星に願いを(続ああ、無情。) (みあ)
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第一話:悲劇の旅立ち

この小説は前々作「ああ、無情。」、前作「リトルプリンセス」の続編になります。 
まだお読みでない方はそちらから先にご覧下さい。


 走る、走る、走る、走る、走る……。 

 私は真っ暗な森の中を駆けていた。 

 まっすぐ北東へと行けば、街に辿り着く。 

 私を逃がすために城に残った少女の言葉を思い出す。 

 青いリボンで髪をまとめた、私よりも年下の少女。 

 彼女のためにも今は生き延びる。 

 そう心に決めた私は、休むことなく走り続ける。 

 慣れない全力疾走に身体は悲鳴を上げている。 

 でも、立ち止まるわけにはいかない。 

 せめて、勇者様にこの危機を告げなければ。 

 私の国は、ムーンブルクは、魔物達の襲来によって滅びたと言う事を。 

 

 

「『勇者様が仲間達と共に魔王を倒してから、100年の年月が流れました』、か」 

 

 最近、編纂された歴史書を閉じ、ご先祖様に思いをはせる。 

 きっと勇者様の戦いは華麗だったのだろう。 

 真っ青なロトの鎧や盾、兜に身を包み、ロトの剣を颯爽と振るわれたに違いない。 

 幼い頃、おとぎ話によく聞かされたものだ。 

 

『姫様は勇敢な勇者様の血を受け継いでいらっしゃるのです。決してそれに恥じるような行いはなさらぬように』 

 

 まだ幼い自分に言い聞かせてくれた乳母の声が今も耳の奥に残っている。 

 実際に私は勇者様に出会った事があるらしい。 

 でも、正直さっぱり覚えていない。 

 覚えているのは、私に勇気をくれた男の子と銀色の髪の不思議な女の子の事。 

 髪を結んだリボンに手を遣る。 

 リボンは永遠の絆の証。 

 これを見た時のお父様とお母様の驚きようが今も鮮明に思い出せる。 

 あの小さかった男の子は、今はどんなに成長しているのだろう。 

 私のために勇者になると宣言した少年の一生懸命な顔を思い出す。 

 

「ふふふっ」 

 

 思わず笑みが零れる。 

 歴史書を本棚に仕舞い、窓辺に近付く。 

 空は澄み渡り、城下の人々の暮らしが垣間見える。 

 

「昔、あんな事があったなんて、夢みたい……」 

 

 13年前の流星雨の夜、世界は災厄に見舞われた。 

 突然の魔物達の襲撃。 

 多くの人々が傷付き死んでいったあの夜。 

 街は炎に包まれ、兵士達が目の前で次々と倒れていく。 

 あの光景は決して忘れる事は出来ないだろう。 

 

「残念ながら、夢ではありませんよ」 

 

 私の呟きに答える声が背後から響く。 

 驚いた私が振り向くと、そこに立っていたのは一人の少女。 

 金色の髪に蒼い瞳、頭の後ろで結い上げた髪を青いリボンで結んでいる。 

 見た所、まだ12、3才くらいの少女だが、腰には剣を下げ、旅の剣士のような装いだ。 

 でも、どこか凛とした気品のような物も感じられる、不思議な少女。 

 彼女は口元に微笑を浮かべ、さらに言葉を紡ぐ。 

 

「申し遅れました、セリアさま。わたくしは、サマルトリア王国第一王女マリナと申します」 

 

「え? ええっ!?」 

 

 思いがけない言葉に、私は驚く事しかできなかった。 

 

 

「では、君は警告をするためにここに来たと?」 

 

「はい、結果的にはそうなります」 

 

 お父様、いえムーンブルクの国王とサマルトリアの王女との緊急会談に私も同席している。 

 なんでも世界に危機が迫っているとか。 

 正直、実感がわかない。 

 13年前の戦いを忘れたわけではない。 

 むしろ、13年も経っているのに何故今さらという気持ちが強い。 

 

「既にわたくしの配下の者が方々にて警戒をしております。近日中に何らかの動きがありましょう」 

 

 お父様はその言葉に何やら考え込んでいる様子。 

 そんなお父様に、マリナ様はさらに言葉を連ねる。 

 

「兵士達を郊外に配置してはいかがでしょうか? 何かあれば、すぐに連絡させるという事で」 

 

 その言葉に、お父様も決心したらしい。 

 すぐさま、軍の代表者に命令を下している。 

 少女の方を見ると、こちらの視線に気付いたのか、笑いかけて来た。 

 

「セリアさまは、ローレシアの王子さまと婚約しておられるそうですね?」 

 

 想像もしていない質問に、自分の顔が火照っていくのがわかる。 

 そんな私の様子に微笑みを浮かべている少女の姿に、余裕のような物が窺い知れ、本当にこの子は年下なのだろうかと訝ってしまう。 

 

「あ、あの……、はい」 

 

 幼い頃に数日を共に過ごしただけで、それからは手紙の遣り取りだけである事を告げる。  

 

「まあ、そうなのですか? てっきり、もうあらぬ関係になっているのではと思っていたのですけど」 

 

「あらぬ関係? どういう意味ですか?」 

 

 さっぱり意味の判らない言葉に、思わず聞き返す。 

 

「まあ、判らないのでしたら、それに越したことはありませんわ」 

 

 少女は明言を避けながらも、追及の手を緩めない。 

 

「時に、あの方の近くには『ローレシアの妖精姫』と呼ばれる方がおられると聞いておりますが?」 

 

 痛い所を突かれてしまった。 

 私も彼女の噂は耳にした事がある。 

 銀色の髪に青い瞳、とても美しい、まるで妖精のような容姿を持っているとか。 

 幼い頃に出会ったあの少女の成長した姿である事は容易に想像がつく。 

 

「大丈夫です。……大丈夫なはずです」 

 

 確かに最近の彼からの手紙には、彼女が登場することが多い。 

 いつも一緒にいる『姉さん』がいつか『恋人』になる可能性は捨てきれないのだ。 

 そばにいられない事がこんなにもつらい事とは思いもしなかった。 

 苦悩する私を見かねたのか、マリナ様が自分の事を話し始める。 

 

「実は、わたくしも恋焦がれている方がおりますの」 

 

 夢を見るように、遠い視線を天井へと投げ掛ける姿に、やはり年相応の少女なのだと安心する。 

 

「では、そのリボンはその方から?」 

 

 青いリボンを指差すと、少女はどこか気落ちした様子を見せる。 

 

「いえ、残念ながら、これはあの方への愛を表現しただけなのです。まだ、この姿でお逢いした事はありませんわ」 

 

 彼女の言葉にどこか違和感を覚える。 

 『この姿で』とは一体どういう意味なのだろう? 

 

 だが、それを問いただすよりも早く、お父様から声を掛けられる。 

 

「マリナ王女。君の言う通り、兵士達の手配も今夜中には完了するだろう」 

 

「ありがとうございます」 

 

 マリナ様は、深々と頭を下げる。 

 そして、この会談はお開きとなった。 

 

 

 バルコニーに出て、星がきらめく夜空をそっと見上げる。 

 同じ空をアレンも見ているのだろうか? 

 とりとめのない想いが頭に浮かぶ。 

 

「流れ星に願い事をすると夢が叶う、と昔、あの方が教えてくださいました」 

 

 いつの間にか、背後に立っていた少女がそう呟く。 

 会った事が無いのに昔というのもおかしいとは思ったが、気にしない事にする。 

 

「流れ星に、ですか?」 

 

 13年前の災厄以来、流れ星は凶兆を示す物として忌み嫌われている。 

 それがあの戦いを経験した者の共通認識なのだ。 

 考えてみれば、この子の年齢は13才。 

 あの夜に生まれたのだと聞いたことがある。 

 あの時の戦いを知らないのなら、この気持ちはわからないだろう。 

 その皮肉をこめて、言葉を返す。 

 

「ええ、正確には流れ落ちるまでに願い事を3回唱えるのだそうですよ」 

 

 知ってか知らずか、澄んだ笑顔を見せる少女に、自分が浅ましく思えてしまう。 

 見上げた空には流れ星が一つ。 

 思わず願い事を心の中で唱える。 

 

『アレンに会いたい、アレンに会いたい、アレンに会いたい』 

 

 流れ落ちる前に言えたと思う。 

 ふと隣を見ると、こちらを見て微笑む少女の顔。 

 

「その願い、きっと叶いますよ」 

 

「……マリナ様はどんな願い事をしたんですか?」 

 

 照れ隠しに、少女に願い事を尋ねる。 

 

「ふふふ、セリアさまと同じです」 

 

 年相応のはにかんだような笑みを見せる彼女の姿を見て、彼女との距離が縮まったような気がした。 

 

「さて、そろそろお部屋に戻られた方がよろしいですわ」 

 

 彼女の言葉に促されて城内に戻る。 

 

「あっ、マリナ様、申し訳ありませんが、今少しお付き合いくださいませ」

  

 部屋に戻る前に、祭壇へと向かう。 

 祭壇には13年前の戦いで命を失った者達が祀られている。 

 夜寝る前に、ここに祈りをささげるのが日課なのだ。 

 

「あら? あの兜は何でしょう?」 

 

 マリナ様の疑問の声に答える。 

 おそらく、祭壇の上に置かれたあの蒼い兜を示しているのだろう。 

 

「あれは100年前、勇者様が魔王を倒す際に身に付けておられたと言う伝説のロトの兜です」 

 

 私の誇らしげな声に反して、少女は曖昧な笑みを浮かべている。 

 

「勇者さまの、ですか?」 

  

 その意味を訊ねるより先に、城内を突然の喧騒が包み込む。 

 

「な、何事ですか?」 

 

 少女は驚きもせずに告げる。 

 

「おそらく、大神官ハーゴンの軍勢でしょう。さあ、戦いが始まりますよ」 

 

 そう言って笑う彼女は、先程までの少女とは違い、どこか別の人間のようにも思えた。 

 

 

「こ、これは、一体、何が起こったのだ!?」 

 

 謁見の間に入ると、お父様の慌てふためく声が聞こえてきた。 

 すぐさま、マリナ様が事態を告げる。 

 

「大神官ハーゴンの軍勢による攻撃でしょう。すぐに迎撃体制を整えてください」 

 

「何っ! ハーゴンだと!? くっ、しかし本隊は郊外に配置したまま。連中は一体どこから侵入したのだ?!」 

 

 この状況で、私に出来る事があるだろうか? 

 私が使えるのは、簡単な回復呪文だけ。 

 何一つとして自分を鍛える事をしなかった事に後悔してももう遅い。 

 忸怩たる思いに歯噛みしている私を、少女が見咎める。 

 

「貴女は勇者さまの血を引いているのですよ。もっと落ち着きなさいませ」 

 

 その言葉に、小さな勇気を奮い起こす。 

 アレンに再会した時、胸を張れるような生き方をしていたい。 

 幼かったあの時にそう誓ったはずだ。 

 

「ありがとうございます、マリナ様」 

 

 私の礼の言葉に、彼女は微笑みを見せる。 

 

 そんな時、悲痛な伝令がもたらされた。 

 

「城門を突破されました! 早くお逃げください!」 

 

「お前は、マリナ王女と共にこの城を脱出するのだ! わしはこの城を守らねばならん!」 

 

「お父様!」 

 

 私の叫びを掻き消すように、轟音が鳴り響く。 

 

「では、失礼します。陛下、ご武運を」 

 

 この状況下においてもなお、冷静沈着でいられる彼女が不思議でたまらない。 

 私の手を引きながら、謁見の間を飛び出す。 

 

「うぬ! 既にここまで来ていたとは! おのれ、怪物めっ!」 

 

 お父様の声が背後から響く。 

 剣戟が鳴り、怒号があちらこちらを飛び交う。 

 

「ぎょえーーーっっ!!」 

 

 お父様の悲痛な断末魔の叫びが耳に届く。 

 

「お父様! お父様が! 離して、離してーー!!」 

 

 私の願いに耳を傾けることなく、少女は手をつないだまま真っ直ぐに突き進んでいく。 

 角を曲がると、目の前に恐ろしい風貌の魔物が立っている。 

 魔物は手に持った杖を私達の方に向けた。 

 

「危ないっ!」 

 

 少女が咄嗟に私の手を引っ張る。 

 杖から放たれた光は私を包み込み、やがて意識を失った。 

 

 

「セリアさま、セリアさま!」 

 

 誰かが私の名前を呼んでいる。 

 私、生きてる? 

 目を開けると、そこには安堵した様子のマリナ様の顔。 

 

「よかった……、身体の具合はどうですか?」 

 

 頭がボーッとする。 

 深い眠りから目覚めた後のような気分だ。 

 先程の事を思い出してみる。 

 魔物が現れて、光が放たれて……、重要な事を思い出す。 

 明らかに、外れたコースを辿っていた光の前に差し出されたような……? 

 

『さっき、私を盾にしませんでしたか?』 

 

 疑問の言葉を口に出そうとするも、何故か言葉にならない。 

 私の口から出るのは、甲高いけものの声。 

 

「そんなにキャンキャン吠えられても、わたくしにもさすがに犬の言葉はわかりませんわ」 

 

 犬? 

 私は、人間のはず。 

 その時、ふと気付いた。 

 私は立っているはずなのに、マリナ様の顔がずっと高い位置にある。 

 自分の腕を見る。 

 茶色い毛に覆われた両腕と、手のひらにはピンク色の肉球が見て取れる。 

 

『な、何ですか、これ?』 

 

 無意識にこぼれた言葉すらも、犬の鳴き声に変換される。 

 思わぬ事態に混乱する私の首を掴むようにして、少女が私を姿見に映す。 

 

 真っ直ぐにならないで困っていた少しウェーブのかかった紫色の髪。 

 その片鱗は跡形も無く、全身を茶色の毛で覆われている。 

 耳は頭の上でピンと立ち、つぶらな紫色の瞳がじっとこちらを見つめている。 

 道端で見つけたなら思わず抱き上げてしまいそうな、可愛らしい子犬。 

 どうやら、今の私はこの子犬の姿になってしまったらしい。 

 

「可愛らしくてよろしいではありませんか?」 

 

 少女が笑みを含んだような言葉を掛けてくる。 

 明らかに、彼女は面白がっているようだ。 

 私は抗議の声をあげるも、その言葉は犬の鳴き声になるばかり。 

 やがて、この状況を受け入れざるを得なくなる。 

 私が落ち着いたのを確認して、マリナ様が一つの提案を示す。 

 

「実は逃げ切ったわけではありませんので、二手に分かれるとしましょうか」 

 

 少女が、私の首を掴んだまま、窓の隙間から外へと手を伸ばす。 

 

『駄目! 私一人で逃げるなんて!』 

 

 叫んでも、彼女には届かない。 

 

「貴女のために皆が命を張ったことをお忘れなきよう」 

 

 兵士達の顔が、お父様の顔が頭に浮かぶ。 

 それでも、誰かを犠牲にして自分だけが生き残るなんてしたくない。 

 

「実を言いますと、正直貴女を守りながら戦う自信が無いのです。ぶっちゃけ、邪魔です」 

 

 そう言うと、少女は手を離す。 

 私の身体は自由落下に身を任せ、地面に難なく着地する。 

 この犬の身体だからこそ出来る芸当だろう。 

 

「北東に走れば、ムーンペタの街に辿り着けるはずです!」 

 

 少女の声が響く。 

 私は走り出そうとして、ふと気付く。 

 

『北東って、どっち?』 

 

 いつの間にか、空には暗雲が立ち込め、辺りは真っ暗になっている。 

 方向を見失うのも無理は無い、と自己弁護しておく。 

 その時、再び少女の声が響く。 

 

「右上に真っ直ぐです!」 

 

 実は、私の言葉は彼女に通じているのではないかと思う。 

 そのアドバイスに従って走り出す。 

 ……従って走り出……? ……右上? 

 

『右上って何ですか?! さっぱり、意味が判りません!!』 

 

 されど、再び彼女の声は響くことなく、その場からの逃走を余儀なくされたのであった。 

 

 

 走り続ける私の周りを、まぶしい朝の光が照らし始める。 

 その様は、決して明けない夜は無いのだと私に示してくれているようだ。 

 太陽の光に後押しされるようにして、さらに歩を進める。 

 そう、真っ直ぐ北東に向かって。 

 北東に向かって……? 

 朝日に後押しされるように……? 

 あれ? 何かがおかしい。 

 太陽は通常、東から昇る。 

 したがって、北東に向かって進んでいるのであれば、太陽は右斜め前方に見えるはず。 

 

『間違えたーーーーー!!!』 

 

 私の叫びは、遠吠えとなって、朝日に照らされる深い森に響き渡ったのであった。



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第二話:友との再会

『おなかすいた……』 

 

 夜通し歩き続けていた私は、空腹と喉の渇きを感じていた。 

 太陽は既に中天に昇り、喉の渇きを増進させる。 

 もうこの場に倒れ込みたい。 

 そんな思いを抱きながら、その場に足を止める。

 そんな時、キーキーと耳障りな声が頭上から響いてくる。 

 見上げるとそこには、コウモリのような姿をした魔物が一匹。 

 

『あれは、ドラキー?』 

 

 その魔物の特徴が、おぼろげに記憶の中に残っている。 

 あれはアレンと出会ってすぐの事だったか。 

 銀色の髪の女性に教わったような覚えがある。 

 

「キーキーキー!」 

 

 幼い頃の記憶を手繰り寄せる。 

 あの人は誰だったんだろう? 

 ローラ様のお話を聞いたような覚えもある。 

 

「キーキーキー?」 

 

「キーキーキー!」 

 

 物思いにふけりながら、ふと上を見上げる。 

 先程のドラキーの仲間だろうか? 

 見る間に数が増えていき、何か作戦会議をしているようだ。 

 

『いいなあ、あの子達には仲間がいて……』 

 

 それに比べて、私は一人ぼっち。 

  

『お父様、お母様、マリナ様……、皆どうか無事でいてください』 

 

 しばし目を閉じ、祈りを捧げる。 

 私を逃がしてくれた少女の優しい笑顔が心に浮かぶ。 

 心を決めた私は、再び歩き始める。 

 

「キーキーキー」「キーキーキー」「キーキーキー」 

 

 心が折れそうだった私に、歩く気力を呼び戻してくれたドラキーに礼を言おう。 

 見上げる私の目の前には、十数匹の群れを成すドラキーの姿。 

 

『えーと。これはどういうことなんでしょうか?』 

  

 まるで私を取り囲むように頭上を飛び回るドラキーの姿に違和感を覚える。 

 それは異様な光景だった。 

 小さなコウモリのような魔物達が、飛び回りながらも一心にこちらを見据えているのだ。 

 明らかに友好的な雰囲気ではない。 

 

「キー!!」 

 

 リーダー格なのか、一回り大きなドラキーが甲高い声を上げる。 

 一斉に高度を下げてくる他のドラキー。 

 身の危険を感じた私は、急いでその場から走り出す。 

 

「キーキーキー!」 

 

 走る私の後ろから、ドラキー達が追いかけてくる。 

 

『いーやーーーー!!』 

 

 これは間違いない。 

 捕まったら食べられる。 

 身近に迫った命の危機に、空腹だったのも忘れて走り続けた。  

 

 

 目の前には大河が広がっていた。 

 いや、人間の姿で見れば小さな清流でしかないのだろう。 

 だが、小さな子犬の身では濁流渦巻く大河にしか見えない。 

 遠くから死を招く声が近付いてくる。 

 

『ドラキーの特徴、特徴といえば……』 

 

 幼い頃の記憶を必死で手繰り寄せ、助かる方法を模索する。 

 

『そうだ! 肉が硬くて不味い! ……で、それが何の役に立つの?』 

 

 自分が食べられる側なのに妙な事ばかり頭に浮かぶ。 

 私はこんな所で死んでしまうのだろうか? 

 あーうー、私、まだキスもしてないのに! 

 

『助けて、アレン!』 

 

 勇者になって私を助けてくれると言ってくれた少年に叫ぶ。 

 声の限り、何度も叫ぶ。 

 しかし、その声は遠吠えとなって辺りに響くだけ。 

 

 その時、近くの藪がガサガサと音を立てる。 

 まさか、ひょっとして、助けに来てくれたの? 

 

『アレン?』 

 

 その声に反応するかのように、ソレは姿を現した。 

 そう大きな顎とわきわきと動く何十本もの足を持った生き物が。 

 

『誰か、助けてーーー!!』 

 

 ドラキーの群れと大ムカデに囲まれ、絶体絶命のピンチに陥った私は、喉が裂けんばかりに声を張り上げる。 

 その時、遠くで誰かが叫んだような気がした。 

 そして次の瞬間、私は訳もわからぬまま、川の中へと吹き飛ばされた。 

 この時冷静ならすぐに判った事だろう。 

 私を吹き飛ばしたのが、イオの爆発であった事を。 

 

 

 口や鼻から水が流れ込んでくる。 

 もう私は死ぬんだ。 

 お父様、お母様、マリナ様、兵士の皆さん。 

 ごめんなさい、私はここまでのようです。 

 アレン……。 

 最期に貴方に逢いたかった。 

  

 諦めかけたその時、唐突に水から引き上げられる。 

 咳き込みながら見えたのは、真っ青な空。 

 そして、大きな手のひら。 

 

「フィー! 頼む!」 

 

 青年の声と同時に、私の身体は宙に舞う。 

  

「りょーかい!」 

  

 投げられたと認識する前に、そのまま少女の腕の中にすっぽりと収まってしまう。

 思わず見上げた私の目には、銀髪を肩で切り揃えた女性の姿が映る。 

 きれいなひと。 

 私の頭の中にはそんな言葉が浮かぶ。 

 あまりの美しさにどこか神々しささえ感じる。 

 彼女は私に優しく微笑みかけると、不意に真剣な表情で魔物達を見つめ返す。 

 

「このまま見逃してくれるなら、これ以上あなた達に危害は加えない」 

 

 少女は、言葉が通じてるのかどうかも判らない魔物相手に説得を始める。 

 だが当然の事ながら、魔物達はその言葉に耳を貸そうとしない。 

 いや、大ムカデは手近な所で飢えをしのぐ事にしたようだ。 

 さっきの爆発で息絶えたのだろう、地面に転がったドラキーの死体に喰らい付く。 

 そして、そのまま森の奥へと去って行った。 

 

「キー! キー!」 

 

 一方、仲間を殺されたドラキー達は、リーダー格の声で統率を取り戻す。 

 上空を旋回して再びこちらに攻撃を仕掛けようとしているようだ。 

 

「ごめんね、あなた達に恨みは無いんだけど……」 

 

 天に向かって突き出された右腕に魔力が凝集されていく。 

 

「バギ!」 

 

 呪文を唱えると同時に、上空を飛び回るドラキーの群れを突風が掻き乱す。 

 風に触れた者が次々と切り裂かれ、血を撒き散らしながら地面に落ちていく。 

 まさに一瞬の出来事だった。 

 もう、周りに動いている魔物はいない。 

 改めて少女を見る。 

 見た所、私と同い年くらいなのに、私よりもずっと強い。 

 それに、この子どこかで見覚えがあるような……? 

 

「ふう、こんな感じでどうかな、お父さん?」 

 

 お父さん? 

 少女の言葉に違和感を覚える。 

 私を助けてくれた男の人は、それほど年のいってない青年の声をしていたはずだ。 

 けれど、少女の声に答える者はいなかった。 

 

「お父さん?」 

 

 振り向いた私達の目に青年の姿は映らなかった。 

 ただ、川面に二本の棒状のものが生えているのだけが見える。 

 

「はあ……またやってる」 

 

 呆れたようにため息をつき、額に手を当てる少女 

 ソレが何かに気付いた私は愕然とする。 

 足……、足ですよ、アレ! 

 どうやら、私を助け上げたものの、勢い余って頭から突き刺さってしまったらしい。 

 見る間に、その足が力を失って、緩慢な動きに変わって行く。 

 早く、助けないと……。 

 もう、私の為に誰かが死ぬことなんて許せない。 

 どういうわけか、焦る様子も無くため息をつきながらも川に向かってゆっくりと歩を進めていた少女が、突然立ち止まり振り返る。 

 

『どうしたんですか?』 

 

 疑問の声が口をついて出る。 

 

「うん、誰かに見られてたような気がしたんだけど」 

 

『私は何も感じませんでしたけど?』 

 

「気のせいだったのかな?」 

 

『多分……』 

 

 ……あれ? 

 

『ひょっとして、私の言葉解ります?』 

 

「ひょっとしなくても解るよ?」 

 

 彼女は私の目を正面から受け止め、首を傾げる。 

 この仕草、確かに見覚えがある。 

 

『あの……フィー、ですよね? 私はセリア、ムーンブルクの王女セリアです』 

 

 もう十数年も会っていない友人の名を呼ぶ。 

 果たして、彼女は覚えているだろうか? 

 そして、こんな子犬の戯言をどれだけ信じてくれるのだろう? 

 

「えっ? セリア?」 

 

 まじまじと私の顔を見つめた後、彼女はこう言った。 

 

「しばらく見ない間に変わったね。そういう趣味にでも目覚めた?」 

 

 あっさりと信じてくれたのはいいけど、友人関係は見直した方がいいかもしれない。 

 私は心底そう思った。 

 

 

「大変だったんだ。よく頑張ったね、偉い偉い」 

 

 私の説明を聞いた彼女は、そう言いながら頭を撫でる。 

 その感触にどこか心地よいものを感じながら、逆に尋ねる。 

 

『それで、フィーは何故こんな所に?』 

 

 私がそう口に出すと、彼女は口を開きかけ、突然何かに気付いたかのようにうろたえ始める。 

 その様子に、私も大切な事を思い出した。 

 おそるおそる川面を見ると、そこに揺れていたはずの二本の足が無くなっている。 

 その事を口にしようとしたその時、フィーが空に向かって手を合わせ、声を張り上げる。 

 

「お父さん、ごめんなさい! すっかり忘れてた!」 

 

 その声に答えるかのように、何者かが翼をはためかせるようにゆっくりと降りてくる。 

 地上に降りた青年は、ひるがえったマントを振るうと、その場にひざまずき天を仰ぐ。 

 

「ああ、シアちゃん。俺達は娘の育て方を間違えたらしい。こんなに薄情な子になってしまって……」 

 

 あてつけるように空に向かって祈るような仕草を見せる青年に、フィーは怒りを示す。 

 俗に言う、逆切れというものだろう。 

 

「だから、謝ってるじゃない! そんな事だから、お母さんに追い出されるんだよ!」 

 

 その言葉に青年はゆっくりと立ち上がり、彼女の両肩に手を置く。 

 

「フィー……」 

 

「な、なに? わ、私達、親子なんだから……。そ、それに……」 

 

 青年は、意味不明の言葉を口にする彼女を無視しておもむろにこめかみの部分を両こぶしで挟む。 

 そして、ぐりぐりとこぶしを動かしながら叫んだ。 

 

「追い出されたのは八割方、お前のせいだろうが!!」 

 

「痛い痛い痛い、ごめんってば! 私が悪かったです!」 

 

 痛みに悶えながら再度許しを請う姿に、再会した時の神々しさは欠片も感じなかった。 

 

 

「そっか、大変だったな」 

 

 私の説明を聞いて、青年はうんうんとうなずいている。 

 もちろん、彼に私の言葉が通じる事は無く、フィーという通訳があっての事だ。 

 彼女だけに言葉が通じるのは、彼女がエルフという種族だからだそうだ。 

 何でも先祖がえりを起こしたとかで、動物や魔物と会話する事が出来るらしい。 

 

『どうしてこんな所にいたんですか?』 

 

 先程はうやむやになってしまったが、どうしても理由が知りたかった。 

 母親と喧嘩して家を追い出されたという事はさっきの遣り取りで判っている。 

 ただ、何故ここにいたのかという説明にはならないのだ。 

 

「ただ道に迷った、じゃダメ?」 

 

『何か隠さなければならない理由でも?』 

 

 はぐらかそうとする青年を問い詰める。 

 すると、意外な事実が判明した。 

 何と、あの襲撃のさなかに逃げ出した兵士がいたらしい。 

 

「大体の事情はそいつから聞いてたんだよ。だからムーンブルクに向かう途中だった」 

 

『……で、結局道に迷ったんですね?』 

 

 その言葉を通訳した後、フィーはうなだれる。 

 そして、青年は言い訳がましく言葉を連ねる。 

 

「いや、だって、マンドリルとか見えたら遠回りしたくなるだろ? それを繰り返してたら……」 

 

『迷ったと?』 

 

 今度は二人してうなだれてしまう。 

 でも、おかげで私は助けられたのだから、運が良かったと言えるだろう。 

 

『その兵士の方はどうされたんですか?』 

 

「あ、ああ、ローレシアに送っといたよ」 

 

 これまたどこか歯切れが悪い。 

 さらに質問しようとしたら、私のおなかの虫が鳴いた。 

 

「さ、さあ、そろそろお昼ごはんにしようか!」 

 

 その言葉でこの場は治まってしまい、結局聞きたかった事は聞けずじまいだった。 

 

 

 腹ごしらえも終わり、私達はムーンペタの街に戻る事にした。 

 完全に道を見失っていたからだそうだ。 

 空の上から見る分には、それほど遠い所にいるわけではないらしい。 

 

「ルーラで戻らないの?」 

 

 フィーが当たり前と言えば当たり前な事を父親に尋ねる。 

 

「似たような景色ばっかりだろ? 魔力を使い切っちゃって」 

 

 森の一角に戻るのに、何度もルーラを唱えたらしい。 

 確かにこの景色をイメージするのは難しそうだ。 

 

「……仕方ないなあ。疲れたでしょ? セリアは私が抱いていってあげるね」 

 

 ひょいと抱き上げられ、フィーの腕の中に収まる。 

 私は、その温もりと安堵感からか、いつしか眠りについていた。 

 



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第三話:伝説の勇者

 森を抜けた私達の目の前に毒の沼地が広がっている。 

 紫色に濁った水が気泡を生み出しながら澱んでいる。 

 ここを抜けない限り、ムーンペタにたどり着くのは難しいようだ。 

 

「よし、フィー。トラマナを使うんだ」 

 

「ん? 私、そんなの使えないよ?」 

  

 トラマナとは、こうした毒素から身を守る魔法。

 それほど難しい物ではないのだが、限定された状況下でのみ使用される魔法。 

 あまり積極的に覚えようとは思わない魔法の一つだ。 

 

「どうして覚えてないんだ?」 

 

「お父さんだって、人の事言えないじゃない!」 

 

「ああ、これが反抗期って奴か……」 

 

「むー」

  

 不毛な親子喧嘩の末、結局歩いて渡る事に。 

 

「フィー、足元に気を付けろよ」 

 

「お父さんこそ気を付け――」 

 

 フィーが言葉を言い終えるよりも先に、青年の姿が視界から消える。 

 釣られて下を向くと、見事に尻餅を付いている。 

 

「あのね、お父さん」 

 

 声を掛けるのも面倒くさいといった雰囲気で娘が嘆く。 

 

「いや、俺は悪くないぞ。何か足元に硬いモンが……」 

 

 言いながら、紫色に染まった沼に手を差し入れる。 

 ここまで汚れた以上、原因を探らずにはいられないようだ。 

 

「おっ、これだ」 

 

 引き上げた手に握られているのは、手鏡のような物。 

 こちらからは鏡面は見えないので本当に鏡かどうかはわからない。 

 だが、それを知る事は二度と出来なかった。 

 

「お父さんの顔を映したくなかったんじゃない?」 

 

「失礼な事を言うな!」 

 

 その鏡らしきものは、彼の顔を映すと同時に砕け散った。 

 それが、私の希望が砕け散った瞬間だとはこの場にいる誰もが知る由も無かった。 

 

 

「ところで、どうしてムーンブルクが襲われたのかな? 何か心当たりは?」 

 

 フィーが私の顔を覗きこみながら疑問を呈する。 

 確かにそれは私も気にはなっていた。 

 13年前はローレシア、サマルトリア、ムーンブルクの3国が襲撃された。 

 それにもかかわらず、今回はムーンブルクのみなのだ。 

 

『私にもわかりません。ただ……』 

 

 あれが新たな闇の軍勢なのだとしたら、襲われる理由に一つだけ心当たりがある。 

 

「ただ、何?」 

 

 言葉の続きを促してくる少女に、その答えを示す。 

 

『ムーンブルクには、勇者様が使っていたという伝説のロトの兜があります。それを狙っていたのではないでしょうか?』 

 

「勇者の?」 

 

 目を丸くして驚く彼女に、どこか優越感を抱きながら答える。 

 

『はい、100年前に勇者様が魔王を倒した際に身に付けておられた物だと聞いております』 

 

 だが、彼女が驚いた理由はそんな事ではなかったようだ。 

 その由来を聞いた彼女は、先を歩く彼女の父親だという青年に声を掛ける。 

 そういえば、フィーのお父さんって確か……? 

 

「ねえ、お父さん。ロトの兜って知ってる?」 

 

 青年はその場に立ち止まり、振り返る。 

 

「ロトの兜? 何だそれ?」 

 

 他ならぬ勇者様の言葉に、今度は私が目を丸くする番だった。 

 

 

『そんなはずはありません!』 

 

 石で組んだかまどに小鍋をかける勇者様に、私は言い募る。 

 もちろん、通訳はフィーだ。 

 

「そんな事言われてもなあ」 

 

 勇者様は干し肉を細かく刻み、鍋の中に放リ込む。 

 

『私はお父様から確かに聞いております!』 

 

 私の言葉もなんのその、そこに川から汲んで来た水をゆっくりと注いでいく。 

 

「じゃあ、そのお父様が嘘ついてんだろ」 

 

 私はその言葉に愕然とした。 

 

「ちょっと、お父さん! もう少し言葉を選んであげてよ!」 

 

 フィーが勇者様の言葉を咎める。 

 けれど、私が衝撃を受けたのはそれだけではない。 

 祭壇の兜が偽物ならば、13年前の戦いの際に命を落とした者達への祈りすらも嘘偽りのように思えたからだ。 

 

「あー、すまん。悪かった」 

  

 湯気と共に漂ってきたおいしそうな香りが鼻をくすぐる。 

 私は勇者様の謝罪の言葉にも黙って首を振る事しか出来なかった。 

 

 

 小さな器に注がれたスープに口を付ける。 

 もっともこの犬の身体では舌を付けると言った方が正しいか。 

 ほどよい塩味とあっさりとした旨味が口の中に広がる。 

 

「ねえ、セリア。お父さんの言った事、気にしちゃダメだからね。お父さん、いっつも適当な事ばかり言うんだから」 

 

 銀色の髪の少女が私を元気付けるように、明るく振る舞ってくれる。

 

「適当って、お前な……」 

 

 娘の言葉にふてくされたような仕草を見せる勇者様。 

 そんな親子の遣り取りがとてもうらやましい。 

 お父様は、今どうしていらっしゃるのでしょうか? 

 

 そう、お父様は生きている。 

 

 気落ちした私を見かねて、勇者様が教えてくれた。 

 なんでも拾った兵士いわく、城にいたものは皆、動物の姿に変えられてどこかに連れ去られたのだそうだ。 

 「そうでもなきゃ、お前が犬の姿になってる理由がわからん」とは勇者様の言葉。 

 言われてみれば、その通り。 

 私だけが犬に変えられる理由がない。 

 

「セリア」 

 

 フィーに名前を呼ばれ、ふと顔を上げた。 

 その顔にはいたずらっ子のような笑みが浮かんでいる。 

 

「ロトの兜が偽物って言う前に、もう一つ可能性があるよ」 

 

『何ですか?』 

 

 聞き返す私に、右手の人差し指を立てて言う。 

 

「お父さんが勇者じゃないっていう可能性」 

 

 フィーと二人で、勇者様の方をじっと見つめる。 

 言われてみれば、その方が納得できる。

 

「納得するな!」 

 

 私の心の中を読んだのだろうか? 

 勇者様が反論の声を上げる。 

 

「大体、俺は元々魔法使いなんだよ。皆『ローラの日記』に惑わされすぎだ」 

 

 『ローラの日記』、それは勇者様と共に戦った私のひいおばあさまに当たる方が残された物だ。 

 ここに記された勇者様はロトの防具に身を包み、ロトの剣を振るっている。 

 どうやら、その冒険譚のほとんどが創作らしい。 

 

「正確には、立ち位置が違うんだよ。ロトの鎧に身を包み、ロトの剣を振るったのはローラだ」 

 

「じゃあ、ローラ様が勇者だったんじゃないの?」 

 

 勇者様いわく、その可能性はないそうだ。 

 理由は、一人の魔王に対して勇者は一人しか生まれないかららしい。 

 そして、魔王を倒すまで、勇者は死ぬ事が出来ないのだそうだ。 

 

『? どうして、勇者様は生きてるんですか?』 

 

「何か微妙に失礼な事を言われてる気がするんだが」 

 

 気のせいです。 

 

「うーん。私もついこないだまで知らなかったんだけど、お母さんが魔王なんだって」 

 

 そ、それはひょっとして、勇者と魔王の禁じられた恋? 

 勇者と魔王が戦いの中で芽生えさせる愛。 

 いつしか二人は互いの事しか考えられなくなって……。 

 

「犬の姿で身悶えるな、気色悪い」 

 

 はっ?! 

 あぶないあぶない。 

 勇者様の言葉で正気を取り戻す。 

 

「でも、お母さんって何かしたの? 全然聞いた事無いんだけど」 

 

 魔王と呼ばれるからにはそれだけの理由があるはず。 

 勇者様はそれを知った上で全てを受け入れておられるのでしょうか? 

 やはり、それは勇者と魔王の禁断の愛がなせる業か。 

 けれど、私達の期待とは裏腹に、勇者様の答えは実に素っ気なかった。 

 

「さあ? 俺も聞いた事無い」 

 

「えー、気にならないの?」 

 

「全然」 

 

 この人は嘘をつけない人だと思う。 

 だから、この答えも嘘偽りの無い本心からの言葉だろう。 

 

「そんなに知りたきゃサイモンにでも聞け。アイツは昔腹心だったらしいから何か知ってるだろ」 

 

「えー、私あの人苦手なんだよね」 

 

 サイモンというのが誰の事かはわからなかったが、共通の知り合いなのだろう。 

 フィーが露骨に嫌そうな表情を浮かべる。 

 話の論点がずれた事に気付いたが、これ以上この話題は続けられない事はわかった。 

 

『あの、ローラ様の事を教えていただけませんか?』 

 

 メイドマニアだの女好きだのという不思議な会話を止めて、フィーが私の言葉を伝えてくれる。 

 

「ローラか……」 

 

 勇者様が夜空を見上げる。 

 しかし、その目はもっとずっと遠くを見つめているようにも見える。 

 

「お母さんに聞くと、腹黒だとか性悪って言葉しか出て来ないの」 

 

「そうだな。まあ、おおむねそのとおりなんだが……」 

 

 そのとおりなんですか。 

 

「本人に会わなきゃわからないと思うよ。彼女の魅力はね」 

 

 そう言って、彼は多くの思い出を語ってくれた。 

 冒険の日々、結婚生活、子育ての苦労。 

 楽しい話や悲しい話、困り果てた話、たくさんの話をしながら、夜は更けて行った。 

 

  

 ふと目を覚ます。 

 隣には寝息を立てている少女の姿。 

 そっと寝床を離れ、空を見上げる。 

 幾つもの星が瞬き、私を見下ろしてくる。 

 

「眠れないのか?」 

 

 突然、声を掛けられ驚く。 

 

『いえ、あの、少し気になって』 

 

 どぎまぎしながら振り向くと、勇者様が焚き火の番をしている。 

 そういえば、寝る前に順番を決めていたような気がする。 

 

「悪い、俺にはお前の言葉はわからん」 

 

 言葉も通じない、焚き火の番も出来ない、何の役にも立たない犬の身が恨めしい。 

 少し気落ちしていると、勇者様が私を膝の上に抱き上げる。 

 

『え?! あの、ちょっと!?』 

 

「おお、やっぱり暖かいな。さすが小動物」 

 

 その言葉に、私も抵抗を止める。 

 この犬の身体でも、少しは誰かの役に立っているのかと思うとどこか嬉しい。 

 勇者様は私の背中をそっと撫でてくる。 

 人の身で背中を撫でられるのは嫌だが、犬ならば問題も無い。 

 これは犬の特権というべきものだろう。 

 

「どうやったら、この身体は元に戻るんだろうな?」 

 

 勇者様の呟きが耳朶を打つ。 

 私はそれを心地よさに身を委ねながらゆめうつつで聞いている。 

 

「流れ星に願ってみるか。元の身体に戻してくださいって」 

 

 流れ星に願い事? 

 前に誰かが教えてくれたような気がする。 

 私の願いは何? 

 

『アレンに会いたい……』 

 

 誰に伝えるでもなく、その願いだけが口から漏れる。 

 

「ん? なんだ寝言か? ……おやすみ、セリア」 

 

 ……おやすみなさい。 

 私は全身を安らぎに包まれながら眠りについた。 

 

 

「じゃーん! セリアにプレゼント!」 

 

 早朝から、何故かテンションの高いフィーが道具袋から何かを取り出す。 

 

「ぶっ! お前、何でそんなもん持ってんだ?」 

 

 それを見た勇者様が驚きの声を上げる。 

 無理も無い。 

 その手に握られていたのは、犬の首輪だったからだ。 

 

「んー。お母さんに18才の誕生日祝いにもらったんだよ。これを着ければお父さんが大人しくなるって」 

 

「あー皆まで言うな。ったく、何考えてんだ、シアちゃんは」 

 

 一体、どういう家庭環境なんでしょう? 

 って、私が着けるんですか、ソレ。 

 

「ちゃんと飼い犬だって主張しておかないと、危ないよ」 

 

 その言葉に、私もうなずかざるを得ない。 

 野良犬扱いで駆除なんてされたくはないからだ。 

 

「ほらほら首出して、首」 

 

 仕方なく、フィーに向かって首を差し出す。 

 余裕を持たせてくれているようで、首が絞まるような感触は無いがどこかくすぐったい。 

 

「ハイ、オッケー」 

 

 そう言って、最後の金具を閉じる。 

 その瞬間、不思議な感触が首に走る。 

 

『あの、何か嫌な予感がするんですが』 

 

 ためしに、もう一度外してもらう。 

 しかし、簡単にはめ込んだはずの金具が動かなくなってしまったようだ。 

 

「あれ? 外れない。お父さんもやってみて?」 

 

 勇者様がやっても状況は変わらない。 

 

「これ、呪われてんじゃないか?」 

 

「えーーー?!」 

 

 叫びたいのは、私の方です。 

 

 セリアはいぬのくびわをそうびした。 

 セリアはのろわれてしまった。 

 いぬのくびわをはずすことができない! 

 

『どうしろって言うんですか、まったく』 

 

「どどど、どうしよう? ごめんね、ごめんね」 

 

 慌てふためくフィーを見ていると、どこかおかしく思えてくる。 

 第一、犬である事自体がおかしいのだ。 

 これ以上の不幸があろうはずが無い。 

 この犬の姿で首輪が外れない事に一体どんな不都合があるというのか。 

 

「まあ、ここまで来たら、シアちゃんに頼るしかないか」 

 

 勇者様の提案に、フィーはさらに慌てる。 

 

「えー?! もう帰っちゃうの?」 

 

「いや、セリアだけ、ローレシアに送るんだよ」 

 

 その言葉に、少女は安堵する。 

 

「良かった。もう少しお父さんを独り占めできるって事だよね」 

 

「今帰ったら、どんな目に遭わされるかわかったもんじゃない」 

 

 本当に、どんな家庭環境なんでしょうか? 

