使うんだよこれ?

 後、傘を使って戦えるのか練習したが、傘をぶっ壊すばかりで全然うまく行かなかった。叔母さん、傘で格闘した後に普通に差してたんだよな。

 何だか敗北感を味わわされた感じだ。

 

 公爵はわりと優しい人だ。成分が優しさで出来ているんじゃないかと思うくらいだが、ときおりうざい感じ。

 わたしがルイズと入れ替わっても全然気にしない。わかってても気にしないのかは謎なおっさんだ。

 お小遣いをよくくれるのでいい鴨である。

 

 長女のエレオノールは行き遅れ……

 おっと、命が惜しければ家中ではその話題は禁止だ。

 実家にもトリスタニアにもあまり寄り付かない職場に籠もりきりのワーカホリックだ。

 美人だが性格はきつい。叔母さんの娘らしいといえばらしいが方向性は違う。誰にでもそうなので、三度ほど会っただけで嫁げない理由は嫌というほど理解できた。

 男をうんざりさせる才能に長けているのだが本人に自覚がない。

 唯一、魔法オタクという点で話が合うのが幸いだ。

 マニアックな魔法に詳しいし、実験の成果を実家に戻った時に良く披露してくれた。

 

 次女のカトレアさんはマジ天使だ。本当の姉に貰いたいくらいだと言ったらルイズに断固拒否された。

 病気なので実家で静養していることが多い。社交界に出ることもないので、このまま領地から出てこないかもしれない。

 始めの頃に入れ替わったルイズとわたしを一発で見抜いてしまった。内緒にしてあげるという言葉に呆気無く降伏してしまった。

 カトレアさんは優しさの成分で出来ている。

 

 そんなわけで、エステル・フランソワーズ・ド・マイヤールはヴァリエール家ではそれなりに上手くやっていた。

 ルイズが魔法学院に通う年齢になるまでは────

 



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【4話】入学式にて

 トリステイン魔法学院の入学式当日。まだ新しい制服とマントに身を包んだ新入生らが期待と希望に満ちた門をくぐってこの場所にいる。

 そしてここに新品の靴の踵をもぞもぞとこすりあわせ、欠伸をこらえるピンクブロンドの少女が一人──

 

「ぶぇっくしょんっ!」

 

 講堂に鳴り響いたのは特大くしゃみだ。あまりに盛大すぎて何人かの生徒が腰を抜かしたほど、というのは比喩だが、眠気の原因だった糞長い歓迎の挨拶とやらも止まっていた。 

 

「あ……悪い悪い。続けてーな」

 

 周囲から突き刺さる視線を無視して少女はハナガミに鼻をチーンと当てる。それからマントの襟を整え何事もなかったように澄まし顔に戻るのだった。 

 その豪快なピンクブロンドの少女の姿に好奇心を抑えられない新入生組が囁き合う。

 話題の少女は新入生の中でもとりわけ目立つ異色の存在だった。

 

「ねえ、あれ誰かしら?」

「やあね、知らないの? ヴァリエール家の三女だってさ。全校生徒で例外のメイド付きっ! なんでもゴリ押しで認めさせたんだって」

「さすが公爵家。過保護の鳥だな」

「ああ……でも、聞いたところによると、ヴァリエール家の三女は魔法がすっごい下手で物ばかり壊すそうだよ? いとこから聞いたんだけどさ」

「何それ、使いものにならないじゃない。同じクラスになったら面白いのに」

 

 ジロジロとルイズ……ではなく、中身はエステルのルイズを眺める野次馬の囁きはきちんと届いている。

 全部聞こえてんだが……

 その声がする方に殺気混じりのガンつけで睨む。返ってくるリアクションは無視して前に向き直りさっさと終われよと肩を落とすのだった。

 ちょっと失敗だったかな。……

 新入生歓迎の挨拶が終わって、エステルは講堂から吐き出される新入生に混じって階段を下りる。外はいい天気だ。

 一番下の階段に座るとあんちょこミニマップを広げる。寮の場所は覚えたがここは広すぎるのだ。

 周囲ではすでに新入生同士で話しながらつるんでるのがいたりして、自分のボッチさを思い知らされるのであった。 

 貴族子女のご学友ってやつかしらん? ルイズには全然いないしなぁ……

 魔法学院に通う学生のほとんどが貴族の子女だ。貴族同士の繋がりで、血縁親戚の関係にある貴族の子どもはかなりの確率で知り合いであることが多い。

 おおまかに下流、中流、上流って区分けすると、下流は下流のコミュニティを築き、上流は上流で固まるわけ。

 下と上で仲良くお友だちってのはまずない。あるのは身分による上下関係だけだ。親戚だとしても、相手が上なら上の子どもに従う関係になりやすい。

 ヴァリエール公爵家ほどの家格なら子分を率いるくらいわけないのだが、我らのルイズはコミュ障……じゃないが、それに近いので親戚の子どもで仲良いのがまるでいない。

 お腹空いた……

 今日のイベントはもう終わり。明日には割り当てられたクラスで三年間過ごすであろうクラスメイトと顔を合わせることになる。

 初日なので担当はルイズだ。魔法を実践させるような授業はエステルが出ることになっているので、出番はこれからぐっと増えることになる。 

 

「あーあ、何でこんなことになってるんだか……」

 

 惚けたようにお空に呟く。周囲のお喋りとか浮かれてる連中の輪に加わる気にはなれない。

 お友だち作れって言われてないしな……

 

「おい、あれがヴァリエールだっけ? 公爵家御令嬢様だってよ~」

「お高く留まってんじゃねえの~?」

「はぁ……?」

 

