ラストダンスは終わらない (紳士イ級)
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000.『プロローグ』

 艦娘――それはかつての大戦で沈んだ艦の魂が少女の姿と成り、現れたもの――らしい。

 数年前に突如現れ、恨みでもあるかのようにこの国を海から攻め立てる深海棲艦に立ち向かう事が出来る唯一無二の存在――らしい。

 

 海に囲まれている島国であるこの国にとって、守護神そのものと言っても過言ではない。

 彼女たちがいなければ、今頃この国は一体どうなっていたのか――今日も水平線の向こう側で、彼女たちは戦っているのであろう。

 

 俺は自室のベッドの上で、一人呟いた。

 

「ふぅ……やはりオータムクラウド先生の作品は最高だな」

 

 今日も日本は平和である。

 彼女たちのおかげで戦禍とは無縁の自室で、俺は艦娘モノの同人誌で一息ついていた。

 

 オータムクラウド先生は、そのリアルな艦娘描写で大人気の同人作家だ。俺が世界で唯一尊敬している人物といっても過言ではない。

 妹たちの世話や家事ばかりで、元来無趣味でインドア派だった俺が有明まで足を運ぶようになったのは、オータムクラウド先生のおかげである。

 ここ一年ほど新刊が出ていないのが気になるところだ。俺の生きがいが無くなってしまう。

 

 一息ついた俺はそのまま眠くなってしまい、瞼を閉じた。

 すっかり習慣になってしまった、眠る前の妄想が始まる。

 

 もしも俺が提督になったら、オータムクラウド先生の同人誌のように桃色の鎮守府生活を送るのだ。

 もちろん艦娘の見た目によっては対象外だ。妹たちと同年代くらいの見た目の子に欲情するのは変態だけだろう。

 妹たちの面倒ばかり見ていたせいか、年下には興味がない。いや、そもそもリアルでは女性に縁が無いのだが。

 いかん。リアルの事を考えてはいかん。

 そう、提督となったからには、全提督の夢であるハーレムを作るのだ。お姉さん達限定で。

 

 俺は過去のトラウマから、女性不信ぎみである事を自覚している。

 もう恋なんてしないと決めている。

 それゆえに極度のコミュ症であり、特に綺麗な女性の前に立つと上手く話せなくなる。

 年下の女の子だったら妹感覚で普通に話せるのだが。

 

 俺は妹たちから常日頃罵られているように、男としての魅力は皆無であることも自覚があるし、性格もひねくれている。

 風呂上りに鏡に映った俺は結構イケメンだと思うのだが、ネットで調べるとそれは気のせいだとの事だった。妹にも訊いてみたが同様の意見だった。凹む。

 中身にも見た目にも乏しい、こんな俺を好いてくれる女性などいるはずが無いという事は、世界で一番この俺がよくわかっている。

 

 故に、提督の権力を活かしたハーレムを作るのだ。

 愛は要らないが、性欲は溜まる。

 たとえ艦娘たちに嫌われても無理やり、いや、嫌われるのは俺の心が持たない。好かれないのはわかっているが、嫌われない程度に抑えたいところだ。

 無理やりも犯罪だ。そういうのはフィクションだけにするのが大人の嗜みである。

『好きでは無いけど、提督の命令だし仕事だから仕方なく』って感じのハーレムを作るのだ。

 これは果たしてハーレムと言えるのか……ま、まぁいい。

 

 オータムクラウド先生の同人誌を参考にすれば、提督が一言「女性経験が無いんです」と相談すれば、練習巡洋艦香取や鹿島が抜錨してくる。

 少し疲れたそぶりを見せれば重巡洋艦愛宕や高雄が癒しに来てくれる。いつもお世話になっています。

 駄目だ。参考にならない。

 そもそもあれは提督の好感度がかなり高いからでは無いのか。

 いや、それとも提督であれば無条件にあんな感じで接してくれるのか。

 後者である事を願いたい。

 いや、違う。それだけでは無い。

 オータムクラウド先生の作品ではどの提督も有能であるという描写がされていた。

 他の同人誌を参考にすれば、性格が最低なキモオヤジでもハーレムを作っているようなものもある。

 つまり、男性的な魅力が無くとも、提督として有能であれば好感度は別としても夜戦突入可能という可能性も無きにしも非ず。

 

くそっ、もしも俺に提督の素質があれば艦娘を好き放題、ではなくて、俺に隠されているような気がする指揮官の才能的な何かの力でこの戦争を終わらせる事が出来るのに……!

 

そんな事を考えた瞬間、部屋の扉が勢いよく開いた。

 俺は驚いて反射的に身を起こしてしまう。扉の前には何故か動揺した様子の妹が立っていた。

 

「お、お兄ちゃん! お、お、お客さん!」

「はぁ? 俺にお客さんなんて来るわけないだろ」

「か、か、艦隊司令部の人。すごく偉そうな」

「エッ」

 

 変な声が出た。

 妹は震えながら俺の両肩を掴み、激しく揺さぶる。

 

「どどどどうすんのよぉ! そんな薄い本所持してんのがバレたからじゃないの⁉」

「マママ、マサカァ」

「と、とにかく失礼の無いように着替えて、早く玄関行って!」

「コ、心の準備が」

「知らないわよ! いいから早く行けっ、ほらっ!」

 

 妹に急かされ、俺はとりあえず寝巻きであるジャージから、外出用のシャツに着替えた。

 玄関に向かうと、そこには妹が言う通り、明らかに偉い立場にありそうな、風格のある壮年の男性が立っていた。

 その後ろには、付き添いだろうか。若い軍人が数人、姿勢よく並んでいる。

 偉そうな壮年の男性は、俺を見るや小さく微笑み、軽く頭を下げた。

 

「こんばんは。艦隊司令部の佐藤といいます」

「アッ、ハイ、コンバンワ」

「こんな夜分に急に訪れてしまい、すまないね」

「アッ、イエ、ハイ」

「ははは、そう緊張しなくてもいい。君を軍法会議にかけようなんて話じゃないんだ」

「アイヤー、ソ、ソノ」

「実は先日の国民検査で、君に艦娘の提督となる素質が見つか」

「やります」

「エッ」

 

 こうして俺は提督になったのだった。

 



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第一章『提督着任編』
001.『期待外れ』【艦娘視点】


 今朝、艦隊司令部から入電があった。

 本日より、新しい提督が鎮守府に着任し、艦隊の指揮を執るという事だ。

 

 正直、何も期待はしていない。

 どのような人物が来たところで、今のこの鎮守府を包む重苦しい空気を打破できるとは思えない。

 無能な指揮官による無謀な作戦に、無計画な資材管理。艦娘を命あるものと見なさぬ非道な扱い。

 あげくの果てに、一か月前の侵攻の迎撃失敗により、この鎮守府の支えでもあった大切な艦を失った。

 

 艦娘の士気は無いに等しく、今やこの鎮守府のほとんどは人間不信ならぬ提督不信と言っても過言ではない状況だ。

 このような状況を招いたのは、前提督の最も近くにいながら諫められなかった私のせいでもあるのだが。

 

「ねぇ大淀。今度の提督はどんな人かな」

「明石……」

 

 私と明石は、鎮守府の正門前に肩を並べて立っていた。

 明石は生気の無い虚ろな目で、私を見ずにそう呟く。

 

 明石が笑わなくなったのはいつからだろうか。

 工作艦である明石はその固有能力故に重労働を強いられ、その分理不尽な目にも合っていた。

 装備の改修に失敗するたびに激しく叱責され、お前の仕事はゴミを作る事なのか、資材を無駄にした責任をどう取るのか、などと罵倒を繰り返された。

 成功しても、それが当然だとばかりに、ねぎらいの言葉一つもかけられない。

 前提督の無謀な進軍で傷ついた艦娘は後を絶たず、明石は寝ずに泊地修理を発動し続け、幾度となく倒れた。

 

 そのせいで疲労は蓄積され、疲れのせいで装備の改修は上手くいかず、罵倒される悪循環。

 今回の責任を問われた前提督が鎮守府を去って数日も、眠れなかったほどのストレスに晒されていたのだった。

 現在ですら、悪夢にうなされているくらいだ。

 

 昔は笑っていない方が珍しいくらいだったというのに。

 それは明石だけに限った話でも無いか、と私は小さく溜息をつく。

 明石はどこを見ているのかわからない目で前方を見やりながら、ぽつりと言葉を漏らした。

 

「青葉から聞いたんだ。この鎮守府は、艦娘が提督の命令に逆らった初めてのケースとして注目されているんだって」

「……えぇ、私も聞いています」

「だから、他の鎮守府の提督たちも皆、ここへの異動を断ったんだって。私達を各鎮守府に再編成する案も猛反対を受けて却下されたって。自分に逆らう可能性がある兵器なんて、扱いたくないもんね」

「……」

 

 私達は軍艦だ。兵器だ。武器だ。道具だ。

 思うように動かないどころか、持ち主の意思に逆らう兵器など、それこそ前代未聞。

 今でこそ深海棲艦という敵があり、艦娘はこの国の味方であると認識されているが、今回の件で敵にも成り得る、と認識されたのだろう。

 上官からの扱いに耐えかねて歯向かった。ただそれだけの事がこれだけの大事になる。

 それは私達がやはり人間ではなく、道具として見られていたという事の証明でもあった。

 

 艦娘に対する非人道的な扱いと、貴重な戦艦を轟沈させた責任を問われ、前提督はこの鎮守府を去る事となった。

 しかしその後、一か月もの間、時折深海棲艦が攻めてくる一か月もの間、この鎮守府には提督が着任しなかったのだ。

 提督の指揮下になければ、艦娘は十分にその性能を発揮できない。

 

 にも関わらず、私達に下された指令は、「提督が着任するまで鎮守府近海を防衛せよ」だけであった。

 私を含め数人の艦娘で作戦を立案し、戦ったが、やはり満足に本来の性能を発揮できず、戦艦が敵軽巡に大破させられた事もあった。

 次に誰が轟沈してもおかしくはない。そんな秒読みの段階だった。

 

 何度応援を頼んでも、艦隊司令部からは、現在対応中であるというお決まりの返答しか無かった。

 もしかしたら、一度でも提督に逆らった艦娘達を処分しようとしているのでは。

 そう邪推してもおかしくはない状況だったのだ。

 

「だからさ、提督にすら見捨てられてた、厄介者だらけの鎮守府に、無理やり押し付けられた可哀そうな人はどんな人かな、って気になっただけ」

「明石……」

「艦隊司令部は隠してるつもりらしいけど、提督の素質を持つ人材も不足してるみたいだし、かといって深海棲艦に近海まで攻められているこの鎮守府を放棄するわけにもいかないし、提督の人格を考慮してる余裕はないし」

「……そうですね。前提督の時点でそうでしたが、すでに提督としての艦隊指揮能力や鎮守府運営能力、人格まで考慮していられる戦況でもありません。妖精さんが見える、それだけで稀少ですから」

「前提督よりも酷い人が着任したりしてね。そうなったらもうどうしようか。そこまでしてこの国を――」

「明石っ!」

 

 私は思わず声を荒げてしまった。

 隣に立つ明石を見れば、肩を震わせ、光を失った瞳から、大粒の涙を流している。

 

「……大淀っ、私、この国を嫌いになりたくない! この国の人達を嫌いになりたくない! 見捨てたくないよぉ……! でも、でも……!」

「大丈夫、きっと大丈夫だから。私達にそう思わせない提督が、きっと着任してくれるから――」

 

 気づけば私も泣いていた。

 私は明石を抱きしめながら願う。

 

 どうか神様、お願いします。

 願わくば、私達にもう一度、艦娘としての喜びを与えてくれる提督が着任してくれん事を。

 この国の為に戦う意味を思い出させてくれる方を。

 私達をただの兵器としてではなく、心ある、そして命ある一人の少女として扱ってくれる方を。

 私達の性能を補ってくれる、軍略に長けた方を。

 深海棲艦に近海まで制圧され、荒み切ったこの鎮守府の空気を、切り拓いてくれる方を。

 

 ――そんな都合のいい方などいないと理解していながらも、私はそれでも願うしかないのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――願いはしたが、期待はしていなかった。

 

 鎮守府正門の目の前に、艦隊司令部からの送迎用の自動車が停まる。

 後方のドアが開き、降りてきた人物を一目見て、私は言葉を失った。

 

 外見からして、前提督とは正反対だった。

 五十代だった前提督とは対照的に――若い。若すぎる。まだ二十代前半か、後半といったところではないのか。

 身だしなみに気を遣わず、率直に言って不潔であった前提督とは対照的に――清潔感のある印象だった。

 髪も短めに切り揃えられ、眉も綺麗に整えられており、髭の剃り残しも無い。

 軍服には皺一つなく、シミや汚れも見当たらない。

 ビール腹で肥満気味であった前提督とは対照的に――まるで外国の俳優のように長身瘦躯であった。

 軍人としては痩せすぎなのではないかとも思ったが、すらりと伸びた手足やその指は、個人的には嫌いでは無かった。

 つい指先まで凝視してしまったが、その手には何やら本が開かれており、表紙を見るに――ドイツ語である事しかわからない。

 後部座席から降りてきてなお、その本を読む事に夢中になっているその若い男は――非常に端正な顔立ちをしていた。

 

 不意に。

 提督は、はっ、と気が付いたように顔を上げ、私達に目を向けた。

 手早くドイツ語の本を懐に仕舞うと、私達の前まで歩み寄って来る。

 

「せっかく出迎えてくれたのに、失礼な事をした。すまない」

 

 そう言ってその若い男は軍帽を取り、私達に頭を下げたのだった。

 時が止まった。思考が追い付かなかった。

 現在の状況がどうにも理解ができず、私達は敬礼をする事を忘れていた事すら、気付けなかった。

 明石を見ると口が半開きになっており、わけがわからないというような表情を浮かべていた。

 私もそうだろう。

 初めて、いや、久しぶりに、明石の虚ろな表情以外を見たような気がする。

 

 提督が顔を上げ、私が慌てて敬礼すると、明石も気が付いたように私に続いた。

 

「おっ、お待ちしておりました! 私、軽巡洋艦、大淀と申します!」

「こ、工作艦、明石です。どうぞよろしくお願い致します」

 

 提督の眼が私を見据える。

 一秒、二秒、まだ三秒も経っていないというのに、私はどうにも恥ずかしくなってしまい、思わず目を逸らしてしまった。

 続いて提督が明石を見る。

 明石も同じようだ。数秒しか持たずに、顔を伏せてしまった。

 

 目を見ればわかる、などとはよく言ったものだと思った。

 この大淀の目に狂いは無い。

 前提督とは目が違う。

 私達を道具としてではなく、命ある人として見ている目だ。

 私達から決して目を逸らすまいという強い意志すら感じられた。

 

「大淀に明石か。お前たちの事はよく知っている。特に明石には、よく世話になっている」

「えっ……わ、私がですか?」

 

 提督の言葉に、明石は思わず顔を上げた。

 どうやら身に覚えが無いようだったが、提督は暫く考え込むように明石を見つめた後で、こう言葉を続けたのだった。

 

「うむ。工作艦明石の装備改修能力は唯一無二のものであると聞いている。今までお前が改修した装備のおかげで、多くの艦娘が救われた事だろう。

 つまりそれは我々全員の助けとなっているのだ。私のみならず、この国の提督全員はお前の世話になっていると言っても過言ではないだろう。

 だから、いつか顔を合わせる機会があれば直接礼を言いたいと思っていたのだ――明石」

「……は、はいっ」

「いつもありがとう。頼りきりで申し訳ないが、これからもよろしく頼む」

 

 その言葉に、明石はしばらく固まっていたが、やがて小さく震え出した。

 提督は小さく首を傾げたが――明石は力が抜けたようにその場にへたり込み、そのまま大泣きし始めたのだった。

 

 気持ちは痛いほどわかる。いや、私なんかにはわからないのかもしれない。

 今までどんなに頑張っても貶され、罵られ、決して褒めてもらえなかった自分の仕事を、ここまで大きく評価されたのだ。

 唯一無二の能力だからこそ、失敗続きの装備改修に一番悩んでいたのは明石自身だったのだ。

 唯一無二の能力ですら上手くいかず、今回の件で人間に歯向かったとみなされ、全ての提督から見捨てられたとさえ考えていた明石が、そんな言葉をかけられたのだ。

 自分が存在する意味すら定かでは無くなってしまっていた明石が、はっきりとその存在を肯定されたのだ。

 明石の喜びは、如何ばかりであろうか。

 

「うわあああん! うわああああん!」

 

 提督は本当にわかっていないようで、おろおろと狼狽えてしまっている。

 助けを求めるように私を見やり、提督はこう言ったのだ。

 

「す、すまない大淀。恥ずかしながら私が女性の扱いに慣れていないせいで、何か失言をしてしまったようだ。本当にすまない」

 

 私は呆気に取られてしまった。

 先ほどの提督の発言は、艦娘の兵器としての能力を褒め称えたものだ。

 軍艦である私たちにとって、それはとても光栄な事である。

 にも関わらず、提督は「女性の扱いに慣れていない」と言ったのだ。

 私たち艦娘を、軍艦としての能力を認めてくれたうえで、女性として扱ってくれていたのだ。

 

 一向に泣き止む気配の無い明石に、提督は本気で狼狽えているのだろう。

 端正な顔立ちに焦りの色が浮かんでいるのが妙に面白くて、おかしくて。

 

「あははっ、あはっ……」

「お、大淀! なんでお前も泣いてしまうんだ! 何がいけなかったのか教えてくれ!」

「す、すいません、あはっ、あはははっ!」

 

 私はもう何が何だかわからなくなって、泣きながら笑ってしまったのであった。

 



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002.『期待外れ』【提督視点】

 俺が鎮守府に着任しました。

 これより艦隊の指揮を執ります。

 

 俺は焦っていた。

 鎮守府へ向かう車の中で、俺は昨晩まで考えていたハーレム計画の事など忘れて、艦隊司令部の佐藤さんからもらった本に目を通していた。

 タイトルは『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』。誰がクソ提督だ。馬鹿にしてんのか。クソ扱いは妹からだけで十分である。

 著者は佐藤さんだ。表紙にはポップなイラストがでかでかと載っている。萌えイラストで学ぶ英単語、みたいな感じだ。どんなセンスしてんだ佐藤さん。

 

 さすがにこれを持ち歩くのは恥ずかしいので、本屋で購入したドイツ語の本のカバーと入れ替えておいた。

 サイズが一緒だったので適当に購入したが、何の本なのかはわかるはずもない。俺の知ってるドイツ語などグーテンタークとダンケとシュトーレンしかないのだ。

 それがドイツ語なのかすらよくわからないが、オータムクラウド先生の作品内で伊8(はっちゃん)が言っていたので間違いは無いだろう。多分。

 

 勢いのままに提督になりますと言ったはいいが、まさか次の日に着任する事になるとは思わなかった。

 俺が現在何も仕事をしていなかったからよかったようなものだ。

 前の仕事を辞めてからなかなか仕事が見つからずニート同然であった俺の毎日は、この日の為にあったと言っても過言ではない。

 俺が提督になるのは運命だったのだろう。

 などと言っている場合ではなかった。

 

 俺は素人だ。俺が一番よくわかっているし、佐藤さんもよくわかっている。

 だから佐藤さんは俺にこう言ったのだ。

 

「君には艦娘たちからの信頼を取り戻す手伝いをしてほしいのだ」

「て、手伝いですか」

「ん。素人である君に艦隊の指揮は荷が重い。だが、提督の存在なくして艦娘は力を発揮できない。極端な事を言えば、君は執務室で腰かけているだけでもいい」

 

 名ばかり店長ならぬ、名ばかり提督という事だろうか。

 佐藤さんは説明を続けた。

 もちろん基礎的な事は君にも学んでもらうが、艦娘は指揮が無くとも、自分で考えてある程度戦う事が出来る。

 艦娘達が判断に迷うような重要な戦闘の場合は、艦隊司令部の私が君を通して指揮を執る事もできる。

 不安があればいつでも私を頼ってくれていい。

 君の仕事は大きな戦果を挙げる事ではない。だから心配する事はない。

 

「ただし……これが君の一番重要な仕事になるが、艦娘たちに君が素人だという事は決して気付かれてはならない」

「エッ」

「艦娘たちは命を懸けて戦っている。その指揮を執る提督がド素人であったらどう思う?」

「アッハイ」

「君を見つけるまでに艦娘たちに無理を強いてしまっている……これ以上信頼を失うわけにはいかないのだ」

 

 なぜ本当の事を話せないのかと思ったが、佐藤さん曰く――

 

「艦娘たちにとって、『提督』とは特別なのだ。艦娘たちにとって、『提督』とは特別でなければならないのだ。

「自分の命を預けるにふさわしい存在でなければならないのだ。

「私には妖精とやらは見えない。ただ、軍の知識と他の提督達からの知識を借りて、君の手助けをする事しかできない。

「私は艦娘たちにとって『提督』ではない。彼女たちの指揮を取ろうと、決して『提督』にはなれないのだ。

「理由はわからない。

ただ、彼女たちは『提督』を必要としている。

その『提督』の下で戦う事を必要としている。

そして君が『提督』だ。

私が君の手助けをしている姿を見られてはならない。

もしもそれを目撃されたら、彼女たちはこう思うだろう。

頼りにならぬ『提督』だ。このような人に私達は命を預けるのか、と。

艦娘と提督の信頼関係や絆がその性能を向上させるという研究結果も出ている。

絆の力を利用して艦娘の性能の限界を超えさせる特別な装備の研究が進んでいるくらいだ。

信頼なくして、この国の勝利は無いのだ。

だから君は、この国の平和の為に、艦娘たちの前で有能な提督を演じ続ける必要があるのだ」

 

 ――との事だった。

 話が長くて、正直よくわからなかった。

 端的に言えば、俺は素人であるにも関わらず、有能な新人提督を演じなければならないという事らしい。

 

「もちろん隠している間に知識を深め、経験を積み、歴戦の提督となってくれればそれがベストだ。ただ、基本的な事を学んでいるところを見られるのは致命的だ」

「ハ、ハァ」

「つまり艦娘たちにバレないように勉強して実力をつけ、一人前の提督として自立してくれれば私たちとしては非常に助かる」

「ち、ちなみに、結局一人前になった後にもそれがバレた場合には信頼どころではないと思うのですが」

「その時は鎮守府が崩壊し、最悪の場合この国は滅びるかもしれない」

「Oh……」

 

 荷が重すぎる。

 提督になれば楽しい艦娘ハーレム生活が待っていると思っていたのに、どうしてこんな事に。

 

 いや、こんな事で諦めるわけにはいかない。

 艦娘の信頼を得る、それはハーレムへの第一歩ではないか。

 しかも懸念されていた実力不足の部分も、佐藤さんが補ってくれるという。

 つまり俺は、艦隊司令部公認で有能提督を演じる事ができるという事ではないか!

