『平和は歌を聴きに来ない』 (-))
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雪音クリスの日常的非日常
弓なき矢となりて


 夜の部屋、光もなく、あるのはただ流れる歌のみ。

 その部屋は完全な防音で、歌が外に漏れることもない。

 故に、ヴァイオリンの振るえ切る微かな余韻、歌声の残響、それら全てが部屋を駆け巡った後に部屋の主たる少女――雪音クリスの元へはらりはらりと落ちていく。

 

 クリスは帰ったままに変わらぬ身ぐるみでベッドへ雑に横たわり、天井を仰いでいた。

 明かりは消しているが闇の中にあって、それでもまだ邪魔だとばかりり両腕で顔を被い、目をつむる。

 流れ続けるその歌を紡ぐのは、二人の男女――雪音雅律(ゆきねまさのり)と、ソネット・M・ユキネ。雪音クリスの父と母。

 

 誰よりも強くクリスを愛してくれた二人の男女の歌だった。

 誰よりもクリスが強く愛する二人の男女の歌だった。

 

 二つの愛に紡がられたそれは、紛れもなく人類最高峰の歌で、そして――

 

 

 ――世界、を救えはしなかった歌だった。

 

 

 ふと、歌が止まった。ブツリという音もなく。

 音楽プレーヤーの不調か、データのバグか。

 

 しかし沈黙は流れなかった。

 クリスのすぐ近くに投げ出されていた端末からの呼び出し音が、荷が重くも場を引き継いでいたから。

 

 身を起こしつつ、クリスは応答する。もはや慣れた手つきだ。

 

 「クリスくん。例の件について、潜伏先と思しき施設を特定した。ついては申し訳ないが君にも同行して――――」

 

 聞こえてくる言葉に、クリスの口元が上がる。

 

 勢いよく立ち上がると、クリスの胸元に下がるイチイバルのシンフォギアが左右に揺れた。

 その揺れに導かれるまま歩いていって、クリスは部屋を後にした。

 歌の途絶えたままとなったプレーヤーは捨て置いて。

 

 必要がなかったからだ。

 

 この歌の続きは、これより赴く先にあるのだから。

 

 

 無数の足音が生活感のない建造物内に広がっていた。

 

 音の主らは皆一様に黒のスーツにサングラスの出で立ちで、各々一丁の拳銃をその手に携えている。

 

 乱雑に一室の扉を空け放ち、身体が先か突き付けた銃口が先かと言わんばかりにその中へと上がり込む。

 幾つかのグループに別れている彼らの動きは、明らかに何かを探しているものだった。

 

 と、そうしている内の一グループが開け放った一室に、人影が一つあった。

 

 扉に背を向ける形で椅子へと腰かけ、その影から目の前に置かれたPCの光が漏れ見えている。

 かなりの音を上げて扉へと上がり込まれたにも関わらず、その方には見向きもしない。

 

 黒服の一人が、同行した別の男に視線を飛ばす。

 その男が懐から取り出した端末を操作するのを視認してから、黒服は部屋へと踏み入った。

 

 銃を構えながら、一歩一歩進んでいく。

 運動量で言えば先ほどまでの大捜索の方が重労働であろうにも関わらず、今この瞬間に踏み出す一歩の方が遥かに重く、口の中が乾いた。

 

 「特異災害対策二課の者です」

 

 椅子に座る影へと、ひりつく喉を精一杯に震わせ、黒服は静かに問いかけた。

 

 「”バックコーラス”運営に関わる方ですよね? 少しお付き合いして――」

 

 ガタリと音を立て、影が椅子ごと振り返った。

 咄嗟に銃を突きつける。

 

 目に付いた影の表情は生者のそれではなかった。視線はどことも言えない場所に向き、首は力なく傾げられている。

 そして次第に段々と黒く染まると、やがて崩れて砂と――否、”炭”と化して消え果てた。

 

 「っ!!」

 

 スーツの男が飛び下がり、急ぎ部屋の外に転がり出た。

 後ろでぐよぐよと奇妙な音がする。その音の正体など、確かめるまでもなく分かっていた。

 

 「また”ノイズ”だ!! 全員施設外に退避しろ!!」

 

 端末を取り出しスイッチを入れるが早いか怒鳴りつける。端末を通さずとも施設内の全員に行き渡る十分な怒声だった。

 

 しかしそれを掻き消すほどの轟音が怒声を掻き消した。

 

 突如初夏の生暖かい空気が駆け抜け、半壊してなお輝く月の光が黒服の男らを照らした。

 

 ――その異形の名を知らぬものなど、今この場にいる者どころかこの世において一人としていない。

 

 人が人である限り、その遺伝子に刻み込まれた本能が、奴らへの恐怖を忘れさせない。

 

 その名は”ノイズ”。人が人の殺戮を望み作りあげた最悪の”特異災害”。

 

 モザイク柄でカエル顔の巨大な”死”が、男らのいる施設の天井を砕き、彼らを見下ろしていた。

 

 

 「連絡来たぜ! ビンゴだ姐さん!!」

 「姐さん言うな。いくつだお前」

 

 運転士の言葉を一蹴しつつ、クリスは立ち上がった。

 

 彼女が立つのは、地上数百メートルを飛ぶヘリの機内である。

 揺れる機体にも反応を見せず、窓を通して地上を睨む様からは、十数歳の少女らしさは皆目としてない。

 

 「つれねぇなぁ姐さん。リスペクトはソウルだ! 年齢じゃないぜ!」

 「だったら尊敬する姐さんからのお願いだ。黙って仕事しろ」

 

 ゴーグルをつけた齢二十代半ばの運転士を一喝しつつも、一瞥さえしない。ぶれない視線は、眼下に立つ小さな建造物へと注がれている。

 

 街並みは遠く、辺りは殆ど木ばかりの山景色である。そこにポツンと落とされた一点の人工物は景色の中で奇妙に映えているものの、やはり異質と思わずにはいられない。

 

 そうであれば「何故あれはここに建てられたのか」を考えるのが人情であろうが、クリスにその思考はない。雪音クリスの頭にあるのはただ一つ。己がここに招集された本懐を果たすことのみである。

 

 「了解了解。じゃあちゃっちゃと近場に下ろして……」

 「いい。それより施設に寄せろ」

 

 クリスの要請に、運転士は心中でうへぇと嘔吐いた。

 

 「他の方々もそうッスけど、乗り物の乗降は常識に忠実にやりませんか」

 「守ってんだろ常識? 飛び込み乗車は四の五の言われるが、飛び降り降車はされないじゃねーか」

 「とんだ屁理屈!?」 

 

 この手の常識知らずには、ドン引く人間と悪ノリする人間がいる。

 

 「だがそいつが堪らねぇ! 唯唯諾諾と聞いちまう!!」

 

 彼は、極端に後者に寄った男であった。

 祭とあれば一も二もなく飛び込み神輿の上に登って叫ぶ類の男であった。つまるところはアホであった。

 

 アホの操縦によりヘリが施設に向けて急接近する――それとほぼ同時のことだった。

 施設の一画が轟音を上げて崩れ、そこから巨大なモザイク柄の影が、ぬっと姿を現した。

 

 施設内が伽藍洞であったとしても収まらないであろう巨躯の登場である。しかしクリスも運転士も大した反応を見せない。

 かの”ノイズ”に常識が通用しないことなど、クリス他特異災害対策機動本部二課のメンバーにとってそれこそ常識であったからだ。

 

 「さぁて」

 

 クリスが躊躇なくヘリの昇降口を横薙ぎに開け放つ。

 

 夜風が機内に吹き込み、クリスをなぎ倒さんとばかりにその体へも吹き付ける。

 しかしクリスはまさにどこ吹く風といった様子で、乱れた髪を気に掛けさえしない。

 

 風の吹きすさぶ音の向こうで、運転士が何かを言った声が微かにクリスの耳に届いた。

 それについて聞き直すことはせず、また彼が親指を立てているのにも一切視線を向けず、クリスはふわりと、ヘリから落ちた――。

 

 

 少女が堕ちていく。

 

 

 夏の温い風も、落下の速さにより体を切り裂く冷たい烈風となる。

 しかし少女の口から漏れるのは、弱音やら悲鳴などではない。

 

 『Killiter――』

 

 

 戦場に、歌が響く。

 

 

 少女の歌には血が流れている。

 

 父母より継いだ血の流れる歌が、首に掛かる力を解き放つ。

 その歌の持つ熱が、少女を冷たい世界の中で生かし続けてきた。

 

 かつては他者からあらゆる暴力を”奪う”ために。

 今は他者をあらゆる暴力から”守る”ために。

 

 『――”Ichaival” tron』

 

 少女は戦場で()唄い(吐き)続ける。自ら望んだ、夢のために。

 

 

 空より降りてきた歌が、黒服の視線をノイズから上方へと誘った。

 そうして目に映ったものは、自分の娘と年端の変わらない一人の少女。

 一糸纏わぬ姿ながら奇妙な光の輪をその身の周囲に二つ纏わせ、二つに束ねた白髪を揺らしながら降りてくる彼女を、男は自分を導きにきた天使かと見紛うた。

 

 やがて少女は黒服の目の前、彼とノイズとの間に降り立った。

 豊満なバストを持つ裸体を曝していながら、何処か遠くを見つめた視線に美しく白い肌が、見る者に淫靡さよりも清麗とした雰囲気を先立たせる。

 しかし、黒服には目の前の聖女に見惚れていられる余裕はなかった。

 

 彼の目の前、聖女の背後にそびえ立つ巨大なノイズが、自分たちを叩き潰さんと拳を振り上げているのが見えたから。

 

 「あぶ……ッ!?」

 

 危ないと上げかけた声を遮ったものは、またも歌だった。その歌が聞こえたと、そう感じた次の瞬間には状況は一変していた。

 

 一瞬でノイズが緑に色付いたかと思えば、そのどてっぱらに幾つもの風穴が空いたのだ。

 

 風穴を穿った無数の何かしらは、目の前の少女に纏わり――――否、”装着”されていく。

 やがてそれら全てを(まと)い終えた少女の姿は、先までの印象を大きく変えていた。

 

 赤と黒を主にした配色に、挑発的に開いた胸元。そして腰部を中心とした重厚な装備は、紛うことなき戦闘装備(バトル・ドレス)

 

 黒服は理解した。彼女の素姓は聖女などでなく、まさしく”戦姫”であったいうことを。

 

 戦姫はクルリと身を翻すと、半身を殆どえぐり抜かれた大型ノイズと向かい合う。

 

 死に体でもなお目の前の人間に襲い掛からんと必死な大型ノイズに、戦姫は勝ち誇った笑みを見せると、片手で作った指鉄砲を、ゆっくりノイズに突き付けて、

 

 「……ばーんっ」

 

 その言葉と同時に、大型ノイズは炭と崩れて消え去った。

 

 ついでに見ていた黒服も、何かに落ちたか落とされた気がしたが、そんなことはどうでもよかったあまりにも。

 

 

 (出会い頭に大型一体撃滅。なかなかどうして僥倖だな)

 

 指鉄砲の硝煙を吹き消す気取った仕草や、纏う装備から流れるハードな楽曲と対照的に、戦場へと降り立った“戦姫”ことクリスの思考は冷淡に現状を分析していた。

 一連の行動は、言ってみればパフォーマンスである。

 

 ノイズに襲われた者の心境は絶望の淵にある。そこから救い出すにあたっては、露骨なまでに分かりやすいほどヒロイックな方が要救助者を混乱させないだろうというクリスなりの配慮だった。

 

 なにせクリスの纏う赤いシンフォギア“イチイバル”の武装は重火器のオンパレードである。それらが見た者に与える恐怖をクリスは誰より知っている。

 

 「あ、あの、あんた……」

 『開幕沈黙――即刻Go away』 

 「はぃ?」

 

 黒服の問いかけに対し、クリスの応えは“歌”だった。

 キャッチボールのつもりが玉でなく弾で返された心持ちである。

 さすがに予想外に過ぎて一瞬思考が止まった黒服だったが、大型ノイズがブチ破った天井から入る月明かりの向こう側の闇を見て気づく。

 

 「っ! 大した大盤振る舞いで!?」

 

 闇の中で蠢く影、影、影……。

 すんぐりとした体を警告色めいた原色で染め上げた無数の小型ノイズが、じりじりと距離を詰めてきていたのだ。

 その存在を理解してようやく、クリスの歌を言葉として理解した。

 即ち“今すぐ逃げろ”

 

『地獄行きが 迫ってんぜ!!』

 

 クリスの歌の二節目が合図となったかのように、ノイズらの中からオタマジャクシ型をした一匹が黒服目がけ飛びかかった。

 しかしノイズを迎えたのは念願の生身の人間ではなかった。

 ノイズの跳躍と同時、クリスもまた飛びあがり、宙にて強烈な飛び回し蹴りをノイズへブチ当てたのだ。

 黒服にとっては不意打ちであったか分からない。しかしクリスにとっては、予想の内でしかない。

 

 同胞が炭と化したのを皮切りに、他の小型ノイズらも飛び出してくる。

 クリスは回し蹴りの勢いでノイズらに背を向けた姿勢で、それを好機と見たのかは定かではない。だがそうであったのだとすれば、見当違いという他ない。

 

『烈!! Dead or alive!』

 

 ノイズの到来より早く、クリスが歌と共に振り返る。

 

 刹那、飛び出したノイズが悉く、その全身をハチの巣とされ炭と崩れ去った。

 クリスの両手には、巨大な二連装のガトリングガンが構えられていたのである。

 傍から見れば乱れ撃ち、されどクリスの技量が伴えば、一瞬の間に狙い撃ち。見る間にノイズは余すことなく撃ち抜かれていく。

 

 『足掻いてみろ!!』

 

 それでも撃ち漏らされた運のいいノイズもいた。弾丸の嵐を掻い潜り、クリスを飛び越え黒服に向かう。

 そしてクリスの頭上に差し掛かったところで、振り上げられたガトリング二丁の銃身による交差で“挟み取られ”て、回転する銃身に削られバラバラの炭塵と舞った。

 

 『手前なりの Go fight!!』

 

 炭屑を雨と受けるクリスの目には、神業とも思える所業を成した直後ながら、熱に浮いた色はない。

 ただただ真っ直ぐな目。現実だけを一直線に見ているように感じさせる。さながら歴戦の戦士のそれだ。

 戦士の瞳、幼い顔立ち、そして女性的に成熟した体つき。

 

 (なんだ、バロック? どこか妙に不揃いだ)

 「よぉ、無事か?」

 

 ふとそんな思考をした黒服だったが、クリスが自分へと視線をじっと向けているのに気づいてハッと背筋を伸ばしてしまった。

 

 「ああ、ありがとう、助かった!」

 「そいつは重畳、あとはあたしに任せて早いところ離れな。奴ら施設(ここ)から外には出てねぇ筈だかんな」

 

 言うと、クリスはさっと視線を外し、周囲への警戒に移った。両手に握られている武器は、いつの間にかガトリングから小ぶりなボウガンへと形状を変えている。

 

 「わかった。本当にありがとう」

 

 踵を返しながら、黒服は自分の足取りが先程までより軽くなり、力強さを増しているのに気づいた。

 ノイズとの間近での肉薄を経ながらそうである理由は、戦場に響き続けたクリスの歌をおいて他にはあるまい。

 キツイ語調ながら、クリスの歌が告げていたのは則ち『生き抜け』という温かい想い。

 そうであるからこそ、ノイズと相対してなお、自分の心は熱く、そして強くあれているのだと、黒服は確信していた。

 

 「あんたのことも、あんたの歌も、絶対に忘れない! またいつか聞かせてくれ!」

 

 正直に言って特異災害対策本部での仕事は辛く厳しい。今回のように命の危機に曝されることも少なくない。

 それでも必ず生き延び続けてみせると、黒服は強く決意した。彼の胸の内で、歌が流れ始めた瞬間だった。

 

 「はは……、まあ機会がありゃあな」

 

 右足で左脛を掻きつつ、苦笑しながらクリスは言う。手が空いていれば頬も掻いていたことだろう。忙しなく動く視線が、索敵のためのものだけでないのは明白だった。

 

 遠のく足音に耳を傾けつつ、クリスは軽く息を吐いた。

 一瞬の安らぎ。

 

 その直後、ギロリと影の向こうを睨みつけた。

 足音が消えゆく一方で、大きくなっている音の存在にクリスは気づいていた。

 ぐよぐよという気の抜ける足音。即ちノイズの第二波である。

 

 「ははっ!」

 

 ノイズが影から身を出すよりも速く、クリスは影の中へと跳び込んだ。

 

 その最中、笑い声を一つ上げる。嘲笑と侮蔑を含んだ笑み。

 それは先ほど黒服に歌を褒められた時の笑みより遥かに自然で、溌剌としたものだった。

 

『危害? オーライ!!』

 

 着地ついでに近場のノイズを蹴りつけて、クリスは敵陣の真っ只中へと踊り出た。

 

 『一掃! Instantly!!』

 

 今まで以上に強く唄い上げながら、胸に宿った力を握った武器―――アームドギアへと注ぎ込む。

 派手な駆動音を響かせて、ボウガンが瞬く間にガトリングガンへと変形する。

 

 『こっちになら 構いやしない!!』

 

 叫ぶように唄い、アームドギアをノイズへと突き付ける。

 

 とは言えその実、何にたいしてという考えはない。

 事実突き付けられた銃口は、クリス自身の回転により、その狙いを盛大に乱した。

 

 それでも何も構いはしないと、

 

 『きっと! きっと!!』

 

 撃つ! 撃つ! 

 

 『きっと! きっと!』

 

 撃って! 撃って! 

 

 『きっと!!』

 

 撃ちまくる!!

 

 『Crash!!』

 

 

――――”BILLION MAIDEN”!!

 

 

 『Endless fighter……』

 

 正真正銘偽りなしの”乱れ撃ち”。

 人を襲い尽くさんと旺盛な面持ちを見せていたノイズの軍団は、今や積もれば山となるしか取り柄のない炭屑だった。

 そんな中、意地を見せたノイズが一匹、炭の中から飛び上がりクリスへと襲い掛かった。

 

 距離は近く、長い銃身のガトリングでは狙いが間に合わない!

 

 ノイズによる奇跡的な報いの一矢だが、雪音クリスは魔弓使い。自らに向かうその一矢など見逃さないし許さない。

 大きく足を振り上げて、その場で高く跳躍する。さながらハードル選手の如き動きである。

 ぶつかるべき標的をなくしたノイズは、頭からべしゃりと地面に突っ伏した。不様このうえない。

 そして、その不様の上に、

 

 「ヒールってのは、こう使うっ!!」

 

 雪音クリスの全てを乗せた一撃が踏み抜かれたのであった。

 重そうで重くないちょっと重いクリスながらそのスタンピングの威力は激烈で、ノイズは哀れにもその全てを踏みにじられ、無惨な炭と成り果てた。

 

 「まぁざっと、こんなもんかね」

 

 足に付いた炭を払いながら、クリスは一人ごちた。戦いの喧騒を過ぎた心地好い冷たさを持つ静寂に身を預けながら。どうにもこの瞬間が一番気の安らげているように思えてしまう。

 しかしその安らぎを奪い去るものがあった。それも二つも。

 一つは身につけた二課より預かる端末からの呼び出し音。一戦終えたクリスへの労いか何かの通信である。

 

 そしてもう一つは、風だった。

 

 「っ!」

 

 とはいえ、ただの風ではない。

 

 其れは暴風。

 空を切り裂かんばかりに鋭く、大地を穿たんばかりに強大。

 

 そんな暴風が、クリスの側を通り過ぎた。施設の壁を壊し天井を崩し、床を深々とえぐり取って。

 

 横に身ごと飛び込み暴風を躱し、すぐさま立ち上がりつつ天を仰ぐ。

 

 そんなクリスに、端末からの声が響いた。 

 

 「クリス君、全員の無事を確認した。だが」

 「ああ、分かっているともさ」

 

 通信の野太い声を遮って、ニィと笑い、叫び返す。

 

 「更なる大型ノイズの存在を確認! 引き続き、戦闘続行撃滅持続だ!」

 

 言い放ち、クリスが睨めつけるは、有翼のノイズ。

 

 巨大な双翼を背負い、長い首やらぶら下げた手足ら全ての先が鋭利な刃。

 背後から光る月の光に、さながら怪鳥の如きシルエットを映しだして、其れはけたたましい咆哮(ノイズ)を上げた。

 

 「まずは駆け付け一発食らいな!!」

 

 ボウガン形態のアームドギアで何本もの矢状のエネルギー弾を形成する。

 それを怪鳥ノイズに撃ち出すと同時に、クリスは施設の外へと跳び出した。大立ち回りをするには、少しばかり舞台が狭い。

 

 怪鳥ノイズがクリスを追う。行方を阻んだ無数の矢は、巨躯らしからぬ素早さでかい潜っている。

 施設から離れながら、クリスは横目で怪鳥の俊敏性を観察し、戦略を組み立てていた。

 

 イチイバルの持ち味は、まず面の攻撃による敵の数をものとしない制圧力。

 そして――――装者であるクリスが持つ現代兵器への恐怖をそのまま投影したがための、超弩級な大火力である。

 上空を飛び回る巨大なノイズとは一見して好相性な要素揃いである。実際、ただ撃ち勝つだけなら容易いことだ。

 

 だが、先程ノイズが見せた高い機動性がネックとなる。

 自慢の巨大ミサイルで撃ち落としてやりたいところだが、それを下手に躱されると面倒なことに成り兼ねない。『避難完了』の報せを受けてからまだそう経っていないのだ。

 守るべき者の命をベットする訳にはいかない。どれだけ負けの薄い勝負でも。

 

 (掛け金ってのは、全額自腹で切れるまでってのがマナーだわな)

 

 そうして今日も雪音クリスは、一切の躊躇なく、己の命を戦場の上にベットした。

 

 (全く、安い勝負だ)

 

 そう、心の内で笑いながら。

 

 

 クリスが立てた戦略には、二つのものが必要だった。

 

 一つは開けた土地。これにヘリで施設に向かう途中、目に付いた場所があり目星は付いていた。

 問題は、もう一つ。

 

 「さて、どこまで言うこと聞いてくれるかねぇ」

 

 言いながら、クリスはその手に握るアームドギアを見つめた。

 

 アームドギア――――

 

 シンフォギアの主武装であるそれを、誰かは”常在戦場の覚悟の体現”と形容した。

 それは正解であり、間違いだ。

 何故ならばアームドギアは、シンフォギア装者の精神風景を色濃く反映し、その姿に投影する機構を有するからである。

 つまり、常在戦場を信条とする者が振るえば、アームドギアは常在戦場の形を取るし、誰かと手を繋ぐことを望む者が装者なら、武器は不要かと己の姿を見せない粋もある。

となれば、アームドギアの姿在り方は装者の自由自在かと問われれば、そうではないのが悩みの種で……。

 

 跳ね回るのを止め、クリスは広々とした空間に深く着地した。

 地を滑りながらその身を翻し、背後を見渡して怪鳥ノイズの姿を探す。

 逃げ回りながらの牽制も甲斐なく、あまり距離は離せていなかった。

 一瞬出掛けた舌打ちを抑え、代わりに一つ笑って見せる。

 

 「上等さ、なるべき様にして見せようじゃねぇか」

 

 深く、息を吐く。

 

 瞳を閉じ、アームドギアを額に当てる。

 

 自分の望む力の姿を、アームドギアへと投影する。

 

 

 ――瞬間、激痛が走る。

 

 

 銃弾の如き勢いでクリスの頭に撃ち込まれたそれは、クリスの心を蹂躙した。

 歯を食いしばり、目を見開く。その目に映し出されたのは、遠い日の、しかし一日として忘れたことのない記憶。

 

 硝煙の臭い。

 焼け付く炎。

 一面の赤。

 突き付けられた、冷たい鉄の塊――

 

 ……アームドギアとは、則ち心象風景の投影である。

 

 故に、その在り方を変えんとすることは、己の心と向き合うことに他ならない。

 そして、アームドギアに忌むべき鉄の暴力へのトラウマを刻んだクリスにおいてそれは、幼い自分を苛んだあらゆる災厄の反芻を意味していた。

 

 「っ、ぅぐぁ……!」

 

 口から力ない喘ぎが漏れる。

 過去の絶望が、胸でのたうつ。

 耳鳴りが荒れ狂い、両足がガクガク震え、焦点が揺れ動く。

 全身が、もう止めろと恨み言を喚いている。

 

 だが、

 

 「……は、はは」

 

 喉から嘲笑を絞り出す。

 

 足を揺らすも膝をつくことなく、ぶれる視点でノイズを睨む。

 

 痛みは消えない。苦しみは増していく。

 

 (だが、そいつがどうした……っ!!)

 

 それら全て、”撃ち捨てる”。

 乗り越えるのではない。そんな価値もない。

 所詮、全ては過去だと、雪音クリスはアームドギアのグリップごと、全ての記憶を握り潰す。指の一本一本に力を込めて、ゆっくり強く、丹念に。

 

 大事なものは”それ”ではない。

 

 『傷の増やし方――それ以外に要らないだろう?』

 (それ以外なんざ、今においては全てが瑣末!)

 

 歌い紡ぐクリスの手の中で、アームドギアが変貌してゆく。

 その姿こそ、新たな”傷の増やし方”。

 

 魔弓イチイバルが本来とっていたであろうと思わせる、クリスの背丈並の弦を誇った常識崩しの大弩弓!!

 

 『”歌による平和” そのためだけでいい――!!』

 

 受け継いだ夢を、今における雪音クリスの全てを歌に込める。

 紡いだ歌が、弩弓を中心として渦となり、深紅の矢を練り上げる。

 

 継ぎ目を持たない真っすぐな紅い矢は、さながら見事に磨き上げられた紅の水晶である。

 

 だが、それ以上にそれは雪音クリスそのものであった。

 両親から継いだ想いのもとに、やっと気付いた本当の夢のために、万物を貫きどこまでも真っすぐ進む、不退転なる紅蓮の一矢。

 

 『さぁ! Let's Show down!! 疾風のよう 白黒the End!』

 

 突き付けられた魔弓とクリスの歌に焚き付けられたかのように、怪鳥ノイズはクリスに向かい降下する。一瞬でその速度は最高潮まで高まった。風が荒れ狂う。

 ノイズのその様もまた、さながら真っすぐな一矢であった。

 ”人を殺す”というただ一つの目的のために、限界まで研ぎ澄まされた姿である。

 

 足を開き、地を踏み締めるクリスには、落ちてくる”死”への恐怖はない。冷や汗など、胸にある熱さでとうに蒸発尽くした。

 

 ノイズの鋭利なクチバシ。

 魔弓の穂先。

 クリスの視線。

 

 三つが、一直線に並ぶ。

 

『あぁ、それ以外……』

 

 極限の極限、限界までに距離が近づく。

 ノイズの圧倒的暴力が、魔弓もろともクリスを穿つ――

 

 『全部!』

 

 その、寸前に、

 

 『全て!!』

 

 クリスはほんの少し、後ろに跳んだ。

 倒れ行きながら、より前に、魔弓を突き出す。

 

 『何もかもぉ!!』

 

 そして生まれる。

 高速で飛び回る存在に、銃口を押し付けられる、唯一無二の状況が。

 

 「否定して、やろうってなぁ――っ!!」

 

――――”MEGA ZEPPELIN”!!