 どこからか聞こえたのは明らかにこちらに向けられた侮蔑の言葉だ。声の方に振り向くと階段上の手すりの銅像近くに何人かの男子生徒がいた。

 三人がエステルを見ながらにやにやと笑っている。

 上級生だと一目でわかった。エステルの第一印象は「関わりたくない連中」だ。

 一人はデブだ。目つきが暗くてトロそうだが何だかヤバそう。

 一人はガリガリのやせっぽち。気弱そうだが、いかにも集団では調子に乗りそう。

 中央の奴がたぶんボスだ。くすんだブロンドの髪を上に撫でつけて整髪料か何かで固めている。

 着崩した制服と肩から斜めがけしたマント。いかにも貴族のバカ息子っぽい。というか絵にかいたようなつっぱりヤンキーがいる。

 とさか野郎とエステルは内心あだ名をつける。

 見上げたエステルをとさか野郎が挑発的にガン付け返してくる。

 にらみ合ったのは一瞬だけ──

 

「はっ、行くぜぇ……」

 

 三人はすぐに消えてエステルは溜息を吐き出す。

 

「初日から変なのに絡まれた……」

 

 何だか目を付けられてる? まあ、絡んできたら〆てやるか……誰も見てないところで。

 

 

 前略、かーちゃん様へ。

 あなたの娘はこの度トリステイン魔法学院に通う運びとなりました。学費とかそういうのはご心配なく。誰にも借りておりません。体も健康であります。

 その代わり従姉妹のルイズと一緒に通うことになりました(重要)。 

 キャッキャウフフの学園生活とお思いでありましょうが、何だかいろいろ複雑な理由からわたしが従姉妹のルイズになったり、メイドになったりと奇妙な交換生活を始めることになりました。

 何でかって? 理由はヴァリエール家の入り組んだ家庭事情なんである。

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールはどうしても魔法学院に入学してその三年間を無事平穏過ごして卒業しなければならないらしい。

 そこら辺は大人の事情でわたしには関係ないはずだが実は大いに関係があったのである。

 簡単に言うと貴族様の事情というやつだ。大貴族であろうと貧乏貴族であろうと逃れられないのは横の繋がりだ。

 ルイズはヴァリエール家の跡取りで公爵家を継ぐことを求められている。ヴァリエール家は大領で直臣貴族までいる大所帯である。

 そのヴァリエール家次期当主が魔法が使えないというのはかなり大きな問題だ。勉強は何とかなっても肝心の魔法が使えませんというのはかなりかっこ悪い(かっこがどうこうのレベルではないが)。

 魔法学院に入学しても中途退学などしたら世間体がマッハである。公爵家ほどの大家の外聞に恥を塗ることになることは間違いない。

 つまり、ルイズは魔法学院で優秀に成績を修めて魔法も使いこなし、きっちり卒業までその名を貶すことなく過ごさなければならない。

 物理的に無理がありすぎるだろう……魔法全然使えないのに。

 

 さて、エステル・フランソワーズ・ド・マイヤールはルイズの従姉妹である。

 外見上の差異は若干ながらわたしの方が少し高いが大した差ではなく、成長期にある具合加減は、ルイズには申し訳ないが、わたしの方が些少ながら発育は良い。

 そして公爵夫人である叔母さんに返しようもない恩がある。ついでに借金まで残っている。それは継続中でエステルを養育している間の費用も計算することができる。

 返せとは言われないが、何も言われずとも生きているだけで無言の圧力を感じる。

 庶民的感覚で見れば、貴族として養育される費用だけで平民が数十年かけて稼ぐ額を一年で軽く上回るのでアルバイトしても普通に返せない。

 叔母さんに頭が上がらないのはそういうところだ。

 そしてルイズとエステルであるわたしはそっくりくりそつである。お互いの性格までよく知った仲だ。

 従姉妹のルイズが魔法学校に入学する。さて、エステル・フランソワーズはその間どうするのか?

 そのことで公爵夫妻で何やら話し合ったようだが、次の日の朝食の席でぶっ飛んだ話題が提議されたんである。 

 

「エステルとルイズにはトリステイン魔法学院に一緒に通ってもらいます」

 

 一緒に、というところがあれだ。それはないだろうと思った。さすがに魔法学院に通えるだけの家格も金も持ち合わせていない。

 マイヤール家の借金が成人もしないうちに膨れ上がるわけである。当然返す当てもない。逆らうことは不可能だ。

 返せとは言わず、ただ増えていくだけとかそこらの金貸しよりタチが悪い金貸しである。

 ルイズは全然その話を理解していない。逆に喜んでいるくらいだ。

 わたしは嬉しいというより複雑。どうしてそんなことになったかを知ったらルイズも青くなることだろう。 

 そこは叔母さん、素敵な案を持っていたのである。貴族の常識外すぎて笑えるほどだ。

 それは現状の借金に上乗せされるわけでもなかった。

 そして、わたしがそれを拒否する権利などこれっぽっちもなかった。借金の取り立ては忘れた頃にやってくる。

 正直泣ける。

 

 こんなことになったのも貴族婦人会の集まりでヴァリエール公爵夫人が爆弾発言をしたのが事の発端であった。

 我らがルイズが魔法学院に入るか否かは公爵家にとってかなり頭が痛い懸案事項となっていた。

 ルイズは病弱で魔法学院に通うのは難しいと主治医に偽の診断書を書かせたほどだ。

 すでにカトレアという前例があって、次女のカトレアは学校に通うことも社交界に姿を現すこともなかったから事なかれ的にそういうことにしようという空気が家中に漂っていた。

 ヴァリエール家の次女と三女は体が弱いのだ。三女は成人を迎えてしばらくしたら全快ということにすればいい。

 痛いものにはフタをしろという感じだ。

 その間、ルイズとエステルには所定の領地に行ってもらって経営学を学ばせようということになっていた。

 まあ、ヴァリエールは大領だし今さら中央から離れたところで基盤が緩むわけでもない。領地内の収穫物の上がりもかなりのものだし、ほそぼそと領地運営していても問題ない。

 痛いのは次世代貴族の人脈作りだがそのことには触れられなかった。

 それでことが運ぶはずであった──

 

