サトシ「日本史わかんねぇ!」【解説】 (ぽかんむ)
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0,前置き~1,旧石器時代

カキ「どうしたんだ?」

 

サトシ「日本史のテストまた0点だった......しっかり勉強したのに」

 

リーリエ(何故ポケモンの世界に日本史があるのか突っ込んではいけません)

 

サトシ「これじゃ受験できねえよ......」

 

 

回想

 

 

サトシ『タケシ、勉強してるのか?』

 

タケシ『まあな。将来必ずポケモンブリーダーになれるとは限らないからな』

 

タケシ『サトシはいいのか?』

 

サトシ『俺はポケモンマスターになるから心配ないぜ!』

 

タケシ『あのな......確かにお前のトレーナーとしての実力は認める。だけど人生には絶対なんかないんだ。ふとしたときに道を踏み外すかもしれない』

 

タケシ『そんなとき頼れるのが資格や学歴だ。悪いことは言わない、そろそろ考えてみないか?』

 

サトシ『そうか......わかった! 俺やるよ!』

 

─────────────────────────

 

サトシ「はぁ......」

 

カキ「普通国語や英語でつまずくと思うんだよな......ここら辺は何故かいつもトップだし」

 

スイレン「それなら私達が教えてあげる」

 

サトシ「本当か?」

 

マオ「うん! 任せて!」

 

 

1,旧石器時代

 

 

スイレン「サトシは日本人が何処から来たか知ってる?」

 

サトシ「ペリッパーが運んできた!」

 

マオ「......」

 

カキ「仕方がない......全部教えるか」

 

サトシ「なんだよ?」

 

マーマネ「日本は現在こそ島だけど昔は大陸とくっついていたんだ。氷河期で海水が凍っていたからね。ちなみに更新世の末期だよ」

 

マオ「その時期に大型動物や、それを追う人々が日本にやって来た。彼等が日本人の遠い祖先と言われているよ」

 

サトシ「大型動物? ドンファンやオドシシか?」

 

スイレン「サトシ、以後このスレ内でのポケモンの話題禁止。わかった?」

 

サトシ「ごめん......」

 

カキ「話を戻すが大型動物は主に北部から来たマンモス、ヘラシカ、南部から来たナウマンゾウ、トウヨウゾウ、オオツノジカなどが有名だな。現在は絶滅しているが」

 

 

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サトシ(なんか動物が来たんだな)

 

マーマネ「このときは打製石器と呼ばれる簡単な石製の道具が使われたよ。彼等はこれで動物達を狩り、生活していた」

 

サトシ「石器?」

 

スイレン「ハンドアックスと呼ばれてるものもある。石器はやがて尖頭器、細石器となっていった」

 

サトシ「はっ? えっ? ほえっ? 多すぎてわからない!」

 

リーリエ「ハンドアックス......手に持って振り下ろして使う道具」

 

リーリエ「尖頭器......木の先端にくっつける石器」

 

リーリエ「細石器......木の棒をくりぬいて石器をはめたもの」

 

マーマネ「リーリエ、お疲れ!」

 

 

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カキ「次に遺跡だが......有名なのは相沢忠洋さんが関東ローム層見つけた岩宿遺跡だな。現在の群馬県にある」

 

カキ「それからナウマンゾウの化石が発見された野尻湖(長野県)、早水台遺跡(大分県)なんかもあるぞ」

 

マーマネ「発見された化石人骨は沖縄の港川人、静岡の浜北人が有名。後者は腰の一部だけだけど前者はほぼすべて見つかっているんだよ!」

 

マオ「旧石器時代はこれくらいかな? 質問、間違い等お願いします!」




このような感じで進めていきます。よろしくお願いいたします


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2,縄文時代

サトシ「縄文時代?」

 

スイレン「今から約1万5,000年前から約2,300年前までのことを言うよ」

 

サトシ「長いな!」

 

リーリエ「この時代の三つの基盤は狩猟、漁労、採集です。こうして食料を集めていました」

 

マーマネ「それまでは洞窟なんかで暮らしていたと思われるのだけど、次第に竪穴住居に住まうようになったんだ。ちなみにこれは奈良時代辺りまでは一般庶民の家屋として長く用いられたよ」

 

マオ「このときの道具だけど、黒曜石から作られた磨製石器が有名ね。狩猟はこれで作った石鏃を使う弓矢で行われるようになったの」

 

 

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マオ「それから漁労ね」

 

サトシ「漁労?」

 

マオ「要するに漁業よ。釣竿やモリで魚を捕まえていたの!」

 

カキ「釣り針やモリの先端は骨格器だな。動物の骨で作られたな」

 

スイレン「これを獲得経済という。このときはまだいわゆる農業はしていなかった」

 

マーマネ「待った! 確かに本格的なのはまだだけど少しはしていたんだ。ここは注意しておこうね」

 

リーリエ「それから女性をかたどったと思われる土偶、精霊信仰のアニミズム、成人儀礼の抜歯、亡くなった方を葬る際は屈葬が行われました」

 

 

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カキ「遺跡だが......貝塚はアメリカ人のモースが発見した東京都の大森貝塚、日本最大の千葉県にある加曽利貝塚」

 

マオ「青森県の三内丸山遺跡、亀が丘遺跡、福岡県の板付遺跡、佐賀県の菜畑遺跡」

 

スイレン「この辺を覚えておこうね。後者二つは稲作の痕跡が見つかっているんだ」

 

リーリエ「最後に土器を説明します! この頃の物は縄文土器と呼ばれていてキーワードは厚手、黒褐色、低温です。縄目の文様が刻まれています」

 

スイレン「略して縄文。時代名の由来であり、この土器の名称でもある」

 

サトシ「なんのキーストーンなん......!?」

 

スイレン「......イエローカード......要石のことだよみたいな言い訳でもする?」

 

サトシ「......すみません」

 

カキ「こ......これは次の弥生土器と比べたときの特徴だ。変遷は......図の方が解りやすいだろ」

 

 

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サトシ「手抜きかよ」

 

リーリエ「最後に交流について見ていきましょう」

 

サトシ「?」

 

カキ「例えば長野県の和田峠で取れた黒曜石(磨製石器の材料)が加曽利貝塚から見つかったりしているのだ」

 

サトシ「すげえ遠投力だな」

 

マオ「違うでしょ!? つまりそこから千葉県まで運ばれたと言うことよ。物々交換ではあるけど交易があったということよ」

 

リーリエ(日本最初の通貨は現在無紋銀銭や富本銭とされてますが、出来たのは飛鳥時代と思われています)

 

