私は誰でしょう? (岩心)
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1話

 1964年1月26日、非魔法使いのマグルの父と魔女の母との間に生まれた半純血。

 上に姉が二人いたものの、彼女たちには資質はなく、おかげで幼少期は母にちやほやとされていた。

 

 ――しかし、十歳の時、妖精に攫われた。

 

 生まれたときから十一歳に入学が決まっていた魔法学校からもうすぐ手紙が届けられるであろう時期での出来事だ。

 森で遊んでいたら、神隠しに遭ったように消息が不明になり、捜索隊が派遣されたものの見つからない。魔法資質のある子どもは時に魔法力を暴走させて、どこかへと転移してしまう話があるが、それにしても影も形も掴ませない。十七歳未満の魔法行為を検知する“臭い”の呪文で探っているのに、まったく引っかからないのだ。

 家族はその報に嘆き悲しんだ。魔法も満足に使えない十歳の子供が、こんな森の中でひとりで生きていけるわけはない。

 

 かと思いきや、子供はなんと自分の足で、消息を絶ってから一週間後に帰って来る。ただし、それまでの記憶がなくなっていた。すぐに聖マンゴ疾患傷害病院へ連れて行き、癒者へ診せたが、この記憶喪失は治しようがないものだという。

 彼を診断した癒者には、無言者の知人がおり、これと似たような症状があると語る。

 魔法省の神秘部には、“向こう側”と繋がったアーチがある。それを潜って無事に戻って来れた者はほとんどおらず、生還したものが極稀にいたそうだが、彼らは全てこの子のように記憶を無くしているのだと。

 だから、きっとこの子供も“向こう側”へ飛んでしまっていたのだ。

 

 その証拠に、自力で生還したこの『取り換え児(チェンジリング)』の頬には、妖精から贈られた、女性を虜にしてしまう魔法の黒子があった。

 

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 それから、生還した男の子は、家族の下で癒者の治療を受けながら生活し、この無闇矢鱈と異性を魅了してしまう黒子に悩まされる(姉に襲われかけたこともしばしば)日々を送り、魔法学校へと通う。

 失った記憶を、そして、“向こう側”で一体何があったのかを知りたいと欲していた彼に、組み分け帽子は、レイブンクローへ組み分けする。

 魔法族として過ごしていた十年の記憶を失った彼は、帰ってからそれまでの分を取り戻さんとするように魔女の母を家庭教師に事前学習に励んでおり、成績は優秀。

 うっかりと普段はきっちりと隠している(効果を弱める軟膏を塗って隠している)黒子を見せてしまい、ある女生徒を魅了してしまったことがあって、当時六年生のグリフィンドールとスリザリンの先輩たちと修羅場になってしまったことがあったが、その女生徒に謝罪し許しを得て、大人げない先輩方は杖を収めてくれた。

 またそれがきっかけでこちらの事情を知ることとなった、どうしようもない体質のせいで苦労することにいたく同情してくれた先輩のひとりに何かと面倒を見てもらえるようになり、二年生……彼らが卒業する際に、『モテるだけの黒子に悩まされずに前向きに生きろ』と励ましを貰い、先輩方『悪戯仕掛け人』の最も画期的な発明品である『忍びの地図』を渡された。

 それから、『悪戯仕掛け人』を引き継いだ彼は、クィディッチ・ピッチに長さ六メートルの文字で自分のサインを刻んだり、自分の顔の形をした巨大な光る映像を『闇の印』のように打ち上げたり、また魔法の黒子のせいもあってか八百通のバレンタインカードを送られて、バレンタインデーにふくろうの羽や糞などで朝食が中止になる伝説を作るなど、鬱屈とした闇の時代を盛り上げんと派手に学校生活を送り、最後は首席でホグワーツを卒業した。

 

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 1981年に『生き残った男の子』が『闇の帝王』を下し、第一次魔法戦争が終結してからその一年後……何もかもが終わってから魔法学校を卒業した青年は、世話になった、けれど力になれなかった先輩方の弔いにと、その忘れ形見である子供を見に行き、その後はその土地その土地で日雇いの仕事で旅行費用を稼ぎながら、自分のルーツである“向こう側”への探索にと世界を巡り、その行く先々で様々な闇の生物に出会う。

 

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 旅行一年目で、泣き妖怪バンシーと出会う。

 長い黒髪で緑色の服に灰色のマントを着る女の姿をした妖精。大きな嘆きの声を出して騒がしい妖精バンシー。

 死神犬グリムのように、その泣き声は死の前兆などと気味悪がられているが、バンシーは死を告げるだけで、積極的に生命を奪う生物ではなく、死者を弄ぶものでもない。

 彼女たちは、ただ鳴いて、泣く。

 これから死ぬ者のために、目を燃えるように赤くして泣き叫び、その人物が偉大であるほどに多くのバンシーが鳴く。

 “向こう側”へ旅立つ死期を自然に悟る泣き妖怪とナウな休日を過ごした青年は、黒子の魅了効果もあってかそのバンシーに気に入られて、乳房を吸わせてもらった。

 妖精と交わることで霊感や才能を授けられる話は魔法界に多々あるが、青年はその時、泣き妖怪の第六感、死に近いモノを見ると涙を流す感性を得る。

 

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 旅行二年目で、グールと出会う。

 魔法省の魔法生物規制管理部動物課にグール機動隊が設置されているこの闇の生物は、マグルの住居に棲みつくことがある。

 

 その姿は醜いものの特に危険な生き物というわけではなく、亡者のようなゾンビではなく精霊や悪魔の類である。

 屋根裏部屋や納屋などに隠れ潜んで蜘蛛や蛾を主食とする。見つかれば相手に呻き声を上げたり、物を投げつけるもそれは威嚇程度であまり脅威はない。魔法族の中にはペットにする者もいる。

 そんな欧州では人語を話せぬ種族として獣扱いされるグールであるも、中には知恵に長けたものもいる。

 中東で出会ったその女のグール(グーラ)は、体色と姿を変えることができ、人間に混じって生活をしており、会話ができるだけの知能と社会性があった。それだけでなく、道義的な教えを説くクールな性格であった。そんな彼女と散策をしているうちにまたも黒子の効果もあってか気に入られた青年は、義兄弟の杯を交わす酒のように精霊の乳を吸わせてもらい、契りを交わした。

 その加護により青年は、杖や魔法薬なしで体色を自在に変え、姿形を自在に変える術、後天的には得られるはずのない『七変化』の特殊能力を得る。

 

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 旅行三年目で、鬼婆と出会う。

 子供を食す闇の生物。怪しい、意地の悪い、醜い老婆の姿をしている妖精で、眠っている者に悪夢を見せる。

 しかし、旅行した極東の国には、人間に恩寵をもたらす鬼婆がいるという。そんな人食いの鬼婆とゴールデンボーイな物語よろしくクマと相撲を取ったりするオツな休暇を過ごす。

 

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 旅行四年目で、トロールと出会う。

 正確にはトロールというより、修行をしていた魔法使いと親交を深めた。ホグワーツで、同じレイブンクローの卒業生である彼は、トロールを相手にしたときは凄かった。川トロール、森トロール、最もデカい山トロールと、意思疎通の難しいトロールを彼は意のままに操り、簡単に撃退してみせる。

 彼自身もトロールに関して特別な才能があると自負しているようで、自慢げな彼とグダグダ話でとろい旅をしながらトロールのことを教授してもらい、トロール検定一級を認定される。

 それで、そのトロールマスターの彼は、今度ホグワーツで『マグル学』の講師をするという。

 

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 旅行五年目で、バンパイアと出会う。

 流れる水を渡れないとされる吸血鬼と、大海原を行く船旅。日光に弱い彼を介護しながら、闇の生物に対する偏見とやらを改めて実感する。

 

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 旅行六年目で、狼男と出会う。

 狼男……低学年で大変お世話になった学校の先輩は、狼人間、魔法省が定めた危険な亜人であるがゆえに定職につけず、人里離れた山奥に生活することを強いられていた。

 第一次魔法戦争にて、親友を失い、親友だと信じていた者が親友を『闇の帝王』に売った裏切り者で、また親友のひとりを失った先輩は、老いたように見えた。世俗を離れているのは心理的な要因もあるのだろう。青年は先輩と共に山歩きをしながら、これまでの冒険や親友の忘れ形見『生き残った男の子』のことなど様々な話をし、次第に調子を取り戻してきた先輩から、その冒険についての自伝を出版したらどうかと提案される。

 

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 旅行七年目で、雪男と出会う。

 世界最高峰の山脈の登頂途中、五メートルものトロール並みに大きな魔法生物と遭遇。イエティ、雪男である。頭から足まで純白の毛で覆われたその生物は、縄張りに迷い込んだモノを何でも貪り食う。

 けれど、魔法動物学者ニュート・スキャマンダー著『幻の動物とその生息地』より、火が弱点であることが知られており、また青年はトロール並みに低知能な相手を扱う心得と、クマと相撲を取れるだけの勇気と力があった。

 それから、一年。山篭りし、大自然の中、己を見つめ直す。

 

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 魔法学校で七年魔法を学び、卒業してからまた七年世界を巡ってから、数年後……

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 『泣き妖怪バンシーとのナウな休日』、

 『グールお化けとのクールな散策』、

 『鬼婆とのオツな休暇』、

 『トロールとのとろい旅』、

 『バンパイアとバッチリ船旅』、

 『狼男との大いなる山歩き』、

 『雪男とゆっくり一年』。

 ムーニー先輩に勧められて始めてみた執筆稼業であったが、意外なことに文才があったのか好評だ。全作ベストセラーを記録し、去年、魔法界の知識や娯楽に貢献した人物に贈られるマーリン勲章勲三等を頂いた。闇の力に対する防衛術連盟の名誉会員にまで推挙される始末である。それからついでのように週刊魔女ではチャーミングスマイル賞の五回連続受賞を達成。

 ただ発明したオカミー・エッグ・シャンプーは、あまりに危険かつ高級すぎるため、一般市場に売り出すことは叶わなかった。残念だ。

 

 この魔法のある世界に()()してからもう十数年。

 元の世界に帰ろうと努力はしてきたものの、その目処はとんと立たない。魔法の腕や腕っぷし(物理)、それから、闇の生物に女性(種族を問わず)のあしらい方はメキメキと上達した。

 でも、“向こう側”は見つけられない。

 仕方がない。切り替えよう、この世界で生きていこうと最後の冒険を終えて、作家となった。そして、もう印税で一生遊んで暮らせる生活を手に入れたのだ。勝ち組になったのである。……相手はまだいないけど。経験だけは人間族に限らず豊富であるも。

 

 そんな時間とお金に余裕がある私は、現在、自伝『私はマジックだ』を執筆しながらひとりの少年を気にすることができた。

 校長先生に魔法族と匂わせるような接触は厳禁だと言いつけられている。

 『魔法界の英雄だと知ればどんな少年でも舞い上がる。歩いたり喋ったりする前に偉大なことをしたなんて教えない方がいい。受け入れる準備が出来るまでは魔法から一切離れて育つ方がずっといい』、とそれは急にこの世界に来て、()()の魔力で女性に好かれてしまったことのある私にはとても効果のある文句であった。

 連絡係を務めている近所のフィッグさん……ニーズルと猫を交配させて繁盛している名ブリーダーと一緒に、マグルの親戚に預けられているリリー先輩とプロングズ先輩の忘れ形見にして、『生き残った男の子』ハリー・ポッターを見守っている。

 学生時代にお世話になった先輩方の義理として、彼がひとり立ちできるようになるまで出来る限り支えよう。

 狼人間であるムーニー先輩は、このようなマグルの住宅街では暮らせないだろうし、間違ってもハリーを狼人間としてしまうわけにはいかないとむしろ監視役など敬遠して、校長先生から乞われても辞退するだろう。

 そこで、私である。

 真っ当な人間(マグル)であった前世を持ち、マグル学のクィレル教授(今年からは闇の魔術に対する防衛術)と文通で交流を続け、魔法界と非魔法界のハーモニーを求める(自称)常識人な文豪兼冒険家の魔法使いであるこの――

 

 

「ギルデロイさん! ギルデロイ・ロックハートさん、いらっしゃいますかー!」

 

 

 その普通の人よりも二倍の長さのある鶴のような首をさらに伸ばしてこちらを窺いながら、普段よりも甲高い声でこちらを呼ぶのは、ペチュニア・ダーズリー。

 

「ハハ! 聞こえてますよ、ペチュニアさん」

 

「良かった、いらっしゃったのですね!」

 

 変わり者のフィッグさんの遠い親戚で、このふた筋むこうにあるこのフィッグ家に住まわせてもらっている作家の見習い卵……という設定でご近所付き合いをしている。副業(バイト)としてお宅の家庭教師を任され、低迷していたダドリー坊ちゃんの成績を上げたことから奥さんとは中々良好な関係を築いている。旦那さんのバーノン・ダーズリーからは間男のように警戒されているけれど。

 

「実は今日、ウチのダドリーちゃんの誕生日なのだけど」

 

「もちろん存じ上げています。私もダドリー君へのプレゼントを用意していますよ」

 

「まあ、ありがとうございますギルデロイさん! ダッドちゃんも喜びますわ!」

 

 軽く微笑みながら大きな包みを渡すと、夫人から好感触を得る。

 もううっとりとこちらを見つめている。黒子は軟膏を塗って隠しているが、艶やかな黒髪、茶の混じった黒い瞳、色白の肌の、甘いマスクをしたギルデロイ・ロックハート。『七変化』でアラベラ・フィッグの容姿に似せようと、本来ブロンドの髪と青い瞳の色を変えているものの、プリベット通りで奥様方に人気のイケメンである。

 

「それで、今日は……この甥を預かってほしいんです」

 

「………」

 

 ひどく言い難そうにしながら背中を押してペチュニアが前に出したのは、小柄で痩せている、整えようとはしているのだろうけど髪もくしゃくしゃで、野暮ったいメガネをかけた少年。ハリー・ポッターである。

 

「ええ、構いませんよ。誕生日なのですから家族水入らずで過ごしたいでしょう」

 

「ありがとうございます! ……ええ、もしこの子が何かするようなら叩いても構いませんから」

 

「ハハ、ハリー君は良い子です。そんなことはしません」

 

 問題児を預けてしまう申し訳ない……という風にペコペコと頭を下げるペチュニア夫人、その横で恐る恐る『よろしくお願いします、ギルデロイさん』と掠れるような小声で事前に教えられた通りの挨拶で会釈するポッター少年。

 それに笑顔で対応し、ハリー・ポッターを今日一日引き取った。

 

 そして、ペチュニア夫人がいなくなり、ダーズリー家を乗せた新車が発進したところで、おずおずとハリーが訊ねてくる。

 

「その、フィッグばあさんは?」

 

「フィッグさんは、足を滑らせて骨折してしまってね。今頃、病院にいるはずだよ」

 

「そうなんですか」

 

 骨折したフィッグさんに同情する、けれども、猫好きの自慢話に付き合わされないで良かったと安堵しているのだろう。

 けれども、残念なことにこの家はキャベツ臭く、せっかくの客人をお出迎えするのに不向きである。

 

「じゃあ、ハリー。私達もお出かけしようか」

 

「え、ギルデロイさんにそんな……」

 

 ああ、夫人から私に迷惑をかけるような真似は絶対にするなとでも言われているのだろう。

 

「遠慮しなくていいさ。ちょうど執筆に行き詰まっていたからね。スカッと気分転換にドライブに行きたかったんだ。付き合ってくれるかい?」

 

「は、はい……!」

 

 ハリーにヘルメットを渡してから、車庫へ行く。

 そこには、憧れていた先輩と同じもの……この魔法界と非魔法界のハーモニーの代表例たる巨大なオートバイがあった。ハリーは目を見開いて、ワクワクと目を輝かせている。かつてこれを初めて見せられた私のように。

 それからヘルメットをきちんと被ったことを確認すると、脇に手を入れて持ち上げ後部座席に乗せ、発進する。

 

「しっかりと腰に掴まっていててくれよ」

 

 緩やかに加速し、ちょっとしたアトラクションのように風を切る、爽快感ある速度へとすぐに達した。

 背中からは、うわぁうわぁっ、と感嘆の声がしょっちゅう聴こえる。

 

「どうだい? 私のバイクは?」

 

「すごいです!」

 

 ふとハリーは思い出したように、

 

「そういえば、僕、オートバイの夢を見た。空を飛んでたよ」

 

 

 〇 〇 〇

 

 

「ハリー、それはとてもイイね。私もこのバイクを空に飛ばしてみたくなるよ」

 

 夢だろうが漫画だろうが、何かが()()()でない行動をする度に、伯父さん伯母さんは、強く訂正させてくる。でも、ギルデロイさんはそんなことはしないで、笑い飛ばしてくれる。思えば、ダドリーの家庭教師も『ひとりもふたりも変わりません』と言い、一緒に勉強を教えてくれる。それも学校の先生よりもわかり易くて、公平だった。勉強中にもちょっかいを出そうとするダドリーをその前にそれとなく窘め、ハリーに危害が及ぶのを防いでくれる。またギルデロイさんが家庭教師に来た日は、伯母さんも上機嫌で、普段よりはハリーに優しくなる(反面、伯父さんの機嫌は悪くなるけど)。

 また、彼が話してくれる執筆中だという物語はとても胸が躍り、ハリーの琴線に響いてくるものがあった。そして、小説家であるからか、ハリーが話す夢のような内容もからかったり否定したりせず、とても好意的に聴いてくれる。

 

 だから、ダーズリー家で我慢させられている分の鬱憤を晴らすかのように、ハリーはロックハートに思ったことをありのままに喋るのだ。

 

「実はね、僕、蛇とお話ししたことがあるんだ」

 

「…へぇ! そりゃすごいな、ハリー君。私もびっくりだよ」

 

「ウソじゃないよホントだよ! この前、学校で行った動物園で、大ニシキヘビが、ブラジルなんか一度も見たことがないって僕に話しかけてきたんだ」

 

「大ニシキヘビ君が、ハリー君にそう愚痴って来るなんてね。君には魔法使いの才能があるのかもね」

 

 ハハ! と笑い飛ばすギルデロイさん。

 それから僕は、彼が寄ったレストランで好きなものを頼んでいいと言われ、ご馳走を頂くことになった。

 

 

 その後日、僕に本当に魔法学校からの入学案内が届けられた。



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2話

 ハリー・ポッターに送った手紙が届かない。

 

 連日、ホグワーツからの入学案内をふくろうがご近所さんのダーズリー家のポストに届けるも、家主に阻止される。牛乳配達の卵の中に忍ばせるなどあの手この手でハリーへ手紙を渡そうとするも、魔法嫌いのマグルは徹底してハリーへは読ませない。

 魔法学校側も何としてでも、ハリーにホグワーツへ通わせようと手紙を送り続けるも、これでは無意味。もはや強硬手段に及ぶしかあるまい。その方が向こうの家の為でもある。

 奥さんも旦那さんも軽くノイローゼになっている。一人息子のダドリーもなぜ両親がそんなに手紙を恐れるのかと戸惑っているようだが、それよりも居候の従弟に二つ目の部屋を使われることに癇癪を起こしている。

 そうして、“バーノンとふくろうの三日戦争”をちょっとした小説風に記した手紙をホグワーツへと送ったその翌日、ついに見張り役に学校長からの依頼が届いた。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 どうしても僕宛の手紙が欲しい。

 

 分厚い、重い、黄みがかった羊皮紙の封筒。

 裏側には、紋章入りの紫色の蝋で封印がしてあり、周りを獅子、鷲、穴熊、蛇で取り囲まれたその真ん中には大きく“H”……一体この手紙はどこから? 誰から?

 そんな心当たりはない。学校でも手紙を送ってくれるような友達なんていないし。でも、あれは僕に送られた手紙。切手は貼っていないけど、エメラルド色のインクには、確かに僕の居る場所と名前が書かれていた。

 でも、伯父さんと伯母さんに手紙を奪われ、関わることを禁じられる。家中の隙間という隙間、玄関ポストも含めて板張りに釘打ちがされて。でも、僕に手紙を送りたがっている向こうもまた諦めない。

 ついさっきも暖炉から数十枚の手紙が雨あられと舞い込んで……それが手紙を掴み取れたチャンスだったんだけど、またも中身を読む前に伯父さんに捕まってしまった。

 

「これで決まりだ。みんな出発の準備をして五分後に外に集合だ。家を離れることにする。着替えだけ持ってきなさい。問答無用だ!」

 

 籠城した家を出て、手紙の届かない場所へ。

 あれほど僕を乗せるのを嫌がった新車で逃避行が始まろうとした、そのときだった。

 

 ドンドン!

 

 釘で何枚も板が打たれた玄関扉がノックされる。家中大量の手紙だらけでてんてこ舞いとなっていたダーズリーたちも、ビクッと肩が跳ねてドアを見つめた。

 

「ペチュニア! 早く手紙を見えないところへ片付けるんだ!」

 

 切迫した声で唾を飛ばすバーノン伯父さんに、血の気が引いて顔が真っ青になるペチュニア伯母さん。

 強迫観念でもあるかのように“まとも”でありたいこの一家、こんな手紙塗れな非常識な家の中を他人になど見られたくはない。もしこれを指摘されればどう繕うのか考えもつかない惨状なのだ。最悪、このプリベット通りから引っ越すことも視野に入れねばならないだろう。

 

 けれど、そんな必要はなかった。

 今、家の前にいるのは、“手紙を送り付けている側”の人間なのだから。

 

 ガチャ、と。

 ノックをしても反応が返らないのに痺れを切らしたのか、勝手にドアが開いた。

 そう、厳重に厳重を重ねて閉ざされていた扉が、である。自ら鍵が解かれ、扉に打たれた釘もあっさりと抜け落ちた。

 こんな真似をしても無駄なのだと、ダーズリー家が激しく嫌悪する“非常識”からの降伏勧告であるかのように。

 

 この異常事態に、ダドリーは目を丸くし、伯母さんは金切り声を上げた。そして、伯父さんの行動は早かった。すぐ自室へ引っ込んだかと思うとその手にライフル銃を持って、銃口をドアに突き付けて、叫んだ。

 

「誰だ。そこにいるのは。言っとくが、こっちには銃があるぞ!」

 

 そして、扉がゆっくりと開かれて……

 

 戸口には、みすぼらしいボロボロの服を着た男が突っ立っていた。髪も肌も鼠色に薄汚れていて、浮浪者のよう。いいや、これは物語で読ませてもらったグールお化けだ。その手入れがまったくされていないようなぼさぼさ頭で、でもその瞳だけは忘れな草と同じ綺麗な青色をしている。

 そして、その思わず眉を顰める姿に伯父さんは息を呑んで、その僅かな間に不審な男は指を鳴らした。

 パッチン、と。

 杖もなく、また呪文も唱えることなく、でも、まるで魔法のように伯父さんの手からライフル銃がクルクルと離れて、指を鳴らしたその手の内に収まった。

 バーノン伯父さんは奇妙な声を上げ、今起きたこの現象にペチュニア伯母さんは失神してしまいそう。ダドリーも父から取り上げられたライフル銃が向こうに渡っているのを見て、悲鳴を上げて部屋の奥に逃げて行った。

 

 でも、僕は、怖くなかった。

 だって、彼の銃身を鷲掴みに握る手と逆の手には、欲しかったあの手紙を持っているのだから。

 

「あなたは……誰、ですか?」

 

「我が名は……スプリガン。そう呼ぶと良い、ハリー・ポッター」

 

 そう言って、スプリガンは僕へ黄味がかった封筒を手渡す。エメラルド色で自分の名前が宛名に書かれているその中身をついに手にすることができた。

 

『ホグワーツ魔法魔術学校。

 校長 アルバス・ダンブルドア。

 マーリン勲章、勲一等、大魔法使い、魔法戦士隊長、最上級独立魔法使い、国際魔法使い連盟会員。

 

 親愛なるポッター殿。

 この度ホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。

 新学期が九月一日に始まります。七月三十一日必着でフクロウ便にてのお返事をお待ちしております。 敬具。

 

 副校長ミネルバ・マクゴナガル』

 

 頭の中で、まるで色とりどりの大小さまざまな花火が弾けるように、次々と疑問が浮かぶ。一体何なんだこれは? ありのままを呑み込むのにも時間がかかり、時計の針が二、三周するくらいの時間をかけて、やっと口を開くことができた。

 

「これどういう意味ですか? 魔法魔術学校って」

 

「ハリー・ポッター。お前は」

「止めろ! 客人。絶対言うな! その子にこれ以上何も言ってはいかん!」

 

 伯父さんは狂ったように叫び、伯母さんの顔は恐怖で引き攣る。でも、構わずにスプリガンは言い切った。

 

「魔法使いだ」

 

 その一言で、家の中から音はなくなった。これは魔法ではなく、その言葉の意味によって。

 僕は息を呑んでから、もう一度聞き返す。

 

「僕が何だって?」

 

「魔法使いだ。ハリー・ポッターの名は生まれた時からこのホグワーツの入学名簿に予約されている。そちらの夫妻は語らんだろうが、お前の父ジェームズも母リリーも魔法使いだったのだ」

 

 スプリガンがまるで現実味のない話をするも、伯父さんたちの反応は劇的で、それで今の話は何よりも真実なのだという裏付けとなった。

 

「ハリーは行かせんぞ。ハリーを引き取った時、くだらんゴチャゴチャはお終いにするとわしらは誓った。この子の中からそんなものは叩き出してやると誓ったんだ! 魔法使いなんて、まったく!」

「知ってたの? おじさん、僕があの、ま、魔法使いだってこと、知ってたの?」

「知ってたかですって? ああ、知ってたわ。知ってましたとも! あのしゃくな妹がそうだったんだから、お前だってそうに決まってる。妹にもちょうどこれと同じような手紙が来て、さっさと行っちまった……その学校とやらへね。そんで学校であのポッターに出会って、二人ともどっかへ行って結婚した。そしてお前が生まれたんだ。ええ、ええ、知ってましたとも。お前も同じだろうってね。同じように変てこりんで、同じように……まともじゃないってね。それから妹は、自業自得で吹っ飛んじまった。おかげで私たちゃ、お前を押し付けられたってわけさ!」

「吹っ飛んだ? 自動車事故で死んだって言ったじゃない!」

 

 どういうことなの? とスプリガンを見れば、彼はゆるゆると首を横に振る。

 

「いいや、優れた魔法使いと魔女である二人が、自動車事故などでは死ぬわけがない」

 

「じゃあ、一体何があったの?」

 

 男の汚れた服に掴み掛かりながら訊ねれば、こちらを見下ろすスプリガンはしがみつく僕に気づかわしげな表情を見せて、低く物憂げな声で語る。

 

「ハリー・ポッター、お前の両親は『例のあの人』と恐れられる闇の魔法使いの手に掛って、亡くなった」

 

 スプリガンはこれまで僕には隠された、でも魔法界では誰もが知るその偉業(はなし)を教えてくれた。

 

 二十年以上前に始まった魔法戦争で、その名を口にすることもしたくないほどに恐れられたある魔法使いに、多くの魔法使いとマグル(非魔法族)が殺された。安住の地は、『例のあの人』も一目を置いていたダンブルドア校長の居るホグワーツのみ。

 そして、十年前のハロウィーンに、ハリー一家が住む村に闇の魔法使いが襲撃を仕掛け、僕の両親を殺し……その暗黒時代を他ならぬ僕が終わらせた。一歳になったばかりの赤子が『例のあの人』……ヴォルデモートを倒して。

 最後にスプリガンは、僕の額にある稲妻型の傷跡をそっと指の腹でなぞりながら言った。

 

「お前のその額の傷がその証拠だ。これは並の切り傷ではない。強力な闇の呪いに掛けられたことによる傷だ」

 

 胸の奥に言い知れぬ痛みが走る。スプリガンが語り終えた時、あの目を眩むような緑の閃光が脳裏をよぎる。きっとこれが……冷たい、残忍な高笑いが聴こえてくるこの魔法が、僕の家族を壊したのだと自ずと悟った。

 

「そのヴォル……あ、ごめんなさい……『あの人』はどうなったの?」

 

「それは、わからない。消滅したと魔法省……魔法界の政治機関は大々的に発表したが、ただ力を失っているだけだというのが個人的な見解である。これには他にも多くの支持者がいるだろう。それほどに闇の帝王は恐ろしかった。

 ハリー・ポッター、あのハロウィンの晩になにがあったのかは、誰にもわからない。ただ、君が闇の帝王を降した」

 

「スプリガン……きっと間違いだよ。僕が魔法使いだなんてありえないよ」

 

 質問に答えてもらったけれど、喜ぶことも誇ることもできやしない。むしろ、とんでもない間違いだという思いの方が強い。

 従弟のダドリーに虐められる僕が、闇の帝王なんて凶悪な魔法使いを倒せる英雄だなんて、受け入れられるには無理がある。

 そんな大きな戸惑いを抱え込んでふらついた僕の頭に、彼の手が置かれる。

 

「舞い上がらず、謙遜するのは美徳だ。ハリー、君の偉業は、君の力によるものではないのかもしれないが、魔法界ではハリー・ポッターの名は歴史に刻まれ、英雄視されるだろう。……今日、初めて魔法使いであることを知った君に、大変なことを言っているのは理解している」

 

 それは、同情に、そして優しさに満ちた声音で。

 

「でも、君が、魔法使いであることは、私が断言しよう。いずれ、このわけもわからず降りかかった偉業に恥じない魔法使いになれる可能性を秘めているとね」

 

「本当に……本当に、僕はその魔法学校に行けば、凄い魔法使いになれるんですか?」

 

「ああ。この私がそれを証明している」

 

 頭に手を乗せたまましゃがみ込み、目線の高さを合わせた青い瞳は、やっぱり魅入ってしまうくらいに綺麗で、その言葉は僕の胸を衝いた。

 

「バカバカしい」

 

 長話の間に気を落ち着けさせたのだろう。伯父さんは拳を握り締め、スプリガンに噛みつくように暴言を吐き、そして、僕を睨む。

 

「いいか、よく聞け、小僧。確かにお前は少々おかしい。だが、おそらく、みっちり叩き直せば治るだろう……お前の両親の話だが、間違いなく、妙ちくりんな変人だ。連中のようなのはいない方が、世の中が少しはましになったとわしは思う。――あいつらは身から出た錆、魔法使いなんて連中と交わるからだ……思った通り、常々ロクな死に方はせんと思っておったわ……」

「ええ! 学校とやらへ行って、休みで帰ってきたら、ポケットはカエルの卵でいっぱいだし、コップをネズミに変えちまうし。私だけは、妹の本当の姿を見てたんだよ……奇人だって。ところがどうだい、父も母も、やれリリー、それリリーって、我が家に魔女がいるのが自慢だったんだ。――私は、この家では、そんな非常識、絶対に認めたりなんかしないわ……」

 

 伯母さんも、大きく息を吸い込むと、何年も我慢していたものを吐き出すように一気にまくし立てる。

 

「わかったなっ? こいつはストーンウォール校に行くんだ。やがてはそれを感謝するだろう。わしは手紙を読んだぞ。準備するのはバカバカしいモノばかりだ……呪文の本だの魔法の杖だの……わしはこんなことのために金なんか払わんぞ!」

 

「どの道を行くかを決めるのは、お前らではない」

 

 スプリガンが重々しく言う。

 

「非魔法族である者に、こちらの理解を無理に求めようとは思わん。しかし、だ。如何なる事情があれど、ハリーへしたこれまでの仕打ち……人としての尊厳を踏みにじるものばかりだ」

 

 伯父さんと伯母さんが怯むほど、その瞳に力強い、憤怒の意思が篭められていた。

 スプリガンはライフル銃を伯父さんへと放り投げると、その手をキッチンへ向け、クイッと人差し指を曲げる。するとそれを合図にするかのように、汚らしい液体で染められた、灰色のボロ布が飛んできて、スプリガンの手に掴まえられる。

 ひどい悪臭を漂わせる、歳をとった象の皮のようなものは、ダドリーのお古で……僕がストーンウォール校で着ることになる制服。

 

「これは、何だ?」

 

 硬く冷たい声で厳然と問われ、伯母さんは視線を下げ、口を噤んで俯かせる。

 

「さっき言ったが、魔法界において、“ハリー・ポッター”という名がどの様な意味を持つか理解しただろう。もしも、このような虐待が知られれば、どうなるかはわかっているだろうな?」

 

 厳しさを増した声で言われ、伯父さんは震え上がる。

 

「これ以上……この子を虐げる真似をするのならば……私は許さん!」

 

 雷のような一喝。

 ゴオッ! と突然、汚らしい灰色の布地が燃え上がり、灰と化した。

 バーノン伯父さんとペチュニア伯母さんは叫び声を上げ、腰を抜かす。奥の廊下からこちらをこっそり見ていたダドリーも同じようになっているだろう。

 ダーズリー家を黙らせたスプリガンは、僕に視線を戻し、再度彼が問いかけを発する前に、僕はその手を取って意思表示をする。

 

「僕は、ホグワーツに、通いたいです!」

 

「そうか……」

 

 スプリガンは、僕を抱き寄せて、ひとつ耳打ちをすると、懐から一丁の拳銃を抜いた。

 それを見たおじさんたちは声にならない奇声を上げて後退り、炸裂した大音響に目を回して失神した。

 ……後に、おっかなびっくりと顔を出してダドリーが見たのは、失禁して失神している両親の姿だけがあり、あの恐ろしい訪問者もおかしな従弟の姿もなくなっていた。

 

 

「「『漏れ鍋』!」」

 

 

 引き金が引かれ、空砲が轟いて、銃口からエメラルド・グリーンの火が噴き出す。

 途端、スプリガンと一緒に、抱き寄せられている僕の身体が銃弾のように高速回転しながら飛ばされた感覚がして……それが過ぎ去った時、場面は切り変わっていた。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 イグナチア・ワイルドスミスが発明した『煙突飛行粉(フルーパウダー)』。

 距離が遠くなるほど比例して難易度が高くなる『姿現し』に頼らずとも、誰でも指名した指定の場所へ瞬間転移ができる便利なアイテムである。

 ただし、これには魔法省の煙突飛行ネットワークで登録された暖炉が必要なのだ。

 生憎とこの家主が魔法の使えないスクイブであるフィッグ家には、そのような暖炉など上等なものは設置していない。見張り役の連絡もふくろうがあれば十分である。

 居候の都合で、暖炉を設置してもらうリフォームをするのも忍びない。

 

 そこで、このトンプソンセンター・コンテンダー。撃鉄と引き金くらいしか拳銃らしい部品のないシンプルな外観で、近代拳銃にしては珍しい単発式。見る角度によっては、その長い銃身は杖にも見えなくはないこの拳銃は、マグルの父が愛用していたもので、魔法学校を卒業後、世界を旅に出た一人息子へ護身用にと贈られたもの。

 コンテンダーは、射的競技用のスポーツ仕様として用いられるのが主であるが、これには“銃身を取り換えることができる”という特徴がある。狩猟用ライフルの大口径弾を篭められる銃身に交換すればハンティング仕様となれるのである。

 そして、私がこの魔弾に適応するよう、魔法的処置で施した“移動用”の銃身であれば、“暖炉の代わりになれる”。

 中折れ式の薬室にただ一発の、特注の弾丸を装填。この弾に詰められている火薬は、『煙突飛行粉』と同じもの。つまりこれは、煙突を銃身に、暖炉の火を弾の火薬に、と煙突飛行の原理を応用して創り上げた“携帯暖炉”である。

 一方通行で、頭だけ移動させるような長時間の使用は無理であるも、どこからでも煙突飛行のできる優れ物だ。

 ただし、特製シャンプーと同じように危険なので市販化は夢のまた夢であるが。

 

(少し脅し過ぎたかもしれんが、これくらいしなければあの一家はハリー君の待遇を改善しようとはしないだろう)

 

 そうして、マグルの家を飛び出して、ハリーと共に辿り着いたのは、見た目はちっぽけな薄汚れたパブ、けれど、魔法界への玄関口のひとつである『漏れ鍋』。

 宿泊施設でもあるここに私は予め一部屋借りている。もう夜も遅い。それにハリーも頭がいっぱいであるようだし、休ませた方が良い。それにそろそろ種明かしをしておこう。

 

「すごい……! これが、魔法なの!」

 

 見るのとやるのとでは感動が別次元だ。瞬間転移という初めての魔法体験に、ハリーのリリー先輩と同じ緑色の瞳は輝いている。

 そんな彼の前で、私は私の顔の前を手で覆い、すっと下ろす。すると、薄汚れた男の顔が、艶やかなブロンドの髪に青い瞳をした爽やかなイケメンに早変わりした。

 ハリーもびっくり仰天して目を丸くする。

 何せ格闘ゲームの2Pキャラのように目と髪の色は違うが、それ以外の顔のパーツは彼も良く知るご近所さんと瓜二つだ。驚かないはずがない。

 

「ええっ!? ギルデロイさん、何で!? ……あ、もしかしてこれ変身の魔法でギルデロイさんに化けて」

 

「いいや、これが私の正体だよ、ハリー君。今のは『七変化』という魔法で別の顔に化けていたのさ。この顔が正真正銘私本来の顔さ」

 

「そ、それじゃあ、ギルデロイさんは、魔法使いだったんですか?」

 

「ハハ、そうだよ。驚いたかい?」

 

 こくこくと首を振る素直な反応をするハリー。

 

「でも、なるべく長くご近所付き合いをしたいからね。魔法使いは、マグル……魔法を使えない人に正体をばらされるのはあまり好ましい事ではない。もし私の正体がバレれば、あそこから引っ越さなくてはならなくなるから」

 

 皆には内緒だよ、ときちんと言い聞かせると、またこくこくと必死に首を振るハリー。

 監視役の正体を当人にばらしてしまったが、これはこれまでの彼の生活環境を考慮して、一人頼りになる大人の魔法使いの存在を知っておいた方がいいと校長先生もお認めになられている。

 

「よし。それじゃあ、もう夜も遅い。明日は忙しいからね。ダイアゴン横丁でハリー君の教科書や入学用品を買い揃えないと」

 

 そう言って寝かしつけようとするのだが、ハリーはその言葉にサッと顔を蒼褪めさせる。

 

「どうしよう。僕、お金ないよ。さっきバーノン伯父さんも、僕が魔法の勉強をしに行くのにお金は出さないって」

 

「その心配はいらないさ。君のお父さん、お母さんが何も残していないと思うのかい?」

 

「でも、家が壊されて……」

 

 チチチチ、と指を振る。

 

「ダーズリー家でも全財産を家の中に置いておいたかい? 魔法界にも銀行グリンゴッツがあるんだ」

 

「魔法使いの世界には銀行まであるの?」

 

「ああ。一つしかないけどね。小鬼が経営しているグリンゴッツさ」

 

「こ・お・に?」

 

「損得勘定に関して人間以上に五月蠅い小鬼だ。私もちょっと揉め事を起こしたことがあったけどあれは二度と御免だ。銀行強盗なんて狂気の沙汰だろうね。とはいえ、グリンゴッツのセキュリティはホグワーツを除けば世界一安全な場所だよ。そこに君の両親が、君が独り立ちするまでの間の為に貯めた財産がちゃんと保管されている」

 

 心配する必要はないよ、とハリーをベッドへ寝かしつける。

 これで一安心。でも、安堵すれば興奮冷めやらぬハリー少年がそう簡単に眠りにつけるわけもなく、口早に次々と質問を投げかける。

 

「ギルデロイさんは、僕の両親のことを知ってるの?」

 

「もちろん知ってる。君の両親は、私がホグワーツへ通っていた時の先輩だった。別の寮だったけど二人にはとてもお世話になったよ」

 

「別の寮? ホグワーツにはいくつも寮があるの?」

 

「グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリンの四つがある。それぞれ特色はあるんだけどこの内、ハリー君の両親、ジェームズ先輩とリリー先輩は、グリフィンドール。私は、レイブンクローだったんだよ。

 ……と、そうだ。言い忘れていたけど、私のことはギルデロイ・ロックハートではなく、スプリガンと呼んでほしい」

 

「え? どうしてなの?」

 

「君ほどではないけど、私も結構顔が売れているんだ。ハリー君と一緒にいるところを見られたら表を歩けなくなってしまう。きっと一面大見出しになるね」



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3話

「オーッ、ハリーだ!」

 

 朝起きて、身なりを整えてから部屋を出て、下階の酒場へ行くと、カウンターに銀髪の頬に傷のある男……に昨日の打ち合わせ通りに変装したスプリガンと、荒々しい黒い影のような大男が新聞を広げながら並んで座っていた。

 大男はハリーを見つけると、黄金虫のような目をくしゃくしゃにして笑いかける。

 

「最後にお前さんを見た時にゃ、まだほんの赤ん坊だったなあ。あんた父さんそっくりだ。でも目は母さんの目だなあ」

 

「ハグリッド、あまり騒がれては困ると言っただろう」

 

「おっと、すまねぇギルデロイ」

 

「ハグリッド!」

 

 やや強めの声で、大男に注意するスプリガンの隣の席に座ると、ハリーは大男を見上げながら訊ねる。

 

「あなたは誰?」

 

「そうだったな、自己紹介をしようか。俺はルビウス・ハグリッド。ホグワーツの鍵と領地を守る番人だ。ハグリッドって呼んでくれ。みんなそう呼ぶ」

 

 男は巨大な手を差しだし、ちょっと肩を痛めるくらいの勢いで、僕の腕をぶんぶん振って握手した。

 

「さあて、朝食にしようじゃないか。え? ダーズリーのようなこちこちのマグルの家で大変だったろう。遠慮することはねぇから好きなもんを頼みな。そうだ、俺もお前さんの買い物を手伝ってやろう。ほれ、確か明日は誕生日だったろう?」

 

「ハグリッド、君にはダンブルドア先生から頼まれた仕事があるんじゃないのかな」

 

 ぐいぐい来るハグリッドを呆れた声で窘めるスプリガン。

 

「おう。俺はこれからグリンゴッツに行かにゃならん。ダンブルドアに頼まれた、ホグワーツの仕事だ。ダンブルドア先生は大切な用事をいつも俺に任せてくださる……俺を信用してくださっとるんだ」

 

「そうかい。ちょうど私達も、まずはグリンゴッツに預けているハリーの貯金を下ろしに行かないとならないからね。同行しても問題なさそうだが……いいかい、ハリー君?」

 

「はい、構いませんけど……お仕事、本当に大丈夫ですか」

 

「ああ、問題ねぇ。遠慮なんてするな」

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 朝食の後、出待ちしていたかのようにハリーに握手を求められた。

 やっぱりハグリッドが目立ち過ぎたのだろう。買い物がごまんとあるというのに、なるべく騒がれずに行こうとしたこちらの配慮が台無しである。こちらの正体もバラしかけるし。挨拶しに行くべきではなかったかと軽く後悔。

 でもおかげで、ハリーにも自分が魔法界で有名人である実感が持てただろう。

 

 それとハグリッドとは別に、クィレル教授にも会えた。

 『トロールとのとろい旅』にもご出演していただいたトロールマスターの教授は、修行に出掛けた黒い森で吸血鬼に遭遇し、その上鬼婆にひどい目に遭わされて、残念ながらどもり癖がより悪化していた。吸血鬼も鬼婆も知己がいるが中には人間に害をなす者がいる。世間一般的にはそれが普通だ。……しかし、これで今年から『闇の魔術に対する防衛術』を教えることになるのだから驚きである。

 

 さて。

 ハグリッドがドラゴン自慢を語りながら、グリンゴッツへ一緒に向かったのだが、しかしこの半巨人は体重に反して口が軽い。さりげなく注意を何度もするのだが、ハリーに質問されるとペラペラ極秘情報を明かしてしまう。『七一三番の金庫の例の物』とぼかしてはいるが、それならばその所在も秘密にしておくべきだろう。私は、信頼できる人格であってもハグリッドのそういうところは信用できなかった。間違っても『秘密の守人』にはさせられない。

 

 それから、ハリーの入学準備だ。

 グリンゴッツの地下トロッコに乗り物酔いしたハグリッドは『漏れ鍋』で元気薬を飲みに行ってリタイアしている。

 

 まず、最初に連れて行ったのは、『マダムマルキンの洋装店』。ホグワーツの制服を取り揃えている。ここは中へ案内すれば、魔女店主マダム・マルキンが仕立ててくれるので、保護者は外で待っていればいい。

 そこでハリーは、プラチナブロンドの男の子と隣になり、制服の寸法を測る間になにやら話をしていたが、段々と消沈してしまう。

 後で聞けば、魔法界の事を何にも知らなくて自信を無くしたとのこと。また、その子は排他的なところのある純血主義(きっとマルフォイ家の子だろう)で、マグルの家の子は一切入学させるべきではないと言われたそうだ。

 でも、そんな落ち込んだハリーを、合流したハグリッドが励まして持ち直させた。

 口は軽いし、能天気だし、魔獣に関しての知識はあれど『ドラゴンを飼いたい』なんていう危険思考なところのあるハグリッドであるも、なかなか奥深いことを言うヤツで…………ただし、それは五年に一度あるかないかだが。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ハグリッドめ……!

