OVER or LORD (イノ丸)
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1-0 プロローグ

 剣戟が空気を切り裂く。

 

 

 互いの武器。剣と戦斧がまるで生き物であるかの様に動き、相手の命を刈り取らんと刃が唸る。

 数回ではなく、数十回もの武器の交錯――

 

 ――だが、結果は高重低音の余韻が響くだけ。得物同士が口惜しく挙げる呻き声の様な振動が、互いの武器にだけ微かに残った。

 

 相対する者は、漆黒と青銀。

 漆黒の存在は、角の生えた面頬付き兜(クローズド・ヘルム)を被った悪魔のような鎧姿。それは、邪悪な存在の暗黒騎士を体現していて。

 一方の青銀は、真逆。青銀の外套(マント)を翻し、溝付甲冑(フリューテッドアーマー)を身に纏うその鎧姿は、清廉潔白の聖騎士そのものだった。

 

 ユラリ……ユラリと、漆黒が揺れ。鎧から立ち上る熱気が空気を歪ませる。

 武器を握る手から力みすぎてか、軋む音が響き、徐々に音が大きくなる。数秒の膠着。

 不意に音が止む、その直後。漆黒は相対者へと突撃を開始する。

 

「下等生物風情がぁぁ! 至高の御身の御前で私に恥を上塗りさせ続けるつもりかぁぁぁ!! 潔く死ねっ!!!」

 

 声を上げ、戦斧(バルディッシュ)が振るわれ。綺麗であろう女性の声が、場違いな言葉を上げる。

 怒りが混じった咆哮にも似たソレはおどろおどろしく、その身の鎧の邪悪さも相まってより迫力が増していった。

 一撃、二撃、三撃――撃ち降ろされる戦斧に乗せて、ドス黒い感情までもが武器に付加し。鋭く、深く、命を絶たんと迫り征く。

 首に、胸に、下腹部に。悪意を乗せ込められた刃の戦斧は、合計三撃。一つでも受ければただでは済まない。

 しかし、それも先ほどの交錯と同じく相対者に弾かれる。首を狙った斬撃は左切り上げで逸らし、胸に突き攻める刺突は袈裟切りで払い、下腹部に嫌らしく来る切り上げは逆風で弾き飛ばす。

 

 衝撃で両者は後方へと飛び、漆黒は打ち取れなかった悔しさからか怒号を再び上げる。

 決定打には程遠く、眼前の敵の命を奪うには足りなかった。

 

 再びの僅かな膠着。

 決して容易くはない攻防の最中で、互いの視線だけが絶えず火花を弾かせていた。

 

「笑止! その程度で我が堅城打ち破れる訳が無いだろうがっ!! お前はそのまま恥に埋もれ、羞恥に溺れ死ねっ!!!」

 

 青銀が吠え、瞳孔が開ききった眼光が漆黒を射さんと睨みつける。

 彫が深く、端整で精悍な顔立ちが眉間に皺を痛いほど寄せ、血管を浮かばせていた。口は、ギリギリと歯を食いしばりながら。その顔は、明確な殺意を含んでおり。漆黒の暗黒騎士を打ち取らんと今もなお向けられている。

 

「それにキサマは、我が王に狼藉を働いたばかりか……その手に傷を……傷……てめぇェ……キズゥぅ……をォオぉ……よくも付けやがっなぁぁぁ!!! オレ自ら断手にしてやるぞぉぉぉぉ!!! このクソ(アマ)がぁぁあぁぁぁ!!!」

 

 張り上げた声が空気を打ち震わせ、踏み込んだ足が大地を軋ませる。最早止まらない、相対する者を打ち取るまで。

 清廉潔白な騎士には似合わぬ、感情の爆発。青銀の彼を止めることは今は、叶わないだろう。

 

 それは、漆黒も同じこと。青銀の身体をそぎ落とし、尊厳も何もかも奪い去った後に、御身の前にその首を献上するまで止まれない。そもそも下等生物が眼前に立ち、自分と相対していることそのものが間違いであり。自ら進んで懺悔し、自死する事が何よりも正しいこと。そう、互いに相対できている事(・・・・・・・・・・・)こそが間違いの他ない。不可解な思考が御方を害したという事の憎悪でそれらを塗りつぶし、対象を抹殺するための動作が止まらない。

 

 

 繰り返される激情の撃鉄が再び弾かれ、残響だけが後に残していった――。

 

 

 少女は、その光景を眺めることしかできなかった。

 

 傍らには幼い妹が恐怖からか目を伏せ、自分に縋りつき震えている。自身も同じく目を伏せ、蹲ってしまいたい。だが、姉としてか、妹のおかげか、辛うじて光景を眺めているだけは、留めておけた。

 漆黒と青銀。けたたましい金属音の音だけが耳に届き、攻防の剣線は目では追えるはずもない。

 常人では踏み込めぬ領域の世界、それが眼前に繰り広げられている。

 

 なぜこうなったのだろう?

 村が襲われ、父と母が逃がしてくれ、村の外れまで来たのはいいが追手に追いつかれ背中を切られてしまった。背中の傷が熱く、眩暈を起こさせる。

 絶体絶命、妹を庇う中せめてこの子だけは思う最中。

 

 

 ソレは訪れた。

 

 

 闇が開き、終焉が形を成して現れる。死の塊、白骨化した骨。眼窩には濁った明かりが自分たちを見据えていた。

 漆黒のローブが揺れ。その手に持つ神々しくも禍々しい美しい杖が連動し、煌めくかのような錯覚も生じさせる。

 次の瞬間には、追手を死に至らしめた。その存在に似つかわしい絶対的な死。だが、終わりではない。死体は巨躯のアンデットの騎士に変り果て、村の方角へ駆け出して行く、微かに殺せとソレは言った、村に更なる惨劇を招くつもりなのだ。

 次は、自分達の番だと言わんばかりに此方を向いた時。

 

 

 彼が現れた。

 

 

 青銀の騎士ではない、自分たちの傍らで静かに、その人物は、眉を顰め佇んでいる。白の肩掛け外套を羽織り、同じく白の精巧な装飾が施された優美さを表すダブレット。その装いに引けを取らない、いや、優り中性的で整った美しい少年の顔がそこにはあった。

 少女が、白の彼を(おとこ)と一目で認識できたのは彼がズボンを履いていたから。仮にスカートを履いていたならば彼ではなく、彼女(おんな)と認識してしまうほどその顔は美しく整いすぎていた。

 

 その彼の右手の平には、薄っすらと血が滴っている。

 あの禍々しい漆黒の騎士に切り付けられ、傷を負わされしまい。後で現れた青銀の騎士が傷を見るや否や激高し、このような惨状になってしまった。

 初めはその騎士を見た瞬間救いの救世主が来訪したと思ったものだが、激怒の表情を剥き出しにし、漆黒の騎士に斬り掛る様を見てしまった後では、その想像も胡散してしまった。

 

 現状は、変わらない。いや、もしろ悪化していく一方だ。騎士同士の殺し合いは激化していく一方、目で追おうとすることすら放棄させる剣戟の嵐。舞い落ちる木の葉が細切れになり、地面が両者の対峙する中心から亀裂が入り、悲鳴を上げている。

 

 ガタガタと身体が震える。背中からの傷のせいもあるが、目の前の光景は齢十六の少女には荷が重すぎた。

 失血による緩やかで確実な死への歩刻(カウントダウン)。頭が重くなり、眼が微かにぼやける……。

 妹と逃げ出せればいいが、脚は当に動き出すのを放棄していた。最早足指の一本も動かせない。

 あぁ……、自分はここで死ぬのか……。妹を残して……。

 

 瞼がゆっくりと降りていき、同時に意識を手放して――

 

「大丈夫?」

 

 ――声が聞こえ、意識を取り戻す。

 

 声は、白の彼が発したものだった。スッと身体に染み込む心地良い声で、自分に微かに微笑んでいる。

 自分と年端も変わらぬと思うのに、その微笑を受けてからか何故か身体が熱くなり、手に力が入り、血が巡り、活力が湧いてくる。背中の疼く痛さもなくなっていき、驚きからか左手を背中に回し慌てて確認してしまった。

 斬り付けられた傷がどこにもない。

 

「ふふっ、良かった。大丈夫みたいだね」

 

 膝をつき、目線を合わせてくれた。やや赤みを帯びた黒い瞳が美しい――。

 見惚れてしまい、慌ててしまう。確実に彼が自分の傷を治してくれたのだ。この確信がどこから来るのかが少々不可解だが、今はそんな事を考えてる場合ではない。

 

「あっ、ありがとうございます! あなたが傷を治してくれたんですよね!?」

「大した事はしてないよ。僕は、少々手助けをしただけ。うまくいくかは確証がなかったからね」

 

 優しく微笑み、顔を少し上げた妹にも優しく微笑んでくれた。妹の顔色も随分良い、彼が居るからだ。そうに違いない、この確信は湧き上がる活力が証明している様に思えた。

 

「さて、どうしようかな……。話し合いをしたいけど、あの出来上がってる両者を止めるのは少々大変そうだ」

 

 立ち上がり、腕を組み。白の彼は、悩ましく呟く。

 

「ハラートもハラートだな……、ちょっと右手を斬られたぐらいで怒って。まぁ、その忠臣さが良いのだけど……」

 

 眉の潜めを解き、眩い笑顔が現れる。

 

「ごめんね? 怖かったよね? あぁ、まだ怖いに決まってるか。直ぐにあの戦いを収めるから君達は……」

 

 何かを思い出したかのように、ハッとした顔を浮かべ。照れくさそうに彼は、笑った。

 

「そういえば名前を聞いていなかった! 君達の名前を教えてくれないかな?」

「わ、私達の名前ですか?」

「そそ、君達の名前。ずっと君って言うのは、失礼だと思ってね」

 

 何を言ってるんだ、この人は。

 通常なら、眼前に行われてる凄まじい惨状の最中で、日常会話の様に問うような事柄ではない。

 そのような事を問うてくる人は、蛮勇か愚か者か、はたまた異常者のソレしかいない。

 

 だが、今の少女は彼に対して言いようもない信頼感を持っている。

 自身から湧き上がるものが後押しをしていて、可笑しい現状の問いかけも、正しいものだと飲み込んでしまう。

 

「そ、そうですよね! 私の名前は、エンリ。エンリ・エモットです! この子はネムと言います!」

「エンリ……、ネム……。エンリちゃんとネムちゃんか、可愛い名前だね! ありがとう! 待っててね、戦いを止めてくるから」

 

 立ち上がり、戦いへと向かい合う彼。

 少し待ってほしい。エンリはまだ、彼の名前を聞いてないのだ。

 

「待って下さい! あなたのお名前はなんというんですか?」

「あ、そっか。僕の名前を言ってなかったや……。こっちだけ聞いて、教えないなんて失礼にも程がある……またもや、ごめんね?」

 

 戦いに背を向け、こちらに振り返った。

 胸に手を置き、顔は微笑を浮かべている。エンリはそれだけの事なのに彼に目を奪われた。余りにも現実離れが過ぎ、おとぎ話の人物のような気がしてならなかったからだ。

 

「僕の名前は……」

 

 罵声と怒号と剣戟の音が響く中、彼の声だけがエンリへと場違いに届く――。

 

 

 

 



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1-1-1 幻想現実

オリ主サイドその一


 仮想(ゲーム)が現実になった。

 いや、ゲームが現実に入ったと言うべきか。現実世界(リアル)の世界じゃない。最も、ゲームのアバター(キャラクター)のまま現実世界(リアル)に来ましたと言っても、ただのコスプレイヤーの世迷言扱いにしかならない。

 もっと悪く言えば空想と区別できない統合失調症者。傍から見ても頭が可笑しいのが見て分かる。もちろん、頭が可笑しくなったとか。貧困層に横行している全てが幸福に感じられる薬を使ったわけでもない。

 五感が、全てを感じとっているのだ。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚……それらが完全にゲームではなく、これが現実だと訴えかける。

 

 

 DMMO-RPG <Dive Massively Multiplayer Online Role Playing Game>

 

 

 ナノ技術を媒体にゲームとインターフェイスを繋ぎプレイする、オンライン・ダイブ・ゲーム。

 電子上に一種の世界を創造することにより、リアル体験で経験し、遊ぶことが可能な仮想現実(ヴァーチャル・リアル)の世界。

 そんな仮想世界だが、仮想(ヴァーチャル)現実(リアル)が境目を分けるように、法律によって味覚、嗅覚が除外され触覚にも制限が課せられている。痛覚などその例だ。

 もちろん、アッチ関係の行いなどもっての外。健全な男子諸君なら即座にピンッと来るだろうが風営法に触れてしまう。管理者が居るオンラインゲームならば違反者の名前を公式HP(ホームページ)に公表し、アカント停止のコンボでゲームが出来なくなる。

 健全で楽しいオンライン・ダイブ・ゲームを、それがDMMO-RPGの根幹だ。

 

 ユグドラシル <YGGDRASIL>

 

 数多に存在するDMMO-RPG、ユグドラシルがその中の一つ。

 かつて爆発的な人気度を誇り、日本のメーカーが発売した自由度が異様なほど広いゲーム。

 職業(クラス)外装(ヴィジュアル)、九つもの広大な世界(ワールド)。特に職業(クラス)外装(ヴィジュアル)に至っては、いじれない所から探したほうが早いほどだし、自分が望む通りのプレイヤーキャラを製作(クリエイト)できた。漫画やアニメの様な空想世界の人物を創り出すことが出来るし。はたまた、幻想世界(ファンタジー)の怪物も創り出せ、その外装で遊ぶことができる。

 待ってるのは、広大な世界。プレイヤー自身が未知を探求することが前提になっており、まさしく冒険を楽しめるゲーム設計になっていた。

 日本国内においてDMMO-RPGと言えば、ユグドラシルと評価を獲得し栄華を誇るほどに。

 

 

 だが、それも過去の栄光。始まりには終わりが訪れる。ユグドラシルもまた、同じく――

 

 

 西暦2038年、実に12年もの間、提供をし続けサービスを終了した。

 あっという間だっただろうか? それとも長く続いたほうであろうか? 人それぞれであろうが、最後まで現存していたプレイヤーは口を揃えて言うだろう。

 

 終わりたくなかった、と。

 

 現実(リアル)を天秤に掛け、比重が軽すぎる人ほど悲痛は多く大きくなる。ゲームに一方が傾きすぎている為だ。

 生活の一部に入れてるだけの人はまだマシだろう、次の趣味。または、違うDMMO-RPGをすれば良い。

 

 だが、人生にしてる人はどうだろう?

 

 極稀に存在する、ゲームをするために生活をする人達。

 

 現実に友達を持たず、オンライン上の仲間しか交流がない人。

 現実に趣味がなく、ゲームの中のアイテムを獲得するために、生活が苦しくなるほど課金をする人。

 現実に自信がなく、ゲームの自分(キャラ)を誇張し、自尊心(プライド)を満たす人。

 現実に絶望し、ゲームの世界に安住の地を見出した人。

 

 現実(リアル)を忌避し、仮想(ヴァーチャル)現実(ホントウ)と認識して過ごす。

 それは、ゲームにおける地位(ヒエラルキー)が高ければ高い程、高まっていく。

 

 

 ユグドラシルもまた、例外ではなく存在する。幻想(ユメ)に生きた人――。

 

 

 だからこそ、呼ばれたのかもしれないし。もしくは、巻き込まれたのかもしれない。当事者には、知る由もない。

 劇的に変わる世界に何を馳せるだろう? そこで何をし、何を得られるだろうか?

 そこは、終わった世界から移る幻想現実(ファンタジー・リアル)の世界――

 

 

 ――だが、そこが理想郷(ユートピア)とは限らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風が頬を撫でる。優しく通るその感触がもどかしくて口角が自然と上がった。

 バルコニーから見える景色で眼を楽しみ、少年は設置してあるテーブルと椅子に身を委ねている。度重なる怒涛の展開に目が回る思いだったが、それらも数刻を有することで徐々に慣れ、動揺も落ち着いてきた。

 

 一望出来る景観から観える城下屋根の鮮やかな色に心を揺さぶられる中、テーブルから紅茶の入ったティーカップを手に持ち、自らに引き寄せる。湯気が鼻の近くに近づくと何とも言えない香りがまた、心を更に揺さぶってきた。

 その香りが立ち上るティーカップを口へとゆっくりと傾けていく、紅茶を口の隅々まで存分に行き渡らせるように。

 

「……ほのかに苦くて甘い。頭の奥まで香りが広がっていくみたい……おいしい」

 

 おもわず呟く感嘆の言葉。

 紅茶は苦みが少なく、そのあとに本来持っている甘みがじわりじわりと歩み来るようだった。舌が存分に味を堪能したら香りが口内を満たしてくれる。そこから口内から鼻腔へ、鼻腔から脳へと香りが届く順番に、芳醇な香りによる高揚感とともに訪れる安心感と温かさが自身を包む。

 

 それは至福の揺りかご。しかし、心の奥から来る身の不一致感からの不快感がそれを邪魔をする。仕方のないモノだとわかりきっていたが、内心は受け切れていないようだった。

 

 

 この世界は、ユグドラシル(ゲーム)じゃないという現実に。

 

 

「機能しないはずの味覚と嗅覚が(かんじ)る……紅茶の複雑な風味を再現するなんて不可能だ……それに……」

 

 再三の認識、再度の自覚。受け皿(ソーサー)に静かに置き、微かに揺れる紅茶の波を見つめる。

 

 味覚と嗅覚の制限。

 電脳法によって排除されてはいるが、味覚と嗅覚を感じる事は不可能ではない。早い話が脳に味と匂いを伝達させればいい。

 味の化学的性質、食感の物理的性質、食物の情動的性質。細かく分けるとキリがないが、だいたいはこうなるだろう。

 料理をデータ化し、電子上の世界(ヴァーチャル・ワールド)で摂取行動をすれば味情報を取得し、味覚を感じられる。それでも、だ。多少のランダム性を出すために振れ幅を加味しても、それなりで食べられる品質の物にしかならない。美味しい、料理には程遠い。

 

 この紅茶にしてもそうだ。環境破壊によって現実世界(リアル)の地表は汚染されきっており、植物の葉から作るられる茶葉自体が絶望的に近い。

 そもそもが汚染によって農産物が枯渇している以上、料理の素材自体がまず手に入らないし。手に入れたとしても、目玉が飛び出るほどの値が確実にかかる。

 そこに料理人や機材での情報収集、データ上での安全確認や細部の調整等々……一品作るだけでも費用がどれだけかかることか。

 

 最後に法の認可だ。まず……いや、絶対認可されない。

 仮想(ヴァーチャル)現実(リアル)とを区別するために敷かれたもの、感じられる五感を増やすなどもっての外、本末転倒だ。ガスマスクが無ければ外にも出れず、庶民の食生活は最底辺レベル。農作物などもはや高級品と化し、手などそもそも出そうという発想すら浮かばない。

 

 そこに、仮想世界だけだとしても料理の一品でも出そうものなら、どれだけの混乱が発生するか……予想するまでもない。

 可能性が捨てられてるから、不可能なのだ。通常の手段を順当に踏めば、まず無理に近い。

 

 仮に可能性があるとすれば電脳犯罪。自身の経験を再体験させることによって味を得てると思えばまだ、ほんの少し可能性はあるかもしれない。紅茶を飲んだ記憶(データ)が有れば、紅茶の味が解るので自身が感じる分には再現が可能だろう。仮想世界で味を感じられる、甘美な響き。

 

 だが、その可能性もない。味を感じさせること自体が無駄極まりないのだ。接続者の意識を誘拐したいのなら、そのまま隔離してしまえばいい。

 何十にもかけられた保護防壁(プロテクト・ウォール)を解除できる腕前だ。朝飯前に違いない。料理という餌を用意せずともそっちの方が簡単で容易(リーズナブル)だ。

 

 それに、そもそも再現などできていない。飲んでいる紅茶は――

 

「今まで飲んだ、どんな紅茶よりも美味しいなんて……再現なんて(レベル)じゃない……凌駕している……」

 

 

 ――味わったことのない極上の一杯だった。

 

 

 このような物、現実(リアル)には存在すらしない。いや、探せばあるかもしれないがどんな凄腕ハッカーが行おうとも再現など絶対に不可能、それ程までにこの一杯は常軌を逸している。さらに、紅茶の一杯だけじゃない。テーブルには他の品々も並べられていた。

 

 六段重ねのティースタンドには二段間隔でケーキ、スコーン、サンドイッチが並べられおり。その三種もサンドしている具、内容物が違うスコーン、色鮮やかな果物やチーズを使ったであろうケーキ。どれも一口サイズに作られ、種類も豊富で盛り沢山。

 更にはティースタンドを囲むように何十種類ものディップが並べられ、色とりどりな様は広げられた宝石箱。

 移り変わりいく色の景観は芸術の域に達し、驚くべき事にこれらは全て食べられる物だっていうのだから驚くしかない。

 

 ゴクリッ……、生唾を飲み込む。目の前の料理(アフタヌーン・ティー)品々(セット)に思わず、はしたなく喉を鳴らしてしまった。

 

 紅茶の一杯で深い高揚感が得られたのだ。

 もし、この料理を食べたらどのような賛味がするのだろうか? サンドイッチからチラリと見える胡瓜(キュウリ)は瑞々しく歯ごたえがよさそうだし。スコーンに混ぜ込まれてるチョコレートチャンク(の塊)は、ギッシリ詰まってチョコレートが口の中でこれでもかと広がるだろうし。ケーキなんて見るからにふわふわのスポンジ生地に、どうして潰れないのか不思議なぐらいにベリーがピラミッドの様にそそり立っている。

 

 他にも、卵やジャムのサンド、香ばしいナッツとドライフルーツが光り輝くスコーン、カラメルが香ばしいタルトケーキや何層も異なるチョコレートスポンジをチョコレートフォダン(糖衣)でコーティングしたザッハトルテ……等々、まだまだある。涎を飲み込んでも、止まってやくれやしない。

 

 我慢できずに胡瓜のサンドイッチを右手に取る。パンはフワフワで、指が気持ちいいぐらいに柔らかく沈む。これを咀嚼しようものなら、胡瓜とパンがどのような調和(ハーモニー)を奏でるのだろうか……解ってることは一つある、間違いなく美味いという事。

 

 掴んでる手が口元へと運んでるのにもかかわらず、我慢できないのか顔も前へ、前へと前進していく。

 口を開き、求める様は腹を空かせたひな鳥の様。短い距離、だが長く感じる刹那が終わりを迎える時が訪れる、唇にパンが触れ――。

 

「美味しいでやんすか?」

「ぶッフゥッ!」

 

 背後からの一撃。意図してない声掛けに思わずむせ、閉じる口。唇にわずかに触れ、軌道がずれたサンドイッチが左頬に柔らかいパンの感触を空しく残した。

 思わず食べられなかった恨みから背後の人物に振り返り睨みを利かせる。

 あと少しだったのに、と。熱を込めて。

 

「あふんっ! これは申し訳ないでやんすねぃ、お食事の邪魔をしちゃいやした! 不肖の極みでやんす!」

 

 視線なんてお構いなしに背後の人物は顔に手をやり、ニヤリと口角を上げた。そこには申し訳なさなど欠片もなく、些細な事としか認識されてないのだろう。ほんの戯れ、ちょっと気配を消して、突然背後から声を掛けただけ。

 意識を食べ物に向けていたために、油断してた者にはたまったものではないが。

 

「でも、我が君の可愛らしいお目眼から身が奮い立つ熱視線を頂けるのならば、本望と言うしかないでやんすがね! あふ~ん!」

 

 呆れたこちらを構わない風に彼の人物は、大仰に笑う。その口から立派な白く輝く牙がキラリ、と光らせながら。

 

「相変わらずだね……もぅ……本当に」

 

 彼の人物。いや、彼は人ではなかった。

 その顔は鼻面が赤い獅子であり体毛は漆黒の毛並み、そこから両側頭部に金の雄々しい角が鬣と交じりそれが雄弁に主張し、勇ましさと美しさを発していた。

 体躯は二メートルを超えており、身に着けている赤の燕尾服が盛り上がるほど主張し、逞しさを嫌というほど表している。

 眼は獅子の恐ろしさは感じられず、穏やかな金の色彩を輝かせる。また、右眼に掛けている古めかしく精巧な片眼鏡(モノクル)が深い知性を感じさせた。

 立ち姿は、ネコ科の獅子とは思えないほど背筋を立たせ悠然。背後からは、先端が房状に体毛が伸長した尻尾が動作とともに動き、彼の悠々を助長している。

 傍から見るなら強壮な人型の獅子そのもの。上質な服に負けない優雅さを併せ持った佇まい、それが彼――

 

 ――に、なるはずが……その顔は大袈裟に笑うことによって勇ましさと知性は消え去り。

 その肉体動作(ボディランゲージ)が優雅さを胡散させ。

 先ほどまでの総評が胡散臭い口調と表情で会う者の第一印象を著しく下落してしまい、折角の造形が音を立てて崩れ去る。

 残念さを隠さずにいられない。

 とどのつまり、黙っていれば二枚目なのに口に戸が立てられないため、三枚目が入ってきてしまうユーモラス、悪くて滑稽な三枚目。

 

 それが、人外の存在たる悪魔を種族とする彼その(ヒト)だった。

 

「……それで何か用があって来たんじゃないの?」

「おっと! そうでやんした!! あっしとしたことが御方のすんばらしさに見惚れてメロメロのギュ~でクラんク「おべっかはいらないから教えて」……あふ、そんな~」

 

 見惚れてたのは本当にやんすのに、と呟き。両差し指をくっ付けたり離したりの反復を繰り返しながら、要因の人物を上目遣いに見つめる。

 

 悪魔の彼と比べて身長が一・六メートル程しかないために低く見える、その体躯、少年の容姿。

 細身の身体の上半身には白のダブレットを着用しており、細やかな銀と金の刺繍の装飾が施されその優美さを表し。

 下半身には黒の半ズボン、しっかりとした頑強な竜の鱗で補強された革作りの品で、留め具には短剣が掛けられている。足を護るのは、脛を保護するため幾重にも特殊加工された繊維の布で覆われ、革のバックルで固定する装甲板仕込みの脚絆(ゲートル)

 両手には肌に吸い込むように馴染む薬指と小指を保護する二本指グローブを装着し、その上から全ての指に指輪が填められている。だが、指輪は人差し指と中指と親指しか主張しておらず、後の薬指と小指には不可視化(インヴィジビリティ)加工された指輪が本人だけに判るように装着されていた。

 どの指輪も力が込められている一級品だ。背には白の肩掛け外套、頭には黒のベレット帽子。尋常ではない力を感じる装備群の中に彼はいる。

 

 その装備で固められた少年の顔は中性的で異常なほど整っており、肌がきめ細かくしみやくすみなど一片もない健康的な白い肌。

 完璧な形の潤った唇。

 髪は艶かな黒でミディアム、指に絡ませたらどれどほ心地良いのかわからないほどの髪。

 眼は黒、光で反射した時にやや赤く見える瞳で、その眼で一瞥されようものなら常人は一瞬で惚けてしまうほどの魅力が込められてるを感じさせた。

 性別を超越した美貌の少年、それが彼。

 

 彼もまた人間ではない。人造人間(ホムンクルス)、人であって人でない種族、造られた存在()

 

 人造人間(ホムンクルス)である彼は、上目遣いで見つめてくる二メートル越えはある人外の行動と言動に須らく呆れながら言葉を促す。

 

「……で、来たってことは現状について情報を得たって事だよね?」

「あふふん! さすが我が君でやすね~、斥候達が持ち帰った情報をザザザっと参照するでやんすよ~!」

 

 人差し指を上げ、呟いたと思えば指先に立派な椅子が出現した。

 その指先の椅子を回転させながら自身も踊る様に移動し、机のある方向へ移動する。円舞(ダンス)の如き獅子悪魔は、椅子を少年の机を挟んだ対面上に設置し優雅にお辞儀をする、紳士然と気取るように。

 

 かという少年は、一連の流れを半目で見守りながら呆れを隠せず視線を送るばかりだ。その眼を見るや否や悪魔はウインクを対象に送ると、満足げに椅子に座る。

 彼は、片眼鏡(モノクル)を整えるように指先で上下させると話しを促しにかかる。

 

「承知の事から順番に。百も承知ですが、この世界はユグドラシル(ゲーム)ではありません。ユグドラシルの制限もなくなってやすし、あっし達がこうして動けていることがなによりの証明ですからね。ん~、不思議でやんすねぇ~。ゲーム云々の事象が現実的に作用するなんて滅茶苦茶が世界法則に(のっと)るなんてビックリでやんすよ」

 

 悪魔の彼が言うほど説得力がないものほどない。

 本来、悪魔など現実(リアル)では存在しない者。それこそ書籍や語り継がれる民謡や伝説などの空想の類。それらの存在が現実に存在しようものなら、現実世界の環境汚染も悪魔に擦り付けられたかもしれない。原因を作った者たちは、それこそ喜び勇んで悪魔信仰に興じてしまう。

 

 しかし、現実に悪魔なんて存在しない。仮想世界(ヴァーチャル・ワールド)でしか存在し得なかった存在。だが今、目の前にいる。現実に触れ得る、肉体を伴って、今ここに。

 

 ――こんな悪魔が存在していいのかどうか疑問だが。

 

 (悪魔って、もっとこうなんか厳粛な佇まいとか、邪なる象徴みたいな感じがあったような感じがするんだけど。目の前のはなんか悪魔? ははっ、ご冗談を! って感じなんだよね……)

 

 身振り手振りで話を繰り出す笑顔の悪魔に何とも言えない感情を持ちつつ、話を続けるために内包へソレを押し込めた。

 

アバター(ゲームキャラ)のままで存在するのが、何よりの在り得ないことだもんね」

「そうでやんすね。在り得ない存在のあっしたちが口を動かし、行動でき得てやすし。完全にユグドラシルとは別に切り離されたとみなすのがいいかも……。いや、さらに付け加えるならユグドラシル上に存在しない世界である以上、切り離された我々達がユグドラシルからこの別世界へと転移した、と考えた方が妥当でやんすね」

 

 口が動き、行動ができる。ごく当たり前の事だがユグドラシル(ゲーム)では当たり前の事ではなかった。

 PC(プレイヤー・キャラクター)NPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)は基本的に口は動かないし、操作しない限り行動できない。

 DMMO-RPGこと、ユグドラシルでは、外装は固定されたまま動かないのが基本で、感情を伝えるのは感情(エモーション)アイコンでやり取りするのが主流。

 表情が動かないのも現実と仮想を分ける要因の一つだと言っても過言ではない、それが無くなっている。いや、出来なくなっている。

 

 口は声と連動し、表情は声と合わせて形を変える。ごく当たり前の事が出来てしまってる異常事態。

 さらにはその原因が別世界に転移したからだと聞かされたらたまったものじゃないだろう。

 

 実際、現状に置かれてる少年には衝撃が大きかった。

 

「……そんな事が可能なの? いくらなんでも絵空事が過ぎるし、ユグドラシルじゃないのは感じてたけど別世界に転移なんて……」

「現にあっし達は、この世界に居ますし。ユグドラシルには存在しない村や都市などが確認できてる以上、ほぼ間違いないでやんすね。検証結果から鑑みても別個の世界、と言うしかない情報(データ)が山の様に確認できちゃいやす」

 

 ただ、という言葉を悪魔が付け加える。

 

「どんな要因や原因で別世界に転移なんてとんでも結果が引き起こされたかが不明な以上、用心に越した事はないでやんすね。ほぼ、何かの存在からの影響で、この結果が引き起こされたのは確定でやんす」

「……自分達がその確定の証拠って訳か」

 

 自身の心臓の音を確かめるように左手を置いた、定期的なリズムの鼓動が手へと伝わる。

 生を実感できる振動が存在(ここ)に居ると確かに感じるにつれて、ユグドラシルでは感じ得なかった鼓動が尚更証拠となる。

 

 感じ得ない生の実感が仮想の身体(プレイヤー・キャラクター)だったもので脈ついてる事実を。

 

「そうでやんすね。五感の完全な作用、NPCの制限以上の行動、ましてやNPCの自我の獲得、特殊技術(スキル)や魔法の行使の等々……課題がてんこ盛りでやんす。何故、違う世界に来ているのも関わらず、ユグドラシルの機能が行使可能なのが疑問でやんすが、これはできるものとして置いといた方がいいかも……。この世界の先住民の方々も、何故かユグドラシルの魔法を使ってる報告が上がってやすし」

「魔法を!? ……何で違う世界で、ユグドラシルの魔法を使えてるの?」

 

 少年は、狼狽えた。

 おかしな話なのだ、違う世界の、ましてや魔法なんていう不確かな物。更には自分達が元居た世界産まれであるユグドラシル(ゲーム)の魔法を、別世界の者が使えているのだから。

 

「原因は不明でやんすね。ですが、斥候達の報告では魔法の位階(ランク)は良くて3位階。それが熟練者でそれより上は滅多といないって話でやんすよ? 7位階以上はおとぎ話とか神話の類としての扱いになってやすし、これまた奇妙で奇妙で……」

「……7位階が? 嘘でしょ?」

 

 魔法、ユグドラシルでは1から10までの位階魔法と位階を超えた超位魔法が存在する。

 本来、レベルが上がりやすいユグドラシルでは3位階の魔法などすぐに使わなくなる魔法。

 ハイレベルプレイヤーは8位階以上からが狩場での適正位階がざらであり、3位階など低レベルにも程がある。低次元過ぎて3位階は、思い出すことから始めなければいけないぐらいだ。

 

 その3位階相当の使い手が主に熟練という事ならばユグドラシルから考えても、この世界の魔法詠唱者(マジックキャスター)力量(レベル)は相当低い事になり。さらには、魔法詠唱者のレベルが低いという事は戦士職のレベルもそれに準じて低いという事にも当然つながってしまう。

 魔法が後衛なら戦士は前衛、両者が傾きすぎないようにゲームバランスが平行になるのが定番で、両者のバランスが傾いたままだともう片方に重きを置けないほど軽く見られてしまう。要するに必要(需要)が無くなる。

 

 だが、ここは異世界。ユグドラシルの法則が全てが適用されてるとは限らない以上、用心に越したことは無駄ではない。

 戦士だけがユグドラシルでいうレベル上限(カンスト)、なんて馬鹿げた事もあるかもしれないからだ。

 

「先住民……盗賊でやすね。最終的に<支配(ドミネート)>で複数から情報を得てるから間違いないでやんすね。ん~、人間種なら<人間種魅了(チャームパーソン)>でも良さそうでやしたねこれ。精神系に対する防御も何もされてないし、レベルが低くて抵抗(レジスト)もクソもないでやんしたでやんすし」

 

 レベルが低い、つまり盗賊――前衛系統も相応の強さ(レベル)という事。

 盗賊が特別レベルが低かった可能性も無きにしも非ずだが、そんな事はまずない。旅人や村々を襲う盗賊の類の者は、総じて弱者しか狙わない糞だ。金や物品だけではなく、持ち主の命までも襲う烏合のハイエナ。

 盗賊が根絶やしにされてない点を考えると、天敵――上のレベルの存在もそんなに離れてもいないと仮定する。

 これは、大まかには間違いないと思われる。

 盗賊が野放しになってる以上、天敵は死滅に追い込む力量もなく、かといって近場で暴虐を許す貧弱さもではないという事。盗賊は天敵に接敵せず、離れた地で得物を狩りを行うだろう。

 

 まぁ、衛兵などの存在が居て、盗賊より強いとするとならばだが。

 都市で、と言ってこない点を考えると良い線をいってるのではなかろうか? 都市で盗賊行為が横行してたら、同レベル扱いと言っても過言ではない。

 詳細を聞かず、極論の推論に過ぎないが……。

 

 どちらにしても盗賊は低次元な雑魚、脅かす存在ではなく安堵とともに落胆の感情も同時に来た。

 他の存在は分からないが、少なくても盗賊自体は小指で対処できる。晴れやかな気持ちの中、不意に自身の内から衝撃が襲う。

 

 

 自分(少年)は、何故生きてる人間に対して低次元とか雑魚などといった卑下にするような言葉を思ってしまったのだ、と。

 

 

 盗賊だから? 悪者だから? 別世界の住人だから? 自分とは違う世界の人間だから?