スイレン「他に新潟県姫川で取れたひすい(緑色の鉱石)、奈良県二上山のサヌカイトなんかを覚えておこう」

 

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マオ「これにて縄文時代お仕舞い! 質問、間違い指摘お願いします!」

 

カキ「しかし......短いな」

 

サトシ「これで短いのか?」

 

スイレン「うん。弥生時代からはもっと長くなってくる」

 

マーマネ「じゃあ尺埋めしようか? 勉強とは一切関係なくなっちゃうけどね(歴史だけど)」

 

リーリエ「それではお願いします!」

 

マーマネ「オッケー! 早速だけどサトシは最初の天皇が誰か知ってる?」

 

サトシ「天皇? 誰? 始皇帝?」

 

マーマネ「違うよ! 正解は神武天皇。皇室は世界で一番長く続いている王族で、現在の今上天皇は125代目なんだ」

 

サトシ「すげぇー!」

 

マーマネ「そんな初代天皇が即位したとされているのが紀元前660年(紀元前7世紀)とされている。諸説あるけどこの時代はまだ縄文または弥生時代初期なんだよね......」

 

リーリエ「つまり神武天皇は存在しないと?」

 

マーマネ「まあ、元々彼は複数の人の功績を纏めて、作り出されたという説が昔から有力だからね。神話ってのはそういうものだと僕は思うよ」

 

マーマネ「だけどそれならどうして東征(国を治めるために神武一行が大和を目指したこと)なんてしたんだろう? はじめから九州ではなく大和に天孫降臨すればよかったわけじゃん?」

 

マーマネ「もちろん後に九州の支配を正当化するためにこのような話を作ったとも考えられるけど、僕はヤマト政権の創始者達が九州から軍勢を率いて攻めいったということは本当なんじゃないかな? とは思うよ」

 

カキ「ヤタガラスとか不思議な光で敵を撃退、とかは流石に脚色ってことか?」

 

マーマネ「うん。それから昔の天皇は異常に長生き─神武天皇は120歳以上(古事記・日本書紀で異なるため曖昧に書いた)─なんだけどその解釈として、昔は半年で一年と扱われていたのでは? という説があるよ」

 

リーリエ(日本史の話において神武天皇の話題を出すのは荒れる可能性があるなと書いてるときから思っていましたが、日本人として知っていても無駄ではないかなと思って追記しました。私達の日本史解説は歴史に深く精通していらっしゃる方々から見られるととても不十分だとは思いますが、最後まで付き合っていただけると幸いです)

 

サトシ「整いました!」

 

スイレン「新コーナーの謎かけの時間だよ」

 

サトシ「道を塞ぐ人に言う言葉とかけまして、器と説く」

 

カキ「その心は?」

 

サトシ「退きな(土器な)」

 

リーリエ「次回も見てくださいね!」



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3,弥生時代

3,弥生時代

 

 

スイレン「次は弥生時代だよ。名前の由来は現在の東京都弥生町付近の場所で土器が発見されたから」

 

リーリエ「この時代の特色は金属器と稲作です。同時期にこれらがなかった沖縄、北海道ではそれぞれ貝塚文化、続縄文文化が続いていました」

 

マオ「この頃の土器は弥生土器と呼ばれている。特徴は薄手、高温、赤褐色。それから表面に特に彩飾もないよ」

 

マーマネ「金属器には二種類あって、実用的な鉄器と祭器に用いられた青銅器があるよ」

 

サトシ「祭器?」ドッドッドガースドガースド シャアー

 

スイレン「」ツカツカ

 

サトシ「ごめんなさい!」

 

スイレン「許す」

 

カキ「祭といっても現代のそれとは大分違うけどな」

 

リーリエ「青銅器といえば代表なのは銅剣(瀬戸内海中心に分布)、銅鐸(近畿地方中心)、銅矛(九州北部中心)、銅鏡辺りでしょうか?」

 

 

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スイレン「稲作だけど、始めは低湿地帯にもみを直蒔き、後にかんがい施設の発達により乾田での田植えが行われるようになった」

 

マーマネ「収穫方法も当所は石包丁(磨製石器)での穂首狩りが一般的だった。これもやがて変わっていったよ」

 

マオ「脱穀に木臼、竪杵が、保管には高床倉庫が使われたよ。だけどそのなかでだんだん階級というのが出来上がってきたんだ」

 

 

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カキ「そうして争いなども起こった。そのため防衛のために環豪集落や高地性集落が出現した」

 

スイレン「そうしたなかで争いに勝ち上がった村が負けた村を吸収して、力をつけクニとなっていった。そうしたなかであの王国が現れたんだ!」

 

サトシ「?」

 

マーマネ「女王卑弥呼率いる邪馬台国だね。彼女は鬼道による政治を行い、弟に補佐をしてもらっていた。結婚はしてなかったよ。邪馬台国は三十ほどのクニを束ねる連合王国だったらしい」

 

サトシ「それならわかるぜ! 漢倭奴国王の金印もらったとこだろ?」

 

リーリエ「惜しいです! 確かに239年に金印は魏より送られましたが、そこには親魏倭王と書かれています。漢奴倭国王はあとでやりますね」

 

スイレン「年号だけど語呂合わせを作ってみることにしたよ。239年は......二(2)次元サン(3)キュー(9)とか?」

 

カキ「風習だが、男子は入れ墨にみずら髪、女子は貫頭衣だ」

 

 

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マオ「しかし248年に彼女がなくなり、その死後に男の王がたつと倭は再び荒れた。そこで卑弥呼と同族の女性・台与が即位すると再び纏まったという。ちなみにこのとき彼女は十三才」

 

リーリエ「語呂合わせは......二(2)代目イヨ(4)や(8)って来るとかでしょうか?」

 

サトシ「へぇ......」

 

スイレン「サトシ、ちゃんとわかった?」

 

サトシ「バッチリだぜ!」

 

リーリエ「では次に埋葬方法を完結に纏めます。主に箱式石棺墓、甕棺墓、支石墓、方形周溝墓、墳丘墓などがあります。墳丘墓は後に巨大化して古墳と呼ばれるようになりました」

 

カキ「最後に遺跡と中国の歴史書について触れていこうと思う」

 

マーマネ「遺跡は福岡県の板付遺跡、

 

佐賀県の菜畑遺跡、

 

静岡県の登呂遺跡(集落や水田跡、木製農具出土)、

 

島根県の荒神谷遺跡(青銅祭多数出土)、

 

佐賀県の吉野ヶ里遺跡(環豪集落)、

 

香川県の紫雲出山遺跡(高地性集落)」

 

 