 そうはならなかったのはその婦人会の集まりに公爵家アンチの夫人方が同席していたことが問題だった。

 低い身分でありながら公爵家の人間となったカリーヌ・デジレ・ド・マイヤールという女を彼女たちは認めていなかったのである。

 常々、卑しい身分の女がという妬み嫉みから陰口は叩かれていた。それを直接口にはしなかったがそういう態度でねちねちと公爵家の弱点を抉っては遠回しにいたぶるのがやり口である。 

 話題の標的は公爵家三女のルイズだ。

 おおむね、矛先はルイズの魔法の才能から始まり、病弱という噂を突っつき、ヴァリエール家の娘たちの男運のなさを嘆き、健康な世継ぎは難しかろうと深刻な顔で言ってのけたのだ。

 集団のおかわいそう雰囲気のいたぶりに現場は修羅場に早変わり。

 このときの叔母さんの顔と修羅を背負ったオーラはそれだけで人を射殺せたほどだ。

 なぜ、まるで見ていたようにものをいうのかと思うかもしれないがエステルもその場にいたのである。

 叔母さんに婦人会の手伝いをするよう命じられてそこにいたのだ。

 

「ルイズは来年から魔法学院に通わせますとも。病気? ええ。そんなものはもう治っています。主治医からも完治したと言われましたわ。ですから、皆様方に心配されなくとも大丈夫ですわ。ルイズは必ず魔法学院に通わせますからっ!」

 

 ルイズが魔法学院に行くことになり、さらにエステルを付けて入学することになった事の顛末はこのようなものだった。 

 そんなわけでなし崩し的にエステルはルイズの影武者として生き延びねばならなくなったのである。

 バレるのは厳禁っ!

 中途退学も厳禁っ!

 両方は最悪っ!!

(そんなことは実は言われていないが、バレたらかなり問題であろう。退学はヤバい)

 借金娘は生涯公爵家の奴隷っ!

 無事卒業のみが許された一本レールっ! 

 選択の余地がねえ……泣けるねえ。

 というのがわたしがここにいる理由なのである。人生どう転ぶのかまったく予想がつかないとはこのことだ。

 

 

「入学式に出るって言ったのはエステルの方なんだからね、ちゃんとできたでしょうねっ!」

 

 寮の部屋に戻ったエステルを出迎えたのはメイドのエトワールだ。特徴的な瓶底メガネが鈍く光る。

 もとい、現在の中身はルイズである。エステルが入学式に出たいと言ったので入れ替わっていた。

 変装用のメイド服は正規のメイドのものだ。ヴァリエール本家仕様の衣装で学院のメイド服とはいろいろ細部が異なる。

 瓶底眼鏡には魔法がかかっていて見る者に顔形の情報を正確に伝えないようにできていた。素晴らしい魔法の品であるがデザインは最悪だ。こんなものを作った奴は相当歪んでいるに違いない。

 落としても壊れないように強化されているらしく象が踏んでも壊れないらしい。

 象が何だかは知らないが、それをかければ、見慣れた間柄であろうが隣に同じ顔が並んでいても判別することができなかった。

 騙されているという実感を持たせないのがこの眼鏡の特徴だ。

 メイドのエトワールという名はエステル自身の名前でもある。エトワール(星)にちなんだイコール=エステルのことだ。

 部屋の整理はまだ終わっていない。

 今日、入寮したばかりであちこちに実家から持ち込んだ物品が散らかっている。ルイズは物を順番に片付けるのが苦手だ。

 メイド・ルイズは不慣れな手でシーツを畳んでいる。それを見てると何だかイライラしてくる。

 

「つーわけで交換な、ルイズ」

「えー、もう?」

 

 わりとメイド姿が気に入っているのかルイズが唇を尖らせるが、その手から畳んでいたものをエステルが奪い取って畳み直す。

 

「こーすりゃ綺麗に畳めるだろ?」

「なるほど、そうやるのね」

 

 お互いに服を着替え瓶底眼鏡をかければエステル版エトワールの出来上がりである。いや、正真正銘こっちが本来のエステルの姿だ。

 メイド服は割と大好きだ。ぐっとそそるものを感じるのだが、ルイズに言ったらヘンタイなのかと言われた。何だか価値観の違いを感じる。

 トランクを開けて順番に服をタンスにしまっていく。

 

「ルイズ、メイド仲間とかに挨拶済ませた?」

「わたし、部屋から出てないし、何でわたしが挨拶しなくちゃいけないのよ?」

 

 ベッドに寝転がったルイズが手を振って返事を返す。

 そりゃそーですね。御令嬢様に期待したわたしがアホウでした。

 

「あっそ。じゃあ、ちょっと挨拶にでも行くわ」

「晩ご飯までには戻ってよね。エステルに給仕して欲しいから」

「あいあい」

 

 エステル改め、エトワールは部屋を出て長く広い廊下を歩き出す。学院の寮の癖に下手な貴族屋敷より豪華だ。

 泥棒が入ったらどうするのだろうか?

 階段を降りて寮を出て周囲を見回した。敷地内の建物配置はうろ覚えである。

 あれかな?

 エトワールはそれらしい建物に向かって歩き出すのだった。



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【5話】厨房、そこはしゅらばらば

 厨房。そこは腹ペコたちの宝の山。今日も誰かの胃袋と食欲を満たしてくれる素敵空間。

 

「るんたった、たりらりら~ん」

 

 廊下の向こう側から漂ってくる匂いは美味しい香り。それだけでお腹が減ってくる不思議。ああ、よだれが出そう。

 グーグーなるお腹はもはや我慢できないの~っと厨房の扉に駆け寄りノブに手をかける。

 

「ちーすっ!」

 