 このチャンスを逃せば、艦娘とお近づきになれる機会など二度と無い。

 うまくいけば自分の実力でもないのに、艦娘の信頼を得られる。

 こんな美味しい話は無い。

 

「やはり、一民間人の君には荷が重すぎるか……」

「いえ、この国の未来の為です。私でよければ、喜んでこの身を捧げましょう」

「おぉ……近頃の若い者はと思っていたが、まだこんなに愛国心溢れる若者がいたとは。この国もまだまだ捨てたものではないな。それでは、現在の鎮守府の状況を軽く説明しておこう。横須賀――」

 

 そこから先は話を聞いていなかった。

 ハーレム計画を練るのに夢中になっており、気が付けば佐藤さんは帰り支度を整えていた。

 今更聞いていませんでしたなどと言えば怒られそうだったので、聞いていたふりをしたのだった。

 

 こうして次の日には鎮守府に着任する事が決定したわけだが――そこからが大変だった。

 艦娘も女の子なのだ、この家から恥を晒すわけにはいかないという事で、妹たちから艦娘と接するに向けてのイロハを叩き込まれたのだった。

「アンタのせいで艦娘たちの戦意が落ちてこの国が滅んだらどうすんのよ!」との事だった。

 何? 俺の身だしなみ一つでこの国滅ぶの? と思ったが、一応女性である妹たちの意見を参考にする事にした。

 

 第一が清潔感だった。その伸ばしっぱなしの髪と眉をなんとかしろと言われ、朝一で美容室に行く羽目になった。

 というより無理やり連れていかれた。

 人は見た目が九割という。たとえ素材が悪くても、とにかく姿勢と清潔感だけは常に気をつけろとの事だった。

 美容室のお姉さんにめっちゃイケメンですねと言われたが、おそらく営業トークなのだろうと思う。

 色々話しかけてくれたが、「アッハイ」ぐらいしか答えられず会話が続かず、最後にはお姉さんも無言になってしまった。凹む。

 

 あとは、対面している時に胸や太ももや脇や尻を見るなと言われた。

 見られている側にはバレバレらしい。凹む。

 見てしまいそうな時には、とにかく相手の目を見ろとの事だ。

 

 同じ建物の中で暮らすのだから、今までみたいにオ〇ニーするなと言われた。

 女の子は嗅覚が鋭いから、した直後は絶対にバレるし、激しい嫌悪感しか感じないとの事だ。

 トイレや自室、風呂場であっても百パーセントバレると言われた。恐ろしすぎる。

 今も臭いと言われた。凹む。こうして強制的にオ〇禁する羽目になった。

 

 それ以外にも色々と入れ知恵をされた。笑顔がキモいから笑うなと言われた。お前ら後で覚えてろよ。

 

 また、佐藤さんからのアドバイスに「威厳を保て」というものがあった。

 あまり馴れ馴れしくしてはいけない。下手に出てはもちろんいけない。

 上官として、まぁ、要するに偉そうな言葉遣いをすればいいらしいのだ。

 練習がてら妹たちに声をかけてみると、「ウザい」「キモい」「ムカつく」「死ね」と散々な評価だった。佐藤さんを信じて本当に大丈夫なのだろうか。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 と、いうわけで。

 俺は身だしなみを整えたりするので精一杯であり、鎮守府運営の最低限の知識を学ぶ時間がなかったのである。

 今朝支給されたばかりの着慣れない軍服に身を包み、姿勢を正して『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』に目を通す。

 何とかもう少しでチュートリアルの部分までは読み終わりそうだ。

 表紙は萌えイラストなのに中身は活字ばかりだ。詐欺じゃねえか佐藤さん。

 俺を乗せた車は少しずつ減速し、やがて停車した。

 

「着きましたよ。それではよろしくお願いします」

 

 運転手の人がそう声をかけ、後部座席のドアが自動で開く。

 ちょ、ちょっと待って。もうちょっとでチュートリアル編読み終わるから。

 本に目をやりながら、俺は座席から降りる。

 よし、何とかギリギリ読み終わった。

 

 何やら人の視線を感じてそちらに目をやると、鎮守府正門の前に女性が二人、こちらを見ている。

 い、いかん! どうやらお出迎えに来てくれていたようだ。

 挨拶もせずに本を読んでるとか、失礼にも程がある。

 あまり下手に出るのはよくないとは言われたが、ここは素直に謝っておいた方がいいだろう。

 

 俺は『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』をぱたんと閉じて懐に入れ、女性二人の下へ歩み寄った。

 

「せっかく出迎えてくれたのに、失礼な事をした。すまない」

 

 女性二人の顔をよく見るよりも先に俺は軍帽を取り、頭を下げた。

 頭を下げながら、俺は一つの事に気が付く。

 

 あれ、この偉そうな口調、意外といいな。

 普段の俺だったら、「アッ、アッ、ソノ、ゴ、ゴメ」みたいな感じになっていたと思う。

 何というか、素で話すのではなく演技している風なのがいいのだろう。

 なるほど。正体を隠すというのは、素がコミュ症の俺には逆に合っているのかもしれない。

 それに、艦娘って見た目が若い子が多いから、年下とは普通に話せる俺的にはあまり緊張しなくて済むのかもしれん。

 

 顔を上げると、女性二人は慌てて敬礼する。

 俺もした方がいいのだろうか。よくわからなかったので何もしなかったが。

 

 っていうか二人とも何そのスカート。

 丈が短いだけじゃなくて、なんで思いっきり横から肌見えてんの? 一歩間違ったらパンツ見えない?

 見るなって方が無理じゃない?

 でも見たら女性側からすればわかるんでしょ? んでキモいって言うんでしょ?

 どうすればいいのだ。少しでも気を抜くと、スカートのスリットに視線がロックされてしまう。

 とりあえず妹のアドバイス通りに、相手の目を凝視する事にした。

 まずは眼鏡っ子の方からだ。

 

「おっ、お待ちしておりました! 私、軽巡洋艦、大淀と申します!」

「こ、工作艦、明石です。どうぞよろしくお願い致します」

 

 大淀に明石。

 どちらも聞いた事のある名前だ。

 大淀はオータムクラウド先生の同人誌で脇役としてよく出てくる。大抵黒幕だ。

 真面目そうに見えるが、実は相当腹黒いのか……。頭も切れそうだし、この娘には気をつけねば。

 アッ、目を逸らされた。凹む。

 

 気を取り直して、今度は明石に目を向ける。

 こちらはオータムクラウド先生の『口搾艦、明石! 参ります!』の主役を張っているのでよく知っている。

 もう二年以上の付き合いだ。三日前くらいにもお世話になった。

 アッ、こっちも目を逸らされた。凹む。

 

 落ち込んでいる場合ではない。

 上官らしい事を何か言った方がいいだろう。

 

「大淀に明石か。お前たちの事はよく知っている。特に明石には、よく世話になっている」

 

 アッ、しまった。

 上官らしい内容ではなく、上官らしい口調で普通に考えてた事を口にしてしまった。

 当然だが、明石はそんな覚えは無いという表情で俺を見上げている。俺もそんな覚えは無い。

 お世話になっているのは俺の股間の九一式徹甲弾です、いつも改修ありがとう。

 言えるわけがない。セクハラではないか。このままでは着任初日にして軍法会議待った無しである。

 何か適当な理由を考えねば。

 

「……うむ。工作艦明石の装備改修能力は唯一無二のものであると聞いている。今までお前が改修した装備のおかげで、多くの艦娘が救われた事だろう。

 つまりそれは我々全員の助けとなっているのだ。私のみならず、この国の提督全員はお前の世話になっていると言っても過言ではないだろう。

 だから、いつか顔を合わせる機会があれば直接礼を言いたいと思っていたのだ」

 

 おぉ、我ながらそれっぽい事が言えたのではないだろうか。

 まぁオータムクラウド先生の『口搾艦、明石! 参ります!』の後書きに書いてあった明石評そのままなのだが。

 読んでおいてよかった。流石は俺が世界で唯一尊敬しているオータムクラウド先生だ。

 

「明石、いつもありがとう。頼りきりで申し訳ないが、これからもよろしく頼む」

 

 これは俺の本心だった。

 いや本当に、これからもお世話になると思います。

 

 うーむ、しかし見れば見るほど、オータムクラウド先生の同人誌と外見がそっくりだ。

 鎮守府は一般人立ち入り禁止ではあるが、艦娘の写真などの情報はある程度公表されており、同人作家はそれを資料として作品を描くらしい。

 しかし俺の前に立つ大淀と明石は、服装や表情、髪型、体型なんかも、細かい部分までオータムクラウド先生の作品にそっくりだ。

 まるで目の前で描き映したのかと思うほどである。

 流石はオータムクラウド先生、他の作家とは一線を画している。

 

 そんな事を考えていると――明石がいきなりへたり込み、大泣きし始めたのだった。

 

 エッ。

 ちょっ、ちょっと待って? 何で⁉

 ま、まさか無意識のうちに声に出してた⁉ そ、そんなわけは無い。

 何か失礼な事を言ってしまったのだろうか⁉ ど、どこだ。駄目だ、思い当たる節が無い。

 

 いかん。このままでは信頼関係を築くどころでは無い。

 くそっ、俺に女性経験が皆無である事を明らかにするのは恥ずかしいが、ここは恥を忍んで、大淀に何とかこの場を収めてもらおう。

 

 狼狽を隠せない。限界だ。

 非常に情けない事だが、俺は大淀に助けを求めた。

 

「す、すまない大淀。恥ずかしながら私が女性の扱いに慣れていないせいで、何か失言をしてしまったようだ。本当にすまない」

 

 大淀も泣きだした。

 もう俺も泣いていいかな?

 




どうでもいい裏設定
※提督はコミュ症ですが、身だしなみを整えて黙っていれば普通にイケメンです。
※自分から積極的に話しかけにいけず、過去のトラウマもありモテた経験は皆無です。
※提督には瑞鶴と曙と満潮と霞によく似た妹がいます。
※提督は褒めると調子に乗りやすいタイプなので、妹たちは提督の事を褒めてくれません。


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003.『立ち上がる時』【艦娘視点】

 明石共々、恥ずかしいところを見られてしまった。

 まさかこの私があんなに大泣きしてしまうなんて。

 そういえば、新しい提督の着任といういいネタを、あの青葉が逃すはずが無い。

 鎮守府正門の高い塀の上を見上げると、カメラを構えた青葉とファインダー越しに目が合った。

 

「……青葉、見ちゃいました!」

 

 そう言い残して、青葉は塀の向こうへと姿を消した。

 今すぐにでも追いかけたい所だったが、先ほどから私達が泣き止むのを待ってくれていた提督を、これ以上待たせるわけにもいかない。

 明石もようやく泣き止んだ。私は提督に再び敬礼する。

 

「お見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ありません」

「いや、私もだ。できればこの事は他言しないでもらいたい」

 

 提督は先ほどの動揺を何とか押し殺したのか、恥ずかしそうに軽く咳払いをして、そう言ったのだった。

 いけない。タガが外れてしまったかのように、笑みが零れてしまいそうになる。

 

「了解しました。お互いの心の内に留めておきましょう」

 

 提督を執務室に案内する。

 明石の役目は提督のお出迎えだけであり、ここから先は私の仕事だったのだが、ついてきていた。

 泣き止んだ後は恥ずかしそうに俯いてばかりだが、提督の視界の外から提督を観察するかのようにちらちらと視線を向けている。

 明石なりに、考えるところがあるのだろう。

 

 提督は執務机の椅子に腰かけると、机の上に山積みになった書類に目を向けた。

 鎮守府の中の施設維持関係や、艦娘からの申請関係、艦隊司令部へ報告しなければならない定期の備蓄状況報告や戦況報告など、提督で無ければ決裁できなかったものだ。

 私たち艦娘には、それだけの権限は与えられていない。

 提督はそれらの書類にひとつふたつ、軽く目を通すと、再び元の場所へと戻した。

 今手に取っていたものは、提出期限が迫っていたはずだが。

 

「まずはこの鎮守府の現状を把握したい。現在所属している艦娘たちのリスト等資料はあるか」

「えっ……よろしいのですか? 艦隊司令部への報告書などは期限が迫っていますが」

「構わん。この鎮守府の現状を知る事が最優先事項だ。とりあえず艦娘たちの顔と名前を覚えたい」

「はっ……はい! 資料はこちらに用意してあります!」

 

 私は個人的に用意していた資料の中から、提督に求められた情報のあるものを差し出した。

 艦娘たちの艤装を映した全身写真と共に、練度、性能等を客観的に評価し、一覧にしたものだ。

 提督はそれを食い入るように、真剣な表情でそれを読み込んでいる。

 先ほどまで私達の扱いに困り果て、おろおろと狼狽えていた方と同一人物とは思えない。

 

 私は歓喜していた。

 明石を見ると、どうやら同じようだ。

 

 これと同様の資料を、前提督に自主的に差し出した事がある。

 あまりにも艦娘たちに目を向けず、性能もしっかり把握できていなかった為だ。

 しかし前提督は――意見される事が嫌いな人だった。

 それが正しかろうが間違っていようが、決して他人の意見には従わない。

 プライドが高く、向上心は低かった。

 戦場での敗北は、全て艦娘の練度不足で片づけた。

 

 こいつなら勝てるだろう、という提督の根拠のない判断で出撃させられていたあの時期は、まるで博打だった。

 競艇か、競馬か、といったところだろうか。

 この船ならば勝つだろう、この馬ならば勝つだろう、そういった感じだ。

 性能ではなく、過去の勝率ばかりを気にしていた前提督は、戦果を挙げられない艦娘の顔には全く興味がなかった。

「おい、お前!」「おい、そこの!」「おい、と言ったらお前しかいないだろう!」

 前提督の一番近くにいた私ですら、そういった言葉は日常茶飯事だった。

 人数も多い睦月型や夕雲型の子たちは、何でお前たちは似た名前が多いんだ、と無茶苦茶な言葉を浴びせられた事もあった。

 

 故にこの資料を作成したのだ。

 私達の性能を知ってほしかったのだ。

 敵水雷戦隊に毎回戦艦を差し向ける必要は無いと知ってほしかった。

 こちらの水雷戦隊も優秀なのだと知ってほしかった。

 重巡洋艦は戦艦の劣化ではないと知ってほしかった。

 駆逐艦は軽巡洋艦の劣化ではないと知ってほしかった。

 私達一人一人に目を向けてほしかったのだ。

 

 敗戦に次ぐ敗戦と激務の中で無理やり時間を作り、私と明石、夕張、青葉を中心としてようやく出来上がった。

 前提督は、死ぬ思いで作ったそれを一瞥もせずにゴミ箱へ放り投げ、私達四人は厳しく叱責された。

 こんなものを作るほど暇があるのだったら、勝率を上げる努力をしろ、との事だった。

 努力の結果がその資料なのですと、反論する力はもう無かった。

 

 ――それが、この若い提督はどうだ。

 艦隊司令部への報告書は期限厳守であるという事は、提督自身が一番よくわかっている事だろう。

 期限に一日でも、一分一秒でも遅れてしまった場合、それなりの処分が下される事も。

 提督はそれを承知で、私たちの顔と名前を覚える事が最優先だと言ってくれたのだ。

 

 この方に一番初めに自己紹介できた事すらも、光栄に感じてしまう。

 

「――大淀」

 

 私は思わず見惚れてしまっていたようだった。

 気が付けば、提督が怪訝そうな目で私を見上げている。

 大淀、と、私の名を呼んでくれていた。

 

「はっ、はいっ! 申し訳ありません!」

「これは大淀が作ったのか?」

「い、いえ、総括して編集したのは私ですが、性能評価は主に明石と夕張等と相談しながら作成しました」

「この写真は」

「重巡洋艦、青葉に協力してもらい、撮影しました」

「そうか。実に素晴らしい資料だ。写真や図面、表やグラフにより、非常にわかりやすくまとまっている。しばらく私の手元に置いておいてもいいか」

 

 いけない。また涙がこみ上げてきた。

 どうやら明石も同じようだ。

 これは私たちの仕事だ。やって当然の事だ。

 いちいち褒めてもらいたいわけではない。

 しかしそれでも、ただ正当な評価をされる。

 それがこんなにも、こんなにも嬉しい事であったとは。

 これ以上醜態を晒すわけにはいかない。ぐっ、と涙を堪える。

 

「……はい、もちろんです。どうか、どうか私達を、よろしくお願いします」

 

 そう言って私は、深々と頭を下げたのだった。

 明石も同じ想いを抱いていた事だろう。

 もっともっと、この人に褒めてもらいたい、と。

 

「うむ。私の方こそ、よろしく頼む。…………あぁ、それと、もう一つ頼みたい事があるのだが」

「はいっ、何でも申しつけ下さいっ」

「前回の侵攻からこの一か月間の戦況の推移がわかる資料などは無いか。今のうちに目を通しておきたいのだが」

「はい。こちらに用意してあります」

 

 私は嬉しくなった。

 この一か月間、報告する相手のいない報告書が艦娘たちから提出され続ける毎日であったが、それに真っ先に目を通して頂いた。

 この方は、私たちの求める事を的確に判断し、行ってくれる。

 提督は忌まわしき一か月前の敵の布陣や侵攻状況に始まり、そこから私達があがいた一か月間の報告書に目を通す。

 

 ――速い。

 

 提督は時折、「ふむ……」「なるほど」「そういう事か」などと独り言を漏らしながら、報告書のページをめくっていく。

 独り言に気が付かないほど集中しているのだろうか。それにしても、速読だ。あの速さで、この一か月の一戦一戦を分析できるのだろうか。

 最後の方になると、もはや流し読みなのではないかと思うほどの速さで目を通し、パタンと報告書を閉じた提督はゆっくりと重い腰を上げる。

 提督は私と明石に交互に目をやり、言ったのだった。

 

「大淀、明石」

「はい」

「長い時間待たせてしまい、すまなかった。お前たちのお陰で、ようやく立ち上がる事ができる」

 

 ――これは。

 

 私は明石と顔を見合わせた。

 この一か月の報告書から、反撃の糸口を見つけたというのか⁉

 それも、この短時間で⁉

 

 ――お前たちのお陰で、と言って下さるのですか。

 私達、艦娘のお陰で、この鎮守府は再び立ち上がる事ができるのだと。

 地獄のようなこの一か月は、私達の必死の頑張りは、決して無駄ではなかったのだと――。

 

 もう、涙を堪える事ができなかった。

 泣くなという方が無理なのだった。

 

「……はいっ、この時を、本当に……お待ちしておりました……!」

 

 私と明石が感涙と共に敬礼すると、提督は少し狼狽えてしまったようだった。

 先ほどもだったが、沈着冷静に見えて、こういった感情がぽろりと零れてしまう。

 軍の風紀の為に厳格さを表に出してはいるが、本来はとても心優しいお方なのだろうと思った。

 