 

 

 叫びと共に撃ち放たれた一矢は、その絶対的な貫通力を以て、真っすぐにノイズの身体を貫いた。

 

 全くの一瞬で、ノイズは風と共に炭となり、バラバラと散る。

 

 地面に身体を打ち付けられてそのまま仰向けに倒れるクリスの元に、黒い雨と降り注いだ。

 

 『そう、否定してやる……否定、して――』

 

 倒れた際に良くない場所を打ち据えたか、ギリギリの駆け引きから解放された安堵からか、クリスの意識が急速に遠退いていく。

 

 紅蓮の弓矢が突き抜けた行き先を見ることなく、クリスはどす黒い炭に包まれて眠りに落ちた。




※2期以降のキャラは出ませんが、シンフォギア1.5的な要素は入れていきたいです。
※ルナアタック後ですが、ギアの見た目は一期の時のままです。
※黒多めの初期フォギアはみんな格好いい。


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日常を持つ者たち




揺れる身体に、クリスは目を覚ました。

篭った革の臭いと硝子越しに見えた流れ行く景色に、自分が今車の中にいることを理解した。

両手を組み、両足を絡め、双方向から身体をうんっと上下に伸ばす。胸に押され、首元のギアが少し跳ねた。

 

「おざっす姐さん。お勤めご苦労やんした」

 

運転手が声を掛けてくる。戦場までヘリで送ったのと同じ男だ。

特異災害対策二課の所属となって半月あまりが経過したクリスだったが、未だに彼の名を覚えていなかった。そもそもクリスがここでノイズ退治をするようになってから覚えたことなど、”傷の増やし方”以外では数える程にもないが。

 

「……今何時(なんどき)だ?」

 

「へい、そろそろ21時の飯時って頃合いでさぁ。一応この後に今日の件についてミーティングがありますが……」

 

運転手はバックミラー越しにクリスの表情を見遣る。お世辞にも良い顔色とは言えない。近頃続いた度重なる出動のせいで、あまり眠れていないのだろう。

 

「どうします? ふけちまいましょうか? 司令殿だって」

「タコ抜かせ。そうも行くかよ。アタシの荷物は?」

 

クリスは無下に言い、両手で身を起こし座り直った。所作といい言葉といい、あまりに自分を気にかけていない言葉で、運転手は「席の後ろです」と求められるまま荷物の場所を答えるしかなかった。

座席に手を当て身を乗り出し、指に引っかけ手繰り寄せる。そうして膝へと置いた鞄から、クリスが取り出したるはパックの牛乳にあんパンの合わせて200円ちょっとの夕食である。

 

「姐さんなんかいっつもそれ食ってません?」

「こいつら二つで完全食だ。糖分が頭を、カルシウムが身体を支えてくれる」

 

企業戦士じみたことを言いながらも、あんパンを食み牛乳で流し込む様は年相応の幼さで、運転手は自分の頬が緩むのを禁じ得なかった。

 

「……んだよその顔は」

「いやいや何もねっすよマジで! まぁその超緊急臨時本部までまだちょいと掛かるんで、ゆっくり休んだって下さいよ」

 

クリスの100万ボルトなジト目を受けながらも、ハンドルを握る手に乱れはない。ノリは軽くもプロだった。

クリスは物言いたげにあんパンを一口かじる。と、何かを思い出したようで、慌てあんパンを飲み込み、運転席を掴んで前に身を乗り出し尋ねた。

 

「なぁ、この車ってテレビ見れたか?」

「えぇいけますぜ。エッチデーデーの奴が入ってるんで」

 

応えながら、片手で前席中央の端末を操作する。その間も視線は常に前方を向き続け、車の走りにも一つの乱れさえない。

 

「何見ます? そういや今日の金曜名画劇場は”燃えよNINJA”のデジタルリマスター版が」

「いやそれはいい。確か歌の特番あったろ。それ頼む」

 

ほぅ、と運転手は声を漏らした。

”歌”という点だけ汲めばクリスに縁深いものだが、今日やる歌の特番と言えば、確か今流行りのアイドルやミュージシャンらを中心に扱う番組であったと記憶していた。どちらかと言うと流行を気にかけるミーハー向けの番組である。

運転手がクリスとも組むようになって日は浅いが、彼女から受ける仕事に偏重したストイックなイメージとはあまりそぐわない。

そこまで考えて、運転手は一つの可能性に思い至る。クリスより前に一緒に仕事をするようになった、元気に手足が生えたかのような装者の少女だ。

 

「もしやアレですかい、お友達に勧められでもしたんですかい?」

「友達ィ?」

 

問いへの返しは、予想に反した部分への不審さに満ちたものだった。

思わず二の句が口からついて出る。

 

「えっ、いや、ほらあの立花某ちゃんの」

「あーなんだそっちか……いやあいつもその、友達っつーかなんつーか」

 

そわそわと腕を組んだりそっぽを見たりと、ようやく思い描いていた反応を見られて運転手はホッと息を吐いた。

しかし、クリスの次の言葉にまたも驚かされてしまう。

 

「それにアレだかんな? アタシがあの馬鹿と会ったのって、行動制限解除の時が最後だかんな結局」

「えっ……なんかあったんスか?」

「何かって言うか――」

 

 

果てがない。

これ程の絶望が他にあるだろうか。

この要素一つを加えるだけで、本来幸せな筈な食事でさえも悪夢と化す。

そうであるのに、その果てなき物が自身の天敵となれば、それは則ち――

 

「呪いだ……これは私だけを殺すために在る呪いにあって他ならないぃ……!!」

「まぁ全科目追試なんてさぁ、あんたを置いて他にいないっていうのは事実かもね。いまどきアニメでもないってー」

「しかしまぁついてないよねビッキーも。せっかく無事で帰って来たと思ったら、次の瞬間にはハイ試験だもの」

「ナンデ!? 校舎吹き飛んどいてつつがなく授業進行ナンデ!?」

「あそこにはいなくてもリディアン校歌からのナイスな大逆転を知った生徒は多かったらしいです。その人たちの後押しもあり、一週間足らずで次の校舎の手配から授業の日取りまでトントンと」

「実際あの頃の学校内の学習意欲というか、愛校精神? 色々と半端なかったよねー。何アニメだよこれって感じで」

「そうは言ってもあんなことがあってすぐだし。前期はカリキュラムを少し縮めて、試験も早めて夏季休暇を長めにしようってわけなんだってさ。異例中の異例なもんで外部からは色々言われたみたいだけど」

「ごめんね響……私が試験のこと伝えるのすっかり忘れちゃってたから」

「いやいや未来は何の一つも悪くはなくてですね、じゃあ誰が悪いって言ったらまぁうん3週間ごはん&ごはんだけで過ごしてたワタクシデゴザイマスネハイ。翼さんが何か勉強してるえらいなーと思ってたらアレ試験勉強だったんすねぇ……」

「い、一応他の子よりは追試まで長い時間取ってもらえるんだし、頑張ろ響!」

「よーし、それじゃあごはんの次は数式詰め込みましょうねー」

「その次は音楽史ねー。やったねビッキーさながら満漢全席だ」

「和食が……好きです……」

「それではナイスな日本史を」

「ああああああああああああああああああああ私呪われてるうううううううううううあああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「響……がんばって……」

 

 

「と、いう状況だってのをあの馬鹿のツレのあの娘から聞かされたな。電話で」

「中々どうして大変なんスねあの子も」

「まぁ、らしい苦しみというか、ノイズ相手に戦うよか幾らか健全だろ」

 

 言って、不健全に肩まで使ったクリスはその身を座席に深々と沈めた。呆れた口調、しかしその目に宿った年相応の暖かみを運転手は見逃さなかった。

 テレビでは動画サイトでの活動からデビューしたというアイドルグループが、大縄を飛びながら歌を唄っている。曰く引っ掛かった娘は脱退らしい。

 クリスはその様を手に汗を握り楽しむこともなく、むしろ世の無情を憂うかのように引き攣った表情。やはり、クリスが好き好んでこれを視聴ているといわけでもないようだ。

 

「姐さん、誰か気になるアーティストでもいるんスか?」

「ん……」

 

小首を傾げるようにして、クリスはそっぽを向いてもたれ直した。どうもごまかしているつもりのようだった。

ならば無理に問いただす必要もあるまいと、運転手が考えた時だった。

大縄を歌の最後まで跳びきって抱き合い喜ぶ少女らから場面が変わり、それと同時に空気もまたガラリと変わる。

スタジオ内のオーディエンスらも、先程までの宴会じみた雰囲気と打って変わり、心なしか背筋が伸びている。

その様子に、運転手はピンときた。

なるほど、”今話題”となれば、彼女を呼ばない理由はない。

『一時の休息の後、海外への飛翔を告げて再び姿を隠していた現代の天照が、今再びこの地に降り立ちます!』

 

画面のMCが彼女を語る。その語調には、内で高ぶる熱量と興奮が隠しきれず宿っている。

 

『我らが歌姫! ”風鳴翼”! 曲は”FLIGHT FEATHERS”!!』

 

舞台が輝く。

歓声が湧く。

その中心に立つのは、ただ一人。

 

――――風鳴 翼。

 

日本でも指折りのトップアーティスト。

それと同時に、クリス同様人知れずノイズを討つシンフォギア装者。

嘘のような肩書きを背負い、しかし楽しそうに歌う姿は、紛れもなく十代の少女の華やぎ。

 

(ああ、そういう)

 

歌う翼の姿から、彼女もまたクリスと関わる同じ年の頃の少女と再認識する。

それに加えて自分も出演るのだ。となれば、

 

「姐さん姐さん、よもや姐さんにこの歌番見るように勧めたのは翼の姐御……」

「まぁ、な」

 

少女らの少女らしい連なりを想像し、心が温かくなる。

 

 だが、ふと気付く。

 

クリスは先程、視聴を勧めた相手に対し、どういう反応をしていたか。

 

チラ、とクリスの方を見遣った。

 

じっと、画面を見つめている。

口は一文字に閉じられ、目は細まり瞳の色は覗けない。

画面の向こうの、熱狂しているオーディエンスらの反応とは掛け離れた静けさだ。

聞き惚れているようにも見える。

だが、 細めた目も、閉じた口も、内から溢れる何かを必死に押し隠そうとしていることだけは、確かに思えた。

 

「姐さん、翼の姐御とは、どうなんです?」

「ん……」

 

一瞬、間があく。

目は見えないが、視線を反らしたためであると感じさせる間であった。

 

「思いの外に、お節介な女だな」

 

関係より先に、評価を口にした。

本当はどう思っているのかを隠したいがため、というのは裏を読みすぎているだけか否か。

 

「あの馬鹿と同じで会ったのはあの時が最後だが、何かっていうと連絡飛ばして来やがる。これを見ろっていうのもそうだし、何より煩わしいと言やぁ……」

 

そこまで言って、はたと止まる。

クリス自身、”話している”のでなく”吐き出している”かのようであったと気付いたらしい

 

「姐さん?」

「悪いな、急に疲れが来た。少し休む」

 

クリスはそう言うと、目を閉じた。

翼の歌はもう終わっていた。場面も変わっている。

運転手はそっと端末の画面を落とした。

 

 

 

 「さてと、全員揃ったところで、少し遅いがミーティングを始める」  

 「…………」 

 

 風鳴弦十郎の精悍な物言いを、ミーティング最後の到着者であるクリスは冷めた目で見つめていた。

 

 上座にて腕を組み、部下達を見渡すその姿は、まぁ確かに様になったものである。 

 しかしあまりにロケーションが悪く、与える印象が何百度捩曲がったか分からぬ程に変貌している。 

 具体的に言えば、”頼れる僕らの司令官”から”優しい僕らのお父ちゃん”と化している。いい考えがあるとは言ってくれそうにない。似たような声で料理は作ってくれそうだが。 

 

 「藤尭、施設内の調査結果は上がったか?」 

 「はい、先程。ですが結果としてはこれまでと大差ありませんね……」 

 

 二課メンバー藤曉が口惜しげに言う。 

 しかしその前に生姜をおろす手を止めるべきだろう。 

 お前が口にしたいのは報告でなく別の何かだろ食い物的な意味でなどとぐだぐだ邪推したくなる。 

 

 「ズルズルッ! ズルーッ!」 

 

 お前はなんか色々論外だと、着席後から一度として麺を啜る手を止めない連れ合いにはもう目も向けたくなかった。 

 そもそもなんで作戦後ミーティングに一介の運転手が参加しとるんだと言えば場の空気と言う他ない。 

 

 そうだ。全ては”場”が悪いのだ。 

 

 「あのよぉおっさん」 

 「ん? どうしたクリスくん。何か気になったことでもあるか」 

 

 紙の資料から目を上げて、弦十郎がクリスを向く。 

 その面がどうにも気に食わなんだものだから、気持ち強めに言い放つ。 

 

 「あぁ在るともさ。さっきから目につき鼻につきだこの野郎」 

 「ほぅ、それは有り難い。今やどんな取っ掛かりでも手が喉を裂いて出かねないぐらいだ」

 「ええいその出来る大人な面をやめろ! っーか場違いだろ! おかしいだろ! 色々事情を鑑みてもこいつは許しちゃならんだろ!?」 

 

 ぐいっとクリスが立ち上がる。しかしすぐ崩れる。 

 雪音クリスの日本的名称に反し海外風情な暮らしに漬かってきた彼女には、短時間でも膝を立てない胡坐は少し辛かった。 

 

 おのれ日本家屋。おのれ畳。

 

 そうだ。そうとも。そうである。全ては”ここ”が悪いのだ。 

  

「いくら前の本部が吹っ飛んだからって……なんだっておっさん家を本部にしちゃったこん畜生っ!!?」 

 

○ 

 

 ――ルナアタック。

 

 端的に言えば、“月の一部が地球に落ちかける”という、つい数週間前に起きかけた大災害を指す言葉である。 

 

 短く言えばその程度、しかしその事件で失われた物はあまりに多く、また、生まれたものもまた数知れない。 

 

それらが正しくは災害でなく、人に手により起こされた大事件であり、月の破砕からその欠片の落下未遂まで全てが一人の女の情念によって成されたことを知る者は少ない。 

 

 その情念に、野望に、真っ向から挑み、そして危機を打開した何人かの少女や大人たちの活躍も、多く者は知ることがない。

 

 そして……その過程で知らぬ間に超兵器に改造されてあげそれを所持する組織の構成員にぶっ壊された哀れな秘密基地が存在したことなど、より一層に誰も知りはしないことなのであった。 

 

○ 

 

 「そうは言うがなクリスくん、機密を交えた会議を行える場所となると中々限られてくるものでなぁ」 

 

 諭すような口調の弦十郎だった。が、問題はそこじゃない。というか、それ以前の問題があるからこそのクリスの激昂激怒な咆哮である。

 

 「いやいやじゃなくてだな、なんだっておっさんが手前の味噌で進めてんだよ。機密話をするんだろ? それが漏れたら不味い誰かしらが用意するのが筋ってもんじゃねぇのかよ?」 

 「ほぅ、そこを聞くか」 

 

 不敵な笑みがクリスを射貫いた。爽やかさとは対極にある、擬音を当てればにやにやな笑みである。

 あからさまに面倒な話がめっちゃ早口で押し寄せるであろう面構えだった。

 つい少しばかり身を引くクリスだがもう遅い。司令官クラスの踏み込みは十分に足りたものなのだ。切って払うことなど叶いはしない。 

 

 「実はな、現在上にちょっとした“おねだり”をしているところでなー」 

 「あんたの面とたっぱで“おねだり”はどうだ」 

 「待望期待の果ての果て、正真正銘本当の“機動”本部だ! どうだロマンだろ?」 

 「聞けや。っつか、は? えっ……何本部?」 

 「機動本部だ! その名に偽り一つもなしのな!」 

 「えぇ……?」 

 

 言葉の意味は分からないのに興奮度合いはやたらに分かる。おそらく最も人をドン引かせるであろう会話術の炸裂に、目がチカチカしてしまう。眼球の問題でなく、頭の問題と瞬時に理解させられる。 

 瞬間的グロッキーを耐えながら、どう話を戻そうかと思案するクリスは、すっかり戻すべき話題を失念してしまっていた。もはや頭の中では機動と本部の二語が追いかけっこに勤しむばかりである。 

 

 「っつーことはアレっすか? 今度の本部は飛ぶんスか!?」 

 「いやそこは惜しくも違うんだ。俺としてもやはり本命は空中要塞だったんだが、それはどうも渋られてなぁ」 

 「しかし司令、水中移動基地もそれはそれで隠密組織たる二課の本懐を成しているようで悪くはないものだと思います!」 

 「そうだな藤尭! 緊急浮上の四文字もまた結構な魅力に満ちている! 口に出して叫びたい日本語だ!」 

 「緊急浮上!」 

 「緊急浮上!」 

 「敵影発見!」 

 「敵影発見!」

 

 男共の織りなす馬鹿がやたら遠くに感じられてくる。近寄りたくないという願望を脳が疑似的に叶えてくれているのかは知らないが、もうそれに甘えて自分もまた素麺を啜る機械と化してやろうかと、目の前の広い食卓に目を遣る。 

 

 と、その視界に、横からそっとグラスが差し出された。透けた茶色の液体の中で、沈んだ氷がカランと涼し気な音を立てた。 

 

 クリスがそちらに目を移せば、温和な雰囲気の女性――友里あおいの柔らかく微笑みかけていた。 

 現状において、唯一クリスと同じ女性である。なんとなく安らぎを感じさせる。 

 

 「雪音さん、あったかいもの、どうぞ」 

 

 その言動には男共となんら変わらないエキセントリックが詰まっていたが。

 

 言葉の出ないクリスに変わって、グラス内の麦茶に沈む氷がカランと鳴った。自己主張にしては、些か控えめに過ぎた。 

 

 「あ、あったかい? もの、ど、どうも…………」 

 

 どうにかこうにか、お約束じみた言葉を返す。受け取ったグラスからはしっかりとした冷気が伝わってきた。 

 まぁ、おそらく、自分には到底理解の及ばない比喩だか揶揄だかなんだかなのだろうと、麦茶を飲み干し、浮かんだ疑問も一緒に腹へと押し戻す。ツッコミ役に徹するつもりはないのだ。 

 

 そんなクリスの様子を見て、友里は改めてにっこりとほほ笑んだ。 

 

 「あー、ともかく、おっさんの話を整理するに」 

 

 見守られているような感覚が居心地悪く、それを突き崩すようにクリスは問うた。 

 

 「新しい活動拠点についてかなり無理言ったもんだから、お上はその用意に掛かり切りになっちまって今しばらくの拠点にまで手が回らなくなった……ってことでいいのか?」 

 「うん。その通り」 

 「でー、仕方なしにあんたら自身で用意した拠点がおっさんの家だった……ってのが全く以て分からねぇんだよなぁ」 

 

 理解不能の事柄に増していく頭の重さのまま、盛大に首を傾げるクリスだった。

 友里が苦笑しつつ言う。

 

 「まぁ気持ちは分からなくもないけど、そこはほら、あの司令の家って考えればもうそこ以上に安全無欠な場所ないと思いません?」 

 「それは、まぁ」 

 

 チラリと、運転手や藤尭らと防衛組織の秘密基地のあるべき形を討議している弦十郎を見遣る。 

 

 ミーティングの目的を見失っているとしか思えないその有様からは想像もできないが、そのポテンシャルが人外の域にあることは、クリス自身一度目の当たりにしている。 

 胸に悪徳を宿す者がいれば気配で分かる……などと言いだしたとしても、さして違和感はないだろう。 

 

 「それに、司令だって決して太くはないロープの上を歩いていることは理解していると思いますよ」 

 「そうかー?」 

 「ええ、もちろん」 

 

 友里は強い信頼を感じさせる笑みを見せた。

 自分には程遠い表情だなと、クリスは殆ど無意識に考えていた。 

  

 「周辺の家の人たちは昔から司令と恣意な間柄みたいだし、その人たちにしたって不用意に家に上げるようなことはしないもの」 

 「皆様方~追加の御素麺が茹で上がりましたよ~」 

 「おい早速年老いた部外者が夏の定番と一緒に上がりこんできたぞおいどういうことだおい」 

 

 友里はもう一度にこっと笑顔を見せた。

 

 風が吹き、彼女の青みがかった髪が少し揺れた。

 涼し気な雰囲気が、夏の空気に良く映えている――そう称賛するかのように、風は風鈴を鳴らし、リンと音を立てたのだった……。 

 

 「いやいやいやいや。誤魔化されねぇよ? 一夏のおもひでってな空気感を出しても何の一つも誤魔化せねぇよ?」 

 「あ、駄目でした? 今度の合コンはこういうキャラ付けで行こうかと思ってたんですけど」 

 「ごうこ……? ああもう合体コンテストだかなんだかしらんがなぁ? この風ってよくよく考えると窓も開けっぱじゃねぇか機密ってなんだどこが密だ何が密だ」 

 「”でざぁと”がですよお嬢さん、よく知ってたわねぇ餡蜜用意してるってことなんて」

 

  クリスと友里の間に、横から年老いた見当違いがすっ、と入ってきた。クリスは思わず背筋が伸びた。 

  

 「あら、驚かせちゃったかしら」 

 「あ、えっと……」 

 

 老女はころころと笑う。

 

 その笑顔に、クリスは返すべき言葉を見つけられずにいた。

 なにせ記憶にある中で顔を合わせてきた人間は、殆どが敵か死者かのどちらかばかりだった。初対面との穏やかな日常会話など、圧倒的に経験値が足りない。 

 

 「ありがとうございます留子さん、いつもご馳走になるばかりですみません」 

 「あらあらお気になさらないで? 旦那様のお友達ならいつでも歓迎いたしますよぉ」 

 

 笑顔で会釈する友里に、なるほどああやって答えるのかと頭に刻んでいく。とはいえ自分に出来る気もあまりしないクリスであったが。 

 

 自分を観察するクリスの視線を、友里は別の意味で受け取ったらしかった。老女――友里は先ほど留子と言った――を手で指し示しながら、クリスに言う。 

 

 「クリスちゃん、こちら楳畑(うめはた) 留子(りゅうこ)さん。風鳴の家……司令や翼さんのお家に長くに渡って勤めてきたお手伝いさんで、二課でも随分お世話になってるの」 

 「ふぅん……」 

 

 にしては随分とまともだな、と思わず考えてしまう。大変に不躾であるが、名の挙げられた二人が二人なだけに誰もそう文句は言えまい。

 

 クリスのあまりにあまりな思考を余所に、留子の表情は相変わらず温和そのもので、クリスに笑い掛けつつ言った。 

 

 「あららお嬢ちゃん、あんまりお箸進んでないみたいだけど、遠慮なんていいからドンドンお食べんしゃいね」 

 

 友里のものとも違う笑顔だ。こちらの全てを肯定してくれているような暖かい感覚がある。 

 クリスにとっては、遠い記憶の彼方にようやく見つけられる類の感覚であって、完全な未知以上に上手く受け止めることができなかった。

 

 「あ、ああ。ありがとぅ……ございます」 

 

 昇って来ていた怒気を見る間に萎ませ、借りてきた猫とばかりの様相になり言われるまま素麺を口にした。しかし上手くすすれず、箸で強引に口に押し込んでいく。

 

 そんな様子に、老女はより一層朗らかにクリスを眺めた。すっかり勢いを失ったクリスだったが、元悪役の意地を総動員し目つきだけは尖らせていた。 

 

 「そんな顔しなくって、誰も取りやしませんよ」 

 

 留子がほほほと笑った。

 

 素麺を頬張り周りを睨めつけていれば、そりゃ周りからすれば食い意地の張ったガキにしか見えない。 

 そうと気付いた時にはもう遅い。朗らかで生暖かい笑顔はもはや老女からだけでなくその場にいる全員から向けられていた……中には下を向いて口を抑えながら肩を震わす不届きな運転手もいたが。 

 

 さながら末の娘、ともすればペットのハムスターにも似た扱いは、クリスにとって到底我慢出来るものではなかった。 

 

 雪音クリスは今、ノイズを討つシンフォギア装者としてこの席にいるのだ。 

 

 そこに朗らかな空気も視線も、増してや素麺も薬味もめんつゆも不要の長物である。田舎のおばぁちゃんなど以ての他だ。というかそれ以前に間違いなく部外者だ。 

 

 口に詰まった素麺を、強引に飲み込む。飲み物など要らない。”暖かいもの”などなおのこと……というか冷たいし氷入ってるし。 

 

 「……もう十分だ。帰らせてもらう」 

 

 冷たい声色で終わりを告げて、すっくと立ち上が――れはしない。あいも変わらず足はがっくがくのぶっるぶるである。 

 

 蹴つまずきかけて、テーブルに手をつきどうにか堪える。

 細腕で己が身を支える姿は何か強く周囲に訴えかける健気さがあったが、生憎とクリスが欲しい説得力とは大分趣が違う。 

 

 「おいおい、大丈夫か?」 

 「問題あるかよ、後で何か情報が出れば送ってくれればいい……まぁ、そんなんがあるとは思えんが」 

 

 弦十郎の気遣いを、途中退席への杞憂として強引に解釈し直しおまけに捻りのない皮肉で括っておく。なんとも三下の悪役上がりに相応しい振る舞いではないかと、クリスは内心鼻を鳴らす。

 

 とは言え相変わらずまともに立ててはいないし、歩けないので右手を必死にちょいちょい振り運転手を呼び出しているもんだから何の格好もついてはいない自覚はあったが。 

  

 「あらあらまぁまぁ、無理しちゃ駄目よお嬢ちゃん。お素麺まだあるから」 

 「いらねぇ」 

 

 引き止める老女の手を払う。気持ち弱めに、しかし、確たる拒絶の意思は強く。

 払った手の力は老女の見た目相応に弱く、胸の隙間に罪悪感が差し込んでしまう。

 

 (……いや、ここで迷うようでは)

 

 自身の元に走り寄ってきた運転手の体を手繰り、クリスは立ち上がる。

 しかし寄り掛かっていたのは立ち上がる一瞬のみ。すぐに自らの両の足で立ってみせていた。

 

 確かに未知な感覚だ。

 足に力が入らず、自らが立っている感覚さえあやふやになる。

 

 (だけど、こんなもん、戦場での痛みに比べれば……!!)

 

 戦場での痛みと、正座した後の足のしびれ。

 世の中を探してもそうは見れない珍奇な対戦カードがクリスの中で繰り広げられていた。シュールギャグとしてしか思えない思考回路である。およそ普通の少女では思い至らないセンスだ。

 

 ――――だが雪音クリスは大真面目だった。

 

 普通の少女なら可愛らしいく悶える感覚を、戦場の記憶で踏みにじって黙らせた。

 そこに何の意図もない。

 何の意図もなく、思考も薄く、極自然に戦場を想起した。

 

 それが、今の雪音クリスだった。

 

 誰にも頼らず、痺れた足で歩いていき、クリスは食事の席を後にする。

 後ろから幾つもの呼び止める声がして、するりと胸の隙間に入ってくる。

 クリスは強く床を踏み締め、その足で以て隙間を踏み閉じながら、ズンズンと歩いていった。

 






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始まりを告げる響き




 「ダメだったか」

 「ダメでしたね」

 「ダメダメでした」

 

 クリスらの去った大広間にて、大人どもの溜め息が床を這った。

 先までの賑やかな雰囲気はどこへやら、誰も彼もが沈痛な面持ちを垂れ下げている。唐突な雰囲気の変化に連いていけずに留子はただただおろおろしている。

 

 「まったく情けないもんだ、ここのところクリスくんに頼り切りなどころか、碌に労もねぎらってやれないとはなあ」

 

 組んだ腕で自らを強く絞めつけながら弦十郎がぼやく。無念の息と共に発せられる力は、彼の日ごろの鍛錬以上の負荷を心と体に掛けていた。

 

 「これまでも機を見て息抜きを提案したものの振られ倒しで……ならば仕事の一環で強引にとやってはみたものの、どうにもこういう結果とは」

 

 藤尭が畳にごろんと身を倒した。勢いついて頭を打ったが、目下の痛い案件が山積みで、打撲程度の痛みにまで気を裂く余裕は持っていなかった。

 

 「うーん、私の持ちネタを生かした鉄板ギャグが決まった時は、もはやこちらのものと思ったのですが」

 「持ちネタって……」

 「冗談ですよ、冗談」

 

 藤尭の引きつった言葉に、友里は頬に手を当て今一度息を吐く。

 くだらないことでも言っておかないと絶えず溜め息ばかり吐きそうだったのだ。これ以上化粧を濃くせざるを得なくなる事態は避けたかった。

 

 「やっとみつけた夢のため……そうと言われて強く出れない弱みのせいかもわからんが」

 「まぁそっちは気長にやりつつ、今の案件は短く片付けれるよう頑張りましょうよ。そうすれば雪音さんにも普通の女の子らしくしてもらえるんですから」

 

 胸の前で両手をぐっと握りしめ、ファイトのポーズで友里が言う。浮かべた笑顔の表情は、滲む疲労に負けてはいない。

 

 「そうだな、この機に今回の件について、これまでの経緯を再確認するか。幸い資料もあるしな。暗いと言わずに火を灯せ、だ。」

 「とはいえ灯す蝋燭さえ目に付かず、まさしく暗中模索なんですけどねー」

 

 強く言う弦十郎に対し、弱弱しく藤尭が言って素麺を啜り上げる。幾ら白色を腹に収めても、胸の内はめんつゆの如く暗かった。

 

 一喝でも飛ぼうものかと思われたが、弦十郎はむぐと息詰まり、所在なさげに麦茶をごくりとやった。

 藤尭という男が見た目の軽薄さに対して真摯な男であるということを弦十郎は十分に知っていた。そんな藤尭が軽口まじりに愚痴を口ずさむということは、それだけ行き詰まった状況にあるということだった。

 

 「まぁ、そういうわけだから、留子さんはもう休んでくれ。後片付けもこっちでやっておく」

 

 湯のみを置いて弦十郎が留子に告げた。

 

 「分かりましたわ。ご無理なさらないでくださいませ」

 

 留子は恭しく頭を下げると、足音一つ立てることなく静かに大広間を後にした。

 はたと、友里が口に手を当て思案する。その手では疑問を内に留めるのに足りなかったらしく、弦十郎に尋ねた。

 

 「司令、留子さん今お屋敷に泊まってらっしゃるんですか?」

 「ああ、そうだ。前からそうだろ?」

 「そうですよね……あれ、そうですよねぇ?」

 

 納得はいっても、その納得いくことが腑に落ちないらしく、しきりに首をかしげている。

 ボケるには早いんじゃないの? などという“僕は女性にもてません”という告白と変わらぬ言葉を飲みこみつつ、藤尭はパシャリ、パシャリと窓と障子を一つ一つ閉めていく。

 一つ窓を閉める度、外からの音が薄れていき、全てが閉まる頃には完全な静寂となった。完全防音完備である。

 

 「じゃあ内容は相変わらず据え置きではありますが、各自資料を参照してくださいね」

 

 入口まで近づいてエアコンのスイッチを入れる。天井の隅にひっそりと据え付けられたエアコンが冷たい唸りを上げて、風情ある蒸し暑さを蝕んでいく。

 

 なんたることか。気づけば温かみに満ちた大広間が、事務的な会議室に早変わりである。

 それに併せて二課の主要たる面々の表情もキリリと引き締まり、特異災害と戦う正義の機関としての風格と雰囲気が漂い出した。テーブルに並んだお素麺でさえ、何かしら重大な証拠物件に思えてきてしまう程である…………その、絞殺事件の、凶器とか、そういう。

 

 「さて……」

 

 弦十郎がペラリと資料の一枚目をめくった。

 

 仕事であって仕事でない、そんな雰囲気を出すために、パソコンで作らず手書きでしたためた弦十郎お手製の会議資料である。無駄に達筆で読みにくいのが玉に傷。

 

 だが、資料を睨む弦十郎の潜まる眉は、読みにくさ故ではなかった。

 

 目下二課の全員の頭を悩まし眉を潜ます謎の存在がある。

 資料の冒頭にも刻まれたその恨めしき存在の名を、弦十郎が口にした――

 

 

 「――バック・コーラス、か」

 

 夜の街をひた走る車の中、クリスがぽつりとつぶやいた。

 

 その手の中では、先のミーティングもどきで受け取った資料が捲られている。

 走り出してからここまでずっと無言を貫いていたものだから、運転手はつい「へ?」などと間抜けな声で返してしまった。

 

 「いや、前に聞いたときも思ったが、よくわからん連中だなってさ」

 

 資料から目を外すこともなくにクリスは言う。間抜けな声など、この運転手相手なら今更だった。

 もはや呆れられさえしないクリス内の自分へのイメージを悟ったか、運転手は少し大げさに咳払いして、キリリと真剣な面持ちを見せた。

 

 「ええ、全く以て、不気味なことこの上ねぇっすよね」

 「不気味?」

 「えっ、あっ、はい……あれ?」

 

 自分の言葉が的を外したらしきことに思わず言葉が乱れる。

 その様子へと「不気味なのは今のお前だ」と言わんばかりのクリスの冷たい視線が突き刺さったが、へへへと愛想笑いするだけで耐えきったのだから強い男だった。伊達に幾多のヘリ爆破から生還していない。

 

 「いや、まぁ、連中……なのか、個人なのかもわからない上に、我々二課でなければ知りえない情報を把握している以上、不気味なのは事実っすよ」

 「あぁ、確かに……」

 

 資料を横に置き、クリスは胸元のギアをつまみ上げる。

 真っ直ぐ見据えれば艶やかな表面に自分の辛気臭い自分の表情が映っていて、話題の内容も合わせて思わず鼻で笑った。

 

 「……”こいつ”についてまで殆ど把握されてるってのは、ヤバいわな」

 

 ギアから指を離す。顔の高さから放り出されたギアは、弧を描くこともなくストンと、クリスの胸元に落ちた。

 

 「ええ、全く以て、冗談じゃない」

 

 ギリ、と、ハンドルを握る運転手の手に、強く力が宿った。

 その表情はやはり真剣なもの。

 だが、先に見せたものと決定的に違っていたのは、その眉間に深く刻まれた憤りの皺である。

 その様子を、クリスは音と出さないながらもふぅんと以外気に見ていた。

 

 シンフォギアを有しノイズ対策の最前線を張る特異災害対策本部二課だが、その前身は諜報機関であり、情報戦こそ真の本領とも言える……というのをいつだったかクリスはかの司令殿から聞き及んでいた。

 かつてフィーネから逃れ回っていたとき、その魔手よりも早くに自分の居場所を特定したあたり、あながち嘘っぱちでもないのだろうと思っている。

 

 だが現状において、そんな達士どもから好きに勝手に情報を抜き去る某かが存在しているのだ。

 その上、下手人の尻尾どころかその先の毛一本摘まむことさえ出来ないでいる。

 果たしてその胸の内ではどれだけの屈辱がのたうっていることだろうか。そしてそれはこの運転手も例外ではないのだろう。

 

 (こいつもちゃんと連中のお仲間ってわけだ。端くれも端くれだが)

 

 そんな風に、しみじみと感じるクリスだった――どこまでも、他人事だった。

 

 危機感がないわけではない。ないのは役目だ。

 雪音クリスはシンフォギア装者である。ギアを纏い、ノイズと戦い、人を守る。歌を唄って。

 そうである以上、クリスの興味は一点にのみ集約される。即ち……

 

 「おまけに連中、明らかノイズと関わりあるからな」

 

 ……討つべき存在ノイズとの関わり、ただその一点のみに。

 

 「そっスよね。今回のガサ入れでも、奴さんども湧いて来やがったもんだから。連続も連続、こりゃもう偶然じゃない」

 「まぁ戦り合った感じ、操られてるソレじゃなかった。ソロモンの類じゃねーらしい。むしろ……」

 

 車内に光が差し込む。強い金色の光に、クリスはつい口をつぐんだ。

 

 光の主である対向車は音を上げつつあっという間に走り去って行った。

 眩しさに目を細めつつ、クリスは内心で少し感謝していた。

 今しがた口にしようとしていたのは、未だどんな思いで口ずさむべきか分からない、そんな女の名であったから。

 ちょうど先の光のように、金色の髪と強い存在感と共に、自分を一時でも地獄から救い上げた終わりの名を持つ女。

 

 「姐さん?」

 「いや、何でもないさ」

 

 ドアの窓枠で頬杖をつき、クリスは流れる外の景色を眺めた。

 先程のもの以降、走る車は他に見当たらない。外灯の光だけが次々と流れて消えてゆく。

 

 光の吸い込まれていく後方を、クリスは流し目で覗いた。

 

 (あいつが生きててその仕業……なんてな)

 