マーマネ「この辺りを押さえておこう! 前者二つは前回も言ったね」

 

スイレン「中国の歴史書はここでは三つ紹介するね。この時代まだ日本に文字はないから、詳しいことを知りたい場合この史料に頼る他ないの」

 

リーリエ「『漢書地理志』には"紀元前一世紀ほどの昔に日本は百ほどの小国に別れていた、楽浪郡というところに定期的に朝貢する奴等がいた"何てことが書かれています」

 

サトシ「朝貢?」

 

カキ「噛み砕いて説明すると、中国の皇帝に貢ぎ物を贈るとそれの何倍もの価値の贈り物をくれるというシステムだ。中国からすれば自国の力を見せつけられるし、貢ぐ国からしても中国の優れた物を貰えるからな」

 

マーマネ「続いて『後漢書東夷伝』! 紀元57年に奴国の王様が後漢の皇帝(光武帝)に朝貢したら"漢委奴国王"の金印紫綬を貰った、ということが書かれているよ。ちなみにこの金印は江戸時代に福岡県の志賀島で発見された」

 

 

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スイレン「それから師升という王様が生口(奴隷)百六十人を献上したとも書かれている」

 

マオ「そして最後に『魏志倭人伝』! 邪馬台国のことはここに載っていたんだ」

 

サトシ「色々あるんだな。ところで邪馬台国はどこにあるんだ?」

 

リーリエ「それはわかっていないんです。魏志倭人伝の記述をすべて信じてしまえばたどり着くのは海の上。主流なのは距離を間違えたという説から広まった北九州説と、方角を間違えたとする畿内説です。ただ現在では畿内説が主流とされております」

 

カキ「畿内説であるという根拠に箸墓古墳が卑弥呼の葬られている場所ではないかという仮説があるのだが......発掘が禁じられている現在では確証を得るのは難しいだろうな」

 

サトシ「そうなのか......そういえば邪馬台国の解説は台与が即位したところまでだったよな。そのあとはどうなったんだ?」

 

マーマネ「残念ながらなにも......」

 

リーリエ「このあと中国は混乱期に入ってしまいますからね......このあと出てくるヤマト政権との関係もよくわからないんです」

 

サトシ「整いました!」

 

サトシ「弥生時代とかけまして、武道ととく」

 

スイレン「その心は?」

 

サトシ「どちらもせいどう(青銅・静動)が大事でしょう」

 

マオ「弥生時代はこれでおしまい! 来週も見てね!」



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4,古墳時代

これは以前に別の場所で書いていたのですが、途中でそこの管理者によってこのssを消されてしまいました。
ですので次は消されないように頑張りたいと思います


4,古墳時代

 

 

マオ「サトシは古墳がどんなものかわかる?」

 

サトシ「わかるぜ! 三角形のお墓だろ?」

 

スイレン「それはピラミッドでしょ!? しかも最近はお墓じゃない説もあるし」

 

カキ「話を戻すぞ。古墳とは前回軽く触れた墳丘墓が巨大化したもので、権力者の墓だ。以前に卑弥呼の墓ではないかと言われている箸墓古墳を紹介したが、これもその一種だ」

 

マオ「前期は司祭者階級の人が多く葬られていたのだけど、後半は戦う人に変わっていったの」

 

サトシ「何でそんなことわかったんだ?」

 

マーマネ「それはね、前期は人と一緒に入っていたのが勾玉や道鏡(三角縁神獣鏡)だったんだけど」

 

リーリエ「後半では武器などが主に入っていたことが多いからです」

 

スイレン「古墳の形は図に任せるよ。その中で最大なのは百舌鳥古墳群の大仙陵古墳(大阪府)。仁徳天皇が葬られているとされている場所だよ」

 

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リーリエ「仁徳天皇といえば"当時民衆の暮らしが貧しかったため、三年間税の徴収を辞めた"という話が有名ですね。創作の可能性もありますが、後世にそういった話が作られるくらい彼は徳に溢れていたのでしょう」

 

カキ(まあ天皇の凄さを見せつけるためにこのような話を作った可能性も否めないが......)

 

マオ「他に有名なのは稲荷山古墳(埼玉県)、江田舟山古墳(熊本県)。この二つに関しては鉄剣に書かれていたことも有名だよ」

 

サトシ「どういうことだ?」

 

リーリエ「中国の『宋書』によると倭の五人の王様(天皇)・讃 ,珍 ,済 ,興 ,武が中国に朝貢したと書かれています。この中の武に当たる人物は宋に上表文を送ったことでも有名です」

 

マオ「内容は、"私は東の国を55国、西方の国を66国、海を渡って95の国を治めました"」

 

カキ「ほぼ同じくらいの時代と思われる稲荷山、江田舟山の古墳から出土した鉄剣には獲加多支鹵大王(ワカタケル)と書かれていた」

 

スイレン「そして日本の史料である『日本書紀』にはワカタケル=雄略天皇と書かれていた。さらに『宋書』の武とも血縁関係や業績がそっくり......これが意味するものとは?」

 

サトシ「つまり......ワカタケル大王=武=雄略天皇ってことなのか?」

 

マーマネ「正解! 本当はもっとちゃんとした根拠があるんだけどね」

 

リーリエ「この時代の土器には、弥生土器の正統進化形である土師器(ハジキ)と大陸から渡来人によって伝えられた須恵器があります。当然ですが須恵器の方が性能はよいです」

 

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リーリエ「391年には日本が高句麗に攻めいりました。目的は優れた文化や鉄資源を求めてとのことです。長寿王が作った好太王碑に記されています」

 

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スイレン「それではヤマト政権について話そうか。ここは暗記だよ」

 

マオ「まずは氏姓制度。氏とは豪族が作ったもので、血縁に基づく同族集団で、氏上が氏人を率いていた」

 

カキ「姓と言うのは大王が豪族に与えた官職みたいなものだ。これで支配していたんだな」

 

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リーリエ「蘇我氏はこの中でも更に大臣、物部氏は大連でした。国の政治を行ったのは大臣や大連。つまり彼らということです」

 

マーマネ「実務は伴造が担当、地方の支配は国造・県主が行った」

 

スイレン「また、大王家は屯倉・子代・名代を、豪族達は田荘・部曲を支配していた。さっきも言ったけどここら辺は理由付けするよりも機械的に覚えた方が楽だと思うよ」

 

カキ「次は渡来人だな。これは図の方が見やすいと思ったのでそちらで纏めることにするな

 

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マオ「次に北陸の方から来た継体天皇の時代の話をするね。実は彼の前で皇室は一度断絶しているのではないかと言われているのだけど、それは気になった人が各自調べてね」