 メイド・エトワールが勢い余って厨房の扉を開けた瞬間──そこは修羅場だった。

 飛び交う怒声。

 弾け散る油。

 ジュージュー焼ける肉の音。

 熱気と喧噪がやかましい。

 どんと置かれた皿に同時にサラダの盛り付けが開始される。

 トントン踊る包丁から切りだされたものがポンと跳んで皿の上に順番に並んでいく。

 まさに芸術的な技が繰り広げられる厨房では料理人たちが存分に腕を振るっている。 

 おおう何ということでしょう。厨房は今や戦場の戦火の最中であります。

 トントコトンと包丁が踊っては、また別の食材が刻まれては鍋に放り込まれ炎がブワッと舞い上がるのです。

 

「あんのぉ~?」

「そこっ! 遅い遅いっ! 次の皿をセットしやがれっ!」

「チーフっ! デザートリーフ不足ですっ!」

「何かすごい……」

 

 エトワールの存在も呟きも完全無視である。

 

「馬鹿野郎っ! 言うのおせえよっ! レッドブロッコリー茹でろっ!」

「はい!」

「はいっ!」

 

 あっけにとられるもつかの間、盛られた皿がカートに並べて置かれるとメイドたちが高速で向こうの扉を開けて駆け抜けていく。 

 そして入れ違いに戻って来たらしいメイドがテーブルに立つのである。

 目線を料理長へ向ければ、その指示で機械的に他のコックが動いて食材のサラダが用意されていく。

 熱い湯気を立てる鍋に茹で野菜が放り込まれる。

 火のあるあちこちでジューっと立ち上がる蒸気で厨房全体を見渡すのは困難。というか熱い。恐ろしいまでの熱気にじわりと汗がにじんでくる。

 あちこちで同時に何かが作られている光景が広がっています。こんがり焼いた肉にトロリなソースがかけられ、盛りつけたサラダはその色彩を互いに主張しながら目にも鮮やかな芸術品へと姿を変えるのです。

 何ということでしょう。ここはスーパー鉄人たちの厨房だったのです。

 観てるだけでお腹減るなぁ……つーか、あたしのご飯は?

 

「すんませ……あ、いあ、さいならぁ」  

 

 ぶっちゃけ、何だか面倒くさそうと思ったので戸を閉めようとする。

 

「おい、そこのっ!」

「ひゃ、ひゃいっ!?」

 

 思わず飛び上がる。なにせ強面の厨房人が分厚い片刃包丁を片手にこっちに突きつけているんである。コックのでっぷり突き出したお腹がやたら目立つ。

 

「新人かっ!?」

「あ、あたしはヴァリエールの……」

 

 専属メイドっす! これからお世話になるっす。さようならで終わらせようと用意していた台詞はおっさんの一言によって邪魔される。

 

「手が空いてるならさっさと入りやがれっ! 五番セット入るぞ。ちんたらすんじゃねえっ!」

「はひ?」

 

 見ればテーブルに新しい皿が並んでいる。トッピングし終わった皿を載せたカートをメイドさんたちが一斉に持っていく。

 それと入れ替わるように先発隊のメイドが戻って皿の前に並んでいた。

 はやすぎっ!

 スタンバイしているメイドとコックは次の仕上がりに備えて構えの形を取っていた。まさに手慣れたプロの動きだ。

 ヴァリエールの厨房も広かったがここまで組織だっていない。ちょっと見惚れてしまう。

 

「急げ、急げぇ! これを付けろよ!」

「た、ただいまぁ~~」

 

 白いエプロンを押し付けられ慌ててそれを付ける。断る空気ではない。あたしって割と流されるタイプ?

 何でこんなことに巻き込まれてるんだ? 挨拶しに来ただけなんすけどぉ~

 

「あんた、初めて?」

「あい~ よろしくおねがしやすぅ~」

 

 新人メイドの振りしてメイドさんたちの列に割り込む。お皿の前に立ち先輩諸氏の手に注目する。

 

「見てないで、ちゃんとやってよ? こっちのやってる順番通りに並べる」

 

 最初のボウルがどんと置かれ一斉に手が伸ばされる。盛り付けの仕事がメインのようだ。

 んじゃさっそく。

 

「ちっがーう! まず、これ! こう、こう、んでこうっ! わかった?」

「オッケオッケ~ こうこうこう?」

 

 もう見よう見まねだが開き直ることにする。どうせ食っちまうんだから多少のミスはご愛嬌である。

 赤、緑、黄色とバランス良く配置されるサラダたち。きれいなものだが、この後結局食い散らかされる運命にある。

 

「まあ、そんな感じ。手を休めんな」

「はい、先輩っ!」

 

 働かざるもの食うべからず。生存原理主義に則った素敵な言葉である。そんな言葉など気にもとめないのがこれを食う貴族どもである。

 見よ、ここに労働システムのカーストの縮図があるのだ!

 ハーハッハハ~~! ヤバイくらいテンションが上がるのはここの雰囲気のせいだ。きっと、たぶんそうに違いない。

 

「次の皿入りまーすっ!」

「まだあんの……」

 

 ちょっとした絶望感。これ、すっごい運動になるな……

 並べ終わった我が作品達がカートの棚に載せられ大きな扉の向こうに消えていくのを見送る。

 また来た皿に並べ終えるとメイドさんたちが一斉に動き出す。

 これで終わりかしらん?

 

「先輩、もう終わりっすか?」

「なわけねーべ、これから給仕!」

「ですよね~」

 

 どうも最後の皿であったらしく一斉にカートに載せた後に廊下に出てそれを押して運び出す。

 見よう見まねでカートを押して追いかける。

 

「えっさ、ほっさ」

 

 そいや……まあ、いいか。持っていけばルイズに会うに違いない。

 アルヴィーズの食堂にメイドが使う通路を抜けて入る。ここだけは貴族も通らない使用人用の通路だ。規模でいうなら大きなお城の厨房を超えているだろう。

 食堂のくせに無駄に豪華で天井が高い。格調高い雰囲気の場所で思わず鼻がムズムズしてくるほどだが、待ち受けるのは食い盛りのガキどもである。

 

「新人、もたもたすんな! 生徒さんが来る前に並び終える! いや、あんたは食器並べなっ!」

「へーい」

 