 暗い影の向こうに、あの金色の髪が揺れているのを幻視している自分を鼻で笑う。

 

 シートへと大袈裟な動きでもたれ直して、幻から目を逸らした。

 恐怖からではない。情からでもない。

 クリスが否定しているのは、可能性ではない。それ以前の必要性、自分の思考の必要性だ。

 

 黒幕が宿縁の女であろうと見知らぬ誰かであろうと、そんなことはクリスにとって感知すべきことではないのだ。

 この手は真実を手探るためにあるのではない。アームド・ギアを握るためにあるのだから。

 

 ノイズ有れば撃ち、それを操るもの有ればまた討つ。人を、命を、守るために。

 守って、守って、守り抜く。ただこの歌を以てして。

 

 (それだけが、あたしの夢の……)

 

 「あっ」

 「あ?」

 

 物思いに沈んでいたクリスの思考を、運転手の声が引き上げた。ついでに顔も上げて、運転手の方を見る。

 先までの話題が話題だけに何かしら有益な気づきかと、運転席の背を掴んで身を乗り出しがちに尋ねる。

 

 「おい、どうした」

 「見てください姐さん。リディアンですよリディアン」

 「……あ“ぁん?」

 

 唐突な緩い方への話題展開に、クリスの声も思わず低まってしまった。

 運転手はそんなこと気にせず、顎でもってあれですあれと指し示す。

 

 呆れる気にもなれず、姿勢はそのまま運転席の背にもたれて言われるままに指された方角を見た。

 城じみた建造物が、遠くに薄く見えた。

 

 「いやぁにしてもよかったっスねぇ、早めに移転先見つかって」

 「まぁ、そうだな。あの馬鹿にとっての帰る場所……らしいからな」

 

 運転手は無邪気に笑う。クリスとしても、そのことに異論ない。

 

 「そういう場所があるやつは、そこにいればいい」

 

 言って、リディアンの方角から正面へと目を晒した。それきりもう、見向きもしない。

 そらした視線の先には、車のライトの届いていない、薄暗い闇が広がっていた。

 

 「ん?」

 

 座席から身を乗り出したクリスは、その闇の向こう側をじっと見つめ出した。

 

 「姐さん? どうし……」

 「おい、スピード落とせ」

 

 身を低くしつつ、目を細める。すぅと息を潜め意識を集中させる。

 派手な立ち回りが主とはいえ、イチイバルの適合者たる雪音クリスは一流の銃士である。常人では見て取れぬ場所の存在をも射貫く目を持って必然と言える。

 その目が、クリスへと警告していた。

 

 「何か、いる」

 

 息を殺した小さな声が、車内の温度を静かに冷やした。冷房などより、遥かに深く。

 運転手は言葉を返さず、しかし言われるままに落としたスピードによりクリスへと応える。

 

 ゆっくりと走り、駆動音も消えてゆく。

 

 その静寂に、轟音が響いた。

 

 その音が、地を強く蹴った音であるとクリスと運転手との両名が理解できたのは、闇より飛び出す影を見たからだ。闇そのものが意思と形を得たかの如き黒い影を。

 

 そこまでは予想の範疇。数々の死線を越えて今に至る二人であれば、対応出来ない通りはない。

 にも、関わらず

 

 「っ!?」

 

 動かなかった……動けなかった。

 影の色は闇。なのに、影が作る形は、最もそんな色が似合わないと思えたものだったから。

 

 底抜けに明るい、撃槍の担い手。そして、クリスに人の手の温もりを思い出させた少女。

 

 ――立花響。

 

 迫り来る影は、間違いなく彼女。

 ノイズ相手にのみ振るわれる筈の力――ガングニールのシンフォギアを身に纏った、立花響その人。

 

 クリスは見た。

 かつて自分と繋いだ手が、固く握られ拳となり、低く大きく引き絞られているのを。

 思慮の余地なかった。その矛先は、間違いなく自分。

 

 刹那、目が、合った。

 

 車の分厚いフロントガラス越しに。

 

 クリスは響の目に何も見出だせなかった。

 何も映さず、光さえもなく、ただただ空虚な――

 

 『killter――!!』

 

 歌を紡ぐ。

 悲鳴のような、否定のような、どこまでも悲痛な想いを込めて。

 戦場でそれがどれだけ無力で、意味のないものかを知りながら、それでも。

 

 拳が突き刺さる。

 車の鼻面が砕ける。

 車体が浮く。

 

 暴力的な破砕音が轟き響き、歌は掻き消された。

 

 その後は、夜の静寂だけだった。

 

 




※ここまででアニメ一話ぐらいのつもりです。構成的な意味で。


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黒き幻槍、がなり声の合唱団
月下の激昂





 状況は警急にあった。

 

 進展なき会議を良い加減で切り上げた二課面々は、机上に広がっていた食事の後片付けに勤しんでいた。

 それも終わりに差し掛かった頃だった。部屋の片隅にコンセントを差すだけして放置されていたノートPCが甲高い音を上げたのだ。

 

 このノートPCに搭載されたるその名も“簡易マルチサーチャー”。ノイズやフォニックゲインその他諸々、それらの反応を取集するシステムである。

 が、そこは何分“簡易”。取りこぼしは少ないものの、微弱な反応など分らないものは分からずUnknownとなりがち。

 

 本日の反応は二つ。内一つはunknown。そしてもう一つは――

 

 「イチイバル、か」

 

 弦十郎が、重い息の代わりにつぶやきを漏らした。飲み食いの行われていた部屋からより開けた場に移っている。そのために、弦十郎自身が思っていた以上に呟きは空間内で大きく響いた。

 

 「つまり。不明反応の付近にクリスちゃんが居合わせているということか、もしくは狙って出てきたか……」

 

 視線は操作しているノートPCから動かすことなく、藤尭が呟きを拾った。余所事に口を出しつつも、その表情に余裕はない。

 ノートPCは大型の機材に接続されている。以前の本部で使われていた情報装置の、少し古い型のものである。

 機材も人員も環境も、何もかもが常より劣悪。“超緊急仮設”の名はなんとなくのフィーリングで付いたものでは断じてない。

 

 「とにかく不明反応の方は現在照会中です、もう間もなく!」

 「すまん、負担を掛ける」

 「なんの、貧乏くじこそ男の魅せどころってなもんですよ」

 

 藤尭朔也は窮地に笑う。亭主関白志向は伊達ではない。

 

 「そういうのにおあつらえ向けなロケーションですからね、任せといてください」

 

 その言葉を受け頷く弦十郎の背後には、力強い筆使いで書かれた心技体やら初志貫徹やら、見るだけで力が入る掛け軸がぶらりと揺れていた。

  何を隠そう、“超緊急仮設本部”こと此処風鳴邸におけるミーティングルームが居間であるならば、その司令室は、

 

 「……うちの道場をこういう風に使う日が来るとは、さすがに思わなかったな」

 

 ここで汗水を流したかの日々に想いを馳せながら、今度こそ誰にも聞かれない小声で弦十郎は独りごちた。

 

 司令室の機能を果たせるだけの機材を運び込めて、それを稼動させる電源を有する場所となれば限られてきてしまう以上、しかたなかったのだ。

 飾られた神棚から冷ややかな何かしらが向けられてくる気もしたが、弦十郎にもそれに気づかぬ振りをするぐらいの器用さはあった。

 

 「司令、各所への通達完了しました」

 「ああ、ご苦労」

 

 卓上電話の受話器を置きながらの友里の報告に返事をしながら、次の手を考える。とはいえ打てる手は多くはない。

シンフォギアという強力なカードを有する二課だが、逆に作戦行動的な部分ではそれ以外の戦力は乏しい。

 そのため対ノイズでない状況でも、彼女らに頼らざるを得ないことばかりである。どんなに大人として情けなくとも、組織としてそう在ってしまっている。

 

 ……にも関わらずもう一つ、あまりに情けない事実がある。

 

 「クリスくんの応答は相変わらずか」

 

 自身の端末に表示された“No Signal”を睨みながら呟く。

 

 おそらく端末が破損なり紛失なりしたのだろう。クリスといえど、無意味に司令本部の連絡を無視するほど非協力的なわけではない。だから、それは別によかった。

 

 だが、そもそも端末など必要ないのだ。本来ならば。

 

 「……こういう事態になると、改めてイチイバルの通信機能が解放されていないのが悔やまれますね」

 

 友里が俯き加減で言う。その表情に差す陰りは、ただ不都合を嘆く者のそれではない。

 

 シンフォギアには、3億に上る無数のロックが施されている。

 

 装者への負荷軽減が一番の理由ではある。しかしこれは能力の制限以上に、装者に最も適した形態、装者が望んだ能力の発現が可能であることを意味している。

 言い換えれば、シンフォギアが持ち得て、しかし発現していない能力は、“装者が望んでいない”ためだとも言えた。

 

 通信機能などシンフォギアにおいては基本装備も同然。負荷など無い。響のガングニールにも翼のアメノハバキリにも最初期から設けられている。

 であれば、本部や他の装者らと連携し戦うための通信機能を、雪音クリスの纏うイチイバルが有していない理由は、一つしかなかった。

 

 「君の夢に寄り添えないか? 俺たちは……」

 

 言葉を漏らしつつ弦十郎は自らの手を見た。

 

 人を守る立場を担う大人として、強くあらねばと鍛え続けた手は確かに太く力強い。

 だが、この手からこぼれ落としてしまったものが果たしてこれまでどれだけあったか。

 今もなお、クリスをたった一人で未知の危機に晒している。

 かつて救えなかった彼女を、信用させてやれない自らの情けなさ故に。

 

 「司令! 照会結果でました!」

 

 藤尭が声を上げた。それに弦十郎も顔を上げる。

 力なかった手を拳と握り直す。その姿から覗かせていた自責は消え、威風堂々とした司令官の姿があった。

 

 「照会結果を正面スクリーンに出せ」

 

 弦十郎の指示を受け、藤尭は再び素早くPCを操作した。

 スクリーンに文字が踊り出る。

 

 それは二課の面々にとっては見慣れた名前。 

 そうであるからこそ、この場において似合わぬ名前――

 

 「――ガングニール、だと!?」

 

 衝撃、動揺、そして何種も重なった“有り得ない”。

 かつてにも口走ったのと同じ言葉が、道場とその場の全員の心とを、どこまでも大きく揺さぶった。

 

 

 飛ぶはずもない鉄塊が宙を舞う。

 

 誰もが括目するであろう事態ながら、その目撃者は二つのみ。

 一つはより遥か高くに輝く月。そしてもう一つは、その事態を引き起こしてのけた罪深き下手人――ガングニールを身に纏った“立花 響”。

 

 それらに見守られる中で鉄塊は地に落ち爆ぜて、この悲劇は終わる。

 そう思わせる一瞬の間の後、すぐだった。地に落ちるより早くに、鉄塊が爆ぜたのは。

 

 爆ぜた車から“立花 響”の周囲へと、小さな鉄の欠片が無数に飛来し、コンクリートの地面を削る。

 その鉄は車の部品と、それ以上の数の弾丸。

 

 「何のつもりの意趣返しだ? こいつは」

 

 飛来した種々にも不動を保っていた“立花 響”だったが、突如の声に顔を向ける。

 一瞬見上げて、しかし視線はすぐに真っ直ぐとなった。

 声の主――イチイバルをその身に纏った雪音クリスが、“立花 響”の前に降り立ったからだ。

 

 左肩には気絶した運転手が担がれ、右手にはガトリング形態となったアームドギアが握られている。

 そのアームドギアで以てして、内側から車の下部をハチの巣とした後蹴り破り、気をやった運転手を引きずり出しつつ脱出したのだ。

 決して余裕ある脱出劇ではなかったのだろう。クリスの白い髪には毛先だけの焦げもよく目立った。

 

「おい――」

 

 “立花 響”を真っ直ぐ見据え、紡ごうとしたクリスの言葉を背後から爆音が遮った。

 少し遅れて車が地に落ちたことでの爆発音だ。

 

 すぐさま炎が立ち上り、熱と金属の燃える異臭とが辺りに立ち込める。

 それらを直に受ける場所に立つクリスの表情が、歪みを見せた。

 

「――ハ、ハハっ」

 

 笑みという、歪みを。

 

 爆発によって舞い上がった炎が、辺りを照らしたことで、クリスは“立花 響”の姿をはっきりと見た。

 羽を広げたヒヨコのようにふわりとした髪。いつも光を絶やすことのない瞳や、無邪気な表情に反して自分より高い身長の体躯。そして身に纏ったガングニール。

 

 それら全てが、仄暗い黒に染まっていたのだ。

 

 夜の影の仕業でもなく、クリスが喪心の中で見た幻覚でもなく、現実に染みついた色として、黒い立花響が立っているのである。

 

 この“立花 響”が、真にあの馬鹿であるならば、あまりにも大きな相違だった。クリスの嘲笑と、それ以上の苛立ちを誘うに十分なほどに。

 

 「随分とまぁ似合わねぇ色にしたもんじゃねぇか。なぁ、“立花 響”?」

 

 本人にも直にぶつけた覚えのない呼び名で語りかけるクリスだったが、しかし当の“立花 響”に反応はなかった。

 “立花 響”はぼんやりと佇み続ける。クリスを見続けるばかり。瞬きの一つもしない。

 

 聞こえていないわけではあるまい。しかし何かの意図で以て知らぬ振りを決め込んでいるようにも思えない。

 

 「らしくねぇな? いつぞやよろしく、聞いてもないことべらべら並べて聞かせたらどうなんだ?」

 

 火のない場所へと移りつつ、“立花 響”が真にそうであるという体で言葉を投げかけ続ける。無論アームドギアの狙いはつけたままで。

 運転手を安全な場所に移すための時間稼ぎが半分と、苛立ち解消目的の皮肉が半分だった。

 

 だが、“立花 響”は何の言葉を返さない。

 

 運転手を離れた場所にそっと避難させて、そこから距離を置き、改めて相対するまでの間、ついぞ“立花 響”が何らかの反応を見せることはなかった。

 

 「お前……」

 

 もはやクリスにも掛ける言葉がなかった。

 言葉が尽きたのではない。

 ただ、心中に渦巻く感情が大きくて、もはや喉から出すことが叶わなくなっていた。

 

 炎に煽られ“立花 響”の全身を染める黒は淡く薄まっている。

 それでも唯一、その目だけが。

 漠然とクリスを捉え続けているその目に宿る黒だけが、変わることない暗さを、深さを、湛え続けているのである。

 

 その姿が、見せつけられているかのように思えてきていた。

 

 その“黒”こそが、立花響の真実であると。

 

 かつて繋いだ手の温もりは、未だクリスから消えてはいない。

 それでも、クリスがこれまで浸かってきた黒の深さが、幻視させられる悪夢を鼻で笑うことを許さない。

 そのせめぎ合いが、より一層にクリスの心を苛立たせ、言葉を選ぶ理性を削ぎ落していった。

 

 「……してんじゃねぇ」

 

 だから、そうしてその果てに吐いた言葉は、紛れもない雪音クリスの本心で。

 

 「どっかのどいつかが好きに勝手にあいつの姿で、んな面晒してるんじゃねぇ……!!」

 

 

 「あいつは、あたしらみてーのとは違うだろうがぁっ!!」

 

 

 叫びが、夜の闇に響いて行く。

 その残響が消え行く前に、一つの歌が流れ始めた。さながら、その残響が消えること無いよう後を引き継いだかのように。

 雪音クリスが纏うイチイバルの、その全身より奏でられる、暴力的なまでに力を持った歌だった。

 

 どれ程の曲であれど、歌と唄わねばフォニックゲインは生まれない。

 にも関わらず、クリスのギアに変化が起きた。

 腰部ユニットの片方が、背中から右肩まで昇る。

 それと相応の高さにまでアームドギアを構えれば、ボウガン形態であったその銃身が“開き”、そのまま肩のユニットと連結する。

 

 諸々の変化に反比例し、イチイバルの全身を染める真紅の色彩から、鮮やかさが失われていく。

 シンフォギアが、その身に蓄えるフォニックゲインを失っている証だった。

 即ち、自らが纏うギアを形作るフォニックゲインで以て、アームドギアを、戦う力を、鋳造せしめたということである。

 

 もはや奇策の域にある所業だった。断じて効率的なものではない。

そして現状、斯様な手を打つべき事態とは言い難い。

 しかし、クリスの心が、そうしなければ堪えられなかった。

そこに合理的な思考などない。胸にあるのは、ただ嫌悪のみ。

 

 ギア本体に対し、アームドギアは強く輝きを増していく。

 アームドギアに宿した鉄の臭い漂うトラウマが、クリスの抱いた激情と共鳴しているのだ。

 そうしてアームドギアの銃身に生まれ出たのは、火薬と爆薬の申し子。雪音クリスが単一で誇る最大火力――

 

――“MEGA DETH FUGA・impromptu”!!

 

 絶対破壊を約束する暴力の権化と化したアームドギアを、眼前の敵へと突きつける。その先端に比類する鋭さを宿した眼光と共に。

 その眼光が青く染まった。ヘッドギアより下りたバイザーの仕業だった。

 色の殆どを失くしたギアに、青いバイザーだけがギラリと映える。

 

 「さぁ、何とか言ってみな? 奴らしくなく、怯えて、叫んで!」

 

 口角を不自然に釣り上げて、挑発的に言葉を並べる。

 その表情とバイザーに、見る者が見れば思い出したことだろう。

 かつてフィーネの傀儡として、ネフシュタンを纏った彼女を。

 口元に湛えた嗜虐の笑みもまた、その頃のまま。

 

「それとも? 変装解いて土下座して、ホントの名前ブチマケたっていいんだぞぉ!?」

 

 言葉が並べられると共に、バイザーに映し出されたサークルが、何重にも“立花 響”を捉えていく。

 もはや狙いは絶対だった。“立花 響”のどんな動きも、もはやイチイバルの暴力から逃れらない――

 

「…………“名前”」

 

 ――だが、その動きは、クリスの予想から外れていた。

 

 散々煽っていながらも、全く想像していなかったのだ。

 ここに来て、“立花 響”が何か言葉を発するなんてことは。

 

 「お、お前今更……」

 

 クリスの構えが乱れる。

 予想を超えられ、状況に対応しようと思考を働かせてしまった。

 その思考が、無思慮な激情を阻み、引き金に入るべき力を緩ませる。

 そして、生まれたその隙を、“立花 響”の更なる言葉がこじ開けた。

 

「名前を入れてください」

「……………………は?」

 

 真の響と変わらない声、しかし決して聞くことのないだろう淡白な調子。

 

「“キサラギ”、“めぐたん@青子がん推し”、“強大エックス”、“吉屋羅気威”、“あきふみくん(58)”……」

 

 “立花 響”の口から延々と、何処かの何かが、垂れ流され続ける。

 淡々と、つらつらと、延々に。

 

 (いや、いやいやいやいや)

 

 ただただ瞬かせるばかりだった目を、一度ぐっと閉じる。

 内に渦巻く息を全て吐きだして、それから改めてパッと目を開いた。

 

 (まぁ、うん。いっぺん、落ち着け。脳がゆでダコすぎてる)

 

 幸か不幸か予想外の常識外れにより急激に醒めた心で、現状を捉えなおす。

 

 一番に感じたのは、纏うギアのいつも以上の重さ。感情的に過ぎる自らの愚行のツケである。恥じつつ受け入れる他ない。

 

 ついで、未だぶつぶつと謎の言葉を吐き続ける“立花 響”。

感情的にはもう十二分に堪能したので、今度は冷静かつ客観的に考える。

 

 それが、“ガングニール”を纏った“立花響”を模している、その意味を。

 

 (シンフォギアのことは、今じゃ確かにお天道様の下に晒された。にしたって、使ってる聖遺物やら纏ってる装者についてまで知ってる奴なんざ限られてる)

 

 となれば一番に思い至るのは、かつてのフィーネこと櫻井了子のように勝手知ったる裏切者の存在の仕業、という発想が妥当だろう。

 だが、今はそれ以上に、考慮すべき存在がある。

 

 その存在は、立花 響”を知っている。

 正確に言えば、その名を知っているかは分からない。だが、“人々を歌の力で助ける謎の少女”についてなら、きっと二課を除いたどこの誰より知っている、そんな存在――

 

 (――“バックコーラス”。目の前に居る馬鹿モドキは、奴らの掴むべき尻尾足り得る可能性が高い……!!)

 

 導き出された結論に、クリスは自分の心が冷たく冴えわたっていくのを感じた。

 

 “バック・コーラス”はノイズと関わりがある。それは先の施設におけるノイズの発生からもほぼ間違いない。

 

 そして、今眼前に居る“立花 響”が“バック・コーラス”に繋がる存在ならば、

 その対処が、シンフォギア装者の……“人々を歌の力で助ける者たち”の成すべきことならば、

 

 (こいつを確保し、奴らの正体を手繰るのは、即ち私の夢を手繰り寄せるも同じってこった!!)

 

 と、何かが地面を擦ると音がした。

 

 クリスがそちらに目を遣れば、“立花 響”の様子が変わっていた。

 

 言葉を並べるのは止めていた。足は開き、拳を握り、クリスへと向かい構えを取っている。

 つまるところは、臨戦態勢。

 

 「へぇ、ここに来て良い子だ。自分の扱いってのを心得てきた」

 

 クリスもまたアームドギアを構え直し、“立花 響”を睨んだ。

 

 その視線に、当初の熱はない。睨んでいるのだって、本当は“立花 響”ではない。

 クリスが見据えるのは、“立花 響”の向こう側に広がるであろう景色。

 自らが望み臨んだ道を、一歩でも多く進んだ先。

 

 「あたしもお前の首を餞別に、行くべき所に行かせてもらう……!!」

  

 銃口に重ねられた眼光を、“立花 響゛の瞳が受け止める。

 変わらず暗く、力はない。だが、何か怪しい光が、瞳の中で瞬いていた。

 

 二つの光がぶつかり合その様を、ただ砕けた月だけが覗いていた。

 




※”impromptu”は"即興曲"という意味の英語。グーグルは何でも教えてくれる。


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何故それが"幻"か




 ほの暗い闇に風が走った。

 ”立花 響”の力強い踏み込みが、生暖かい風を裂き、握った拳にクリスを砕く勢いを与える。

 傍目にその身をぶれさせる怒涛のスピード。そこから放たれる一撃は万物の粉砕を確信させる。

 

 とは言えそれも、当たればのこと。

 

 (トロいんだよ! あの馬鹿のホントの拳を受けてりゃあ!!)

 

 クリスは心中で謗りつつ、後方へと高めのジャンプで飛び下がった。

 叩き下ろされた”立花 響”の拳は道路を無惨に砕くも、クリスには飛び散る石片すら届かない。

 

 『審判? 重犯! 断罪エクスキュート!!』

 

 クリスが宙にて歌を紡げば、イチイバルの脚部が見る間にその彩りを取り戻した。

 着地の勢いに地を滑りながらも、戻った力が、クリスの姿勢を崩させずに保たせる。

 

 『侵したのなら 逃しはしない』

 

 空いた距離と、”立花 響”が地面に腕がめり込み動けないのを良いことに、更に歌を重ねフォニックゲインを蓄積していく。

 深紅の魔弓・イチイバルは、完全にその彩りを取り戻した。

 満ちた力にほくそ笑み、クリスは腰部ユニットと連結しているアームドギアを”立花 響”へと構える。

 ヘッドギアから下りたバイザーにより、既に狙いは万全だった……が、クリスに直撃させるつもりはなかった。

 

  『破! Get ready!! 百と万年――』

 (言っても捕縛、命に届かせはしない。なら本命は!)

 

 高鳴る歌の力を受けて、アームドギアに収まるミサイルに火が点る。

 しかし、゛立花響゛がいち早く埋まった拳を引き抜いた。今から撃っても、避けられかねない……

 

 (……からこそベストだ! 今この時は!!)

 

 ミサイルから溢れる炎がゴォと唸る。さながら解放をはやし立てているかのように。

 その雄叫びに、クリスは力強い歌で応えた。

 

 『――跪いても Head shot!』

 

 バキンと、痛い音が鳴った。

 クリスの歌を受け高まるフォニックゲインが、ミサイルへと拘束を砕く力を与えたのだ。

 引きちぎられた腰部ユニットが崩れさり、元の形に縮こまった。

 

 一方放たれた力は、収まる場所など知らぬ勢いで”立花 響”へと猛進する。

 とは言え真正面からの素直な一撃、対応できない道理はない。

 

 (だから喰らえよ爆風を!)

 

 横に避けるか跳んで躱すか、素早く狙いから逃れることなど”立花 響”の俊敏さならば容易なことだろう。

 そしてそれこそがクリスの狙いだった。

 跳んで避けたその一瞬を狙い、ミサイルを起爆させるのだ。

 

 回避のために宙にある身体は、熱風により煽られ炙られ地に落ちる。

 その身を焼かれ、地面に打ち付ける。おまけにそれらを不意に食らうのだから、精神的にも相当に来るだろう。

 一射三撃のダメージが、“立花 響”の抵抗力を根こそぎそぎ落とす……そういう計算だった。

 

 そしてミサイルは計算通りに”立花 響”へと向かい、“立花 響”もまた、計算通りに躱せる距離と速さで動きを見せて――

 

 

 ――計算外に、ミサイルへと突っ込んだ。

 

 

 「なぁっ!?」

 

 クリスが漏らした驚愕の声も、イチイバルから流れていた曲も、強烈な爆発音が一瞬で掻き消した。

 

 遅れて到来した爆風と熱風に煽られるままに、その場に立ち尽くす。

 予想の外に過ぎる結果に、精神が揺らぐ。

 

 (お……ちつけ! 死ぬか! 死ぬかよ! 装者があの程度で!!)

 

 見開いた瞳を強引に細め、未だ下りたままのバイザーの機能も駆使し、爆心地より上がる黒煙の中を探る。

 

 次の瞬間、黒煙が横に薙がれて一気に晴れた。

 

 そうして現れた”立花 響”。

 その姿は、凄惨だった。

 

 拳から腕までのプロテクターは焼け熔けて原型を留めていない。

 指はその本数を減らしている。

 腕から半身に掛けて広がる火傷が正視を乱す。

 頬肉がえぐれ、何筋かの薄皮で繋がった向こう側から歯が覗いた。

 

 「――――っ!!」

 

 凄惨。壮絶。厳烈。

 拳を中心のダメージ。まさか殴り付けたのか?

 ダメージがデカすぎる。シンフォギアなのに――歌っていないから?

 

 胸中で乱れる思考。

 その中から、声が一つ、割いて出た。

 冷たく、酷く響いて、突き刺さるかのような声。

 

 

 ――あれが、お前の『歌』の力だ。

 

 

 (……んなことは知ってらぁ)

 

 バイザーがヘッドギアに収納される。

 クリスの目に直接、”立花 響”が映る。

 惨たらしい有様の、自ら放った力の結果が。

 

 力の意味を知らない訳がない。

 それによって成されることを、傷付くものを、知らない訳がない。

 

 (だからこそ、選んだ。この道の、この力なら、ただの歌じゃ出来ないことを……!!)

 

 クリスは目を反らさなかった。その残酷から。

 

 だからこそ対応出来た。

 

 到底動ける筈のない負傷から繰り出された、まるで変わらぬ速さの一撃を。

 

 「っ!?」

 

 咄嗟にアームドギアを右腕部へと戻す。手甲状になったそれで、剛速の“右“拳をギリギリでいなす。赤い火花が散った。

 その火花の消えぬ間に、いなした勢いそのままに、繰り出された“立花 響”の右腕に組み付いた。

 背中を相手に押し付け、右腕を腋で挟み込む。

 そのまま右手首を引っつかみ、動かさせまいと思い切り“立花 響”の右腕を伸ばし上げた。

 

 「あぁクソ! 何なんだよお前!? 妙に脆い癖に妙に平気で……」

 

 口を衝いて出た問いに、答えはすぐ返ってきた。ただ言葉ではなく奇妙な音で。

 

 耳元すぐそばから聞こえる、パキパキという異音。

 その音は、今クリスが抑えこんでいる腕から聞こえている。

 

 ふっと、腕に目を向けた。

 

 ――治っている。少しずつ。

 

 焼けただれていた皮膚がぐよぐよとうごめき、徐々に張りを取り戻していく

 手甲のヒビが閉じ、欠けていた部分が欠損した箇所から生え出してくる。

 

 (ネフシュタン……!?)

 

 異常な再生に、忌々しい鎧の名前が頭をよぎってしまう。

 そんな筈がないのは分かりきっている。

 あの鎧は、かつての戦いで装着者と共に塵と消え去ったのだから。

 

 では一体何かという疑問に思考を割く余裕は、現状クリスにはなかった。

 拘束から逃れんと暴れる”立花 響”をどうにかしなければならない。

 これが本物のガングニールやネフシュタンであればとっくに振りほどかれていただろうから、やはり全くもって正体不明である。

 

 (だが、何にせよ今は!)

 

 思考を”立花 響”への対処に切り替える。そうと決めればクリスの思考は速かった。

 

 蓄積されているフォニックゲインを腰部ユニットへと集中させる。

 すると腰部ユニットが再び展開し、ミサイルの発射台を形成する。だが、その発射台に撃ち出すべきものはない。

 それだけでは何の力もない。だが、今においてはそれで十分。

 

 背を密着させた状態で、そこに突如発生する大きな質量。

 ただそれだけで、相手を押しやり“その身を地面から浮かせる”には、あまりにも十分。

 

 踏ん張りを失くした”立花 響”へとクリスは素早く向き直った。

 そして”立花 響”の足が地に着くよりも早く、一瞬でガトリング形態に展開したアームドギアで、

 

「……精々悪く思え!!」

 

 その足を盛大に撃ち抜いた。

 

 無数の弾丸に撃たれ、穿たれ、”立花 響”の両脚から血肉がほとばしる。

 

 腕の再生に気づいてさえいなければ、数本の矢で膝を射貫く程度に済ませたことだろう。

 しかしあの驚異的な回復力は、クリスに更なる残酷を覚悟させるのに十分だったのだ。

 

 とはいえ、やはり良い気分ではない。

 自らの手で、まともに立てもしないだろう程に無残な姿となった脚を見る瞳は、耐えるように歪み――

 

 ――気が付けば、夜空だけを映していた。

 

 「がっ……!?」

 

 遅れて、顎に割れんばかりの痛みが走る。

 その痛みの意味も分からないまま、どうにか視線だけでも、下へと戻す。

 

 そうして見えたのは、真っ直ぐに振り上げられた脚。そこから滴り落ちる血。

 

 そこで理解する。

 

 “立花 響”が、クリスの顎を蹴り上げたのだ。今にも崩れそうなその脚で。

 着地も、蹴りも、出来るわけがないのに。

 

 (嘘だろ……!? 治るにしても、すぐに動かせるわけが……)

 

 混乱の最中にあるクリスを差し置き、”立花 響”は振り上げていた脚を、ゆっくりと自身の傍に引き戻す。

 それと同時に、深く、息を吐いた。深く、深く。

 

 遅れてクリスの体に悪寒が走る。だが痛みに痺れ動けない。

 ままならない身体に、焦りだけが増していく。

 そうしている内に、地を這うように長く続いていた”立花 響”の吐息音が、止まった。ぴたりと。

 

 

 そして“立花 響”の蹴りがクリスの無防備などてっぱらに真っ直ぐぶち込まれた。

 

 

 背骨をへし折らんばかりの衝撃が突き抜け、その勢いのままにクリスを吹き飛ばす。内臓が無茶苦茶に暴れ、腹を破り飛び出る感覚が襲う。

 二、三度地面を跳ねながら、その度にコンクリートとギアの破片が飛散する。

 

 やがて、一際大きな衝撃と共に勢いは止まった。

 倒れ伏すその身に大きなケガはない。だが、纏ったシンフォギアのダメージは深刻だった。

 

 ヘッドギアはヒビにまみれ、腰部ユニットに至ってはその半分余りを失っている。インナーも所々裂け、白い肌が覗く。

 先ほどの精神的ショックで、シンフォギアからの曲が止まっていたのがまずかった。消費した分のフォニックゲインを回収できず、シンフォギアの強度が弱まっていたのだ。

 

 食いしばった歯の奥から、クリスは苦し気に声を漏らした。さながら獣の唸り声。

 唸りながら拳を必死に握りしめ、出せる限りの力で地面へと叩きつける。

 その勢いを借りて、腕を支えにどうにか身体を持ちあげた。しかし下半身に力が入らず、立ち上がるには至らない。

 

 そんなクリスの耳に、地面を踏みしめる音が届いた。

 

 目を向ければ、血に染まった黒い足が見える。

 そのままほぼ眼球だけを動かして、視線を上に移していく。

 

 こちらを見下ろす目と、視線がぶつかった。

 

 相変わらず光はない。

 治りつつあるとはいえ腕も脚も傷にまみれているのに、瞳に少しの震えもない。

 自らが痛めつけ倒れ伏している相手を見下ろしているというのに、何の感情も覗かせない。

 

 その目だけを見ていると、まるで最初の遭遇から一切の時間が流れていないかのような錯覚さえ覚える。それほどまでに、完全なる不変であった。

 

 『痛みを、数えて……見つけ出した 道だろぉ……!?』

 

 声を出すだけで、全身に痛みが走る。

 それでも喉を絞り、心を蹴り上げ、歌を紡いだ。

 

 この状況に嘆くつもりはない。

 戦場で歌を唄うと決めたのは他でもないクリス自身。

 そこにどれほどの痛みが待とうと、全ては覚悟の上だ。

 

 (だけど、私はまだ証明しちゃいない。パパとママの歌の……それまではぁ!!)