 

カキ「彼の時代に起こった反乱が527年の磐井の乱だ。ちなみに少し横道に逸れるが、例えば乙巳の変や本能寺の変などの"変"は目的が成功、応仁の乱や今回の磐井の乱といった"乱"は目的が失敗に終わったことをさすぞ」

 

スイレン「そうだったんだ。527......誤(5)字(2)な(7)し」

 

マーマネ「首謀者である筑紫国造磐井は新羅と手を組んでヤマト政権に反旗を翻した。結局負けちゃったけどね」

 

マオ「538年には仏教が日本にやって来るよ。百済の聖明王が欽明天皇に伝えたんだ」

 

カキ「ゴ(5)ミ(3)や(8)だな」

 

サトシ「仏像がごみ扱いとか読者の中に仏教を信じている人がいたら荒れない?」

 

スイレン「そうでもないよ。仏教について物部氏は消極的だったからね。彼らの立場からすればゴミみたいなものだよ」

 

リーリエ「そうです。この頃日本は仏教を受け入れるか、どうかで揉めたんです。大臣の蘇我稲目とその子供である馬子は賛成、大連の物部尾輿とその子供の守屋は反対だったのです!」

 

マーマネ「結果戦争にまで発展したんだ。しかし軍事を仕切る物部氏に蘇我氏軍勢はコテンパンにされてしまった」

 

サトシ「そんな......じゃあ仏教はどうなったんだよ!?」

 

マオ「絶体絶命のピンチに陥った蘇我軍。そこであの有名人が現れるんだ」

 

サトシ「有名人?」

 

カキ「そうだ。若き日の厩戸王(聖徳太子)が四天王の姿を木に彫り、"我々を勝たせていただければ立派なお寺を作ります"と願ったんだ」

 

サトシ「四天王? それって......(黙っておこう)」

 

スイレン「そして蘇我軍は見事物部を打ち破った。これにより物部氏は滅亡、さらに蘇我氏の権力が増大した」

 

マーマネ「ちなみに聖徳太子には十人の喋ったことを同時に理解したって逸話があるよね」

 

マーマネ「これは太子が十個の言語を操れたことから生まれたという説があるんだ。当時は国内でも現在の方言以上に違う言葉が話されていた可能性があるからね」

 

カキ「そして太子は四天王寺を建立した。現在の大阪府にあるぞ」

 

マオ「ここからは厩戸王の行った政治についてだけど、それは次回やろっか」

 

リーリエ「そうですね。飛鳥時代の尺も短くなってしまいますし」

 

サトシ「整いました!」

 

マオ「来たか」

 

サトシ「目覚めとかけまして、彗星と説く」

 

スイレン「その心は?」

 

サトシ「どちらも覚醒(客星)」

 

カキ「微妙に次回の範囲に関係しそうなこと言うな!」

 

マーマネ「それでは来週も見てね!」




ありがとうございました


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5,飛鳥時代

 

スイレン「今日は飛鳥時代だよ」

 

サトシ「ほんと何で覚醒剤なんてに手をだしちまったんだか......」

 

カキ「違う! それにそれもう古い!」

 

マオ「古いってなに? 薬物を禁止することは昔から変わらないでしょ!?」

 

スイレン「......まず蘇我氏の血が濃かった崇峻天皇が馬子によって暗殺された。聞いてる?」

 

サトシ「ごめんなさい......」

 

リーリエ「理由ですが、自分は天皇とはいえあくまでお飾り、実権は馬子が握っていたことが不満だったからです」

 

マーマネ「そして次の天皇として推古天皇が即位、だけど彼女は女性だったため政治を補佐する人が必要となった」

 

カキ「それに抜擢されたのが用明天皇の息子、厩戸王だった。だからこの時代の政治は推古天皇、厩戸王、そして蘇我馬子によって行われた」

 

マオ「ちなみに摂政とは天皇が子供もしくは女性のときに設けられる役職だよ。この先出てくる関白との違いをしっかりと理解しよう」

 

リーリエ「厩戸王の起こした政策といえば603年の冠位12楷、604年の憲法17条、607年の遣隋使派遣、が有名ですね」

 

スイレン「冠位12楷はこれまでの氏姓制度を一新して身分の上下に関わらず能力のある人を役人に役人にするという決まり。冠位は個人に授けられるので姓は世襲されるが、冠位は一身限りで世襲されない」

 

カキ「憲法17条は"和を以て貴しとなし"で有名だな。役人の心構えなどを書いたもので、他に"三宝を大事にせよ。三宝とは仏、法、僧である"とかもあるな。日本国憲法みたく国民全員が守らなくてはいけないものとは違うな」

 

マーマネ「遣隋使は600年に第一回が行われたけど一番有名なのはやはり第二回だよね。小野妹子が送った手紙で隋の皇帝・煬帝を怒らせたあれだよ」

 

スイレン「留学生として南淵請安、僧旻、高向玄理らも行った」

 

カキ「目的は対等外交を結ぶためだ。今までは朝貢だったから立場は中国の方が上だった」

 

リーリエ「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや。意味は"東の国にいる私が西の国のあなたに手紙を送ります。元気ですか?"とのことですが、日が昇る国とはこれから栄える国、日が沈む国とはこれから衰える国と解釈した煬帝の逆鱗に触れてしまいました」

 

スイレン「だけどこのころ隋は高句麗と戦争状態にあった。煬帝としてもこれ以上敵を増やすわけにはいかなかったから、怒りを押さえると裴世清を遣いに出した」

 

マオ「しかし小野妹子が帰国するときになんと煬帝の返事(国書)をなくしてしまったんだ」

 

サトシ「容態が心配だな」

 

マーマネ「この責任によって小野妹子は一事処分を受けた。だけど結局翌年、裴世清を送り返す第三回の遣隋使としても行ったよ」

 

カキ「だから本当に無くしたのかは実はわかっていない。マイナーではあるが、聖徳太子が何らかの事情でわざとなくしたことにした、などの説もある」

 

マオ「それから天皇記、国記といった歴史書の編纂もしたよ。残念ながら現存はしないけどね」

 

スイレン「その後厩戸王は若くして亡くなったよ。最後に残した言葉は"世間は虚仮なり、唯、仏のみ是真なり"」

 

マーマネ「意味は"世間はむなしい、仏だけが正し"ということだよ」

 

マオ「ちなみに中国では618年に隋に変わって新たに唐という王朝が建てられた。そして朝鮮半島の緊張も高まっていたよ」

 