 呪いの首輪を娘に贈る母親の姿を、見たいような見たくないような。 

  

 だが、私の思いに関係なく、話はどんどん進んでいく。 

 

「じゃあ、シアちゃんによろしくな」 

 

 勇者様が天に向けた両手のひらの上に、私の身体をちょこんと乗せる。 

 

『あの、これ、危なくないんですか?』 

 

「お前なら出来ると信じている」 

 

「大丈夫! セリアなら出来るよ」 

 

 妙に自信たっぷりに言うところが逆に怪しい。 

 そもそも、その言い方だとこちらに丸投げしているようにも取れる。 

 

『あの――』 

 

「喋るな、舌を噛むぞ」 

 

 私の言い分はもう通じそうに無い。 

 

「シアちゃんをイメージ。方向はこっちだな」 

 

 勇者様は精神を集中しているようだ。 

 どこか声を掛けがたい。 

 フィーはというと、少し離れた所で見守っている。 

 視線を合わせると、ついと逸らす。 

 

『ちょっ――』 

 

 思わず声を上げた瞬間、勇者様の呪文が完成した。 

 

「バシルーラ!」 

 

 突然、身体が弾かれるように空中に飛び出す。 

 

『ふむぐっ!』 

 

 口からは言葉にならないうめきが飛び出し、地上の二人が見る間に小さくなっていく。 

 どうやら、一直線にローレシアに向かっているらしい。 

 すごい速さで地上の景色が移り変わって行く。 

 この分だと、そう遅くないうちにローレシアにたどり着けそうだ。 

 

 ……ちょっと待って下さい。 

 これはどうやって降りるんでしょうか? 

 今ならわかります、二人のあの言葉の意味が。 

 

『いくら何でも、この高さから落ちたらひとたまりもありませんよーー!!』 

 

 私をこの境遇に陥れた二人を呪いながら、力の限り叫ぶ。 

 やがて来るだろう最期の時は刻一刻と迫っていた。 



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第四話:守護者

 世界最高の魔法使い。 

 ローレシア王国の初代王妃様。 

 勇者様と共に魔王と戦い、その勝利に貢献した立役者。 

  

 彼女の呼び名は数多い。 

 中でもひと際有名なのは、守護者という呼び名であろう。 

 ローラの日記の中にも彼女についての記述は多い。 

 銀色の髪と紅い瞳を持つ、絶世の美女。 

 強大な魔力を誇り、その余りの強さゆえに老化すらも防いでいると言われている。 

 100年経った現代でも、姿が変わらない事は特筆すべき事項だろう。 

 

 ちなみに勇者様が現代までそのままの姿で生存しているのも知られてはいる。 

 ただ、理由については『勇者だからそんな物だろう』で済んでいるのは、彼の人徳であろうか。 

 

 閑話休題。 

 13年前の事件において、ローレシア王国に現れた魔物をほぼ彼女一人で撃退した事は記憶に新しい。 

 一方、ムーンブルクは多くの犠牲者を出しながら、何とか撃退に成功した。 

 この事を踏まえると、彼女の能力が突出している事はおわかりいただけると思う。 

 

 彼女がムーンブルクに居てくれれば、今回の惨劇は逃れられたのではないだろうか。 

 そんな思いで胸が一杯になる。 

 果たして彼女は私の願いを聞いてくれるだろうか? 

  

 ……だが、それもこの窮地を凌いでからの話だ。 

 今私の身体は地面に向かって落ち始めている。 

 おそらく目的地が近いのだろう。 

 

『そこの鳥さん、私を受け止めてもらえませんでしょうか?』 

 

 近くを飛ぶ鳥に話し掛けても、色好い返事は返ってこない。 

 むしろありえない物でも見たかのように、一声鳴いて飛び去っていく。 

 その反応も当然だ。 

 私も犬が空を飛んでいるなんて信じたくはない。 

 

『ああ、これが夢だったら……』 

 

 そんな嘆きすらも風の音に紛れて消えてしまう。 

 どんどん地上が近付いてくる。 

 どうやら最期の時が来たようだ。 

 私はその時に備えて、ぎゅっと目をつむった。 

 

 ……身体中が痛い。 

 その中でも頭が特に痛い。 

 まるで誰かに思い切り頭を鷲掴みにされているようだ。 

 そっと目を開いてみる。 

 私の目に映ったのは、人形のように整った容姿をした銀髪紅眼の少女。 

 ただ人形と違うのは、怒りに染まった形相と彼女から伸びた一本の腕。 

 その腕は、私の頭の上で視界から消えている。 

 

『……夢かな』 

 

 再び目を閉じようとすると、少女がさらに力を込めてくる。 

 

『痛い痛い痛い痛い!! 何するんですか、いきなり!』 

 

 私が叫ぶと、少女はその手を突然離す。 

 一瞬の浮遊感の後、地面に尻餅をついた。 

 

「それは、わらわの台詞じゃ!!」 

 

 耳がおかしくなるかと思うほどの大声。 

 その声に気圧されて、私は何も言う事が出来なくなる。 

 

「……わらわの朝からの労働の集大成、この山のような洗濯物を台無しにした罪は万死に値する」 

 

 周りを見渡すと、地面のあちらこちらにシーツや衣服が散乱している。 

 この洗濯物の山がクッションとなって、私の命を救ったのだろう。 

 

「―――よって、これより死刑を執行する」 

 

 物騒な事を呟きながら、再びこちらに手を伸ばそうとする彼女をまじまじと見つめる。 

 この容姿、誰かに似ているような気がする。 

 銀色の髪、整った容姿……もしかして! 

 

『……フィー?』 

 

 先程まで一緒に居た親友の名を呟く。 

 その声を聞き、少女の手がピタリと止まる。 

 

「娘を知っておるのか? おぬし、何者じゃ?」 

 

 彼女の言葉に心底耳を疑った。 

 

『えーーっ?! 本当に貴女が守護者様なんですか!? 何かイメージと全然違います!』 

 

 私の素直な心の吐露に、彼女の眼に再び危険な光が宿る。 

 

「……死ね」 

 

 その呟きと同時に、私の意識は闇に閉ざされた。 

 

 

 私、生きてる……? 

 再び目覚めた時、私はソファーに寝かされていた。 

 周りに人の姿は無い。 

 ……いや、ドアの向こうから誰かが近付いてくる足音がする。 

 やがてドアが開き、一人の男の人が姿を見せた。 

 

「あれ、子犬? また姉さんが拾ってきたのかな?」 

 

 黒い髪を短く切り揃え、清潔そうな身なりをした青年。 

 目鼻立ちの整った、凛々しい青年はただ優しげな笑みを浮かべてこちらを見つめてくる。 

 

『アレン?』 

 

 一目で判った。 

 私がずっと心の中で思い描いていたアレンの姿とよく似ていたからだ。 

 けれど、私の声が彼に届く事は無い。 

 彼は人間で、今の私はただの子犬なのだ。 

 

「僕はアレン。君の名前は? ……なんて聞いても、僕には君の言葉は解らないんだよ、ごめんね」 

 

 彼は私を抱き上げて、顔を覗きこんでくる。 

 私はセリアだと何度叫んだ事だろう。 

 それでも彼には届かない。 

 諦めかけたその時、彼が呟く。 

 

「……セリア?」 

 

 届いた? 

 そう思った時、背後の扉が開いた。 

 そこに居たのは先程の少女。 

 

「何じゃ、来ておったのか、アレン」 

 

「お邪魔しています、ひいおばあさま」 

 

 アレンの返事に、少女は顔をしかめる。 

 

「その呼び方をするなと言っておろう」 

 

 やはり、彼女が守護者様、フィーの母親なのだろう。  

 アレンがわざとらしく、畏まるようなポーズをつけて言い直す。 

 

「お邪魔しております、アリシア様」 

 

「ふん。そのような所ばかり、あるじに似おってからに」 

 

 不貞腐れるような口調ではあるが、二人の顔がほころぶ。 

 一種の社交辞令のような物なのだろう。 

 

「フィーなら居らんぞ」 

 

 アリシア様の言葉に、アレンはがっくりと肩を落とす。 

 

「また喧嘩したんですか?」 

 

「わらわは悪くないぞ。あやつらが共謀してわらわを馬鹿にしたんじゃ」 

 

 そう口にしながらも、彼女の顔には怒りは無く、寂しさだけが色濃く漂う。 

 迷子になって途方にくれている少女のような表情だ。 

 

「そんな事より何の用じゃ、アレン?」 

 

 そんな寂しそうな仕草も一瞬の事。 

 すぐに元の顔に戻って、アレンに尋ねる。 

 

「ええ、実は奇妙な出来事がありまして……」 

 

 そう言ってアレンが切り出した話は状況だけを見れば、それほど不思議な話では無かった。 

 要約すると、森の中で怪我をした一人の兵士が見つかったという話だ。 

 ただ、医者の見立てによると、高所から落ちて地面に叩きつけられたのではないかと思われるとの事。 

 そして、何者かによって応急処置が施されていた事。 

 その二つが大きな謎なのだそうだ。  

 

「高所から叩きつけられた?」 

 

 アリシア様がそう声に上げながら、こちらを見る。 

 そう。私にはその兵士に心当たりがある。 

 おそらく、勇者様が私よりも先に送ったというムーンブルクの兵士の事だろう。 

 私も一歩間違えるとその兵士と同じ道を辿ったかと思うと身震いする。 

 でも、応急処置をしたのが誰かはわからない。 

 通りすがりの医者でもいたのだろうか? 

 

「実はの、アレン……」 

 

 今度はアリシア様が私の事をアレンに話し始める。 

 おおむね私の記憶と一致している。 

 やはり、洗濯物の山の中に落ちたらしい。 

 そのおかげで私の命は助かったというわけだ。 

 

「そういえば、おぬし。フィーの名を呼んでおったな? あの二人に会ったのか?」 

 

『はい、私をここに飛ばしたのは勇者様の魔法による物です』 

 

 私は守護者様の質問に素直に答える。 

 また機嫌を損ねたら、今度こそ本当に命にかかわりかねない。 

 

「しかし、解せんな。あるじも何のためにこのような犬を寄越したのか……」 

 

 ……あの、ひょっとして私が人間だって事に気付いてないんですか? 

 私が自分の正体を告げようとすると、それまで静観していたアレンが一つの疑問を口にする。 

 

「いつから犬と会話を交わせるようになったんですか、ひいおばあさま?」 

 

「だから、ひいおばあさまと呼ぶなと言って……む? 言われてみれば、おぬし普通の犬ではないのか?」 

 

 そう言いながら、私をアレンの手から奪い、全身を撫で回す。 

 

『ひゃっ! くすぐったいです』 

 

「何やら魔法の気配がするの。形態変化呪文か、それとも呪いの類か」 

 

 脇の下に手を入れて抱き上げながら、全身をくまなく観察する。 

 私はもうなすがままの状態だ。 

 

「アレン、見てみよ。こやつ、メスじゃぞ?」 

 

「あ、本当ですね」 

 

 って、どこ見てるんですか!? 

 私は全身を必死に動かして、その手を振り解く。 

 

『ひどい。……私、もうお嫁にいけない』 

 

「メス犬風情がおおげさな」 

 

 神よ、精霊ルビスよ。 

 何故、私にこのような試練をお与えになるのでしょうか? 

 当然の事ながら、勇者でもなんでもない私にその答えが返ってくることは無い。 

 

「あの、その子犬の事なんですけど、元々人間なんですか?」 

 

 さめざめと泣く私をさておいて、アレンが守護者様に尋ねる。 

 アレンには私の言葉が理解できていないのだから、当然の事。 

 でも、どうしてあの時私の名前を呼んだのだろう? 

 ひょっとして、私の愛が通じたのでしょうか? 

 愛する二人の間に、言葉なんていらないって感じで……。 

 

「……何か身悶えておるようじゃが、確かにこやつは人間じゃろうな」 

 

 はっ?! あぶないあぶない、またやってしまった。 

 身なりを整えて、床の上に座る。 

 さっきの痴態は無かった事にしてください。 

 そんな気持ちを込めながら、アレンを見つめる。 

 

「この子、ひょっとしてセリアなんじゃないかって思うんです」 

 

 やっぱり、二人の間に言葉なんていらないんですね。 

 真実の愛の勝利です。 

  

「おぬしの婚約者か? 何故そう思う?」 

 

 興奮冷めやらぬ私とは対照的に、冷静な口調で守護者様が問い返す。 

 ……ですから、二人の愛が奇跡を。 

 

「セリアの事、覚えていますか?」 

 

 アレンが私を抱き上げ、じっと見つめてくる。 

 あの頃と同じ、真っ直ぐな眼差し。 

 

「僕はセリアに初めて逢った時、こう思ったんです」 

 

 黒い瞳が私の姿を映している。 

 私も彼の目をじっと見つめる。 

 少し手を伸ばせば届く距離に彼の顔がある。 

 

「なんか、犬みたいな女の子だなって」 

 

 私は思い切り、目の前にある彼の顔に肉球のついた前足を叩き付けた。 

 

 

『どうせ、私は犬ですよ』 

 

 落ち込む私に、アレンは必死に謝り倒す。 

 

「そういう意味じゃないんだって! ただ、こう庇護欲に駆られるって言うか……」 

 

『アレンが私の事をそんな風に思ってたなんて知りませんでした』 

 

「いや、悪い意味じゃなくて、可愛いなっていう意味で――」 

 

 通訳をしてくれていた守護者様が呆れて仲裁に入るまで、アレンの私に対する言い訳は延々と続いたのだった。  

 



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第五話:王子の旅立ち

 ローレシアの城に向かう街道を、アレンは先導するように前を歩き、私は守護者様に抱きかかえられて後ろにいる。 

 一度、ローレシア王つまりはアレンの父親に今後の事を相談するべきだと思ったからだ。 

 人間の身体に戻れる方法はさすがに守護者様にもわからないらしい。

 どうも呪いの類とは様子が異なるのだそうだ。

 元の姿に戻るためにも、これからどう動くべきか決めるのにも今の私達には何よりもまず情報が必要なのだ。 

 

 

 ……そういえばドタバタしていて忘れていた。 

 私には人間に戻るよりも先に解決すべき問題があった。

 

『あの、この首輪なんですけど……』 

 

 首を反らすようにして守護者様に首輪を見せる。 

 

「わらわが娘に遣った物じゃな。よく似合っておるではないか」 

 

 感想はそれだけですか……。 

 あらためてこの人の感覚に驚かされる。 

 呪いの首輪をそれと知らせず娘に贈るのだ。 

 このくらいの事など意に介するほどでもないのだろう。 

 

『そういうことではなくて、どうして自分の娘に呪いの掛かった物品を贈るんですか?』 

 

 そのおかげでこの首輪が外せなくなったのだ。 

 腹立ちまぎれに詰問すると意外な答えが返ってきた。 

 

「呪いを解く呪文の練習をするからくれと請われたんじゃから仕方があるまい」 

 

『はい?』 

 

 思わず自分の耳を疑った。 

 フィーはこれに呪いが掛けられている事を知ってた? 

 何故、それを私に? 

 

『え? あの、それ、隠してたんじゃないんですか?』 

 

 混乱しながら疑問を口にすると、守護者様は睨みつけてくる。 

 

「わらわがそのような事をするように見えるのか?」 

 

 見えます。むしろ、そうとしか見えません。 

 そんな言葉が口をついて出そうになるのを必死にこらえる。 

 ここでそんな事を言ったらどうなるかなんて火を見るより明らかだ。 

 

「ほほう、何か言いたそうな目をしておるな?」 

 

 守護者様が私の尻尾をつかみ、逆さづりにする。 

 勇者様に魔法で飛ばされた事を思い出して身がすくむ。 

 

『守護者様はとっても優しいです! 私、すごく感謝してます!』 

 

 目をつむって思い切り叫ぶと、守護者様は満足したのか、私を胸に抱え込む。 

 

「ふむ、そうじゃろうそうじゃろう。わらわは善人じゃからな」 

 

 恐怖で息を荒げる私とは対照的に顔を綻ばせる守護者様。 

 子供ですか、この人は……っといけない。 

 また恐怖体験を味わわされたくはない。 

 彼女の機嫌が良い内に私の望みを叶えてもらわねばならないのだ。 

 

『それで、この首輪の呪いを守護者様に解いてほしいのですが』 

 

 私の言葉に守護者様は眉をひそめる。 

 ……また、何か気に障ることでも言ったのだろうか? 

 そう思った私に彼女は思いがけない言葉を告げる。 

 

「わらわは魔法使いじゃぞ。呪いを解く呪文なぞ使えるわけがなかろうが」 

 

『あの、呪いを解く呪文ってシャナクですよね?』 

 

「そうじゃが、それがなんじゃ?」 

 

 この人、本当に知らないのだろうか? 

 

『シャナクって、魔法使いの呪文ですよ』 

 

 魔法の教本で読んだから間違いは無い。 

 けれど、守護者様はそんな私を笑い飛ばす。 

 

「嘘を言うでないわ。呪いを解くなど僧侶の所業ではないか。魔法使いの仕事ではあるまい」 

 

 ああ、この人本当に知らないんだ。 

 大魔法使いと呼ばれる人のその言葉にがっくりと肩を落とす。 

 

『嘘だと思うのでしたら、アレンに聞いてみてください』 

 

 守護者様は前を歩くアレンを呼び止め、事の次第を説明する。 

 アレンは足を止め、少しの間思考するように周りに目をやる。 

 そんな彼とふと目が合い、ついっと逸らす。 

 まだあの時の言葉を許したわけではないのだ。 

 

「……ううっ、シャナクは魔法使いの呪文ですよ」 

 

 守護者様は涙声で答えるアレンにいぶかしげな視線を投げ掛ける。 

 

「おぬし等、二人してわらわを謀ろうとしておるのではないか?」 

 

 アレンの態度を見る限りでは彼女の口からこんな言葉が出るのも仕方が無いとも思えてしまう。 

 けれど、残念な事に私とアレンの間には言葉が通じてはいないのだ。 

 

「セリアと言葉が通じてたら、こんな惨めな事になってませんよ」 

 

 アレンのそんな言葉に守護者様もうなずかざるを得ない。 

 

「くっ、おかしい。リィネが使っておったからてっきり僧侶の呪文かと思っておったのじゃが」 

 

 リィネ? 

 知らない名前が出てきた。 

 少なくとも私の周りにそんな名前の人物はいない。 

 アレンもその名前を聞き咎めたのか、守護者様に尋ねる。 

 

「ん? ああ、リィネというのはわらわが前にパーティーを組んでおった娘の名じゃ」 

 

『それは勇者様と旅する前のお話しですか?』 

 

「む? そうかおぬしはあるじから聞いておるのじゃな?」 

 

『ええ、少しだけですけど』 

 

 今の勇者様と出会う前、魔王となる前に、初代の勇者様と旅をしていたのだと聞いた。 

 それが今よりも400年前の話。 

 でも、目の前の少女が400才を越えているとは到底思えない。 

 

「わらわとアル……勇者ロトとリィネとザイン。それがわらわの仲間達の名じゃ」 

 

 懐かしそうに目を細める彼女に、アレンが聞き返す。 

 

「それで、リィネさんは僧侶だったんですか?」 

 

「いや、生まれも育ちも生粋の賢者の家系じゃったが?」 

 

『じゃあ、指針にもならないじゃないですか』 

 

 賢者というのは魔法使いと僧侶の両方の呪文に適性を持つ、いわば魔法のスペシャリスト。 

 シャナクが魔法使い専用の呪文なのかという命題の答えにはならない。 

 

「あやつは僧侶系に偏っておったから、シャナクも僧侶の呪文かと思っておったわ」 

 

 騙されたと呟く彼女の姿はどこか楽しそうで、それでいて悲しそうだった。 

 やはり、昔の仲間に何か思う所があるのだろう。 

 アレンを見つめると、彼はそっと守護者様に先へ歩くよう促す。 

 再び歩き始めるアレンの背中を見ながら、結局この首輪は取れないのかと肩を落とした。 

 

 

「アレンよ、話は聞いたな? そなたもまた勇者ロトの血をひきし者。旅立つ覚悟が出来たならわしについてまいれ!」 

 

 私の言葉を守護者様に通訳してもらって説明すると、突然ローレシア王は身を翻す。 

 話を聞いたも何も、とっくに話してあります。 

 けれど、そんな私達の思いにも気付かないままずんずんと先へ歩いていく。 

 やがて、謁見の間を出ると行く時には見当たらなかった宝箱が用意されていた。 

 

「さあ、アレンよ! その宝箱を開けて旅の支度を整えるがよい」 

 

 アレンは言われるがままに宝箱を開ける。 

 宝箱を覗き込んだアレンの背中にはどこか哀愁が漂っていた。 

 無理もない。 

 アレンが取り出したのは、50ゴールドのコインと何故か長い鎖が柄についた鎌のみ。 

 

「どうしてまた、鎖鎌なんですか?」 

 

 アレンが気落ちした声で問い掛ける。 

 

「本来なら銅の剣で旅立たせるべき所を、ワシのわがままで近隣で最も高価な武器を取り寄せたのじゃ」 

 

「あーそうですか、親切のつもりなんですね」 

 

 少し想像してみよう。 

 物語の始まりの幕が上がる、勇者の旅立ち。 

 勇猛なる出で立ちに悲壮な覚悟を胸に秘め、懐にはわずかな路銀と腰には鎖鎌。 

 ……なんか、かっこわるい。 

 

「そもそも鎖鎌の使い方なんて知りませんよ」 

 

 さすがにアレンも武芸百般というわけには行かないようだ。 

 

「くっ、最近の若者は年長者の心遣いも無駄にしおる」 

 

「一応、父上も勇者ロトの血筋なんですけどね」 

 

 その言葉に痛いところを突かれたのか、王はその場にくずおれる。 

 

「ぐうっ、持病のしゃくが……」 

 

 その場にどこか寒い空気が流れる。 

 アレンもそんな空気に観念したようだ。 

 

「……わかりました、父上。僕に任せておいてください」 

 

 その途端、王が立ち上がり声を張り上げる。 

 

「サマルトリアとムーンブルクには同じロトの血を分けた仲間がいるはず。その者達と力を合わせ邪悪なる者を滅ぼしてまいれ! 行け、我が息子アレンよ!」 

 

 ビシッと前方を指差し、ポーズを決める。 

 本人は格好付けているつもりなのだろうが、いかんせんそれまでの流れからは完全に浮いている。 

 

『ムーンブルクの血筋ならここにいますけど……』  

 

「難儀な血筋じゃな……」 

 

「もう慣れました……」 

 

 三者三様の言葉が口をつく。 

 無駄足というのはこういう事を言うのでしょう。 

 私達は王の間から足早に離れることにした。 

 

 

『そういえば、ムーンブルクの兵士がいるんでしたよね?』 

 

 私の言葉に、二人の足が止まる。 

 

「会っても話の出来る状態じゃないよ」 

 

『そんな大けがしてるんですか?』 

 

「いや、けがと言うか……」 

 

 部屋を覗き込むと、一人の青年がベッドの上に座り込んでいる。 

 あちこちに包帯を巻いているが、それほど重いけがをしているわけではないようだ。 

 耳を澄ますと、何かを呟いているのが聞こえる。 

 

「こわいこわいこわい、地面が落ちてくる、空が落ちてくる、いやだいやだいやだ」 

 

 思わず顔が引きつる。 

 彼がどんな目に遭ったのかは私にしかわからないだろう。 

 一歩間違えると、私もああなっていたのかもしれないのだ。 

 

「アレは精神に及んでおるの。フィーならば確かに何とか出来るやもしれんな。あやつは人の心に入り込むのが上手いからの」 

 

 彼女の名誉の為に言うと、ソレは色々と言葉の使い方を間違えている気がするんですが。 

 それに、多分ああなった原因は彼女にもあるんじゃないでしょうか? 

 意気消沈してその場を離れる私達を、一人の兵士が呼び止める。 

 

「アレン王子! 緊急の通達が!」 

 

 どうしたんだろう? 

 何か紙切れを持っているようだ。 

 兵士は息を切らしながら、その紙をアレンに手渡す。 

 もしや、他の国が襲われたのだろうか? 

 けれど、そんな私の懸念は杞憂に終わった。 

 そこには目立つようにこんな文章が書かれていたからだ。 

 

『この者を捕らえた者には賞金20000ゴールド』 

 

 金色の髪に青い瞳、ムーンブルクで出会った少女とよく似た風貌の少年の似顔絵と共に。 



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第六話:彼方からの手紙

 私は今、守護者様の頭の上に居る。 

 足下を走り回られると戦闘の邪魔と言われ、かといって抱いているのも手間と言われ、 

 仕方なく頭の上に鎮座しているのだ。 

 

『重くないですか?』 

 

 私の問いに守護者様は笑う。 

 

「おぬしなんぞよりもいつぞやにかぶった王冠の方がよほど重いわ」 

 

 王冠って、何の事だろう? 

 疑問に思ったが、彼女の負担にはならないらしいので気にしない事にする。 

 そういえば、彼女の頭の上に乗って気付いた事がある。 

 彼女はよく空を見上げている。 

 建物から外に出た時、街道を歩く時、戦闘を終えた時。 

 決まって空を見上げる。 

 そこに何があるかはわからない。 

 ひょっとすると何かがあるのかもしれないが、私には見えない。 

 なぜなら、その時の私は落ちないように必死にしがみついているからだ。 

 いくら気にならないとはいっても、少しは頭上に居る者の事も思い出してください、守護者様。 

 

 サマルトリア王国はこの大陸における経済の中心だ。 

 どこの国でも商人が店舗を構えるには、大量のお金と広い土地、国の許可を必要とする。 

 しかし、この国では違う。 

 わずかな場所代さえ払えば、誰でも自由に店を開くことができるのだ。 

 店舗を持たない行商人達が世界中から集い、珍しい品物を求めて人々が集まる。 

 こうしてこの国は発展してきたのだ。 

 

 南通りは通称『商人通り』と呼ばれている。 

 その理由は一目瞭然。 

 通りの両側に競うように商品を並べている商人達の姿。 

 そしてその商品を求めて歩く人々の群れ。 

 多くの人々がごった返し、通りの向こう側が見えないほどだ。 

 

『すごいですね、守護者様。私、こんなにたくさんの人を見たのは初めてです』 

 

「うむ、おぬしが前にここに来たのは13年前の戦いの直後じゃったからの。人が居らなんだのも仕方あるまい」 

 

 私の言葉に相槌を打つ守護者様は、何故か普段はしないフードを目深にかぶり、きれいな銀髪をローブの中に押し込んでいる。 

 理由は教えてもらえなかったが、きっと目立ちたくないのだろうと思う。 

 

「あれ? 兵士達の数がいつもより多いとは思いませんか?」 

 

 私達の隣で青年が疑問の声を挙げる。 

 飾り気の無い服に身を包み、腰には何故かくさりがま。 

 凛々しい青年の姿には明らかに似合っていない。 

 父親からの餞別とはいえ、律儀に持ち続けずに剣を装備すればいいのに……。 

 ため息をつく私に青年が気が付く。 

 

「セリア、疲れたなら先に宿屋に行こうか?」 

 

 私の事を気に掛けてくれるのは嬉しいけれど、見当違いの方向に向かうのはどうだろう。 

 2才年下の婚約者の優しい笑顔を見続けているとどうにかなってしまいそうで、思わずそっぽを向く。 

 

「なんじゃ、おぬしらまだ喧嘩しておるのか?」 

 

 守護者様のからかうような口ぶりに、アレンがうなだれる。 

 

『べ、別に喧嘩してるわけじゃありません』 

 

 私の弁解に守護者様はニヤニヤと笑うばかり。 

 言葉が通じないってのは本当に不便。 

 

 ああ、私が元の姿に戻れる日はやってくるのでしょうか? 

 精霊ルビスよ、私の願いを聞いてください。 

 私の願いはただひとつ……。 

 

「僕がセリアを元の姿に戻してみせる!!」 

 

 私の想いを代弁するかのように突然アレンが叫ぶ。 

  

「君が大変だったとき、僕はあの時の約束を守ることが出来なかった。だけど、今度こそ君に誓う! 僕は必ず君を元の姿に戻す。絶対にだ!」 

 

 アレンが私の右手を握り、ひざまずくように視線を合わせて宣言する。 

 本来ならここは彼の言葉に感動する場面なのかもしれない。 

 だが、待ってほしい。 

 ここは天下の往来なのだ。 

 少女の頭の上に乗った子犬に向かって高々と声を張り上げる青年の姿は目立つことこの上ない。 

 周りを見渡すと、人々が何事かと集まってくる。 

 その中には完全武装した兵士の姿もちらほらと見受けられた。 

 アレンの言った通り、確かに市場の警備にしては仰々しい。 

 

「君達、ちょっと詰所まで来てもらえないか?」 

 

 兵士の一人が話しかけてくる。 

  

「すまぬが先を急ぐ旅なのでな」 

 

 守護者様がそう返すと、兵士がフードの中の相貌を見たのだろう、小さく呟く。 

 

「紅い瞳……」 

 

 アレンを促し、守護者様がその場を離れようとすると先程の兵士の声が響く。 

 

「逃がすな! そいつらは手配中の市場連続爆破犯だ!」 

 

 守護者様は「ちっ」と舌打ちをすると、脱兎のごとく走り出す。 

 

「えっ?! ちょっと待ってください。僕はそんなの知りませんよ!」 

 

 一足遅れたアレンが兵士達に囲まれているのが見えた。 

 けれど、守護者様はそんなアレンを置いて人ごみの中に紛れ込んでいく。 

 やがて、裏路地に辿り着いた時には辺りに人影はなかった。 

 

 

「はあ、はあ、はあ……」 

 

 誰も居ない裏路地に守護者様の荒い息遣いが響く。 

 たったこれだけの距離を走っただけで、守護者様ともあろう方が息切れを起こすだろうか? 

 疑問には思ったが、今はそれどころではないことを思い出す。 

 市場の喧騒から一歩離れただけの裏路地はとても静かで、どことなく浮世離れした感じがした。   

 

「くっ。まさか、既に手配が回っていようとはな。油断した」 

 

『市場連続爆破って何ですか?』 

 

 私は呆れたように口にする。 

 この街に入ってから顔を隠していたのも、それが原因だったのだろう。 

 私の疑問に、彼女は苦虫を噛み潰したような表情で答えてくれた。 

 

「長く生きておるとな、世の中と色々と軋轢が生まれるもんじゃ。おぬしは若いから実感はないかもしらんがの」 

 

『それはわかります。……わかるつもりですけど、さっきのと何か関係があるんですか?』 

 

「……わらわが有名だった頃と世代が変わっておってな、市場に行けば、やれ『はじめてのおつかいなんてえらいねー』とか、フィーと買い物に行けば、『お姉ちゃんの言うことをちゃんと聞くんだよ』とか、この間なんぞは『パパとママと一緒に買い物? 良かったわねー』などと! わらわはもう子供ではないわ!」 

 

 それは確かにある意味、世間との軋轢ですね……お察しします。 

 それでも、爆破してもいいという免罪符にはなりえないとは思いますが、私もさすがに命が惜しいので黙っていることにします。 

 

「ああ、なるほど。それで謎が解けました」 

 

 背後から突然声を掛けられる。 

 驚いて振り向くと、置いて来たはずのアレンの姿。 

 

「姉さんがしきりに僕に聞くんですよ。『自分は子持ちに見えるのか?』って」 

 

 言いながら、アレンは守護者様の両腕を掴み、後ろ手に縛り上げる。 

 一瞬の早業に、私達は呆気にとられたまま兵士達に囲まれる。 

 

「アレン! おぬし、裏切るのか?!」 

 

「僕を囮にした人の言う事ですか」 

 

 表情は穏やかに見えるが、声がわずかに尖っている。 

 アレンが怒るとこうなるのだろう。 

 そんなアレンの様子に気付いた守護者様の力がふっと抜ける。 

 

「ぬうぅ……そのような所はローラに似おって……。よかろう、ここはおぬしに免じておとなしく付いていくとしよう」 

 

 胸を反らし、上段から見下ろすような態度でしぶしぶと言い放つ。 

 けれど、私は知っている。 

 いや、アレンも気付いているだろう。 

 おそらく彼女にはこの状況に抗うだけの力が残っていないのだ。  

 

 

「あらあら、まあまあ。勇者の守護者と呼ばれたほどの方が本当に可愛らしい……」 

 

「くぅぅ……、あるじがおれば、このような惨めな姿は見せぬものを……」 

 

 サマルトリアの城へと連れて行かれた私達は、今こうして王妃様の前で沙汰を待っている。 

 なぜなら、この国の治安維持を総括しているのが王妃様だからだ。 

 久しぶりに拝見した王妃様は13年前と遜色なく、美しい御姿のまま。 

 対して、対峙している守護者様は何とも可愛らしい姿になってしまっている。 

 

「あの、ひいおばあさま。何故そのような姿に?」 

 

 アレンが、この場にいる誰もが聞きたかった言葉を口にする。 

 

「……あるじからの魔力供給が途絶えたせいじゃ」 

 

 だぶだぶのローブに身を包んだ少女が嫌そうな顔をしてその言葉に答える。 

 年の頃は7〜8才くらいか。 

 銀色の髪をたなびかせ、血の色のような紅い瞳でまっすぐにアレンを見つめている。 

 何とも信じられない事に、それが今の守護者様の姿なのだ。 

 正直言わせてもらうと、あまり変わり映えはしていない。 

 少し背が低くなって、服のサイズが合わなくなったくらいだ。 

 それでも、前の姿を見慣れている人間には奇異に映るらしい。 

 

「また、喧嘩でもされたんですか?」 

 

 王妃様の言葉を聴く限りでは喧嘩自体は初めてのことではないらしい。 

 ただ、あまり長く離れ離れになった事はないのだろう。 

 守護者様曰く、こんな状態に陥ったのはここ100年の間では初めてなのだそうだ。 

 

「ふん。ここでおぬしらに言う事ではないわ」 

 

 拗ねたような口調の守護者様は、その姿も相まってなんとも微笑ましい。 

 とはいっても、前の姿の時でも可愛いと言えば可愛いのだが。 

 

「まあ。罪人のくせに、私の質問に答えないなんてなんと愚かな……」 

 

 王妃様の言葉に、守護者様は悔しそうな表情を隠さない。 

 

「それでは、判決を申し渡します」 

 

 それまでのからかうような口調から一転して、真剣な空気がその場を支配する。 

 アレンの顔も緊張に強張り、かくいう私も咽喉がカラカラに渇いている。 

 ただ一人、守護者様だけがふてくされたような表情を見せている。 

 

「判決は……無罪!」 

 

「異議あり!」 

 

 王妃様の無罪判決に、あろうことか被告である守護者様が声を上げる。 

 

「何ですか、アリシア様?」 

 

「おぬし、身内だからといってそのような判決を下したのではあるまいな?!」 

 

 恥を知れと叫ぶ少女に、王妃様はすまなそうに答える。 

 

「実は、もう手配は解かれているのです。兵士への連絡が遅れてしまったせいで入れ違いになってしまいましたけれど」 

 

 話を聞いた所、勇者様が手を回してくれていたらしい。 

 被害者は既に国のお金で救済され、申し立て自体が取り下げられているそうだ。 

 

「ついこの間、川で溺れたとかで夫の元にいらっしゃいまして、その時にお話を……」 

 

 川で溺れた? 

 間違いない。 

 私を助けたときの事だ。 

 そして、とても大切な事を思い出す。 

 私を助けてくれた、もう一人の人物の事を。 

 

『マリナ様……』 

 

 確か、彼女はサマルトリアの王女と名乗っていた。 

 つまりここにいる王妃様の娘に当たる人物だ。 

 彼女は一体、どうなってしまったのだろう? 

 最悪の想像が私の頭の中を過ぎる。 

 

『守護者様、マリナ様の事を尋ねてくださいませんか?』 

 

「マリナ? ……ああ、プリンの事じゃな」 

 

 プリン? 

 何の事かはわからないが、守護者様は了承してくれた。 

 後は、私が覚悟を決めるだけだ。 

 

「そういえば、おぬし、自分の息子を指名手配しておったが何をしでかしたんじゃ?」 

 

 全く違う話題に肩透かしをくらう。 

 けれど、私には直接関係無いとはいえ、気になっていたのは事実だ。 

 賞金を掛けられるくらいなのだから、相当ひどいことをしたのだろう。 

 

「あの子はあろうことか、私の宝物を盗んだのです」 

 

 王妃様はこぶしをぎゅっと握り締め、今にも爆発しそうな雰囲気だ。 

 

「宝?」 

 

「ええ、ある方からいただいた大切な物です」 

 

 よほどそれを大事にしていたのだろう、彼女の怒りの波動がこちらにも伝わってくる。 

 

「なるほど、その宝とやらを取り戻すのが目的か」 

 

「ええ、よりにもよってそれを返してほしければ要求に答えろとの手紙まで寄越して……」 

 

 その手紙を見せてもらう。 

 そこにはこう書かれてあった。  

 『 母上へ 

   

   これを返してほしくば、以下の要求に応じること。 

   

   そのいち 侍女の人事権  そのに 週給の値上げ ……』 

 

 ええと? 

 これは、何と言いますか。 

 

「阿呆じゃな」 

 

 守護者様がバッサリと言い放つ。 

 延々と要求が書かれているのだが、何と言うかいまいち幼稚なのだ。 

 大体、侍女の人事権に一体何の利益があるというのだろう? 

 

「……娘に相談しましたら、賞金を掛けて指名手配するのが一番だと」 

 

 大抵の人間なら賞金に目が眩んで、持ち物にまでは気が回らないだろうという判断らしい。 

 兵士を使うにも限界がある。 

 なら、一般の民衆で補おうということだ。 

 冷静なあの少女らしい考え方に感心する。 

 

「その相談とはいつの事だ?」 

 

「今朝の事ですわ。しばらく配下の者を連れて外に出ていたと思ったら、いきなり戻って来て……」 

 

 今朝……? 

 私が彼女と別れたのは、一昨日の夜。 

 無事だったのだ。 

 彼女が帰還したと聞き、そっと胸を撫で下ろす。 

 

「それで、王女はどうしておる?」 

 

「またすぐに出て行きましたわ。まったく、誰に似たのやらフラフラと出歩いて……」 

 

 ぶつぶつと何やら言い募る王妃様を尻目に、守護者様は私を頭から下ろし胸に抱く。 

 

「良かったの。王女は無事なようじゃぞ」 

 

 少女が私にだけ聞こえるように小さく呟く。 

 私はただただその言葉にうなずくだけ。 

 胸がいっぱいになって、言葉が出せない。 

 

「あっ、そういえば……」 

 

 何かを思い出したらしい王妃様が懐から手紙を取り出す。 

 

「娘から、守護者様にと」 

 

「わらわに、じゃと?」  

 

 守護者様は私を再び頭の上に乗せると、その手紙を受け取る。 

 

 きっちりと封印のなされた封筒に入っているようだ。 

 アリシア様がそれを破り、中から二つ折りにされた便箋を取り出す。 

 

 『こっちで妻子と再会できた。お前が俺達のために戦ってくれた事に感謝する。 

  だから、今度は自分のために生きてくれ。   ザイン    代筆者マリナ』 

 

 たった二行ほどの短い手紙。 

 けれど、それを読み終わった守護者様の様子は明らかにおかしかった。 

 

「な、何故ザインの名がここにある? あやつはもうこの世には……」 

 

 そう呟いた守護者様が王妃様へと詰め寄る。 

 私が頭の上に乗っている事も既に頭には無いのだろう。 

 なりふり構わない様子で王妃様のドレスを掴んで揺さぶる。 

 

「おぬしの娘は何者じゃ! 何故、ザインの名を知っておる!」 

 

「ア、アリシア様、落ち着いてくださいませ!」 

 

 驚いた侍女達が止めに入るも、近寄ることすら出来ない。 

 王妃様はそのあまりの勢いに気圧され、なすがままの状態だ。 

 

「ひいおばあさま! どうしたんですか、一体!?」 

 

 アレンが少女を後ろから羽交い絞めにする。 

 途端に少女は力を失ったかのようにうなだれる。 

 

「あやつの事は誰にも話しておらん……、あるじにもじゃ。何故ここの王女が知っておる?」 

 

 小さな声で呟くのが聞こえた。 

 私達はそんな彼女の様子に話しかけることすら出来なかった。



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第七話:サマルトリアの王子

 暗闇を抜けた先には、神秘的な雰囲気を漂わせた広大な地底湖。 

 百年前、新天地を求めた勇者様が長い苦難の旅の末に辿りつき、身体を清めたとされる聖なる泉と言い伝えられている。 

 ローラの日記の記述によるものなので、実際のところはわからないが。 

 勇者の泉と呼ばれるその地底湖は、青く澄んだ輝きをもって私たちを出迎えてくれた。 

 泉の番人である老人が言う。 

 

「サマルトリアの王子ならば、今頃ローレシアに向かっているはず。一足違いじゃったな」 

 

 その言葉に、アレンが声も無くへたり込む。 

 無理も無い。 

 もう、3日も彼を探して大陸中を歩きまわっているのだ。 

 放っておけばいいと思われるかもしれないが、止むに止まれぬ事情があったりする。 

 事は3日前にさかのぼる。 

 

 

「王子を探せ、と?」 

 

 守護者様が心底嫌そうな態度を隠さずにサマルトリア国王に聞き返す。 

 それに対して、王は微笑みを崩すことなくうなずき返す。 

 

「はい。あの子もロトの勇者の血筋、必ずや旅のお役に立てましょう」 

 

 王様の隣では王妃様が、守護者様に負けないくらい不機嫌な表情で黙り込んでいる。 

 この状況であの微笑みを維持している国王陛下は正直すごいと思う。 

 私とアレンはあまりの緊張にどうにかなってしまいそうだ。 

 そんな時、王妃様が口を開いた。 

 

「私は反対です。あの子を外の世界に行かせるなんて、国の恥を晒すようなものです」 

 

 似顔絵を見る限りではそんな悪い子には見えないけど、王妃様は今まできっと、色々と苦労したのだろうと思う。 

 何せ、城の人々の評判が『凄まじい』の一言に尽きるのだ。 

 幼い頃からお気に入りの侍女にしがみついて離れず、王妃様には一切近付かなかったり、とか。 

 女性相手に限り、人の未来を言い当てる、とか。 

 城の門番から聞いたところによると、昔こんな事があったらしい。 

 

 10年ほど前のある日、城の周りを散歩していた王子が泣いている女の子を見つけたそうだ。 

 その女の子は友達の男の子達にいじめられていると王子に明かした。 

 

『その子達はね、わたしのことをブスって言うの』 

 

 まだ5才くらいの小さな王子はその女の子にこう言ったそうだ。 

 

『君は絶対美人になるよ。ボクの見立てでは間違いなく軽くCを超える。大人になったらきっとその子達に言い寄られるようになるよ』 

 

 彼の言葉は10年後に現実の物となり、その少女はその時のいじめっ子だった男友達の一人と結婚したのだそうだ。 

 この出来事は城の人々の間で語り継がれ、伝説になっているらしい。 

 『C』と言うのが何の事かは解からなかったが、城の門番の話では寸分たがわぬ正確さなのだそうだ。 

 

「実は、私の妻の話なんですがね」 

 

 彼がそう言って笑ったのが印象に残っている。 

 色々な人々から色々な話を聞いたが、不思議と彼を悪し様に言う人間には出会わなかった。 

 正直、王妃様と守護者様がここまで彼を嫌う理由がよく判らない。 

 

「あの子は確かに色々と厄介な事を引き起こす類の人間だ。けれど、あの子は僕と君の子供でもある。きっと大丈夫さ」 

 

 王様のその言葉に、王妃様がそっと手を伸ばす。 

 王妃様の目には大粒の涙。 

 

「あなた……」 

  

 誰もが抱き合う夫婦の姿を想像した次の瞬間、王妃様の手が王様の首に掛かる。 

 

「あの子の趣味、実はあなたから遺伝したのではないかしら?」 

 

「ち、違っ……。僕に……はっ、君だけ……」 

 

 首を絞められて真っ赤になった王様は、途切れ途切れに言葉を紡いでいく。 

 

「どうかしら? 素知らぬ顔して、私の事を嘲笑っていたのではなくて?」 

 

「ぼ、僕はっ……君……だからこそ、好きに……」 

 

 目に涙を浮かべながら言い募る王妃は何故か口には笑みを浮かべている。 

 趣味って一体何のことでしょうか? 