 

「奥様方、お静かに願います……押さないでください……本にお気をつけ願います……」

 

 服屋の次に向かったのは『フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店』。ここで教科書を購入しようとしたのだが、私の顔を載せた書物がいくつも並べられているのに気づき、疑問を持ったハリー少年が訊ねたのだ。

 スプリガン(ギルデロイ)って、凄い魔法使いなの?

 それに、元気薬だけでなくオグデンのオールド・ファイア・ウィスキーまでひっかけてきたのか、口の滑り滑らかな森の番人が暴露した。

 

『そりゃ、お前さん。ギルデロイは、お前の父さんや母さんにも負けないくらいすげぇ魔法使いだ。二人の後輩でホグワーツの首席だからな! ダンブルドア先生も優れた魔法使いだと仰っとる。なあ、ギルデロイ?』

 

 バ・レ・た。

 

 狭い書店で、大男が、人目憚ることなく大声で、肩を叩いて絶賛してくれたのだ。知らぬ顔はできない。それにファンサービスを期待するファンたちを無下にすることもできまい。

 変装を解くと人が集まって黄色い歓声を上げ、慌てて店員さんがやってきて、仕方なく乱雑極まる人混みを整理するために、急遽サイン会をお願いされた。

 ハリーまで巻き込まれるわけにはいかないと、私が目立っている間にハグリッドに頼んで(ハグリッドのせいでこうなったんだが)、書店から追い出して、残りの学用品の準備を済ませるよう言いつけた。

 

「ロックハートさん! 私、あなたの本全部読みました! お話を読んでるとすっごく魔法界に興味が湧いてきて……あの、その、私っ、ファンです!」

 

「ハハ、ありがとう。気に入ってもらえて私も嬉しいよ。君のお名前は何かな?」

 

 にこやかに行列を作るファンたちに握手をしながらサインを書いていると、栗色の髪がフサフサして、前歯がちょっと大きい女の子の番になった。

 雰囲気からしておそらくはマグル生まれだろう。まだこの魔法の街ダイアゴン横丁に慣れていない様子から察するに、ハリーと同じ新入生と見た。

 

「ハーマイオニーです! ハーマイオニー・グレンジャー! 今年からホグワーツに通います!」

 

 女の子が胸に抱えていた私の第一作『泣き妖怪バンシーとナウな休日』にスラスラと私のサインと彼女の名前を書き記す。

 

「きっとグレンジャーさんにはこれまでとは勝手の違う魔法界に戸惑うことばかりだろうけれど、ホグワーツは良いところだ。勉強も、そして、勉強以外のことも頑張ってね」

 

「は、はいっ! 頑張りますっ! ロックハートさんのように首席になってみせますっ!」

 

 握手して励ましの言葉を送り、大いに気合の入った女の子が流されると次の方は、小柄で丸っこい、優しそうな顔の女性。

 

「ロックハートさん! あなたの『週刊魔女』でのコラム、大変感銘を受けました! ファンです!」

 

 彼女が差し出したのは、『ギルデロイ・ロックハートのガイドブック――一般家庭の害虫』。専門分野ではないものの私も私なりの見解を述べているが、出版社の意向で、害虫よりもほとんど私の写真ばかり載せているというほとんどプロマイドな本である。

 でも、これも私の名前が記された本であるので、サインを求められれば書こう。キラッと白い歯を出し、『週刊魔女』で五連続受賞しているチャーミングスマイルを見せながら、

 

「ありがとう、夫人。それで、あなたのお名前は?」

 

「モリー・ウィーズリーです! 今年から息子がひとりホグワーツに通います!」

 

 スラスラと“ギルデロイ・ロックハート”とサインを記して、夫人の名前も書いて渡すともう熱烈な握手を貰った。机から身を乗り出してハグまでしそうな勢いである。

 うん。後ろで顔を引き攣らせているやや禿げかかった赤毛の中年男性はあなたのお相手かな?

 

「ハハ、では、お子さんに頑張ってくださいとお伝えください。ホグワーツの卒業生(OB)として応援してますよ」

 

「ありがとうございます! サインを頂いたこの本は、家宝にしますね!」

 

 それは勘弁してほしい。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 スプリガン……ギルデロイが、ゲリラファンサービスから解放されて僕たちと合流したのは夕暮れ近く。

 その時にはもう授業に使う鍋などの必需品も魔法使いの証である杖も買い揃えて、またハグリッドから誕生日プレゼントだと白ふくろうを買ってもらえた。

 ギルデロイはついててやれなくて申し訳なさそうだったけど、あれはしょうがないと思う。まさかあんなにすごい魔法使いだったなんて……。

 それから僕たちはダイアゴン横丁を出た。荷物がどっさりとあったけど、ギルデロイが用意したスーツケースは、検知不可能拡大呪文という魔法が施されていて、見た目よりもずっと中は容量がある。鍋も教科書、制服に雪のように白いふくろうを入れた鳥籠もみんな入った。あんな大荷物が片手で運べるなんてやっぱり魔法は凄い。でも……。

 

「ハリー。少しあそこで休憩していかないかい」

 

 『漏れ鍋』でハグリッドと別れ、ダイアゴン横丁のあるロンドンから、パディントン駅で地下鉄を降り、エスカレーターで駅の構内に出たところで、ふと、スプリガンが駅構内にあるコーヒーショップに誘った。

 スプリガンはハリーにケーキセットを買ってやり、二人は外の見える窓際のカウンター席に並んで座る。

 

「これは、私から君への誕生祝いだ。気に入ってくれると嬉しい」

 

 テーブルに滑らせて、目の前に置かれた小箱。

 開けてみるとそれは腕時計だった。

 

「ホグワーツは、授業する教室に行くまでも大変な学校だ。新入生だから最初はほとんどの教師はお咎めなしにするだろうけど、二回目からはそうはいかない。時間に気を付けないとね」

 

 男物の自動巻き式。針や金属製のベルト、サファイアガラスのカバーなど、パーツのひとつひとつが精巧で、おそらくは特注品。装飾の少ないシンプルなデザインも好感が持てる。これはきっとダーズリー家で着けていても批難されないように考えてくれたんだろう。

 

「でも、こんな高そうなもの僕……」

 

「いいや、身につけておきなさい。この時計は、多機能でね。『隠れん防止器(スニーコスコープ)』が内蔵されていて、君に良からぬ気配が敵意を持って近づけば、震動(バイブ)するようになっている。また『敵鏡』の魔法も施してあるから、この表面(カバー)ガラスに姿が映しだされれば、そいつは高確率で君の敵だ。注意しなさい」

 

 スプリガンの解説に、僕は目を大きくした。

 

「ハリー……どうして私が君にこれを贈ったのか、その意味が分かるかい? 警告だ。魔法界はとても面白いが、危険でもある。『例のあの人』が表に出てこなくなったとはいえ、悪い魔法使いがいないわけではない。私も君のそばにずっといてやることはできないからね」

 

 その言葉にショックを受けたけど、すぐに思い直した。浮かれてばかりではいられないと気を引き締め直す。でも……

 

「みんなが僕のことを特別だって思ってる」

 

 ギルデロイ・ロックハート。僕のことを見守ってきてくれた魔法使い。父さんと母さんの後輩。そして、僕とは違って本物の英雄……。

 

「『漏れ鍋』のみんな、ハグリッドも、クィレル先生も、オリバンダーさんも……でも、僕、魔法の事は何も知らない。大人気だっていうクィディッチのことだって知らなかった。それなのに、どうして僕に偉大なことを期待できるの?」

 

 いつかきっと『名前を言ってはいけないあの人』のように偉大なことをすると杖職人のオリバンダーは言った。

 だけど、

 

「有名だって言うけれど、何が僕を有名にしたかさえ覚えていないんだよ。ヴォル……僕の両親が死んだ夜だけど、僕、何が起こったのかも覚えていない」

 

 心配するな。すぐに様子がわかってくる。みんなホグワーツで一から始めるんだ。ありのままでも大丈夫。お前さんは選ばれたんだ……って、ハグリッドは尊敬と期待の眼差しを僕に向ける。

 そんな今日一日、胸の裡に凝っていた言葉を吐き出すハリーに、ギルデロイは小さく息をついた。

 

「周りがハリー君のことを英雄だと崇めるのはもうどうしようもない事だ」

 

「………」

 

 そこで、ギルデロイは僕に訊ねる。

 

「でも――君は、どういう魔法使いになりたいんだい?」

 

「え?」

 

 思いもよらぬ質問にハリーは戸惑い……ギルデロイはゆるく微笑した。

 

「一口に魔法使いって言ってもね、いろんな人がいますよ」

 

 黄昏の空を見据えて、紅茶にミルクをかき混ぜながら、大人の魔法使いは話す。

 

「力ある者として他者を守ることを自分の義務としている人。とことんひとつの真理を追求する人。共同作業の中に生きがいを見出す人。はたまた、己の為だけに生きる人……色々といますよ本当に色々と。それは、魔法のないマグルの世界でもきっと変わらない事でしょう」

 

 思考するハリーに、ギルデロイの言葉は優しく響く。

 

「本当なら教えているはずのダーズリー家が魔法のまの字も教えていない。君が無知であることを恥じ、不安になる気持ちは、とてもよくわかる」

 

「ギルデロイさん……」

 

「……実はね。私は、ホグワーツに通う少し前に記憶を失ってしまった。正直、今でも十歳より前の記憶は…思い出せていない」

 

「そんな……!?」

 

「だから、その当時は誰であるかさえ忘れてしまっているんだから、当然、魔法界のことなんかわからない。なのに、皆から特別扱いされる。今の君と同じようにね」

 

 だから、なのだろうか。

 この魔法使いの言葉が、すとんと胸に落ちるのは。

 けして特別なことを言っているわけではない。だけど、確かに心の底まで揺り動かす。

 

「これから君が行く魔法界には、『闇の帝王』、ヴォルデモートを倒した、倒しうる力を秘めた英雄なのだとみんなが期待をかけてくるでしょう。でも、だからといって、ハリー君がそうならなきゃいけないわけじゃない。

 ――納得もしていないものに、『生き残った男の子』だからって理由だけで、盲目的に従う理由がない」

 

 その言葉の、力強さ。

 

「ギルデロイさん……」

 

「ホグワーツは……いい学校だった」

 

 頭の中の思い出のアルバムを開くように目を瞑って、ギルデロイが言う。

 ゴドリック・グリフィンドール、ヘルガ・ハッフルパフ、ロウェナ・レイブンクロー、サラザール・スリザリンの四人に、偉大なる魔法使いと魔女によって創設されたホグワーツ魔法魔術学校。

 千年近くの歴史のある学び舎は、多くの魔法使い魔女を輩出してきた。その校内は迷宮のように奇々怪々な構造をしており、学校長でさえその全容を計り知れない謎を秘めている。

 七年間、在学していただけではとてもすべてを知り得ない、研鑽の場所。

 

「十歳までの記憶を無くし、十一歳で魔法学校に入った私は、ホグワーツであらゆることを学んだ。それは、魔法だけではない。多くの人に出会った。そして、私は、自分のカタチで、自分の生き方を模索していきました。きっと君のお父さんもお母さんも、そういう風に学び取ってくれたらと願われているでしょう」

 

 早くもなく、訴えかけるでもなく、ただ穏やかな声。

 

「だから、ハリー君。自信をもって、魔法使いと名乗りなさい。あの時、私の手を取ってこの世界に第一歩を踏み出した君は、紛れもなく魔法使いだと、このギルデロイ・ロックハートが保証しよう」

 

 そう言って、ギルデロイはくしゃりとハリーの頭を撫でたのだった。

 

「あ」

 

「良く学び、良く遊び、そして、良く強く、おなりなさい」

 

 その言葉で。

 燻っていた不安が、ほどけた気がした。

 伯父さんと伯母さんの制止を振り切っておきながら、初めての魔法界に戸惑い、たじろいでしまった自分の一部。

 

(格好悪いなあ)

 

 今日は最高の誕生日だったけれど、不甲斐ないところを痛感させられた一日だった。

 自然、ハリーの唇は綻んだ。

 ハリー・ポッターは、よちよち歩きの赤子で、まだ半人前にさえ辿り着いていない。

 だけど。

 ずっと、そのままなわけではないと、そう教わった気がしたのだ。

 

「あの……ありがとうございました」

 

「いえ、お役に立ったのでしたら幸いです。ほら、ハリー、ケーキを食べなさい。ここのは結構絶品なんですよ」

 

 頭を下げたハリーに、にこにことギルデロイがケーキを勧める。

 それにフォークをつける前に、この憧れる大人の魔法使いにハリーは頼んだ。

 

「あの、僕に魔法を教えてくれませんか……!」

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 世には『怪物的な怪物の本』やら『透明術の透明本』なんていう本自体に魔法が掛けられているものがある。

 この文豪の仲間入りをしている私の得意呪文は、“記憶”に関するものだ。マグルへの隠蔽工作に役立つ忘却術は、鼻歌交じりにやってみせよう。

 その私が、縁にルーン文字を書き込んだ表紙に、私の“記憶”を篭めて一筆入魂で書き記した原本には、“冒険を追体験できる”という『憂いの篩(ペンシーブ)』じみた機構が備わっている。

 

 

「やあ、よく来てくれたね、ハリー君。ペチュニアさんにはここに来るのをバレてないかい?」

 

「はい。おばさんたち、僕のことをそこにいないかのように無視するようになって、だから、もうどこに行こうと全然」

 

「そうか。それは少し脅し過ぎてしまったね」

 

「そんな! 僕はギルデロイさんのおかげで」

 

「ハリー。彼らは君をここまで育ててくれた人だ。そして、大人にひとり立ちするまでは家に住まわせてもらっている。何があれど、そのことは恩に感じなければいけないよ。ハリーも良好な関係の方が全然良いだろう? まあ、あそこの家がそう簡単に魔法使いに歩み寄ってくれるとは思えないんだけどね」

 

 書庫のように多くの本が棚に納められている自室。そこには、一匹の猫もいた。

 フィッグさんの代わりに猫とニーズルのミックスの面倒を見てほしいと頼まれることがある。ハリーは時々この家に来ることがあるが、私の自室に住み着いているそのデカいオレンジ色のそれは初めてだろう。

 巨大な猫か、小さな虎か。

 私はその巨大な赤猫をチチと呼び、膝の上に乗せる。

 

「この子は、クルックシャンクスだ。もうすぐダイアゴン横丁の『魔法動物ペットショップ』に送られることになる。愛嬌はよろしくないが、とても賢い子だ。人を見る目があるのでこの子が懐く相手は信用してもいい」

 

「は、はあ……その、その子は猫なんですか?」

 

「うむ。その質問には半分そうだと答えよう。クルックシャンクスは、猫とニーズルという魔法生物のミックスだ。魔法使いで言えば、私と君と同じ半純血である」

 

 顎裏をくすぐり、クルックシャンクスは気持ちよさそうに目を瞑る。魔法界と非魔法界のハーモニーなこの雑種には私の琴線をくすぐるものがある。もうすぐお別れになるが、いい飼い主に出会ってくれることを祈ろう。

 と、今日はクルックシャンクスに構ってばかりではいられない。客人がいるのだ。

 

「それで、ハリー」

 

 言われ、待ってましたとばかりにハリー少年は鞄から杖を取り出そうとするも、それを手で制止する。

 

「ああ、杖はいらないよ」

 

「え……、今日は魔法の事を教えてくれるんですよね?」

 

「百聞は一見にしかず、

 百見は一考にしかず、

 百考は一行にしかず、

 百行は一果にしかず、だ」

 

 きょとんとするハリーに解説を入れる。

 

「聞くよりも見る方がわかりやすい。ただ見るよりも自分で考える方が覚えは良い。そして、考えるだけでなく実際に行うことで人は上達する。……しかし、これは逆に百も行えばそれだけの成果があるということでもあるだろう?

 期待しているところ残念だけど、未成年であるハリー君は、学校の外では許可がない限り魔法が使えないので、本格的な魔法訓練はできません。だから、本を良く読み、頭の中でイメージして考えなさい。それを百もすれば、君は他の子たちよりも一歩先んじることができるでしょう。そして、万の努力の果てに、やっとひとつのことを身に着けられる」

 

 頼まれて色々と考えて出した私の結論に、ハリーは落胆した表情を見せる。

 この年頃の子供に読書だなんて、詰め込み教育は勉強を楽しんでできる子でないと苦行だろう。特にハリーのような自分の杖を持ったばかりの子は、魔法を使いたがる。私もそうだった。

 

「それと、あまり君がこのフィッグ家、僕に会いに通い詰めると、ダーズリー家で不審がられる。だから、私は君にこの本を読むことを課題とする。

 読み終われば、君のふくろう、ヘドウィグに持たせて私に返してくれ。そしたら換わりに新しい本を送ろう。その際に、疑問点やどうしても解らない点があれば手紙を添えてくれれば回答しよう。ただし、できる限り自分で教科書を引いて調べる事。いいね?」

 

「はい……」

 

 明らかに落ち込んだ声の調子に、私はクスリと笑みを漏らす。

 

「読書、とは言ったが、厳密に言うとハリーには、私の体験談を体感してもらう」

 

「それはどういう……?」

 

「そうだね。試しにハリーが気になっているクィディッチを見せてあげよう。レイブンクロー対グリフィンドール……当時、二年生の私のデビュー戦で、七年生のジェームズ先輩、君のお父さんと試合し、負かされた時の体験談だ」

 

 渡された一冊の本を開いたハリーは……すぐに惹きこまれた。

 本の世界に入ったかのように五感すべてでその時の体験をする。それはテレビで試合観戦するなどよりもずっと刺激的で、まったく飽きない。仮想ならぬ記憶現実世界体験。彼の書物の虜になったギルデロイ・ロックハートファンがまたひとり増えた。

 

 

 こうして、ホグワーツに通うまでの一ヶ月間、貸し出した授業ノートを夢中になって読み漁ったハリー・ポッターは、授業で好成績を収めることになる。親友の男子生徒から秘訣を訊かれてギルデロイ・ロックハートの読書(という名の映像教育)の話をして、それを聞いた最優秀の女子生徒からご近所さんどころか個人レッスンまでしてもらうハリーは大いに嫉妬され羨ましがられたりするのだが、これが学校長の耳にも入る。

 これが、“就いた教授が一年以上もたずに辞めていく呪われた学科”と評判の、『闇の魔術に対する防衛術』の来年度の教授を選考する決め手となるのであった。




占い学の教授「ロックハート先生の新刊のタイトルは、『バジリスクとバッチリ学校生活』になるでしょう」


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バジリスクとばっちりスクールライフ
4話


 ハリー・ポッターがホグワーツへ行ってからおよそ半年後、ギルデロイ・ロックハートの自伝『私はマジックだ』の発売。

 数多の冒険を記した体験談と同じく自伝もまた魔法界で大ヒットして、社会的地位を上げた私は……魔法使いの監獄アズカバンへと来ていた。

 

「ギルデロイさん。ここからは私が……」

「いいや、必要ないよ。私ひとりで十分だ」

 

 魔法省から派遣されたここの見回りの魔法使いを振り払って、断崖絶壁の孤島の上に建つ要塞の如き監獄に降り立つ。そのまま後続を待たずに内部に踏み込むと、出迎えたのはマントを着た黒い影。顔をすっぽりと頭巾で覆い、マントから突き出している手は水中で腐敗した死骸と見間違えるほど灰白色に冷たく光っている。

 アズカバンの看守と恐れられる闇の魔法生物・吸魂鬼(ディメンター)だ。

 最も暗く、最も穢れた場所に蔓延り、凋落と絶望の中に栄え、平和や希望、幸福を回りの空気から吸い取る邪悪な魂の抜け殻。

 近づくだけで楽しい気分も幸福な思い出も、一欠けらも残さずに吸い取ろうとする、マグルでさえ、吸魂鬼の姿を見ることが出来なくてもその存在は感じ取るほどだ。

 だが、私がここに持ちこんで来た感情の大部分は、この最も忌まわしい生物が怯むほどの、激情だ。

 

「やっと……やっと、ここまで来た!」

 

 作家活動を足掛かりとして、マーリン勲章を取り、数多くの社会貢献で発言力を高めてきた私は、ついにこのアズカバンに……ヤツとの面会が許された。

 祈るように拍手して出した私の守護霊(パトロナース)である妖精が、キスを迫ろうとする吸魂鬼を鎧袖一触と蹴散らして向かった監獄の最奥の牢。

 その中に居る、壁に(もた)れた長い髪の頬がこけた男は、かつての美貌が見る影もない。

 

「シリウス・ブラック!!」

 

 その名は今やこのアズカバンの要塞監獄の囚人の中で最も凶悪と言われている、『例のあの人』の右腕だった男を指すもの。

 そして、友を売り、友を殺し、十数人のマグルを一度の魔法で虐殺した……私がかつて尊敬していた先輩のひとり、だった。

 あの二人が自分たちの子供の名付け親にするくらい、最も信頼された男がスパイだったなんて、どうしてもそれが信じられず、私は彼と面会するために、魔法省に多額の寄付金をやった。

 

 妖精の守護霊が、牢獄に張り付いている吸魂鬼を払い退けさせると、そのまま照明代わりに天井近くを飛び、唖然と読んでいた新聞を落としたブラックは瞠目して私を見た。

 

「その声は……まさか、ギルデロイか!?」

 

「ああ、そうだ! クロスワードに興じるとは余裕だな。なんだ、アズカバンでひとり遊びがそんなに面白いか?」

 

「懐かしいだろう。ここではこれくらいしか楽しめるものがなくてね。ああ、そうだ。新聞にも載っていたが、本を出したんだって? 私にも読ませてくれないか」

 

「欲しいなら新刊と合わせて送り付けてやる。ふん、随分と正気を保っているようじゃないか。良かったよ、話ができるようで」

 

 アズカバンの囚人は、吸魂鬼に幸福の記憶を吸われ、正気を失っている。その中でも特に凶悪犯の魔法使いは、吸魂鬼が昼も夜も独房のすぐ外に張り付いている。

 けれど、シリウス・ブラックは、見た目は落ちぶれてはいるものの、もう十年以上も最も厳しい監視を受けているというのに、新聞を読めるだけの気力があった。

 

「リーマス先輩から、全てを聞いたよ。お前が、ジェームズ先輩とリリー先輩から『忠誠の術』をかけられた『秘密の守人』だった、ってね。でも、お前は二人を裏切り、死なせた……!」

 

 震える腕は今にも拳銃をブラックに突きつけようとするのを必死に抑えている。震える声は私のこの上ない失意と怒りが篭められている。それを見たブラックは、ゆっくりと首を振った。落ち窪んだ目が急に潤んだように光った。

 

「確かに……私が殺したも同然だ」

 

 ブラックは静かな声で言った。

 

「でも、信じてくれ。わたしは決してジェームズやリリーを裏切ったことはない。裏切るくらいなら、私が死ぬ方がマシだ」

 

「何を貴様! 言っておくが私はここで貴様を()()に遭わせてやることもできるぞ! “向こう側”へ逝ってしまったとね!」

 

「お願いだ聞いてくれ!」

 

 痩せた胸を激しく震わせて訴えるブラックの目、そこにかつてと変わらぬ光を見て……目を瞑る。眉間にしわが寄り、クッと顔を逸らし、吐き捨てるように言う。

 

「何だ、聞かせたいことがあるなら言ってみると良い。私の財産の半分を払ってここまで漕ぎつけたんだ。これで裏切り者の首ひとつではとても釣り合わないからね。ただ、狂人の戯言を聴かせないでくれたまえよ」

 

「感謝する、ギルデロイ」牢前に椅子を出して腰かけた私に、大声を出してぜえはあと息を切らしながらもブラックは掠れた声で言った。「私は、最後の最後になって、ジェームズとリリーに、ピーターを守人にするように勧めたんだ」

 

「何? そんなことは先輩から聞いていないぞ」

 

「ああ、リーマスは知らない。私の独断だ。ヴォルデモートはきっと私を狙うだろう。だから、目晦ましだ。私は、これこそ完璧な計画だと思った。……ピーターに裏切られるまでは!」

 

 その名を口にしたブラックから、強い憎悪の念が漏れ出す。

 

「二人に、守人をピーターに変えるように勧めた……ああ、私が殺したも同然だ。確かに、二人が死んだ夜、私はピーターの所に行く手筈になっていた。ピーターが無事かどうか、確かめに行くことにしていた。ところが、ピーターの隠れ家に行ってみると、もぬけの殻だ。しかも争った跡がない。どうもおかしい。私は不吉な予感がして、すぐジェームズとリリーの所へ向かった。そして、家が壊され、二人が死んでいるのを見た時――私は悟った。ピーターが何をしたのかを。私が何をしてしまったのかを」

 

 終盤、涙声になったブラックの話を、私は姿勢を微動させることなく聴く。

 

「それで?」

 

「私は、あいつを……ピーターを追い詰めた」

 

「そして、指一本しか残さないくらいに消し飛ばしたのか」

 

「それは違う。私があいつを追い詰めたとき、あいつは道行く人全員に聞こえるように叫んだ。私がジェームズとリリーを裏切ったんだと。それから、私が奴に呪いをかけるより先に、奴は隠し持っていた杖で道路を吹き飛ばし、自分の周囲にいた人間を皆殺しにした――そして、素早く指一本だけを切り落とすと、ネズミが沢山いる下水道に逃げ込んだ……私に罪を被せてね」

 

「ネズミ、だって……」

 

「知っているだろう。私達が未登録の……であることを」

 

 ……なるほど、辻褄は、合う。だが、

 

「アズカバンで十年も正気を保つだけでなく、このような作り話を創作するなんてね。驚かされたよ」

 

 ブラックは格子の隙間から骨と皮ばかりになった手を伸ばして、牢前から席を立とうとする私へ声を枯らして訴える。

 

「信じてくれ。私が正気を失っていない理由はただひとつ。自分が無実だと知っているからだ。これは幸福な気持ちではなかったから、吸魂鬼はその思いを吸い取ることができなかった……しかし、その思いが私の正気を保たせた、自分が何者かであるか意識し続けられた」

 

「でも、証拠がない」

 

 そう、その話がたとえ真実なのだとしても、無実だと証明できないのだ。

 

「そして、二人から任された後見人の義務を果たさず、ひとり復讐に走った輩に、これ以上の義理立てをする必要はない。ああ、そうさ。ハリーのことだけではない、自分勝手なお前は、レギュラス先輩……弟さんのことだって何にも知らないんだ」

 

「それは……」

 

 力なく落ちそうになるブラックの腕であったが、それでもげっそりとした顔を鉄格子に擦りつけ膝を屈したまま、再度諦めずに伸ばす。

 この信頼できる我らの後輩が訪れたこの機会を、決して無駄にしてはならないと。

 

「それでも、頼む……! このアズカバンでいろいろ耳にした。私は囚人たちが寝言で叫ぶのをずっと聞いていたんだ。どうやらみんな、裏切り者がまた寝返って自分たちを裏切ったと思っているようだった。ヴォルデモートはピーターの情報でポッターの家に行って……そこでヴォルデモートが破滅したんだからな。だから、奴はハリーを狙う! ハリーを捕えていれば、ヴォルデモート卿を裏切ったなど誰が言おうか? 再び闇の陣営が力を得る時に備え、きっとハリーを襲えるようすぐ近くに息を潜めているはずだ!」

 

「もう時間だ。まったく一秒が一ガリオンにも勝る高い買い物をしてしまった」

 

 マントを翻し、背中を向ける。希望が潰えたと勘違いしたブラックの拳が独房の床を叩いた音を耳にした私が、愚痴るように捨てセリフを残す。

 

「……そのおかげで、話を聞くべき相手がもうひとり増えたしね。これでまたもう半分の財産まで費やしては、無一文になってしまうぞ。まあ、……犬の土下座は値千金の価値があるとプロングズは言っていましたっけ」

 

「スプリガン……!」

 

「勘違いはしてくれるな。貴様の話を信じたわけではない。私はあの魔法戦争には参加することさえできなかった。だから、不甲斐ない先輩の尻拭いくらいやってみせないと格好がつかない。私はこの黒子に誓って、割に合わなくても格好悪い真似だけはできないんでね。……それにここから出さないと殴ることもできやしない。その汚い首を洗って覚悟しておいてくれたまえよ、パッドフット」

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 ホグワーツ魔法魔術学校で一年生を終えた。

 ロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーという親友ができて、魔法の授業で目が覚めるような経験をして(魔法薬学の教授には目の仇にされていたけど)、クィディッチでは新入生で寮対抗選手になったり、また『賢者の石』を巡ってクィレル……に取り憑いた史上最強の闇の魔法使いヴォルデモートとの戦いを経たハリー・ポッターは、このプリベット通りで、とても歯がゆい思いをしていた。

 

 ホグワーツが、魔法界が恋しい。

 呪文の教科書も、魔法の杖も、ローブも、鍋も、最高級の箒ニンバス2000も、夏休みで家に帰った途端、バーノン伯父さんが階段下の物置に押し込んで鍵をかけてしまったのだ。

 だから、夏休み中一度もクィディッチの練習もできないし、宿題もできない。ヘドウィグも鳥籠に閉じ込め、南京錠までかけたので、魔法界の親友に手紙を運んでもらうこともできない。

 ハリー自身を閉じ込めたりはできないみたいだけど、とにかくこの雁字搦めの生活にとても窮屈な思いをしていた。

 

「ハリー。あまりここへ頻繁に来られると困ると話をしなかったかな?」

 

 なので、フィッグ家……に隠れ潜む居候のギルデロイ・ロックハートの部屋にこの夏休み入り浸っていた。

 

「ギルデロイ、お願いだよ。僕、あそこには居場所がないんだ。今日だって商談があるだとかでそれまで家に居るなとおじさんに追い出されたんだ」

 

 正確には、ハリーが自ら家を出て行くことを進言したのだが、伯父さんたちも強く同意してくれた。

 厄介な癇癪玉は身内に抱えるよりも外へ放り出したい。そして、ハリーも唯一魔法界と繋がりのあるこの場所にいたい。

 なにせ、この部屋にあるギルデロイ・ロックハートの自筆の原本は、マグルの映画よりも断然臨場感がある。この感動を知ってしまったハリーは、従弟のダドリーがマグルの映画館のニュースに騒いだのを見て思わず失笑した。魔法界の本は全部文字通り“読者が引き込まれる”ものだと思っていたハリーは、ホグワーツの図書館で本を借りた時とてもがっかりした(何て贅沢な! とハーマイオニーに説教された)。

 おかげで窮屈はしているけど、退屈はしていなかった。宝物探しのように書庫で発掘しては、本を読む。現在、ハリーは、四作目の『トロールとのとろい旅』を読み進めていて、ちょうど、『闇の帝王』に囚われる前の、クィリナス・クィレルとの話を体感していた。ギルデロイにも、クィレルが……『例のあの人』の手先で、『賢者の石』を狙っていた、そして、最後は亡くなったことを教えると、『あの時代もそうでしたが、ヴォルデモートに関わった者の多くは奴の強大な力に傅いてしまう。ハリー君のご両親のように抗ったものもいますがそれは本当に一握り。それだけ恐るべき存在でした』と語ってくれた。この『トロールとのとろい旅』で、トロールについての蘊蓄をどもりながらも楽しそうに語るクィレルを見て、ハリーもそうだと強く実感した。

 

「仕方がありませんね。今日は特別だよ」

 

 そう言って、この最近変わったネズミがマイブームなスーパースターは、ファンレターの返信作業に戻っていた。新作の自伝を出したばかりとあってか、机の上には軽く千枚近く封筒が山と積まれていた。ハリーもこれには何か手伝おうと思ったのだが、こういうのはひとりひとりきちんとしないと無礼であるというギルデロイの主張でお断りされた。

 

「……、」

 

 ……全ロックハートファンに妬まれるかもしれないが、やっぱりハリーは満たされない思いがした。ギルデロイがああして手紙の山に格闘していると強く思う。

 ロン、ハーマイオニー、ハグリッドからずっと連絡がない。今日は僕の誕生日だというのに手紙が一通も届かない。

 

「そういえば、ハリー。今日は君の誕生日であったね」

 

「え……?」

 

「何を驚いているんだい。こうして作家稼業を休業する前の身辺整理で忙しいけれども私は君の誕生日を忘れたりはしないよ。ハッピーバースデー、ハリー」

 

「う、ううん。そんな……ただ僕、ちょっと(手紙が全然来ないから)……え? ギルデロイ、本を書くのを()めちゃうの!?」

 

 最初は祝ってもらえて舞い上がったけど、さりげなく漏らされた爆弾発言にそんな気分も吹っ飛んだ。

 

「ある人に頼み事をされましてね。それに専念しようとしばらく筆を置くことにしたんです。自伝も出してちょうどいいし。ファンレターにもしばらくお休みにしますと書いているよ」

 

 ええっ!? そんな……まだ全巻読み終わっていないけど、ギルデロイ・ロックハートの本は楽しみにしてたのに。このプリベット通りで唯一の娯楽と言ってもいい。

 

「あ……。もしかして、僕がここに入り浸ったせいで、ペチュニア伯母さんにギルデロイが魔法使いだってバレちゃったの?」

 

「違う違う。しばらくプリベット通りを離れることになりますけどね」

 

「そんなっ!?」

 

 現在、ギルデロイが唯一の魔法界の繋がりであるハリーにこれは死活問題に等しきものだ。能天気になど構えてられない。

 

「一体誰に、どんなことを頼まれたのさギルデロイ! いきなり本を書くのを()めちゃうなんて……ハーマイオニーが卒倒しちゃうよ」

 

「ファンの方々には申し訳ないけど、私個人としてもこの仕事には乗り気でね。まあ、安心したまえ、どんな仕事なのかはまだ内緒だが、ハリー君の悪いようにはならないということは約束しよう」

 

 納得していないけど強引に話を打ち切られた。ギルデロイは机の引き出しからきちんと包装されたプレゼントを取り出すと僕にそれを差し出す。

 

「一年生でクィディッチの選手になるとは素晴らしい飛び手のようじゃないですか。本で見ただろうけど私もシーカーでしてね。その時はこれが愛用の手入れ道具だったのです」

 

 包み紙を破ると、ハリーの心臓は飛び上がった。黒い滑らかな革のケースに銀文字で“箒磨きセット”と刻印されている。

 『フリートウッズ社製高級仕上げ箒柄磨き』の大瓶一本、銀製のピカピカした『箒の尾鋏』一丁、長距離飛行のため箒にクリップで留められるようになった、小さな真鍮のコンパスが一個、それと、『自分でできる箒の手入れガイドブック』が入っていた。

 これは最高だ。競技用箒ニンバス2000は、ハリーの宝物のひとつなのだ。

 

「ありがとう、ギルデロイ!」

 

「喜んでくれて何よりです。応援はできないけれど、ハリー君の試合を楽しみにしていますよ」

 

 何か今の発言に微妙に引っかかるものを覚えたけれども、早くニンバス2000を手入れしたいで頭がいっぱいである。

 

「しかしですね、ハリー君。君を気にかけてるのは私だけではありません」

 

 その言葉に反応するよりも、ギルデロイの動きの方が早かった。

 手品師の如く、注意を他所に向けたその一瞬で事を済ませる、抜く手も見せぬ早業。ハリーが捉えたのは、パッチンと指を鳴らした音。それから、ドサッと部屋の扉付近の床に倒れる音。

 詠唱も杖もなく、全身金縛りの呪いをかけられたそれを見て、ハリーは危うく叫び声を上げかけた。

 

「ふむ。これは、『屋敷しもべ妖精』ですか」

 

 ギルデロイの自室に不法侵入しようとしたのは、蝙蝠のような長い耳をして、テニスボールぐらいの緑の瞳がぎょろりと飛び出した小さな生き物。

 その生き物はハリーにも見つかると、もじもじと身悶えするも、金縛りの呪いで動けない。ハリーはそこでその生き物が、手と足が出るように裂け目がある古い枕カバーのようなものを着ているのに気づき、ギルデロイの呟きを耳で拾った。

 

「ギルデロイ、『屋敷しもべ妖精』、って?」

 

「お察しの通り、魔法界の生物です。かなりの魔力がありますが闇の生物(クリーチャー)というわけでもなく、危険性は低い。人間に献身で従順です。この上なく、ね」

 

 ギルデロイはそう言ってもう一度指を鳴らし、『屋敷しもべ妖精』の金縛りを解いた。

 するとしもべ妖精は、カーペットに細長い鼻の先がくっつくぐらい低くお辞儀をする。部屋の主で大人の魔法使いであるギルデロイではなく僕に。その甲高い声で挨拶をした。

 

「ハリー・ポッター! ドビーめはずっとあなた様にお目に掛かりたかった……とっても光栄です……」

 

「あ、ありがとう。それで、君は『屋敷しもべ妖精』で、良いんだよね?」

 

「ええ。ドビーめにございます。ドビーと呼び捨ててください。『屋敷しもべ妖精』のドビーです」

 

「えっと、それで、ギルデロイ……ではなく、僕に用があって来たの?」

 

「はい、そうでございますとも。ドビーめは申し上げたいことがあって参りました……複雑でございまして……ドビーめは一体何から話してよいやら……」

 

「あ、立ちっ放しは辛いだろうし、椅子を用意するね」

 

 もう勝手知ったる何とやらで部屋に備え付けの椅子を一席ハリーが持ってこようとしたら、しもべ妖精はワッと泣き出してしまう。

 

「い――椅子を用意するなんて! これまで一度も……一度だって……」

 

 妖精はオンオン泣いて、ギルデロイもあちゃーと額に手を当てる。何か対応がまずかったのだろうか?

 

「ごめんね。気に障ることを言うつもりはなかったんだけど」

「このドビーめの気に障るですって! ドビーめはこれまでたったの一度も、魔法使いから椅子を用意するなんて言われたことがございません――まるで対等みたいに――」

 

 もうよくわからない。大きなギョロ目を尊敬で潤ませ、こちらをひしと見ている。

 

「ハリー・ポッターは謙虚で威張らない方です。あの『名前を呼んではいけないあの人』に勝ったというのに」

 

 どうしたらいいの!?