「な、泣いている場合ではない。時間が無いのだ」

「も、申し訳ありません……こ、この後はいかがなさいますか?」

 

 気を取り直すように、こほん、と咳払いをすると、提督はこう言ったのだった。

 

「工廠へ案内してくれ。艦娘の『建造』を行いたい」

 



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004.『立ち上がる時』【提督視点】

 執務室へ案内され、俺は執務机の椅子に腰かけた。

 目の前には書類の山だ。軽く目眩がする。

 これ全部俺一人で処理しなきゃいけないの? 俺素人なんだけど。

 適当にひとつふたつ、書類を手に取ってみる。

 

『定期備蓄状況調査について。月末時点での燃料・弾薬・鋼材・ボーキサイトの収支を前月と比較した上で――』俺は途中で読むのを諦めて書類を元の位置に戻した。

『カツの調理に使用する為のロース肉と食用油の申請』何でカツ限定なんだ。もっと調理用途があるのではないか。カレーが特別視されているのは聞いているが、カツカレーにするのだろうか。

 そもそも書類の処理の仕方など教えてもらっていない。

『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』のどこかに記載されていればいいのだが。後で見つからないように調べておこう。

 

 こんな書類などどうだっていいのだ。

 初心忘れるべからず。

 俺がこの鎮守府に着任した目的は、俺の為の艦娘ハーレムを形成する事だ。

 その為には、この鎮守府にどんな艦娘がいるのかを把握する事が最優先なのである。

 これで見た目の幼い駆逐艦や中学生レベルの軽巡洋艦ばかりだったらどうすればいいのだろうか。俺のハーレム計画が崩れ去る。

 俺の運命がここで決まると言ってもいい。

 

 手にした書類を元の位置に戻した俺は、大淀に声をかけた。

 

「まずはこの鎮守府の現状を把握したい。現在所属している艦娘たちのリスト等資料はあるか」

 

 大淀は俺の言葉に少し驚いたように、言葉を返す。

 

「えっ……よろしいのですか? 艦隊司令部への報告書などは期限が迫っていますが」

 

 エッ。何それ聞いてない。

 ま、まぁ着任して間もないし、最悪の場合佐藤さんに相談すれば何とかしてくれるだろう。佐藤さん偉い人のようだし。

 大淀たちを安心させる為にも、俺がここで動揺するわけにはいかんのだ。

 

「構わん。この鎮守府の現状を知る事が最優先事項だ。とりあえず艦娘たちの顔と名前を覚えたい」

「はっ……はい! 資料はこちらに用意してあります!」

 

 大淀は何故か嬉しそうに、執務机の上に置いてある資料の一つを差し出してきた。

『艦娘型録』と表紙に記載されている、オータムクラウド先生の薄い本五冊分ほどの厚みを持つそのファイルを開くと、艦娘の全身写真が目に飛び込んできた。

 おおっ。

 俺は思わず声を出しそうになるのを堪えた。

 艦種ごとに順序よくファイリングされており、その性能が数値化されている事で非常によくまとめられている。

 艦娘の全身を前後左右から映した写真と、艤装の解説もわかりやすい。

 特にこの写真がいい。胸も足も見放題ではないか。これならば視線を気にすることなく隅から隅までガン見できる。ダンケ。

 

 駆逐艦のページは軽く流し見をした。とにかく数が多い。オータムクラウド先生の作品に描かれていない娘も多かった。

 やはり数が多すぎて、オータムクラウド先生でも把握できていない部分があるのだろう。

 オータムクラウド先生は駆逐艦が主役の作品を決して描かないし。まぁ描いたら条例とかに引っかかりそうな気がしないでもないし、俺も流石に駆逐艦では夜戦連撃できない。

 どうやらこの鎮守府には、いろんな種類の駆逐艦がまばらに所属しているようだったが、それにしても数が多すぎないか。

 俺のハーレム計画に若干の陰りが現れる。

 

 軽巡洋艦は今ここにいる大淀に、夕張。夕張はメロンを連想する名前に反してあまり胸部装甲が厚くない事で有名な軽巡洋艦である。

 オータムクラウド先生の作品では、常に大人の玩具を工廠で開発しているろくでもない奴だ。いつもお世話になっております。

 それに、天龍型の天龍と龍田。世界水準を軽く超えたスタイルを持つ事で有名な軽巡洋艦である。

 そして川内型の川内、神通、那珂ちゃんだ。川内は夜戦馬鹿、神通はおとなしくて気弱な大和撫子、那珂ちゃんは艦隊の自称アイドル。

 オータムクラウド先生の作品では、この天龍型と川内型、五人が主役のものは全く見た事がないので、俺もこれ以上はあまり詳しくはない。

 オータムクラウド先生の琴線に触れないのだろうか。

 

 お待ちかねの重巡洋艦のページだ。

 おぉ、末妹の羽黒以外はストライクゾーンに入っている妙高型四姉妹が揃っているではないか。

 特に妙高さんは俺ランキング第六位にランクインしている。大当たりではないか。

 オータムクラウド先生の『これ以上私にどうしろというのですか……!』は名作だ。いつもお世話になっております。

 それに、青葉型の青葉。艦隊新聞を製作しているパパラッチ的な存在らしい。

 正直、コイツはいない方がよかった。オータムクラウド先生の作品によれば、鎮守府の至る所にコイツの監視カメラが隠されているらしいからだ。

 コイツのお陰で鎮守府内では下手な事はできんな。おちおちオ〇ニーもできん。いや、するなと釘を刺されてはいるが。

 後は……ば、馬鹿な。俺の高雄型が一人もいない。古鷹型も、最上型もいない……だと……!

 俺ランキング二位の高雄が……愛宕が、古鷹が、もがみんが……クソが!

 と、利根型の二人、利根と筑摩はいるな。利根はともかく、筑摩がいるではないか。

 妹属性であるにも関わらず俺ランキングのランカーなのは愛宕と筑摩と陸奥ぐらいである。よし。良しとしよう。

 

 おおっ、練習巡洋艦、香取姉と鹿島が二人ともこの鎮守府に!

 鹿島はともかく、香取姉は俺ランキング第三位にランクインしている。大当たりではないか。

 オータムクラウド先生の『これは少し厳しい躾が必要みたいですね』は名作だ。いつもお世話になっております。

 この鎮守府に大量にいる駆逐艦たちを鍛える為であろうか。ハーレム対象外の駆逐艦たちも役に立つではないか。

 将を射んとすば、まず馬を射よとはこの事か。海老で鯛を釣るとはこの事か。

 俺の股間の駆逐艦も色々と優しく指導してくれまいか。

 

 軽空母は、鳳翔さんと龍驤、それに春日丸だ。

 ……春日丸って誰だ。名前だけはどこかで聞いた事があるような無いような。艦娘というには女の子しかいないと思っていたが、男もいるのか。

 そういえば名前しか知らないが、あきつ丸とか出雲丸とかいう艦もいるらしいし。艦娘ならぬ艦息とでも言えばいいのか。

 ううむ、現地に来てみないとわからない事もあるものだ。

 もしかすると男の子の艦は他にもいるが、オータムクラウド先生が描いていないだけかもしれない。

 まぁ、男など当然ハーレム対象外なのでそれはどうでもいいのだ。

 鳳翔さんは小料理屋を経営している事しか知らない。オータムクラウド先生の作品によれば、鎮守府でもっとも怒らせてはならない人らしい。気を付けよう。

 龍驤はストライクゾーン外なのでよくわからない。多分いい奴だ。

 

 水上機母艦に、千歳お姉と千代田。これは嬉しい。通称、水上機ボイン姉妹だ。

 特に千歳お姉は俺ランキング第四位にランクインしている。大当たりではないか。

 オータムクラウド先生の『千代田に怒られちゃうから、黙っていて下さいね』は名作だ。いつもお世話になっております。

 

 正規空母は……おぉっ、赤城に加賀、翔鶴姉に瑞鶴まで。選り取り見取りである。

 特に翔鶴姉は俺ランキング第五位にランクインしている。大当たりではないか。

 オータムクラウド先生の『スカートはあまり触らないで』は名作だ。いつもお世話になっております。

 というよりも、この鎮守府、結構重要な拠点なのだろうか。

 思っているよりも戦力がかなり充実している気がするのだが。

 な、何ッ! 翔鶴姉、袴のスリットから紐が見えてます! 紐が! パンツ! パンツです! お世話になります!

 

 いかん。この場でお世話になれるわけがないではないか。思わず反射的に俺の股間の防空巡洋艦マラ様が対空砲火の準備をしそうになった。

 大淀と明石の存在を忘れていた。あとで一人になれるタイミングを探そう。駄目だ。オナ〇―するなと妹たちに言われていたばかりだった。凹む。

 

 戦艦は、金剛型の比叡、榛名、霧島、それに長門か。ランク外の長門達はともかく、陸奥や扶桑姉さまがいないのが非常に残念だ。非常に残念だ。

 オータムクラウド先生の『あまり火遊びはしないでね』は名作だ。いつもお世話になっております。

 しかし金剛型というからには、金剛という名の戦艦がいるはずなのだが、どの同人誌においてもその姿形を見た事がない。

 未だに艦娘として発見されていないという事だろう。

 名前からして筋肉モリモリの金剛力士像みたいな娘なのだろうか。うちには着任しなくてもいいかな……長門だけで十分だ。

 

 潜水艦は伊168(イムヤ)伊19(イク)伊58(ゴーヤ)か。全員顔はよく知っている。

 オータムクラウド先生の『イク、イクの!』は名作だと思うがお世話になった事は無い。

 見た目からしてスク水だし、年齢が低めに見えるので、もちろん全員俺のハーレム対象外だ。

 

 し、しまった。ついつい夢中になって読み込んでしまった。

 俺が脳内でハーレム計画の編成をしている間も、大淀と明石は姿勢正しく待機しているのだった。このままではまた信頼を失ってしまう。

 とりあえずこの『艦娘型録』は貴重なオカズとして、いや、貴重な資料として手元においておこう。

 俺は大淀に声をかけたが、待たせすぎてボーッとしていたのか、反応が悪かった。

 い、いかん。やはり放っておきすぎた。申し訳ない。少しでも機嫌を取っておかねば。

 

「これは大淀が作ったのか?」

「い、いえ、総括して編集したのは私ですが、性能評価は主に明石と夕張等と相談しながら作成しました」

「この写真は」

「重巡洋艦、青葉に協力してもらい、撮影しました」

 

 青葉か。君がこの鎮守府にいてくれて本当に良かった。今後もこの調子で頼みたい。

 翔鶴姉のパンツを仕留めたMVPだ。後で何かご褒美をあげよう。

 

「そうか。実に素晴らしい資料だ。写真や図面、表やグラフにより、非常にわかりやすくまとまっている。しばらく私の手元に置いておいてもいいか」

 

 大淀は快く了承してくれた。うむ。いいオカズが、いや、いい資料が手に入った。

 満足したところで、そろそろ次の仕事に入ろうと――席を立とうとした瞬間である。

 

 俺が席を立つよりも早く、防空巡洋艦マラ様が立ち上がっていたのであった。

『あたし引っ込めて、艦隊は大丈夫か?』とでも言いたげである。俺の世間体が大丈夫じゃなくなるから、早く引っ込んでくれ。

 このままでは立ち上がれないではないか。どんだけ翔鶴姉のパンチラに興奮してんだ自分。

 チュートリアルを進めるには、この部屋から移動せねばならんのだ。

 俺の股間よ、シズメシズメ。

 駄目だ、モドラナイノ。

 仕方が無い。適当に仕事しているふりでもしながら、マラ様が落ち着くのを待つとしよう。

 そう言えば、佐藤さんが「前回の侵攻からこの一か月間の戦況の推移がわかる資料」があれば早めに目を通しておいた方がいいと言っていた。

 俺は大淀に声をかける。

 

「前回の侵攻からこの一か月間の戦況の推移がわかる資料などは無いか。今のうちに目を通しておきたいのだが」

 

 差し出してくれた資料に目を通す。

 海図と共に、戦闘位置、敵味方の陣形、編成、戦闘の状況、結果などが記された報告書。それが一か月分。

 何これ全然わからん。

 しかしそれを悟られるわけにもいかん。

 

「ふむ……なるほど。そういう事か」

 

 とりあえずわかっているような感じの言葉を呟いたのだった。

 パラパラと適当に目を通してみたが、一向に理解できない。

 しかしそれが功を奏したのか、俺の股間のマラ様は『こんなになるまでこき使いやがって、クソが!』といった感じで引っ込んだのだった。

 いつもコキ使ってすみません。

 俺の股間が収まるまで、結構時間を使ってしまった。

 その間、俺の股間と同じくずっと立ちっぱなしだった大淀と明石には申し訳ない。

 

 俺は資料の残りのページを流し読みすると、ようやく立ち上がる事ができた。

 その謝罪とお礼の意味を込めて、大淀と明石にこう言ったのだった。

 

「長い時間待たせてしまい、すまなかった。お前たちのお陰で、ようやく立ち上がる事ができる」

 

 大淀と明石は二人で顔を見合わせた後、また泣き出してしまった。

 

「……はいっ、この時を、本当に……お待ちしておりました……!」

 

 泣くほどお待ちしてたの⁉

 ご、ごめん。本当にごめん。俺の股間がお待たせしてしまって。

 さっきから泣かせてばかりだが、大丈夫か俺への信頼。

 

「な、泣いている場合ではない。時間が無いのだ」

「も、申し訳ありません……こ、この後はいかがなさいますか?」

 

 大淀がそう言ったので、ようやく先に進めそうだった。

 もう書類をみるのはウンザリである。

 これでようやく、『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』のチュートリアル編、その一。『工廠で新しい艦娘を建造しよう!』へ進む事ができる。

 

 俺は気を取り直すべく軽く咳払いをして、言ったのだった。

 

「工廠へ案内してくれ。艦娘の『建造』を行いたい」

 



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005.『煤と油』【艦娘視点】

「あれっ、大淀、明石。その方はまさか……」

「本日より我が横須賀鎮守府に着任されました、新しい提督です」

 

 工廠についた私達の前に偶然現れた夕張にそう言うと、夕張は慌てて提督に敬礼する。

 今日、新しい提督が着任するとは伝えていたはずだが、作業服にシャツの、ラフな服装だ。

 また何か兵装の実験でもしていたのだろうか、煤やら油やらでその両手は真っ黒になってしまっていた。

 

「へっ、兵装実験軽巡、夕張です! どうぞよろしくお願いします!」

「うむ。お前の噂はよく耳にしている。これからもよろしく頼むぞ」

 

 提督はそう言って、夕張に右手を差し出したのだった。

 夕張はそれを見て、慌てて握手に応じたのだが――

 

「あっ」

 

 ――と、私と明石、そして夕張が思わず口にしたのは、ほぼ同時だった。

 あまりにも自然に握手を求められたので、何も考えずにその手を握ってしまったのだろう。

 提督の汚れ一つ無かった白手袋は、黒い煤や油で真っ黒に汚れてしまった。

 夕張の顔から血の気が引いていくのがわかる。私と明石もそうだったかもしれない。

 

「もっ……申し訳ありませんッ!」

 

 ぱっ、と手を放した夕張は泣きそうな顔になり、一歩下がって勢いよく頭を下げる。

 それも当然の事だった。

 

 何しろ、かつて前提督が工廠を訪れた際に、夕張が誤って軍服に汚れを跳ねさせてしまった事があるが、その時に酷い罵声を浴びせられた経験があるからだ。

 お国から賜ったこの軍服に汚れをつけるとは何事だ、と激しく非難され、それ以降、前提督は顔を合わせるごとに夕張を責めた。

 

 この戦いに勝つ為に、提督の為に装備の開発をしているのに、それが原因で責められた夕張のショックは大きかった。

 怒りよりも大きな悲しみに包まれ、ただひたすらに、前提督に落胆した。

 

 だというのに、新しく着任する提督に期待していなかった私や明石と違い、夕張は前向きな意見を話していた。

 この私にも、きっと今度はいい提督が来てくれると励ましをくれたのは、他ならぬ夕張だったのだ。

 

 しかしその彼女は、初対面の提督の白手袋を汚してしまった。

 気の短かった前提督に限らず、煤と油まみれの手で汚される事に不快感を感じる者は多いだろう。

 夕張もそれを悟ったのだ。

 大切な第一印象を自らの手で台無しにしてしまったのだから。

 

 夕張に悪気は無い。

 そう声をかけるべきか、私が悩むよりも早く、泣きそうな声で謝り続ける夕張に対して口を開いたのは提督だった。

 

「おおお、御手を汚してしまいましたっ! 本当に、本当にっ、申し訳ありません!」

「夕張、顔を上げろ」

「はっ、はいっ……!」

 

 その汚された手で頬を張り倒されるのかもしれない。

 そんな覚悟を持って夕張は顔を上げた事だろう。

 

 ――そんな夕張は、さぞ、驚いた事だろう。

 

 提督は両手の白手袋をその場で放り捨て、自ら夕張の両手を取り、それを優しく、素手で包み込んだのだった。

 当然、手袋により汚れていなかったその肌までもが、煤と油にまみれてしまう。

 提督は訳も分からず目をぱちぱちさせている夕張をじっと見て、真剣な表情で言葉を続けた。

 

「この煤と油まみれのお前の両手は、他ならぬお前の努力の結晶そのものだ。それに触れさせてもらえるとは、何とも光栄な事ではないか」

 

 なんとなく、私と明石はわかっていたのだろう。

 顔を見合わせて、困ったように目と目で笑った。

 

 この御方は、この程度では決して怒るような人では無い、とても寛大な方なのだ。

 その身を包む純白の軍服は、前提督が言っていたように国から支給されるものだ。

 おそらく新しく鎮守府に着任するという事で、新品である事が推測できる。

 それに汚れが付くことも構わずに、いや、むしろ手袋を捨ててあえて素手で、何の躊躇いも無く夕張の手を包むとは――提督の懐の深さは計り知れない。

 

「あっ、あの、ありがとう、ございます、あの……で、でも、よ、汚れてしまいますから、あの……っ」

 

 夕張は顔を真っ赤にして、もごもごと何やら言っていた。

 だんだんと状況が飲み込めてきて、嬉しさと恥ずかしさが一気に襲い掛かってきて、訳が分からなくなっているのだろう。

 

 もしも私が同じ状況にあったら、どうだろう。

 あの提督が、私の両手を包み込みながら、あの真剣な眼で、じっと顔を見つめてきたら。

 汚れた自分を拒絶せずに、認めてくれたなら。

 

 ……そろそろ助け船を出した方がいいかもしれない。このままでは先ほどの明石のごとく、夕張が轟沈してしまいかねない。

 それに、個人的に、少しだけ、見ていて面白い光景でもないような気がした。少しだけ。

 

「提督。そろそろ建造を開始いたしましょうか」

「む……そうだったな。案内してくれ」

 

 提督を促して、私達は工廠の中へ足を踏み入れた。

 

「おおっ」

 

 提督が工廠内を見渡し、声を上げる。

 おそらく工廠内で働く妖精さん達を見ているのだ。

 妖精さんの存在だけは聞いていたのだろうが、やはり現場で働く大勢の妖精さんの姿は圧巻なのだろう。

 

 提督が妖精さん達に取り囲まれて、狼狽えてしまっている。

 私達艦娘は、妖精さんの姿を見る事はできるが、言葉を交わす事ができない。

 だが、どうやら提督が妖精さんに好かれている事だけはわかった。

 前提督には、妖精さん達はあんな風に近付こうとはしなかったからだ。

 

 まだ顔の赤い夕張が、ちょんちょん、と私の肩をつつく。

 

「ね、ねぇ大淀。あの新しい提督、いきなり建造するの⁉ 資源にもあまり余裕は無いと思うんだけど……」

 

 正直に言うと、私も驚いているのだ。

 何しろ、第一にこの鎮守府の艦娘の情報を読み込み、第二にこの一か月間の戦況分析を行った。

 その後に一体何をするのかと思えば、他の書類に目を通すでもなく、いきなり建造を始めるというのだから。

 

 艦娘の建造とは、現在も海の底に沈む艦の魂を引き上げる、サルベージする行為に似ている。

 燃料、弾薬、鋼材、ボーキサイトと呼ばれる、艦娘の体を構成する未知のエネルギーを依り代に、艦の魂をそこに降ろす。

 ほとんどの艦娘は、そうやって建造された――海の底から引き揚げられた者が多い。

 夕張もそうだ。

 私や明石などは、深海棲艦との戦闘後に海上を漂っている所を発見されたらしいが。

 