 目の前の現実を直視したくない私は別の思考へと考えを巡らせる。 

 王妃様と守護者様の共通点。 

 少女に告げた『C』という謎の言葉。 

 何かが一つにつながりそうになったその時、守護者様が言葉を発した。 

 

「どうでもよいが、そのままじゃとそやつ死ぬぞ」 

 

 そこからは断片的にしか覚えていない。 

 状況に気付いた侍女達が総掛かりで二人を引き離し、王妃様が部屋の外に連れ出されていったのだけはよく覚えている。 

 青い顔をした王様が咳き込みながら、私達に話し掛けてきた。 

 

「見苦しい所を見せてしまったね」 

 

 あんな目に遭いながら、なお微笑むことの出来るこの人は実は驚くべき人物ではなかろうか。 

 今日何度目かの思いを頭に浮かべる。 

 

「勇者様とアリシア様の喧嘩を彷彿とさせました」 

 

 アレンが実に的確な言葉を素直に口にする。 

 そう言われてみれば、確かに幼い頃のあの光景を思い起こさせる。 

 アレンは二人に近い分、私よりも日常的に見ているだろうとも思う。 

 そんな彼が言うのだ。 

 間違いでは無いだろう。 

 

「ふん。そのような所は似ずともよいわ」 

 

 守護者様がどこか恥ずかしそうに吐き捨てる。 

 そういえば、勇者様にしても王様にしても、奥様に手を挙げない割には主導権を握っているような気がする。 

 

「息子が絡むといつもあんな風になるんだよ。可愛いだろう?」 

 

 ……やっぱり、私の気のせいだろうか。 

 そういう趣味の人なのかもしれない。  

 

「……で、話を戻すが、何故アレを連れて行かねばならん」 

 

 守護者様は先程までよりは幾分険しさを和らげた顔で王様に問う。 

 それでも、『アレ』呼ばわりなので、彼に対する嫌悪感は消えてはいないのだろう。 

 

「あの子も将来はこの国を継ぐ身。世界を知るべきなのです」 

 

「おぬしの妻は王女に継がせるつもりでおるようじゃが?」 

 

 真剣な顔で思いを口にする王様に、守護者様は茶化すように言う。 

 

「あの娘は、この国だけで納まるような子ではありませんよ」 

 

 もっと上を見ているのだと父親は娘を評する。 

 実際に会った私もその言葉には納得できる。 

 マリナ様は素直に玉座に着くような人間では無いだろう。 

 どこか、あの年頃の女の子とは一線を画しているのだ。 

 

「……王女か。何者であろうな」 

 

 彼女からの手紙を読んだ守護者様も、彼女の事を不思議に思っているようだ。 

 400年前に死んだ人間の手紙を代筆した少女。 

 単純に考えれば、死者と話が出来るということであろうか。 

 それとも……いえ、推定するには材料が少なすぎる。

 

「娘の事はさておき、息子の事をお願いします」 

 

 王様が頭を下げる。 

 そこまでされては、黙ってられない人間がこちらにはいる。 

 

「頭をお上げください、陛下。ローレシアの王子である僕がお約束します。必ずコナン王子を僕達の旅の仲間に加えると!」 

 

 勝手に決めるなと喚く守護者様の口を塞ぎ、アレンが芝居がかったポーズで国王に答える。 

 

「おお! さすが、アレン王子」 

 

 大仰な仕草で格好を付けるアレンの姿は、間違いなくローレシア王の血をひいている事を示していた。 

 

 

「わらわの知らぬうちに報奨金の前払いなんぞ貰いおって」 

 

 文句を言う守護者様の腰には2万ゴールドの入った大きな袋。 

 渋るアレンから強奪した物だ。 

 当の青年は『だから、黙ってたのに……』と呟いている。 

  

『でも、助かったじゃありませんか。旅費が心許無かったのは事実ですし……』 

 

 私の言葉に、守護者様は渋々同意する。 

 

「まあ、仕方があるまい。さっさと見付けて殴り倒してやるわ」 

 

 いやいやいや。 

  

『殴り倒してどうするんですか!?』 

 

「……冗談に決まっておろうが」 

 

「ひいおばあさまが言うと、冗談に聞こえないんですよ」 

 

 三人で笑い合う。 

 うららかな春の日差しが私達の行く手を照らしていた。 

 

 

 ……あれから、5日。 

 もういいかげん、皆の心には鬱屈した思いが溜まっていた。 

 

「見付けたら、どうしてくれようか……」 

 

 守護者様は何やら思案にふけてはクスクスと笑っている。 

 私ももう、それに突っ込もうとは思わない。 

 アレンは終始無言のまま。 

 うつむいたままで最近は正面から顔を見た覚えが無い。 

 

「リリザか……。とりあえず、今日はゆっくり休むとするか」 

 

 ふらふらとした足取りで今夜の宿となるリリザの宿屋へと向かう。 

 アレンがその扉をくぐり、一歩足を踏み入れた時、その声が聞こえた。 

 

「君、可愛いね。ボクと一夜のアバンチュールを楽しまないかい?」 

 

 未だ幼さの残る少年の声。 

 それとは裏腹に話している内容は大人顔負けだ。 

 

「お客さん、そういう事がしたいならルプガナにでも行ってみたら? ぱふぱふってサービスがあるらしいわよ」 

 

 宿の女性従業員だろうか? 

 あしらうように別の話題を振っているようだ。 

 でも、『ぱふぱふ』って何の事だろう? 

 

「ぱふぱふかー。男の夢だよねー。でもまずは父上に言われた通り、ローレシアの王子を探さないとねー」 

 

 ローレシアの王子。 

 その言葉にアレンの頭がピクリと動く。 

 アレンがうつむいたまま、ずんずんと奥に進んでいく。 

 守護者様の顔を見下ろすと、表情が喜悦に歪んでいる。 

 

『あの、逃げた方がいいですよ! 本当に逃げた方がいいですよ!』 

 

 けれど、私の声は当然彼には届かず、余計に注意を惹き付けてしまったらしい。 

 

「何だ騒がしいなあ。あれ? もしや君は、ローレシアのアレン王子では? いやー探しましたよ。さあ、力を合わせ、共に戦いましょう!」 

 

 金髪の、少女のような顔立ちの少年が、ヘラヘラと笑っている。 

 その時、おなかの下で何かが切れるような音が聞こえたような気がした。 

 

 

「ひどい……。どうして、ボクがこんな目に遭うんだ」 

 

 意外と丈夫なんですね、この人。 

 道ですれ違う人々がぎょっとした顔で避けて行く。 

 当然だ。 

 透き通っていた金髪は今や血で真っ赤に染まり、少女のような顔立ちは無数の傷と痣に覆われている。 

 もちろん、服の下も同じような状態だろう。 

 背中にはテントや調理道具等、細々とした雑貨がパンパンに詰まったリュックサックを背負わされている。 

 それでいて、自分の足でしっかりと歩いているのは素直に凄いと思う。 

 

「ふん。ふらふらと歩き回るおぬしが悪いのじゃ。双方が動いていては見つかるはずがあるまい」 

 

 リリザの街で出会えた事自体が奇跡なのだと守護者様は言う。 

 

「けっ。ロリババァが……」 

 

 コナン王子が小さな声で毒突く。 

 途端に守護者様の足払いで、顔から地面に突っ伏す事となる。 

 彼の凄い所はここにもある。 

 

「誰が、ババアじゃ」 

 

 もう何度もこの遣り取りが続いているのだ。 

 それこそ、宿屋を出てからずっと、かれこれ2時間ほどか。 

 そして、一度もそのセリフが被った事は無かった。 

 常に違う表現で守護者様を罵倒し続けているのだ。 

 

「いいかげん、時間が掛かってるんですから早くムーンブルクに行きましょうよ」 

 

 アレンがその様子にげんなりとした様子で促すと、二人は渋々と歩き出す。 

 二人がおとなしく従うのも理由がある。 

 先ほどの宿屋での惨事だ。 

 頭の出血は守護者様によるものだが、後の怪我はアレンによるもの。 

 脳天への一撃で全てを水に流そうとした守護者様を脇目に、無表情で暴行を加え続けたのだ。 

 守護者様や宿にいた人達と一緒に何とか止めたものの、彼はこの時の記憶を持っておらず、『アレンを怒らせないようにしよう』と皆で誓い合ったのは記憶に新しい。 

 

 街を出て、歩き続けると祠に辿りついた。 

 ローレシア大陸とムーンブルク大陸をつなぐ海底トンネルの入り口。

 通称『ローラの門』と呼ばれている。 

 その入り口には前には無かったはずの扉があった。 

 頑丈そうな扉には銀色の鍵穴が付いており、押しても引いてもびくともしない。 

 駐屯している兵士の話では、ムーンブルク大陸へ向かうに値する技量を持っているか試すためだと言う。 

 

「サマルトリアの西、湖の洞窟の中に銀のカギが隠されています。申し訳ありませんが、それをご自分の手で見つけ出してください」 

 

 兵士の言葉にアレンが激昂するのではないかとビクつきながら、コナン王子が最初に口を開く。 

 

「……多分、父上の命令だと思うんだよ。ムーンブルクには強い魔物がいっぱいいるから」 

 

「仕方ないですね。じゃあ、早く行きましょう」 

 

 アレンが急かすと、守護者様が声をあげる。 

 

「では、おぬし等二人で行って来るがよい。わらわとこの雌犬はここで待っておる」 

 

 その呼び方は止めてください。 

 

「えーー?! ちょっと待ってよ、男と二人っきりはイヤだ。大年増でも女がいる方がいい」 

 

 コナン王子が悲痛な叫びをあげる。 

 

「誰が、大年増じゃ!」 

  

 気絶したコナン王子を連れて、アレンが歩き去っていく。 

 私もアレンもその事に対して異議を申し立てないのは当然だ。 

 おそらく、もうそれだけの力が守護者様に無いということが判っているからである。 

 そもそも、守護者様はルーラを使えるはず。 

 本来なら大陸を出るのに歩く必要は無いはずなのだ。 

 

『大丈夫ですか?』 

 

 私の問いに、守護者様は力無く笑う。 

 

「別に死ぬわけではない。この状態でも生きるだけなら問題は無い」 

 

 彼女は吸血鬼なのだと聞いた。 

 なら、血を飲めば治るのでは無いだろうか。 

 例えば、コナン王子とか。 

 そんな私の提案にも、彼女は首を振る。 

 

「あるじの血以外は飲まぬと誓った。それにあんな奴の血なんぞ頼まれても飲みたくない」 

 

 何でそんなに嫌ってるんですか? 

 まあ、さっきの様子を見る限りでは双方に歩み寄る気配すらありませんが。 

 

「……勇者の守護者っていうから、絶世の美女を期待してたのに大した事無いな」 

 

『何ですか、それ?』 

 

「物心付いた頃に会った時にあやつが言った言葉じゃ。5才の餓鬼が言う言葉か?!」 

 

 普通、あの年頃なら自分のことを『おねえちゃん』と認識するはずだと守護者様は力説する。 

 現にアレンがそうだったらしい。 

 それ以来、犬猿の仲なのだそうだ。 

 余程言いたい事が溜まっていたのだろう。 

 延々と彼に対する罵詈雑言が飛び出してくる。 

 

 そうこうしているうちに、アレンが帰って来た。 

 もちろん、コナン王子も一緒だ。 

 

「ちっ、生きておったか。アレンも気が利かん」 

 

 守護者様が小さく呟く。 

 

『今のはさすがに問題発言だと思いますけど』 

 

 扉の前で待つ私達に、アレンがきらきらと輝く小さな銀色のカギを見せてくれる。 

 

「これが銀のカギ、ですよね」 

 

 兵士はうなずき、道を開ける。 

 

「では、どうぞお通りください」 

 

 アレンが扉にカギを差し込もうとすると、声が響く。 

 

「アバカム」 

 

 カシャンと軽い音がしたと思うと、扉がゆっくりと開いていく。 

 

「あれ?」 

 

 呆けたように、アレンの動きが止まる。 

 その隙に守護者様は扉を潜り抜けると振り返る。 

 

「ほれ、早く行くんじゃろ。先に行っておるぞ」 

 

『今のって、まさか?』 

 

 私の疑問の声に、少女はしてやったりと笑みを浮かべる。 

 

「コラ、クソばばあ! そんな呪文があるなら、さっさと使いやがれ!」 

 

 海底トンネルにコナン王子の罵声が響く。 

 

「やれやれ……、これをするためにルーラを使わなかったのか」 

 

 呆れたようなアレンの声。 

  

 海底トンネルには少女の勝ち誇るような高笑いと少年の罵声。 

 そして、青年のため息が響き続けていた。

 



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第八話:辿りついた答え

「そういえば、おぬし。王妃から何を盗んだんじゃ?」 

 

 守護者様が突然思い出したように、コナン王子に問い掛ける。 

 そういえば、手配を掛けられていた本当の理由は王妃様の宝物を盗んだから。 

 当然、彼はその品物を持っているはず。 

 けれど、彼の返事は私の想像したものとは異なっていた。 

 

「盗んだ? 何を?」 

 

 心底不思議そうな顔で首を傾げる少年に、守護者様が言い募る。 

 

「王妃から何やら盗んで、脅迫状を送り付けたであろうが。忘れたわけではあるまい」 

 

「脅迫状? 母上に? ボクがそんな事するはずがないよ」 

 

 あくまでも惚ける王子に、守護者様が証拠となる脅迫状を突き付ける。 

 しかし、それでも彼の様子は変わらない。 

 そして、守護者様が突き付けた脅迫状を手に取りまじまじと見つめる。 

 

「……これ、ボクの字じゃないよ。良く似せて書いてあるけど、別人の字だよ」 

 

「なんじゃと?」 

 

 守護者様がコナン王子の持つ手紙を食い入るように覗き込む。 

 頭の上にいる私にも、その手紙の文字はハッキリと見えた。 

 けれど、彼の言葉を裏付けるような証拠は見つからない。 

 

「自分で言うのも何だけど、確かにボクが書きそうな内容だ。けれど、母上がそんな要求に答えるわけがないじゃないか」 

 

 脅迫なんかしても自分の立場を追い込むだけだから絶対に交渉はしないのだとコナン王子は語る。 

 

「じゃあ、君はどういう理由で城の外に?」 

 

 それまで黙っていたアレンがコナン王子に問う。 

 

「未だ見ぬ美女を探すため。……ってのは、理由の9割5分くらい」 

 

 セリフの前半部分に反応して怒りを見せそうになった守護者様に気付いたのだろう。 

 とっさに言い繕う。 

 それでも、目的の大部分を占めているようだが。 

 

「本当は、父上に言われたんだよ。世界を見て来いってさ」 

  

 ムーンブルクの悲報を聞き、サマルトリア王が息子を送り出したというのが正解らしい。 

 けれど、それならば何故陛下は王子を庇わなかったのだろう? 

 自分が送り出したのなら、王子が宝物を奪って逃げたという話が嘘だという事がわかっていたはず。 

 

『あの、ひょっとして……』 

 

 私の考えを守護者様に伝える。  

 

「国王が一枚噛んでおると言いたいのか? あやつがそんな策謀家とは思えんがの」 

 

 違うのでしょうか? 

 王妃様のもっとも身近にいる人物である国王陛下。 

 王妃様の宝物を奪って、その罪を着せるために息子を外に送り出した。 

 そういう結論に達するのが当然だと思う。 

 

「うーん。多分、母上の宝物ってアレの事だと思うんだよ」 

 

「アレ? 見当が付いておるのか?」 

 

 コナン王子がしっかりとうなずく。 

 

「母上の初恋の相手からもらった宝物だって、聞いた事があるんだ」 

 

 それは、本人にとって思い出の品でしょうけど、夫の立場からすればどうでしょう? 

 もしも、アレンが私との結婚後にそんな物を持っていると知ったら……? 

 アレンの顔を横目で見る。 

 彼は真剣な表情で何かを考えているようだ。 

 

「あやつの初恋? 知らぬな、そのような話は初耳じゃ。もっと話してみよ」 

 

 守護者様が興味を隠せない様子で問い詰める。 

 少年はにやにやと笑いながら、少女に問い返す。 

 

「アリシア様は知らないほうがいいと思うよ?」 

 

 そんな時、何かを考えていたアレンがぼそりと呟く。 

 

「サマルトリアにある宝物というと、ひょっとしてロトの盾?」 

 

 アレンの言葉に、守護者様は声を失い、私も絶句する。 

 ロトの盾といえば、勇者様が身に付けておられたという伝説の武具の一つ。 

 ローレシアにはロトの鎧、ムーンブルクにはロトの兜が伝えられ……いえ、兜は他ならぬ勇者様に否定されましたけど。 

 ともかく、伝説に出てくるほどの武具。 

 確かに宝物には違いありません。 

 けれど、そうすると初恋の人ってもしかして? 

 

 コナン王子はアレンの言葉にうなずき、イヤらしそうに笑う。 

 

「そう。母上の10才の誕生日に、師匠が贈った物さ。つまり、母上の初恋の相手は……」 

 

「……あるじ、というわけじゃな」 

 

 守護者様が拗ねるように頬を膨らませて呟く。 

 あの、師匠って勇者様の事ですか? 

 なんでまた、師匠? 

 

「それに、ロトの盾が盗まれたって事なら、犯人の見当も付くよ。けど、ナイショ。後は自分で考えてみよう」 

 

 コナン王子は言うだけ言って、結局犯人の名前を教えてはくれなかった。 

 守護者様も何か別の事を考えていて、そちらには気が回らないようだ。 

 一体、誰がそんな事をしたのだろう? 

 私にはさっぱりわからなかった。 

 

 

 ムーンペタの街は、今やムーンブルク大陸唯一の街になってしまった。 

 ここにもムーンブルクの悲報が伝わっているのだろう。 

 活気あふれる街の通りの人々の顔にもどことなく陰りが見え隠れしている。 

 

「……腹が減ったのう」 

 

「あぁ? さっき食べただろ? とうとうボケたのか?」 

 

 くぐもったような鈍い打撃音の直後に、金髪の少年が腹を押さえて街道にうずくまる。 

 守護者様の魔力は普通の食事では保てないのだそうだ。 

 少量なら補えるものの、完全にはならない。 

 そのために、常に空腹感を覚えているとの事。 

 早く勇者様を見付けないと、とんでもない事になるかもしれない。 

 今の所、差し当たって危険なのは、コナン王子の命だろうか? 

 

「どうかなさいましたか、旅の方?」 

 

 道の真ん中でうずくまる少年を見かねたのか、街の警備をしていた兵士が駆け寄ってくる。 

 

「いえ、旅の連れが空腹を訴えていまして、どこかおいしい店は知りませんか?」 

 

 アレンがとっさに兵士に答える。 

 ずいぶんとこの状況に慣れてきたんですね。  

 あの素直で真面目だったアレンはどこに行ってしまったんだろう? 

 これが人間的成長という物なんだろうか。 

 どこか場違いな感傷すら覚える。 

 

「そういうことなら、向こうの通りの東から3軒目の食堂兼宿屋が最近評判ですよ」 

 

 最近、料理の味が良くなって来た上に、美人のウェイトレスさんが働き始めたのだそうだ。 

 美人という言葉に、うずくまっていた少年が反応する。 

 

「さあ行こう! 未だ見ぬ美女がボクを待っているんだ。きっと運命の出逢いに違いない!」 

 

 男の子って……。 

 アレンの顔を覗き見る。 

 やっぱり、アレンも美人という響きに弱いのだろうか? 

 

「ところで、こちらのお嬢ちゃんはお姉さんとかいるのかい?」 

 

 お店の場所を教えてくれた兵士が、守護者様に尋ねる。 

 子供扱いされて気に障ったようだが実際に見た目は8才くらいの少女の姿。 

 言っても仕方ないと思ったのだろうか、不機嫌さを隠さない様子で問い返す。 

 

「何じゃ? わらわに姉が居ったら何だというのじゃ?」 

 

 下心でもあるのだろうか? 

 少女の眉間にしわが寄る。 

 

「いやいや、深い意味はありませんよ。ただ良く似てるなと思って……」 

 

 兵士の思いがけない言葉に、私達はその店へと急いで歩を進めるのであった。 

 

 

「いらっしゃいま……あっ!」 

 

 扉を潜り抜けた私達に向かって、何かが飛び掛ってくる。 

 とっさに身構えた守護者様の横を通り過ぎ、その物体はアレンに襲い掛かる。 

 

「アレン!」 

 

 店内にどよめきが広がっていく。 

 当然の事だ。 

 街で噂の美人ウェイトレスが若い男に抱き付いているのだ。 

 彼女目当てで来ている男達にはありえない光景に映ったに違いない。 

 

「アレン、来るなら来るって言ってくれればいいのに」 

 

 どう見ても恋人達の抱擁だ。 

 満面の笑みを浮かべた銀髪の少女が、青い目に涙を浮かべて青年に抱き付いている。 

 その様子を眺めている男達の中には慟哭の叫びを上げている者さえいる。 

 

「……姉さん、いいかげん離れてよ」 

 

 アレンがうんざりとした表情で告げる。 

 

「そんなひどい……。久々に会った弟に抱き付くのはいけない事なの?」 

 

 その遣り取りを聞いて、店の中にはホッと緩んだ空気が流れ始める。 

 「何だ、弟かよ」「やっぱ、フィーちゃんはフリーだったか」 

 そんな声がちらほらと聞こえてくる。 

 

「……わらわは無視か?」 

 

 そんな空気の中、守護者様の機嫌の悪そうな声がおなかの下から聞こえてくる。 

 危険な兆候だ。 

 私は、フィーの注意を引くことにした。 

 

『フィー、フィー! こっちです。こっちを見て下さい!』 

 

 私の呼び掛けに、フィーがこちらを向く。 

 

「あれ、セリア? ん、何? このちっちゃい子」 

 

 しまった。 

 守護者様は見た目が幼くなってるんだった。 

 それが自分の母親だとは気付かず、彼女が不用意にその禁忌の言葉を発してしまったのも無理は無い。 

 

「ちっちゃ!? ……ふふ、ふふふ、おぬしがそう言うのならこちらにも考えがあるぞ?」 

 

 ぶつぶつと口の中で何がしか呟いているようだが、私にも聞こえない。 

 ただ、何がしか不穏な空気が生まれそうなのはわかる。 

 私は守護者様の頭の上から飛び降りて、アレンの下へと行く。 

 アレンもさすがにその場の空気に気付いたようで、私を抱き上げてくれた。 

 守護者様はそんな私達の様子にも気付かないまま、ただ何かを呟きながら顔を伏せている。 

 

「何? どうしたのかな、お嬢ちゃん? ママとはぐれちゃった?」 

 

 フィーのさらなる追い討ちに、とうとう守護者様が動いた。 

 

「ママ!」 

 

 うつむいていた少女が、ウェイトレス姿のフィーに抱き付いて叫ぶ。 

 

「へ?」 

 

 店内が先程よりも大きなざわめきに包まれた。 

 客が口々に騒ぎ始める。 

 「何?! 子持ちだったのか?!」「18才ってのは嘘だったのかよ?!」 

 「銀髪なんて、滅多にいないもんな。俺もそうじゃないかと思ってたよ」 

 そんな店内の喧騒に、フィーが反論する。 

 

「ちょっ、ちょっと待ってよ、皆! 私に子供なんていないってば!」 

 

 けれど、客の表情は皆一様に悟ったような顔付きをしている。 

 客の一人がフィーに告げる。 

 

「もういいよ、フィーちゃん。子供を育てるなんて大変だったろ? もう嘘なんか吐かなくてもいいんだよ。俺達はフィーちゃんの味方だからさ」 

 

 腰に抱き付いた守護者様がさらに追い討ちを掛ける。 

 

「ママは私の事、キライになったの?」 

 

 その言葉に、さらに店内が喧騒に包まれる。 

 

「違うってば! どうして、誰も信じてくれないの!? ねえ、アレン、嘘だと言って、嘘だと言ってよ!」 

  

 フィーの悲痛な叫びがアレンに投げ掛けられる。 

  

「姉さん、ゴメン。僕の口からは何も言えないよ……」 

 

 アレンの言葉に絶句するフィー。 

 ごめんなさい。 

 私もアレンも命が惜しいんです。 

 フィーの背後から迫る、底冷えのする冷たい視線から必死に目を逸らす。 

  

「……相変わらず、趣味の悪いババアだな」 

 

 小さな声でコナン王子が呟いたが、フィーには聞こえなかったようだ。 

  

「ひどいよ、アレン。私、違うのに……」 

 

 泣き崩れるフィーの姿にさすがに罪悪感を覚えたのか、守護者様が口を開きかけた。 

 その時、場違いに呑気な声が聞こえてきた。 

 

「あれ? 何か騒がしいと思ったら、アレン達が来てたのか」 

 

 声の主は、騒ぐ客の間をすり抜けながら私達に近付いてくる。 

 そして、おもむろに守護者様を抱きかかえると、彼女にささやきかけるように唇を耳に当てる。 

 

「ゴメン、シアちゃん。寂しかったろ?」 

 

「ふん、寂しくなどないわ……。寂しくなど……うぅ」 

 

 口では強がりながらも、守護者様の身体は嗚咽に震えている。 

 迷子の女の子が迎えに来た父親にしがみつくように、勇者様の首筋に顔をうずめていた。 

 その様子に、店にいた客も何かが違うと感じたようだ。 

 喧騒が静まって行く。 

 

「……え? その女の子、お母さん、なの?」 

 

 泣き崩れていたフィーが、守護者様の嗚咽だけが響く静寂した店内で呟く。 

 その言葉に、再び店内は喧騒に包まれるのだった。 

 

 

「ねえ、アレン? 私って子持ちに見えるのかな?」 

 

 テーブルに突っ伏したフィーが、アレンに問い掛ける。 

 ちなみに店内に客の姿は無い。 

 事情を知った店主が後日説明する事を条件に皆を帰したのだ。 

 雇っていた少女とその父親の事は事前に聞いていたらしく、私達には何も聞かなかった。 

 

「……姉さんが子持ちに見えるんじゃなくて、アリシア様が子持ちに見えないんだと思うよ」 

 

 アレンが素直にその言葉を口にする。 

 それを口に出来たのは、守護者様がこの場にいないからだ。 

 勇者様と守護者様は二人きりで話したい事があるからと、二階の宿部屋に閉じこもっている。 

 フィーは『サキュバスが降臨した』と言っていたが、何のことかはわからなかった。 

 機会があったら、調べておきたいと思う。 

 

「そうだよね! お母さんが小さいのがいけないんだよね!」 

 

 フィーはその言葉に元気付けられたのか、顔を上げて微笑む。 

 以前に会った時も思ったが、本当にキレイな顔立ちをしている。 

 やっぱり、男の人はこういう人に弱いのだろうか? 

 彼女を見つめていた客の視線を思い出す。 

 

『そういえば、フィー? この首輪の事、聞きましたよ? それに、あの時のバシルーラの事』 

 

 私の質問に、フィーはしどろもどろになって視線をさまよわせる。 

 当然のことながら、フィー以外には私の声は聞こえていない。 

 男二人はそんな私達の様子に首をかしげている。 

 

「あ、あははは……、ぶ、無事だったんだからいいじゃない」 

 

 一言で済ませようとする彼女の態度にさらに言い募ろうとすると、彼女がこちらの耳元に囁きかける。 

 

「……それに、おかげでアレンに会えたでしょ?」 

 

『ふぇ?! ひょっとして、あの時の願い事、聞いてました?!』 

 

 どうも、あの夜の勇者様との会話を聞いていたらしい。 

 「星に願いを」と問われて「アレンに会いたい」と言ったあの夜の会話を。 

 彼女なりに気を利かせたつもりらしい。 

 その割りには色々と危ない目に遭ったような気もしますけど。 

 

「ところで、こっちのカワイイ子は誰なのかなあ? お姉さんに教えてちょうだい♪」 

 

 カワイイ子? 

 言われて、一瞬理解できなかった。 

 彼女の視線を追っていくと、何だか気落ちした様子のコナン王子。 

 少女のように整った顔立ちと柔らかそうな金色の髪。 

 俯き加減に何かをじっと見つめている青い瞳が儚げに揺れている。 

 

「彼は、サマルトリアのコナン王子。僕達と同じ、ロトの子孫だよ」 

 

「へえー。初めまして、コナンくん。私はフィーア。知ってるとは思うけど、勇者アレクとその守護者アリシアの娘だよ、よろしくね」 

 

 考えてみれば、彼女が最も勇者の血が濃いのだ。 

 ひょっとすると、彼女が勇者に最も近い存在なのかもしれない。 

 再会した時の戦いぶりに思いを馳せる。 

 

「あなたがローレシアの妖精姫?」 

 

 コナン王子が小さな声で問い掛けると、フィーはその質問に朗らかに答える。 

 

「あはは、そう呼ぶ人もいるけど、それは私がエルフだからだし、そんな大層な代物じゃないよ、うん」 

 

 そんなフィーの様子に、コナン王子は大きなため息を吐いた。 

 

「はあぁ……。そうだよな、アリシア様の娘だもんな。期待したボクが馬鹿だったんだ」 

 

 自虐するような少年の呟きをフィーが聞き咎める。 

 

「ちょっと、それどういう意味?」 

 

「……胸無し」 

 

 アレンが止める間も無く、店内に血の華が咲いた。 

 

 ああそうか。 

 そういう事だったんだ。 

 王妃様と守護者様が、コナン王子を嫌う理由。 

 

 店内に吹き荒れる暴虐の嵐の中、私はようやくその答えを知ったのだった。 



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第九話:真実の眼

「と、いうわけで、父と母です」 

 

 フィーがどこか俯き加減で、両親を紹介する。 

 当然の事ながらお客さんの多くは驚いたような表情を浮かべている。 

 

「ふむ。いつも娘が世話になっておるようじゃ。わらわはアリシアという。勇者の守護者と名乗った方が解かり易いかの?」 

 

 何故かフィーと同じウェイトレスの衣装に身を包んだ守護者様の姿。 

 見た目は8才児、ではなく元の姿に戻っているようだ。 

 それでも幼い少女の姿である事に変わりは無いのだが。 

 彼女が吸血鬼であるという話は聞いているので、おそらく勇者様の血を吸ったのだろうと推測される。 

 

「うおー! アンタ、本当に勇者だったんだな!」 

 

「まさか、あの伝説の勇者にこんな所で出会ってたなんて、婆ちゃんに自慢できるぜ!」 

 

 守護者様の言葉を聞いたお客さんが口々に叫ぶ。 

 一応、勇者だとは名乗っていたらしい。 

 

「だから、最初っから言ってただろうが、チクショウ! やっぱりか、やっぱりシアちゃんと一緒じゃないと勇者だと認識されんのか!」 

 

 頭を抱えて絶叫する勇者様はさて置いて、その輪からポツンと外れた守護者様に尋ねた。

 

『どうして、そんな格好してるんですか?』 

 

 私の質問に、守護者様は顔をしかめる。 

 どうやら、自発的に着ているわけではないらしい。 

 

「こ、この服装はじゃな。その、あるじがどうしても着て欲しいと言うから仕方なく……」 

 

「実は久しぶりでハッスルしすぎて汚れたかr……ぐふっ!」 

 

 横から口を挟もうとした勇者様が、守護者様の拳の一撃で床に叩き伏せられる。 

 しばらく見ているとゆっくりと身体が透けていき、やがて消えてしまう。 

 

『あ、あの……、勇者様が……』 

 

 突然の怪奇現象に驚きの声を上げるが、思っていたよりも周りの反応が鈍い。 

 

「守護者様ともなると、やっぱ拳が違うな」 

「またやってるよ」「勇者の割りに脆いなあ、あの人は」 

 

 どうやらよくある光景らしい。 

 

「ああセリアは初めて見たんだっけ?」 

 

 口を開いたまま声を失くした私に、フィーが語りかけてくる。 

 

「階段から落ちたりとか椅子につまづいて転んだりとか、ここのお客さんは毎日のように見てるから」 

 

 だから、慣れたとでも? 

 一応、人間が一人死んでいる衝撃的瞬間だったと思うんですが。 

 そうこうしているうちに食堂の扉が開く。 

 

「いやあ、頑張り過ぎて視界が黄色い状態で、シアちゃんの一撃は堪えるなあ」 

 

 何事も無かったかのように姿を現した勇者様。 

 さすがに本人が全く気にも留めていないのはどうだろうと思う。 

 

「ふん。あるじが妙な事を口走るからじゃ」 

 

 頬を膨らませてそんな事を言う彼女の姿は確かに微笑ましくもある。 

 あるのだが、いくら生き返るからとはいえ人一人死なせている事を思うと笑えない。 

 でも、周りどころか本人が全く気にしていないところを見ると、私がおかしいのだろうか? 

 

「セリア、気にしない方が良いよ。あの人達がおかしいんだから」 

 

 アレンが私の心を読んだかのように、そんな言葉を掛けてくれる。 

 

「百年も夫婦やってると、あんなもんじゃねーの?」 

 

 コナン王子は何か悟っている様子だ。 

 ところで、もう回復したんですね。 

 あれだけの暴行を受けておきながら、飄々としているこの少年も只者ではない。 

 と、そこへ暴行の加害者である少女が私達の輪の中に入ってくる。 

 

「……ねえひょっとして、私もおかしい人達の中に入ってるの?」 

 

 フィーの問い掛けに、アレンはゆっくりとうなずくのだった。 

 

 

「いらっしゃいませー!」 

 

 賑わう食堂の中にウェイトレスさんの声が響く。 

 

「あれ? 今日はフィーちゃんじゃないのか」 

 

 客の青年の残念そうな声に、ウェイトレスさんが笑いながらこちらを指差してくる。 

 

「残念、あの子は今日はお客さん。お母さんと弟さんが来てるのよ」 

 

「あー、そういえば、噂になってた。昼は大騒ぎだったらしいね」 

 

 どんな噂だろう? 

 聞き耳を立てたが、喧騒に紛れてよく聞こえない。 

 そのうち、客はカウンター席に着いてしまう。 

 ウェイトレスさんは客を案内した後、こちらに向かって歩いてくる。 

 

「注文、そろそろ決まった?」 

 

 私達のテーブルに来た彼女は、開口一番そう言った。 

 どうやら注文を取りに来たようだ。 

 

「リン姉さん。すぐに注文するから、ちょっと待ってて」 

 

 フィーが彼女に告げる。 

 このウェイトレスさんの名前はリンさんというらしい。 

 何故、姉さんと呼ぶのかはよく判らないが。 

 彼女はそれを聞くと、「早くしてね」と一言残して去っていく。 

 

「ところで、そこのバカ王子はリン姉さんにちょっかい掛けないの?」 

 

 バカ王子。 

 やはり、コナン王子の事だろうか。 

 

「バカってボクの事?」 

 

「あんた以外に誰がいるの?」 

 

 再び険悪な雰囲気をかもし出す二人の間に勇者様が割って入る。 

 

「まあまあ、落ち着けって。フィーもいきなり喧嘩売るなよ。コナンも」 

 

「こんな所で喧嘩なぞするでないわ。客に迷惑が掛かるじゃろう?」 

 

 両親の仲裁に、さすがのフィーも意気消沈した様子。 

 ……と思ったら、微妙に頬が膨れている。 

 所々見え隠れする子供っぽさが彼女の魅力だろうか。 

 その神秘的な外見とは裏腹な性格が育まれたのは親であるあの二人を見ていると当然とも言える。 

 

「師匠がそう言うなら……」 

 

 一方のコナン王子は、勇者様を師匠と呼んで敬っているようだ。 

 あの唯我独尊を地で行くコナン王子が大人しくなる。 

 それでも、守護者様をさりげなく無視している辺りが実に彼らしい。 

 

「で、コナンはリンちゃんに声掛けないのか?」 

 

 勇者様が笑みを含んだような声でコナン王子に問い掛ける。 

 確かに、女の私の目から見ても、あのウェイトレスさんのスタイルはいい。 

 まさに出る所は出て、引っ込む所は引っ込んでいる。 

 目の前にいる同じ制服姿の二人とは雲泥の差だ。 

 

「なんじゃ、メス犬。なんぞわらわ達に言いたい事でもあるのか?」 

 

『痛い痛い痛いです! 何にも思ってません! 何もお話しする事はございません!』 

 

 頭を掴まれた私は必死に懇願する。 

 

「ひいおばあさま」 

 

 アレンの静かな声がキリキリと痛む頭に届く。 

 

「……むう、その呼び方をするなと言っておろうが」 

 

 守護者様の抗議の言葉と同時に締め付ける力がふと弱くなった。 

 途端にアレンが私の身体を引き寄せて、ひざの上に乗せてくれる。 

 

「大丈夫?」 

 

 口を開きかけて、言葉が通じない事を思い出した私は彼の顔を見上げてうなずく事で返事をする。 

 その時、ふと視線を感じてそちらを向くと、フィーがじっとこちらを見つめていた。 

 目が合うと、ついと逸らす。 

 何でしょう? 

 

「まあ、あれだ。さっきの質問の続きなんだが……」 

 

 勇者様が再びさっきの質問を繰り返す。 

 雰囲気を良くしようという試みなのだろう、多分。 

 原因がその質問にあった事を忘れているようだけど。 

 

「あの人ですか? だってアレ、偽乳じゃないですか」 

 

 コナン王子がそう答えた瞬間、食堂から一切の音が消えた。 

 不思議な沈黙だった。 

 おそらく、客の多くがこちらの会話に聞き耳を立てていたのだろう。 

 コナン王子の言葉がその沈黙を作り出したのだ。 

 そして、客の目が一斉にリンさんに向かう。 

 不気味な静寂の中、彼女の持ったトレイだけがカタカタと揺れて音を立てる。 

 今にも泣き出しそうな表情だ。 

 

「ちょっと! 根拠も無くそんな事言うのってどうかと思うけど!」 

 

 口火を切ったのはフィーだった。 

 

「別に根拠が無いわけじゃないよ。まず首筋から鎖骨にかけてのライン。全体的な筋肉のバランス。歩き方や頭の動かし方。全てにおいて、彼女のスタイルが見掛けどおりじゃないことを示している。ボクの見立てだとせいぜいA75くらいが妥当なんじゃないかな?」 

 

 金属音が室内に響き渡る。 

 リンさんがトレイを床に落としたのだ。 

 そして泣きながらその場に崩れ落ちる。 

 

「さすが、俺の弟子だ。よく判ったな」 

 

「師匠に教えてもらった事を生かしただけですよ」 

 

 親指を立てながら弟子を褒め称える勇者様に対して、コナン王子は飄々と答えるのみ。 

 

「あるじ、それはどういう意味じゃ?」 

 

 守護者様が不機嫌な声色で勇者様に詰め寄る。 

 コナン王子の言葉を気に留めたのだろう。 

 王子の言葉が正しければ、その女性の胸のサイズを言い当てる能力は勇者様が教えた事になるからだと思う。 

 

「いや、違うって。俺はただ観察力を磨けって言っただけで、サイズ云々はコナンの努力の賜物……」 

 

「そうではない。あるじはこう言ったのう? 『よく判ったな』とな。事前に知っておったのではあるまいな?」 

  

 ……私の推理は間違っていたらしい。

 そう言われてみれば、確かにそう取れそうな言い方だったような気もする。 

 やはり夫婦だとそんな裏の感情まで読み取れる物なんだろうか? 