 助けを求めて、ギルデロイを見る。

 

「しもべ妖精、ハリーが用意した椅子に座れ」

 

 そう命令口調でギルデロイが言うと、ドビーはしゃくりあげながらも素直に椅子に腰を下ろした。

 

「ハリー、『屋敷しもべ妖精』は、大きな館や城といった豪邸に住むような、裕福で由緒正しき魔法使いに仕える生き物なんだ。従者のように扱われているのに慣れている。いや、これはもう生物としての性質と言い切ってしまってもいい。だから丁寧に扱われるのを見ると逆にびっくりしてしまうんだ……にしても、ここまでビクつくしもべ妖精は初めて見るけどね」

 

「ふうん。君は礼儀正しい魔法使いに、あまり会わなかったんだね」

 

 元気づけるつもりでそう言うとドビーは一度頷いて、それからハッとするといきなり窓ガラスに頭を打ち付けようとする。

 

「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」

 

「ストップだ、ドビー」

 

 その前にまたギルデロイが指を鳴らして、ドビーが頭をぶつける寸前で今度は首から下が固まる。ハリーも今度は金縛りを掛けられたドビーを抱き留める。

 

「ねぇ、いったいどうしたの? 窓に頭をぶつけたら大変だよ」

 

「ドビーめは自分でお仕置きをしなければならないのです。自分の家族の悪口を言いかけたのでございます」

「君の家族って?」

「ドビーめがお仕えしているご主人様、魔法使いの家族でございます……ドビーは屋敷しもべです――ひとつの屋敷、ひとつの家族に一生お仕えする運命なのです……」

「その家族は君がここに来てること知ってるの?」

「滅相もない……ドビーめがこうしてお目に掛かりに参りましたことで、厳しーく自分をお仕置きしないといけないのです。ドビーめはオーブンの蓋で両耳をバッチンしないといけないのです。ご主人様にバレたら、もう……」

「でも」「ストップだ、ハリー」

 

 しもべ妖精の境遇に同情しかけたところで、ギルデロイが割って入る。

 

「ハリー、しもべ妖精はひとつの屋敷に縛られる生き物だ。そして、その主人の命には絶対服従するようにできている。着ている枕カバーは、隷属隷従の証だ。主人から衣服を与えられ解放されるまでは、彼らに死ぬまで自由はない。

 だからこそ、『屋敷しもべ妖精』が()()()行動するというのはよっぽどのことだと言える」

 

 ギルデロイは指を向けて、金縛りを掛けられているドビーの身体を浮遊呪文で動かし、椅子に落として座らせる。

 

「ドビー、一体君はここに、ハリー・ポッターにどんな用があって来たのか、話しなさい」

 

 ギルデロイの命令に、ドビーは視線を彷徨わせてから、口を開いた。

 

「ドビーめは聞きました。ハリー・ポッターが『闇の帝王』と二度目の対決を、ほんの数週間前になさったと……。ハリー・ポッターがまたしてもその手を逃れたと。

 ハリー・ポッターは勇猛果敢! もう何度も危機を切り抜けていらっしゃった! でも、ドビーめはハリー・ポッターをお護りするために参りました。警告しに参りました。あとでオーブンの蓋で耳をバッチンとしなくてはなりませんが、それでも……。

 ハリー・ポッターはホグワーツに戻ってはなりません」

 

 ギルデロイがしもべ妖精は決死の覚悟でここに来たと言うから話を聞いたが、流石にこの文句は看過のできるものではなかった。

 

「な、なんで? 僕、だって、戻らなきゃ――九月一日に新学期が始まるんだ。それがなきゃ僕、耐えられないよ。だって僕の居場所は、ホグワーツなんだ」

「いえ、いえ、いえ。ハリー・ポッターは安全な場所に居ないといけません。あなた様は偉大な人、優しい人。失うわけには参りません。ハリー・ポッターがホグワーツに戻れば、死ぬほど危険でございます」

「どうして?」

「罠です、ハリー・ポッター。今学期、ホグワーツ魔法魔術学校で世にも恐ろしい事が起こるよう仕掛けられた罠でございます。ドビーめはそのことを何ヶ月も前から知っておりました。ハリー・ポッターは危険に身を晒してはなりません。ハリー・ポッターはあまりにも大切なお方です!」

「世にも恐ろしい事って? 誰がそんな罠を?」

 

 そう聞き返すと主人の秘密を暴露しかけたドビーは舌を噛もうとしたので、すかさずハリーは飛びついて止めさせた。

 

「では、こちらからの質問に、首を縦に振るか横に振るかで答えなさい」

 

 ギルデロイがしもべ妖精に配慮した質問形式を取って、再度問いかける。

 

「それは、『闇の帝王』が関わっているのか?」

 

 ゆっくりと、しもべ妖精は首を横に振る。ノーだ。

 

「いいえ――『名前を呼んではいけないあの人』ではございません」

 

 目を大きく開けている様子からして、こちらに何かヒントを与えようとしているようだったが、まるで見当がつかない。

 

「『あの人』に兄弟がいたかなぁ?」

 

「いいや、ハリー。『闇の帝王』に家族はいないはずだ」

 

「でもそれじゃ、ホグワーツで世にも恐ろしいことを引き起こせるのは、他に誰がいるの。だって、ほら、ダンブルドアがいるからそんなことはできないはずでしょ?」

 

「ダンブルドア先生は、ホグワーツ始まって以来の最高の校長先生であると言われているね。『闇の帝王』でさえ一目を置いたお人だ。……それでも、闇の魔術というのは、その今世紀最高の魔法使いでさえも容易ならないものだ」

 

 さて、とギルデロイはテーブルに肘を突き、組んだ手指の上に顎を置くポーズを取って言った。

 

「おそらくこれ以上、ドビーから情報を拾うのは無理があるだろう。今度こそ舌を噛みかねない。でも、君には他にも隠しているものがあるだろう?」

 

 ハリーが捕まえているドビーの身体がビクンと震える。

 

「妖精のイタズラには、一家言を持っているつもりだ。君がハリーにしている悪戯にも予想はついている」

 

「ギルデロイ、何を? ドビーが僕に何かしてるの?」

 

「実はね。私のファンのひとりである、モリー・ウィーズリーさん、ハリーと親友である息子ロン・ウィーズリーから、私とハリーがご近所さんだと知った彼女からのファンレターで、ハリーにいくら手紙を送っても返事がなく何かあったのかと訊ねられてね。それから、ハーマイオニー・グレンジャーさんからのファンレターにも同じ様に、ハリーの近況をとても心配していると書かれてあったよ。ファンレターとは別にハグリッドからも手紙は届いている」

 

 え……と眉を顰める。

 つまり、一通も手紙がないから友達だと思われていないかもしれないと思っていた彼らは、本当は何通も手紙を送っていたという事で……。

 

「ハリーへの手紙は全てシャットしたみたいだけど、私の方へは手が回らないみたいだったね。この通り千通以上もあるんだから無理はない……盗ったものをハリーへ返してくれないか。妖精を相手に(これ)を使いたくはない」

 

 懐に納められている拳銃を見せ、ギルデロイは言う。

 それにハリーも、身震いするドビーに訊ねた。

 

「君が、僕宛の手紙をストップさせてたの?」

 

「ドビーめはここに持っております」

 

 しもべ妖精は着ている枕カバーの膨らんでいる所に目配せし、そこを捲ると分厚い手紙の束があった。それには見覚えのあるハーマイオニーのきちんとした字、のたくったようなロンの字、ホグワーツの森番ハグリッドからと思われる走り書きも見える。

 ドビーはハリーの方を見ながら心配そうに目をパチパチさせた。

 

「ハリー・ポッターは怒ってはダメでございますよ……ドビーめは考えました……ハリー・ポッターが友達に忘れられてしまったと思って……ハリー・ポッターはもう学校には戻りたくないと思うかもしれないと……」

 

 ドビーが恐る恐る申し訳なさそうなか細い声で何か言っているも耳に入らず、僕宛の手紙をひったくると、キッとドビーを睨む。そこで、ギルデロイが声で諭すように制す。

 

「ハリー。この妖精は、君が怒って当然のことをした。けどね、『屋敷しもべ妖精』は、『例のあの人』が権力の頂点にあった時、害虫のように扱われていた。でも、『生き残った男の子』が、『闇の帝王』を打ち破ってから、しもべ妖精の環境は全体的に良くなった。彼の感動のしようからもわかるだろう? ハリーはドビーにとっては暗黒時代を終わらせた新しい夜明けの光にも等しい。それを失わせまいとドビーは必死なんだ」

 

「ああ! はい、その方の言う通りでございます。ハリー・ポッターは私達にとって輝く希望の道しるべなのです。ですから、ドビーめはハリー・ポッターをここに留まらせなければいけないのです。歴史が繰り返されようとしているのですから――」

 

 そう言いかけて、恐怖で表情を凍り付かせたドビーは、もがいて、ギルデロイの金縛りの呪いを強引に破った。

 

「ドビーはなんとしてでも、ハリー・ポッターを学校に行かせるわけには参りません」

 

 そして、こちらが何かを言うよりも早く、バチッと大きな音がして、ドビーの姿は消えた。

 瞬間転移したしもべ妖精を見逃したギルデロイが嘆息して、謝罪する。

 

「すまないね、ハリー。私はどうにも妖精には甘いんだ」

 

 椅子から立ち上がるギルデロイ。

 

「ギルデロイ、僕、ホグワーツに行きたい……! だから!」

 

「ちゃんとわかってるさ、ハリー。……どうやら筆を置いて正解だった。私はこの全身全霊を賭けて、君が涙を流すような事態にはさせないよ」

 

 ギルデロイは僕の頭をくしゃりと撫でると、一枚の宛名と住所が書かれたファンレターを指に挟んで言った。

 

「そうだね。プリベット通りで()()()()されるのは困るから――ハリー、友達の家に遊びに行こうか」

 

 ・

 ・

 ・

 

 ……その時、僕はまだ知らなかった。

 筆を置き、杖を取ったギルデロイ・ロックハートの()()()()()()()という覚悟が、どれだけのものだったのかを。




”向こう側”を見てきたこのロックハートは妖精のように杖無しで魔法が使えます。ハガレンの真理を見て、手合わせ錬金術ができるような感じです。

誤字修正しました。報告してくれた人、ありがとうございます!


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5話

本日、二度目の投稿。


 商談に成功して上機嫌なダーズリー夫妻がぐっすりと就寝した夜、階段下の物置をギルデロイはそっと鍵穴を指の腹で撫でてあっさり開錠。杖や箒などを取り戻し、同じようにヘドウィグも回収。その間に、僕はおじさんたちへ置手紙を残した。

 荷物は、検知不可能拡大呪文が施された鞄が僕とギルデロイのひとつずつで、持ち運びにそう手間取ることもない。事前にヘドウィグを飛ばしてむこうのお宅にこちらの事情を説明し緊急避難することを乞う手紙を送った。

 それから、夜が明ける前にギルデロイのオートバイで出発。

 ギルデロイの腰に掴まりながら、箒に乗るような疾走感に不謹慎ながら雄叫びを上げそうになって……いきなり逆走してきたトラックがバイクを撥ねようと迫って来た。雄叫びが絶叫になる。

 

「『アレスト(うごきよ)モメンタム(とまれ)』!」

 

 その前に、ギルデロイが手のひらを向けて唱えた呪文によって、暴走車は衝突せずに停止する。急にハンドルが利かなくなったかと思えば、ハンドパワーのようなもので止められたトラック運転手は目を白黒とさせていた。見ていた他のマグルからも注目を集めてしまったけれど、ギルデロイが高々と右手を掲げてからの、指パッチン。彼の鮮やかな忘却術で、三分間の記憶は綺麗さっぱりと喪失してみせ、マグルの観客たちがぼうっとしている間に、再発進する。

 

「心配はいらないよハリー。魔法使いは交通事故などでは死なないと言っただろう?」

 

「はい……でも……今のって、しもべ妖精の仕業なんですよね?」

 

「ハハ、中々ヤンチャな妖精さんのようだね」

 

 笑い飛ばしてくれたけど、言いたいことが分かったのだろう。

 このままドビーの反対運動がエスカレートすれば大怪我どころでは済まなくなりそうだと。手紙をストップさせて拗ねさせる計画がなんてかわいらしいものだったと今は思える。

 でも、このハリーが初めて出会った魔法使いは頼もしかった。

 

「なら、仕方がない。あまり他の人に迷惑を掛けたくはありませんし、実は私も少し……限界です。一気に空を飛んでショートカットしましょう。しっかりと捕まっていなさいハリー。私のシーカー時代の飛行テクニックを体感させてあげます!」

「え、これ箒じゃ――」

 

 ギルデロイのオートバイは魔法の呪文がかけられており、周りから見えなくする透明ブースターや、空まで飛ぶことができた。さらにドラゴン噴射なる加速装置も備わっていた。まさしく魔改造バイク。

 ブースターボタンを押した瞬間、耳を劈くギャーッという咆哮と共に、灼熱の青白い炎が排気筒から噴き出した。周囲の景色が線になって見えるほどの加速世界の中、必死にギルデロイにしがみついて……オッタリー・セント・キャッチポール村の外れにある親友のロン、ウィーズリー家『隠れ穴』に到着した。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 ハリーから手紙が来た!

 もう一ダースくらい『家に泊まりにおいで』って手紙を出したのに返事がなかったハリーから、急に『今から行くから家に泊めさせてほしい』とハリーのヘドウィグが手紙を運んできた。

 どうやら向こうはだいぶ切羽詰まった状況にあるようで、すぐに僕はパパとママに相談した。

 もしかしたら、ハリーが話してくれたマグルの伯父夫婦にひどい目に遭わされているかもしれないって。フレッドとジョージに、こっそりパパの魔改造車で救出に向かおうかと作戦会議してた時、ものすごい音が家の外から聞こえた。

 庭に隕石でも落ちてきたかのような音だった。

 皆で慌てて外に出るとそこには……力無くぐったりとするハリー。

 それを抱きかかえる、キラキラと眩いオーラを放つ貴公子なイケメン。

 降りる姿も様になっていて、その輝く貌の魔力のせいかバイクが白馬に見えた(それとハリーがお姫様に見えた)。よく話に聞くけど本物は凄かった。ハーマイオニーが、『あの人に握手してもらってから洗ってないの。これは私が一番になるまでの誓いよ』と自慢げにしてたのを思い出す(その後で、『スコージファイ』と手を清めてやったらガチギレされた)。

 そして、その姿を見て玄関を飛び出したママに向けて、声色にまで色気を漂わすその第一声。

 

 

「失礼、マダム。おトイレを貸していただけませんか?」

 

 

 よく見たら、イケメンは、少し内股気味だった。

 その後、ママが『一生このトイレは洗いません!』と問題発言したけど、次に下痢気味なパパが入ったらすぐに目を醒ましてくれた。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 人間、たとえ魔法使いであってもトイレの時は、油断する。

 ホグワーツにて、女子トイレに住み着いているあるゴーストに男子トイレだというのに幾度となく奇襲された経験から私は、それを学習した(またはトラウマになった)。

 しもべ妖精の奇襲を警戒していた私に用を足す余裕はなく、あれからずっとハリーを安全地帯に送り届けるまで我慢していたが、滑り込みセーフだった。あのまま尿意を催した状態で、ドビーの妨害に延々と付き合っていたらアウトだったかもしれない。

 さて。

 

「いやあ! アーサーさん、あなたは実にいいお車をお持ちだ! おお、中には拡大呪文がかけられているんですね。バイクには活用できそうにありませんが勉強になりますなあ」

 

「私の方こそギルデロイさんがこの良さを理解してくれて感激ですよ。後であなたのバイクを見せてもらってもいいかな? このドラゴン噴射がとても興味深い」

 

「どうぞどうぞ。我ら同志に遠慮なんていりませんよ。運転しちゃっても結構です。はいこれ鍵。設計図もあとで送りましょう」

 

 子供は子供たちに任せ、大人同士の難しいお話(趣味)。

 魔法省の『マグル製品不正使用取締局』に勤めるアーサーさんは、魔法界と非魔法界のハーモニー、つまりはロマンを追求するとてもイイ人だった。

 これほどに気が合う人はそういない。今度、ロックハート・ブランドの整髪剤を贈ろう。

 

「ロックハートさん、あなた、朝食の準備が出来ましたよ」

 

 モリーさんは私のサイン本を額縁に飾っているくらいのなかなか熱烈なファンだったけれども、いい奥さんだ。

 うん、一度だけ、私が黒子の魅了でリリー先輩を落とした時に、ジェームズ先輩とスネイプ先輩が(最初で最後の)結託したことがあってから(当時新入生であった私にあれはかなり大人げなかったと思う)、絶対に相手のいる女性には手を出さないことを心に決めている。

 でないと、最後の最後に癒しの水をもらえずに直前で零される予感がするのだ(その相手のイメージ図は何故か、スネイプ先輩だ)。

 

 さて……この納屋に、“サルビオ(のろいを)ヘクシア(さけよ) プロテゴ(ばんぜんの)トタラム(まもり) マフリアート(みみふさぎ)”と無言呪文で掛け終わったところで、本題に入るとしよう。

 

「申し訳ありません、アーサーさん。突然押しかけてしまって。ハリーを受け入れてもらえて感謝します」

 

 居住まいを正し、頭を下げた私に、アーサーさんはゆるゆると頭を横に振る。

 

「そう畏まらずともよろしいですよギルデロイさん。息子の友人なら、私はいつだって歓迎しますよ。モリーだって喜びますし、子供達だってそうだ。それで、ロンからとても訳ありだと聞いたんだが」

 

「ええ、『屋敷しもべ妖精』に狙われましてね。いえ、彼が言うには、ハリー君に警告をしに来たと」

 

「警告とは?」

 

「今年のホグワーツに闇の罠が仕掛けられるそうです」

 

「闇の罠……!」

 

 アーサー・ウィズリーの表情が険しいものに変わる。

 

「それは、本当ですかなギルデロイ」

 

「ご在知の通り、人ならざるしもべ妖精の証言に信頼性はほとんどありません。ですが、私は、かなり信憑性はあると思っていますね」

 

 この事はすでにハリーの避難の件も含めて、フィッグさんよりホグワーツへ手紙を飛ばしてもらっている。

 

「しもべ妖精が仕えることから、上流階級の魔法族。魔法使いに怯えた様子からして、主人は闇の魔法使いである可能性が高い。ハリーが前学期にて、『あの人』と対決していたことを知っていたのでおそらくは昨年、ホグワーツにお子さんを通わせていた……そして、これがその『屋敷しもべ妖精』、ドビーの写真です」

 

 取り出したのは、魔法処理を施したカメラ。

 ルーン文字を刻んであるフィルムに記憶の糸を垂らし入れてからセット。そして、シャッターを押すと記憶を写真にして映し出したのが現像される。

 簡易的な『憂いの篩(ペンシープ)』だ。『憂いの篩』がビデオなら、これはまさしくカメラである。

 私が強く記憶したドビーの顔写真を、アーサーさんに渡す。

 

「これが、その妖精……羨ましいものですな。うちにもしもべ妖精がいたらと思ったことがありますよ。ま、うちには庭小人がいますけどね」

 

「ほう。それは興味深いですね。あとで見に行かせてもらいましょうか。それでしもべ妖精の方の心当たりは?」

 

「生憎とありません。しかし、今の話を聞いてあてはまるのといえば、『例のあの人』の腹心の部下であったあそこだと私は思いますけどね」

 

「このしもべ妖精はひどく虐待されている。できれば首実検のような直接的な探りは入れないでほしい」

 

「評判通りな方だ、あなたは」

 

 アーサーがクックと口元に手を当てて笑みを漏らす。

 

「ホグワーツにはダンブルドア先生がいます。……そして、今年は微力ながら私も、生徒を守ります」

 

「おお、それはもしや?」

 

「ええ、私が今年度の……」

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 初めてみた魔法界の魔法族の家。

 あちこちに部屋をくっつけて数階建ての家になったような『隠れ穴』……こんなに素敵な家は生まれて初めてだ。

 ドビーがやってきて、ダーズリー家を出て、僕はこの家のロンの部屋に泊まることになった。最高だ。人生って本当に何があるかわからない。

 

 それから僕はロンと魔法界の文化交流(という名の遊び)に興じたり、時々全く手を付けてなかった宿題をしたり、

 同じ寮対抗選手のフレッドとジョージとクィディッチの模擬戦や、誕生日プレゼントの箒手入れセットで自分たちの箒を調整したり、

 監督生のパーシーは何か忙しいらしく部屋に籠ってなかなか出てこず、妹のジニーは顔を見るたびに何かしら物をひっくり返したりするのでまともに会話したことはない。

 ウィーズリーおばさんは、癖髪(あたま)から靴下(つまさき)までの身だしなみにおせっかいを焼いたり、食事のたびに無理やり四回もおかわりさせたり、ウィーズリーおじさんは、夕食の席になるとハリーを隣に座らせてマグルの生活について矢継ぎ早に質問してきた。

 でも、共通して言えるのは、ウィーズリー家の皆がハリーを好いているらしいという事だった。

 

 そして、ギルデロイは『隠れ穴』に泊まるようなことはほとんどなく、夕方になると『頼まれごとの準備』だとかでひとりどこかへと行ってしまうけど、足繁くこの家に訪れてはお菓子やイタズラグッズなどのお土産を持ってきてくれた。特にあのバタービールというのは素晴らしく美味しい飲み物だった。でもどこで買ってきたのかって訊いても、『三年生になれば飲めるようになる』としか答えてくれなかった。

 それから、ウィーズリー家との仲もとても良好だった。

 まず、ファンであるウィーズリーおばさんはギルデロイが『隠れ穴』に来るたびに声が一オクターブ上がるくらい上機嫌に。お土産の花束を渡されてはうっとりしている。ウィーズリーおじさんとも趣味が合うようで、マグルの電化製品や互いの作品などを肴にして持参してきたオグデンのオールド・ファイア・ウィスキーを飲んで意見を交わしている。この事には口の五月蠅いおばさんだったけど、ギルデロイのおかげで大目に見られているようだ。ロンたちも『パパ(親父)とこんなに話が合うなんて』って驚いていた。

 フレッドとジョージも、イタズラグッズで遊んでいたら、何かに気付いて耳打ちでコッソリ確認し、握手……今では“偉大な先輩スプリガン”と尊敬の眼差しが向けられている。双子の夢について相談を受けたというギルデロイも乗り気になっているようで、二人には僕とロンの土産にはない開発途中の未発売品なイタズラグッズなどを渡したりしている。何でも先達者として後進への支援だそうだ。

 それからあのパーシーでさえもギルデロイと交流を深めた。ふくろうでしょっちゅう手紙を送っていた様子から察したギルデロイがパーシーと話をしたことをきっかけに、引き籠っていた部屋に入れて、何かを助言している。どんなことを話ししたのかと訊いたけどギルデロイは皆に内緒だと教えてはくれなかった。

 あとジニーについては何故か僕の頭をポンポンとやや小突くように撫でられた。

 ロンもすぐにギルデロイと親しくなった。魔法界のマンガ『マッドなマグル、マーチン・ミグズの冒険』を皮切りに話を広げて、ペットネズミがマイブームだというギルデロイにスキャバーズを見せたり(スキャバーズはどこか落ち着きがなさそうだった)、それからオートバイの二人乗りであのかっ飛んだドライブ。失神しかけたみたいだけどロンはその日興奮しっ放しだった。

 僕も、ニンバス2000の箒の手入れの仕方でお手本を見せてもらったり、遅れている宿題もロンと一緒に講師してくれた。

 一番厄介だった魔法薬学の宿題も、“ひねくれ者だけど腕は素晴らしい先輩”にご指南を受けたギルデロイの目の覚めるような講義と、いつもの映像授業。

 ギルデロイが記憶を篭めて執筆したノートでは、時々教科書とは外れた手順もあったけど、魔法薬の出来は皆作業時間を大幅に短縮させて成功していた。教科書通りにやるのが確実だけれど、中にはより効率的な方法もある。余裕があるのなら自由に模索してみるのもまた一興、ただし危険だから絶対にひとりでやらないことと厳重に注意はされたけど、これは、新学期ハーマイオニーを驚かせてやれるかもしれない(自分を除け者にして個人授業を受けた時点でハーマイオニーはお冠だった)。

 

 ・

 ・

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 『隠れ穴』の生活からちょうど一週間が経った日に、学校から手紙が届いた。

 朝食の席で、おじさんから渡された封筒には、去年と同じく九月一日付のキングズ・クロス駅の9と4分の3番線からホグワーツ特急のチケットに新学期用の新しい教科書のリストも入っていた。

 

『二年生は次の本を準備すること。

 『基本呪文集(二学年用)』

 ミランダ・ゴズホーク著。

 

 『泣き妖怪バンシーとのナウな休日』

 ギルデロイ・ロックハート著。

 『グールお化けとのクールな散策』

 ギルデロイ・ロックハート著。

 『鬼婆とのオツな休暇』

 ギルデロイ・ロックハート著。

 『トロールとのとろい旅』

 ギルデロイ・ロックハート著。

 『バンパイアとバッチリ船旅』

 ギルデロイ・ロックハート著。

 『狼男との大いなる山歩き』

 ギルデロイ・ロックハート著。

 『雪男とゆっくり一年』

 ギルデロイ・ロックハート著。

   この七冊のうちどれか一冊』

 

 ……学年の違うフレッドとジョージ、パーシー、ジニーとも確認したけど、同じようにギルデロイ・ロックハートの本が一冊指定されていた。

 

「ギルデロイの本のオンパレードだ! 『闇の魔術に対する防衛術』の新しい先生はロックハートのファンだぜ――きっと魔女だ」

「でも、こっちは助かったぜ。この前、偉大な先輩からこの一式を贈呈されたからな」

 

 フレッドとジョージが互いの顔を見合わせて、儲け、とハイタッチ。

 そう、ギルデロイの本ならこの前、当人からウィーズリー家に七巻一セットを贈呈されたのだ。

 このうちのどれか一冊でいいのなら、ロン、フレッド、ジョージ、ジニー、パーシーで五人分は余裕だ。僕もシリーズ一式をギルデロイからもらっている(原本はねだっても貸すまでだったけど)。

 

「ダメ。これはギルデロイさんから直々に頂いた貴重なサイン本よ。額縁に飾って保管しないといけません」

 

 熱烈なロックハートファンのおばさんから抗議が上がったけれど、普通の教科書と同じくらいの値段の本を五人分購入するのはウィーズリー家の財政事情を考慮するとやや厳しいし今年から新入生のジニーのローブや杖の学用品を揃えなくてはならない。それに、この前、ギルデロイが、『ギルデロイ・ロックハートのガイドブック――一般家庭の害虫』の扱いに対し、出来れば家宝にしないで普通の書物として読んでほしいと言われている。

 ここはおじさんが宥めて説得し、ロンたちはサイン本を教科書にすることを許可された(ただし、絶対にページに折り目、ジュースの染みやお菓子の食べかす、また表紙に傷などつけないよう丁重に扱い、それぞれ大事に保管することと厳命された)

 

 それからハーマイオニーからの手紙も届いた。

 緊急避難について詳しくは説明していなかったけど、まずはハリーの無事であることに安堵していることと、それから今度新しい教科書を買いにロンドン・ダイアゴン横丁に行くので会わないかとお誘いの手紙だった。

 

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 煙突飛行を失敗して、夜の闇(ノクターン)横丁に間違って飛んで行ってしまい、迷子に。そこで怪しげな店『ボージン・アンド・バークス』にドラコ・マルフォイとその父親ルシウス・マルフォイがヒソヒソと商談しているのを目撃し、バレないように息を殺して通りを抜け出そうとしたら幸運にもハグリッドに出会った。

 おかげで、夜の闇横丁から出られたハリーは、ウィーズリー家の皆、それにハーマイオニーと合流した。

 

「ちょっとどうして、ギルデロイ・ロックハート様がロンの家に泊まってることを私に教えてくれなかったのよ!」

 

「泊ってないよ! ほら、今日の買い物についてきてないだろ。ギルデロイはとても忙しい魔法使いだから、時々だよ時々」

 

「と・き・ど・きでも夏休みに一緒にいたんでしょ! しかもギルデロイって呼び捨て? ロン、ハリー、ちゃんと話を聞かせてもらいますからね!」

 

 とまあ、拗ねてぷりぷりとするハーマイオニーに、ロンとギルデロイの話をして盛り上がったり、質問厨な学年最優等生様に辟易としながらもグリンゴッツ銀行でお金を下ろして、教科書を買いに『フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店』へ。

 そこでまたマルフォイ親子と遭遇し、ウィーズリー家とお互い仲の悪いマルフォイ家、ルシウスとアーサーおじさんがひと悶着を起こしたけど、ハグリッドが割って入って仲裁してくれた。

 そうして、学用品を買い揃えて、魔法界の玄関口である『漏れ鍋』に向かったところで、

 

「ハグリッド、君、学校のキャベツを食い荒らしているから、『肉食ナメクジの駆除剤』を買いに行ったはずなのに、一体どこをほっつき歩いているんです?」

 

 銀髪に頬に傷……『七変化』で“スプリガン”に変装しているギルデロイがいた。

 『山篭りをしている先輩に定期報告とお薬を届けに』としばらくウィーズリー家に顔を見せなかったけど、今はハグリッドと行動を共にしているようで、

 

「まったく、私が代わりに買っておきましたが! 我々はウィンドウショッピングをしに来ているわけではないんですよ」

 

「お、おう、すまねぇな。助かった」

 

「まさか、またドラゴンの卵に惹かれたとかではないですよね?」

 

「そりゃ違うぞ! ちょいっとハリーが迷子になってたんでな保護したんだ」

 

「ハリーが迷子に? それは本当ですか?」

 

「そうだぞギルデロイ。なんか煙突飛行で失敗しちまったみたいでな。夜の闇横丁に飛んじまったんだ」

 

「ギルデロイ!? ね、ねぇ、ハグリッド、もしかして、その人、ギルデロイ・ロックハート様なの?」

 

「あん? そうだが、ハーマイオニー、何をそんなに驚いて……ああ、今のギルデロイは変装しちまってるからな」

 

「……もう私はハグリッドと同行するのは遠慮しよう。いくら注意しても名前を呼んでしまわれては、サイン用紙が千枚あっても足らないだろうからね」

 

 やれやれ、と嘆息しながら、手慣れた感じの指パッチンで『マフリアート(みみふさぎ)』をこの周囲に掛ける。

 そして、こちらを向いたギルデロイは挨拶前の礼儀で帽子を取るよう変装を解いてから、ウィーズリー家の皆に会釈し、僕に軽く手を振る。それからぽろっと漏らした名前に劇的に反応し、今では熱視線を送っているハーマイオニーに微笑を向ける。

 それにハーマイオニーは、いつもの屹然とした口調はどこへやら、クィレルのようなどもりっぷりで(後でからかってやろうとロンと無言で頷き合った)、

 

「あ、あの! 私、去年に……!」

 

「ええ、憶えていますよ。ハーマイオニー・グレンジャーさん、でしたね。『泣き妖怪バンシーとナウな休日』にサインを書いた」

 

「はいっ! そうですっ!」

 

「ハハ! 元気のいい返事だ。それにマクゴナガル先生からも話を聞いていますよ。試験で満点以上の成績を出した学年最優等生の魔女だと」

 

「ああ。ハーマイオニーが使えねぇ呪文は、今までにひとっつもなかったぞギルデロイ」

 

「~~~っ!!」

 

 顔真っ赤にして俯いて、煙まで噴いているハーマイオニーはいっぱいいっぱいだ。一緒に過ごしたことをしつこく文句言われたけど、この調子では目と目を見て話せるようになるのに夏休みだけじゃとても足らないだろう。

 こりゃだめだ、とロンと肩を竦め合って、一分も経たずにもう限界な学年最優等生の魔女がこれ以上の醜態をさらす前に回収に出る。ロンがハーマイオニーを連れて下がり、僕がギルデロイとハグリッドに話しかける。

 

「それで、ギルデロイとハグリッドは一緒に行動してるみたいだけど、どうしたの?」

 

「おうよ、実はなハリー、ギルデロイが今年のハロウィーンを盛り上げようって、コネがあるっつう『骸骨舞踏団』に」

 

「それ以上口が滑るようなら、『シレンシオ(だまれ)』だぞ、ハグリッド」

 

「え? 何じゃお前さん、まさかまだハリーに言っとらんのか?」

 

「君はサプライズというのをわかっていない。大体ダンブルドア先生からもパニックになるから控えるようにと言われているだろう。……というわけで悪いね、ハリー、それは機密事項だ」

 

 ギルデロイは口元に人差し指を立ててそう言うと、ウィーズリー家に『明日に寄ります』とおじさんおばさんに挨拶し、それからグレンジャー夫妻へ。

 一体どんなことを秘密にしているのだろうか気になるけど、メガネを外しポケットにしっかりしまう。余所見をして一日に二度も、帰りの煙突飛行まで失敗するのは流石に恥ずかしいだろう。

 

 ・

 ・

 ・

 

 僕の夏休みの後半、『隠れ穴』で過ごした一ヶ月間は、時計の針が早回しされてるのではないかと疑うくらい、あっという間だった。プリベット通りで過ごした夏休みの前半よりも楽しかった。

 最後の夜は、ウィーズリーおばさんが魔法で作った豪華な食事に舌鼓を打ちながら、ギルデロイも参加してみんなで騒ぎに騒いだ。

 おかげで翌朝の出立日に寝坊しかかって、てんやわんや。途中、忘れ物があって道を引き返したりしたけれど、ギルデロイのバイクで駅まで渋滞に巻き込まれないルートを先導してくれたおかげで余裕もって駅に到着。

 キングズ・クロス駅について、皆でホグワーツ特急へ(ギルデロイが9と4分の3番線へ行く堅い柵の前で、指を鳴らしたけど何だったんだろうか?)。

 

 硬い金属の障壁を通り抜け、ホームに到着。視界が開ければ、紅色の機関車ホグワーツ特急が煙を吐いていた。その煙の下で、ホームいっぱいにあふれた魔女や魔法使いが、子供たちを見送り、汽車に乗せていた。

 僕たちも、ウィーズリーおじさん、おばさんに見送られながら後尾車両へ。満員のコンパートメントを通り過ぎ、誰もいない車両を見つけ、そこに鞄トランクを積み込み、ヘドウィグを荷物棚に載せて、それから窓よりウィーズリー夫妻に別れを告げながら手を振る。そして、汽車はシューと煙を吐き、動きだした。出発……と、ここまでずっとスプリガン(に変身しているギルデロイ)がついている。

 

「いやあ、懐かしいですねこの風景。初心に帰りますよ」

 

「ねぇ」

 

 もうごく自然に車窓の景色を楽しんでいる彼に思わず訊ねる。

 

「大丈夫なの?」

 

「ああ、バイクなら安心してくれ。アーサーさんに鍵を預けている。しばらくあの家に引き取ってもらうことにした」

 

「違うよ。その、もう汽車、発車しているんだけど」

 

 一緒に別れの挨拶をして、おじさんもおばさんも止めたりしなかったけど。

 魔法使いなら移動している汽車から飛び降りて途中下車したりすることもできるんだろうか。余裕なギルデロイを見て、そう思ったが……

 

「そろそろ明かすとしましょうか」

 

 ロンと見合わせる。

 戸惑う僕たちに、ギルデロイは茶目っ気な笑みで、

 

「私が、今年度の『闇の魔術に対する防衛術』を務めるギルデロイ・ロックハート教授だ。なので、これからはきちんと名前に先生をつけるように、ハリー君、ロン君」



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6話

 集中力と意志力の強固な魔法使いは、呪文を声高に唱えることなく魔法を使う無言呪文というのができる。けれど、無言呪文ができる魔法使いは大人でもそういない。

 そこからさらに段階が進んだ杖無しで魔法が使える魔法使いは魔法界でも数えるほどしかいないそうだ。

 杖は魔法使いが魔力を集中させて、魔法を制御するための補助具。

 まだ杖を持たされていないが魔法使いの素質ある子どもが時に、感情を昂らせたときに魔法を発現することがある。杖の助けがなくとも呪文が使える場合もある。しかし、杖無しの魔術は無言呪文よりもさらに難しく、高い集中力と不可能に近い技能が必要であるために、ほんの一握りの強力な魔法使いしか使いこなせない。

 つまりは、最優等生に言われるまで、それが大人の魔法使いには当然のことなのだと思い込んでいたけれども(これまでの付き合いで一度も彼が杖を振るったところを見たことがないので)、よく指パッチンなどで魔法を行使するこの近所の魔法使いは、途轍もなく卓越した技量の持ち主である。

 

「ご在知の方も多いでしょうが、私がギルデロイ・ロックハート。勲三等マーリン勲章、闇の力に対する防衛術連盟名誉会員、それから、『週刊魔女』五回連続『チャーミング・スマイル賞』受賞――なんて、肩書を持っていますが、ここでの私は、ホグワーツの『闇の魔術に対する防衛術』の教授です」

 

 『闇の魔術に対する防衛術』の最初の授業。生徒みんなが座って教科書と羽ペン、羊皮紙を取り出し、お喋りをしている中、教室の奥の扉から現れたギルデロイが教壇に立ち、パンッ……とひとつ拍手をした途端、場は静まり返った。

 

「では、まず、私の話を聴いてもらいましょう」

 

 昨年、クィレルが行った授業は、どもり声が酷くてとても聞き辛かったけど、ギルデロイの声はとても聞き心地が良く、頭にすっと入るものだった。最前列に座る視界の右端の席で、ラベンダー・ブラウンとパーバティ・パチルがうっとりしたように目を瞑っているのが映った。

 

「『闇の魔術』の対処法というのは、その状況その状況で異なっていく。必ずこうすれば正解だという数式のように当て嵌まった解などないものだ。この多頭の怪物の如き厄介な相手から切り抜けるには、多くの呪文や魔法の知識よりも、混沌とした状況を正しく判断する理解力とそして、『闇の魔術』に怯むことなく抗する意志力が必要だと私は思っています」

 

 背後の席で、ネビル・ロングボトムが息を呑みながらも頷く気配を感じた。

 

「二年生のあなた達に私が役目として教授するのは、生き延びるための術。()()()です。闇の魔法使いに力で勝つことだけが、我々の戦いの目的ではありません。つまりは逃げるまでの時間を稼ぐための技と度胸付け……と考えてください」

 

 視界の左端で、ディーン・トーマスとシェーマス・フィネガンがレベルの高い謎かけをさせられたかのように揃って首を捻るのが見えた。

 

「ご清聴ありがとう。では、授業を行う。ここにいる作家休業中の私と同じように、皆、筆を置いてもらおうか。杖と教科書だけを出していてくれ」

 

 羽ペンと羊皮紙を鞄に片づけて、右のロンの前には杖と『トロールとのとろい旅』が一冊、左のハーマイオニーの前は、杖と七巻全部が順番に積まれている(『一冊だけとは指定されていないでしょ』というのが彼女の主張)。

 

「私の授業スタイルをよく理解してもらうために誰かにお手本、私のアシスタントをお願いしたいんだが」

 

 隣のハーマイオニーがいの一番に手を高く挙げ、爪先立ちでぴょこぴょこ跳び上がっている。そんな彼女にギルデロイは苦笑しつつ、僕の右へ視線をスライドさせた。つまりは、ロンを。

 

「すまないね、今日の授業ではまだハーマイオニーの教科書は使えないんだ。ロン、教科書と杖をもってこちらに来てくれるかな」

 

『え?』

 

 ぽかんと手を挙げたまま固まるハーマイオニーを無視して出づらいだろうが、僕はロンの肩を押していきなりのご指名に戸惑う親友を前へ出した。

 

「えーと――本当に、僕でいいんですかギルデロイ先生?」

 

「うん。他のクラスでは見本を用意しているんだけどね。実は、ロンにこの前贈った本にはちょっとした仕掛けを施してある」

 

 差し出した手にロンが『トロールとのとろい旅』を渡すと、ギルデロイはその表紙に掌を置いて、魔法力を篭めた。

 瞬間、パラパラといきなり捲れ上がって開かれたページから、のっそりと風船でも膨らませていくように徐々に姿を顕していく巨大な影。

 

 それの背は、五メートルはあり、広々とした造りであるこの教室の天井に手を伸ばせば届いてしまいそうなほど。苔むしているような澱んだ緑色の肌、岩石のようにゴツゴツのずんぐりした巨体、ザンバラ髪が生えた頭は小さく、ココナッツがちょこんと載っているようだ。短い脚は木の幹ほど太く、コブだらけの平たい足がついている。腕が異常に長く、手には巨大な棍棒を持っている。

 

 それから、汚れた靴下と、掃除をした事がない公衆トイレの臭いを混ぜたような、鼻をつく悪臭に、ブァーブァーという低い唸り声まで聴こえてくるというこの無駄に高い再現度(クオリティ)

 トロールだ! この『トロールとのとろい旅』に登場するトロール。

 この書物に篭められている記憶を元にした幻像(ホログラム)を出したのである。

 

「ま、飛び出す絵本、ってところかな」

 

 クラスの皆が圧倒させられる中、ギルデロイはパチンと指を鳴らして、トロールの巨体に金縛りの呪いを掛ける。

 途端、動けなくなったトロールの身体へギルデロイが手を突き出せば、抵抗なく擦り抜ける。ゴーストのようだ。

 

「この通り、魔法は効くが、肉体はすり抜けるので、実戦訓練形式で相手をしても怪我をすることだけはない。だが、実感はある。怖いだろう?」

 

 こくこくとみんなが頷く。

 去年のハロウィーンで対峙したトロールと同じ、いや、記憶の中のそれよりもガタイが大きく見えるのでより迫力がある。

 

「さて、トロールには生息地に分けていくつか系統がありますが、ここにいるのはなんでしょう?」

 

 ハーマイオニーが手を挙げた。こればっかりは譲れないと気迫が篭められた手。流石に二度もこれを肩透かしはさせてやれないだろう。

 

「トロールには、川トロール、森トロール、山トロールの三種の系統があります。その中でもこの個体は、緑色の皮膚、乱雑な頭髪からして森トロールであると推定します」

 

「とても分かりやすい説明をありがとう。作者としても君のような読者をもてて光栄ですよ。グリフィンドールに五点です」

 

 ギルデロイの称賛に、ハーマイオニーは耳まで顔を赤くする。どうにも目と目を合わせて会話するのはまだ無理なようで、解説の間も視線はやや下の胸元を見つめていたところから察するに、彼女はこれからの『闇の魔術に対する防衛術』に苦労するだろう。それでも決して一日たりとも休むことはないだろうけど。

 

「それで話を戻しますが、結局のところ、防衛術の思考訓練をするには、闇と対峙した場の空気に身を置くことが最も効果的だと私は思う。ロン、これからこの仮想トロールの金縛りを解くから、君には、一年生で習得した魔法を駆使して挑んでみせてくれ」

 

「ええっ!?」

 

 なんて無茶ぶりなとロンが驚く。気持ちはよくわかる。でも、手本としてここに立つ以上、引き下がるわけにはいかず、やや腰を引かせながらも杖を構えようとした……ところで、ギルデロイの目が細くなる。

 

「いや、少し待ってもらおう。すまないがロン、杖の方も見せてくれないか?」

 

 待ったをかけると、ロンの杖を一度貸してもらい検分する。

 金縛りを掛けたトロールの幻像をそのままに、堂々と前でロンの杖を上から下を指の腹でなぞっていく。

 

「トネリコと一角獣のタテガミ。……そして、この杖は残念ながらロンを所有者とは認め切ってはいないようだ」

 

 ロンが杖に魔法力を篭めようとしたのを見て、その性格を読み解いた(後で聞いたら杖の記憶を視たらしい)ギルデロイ。まるで僕が杖を買いに行った時のようだ。オリバンダーも相性が悪いと思うや否や、ただ握っただけで僕から杖を取り上げた。

 そして、そう断言するギルデロイに、ロンは言葉の意味が解らず首を捻る。

 

「認め切ってない?」

 

「杖には忠誠心というものがあるんだ。魔法使いであるなら、ほとんどどんな道具を通しても、魔法の力を伝えることができる。しかし、最高のパフォーマンスを出すには、魔法使いと杖の相性が求められる。このつながりは複雑なものがあり、人間関係に近いモノがあってね。杖は魔法使いから、魔法使いは杖から学んでいく」

 

 トロールが相変わらず存在感を放つも、ギルデロイの話しぶりに興味を惹かれるクラスメイト達は自然、彼に視線が集まる。

 

「まるで、杖が感情を持っているように仰るんですね、ギルデロイ先生」

 

 ハーマイオニーの問いかけに、ギルデロイは首肯を返す。

 

「杖の術を学んだ者は、杖が魔法使いを選ぶと評するでしょう。私は、流石にそれは極論だとは思いますけどね。しかし杖の所有権を司る法則があるという事だけは確かです。

 さて、ロン。これは元々あなたの杖ではありませんね?」

 

「はい、その……チャーリー、兄のおさがりです。えっと……それじゃあ実力を出すには新品を買わなくちゃダメですか」

 

「いいえ、認め切ってはいないと私は言ったんです。完全ではありませんが、この杖はロンに靡いている。あとは君の心構え次第だ」

 

 ロンの手を取り、しっかりと杖を握り込ませながら、ギルデロイは言う。

 

「杖にも意思があることは理解したね。さて、君は大変チェスが上手いと聞いているよ。どんな癖のある駒でも命令通りに動かせ、そして、あのマクゴナガル先生の試練を君の活躍で突破したそうじゃないか」

 

「は、はい」

 

「いいかい、兄のおさがりだと遠慮することはない。この杖は君の杖だ。そうだね。駒を扱うように、杖に意思があるものとして指揮してみなさい。杖は君に応え、これまで以上の力を出してくれるはずだ」

 

 まるで、アスリートに助言するスポーツドクターのようだ。

 

「そして、ロン、恐れるのは大いに結構だが、怯むことはない。これは前、君が退治したトロールよりもデカいかもしれないが、同じトロールだ。去年のハロウィーンで君は見事にトロールを倒してみせたとマクゴナガル先生から話に聞いていたんだけど……一度は倒せたものを倒せないはずがないだろう?」

 

「はい!」

 

 そうだ。

 初めて教職についたというギルデロイがどんな授業をするのか、少し不安に思ったけれども、彼は()()ダドリーの成績を上げたのだ。

 

「『ウィンガーディアム・レビオーサ』!」

 

 パチンと指を鳴らしたその合図に、金縛りの呪いが解けたトロールが、強烈な一撃を叩きつけてやろうと棍棒を大きく振りかぶった……ところで、ロンの浮遊呪文がトロールの手から棍棒をすっぽ抜けさせて、『あれ?』と急に軽くなった感触にトロールが頭に疑問符を浮かべたところで、高く高く空中に上げた棍棒を脳天に落とした。トロールは白目を剥いて、天を仰いで倒れた。

 

「見事だ、ロン。グリフィンドールに十点だ」

 

 どっと歓声があがった。

 クラス中から拍手喝采を受けたロンは、注目されることに慣れてなさそうでそばかすの頬を紅くしてるけど、杖を持った手を振り上げて声援に応えた。

 そして、ギルデロイはページが閉じた本を拾う。トロールの幻像が倒されると本はひとりでに閉じる。けれど、ギルデロイがまた開くと同じようにトロールの幻像が現れた。

 

「今日はロンのように、仮想トロールとの模擬戦をしてもらおう。みんなの癖をチェックしたいから、ひとりひとり出てもらう。ああ、同じ学年のロンが挑んだのだから、やれないとは言わせないよ? 全員参加だ。授業の残り時間を計算して……そうだね、一人三分ほどの持ち時間でやってもらおうか。逃げたってかまわないが、その場合も三分間はきっちり逃げ続けてもらう。何よりも攻撃を貰わずに生き残ることを念頭に置く事、いいね? 呪文にばかり集中したら、トロールのとろい棍棒の餌食になってしまうぞ」

 

 ギルデロイは挑発的な文句を言いながら、クラスみんなをトロールの幻像を前に整列させる。

 

「それと、あとで教科書は回収し、次の授業で私が調整したものを返却する。教科書の交換は自由だ。自分の本の相手に慣れたのなら他の本を持っている相手とやってみなさい。この仮想クリーチャーは馬鹿ではないぞ。やられたら、記憶を蓄積して少しずつ学習していく。同じ手は徐々に通じなくなり手強くなっていく。だから、他人の経験値を積んだ仮想クリーチャーは、同じものであっても対応は変わってくるだろう。

 この教室は常に開けるようにしておく。各々自由時間に仮想クリーチャーの相手に励んでくれて結構だ。

 最後に、私はこの一年で、皆が私の七巻全シリーズの闇の生物を制覇してもらうことを目標としている。以上だ」

 

 パンッと柏手を打ち、説明が終わったところで、

 

「では、仮想トロールを倒せたものに一人五点。またロンの浮遊呪文とは違う、他の人がしたことのないような方法で倒した者には十点をあげよう。この低知能のデカブツをどう倒すのか。お手並み拝見だ」

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 『忍びの地図』の“卒業と入学で一年おきに入れ替わる在校生から来客の人名までも網羅する情報更新機能”に、“ナビとして受け答えする人格設定入力のプログラム”を、先輩方から学習している。

 それらを取り入れて、他にも私の得意の記憶系呪文を駆使したり、魔法界の動く写真を立体視(3D)に現像するよう応用を利かせたりと、実現にこぎつけたのがこの飛び出す絵本・仮想クリーチャー……ホグワーツでブームになっていて、『ブック・クリーチャー』なる通称で呼ばれるようになった。略して、“ブックリ”である。

 教科書として読めば、その闇の生物の生態が知れるある種の攻略本や図鑑に。訓練教材として使えば、所持者に合わせて難易度(レベル)をホグワーツの成績付けに合わせてT、D、P、A、E、Oと上げていく闇の生物という練習相手。そして、他の闇の生物を経験するために他の学生らと交換し、他者の対策や傾向というのを学べるだろう。

 まるでマグルのポケットに入るモンスターで遊ぶ携帯ゲームのよう……というか、この発想がそもそもその携帯ゲームからである。電化製品が使えない魔法界で、魔導書で代用したようなものだ。

 現在のホグワーツ悪戯番長の双子からもこれをクリーチャー同士で争えるようにしたらどうかとアイデアを出されている。

 他にも森の番人より「なあ、ギルデロイ、今度こういう本を書かねぇか? 『ドラゴンのドキドキ子育て』っての」とペットを育てる携帯ゲームなのをご所望された。がこれらはあくまで教材である。安全に度胸と自信をつけさせるために私は学生全員分を執筆した。おかげでサイン千人斬りで鍛えられているこの手首が腱鞘炎になり、ここ数日は元気ドリンクのお世話になった。学生全員がハーマイオニーのように七巻全部提出してくるような猛者でなくて本当に良かったと思う。筆を置いたはずなのに前よりも締め切りに追われるという何とも言えない教職生活のスタートであった。

 ……でも、まあせっかくなので特許を申請している。オリジナル整髪料のように危険な要素はないし、教職を退いた後でなら、新たなロックハート・ブランドで出してみるのもいいかもしれない。

 

(おや? 生徒がひとり……?)