 嫌な怖気の中、グルグルと不可解に加速する思考の中で一番自分に取って都合の良い悪者(・・)だからだと決定づけるしかなかった。

 よく解らない自身の思考回路の配置図を紐解きたいが。それは、今その時ではないというのだけは考えなくても解る。目の前の情報を片づけなければ。

 

 どっちにしても、盗賊はそのあとどう処理したのだろう? 盗賊と言うぐらいなのだから窃盗や略奪を行ってる集団だろうし、殺されても文句は言われないだろうが、こちらが害を与えるのは少しは違うと思ったからだ。

 それに、自分達の立ち位置が解らないうちに目立つことは避けるにこしたことはない。

 それが盗賊と言えど、殺すという害を与えるのは忌避すべきことだと。また、考える中――

 

 

 ――ゾクリ、と。頭の奥にある大事な部分に、何かがなぞる。

 

 

 またもや、不可解な感覚に身震いを感じ頭を震わせる。切り替えるために、盗賊のその後を聞くことにしよう。

 もうこれ以上、思考の沼に足を漬け続けるのは何故かまずい気がする。

 頭ではなく、胸にざわつくナニかが急くようにそうさせた。これ以上、自身について考察すべきではない。

 

「……盗賊は、殺したの?」

「いや、殺してないでやんすよ? この世界が解らない以上、影響を及ぼすなと通達してやすし。略奪行為や殺人を行ってる下種でもどんな結果になるかわからないでやんすからね」

 

既に接触してるのに影響云々は、どうなのか? という疑問は、さて置き。殺生はしていないという斥候達の報告に少年は安堵した。殺してしまった後はどうすることもできない為、殺してないなら後でどうとでもなる。他の問題は、殺してない後だ。

 

「……そう、良かった。それで? どうしたの?」

「引き出せるだけ情報を引き出したら<恐怖(フィアー)>と<混乱(コンフージョン)>の状態異常魔法を付加し、装備を剥ぎ取ってから簀巻きにして、都市の衛兵所らしき所に置いてきたみたいでやんす。今頃、楽しいことになってそうでやんすね~。あっ、こっちの存在は一切合切見られてないし、教えてないそうなんで安心でやんすよ?」

 

 殺してはいないと言っても、殺すよりひどいことになってないだろうか……? だが、盗賊は殺人を行い物品を略奪していたのだ。殺されないだけ上等だと思ってもらうしかない。それが例え死ぬより悲惨な目に遭ったとしても、だ。

 

「……なら、安心だね。でも、盗賊の皆さんには少しばかり同情を持っちゃうな。悪さをしなければ、こんなことにならなかったのに」

「自業自得でやんすよ。実際、略奪をしてる最中でやんしたし、襲われてた方は既に殺されてやしたからね。自身が殺されないだけ、マシってもんですよ? まぁ、向こうで殺されないとは限らないでやんすけどね。あっしらが裁いてたか、向こうの方々で裁かれるかのほんの違いでやんす」

 

 裁く、か。何をもって裁くというのか。

 少年は、言葉の意味に疑問を持つ。

 裁くほどの善悪の区別をこの世界では何も持っていない自身ではあるが、判ることは一つある。裁けるほどの法を自分達は、何も持ち得てはいないことを。

 判別でき得ない者が判決の判を打ち下ろすべきではなく、法を司る法曹三者が裁くべきである。

 三者に近い存在が居るかだが、その者に近い者ではない存在が裁くなど、もっての外。裁く、などしなければ別だが。

 

 多分、想像に過ぎないが。斥候達は襲われてる人を助けようとして、盗賊との場に介入したのではないだろうか? そこには裁くなどなく、助けたいと思ったから手を出したのではないだろうか? 命令通りに遂行したならば素通りし、他にもっと安全で血生臭い事など無縁な、それこそ都市の衛兵所で聞けばいいのだ。

 手間がその分かかるが、安全には代えられない。鑑みない行動には、裏がある。その裏を想像すれば、なんと感じの良い事か。

 

 斥候達が善い行いをしたのでは、という結果から、内心で口角が上がって来る。

 ただの命令基準ではなく、しっかりとした意志の元で行った事で、自身の道理に従った行い。接触を犯したとしてもそれを挽回し、盗賊そのものから情報を吸い上げる手腕。後処理も上々、結果も上々。だからこそ、目の前の報告者もその様に報告してるのだろう。

 唯一つ、報告者の裁く云々だけは頂けないが、そこだけは否を含めたら十分だろう。

 

「でも、異物である自分達が裁くのは間違ってる……と、思うけどね。それはともかく情報を得た現場の皆には、良くやったと言ってあげなきゃ」

「……異物、でやんすか。ユグドラシルの魔法が存在してる以上、異物は間違ってると思うんですがね……異なってる点と奨励は同意ですが」

 

 手を組み膝を曲げてテーブルにつけ、低く呻るように悪魔は悩まし気に少年を見る。

 その眼は真剣そのもので危機感を感じるほどに鋭さがあった。少年もその雰囲気を感じ、顔を強張らせる。

 もしかして、自分が想像しえない重要な何かがあるのかもしれないと――。

 

 悪魔は、少年を見つめ続けている。

 

 そう、気になって仕方がない。

 少年の儚げに塞ぎ気味になってた目がすごいソソったとか、睫毛の上に乗ってる微かな埃を舐めとりたいとか、柔らかそうな頬を甘噛みしたいとか、柔らかそうな唇から漏れ出る吐息を胸いっぱい吸い込みたいとか、そんなことではない。

 

 少年の右手に持っているサンドイッチの事だ。

 食事の中断の後、説明の最中でも片時も離さず右手に持ち続けているサンドイッチの事なのだ。

 少年が今、顔を強張らせ口を結ばせてる唇に触れたサンドイッチの事なんだ。

 ものすごく食べたい。更に欲を言うと御手自ら頂いた上で御指含めて、口に含みむしゃぶり付き味わいたいし食したい。

 あわよくばそのまま食べたい、ナニをとは言わないが言わせるなコンチクショー。一つにナニたいんだよ!

 

 いかん、アブナイアブナイ……。落ち着け、マイハート。

 出来る超悪魔である自分が欲望に飲まれてはいけない。

 でもまぁ、悪魔なんて総じて堕落に興じてこそなんぼ。欲は持ってしかるべきなのです、欲に溺れてオールオッケー。でも今は我慢だ、今はその時ではない。

 

 この別世界に転移してから幾ばくかの時しか経っていない。

 様々なことが転移直後に有ったのだ、御身の心持も万全ではまだないだろうし、この世界の情報も少しは入ったがまだまだ足りないのだ。

 お優しい御身の御心を思えばこそ、より精進し責務に励まなければいけない。……でも、御手々から頂くサンドイッチ食べたい。

 

(あぁん! あっしの欲しがり屋さんめぇ! 欲望に正直すぎる! 落ち着いて、マイハート! ここは、紅茶でも頂いて気持ちを落ち着かせなければ……)

 

 心の騒めきが収まらぬ中悪魔は、テーブルの上にあるティーカップを引き寄せた。

 何とも言えない香りが心を捕らえて仕方がない。

 一口流し込むと芳醇な風味が口内に満たしてくれる、それは何とも言えない心地良さで、悪魔である身でさえも安らぎを与えるほどだった。安らぎに浸かり、目を瞑る。

 

 数秒、漸く欲望に忠実な心が平常へと戻り、眼を開くと眼前近くに少年の顔があった。美しい顔、お仕えする御身の尊顔。

 

 おもわず目を見開き、瞳孔も従い開く。

 何故、こんなにも卑しいこの身にお近づきになるのか。決して届かない雲の上よりも高い存在である、あなた様がこんなにも身近にいらっしゃるのか。

 あぁ……、私の手を伸ばせば触れられるのに、決して手に入らない。私にはその勇気も権利もない。

 だが、悪魔であるこの身は欲の化身。徐々に、少しずつ手を伸ばしていく。あまりにも遠くにあるそれが羨望に光り輝いてるそれを欲する気持ちが止まらない。

 あと少しで届く、もう少し。私はあなたと――

 

 

「……ねぇ」

 

 

 ――手が止まった。少年の唇から言葉が放つものが悪魔の行動を節するかのように、一連の動作はピタッと止まる。

 少年の瞳は悪魔を見据えたままだ、ひと時も逸らさない。ジッと悪魔の眼を見ている。悪魔は、その眼差しを受けるほどに自己嫌悪の渦に巻かれてゆく。

 内心笑ってしまった、浅ましい欲に溺れたこの身が憎くて仕方がない。もう少しでこの輝きを曇らせてしまうところだったのだから。

 そうだ、気安く触れてはいけないのだ。

 今はまだ、このようなことをしている場合ではない。今は、まだ――。

 

 

 少年の口が再び開かれる。手に感じる熱は、少しも冷めてはいなかった。

 

 

「……なんで、僕の紅茶を飲んでるの?」

 

 

 時間が一瞬飛ぶ、聞き間違いだろうか? 怪訝な表情でこちらを見る少年と手元にある紅茶を交互に見やる。

 あぁ、間違えて御方の紅茶を飲んでしまっていたのか。

 そうかそうか、間違えて飲んでしまっていたのか。それはそれは仕方ない……。

 

 悪魔は、自身の口をつけたティーカップのふちの反対側を見る。そこには、少年が口をつけたであろうあとが薄っすらと残っていた。

 にっこりと笑うとカップを180度回転させる。ふちに口をつけるや否や、紅茶を勢いよく流し込んだ。

 気持ちよく音を響かせるように喉から、ゴクッ、ゴクッと、清々しいほどの顔を上げる天晴れな飲み上げ。

 飲み終えると、付き物が落ちた満面の笑顔で一言を挙げる。

 

「五臓六腑に染み渡るッ!!!」

 

 カップを天高く掲げ、太陽に捧げるように重ね合わせた。中身は既にない。紅茶は全部、悪魔の中へと飲み込まれてしまった。

 笑みは未だ顕在、爽やかさえ感じるその至福を隠そうともしない。悪魔の意識は掲げたカップと同じ、天に()っていた。

 

「……ふふふ、それは良かったね?」

 

 少年は、笑っている。悪魔も、笑っている。互いの笑い声は、止まらない。

 

 そう言えば、悪魔のサンドイッチ欲はどこいったのだろか? まだ少しでもその欲が悪魔に残っているのならばすぐ気づけただろう。

 少年の右手には既にサンドイッチは欠片ほども残っておらず、代わりに鈍い光を放つ鈍器(メイス)が力一杯に握られていることに。

 

 空を切る音が響き、それとともに訪れた甲高い悲鳴がバルコニー後に続いた。

 

 

 

 




その二に続く。


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1-1-2 

その二、続きです。


「なるほど、小高い山脈の先に都市があるわけだね。案外近い……」

「……はい、斥候達の周辺地理の調査と盗賊の情報を元に簡易的にまとめましたが、間違いなでやん……かと」

 

 現在位置、拠点から北東の方角にエ・ランテルという城塞都市があり、人間種が多く暮らしている所があるらしい。

 その都市はリ・エスティーゼ王国という国が管理している一つ。他にも都市や村々があるが交易が盛んで、近くで大きな都市というとここが一番現在位置と近い。

 

 他にも国家が存在しており、周辺ではバハルス帝国とスレイン法国。先ほどのリ・エスティーゼ王国と合わせて三つの国家が国土を隔てている。

 西側にリ・エスティーゼ王国、東にバハルス帝国、南にスレイン法国。どれらもユグドラシルでは葉の先ほども聞いたことのない地名。

 ユグドラシルの魔法がある以上、魔法の存在に合わせてユグドラシルをもじった何かしらの名前があるのでは? と想像したが、杞憂だったようだ。

 

 でも、だ。杞憂ゆえに、尚更引っかかる。現状では断定できないが、魔法というユグドラシルの事象だけがこの世界に在ったのだろうか? それこそ不可解極まりない。

 だったら、この世界特有の魔法的な現象を引き起こさせる何かが在ってもいいはずなのだ。それが、ない。いや、まだ発見できないだけかもしれない。

 

 この世界独自の戦士が使う武技という特殊技術(スキル)が存在する。何かしらの独自性を感じさせるナニかがあるはずなのに、仕様が解らない……これが不可解極まった。やはり、盗賊程度の情報源では限界があった。

 

「ふぅ、多少情報が得られてマシになったけど。まだまだ、万全とは程遠いね。そうでしょう? ねぇ?」

 

 パシンッ、と。手元で遊ばせている鈍器(メイス)が小気味良い音を鳴らしながら、笑顔を悪魔に向ける。美しい顔だが、目が全然笑っていない。その眼差しは、頭を下げ正座している悪魔に突き刺さるように直に注がれていた。

 

「ひんっ! そうでやん……そうでございますね! 最もでございます! 更なる情報を得るため身を粉にして収集する所存です!」

 

 ビクッと身震いをし、床に頭を付ける勢いで土下座を実行する悪魔。それには、先ほどの態度など微塵もない。

 

「ふふふ、そこまで平伏しなくていいんだよ? ほら、顔を上げて? 眼を見て話そ?」

「……はい、です」

 

 悪魔は、頭を上げる。その顔は右側だけが執拗に滅多打ちにされており、見るも無残な状態にはれ上がっていた。雄々しいはずの獅子の顔はそこにはなく、あるのは誅伐を受け罰せられた者の顔があるだけ。瞳は怯えを帯び、耳は垂れ下がり、少年をまっすぐと捉えていない。若干だが、視線を少し外していた。

 

「……うん、やっぱり話し合うのは顔と顔を向き合わせるのが良いよね。それにその顔、とっても素敵だよ?」

「ありがとうございます! 至極恐悦の極みでございます!」

 

 少年は、これ以上ないぐらいに笑顔を形作っていた。だが、眼は少しも笑っていないままだ。悪魔も少年の眼を見てからか、笑っているが形だけしか笑っておらず、涙目が悲壮感さえ感じさせるほどに。

 

(まさか、こんな状況で新事実が判明しようとは夢にも思わなかったな……)

 

 少年は、悪魔のはれ上がった顔を見る。そのはれ上がったオウトツを視線でなぞり眉を寄せる。

 同士討ち(フレンドリイ・ファイア)禁止が働いていない、ユグドラシルの法則が完全に適応してない意味を持つ事だった。

 本来ならば味方の――この悪魔と味方というのは少々難だが――同士討ち(フレンドリイ・ファイア)を防ぐためにシステム的に保護されてるはずなのだが、それが機能していない。これは少々不安の種になるかもしれない、範囲攻撃の特殊技術(スキル)や範囲魔法も味方に効果が及んでしまう可能性があるからだ。

 

 椅子から立ち上がった少年は、悪魔に近づくと目線を合わせ、はれ上がった部分に手を合わせる。

 

 悪魔が、あふん、と声を上げ、顔を上気してるが無視をした。その顔には、間違いなくダメージが通ってる事が確認できる。

 本来ならば鈍器の攻撃も同士討ち(フレンドリイ・ファイア)禁止で防げたはず。だが、結果は何の弊害もなくそのまま通ってしまった。予想では空中で鈍器が停止。もしくは、触れた瞬間弾かれるのどちらかを想像していたが、まさかそのまま攻撃が通ってしまうとはヤマが外れてしまった。

 まぁ、少々ムカついてたのでそのまま追加の殴打をしてしまったのは、さすがにほんのちょっぴり申し訳ない念を感じる。本当に少しだけ、だが。

 

 この件も検証しなければいけない、解らないことが多すぎるのだ。ユグドラシルの法則が変に作用しているこの世界では何が有用か判ったものではない。最早ゲームではないが、大型のアップデートによる弊害の様に感じる。

 この世界へ変換(コンバート)し、編入した結果だというのだろうか? いや、中途半端にしかユグドラシルを変換できなかったというべきか?

 斥候達がもたらした情報は確かに有用だったが、それもごく一部。まだまだ足りない、もっと情報が必要だ。そうするためには何が良いが、結論は直ぐに出た。

 

「……やっぱ、外に出るしかないか」

「あふ~~~ん、あふっ!? 外に赴くでやんす……ですか!?」

 

 至福の表情を形どっていた悪魔は、我に返ったかのように驚きの表情になる。

 少年の表情は真剣そのもの、先ほどの眼とは比べられないほどの意志の力を感じさせた。

 

「そうだよ、他の皆に任せてばっかりじゃ申し訳ないし、自分自身でもこの世界の情報を得たいからね」

「御身が出ることはないと思いますが……。どうしてもご自身が出る事は変わらないので?」

「様々な視点で見ることが大事、自分で見て感じる事と得られる情報は全然違うしね。……ていうか、口調戻していいよ。なんか、調子狂うし」

 

 手を離すと悪魔から離れ、相対するように椅子へと座り直した。

 

「あふ……、御手々が……、おぬくもりが……残念無念。では、戻させていただきやす」

 

 至極残念そうに。だが、少年の手のぬくもりを名残惜しくするように、その痕を自身の手でニコニコと悪魔は擦っていた。その様子を半目で見ている少年は、やっぱり左側もぶっ叩いたほうが良かったのではないかと後悔してしまう。この悪魔、たぶん懲りてない。

 

 立ち上がり、咳を一つ。悪魔は身なりを整えると左手を胸に置く。

 

「……まず、間違いなく臣下全員に大反対されやすね。御身は王、ギルド<キングダム・オブ・キングス>の絶対たる王。その御一人、統一王であるギルドマスター フォロウ なのですから」

 

 風が頬を撫でる。優しく通るその感触に今度は、微かな笑みも少年(フォロウ)には表れなかった。

 

 <キングダム・オブ・キングス>、13人の(プレイヤー)を頂点とし、何百ものメンバーをまとめ上げた大ギルド。

 ギルドマスターたる少年、フォロウ。

 13人の内の一人、一つに統べるギルドマスターとして統一王たる二つ名を持つ者。

 王の二つ名を持つ全員が上位プレイヤーで構成されており、その全員が廃人など生温い狂人レベルのプレイヤーと言われている。

 ユグドラシルでこのギルドが一番に知られている一つが、ワールドチャンピオン(戦士系職業最強)同士の戦闘で優勝を収めたヨトゥンヘイムが王の一人として在籍していた事が有名だ。そのギルドの総本山が九つの世界の一つ、ミズガルズに拠点を設置し、活動をしていた。

 その拠点、王域大都市アウルゲルミル。広大な都市そのままがギルド<キングダム・オブ・キングス>が管理するギルド拠点で、中心に大きく聳え立つ王城ウォーデンが13人の王達が鎮座する絶対たる領域。

 

 バルコニー、空高い城の縁側場。二人が現在いる場所こそ王城ウォーデンの一角であり、王城から彼方に見える都市防壁までがギルドが所有する王域大都市アウルゲルミルである。

 

 フォロウは、バルコニーから観える景色を瞳に映す。

 城下町には住民(NPC)が暮らし、生活を営んでいる。AI(設定した行動)では、表現しきれない意識と行動を持ち、様々な意思の流れを感じさせていた。

 市場では商人の活発な声が響きあい、それを一般市民が見て回り、鎧を装備した警備騎士が治安を守り、噴水広場では子供が水遊びに夢中になっている。

 一部分だけでも伝わる命の福音、大切で掛け外のない存在(NPC)達。

 

「都市で住まう民も悲しむ事は間違いないでやんす。其の王の御身は、あっし達の命を代わりに差し出しても欠片ほどにもなりえませんでしょう」

 

 返事は、ない。統一王たるフォロウは城下町を見ているまま動かない。

 

「王よ、王列13を統一されたるギルドマスター統一王フォロウ殿下。全てを持ってのお仕えを許して頂いた御方。今一度、お考えを改めることはできないでしょうか?」

「……このまま城で縮こまり。臣下の報告をただ聞けと?」

「そうではございません。王に比べたら矮小でしかない身ではありますが、出来るならば臣下の願いを聞き得れて頂けないかとの王への愚見でございます」

 

 悪魔は微笑んでいる。けれどそれは、心からの笑みではない。取り繕った仮面の笑みであり、感情を表にしないための蓋であった。

 

 誰が好き好んで尊き御方を危険な可能性がある場所へ行かせるだろうか。しかも、誰も把握してない未開の地へだ。

 冗談ではない。

 獅子は自らの子を試練のために谷へ落とすと言うが、それは自身が谷へと落とされた経験があり、這い上った経験があるからできる事。もし、把握してない谷の落とした先に底が無かったとしたら、その子は這い上がる機会さえ与えられずに死の底へと消えるだけ。

 ゆえに、獅子は必ず谷への経験を子よりも持たなければいけないのだ。それを怠る愚盲な獅子は、死すら生温い。自身が攻略してないものを子に挑ませようなどもっての外だ。

 

 害する要因は全て取り除く。舞い来る火の粉は、全て叩き落す。荒れた道ではなく、整えられた正道こそが御方には何より相応しい。

 

「使い潰して下さい、その為に存在し「却下、嫌」……王よ……なにゆえに……」

 

 悪魔を一瞥すらしない、拒絶の意。放たれた言葉を受けた当人の衝撃は、計り知れない。

 

「斥候に選ばれた(NPC)達を送り出すのも胸を痛めるのに、使い潰せ? 馬鹿じゃないのっ!? そりゃ、あの子達には本望かも知れないけど。自分は、たまったものじゃないね! 人柱を良しとするように出来ちゃいないから!」

「王が御心を痛める必要なんてないのです。何故なら都市で創造された者は、そうあれと造られたのですから」

「それは、ユグドラシル(ゲーム)の話でしょ!!!」

 

 突然振り返ったその顔は眼に怒りを表しながら、口元は泣き出しそうに崩していた。

 

「ここは、ユグドラシル(ゲーム)じゃない。確かに彼らを創造したのは、自分(プレイヤー)達。思案し、デザインし、外装を創り出し、AIを組み込んだ。それがなに? 自我を獲得し、現実に新たに生まれ変わった彼らをユグドラシル(ゲーム)の様に扱うなんてできない!!!」

 

 目を伏せながら。それに、と付け加える。

 

「使い捨ての物の様に、元よりしてないよ……」

「……存じております、王が何より優しい方かは。ですが、ご理解いただきたい。我々にとって(あなた)という存在は絶対です。都市に生きる者達は、王がいるから生まれたのです。絶対たる創造主、尊崇され崇拝されたる終着点。王が居なければ、都市の者は須らく存在すらしません。それ故に王の存在は、彼らには当然であり、必然であり、絶対存在なのです」

 

 苦々しく、粛々に、言葉を重ねながら身を捻り、口から吹き出す言葉。それはあまりにも重々しく、受け取る者には苦しいものだった。

 

ユグドラシル(ゲーム)から別世界(現実)に成ったから、変わることはありません。王から生み出された存在は、どこにいようとも何も、全て、変わりはしません。そういう存在、そのような存在なのです。だから、彼らは御方の為ならばどの様な事も遂行しましょう。調査、踏破、侵入、支配、命じられれば殺生も厭いません。例えそれで死に瀕しようとも、最後のこと切れる瞬間でも王の恩寵を感じ、彼らは殉教者として逝ける事でしょう」

「……殉教……者?」

「そうです、王の愛を感じ逝くのです。最上の幸福です。御方の駒として、盾として、剣として役になれればそれが良いのです。彼らが頑なに恐れ、忌避することがあるとすれば、(創造主)必要(いら)ないと告げられること、唯一つ。唯それだけです」

「……そんなの……まるで……」

 

 狂ってるとしか言いようがない。いや、彼ら(NPC)にしてみればそれが当たり前の事なんだろう。

 普通の人間だったら理性が邪魔する事柄であろうとも、嬉々として彼らは率先すらして実行する。自我を獲得したといっても根本にはユグドラシル(ゲーム)法則(ルール)に未だに縛られてるというのだろうか? 自由意志とは程遠い、限定的自由。いや、彼ら(NPC)は自由を望んでるのか? (プレイヤー)の為だったら、死ぬことすら幸福と断言する異常的意志。創造された者の定めというのか。

 

 いや、違う。王に対して尽くすという自身の存在理由、それを生まれた意味と捉えているのか。あの子達は――。

 

「……忠義故にか。……この世界に来て日が浅いし、いきなりは無理……か」

「ご理解いただけましたか? では、引き続き臣下の者たちにお任せをくだ「それは、ヤダ」……王よ、ご理解されたと思われましたが……」

 

 先ほどまでの伏せがちな顔ではない、微笑を表した少年の顔がそこにはあった。

 

「臣下の凝り固まった気持ちは、よーくっ分かった。でも、最初に言ったよね? 自分が外に出て情報を得たいと」

「その様な些細な事は、臣下にお任せいただけたらいいのです。情報の精査は、王城で拝見いただけたら十分では?」

「わかってないな~。よっとっ! っとっと……」

 

 跳躍の様に椅子から立ち上がると、勢い余ってたたらを踏む。落ち着くと、ゆっくり悪魔の前まで歩を進めていく。

 

ユグドラシル(ゲーム)ではどうだった? そこでも臣下に任せてた? 違うでしょ? 自分達自ら未知に向かって突き進んだ! 誰かの為じゃない。自らの探求のために冒険を進めていったんだ!」

 

 ユグドラシルでは、分かってる事の方が少なかった。それこそプレイヤー自身で手探りで調べていき、解明をしていく。

 逆に判明してるクエストなどの方がつまらないほどだった。

 個人で、もしくは仲間と共に驚き、共感し、分かち合う経験がなによりの宝。どんな報酬よりも得難いもの。

 あの日が懐かしい、13人が揃ってたあの時。ダンジョンや強敵に皆で挑み、攻略できなかったものなどなかった。他人任せなんてとんでもない。自分自らも動き、冒険をするべき。いや、冒険をしたい。別世界に転移したとしても、残ってる残景が未だに胸を燻っている。

 

「ですが、ここは既に彼の地(ユグドラシル)ではございません。仮想ではない実際の現実で、生死入り乱れる幻想現実(ファンタジー・リアル)です。気軽に立ち入れる世界ではない以上、御身の無事が最重要事項。代わりのアバター(ゲームキャラ)など、ないのですよ!」

「それは、あの子たち(臣下)にも同じこと! 代わりの存在などありはしない!」

 

 激言の一撃。悪魔は、その身全てを穿たれたかのような衝撃を受けた。

 PC(プレイヤー・キャラクター)NPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)では、その存在に大きな隔たりがある。

 彼の地(ユグドラシル)では、絶対たる操者、確固たる者、未明を切り開く者など、記憶を持つNPCにはPCは偉大な存在で認識されており。さらには、自身を創造された御方となれば、人間の言う神にも等しい敬ってしかるべき存在に他ならない。

 蟻と像の大きさは、同じでは決してない。いや、在ってはならない。

 そんな遥か高みに存在する御方から、都市で創造された者と御方は同じと言ったのだ。これが驚愕以外の感情をもたらすなど考えられない。しかし――

 

 眼前に立たれる(フォロウ)の眼には、それが嘘ではないと真に迫った輝きを放っていた。

 

「僕の身体はもはやユグドラシルと同じものとなった。元の現実の身体と繋がりが無くなった以上、皆と変わらぬと同義。このユグドラシル(ゲーム)で形を成した身体と同じもの。一体どこが違う? 中身? 精神、魂? 自我を獲得した(NPC)ここ(別世界)では、どっちも変わらないじゃないか! ユグドラシル(ゲーム)と変わらないと言って……」

 

 軽く上向きに振りかぶった拳が悪魔の胸を打つ。本来ならば顔に向かって放たれた拳、身長差から胸にそれは当たった。

 

「……王の為とか言って、喜んで死ぬとか言うんじゃない……!」

「……申し訳ございません。御心を察することもできず、出過ぎた真似をしました」

「……いいよ。皆の気持ちは痛いほど、重いほど分かってるから」

 

 フォロウはふぅ、と。気持ちを切り替えるべく息を吐くと、伸ばした腕を戻す。

 

「……皆が王を望んでるなら、王でいよう。今いる自身が皆にできる事はそれだというなら受け止める。だけど、殉教者は決して許さない。命は個人自身のものだ。他者が好き勝手にしていいものじゃない。それが例え、創造主であっても……」

「……はい、厳命受けたまわりました。臣下全てのものに伝え渡らせましょう、容易く命を投げ出してはならないと」

「……命令じゃないけどね。いや、まだそれでいい」

 

 意識改革をしなければいけない。

 創造主、ギルド拠点持ちのPC(プレイヤー・キャラクター)に対するNPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)の心血の捧げようは極端だ。それも無理がないとは思う、目の前に自分自身を創造した神にも等しい存在が居るのならば、自分だって御業に歓喜しひれ伏すだろう。

 聞いてるだけで彼らの気持ちのありようは見て取れる。

 

 それ故に歯がゆい。世界が現実となったならば、彼ら(NPC)自分(PC)の差は限りなくゼロ。元々はユグドラシル産な時点でそこは変わらない。PC(プレイヤー・キャラクター)が神にも等しい行いができたのだって現実(リアル)という世界と行き来できてたからでこそだ。

 もはやそれも今となっては叶わない。

 既にログアウト(ゲーム終了)出来ない時点で戻るという事は諦めていた。

 

 元より、現実の世界にそんな未練があったわけでもない自分が何を戻りたいと思ったのだろうか?

 義務感か、責務か、それこそ残された家族故にか――自分が居なくてもどうにもなるような場所にどんな価値を、戻ろうという意味を持てばいいだろうか。

 今は、現実となった彼ら(NPC)達の方が過去よりも有意義だと感じている。

 

 だって、自分の為に死んでもいいなんて言ってくれる愚か者(可愛い子)達を残してどうすれば良いというのか。

 戻る事ができないのならば、戻ろうと思えないのであれば、ここにいる方がずっと良い。良いに決まってる。

 

 だからこそ、彼らの気持ちに応えたくない。

 本当は、王なんかで居たくない。

 でも、彼らが望んでいるならば堪えなくてはいけない、そう居なければいけない。

 ユグドラシル時代、ギルド創設からずっと居てくれた子達に返せないなんて何がギルドマスターか、何が統一王か、笑ってしまう。

 今はまだ、それでいい。

 

 いつか命令じゃなく、一個人同士で分け隔てなく通じ合える日が来るまで。少しずつで良い、分かり合っていけばいい。

 そう思えるだけ、今いるこの別世界は広大で見上げる空は元居た世界とは比べようもないほど、澄み渡るほど青く美しかった。

 

「……とにかく、お願いね。あと、ごめん。臣下の総意を伝えてくれただけなのにぶつかってしまって」

「……何気にしてるんでやんすか~。王の御心を受け止めないで何が忠臣って感じでやんすよ! ド、ドドンッて感じでこれからもぶつかって来ていいでやんすよ? むしろ望むところでやんす!」

「ふふっ! さすが僕自ら命名しただけはあるね。……忠臣たる黒い獅子、黒獅臣(クロシシン)

 

 獅子の悪魔、黒獅臣(クロシシン)は言葉を受けると微笑み、雄々しく悠然に構えた。言動と態度には感じられない、その姿だけで感じられる気丈で。

 

「さてさて、王が外に出立されるのでやんしたら、せめて近衛は付けてくださいね? さすがに御一人で出られるのは容認できないでやんす」

「……むぅ、仕方ないか。でも、良かった」

「あふふ、そんなに外に出れるのが嬉しいんでやんすか? ドキドキワクワク?」

「それもあるけど……やっぱりさ」

 

 照れくさそうに、頬に紅をほんのりとさしたかのように上気して。自身の両の指を交差させる。

 言うか言うまいか、少し迷っていたが決心して目の前の黒獅臣に心の内を話し出す。

 

「都市の子達は、創造したってことは自分の子供も同じじゃない? ほら、本来だったら子供が出張ってやるんじゃなくて。まず、先に親がやるもんだと思うし。 ……って、先は越されちゃってるけどね。ふふっ」

「……親と子でやすか」

「そ、親と子。あの子達がどう思ってるかは分からないけどね」

 

 黒獅臣は、虚をつかれたように眼を開くと、途端に笑いだす。似た者同士だったのだと。

 何も変わらなかったのだ、王も臣下の思うところも唯のたった一つ。

 不敬だと思うが、王と臣下の気持ちが通じていたのだと、好ましくも思うほどに。

 

「笑うことないじゃん! そりゃあ、僕の創造した子は一人しかいないけど。他のメンバーが創造した子も自分の子と同じじゃない!」

「あふふふっ。いや、失敬。嬉し笑いでやんすよ。臣下が聞いたら喜びまくって咽び泣くだろうと、想像したら可笑しくなって笑ってしまったでやんす」

「ほんとかな? 喜ぶかな? ふふふっ」

 

 王が笑う、忠臣が笑う。そこには隔たりなどない、笑い声が唯響いていた。

 

「よーしっ! これから忙しくなるでやんすよ! 近衛もそうでやんすが、出立にあたり諸々のめんどくさーいあれやこれやもやってしまわないといけないでやんすし~」

「ん~……、近衛は黒獅臣だけじゃだめなの?」

「ぬぬっ! あっしをご指名とは分かってらっしゃる! ま、指名が無くても無理くりでも付いていきますがね」

 

 黒獅臣はバチンと音が鳴りそうなぐらいに見事なウインクをし、人差し指を立てた。

 

「だと思った。じゃあ、近衛は黒獅臣でって事で良いかな?」

「あぁ~……、それをしたいのは山々なんでやすが。他の臣下が小うるさいんで、あっしプラス一人か二人ぐらいは多めに見ていただけると幸いかと」

「ん~、合計で3、4人ってとこか。二人で出ることはできないんだね……」

 

 それでも、外に出れるだけマシだと思うしかない。王という立場で外に出れるのだ、贅沢は言ってられない。

 史実通りの王なら城外に出るだけで大事で、下手したら兵総出で出立なんてざらな事。王――国の頭とも言うべき存在が外に出るという事はそれだけ国を揺るがす事態なのだ。

 まぁ、元々王族でもない一プレイヤーであって、そんなことされたらたまったもんじゃないが。

 

 黒獅臣は若干呻るように漏らしながら、苦々しく声を出す。

 

「……ちなみにコレ、諸々のめんどくさいことやっとかないと最低で小隊。下手したら大隊規模の人数で出立でやすからね? 秘匿性もクソもないでやんすよ……」

「えっ……、なにそれ。そんな目立つことしたらまわりに影響も与えまくりだし……何なの……」

「そうでやんすよ……。王にはそれが当たり前! って言って聞かない連中が多いでやんすからね。……特に一部分が大きくでやすが」

 

 小隊で数十人、大隊で千は軽く超える。そんな人数を供に引き連れて出立すればそれこそ我ココニアリだ、お忍びなんて微塵もない。それこそ侵略行為と見受けられ、まわりの全ての国から袋叩きに遭うのがオチだ。とてもじゃないが容認できない。

 

 黒獅臣は、こめかみを軽くつかむと重い息を吐いた。

 

「良し! 諸々のめんどくさい事は頼んだ! それでも無理な場合は自分がガツンッて言うから任せてね!」

「そもそも王が出向かなければしなくていいんでやんすが……。ま、しょーがないでやんすね~~!」

 

 牙を大きく見せるように笑う黒獅臣、それにつられてかフォロウもついつい笑ってしまった。堅苦しくなく丁度いい距離間。黒獅臣は自身の立場もあるが配慮をし、くみ取ってくれている。なんだかんだあるが、感謝はしてもしきれない。……これで、珍妙な行動と言動さえなければ申し分ないのだが――。

 

「あ、そうだ。ほんの些細な事だけど良いかな?」

「あふ? 何でやんすか? 王の事なら全てバッチ恋でやんすよ! プリーズ・アスク・ミー!」

「んと、その王についてなんだけど……」

「王が何でやんすか?」

 

 照れ顔で黒獅臣を見上げるフォロウ。それを見る黒獅臣は鼻の下を伸ばしまくりのデレデレ顔で、床に届きそうな程だらしなくなっていた。

 

「名前で呼んでほしいな~って……。まぁ、他の臣下が居る場では無理かと思うけど。二人とかの時は、王じゃなくてフォロウって言ってほしくて……」

「……王ではなく、御尊名でお呼びしても良いという事でショウカ?」

「そうそう! 実は王って呼ばれるの凄い恥ずかしいんだよ! だから、せめて黒獅臣には尊名ってほど立派な名前じゃないんだけど……呼んでほしいなって。……ダメかな?」

 

 はい、死んだ! あっし今死にました即死です! FATAL.K.O(フェイタルケーオー)まったなし!