 

「いや、知ってたのは知ってたけど……」 

 

 そう答えると同時に、守護者様の手が勇者様の襟首を掴んで床に引き倒す。 

 

「フィー、これをやろう。何でも好きな物を頼め。わらわはこやつと少し話があるのでな」 

 

 守護者様が懐からお金の入った袋を取り出し、フィーに手渡す。 

 そして、勇者様を引きずったまま、二階の宿部屋に向かって歩き出す。 

 

「ちょっと待った! イテッ。着替えにばったりってだけでやましい事は何も! アイテッ!」 

 

 階段でもお構い無しにそのまま引きずられて行く勇者様を皆が見送る。 

 

「フィー、俺の分のメシも残しといてくれ! アレン、くれぐれもフィーに酒を――」 

 

 ドアが閉じる音と同時に、勇者様の声が消えた。 

 再び静寂が食堂内を支配した。 

 

「リン姉さん、胸なんか無くても人間生きて行けるって」 

 

 フィーがうずくまるリンさんに声を掛ける。 

 

「……あるに越したことは無いけどね」 

 

 ぼそっと呟くコナン王子にフィーの鋭い視線が投げ掛けられる。 

 

「別に世の中そういう需要もあるんだし、気にする事はないよ。それに君は誇ってもいい。そこで慰めてる女だって所詮AA程度なんだし」 

 

 挑発するようなコナン王子の言葉に、食堂内のボルテージが上がる。 

 やはり、戦いは避けられないようだ。 

 

 そして第二回戦が始まるのだった。 

 

 

「お母さんからいっぱいお金もらったからね。高いのたくさん頼んじゃおう」 

 

 フィーが嬉しそうに皆に話す。 

 ちなみに、この場にリンさんの姿は無い。 

 臨時で雇い入れたバイト、それも店内で募集した男の人達がテーブルの間を引っ切り無しに動いている。 

 先程の大乱闘で壊れたテーブル等の修繕費用を稼ぐためらしい。 

 当事者二人は何事も無かったように同じテーブルに着いている。 

 

「じゃあ、僕はこの霜降り肉のグリルと採れたて野菜のサラダで」 

 

 アレンがメニューを指差して、フィーに見せる。 

 

「うんうん、さすが私の弟。食事のバランスは大切だよね」 

 

 彼女は腕を組んで、鷹揚にうなずいている。 

 

「それじゃあ、ボクはこっちの……」 

 

「あんたは自分で払いなさい」 

 

 同じくメニューを指差そうとしたコナン王子を、フィーは一言で斬り捨てる。 

 どうやらさっきの事をかなり根に持っているようだ。 

  

「ちっ、胸が小さいと心も狭いんだな」 

 

 少女のような顔をした少年が小さく舌打ちをする。 

 あそこまで凄惨な暴行を受けてなお、こんな言葉を口に出来るこの少年は単純に凄いと思う。 

 ただ、彼の身体には全くその時の後遺症は残っていない。 

 どうやら、あの不死身とも言える身体能力は優れた回復呪文によるものらしい。 

 フィーいわく、殴られてもすぐに弱い回復呪文で致命的なダメージを回復させるのだそうだ。 

 それ故に外側には大きな出血の跡やアザが残るものの、内部は健康体という一見すると不死身とも言える状態になるらしい。 

 最終的には、フィーが疲れ果てて終わった事から見ても、コナン王子に関する彼女の分析は間違っていないだろうと思われる。 

 

「……くっ、殴りたい。思いっ切り殴ってやりたい」 

 

 フィーが拳を力一杯握り締めて必死に耐えているのが端から見ていて良くわかる。 

 先程の暴行の際、テーブルを一つ壊してしまい、店主さんに散々説教されたのだ。 

 コナン王子がそれを笑って見ていたのは言うまでも無い。 

 

「まあまあ、姉さん。これから一緒に旅をする仲間なんだから……」 

 

 アレンが見兼ねて仲裁に入ると、フィーは拳を解いて仕方なさそうに言う。 

 

「……わかったわよ。今回はアレンに免じて、許してあげる」 

 

 幼い少女のように頬を膨らませて拗ねる仕草は、彼女の大人っぽい均整の取れた容姿とあまり釣り合いが取れていないようにも見える。 

 けれど、その不釣合いが彼女の魅力なのだろうと思う。 

 事実、彼女のその明るさに助けられた部分も大きいのだ。 

 私が犬の姿である事に悲壮感を抱かないのは、彼女の影響による物かもしれない。 

 犬になった私と、何事も無く会話できるせいかもしれないけれど。 

  

「で、結局注文してもいいのかな? ボクはこの海鮮ドリアって奴ね」 

 

 その場の空気を全く気にしない様子で、コナン王子が注文をする。 

  

「海鮮ドリア、一つと」 

 

 フィーがふてくされた様子を隠さずに復唱する。 

 これではどっちが年上なんだかわからない。 

 

「他に注文はいらない?」 

 

「では、わたくしはこの、シェフのおすすめハンバーグ定食をお願いいたしますわ」 

 

「ハンバーグ定食一つ、他には?」 

 

『私はそんなに量が食べられませんから……』 

 

「じゃあ、適当に皆で分けてあげるって事で。私もハンバーグ定食にしよう。お父さんが指導したメニューだし」 

 

「まあ。それは期待出来そうですわね」 

 

 フィーがウェイターさんを呼んで注文を告げる。 

 その臨時ウェイターさんが厨房に向かって叫ぶと、何故かすぐに料理が運ばれて来る。 

 どうやら厨房も人が増えて全力稼働しているらしい。 

 

「アレンがお肉でこっちのバカがドリア。で、私がハンバーグ。……あれ?」 

 

 あれ? 一つ多い。 

 

「ああ、それはこちらにお願いします」 

 

 少女の声に全員が顔を向ける。 

 

「誰?」 

 

「さあ?」 

 

「マリナ?」 

 

『マリナ様?!』 

 

 視線の先には金色の髪を青いリボンで結い上げた少女の姿。 

 ムーンブルクの城で別れた、サマルトリアの王女マリナ様がそこにいるのが当然であるかのように座っていた。

 



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第十話:命の順番

「どうしてここにいるんだ、マリナ?」 

 

 金髪の少年の問い掛けに、同じく金髪のよく似た顔の少女が答える。 

 

「愚問ですわ。夕食の代金を浮かすためです。……あら、意外においしいですわね」 

 

「いや、だからそういう意味じゃなくて……」 

 

 答えながらも少女は目の前のハンバーグを切り分け、ゆっくりと口に運ぶ。 

 銀髪の少女の呆れるような言葉もどこ吹く風。 

 まるで楽器を弾いているかのように、正確で洗練された動きを繰り返す。 

 皿の上のハンバーグが半分ほど彼女の口の中に消えた頃、ナイフを置き再び声を発する。 

 

「皆様、せっかくのお料理が冷めてしまいますわ」 

 

 その声に我に返ったように目の前の食べ物に手を付け始めるアレン達。 

 少女はそれを見てふっと笑い、再びナイフに手を伸ばす。 

 

『マリナ様!』 

 

 いつのまにか見とれてしまった自分に活を入れるように、彼女の名前を呼ぶ。 

 

「まあセリア様、ごきげんよう」 

 

 彼女は別れた時と同じように優しげな笑みを浮かべている。 

 それを見て私はつい声を上げてしまう。 

 

『私がどれだけ心……ふむぐっ!』 

 

 言葉を紡ごうとすると突然口の中に何かを突っ込まれる。 

 ハンバーグの小さな欠片らしい。 

 ふわふわのお肉を噛み締めると、濃厚な旨味と肉汁が口の中に広がって行く。 

 本当に美味しい……じゃなくてっ! 

 口の中の物を飲み込むのもまどろこしく、そのまま口を開こうとすると、マリナ様が人差し指を立てて左右に振る。 

 

「あらあら、ムーンブルクの王女様ともあろう者が何ともはしたない。国王陛下が見たらどんなに嘆き悲しみましょうか」 

 

 口元に手をやりほくそえむ少女の言葉に、のどまで出そうになっていた言葉を止める。 

 私は目をつむり、肉片をゆっくりと味わい飲み下すと再び口を開く。 

 

『マリ……むぐっ』 

 

 先程よりも大きな塊が口の中に入って来た。 

 仕方なく咀嚼し、胃の中におさめた私はもう一度言葉を紡ごうとする。 

 

『し……うぐっ』 

 

『マ……ふむっ』 

 

『ちょっと待っ……んむっ』 

 

 口を開こうとする度にハンバーグを口の中に突っ込まれ、その度に言葉までもが飲み込まされてしまう。 

 そのうちに私のおなかは膨れてしまい、口を開く事さえ億劫になってきた。 

 

「あら? もう無くなってしまいました。意外とよく食べられるのですね、セリアさま?」 

 

 反論したい。 

 けれど、口を開けば今度は付け合せの温野菜が口の中に放り込まれる事は明白。 

 私は黙って彼女の顔を見上げる。 

 

「あら、残念。もう口を開いてはくださらないのですね」 

 

 マリナ様はそう言って、フォークに刺したニンジンを私の口の中、ではなく自分の口へと運ぶ。 

 

「特に味付けされているわけでもありませんのに甘いのですね。これは食べておかないともったいないですわ」 

 

 その言葉は明らかにこちらに向けられている。 

 私が口を開けるよう、挑発しているのだろう。 

 確かに今の感想を聞くに付け、その味を直に知りたい欲求に苛まれる。 

 しかし、それは彼女の罠なのだ。 

 私はそんな彼女に負けるわけにはいかない! 

 

 

 ……口の中にほのかな甘さが広がる。 

 先程までの濃厚な肉の香りをどこかに持って行ってしまったかのように、爽やかな香りが鼻孔を潜り抜ける。 

 と、同時に心の中にも敗北に似た味が広がって行く。 

 

「美味しいですか、セリアさま?」 

 

 くつくつと笑う少女の姿に、私は口の中のニンジンを噛み締めながらそっと心の中で涙を流した。 

 

 

「君の事は何と呼べばいいのかな?」 

 

 一通り食事が終わり店内が落ち着きを取り戻した頃、アレンが口を開く。 

 

「ただのマリナで構いませんわ、アレンさま」 

 

 金髪の少女が言葉を返す。 

 アレンは少し驚いたかのように目を見開く。 

 

「僕の事は知ってるんだね、マリナ」 

 

「アレンさまだけではありませんわ。勇者さまの事も存じておりますし、平面ウサギさまの事もよく存じあげております」 

 

 平面ウサギ? 

 一体、何の話だろう? 

 

「平面ウサギって、ひょっとしてお母さんの事?」  

 

「ええ、そうです。フィーアさまのお母さまの事ですわ」 

 

 目を細めて睨むようなフィーの視線を受け流すように、食後のお茶を口に運ぶマリナ様。 

 どうやらフィーの事も知っているらしい。 

 けれど、守護者様の一体どこが平面ウサギなのだろう? 

 平面というのは何となくわかる。 

 マリナ様の兄であるコナン王子の言行を見れば一目瞭然だ。 

 ただウサギというのがよくわからない。 

 

「瞳が紅いから?」 

 

 アレンが何気なく発した一言に、一応の答えを得る。 

 そう言われてみれば確かにその点では一致している。 

 

「残念。半分だけ正解です。後はご自分でお考えあそばされませ」 

 

 コナン王子と同じような言葉で煙に巻く彼女は、確かに彼と同じ血を引いているのだろう。 

 やがて、彼女の視線がコナン王子の所で止まる。 

 

「久しぶりだな、マリナ」 

 

 挨拶をするように右手を上げ、親しげに声を掛けるコナン王子。 

 彼女はそんな王子を訝しげな視線で見つめると口を開く。 

 

「……失礼ですが、どちらさまでしょうか?」 

 

 はい? 

 マリナ様の言葉にその場の空気が凍りついた。 

 

「ちょっ、ちょっと待てよ! お前、自分の兄の事を忘れたのか?!」 

 

「……どうしてそんなひどい事をおっしゃるの。お兄様は死んだのですわ、あの運命の日に……」 

 

 そっと涙ぐみ、どこからか取り出したハンカチを目に押し当てる彼女はどこか芝居がかった様子にも見える。 

 

「あの日って?」 

 

 誰かがそう疑問の声を上げると、彼女はとうとうと語り出す。 

 

「そう、あれは忘れもしない数日前。お兄様がロトの盾を盗んで賞金を掛けられた日。わたくしは誓ったのです。兄は死んだものとしようと……」 

 

 あの、それって死んだとは言い切れないのでは? 

 それに口元が笑ってますよ。 

 

「ですから、ここにいる方はお兄様ではありませんわ。私の知らない方に違いないのです。こんなにもお兄様にソックリな方が居ようとは、世界は不思議に満ち溢れているのですね」 

 

「盾盗んだのも、賞金掛けたのもお前の仕業だろうがっ!」 

 

 白々しい少女の様子と憤懣やるかたないその兄の姿に、私達はそっとため息を吐いた。 

 

 

 

「まあコナンお兄様、生きておられたのですね。わたくしはずっと信じておりました」 

 

「ふざけるのも大概にしろよ、マリナ」 

 

 兄王子の右手を両手で包み、笑顔で話すマリナ様。 

 対して、似たような笑顔のまま妹姫に釘を刺すコナン王子。 

 

 ある意味よく似た兄妹の姿に、ある種の諦観を禁じ得ない。 

 

「あれ、絶対妹の方が性質悪いよね」 

 

「どうやって育てたらあんな兄妹になるんだろう?」 

 

 こちらの血のつながらない姉弟がそんな感想を漏らす。 

 

『それより、さっきコナン王子が盾の事を……』 

 

 私の言葉が聞こえたのか、マリナ様が立ち上がってマントをめくると背中に手を伸ばす。 

 

「お兄様の形見と思って肌身離さず持っておりましたの」 

 

 取り出したのは、真っ青な金属で出来た盾。 

 鳥のような意匠が施され、美術品だと言っても通るだろうと思わされる。 

 

「やっぱりお前が持ってたのか」 

 

「はい。あれはお兄様に賞金が掛けられるより少し前の事。ふとお母様の部屋に忍び込んだ私はこの盾に呼ばれたのです。そして、これをお兄様の形見にしようと……」 

 

「……順序がおかしいとは思わないか?」 

 

 コナン王子の疑問に、マリナ様は笑顔で答える。 

 

「結果的にそうなれば、順序なんて関係ありませんわ。でも、残念ながらそうはなりませんでしたし、これはお兄様にお返しします」 

 

 何かとても恐ろしい事をあっさりと口にしたような気もするんですが。 

 

「これで、問題ありませんね?」 

 

「あ、ああ……。ん? ちょっと待て、せめて母上の誤解を解け。このままだとボクが名実共にロトの盾窃盗犯じゃないか」 

 

「あら、さすがお兄様。侮れませんわね」 

 

 どうやらロトの盾を兄に渡す事で自分に疑いを掛けられないようにしようとしたらしい。 

 本当にあの子は私より5才も年下なんだろうか? 

 

「つくづく敵に回すと恐ろしい奴だな、お前は」 

 

「まあ、この天使のような妹に向かって何てひどい事を」 

 

 言いながらも、彼女が笑顔を絶やす事は無い。 

 兄とよく似た整った風貌。 

 人形のようなその容姿はとても微笑ましく、可愛らしい。 

 彼女の言う通り、天の使いであると名乗っても決して誇張であるとは言い切れない。  

 

「けっ。どこが天使だ。ペテン師の間違いだろうが」 

 

「あら、お上手ですわ。さすがお兄様」 

 

 ただ、彼女の内面はどうだろう? 

 彼女には何か隠された秘密があるのではないだろうか。 

 そう思えてならなかった。 

 

「そう言えば、結局マリナちゃんがココに来た本当の理由、聞いてないよね?」 

 

「ああ、言われてみれば……」 

 

 今宵の宴はまだまだ続きそうだった。



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第十一話:飽くなき欲求

「時に、セリアさま?」 

 

 青いリボンが印象的な金色の髪の少女が私の名を呼ぶ。 

 その声はまるで鈴の音のように軽やかに私の耳朶に響いた。 

 

『何でしょうか、マリナ様?』 

 

 彼女の声に釣られてつい返事をしてしまった。 

 声に出してから気付いたが、私の今の姿はただの子犬。 

 何を話したとしても彼女に届こうはずがない。 

 

「とても素敵なネックレスですね。アレンさまからの贈り物ですか?」 

 

 けれども彼女の言葉に淀みは無く、まるで私の言葉がわかっているかのように続きを話し始める。 

 ……ところで、何の話でしょうか? 

 ネックレス? 

 私、そんなの着けてましたっけ? 

 

「いや、僕が出逢った時にはもう着けてたけど……」 

 

 アレンの言葉に思い当たる物があった。 

 

『フィー! いいかげんにこれを外してください』 

 

 幼なじみの銀色の髪の少女に声を掛けると、彼女はちょうどケーキを頬張っていた様子。 

 そのまま話そうとして、のどに詰まらせたらしい。 

 アレンが水の入ったコップを手渡すと、それを飲み干して一息つく。 

 

「えーと、何の話?」 

 

『この首輪の事です!』 

 

 子供みたいに口いっぱいに頬張る事も無いでしょうに。 

 同い年の少女の行動に少し腹立たしさを覚えながら、右手で……この場合右前足と呼んだ方が良いのかもしれませんが。 

 とにかく、右手で首元を指し示す。 

 すると彼女もようやく思い立ったのか、右手を私の頭の上にかざし、目をつむって何やら呪文を唱え始める。 

 

「これ、姉さんが着けたんだ……」 

 

「まあ、わたくしてっきりアレンさまにそういう趣味がおありなのかと……」 

 

 アレンとマリナ様の会話が耳に届く。 

 そういう趣味って何の事だろう? 

 さっぱりわからない。 

  

 やがて、フィーがゆっくりと目を開き、両手を顔の前で合わせる。 

 

「ゴメン、やっぱりまだシャナク使えないみたい。もう少し練習させて」 

 

 鼻先ですまなそうに頭を下げるフィーの姿に愕然とする。 

 

「姉さん。外せないのに着けたの?」 

 

 アレンの詰問に、さすがのフィーも狼狽する様子を見せた。 

 

「だ、だって、その、……他に方法を思いつかなかったし」 

 

 彼女の言う「方法」。 

 どうも私とアレンを再会させるための「方法」らしい。 

 けれど、その願いが成就した今、その「方法」こそが問題になっているのだ。 

 

『もっと他にやりようはあったと思います』 

 

 口を尖らせながら言うと……犬ですから最初から尖ってますけど。 

 ……私は自分の言葉に不機嫌さを隠さずに言う。 

 アレンは彼女の言葉の意味が判らなかったらしく、私とフィーの顔を交互に見つめている。 

 

「もう、わかったわよ! お母さんなら解呪使えるだろうし、私から頼んでみるから!」 

 

 開き直った彼女の示した解決方法に、私とアレンは顔を見合わせてため息を吐くしかなかった。 

 

 

「えっ?! お母さん、シャナク使えないの?」 

 

 衝撃の事実に驚きを隠せないフィー。 

 

「それどころか、魔法使いの呪文だっていう認識もなかったよ」 

 

 その言葉に声を失う。 

 無理も無い。 

 何しろ彼女の母である守護者様は世界最高の魔法使いと呼ばれるほどの人物なのだ。 

 まさか、そんな彼女に使えない呪文があるとは思うまい。 

 

「アリシアさまも相変わらず面白い方ですわね」 

 

 マリナ様がふとそんな言葉を漏らす。 

 守護者様にお会いした事があるのだろうか? 

 彼女の言葉にはどこか懐かしい響きが感じられた。 

 

「お母さんと会った事あるの?」 

 

「いいえ。ここではまだお会いした事はございませんわ」 

 

 くゆくゆと笑う彼女の姿に、これ以上の追求は無理だろうと思わされる。 

 これまでにもいくつか質問をしたのだが、その度にスルスルと受け流されるのだ。 

 おかげで彼女がここに来た本当の理由を聞き出すことすら出来ていない。 

 

『そういえば、コナン王子はどこに?』 

 

 しばらく会話に参加していないと思えば、私達のテーブルから姿が消えている。 

 

「あれ? 言われて見ればバカ王子がいない」 

 

 フィーと共にしばし食堂内を見回す。 

 

「あそこにいるよ」 

 

 アレンが指差す方向に、コナン王子の姿があった。 

 何やら女性客に熱心に話しかけている様子だが、ここからでは会話の内容まではわからない。 

 

「なにやってんだろ?」 

 

 フィーの疑問の声に、グラスを傾けていたマリナ様が答える。 

 

「おそらく今宵一夜の花嫁を探しておられるのでしょう」 

 

 今宵の花嫁……? 

 どういう意味でしょうか? 

 アレンも意味が判らなかったらしく、同じように首をかしげている。 

 ただひとり、何か思い当たったらしいフィーが顔を耳まで真っ赤に紅潮させてマリナ様に詰め寄った。 

 

「ちょ、ちょっとアンタ本当に13才? 何でそんな言葉知ってるの?」 

 

 けれど、マリナ様はどこ吹く風。 

 逆にフィーに聞き返す。 

 

「まあ。わたくしはお兄様がおっしゃられた言葉を口にしただけですわ。どういう意味なのかご存知なのですか、フィーアさま?」 

 

 彼女の口元には笑みが浮かんでいる。 

 どうやら知っていて言っているらしい。 

 けれど、慌てふためくフィーはそのことに全く思い当たらないようだ。 

 

「こ、子供は知らなくてもいいの!」 

 

 何故か一方的に話を終わらせてしまう。 

  

「アレンは絶対、あんなのの真似しちゃダメだからね!」 

 

 ダメも何も、さっぱり意味が判らない。 

 

「なんたって、アレンさまにはセリアさまがいらっしゃいますものね」 

 

 コナン王子を真っ直ぐ指差していたフィーの右腕が、マリナ様の一言で力を失う。 

 

「ねえ……やっぱり、そうなのかな?」 

 

「ええ、端から見ていると面白くて仕方がありません。もっと素直になられたらよろしいですのに」 

 

「だって、今さらそんな事言えないよ……」 

 

 ひそひそと会話する2人の様子に、私達は入り込む事が出来ない。 

 会話は丸聞こえですけど。 

 

「わかりました。わたくしがお力添えをいたしましょう。泥沼になった方が面白いですし」 

 

「動機がすごく気になるけど、どうすればいいの?」 

 

「まずは、こちらへ……」 

 

 マリナ様が席に座ったまま、フィーを呼び寄せて自分の脇に立たせる。 

 そして、アレンに声を掛けた。 

 

「アレンさま、わたくしの手元に注目しておいてくださいませ」 

 

 そう言うと、おもむろにフィーのスカートの端をつまみ、捲り上げた。 

 一瞬、何が起きたのかわからなかった。 

 見えたのは、腰の部分がひも状になった大胆なデザインの真っ白な下着。 

 そして、次の瞬間。 

 食堂内に男達の歓喜の叫びが上がった。 

 

「生きてて良かったーー!」 

 

「この時間まで粘ってた甲斐があったぜ!」 

 

 声にならない叫びを上げながら捲られたスカートを元に戻すフィー。 

 一方、捲った張本人は涼しい顔をしている。 

 

「な、な、な、なんてことするのーー!!」 

 

「残念。脈無しの様子ですわ」 

 

 マリナ様の目線の先にはアレンの姿。 

 先程の光景にまるで動じる様子もなく、お茶を飲みながら首をかしげている。 

 

「セリアさま、ちょっと失礼いたします」 

 

 いつの間にか背後に忍び寄っていたマリナ様が私の身体を持ち上げる。 

 

『あの、何をなされるおつもりですか?』 

 

「はい、せくしーぽーず」 

 

 テーブルの上に仰向けにされ、両足を広げた状態で固定される。 

 マリナ様の右腕で頭と前足を拘束され、身動きをとる事が出来ない。 

 今の自分の姿を頭に思い描き、そのあまりの恥ずかしさに必死に後ろ足で抵抗するも全く届かない。 

 

「ぶほっ」 

 

 不思議な音が聞こえそちらを向くと、アレンがお茶を口から吹き出してしまったらしい。 

 慌てた様子でテーブルを布巾で拭っている動作がどこか可笑しさを誘う。 

 

「……犬に負けた」 

 

 椅子にもたれかかるようにしてうずくまるフィーにはどこか暗い哀愁が漂っている。 

 ところで、私は何に勝ったんでしょうか? 

 

「まあまあお気を落とされずに。必要なのは外見ではなく中身という事ですわ」 

 

 マリナ様がうずくまるフィーの肩に手を置き、笑いを含んだ声でなぐさめる。 

 なぐさめる、というか本当にこの状況を楽しんでいるのでしょう。 

 彼女の晴れ晴れとした笑顔はそうとしか思えない。 

 

「何騒いでんだよ、マリナ」 

 

 そこに現れるコナン王子。 

 ようやく解放された私はアレンの所に駆け寄るも、アレンは鼻と口を覆うように押さえたまま何故かこちらを見ようとはしない。 

 

「あら、お兄様。もう少し早く来られればフィーアさまの下着が見られましたのに」 

 

「……下着なんてどうでもいい。必要なのは中身だろ?」 

 

「言葉だけ聞きますと実に紳士的ですわね」 

 

「うるさい」 

 

 先程のマリナ様と同じ言葉だが『中身』の意味は全く違うのだろう。 

 本当にこの兄妹は私よりも年下なのだろうか? 

 とてもそうとは思えない。 

 

「やっぱり、胸……。胸が無いのが敗因?」 

 

 いえ、あの、私は犬ですから。 

 胸も何も。 

 

「確かに胸の数では負けておりますわね」 

 

『そういう意味じゃないと思います』 

 

 というか、言われてみるまで気付かなかった。 

 立ち上がって見ようとすると後ろに転んでしまう。 

 仕方なく仰向けになったままの姿で数えてみると確かに6個ある。 

 

「ぶはっ」 

 

 再びアレンが吹き出す。 

 

「まあ、大胆」 

 

「やっぱり、胸が……」 

 

『違います! もう、誰かこの状況を何とかしてください!』 

 

 私の叫びは喧騒の中へと消えていくのだった。 

 

 

 窓から月の光が差し込んでくる。 

 満月の光に照らされて、夜空にはほとんど星が見えない。 

 

「うにゃあ……」 

 

 寝台の方から猫のような声が聞こえる。 

 フィーが眠っているのだ。 

 どうやら、彼女はお酒を飲むと眠ってしまう体質らしい。 

  

「まあ、そこでそう来ますか。これは予想外ですわ」 

 

 マリナ様は何故かコップの底を耳に当て、口の部分を壁に当てている。 

 どうも隣の部屋の様子を窺っているらしい。 

 そして手に持った紙の束に何やら書き付けているようだ。 

 

『何をしてるんですか?』 

 

 彼女に声を掛けるが返事は無い。 

 私の言葉が届いてないのだから当然とも言えるが、書き物に夢中になっているせいかもしれない。 

 ふと、彼女の手元に目を向ける。 

 

『ふぁっ?!』 

 

 自分の口からおかしな声が出たのがわかった。 

 彼女もそれに気付いたのだろう。 

 私から見えない位置に紙の束を置くと、じっと私の目を見る。 

 

「まだまだセリアさまにはお早いですわ」 

 

 顔が熱くなるのがわかる。 

 書かれていた文章が、その、口に出すのもはばかられるような内容だったから。 

 そういえば、隣は勇者様と守護者様の部屋だったような気がする。 

 顔だけでなく全身が熱くなってきたような。 

 夜風に当たれば少しは紛れるかもしれない。 

 そう思って、私は扉を押し開く。 

 

「ふふっ。そろそろ時間のようですわね」 

 

 部屋の中から少女の声が聞こえたが、私はそれに気付かない振りをして部屋を後にした。 

 

 

 外に向かう途中、アレンの部屋から光が漏れているのに気付いた。 

 淡く青白い光。 

 そっと隙間から中を覗くと、窓枠に腰掛けて空を眺めるアレンの姿。 

 月の光に照らされたその表情は少し憂いを帯びていて、それでいて無機質な彫像のようにも見える。 

 その、いつもは見せない姿につい見惚れてしまう。 

 

「誰?」 

 

 青年の静かな誰何の声に一瞬身を翻そうとしたが、思い直して部屋に足を踏み入れる。 

 

「セリア?」 

 

 窓枠に飛び乗ろうとすると、壊れ物を扱うように優しく抱き上げてくれた。 

 

『ありがとう』 

 

 彼に寄り添い、共に空を見上げる。 

 ただそれだけで胸が熱くなって、どうしようもなく身体が火照ってくる。 

 

「……ごめん、セリア」 

  

 青年が小さく呟く。 

 空を見上げていた視線をアレンに向けると、今にも泣きそうな顔で私を見つめてくる。 

 抱かれているために、彼の顔は今までよりもずっと近い。 

 ちょっと身体を伸ばせば届きそうだ。 

 

『どうして謝るの?』 

 

 彼を見つめ返しながら、疑問をぶつける。 

 けれど彼にはその言葉は届かない。 

 

「僕は君の事を守ってみせると誓った。……でも実際にはどうだ。ムーンブルクは敵に襲われ、君はこんな姿にされてしまった」 

  

 アレンがここまで心を痛めていることに全く気付かなかった。 

 青年は独白するように、言葉を連ねていく。 

 

「僕は勇者になりたかった。でも、大好きな女の子ひとりさえ僕は守れなかった」

  

『……そんな、アレンが悪いわけじゃ』 

 

 私の言葉が届きさえいれば、彼がここまで苦しむ事は無かっただろう。 

 彼の心に、その悲しみに届く事さえ出来れば。 

 

「僕は、君の勇者には……むぐっ?!」 

 

 聞きたくなかった。 

 私はアレンの口からその言葉を聞きたくなかった。 

 ただその一心で、アレンの唇に自分の口を押し付ける。 

 キスと呼ぶには余りにも乱暴で、けれど私にとっては唯一の表現方法。 

 アレンの鼓動が唇から伝わってくると同時に全身が焼けるように熱くなって来た。 

 

「セリ…ア?」 

 

 唇を離し、彼が私の名を呼ぶ。 

 

「アレン、私は感謝してるんです。こんな身体になってしまった私を、皆が当たり前のように受け入れてくれる。こんなに嬉しい事はありません」 

 

 声が届かなくてもいい。 

 ただ、私の想いが彼に届きさえすればいい。 

 それだけを思って語り掛ける。 

 

「セリア、今のその姿が本当のセリアなんだね?」 

 

 けれど、アレンの答えは要領を得ない。 

 私の想いは、彼には届かなかったのだろうか。 

 

「アレン?」 

 

 ふと気付く。 

 今の私はアレンに抱かれているわけではない。 

 何故、こんなに近くに彼の顔があるのだろう? 

 手を伸ばし、彼の顔に触れる。 

 整った目鼻立ちに温かな頬の感触。 

 彼の瞳から流れ出た涙が私の手を濡らす。 

 ……手? 

 彼の潤んだ瞳の中には人間の姿をした私が映り込んでいる。 

 

「わ…た、し、どうして……?」 

 

 アレンの涙に濡れた手のひらで自分の顔を撫でる。

 少しウェーブのかかった紫色の髪、最近大きくなってきて困っていた胸。 

 全てが元に戻っていた。 

 変わらないのは紫色の瞳だけだろうか。 

 

「良かった、本当に良かった。呪いが解けたんだね」 

 

 アレンが戸惑う私を強く抱きしめる。 

 その全身を覆う温かな感触が、これが夢でない事を教えてくれている。 

 抱きしめられながら、彼の背中に回した自分の手を見る。 

 綺麗に切りそろえられた爪、太陽の光に当たった事が無いかのような白い肌。 

 手首からずっと肩の方まで肌が剥き出しになっていて、犬であった頃の面影は一つも無い。 

 

「……はぅあ!?」 

 

「えっ? 何、どうしたの?」 

 

「ちょっ、ちょっと待ってください! 何で私、裸なんですか!?」 

 

 剥き出しの肌がアレンの服と擦れて痛い。 

 

「ごごご、ごめん! 今すぐ離れるから!」 

 

「あっ! 待って、離れないで!」 

 

 婚約者とは言え、アレンに裸を見られるのは恥ずかしい。 

 そんな想いが頭を過ぎる。 

 戸惑いながら抱き合う私達を月の光が照らしている。 

 その時、前触れもなく扉が開いた。 

 

「おいアレン、一緒に夜の街に繰り出そうぜ。お前がいるとナンパの成功率が上がるん……だ…よ?」 

 

 しばしの静寂。 

 どこか不思議な時間が私達3人の間に流れる。 

 そのうち月が雲間に隠れたのだろう、部屋の中に暗闇が満ちる。 

 

「ゴメン、お邪魔だったみたいだね」 

 

 扉が閉まる。 

 

「ちょっと待って!」 

 

 アレンが身を乗り出し、バランスが崩れる。 

 

『むぎゅ』 

 

「あっ、ごめんセリア……って、何でまた犬に戻ってんのーー?!」 

 

 消え行く意識の中、アレンの魂の叫びが聞こえたような気がした。 

 

 

「うー、頭イタイ」 

 

「完全に二日酔いじゃな」 

 

「だから、酒飲むなっつっただろうが。お前、メチャクチャ酒に弱いんだから」 

 

 頭を抱えて歩くフィーを挟むようにして、勇者様と守護者様がたしなめている。 

 

『はあ……』 

 

 どうして、目覚めると犬に戻っていたんだろう? 

 ひょっとすると、昨日の出来事は夢だったのかもしれないとも思えてくる。 

 

「セリア、絶対に僕が君を元の姿に戻してみせるよ」 

 

 アレンが元気を取り戻した事が唯一の収穫だろうか。 

 

 ちなみにマリナ様は早朝、まだ勇者様達が寝ている間に旅立った。 

 「もう用事は済みましたから」と言い残して。 

 結局、彼女が何をしに来たのかわからず終いだったのが口惜しい。 

 

「アレン、昨日の事は黙っておいた方がいいよな」 

 

 コナン王子がアレンにこっそりと耳打ちをする。 

 といっても、頭の上にいる私には筒抜けですが。 

 

「あ、ああ、頼む」 

 

 昨日の原因がわからない以上、皆に話すのは止めようと2人で決めた所。 

 正直、この申し出はありがたい。 

 

「いやしかし、知らなかったよ。まさか女に首輪を付けさせる趣味があったとは。いや誰にも言わないから安心していいよ、親友」 

 

「ちょっと待て!」『それは誤解です!』 

 

 妙に馴れ馴れしくなったコナン王子に、私達は抗議の声を上げるのだった。

 



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第十二話:伝説の片影

 次々と舞い降りてくるドラキーがアレンの振り回す鎖に打たれて地面に落ちる。 

 

「キキーッ!」 

 

 また一匹、甲高い叫び声を挙げながら青年に襲いかかる。 

 けれどもその鋭い爪も牙も届くことはなく、くぐもった打撃音とともに地面へと落ちる。 

 

『あのー……勇者様?』 

 

 何匹かのドラキーはさすがにアレンの攻撃範囲を見切ったようで、迂回しつつ私達の方へと向かってきた。 

 

「よっと」 

 

 軽い口調で槍を突き上げるコナン王子。 

 その軽さとは裏腹に、正確な槍さばきで確実に空中の魔物を捉えていく。 

 

『えっと……』 

 

 二人に恐れをなしたかのように高空に群れをなす魔物達。 

 それを見計らったようにフィーが両手に集った魔力を解放する。 

 

「バギ!」 

 

 群れの中心に起こったつむじ風は魔物達を巻き込み、次々と跳ね飛ばす。 

 風が収まった頃にはあれほどいた魔物達は全て地面に屍を晒していた。 

 

『その、何をされてるんですか?』 

 

 見上げる先には大きな鍋をかき回す勇者様の姿。 

 鍋の下には当然のことのように炎の剣が敷いてあるのは言うまでも無いだろう。 

 じっと見つめている私に気付いたのか、こちらに声を掛けてくる。 

 

「ちょっと待ってろよ。もうすぐ出来るから」 

 

 いえ、そういうことではなく。 

 助けを求めるように、傍らの守護者様を見上げる。 

 

「わらわはまだ完全に魔力が戻っておらぬ。あの程度ならあやつらに任せておけばよい」 

 

 それは私にもわかりますけど。 

 私の視線の方向に気付いた守護者様が勇者様の方をちらりと見遣る。 

 

「まあ、あるじじゃからの。戦闘中に死んでないだけマシと思えばそれほどのこともなかろう」 

 

 ……この人、本当に世界を救った勇者なんでしょうか? 

 戦いを終えた仲間達を出迎えながら、私はそんなことを考えていたのであった。 

 

「さて、さっきの戦いについてだが」 

 

 全員で鍋を囲み、器が行き渡ったところで勇者様が話し始める。 

 器の中には不思議な色合いのシチューらしき物。 

 守護者様がスプーンに掬ってくれた肉片を口に含む。 

 少し歯応えはあるがなかなかに美味しい。 

 

「美味いか?」 

 

『はい』 

 

「そうか。美味いのか……」 

 

 何故か哀しそうな眼で私を見る守護者様。 

 ひょっとして、食べちゃいけない物だったり……? 

 

『あの、何か問題でも?』 

 

「いや、毒は入っておらん。安心して食べるがよい」 

 

 そんな言われ方したら余計に食べられないじゃないですか。 

 仕方ないので食事を諦め、皆の様子を見やる。 

 私達の遣り取りには気付かなかったらしく、皆一様に謎のシチューに手を付けているようだ。 

 

「誰が戦闘の指揮をとってるんだ?」 

 

 勇者様の言葉にコナン王子とフィーの視線がアレンに向かう。 

  

「一応、僕が」 

 

 アレンが小さく手を挙げる。 

 フィーが指図したところでコナン王子が聞くはずが無いだろうし、その逆もしかり。 

 アレンが全体の指揮を執るのは当然の帰結だと思う。 

 

「そこで、僕がこの先も指揮をするにあたって皆の能力を把握しておきたいんです」 

 

 そう言って、全員の顔を見回す。 

 

「あっじゃあ、私から!」 

 

 フィーが真っ先に声を上げる。 

 

「アレンは知ってると思うけど、私が得意なのは回復呪文。攻撃呪文もイオラくらいまでなら何とか」 

 

 イオラまで使えるんですか。 

 幼馴染の思いがけない成長に、何の役にも立てない自分が情け無くなる。 

 

「長所は、死にさえしなければどんなケガでも治せること、かな? 短所は何だろ?」 

 

 首を傾げるフィー。 

 

「彼氏が出来ない事だろ」 

 

「胸が無い事」 

 

 軽い打撃音がふたつ。 

 

「イタッ」

 

 彼女の父親である勇者様とその玄孫であるコナン王子が叩かれた後頭部を両手で押さえる。 

 背後には杖を掲げた守護者様の姿が。 

  

「まったくおぬしらは……。フィーの欠点は単体攻撃呪文が使えない事であろう?」 

 

 フィーの母親である守護者様が呆れた様子を見せながら言う。 

 

『どんな攻撃呪文が使えるんですか?』 

 

 私の問いに答える守護者様。 

 

「わらわの知るかぎりでは、バギ系統とイオ系統じゃな」 

 

 風を刃に変える呪文と魔法力を練り込んだ光球を爆発させる呪文。 

 どちらも敵の一団を相手にする事には長けているが、個体を相手にするにはどうにも効率が悪い。 

 

「乱戦になっちゃうとどうしてもね。使い所を間違えると味方も巻き込んじゃうし」 

 

 そういえば、以前ドラキーから助けてもらった時にイオに巻き込まれたことを思い出した。 

 直撃を受けないまでも、爆風だけで身体が浮き上がるほどの衝撃。 

 ……今の私が子犬の姿をしているせいかもしれませんけれど。 

 

「でも、回復呪文なら自信があるよ。なんてったっておじさま直伝だし」 

 

『おじさま?』 

 

「リバストのことじゃ。ローラの日記にも書いてあったじゃろ?」 

 

 竜王リバスト。 

 百年前の戦いで勇者様と共に魔王を倒した仲間の一人。 

 上位の攻撃呪文や支援呪文を使いこなし、幾度と無く危機を救ったと描かれていた。 

 実際には魔王との戦いにのみ参戦だったそうだが、優れた魔法の使い手であることは間違いないらしい。 

 

「コナンは?」 

 

「回復呪文と支援呪文を少々。槍ならそこそこ使えるかな」 

 

 コナン王子も若干15才という年齢でありながら、先程の戦闘で見せた槍捌きは堂に入ったものだった。 

 素人目で見てもそれなりの場数を踏んできたのだろうと思わせるほど。 

 

「攻撃呪文も多少なりと使えるであろう?」  

 

「まあ、それなりに。さすがに魔法使いを相手にして自慢できるほどじゃないけどね」 

 

「そういうのってさ、器用貧乏っていうんだよね?」 

 

 フィーの言葉に一瞬顔をしかめるも、すぐに言い返す。 

 

「乱戦で役に立たない魔法使いよりはマシだよ」 

 

 二人の言葉の端々にトゲが見え隠れする。 

 

「……本当に仲良いよね、2人とも」 

 

 呆れるようなアレンの言葉。 

 何かといがみ合う2人の姿はもはや日常茶飯事だ。 

 

「コナンの長所はどんな局面にもそれなりに対処できる事。短所は突出するものが無い事、と」 

 

 勇者様がそう言いながら地面に剣の鞘で書き記す。 

 見れば、フィーの長所短所も隣に書いてある。 

 さすがに『短所:彼氏が出来ない』とは書いていないが、『備考:早く孫の顔が見たい』と小さく書かれていたりする。 

 

「ひ孫の顔ならここにあるでしょうが!」 

 

 アレンの首根っこを掴んで自分の父親に押し付けるフィー。 

 私もコナン王子も勇者様の子孫なのだから、今さら孫の顔も何もない。 

 

「いた、痛いって、姉さん」 

 

 アレンの抗議も聞く耳持たず、なおも押し付ける娘に父親はひ孫の額を押さえて抵抗しながら遠くを見るように語り掛ける。  

 

「やっぱりさ、息子の孫と娘の孫じゃ感慨が違うって言うかさ。息子の嫁だとなんとなく遠慮しちゃうけど、娘の婿なら好き勝手言えるじゃないか」 

 

 私にはよくわからないけれど、勇者様の中では両者に明確な違いがあるらしい。 

 見ると、隣に座る守護者様も肯定するように何度も頷いている。 

 

「そのうち結婚できると思ってたらいつまにか300才過ぎてましたなんて笑い話にもならないからな」 

 

「ほほう? それはわらわの事か、あるじ?」 

 

 守護者様の手が勇者様の首に掛かる。 

 

「いやいや、一般論だよ。一般論」 

 

 言い繕うようにそんな言葉を口にする勇者様。 

 見た目には20才くらいの青年である勇者様と10代前半の少女にしか見えない守護者様。 

 この二人が夫婦になって早100年。 

 世界最長の夫婦である事は間違いない。 

 普通の人間が100年以上生きることなどまず無いだからだ。 

 ましてや守護者様に至っては既に400才を超えている。 

 この二人が出会ったのはまさに運命であったのだろう。 

 

「一般的に考えて、300才は超えないよな、さすがに」 

 

「私も300才超えてるような人って、お母さんしか知らないし」 

 

 コナン王子とフィーの言葉を受けて、守護者様の腕に力が入る。 

 

「ちょっお前ら、誰の味方だ?」 

 

 勇者様の問いかけに声を揃える2人。 

 

「「真実の味方です」」 

 

『こういう時は本当に仲良いんですよね、おふたりとも』 

 

 喧嘩するほど仲が良いとは聞きますけど、もっともそれがこの2人に当てはまるとも思えませんが。 

 

「ちょっと。私と同じ事言うの止めてよね」 

 

「それはボクのセリフだよ」 

 

 案の定、また些細な諍いを始める始末。 

 

「ぶっちゃけ、似たもの同士なんだよね」 

 

 アレンのセリフが全てを語っている気がする。 

 仲良く喧嘩する男女2ペアを眺めながら、本当にこの人達の力で世界を救えるんだろうかと今さらながらに心配になってきたのは言うまでもない。 

  

 

「それで? おぬしらは結局ムーンブルクに辿り着けなんだのか?」 

 

「うん。もうちょっと先、森に入ってすぐくらいかな? マンドリルの群れに当たったらしくて……」 

 

 私と別れた後、勇者様とフィーはムーンブルグを目指して何日も迷い続けたらしい。 

 もちろん道に不案内な事もあるけれど、一番の理由はマンドリルという魔物の群れ。 

 常に群れで活動し、とても素早く、1対1でも並みの戦士では歯が立たないほどの戦闘能力を持っていると言われるほど。 

 

「1匹や2匹なら何とか相手できないこともないけど、俺とフィーじゃいざという時の決定力が足りないんだよ。せめて一か所にまとまってくれれば遣り様もあるんだけどさ」 

 

 マンドリル1頭を倒す間に次がやって来る。 

 1頭ならまだしも2頭3頭と援軍が来ればとてもじゃないけど持ち堪えられない。 

 それが勇者様とフィーの組み合わせでの弱点。 

 死んでも生き返るとはいえ、一度死を迎えればしばらくの戦線離脱を余儀なくされる勇者様。 

 そして、強力な呪文を有しているとは言い難いうえに乱戦状態では味方すら巻き込みかねないフィー。 

 集団戦闘における相性が悪いことこの上ない。 

 

「同時に2体くらいなら僕一人でも何とか持ち堪えるくらいは出来ますよ」 

 

「ボクはさすがに1対1でなきゃムリだね。一度の回復を超えるダメージを一気に受けるのはどう考えてもまずい」 

 

 アレンとコナン王子の2人で3頭。 

 ここに守護者様の呪文が加われば群れの中を突破することも夢ではない。 

 

「わらわは頭数に入らんぞ。魔力さえ十分に回復しておれば森ごと焼き払うなど造作も無いが」 

 

 そう言う守護者様はどこか誇らしげだ。 

 

『出来たとしても止めてください。この森はムーンブルグに住む人々の財産でもあるんですから』 

 

「ふん、冗談に決まっておろう」 

 

 本気だった。 

 絶対、本気だった。 

 皆の目が無言で語っている。 

 

「そ、そんな事はどうでもよい。今はここを抜ける方法を考えるのが先じゃろう?」 

 

 守護者様が茂みの向こうを指差す。 

 マンドリルの姿はまだ見えないが、この向こうは遮蔽物がほとんどない場所なので出会うことなく抜けるのは難しいだろうとフィーが言う。  

 

「あのさ」 

 

 ずっと思索に耽っていた勇者様が皆が押し黙る中で言葉を発した。 

 前に守護者様が教えてくれた話によると、こんなどうしようもない場面ではいつも勇者様が何らかの活路を示してくれたらしい。 

 この場に居る全員が勇者様の言葉に期待しているのがわかる。 

 もちろん、私も。 

 伝説の勇者様の伝説たる所以をここで垣間見る事ができるかと思うと胸が高鳴ってくる。 

 

「ずっと考えてたんだけど、マンドリルって何か響きがエロくね?」 

 

 その瞬間、勇者様が何を言ったのか理解できなかった。 

 マンドリル? エロ? 