 任されたのはフォークやナイフの設置である。記憶が正しければ、いつも公爵家で食ってる通りに並べればいいだけだ。

 家の作法は貴族の家で微妙に違うが、食事の作法はあまり変わらない。これは食卓の常識だ。

 いつもは食う方で並べるのは初めてだが基本的な並びは記憶しているので問題ない。ちゃっちゃか動いて席の端から端まで並び終えちまおう。

 

「えっと、えっとぉ……」

「あん?」

 

 目の前でどうしたらいいのかよくわからないという動きのトロイのがいた。こっちと食器を同じように並べているのだが置き方があべこべである。

 

「おい、逆だ逆」

「え?」

 

 顔を上げたのは黒髪そばっかす娘だ。実に田舎者の匂いをさせる雰囲気だ。まさに苛められそうな典型。

 

「ああ!? ごめんなさい!」

 

 黒髪娘が謝り、対面のエトワールが並べた食器の位置を確認している。

 やっぱ新人か……

 自分のことは棚に置いて新人メイドのぎこちなさを眺めるのだった。

 いかんいかん、さっさと並べよう。つーか、こいつおせえ……

 

「遅い、遅い、もっと効率よく物を持てよ」

「は、はい、すいませんっ!」

 

 そんなこんなで端っこまで並べ終わる。トロい娘っ子のおかげで時間ギリギリだ。

 それが終わるとメイドは給仕のために壁の端に立つ。時間になって生徒らがやってくる足音が響いて晩餐の宴が初められるのだった。

 やつらは一斉にやってきた。飢えたガキどもの宴開始だ。

 さっきの先輩があんたはここの区画をやんなさいと指示を下してくる。

 あっしは新人なんすけど……

 

「あ、あの、ありがとうございました!」

 

 エトワールの隣に立った新人メイドがペコリと頭を下げる。あのそばかす黒髪っ子である。

 どんくさい新人だけど食器並べは憶えたようである。

 

「別にいいけど、もっと効率的にやらないと、先輩に怒られんぞ?」

「はいー、昨日も怒られてます。てへへ……」

 

 ぶっちゃけこの娘の鈍くささは一般メイドレベルからするとかなり平均レベルを下げる。ヴァリエール家の鍛錬されたメイドとは比べ物にならない。

 まあ、新人だからだろうが普通に皿を並べてた方が優しい仕事のはずだ。

 食器の並べが基本とはいえ、きちんと覚えさせろよと思うのだが、これはおそらく新人メイド苛めであろうことは難くない。

 そうやって苛められるメイドなど公爵家にいたときによく見たものだった。なお、イジワルなことをするのはエステルの専売特許であったのだが……

 

「ほら、そこ。無駄話しない!」

「は、はい!」

「へーい」

 

 じゃあ、小声で。

 エトワールは黒髪っ子に身を寄せる。

 

「ここでやんの初めてなんだけど?」

「はい、そうですよね。私と一緒にやりませんか? その方が覚えやすいし」

「ええよぉ、それでさっきのはチャラにしてあげる」

「え、は、はい。頑張りましょう」

 

 黒髪っ子がにへらと笑ってみせる。尖った八重歯が少し見えた。 

 食堂に生徒が揃って座っていく。その中に我らのルイズの姿がないか眺めるがスープを盛り付けるために鍋と一緒にスタンバるのだった。

 これが終わるまでがまた一仕事となる。

 あ、ルイズ見っけ。

 一つ向こうのテーブルにルイズの姿を見つける。向こうも気がついたようでこっちを見て唇を尖らせる。

 

『ちょっと、どういうこと?』

 

 悪いなルイズ! この食堂でお前一人に給仕は無理! 不可能だっ!

 公爵家みたいにお行儀の良い食堂ではない。食いざかりのガキどもが集う修羅場である。

 貴族の慎ましやかさなどどこに行ったのか、祈りの後に一斉に食べ始める。中にはフライングして肉にかじりついているのもいた。

 皿をわたしのために確保できるのかも怪しい。食い散らかした後の残飯がいいとこの報奨であろう 

 幸い、騒々しさを食事で口に封をしてくれたので、しばらくは食器をフォークやナイフで打ち付ける音が響く。

 ときたまの雑談と、笑い声が上がる程度でデザートまで食い尽くした頃にはテーブルは散々食い散らかされた後だった。

 

「エトワールっ!」

「はい、何でしょう。お嬢様」

 

 混乱が落ち着いた頃合いを見図りルイズの近くにようやく近づく。

 

「何であなたがここの人たちに混じってるのよ? わたしの給仕をしてって言ったじゃない?」

 

 この惨状を見て理解しないのか……まあ、わからんか……

 

「いや、ちっと無理……巻き込まれたんだよ……」

 

 ルイズにあそこの仕事は……まあ飯時は行かないよう注意しとこう。

 

「ねえ、お姉さんっ! もっとシチューとパンお代わりちょうだいっ!」

「はーい、ただいまぁ。またね~」

 

 ルイズに手を振ってどの鍋に残ってるのかを確認してそれを押していくと、僕も! あたしもお代わり! と皿を掲げたガキどもが声を上げる。

 やりがいがあるが……泣けるくらい忙しい。

 鍋が空になり、クソガキどもが腹を満たした頃、メイドたちはさらなる片付けのために動き出す。

 もうひと踏ん張りだ。

 すべてが終わって、食器を載せたカートを押して帰る頃には疲れ果てている。他のメイドはきびきび動いているのが恐ろしい。

 何だか基本体力が違うのである。さすが本職。この娘もだ。ドン臭いと思っていた黒髪っ子は疲れた様子を見せない。

 

「お疲れ様でしたぁ~~」

 

 黒髪メイドがまた話しかけてくる。

 

「あーい、てか、まだこれ洗ったりすんだろ?」

 

 カートの食器がガチャガチャと音を立てる。この量は殺人的だ。

 