 これもうアレよ? 学校一のマドンナが幼馴染だけには他の皆と同じように呼んでもらいたくなくてでも特別扱いしちゃったら他の皆に袋叩きにあっちゃうからせめて二人きりの時だけは姓じゃなくて名で呼んでって言うんだけどその幼馴染の関係もそんな急に迫っていってるみたいだから自分のバカバカ! って感じなんだけどでもそんな気持ちのランデブー差には勝てなくて言った手前自分の魅力を度忘れして普通にやれば了承なんて必要ないのに緊張からか了承を求めちゃうドジっ子可愛いヤッター! 状態に突入しちゃって見てるこっちも心中ど真ん中矢ならぬ砲弾で風穴空けられちゃう天に召される五秒前なんて生温い召されて気づく自分の亡骸ドットコム! 必死こいて自分の身体に戻るんだけど目の前のマドンナで即昇天するもんだから憑依と脱魂の無限ループのオルガニズムを体験させられちゃうセンチメンタルグラフティ! 早い話どういうことかと言うと――

 

「いただきやすっ!!!」

「何をっ!?」

 

 顔を上げ咆哮にも似た宣言にフォロウは訳もわからず狼狽えたが、黒獅臣はお構いなしだ。吐き出した後もぶつぶつと何を言ってるか聞き取りにくい声音で、発しし続けている。

 やや長めの所要時間を有した後、黒獅臣は落ち着いたのか見上げた顔を元の位置へと戻していく。

 

「あっ、ふぅ……。失礼しやした。少々感極まって桜の木の下に行ってました……失敬失敬」

「良かった。でも、何言ってるか全く分からないけど。良かった」

「大丈夫でやす。ご本人から了承いただけましたから、ハッピーエンドでやんすよ。……はてさて」

 

 黒獅臣は、優雅にお辞儀をする。淀みなくスマートに行われた動作は見惚れてしまうほど見事だ。

 

「承知しました、フォロウ様。これより他の臣下が居ないときに限り、王より名を優先させていただきやす」

「……ありがと。本当は、様もいらないけどね」

「さすがにそれは……敬称もなしにお呼びするのはお仕えする身として些か過ぎると思いやす……フォロウもそう思うでやんしょ?」

「!! ……ふ、ふふふっ! そうだね! 黒獅臣にはそっちの方が良いかもね!」

「そーでやんす、そーでやんすよ~。畏れ多くてとてもとても……打ち首獄門は怖いでやんすしね~」

「……うん、そう思う。嫌と言うほど本当に……」

 

 無理を言ってる、その自覚はあった。

 可笑しくて、奇妙で、そっと寄り添ってくれるこの頼もしい悪魔に甘えてる自分自身が恥ずかしい。

 でも、その恥ずかしい自分をさらけ出してもいいと思えるほど、目の前の悪魔は不思議とフォロウは頼もしいと実感を得ている。

 

「しかーし、フォロウ様は王と呼ばれるのが何で恥ずかしいでやんでしょうね~? 王って響きは、すっごく偉大で尊敬される御方に相応しい呼び方でしょうに……統一王フォロウ殿下! かっこいいでやんすよ~」

「もうっ! それが恥ずかしいのっ! 王様って威厳がある人物が成ってるイメージがあるから、自分みたいなチンチクリンが王って、傍から見る人には滑稽みたいにうつるじゃん! だからヤッ!」

「むむむっ! そんな不敬千万な輩は、統一王フォロウ殿下の良さを脳の隅々まで理解できるまで語りまくりやすよ! ギルドをまとめ上げる王! ギルドメンバー頂点の王! 臣下の羨望を一身に受ける王! 王ったら王、お王でやんす!」

「も、もうっ! や、やめてったら~! 恥ずかしいって!」

 

 羞恥の顔に染まる尊顔が愛おしすぎて黒獅臣は、だらしないほどに目尻を下げまくり、王を称える言葉を次々と出していく。

 最早止まることを知らない悪魔は、一二三拍子のリズミカルな音頭で王を交えた歌を口ずさむ。

 それは、称えるフォロウを中心にし黒獅臣が周りをまわる、所謂月が地球の周りを回る天体のような様子だ。本人にとって悪気なく行われているそれは、良かれと思って行っている事。

 だが、何事も限度というものが存在する。

 度が過ぎた称賛賛美は本来の役割を通り過ぎ、受けた本人に違った結果をもたらしてしまう。やんわりと御断りをしてるうちは良い。終わりのない褒め言葉はいつしか相手を赤面ではなく、噴火の火を灯してしまう。

 

「王、お王、お、おおう王! 偉大な殿下! 王たる王! 殿下ったら殿下で、フォロウ殿下! 毅然と佇み、王の風格を宿す御身! 王、お王、お、おおう王! 偉大な殿下! 王たる王! 臣下に慕われる、フォロウ殿下! はにかみ笑顔で臣下の疲労を吹っ飛ばす、空前絶後の御風嵐王! 王、お王、お、おおう王! 偉大な殿下! 王たる王! よっ! 照れてる笑顔でご飯三杯ならぬ十合ぐらいペロリと平らげる事必死な大天使も真っ青王! フォロウ殿下、殿下、でん、かっか! 殿下!」

「……もう……もう、やめってったら……やめて……」

 

 黒獅臣は、止まらない。さらには、手拍子も加わりその様は舞踏の様に舞っていた。

 ノリに乗っている、フルスロットルで走っているランナーが急に止まれないように、彼も既に止まれる状態になかった。

 中心に居るフォロウは赤面した顔を下げ、プルプルと身体を震わせている。

 

「王様、王様、王サマサマー! 殿下デン、カッ、カカカッ! 殿下殿! ズボンと脚絆(ゲートル)との御太ももの絶対領域が御ふつくしい王! 王様、王様、王サマサマー! 殿下デン、カッ、カカカッ! 殿下殿! 白魚の様な御手々で色々なアレやソレやナニやをして欲しい必至な王! 王様、王様、王サマサマー! 殿下デン、カッ、カカカッ! 殿下殿! お仕えしたい歴代王列全部門臣下でナンバーワンワンペロペロ王! あ~、おっうサマ~。さっすがわっ、我らが王サマ~。フォロウ殿下~、マイフォーリンフォーマイラヴァー。王の王オウ~、フォロウ殿か「しつこいんじゃ、馬鹿ッーー!」ゲボォヴァー!!!」

 

 周回走法を繰り返すランナーを止めたのは、非情なる鈍器の一撃だった。

 斯くして黒獅子の左側面もはれ上がり、顔面双方のつり合いも取れたところで王こと殿下こと、フォロウはこれといって気持ちは晴れなかったがユグドラシル(ゲーム)とやっと区切りがつけられた。

 

 それは、黒獅子とのおかげかもしれない。

 もしくは、かつての仲間たちが残した臣下(NPC)達が居たからかもしれない。

 鈍器との挟んだ先には、泣き叫ぶ悪魔が優しく殴って! 優しく叩いて! っと更なる殴打を求めていたが、それに応じるべきか否かを微妙な心境に陥らせてくる。

 ふと、苦笑しつつも空を見上げると、先ほどと変わらない澄み渡る青。

 

 

 

 例え、仲間(プレイヤー)がいない自分だけだったとしても、臣下(NPC)達と供にこの世界でやって(いきて)けると信じられる空だった。

 

 

 

 



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1-2 遭遇困惑

ナザリック、モモンガさんサイドです。


 ナザリック地下大墳墓の主人、ギルドマスターモモンガは現状に頭を抱えそうになっていた。

 

(どうしてこうなった……)

 

 目の前でアルベド――ナザリック地下大墳墓階層守護者統括が青銀の騎士と攻防一戦を繰り返している。

 直ぐにでもアルベドに加勢し、青銀の騎士を倒さなければいけなかったが、現状からそれを躊躇させた。

 

 まず、一つに。

 白の装備に身を包んでる少年が手の平から血を流し、後方の少女達を護るように立っている。

 明らかにアルベドが切り付け傷を負わせた結果でそうなったに他ならない。

 先ほどまで少年の腕は中心ほどまで裂けていたが、今は癒えて手の平だけの傷になっている。

 

 次に、二つ目。

 アルベドと相対できてるという点から青銀の騎士は(カンスト)レベルである事は確定だ。

 戦闘の状態からモモンガが手を出せば確実に後方の少年が参戦してくることは明確。

 同じユグドラシルプレイヤーであることの可能性が高く、手を出せば更に悪化していくことが嫌でも分かる。

 

 最後に、三つ目……なのだが。

 モモンガは、現状の雰囲気からか何故かこっちが悪いかのような空気が不本意ながらビシビシと感じていた。

 少女を護る傷ついた少年、少年を主人と言い護る激高してる青銀の騎士。こちらは、黒の鎧姿のアルベドとローブを纏った死の支配者(オーバーロード)……まて、見た目なのか? 自分(モモンガ)はそもそも少女たちを助けるためにここまで来ている。もし、そうだったとしたらあんまりではないだろうか? 少女の弱弱しい視線が微妙に痛い。

 

(本当に……どうしてこうなったんだ……)

 

 脳内の自分自身の写し身が頭を抑えながら身もだえる姿を幻視し、モモンガは現状の整理をする。

 

 遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)のアイテムを使い、黙々と知的生物――人間を主に探していた時に遡る。

 当初はユグドラシル時代と使い勝手が違う事で長時間の試行錯誤をしていたが、何もしていないよりマシと作業に没頭している最中で、かつてのギルドメンバーであるたっち・みーが創造したセバス――執事(バトラー)に鷹の様な眼で見守られてる時だ。

 若干、セバスに苦手意識を持ちつつも分かり易く仕事をしてる風を装う事で、部下任せにしてないという支配者の体現を保つ画策をしつつ遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)の操作をモモンガは繰り返していた。

 

 劇的に変わったのは偶然。

 適当に操作をしている中でコツを掴み、セバスからの賞賛を受ける事で俄然やる気を増し、操作の上達を実感した矢先に村と思しき光景が映る。

 通常であれば麦畑があるその村はのどかで何もないが人柄が良い村人が暮らす農村という感じで、この世界の情報を得るための接触としてまずまずの発見だった。

 だが、その村で起こっていたのは殺戮。全身鎧(フルプレート)の騎士が粗末な服を着た村人を追いかけ、切り殺す光景を無残に映し続けていた。

 

 モモンガは正義の味方ではない、死者(アンデッド)故に感情に流されない。

 この世界にナザリックがそのまま転移し、元の沼地から草原へと変わる異常事態から幾分も経たぬうちに、自ら厄介ごとに飛び込む愚の骨頂を犯すわけにはいかなかったからだ。

 価値がない、これはナザリックにとって。

 所詮他人ごとで、自身にとって関係のない他所の劇場、画面に映った人間同士の弱肉強食の食図を見ているだけに過ぎない。

 愛犬ならいざ知らず、他所の犬同士の喧嘩。いや、一方的な片方の嬲り殺しを一目見て誰が介入したいと思うだろうか? 誰も関わらない。

 モモンガの心情は揺らがない、変わらない。そこには、他人というよりかは他の動物のソレに似て、動物(人間)はこうやって動物(人間)をひどく殺すのか、と。画面で不快なものをみた、としか感じなかった。

 

 しかし結果は、モモンガは村に来た。

 それは、(画面)で見た村人が口を動かした際に聞こえた幻聴ではない。

 幻聴ではなく、それは幻視。

 村人ではなく、モモンガの後方からの執事たるセバスの背後から視えた影によるものだった。

 

 たっち・みー、セバスの創造主。モモンガの恩人でありユグドラシル(ゲーム)を続けるきっかけをくれたギルドメンバー41人の一人。

 

 かつての友の幻影で記憶を刺激され、助けてもらった言葉が頭に響く――誰かが困っていたら助けるのは当たり前。

 その言葉は異形種狩りが横行し、自身もPK(プレイヤー・キラー)され続けた末に、救われた本人から掛けられた言葉。

 恩を返すため、行動を起こすのにはそれで十分だった。

 

 行動を起こすからには、ただ動くのでは駄目だ。

 自身の戦闘能力を検証することで有用な情報を獲得してこそ意味があるもの、セバスにアルベドへの完全武装で来いとの言伝、ナザリックの警備レベルの最大限の引き上げ、隠密か透明化のどちらかの(しもべ)の投入、どこにも不備はなく赴くには充分であったはず。

 抜かりなどどこにもなかったと、自負するほどに。

 

 現在、それが大きな仇となってしまうとは誰が気付けるだろうか。

 

 まさか、全身鎧(フルプレート)の騎士を排除した後に少年と接触し、その後にアルベドと青銀の騎士が交戦を生じ、配備されつつある(しもべ)が相手の仲間と思わしき存在との膠着状態への移行、セバスからの遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)の突然の崩壊の報告、頭を抱えても抱えても抱え足りなくなっていくばっかりだ。

 

(この状態はまずい、まず過ぎる……)

 

 セバスからナザリックにある遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビユーイング)が崩壊し、確認が取れなくなったと

伝言(メッセージ)が着た点から相手の攻性防壁(カウンター)が働いたことは確実。

 ますます、相手がユグドラシルプレイヤーである可能性が高まったことを意味する。

 例え、ユグドラシルプレイヤーでなくてもアルベドと相対できてる事で厄介なことは変わらなく、この世界独自の勢力によるものなら違う方向で厄介な事には変わらない。

 どちらに進んでも落とし穴、見えてる地雷など進みたくない。

 

 さらには、自分自身が出向いた挙句それが原因で失態を興じてしまうなんてアルベドにばれてしまえば上司としての信用はがた落ち、部下である守護者達ならびにナザリックの皆にばれてしまったら、高評価を得ている支配者の威厳が崩され、確実に失望され愛想をつかされてしまう。

 それだけは避けなければいけない。

 

(あぁぁぁ~、だからってセバスに全ては想定通りって、なんで言ってしまったんだ……)

 

 答えは簡単である、すごく焦っていたからだ。

 ある一定の感情の高まりから抑制するアンデッドの特性を持っていたとしても、言った後で鎮静化してしまっては後の祭り、後悔後に立たず。

 まぁ、先に抑制が働いてたからといって、その時その場で良い案と良い発言が浮かぶかは、考え物ではあるのだが。

 冷静になっても、思い付かなければ意味がない。実際に思いつかずに、セバスにうまくいっている、などと答えてしまっていた。

 

 幸か不幸かは置いとくにして青銀の騎士は別とし、後方の少年は戦うそぶりを見せてこない。少女たちを気遣っての事かも知れないが、戦闘中のアルベドとモモンガを交互に見て悩む格好をしている事から推測するに、どうするかを決めかねてるみたいだ。

 これはまだ、修正(リカバリー)できるかも知れない。

 

 見た目以外の詳細が皆無な現段階で、本格的な開戦は必ず避けるべき事。

 弱小ならいい。だが、強大だったなら? ナザリックの総力を挙げなければいけない相手だったならば? 最悪の可能性はこれだ。

 それに、ナザリックの皆が全て協力してくれるとは限らない。

 いくら忠義を全て捧げますと言われたところで、なるほどそれを信じよう! とは素直にモモンガは全てを受け止めはしない。どこかで反旗を翻さない保証はどこにもないのだ。

 

 不安の芽は早めに摘まなければいけない、その為にはこの場を収めればいい。悔しいが、この簡単なシンプルさが一番難しく困難だった。

 芽は、既に芽吹こうとしている。目の前の戦闘がソレだ。

 

 それに……、忌々し気に視線をアルベドと刃を交えている青銀の騎士へと向ける。この存在がモモンガを躊躇させる原因。

 

(あれは、確実に聖騎士(パラディン)だよな……。よりにもよってか……)

 

 聖騎士(パラディン)。剣を掲げ、神聖なる力を使い邪悪を払う騎士。

 それは、モモンガにとって大敵と呼べるほど厄介な職業(クラス)。信仰系魔法もさる事ならば、やっかいな特殊技術(スキル)を持っていた。

 アンデッドであるモモンガには非常に有効打で、その一つにカルマ属性(アライメント)が悪に偏れば偏る程、与えるダメージが増加するものがある。

 モモンガのカルマ属性(アライメント)は極悪の-500。

 アンデッドと相まって最大効果の追加ダメージをもろに受けてしまい。対策を何もしなかった場合、HP(体力)をかなり失ってしまう絶対にくらってはいけない特殊技術(スキル)だ。

 他にも憶えてる限りの特殊技術(スキル)は、どれもモモンガにとって最悪の結果を引き起こすものしかない。冗談でも自ら進んで相対など、決してしたくない相手。アルベドだからこそ、相対できているのだ。

 

 現在はアルベドに敵対心(ヘイト)を向けているが、下手に煽れば繰り返されている剣戟がこちらにくる可能性がある。

 激情の眼光を絶え間なく動かし、相対者の騎士がこちらにも注意を払っている。迂闊な行動は憚られた。

 冷静に、慎重に、考えを廻らせる。

 両者が拮抗しているのは、同じ盾型(タンク)系統であるからであって、そのおかげで互いにダメージらしいダメージが与えられず、そして互いにダメージを貰わない。奇跡の様な合致、これが違う系統の構成職業(クラス)だったら間違いなく接戦均衡など保てない。

 

 歩幅を調節し、戦いやすい領域を両者ともに構築している。

 互いに後方の存在を自分で隠すように配置する位置取り、自分自身を相手に最も認識させ意識させる、攻めるよりも守りに近い布陣。何があっても後方には通させない意思を互いに感じさせる、守護者の意志力(ガーディアン・ボリション)

 

 両者互いにジリジリと攻撃範囲に入るように近づく。三歩、二歩、後……一歩。そして、零歩。

 既に両者とも互いの間合いに入っている。動かない静寂、刃の切っ先さえ微動だにしない制動。互いの眼だけが変わらずに火花を弾かせ、相手を捕らえて離さない。

 

 風が吹き、木々が揺れ、木の葉が舞う。一枚の葉が両者の間にゆっくりと落ちていく、大きく揺れ、ひらひらと目の前で過ぎていき、木の葉が地面に漸く落ち切った時に音が鳴る。

 ほんの僅かな微音、騎士が下瞼を微動させる。

 

 瞬間。アルベドの眼が大きく煌く、続いて連動したのは戦斧(バルディッシュ)の軌道動作。

 

 アルベドの斬撃、首を狙うが騎士の剣によって瞬時に軌道を逸らされる。

 続け様に戦斧(バルディッシュ)に沿うような騎士の斬撃がアルベドの右手を狙うが、漆黒のカイトシールドがそれを防ぐ。反撃の戦斧(バルディッシュ)の突きが心臓に迫るが、騎士のヒーターシールドがそれを阻む。

 

 アルベドの攻撃、騎士の斬り逸らし。

 騎士の攻撃、アルベドの回避。

 アルベドの攻撃、騎士の盾防御。

 騎士の盾撃(シールドバッシュ)、同じくアルベドの盾撃(シールドバッシュ)。衝突の余波で、地面の石ころが粉々に砕け散る。

 

 攻防は徐々に、確実に速さを増していってる。

 マイクとスピーカーが音を循環し、増幅する様に次第に激化していく一方。このままではマイクか、スピーカーのどちらかが耐え切れなくなって壊れてしまう。

 アルベドの防御が抜かれるとは考えられないが、絶対ではない。

 互いに特殊技術(スキル)を使用してない以上、使用した後の予想は起こった後でしか分からない。

 最悪、アルベドは超位魔法クラスのダメージを三回までなら鎧に移し、無傷で耐えられる。三回、までだが。

 

 右手に感じる無機質の存在が頼もしいと同時に、恐ろしい。モモンガが握りしめている(スタッフ)、この存在が保守的にさせている最もたる原因、迂闊な事が少しもできない。

 

 ギルド武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

 ギルドの象徴、ナザリック地下大墳墓そのものに他ならない。強大な性能、バックアップを受けるモモンガのステータスを上げる杖は諸刃の剣でもあった。

 この杖が破壊される時、ギルドも終焉を迎える。ギルド武器の破壊は、ギルド崩壊につながる忌避すべき事、本来ならばギルド拠点の最奥深く安全な保管場所で安置されなければいけない物だ。

 

 それだけは、どんな事をしてでも避けなければいけない。

 ギルドの……ギルドメンバーが築き上げてきた、このナザリック地下大墳墓(アインズ・ウール・ゴウン)がこんな事でなくなってしまうなど、断じて許せることではない。相手にも、そして自分自身さえも。

 ユグドラシルと違うこの世界でどの様な結果が引き起こされるか分からないが、試してみたくもない。皆の、俺たちが築き上げた集大成が、崩れることは絶対回避する。

 

 どんな犠牲を払ってでもだ(・・・・・・・・・)

 

 モモンガのアルベドを見る目が重く、苦しい物になっていく。実際、アンデッドであるその眼には何もない、眼孔奥のほのかな光が重く揺れるだけだ。

 ギルドメンバーの一人、アルベドの創造主タブラ・スマラグディナに顔向けができない。最悪の結果を考えると、震えが止まらなくなり彼の影から逃げ出したくなる。

 だが、アンデット特性の鎮静化がそれを許さない。

 

 最悪の結果に、ならなければいい。切り替えろ、モモンガは自分に活を入れる。

 タイミングが大事だ。

 アルベドが優勢に転じればそれを止め、交渉に移り。アルベドが劣勢になれば、鎧に一回目のダメージ転換が入る、騎士は僅かばかりでも止まるだろう。

 そこへ戦闘をやめるように投じる、止まらなかったら少年へ話の変更をすればいい。

 出来るならばアルベドの優勢が望ましい、自分が加勢すれば少年も加勢し、判断が困難になる。劣勢の場合の猶予は三回、何としてでも収めなければ。

 

 そもそも、自分が悪いのだ。少年に切り掛ったアルベドに非はない、勘違いさせた自分に非がある。

 

 いくら想定外の事があったとしても、場違いな装備の少年といきなり接触した事で慌ててしまい、動転し眩暈を起こした(・・・・・・・・・・)からだ。護ろうとしたアルベドは悪くない。

 

 何故、自分はあの時眩暈を起こしたのか? あれさえなければアルベドは少なくとも少年には攻撃してなかったし、騎士も怒りに狂う事もなかった、戦いすら起きていないはず。アンデットの抑制範囲を超えてたのか? 今は、それすら分からない。

 

 悩まし気に前方を見る、騎士後方の少年にだ。そこには此方に背を向け、少女たちに微笑を浮かべ対していたのが確認できる。そこだけ切り取れば微笑ましい光景、罵声と怒号が剣戟とともに辺り一面に響き渡る場には似つかわしくない。

 

 モモンガは、振り返った少年と目が合った。その瞳は黒く、木々から漏れる光に反射してやや赤い。見つめあった両者は、互いを見据えて動かない、動くのは剣戟に散らされた木の葉だけ。

 

 一枚の葉が過ぎ去る、少年の足元へ。

 

 少年の手から滴る血に葉が濡れ紅葉となっていく、その状態移行をモモンガは何故か見続けていた。

 

 

 

 




戦闘描写楽しい、もっと書きたい。


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1-3 決意ノ志

オリ主サイドです。


「まったく調子に乗って! 後半は本当に意味がわからなかったし……意味わかんないんだよ!」

「あ……ふん、申し訳ないでやんすよ。ついつい興が乗って口ずさんだでやんす……反省ハンセイ」

 

 正座してる悪魔に向かって怒りの声を上げている少年、王と忠臣。

 悪魔に先ほどまでの度が過ぎた行いに対して声を荒げながら、叱咤を繰り返す。

 羞恥からか顔には赤面の跡が頬に薄っすらと残ったまま。

 内容は時に、悪魔の一歩通行さを。時に、悪魔の過大評価を。または、悪魔の無遠慮さを。順に一つずつ。

 

 吐き出す感情の放出が次第に緩やかになった時、少年は嘆息を一つこぼした。

 調子に乗らなければ優秀で間違いないであろうこの悪魔。

 でも、こういう悪魔だからこそ、今実際自身が救われていることも事実。個性だと、自身に言い聞かせて割り切るしかない。

 その黒い獅子の顔をした悪魔は、耳を地に触れるんじゃないかと思うほど下げ、項垂れていた。

 

「……ともかく、黒獅臣。親しみを込めて接してくれるのは分かるけど限度を考えてね? その気持ちは嫌というほど分かるから」

 

 確かに二人の時は名前で呼んでほしいと願った。でも、だからといって自身がやんわりと拒否してる単語(ワード)をプラス方向の装飾が施されても茶化すのはいただけない。それが相手を称える言葉で飾られようとだ。

 ――って、言うか。踊りつつ手拍子で褒め称えてるとはどういう了見だ。悪魔の……いや、黒獅臣の感性が少年――フォロウには理解できなかった。

 

「いや~、失敬失敬。フォロウ様の王への恥ずかしさを払拭しようと行動した手前でやすが……てへっ! やりすぎちゃいました!」

「いや、可愛くないから」

 

 考えてほしい。二メートルを超える黒獅子の悪魔が牙の見える口からザラザラした舌を出し、片目をつぶって頭に拳を軽くぶつける様を。それを直視しているフォロウから何事にも言い難い虚無が形成されつつ様を。混沌と言いようがない惨状、場末の寸劇(コント)も華々しい映るほどだ。

 

 その場末の混沌を切り裂いたのは、また張本人の言葉に他ならない。

 

「ぁふむ、悪魔的なキュートさが分からぬとはフォロウ様もまだまだでやんすね~」

 

 右の口角を上げ、右眼でウインクを一つ。それらの動作を終えるとフッと微笑んで身を整える。

 

 これからやることが山ほどある。

 フォロウの出立に向けての臣下の打診、その選ぶ構成を万全にしなければいけない。

 誰も彼もが御方に対して命を投げ出しても構わない強者故に、選ばれなかった者は当然異議をする。全員、黒獅臣より弱ければ良かったのだが、どれもこれもが(カンスト)レベル。頭が痛くなる思いだが、御方の笑顔の為なら頭痛など喜んで受け続けよう。

 頼りにされてる、それだけで苦手な神聖攻撃の嵐にだって、今なら回復する様に感じられた。

 フォロウにされるなら直良し、むしろ欲しい、ご褒美です。

 

「……さて、あっしはそろそろ出立に向けての諸々がありやすんで失礼させていただきやすよ~」

 

 立ち上がり、お辞儀をする黒獅臣。上げた顔にはにこやかな笑顔が現れていた。

 

「フォロウ様は、このまま景観を楽しみつつ軽食を御楽しみくださいでやんす」

「あっ、自分も城内に行くよ。食べ終えたし」

 

 フォロウは、椅子から立ち上がり。黒獅臣へと歩を進める。

 

「あふふ~、小食は駄目ですよ~。もうちょっと食べてから……」

 

 瞬間、黒獅臣は戦慄した。

 仕える御方が可愛過ぎてではない。いや、それは分かり切ってる事なので置いといて、テーブル上の惨状にだ。

 惨状と言うのは妙なもので、テーブルの上は綺麗なもの。

 全て平らげており、ディップの跡さえ残ってはいない。

 軽食とは言ったが料理(アフタヌーン・ティー)品々(セット)は一人が食べるには余りにも多く、約四人居たとしても到底食べきれる量ではない。

 テーブルの大きさは幅は150㎝、奥行きは100㎝で、六段重ねのティースタンドの料理を順に並べていけばテーブル上はそれだけで埋まってしまう。

 その物量を誇る料理の品々が元から無かったかのように消え失せていた。それをこの方(フォロウ)は食べ終えたと言った、黒獅臣に気取られずに。

 

(……これは、舐めてやしたね……。超悪魔の超感覚を持っても察知できない食音とは驚愕に価しやす……!)

 

 ところで、御方の食音は一体どんな音だろうか? ぽくぽく? もくもく? もっぐもっぐ? もしくは、もぐしゃー? 傍からみたら至極どうでもいい事のようだが、黒獅臣は大真面目である。もう一度言う、真面目に考えて擬音(食音)について考察している。

 

(どのパターンでもフォロウにはマッチしてベリベリーグットナイスルッキングサウンド……あふふふふふふふ)

 

 おっと、いけない。悦に入ってしまったと。黒獅臣は苦笑する、もちろん内心でだ。

 

(……でも実際にはどのような音なんでしょ? 気になる……気になるんナルルン探検隊……)

 

 ほんの一瞬悩んだが、直ぐに妙案が浮かぶ。食音が聞こえなかった? 見逃した? なら次の食事の機会が訪れれば自ずと聞ける。

 そう! 次の料理を提供するだけで良いのだ! 勝った! 悪魔証明完(イビル・サブスタンシエイション・エンド)

 

 この間、僅か五秒。

 すぐさま行動は開始された。右手を空へと挙げ、大きく指パッチン(フィンガースナップ)を響かせる。

 すると空中よりシルバートレイが出現し、左手にて受け止めた。

 作りは繊細な細工が施され、それだけで芸術品として飾られても可笑しくない品。その芸術品にも等しいシルバートレイにまたもや空中から大皿が出現し、トレイに乗せられると大小さまざまな作りのヴルスト(ソーセージ)が大皿上に次々と積み上げられていく。

 山の様に積みあがる最後には、一際大きいヴルストがドンッ! と山頂に深く突き刺さった。

 空高く勇ましく聳え立っているヴルストは、登頂に成功した旗そのもの。肉々しい弾力を張らせ、素材と香辛料の合わさった肉汁を内包させ胃液を分泌させる芳ばしい蒸気を揺らめかせている。

 

「軽食では物足りないご様子……ならばっ! あっしのヴルストをどうぞ召し上がれ!」

 

 勢いよく自身を回転、スピンさせ。天高くヴルストが乗せられたトレイを掲げる。右手は人差し指を立たせ、ヴルストのトレイに向けられていた。その顔には白く輝く牙をキラリと光らせキメ顔を一つ決めて。

 

 しかし、黒獅臣の前にはフォロウは居ず。

 決めポーズもどこへそので、対象者が居ないまま膠着する。

 誰もいない前方の空間に一つの微風がバルコニーに過ぎ去り、後方から扉の開ける音が彼の耳に無情に木霊した。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 黒獅臣を後方に残し城内へ入る為、バルコニーの出入り口の扉にフォロウは立つ。

 しなやかに伸びるアンティーク調の取っ手(ドアノブ)を捻れば城内へと続く道が開かれる。

 観音開きの扉は美しく、光を反射するガラスに似た作りで製造されており、四方の四隅には細かく葉をモチーフにした細工が施され、反射した光の高低差が優しく落ち葉を床に残していた。

 

(いや~、それにしても美味しかったな~。どれもこれも絶品でついつい食べちゃった)

 

 正直食べすぎかな? っとフォロウは考えたが全部平らげた後ではもう遅い、過去には戻れない。

 料理の味を思い出しながらニコニコと腹を擦ると、ふいに表情が怪訝に変わる。視線は下の擦ってる腹に向けられていた。

 

(……あれだけ食べてもお腹が膨らまないなんてどうなってるんだろう? ……正直まだまだ食べられそうだし)

 

 腹、鳩尾の胃の辺り。

 食物を摂取したら通常人間は、量に応じて胃は膨らみ腹が張っていく。

 四人超の食事量を取り込めば嫌というほど、自身の腹は主張する。身長が一・六メートル程しかない少年の体躯では、尚更一際目立つであろう。

 そもそも、それだけの量が普通入るのか、という疑問は置いといてだが。

 

 フォロウの種族は、人造人間(ホムンクルス)。種族の選択ペナルティに食事量の増大が一つ上げられる。

 その影響で大量の食物を必要とし、摂取しなければ自身の状態が不調状態となり能力値(パラメータ)に下方修正がはいり、その影響からか元居た世界からは考えられないほど、現在では大食漢となっていた。

 

 それを加味しても一体あれだけの食物は自身の身体のどこに収まってるのか? という疑問は解決していない。

 魔法という現象が存在する世界で物量的な云々を検証するというのもおかしな話だが、気になってくるのは仕方がない。

 探求は人の性、優先度は低いがこれもいずれ解明していければ上等で足が動く以上、歩みは止められない。留まっては居られない。ここはもう、現実なのだから。

 

(……こういうところもユグドラシル(ゲーム)ならでは、か。いつか不都合が生じなければ……いや、その程度じゃ済まない……)

 

 ゲーム由来の現象が世界に侵食している事が、何もないはずがない。世界に及ぼしてる影響は想像を絶するほどだろう。

 これが元居た世界で発生しようものなら阿鼻叫喚の地獄絵図になることは必至。

 魔法だけなら良い、科学と合わさることで更に上の技術革新へと至れる可能性が出る。

 だが、ユグドラシル(ゲーム)は魔法だけではない。ユグドラシルのあらゆるものが溢れたとしたら――。

 

(……悪魔が黒獅臣ばっかりなら良いのに……本来の悪魔はそうじゃない)

 

 悪魔とは本来、邪悪な者。人間を惑わせ災いを齎し堕落させる、超越的存在。

 森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)などの種族だけが至ったのならまだ良い。少々難しいとしても友好関係を築けるかもしれないからだ。

 ところが、悪魔はそうはいかない。

 生者を弄び害をなす人類の敵、悪の権化。

 そんな存在が大多数出現しようものなら世界が終わる。第10位階魔法に<最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>があるが、冗談じゃない。現実の目の前で悪魔が牙をむき、人類におぞましき所業を行おうとしてきたら冗談でも笑えない。

 

 悪魔だけではない。死者(アンデット)人狼(ワーウルフ)さらには豚鬼(オーク)などの存在もいる。

 種族はそれだけではなく、その他全てがなだれ込んできたら現実世界が音を立てて崩れ去り、人類滅亡の序曲が開始される。

 環境汚染により虫の息の人類など赤子の手を捻るより簡単だ。

 最も、人類亡き跡の汚染された大地に価値があるのかどうか疑問でしかないが想像してもキリがない、それでも人類が滅びることは確定であろう。

 

 事は別世界のここでも通じる。魔法だけじゃない、ユグドラシル(ゲーム)由来のモノが溢れたとしたら――。

 

(……この世界は崩壊する。いや、すでにもう本来から崩れてしまっているのかもしれない)

 

 そんなことはしてはいけない、させてもいけない。既に遅いとしても、緩和させることはできる。

 この世界の情勢は不明だが、ユグドラシル(ゲーム)が影響を与えてる事の差異は見て取れた。

 でなければ、この世界の統合が取れない。パズルの欠片しか見つからないが、パズルの歪さで本来の物から合わない事は感じられる。

 この世界と合ってない、混入されていると言っていい。

 完成したジグソーパズルの世界絵に、ユグドラシルが描き込まれているかのように足されている、恐ろしいほどに蛇足だ。

 

 でなければ、中途半端な位階魔法しか行使できないなどあるはずがない。

 この世界にユグドラシルと同じ魔法が根本からあったのならば十全に使えるべきであって、低レベル位階までしか使えないなんて在り得ないのだ。

 使える位階を知り、全体から使える位階詠唱で熟練度を区分するなんて事は当たり前の事。

 それでも、この世界では意味が違う、人間に使える位階が定まった上で区分している、それより上は超常の存在、上位者しか使えないかのように語られている神話の話。もしかしたらそれは――

 

(与えられ、伝えられたもの……もしかしてそれらは同じ……)

 

 ――やめよう。推測の域を出ないものを頭の中であれこれと考えても意味がない。

 ましてや、情報が足りない現段階でするべきことではない。下手な決めつけは、他の考えの妨げになってしまう。これは明らかに下策中の下、もっと情報が集まってからすればいい話。

 憶測で物事を決めつけるのは、悪い癖だ。

 

 それに、先ほどから取っ手(ドアノブ)を捻る手が全然進んでいない。……進んでいない? なぜ進まない? 思考と反して身体の動きがやけに遅くなっている事をフォロウは実感する。

 

 ガチャン。

 取っ手(ドアノブ)が下まで勢いよく下りる。

 身体に意識を集中したとたん、動きが通常通りの速さに戻り扉が僅かに開く。

 

 フォロウは、自身の手と取っ手(ドアノブ)を交互に見る。

 首を少し捻り、再び元の位置に戻った取っ手(ドアノブ)を下ろし、完全に扉を開いた。

 今度は、少しも遅くなっておらず普通の速度。

 

(気のせい? それにしては思考が凄くはっきりとしたものだったような……?)

 

 不可解な認識の不一致さに思考の海へと潜りそうになったが、それを散漫させたのは先に居る人物によるものだった。

 

 

 それは人間種の男性。

 緩やかな黒金色(ダークゴールド)の髪を後ろに流すオールバックの髪型で、もみ上げから顎までぐるりと繋がる綺麗に整えられた短い髭が髪と同じ色をしている。

 髪と髭に囲まれた顔のパーツは、彫が深く端正に整っており、精悍だが他人を安心させる柔らかな雰囲気を醸し出してた。

 体躯は、一・九メートルを軽く超え。身体は鎧に隠れて見えないが、健康的な小麦色の肌は顔だけしか見えなくても、鎧の下に鍛え上げらたものを想像させる。

 その身を包む鎧は、見る者を圧巻させるものだ。

 青銀の溝付甲冑(フリューテッドアーマー)は、その色と細かに装飾された金色が慎ましくもきわ立たせ、背に被う同じ色の外套(マント)は、偉丈夫を包み込むには十分な大きさ。

 腰には精巧な作りの(ヒルト)が見える剣を帯剣し、背には外套に隠された頑強なヒーターシールドが僅かに見える。

 清廉潔白、佇まいから彼を評価するならこれが当てはまった。

 

 聖騎士、そう表現するしかない騎士がフォロウを見る。

 深い黒青色(ダークブルー)の瞳が彼を一層引き立たせ、女性なら微笑み掛けられると姿と相なり、迷わず恋に落とされる。

 まさしく、その姿は理想の騎士そのもの。

 

 彼は、王域大都市アウルゲルミルを守護する表層都市六区画の騎士区画(ナイツ・コンパートメント)代表取締筆頭、騎士団長ハラート。

 

 都市はいくつもの区画に分かれている。

 王城を中心とする一区画、城を時計回りに囲むように区切られている表層六区画、都市地下に位置する一区画、最奥の一区画。

 ハラートはその表層区画の一つに配置されている区画守護者NPCであり、王列13人の一人、騎士の王を冠する騎士王グレン・アークトゥルスに創造された存在。

 特徴は見た目通りの剣と盾、そして信仰系魔法が組み合わさった攻防、特に防御に関しては他の追随を許さず、設定された二つ名は堅城の青銀。

 生半可な攻撃は、ハラートには一片の傷も付けられない。

 

 堅城の青銀、ハラートはフォロウの数歩手前まで歩み寄り、頭を下げ跪く。

 そうであるのが当たり前だと言わんばかりに、所作に一片の揺るぎなどなく、優雅に感じるほど鮮やか。

 ガラスを透過し降り注ぐ光が騎士を祝福してるかのようで、そのまま空間を切り取り額縁にはめてしまえば、後世に語り継がれる偉大な騎士の姿絵だと言われても間違いない神秘さを放っている。

 

 フォロウは、ハラートに見惚れていた。おとぎ話に語られる、偉大な騎士と言う存在が好きだったからだ。

 民衆を助け悪を退ける偉大な騎士の絵本は、元の世界に何冊も所持し、自身の心を魅了してやまない程読み込んだ本。本からそのまま出たかの様な人物が目の前に居れば、同じく魅了されても仕方のない事。

 実際にこの目で見れば、造形の見事さに心が震え、目が離せなくなっていた。

 

 両者の間には、静寂が訪れている。ゆっくりと後方から流れるバルコニーの風だけが、邪魔せずに優しく吹いていた。

 

 騎士にも風が吹くが、動かない。跪いた姿勢のまま、十秒ほど時間が経過していた。騎士の外套だけが僅かに揺れたのが、確認できるだけで何も変わらない。

 

(あっ、これ。自分が話しかけるのを待ってるのか……)

 

 自分は、王という事になっている。目の前で跪く騎士によってフォロウは、改めて実感した。

 偉大な騎士に仕えられている、嬉しいがその半面、どうしようもない歯がゆさも感じていた。

 偉大な騎士が仕えるのは理想の王であるべきで、自分の様な威厳も姿も持ち合わせてない存在が受けるべきではない。

 おとぎ話に描かれる理想の王など、ハラート(偉大な騎士)の前には存在しない。

 彼の理想を叶えられない自身を酷く憎む。憎むが、それが唯の自分よがりだと思い知る。

 

 偉大な騎士、理想の王。

 そんなものは空想の産物、夢見がちな子供の願望に過ぎない。

 いくら目の前に偉大な騎士を体現した存在があろうとも、それは自身が望んだ認識の中に存在する者でしかなく、今確かにここに存在するのは偉大な騎士などではない。

 騎士ハラート、彼が彼である所以でここに存在している。

 彼には、理想の王など関係ない。自らの意志で、彼は自分に跪いている。

 

 せめて自分にできる事、彼の忠義に応えなくてはいけない。その為の王は、既に自身の中に控えていた。

 

「……跪くなど、僕には必要ないですよ。ハラート」

 

 顔に微笑浮かべ、立ち上がることを促す。

 威厳も厳格も併せ持たないフォロウができる事は、持たない振る舞いをすることではない。

 持ちえないからこそできる、自分という(自身)が臣下に対して、真摯に応えるが正しいと導き出した。例え、理想の王に成れなくても。

 

「……我が王に対し、跪く必要がないなどありえません」

 

 心を掴む低音が、跪く騎士から届く。

 芯にまで響く声は心地良く、頭を下げ顔を見せない者の奏でを切望させ、その先を望む者を引き付けた。

 

「この身全ては王のために、この心は準ずる御方の為に存在するもの。自然とこの身があなた様の姿を一目見て、動いたに過ぎません。人の身は、必要があるから動きます。ならば織りなった行いは、必要があるから動作しただけの事……」

 

 騎士は、顔を上げる。

 フォロウを見つめる眼差しはとても優しく柔らかで、微笑みを携えている。

 

「唯、それだけでございます。我が王、私が準ずる御方よ」

 

 鼓動が早くなる、興奮の血潮が駆け巡る。

 フォロウの瞳には、ハラートが映る事で子供の願望が再び花開く。

 それは、偉大な騎士の話なんかじゃない。目の前の人物が語る、ハラートの(偉大な)物語。

 どうしようもなく引く寄せられ、物語の登場人物の様に少年を王として振舞わせるには十分だった。

 

「……ふふっ、まるで面白いように言葉を紡ぐ。いつから騎士ではなく、詩人となった?」

「ご冗談を、わが身は剣であり盾。詩人の様に回る口はついてなく、偶然にも心が紡いだに過ぎません。騎士にしかすぎない身が、如何にして詩人の様に述べられましょうか?」

「そうであったなら、貴殿は天性の詩人となる。幾芥の凡才が羨むほどのな、今からでも遅くないぞ?」

 

 フォロウは、首を傾げ微笑む。そこには悪戯心を含ませた少年さを垣間見せた。

 

「我が王は、御戯れがお好きと見える。堅物の身ではありますが、願いとならば叶えるのが臣下としての努め。お望みならば、あなた様の前だけは詩人として振舞うことも厭いませぬ」

「ならば立ち上がっておくれ。跪いたままでは、振舞うこともできない」

「お望みとならば」

 

 ハラートは、立ち上がった。

 跪く時と同じように、立ち上がる所作も揺ぎ無い。鎧を装備しているのにも関わらず、その音を一切鳴らしていないのが見事としか言い表せない。跪いたままの姿とは違う、立ち上がった姿は堂々たるもの。

 後ろめたさなど一切ないその姿は、フォロウの先ほどの憂いを払拭させた。

 心の内から湧き立つ何かが後押ししてくれる。願望が、輝く羨望が、間違いではないと自身に言い聞かせてくれる様に。

 

「……やはり、跪くより立ち上がった方が様になる。そのままの方がずっと良い」

「それだけは適いません。騎士として、臣下として、威光の前には自然と膝を付けるもの。最早、これは身に刻まれた性と言っても過言ではなく、同時に我が誇りと言っていい。称賛頂いた手前ですが、何とぞお許しください」

 

 頭を下げ哀願に近いそれは、フォロウを苦笑させた。

 いや、哀願とは言いすぎかもしれない。それは、純粋な願い。

 ハラートがハラートである為の必要な儀式に近く、騎士が騎士である為の掲げる誓いに他ならない。騎士の誓い(アン・オース・オブ・ナイト)とは、よく言ったもので、それを忠実に守ろうとする彼は騎士以外に在り得ない。

 元より本当に詩人にするつもりなど、毛頭ないが。

 

 軽く握った左手を口元へ寄せ、咳を一つ。切り替えを終わらせると、ハラートを優しく見つめる。

 

「許すも何も、非礼すらしてない者をどう許せと? 気にするな。逆に、僕は誇りを持ってるハラートが凄く好ましいとさえ思う」

「勿体なきお言葉。より一層の忠義を持って、仕えさせて頂きます」

 

 あぁ、やはり彼は騎士だ。

 礼を尽くす姿も、行動規範も、言葉の節々さえも、全てが彼を構成している。どれか一つでも欠けてしまったら、多分それは騎士ハラートではなくなってしまう。

 騎士王グレン・アークトゥルス――グレンには、感謝してもしきれない。

 こんなに素晴らしい彼を生み出してくれた事、新生した後でより一層の感動を得るなんて思いもしなかった。

 今はもう、感謝を直接言う事は出来なくなってしまったが、その分ハラートに返すことで彼へ捧ぐ感謝の意としよう。彼の子供……いや、確か設定では弟子であったか。自分の次の後継者として、ハラートを置いているとしていた。

 

(グレン……あなたの弟子は、立派な騎士としてここで生きてるよ……)

 

 時間はそう経ってない、それでも帰れない事からそう感じさせ、懐かしいとさえ感じさせる。

 過去となった人物の語らいが脳内で再生され、フォロウの顔に微笑みを表す。大切なギルドメンバーが生きてきた証が、違う世界のここでもしっかりと息づいているのだとハラートの顔を見れば分かる。

 

 バルコニーからの風が再び両者を撫でる。笑顔を湛えてる双方を祝福する様に、互いの外套を優しくなびかせた。ほのかに芳しい匂いを乗せて――。

 

(ふふっ、そう言えば。扉を閉めてもいなかったな……ん? なんか良い匂いがするような……?)