スイレン「そして時は過ぎて......この頃日本で一番権力を持っていたのが蘇我氏。とりわけ馬子の息子の蝦夷とその子供の入鹿だった」

 

カキ「彼等は自分達の血の濃い古人大兄皇子を天皇にしたいと考えていた。その方が政治がしやすいからな」

 

リーリエ「このときの皇太子候補は古人大兄皇子、厩戸王の息子の山背大兄王、そして時の天皇である皇極天皇の息子でいました中大兄皇子の三人がおりました」 

 

マオ「そしてなんと入鹿は643年に山背大兄王の屋敷に攻め込んじゃったの。そして彼は死亡してしまった。これには流石に蝦夷も怒ったらしいけどね」

 

マオ「そんな彼を疎ましく思っていた中臣鎌足は中大兄皇子に近づくと、彼等の排除を企てたの」

 

カキ「有名な話に、中大兄皇子が蹴ったまりが外に出てしまい、それを拾ってきた鎌足と出会った、とあるけど本当なのかね?」

 

マーマネ「まあそういったこともあり、645年に乙已の変が起きる。作戦としては、時の天皇であった皇極天皇の目の前で丸腰となっている入鹿に切りつけるというもの」

 

スイレン「そのために蘇我倉山田石川麻呂という人が文章を読み上げるのだけれども、なかなか斬りつけることができなかったの」

 

リーリエ「元々の予定よりも遅くなり、ブルブルと彼は震え出してしまったのです。そして入鹿にも不振がられてしまいます」

 

マーマネ「まあ最終的には入鹿を殺して、父の蝦夷も自殺したんだけどね」

 

サトシ「あっさりだな......」

 

リーリエ「無事に蘇我氏を倒した彼等は新政権を樹立しました。このとき中大兄皇子は敢えて天皇にならなかったんです」

 

サトシ「どうしてだ?」

 

カキ「天皇になると色々と窮屈だったんだろう。彼はある程度自由に動ける皇太子になったんだ」

 

マオ「天皇には中大兄皇子の叔父の孝徳天皇が即位、

 

中臣鎌足は内臣に、

 

左大臣に安部内麻呂、

 

右大臣に蘇我倉山田石川麻呂、

 

国博士に高向玄理と旻がなったよ」

 

カキ「そしてこのときに年号ができた。今で言う平成とか、昭和みたいなものだな。日本最初の年号は"大化"だ」

 

マーマネ「更に彼は都を、難波長柄豊碕宮に移し、改新の詔というのを出したよ」

 

マオ「一つ一つ見ていこっか!

1,公地公民(国民も土地もすべて天皇のものだよ)

 

2,都と地方制度(これについては奈良時代で)

 

3,班田収授法(同じく) 

 

4,新税制(同じく)

 

この事からわかる人もいるかもしれないけど、実際にすぐ行われたわけではないの」

 

 

カキ「一方、朝鮮半島ではこの時期に百済、高句麗が滅亡してしまっていた。やったのは新羅と唐なんだ」

 

スイレン「古墳時代のときでも触れたけど、百済は日本と仲がよかった。百済は王様が降伏しただけだったから国民の中には戦争の継続を求める声もあったの」

 

リーリエ「なので663年に日本は百済を助けるために海を渡り軍を派遣したのです。世に言う白村江の戦いです!」

 

サトシ「日本かっこいい! もちろん敵をぼこぼこにして凱旋してきたんだろ?」

 

マオ「大敗して逃げ帰ったよ!」

 

サトシ「えぇ......前回といい、日本負けすぎてね?」

 

カキ「まあな......それで新羅と唐の連合軍が日本に来ることをした怖れた中大兄皇子は北九州に防人を置いたり、太宰府に朝鮮式の水城、大野城を作った。これらは簡単に言うと防御施設だ」

 

スイレン「そういえば、この前後に孝徳天皇が亡くなり、皇極天皇が重祚(一度位を退いた人が再び天皇に就くこと)をして斉明天皇として即位した」

 

マーマネ「それから近江大津宮に遷都、斉明天皇が死んでも7年くらい、中大兄皇子は天皇にならずに政治を続けていたんだ(称制と呼ぶ)」

 

マーマネ「結局天智天皇として即位したんだけどね。近江令というのも出した」

 

スイレン「それから庚午年籍(戸籍)も作られたよ!」

 

マオ「そんな風に改革をしていったのだけど......次第に人がいなくなってしまったの」

 

リーリエ「裏切り者の汚名を着せられた蘇我倉山田石川麻呂や有馬皇子(孝徳天皇の息子)が殺されたりしたのも孤独を深めた原因でしょうね」

 

カキ「668年には遂に中臣鎌足も亡くなってしまう。死に際に天智天皇から藤原の姓と大職官という地位を与えられた」

 

スイレン「そして数年後に天智天皇も死亡、次の天皇は彼の息子の大友皇子とされ、弟の大海人皇子は出家して吉野に行った」

 

サトシ「出家って頭丸めてお坊さんになることだっけ?」

 

リーリエ「そうです!」

 

カキ「そのあとなんだが......大友皇子は天皇に即位していると思われるのだが、確かなことはわかっていない。まあ明治になってから弘文天皇という名前を与えられたが」

 

スイレン「吉野を出た大海人皇子は東国豪族の力も借りて大友皇子に戦いを挑んだの」

 

リーリエ「ちなみに何故一度は退いた大海人皇子が反乱を起こしたのか、詳しいことはわかっておりません」

 

マオ「最終的に大友皇子は自殺、勝利したのは大海人皇子! これが壬申の乱だよ」

 

サトシ「あっさりしてんな」

 

カキ「そして彼は都を飛鳥清御原宮に移して、天武天皇として即位した」

 

スイレン「都が近江から飛鳥になったことで近江朝廷を指示していた豪族達が失脚。それから八色の姓というものも出来た」

 

マーマネ「それから流通はしなかったけど富本銭の鋳造されたよ」

 

マオ「その後天武天皇の後を継いだのは持統天皇(彼の皇后)」

 

リーリエ「彼女は天武天皇の作った飛鳥清御原令を施行しました。庚寅年籍を作成して班田の支給も始まりましたよ」

 

マーマネ「694年には日本初の条坊制の都・藤原京が完成、遷都したよ」

 

リーリエ「彼女の後の文武天皇の時代には大宝律令が作られました。(701年)作業に当たったのは藤原不比等と刑部親王。ちなみに不比等は鎌足の息子です」

 

カキ「今回はここまで! 次回は律令から入るぞ」

 

サトシ「整いました!」

 

マオ「来たね」

 

サトシ「盲目の人とかけまして、近江令ととく」

 

スイレン「その心は?」

 