 

 『とまり木ってやつは 要らない! はず、だからぁ……!!』

 

 心の奥底より絞り出した歌がフォニックゲインを生み、イチイバルから力を振るい起こす。

 その力をアームドギアへと集約する。体の動きは鈍いが、アームドギアの展開は速い。クリスの戦意が尽きていない証だった。

 

 ボウガン形態に展開し、続けざまにガトリングへと変形させたアームドギアを、”立花 響”へと突きつける。

 対する“立花 響”は拳を上段に振りかざした。地面に転がるクリスを叩きつぶすためと一目で分かるほど高く。

 

 あの拳が振り下ろされるより速く、ガトリング弾の連射で”立花 響”を押し飛ばす。クリスがこの窮地を脱するにはそれしかない。

 “立花 響”の異常なまでのタフネスと再生力の前では勝算は薄いのは分かっていた。

 

 だがそれでも、やるしかない。

 抱いた夢を終わらせるには、今日という日は早すぎる。

 

 『さぁ! Let's Show――』

 

 その覚悟と同時だった。“それ”が来たのは。

 

 遥か遠くからの強く地面を蹴りつける音が、クリスの視線をさらった。

 その存在はクリスの目が捉えるより速くに距離を詰め、クリスを抱きかかえた。

 そして勢いそのままにクリス諸共に跳んだ。”立花 響”の拳は狙いを失くし、地を無残に砕く。

 

 先ほど”立花 響”の蹴りを受けた時と同様の浮遊感がクリスを襲う。

 だが先と違って、浮遊感が消えた時には何の痛みもなかった。

 クリスを抱きしめている彼女が、クリスと地面との間に自らの体を割り込ませて、クッションとなっていた。

 

 顔を抱え込むようにして抱いていたから、クリスからは自分を抱く人物の顔は見えなかった。

 見えなかったが、分かっていた――正確には、知っていた。

 

 自分を抱きしめるこの手の温もりを、クリスは知っている。

 

 「お前、なんで……」

 

 口から問いが漏れる。それに対して、

 

 「へへ……クリスちゃんに当たりそうだったから、つい」

 

 ガングニールを身に纏った“本物の立花 響”が、微笑みながら返事した。いつかに聞いた、口調と言葉で。

 

 






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幻槍VS撃槍

※書いてるうちに長くなった&前回をどうしてもあの場面で締めたくなったので分割。


 「ばっ……かアホ!! 動機じゃなくて原因を聞いてんだマヌケすかたん!!」

 「えーそこまで言う―? かなりかっこよく助けた感じなのにまだ足りない? クリスちゃんてば欲しがりさーん」

 「かっこの是非に限らずなぁ! た、助けなんてそもそもいらねーってんだよ! つーか何時まで抱いてんだ! あたしの肌は安かないぞ!?」

 

 慌てて立ち上がり、響から距離を取る――クリス自身驚くほどにあっさり立ち上がることが出来た。

 

 「お安くない? そっかそっかー、それなら今日は得しちゃったなー」

 

 えへえへ笑う響をジロリと睨んで、やがて一つ、溜め息を吐く。

 先ほどまでなかった力が沸いてきているのは、この間抜けな笑顔のおかげに違いなかった。クリス的には若干不本意だったが。

 その笑顔のおかげで、クリスの胸中に漂っていた黒い妄想もまた、完全に離散していた。

 あの悪趣味な黒色がこの馬鹿であるだなんて、今なら鼻で笑ってしまえそうだった。

 

 (そしてあたしは、そういう笑顔のこいつを結局戦場(こっち)から引き離せない情け無しなわけだ)

 

 代わりに、別の影が差していた。

 より黒い影が、より深いところにまで。

 

 「さぁて! それじゃあこっから先はわたしに任せて、クリスちゃんはちょっとお休みしてて!」

 「あぁ? 誰に言ってる。こんぐらい……」

 「だめだめ! 無理無茶無謀はわたしのお役目なんだから、取っちゃやーだよ!」

 

 そう言ってクリスへウィンクを決め、響はクリスを救い出してきた方にざっと向き直った。

 

 「さぁさぁさぁ、師匠曰くのアンノーン! 次はわたし、と……」

 

 颯爽と登場して以降、怒涛の勢いを保っていた響の語調が崩れ去る。

 二度、三度とまばたきし、三度、四度と目をこすり、四度だか五度だか頬を叩く。

 だが何度何をしたところで、その眼に映る景色が変わることは無かった。

 顔つき髪型、姿かたち、身に纏ったシンフォギアまで全く同一な少女が相対しているという、世に二つとない状況は。

 

 「う、うぇぇ!? な、なにこれ? えっ、隠し子? お父さん……!?」

 「落ち着け馬鹿、シンフォギア纏ってんだから身内ってこたないだろ」

 

 衝撃は受けているのだろうが、響の割とコミカルな反応に安堵しながら、クリスもまた改めて”立花 響”を見遣る。

 

 そこには、“立花 響”が悠然と立っていた。

 本当に、ただ立っているだけ。

 

 (なに?)

 

 だが、クリスとしては、いささか予想外の状況だった。

 

 (あいつ、もう動けたのか? なのに、動かなかった?)

 

 ”立花 響”は拳が地面に突き刺さるかして動けなくなっているのだと考えていた。彼女の傍に穴が穿たれているのが見えるので、この予想は恐らく当たっている。

 だが、今こうしてクリスらのことを眺めている辺り、クリスが思っていたよりずっと早く”立花 響”はその拘束から抜け出ていたのだろう。

 そうして自由になって、クリスらの方に向き直り……ただその様子を見ていた。何の追撃もすることなく。

 

 遭遇してからずっと“立花 響”が奇行を見せていたのは事実だ。

 しかし火蓋が切って落とされて以降は、ずっと無機質な程に淡々とした攻めを見せ続けていた。そこから受けていたイメージとは大きくかけ離れた事態だった。

 一体何故か。

 

 その答えの候補は、目の前にあった。

 

 状況を整理しかねている、本物の響。

 目の前に、自分と同じ姿をした存在が現れて、混乱し、立ち竦む。

 

 ――その状況は、目の前の”立花 響”にも当て嵌まるのではないか?

 

 「ねぇ! ちょっといいかな?」

 

 響の快活な叫び声が、クリスをとりとめのない想像から引き戻された。

 響の声は、”立花 響”へと向けられていた。

 

 「わたし、立花響! 好きなものはご飯で、もっと好きなものは大盛りご飯!」

 

 両手を広げて、朗らかに笑い、明るく話す。

 破壊痕や燻る火やらが辺りに散らばる戦場には全く似合わぬ自己紹介。

 

 「良かったらさ、あなたの名前も教えてよ! ほら、私達ってなんだかとってもよく似てるしさ、きっと仲良くなれると思うんだよね!」

 

 似ているとかいう話ではない。何もかもが瓜二つなのだから。人が人なら卒倒しかねない不気味さがある。

 だがそれさえも響にとっては、仲良くなれる糸口でしかなかったらしい。

 

 多少の動揺はあっても、それさえ忘れてしまうほど、”誰かと手を繋ぐこと“にどうしようもなく一生懸命になってしまう。

 これ以上にない馬鹿の一つ覚え。だがただ一カ所にのみ伸ばし続ける腕だからこそ、その手は心の奥の奥を掴んでくる。

 自らもまた、手を掴まれた一人であるから、クリスもその強さはよく知っていた。

 

 (だが、今回はどうしようもなく相手が悪いな)

 

 そういう風に、クリスの目には映っていた。

 

 ”立花 響”は、ずっと黙りこくっていた。

 クリスの罵倒に対してしていたのと同じように、延々と、その鉄面皮で言葉を受け止めるばかりだった。

 

 「えっと……あっ! もしかしてクリスちゃんにしたこと気にしてるのかな? だいじょぶだいじょぶ、わたしも一緒に謝ったげるから! ねークリスちゃん!」

 

 拒絶されることはままあっても、一切合財無視されるのは流石に堪えたのだろう。クリスへと向ける響の視線は、助けを請うような哀愁に満ちていた。

 受けたクリスは、コンコンと、地面を足で蹴り鳴らした。

 「えっ、何? 絶対許さんのジェスチャー?」と困惑を見せる響だが、そうではない。クリスは自らの体の動き具合を見ていたのだ。

 響の゛お話゛を黙って見守っていたのも、つい先の競り合いで負ったダメージからためが半分だった。

 

 フォニックゲインは得ていないので、ギアの損壊は修復していない。

 しかし今しがた確認した限り、身体の方は動く。アームドギアもほぼ万全。そうであれば、戦線復帰には事足りる。

 待っていた理由のもう半分として、響の好きに話させてやりたい気持ちもあったが、ここまでやって無反応ならもう効果は望めまい。

 

 (……そういうやつが、自分の生き写し程度で動揺する理由もないか)

 

 “立花 響”の動かなかった理由は、やはり妄想でしかなかったらしい。

 そんなことを頭に過ぎらせながら、クリスは“立花 響”に目を向けつつ、響に対して選手交代を告げる声を掛けようとした。

 

 そうして口から飛び出したのは、全く別の言葉。

 

 目を向けた”立花 響”の瞳の中に、クリスは光を見たのだ。

 怪しげな光。自分と一戦交える直前にも見えた、あの異常なほど冷淡な戦闘行動の前触れを。

 

 「危ねぇっ!!」

 「えっ!?」

 

 響の元に駆け寄り、突き飛ばすと共に自分も合わせて跳び下がる。

 クリスと響が二方向に離れて空いた空間に、一瞬の内に飛び込んできた”立花 響”が、その剛腕を叩きつけた。

 

 砕けた地面に、響の表情が驚愕から困惑に変わる。

 一方的にとはいえ話しかけていた相手が、淡々とこちらの命を抉り取らんとする。他にもない理不尽だったが、響の困惑の原因はそこにはなかった。

 

 「ちょ、ちょっと待ってよ! わたしは戦う気なんて!」

 「向こうはその気だ! 割り切れとは言わねぇが無理なら下がれ!」

 

 元々告げるつもりだった言葉を響に投げる。

 そうしてる間に、”立花 響”は一息で体制を整え、響に向かい飛び掛かった。

 

 「狙いはそっちか!?」

 

 咄嗟にアームドギアを突き付けるクリスだったが、今のガトリング形態では響を巻き込みかねない。

 ボウガン、ライフル、“立花 響”だけを打ち抜ける形態を頭の中に走らせ選ぶ。そしてアームドギアを変形させる――

 

 「そうだよ、割り切れない! だから!」

 

 その刹那に、叫びが響いた。

 叫びの主は、響。叫んだ言葉は、胸に響く想い。

 

 「わたしの想いを、そこに足す!!」

 

 叫ぶと同時に、強く構える。瞬間、弾ける音があった。

 響が纏う橙のガングニールより溢れ出した曲が、響と共に、己が主に降りかかる拳に向かい立ったのだ。

 そうして紡ぎ上げられるのは、どんなものにも真っ直ぐぶつかる不退転の行進曲――!!

 

 『譲れない! 抱いた この気持ちだけは!!』

 

 “立花 響”が拳を振るった。切り裂くような乱撃。流れる歌に形が有れば、ズタズタな醜態を晒していたことだろう。

 

 『真っ直ぐ全開! 止まらないんだ!』

 

 だが、響の歌は止まらない。

 響自身もまた、止まることなく動き続け、“立花 響”の猛撃を全て完璧に捌いている。

 さながら映画のワンシーン。中盤よくあるアクションパート。そうであるなら、響にやれないはずがない。

 誰が言ったか、これから言うか、『映画はなんでも教えてくれる』。

 

 と、早くも焦れたか“立花 響”が動きを変えた。

 

 一歩分跳び下がり……次の瞬間に、開けた距離が零と化す。

 

 『この手とどっ――!?』

 

 音を抜き去るスピードで、放たれたのは回し蹴り。

 振り上げられた爪先が、響の頭を打ち抜いたように思えた。少なくとも、響を巻き込む危惧から手を出せずに見守る他なかったクリスには。

 

 だが、その状態で“立花 響”の動きが止まった。

 脚を限界まで振り上げた不自然な体勢。普通ならありえない停止。

 対して止まらない――響く歌。

 

 『……この手届く――距離までは!!』

 

 ニッと笑う響の顔と、打ち込まれた”立花 響”の脚。二つの間に一手速く、響の腕が割り込んでいたのだ。

 加えてそれだけでない。

 ガングニールの腕部ユニットが有する、シリンダー状の機構。その機構が、見事に”挟み取っていた”。”立花 響”の爪先を。

 

 「繋いだこの手は離さない……だから私とお話をぉっとぉ!?」

 

 響のしてやったりな表情が一瞬で崩れた。繋がった爪先をそのままに、“立花 響”がそに脚を振り回しだしたのだ。右へ左で、絶え間なく。

 もちろん響は離すまいとするものだから、脚が振られるまま同じく右へ左、がっくがっくと揺れ続ける。さすがにその場で踏みとどまってはいたが。

 

 「ちょっ、ちょっと待って待って待って! えっ、そんな嫌!? もしかして手汗すごいかなわたし!?」

 「アホ言ってんな! 今抑えるからお前は歌っとけ!」

 「えっ、いやでも今は歌うよりこの子と話し……」

 「逃げられたら話も何もねぇだろ!」

 

 確かに激しい動きに腕部ユニットのシリンダーが緩みつつある。抜けだされるのも時間の問題だ。

 響の方から体勢を変えることが難しい以上、引き続き抑えておくにはクリスの言う通り歌を紡いでシンフォギアの出力を引き上げる他ない。

 

 繋いだこの手を放してしまえば、その先には間違いなく拳を交える結果が待っている。

 そうであるなら、響にその選択肢はない。

 

 『――ずっと! ずっと! 追いかけてく! 転んだって立ち上がってく!』

 

 言葉を対話で届けられないならばと、響は自らの思いを歌に込め、より声高に歌い上げる。この手が離れないようにと、強く地面を踏みしめて。

 

 『繋がる手から伝える 精一杯の……ハート! 届け! この魂よぉぉおお―――!!」

 

 争う必要はきっとない。手を取り合いたい。そのための道を迷わない。どうかこの想いが届きますように。

 

 強い願いのこもった歌は奇跡をもたらす。かつてのフィーネとの戦いのように。

 そして今もまた、奇跡はあった。

 

 「よっしゃつかまえたぁっ!!」

 

 疲労困憊のクリスが、“立花 響”を羽交い締めにしたのだ。

 クリスは腕力がそう強いほうでもないし、傷だらけのイチイバルからは力技に打って出るほどの余力を感じられない。

 だが、クリスの発揮する力は、“立花 響”を確かに抑え込んでいた。

 

 外部からの歌でも、一応フォニックゲインは得られる。だが、今彼女に宿った力がそれではないことは、その必死の形相から明白だった。

 その名は気力。響の歌にこもった想いを受け取って、尽きた精魂を今一度絞り出している。

 

 不安定な姿勢。双方向からの片脚と全身と拘束。

 この短時間で予想外の馬鹿力を発揮してきた“立花 響”だったが、もはや身をよじるばかりで抵抗らしい抵抗を出来ていない。

 こうなれば後は根性勝負。そして、強く唄い上げられ続ける歌により、唄う響も、聴くクリスも、気合は十全。負ける気がしない。

 

 ……そう、歌だ。

 歌は、未だ唄われ続けている。

 

 それ故の必然があった。

 同時に、皮肉でもあった。

 その歌にかき消され、響もクリスも聞き落としてしまっていたのだから。

 歌が引き起こしたもう一つの奇跡を。

 

 その奇跡は、初め小さな唸り声として発露していた。

 段々と大きさは増していき、やがて響き続ける歌の隙間から漏れ聞こえ出す。遂には上から塗りつぶすほどの怒声に膨れ上がっていった。

 

 そこで、ようやく取り押さえている二人も唸り声に気づいた。その主にも。だが、後者については、理解に少しの時間を要した。

 

 この場にいるは三人。一人はその口から歌を紡ぎ、一人は歯を食いしばるの忙しい。

 となれば喉を鳴らし声を漏らす余裕があるのは残す一人のみではある。

 だが、この短期間ながらそれが与えた無感情な印象は、その声の主としてあまりにそぐわなかったのだ。それほどまでに、感情に満ちた声だった。

 

 しかしどれほど印象から外れていても、その声の主は変わらない。

 憤怒、苦痛、あらゆる負の感情を煮詰めたような声を発しているのが――

 

 ――目の前の“立花 響”であることは、揺るぎない事実であった。

 

 「ぐ……ぐぅぁ……!! あぁぁ……!!」

 「ちょっ、どうし――」

 「あ、あ“あ”あ“あ”あ“ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 掛けられた響の言葉は、唸り声から変貌した咆哮に掻き消された。

 それと同時、“立花 響”が発揮した剛腕が、響の拘束を引きちぎり、クリスの腕を振りほどく。

 両者を圧倒した暴力は、しかし二人への攻撃には転じられなかった。

 ガングニールの腕部ユニットに力で勝ったその脚は、地に付くと同時に膝を折った。

 クリスの拘束を容易く外したその腕は、ただ己の頭を抱えるばかり。

 

 「あ“ぁぐぅ!? がっ! い”ぃぃぃ!?」

 「ねぇちょっと!? 大丈夫!? しっかりして!」

 「近寄るな馬鹿! 明らかにおかしいだろ!」

 

 心配げに声かける響。警戒の声を飛ばすクリス。

 それぞれ個性を伺わせる二様の反応。

 しかし、どれほど特徴的なの色を付けたところで、全て無意味だった。

 次の瞬間には、その両方がただ驚愕一色に塗り替えられたのだから。

 

 その驚愕は、絶対的なまでの“黒色”をしていた。

 

 「ぐぅぅ……あ“あ”あ“あ”ぁぁぁぁぁ――――っ!!!!」

 

 これまでで一際はうるさく耳障り叫びと共に、“立花 響”の全身が変貌を始めた。

 元から灰黒かった纏うギアから、まだ人らしい色をしていた肌にいたるまで、その全身が黒へと染まる。

 その中で唯二つ、見開かれた両目だけが、爛々とした真紅の光を灯していた。

 

 「こいつは……!!」

 「嘘、なんで……!?」

 

 響、クリス、共にに見紛うはずがなかった。

 人の形を保ちながら、しかし見る者に強く獣を想起させるその姿。

 

 「暴、走……!?」

 

 

 「があ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”――――――っ!!」

 

 

 一層に強さを増した叫びと共に、“立花 響”が、素早く、荒々しく、拳を振り上げる。

 それと同時に、叫びの中でそれとも違った異音が轟いた。

 拳もまた、黒に塗り上げられておりはっきりとしないが、クリスの目は確かにそこにあった変化を捉えた。

 

 拳に備わるシリンダー。先まで“立花 響”の脚を捉えていたのと同じもの。

 ここまで何の音沙汰も見せることなかったその力が、“立花 響”の振り上げる腕の中で、確かに火を灯している――

 

 そう、知覚した刹那に既に、力は、既に振り下ろされていた。

 

 轟き渡る炸裂音。

 アスファルトがめくれ飛ぶ。

 力の圧が叫んだ言葉を、辺りに燻る炎を、全て掻き消し吹き飛ばす。

 

 炸裂音は、長きに渡り響続けていた。

 

 それでも何時しか止み、辺りを静寂が包む。

 

 「い、ててて……クリスちゃぁん大丈夫だった?」

 

 響がクリスに問いかける。両者の顔は、非常に近い。

 

 「……庇ったお前を心配させろ」

 

 “立花 響”の暴走した力が炸裂する直前、響はクリス諸共その場から飛びのいていたのだ。思考も何もない、殆ど反射による早業だった。

 

 「私はこんなのへいきへっちゃら、なん、だけど……」

 自らが押し倒す形となっていたクリスを助け起こして、響は当たりを見渡した。

 

 解放された力は膨大であったように感じた。

 だがそれに反し当たりの被害は小さかった。

 道路のダメージは甚大ながら、その範囲は“立花 響”が立っていた周囲のみに留まっている。

 

 しかしそれ以上に何よりも、

 

 「……やっぱり、どこにもいないよ。あの子」

 

 見渡したどこにも、人の影はなかった。

 

 「なぁ、さっきの」

 「うん、わたしがデュランダルの影響とかで暴走しちゃったのとおんなじやつだと思う」

 「だよな? でもだったらなんだよこの状況。嵐の前の、ってわけでもなさそうだが」

 

 響の暴走は、周囲への破壊行動として発露する。それは二人の共通認識だった。

 だが現状は違っていて、あれだけ激しく荒れ狂っていながら、その当人は一発かましてさっさと逃げ出したときたものだ。

 

 「ったく、なんだってんだ今日は。ミステリーは突然にってレベルじゃねぇっての」

「いやホント、私もお目覚めからのクライマックス百連発でもうくたくただよ~。あっ、でもクリスちゃんが無事でよかったよかった!」

 「……まぁ、礼は言っとく」

 「出来れば目を見て顔向けてワンモア!」

 「調子に乗んな馬鹿」

 

 結局響に目を向けることなく、クリスはその場にどっかと座り込んだ。

 今のクリスに、自分から響へと合わせる顔などなかったのだ。

 

 彼女の参戦した時点で、窮地にあった命と散々乱れていた心を救われた。その後も、結局響に助けられてばかり。自身の消耗やイチイバルの損傷など、言い訳にはならない。

 

 こっちの響にも、あっちの黒い“立花 響”にも、終始圧倒され続けるばかりで終わってしまった。

 

 (こんなんじゃ駄目だ。こんなんじゃ、このままじゃ、何の意味ないじゃねぇか……!!)

 

 本部が送ってきたであろう迎えの車の音が、遠くから近づいてくる。

 それに気づいた響が、クリスに嬉々とした声を掛けてくる。

 

 それらの音全て、クリスには届いていなかった。

 クリスに今聞こえるのは、己の心中に響く自省の声だけ。

 それ以外の音など、すべて自分に関わりのない遠い世界での音と変わらなかった。

 




※やっと作中時間で夜が終わる……


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戦い明けて、再会と出会いと

※ちっとも予定通り進まない


 ふすまの間から漏れ聞こえてきた鳥の囀りに、雪音クリスは目を覚ました。

 開いた目に、天井の木目が映る。マンションにある自身の一室とは大分赴きが違う。

 

 なんでと考えたのは一瞬で、クリスはすぐに昨夜の顛末を思い出した。

 

 “立花 響“との戦いを終えたクリスと響との両名が、二課から来た迎えの車に揺られて送られたのは、超緊急臨時本部こと弦十郎のお屋敷――ではなく、病院だった。

 そこでメディカルチェックを終えた後、改めて超緊急臨時本部に送られて、そこからやっと簡単ながら報告を済ませた。

 そうやって色々やったものだから、その時点で既にとっぷりと夜は更けきってしまっていたのだ。

 こうなっては、一人暮らしのクリスはともかく、寮暮らしの響を帰すのは難しい……というわけで、弦十郎の「よーしお前ら泊まってけ!!」の鶴の一声ならぬ獅子の一吠によりお泊りコースと相なったのだ。クリスの参加は響の粘り勝ちの結果である。

 

 (まぁ、そういう経緯だから、”こいつ”の存在も不自然ではない……不愉快では、あったとしても)

 

 回想している間に知覚した、自身へと圧し掛かるずっしりとした重みに、クリスは眠気とも違う気怠さに苛まれた。

 

 クリスの掛け布団は、横に除けられていた。

 代わりに、響が上に被さっていた。うつ伏せで。傍から見れば、夜這いか何か。

 

 視線だけで、横を見る。響が本来眠っていたであろう布団が遥か遠くに鎮座している。

 その距離は、昨夜布団をくっつけて眠ろうとする響への、クリスによる飽くなき抵抗の果てに得た勝利の栄光であった……あったのに、今やなんの意味もなかった。

 勝利とは、かくも無意味なものだったのか。

 

 「えーへへへ、もう食べられない……とでも思ったかぁ!! ……にゃんむにゃんむ……」

 

  閉じられた目と、口から漏れる寝言が、一応に下心の不在を主張していた。若干テンプレから奇をてらっているのが鼻についた。

 

  「くそ、こんにゃろ……」

 

 引き離し、折檻する。その両方を遂行し得る手段としてアイアンクロ―を瞬時に選択。クリス生来のバトルセンスはこんなところでも働き者だ。

 さっと身をずらすと、バランスを崩した響がうーんと唸って軽く寝がえりをうつ。その動きに合わせてやれば、栗色の髪を四方八方に暴れさせた響の頭は、哀れにも自らクリスの手の中へ飛び込んだ。その必潰の運命を知ることも無く。

 さて、後は愛と怒りと悲しみを込め、握り潰してのけるのみ――と、いう段階で、ふっと昨晩の激闘が頭を過った。

 

 クリスの全身と、それ以上に心を苛んだ痛み。

 そこから風と共に現れ颯爽と助け出したのは、他でもないこの響。

 相手取った自分と同じ姿の不気味に、それでも手を伸ばし続けた。

 だがその手は取られず、圧倒的な暴力により振り払われた。

 

 そこまで思い出してから、少し視線を迷わせ、それからふぅっと溜め息を吐いた。

 

 「……今回だけだぞ、ばーか」

 

 頭を包んでいた掌で、そのままそっと優しく撫でる。

 布団に改めて身を預けると、自分に圧し掛かる響の温もりが、より強いものとして感じられてくる。

 感じるままに、その体温に意識を傾ける。段々と、響のものか、自分のものか、曖昧になってきて、意識も遠くなってくる。

 

 もう朝なのは分かっている。起きるべきなのだろうとも思う。

 

 (でも、まぁ、たまにはいいか……)

 

 そう思い、増してくる目蓋の重さに任せ、目を閉じた。

 呼吸音。鼓動音。鳥の囀り。虫の声。

 全部全部全部、遠のいて、薄まって、あやふやになって――

 

 ――ふにょん

 

 音にすれば、そんな感覚がした。発生源は胸元……と、いうか、胸そのもの。

 

 「はぁんっ!?」

 

 虚無へと進んでいた認識に、ドカンと落ちた感覚が、閉じていた目をばっちり開ける。

 そうして開いた視界では、手がふよふよとその指をうごめかす。

 かつてクリスに差し伸べられた手であった。強く暖かな手であった。

 

 その手が今掴むのは、言うなれば生命の象徴。いつか母となる証――

 

 ――まぁつまり響がクリスの胸をめっちゃ揉んでた。そりゃもう手を掛けたとかぶつけたとかで誤魔化せない程度にはがっつりしっかりしっぽりと。

 

 「んな!? か!? か!? かぁっ!?」

 

 生娘のつもりもないクリスではある。尻のひと撫でを、指の一本や二本で贖わせる胆力もある。

 だけど布団に収まる今この時、心は油断で一杯で、相手も今までいなかったぐらい色々な意味で距離の近い相手で。

 

 まぁ、そんなわけだから、

 

 「んん? なんだかいつもよりおっき……」

 「ス、スーパー懺悔タイムの時間だオラぁぁぁぁ――――っ!!!!」

 

 その反応が多少過剰で、常識が燃焼消滅しているのも、勘弁してやらねばならんのだ。

 

 

 「痛い……超痛い……」

 「馬鹿面さらしてへいきへっちゃらってろ!! 二本の脚で歩ける事実にアタシさまへ感謝の土下座しながらなぁ!!」

 「いや~土下座なら朝から大騒ぎしちゃったことで、師匠に対してするべきかなーって」

 「他人行儀に正論吐くな! 誰のせいだよフシダラ娘!!」

 「あ、あははは……」

 

 ぎゃーぎゃーと、一人分足りずも姦しく、響とクリスは風鳴邸の廊下を歩いていた。

 怒り肩でずんずか進むクリスに、痣やらたんこぶやらをこしらえた笑顔の響が、半歩遅れてついていく。さながらDV夫に健気な妻だが、その実態はセクハラ行為の加害者被害者コンビなのだから何かがおかしい。

 

 「ったく気色の悪い……なんだお前? あたしのこと、っつかあたしの体そういう風に見てたんか馬鹿。思春期真っ盛りかよ勘弁しろよ馬鹿」

 「いやいや、そういうわけじゃあなくって……ただほら、わたしって寝るときいつもは未来と一緒のベッドで寝てるからさー?」

 「あ? それとこれと何の関係……いや、言うな。やっぱいい。聞きたかねぇ」

 「ちょっと不安なことあった夜とかさ? どっか触れながらの方が安心して寝れるし、それでどこが一番安心できるかっていえばやっぱりおっ――」

 「要らねぇっつてんだろ!? 朝からいちいち重たいんだよお前なんか胃にもたれる重さなんだよお前は!!」

 

 へラへラと笑う響に対して、クリスは眉間を抑えながら重たい息を漏らす。精神的パワーバランスは完璧に、響の圧勝であった。全て天然の所業であろうことが、ただただ恐ろしい。

 

 「胃もたれなんてだいじょぶだいじょぶ!! ごはん食べれば治っちゃうからそんなの!」

 

 響が激烈に言い放つ。サムズアップと笑顔が眩しい。寝起きの目を眩ますほどに。

 言いたかった。『絶対逆だ』と、『間違いなくお前だけの理屈だ』と。ただもうクリスはすっかり疲れていた。朝からこんなハイテンションは、どれだけ人生遡っても記憶にない。

 

 「あぁ……もう、何でもいい……あたしも大概腹減ったし……」

 

 言ったクリスの肩が落ちる。腕組みしているが、それでは到底支えられていない。

 曰く前にも風鳴邸に泊まったことがあるらしい響による、ここの食事がどれだけ素晴らしいかの御高説も、耳には入るが頭まで届かない。

 

 そんな風に歩いて行って、間もなく一つの衾の前に着いた。昨晩にミーティングという名の何かが執り行われた一室のものだ。

 中から漂ってくる食事の匂いに、クリスは落ち窪みつつあったテンションが再浮上するのを感じた。

 自分以上のハイテンションを発揮しているであろう響はあえて無視しながら、クリスは(ふすま)に手を掛け、開いた。

 

 「ああ、おはよう雪音。久しぶり――」

 

 

 ――スパーンッ!!