 

 フォロウは、匂いに釣られて振り向く。

 背後の先には、山盛りのヴルストを乗せたシルバートレイを左手に持ち、苦虫を嚙み潰したような形相の黒獅臣が佇んでいた。

 

 フォロウの時が停止する。復帰するのに、五秒もの時間を有してしまった。

 

「……黒獅臣、何時からソコニ?」

「……」

 

 忘れていた。さっきまで黒獅臣とバルコニーに居たのにも関わらず、忘れてしまっていた。

 フォロウの額から一筋の汗がゆっくりと流れ、緊張とともに落ちる速度も上がっていく。鼓動の速度は加速を続け、全身に意味もなく熱を届けてしまう。

 願うことがあるとすれば、彼がついさっき来た事を祈るだけだ。

 

 苦々しい顔から一転、にこやかな顔に変わると黒獅臣は跪く。シルバートレイを一切揺らす事のない、これまた見事な所作。

 

「我が王に対し、跪く必要がないなどあ「うわぁぁッ!!! 殆ど最初からじゃないかぁぁぁッ!!!」」

 

 言葉の続きを出させないために、黒獅臣の口を両手で塞ぐ。その顔は高熱にうなされた病人の様に、真っ赤に染め上がっていた。

 

(あぁぁあぁぅぁぁ! 恥ずかしい!! 恥ずかしいっ!!! 黒獅臣に聞かれてたなんてっ!!!)

 

 舞い上がり、王と振舞った姿は舞台役者に近かった。

 役者(アクター)ならいざ知らず、フォロウは演技などした事のない素人、その場の空気に呑まれてカッコ良い王として振舞った黒歴史を晒したに過ぎない。

 事情を知らない他の者だったら良かったが、黒獅臣だけは別。

 自身の内情も感情もさらけ出した対象故に、幼いころの書き留めていた秘密の書を曝け出したもので、意図してやったわけではないとしても聞かれてしまった後ではもう遅い。

 感情の乱気流は、通過が終わるまで落ち着くことは不可能だ。

 

 目の前の黒獅臣は、ニヤニヤと目を細め、此方を嘲け笑ってるかの様、それがフォロウを尚更取り乱す。

 意味の分からない呻き声と行動、主に黒獅臣の口元の髭袋(ウィスカーパッド)をこねくり回すという奇行を繰り返していた。

 

「……ぷっ、ふっ! アッーハハハハハッ!」

 

 背後から破笑の声が聞こえる。

 目元に涙を浮かべながら振り向く先には、ハラートが胸を押さえ大きく笑う姿が確認できた。

 やってしまった。

 恥ずかしさに打ち勝ち、気丈に振舞い続けるのが正解だったのだ。

 臣下に痴態を晒してしまった事は大きく、王としての振る舞いそのものが崩れるだけなく、陥没を起こしている。

 笑われてる事で自覚は大きく、フォロウを打ちのめすには酷く多大過ぎた。

 

「ハハッ……おっと、失礼。元気になられたご様子に、思わず嬉しくて笑いが堪え切れなくなりました」

 

 息を整えるとハラートは、口角を僅かに上げ目を細める。その瞳は、王の痴態をみて笑ったのではなく、喜び故の破顔だと感じさせる笑みだった。

 

 フォロウは、少し状況が飲み込めず硬直する。

 晒したものがものだった故に、自身の想像する結果と今が結びつかない。

 呆れられても仕方がない振る舞いをしたのにも関わらず、目の前のハラートは安泰を喜んでると言っている。何故、そのような結論に至ったのか意味が分からなかった。

 もしかすると見えない服が在ると信じて、身に纏った王様の振る舞いに似て良かったとか? 駄目だ、意味が分からない。

 今の自分の頭は、蒸気機関車の吐き出す蒸気みたいに思考が耳から漏れ出している。

 火照った頭では考えても考えても追いつかず、意味の分からないものが浮かびすぎて、耳から出る勢いが止まらない。

 

 答えが出ないまま黒獅臣から手を放す、黒獅臣は名残惜しそうに髭袋(ウィスカーパッド)を自ら揉み込んだ。

 フォロウが頭を押さえてうなだれてると、ハラートはゆっくりと語る。顔には哀愁を漂わせ、胸に当ててあった手が緊張から小刻みに震えていた。

 

「彼の地から離れて時が経ち、新天地へ至った王のご様子は芳しくありませんでした。臣下共々、王のお力になればと奮闘してはいますが、王列の方々に比べますと我々の力など微々たるものに過ぎません。心の支えにもなれぬこの身を悔やむばかりです……」

 

 そこから続く話は冷静さを取り戻すと同時に、フォロウの心を打った。

 従来通りの務めから離れられず、傍に居られない歯がゆさ。

 異変にいち早く気づけず、参上が遅れた鈍重さ。

 あまつさえ指摘されるまで新天地に至った事を気づけなかった、己の無能さ。

 王の憂いを晴らせぬ、騎士である自分を。

 

 心情を吐露したハラートが一言、消え入りそうな声音でフォロウに言う――申し訳ございませんでした、と。

 

 ……巫山戯るな、彼に罪なんてない。誰かが糾弾しようとも、自分がそいつを必ず黙らせる。

 浮かれていた、甘えていた、享受されるのが当たり前だと思ってしまった。

 自身の腐った頭に撃鉄をくれてやりたい。

 この世界への転移にて激動の連鎖があったとはいえ、臣下を放り出し、自身の殻に籠っていた自分を呪いたい。

 自責の念で苦しんだ、目の前の騎士にどう償えばいい? 騎士である己の力量が至らなかった? そんな事は、断じてない! 気高い騎士として創造された彼に、至らない点なんて一片も存在しない!

 

 歯を噛み締める。勢い余り、フォロウは内側の頬粘膜を傷つけ血を滲ませた。

 荒れいく心を落ち着かせたのは、僅かな痛みと、自身の血の味。痛みが直ぐに引くと、自身の目に力を宿らせる。

 

 自分の責任だ。

 臣下に頼り切り、責務から逃げた己の罪。何をしていた? 紅茶を啜り、美味な品に舌鼓を打ってる場合だったのか? 違う。

 本当にやらなければいけなかった事は、指導者として、王としてこの子(臣下)達を導いてあげなければいけない事だったのに……! その為にどうすればよかったのか、知った今なら理解した。

 

「……ハラートの言葉、確かに受け取った。謝辞も同じく受け取ろう」

 

 王で居るだけでは駄目なのだ。

 

「だが、騎士であるハラートに落ち度はない。在ると言うならば僕も同じ事、臣下に任せきりにした自身の至らなさの結果だ」

「王に落ち度はありませんッ! 我々、臣下一同が御心に添えぬ、至らなさ故でございますッ!!」

「ならば! 心を悟らせなかった己が至らなかったと同じ事ッ!!「ですがッ! 王よ我わ」これ以上は不問とする!!!」

 

 王座に座るだけでは駄目なんだ。

 

「……ありがとう、礼を言う。だからこそ、言わせて欲しい。新天地にて困難があるだろう、災難があるだろう、もしくはだれも予想せぬ未曽有の事態が襲ってくるかもしれない……」

 

 誰かが望んだからじゃない、自分自身の意思で、己の意志で王へと至らなければいけない。

 

「……それ故に、僕も臣下と共に歩みたい……いや、歩ませて欲しい。僕一人では、絶対無理でも皆の力添えがあれば成し遂げられる! 叶えられる! だからお願いだ……僕も皆と同じ沈痛を共感させておくれ……」

 

 王は一人ではない、臣下が、民が、皆が居るからこそ成り立つ。

 

「……そして、誓う。僕も一人の王として、臣下の王として、民達の王として。そして、王域都市アウルゲルミルの王として、今ここに宣言する!!!」

 

 右腕を振り上げる。

 右肩に掛けられた外套が勢いよく舞い上がり、円を描くように広がった。面積が広がった外套は、自身の決意を後押しする。

 

「決して、皆を一人にしないと。決して、皆を孤独にしないと。決して、皆の王を不在にしないと! ここに改めて、王として君臨することを確言を持って、今ここに新たに誓う!」

 

 

 理想()の王。その為に、新天地で新たにフォロウは、自らの意志で王に就く事を決意した。

 

 

 目つきが変わった。

 ハラートは顔を強張らせ、眼前の王へ無礼が一切ない騎士の最敬礼を行う。

 

「……自らの拝命、承りました。王域大都市アウルゲルミル表層騎士区画(ナイツ・コンパートメント)、騎士団長ハラート。忠誠の誓約(オース・オブ・ロイアリティ)を用い、我が剣と盾を持って、我が全ては王の身を護り、困難を払い、供に歩むことをここに誓います……」

 

 ハラートは、跪く。粛々と帯剣を抜くと両手で横に持ち、それをフォロウの前で掲げ捧げた。

 

 透き通ってさえ見える剣身(ブレイド)

 その刃区(ショルダー)には金の細工が施され、刃先(カッティングエッジ)まである(フラー)は青銀の輝きで、そこには銀の幾何学的文字が彫られていた。

 その剣の刃先(ポイント)は触れれば容易く傷つく程、先端は鋭い。

 

 聖剣、カリブルヌス――騎士王グレン・アークトゥルスに賜った宝剣。

 

 騎士にとって剣は命と同価値、さらには自らの創造主に与えられた物となると己より価値が高くなる。その何物にも代えられない剣をフォロウに預けようとしている。

 これには憶えがあった、何度も絵本でみた誓いの儀式。騎士就任の際に、剣を主に預け騎士任命を指す、真の騎士の誓い(アン・オース・オブ・ナイト)に間違いなかった。

 

「誓いと共に聖剣をお預けします、我が主よ……」

 

 フォロウは剣を受け取り、持ち上げる。

 不思議と重さは感じない剣は、光に反射するとより一層の輝きを放っていた。

 ハラートの肩に剣の刃を置き、騎士就任の宣言と与える誓いの文句を唱えていく。

 

「我、汝を騎士に任命す。汝に与える誓いは、『偉大な騎士である身を常に誇り、勇ましく在れ』。誓うのならば、汝の剣に汝を委ねよ……」

 

 文句を唱え終わると、任命者に向かってフォロウは剣を向けた。

 応えるハラートは、向けられた剣の刃に口づけをする事によって誓いを成立させる。

 

 

 今、主に定められた騎士がここに誕生した。

 

 

 絵画に描かれてもおかしくない、王と騎士の光景がそこには在る。

 その光景を傍らで立ち観ていた黒獅臣は、何故か先ほどよりも強く苦虫を嚙み潰したような形相を顔に刻むだけだった。

 

 

 ハラートは、ゆっくりと立ち上がる。その顔には、満ち足りた笑みがこぼれていた。

 

「……ありがとうございます。貴方の騎士にして頂けて、私の心はかつて無い程満ち足りました。これ以上の事は、過去にも未来であっても決して無いでしょう」

 

 フォロウは、微笑む。

 向けていた剣を横に持ち、ハラートに返却する。

 

「ふふっ、それは言い過ぎだよ。僕もハラートを騎士に出来て凄く嬉しいよ……ふふふっ」

 

 笑い合う、騎士と王。

 厳粛に行った騎士任命の後というのに、厳かとは無縁な空気だがハラートには必要なかった。

 供に歩む事実が欲しかった、唯それだけ。

 それだけで彼は満ち足りた、目の前の方と笑い合うだけで良かったのだ。幸福の中に今、彼はいる。

 

「ふふっ……ん? あれ、そういえば何故ハラートがここへ来たの?」

 

 当然の事実に、今更フォロウは気付く。

 彼は本来、騎士区画(ナイツ・コンパートメント)にある重要な機関を護る専用守護者。

 ハラートがわざわざ王城へと来る理由などない。何故ここまで来たというのだろうか? 疑問が沸き、頭を傾げた。

 

「……あぁ、目的を違えておりました。本来は、先発隊の情報をお届けに参った次第です」

 

 先発隊――斥候達の事か、それなら合点がいく。

 律儀な事に情報を重要視し、自ら届けようとしたのだろう、騎士である彼には十分な理由だった。

 

「先発隊の……ありがとう。でも、部下に任せても良かったんだよ? 区画守護者であるハラートが行う事でも無かったのに……」

「いえ、そうはいきません。この情報は新天地の第一報。重要度に関しては、区画守護者たる私が相応しいと判断させて頂きました。そうですね……この場ではなんですし、バルコニーテラスにて報告させて頂いてもよろしいでしょうか?」

「あっ……その事なんだけどね。ハラート、実は「その必要は、ないでやんすよ」……うん、そういう事なんだ」

 

 ハラートとフォロウは、背後いる黒獅臣を見る。

 その顔は笑みを形作っていた。深く、深い、刻み込むような笑みで。

 

「報告は、恙無く終えさせて頂きやした。区画守護者たるハラート殿には、大変申し訳ないでやんすが……あっしの方が一足早かったみたいですね。これは失敬失敬、無駄足になってしまいやしたね! 本当に、申し訳ないでやんす!」

 

 ニコニコと深い笑みのまま、告げる黒獅臣の顔は崩れない。

 受け取ったハラートの顔は悩まし気に変わり、右手で軽く顎鬚を掻く。二三回程掻くと、呻るように声を出していった。

 

「んぅむ……なるほど、先を越されてしまいましたか。区画守護者の務め中、急いで来たのですが……いやはや、さすがは黒獅臣殿ですな! ネコの如しとは正にこの事! 区画守護者たる私ではこうはいきません。自由であるその身が羨ましいばかりです! アッーハハハハハッ!」

「そうでやんしょ? 自由な御かげで我が君に、一早く、御報告出来たんでやんすからね~っ! あふふふふふ~!」

 

 ハラートが大仰に笑う、黒獅臣も同じく大仰に笑う。

 その様子を眺めていたフォロウは、微笑ましく両者を見る。

 転移直後はこの二人はよく衝突をしたものだが、今では笑い合うまで仲を深めたとは驚きを隠せない。胸をなでおろす気持ちの中、一体いつの間に仲良くなったのか? と、少し疑問に思うが気にしないで置くことにした。

 詳細を聞くのは野暮な事、何事にも優先されるのは睦ましさに他ならないからだ。

 

 笑い声はバルコニーの外まで響いている。

 それは十秒ほど経過する事で、漸く終わりを見せた。

 

「ハハハッ……ふぅ。さて、黒獅臣殿。折角ですから情報の精査をしませんか? 先発隊の情報と言えども、捉える者によっては違えてくるもの……いかがですかな?」

「あふふ……ふ? 何を仰ってるやら……得た情報は恙無く我が君にお伝えしましたし、他には何もありませ「焼き尽くされた村の事は、お伝えかな?」……なるほど……それは、盲点でやしたね……」

「焼き尽くされた……村? どういう事なの?」

 

 何の話かとフォロウは黒獅臣を見る。半目の顔は、微笑んでるハラートに向けられているままだった。

 

「……調べ終わっておらず、除外してやした。不明確過ぎますので、御身が聞かれる程の事ではないかと、愚考した次第です」

「それを決めるのは、御身自ら判断する事では? いかがでしょうか、主よ。今は、少しでも多くの情報が入り用な時です。お聞きになる価値は、必ずあると思いますが?」

 

 どうしたものか。両者の意見に頭を悩ませる。

 確かに今は少しでも多くの情報が必要な時、ハラートの言い分は妥当で筋は通っている。

 焼き尽くされた、とある事から自然災害ではなく人災によるもの。

 口火の一端でも知り得たなら、国家リ・エスティーゼ内の情勢が読み取れるかも知れない。情報の大小はあるが得られる可能性が高い分、聞く価値は十分ある。

 

 それ故、引っかかる。何故、黒獅臣はバルコニーで報告をしなかったのか?

 盗賊の事を報告に挙げた分、焼き尽くされた村の件は情報の価値が低いと保留にしたのか? 土地や村と都市、それらを纏める国々を報告に挙げていたのにもかかわらずだ。

 調べ終わってないと言っていたが、他の件も元より調べ終わってなどいない。あらゆる情報を必要とし、求め続け集めている。それなのにかかわらず、判らないと言うだけで何故除外した(・・・・・・)? 不明確が過ぎただけで報告をしなかったのか? それだけで、憚るとは思えないが……。

 

 いや、ここで聞かないという選択肢は在り得ない。

 そもそも、ハラートがここまで来てくれたのに聞かずに跳ね除けるなど、フォロウには出来るはずもなかった。

 

「……そうだね、聞いておきたい。ハラート、現段階で分かった事を教えてくれる?」

「ハッ、直ちに」

 

 ハラートが礼を行い、報告を上げる。

 黒獅臣は目を瞑り、口をきつく結び、顔を背けた。まるでその様子は、話の内容を聞きたくない様だが、ハラートに視線を向けたフォロウには、その姿は見えていなかった。

 

「焼き尽くされた村ですが、何者かの集団によって焼き討ちに遭ったようです。集団については直接視認してませんので詳細は不明、村には生き残りが数人残されておりました。生存者に関しては、後に現れた傭兵と思われる小隊規模の内、数人が護衛の下で都市エ・ランテルへ向かった、と報告が上がっております」

「残りの傭兵集団は、今もその村に留まってるの?」

「いえ、残りの傭兵は直ぐに去りました。襲撃者の追跡の為と思われます。不可解な部分が多く、現在も先発隊の調査は村で続いております」

「現段階で分かった部分はある?」

「生存者の話を影で聞いただけですが……どうやら襲撃者は帝国騎士の可能性が高い模様です」

「帝国騎士……周辺三国の一つバハルス帝国の者か、確かに不可解だ……」

 

 リ・エスティーゼ王国領内に他国の騎士集団が村を襲っている。何故、帝国の騎士が王国の民を襲っているのか? これはかなり不審さを臭わせる案件だ。

 自国の民が他国の、ましてや国に仕える騎士に襲われたなどあり得るのか? いや、実際襲われたのだからあり得たのだが問題はそこじゃない。

 あからさま過ぎる、隠そうともしていない。

 国同士の問題になり、戦争にも発展しかねない行いを国の頭が指示したのか? 戦争をしたいなら普通正当性を持たせ、宣戦布告をしなければいけない事、これでは逆に王国側に正当性を持たせてしまっている。

 それとも関係ないのか? 帝国から一部の騎士集団が離反して、王国の民を襲っているのか? その線もかなり薄いかも知れない。

 国から支給される装備類は離反時に没収されるもの、集団規模の装備をそのままで見逃すなど、どう考えてもあり得ない。辻褄が滅茶苦茶、きな臭さがこの件から漂ってくる。

 

 だが、しかし。この情報はかなり有用だ。

 不可解だが、その分得られる情報の質は段違いで二国の情勢を紐解く鍵となり得る。調査後の追加情報にも、当然期待が高まるであろう。

 黒獅臣が何故この報告を除外したか分からなかったが、今となってはそれは重要な事ではない。臣下たちが有用な情報を齎した、これこそが一番重要な事。さすが王域大都市の臣下、自慢の子達だ。

 

「……なにか、そのままでは捉えてはいけない、意思の流れを感じるね」

「はい、同感です。他国といえど、騎士が唯襲撃したとは信じられず、疑問に思っております。戦闘員でもない村人を襲うなど余程の理由がない限り行わないでしょうし、無辜の民を焼き討ちにするなどの非道、理由無くやるとは到底思えません。まともな精神ならば絶対……」

 

 ハラートの顔は険しく、村人を思って憤っている。

 その顔を見てフォロウは不謹慎だが、とても嬉しく思っていた。彼の気高い精神は、他の民でも想えるだけの優しさを備えているのだと。

 

「そうだね、普通ならやらない。逆に考えると、普通じゃないからやったとも考えられる……ありがとう、臣下共々の報告に感謝する」

「勿体なき言葉、調査中の先発隊にも御言葉を必ずお届けします。皆共々、王の御言葉に歓喜する事でしょう」

 

 礼を行うハラートをフォロウは優しく見て微笑む。

 感謝してもしきれない。身を粉にして働いてくれる子達にどうやっても頭が上がらなくなる。自分自身で直接感謝の気持ちを伝えたいが、言えない今に若干もどかしくもあった。せめて、近くであったのなら――。

 

 いや? ちょっと待てよ。行けるのではないか?

 王域都市外となるが場所が分かっており、焼き尽くされた村には現在調査中の臣下のみ、距離など魔法が使えるのならば一瞬で行き帰りが可能だ。臣下を労わる為の慰安訪問という名目ならば、きっと許されるに違いない。

 

「届ける必要はない、僕自ら感謝の意を伝えるよ!」

 

 外に出れる可能性に、フォロウの顔には期待を滲ませる笑みが零れんばかりに溢れ、その体を前のめりにさせる。近づかれ、その顔を間近で受けたハラートは慌てふためき驚いた形相へと変わった。

 

「で、ですが、先発隊が帰還するのは調査が終わった後になりますので、主を御待たせる訳には……一時帰還させますか?」

「調査を中断させるなんて出来ないよ! 現場には今臣下たちしか居ないんでしょ? なら危険はないじゃないか! 身を粉にして働いてくれている皆に少しでも感謝を伝えたいんだ! だから……ねぇ? ハラート、お願い!」

「そ、それ、は、そのっ。主自ら赴くなどとても……申し訳ありませんが……「そこをなんとか!」っ!!!」

 

 勢い余り、フォロウはハラートの右手を両手で握る。

 装備されている籠手(ガントレット)から感じる感触は装甲板に比べ、手の平側布部分はそれ程硬くはなかったが、自身と比較すると遥かに大きくゴツゴツとした逞しいさに、思わず握る力を強めていく。

 熱が入ってる為、その行動は直線的。動揺している騎士の眼を少年の瞳は逃がさない。

 

「身を案じてくれてるのは分かるよ? でも、それは僕も同じなんだ。頑張ってる臣下に少しでも何かにして返したい……もしかして、ハラートは臣下の皆が居る場所で、僕が危険な目に遭うと思ってるの?」

「そ、そんな事は、断じてっ! し、しかし、です、ね? 主よ、私は……「どうしても……駄目?」……ぅぅ……」

 

 よし、このまま押せばいける。この時ばかりは少年の身で良かったと、ニヤリ内心でフォロウは笑う。

 如何せん臣下たちは、自分を子ども扱いしてるような気がする。

 確かに王として慕ってくれたりはするのだが、変に扱いが凄く丁寧というか何というか――彼らの王としての接し方だろうか? 姿はコレだが、中身は成人してる身なので難痒くて仕方ない、<変幻自在(シェイプチェンジ)>を使って姿を変えた方が王として様になるのでは? 悩みどころだが、いきなり姿を変えてしまっては臣下たちを動揺させるので置いとくとして、今は動揺中のハラートを攻め落とすのが肝心。

 よし、このまま叩き込む!

 

 意気揚々と、言葉の連打を叩き込もうとしたフォロウの耳に高い打ち鳴らした音が届く。それは背後で黒獅臣が手を叩いた音だった。眉を潜ませた顔には、多少の失笑感を含ませている。

 

 フォロウとハラートの前まで歩を進めると、繋がった手を優しく離す。シルバートレイを上腕に乗せて、揺らさないという器用さを見せて。

 

「はいは~い、そこまででやんすよ。騎士団長殿がお困りでやんすから、御戯れはそこまで。正式な出立はバルコニーで決めましたし、思い付きでそのまま行動するなどいくらなんでも看過出来ないでやんすよ?」

 

 黒獅臣の鋭い目がフォロウを一閃する。受けた当人は鋭さ故に、思わずたじろいだ。

 

「で、でも、僕。現場で頑張ってる皆に少しでも何かしたくて……」

「御身が行ったとしても、現場調査が滞るだけ! 邪魔したら元も子もないでやんすよ!」

「……むぅ~、だって~……」

「だってもクソもありません! まったくこの子は! 我が儘ばっかり言って! 臣下を困らせる!」

「……黒獅臣~、お願いだよ~……」

「よし! 駄目でやんす!」

「……いいのではないですか? 黒獅臣殿」

 

 両者のやり取りを止めたのは、ハラートの一言。それを聞き黒獅臣は鋭い睨みを利かせるが、彼は微笑む事でそれを受け流した。

 

「先発隊に疲労などの弊害はありませんが、心労は溜まりゆくもの。王自らの御言葉を頂戴すれば、それらも全て払拭する事は間違いありません。現場の効率は逆に滞らず、上がる事でしょう」

「……本気で言ってるんでやんすか? 事と次第によっては大事になり得るかも知れないのに、御身を現場へと赴かせるのでやんすか?」

「だからこそ我々が御供すればいい。正式な出立に向けての予行練習だと思われれば良いし、人員も丁度いいのでは?」

「そうだよ! 予行練習も兼ねてやれば良いし。場所も臣下たちが居る場な分、安全は保障されている。予行には持って来いじゃないか!」

 

 フォロウは、それに、と胸を張りながら続ける。

 

「曲りなりでも僕は王列の一人。決して弱くないと自負しているし、自己調整の為にも必要な事なんだよ! 黒獅臣、お願い!」

 

 黒獅臣は、フォロウを見る。そして静かに目を瞑った。

 約数秒、長くも短くも感じさせる時間を用いて彼は考えを巡らせている。元より予定通りには運ばないと思ってはいたが、よりにもよってここに合わさった事に無念を隠せなかった。

 表情には出さない、良い機会だと思うしかない。

 いつかはぶつかる事柄、ならばできるだけ御傍にいて支えて差し上げれば良い。その為に、自身はここに在る。

 

 目を開く。優しく、でもどこか憂いを感じさせる眼だった。

 

「……案じてるはそこじゃないんでやすがね……わかりました、いいでしょう」

「ありがとう! 黒獅臣!」

「良かったですね、主よ」

「うん! ハラートもありがとう! 二人共よろしくお願いね!」

 

 はち切れんばかりの笑顔。嬉しさ極まってか、僅かに跳躍し身体全体で表現をする。

 漸く何かで返せる、行動できる。臣下の為と相成っては喜びも一入で、フォロウを更に湧き立たせた。

 ハラートが傍で微笑ましく見ていたが、黒獅臣は僅かばかり微笑みに影を落とす。ほんの少し、口角が上がりきらず表し切れていない。

 その僅かな違いは、誰にも、仕える方にも知られない、僅かな後悔の影だった。

 

「よし! 善は急げだ! 行くからにはあれもこれも検証して、やることも全部やらなくちゃ!」

「では、このまま準備をし。赴きますか?」

「準備も大事でやすが、都市の臣下に通達も大事でやすよ? せめて他の守護者位の者には必須でやす」

 

 通達の必要性、フォロウも蔑ろにはしない。

 調査の件と共にまとめて一片に解決できる案が浮かび上がった。

 

「だから、ゲルダに会いに行く。話を通せば事は全て伝わるからね」

「ゲルダ……統括殿ですか。確かに私たち守護者を纏め上げている地位ならば、問題なく話は通ります」

「そうそう! ぁ~、早く会いに行きたいな!」

「あふふ、楽しみでやんすか? 確かゲルダは……」

 

 フォロウは、慈しみと特別な暖かさを持った笑みを浮かべた。

 

「うん、僕が唯一生み出した子。直接会ってなかったから、会うのが楽しみでしかないよ」

「なら、あっしは御身が向かうと一報を入れさせていただきやす。その後に準備を進めさせていただきやすね」

「私も準備と、少々離れると騎士区の部下に通達してきます。では、後程合流いたしましょう」

「分かった。……あっ、そうだ黒獅臣」

「あふ? 何でやんすか?」

 

 向き合う姿は、どこか照れくさそうで言いにくさを感じさせるもの。

 だが、意を決して話す言葉はどうでもいい事この上ないものだった。

 

「……その……持ってるヴルストの盛り合わせ食べていい? すごくおいしそうな匂いがして、食べたくて仕方なくなってしまって……」

「ああ! 勿論、良いでやんすよ。御方の為に用意した盛り合わせ、あっしのヴルストをご堪能下さいでやんす」

「我が主は食欲が旺盛でとても良い。ですが、立ったままでは些か行儀が悪くございます。一度、バルコニーテラスにてお食事をしましょう。用意されている品もある事ですし」

「あ、用意してもらった料理は食べたよ」

「……はい?」

「……見た方が早いでやんすよ」

 

 そこから始まったのは蹂躙だ。

 限界まで肉汁を蓄えたヴルスト(ソーセージ)はパンパンに張っており、ナイフを入れると取り分けた皿の上で肉の海を形成する。勿体ない、直接口の中にそのまま歯で噛み切っていたら余すところなく口に含めたのに、皿の上に逃れてしまった。でも心配する必要はない、今も切り取った断面からは肉汁が溢れ続け、肉汁の滝を形成している。最初は、丁寧に、厳かに。一口サイズに切り取ったヴルストをフォークに刺す、早い作業が求められ、タイミングが命だ。吹き出す旨味をこれ以上逃さぬよう、僅かな隙間を見逃すな。刺したフォークの圧力が安定したその瞬間、口内へと運ばれる道が出来上がる。美しさすら感じさせるフォーク運びは、僅かな滴すら落とさなかった。ようこそ、口内へ、最初にお迎えするのは歯ではない、舌だ。表面張力の如き肉汁の膜がフォークが抜かれたと同時に崩された。肉汁が決壊したダムの様に、舌の上に勢いよく拡がっていき、それと同時に唾液も分泌されていく。このままでは肉汁と唾液の海に溺れてしまう。そう思わせるほど口内の水位上昇は、激しかった。早く、早く! 咀嚼を始めなければ! 奥歯で遂に噛み始める。皮の部分ではない、中身の肉々しい感触が歯から伝わり、脳へ直接訴えてくる。少し力を入れただけでも溢れ、歯を肉汁でコーティングしているかのようだ。決心がついた、噛み切る。顎の筋肉に力を入れ、助走をつけるため噛み合わせを少し浮かせる。口を開けてはいけない、もうこの肉汁を外に逃せない、せめて口のダムは決壊してはいけない。時は今、来た。歯を勢いよく下す、ヴルストが二つに割かれ別れて歯茎に粗挽きの感触が擦れていく。愛撫だ、それは肉同士による口内での濡れ場。艶めかしく繰り広げられた嬌声があげられ天に届く。最早止まらない! 止められない! 噛み割く行為が止められない! 止めどなく流れる嬌声が舌を包む、甘く荒々しい行為を連想させる場面を口内で演出し、脳に激しく暴力的に行ってくる! もっと、もっともっと、もっともっともっと! 右に左に、噛み合わせを交互に変え、頭を持ち上げ喉を張らせる!

 

 ゴッ……クンッ……くっ……はぁ……。

 

 喉に過ぎ去る瞬間にも、噛み潰されたヴルストは存在感を表していた。顔は上気している。暴力的なまでの旨味の殴打に、咀嚼という行為に溺れていた。だから、悔しい。勢いに身を任せ、味わうという行為を疎かにしてしまった。後悔はしたが、ほんの一瞬だけ。何故なら皿にはヴルストが山の様に盛られている。まだ、味わう余地はある。今度はヴルストに蹂躙はされない、蹂躙されるのは向こう、声を上げるのはこっちじゃない。

 

 

 食事を再開し、瞬く間にヴルストが消費されていく。その行為を傍らで観ていた二人は、唯々凝視するしか出来なかった。

 

 

 

 




お 腹 が 空 い て た ん で す。


7/28 誤字、脱字などの報告本当にありがとうございます!
チェックしてるはずが、抜けまくっててお恥ずかしい限りです。


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1-4 自己証明

オリ主サイドです。


 

 ――王域大都市アウルゲルミル・王城ウォーデン・王城内通路。

 

 連なり並ぶ白亜の石柱が通路を厳粛に演出し、間に真っ直ぐ伸びる通路は遠く見える扉まで深紅の絨毯が敷かれている。

 それは細かい金の刺繍が施された逸品、実際作るとなると費用が莫大になることは火を見るよりも明らか。

 その通路の天井はアーチ状になっていて高く、遥か高みの天井からは音が子気味良い反響を奏で、歩行者の耳にマズルカが演奏されてると幻聴させる。

 側面からは程よい日光が降り注ぎ、頬の火照りが子気味良さをより助長させるだろう。

 

 しかし、通路にはマズルカは聞こえてこない。

 少年を先頭に、数人の騎士が後方に続き歩行を等間隔で行っている。

 一糸乱れぬ鉄靴(サバトン)から聞こえる音はマズルカと言うより、行進曲(マーチ)に近く、どこか戦いに赴くのでは? と連想させる屈強な騎士たちの顔は、険しく力強かった。

 天井から木霊する音は、もはや軍隊行進曲(ミリタリー・マーチ)

 先頭を除き、騎士たちを見ればそう称されることは間違いない。

 

 先頭の少年――フォロウは、現状に顔を顰めていた。

 

(甘かった……移動だけでもこんなに仰々しいものになるなんて……!)

 

 黒獅臣とハラートから別れ、転移ではなく折角だからと王城内を徒歩で進んでた時に巡回騎士と出会う。

 供連れをしてなかったフォロウを御守りする為と、護衛を買って出てくれたまでは良かったのだが、その後がいけなかった。

 一人、二人、三人……と護衛の数が増えていき、今では小規模の随員行列と言っていい。

 このままでは、数人ではなく数十人規模になっていき、大名行列になっていくのでは? と危惧する程だ。

 

 今では少々怖くて後ろを振り返れない。

 止まってもいけないし、ましてや解散なんて、とてもじゃないけど言えやしない。

 鉄靴(サバトン)の音が高鳴るにつれて、もう一人増えたのでは? と察するが、事実なのか今ではフォロウには分からなかった。

 

(断るんじゃなくて、一緒に来てもらえば良かった……! なんで城内を移動するだけなのに、こんなに大袈裟になるんだよ!)

 

 騎士たちの熱気が背中からひしひしと伝わる。

 王を護ってる、御守りしてる献身からのもので、その気持ちが火傷のように同時に来る。

 

(お願いだからこれ以上増えないで! ゲルダに会いに行くだけなのに大事にしたくないだよぉっ!)