 そしてこの『建造』は――必ずしも新しい艦娘が引き上げられるわけではないのだ。

 『すでに建造された艦娘の艤装の一部』が建造される事もある。

 これは、一度建造された艦娘も完全な状態で海の底から引き揚げられたわけではなく、そのエネルギーの残りはまだ海の底に残っている為だと考えられている。

 そうやって建造された『艦娘の艤装の一部』は、その艦娘の艤装と合成する事で性能を向上させる事が出来る。

 これが『近代化改修』――艤装合成と呼ばれるものだ。

 しかしそれは既存の艦娘の性能を向上はさせるものの、数値上は微々たるものだ。

 艦娘一人が建造されるよりも戦力の増強としての意味には乏しく、何よりつぎ込んだ資材に釣り合うものではない。

 

『建造』とはいわば『くじ引き』や『ガチャガチャ』に近い性質を持つのだ。

 ただ一つそれらと違うのは、ただの運だけではなく、『提督の指揮官としてのレベル』によって、艦娘を海の底から引き上げられる確率が変わる、と言われているところであろう。

 この『提督の指揮官としてのレベル』とは目に見えるものではない。

 だが、これまでの研究によれば、提督の能力によって明らかに建造の成功確率が変わっているそうなのだ。

 海の底に沈む艦の魂を引き上げるには、提督の、提督としての資質が何よりも問われる。そういう事なのだろう。

 

 つまり、前提督は……そういう事だったのだろう。

 

 前提督も、戦力になる、「使える」新しい艦娘を迎えるべく、毎日建造を行っていた。

 資源に余裕が無かろうと、毎日毎日、艦隊司令部からのデイリー任務分を超える数を、である。

 

 しかし前提督の前に、新しい艦娘が現れる事は一度も無かった。

 この鎮守府にいない艦娘(主に隼鷹)の艤装の一部ばかりが建造され、それは艦隊司令部の命令により、対象の艦娘が所属する各鎮守府へと分配された。

 前提督は、自分以外の提督の戦力が強化される事に、大いに怒り狂った。

 

 前提督は、自分だけが英雄になりたかったのだろう。この国を守ろうというのも、いつしか手段の一部程度になっていたのだ。

 狂ったように建造を続ける提督を流石に見ていられず、工廠を代表して夕張と明石が、そして私が前提督を諫めた事がある。

 

『すでに資材は枯渇寸前です! 出撃に向かう艦隊の分を除けば、建造に回す資材はありません! ここは出撃を最低限に控え、資材の備蓄を行うべきです!』

『戦果を挙げるには絶えず出撃し、敵中枢を撃破する必要があるのだ! 出撃を控えるなど言語道断だ!』

『ではせめて、資材の消費が多い戦艦と正規空母を、僅かでも消費の少ない重巡、軽空母へ編成しなおしてはいかがでしょうか!』

『そんなもの、戦艦と正規空母の下位互換だろう! 貴様は僅かな資材をケチり、負ける可能性を増やせというのか⁉ 全力を出さずにこの国が負けても良いというのか貴様は⁉』

『彼女たちも練度は十分です! それに、戦艦、正規空母たちの疲労は限界に達しています! 休養を挟まずにこれ以上の反復出撃は無理だと判断されます!』

『無理だと思うから無理なのだ! 貴様らにはこの国を守ろうという気合が足りん! そのような言葉が出る手駒しか持たんから、建造をする必要があるのだ。貴様らとは違う、使える駒を得る為にな』

『そ、そんな……! 提督!』

『もういい、下がれ! 資材が足りないというのならば、ろくに使えん軽巡、駆逐艦どもを遠征に送れ! 朝も夜もなく反復させよ! それでも足りない時は潜水艦どもを寝ずに動かせ!』

『て、提督の指示により、ただでさえ彼女たちには満足に補給が行き届いていない状況です! 彼女たちは提督の言葉に気を使って食事も満足に取れていません。そんな状態で遠征など、うまくいくはずがありません!』

『働かざるもの食うべからずという諺を知らんのか! 補給が欲しければ自分の足で稼げ! 出撃する前から失敗の心配など、どうやら貴様らには愛国心が無いようだ。真に愛国心を持つ者ならば、敵の弾が避けて通るわ!』

『提督! お考え直し下さい! 建造に回す資材があれば、遠征部隊にも補給が行き届き、遠征は成功し、数日経てば資材に余裕も……』

『ええい黙れ黙れ! 下がれと言っている! 建造は予定通り行う。貴様らのように口答えをしない、俺に従順な戦艦の建造をな! 資材は限界までつぎ込め! 次は、次こそは……!』

 

 ……思い出すだけで涙が出そうだ。

 

 その後、建造では横須賀鎮守府に所属していない艦娘(隼鷹)の艤装が完成。

 疲労の溜まった第一艦隊は大敗北。

 満足に補給の取れていない遠征部隊はどれも遠征失敗。

 疲労が積み重なり、大破、中破し、今にも倒れこんでしまいそうな彼女たちは入渠するよりも先に、提督に一時間ほど当たり散らされた。

 今回の大敗北、遠征の失敗は、私達の練度、愛国心、忠誠心、そして気合と根性が不足しているせいだという結論であった。

 

 あの日、建造に使用した燃料、弾薬があれば、どれだけの駆逐艦に補給が行き渡っただろうか。

 鋼材、ボーキサイトがあれば、加賀さん達は大破状態のまま数時間の入渠待ちをする事は無かっただろうか。

 そんな状況が積み重ならなければ――あの人を失う事は無かったのだろうか。

 

 そういった事情もあり、この鎮守府の私達は『建造』にあまりいい思い出が無いのだった。

 現在は最低限の出撃に留め、軽巡、駆逐艦の皆で協力して遠征に出ているおかげか備蓄は微増傾向にあり、何とか戦艦の建造に必要とされる程度の資材の余裕はある状況だ。

 

 もちろんそれは提督もよく理解しておられるはずだ。

 先ほどの報告書に、一日ごとの資材の増減も記載していたからである。

 この一か月間で得られた僅かな余剰は、鎮守府全体で歯を食いしばりながら備蓄した、汗と涙の結晶だという事も理解しているはずだ。

 この建造に失敗したら、提督の第一印象は最悪になる事も理解できているはずだ。

 鎮守府全体の艦娘を敵に回す事になると理解できているはずだ。

 このたった一回、戦艦を建造すれば吹き飛ぶ程度の資材が、どれだけ重いものかは十分に理解できているはずだ。

 

 それでも提督が、建造が必要だと判断したのだから、私はそれを信じてみたかった。

 使えない私達に代わる駒を探す為ではなく、この鎮守府に必要な艦を迎えるべく、建造をする必要性がある。

 どうしても、今、ここで、建造をする必要がある。

 提督はそう考えている風にしか思えなかったからだ。

 

 私は夕張に、小声で伝えた。

 

「信じます」

「えぇー……明石は?」

「……右に同じ」

「そうなんだ……さっき着任したばっかりよね? あんな目に遭っていた貴女達二人がそんなに信頼するなんて、一体何があったの?」

 

 首を傾げる夕張に、明石はこう言ったのだった。

 

「夕張は思い当たる節は無いの?」

「うぐっ……ま、まぁ、私も、信じたいけど! でも! 建造って本当に難しいんだから!」

 

 夕張は再び顔を赤くして、声を上げたのだった。

 

「大淀。建造とは、どのように行えばいい」

 

 提督が振り向いて私に声をかける。

 明石や夕張ではなく、私の名前を呼んでくれる事がどこか誇らしい。

 

「はい。建造ドックはあちらです。妖精さん達が、詳しく教えてくれると思います。私達艦娘は妖精さんを見る事はできますが、会話はできません。顔合わせも兼ねて、お話ししてみてはいかがでしょうか」

「ふむ。なるほどな。試してみよう」

 

 提督はそう言って、建造ドックへと向かっていった。

 その広い背中を見て私は思う。

 

 この僅かな時間で、提督という存在に大きな不信感を抱いていた私と明石、夕張の心を開いてしまった。

 あの方は、この見捨てられてしまった鎮守府に淀む重苦しい空気を吹き飛ばしてしまうのかもしれない。

 夕張の言うように、新しい艦娘の建造は成功するほうが難しい。

 前提督に至っては、成功率0%だ。

 しかしそれでも、あの方ならば。

 私程度の頭ではあの方が一体何を考えているのか、未だに見当もつかないが。

 

 きっとこの建造は、この鎮守府を立て直す第一歩なのだ。

 私にはそうとしか思えなかったのだった。

 




汚れた白手袋はその後夕張が綺麗に洗濯して返してくれました。


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006.『煤と油』【提督視点】

 さて、『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』に従って、工廠にやってきた俺である。

 ついさっきまで『工廠(こうしょう)』って読むことすら出来なかったのは千歳お姉には内緒よ。いや、千歳お姉だけではなく皆に内緒だ。

 佐藤さんが丁寧に振り仮名まで振ってくれていたお陰で恥をかかずにすんだ。佐藤さんナイスアシスト。

 おかげ様でクソ提督でもわかりました、ってやかましいわ。

 

 工廠に着くと、緑がかった髪をポニーテールにしている女の子が声をかけてきた。

 知っているぞ。夕張である。

 オータムクラウド先生の『結構兵装はデリケートなの。丁寧にね』は名作である。たまにお世話になっております。

 いつもの腹が冷えそうな明らかに丈の合っていないセーラー服とは違い、汚れた作業着を着ていた。

 オータムクラウド先生の作品では爆雷型ローターとか三式弾型バイブとかろくでもないものばかり開発している、提督の頼れる味方だが、今も何か作っているのだろうか。

 大淀が俺を紹介すると、夕張は慌てて俺に敬礼する。

 

「へっ、兵装実験軽巡、夕張です! どうぞよろしくお願いします!」

「うむ。お前の噂はよく耳にしている。これからもよろしく頼むぞ」

 

 俺はそう言って、握手をするべく夕張に右手を差し出したのだった。

 大淀や明石とはできなかったが、せっかくなのでボディタッチを試してみようと思ったのである。

 これならば下心を悟られる事なく自然な流れで、艦娘に触れる事ができる。俺は天才なのではないだろうか。

 夕張が手を差し出し、握手をした瞬間、俺は気付いてしまったのだった。

 

「あっ――」

 

 大淀と明石、それに夕張が、ほぼ同時に声を上げた。

 瞬間、俺は考える。

 

 アッ。

 しまった。コイツの手、めっちゃ汚れてんじゃん。

 ボディタッチの事で頭がいっぱいで、すっかり忘れてしまっていた。

 おまけにこの白い手袋のせいで感触が全くわからん。

 新品の白手袋は汚れてしまうわ、俺はボディタッチ失敗するわ、夕張は上官を汚してしまって気まずいわ、誰も得しない結果を引き起こしてしまったではないか。

 ど、どうしよう。

 そんな事を考えていると、夕張に思いっきり手を振りほどかれた。凹む。

 

「もっ……申し訳ありませんッ!」

 

 夕張は物凄い勢いで頭を下げたのだった。

 し、しまった! 俺が何も考えずに手を差し出したせいで、夕張に余計な気を使わせてしまった。

 俺は全然気にしていない。この軍服だって自腹で購入したものではなく支給されたものだから、いくら汚れたって俺の知った事ではない。

 汚しすぎて弁償する事になっても、佐藤さんが何とかしてくれるだろう。あの人偉そうだし。

 

 そう説明すれば、夕張もほっと胸を撫で下ろしてくれるだろうか。

 ――いや、違う。それはベターではあるがベストでは無い。

 それでは救われるのは夕張だけで、俺は手を汚されただけではないか。面白くない。

 ベストなのは、このピンチをチャンスに変えて、俺がいい思いをする事だ。

 せっかく手を汚されたのだから、俺が見返りを求めてはならないなどという事があっていいはずが無い。

 大丈夫だ。俺は提督だ。夕張の上司だ。権力者だ。

 ヨ、ヨ、ヨシ。い、いっちゃうゾ。

 

「おおお、御手を汚してしまいましたっ! 本当に、本当にっ、申し訳ありません!」

 

 なおも謝罪を続ける夕張に、俺は声をかける。

 

「夕張、顔を上げろ」

「はっ、はいっ……!」

 

 俺はおもむろに両手の白手袋を放り投げると、なけなしの勇気を振り絞り、緊張した面持ちの夕張の両手を取ったのだった。

 うひょお、手ぇ小っちゃ! 指細っ! 汚れてるけどすべすべで柔らかーい!

 いかんいかん、顔に出ないようにせねば。

 混乱している様子の夕張に対し、俺は今にも崩れてしまいそうな真剣な表情を保ちつつ、適当な事を言ったのだった。

 

「この煤と油まみれのお前の両手は、他ならぬお前の努力の結晶そのものだ。それに触れさせてもらえるとは、何とも光栄な事ではないか」

 

 うむ。適当に言ったにしては、なかなかそれっぽい事が言えたのではないか。

 俺は夕張の両手の感触を思う存分楽しめて、夕張は俺が汚れた事を気にしていないとわかって、俺に良しお前に良し。

 俺は天才なのではないだろうか。

 

 俺の心臓が過去に例を見ない速さで拍動している。機関部強化とはこの事か。

 速き事島風の如し。このままでは俺の機関部がオーバーヒートして爆発、俺は轟沈してしまうだろう。島風の如く。

 生まれて初めて女の子の手をこんなに握る事ができたのだから、もう死んでもいいカナ。

 

「あっ、あの、ありがとう、ございます、あの……で、でも、よ、汚れてしまいますから、あの……っ」

 

 夕張はおそらく羞恥からであろう、顔を朱に染める。

 いつもの俺なら、こんな大胆な事など出来るはずがない。

 この提督の仮面は、俺の性格を上手く隠してくれる。

 うむ。振りほどきたくても、相手は提督だ。上官である。

 夕張はなかなか強気に出れないのだろう。そそる表情をするではないか。

 あいにくだがまだまだ放すつもりはない。俺の心臓が爆発するまで、もうちょっと堪能させてもらおう。

 チキンな俺の命を賭けたチキンレースである。

 すべすべで柔らかーい! やーらかーい!

 

「提督。そろそろ建造を開始いたしましょうか」

 

 アッハイ。

 大淀が後ろから声をかけてきた。

 くそっ、二人きりだったらあと三十分くらい堪能できたかもしれないというのに。

 いや、それまで俺の心臓が耐えられるかはわからなかったが。

 同じ手は二度と使えない。くそう、せっかくの機会が。大淀め、余計な真似を……。

 

「む……そうだったな。案内してくれ」

 

 名残惜しいが、俺はしぶしぶ夕張の手を放す。

 しかしこれで、提督の権力を上手く使えば艦娘にセクハラ、いやいやボディタッチという名のコミュニケーションが取れる事が確かめられた。

 これは大きな収穫である。今後もこのテクニックは活用していこうではありませんか。

 

 そんな事を考えながら工廠に足を踏み入れた俺の目に、耳に飛び込んできたのは――

 

『資材の状況はどうだろうねー』

『ボーキサイトが足りないみたい』

『しばらく建造してないから腕がなまるねー』

『でも前みたいに怒られながらは嫌だよねー』

 

 どこか気の抜けるような声でお喋りしている、小さな少女達。

 ヘルメットをかぶっていたり、作業服を着ていたり、様々な種類がいるようだ。

 これが妖精さんか。初めてみた。

 

「おおっ」

 

 俺が思わず声を上げると、それに反応してか、妖精さん達が一斉にこちらを向いた。怖っ。

 

『あれ? 誰あの人』

『前の提督と同じ服を着ているよ』

『それにしては形が違うねー』

『果物で例えるなら、前の提督は洋梨みたいな体型だったのに、あの人はチェリーみたいだね』

 

 誰だチェリーっつったのは。ぶち殺すぞ。体型の話じゃねぇだろそれ。何でわかるんだ。

 

『もしかして、新しい提督さん?』

『わー』

『とり囲めー』

『おー』

 

 俺は瞬く間に妖精さん達に取り囲まれてしまう。

 見た目全員女の子なのだが、全然嬉しくない。

 何人かが肩のあたりまで登ってきて、腰かけてきた。随分馴れ馴れしいなコイツら……。

 

『あなたが新しい提督さんですか』

「う、うむ」

『ご結婚はされているんですか?』

「エッ」

 

 え、初対面の人に一言目にそれってかなり失礼じゃない?

 たとえばその人が結婚してなくて、それを気にしてるくらいの年齢の人だったら、セクハラだからね?

 いや、心の広い俺だから良かったけど、相手によれば訴訟されるからね? 気をつけたまえ。

 いや、俺は全然気にしてないけどね?

 

「い、いや、していないが」

『おー』

『おぉぉー』

 

 妖精さん達が何故か歓声を上げた。

 

『彼女さんはいるんですか?』

「エッ」

 

 え、初対面の人に二言目にそれってかなり失礼じゃない?

 たとえばその人が彼女できた事がなくて、いや、俺の話じゃないけど、それを気にしている人にそんな事言ったら、セクハラだからね?

 いや、俺もできた事ないけど、俺は心が広いから許してあげるけど、相手によれば訴訟されるからね? セクハラは犯罪だからね?

 もしかして妖精さんという立場を利用してる? 立場を利用してセクハラとか、もうパワハラとの合わせ技で速攻アウトだからね?

 妖精さんがいないと色々できない事があるからって、調子に乗っちゃ駄目だからね?

 いや、俺は全然気にしてないけどね?

 

「い、いや……今はいないが」

『おー』

『おぉぉー』

『今は、という事は、いた事はあるんですか?』

「エェェ」

 

 何だこのグレムリン共は。

 懐の深さに定評のある俺だが、流石に堪忍袋の尾が切れる寸前だ。

 仏の顔も三度までという奴だ。

 しかし、『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』には、建造には妖精さんの協力が必要と書かれていたし……。

 こ、ここでキレるわけには……!

 

「い、いた事は……無い、です……!」

『わー』

『わぁぁー』

『わぁい』

『囲めー』

『おー』

 

 俺の周りの妖精さん達が大歓声を上げてながら万歳している。

 何だこの状況は。一体何なのだ。何で俺が初対面の妖精さん達に彼女いない歴=年齢である事を暴露して大騒ぎになっているのだ。

 大淀達を見てみるが、特に気にしている様子は無い。

 あれ? もしかして妖精さん達の声が聞こえていないのか?

 ええい、もういい。俺の女性遍歴暴露大会などどうだっていいのだ。大淀達に聞かれたら威厳など崩れ去ってしまうではないか。

 さっさと目的の建造だ建造。試しに一回だけやればここにはもう用は無い。早く終わらせて、妖精さん達から逃げよう。

 

「大淀。建造とは、どのように行えばいい」

「はい。建造ドックはあちらです。妖精さん達が、詳しく教えてくれると思います。私達艦娘は妖精さんを見る事はできますが、会話はできません。顔合わせも兼ねて、お話ししてみてはいかがでしょうか」

 

 大淀が掌で指し示した先には、『建造ドック』と書かれた区画がある。

 うむ。やはり妖精さん達の声は聞こえていないようだ。俺の女性遍歴をバラされる事も無いようで、一安心である。

 

「ふむ。なるほどな。試してみよう」

 

 俺は建造ドックへと歩を進めた。

 その区画には、人間が一人、ちょうど入ることのできそうなくらいの大きさの水槽が、四つ並んでいた。

 これが……建造ドックとやらだろうか。

 なんか思っていたよりも小さい。

 いや、艦娘が艦で、妖精さん達が作業員だと考えればこんなものなのか。

 

「何だこれは」

『海水です』

『この海水に、艦娘の建造に必要な資材を混ぜ混ぜするのです』

 

 資材というのは人間である俺には見る事が出来ず、妖精さんや艦娘でなければ管理できない未知のエネルギーらしい。

 俺達がオーラとか気とか、もしくはチャクラとかエーテルとか呼んでいるものの正体は、それなのかもしれない。

 艦娘が艦娘である為のエネルギーなのだとか。

 

『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』によれば、『資材』には全部で四つの種類があるらしい。

『燃料』は、艦娘が海上で活動したり、大の大人以上のその膂力で艤装を運用する為など、艦娘としての行動に必要なエネルギー。

『弾薬』は艤装内で砲弾や魚雷などの装備を具現化し、補充し、発射するなど、主に攻撃に必要なエネルギー。

『鋼材』は艤装の具現化や艦娘の装束型装甲、艦娘自体の肉体の頑丈さを維持する為など、主に防御に必要なエネルギー。

『ボーキサイト』は艦載機を具現化し、エネルギーを長距離に渡り飛ばし、操作する為に必要な、空母が必要とするエネルギー。

 これらのエネルギーを補給して、艦娘は初めて艦娘としての行動が可能になる。

 必要なエネルギーが全て欠けてしまえば、それはもうただの人間の少女と変わらないのだとか。

 

「建造の為の資材はどこから持ってくるのだ」

『私達が保管しているものを運搬してきますー』

『提督さんは、どんな艦をお望みでしょうか?』

『戦艦? 空母? それとも駆逐艦?』

 

 いや、どうでもいい。

 チュートリアル、つまりお試しで建造してみたいだけなので、その結果は別になんだっていいのだ。

 お望みを強いて言うなら、できれば明るくて見た目年上系で巨乳な方が好みだが。

 

『了解しましたー』

 

 何、勝手に了解してんの? 俺まだ何も言ってないじゃん。心読めるのお前?