 

 

 ……と、盛大な音と共に、開けた衾が閉じた。

 下手人は、言うまでもなくクリスである。衾を閉じたそのままに、両手で強く押さえつけている。

 

 「えっ、なに、どしたのクリスちゃん」

 「い、いや、えっと……」

 

 響の問い掛けへの反応も、形作った笑顔も、両方諸ともなんだかぎこちがない。

 

 「……鳥が、入り込んでたんだよ。鳥が」

 「いやそれで今の反応はおかしくない?」

 

 あっちゃこっちゃと視線を遊ばせた果てに出た言葉も、響にさえ二秒と待たずににツッコミ返されるほどに杜撰にして稚拙。

 

 「いや違うんだって、こう、ホントに、デカ怖い鳥で、びびっちまって」

 「どったのクリスちゃん。急にここで乙女ポイント貯めだしても使い道ないよ?」

 「やたらに人の頭の周り飛び回って、おまけに羽音もデカいもんだから、そりゃもうブンブンブンブンうるせぇったら……!!」

 「ん、んん? なんか変な感情入ってない?」

 

 首を傾げる響の横を、クリスはサッと通りすぎ、元来た道を引き返しだした。慌てて響が止める。

 

 「えっ、ちょっ、どこ行くの? 何するの!?」

 「散歩だ。2、30分ぐらい空けるから、探してくれんな」

 「ええっ、だめだよそんなの!?」

 

 クリスをなおのこと強く引き留めた。クリスの腕一本に対し、両腕を使い身体も押し付け、抑えるどころか縋る勢いでしっかりと。

 

 「ええいくそ! 離せ! 離せと言うに!」

 「だーめーだーよー! 朝ごはんちゃんと食べないと、お腹空いて心が死んじゃうんだよ! 悲しい一日になっちゃうよ!?」

 「お前だけだろそいつは!」

 「分かったじゃあ、うん! 好きなおかず! 好きなおかずなんでも……いや、要相談! で! あげる! あげるから! 一緒にごはんたーべーよーうーよー!!」

 「それで釣られんのもお前だけだ食い倒れ人間!!」

 

 「……朝から少し喧噪が過ぎないか、二人とも」

 

 その場の二人にはない、凛とした響きを持った声がした。

 えっ? と振り返った響の表情が、晴れやかな笑みに変わる。

 げっ! と振り返ったクリスの表情が、瞬時に曇りを見せる。

 

 クリスと響、対照的な二人の表情の先で、腕組みしながら呆れ顔を見せるのは、スラリとした長身の女性。

 端正な顔立ちに、青色の髪、そして纏った鋭い気迫に、彼女の周囲だけなんだか温度が下がっているようにすら感じられる。

 

 「わぁい! 翼さんだぁーっ!!」

 

 風鳴 翼。二課所属のシンフォギア装者にして、日本が誇るトップアーティスト。響の先輩。そして――

 

 「ふっ、久しぶり、立花。それに、雪音も」

 「……おう」

 

 ――今一番、雪音クリスの“会いたくない女”。

 

 

 既に日の上った朝ながら、酷く薄暗い印象の町だった。

 人の影はまるでなく、道や建物は何かの傷跡を色濃く残す。

 そこはリディアン音楽院と、かつてそう呼ばれた学校のあった町である。

 

 人類未曽有の危機であったルナアタック。その前哨戦とも言えるXDモードへと至ったシンフォギア装者と無数のノイズらとの大乱戦。

 それらの果てに、結果として危機は瀬戸際で防がれたが、それでも失われたものはある。ここはまさにその一つであった。なにせ先に語った戦いの舞台、その一画を担ってしまったのだから。

 戦いの本格化前に住民の避難は済んでいたおかげで、人的被害は少なく済んだ。だが、街の受けた被害は、甚大の一言で済ますことが憚れるほどのものだった。

 リディアン音楽院跡の周囲と違い、辛うじて全面的な立ち入り禁止は免れたものの、かつての住民の殆どが自主的に転居を選んだほどだ。

 

 そういった経緯で、この町の人影は少なくて当然と言える。訪れる者など、なおのこと少ない。

 

 しかし、それにも関わらず、一人歩く人影があった。

 

 年の頃は、五十前後。顔には重ねてきたであろう苦労の数と思わせる皺が刻まれているが、反して表情に陰りはなく、背筋もピンと伸びている。

 その様子は、第一に彼女の強さによるものであった。だがそれだけではない。来る者がそうはいないこの町の中で、彼女が目指す目的地、そこに向かう理由――ある種の使命感が、彼女を支えていた。

 彼女が目指しているのは、巷で隠れた名店と称される粉者屋である。

 

 その店の名は“ふらわー”と言う。

 彼女は、そこの店主であった。

 

 表情は明るい店主であったが、息は少し荒い。それもそのはず。この朝早くから、彼女はそう近くはない距離を経てここまでやってきたのだから。

 かつては゛ふらわー゛で生活してきた彼女だったものの、住民の減少に伴い生活も不便さ増すばかり。そこへ家族からの誘いと心配とを受けたことで、慣れ親しんだ住居を離れ家族らと共に暮らす道ん選んだ。

 

 だが、それは店を畳むことを意味してはいなかった。

 

 むしろ人が少なくなり生活が不便となってしまったこの町にこそ、上手いお好み焼きを出す店は必要なはずである。

 苦難と困難を乗り越えさせるのは、人の心と美味い飯。それが、゛ふらわー゛店主たる彼女の見つけた信条であった。

 

 故に彼女は今日もこの町に来た。

 それが、ほんの少しだけながら、奇跡の片棒を担ぐことだと知るよしもなく。

 

 「……おや?」

 

 額に汗をにじませながらも決して緩むことのなかった店主の歩みが、ふっ、と止まった。そして目を凝らし、建物同士が並んでつくった隙間を、じっと睨んだ。

 薄暗い町の中にあって、より深い暗闇が作られていて、朝の日差しでも照らしきれていない。そのために、殆ど何も見えない。

 

 それでも、店主の目が、僅かに捉えた。

 闇の中で、両方の耳を抑えてうずくまる小さな影を。

 

 「ちょっとあんた? 大丈夫かい?」

 

 その存在に気付くのと同時に、店主は闇の中へと声を掛けた。迷いなど、一瞬さえない。

 

 声を掛けられたそれの肩がビクっと跳ねる。そのおかげで、抑えられていた頭だけ、闇から外へと飛び出した。

 そして、ゆっくりと、店主の方へ、その顔を見せた。

 

 二度、三度と、店主は目をしばたかせた。

 店主はそれを――”彼女”を、知っていた。厳密に言えば、その”顔”を。

 

 「えっと……響、ちゃん?」

 

 言葉に篭った疑問は、口にした名前に自信が足りなかったから……だけでは、ない。

 理由は二つ。一つは姿。

 頭の頂く角のような飾りに始まって、手足に纏うプロテクターや、身体をピッチリと包むボディスーツと、全てが全て常識外れ。

 

 そして、もう一つは、その表情。店に来る度に見せてくれていた爆発スマイルとは程遠く、酷く苦渋に満ちていて、今にも倒れてしまいそう。

 

 「うーん、何が何やら、おばちゃんにはよくわかんないけど」

 

 顎の先を掻きながら困ったように笑いつつ、店主は既に次の行動を決めていた。

 姿かたちなど、店主には関係がない。大事なのは、彼女が見せたその表情。

 

 こんなにも、お腹が空いていそうな子に対し、店主が掛ける言葉は一つだった。

 

 「とりあえず、おばちゃんの店でお好み焼き食べていきなさいな」

 

 にっこり笑って、店主は少女へ手を差し伸べた。

 それに対して少女――クリスらとの一夜の激戦を明けた黒い影“立花 響”は変わらない表情のままで、その手をぼぅっと見つめるばかりだった。

 




※翼さんの口調は二期からおかしくなったと良く言われてる気がしますが、明確に変わったのは一期で退院して以降だと、今回確認して初めて気づいた僕です。
※いやまぁ”おかしく”なったのは、二期以降であってる気がするけども。


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その影に満ちる者

※まだまだ話が続きます。
※いろんな言い訳はあとがきで。


 「なぁ、ちょっと近くね?」

 

 席についてからこれまでについぞ食事に口をつけることなく、代わって耐えかねた不平をクリスは口にした。

 隣に座っていた響が、んぐ、とくぐもった声で応える。言うまでもなく口いっぱいに頬張ったご飯のせいだ。口内でもごもごと十分に堪能してから飲みこみ、改めて返した。

 

 「そう言ってもしようがないじゃん、ねー翼さん」

 

 言って、クリスとは逆隣に視線を送る。そこには翼が姿勢正しく座している。

 翼は整った姿勢を崩すことなく目だけを響へと向けて、一度箸を置いてから応えた。

 

 「まぁ、雪音の言い分を出来る限り飲んだ結果ではある。少し窮屈さはあるが、まぁこういうのも悪くないんじゃないか?」

 「そうそう! ちょっと狭いけど我が家って感じがなかなか、ね?」

 

 したり顔で親指を立てる響に、クリスは何とも言えない表情で額を掻いた。

 翼の言葉通り、この並び順――奥からクリス、響、翼――は、クリスの要求の結果である。より厳密に言えば、“翼と自分との間に響が入らなければ許さん”と、頑なに言い張ったことの。

 

 だが、そう主張するに至ったそもそも原因は、クリスではなく翼にあった。

 

 再び箸を取った翼の様子を伺いながら、響が小声でクリスに問いかけた。

 

 「というかさ、やけに翼さんがクリスちゃんを隣に座らせたがってたけど、なんかあっちゃったのお二人さん?」

 「……何もあっちゃわねぇよ、馬鹿」

 

 向けられる視線から、クリスは顔を背けた。

 外した視線の先にあるのは壁だけれども、見つめるものは遥か遠い……つまりはここからちょっと回想である。

 

 

 翼に連れられるような形で居間に入ったクリスらであったが、入るや否やであった。

 

 翼が、まずすーっと席に着く。

 それからくるりと振り返ったと思えばにこりと笑った。

 そして自分の隣のスペースをポンポン叩いたのだ。

 

 翼の視線は真っ直ぐに、クリスへと向けられていた。

 この間無言。終始無言。せめてなんか喋れや――というのがクリスの最初の感想であった。

 

 その直後、クリスの動きは迅速であった。

 翼の生ぬるい視線も、響のニヤニヤした視線も全て振り切って、翼と正反対の位置を確保した。それはそれは素早い動きで。

 しかしそれを追う翼の動きもまた俊速。クリスが空けていた間合いがゼロとなったのは一瞬と、まさに神業。

 

 逃れるクリス。追う翼。

 

 そんな流れが二巡三巡としばらく続いて、クリスが叫んだのが「間にあのバカ()入れやがれ!」要求なのであった。

 

 

 「ん、雪音、この玉子焼きも美味しいぞ、食べると良い」

 「……ああ、あんがとよ」

 

 クリスが自分の皿を翼の方に寄せた。その上には、未だ手つかずの料理が盛られている。全て同じように翼から受け取ったものだ。

 翼は眉を下げつつ困ったような微笑みで、その皿の端に玉子焼きを乗せた。それが可能な距離が、翼の方での妥協だった。

 

 「すいません、ご飯おかわりー!」

 「はいただいま。うふふ、響ちゃんはよく食べるから、ご飯もたくさん炊いておきましたからねぇ」

 「ホントですか!? やったー!」

 

 そんな二人の間に置かれた響だが、まるで様子は変わらない。

 留子が自分の茶碗に米をよそうのをウキウキ見守る表情には、食い意地がどうという文句も離散させられるほど。

 

 「両隣に翼さんとクリスちゃんをば侍らせて、正面には白いご飯! いやーさながら王様ですなー!」

 「やっすい王国だなオイ」

 「それもまた立花らしい……しかし立花を見習えというわけではないが、雪音はもっと食べた方がいい」

 「説教すんなよ。そんな仲か」

 

 ジロリと、クリスが翼を睨む。鋭い視線。が、翼は真っ向から見返した。特に目つきを変えることもなく、ただただじーっと。

 

 「うぐ……っ」

 

 先に居たたまれなさに屈したのはクリスだった。それも三秒と待たず。

 表情を崩し、ぷいと顔を背け、漫然と食事に向かう。

 箸には未だ慣れず、たまごやき一つ掴むのも覚束ない。だが、翼から気を逸らすにはちょうどよかった。おかげで、翼の目が微笑ましいものを見るそれと変わったのにも気づかずに済んだ。

 

 「ん、全員集まってるな」

 

 部屋の中へと入ってきた弦十郎が、並ぶクリスらの顔ぶれに笑みを見せた。

 

 「もがっ、ひほー! ほはほーほはーはふ!!」

 「おはようございます。伯父様」

 「ん……」

 

 元気一杯口の中も満杯な響がいれば、翼は姿勢を正して小さく会釈する。クリスに到っては、ちょっとの一瞥だけ。

 三者三様な返事を受けて楽し気に笑いつつ、弦十郎は表情を引き締め直して翼へと声を掛けた。

 

 「忙しいところ急に呼びつけてすまなかったな」

 「いえ、仕事は先日一段落ついたところでしたので……それにこの身は剣にして、この魂は防人。火急とあれば如何なる事態であっても駆け付ける所存です」

 

 応える翼の表情は凛々しい。

 ……その横顔を、クリスが見つめていた。目を細めて、静かに、じっと。

 

 「あれれー、なにかなクリスちゃんじっとこっちのこと見ちゃって。いやん、ちょっとドキがムネムネしてきちゃう」

 「そうか、まぁ一個もらうぞ」

 「あぁー! 楽しみに残してたおシャケさんがぁーっ!! 卑劣! 外道! 自分の前にそんだけ残してんだからそっち食べればいいじゃん!?」

 「何でも寄越すと言ったろ」

 「要相談ともー!!」

 

 騒ぐ二人に、翼がたしなめの意味を込めて一つ咳ばらい。なお、届きはしなかった。

 

 そんな様子に再び表情を綻ばせつつ、弦十朗が声を上げた。

 

 「そのままでいいから聞いてくれ、昨日の件について顛末を報告する」

 

 その言葉を聞くや否や、響とクリスらの喧噪がピタリと止まった。当事者である二人としては気にならないはずがなかった。

 そんな二人を余所に、弦十郎はチラリと留子へと目配せした。それだけで彼女はその意図を理解したようで、一礼し、

 

 「では、失礼いたしますわ……旦那様もお嬢様も、どうかご無理はなさらずに」

 

 それだけ言って、部屋を後にした。

 

 「さて、じゃあ聞かせてもらおうか」

 

 留子が去るの見届けてから、クリスが前のめりに姿勢を崩しながら言う。後の続き促すように、翼が呟いた。

 

 「道中で緒川さんより聞き及んだところでは、なんでも立花の紛い物が現れたと――」

 「いや、まだ“偽物”って決まったわけじゃ……」

 

 翼の言葉に割り込んで、響が声を上げた。

 クリスは思わず鼻で笑ってしまった。

 

 「何に気をお利かせさしあげてるのかは知らないが、あれが偽物じゃなきゃ一体なんだってんだ」

 「それは、わかんないけどほら、偶然の一致とか……もしかしたらむしろこっちが後発、パクリって可能性もないわけではない感じがないこともなくも……」

 「ほぅ、じゃあ偽物にはここで消えてもらうとするか」

 「ごめん! 今のは言いすぎた! 私は正真正銘の立花響15歳誕生日は9月13日で血液型は――」

 「だが、立花の言うことにも一理ある」

 

 は? と、クリスと響、言い合っていた筈の二人が一つの音で重なった。ただ意味は異なる。クリスは発現内容から正気を疑ってのことだが、響は離の流れが分からなくなっただけである。

 置いてきぼりな二人を余所に、風鳴叔姪は頷きあっている。

 

 「確かに、敵の正体が不明な現状でとりあえずでも“偽物”と呼称するのは些か不適切かもしれんな。ともすれば、その正体について見誤りかねない」

 「はい、さすが立花です。私たちがつい取りこぼしてしまう奇抜な視点も拾いあげてくれます」

 

 本人の目の前なのに、本人に関与しないところで、響の評価はぐぐんと上がっていく。

 当の本人はなんのこっちゃ分からないものだから、困った表情でとりあえず目の前のご飯を食んでいた。

 そんな響に、クリスが耳打ちで尋ねる。

 

 「お前、なに、そういうご大層な考えで聞いてたのかよ?」

 「むぐ、えっと、わたしはただ、一方的に偽物呼ばわりするのは可哀想かなーと」

 

 まぁそうだろうな、とクリスは肩を落とした。

 何はともあれ、話は大きく脱線してしまった。弦十郎も翼も、相応しい呼び名の捻出に頭を捻りこんでいる。

 響の一言のせいだろうが、それに乗っかる形を取ってしまったクリスにも責任の一端はあるだろう。

 早いところ“立花 響”のその後も知りたいので、多少雑にでも話を戻そうと声を荒げた。

 

 「めんっっっどくせぇなぁオイ!! 偽物呼びがマズいってんなら呼び方なんざいくらでもあんだろ!? バカBとかバカ二号とか、変態装者バカ影とかなんでもいいだろ!!」

 「ちょっとバカ推しが過ぎないそのラインナップ!?」

 

 響の悲しいツッコミも何のその、クリスはどうだ違いあるまいと指まで突きつけて言い放つ。

 すると、翼と弦十郎は顔を見合わせ、指まで突き合わせ、全く同じタイミングで言った。

 

 ――――影。

 

 「……は?」

 「クリスくんが最後に言っただろう? “影”、と。報告を受けた限り、まさに件の黒い響くんは“影”と言えるのではないか?」

 

 弦十郎に言われて、クリスは昨夜死闘を演じた“立花 響”のことを思い返した。

 

 ガングニールを纏った響に酷似した姿。その全身は、闇で以て染め上げたかのように灰黒い。

 度重ねた攻撃で容易に形を崩しながらも、しかし力は変わらず、少しの時間を重ねれば姿さえも元に戻して見せる様は、さながら幻影のよう。

 

 「……まぁ、影といえば影っぽかったかも、なぁ?」

 

 訊きながら響へと視線を飛ばすが、響は何も言わず首を傾げるだけだった。偽物呼びが不服だった理由が理由なため、自分の影呼ばわりでは結局不服なことに変わりないのだろう。

 ……ただ何も言わなかったのは口の中がご飯で一杯だっただけである。

 

 「影なる撃槍、幻の如くおぼろげながら決して消えず……さながら“幻槍・シャドウガングニール”、と言ったところか」

 

 言ったところかじゃねぇよやけにスラスラ出たな常日頃からそんなこと考えてでもいるのかお前――と、口を衝いて出かけた翼へのツッコミを、口の中で放り込んだ玉子焼き諸共に飲みこむクリスであった。もうめんどうくさかった。

 

 「では、シャドウガングニール……シャドウについて、昨夜からの顛末を報告する」

 

 既に呼び方が定着し略称まで誕生した。風通しの良い職場である。

 

 「あの戦いの後、周囲を捜索させたがそちらの収穫はなし。そこでこちらの方でフォニックゲインを追跡したんだが……」

 「おいまさかそっちも外したのか? 大丈夫なのかよここの設備」

 「いや、確かに本来の物より少し旧型だが、藤尭さん達なら十分カバー可能なレベルの筈……ですね、叔父様」

 

 クリスの苦言への翼の反論、それに対して弦十郎は頷いた。

 

 「捕捉は十分に行えていた。だが、途中までだ。シャドウから発せられていたフォニックゲインは徐々に減少していき、最終的に検知不可能な域にまで至った」

 「それって、途中でシンフォギアを解除したってことですよね?」

 

 どうにか置いて行かれまいと、響が訊ねた。消化に悪いことを覚悟の上で頭をフル回転させての問いであったが、弦十郎は無慈悲にも首を横に振った。

 

 「フォニックゲインの減り方がギアを解除した時のものとは明らかに違っていた。ギアの解除時は、検知不可域に到る前に一気に離散するからな」

 「つまり、あの子の場合はこう……じわじわ減っていった訳ですね!」

 

 言いながら、響は自らの前にある茶碗を見せた。なるほど確かにその中身は随分と減っている。先ほどよそってもらったばかりの筈なのに。

 

 「で、機械じゃ見つからなかったので諦めましたー、な訳ぁないよな諜報部上がり?」

 「無論だ。足を使うのも俺たちの得意分野だからな。その中で、一つ興味深いことがあった」

 「へぇ、何か分かったのか」

 「いや、逆だ。分からなかったんだ」

 「お、おぉ?」

 

 奇妙な物言いに怪訝な表情を見せるクリス。一瞬開き直りかと思ったが、弦十朗への一応の信頼がそれを否定してくれた。

 

 「エネルギー反応の消失地点からシャドウの逃走した方角はおおよそ絞り込めていた。その中からより確かな潜伏先を特定すべく、消失地点周囲における監視カメラの記録を全て改めたんだが……」

 

 そこで一端言葉を止めて、弦十朗は歪んだ表情で頭を掻いた。思い出すのも忌ま忌ましい、と言わんばかりである。それだけで、ただ監視カメラに何も映っていなかっただけでないことは見て取れた。

 

 「それらの記録は全て削除されていた。昨晩から俺達が確認するまでの分だけが、全てな」

 

 装者たち三人共――響さえも――その内容の異質さに驚きを隠せなかった。

 昨晩の戦いからは未だ一夜明けたばかりであり、また二課の調査だって非常に迅速なものだった筈。

 にも関わらず、二課以上の速さで監視カメラを抑え、そのデータを抹消した……。

 

 「あの、それって所謂ハッキング? ってやつですか?」

 

 響の問いに、弦十朗はまたも頭を振った。

 

 「カメラの中にはネットワークに接続されていない旧式も存在したんだ。しかし、それらさえ全て例外なく、な」

 

 突き付けられた更なる異常に、響は柄にもなく考え込んでしまう。

 それは翼やクリスらも同じだった。

 

 どうやったのだろうか。

 いつやったのだろうか。

 

 数々の疑問が浮かんでいく。

 

 しかし、ただ一つ。ある問いにだけは、全員が共通の予想を持っていた――響一人を除いて。

 

 「しかしまぁ、情報系の異常事態となれば、結局゛連中゛に行き着くか」

 

 クリスが憎々し気に吐き捨てる。

 

 「あぁ……昨夜の施設調査でのノイズ発生といい、思った以上に大きな何かなのかもしれんな、゛アレ゛は」

 

 弦十朗が忌々し気に言う。

 

 「掛かる危難は全て斬って払う覚悟ではありますが、どうやら聞きしに勝る曖昧模糊たる゛輩゛のようですね」

 

 翼が悩まし気に吐きだした。

 

 最後の問い、即ち“一体誰がやったのか”。

 三者一様に並べた言葉はその答え。

  憎々しく忌々しく悩ましい、“連中”か“アレ”か、はたまた“奴”か。

 

 正体不明の存在不肖。目下二課を煩わせる目の上のタンコブ、ともすれば心臓に巣食った癌。

 

 唯一分かっている“それ”の名前を、狙ってなのか偶然なのか、その場の三人がぴったりと重ねて口にした――――

 

 

 ――”バック・コーラス“――

 

 

 




※正直無駄に引っ張りすぎな自覚はあります。
※今回で”バック・コーラス”他諸々の説明してひと段落付けるつもりでした。しかし予想以上に上手くいかず、まだかなり時間と文章量が掛かりそうだったのでとりあえず一度キリのいいところまでを更新した次第です。主に自分のために。
※10月中に一度しか更新できなかったのはホントに情けない限りです……。


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”バックコーラスとは何か”

※前回までのあらすじ

①ルナアタック事変後、一人でノイズの討伐や各調査を行っていたクリスは、その中でガングニールを纏った響に酷似した”幻槍・シャドウガングニール”に遭遇する。

②響も合流しクリスと共に戦うが、シャドウは逃走。二人は報告のために臨時本部である風鳴弦十郎邸へと行き、そこで一夜を明かす。

③明朝、翼も合流。弦十郎から二課によるシャドウ追跡の報告を聞くも、監視カメラの映像などは全て痕跡を消されていた。クリス、翼、弦十郎の三人はその裏に今二課を悩ませている組織”バックコーラス”の存在を感じるが……?


「――――って、なんですかぁ?」

 

 コケっ、てな音を伴う空気が部屋を満たした気がした。内心で誰かがすっころんだ音か、はたまたその三人に入れなかった響が首を傾げた音かは定かでない。

 実際首を傾げていた響に、弦十郎が苦笑を見せた。

 

 「あー、そうだったな、響くんには伝えていないからな」 

 「えぇ!? わたしの知らないところでわたしの知らないことをなんてそんな水臭いことしてたんですか!? 師匠らしくもない!」

 「案ずるな立花、私も緒川さんから聞いて間もない」

 

 言った翼が肩に手を置けば、響の表情は一瞬で明るさを増す。そのまま翼と両手繋いでぶんぶん振るう姿に、弦十郎は苦笑を深めるばかり。

 

 「それなりの考えあっての処置だったんだが……いい加減話さないわけにもいかないな?」

 

 言葉は独り言のようながら、その目はクリスに向いていた。気が付いたのは受けたクリスのみで、表情に不満を滲ませながらも、好きにしろとばかりに一瞬小さく肩を上げて見せる。

 

 「それで師匠、実際のところ何なんですかその“ばっくおーらい”って?」

 「“バック・コーラス”だ、立花」

 

 変わらず翼の手をにぎにぎしながら響が問う。「しかし意外と小さな手だな」「そうですかー?」などという女の子なやり取りまでしている。

 

 「うむ、そうだな……響くん、君、“SNS”は利用する方か?」

 「“えす・えぬ・えす”? って、インターネットで色々呟いたりするアレですか? いやーわたしああいうの苦手で……」

 

 やっていたのは中学生の頃までだ。厳密には2年前の事件以降、自分が不特定他者から良い目で見られなくなってからはずっと触っていない。そんな冷たい過去を思い返しかけるも、今現在握っている翼の手の暖かさですぐに我に返った。同時に、話の繋がりにも気づく。

 

 「えっ、もしかして“バック・コーラス”ってそのSNSなんですか?」

 

 響の言葉に弦十郎が頷いた。

 

 「SNSと言っても、響くんの言うような広く多くの人間が利用するタイプのモノではない。もっと狭い範囲で、特定の話題についてのみ取り扱うようなものだ」

 「と、すると、やっぱりその“特定の話題”ってやつがヤバげな訳ですね。なんについてだろ、びっくりどっきり秘密兵器的な……?」

 「あー、立花? 考えるのはいいが、まず手をだな」

 

 手を顎へと、翼の手ごとに持って行きながらに考え込む。言ったセリフと取った動きと、何から何までバカっぽいが、本人的には全力で大真面目だ。

 しかしそうやって悩んでいるのは響のみで、やがてそのことに気づくと目をパチクリとやる。他の三人からの視線が、じっと響へと向けられていたのである。

 

 「えっと、なんかわたしが察し悪い感じですかね?」

 「立花、だから手――」

 「いや、そういうわけでもない。ただ、なんと言うべきか……」

 「よりにもよっての“当人”がそういう反応なのも笑えるな、っつーだけの話だよ」

 

 弦十朗が言い淀んだ二の句を、クリスが紡いだ。勝手にかなりの皮肉を加えつつ。

 

 聞いた響、まず一度目を瞬く。

 

 続いて二度目の瞬きで、まぶたを開くと共に眉が潜まる。

 

 そして三度目のが終わると同時に、その目が大きく広く見開かられた。

 

  「えっ、ちょっ!? ええぇぇーーーーっ!? わた、わた、わたしですかぁ!?」

 「きゃあ!? 立花!? 立ち上がるはいいがその前に手を離しなさ、待て立花走るな窓の外には誰にもいな、いない! いないから……立花ァっ!!」

 

 翼の悲鳴と響のそこ良しどこ良しと確認する声が部屋中を跳ね廻る。

 そして間もなく元の位置へと舞い戻り、弦十朗にビシリと敬礼を決めた。左手で。

 

 「だ、だ、だ、大丈夫です師匠! とりあえずこの部屋周囲は人影なしで安心です!!」

 「お、おう、そうか。ご苦労だった」

 「お前ホントに勢いとテンションで生きてんなぁ」

 「た、立花……ホントに手……」

 「あぁ!? ご、ごめんなさい!!」

 

 行き場不明のテンションは、響が受けたショックそのものであるとも言える。

 なのでそれを窘める意味も兼ねて、咳ばらいも挟まず弦十朗は早急に話を続けた。

 

 「とりあえず安心して欲しいんだが、゛バック・コーラス゛内でも君たち個人を特定する情報は確認されていない」

 「あっ、そうですか!? あぁそっかぁ……よかったぁ……」

 

 言って、その場でへたりこむ。

 この安堵、先の乱心。ふざけた奴だとクリスは思う。

 

 (でもまぁ、これ全部が馬鹿の持つ゛日常゛に対する想いの顕れでもあるんだろな)

 

 そんなことを、自分が話を聞いた時の淡泊さを思い返しながら考えた。

 

 (あいつは……どうかね?)