 

 若干だが目に涙を溜めるが、願いは聞き届けられる事はない。

 通路で巡回中の騎士は余すところなく、王護衛の隊列に加わっていく。

 

 騎士たちの眼は熱い。

 

 使命を帯びたその眼は、否応なしに通路に軍隊行進曲(ミリタリー・マーチ)を轟かせた。

 

 

 

 ……。

 

 

 

(よ、ようやく着いた……。振り返るのが怖い……)

 

 扉の前で止まると鉄靴(サバトン)の音も同時に止み、静けさが訪れている。

 このまま振り返らず去るなんてことはできない。騎士たちの献身は真実、気持ちに応えないなんてフォロウにはとてもできなかった。

 

 聞こえないように静かに深呼吸を一つ、顔に笑顔を一つ、心に感謝の気持ちを込める。

 

「ありがとう騎士たち、御かげで問題なくここまで来られ……」

 

 振り返った先にある場景に思わず言葉を詰まらせる。

 横に三列、縦に八列、合計二十四人もの騎士たちが隊列を組み威風堂々とした面構えで佇んでいた。

 見事な立ち振る舞い、どこに出しても恥ずかしくない騎士の在り方、微動だにしない身体からバルビュータ――コリント式兜から覗かせる目は、フォロウをしっかりと見据えている。

 

 笑顔が強張るが、ここで止まるわけにはいかなかった。

 唾と共に飲み込み、言葉を続ける。

 

「……ました。ご苦労様です……」

「「「「「勿体なき御言葉! 恐悦至極の極みでございます!」」」」」

 

 言葉の圧がフォロウを叩き、それに合わせて騎士たちが一斉に跪く。

 事前に打ち合わせでもしてたのかと思わせる、淀みなく発した言葉は空気を震わせた。

 圧巻でしかない。

 跪き並ぶ姿は見る者を威圧させるには十分で、悪漢が居たなら彼らを見た瞬間に逃げ出すことは必然でしかない。逃げ切れるかどうかは定かではないが。

 

 ただ、その実力を今出してたらご遠慮願いたいのがフォロウの本心である。

 

「で、では、僕は守護者統括に話があります。巡回の任に戻ってもらって大丈夫ですよ」

「ハッ! では、各自持ち場に戻り。城内警護の勤めを再開させて頂きます!」

 

 答えてくれたのは目の前に居る巡回騎士で、指示を出していき他の騎士を散開させた。此方に礼をし、続々と通路の奥へ騎士たちが消えていく。圧力が薄れていくにつれて自然に飲み込んだものが、喉の奥から出ていった。

 

(……ふぅ、良かった。一時はどうなるかって思ったけど、大事にならなくて……)

 

 巡回騎士と眼が合う、彼は微動だにしないまま動かない。

 最初に出会った巡回騎士、供連れをしてくれた彼だ。何故動かない? 何か忘れていたのか? 騎士の瞳の力強さは損なっておらず、此方の視線を逃さない。

 中々動かない騎士にフォロウは痺れを切らし、話しかけてしまった。

 

「……貴方も戻ってもらって構いませんよ?」

「いえ、最初にお供させて頂いた者として、最後まで追従させて頂きます!」

 

 その時、フォロウの内心はどう表現したら良かったのだろうか。

 騎士の曲がることなき献身さに心を打たれたら良かったのか? それとも、騎士の最後まで護衛を全うするという芯の実直さに心を震わせたら良かったのか? もしくは、騎士の王を護るという忠義に心を唸らせたら良かったのか? 一つはっきりとしてる事は、大変申し訳ないが勘弁してくれ、という事だけである。

 

 じゃあ、そのまま伝えたらいいのでは? となるが、言える訳がない。

 輝く瞳、眉を眉間に寄らせ、口をきつく結び、姿勢正しく胸を張り、右拳を握り締め、左手の盾は胸に掲げて揺るがない。

 その様な人物に面と向かって、お前はいらない、など口が裂けても言える訳が無い。

 言えるとしたら、それは悪魔に間違いない。

 ……あぁ、悪魔と言えば黒獅臣だ。

 あの何とも言えない物言いが、大仰(オーバーリアクション)な振る舞いが、少し前だというのに酷く懐かしくなってくる。心が許されるとは、正にこの事か。

 ……若干、悔しいが。

 

 正式な場ではないが、王として君臨すると宣言した手前だけに尚更はっきりした。

 王とは元来こういうもの。自分一人の身ではない。

 後悔はなかったが王としての教養が無い分、どの様にすれば良いか分からないのが痛い。絵本で得た知識だけしかない為、本来の王としての振る舞いが分からないのだ。

 理想()の王――民衆に愛され、臣下に慕われる、国の(トップ)。なら、どうすればなれる? 史実にも居なかったんではないだろうか? 万全な王、無欠の王、精到の王……等々、想像してもキリがない。

 かつて、過去の人間が成し得なかった事を、果たして自分が出来ると言うのだろうか? 後悔は、本当にない。

 無いが……不安はジクジクと足元から這い上がってくる。

 追い払いたいが、これは自分の遇合。宿命とかではない分、まだマシだが。定まったからには逃げたくないし後悔はしたくない――もう二度と、ごめんだ。

 

 だからと言って、どうすれば良いかが、そもそも解決していない。これは困った。

 分からないからといって何もしないのは駄目だし、知らないまま愚行をなすなんてもっと駄目だ。

 あぁ……、王列13が創り上げたギルドだが、カッコいいからと言う理由だけで君主制もどきの国家を準えてしまった事に、現在から過去へ異を唱えたい。

 しょうがないじゃないか、まさか別世界に転移なんて誰にも想像出来ない。

 ましてや、ユグドラシル(ゲーム)からだ、想像すらしてない。心の中だけは、愚痴を言うのを許しておくれ。

 

 ――仕方ない、ここはアレをするしかない。意図してやったわけではないが、騎士団長ハラートにも効果が有ったのだ、目の前の巡回騎士にも効果はある……はず。

 

 目を瞑る。信じろ、今の自分自身の姿(少年)を。

 そして、行うのだ。笑顔を携え、臣下を想い、振る舞う姿(少年)を!

 

 目をゆっくりと開く、自分より背の高い騎士を見上げ言葉を読み上げる。

 

「ありがとう……! その忠義、僕の心身全てに染みわたります……!」

 

 右に握った拳を左手が優しく包み、祈るように目の前に上げる。

 その上に在るのは、華開く満開の笑顔。曇り一つないその笑顔は、巡回騎士を貫き逃さない。

 

「はっ、あっ、ハイッ!!! 当然の事であります! 御身に仕える事こそが我が喜び! 我が使命! 望む命運! 余る光栄に、この身を震わせるばかりであります!」

 

 あ、いける。多少ぎこちなく行う固い騎士の敬礼姿に、フォロウは確かな感触を得た。

 やはり、この姿(少年)か。やっぱり、この姿(少年)なのか。まごうことなき、この姿(少年)だったのか。

 うまくいった事へ思わず右拳が力を増すが、この姿勢(ポーズ)を崩してはいけない。後ろめたさを感じてしまうが、今は置いとくとして目の前の騎士に集中する。

 

「ふふっ、凄く頼もしい! さすが栄えあるアウルゲルミルの騎士。安心してこの場を任せられます!」

「は? い、いえ。私も追従し、供に赴かせても「……それなんだけどね」っっ!」

 

 近づき、背伸びをし、顔を下から覗き込む。騎士の目は大きく見開き、驚愕に変わった。

 フォロウは人差し指を自らの唇に当て、片目を瞑っている。静かに、秘め事だと騎士へ伝えるために。

 

「守護者統括には積もる話もあって、二人きりで会いたいんだ。分かるでしょ? 僕とゲルダの間柄を。邪魔って訳じゃないんだよ? でも、他の人が居ると話せる事も話せないでしょ? 騎士である貴方にもそんな事ないかな?」

「……は、はい、確かに。同期集いの場に他の者が居ると、話辛く……なるかも……です」

「だよねっ! だから、二人きりで会いたいんだ! 分かってもらってよかった! ……ありがとう感謝します」

 

 慎ましく、憂いを帯びた装いを纏い、騎士に対して面と向かう。対しての騎士は慌てふためき、再度の敬礼を行った。

 

「ぅっ! そんな! 私如きに感謝など要りません! 王の御気持ちは受け取りました。どうぞこの場は私に任せ、統括殿との語らいを存分になさってください!」

 

 よし、事は相成った。

 案外すんなりといったものだ、恐ろしいほどに。

 どうぞ、と扉を開けようとする騎士の手を制する為に右手で掴み、今度は微笑みながら人差し指を口元に寄せる。

 

「……ビックリさせたいんだ。ここは僕にさせて? ね? お願い」

「……っは!? はい! 申し訳ありません! 配慮を怠っておりました!」

「謝らないで、僕の勝手を分かってくれてありがとう。では、この場は任せます」

「ハッ! この場は私にお任せを! 」

 

 脇に移動し、騎士は構え立つ。

 力の入れようは傍から見てても、その気迫が伝わってきた。

 王に任され、自身が請け負った。唯それだけの事だというのに、彼にしてみれば騎士として何事にも代えられない名誉なのだろう。一目見ただけでも分かる。

 ぶれない姿勢、鋭き眼孔、過剰とも言っていいほどだが騎士である彼には当然の事。

 むしろ、手を抜くという行為が喪失してる様に感じさせる。揺ぎ無い騎士の在り方は、称賛を受け取るには必然だ。

 

 騎士の姿をにこやかに見て、正面に向く。するとその笑顔は見る見るうちに溶けていった。

 

(ぐっ……はっ……ぁあぁぁぁ~……きぃつぅうぅぅ……)

 

 もし、魂という存在があるとしたら、口からエクトプラズムが出たのを確認できたであろう。

 顔面には感情が塗られていない、無表情の白紙。

 気持ちは確かに嘘偽りない。無いのだが、自身の行いを振り返ると背筋が震えるどころではなく、凍り付くすら生温かった。

 なんだ、あの手の組み上げは、人差し指は。

 呻きを上げ転げ回りのた打ち回りたい衝動が湧き上がってきたが、心の防波堤がなんとか実行を阻止した。アレは一体どういう心境で行ったというのか、行った本人なのに今ではまったく解らない。

 いや、解ろうとするな。多分、解ってはいけない類のものだと思う。うまく事が運んだ結果だけ、見れば良い。

 

 

 不意に頭へ、理想()の王はコレだったっけ、と過ぎったが。答えを持たないフォロウには分からず、口を結ばせるしか出来なかった。

 

 

 フォロウは、大扉の前に立っている。

 黒く重々しい黒檀の大扉は、磨き上げられ、鈍い輝きを放っていた。

 この先に自分が創造したNPCが居る。純然たる事実が今更ながら扉と同じく重く圧し掛かる。

 会うのは楽しみ、本当だ。話し合いたい、本当だ。でも、気持ちを聞くのを恐れているのも、本当だ。

 親になった事は向こう(リアル)でもない。

 でも、生み出した存在は我が子も同然。どう接したらいいのか? 他の子達とは違う、自身の子。考えても考えても、答えが出ない。教えてくれる誰かが居たら、この疑問も解消されるというのだろうか。

 

 脚を見る。動く足を、先ほどまで歩んできた己の足を。

 

「……うだうだしても仕方ない、折角足が動くんだ。会わないという選択肢はハナから無い」

 

 重く鈍い音を微かに立て、扉は開く。

 十分に通れる隙間が出来、身を滑り込ませる。

 

 

 完全に扉を開かなかったのは、後ろめたさ、からかも知れない。

 

 

 

 部屋の中心に、大きな円卓の机(ラウンドテーブル)が真っ先に目につく。

 扉付近を除き、天井付近まである本棚が壁の側面にいくつも設置されており、全体的に少しだけ暗い。

 机の真上から降り注ぐシャンデリアの柔らかな光と、消えることが無い燭台の火が、明かりを提供している。

 机を囲む椅子は13。0時の方向に一つ、そこから扇状に広がり12の椅子が在る。椅子の作りは豪華だ。洗練さを極めた彫刻は背もたれ、肘掛け、床に触れる脚の先まで細かく手彫りがされ、張地には光沢が反射する革が使用される事で、身体を預ける者の存在を後押しする。

 王の椅子(キング・チェア)、ここは王列13が一堂に会する場。

 

 王列会同の間。何かある度、何かする度、何もしない時でも集まり、話し合いや談笑をした場所。

 

 0時に位置する椅子は、フォロウの椅子。

 ギルドマスター統一王は皆の顔を一同に見るために、他とは離れてる。

 円卓の机(ラウンドテーブル)を等間隔に囲むようにした方が良いと思ってたが、ギルド長だからと皆の強い後押しで一人だけ離れの席になってしまった。

 懐かしい、最初はどの席にするかって言い争いにまで発展したものだった。自分はどの席でも良かったのだが、他の皆は強い拘りがあったようで、最終的には現在の形に落ち着いた。

 

 フォロウの座の傍らに人物が佇んでいる。その存在こそ、自ら創造した子。

 

 スラリと伸びた身体は、一・七メートルの痩躯。

 全体的に細身だがやせ過ぎという事はなく、肢体は無駄な肉は一切付いてないだけで損なっていなく、逆に白い肌の造形美を増していた。

 長くしなやかな曲線美の先には上質な革靴(ローファー)が履いてあり、足先を尚更美しく彩る。

 上に移ると身体のラインに沿うように密着する黒の模されたミニタイトワンピーススーツが着用され、スカート部分にはスリット、移動性を損なわないように出来ている。

 ワンピーススーツを包むのは、太ももまである白の外衣(ガウン)。煌びやかで繊細、金の刺繍と金具で構成されてあり、ベルト横の腰辺りには黒い装丁の本が固定されていた。

 左手には革の長手袋、右手には黄金の威光を放つ輝く腕輪。

 主張し過ぎない胸元には、大粒の紅い宝石がはめ込まれた首飾り(ネックレス)をかけている。

 首飾り(ネックレス)の輝きを主張させず、装身具であるのだと決定付ける顔が上に在った。知的さを感じさせるやや切れ長の目は、眼鏡の下にあるのにもかかわらず損なわないどころか、瞳のやや赤い黒を栄えあるものに昇華している。

 完璧で形の整った潤う唇は、柔らかで優しい印象を相手に与え。

 肩まで伸びる黒く艶やかなウェーブの髪は顔と合わせ、まとめ上げる言葉を美貌と断定させる。

 

 彼女がゲルダ。フォロウが唯一創造した同じ人造人間(ホムンクルス)

 王域大都市アウルゲルミル王城区画(キング・キャッスル・コンパートメント)守護者統括代表取締、王佐ゲルダ。

 

 才色兼備、愛情と慈愛に溢れ。王域大都市アウルゲルミルをまとめ上げ、王列を補佐し、守護者で在りながら全守護者を管理する者。

 美しさと類まれなる智謀を持ち、王佐という絶対たる地位を誇りながらも、地位に驕らない人格者の面も併せ持っている。知的さと責任感故にか、取っ付き難い印象を他人に与えるが本人的にはその様にしている気はサラサラ無く、その事をほんの少しだけ気にする可愛い面も持っている。しかし、持って生まれた美と配慮できる人格で臣下たちの人望はとても高く、慕われているのも事実。可愛い面と言ったが、彼女は面だけではなく可愛いものも大好きだ。風貌と地位に付いてるだけに公にはできないが、小さきもの特に子供や小動物など、小物に至るまで自身が可愛いと思うものに対する熱の入れようは、噴火の如く高い。彼女の部屋には、誰にも見つからないように自身が可愛いと思うコレクションが、誰にも知られないように隠されているとかなんとか。因みに、彼女の可愛いもの好きは臣下たちには承知の事実だ。バレバレである。だが、彼女を立てるためか臣下たちは知らぬ存ぜぬを貫いている、彼女が愛され、慕われてる証明だと言えよう。冷静さ、優雅さ、淑女然とした振る舞いを彼女は完璧に行う。それが崩れるとしたら、親交の深い者や見知った同士などの前だけ。崩れた彼女の違った内面を見れば、更に彼女を好きになることは間違いない。だからかも知れないが、情が深いだけに、それらを害する存在に対する行いは苛烈極まりない。敵対者に対する行いは――と、思わず彼女の設定を思い出してしまった。ここまでにしないと、待ってる彼女に申し訳ない。意識を前に戻そう。

 

 ゲルダは微笑みを絶やさず、フォロウを視線を交わすと深々と礼を行う。

 

「……お待ちしておりました。王自らご足労頂き、自身の至らなさを悔いるばかりでございます。通達を受け、直ぐに此方から赴けば良かったのですが、移動した後となってはそれも叶わず、この場にて待機させて頂きました」

 

 来て早々に謝られてしまった。

 フォロウは何とも言えない気持ちになる。自らの創造した子だというのに他人行儀で砕けた様子が見受けられなかったからだ。

 一応は身内だと思うのに、余所余所しさが心の奥底を徐々に締め付ける。他の子と、変わらないというのだろうか。

 酷く、悲しい気分になってきた。

 

「……頭を上げて、ゲルダ。謝る必要なんてないよ、僕がしたいからここまで来たんだ。ゲルダの行動は褒められこそすれば、責められる事なんて全くないんだよ?」

 

 促し、ゲルダの近くに歩み寄る。

 頭を上げたその顔は美しく、先程と変わらない。

 

「そのお言葉で、我が身は洗われます。王のお気持ちに応えられるように、より一層の精進を以って仕えさせて頂きます」

 

 頭を上げた笑顔が、痛い。王と臣下の関係性が変わらない事が、更なる沈痛を胸へと打ち付ける。

 何を期待してたんだろうか。

 パパ、もしくはお父様と呼んでくれることを望んでいたのだろうか。

 自分より背が高く、知的さを漂わせる大人の女性に言ってほしかったのか。

 知恵が回り、冷静に物事を考え、都市全てを把握し、執行できる存在。自分が滑稽で仕方ない。

 もしかしたら自分は、創造した子だけが特別で自身を深く理解してくれてるとでも思っていたのか? 仲良く寄り添ってくれるとでも思ったのか? おこがましいにも程がある。

 ゲルダはそんな事の為に、居るんじゃない。

 彼女は、彼女自身の為に存在する。自分の為には存在してない、至極当然の事、当たり前だ。ゲルダは――娘でもないし――家族じゃない。

 

 頭を振る。愚かな考えを捨てるために、飛沫として散らすのだ。

 そして、笑顔を表し、応える為に。

 

「ふふっ、固くなり過ぎだよ? ゲルダは本当に真面目だね!」

「……当然の事ですわ。私は、己の職務に忠実なだけです」

 

 ゲルダは眼鏡を整え、僅かに目線を逸らす。

 

 職務に忠実、良い事だがやはり取っ付きにくい印象は拭えない。

 設定された部分から、来ているのか? 他の臣下――守護者なども設定に引っ張られているのだろうか? 設定そのものが元NPCの存在の核となる自我を形成している……? いや、だったら設定がない臣下はどうなのだ? 真っ白のキャンパスは描かれてない無我の状態のはずなのに、先ほどの巡回騎士は確然とした自我を獲得している。

 もしかして、自身の現状から自意識を形成した? それで、現実となったこの世界で命と生り得たのか? 設定を事前に持っている者だけは、自己にそれが書き込まれているのか? それが事実なら、自分はゲルダに設定という人格を押し付けて、形成させたかも知れない。

 本当かどうかは分からない。

 でも、可能性があるのならその方面もある。あったとしたら、自分は彼女にどう顔向けしたらいいのだ? 選択する自由を奪った。そこに彼女自身は存在するのか? 与えられた設定で、彼女は彼女たらしめる事ができるのか? その答えを――自分は出せないんだろうな。

 

 フォロウは、苦笑する。自身の空想論好きに。

 答えは出ないが、目の前の彼女に今言える事は分かる。固くなるなと言う事だ。

「それが、真面目だって言ってるの。 統括の職務は激務なんだから、疲れたら休まないと駄目だよ」

「それはご安心ください、我々臣下一同に疲労は皆無。何時でも万全を期して勤められるように、恩恵を受けております。疲れが起きる等、決してありませんわ」

「……んむぅ~。そういう事じゃ、ないんだけどなぁ~……。まぁ、疲れてないならいいんだけど……」

「……王こそ、息災であられますか?」

「え? 疲れてないよ。十分休ませてもらったし、快調快調!」

 

 握り拳を前に出し、親指を立て、顔には歯を見せる笑顔を表す。

 

 

「なら、何故。……先程から御辛そうな顔をなさっているのですか?」

 

 

 笑顔が止まる。立てた親指が軋む。喉が急速に乾いていく。

 何を言ってるのだ? 何で、自分が辛そうなんて言ってるのだ? 意味が解らない。

 こんなにも笑顔を出しているのに、何故この子は、ゲルダは、笑顔ではないと言ってるんだろうか。訳が、分から、ない。

 

「……最初に扉を開けて入られた尊顔は、不安を表していました」

 

 事実だ、不安が重く圧し掛かった。

 

「……頭を上げた後にお見受けした尊顔は、悲哀を表しておりました」

 

 事実だ、悲哀に締め付けられた。

 

「……語らい合う最中に見せる尊顔は、私を……見つめて……悲痛を隠す、笑顔を……作られ、ておりました」

 

 事実だ、悲痛に胸を打ち付けられた。

 

「わ、私に、何か至らない、と、所が……ござ、いまし、たで……しょう、か」

 

 何で、そうなる? 血の気が引いた美しい顔が、フォロウを見つめていた。

 ガタガタと身体を小刻みに震わせ、握り合わせた互いの爪が肌に食い込み、白い右手の甲を痛々しく変色させている。

 

「統括という地位を頂き、御手から創造して頂き、優れた存在として生み出されたのにも関わらず、私が怠り、お望みの通りに……致せなかった、で、しょう……か」

 

 床に座り、手を揃え、頭を床へと押し付ける。

 

「……申し訳ございません。自身が至らないせいで、王を……創造主様を不快にさせて、しまい……ました」

 

 違う、違うんだ。

 

「御手間を掛け造って頂きながら、被造物としての役目も果たせず、創造主様ばかりに負担を掛けさせる始末……万死に値します……」

 

 やめろ、やめてくれ。

 

「……自死も厭いません……でも、願いを聞き届けて頂けるなら……せめて創造主様の手で殺してく「なんっ……でっ……!」」

 

 限界だった。耐えられるはずがない。言葉を遂に、止めてしまった。

 自分の創造した子が、平伏し、自分に殺してくれと哀願するなんて。どういう冗談だ? 冗談で済むならまだいい。彼女は、ゲルダは、本気で自分に申し上げている。

 そんな事、少しも望んじゃいない! 滅茶苦茶だ! 自分は唯、彼女と普通にしたかっただけなのに。普通に、語り合いたいだけなのに。何故! 何で!! こんなことになっているッ!!!

 

 

 床に擦り付けてあった顔をゲルダは上げる。上げた顔にあるのは絶望の一色だけだった。

 

 

 あぁ、漸く、理解した。白く美しい肌をより一層白くさせて、乱れた髪が顔にかかり、表れた彼女の心情。

 こうなるのは当然じゃないか。不安、悲哀、隠した悲痛。

 創造された存在だからこそ察し解り、自身に向けられてる感情から己の存在が疎ましくなった、王を害してると判断したんだろう。想像を絶する。

 自らの神にも等しい存在から、その様な感情を向けられたのだ。絶望に染まり、少しでも創造主の憂いを払拭しようと、自らを捧げようとした。

 原因である自分自身がいなくなる事で、創造主の負の感情を解消しようとした。神に捧げる殉教者の如く。

 設定だ、何だと言って、彼女本人に向き合ってなかった。彼女は彼女だと言いながら、彼女は彼女なのか? と迷い、結局は身勝手なゲルダ像を思い描き、挙句の果てに決めつける。

 勝手だったのは、自分自身。向き合おうとしなかったのは、自分の方……。

 

 

 ――また、間違えてしまった。

 

 

 フォロウは、膝を付き。ゲルダに寄り添い、彼女の頭を優しく包むように抱きしめる。

 

 彼女の温もりが伝わってくる。血の気が引いた顔だったのに、こんなにも温かく生きてると感じさせてくれる。

 設定、自己、馬鹿らしくなってきた。

 もう、そんなのは関係ない。

 今いる彼女が、ゲルダだ。それ以上でも、それ以下でもない。

 彼女の体温が胸へと届いたようで、変に熱い。でも、不快感はない。もしろ、程よい心地良ささえ感じる。

 今まで、こんな気持ちは生きてきて感じたことはなかった。

 これが、娘を想う親の気持ちなのか? 分からない。分からないが、胸に感じている温かさだけは本物。

 この気持ちだけは、ゲルダに伝えたい、伝えなくては。

 

 抱きしめられたゲルダは、突然の包容に驚き戸惑っている。

 

「……そんな事、言わないで。誰が生み出した子を不快に思う? 役目を果たせてないと思う? ましてや、要らないと思うの? そんな事、絶対ない……」

「そ、それならば。何故、創造主様の瞳はそんなにも愁いを帯びていたのですか? 思ってらっしゃらないなら、何故、私にその眼差しを向けていられるのですか?」

 

 耳元に聞こえる震えた声。不安を諭す為、ゆっくりと、慎重に言葉を綴る。

 

「……唯、そう、唯単純に、自分はね? 君と話がしたかった。自分が生み出した子と話をしたかったんだ。さっき、ハラートとした話でも良いし。黒獅臣と……そうそう、黒獅臣が出したヴルストが美味しくてね? いっぱい食べたんだ。 美味しかった……君と一緒に食べたらもっと美味しいんだろうなって思うぐらいに……言えなかったから、悲しくなったんだね……」

 

 彼女は、黙って聞いている。背中を擦る、親が泣いた我が子をあやす様に。

 

「……だから、悲しかったんだろうね。王と臣下っていう関係に。ゲルダのせいじゃないよ? 君は何も悪くない。忠実に職務を全うしている君は全然悪くない。少しの、ほんの少しの行き違いがあっただけ……思いが、想いが大き過ぎたからこうなったんだね」

「……本当ですか? 本当にそうなのですか?」

「そうだよ。……誰が自分の娘を邪険にするもんか」

 

 ゲルダの目が見開く、創造主から掛けられた言葉に驚愕したからだ。

 

 今だから言える、一度は内心で否定してしまった家族。自分に命を捧げないために、この言葉を彼女に捧げたい。自分の為に命を捧げようとする、愚かで可愛い我が娘に捧げたい。

 口で娘だと言って解った。

 この感情をどう表現すればいい? 愛情? 情愛? それとも親愛か? 入り混じった感情がアンサンブルを合唱し、自身を駆り立てる。

 言わなければいけない。戸惑ってはいけない。大事な人に伝えないなんて後悔、もうしたくはない。

 

「……自分の娘、自分の家族……そう接したかったんだ。扉を開けた瞬間に、ゲルダに言えばよかったね。我が家族、我が娘って……迷ったお父さんを許してね」

「そんなっ! そんなことっ! 私如きが創造主様の娘なんてっ!! ……畏れ多くも程があります!!!」

「ううん、そんなことない。そんなことないんだよ。君は、娘。自分の娘。自分がどれだけ望んだって向こうじゃ叶う事がなかった、自分の家族なんだよ……」

 

 だから、と。抱きしめを解き、自分の娘と顔を合わす。

 彼女の顔は、驚きと動揺に染め赤い。その顔に手を優しく添える。

 

 

「……愛している。本当に、愛している。自分の愛しい、我が娘……」

「……ぁ……ぁあぁ……っ!!!」

 

 

 ゲルダは決壊した。

 冷静さも、淑女の装いもそこにはない。泣きじゃくり、声を上げ、泣いている。

 

 

 手に流れ落ちる、ゲルダの涙は温かった。

 

 

 自分達は一体何なのか? この身体は所詮仮初にしか過ぎなかったし、NPC達もデータ集合体にしか過ぎなかった。

 仮初が肉を持ち、NPC達も同じくそうなった。でも、果たして仮初だったものがそう成ったとして、本物と成れるのか? 肉体を持った現実の今でも、結局判らない。

 

 

 ――判らないままだが、胸に感じる熱だけは本当だと信じたかった。今はそう、想いたい。

 

 

 

 

 




前半から、後半の落差よ。
漸く、次から動き出します。


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1-5-1 命ノ価値

オリ主サイドその一
胸糞展開に注意してください。


「手間取らせやがって……クソガキが……」

 

 剣に付いた血を払い。動かなくなったガキを蹴り上げ、背を向ける。

 馬の鳴き声。悲鳴。叫び声。怒号。焦げる臭い。すっかり聞き慣れ、嗅ぎなれたそれを首を振ることで邪魔くさく払う。気分転換をしようと思った矢先にコレだ。

 

 歩きながら、歯を鳴らす。

 

 玄関口で男女を発見し、邪魔な男を排除した後でお楽しみをヤろうとした時だ。

 ベリュース隊長もヤってた事、俺がヤっててもおかしくはない。むしろ必要な事だ。斬り殺した後はヤケに股座が反応するから、収めないといけない。

 慣れたものだ。

 最初は臆してたが、今じゃ躊躇なく剣を振りぬける。その後にヤることも問題なく、むしろ楽しいとさえ感じる。

 

 始めようとしたときに問題が起きる――ガキに殴られた。

 

 頭にキた。男女の(つがい)じゃなくて、夫婦だったとは。

 ガキは俺を壺で殴っておきながら、ガタガタと震えて「お母さんを放せッ!」って泣きわめき。ヤろうとした女は俺に組み付いてきて「逃げてッ!」と、抑え込んできやがった。イラつき勢い余って斬り殺した。勿体ない。まだ、挿れてもいなかったのに。本当に勿体ない、少し良い女だった。

 

 クソガキにはお仕置きが必要だ。女の死体に縋り付き、泣き叫ぶガキを玄関先に引きずり出して、剣を突き刺す。

 

 大人と違ってすんなり刺さる感覚は、少し癖になるほど刺し心地が良い。女の次に良いかもしれない、どっちにしても。

 だが、こいつはお楽しみの邪魔をしたクソガキ。楽には殺さない。

 

 肝臓だ。

 

 人体の血が集まる臓器を破壊すれば激痛が走り、大量出血で確実に死に至る。高度な治癒魔法、高級ポーションじゃない限りまず助からない。血の泡を出しながら、悶えてやがる。ざまぁみろ、クソガキは苦しんで死ね。

 

 あぁ……でも、どうすればいい? 変に期待した分、消化不良で疼きやがる。

 流石に動かない奴相手にヤる趣味は流石にない。どっかにはそういう奴じゃないと燃えない性癖がいるみたいだが、俺は幸運な事にソッチの趣味はない。そこだけは神に感謝だ。

 

 ……神、神か、神には感謝しても仕切れない。普通じゃ実感できない、生、って奴を感じさせてくれる。

 しかも自分には極力痛手が出ないやり方でだ。特に逃げ回ってる奴の背中を斬り付ける瞬間と来たらクるものがある。これは、老若男女問わずに来るものがアった。たまらなくイい。

 

 前の村での事が浮かび上がって来る……アレは良かった。

 選んだのは、若い女で……十八か十九ぐらい……か? まぁ、どちらでもいい。程よく脂肪が付いてて、抱き心地が良さそうな女で……同じぐらい柔らかく斬り甲斐がある良い女だった……。

 

 ――特に良かったのは赤が似合う、透き通るような白い肌。

 

 最初に斬る場所は背中じゃなく、脚。早くも遅いくも判らない相手を一定にするため、一番に斬る場所はソコしかない。脚を斬っちまうと庇う様に逃げるから、良い塩梅の速度に収まる。

 

 後は、じっくりと楽しむだけ。

 

 浅く斬っていき、徐々に深く斬っていく。緩急が大事だ、振れ幅が大事だ、上に、下に、右に、左に、噴き出させないように、滲ませるように、突いては駄目だ内臓を傷つける、叩いても駄目だ骨を折ってしまう、必要なのは白い肌に沿う様にあばら骨を撫でるように……斬る事だけだ。

 

 背中の布が何度も斬られることではだけるのが、最高にソソる。背骨の溝に血が集まって、白桃の割れ目に流れ落ちるのを見た時はそれこそ神を感じた。狂おしい程の命の脈動! 我々は神に愛されている! 愛されてるからには、愛さずにはいられない! だから……俺は……愛する行為をやめられなかった……愛しい彼女が地に伏せるまで。

 

 最愛って、こういうのを言うんだと思う。

 

 か細い呼吸を繰り返す彼女は愛おしい。血化粧を施された白い背中が美しい。血の気が失せた白い肌は陶器の様に輝いてた。背中からの失血が翼を描き、彼女は……羽ばたいて逝ったんだ。……そうだ! あの時ッ!!! 俺も、俺も同時に逝った!!! 初めてだった!!! 何所も触れずに出たことはッ!!!

 

 彼女との事は、今思い出しても脳を蕩けさせる。

 

 最高だった。

 最高だったから、下が張って歩き辛くなってきた。でも、最高だ。そうだ、次は仲間が追いかけてた姉妹にしよう。うん、そうしよう。先を越されてるが大丈夫。

 どっちかは残ってい――

 

 

「……お……母、さん……」

 

 

 ――蜜の様な思案が糞声の投入で台無しになる。

 

 動かなかったから、既に死んだと思ってたガキの声。

 

 ……クソガキ……萎えたじゃねぇか、何でいい時に邪魔をしやがるクソガキが……さっきもお前がいるから発散できなかったじゃねぇか、クソガキのクソが……クソガキ……クソガキクソガキ……最愛の蜜夢を糞で塗りやがって……クソガキ……バラバラに多々っ斬って……糞肥溜めに叩き込んでやろうか……クソガキ……クソが……。

 

 

 ……よし、二度とクソの声を出せないように次は喉を斬ろう。……うん、それがいい。その後に手足だ。

 

 

 俺こと、エリオンは、段取りを決め歩みを止めた。

 

 クソガキをバラす為に、振り返る。

 

 

 

 ――振り返って……振り……返って……心を……一瞬で攫われた。

 

 

 

 なんだ……? 端麗なんかじゃ済まされない彼女……いや、彼女なのか? フード付きの外套の下に貫頭衣と長スボンを履いている姿は男にも見える。ひょっとすると 彼、かも知れない。一体いつからそこに居た? いや、関係ない。どっちだろうと、どうでもいい。それぐらい、心を奪われた。

 

 子供を抱きかかえる姿は憂いを纏って、更に美しさを増している。

 

 柔らかそうな黒い髪。潤んだ瞳。完璧な形の潤った唇。小柄な身体。そして……シミもくすみのない透き通る白い肌。

 

 ヤバい、萎えたものが戻る。

 髪を引きちぎったらどれ程柔らかく離れるのか。瞳を舐めまわしたらどれ程甘いのか。整った唇に歯を立てて齧るとどれ程溢れるのか。小さい体を力一杯抱くとどれ程軋むのか。白い肌を赤く塗ればどれ程俺が出るだろう。

 

 子供の事なんかもうどうでもよくなった。彼女か、彼か、どっちでも良い。三つか、二つかの違いだ。あの人を前にしたら些細な事でしかない。

 脳がかつて無い程、あの人を求めている。下が痛くて歩きづらい。胸が高鳴り、呼吸が乱れる。俺は今、あの人に恋をしている。

 引き寄せられ、ゆっくりと近づく。あの人が何か言っていたが、脳がうまく処理できず、うまく返せなかった。許してくれ。肌が触れ合うぐらいに近づくから、その時にもう一度聞いてくれ。

 

 もう少し、もう少しだ。あと数歩であの人に触れられる。触れた後が楽しみで仕方がない。下が湿って仕方がなく、早く解放したくてうずうずしていた。

 

「――このっ――」

 

 声が聞こえた、染み渡り馴染む声。声まで素晴らしい。俺が声を上げさせたら、どんな声で鳴いてくれるのか、今から楽しみで仕方がない。

 

 手を伸ばす、変に力が入り小指が第一関節で強く曲がる。

 

「……何をしようとした?」

 

 手首を掴まれ、停止した。

 横から突然重く響くような声が投げ掛けられ、視線を動かす。

 そこに居たのは、黒い獅子を連想させる大男が無表情で俺を掴み、立っていた。

 

 

 ――俺はまたしても、萎えてしまった。

 

 

 大男は手を離さない、力強く掴み続けている。俺は動けず、大男の何とも言えない雰囲気で、たじろぐしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ね~ぇ~、ゲルダったら! お父さんってなんで言ってくれないの? 恥ずかしがらないでいいじゃないか!」

 

 王列会同の間、椅子にフォロウは座っている。

 自分の娘ことゲルダと思いの丈をぶつけ合って少し経った後、ゲルダに問題が起きた。いや、問題って程でもなかったが、ゲルダが元の冷静な装いに戻ってしまった事である。ひとしきり泣いて落ち着いた為であろうか? その事について、今現在抗議を申し立てている最中だ。

 

「……いえ、恥ずかしがっておりません。ぇえ、恥ずかしがっておりませんわ。おりませんとも! しかしながら、王と臣下の立場は変わっておりませんので、悪しからず返させて頂きます」

 

 椅子の傍らに居るゲルダはそう答えた。

 

 ――これである。

 

 ほこりを払い、髪を整え、眼鏡を定位置に戻し、凛とした立ち姿で立っている。

 顔には、絶望の色は全くない。もしろ、生き生きとした希望溢れる顔がそこにはある。喜ばしい事は確かだ、認めよう。でも、頑なな態度を取ることは認めたくない。折角、打ち解けたと思っていたのにこれでは元の木阿弥……元とは違うな、改善はしている。もっと仲良くしてもいいと思うのだが、何が彼女を突き動かしているというのか。

 

「……へぇ~? あんなに可愛く甘えてくれた、ゲルダちゃんが見れないのは少し悲しいな~? パパ悲しい」

「……勘違いした私に非がありますが、まだ仰られるようでしたら私にも考えがあります。それに、お父様か、パパかどっちかにしてください! ……これからのお食事を療養食に変更させて頂きますね?」

「ごめんなさい。本当にごめんなさい。それだけは、ご勘弁を」

 

 食事を引きに出されてしまったら、強く出られない。ぐぅ、さすが王佐だ。

 料理の美味さを知った後で条件にされるとは、同じ人造人間(ホムンクルス)なのに酷な手を切る。残念だが、ここらで手打ちと言ったところか、関係は進展したんだしこれで良しとしよう。なに、急いではいない。ゆっくりと進んでいけばいい、時間はあるのだから。

 

 フォロウがそう考えていると、ゲルダが咳を一つ行う。

 頬を赤め、眼を右往左往させ、手を組み人差し指をこすり合わせている。

 

「えぇと、ですね? 私も創造主様の事をお、お……父様……とお呼びしたいのですが、その、まだ準備が出来てないと言いますか……。申し訳ありません。お時間を頂けますか? ……お願い致します」

 

 卑怯! 圧倒的に卑怯だ! これは胸に来る!