サトシ「どちらもてんじ(点字・天智)が必要でしょう」

 

リーリエ「次回も見てくださいね」




書き溜めが切れたので遅くなります


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6,奈良時代

マーマネ「今日は奈良時代だよ!」

 

~システム~

 

リーリエ「ごめんなさい! はっきり言って奈良時代、とりわけシステムの話は読み物としては今まで以上につまらないです!」

 

カキ「だが避けて通ることは出来ないし許してほしい」

 

 

【挿絵表示】

 

 

スイレン「京職・・・左京、右京の一般地方行政を担当」

 

マーマネ「摂津職は摂津国の一般地方行政を担当したよ」

 

カキ「他には太宰府、鎮守府辺りは覚えておこうな」

 

リーリエ「次に五畿七道について解説しますね」

 

マオ「現在の日本列島は北海道、東北、関東......とわけられているけど、それに当たるのがこれよ」

 

スイレン「北から東山道・東海道・北陸道・山陽道・山陰道・南海道・西海道」

 

マーマネ「それから五畿とは畿内(現在のほぼ近畿)に属する五つの国名のこと」

 

カキ「大和・山城・摂津・河内・和泉があるぞ」

 

マーマネ「ちなみに北海道、沖縄は含まれないよ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

リーリエ「それぞれの国は中央から派遣された国司が管理しました。彼らが仕事をこなした場所を国衙と言います」

 

スイレン「お次は班田収受法について」

 

カキ「班田支給のために戸籍が作られる。班田は6年に1度、支給されたから戸籍の更新もそれに準じた」

 

マーマネ「それから課税台帳として、計帳というものが毎年作られた」

 

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

 

カキ「租以外は男のみが対象だった。それから寺田、神田などは不輸租田(税を払わなくてよい)だった」

 

マオ「ちなみに税を納めないといけない田んぼを輸租田と呼ぶよ」

 

スイレン「当時税は大変重いものだった。そこで農民は浮浪したり、勝手にお坊さんになったり(私度僧)して回避を試みた」

 

マーマネ「兵役だけど、防人(3年間九州警備)、衛士(1年間都の警備)があったよ」

 

スイレン「あとは蔭位の制、官位相等制、五刑、八虐を暗記」

 

~遣唐使~

 

スイレン「隋に変わって中国を統一した唐にも日本は使者を送った」

 

カキ「630年の第一回では犬上御田鍬が正使として派遣されたぞ」

 

サトシ「すげえ名前......」

 

 

【挿絵表示】

 

 

マーマネ「8世紀(700年代)には大規模化。原則20年に1度、4隻が派遣されたことからよつのふねとの別名もあるよ」

 

マオ「航路も初期は朝鮮半島沿岸を経由する北路だったのだけどその後白村江の戦いで新羅との関係が悪くなると南路に切り替えたよ」

 

リーリエ「しかし南路は大変危険で遭難が多かったです」

 

サトシ「そーなんすか」

 

スイレン「894年に菅原道真によって遣唐使が廃止されるまで続いた」

 

マオ「廃止した理由は唐の疲労によるもの。このとき唐は内乱状態だからとっても危険だったの」

 

マーマネ「実は道真側にも理由があるのだけど・・・それは次回詳しくやるね」

 

~政治~

 

カキ「710年に藤原京から平城京に遷都された。ここはいわゆる条坊制によって作られたぜ」

 

サトシ「納豆で覚えてこ」

 

マオ「そのときの天皇は元明だよ」

 

スイレン「この時代は権力者がころころ変わるのだけど、一番最初に権力を握ったのは藤原不比等!」

 

リーリエ「主に彼が行った業績は、平城京遷都・蓄銭叙位令(711)・養老律令の制定(718)です」

 

サトシ「蓄銭叙位令ってなんだ?」

 

マオ「この頃に日本で最初の銅銭である"和同開珎"が鋳造されたのだけど中々流通しなかったの」

 

スイレン「そこで出されたのがこれ!......まああまり意味はなかったらしいけどね」

 

リーリエ「ちなみに和同開珎から後に出てくる乾元大宝までの朝廷で作られた銅銭を"皇朝十二銭"と呼びます」

 

カキ「それから古事記や日本書紀の編纂だな」

 

マーマネ「その後政権を握った長屋王(皇族)は722年に口分田の不足を対処するための百万町歩開墾計画を打ち出したよ」

 

サトシ「百万町歩ってどのくらいなんだ?」

 

カキ「当時の日本の農地が88万町歩程度だっただろうと言われている」

 

サトシ「すげぇ!」

 

マーマネ「まあ失敗するんだけどね」

 

リーリエ「723年には三世一身法が施行されました。これは開墾者の孫まではその土地の私有がみとめられるというものです」

 

サトシ「三世代だったら百年くらいか?」

 

マオ「そう思うじゃん? 実際には当時の庶民の平均寿命から考えると、短かったらしいよ」

 

リーリエ「その後、長屋王は謀反の疑いをかけられて失脚、自殺に追い込まれてしまいました。変わって台頭してきたのが藤原四兄弟です!」

 

マオ「上から、武智麻呂(南家)・房前(北家)・宇合(式家)・麻呂(京家)。南家とか言うのはあとで出てくるよ」

 

スイレン「さて、この時期の天皇はかの有名な聖武天皇なんだけど、彼の皇后になったのが藤原家の光明子なの」

 

マーマネ「持統天皇とか見ればわかるが皇后は天皇になる可能性があるから、これまでは皇后には皇族以外はなれなかったんだ」

 

リーリエ「この辺りからも当時の藤原家がいかに権力をもっていたのかわかると思います」

 

マオ「だけどね、四人は天然痘で死んじゃうんだ」

 

カキ「変わって政権を手中に納めたのが橘諸兄。さらに政治顧問として遣唐使経験のある吉備真備・玄肪がいたな」

 

マーマネ「ちなみに橘諸兄は元々皇族なんだけど、あまり(皇族内での)身分が高くなかったから皇籍離脱をして臣下になったんだ」

 

カキ「だが、橘諸兄はともかく、他の二人の身分はそんなに高いわけではない。だから不満を持つ人達も現れる」

 

スイレン「そして起きたのが太宰府で起こった藤原広嗣の乱。ちなみに彼は式家出身」

 

マオ「それにビビりまくった聖武天皇は

平城京→恭仁京(山背)→難波宮(摂津)→紫香楽宮(近江)→平城京

と遷都しまくるよ」

 

マーマネ「遷都の間にいくつか法令が出された。まずは741年の国分寺建立の詔。これは国ごとに一つ国営のお寺を建てようというもの」

 