 

 執筆作業から解放された私は気分転換に中庭へと出てみれば、女子生徒がひとりベンチに座っていた。それは特別おかしなことではない。腰まで伸びた濁り色のブロンドの髪、とても薄い眉、目が飛び出しているので普通の表情でもびっくり顔で、でも普通に可愛い女の子だ。

 なので、周りの人が避けているのは少女の格好によるものが大きいだろう。ペンでも挟むように耳に杖、それにバタービールのコルクを繋ぎ合わせた首飾りを掛けている。変人のオーラを漂わせるファッションセンスだ。それで、何やら雑誌を太陽の光に透かして見るという奇怪な、あまり目によろしくない読書スタイル。これは生徒たちには話しかけづらいだろう。

 

(ふむ。確かレイブンクローの新入生で、ラブグッド家のルーナさん、だったかな)

 

『おお――かわいそうに――あたくしの曇りなき『心眼』には視えます――これから先の運勢に大凶の前兆が――ですが――メガネをかけた同じ職場の、年上の女性と結ばれるのなら――ええ――死の予告を回避することができるでしょう』

 

 現在このホグワーツで『占い術』の教授をされていて、歓迎会では新人教師にとてもユニークな予言(ジョーク)をかましてくれた、学生時代、同寮で二年上だった先輩(バツイチ)のおかげで、独自の世界観を持っている人への対応には少し自信がある。

 彼女らには彼女らなりのルールというのがあり、それを考慮に入れていれば、会話はできるのだ。

 しかし……女子トイレの地縛霊といい、レイブンクローの女子には変わり種が多いのだろうか。

 

「やあ、隣に座ってもいいかい?」

 

 声をかけると、ルーナ・ラブグッドはこちらをジロッと見て、そして、頷いた。「ありがとう」と微笑み、隣に腰かけると、女の子は目を離さずに、ずっとこちらを見ていて、ハッキリとした声でいった。

 

「あんた、先生なのにどうして生徒の格好をしているの?」

 

 その問いかけに思わず、眉が上がる。

 

「おや、よくわかりましたね。参考までにどこで気づかれたのかな?」

 

 『七変化』にて別人に姿顔、それに服装も学生服へ変えていたのだが、ルーナ・ラブグッドはあっさりと見破ってくれた。

 

「うん、あんたの表情」

 

 バッサリという。これは素晴らしい慧眼の持ち主である。先程はちょっとおかしな子と言う評価だったけれど、この娘はとても賢い、レイブンクローに相応しい生徒だ。

 

「ハハ、なるほど。それで変装しているのは軽い調査ですよ。相手の見た目が生徒である方が話しやすいこともあるでしょう?」

 

「ふうん。先生って大変なんだ」

 

「それで、あなたが読んでいるのは、『ザ・クィブラー』で?」

 

「知ってるの?」

 

「教鞭をとる前は物書きをやっていましたので、出版業界には精通していると自負があります。『ザ・クィブラー』に載っている古代ルーン文字の秘密解明のコーナーは、読解方法には苦労しますが独自の視点で迫っていて、幅が広がり……おっと、そういえば、編集者がゼノフィリウス・ラブグッド氏であったかと思いましたが」

 

「うん、あたしのパパだよ」

 

 そうだったか。

 

「……ちゃんと読んでるんだね、パパの本」

 

「『計り知れぬ叡智こそ、我らが最大の宝なり』が、我らがレイブンクローの寮風でしょう?」

 

「うん。……でも、ホグワーツに来たけど、他にパパの本を読んだ人はいなかったから」

 

「ふむ」

 

「それに、あたしが『しわしわ角スノーカック』の話をしたら笑うんだ。そんなおかしなのはいないって」

 

「なるほど、ね」

 

 レイブンクローは知力を重視する傾向が強いためか、この一期に一人はいる周囲との基準に合わない知性の持ち主は、寮内の生徒から見下されがちである。三階の女子トイレの地縛霊『嘆きのマートル』ことマートル・エリザベス・ウォーレンは、生前は同じ寮の人間から陰湿な虐めを受けていたと語っていた。

 異分子はどうしても自分たちのコミュニティから爪弾きしたがるのが人間社会。私もお世話になった寮監のフィリウス・フリットウィック先生も悩まれているが、白か黒をはっきりとさせたがるレイブンクローはそれが強い傾向にある寮だ。ハッフルパフであれば、理解を求めるのは無理でも灰色なまま受け入れてくれただろうが……

 

「あなたは、その『しわしわ角スノーカック』がいないと思うんですか?」

 

「ううん。お金が溜まったら、パパと一緒にスウェーデンへ探索に行くって約束してる」

 

「ならば、結構! レイブンクローは知性と探求の徒が集まる寮です。常識を学び、固定観念を壊し、望みのままに探求すればいい。ただし法と倫理は守るように」

 

 パチパチと大きな目を瞬かせるルーナ・ラブグッド。

 

「私も、ありもしないと皆が言う“向こう側”を探求しに七年間も旅しましたからね。最初はホグワーツを首席で卒業したのにもったいないと騒がれましたよ」

 

「その“向こう側”は見つけられたの?」

 

「いいえ。見つかりませんでした。しかし、旅は無駄ではありませんでした。新たな発見がたくさんありましたからね。そうです。君もホグワーツを卒業したら世界を見てくると良い」

 

「うん、そうするよ」

 

 少女の表情が明るくなったところで、私はひとつ訊ねた。

 

「『ザ・クィブラー』は、個人運営だと話に聞いていますが、どんな記事でも寄稿すれば載せてもらえるでしょうか?」

 

「いいんじゃない。パパは、大衆が知る必要があると思う重要な記事を出版するのが仕事だって言ってるよ。お金儲けは気にしないから、雑誌の寄稿者にはギャラを支払わないけど」

 

「なるほどなるほど、素晴らしいお考えだ。自費出版しようかと考えてたところにこれは天啓だ」

 

「あんたもパパに記事を送るつもりなの?」

 

「ええ。来年の夏休みはスウェーデンに旅行へ行けるようになるかもしれませんよ」

 

 念のためにこの前双子から見せてもらった地図を確認したけれど……十年以上冤罪でアズカバンに入れられた男の話など、『週刊魔女』や『予言者新聞』など魔法省と関わり深い出版社では取り扱えないだろう。上から販売される前に差し止められるに違いない。

 さて、と会話をしていたら、向こうの方が何か騒がしい。これは、教師の顔を出さなくてはならないな。

 変装を解いて席を立った私に、ルーナはぺこりと頭を下げた。

 

「人と話をしたのは久しぶりだったから楽しかった。……あんた、いい先生だよ」

 

「ハハ、それはどうも。私も君と話せて楽しかったよ。他にこうして話ができる相手はいないのかい?」

 

「うん……何か、最近、ジニーの様子が変なんだもン」

 

「ジニーが? ……ふむ、ホグワーツでの新生活に戸惑っているのかな。気にかけてみます」

 

「ありがと。ジニーのこともよろしく」

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 パパはいつも私達に注意していた。

 『脳みそがどこにあるか見えないのに、ひとりで勝手に考えることができるものは信用しちゃいけない。そんな怪しいものは、闇の魔術が詰まっているに違いない』って。

 でも、()()()()()()()()()()教科書も、同じ。だからママが準備してくれた本の中にあったこの“日記”もきっと()()()

 兄さんたちがからかう、お下がりの本やローブで学校に行かなくちゃならない、そして偉大なハリー・ポッターのことも……悩みは尽きない。

 ギルデロイ・ロックハートは人気者で皆の相談に乗るけど、“彼”は()()()に親切にしてくれる。

 

「トム、あなたぐらい、あたしの事をわかってくれる人はいないわ……何でも打ち明けられるこの日記があってどんなに嬉しいか……まるでポケットの中に入れて運べる友達がいるみたい……」

 

 だから、これは絶対に秘密。

 この“日記”は誰にも明かさない。



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7話

 それはハリー・ポッターが、週末の早朝、今期で最初になるクィディッチの朝練を始めようとしたときの事。

 

 グリフィンドールのチームが練習するためにキャプテン・オリバーが今日予約していたはずのグラウンドに、スリザリンのチームが乱入してきた。何でも今期に加入した新しいシーカーのために練習がしたいのだそうだ。わざわざ『私、スネイプ教授は、本日クィディッチ競技場において、新人シーカーを教育する必要があるため、スリザリン・チームが練習することを許可する』という免状まで用意してきた。

 その新人シーカーが、先月出たばかりの最新型ニンバス2001をチーム全員分贈ったスリザリンのOBルシウス・マルフォイの息子ドラコ・マルフォイ。

 僕たちとも因縁あるマルフォイは、ニンバス2001をこれでもかと自慢し、グリフィンドール・チームをこれでもかとバカにした。

 それに競技場乱入に何事かとロンと様子を見に、芝生を横切ってきたハーマイオニーがきっぱりと『少なくとも、グリフィンドールの選手は、誰一人としてお金で選ばれたりしてないわ。こっちは純粋に才能で選手になったのよ』というと、マルフォイは脛でも蹴られたように顔を顰め……吐き捨てるようにこう言った。

 

『誰もお前の意見なんか求めてない。生まれそこないの『穢れた血』め』

 

 その悪態がどんな意味をするものかは僕もハーマイオニーも知らない。でも、最低に酷いことだけはわかった。

 フレッドとジョージはマルフォイに飛び掛かろうとし、マルフォイを守るためフリントらスリザリンのチームが急いでマルフォイの前に立ちはだかった。普段は喧嘩を遠巻きに見る女子選手アリシア、ケイティ、アンジェリーナが、『よくもそんなことを!』と金切り声を上げてマルフォイを非難する。一気に一線を踏み越えて乱闘騒ぎになった。

 そして、かんかんになったロンがローブに手を突っ込み、ポケットから杖を取り出し、

 

『マルフォイ、思い知れ!』

 

 スリザリン・チームとグリフィンドール・チームが乱戦する最中、憎きマルフォイの顔面目掛けて放った緑の閃光は……

 パッチン、と聴き慣れた指を鳴らすその音と共に生じた盾の呪文『プロテゴ』に阻まれた。それからまた間髪入れずにもう一度魔法を行使。今度は妨害の呪い『インペディメンタ』によって体重を数倍にしたかのような重圧で両チームの乱闘を鎮圧してから、駆け付けた彼、ギルデロイ先生は表情を険しくして訊ねた。

 

『これは一体何事ですか? 説明してください』

 

 ・

 ・

 ・

 

「……なるほど、わかりました」

 

 どちらの言い分を聞いたギルデロイは、鼻を鳴らし、

 

「スネイプ先生からの推薦状があるのなら、スリザリンのチームは、競技場で練習をしなさい。ただし、マルフォイ君、あなたは練習の後で寮監から罰則を受ける事。いいですね」

 

 手紙を書いて、それを紙飛行機にして飛ばす。魔法省でも採用されている連絡方法だそうだ。

 ギルデロイのお裁きにスリザリン・チームは喝采を上げた。マルフォイも叱られたというのに満面の笑みだ。それもそうだろう。あのスネイプが、マルフォイに罰則なんて与えるはずがない。マルフォイは先生の手前、『はい、わかりましたギルデロイ先生』と粛々とした言葉を述べるも、態度で明らかにますます鼻高々となっているのがわかる。

 当然、僕たちは納得がいかない。クィディッチのキャプテン・オリバーが猛抗議をする。

 

「グリフィンドールのチームは、そのまま箒をもって私についてきなさい」

 

「このような横暴を許してもいいんですかギルデロイ先生!」

「そうです! いくらなんでもこれは勝手だギルデロイ!」

 

 いつでも味方であったはずのギルデロイに裏切られたような気持ちでいっぱいだった僕も声を上げたが、ギルデロイは僕たちにただもう一度『ついてきなさい』としか言わない。

 

「ウッド君、グリフィンドールでも、スリザリンでもない、レイブンクローからの観点から言わせてもらうとどっちもどっちです。ハリー、去年君が校則を違反したけれど、その才能を見出されて一年生の箒所持無許可のルールを曲げさせて最年少寮代表選手となった。それから当時の最新型ニンバス2000を貰ったことはマルフォイ君には、贔屓されているように見えただろうね。これは君を責めているわけではないよ。しょうがない。どの寮監も自分の寮生の肩を持とうとするのはホグワーツの伝統でもある。厳格なマクゴナガル先生もことクィディッチに関しては熱い魔女であるからね。きっと今後このような乱入がないよう取り計らってくれるはずだ」

 

 先導しながら、ギルデロイは僕たちグリフィンドールに諭す。

 とても冷静で公平中立なご意見だろうけど、今のカッカとした頭に入ってこない。

 

「だけど、マルフォイのやつ、ハーマイオニーのこと『穢れた血』って言ったんだよ、ギルデロイ!」

 

 これにはギルデロイも険しく眉間にしわを寄せる。

 ロンが教えてくれた。『穢れた血』、それはマルフォイが思いつく限り最悪の侮辱の言葉だ。魔法使いの中には、例えばマルフォイ一族のように、自らを『純血』と称し、誰よりも尊い存在であると思い込んでいる連中がいる。そいつらが、非魔法族、マグルから生まれたという意味の――つまりは両親とも魔法使いでないことを卑下する最低の汚らわしい呼び方が、『穢れた血』。

 

「わかっています。クィディッチをやっているのなら、スラングの応酬ぐらい必須な技能のひとつだとはいえ、マルフォイ君のハーマイオニーさんへの発言はあまりにひどい。スネイプ先生は、決してマグル生まれの子を卑下するようなことは許さない方だ。彼を適切に諭してくれることを期待します」

 

「スネイプの奴が、マルフォイを叱ってくれるとは思えません」

 

「もしもこれでマルフォイ君に反省の色が見られないようであれば、私からスネイプ先生に文句を言いましょう。あとさっきから“先生”とつけるのを忘れてますよ、ハリー・ポッター君」

 

「……はい、ギルデロイ先生」

 

 さらりと注意をされたけど、ギルデロイ先生はとにかく、もうひとりに対しての反感が顔にありありと出ていたと思う。

 スネイプはいつも僕を目の敵にする。ダンブルドア先生は、僕の父さんと因縁があると言うけれど、スネイプの評判の悪さはスリザリン以外の学生には共通していると思う。そして、きっとその中でもグリフィンドール……僕に対して特にひどい。

 振り返って顔色をわざわざ確認せずとも不満げな空気はわかるのだろう。ギルデロイ先生は肩を軽く竦めて、

 

「ひとつ雑談をしましょう」

 

 と、緩やかに話し始めた。

 

「ホグワーツの創始者、ゴドリック・グリフィンドールは、偉大なる魔法使い魔女の他三人の中でも、サラザール・スリザリンとこの上ない友であった。本来、純血主義とは、マグル生まれを差別するために生まれた言葉ではなかった。魔女狩りで迫害されていた時代で魔法使い魔女を鼓舞するために、魔法族の血が流れることに誇りを持て、と非魔法族からいわれのない誹謗中傷を受けた魔法使い魔女たちにサラザール・スリザリンが教え広めたもの。そして、この思想は、虐げられる弱き魔法族を守るために立ち上がったゴドリック・グリフィンドールの勇敢なる騎士道と合致するものがあった。これは私の想像ですが二人は固い握手を交わしたことでしょう」

 

 同じように語りかけてくるも、今度のそれはするりと頭の中に入ってきた。

 言ってしまえばこれは、死ぬほど退屈な幽霊教師ピンズ先生の魔法史と同じだが、役者が変わればこうも違う。

 ギルデロイ・ロックハートは、作家として書き記すだけでなく、語り手として読み聞かすことも上手いのだ。

 

「またこれは、魔法史ではなく、マグルの文献ではありますが、裸一貫で冒険し、多くの土地と貿易を結んで商人として大成したのち、修道士として聖人の地位にまで上げられた聖ゴドリック卿には、興味深い伝説があります。迫害された蛇を焚き火の下に隠れさせて守ったり、また祈りを捧げる時に蛇を首に巻き付ける習慣があったとか。ついでに、この聖人は毎年ホグワーツに歌を披露してくれる歌バカな組み分け帽子のように多くの聖歌を残しています。

 まあ、これがゴドリック・グリフィンドールの非魔法界での顔かどうかは定かではありませんがね」

 

 つまるところ、マグルの残した歴史資料からの視点では、聖ゴドリックは、蛇とは親しいものだったと。

 

「さて、話を戻しますが、後にゴドリック・グリフィンドールとサラザール・スリザリンはその教育方針から対立します。純血主義を説くスリザリンの寮には、魔法族であることを重んじるあまり、非魔法族をとことん嫌っている者が多く集められた。言っておきますが、当時の魔女狩りの時代背景を思えば、迫害するマグルとはホグワーツにとって共通する敵であり、故に魔法族は一致団結してこのホグワーツという強固な巨城の学び舎を築き上げたのです。そう思う魔法使い魔女がいても不思議ではない。むしろいて当然とも言えます。

 ハリー君、あなたは魔法というのを過度に恐れるマグルのおじおばに受けた扱いを謝罪もなく許すことができますか? また、もしも従弟のダドリー君にも魔法力を扱う素養があり、ホグワーツに通いたいと望んだとして、それを認めることはできましたか?」

 

 訊かれ、僕は口を噤んだ。

 でなければ“絶対に無理”と叫んでいたかもしれない。

 とはいえ、すぐに是と答えられなかった時点で、ギルデロイの話の説得力を増す。簡単に受け入れられるものではないスリザリンの意見は間違ってはいないのだと。

 

 なら、それに同感してしまっている自分は?

 去年、組み分け帽子は僕をスリザリンに入れることを本気で考えていた。大広間で帽子をかぶった時、耳元で聞こえた囁き声を、昨日のことのように覚えている。

 

『君は偉大になれる可能性があるんだよ。そのすべては君の頭の中にある。スリザリンに入れば間違いなく偉大になる道が開ける……』

 

 でも、スリザリンが、多くの闇の魔法使いを卒業させたという評判を聞いていた。必死に心の中で『スリザリンはダメ!』って訴え続けると、帽子は意見を翻して、『よろしい、君がそう確信しているなら……むしろグリフィンドール!』と叫んだのだ。

 そう、僕は、グリフィンドール。自分にそう言い聞かすよう、ギルデロイ先生に大きな声で、

 

「でも、僕はマルフォイみたいなことはしません! 絶対に!」

 

「わかっていますハリー。今のは極論で、それが全てではない。『教育は等しく与えられるべき』というのが他三人の創始者の主義でもあった。

 そして、他とは違うグリフィンドール。彼はホグワーツが二つに割れる前に無二の友を切り捨てることができた。書物によると決闘の末、寮監であったスリザリンが敗れ、ホグワーツを去ることで、排他的な主張は鳴りを潜めるようになり、マグル生まれの魔法使い魔女を受け入れられるようになった。きっと、スリザリンには遺恨があったことでしょうし、グリフィンドールは特に恨まれたことでしょう。

 しかしながら、ゴドリック・グリフィンドールとサラザール・スリザリン、上に立つ二人がこのような追い詰められた環境でなければ、その友情が永遠の物であったと信じたい」

 

 つらつらと、ギルデロイ先生が話す。

 さっきまで不満いっぱいだったというのに今ではみんな静聴している。

 

「さて、世情が安定し、志を同じくした四人の創始者が最初に夢想したものに大きく近づいたこの現代の魔法界。この時代にかつてのように純血主義を振りかざすその大半は、言いがかりに成り果てている。先祖代々の洗脳的な教育もあるでしょうが、“ぽっと出のマグルになど劣る焦り”を、『純血』というステータスに拠り所にすることで優位に立っていると思い込みたいのでしょうね。

 ですが何であろうと非魔法界の出身者を『穢れた血』などと蔑むのは、気高くあれ、という純血主義に反していると私は思います。もっとも彼らには半純血の私の文句になど耳を傾けることはないでしょうけれど。

 とまあ、長たらしく話をしましたが、ハーマイオニーさんは立派な魔女ですよ。生徒を受け持ってまだ一年と経ってない新米教師ですが、同年代の魔女の中でも随一の原石だと断言しましょう。正直に言って、その才能は私も羨むものがあります」

 

「そ、そんな! 私なんて、まだ先生のような……」

 

「ハハ、ハーマイオニーさんのような素晴らしい魔女を受け入れることができた今の魔法界は、きっとホグワーツ創始者が望んだものでしょう。ええ、むしろ、生物学的な見地からすれば、現代の純血を意固地に貫く、閉鎖的な魔法貴族社会の方が危うい。たとえ魔法の資質に優性劣性があるのだとしても、交わる血が近ければ近いほど遺伝欠陥発症のリスクは高まるでしょうし、そもそもの出生率も低下しますね。マグルを受け入れていかなければ魔法界は絶滅していたと思いますよ」

 

 その意見に強く同意するよう一同うんうんと首を縦に振る。

 そこで、パンッ、と雑談はこれで終いというように手を叩くギルデロイ。

 

「ロン、フレッド、ジョージ、君たちの妹のジニーが元気はないのは気づいているかい? ……ハリーも、学校の先輩として、気に掛けなさい。夏休みはウィーズリー家に大変お世話になったのですから、同寮の後輩の面倒を見ないといけませんよ」

 

 なんてその後も、僕たちにギルデロイ先生は話し続けていたので、感覚としてはあっという間だった。

 グリフィンドールのクィディッチ・チームが連れて来られたのは、八階。大きな壁掛けタペストリーに『バカのバーナス』……愚かにもトロールにバレエを教えようとしているバーナスが、容赦なく棍棒で殴られている絵が描かれている。その向かい側の、何の変哲もない石壁にギルデロイは立つ。ここが目的地なのだろうか?

 

「私のいた時代にも競技場の占有権には難儀しました。そう言うときはよくここを頼りましたね」

 

「先生、ここには一体何があるんです?」

 

「ここには私の先輩方さえも知らなかった、『必要の部屋』というのがあります」

 

 必要の部屋?

 みんな揃って首を傾げる。学校内の抜け道を網羅していると豪語していたウィーズリーの双子フレッドとジョージも知らないようで、口元に手を当てるポーズを取っている。

 

「『占い術』の教授がシェリー酒瓶を隠したりしているのにも使ったりしていますが、この石壁……『必要の部屋』の入口の前で、行ったり来たりを三往復するとその望み通りの魔法の部屋が現れます。

 そうですね、ウッド君。ちょっと騙されたと思って、『クィディッチの練習ができるような広い場所が必要だ』と念じながらうろうろしてみなさい」

 

 はあ? と戸惑いながらも、グリフィンドールで、クィディッチのことに関しての熱意になら誰にも負けないクィディッチバカなキャプテンはギルデロイ先生に指示された通りに実行する。石壁の前を通り過ぎ、窓のところできっちり折り返して逆方向に歩き、反対側になる等身大の花瓶のところでまた折り返す。これを三往復すると……

 

「オリバー!」

 

 アンジェリーナが鋭い声を上げた。

 石壁にピカピカに磨き上げられた扉が出現したのだ。ギルデロイ先生は懐かしいものを見るように目を細める。オリバーは真鍮の取っ手に手を伸ばし、せーのっ! で扉を開け放った……目の当たりにしたその光景に、全員目をギョッとさせた。

 

 そこは、大広間よりも拡大された室内空間で、天井には本物の空に見えるように魔法が掛けられている。

 両端には、各々十六メートルの金の柱が三本ずつ立っていて、先端には輪がついている……クィディッチのゴールまである。他にも予備の箒が並べられた箒スタンドに、得点表や作戦ボードなどの備品まで揃っている。

 校内なのに存分に箒で飛べるくらいに広い。練習にはうってつけの場所だ。

 

「先生!」

 

「ちなみにですが、今日は昼頃から急に天気が崩れるそうです。新人教育を雨天決行でするとは中々ハードなことをしますねスリザリンも」

 

「あなたは最高だ!」

 

 感動のあまりクィディッチバカキャプテンが抱き着いた。

 スリザリンと別れてからおよそ十分。

 さっきまでの裏切られた気持ちを、本当にいい意味で裏切ってくれたこの先生は、まったく最高だ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 でも、一週間が経っても、ドラコ・マルフォイは、これっぽっちも反省していなかった。

 あいつは自慢げに『生まれそこないのマグルのせいで、反省文を一枚も書かされてしまったよ』と僕たちを笑ってきた。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 どうして、()()()に学生がいる!?

 

 ()()()だからこそ、このホグワーツ城の奥深い神秘に入り込めたんだ。あのサラザール・スリザリンの、崇高な仕事を任された後継者として“あの部屋”を見つけた、()()()だからこそ、“その部屋”を見つけ出せた。

 あのダンブルドアにだって、見つけられない。

 そうだ。きっと()()()()ならあの場所に、“あれ”をひとつ、隠すはずだ。

 だから、見つかるのはまずい。“その部屋”に入った生徒が間違ってそれを見つければ、今、このホグワーツの校長であるダンブルドアにバレるだろう。

 ダンブルドアは、唯一僕を警戒していた。だから、“あの部屋”を開くのは危険だと判断し、ひとりを殺しただけでやめたのだ。

 再び崇高なる仕事を始めようとしたら、このような不測の事態が発生するなんて……。

 こうなれば、別の場所……いや、いっそもうひとつも取り込んでしまえば……。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 クィディッチを観戦して、ギルデロイ・ロックハートの学校時代の記憶が刺激される。

 

 思い浮かんでくる顔は、あいつだ。

 兄と同じく黒い髪で、少し高慢ちきな顔をしている。背は兄よりも低くやや華奢で……率直に言ってしまえば、パッドフットよりはハンサムではなかった。

 

 三年上だったスリザリン寮の先輩レギュラス・アークタルス・ブラック。

 

 あいつは、クィディッチのスリザリンの寮代表選手のシーカーで、つまりは、レイブンクローの寮代表選手のシーカーであった私の同じポジションのライバルであった。

 負けたことは一度もないが、イヤな奴だ。ブラック家の財力と権力でもって生産中止となっていたはずの『銀の矢(シルバー・アロー)』を用意してみせ自慢してくるなど、ドラコ・マルフォイ君と同じことをしている。どこも似たようなものだ。スラグホーン先生はスネイプ先輩のようにあまり過度な依怙贔屓はなさらないから、今回のような競技場への乱入はなかったけれども。

 

 家風に逆らいスリザリンではなくグリフィンドールに入った兄が、母親をひどくバカにし、屋敷を出た影響からか、弟のレギュラスは熱を入れて『純血よ 永遠なれ』というブラック家の純血主義を叩き込まれていた。

 『例のあの人』のファンで、十六歳……そう、シリウス先輩たちが卒業していった翌年に、『死喰い人』……『例のあの人』の配下になったそうだ。

 

 ……ただ、あいつはしもべ妖精の事をよく自慢した。

 このホグワーツの食堂にて働く『屋敷しもべ妖精』たちを見て、ブラック家に仕えるクリーチャーがどんなに優秀かと語った。僕のしもべ妖精はこいつらよりもずっと仕事ができるって、自分のことでもないのに胸を張って言ってくるのだ。

 純血主義者、『闇の帝王』の賛同者のブラック家。年老いてお盆を持つことができなくなったしもべ妖精は首を刎ねて処分するという風習すらあるその名家で、虐げられていた『屋敷しもべ妖精』を大切にし、決して見下さなかった。

 

 そんなバカなことを知ってしまったからか、私はバカなことをしてしまった。

 あれはあいつとした最後のクィディッチの試合中、スニッチを求め、両者譲らず激しく反則紛いの肘や肩をぶつけるラフプレイをしながらもみくちゃになりながら飛行し、観客席の櫓の真下に突っ込んでしまったことがあった。

 その時、私はレギュラスの破けたユニフォームの左袖から腕に髑髏に蛇……『闇の印』があったのを垣間見た。

 『死喰い人』の証。……しかしそれを見間違いだったと自分に言い聞かせて、誰にも言わなかった。

 向こうもそれに気づいたかもしれない。いいや、気づいただろう。レギュラスはそのクィディッチの試合を最後に、ホグワーツを急いで去った。それで私は、『闇の印』に対抗するかのように輝く貌をモデルにした巨大な光る映像を空に打ち上げてやったのだ……レギュラスがひとり駆け込み乗車したであろう、ホグワーツ特急からでも見えるように。

 

 そして、十七歳で、レギュラスは死んだ。

 

 『闇の陣営にある程度まで入り込んだものの、恐れをなして身を引こうとしたため、『闇の帝王』の命を受けた他の『死喰い人』に殺された』となっている。

 でも、私はレギュラスから一通の手紙を受け取った。

 

『『闇の帝王』の秘密を握った。『分霊箱』を盗み出し、私の妖精に預けさせる。お前にしか頼めない。あんな目に遭ったクリーチャーが無茶をしないか心配なんだ。最初で最後の願いだ。できるだけ早く破壊してほしい。

                R・A・B』

 

 ……魔法戦争に参加すらできなかった不甲斐ない己を振り払うよう、とにかく“向こう側”を追い求めることに夢中で、本格的に動き出したのは、卒業してから八年目だった。

 何故、レギュラスが私にこんな“遺書”を送り付けたのかは知らない。『死喰い人』にまで堕ちた人間の言葉をどうして信用できようか。でも、レギュラスがどんな理由で『闇の帝王』を裏切ろうとしたのかは、なんとなくわかった気がした。

 何にしてもこれは七面倒だ。

 これを果たしてやるには、まずブラック家の屋敷に入らなければならないが、グリモールド・プレイス十二番地に掛けられている保護呪文は普通では破れない。

 でも、ブラック家最後の生き残りである、シリウス・ブラックを釈放することができれば、ブラック家へと入ることができる。

 

「まったく、教職についているときの方が筆を取っているような気がしますよ」

 

 教員に与えられた自室でひとり、ぼやきながら書き進める。

 今度、生徒のコネで編集長に送りつけようと考えている原稿を。

 

 ・

 ・

 ・

 

 しかし、世の中というのは誰であっても思うように事が運ばぬもの。

 様子見を終わりにして本格的に動こうとする前、今年のハロウィーンに、妖精が予告した闇の罠がついに牙を剥いたのだ。




誤字修正しました。報告してくれた人、ありがとうございます!


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8話

本日二度目の投稿です。


 ハリー・ポッターは、自分にとってハロウィーンとは宿命づけられた厄日なのだろうかと真剣に考えた。

 

 グリフィンドールのゴースト『ほとんど首無しニック』の頼みで、ちょうどハロウィーンに行われる彼の亡くなってから五百周期が経ったのを祝う絶命日パーティー(死んだ日を祝うというおかしなゴーストの風習)に出席することになってしまった。

 ニックと約束してしまった後で知ったことだが、今年のハロウィーン・パーティーは、ハグリッドが育てた巨大カボチャの提灯が飾られ、ギルデロイ先生がコネで予約した『骸骨舞踏団』が余興で行われるという。これには、『絶命日パーティーに生きている内に招かれた人って、そんなに多くないはずだわ。これはぜひ行かなくっちゃ!』なんて、意気込んでいたハーマイオニーも『そんな、ギルデロイ先生が、今年のハロウィーンに準備してくれたイベントに参加しないなんて……』と大いに落胆した。それでも、『約束は約束』と律儀な彼女に引っ張られて僕とロンは絶命日パーティーに行った。

 

 そして、感想は、一言で言うと最悪だ。

 外部から招かれた『めそめそ未亡人』やパトリック卿率いる『首無し狩りクラブ』のゴーストたち、それからホグワーツ城内に住み着いた他のゴースト、ハッフルパフの『太った修道士』やスリザリンの『血みどろ男爵』、ポルターガイストのビープスに三階の女子トイレに取り憑いた『嘆きのマートル』も参加していた、ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿の絶命日パーティー。

 出されている食べ物は、どれも腐っている。ゴーストたちは風味を味わうのだというけど、強烈な異臭に鼻が曲がる思いをした。会場にいるのも自分たち以外はどれもゴースト。中には『血みどろ男爵』のように血塗れなのもいるし、『首無し狩りクラブ』の連中は皆、頭が取れてそれを玩具のようにポンポン投げ合うという始末。霊体が身体を通り過ぎるたびに悍ましい寒気が走る。ニックはそれをとても羨ましそうに見ていたけど、これっぽっちも共感はできそうになかった。

 

 そんなわけだから僕たちは最低限の挨拶をして義理立てしてから絶命日パーティーを抜け出して、途中からでもハロウィーン・パーティーに参加できないかと玄関ホールに向かう階段へ行った……その時だった。

 

……引き裂いてやる……八つ裂きにしてやる……

 

 それは、骨の髄まで凍らせるような声。息が止まるような、氷のように冷たい、毒を含んだ残忍な声。

 

 ……殺してやる……殺す時が来た……

 

 そして、“そいつ”は誰かを殺す気だ。

 

「ハリー、いきなりどうしたんだ?」

 

 またその声は、ロンとハーマイオニーにはわからない、僕にだけしか聞こえないものだった。

 絶命日パーティーの影響で変な幻聴? いいや、違う。この幽かな声は、確かにある。

 

 ……血の臭いがする……血の臭いがするぞ!