 

 普段冷たい印象を持たれる美人が、頬を赤め可愛らしい一面を見せてくるなんて、他の男だったら一発で落ちてるぞ。自分の娘で良かった。そうでなくても、顔の力がなかなか入らず眉を顰めたり、口を結んでるのに口角が上がったり、喜怒哀楽が入り混じったよくわからない形相になってきた。

 

 あぁ、胸がキュンキュン疼く。世の中の父方は、こんな思いを受けているのか?

 

「……い、いいよ。ゲルダが良いと思うタイミング構わない……さ」

「ありがとうございます! 御心がこの身に沁みますわ」

 

 笑顔が眩しい、温かい。

 可愛らしく手を合わせている姿をフォロウは、微笑ましく見ていた。

 

 愛おしい。自分の娘もそうだが、臣下たち全てにそう感じる。

 臣下たちは優秀には間違いない。でも、その精神には大きな隔たりがあると感じた。

 人間は段階的に成長と共に知識を蓄え、自身を構築していく。彼らにはそれは無く、完成された形で創造された。十が成熟とすれば、一から、二と、三と、順当に経験と知識を得るはずが、最初からの十の力と知識を持って成熟している。

 

 彼らには一から九の経験が無い状態に近い。

 

 数値的には何も変わらないだろう、上辺から見える部分では。

 でも、現実となって身近で見て分かった。彼らには一から十までの段差が無い、もしかすると一すら無いのかも知れない。過去があるから人間は己の足で立っていられる。過去が無い人間は現状に縋るしか出来ない、臣下は間違いなく現状(自分)に縋る状態だ。

 

 死ねと言ったら……間違いなく彼らは死ぬ。歓喜に震えて心臓に刃を突き立てるだろう。

 

 踏み止まる過去が無い。記憶なんかじゃない、それは記録だ。歩んできた自身と他者との触れ合いで感じ憶えて来た道、感億と言うべきか。それが無い為、容易く命を捧げてしまう。

 

 彼らの過去を作ってあげたい、踏み止まらせる過去を。

 

 時に喜び、時に怒り、時に哀しみ、時に楽しむ事を感じさせたい。記録じゃない、記憶として、感情と共に歩ませてあげたい。それが、別世界で彼らの忠義に返せる一つだと、信じている。共に歩むとはそういう事だと、自分は信じたい。いつの日か、自身の為に生きられるように。

 

 ゲルダは手を解くと眼鏡を上下に動かし、真面目な顔へと移り変わる。

 

「……さて、話を本来のものにさせて頂きます。黒獅臣から先発隊が調査中の現場に御身が向かわれる、と通達を受けていますが、お間違いないでしょうか?」

 

 うっかりしていた、ここに来た理由の一つは慰安訪問に行く為。

 ゲルダに会うのも大事だが、先発隊も、もちろん大事な事だ。

 

 フォロウは椅子から立ち上がると、ゲルダの正面に立つ。

 

「間違いないよ。黒獅臣とハラートを供連れに行く。身を粉にして働いてくれている臣下たちの顔を見たいし、検証も兼ねてるから、王城でゲルダにも手伝って欲しいんだ」

「検証内容をお聞きしても宜しいでしょうか?」

「都市外で滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)のギミックが機能するかどうか」

「……その為にハラートも同伴なさるのですね。でも、大丈夫でしょうか? 区画守護者と連動している滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)はアウルゲルミルを護る要と言っても過言でもありません。都市内ならまだしも、都市外では不確定要素が多いと思われますが?」

 

 ゲルダは右手の腕輪を不安げに触る。

 その輝く黄金の腕輪こそ、王域大都市アウルゲルミルを強固にしてる絶対たる雫の一つ。

 

 

 世界級(ワールド)アイテム、滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)

 

 

 ユグドラシルの装備アイテムは(ランク)が存在している。

 内包データ量の大きさで区分され、一番下の最下級から順番に、下級、中級、上級、最上級、遺産級(レガシー)聖遺物級(レリック)伝説級(レジェンド)、最高レベルの神器級(ゴッズ)

 当然、上位に入るほど制作難易度は上がっていき、最高位の神器級(ゴッズ)などは100(カンスト)レベルでも持てない人が居るほど難しい。

 

 通常アイテムではないが、世界級(ワールド)神器級(ゴッズ)の更に上と言っても言い過ぎではない究極のアイテム、その総数200。

 世界を冠するその名は伊達ではなく、一つ一つがゲームバランスを崩壊させかねないほどの破格の効果を持ち、この効果を防ぐには同格の世界級(ワールド)を所持するか、ワールドチャンピオンの特殊技術(スキル)を用いるしか方法がない。

 世界の基となった世界樹から落ちた葉がこの世界級(ワールド)アイテムであり、現存した九つの世界がユグドラシルと言う訳で、バランスブレイカー過ぎると運営に訴えられたが『世界の可能性は、そんなに小さくない』の名言という迷言を残し、結局修正されることは無かった。世界の力は小さくない。良い言葉だが、頭がおかしい性能には変わりなかった。

 

 滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)も例に漏れず、その効果はぶっ飛んでいた。

 

 前提条件として、この世界級(ワールド)アイテムはPC(プレイヤー・キャラ)は装備出来ず、可能になるのは拠点で制作したNPC(ノン・プレイヤー・キャラ)しか装備出来ない。どう足掻いてもPCには装備出来なかった。所持しても効果は得れず、宝の持ち腐れにしかならない。

 

 拠点NPCに腕、もしくは指に装着させ、初めて恩恵が齎されるNPC専用装備の世界級(ワールド)アイテム。

 それが、滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)

 

 齎される効果はギルド拠点内限定になるが、都市内に居るPC及びNPC全てに余すところなく滴る黄金は満たされる。世界級(ワールド)アイテムを所持してる、という効果は得られないが、それを抜きにしても拠点内ではある程度なら同じ世界級(ワールド)アイテムの効果を阻害出来た。これだけでも、破格の性能である。

 

 事はそれだけでは終わらない、滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)は雫を滴り出す。

 

 現実世界(リアル)で安置期間一ヶ月ごとに、対となる宝玉と8個の同じ重さの腕輪を元型たる滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)から滴り出す。これを同じく拠点NPCに装備させ、宝玉を安置させる場を設置すれば、更なる効果を都市全域に齎してくれる。

 流石に、滴り出された雫たちの効果は一定ではなく、無作為(ランダム)に振り分けられており、超有益な効果が一つだけとか、微妙な効果が複数個、逆に此方が不利になる効果が出る……等々、狙っている効果が全くでないという事もザラ。その中から有益な効果を複数個あるものを選ぶのは本当に苦労したが、補って余りある効果を都市に齎してくれた。

 

 効果は――

 

 HP(ヒット・ポイント)上限上昇大、MP(マジック・ポイント)上限上昇大、物理攻撃力上昇大、魔法攻撃力上昇大、物理命中率上昇大、魔法命中率上昇大、物理防御力上昇大、魔法防御力上昇大、物理ダメージ上昇大、魔法ダメージ上昇大、被物理ダメージカット上昇大、被魔法ダメージカット上昇大、素早さ上昇大、移動速度上昇大、総合耐性上昇大、属性攻撃上昇大、属性耐性上昇大、状態異常効果上昇大、状態異常耐性上昇大、肉体ペナルティ耐性上昇大、全能力値(ステータス)上昇大、HP持続回復上昇大、MP持続回復上昇大、近距離・中距離・遠距離攻撃間隔短縮大、攻撃回数確率上昇大、クリティカルヒットダメージ上昇大、クリティカルヒット確率上昇大、被クリティカルヒット確率低下大、被クリティカルヒットダメージ低下大、魔法再・詠唱時間短縮大、能力値ダメージ上昇大、能力値吸収上昇大、攻撃時無属性付加大、被ダメージ時無属性反射大、不可視化効果上昇大、特殊技術(スキル)使用回数上昇大、特殊技術(スキル)再使用時間短縮大、特殊技術(スキル)効果上昇大、アイテム使用時無消費確率上昇大、攻撃系魔法強化上昇大、防御系魔法強化上昇大、召喚系魔法強化上昇大、精神系魔法強化上昇大、補助系魔法強化上昇大、状態異常系魔法強化上昇大、幻術系魔法強化上昇大、信仰系魔法強化上昇大、蘇生系魔法強化上昇大、創造系魔法強化上昇大、召喚強化上昇大、召喚数上昇大、支援系強化上昇大、治癒系強化上昇大、拘束系強化上昇大、探知系強化上昇大、強化系強化上昇大、転移系強化上昇大、行動阻害無効、精神異常無効、幻覚異常無効、体調異常無効、視覚異常無効、能力値ダメージ無効、能力値吸収無効、生命力吸収無効、毒・麻痺・石化・出血・病気無効、時間操作無効、武器・防具・アイテム破壊無効、一定間隔で特定数弱体(デバフ)解除、無制限飛行、無制限転移……等々。

 

 ――他にもあるが戦闘に関するだけでも、PCとNPCが得られる効果は数多くある。この効果を受けた存在がどうなるか、想像はたやすいだろう。この効果は元型たる滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)が奪われない限り、半永久的に効果が掛かり続ける。

 

 厳選するのに三年以上掛かったが、滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)の効果も合わさり、王域大都市アウルゲルミルの護りは盤石で揺ぎ無いものと相成った。

 

 運用初期時代。

 滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)を狙う輩も後を絶たず侵攻されたが、結局全員が王城ウォーデンに辿り着くこと無く、その命を散らしていった。滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)の効果を侮り、ギルドを舐めた行いには当然の報いである。

 

 滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)の効果は何も味方だけに齎されるものではない。都市内にいるPCとNPC全てに効果が及び敵対側の存在も例に漏れず、全てに滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)の効果は齎される。それが良き悪きに関わらずにだ。

 

 味方には絶大な別枠の強化(バフ)効果を、敵側には反転して強烈な弱体(デバフ)効果が降りかかる。

 

 勿論、別枠なので通常の強化(バフ)弱体(デバフ)も同然に掛かってしまい、これだけでも始末に負えないエグさが解るだろう。

防ぐ手段は同格の世界級(ワールド)を所持するしか方法がない。

 

 防げてもそれは別枠の弱体(デバフ)効果なので、此方の別枠強化(バフ)効果を打ち消す事は出来ない。

 此方の強化(バフ)効果を打ち消す為に世界級(ワールド)アイテムを妨害の中使ったとしても、打ち消した瞬間に新たに強化(バフ)効果が掛かる為意味がなく、使った後に世界級(ワールド)アイテムを所持してる事が丸判りとなってしまうので、集中砲火であっという間にお陀仏と言う訳だ。

 

 そうでもなくても、一定人数の侵攻が検知された場合滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)は都市を空間隔離し、此方の有利になるよう設定した転移先を敵側にも強制執行する。連続使用は出来ないが、一度でも使用できれば効果はてきめん。世界級(ワールド)効果な為、此方は都市内なら転移無制限、飛行無制限。対する相手は隔離され、転移を妨害されるばかりか強制転移、更には上空に飛行制限がかけられる。この状態では仲間同士で連携なんて取れるはずがない。

 

 哀れ敵はバラバラに分断、狩る側だと思ったのが逆に狩られる立場となり、世界級(ワールド)持ちは効果を受けない為一人残された後、最終的に仲間と同じく倒される。

 世界級(ワールド)持ちは特に念入りに叩きのめし世界級(ワールド)アイテムを美味しく頂いた。それをやった途端、世界級(ワールド)持ちがぱったりと来なくなってしまったのは残念でしかない。

 

 奪われた勢力が広めなければもっと世界級(ワールド)アイテムを集められたはずなのに、それが出来なくなってしまったからだ。本当に、残念でしかない。

 

 滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)の効果が揃った後、他勢力の侵攻は<キングダム・オブ・キングス>に取ってイベントの一環と成り果てた。

 日に日に減っていく侵攻者たちを逆に嘆くこともした。

 たまに来た侵攻者たちに歓喜し、強制転移無しで団体行動させた上で叩き伏せた事もした。

 誰が多く倒せるか競い、優勝者には景品を授与したりもした。

 区画守護者と戦わせ、それを観戦したりもした。

 

 懐かしい思い出の数々、メンバーと構成員の思い出が過ぎていく。

 滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)は、王域大都市アウルゲルミルと同一と言っていいぐらい重要な世界級(ワールド)アイテムに他ならない。

 

 

 フォロウは、腕輪を心配そうに触るゲルダに優しく諭すように話しかける。

 

「だからこその検証だよ。新天地にて、滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)の効果は不明な点も多い。堅城の青銀たるハラートを同伴させるのも、もしもを想定しての事だし、安全が保障されてる調査現場なら問題ないよね?」

「それは……そうですが。もし、ハラートが離れて恩恵に何か不備があれば、それば由々しき事態ですわ。私たちは宝玉と腕輪を己の命と同義としております故、心配でならないのです」

 

 区画守護者の命は、宝玉と腕輪で連動しており、宝玉が機能停止した瞬間に担当してる区画の効果が失われる。

 容易く宝玉の機能が停止されることはないが、停止すれば区画守護者は問答無用で即死してしまうので、こればかりはまかり通らない。

 そうならない為に、区画守護者は侵攻された際は宝玉が安置してある機関場所へ転移配置される。区画守護者が宝玉の近くに居れば、宝玉の防衛機能が大幅に向上されるので、倒されない限りは宝玉の破壊はほぼ不可能に近いが、区画守護者が倒された場合は宝玉の防衛機能は停止するので、注意が必要だ。防衛機能は宝玉のみで区画守護者には適応されない。

 

 倒された場合は通常の拠点NPC復活と同じくユグドラシル金貨で復活できるが、復活の際にNPC専用の効果が乗らず、区画守護者はペナルティとして通常の十倍、つまりは五十億枚の金貨が必要となる。

 費用が掛かるからと言って復活させないでいると、その区画の滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)の効果は徐々に減衰し、いずれ機能は停止する。宝玉と守護者の関係は滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)で刻まれた一蓮托生の運命共同体に等しく、切っても切れない間柄。両方存在するからこそ意味がある。

 痛い出費に違いないが、区画守護者の存在には代えられない。それに、金貨さえ払えば宝玉も同時に復活する。資産は有り余る程あるし、何ら問題はない。

 

 問題ないが、だからと言って死んで良い事にはならない。ここはユグドラシル(ゲーム)ではない、彼らは生きている。死なせてはいけない。

 最悪の展開が起きないようにするべきだ。

 

 だからこそのハラートでもある。

 ハラートの防御能力は、守護者中随一。超位魔法を連続で叩き込まれても沈まない姿は、二つ名に相応しく揺ぎ無い。ユグドラシル基準からみても報告から別世界の強さ(レベル)はかなり低いので、ハラートが傷つく可能性は限りなくゼロ。かすり傷すら付かないだろう。

 

 本来なら、ハラートはこのタイミングで外に連れて行くはずではなかったが、一緒に済ませられるなら御の字。後伸ばしにするよりか先にする方が良い為、それに越したことは悪くない。

 NPC――それも区画守護者が都市外に出る。他の者が既に都市外に出れてる点から大丈夫だと思うが滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)と連動している為、どうも不明確は否めない。ハラートには検体扱いで大変申し訳ないが、検証の為に付き合ってもらわなければならない。

 

「もしもの場合は、即座にハラートを都市内に戻すよ。それに、ハラートが提案してくれた事に、自分も応えたいんだ」

「ハラート自身が提案を? ……成程、承知しました。どちらにしても御身の心持は変わらぬご様子、されば私どもは王を支える為に動くのみですわ」

「……ありがとう、自分の我が儘を通してくれて」

 

 ゲルダの返事は、慈愛の笑顔。

 それを受けただけで、感謝の返しとして十分過ぎた。

 

 献身的な愛とは、こう言う事を言うのだろうか。

 娘の愛情を一心に受け、フォロウはワナワナと沸き立つものを感じ、ゲルダをまた抱き締めたい気持ちに駆られてくる。

 彼女より背が低いせいで、逆に抱き締められる状態になるのが玉に瑕だが。

 

「いやぁ~、良かったでやんすね! あっしも感無量でやんすよ~!」

「うん! 自分も嬉しくって、たまらなくて……」

 

 フォロウの言葉が止まり、声のした背後へ振り返った。

 そこに居たのは黒獅臣。目元にハンカチを当て、泣いてもいない涙を拭っていた。

 

 何故、こうもこいつは背後に立つのだ。

 フォロウは頭を悩ませる。ゲルダも先ほどまでの笑顔が消え失せ、眉間に皺を寄せていた。

 神出鬼没、大胆不敵、縦横無尽とはこの事か。後で合流と決めた手前、強くは言えないが中々もって酷い。転移は全然構わないし使ってくれていいが、普通に扉から入る事をしないのか、こいつは。

 

「……何時からいたの?」

「あふ? あっしでやすか? 残念ながらさっき転移で来たばかりでやんすから、内容はさっぱり……でも良い雰囲気だったんで泣いてたんですが、間違ってやしたか?」

「……黒獅臣、貴方ね。ワザとらしく涙を拭いても意味はないし、そもそもいきなり王の背後に転移するなんて、無礼極まりないわよ……。はぁ……、貴方には悩まされるわ……」

「あふふ~ん! あっしも罪作りでやんすね~! 悩んじゃうくらい良い男ってのはまさにこの事! あっふふ~ん!」

 

 黒獅臣は片手を振り上げると花束を出現させ、それを撒き散らしながらフォロウとゲルダを中心に緩やかに踊る。

 対して中心のフォロウとゲルダの顔は、無心の表情で固まるばかりだ。二人の表情はとても良く似ていており、その時ばかりは親子だと言われれば納得する表情と言えようか。

 

 黒獅臣が原因で言われて喜べば、と言う事を除けばだが。

 

 二人の表情は無い、笑顔ならば似つかわしく花は二人を飾っただろう。

 黒獅臣が見つめる先は、まさにそれしかなかった。

 

 

 

 ……。

 

 

 

「……花びらが散乱してる理由は分かりましたが、黒獅臣殿は……何故手で拾い集めているのですか?」

「散らかした本人が片づけるのが筋だからです。王も喜んで許可してくれましたわ」

 

 眉を顰めるハラート、冷ややかな目のゲルダ。視線の先には黒獅臣がしくしくと泣き、四つん這いで床の花びらを拾い集めていた。

 

 ハラートが来る少し前まで黒獅臣は、延々と花びらをばら撒きまくり、フォロウとゲルダの足元が見えなくなるまで積もらせる。無表情で佇んでいた両名は遂に感情を宿らせ、黒獅臣に魔法を使わずに片づけろと叱咤の声で言いつけたのだ。

 

 顔に表した感情は、言わずとも分かるだろう。

 

「あぅふ~ん……、喜んでもらえると……フリージア……、黄色い花びらでやんすのに……あぅふん……」

「限度を考えろって言ったよね? まったく、黒獅臣は……ほらそこっ! 全然片付いてないよ!」

 

 姑が嫁の掃除具合を人差し指で確認し、埃を見せつけるが如く。フォロウは黒獅臣に指摘をしていく。

 黒獅臣はしくしくとまだ泣き、尻尾を大きくゆっくりと振っていた。

 

「もう……黒獅臣は、何で突拍子もないことを突然やらかしますかね……」

「あっしがやりたいからやるんでやんすよぉ~。……やった後悔より、やらない後悔のほうが嫌ですから。まぁ、二つと比べてマシかマシでないかの違いでやすがね」

「……確かに、そうかもね……」

 

 ――どっちにしても、後悔は残る……か。

 

 四つん這いで花びらを集めている黒獅臣の背中をフォロウは見つめる。

 

「……我が君は、ゲルダに話せましたか?」

「……うん、話せたよ」

「それは、良かったでやんすね」

「……ありがとう、黒獅臣」

 

 振り返った黒獅臣の顔は、温かく優しい慈愛を含める笑みだった。

 

「黒獅臣には困ったものだわ。手腕は確かなのに、何故こうも愚行を重ねるのかしら……」

「……羨ましい」

「ん? ハラート。何か言ったかしら?」

「むっ!? いや、何でもありません! ……唯の独り言です」

「……そう? なら、いいのだけど……さて、御二方! そろそろ現場訪問ついて、話を進めさせてもよろしいですか!」

 

 ハラートを他所にゲルダは手を高く鳴らし、行動の開始を報せる。

 

 フォロウと黒獅臣はゲルダの方向に振り向き、互いに顔を合わせると頷き、行動を始める。

 黒獅臣は立ち上がり指パッチン(フィンガースナップ)を一つ弾かせると、床に残っていた花びらは残らず消失した。

 

「相変わらずどういう原理でやってるのか、ちんぷんかんぷんだね……」

「あっふっふっふん。これは超悪魔的な108ある奥義の一つでやしてね? おいそれとタネを明かしちゃ御飯(おまんま)が喰いっぱぐれるってもんでやんすよ」

「煩悩の数と一緒だけどそれは偶然? それとも引っ掛けてるとか?」

「……ノーコメントでやんす」

「引っ掛けてたんかい!」

 

 黒獅臣はクシャッと歪めた笑みを出す事で、その回答の答えとした。

 

「御・二・方! 御戯れはそれぐらいにしてください!! いい加減にしないと話自体無しにしますよ!!!」

「統括殿、声を荒げる貴女を見るのは初めてです……」

 

 フォロウと黒獅臣は、慌てて早足で向かい。

 ハラートに指摘されたゲルダは自身の発言に気づくと、眼鏡を整え、頬をほんのりと赤く染めていた。

 

 場は静まり返り、燭台の揺らめきだけが空気を示す。

 ゲルダを進行役に4人は輪になり、話を進めるべく彼女が最初に切り始めた。

 

「……では、王が現場に訪問する流れについてですが、先発隊だけではなく、我々に関係する検証も行う手筈です」

「私は王から詳しく聞いておりませんが、その内容とは?」

 

 ゲルダの発言に、ハラートが手を上げ内容を尋ねる。

 

「王から賜った滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)に関してね。彼の地ならいざ知らず、新天地では王とて全て把握しておられないわ。都市を守護する一柱のあなたなら、この意味が解るわよね?」

「……成程、その事でしたか。恩恵の効果は心得ております。この身の在り方の必要性も……」

 

 ハラートは籠手(ガントレット)に包まれてた右手の親指を無意識に擦り、顔を険しくさせる。

 

 彼もまた、王域大都市アウルゲルミル騎士区画を守護する滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)の雫を授かりし者。ハラートが死ねば宝玉の防衛機能は働かなくなり、恩恵もいずれ無くなる。己の価値を噛みしめ、尚自覚したことだろう。

 彼だけの問題ではない。都市に存在する全ての者に関わる問題、責任が重くのし掛かるのは当たり前だ。

 

 その表情を横目で見て、フォロウはハラートに声をかける。

 

「……ハラート。もしもの場合は直ぐに帰還してもらうから、異変が起きたら言ってね? 何よりも大事なのはハラート自身なんだから」

「お心遣い感謝します、王よ。ですが、ご安心ください。この身は、王と供にあります。我が王を残し帰るなど、何が騎士と言えましょうか? 最後まで私の全ては、我が王と供に在ります」

「ハラート、でも……」

「王よ、その心情を深く、我が心にて受け取らせて頂きます。ですが、私の心情もどうか受け取っては頂けないでしょうか? 王の騎士として、傍らにいると誓いを立てました。王に仕えてこその騎士、貴方の側こそが私の居場所なのです……」

「……っふふ、もう、ハラートったら……」

 

 フォロウを優しく見つめるハラートを端から見れば、淡い輝きのようなものが幻視される。

 あまりの頼もしさからか、視線の先の本人は嬉しいような恥ずかしいような、なんとも言えない表情を形作り、やり取りを見ていたゲルダは目元を緩ませ、人差し指で解くようにそこをなぞっていた。

 

 

 暖かな空気が、輪を包む――

 

 

「いや、駄目でやんすよ?! 騎士団長殿、異変起きたら帰還しないとっ?!! 我が君も流されちゃ駄目でやんす! ゲルダもなーにお涙貰ってんですか!! しっかりしろォーいッ!!!」

 

 

  ――唯、一人を除いて。

 

 

 黒獅臣の叱責を受け、フォロウとゲルダに稲妻が落ちた。

 我に返った二人はハラートに対し己が身の安全、注意事項の徹底を言い聞かせる。

 

 ハラートが了承するのに数分の時間が掛かったのは、流される者のツケと黒獅臣は思い苦い顔で二人を見守っていた。

 

 

 

 ……。

 

 

 

「<転移門(ゲート)>」

 

 ゲルダが黒い装丁の本を開き、唱えると魔法が発動された。

 ユグドラシルで最もポピュラーで確実かつ制限なしの移動方法、空間を跳躍し瞬時に目的地へ到着を可能にする。ただし、この転移魔法で移動できる先は視認した場所にしか行けず、情報だけしか得てない場合の移動は不可能となる。

 

 光が捻じ曲げられ吸い込まれるブラックホールのような薄い楕円形の闇が、空中に浮かんでいた。

 

「さぁ、準備は整いました。先発隊への伝達は、滞りなく済ませております。皆、王の御姿を拝見できると喜んでいますわ」

 

 ゲルダは出現した転移門(ゲート)の近くで佇んでいる。

 ハラートが前に進み出て、フォロウに深い礼を行う。

 

「先に私が入らせて頂きます。最後は黒獅臣殿が王の背後を追従する形で参ってください。では、統括殿また後程に」

「はい、ハラート。検証に朗報を、貴方に何もない事を祈っています」

「いってら~で、やんすよ」

 

 ハラートが、転移門(ゲート)に歩み行くと吸い込まれるようにその姿が消えていった。

 

「ありがとう、ゲルダ。何から何まで済まないね」

「滅相もございませんわ、王の為ならば如何様にでも」

 

 ゲルダを微笑みながら一瞥し、フォロウは黒い楕円形を真剣に見つめ吟味する。

 

転移門(ゲート)……ユグドラシルで何十回と使用した魔法だけど、改めて見るとインチキも良いところだな……)

 

 転移失敗率0%、距離無制限。

 ゲルダはアウルゲルミルから一歩も出ておらず、遠隔視だけで転移門(ゲート)を発動させ、現場への道順(ルート)を繋いだ。そこが実際には、どこの何という場所か知らずに。つまり、見ただけでそこがどんな場所なのか魔法的に理解して行使している。

 

 では、魔法的に理解したとは何なのか?

 

 魔法――普遍的で不確実なもの――とは、MP(マジック・ポイント)から練り出される力。MPから構築された魔法は、不条理を捻じ曲げ現実行使を成立させている。現実行使を成立させてる処理は、一体どこで行っている? 自身の脳ではない、場所の詳細がないからだ。構築段階で含まれているのか? いや、構築段階で情報は含まれていない、持っていないからだ。根本的なもの……MPなのか? MPだとしたらどうやってその情報が含まれている? どこからその情報が来ている? そもそもMPとは何だ? 自然に回復し補充される魔法の源。純然たる力の本筋はどこから来ている? 食物に含まれ、摂取するから得られるのか? だとしたら、飲食不要である臣下の魔法行使が説明できない。存在するだけで得られるものだとしたら、どうだろうか? 元居た世界では得られず、別世界のここで得られた事――もしかして。

 

 この世界が大元()を提供しているのか?

 

 MPとは、大いなる世界からのものだとしたら、ユグドラシル(ゲーム)の存在が確立しているのも、魔法という幻想能力も、この世界が実現させているのか? だとしたら一体何故実現させる? この世界になんの利がある? 他世界の、ユグドラシル(ゲーム)からの情報を実現させて何が得られるというのか? 一部分の……ギルド拠点を丸ごと巻き込んでまで得られる何かとは、何なのか――。

 

(……っ?! まて、まてまてまて。本来の目的から脱線してるぞ……あぁ……この推測癖はなんとかならないものか……)

 

 意識を潜孝状態から徐々に目の前へと移していく。

 視線の先には、先ほどと変わらずにゲルダが微笑んでいるのが垣間見えた。

 

 微動だにせずに、ゲルダは動かない。

 自身の身体もビクともせず、動かなかった。

 

(……まただ。バルコニー扉前と同じく思考だけは鮮明になり、他は停止したかのように動かない……)

 

 時間停止(タイム・ストップ)ではない、時間停止対策は個人でも万全に整えてある。それに、この状態は時間停止とは違う様に感じられる。

 

 ほんの僅かだが、燭台の光の波が違ったからだ。

 火から発せられる波長の間隔が、極僅かに、微細に動いている。

 

 本当に時間が停止しているなら、あらゆる現象は一切動かず停止するはず、光でさえ免れない。光情報の刺激で通常は視覚しているのだが、これは魔法的な要因で可能になっているとしよう。でなければ見ることが出来ない、本当にインチキも良いところである。

 

 眼を動かす、という事は出来ない。あくまでも固定したままの視覚だけだ。

 

 この現状は、他ではなく。自身が起こしている、そうとしか考えられなかった。

 では、どのようにして己が起こしているのか? 自身の――人造人間(ホムンクルス)から派生した――特殊能力から来てるのか? 一体どの能力だ? ”魔法適性特化調整”? ……これは違うか、魔法詠唱者(マジックキャスター)の能力を飛躍的に上昇させるが、”肉体適性虚弱”という弱点を取得してしまう。これは、肉体能力に対する能力値低下と被物理ダメージ増加が挙げられ、人造人間(ホムンクルス)として一方面に特化調整した欠陥とした内訳になっている。どちらも、今を示す事柄に結びつかない。

 

 どの特殊能力なのか? 考える、思考が鮮明、自己意識以外時の全鈍化、自身の身体が動かない、意識を身体に戻すと元に戻る――。

 

 ――あった。取得している特殊能力の一つ、”高速思考”に違いない。

 

 本来ならばこの特殊能力は、魔法行使における再・詠唱時間短縮化の効果しか無かったがフレーバーテキストに確かこうあった――

 

 『脳内処理を高めることにより絶対時間を操作するのではなく、自身の体感時間を操作する事でそれを飛躍的に上昇させる。この能力を持つものは思考による優位性を取得し、自身の意識化限定であるが固有時間を獲得する。さしずめそれは、自身の内部限定による絶対的猶予時間であり、限定的ではあるが時間の枠外側に居ると言えなくはない。この特殊能力を持つ者は、複雑な魔法詠唱の一部を内部処理により完了する事が出来る。更には、再詠唱を短縮分減らす事が可能。全ての詠唱を完了できないのは、実際の魔法における行使力の関係であり、一節でも口にしないと実在行使が発現しない為で、故に元の詠唱が短い魔法であろうとも、詠唱を0にする事は不可能である。実在の完結とは、どう在っても曲げられず自身の行動でしか伴わない』

 

 ――テキスト通りなら、複雑な心境になるが辻褄が合わない事はない。

 

 唯の再・詠唱時間短縮効果の特殊能力が別世界で変容した? フレーバーテキストの大部分が適用され、今の現状になっているのか? 滅茶苦茶も良いところだぞ、これは。フレーバーテキストが別世界で適応されるなら、自他ともにもっとヤバいフレーバーテキストの特殊能力が在ったはずだ。それも全て適応されているのか?

 

 フォロウは、意識を身体に戻し身体の自由が効くようになるとゲルダに顔を向ける。

 徐々にゲルダの顔が変化していき、困惑の表情になった。

 

「……? あの、どうかなさいましたでしょうか?」

「いやっ、何もないよ。……外に行くからゲルダの顔を見て貯めとこうと思ってね」

「あら、そうでしたか! 照れてしまいますわ……」

 

 ゲルダが口元に手を寄せる途中で、フォロウは意識を考える部分――脳へと移行していく。

 すると、ゲルダの手の動きは喉辺りの中間でピタリッと止まり、行動は途中停止した。

 

(……やはり、発動と停止は自分で操作(コントロール)出来る……先程までのは、無意識に発動したって事か)

 

 任意発動可能。これだけでも有能である事は実感できる。

 言うなれば、自意識下以外の時間停止(タイム・ストップ)と言ったところか。時間停止(タイム・ストップ)の様に、停止した時間の中で自分だけが行動できる訳ではないが、消費も無く、相手は即座に対策ができず、自分は落ち着いてゆっくり思考し対策を練れる。

 

 メリットの部分で見ればそうなるが、デメリットもある。

 

 まず、時間停止(タイム・ストップ)の様に自由に行動できる訳では無いので、行動での優位性が持てない。

 次に、視覚の固定化による弊害。これによって対策を講じてようとも、視覚外から妨害されたら意味がなくなる。

 

 最後に、自身の肉体性能が低い事でこれを活かせない事だ。

 

 体感時間上昇等は、近接職業(クラス)が持ってた方が有効活用出来るのは間違いない。交戦時に相手の攻撃の流れが鈍化して見れる優位性は計り知れない、喉から手が出るほど欲しいはずだ。かと言う自分の構成は後衛職業(クラス)に偏ってあり、それに加えて種族的特殊能力の弊害で接近戦等は御法度もいいとこ。素早さだけは低下してもそこそこ早いが、近接戦闘なんて始まる前から終わるのが目に見えている。武器はお遊びで持ってるに過ぎない、自分の強みはそこじゃないからだ。

 

 再び意識を身体に戻す、ゲルダは手を口元に当て小さく微笑んだ。

 

 ――いや、自分でもこの有用性は活用できるかも知れない。

 

 でも、強い敵性体がいない現状でどう活用したらいいのか? という事になるのだが。推測時の実経過である経過時間が減る、それぐらいだろう。そう考えれば少し良いと思わざるを得ない。考えで誰かを待たせる必要がないからだ。十分可能性はある。

 

 フォロウは微笑む、可愛く照れる愛娘に対して。

 

「よし! そろそろ行ってくる。黒獅臣も用意は良い?」

「バッチリでやんすよ! 御身も用意は万全でやんすか?」

「うん、大丈夫。……行こう」

 

 転移門(ゲート)へと歩みを進める。

 この先に都市外の、未開の地が待っているのだ。臣下が開拓してくれた分、幾分かはマシだが不安が全くない事はない。

 胸が高鳴り、鼓動が早くなる。

 ゲルダ、黒獅臣、ハラート、現場の臣下たち、その存在が不安を打ち消してくれるような気がした。

 

 

 ――ありがとう、そばにいてくれて。

 

 

 彼らの笑顔が自分に力を与えてくれる、そう感じずにはいられない。

 

 

「あっ、そうだ! ゲルダッ!」

「は、はい! なんでしょうか!?」

 

 フォロウは入る直前で急停止し振り返り、その反動で黒獅臣は横へズッコケてしまった。

 突然の呼びかけで、ゲルダの表情は驚きと困惑で戸惑っている。

 

「……扉の前で番をしてくれた騎士に、お礼を伝えといて貰えるかな? ありがとうって」

「……あぁ、その事でございましたか。承知しました。必ずお伝えします」

 

 思い残しは無くなった。

 転移門(ゲート)へと、自身の身体を預ける。

 

 

 

 ――いざ行かん、新天地へ。臣下たちの元へと。

 

 

 

 

 




その二に続く
次の方が胸糞展開多いです。


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1-5-2

その二、續きです
胸糞展開に注意してください。


 転移門(ゲート)を通る時、変わる境界の違和感は不思議となかった。

 

 肌に当たる空気が変わり、光の相違で目の前が一瞬眩む。過ぎ去ったものを取り戻す様に瞳が光を取り込み、映像を構築していく。

 

 太陽の光が、照らす。

 

 前には頭を下げ跪く五人と横にはハラート佇み、歩くフォロウに追従する形で黒獅臣が続く。

 

 背景には、青い空と焼け落ちた村の残骸が広がっていた。

 

 まだ、焼けた臭いが残っている。

 

 不快感を漂わせる臭いだった。

 

 

 

 フォロウは、ゆっくりと見渡す。最初に目に入ったのは跪く人物たち。

 

 粗末な装いで汚れている。五人の格好はそれに尽きた。

 装備の力は魔法で確認するまでもなく低く、頑丈さの欠片もない。肉体能力に優れないフォロウでも易々と引き裂けるであろう布は、質も悪ければ状態も良くなかった。破れた部分を縫い合わせ、穴がある場所には他の布を宛がい塞ぐ。金を持っていない者が装う為に着てるだけ、という印象を抱かせる姿。

 

 五人の内、真ん中の男が顔を上げる。

 

 粗末な装いには不釣り合いな、鋭い剣を思わせる顔がそこにあった。強く、此方を貫く眼光。装備との調和性が取れてない顔は、浮浪というより戦士を思わせる。張った身体に纏うものとしては相応しくない、ワザと纏わない限りは。

 

「隊長を務める己が、五人を代表して申し上げます。王よ。調査現場にご足労頂き、感銘を深く心に受けざるを得ません」

 

 彼らが先発隊、別世界における新天地の調査を担当する五人。

 隊は何組か存在するが、盗賊から得られた情報を報告してくれた隊でもある。彼らは特に抜きんでていて、有益な情報を届けてくれた。優秀な人材。一言訂正するならば、人材、に、人、じゃない者も入ってる事。優秀な者材、とでも言った方がいいだろうか。

 

 フォロウは、隊長格の男に微笑み答える。

 

「出迎え、ご苦労様。調査の途中、急な来訪でさぞ驚かせた事でしょう。対応に心から礼を伝えさせて下さい、ありがとう」

「勿体無き御言葉! 相応しく返せるように己と含め五人、より一層の精進を持って務めさせて頂きます」

 

 燃える瞳、残りの上げた四人の眼も同様に熱い。

 未開の地で不安もあったろうにそんな素振りを一切感じさせない、意志の力強さも垣間見せる。

 

 フォロウが羨ましいと思わせるほどに。

 

「その忠義、有難く受け取ろう。時間を取って、済まないね。調査の続きをお願いします」

「とんでもございません! 王の関してならば何用にも優ります! では、任務に戻らせて頂きます!」

 

 五人は立ち上がり、隊長は号令を発するとそれぞれ散開、調査を再開した。

 素早い身のこなし。惚れ惚れと見とれる無駄のない動きは、職人の技に近く。観る者を魅了するには輝きが強かった。

 

「……皆、強いな」

「その強さは、王が与えて下さったからです」

 

 ハラートが微笑み、フォロウに近づく。

 

「猛者である彼らも一枚板ではありません。遭遇した出来事に一喜一憂があればよいですが、一喜すらない場合が殆どです。彼らには、今まさに一喜が訪れたとでも言えましょうか」

「ふふっ、ハラートは本当に世辞が上手いね」

「世辞などは、言いません。全て事実に違いありませんので」

「……それが、うまいって事だよ」

 

 フォロウは、ハラートを見つめる。

 顔には陰りなどない、都市外で滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)の雫を装備する区画守護者であるハラートには、どこにも苦悶の相は出ていない。

 

 フォロウの視線に、微笑み返すだけだ。

 

「ところで、大丈夫? 身体に不調は? 異変はある?」

「特にありません。都市外に出てますので恩恵が無いのは当たり前ですが、不調や異変などは何所にもありません。……そうですね、不調や異変ではないですが……一つ妙な感覚があります」

「どんな感覚なの?」

 

 ハラートは、右手を擦り顔を険しくさせる。答えに悩んでる、とでも言えようか。不確かなものをフォロウに伝えて良いかどうかを決めかねていた。

 

 決心が付いたのか、言葉を発する。

 

「……なんと申し上げていいか……こう、細い一本の線で繋がってると申しましょうか。都市内に居た時には感じなかった、宝玉を離れた地で感じる……と。曖昧な答えしか出来なく、申し訳ありません」

「……そうか。いや、何もなかったなら良かったよ。答えてくれてありがとう」

 

 繋がっている、つまりは都市外に出ても区画守護者と宝玉の関係は崩れないという事か。

 なかなか持って興味深い。現実化による影響からだろうか? 拠点NPCという性質上、元より出れない扱いなのでどこか弊害があると思っていたが、どうやら違ったようだ。ひとまず、今ハラートには問題はない。

 

 次は都市内の恩恵、その効果の確認。

 区画守護者が出られると分かっても、効果が失われてしまったら元も子もない。

 

「よし、次は都市内の恩恵についてだ。早速ゲルダに聞かないと……」

「それは、大丈夫でやんすよ」

 

 声が聞こえ、背後を振り返る。こめかみ辺りに人差し指と中指を当てる黒獅臣が見えた。その様子から察するに、遠くの人物と通じているのだろうと考えさせる。

 

 <伝言(メッセージ)>に間違いない。

 

「ゲルダ曰く、ハラート担当の効果に不調はなく、都市内の効果も揺らぎもなく正常だと……良かったでやんすね。区画守護者が都市外に出ても問題ないと実証されたも同然でやんす」

「……そうか、成程。問題ない、か。ありがとう、黒獅臣」

「どういたしまして、でやんす。これで検証は、終わりでやんすか?」

「いや、もう一つある。……ハラート」

「はい、用意は出来ております」

 

 ハラートが呼び声に礼を持って答える。

 

「ゲルダに招集配置を発令させ、都市外で転移が発動するか確認する。通常なら発動しなさそうだけど、区画守護者は性質上分からないからね」

「承知しました。私は何時でもお応え出来ます、私の主に全てを預けておりますゆえ」

「……ありがとう。黒獅臣、まだゲルダと通じてる?」

「恙無く。……始めてもよろしいですかな?」

「頼む」

 

 黒獅臣が伝言(メッセージ)を飛ばしてる間、ハラートを注意深く観察する。

 顔には微笑みを絶やさず、此方に返してくれる騎士の姿が目に映った。眩し過ぎて、眼を背けたくなる程に胸が痛くなった。

 

 数秒が経過し、彼の姿が突然かき消える――成功したのか?!