 

『それでは、燃料400、弾薬30、鋼材600、ボーキサイト30でいかがでしょうかー』

 

 いかがでしょうか、と言われても、俺に判断できるはずもない。

 妖精さんの思うがままにしてもらうのが一番だろう。

 正直、この建造というのを今やる必要があるのかという事も俺にはわからんのだったが、まぁチュートリアルなのだからいいだろう。お試し感覚だ。

 燃料とか鋼材の単位もよくわからんから、それが重要なのかどうかもわからんが、妖精さんが言うのだから使っちゃってもいいのだろう。

 

「うむ。任せる」

『お許しが出たぞー』

『資材を溶かせー』

『混ぜろー』

『おー』

 

 妖精さん達が慌ただしく散らばり始めた。

 しばらくすると無色透明であった海水が青く、蒼く、光り輝き始める。

 それはとても幻想的な光景に見えた。

 発光を続ける海水を見つめながら、俺の肩に座る妖精さんに声をかけてみる。

 

「どれくらいの時間がかかるんだ?」

『ほほう。ほほう。これはこれは』

「な、何だ」

『ふむー、私の見立てでは四時間ほどかかるかとー』

「そんなにかかるのか」

『提督さんの希望にお答えできるように頑張りますねー』

 

 いや、だから俺何も希望言わなかったじゃん。

 お前これで失敗しても知らないからね?

 ま、まぁいい。とりあえずこれで、チュートリアル編その一は終了だ。

 今度はその二、『編成で新しい艦娘を配置しよう!』とその三、『初めての任務を遂行しよう!』が待っている。

 

 俺は建造ドックの外で待たせている大淀達の下へと、再び戻ったのだった。

 




このお話における『資材』や『艤装』などは、HUNTER×HUNTERの『オーラ』や『念』のようなものだとイメージしてもらえるとわかりやすいかもしれません。


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007.『遠征任務』【艦娘視点】

 建造ドックから戻った提督は、再び執務室へ戻るという。

 建造の手ごたえについて尋ねたかったが、それは飲み込んだ。

 そもそも手ごたえなど感じるはずは無く、資材を投入してしまえばあとは時が経つのを待つしかないだからだ。

 

「そうだ。もしも提督のご都合がよろしければ、今夜、提督の歓迎会を開こうかと思っております。ささやかなもので申し訳ありませんが……」

「そうなのか。いや、ありがたい。喜んで顔を出させてもらおう」

 

 提督の人柄によっては開催しない事も視野に入れていたが、大丈夫だと判断した私は、歓迎会の開催を宣言した。

 艦娘によっては性格上、提督への不信感の方が強く、参加を拒否する者もいるとは思うし、むしろそちらの人数が多いのではとも思うが……少なくとも私と明石、夕張は必ず顔を出す。

 着任初日に歓迎会を開く事が重要なのだ。最初は私達だけでも良い。提督もそれは心得ているだろう。

 今回参加しなかった艦娘の信頼は、時間をかけてじっくりと得ていけばいい。

 この提督には、それができると信じていた。

 

 私たちは再び執務室へ戻った。

 

「艦隊司令部からのデイリー任務は来ているか?」

「は、はい。こちらに」

 

 このタイミングでデイリー任務?

 ますます提督の考えが読めなくなった。

 提督に艦隊司令部からの任務リストを手渡す時に、私はあっ、と声を漏らした。

 そうか、艦隊司令部は日々のノルマとして、なるべく定期的に建造をする事を推奨している。

 先ほど建造を開始したから、建造が終了する前に艦隊司令部に報告しておかないと。

 提督の動向が気になりすぎて私ですら忘れていたが、提督はそこまで考えていたのか。抜け目がない。

 艦隊司令部からの依頼を達成する事で、鎮守府にはそれに応じた金額が振り込まれる。

 微々たるものではあるが、塵も積もれば山となる。

 

「提督、私、艦隊司令部に報告をしておきますね」

「うむ。頼む」

 

 提督は任務リストと『艦娘型録』、海図に交互に目を通しながら、そう答えたのだった。

 どうやら提督はすでに次の手を考え始めているらしい。

 少しでもこの私が、提督の負担を減らさねば。

 

 私が艦隊司令部への連絡を終えて執務室に戻ると、何故か工廠で別れたはずの夕張がいた。

 汚れも綺麗に落として、いつものセーラー服に着替えている。

 

「あら? どうしたのですか」

「べ、別にいいじゃない。提督が次に何をするのか気になったから……」

 

 ばつが悪そうに目を逸らしながら夕張がそう言うと、それを横目に見ていた明石がからかうように口を挟む。

 

「気になってるのは『次』だけなのかなぁ~」

「うぐっ……そ、そういう明石はどうなのよ!」

「わ、私は最初のお出迎えから提督に付き添ってるだけだし」

「明石も本来はここにいるはずが無いんですけどね」

「おっ、大淀~っ!」

 

 顔を赤らめて慌てる明石に、それ見たことかと食いつく夕張。

 思わず笑ってしまった。

 こんな雰囲気は、いつ以来だろうか。

 もうずっとずっと、遥か昔の事に感じてしまう。

 

 ――三十分ほどの時間が過ぎた。

 

 提督はしばらく考え込んでいるようだった。

 夕張を見てみると、提督の真剣な表情に見惚れているのか、ほぅ、と小さく息を漏らしていた。

 明石と二人でジト目を向けると、それに気づいた夕張は恥ずかしそうに前髪をいじりだした。

 

 前提督と違う所を、また一つ発見した。

 提督の周りに、四人の妖精さんがくっついてきているのだ。

 海図の上を歩き回ったり、提督の周りを飛び回ったりしている。

 やはり、提督は妖精さんに好かれているのだろう。

 まさか、妖精さんと一緒に作戦を立案しているとか? 可愛らしい。

 提督は一言も声を出さずに難しい表情をしているばかりだから、そんな事はないと思うが、どうにも微笑ましい光景だった。

 

 そういえば。

 肩に届くくらいの茶髪に、林檎を模したヘアピン。

 ポニーテールに結んだ黄色の髪の上には、ひよこのような何か。

 気怠そうな雰囲気の緑髪に、兎のぬいぐるみ。

 魔女のような恰好をした、ツインテール。

 ……あんな妖精さん、今まで工廠にいただろうか?

 

 それにしても、随分悩んでいるように思える。

 声をかけた方がいいだろうか?

 そう考えた瞬間だった。

 提督は、意を決したように顔を上げる。

 

「遠征艦隊を編成する」

「はい。遠征先と、編成はいかがなさいましょうか」

 

 私と明石、夕張は背筋を伸ばし、提督に向き直る。

 提督は『艦娘型録』と任務リスト、そして海図を広げたまま、言葉を続けた。

 

「遠征先は鎮守府近海の、この三地点だ」

 

 私達には理解ができなかった。

 提督が地図上で示した三つの小島は、何の変哲も無いただの無人島だ。

 しかも、現在は敵の領海の中にある。

 一体何の為に。

 敵の領海内は、そう簡単に侵入できるものではない。

 しかし、提督が意味の無い指示を下すような人だとも思えない。何かを予測した上での行動なのだろうか。

 

 予測の材料は、私達の用意したこの一か月間の報告書しかない。

 あれに誰よりも目を通しているのはこの私だと自負しているが、何をどう考えてもその地点に何かがあるなどとは思えない。

 この一か月間の深海棲艦の侵攻状況から、何か読み取れる事があるのか?

 しかも、提督はあの速さで報告書に目を通していたのだ。そしてこの判断は迅速すぎる。

 わからない。何しろ、提督が私達を指揮するのは、これが初めてなのだ。

 提督を信用している私ですら疑問を感じるこの出撃に、他の艦娘達はどう感じるだろうか?

 

 横須賀鎮守府から見て、目的地の一つは北東、一つは南東、そしてもう一つは東方向だ。

 どれも敵の領海奥深くに位置している。

 まず、その地点に辿り着く事が出来るのかどうかが疑問であった。

 この一か月間を見るに、目的地に辿り着くまでに深海棲艦側の哨戒部隊に発見される事は避けられないだろう。

 そうなると、敵迎撃部隊と交戦する事となる。敵の領海内で連戦となれば多勢に無勢。 長門さん率いる第一艦隊でも、大打撃は避けられないだろう。

 しかもこれは出撃命令ではなく、おそらく偵察が目的の遠征任務だ。第一艦隊を出すわけがない。

 

 これは流石に……質問をしても良いのだろうか。

 私は提督を信じて引き受けたいが、他の艦からの質問は避けられないだろう。

 

「この地点を偵察せよという事でよろしいでしょうか」

「そうだな。目的地に辿り着いたら、後はお前達の判断に任せる」

「えっ……? 私達の判断に、ですか」

「うむ。他の者にもお前からそう伝えておいてほしい」

 

 提督の話しぶりを見るに、やはり何かを感づいてはいるようだった。

 だが、それを何故、私達には教えない?

 前提督ですら、それが可能であるかはともかくとして、敵艦隊を撃破せよ、のように、ある程度の具体的な指示を出していた。

 しかし、この人は一体何を考えているのだろうか。

 目的地だけは指示し、現場での判断は私達に任せると。

 

 もしや――私達は、試されているのだろうか。

 固まってしまっている私達に構わず、提督は言葉を続けた。

 

「編成については、もう決まった」

「第二艦隊は旗艦、大淀。以下、夕張、朝潮、大潮、荒潮、霞」

「第三艦隊は旗艦、川内。以下、神通、那珂、時雨、夕立、江風」

「第四艦隊は旗艦、天龍。以下、龍田、暁、響、雷、電――以上だ」

 

 提督が組んだ編成に、私は思わず息を飲んだ。

 やはり、これはあくまでも偵察――故に、全ての部隊が燃費のいい水雷戦隊。

 ただしこれは――明らかに戦闘を前提とした編成だ。

 軽巡洋艦をフル出動、駆逐艦の中でも特に練度の高い上位陣から的確に選んで組み込んでいる。

 しかも、編成の内容を見るに、艦同士の相性も悪くない。

 

 第二艦隊旗艦は私。提督の傍からいきなり離れてしまった……ちょっとしょんぼりしてしまうが、他ならぬ提督の指示なのだから仕方が無い。

 いや、これはむしろ提督の信頼の証。提督に不信感を持つ者も含むこの遠征部隊をまとめろという事だろう。

 提督の事を今のところ最もよく理解できている私にしかできない仕事。

 という事は、提督も、自分の事を最も理解できているのはこの私だと思ってくれているという事だろうか……うふふ。よぅし、頑張らねば!

 

 私が率いるのは夕張と朝潮型の四人。未だに提督に不信感を持っており、感情表現が激しい霞ちゃんは、私と朝潮で抑える事が出来る。足柄さんがいればさらに大人しくなるのだが。

 朝潮型の中でもこの四人は、いずれ改二に至る才能を持っているだろうと私が密かに見込んでいた子たちだ。

 ただ、前提督の指揮下では戦闘経験に乏しく、なかなかその領域まで至れなかった。

 提督はそこまで見抜いて、今回の遠征に組み込んだのだろうか。

 今回の遠征の経験が、彼女たちにとって重要な価値を持つのだと。

 

 第三艦隊は、軽巡最強との声も多い神通さんを有する川内型三姉妹。

 そこに、毎晩川内さんと共に夜戦演習を行っている時雨、夕立、江風と、白露型きっての精鋭三人。

 この鎮守府でこれ以上夜戦に適した編成は無い、夜戦のスペシャリスト達だ。

 夜戦となれば、彼女たちはいとも容易く格上の敵を沈めてみせる事だろう。

 ……この遠征は、夜戦の可能性を考慮しているという事だろうか?

 すでに全員改二に至っている川内型三姉妹に、こちらもいずれ改二に至るだろうと見込んでいる時雨達三人。

 やはり、提督はそこまで考えて――。

 

 第四艦隊は……前提督の指揮下ではいつも昼戦で大破していたせいで無能扱いされ、出撃命令が下されなくなった天龍と、姉妹艦だから同じ程度の実力だろうとそれに巻き込まれた龍田さん。

 軽巡の中でも性能と練度が低い天龍を旗艦に据えた理由はわからないが、提督なりの思惑があるのだろう。多分天龍は大喜びだ。これだけで提督に心を開くかもしれない。

 正直に言うと、龍田さんも天龍と同等の性能しかもっていないのだが、その卓越した戦闘センスは天龍の比ではない。性能以上の実力を持つ人だ。

 その二人に付き従うのは、そんな彼女たちに一番懐いている暁型四姉妹だ。

 その可愛らしい見た目から前提督には軽んじられていたが、長女の暁と次女の響は、すでに駆逐艦の中で最も早く改二に至っている。実は凄い子達なのだ。

 暁と響がいれば、天龍の力量不足を補ってくれるだろう。そういう意味では相性だけではなく戦力的にもバランスの取れた編成だ。

 

 提督はこの遠征に何を求めているのか。少なくとも、激しい戦闘が起こり得ると提督が想定している事は、この編成を見れば十分に理解できた。

 

「……了解しました。提督。それでは遠征に出動する艦娘達をこちらへ呼び出します」

「うむ。よろしく頼む」

 

 やはり、提督には何か考えがあるようだった。

 私はそれを信じて、鎮守府内に出動命令の放送を流す為、執務室を後にした。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 数分後。

 

 ――やらかしてしまった。

 

 執務室には、私が呼び出した艦娘達が艦隊ごとに規則正しく整列している。

 そしてその後ろには、その周りには――放送を聞いたその他の艦娘達が、新しい提督に興味を惹かれてか、集まってきていた。

 この一か月間、リーダー的な役割を担ってきた長門さんや、金剛型の比叡、榛名、霧島。

 妙高型四姉妹に、利根筑摩姉妹、香取鹿島姉妹。一航戦の赤城さん、加賀さんと五航戦の翔鶴瑞鶴姉妹。

 軽空母の鳳翔さんに龍驤さん、春日丸、水上機母艦の千歳千代田姉妹……。

 その他の駆逐艦、潜水艦……つ、つまり、この鎮守府の艦娘全員が、提督を見定めるべく、呼んでもいないのにこの場に集まったのだ。

 今日は提督が着任する為、誰も遠征や出撃に出していなかったので、ここには本当に鎮守府の艦娘全員がいる事になる。

 

 これは完全に私のミスだった。

 本日から新しい提督が着任する事は全員知っているはずだったが、その提督が全員に顔合わせの挨拶などをするよりも早く遠征の命令を出そうというのだ。

 それを私がいつものごとく、鎮守府中に放送してしまった。

 

 流石に部屋から出て行ってもらおうかと提督に進言したが、このままでいいと言われた。

 この場は、提督にとっては針のムシロであるはずだ。

 品定めされていると言ってもいいだろう。

 艦娘によっては、明らかに睨みつけている。

 この提督には恨みも何もないが、『提督』という存在に、反射的に不信感を露にしてしまっている。

 執務室の壁に沿ってぐるりと囲むように並んだ艦娘達の視線全てが提督に注がれていた。

 私が先手を打って、今度の提督は信頼できる人だ、とでも伝えておけばよかったのだが、もう遅い。

 第二艦隊旗艦として、提督の前に立つ私には何も言える事はなかった。

 

 提督を見ると、艦娘達の視線に全くひるむことなく、むしろ提督側から品定めをするように、じろりと部屋中を見渡していた。

 一瞥するだけではない。一人一人を、じっくりと、睨みつけるでもなく、むしろこの状況を楽しんでいるかのようだった。

 私のミスでこのような状況になってしまったわけだが、提督はこれを逆に利用しようとしているような。

 そして椅子から立ち上がると、ゆっくりと口を開いたのだった。

 

「まずは挨拶が遅れてしまった非礼を詫びたい。本日より、私がこの艦隊の指揮を執る事になった。よろしく頼む」

 

 そう言って、提督は小さく頭を下げた。

 艦娘達からの反応は無い。部屋の中はピリついた空気に包まれている。

 提督が次の言葉を発する前に――場違いな声を発したのは、第四艦隊旗艦に指名された天龍だった。

 

「なぁに、気にすんなって! それよりも提督よ、この世界水準を軽く超えた天龍様をいきなり旗艦にご指名とは、なかなかいい目してんな! やるな!」

 

 あっ、しまった! この人、バカだった!

 空気も読まずに提督に向かって初対面からいきなりタメ口⁉ しかも上から目線で⁉

 ど、どうしよう。嗜めた方がいいのでしょうか。これは流石に失礼すぎる。

 まぁ、今まで役割を与えてもらえずに戦闘に参加させてもらえず、補給も満足にしてもらえていなかったのに、いきなり旗艦に指名ですからね。単縦陣で一番槍を務めるの大好きですもんね。

 本人の性格も相まって、嬉しいのはよくわかります。腕組みをして斜に構え、物凄く満足気な表情で、むふん、と息を吐いている。上官の前であるまじき態度だ。

 提督はそんな天龍に何か思うところがあるのか、しばらくの時間じっと見つめ――そして、満足気に小さく笑った。

 

 提督がこの鎮守府に来て、初めて笑顔を見せたのだった。

 

「うむ。世界水準を軽く超えているという話は、どうやら事実のようだ。この目で確かに堪能させてもらった。お前を旗艦に据えたのは正解だった。龍田ともども、今後の活躍に期待している」

「おぉぉ……おおおっ! うっしゃあっ! 行ってくるぜぇっ! 天龍! 水雷戦隊! 出撃するぜぇっ!」

「天龍ちゃん、嬉しいのはわかるけど、まだ作戦概要聞いてないわよ~」

 

 執務室から出て行こうとした天龍が龍田さんに止められていた。

 今からでも旗艦を交代した方がいいのではないだろうか……。

 そして、天龍の後ろに立つ龍田さんの視線が怖い。優し気な目だが、提督を常に睨みつけている。

 天龍は簡単に騙されたが、私はそうはいかないとでも言いたげな目だ。

 いや、天龍がチョロすぎるだけだと思いますが……。いえ、私も人の事は言えませんが。

 

 しかし、提督がまさか天龍をあれほど高く買っていたとは……。

 提督のあの満足気な笑顔を最初に引き出したのがあの天龍だという事に、何故か無性に、物凄く、敗北感を感じてしまった。

 ……くやしい。

 

 そして夕張の際にもそうだったが、あの懐の深さには感服だ。

 前提督であったならば、あんな生意気な態度を取ろうものなら、上官に向かってその態度は何だと罵声が飛んできたところだろう。

 提督はむしろ、天龍があの態度を取った事に対して満足気であったように感じる。

 最低限の規律や礼儀は必要だ。提督に対して敬語を使うのはむしろ当然の事である。

 だのに、提督は私達との距離を縮めようとしてくれているのだろうか?

 

 提督がそれを意図していたのかはわからないが、天龍とのこの短いやり取りで、室内を包む空気は明らかに変わったのだった。

 

「今から出撃ってことは、帰る頃には夜戦だね! やったぁ! 待ちに待った夜戦だー!」

「ね、姉さん……提督の前で、そんな」

「久しぶりに那珂ちゃんの見せ場だねっ! 提督ありがとー!」

「な、那珂ちゃんも……提督、すみません、姉と妹が、すみません」

 

 川内さんと那珂さんがいつもの口調で騒ぎ出し、いつものように神通さんがぺこぺこと謝りだした。

 提督の懐の深さが肌で感じられたのだろうか。言葉にせずとも、無理にかしこまらずともよい、と提督が言ったような気がした。

 提督は天龍のあの態度に、むしろ喜んでいるような表情を浮かべていたのだ。

 執務室内を囲んでいる艦娘達も、少しざわつき始めている。

 どうやら今までの提督とは違うようだ、とわかってきたようだ。

 川内さんも那珂さんも、前提督の指揮下では資材の無駄だと夜戦禁止されていたから、相当嬉しそうだ。

 

 提督はざわつきはじめた室内を律するように、凛とした声を発した。

 

「――それではこれより、遠征任務を発令する!」

 

 瞬間。

 執務室内の空気が変わった。

 先ほどまでどこか懐疑的な雰囲気であった艦娘達が、一糸の乱れも無く姿勢を正した。

 それは無意識によるものか、身体が覚えていたのかもしれない。

 私達の体に根付いた、忘れかけていた提督という存在への信頼が身体を勝手に動かしたのかもしれない。

 

 あの天龍でさえも、真剣な表情で提督を見つめている。

 今回の遠征に関係の無い、周りを囲む艦娘達も姿勢を正し、提督に視線を送っていた。

 私のミスで艦娘全員が集合し、一歩間違えば提督の信頼さえも失うであろうファーストコンタクトを、提督は見事にその器量で乗り切ったのだ。

 まだ完全に全員が心を開いたわけではないだろうが、少なくとも悪い方向には向かっていない。

 

 寛大な部分もあれば、引き締めるべき所では引き締める。

 提督の器に、その瞬間、この鎮守府の艦娘全員は確かに触れたのだった。

 

 そして提督は――この鎮守府に初めてとなる指揮を下した。

 

「作戦概要を説明する。第二、第三、第四艦隊は、各自、高度の柔軟性を維持しつつ目的地へ向かい、臨機応変な判断を忘れる事なく行動せよ!」

「了解!」



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008.『遠征任務』【提督視点】

 次のチュートリアルに取り掛かる為に、俺は執務室へ戻った。

 

「そうだ。もしも提督のご都合がよろしければ、今夜、提督の歓迎会を開こうかと思っております。ささやかなもので申し訳ありませんが……」

 

 大淀がそう言ったので、俺は嬉しくなった。

 そうかそうか。歓迎会ともなれば、この鎮守府の艦娘全員と顔を合わせられるわけだ。

 提督が着任した初日なのだ。まさか参加しない者もいるまい。

 歓迎会と酒は、切っても切れない関係だ。酒と一晩の過ちは、切っても切れない関係だ。

 酒の勢いで、何やら期待できることもありそうではないか。今夜ばかりは呑ませてもらおう! あぁそうだ、悪くない! 過ちを犯しても俺は悪くない!