 私が理解するよりも守護者様が動く方が早かった。 

 

「こんの、変態勇者がーーー!」 

 

 渾身の力を込めた一撃が勇者様を襲う。 

 会心の一撃とはまさにこういうものを言うのだろう。 

 殴り飛ばされた勇者様が茂みの向こうに消えて行く。 

 途端に辺りに響き渡るマンドリルの咆哮と勇者様の悲鳴。 

 

「ちょ、まっ、ヤバイってマジで! 死ぬ死ぬ!」 

 

 勇者様の声が魔物達から逃れるように遠ざかっていく。 

 それに伴って魔物の群れが移動していくのが見て取れた。 

 

「ほれ、あるじの尊い犠牲を無駄にするでない」 

 

 魔物達の気配が無くなったのを確認すると、守護者様は私達を急き立てる。 

 

『あの、さっきの勇者様の言葉の意味は?』 

 

「世の中にはね、知らない方がいい事だってあるんだよ。もうホントに恥ずかしいお父さんでごめんね」 

 

 尖った耳の先まで真っ赤にしたフィーが申し訳無さそうに呟く。 

 でもそれを言ったら、私にとっても曾祖父に当たるわけで。 

 

「後世に伝える時は、勇者は自らを囮にすることで魔物達の目を逸らし仲間達の活路を開いたのでした、とでも書いておけば良い」 

 

 もしかして、ローラの日記ってそういう記述ばかりなんですか? 

 私達はある意味、伝説が作られる瞬間を垣間見たのかもしれなかった。



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第十三話:受け継がれし者達

 鬱蒼とした森を抜けた私達の前に懐かしいムーンブルクの城が姿を現した。 

 

『やっと、帰って来た……』 

 

 あの夜の突然の襲撃から10日あまり。 

 たった一人で逃げ出した事を悔やまない日は無かった。 

 城内にいた人々は私のように動物の姿にされて連れ去られてしまったという。 

 お父様やお母様もどうやらその中にいるらしい。 

 一体どんな目に遭っていることだろう。 

 心配で胸がつぶれそうになる。 

 

「セリア、大丈夫?」 

 

 その場に立ち止まっていた私をアレンが抱き上げてくれる。 

 婚約者のその温もりが今はただ頼もしかった。 

 

 

 

「そこの一行、止まれ!」 

 

「お前ら、何者だ!」 

 

 城門にいたのは槍や剣で武装した兵士達。 

 おそらくは襲撃当時に郊外に配置されていた兵士達だと思われる。 

 

「ローレシアより救援に来た、勇者アレクだ。中に通してくれ」 

 

 いつの間にか戻って来ていた勇者様が進み出て名乗りを上げる。 

 

「お前が勇者? 嘘を付け!」 

 

 しかし、一蹴される。 

 

「いや、本当に勇者なんだって」 

 

「勇者ならもっとそれらしい格好をしているはずだ」 

 

 勇者様は兵士に食い下がるもまったく相手にされていない。 

 ある意味、さすがとも言える。 

 

「あそこまで知られてないってのは色んな意味でスゴイよね」 

 

「外見からはそんなに凄い人には見えないからね」 

 

 フィーとアレンが見たまま感想を述べる。 

 

「師匠はああ見えても100年前に魔王を倒した勇者なんだ。人を外見で判断する内はまだまだだね」 

 

 ああ見えても、なんて言っている時点で外見重視ではないでしょうか、コナン王子。 

 

「確かにあやつはどうしようもないほどヘタレじゃが、魔王を倒した時の事は忘れはせん。あれほど凄まじい魔法を見たのは後にも先にもあれ一回きりではあるがの」 

 

 実際にその場にいた守護者様が言うからには伝説は真実なのだろう。 

 けれども、ここしばらく一緒に旅をしていたにも関らず、そんな片鱗などまったく感じることは無かった。 

 

「だーーかーーらーー、本物の勇者だっつってんだろうが!」 

 

「だから、本物ならばその証拠を示せと言っている!」 

 

 いまだ言い争いを続けている勇者様と兵士達。 

 焦れて来たのか、双方ともに武器に手が掛かっている。 

 

「いいかげんにせぬか、おぬしらは」 

 

 そんな様子を見かねた守護者様が仲裁に向かう。 

 

「いや、だって……」 

 

 何か言い訳めいた事を口にしようとした勇者様を手に持った杖で小突きながら言う。 

 

「喧嘩腰で相対しておるかぎり、解決なぞ出来るわけがなかろうが」 

 

 守護者様の言葉に大人しくなる勇者様。 

 兵士達はそれを見て、何かを相談しているようだ。 

 揉め事は収まったと判断して近付く私達にその声が届く。 

 

「勇者って確か、銀髪の幼女を連れ歩いてるって話だったよな?」 

 

「ああ。何でも稀代のロリコンで常に自分好みの幼女を侍らせているとか」 

 

「そういえば守護者様というのは見た目は幼女、性格も幼女、実年齢と話し言葉だけがババアだと聞いた覚えがあるぞ」 

 

「じゃあ、本当に本物の勇者様?」 

 

 兵士達の目が一斉に守護者様に向かう。 

 こちらからは守護者様の背中しか見えないので、彼女がどんな表情をしているのかは推測しか出来ない。 

 ただ、間違いなく言える事がある。 

 

『逃げた方がいいんじゃないでしょうか?』 

 

「賛成」 

 

 私達は脱兎のごとく、その場を逃げ去った。 

 この後の惨劇は語るまでも無いだろう。 

 

 

「そ、それでは責任者を寄越しますのでしばらく王女様の部屋でお待ち下さいませ」  

  

 ボロボロになった身体を引きずるようにして、私達を何故かムーンブルク城の私の部屋に案内してくれた兵士の姿がドアの向こうに消えて行く。 

 

「へえ、ここがセリアの部屋か」 

 

 辺りを見回すアレン。 

 こんな形で私室に招き入れることになるとは全く予想だにしていなかった。 

 出来ればもう少し落ち着いた状態で招き入れたかったが今さら悔やんでも仕方が無い。 

 

『あんまり見回さないでください、恥ずかしいですから』 

 

 言葉が通じるわけではないが、なんとなく意味は通じたらしく腕の中の私を見下ろしてくる。 

 

「ごめん、セリア。姉さん以外の女の子の部屋ってのは見た事がなくて」 

 

 フィーとは姉弟のような関係だとわかっていても、どこか悔しい。 

 アレンといつも一緒にいた彼女に嫉妬しているのだろうか? 

 自分のことなのによくわからない。 

  

「なるほど。シアちゃんとセットでないと勇者と認識されないのはそういう理由だったのか」 

 

「うるさい! そもそもおぬしがしっかりしておらんからそのような噂だけが一人歩きするのじゃ! 恥を知れ!」 

 

 守護者様はいまだに怒りが収まらないようだ。 

 普段からあれほど子供扱いや年寄り扱いされる事を毛嫌いしている姿を見れば無理も無いと思う。 

 

「そんな怒ることないだろ? 俺がシアちゃんをどれだけ愛しているかっていうのが世間に知られている証拠じゃないか」 

 

「だからそういう事を軽々しく口にするなと言うておる。……まあそういう見方をすれば悪い気はせぬが」 

 

 私もあんな風に大好きな人と語り合える日が来るんだろうか。 

 勇者様と守護者様の何気ないやり取りがとてもうらやましく感じられる。 

  

 

「うわ、何コレすごい!」 

 

「うーん。90のFってところかな?」 

 

 部屋の隅の方で何やらゴソゴソとしていたフィーとコナン王子が声をあげる。 

 見ると、タンスから取り出した白い布を自分の胸に当てている、って?! 

 

『ひ、人の下着で何やってるんですか!』 

 

 アレンの腕の中から飛び出した私の頭を片手で掴み上げるフィー。 

 

「こんな身近な所に裏切り者がいるなんて知らなかったな」 

 

『フィー? その、すごく痛いんですけど』 

 

 抑揚の無い声にどこか恐怖を覚える。 

 

「あ、ひょっとして私の分をセリアが子供の頃に吸収したとか」 

 

『あの、何の話でしょうか?』 

 

 何が言いたいのかはわかっている。 

 ただ、口にしたその時が私の最期ではないかという予感がしてならない。 

 

「『どっちが背中?』とか『寄せて上げる下着などどうでしょうか?』とかさ。女の価値は胸じゃないって皆言うけど、やっぱり胸がある方が男の子はイイんだよね」 

 

 ぶつぶつと呟くフィーの言葉にコナン王子がうんうんとうなずく。 

 

「B以下は女じゃないね」 

 

 その言葉を受けて、フィーの指に力がこもる。 

 

「世界から巨乳が一人消えるとその分だけ平均値が下がるの。だから人助けだと思って、ね?」 

 

 ね? じゃありません! 

 断固抗議します! 

 

「姉さん……セリアは確かに胸がその、ちょっと大きかったしすごく柔らかかったけど、僕はセリアが好きなんだ。決して胸がどうとか、そう言う理由で好きになったんじゃない」  

 

 嬉しいんですけど、何か恥ずかしいというか。 

 大きいとか柔らかいとかそういう所に触れなくてもいいじゃないですか。 

 

「ふーん、セリアの胸って柔らかいんだ。で、それってどこで確かめたの?」 

 

「あっ」 

 

 アレンが自分の口を左の手の平で押さえるように塞ぐ。 

 けれど、一度出た言葉がそれで覆るはずも無い。 

 

「90のF……そういえば、この前……首輪の……」 

 

 コナン王子は目を瞑って記憶を辿っている様子。 

 私が人間の姿に戻った時、部屋に入って来た彼に見られているのだ。 

  

「何? アンタも何か知ってんの?」 

 

「あっ。イヤ……ボクは何も知らないよ」 

 

 記憶を思い出すと同時にアレンとした約束も思い出したらしい。 

 何かに気付いたような素振りを見せながらも、フィーの問い掛けには否定の姿勢を崩さない。 

 

「そう、わかった。私だけ仲間外れにするんだ。セリアは一番の友達だと思ってたし、アレンも大切な弟だと思ってたんだけどなあ」 

 

 一番の友達であるところの私はたった今そのあなたに殺されそうになってるんですけど。 

 そんな私の胸中に気付かないまま、フィーは頬を膨らませ、口を尖らせる。 

 子供が拗ねる様な仕草をする彼女にアレンが折れた。 

 

「ごめん。僕達が悪かったよ、姉さん。でも、その話はアリシア様達にも聞いてもらった方がいいと思うんだ」 

 

 フィーは申し訳無さそうに言うアレンをじっと見つめると踵を帰す。 

 

「……わかった。じゃあ、お母さん達呼んで来るから」 

 

 そう言い残すと守護者様達の方へと歩いていった。 

 ……私の頭を片手でつかんだままで。 

 一番の友達というならいいかげんに離して下さい。本当に心の底からお願いします。 

 

 

 

「ごめんセリア。忘れてた」 

 

 アレンに抱かれた私と目線を合わせながら両手で拝むように謝罪するフィー。 

 

『いいですよ、別に。私はフィーの一番の友人ですから』 

 

 私は視線を斜め上に逸らしながら口を尖らせる。 

 

「うう……セリアが冷たい」 

 

 目を潤ませるフィーをアレンが静かに窘める。 

 

「姉さんは何でも暴力に訴えすぎだよ。セリアは今、子犬の姿なんだから気を付けてくれないと」 

 

『そうです。反省してください。それと勝手に人の部屋のタンスを漁らないように。それが誰の仕業であろうと犯罪は犯罪です』 

 

 そもそものきっかけはフィーが私の下着を漁ったこと。 

 あまり可愛い下着でも無かったし、何よりアレンにそれを見られてしまったことが恥ずかしい。 

 

「それで、話があるのではなかったか?」 

 

 いつまでも私達の会話が終わらないことに苛立ったのか、守護者様が先を促す。 

 とりあえずフィーを下がらせて、床に車座に座った皆の前でアレンが一人立ち上がる。 

 

「えーと。何から話せばいいか」 

 

『結論を先に言いますと、先日の夜に短い間だけですけれど人間の姿に戻りました』 

 

「えっ?!」 「なんじゃと?!」 

 

 口ごもるアレンはさておいて率直に言うと、私の言葉が通じるフィーと守護者様が驚きの声を上げる。 

 

「何故に今までそのような大切な事を言わなんだ?」 

 

「えっ? あっ、セリアが話したんですね。その、どうして人間の姿に戻れたのか理由がわからなかったからです」 

 

「ん? セリアが人間の姿に戻ったのか?」 

 

「人間の姿? 何の話?」 

 

 話から置いていかれた勇者様とコナン王子が疑問の声を上げる。 

 

「あー、あのね。セリアが少しの間だけ人間の姿に戻ったんだって」 

 

 フィーが2人に先程の私の言葉を伝える。 

 

「へえ、そりゃ俺も見たかったな」 

 

 これは勇者様の言葉。 

 

「あのさ、人間の姿って何? 何の話?」 

 

 そして、こちらがコナン王子。 

 そういえば、彼に私の正体について話した覚えが無い。 

 てっきり誰かが話しているものと思っていたが、誰も話していなかったらしい。 

 

「えっ? あの犬がセリア姫本人? あーそうなのか。てっきり飼い犬に婚約者の名前を付けて悦に入っている痛い奴なのかと……あ、いや、何でもない。でもこれで色々と納得したよ、うん」 

 

 私達が知らない間に何か色々と勝手に勘違いしていたらしい。 

 アレンのためにも私のためにも、ここで話した事は間違った選択では無かったようだ。 

 

「何ぞ心当たりは無いのか? その呪いを解く手掛かりになるやもしれん」 

 

「そうだよ。いつもはしなかったような事をしたとか、無いの?」 

 

 アレンと顔を見合わせて、あの夜の事を思い出す。 

 

「月明かりの下だったよね?」 

 

 アレンの言葉にうなずく。 

 

「ほう。古来より月は魔力を秘めているという。何か作用したのかも知らんな。他には?」 

 

 や、やっぱり言わなきゃいけないんでしょうか? 

 ふとアレンを見やると、顔を真っ赤にさせて言いよどんでいる。 

 

『えっと、その、キ、キ、キキ、キスを……しました』 

 

「ふむ。まあ王子様とのキスで魔法が解けるのは物語の定番じゃな」 

 

「えーーー?! わ、私だってまだしたことないのに。ひどい……」 

 

 あっさりと事実として受け止める守護者様。 

 それとは対照的に悲しみに暮れるその娘。 

 ひどいって言われても。 

 

「では、やってみよ」 

 

「はい?」 

 

 あっさりと口にする守護者様。 

 

「い、今ここでですか?」 

 

「当然じゃ。キスごときで呪いが解けるならば良いではないか。物事はまず実行せねば始まらぬ」 

 

 言われてみればその通りではある。 

 

『アレン』 

 

 私は目を瞑り、アレンを見上げる。 

 

「セ、セリア」 

 

 躊躇するアレン。 

 

「ほれ。女に恥をかかすものではない。早うせぬか」 

 

「うう……」 

 

 急かす守護者様と唸り声を上げるフィー。 

 

「キスシーンじゃないよな、これ」 

 

「どう見ても飼い主と飼い犬のスキンシップの一環ですよね」 

 

 そこ、うるさいです。 

 例え姿は犬と人間であっても、こういうことは当人の気持ちしだいなんですから。 

 

「わ、わかりました、これでセリアが元に戻るなら。それじゃあ、行きます」 

 

 アレンが意を決して唇を軽く触れ合わせる。 

 生涯2度目のキス。 

 それも皆の目の前で。 

  

「何も起こらんのう」 

 

「うう……」 

 

 結局、アレンの決意とは裏腹に元の姿に戻る事はありませんでした。 

 

 

「やっぱり、月の光が重要なんじゃないか?」 

 

「うう……先を越されるなんて」 

 

「ふむ。当時の状況を再現すべきか?」 

 

 打ちひしがれる約一名を除いて、議論が進んでいく。 

 やがて意見が出尽くしたのか、皆が押し黙ってしまう。 

 その中にあって、コナン王子が人差し指を立てて軽やかな声を上げる 

 

「月明かりの下でキス以上の事をすればいいんじゃ?」 

 

 キス以上って何ですか? 

 疑問に思う私をさておいて、勇者様が言葉を返す。 

 

「いや、お前、アレだぞ? 犬相手ってどんだけレベル高いんだよ」 

 

「アレンならやれそうな気が……」 

 

 いいかげん議論が紛糾し始めた頃、控えめなノックの音がした。 

 

「入ってよいぞ」 

 

 扉の向こうにいたのは私にとってはとても懐かしい姿。 

 

『おじいさま?』 

 

「おっ、久しぶりだなあ。まだ生きてたのか、お前」 

 

「久方ぶりにございます、父上、母上。一応、まだ生きてはおりますよ」 

 

 そこにいたのは初代のムーンブルク王、私にとっては父方の祖父であり、勇者様にとっては5番目の息子でもある。 

 初代といっても建国からまだ50年程しか経っておらず、父が2代め、私が3代目に当たる。 

 勇者様が建国したローレシアとは違い、その息子達が興した国はまだまだ歴史が浅いのだ。 

 

 

「そうですか、この子犬がセリアとは」 

 

 おじいさまは、昔そうしていたように、私をひざの上に乗せて背中を撫でる。 

 懐かしい感触と匂いに、幼い頃を思い出して胸が温かくなる。 

 

「昔から犬っぽい娘だとは思っておりましたが、まさか本当に犬になる日が来ようとは。いやはや、人生とは先が分からないものですな」 

 

 アレンにも以前に言われた事がありましたけど、まさかおじいさままで同じ事を言うとは思いませんでした。 

 ひょっとして、口に出さないだけで皆そう思ってるとか? 

 そんなに私って犬っぽいですか? 

 いえ、犬の姿で言っても説得力が無いのは知っていますけど。 

 自分自身の名誉にもかかわる問題に自問自答を繰り返す。 

 

「母上、ラーの鏡とやらはご存知ありませんか?」 

 

「ラーの鏡? おお、そういえばそういう物もあったの」 

 

 ラーの鏡。 

 守護者様の話によると、映した者の隠された真実の姿を明らかにするらしい。 

 これを使えば人間に化けた魔物の正体を暴く事も簡単なのだそうだ。 

 

「何でも昔、旅の商人が手に入れたらしいのですが、その途中で東の毒の沼地に落としてしまったらしく、その鏡もおそらくまだそこにあるのではないかと……」 

 

『じゃあ、さっそくそこに行ってみましょう!』 

 

 希望が見えてきた事に心がはやる。 

 

「善は急げと言うしの」 

 

 守護者様が立ち上がると同時にアレンとコナン王子も立ち上がる。 

 けれど、何故か勇者様とフィーは座り込んだまま動こうとしない。 

 どこか顔色も悪いようだが、体調でも崩したのだろうか? 

 

「あの、ひょっとして、ラーの鏡ってこれくらいの手鏡のこと?」 

 

 フィーの疑問に実物を見たことがあるらしい守護者様が答える。 

 

「そうじゃが?」 

 

「東の沼地ってひょっとして、ムーンブルクの森を抜けた先にある小さめの毒の沼地のこと?」 

 

 勇者様の疑問に実際に行ったことがあるらしいおじいさまが答える。 

 

「そうですよ?」 

  

 その答えを聞いた2人は顔を見合わせて、何かを誤魔化すように笑う。 

 

「あは、あはははは……」 

 

 手鏡と毒の沼地。 

 そういえば、何か心の中に引っかかるものがある。 

 

『あ。あああーーーーーーー!!』 

 

「な、何じゃ突然!」 

 

 毒の沼地の真ん中辺りで転んだ勇者様が拾い上げた手鏡。 

 勇者様の顔を映し出すと同時に粉々に割れてしまった手鏡。 

 まさか、あれがラーの鏡とは。 

 あれに自分の姿を映せば、元の姿に戻れたのかもしれなかったのだ。 

 

『ううう……』 

 

 勇者様とフィーの乾いた笑い声が響く中、私は無情な現実を目の当たりにして一人むせび泣く事しか出来なかった。

 



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第十四話:無意識の領域

「はい、セリア。あーん」 

 

 あーん。 

 アレンが差し出したスプーンを口に含むと、酸味が付けられた魚の旨味が広がっていく。 

 私の好きな白身魚の果実煮込みだ。 

 柑橘系の果物と一緒に煮込まれた白身魚はうっすらと黄色に染まり、酸味と甘みがさっぱりとした白身魚に芳醇な彩りと味わいを加えている。 

 メインディッシュとデザートを一緒に食しているかのようなこの料理は私の子供の頃からのお気に入りの一品だった。 

 実際には10日ほどしかムーンブルクを離れてはいないのだが、この味には懐かしさすら感じる。 

 

「次はこっちかな? はい、あーん」 

 

 さっぱりとした爽やかな酸味を味わった後には濃厚な肉の旨味。 

 こちらも相当に長い時間を掛けて煮込まれた物だろう。 

 肉の繊維が口の中でほどけて、凝縮されていた旨みが口の中に広がっていく。 

 

『幸せってこういうのを言うんでしょうね』 

 

 口の中の物を飲み下すとそんな言葉が口をつく。 

 

「ほんと美味しそうに食べるよね、セリアは」 

 

 銀色の髪をした少女が傍らで呟く。 

 

「実際に美味しいんだから、しょうがないよ姉さん」 

 

 青年は宥めるように言う。 

 

「確かに美味しいけどね。こんなにたくさんの料理を出されても困るっていうか」 

 

 10人くらいが会食できそうなテーブルの上に所狭しと並べられた料理の数々。 

 帰って来たその日の晩、私達を待っていたのはおじいさまが連れて来た料理人達によるもてなしだった。 

 

「行方不明だった王女様が戻って来たんだから、このくらいは仕方ないんじゃないかな?」 

 

 パンを小さくちぎりながら、コナン王子が口を挟む。 

 焼き立てでしか味わえないそのサクサクとした食感がちょっとした贅沢感を与えてくれるというのは言い過ぎだろうか。 

 

「そうだね。次はパンがいいかな、セリア?」 

 

 どの料理が欲しいのか、明確に伝えているわけでもないのに次々と食べたい物が差し出されてくる。 

 どうしてアレンには私が食べたい物がわかるのだろう。 

 やっぱり、私とアレンは深い愛情で心が繋がっているに違いない。 

 

「どうしてセリアが次に食べたいのが何かわかるの?」 

 

 フィーが私と同じ疑問を抱いたらしい。 

 けれど、私はもう2人の心の繋がりがなせる業だと結論付けている。 

 疑問を挟む余地はない。 

 

「そんなの簡単だよ。ほら、よく見てて」 

 

 アレンが料理の盛られた皿を順々に私の前に差し出しては引っ込めていく。 

 ふと、その中のサラダに少し心が惹かれた。 

 

「あ、わかった。次はサラダが食べたいんでしょ、セリア?」 

 

 えっ? あれ? どうして、フィーにも私が食べたい物がわかるんでしょうか?  

 

「あーなるほど。ボクにもわかった」 

 

 コナン王子にまで? 

 私にはさっぱり理由がわからない。 

 

『どうしてわかるんですか?』 

 

 素直に問う私に、フィーはいたずらっぽく笑いかけてくる。 

 

「やっぱり、それって無意識なんだ?」 

 

『はい?』 

 

「しっぽ」 

 

 しっぽ……? 

 人間の身体には付いてないが、犬の姿をしている私には当然付いている器官の一つである尻尾。 

 これがいったい何だと言うのだろうか? 

 

「食べたい物が目の前に来ると千切れそうなくらい思いっきり振ってるけど、気づいてないんだ? なんか意外」 

 

『えっウソ?!』 

 

 そんなの全然知らなかった。 

 ひょっとして、今までもそうだったんじゃ? 

 恥ずかしさに顔が熱くなる。 

 

『だってだって、尻尾なんて普通は付いてないじゃないですか!』 

 

「それは当然、付いてないだろうけど。セリアってば、ちっちゃい頃から犬歴長いじゃない。当然知ってるもんだとばっかり」 

 

『この姿になってからまだ10日です! ……そんなに犬っぽかったんですか、私?』 

 

 その言葉にフィーが頷く。 

 

「ずーっとアレンの後ろを付いて回ってたし、アレンが用事でいない時はすっごく寂しそうだったし、何よりアレンが帰って来た時なんて……」 

  

『もういいです。フィーがどんな目で私を見てたのかよくわかりました』 

 

「もう。拗ねないでよ、セリアってば」 

 

 口を尖らせた私の頬を指先でつんつんと突いてくる。 

 

「あーもう、可愛いなこのワンちゃんは」 

 

 ワンちゃんとか言わないでください。 

 

「姉さん、そんな事言っちゃダメだよ」 

 

 はしゃぐフィーにアレンが静かに釘をさす。 

 

「セリアだって好きでこの姿になってるわけじゃないんだよ。……ないんだよね?」 

 

 どうしてそこで私に確認を求めるんですか。 

 ……そういえば、どうして私は犬の姿なんでしょうか? 

 目撃者の話によると動物に変えられた人々は様々な姿をしていたらしいし。 

 

「姉さん、セリア黙っちゃったんだけどどうしよう?」 

 

「やっぱり、そういう趣味なんじゃないの?」 

 

 ひそひそと失礼な内緒話をする姉弟を視界の隅に置きつつ、私は一人考え込んでいた。 

 そこに勇者様と守護者様がやって来る。 

 

「さっきは悪かったなセリア。でもさすがにあんな手鏡で元に戻れるとは思わないだろ?」 

 

「仕方があるまい。あるじとて悪意があったわけではない。ただどうしようもなく運が悪いだけじゃ」 

 

 全然慰めにもなってません。 

 それに最近気付いた事があるんです。 

 どうも私は勇者様の運の悪さを特に色濃く受け継いだんじゃないかって。 

 

「大丈夫だよ。セリアは僕が絶対に元の姿に戻して見せるから」 

 

「その姿に変えた術者かアイテムを手に入れれば何とかなるよ。その姿のままだと世界的にも損失にしかならないからね。ボクもアレンに全面的に協力するよ」 

 

 その言葉は嬉しいのですが、アレンはまだしもコナン王子の言葉に妙に熱がこもっているのは何故でしょうか。 

 

「本当によく食べるよねセリアは。呪いが解けたら今度は豚さんになっちゃうよ?」 

 

『心配しなくても大丈夫です、私はいくら食べても胸以外太りませんから』 

 

 そう言った私のほっぺたを両側から彼女がつまむ。 

 

『むぎゅ』 

 

「わあ何か今すごい喧嘩を売られた気分」 

 

 何故か笑顔のフィーに守護者様がうんざりした口調で声を掛ける。 

 

「仕方あるまい。父親に似た自分を不幸に思え」 

 

 父親に似て胸がないってのはどうなんでしょう? 

 当然、娘はそれに反論する。 

 

「どう考えてもお母さんに似たんじゃない。……私よりちっちゃいくせに」 

 

「ふん、馬鹿な事を言う。身長との比率を考えればわらわの方が格段に上じゃ」 

 

「そんなの関係ないもん」 

 

 私に言わせるとどちらもさして変わらないような。 

 いえ、もちろん口には出しませんけれど。 

 

「ボクはどっちもどっちだと思うけど」 

 

 はっきりと口にするのはもちろんコナン王子。 

 怒気のこもった視線が集中しても顔色一つ変えないその姿はどこか頼もしい。 

 

「まあまあ。俺はシアちゃんは最高に美人だと思ってるし、フィーもいい線いってると思うぞ?」  

 

「お父さんに言われても正直嬉しくないって言うか……」 

 

 フィーも口では文句を言いながら満更でもない様子。 

 ともすればにやけそうになる頬を押さえる仕草は同じ女である私の目から見ても微笑ましい。 

 そして、勇者様の言葉を聞いた守護者様の頬もほんのりと赤く染まる。 

 

「ふん。他の男になぞ媚を売る必要はない。わらわにとってただ一人の男にのみその魅力が伝わっておればそれで良い」

 

 その言葉が守護者様の口から発せられた途端、その場が静まり返る。 

 

「ん? なんじゃ? 何ぞ妙な事でも言うたか?」 

 

 先程の言葉が意味するところに気付いていないらしく、きょとんとした表情で周りを見渡す守護者様。 

 

「……ねえ、今すごい事言ったよね?」 

 

 耳元で囁くアレンに頷き返す。 

 

「まさかシアちゃんが人前でこんな言葉を言う日が来ようとは……」 

 

 勇者様は一人感動に打ち震えている。 

 その言葉から察するにあまり愛の言葉を口にする方ではないらしい。

 

「あのねお母さん。今思いっきり『お父さん大好き』って宣言してたんだけど、気付いてる?」 

 

「む? ……んむっ?!」 

 

 娘からの指摘を受けて少し考え込んだ後、やっと気付いたのか声を上げる。 

 

「や、いや、そういう意味ではないぞ? その、一般的にな。その、好いた男にのみ伝わっていれば、あー好いた男というのも別に特定の人間を示しているわけでもなく……その、わかるであろ?」 

 

「うんうん、わかるよ。シアちゃんが俺のことが大好きってことは」 

 

 終始にこやかな顔で受け答える勇者様の姿に何を思ったのか、守護者様が突然両腕を振り上げる。 

 

「皆の者、すまぬ。わらわの名誉のために死んでくれ。イオナむぐっ」 

 

 突然のことに誰もが動けない中、彼女の行動を阻止したのはコナン王子。 

 手に持ったパンを呪文を紡ぐために大きく開いた守護者様の口の中に丸ごと捻じ込んでいる。 

 

「魔法使いの弱点。呪文を唱えられなきゃただの人」 

 

 さすがに守護者様くらいのレベルだとただの人とは言い難いと思うんですが。

 それでもその行為が皆の命を救ったのは間違いない。 

 

「ふむむぐ、むぐうぐっ!」 

 

 涙目になりながらコナン王子を指差して何かを言おうとする守護者様。 

 口に詰め込まれたパンが大きすぎて噛み切ることもましてや口から出すことも出来ないらしい。 

 

「どうせ唱えたって発動できないんだからここまでしなくてもいいだろ、コナン」 

 

 勇者様の言葉にふと思い当る。 

 そういえば魔力不足でこの姿を維持するので精一杯だと聞いたような。 

 

「申し訳ありません、師匠。咄嗟のことでそこまで思い至りませんでした」 

 

 勇者様に対しては素直に頭を下げる少年。 

 それでも守護者様に頭を下げないところを見ると、知っていてやったんじゃないかという疑念は消えない。 

 

「はいはい、シアちゃん。あっちに行って取ろうね」 

 

 子供に言い聞かせるようにして自分の妻の手を引く勇者様。 

 

「ほもへへほれほ!」 

 

 手を引かれつつ振り向きながら何かを叫ぶ少女にコナン王子が肩をすくめる。 

 

「へっ、やなこった」 

 

 果たしてその声が聞こえたのか否か、わからないまま彼らの姿がドアの向こうに消えた。 

 そうして再びこの場に静けさが訪れたのであった。 

 

 

「ねえ、さっきのお母さんの最後の言葉って何だったの?」 

 

「多分『覚えておれよ』じゃないかな?」 

 

「あーそれで……」 

 

 先程の騒動が無かったかのように黙々と食事を口に運んでいる少年はこちらの視線に気付いたのか顔を上げる。 

 

「それでさ。セリアを元の姿に戻そうにも何の手がかりも無いのが問題なんだよ」 

 

 一瞬、何を言ったのかが誰にも理解できなかった。 

 

「……そこまで戻るんだ」 

 

 アレンが小さく呟いたことで、彼が本当にさっきの騒動を無かったことにしていることに気付く。 

 

「あー……えーと、呪文で姿を変えられたならお母さんなら何とか出来る、のかなあ? 世界最高の魔法使いとか言われてるわりに当然のことを知らなかったりするし」 

 

 呪いを解く呪文は僧侶が使う物だと信じて疑わなかったようですし、まあ確かに言われてみればどうして魔法使いの呪文なんでしょう? 

 

「わたくしとしましては竜王さまにお聞きになるのが一番だと思いますわ」 

 

 声と同時におじいさまが金髪の少女を引き連れて入口から入って来る。 

  

「また出た」 

 

「まあ。随分な物言いですこと」 

 

 フィーのあんまりと言えばあんまりな言葉にマリナ様はころころと楽しげに笑う。 

 

「道案内ありがとうございました」 

 

 そう礼を言い、頭を下げる少女におじいさまは畏まったようにお辞儀をしてみせる。 

 

「可愛らしいお嬢さんに親切にするのは男として当然の行為ですよ、マリナ王女」 

 

「あら。女性の扱いはお得意ですか? さすがはムーンブルクの初代国王さま。そこいらの男性とは年季が違いますわね」 

 

 何だろう? 何かマリナ様の言葉に含みのような物を感じる。 

 天使のような笑顔はそのままに、どこか悪意を思い起こさせるような不思議な感じ。 

 おじいさまも何かに気付いたのか焦ったような表情を浮かべる。 

 

「あの、ひょっとしてご存じで?」 

 

「ええ。わたくしに知らない事はございませんわ」 

 

 2人の間ではそれで会話が成立したのだろう。 

 やがておじいさまがさっと踵を返す。 

 

「では、ごゆっくり。その件については後ほど……」 

 

「いいえ。わたくしからはお話しすることはありません。ただ、これを」 

 

 そそくさとこの場を去ろうとするおじいさまにそっと手紙を手渡すとドアを閉じる。 

 この場に残されたのは微笑みを浮かべたマリナさまのみ。 

 

「あの、さっきのって何?」 

 

 疑問の声をあげるフィーに言葉を返すマリナ様。 

 

「何でもありませんわ」 

 

「何でもないってことはないでしょ? お兄さん、すっごいうろたえてたじゃない」 

 

 お兄さん? そういえばおじいさまとフィーは兄妹の間柄。兄と呼んでもおかしくはない。 

 あれ? そうすると……? 

 

『大叔母様?』 

 

「言わないで。それは言わないで。何か悲しくなってくるから言わないで」 

 

 私の言葉がわからないアレンとコナン王子は焦る彼女の様子を見て首をかしげる。 

 

『だって……』 

 

「だっても何もないの。私はセリアと同い年の女の子。それでいいじゃない。はいそれで決まり!」 

 

 そんな私達のやりとりを見ていたマリナ様が笑う。 

 

「何か問題でも?」 

 

「なんでもない! ないったらないの!」 

 

 必死に言い募るフィーを諭すように少女が微笑みを返す。 

 

「そうですか。では、先程のお話しも『なんでもない』ということでよろしいですね?」 

 

「うっ。あーうー……よろしいです」 

 

 よくよく考えるとおじいさまとマリナ様のやりとりと私達のやりとりは無関係なのだが、同じような状況だと思い込んでしまったフィーはそのまま矛をおさめる。 

 いつまでも話が始まらない様子に焦れたのか、口火を切ったのはアレンだった。 

 

「竜王様のお城に行けば、手がかりがあるの?」 

 

「そうですね。確実とは言い切れませんが。彼ならばシャナクも使えるでしょうし、少なからず試す価値はありますわ」 

 

 少しだけ見えてきた希望の光に心がはやる。 

 

『じゃあ! すぐにでも行きましょう!』 

 

 私の言葉にフィーは冷静に答える。 

 

「どうやって?」 

 

 え? どうやってって、それは……? 

 

『勇者様のルーラとか?』 

 

「多分ムリ。多人数だと死人が出そう」 

 

 娘にここまで言われるのってどうなんでしょう? 

 でも、考えてみれば私も彼のバシルーラでローレシアまで飛ばされた際に死を覚悟した。 

 この選択肢は選ばない方が無難だとも思えてくる。 

 

「お母さんも今はムリだろうし」 

 

 彼女の今の状態では低位の攻撃呪文すら危ういほど。 

 とても大人数を目的地に飛ばせるようなことは出来ないだろう。 

 

「海を渡るしかないか」 

 

「それならルプガナに行こう。あそこは有数の港町だし船を調達するにはもってこいだよ」 

 

 アレンのどこか諦めたような言葉にコナン王子が答える。 

 

「お兄様のおっしゃる通りですわ。まずは船を探されるのが一番の近道です」 

 

 やっと旅の目的を見出した私達は明日への活力を蓄えるのだった。  

 

「海か……」 

 

 緊張した表情を見せるアレンの姿にどこか一抹の不安を感じさせながら。



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第十五話:歴史の裏側

「あら皆様、おはようございます」 

 

 朝食のテーブルについたマリナ様が優雅にお茶を嗜んでいる。 

 私達の姿に気付くとカップを置き、何故か指先でそっと縁を拭う。 

 

「あれ? 化粧してるんだね?」 

 

 アレンの言葉でその理由に気付く。 

 おそらく先程の動作はカップに付いた口紅を拭ったであろうことに。 

 

「ええ。乙女の嗜みですから」 

 

 輝くような金色の髪を真っ青なリボンで結い上げて、微笑む彼女の唇には鮮やかな紅。 

 まだ年端の行かない少女でありながらどこか艶かしい。 

 姿形だけを見れば年相応にも思えるが、実際に会ってみるとどこかちぐはぐな印象を受ける。  

 その言動や落ち着きぶりを見る限り、誰も彼女を若干13才の少女だとは認めないだろう。 

 

「化粧なんてごわごわして気持ち悪いでしょ。よくそんなのするよね?」 

 

 そんな言葉を口にしたのは私の幼なじみのフィー。同い年の18才。 

 肩で切り揃えた銀色の髪と真っ青な瞳、少し尖った耳と整った容貌とが相まってどこか神秘的な雰囲気すら感じさせる。 

 同じ女の目から見ても彼女の美貌は際立っているのだが本人にはあまり自覚がないらしい。 

 幼い頃には腰近くまであった長髪を切ったのは何故かと問う私に、返って来た言葉は実に単純な物だった。 

 「手入れするのがめんどくさい」 

 ここで化粧を否定するのもおそらくは同じ理由からだろう。 

 

「馬鹿だなあ。その気持ち悪さを我慢して着飾るのがイイオンナの秘訣なんだよ」 

 

 そう語るのはコナン王子。 

 当年持って15才。先述のマリナ王女の実の兄でもある。 

 妹とよく似た風貌と華奢な身体のせいで少女のような外見ではあるが、彼と直接会ってそのようなかよわい印象を持つことはまずない。 

 

「ちょっと、馬鹿って何よ」 

 

「飾り気も無ければ色気も無い、無い無い尽くしじゃ男にもてないのも当然だよな」 

 

 彼の大きな特徴はその毒舌。 

 心の奥底を抉るような容赦のない言動が彼自身を窮地に陥れることも多いのだが、反省することは無いらしい。 

 現に目の前でこの何日間で何度も見た光景が繰り広げられている。 

 

「まあまあ姉さん。ありのままの自分を受け入れてくれる男性を探せばいいんだよ」 

 

 擁護になってない擁護をしながら仲裁するのはアレン。 

 今年16才を迎えたばかりのローレシアの王子様。私の2才年下の婚約者でもある。 

 性格は温和で協調性や統率力も高く、パーティーの中心的存在というのは少しひいき目が過ぎるだろうか。 

 フィーの事を姉と呼んでいるが実際には姉弟では無く、幼なじみのような関係。 

 もっとも、厳密にいえば血はつながっているのだが、彼女がその本来の呼称を嫌がるので仕方がない。 

 

「わーん、セリア。皆がいじめるー」 

 

 子供のように、明らかな泣き真似をしながらテーブルに突っ伏すフィー。 

 私はその頭を肉球の付いた前足で慰めるようにポンポンと叩く。 

 そして顔を上げた彼女に一言告げる。 

 

『おおむね事実じゃないですか』 

 

「犬に言われると本当に悲しくなるんだけど……」 

 

 そう。今の私の姿はただの子犬。本当はこのムーンブルクの王女だけれど10日ほど前の何者かの襲撃の際にこの姿に変えられたまま、未だ元に戻る術は定かではない。 

 

『犬って言わないでください。私だって好きでこんな姿をしてるわけじゃないんですから』 

 

 アレンが私の頭をそっと撫でてくれる。……この感触はちょっと好きかも。 

 

「尻尾振りながらそんなこと言われてもねえ?」 

 

 フィーの指摘に顔が熱くなる。 

 

『し、仕方ないじゃないですか。アレンに撫でられると、そ、その、ちょっと気持ちいいんですから』 

 

「えっそうなの? んーー……ねえアレン。ちょっと頭を撫でてみて」 

 

 頭を差し出すフィーに少し慌てた様子を見せるアレン。 

 

「いや、突然そんな事言われても……。セリアが何か言ったの?」 

 

「いいから撫でる!」 

 

 急かすように声をあげると恐る恐る手を伸ばす。 

 その様はどう見ても危険物に触れようとしているようにしか見えない。 

 

「ふにゅう……コホン。うん、まあまあかな」 

 

 怖々とだが頭を撫でられてどこか陶酔するような表情で不思議な言葉を発する少女。 

 皆の前だということに気付いたのか咳払いをして姿勢を正す。 

 

「二人だけで会話してないでどういうことなのか説明してほしいんだけど」 

 

 私の今の姿は子犬。当然のことだが、普通の人間であるアレン達とは言葉が通じない。 

 でもフィーは違う。彼女には妖精の血が流れているらしく動物や魔物と会話できる。 

 そのおかげで私もこうしてそれほど辛い思いをしなくて済むのは本当にありがたいことだと思っている。 

 

「セリアがね、アレンに撫でられると気持ちいいって言うから」 

 

「そ、そうなんだ」 

 

『そんなこと言わないでください、恥ずかしい……』 

 

 一瞬だけ目を合わせ、顔を伏せる。 

 あまりの恥ずかしさにアレンの顔がまともに見れない。 

 

「本当に仲がおよろしいのですね」 

 

 笑いを含んだような声でマリナ様が言う。 

 

「そりゃ、その、セリアの事が大好きだから……」 

 

 アレンの言葉に頬が熱くなる。 

 子犬の姿で良かった。人間の姿をしていたらきっと真っ赤になっていただろうから。 

 

「尻尾すごいことになってるよ?」 

 

「よっぽど嬉しかったんだね、セリア」 

 

 コナン王子とフィーの声で背後を見やる。 

 

『きゃあっ! と、止まって……! えっと、これどうやって止めるんでしょうか?!』 

 

 本人の意思とは無関係に暴れ回る尻尾に手を焼きながら、今日という一日は始まったのでした。 

 

 

 

「そういえば、お父さんとお母さんは?」 

 

 朝食を終えてちょっと一息。 

 皆でお茶を囲む席でフィーが疑問を口にする。 

 彼女の両親は100年前に世界を救った勇者と魔法使い。私やアレンの曾祖父母に当たる方でもある。 

 

「ぐっすりとお休みでしたよ」 

 

 それに答えたのは何故かマリナ様。 

 またもやカップを口に付けておられますが、一体何杯目なんでしょうか? 