 

 ――僕は、駆け出した。

 当惑する二人を置いて、その声がする方……三階へと向かい、床にトイレから流れ出た水溜まりを作っている、突き当りの廊下でそれを見た。

 

 

 秘密の部屋は開かれたり

 継承者の敵よ、気を付けよ

 

 

 血の色のような赤い文字。それをチラチラと照らす松明の腕木に、尻尾を絡ませてぶら下がっている管理人アーガス・フィルチの飼い猫、ミセス・ノリス。

 一目で異常な状況だとわかる。そして、この異常な状況にいるところを見られたら疑われるだろう。

 

「なんてことを……」

「ここを離れよう、ハリー、ハーマイオニー」

「ロン、助けてあげるべきじゃないかな」

「僕の言う通りにして。ここにいるところを見られない方がいい」

 

 しかし、こちらが何かしらアクションを起こすよりも早く、このタイミングでハロウィーン・パーティーを終えた学生たちがワッと廊下に現れて、僕たち三人が事件現場にいるところを目撃された。

 瞬きもせずカッと見開いたまま硬直している猫を見て、生徒たちは、余韻に浸るよう楽しく弾ませていた会話を止めてしまう。そんな静けさの中、クラップとゴイルに人垣を押しのけさせて最前列に出たマルフォイが叫んだ。

 

「継承者の敵よ、気を付けよ! 次はお前達の番だぞ、『穢れた血』め!」

 

 ・

 ・

 ・

 

「私の猫だ! 私の猫だ! ミセス・ノリスになにが起こったというんだ?」

 

 飼い猫ミセス・ノリスを見た途端、管理人フィルチは恐怖のあまり手で顔を覆い、たじたじと後退り、すぐに最も近い所に居た僕たちを目が飛び出さんばかりに睨んだ。

 

「お前だな! お前が私の猫を殺したんだ! あの子を殺したのはお前だ! 俺がお前を殺してやる! 俺が……」

「アーガス!」

「落ち着いてください、フィルチ管理人!」

 

 マクゴナガル先生、スネイプ先生、ギルデロイ先生と、数人の先生を従えて現場に到着したダンブルドアが、金切り声を上げて首を絞めようとするフィルチを制し、ギルデロイが襲い掛かろうとしたフィルチを手で力尽くで押さえる。ダンブルドアは素早く僕たちの脇を通り抜けて、松明の腕木に巻き付いたミセス・ノリスを回収する。

 マクゴナガル先生とスネイプ先生は野次馬な学生たちに早く自分たちの寮へ帰るよう人払いをした。

 

「アーガス、一緒に来なさい。ポッター君、ウィーズリー君、ハーマイオニーさん。君たちもおいで」

「校長先生、私の部屋がここから一番近いです。すぐ上です。どうぞご自由に」

「ありがとう、ギルデロイ」

 

 ・

 ・

 ・

 

 ギルデロイ先生の部屋は、フィッグ家と同じように書物に溢れていて、ギルデロイが指パッチンをすると部屋の蝋燭に火が灯る。

 書斎机の上に、ダンブルドア先生はミセス・ノリスを置いて検分する。折れ曲がった長い鼻の先がスレスレを掠めるくらいに、間近に半月形の眼鏡を寄せるダンブルドア先生。マクゴナガル先生も身を屈めて同じくらい目を凝らして見ている。スネイプは一歩引いたところから、にやり笑いを必死に噛み殺しているかのような奇妙な表情を浮かべている。

 それからこの部屋の主であるギルデロイは、カップに紅茶を淹れて、部屋に常備している甘めのお菓子と一緒に、ぐったりと隅の椅子に座り込んでいる僕、ロン、ハーマイオニーに配膳する。

 

「『安らぎの水薬』を入れてあります。それから甘いお菓子もお食べ。不安でしょうが、これで気を落ち着けられるはずです」

 

「ありがとうございます、ギルデロイ先生」

 

 絶命日パーティーに参加した直後ということもあって、少し甘めの紅茶であったけどとても甘露に思えた。かぼちゃパイも空きっ腹に助かった。

 

「フィルチ管理人も、どうぞ」

 

「なあ、私の猫は? やはり私の猫は死んでしまったのか!?」

 

「いいえ、彼女は死んではいませんよ。――私の涙腺がまったく緩みませんから……」

 

「死んでない?」

 

 涙も枯れ、激しくしゃくりあげるフィルチの背中をさすりながら、宥めるギルデロイはそう断言する。

 同意するように身を起こしたダンブルドアが優しく言った。

 

「アーガス、猫は死んでおらんよ」

 

 声を詰まらせたフィルチが、指の間から飼い猫を覗き見る。

 

「それじゃ、どうしてこんなに――こんなに固まって、冷たくなって?」

 

「石になっただけじゃ。ただし、どうしてどうなったのか、わしには答えられん……」

 

「あいつに聞いてくれ! あいつらがやったんだ!」

 

 涙で汚れ、まだらに赤くなった顔をくしゃりと歪ませ、吐き出すように言うフィルチ。生徒たちに意地悪な管理人のフィルチは嫌われ者だったけど、この時ばかりは少し同情していた。でも、だからといって、濡れ衣を被せられて、これで退学となっては堪らない。

 けれども、ダンブルドア先生は、フィルチの訴えを真に受けることはなく、キッパリと言ってくれた。

 

「二年生がこんなことをできるはずがない。最も高度な闇の魔術をもってして初めて……」

 

「あいつが壁に書いた文字を読んだでしょう!」

 

「僕、ミセス・ノリスに指一本触れていません!」

 

 部屋にいる全員の視線が集まる中、僕は大声で無実を訴えた。

 すると、これに口出ししたのは意外にもこれまで影の中から静観していたスネイプだった。

 

「校長、一言よろしいですかな」

 

 口元にかすかな冷笑を作るスネイプに、不吉感が募る。これまでの経験上、スネイプは僕に有利な発言はしないことを確信していた。

 

「ポッターもその仲間も、単に間が悪くその場に居合わせただけかもしれませんな。とはいえ、一連の疑わしい状況が存在します。大体連中は何故三階の廊下にいたのか? 何故三人はハロウィーンのパーティーに居なかったのか?」

 

「絶命日パーティーです。ニックに誘われて、僕たちはそっちにいました」

「ゴーストが何百人も居ましたから、私達がそこにいたと、証言してくれるでしょう――」

 

「それでは、その後パーティーに来なかったのは何故かね?」

 

 やっぱりスネイプは僕らの突かれたくないところを追及してきた。

 頬のこけ落ちた顔に、勝ち誇ったような笑いをちらつかせるスネイプは続けて問う。

 

「何故あそこの廊下に行ったのかね?」

 

「それは――つまり――」

 

 心臓が早鐘のように鳴る。

 ロンとハーマイオニーがこちらを見る。

 正直に、自分にしか聞こえない姿のない声を追って行ったと答えて、スネイプが満足のいく答えになるのか。いいや、そうはならない。あまりに唐突で、下手な言い訳だと断ぜられるのが落ちだろう。

 

「僕たち疲れたので、ベッドに行きたかったものですから」

 

「夕食も食べずにか? ゴーストのパーティーで、生きた人間に相応しい食べ物が出るとは思えんがね」

 

「僕たち、空腹ではありませんでした」

 

 ロンが大声で言った。そう、空腹になるギリギリ低空飛行であったものの、胃袋は沈黙を保っていた。

 それで、口元についているお菓子の食べかすを見咎めて、スネイプは不機嫌に、ギルデロイ先生を睨む。

 

「ギルデロイ……」

 

「客人をもてなすのは当然でしょうスネイプ先生。先輩もいかがです? かぼちゃパイ」

 

「結構だ」

 

 にこやかに笑みを向けるギルデロイ先生に、スネイプは余計な真似をしてくれたなと言わんばかりに舌打ちする。

 

「ポッターが真正直に話しているとは言えないですな。すべてを正直に話してくれる気になるまで、彼の権利を一部取り上げるのかがよろしいかと存じます。我輩としては、彼が告白するまでグリフィンドールのクィディッチ・チームから外すのが適当かと思いますが」

 

「スネイプ先生。あなたが寮監を務めるスリザリンの一生徒が、徒に生徒達の不安を煽ったことについてはどうお思いですか。それも前回、注意したはずの極めて侮辱的な差別用語を使って、です。これはあなたが徹底していなかったからでは、スネイプ先生。確か、彼もスリザリンのクィディッチ・チームでしたが、意識が改善されるまで寮代表選手から外すのが妥当ではないでしょうか?」

 

 そのときになって、気づいた。顔は笑っているけれど、ギルデロイ先生は目が笑っていなかった。

 ギリッとスネイプの口から歯軋りさせる音が響く。

 

「今回の件とクィディッチは関係のない話だ」

「でしたら、こちらも関係ありませんねセブルス」

 

 スネイプの言葉尻をとらえて、マクゴナガル先生が鋭く切り込んだ。

 

「この猫は箒の柄で頭を打たれたわけでもありません。ポッターが悪いことをしたという証拠は何一つないのですよ」

 

 ダンブルドア先生も、煌めく青い瞳で僕と一度目を合わせると、深く頷いて言った。

 

「疑わしきは罰せずじゃよ、セブルス」

 

「私の猫が石にされたんだ! 刑罰を受けさせなけりゃ収まらん!」

 

「アーガス、君の猫は治してあげられますぞ。スプラウト先生が、最近やっとマンドレイクを手に入れられてな。十分に成長したら、すぐにもミセス・ノリスを蘇生させる薬を作らせましょうぞ」

 

 ダンブルドア先生が穏やかにそう言うと、フィルチは滂沱の涙を流しながら、『お願いします』とローブに縋りついて嘆願する。

 そのとき、話がついたのを見計らって、ギルデロイ先生が口を開いた。

 

「ダンブルドア先生、ひとつ許可していただきたいことがございます」

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 ホグワーツ一年目の『闇の魔術に対する防衛術(就いた魔法使い魔女は一年目で皆辞めていく教授には呪われた学科)』の教授ことギルデロイ・ロックハートは、この度、“私闘がしたいので”そのお題目として『決闘クラブ』を開催した。

 

 午後八時。大広間の長い食事用のテーブルを取り払い、一方の壁に沿って、金色の舞台を用意させてもらった。何千本もの蝋燭が上を漂い、舞台を照らし、天井はただ今の時刻に合わせて夜を演出する黒のビロードで彩られている。

 

「静粛に」

 

 煌びやかな深紫のローブを翻して、舞台に立ち、観衆に手を振る。

 ざっと見ただけで集まっている生徒の中には、アンソニー・ゴールドスタイン、マイケル・コーナー、テリー・ブート、マーカス・ベルビィ、ロジャー・デイビース、パドマ・パチル、チョウ・チャン、マリエッタ・エッジコム、ルーナ・ラブグッドなどのレイブンクロー生が最前列を占めていて、他にも生徒の中で最も優秀であろうセドリック・ディゴリーがいるハッフルパフ生、ハリー・ポッター、ロン・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャーの三人組に、こちらにグッと親指を立てるのは双子のフレッドとジョージ、それから私が立つ舞台端の反対側にスリザリン生もいる。

 杖を持った学生たちが興奮した面持ちで舞台上を見ている。ほとんど学校中の生徒が集まっているだろう。

 ミセス・ノリスが石のように硬直した、『秘密の部屋』からまだ一週間と経っていない。ホグワーツに正体不明な謎の脅威がいることに怯える生徒たち。彼らは『決闘クラブ』で少しでも対抗できる術を得ようとしているのだろう。

 

「ダンブルドア校長先生から、わたくしがこの小さな決闘クラブを始めるお許しを頂きました。レイブンクローの寮監フリットウィック先生は、決闘チャンピオンであったのをご在知ですかな。ホグワーツが誇る呪文学の教授はとてもお強いですよ。その先生のご指南を受けた護身術を皆さんにも伝授したいためです。――助手のスネイプ先生と一緒に、ね」

 

 満面の笑みを振りまいてから、私と相対するよう舞台の反対側に立っているスネイプ先輩を見る。お怒りだ。上唇が捲れていて、とても苛立ちを抑えきれていないご様子。あちらにスリザリン生しか集まっていないのは、スリザリン生以外があんな表情のスネイプ先生に近づきたくないからだろう。とても客商売は無理な人だ。

 

「こちらのスネイプ先生には、訓練を始めるにあたり、短い模範演技をするのに、ご親切にも手伝ってくださるというご了承を頂きました。彼の杖捌きはとても参考になるかと思いますよ。皆さんの魔法薬の先生は、実戦経験豊富な魔法使いでありますからね」

 

 不機嫌な先輩に代わって紹介したら、ますます眉間にしわが寄り機嫌が悪くなり、下唇まで捲れた。激おこだ。後輩として先輩を立てたつもりなのに。……まあ、親切にもと語ったけれど、助手役を、OKサインを出したダンブルドア校長先生の前で頼み込んだから、断ることもできなかったんだろう。それにこれが私闘だというのは引っ張り出されたあちらも気づいていらっしゃる。

 キャーキャーと黄色い声援を送る生徒たちに手を振りながら、舞台中央まで歩み寄ると、黒装束を纏う先輩は威厳ある口調で苦言を呈してきた。

 

「まったくあの連中と同じ、目立ちたがり屋で傲慢であるな。その輝く貌でいったい何人落としたのかね?」

 

「ハハ、考案してくれたより効能ある軟膏のおかげでその心配はなくなりましたよ、スネイプ先輩」

 

 もっともこの魔法薬は私のために改善を考えたものではないのだろうけど。

 

「子供の喧嘩に大人が出る幕はないとは思っていた。どの寮監も程度の差こそあれ依怙贔屓はするのだろうけど、あなたの態度はいささか目に余る」

 

 懐から杖を取り出して、舞台上にしか聞こえないような小声で続けた。

 

「……先輩を『穢れた血』と言って、あなたは後悔したのではないのか」

 

 蟠りを捨てろとは言わないが、意識を徹底させるべきだろう。

 純血主義を尊重するスリザリンの寮風なのだとしても、あのような言葉を平然と吐けるのは余りにも問題があり、また彼自身にとっても不名誉な傷になる。

 そして、この文句は先輩にも劇的であった。

 唇をわなわな震わせ、歯を剥き出しにして言う。

 

「口が過ぎるな。その面を二度と人前に出せぬようにしても構わんのだぞ」

 

「踏み込み過ぎたことは謝罪しよう。だが、ここであの子と彼女は違うのだと言うようであれば、あなたに先輩の言葉は届いてなかったということになる。ならば()()()()()()()()私に引く意思はない」

 

 またスネイプ先輩には新入生の時にねちっこくしてやられた恨みも持ってるわけで、つまりは、個人的にも決闘するに相応しき理由がある。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 これからハリー・ポッターの前で始まるのは、初めて見る、魔法使い同士の決闘。それもあのスネイプとギルデロイ先生との決闘だ。模擬決闘だと言うけれども、舞台上の只ならぬ雰囲気から両者の本気度が窺えるだろう。

 

「先生……」

 

 ハーマイオニーが手を合わせ祈りながら爪先立ちでぴょんぴょんしながら舞台上を見つめている。

 マグルの彼女が『穢れた血』と呼ばれたことを発端として、僕たちにマルフォイの反省不十分であればスネイプに文句を言うという約束をしたギルデロイ先生が、今こうして決闘を行う。見方によれば、“ハーマイオニー・グレンジャーのために、ギルデロイ・ロックハートが戦う”という風にも見えなくない。

 そのことに責任を感じているようで、でも同時に嬉しくもあるというのが、現在のハーマイオニーの心境だろう。

 

「凄い目をしてるぞ。ギルデロイ先生のこと殺す気なんじゃないかあれ?」

 

 ロンが耳にささやいた。

 同意するように僕も頷く。

 ギルデロイ先生、あんな鬼のような表情をしたスネイプが前にいて、本当によく笑っていられるなと思う。僕なら回れ右して、全速力でスネイプから逃げている。

 舞台上で何か話をしてたみたいだけど、なんだろう? そういえば、スネイプは『闇の魔術に対する防衛術』にご執心であると噂に聞いたことがあるけど、その関係だろうか。

 

 シーンとした観衆に向かって、ギルデロイ先生は説明を始める。

 

「ご覧のように、私達は作法に従って杖を構えています」

 

 ギルデロイ先生とスネイプが舞台中央で向かい合って一礼する。ギルデロイ先生は折り目正しく腰を折り、深々と頭を下げる礼で、スネイプはその下げられた頭を見下ろしながら、尊大に顎を引いただけだった。それから二人とも杖を剣のように前に突き出して構えた。

 そして、両者、それぞれ舞台の端に間合いを取って、ギルデロイ先生が説明を続けた。

 

「三つ数えて、術比べを始めます。もちろん、どちらも相手を殺すつもりはありません」

 

 ウソだ。歯を剥き出しにしているスネイプの強面は殺気立ってるとしか言いようがない。

 

「一――二――三――」

 

 ・

 ・

 ・

 

 空を切り裂き、素早く弧を描く杖。

 両者とも無言で、相手から目線を切らず、念力を集中させて振るわれる杖から放たれる閃光が舞台中央で相殺されて弾ける。舞台の床は熱せられて、亀裂が走った。

 それは、杖先が届き合う距離ではないけど、レイピアで互いを突き合うフェンシングの試合のように激しい応酬だった。

 恐怖と高揚感の入り混じった気持ちで見守る。ここにいる皆、ただ立ち尽くし、見守るしかない。余計な横槍など入る余地はない。

 震える。

 そして――ゾクゾクする。

 ただ呪いを放つだけでなく、次に放つ呪文を読ませぬと決して声を出さず、相手の呪文を見破らんと目を凝らすその決闘に、昂るものさえ覚える。

 だってそうだろう? 今目の前で繰り広げられているのは、二人とも学生レベルでは手の届かない域にある、紛う事なき一流の、これまで想像だにできなかった、高レベルの魔法の戦い。

 もちろん、怖い。恐ろしい。

 でも、体の芯が震え、血が沸き立つような、感動がある。

 

 ……あれ?

 

 瞬きも忘れるくらいに見つめ、なんとなく気づく。スネイプが、どこか感情が剥き出しになっているようで、杖の振りが何となく大振りで精彩を欠いている。ギルデロイ先生側で、先生の背後から決闘を見ている僕の瞳、お母さんを知ってる人に会う度に母と同じと称されたグリーンの瞳と、目が合った……ギルデロイ先生から注意が僅かに逸れた、その一瞬だった。

 

 目も眩むような紅の閃光。それがギルデロイ先生の杖から放たれ、ハッとしたスネイプも遅れて同じ様に杖から同じ色の閃光が放たれた。それは相殺されることなく、舞台上で交差して、それぞれ両者の杖を持つ腕に当たった。

 互いの杖がクルクルと宙を舞い、そのまま交換するように互いの手に相手の杖が収まる。

 それを一瞬早く、呪文を放つのが僅かに早かったギルデロイ先生は、掴み取ったスネイプの杖を下ろし……たが、

 

「引き分け、ですか」

「いいやまだだロックハート」

 

 掴み取ったギルデロイ先生の杖で、スネイプは呪いを掛けようとした。

 卑怯だ! とロンが叫ぶのが見えて、ハーマイオニーが顔を手で覆うのが見えて、油断する方が悪いと向こうでマルフォイのヤツがせせら笑うのが見えて……そして、オモチャを握って唖然とするスネイプの姿が見えた。

 

「っ、貴様、まさか……!?」

 

 なんと、スネイプが呪いを掛けようと振り上げた杖がキーキーと大きな声を上げて、巨大なゴム製のおもちゃのコウモリになってしまった。

 

 

「いやというほどわかってますよ、あなたのねちっこさは。そんなに白黒つけるのがお望みならば、そういたしましょう、プリンス」

 

 

 相手から奪った杖は下ろしたまま、スネイプに向かって人差し指と中指を拳銃の様に伸ばして突き出した右手から、再び、そして今度こそ模範演技の幕を下ろす紅の閃光が放たれた。

 

「『エクスペリムアームズ(ぶきよされ)』!」

 

 ()()()()スネイプは防ぐことも叶わず、舞台から吹っ飛び、後向きに宙を飛び、壁に激突し、壁伝いにズルズルと床に滑り落ちた。大の字になったままピクリともせず、ノックアウトされたのであった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「ヒュゥ! さっすが我らの偉大な先輩スプリガン!」

「バサッとクールに決めてくれたぜ!」

 

「フレッド、ジョージ。とてもいい出来だ。これは売れます」

 

「『グレートキャッスル★ホグワーツスター』のお墨付きをいただけたイタズラグッズ」

「スネイプを騙したってのも『騙し杖』の商売文句に良くないか」

 

 ワッと沸いた歓声にも負けず声高に、フレッドとジョージが喝采を上げた。

 まさかあれってオモチャ!?(あとでウィーズリーの双子から『騙し杖』という独自開発のイタズラグッズだと教えられる)

 そうなると、この決闘、杖を持っているように見せかけてずっと杖無しでやり合っていたの!?

 

「今の模範演技で見せたのは、『武装解除の術』です――ご覧の通り、相手の武器を弾き、上手く当てれば杖を奪い取るだけでなく、相手の身体を吹っ飛ばしてやることもできます。とても実戦的で、使える呪文です。これから皆さんには、この『武装解除の術』の練習をしてもらいます。私とスネイプ先生……は、そっとしておいてもらい、私が皆さんのところへ下りていって、指導しますので、まず二人組を作ってください」

 

 改めて、この近所の魔法使いは凄いと実感した。

 この『決闘クラブ』に、参加した学生らは『武装解除の術』を学べただけでなく、ダンブルドア校長先生だけではない、頼りになるホグワーツ教師の存在に、学内に蔓延していた『秘密の部屋』への不安を和らげるのであった。



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9話

 盾の呪文『プロテゴ』。

 武装解除の呪文『エクスペリアームス』。

 妨害の呪い『インペディメンタ』。

 縮小呪文『ディミヌエンド』。

 失神術『ステューピファイ』。

 全身金縛り術『ペトリフィカス・トタルス』。

 粉々呪文『レダクト』。

 

 全七巻の闇の生物についての授業を終えると、ギルデロイ先生は、二年生にこの七種の魔法に絞って、重点的に教え始めた。

 最初の授業でそれぞれの癖を……生徒たちの杖の向き不向きの性格を把握していた先生は、得意傾向にあるであろう魔法を個別に練習するよう指示したのだ。

 例えば変身系統の呪文が得意な学生(杖)には、対象物を小さく変化させる縮小呪文をまず修得せよと。

 先生曰く、ひとつ、武器にできる術を身に着けておくと何事にも自信がつくものだそうだ。

 授業で個々に助言をしたり、またプリント……羊皮紙の巻き物をそれぞれ渡して、映像教育するよう宿題を出した。これも教科書と同じように、余裕があり、他の呪文の教材を学びたければ他の人のプリントを借りるよう交換を推奨した(ハーマイオニーは当然のように全種類を所望した)。

 この得意系統の魔法学習は功を奏し、クラスは最低一つ闇の生物に対処し得る魔法を扱えるようになった。例えばパーバティは強烈な粉々呪文を放つようになり、ネビルは盾の呪文に適性を見出されて、クラスで二番目の習熟度(一番目はもちろんハーマイオニー)。『僕はスクイブ』だとあまり自信のないネビルだったが、先生に『魔法省に勤めている魔法使いでもできるのはそう多くない『プロテゴ』をここまで形にできるとはネビルには凄い資質がありますよ』と褒められてからは、『闇の魔術に対する防衛術』にだけでなく、他の授業にも望む姿勢が積極的になっていった(魔法薬学だけは例外)。

 

 そして、授業は教室だけに限らず、外に行くこともあった。

 

 ある日、クィディッチ競技場を借りて、特別に用意したドラゴンの飛び出す絵本『ドラゴンのドキドキ子育て』を披露した。

 卵をもった母親のドラゴンが特に凶暴だと語り、大概の呪文は皮膚に弾かれ通用せず、魔法使いが六人がかりでかかってやっと抑えられるかどうか。目が弱点であり、結膜炎の呪いが効果的であるが、ただし、これをやると相当暴れるので細心の注意が必要だと。

 ドラゴンについての説明を終えると、その後はクラス全員でどう対処するか実技演習となった。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリンの二年生で、どの寮が最も早く、ドラゴンの幻像を出現させている開かれた魔導書を閉じて消せるかを競わせ、一位の寮に二十点を与えると、先生は仮想ドラゴンにたじろぐ(炎の吐息は火傷することはないけど、熱風に煽られてぶわっと汗を掻く)生徒を発奮させた。

 スリザリンには負けられない。

 そう、一致団結した寮は、個々がバラバラに魔法を撃っても効かない仮想ドラゴン相手に、先生に言われずとも得意魔法が同じ生徒同士で班を組んで、束になって魔法を放つ作戦を立てる(ロンの指揮能力が光った)。こうして集団での動き方を模索しながらも役割分担をこなし、最後は寮代表選手のシーカーで反射神経に自信がある僕が飛び出して『ドラゴンのドキドキ子育て』を閉じて、見事に一位になり大量得点をゲットした。

 後にその教材は森の番人に贈与されたという(『私に…図書室に寄贈すべきだと思います』とハーマイオニーが所有権を巡ってハグリッドと揉めた)。

 

 そして、今日は……

 

「今日は、吸魂鬼(ディメンター)についての講義をします」

 

 先生が真っ黒な本を開くと、ズタボロのフードを目深に被った黒い影が浮かび上がる。

 途端、身の毛のよだつ冷気を感じたかのように、教室にいる皆がブルッと震えた。目を逸らす者もいる。僕も寒気が皮膚の下深くに潜り込んでいくような感覚を覚えた。

 

「実際に私がアズカバンへ行った時の記憶を再現させた幻像です。吸魂鬼は、魔法省に管理され、アズカバンの看守として、収監した犯罪者たちを抑え込んでいますが、この闇の生物の特性を知っている者はいますか?」

 

 震えあがる中、今日もハーマイオニーが手を挙げた。

 

「吸魂鬼は、人間の感情、特に希望や幸福などプラスな記憶を吸い取ります」

 

「そうだ。そして、吸魂鬼の特性は過去に酷な恐怖の体験をした者ほど影響力が強い。今回の仮想に、本物と同じような特性は持ちません。あくまで見た目だけ。ただ気味が悪いだけですが、それでも身の毛のよだつ悍ましさは伝わるかと思います。吸魂鬼は、私が知る限り、最も穢れた闇の生物です。いいかい、間違っても吸魂鬼に喧嘩を売ってはいけないよ。吸魂鬼は目が見えない。人の感情を嗅ぎ取って近づいてくるから、変装に引っかかる相手ではないし、また『透明マント』も意味をなさない。もちろん話も通用しないから目をつけられれば、一人前の魔法使いでも吸魂鬼の餌食になってしまう。

 ……そして、吸魂鬼に接吻をされた者は、魂を食われ、抜け殻に……吸魂鬼と同じ存在になってしまう」

 

 怪談話をするような語り口調にクラスの皆は、ごくりと息を呑む。

 

「防衛法はないんですか」

 

 僕は手を挙げて質問する。

 

「あります。『守護霊の呪文(パトローナム・チャーム)』……これは、希望、幸福、生きようとする意欲など、一種のプラスエネルギーの塊である守護霊を創り出す呪文です。このプラスのエネルギーを吸魂鬼は貪り食いますが、守護霊には本物の人間なら感じる絶望というのを感じることがありません。よって吸魂鬼は守護霊を害することができないという理屈です。

 ただし、この呪文は君たちよりも高学年の生徒に教えている、非常に高度な呪文だ。“標準魔法レベル(ふくろう)(O・W・L)資格"をはるかに超える。一人前の魔法使いでさえ、習得は難しいとされています」

 

「守護霊ってどんな姿をしているんですか」

 

 今度はロンが訊ねた。

 

「それは、創り出す魔法使いによって、ひとつひとつ形は異なります。またその時の精神状態によって姿形を変えることもあります。そして、この呪文は、何かひとつ、一番幸せだった思い出を、渾身の力で念じたときにはじめて成功することができる。呪文はこうだ――」

 

 先生は杖に見立てた人差し指を振るって、呪文を唱える。

 

「『エクスペクト・パトローナム』、守護霊よ来たれ!」

 

 指先から、目も眩むほど眩しい、銀色の小さな影が噴き出した。目を細めて、どんなものかと窺えば、蝶のように羽を生やしている小人、妖精のようだ。

 そして、この妖精の守護霊が放つ光の波動は、吸魂鬼の幻像を掠れさせていき、教室の空気から凍える寒気は緩和される。

 

『この通り。この子の容姿はあまり頼もしいとは呼べないものだけど、存在するだけで吸魂鬼を祓うだけの効果はある。また熟達したものは、このように術者の代弁もこなすことができるんだ』

 

 まるで腹話術のように口を閉ざした先生から、説明を引き継いだ妖精は、よく観察できるよう、クラスみんなの机の前に跳ねるように飛んで横切っていく。

 

「すごい……有体守護霊を出せるなんて……」

 

 全員目を丸くしていて、ハーマイオニーの口からは感嘆が漏れる。

 

「では、今日は守護霊の呪文を試してみようか」

 

 コツは、幸せな思い出に集中して呪文を唱える。

 ダーズリー家での出来事はまったくカウントされないので、ハリーがこのホグワーツに入って、初めて自分に自信が持てた、箒に乗ったあの瞬間を思い描くことにした。

 身体を突き抜けるような、素晴らしい飛翔感をできるだけ鮮明に思い起こしながら杖を振るう。

 

『『エクスペクト・パトローナム』、守護霊よ来たれ!』

 

 みんなで一斉に守護霊の呪文を唱えたが、杖先からシューと、一筋の銀色の煙が噴き出すだけだった。

 その後も、ギルデロイ先生が、ひとりひとり見ながら、守護霊の呪文を練習したが、教室を飛び交う妖精のように確固たる形のあるレベルにまでは届かず、ぼんやりとした霞しか出せなかった(最も近づいた、何か動物っぽい影が見えたのは、先生に個人指導されたときのハーマイオニーの守護霊だった)。

 

 そして、終業のチャイムが鳴る五分前に、先生は『やめ!』と手を叩く。

 

「がっかりすることなんてない。みんな、初めての練習で無形守護霊を出せるだけでも上等だ。吸魂鬼を祓うことはできなくても、阻むことはできる。いいかい、最初にも言ったけど、これは非常に高度な呪文だよ。もし“ふくろう”の試験で実演できれば特別点がもらえるくらいの大技だ」

 

 言いながら、教壇の上に板チョコレートの山を置く。

 

「今回の授業で、気分が悪くなったものもいるだろうから、みんなここに用意してあるチョコレートを食べるといい。吸魂鬼にやられた時の治癒法です。それに頭の栄養である糖分摂取もできる。非常食にチョコレートを携帯するのはいいかもしれないね」

 

 確かに、チョコを齧ってみただけで手足の先まで一気に温かさが広がった。しかし……程度をかなり落とした仮想吸魂鬼でもこんなに凍えるような気分にさせるのだから、本物とはできる限り遭遇したくない。

 

 ・

 ・

 ・

 

 そうして、今日もギルデロイ・ロックハートの『闇の魔術に対する防衛術』は終わった。今回も、そう毎回、時間が過ぎ去るのが惜しいくらいに目の覚める授業をするギルデロイ先生は、とても好評だ。特にあの『決闘クラブ』直後は沸騰したような人気ぶりで、『ロード・ギルデロイ』、『プロフェッサー・チャーミング』、『マスター・R』、『絶対領域スマイル先生』、『女生徒が選ぶホグワーツで一番抱かれたい男』などと、どこかの双子が面白おかしく異名を広めている。

 

 そんなわけで、授業が終わった後でも質問がしたい生徒が教壇の前で行列を作っている。

 プリントに提示された得意呪文の指導を求める生徒らに、ギルデロイ先生は杖の履歴を直前呪文の応用で習熟度を探ると、二、三質問し、彼らのプリントに書き込みを入れて、映像教育の内容を個人に合ったものに更新していく。

 

 当然、これは最優等生様も常連だ。

 しかし、今回は常に先頭を狙うハーマイオニーは、行列を見送りながら待機していた。この後がお昼で時間があることもあって今日の行列はいつもより長い。御馳走を前にした犬が待てを強いられているかのように、うずうずと今にも列に割って入りたがっているけど、我慢している。

 

「用意は?」

「みんながいなくなるまで待つのよ」

 

 訊ねると、ハーマイオニーは神経をピリピリとさせながらも答えてくれた。あまり急かすと噛みつかれるのが目に見えているので、僕はロンと見合わせて肩を竦め合った。

 

 ミセス・ノリスの事件から、まだ犯人は見つけられていない。

 魔法史の授業で、ゴーストのピンズ先生から『秘密の部屋』の伝承を教えてもらった。

 ホグワーツを去ったサラザール・スリザリンが、他の創設者にはまったく知られていない、また、代々の学校長さえ見つけられていない隠し部屋を、このホグワーツのどこかに用意した。その『秘密の部屋』は、真の継承者に相応しき者が現れたときに、密封された恐怖を解き放つのだという。そして、その“部屋の中の恐怖”は、ホグワーツから魔法を学ぶに相応しくないものを追放するのだと。

 

 あの事件には僕たちが犯人ではないかと疑われているのもあるけど、僕にしか聴こえない“あの冷たい声”が引っかかる。

 この“スリザリンの継承者”というのを放置すれば今度は誰か……そう、ハーマイオニーのようなマグル生まれの子が狙われるのではないだろうか。そして、この“スリザリンの継承者”に最も疑わしいのは、あの時、声高に警告してきたマルフォイだ。

 ロンが『歴代全員がスリザリン出身のマルフォイ家なら、『秘密の部屋』の鍵を持っていてもおかしくない』といい、ハーマイオニーもその意見に同意した。

 そこで、スリザリンの談話室に入り込んで、マルフォイに正体を気づかれずにいくつか質問をする……という不可能であろう難事をやり遂げるために、ハーマイオニーは『ポリジュース薬』を提案した。

 時間制限はあるものの自分以外の誰かに変身できる魔法薬なら、マルフォイに怪しまれずに話を聴くことができるだろう。ただし、ポリジュース薬は、スネイプ曰く材料の入手も難しいとされ、調合法を記している『最も強力な毒薬』は図書館の『禁書』の棚にある。二年生である僕らは司書マダム・ピンスに教師のサインが入った許可証を提示しなければ貸し出してもらえない。

 

 他の学生に変身して他寮に忍び込むなど校則を破ることをするために、許可証を出してくれる先生はいるのか?

 グリフィンドール寮監で『変身術』のマクゴナガル先生だってお認めになられないだろうし、『魔法薬学』のスネイプは論外。他の先生だって必ずその用途は訊ねるに違いない。

 僕たちに親しく、許可証を出してくれそうな先生なんて……と最終的に絞り込んだのは、とても助けてもらっている近所の魔法使いだった。

 

「いいわ……」

 

 先生が行列を捌き終わったのを見て、ハーマイオニーは、教壇に近づいていった。僕とロンもそれに続く。

 

「あの――ギルデロイ先生?」

 

「なにかな、ハーマイオニーさん」

 

「わたし、あの――図書館からこの本を借りたいんです。参考に読むだけです」

 

 口篭りながらもハーマイオニーは、しっかりと握り締め(過ぎ)てくしゃくしゃになった紙切れを、慌ててシワを伸ばしてから、差し出した。ハーマイオニーが微かに手を震わせながら出した紙をギルデロイ先生は見て、ピクリと右眉をわずかに上げる。

 

「問題は、これが『禁書』の棚にあって、それで、どなたか先生にサインを頂かないといけないんです――先生の『狼男との大いなる山歩き』に出てくる、脱狼薬を理解するのに、きっと役に立つと思います!」

 

「あぁ、『狼男との大いなる山歩き』、ね……」

 

 ギルデロイは緊張しているハーマイオニーへ笑いかけてくれた……けど、紙を受け取ってはくれない。

 

「君はとても読み込んでいる読者だ。そして、とても優秀な教え子だ。今日の授業でも『守護霊の呪文』をあと少しで有体化できるところまでいけた」

 

「それは先生の教え方が良いからです!」

 

 褒められ、ハーマイオニーは熱を込めて答えた。

 ニコニコとしながらギルデロイ先生は、教壇に両肘をついて組んだ両手の上に顎を載せて、真正面のハーマイオニーと目線の高さを合わせたところで、訊ねた。

 

「それで本当はどうなのかな?」

 

「え、え……」

 

 今日まで足繁く教室に通い教えを乞うてきたハーマイオニーは、どうにか目を合わせられるだけの耐性はできていた。でも、こんなに間近で、じっと見つめ続けられては、一分ともたない。

 元気爆発薬を一気飲みさせられたかのように顔が真っ赤になるハーマイオニーに、先生は微笑みかけながら言った。

 

「もしも君が本当に脱狼薬について学んでくれるのなら、私はとても嬉しい。効能は素晴らしいがトリカブト系の脱狼薬は調合が難しく、『魔法薬学』のスネイプ先生ほどの腕がなければ完璧に作り上げることはできないだろうね」

 

「は、はい! ですから、その……」

 

「でもね、トリカブト系の脱狼薬の治療法はここ最近になって、ダモクレス氏が発明した魔法薬なんだ。ちょうど大いなる山歩きをしていた時にですかね。年代からして、この『最も強力な毒薬』にはまだ載っていないと思いますよ」

 

 あ……と舞い上がっていたハーマイオニーは、見落としていたケアレスミスの指摘に、金縛りの呪いでもかけられたかのように固まり、そして、一気に蒼褪めた。

 

「トリカブト系の脱狼薬が普及されるようになることは、安定した職に就けない狼人間に朗報となるでしょう。私もそれを切に願っています。ひとりでも学ぶものが増えることは喜ばしいことです。……それがウソだったのなら、私はとても残念に思います」

「違います! 私、そんな、先生を馬鹿にしたとかそんなつもりは全然……本当に全然なくて……! す、すみませんでした」

 

 これには僕とロンもハーマイオニーと一緒に頭を下げた。

 真剣にその魔法薬を求めている狼人間(ひと)たちにとって、それを建前とすることは、ひどく気分を害することだろう。

 僕たちの謝罪に、先生は鷹揚に頷いて言う。

 

「ええ、ちゃんとわかっています。あなた方に悪気がないことは。それで、この本を借りたい本当の理由は何なのかな?」

 

「ポ、ポリジュース薬の事を知りたくて……」

 

 おい、ハーマイオニー!?

 言い逃れできなかったけど、そんなあっさり明かしたら、もう……。

 

「正直に答えてくれたね」

 

「はい……」

 

 消沈して俯いたままのハーマイオニー。嘆息して、ギルデロイ先生は僕とロンの方へ視線を向けた。

 

「一時間限り他人に変身するポリジュース薬の用途についてあえて私は訊ねません。ただ、それは、周りにいる大人、ホグワーツの教師は頼りにならないから、自分たちで動こう……という考えでいいのかな?」

 

「それは違いますギルデロイ先生!」

 

 やや憂いた表情での問いかけを、強く否定した。

 そんな悲しげな目で見られるのは、普通に説教して叱られたよりもよっぽど堪えた。僕もロンもギルデロイ先生の顔を真っ直ぐに見ることができず、ハーマイオニーに倣うように自分の爪先を見つめるように俯く。

 

「すまないね。意地悪な訊き方をした。でも、だ。『闇の魔術に対する防衛術』で、学生に戦い方というのは教えていない。自ら『スリザリンの継承者』へ近づこうとする浅慮で危険な行為など私は望んでいません」

 

「それは――だけど、『秘密の部屋』の怪物が本当にいるのだと思ったら、いてもたってもいられなくて――」

 

「うん。君の父さん、ジェームズ先輩も友を助けるためならば突っ走る人だった。勇敢であったと言えるでしょう。ただ、大人の助けを借りずに自分の力だけで解決しようとする辺りは、スネイプ先生が言うように傲慢であったと言われても仕方ありません。

 さて、ハリー。私たち教師が頼りにならないわけではないと否定した君にひとつ訊ねますが、あなた達は身近な大人に相談する余裕もないような切羽詰まった状況にあるのですか?」

 

 僕たちは降参するように揃って首を横に振った。

 

 ・

 ・

 ・

 

 それからすぐに教室と隣接したギルデロイ先生の自室へと場所を移した。

 先生は大きな書斎机に向けて、指を鳴らした。大きなサンドイッチの皿、ゴブレットが四つ、冷たい魔女かぼちゃジュースのボトルが、ポンと音を立てて現れた。

 

「どうぞ、お昼もまだでしょう。午後にも授業はあるのですからランチしながら話を聴きましょう」

 

 さっきのこともあって恐縮(特にハーマイオニー)していたけど、先生に笑みを向けられながら勧められれば、食事の席に着いた。

 それから、縮こまってしまっているハーマイオニーに代わって、僕とロンは自分たちの意見を代わる代わる話した。

 『秘密の部屋』や『スリザリンの継承者』に対する不安を話し、ロンがきっとこれはマルフォイ家が黒幕に違いないと言い、それで、ハーマイオニーがポリジュース薬でスリザリン生に化けて話を聴こうと提案し……そして、“自分にしか聞こえない声”についても話をした。

 『誰にも聞こえない声が聞こえるのは、魔法界でも狂気の始まりだって思われている』とロンは注意したけど、ホグワーツに通う前から、ギルデロイ先生は、僕の話を聴いてくれる人だった。ロンもハーマイオニーのことを信じられて、この人に話ができないという選択肢はなかった。

 腹に溜まったものを吐き出して、代わりに机の上に出た昼食を胃袋に詰め込んだところで、先生は口を開いた。

 

「ハリー、君はひとつ重要なことを忘れているね」

 

「え……」

 

 開口一番に指摘を受け、戸惑うも続く言葉にハッとさせられる。

 

「君にあれだけ今学期のホグワーツの危険性を訴えた『屋敷しもべ妖精』ドビーのことだ」

 

「あ、そうだ。ドビーが、ホグワーツで恐ろしい事が起こるって……それってまさかこのことなの!?」

 

「そして、ドビーはこうも言いました。歴史が繰り返されようとしていると――」

 

 先生と僕の会話を、ロンもハーマイオニーも口をぽかんと開けたまま聞いていた。

 

「『秘密の部屋』は以前にも開かれたことがある、という事ですか、ギルデロイ先生」

 

「そういうことになるのでしょうね」

 

 ハーマイオニーが恐る恐る訊ねて、先生は首肯を返すと、ロンが意気揚々と言った。

 

「これで決まったな。きっとルシウス・マルフォイが学生だった時に『部屋』を開けたに違いない。今度は我らが親愛なるドラコに開け方を教えたんだ。間違いない。それにしても、そのドビーはどんな怪物なのかって教えてくれなかったの?」

 

「ううん、ドビーは闇の罠が掛けられてるとだけしか……あとは、ヴォル…『例のあの人』が犯人じゃないって」

 

「とにかくさ、このままマルフォイを放置してたら、また恐ろしいことになるかもしれないんだろ。だったらさ」

 

「個人的な意見を言わせてもらうと、ドラコ・マルフォイ君は、『スリザリンの継承者』ではないと思いますよ」

 

「でも、マルフォイはマグル生まれの者を脅迫したんです」

 

「では、逆に訊ねますが、ダンブルドア校長先生を出し抜けるだけの企みができるとお思いですか、マルフォイ君に」

 

 やっぱりマルフォイが『スリザリンの継承者』説に火が点きそうなところに水を差された。

 でも、そう言われてみると、先生の言葉は納得せざるを得ない。

 

「思ったことをすぐに口に出してしまう、そんな魔法使いとしてはまだ幼い彼に、たとえ親でも、そのような大事を任せるとは到底思えませんね。……これは一教師の教え子が犯人であってほしくはないという願望に目が曇っているだけなのかもしれませんが」

 

 マルフォイへの疑念は尽きないけれど、声を上げようとしても言葉は、喉元に萎んで消える。

 パンッとひとつ話を切り替える合図の拍手が響き、書斎机上の食器が片付けられると先生は僕の方を見て、

 

「ハリー、あなたの悩みを解消してあげられるかもしれません、ひとつ確認させてもらってもいいですか?」

 

「何ですかギルデロイ先生?」

 

「確認というよりは、これは実験ですけど、ロン、ハーマイオニー、机から下がってもらえませんか」

 

 書斎机から二人が離れると、先生はパチンと軽く指を鳴らす。

 

「『サーペンソーティア(へびいでよ)』!」

 

 さっきはサンドイッチセットが出てきた机の上に、細長い白蛇がにょろにょろと出てきて、ギョッとした。白蛇はどこか眠たそうで、とぐろを巻いていて、状態としては落ち着いているようだ。

 

「ハリー、少しこの子とお喋りしてもらえませんか?」

 

「別に構いませんけど」

 

「「え?」」

 

 ロンとハーマイオニーが驚いたように目を大きく見開いたけど、どうしたんだろう?

 とにかく僕は先生に言われた通り、白蛇に話しかけてみる。

 

やあ、調子はどうだい

 

 白蛇はビーズのような目を開け、ゆっくり、とてもゆっくりと鎌首をもたげ、僕の目線と高さを合わせると、ひとつあくびをした。

 

眠いよ

 

そうなんだ。なんかごめんね、起こしちゃったみたいで

 

構わないさ。シュシュシュ、それで何の用だい

 

えっとね……ちょっと待って、聞いてみるから

 

 そういえば、先生に会話をしてみろとだけしか言われていない。

 何か芸でもしてもらうよう頼みこむのだろうか。

 

「ギルデロイ先生、これから一体何をすれば?」

 

「いいえ、もう十分ですよ。ちなみにお聞きしますが、この白蛇はなんて?」

 

「眠いそうです。だから、用件が済んだら帰してあげたらどうでしょう」

 

「そうですね。お疲れ様です。『ヴィペラ・イヴァネスカ(へびよ、きえよ)』」

 

 指を鳴らし、白蛇が書斎机から消えた。

 うん。今ので一体どんなことが分かったのだろうか? それを先生に訊ねるよりも早く、ロンとハーマイオニーに追及された。

 

「ハリー、『パーセルマウス』だってこと、どうして僕たちに話してくれなかったの?」

 

「僕が何だって?」

「『パーセルマウス』だよ! 君はヘビと話ができるんだ!」

 

 首を傾げる。

 それは、そんなにおかしなことなのだろうか。

 

「そうだよ。でも、今度で二度目だよ。一度、学校行事で行った動物園で、大ニシキヘビと話したことがあるんだ。ギルデロイ先生には前に話したことがあったんだけど、そのヘビが、ブラジルなんか一度も見たことがないって僕に教えてくれてね。自分が魔法使いだってわかる前だったけど……」

「大ニシキヘビが、君に一度もブラジルに行ったことがないって話したの?」

 

「それがどうかしたの? 魔法界にはそんなことできる人、掃いて捨てるほどいるだろうに。ね、ギルデロイ先生も、ヘビと話ができるんでしょ?」

 

「ハハ、この通りヘビは出せますが、ヘビとお喋りはできません。ハリー、ロンの言う『パーセルタング』を使える『パーセルマウス』というのは大変貴重な能力なんです」

 

「先生、これはまずいんじゃないんですか? ハリーが蛇語を使えるなんて今知れたら」

 

「何がまずいんだい?」

 

 理由も説明されず、深刻そうな態度を取るロンに段々と腹が立ってきた。

 

「ただヘビと話しただけじゃないか。それのどこが問題あるのさ」

 

「問題になるのよ」

 

 ハーマイオニーも真剣な顔をしていて、そして、驚くことを教えてくれた。

 

「どうしてかというと、サラザール・スリザリンは、ヘビと話ができることで有名だったからなの。だからスリザリン寮のシンボルがヘビなのよ」

 

「そうなんだ。だから、君がパーセルマウスだって知られたら、スリザリンの曾々々々孫だとか何とかって言われるようになるんだろうな……」

 

「だけど、僕は違う」

 

 言いようのない恐怖に駆られて、口早に二人の言葉を否定する。

 でも、ハーマイオニーが冷静に言った。

 

「それは証明し難いことね。スリザリンは千年ほど前に生きていたんだから、あなたが子孫だという可能性もありうるのよ」

 

 僕は、不安に瞳を揺らして、ギルデロイ先生を見た。

 本当にサラザール・スリザリンの子孫なの? 僕は結局父親の家族は何も知らない。ダーズリー一家は、ハリーが親戚の魔法使いのことを質問するのを、一切禁止した。

 だけど、彼なら知っているかもしれない。父さんの後輩だった彼なら……僕がサラザール・スリザリンの子孫じゃないって否定してくれる!