 

 フォロウは、急ぎ<伝言(メッセージ)>を発動させる。

 

「ハラート大丈夫? 問題ない?」

『……はい、問題ありません。無事、騎士区画の宝玉の間に転移されております』

 

 息が漏れた。滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)は問題なく機能している。

 大収穫だ、これは大きな意味を持つことになる。区画守護者が都市外に出ても大丈夫という事は、とても大きい。通常転移ができない状態でも、この転移なら使用できるからだ。都市内に縛り付ける必要が無く、各々の特色を活かした活動が可能になる。いざという時は、強制的に都市側から呼び戻せば良い、万々歳だ。

 

 安心からか、目尻が下がっていく。

 

「そうか! 無事で良かった。じゃあ、転移直後で悪いけど、またこっちに来てもらって大丈夫かな? 転々で申し訳ないけど……」

『とんでもない! 承知しました、直ちに。……む?……っ……申し訳ありません……叶いそうにありません』

「……どうしたの? 何があった?」

 

 頭の中で響くハラートの声は、重く苦渋の色を滲ませる。伝言(メッセージ)の先の姿は身を震わせ、拳を強く握り締める様を考えさせた。

 

『……宝玉の間から出る事が出来ません。部下は問題なく出入り出来るのですが、私だけが何かに阻まれてどうする事も……中では転移も不発に終わる始末。申し訳ありません。この失態、如何様な処罰もお受けします』

「……ハラートだけ……そう、ふむ……気にしなくていい。もしろ、良くやったと言うべき事。褒められこそすれど、責められる謂れはないよ」

『勿体なきお言葉、転移可能になれば直ぐに御身の下まで参上させて頂きます。暫し、お待ちください』

「うん、頼むよ」

 

 伝言(メッセージ)が切れ、顎に手を置き考える。

 

「……黒獅臣、ハラートが原因不明の行動阻害を受けた。招集転移の影響と考えるけど、どう思う?」

「そうでやんすねぇ~……」

 

 黒獅臣は、鬣をゆっくりと解きほぐし考えを巡らせる。

 深い金の瞳は空を仰いだ後、フォロウにゆるりと向けられた。

 

「……思うに、ユグドラシル(ゲーム)の名残のようなものかと。招集転移は、都市に侵攻した敵対者に向けた緊急処置の様なもの。滴る黄金の腕輪(ドラウプニル)から宝玉の間を守護せよと、強制力が働いた結果と思いやす」

「……強制力か。部下には影響が無かったようだけど、区画守護者のみの影響と考えても良いのか……」

「付け加えるなら今回の騎士団長殿だけ、と。本来ならば侵攻が検知された瞬間、迎撃の為に部下も配置に付きますが、今回は意図的に発動させたもの。都市には実際は何もない為、部下には影響が無く、騎士団長殿だけに強制力が働いたと考えるのが妥当。多分でやすが、他の区画守護者も招集転移すれば同じ模様に陥るかと」

「……じゃあ、そう易々と使用は出来ないって事か……」

 

 出鼻を挫かれたとは、この事か。

 良い結果が続いてた分、落下の速度は高さに比例し、落胆も大きい。

 贅沢かもしれない。そもそも、招集転移はこの事を想定して作られてはいなかった。現実化に伴いうまく合致することなど、元々あり得ない。ここまでうまくいった、そう落とすのが良いだろう。

 

 何も必要に駆られた訳じゃない。調べる事が重要だった。そして、判明したことが大事なのだ。

 普段の移動には通常の転移を用いれば良く、招集転移で戻らなければいけない訳じゃない。緊急時に使える、と分かれば良い。いざとなれば使えると、知っているのといないとでは、気持ちの持ちようが違ってくる。

 

 今がその状態に近い。解明は、不明と言う恐怖を払拭する。

 

「……ま、使えると解って安心したよ」

 

 僅かばかりの安心から、胸の突っ掛かりの幾つかが降りる。楽になったという訳だ。

 

 ふと、視線を流す様に左から右へと動かしていく。

 村だった残骸が幾つも目に入り、かつての名残が残る燃え跡に胸の部分を嫌に締め付けられた。

 焼き尽くされた村。それすなわち、人災による被害。

 転移してから鼻の奥に感じる不快感の正体は薄々解っていた。生き物を下処理せず、そのまま毛もろ共焼いた硫黄を漂わせる臭い。家畜でないとしたら――住人しかいない。

 焼き跡の下に、少なからず眠っているのだろう。過去に居たものが。

 

「黒獅臣、ここには一体何人の村人が暮らしてたんだろうね……」

「……確認できたのは、約80体でやすね」

「……そんなに……よく確認できたね……」

 

 黒獅臣が腕を上げ、人差し指を建物に指す。

 村の中心。屋根は焼け落ちてたが壁だけは石造りだった為、焼けずに残っていた大きな建物だったもの。あの大きさなら、この世界独自の信仰の場だったかも知れない。もしくは、単純に村人が集まる憩いの場。談笑が響くことはない。今はだれもいない、朽ちた残滓、在ったという事だけ。

 示したという事は、眠っているのだ。その数の村人が、そこに。

 

 指した方角をフォロウに確かにしたら、黒獅臣は手を下ろすとゆっくりと口を開く。顔には、何も感情を宿らせていなかった。

 

「……鳥が(たか)ってました。建築上の御かげでしょうか、遺体は焼けておらず良い具合に温まったのでしょう。斥候――先発隊が来た時には大部分が啄まれた後でした。死因は共通して、斬り付けられた事による失血、もしくはショック死が該当と視られます。これは、老若男女問わず全員でした……赤子も例外ではありません」

「……なんて、むごい……どうして……そんな事が出来るんだ……」

 

 目を閉じ、顔を歪ませる。内容の酷さに無意識に手を握り締めた。

 

「……何ででしょうね? 流石に分りかねます、分かりたいとも思いませんし。少なくとも状況現場から、襲撃者の一部は楽しんで行ったでしょうね」

「……何故、そう思うの?」

「殺すのに、何度も斬る必要がないからです。追い立てる為に軽く斬り付けたとは違う、執拗に急所を避けた手口。傷跡にブレはなく、慣れた熟練さを感じさせます。同じ遺体が3体、内2体が女性で――残りが年端も行かぬ子供でした」

「――」

「……他にも乱暴された女性、少女、少年。裂けた後がありましたから確認は容易でした。どれも村中心ではなく、外れにバラけて放棄されています」

 

 淡々と語っていた。いつもの飄々とした物言いなどない。遠く、どこかを見て話す悪魔の顔は、深い影を落としていた。それは暗く、深い陰りだった。

 

「……まるで、見てきたように語るね」

「見てきましたから。報告にあったものは、事前に全て――この眼で確認済みです」

 

 金の瞳は、光を返さない。虹彩が光を求めず、遮ってる様にも感じる。

 燦燦と降り注ぐ光が、彼だけを通り過ぎて行ってしまったのだろうか。日向に居て日陰。芯まで光が通っていない。

 

「……民家の焼け跡には、確認出来てないものもあります。判別が出来れば、ですがね」

「……ごめんね。辛い思いをさせた――」

「いえ、辛くはありません」

 

 即座に返答される、落ち着き払った抑揚。

 

「辛いどころか、何も感じなかったんです。斬殺、刺殺、絞殺、焼殺、どの死体を見ても動揺も無く、変わらなかった。どれも全て一緒だったんです。区別も種別も無く、唯の死体だと――」

 

 言葉は出ない。出なかった。出なかったが、黒獅臣から目が離せない。

 口は閉じたまま。フォロウは目を開き、悪魔を見ていた。

 

「……悪魔だからでしょうね。冷静でいられた。情に左右されてないのに、冷静とはおかしな話、笑えます。私が(あっし)で居る時も揺れ動かず、平静で在り続けるのと近いモノ……」

 

 振り向く。フォロウを直視し笑う悪魔が見える。

 

「……それが崩れるとしたら――私は”黒獅臣”ではいられないでしょう。フォロウの前だとしてもね」

 

 

 衣服が靡く。再び、不快感が鼻に臭いを届けた。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 歩いている。目標など無い、只歩いている。

 周りには炭化した残骸が風が吹く度、残り煤を舞わせていた。手を差し出す。煤が付くと指同士でこすり合わせて、滲ませる。指先が煤黒くなった。意味のない行為、何の結果も伴わない。

 

 フォロウは、唯汚れた指先を見つめていた。

 

 先ほどの黒獅臣との会話は、切り上げた。心が沈み、耐え切れなかった。

 黒獅臣は、笑っていた。微笑を浮かべ、此方を向く相はいつもと違い、空虚で、がらんどうだった。

 

 今は、一人で歩いている。

 

 ――中央には行かないでください。一部、中身が収まってないですから。

 

 去り際に、忠告を受けた。

 黒獅臣は見たのだ。事前に全て、収まってないものも全部、余すところなく。

 

 一人になりたかった。だから、一人で歩いている。

 

「何も感じなかった、か……」

 

 感じないとは、どういう事だろうか。

 悪魔だから、感じなかったのか。広く言うなら、異形種だから、感じなかったのか? だとしたら、同じ異形種の自分(フォロウ)も同様なのではないのか? 黒獅臣だけじゃない。実際に目にする自分は、果たして揺れ動くのだろうか。己が心は。

 

 ――嫌な、悪寒がする……。

 

 ガシャン。

 足に何かが当たり、壊れた音がする。

 

 水を貯める壺だろう。不注意から、蹴飛ばし壊してしまった。溜め息をつく。何をやってるのだ、と、悩ましげに見る。平がる水辺の先に何かがあった。

 

 それは人形。

 

 余った布同士で縫い合わせた歪な手作りだが、暖かみのある確りとした丈夫な遊び道具、手芸物。

 拾い上げると、ぐしゃりと、水が滴り落ちる。

 

「……おままごと用の……女の子の人形……」

 

 大事に使っていたのだろう。布が幾重にも縫い合い、補強されている。女子用と判るのは、人形の服がスカートを穿いてたから。何の変哲のない、ごく普通の、でも特別な、我が子へ大切に作った唯一つの物。人形のお友達、そういうものだろう。

 

 パゴンッ――。

 残骸が崩れる音が聞こえる。

 

 振り向いてしまった。こんな時の結果などありきたりで、当たり前の出来事が在る筈なのに、振り向いてしまった。

 

 家の支柱。炭化した柱が根元から折れ、大きく後に音を静寂へ木霊させる。

 塊が見えた。二つ重なった、大小の二つの塊が先にある。

 

 歩く。何も考えてない、唯歩く。

 

 人形の水滴が足跡のように、後に続く。

 炭化した木材が足裏で砕ける感触がする。変に感覚が鋭い。

 

 パキッ、ベキキッ、バッキン、コンッコッコン――。

 

 聞こえる音は耳障り、足早に駆けてしまいたくなる。でも、駄目だ。早くなったら、確認するのが早くなる。引き返せば良い。でも、駄目だ。ここでやめて、後悔したくない。どちらにしても後悔するなら、より少ない方が良い。そう想いたい、思いたくない。

 

 遂に足が止まる。既に視線に入っている物体をより定かに視るために。

 

 案の定、大小の塊はかつての人だったもの。極低確率の不正解を望んでいたのか、虚しくなる。当たり前の事なのに。

 

 強く抱きしめていたのだろう。くのじに曲がり、重なってる形は一つと言ってもいい。焼かれて溶け合い、混じり合っていた。床の跡は他とは違い、ややマシに焼けていて中心から囲むように広がっている。だが、マシなだけだ。全部焼けている。特別無事な部分など無く、炎は飲み込んだ。判別すら出来なくさせる勢いで焼き尽くしたのだ。

 

「これじゃ、何も判らない……人形の持ち主かどうかも……」

 

 人形を持ち上げる。僅かに残っていた水分が悲鳴のように、地面へ落ちていく。落下地点に極小さな水たまりを作り出した。

 水たまりに鈍い光が現れている。手に取り見ると反射してたのは金属製の小さな櫛で、幼子の髪を解かすのに使われてたのが分かる品だった。大小の塊の近くに櫛がある――小さい方は女の子で間違いないだろう。近くに放置してあった人形もおそらくこの子のもの……。

 

 屈み、慎重に近づく。親子の塊を壊さないように間に人形と櫛を置いた。

 これで大丈夫。大事なお友達と櫛も離れずに一緒に居られる。これで良い。

 

 見つめる。人形が見つめ返えす感じがした。

 

 立ち上がり、不意に胸に手を置く。

 

 

 ドクン、ドクン、ドクン――。一定のリズムを刻む鼓動が聞こえる。

 

 ドクン、ドクン、ドクン――。大小の塊を見ても鼓動は乱れてない。

 

 ドクン、ドクン、ドクン――。何も変わらぬ、鼓動が聞こえる――何も、変わっていなかった。

 

 

「っ……戻らなくちゃ、皆が心配する――」

 

 顔に苦いものを浮かべて、背を向けた。

 今度は、足早に去っていく。手は心臓の音を伝え続けている。何も変わらず、平静の鼓動を伝え続けていた。

 

 心がざわつくのに、至って冷静な状態だった。何も。変わらない。

 

 崩れる音が辺りに響いていた。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 村の中心近くまで戻り、皆を探す。集まってるのが確認できる、待たせてしまったろうか。歩みを進めて、先程の経緯を振り返った。

 

 自分は、冷徹なのか。

 親子の塊を見ても激しくブレがなかった。心のざわめきに反して、身体は正常を示している。不快感がした。臭いだけはなく、今度は内心まで滲み出す靄のような感覚。

 

 なんだろうかこれは、なんだこの感情は、当てはまる言葉が浮かばない。

 もっと単純だったはずだ。今までの自分は感情を上手く出せてた、留まることなく自然のみたいに。それが出来なかった。人と認識できなかったから動揺しなかったのか、去った今ではもう分らない。

 

 皆を見る。先発隊五人が集まり、険しい表情で何か話し合っていた。黒獅臣も先発隊に交じり話に参加している。

 

「何かあったの……?」

 

 声をかけた全員の表情は芳しくない。フォロウの顔を見ると驚き戸惑い、意を決したのか重い口を開く。

 

「……村を襲った者たちを補足し、俯瞰していたのですが――」

 

 応えてくれたのは粗末な服を着た長髪の彼女。先発隊五人の内の一人の隊員で杖を持った姿から魔法詠唱者(マジックキャスター)と確認できる。

 他には弓を持ったポニーテールと戦棍(メイス)を握るボブカットの男二人、短剣を拳握りで待機するサイドアップテールの女性、最後は短髪の剣を連想させる隊長の男。

 

 五人は顔を見合わせ、黒獅臣に視線を送る。答えに迷い、どうしたらいいかと縋るように。

 

「見て頂いた方が早い。ご覧になってください」

 

 黒獅臣は長髪の彼女に指示を促す。口を結び、目を瞑った彼女は魔法を唱える。

 

 空中に映像が浮かび上がった。

 土煙を上げ、馬を駆る鎧姿の者たちの姿が見えた。剣を振り上げ、揺らしながら迫り向かっている。

 

「襲撃者です。この先には新たな村が在って、このままだとこの村と同じ結果に……」

 

 目を開けた彼女が告げたのは同じ惨劇の予告だった。この場で行われた虐殺が間違いなく執行されると、襲撃者の掲げる剣が物語ってると暗に教えてくれている。猶予はもうない。広域に切り替わった画面で、村との距離は遠くない事は分かった。

 

「王よ……許可を頂けるなら……出陣の許しを……頂けないでしょうか」

 

 弱々しく声を上げたのはボブカットの彼。畏れ多いと思っているのか、祈るように頭を下げ戦棍(メイス)を握っていた。

 

「先の村人は我らの民ではありません……ありませんが……見殺すのはあまりに惨過ぎます故……御慈悲をお与え下さい……私たちならば、容易に殲滅出来ます……どうか、寛大なる処置を――」

 

 留め金が外れたように、他の隊員も哀願を開始する。顔を歪ませ、無辜の民を救う許可をどうかお与え下さいと必死にフォロウに訴えかけてきた。次々に投げ掛けられた言葉は、襲撃者がどのように村人を惨たらしく殺すかを詳細に事細かく、知り得た情報を元に教えてくれる。握り締めてる拳は余りにも強く食いしばっていた。

 

 どうすればいい?

 どうすればいいんだ?

 許可を与えたらいいのか?

 助けた後はどうする?

 流れの者として振る舞うのか?

 

 殲滅と言うからには根絶やしにするのだろう。それは駄目だ! 相手の勢力が解らないうちに内に此方の武力をひけらかす真似は出来ない。彼らに任せてあげたいが、隊員の情の高まりが強すぎる。断言する。彼らはこの村で起こった惨劇を知ってるが故に力を抑えられない。助けた後はどうする? 事故処理は? 全て彼らが出来るのか? 盗賊とは訳が違うんだぞ。村一つと下手したら国が絡む案件。気安くは動けない。下手すれば――村一つでは済まない。

 

 ――どうすればいいんだ……自分だけの悩める時間が在っても……答えが出ないなら意味が全くない……どうすれば良い……。

 

「やめなさい」

 

 酷く冷淡な、それでいて響く声が周りに広がる。黒獅臣の声だ。

 

「……愚かな。この場とはいえ、王の御前で、何たる無礼かわきまえないのか? 直訴も結構だが、首を撥ねられる覚悟もあるのだな?」

 

 空気が凍った。隊員全てが沈黙したが、手にはまだ力が残り拳を震えさせている。

 

「……黒獅臣殿、貴方はこの状況になるのは分かってたはず。何故ですか! それなら、何故促されたのだ!」

 

 隊長が声を張り上げる。悲痛にもにた叫び如き発しに他の隊員も目に力を宿らせた。

 

「王にご確認をして頂くのが、ここまでご足労して頂いた者の務めでしょう? それがどこがいけないと?」

「そういうのではない! 今は無辜の民が襲われんとして――」

「……なにか、勘違いしてませんか?」

 

 金の瞳が大きく開かれる。ゆっくりと隊員たちを見渡し、舐るように視線を動かしていく。

 

「あなた達の任務は何だ? お前たちの寄る辺はどこだ? 貴様たちの支配者は誰だ? 答えろ。身分をわきまえず頭が高いままで華々しく無礼すら許されると思っていたのか? 今すぐ答えろ。答えない口なら、私が直々にその口抉り取るぞ」

 

 黒獅臣が手を上げると、その手の爪は禍々しいまでに鋭く伸び、鋭角さを増していく。爪の数は五本。丁度隊員の数と一致していた。指が鈍い音を立て曲げられ、爪先は彼らの方へと伸びている。

 

 喉に落ちる音が聞こえた――隊員たちの緊張の現れだ。

 

「……私たちの任務は、先住民に知られず調査を行う事です」

「続けて答えろ。寄る辺はどこだ?」

「……私たちの寄る辺は、偉大なる王が統治する王域大都市アウルゲルミルです」

「最後に答えろ。頭を垂れる絶対たる支配者は誰だ?」

「……そこに居わす、統一王フォロウ様で在らせられます」

「分かっているならいい。なら、解るな? すべき事が」

「……御意」

 

 下ろされ、手の形態が元に戻っていくと黒獅臣は姿勢を正す。

 隊員たちの瞳に光は無い、力強い光は失われ、拳を作っていた握力も弛緩してしまって解けてしまった。

 

 画面はまだ展開されたまま光景を映し出している。畑に作業していた村人の背中に襲撃者の凶刃が振り下ろされ、鮮血が舞い散った。悲鳴が上がり、煽られ馬が鳴き声を上げ、怒号が飛び交い、逃げまとう人々、襲撃者の蛮行が行われている。

 

 フォロウは、食い入るように眺めていた。

 

 酷く、心を騒めかせる。

 喉がつっかえ、息をするのも苦しくなる。

 手を握る力が増していき、爪が手の平を食い込ませている。

 足の指が引き絞り、地を反発するように張っている。

 

 高鳴りが胸に手を当てなくても判る。身体全体に響かせる力強く早く鼓動は伸縮を繰り返していた。

 

 

 ――あぁ、そうか。彼らもこの様な慟哭を受けてたのだな。

 

 ――覚悟を……決めた。

 

 

「聞け、臣下たち。今から厳命を与える」

 

 全員がフォロウを見る、黒獅臣も例外ではなく驚きからか姿勢を崩してしまっていた。

 

「先発隊の任は破棄、新たに与える任は遊撃隊として自分の指揮下に入れ。外枠から囲むように展開し、不逞の輩を生け捕りにしろ絶対に殺すな、アウルゲルミルに送れ。黒獅臣は自分と共に赴き、旅人を装い村を救助する。急ぐぞ、もう始まっている」

「お待ちくださ「黙れ」」

 

 黒獅臣が異を唱えようとした瞬間、フォロウは言葉で叩き伏せた。

 顔にはいつもの微笑みなど全くなく、少年の装いなど感じさせなかった。纏う空気は静電気を放ってるようで、臣下たちの肌をピリピリと刺激し強張らせている。動く事は死を意味する。黒獅臣だけは、顔を強張らせフォロウを真っ直ぐに見ていた。

 

「異は認めない、厳命と言ったはずだ。その耳は飾りか?」

「ですが、御身が向かわれる必要はありません! 他の者でも向かわせれば――」

「諄いぞ。厳命と言ったはずだ! 時は一刻を争う。次、同じことを繰り返すならば、その口抉り出すぞッ!」

 

 黒獅臣は驚愕し、口を重く閉ざす。先ほど自分が隊員に言った言葉をそのまま彼にフォロウが言い放ったからだ。小さく返答の意をフォロウに伝えた後、後ろに下がる。

 

「……時間は無い――遊撃隊、分かっているな?」

「!!! 御意!!! 心得ております!!!」

 

 先発隊改め、遊撃隊は歓喜に湧き立ち最敬礼を行う。

 王自ら助けると仰ってくれた。それがどれを意味するか必然と解る。襲撃者は間もなくその身を持って悔いる事になるのだと。感情が高鳴りすぎて危うく人の形態を崩してしまいそうになる隊員もいたが、絶対たる王の前で無様な真似は出来ない。鋼の精神で姿を保った。頭を垂れるべき王の前で無様は晒せない。

 

「<上位道具創造(クリエイト・グレイター・アイテム)>」

 

 フォロウの装いが一新された。フード付きの外套、貫頭衣、長スボンという簡素な装いに変わり、旅人が纏う装備といった物。

 魔法を使う高揚感に一瞬引き込まれそうになったが直ぐに払う。酔ってる場合ではない。意識は既に行動を起こす為、完了していた。フードを深く被る。

 

「黒獅臣、ゲルダとハラートへの<伝言(メッセージ)>は任せた。先に行く。後に続け! 臣下たちよ!! 無辜の村人を救うのだ!!!」

 

 歓声が巻き起こり、臣下たちは感情の嵐を引き起こした。黒獅臣だけを残して。

 

 苦虫を嚙み潰したような顔をした悪魔がそこに居る。

 最早止められない勢いは濁流。何もかも巻き込んで突き進むのみで統制も何も在ったものではなかった。覚悟を決めるしかない、変わりゆくあの人(フォロウ)を見ると感じ得ないと言った心が今、彼を執拗に痛めつけた。どうか、どうか、あなただけはそのままでと願うが聞き届けてくれる者などいないだろう。

 

 

 悪魔の願いなど、神が叶えてくれるはずなどないのだから――。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 村の外れにフォロウは転移した。周囲を見渡し、誰もいない事を確認したら村へと駆ける。

 何とか隊員を村に送り込めずに済んだ。これなら此方の情報を漏洩せずに済むだろう。気がイラ立ち、荒々しい行いに黒獅臣や隊員へ申し訳ない念が出てきたが感じてる場合ではない。今は村の事が先決だ。

 

 生で聞く悲鳴が鼓膜を殴打する。村の至る所で襲撃者が人々を襲っていた。

 

 村外周の襲撃者は隊員が無力化してくれるから心配ない。問題は村内部の襲撃者の対処、その無力化。出来るだけまとまってくれれば即座に対処出来、黒獅臣が加われば散らばっている者たちの対処も容易に片付く。

 

 前方に全身鎧の襲撃者が村人に剣を振り上げてるのが見え、魔法を詠唱する。

 

 <魔法無詠唱化(サイレントマジック)睡眠(スリープ)

 

 眠りへ誘う魔法が襲撃者へと掛かり、抵抗など無く睡眠へと陥る。剣を落とし、横倒れになり寝息を立てる襲撃者に村人は訳も分からず立ち竦んでいた。襲おうとした者が突然眠りに落ちる、当然の困惑だ。

 

 村人に声を掛ける事無く、通り過ぎる。声を掛ける時間すら惜しい現在では、村人の一人一人に丁寧に促している余裕はない。目に付く襲撃者は片っ端しに<魔法無詠唱化(サイレントマジック)睡眠(スリープ)>で無力化していく。

 

 次々と襲撃者を昏倒させても悲鳴は止むことはなく、それが尚フォロウを焦らせた。

 

 早く、早く早く、早く早く早く! 自身に<加速(ヘイスト)>を掛け、移動速度を増加させる。曲がり角の先に叫び声が聞こえる。早く行かなければ助けれない! 子供の泣き声だ。胸を引き裂かれる悲痛な声、早く助け出さなければ! もう直ぐ曲がり角を超えられる。勢いでフードが捲れてしまった。

 

 

 

「手間取らせやがって……クソガキが……」

 

 

 

 間に合わなかった。子供を蹴り上げた襲撃者は背を向け歩き出している。

 喉が詰まる、息が止まる、身体が強張る。子供は地面に血の海を生み出し、動かない。死んでしまっ――待て、まだ微かに動いている?!

 血の海に入り、子供を抱きかかえる。今ならまだ治癒魔法で助けられるかも知れない。安心感からか、不用意に動かしたのがいけなかっただろう。子供が血と共に言葉を吐き出す。

 

 

 

「……お……母、さん……」

 

 

 

 抱きかかえている腕が途端に重くなった。その身体には力が入っておらず、口からは涎と血の混じった液体がゴポリと地面に落ちていく。完全に――子供は物言わぬ体となってしまった。

 フォロウの先程までのかき乱していたものが急に無くなり、平静に変わる。子供の亡骸を前にしても乱されることはなく、冷静に見ていられた。これは先程まで生きていた子供の死体だと。

 家の中では両親と思われる男女の死体も在ったが、どれも全て心をかき乱すのには不十分になってしまった。

 

 

 ――喪失感がする、何かが失った感覚がする、平静という殻の中に自分が押し込まれてる気がする。

 

 

 奥底にある何かがざわついて仕方がなかった。

 

「何だ……おま……あんたは……誰だ?」

 

 声が聞こえた。襲撃者の声、この子供を殺した輩の声に間違いない。

 

「……聞きたいことがあります……何故、殺したのですか……」

「何故って? 殺さなくちゃいけないからだよ……その子供は俺の邪魔をしたからな……」

 

 歩く音が聞こえる。こちらに近づいてくる襲撃者の足音だ。

 

「……殺されなくちゃいけない邪魔を子供がしたと? 答えてください……それ程の事をこの子がしたのですか?」

「ああ、そうだ……その子供は俺のお楽しみを邪魔したからな……全部始末しちまったから、どうしようかと思ってたんだよ……次は仲間が襲ってる姉妹にしようかと思ってたが、居てくれて良かった……あんたで解消させてくれよ……気持ち良くさせるからさ……」

 

 

 ――害虫(ゴミ)が。

 

 

 こいつに生きる価値なんてない。これだけの非道をしておきながらまだ何かをしようと言うのか。吐き気が込み上げてきて堪らなく気持ち悪い。

 不快感から何かが奥底からせり上がってくる。

 自分の身体から突き破って来そうになる何かを必死で抑える。にじり寄ってくる害虫(ゴミ)に嫌悪感を隠し切れなくなってきた。このままではこいつを――殺したくなってくる。

 

「……へへ……白い肌だなぁ……こんな所に来た悪い子は……俺がお仕置しなきゃいけないよなぁ……へへへ……」

「――このっ――」

 

 手が近づいてくる。汚らしい害虫(ゴミ)の手がフォロウに伸ばされていた――

 

 

 

「……何をしようとした?」

 

 

 

 ――突然、大男が現れ襲撃者の手を掴む。突然掴まれたことで襲撃者はたじろぎ固着している。

 

 フォロウは、大男を見た。

 体躯は二メートルを超え、鬣を思わせる漆黒の髪と髭、胸を大きく開く衣服の中は盛り上がるほど主張した赤銅の肌、無表情で襲撃者を見る瞳は金色の色彩、その顔は野性的な精悍さを思わせ他の者を威圧させるだろう。

 

 逞しく盛り上がった腕から延びる手で襲撃者の腕当(バンブレス)を強く握り離さない。

 

「……もう一度聞く、何をしようとした?」

「な、何ってどうでもいいだろう! その手を放しやがれ! 邪魔だ大男!」

「……理解できないのか? 仕方ない――」

「何を言って……ぐぎゃぁぁぁぁぁッ!!!」

 

 腕当(バンブレス)が勢いよく拉げ、襲撃者が悲痛の声を上げる。余りの痛さからか体勢を崩れ落ちてしまいそうになったが、掴まれてる腕だけが動かずその支えで辛うじて倒れずに済んだ。しかし、状況は変わっていない。掴まれた腕から伝う様にゆっくりと血が滲み落ちていき、襲撃者はあまりの痛さから息を乱し身を震わせていた。

 

「正直なところ、分かっているので聞かなくてもいいんだがな。でも、アレだ。実際にその口で聞く事で意味のある事もあるだろう? 詰まる所、そういう事なんだよ……理解出来たか?」

 

 襲撃者が弱々しく返答をして立ち上がろうとしたその時、隠し持った短剣で大男の喉に突き立てる。兜で見えないが、その眼は血走っていただろう。力一杯に振りかぶった短剣は狂うことなく殺すために大男の首に軌道を描いていた。

 

「糞野郎がぁ!!! よくも俺の腕をっ!!! 死にやがっ……は……ぁ?」

 

 震えている。襲撃者が短剣を持っていた腕が小刻みに揺れていた。

 大男の喉に刺さったと思われた刃は一ミリも刺さっていないどころか薄皮一枚も破れてはいなかった。何度も、何度も何度も何度も刃を突き立てようとも皮膚すら到達せず、肉や骨に届かない。気味悪さからでたらめに振り回した短剣は変に力が入ったせいか、パキン、と折れてしまい。刃が地面にカラカラと虚しく転がった。折れた短剣を襲撃者は握り締めている。持っていた帯剣の存在を忘れる程の衝撃だった。

 

「……無駄だよ。粗末な刃ではいくら突き立てても傷つかないし、痒み程度も与えられない。……満足したか?」

 

 

 ボギンッ。

 

 

 大男が捻りを加え、ついに襲撃者の腕をへし折った。

 悲鳴が上がる。村人ではない、襲撃者の悲鳴だ。ブラブラと僅かな皮と肉で繋がった腕をなんとか必死で繋げようと奮闘する襲撃者の姿が滑稽で仕方ない。嗚咽を交え、何故自分だけがこんな目にと呪いの言葉を呟いている。本当に――無様でしかない。

 

 大男が兜を掴み、ゆっくりと襲撃者を持ち上げていく。男性一人を軽々と片手で持ち上げるとは凄まじい膂力だ。襲撃者は苦しさから無事な手で殴りつけるがビクともしていない。

 

 兜がゆっくりと拉げていく。

 

「……何の罪のない村人を虐殺し、自身の欲を満たすために他者を虐げる。それだけでは飽き足らず、御身にまで手を出そうとした罪は唯の死では生温い――」

 

 逃げ出そうともがくが大男はビクともしない。

 

「――このままゆっくりとお前の頭を握り潰す。大丈夫、力の調整は得意だ。お前が斬り殺してきた者たちにしたみたいにな? ……では、苦しみもがいて死んでいけ」

 

 ついに襲撃者は反抗事態が無意味と悟り、力なく腕を垂れ下げる。それでも握り潰されていく力が衰える事はなく、増していくに順って喉の奥から苦痛の声を捻り出し、地面に尿を垂れ流す。兜の形は原形を留めておらず、上部が手の形に沈んで歪んでいた。もう直ぐ、頭の原形さえも無くなっていくだろう。

 

 

「もう、いい。やめろ――黒獅臣」

 

 

 大男――黒獅臣は襲撃者の兜から手を放し、地面へと解放する。人間……いや、人間形態の黒獅臣をフォロウは見つめる。顔は無表情で変わらず、今なお襲撃者に向けられたままだった。

 

「……何故、御止めになったのですか? この様な下種に生きる価値など無いに等しいのに」

「聞きたい事があるからだ。<大治癒(ヒール)>」

 

 襲撃者の損傷が瞬時に完治し、困惑から此方に怯えた視線を送る。フォロウはお構いなしに次の魔法を発動させた。<人間種魅了(チャームパーソン)>、魅了の状態に掛かった襲撃者は立ち上がり、フォロウに向かって友人の様に話しかけてくる。

 

「ありがとう、友よ。傷を治してくれて嬉しいよ」

「どういたしまして。ところで仲間が追ってる姉妹について教えてくれないか?」

 

 虫唾が走る思いだったが、情報を得る為にフォロウは我慢し友人のように振る舞う。

 

「ああ、いいとも。友の頼みなら断れないからな。あっちの村外れの先に向かっていったよ」

「ありがとう……では、もう眠ってろ。<睡眠(スリープ)>」

 

 襲撃者がゆっくりと地面に倒れ、寝息を立てる。

 黒獅臣が襲撃者に手を伸ばし、掴もうとしていた。

 

「もういいと言ったはず、捨て置け。まだ、襲撃者たちは居る。それの対処を優先させろ」

「……分かりました。後ならばよろしいので?」

「駄目だ。そいつはベリアールの下へ送る。殺さないのであれば処置後好きにして良い」

「……成程、枢機卿の管轄へ――分かりました。伝達をしておきます」

 

 フォロウは黒獅臣と向き合った。変わらず無表情のままで感情を表していない顔を見つめる。

 

「自分は村外れの先に逃げた姉妹を助けに行く。黒獅臣は、村の襲撃者たちの無力化をしてくれ」

「御身の御傍を離れる訳にはいきません。姉妹を助けてから二人で無力「黒獅臣……」」

 

 言葉を遮り、黒獅臣を見上げる。その顔は真に迫った哀しみの表情。

 

「お願いだ……! 少しでも早く助けたい。王じゃなく、フォロウとして頼む。お願いだ、助けてあげて……!」

 

 

 ――卑怯だ。そんな事を言われたら私は断れなくなってしまう。

 

 

 黒獅臣の表情が溶けていき、微笑みを表していく。

 

「……分かりました。分担して無力化していきましょう。フォロウは姉妹を助けた後、此方に合流して下さい」

「ありがとう、すぐ終わらせる。村の中央で落ち合おう」

「承知。では、後程!」

 

 黒獅臣が駆け出そうとした瞬間に、後、とフォロウが付け加える。

 

「口調、戻していいよ。なんか、調子狂うし……ね」

「……あふふっ……分かりやしたよ。フォロウは仕方ないでやんすね」

 

 笑い合い、互いに背を向け駆け出す。

 迷いはない。姉妹を助ける為フォロウは向かい、黒獅臣は村の襲撃者を無力化する為に。

 

 

 フォロウは知らない。村外れの先に襲撃者など生温い存在が居る事に知る余地もない。唯、駆けて、姉妹を助ける事に夢中で、気付かない。その先に、死の支配者(オーバーロード)が居る事に――。

 

 

 

 ……。

 

 

 

(アレは何だ!? 何故ここにアンデッドが来た!!?)