 

「何しに行ったんだよ?」 

 

「もちろん、寝ている間にいたずらをしにですわ」 

 

 いたずら? 誰かの口から疑問の声が上がる前に部屋の外から建物全体に響き渡るような声が聞こえる。 

 

「あるじ! 何じゃその頬に付いておる口紅は! さてはわらわが眠っておる隙にどこぞの女と逢い引きでもしておったのじゃろう!」 

 

「ちょっまっ、知らないってマジで!」 

 

 皆の目が無言でその場にいる少女へと集まる。 

 すると彼女は席を立ち、一通の手紙を取り出す。 

 

「それではわたくしはここでお暇させていただきます。この手紙は勇者さまにお渡しくださいませ」 

 

 そう言って机に置いた手紙の表に書かれた文字を読む。 

 「愛しの勇者さまへ」 

 これを守護者様に見せた時の反応が容易に想像できる。 

 

「ちょっと、これって……あれ?」 

 

 フィーがその宛名を見咎めて声を荒げたが、既に彼女の姿はここにはなく。 

 唯一の出入り口さえ開いた形跡もない。 

 

「まったく。あるじの女癖の悪さも困ったもんじゃ。あのような所は受け継がずともよいのに」 

 

 守護者様が何やらぶつぶつと呟きながらその唯一の出入り口であるドアを開ける。 

 その姿はまだ10代前半の少女だが実際の年齢は400才以上。初代の勇者様と共にこの世界を救った魔法使いなのだそうだ。 

 ここにいるフィーの母であり、直接的には血のつながりはないが私の曾祖母にあたる方でもある。

「アレン、おぬしはあのような女たらしにだけはなるでないぞ。よいな」 

 

 開口一番、何故かアレンに釘を刺す守護者様。 

  

『何故アレンだけなんですか? コナン王子もいるのに』 

 

 私の疑問を聞いて、コナン王子をキッと睨みつける。 

 

「たらしはそこのバカだけで十分じゃ。まったく、昨日アレを取るのにどれだけ苦労したと思っておる」 

 

「昨日? 何かあったっけ?」 

 

 そらとぼける、というか多分本当に忘れているだろうと思われる彼の姿に彼女は地団太を踏み、しかしやがて落ち付いたような表情を見せる。 

 

「ま、まあよい。わらわは大人の女じゃからな。過ぎた事には頓着せぬ」 

 

 そんな事をわざわざ口にする時点で気にしてるような気も……いえ、何でもありません。 

 睨んでいる目がこちらに一瞬向いたような気がして思考を途切らせる。 

 

「過ぎた事? お父さんの浮気は?」 

 

「それはまた別の話じゃ。最近は大人しくしておると思ったがまた浮気の虫が騒ぎだしたようじゃな。まったくあやつといいあるじといい勇者と呼ばれる人間は女癖が悪いのがいかん。……む? ひょっとするとこの度の勇者も女癖で選ばれるのか? いや、さすがにそんなはずがあるまい。それだとこのバカが勇者になってしまう」 

 

 勇者様の浮気の話が何か別の話にすり替わっているような? 

 ぶつぶつと呟くように思案していた守護者様だったが結論が出たのか突然明るい声をあげる。 

 

「よし。殺すか」 

 

「何の話か知らないけど、いきなり物騒なこと言わないでよ」 

 

 娘から抗議の声が上がる。 

 

「何を言っておる。勇者ならば死んでも生き返るのじゃぞ? そこのバカ王子が勇者ならばよし。勇者でなくとも世の中のためになる。一石二鳥ではないか」 

 

「そう言われればそうかもしれないけど」 

 

 コナン王子と仲が悪いからといって無茶な言い分に懐柔されないでください。 

 

「待ってくださいアリシア様。コナン王子が勇者だって根拠は何ですか?」 

 

「女癖が悪い」 

 

 アレンのもっともと言えばもっともな質問に一言で答える守護者様。 

 それだけですか。でも、その言い分に真っ向から反対する声。 

 

「ボクはこうと決めたら一途だよ。今は運命の出逢いを探してるだけさ。それに今回の師匠の浮気だって言い掛かりだし」 

 

 さっきのは妹のいたずらだと告げ、手紙を見せるコナン王子。 

 少女はそれを奪い取るようにして宛名を読み上げる。 

 

「『愛しの勇者さまへ』。どう見てもあるじに宛てた恋文ではないか」 

 

 そう言いながら何の抵抗も無く封を破り中の便箋を広げ、しばらくして床へ叩き付けると踏みにじる。 

 

「うぬぬぬ、バカにしおってからに!」 

 

 フィーが文面に興味を抱いたのか、怒りをあらわにする母親を押し退けて破れそうになっている便箋をそっと広げる。 

 

『ハ・ズ・レ アリシアさまには残念賞を差し上げます。マリナ』 

 

 文章の下にはデフォルメされたウサギが片目を瞑って舌を出したイラストまで描かれている。完全に守護者様が開くことを想定した文面に、戦慄すら覚える。 

 

「あやつは一体どこにおる! カップが余っておるという事は先程までここにおったのじゃろう?」 

 

「いや、それがね。いつの間に出て行ったのかわからないっていうか、お母さんと鉢合わせしてなきゃおかしいというか」 

 

 と、私達が彼女の行方を説明していると再びドアが開く。 

 

「やっぱりさ、起きる直前まで繋がってたんだから寝てる隙に俺だけがどこかに行くってのはありえないと思うんだけど」 

 

 勇者様が姿を現すと同時に守護者様に殴られて再び姿を消す。 

 

「子供の前で何を言っておるか、おぬしは!?」 

 

 声を荒げながら彼女はドアの向こうへ消え、勇者様の襟首を掴むとそのまま引き摺って来る。 

 

「その話はもうよい。わらわの勘違いじゃった」 

 

「それならそれでこの扱いが納得出来ないんだけど」  

 

 ふと、その懐から封筒が落ちる。 

 宛先は「平面ウサギさまへ」。マリナ様も以前そう呼んでいたし、おそらくは守護者様のことだろう。 

 

『あの、手紙が落ちましたよ?』 

 

 床に落ちた封筒を指し示すと勇者様が拾い上げ、そのまま守護者様に渡す。 

 

「ん。これシアちゃん宛てみたいだけど」 

 

「何故にわらわが平面ウサギか。おぬしはわらわをどういう目で見ておる? ……まあそれについては後できっちりと話すとして、今はこの手紙の中身を確かめねばな」 

 

 今度は激情に駆られることなくゆっくりと封を開き、便箋を広げる。 

 しばらく読み進めると「またか」と呟いて私達を呼ぶ。 

 

「おぬしらも読んでよいぞ。今度も既に死んだ者からの手紙じゃ」 

 

 拗ねたようにそっぽを向ける守護者様の目はどこか潤んだような輝きを見せる。 

 それは悲しみか嬉しさか、私には彼女が歩んできた歴史の重さがどれほどのものかまったく想像も付かなかった。 

 

 

『ほらほら、私の言った通りじゃん! 

 絶対シアちゃんには運命の人が現れるって、私、前に言ったよね? 

 どこの世界にもそういう身体の方が好きだって言うマニアックな人はいるんだからあきらめちゃダメだよって。 

 そりゃ、それが私の直系の子孫だってのはちょっと抵抗はあるけど。 

 でも二人が一緒になって幸せそうで安心したよ、ホントに。 

  

 私の大切な妹の旦那さんへ。 

 こうやって話せる時が来るなんて生きてる時は全然思わなかったな。 

 今、私はあの世にいます。死者の世界と呼んだ方が正しいのかな。 

 ある人のおかげでこうしていられます。感謝するように。 

 じゃなくて、シアちゃんのことを愛してくれてありがとう。 

 あの娘をたった一人で残すことになったのが私の心残りでした。 

 あなたのおかげで私は救われました。もちろん、あの娘もあなたには感謝しているはずです。 

 知っての通り、素直じゃないから色々と迷惑かけると思うけど許してあげてね。 

                      

                                   リィネ 代筆マリナ』 

 

 リィネと言えば、守護者様が前に話してくれた一緒に旅をしていたという賢者の名前。 

 既に400年近い時が流れている以上、彼女が死んでいるのは間違いない。 

 そして、この文面を読んだ勇者様はというと。 

 

「何かイメージと違う……」 

 

 妙に落ち込んでいた。 

 

「もっとこう、物静かな美人を想像してたんだけど」 

 

「別におぬしがどう思おうと勝手じゃが、あやつは初めて会ったときからあんなもんじゃったぞ? 3文字以上の名前は覚えられんとか言うて『シアちゃん』などと呼ぶし。実際あやつの名前がリィネで全てかどうかすら怪しいしの」 

 

 『シアちゃん』という呼び名は勇者様が付けたのかと思ってましたが、元々はリィネさんに付けられた呼び名だったんですね。 

 それにしても、賢者の割りにずいぶん型破りな人だったようで。それでもさすがに自分の名前くらいは覚えているとは思うんですが。 

 

「それより、この文面は何かおかしくないですか? どう見ても死んだ後の事にまで言及していますし、『ある人』というのが誰を指しているのか」 

 

「ふん。死んだ後の事を書いてるのはザインの時とて同じ事。それに共通点があるではないか」 

 

そう言って指し示すのは代筆者の名前。 

 この手紙を私達に託した少女の名前がそこにある。 

 

「コナンは何か知らないのか?」 

 

 当然と言えば当然の勇者様の問い掛けに彼女の実の兄は首を振る。 

 

「あいつは昔から何やってるのかわからない所があって。要領は良いから母上達の受けは良いんだけど。師匠は何も知らないんですか?」 

 

「いや、それがな、俺もシアちゃんも成長してからは会ったことないんだよ。生まれたばかりの頃に一度だけ会ったっきりで。今頃は絶対、最高の美人になってると思うのに」 

 

 心底悔しそうな表情で歯噛みする勇者様を冷めた目で見ながら守護者様も答える。 

 

「そこのバカ王子とは毎回顔を合わせておったが、妹姫は何故か毎回どこかに姿をくらませておっての。てっきりあるじの噂に怯えて逃げ回っておるのかと思っておったが」 

 

 確かに今の勇者様の姿を見れば身の危険を感じて逃げるかも知れない。 

 ただし、普通の少女ならば。 

 ムーンブルクの襲撃の際に居合わせ、なおかつただ一人無事に生還しているのだ。 

 そんな彼女が普通であろうはずがない。 

 それに、この旅が始まってから二度もマリナ様と出会ったがそう言われてみれば一度として勇者様達と居合わせた事がない。そう、余りにも不自然なほどに。 

 

『マリナ様のリボン……確か、恋をしているとおっしゃられていました。まだ会ったことはないけれど、愛の証しとしてリボンを付けていると』 

 

 その相手とは勇者様の事ではないだろうか? 

 とりとめもなく、そんな考えが頭に浮かぶ。 

 確かに彼女は普通という言葉からかけ離れた存在だ。 

 けれども私は彼女を信じたい。あの夜、恋い焦がれている人がいると語った一人の少女の事を。 

 

「会ったことないのに好きっておかしくない?」 

 

「そうとも限らん。現にここに伝説だけが独り歩きしておる人間がおろう。大抵の娘が出会った瞬間に幻滅するがの」 

 

 娘に答えながら守護者様は勇者様をじっと見つめる。 

 

「えっ何? その娘、俺の事が好きなの? いやあ、もてる男は辛いね」 

 

「もてておるのはおぬしでなく伝説の勇者様じゃ」 

 

 照れる勇者様に対する妻の言葉はにべもない。 

 この国の勇者像は幼い頃からの教育で形作られる。 

 すなわち、共に旅をし、妻として生涯も共にしたローラ様の日記に描かれた勇者像である。 

 私も幼い頃には真っ青な鎧に身を包み剣を振るっては魔物達をなぎ倒す勇者様にあこがれた。 

 まさかこの記述がほとんどデタラメだったとは誰も思うまい。 

 

「お母さん、そんなひどいこと言っちゃダメだよ」 

 

勇者様は娘からの援護に得意気な笑みを浮かべる。 

 

「そうだそうだ。もっと言ってやれ」 

 

「確かにお父さんはヘタレでお金も持ってないし顔もそんなに良いわけでもないし料理がそこそこ得意なだけのパッと見普通の人だけど、時々すっごくカッコいいんだからね!」 

 

『勇者様泣いてますけど、嬉し涙じゃないですよね?』 

 

「心の隙間から入り込んで中から突き崩す。ボクもさすがにあそこまではなかなか」 

 

「姉さん、天然だから。本人は善意のつもりなんだよ」 

 

 三者三様の感想も父親の涙の抗議も、少女には届かなかったらしい。 

 

「そんな嬉しいからって泣く事無いじゃない。いやあ照れちゃうなもう」 

 

 ある意味よく似た父娘の姿に母親は静かに溜息をつく。 

 

「どこでどう育て方を間違えたのかのう?」 

 

 子育ての経験のない私はその問いに答えることは出来なかった。 

 

 

 旅立つ私達を見送る人々が列をなしている。 

 おじい様が連れて来た人間がほとんどだから面識のあるものは少ない。 

 それでも口々に激励の言葉を投げかけて来る。 

 

「そう言えばさ。昨夜のうちに女の子に声かけてたんだけど、皆が皆リボン付けてんだよね。一応、他人の物に手を出す趣味は無いから仕方なく一人で寝たんだけど」 

 

 人々を眺めながらコナン王子が言う。 

 確かに女性は皆色とりどりのリボンを付けている。 

 リボンは愛の証しとして男性から女性へと贈られる物。つまりここにいる女性は結婚しているか婚約者がいるかのどちらかに限られるのだ。 

 

「既婚者であれば当人同士の話で済む。ただそれだけのことじゃ」 

 

 守護者様が一応回答らしき物を口にしたが私達にはまったく何のことかわからない。 

 いや、コナン王子だけがどこか得心の行った顔で頷いている。 

 

「あーなるほどね。まだ成人してなかった二代目に王位を譲ったのってそういう理由なのか」 

 

「苦労したのは主にローラじゃがの」 

 

 王位継承は継承者が成人して婚姻をした時に為される。 

 誰が決めたということはないがローレシアが建国される前からの王家のしきたりらしい。 

 ローレシアの法律は基本的に勇者様やローラ様の故郷であるラダトームの法律を基にして作られている。歴史の浅い王家がそれなりの威厳を保つには色々と大変なのである。 

 それはさておき、初代ムーンブルク国王から二代目への継承はそこから外れたものだった。 

 おじいさまから王冠を譲られたのは弱冠15才の私の父。当然結婚はしておらず、男子女子共に成人年齢は16才とされているために未成年で王位に就くことになったという経緯があった。  

 理由は、病気療養のためと聞いていたのだがどうも違うらしい。 

 

『病気が理由じゃないんですか?』 

 

 そう問い掛ける私に守護者様は珍しく歯切れが悪い。 

 

「ある意味、病気と言えば病気なんじゃが……」 

 

『?』 

 

 首をかしげていると、フィーが昨日の事を話し始める。 

 マリナ様が見せた含みのある言葉と、おじいさまに手渡された手紙の事を。 

 それを聞いた守護者様は人々の群れの中に押し入りおじいさまを引きずり出すと何やら説教を始める。 

 

「おぬし、いくら女好きであろうとも13の小娘に手を出そうとは如何な了見じゃ!」 

 

「……!? ……!」 

 

「言い訳は聞かん! あの時もおぬしが手を付けた女の身内との示談交渉にどれほど苦労したと思っておる!」 

 

 この距離だとさすがにおじいさまの声は聞こえないが何やら必死に反論しているのはわかる。 

「あいかわらず声デカイな。せっかく内緒にしてた意味がない」 

 

 苦笑する勇者様が事情を教えてくれた。 

 

「まあ。一言で言うと女性問題だな。奥さんが亡くなった後、未婚の女性に手を出したら婚約直前のいいとこのお嬢様で家族が大激怒。ローラが交渉して何とか事なきを得たんだけど。今度会ったら潰すとか笑って言ってたんでかなりやばかったんだがその前に死んじゃったからなあ」 

 

 懐かしそうに笑う勇者様。 

 

「そのお嬢様は、どうしたの?」 

 

 視線の先には守護者様。土下座するおじいさまに一人の侍女が寄り添っている。 

 何かを共に訴えかけているようだ。 

 

「さあ、どうしたんだろうな? シアちゃん! そろそろ行くよ!」 

 

 未だ興奮冷めやらぬ様子で何かを言い募ろうとしていた守護者様を大声で呼ぶ勇者様。 

 地団太を踏む彼女に、おじいさまが何かを手渡す。手紙のようだ。 

 それを見た守護者様がこちらに走って来る。 

 こちらに来ようとする守護者様の背後で深々と頭を下げる女性の姿が目に焼き付いた。 

 

「あるじ」 

 

 守護者様が広げた手紙を勇者様が覗き込むと声をあげて笑う。 

 よほど面白い事が書いてあったらしい。 

 らしい、というのは結局その内容を知ることができなかったからだ。 

  

「いつまでもこんなところにいたら日が暮れちゃいますよ」 

 

 そう言って先行していたアレンが戻ってきて私を抱き上げる。 

 

「そうだよ。さっさとルプガナに行こう。こんな所じゃお楽しみも何もない」 

 

 うんざりした口調のコナン王子が皆を促す。 

  

 私達の行く先にはかすかに一対の塔が見えていた。



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第十六話:天空回廊

「大人になって変わったこと?」 

 

 ムーンブルクを出てしばらくの道中、ふと気になっていたことを聞いてみる。 

 幼い頃の数ヶ月間を共に過ごした私達も今はもう成人。 

 久しぶりに再会してお互いの立場に変化がないか確かめたくなったのだ。 

 ……決してアレンとフィーの関係を邪推しようとしているわけではない。 

 

「んとね。アレンが一緒にお風呂に入ってくれなくなったことかな」 

 

 へーお風呂に……はい? 

 

『お風呂ってあの、身体を洗ったりするお風呂ですよね?』 

 

「へっ? お風呂ってそれ以外にもあるの?」 

 

 いえ。そういう意味ではなく。 

 お風呂ってことはお互い裸なわけでして、いえ私もその、ほんの幼い頃には一緒に入った記憶もありますけれども。 

 

『ちなみにいつまで一緒に?』 

 

「3年くらい前までかな?」 

 

 3年前と言えばアレン13才、フィー15才。いくら仲が良いとはいってもさすがにそれはダメだろう。 

 

「でも、お父さんやお母さんも一緒に入ってるよ? 家族って一緒にお風呂に入るんじゃないの?」 

 

 え? ひょっとして間違ってるのって私? 

 でもお父様とお母様が一緒にお風呂に入ってる所なんて見たことないし、私も幼い頃ならいざ知らず10才を迎えた頃からは一人で入っている。もちろん呼べばすぐに駆け付けられるように近くに侍女が控えているが同じ浴室に入るという事はまずない。 

 

「普通は入らないだろ。ましてあの母上と一緒に入るメリットがボクにはまったく無い」 

 

 良かった。味方がいた。理由が個人的な損得勘定なのが気になるけど。 

 

「視線を少し下に向けて鼻で笑っただけで湯船に沈められるなんて体験はもうしたくない」

 普通の人はありません、そんな体験。 

 でも、その話に食いつく大人が一人。 

 

「俺も昔、たまにはオッサンの背中でも流そうと一緒に入ったことがあったな。いや懐かしい」 

 

 オッサンなんて失礼な呼ばれ方をされている人物は当時のラダトーム王、ローラ様の実の父親のこと。勇者様にとっては義理の父親であり、私達にとってもご先祖様である。 

 

「視線を下に向けて鼻で笑いやがったからこれ見よがしに見せつけてやったら突然殴りかかって来やがって……」  

 

 お風呂場で命の遣り取りをするのが勇者の血筋なのでしょうか? 

 もっとも、ラダトーム王が何に激高したのか私にはまったく想像もつきませんが。 

 

「コナンは大人になって何か変わったこととかあるか?」 

 

 話を変えようとしたのか、勇者様がコナン王子に振る。 

 

「そうですね。まだ小さい頃は好みの侍女に城内でいきなり抱き付いても『……ママ』と儚げに呟けば許されるどころか同情されて一緒にお風呂や一緒の布団で就寝、なんて事もあったのに、最近は即座に母上の前に突き出されるようになったことくらいかな?」 

 

 それは幼い頃からの悪行が祟っただけのようにも思えるのですが。 

 

「犯罪じゃないの、それ?」 

 

「ボクは寂しさに耐えかねて理想の母親像を他の女性たちに重ね合わせただけさ。自分から要求したことなんて一度もないよ」 

 

 こういうのが詐欺師って言うんでしょうね。一つ大人になった気分です。 

 

「もっと速く歩かぬか、おぬしら!」 

 

 まるで雷が落ちたかのような突然の大音声。期せずして皆が肩をすくめる。 

 ずいぶんと先をアレンと並ぶようにして歩いている守護者様が後ろを振り返りながら檄を飛ばす。 

 さらに言い募ろうとする彼女をアレンがなだめているのが遠目でもわかる。 

 それで気持が治まったのかこちらを一瞥するとまた並んで歩きだす。 

「お母さんってホント、アレンの事がお気に入りだよね。娘の事はどうでもいいのかな」 

 

 少しふくれたような顔で言う娘を父親が諭す。 

 

「そりゃあ初恋の男にうりふたつで性格は正反対。シアちゃんがお気に入りにするのも仕方ないさ」 

 

「お母さんの初恋の人? それってひょっとして初代の?」 

 

「そ。俺達のご先祖様である勇者ロトその人さ」 

 

 幼い頃から勇者になりたいと言っていたアレンの姿に伝説に聞く勇者様の姿が重なる。 

 真っ青な鎧に身を包み、剣を振るっては魔物をなぎ倒す。幼い頃夢に見ていた勇者様。 

 私にとってはもう立派な勇者様なのだが、彼には不満らしい。 

 

「アレンの性格の正反対と言うとすごい人間になる気がするなあ」 

 

 確かに。何となく聞き逃していたが初代勇者様は一体どんな人物だったのだろう?

 女たらしが勇者の共通点だと守護者様は言っていたが冗談であったと信じたい。

 

「アレンと言えば、度が過ぎるくらい真面目で、どんな人間にも優しくて、愛する女性にはただただ一途で。その反対なんだから……」 

 

「俺も詳しくは知らないがシアちゃんいわく、不真面目で怠惰、基本的に女性にだけは年齢不問に優しく、街ごとに複数の愛人がいたらしい。その余りの行状の悪さに本名が歴史から消されたくらいで、話を聞いたローラは夜の勇者って呼んでたな」 

 

 それは行状が悪いとかそんなレベルではなく、人間としてどこか間違っているような。 

 

「そうそう。18才以下の女性は全て俺の妹だ、18才以上は全て俺の物だ、が口癖だったらしいぞ?」 

 

「何それ。お父さんよりタチ悪い」 

 

 あの、フィー? その言い方はちょっと。 

 あ、ちょっとヘコんでる。 

 

「ということは、アレンを勇者にするにはそのレベルにまで引き上げないと……」 

 

「そうだな。あの手の真面目タイプは女を知れば少しは変わぶべら!」 

 

 何かひそひそと、まあ聞こえてますけど、耳打ちしていたコナン王子に答えていた勇者様が奇声を上げて倒れる。 

 見るとその傍らには赤く染まった拳大の石。 

 

「だから、もっと速く歩けと言っておろうが!」 

 

 魔法が使えないからと言って石を投げるのはさすがにどうかと思うんです、守護者様。 

 

  

 目の前に流れるのは大きな川。

 水深は深く流れは緩やかではあるがとても歩いて渡れるような川ではない。

 ではどうやって渡るのか?

 その答えになるのかはわからないが目の前にはその川を挟むように一対の塔が建っていた。

 

「うわぁ、風強いね」

 

 フィーが短いスカートを押さえながら言う。

 ずっと前から言おうと思っていたけれど、どうして彼女は未だにウェイトレス姿なのだろう?

 

「別におぬしのパンツなんぞ見たところでどうにかなる者はここにはおるまい。気にせずともよい」

 

 そういう守護者様も私の視線から見ると下着どころか胸まで見えそうになっているのは口にしない方が良いのだろうか?

 

「うわっひどっ! そんな言い方ないじゃない」  

  

 確かにひどい言い分ではあるが守護者様の言う通りだとも思う。 

 ここにいる男性と言えば彼女の父親である勇者様と弟同然のアレン、そして唯一の他人とも言えるコナン王子の三人だけ。 

 そのコナン王子はというと。 

 

「絶対面白いって。一度行けば世界が変わるよ」 

 

「そうだな。お前はもう少し世間ってもんを知るべきだと思うぞ」 

 

「いや、僕はそういうのには興味無いから」 

 

 何やら勇者様と一緒になってアレンを誘っている。 

 どんな話をしているのか気になって近づいてみた。 

 

「アレン。ボクは父上に世界を見て来いと言って送り出されたんだ。だからこの旅は城の中では見れなかった物を見る義務があるんだよ」 

 

「俺は昔言ったよな。勇者になるには色々な勉強をしなきゃいけないって。これもその一環だ」 

 

 いつになく真面目な表情で語る二人。 

 いつもは不真面目に見えるけれど、やはり彼らもアレンの事を真剣に考えてくれてるんだ。 

 そう思うと嬉しくなる。 

 

「で、でも、僕はその、ぱふぱふとかちょっと……そのセリアもいますし」 

 

 アレンの言葉に一瞬思考が止まる。 

 

「男ならたまには冒険しろって」 

 

「そうそう。俺なんか浮気がバレて燃やされたのなんて一度や二度じゃないぞ?」 

 

 とりあえず、守護者様に報告したら石が二つ飛びました。 

 

 

「昔はここに吊り橋があったんだよな」 

 

「そういえば100年ほど前に架けた記憶があるのう」 

 

 塔の頂上に上ると川の方向には壁が無く、向こう側の塔も同じように開けている。 

 その間にはもちろん橋など無く、ただ何もない空間が広がっている。 

 

「何でまた塔のてっぺんに吊り橋なんか」 

 

 フィーの言う通り。この高さから落ちたら例え下が川でも死んでしまうだろうことは間違いない。 

 

「ある物は使わねばもったいないではないか」 

 

「ローラがその方が面白いって言うから」 

 

 面白いかどうかでこんな所に橋を造らなくても。 

 当然のことながらこの橋が使われることはほとんど無く、危ないからという理由で撤去されたらしい。さもありなん。 

 

「で、実際問題としてどうやって渡るんですか?」 

 

 同じ高さの塔の間を跳び越えるには間が広すぎる。 

 空を飛ぶ呪文があれば、と思ったが口を噤む。私はまたあんな目に遭うつもりはない。 

 

「え? そりゃこうやって。ルーラ!」 

 

 勇者様が移動呪文を唱えると、真っ直ぐ空間を飛び越えて向こう側の塔へ着地する。 

 犬の姿では音が出ないのは知っているが思わず拍手してしまう。 

 

「ルーラ!」 

 

 再び唱えると勇者様がこちらに向かって飛んでくる。 

 無事に目の前に着地すると朗らかに笑う。 

 

「さあ行こうか!」 

 

『私は遠慮しておきます』「お父さんを信じてないわけじゃないけどねえ?」 

 

 私が拒否の言葉を口にするとフィーも同じように拒む。 

 

「普通に渡る方法は無いんですかね?」「船があればいいんだろうけど」  

 

 アレンとコナン王子は口々に別の方法を模索している。 

 

「何で? 一番簡単な方法だろ? コナンもルーラ使えるんだし分かれてすればいいじゃないか」 

 

「そんな器用な応用が出来るのはおぬしだけじゃ」 

 

 ルーラという呪文は本来街から街へと移動をするための物。 

 こんな短距離を飛ぶような代物ではない。 

 そもそも私をローレシアへと飛ばしたバシルーラという呪文も本来なら相手を遠くに弾き飛ばすだけで、場所の指定が出来るわけではない。 

 やはり勇者という名は伊達ではないらしい。 

 

「じゃあ、とりあえずシアちゃんだけでも向こう側に」 

 

 そう言って有無を言わさず抱き上げると再び呪文を唱える。 

 真っ直ぐ向こう側へと飛んでいく勇者様。そこへ突然の風。 

 勇者様のマントが一瞬大きく膨らんだかと思うと急上昇する。 

 

「お母さん!」 

 

 娘の叫び声が聞こえたか、小さな影が勇者様から離れて跳び上がると向こう側へと着地する。 

 

「ちょっ…! 俺を踏み台に…!?」 

 

 あわれ勇者様はと言うとバランスを崩したのか、そのまま下へと落ちていく。

 そして次の瞬間、再び風に煽られて急上昇。マントが鳥の翼のように大きく広がっている。 

 何事も無かったかのように向こう側に着地すると守護者様と何か話しているようだ。 

 二言三言交わすと、意を決したように呪文を唱えることなく塔から飛び降りる。 

 真っ直ぐというわけでも無かったが、鳥のように空を飛びながらこちらに着地する。 

 

「ということで、どうもこいつで空が飛べるらしい」 

 

 勇者様の話によると、このマントは正式名称を風のマントと呼ぶらしい。 

 空を飛べるという触れ込みだったがいざ手に入れてみると高空からの滑空にしか使えなかったらしく。それでも事故率の高かった勇者様のルーラの生存確率を上げるのには大いに役立ったのだそうだ。 

 

「さっき試した限りじゃ一度に二、三人行けるっぽかったから頑張れアレン」 

 

 一方的に話し、マントを外して手渡すとさっさとルーラで向こう側へ。 

 

「って、えっ? 僕が着けるんですか?!」 

 

「当然。頑張れ未来の勇者様!」 

 

「私の弟なんだから、びしっと決めてくれないと!」 

 

 迷うアレンを二人がかりで煽る。本当にこういう時は仲が良いですよね。 

 

「わ、わかったよ。じゃあ、行きます!」 

 

 互いに手をつなぎ、そしてアレンの足が地面を離れる。 

 

「わーっ! 空を飛ぶってこんな気分なんだっ!」 

 

「このまま旅が出来たら楽なのにね」 

 

 気楽に歓声を上げる二人。アレンは必死な顔で身体を捩じらせるようにして操作している。 

 しかし、なぜ手をつないだだけで他の二人も飛べるのだろう? アレンの懐の中で不思議に思う。 

 

「ちょ、ちょっと! 二人とも暴れないで! わっわっセリアが落ちる!」 

 

 一瞬の浮遊感。そして落下。 

 焦るアレンの顔が見える。そして驚いたようにこちらを見つめるフィーとコナン王子の顔。 

 全てが小さくなっていく。そしてそのまま気を失った。 

 

 気が付いたら向こう側の塔の根元で青い顔をしたアレンに抱かれていて。目の前の川にはどこかで見た事のある二本の棒状の何かが生えていたことだけ覚えている。 

 何故か勇者様の姿だけが見えなかったが、妙に疲れていた私はいつものことだと思い、そのまま眠りにつくことにした。



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第十七話:泡沫の夢

「うぇぇぇん! 私もお母さんと一緒に行くぅ!」 

 

「いいかげん親離れせんか! おぬしももう18であろうが!」 

 

 夕食の席、子供のように泣きながら守護者様に抱き付くフィー。 

 いつも子供っぽいとは思っていたけれど、ここまで感情を露わにする彼女の姿は初めて見る。 

 

「ほら。やっぱり我慢してた」 

 

 それを達観した目で見ているのは、フィーにお酒を飲ませた勇者様。 

 こちらも少しお酒が入っているようで、顔がほんの少し上気している。 

 

 そもそもこうなった理由はルプガナに着いたばかりの事。 

 守護者様が勇者様と一緒にパーティーを抜けると言い出した事が発端だった。 

 

「えええっ! 何で? どうして?」 

 

「だから言うたではないか。魔法が使えぬ魔法使いなど役に立たん。あるじと共に魔力回復に専念すると」 

 

 勇者様と離れていたことが原因で魔力を失った守護者様。 

 平時ならばそれでも問題はないけれど、いつ何時手ごわい魔物と戦うことになるかもしれない今においては確かに心許ない。 

 でも、世界を救ったことのある経験を持つというだけで私達には大きな心の支えとなっていたのは事実。私達だけで戦い抜くことが出来るだろうかという不安は拭い切れない。 

  

「魔力の無いアリシア様なんてただのロリババアでしかないし役に立たないのは事実だよな」 

 

「誰がロリババアか!」 

 

 守護者様がコナン王子を相手に拳を振るうが、いつもは当たる攻撃もひらりひらりとかわす。 

 もしかすると今まで大人しく殴られていたのはわざとだったのかもしれない。考えすぎかもしれないが。 

 

「ほらほら当ててみなよ。呪文も使えない魔法使いさん」 

 

 挑発する少年に業を煮やしたのか、その場で地団太を踏むと「ちょっと待っておれ」と言い残してその場を離れる。 

 再び戻って来た彼女の手には大量の小石。 

 

「それは卑怯だろ!」

 

 高レベルの魔法使いの腕力は熟練の戦士にも匹敵する。 

 雨のように降り注ぐ大量の小石が少年を打ちのめす様を見た私達はもう呆れるしかない。 

 

「それだけでじゅうぶん戦える気がしますけど」 

 

 アレンの言葉が私達の共通認識であったことは言うまでも無い。 

 それでも彼女の言葉が翻る事はなかった。 

 

「……しょうがないよね、うん。魔法使いの本分は魔法で仲間を助けることだもんね……」 

 

 気落ちしたフィーが自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。 

 彼女にとってはいつも一緒にいた家族。一時的とはいえ離れ離れになる事を歓迎していないのは間違いない。 

 それでも、守護者様がそう決めたのならば私達には従うより他はない。 

 

「暗くなってても仕方ないだろ。船を見付けるまでは俺達も協力する。とりあえず今日の所は晩飯にしようぜ」 

 

 勇者様の提案で夕食の席につき、フィーがお酒を飲まされたことで冒頭に戻る。 

 

「姉さんはすごく寂しがり屋なんだ。いつもは我慢してるけどお酒を飲むと意識が子供の頃に戻るらしくてさ……」 

 

 アレンの説明で何となくわかった。今の彼女は初めて出会った頃の彼女、いやおそらくは私達と出会う前の彼女なのだということが。 

 

「フィー。お母さんを困らせるもんじゃない。お前はいい子だからわかるだろ?」 

 

「やーだー! お母さんと離れるなら悪い子でいいもん!」 

 

 駄々をこねるフィー。普段が普段だから私達にとってはその姿にもあまり違和感がないが、成人した女性が母親とはいえ幼い少女に抱き付く姿が何も知らない他人の目を惹くことは間違いない。 

 

『フィーってお父さんっ子だと思ってたんですけど、お母さんっ子だったんですね』 

 

「まあ、基本的に叱る役はあるじがしておったし。不本意ではあるがあるじに言わせるとわらわは子供に甘いそうじゃし」 

 

 首筋に顔を埋めて嗚咽を漏らす娘の頭を撫でてあやしながら守護者様が答える。 

 

「また、私を置いていくの? もう一人は嫌だよ。寂しいよ」 

 

 その言葉を聞いた二人は顔をしかめる。 

 また、ということは過去にも似たようなことがあったのだろうか? 

「フィー。離れてたって俺達は家族だろ? ほんの少しの間だけだよ」 

 

「……嘘つき。ずっと一緒にいてくれるって約束したのに」 

 

「フィー!」 

  

 珍しく声を荒げる勇者様。

 恐怖で肩をすくめた彼女を守護者様は両手で抱き締める。 

 怒っているわけではない。どちらもやり切れない悔しさを顔に滲ませている。 

 

『ここは私に任せて下さいませんか?』 

 

 思わず口を出してしまう。何か事情があるのは分かるが感情的になっては解決するものも解決しない。 

 幼い頃の彼女が果たして私を認識してくれるかどうかは定かではないが出来る事はするべきだろう。 

 

『フィー? 私の声がわかりますか?』 

 

 アレンの膝の上からテーブルへと上る。マナーとしては許されない行為ではあるがこの際それは気にしない。 

 声をかけられた少女は埋めていた顔を少しだけ上げてこちらを見やる。 

 

「……セリア?」 

 

 良かった。私が誰か認識はしてくれているようだ。 

 犬の声でも人間の頃の私の声と同じように聞こえているのか、はたまた幼少時から私を犬と認識していたのか。後者だと悲しくなるから前者だと考えよう。 

 とにかく、感情面は子供だが記憶や思考はおそらく現在の彼女。当然、私の今の境遇も知っているはず。 

 わざわざそれを告げるまでもないだろう。彼女の私を見つめる瞳には新たに涙が浮かんでいる。  

 

『フィー。お父さんとお母さんとどっちが好きですか?』 

 

 私の突然の質問に目を見開く彼女。おそらく詰られるとでも思っていたのだろう。 

 

「お母さん……ひっく。お父さんも好きだけどお母さんはもっと好き」 

 

 所々嗚咽が混じっているが感情が治まって来たようだ。 

 素直に答えてくれる。 

 

『どうして?』 

 

「可愛いから」 

 

 可愛いって、母親を評する言葉じゃないと思いますけど。 

 その言葉を聞いた守護者様も憮然とした表情を見せる。でも、彼女の言葉はそれだけでは終わらなかった。 

 

「可愛くて、強くて、かっこよくて、私の一番なりたい人。だから、一番大好き」 

 

 それを聞いた守護者様は驚いたように目を見開き、やがて何かを思案するように眼を瞑る。 

 

『フィー。お母さんは強いんだよね? でも、フィーのためにもっと強くなろうとしてるんだよ。もっと強いお母さんを見たいよね?』 

 

「……うん、見たい」 

 

『そのためにはちょっとだけ修行しなきゃいけない。お母さんもフィーと離れるのは寂しいけど我慢するの。フィーもお母さんみたいに我慢できるよね?』 

 

「我慢すれば、お母さんみたいに……なれるのかな?」 

 

『はい。思い続けて努力すれば絶対になれます』 

 

 正直言って根拠なんてまるでない。けれど私は思い続けている。 

 必ずお父様やお母様、お城にいた人達を取り戻して見せると。 

 

「うんわかった、我慢する。ありがとうセリア」 

  

 涙に濡れた顔に笑顔が浮かぶ。

 フィーは私を抱き上げると……えっ? あの? 何をするつもりですか? 

 顔が近づいてくるんですけど。ちょっ、ちょっと待っ……! 

 

「セリア大好き。ちゅー」 

 

 く、唇を奪われてしまいました。 

 これって、フィーにとってはファーストキスに当たるんじゃないでしょうか。 

 あれだけキスはしたことがないと言っていたのに。 

 アレンの方を見ると何故か和やかに笑っている。 

 

「仕方ない。リバストの所までは付き合ってやるとしよう。あるじもそれでよいな?」 

 

「はいはい。うちの奥さんは本当に娘には甘いんだから。セリアもありがとな」 

 

 勇者様が私の頭を乱暴に撫でまわす。 

 珍しく照れ隠しのつもりのようだ。今日は色々な人の意外な一面によく出会う。 

 

「ホント? わーい! お母さんだーい好き! ちゅー」 

 

「こ、こらやめんか! むぐ……ぐぐ、ぷはっ」 

 

 娘が甘えるように母親にキスをする。幼い頃なら微笑ましい光景だったかもしれないが成人した娘が幼い身なりの母親に、という現実を見るとどこか目眩がする。 

 

『あの、ひょっとしていつも?』 

 

 言葉は通じないが、前足でそちらを指差して振り向くと意味が通じたのかアレンが教えてくれる。 

 

「機嫌が直るといつもこうだよ。お酒が抜けると忘れちゃうんだけど」 

 

 次は勇者様の番らしい。父親の前に行くと顔を俯かせてもじもじしている。 

 

「あのね、お父さん。さっきは嘘つきとか言ってごめんね」 

 

「いいんだよ。嘘つきなのは事実だ。少しの間だけど頑張れるよな?」 

 

 頭を撫でる父親に娘は笑顔でうなずく。 

 

「うん! お父さんも大好き!」 

 

 抱き付いてほっぺたに唇を付ける。 

 すぐに離れると今度はアレンの隣へ。 

 

「……何で俺には唇じゃないんだ」 

 

 気落ちした勇者様が見えるが誰も気にしない。 

 やっぱりアレンにもキスをするのだろうか? 婚約者としては気が気ではない。 

 

「アレンは、その、ちょっと恥ずかしいかなあって。だから、その、えへへ」 

 

 何かその態度は普通にキスされるよりも気になるんですけど。 

 今のフィーは我慢していたものをすべて表に吐き出した状態。家族に対しての親愛の表れがキスという手段だとしたら、アレンに対するこの態度は何を意味しているのだろう? 

 ひょっとすると……いえ、彼女に確かめたわけでもない。勝手な推測はしたくない。 

 

「よし。仲直りした記念に乾杯だ」 

 

「おー!」 

 

 勇者様が音頭をとりフィーが声を上げ、皆で一斉に盃を傾ける。 

 次の瞬間、前のめりに崩れ落ちる勇者様とフィー。一体、何が起きたのかわからない。  

 

「……飲みすぎじゃ」 

 

 テーブルに覆いかぶさって寝息を立てる父娘。よく似た姿が微笑ましい。 

 二人とも元々あまりお酒に強い方ではなく、許容量を超えると寝落ちするそうだ。しかも飲み始めてからの記憶もほとんど残らないらしい。 

 

『今までのやり取りの意味がないじゃないですか』 

 

「約束事はよく覚えておってな。言う事を聞かん時は大抵酒を飲ませて……ゴホン。まあそれはそれでよいであろう? 今回は助かった。礼を言うぞ、セリア」 

 

 お礼の言葉で誤魔化されそうになりましたが、今何か不穏な子育て法を口にした気が。 

 

「わらわが居らん間はフィーの事を頼むぞ。もう大丈夫かと思っておったが、わらわ達では踏み込めぬ領域もあろう。友という物は良いものじゃな」 

 

 表情に寂しさを漂わせながら汗で張り付いた娘の前髪を後ろに撫でつける。 

 

「もうそろそろ寝る時間であろう? いつまでもテーブルを占拠しておくわけにもいくまい」 

 

 周りを見渡すと夕食時も終わり、仕事帰りの労働者たちがお酒を囲んで騒いでいる。 

 私達のテーブルは隅に追いやられてどこか肩身が狭い。 

 

「ほれ、部屋に戻るぞ?」 

 

 声を掛けられた勇者様は夢うつつの状態で立ち上がるとふらふらと歩き始める。 

 意識は無くても言う事は聞くようだ。 

 

「あ、こら先に行くでない」 

 

 引き止めようとする守護者様が娘の方を振り返る。 

 

「姉さんは僕が連れて行きますよ」 

 

 アレンがフィーを抱き上げて階段に足を掛ける。 

 俗に言うお姫様抱っこだが私がフィーのおなかの上に座っているおかげでそんな雰囲気は無い。というかさせない。 

 

「頼むぞアレン。……だから先に行くなと言うておろうが!……あ、しまった」 

 

 業を煮やしたのか実力行使に出た守護者様だったが、後頭部から倒れた勇者様の身体が徐々に透き通り始める。 

 巻き起こる喧噪を後に残して私達は今夜の宿部屋へと向かった。 

 

「じゃあ姉さんの事はよろしく頼むよ、セリア。お休み」 

 

『はい。お休みなさい』 

 

 ドアに鍵を掛ける音を確認して、ベッドに向かう。 

 安らかな寝息を立てる少女の脇に潜り込むとそこが今夜の私の寝床。 

 私と同い年の彼女、出会う前の彼女の事は何も知らない。今日の出来事もおそらくはそこに原因があったのだろう。いつか今夜の事を笑い合う日が来ることを夢見て私は眠りに就く。 

 

「うにゅう……むぅー」 

 

 猫のような寝言を漏らす彼女は一体どんな夢を見ているのだろう。 

 大切な友人がいつも笑っていられる世界、私はそれ現実にすることを願う。 

 窓の外を流れる夜空の星に向って。



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第十八話:暁闇の祈願者

 翌朝、私は誰かの呟く声に起こされた。 

 

「これは夢。夢に決まってる。いつのまにか大人の階段登ってましたとかありえない」 

 

 目を開けると流れるような銀色の髪。 

 そういえば、昨夜はお酒を飲んで寝てしまったフィーと一緒の布団に入ったような。 

 

「初めての相手が女性とか。しかも何、このスタイル。自分に無い物を相手に求めるのが恋愛だとは聞いたことあるけど」 

 

 呟きながら何度も何度も頭を振る。お化けを見て怖がる子供のようでどこか可愛い。 

 

「うぇぇん。昨夜はお楽しみでしたね、とか言われるんだ私」 

 

 彼女が何の話をしているのかがわからない。とりあえず、さっきの言葉を口にしてみるべきだろうか? 