「お皿洗いは交替制ですから。私はこの後はご飯ですよ」

「フーン」

「あ、そうだ」

「あい?」 

「お名前、まだ聞いてませんでした。私はシエスタですっ! えっと、新しい人ですよねえ?」

 

 シエスタがエトワールを伺うように見る。

 あれだけ一緒に仕事をして名乗るのはこれが初めてだ。

 

「エトワール。ヴァリエールの専属メイドっす」

「ええ? あなたがそうなんですか? 私、てっきり……」

「まあ、新人といえば新人だし」

「ごめんなさい。失礼なことを」

 

 シエスタがペコリと頭を下げる。田舎くさいけど育ちはよいみたい。一番育ちがいいのは胸だけど。

 

「全然、仕事教えてもらったしね」

「いえ、下手くそでごめんなさいっ!」

「お腹減った……なあ……」

「あは、一緒に晩ご飯食べましょう!」

「オッケーオッケ~ なんでも食うよぉ」

 

 二人は厨房の扉をくぐる。カートの終着地点だ。厨房ではすでに火を落としているが熱気は十分に残っていて食器を洗う音が響いていた。

 

「マルトーさーん。新人さん一人追加ですよ~~」

「ああん? どこに行ってたんだ。その新人は?」

 

 シエスタの一言で振り返ったのは丸い、丸い……マルトーだった。

 先ほど扉を開けたエトワールに包丁を突きつけた本人様だ。でっぷり張り出したお腹とぶっとい腕。豪快さではここ一番みたい。

 

「ヴァリエール家のエトワールっす。よろしくです」

「おう、さっきの姉ちゃんか。専属だって言うから部屋にこもって出てこないのかと思ったぜ!」

「挨拶に来たら修羅場でした! 美味しいご飯くださいっ!」

 

 労働の報酬を要求する権利を主張するわたし。腹と背中はくっつきそうだ。

 メイドって体力勝負っぽい。わかっていたけど実際はもっとすごかった。いや、ここがハードなんだろう。

 数百人の貴族の坊やを食わせるわけだし。お給金は良さそう。ついていけたらだけど。

 

「おう、腹いっぱい食わしてやらあ。皿取ってきな!」

「はーい」

「へーい」

 

 そんなこんなでメイド一日目を何とか過ごすのだった。

 お腹いっぱいにシチューと残飯肉を食らってエトワールはエネルギーを補給する。

 下手な貴族の厨房より豪華だった……

 シエスタとはメイドの寮がある手前で別れた。わたしはゲップしながら学生寮がある塔の方へ歩き出す。

 あそこはさすがにルイズは無理だな。体力面ではわたしよりへっぽこだし。

 帰ればルイズが待っていて、お疲れ様と言ってきた。はい、お疲れさんでした。

 ルイズも学院一日目でここの空気を理解したようである。慣れていくまで大変そうだが、初日は顔も覚えてもらえたしわりと不味くない出だしだ。

 今日のことをお互いに教え合い、交代でお風呂に入った。

 エトワールの眼鏡を外してエステルに戻る。いや、ルイズにだ。まあ、どっちでもいいや。人と顔を合わせたらルイズの振りをするだけだ。

 何だろう。一人三役くらいやってる感じだな。そのうち慣れると思うけどさ。

 寮の風呂はでかかった。実に素晴らしい。トリステインでこれだけ大きい風呂はないだろう。

 その後は疲れていたのか、先にベッドに入っていたルイズの隣に潜り込む。

 今日はしゅらばらばな一日でした!

 目を閉じればあっと言う間に眠りに就いていた。明日のご飯を楽しみにしながら。



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【6話】茶会へのいざない

 トリステイン魔法学院に入学して最初の一週間はあっという間に過ぎた。

 ルイズとの二重生活は今のところ支障はない。寮の部屋は基本一人部屋であるのでプライバシーは保証されている。 

 私生活はヴァリエール家のメイド・エトワールが取り仕切るので他のメイドが出入りすることもない。他の寮生との交流も今のところない。

 クラスメイトとの関係はまだ様子見という感じだ。向こうから進んで話しかけては来ないし、こちらも最低限の接触に止めている。

 貴族なんてトリステインにも何万人もいるわけだが、その中でも本物と呼べる貴族はそれほど多くない。

 公爵家といえば王国内でもほんの一握りの殿上人。王族に等しい人種なわけで、話しかけるのはフツーの人には難しい。 

 実際のところ、エトワール以外にルイズに話しかける障害はないも同然であるのだが、やっぱり話しかけては来ない。

 何つーか蚊帳の外というか、壁を作られてる感じだ。これじゃルイズに友達できそうにないな。

 そのルイズは自分が出ない授業も入念に準備している。もうすでにかなり暇っぽい。

 

「ねえ、次のお休みに街に出ましょうよ。教材で足りないのがあるの」

「りょーかい」

 

 エステルは壁のクリップボードに新しいメモを張り付ける。

 【マリコルヌ・ド・グランドプレ おでぶ ”風上”】。丸っこいイラスト付きだ。

 【モンモランシ追記:”洪水”】。

 ボードに狭しと人物評的なメモがいっぱいだ。ルイズとの情報交換のためにその日あったことを共有している。

 まだまだメモは増える予定でいっぱいだ。もう一個ボードを設置するつもりだ。

 ベッドに下にあった古びたトランクをルイズが取り出す。かなり年季の入った代物で修理の跡があちこちにある。

 

「あれ、それ持ってきてたんだ」

「もちろんよ。ほら」

 

 ルイズがトランクを開けて中の人形を取り出した。木製の手作り感のある糸操り人形だ。

 ルイズが指を動かすと糸に釣られた人形が顔を上げて立ち、エステルにお辞儀をすると、トタトタと床を歩いて伏せていた。

 

「久しぶり~」

 