リーリエ「743年には大仏造立の詔も出されました。これらには鎮護国家思想という仏の力で国を治めるという考えがあります」

 

スイレン「そしてそのための資金を集めるために作られたのが同じ年の743年、墾田永年私財法! 声に出して読みたい歴史用語10年連続No.1だね」

 

サトシ「なにそれ?」

 

カキ「二位は不輸・不入の権だな」

 

サトシ「???」

 

リーリエ「話を戻しますね。これは土地の永久私有を認めるものです。これにより公地公民は完全に崩壊しました」

 

マオ「その結果初期荘園というものができたよ」

 

カキ「ちなみにこのころ聖武天皇は体を崩したようで、退位して大上天皇(上皇)になった。代わりに娘が孝謙天皇として即位した」

 

マーマネ「752年には大仏開眼。つまり完成したってこと。これには行基というお坊さんも活躍したと言われているよ」

 

スイレン「ところで大仏は本当は何て言うか知ってる?」 

 

サトシ「???」

 

マオ「答えは盧舎那仏! 完成当初は黄金に輝いていたようね」

 

カキ「橘諸兄のあとに政権を握ったのは藤原不比等の孫の藤原仲麻呂だ。彼は養老律令を施行したぞ(757)」

 

マオ「757年には諸兄の息子の橘奈良麻呂の変が起きたけど無事に鎮圧」

 

リーリエ「翌年には彼は孝謙のあとの淳仁天皇より"恵美押勝"の名前を貰いました」

 

マーマネ「だけどここで光明皇后が死んじゃうんだ。後ろ楯を失った恵美押勝はピンチに!」

 

カキ「ちなみに天皇がいつのまにか孝謙から淳仁に変わってたけど、これは孝謙が病にかかったからなんだ」

 

スイレン「だけど彼女はとある坊主によって助かった。それが道鏡だよ」

 

マオ「764年に恵美押勝の乱が起こる。だけれどもこれも鎮圧されてついでに淳仁も天皇の地位を引きずり下ろされる」

 

リーリエ「そして天皇の地位に返り咲いた孝謙上皇は称徳天皇と名前が変わりました。前述のこともあって彼女は道鏡を大変信頼されておりました」

 

カキ「本来僧は政治に口を出すことはないんだけどな......まあ彼はその後、大政大臣禅師(765)→法王(766)と出世していく」

 

スイレン「彼の野望はとどまることを知らなかった。なんと天皇になることを本気で望んでいたらしい」

 

サトシ「嘘だろ!? お前......」

 

リーリエ「神のお告げが来たそうですよ。現代ならばともかく、この時代はそこそこ信じられていましたからね。これを宇佐八幡神託事件といいます」

 

カキ「それを防いだのは和気清麻呂! 彼はそのお告げは嘘、と称徳に告げた」

 

スイレン「称徳にめっちゃ怒られて左遷されちゃうんだけどね」

 

マオ「だけど称徳が死ぬと道鏡は一気に地位を失ってしまう。殺されはしないのだけど藤原百川によって下野薬師寺に追放されちゃう」

 

マーマネ「ところで称徳には子どもがいなかった。つまりここで天武天皇の血が途絶えちゃったんだ」

 

カキ「奈良時代......正確には壬申の乱が終わってからの天皇は皆天武天皇から続いていた」

 

スイレン「天智系は皇族内でも地位が低くなっていたんだよね」

 

リーリエ「だからといって天皇制を止めるなんて選択肢はもちろんありません。そこで即位したのが天智天皇の孫の光仁天皇でした。このときはもうかなりご高齢だったそうです」

 

スイレン「その後、第50代である桓武天皇は最初は長岡京に遷都した(784年)。だけれどもそこで藤原種継が暗殺されてしまったんだ」

 

リーリエ「そのため桓武天皇は平安京に遷都します。理由としては先程のことに加えて、早良親王が亡くなったり、長岡京がなかなか完成しないことなどもあったとされております」

 

スイレン「そして桓武天皇は平安京へ遷都......ここから先は次回やる」

 

 

 

カキ「最後はなぞかけだな」

 

サトシ「シロナさんとかけまして武智麻呂、房前、宇合、麻呂ととく」

 

スイレン「その心は?」

 

サトシ「どちらも強大(兄弟)」

 

マーマネ「次回もよろしく!」




ありがとうございました


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7,(1 平安時代~貴族の政治~

大変長らくお待たせいたしました


マオ「今回は平安時代に入るよ!」

 

リーリエ「桓武天皇は平安京(所在・山背国)に遷都しました」

 

サトシ「流石にそれは俺でもわかるぜ! 794(なくよ)ウグイス平安京だよな?」

 

カキ「正解だ。ちなみに都をここにすることを勧めたのは、和気清麻呂。宇佐八幡神託事件の時にも出てきたな」

 

マーマネ「始めに桓武天皇の行ったことを纏めるよ」

 

 

1,勘解由使の設置

 

 

マオ「国司の不正を正すためだよ。この時代、沢山の税を徴収する国司が多かったからね。国司が交代するときには解由状というものを審査もしたよ」

 

 

2,健児の制

 

 

カキ「従来とは違って郡司の子弟や有力農民で兵士を集めて少数精鋭を目指した」

 

 

3,農民の負担を軽減

 

 

マーマネ「これまでは六年に一度だった班田の支給を十二年に一度に変え、公出挙の利率を5割から3割に軽減したよ」

 

カキ「これの経緯には浮浪や逃亡、戸籍を女性と偽る偽籍の増加があったからなんだ」

 

 

4,徳政論争

 

 

スイレン「当時民衆の生活を苦しめていたのは平安京の造営と蝦夷征伐。そこで彼はこの二つを止めることにした」

 

マーマネ(蝦夷の話はのちほど)

 

リーリエ「徳政論争の翌年に桓武天皇は亡くなります。その後平城天皇を経て、弟の嵯峨天皇が即位しました」

 

カキ「平城天皇(上皇)は病気だったから一度弟に位を譲ったんだが、その後重祚と平城京を企てて嵯峨天皇と対立。二所朝廷と呼ぶ」

 

スイレン「810年に上皇配下の藤原仲成・薬子(兄妹、式家)がそのために動くけど結局失敗」

 

マオ「薬子は自殺、仲成は射殺され、平城上皇は出家したよ。これを薬子の変と呼ぶ」

 

マーマネ「この事を教訓に嵯峨天皇は蔵人所というものを作り、その長官である蔵人頭に藤原冬嗣を抜擢した。ちなみに彼は北家出身」

 