 

「そうなのか。いや、ありがたい。喜んで顔を出させてもらおう」

 

 俄然、夜が楽しみになってきた。

 夜はいいよね、夜はさ。こんな日は夜戦! そう、私と夜戦、しよ!

 

 心の中で鼻の下を伸ばしながら、俺は執務室に辿り着く。

 

「艦隊司令部からのデイリー任務は来ているか?」

 

 執務室の椅子に再び座り、手渡された資料に目を通す。

『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』によれば、各鎮守府には、艦隊司令部からノルマのような『任務』を与えられているらしい。

 毎日与えられる任務は通称デイリー任務と呼ばれており、他にもウィークリー、マンスリー任務などと呼ばれているものもある。

 任務をこなすことで、鎮守府には艦隊司令部から補助金のようなものが入るという事だ。

 現在の任務リストを見てみれば、『「遠征」を3回成功させよう!』というものがあった。文章のこのノリ、絶対佐藤さんだろ……。

 

 俺がこれから取り掛かるチュートリアルは、まず、艦隊の編成。

 艦娘たちを編成すればいいだけなので、まぁ難しく考える事も無いだろう。

 そしてもう一つが、任務を遂行する事。

 したがって、遠征三回分の艦隊を編成し、そのまま遠征を成功させれば無駄が無い。

 うむ。さすが俺、天才。子供の頃はおばあちゃんから神童と呼ばれていただけの事はある。今は神童貞。凹む。

 それではさっそく編成に取り掛からねば。

 依頼は遠征の内容まで指示していなかったから、簡単な遠征でもいいだろう。どこに遠征に行くかも考えねばならん。

 

「提督、私、艦隊司令部に報告をしておきますね」

「うむ。頼む」

 

 何か大淀が声をかけてきたので、適当に返事をしておいた。何か報告する事があったのだろう。

 わざわざ俺に伺いを取らなくてもいいのに。

 

 そんな事を考えながら『艦娘型録』を眺めていると、執務室の扉がノックされる。

 いつもの腹が冷えそうなセーラー服に着替えた夕張が入ってきた。

 わざわざ俺にそのまばゆいほどに白いお腹を見せに来てくれたというのだろうか。ダンケ。

 部屋の壁際に控えていた明石が、夕張に声をかける。

 

「あれっ、どうしたの夕張」

「い、いや、その……提督がこれから何に手を出すのか気になりましたので、見学させて頂いてもよろしいでしょうか!」

 

 夕張はそう言って、俺の前で姿勢を正す。

 背筋を伸ばすと、ますます柔らかそうなお腹が見えますね。ハラショー。こいつは力を感じる。

 

 などと言っている場合では無い。

 コイツ、俺が何に手を出すのか気になりましたと言ったか⁉

 俺がこれから誰に手を出すのか気になりましたと言う事か⁉

 

 い、いかん! さてはコイツ、俺が下心を持って手を握った事を感づいて――!

 そうとしか思えん。でなければ、何やら作業中だったらしいというのにわざわざ中断して、しっかり汚れまで落として着替えて、身だしなみを整えてまで執務室まで追っかけてくるはずが無いではないか。

 見学を装い、次に俺の毒牙にかかる者が現れぬよう、俺を間近で監視しようという事か。

 

 クソッ、迂闊だった。今すぐにでも執務室から追い出したいが、ちらちら見える綺麗なお腹は非常に魅力的だ。

 いいだろう。お前が俺を間近で監視するというのなら、俺はお前のお腹を間近で視姦、いや、監視すれば無駄が無い。うむ。さすが俺、変態。

 お前、お腹が見えてなかったら即行で執務室から追い出してたからな。覚えとけよ。

 

「うむ。別に構わん」

「わあっ、ありがとうございます!」

 

 夕張は嬉しそうに、顔の前で手を合わせた。可愛い。

 くそっ、コイツ、俺に負けず劣らずの演技派だな。かなり、いやちょっと可愛い顔してるからって図に乗るなよ。

 この俺の目は節穴では無い。俺の目は誤魔化せんからな。

 よく見れば明石も、夕張を不審なものを見るような目で見ていた。ほほう、明石は見どころがあるな。コイツは近くに置いておいても良さそうだ。

 

 大淀も戻ってきて、三人で何やら楽しそうに話している。

 君たち仲がいいのね。明石も大淀も、正門前で初めて見た時は死んだ魚のような目をしていたというのに、夕張と話している今では目に光が戻ったように見える。

 俺のお出迎え、そんなに嫌だったのかな……凹む。

 

 気を取り直して海図を見る。

 もちろん何度見ても、全然意味がわからない。

 適当でいいかとも思ったが、全然編成の組み方もわからない。

 どこかで隙を見つけて、佐藤さんに連絡を取るか……?

 いや、この鎮守府内には青葉の隠しカメラや盗聴器が至る所に設置されているという噂だ。念には念を入れねば。

 今回の遠征は任務の消化目的なのだから、近くの海に出てクルージング感覚で戻ってきてくれればいいのだ。俺の判断でもできるだろう。

 気分転換に、『艦娘型録』で翔鶴姉のパンツを眺めていると、妖精さんが四人、海図の上を歩き出した。

 工廠からついてきてたのか。

 

『童貞さん』

 

 提督さんな。次間違えたらひねり潰すぞお前。

 

『提督さん、提督さん。遠征先をお探しですか』

『私はここがおすすめです』

『……私は、ここ……』

『私はここが気になるよー』

 

 妖精さん達は、それぞれ海図の上で三つの地点を指し示した。

 どうしてだ?

 

『んあー……怪しい感じがする……』

 

 根拠がよくわからなかったが、まぁ鎮守府近海であれば、どこを目的地にしようが結果は変わらないだろう。

 佐藤さんも妖精さんには従った方がいいと言っていたし。

 それに、もしも悪い結果になったらこのグレムリン達のせいにできる。

 そもそもグレムリンという妖精は機械に悪戯をして兵士たちを悩ませる妖精という事で有名だしな。うん。

 大淀達の隙を見て佐藤さんに連絡するのも難しそうだし。

 自分でいくら悩んでも答えが出るように思えなかったし、その三地点に遠征する事にしよう。

 

『わー、意見が通ったよ』

『提督……さすが……』

『今度の提督さんは寛大だねー』

『ついてきて良かったです』

 

 つーかコイツら、マジでテレパシーでもできんの? 考えている事が筒抜けなんだが……。

 俺の考えている事、絶対に艦娘に言わないでくださいね。お願いします。

 

『編成は、三つとも水雷戦隊がいいと思うよー』

 

 水雷戦隊……何レンジャーだそれは。

 そうだ。オータムクラウド先生の作品によれば、水雷戦隊と言えばなんか軽巡洋艦と駆逐艦で編成されていたような。

 うろ覚えだが、それを参考にして編成すればいいだろう。オータムクラウド先生に間違いは無い。

 そうなると、軽巡と駆逐艦のページに目を通さねば。

 しかし軽巡と駆逐艦か……俺のハーレムにはほとんど縁の無さそうな艦隊になりそうだ。

 

 この鎮守府の軽巡洋艦は全部で七人。

 大淀、夕張、川内、神通、那珂ちゃん、天龍、龍田だ。

 三つの艦隊の旗艦を軽巡にして引率してもらい、残りは駆逐艦にすれば、水雷戦隊が三つ出来上がる。

 例えば川内、神通、那珂ちゃんにそれぞれ艦隊を率いてもらえばいい。

 オータムクラウド先生の作品にも出てきていた鬼の二水戦とやらである。

 しかし駆逐艦よりも軽巡洋艦の方が強いというのは周知の事実だ。

 そうなると、なるべく軽巡を入れた方が強い艦隊になりそうだな……。

 

 おぉっ。

 俺は閃いたのだった。俺は本当に天才かもしれない。

 

 そうだ。夕張も軽巡だ。この遠征を上手く利用すれば、俺を監視している夕張を俺から遠ざける事ができるではないか。

 先ほど夕張の手を握っている時に邪魔してきた大淀も、今後俺のセクハラ、いやスキンシップの障害となるかもしれない。

 オータムクラウド先生の作品では鎮守府を影で操る黒幕だ。俺よりも遥かに頭が切れそうだし、真面目そうではあるが裏では何を考えているかわからんし、なるべく離しておくことに越したことはないだろう。

 

 余計な口を挟まない明石は、俺の近くに置いておこう。まぁ、そもそも工作艦だから戦闘には向かないのだが。

 大淀と夕張は仲が良さそうだから、同じ艦隊に入れてやろう。川内型も姉妹だから一緒にする。

 そうなると、必然的に余り物の天龍と龍田は同じ艦隊になるわけだ。おお、なんか見た目も綺麗に収まったではないか。

 

 後は駆逐艦を適当に編成する。

『艦娘型録』を見ると、大淀が判断したのであろう大体の練度も記載されている。練度が高い=強いという事だろう。とりあえず練度の高い順にピックアップする。

 姉妹艦はバラバラにするのはかわいそうなので、なるべく同じ艦隊に編成してやろう。

 見た目は全く強いようには見えないが何故か練度が高いことになっている、この暁とか響とかいう姉妹は、世界水準を軽く超えた天龍の艦隊に組み込んでおく。

 天龍の足を引っ張らない事を祈るばかりだ。

 おぉ、なんかちょうどいい感じの編成になったのではないか。

 どうだろう、妖精さん。

 

『さすがはチェリー提督です』

 

 余計なもんがついてんぞ。握り潰されたいのかお前は。

 

『さすがはチェリーです』

 

 そっちじゃねぇよ。呼び捨てにすんな。いや、呼び捨てとかの問題じゃなかった。二度と言うなよ。長生きしたければ、人が気にしている事は口にしない事だ。

 ともかく、時間はかかってしまったが、ようやく遠征の準備が出来た。頭が疲れた。

 俺は顔を上げ、大淀に声をかけたのだった。

 

「遠征艦隊を編成する」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 何か凄い人数が集まっているのだが。大淀お前何してくれてんの?

 いや、放送は俺も聞いていた。大淀は確かに、俺が遠征部隊に組み込んだ艦娘を指名して執務室へ呼び出しをかけていたはずだが。

 一番早く入室した奴は「戦艦長門だ。貴方が新しい提督か、よろしく頼むぞ」とか言ってさも当然のごとく壁際に控えだしたし。

 呼んでねぇよ。引き締まったお腹が見えてなかったら追い出していたところだ。

 その後もぞろぞろと絶え間なく艦娘達は執務室に集まり、大淀がいうにはこの鎮守府の全ての艦娘が集まってしまったという。

 

 退室させましょうか、と大淀が気をきかせてくれたが、俺はあえて首を横に振った。

 これはいい機会ではないか。駆逐艦はともかくとして、俺の将来の艦娘ハーレムのメンバー達もここに集結したという事だ。

 せっかくなので、じっくりと鑑賞させてもらう。

 

 これが生の艦娘達か……胸が熱いな。

 今までオータムクラウド先生の作品でしかお世話になった事の無い艦娘達が、今俺の目の前にいるのだ。

 うむ。眼福眼福。良いではないか良いではないか。

 あまりガン見しすぎると、俺を監視している夕張に何か言われてしまいそうなので、適当な所で切り上げる。

 何か一部の艦娘達の視線に敵意を感じるし、敵意どころか明らかに睨みつけている奴までいる。夕張だけでなく勘のいい奴がいるのかもしれん。

 妹達が言っていたように、見られている側は視線に気づくというやつだろう。気をつけねば。

 

 とりあえず、挨拶だけはしておこう。

 挨拶はすべてのコミュニケーションの基本である。とても大事なのだ。

 俺は立ち上がり、艦娘達に頭を下げた。

 

「まずは挨拶が遅れてしまった非礼を詫びたい。本日より、私がこの艦隊の指揮を執る事になった。よろしく頼む」

 

 俺が顔を上げると、俺の目の前に整列している第二艦隊から第四艦隊の内、第四艦隊の先頭に立っている天龍が腕組みをしながら言ったのだった。

 

「なぁに、気にすんなって! それよりも提督よ、この世界水準を軽く超えた天龍様をいきなり旗艦にご指名とは、なかなかいい目してんな! やるな!」

 

 おおっ。

 腕組みをしたお陰で、天龍の胸が持ち上げられているではないか。

 腕にぶつかって生じた僅かな歪み、それだけで、それがどれだけの柔らかさ、そして大きさを有しているのかを推し量る事ができた。

 服の上からにも関わらず、あれほど高度の柔軟性を維持するとは……ま、まさかノーブラ……だと……! あの大きさで……!

 大淀や夕張と比較するに、軽巡洋艦の基準を遥かに上回る天龍の胸部装甲は、ブラという枠には収まらない、ブラという世界水準を軽く超えるという事か。

 素晴らしい光景だ。年功序列で適当に旗艦にしたが、天龍を先頭にしていて本当に良かった。

 

 もしも先頭が龍田であったのならばこう上手くはいかない。

 天龍のように腕組みはしないだろうし、無防備でもなくガードは固い。おまけに天龍は背後に隠れてしまい、この絶景を目にする事は出来なかったであろう。

 いやあ、天龍の世界水準を軽く超えた胸部装甲、しかと堪能させて頂いた。おかげで俺の股間のチン龍ちゃんが龍田。私の魚雷、うずうずしてる。

 あまりの幸福感に、俺は顔がにやけてしまうのを堪えられず、遂に笑みを浮かべてしまったのだった。

 この俺の演技装甲をこうも容易く貫通するとは、天龍の二つの一式徹甲弾は化け物か……!

 

「うむ。世界水準を軽く超えているという話は、どうやら事実のようだ。この目で確かに堪能させてもらった。お前を旗艦に据えたのは正解だった。龍田ともども、今後の活躍に期待している」

 

 いかん、感動のあまり、思わず本心がダダ漏れてしまった。

 笑顔がキモいから笑うなとは妹の弁であったが、遂にしくじったか。

 少しヒヤリとしたが、天龍は何故かテンションが上がっており、外に飛び出そうとして龍田に止められている。

 よかった。こいつ、バカだった。

 

「今から出撃ってことは、帰る頃には夜戦だね! やったぁ! 待ちに待った夜戦だー!」

「ね、姉さん……提督の前で、そんな」

「久しぶりに那珂ちゃんの見せ場だねっ! 提督ありがとー!」

「な、那珂ちゃんも……提督、すみません、姉と妹が、すみません」

 

 第三艦隊の川内達も何やら騒ぎ始めた。

 他の艦娘達も少しずつ何やらざわつき始めている。

 どうやら先ほどの天龍とのやり取りを見て、少し緊張感がほぐれたらしい。

 

 うむ。結構。

 だが引き締めるべき所は引き締めねば。

 メリハリが大事なのだ。

 さっさとチュートリアルも終わらせたいところだしな。

 早くノルマを終わらせなければ。なにしろ大淀によれば、今夜は俺の歓迎会が開かれる予定なのだ。お酒呑んで、上手く行けば酒の勢いで……やったぁ! 待ちに待った夜戦だー!

 そうとなれば早くこの遠征を終わらせねば。全員集まらないと、歓迎会も始められないではないか。

 艦娘諸君、余計なお喋りなどしている暇は無いのだ。

 

「――それではこれより、遠征任務を発令する!」

 

 俺がそう声を上げると、艦娘達は皆、一糸乱れず足並みを揃え、俺に向き直った。

 お、おぉ……流石軍隊。規律はきっちりしているようだな。うん。

 アッ、やべ。作戦概要とか、何を言うか考えてなかった。

 しかし俺が作ってしまったこのピリッと引き締まった空気、適当な事は言えない。

 仕方が無い。とりあえず真面目な雰囲気で可能な限りふわっとした具体的じゃない指示を出そう。

 

「作戦概要を説明する。第二、第三、第四艦隊は、各自、高度の柔軟性を維持しつつ目的地へ向かい、臨機応変な判断を忘れる事なく行動せよ!」

「了解!」

 

 了解しちゃった!

 元気の良い返事と共に、遠征部隊は敬礼する。

 要するに行き当たりばったりで頑張れという意味なのだが、アイツら本当に大丈夫なのだろうか……。

 まぁ、妖精さんがお勧めするくらいなのだからそんなに危ない場所じゃないであろう。

 後の判断は大淀、お前に任せた。



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009.『出撃命令』【艦娘視点】

 遠征部隊が出発し、執務室に集まっていた私達が自室での待機を命じられてからしばらく経った。

 艦娘寮の自室に戻り、私は新しく着任した提督の眼を思い出す。

 

 ――気に食わない。

 

 第一印象はそれだった。

 あの眼を見て、そうとしか感じられなかった自分が嫌いになりそうだ。

 

 前提督とは違い、清潔感のある外見。

 沈んでしまったあの子に匹敵するほどの長身痩躯。

 重要拠点の横須賀鎮守府を任せるには頼りなく思えるほどの若さ。

 その若さとは明らかに釣り合わない、精悍な顔立ち。

 にも関わらず、私達を兵器としてではなく、一つの命としているような、熱を感じる視線。

 どれもこれもが気に食わなかった。

 

「加賀さん、お茶を淹れました」

「ありがとう。いただきます」

 

 赤城さんが持ってきてくれた湯呑を受け取り、小さく息をつく。

 

 私は人を見る目には自信がある。

 前の提督は、提督としての資質、いや、大人としての資質さえも疑問に思うほどであったが、それはきっと、そういった人生しか歩んでこなかったからだ。

 

 彼は学ぶ事を嫌った。

 私達、空母における艦載機の運用には、高度な計算が求められる。

 彼は最後まで制空権の重要さを学ぼうとはせず、己の勘だけで艦載機の種類に口を出してきた。

 毎回の戦闘で大量に撃ち落とされる艦載機に申し訳なかった。

 ボーキサイトが不足しだすと、何故か私達が責められた。

 敵の対空砲火を避けられないのは、艦載機を操る妖精さん達の気合が足りないとの事だ。

 

 彼は意見される事を嫌った。

 部下である私達から何かを教えられる事が気に食わないようだった。

 上司である艦隊司令部から何かを指示される事も気に食わないようだった。

 その意見がたとえどんなに正論であると理解できていても、感情論でそれを突っぱねた。

 最後には、艦隊司令部にすら「俺はいつだってこんな仕事辞めてもいいんだ!」と開き直る始末だった。

 艦隊司令部は私達に隠しているつもりのようだが、提督候補は数少ないらしく、それを逆手に取って脅すような、卑劣な言動だった。

 

 彼は自分の責任において行動する事を嫌った。

 都合の悪い結果になると、全て誰かのせいにした。

 横須賀鎮守府において始めは優勢であった深海棲艦との闘いがやがて劣勢になった事も、艦娘の建造や装備の開発、改修が上手くいかない事も、全てこの私達に責任があるとの事だった。

 彼がついに艦隊司令部から責任を追及された際も、「俺はこんな仕事はやりたくなかったのに、お前らがやらせたんじゃないか!」「こんな使えない奴らばかりで勝てるわけがあるか!」とわめいていた。

 味方である他の鎮守府に対抗心を燃やし、一番の戦果を挙げるのだと私達に必要以上の過度な出撃を命じていた記憶は、どこかへ消えたようだった。

 

 彼はこの国の未来など考えていなかった。

 ただ、自分自身の人生の事だけで精一杯だった。

 提督の素質が見つかり、艦隊司令部からスカウトされた時も、この国を救い英雄になるチャンスが回ってきた、程度にしか考えていなかったのだろう。

 