 

「先生……! 僕の、お父さんの家族のこと知ってますか?」

 

「ええ、知ってますよ。よく自慢されましたね。ジェームズ先輩のお父さん、つまりはハリーのお爺さん、フリーモント氏は、あのたった二滴で厄介な癖毛も滑らかになる『スリーク・イージーの直毛薬』を発明し、一財産を築いたそうでして。実は私も独自ブランドのシャンプーを売りに出したんですが、これがなかなか上手くいかず……」

 

「そうなんだ……って、そうじゃないよ!」

 

 思わず叫んでしまった。

 祖父の事を知れたのは少しうれしい。うれしいんだけど、知りたいのはそこじゃない。シャンプーのことなんてどうでもいいよ!

 それがわかっているのだろう。クックッとギルデロイ先生は笑みを零して言う。

 

「ハリー、君がなぜパーセルマウスなのかはわかりません。ここ最近の半純血の出生に興味深い論文があって、純血の魔法使いと非魔法使いの両親から生まれた子は、類い稀な能力が備わっていることがあるそうです。例えば、『七変化』とかが発現したりするそうです」

 

「それじゃあ、僕はスリザリンとは関係ないんですね?」

 

「さあ、それはどうでしょう。しかし、もし仮に君がスリザリンの曾々々々孫だとして、何か問題があるのかい?」

 

「だって、そうだったら、僕が、スリザリンに……」

 

 相応しいんじゃないか、という言葉を呑み込んだ。『組み分け帽子』がスリザリンに僕をいれたかったけど、僕はグリフィンドール生なんだ。

 

「確かに、今の校内の状況でパーセルマウスだと知られるのは騒ぎになるでしょう。でも、それは注意すればいい。私はもちろん、ロン君もハーマイオニーさんもハリーに不利になるようなことは吹聴したりしませんよ。まあ、私はむしろヘビと会話ができるのは便利だと思いますけどね」

 

 先生の言葉に、ロンもハーマイオニーも頷いてくれる。

 事前に教えてもらったから、人前でヘビと会話するような真似なんてしない。きっとギルデロイ先生は、それを魔法界の常識を知らない僕に注意させたくて、蛇舌を持つという意味を自覚させたんだろう。

 ただそれは、“僕がヴォルデモートと同じ道を行くのが正しかったんだ”っていう否定にはならない。つまりは――

 

 

「ハリー――君はどんな魔法使いになりたいんだい?」

 

 

 くしゃりと――かつてと同じように――頭の上に手を置かれた。

 熱暴走する勢いの頭の回転を、その手は、その微笑は、その声は、やんわりと包むように止めてくれた。

 

「どんな魔法使いになりたいか、それを決めるのは君だ、ハリー」

 

 ・

 ・

 ・

 

 バシッと背中をやや強めに叩かれ、ロンとハーマイオニーの方へと押し出された。

 悩みは解消したけれど、何だか無性に恥ずかしくて、二人から顔を逸らした。

 

「ハリー、ごめん。そんなつもりで言ったんじゃなくて」

「ごめんなさい、ハリー。無神経な発言だったわ」

 

「いやいいんだ。ロン、ハーマイオニー、僕は僕だから」

 

 まだぎこちないかもしれないけど、頬を緩ませ、笑って答えた。

 

 そこでパンパン! と手を大きめに叩く音がした。

 

「さあ、もうすぐお昼時間はおしまいだ。早く次の講義の教室へ行きなさい」

 

 ギルデロイ先生は、僕たち三人をそう急かして、送り出す。

 

「先生、ありがとうございました」

 

「いいえ、こちらも有意義な時間でしたよ。おかげで、『スリザリンの怪物』に関する情報がひとつわかりましたから」

 

『え!?』

 

 先生は、異口同音に瞠目する僕らに、指を一本立てて言う。

 

「私は何もパーセルマウスを実証するだけに確認したのではないですよ。ハロウィーンの日、ハリーは、ロンとハーマイオニーにはわからない、自分にだけしか聞こえない声を耳にした。そして、今、ハリーには自分にしかわからない言語がわかったんです」

 

 ハッと僕たちは顔を見合わせて、声を揃えて言った。

 

『ヘビだ!』

 

「そうです。先程ハーマイオニーさんが説明してくれた通り、スリザリンのシンボルはヘビであり、サラザール・スリザリンは稀代の蛇使いでした。そして、貴重なハリーの証言で、『秘密の部屋』に封印された怪物は、ヘビに類するものだという可能性が非常に高い。これは大きな前進ですよ、皆さん」




誤字修正しました! 報告してくれた方、ありがとうございます!


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10話

訂正しました。

屋敷しもべ妖精解雇の部分は無理やりな解釈であると指摘を受け、自分も納得しましたので、ドビーの部分をカットしました。申し訳ありません。




 スリザリンとグリフィンドールの寮対抗戦。

 序盤から全員が最新型箒ニンバス2001で圧倒するスリザリン・チーム。練習量と技量では負けないグリフィンドール・チームは食らいつく。ひとつのブラッジャーが暴走し、他の選手に目もくれずエースのシーカーを終始狙い続けるも怯まず。最後は、腕一本を折られながらもスニッチを掴むという大健闘でチームを勝利に導いた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 片腕が折れ、もう片方の手でスニッチを掴んだハリー・ポッター。箒の柄を太腿で挟んで姿勢を保つのがそう長い事できるわけもなく、泥の中に滑り落ちるように着地した。

 ――それから、少し気を失って、

 

「すごい! すごいよハリー!」

 

 カシャ、とフラッシュが焚かれ、目が覚めた。熱っぽい声で称賛するのは、コリン・クリービー。今年入ったばかりのマグル生まれの新入生で、今日初めてクィディッチの試合を生で見た。だから、きっといつもよりも興奮している。その気持ちはわかる。でも……

 

「やめて! コリン、こんな写真は撮らないでくれ……」

 

 上半身を起こそうとしたけど、脇腹肋骨の辺りから激痛が走った。これは腕以外も折れてしまっているかもしれない。立てず、姿勢を崩して、また泥の中に顔を……とそこで、倒れかけた体を支えられた。力強い腕。輝く歯。ギルデロイ先生だ。

 

「ナイスファイトだハリー。マクゴナガル先生が惚れこむのもわかる。君は天性の才能を持ってるね」

 

 その称賛に照れて、きっと今僕の顔は赤くなっているだろう。

 『無理に動かない方がいい。すぐにポンフリー先生の所へ連れていきなさい。彼女なら骨折くらいあっという間に直してくれる』と安静にと言いつけ、フレッドとジョージが持ってきた担架に乗せてくれた。

 それから、僕とギルデロイ先生のツーショットのチャンスに狂ったようにシャッターを切るコリンに、カメラのレンズを掌で押さえ覆いながら、いつもよりも厳しめの声で窘める。

 

「コリン・クリービー君。人は怪我しているところを撮られるのをひどく不快に思う。もし、そうだね、君が交通事故で大怪我を負った時に、集まってきた野次馬に面白そうに写真を撮られたらどう思うかい? カメラマンとして最低限のマナーは心得ておかなければならないよ。写真一枚で人に感動を与えることができる、でもそれは写真一枚で人の心を大きく傷つけることがあることでもある」

 

 コリンがしゅんと項垂れた……その時だった。

 ドラコ・マルフォイがハリーの側に着地していた。怒りで血の気のない顔だったが、それでもまだ嘲る余裕があった。

 

「額だけでなく、また新しい傷が増えたようじゃないか、ポッター。写真も撮ってるんだし、特別にサイン入りの写真でも配ったらどうだい」

 

 その身で怪我を周囲から隠すよう、もしくは不快なものを見ないよう視界を遮るように、ケイティとアリシアが担架の両脇につく。それでも、マルフォイの口は止まらない。

 

「ああ、僕はいらないよ。額の真ん中に醜い傷をつけているくらいで、特別の人間だなんて、僕はそう思わないのでねぇ――」

 

「負け犬の遠吠えよ。()っときなさい」

 

 アンジェリーナが、軽蔑し切った目でマルフォイを見た。

 フレッドとジョージもマルフォイが喚いていることには気が付いているも、担架を運んでいるため、我慢している。

 ウッドは、試合終了後も未だに暴走しているブラッジャーを審判のマダム・フーチと一緒に箱へ押さえ込もうと格闘中だ。

 

「――そういえば、君はウィーズリー一家が好きなんだ。そうだろう? ポッター。休暇をあの家で過ごしたんだろう? よくあんな豚小屋でねぇ。だけど、まあ、君はマグルなんかに育てられたから、ウィーズリー小屋の悪臭もオーケーってわけだ」

 

 そんな中、誰に憚ることなくマルフォイは嘲笑う。

 

「そうだ、名案だ、ポッター。君のサイン入り写真をウィーズリーにくれてやると良い。彼らの家の一軒分よりもっと価値があるかもしれないんだからさ」

 

 フレッドはアンジェリーナに、ジョージはアリシア、ケイティに抑えられているけど、僕を移送している最中でなければ飛び掛かっただろう。僕だって腕が折れてなかったら殴りかかっていた。

 そこで、人混みをかき分けて、ロンとハーマイオニーが駆け付けた。

 

「本当に気が知れないね」                                                           マルフォイは二人に気付き意地の悪い目つきをした。                                           「あんな『穢れた血』と平気で付き合う血を裏切る家を気に入るなんて。ああ、そうだ。そういえば、ポッター、君の母親も『穢れた血』だった――」

 

 パン――と。

 乾いた音が響く。その場にいた皆、驚いた。フレッドやジョージ、僕も、怒りを忘れてしまうくらいに。

 

 マルフォイ自身も何が起こったかわからない。

 痛烈な音が響き、滑らかなブロンドの髪が乱れ、青白い頬に赤い手形(あと)が残るほどの一発を貰っても、“自分が叩かれた”と気づいたのはじんじんと頬が痛みだしてからだった。

 その遅れてくる痛み、そして、離れても残る手の熱さ。頬に当てて呻きながら、マルフォイは引っ叩いた教師……ギルデロイ・ロックハートをわなわなと震えながら睨む。

 

「父上にも、ぶたれたことないのに……!」

 

「ああ、ぶった。どうやら君の周りの大人は誰もしないようだから私がぶたせてもらった」

 

「体罰だ! お前、ホグワーツじゃ教師は生徒に体罰しちゃいけないんだぞ!」

 

「言われずとも知っています。懲罰は属する寮の寮監の裁量に任されることも。だが、君のような人間を私は知っている。忠告しよう。後戻りが出来なくなった時に、きっと後悔する。そう思ったらつい手が出てしまった」

 

 マルフォイは痛みと屈辱で薄青い目をまだ潤ませてはいたが、ギルデロイ先生を憎らしげに見上げ、何か呟いた。『父上』という言葉だけが聞き取れた。

 

「負けて悔しい君に説教なんてしたくはなかった。――しかし、故人まで冒涜するとは恥を知れドラコ・マルフォイ!」

 

 でも、そんな弱々しい虚勢も、一喝に震え上がった。

 競技場全体に響き渡ったかのような大声、他所のこちらまでビクっと胆が縮み上がるその怒気を、目の当たりにしたマルフォイは、跳び上がってはたたらを踏んで尻餅をつく。

 そこで、スリザリンの寮監、スネイプが現れた。

 マルフォイはスネイプの到来に引き攣らせながらも笑みを浮かべようとして、でも、険しい顔をしたスネイプはギルデロイ先生と暫し睨み合っただけで何もしない。いつもの厭味ったらしい口調で咎めることもなく、マルフォイが頬を叩かれたと訴えようとも、短く『来い』と引っ張っていくだけ。

 

「ロックハート、ダンブルドア校長が最初にお話ししたはずですが、本校の懲罰は居残り罰を与えるだけです」

 

「はい、わかってますマクゴナガル先生、以後、二度とこのような真似はしないよう気を付けます」

 

「まったく……学生時代からあなたは他人のしないようなことばかりします。その血の気の多さで私の寮に組み分けされなかったのを不思議に思いますとも」

 

「ハハ、レイブンクローのフリットウィック先生は決闘チャンピオンだったんですよ」

 

 その後に、グリフィンドールの寮監で副校長であるマクゴナガル先生が来て、マルフォイを叩いたギルデロイ先生に対し口頭で叱り、学生時代の恩師でもある彼女にギルデロイ先生も低頭で反省を述べた。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

「先生は頼りにならない。……父上に……そうだ、父上に報せよう!」

 

 

 〇 〇 〇

 

 

「オーッ、素晴らしい、ウィーズリーさん! これほど見事な浮遊呪文を一発で成功させたのは、去年ではグレンジャーさんだけでした!」

 

 『妖精の魔法』のクラスで、ジニー・ウィーズリーは、フリットウィック先生から拍手を送られ絶賛される。

 ここ最近、人が変わったように上達した杖捌きを隣で見てきたコリンも目を輝かせていて、思わずカメラのシャッターを切ってしまうくらいで(授業中なので先生に叱られた)、クラスも称賛する。

 ウィーズリー家の末妹ジニーは、『ハーマイオニーの再来か!?』とも称されるほどの評判だった。

 四男五男のフレッドとジョージが悪戯番長で悪目立ちしているけれども、ウィーズリー家は、長男ビル、次男チャーリー、そして、監督生で首席最有力候補の三男パーシーもみんな成績が優秀(六男のロンもここのところ成績を上げてきている)。

 “血を裏切る者”と蔑まれようとも純血で、魔法族として優秀なウィーズリー家の末妹も優等生なことは特に不思議がられることはない。ホグワーツにやって来て最初のころは調子が悪そうだったけれども、すっかりと慣れた今は魅力的な笑みを浮かべて、授業で好成績を収めている、一年生の人気者(スター)になっていた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ――絶好調だ。

 “変な悪夢”を見てからだけど、それからは何事も順風満帆の日々。

 そう、この“指輪”を嵌めるようになってから、とても頭が冴えて、授業の覚えも凄く良くなった。それに、わざわざ人気が殺到しているギルデロイ先生に頼らなくたって、私には“彼”がついてるから、いつでも相談できるし、勉強だけでなく色んなことも教えてもらった。皆からも凄い凄いと褒められるばかり。

 この調子でいけば、この前の寮対抗戦でも活躍したハリー・ポッターに振り向いてもらえるようになるかもしれない――

 

「ふふ、本当に素敵な贈り物をありがとう、トム」

 

 ひとり中庭で、翳した右手の人差し指に嵌めてる指輪を見て、私は微笑む。

 とても綺麗。サファイアのような楕円形の石が嵌め込まれていて、リングの形状も鷲が翼を広げているようなデザイン。こんなに綺麗な指輪だけど、“彼”から『あまり人前に出さないように』と注意されているので、普段は紐を通して首に提げて服の内にしまっている。

 本当は誰かに見せびらかしたいって思うこともあるけれど……家は貧乏だし、誰かのを盗んだと疑われるかもしれない。きっとパーシー兄さんに見つかったら、“朝、起きたら枕元にあった”なんて本当のことを言っても聞いてくれないだろうし、没収するに違いない。

 それは絶対に嫌だ。

 

「……ジニー?」

 

 うっとりと指輪を眺めるのに夢中になっていたからか、気づくのが遅れてしまった。

 一冊の本を抱えたその少女は、ルーナだった。家が近所で、学校に通う前から知り合いだった。よく変なことを言うので、周りから敬遠されてるみたいで、レイブンクローの中でも孤立してる。当人はそんなことあまり気にしてないようだけど。

 

「その指に嵌めてるの、どうしたの?」

 

 見られてた……! 咄嗟に私は手で指輪を隠そうとしたけど、少し考えてやめた。

 

「ルーナも見てみる、私の指輪」

 

 “彼”の忠告もあったけど、その時の私は他人と感動を共有したい気持ちの方がちょっぴり勝った。心配だったけど、ルーナは独りだし、言ってることも誰も信じてくれないし、教えたって大丈夫だろう。

 ルーナは私の指に嵌めた指輪を、その大きな目で、瞬きせずにじっと見る。しばらくして私は感想を求めるように『どう?』と訊いたら、ルーナから頓珍漢な答えが返った。

 

「ジニー、これ指輪じゃない。髪飾りだよ」

 

 何言ってるのこの子?

 呆れたけれど、ルーナの性格を知っている私は、もう一度指輪を見せながらよく言い聞かす。

 

「ルーナ、これは指輪よ。こんなサイズじゃとても頭に乗せられないわ」

 

「違うよジニー。私、いっつも寮で見てるもン。これは、レイブンクローの髪飾り。ほらここに『計り知れぬ叡智こそ、我らが最大の宝なり!』って書いてある」

 

 そしたら、ルーナは指輪の輪の所を指差し、注目させた。

 ルーナは目立つ青い宝石ではなく、その輪に刻まれた、傷としか思えない凄く小さな文字を読み取っていたのだ。

 

 ――まずい。

 

 脳裏に、聞き覚えのない男の人の声が聴こえた気がした。

 

「ねぇ、ジニー。それを付けるのはあまり良くない。ううん、絶対に良くないと思うな。外して、先生に渡すべきだよ」

 

 だめ! 待って! お願い()めて! と私がルーナを()める前に、私の意識はそこで暗転した――

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 ルーナ・ラブグッドが死んだように石になっていたのを発見され、医務室に横たわっているというニュースは、瞬く間に学校中に広まった。

 事件現場で第一発見者が見たのは、目を大きく見開いたルーナの石像に、その目の前に大きな雪男の石像……これは、ルーナの教科書である『雪男とゆっくり一年』から投影された幻像が、石になったのである。私はそんな石像(ゴーレム)として実体化する機能など飛び出す絵本につけていない。これは、襲撃者の能力なのだろうか。

 運悪くも第一発見者の(しかも騒がし屋のポルターガイスト・ピーブスに煽られた)ハリーに容疑がかけられて、校長室へと連行されてしまったみたいだけれど、ダンブルドア先生はちゃんと彼が犯人『スリザリンの継承者』ではないとわかっている。ルーナとの関係性がまったくないことから事件の関与は低いと生徒たちにも広まっているけれど、それでもハリーを疑っている者はいるだろう。事前に蛇語・蛇舌について教えておいて良かった。

 

 そして、ルーナのご両親は魔法族で、魔法が使えないスクイブというわけでもない。――なのに、襲われた。

 この報は、純血主義のスリザリンにも少なくない衝撃を与えた。“『秘密の部屋』が開かれても、マグル生まれでないなら、スクイブでなければ、スリザリンの怪物に襲われない”という根拠のない安全神話は崩されたのだ。

 

 さらにこの事件はダンブルドア校長が情報封鎖をする前に、『日刊予言者新聞』に掲載されてしまった。一生徒からのタレコミをネタに、リーター・スキーターが記事を書いた。あの女史は、相手をこっ酷く中傷するのが大得意だ。私も一度お世話になっている(その後、私のファンからスキーター女史は大バッシングされ、大変な目に遭ったらしい)。

 無差別に襲い掛かってくる怪物が校内を徘徊している噂が世間に知れ渡り、おかげで今年のクリスマス休暇は居残り組がほとんどいない。皆避難しようと実家へ帰っている。下手をすると最悪、『スリザリンの継承者』なんて物騒な存在がいるホグワーツへは行かせないという親も出てくるかもしれない。

 

「……ハグリッド、鶏小屋に一匹もいなくなってしまっているけれど、全部チキンにして食べてしまったのかい?」

 

「うんにゃ、今学期になってからいつの間に鶏が()られるようになってな。キツネか『吸血お化け』の仕業だろ。この前、ダンブルドア先生に許可を貰って結界を張ったところだ」

 

 死体は全部食っちまったけどな、と豪快に笑うハグリッド。

 この最近スーツケースを持ち歩くようになった私は、『禁じられた森』の近くに建てられた森の番人ハグリッドの小屋にやってきた。どでかい手でたっぷりとお湯(だけ)を入れたビックサイズのマグカップを、あわや客人(わたし)にぶっかけかけるというドジっ子な同僚と単にお茶をしに来たわけではない。

 

「ハグリッド、君はもうこのホグワーツにいてどのくらいになるんだい?」

 

「そうだなぁ。40年に入学してるから、もうかれこれ五十年以上になるなぁ」

 

 しみじみと語るハグリッド。

 彼は、かなり長い事このホグワーツにいる。そして、怪物好きだ。これは本当にどうしようもないというか、一年前にもドラゴンを飼おうとしてハリーたちに大変迷惑をかけたようだ。そんなハグリッドだからこそ、“過去に起こったというこの事件”も何か知っているのではないだろうか……と思い、話を訊きに来た。

 

「ハグリッド、単刀直入に訊く。――再び開かれた『秘密の部屋』について、何か知ってることはないかい?」

「俺はなんもしちゃいねぇ!」

 

 即答、だ。

 和やかに世間話をしていた時とは一変し、声を荒げて否定する。しかし、わかりやすい態度には私としてもどうしたものかと悩んでしまう。

 

「ハグリッド、私はただこの事件について調べているだけで、ハグリッドが犯人だとは思っちゃいない。……わかるだろう? このまま対策を打てなければホグワーツは存続すら危ういことが。それに生徒たちも危うい」

 

「………」

 

 今このホグワーツに漂う危機感を彼も共有できているはずだが、だんまりを決め込まれてしまう。

 私はチラリと彼の傘を……先端に杖が取り付けられたそれを見てから、

 

「それは、君の杖が折られて、ホグワーツを退学となってしまったことと関係があるのかい?」

 

「…………俺は、何もやってねぇ」

 

「ふぅ……わかった」

 

 席を立つ。踏み込むのは無礼になるのがわかった。おっちょこちょい過ぎるところはあるが、彼は友人だ。話したくないことがあれば、それは仕方がない。

 

「失礼するよ。お茶、今度はちゃんとティーバッグくらいは淹れてくれよ。流石にお湯では味気ない」

 

「ま、待ってくれ!」

 

 小屋を出ようとしたところで、ハグリッドが呼び止めた。

 

「お前さんは……俺の事、本当に疑っちゃいないのか?」

 

「これまで君には非常に迷惑を掛けられているけれども、だからといって、君の人格を見誤ったりはしないよ」

 

「そうか……そうだな……ギルデロイは“あいつ”とは違う。話は聞くし、人に慕われてっけども、お前さんは苦労しちょるからなぁ」

 

「勝手に納得されてもよくわからないが、そう思うなら、あまり迷惑を掛けないように努力してほしいね、ハグリッド」

 

 ハグリッドは“過去の誰か”と私を比べるようにどこか遠い目をすると、深く溜息を吐いて、念押しする。

 

「ギルデロイ、俺はあの時、何もしちゃいねぇし、殺しちゃいない。それだけはわかってくれ」

 

「その前置きは必要かい」

 

 重い口のハグリッドにあえて軽口で返してみれば、ふっと笑う。ぎこちないけれども。

 

「俺がホグワーツを退学した理由は、知っちょるか?」

 

「いいや……つまりは、この事件にはハグリッドも関わっていたってことでいいのかな」

 

「……俺は、学校で怪物を飼っていた。アラゴグっちゅうアクロマンチュラなんだが」

 

「ちょっと待て。君、それ、M.O.M.分類で規定五越えのXXXXXXに指定される危険生物じゃなかったか」

 

 思わず突っ込んでしまった。

 口を挟まずに聴く姿勢だったけど、ちょっとこれは無視できない。

 

「卵も魔法生物管理部の取引禁止品目のAクラスで、普通じゃ手に入らない……流石に私もホグワーツでアクロマンチュラが飼われているようなら問題視しますよ」

 

「ホグワーツにゃもういねぇ! 今は禁断の森の奥で家族と棲んどる」

 

「実験飼育禁止令も出されてると思うのですが……繁殖に成功してるんですか?」

 

「う。ま、まあ……独りじゃ寂しいだろ。だから、アラゴグの時と同じ伝手(ルート)で、相手を見つけてきてやった。モサグっちゅうんだ」

 

「ホグワーツに森の番人に罰則を与えられる校則がなかったのを残念に思います。ハグリッド……趣味とは人に迷惑を掛けないのがマナーですよ」

 

 『禁じられた森』の危険度が自分の中で上方修正された。絶対に生徒は迷い込ませてはダメだ。

 

「“あいつ”に育ててたのをばらされて、女子生徒を殺したって濡れ衣を被せられたけど、トイレになんて行かせていない。ずっと物置で、箱の中に入れていた! アラゴグは賢いし、俺の言葉もわかる。人間の言葉も喋れるんだ。鋭い鋏や猛毒を持っちょったが、約束してくれた。俺への名誉にかけて絶対に人を襲わないってな」

 

「襲うのは種の本能だと思いますが……しかし、ハグリッドは、セストラルにふくろうを襲わないようしっかりと躾けられるだけの手腕があります。それを信じるとしましょう」

 

「……それに、アラゴグは言っておった。城の中に太古の生物が動き回ってる。蜘蛛の仲間が何よりも恐れる気配を感じる。だから、ホグワーツから出たいと必死に頼まれた。俺もそいつが何かと何度もアラゴグに聞いたんだが、その恐ろしい生物は名前を口にするのも嫌みたいでな。教えてもらってない」

 

 ふむ。

 アクロマンチュラについてはとりあえず棚に上げるとしよう。そうしないと話が進まない。とにかく、ハグリッドはアラゴグ(アクロマンチュラ)を、外部から持ってきた。これは城の中に生息するという『スリザリンの怪物』には当てはまらない。そもそも、予想しているのはヘビでありクモではない。

 

「……だいぶ、情報が絞り込めてきましたね」

 

 トントンとこれまでの情報を整理するようこめかみを指で叩いたとき、戸を大きく叩く音がした。

 

「こんばんは、ハグリッド。それに、おお、ギルデロイもいたのかね」

 

 ノックしたのは、ダンブルドア先生であった。今はホグワーツ校長として学外への対応に追われているはずの先生は、深刻そのものの顔で小屋に入ってきた。

 

「ダンブルドア先生、ハグリッドに用件があるのなら、私は席を外しましょうか?」

 

「いいや、居てくれて構わんよ。のう、ファッジ」

 

 先生の後ろからもうひとり男が入ってきた。

 背の低い恰幅の良い身体にくしゃくしゃの白髪頭。悩み事があるような顔をしていて、全体的に頼りなさそうな雰囲気である。

 でも、彼は、私達の魔法界を取り仕切る魔法省のトップである。

 

「これはこれはコーネリウス・ファッジ魔法省大臣ではないですか! マーリン勲章受章式以来です」

 

「おお、ロックハート君かい。君がホグワーツで働き始めたのは話に聞いてたよ。随分、好評なようだね」

 

「ハハ、生徒が皆優秀な子たちばかりですから」

 

「ギルデロイはとても有能な教師じゃよ。一年目とは思えんほど教えるのがすこぶる上手い」

 

「そうか。そうだね。……しかし、ドローレスが何度も魔法省に来てくれないかと打診してるのに、ホグワーツに引き抜かれるとは……」

 

 スリザリンのアンブリッジ()()からのラブコールは、とてもしつこい。粘着質である。フィッグ家に居候させてもらうまで、どれだけ住居特定されたことか。スネイプ先輩といい、スリザリンはねちっこいのが多いのか?

 魔法省からは、卒業後に忘却術師にぜひ来てほしいとスカウトされたし、歴戦の『闇払い(オーラ)』から後継として鍛えてやるから来いと義眼で凄まれたりしたが、この体質(ほくろ)上、あまり人前に立つ必要のない物書きの仕事が性に合っている。今は教師をやっているけれども。

 

「それで、ここにどんな用ですか、ファッジ魔法大臣」

 

 にこやかに問う。問うまでもなく、急に顔を蒼褪めて汗を掻き始めるハグリッドの様子から大まかに予想はついている。

 ファッジはぶっきらぼうに、ハグリッドへ言う。

 

「状況はよくない。ハグリッド。すこぶるよくない。来ざるをえなかった。魔法族の子がひとりやられたのは事実。本省が何かしなくては収拾がつかない」

 

「俺は、決して……ダンブルドア先生様、知ってなさるでしょう。俺は、決して……」

 

 口調が、変な尊敬語となってしまうほどに狼狽えているハグリッド。ダンブルドア先生は眉をひそめてファッジへ抗議する。

 

「コーネリウス、これだけはわかってほしい。わしはハグリッドに全幅の信頼を置いておる」

 

「しかし、アルバス。ハグリッドには不利な前科がある。魔法省としても、何かしなければならん――学校の理事たちがうるさい」

 

「コーネリウス、もう一度言う。ハグリッドを連れて行ったところで、何の役にも立たんじゃろう」

 

 校長の青い瞳に、激しい炎が燃えている。

 私も魔法省大臣を見る目は厳しいだろう。十分な捜査もしないまま冤罪にしている、その二の舞にしようというのだから。

 

「私の身にもなってくれ」

 

 ファッジは山高帽をもじもじと弄り、言い難そうにしていても、主張を曲げない。

 

「プレッシャーをかけられてる。何か手を打ったという印象を与えないと。ハグリッドではないとわかれば、彼がここに戻り、何の咎めもない。ハグリッドは連行せねば、どうしても。わたしにも立場というものが――」

 

「俺を連行? どこへ?」

 

「短い間だけだ」

 

 言いながら、目を逸らすファッジ。

 

「罰ではない。ハグリッド。むしろ念のためだ。他の誰かが捕まれば、君は十分な謝罪の上、釈放される……」

 

「まさかアズカバンではないですよね、ファッジ魔法大臣?」

 

 震え上がって声もかすれてしまうハグリッドに代わって、追及する。

 だが、ファッジが答える前に、また戸が叩かれる。今度は激しく。

 ハグリッドがこの小屋の家主であるも、アズカバン行きの宣告に蒼白になっている。ここも代わって、私が戸を開けると、そこには、ホグワーツの理事がひとり、ルシウス・マルフォイがいた。

 ルシウス・マルフォイは、私の顔を見て、驚いたように目を大きくさせる反応を見せるも、すぐに冷たくほくそ笑んだ。

 

「もう来ていたのか。ファッジ。よろしい、よろしい……」

 

 大股で闊歩して小屋へ踏み入るルシウス・マルフォイにハグリッドは不快感を露にする。

 

「何の用があるんだ? 俺の家から出て行け!」

 

「威勢がいいね。言われるまでもない。こんな家とも呼べない中にいるのは私とてまったく本意ではない。ただ学校に立ち寄っただけなのだが、校長がここだと聞いたものでね」

 

「それでは、一体わしに何の用があるというのかね? ルシウス?」

 

「酷いことだがね。ダンブルドア」

 

 ルシウス・マルフォイは、長い羊皮紙の巻紙を取り出して、物憂げに言う。

 

「しかし、理事たちは、あなたが退く時が来たと感じたようだ。ここに『停職命令』がある――十二人の理事が全員署名している。残念ながら、私ども理事は、前々から勧告をしてあったにもかかわらず、あなたが現状を掌握できていないと感じておりましてな。魔法族の子が襲われたそうですな? それが学校にとってどんなに恐るべき損失か、我々すべてが承知しておる」

 

 ・

 ・

 ・

 

 ダンブルドア校長先生がホグワーツから退くのに百害あっても一利もない。

 この理事会からの『停職』には、魔法省大臣も大慌てだ。最高峰の魔法使いでさえ食い止められなかった事態を、一体誰に任せることができるのか。

 ハグリッドもルシウス・マルフォイを恫喝せんばかりに睨む。当然だ。ダンブルドア先生がいなければ今度は“殺し”になるかもしれない。

 そんな中で、ダンブルドアは、理事会の要請を受けた。

 

「理事たちがわしの退陣を求めるなら、ルシウス、わしはもちろん退こう」

 

 ハグリッドとファッジから否定の声が上がる。

 ダンブルドア先生は、ルシウス・マルフォイを見据えて、こう続ける。

 

「しかし、覚えておくが良い。わしが本当にこの学校を離れるのは、わしに忠実なものが、ここに一人もいなくなった時だけじゃ。覚えておくが良い。ホグワーツでは助けを求めるものには、必ずそれが与えられる」

 

「あっぱれなご心境で。アルバス、我々は、あなたの――あー――非常に個性的なやり方を懐かしく思うでしょうな。そして、後任者がその――えー――“殺し”を未然に防ぐのを望むばかりだ」

 

 ・

 ・

 ・

 

 意気揚々大股で出て行ったルシウス・マルフォイに続いて、ファッジが山高帽を弄りながら小屋の外に出て、ダンブルドアが私と目を合わせて、ひとつ頷いてから、私をハグリッドと二人きりにしてくれた。

 

「ギルデロイ……俺のいねえ間、ファングに餌をやってくれ」

 

「ああ、ハグリッドがいない間は私がファングの面倒を見よう。そう長い間ではないだろうけど、代わりに向こうでもし犬にあったら、本の感想を聞いてきてくれないか」




誤字修正しました! 報告してくれた方、ありがとうございます!

ロックハートがマルフォイを叩いた場面ですが、ヒートアップした状況で、一気に目を醒まさせる周囲へのアピールでもありました。原作でも酷い暴言を吐いたマルフォイは袋叩きの目に遭いましたから、一発叩いて、けじめをつけさせるくらいしか事態を収拾させる方法が思いつかず……無論、叩いたのは個人的感情もありましたが、ケナガイタチにするよりは温厚かな、とも思ってました。
しかし彼の人気についての配慮は足りず、気に障る表現で申し訳ありません。



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11話

 今年のクリスマスもまたハリー・ポッターはたくさんのプレゼントをもらった。

 ハグリッドからは糖蜜ヌガーを大きな缶一杯、ロンからはお気に入りのクィディッチ・チームのガイドブック『キャノンズと遊ぼう』という本、ハーマイオニーからはデラックスな鷲羽のペン、ウィーズリーおばさんから手編みのセーターと大きなプラムケーキ、そして、ギルデロイ先生からは、マッチ箱が送られて来た。『お守りだからポケットに入れておきなさい』とメモが添えられていたけど何だろう?

 ちなみにダーズリー家からは爪楊枝一本。『夏休み中にも学校に残れないかどうか聞いておけ』と書かれたメモ付き。僕もそれは是非望むところだけど、今のホグワーツは存続も危うい状態である。

 そこで、魔法省は打開策を講じてくれたんだけど……それが、あまりに最悪な方法だった。

 

 クリスマスの翌日に、まだ学生たちがクリスマス休暇の間に、ハグリッドが魔法使いの牢獄、あの吸魂鬼が看守をするアズカバンへ送られてしまった。

 その日の『日刊予言者新聞』には、リーター・スキーターが執筆したハグリッドが退学になった五十年前の事件について、犠牲者の家族の取材まで載せた記事が掲載され、『校内に怪物を解き放った野蛮な森の番人はアズカバンに送られた。これでホグワーツは安全だろう。そして、森の番人が二度とアズカバンから解き放たれないことを祈る』で締め括られた。

 ロンもハーマイオニーもカンカンだ。もちろん僕も。この記者は前々から評判が最悪みたいだけど、こいつの書いた記事は今後一切読みたくない。

 でも、魔法省が()()()()対処したという知らせは一定の効果があったようで、子供をホグワーツへ預けるのは遠慮させようとした親たちも考え直した。ホグワーツが閉鎖されるという事態を免れたのである。やり方は最悪だけど。

 

 僕たちは『日刊予言者新聞』を持ってすぐにギルデロイ先生の部屋へと向かった。

 

「ギルデロイ先生! これはどういうことなんですか!」

 

 『闇の魔術に対する防衛術』教授の自室へ駆け込むと、部屋の主は書斎机の上に雄鶏を乗せて、スケッチでもするかのように何か原稿を書いていた。

 何とも珍妙な光景に呆気に取られていると、ボアハウンド犬がすり寄って来た。ハグリッドの飼っているファングだ。それがギルデロイ先生の部屋にいるってことはハグリッドがホグワーツにいないということで……

 

「おや、どうしたんですか、騒がしい」

 

「ギルデロイ先生、これを見てください」

 

 『日刊予言者新聞』を突き付けるように見せると、ギルデロイ先生は短く溜息を吐いて、注意された。

 

「ええ、そんなのは新聞を読まずとも知っています。あの女史の適度に事実を盛り込んだ誇張記事は、大変穿った見方をする文章で気分が最悪になりますので、とても重要な執筆の最中な私の目に入れないでくださいませんか」

 

 手は原稿に、目は雄鶏に向けられたままだけど、耳と口は僕たちと会話してくれるようだ。

 

「既にご承知だったってことは、ハグリッドがいなくなったのをご存知なんですね」

 

 ロンが訊ねる。ギルデロイ先生は大人しくしている雄鶏に直に触って、嘴の下あたりを指でくすぐりながら答えてくれた。

 

「はい。私も偶然にハグリッドが魔法省大臣にアズカバン行きを宣告され、逮捕されたときに立ち会いましたから」

 

「どうして止めてくれなかったんですか!?」

 

「ハリー、ダンブルドア先生が抗議しても無理であったものを私の意見で覆してくれると思うかい? 魔法省は魔法界に“事態解決に取り組んでいる”という体裁を保つ為にああするしか手立てがなかったんです。無実の人間を人身御供にするやり方は最悪ですがね」

 

「でも……!」

 

「そして、状況は君たちが思っている以上に深刻だ。これは、休み明けに発表されるでしょうから教えますが、ダンブルドア先生が理事会からの要求でホグワーツから追放されてしまいました。これには我々教師陣も極めて遺憾の事態です」

 

 『日刊予言者新聞』には記載されていなかった爆弾情報に、僕たちは数秒呼吸を忘れた。

 一体何を考えているんだ理事会は! これでは次は“殺し”になるぞ!?