 

 そう頭を過ぎり、翼に意識を寄せる。

 しかしまぁ当たり前ながら、その様子から見えるのは暴走に付き合わされたことによる疲労のみ。その心は何も見えてこない。

 クリスは内心で小さく舌を打つ。

 

 (こいつのそういうところが、あたしと同じだってのは、ちょっとばかり都合が悪いが……)

 「さて……緒川さんからも聞きましたが、つまりバック・コーラスとは立花だけに限らず我々装者について取り扱うSNSということでよいのですね?」

 

 と、考えている内に早くも翼が復活していた。

 髪を掻き上げる表情は、汗を浮かばせながらも氷を思わせるほどに引き締まっている。

 あんな馬鹿に巻き込まれたものだから、仕切り直しの意味でより一層の真剣さを引き出してのけたのだろう。こんなところでも“剣”な女。クリスとしてはつまらなかった。

 

 「しかし叔父さま、二課に取っても情報戦は一つの本懐。インターネットの監視は常の生業であり、情報の統制も行われているはず。降って湧いた新鋭がのさばる道理もないのでは?」

 

 神妙な面持ちで尋ねる。剣の雰囲気から放つ言葉もまた格別の切れ味だった。

 

 元より二課の仕事はシンフォギアの運用のみではない。その存在の秘匿も併せて政府より仰せつかっている。

 人の口には戸を立てられないというが、二課の手腕に掛かれば戸どころか門から核シェルターまで設置に施錠も思い通りと言ってよい。

 いわんやインターネット上の情報強者(笑)など、赤子どころか胎児も同然。手を捻るどころか頭をねじ切ることさえ容易い。

 そんな情報猛者の集いたる二課をして全くの手出しが叶わない存在など、それこそ国家そのものか、はたまた魔法やら錬金術やらおとぎ話の住人ぐらいのものか。

 

 「翼の言う通りだ。ネット上で活動する連中であれば、二課に対応できない理由はない。これまで同様にな」

 

 真っ直ぐ射貫いてくる翼の問いかけを、弦十郎は腕を組んで真っ向から受け止める。

 剣たる翼に負けず劣らずに真剣な面持ちは、次に紡いでくるであろう言葉の重々しさを予感させられた。

 

 「だが、バック・コーラスは通常のネット上には存在しない。それが、俺たちが奴らに手を届かせられずにいる最大の理由だ」

 「通常のネット上に……存在、しない?」

 

 思わず自らの口で改めて唱える翼。しかしその意味を全く理解できなかった。

 元よりそういった知識には疎い方である。“インターネット”は知っていても、“通常のネット”だとか“そうでないネット”だとか、いまいちピンと来ない。

 翼が横目で見れば、どうやら響も同じらしい。頭に大きなハテナを浮かべている。

 そんな二人を見かねてか、クリスが捕捉の声を上げた。どうにも気ノリしない表情だったが

 

 「そんな難しく頭使うなよ。そこらのパソコンなんかで誰でも繋げるインターネットには転がってないってだけだ」

 「えーっと……クリスちゃん、つまり?」

 「あー、まぁずばり言えば “バック・コーラス”へのアクセスには専用の端末が必要ってこった」

 「専用の端末?」

 

 クリスと響とが教師と生徒をしている横で、翼は新たな疑問に首を捻った。

 

 「“バック・コーラス”はそこまで利用者の幅を狭められたものなのか?」

 

 “装者について取り扱うSNS”――“バック・コーラス”をそう理解してから、翼はその目的を装者やシンフォギアの情報収集であると想像していた。

 

 聖遺物の活用手段たる“櫻井理論”と共に、シンフォギアの存在自体は世界へと公表された。だがガングニールやアメノハバキリ、イチイバルといったシンフォギア個々の詳細な情報は未だ広く共有されてはいない。それを纏う装者については言わずともがな。

 そのため翼は、“シンフォギアについての目撃情報を収集するなどでどうにかその性能や用いられている聖遺物の詳細を捉えたい諸外国のどこかしら”という風にバック・コーラスの正体を想像していたのだが。

 

 「専用端末となれば、ただネット上でSNSを運営しているのとはわけが違うだろう? それでは広く多量な情報が集まらないように思うが」

 「まっ、普通はそう考えるわな」

 

 クリスが皮肉げな意味を浮かべる。翼はついムッして言葉を投げようとしたが、そこに弦十郎が割り込んだ。

 

 「クリスくん、悪いが話を進めておいてくれるか? 俺はあの映像を準備する」

 「げっ、朝っぱらからアレ見せんのかよ。」

 「“バック・コーラス”が如何に異常であるか、百の言葉を重ねるよりもアレを一度見せる方が早いだろう?」

 「まぁそうだけどなぁ……」

 

 二の句を告げなくなったクリスを余所に、弦十郎はいそいそと部屋の端にあるパソコンへと向かい、色々と配線を繋げ始めた。

 

 「アレってなに? どんな映画?」

 「映画じゃねぇよ。気持ちは分かるが」

 「そちらはじきに分かることだろう。それよりもだ、雪音」

 「うぉっ!?」

 

 ずいっ、と翼がクリスに顔を寄せた。不意打ちのあまり逃げる機を失って、クリスはその整った目鼻立ちを眼前で堪能するはめとなった……優秀な反射神経で避けれてしまった響はちょっと悔しがった。

 

 「先ほど叔父様が言った通り、話を続けてもらいたい。私の“普通ならそう考える”ようなこととは違う事実を、是非聞かせてほしい」

 「わかった! わかったからちょっと離れろ! トップアーティストが顔面の近距離安売りしてんじゃねぇ!」

 「うわぁ、これはキテますね。たまげたなあ」

 「勝手にたまげてんな! こいつの距離感がなんかおかしいんだよ一方的に!!」

 

 慌てて立ち上がりつつ、クリスは翼から距離を取る。テンパった頭を掻くも、首元まで広がった朱色は落ちてくれそうにない。

 

 「まぁ、あれだ。とにかくだ。通常のネットに存在しない云々についてとかは今おっさんが準備してるやつ見てからとして……」

 

 クリスはすっと翼を指さした。

 

 「お前が言った利用者の制限で情報が集まりにくくなるってやつだが、その辺“バック・コーラス”の連中は全く問題にしてやがらない」

 

 クリスの言葉に対し翼は目を細め、無言で続きを促す。

 

 「っつーのも連中は不特定多数なんかに頼ることなく“確実な情報源”ってやつを持ってやがるからだ」

 「“確実な情報源”ですって?」

 

 目は開かれ、無言でもいられなかった。

 シンフォギアについての“確実な情報源”。その言葉に翼が思い起こす言葉は一つだったからだ。

 つい先のルナアタックにおいても存在した、特異災害対策本部が組織である以上最も致命的で、考えたくはない最悪の可能性。

 戦慄のままに、その可能性が口を衝いて飛び出した。

 

 「まさか、櫻井女史に続き、他にも内通者――」

 「――ではないから、安心しろ」

 

 スコンっ、とずっこけ。

 言い終えられなかった言葉は、それと対照的に戦慄も何もないあっけらかんとしたクリスの言葉で強引に締めくくられたのであった。

 

 「……雪音、そういう余計な勘違いを狙う言い回しは品性を疑うぞ」

 「ドキっとしたろ? さっきのお返しだ」

 

 ケラケラ笑うクリスを、翼は先ほどとは違う意味で細めた目で睨めつける。

 そんな二人をさておいて、響は一人で考え込んでいた。

 翼の言うような内通者の存在など、響は端から想像していなかった。そのため頭に浮かべたのは、漠然と自らの正体を知る人々のことである。

 

 「うーん、師匠たち以外だと、まず未来でしょーそれから詩織ちゃんたちでしょー? でもってえーっと、あっ、最初に纏った時のあの子もそうか。元気にしてるかなー」

 

 指折りと共に人を数える度に、シンフォギアを纏ってからの思い出もまた想い起こされいく。

 その思い出が導くままに、もしかしたらあの時のあの人にもバレていたかも、などとカウントが増していった。

 辛かった戦いの日々であると同時に、この手で守れた命との日々。考えている内に、響の表情は明るさに増していく。

 

  その明るさが、途端に消えた。

 

 気づいたのだ。

 確実な情報源に成りえる存在。その内多くの者が当てはまる共通点。

 政府関係者でなくても、響や翼のことを知らなくても、“シンフォギア”について確実に知る者たちを。

 

 「あ、あの、クリスちゃん?」

 「あ? あーっと……」

 

 響の呼びかけに、クリスから軽薄な笑みが消える。響の声の引き攣りは、次に出る言葉を彼女へ知らせるに十分なものだったのだ。

 

 「もしかして、バック・コーラスの情報源って……“私たちがこれまで助けた人たち”だったりするの?」

 

 クリスは、否定の言葉を返さなかった。それだけで十分だった。

 

 聞き捨てならない言葉、見過ごせない反応、翼は焦り、捲し立てる。

 

 「なっ……いや、だが、目撃者には箝口令が敷かれている筈だ。無闇と口外するとは……」

 「例外っつー題目で誘われてんだよ。政府からの通達を偽ってな」

 

 上を見遣るように顎下に指を当てつつ、クリスは頭の中にある言葉を掘り起こしていく。

 

 「確か、秘匿義務に囚われず自由に経験や心情を吐露し、交流できる場を設けることで、ノイズ災害という未曽有の悲劇による心的負担を少しでも軽くなることを……うんぬんかんぬん」

 「あっ、そうか、なんで助かったのかとか周りに説明できないのって案外キツイもんね……」

 

 目を伏せ、小さい声で響が呟く。脳裏に浮かんだのは、かつてのライブ会場での悲劇と、シンフォギアを纏ってすぐの日々。

 訳の分からない事態に巻き込まれ、絶望的な状況を生き延びて、しかしその経験は内に秘めることしか許されない。

 周りには納得してもらえないことも多いだろう。それによってあらぬ誤解をうけることも、関係が壊れることだってある。

 響もまた、それらの悲劇をその身で知っていた。だから、バック・コーラスに参加した人々の心は痛いほどに分かった。

 

 「待て、立花。問題はそこではないだろう?」

 

 感傷に浸る響へと、翼の待ったが入る。そしてその勢いのまま続ける。

 

 「被災者らがそうと知らずにバック・コーラスに協力していることは分かった。だが、バック・コーラスが彼らへと端末を送付できるということは……」

 「奴らがある程度シンフォギアの動きを把握してるか、あるいはこっちが口止めしてる目撃者の情報を握ってるか、だな。言ったろ、狙い撃ちだって」

 

そう言って、指鉄砲で翼に狙いをつけるクリス。その銃身……つまりは人差し指を握って、翼がクリスを睨み言った。

 

 「解せない。なぜ二課が、政府が、それを許している。把握している全ての目撃者にコンタクトを取り、可能な限り端末を回収すべきなのではないのか」

 「あたしに言うなよ。まぁ少しは対応もしてるんだろうが、さっき馬鹿が言ったような不満を解決できるメリットもある。事実を広めなけりゃ情報漏洩も黙ってられるし、こーいうのがウィンウィンってやつなのかね?」

 

 掴まれた指を引き抜き、その手で作るのは二本指を立てたVサイン。誰の勝利を称えたものかは、今は分からない。

 実際、シンフォギアの存在自体は既に全世界に開示されてしまっている。

 弦十郎の言う限り、装者の正体というトップシークレットは幸いにも把握されていないようでもある。政府自らが弱みを曝け出せるには、未だ状況は足りないらしい。

 それはつまり端的に言えば、“状況を甘く見ている”ということに他ならないのだが。

 

 「よし、準備出来たぞ」

 

 と、弦十朗の声に全員がそちらへと振り向いた。

 いつの間にか、天井から壁際に沿うようにしてスクリーンが降りてきている。その側で弦十朗がパソコンを操作していた。

 

 「師匠、電気消します?」

 「いや、今回のは映画じゃないし大丈夫だぞ」

 

 弟子が持つ自身へのイメージに我ながら呆れつつ、すぐに切り替えクリスたちへと向き直る。

 

 「さて……今から流すのは、バック・コーラスへのアクセスに用いる専用端末を分解検証した際の記録映像だ」

 「入手は出来ていたのですね」

 「ああ。数は少ないが、送られてきた内容に疑問を感じた者もいてくれてな。彼らから回収できたんだ」

 

  言いながら、弦十郎が一層強くパソコンのキーを叩く。するとスクリーンに映像が映し出された。

 

○ 

 

 防護服に身を包んだ研究員が、様々な器具の並べられた実験台の前に立っている。そして器具の中心には、件の端末が置かれていた。見た目は一般に流通しているものと違いはない。

 

 映像の中の研究員が器具を用いて端末の固定具を解いていく。どうやらまず端末を“開く”ことから始めるらしい。

 研究員は瞬く間に全ての固定具を外し終わると、端末を持ち上げ、蓋を取るよう端末を前後に開く――その瞬間だった。

 

 端末が開き切る前にその中から大量の“水”が溢れ出した。

 

 水は研究者の手の中を瞬く間に満たし、実験台へ零れ落ちる。使っていない器具が流され床に落ち、雑多な金属音が鼓膜を乱す。

 

 予想外の事態に研究員も動揺したのだろう。水から逃れるように、端末から手を引っ込めてしまった。

 端末は実験台へと落ちて、大きな水音を上げた。それに掻き消されたかのように、金属音も止んで、全ての音が消えた。

 

 研究員も立ちすくむばかりで、動くものもなく、さながら時間が停まってしまったかのようである。

 

 

 ただ一つ、端末の中で脈打つ肉片を除いては。

 

 

 ピンクがかった白い色。つるっとした表面。小刻みに震え続ける。

 落とした拍子に外れた端末より覗くその肉片を映しながら、映像は停止した。

 

 ○

 

 

 しばらく、誰も動かなかった。

 ややあって、コツンと鳴った小さな音でようやく現実の時間が動き始めた。正確には盛大に跳ねた翼と響の肩で突き動かされた形だが。

 

 「よう、おかえりさん」

 「た、ただい……只今見せて頂いた映像は一体なんなのでござるのでしょうか!?」

 「落ち着けバカ、隣の奴みたいな喋りになってんぞ」

 「わ、私はござるなどと言った覚えはない!!」

 

 クリスの並べた冷やかす言葉で、翼もクリスも良い具合に麻痺した頭を冷やせたらしい。先ほどの音も、クリスが机を軽く小突いた音である。一仕事終えたクリスは言わんこっちゃねぇだろうがとばかりの視線を弦十郎に飛ばした。

 しかし弦十郎の方にとって、映像への反応は既に覚悟していたものだった。故に、渋い顔で更に異常な言葉を口にした。

 

 「悪いが、まだ話は終わらん」

 「ええ、これ以上何が……」

 「映像にあった肉片――人の脳と同質のものであることが、検査の結果判明した」

 「ヒっ!?」

 

 更なる事実に動揺が走る。それでも、弦十郎はつらつらと続けていく。

 

 「先ほど話の中で、バック・コーラスは通常のネットに存在しないといったな」

 「は、はい、言いましたけど」

 「通常のネットではない、バック・コーラスが存在するネットだが、おそらくこの肉片によって形成されている」

 「は!? はぁっ!?」

 「肉片から強い脳波のようなものが発せられることが分かったんだ。それにより他の端末間で独自のネットワークを形成し、そこでバック・コーラスを運営していると思われる」

 「い、いやいやいやいや! 師匠!? まっ、ちょ、ちょっと一回待ってください!」

 

 怒涛の新情報、それも妙にえぐくて、目の前がチカチカする。

 

 響の悲鳴の通りに、弦十郎は言葉を途切らせてくれた。

 しかし止めた響は、言葉を発さない。発すべき言葉がまるで思い浮かばない。

 口元に手を当てていたかと思えば、その手が額に移って、次の間には両手で頭を抱え出す。言葉にならないあーだかうーだかのうわごとを垂れ流して。

 

 「あ、あ、あ、有り得ない! と、思うんですけど! さすがにちょっと!」

 

 うわごとがようやく成した形は、同じぐらいに意味のない戯言だった。

 

 「ひ、人の脳がどうとか! 脳波がとんでビュンビュビューンとか!? 常識をちょっと離れて小旅行ってレベルじゃないですよ!?」

 「……落ち着け、立花」

 

 翼に背を叩かれて、響の肩が跳ねあがる。叩いた手で、そのまま手なずけるように撫でられて、少しずつだが混乱を落ち着かせていった。

 

 「“司令”、立花ほどの言い方は控えますが、些か突飛な推測に過ぎるように思います。何か別に根拠があるものとお見受けいたしますが……?」

 

 “司令”と、使い慣れない呼び名を翼が口にする。特異災害対策本部二課を纏め上げる者への強い問いかけ。

 響のように取り乱すのが当然の状況において、それでも沈黙を守った果てに出た翼の言葉である。これまでの事実確認とは重さが違った。弦十郎もまたこれまで以上に力強い頷きで応える。

 

 「無論、根拠はある。映像にもあったあの液体だ」

 

 パソコンを再度捜査して、映像を端末が開いた瞬間まで巻き戻す。

 端末からあふれ出した、無色透明の液体。響は思わず身体を引いた。

 

 「この液体についてもサンプルを回収、分析を行った。その結果、ガングニールやアメノハバキリに近いものが見つかった」

 「……つまり、あの液体は、液状化した聖遺物であると?」

 

 驚きに身を震わせつつも、翼はあえて平時と変わらぬ調子の言葉で尋ねた。防人として、いつまでもただ驚愕に身を任せるわけにはいかなかった。

 

 「いや、液状化したのではなく、もとから液状の聖遺物だろう。というのも……」

 「データがあったんだとよ。あのくそったれフィーネが遺した記録にな」

 「了子さんの!?」

 

 クリスの吐き捨てた言葉を、響は前のめりになって受け止めた。

 

 フィーネこと櫻井了子――どちらが真の名であるかはもはや定かではないが――の研究データといえば、世に広く公開された櫻井理論が記憶に新しい。だが彼女が行っていた研究がそれだけの筈もない。

 彼女亡き後、二課の類稀なる調査能力によって、彼女が“次”に向けて遺したと思われる研究データは幾つも発見されている。だが、その殆どが解読不明なまでに暗号化されているなでで、半ばブラックボックスと化していた。

 

 

 「ああ、比較的簡単に解析できたデータの中に、あの液体についてと思しき記述があったんだ」

 「そうですか。了子さんが、遺してくれていた……」

 「“遺してくれていた”、ね。あのフィーネがそんな殊勝な真似――」

 「してくれてるよ! 了子さんなら!」

 「お、おぉ、そう、か」

 

 輝く目に断言し返されて、クリスは己の曖昧な言葉を飲みこまざるを得なかった……フィーネとの付き合いはクリスの方が長い筈だが、曖昧な言葉以外を吐くことも出来なかった。

 

 「して司令、櫻井女史のデータにあった聖遺物とは?」

 「ああ、それがこのデータにある――」

 

 言いながら弦十郎がパソコンを操作し、一つのデータを開くと、画面上に一つのレポートのようなものが映った。

 びっしりと並ぶ文字列は、響はもちろん翼にも何が何やらさっぱりわからない。分かったことは精々一つ。文字の傍らにある画像が、どうやら流れる川の絵であることぐらい。

 

 「――“ムネモシュネの水”だ」

 

 “ムモシュネ”。聞きなれない言葉に、響と翼は顔を見合わせた。すかさず弦十郎が解説を挟む。

 

 「”ムネモシュネ“というのは、ギリシャ神話に伝えられる女神であり、記憶を司っている」

 「記憶……」

 「“ムモシュネ”という名を持つ川もある。黄泉の国にある川で、その水を飲むとあらゆる記憶を忘れなくなり、全ての真理を見抜く全知の力を身に着けられるという」

 「また記憶。となれば司令、聖遺物である“ムモシュネの水”にも記憶に関する力があるのですか?」

 

 口調は疑問だが、確認の意味で問われていた。言った翼も周りの皆も、神話などの伝承がただの夢物語でないことは以前の戦いでよく分かっていた。

 あれらは間違いなく歴史なのだ。聖遺物と、それを生み出した超上的な何か……フィーネが言うところの゛あのお方゛達の。

 

 「間違ってはいないが、記憶に関すると言うと少し語弊がある。正しくは記憶を含むあらゆる情報に関する力だ」

 「情報?」

 「ああ、了子くんのデータでは゛ムネモシュネの水゛には情報を溶かし込むことが出来るらしい」

 「うっ、また難しい感じの話がぁ」

 

 響が頭を抱えた。しかし、そこは百戦錬磨の司令官たる弦十朗、そうなることなど織り込み済みだった。

 

 「分かりやすく言うとだ、響くん」

 「はい?」

 「暗記パンって知ってるか?」

 

 酷い話題の落差だった。翼はむせた。

 一方クリスは見るからに分かっていない表情。

 

 「何だその、いまいち胡散臭い名前のパンは」

 「えぇっ!? クリスちゃん、ドラ○もん知らないの!?」

 「溺死体(ドザえもん)がどうした」

 

 どうやら余計な疑問が一人分増えてしまったらしい。とはいえ肝心の響には話が通じているようだから、弦十朗は話を続けた。……頭の片隅で、どの劇場版のDVDを貸し付けてやろうかと考えながら。

 

 「あれはパンの表面に数式などを書いて食べることで、その内容を完璧に記憶することが出来るだろう?」

 「はい……あっ! ムネモシュネの水もおんなじで、テストの答案を溶かして飲んだら忘れなくなるってことですね!」

 「情報を取り込ませる方法については不明だが、概ねそんなところだ。しかし、どうやらそれだけではない」

 

弦十朗は声を落としながら続けた。自らも改めるその意味を解釈しなおすように、ゆっくりと。

 

「ムネモシュネの水を介して取り込ませた情報は、どうやら取り込んだモノの性質にも影響を与えるらしい」

 

 すぐに意味は分からなかった。翼も、響も。

 しかし、二人とも勘は良い。聞いてきた情報を頭の中で掻き混ぜれば、すぐに形となった。

 

 「つまり、こう、鳥の情報なんかを水に混ぜてぐいっとやれば、私の背中からも羽がばさっと生えてきて……」

 「そして、同じように情報さえあれば、決して生命活動を絶やさず念波でネットワークを形成する脳のカケラさえ、創り出せるということか」

 

 翼の出した答えに、響はハッと顔を向ける。彼女の頭ではそこまで想像が及ばなかったが、つまりはそういうことだった。

 “ムネモシュネの水”。全知故に万能の聖遺物を用いれば、出来ないことなどきっとない。

 そして今、その力が自分達(そうしゃ)の情報収集に全力を傾けられている。それも何も知らない人々の感情を利用する方法で。

 

 「……バック・コーラスの人たちは、一体なにがしたいんでしょうか」

 

 響は自分の背に改めて冷たいものが這うのを感じた。

 

 ノイズの討伐を始めとして、今や響の生の半分以上は非日常の中にあると言ってよい。

 だが、それでもあくまで“非”日常なのだと、響は思っている。

 学校に通って、みんなで過ごす日常――暖かい陽だまり。そちらこそが響にとっての帰るべき場所なのだ。翼もきっとそうだろう。

 

 バック・コーラスの明確な目的は分からない。しかし、聖遺物まで用いての異常な情報収集の果てには、日常の崩壊が想像されてならなかった。

 

 冷たい想像に冷えた頭に、温かい手が乗せられた。

 

 「あいたっ! いたたたたたた!?」

 

 手が伸びてきた方を見る前に、その手にぐっと力が加わり痛みが走る。

 それだけで誰の手かすぐにわかった。

 

「バカのくせにバカな想像しなくていいんだよ、このバーカ」

 

 クリスの嘲るような笑いが、響の耳を刺した。

 




※「ベネット!? 失踪したんじゃ……」
※ぼく「残念だったな。遅筆だよ、ただの。」
※本当に残念。


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雪音クリスと風鳴翼と、生きる場所

※前回までのあらすじ
①謎の組織”バックコーラス”の調査をしていたクリスは、その中で響に酷似した何故の敵”幻槍・シャドウガングニール”に遭遇。響と共にこれを撃退する。

②シャドウについて報告し、風鳴弦十郎の邸宅で一夜を明かしたクリスたち。明朝の食事にて翼とも合流するが、クリスは何故か翼を避けたがっているようで?

③食事の席にてシャドウ襲撃の顛末を報告する中で、バックコーラスとの関係が指摘される。バックコーラスが、シンフォギア装者の情報をノイズ災害の被災者間で共有・伝播させるSNS運営組織であることを知った響は、自身の日常が侵されかねない現実に身震いする。そんな彼女に声を掛けたのは、日常を持たないクリスであった……



 「――ク、クリスちゃん? っむぐ」

 「さてせっかくだ。ここは一つバカにも分かるように教えてやろうか」

 

 頭に置いていた手が滑るように両頬を挟んで、響の不安な言葉を押しつぶしてしまう。そのまま響の顔を自分のほうへと向けさせて、クリスは言った。

 

 「聖遺物を使ってまでのバック・コーラスの暗躍、かなりデカい山だよな? それなのに、事ここに到るまでお前らは知らずにいれたわけだ」

 「いやでもノイズが出てないなら……」

 「事ここに到ったから仕方なく言っとくが、ノイズも出てんだ。それも連中の尻尾に手を伸ばしたタイミングでな」

 

 思いもしなかった事実に、響は言葉も出なかった。そんな彼女に変わって、翼が弦十郎を睨む。

 

 「クリスくんの言う通りだ。端末の流通ルートなどから、バック・コーラスの関係者と思しき人物の捜査を行い、その過程で何度かノイズに遭遇していた……隠すような形になってすまない」

 「謝る必要なんてないだろ、おっさん。バック・コーラスがこっちの手の内を知りたがってやがる以上、見せる手札は少ないほうがいいに決まってる。加えて、だ」

 

 薄く笑って、クリスは続けた。

 

 「見られたところで痛手にもならないカードがあるんなら、そいつから切っていくのが最善手ってもんだろう?」

 「そのカードって……」

 「そう、このアタシだ」

 

 腕を組み言うクリスからは、誇りさえ感じられた。浮かべた笑みも自慢気である。

 

 「アタシはお前らと違って、学校だのアーティストだのと身元が割れたところで痛む腹もないからな。今回の一件に関しちゃ、これ以上ない適任だったわけだ」

 

 指揮をとるかのように指をくるくる振りながら、クリスの饒舌が振るわれ続ける。

 

 「そういうわけだから、これから先もアタシ様に任せて、お前らは大事な日常ってやつを謳歌しとけばいいんだよ」

 「えっ、そんなの駄目だよ! クリスちゃん一人にそんな――」

 「お前がゆーっくりお勉強に専心できたのは誰のおかげだ?」

 「そ、それとこれは話が別でしょ!?」

 「分けて考えるほどに別でもねぇよ」

 

 突きつけられた指と言葉に痛いところを抉られて、響の勢いは一瞬で萎び果てていった。その隙に、クリスは自らの言葉を更に並べ立てていく。

 

 「お前らそんな難しく考えんなって。せっかくの専属装者だぞ? 使えるもんは使えばいいのさ。いわゆるアレだ、゛適材適所゛ってやつだ」

 

 突如として積み上げられだした言葉の勢いは怒涛で、反論を許さない強さがあった。

 それでも、その場にいた誰もが黙って聞くままではいられない言葉でもあった。

 

 「ちょ、ちょっとクリスちゃん?」

 「おい、クリスくん」

 

 一人の少女は友達として、一人の男は大人して、クリスへの反論、説教に口を開こうとする。

 

 「゛適材適所゛、などと言ったか?」

 

それらを制し、響く、小さくも強い声があった。

 先のクリスに負けないほどの強さを持った声が。

 

 風鳴 翼。

 

 彼女の問いが、辺りを一瞬にして支配した。

 凛と張った空気が、部屋の隅まで行き渡る。

 

 「……言ったさ。何か違ったか?」

 「ああ、大いに」

 

 翼がぶつけてきた言葉に、クリスの対応は刺々しい。その刺は、明らかに翼が近付くことを拒んでいる。

 

 「雪音、剣と弓とを交わした仲だ、お前の力が優れていることは認める。お前が装者として゛適材゛と言えるのは事実だ」

 「お褒めに預かりどーも。だったら……」

 「しかし、だ」

 

 クリスを真っすぐ見つめる翼の目が鋭さを増す。その視線を、クリスはジロリと流した横目で受け止める。

 

 「お前が身を置こうとしているそこが、お前にとって唯一の゛適所゛だなどとは、決して言わせはしないぞ、雪音」

 

 低い声で、ゆっくりと並べられた言葉は、部屋に重く響いていった。

 対し、クリスは小さく速い舌打ちをした。その酷く軽い音にぶつかって、翼の言葉の重さもすぐ消えた。

 

 「……言わせてくれよ、めんどくせぇ」

 「いいや、絶対に認めん」

 「あーあーうるっせぇなぁもう。アタシ様自身がいいつってんのに、許さんお前は何様だよ?」

 「お前の考えが変わるまでは、何様にでもなって見せよう。それに、この気持ちは私一人だけのものではないと思っている」

 「そうだよクリスちゃん!」

 

 ぴょこんと手を挙げ、響もまた主張する。緊迫の熱視線に挟まれていながら、不憫さを感じさせない元気さである。

 

 「誰も、みんなみーんな! クリスちゃん一人に背負わせようなんて思ってないよ! ご飯がどうして美味しいか知ってる? みんなが一緒にいるからさ!」

 

 自分で言った内容に、その通り!と拳を突き上げる響。とにかく元気一杯で、強さ云々とは別の次元にいる響であった。

 

 「そういうことだ、クリスくん」

 

 弦十朗の顔付きは、厳格な司令官からその中に優しさを宿す子供らの師匠としてのものへと変わっていた。

 響や翼の真っすぐな言葉に、彼も当てられたらしい。

 

 「クリスくん、確かに君の力を俺達は頼りにしている。だが、俺達が君に頼る分だけ、君にも俺達を頼って欲しいと思っている。誰かを守る使命に一所懸命となれるのは素晴らしいことだ」

 

 だが、と一度言葉を切ってから続けたのは、優しく、切実で、父が娘へと向けたかのような想いの吐露。

 

 「そのために君自身が犠牲になることは、決してあってはならないことなんだ。そのことは、どうか分かって欲しい」

 

 連ねられた皆の胸中はどれも真剣で、どれも暖かい。

 この暖かさを、クリスは知っていた。魔弓を握るばかりで冷え切っていた自らの手を、優しく包んだ暖かさ。

 これこそがかつてクリスを地獄から救い上げたもので、今もまた、どうにか救わんと手を尽くしている。

 

 「あぁ……そうだな、ありがとよ」

 

 頷くクリス。聞いた話も、言った礼も、なんだか照れくさくて、鼻先をちょいと掻いた。

 響たちの想いは、クリスへと確かに通じた――だからこそ、彼女は感じていた。

 

 (……本当に、ありがてぇが……今はもう十分だな。こういうのは)

 

 そう。これは、かつて救われた暖かさだ。

 雪音クリスは、とうの昔に救われているのだ。

 温もりを受けるまでもなく、この手はもはや消えることのない熱を帯びている。与えられたほとぼりと、伸ばした指先にある夢の熱さで。

 

 だから言ってはなんだが――今の雪音クリスとって本当に必要なものとは思えなかった。

 

 一人で背負うだとか、使命だとか、そんな考えクリスの頭にはない。

 あるのはただ一つ、やっと見つけた自分の夢――かつて両親が抱いた“歌で世界に平和を”という願い――を、この手で果たす決意のみ。

 それこそが今のクリスにとって一番の望みで、そのためにシンフォギアを纏って戦うことこそ、クリスが今一番やりたいことなのは紛れもない本心だった。

 

 一人で戦おうというのは、それに基づいた合理的な判断のつもりだった。

 帰る場所を他に持つ響や翼より、シンフォギアでの戦いを最優先できるクリスが積極的に出撃するのは、悪くない手の筈だ。バック・コーラスという帰る場所を蝕もうとする不届き者が相手の今においてはなおのこと。

 

 とにかく戦場こそが自身の“適所”であるというのは、クリスにとっては本望なのだ。

 

 だが、それを断じて認めない女が一人いる。

 

 「雪音」

 

 翼の呼びかけが、クリスの鼓膜に今一度突き刺さった。

 

 フィーネとの戦い以降もう何度目かもわからないぐらいに聞いた呼びかけだった。

 

 響と弦十郎が醸した真剣な雰囲気は、クリスが照れくさそうな表情を見せたおかげでぬるまっていた。だが、彼女の声だけは切れ味を落としていない。

 

 それだけで、もう分かった。

 ああ、またあの話が来るなと。

 

 「今の伯父様たちの言葉を受けいれたのなら、あの話も――」

 「断る。それとこれとは話が別だ」

 

 即座に切って捨てるクリス。だが、すぐにその判断を悔いた。剣士である彼女相手に切り結ぶのは相手が悪い。自分から間合いに入るなどと、あまりに悪手でしかない。

 

 「分けて考えるほどに別の話でもないだろう?」

 「あ“ぁ?」

 

 ついさっき自分が吐いたのと同じ言葉を投げつけられて、クリスはギロリと睨み返した。

 分かりやすい挑発に思えたが、言った本人にその意図はなかったらしい。驚いた表情で――少しだけ、嬉しそうでもあった。何故だか。

 

 「どうした、雪音。悪い話ではないと思うのだが」

 「大いに悪いと言い続けて何日だ!? いい加減しつこいんだよお前も!」

 「しかしな……」

 「しかしも案山子も――ああ、クソっ! だからお前と会うのなんて嫌だってのに!!」

 「そういうな、雪音」

 「うわあぁ!? 近寄るな!? 距離感考えろ!? 間に馬鹿がいることを忘れるなよ!?」

 

 適当に流して終わりにするつもりだったのに、気づけば相手取ってバカ騒ぎの片棒を担がされている。蟻地獄のような展開である。

 そんな地獄に居るクリスに、響は困惑のまま問いかけた。

 

 「えーっと、二人とも何の話で盛り上がってるのかな、これ」

 「い、いや、お前には関係ねぇって!」

 「え~、この状況でそれは無理だよねー?」

 

 自分を挟んで唐突に空騒がれて、あげくバカの壁扱いを受けたのだから当然の知る権利だった。

 クリスが答えあぐねていると、翼の表情に光が差した。悪戯っ子が天啓を得たかのような輝き方だった。人が人なら差したのは光というより魔と気づく。

 

 「立花」

 「はい?」

 「あっ……! いや待て! だからそいつには関係が……っ!!」

 

 クリスはすぐその意図に気づき、更にそれによる起こる面倒を察し慌てるが遅い。すぐに口火は灯された。

 

 「雪音と一緒に学校に通いたい……などと思ったことは無いか?」

 

間はなかった。すぐだった。

着火された微笑み爆弾は瞬時に輝き大爆発。

 

 「へっ――ぇぇぇええええええ!? クリスちゃんリディアン通うのぉっ!?」

 

 笑顔と目の奥とをそれはもうキラッキラに輝かせ、クリスにずずいっと近づいた。それはもうそのまま抱きしめんばかりの勢いで。

 眼前で起こった夜も白む爆発に、クリスの意識も白くなる。しかし目の奥より溢れてきた真っ赤な怒りがそれをどうにか押しのけた。

 