 

「フィー。昨夜はお楽しみでしたねって何ですか?」 

 

 こちらに背中を向けていた彼女は一瞬肩を震わせるとゆっくりとこちらを向く。 

 蒼い瞳が何か不安に揺れている。 

 私はもう一度、何かを確かめるようにその言葉を口にした。 

 

「昨夜はお楽しみでしたね?」 

 

「いやああぁぁぁ!」 

 

 夢うつつの状態にあった私は彼女の悲鳴で完全に目を覚ましたのだった。 

 

 

「あの、いい加減その手を止めてほしいんですが」 

 

「いいじゃん。私を怖がらせた罰」 

 

 目が覚めた私は自分の身体に起こったことに気付いた。 

 それは犬の姿ではないということ。 

 いつのまにか人間の姿に戻っている。 

 

「ひゃっ! へ、変な触り方しないでください」 

 

「なになに、ここがええのんか? ああ?」 

 

 何ですか、その喋り方? 

 私の姿を見て何故か恐慌状態に陥った彼女は悲鳴を上げた瞬間、自分の頭を抱えてしまった。 

 どうやら二日酔いで頭痛に襲われたようだ。 

 とりあえず彼女の頭に手を当てて毒消しの呪文を唱えると頭が回るようになったのか、初めて私をセリアであると認識してくれたようだった。 

 

「キアリーが二日酔いに効くなんてよく知ってたね?」 

 

「ええまあ。お恥ずかしい話になりますけどお父様もよく二日酔いなさっておられましたから」 

 

 こんな話をしている間も何故か彼女は私の胸を物珍しそうに観察している。 

 恥ずかしいので隠そうとする度に先程の事を持ち出してきて何とも言えなくなる。 

 

「あの、ね。セリア、ありがとう」 

 

「はい? えっあの? 胸のことですか?」 

 

「違う。絶対、胸の事でお礼なんか言うわけないじゃない。くれるんなら別だけど」 

 

「あげられません」 

 

 私の胸を鷲掴みにする彼女に反撃するつもりでこちらも手を伸ばすが、ふと気付いて標的を変える。 

 

「……腰、細くていいですね」 

 

「その何気ない間がすごくムカつく。あっこら、くすぐっちゃダメ!」 

 

 しばしベッドの上で彼女とじゃれ合う。再会してからずっと犬の姿だったので妙に嬉しい。 

 そんな最中、乱暴にドアが開かれる。鍵を開けるような気配が無かったので気付かなかった。 

 

「こら! いつまで寝ておる! 二日酔いなどが理由になると…思うで…ないぞ?」 

 

 突然扉を開けた守護者様と目が合う。 

 ベッドの上でふざけ合う私達。私は当然服を着ていない。そして、そんな私に覆いかぶさる彼女はくすぐられ続けて息を切らせている。 

 

「昨夜はお楽しみだったようじゃな。うむ、まさか娘に女色の趣味があろうとはわらわも知らなんだ。道理で男の影も無いわけじゃ」 

 

 得心したように頷く守護者様。呆気にとられていたフィーもふと気付いて叫ぶ。 

 

「ちょっと待って! 勘違い、勘違いだってば!」 

 

「よいよい。わらわは個人の趣味にまで口を出すほど狭量ではない。皆にはきちんと伝えておいてやるとしよう」 

 

 女色って何だろう? 慌てるフィーと戸惑う私を残して彼女は部屋を去って行く。 

 

「だ、駄目! セリア早く服着て!」 

 

「えっでも。私、服持ってませんし」 

 

「私の服適当に着ていいから! 下着も貸してあげる。今はお母さんを止めないと!」 

 

 それだけを言い残すと彼女は慌てて部屋を飛び出したのだった。 

 

 

「ほほうこれはこれは」 

 

「ふむ。あの小さかった娘がここまで化けるとはの」 

 

「セリア……きれいだ」 

 

 朝食の席に姿を現した私を見て皆が驚いたような素振りを見せる。 

 子どもの頃に会ったきりだからこの姿では久々の再会になる。もちろん服を着た状態ではアレンと会うのも初めて。 

 夢見るような瞳でこちらをじっと見詰められると、その、少し困る。 

 犬の姿ならおそらく今頃はぶんぶんと尻尾を振っていることだろう。 

 

「……良かった。アレンがいてくれてホント良かった……」 

 

 憔悴したフィーの様子を見る限り、アレンの口添えがあったようだ。 

 でも、私はそんな彼女に問い質さなければならないことが一つだけある。 

 

「フィー、一つ聞きたいことがあるんですけど?」 

 

「んー何?」 

 

 力なくこちらを向く彼女には酷な質問になるかもしれない。でもこれだけは聞いておかなければいけない。 

 

「どうして私の下着がフィーの荷物の中に入っていたんでしょうか?」 

 

「えっ! あっ、それは、えーと。えへへっ♪」 

 

 自分で言うのも何だが私の下着は特注品。偶然同じ物があるはずはない。 

 笑って誤魔化そうとする彼女をじっと見詰めると観念したのか、それとも言い訳を思いついたのか口を開く。 

 

「あっそうそう、いつかセリアが元に戻った時に必要になるかと思って。絶対お守りとかそういうのじゃないから!」 

 

 お守り、というのが本音なのだろう。何のためなのかは良くわからないが聞かなかったことにしよう。 

 

「でしたら下着以外もお願いしたかったのですけれど」 

 

 大きめの服を選んだつもりだけれどそれでも少しきつい。胸の部分は仕方がないとして腰回りもきついのはどこか悔しい。 

 

「ごめん、そこまでは気付かなかったなあ。あはは」 

 

 ここは誤魔化されておきましょうか。下着だけでも助かったのは事実ですし。 

 それに言わなければならないことはもう一つある。 

 

「あの、守護者様?」 

 

「ん、何じゃ?」 

 

 訝しげにこちらを見詰めてくる彼女に一言告げる。 

 

「部屋の扉、壊してますよ」 

 

 部屋を出る時に気付いたのだが鍵が掛ったままだった。どうやら気付かずにそのまま開けたらしい。 

 

「む……それはその、ああそうじゃ。わらわがやったという証拠はあるまい。最初から壊れてたのかもしれんしのう」 

 

 飽くまでもしらを切り通そうとする彼女の姿に、親子って似るんだなと妙な感慨を覚える。 

 

「何だ、またやったんだ。シアちゃんは力が強いんだから気を付けないと」  

 

「グラスを素手で握り潰すなんてお母さんくらいだよ」 

 

 家族の証言によると初めての経験ではないらしい。 

 「おぬしらはどちらの味方じゃ」と一文字ずつに力を込めながら彼らの頭を掴む彼女の姿を見るに犯人であることは間違いないだろう。 

 

「イタタタッ、割れる割れる! 中身が出る!」 

 

「私はお母さんの味方だよ! ホントだよ!」 

 

 まあ、もう宿の人に言って部屋を替えてもらいましたけど、しばらく黙っていても問題は無いでしょう。 

 私はこの姿での久々の食事を楽しむことに決めたのだった。 

 

 

「どうしてセリアが人間の姿になったんだろうね? またこないだアレンの前で人間になった時みたいにすぐに犬に戻っちゃうのかな?」 

 

「あの、フィー? 犬の姿に『戻る』って言い方は止めてほしいんですが」 

 

 『戻る』の部分を強調しておく。あくまでも人間の姿が元の私なのだ。犬の姿が標準ではない。 

 

「ごめんごめん。わざとじゃないんだよ?」 

 

 そうですか。それならいいんですが。 

 

「ああっ! アレでしょ。また私に隠れてアレンとキスしたんでしょ。もう、そういうことをする時は私を通してくれないと!」 

 

 そういえば、キスで元の姿に戻るかもしれないという話がありましたね。でもそうすると…… 

 

「な、何で私の方を見るのかな?」 

 

 昨日、キスしたのはフィーなんですよね。 

 この場に居る全員がそう思ったようで皆の目が一斉に彼女に集まる。  

 

「……ふう。現実問題としてフィーの服では色々ときつかろう。これで服でも買ってくるとよい」 

 

 守護者様がため息を吐きながら、私にいくらかのお金を渡してくる。 

 1000ゴールド近くあるような気がするけれど本当にいいのだろうか。 

 

「ねえ、色々って何? 具体的に内訳を教えてほしいんだけど?」「言ってもよいのか?」「ごめん言わないで」 

 

 母娘の遣り取りを聞き流しながら、勇者様に顔を向ける。 

 

「綺麗に着飾るのも女の子の義務だよ。……アレンにもっと見せつけてやれよ」 

 

 前半はともかくとして、後半はひそひそ声で。その言葉に顔が熱くなる。 

 アレンはいつの間にか始まった母娘喧嘩を諌めるのに手一杯のようでこちらには気付いていない。 

 好きな男性にはずっとこっちを見てもらいたいと思うのは私のわがままだろうか。

 

「お母さんには負けないからね! セリア行こう!」 

 

 はい? 何ですか? 

 フィーに腕をとられて引っ張られる。 

 

「ふん! 大人をなめるでないわ! 行くぞおぬしら!」 

 

 守護者様は勇者様とアレンの腕をとる。 

 何が何だかわからないまま外に連れ出される私達。

 

「制限時間は今日の夕刻。わかっておろうな?」 

 

「うん。負けた方は勝った方の言うことを何でも一つだけ聞くこと!」 

 

 何の勝負なんですか、一体! 

 

「あのー、アリシアさん。状況を知りたいんですけども」「あるじは黙っておれ!」「はい、ごめんなさい」「僕も一緒なんですか、何で?!」 

 

 三人の声が遠ざかったのを確認して、私も事情を聴く。 

 

「だって、お子様にはファッションの事なんてわかんないって言うんだもん」 

 

 船を探すって話はどうなったんだろう? 

 いつの間にやらこんな話になってしまってどうすればいいのか見当もつかない。 

 

「とりあえず、お風呂行こう。お風呂。昨日、そのまま寝ちゃったみたいだからベタベタする」 

 

「そうですね。私も久しぶりにゆっくりお風呂に浸かりたい気分です」 

 

 今日はこのまま流されてもいいかもしれない。そう思った。 

 

「ねえ、何だろ? あの人だかり」 

 

 一度戻って着替えを持ち、共同浴場に行く途中に出会った人だかり。 

 気になったフィーは私の手を引っ張って前の方へと人込みをかき分けていく。 

 

「そういえば、さ。朝ご飯の席に何か足りないと思ってたんだよね」 

 

「ええ。私も昨夜から何かが足りないようなそんな不思議な気分でした」 

 

 人だかりの中心にあったのは金髪の少年の姿。石畳に突っ伏したままピクリとも動かない。 

 

「そういえば、いたよね。こんなの」「すっかり忘れてました」 

 

 我ながらひどい言い分だと思った。



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第十九話:死して屍拾う者なし

 石畳に突っ伏す少年は全く動きを見せない。まるでそのまま息絶えてしまったかのようだ。 

 周りの群衆は何故か遠巻きに眺めるばかりで、誰一人として助けようとする者はいない。 

 そこにフィーと二人で群衆の輪から抜け出して近付こうとすると後ろから声を掛けられる。 

 

「お嬢ちゃん達、危ないよ」 

 

 危ない? 何が危険だと言うのだろう? 首を傾げるフィーと顔を見合わせる。 

 さらに近付く私達を周りの人々は興味津々で見ているのがわかる。 

 しかし、近付いて初めて気付いた。彼はロトの盾を背中に担いでいる。

 こう言ってはなんだけれど、まるで亀のようだ。

 内心そんな事を考えながら彼の元に辿り着き、しゃがみこんで声を掛けた。 

 

「あの、大丈夫ですか? きゃっ?!」 

 

 伸ばした手をいきなり強く握られ、思わず悲鳴が漏れる。 

 

「一目惚れです、美しいお嬢さん。助けてくれたお礼にボクと結婚しませんか?」 

 

 突然のことにどう対処するべきか迷っていると向こうが先に気付いたらしい。 

 

「何だ、セリアか。今ボクは忙しいんだ、向こうに行っててくれないかな?」 

 

 けだるそうにそう言うと再び元のように石畳に突っ伏す。 

 私の姿に一目で気付いた事に驚きながらもう一度声を掛ける。 

 

「あの?」 

  

 返事がない。ただのしかばねのようだ。 

 どうしたものかとフィーを見上げると、彼女の足が高々と掲げられている。

 

「バカなこと言ってないで、さっさと起きなさい!」 

 

 かかとの着地点は少年の後頭部。周りの群衆から悲鳴が上がる。 

 目の前でその足にはさらに捻りが加えられ、石畳との華麗なコンビネーションが完成した。 

 

「だ、大丈夫ですか?!」 

 

 ……返事がない。ただのしかばねのようだ。 

 灰色の石畳と真っ赤な鮮血に金色の髪が混じり合う見事なコラボレーションがそこにあった。 

 

 

「ったく、何て暴力的な女だ」 

 

 顔を撫でながらコナン王子が愚痴る。 

 慌てて回復呪文を掛けたのが効を奏したようで早めに意識を取り戻してくれて本当に良かった。 

 嫌々ながら掛けたフィーの呪文の方が治りが早かったのはちょっと悔しかったけれど。 

 少年が顔を撫でた所から腫れが引いていく。器用なことに撫でながら弱い回復呪文を使っているらしい。 

 

「いいじゃん別に。町の人達からはすごく感謝されたし」 

 

 コナン王子を連れてその場を立ち去ろうとしたら周りから拍手喝采を浴びたのは意外だった。 

 あまりの凄惨さに顔を背けられてもおかしくない状況だったはずなのに。 

 

「ミニスカでかかと落としした馬鹿女に憐みの拍手を送ったんじゃないの?」 

  

 意地の悪い笑みを浮かべる彼の顔を見て思い出す。

 ああ、そういえば。拍手してたのは男性が多かったような。 

 フィーは気付いてなかったらしく、今さらながらにスカートを押さえている。 

 

「き、気付いてたなら教えてくれてもいいじゃない!」 

「下着が見えるのなんていつものことじゃないですか。ひょっとして気付いてなかったんですか?」 

 

 私の言葉に慌ててスカートを押さえながら周りを見回す彼女の後ろでコナン王子が笑顔で親指を立てる。 

 意味がわからず首をかしげると「何だ。天然か」とため息を吐く。 

 意味はわからないが、あまり良い意味を持つ言葉ではないと思われる。 

 

「大体、ムーンペタを出てからずっとウェイトレス姿だったことに疑問を持っていたわけですが」 

「それは、うん、まあ、宣伝っていうか。それと引き換えにちょっぴりお給金に色を付けてもらったというか。うーん、この際だから私も服買っちゃおうかな」 

 

 まあとりあえずは当初の予定通り共同浴場へ。 

 話しがまとまったところでコナン王子を引き連れて向かう。 

 

「あーそうそう。船の話なんだけどさ。ここの船はほとんどがある個人の所有らしいよ。何でも大金持ちの爺さんがここら一帯の権利を買い取ったって話しなんだけど」 

 

 船? 

 一瞬何のことかわからず、フィーの方を見る。 

 どうやら彼女も心当たりがないようで首をかしげている。 

 

「どうして二人してそんな呆けた顔してるんだよ? 師匠達と分かれて情報収集してるんじゃないの?」 

 

 訝しげなコナン王子の顔を見て唐突に思い出した。 

 そういえば、この街には船を捜しに来たんでしたね。 

 

「そっ、そうそう! 情報収集してるんだよ、私達っ!」 

 

 フィーの取り繕うような言葉に明らかな嘘を感じたのだろう。 

 コナン王子はため息を吐くとこちらを見る。 

 事情説明を期待されているのは間違いない。特に嘘を吐く必要性も無いので正直に話す。 

 

「突然、人間の姿に戻ってしまったので着る服が無いんです。それで買い物に来たんですけど」 

「ああ。それなら仕方ないか。で、師匠達は?」 

 

 焦ったような様子を見せるフィーに目を向ける。そんな私に釣られてかコナン王子も彼女を見る。 

 

「えーと、ちょっとお母さんと勝負をすることになっちゃって。……そうだ! アンタも私達の側に付きなさい!」 

 

 良いことを思い付いたとばかりに、半眼で睨む少年に指を突き付けるフィー。 

 どう反応するべきか迷った様子でこちらを見る彼にそっと首を振って見せる。 

 

「はあ……何をすればいいのかわからないけど、とりあえず報酬は?」 

「年上のきれいなお姉さん二人と半日デート出来る権利、でどう?」 

 

 コナン王子は深く深くため息を吐くと疲れたように両手を挙げる。 

 

「……うん。まあいいや、それで。もう降参」 

 

 その気持ち、すごくわかります。 

 彼の手を両手で包みこむとはっと驚いたように顔を上げる。 

 目を合わせると、彼にも何かが通じたような気がした。 

 

「ボクのことはコナンでいいよ。格式ばったのは嫌いだからさ」 

「では私の事はセリアで……と、そういえば以前から普通に呼ばれてましたね」 

 

 二人で笑みを交わす。 

 

「それじゃ仲良くなった所で行こうか、二人とも。あ、私の事はフィーアお姉さまと呼びなさい」 

「誰が呼ぶか」 

小声で毒づく少年を見てふと悪戯心が湧き上がる。 

 

「ではエスコートをお願いしますね、コナン」 

 

 腕を伸ばすとこちらの意図に気付いたらしく、ひざまずいて恭しくその手を取る少年。 

 

「はい。それでは参りましょうか、セリアお姉さま」 

 

 笑みを交わし、コナンを先頭にして歩き出した私達をフィーが呆けた顔で見送る。 

 しばらく歩き、ふと振り返り彼女を呼ぶ。 

 

「行かないんですか、フィーアお姉さま?」 

 

 その一言で気付いたのだろう。彼女の顔にさっと朱が差す。 

 

「もう! お姉さま禁止! いじわるも禁止!」 

 

 走り寄り、少年の背後から抱き付く。 

 

「何でわざわざボクに抱き付くんだよ、胸無し女」 

「胸無し言うな。私が普通なの、セリアがおかしいの」 

 

 おかしいと言われても困るんですよね。だから便乗してつないだ手にしがみついてみる。 

 

「ふおっ!? やわらか……じゃなくて! 他人の物には手を出さない主義なんだって! アレンにバレたらボクが殺される!」 

「だいじょうぶですよ、ただのスキンシップじゃないですか」 

「何で私の時と明らかに反応が違うの。すごい不公平を感じるんだけど?」 

 

 こうして私達三人で過ごす休日のひと時が始まったのでした。 

 

「まずはお風呂屋さんに行きたいんですけど、どこにあるんでしょう?」 

「お風呂屋? それは性的な意味の?」 

「そんなわけないでしょうが!」 

 

 時々私には意味の分からない言葉が会話に混じるのだけが心配です。 

 お二人には私なんかが及ばないくらいの知識量があるのだと感心するばかり。 

 私ももう少し世の中を広く知るべきなのでしょうね、きっと。



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第二十話:威風堂々

「こんな感じでどうでしょうか?」 

 

 裾の赤がアクセントとなった白いローブを試着して、2人に見せる。 

 フィーに借りていた服は、その、何というか肌の露出が多いというか。 

 身体の線がはっきり見えていて恥ずかしいというか。 

 

「ダメ。露出度が低い」 

 

 声を揃えて駄目出しをするフィーとコナン。 

 普段あんなに反目し合ってるわりにこういう時は仲が良いんですよね。 

 

「露出度って言われましても……」 

 

 先程までミニスカートのウェイトレス姿だった彼女はショートパンツ姿。 

 確かに下着が見える事は無いだろうけれど健康的な肌色の長い脚は丸見えである。 

 

「私はフィーみたいにはなれませんし」 

 

 纏まりのない自分の紫色の髪を赤紫の頭巾に押し込めながら彼女の容姿を羨ましく思う。 

 真っ直ぐでサラサラとした銀色の髪、よく出来た人形かと思うほどに冷たさすら覚える整った容貌。 

 背は高くほっそりとしていて特に腰の細さなんてまるでコルセットを身につけているよう。 

 スラリと伸びた脚も陶器のように滑らかで細く美しい。ローレシアの妖精姫の異名は伊達ではない。 

 

「今、さらりと凄い嫌味を言われた」 

 

 でも、彼女には自覚がないようだ。 

 私が唯一勝っている部分が気に入らないらしい。 

 

「武器は装備しなきゃ意味が無いんだ。持ってるだけじゃダメなんだよ?」 

 

 コナン。私もこれを武器として持ってる訳じゃないのでお断りします。 

 出来るならば捨てたいくらいなんですけど。 

 

「それを捨てるなんてとんでもない!」 

 

 そうですか。では、私もこんなことを言いたくは無いんですけど、あえて言わせてもらいます。 

 

「首輪が邪魔であまり露出度の大きな服を着ると誤解されかねないんですが、お姉さま?」 

 

「あうっ。お、お姉さまは止めて」

 

 先程のお風呂屋で好奇な視線で見られたのをお忘れですか? 

 幸い、コナンが事前に対処法を教えてくれていたから良かったものの。 

 

「あれ、アンタが吹き込んだの?! 何てことするの!」 

 

「視線なんてのは適度に分散させればいいんだよ。大体自業自得だろ?」 

 

 言い争いを始める2人を横目に、代金を支払う。 

 何かもう、疲れてきました。 

 

 

 店を出た私達は港へと向かう。 

 

「船を牛耳ってる爺さんなんだけどさ。愛人募集中らしいんだ。だからどちらか2人が……」 

 

「却下」 

 

「私も婚約者が居ますし」 

 

 その人物はたいそう頑固な商人だそうで、お金にならないことに首を縦に振る事は滅多に無いらしい。 

 

「それじゃもう一つの手段。年頃の孫娘を可愛がってるらしいからアレンか師匠に……」 

 

「却下。何で色仕掛けばっかりかなあ? 大体アンタが誘惑すれば済むことじゃない」 

 

「嫌だ。タイプじゃない」 

 

「あの、真正面から誠心誠意お話すれば貸して頂けるのではないでしょうか?」 

 

 再び言い争いを始める2人に真っ当な手段を提示してみる。 

 

「却下。それは面白くない」 

 

 もうイヤ。2人声を揃えてそう言われた時。私の心に浮かんだのはアレンの顔でした。 

 

 

「ほら、ダメだったろう?」 

 

 駄目で元々で行ってみたんですけど、やっぱり駄目でした。 

 勝ち誇ったように笑うコナンの姿が憎らしい。 

 

「賃貸料はムーンブルク王国が払うと言ったんですけど、確約は出来るのかと問われて」 

 

 船が高価なのはわかるんですけどさすがに200万ゴールドなんて金額は私の一存では出せません。 

 出来ないのなら愛人になれとか言われましても。 

 

「ムカついたからぶん殴ってきた」 

  

 私のついでに愛人になれと言われた事が腹立たしかったようです。 

 兵士を呼ばれなかったから良かったものの、あまり暴力沙汰は起こさないでください。  

 

 交渉の余地がもうありません。意気消沈する私達を見るコナンはどこか余裕を持っているように見える。 

 何か手段があるというのだろうか? 

 

「昨夜のうちに種は蒔いといたからね。もう少し待ってると面白い事になるよ」 

  

 目の前の屋敷が何やら騒がしくなってきた。 

 使用人が右往左往する姿が表の通りからもよく見える。 

 

「何があったんでしょう?」 

 

「可愛いお嬢様が行方不明になったんだよ」 

 

 そう言って笑うコナン。ってまさか?! 

 

「そう言えば、孫娘の容姿も知ってたし。まさか、アンタが誘拐したとか?」 

 

「それこそ、まさかだよ。そんな危ない橋を渡るわけ無いじゃないか」 

 

「じゃあ、どうして?」 

 

 話を聞いてみると、どうやらそのお嬢様の友人と昨夜意気投合したらしい。 

 その伝手である噂を流したのだそうだ。 

 

「街外れにある林の中に1人で行けば妖精が見えるって言っといた」 

 

 嘘を言って未成年の少女を家出させる。犯罪とは言い切れないかもしれませんが社会通念上、許される行為ではないと思います。 

 急いで街外れに向かう私達の耳に少女の悲鳴が。 

 茂みから飛び出してきた彼女は恐怖に顔を強張らせながら先頭を歩くフィーに抱きつく。 

 

「たっ、助けてっ! 魔物たちが私をっ!」 

 

 彼女を追って飛び出してきたのはグレムリンという魔物。 

 背中に蝙蝠の羽が生えた小さな悪魔のような姿が3体。間違っても妖精ではない。 

 

「ケケケ! その女を渡しなっ!」 

 

「ねえ? これもアンタの仕込み?」 

 

「いやあ。さすがにこれは予想してなかった」 

 

 魔物と対峙してるにも係わらず落ち着いた言葉を交わす2人。 

 グレムリンの表情にもどこか焦りが見える。 

 

「そんな事はさせません!」 

 

 私の言葉に気を持ち直したように見えたのは気のせいだろうか。 

 

「ケケケ。バカな奴……。お前達もここで食ってやろう」 

 

 襲いかかってきた3体のグレムリンに向かって手を伸ばす。 

 私の右手に纏うは風。 

 

「バギ!」 

 

 真空の刃がその身体を押し止め、切り裂いていく。 

 血を辺りに散らせながらもグレムリンは空に浮かんでいる。 

 フィーに習ったばかりの付け焼刃ではこれが限界のようだ。 

 

「マホトーン」 

 

 呪文を唱えようとしたグレムリンが口を押さえる。 

 コナンが声を封じることで呪文を紡げなくしたようだ。 

 断定出来ないのは、効果があからさまに目に見えないからである。 

 

「イオラ!」 

 

 動きを止めたグレムリン達の真ん中で白い光球が弾ける。 

 大音響と共に衝撃が走り抜け、おさまった時には林そのものが吹き飛んでいた。 

 

「いや。やり過ぎだろ、コレ」 

 

 街の方から人々が集まってくる。 

 いくら街外れとはいえ、これほどの騒ぎを起こせば当然だろう。 

 

「終わったよ、大丈夫?」 

 

 へたり込んでいた少女に回復呪文を掛けながらフィーが問い掛ける。 

 必死に逃げていたのだろう、その顔や肌が露出した部分には小枝で擦ったのだろう傷がいくつか見られた。 

 真っ白な光に覆われその傷が消えていく。 

 

「あっあの! 危ない所をどうもありがとうございました、妖精さん!」 

 

 妖精さん? そう叫ぶ彼女の眼はフィーを見上げている。 

 

「えっ?! わ、私の事?」 

 

「はいっ! 私について来て、どうかうちのおじい様にも会ってくださいな」 

 

 彼女の剣幕に押されるようにそのまま先程の屋敷へと連れて行かれる私達。 

 慌ただしかった屋敷に少女が姿を見せると件の老人が出迎える。 

 

「おぬしらは先程の」 

 

「おじい様、ちょっと……」 

 

 彼女が耳打ちをすると彼の顔に驚きが広がった。 

 

「可愛い孫娘を助けてくださったそうで何とお礼を言ってよいやら。おおそうじゃ! おぬしらに船をお貸ししようぞ。わしに出来るのはそのくらいじゃ。どうか自由に乗ってくだされ。明日までには手配しておきましょうぞ」 

 

 コナンの妄言から、ここまでトントン拍子に話が進むとは思いませんでした。 

 

「えーと。何か罪悪感がひしひしと」 

 

 顔を覆うフィーに少女が近付き、その手をとる。 

 

「本当にどうもありがとうございました、妖精さん。これからは危ない所には近付かないよう気を付けますわ。でも、時々は顔を見せに来てくださいね」 

 

「結局、妖精さんで固定されましたね」 

 

「終わり良ければ全て良し。まあ世の中こんなもんだろ」 

 

 こうして私達は思いがけず船を手に入れることとなったのでした。 

 

「ご主人様だの、妖精さんだの、全部、アンタのせいじゃないの!」 

 

「妖精はともかく、ご主人様は自業自得だろ? 『この首輪似合いますか、ご主人様』って言わせただけじゃないか。ボクのせいにしないでくれるかな」 

 

 三度言い争いを始める仲間達の姿にそっと溜息をついた。



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第二十一話:物言えば唇寒し秋の風

 守護者様との約束の時間は夕刻。 

 今は昼を少し過ぎた辺り。私達三人は余った時間を買い物に費やすことに決めた。 

 

「あれ? 何だろこれ?」 

 

 露店で古本を物色していたコナン王子が不思議そうな声を上げる。 

 

「何ですか? 『知られざる勇者の真実』? こんな本があったんですね」 

 

 手渡された本を広げようとすると横から伸びた白い手が奪い去る。 

 

「ダメ。この本は読んじゃダメ」 

 

 胸に押し付けるようにギュッと抱き締めながらフィーは首を横に振る。 

 見られてはまずい内容なのだろうか? 

 

「どうして?」 

 

「どうしてもっ!」 

 

 彼女は店の主にお金を押し付けると通りの向こうまで走り去ってしまった。 

 そんな彼女を見て、コナンと顔を合わせる。 

 

「ところで、ここにもう一冊あるんだけど。どうだいお二人さん?」 

 

 商売上手ですね、店主さん。 

 遠くからこちらをうかがっているフィーに見えないようにして、買った本を開く。 

 

『ローレシアの道行く100人に聞きました。勇者様ってどんな人?』 

  

 真実というほど大層な物ではないただのゴシップ記事のような見出しが不安を煽る。 

 

「ロリコンと答えた人は78人……マゾと答えた人は21人……犬1人」 

 

 回答を読んだコナンが額を押さえて天を仰ぐ。 

 その気持ち、すごくわかります。 

 

『12才からお城で働き始めたんですが19才の誕生日を迎えるまで毎日のようにデートに誘われました。今は全然です……ローレシア城使用人(20才)』 

 

『毎日毎日奥さんに殴られるわ、蹴られるわ、燃やされるわ。それなのに毎日が新婚さんみたいでさ。ありゃ絶対マゾに決まってる……城の兵士(32才)』 

 

『まあ、番犬代わりにはなるのう……銀髪の少女(年齢不明)』 

 

 最後の人にちょっとだけ心当たりがありそうな感じが真実を突いているようで実に怖い。 

 次のページに進むと新たな見出しが躍る。どうやら筆者が意図した結果が得られなかったようだ。 

 

『肩書きで聞いたのが失敗でした。名前で聞けば良かったんです。 

 ズバリ! アレクさんってどんな人? 先程の100人にもう一度聞きました』 

 

「誰それ、が99人……師匠、これはさすがにどうかと……」 

 

 惨憺たる結果だ。でも正直これを読んでいる私達ですら誰の名前だったか一瞬戸惑ったほど。 

 子孫ですらそうなのだから一般の人に結果を求めるのは酷かもしれない。 

 

「あ、まだ、1人残ってるじゃないですか。ひょっとするとその人が……」 

 

『アレク? おおそういえばわらわの家で飼っておる犬がそんな名前であったかのう……銀髪の少女(年齢不明)』 

 

 ……これはひどい。フィーがこの本を見られることを嫌がるのも無理は無い。 

 まだページは残っているのだが見ない方がいいのかもしれない。 

 

「この次の特集は『ローラの日記の真実に迫る』か。なになに……『勇者の泉は探索中に水を汲もうとした勇者様が溺れ……」 

 

「すみません。もう聞きたくないです」 

 

 未だ本を読み続けるコナンをそのままにして、私はフィーの元へと歩き出した。 

 

 

「この髪飾り、金色の髪によく似合うと思わない?」 

 

「それはボクに女装をしろと言ってるのかな?」 

 

 穏やかに、一見すると和やかな会話を続ける2人。 

 先程の本のことは無かった事にしておこうと思う。 

 2人があれをどうしたかすら私は知りたくないということもあるし。 

 

「セリアさまにはこちらの耳飾りはどうでしょうか? 小さな物でしたらそれほど邪魔にもなりませんし」 

 

 赤い小さな石がはめこまれた耳飾り。 

 このくらいなら旅の間身に付けておいてもいいだろう。けれどふと思う。 

 これを付けたまま犬の姿になる自分のことを。それはあまりにも物悲しい。 

 

「申し訳ありませんけれど、お返しします」 

 

 差し出された耳飾りを傍らに立つ少女へ返す……? 

 

「あらそうですか。残念です」 

  

 目の前にはニコニコと微笑む金髪の少女の姿。 

 なぜいつも彼女は唐突に姿をあらわすのだろう。とても不思議に思う。 

 

「マリナ様、いつこちらへ?」 

 

「さあ? わたくしはいつからここにいるのでしょうか」 

 

 少女はくすくすと笑うばかり。こちらの質問に答える気はないようだ。 

 そもそも私達と同じ進路を辿ったはずならばあの川をどうやって渡ったのだろう? 

 けれど、彼女がその質問に答える事はない。それがわかるからこそ歯がゆい。 

 

「あー! またいる!」 

 

 そんな庭を荒らす野良犬を見付けた訳じゃないんですから、大声を上げなくても。 

 

「お、ちょうどいいや。金貸してくれよ」 

 

 出会って早々妹にたかってどうするんですか。 

 

「あら、お兄様。小耳に挟んだのですが何でも南の角の酒場にとても立派な胸の方がおられるとか」 

 

「何点?」 

 

「実際に見たわけではありませんからそこまでは」 

 

 それを聞いたか聞かないかのうちに足早に立ち去るコナン。 

 雑踏の中に消えていく彼を見送って、こちらに振り向くマリナ様。 

 

「さて。お兄様の事で一つお耳に入れておきたい事がございます」 

 

 珍しく真剣な表情を見せる彼女の姿に、どこかやさぐれていたフィーも姿勢を正す。 

 歩きながら話しましょうか、と促す彼女をフィーと2人で挟むようにして歩く。 

 彼女の話によると、コナンには将来を誓い合った侍女がいたらしい。 

 けれど母親である王妃様の反対によって引き離されてしまったのだそうだ。 

 彼はそれからずっとどこからか美人の話を聞けば確かめに行くそうだ。 

 たった一人の女性に出会うために。 

 見れば、フィーの瞳は涙で潤んでいる。私も同様だろう。 

 まさか、彼の行動の裏にそんな真意が隠されていようとは思いもしなかった。 

 

「当時の彼女の年齢は19才。今現在は31才、三児の母になっておりますわ」 

 

 はい? え? あれ? 

 

「ちょっと待って。それって……31-19で12年前のこと?」 

 

「ええ。お兄様は当時3才でした。19才を迎えても未だに浮いた話の一つも無い彼女の事をお母さまはとても心配なさって、縁談を勧めたそうですわ。お兄様は必死に反対されたのですけれど」 

 

 えーと。13年前に3才だったアレンと婚約した私が言うのも何ですが。 

 3才の王子との結婚の約束って侍女にとっては社交辞令のような物では? 

 

「女の子が生まれていればお兄様の許嫁にというお話もあったのですけれど残念ながら男の子にしか恵まれなかったそうで。とても申し訳なさそうにしておりました」 

 

「会った事あるんですか?」 

 

「ええ。結婚後も侍女を続けておりますもの」 

 

 彼女の話を総合すると。

 幼い頃に結婚の約束をしたつもりの侍女が結婚してしまった、ということですよね。 

 

「それで、何を探してるの?」 

 

「もちろん、その彼女と合致する女性を、ですわ」 

 

 何が、と問うまでもないだろう。 

 コナンが入って行ったらしい酒場の扉を開く。 

 軽快な音楽と共に小高いステージの上で上半身をむき出しにした男性が大胸筋を誇示しながら踊っている。 

 コナンはというと、ステージから最も遠い片隅のテーブルに突っ伏したまま泣いている。 

 私達の姿に気が付くとおもむろに立ちあがって猛然と走ってくる。 

 

「騙したな、マリナ!」 

 

「まあ、騙したなんて人聞きの悪い。ただ、立派な胸の方がおられると申しただけですわ」 

 

 男とも女とも申しておりませんし、と続ける少女。 

 うなだれるようにしてゆっくりとテーブルに戻り、再びしくしくと泣き始めるコナン。 

 その姿はあまりにも痛々しい。思わず彼の後ろに回りこみ、ギュッと抱き締める。 

 その身体が緊張で強張るのがわかる。意外と純情な少年らしい様子がどこか愛らしい。 

 

「落ち着きました?」 

 

「うん。92点だね」 

 

 はい? 

 何の事かわからずに首をかしげる私に彼は告げる。 

 

「アレンよりも先に君に出会っていれば良かったよ」 

 

 えっあの、それって? 

 戸惑う私にさらに続ける。 

 

「それとセリア? 気付いてないかもしれないけどブラが合ってない。ボクはもうひとつ上のサイズでもいいと思うよ」 

 

 私は彼の首に回した両腕にグッと力を込めた。



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第二十二話:交錯する運命

 世界でも有数の港街ルプガナには多くの人や物が集まってくる。  

 中心となるのはやはり商人。そして彼らの持つ世界中から集められた品々を目当てにした人々。 

 商業都市として名高いサマルトリアへ通じる玄関口でもあるこの街には様々な人がいる。 

 親子連れの姿もちらほら見える。それなら当然迷子も多いのだろう。

 目の前のこの女の子のように。

 

「ママ!」 

 

 銀色の髪の少女がフィーの腰に抱き付いている。 

 いつかどこかで見たような光景だ。 

 

「まあ。フィーアさまは子持ちだったのですか?」  

 

 あの光景を知らないマリナ様が驚いたように声をあげる。 

 

「ええっ!? ち、違うよ。あ、ひょっとしてまたお母さんのイタズラ?」 

 

 両手で肩を持って引き離された少女の顔は涙に濡れ、守護者様とは似ても似つかぬ表情を見せる。 

 明らかに別人なのは彼女を知っている人間ならば誰にでもわかるだろう。 

 

「ふぇぇ……ママァ」 

 

 涙をポロポロとこぼしながら泣きじゃくる銀色の髪をのばした5才くらいの少女。 

 これが狂言でないことは明白だ。 

 眼の前で母親と呼ばれながら女の子に泣かれたフィーの顔はひきつっている。 

 

「銀色の髪なんてそうはいないよなあ」 

 

 そうですね。私も友人の言葉を信じないわけではありませんがこれはちょっと。 

 

「だから違うってば! ……ああ、違うの違うの。別にお嬢ちゃんのことを怒ったわけじゃないんだからね」 

 

 あやすように少女の頭を撫でるフィー。 

 そんな縋るように私の方を見られても困ります。私も子供をあやした事なんてありませんし。 

 見るに見かねてか、マリナ様がそんな2人に近付いて膝を着くとおもむろに涙を流す少女を抱き締める。 

 

「大丈夫。この世界には悲しい事なんて一つもありません。悲しい事は勇者さまがみーんなやっつけてしまいますから」 

 

 普段は全く見せないとても優しい声で囁くマリナ様。 

 首元に顔を埋めて嗚咽を漏らす少女の背中を落ち着くまでずっと撫でさする。 

 私達はそんな様子に何も出来ないまま、指をくわえて見ている事しか出来なかったわけで。 

 

 

「まったく。大の大人が揃いも揃って子供一人あやす事も出来ないとは……」 

 

 面目次第もございません。 

 

「ボクの名前はコナン。君の名前は?」 

 

「……ノイ」 

  

 近くの食堂に入り、私とフィーが年下の女の子に説教をされている横でコナンが事情を聞いている。 

 意外に優しいのは将来有望だからだそう。何が、と聞くまでも無いだろう。 

 

「へえ、自分の名前を書けるのかい? それはすごいね」 

 

 褒められた少女の顔には笑みが浮かんでいる。 

 さっきまで泣いていたのが嘘のようだ。 

 ちなみに子供はある一定の年齢になると文字や数学の勉強をすることが義務付けられている。 

 大抵は街の中にいくつかそういう場が設けられるものだが家庭内で教育されることもある。 

 彼女はまだそこまでの年齢に達していないのでおそらく両親に教わっているのだろう。 

 

「おふたりとも。わたくしの話を聞いてますか?」 

 

 逃避していた思考が現実に引き戻される。 

 こちらの少女の顔にも優しげな笑みが浮かんでいるのだが、背筋に悪寒が走るのは何故だろうか。 

  

「だから、私はその、気が動転して――」 

 

「黙りなさい。これから世界の脅威に立ち向かおうとしている人間が泣いている少女一人に心を乱してどうするのですか」 

 

 それはとても正論ではありますけれど、勇者様もこの状況に陥ったらうろたえそうな気もするんです。 

 言い訳を始めようとしたフィーをバッサリと斬り捨てたその言葉に心の中で反論する。 

 あくまでも心の中だけです。……怖いので。 

 

「じゃあ、マリナちゃんが街中で突然『ママ!』って抱き付かれたらどうするの?」 

 

「もぎます」 

 

 フィーの問いにきっぱりと即答する少女。 

 

「もぐ?」 

 

「ええ。ありとあらゆる手段を使って父親を見つけ出してもぎます。妻に逃げられたうえに娘からも目を離すような男性にはもう必要無いでしょうから」 

 

 何を、と聞くと、ナニを、と戻ってくる。 

 ナニ? 何? 

 首を傾げているとマリナ様が私の両手を握りじっと見つめてくる。 

 

「セリアさま。いつまでもそのままの貴女でいてくださいね?」 

 

 その言葉に同意するように何度もうなずくコナンとフィー。 

 泣きやんだ少女はそんな私達を不思議そうに見回す。 

 常々思っていたが、世の中には私の分からない事が多すぎて困る。 

 アレンに聞いたら教えてくれるのだろうか? 

 

「ところで、妻に逃げられたというのは?」 

 

「お父さんと一緒に、いなくなったお母さんを探しに来たんだってさ」 

 

 コナンが女の子の頭を撫でながら私の問いに答える。 

 撫でられている少女に嫌がる素振りは見られない。 

 一部の女性にはひどく毛嫌いされている少年も子供には受けも良いようだ。 

 

「お兄様はただの変態と思わせておいて実は一途と思いきや心の底から真性の変態というある意味稀有なキャラクターなのです。あまり見くびってもらっては困ります」 

 

 私の心の中を読んだかのようにそんなことを言うマリナ様。 

 でもそれだと自分の兄は変態だから気を付けろという意味になるのでは? 