 五十歳を過ぎてなおそれが当たり前であった前提督は、そういった人生しか歩んでこれなかったのだ。

 大きな声を出してわめけば、周りが折れてくれる。

 自分の意見は通る。

 都合の悪い事は自分のせいではない。

 自分は悪くない。

 だから自分は絶対に正しい。

 

 自分一人が生きていくだけであれば、その器の小ささでもやっていけたのであろうが、艦隊を率いるには器量が圧倒的に不足していた。

 妖精さんを見る事のできる提督候補は貴重だと言うが、それでも、あの男を早い段階で何とかできなかった艦隊司令部にも不信感が募るばかりだ。

 

 そんな艦隊司令部が一か月間も待たせた挙句に、横須賀鎮守府に配属した男。

 あの若い提督自身に非は無いのかもしれないが、どうしても気に食わないのだ。

 八つ当たりだというのはわかっている。

 しかし、それでも、何度も何度も大破し、敗戦を味わい、罵られていた赤城さんの姿を思い出すだけで、私はこの怒りから逃れる事はできそうにない。

 

「それで、どうです? 加賀さんの提督評は」

「随分と嬉しそうね」

「加賀さんは人を見る目がありますから」

 

 赤城さんは、本当に強い。

 私や他の一部の艦娘達のように怒りや恨みに囚われる事なく、もう前を向いている。

 どんなに辛い目に遭っても、笑顔で人を気遣う事ができる。

 私もこのようになりたいと、いつもいつも憧れているのだ。

 

 赤城さんに嘘をつく事は出来ない。

 私は自分でも信じられない、直感をそのまま口にした。

 

「幾多の戦場を潜り抜けてきた戦士の顔をしていたわ」

「まぁ。あの若さで?」

「そうね。何度も修羅場を経験し、生き延びてきた、そんな凄みを感じたわ。それなのに、私達一人一人を、まるで愛おしいものでも見つめるかのような優しい眼をしていたの」

「あら。加賀さんがそんなに褒めるなんて、珍しいわね」

「褒めてはいないわ」

 

 これはあくまでも直感だ。

 根拠のあるものでは無いのだが。

 私は感情の起伏は人並み以上に激しいが、あまり表に出すのが苦手だ。

 だからだろうか、目を見て、表情を見て、それだけで大体の事は読み取る事ができると思っている。

 目は口ほどに物を言う。

 その人の性格は顔に出る。

 

「加賀さん、ほら。夕日があんなに綺麗」

 

 沈み始めている夕日を見つめて、赤城さんが笑った。

 赤城さんには言わなかったが、あの人を表情と目を見て、一つだけ確信できた事があるのだ。

 あの人は、提督としての資質はともかくとして――私達艦娘をひとつの命として、一人の女性として見ている。

 それが物凄く、気に食わなかった。

 そんな提督を素直に受け入れられていない自分が、一番気に食わない。

 

 瞬間、室内に放送が流れる。

 先ほど遠征に向かった大淀に代わり、明石の声だ。

 

『これより、鎮守府正面海域への出撃を行います。正規空母、赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴。軽空母、龍驤、春日丸。そして鳳翔は直ちに執務室へ集合して下さい』

 

 己の耳を疑った。

 もうすぐ日が落ちる。夜になっては、艦載機は飛ばせない。

 それなのに、何故空母ばかりを――。

 私がそう疑問を抱いた瞬間には、赤城さんは湯呑を置いていた。

 

「行きましょう、加賀さん。出撃命令です」

 

 笑顔は消え、いつもの真剣な表情に変わっている。

 この人は本当に迷わない。

 早く私も、こうなりたいものだ。そう思いながら、私も湯呑を置いたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 執務室に空母全員が揃う。

 執務机の上で指を組み、提督は真剣なまなざしで私達一人一人を見つめた。

 提督の視線は、鳳翔さんに向く。

 

「鳳翔さん」

「はい。……えっ」

 

 鳳翔さんだけではなく、全員がそう思った事だろう。

 何故、部下である鳳翔さんに、提督がさん付けを……。

 私達空母にとって母のような存在であり、また、鎮守府でも古参である為、艦娘はほぼ全員がさん付けで呼ぶが、提督が部下をそう呼ぶ必要は皆無であるのだが。

 

「あっ、あの、提督。鳳翔とお呼び下さい」

「む……そうか。そうだったな。つい、いつもの癖でそう呼んでしまった」

「い、いつものとは」

「いや、常日頃から、鳳翔さんには敬意を払うべきだと思っていたものでな」

「あ、あの、ですから、鳳翔と……」

 

 鳳翔さんに敬意を……!

 この提督はどうやらなかなかわかっているようだ。

 鳳翔さんの偉大さを。

 深海棲艦との闘いが始まって以来の最古参。

 空母系艦娘の艦載機運用についての知識を艦隊司令部に与え、幾度もの闘いを勝利に導いた。

 開戦以来、多くの戦場を駆け回り、限界を超えて無理をした反動で現在は前線を退いてはいるが、艦隊司令部からその数々の功績を称えられ、夢であった小さな小料理屋を間宮と共に鎮守府内で営む特別扱いを許されている唯一の艦だ。

 今では積極的に戦闘に参加せずとも、この鎮守府の艦娘全員にとって憩いの場を提供してくれる、かけがえのない存在となっている。

 そんな鳳翔さんには、艦隊司令部出身の提督も頭は上がらないのだろう。

 正直、上官としての威厳と資質に欠けると思ったが、その姿勢は個人的には嫌いではない。

 ……いや。気に食わない。気に食わないの間違いだった。

 

「鳳翔。これから赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴、龍驤、春日丸の六人で、鎮守府正面海域に出撃してもらおうと思うのだが……春日丸についてどう思う」

「実戦経験に乏しい事だけが気になりますが、素晴らしい才能を秘めています」

「一言で言えば天才やな。ウチが血ヘドを吐く思いで習得した改二を、あっと言う間に習得しよった」

「りゅ、龍驤さん、そんな、私なんて」

 

 この鎮守府のもっとも新参者であり、期待の新人でもある春日丸に注目しているのか。

 提督は春日丸をじっと見つめている。

 確かに、北方方面で新たに発見された春日丸が横須賀鎮守府に配属になってから、前提督には軽空母だからと軽視されており、資料が少ない。

『春日丸』としての性能だけを見れば、決して優れているとは言えない。

 だが、春日丸は実戦経験こそ皆無だが、香取、鹿島、そして鳳翔さんと龍驤による演習と教育だけで改二に至った天才児だ。

 

 ――『改二』。それは私達艦娘が限界を超え、更なる性能を開放した戦闘特化形態の事だ。

 ほとんどの艦娘は『改』と呼ばれる戦闘体勢を取る事で、その戦闘力を開放し、闘いに挑む。

 『改』となる事で、火力や装甲などの能力がどれも向上する事になるのだが、僅か一握りの者しか至る事のできない領域である『改二』では、さらにその能力を向上させる事ができる。

 全体の能力がバランスよく引き上げられる万能型の者もいれば、一部の能力に特化する者もおり、それは艦娘により様々だ。

 

 春日丸はその中でも異様な多段階改装を有し、『春日丸』から『大鷹』へ、さらにそこから『大鷹改』を経て『大鷹改二』に至るという能力を持っている事が判明した。

 まだこの一か月で、実験程度にしかその能力を確かめられていないが、この提督は鎮守府に着任して初日の内に、それを把握しようとしているという事だろうか。

 それを感じてか、鳳翔さんは、それと訊かれてもいないのに龍驤は、春日丸を推したのだ。

 

「ふむ、なるほどな。よくわかった。春日丸は今後、演習を卒業し、実戦に積極的に投入していく。異論はあるか」

「……いえ。私もそろそろ実戦経験を積ませるべきだと思っておりました。提督のご配慮に、感謝致します」

 

 鳳翔さんが、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。

 それは驚きがあったからであろう。

 本日着任したばかりの提督が、おそらく資料もあまり読み込めてない内に、春日丸の今後に関してベテランの鳳翔さんと同じ判断を下したのだ。

 春日丸はまだ艦娘歴は浅く、データも少ない。性能も低く、そのポテンシャルを見抜いた鳳翔さん達が天才だと呼んではいるが、敵艦と接触した事は未だに無い。

 いくら天才でも、戦場では最後には実戦経験が全てだ。

 前提督であれば決して重用しようとしなかった春日丸の才能を見抜き、認め、さらに育む為に、実戦経験を積ませようとしている。

 その迅速な判断に、おそらく鳳翔さんは驚愕し、そして感動を覚えているのだ。

 

 私は、目を見れば、表情を見れば大体の事はわかる。

 ずっと近くでお世話になってきた鳳翔さんならば猶更だ。

 

「ただ、春日丸さんは過去の記憶から、夜の海に恐怖を抱いています。一人では怖くて眠れず、毎晩、私と一緒のお布団で眠るくらいです。この時間に初めての実戦となると少し不安が……」

「可愛い子には旅をさせよと言うだろう。春日丸が一皮剥ける為にも必要な経験になるはずだ」

「……わかりました。提督の判断を信じます。春日丸さん、頑張れそう?」

「は、はいっ……頑張り、ます」

 

 艦娘寮では春日丸と同じ部屋の鳳翔さんは、春日丸のトラウマが気になっているようだった。

 かつて沈んだ経験のある艦は、多かれ少なかれ、沈む際の記憶、トラウマを抱えている。中には記憶を失ってしまっている者すらいる。

 春日丸はそのトラウマを克服できていなかった。

 天才とは言え、まだ子供だ。夜になると不安と恐怖で眠る事が出来ず、鳳翔さんと一緒で無いと安心して眠る事ができないほどらしい。

 

 提督が敬意を払っている鳳翔さんの言葉だったが、提督はそれを却下した。

 何か考えがあるのか、それとも、前提督と同様に、人の意見が気に食わず、己の意見を通したかっただけか。

 もしも後者であるならば、私は絶対に許さない。

 

「それでは早速だが、実戦だ。お前たちにはこれより、鎮守府正面海域に出撃し、敵艦隊を迎え撃って欲しい。先制攻撃に成功したら即座に撤退してくれ」

「提督さん、質問してもいいかな?」

 

 五航戦の瑞鶴が挙手をした。

 横目に見てみれば、私と同じ、不信感を拭えないといった目をしている。

 

「うむ」

「この出撃の意図は何?」

「私も同感ね。五航戦の子と意見が合うのは気に入らないけれど、説明をしてもらいたいわ」

 

 私はやはり、赤城さんのようにはなれない。

 提督の指示に従い手足となって動くのが艦として正しいあり方であるのだとしても、どうしても感情が抑えられないのだ。

 瑞鶴が私を横目に睨みつけた――瞬間。

 

 執務室の空気が張り詰めた。

 この無言の圧力は、目の前の提督から発せられている。

 提督は執務机の上で指を組み、うなだれたように、その組まれた指の上に額を乗せていた。

 何だ。何なのだこれは。

 

 思わず私と瑞鶴は唾を飲み込み、無意識の内に一歩後ずさってしまった。

 私達は間違った事を言っただろうか。

 むしろ、出撃する側として当然の事を言ったと思うのだが。

 提督は私達の方を見ない。

 机の上に組まれた指の上に頭を乗せている為、その目を、その表情を見る事はできない。何も読み取る事ができなかった。

 怒り? それとも――失望?

 

 私達の発言は、そんなに軽率なものだったのだろうか――。

 

「提督、ひとつよろしいでしょうか」

 

 五航戦の翔鶴が一歩前に出て、この空気に怯まぬようにそう口にした。

 提督はゆっくりと顔を上げる。

 提督が翔鶴の顔を見ると、部屋中に張り詰めていた重圧が消えた。

 

「艦載機はどう致しましょう」

「全員、高性能な艦上攻撃機のみで十分だろう。後は艦上偵察機を忘れるな」

「了解しました」

「索敵、先制を大事に、という事ですね」

 

 提督の答えに、赤城さんがそう言った。

 翔鶴は、赤城さんは、何の疑問も抱かないのか。

 遠征部隊が先ほど向かったような位置ならともかく、鎮守府正面海域など、この一か月、敵の哨戒部隊程度しか侵入してきていない。

 私達空母のみの編成を組んだという事は、索敵と先制爆撃による圧倒的攻撃力での殲滅が目的なのだろうが、それはあまりにも過剰戦力というものだ。

 これでは前提督のいた頃と何も変わらないではないか。

 

「ほな、そろそろ行こか。早よせんと日が沈んでまうで」

 

 龍驤がそう言って、私達を促す。

 そのまま提督を見て、確かめるように言ったのだった。

 

「この時間に呼び出すくらいや。ここで長々と説明している暇は無い。時は一刻を争う、ちゅー事やろ?」

「うむ。よろしく頼む」

 

 提督は龍驤の言葉に満足そうに頷いた。

 普段の飄々とした態度で忘れてしまいそうになるが、龍驤も艦娘の中ではかなりの古参だ。

 鳳翔さんと肩を並べる歴戦の猛者、龍驤にそう言われてしまっては、返す言葉も無い。

 瑞鶴と私は不満を飲み込み、その悔しさから提督を睨みつけてから、執務室を出たのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「でもさでもさ! せめて作戦概要くらい説明すべきじゃない⁉ 私間違ってるかな⁉ 翔鶴姉!」

「お、落ち着いて瑞鶴……間違ってはいないと思うけど、龍驤さんの言った通り、急ぐ理由があったのだと思うの」

「だったらそれを説明するべきでしょ⁉」

「説明する時間が……」

「それくらいあるでしょ⁉」

 

 翔鶴に愚痴る瑞鶴の甲高い声を背後に聴きながら、海上を進む。

 いつもだったら一言、五月蝿いとでも言い放っているところだが、私も同意見であったので何とも言えなかった。

 赤城さんはブレる事なく、周囲を警戒しながら先頭を進む。

 

「まー、確かにあの新しい司令官は、ちっとばかし言葉足らずやな」

「龍驤さんもそう思うでしょ⁉」

「せやかて瑞鶴、見た目若くても、腐っても司令官や。この時間に、この面子集めて、一戦交えて即座に撤退しろ、やで。何かの考えがあると思う方が当然やろ」

「提督さんなりの考えがあるのはわかるけど……前の提督みたいに、空母並べれば強い、なんて単純に考えてんじゃないの?」

「あははは……それやったら哀しいな。どれ、赤城、そろそろ索敵しとこか?」

「そうですね。彩雲の発艦をお願いします」

「あいよっ。艦載機の皆、お仕事お仕事!」

 

 龍驤は甲板となる巻物を具現化し、艦載機を召喚する。

 甲板を発艦した彩雲は、そのまま夕日で赤く染まる水平線の向こうへと消えていった。

 

「でもあの提督さん、私を見る目と翔鶴姉を見る目が明らかに違ったよ! 絶対変な事考えてたよ!」

「ず、瑞鶴……提督に失礼でしょ」

「いーや! あれはいやらしい事を考えていた目だった! 間違いない!」

「こらこら瑞鶴。それは流石に言いがかりや。あれはキミと加賀が妙な事言った後に、翔鶴が司令官の求めてた事を言うたからやないか」

「妙な事って何⁉」

 

 苛立ちからか、提督に妙な疑惑までかけ始めた瑞鶴を、龍驤が宥める。

 春日丸が恥ずかしそうに俯いてしまっている。

 小さい子のいる前で、いやらしい事とかの話をしないでほしかった。

 龍驤は腕を組み、小さく唸る。

 

「うーん、難しいなぁ。瑞鶴と加賀の言った事は間違って無いけどな、最善が正しいとも限らないねん。大淀達にもそういう曖昧な指示が出とったやろ? あれがあの司令官のやり方なのかもしれへんな」

「具体的な指示を出さないってやり方? 何それ! 意図が正確に伝わらなくてミスが増えるだけじゃない」

「せやな。常識的に考えればありえへんわな。せやけど……今回の出撃、うちにはあの司令官がうちらを試してるように見えたんや」

「試してる? この編成も何かの実験って事? この頭悪い編成が?」

「ちゃうちゃう。編成の実験じゃなくて、試されてるのはうちら自身、っちゅー事や。あの司令官、なかなかの曲者かもしれへん」

 

 龍驤の意見に、私も心の中で同意した。

 執務室に入り、提督の前に一列に並んだ私達を品定めするかのようなあの眼、あの顔。

 そして命令を下した時に感じた、あの雰囲気。

 私たち一人一人をじっくりと観察し、そして何かを決定づけた。

 あの眼からして、あの中で一番提督が買っているのは、瑞鶴が言うように、翔鶴だったと私も思う。

 瑞鶴は頭が残念なので、あの眼をいやらしい事を考えているだとか勘違いをしているようだった。

 一番が赤城さんでは無かった事に疑問を感じるが、提督はあの眼で私達を見極め、そして、実験的な命令を下した。

 それは龍驤の言うように、まるで私達を試しているかのようだった。

 

「昔と違って、今のうちらは艦娘や。昔みたいに司令官が乗船してリアルタイムで指示を出す事はできへんやろ? 何より、うちらには今は自由に動く身体がある」

「まぁ、そうだけど」

 

「例えるならボクシングっちゅー格闘技に似てるかな。リングの上で深海棲艦と殴り合うのはうちらやろ?

「司令官ができる事は、出撃するまでの準備がほとんどや。うちらが出撃して、いざ戦闘が始まれば、司令官はただ祈る事しかできひん。

 

「せやけどな、これはうちと鳳翔の持論やけど、深海棲艦との戦いっちゅーんは、うちらが殴り合って勝った負けた、そんな単純なもんやあらへん。いざ出撃するまでの間に何が出来たか、敵艦隊と交戦するまでに何をどれだけ準備できたか、それを含んだ全てが、一つの戦闘やと思っとる。

 

大規模な侵攻が起きた際に、それを迎え討つに十分な資材を、常日頃から備蓄できているか。

事前に偵察し、敵艦隊の編成なんかの情報を手に入れられているか。

各深海棲艦の能力、対策は把握できているか。

どんな深海棲艦が現れてもいいように、装備の開発、改修は進められているか。

いつ誰が出撃してもいいように、艦娘の練度は十分に鍛えられているか。

艦載機の熟練度は十分か。

出撃する艦娘の疲労、体調管理は出来ているか。

艦娘の戦意は高められているか。

 

司令官に出来るのはここまでや。そして、これが一つの戦闘の結果を左右すると言っても過言では無いと、うちらは思っとる。

司令官がここまで準備しても、予測できひん事もある。時の運と、うちらの判断力や。不運な一撃で大破してしまう事もあるし、提督はいけると思っとった事でも、うちらの判断ミスで台無しになる事もあり得るやろう。

現場のうちらの判断力次第で、司令官の準備が報われるか、パァになるかが決まると言っても過言では無い。

 

それに、戦闘が始まれば一瞬の隙が命取りや。想定外の事が起きたから言うて、いちいち無線で司令官に指示を求める余裕も無い。無線が妨害される可能性も想定内や。となれば、司令官の作戦で動きはするけど、最終的にうちらの命はうちらの判断で守るしか無い。

今回、司令官が試そうと、もしくは鍛えようとしてんのは、うちらのその辺りの能力とちゃうかなぁ、とうちは睨んどる。

……もしくは、否応なしに臨機応変にせざるを得ない状況に、すでにあるか、やな」

 

「むむむ……で、でもさ。試す為だか鍛える為だかわからないけど、出せる指示をあえて隠すってのは、やっぱり指示出されて無いのと同じとしか思えないよ! 指揮官としてありえない!」

「あら、瑞鶴。私はそうは思わないわ」

 

 なかなか納得しない瑞鶴に、龍驤とのやり取りを聞いていた翔鶴が口を挟んだ。

 非常に不愉快な事だが、私の意見は瑞鶴と一致しているので、そのやり取りは嫌でも耳に入って来る。

 

「執務机の上には、大淀さん達が作ってくれた私達の資料と、一か月分の報告書が置いてあったわ。私のページが開いてあった。きっと、この出撃も一生懸命考えて、各自の能力を把握した上で私達を送り出したはずよ」

「翔鶴姉のパンツでも眺めてたんじゃない? あの資料の写真、袴の隙間から下着の紐が見えてたし」

「えぇっ⁉ う、嘘っ、やだぁ! うぅ……もう、後で青葉さんに差し替えてもらわなきゃ……って、瑞鶴! 提督はそんな人じゃないってば!」

「わかんないよ~? 見た目だけは恰好良いし真面目そうだったけど、ああいうのに限って何考えてるかわかんないんだから。男は皆、飢えた狼なんだからね!」

 

 春日丸が顔を赤くして俯いてしまっている。

 そろそろいい加減に黙ってもらおうか。

 

 ――そう思って振り向いた瞬間だった。

 

 龍驤が、呟いたのだった。

 

「……アカン」

 

「えっ、何、龍驤さん」

「索敵しとった彩雲からの映像が届いた。大型の深海棲艦の艦隊がまっすぐ鎮守府方面に進行中。敵は五隻と少数やけど……五隻全て、姫と鬼の集まりや」

 



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010.『出撃命令』【提督視点】

 大淀達を遠征に送りだし、他の艦娘達にも自室での待機を命じた。

 今、執務室の中にいるのは俺と明石だけである。

 俺の監視をしていた夕張も、俺の渾身の勇気を振り絞ったセクハラにも目ざとく口を挟んでくる大淀も、今は俺の策によりここにはいない。

 夕張と大淀、その他水雷戦隊の皆は、今頃無人島へのクルージングを楽しんでいるはずである。

 距離もあるようだったので、数時間は帰ってこないだろう。

 何なら無人島でのバカンスを楽しんでくれても良い。

 策士、俺。フフフ、俺の才能が怖いか?