 「こっ! のっっ! ばっか!! アホ!! 入るか!! 誰が!! 話の流れでだいたい分かんだろうがこのスカタぁン!!」

 「えぇ!? 何で!? 行こうよ一緒に!! 絶対に楽しいって!!」

 「っ!! っ!! ――――っ!!!」

 

 響のポジティブ全開攻撃に、クリスの怒りパワーじゃどうも相性が悪いらしい。全く勢いが衰えてくれない。

 ギロリと、言葉に出来ない憤怒を目に込めて、その矛先を翼へと変えた。

 しかし事あるごとにクリスを構ってきた翼はここに来て気づかない振りで。困った顔の頬に手を添え、響にこれまでの経緯を語って見せる。

 

 「私も何度も誘いを掛けてきたんだ。“リディアン音楽院に通ってみないか”と。しかし取り付く島がないどころか、こちらを轟沈させようと魚雷を持ちだすような有様で……」

 

 およよ……という音が背後に浮かんできそう弱まりっぷり――つまりはわざとらしい。

 これには本調子なら“さすがのトップアーティストも女優は無理だな”と鼻で笑ってのけるであろうクリスだが、今そんな余裕はない。

 

 「ふぅむ、そんな話を進めていたとは、初耳だぞ翼」

 「すみません、叔父様。もう少し話が纏まってから報告するつもりでしたので」

 「そうだおっさん! 有りえねぇよなこんな話!?」

 

 神妙な顔つきの弦十郎に、自分を囲みつつある埒をこじ開ける可能性を見たクリスは、慌ててそちらに手を伸ばす。

 

 「アタシの存在なんともう殆ど幽霊みたいなもんだし? 戸籍だなんだと、今更ガッコ―通うとなればあれやこれやの面倒が……」

 「いや、その点は問題ない」

 「へっ」

 「二課の情報操作能力は基よりその程度は容易いさ。それに、リディアンの運営には二課も大いに関わっているからな。融通は利く」

 

 言って、弦十郎はにやりと笑った。

 

 「だからクリスくん。君がリディアンに通うのは俺も大賛成だ。いつでも全力でバックアップするから安心してくれ」

 「い、いや、安心って……気ぃ遣ってるとかでは……」

 

 全く頼もしい申し出だった。全くありがたくないことに。

 当てが外れたどころか、一周してきて背中から撃たれた状況である。そのまま倒れ込みたい気持ちだったが、しかしクリスとしてはここで言葉を無くしている訳にはいられなかった。

 このままなし崩しで入学決定など、断じて認めるわけには行かない。

 面倒だからとか、そういう理由でこの申し出の拒んでいるわけではない。

 

 クリスは、学校に行きたくないのではない。戦場に居たいのだ。

 

 「ほらクリスちゃん、師匠のお墨もついちゃって、こりゃもうリディアン来るしかないでしょ!? 学校楽しいよ? 学食とか調理実習とか帰り道での買い食いとか!」

 「お前の学生生活は食べる以外ないのか立花よ」

 「なんにしろ行く気はねぇんだがな!?」

 

 

 しかしその想いは届いていないらしい。特に響には。

 エンジンは限界超えて熱くなり、ブレーキをつけ忘れた暴走機関車の如し。お題目じみた“たのしいがっこう”トークをクリスへと語り上げてゆく。持ち前の明るさを遺憾なく発揮して、誰かさんが映画の名シーンについて解説するぐらいの勢い。

 

 もう、きっと誰にも止められない――

 「それだけじゃないよっ! 友達も出来るし! 色んな行事もあるし! まぁ勉強は? ちょっと大変で、試験……なん、か、も――――」

 

 ――そのはずだった。

 

 だが、止まった。途端に。血の気も失せて。

 

 きょろきょろと、何かを探して辺りを見回し始める。

 

 しかし見つからなかったらしい。ショックのあまりか、右手で額を覆った。その手も、小刻みに震えている。頭の内に沸いた悩み、その重さが耐えがたいかのように。

 

 「お、おい、なんだよ急に? 落ち着くのはありがてたいがそこまで急だと流石に不気味……」

 「し、し、師匠! あの、ちょっと!」

 「ン、どうした響くん」

 「えっと、その…………今、何時ですか?」

 「時間か? えっとだな」

 

 ありきたりな質問だった。それまでの深刻さの果てに出たにはあまりにも。

 だから問われた弦十郎も、ついありきたりに答えてしまった……その答えがもたらす結果も知らずに。

 

 「む、もう10時前か。思いのほか話し込み過ぎて……」

 「10――っっ!!? えっ、うそ、そんな、ちょっちょっちょっちょっぉぉぉぉ―――ぐえぇあっ!!?」

 「立花ぁっ!?」

 

 一瞬で立ち上がりその場でジャンプ。

 方向変えて出口へダッシュ。

 次の刹那にずっこけ畳へダイブ。

 

 すべてが一拍の間の出来事であった。その俊敏性、さすがはガングニールの装者である。全ての動きが無駄の塊だったが。

 

 「おうおうどうした。遂にバカ拗らせたかお前」

 

 辛辣な言葉を投げるクリスだが、響の奇行で話の流れが変わったおかげで上機嫌だった……決して響の無様に愉悦を覚えたからではない。いかに先程まで自分を追いつめてきてた相手とはいえ、ないったらない。

 

 「や、やばい! やばいです! ホント! まじでまじのまじに! ホントやばいんですってぇ――――っ!!」

 「おちつけ響くん! 君の言語能力の方が危ういぞ!?」

 「元からこんなだった気もするし案外余裕あるんじゃねーのコイツ」

 

 しばらくもがき、慌てて立ち、そのまま再び猛ダッシュ。

 走りながら響は叫んだ。

 理解できていないクリスらへの説明か、それとも追い詰められて至った狂気の沙汰か、己が陥った絶望を声高らかに叫び上げる。

 

 「今日追試の当日でぇ!! 開始10時からでぇ!! このままじゃ留年がががが、がっだぁっ!?」

 

 ドカンと一発大きな衝撃が部屋を揺らす。

 焦りに満ちた脳みそは、扉は開けて通るものということさえ忘れさせていたらしい。風鳴邸の丈夫な扉は、馬鹿一人弾き飛ばす程度訳もなかった。

 一方激突した響、何が起こったか分かっていない様子。仰向けに倒れ、そのまま天井を仰ぐ。

 少し間があって、自嘲気味な呟きを響かせた。

 

 「ふふ、勝手にしてよもう……やんぬるかな」

 「メロスかお前は」

 

 どうやら現代国語の予習はバッチリらしい。

 

 「よし、元はと言えば響くんに出動要請を出した俺の責任だ。ここは一肌脱がせてもらおう」

 

 その努力を無に帰することを惜しくおもったか、弦十郎が声を上げた。懐から携帯端末を取り出す。

 

 「ふふふのふ……もういーんですよししょー。立花響はダブります。素直に未来を先輩と仰ぎます。ちょっとお姉さんぶった未来に手取り足取り教えてもらって……あれこれは真面目にアリな気がし」

 「なーに心配は要らんさ。まぁ、残りを片付けながら少し待っててくれ」

 

 頼もしい言葉を残して、大人は部屋を出て行った。なんとも大きな背中であった。

 

 残された三人は互いに顔を見合わせる。やがて全員の視線は、自然とテーブルの上へと注がれた。

 ここまで濃密な話を続けながらも何だかんだで食事はつついていたので、皿に残すのはあと僅かになっている。

 

 「とりあえず、言われた通りこれ片しちまうか」

 「はぁ、これが留年を知らずに食べられる最後の食事かぁ」

 「案ずるな立花。叔父様を信じろ」

 「でもホント時間キツイですし、車じゃどれだけ急いでも……」

 

 昨晩戦った場所からここに来るまでの時間を思い出す。道中で病院にも寄っているので正確なところは分からないが、それでも車では無理なことは分かる。

 では一体どうするのだろう。少なくとも、車よりも速いものでなくてはならない……。

 

 そこまで考えて、一つ、浮きあがる想像があった。それも三人全員全く同じ想像が。

 それは全く以て非現実的で、口にするのさえ憚れる。

 そんなことだから、それを実際に言葉としたのは響ただ一人だけだった。

 

  「あー! もしかして、師匠が私を背負って、学校まで全力疾走!! とか、そう、いう、の……」

 

 おどけて言って、しかしすぐ勢いが失せる。

 冗談めかすにはあまりにも嘘くさく、なのに有り得てしまいそうで、つまるところ“洒落にならない”。

 特に響にとって、もし有り得てしまえば、その背中に乗るのは自分なのだから。

 

 「いや、それはないだろうな」

 

 そんな不安を、翼が斬った。

 あまりに頼れる解答乱麻に、自然とクリスらから笑いが漏れる。酷く渇いた笑い声。

 

 「そ、そうですよね! はは、あはは!」

 「まぁそりゃなぁ!? ありえねぇって!」

 「ああ、叔父様が町中でそんなことをしてみろ。まず死人が出る。だからない」

 「えぇ……」

 「…………そういう話じゃねぇだろ」

 

 本当に、洒落にならなかった。

 

 ○

 

 「はぁーはっはっはっはぁぁーーっ! お待たせしました皆さまぁ―――っ!!」

 

 風鳴邸の広いお庭にて、爆音とそれ以上の高笑いとがクリスらを出迎えた。

 

 あの後間もなく、ちょうど食事の残りをやっつけ終えた頃、三人は弦十郎に呼ばれて外に出た。

 そうして目に飛び込んできたのは、地面ギリギリの宙に浮き、プロペラを絶え間なく動かす金属の塊――ヘリコプターであった。

 それもいつも出撃に使っているのと同じもので、高笑っているハイテンションな運転手(バカ)もまた同じ人。

 

 「あっ! ええっーと……そうだ! いっつも任務の現場まで送ってくれる人!!」

 「はははっ! その通りだ立花ちゃん! 毎度お世話になっております!」

 「あーやっべ、あいつのこと完全に忘れてた」

 

 響へ陽気な言葉を返す運転手を見て、クリスの表情が引きつった。

 今ヘリコプターを運転しているのは、昨晩クリスが共に行動していたのと同じ人物である。だが、シャドウ・ガングニールとの戦いが始まる前に巻き込まないよう脇へとやってから、完全に存在を忘れてここまできてしまっていた。

 

 「はーはっはっは!! お気になさらず姐さん! こちとら悪運と頑丈さだけでお国の雇われやれてますんで! 闇夜に放置も何のそのぉ!!」

 「お、おう、そうか。そう言ってくれんのは助かるが――」

 「あの後も普通に歩いて家まで帰って寝ました!!」

 「いやすげえなお前」

 

 思わぬ勢いに、罪悪感も落としてしまった。

 

 「どうだ響くん、これならなんとか間に合うだろう?」

 「はい! ありがとうございます師匠!!」

 

 元気よく返事する響。先にしていた妄想が妄想だけに、若干の肩透かし感があったのは内緒だ。

 喜び勇みヘリへと乗り込む彼女を見ながら、さりげなくクリスの眼尻が下がる。

 やはり、帰るべき場所がある者はそこに居ればよいのだ。

 そう、温まる心で感じていた。

 

 「では、私たちも乗ろうか」

 「はぁ?」

 

 感じていたのが、一瞬で吹き飛んだ。

 吹き飛ばしたのは翼である。クリスはうんざりした。彼女の言葉にそんな感情を呼び出されるのは、もう何度目になるかも分からない。

 

 「……なに言ってんだお前、乗らねぇって」

 「いい機会だ、雪音。一度リディアンを見学しよう。そうすればお前の気もきっと変わる」

 「だから通わねぇし行かねぇし乗らね―――」

 「翼の姉御にクリスの姐さん! 乗るんなら速くに頼んます! 立花ちゃん死にそうな顔してるんで!!」

 

 運転手の言葉に、翼がヘリコプターまで歩き、上り口のバーに手を掛けた。

 そこで、ピタリと立ち止まった。

 

 「えっ、あの、姉御? そこで止まられると飛べない……」

 

 運転手が困惑の声を上げる。

 しかし翼は聞こえないのか反応を見せない。

 ただくるりと、クリスへと振り返った。瞬間、ヘリが巻き起こした風が翼の長い髪を大きく乱し、彼女の表情を隠す。

 

 クリスだけが見ていた。翼の方から見つめたクリスだけが。

 安心させるように優しく微笑んだ口元と、それとは対照的に強い覚悟を宿した青い瞳とを。

 

 「……さっさと乗ってやれよ。あの馬鹿が留年したらどうすんだ」

 「そうだな、立花とその未来のためにも……行かなければならない」

 

 プロペタが風を裂き、音を捲き上げ、二人を包む。

 他の声は聞こえず、きっと他へとも声が聞こえない。

 その空間で、翼はクリスへと手を差し伸べた。

 

 「さぁ、雪音」

 

 大きな舌打ちが、風に乗って空へと舞い上がる。

 その音を追い越すようにクリスはヘリに駆けだして、翼の手を取った。

 

 満足げに笑い、翼がクリスをヘリの中へと引き上げる。クリスは不快げに表情を歪め、翼に手を引かれるままに従った。

 

 「おぉ、クリスくんも来るのか」

 「まぁな……っておっさん? アンタも行くのか? 司令本部はいいのかよ?」

 「誰か説明できる者が必要だろう。本部にはすぐに戻るさ」

 

 軽く言う弦十郎に、そうかいと肩をすくめると、クリスは翼の隣へと座った。他にシートがなかったというのもある。が、今回は敢えて隣を選んだ面もあった。それほどに、一言悪態を吐いてやりたかったのだ。

 

 「……ああいうのも出来るやつだったんだな。お前は」

 「ん、何のことだ?」

 

 席に着くなり小さく零した言葉は、クリス自身驚くほどに素直な言葉だった。にも関わらずはぐらかされたものだから、つい続く言葉の語気も荒立つ。

 

 「とぼけんなよ、あの馬鹿のこと人質にするような狡い真似しやがって。ブシドーはどうしたブシドーは」

 「ふっ、生憎と私は防人だ。武士を名乗ったことも、その道を重んじたこともない……だが、そうだな」

 

 そっと、翼がその顔ごとにクリスから視線を逸らした。自分がそうすることはあっても、翼がそんなことをするのは初めてで、クリスは思わず背けられた顔をまじまじと見つめた。

 翼の口元は笑っている。だがそこに先ほど見せた悪戯な微笑みはなく、どちらかといえば自嘲するかのような小さい笑みで。

 

 「我ながら、慣れないことをしてしまったとは思う。お前は立花を好いているようだから、悲しませるような選択を選ぶことはないという確信はあったが、それでも早くに決断してくれていなかったら……」

 「好いてっておまっ!?」

 「事実だろう? 行動制限中の時も、私とは全然だったが立花とはよく話していたし、今朝やこれまでも、私は避けて立花とよく一緒に居たがっているじゃないか」

 「そ、そりゃぁお前……いや、つーかそれよりお前万が一は何も考えて――――うぉ!?」

 

 がくん、と大きな揺れがクリスらを襲った。ヘリが飛行を始めたようだ。

 いつもならばもっとスムーズに飛んでいるのだが、今日はどうにも調子がよくない。何度も大きな揺れを起こして、今にも落ちるのではないかと不安になる。

 堪らず響が声を上げた。

 

 「ちょちょちょっと運転手さん!? さっきからなんかガクガクしてません!?」

 「いや大丈夫大丈夫! 心配しなさんなよ立花ちゃん! ただちょっと昨日帰ったの遅くって、あんま寝てねぇぐらい……なぁ……ぐぅ」

 「ひぇぇ!? また! またなった! 今度はガクガクガクってぇ!!」

 「う、うーん、こりゃ行かんな。しゃーない寝落ちしねぇぐらいに勢い上げて行くからな!! 振り落とされて下さんなよぉ!!」

 「えええええぇぇぇ――――っ!!?」

 

 どんな理屈か、運転手がスピードを上げる。大いに急ぐ響としては好都合だった。その筈だった。とは言え怖いものは怖かった。

 

 「それとな、雪音」

 

 大揺れ小揺れの阿鼻叫喚に、しかしぶれない声が鳴る。

 大小二つの叫び声。空を切り裂き進む音。

 絶えない喧騒の中ながら、その声は真っすぐと、クリスの耳と胸とに突き刺さる。

 

 「らしくなく、慣れてもない。そんな術にさえ手を出すのも……それだけ、お前に本気だということだ、雪音」

 

 (……いい迷惑だ、くそったれ)

 

 そう思いつつ、クリスは、何も言い返さなかった。

 ただ黙って、視線を足元へと落とすだけだった。

 

  もし何か言おうとすれば、きっとまた、翼はクリスの目を真っすぐ見据えてくることだろう。

 そうすればきっとあの強い覚悟の青い瞳と、また出会うことになってしまう。

 

 それが嫌だった。

 

 両親の遺した夢を果たす。

 歌で世界を平和にする。

 装者として戦い、生きる。

 迷いなどない筈のその夢に、小さな綻びが生まれてしまいそうな気がしたから。

 だから、堪らなく嫌だった。

 

 クリスの心も知ることなく、ヘリの速度は増すばかり。

 

 リディアン音楽院は早くも間近まで迫っていた。

 

 




※この辺にぃ独自設定と独自解釈とをまとめるだけにぃ約3か月と2万字を費やした書き手がぁいるらしいっすよ。
※次以降はもっと早く書き上げたい……毎回言ってるねこの人。


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消えない残響、引きずりこだまし追いつかれ
明るく楽しく力強く彼女に必要でない歌々



※前回までのあらすじ
①謎の組織”バックコーラス”の調査中のクリスは、響に酷似した”幻槍・シャドウガングニール”の襲撃を受けるも、響と共にこれを撃退。その報告のため二課の臨時本部となっている風鳴弦十郎邸へと向かい、そこで一夜を明かす。

②翌朝、朝食の席にて翼も合流する。だがクリスは露骨なまでに翼を避けていた。実は翼からはリディアン音楽院への入学を何度拒んでも執拗に勧められ続けており、もううんざりしていたのである。

③そしてまたしても翼がクリスをリディアン音楽院へと勧誘したのだが、その最中、突然響から絶望の叫びが上がった。今日が進級を賭けた追試の本番当日なことを思い出したのだ。
 開始までもう時間がない! 絶望する響を見かねた弦十郎の計らいにより、作戦用ヘリでリディアン音楽院まで響を送ることに。
 自分は残る気満々のクリスだったが、翼の強引な作戦によりヘリに乗せられてしまい、不本意にもリディアン音楽院の見学に向かうこととなってしまったのであった。



 「あっやばっ、忘れてた」

 

 そんな酷く間抜けな声がヘリの中に響いたのは、今まさにリディアンの真上へと至ろうとしていた時だった。

 

 「……なんだ。ここまで来て日付間違えてたとかならこの場で蹴り出すぞお前」

 「えぇっ!? な、なんか急に酷くない!?」

 

 声の主である響を、クリスのジロリとした視線がえぐる。素っ頓狂な声への返しには似つかわしくない殺意が満ちていた。

 先までの翼とのやり取りで、クリスのメンタルはさながら積乱雲のど真ん中。些細なる刺激で雷雨を降らすだろう。それこそ、先程口にした凶行を現実とするぐらいに。

 さすがの響もそんな空気を感じ取ったようで、言葉選びは慎重だった。

 

 「え、えーっとですね? 大したことはなくて、ただ忘れ物を……」

 「ん? 筆記用具なら出る前に留子さんが持たせてくれていたじゃないか」

 

 慎重に選んだにしては危なげな言葉だったものの、クリスの神経に触れるより先に翼が拾い上げてくれた。

 

 「きちんと制服も着ているし、試験へ臨むに問題があるようには思えないが」

 「いやまぁそっちはそうなんですけどね……制服の方は棚ボタだけど」

 

 昨晩、すっかり寝付いていたところに弦十郎からの呼び出しが掛かったものだから、とにかく手の届く範囲にあった制服へと急いで着替え、取る者も取らず飛び出してきたのだ。

 頭にあったのは“早く行かねば!”という焦りのみで、どうやら追試の記憶はここで落っことしてしまったらしい。

 そんな具合であったから、いつもなら持ち歩いているものでさえ、全てを置いてきてしまったわけで。

 

 「昨日クリスちゃんのとこに駆けつけるときに、どうも自分のケータイ持ってくるのわすれちゃったみたいで」

 「ほぅ、何か連絡がくる予定でもあったのか」

 「いや予定は、まぁないんですけど、今まさに連絡が来るであろう事態にはあるというか……」

 

 その言葉に、翼とクリスとから納得の声がこぼれた。あぁー……、と、風船から空気が漏れだすような調子で。二人とも思い浮かんだのは、同じ一人の少女の物憂げな表情。

 考えてみれば、響は“彼女”の元から飛び出してきてここにいるのだ。そしてその結果、ある意味人生において最大の窮地に陥っている。

 そんな状況において“彼女”の胸の内はどれほどのものか。

 

 とはいえそんなこと、今更言うにはあまりに遅い。

 どーしよっかなぁと小首をかしげる響には、誰もが呆れる他なかった。ヘリの中の誰もが。

 

 “ヘリの中”に、いる者だけは。

 

 「響いいいいいぃぃぃぃぃぃ――――ッ!!!!」

 

 だから、“ヘリの外” にいた“彼女”は、どうやら別であるらしくって。

 

 「っ!!」

 

 空を震わす絶叫に、誰もが身を竦めている中で、響だけは違って即座に動きヘリの昇降口を空け放った。

 眼下に見えるのはリディアンの校舎。その屋上。そして――そこに立つ一人の少女。

 

 立花響の幼馴染でルームメイトで親友で、きっと今世界で一番響のことを心配しているであろう“彼女”――小日向 未来。その目は確かに、ヘリを強く睨んでいる。

 

 「いやいやいや。まだ結構上飛んでるんスけど? えっ、なんであの子立花ちゃんが乗ってるってことまで分かってんの、怖っ」

 「聞くところによれば、未来くんは中学時代に陸上の短距離で結構いいところまでいっていたらしいからな」

 「はい? あー? うーん……うん! うんうんうんはいはいはいそーいうことっッスねハイ!!!!!!」

 

 大人共が何かさえずっている。とりあえず、何かしらを全く分かっていないことだけは理解できた。

 しかしクリスにそちらを気にする余裕はない。響が、扉を空け放ったままの体勢で、眼下に広がる景色を一心に見下ろしていたからだ。何かわなわなしている。嫌な予感を、掻き立てさせる。

 

 「おい待てお前。やめろよ? その衝動に飲みこまれてくれるなよ?」

 「そうだ……この気持ちは、わたしだけの気持ちじゃない……!!」

 「聞け。やめろ。何を束ねたっつーか何フラグを重ねていってんだおま――」

 「未来の歌声がくれたッ!! シンフォギアでええええぇぇぇぇ――――ッッ!!!」

 「ギア纏ってねぇじゃん。っておい何ドア開け……」

 

 本家大本とは大違いのお寒いノリと流れの果てに、立花響は飛び出した。

 その想いのために。胸に流れる歌のままに。もうどうにも止められはしなかった――

 

 「じゃねぇだろぉぉうわぁぁぁ落ちたぁぁぁ――っ!!?」

 「? 降りたのだろう?」

 「同じだバカぁっ!!」

 

 叫ぶクリスの必死さも虚しく、響は真っ直ぐに落ちて――は、いない。

 空中にて、二度、三度と体勢を翻しながら、最終的に獲物に飛びかかる猫科の如き体勢に落ち着き、そして、

 

 「ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおごぉめんなさああアァァァぁ――――いっっっ!!!」

 

 飛び切りの謝罪と共に、がっちりと、未来が仁王立つ屋上へと降りついた。翼の言葉は正しかったのだ。

 着地は膝から。落下の勢いは額に乗せて、一気に地面へ叩きつける。

 その体勢を、人は恐れ尊びこう呼んだ――

 

「“DOGEZA”……だとぉ!!?」

「ふっ、また一つ腕をあげたな、立花」

「お、おま……お、おヴっ……っ!? ――――!!??」

「わぁー姐さん!!? 袋! エチケット袋下についてるから!!」

 

 ツッコミどころの過剰摂取は常識人にとって非常に体に毒である。胃痛、吐き気を引き起こし、最悪の場合ヒロインとしての死を迎える危険性もある。素人にはお勧めできない。

 

 ある種最大級の危機にどうにか瀬戸際で勝利して、クリスは改めて響が飛び込んだ眼下を見下ろす。すると、少女二人が熱い抱擁を交わしていた。なんか知らないうちに話が進みまくっている。

 どんな目で眺めればいいのかと悩む頭が一つ気づく。

 その気づきから次に打つ手を瞬時に組立て、ほくそ笑みつつクリスは言った。

 

 「なぁ? あいつも送ったことだし? もうアタシら帰っていいんじゃ……」

 「いや、そうもいかないと思うぞクリスくん」

 「へっ?」

 最高の閃きを否定したのは、クリスの予想と反して弦十郎で、加えて予想以上の速さで返されたので、クリスは完全に虚を突かれた。

 頭の隅で想像していた翼からの反論であったなら、多少強引にでも我を通す用意もあったのだが、つい弦十郎による発言の意を探るように改めて下を見遣った。

 

 響と未来、抱き合う二人から少し離れた屋上への上り口。ちょうど今そこから、一人の女性が二人へと近づいていた。

 上空からでは容姿は見て取れない。精々二十代ぐらいのものかとうっすら分かるぐらいのものだ。

 だが、彼女が抱いている言葉にもし得ないほどの感情は、十分過ぎるほどに伝わってくる。この距離でも。表情など見えなくとも。

 

 怒っている。やばいぐらいに怒っている。

 

 「な、なんだぁあのおばさんッ!?」

 「ああ、アレは確か立花たちのクラスで担任をしている教諭だが……」

 「センセー!? それがなんであんな怒髪ぶち抜いてんだよ!?」

 「な、なんかこころなしかヘリの計器がおかしいんスけど……え、関係ないよね?」

 

  頬を引きつらせつつ運転手は操縦桿を強く握り直す。それでもなかなか安定せず、ヘリが右へ左へとグラグラ傾く。

  そんな中、弦十朗が席から立ち上がった。揺れも意に介していない力強い足取りで翼の元へと歩み寄ると、その肩にポンと手を置き一言。

 

 「では、行くか」

 

 意味は明白、ながらも考えは謎。そんな言葉ながら、翼には十分であったらしい。

 

 「……なるほど、承知しました」

 

 合点がいった表情で頷いて、翼もまた立ち上がる。そしてひょいっと弦十朗の肩へと飛び乗った。踊る小鳥のように軽やかに。

 

 「えっ、ちょっ、何お前らまさか……」

 

 ついていけず、困惑するしかないクリスを余所に、弦十朗は開け放たれたままであるドアの前へと進み出る。

 対してその肩に座る翼が、クリスの方へと振り返った。

 しかし何か言葉を発することはなく、ただ一度、パチリとウィンクを送った。不敵な笑みも添えて。

 

 「ちょっと待て!! 正気かお前ら!?」

 「問題ない! 俺はアクション映画のNGシーン集も通しで見直す派だからなぁ!!」

 

 NGかよぉ――という言葉より、弦十朗の宙へと強く踏み出し一歩の方が遥かに速かった。

 結果、渾身のツッコミは虚しく響くことさえ許されず、クリスのどうしようもない困惑と、墜落必至クラスの横揺れが残されるのみだった。

 

 「なんなんだあいつら……流行か? まさか流行ってんのか? フリースタイル身投げとかそういう……?」

 「まっ、飛び込み乗車と違って、飛び込み降車は注意されませんからねー」

 「っぐぬ」

 

 いつか口にした屁理屈が、ニヤニヤした笑みと共にクリスへとぶつけられる。

 投げつけてきた当人は、そんな調子でも暴れるヘリを悠々と手なずけているものだから、なお一層に苛立ちが煽られる。

 

 「で、どうします? 姐さんもいっちょウィーキャンフラーイと洒落込みますか?」

 「生身でやるわきゃないだろが!? あんなトンチキ共と一緒にすんな普通に降ろせバカヤロウ!!」

 

 売り言葉に買い言葉を叩き返す。苛立ちに任せての衝動買いであった。

 だから、気付けなかった。まさか見事にぼったくられているとは。

 

 「へっへへ、了解でーす」

 

 運転手が操縦桿を操れば、ヘリはぐんぐんとリディアンへと近づいていく。もはや目と鼻の先だった――クリスの望みとは裏腹に。

 

 「――っ!」

 

 ここでようやく、先程までの一瞬が最大にして最後のチャンスであったと気づく。

 

 帰れたのだ。帰ればよかったのだ。

 

 ここにいる理由である響も、強引に自分を誘う翼も、既にヘリから降りてしまっていたのだから、運転手に言ってさっさと引き返させればよかったのだ。

 にも関わらず、苛立ちに任せて自分から降りると言ってしまった。彼の言動に煽られるままに。

 

 思わず運転手を見る。その横顔には、勝者の貫禄が漂う。

 つまりは、してやられたのだ。こいつに。

 

 「……姐さんへのリスペクトはどうしたくそがぁ……」

 「いやー自分基本面白さ優先主義なもんでー」

 

 へらへら笑う声を遠くに聞きながら、座席に身を沈めことしかできないクリスであった。

 

 

 ――せんせええええヘリから人が跳び降りましたああああっ!!

 

 教師の誰もが、初めて聞いたような生徒の悲鳴であったそうだ。迫真さも、内容も。

 

 職員室に駆け込んできた生徒からその叫びを聞いて、その場にいた教師全員ただざわつくばかりだっが、彼女だけは違っていた。

 落ち着き払った様子で”どこに降りたか”を確認すると生徒を戻らせる。

 そして他の教師らに一声掛けてから、力強い足取りで屋上へと歩きだした。

 

 その落ち着きも、足取りの力強さも、全ては知っているからこそ。

 こんな馬鹿な真似をする馬鹿は、彼女が知る限り一人だけ。

 

 だから彼女は屋上への入り口に着くやいなや、なんならドアが開くより先に、

 

 「たぁちばなてめゴルァああぁぁぁ――っ!!」

 

 その馬鹿の名を、叫んでいたのだった。

 

 「せ、せんせぇ!? なぜここに!?」

 

 木々も震えるほどの大声に自分の名前を叫ばれて、流石の響も身を強張らせた。

 目は丸く、背筋は伸びて、悪戯のばれた子猫のように、向かってくる自分の担任教師を見据える。

 

 「あ゛? 舐めてんか? 舐めてんだなお前。教師が学校に居んのは当たり前でしょうがてめぇよぉっ!!」

 「ひー!? い、言ってることは正しいのに何この違和感っ!?」

 「あ゛ぁ?」

 「あああごめんなさいごめんなさい嘘ですごめんなさい」

 

 強烈な威圧感を発しながら、響へとずんずん近づく教師。そんな彼女を阻んだのは未来だった。

 抱擁していた響を背後に隠し、前へ出る。

 

 「ま、待ってください先生! あの、響もその、悪気があったわけじゃないというか……」

 「小日向さん、あなた悪気なければ学校でスカイダイビングしていいと思うの?」

 「……すみません。どうぞ」

 「未来ーっ!?」

 

 あっさりするりと、道を譲った。

 上空でクリスが教師の怒髪天へ疑問を口にしていたが、そりゃ普通は怒るもんである。戦場をちゃんと読める系女子である未来には、そこに異を唱えられる非常識はなかったのだ。

 

 「さぁ来なさい立花。今日という今日は徹底的に分からせてやるからなお前」

 「何を!? い、いやあの先生私これから追試が……み、未来もなんとか言ってよ!」

 「……うん、大丈夫だよ響。後輩になったら、私がお姉さんとして色々優しく教えてあげるから……ふふ、アリだね」

 「お、"同じタイプ"……"同じタイプの発想"……!!」

 

 教師は響の手を掴み、そのままぐいぐい引っ張っていく。未来の方は諦めたのか、はたまたふと差した魔の魅力にやられたか、熱を湛えた目で見送るばかり。

 ああこれもまた呪いかと、例のごとく叫ぼうとした直前だった。

 

 「あいや待ったああぁっっっ!!!!!!」

 

 野太く力強い叫びが、リディアン中にこだました。

 もはや今日何度目かも分からない叫びの中でも、とびきりに大きな叫びである。飛んでいたカラスが屋上に転がった。何処かでガラスの割れる音もした。

 

 その直後に、ズシンッッッ、と、盛大に着地音を轟かせて、男が一人舞い降りた。

 

 風鳴 弦十郎である。

 

 無論、着地の衝撃は発勁で掻き消した。そしてそれ以上に言うまでもなく、着地はしっかりスーパーヒーロー着地である。上手く決まり過ぎて膝が死ぬほど痛かった。

 

 「あっ、師匠! いいところに!」

 「なっ、なっ、なぁっ……!?」

 

 喜びの声を上げる響とは対照的に、教師から出るのは声にもならない掠れ声のみ。

 当然だった。急に空から人が落ちてきたという異常事態に、一応でも冷静でいられたのは、響のせいという予想が的中したからに過ぎない。

 続けざまライオン髪のゴリラ男が降ってくるなど、誰が予想出来ようものか。

 教師のキャパシティは一瞬で限界を振り切っていた……一言で言えば、馬鹿になっていた。

 

 だから、仕方ないのだ。

 

 「ふああああぁぁぁぁ――――っ!!? つ、翼さまだぁぁあああ!!?」

 

 「!?」

 「!?」

 「!?」

 「…………えっ?」

 

 弦十郎の背に乗る翼――推しアーティストの不意な降臨に、わけのわからんテンションを露見させてしまっても、仕方ないのだ。

 10も年下相手に"さま"とかつけてても仕方ないのだ。

 三十路間近のアラサーなのだ。

 でも仕方ないのだ大目に見ててね。

 

 「あっ……いや、えっと、今のは、そのぅ」

 「……はっ、はっはっはっ! 翼ぁ、どうやらお前のファンらしいぞ! いやぁよかったじゃないかぁうんよかったよかった!」

 

 場の凍った空気を、弦十郎の笑い声が揺さぶった。大人は流石にフォローが上手かった。

 それにハッと正気を取り戻した翼。弦十郎の肩からひょいと飛び降りると、未だ固まり続ける教師の元へと歩み寄る。

 そして、彼女の手を取った。そっと優しく。

 

 「ひゃんっ!?」

 「その、直接、こういうのは、馴れてはいないのですが……」

 

 取った教師の手を、両手で握って、翼は続ける。

 

 「応援、ありがとうございます。これからも、頑張りますね?」

 

 すこし照れながらも、言葉も、笑顔も、心からのものだった。

 

 「……………………尊いっ」

 (膝から崩れたぁ!!)