 

「ノイちゃん、デートの予約をしたいんだけどいいかな?」 

 

「よやく?」 

 

「うん。15才になったらお兄ちゃんとデートしっ!」 

 

 言い終わるのを待つまでもなくフィーの渾身の肘打ちが少女からはテーブルの陰になって見えない位置に炸裂する。 

 正確に言うと肋骨の下辺りか。声も出せずに悶絶する少年の姿を冷たく見下ろすフィー。 

 テーブルの下ではぎりぎりとコナンの足を踏みにじっている。 

 どうやら避けられないように足を踏みつけた上で肘を当てたようだとマリナ様が耳打ちしてくれた。 

 

「このお兄ちゃんは冗談が好きだから、素直に聞いてると怖い所に連れてかれちゃうぞ?」 

 

 茶目っ気たっぷりに言い聞かせているつもりなんでしょうけどこちらからは一部始終全て見えているのでフィーの方がよほど怖いのですが。 

 

「そうですね。たまたま見付けたのがわたくし達であったから良かった物の、世の中には小さな女の子にしか興味の無い男性やふくらみかけ最高などと人目もはばからず宣言する男性もいるのです。気を付けるに越したことはございませんわ」 

 

 その言葉を聞いてコナンと同じようにテーブルに突っ伏すフィー。 

 ひょっとしてその男性って勇者様の事でしょうか。 

 しくしくと泣き真似をするフィーの頭を、とことこと近付いてきたノイちゃんが撫でる。 

 

「おねえちゃん、だいじょうぶ?」 

 

「ううう……ホントこの娘はいい子だね」 

 

 抱き上げて頬擦りするフィーは何かを決心したように立ち上がる。 

 

「よし! お姉ちゃんに任せておきなさい! 絶対にお父さんかお母さんを見付けてあげるから」 

 

 またそうやって安請け合いして。……まあ約束の時間まではまだ猶予もありますしこのまま警備の兵士に渡してはいさようならというのも後味が悪いのですが。 

 

「ノイ!」 

 

「あっ、パパ!」 

 

 入口の方から男性の声が響き、少女がそれに応える。 

 あっさり見つかりましたね。フィーは拳を突き上げた姿勢のまま固まっている。 

 

「申し訳ありません。娘がお世話になったようで」 

 

 駆け寄って娘を抱き締める父親の姿。年の頃は三十代後半くらいでしょうか。 

 服装から素性を読みとれるほど私も世の中を知っているわけではありませんが、旅装をしていることからこの街の人間では無いということくらいはわかります。 

 

「ええ。本当にお世話致しました」 

 

 微笑みながら言い放つマリナ様。 

 とても優しそうな笑顔に見えますが目が笑ってませんよ。 

 先程までの私達と同じように、男性は気圧されたかのように視線を彷徨わせる。 

 やがてその視線は一点で止まると目を見開く。 

 

「トリス!? どうしてここに?」 

 

 トリスと呼ばれたのは振り上げた拳をそっと下ろして何事も無かったかのように取り繕っている銀髪の友人。 

 男性はその手を取ると彼女の顔を見て感極まったように泣き出す。 

 どうしていいか分からないとこちらを見る彼女に私達は図らずも揃って同じ一言を告げた。 

 

「ああ、やっぱり」 

 

「やっぱり違うっ! やっぱりじゃないっ! やっぱり言うなっ!」 

 

 事態はますます混迷の度合いを深めていた。 

 

 

「だーかーらー、違うって言ってるじゃない! 私の名前はフィーア! 現在18才彼氏募集中!」 

 

 食堂の店主さんに騒いだ事を怒られた私達は個室を頼み、事態の打開を試みることに。 

 といってもただ単にフィーの身元を明らかにするだけなのですが。 

 

「彼氏募集中は別に言わなくても……」 

 

 そう口に出した途端睨まれる。先程の事がよほど腹に据えかねたらしい。 

 

「彼女の身元はムーンブルク王女セリアの名の元に確かに保証いたします」 

 

 子供の頃の彼女を知っているのはこの場では私だけ。 

 当然、ここは私が第三者として名乗り出るべきだろう。 

 そう考えての言葉だったのだが、思った以上の効果があったようだ。 

 

「お、王女様……?」 

 

「ええ。そうですが何か?」  

 

 そう告げた途端、彼はその場に平伏する。 

 

「い、今までの数々の無礼、お許しください……! こら、お前も頭を下げるんだ」 

 

 きょとんとする娘の頭を押さえようとする父親の姿にこちらが驚いてしまう。 

 

「あ、あの、そこまでされると困るのですが」 

 

「この世界を救った勇者様の子孫であるセリア様に私の家庭の事でご迷惑をお掛けいたしました事、ひらにご容赦願いたく……」 

 

 先程まで頬を膨らませていた友人に目で助けを求める。 

 こちらを指差して声も出さずに笑っている所をみると助けてくれるつもりは無さそうだ。 

 仕方なく、傍観していた兄妹の方を向く。 

 兄の方はフィーと同じように指を差して吹き出すような仕草を見せる。 

 本人達は嫌がるだろうが本当に良く似ていて困る。きっと2人は同族嫌悪というものなのだろう。 

 反対に比較的常識人の妹の方は呆れたような顔をして助け船を出してくれた。 

 

「そんなに畏まる必要はございません。セリアさまもそうおっしゃっておりますわ」 

 

「ですが!」 

 

 なおも平伏を続ける男性にマリナ様はあくまでも声だけは優しく言い放つ。 

 

「まあ。わたくしのお願いが聞けない、と?」 

 

 こちらに向けられた言葉ではないのに背中に冷たい物を差し込まれたような感覚。 

 目の前の男性はどれほどの恐怖を味わったのだろう。 

 跳ねるように起き上るとその場に尻餅をつく。 

 

「め、滅相もございません! 今までの態度は謝ります! ですから娘だけは何とぞ…!」 

 

 何か余計に拗れてしまったような気もするのですが。 

 

「気にすることは無いよ。ボク達はあくまでもお忍びの旅の途中なんだ。そこのおバカがいきなり名乗ったのが問題であって君自身には一切の問題は無い」 

 

 ……おバカで悪うございました。 

 珍しくまともな論調で事態の収拾を図るコナン。 

 何だかんだ言ってもやっぱり男の子。こういう時は頼りになりそうだ。 

 

「そもそもの原因は君の娘がそこの胸な……ゴホン、そこの女性を自分の母親と間違えたこと。だから責任を取ってもらうために娘さんをボクにっ――――!?」 

 

 何かを口走りかけたコナンを挟むように金と銀の少女が動く。 

 一瞬の後には床に倒れ伏して悶絶する少年の姿。 

 

「少しは後始末をする人間の身にもなってくださいませんか、お兄様?」 

 

「いいかげんその性格直した方がいいと思うな、私」 

 

 私はその場にひざまずき、呆気にとられた様子の男性の右手を握りもう片方の手を覆い被せるようにして目線を合わせる。 

 

「あの、お気になさらないでください。そのように畏まられると私達の方が困ってしまいますので」 

  

 何故か男性の頬は赤く染まり、ただ無言でコクコクと頷いている。 

 私が何かまたおかしな事をしたのでしょうか? 

 

「そうそう。私のお父さんだって一応は勇者だけどそんな扱いされたら気持ち悪いって言ってたから大丈夫だよ」 

 

 それよりも何よりも認知度が低すぎて自称勇者みたいな扱いしか受けていない所をもう少し気にするべきではないかと思うのですが。 

 

「ゆ、勇者様のお嬢様で? 申し訳ございませんでしたっ! まさかそのような身分の高い方とは思わず! このうえは私の腹を搔っ捌いてお詫びを――――!」 

 

 再び繰り返される喧騒に、思わず顔を見合わせた私達でした。 

 

 

「失礼いたしました。まさか皆様がそのように身分の高い方々とは思いも寄らず」 

 

「いや、もうそれはどうでもいいから。奥さんの事を教えてよ」 

  

 ようやく落ち着いて聞き出した所によると。 

 何でも奥様は彼とは二度目の結婚だそうで、最初の結婚の事は詳しくは知らないけれどそれなりに仲良くやっていたそう。 

 ノイちゃんは2人目の子供で、村では長男が家で留守番をしているとか。 

 3人目の子供が生まれてすぐにその子を連れて家出をしたらしく、非常に心配しているとのこと。 

 

「それって単に奥さんが浮気してて旦那さんの子供じゃないから逃げたってだけじゃないの?」 

 

「それは……村の者にも言われました。けれど、僕は彼女を信じてるんです。愛してるんです」 

 

 奥様が家出をした理由がよく分かりませんね。 

 子供が産まれた途端、ということですからその子供が何か関係しているのでしょうが。 

 

「フィーアさま?」 

 

 マリナ様が突然友人の名を呼ぶ。そちらを見ると、どこか様子がおかしい。 

 

「ううん。大丈夫、大丈夫だから」 

 

 大丈夫と繰り返しながらもその顔色は真っ青でよろめく彼女を椅子に座らせる。 

 

「フィー?」 

 

「うん。ちょっと驚いただけだから気にしないで」 

 

 さっきの話のどこに驚く部分が? 

 あっ! ま、まさか、奥様の浮気相手って……? 

 

「何かすっごく失礼な事考えてるような気がするんだけど、絶対違うから」 

 

 違うんですか。 

 怒ったことで少し頭に血が上ったのか幾分顔色を戻したフィーが力強く否定する。 

 でも、どうして私の考えている事が分かったのでしょう? 

 

「フィーアさん、でしたか?」 

 

 首を傾げていると男性が彼女の名を呼ぶ。 

 

「ええ。そうです」 

 

 椅子に座る彼女の前に来るとそのまま深く頭を下げる。 

 

「先程は本当にすみませんでした。本当に他人とは思えないほどによく似ていて。でもおかげで私が本当に妻の事を愛していると再確認できました」 

 

 晴れやかな顔をしている彼は先程よりも若く見える。 

 実際には私が見積もった年齢よりも幾分若いのかもしれない。 

 

「奥さん、見つかるといいですね」 

 

「はい。本当にこの度はありがとうございました」 

 

 食堂の外に出て父娘を見送る。 

 

「ノイちゃん、ばいばい」 

 

「ばいばい、おねえちゃん。おにいちゃんもばいばい」 

 

「うん、十年後にまっ!? ……ぐふっ」 

 

 性懲りもなく地面に倒れ伏すコナンは放って置いて別れの言葉を交わす。 

 親子は一緒に居るのが一番良いんです。 

 手をつなぐその姿に、どこかに連れ去られてしまったお父様とお母様の事を思い出してしまう。 

 

「セリアさま、大丈夫です。おふたりともとても元気ですよ」 

 

 まるで見て来たかのように話すマリナ様の言葉に勇気づけられる。 

 待っていてくださいね、お父様、お母様。 

 必ずアレン達と一緒に助けに行きますから。それまでお元気で。



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第二十三話:束の間の邂逅

「ということで、恋人が出来ないと悩むフィーアさまに朗報です」 

 

 何が『ということで』なのかは分からないが宿に向かう途中でマリナ様が人差し指を立てて語り始める。 

 

「改めて他人から言われるとすごく悲しくなるんだけど、何?」 

 

 立ち止まり、不機嫌な表情を見せながら振り返るフィーに少女は懐から取り出した何か帳面のような物のページをめくる。 

 

「実は毎年各国の兵士から無作為に100人を選んでアンケートを取っているのですが」 

 

 100人に聞きましたというと以前に見た雑誌を思い出す。 

 勇者様の名前を誰一人として知らなかったという現実に暗澹たる気分にさせられたことを。 

 だが、そんな私の気分も関係なく話は進む。 

 

「フィーアさまは今年の恋人にしたい女性ランキングで第一位に選ばれました」 

 

「えっそうなの? ……っていうか、何のためにそんなアンケート取ってるの?」 

 

「人心掌握のためです。兵士達の意識を探ることでコントロールしやすくなるのですよ」 

 

「……マリナちゃんって時々怖い事言うよね」 

 

 コナンがそんなやり取りに構わず声を挙げる。 

 

「こんなのが第一位? 間違ってるんじゃないかそれ?」 

 

「アンタなんかにこんなの呼ばわりされる筋合いは無いけど、私も間違ってると思うなそれ」 

 

 恋人いない暦=年齢のフィーはその結果に納得が行かないようだ。 

 

「私はそれほどおかしいとは思いませんけど? むしろ今までそんな相手がいなかった事の方がおかしいのでは?」 

 

 幼い頃から知っている友人の悩みにずっと違和感を覚えていた。 

 もしかすると恋人が出来ないのではなく、何か理由があって作る気が無いのだとしたら? 

 いつも一緒にいたであろう一人の青年の姿が心の中に思い浮かぶ。 

 

「いえ、このアンケートの結果に間違いはございません」 

 

「……最近の兵士の質も落ちたもんだな」とは、コナンの言葉。 

  

 女性の好みと兵士の質にはさほど関係は無いと思うのですが。 

 

「わたくしはむしろお母様が毎回上位に挙がる方が不思議なのですが」 

「兵士の忠誠心って意味では期待できそうだけどな」 

  

 珍しくマリナさまが困ったような顔を見せる。 

 サマルトリアの王妃様も美しい方なのでそれほど不思議でも無いとは思うのだが、やはりその子供としては気になるものらしい。 

  

「私ってそんな風に思われてたんだ」 

 

 ランキング一位と聞かされたフィーの顔が見て分かるほどにほころぶ。 

 多数の男性に恋人にしたいと聞かされて悪い気分になる女性はいないだろう。 

 

「結婚したい女性ランキングではセリアさまが一位なのですが」 

 

「私ですか?!」 

 

 思いがけず出た私の名前に心底驚かされる。 

 

「ええ。何があっても鷹揚に受け止めてくれそう、物腰も柔らかく清楚で傍らに居てくれると安心できそう、という意見が出ていますね」 

 

 そんな事を言われると非常に恥ずかしいのですが。 

 火照った頬を冷ますように両手で押さえるとコナンが笑う。 

 

「何だ、まともな奴もいるんじゃないか。やっぱ時代は巨乳だよな」 

 

 そういう意味ではないと思いたいがそういう意味のことも書かれているのだろう。 

 帳面を覗き込むコナンの眼が時折私の方を向くが明らかに下寄りだ。 

 

「ちょっと待ってよ。そっちでは私の順位はどうなってるの?」 

 

「残念ながらランキング外ですね」  

 

 憮然とした表情のフィーにマリナ様が非情な宣告をする。 

 

「性格が子供っぽい、子供と一緒になって遊び回って家事も何もしてくれなさそう、という意見が多いですね」 

 

「ああ、確かにそんな感じですよね」 

 

「他には、黙ってれば美人、とか」 

 

「黙ってれば美人……」 

 

 愕然とした彼女をコナンが指を差して笑う。 

 

「何だ、ローレシアの兵士にも言う奴がいるもんだな。こっちにスカウトしてみるか?」 

 

「まあどの国にも口だけは一人前な方は居られますからそうお気になさることはございませんわ」  

 

 それは目の前に居るお兄さんのことを言っておられるのでしょうか? 

 しかし、彼はそんな妹の言葉なんて何処吹く風とばかりに帳面を覗き込む。 

 

「うん? 妹よ、少し尋ねたい事があるんだが、何故ここにボクの名前があるんだ?」 

 

「お兄様が上位に居られると申しますと『夜のおかずランキング』ですね。お兄様は意外とその手の趣味を持つ方に大人気でして。わたくしもその人気にあやかりたいところですわ」 

 

 微笑む妹と落ち込む兄。正直「夜のおかず」というのが何を示すのかはわからないが様子を見る限りそれほど良い言葉ではないのだろう。 

 

「ねえ、私を恋人にしたいって人はどんな風に言ってるの?」 

 

 フィーが落ち込むコナンに代わって帳面を覗き込む。 

 私もそれに習ってマリナ様を挟んで反対側に立って覗いてみると妙な記述が目に付いた。 

 

「あの、この『美しく可憐な直線美』というのは曲線美や脚線美の間違いでは?」 

 

「まさか。わたくしは真実しか書き記しませんわ。もっとも、真実はいつも一つなどというのは何も知らない子供の戯言。信じる者が多い方が世間一般では真実なのですよ?」 

 

 目の前の少女の言葉はひとまず置いておいて……だって怖いじゃないですか。 

 一通り記述に目を通したフィーに目を遣ると何やら考え込んでいるようだ。 

 やがて、おもむろに拳を振り上げて叫ぶ。 

 

「決めた。私これから大人の女になる! 私はやれば出来る子だから大丈夫!」 

 

 やれば出来る子は大抵の場合、とっくの昔にやっていなければならないと思うのですが。 

 もちろん口には出しません。 

 私も最近気が付いたんです。思ったことをそのまま口にすることが災いを招くということに。 

 これもまた大人になるということなのでしょうね。 

 

 

 宿の扉を開けるとそこには何故かウサギがいました。 

 

「きゃー! なにこれなにこれ、お母さん可愛い!」 

 

 否、どうやら守護者様らしい。 

 つい先程大人の女になると誓った友人が抱き付く姿が見えます。 

 

「……大人の女性?」 

 

「……明日から頑張る!」 

 

 ああ、そうですか。 

 何故か頭に真っ白なウサギの耳を着け、フリルが大量についた短めのスカートの上にレース飾りが施された短衣を着た全体的に白くコーディネートされた守護者様が娘に抱き締められている。 

 状況だけを見ればそうなのですが、そもそも何故彼女はこのような格好をしているのでしょうか? 

 

「おかえり、セリア」 

 

「はい。ただいま戻りました、アレン」 

 

 青年の発した言葉に反射的に返事をする。 

 微笑む彼の顔を見ると安心する自分に気付く。 

 

「どうしたの?」 

 

「あ……いえ、その、守護者様のあの格好は何かと思いまして」 

 

 あなたに見惚れてましたなんて恥ずかしくて言えない。 

 咄嗟に話を逸らしたことには気付かれなかったようだ。 

 

「えーと、姉さんとの勝負って聞いてない?」 

 

 そういえば、宿を出る前にそんなことを言っていたような? 

 結局何の勝負なのか詳しく内容を聞かないままにここに至ってしまったのだが何だったのだろう。 

 首を振る私にアレンが教えてくれた。 

 

「どちらがファッションセンスがあるかって。あー……そ、その、セリア、その服とても似合ってるよ」 

 

「そ、そうですか。ありがとうございます」 

 

 アレンの頬が赤く染まる。きっと私も同じ色に染まっていることだろう。 

 

「君達はホント初々しいね、まったく」 

 

 後ろからコナンに突然声を掛けられて気付く。 

 いつの間にか全員の眼が私達の方に向いている。 

 

「ふん。やはりわらわの方がセンスという意味では上じゃな」 

 

 娘の腕の中から逃れた守護者様が私の姿を上から下まで眺めて言う。 

 

「あれは私が選んだんじゃないもん。露出度が足らないって言ってもあれでいいって言い張るから」 

 

 母娘で私のセンスに文句を付けるのは止めていただきたい。 

 それよりも聞きたいのは母親の方の格好だ。 

 

「少しは自分の年を考えろよ」 

 

 コナンが言うのも無理は無い。私はさすがに口に出す勇気は無いが。 

 

「コンセプトは魔女っ子シアちゃんだ。可愛いだろう? 一度こういう服を着させて見たかったんだ」 

 

「黙れ変態め。わらわを騙しおってからに」 

 

 勇者様の姿が見えないと思ったら守護者様の足の下にいたようだ。 

 後頭部に足を乗せられた状態で手足を縛られて床の上に転がっている。 

 まあいつもと言えばいつもの事かも知れない。 

 

「私との勝負なのに何でお父さんの選んだ服着てんの?」 

 

「あるじがわらわの服がダサいだのなんだの言うからじゃ。任せておったらいつの間にかこんな姿に……」 

 

「途中で気付けよ、いくら何でも」 

 

 その言葉には無条件で同意したい。……決して口には出さないが。 

 

「おぬしこそわらわをどうこう言えるほど大した格好をしておるまい。毎度毎度恥ずかしげも無く足を放り出しおってからに。若い娘はもっと慎ましやかにせねばならんのじゃぞ、この露出狂め」 

 

「何でフトモモ出してるだけで露出狂かな?! それを言うならお母さんだって……」 

 

 再び朝と同じような様相を見せ始めた所で間に入る人影が。 

 

「まあまあ、よろしいではありませんか。この勝負は引き分けということで」 

 

 あ、まだいたんですね。てっきりいつものように姿を消したのかと思っていたんですが。 

 

「ん、何じゃおぬしは?」 

 

 誰何の声をあげる彼女に、少女は頭を下げる。 

 

「初めましてアリシアさま。わたくしはサマルトリア第一王女マリナですわ。以後お見知り置きを」 

 

「何じゃと?! おぬしがマリナか。ならば早速聞いておきたいことがある」 

 

「何でしょう?」 

 

 鬼気迫る表情の守護者様に対して少女は一歩も退かず、笑顔を浮かべたまま。 

 

「あの手紙は何じゃ? 何故死者からの手紙を受け取れる? おぬしは何者じゃ?」 

 

「あらあらそんなに一度に言われても困ってしまいますわ。順番にお願いします」 

 

「む……そうか。ではあの手紙はどうやって書いた?」 

 

 微笑みを浮かべる少女の姿に気圧されたかのように見える守護者様の姿に違和感を覚える。 

 いつもならもっと傍若無人に無理矢理追及するはずだ。 

 

「もちろん、インクを使ってペンで書きましたわ」 

 

 そういう意味では無いと思います。 

 しかし、常ならば怒鳴りつけそうな守護者様も何故か彼女にはそんな態度を見せない。 

 

「わらわの質問が悪かったようじゃな。何故、死者の伝言を書ける?」 

 

「秘密ですわ」 

 

 人差し指を立てて唇に当て、おどけたように言う少女。 

 そんな彼女の姿に見ている私達は気が気ではない。 

 

「おぬしは何者じゃ?」 

 

「最初に申し上げました通り、サマルトリアで第一王女をしております」 

 

「何故、ザインの名を知っておる?」 

 

「秘密、と先程申し上げましたはずですわ」 

 

 いつ激昂するのかと思っていたが、全くそんな素振りを見せない守護者様。 

 対して、微笑みを絶やさずのらりくらりと質問をかわすマリナ様。 

 正直、見ている私達の方が参ってしまいそうな光景だ。 

 

「ふぅ……答える気は無いか。では最後の質問じゃ。以前にどこぞで逢った事は無いか?」 

 

「さあどうでしょうか? 物心つく前に出会っていたかもしれませんね」 

 

 そんな彼女の姿に焦れたのか、守護者様が無言で地面を踏みにじる。 

 

「痛っ! いたたた、顔が削れるっ! 鼻が折れるっ!」 

 

 ああそういえば、勇者様がそこにいたわけで。 

 

「おお、すまぬ。そういえばあるじのことをすっかり忘れておったわ」 

 

「忘れないでほしいな。……そういえば、シアちゃんさっき誰と話してたの?」 

 

 身体を起こした勇者様の言葉で、ある事に気付く。 

 

「あれ? マリナちゃんがいない……」 

 

 そう、ついさっきまで守護者様と会話をしていたはずのマリナ様の姿が消えていた。 

 机の下やカウンターの後ろも覗いてみたがまったく姿が見当たらない。 

 外に通じるドアも二階に上るための階段も私達の背後にあるので見つからないように出るのはまず無理だろう。 

 唯一の出口といえば窓だろうか。でも鎧戸になっていてとても人が潜り抜けられそうな状態ではない。

 

「幽霊だったりして……」 

 

 勇者様がぼそりと呟くと守護者様の身体がビクンと震える。 

 

「ま、まさか……そんなわけがないであろう? つい先程までわらわと話しておったのじゃぞ?」 

 

 言われてみれば、幽霊ならば死者と話が出来ても不思議ではないし忽然と姿を消してもおかしくはない。 

 私以外にも同じような事を思い付いたらしく、アレンやフィーも押し黙っている。 

 

「100年前にも詩人の街で……ぶげっ!?」 

 

「知らぬっ! 幽霊なんぞこの世に居るわけがなかろうが!」  

 

 何かを話そうとした勇者様を殴り倒すと、その足をもって引きずるようにして二階へと上がって行く。 

 

「ちょ、ちょっと待って。俺、今縛られて……」「知らんっ!」 

 

 断続的に何か重い物をぶつけるような音が続いていたが扉を勢いよく閉じる音で消えた。 

 残された私達はただ呆然としていた。 

 

「ぷっ……」 

 

 何も無い空間から吹き出すような声が聞こえたと同時に滲み出るようにしてマリナ様が姿を現す。 

 

「まだ幽霊が怖いのを克服してなかったんですね」 

 

 ひとしきり笑うとそう言ってこちらを向く。 

 

「レムオルか」 

 

 コナンの呟きにマリナ様は肯定するかのように笑みを返す。 

 レムオルとは自分の姿を消す事が出来る呪文の事。 

 魔法使いの呪文だがその効果ゆえに悪用を恐れられ、禁呪扱いにされている。 

 守護者様を始めとしてほとんど適性を持った人間がいないために忘れ去られた呪文の一つでもある。 

 

「ムーンブルクでもこれを使った?」 

 

 アレンの問いに、彼女は「ええ」と答える。 

 どうやら部屋を出たと見せかけて、実のところ部屋の中に居たというのが真相らしい。 

 

「いいなあ。レムオルなんて使えれば風呂場なんて覗き放題じゃないか」 

 

「アンタね……」 

 

 コナンが早速口にした言葉。これがレムオルが禁呪になった原因の一つである。 

 

「お兄様の外見でしたら女装でもされたらよろしいのでは?」 

 

「ダメだ。そんなのフェアじゃない」 

 

 姿を消す呪文にもフェアも何も無いと思うのだが、彼には譲れない何かがあるらしい。 

 どちらにせよ、彼に救いようが無いのは間違いない。 

 

「私達は別に何も聞かないけど、これからどうするの?」 

 

 どこか矛盾する事を口にしながらフィーがこれからの予定を少女に尋ねる。 

 

「またどこかでお会いいたしましょう。わたくしがここですべきことはほとんどありませんし」 

 

 そう言いながら、彼女は私の方に視線を向ける。 

 

「少し予定とは違いますが、そろそろだと思いますわ。心残りの無いようにしてくださいね」 

 

 謎の言葉を残して少女は扉の向こうへと消えていった。 

 私はその言葉の意味をどう捉えるべきだったのか。 

 扉の向こうで夕日が沈んでいくのが見えた。

 



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第二十四話:過ぎ去りしもの

長らくお待たせしてすみません


「まったく。おぬしはわかっておるか? 顔の良い男なぞ世の中にはいくらでも居る。じゃが大事なのはいつ見ても飽きぬ事じゃ。あるじは確かに見掛けは普通すぎるほどに普通じゃが一時も飽きる事は無い。呆れる事はあっても飽きる事は無い。これがどれほどの希少価値かおぬしにわかるか? そもそも伴侶と言う物は……」 

 

 夕食の時間、私は何故か説教と言う名の惚気を延々と聞かされている。 

 話し続ける守護者様の顔は耳まで真っ赤に染まり、明らかに酔いが回っているようだ。 

 何故こうなったのか? それは夕食前のフィーの素朴な疑問が原因だった。 

 

 

「ねえねえ、お母さんにお酒飲ませたらどうなるのかな?」 

 

「お前、焼け野原のど真ん中で高笑いするシアちゃんを見たいのか?」 

 

 娘の疑問に間髪入れずに答える父親。 

 守護者様に酒乱の気があるのなら脳裏に浮かんだその光景は現実の物となるだろうということは付き合いの短い私にも容易に想像ができる。 

 ましてや長い時間を共に過ごした娘ならば私の想像を超える鮮明さで見えたことだろう。 

 それでもまだ食い下がるようだ。 

 

「今ならほら、魔法も使えないし」

 

「でもなあ。今までいくら勧めても飲もうとすらしなかったしヤバそうな気がするんだよな」 

 

 あの、そこでどうして私を見るんでしょうか、おふたりとも? 

 揃ってこちらを向くとおもむろに口を開く。 

 

「セリアはお酒飲んだことある?」 

 

「食前酒程度なら口にしたことはありますが……」 

 

「アレンはどうだ?」  

 

「いえ、僕はまだ。成人の儀が終わってませんし」 

 

 この国の成人年齢は18才。16才のアレンにはいささか早すぎるだろう。 

 ……彼より年下なはずのコナンが飲んでいたような気がするけれど。 

 

「じゃあ、セリアのお酒デビューって名目で」 

 

「セリアが勧めれば、さすがにシアちゃんも断れないだろう」 

 

 実は乗り気なんじゃないでしょうか、勇者様?

 

「それじゃ確実とは言えないよ」 

 

 そこに口を出すコナン。 

 その手には何か透明な液体の入った小さな瓶を持っている。 

 

「それは?」 

 

 問い掛ける私に手を差し出すように言うと雫を一滴垂らす。 

 匂いの無いまったくの無色透明な液体を言われるがままにひと舐めすると喉の奥がひりつくように熱くなった。 

 

「……これ、お酒ですか?」 

 

「うん。これなら果汁とかに混ぜて飲ませられると思うよ」 

 

 確かにこれなら守護者様に飲んでもらうことは可能だろう。 

 

「ねえ、どうしてそんなの持ってるの?」 

 

「ノーコメント。男には女には分からない秘密があるものさ。ね、師匠」 

 

「お、おう! ……あとでちょっと分けろよ、それ」 

 

 フィーの訝しげな声にコナンと勇者様は不自然なまでに爽やかな笑みで答える。 

 

「まあ、いいけど。私達のには混ぜないでよね」 

 

 そして夕食の時間となり、個室を借り、乾杯をして杯を傾けたところから悲劇という名の喜劇が始まった。 

 

 

「ほれ、あるじはそこに座れ。わらわはここじゃ」 

 

 そう言って、椅子に座った勇者様の膝の上に座りながら再び杯を空にする守護者様。 

 こちらが止める間も無く、次々と酒瓶が空になっていく。 

 

「なんじゃ? おぬしらもここが良いのか? ならんぞ。ここはわらわの指定席じゃからな」 

 

 見つめている私達の視線に気付いたのか、頬を膨らませる守護者様。

 言いながら勇者様の懐に潜り込み、自分のお腹を抱きかかえさせるように腕を回させる。 

 

「ふふ……あるじも好き者よのう? そちらの味見は夕食の後でゆっくりとするがよい……無論、ふたりきりでな」 

 

 上気させた顔にドキリとするような妖艶な笑みを浮かべて意味の分からない言葉を投げかける少女。 

 同時に勇者様の姿勢が前かがみとなり、腰が引けていく。 

 

「うわ、サキュバスだ。サキュバスが降臨した」 

 

 呟く友人の言葉に合わせて首を傾げる。 

 サキュバスって何だろう? そういえば前にも同じ事を言ってたような? 

 アレンに聞けば教えてくれるだろうか?  

 

「ちょ、何、この可愛い生き物? 酒飲むとこんなんなるの? もっと前から飲ませとくんだった……」 

 

「ふん……ローラの奴が酒を飲むなと散々喚くのでな。死者との約束を破るわけにはいかん」 

 

 あの、そうすると、お酒を飲んだのはローラ様に逆らうことになるのでは? 

 

「どうせ、あの小僧の入れ知恵であろう? まあよい、騙されたとはいえ飲むと決めたのはわらわじゃからな。あやつが何故に禁じたかは分からぬが、特に問題はないであろう。のう、あるじ?」 

 

 片手で勇者様の頭を引き寄せ、耳たぶを啄みながら囁く。 

 

「イエス、マム!」 

 

 なすがままになっている様子を見ながら思う。 

 ローラ様はこれを危惧していたのでは無いだろうか、と。 

 

「これ、見てても大丈夫かな?」 

 

 耳許で聞こえた親友の声に思わず耳を塞ぐ。 

 

「えっ? 何、その反応? そっちの趣味は無いよ?」 

 

「ご、ごめんなさい! そういうつもりじゃなかったんですけど!」 

 

 その、見ているとつい。 

 私たちの様子も全く気に留めるつもりもないらしく、イチャイチャする二人は止まらない。 

 

「そこのバカップルは放っといて、船を手に入れたことに乾杯!」 

 

 コナンが杯を掲げて音頭を取る。 

 お酒を飲まないと言っていたアレンが付き合っている所から見て中身は果汁か何かのようだ。 

 

「乾杯!」 

 

 意味が分かって言ってるのかどうか、守護者様も杯を掲げて再び中身を飲み干す。 

 

「まさか昨日の今日でもう船を手に入れてくるとはな……」 

 

 勇者様が感慨深そうに呟く。 

 そこにはなぜかいくばくかの寂寥感。 

 

「うむ。さすがはわらわの娘じゃ。あやつはあるじに似て頑固じゃから説得に時間が掛かるかと思っておったのじゃがのう」 

 

「あの、手に入れたのはコナンの活躍があってこそで……って、あのお爺さんのことをご存知なんですか?」 

 

 守護者様の言を聞く限りでは前々からの知り合いだったような口振り。 

 私の言葉に不思議そうに首を傾げる守護者様。 

 

「言わなんだか? 息子じゃぞ、あれ」 

 

「そういえば教えてなかったっけ?」 

 

 夫婦の言葉に声を失くしたのは言うまでもない。 

 傍らの娘に至っては頭を抱えて俯いてしまっている。 

 

「えー……あれも私のお兄さんなんだ……誰かまともな人はいないの……?」 

 

 私のお祖父様はまともだったじゃないですか。 

 その、えーと、女性問題とかはありましたけど。 

 

「何ぞ問題でもあったのかの?」 

 

 訝しげな守護者様に訪問時の遣り取りを伝える。 

 深い溜息を吐くと呆れたように言い捨てた。 

 

「まあ、あるじの息子じゃからの」 

 

 そんな妻の様子に思う所があったのだろう。 

 勇者様が真剣な表情で告げた。

 

「愛してるよ、シアちゃん」 

 

「突然、何じゃ? また浮気でもしておるのか?」  

 

 また? 

 

「男が唐突に『愛してる』などと言う時は疚しいことがある時と相場が決まっておる。おぬしも覚えておくと良いぞ?」 

 

 はあ……勉強になります。 

 まあ、アレンならそんなことはないと信じてますから活用する機会はないかと。 

 ちらりとそちらを見やるとコナンに何やら耳打ちされている婚約者の姿。 

 また何か怪しいことを吹き込んでいるようだ。 

 

「む……年寄りの戯言と思うて馬鹿にしておるな」 

 

 阻止しようと立ち上がった私の腕を守護者様が掴んで引き寄せる。 

 無理矢理に椅子に座らされた所で冒頭の大演説に繋がるのだった。 

 

「……絡み酒だな」「……絡み酒だねー」

 

 父娘で頷き合ってないで助けていただきたい。 

 ひたすらに演説する守護者様に、我関せずと料理に手を付ける勇者様。 

 フィーに至っては拘束するように私の背中側から抱き着いて時々料理を口元に運んでくる。 

 席から動こうとすると守護者様に睨まれるので仕方がないのだが。 

 

「次は何が食べたいー?」 

 

「いいかげん、動けるようにして下さい」 

 

「よっし了解、了解っ」 

 

 軽い口調で受け応えながら、彼女の両手が私の身体の前に回される。

  抱き着くようにして私の胸の下に手を入れて持ち上げる。 

 

「ほーら、お母さん。こんな所に大きなお肉が! 何これスゴイ! 分けろ!」 

 

「無理ですってば!」 

 

 しかし、私達のそんな遣り取りも守護者様は一笑に付す。 

 

「ふっ……そのようなものはリィネで十分見慣れておるわ」 

 

 リィネさんといえば、何でも私達の遠いご先祖様らしい。 

 勇者ロトの伴侶であったと守護者様は言う。 

 

「では、見せてやるとしよう。圧倒的な戦力というものをな……モシャス!」 

 

 どこかから立ち込めた白い煙が守護者様の小さな身体を覆い尽くす。 

 

「うわっ! 何だこの煙!」 

 

 当然のことながら巻き込まれる勇者様はさておいて。 

 煙が晴れていくと、先程までの少女とは違う別の姿。 

 長い銀髪は青色の長髪へ、服装はローブから丈の短い真っ白いワンピースのような服へ。 

 何よりも顕著なのはわざと強調されているかというように露出されたその胸元と滑らかなふともも。 

 

「お……おおおっ! 何だこの、圧倒的なまでのボリュームは! セリア以上の戦闘力だと!」 

 

 興奮したコナンが叫ぶ。

 というか、戦闘力って何? 

 

「これがおぬしらの先祖であるリィネの姿じゃ。本来ならば能力も模倣するのじゃが魔力が足りんのでの。姿だけでも別に問題はなかろう」 

 

 声もいつものような少女の声とは違い、どこかしっとりとした女性の声になっている。

 台座になっている勇者様はというと、何故か拳を握りしめ全身を震わせていた。 

 

「変身呪文も使えただと……?! これで夜のバリエーションも増える!」 

 

 ……放っておこう。 

 よく意味は分からないが何かろくでもないことだけは分かる。 

 

「リィネの口調はどんなじゃったかのう?」 

 

 コホン、と咳をひとつ。 

 

「あなたの名前は何かしら?」 

 

 唐突なまでに明るく、後ろの勇者様に話しかけるリィネさん姿の守護者様。 

 

「え……ああ、俺は――」「待って!」 

 

 面食らいながらも名乗ろうとする勇者様をすかさず止める。 

 

「そう、確かあなたの名前は、アレ……アレ……あれ? ここまで出掛かってんだけどなー?」 

 

「いや、だから、俺の名前は――」 

 

「うん、思い出せないから『アレな人』でいいよね!」 

 

「いや、いやいや、ダメだからそれ」 

 

「あっごめんねー。『アレな人』とか失礼だよね? じゃあ、『アレな感じの人』で!」 

 

「悪化したー?!」 

 

「えー、これもいけないの?! 面倒くさいなー、もう『アレ』でいいよね、『アレ』!」 

 

 またひとつ咳払いをすると、声はそのままで守護者様の口調に戻る。 

 

「とまあ、こんなもんじゃな。しかも、こやつの場合は初めて出会った場所で記憶するのでな。場合によっては『台所のアレ』などと呼ばれる可能性も――」 

 

「風評被害も甚だしいわ!」 

 

 賢者というものに疑念を抱きつつあるのは間違いなくこの人のせいだろう。 

 しばらくするとまた煙に包まれ、元の姿に戻った。 

 

「次はローラで! ローラでお願いします、先生!」 

 

 勇者様がはしゃいだように声を上げる。 

 記憶にある姿が再現できるというなら、憧れの人の姿を私もぜひ見てみたい。 

 

「先生? まあ、良いか。では見ておれ。モシャス!」 

 

 再び立ち込めた煙が晴れると、そこにいたのはサマルトリアの王妃様? 

 でも少し雰囲気が違う。 

 長い黒髪を結い上げて落ち着いたドレス姿の女性はいつか見た肖像画と同じく見える。 

 

「見よ。これがローラの姿じゃ」 

 

「サマルトリアの王妃様にそっくりだね」 

 

「ああ。アレの人当たりの良さを1.5倍増しにしてえげつなさを100倍増しにすればローラだ」 

 

 親子のやりとりを見ながら思う。 

 ローラ様は一体どんな人物であったのだろうか、と。 

 

「あーあー……ゴホン。勇者様、私も貴方の旅にお供しとうございます」 

 

「ん? ああ、えーと……危険な旅になります。貴女を連れて行くわけには参りません」 

 

 突然始まった寸劇に目を奪われる。 

 これはローラの日記に描かれている新大陸へと旅立つ勇者様とのやり取り。 

 幼い頃から読み耽った物語の一幕に実際の人物でまみえようとは。 

 

「そんな、ひどい……。連れてってくださいますわね?」 

 

「危険な旅になります。貴女を連れて行くわけには参りません」  

 

「そんな、ひどい……。連れてってくださいますわね?」 

 

「危険な旅になります。貴女を連れて行くわけには参りません」  

 

「そんな、ひどい……。連れてってくださいますわね?」 

 

「危険な旅になります。貴女を連れて行くわけには参りません」  

 

 同じセリフの応酬を繰り返すこと数回。 

 ローラの日記では二度目の拒否の後、自分の喉にナイフを押し付けて『では、私は勇者様の腕の中で死のうと思います』との懇願に負けて勇者様が連れ出すという展開だったはず。 

 

「連れてってくださいますわね?」 

 

 ローラ様の手の中に光るのはナイフならぬフォーク。 

 それを勇者様の首元に押し付けながら悲しげな声色で懇願する。 

 

「調子に乗ってすんませんでしたー!」 

 

 まさか、これが真実だとでも言うのだろうか? 

 二人の口元には笑みが浮かんでいる。 

 

「まあ、最初っから置いてくつもりは無かったしさ。こんなやり取り自体無いよ」 

 

「うむ。あの王女がここまでしおらしいわけが無かろう? 完全な創作じゃ」 

 

 この旅に出てからというもの、私の憧れがどんどん削れていく。 

 本当のローラ様は一体どんな人物だったのだろうか? 

 

「手段のためには目的を選ばないっていうか」 

 

「自分が楽しければそれで良くて、たまたまそれが世間一般の正義に当てはまっておっただけであろうな」

 

 聞けば聞くほど最低の人間である。 

 再び煙に包まれて、守護者様の姿に戻る。 

 

 そういえば、アレンはどうしてるのだろう? 

 これまでのやり取りには全く絡んでこなかったのだが。 

 

「あ、あの、セリア? 今晩、この後、僕の部屋に来てくれないかな?」 

 

 唐突な言葉に少し面食らう。 

 けれど、私もアレンと2人で話したいことはたくさんある。 

 

「はあ、構いませんけれども?」 

 

 私の言葉を聞いたアレンは振り向きざまにコナンと手を叩き合い、何やら喜んでいるようだ。 

 話をするだけなのに、一体どういうわけなのか。 

 

「むー……」 

 

 何やらフィーも機嫌が悪い様子。 

 一緒にアレンの部屋に行こうと誘おうかと思っていたのだが、止めた方がいいのかも? 

 

「ふむ……酒も無うなったことじゃし、そろそろお開きとしようかの」 

 

「一応、この個室は朝まで借りてるから飲んでてもいいぞ?」 

 

 さすがに勇者様の言葉に従う者は居らず、それぞれ自分の部屋に戻ることとなった。 

 勇者様と守護者様は当然のように二人部屋、後は男女に分かれての合計三部屋。 

 フィーは頬を膨らませて無言のままベッドに寝転んでいる。 

 夜着に着替えるのも何だしこのままアレンの部屋に行っても大丈夫だろう。 

 

「フィーも一緒に行きませんか?」 

 

 一応、声を掛けてみると慌てたように声を上擦らせる。 

 

「は、初めてで3P?! ちょっとさすがにレベル高すぎるっていうか、やっぱり最初は二人きりがいいっていうか……」 

 

「……? あの、何の話ですか? 話をしてくるだけなんですけど?」 

 

 首を傾げていると、深い溜息を吐いて手をひらひらさせて早く出て行けという仕草を見せた。 

 

「うん、どうも私の杞憂だったみたい。あ、さっさと寝ちゃうから鍵は忘れずにね」 

 

 鍵を手渡されると背中を押すようにして部屋の外に放り出される。 

 振り向いた先で「おやすみー」という声とともにドアが閉められ、鍵を掛ける小さな音が聞こえた。 

 

「何なんですかね、一体?」 

 

 よく分からないなりに歩いて行くと廊下の先に人だかりが出来ていた。 

 あの辺りは確か勇者様の部屋だったはず。 

 何かあったのだろうか? 

 

「どうしたんですか?」 

 

 その中の一人に声をかけると迷惑そうな声が返ってきた。 

 

「あんた、この部屋の関係者?」 

 

 『はい、そうです』と答えそうになった矢先に部屋の中から声が聞こえてきた。 

 

「何じゃ、あるじ? そんなにわらわの足が気に入ったか? ならば『私は幼女に踏まれるのが好きな変態さんですぅ~』と言ってみよ」 

 

「言えぬのか? ならばおあずけじゃのぅ?」 

 

「ふむ、やれば出来るではないか。ではご褒美じゃ、存分に楽しむが良いぞ」 

 

 ドアの向こうでは一体、何が起こっているというのか。 

 聞こえてくるのは守護者様の声ばかり。 

 勇者様の声が聞こえないのが怖くて仕方がない。 

 だから、これは仕方のない選択肢だっただろう。 

 

「いえ、全く知りません」 

 

 謁見の間でいつも浮かべていた満面の笑みで答える。 

 尋ねた人がわずかに身動ぎをし、道を開けてくれた。 

 それが呼び水となったのか、集まっていた人々が散っていく。 

 

「これ、くすぐったいわ。いい加減にせぬか」 

 

 相変わらず、部屋の中からは謎の言語が聞こえてくるが私には無関係だと言い聞かせることにした。 

 

 アレンの部屋へと続く通路に月の光が射し込んでくる。

 真っ白な光に誘われて近付いた窓の外に人影が見えた。

 背の高い、華奢な女性の姿が目に写る。

 その姿は先ほど別れた友人の姿に瓜二つだった。

 

「フィー……?」

 

 思わず声を掛けた私に、その女性は噛み付かんばかりに声を挙げた。

 

「娘を知っているの!?」と

 

 それが長い夜の始まりを告げる言葉だった。



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