 ダンブルドアという絶対的な存在がいなくなったことで、抑えられていた恐怖感がジワリジワリと広がっていく。

 

「大変だ。ダンブルドアはいない。これはもう今学期は学校を閉鎖した方がいい。ダンブルドアがいなけりゃ、一日一人は襲われるぜ」

 

「いいえ、そんなことにはさせませんよ、ロン」

 

 ふらりと失神しかけたようによろけて額に手を当てながら掠れた声で言うロンに、ギルデロイ先生は力の籠った声で言う。

 

 ・

 ・

 ・

 

「我々ホグワーツ教師陣は、ダンブルドア校長先生から留守を任された。副校長のマクゴナガル先生は、皆さんに教育を受けられるよう学校を運営。『薬草学』のスプラウト先生は、石にされた生徒を蘇生させるためのマンドレイクの育成を、『魔法薬学』のスネイプ先生は、収穫してすぐに治療薬を調合できるよう万端の準備をしているでしょう。私もこれから『呪文学』のフリットウィック先生と学校中にある仕掛けを施します」

 

「仕掛け?」

 

「ハリー君やハーマイオニーさんは知っているでしょうが、マグルの建物の至る所に設置されている非常警報器のようなものです。元は『夜鳴きの呪文』ですが、それを弄ったこれは『朝鳴きの呪文』といったところですね」

 

 言って、また雄鶏の観察に集中するギルデロイ先生。

 僕とロンはさっきから鶏を相手になにをやってるんだろうと首を捻る。おかしなことをしているせいか説得力も半減してるように思え……でも、それをじっと見ていたハーマイオニーは違った。

 わずかに身震いさえしている……感動が抑えきれない様子の彼女は、胸に手を当てて慎重に、潜めた声でギルデロイ先生に訊ねる。

 

「先生は、『スリザリンの怪物』の正体がわかったんですね」

 

「気づきましたか」

 

「はい、先生の作業を見て」

 

「ハハ。やはり、ハーマイオニーは同年代の魔女の中でも最も優れた頭脳をしています。君なら自力で怪物の正体に辿り着いたことでしょう」

 

 執筆作業を止めて心からの称賛を送るギルデロイに、照れて俯くハーマイオニー。

 何かわかったみたいだけど、僕とロンにも解説してほしい。

 

「ギルデロイ先生、どういうことか説明してもらえませんか?」

 

「私は、ハグリッドが連行される前に、彼とお茶をしていたんです。長い事、ホグワーツに住んでいる、そして、怪物に関して高いアンテナを張っているハグリッドならば、かつて起こったという『秘密の部屋』について何か知っているかもしれないとね」

 

 ギルデロイ先生は再び作業に戻りながら語り始める。

 

「ハグリッドとの会話は色々と問題発言が多かったので省いて、得た情報だけを並べますが。……まず、この城に眠る古代の怪物は、クモに非常に恐れられる。この最近、ホグワーツでクモが避難してるのを見かけたことがありませんか?」

 

「うん、見たことがある」

 

 ウェッと吐くように嫌悪感を示す表情のロンが頷く。ロンは双子の兄の悪戯のせいで生きたクモが大の苦手だ。

 

「また、ハグリッドは、今学期に入ってから小屋で飼育している鶏が()られているという話をしました。ああ、これは魔法で出したものです」

 

 書斎机の上で、コッコッコッと鳴いている雄鶏を見る。

 

「そして、ハリーが証明してくれました。怪物は、ヘビに類するものであると」

 

 ギルデロイ先生は、図書室から借りてきたとても古い本を僕たちの前に置いて、ある生物が記されたページを開いた。

 

「この三つの情報から推測されるのは」

「バジリスク、ですね先生」

 

「ええ、ハーマイオニーさんの言う通り。確定されたわけではありませんが、かなり確度は高いと私は思います」

 

『我らが世界を徘徊する多くの怪獣、怪物の中でも、最も珍しく、最も破壊的であるという点で、バジリスクの右に出るものはない。『毒蛇の王』とも呼ばれる。このヘビは巨大に成長することがあり、何百年も生きながらえることがある。鶏の卵から生まれ、ヒキガエルの腹の下で孵化される。殺しの方法は非常に珍しく、毒牙による殺傷とは別に、バジリスクの一睨みは致命的である。その眼からの光線に捕らわれたものは即死する。蜘蛛が逃げ出すのはバジリスクが来る前触れである。何故ならバジリスクはクモの宿命の天敵だからである。バジリスクにとって致命的なのは雄鶏が時をつくる声で、唯一それからは逃げ出す……』

 

 本に書かれていた内容を読んで、頭の上に豆電球がピカッと閃いたようだった。

 

「これだ。これが答えだ。『秘密の部屋』の怪物はバジリスク――巨大な毒蛇だ! きっと僕はその声を聞いたんだ。ロンとハーマイオニーには聞こえなかった、でも、僕は蛇語がわかるんだ」

 

「そして、バジリスクは視線で対象を殺すことができます。でもそれは直に見なければ効力が弱まるものなのでしょう。おそらく被害に遭ったルーナ・ラブグッドさんは、私の飛び出す絵本の幻像を挟んで光線を受けた。仮想クリーチャーは魔法的な効果を受けるようにできていますから、それであの雪男の石像ができ、威力が軽減された眼光を受けた彼女は石化してしまった」

 

 ぽかんと口を開いたロンが、ハッと急き込んで訊ねる。

 

「それじゃ、ミセス・ノリスは?」

 

 ギルデロイ先生は、こめかみに指を添え、白く靄のようなものを抜き出し、そして、それをシャボン玉でも膨らませるようにふっと軽く息を吹き込む。すると中空に、あのハロウィーンの日の時の、現場の状況が映し出された。

 

「私の記憶を見るに、あの現場は床が水浸しでした。トイレからあふれ出した水に映ったバジリスクを、ミセス・ノリスは目撃したのでしょう」

 

 そう言って、ロウソクの火を消すかのように手で掃って幻像を掻き消す。

 

「蜘蛛が逃げ出すのは前触れ! ハグリッドの雄鶏が殺された! 『秘密の部屋』が開かれたからには、『スリザリンの継承者』は城の周辺の、バジリスクにとって致命的な雄鶏の存在が邪魔だったんだ! 何もかもピッタリですギルデロイ先生!」

 

「だけど、バジリスクはどうやって城の中を動き回っていたんだろう?」

 

 ロンの呟いた疑問。これにはギルデロイ先生もまだ頭を悩ませているようだ。

 

「いい指摘だねロン。どうやってバジリスクが校内を移動しているのかはまだわかっていません。『スリザリンの継承者』が透明になる魔法を施したのかもしれませんし、誰も知らない通路を移動していたのかもしれない。ですが、それが判明すれば、『秘密の部屋』の特定ができるでしょう」

 

 ――『秘密の部屋』まで一歩のところまで近づいてきている。

 

 ギルデロイ先生はバジリスクを記した本を片付けると今度は一枚の羊皮紙を出して、軽く指でチョンと触れる。

 すると触れたところから、細いインクの線が蜘蛛の巣のように広がり始めた。線があちこちで繋がり、交差し、羊皮紙の隅から隅まで伸びていく。段々と形作っていくそれに僕たちも途中から気づいた。

 これはこのホグワーツ城と学校の敷地全体の詳しい地図だと。

 

「まだ途中ですが、私の先輩方の作品技術を駆使したホグワーツの地図です。人名までは表示されませんけど、これから至る所に設置する警報が発せられた地点が赤く点灯するように、フリットウィック先生と共同制作するつもりです。

 これを教員全員に配布し、いざとなればすぐに駆けつけるようにします。他にもダンブルドア先生の代理を任されている副校長マクゴナガル先生の発案より、授業が終われば次の授業の教室へ、生徒を安全に送り届けるため教師が引率することになっています。なので、残念ながら次の学期では質問を受け付ける時間(よゆう)はありません」

 

 そんなっ! とハーマイオニーは悲鳴を上げた。

 でも、安全第一で取り込むことを優先すべきだと勉強()大好きな最優等生を諭す。

 

「そして、クィディッチの寮対抗戦も禁止になります。練習も今後は控えてください」

 

 そんなっ! とこれには僕が悲鳴を上げた。

 ハーマイオニーから当然でしょと鼻を鳴らされた。

 

「ちなみに悪戯で『朝鳴きの呪文』を仕掛けた非常警報を鳴らすことをすれば、その生徒は厳罰に処し、五十点の減点がされることになります」

 

「わかってます。フレッドとジョージだって、ふざけていいものとそうじゃないものの区別はつきますよ」

 

 注意には、悪戯番長の兄を持ってるロンが深く頷いて答えた。ギルデロイ先生は、最後に僕たちへ言う。

 

「ダンブルドア先生は、去り際にこう仰いました――『わしが本当にこの学校を離れるのは、わしに忠実なものが、ここに一人もいなくなった時だけじゃ……。ホグワーツでは助けを求めるものには必ずそれが与えられる』」

 

 パンッといつもの話を終わる合図の拍手をすると、ギルデロイ先生は僕たちに二コリを笑いかける。

 

「校長先生はいませんが、教師たちは生徒のために全力で警戒措置に取り組んでいます。私も『闇の魔術の防衛術』の講師として、全身全霊を賭して、『スリザリンの怪物』からあなた達を守りましょう」

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 ハリーとの会話を終え、フリットウィック先生と作業を終えたギルデロイ・ロックハートは、医務室へ向かった。

 

「ポンフリー先生、ルーナ・ラブグッドさんの容体は依然変わらず?」

 

「はい。石になったまま何の変化はありませんロックハート先生」

 

 ルーナ・ラブグッドの見舞いに来たが、それは無意味な行いだろう。教師だからマダム・ポンフリーは信用して入れてくれたけれど、ここにいる患者の息の根を止めに、また襲撃をする可能性があるため学生たちには面会謝絶となっている。

 

 両親が共に魔法使いの少女が、純血主義を語る『スリザリンの継承者』に襲われた……

 これは、おかしい。ミセス・ノリスが襲われたのは、その飼い主フィルチが魔法の使えない魔法族のスクイブであったからだろう。

 でも、ルーナ・ラブグッドは違う。

 推理小説で言うならば、『ホワイダニット』……“どうしてやったのか”という犯行理由が、『スリザリンの継承者』の主義主張からズレているのだ。

 わざわざ数多くいるマグル生まれの魔法使い魔女の学生らを選ばず、ルーナ・ラブグッドを襲う……マグル狙いと見せかけて、フェイントをかけたのか? いいや、それはない。

 あんな派手な予告をする、世界最高峰の魔法使いダンブルドアに喧嘩を売る、そして、物書きする者として、犯人がプライドの高い性格をしているのがその文字から滲み伝わってくる。そんな自信家が、そのような小細工を弄するとは思えない。

 

 考えられるのだとすれば……そう、ルーナ・ラブグッドは真実を見抜く鋭い感性の持ち主だ。彼女は、“重大な何か”を知ってしまった。

 それも『スリザリンの継承者』の正体に関わるものだ。だから、口封じをした。『スリザリンの怪物』バジリスクを使って、秘密を知った“継承者の敵”を殺そうとし……思わぬトラブルで石にしてしまった。

 本当に幸運だ。一歩間違えば彼女の命はなかっただろう。私は心の底から安堵する。

 

 そして、『スリザリンの継承者』は、殺し切れなかったことをきっと焦っているだろう。

 顔も見られ、秘密を知られたルーナ・ラブグッドは、マンドレイクの治療薬で蘇生するのだから。

 ならば、マンドレイクが収穫されるおよそ半年後の六月ごろまでが『スリザリンの継承者』のタイムリミットだと言えよう。

 それまでに、必ず行動を起こす。今、このダンブルドア先生がいない間を狙って――

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 新学期に入り、ホグワーツは厳戒態勢を敷きながらもハリー・ポッターは通常通りに授業を行っていた。

 『闇の魔術に対する防衛術』の授業は、皆が己の武器をものにできたところで、それを更に磨き上げるため、学生同士二人組を作らせてお互いに武器である得意魔法を教え合うような授業になった。

 他人に教えられるほど呪文の扱いに精通できれば、自分の中で呪文のイメージは確固たるものになっている。それだけの理解力が得られれば、その次の過程、詠唱なしに魔法を発現できる無言呪文の段階に至れるだろうとギルデロイ先生は言う。

 仮想クリーチャーもレベルがEクラスにもなると詠唱させてくれる隙を与えてくれない。最高評定のOレベルにまで上げるには、どうしても得意魔法を無言呪文で扱えるレベルにまで上げる必要があるのだ。

 僕はネビルと二人組を組まされて、お互いに得意な『武装解除の呪文』と『盾の呪文』を教え合った。自分でやってみせるのは簡単だけど、他人に教えるとなると難しい。頭の中で感覚的にやっていたことを口頭にして説明できなければならないから、魔法に対する理解力を試される。

 

「ペトリフィカス トタロス!」

「言い方が間違えてるわよロン。ペトリ・フィカス トタ・ロス。『フィカス』をもっと滑らかに言わなくちゃ」

「だから、ハーマイオニーの詠唱しているように真似してるだろ」

「だから、それが全然真似できてないって」

 

「ロン、ハーマイオニー、二人とも落ち着きなさい」

 

「先生」

 

「ハーマイオニー、呪文で綺麗な詠唱をすることは大事だ。でもね、男女で声帯は異なってしまうものだ。君は無理なく口ずさむものもロンにはきちんと意識できてないと唱えられないこともある。それを直すにはただお手本をすればいいだけではちょっと厳しい」

 

「はい……」

 

「うん、そうだね。……ここは、歌の練習法を取り入れてみたらどうかな。耳を塞いで声を出せばきちんと自分自身の声を意識することができるという話を聞いたことがないかな。ロン、試しに自分の手で耳を塞いで、詠唱してみると良い。そうすれば、ハーマイオニーの注意するズレに気付けるはずだ。

 ハーマイオニーも、きっちり型に嵌った詠唱に拘るのではなく、多少音程は外れても勢いに気を配ってあげると良い。歌のようにノリが良ければ魔法とは案外うまくいってしまうものだ」

 

「わかりました、やってみます」

 

 訓練を見回りながら時に教え方に行き詰まった生徒たちに助言をする先生を見て、教師というのは凄いともう何度も再確認させられたことを改めて実感させられる。

 そうして、フォークダンスのように半月ごとに二人組の組み合わせをネビル以外の生徒と変えながら、切磋琢磨と相手の得意呪文を教えてもらいながら『武装解除の呪文』を教えて数ヶ月、

 今では、まだまだあの『決闘クラブ』の模範実技で見せられたような実戦では扱えるレベルではないけれど、念力に集中できる状態であれば、『武装解除の呪文』を成功できるようになった。

 

 それで、授業以外の学内の状況はあまり良くないけど落ち着いてきている。

 教師陣の厳戒態勢が功を奏しているのか、『スリザリンの継承者』もあれから事件を起こしていない。ただそれで、『ハグリッドが捕まってから事件が起きなくなった。ハグリッドがやっぱり犯人だったんだ』という声がちらほらと上がってあまり気分はよくない。

 

 またマルフォイがホグワーツの理事長である父親のルシウス・マルフォイが、ダンブルドア先生を追い出したことを偉大な功績のように語り、次はマグル生まれ(主にハーマイオニー)を殺してくれることを望むとうるさい。学生の中でこの状況を唯一楽しんでいるようだった。

 

 それから、ジニーの様子がまた変になってきた。一時期は、去年のハーマイオニーのような優等生だったけれど、ここのところ調子が落ちてきている。ロンに聞けば、被害者のルーナ・ラブグッドと顔見知りだったそうだ。きっと気に病んでるんだろう。

 

 あと、バレンタインデーでのギルデロイ先生は、凄かった。事前に『贈り物は受け付けません。お気持ちだけで結構です。本当に』と宣告(嘆願)していたのだけど、二月十四日の朝、数百羽の雲霞の如きふくろうの大軍が、彼のいる朝食の席に雨霰と手紙やプレゼントなどを落としてきた。中には『ェヘン、ェヘン。ロックハートせんぱぁい』ととても甲高い猫撫で声を百倍にして発する真っ赤な手紙(『吼えメール』という公開処刑ものの罰ゲームだとロンが教えてくれた)。それが大広間で爆発したものだから大変だった。

 直前にギルデロイ先生が耳塞ぎの呪文『マフリアート』を張ってくれたので、こちらには何も聞こえなかったけど、『吼えメール』をもらった先生はそれを聞かなくてはならないようで(でないとさらに面倒になるとネビルが教えてくれた)、その日の『闇の魔術に対する防衛術』は、げっそりとした先生に指導する気力はなく、ほとんど自習だった(あれほどに弱ったギルデロイ先生は僕も初めてだ)。他の教師も彼に同情したようで、騒ぎ立てたことに特に触れられなかった(スネイプだけは、愉悦を覚えているかのような薄笑いを浮かべていた)。

 朝食の後、ハーマイオニーはこの事に『迷惑をかけるなんて先生のファンとしてなってない!』とお怒りだったみたいだけど、『じゃあ、君はどうなの?』と僕とロンがじろっと見たら、彼女はプイッと耳まで紅くした顔を逸らした。

 

 ・

 ・

 ・

 

 それは六月まであと一週間後の日のことだった。

 マクゴナガル先生は、その日最初の授業、『変身術』にて、『今年も例年通りに六月一日に期末試験を行います』と通告したあとの『魔法史』の授業でのことだ。

 僕はふと教室の席に着いた時に、机の下に新聞があるのに気づいた。

 『これは……』と何となく確かめてみるとそれは、もう半年前の『日刊予言者新聞』のリーター・スキーターが書いたハグリッド逮捕の記事だ。気分が悪くなったけれど、退屈なピンズ先生の講義からの暇潰しを欲して、大見出しだけでなく、一度内容に目を通してみた……そして、ある人名に目を止めた。

 

 マートル・エリザベス・ウォーレン。

 女子トイレで発見されたという死亡した被害者の女子学生の名前。僕はそれにピンと来たのだ。

 

 その子がそれから一度もトイレから離れてなかったとしたら?

 まだそこにいるとしたら?

 もしかして――まさか、その女子生徒は『嘆きのマートル』ではないかって。

 

 マートルと話をしてみよう。

 僕は次の教室へ引率するピンズ先生にバレないよう、こっそりと列を抜け出そうとして……ロンとハーマイオニーに見つかった。

 

「ハリー、どうしたの?」

「『闇の魔術に対する防衛術』の教室はそっちじゃないぜ」

 

「……実は僕、わかったことがあるんだ」

 

 ひそひそと二人にも『嘆きのマートル』の事を教える。

 そして、もしかしたら『秘密の部屋』の入口がわかるかもしれない……蛇語の時みたいにまた先生のお役に立てるかもしれない。

 そう言うと、僕たち三人は目を彷徨わせて逡巡したけれど、最終的にお互いに顔を見合わせあって、こくん、と頷いた。

 

 僕、ロン、ハーマイオニーは、列を抜け出して、マートルのいる三階の女子トイレの入り口へと向かう。ちょうど近くを通ったので誰にも見つからなかった。

 中へ入ると『嘆きのマートル』は、一番奥の小部屋のトイレの水槽に座っていた。

 

「アラ、あんただったの。何の用よ」

 

「君が死んだ時の様子を聞きたいんだ」

 

 失礼かな、と思って訊ねたけど、つっけんどんだった様子のマートルはたちまち相好を崩した。これほど誇らしく、嬉しい質問はされたことがないと言わんばかりに。絶命日パーティでもそうだったけど、ゴーストというのは生きている人間と感性が違っているのかもしれない。

 

「オォォォゥ、怖かったわ。まさにここだったの。この小部屋で死んだのよ。よく覚えてるわ。オリーブ・ホーンビーが私の眼鏡の事をからかったものだから、ここに隠れたの。鍵をかけて泣いていたら、誰かが入って来たわ。何か変なことを言ってた。外国語だった、と思うわ。とにかく、イヤだったのは、喋ってるのが男子だったってこと。だから、出ていけ、男子トイレを使えっていうつもりで、鍵を開けて、そして――」

 

 一旦そこで溜めを置いて……マートルは満面の笑みで言う。

 

「死んだの」

 

「どうやって?」

 

 僕が質問すると、マートルは首を捻る。

 

「わからない。覚えてるのは大きな黄色い目玉が二つ。身体全体がギュッと金縛りにあったみたいで、それからフーッと浮いて……」

 

 そして、マートルは死んだらしい。

 それから、さらに踏み込んで訊くと、その目玉は、手洗い台の辺りから見えたらしい。

 

「パイプよ……」

 

 何かに気付いたハーマイオニーが口から言葉を漏らすようにつぶやく。

 

「パイプよ……バジリスクは配管を通ってたのよ。ねぇ、ハリー、その声って壁の中から聞こえてこなかった?」

 

「……うん、言われてみるとそうだったかも」

 

 ハーマイオニーの推理に、身体中に興奮が走ったような感覚を覚えた。

 ロンも目を輝かせている。

 

「それじゃあ、バジリスクは配管を使って……」

 

「そして、この女子トイレから表に出てきた……きっと、ここに『秘密の部屋』の入口があるのよ!」

 

 これは、大発見だ。

 先生に報せれば、これできっと……ブルブル、とその時、『隠れん防止器』を内蔵した腕時計が震えた。

 不穏な気配を察知すると反応するアイテムに、僕は弾かれたように周囲に視線を巡らせて――女子トイレの入り口に、小さな人影を見つけた。

 

「……ジニー?」

 

 赤毛の少女、顔見知りのホグワーツ新入生の魔女。

 俯いた顔に陰がかかっていて表情は読めないけど、その燃えるような赤毛は、ウィーズリー家の証。間違いなく、ジニーだ。

 僕は反射的にとってしまった杖から手を放す……でも、依然と時計は震えている。

 

「違う、ジニー! 勘違いしないでくれ、これは」

 

 妹に女子トイレにいるところを見られて大変バツが悪いロンが言い訳をまくし立てようとした――兄に構わず、ジニーは僕に向けて杖から矢のような赤い閃光を放った。

 

「『ステューピファイ』!」

 

 失神術は、完全に油断し切っていた僕の胸元に的中し、意識を落とした――

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 どう、いうことだ……?

 目の前で起こった光景を、ロン・ウィーズリーは受け入れるのに時間がかかり、しばし呆然としてしまう。

 

「ハリー!?」

 

 ハーマイオニーが、不意打ちの失神術を受けて気絶して、トイレの床に仰向けに倒れるハリーに駆け寄る。でも、それよりも早くジニーは杖を振るう。

 

「『インペディメンタ! 妨害せよ!』」

 

 ジニーの強烈な妨害の呪いは、ハリーに近づこうとしたハーマイオニーを吹き飛ばし、彼女の身をトイレの個室のひとつに叩き込んだ。

 僕は二人が攻撃されたの見て、やっと杖を引き抜いた。

 

「どういうことだ! ジニー!」

 

 杖をジニーに突き付ける……でも、こっちが妹に対して、本気で呪文を掛けようとしていないのが向こうにもわかったんだろう。

 せせら笑うように……ちっともジニーに似合わない表情で、警告を無視して杖を振るった。

 

「―――」

 

 どんな呪文を使ったのかは、わからない。

 ただ僕の身体は強く吹き飛ばされて、手にしていたお下がりの杖は、無残にも折れてしまった。

 

 

「彼女の白骨は永遠に『秘密の部屋』に横たわるであろう」

 

 

 意識が暗転する間際、僕はジニーの口からジニーの声ではない、不吉な予告を耳にした。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

開け

 

 激しく腰を打ち、上手く立てない。砕けたトイレの扉に身を埋めながらハーマイオニー・グレンジャーはそれを見た。

 手洗い台の前に立ったジニーが、奇妙なシューシューという音を口から出すと、蛇口が眩い白い光を放ち、回り始めた。

 次の瞬間、手洗い台が動き出して、床に沈み込んでみるみる消え去った後に、太いパイプが剥き出しになった。大人一人が滑り込めるほどの太さで、そこへジニーは呪文で気を失っているハリーの身を浮かして、放り込む。それから彼女もその『秘密の部屋』への入口に躊躇なく飛び降りて……そのあと、手洗い台が浮上して入口は閉鎖されてしまった。

 

 ジニーが……ハリーを……

 どうなっているのか、わからない。

 でも、このままだと二人が危ないってことだけは確信してる。だけど、助けに行くにも、入り口は閉じた。きっと『秘密の部屋』に行くには、『パーセルマウス』が資格なのだ。

 だから、ハリーが連れ去られてしまっては、もう校内で誰も『秘密の部屋』へ助けに行くことはできないのだ。

 だけど、あの人なら……!

 

 杖を取る。

 このおよそ半年間、満足に質問できない私に『授業に不満な最優等生に特別に』と手紙でだけど親身に手ほどきしてくれたこの呪文。

 初めてできた時に、褒められたあの気持ちを思い起こしながら、自分の中で魔法力を高める。

 

「先生……助けて……! 『秘密の部屋』に、ハリーとジニーが……!」

 

 力を振り絞って、私は呪文を唱えた。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 それは、ギルデロイ・ロックハートが、『闇の魔術に対する防衛術」の出席確認を取って、いつも最前列を取っている三人組がいないことに気付いたその時だった。

 

 

『先生……助けて……! 『秘密の部屋』に、ハリーとジニーが……!』

 

 

 いきなり教室に飛び込んできたのは、銀色に光るカワウソ。

 これは、ハーマイオニー・グレンジャーの有体守護霊だ。

 そして、カワウソの守護霊が運んできた彼女の伝言に、教室にいるグリフィンドール生も瞠目している。

 私は緊急用の手紙を飛行機にして、先生のいる各教室へと飛ばしながら、声を飛ばす。

 

「すまない、今日の授業は中止する。事態は急を要するようだ。――ファング、ハーマイオニーとロンを探してくれ。それからネビルたちはこの教室にいるように。ここには保護呪文がかけられている。先生たちが駆け付けて来るまで待機しててくれ」

 

 ハグリッドの躾けたファングならば、二人の臭いを辿り、探し当ててくれるだろう。

 私は、懐から取り出したコンテンダー銃に、一発の銃弾を篭めると、銃口を真上に向けて引き金を引いた。

 

「“ハリー・ポッター”!」



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12話

長いので二つに分けました。


 ハリー・ポッターが目覚めたのは、薄明かりの部屋。

 ヘビが絡み合う彫刻を施した石の柱が上へ上へと聳え、暗闇に吸い込まれて見えない天井を支え、怪しい緑がかった幽明の中に、黒々とした影を落とす。

 凍るような静けさが場を満たし、早鐘のように打つ鼓動がいつもよりも大きく聴こえる。

 

 ここは、どこだ?

 

 時計を見る。気絶してからさほど時間は経っていない。だけど、ここは見たことがない場所だ。ホグワーツにいるはずなのに、初めて見る空間。

 杖を取り出そうとするが、ない。ローブのポケットにしまっている杖がなかった。

 

「お目覚めか、ハリー・ポッター」

 

 声に反応し振り向く。

 そこには、部屋の天井に届くほど高く聳える石像が、壁を背に立っている。年老いた猿のような顔に、細長い顎髭が滝のように足元にまで伸びている。

 そして、石の巨人の灰色の巨大な脚の間から、燃えるような赤毛の、黒いローブの少女が、僕を見ていた。

 

「ジニー!」

 

 覚醒してからあやふやだった記憶が彼女の顔を見て定まった。

 そうだ。あのとき、僕はジニーに失神術を食らって……

 

(ロン、ハーマイオニーは!?)

 

 一緒に行動していた二人を探しに視線を巡らそうとして、その前にジニーが口を開いた。

 

「二人ならいない。君以外に用はないから置いてきた」

 

 発言よりも、無表情に、口以外の顔面筋が動かずに喋るジニーに不気味なものを感じた。

 

「……ねぇ、ジニー、どうしたの?」

 

 こんな鉄仮面な貌をする娘ではなかった。

 僕と目を合わせるたびに顔を真っ赤にして俯いていた彼女が、ジッと瞬きすらしてないようにポーカーフェイスで見つめ続ける。

 ……まるで誰かに操られている人形のようだ。

 

「違う」

 

 ハリーの問いかけに、ジニーは否定する。

 すると彼女の背後に、背の高い、黒髪の少年が浮かび上がった。まるで曇りガラスの向こうにいるかのように、輪郭が奇妙にぼやけている。先生の飛び出す絵本の幻像のようだ。

 

「『僕は、トム――トム・リドルだ』」

 

 ジニーの口から、ジニーならぬ声。腹話術のように高い音ではなく、変声期を終えた男性の低音の声が歳幼い彼女の口から発せられる。

 

「トム、リドル?」

 

「『そうだ。ちなみにその子も生きているよ。かろうじて、ね』」

 

 ジニーの赤い髪を撫でるように青年の幻像は頭の上に手を置く。

 

「君は、ゴーストなの?」

 

「『記憶だよ。日記の中に、五十年間残されていた記憶だ』」

 

 見ると、ジニーは左腕で一冊の本を抱いていた。小さな黒い本。文庫本よりも少し大きめの本だ。

 そして、ジニーの右手には二本の杖が握られている。そのうちのひとつは僕のだ。

 

「ジニー、僕の杖を返して――」

 

「『君には必要にはならないよ』」

 

 リドルの幻影が微笑んで言う。

 

「どういうこと? 必要にはならないって?」

 

「『僕はこの時をずっと待っていたんだ。ハリー・ポッター。君に会えるチャンスと、君と話すのをね』」

 

「いいかげんにしてくれ」

 

 段々と我慢できなくなってきた。

 いきなり気絶させられ、こんな不気味な場所に連れて来られ……そして、ここはもしかすると『秘密の部屋』かもしれないんだ。悠長にしている場合じゃない。バジリスクがここにいるかもしれないのだから。

 

「『いいや。今、話すんだよ。ジニーからハリー、君のことを色々と、その素晴らしい経歴を聞いて、是が非でも話しをしないと気が済まない』」

 

 リドルは相変わらず笑いを浮かべたまま、そして、対照的にジニーは無表情……表情が死んでいる、なんて言葉を連想してしまうくらいに。

 

「君が、ジニーをこんな風にしたのか?」

 

 ゆっくりと、それでいて強めの語気で問う。

 

「『そう、それは面白い質問だ。しかも話せば長くなる。ジニー・ウィーズリーがこんな風になった本当の原因は、誰なのかわからない目に見えない人物に心を開き、自分の秘密を洗いざらい打ち明けたことだ』」

 

 言っていることがわからない。

 

「『この僕の日記にね、このおチビさんは何ヶ月も何ヶ月もバカバカしい心配事や悩み事を書き続けた。兄さんたちがからかう、お下がりの本やローブで学校に行かなきゃならない、それに――有名な、素敵な、偉大なハリー・ポッターが、自分のことを好いてくれることは絶対にないだろうとか……

 十一歳の小娘のたわいない悩み事を聞いてあげるのは、まったくうんざりだったよ』」

 

 リドルの幻影は話している間も、僕に視線を一瞬たりとも離さない。貪るように見つめながら、ジニーの口から話を続けさせる。

 

「『でも僕は辛抱強く返事を書いた。同情してあげたし、親切にもしてあげた。ジニーはもう夢中になった。自分で言うのもどうかと思うけど、ハリー、僕は必要となれば、いつでも誰でも惹きつけることができた。だからジニーは、僕に心を打ち明けることで、自分の魂を僕に注ぎ込んだんだ。ジニーの魂、それこそ僕の欲しいものだ。僕はジニーの心の深層の恐れ、暗い秘密を餌食にして、だんだん強くなった。そして、僕は“もうひとつの僕”をも取り込んで、より強大になった』」

 

 ジニーがその右手人差し指に嵌めた青色の宝石の指輪を見せびらかす。

 

「『おチビちゃんとは比較にならないぐらいに強力になった。今ではこうして完全に操り人形にしてしまえるくらいにね。そして、十分に力が満ちたとき、僕の秘密をウィーズリーのチビに少しだけ与えた……』」

 

「それはどういうこと?」

 

 喉がカラカラだ。嫌な予感が拭えない。

 

「『まだ気づかないかい? ハリー・ポッター? ジニー・ウィーズリーが『秘密の部屋』を開けた』」

 

「まさか」

 

「『そのまさかだ。ただし、ジニーは初めのうち、自分がやっていることを全く自覚していなかった。おかげで、なかなかおもしろかった。『親愛なるトム、あたし、記憶喪失になったみたい』、ってね。鶏を始末したのも、壁に文字を書いたのも全部自分なのに。

 そんなバカなジニーのチビでもいずれ日記を信用しなくなるだろう。だから、僕は少しだけ賢くしてやった。利口に、欲深に、手駒として最低限使えるように仕立てた。『秘密の部屋』を開け、スリザリンの、崇高な仕事を代行できるように』」

 

「いいや、それなら君はそれを成し遂げてはいないじゃないか。誰も死んではいない。猫一匹たりとも。もうすぐマンドレイクが収穫されれば石にされたものは、みんな無事、元に戻るんだ」

 

「『ああ、まだ言ってなかったかな? 『穢れた血』の連中を殺すことは、もう僕にとってはどうでもいいことだって。この数ヶ月間、僕の狙いはずっと――君だった。今日やっと君を攫い、この誰にも邪魔されない『秘密の部屋』にまで連れてくることができた。ハリー・ポッター、僕は君に色々と聞きたいことがある』」

 

「なにを?」

 

 なぜここまで僕に執着するのか。

 なぜこれほどの敵意を僕にぶつけるのか。

 五十年前の記憶だというこの存在は、僕の何を知りたいのか。

 

「『そうだな。……これといって特別な魔力も持たない赤ん坊が、不世出の偉大な魔法使いをどうやって破った? ヴォルデモート卿の力が打ち砕かれたのに、君の方は、たった一つの傷痕だけで逃れたのは何故か?』」

 

 愛想よく微笑しながらも、リドルの貪欲な(まなこ)には奇妙な赤い光がチラチラと漂っている。

 

「僕がなぜ逃れたのか、どうして君が気にするんだ? 五十年前の記憶だという言葉が本当であるなら、君より後に出てきたヴォルデモートの事をどうしてそんなに気にする」

 

「『当然だ。ヴォルデモートは、僕の過去であり、現在であり、未来なのだ。このレイブンクローの髪飾りがそれを暗示している。このホグワーツを支配するに相応しい存在になるのだとね……、ハリー・ポッターよ』」

 

 ジニーにポケットへ彼女自身の杖をしまわせ、奪った僕の杖で空中に三つの言葉を書いた。

 

 TOM MARVOLO RIDDLE

 

 トム・マールヴォロ・リドル……それは、彼の名前。

 もう一度杖を一振りすると、名前の文字が並びを変えた。

 

 I AM LORD VOLDEMORT

 私はヴォルデモート卿だ。

 

「『わかったね』」

 

 囁くリドルの言葉を復唱するジニー。

 

「『この名前はホグワーツ在学中に既に使っていた。もちろん親しい友人にしか明かしてないが。汚らわしいマグルの父親の姓を、僕がいつまでも使うと思うかい? 母方の血筋にサラザール・スリザリンその人の血が流れているこの僕が? 汚らしい、俗なマグルの名前を、僕が生まれる前に、母が魔女だというだけで捨てたやつの名前を、僕がそのまま使うと思うかい? ハリー、ノーだ。僕は自分の名前を自分で付けた。ある日必ずや、魔法界のすべてが口にすることを恐れる名前を。その日が来ることを僕は知っていた。僕が世界一偉大な魔法使いになる日が!』」

 

 脳が停止したような気がした。麻痺したような頭でジニーの背後霊のようなリドルを見つめた。この五十年前の記憶は、いずれ僕の両親を、そして他の多くの魔法使いを殺すのだ。

 

「『しかし、僕は君を殺せなかった。だけど、その理由も予想がついたよ』」

 

 そう言って、リドルは、ジニーにその“焼け爛れた掌の内”を僕に見せた。

 

「『母親が君を救うために死んだそうじゃないか。なるほど。その時に呪いに対する強力な反対呪文をかけたんだ』」

 

 程度に差こそあれ、クィレルと同じ。僕に触れることすらできない。ヴォルデモートと魂を分け合った者は。そう、ダンブルドア先生が僕に教えてくれた。

 ジニーの魂はリドル……ヴォルデモートの手の内にあるのだ。

 

「『結局こうして話してみてわかったが、君自身には特別なものは何もないわけだ。同じ混血で、孤児で、マグルに育てられた、それに“見た目もどこか似ている”から、実は何かあるのかと思っていたんだ。でも、僕の手から逃れられたのは、幸運だったからに過ぎないのか。それだけわかれば十分だ』」

 

 コイツに、バカにされるのは何よりも悔しい。そう思う。

 

「こっちだってわかった」

 

 万感の憎しみが篭められた静かな声。眉を潜めたリドルの幻像はジニーに切り返させる。

 

「『何が?』」

 

「君は世界一偉大な魔法使いじゃないってことだ。君をがっかりさせて気の毒だけど、世界一偉大な魔法使いはアルバス・ダンブルドアだ。皆がそう言っている。君が強大だった時でさえ、ホグワーツを乗っ取ることはおろか、手出しさえできなかった」

 

 リドルの幻像から微笑みが消え、顔が醜悪に歪む。

 

「『ダンブルドアは僕の記憶に過ぎないものによって追放され、この城からいなくなった!』」

 

「どうかな。ダンブルドアは、君の思っているほど、遠くに行ってはいないぞ! ――それに、ホグワーツにはダンブルドアの他にもすごい魔法使いはいる。君よりもずっと!」

 

 リドルを……かつてのヴォルデモートを少しでも怖がらせようと盛った言葉だった。助けが来ることを確信しているのではなく、そうあってほしいという願望。

 

 だから、胸に“鮮やかなエメラルドの火”が灯った時心底驚いた。

 熱くはない、くすぐられるようなこの魔法の火……それは、僕が一番最初に感動した魔法と同じもの。

 

「ハリー――」

 

 炎の向こう側から響いてきたその声に、リドルは口を開いて、目を瞠る。

 

 

「――君を、助けに来た」

 

 

 僕が、初めて憧れた人が、『秘密の部屋』に登場した。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 ギルデロイ・ロックハートは、ここに来るのに無茶をして壊れたコンテンダーの銃身を見て嘆息する。

 でも、生徒の危機に間に合わせたのだから、この一本分で安いものだ。

 

「『貴様……どうやって、ここに……! ホグワーツでは、『姿現わし』も『姿くらまし』もできないはずだぞ!』」

 

「煙突飛行ですよ。ハリーには私特製のマッチをお守りに持たせていたので」

 

 煙突飛行粉を固めた着火剤に、棒の部分にも細かく……米粒に般若心経を書き込むような作業で細工をした、名付けると“使い捨て暖炉マッチ箱”といったところだろう。

 あくまで煙突飛行ネットワークの出口のみ。発進はできない。

 着地指定するとマッチ棒が自然発火する仕組み(煙突飛行の炎なので火傷することはない)で、移動する対象物の大きさに比例して特製マッチの消耗が激しくなるが、一回分の片道切符くらいにはなる。

 マッチひと箱分を溜めるのに軽く一冊分の著書を書き上げるのと同等の作業量で、しかもたった一度だけの煙突飛行という、普通に割に合わない仕事だ。けれども、あちらのトム・リドルが驚いている通り、『姿現わし』や『姿くらまし』のできないこのホグワーツ城内では緊急時に役に立つ……そう思い、父親と同じ冒険心のある……言い換えれば軽率なところのあるハリーに持たせていたが正解であった。

 

「着地するのに時間がかかりましたが、これはまだまだ改良の余地はある。それで、話は色々と聴こえましたよ、トム・リドル」

 

 自意識が喪失しているジニーに、その背後に憑く、ハリーよりずっと背が高いが、同じ真っ黒な髪をして、どこかハリーと似ている“記憶”……学生時代のヴォルデモート。

 “使い捨て暖炉・出口”のマッチ箱を基点にした煙突飛行という無理をさせたせいで、この“携帯暖炉・移動用”の銃身は壊れてしまった。これは結構痛手である。はっきり言ってそうでなかったら、ハリーにコンテンダー銃を持たせて『秘密の部屋』から学校の暖炉へ避難させてやりたかった。

 

「『聴こえていたのなら、僕がヴォルデモート卿だというのはわかっているんだろう?』」

 

 ハリー苛めという楽しみに邪魔が入って、大層不快に、敵意と殺意の篭った眼差しを向けられる。

 

「ハハ、()()を名前で呼ぶのは当たり前でしょうとも、トム・リドル。五十年前のものであろうと、こちらはギルデロイ・ロックハート()()という一点で、私はあなたより上の立場にある」

 

 恐れおののくのを期待していたのだろう。威圧して脅しかけてみれば()()()()()で諭され、気に障ったのか、目つきが鋭く細くなる。

 ハリーではなく、少しでもこちらに意識を向けてくれた方がありがたい。

 

 状況を確認する。

 

 『スリザリンの継承者』を自称するトム・マールヴォロ・リドル。学生時代の『闇の帝王』の“記憶”。

 この場所は彼の言葉からすると『秘密の部屋』……毒蛇の王バジリスクが生息している可能性が大。

 脱出手段である“携帯暖炉・移動用”が破損してしまったため、難を逃れるにはトム・リドルの撃破が望ましい。

 

 また、ジニーの右手人差し指に着けさせているのは、レイブンクローの髪飾り。

 ホグワーツ創始者がひとりロウェナ・レイブンクローの遺品。『計り知れぬ叡智こそ、我らが最大の宝なり!』という我が寮の格言が刻まれ、“着ければ知恵が増す”という伝説もある。

 元々は、サファイアのような楕円形の石が嵌め込まれていた、鷲の形をした髪飾りで、『灰色のレディ』こと創始者ロウェナの娘ヘレナが盗み出し、ロウェナはその事実を他の創始者たちに隠したという代物。

 それに変形やら縮小呪文をかけて巧い具合に指輪に仕立てていると見た。

 

 それが、レギュラスが寄越した遺書に記された“あの『分霊箱(ホークラックス)』”であるのだとすれば……ヴォルデモートに魂を浸食されたジニー・ウィーズリーを救える方法は、“ひとつしかない”。

 

 そして、こちらの戦力は、私とハリーのみ。応援は期待できない。

 

「しかし、トム・リドル、君が、マグルを排斥する現代の純血主義を唱え、『スリザリンの継承者』を自称するのは、いささか滑稽に思えますね」

 

 ハリーを後ろに下がらせ、さらに挑発(ことば)を続ける。

 

「『僕の母方の血には、偉大なるサラザール・スリザリンの血が流れている!』」

 

「でも、半純血でしょう」

 

 ドローレス・アンブリッジというスリザリン生の後輩がいた。

 彼女は半純血であるために寮内から軽視されていた。努力し実力もあったが、半分が『穢れた血(マグル)』と混ざっているので、扱いは下。

 純血であることを何よりも尊ぶ現代の純血主義、それを主張した闇の陣営の首魁が、ドローレス・アンブリッジと同じ、半純血。

 『穢れた血』が半分混ざる事すら蔑むような環境で、彼は学校時代を過ごしたのだろう。

 

「自らの子供に、同じ名も姓も付けるほどにトム・リドルという男を愛したであろう魔女の母親。あなたの思考を察するに、これはあまりにも認めがたいものであったでしょう。そして、君は母親が偉大な血統であることに拘っているようですが、その母親は、そのマグルの父親に捨てられた。――君が最も排斥したいのは、尊ぶべき血統の魔女を捨てた愚かなる父親の血、それにマグルになど捨てられた弱者な母親の血が流れる“君自身”ではないだろうか。“ヴォルデモート卿”を名乗り、父親と同じ、そして、母親が与えた“トム・リドル”という名前を捨てたことに拘るのはそれが原因では?」

 

「『やめろ!』」

 

 叫びが、『秘密の部屋』に反響する。

 つらつらと、物語でも読み上げるかのような流暢さで、“五十年前の記憶(トム・リドル)”の背景を噛み砕いていく。

 最初こそ苦々しげな表情を浮かべていたトム・リドルは、今や憎々しげに、充血したように真っ赤な相貌でこちらを睨んでいる。

 

「ええ。ではやめましょう」

 

 誰からも、そう、自分自身(トム・リドル)ですらも認められない半純血の名(トム・リドル)。“哀れな子供”を苛める趣味はないし、挑発はもう十分。そうあっさりと頷くも、重い沈黙が、場に暗雲のように垂れ込めている。

 幽鬼の如く、私を見つめているトム・リドル。これで、奴は“見定め終わったと思っている子供(ハリー)”よりも私を狙う。

 

「『なるほど、ジニーのおチビも書いていたけど、これが今のホグワーツの『闇の魔術に対する防衛術』の教授か』」

 

 苦く、言葉は地面を這う。

 

「一年目の新米教師ですがね」

 

「では、お手合わせ願おうか。この偉大なるホグワーツの教師ならば、サラザール・スリザリンの継承者、ヴォルデモート卿の力が相手でも、()()()できるものだと期待してるよ」

 

 ・

 ・

 ・

 

スリザリンよ。ホグワーツ四強の中で最強の者よ。我に話したまえ

 

 スリザリンの石像を見上げ、横に大きく口を開いたジニーが、シューシューという音を漏らす。すると巨大な石の顔が動き、口を開けていく。

 なるほど、そこからバジリスクが出現するのか。

 

「五十年ぶりに目覚めたという毒蛇の王に、遅まきながらモーニングコールなファンレターを送りましょう」

 

 懐から紙飛行機に折ってあった赤い紙片の束、それを複数枚一気に開門途中の巨人の口へ向けて飛ばす。

 飛空しながらも変形する折り紙は、やがて二足歩行の飛べない鳥になり、幻像がリアルに肉付けを施す……バジリスクがその鳴き声ひとつで心臓を止めかねないほど苦手とする雄鶏に化けた。

 毒や牙に獰猛かと思われがちだが、元来、ヘビという生き物は憶病だ。

 しかし、相手はバジリスクだけではない。

 

「『浅ましい。実に浅ましい。こんなので攻略したかと思われるなんて、随分と『スリザリンの継承者』を舐めてくれたものだな』」

 

 失笑を零すトム・リドルが操るジニーが、軽く杖を振るう。

 

「『エバネスコ(きえろ)』!」

 

 消失呪文は、邪魔な雄鶏を皆消し去る――ことはなく、逆に十倍に増やした。

 

「ただの雄鶏を出すわけがないでしょう?」

 

 言いながらさりげなく指を鳴らしてこちらからも消失呪文を雄鶏にかけて、更に十倍に数を増やす。

 

 これは、『ドクター・フィリバスターの長々花火』に対抗するオリジナル悪戯グッズ『ウィーズリーの暴れバンバン花火』の開発に悩んでいた双子に教えていた魔法技術のひとつ。消失呪文を掛けると十倍に増える、()()()()()()()()倍返しの呪いである。

 

「我がレイブンクローのイグナチア・ワイルドスミス氏が開発した『煙突飛行粉』。これは多くの魔法使いや魔女たちに高度な『姿現わし』や『姿くらまし』に頼らずとも移動できる術を見出した。画期的な発明でもって、魔法界を発展させた。そう、人類は休むことなく研鑽していく。五十年分の遅れを取り戻すのは相当大変ですよ、トム・リドル君」

 

「『貴様……っ!』」

 

「ほらほら、悪態を吐いてる暇はあるんですか。触れると増殖する双子の呪文もかけてありますので、擦れ合うだけで勝手に数を増やしていきますよ」

 

 一気に百倍に増えた雄鶏は、更にぶつかり合って数を倍に増やす。ブロイラーの飼育場みたいに『秘密の部屋』が大量の雄鶏に埋め尽くされていく。

 

「『猪口才な!』」

 

 吐き捨てて杖を素早く振るうジニー(トム・リドル)

 杖先から炎が噴き出し、雄鶏の群れを焼き尽くさんとする。でも、それは爆弾の導火線に火をつける行為も同じ。

 炎に呑まれた鶏だが、骨身を焼き尽くされることなく、断末魔の雄叫びを上げるように、一斉に鳴いた。しかも通常の百倍の音量で鳴く。つまりは、一匹で百匹分の衝撃がある。そして、火で抹消しようにも逆襲してくるあの真っ赤な手紙の如く反抗精神旺盛。

 

「これが、『吼えメール』に用いられる赤い手紙用紙で作った飛び出す絵本『ぐんぐん増える軍鶏』です」

 

 傍迷惑なことこの上ない、こんなのを朝のお目覚め(モーニングコール)にすれば近所迷惑が過ぎる。しかもいくら増えても、この軍鶏(しゃも)、文字通り煮ても焼いても食えないのだから食料にもできない。まったくもって、バジリスク宛のファンレターにしか使えない特攻魔法だ。

 

 コケコッコー……なんて生易しいレベルではなく雄鶏たちの大合唱が劈いた。

 あまりの大音響に『秘密の部屋』の壁が震撼し、パラパラと天井から塵を落とす。

 

 事前にハリーと私に耳栓代わりに耳塞ぎをかけていたが、これは凄まじい。これは、バジリスクでなくとも心臓を止めてしまいそうである。

 

「ハリー、ここを離れますよ」

「先生、でもジニーが!」

「他人の心配よりまず自分の心配をしなさい」

 

 思い寄らぬ反撃を受け、わずかに怯んだその一瞬、相手の態勢が立て直される前に、去り際にもう一度残ってる『ぐんぐん増える軍鶏』らに消失呪文をかけて十倍に増やしてから、ハリーの腕を引いてこの場を一時撤退した。




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13話

本日二話目です。


 ハリーの蛇語によるヘビの操縦法から、バジリスクは蛇語で指示されるものと推定する。

 よって、『マフリアート』でバジリスクに耳塞ぎ呪文をかけて雄鶏の鳴き声を防ぐわけにはいかず、また『シレンシオ』で黙らそうとしても逆に数を増やして鳴くようプログラムされた天邪鬼な『ぐんぐん増える軍鶏』は至極厄介だろう。

 また先程の扱っている呪文から推察するに、ジニーの身体では、ヴォルデモート本来の力を発揮できていない。魔法界を支配した全盛期には劣る。

 

 これは、小手調べと時間稼ぎだ。

 五十年前でも『闇の帝王』。すぐに小細工を打破してしまうだろう。そして、一度披露した手は二度も通じない。

 

「先生! トム・リドルはどうするんですか! ジニーはまだあそこに!?」

「声が大きいですよ、ハリー」

 

 壊れた“移動用”の銃身を外し、もうひとつの銃身と取り換えながらハリーを窘める。

 

「落ち着きなさい。今のジニーに一刻の猶予もないのは私もわかっています。だからこそ、冷静に。世界各地を冒険した魔法動物学者、かのニュート・スキャマンダーは、時にヤカンで魔法生物を撃退した。私はおそらく彼よりも手札は揃っている。その切り方次第で状況は打開できる」

 

 銃身を交換したコンテンダー銃に、特注の銀弾を一発装填。

 

「ハリー……私は、ここで君に逃げてほしい。正直に言って、杖のないハリーは足手纏いだ」

 

 グリフィンドール生にこのセリフを言えば、ほぼ確実に反感を買う。

 しかし、ハリーも馬鹿じゃない。自身の軽率な行動がこの状況を招き、また私の言葉はこの上なく正しいからだ。

 杖があってもジニー(トム・リドル)にあっさりとやられた。そんな武器(つえ)もなくした子供は、これから毒蛇の王に立ち向かおうとする大人に付き合おうなど邪魔でしかない。『どうか隅っこで大人しくしててほしい』が私の本音だ。

 

 唇を噛んで、拳が震えるハリーの頭の上に手を置く。納得のいかない様子の教え子を諭すかのように言葉を続ける。

 

「なあ、ハリー、そんなに気負わなくても良い。なにもこの『秘密の部屋』がハリーにとって人生最大の見せ場というわけではないだろう?」

 

「何を――ッ……!」

 

 過去の記憶とはいえ『闇の帝王』。それと対峙する機会が一世一代の大勝負でなくて何なのだ。と言い返したいだろう。

 けれど、まだ早い。

 

「いずれ君がなりたい者になる時こそ、己のための戦いに挑むべきだろう。命を懸ける戦いに赴くなど、もっと自分を見定めてからでも遅くはない。私も、魔法戦争時代で今の君と同じ思いをしたが、それでもこのホグワーツを卒業するまでは己の戦場を求めたりはしなかった」

 

「……でも、僕は!」

 

 頭の上に置かれた私の手を振り払って、ハリーは私を見る。その緑色の瞳で。

 

「僕は……あいつから……ヴォルデモートから、逃げちゃいけないんだ! ……去年、ダンブルドア先生は僕に、ヴォルデモートと対決するチャンスを与えてくれた! だから……これは戦うべきなんだってダンブルドア先生は言ってるんだ!」

 

 ダンブルドア先生……。

 ハリーが去年、クィレルに取り憑いたヴォルデモートと対決したと話を聞いた時から思っていたが、あの人は彼をどうしようとしているのだ?