 エステルはベッドに腰掛けもう一つある自分の人形を手に取る。

 衣装も何も着せていないむき出しの関節部を指でなぞる。人形の細かい傷まで思い出がある。

 このトランクはマイヤール家の祖母の持ち物だったが、エステルが六歳のときにもらったものだ。

 祖母の葬式の後に見つけたもので、唯一家族が揃っていた頃も思い出させる。もっとも、ろくでもない記憶の方が多いのだが、今は新しい思い出もトランクには詰められている。

 人形はルイズと二人で劇をするために作ったものだ。人形を作るきっかけは姉のカトレアの誕生日会だ。

 劇をしようと二人で企画したんだ。人形師に仮弟子入りして自分達の人形を作った。不格好なのはご愛敬。衣装を着せてしまえばどうってこともない。

 初めての人形劇はお世辞にも成功とは言えなかったけれど、カトレア姉さんがいっぱい拍手を送ってくれたのを憶えている。

 

「またやろうか」

「何を?」

「人形劇だよ。街でみんなの前で即興でさ。衣装も作ろうよ」

「面白そう。どこでやるの?」

「誰かが見てくれる路上でなら」

「おお……」

 

 ルイズには初めての提案だ。人前で何かを披露することなど滅多にあるものではない。 

 

「いいわ。やりましょうよ! 衣装は任せて。演目はどうするの?」

「ボクと王子様は?」

「うん。じゃあそれで!」

 

 思いがけずもやる気満々だ。寮にこもりっぱなしでメイドしてたらルイズのストレスも溜まるだろうし、との提案はあっさりと通った。

 授業がないときのルイズは本来のルイズに戻るが、それでもバレないように気を張っていなければならない。

 それに自分の気晴らしも兼ねている。公爵家令嬢の仮面かぶってお行儀良くするのも大変なのだ。

 演目の「ボクと王子様」はカトレア姉さんの誕生会で披露した劇だ。あれから改良も加えて上手くはなったが、今でも強く印象に残っている。

 主人公は王子様と乞食。二人は入れ替わりながら本当の自分を探すというストーリーだ。チャンバラあり、恋物語ありと大衆受けする内容で、イーヴァルディ物語が元になっている。

 今の二人に必要なのは共通の気晴らし。学校も魔法も関係ないもので遊ぶ必要がある。

 ルイズと週末の予定を詰めてエステルはトランクに人形をしまう。

 

 

「もし、ミス・ヴァリエール。時間がお有りでしょうか?」

 

 今週最後の授業が終わり、教材の確認をした後に寮に帰るかと教室を出たところでルイズ=エステルは数人の生徒に呼び止められる。

 

「はい?」

 

 話しかけてきたのは、うちのクラスのグランドプレ君だ。その横にヴィリエなんたらっていう風のラインなのを自慢してたのがいる。

 この二人は同じクラスなので顔と名前が一致しているが、もちろん話したことがない。それと初対面っぽい眼鏡君が一人いる。

 

「よ、よろしいでしょうか……」

 

 マリコルヌが腰砕けにしどろもどろになる。ヴィリエは話すのをマリコルヌに投げているのか黙っている。

 

「構わないけれど……」

 

 この後は寮に戻ってルイズと交代するだけだ。時間があればまた厨房に遊びにでも行くかという気だった。

 エステルは初対面の眼鏡の少年をじろじろ見る。確か顔だけ見たことあるような。隣のクラスの……名前知らねえ……誰だ? 一年生なのは間違いない。

 

「えと、こっちはレイナール。僕はマリコルヌ・グランドプレだよ」

 

 丸い体型を揺すりながらマリコルヌがレイナールを紹介する。

 

「いや、君は知ってますけど?」

「だよねえ、同じクラスだし……話しかけるの初めてだけど」

「それで何か御用かしら?」

「実はあなたのことを話してたんです。どこかのクラブに所属しているのかって」

「クラブって?」

 

 レイナールに問い返す。何のことやらさっぱりわからない。

 

「ああ、趣味とかのクラブの集まりじゃなくて。僕らみたいな……」

「いわゆる学生の相互扶助クラブのことです。社交クラブのミニチュア版ですね。お互い助け合う的な……」

 

 マリコルヌの後をレイナールが補足する。

 

「入ってませんけど。そのクラブが何なの?」

「時間が宜しければですが……良ければうちのクラブに招待をしたいのですが……」

 

 誘っているのにかなり遠慮がちだ。もっとぐいぐいされた方がエステル的には行きやすい。

 午後は別に用事があるわけでもない。ルイズは待たしても文句言うくらいだろうし、クラスの人間との人脈くらい作っておかないと後が辛い。

 いつまでも公爵家であることで敬遠されると溝ができてしまう。

 エステルは皮算用すると考えるふりをする。

 

「そうね。構わないわ……クックベリーパイを用意してくださる?」

「あー、手作りで良ければ女子が作ったクッキーがありますけど……」

「構わないわ。案内してくださる?」

 

 誘われた手前、貴族子女的な受け答えを返す。たぶんこんな感じ的な。

 メンツ的におかしなことしそうな顔ぶれではない。いや待てよ、男はみんな獣だって言うけどさ。襲ってきたらタマタマごと潰す。

 そんな考えはおくびにも出さず、エステルは三人について案内されるままに廊下を歩きだす。途中、すれ違う生徒がこちらを見ては振り返った。

 気のせいじゃなくて注目されている。一年生の間ではヴァリエール公爵家の人間がここにいるということが一つの事件らしい。

 何だかあんまいい感じはしない。ルイズは大変だよなあ……

 階段を下りると上級生三人が踊り場にたむろしていた。こっちを見て一人が嫌な笑みを浮かべる。エステルはいつかの入学式のときの奴らだと気が付く。

 とさか野郎とあだ名したのとデブと瘦せっぽちだ。

 

「おい、ロレーヌ。面貸せよ」

 

 髪を固めて撫でつけた上級生がすれ違いざまにヴィリエに呼びかけ、ビクっとしたヴィリエが立ち止まる。

 レイナールとマリコルヌも立ち止まるがヴィリエは二人に首を振って返した。

 