 (そこまで効いたっ!?)

 「っ!? 大丈夫ですか!?」

 

 困惑する翼を前に、教師は溢れる涙を抑えようと天を仰いだ。゛涙を゛。鼻血じゃない。決してない。

 

 幸せそうな顔の教師に、そんなファンと触れ合えた翼。そんな光景に、弦十郎はとりあえず満足げに頷く。

 

 一方、響と未来は、ひたすらに遠くを見ていた。遠くを。とにかく遠くを。

 そうすれば、目の前の彼女が自分たちの担任教師であることも、今後彼女の基で勉学に励まねばならない現実も、全部ウソになる。そんな気が、していたから……。

 

 「あっ……ところで、先ほどまで翼さまを肩に乗せていた羨ましいあなたは一体?」

 

 ふと、蕩けた顔を上げて、教師は弦十郎を見た。

 ようやくというか、今更というか、そんな話ではあったが、それでも弦十郎は自らの目的を果たすため、ゴホンと咳を掃って話し始めた。

 

 「申し遅れました、私、翼の叔父で風鳴弦十郎と申します。翼がいつもお世話になっております」

 「あっ! 翼さ……風鳴さんのご父兄の方でしたか! これは大変にお見苦しいところを……」

 

 全くであった。

 しかし思った正論を考えなしにぶつけないからこその大人である。

 

 「いえ、お気になさらないでください。それよりも、ですね」

 

 一度言葉を切り、弦十郎はすいっと視線を動かした。釣られて教師もそちらを見遣る。すると、二人の視線は教師の隣にいる響へと注がれた。

 目論み通りの視点誘導に、弦十郎はにまりと微笑んだ。そして続ける

 

 「実はそちらの響くんにうちの翼が、非常に良くしてもらっておりまして」

 「ほあぁ!? た、立花と、つばっ、風鳴さんがぁ!?」

 

 驚きに目を剥き、教師は響を改めて見た。何か言いたげだったが、必死に抑えている様子である。腐っても教師だった。二重の意味で。

 

 「まぁそういうわけなんですけど、翼のヤツちょくちょく"立花に会ってからでないと収録いきたくなーい!"なんて、言い出すことがありまして……バラエティの前なんか特に」

 「なっ、なん、なぁ!?」

 「ちょっ、叔父様!?」

 「へぇー? 響ってばそうなんだ……?」

 「いやいやいや待って未来ホント待って!?」

 

 全方向に修羅場を撒き散らしているのを知ってか知らずか、弦十郎の話は終わらない。

 

 「で、昨日も撮影終わりに急にそんな調子になってしまったみたいでしてー、そこで夜分遅いことは承知で、急遽響くんに来て頂いてもらっていたわけです」

 「は、はぁ」

 

 ツラツラと並べられる理解しがたい珍情報に、教師は一周廻って冷静になってしまっていた。

 一応、昨夜の響失踪については教師も耳にしていた。同室の未来から"響にはよくあること"と執り成しがあったのでそこまでの騒ぎにはなっていなかったが、これも教師の怒髪天を成していた一要素であった。

 それが今、ようやく腑に落ちたのだった。

 

 「えっーと、それでその後、わざわざヘリまで用意して我が校まで立花を送ってくださった……と?」

 「ええおっしゃる通りです! いやはや流石はリディアンの教師、話が早くて確かりますなぁ」

 「い、いえそんな……」

 

 弦十郎の快活なお世辞に、教師は素直にも頬を朱に染めた。親からの早く結婚しろコールが煩くなってきた年頃の彼女である。滅多なことを言ってはいけない。

 

 「しかし、まさか次の日に大事な試験を控えていただなんて知りもせず……本当に申し訳ない!」

 

 言って、弦十郎は深々と頭を下げた。今日日見る機会もそうないほどの、ピッチリ90度に頭を下げての謝罪であったから、教師もすっかり慌ててしまった。

 

 「そ、そんな、頭を上げてください!」

 「しかし……」

 「本当に大丈夫ですから! 本当大した問題ではないです全く!」

 「えっ」

 

 声を上げたのは響だった。流石に今の教師の物言いは聞き捨てならなかった。なにせ進級が賭かっているのだ、それなりに大問題である。

 響の考えを察したらしい教師が、呆れたように一つ息を吐き、訊いた。

 

 「立花さん、確か前に言いましたよね?」

 「んー? 何かありましたっけ?」

 「……今回の追試、受けるのはあなただけだということです」

 「うぐぁ」

 

 無慈悲な事実だった。教師から響へと注がれる視線に、若干冷ややかなものが混ざったのを、その場に全員が感じていた。

 

 「た、確かにそんなこと言ってたっけなー? いやでも、今それに何の関係が……」

 「あなたしか受けないんだから、日程の融通なんて幾らでも効くってことです」

 「あっ……」

 「何度もは無理でしょうけど、体調不良だとか、今回みたいなどうしても外せない急用だとかなら、多少連絡が遅れても対応できました。それをこんな大勢に迷惑を掛けるような……」

 「と、すると、響くんが試験を受けれなくなるということはないわけですか! いやぁそれならばよかった、安心しました!」

 

 お説教モードへと進みつつあった流れを、弦十郎の大きな声が一瞬にしてせき止める。そして弦十郎は、その勢いのまま教師の手を取った。

 言葉を引っ込まさせられ丸くしていた目が、より一層に大きく見開かれた。

 

 「先生、響くんは確かに少々落ち着きのないところはありますが、それも胸に宿す熱い想いがゆえ! どうかこれからも、響くんのことをよろしくおねがいします!」

 「は、は、は、はひぃっ!!」

 

  教師の頬がより強い赤へと染まり上がった。

 普段厳しくも優しい先生の顔が、今や乙女一色である。そんなものをみせられば同じく乙女である少女のテンションも上がるというもので。

 

 「うわわわっ、すごい、すごいよ響! 完全に落ちちゃったよねアレ!」

 「えっ、何が? もうやめてよー未来ー、わたし追試直前なんだよー」

 「? 落ちた? 何だ、どこにだ?」

 

 なお、この場の乙女は一人だけな模様。

 

 「……ううん、ごめん、なんでもないです……」

 「???」

 

 恥ずかし気なく頭にハテナマーク並べたおす朴念仁どもに未来は一人肩を落とした。なにか疎外感さえ覚えている。理不尽極まりない。

 そんな理不尽を振り払うべく、強く声を上げた。

 

 「で、先生? 結局響の追試はどうなるんですか?」

 「ふふぇ? ……あっ、はいはいはい追試ですね追試!」

 

 ズバリ突き付けるこの問いは、夢見心地にあった教師を現実へと引きずり戻すに十分だったらしい。慌てて弦十郎から距離取り、未来へと顔を向ける。

 

「まぁ、そうですね。こちらの準備はできていますし、後は立花さん次第ですが……」

 「それならへいきへっちゃら! 立花響、いつでもイケます!!」

 

 満面の笑みと満点の明るさで響は応えた。大丈夫以外に浮かぶ言葉がない程の説得力は、未来が胸を高鳴らせ、弦十郎が"よく言った響くん!"とサムズアップを送るほどだった。。

 教師もまた、響の自信に試しような笑みを浮かべる。

 

 「ふふ、わかりました。では行きましょうか。その自信のほど、見せてもらいましょう?」

 「っと、すみません、その前に一つよろしいでしょうか?」

 「っあい!?」

 

 勇みよく踏み出さんとした教師の足を、翼が制した。思わぬ不意打ちに顔から漏れそうになったのを、必死に聖職者の仮面で押さえ付ける。

 

 「な、何でしょうかつば、風鳴さん?」

 「実は、今日一人リディアンを見学させたい者がおりまして」

 「見学、ですか? それなら受付で言ってもらえればよいだけですが、その方は……」

 

 教師が疑問を口にしようとした、その時であった。

 突如として、風が強く吹き荒れた。

 それと同時に、遠くに聞こえてきていたヘリの音が一気に強まる。

 

 その場の全員が、音の方へと振り向けば、翼らの乗ってきたヘリが今まさに屋上に降り着こうとしているところ。

 いつの間に、と誰かが思う間もなく、ヘリの昇降口から一人の少女が屋上へと降り立った――見るからに不機嫌そうに。

 

 少女は、首元をさすりながらぐるりと回りを見回し、息を深く吐きだして……決意を込め、呟く。

 

 「……よっしゃやっぱ帰――」

 「じゅあもう俺は帰って寝るんで姐さん後は頑張って! 夢の中から応援してまーす!」

 

 小さな呟きを掻き消しながら、ヘリは再び一気に上空へと舞い上がった。そして青空に呑まれように、その姿を消したのだった。

 降りてきた少女――クリスを一人、置き去りにして。

 

 「…………ふっ、帰りは徒歩、か」

 

 ヘリで戻るつもりでいた弦十郎も置き去りにして。一人では、なかった。

 

 ビデオ屋でも寄るか、などと呟く弦十郎をさておいて、翼は降りてきたクリスへと駆け寄った。

 

 「遅かったじゃないか。もしや帰ってしまったものかと」

 「いや、できれば今からでも帰らせて欲しいぐらいなんだが……」

 「そうはいかないさ。さぁ、こっちに」

 

 煮え切らないどころか火に掛けられてもいないような態度には目も向けず、翼はクリスの手首を掴むと教師の元へと引っ張っていく。

 クリスもいい加減諦めたのか、特に抵抗はしなかった。だが自分から進むのは釈だったようで、体の力は抜いて、だらんと、翼に手を引かれるままにしていた。

 

 「先生、彼女です。雪音 クリス。先程話していた、見学させてやりたい子です」

 「そうですか、この子が……“雪音”……?」

 

 ずいっ、と、クリスを教師の前へと押しやった。

 クリスの態度のせいか、教師の顔には少し難色が見えた。だが、顔に浮かんだそれは、すぐ別の理由からのものへと移り代わり、そして、

 

 「……“雪音”ぇ!っ? ま、ま、まさか、あの雪音夫妻の娘さんっ!?」

 

 その場から飛び下がらん程の驚愕が、教師を染め上げた。実際、跳んではいないが二、三歩下がって、クリスと、翼との顔を交互に見比べるしかできなくなっている。

 そんな教師の様子に、何故か翼は誇らしげ。一方クリスは、その驚き様に逆に驚いているようだった。 

 

 「ふっ、その“雪音”で間違いありません」

 「……“あの”とか“その”とか付く程なのな、やっぱ」

 「いやもうそれはもちろん! そうですかそうですか! かの雪音夫妻のご子息が我が校に!」

 

 更に“かの”まで頭に載せられては、クリスにも「その校に入る気はない!」と無慈悲に突き付けられはしなかった。ただ曖昧に目を逸らし、耳の裏辺りをポリポリ掻いた。

 

 「そういうことでしたらね! 私共としては大歓迎と言いましょうか! なんでしたら私自らご案内を……」

 「先生先生、追試追試、わたしの追試忘れてませーん?」

 「ぐのぁっ」

 

 翼との遭遇時とも違った色の変え方をしていた教師の目が、響の放った現実に浸されみるみる色を落ち着かせていく。

 最終的に行き着いた黒い色の瞳を、震わせながら翼とクリスとの二人に向けた。

 

 「す、すみません、そういうことなんですが、せめて誰か別のものに案内を……」

 「いえ何もそこまで、元より私手ずから案内する腹積もりでしたし」

 「いえいえいえ、そんな風鳴さんのお手を煩わせるような……」

 

 遠慮と配慮とがぶつかり合う。互いに譲る様子はない。

 そんな不毛な戦いを目の前で繰り広げられて、何とも言えない居づらさがクリスを襲った。

 そもそもこの学校に通うつもりは元よりないのに、そのことでこうも揉められると、ありがたればいいのか、面倒くさがればいいのか。

 とにかく居た堪れなさがひどいので、どう声を掛けるかも思いつかないが、割って入ろうと声を上げようして――

 

 「その役目、私たちに任せてもらおうかぁっ!!」

 

 ――元気しかないような声が、先に割り込んだ。

 続いて届いたのは、屋上入口ドアが強く開け放たれる音。

 今日何度目かも分からない、大絶叫からの乱入エントリーである。

 しかも今度の挑戦者は、選べるサイズの三人連れ。

 

 「リディアン高等部一年! 坂場 弓美! 持ちたる野望はアニソン研究会設立! アニメ食べてアニメ見てアニメで寝る! それが女の生きる道ぃ!!」

 「同じく高等部一年、寺島 詩織です! 座右の銘は゛ナイスは人のためならず゛! みんなでナイスの輪を広げましょう!」

 

 ……ポカン、であった。

 

 特にクリスとしては、他の反応をしようがなかった。

 一応、何か自己紹介であることは分かった。勢いと元気よさとだけは十分に感じられた。

 そんな感想が頭を通り過ぎて、次に感じたのは小さな疑問。

 

 “あれ、一人分足りなくね?“

 

 その疑問自体は誰もが、先だった二人さえも覚えたのだろう。

 自然と、最後の少女へと視線は集中した。無論、その場にいる全員分。

 

 少女、哀れにも大混乱。あわあわと、もじもじと、見回すばかり。

 

 「えっ、いや、あの、わたしはそのぉ」

 「ちょっと何やってるの創世ー、次あんたの番じゃん?」

 「わたしの番とかあんの!?」

 「大丈夫ですよ安藤さん。勇気を持って、元気を出して、当たって砕けて輝きましょう!」

 「砕けるの前提っ!? あ、あぁもうくそぉぅ!!」

 

 ズン、と少女が前に出る。覚悟のこもった一歩だ。

 弓美と詩織と、二人の先達に背中を押され、最後の少女は踏み出したのだ。

 

 「私立リディアン音楽院! 一年生の安藤創世です! あだ名とか付けるの得意で! ……えーっと、得意で、その……あだ名が……得意、です……はい」

 

 ただし、踏み出せたのは一歩だけでした。

 最初の勢いは5秒で消えて、羞恥だけが無様を曝す。

 耳まで赤くしうーうー言ってる女子高生には一定の需要を感じられるが、この場にそんな不埒は居ない。

 

 「うん、まっ、頑張った頑張った。よくやった方よホント」

 「う~、咄嗟に空であそこまでスラスラやれるアンタらがおかしいんだって~」

 「ナイスファイトでした! この経験は次に活かしましょう!」

 「次なんてないっ!!」

 

 労りと励ましのフルコースを二人の友から受ける姿には、嗚呼青春と感じさせられる。

 それ以上の"一体何を見せられとるんだこれは"感があったが。

 

  「……で、詩織ちゃんたちはー、なーにをしにいらっしゃったーん?」

 

 響が無邪気に首を傾げたその瞬間、創世の両目がギランと光った。獲物を見つけた獣の目だった。

 彼女は酷く飢えていたのだ。この鬱憤のぶつけどころに。

 

 「そういうことを言うのはぁ!! このビッキーの口かあぁっ!!」

 「いっひゃぁ!? や、やめてよしてやめてよしていひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!?」

 

 一瞬で響の懐へと入った創世の手が、その喉笛……ではなくほっぺに食らいつき、ぎゅーと一杯につねりあげる。

 理不尽全開、ヘイトの全部で……と抗議したい響だったが、その思いは詩織の次の一言であっさりと蹴散らされた。

 

 「立花さん、私たち朝からずーっと貴女のこと探してたんですよ? 小日向さんから頼まれて」

 「へっ」

 

 そうなの? と未来の方を見れば、あからさまな“しまった”顔。どうやら頼んだ本人も忘れていたらしい。響に会えた時点でそれ以外の何もかもが頭からぶっ飛んだのは、誰もが簡単に想像できた。

 弓美がわざとらしく肩を落としてため息を吐く。

 

 「でもあちこち探してもダメで戻ってきたのよ。そしたらヘリから人が落ちたとか騒いでて? そんなアニメ見たいなヤツ一人しかいないってことで、現場に急行私ら参上ってわけよ」

 「それなのに! それなのに何しに来たとか言うのは! このビッキーの口かぁっ!!」

 「あいでででで!? 創世ちゃん! そろそろ痛さが洒落にならない感じにぃ!!」

 

 つねりに捻りも加えられ、響の頬を物理的に落としにかかる。強い。圧倒的に強い。弓美と詩織がどうどうまぁまぁと宥める。宥めるが止めない。二人とも思うものはあったらしい。

 弦十郎は微笑まし気に見守り、未来は忘れていた負い目から手出しできない。クリスはどう反応して良いのか分からず、教師は呆れて言葉もない。

 そんなわけで、半ば消去法的に、状況にヒビを入れたのは翼だった。

 

 「ふむ、よくわからないが……案内してくれるのならお願いしてもいいだろうか?」

 「ええっ!? いやあの翼さま、何も言われるままこの子たちに頼まずとも……」

 

 失礼千万にも教師がそんなことを言いだす。彼女的には、翼やクリスに良い印象を与えたい一心ではあった。

 そんな発言もなんのその、弓美はふふふと勝ち誇った笑いを見せる。

 

 「残念でしたねぇ先生ぇ、しかし! この翼さんの選択は必然なんですよ!」

 「はい?」

 「なにせ! わたし達は旧リディアンで一緒に戦った実質戦ゆ……」

 「わー! す、ストップ! ストォップっ!!」

 「もが!? な、なにをするきさまら……、もがっ、もがが―!?」

 「はいはい、非ナイスなお口はチャックですよー?」

 

 未来と詩織の二人に抑え込まれ、禁断の武勇伝は弓美諸共に抑え込まれた。とは言え彼女の弓美らを見る目からして、例え放たれていたとして教師が一ミリも信じなかったであろうことは明らかだったが。

 

 ただ、弓美らが翼と共に戦ったということ、それは確かに事実ではあったのだ。

 

 「雪音、気づいているか?」

 「ああ……相当の馬鹿だな、あいつら」

 「そうじゃない」

 

 クリスの端的な感想に翼は息を吐きつつ、その耳元へと寄り小さくささやいた。

 

 「あの戦いのとき、私たちへ歌を届けてくれたのは彼女たちだ」

 「!!」

 

 翼の言葉に、クリスの目が見開かれた。その目の奥に映し出される、かつての戦いの記憶。

 

 旧リディアンでのフィーネとの最終決戦、そこでクリスは一度死の淵に立った。

 フィーネの建造した魔塔゛カ・ディンギル゛より放たれた極大出力の荷電粒子砲。今まさに月を穿ち抜かんと撃ち放たれたその一撃に、クリスはたった一人で立ち向かったのだ。己の全霊を注いだ絶唱で以ってして。

 結果としてカ・ディンギルの一撃から月を守ることはできたものの、そのためにクリスは力の全てを使いきってしまった。

 

 地に堕ち、倒れ、意識も失くしたクリス。そんな彼女にもう一度立ち上がる力を与えたのが、詩織たち三人と、更に多くの人々が唄い紡いだ歌だったのだ。

 

 装者らではない彼女らが紡ぐ歌では、シンフォギアからフォニックゲインを引き出すことはできない。

 だが、クリスの胸の内からは、強く暖かな力を際限なく溢れ出させた。ともすれば、絶唱で掻き出したものよりも遥かに大きな力を。

 その結果が、シンフォギアの三億に上る全制限の解放“エクス・ドライブモード”。

 つないだ手だけが紡ぎあげる奇跡の力――

 

 「加えて、だ。雪音」

 

 翼の言葉が、先と逆にクリスを現実へと引き戻す。

 ハッとするクリスに向けて、翼は続けた。何か自慢気で、まるでとっておきを見せ付けるような、そんな表情で。

 

 「あのときの歌、あれはな、ここの校歌なんだ。リディアンの歌が、私たちに力をくれたんだ」

 「へぇ……」

 

 クリスから、小さい吐息が漏れた。驚きと納得の息だった。

 

 私立リディアン音楽院とは、立花 響にとって帰る場所である。そのことは行動制限期間中に響から耳にタコが出来るほど聞かされていたし、彼女がこの学校のことを本当に大事にしていることは、そう長くない付き合いでもよく分かっていた。

 そして、かつて聞いた歌――そこに感じた暖かな力とリディアン音楽院とが繋がったことで、クリスはその理由を真に理解した。

 

 「なるほど、“陽だまり”……か」

 

 響が自分の帰るべき場所、特に小日向未来の隣を指して用いる表現が、クリスの口から自然と漏れる。

 どれほどの冷たさに晒されたとしても、そこに戻ればゆっくりとでも熱を取り戻していけて、何度でも立ち上がらせてくれる。あの歌から感じたのは、そんな力だった。

 確かに“陽だまり”だ。それ以上の呼び方はない。

 

 そこまで考えを廻らせ、クリスは改めて響と、彼女と戯れている創世たちや教師を見た。

 なんだか、響の表情も自分には見せたことがないほどに安らいでいるように思えてくる。自然と、クリスにも笑顔が映っていた。それと同時に、一つの決意が、胸に浮かぶ。

 

 「守らなければ……そんなことを思ったか?」

 「っ!」

 

 その決意を言葉にされて、クリスは思わず横を見た。

 翼がクリスを見かえしていた。クリスの図星を察して微笑みながら。

 

 「お前のその気持ちは素晴らしいさ。今朝方の、私たちの日常を守るための申し出も、有難くはあった。だがな……」

 

 響や未来、リディアン音楽院の面々へと視線を向け、翼は続けた。

 

 「あの場所に、お前が居たってかまわないと……誰も咎めはしないと。私はそう思うぞ? 雪音」

 「! お前……っ!!」

 

 クリスの胸に、驚愕が差し込む。しかしそれが言葉となる前に、翼はクリスに背を見せ響や教師らの方へと歩いて行った。

 

 クリスはしばらく呆然としていたが、やがて一つ舌打ちをした。

 

 “誰も咎めない”。翼はそう言った。

 

 確かに、クリスのには、自分が大きな過ちを犯したという自覚がある。

 ソロモンの杖の起動を始めとしてフィーネに協力して行った数々の実験が、どれほど人々の命や安寧を脅かしているかは想像もつかない。

 そんな自分が自由の身であることに、罪悪感や負い目が胸に過ることがないといえば嘘だ。

 

 しかし、それと、これとは、あまりも、話が違い過ぎていると言わざるを得ない。

 

 「――わかりました。それでは詩織さん、創世さん、風鳴さんと雪音さんたちの案内、お願いしてもいいかしら?」

 「はい! お任せください!」

 

 はたと気が付けば、揉めていた教師らの話はすっかり纏まっていた。どうやら翼が近づいていっていたのはそのためだったようだ。

 

 「ちょっとせんせー? なーんでワタシの名前だけないのよー?」

 「自分の胸の聴きなさい」

 「うーん? ……アニソンしか聞こえねぇや」

 

 真顔でそんなことを言っている弓美からさっさと視線を外して、教師は翼へと向き直る。

 

 「それじゃ、ごめんなさいね風鳴さん。本当は私も何を投げ打っても付き添わさせていただきたいのですが……」

 「心底酷いなこの人」

 「響、しーっ」

 

 未来に口元へ指を当てられて響がえへへと笑う。それと同じぐらいに柔らく、翼も教師へと笑いかけた。

 

 「ホントにお気になさらないでください。それにこうして会えただけでもよかったですから」

 「へっ?」

 

 思いもよらない夢のような言葉に、教師はつい自分の耳を疑った。しかし翼は更に続けた。

 

 「こんなにも身近に、強く想ってくれている方がいたのですから。おかげで、これからも頑張れます。本当に、会えてよかったです」

 「っ……!!!!!!」

 

 教師、フリーズ。

 またしても耳を疑いかけたが、流石に二度目なので無実と割れている。

 翼と彼女が口にした言葉を疑うことなどは有り得ないあってはならない許されない。

 そうであるなら彼女は疑うべきは一つしかない――

 

 「……ははっ、なるほど夢ですねこれは」

 「えっ!?」

 

 ――そう、現実である。

 

 「やっぱり心底酷いってかやばいわこの人」

 「うん、言っちゃえ響、本音の全部で」

 

 未来に親指を立てられて響は笑えもしない。それと同じぐらいに固まって、翼は教師へと問いかけた。

 

 「いや、あの? ど、どうしました?」

 「……夢なら、いいんじゃないかな、うんいいよね、いいって」

 「何がです!?」

 

 たじろぐ翼、迫る教師、その距離はきっと心の距離。

 

 「いえいえいえ、ただ、あのね、ちょっとね……翼さま、私から産まれ直すご予定とか――」

 「あああっ!! ちょっとこれマジでダメな奴だよ響ぃッ!!」

 「先生追試行きましょういますぐ行きましょう先生が先生でなくなるその前にッ!!」

 「なっ、クソ、ええい離せ立花ぁ! 私はここで母に、母になるんだぁ!!」

 「その衝動にぃ!! 飲みこまさせてなるものかああぁぁ――――ッ!!!!」

 

 最速最短、真っ直ぐ直線。

 響は風となって教師を攫い、校舎へと降りた。一瞬で。

 

 誰もが何か、言う暇などない。言うべきでもない。本当に。

 

 「……ハイッ! じゃあ、今のはなかったことでっ!」

 

 未来がそう言った。そういうことになった。

 

 一瞬白けた空気。

 響がいなくなったのもあって、なんだか少し気温が下がったようにも感じる。

 

 「さてさて、そういうことに決まったのなら!」

 

 だが、そんな空気に元気が弾ける。弓美の声だ。

 弓美がステップ気味にクルリと、翼とクリスの方へと向き直った。

 

 「こっからはあたし達のショータイム! リディアンの魅力をこれでもかってぐらいに思い知ってもらいますよ!」

 「えぇ、なにそのハイテンション」

 「こういうのには勢いが大事なんですよ、安藤さん」

 

 創世の呆れ声に、詩織がニコニコとフォローを入れる。

 三人の関係と日常を思わせるやりとりに、つばさの頬は自然と緩んだ。

 

 「ふっ、そうか。ならばお手並み拝見と行こうか」

 「はい、任せといてください! よっしゃ野郎どもあたしに続け―い!」

 「ちょっ、あたしらだけ先行ってどうすんの!?」

 「安藤さん、勢いが……」

 「勢い任せとはちがうでしょうが!? ああもう待ちなって!」

 

 先走った弓美を追って、創世と詩織も校舎の中へと入った。

 そんな様子を見ていた未来は、やれやれと一つ溜め息吐き、翼らと一礼してから後へと続いた。

 気づけば、屋上には翼のクリスの二人だけだった。弦十郎も、いつの間にかいない。

 

 「ふふ、元気な子らだな。さて雪音、私たちも……」

 

 行こうか、と、続けようとして、言葉が止まった。

 翼に言葉を差し伸べられるより先に、クリスは翼の横を通りすぎ、校舎の入り口へ歩き始めていた。

 

 「雪音?」

 「一つ、言っとく」

 

 クリスが歩みを止めた。

 入口の方を向いたまま。翼へと背を向けたまま。

 その背を日の光が照らして、クリスの影を入口へと伸ばす。

 影の中で口を動かして、クリスは言った。

 

 「見学には付き合ってやる。だが、アタシの気が変わることは無い……ここは、アタシの帰る場所ってやつじゃあねぇ」

 「……今はそう思えないのかも知れない。だが雪音」

 「――暖かさが後ろめたいわけじゃない」

 

 クリスが振り返る。その目へと熱いほどの日光が突き刺さり、全身へと降り注ぐ。

 影の一つもない屋上で、クリスは続ける。

 

 「暖かいところは……好きさ。だが、どんなに暖かな場所でも――あの暖かく強い歌を紡いだ場所でも、アタシは、ここには帰らない」

  「……それは、何故だ」

  「ずっと言ってきた筈だがな」

 

 一度目を伏せ、深く息を吐く。それから、ぐっと臍辺りに力を込める。

 強張る身体に覚悟を詰めて、クリスは翼の瞳をまっすぐ見つめた。

 胸の内が揺らがない内に、勢い強く言い放つ。

 

 「ここにアタシの望む歌はない。望む場所へ届かない――望む夢を、果たせない」

 

 そこまで言いきり、背中を向けた。翼が何も言わない内に、校舎の入り口へと進む。

 入口のドアを開けたところで、ふと立ち止まり、振り向かないまま言った。

 

 「そういう意味じゃ、今朝言った“適材適所”ってのも嘘になるな。例えアタシが“適材”でなかったとしても、シンフォギアを纏える限りアタシの望む場所は変わらねえ――」

 

 

 ――――戦場だけだ。

 

 

 そして、クリスは校舎へと降りて行った。屋上の光は、もう届かなかった。

 

 入口の半分入っていたから、よく響いた最後の言葉だったが、校舎内の誰かに届くことはなかった。反響の殆どが降り注いだのは、発したクリス自身ばかりだった。

 

 それでも、確かに、翼へとは、届いていたが。

 

 「……待て、雪音!」

 

 叫んで、翼はクリスの後を追った。

 その叫びがクリスには聞こえていないだろうとは分かっていた。この叫びもまた、発した翼自身のみに響くのみだった。

 己の叫びを耳の奥に反響させながら、翼もまた、校舎の中に降りて行った。

 

 

 




※私かギャグに走るときの多くは"書く内容は決まってるけど、どう話を運べばいいか分かんないや"という時。もしくはモチベ維持のため。つまりはそういう……
※前回の更新で評価バーに色が宿りました。評価してくださった方々、本当にありがとうございます。
※そしてブクマ数も20件をついに突破! なんというか、他の人が見れない景色を見てる感があって楽しくなってきましたぞ! がんばる♡ がんばる♡


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