 教え、育み、そして、話を聞く限り、ヴォルデモートとの宿命を植え付けようとしている。

 『闇の魔術に対する防衛術』の教授を受けようと最初に決めたのも、ダンブルドア先生に不安を抱いたからだ。子供にこんな大人の魔法使いでさえ困難である無茶な真似をさせようと仕向けている……そんな疑惑を今の私は抱いている。

 ジェームズ先輩、リリー先輩、二人はハリーをヴォルデモートと戦わせるために命懸けで戦ったのではない。生まれてくる我が子を、闇の脅威にさらさせないために、あの魔法戦争で勇敢に闇の陣営と杖を交えたのだ。

 そして、私はハリーを()()()()()()()()()()()マグルの親戚に置くという判断に従ったのだ。

 なのに、これでは…………報われないではないか。

 

「……仕方がない。冷静に考えてみたがここからの脱出経路がわからない以上、君から目を離すのは危うい。一日に二度も勝手をされてはたまらないからね」

 

 戦わせたくなどないが、いくら私がそう望もうとも、ハリーは戦わせられる……私が目を離した途端に、どこからか不死鳥が武器を持って飛んでやってくる、そんな予感さえする。

 ならば、ここは、ハリーを……戦わせるしかない。

 

「ただし、ひとつ交換条件がある。聞いてくれるかい、ハリー」

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 教授に連れられ、ハリー・ポッターが、逃げた。

 バジリスクを煩わせる邪魔な置き土産は、すべて処分したがなかなかに手古摺らされた。

 

「『こんなのが『闇の魔術に対する防衛術』の教授とはがっかりだ。ホグワーツの教育も程度が知れるな』」

 

 時間は稼がれたが、意味はない。

 どうせこの蛇語を開閉のキーとする『秘密の部屋』から逃げられはしないのだから。

 

「『バジリスク、ネズミ狩りの時間だ』」

 

 埃っぽい床をズルッズルッと、何かを引きずる音。これはバジリスクがそのずっしりした胴体を滑らせる音だ。

 そう、音源はこの巨大なる蛇。この生き物はてらてらと毒々しい鮮緑色の、優に六メートルはある樫の木のように太い胴体をくねらせ、その巨大な禍々しい牙を生やした鎌首をもたげさせるのだ。

 特にサーベルのように長く鋭い毒牙は、魂をも冒す猛毒。その魔眼は、視線を合わせた者を即死させる。毒蛇の王バジリスク。サラザール・スリザリンの怪物。

 あの雄鶏の小細工に対処するために、(ジニー)も同行する。

 

 ヘビの彫り物がされた柱の間を進んでいき、やがては行き止まりの扉に……

 

 

「『開け』」

 

 

 低く幽かなシューシューという音。それが、()()()()()()()発せられた。

 偉大なるスリザリン様ご自身以来、ホグワーツに入学した生徒の中で僕だけしか話せないはずの、蛇語だ。

 まさか! そんなはずが……!

 走って駆け付ければ、二匹の蛇が絡み合った彫刻が施された固い壁……この『秘密の部屋』の出入り口が、開けられていた。

 不快だ。

 ハリー・ポッターとギルデロイ・ロックハート、どちらが蛇舌なのかはわからないが、どちらであろうとこのヴォルデモートに歯向かった人間が、蛇語を使うなど、きわめて不愉快だ。

 

「『急げ。奴らを逃がすな』」

 

 だが、それ以上にここから出られる。逃げられる。その可能性が僅かに出てきた。それは許せるものではない。

 『秘密の部屋』を出ると、暗くじめじめとした石造のトンネル。ここから正しく行ければ、三階の女子トイレの出口にまで辿り着けるだろう。しかし僕以外の存在に、この迷宮の如きホグワーツの地下水道の土地勘があるはずがない。

 きっと迷って、上手くいかないはずだ。

 それに、この墓場のように静まり返った地下水道には、そこかしこにバジリスクが食い散らかした残骸がある。そこらに落ちているネズミの頭蓋骨を踏まずに歩くことはできない。だから、奴らがどこへ行ったのかすぐにわかる。

 

「『逃がさないぞ、ハリー・ポッター、ギルデロイ・ロックハート』」

 

 骨が踏み砕かれた足跡を辿り、進む。

 少しずつ、少しずつ獲物を追い詰める。この感覚に思わずニヤリと笑ってしまう。楽しんでしまう。

 

 ドン! と向こうから爆発音。

 トンネルの天井から大きな塊が雷のような轟音を上げてバラバラと崩れ落ち、そして、道が塞がれた。今の塊が固い壁のように立ち塞がっている。

 きっとこちらが近づいているのに勘付いて、これ以上追ってこれないように手荒い魔法で道を封鎖させたのだろう。

 

「『無駄なことを……壊せ。獲物はもうすぐそこだ』」

 

 バジリスクが、岩石の山のような障害を体当たりして突破する。

 開けた空間、そして、その先で見つけた。こちらに背を向け、逃げる二人の姿を。

 

「『あいつらを殺せ。バジリスク』」

 

 向こうも当然、こちらに気付く。

 メガネの少年……ハリー・ポッターが、後ろ手にさっきの赤い紙飛行機をバジリスクへ投げ飛ばした。

 

「『同じ手が二度も通じると思うな。『マフリアート』!』」

 

 先程とは違い、既に命令はした後だ。

 バジリスクに耳塞ぎを掛けて、うるさい雄鶏の妨害から防音処理する。バジリスクは命令通りに二人を襲う。

 

「ハリー、下がって!」

 

 まず、教授が前に出た。

 しかし、無駄だ。奴が何かをするよりも早く、バジリスクの邪視は、ギルデロイ・ロックハートを石のように固めさせ、呆気なく絶命させた。

 

「先生!?」

 

 けたたましく雄鶏が泣き叫ぶ中でも、ハリーの悲痛な叫びは聴こえてくるようだ。

 

「『これで有名なハリー・ポッターもお終いだ』」

 

 終わってしまえば呆気ないものだ。

 僕はうるさい雄鶏どもを黙らせながら、最終通告をする。

 

「『愚かにも挑戦した闇の帝王に、ついに敗北して、もうすぐ、『穢れた血』の恋しい母親の元に戻れるよ、ハリー……。君の命を、十二年延ばしただけだった母親に……しかし、ヴォルデモート卿は結局君の息の根を止めた。そうなることは、君もわかっていたはずだ』」

 

 そして、ハリー・ポッターは、バジリスクの即死の眼光を放たれ――――――石になった。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 自伝『私はマジックだ』の原本を飛び出す絵本にした……ギルデロイ・ロックハートの幻像であるとはいえ、自分の姿をしたものが石にされたのを見るのはあまり気分がよろしくないものだ。

 

「とはいえ、作戦は成功だ」

 

 『七変化』でハリー・ポッターに化けていた私こと、本物のギルデロイ・ロックハート。服装を制服に変える変身術も学生気分を満喫するために開発してある。

 そして、まんまと追い詰められたハリー少年を演じた私は、『どんどん増える軍鶏』から耳塞ぎをされたため蛇語による攻撃中止ができなくなったバジリスクから目を向けられたその寸前に、()()()()去年ハリー少年にプレゼントした腕時計に肥大呪文をかけた。

 

 敵意を向けて放つバジリスクの眼光は、拡大呪文で身を隠すほど大きな盾となった時計に遮られ、そして、時計の機能のひとつである『敵鏡』に映ったバジリスクの視線がバジリスクを射抜いた。

 まさに、ギリシア神話の怪物メドゥーサを嵌めた鏡の盾のように。

 そう、バジリスクにも『鏡に映った自らの眼光を浴びて石になってしまった』なんていう伝承も残されている。

 

「怪物を相手に礼儀作法は教えられないのでね」

 

 自滅し石になったバジリスクへ、私は変身を解いて本来の姿に戻りながら弾丸装填済みのコンテンダー銃の照準を合わせる。

 

「これは決闘ではなく誅伐だ」

 

 この弾丸は、石にされた私の教え子の分だ。

 

「『っ! やめろ! 『プロテゴ』!』」

 

 ジニー(トム・リドル)が咄嗟に、バジリスクへ魔法の防護障壁を張るが、それは悪手だ。

 “攻撃用”の銃身から放ったのは、魔法を弾く銀の弾丸。

 使われているその魔法銀は、義手として使えば、“装着者の意に反して術者の命で自害させてしまう”なんていうプログラムが組むことができ、また大概の魔法効果を弾くという素材。咄嗟に張った『盾の呪文』程度では阻めずに貫通する。

 

 そして、石になったバジリスクの頭蓋に着弾。同時、『煙突飛行紛』を詰めた徹甲弾は炸裂。

 轟音と共に噴出した緑色の炎が、バジリスクを呑み込む。

 魔法銀に“着弾した対象にどこにもない“向こう側”へ飛ぶ”ように叫ばせる(『吼えメール』と同じく自動音声)……つまりは必ず煙突飛行が失敗するようにプログラムされた特注の徹甲弾は、対象を“ばらけ”させる。

 

 ぎゅるん、と緑炎が逆巻くように空間が一瞬圧縮されたその次の瞬間。

 瞬間転移を事故った『スリザリンの怪物』の頭部は、ごっそりと抉られ、この地下空間の染みになった。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

「バジリスク!?」

 

 先生が『スリザリンの怪物』バジリスクを倒した!

 ジニーに取り憑いたトム・リドルが大口を開けて唖然としている。わなわなと怒りに震え、そして、僕の杖を先生に向けた。

 そうはさせない。

 先生に姿が透明になる『目くらましの術』を掛けられた僕は、途中から別れて脇にじっと息を潜めて控えていた。

 全てはこの瞬間のため。

 

 僕が今手に握るのは、サクラとドラゴンの心臓の琴線、22.5センチ、わずかに曲がる杖……腕時計と交換で貸してくれたギルデロイ先生の杖だ。

 

 先生がくれたこのチャンス……僕は先生の杖を振るって、無言呪文で『武装解除の呪文』の赤い閃光を、ジニーが振り上げた僕の杖に向けて放った。

 

「『っ、ハリー・ポッター!』」

 

 完全な不意打ちで、『スリザリンの継承者』は、無防備になった。

 そして、トム・リドルがジニーに、彼女自身の杖を取らせるよりも早く、先生は目元下の頬を引っ掻いた。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 この妖精に与えられた『愛の黒子』は、ヴィーラ以上の性質をしている。

 異性であれば輝く貌を視界に入れただけで目を離せなくなり、魅了されてしまう。

 

「トム・リドル、君は“その気になれば誰でも篭絡ができる”と言ったがね。私は“注意をしないとその気がなくとも女性を骨抜きにしてしまう”」

 

 効果を抑制する軟膏を剥がし、少女(ジニー)の前に立った。

 『愛の黒子』を解放した私から、女性の身体は本能で、目が離せなくなる。そして、杖のない魔法力の抵抗できない状態で目の当たりにしてしまえば、骨抜きにされたように体の自由は失う。

 

 弱点になるまた自由に動けない日記から、指輪(髪飾り)を基点にジニーの身体に依り代を移したトム・リドル。しかし、女性(ジニー)の身体を器としたことが仇となった。

 

 これで、ジニー・ウィーズリー……トム・リドルは、しばらくは動けなくなるだろう。

 

「先生! これで、ジニーを助けられたんですね!」

 

 弾んだハリーの声。命をかけた戦いに勝って、嬉しいのはわかる。

 でも、まだ全部終わっていない。

 

 ・

 ・

 ・

 

「……ハリー、ジニーは救えない」

 

「え……」

 

 固まるハリーに、私は解説を続ける。

 

「トム・リドルの日記、そして、レイブンクローの髪飾りには、ヴォルデモートの分断された魂が収められている。そういう魂の一部を隠されたもののことを、ホークラックス、『分霊箱』という。これは、闇も闇、真っ暗闇の術だ。詳しくは……そうだね、後に説明されるだろう」

 

 レギュラス・ブラックの遺書から調べ始めたが『分霊箱』を知るのにとても時間がかかった。そして、その特性を知った私が見つけ出した『分霊箱』を祓う呪文は……

 

「その二つの『分霊箱』に侵されたジニーの魂は、ヴォルデモートに浸食されている。今や彼女の身体は二つの分断されたヴォルデモートの魂が再結合した器……『分霊箱』となっているだろう。そして、『分霊箱』となったものを破壊するには、たとえば『悪霊の火』という業火で焼き尽くす。しかし、これでは器になった者もただでは済まず、ジニーは死ぬ。だが、このまま放置してもヴォルデモートの魂に染められ、ジニーの魂は死ぬ」

 

 ハリーは、言葉を失う。

 もうこの状況は詰んでいるのだと、ヴォルデモートに勝とうが、既に自分たちは負けている。

 そう言ったも同然なのだから。

 

「普通、ならね」

 

 蒼白な面持ちのハリーへ、私はふっと笑みを零す。

 

「ハハ、言っただろう。私は涙を流すつもりはない。つまりは、誰も死なせはしないということだ」

 

「先生!」

 

 目を瞑る。

 これまでの事を走馬灯のように記憶を甦らせ……ここが私の正念場なのだと悟った。

 

「ハリー、私の杖を返してくれないか」

 

「はい……」

 

 ハリーは貸した私の杖を返そうとして、寸前で躊躇った。

 

「どうしたんだい、ハリー?」

 

「あの、先生……いえ、何でもありません。どうぞ」

 

 ハリーは持ち直して、両端に手を添えて丁寧に渡された杖を私はしっかりと受け取る。

 ……敏い子だ。これからするのは、君の母親と同じ、全身全霊で放つ魔法だ。

 

「ハリー、ここを出た後、私の書斎机に、“私の呼び名”を唱えなさい」

 

 背中を見せる。

 最後まで格好良くあろう。この姿を、彼に強く憶えてもらうために。

 

「そして、我が一世一代を見届けよ。……ハリーの母が、君にどんな想いで護りの魔法を授けたのかを。きちんと思い出せるように」

 

 全身全霊……つまりはこの決死の覚悟に気付いたハリー。

 しかし、彼には杖を渡された直後に、金縛りの呪いをかけた。動きを封じられた彼は、ただ見るしかできない。

 

 ギルデロイ・ロックハートが、一人の少女を救うために、初めて見せた、杖を振るうその姿は、一人の少年に強く刻まれることになる。

 

 

「『オブリビエイト(わすれよ)マキシマ(すべてを)』!!」

 

 

 全身全霊を賭して放つのは、完全なる忘却の術。

 どんなに強力な魔法使いでさえも忘却させる。“向こう側”へと逝ってしまったように中身を……記憶を失わせる。そう、完全に。

 トム・リドルは言った。僕は“記憶”だと。

 であるのなら、『分霊箱(ホークラックス)』……魂の断片という“記憶”を、消そう。

 これが私の出した、“(ジニー)”を破壊せ(ころさ)ずに“ヴォルデモート”を掻き消す唯一の解答(マジック)……

 

 そして、目が覚めた時、“私”もまたきっと――

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 脳の記憶野に焼き付くほどの強烈な光が迸って、消えた時、ハリー・ポッターの身体は自由になった。

 

 目が眩んだ視界が回復すると、そこに力なく倒れるギルデロイ先生と、ジニーの姿があった。

 

「先生! ジニー!」

 

 急いで駆け寄って……二人が息をしていることを確認し、深く安堵した。いやな予感が過ぎったけれど、みんな生きている。

 そして、微かな呻き声。ジニーが反応した。慌てて僕はジニーの身を起こす――ちゃんと触ることができた――と、とろんとした目で、意識を失って倒れている先生を見てから、僕に目をやった。途端にジニーは身震いして大きく息を呑んだ。それから涙がどっと溢れた。

 

「ハリー――あぁ、ハリー――あたし、あたし……! 全部、あたしのせいなの! ルーナ、を襲ったの――あたしがやったの――でも、あたし――そ、そんなつもりじゃなかった。ウ、ウソじゃないわ――リ、リドルがやらせたの。あたしに乗り移ったの――そして――いったいどうやってあれをやっつけたの――あんなすごいものを? リドルはど、どこ? 本の世界に引き込まれて、その後のことは、お、覚えていないわ――」

 

「もう大丈夫だよ。ギルデロイ先生が、バジリスク、それにリドルも、皆やっつけたよ」

 

 ちょっぴり僕も手伝ったけど、と苦笑交じりに言う。あれはほとんど先生の活躍だった。見せ場を用意してもらったような感じで、でも、僕はギルデロイ・ロックハートの戦いぶりを余すことなく見届けた。

 

「先生が……」

 

「うん。あ、すごく無理をしたみたいだから、そっとしておこう。それより、ジニー。ここを脱出する方法を探さなくっちゃ――」

 

 その時、どこからともなく音楽が聞こえてきた。

 音楽はだんだん大きくなる。妖しい、背筋がぞくぞくするような、この世のものとは思えない旋律。

 毛がざわっと逆立ち、心臓が二倍の大きさに膨れ上がった気がした。やがてその旋律が高まり、胸の中で肋骨を震わせるように感じたとき、すぐ近くのパイプから炎が噴き上がった。

 白鳥ほどの大きさの深紅の鳥が、この暗い地下空間に、その不思議な旋律を響かせながら姿を現した。

 孔雀の羽のように長い金色の尾羽を輝かせ、鳥は僕たちの方に真っ直ぐに飛んできた。

 ずっしりと僕の肩に止まり、歌うのを止めたその鳥に僕の口は自然に動いた。

 

「フォークスなの?」

 

 名前を呼ばれて応じるように、金色の爪が肩を優しくギュッと掴んだ。

 不死鳥フォークス。校長室で見たダンブルドア先生の使役する動物で、教えてもらった。この鳥は、驚くほどの重い荷を運べることを。

 

 そして、僕たちはフォークスに運んでもらって、この『秘密の部屋』からみんな無事に脱出した。

 

 ・

 ・

 ・

 

 それから先生は一週間、目が覚めなかった。




 オリジナルの魔法が出ましたが、ハリーの母リリーがやった古き護りの魔法の忘却術版だと思ってください。


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14話

誤字修正しました。報告してくださった方、ありがとうございました。


 ハリー・ポッターは、この一週間を思い返す。

 

 ジニーは無事だった。

 三階の女子トイレでは、ロンが待っていてくれて、『ダンブルドア先生が校長室に待ってる』と教えてくれた。ハーマイオニーは負傷して医務室に運ばれたそうだ。僕たちはそのまま校長室へ、意識を失ってる先生は不死鳥フォークスに医務室へと運ばれた。心配だけど、先生の代わりに見てきた僕が、『秘密の部屋』での出来事を話さなければならない。

 

 校長室には、停職が解かれたダンブルドア先生がいて、副校長で僕たちグリフィンドールの寮監マクゴナガル先生、そして、ウィーズリーおじさんとおばさんがいた。

 ジニーが、無事な姿に胸をなでおろしたおじさんとおばさんに抱きしめられて、僕とロンは勝手な行動を取ったことをマクゴナガル先生に叱られ、そして、同じように抱きしめられた。

 それから、僕は『秘密の部屋』での一部始終を語った。

 トイレのどこかに『秘密の部屋』の入口があることに勘付いた僕は気絶させられ、『秘密の部屋』へ連れて来られた。『スリザリンの継承者』を名乗るトム・リドル、ジニーに取り憑いたヴォルデモートの会話、ギルデロイ先生が僕に渡したお守りのマッチを基点に煙突飛行で駆け付けてくれたこと、バジリスクを呼ぼうとしたトム・リドルに『吼えメール』の飛び出す絵本で牽制し、それから、作戦を立ててバジリスクを倒し、トム・リドルを降した。そして、先生はヴォルデモートに囚われたジニーを魔法で救ってくれた。

 僕は夢中になって語った。物語でも紹介されているギルデロイ・ロックハートの勇姿を生で見たその感動を伝えようと、言葉はつたないけれど、気持ちいっぱいこめて語った。聞き手は魅せられたように質問も挟まずに聞き入ってくれて……ただ、ダンブルドア先生だけは悲痛な面持ちで目を瞑っていた。

 

 それで、ジニーが五十年前のヴォルデモートの日記を使っていたことがバレてしまい、おじさん、おばさんはもうカンカンにジニーを叱り、ダンブルドア先生が『もっと年上の、もっと賢い魔法使いでさえ、ヴォルデモート卿に誑かされたのじゃ』と二人を宥めて、ジニーが不安がっていた退学にすることはないときっぱりと言ってくれた。

 

 そこで、ホグワーツ理事長ルシウス・マルフォイが校長室へ入ってきた。『屋敷しもべ妖精』のドビーと一緒にだ。ダンブルドア先生が、校長職に復職したと聞いて、やってきたんだろう。ダンブルドア先生は、今回の黒幕、ジニーに日記を忍ばせたのは、ルシウス・マルフォイの仕業だと見抜いていた。証拠がない、でもダンブルドア先生は奴に釘を刺した。

 ルシウス・マルフォイはダンブルドア先生に睨まれて歯軋りすると校長室から出て行き、ダンブルドア先生は皆の無事を祝おうとマクゴナガル先生に宴の準備を依頼した。

 それから、するべきことがあった僕はダンブルドア先生と書斎机を確かめに先生の部屋へと場所を移す(その後、妹を利用したことに義憤に駆られたロンの機転で、ドビーがマルフォイ家から解放されたという)

 

 ・

 ・

 ・

 

 “スプリガン”。

 最初に呼んでほしいと教えてくれたその名を唱えると書斎机の左下の引き出しが開く。

 検知不可能拡大呪文がかけられた見た目よりずっとスペースのある空間。ダンブルドア先生に『ハリーにはまだ早い』と止められて中には読むことはできないものがあったけれど、そこには彼が記憶し(しらべ)てきたものが全てあった。

 

 まずは、僕の後見人についてのこと。

 これまでギルデロイ先生が代役を務めていたけど、僕には本当は父さん母さんから後を任された後見人がいた。

 その人は、シリウス・ブラック。魔法界では大量殺人犯で、闇の陣営でヴォルデモートの右腕と称された悪党、そして、僕の父さん母さんを裏切った人物……だけど、本当は違った。

 ダンブルドア先生ですら知り得なかったけれど、ギルデロイ先生は、独自に調査し、アズカバンまで足を運んでくれたそうで、本当はピーター・ペティグリューなる亡くなった魔法界の英雄が真犯人。そして、先生はピーター・ペティグリューが、ロンのペットネズミであることまで突き詰めていた。先生は、先輩のひとりであった彼を疑い切ることはできず、この一年間、向こうに怪しまれないよう注意しながら見張りつつ観察していた。でも、ピーター・ペティグリューは、いずれ僕を闇の陣営に手柄を立てるために虎視眈々と狙っているとシリウス・ブラックは訴えていた。

 この事実を知り、その日のうちにダンブルドア先生が、ロンのネズミ、非合法の『動物もどき(アニメーガス)』であるピーター・ペティグリューを捕えた。ちょうどおじさんおばさんウィーズリー家が長男次男を除いて勢揃いしているとあって、状況説明がなされた彼らもペットネズミの正体には驚かされた。一日で二度も大きな驚きに、ウィーズリー家も大変だ(さらにその後、なくなったペットネズミの代わりにロンに恩を感じたドビーが、ウィーズリー家で働きたいと申し出て、彼らの驚きは三度に増えた。感激のあまりにおばさんが失神する)。

 また、シリウス・ブラックが冤罪であるという論証をまとめた投稿記事、この原稿はすでに『ザ・クィブラー』へ送られている。ハグリッドをアズカバンに送った魔法省、また『十分な証拠もないままにいたずらに人を貶める中傷記事を書くのは同じ物書きとして如何なものだろうか?』とその記事を書いたリーター・スキーターを痛烈に批判している内容だった。

 

 それから、『分霊箱』という、回収されたトム・リドルの日記、レイブンクローの髪飾り(指輪)と同じヴォルデモートの分断された魂を封じ込めた物品が、ブラック家にあり、仕えるしもべ妖精に預けられていること。それはダンブルドア先生に途中で取り上げられて詳細を読ませてもらえず、我々大人の魔法使いに任せなさいと諭された。

 

 ・

 ・

 ・

 

 宴の後。

 僕はもう一度、ダンブルドア校長先生に呼ばれた。

 『秘密の部屋』での出来事、“ジニーをヴォルデモートから解放したギルデロイ・ロックハートの魔法を知りたい”。記憶を見せてほしい。頼まれて、『憂いの篩』で僕はダンブルドア先生に強く記憶に焼き付いているあの背中を見せた。

 

 

「ギルデロイ・ロックハートは、(まこと)に素晴らしい魔法使いじゃった」

 

 深く篭った声で感想をくれたダンブルドア先生は、その後で、ギルデロイ先生の杖に、直前呪文を唱え、改めてジニーからヴォルデモートを祓った魔法を鑑賞する。

 そして。

 ダンブルドア先生は、僕に言った。

 

「ハリー……この呪文は、君の母上が君を守るために使った魔法と同じ。とても古い魔法じゃ。……自らの剣に刺される覚悟でこの術を放ったギルデロイ先生は、おそらく……何もかも、忘れてしまっていることじゃろう」

 

 ・

 ・

 ・

 

 石になった女子学生ルーナ・ラブグッドがマンドレイ薬で無事復活し、学期末試験。

 ギルデロイ先生は目が覚めていなかったけれど、試験の準備はされており、内容も事前に通達されている。授業も自習であったけれど、後半が生徒同士で教え合う授業であったので問題なかった。

 試験用に用意された飛び出す絵本から演劇チックに出てくる七種の闇の生物への対応をこなしていくゲームのような試験だ。だから、他の教員が採点するだけで試験官代役は務まった。

 この一年間で、すごく上達した成果を披露するよう試験に挑み、好成績を収めていった。……これを先生に見せられないのが残念だ。

 僕はダンブルドア先生に告げられたことを、誰にも言っていない。みんなのショックが大き過ぎる。特にジニー(それにハーマイオニー)。きっと先生は、ジニーが気に病むのを望んでない。あれから、多くの学生(『占い術』の先生も交じってた)、その中でもウィーズリー家(あとハーマイオニー)はギルデロイ先生にお礼がしたいと何度も押しかけてきたけれど、でも、ダンブルドア先生は校内の医務室に一週間眠り続けるギルデロイ先生の見舞いは面会謝絶で断っている。

 

 そして、この一週間経った頃に、先生が検査のために聖マンゴ疾患傷害病院に搬送されることが決まった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 この一週間を思い返した僕は、真夜中、寮を抜け出す。

 医務室に常駐しているマダム・ポンフリーの目を掻い潜るために『透明マント』を羽織り、カーテンの仕切りに遮られた先生の眠るベッドに忍び込む。

 

「………」

 

 当然ながら、ギルデロイ先生は眠っている。

 僕は忸怩たる想いで、目を閉ざす彼を眺める。あの『秘密の部屋』であった出来事を思い返すに――改めて、自分が生還できたことの奇跡を思い知る。そして、その奇跡を起こしたのは彼だ。なのに、彼はその奇跡の代償に“死んだ”。

 

 本当に忘れてしまったのだろうか……?

 

 世界最高峰の魔法使いダンブルドア先生の言葉を疑ってることは決してない。それでも信じたくなかった。ただ、記憶を失いそれが現存する魔法では戻せないと告げられても、ギルデロイ・ロックハートが何事もなく目覚めてくれたらという願望が強かった。

 透明マントを脱いで、ベッド横の椅子に腰かける。

 

「スプリガン……」

 

 呼びかける。この魔法使いは、この一年間ホグワーツの先生として僕に様々なことを教えてくれたけど、それよりも初めてこの魔法界に招待してくれて、僕の世界を色鮮やかなものにしてくれた、そんな印象の方が強く残る。自然口からこぼれ出たのはその名であった。

 本当に忘れているのか……知ることはすごくすごく怖いけれど、目覚めてほしい。明日にはホグワーツをいなくなってしまう。だから、今日しかない――

 

「…………っ、ん」

 

 ハッとした。

 呼びかけに反応し、彼の瞼が反応する。徐々に瞼が開き、青い瞳が見えた。何と声を出していいかわからず戸惑う。すぐにマダム・ポンフリーに報せるべきかと思ったけど、言葉は出なかった。

 うぅ……、と額に手をやりながら上半身を起こした彼は、小さく僕の方へ首を傾げて、問うた。

 

 

「君は、誰だい?」

 

 

 その言葉は無垢なほど真っ白であった。

 小さく息を止め、逸らした視線を下に落とす。

 ああ、先生は、記憶が死んでしまったのだ。僕たちを救うために高い代償を支払ったために。

 

「あの、どうしたんだい? 急に……とても辛そうに見えるよ」

 

 心配そうな彼の声。僕は……こんな僕にそんな声をかけてくれるのが、許せなかった。

 ギルデロイ・ロックハートは僕たちのために“死んだ”。なのに、彼が僕を心配するなんて、……そんなのはダメだ。

 このままだと吐き出してしまいそうなものを呑み込むために、深呼吸した。

 顔を上げる。上手く笑顔を作れているかは、わからないけれど精一杯に頑張った。

 

「いいえ、大丈夫です……僕は、大丈夫ですから」

 

 真っ新な彼はじっと僕の顔を眺めて、ふっと息を零す。

 

「どうやら“私”の知り合いみたいだね。その、つかぬ事を訊くけど……」

 

 心を必死に閉ざそうとする僕だったけど、次の質問で打ち砕かれる。

 

 

「私は誰でしょう?」

 

 

 哀しみの衝動が胸の辺りまでせり上がって来た。

 でも、僕は昇ってくるものを噛み殺し、飲み込む。

 そして、答えるために、辞書を引くように記憶に色濃く残る彼との思い出を思い返した。

 

 この人は、何だ?

 先生?

 作家?

 いや、違う。違う。そんな言葉じゃまとまりきれない。

 この人は――

 

 

「あなたは、ギルデロイ・ロックハート……僕のヒーローです」

 

 

 これしかない。

 この言葉が、相応しかった。

 恥ずかしげもなく、誇らしく、僕は言った。

 

 

「サレー州、リトル・ウインジング、プリベット通り四番地にお住いの、ハリー・ポッター君」

 

 

 くしゃり、と癖髪の頭の上に手が置かれた。でも、それに気づけないほど、今の発せられた言葉に、呆然と、僕は心囚われた。

 え……

 今、なんて……僕、名前なんて……言ってないのに……

 

「ハハッ、驚きましたか? こんな夜遅くに人の寝顔を見ようとするイタズラ小僧にお灸を据えたんですよ」

 

「先、生……。記憶、あるんですか……?」

 

「……ええ、忘れちゃいませんよ、ハリー君」

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 あの後、散々泣き喚いたハリー少年は、当然、ここの医務室の主マダム・ポンフリーに見つかった。

 私は背中を校医に押されて部屋から追い出される彼に手を振り……それから、声を掛けられた。

 音もなく気配もなくいつのまにやら先程ハリー少年がいたのとは反対側のベッド脇に現れた老人が問う。

 

「ギルデロイ……これで、良いのか?」

 

 ……実は一日前に目が覚めていた。

 それからこの老人、アルバス・ダンブルドアより渡された、“私”が付けていた日記を読ませてもらった。十歳に()()()()()記憶を失くした私は、事細かに毎日欠かさず日記をつけていたようである。勤勉な性格だったらしい。しかもこの日記は“私”が書いたものだけあって、非常に覚えやすいものだった。書かれた文字が脳に染み入るように吸収された。

 それで一通り読み込んで、目が疲れて寝たところで、ハリー少年が現れたという話だ。

 つまりは……

 

「お主は、本当は覚えておらんのだろう。ハリーのことも」

 

 そういうことだ。

 “記憶”はない。あるのは、“記録”だけだ。ここにいる私は、“私”がこれまでしたことを知識として覚えた、別人である。しかし、確かに“私”の“記録”は引き継いだ。

 

「ええ、これでよかったんだと思いますよ。日記を見れば“私”はそう望まないことも、そして、私自身もそう思いましたから……ひょっとしたら、薄らと覚えているかもしれません」

 

 自然にあの子の頭に手を置いたのも無意識だった。

 頭で忘れたことも、体は覚えているのだろうきっと。試しに指をくいっと曲げ『アクシオ』と念じながら、花瓶に集中してみると、勢いよくそれが飛んできた。狙った手元から大きく暴投して顔面横スレスレを掠り、壁にぶつかって割れる……うん、要練習のようだ。

 

「……非常に残念じゃ、ギルデロイ先生には、『闇の魔術に対する防衛術』の教授を続けてもらいたかったんじゃがのう」

 

「流石に辞退しますよ。今の私は、リハビリを頑張らないといけません。ウソを本当にするためにね」

 

「ギルデロイ……お主……」

 

「どうやら、私は、ヒーローですから、格好悪い真似はできないみたいだ」

 

 検査入院を終えたら、とりあえず世界を巡ろう。まずは“私”がした冒険譚をなぞらえて、“ギルデロイ・ロックハート”を実感しようと思う。

 幸いお金には余裕がある。

 

「……やはり、これは、お主に渡そう。きっと、知識(きおく)を求める一助になってくれるはずじゃ」

 

 ダンブルドア老が差し出したのは、青い宝石が嵌め込まれた鷲の指輪。

 

「いいのですか? それはとても貴重なものに見えますが……」

 

「本来なら壊さねばならなかったものじゃ。元々、髪飾りは、失われておることになっておるし……それにホグワーツが管理すべき遺産は髪飾りであって、指輪ではないからの」

 

 妙な屁理屈を捏ねられる方だな、ダンブルドア老は。

 記憶を失くした私でもこの指輪の価値は直感的にピンときた。

 

 『計り知れぬ叡智こそ、我らが最大の宝なり!』

 創始者のひとり、ロウェナ・レイブンクローは、教える生徒に知恵と機知のあるものを選んだ。研ぎ澄まされた心、知性、独創性、平静こそを要求する。

 彼女、レイブンクローは、イノシシ(Hog)に湖の近くの崖まで案内されるという夢を見て、このホグワーツ魔法魔術学校の場所と名前を決めたのだそうだ……というのが覚えた日記(きろく)内容(ちしき)である。

 

「では、自信がつくまでは預からせてもらいます」

 

 指輪(髪飾り)を嵌める――その瞬間、チラリと視界の隅に、光り輝くイノシシが過ぎった。

 

「どうかしたかの?」

 

「今、そこに……いえ、何でもありません」

 

 目元を揉んでから、目を開くと、イノシシはいない。

 ダンブルドア老の反応からして、私にしか見えなかった……つまりは、幻視か?

 しかし……イノシシを見た途端、確かに少し黒子の辺りがブルッと何かを覚えた気がする。イノシシが苦手だったりするのだろうか?

 

 ダンブルドア老が去り、私は枕の下に忍ばせた日記を手に取る。

 

『私は誰でしょう?』

 

 日記を読み込んだだけでは己がわからず、つい訪ねてしまったあの質問。それに回答してくれた彼の想いで、この心が定まった。

 

「ああ。今は嘘八百であろうが、いずれなってみせるさ。私は、本物(わたし)に」




 勝手で申し訳ありませんが、キリがよく、書きたいところが書けたので(それと集中力が切れてきたので)、これで完結ということにさせてもらいます。

 とりあえず、もし続くとして、三巻目の大まかな展開。

 ギルデロイ・ロックハートは、とっとと聖マンゴを出ると、『七変化』で別人に変装して(ロード・ギルデロイ二世を名乗る?)、夢で見るイノシシの後を追いながら自分探しの旅に(周囲には新たな取材旅行)。半年くらいしたら、『バジリスクとばっちりスクールライフ』を出版社に送りつける。
 ハリーのフィルチ家には、ギルデロイとバトンタッチして、シリウス・ブラックが居候。互いに距離感を計っている感じの夏休みになる。それとシリウスは、ブラック家のクリーチャーからダンブルドアと『スリザリンのペンダント』を回収する。
 ハリーは、三年目のフラグは潰したので、平穏に……学校生活を送れたはず? それと明確な目標の出来たハリーは勉強意欲が増し、真似妖怪の授業から(直接は遭遇してないけど、幻像で見たのが結構印象が強かった)吸魂鬼に恐怖を覚え、ハーマイオニーやルーピン先生に守護霊の呪文を習ったりする。
 ロンはふくろうを貰う機会は逃したけれど、代わりにドビー。マルフォイ家の色々をアーサーおじさんに教え、日記の件もあってルシウス・マルフォイは理事長職を辞める。宝くじが当たって新しい杖も手に入り、また恩義を感じるドビーに敬われて、卑屈なところが改善方向に。
 ハーマイオニーは、新学期の教授変更にテンションが落ちるけど、誕生日に買った猫クルックシャンクスが偶然ブリーダーをしていたペットだと知って(ハリー情報)、テンションが上がる。新刊が出るとさらにハイテンション。ただ、『占い術』の教授とはファンとして譲れぬ一線があって、早々に決裂する。
 ルーピン先生は色々と苦労した。多分前任者のせいで『闇の魔術に対する防衛術』の授業のハードルが相当高くなった。一年目でやめるという呪われたジンクスが、一年目で過労でやめるというブラックなジンクスに?
 ピーター・ペティグリューは、一度は魔法省に捕らえられたが、原作シリウス・ブラックに代わってアズカバンを脱獄する。

 四巻目からは……どうでしょう。ピーター失踪から警戒度を上げたダンブルドアに乞われて、『七変化』でもって生徒に潜入する展開を考えたりしましたが、流石にこれは無理か。
 原作でも二巻以来に登場する五巻目で、不死鳥の如く復活するのかな? 『フェニックスとフェスタな学級崩壊』か『レジスタンスのレジェンドな革命運動』? または『トードと(とどろ)けラブレター』……はないですね。

 あとイノシシは真のレイブンクロー生と認められた者が視られる暗示という原作のホグワーツ建城の夢見の設定を織り交ぜた独自の設定です(黒子持ちとしては不吉感が漂いますが)。

 頭を休めて気が乗ったらまた書き始めると思います。
 では、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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