リーリエ「主な仕事は秘密文書の管理でした」

 

カキ「それから平安京の治安維持、犯人逮捕、訴訟、裁判を担当した検非違使もだな」

 

スイレン「ちなみに律令以降に作られた役職はすべて令外官と扱われる」

 

 

蝦夷征伐

 

 

マオ「お次は蝦夷について!」

 

カキ「蝦夷との戦いは少なくとも飛鳥時代にまで遡る。大化の改新頃、日本海側に淳足柵・磐船柵というものが作られた」

 

スイレン「斉明天皇の頃には阿倍比羅夫という人が派遣され、日本海側の蝦夷の平定が進んだ」

 

リーリエ「奈良時代には多賀城(陸奥国府としても使用)、秋田城といった砦が作られました」

 

マーマネ「光仁天皇の時には蝦夷の豪族・伊治呰麻呂が起こしたら乱により、多賀城が一部燃えちゃったんだ」

 

サトシ「蝦夷ってほんと酷いやつらなんだな」

 

マオ「いつの時代も、時の権力者に従わない人たちは迫害されちゃうからね......」

 

カキ「桓武天皇の時代。征東将軍という位の紀古佐美という人物が出兵。しかし返り討ちにあってしまう」

 

リーリエ「彼の軍勢を打ち負かしたのは、蝦夷の族長・阿弖流為です」

 

サトシ「なんかかっこいい名前!」

 

スイレン「このままではいけない。そう考えた中央は、坂上田村麻呂という男を征夷大将軍に任命!」

 

マーマネ「彼の活躍で阿弖流為は倒された。彼は他に鎮守府を胆沢城に移したり、志波城を設置してるよ」

 

カキ「この坂上田村麻呂って男がまたすごいんだよな。阿弖流為は罪人として中央に送られるんだけど、彼は阿弖流為の延命を懇願したらしい」

 

スイレン「結局は死刑になっちゃうけど、一歩間違えれば自分まで裏切り者扱いされかねないなか、流石だなと思う」

 

リーリエ「嵯峨天皇の頃(811)、文室綿麻呂という方が派遣され、徳丹城を築きました。小さい反乱は起こりますが、これによってほぼ平定が終わりました」

 

─────

 

カキ「ところでこの時代、追加法令が沢山出された。そこで"格"、"式"というものが出来上がった」

 

スイレン「嵯峨天皇のときに作られたのが弘仁格式。他に二つあるのだけどそれはおいおい説明するね」

 

リーリエ「解釈の統一もしなくてはなりません。そのため、清原夏野が令義解というものを編纂しました」

 

マオ「惟宗直本も令集解という、似たものを作ったよ。ただし"令義解"は官撰注釈書。"令集解"は私撰注釈書。ごっちゃにしないようにね!」

 

マーマネ「大宰府内に作られた公営田、畿内には官田というものが作られたよ。どちらも直営田」

 

マオ「中央官庁には諸司田、天皇家は勅使田、皇族は賜田。これもね!」

 

カキ「これらはいずれも財源確保のためにとられたものだ。有力農民を利用したんだ」

 

────

 

リーリエ「ところで、初めの方に薬子の変のあとに冬嗣が初代蔵人頭に就任したと言いましたね?」

 

サトシ「そうだな」

 

カキ「その後、藤原良房という者が後を継いだ。彼のときに起こった承和の変で、伴健岑・橘逸勢が失脚する」

 

マオ「そしてまだ幼かった清和天皇が即位。藤原良房は摂政になったんだ(858)」

 

スイレン「866年には、応天門の変。大納言の伴善男が源信に放火した。伴善男は流罪を言い渡されたけどね」

 

マーマネ「清和天皇は貞観格式を作ったよ。これで二つ目だね」

 

マオ「872年には、藤原基経が摂政に。光孝天皇が即位すると、関白になったよ」

 

カキ「次に阿衡の紛議。宇多天皇の勅使を巡り宇多天皇と、基経が喧嘩したと覚えていればいいかな」

 

スイレン「基経の絶大な権力の前には天皇でさえ、歯向かうことはできなかった。だけど基経が死ぬと宇多天皇ははっちゃける」

 

リーリエ「親政。つまり関白をおかず、政治を行ったのです。これを寛平の治と呼びます」

 

カキ「まあ流石に一人ですべてこなすのは無理なので、部下はいるけどな。それが菅原道真だ」

 

マーマネ「894年、道真の進言により、遣唐使が中止になったよ。理由としては唐が荒れてたから。民間の貿易がすでに盛んだったから、なんだけど実はもう一つ理由(説)があるんだ」

 

スイレン「道真は遣唐使の大使に任じられていた。これが彼を疎ましく思う藤原氏の策略だったのではというもの」

 

カキ「遣唐使は非常に危険な任。追い出されたのでは? と考えられなくもない」

 

リーリエ「事実、藤原時平に濡れ衣を着せられて、道真は大宰府に左遷されてしまいます。真相は闇のなかですけれど」

 

 

醍醐天皇の親政

 

 

スイレン「延喜の治と言われている。下に主なことを載せていくよ」

 

 

1,最後の班田実施

 

2,延喜の荘園整理令

 

3,延喜格式

※先に紹介した、弘仁格式・貞観格式と合わせて三代格式と呼ばれる

 

4,日本三代実録の編纂

 

5,三善清行が意見封事十二箇条を提出

 

 

村上天皇の親政

 

 

カキ「こっちは天暦の治」

 

1,最後の皇朝十二銭・乾元大宝の発行

 

2,延喜式の施行

 

 

マーマネ「しかし、969年に安和の変が起こったよ。源満仲の密告で源高明が失脚。これ以降、摂関が常置になった」

 

カキ「摂政や関白は、藤原家の氏長者(一番偉い)を兼ねる。だからそれを巡っての争いとかも起こるんだ」

 

スイレン「そんな中、現れたのが藤原道長。このときが藤原家の全盛期」

 

マーマネ「彼は後一条、後朱雀、後冷泉の3人の天皇の外祖父として、権力を手にした」

 

リーリエ「藤原実資の日記・小右記に記されていた和歌は有名ですね」

 

サトシ「どんなんだ?」

 

マオ「この世をば 我が身とぞ思ふ 望月の 欠け足ることも 無しと思へば」

 

カキ「意訳すると、"真ん丸なお月さまのように私は今満足している。俺最強!"って感じだな」

 

スイレン「彼は正確には関白になっていないのだけど、御堂関白とよく称されるよ。由来は彼の日記・御堂関白記から!」

 

マオ「彼の息子の頼通は、平等院鳳凰堂を作ったことで知られているね」



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