「すいません。彼は僕らと行動中なのですが?」

 

 レイナールが前に出る。

 

「何だ、てめえ? 口出すなよ、一年」

 

 挑発的な台詞でその上級生はレイナール達を順番に見る。レイナールはその挑発的な視線を正面から受け止めて動かない。

 ビビっているわけではなさそうだ、とエステルは見て取る。

 

「いや、ごめん。レイナール、僕はちょっと用事ができちゃって……」

「ヴィリエ」

「大丈夫、先に行って。後で行くからさ……」

「そういうわけだ。大事な話があるんだよ」

 

 申し訳なさそうなヴィリエの肩に腕を回し、とさか野郎がガンを付けてくる。

 

「後で行くからさ……」

「わかった。後で……」

 

 レイナールがヴィリエと三人組を見返すと階段を下る。マリコルヌとエステルもその後に続いた。

 去り際にねめつくような視線を首筋に感じてゾクリとする。自然、足も早まってレイナールの隣に並んだ。

 

「ちょっと、あの人達何なの?」

 

 事情を知らない立場から黙っていたが、もう連中の耳には届かない。

 

「あーその。僕は知らないんだ……」

 

 目線を横にそらしたマリコルヌが答える。

 

「ふうん?」

 

 エステルの問いにレイナールは沈黙で応えた。その表情は少し堅い。

 マリコルヌと同じで何も知らないのか、黙っているのかだが、応えてくれないし、今は深く詮索しても意味がない。

 教室のある棟から渡り廊下を通り別棟に渡る。目的の部屋の前まで来たのか、レイナールはポケットからカギを取り出して扉を開く。

 

「ここです。ちょっと散らかっているけれど……」

 

 一体なんの部屋で、何故そのカギをレイナールが持っているのかを疑問に思いながら部屋の中を覗く。

 

「すぐにお茶入れますので」

「じゃあ、僕はクッキーを用意するよ」

「そこに座ってお待ちください」

 

 勧められるままに二人掛けのソファに座る。広さ的に寮の部屋より少し広い程度で教室というには少し狭い。

 家具は住むというには何だか物足りなく、壁の棚に目を向ければ専門書と雑学書に雑誌までと、統一性なくいろいろと並んでいる。

 どういう目的の部屋なのか、説明がなければわからないだろう。

 

「ここが僕らの集会場所です。相互扶助会クラブのね」

 

 レイナールが人数分のカップを置いて目の前のソファに座る。その隣に少し窮屈そうなマリコルヌだ。

 

「で、何をしているの? ここで」

「そうだね……仲間を集めて、お互いに困っていたら助け合おうじゃないかって感じで作られたクラブだよ。これでも歴史あるクラブで……レイナール、どれくらいだっけ?」 

「この鍵は父から貰ったものなんだけど、祖父の頃にもあったみたいだね。復活したのはつい最近……メンバーはまだ五人しかいないけどね」

 

 レイナールが鍵を見せる。

 

「ああ、ちゃんと学院長からの許可は貰ってます。そのために用意した部屋だから自由に使っていいって」

「そうなの?」

「レイナールって行動力あるよね。次期レイナール商工会のリーダーだしさ。新商品開発してるんだぜ」

「へえ……」

 

 エステルはふうふう冷ました紅茶に口を付ける。

 マリコルヌがクッキーに手を出してむしゃむしゃと食べている。

 

「いや、実家の跡を継ぐとはまだ決めてないし……」

「ヴィリエもここのメンバーなの?」

「そうだよ」

 

 マリコルヌが答える。

 

「何だか彼、さっきのトラブルなんじゃないの?」

「わからないけど。僕らは仲間ではあるけど、話してくれないと助けられない。そこはどうしようもないところだね。もし解決できなくて本当に困っているならいつだって助けるつもりだよ」

 

 真面目な顔でレイナールが返す。おそらく大真面目に本気で言ってるのだろう。

 

「そうそう、一人はみんなのために。みんなは一人のためにだよね~」

 

 お茶を飲み下してマリコルヌが言う。 

 

「何それ?」

「ここのモットーさ。何かあったら仲間のために命だって張ってやるってやつ。ヴィリエのやつ遅いよなぁ~」

「他のメンバーもまだ来てないけど、いずれ紹介しますよ」

「ああ、ええ……」

 

 エステルは紅茶の葉を判別しようと匂いを嗅ぐ。こういうのはさっぱりだ。ルイズならわかるのに。

 貴族同士の仲良しクラブのメンバーにそれほど興味があるわけでもないが、不良どもが今後の学園生活の邪魔をしてくるようなら何とかする必要があるかもしれない。

 一人や二人ではどうしようもないことも力を合わせれば対処できる。喧嘩は立場上避けたいところだ。

 全部向こう次第だけどね、という注釈もつくが……

 

「それで、お誘いいただいたのはお茶だけが理由ではないのでしょう?」

 

 微笑んでから問う。エステル猫かぶりモード、ただいま大全開中。

 その下心は、今のところルイズとエステルにマイナスではないはずだ。

 

「そりゃ、仲間になってほしいんだよ~ 下級貴族は群れても雑魚だからねえ。仲間にルイズがいれば僕ら派閥になれるじゃん。ブイブイ言わせられるよね、レイナール」

 

 マリコルヌがぶっちゃける。

 

「いや……そうは言ってないだろ……」

「だって本音じゃん~ 少ないより多い方が強いし」

「そうなんだけど……」

  

 レイナールと目が合った。

 エステルはにやりと笑ってみせる。悪だくみ系とか大好きだよ。

 そうしてお茶会は終わった。一応、扶助会に興味がある振りをして、次回また誘いに来るというのを了承して部屋を出た。

 帰って報告してまたご飯貰いにいこーっと。そんな感じで学校行事は来週に丸投げ。明日はトリスタニアに遊びに行くし。

 夕暮れの渡り廊下を通ってエステルは寮に帰るのだった。 



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