 

 村外れの先を進み、姉妹が襲われている時に異常が現れた。

 介入しようとした瞬間、転移門(ゲート)が出現する。村外れとはいえ臣下が来るとは聞いていなかったため、咄嗟に木々の陰に隠れ様子を伺った。転移門(ゲート)から現れたのはアンデッド。しかも唯のアンデッドではない。骨の身体を纏う装備はどれも魔法で調べずとも解るこの世界では常軌を逸した物、一般人の前で易々と晒していいものではない。

 

 襲撃者が次々、倒されていく――即死魔法と雷撃魔法……この世界の位階ではどれも上位に当てはまる魔法、過剰攻撃(オーバーキル)も良い程の。

 

(クソッ! なんだアイツ! 気安く殺しやがった! 何も少女の前で殺す事はないだろうが!)

 

 憤りを感じたが、グッと抑え考える。

 落ち着け、あれはユグドラシルプレイヤーか? 何故ここに来た? 姉妹が襲われてるところを見て、助けに来たのか? そして、助けるために襲撃者を殺したのか? 考えなしに問題が起こるような行為を行ったのか? 悪印象を与える事必至なアンデッドの姿のままで? 難解過ぎて、答えが出ず頭から煙が出そうになる。

 

 アンデッドが死体から何かを生み出そうとしている。あれは――死の騎士(デスナイト)!?

 

 取るに足らない存在だがこの世界では意味が違ってくる。アレ一体だけで襲撃者たちどころか村人全員皆殺しにしても十分すぎる程のアンデッドモンスター。使役者たるアンデッドが何か指示を与えると死の騎士(デスナイト)は咆哮を上げ村へ駆け出して行った。このままでは不味い事になる……。

 

 すぐさまフォロウは黒獅臣に<伝言(メッセージ)>を発動させる。

 

「黒獅臣、聞こえる? そっちに死の騎士(デスナイト)が向かった」

『はい、聞こ――死の騎士(デスナイト)でやんすか? 何故、ここにそんなモンスターが?』

「村外れの先にアンデッドが現れ、そいつが生み出した。こいつも襲撃者同様無力化して欲しい」

『無力化と言いましても……そもそもアンデッドは状態異常が効かないのが多くて……倒すのは駄目なんで?』

「駄目だ。装備の具合から見て、同郷の可能性が極めて高い。使役モンスターが消滅したらどう思う? 確認の為に村へ向かう事が確定してしまう。出来るだけ長引かせて欲しい、自分はその間に話し合いを試みる」

『……オススメしません。同郷とは言え、アンデッドモンスターをけし掛ける輩ですよ? まともな精神状態とは言えませんし、フォロウの職業(クラス)構成上で前衛職業(クラス)よりだったら危険過ぎます』

「安心して、魔法を使ってる点から魔法詠唱者(マジックキャスター)であることは確定している。同じ魔法詠唱者(マジックキャスター)なら戦闘になっても長引かせるのは可能だ。とにかく任せた」

 

 <伝言(メッセージ)>を切り、アンデッドの魔法詠唱者(マジックキャスター)を見る。禍々しい姿に緊張からか汗が一筋落ちた。

 

 腕を振り、<上位道具創造(クリエイト・グレイター・アイテム)>を解除し装備を元に戻す。

 意を決した。

 木々から出て、姉妹とアンデットの場所へと躍り出る。アンデットと目が合う、目といっても骸骨に眼球はなく眼窩には揺らめく光が在るだけ。

 姉妹とアンデッドの間に立ち、姉妹に背を向ける形でアンデットと向かい合う。互いの視線が交差し無言の睨み合いが始まった。

 

 

 

 奇して知らずか二つのギルドの頭領が偶然にも相まみえた。

 

 

 

 だからこそ、今、改めて問いかけられる――

 

 

 

 ――二つのギルドが織りなすのは協力か? それとも対立か?

 

 

 

 




フォロウ、覚悟完了。
そして、やっっっっっっと出会えた! 長すぎてすいません。
次回から、本格的にオリ主とモモンガ様とクロスします。


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1-6-1 されど、者たちは争うか

~あらすじ~
オリ主組は仲を深めつつ、カルネ村で謎のアンデッドと出会った。
どうなる!?
尚、プロローグでネタバレな模様。


「この村を襲っている騎士を殺せ」

 

 殺気を含めた咆哮が空気震わせ死の騎士(デスナイト)が村の方向に、踵を跳ねる如く駆け出していく。

 猟犬のように淀みが無く、迷いのない走りで命令を実行しようとする確かな意思を感じさせた。本来なら召喚者を守る存在である死の騎士(デスナイト)は傍らで待機し襲ってくる者を迎撃するが、それだけではなくなっていた。

 自由度が上がり、自ら考えて行動を起こしている。

 命令を下した本人が困惑し、盾が守るべき者を置いていくべきではないとか、結局命令したのは俺だけどと、うだつが上がらない事をモゴモゴと呟いていた。

 現時点で盾役が居ないという不安は後衛としてはなんとも言えないもので、周辺の敵の強さが分らない以上助けた姉妹を守り切れる自信が無い。使用回数制限があるが魔法職の後衛が素のままで居るというのは裸同然、今度は死体を使わずにもう一体生み出し自身を護る用にしよう――モモンガはそう思っていた。

 

 

 ガサッ。

 

 

 葉の擦れ合う音が唐突に聞こえ、モモンガは其方に注意を向けた。

 雑木の間から現れたのは白の少年。

 モモンガは狼狽える。姉妹と同じ服装なら動揺することもなかったが少年の纏うそれは着るというより、装備といった防護を目的としたもので、細かな作りや刺繍が並大抵の物じゃないと調べなくても判明するものだった。モモンガと同レベルの装備ではないかと思わせるほどに。

 少年は此方に歩いて来てモモンガと姉妹の間に立ち、向かい合う。

 極秒の沈黙。少年の視線は眉を潜ませ、モモンガと目を合わせた――目玉などモモンガには無いが。

 

(何だこいつは? 何者だ? 装備が明らかに異質……何故、少女たちの間に立って俺を見ている!?)

 

 姉妹たちの怯えは少年の登場で多少和らいだが、絶えずモモンガに注がれている。

 見捨てようとしてたが、結果的に助けたからには命の恩人として然るべき――モモンガはそう思っていた。

 でも、考えてほしい。ここはユグドラシルではない。

 風貌が魔王のアンデッド、助けるためとはいえ襲撃者を即殺、殺した襲撃者の死体を使ってアンデッドモンスターを創造、そのアンデッドモンスターを村にけし掛ける――助けるためとはいえ、傍から見る者には正義の味方に決して見えない。

 ユグドラシルでは当たり前の姿だったため、モモンガはそこを欠如していた。現実化に当たりアンデッドは忌むべき存在であり、そのせいで姉妹たちが怯え切っている事を”襲撃者に殺されそうになっていたため怯えている”のだと勘違いをしていたのだ。

 

 モモンガは動揺したが精神抑制の域には達していないらしく、如何するかを考えあぐねている。

 

(もしかして、ユグドラシルプレイヤーか? だとしたら……俺が襲ったと勘違いしている? それなら、誤解を解かなくては……惨状に関しては少女たちを助けるためにやむを得なかったと……)

 

 モモンガの警戒が低かったのは、目の前の存在が装備を含めても少年なのが大きい。

 これが、他の存在――二メートルを超える大男だったなら話がまた違ってきた。動揺は最高潮に高まり、精神抑制され即座に対処に移っただろうが、姿が少年なので多少なりとも油断があったのだろう。後続にアルベドも来るから、と安心感があったのかも知れない。ユグドラシルプレイヤーだったとしても二対一になり、此方が優位になるからである。

 

(えぇ……話しかけようとしたら、動くなとか……どうすればいいんだよ……)

 

 モモンガが話しかけようとした時、少年は此方に向けて腕を伸ばし手の平を見せる。受け取る側からしたらそれは一歩も動くなであり、話し合いをしようとした者の切っ掛けを折る行為でもあった。実際には話していないので、相手にとっては分らぬ存ぜぬに違いないのが悲しいところではあるのだが。

 

 どうしたらいいか分からずモモンガが意気消沈する中、異変が起きた。

 

 

 グラリ――と、眩暈を感じた。アンデッドであるモモンガが。

 

 

 身体的にはどこも異常を感じ得ず、意味が分からずたたらを踏む。

 何が起きた? 何かされたのか!? そう考え、少年の方をチラリと視るが当の本人も困惑しており、何かをしてくる気配すら感じなかった。

 揺れる意識を抑える為に手で頭を支える。

 自身の不調の原因が解らずふら付く中、少年が心配してか案じる声まで掛けてくれるのが妙に申し訳なくなり、恥ずかしさが込み上げてきた。気に掛け、心配してくれている者に向かって疑う事自体が恥ずべき事。不調が治り次第、現状について少年と話し合いたいと真剣に思った。特に、同郷(プレイヤー)か否かについては特に強く。

 何も仕掛けてこない故の油断であった。

 

 そう思っていると、後方から何かが来る気配がする。

 

「準備に時間が掛かり、申し訳あ――」

 

 転移門(ゲート)から、漆黒の鎧に包む者――アルベドが来たのだ。

 ベストタイミングとはこの事かと、モモンガは歓喜の中で声が出ない己をもどかしく思いつつ、彼女の到来を心より喜ぶ。

 これで諸々の話し合いが円満に進むことは間違いなく――

 

「――りぃぃぃぃいい如何なさったのですかぁぁぁぁ!!? なぜ、なぜなぜなぜなぜ?! わ、わわ、わたしの愛してる御方が、く、くくく、苦しんでいるなんてぇぇぇぇ?!!」

 

 ――と、思っていたがそんな考えなど無くなってしまう程、此方を見るや否やアルベドは取り乱し声を上げた。

 絶句である。最早それしかない。

 モモンガは中身の淑女然としたアルベドを知ってるので、この変わり様の衝撃は凄まじく、思考という行いを吹き飛ばした。

 

「わ、わわわたしが準備に時間をかけてしまったがために、このようなことにぃぃぃ! だれだぁっ! だれがやったぁっ!? 見つけ出して考えれるだけの苦痛と言う苦痛を味あわせてやるぅぅぅっぅぅうぅぅう! 先ずは四肢をじわじわと潰してええぇぁぁぁっ! だれだぁっ! だれだれ? だれぇ!? 憎いにくいにくいニクイニクいにぐぃぃぃぃぃぃ! あああぁあぁぁぁぁっ!」

 

 兜を何度も叩き、掻きむしり、怨嗟の雄叫びを轟かせる。

 暴風そのものである。

 怒りは風を荒々しくさせ、ありとあらゆる物を巻き込み飲み込んで崩壊させる。呪いの言葉と供に湧き立つ邪悪な存在が、ずるずると彼女の足下から出てくるようにさえ見えた。

 恐怖の訪れである。

 少年もアルベドの異様な憤りに眉を顰め、驚きの表情を形作り、一歩ザシリッと音を立てて後退した。

 

 音を聞き、アルベドの動きが唐突に止まる。ゼンマイ仕掛けの人形みたく、ゆっくりと少年の方へ向いていく。

 

 このままでは不味い。

 現状からアルベドがモモンガの不調は少年が原因で引き起こされたと関連付けるはずだ。ユラリと戦斧を持ち上げ、ギリギリと握り手に力を込めている。アルベドの中で確実に不調は少年が原因で起こったと、決定付けられている。

 

「おまえかぁぁぁぁぁっ! 至高の存在を害するゴミがぁぁぁ! 斬り刻み! 叩き潰し! 肉塊にしてやるぞぉぉぉぉぉ!」

 

 アルベドが跳んだ。

 力を溜め、つま先を地面に抉らせ、爆発させる跳躍。

 モモンガは声を張り上げ彼女の名前を呼ぼうとしたが、か細い呻き声に近いものしか出ず、その呼び声も風にさらわれ消えていった。目で追う事さえ難しい前衛職の動きは、少年を逃がさず追い詰めていく。不調が徐々に回復し、支える手を離すころにはアルベトが少年を捕らえていた。

 戦斧が少年の手を裂き、めり込ませ、血が空へと躍り出ている。

 紅華とでも言えようか。

 美しいとさえ思わせる鮮血の煌めきは大きく二つに開かれている。アルベドが力を入れ続ける度に、更に更にと開かれ戦斧が少年の血で綺麗に彩られる。鈍い緑色の戦斧が赤色に生まれ変わった瞬間であった。

 アルベドの甲高い声、少年の苦悶の相、驚嘆の声が少女から響く。

 止められなかった。

 深い後悔の念が浮かんだが、それも徐々に消えていき、落ち着いてくる。モモンガが今終わらせなければいけない事は、残っている不調を消す事である。アルベドが来た以上、身の危険は保障されたと言ってもいい。万全に戻った時に止める事が出来るなら、その時止めたらいい。

 

 

 

 ――最も、その時に少年が少年の形で残っていたらの話になるが――首が繋がってるのを祈っている。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 漆黒の暗黒騎士がフォロウに突撃を開始した。

 驚愕に戸惑ってる場合ではなく、対策を講じなければ凶刃はフォロウに容赦なく襲い掛かり、身を引き裂くだろう。暗黒騎士の戦斧はすぐそこまで迫っていた。

 即座に”高速思考”を発動し、体感時間を延ばす事で絶対的思考猶予を獲得する。

 下段から右斜め上の斬り込みを斬撃の型から予測し、回避を行う手順を確立させた。

 斬撃が空を斬り、回避は成功される。髪が数本宙に舞う。僅か数センチの猶予であった。

 

「待てっ! 僕は攻撃をしていない! 斬り掛かるのを止めてくれ!」

 

 本来ならば、予測できても身体は付いていかず凶刃はフォロウに食い込んでいただろう。それを可能にしたのは、村人を助けるために事前に掛けた<加速(ヘイスト)>が作用しての事。それが無ければ刃はフォロウを裂いていた。

 暗黒騎士を落ち着かせる為、即時停戦を訴え掛ける。

 

「白々しいぞぉぉぉ! 至高の存在を害するゴミがぁっ! 四肢をミンチにし、お前が害した何倍もの苦痛を与えてやるからなぁぁぁっ!」

 

 まったく話が通じない。それに事は終わりではなかった。

 暗黒騎士は空振りが分かると次々に斬り掛ってきた。

 脚に、腕に、腹に、肩に、首に、頭に、斬りと突きによる怒涛のラッシュが始まっていく。

 ”高速思考”が各攻撃の随所で発動し、猛威を振るっていた。考える誰かを待たせる必要が無い特殊能力と思っていたが、とんでもない。フォロウの死地を脱する重要な特殊能力になり、現在そのおかげで命を繋ぎとめている。

 

(クソッ! いきなり発狂して襲い掛かるなんて! あのアンデッドもなんで止めないんだ!?)

 

 悪態をつき一際長く”高速思考”を発動させ、思考の世界へ浸る。

 暗黒騎士の動きは徐々に速さを増している。回避だけではジリ貧で追い込まれ、最後には戦斧が深くフォロウの身に食い込む。暴風の如き暗黒騎士を止めるには――フォロウも攻撃するしかない。

 

(……やるのは簡単だが、やってしまっては後が大変になる……ここに来た目的はコレではないのに……)

 

 アンデッドは頭に手を当てている。何かしらの不調が降りかかりそうなった。

 苦い思いが脳内に広がる。思い当たる節がフォロウには有ったが、アレはあのような作用を引き起こすものではなかったはずで、アンデッドの状態が悪くなる効果を付加させるものでもない。

 

 ――時は、最初の出会いに少し戻る。

 

 フォロウはアンデッドと対面し、如何するかを悩んでいた。

 装備の質から同郷(プレイヤー)の可能性が高いと言っても、それに当てはまるとは限らないからだ。別世界のここの情報を取得してる最中で襲われている村へと介入してる手前で出会い、自分たちより遥かに弱い存在しか情報が無かった先で、確実に強いアンデッドと遭遇した衝撃は大きい。

 相手の情報が少ない。あるのは装備の質と魔法が高位階でアンデッドモンスターの創造のみ、圧倒的に少なかった。

 聞けば良い。そう思考に過ぎるが、すぐに隅に放り投げる。愚策も良いところだからだ。

 襲撃者だからといって躊躇なく殺す存在に、此方の情報を渡すべきではない。ユグドラシルプレイヤーか? と尋ねて可でも否でも相手は此方の詳細を欲するだろう。馬鹿正直に答える必要はなく、話に合わせて嘘を述べるだけでも良い。相手に手綱を握らせるのは最も外すべきで、行ってはいけない。確実性に欠けるのだ。

 

 如何すればと悩む中フォロウに妙案が浮かぶ、名前が分かればいいのでは、と。

 ユグドラシル(ゲーム)では、奇抜な名前のプレイヤーは巨万といて、ギルド<キングダム・オブ・キングス>でも、王列仲間のワイルド・パ・パンチや艶羽艶夜(ツヤハネアデヤ)などの個性的な名前が存在した。目の前のアンデッドが同郷ならば、特有の名前である可能性が極めて高く、そうでないならばこの世界の存在である事が分かり、名前さえ事前に分かれば相手への優位性(アドバンテージ)を獲得できる。相手に悟られず知る方法、その手段をフォロウは持っていた。

 迷わずその手段、特殊技術(スキル)を行使する。

 

 ――特殊技術(スキル)対象視察(パーソナル・アナライズ)――

 

 この特殊技術(スキル)は相手に気取られずに、全ての妨害ないし攻勢防壁を貫通して詳細を取得する。

 聞こえだけで聞けば破格の特殊技術(スキル)だが、この特殊技術(スキル)は、はっきり言って役立たずだ。対象と面向かいでないと発動できず、発動しても同レベル帯では必ず失敗し、レベル差があっても八割超で失敗する。正直言って自身の職業(クラス)構成上で必要なくとも取得してしまった戦術にも戦略にも含まれない死に特殊技術(スキル)でしかない。

 しかし、この特殊技術(スキル)で確実に分る情報がある――キャラクター・ネームつまりは名前だ。

 他の情報――所属、種族、職業(クラス)、装備、能力値――どれも判明しなくても名前さえ分かれば、少なくても対処の方向性は定まる。同郷ならばその流れで話を通し、違うのならばユグドラシルの情報を隠して話を通せばいい。どっちにしても損が切れ、同郷ならば得が得れる。試してみて損はない、実行に移すには十分過ぎた。

 フォロウは対象に手を翳し、特殊技術(スキル)を発動させた。

 

 ――結果は今に至る。

 

 アンデッドは不調を起こし、暗黒騎士に襲い掛かられた。想定した結果にならず、フォロウの頭は痛みを訴えた。

 

(最低限、名前が分かる対象視察(パーソナル・アナライズ)が完全に通らなかったなんて、初めてだ……何故だ? この世界独自の阻害方法? 同郷ではないのか? アンデッドは何故苦しんでいる? まだ、あのアンデッドは治らないのか!?)

 

 空気を切り裂く突きを身を反転して回避をする。貫かれでもしたらひとたまりもない、緊張から唾を飲み込んだ。

 

「ひぃッ!」

 

 悲鳴が聞こえた。少女の、姉妹の声。髪が突きの勢いで舞っていた。

 フォロウは背後を反射的に見た。回避に夢中で姉妹たちの事を念頭に置いておらず、後方に下がる形で詰めてしまっていた。もう後方には下がれない。下がってしまったら姉妹たちが暗黒騎士の攻撃に晒され巻き込んでしまう。失態から、奥歯を強く噛み締めた。

 

 暗黒騎士はピタリと動きを止めると、大きく上段に戦斧を振り翳す。薄い笑い声が聞こえる。

 フォロウの背筋に汗が一筋流れ落ちた。この斬撃は、自分が避けたら姉妹たちが代わりに受けるぞ、と物語っている。

 暗黒騎士の性悪さに怖気が走り、身震いをさせた。此奴は姉妹に斬撃が当たるのをあえて選択して、大振りの振り下ろしを選択した。先ほどの姉妹を気に掛けた素振りだけで判断して、巻き込む形の振り下ろしを行おうとしている。お前が受けなければ、姉妹が受けるという脅しに違いなかった。

 

(――無関係の者をワザと巻き込むだとっ?!! クソがッ!)

 

 力を目一杯溜めた一撃が轟音とともに振り下ろされる。

 フォロウは、回避が出来ない。

 ”高速思考”で引き延ばされた時間の中で、如何すれば被害が少なくなるかを必死に考える。怒りと焦りの末に導き出された答えは、右手を捨てる事だった。

 左手は捨てられない、いざという時の為に必要だからだ。

 斬撃の軌道上に右手を置き、右腕の肘程に左手を添える。迎い受けるための固定台、戦斧を迎い撃つ為の肉と骨の盾、身体に斬撃を受ける訳にはいかない苦肉の策。

 ”高速思考”を合間に合わせ微調整を行う、確実に手の平から真っ直ぐ受けなければいけない。

 緊張が走る――刃はすぐ傍まで到来している。刃が食い込むのはもう直ぐだ。

 手の平に戦斧がめり込み皮膚が割ける。割けるだけでは終わらず、肉を割き、骨を分断し、一本の腕を二つに別れさせた。

 痛みはない、それよりも割ける速度が早く置き去りにさせる。血が噴き出し、意外にも綺麗に自身の手の断面から、同じく綺麗なピンクと白がチラリと見えた。現実感が一瞬置いてかれたが、中身がしっかりと詰まってるのを確認できたので、逆に手放さずに済んだ。虚構でない現実が今をガシリと繋ぎ止める。

 分断は終わらない、終わってくれない。ズプズプと戦斧が奥へ、奥へと突き進み、腕の半分まで到達しようとしている。

 

 数センチ。肘付近に添えられた左手に差し迫った刃がもろ共巻き込み、断ち斬ろうと迫っている――

 

 

 パギィィィ――ィィィッン。

 

 

 ――突然戦斧が突き進むとは逆方向に、勢いよく弾け飛ぶ。

 

 暗黒騎士が驚きの声を上げた。

 意味が解らず武器に引っ張られる形で供に己も飛ばされているのだ、しょうがないのかも知れない。武器を手放せば飛ばされないが、そんなことはできないだろう。

 

 <動的な残響(キネティック・リヴァーバレイション)

 

 フォロウが不敵な笑みを浮かべ、暗黒騎士が吹き飛ばされるのを見た。

 近接攻撃の勢いと力をそのまま反射する魔法を無詠唱化して相手の武器にぶつけたのだ。暗黒騎士の対策はどうか知らないがこの魔法は抵抗(レジスト)に成功しても失敗しても、勢いは無くならず効果が及ぶ。攻撃者を退けるには打って付けだった。

 

 ただし、近接攻撃を受けなければ成立しないこの魔法は、ダメージをもらう事が前提で、受ける場所が重要だった。手で受けるのが最も無難で、他の個所で受けようものなら回避に支障が出る。腕で済んだ上での笑みであった。

 だが、支払った代価は安くなく、フォロウの腕は花のように開いていた。

 未だ、痛みはない。麻痺してるのかと思ったがどうやら違う。感覚的にダメージを把握し、この程度なら痛覚を刺激する程でもないと身体が判断している。見た目ほどのダメージは無く、割かれた根本から癒着が既に始まっていた。冷静に判断出来ており、通常の人間ではあり得ない状態、あり得ない光景だった。

 普通の人間ではこうはいかない。自身(フォロウ)が人間ではないと、実戦という実践で、認識した瞬間である。

 

 

 ――だからどうした。今はそんな事(人間かどう)かなんて気にしてる場合ではない。

 

 

 肘から割かれた腕を一つに押し纏め、フォロウは瞳に力を入れる。

 グチャリと切断面が閉じ、二つが一本に纏まった。退けたといっても一時的に過ぎない、暗黒騎士は吹き飛ばされた先で体勢を立て直し、再び向かってくるだろう。その時に次の対処手段を講じなければいけない、その為の時間(距離)を稼げたと。

 

 

 そう、フォロウは思っていた――だが、それは甘かった。

 

 

 吹き飛ばされた暗黒騎士を見てフォロウは驚愕した。

 飛ばされると判断するや否や身体を捻り、空中で回転をし始めた。縦から横へ勢いを回転エネルギーに変換し、後方直進を消す武器を振り回す様は台風そのもの。局所的に風のうねりを発生させ、回転が弱まると距離を開かず低く着地を行った。15フィート――距離にして5メートルも稼げなかった。

 ユグドラシル(ゲーム)なら何倍も距離を離せる魔法でも、現実では応用次第で対処できると、目の前でまじまじと見せつけた。魔法の効果を過信し過ぎた失態に他ならない。

 

「――ゴミが何をしようとも全ては無駄な事……無様ね?」

 

 ユラリと暗黒騎士が立ち上り、歩き出す。

 走りもしない、慌てもしない、ゆっくりと戦斧を振りながら確実に歩を進めていた。またもや、薄い笑い声が微かに聞こえる。

 

「……四肢の残り三肢。左手、右足、左足……同じく割いてからミンチにしてあげる。避けてもいいのよ? 私は一切変えずに、真っ直ぐに打ち込む――」

 

 落ち着いた綺麗な女性の声。だが、その言葉は不穏な言葉を綴っていた。

 

「――もう一度言うわ。避けてもいいのよ? お前が下等生物を見捨てるだけでほんの些細な時間だけど、存命できる。なら、考えるまでもないわよね? 早々に見捨てた方が正しいって事は……分る筈よ?」

 

 暗黒騎士は三度戦斧を振り、フォロウに笑い掛けながら促した。

 

 冗談ではなかった、考えを巡らせる――既に晒した手は二度は使えない、次は応戦を視野に入れなければいけない――確実な攻撃をするのだ。

 後衛構成のフォロウでは、防衛はこれ以上は持たせられず姉妹を護り切れない。アンデッドの仲裁も期待出来なかった。最悪、不調が治ったアンデッドも参戦してくるかも知れないが、暗黒騎士を退けなければ次もなく。それ故、攻撃もやぶさかではない。

 

 構える。迎撃の魔法は脳内で決められた。

 構えに合わせて暗黒騎士が跳躍する。軽く行われたがひと飛びで三メートルを越える跳躍、漆黒の鎧が太陽で怪しく煌めいた。空中で捻りを加え、戦斧を引き絞っている。

 無駄でしかない動き、フォロウが避けれないと知って見下している。兜の中身はきっと歪んだ笑顔で満たされているだろう。口が裂ける位大きく口角を上げ、歯を兜の中に幻視させる。

 

 ――良いだろう……そこまで言うのならば捨ててやる……正し、お前にだがな。

 

 我慢の限界であった。内心を例えるなら、赤く燃える炎ではなく、それは青く燃える炎。

 落ち着き大人しい青い炎は見た目と違って赤い炎より温度は高い。大きく燃える事はない感情が底近くまで落ち込み、グラグラと水分を飛ばし煮つけていく。

 急速に冷めていく感情に引き寄せられ顔は無表情になり、相手を出来るだけ傷つけ無い事を辞めた。フォロウにあったのは、下に見る愚か者を確実に叩き伏せる事しかない。所謂、一種のプッツン――キレた状態であった。

 

 左手を暗黒騎士に向け重ね、ギリギリと握りつぶすように力を入れていく。

 

「<押し潰す(クラッシング)――」

 

 魔法が構築され、発動されようとしていた。

 一節もしない間に攻撃魔法は暗黒騎士に襲い掛かる。暗黒騎士が警戒してか空中で引き絞りを解放し、速度を増したがもう遅い。これを起点とし、止めどなく続く魔法の連打で愚か者を滅する。

 わざわざ無詠唱化しないのは驕った者に対するフォロウなりの手向け、どれだけ速さが増そうが詠唱が終えるのが早い――はずだった。

 

「――なんでっ!?」

 

 フォロウの顔に感情が灯る。

 金属がぶつかり合った音が響いた。

 暗黒騎士が驚愕の声を上げる。

 戦斧を盾で防いだ者が立ち塞がった。

 

「――ハラート!」

 

 青銀の騎士が外套を揺らめかせ、暗黒騎士を無情の瞳で見据えていた。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 暗黒騎士――アルベドは突然現れた青銀の騎士に警戒し距離を取った。

 少年(ゴミ)青銀の騎士(下等生物の男)に対して警戒するなど、至高の四十一人、ましては自身がちょー愛してるモモンガ様の前で行うなど、虫唾が走る思いだったがそうも言ってられなかった。

 目の前の騎士の纏う(オーラ)がアルベドを強く打ち付けたのだ。

 それは殺気。此方に絶え間無く注がれている気は、激流を無理やり型にはめて取り繕った歪な形。秩序とか善とかを重んじる偽善者特有の胸焼けを起こす類のもので、良く見せ様とする姿に吐き気を催す程だった。

 

 背後を一目見る。愛してる御方の姿を見れば、吐き気も収まった。

 

 憎い、憎い憎い憎い。モモンガ様が不調に頭を支えたその時を目撃した時は気が狂いそうだった。

 あのゴミ。まだ、四肢を全て割いていない。早々に割いてミンチにしないと気が収まらない。

 そうすれば、愛しい御方の不調は完全に回復する。

 その後で、私は御方自らで罰して頂くのだ。くびき殺されてもいい。愛してる御方に引き殺されるならそれこそ本望だからだ。考えるだけで幸福が足先から頭まで駆け上る。あぁ、私の愛してる方に早く跪きたい。

 

 それには、目の前のゴミと下等生物の男が邪魔だ。

 至高の存在。それもナザリック地下大墳墓の絶対たる支配者モモンガ様を前にして、不逞を働いた者が居るなんて唯の死など生温い。ゴミは四肢をミンチにしたのち、生きながら凌辱の限りを尽くし殺す。邪魔をした下等生物の男は首を斬り落とし、御方に献上しよう。下等生物の小娘たちに関しては――四肢を潰したゴミの前でゆっくりとミンチにすればいい。

 計画(プラン)完璧(パーフェクト)、ゴミと下等生物たちに最も相応しい。

 

「……キ、聞きたい事がある。何故、この方がヤ、刃を受けたのか貴女に聞きたい」

 

 下等生物の男――青銀の騎士がアルベドに問いかけてきた。感情が伴っていない、固い微笑みを向けながら。

 アルベドはその微笑みに反吐が出る思いだった。見せかけだけの仮面程、醜悪なものはない。そもそも下等生物全ては醜く底辺な存在であり、偶々生きながらえているだけという事を自覚してない愚かな生き物だ。絶望に叩き落し、踏みつぶして地面の染みへとしてしまいたい。

 

「――答エ、ては貰えないだろうか? 何故、貴女はこの方に刃をム、向けたのか?」

「……貴方の後ろの者が、私の仕える至高の御方へ不逞を働いたからよ。当然の行い、当然の結果ね」

「……貴女の後ろの御方か? どこも損傷が見受けられない。何故、貴女はこの方にキ、斬り掛かっていたのだ? 教えてク、くれ。何故、主の腕がサ、割けられねばいけなかったのか――」

「そうね……しいて言うなら――」

 

 ゴミと下等生物の男の関係は主従と見て間違いない。何と言う様にならない形式だ。

 あのように様にならないゴミが主なんて見っとも無いにも程がある。(アルベド)とモモンガ様と比べてどうだ? 比べるのも万死に値するが天と地すらも超えて、不格好にも程がある。愛しい方、仕えるべき主があのようなゴミだなんて想像するだけでも肌に粟が生じて止まらなくなる。

 解らせてやろう、突けば面白い反応が返ってくるはずだ。下等生物の男の仮面を引きはがし、醜悪な素顔を現すという催しだ。傑作になるに違いない。

 

「――やったか、やってないかは正直どっちでも構わなかったの。至高の御方が苦しんでおられる傍に居た。なら、仕える者としては原因と思しき存在は排除して然るべきよね? 貴方も……ふふ……この方とやらに貴方が仕えてるなら分からない?」

「待て。その言い分では、正当性がない! 少女たちも、この方も、後ろの御方を苦しませた原因と言うのか!? 分からないぞ! 貴女の言ってる事にはこの場の統合性が伴われていない!」

「……はぁ、分からなかったかしら? 特別に分かり易く教えてあげる――」

 

 アルベドは口角を引き上げた。愉しいものを見つけた、と言わんばかりに兜に中で。

 

「――下等生物とゴミ、小娘たちとこの方って意味よ? 眼前へ無礼にも居たから不調を起こされた……御身の御心を苛んだ原因に他ならない。至高の御方を害したのだから、命をもって償うのは当たり前の事。むしろ感謝して欲しいぐらいよ? 償わせる機会を与えてやってるのだから、下等生物たる貴方にもそれぐらい分るはず。それともここまで言っても分からないのかしら?」

「分る筈がなイっ! それに! て、テメ、訂正して貰おうか! オ、私は下等生物でもいいが、この方は決してゴミなどでは無い! 私の主、仕えるべき王たるこの方は決して! ゴミなどではないのだ!」

「……ふふふ……ゴミではない……下等生物でもいい……加えて分からない……お似合いよ、下等生物とゴミとのお遊戯にはね……でも――」

 

 兜口元ら辺に手を置き、笑いを堪える。

 

「――王? そいつが? 偉大な王とでもいうのかしら? ゴミが名乗るにしては些か尊大過ぎるのではなくて? 王を名乗っていいとすれば、至高の存在たる私が仕える御方、唯御一人だけ。それとも……ふふふふ……あぁ、そうね。ゴミとしての王ならお似合いよ。下等生物が仕えるにしては! 本当に、お似合いの!」

 

 アルベドは高らかに嗤う、滑稽で仕方なかったからだ。

 兜で反響した綺麗な女性の声がシンと、静まっていた場に良く聞こえた。

 

 青銀の騎士の顔には微笑みの形すら浮かべていなかった。光が灯らない黒青色(ダークブルー)の瞳が真っ直ぐアルベドを射抜いている。

 

「……最後だ。訂正するなら今だぞ?」

「諄い、王は私の主こそ相応しい。その他全ては塵芥に等しいもので、それ以上にもならず、それ以下よ――」

 

 戦斧を振るい空気を斬り、矛先を青銀の騎士へと向ける。

 

「――安心して? 共々綺麗に分別してあげる。汚してしまったら、分別の意味がないものね。私って、綺麗好きだから汚れてるものを見ると、ついつい綺麗にしたくなって堪らなくなるの……特に――」

 

 矛先をずらし、少年へと向けた。

 

 

「――下等生物が慕う、主と言う汚らしいゴミは特にね……!」

 

 

 ――ガキィンッ。

 

 

 アルベドの首筋に迫った刃が盾によって防がれた。

 盾で遮られてるのにも関わらず、剣と盾の接触は力を緩めず鬩ぎ合っている。

 騎士が恐るべき速度で斬りかかってきたのである。

 アルベドは愉悦に浸った。己に剣を緩めず斬り押し続けている騎士の顔が彼女に好ましい色に染まっていたからだ。下等生物にはお似合いの醜悪な中身を曝け出した醜い中身(本性)がそこにはある。

 

 

「こ、こ、こんのぉぉぉ! しれものがぁぁぁぁ!」

 

 アルベトに向け、激昂の叫びが叩きつけられた。

 騎士の顔には最早、他人を安心させる柔らかな雰囲気など一片もない。怒りのこもった瞳がギラギラとアルベドを逃さず突き刺さり、殺意が抑えきれずに空気を重く淀ませていた。

 

「お、おれ、俺を騎士にし! つ、つつ、仕える事を許した俺の主を傷物にしただけじゃなくぅぅ! あま、剰え、ゴミ呼ばわりとは、覚悟は出来てんだろぅなぁぁぁぁッ! 四肢を斬り落とし! 愚か者に相応しい処刑法を延々と繰り返してやる! 絶対に殺しはしねぇ! テメェが泣いて頼んだって一切! 合切! やめてやるなどしねぇぞぉぉぉぉ!」

 

 空気が爆ぜ、交戦が始まった。

 ぶつかり合い火花が散り、剣と盾の衝突音が甲高く響く。

 

 アルベドは、嗤っている。

 剥き出しになった中身(本性)は、下等生物にお似合いの吐き気を催さない程にマシになったからだ。

 後は、首を斬り落とし献上するだけ。

 

 

 戦斧を振り上げ、彼女は愛する御方の為と、嬉々として斬り合いを重ねていった――。

 

 

 

 




アルベドさん、ブチ切れ。
ハラートさんも、ブチ切れ。
次は、聖騎士vs暗黒騎士の仁義なき争いです。

9/6 HDDが死んで、設定やら書き溜めたやつが亡くなったので
一から書いてます。
他に保存しとけば良かった……。


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