 

 まだ着任初日で正直仕事の仕方もよくわからない俺の近くには、秘書代わりとして明石を指名した。

 佐藤さんから貰った『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』には、まだまだやらねばならない事が書いてある。

 その為には、先ほど大淀がやっていたように、放送を流したり艦隊司令部に連絡をしたりと、俺にはよくわからない仕事があると思ったからである。

 明石は「私が秘書艦ですか⁉ 頑張ります!」と、非常に嬉しそうだった。

 提督の秘書という地位は、やはり名誉だという事なのだろう。提督の権力とは、やはり相当強力なもののようだ。

 このまま二人きりで執務をする事で、やがて互いの距離は縮まるはずだ。

 ちょっとしたボディタッチくらいなら許されるようになり、最終的には「明石の工廠へようこそ!」「俺のクレーンにあまり触ったら危ないですよ……オウフ、そこはもっと危ないです」という作戦である。

 完璧すぎる作戦だ。フフフ、俺の才能が怖い。

 

 しかし大淀も明石も、セーラー服の中には透けにくい素材の長袖インナーを着込んでおり、上半身のガードは固い。

 にも関わらずスカートはあの短さで、おまけに妙なスリットが入っており太ももが丸見えだ。

 君たちガードのバランス極端すぎない? 上半身に比べて下半身のガードが貧弱すぎるだろ……。

 

 と、明石の姿を改めて眺めていて気が付いた。

 いかん。二人きりであるせいで、明石の注目は必然的に俺に注がれている。

 秘書として、気を利かせようと頑張ってくれているようだ。

 これでは俺の視線など丸わかりだ。くそっ、二人きりになったお陰で逆にガン見しにくくなるとは、策士、策に溺れるとはこの事か。

 しかしガン見はできないが、明石の太ももは嫌でも視界に入る。目の保養のつもりだったのに、目の毒になってしまった。

 心を落ち着かせる為に、俺は執務机の上に『艦娘型録』を開き、翔鶴姉のパンツを眺める事にする。心は落ち着いたが今度は股間が落ち着かない。

 

「そういえば提督、何で大淀たちに妖精さんを同行させたんですか?」

「あぁ、道案内をさせようと思ってな。羅針盤代わりだ」

「へぇぇ、そんな事ができる妖精さんがいたんですね。それに、提督は随分と、妖精さんに好かれているようでした」

「そうか?」

 

 好きな子ほど虐めたくなるってか。小学生か。そんな訳が無い。

 さっきから妖精さん達は、単に俺の事をバカにしているだけだ。

 艦娘は妖精さんの声が聞こえないらしいからわからんのだろう。

 さっきまでお前らの目の前で童貞童貞と連呼してたんだぞ。

 

 あまりにも耳元でブンブンとうるさいので、大淀たちに無理やり押し付けてやった。

 アイツらが指定した目的地なのだ。道案内くらいはできるだろうと思ったのだ。

 何故か妖精さん達は『わー、頑張ります』『やっと海に出られる……』『提督さん、流石です』と喜んでいたので、まぁいいのだろう。

 アイツらの考えている事はわからん。

 

 俺は艦隊司令部からの任務リストに、改めて目を通してみた。

 むむっ。『敵艦隊を撃破せよ!』。どこでもいいから出撃し、一回敵艦隊を撃破すればいいという簡単そうな任務があった。

 先ほどまではよく意味の分かっていなかった、一か月間の報告書をもう一度開いてみる。

 この鎮守府近海では、駆逐イ級とかいう弱い敵艦が偵察の為か、少数で侵入してきているのを、度々迎撃しているようだ。

 こちらは水雷戦隊で何とか迎え撃っている。そうなると、それ以上に強い艦で出撃すれば、この任務は簡単に達成できそうではないか。

 そうなると、『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』にあった『艦載機の運用を学ぼう!』の辺りも、せっかくなので試してみるといいかもしれない。

 

 艦上戦闘機の扱いなどは難しそうだったので読み飛ばした。

 とりあえず艦上攻撃機を沢山積んで、アウトレンジから先制攻撃を仕掛ける事で敵を殲滅する方法もあるというページだけは目を通していたのだ。

 艦上攻撃機と艦上爆撃機ってどう違うのかがよくわからん……。

 そういう時はとりあえず艦上攻撃機を選んでおけばいいと書いてあった。佐藤さんアバウトすぎる。

 艦上偵察機の使い方もよくわからなかったが、とりあえず索敵は大事らしいとの事で、このページも軽く流し読みはしておいた。

 艦上戦闘機による制空権の確保が重要らしいが、この辺りは時間のある時にでも読んでおこう。

 

 要するに、大量の艦上攻撃機があればあるほど、敵艦には大打撃を与える事ができる。

 しかし一人に積める艦載機の量は限られている……。

 ならば、編成を組む六人全員を空母にすればよいではないか! 単純に考えて威力も六倍! 天才か俺は。

 俺の考えた世界水準を軽く超える前衛的強靭無敵最強空母機動部隊がどの程度有効なのかを試しがてら、デイリー任務も達成する。

 これを一石二鳥と言います。

 

 そうと決まれば話は早い。

 俺は明石に声をかけた。

 

「明石、空母のみで編成した艦隊を鎮守府正面海域へ出撃させようと思うのだが」

「えぇっ……? く、空母のみですか? 鎮守府正面海域に⁉」

「うむ。何か問題があるか」

「い、いえ……そうですよね。提督の事ですから、何かお考えがあるという事ですね」

「勿論だ。そうでなければこのような編成はしないだろう」

「……了解しました! この明石、提督を信頼しています! 空母のみで六人となりますと、この鎮守府の正規空母と軽空母を総動員する事になりますね」

 

 明石が挙げた名前は、赤城、加賀、翔鶴姉、瑞鶴、龍驤、春日丸だった。

 鳳翔さんは、どうやら今は前線には出ておらず、小料理屋を営んでいるらしい。

 オータムクラウド先生の作品に描いてあった通りではないか……鎮守府内には一般人は立ち入り禁止だというのに、どこでそんな情報を仕入れて作品に反映させているのだろう。

 流石は、俺が人生で唯一尊敬する人だ。俺もこの姿勢を学ばねば。

 

 オータムクラウド先生の偉大さを改めて感じながら、俺は鳳翔さんも含めて七人の空母を執務室に呼び出すよう、明石に頼んだのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 執務机を挟んで、俺の目の前には七人の空母が横並びに立っている。

 先ほどはよく観察する事のできなかった七人の姿を、改めてじっくりと品定めする。

 

 一航戦、赤城。自然体に見えて隙が無い。

 オータムクラウド先生の『一航戦の誇り……ここで失うわけには……』にはたまにお世話になっていたが、リアルのコイツにセクハラするのはまず不可能だろう。

 隙だらけに見えて手を伸ばしたが最後、その腕を掴まれて憲兵を呼ばれるのは明白だ。赤鬼である。ハーレムに編成できる自信が無い。

 

 一航戦、加賀。猛禽類のような目で俺を睨みつけている。

 オータムクラウド先生の『ヤりました』にはたまにお世話になっていたが、リアルではセクハラどころの話ではない。

 コイツは危険すぎる。手を伸ばしたが最後、鎧袖一触で「殺りました」となる事は明白だ。青鬼である。ハーレムに編成できる自信が無い。

 

 五航戦、翔鶴姉。その姿を見るだけで俺の高角砲が自動的に対空見張りを厳とする。

 オータムクラウド先生の『スカートはあまり触らないで』には数えきれないほどお世話になっています。

 きょ、今日のパンツは何色ですか。俺のセクハラ被害担当艦に任命したい。天使である。俺のハーレムに編成不可避。

 

 五航戦、瑞鶴。こちらも俺を睨んでいる。不信感が隠しきれてない。年下っぽいからか、俺の一番上の妹に似ているからか、俺の高角砲はピクリとも反応しない。ハーレム対象外だ。

 軽空母、鳳翔さん。何というか、俺は年上好きだし、地味ながら清楚で素朴な美人なのだが、何故か恐れ多いというか、逆に孝行したくなるというか、胸を揉むより肩を揉みたくなるというか、その……ハーレム対象外だ。

 軽空母、龍驤。ハーレム対象外だ。

 軽空母、春日丸。男である。

 

 しかし春日丸は『艦娘型録』の写真でも、名前以外は顔も髪型も恰好も女の子っぽいなとは思っていたが、直接見てもやはり女の子に見える。

 男装の麗人の逆というか。いわゆる男の娘という奴だろう。男の娘ならぬ男の艦娘。

 今思い出したが、オータムクラウド先生ではない別の同人作家の作品で、何かの間違いで春日丸が主役のものを偶然目にした事があった。

 主役というか、竿役というのか、あれは。立派なモノが生えていた。反射的に途中で読むのをやめてしまったが、やはり男の艦娘という事なのだろう。

 他にも水無月とかいう子にも生えていたので、男の艦娘は春日丸だけではなく他にもいるという事であろう。

 その作品の中で時雨や最上にも生えていたのは作者の取材不足によるものだろう。自分の事を僕と呼ぶから男だと勘違いしたのか。二人ともどう見ても女の子じゃないか。

 一目見ればわかるだろうに男と女の区別もつかないとは、可哀そうな事に、女性と全く縁が無い作者なのだろう。

 リアルな艦娘描写に定評のあるオータムクラウド先生を見習ってほしいものだ。

 

 牛若丸とか森蘭丸なんかの歴史上の有名人も女性に見紛うほどの美少年だったというし、ならば名前が似ている春日丸も女の子に見える少年という事で何らおかしい事は無い。

 その法則に従えば、名前しか知らないが多聞丸とかいう人もさぞかし美少年なのだろう。

 まぁ、春日丸は美少年というには少し芋っぽいというか、素朴なところがあるが。鳳翔さんに少し似ている気がする。実は隠し子とか。

 

 話が逸れてしまった。

 そう、この春日丸。明石の話では実戦経験が無く、演習のみでしかその性能を見せた事が無いという。

 今までは演習巡洋艦香取と鹿島の二人に優しく手取り足取り、演習してもらう毎日だったらしい。

 

 ふざけるなよ貴様……! 俺の香取姉と……羨ましすぎんだろ……!

 

 家庭教師のお姉さんと無垢な少年の危ない関係が危惧される。提督権限を行使して今後の演習は即時中止とし、これからは厳しい実戦に挑んで頂こう。

 これを職権乱用と言います。

 大体演習しか経験してなくて実戦経験がありませんって、それでは素人童貞と同じではないか。恥ずかしいと思え。俺? 神童貞です。凹む。

 

「鳳翔さん」

「はい。……えっ。あっ、あの、提督。鳳翔とお呼び下さい」

 

 あっ。そうかしまった。ここでは俺の方が上官なのだから、呼び捨てにするべきだった。

 オータムクラウド先生の作品ではそれが当たり前だったから、つい。

 

「む……そうか。そうだったな。つい、いつもの癖でそう呼んでしまった」

「い、いつものとは」

「いや、常日頃から、鳳翔さんには敬意を払うべきだと思っていたものでな」

「あ、あの、ですから、鳳翔と……」

 

 うーむ、慣れない。

 何と言うか、この人老けてるわけじゃないし、むしろ俺より僅かに年上ぐらいにしか見えないのに、貫禄があるんだよな。

 それこそ、春日丸の母ですと言われても違和感が無いというか。

 本人には絶対に言えないが。

 呼び捨てにする方が違和感があるのだが、俺は提督なのだ。演技がバレないようにする為にも威厳を保たねば。

 

「鳳翔。これから赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴、龍驤、春日丸の六人で、鎮守府正面海域に出撃してもらおうと思うのだが……春日丸についてどう思う」

「実戦経験に乏しい事だけが気になりますが、素晴らしい才能を秘めています」

「一言で言えば天才やな。ウチが血ヘドを吐く思いで習得した改二を、あっと言う間に習得しよった」

 

 将来有望な天才美少年か。ますます妬ましい。

 さぞかし俺の香取姉や、同人界隈では鎮守府のサキュバスと称される鹿島にちやほやされてきたのだろう。くそっ、なんて奴だ。

 このままでは同人界隈で何故かショタ提督との絡みが多い俺の高雄や愛宕まで、いつか春日丸の毒牙にかかってしまいかねん。

 やはり提督権限を発動するしかない。

 鳳翔さんにいくら反対をされようとも、ここだけは譲れない。春日丸は実戦の荒波に揉まれ、世間の厳しさを知るがいい。

 その間に俺は香取姉の荒波を揉もう。いや、揉まれよう。

 

「ふむ、なるほどな。よくわかった。春日丸は今後、演習を卒業し、実戦に積極的に投入していく。異論はあるか」

「……いえ。私もそろそろ実戦経験を積ませるべきだと思っておりました。提督のご配慮に、感謝致します」

 

 おや。鳳翔さんは意外にも反論しなかったな。

 やはり大人の女性という事か。

 鳳翔さんも頭は切れそうなので、理不尽な指示という事は気付いているだろう。

 心の中では納得せずとも、ぐっと堪えてくれたという所だ。うむ。提督権限の効果は上々だ。

 しかしオータムクラウド先生の作品では、この人だけは絶対に怒らせてはならないらしいからな……ほどほどにしておこう。

 

「ただ、春日丸さんは過去の記憶から、夜の海に恐怖を抱いています。一人では怖くて眠れず、毎晩、私と一緒のお布団で眠るくらいです。この時間に初めての実戦となると少し不安が……」

 

 何? 未だに鳳翔さんと一緒の布団で寝ているだと⁉ 何てうらやま……いや、そうでもないな。むしろ微笑ましいとすら思える。

 しかし春日丸も男の子なのだから、そろそろ一人で眠れるようにならねばならん。

 夜が怖いという気持ちは俺にも痛いほどわかる。そんな俺も昔はおばあちゃんと一緒に寝ていたが、小学校三年生の頃に卒業した。

 今までは女所帯だったから、春日丸は見た目も中身も女の子らしく影響されてしまっているのだろう。鳳翔さんも甘やかしすぎだ。

 ここは数少ない男として、この俺が一皮剥けるお手伝いをしてあげようではないか。

 ちなみに俺が今から一皮剥ける為には手術をするしかないと思われる。凹む。

 

「可愛い子には旅をさせよと言うだろう。春日丸が一皮剥ける為にも必要な経験になるはずだ」

「……わかりました。提督の判断を信じます」

 

 鳳翔さんは、不満をぐっと飲み込むように、俺の眼を見てそう言った。

 お、怒ってないですよね。う、うむ。

 気を取り直して、俺は空母達に指示をした。

 

「それでは早速だが、実戦だ。お前たちにはこれより、鎮守府正面海域に出撃し、敵艦隊を迎え撃って欲しい。先制攻撃に成功したら即座に撤退してくれ」

 

 俺の計算では、先制爆撃だけで敵は壊滅するはずだ。

 空母達は燃費も悪いし、敵に被害を受けた場合、回復の為にかかる資材も馬鹿にならないらしい。

 アウトレンジからヒット&アウェイで無傷のまま敵を蹂躙するのが俺の作戦だ。

 先制攻撃後はさっさと撤退してもらった方が資材の節約になるというものである。今回は実験だし。

 

「提督さん、質問してもいいかな?」

 

 まるで不審者でも見るかのような視線と共に、瑞鶴が手を上げる。

 非常に嫌な予感がした。

 

「うむ」

「この出撃の意図は何?」

「私も同感ね。五航戦の子と意見が合うのは気に入らないけれど、説明をしてもらいたいわ」

 

 俺は思わず組んでいた指の上に額を乗せて、顔を伏せた。

 どっ、と冷や汗が体中から噴き出る。

 ヤッベェェェェエ!

 ついにツッコむ奴来ちゃったよ! しかもよりにもよって加賀まで乗っかってきやがった。

 他の艦娘が雰囲気に呑まれてくれてんのに、何空気読めない発言してんの⁉

 何でそこで質問しちゃうんだよ!

 高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処しろよ!

 

 くそっ、妹に似てる時点で嫌な予感はしていたのだ。俺とコイツは絶対に相性が悪いと思っていた。

 ヤバい。ヤバい。

 そうだ、大淀にでも適当に解説させよう。って大淀がいねェ! 提督の危機にどこに遊びに行ってんだアイツは! 誰の指示だ! 俺だった。凹む。

 

 俺の考えた空母機動部隊は前衛的だと思っていたが、実際のところどうなのだ。

 あんな顔で説明を求めるくらいなのだ。普通ではない提案なのだろう。

 そう言えば明石も一瞬戸惑っていた。

 明石! お前何で止めてくれないの⁉

 アッ、俺の事信頼してるとか言ってくれてた。ダンケ。

 

 明石は戦場に立つ艦娘では無い。後方支援に長けた艦娘だ。現場の声には疎いのだろう。

 現場の人間的に、今回の編成は有りなのか、それとも無しなのか。

 俺の天才的な頭脳では完璧な作戦なのだが、現場の人間にしかわからない弱点があるのかもしれない。

 灯台下暗しというやつだ。

 そうなると、こいつらに俺が無能だとバレる事になる。

 

 有能である提督を演じ続ける限り、俺はこの鎮守府でハーレムを築くチャンスを得る事ができる。

 しかし無能だとバレた瞬間、艦娘からの信頼は得られず、それは儚く崩れ去ってしまうだろう。

 人の夢と書いて儚いと読むと言うではないか。

 瑞鶴と加賀、お前ら、人の夢を何だと思ってるんだ!

 人から夢を奪う権利がお前らにあるのか。

 夢を失った男は終わりだ。

 お前、これで俺の夢が潰えたら許さんからな。絶対に許さんからな!

 

「提督、ひとつよろしいでしょうか」

 

 天使が俺を呼んだ。

 俺が顔を上げると、ラブリーマイエンジェル翔鶴姉が俺を見つめてくれている。

 瑞鶴と加賀のせいで荒み切った俺の心に光と水を与えてくれる。セクハラ被害担当艦に任命したいとか考えてすいませんでした。

 あぁ、癒される……。今日のパンツは何色なのだろう。やっぱり薄い桃色なのかな。空はあんなに青いのに。

 

「艦載機はどう致しましょう」

「全員、高性能な艦上攻撃機のみで十分だろう。後は艦上偵察機を忘れるな」

「了解しました」

「索敵、先制を大事に、という事ですね」

 

 赤城も翔鶴姉に続いた。

 コイツは反抗的では無いが、底知れぬ恐ろしさがあるな。

 瑞鶴と加賀は明確に俺の敵だと理解できたが、コイツだけは読めん。気をつけねば。

 

「ほな、そろそろ行こか。早よせんと日が沈んでまうで。この時間に呼び出すくらいや。ここで長々と説明している暇は無い。時は一刻を争う、ちゅー事やろ?」

 

 龍驤がそう言うと、加賀と瑞鶴は不満げに唇を噛んだ。

 龍驤お前、いい奴だったんだな……。

 加賀と瑞鶴を抑え込む事ができるとは。

 その見た目故にハーレムに入る事は決して無いだろうが、今後も重宝してやろうではないか。

 

 ともかく何とか、佳境は凌いだようだった。

 龍驤と翔鶴姉のファインプレーに感謝しつつ、俺は最大級のキメ顔で空母達を見送ったのだった。

 

「うむ。よろしく頼む」

 

 加賀と瑞鶴にめっちゃ睨まれた。凹む。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 灯台下暗しとはこの事か。

 俺は焦っていた。

 空母達を送り出して、なんとなく落ち着かなかったので、少し『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』に目を通してみたのだった。

 そこには「正規空母は潜水艦に弱い」との一文が。

 艦隊運用の初歩の初歩らしい。今の今まで目を通していなかったのだ。

 正規空母の艦載機では海中にいる潜水艦に攻撃する事はできず、逆に相手の魚雷のいい的になってしまうという。

 潜水艦にとって、正規空母はまさにカモだというわけだ。

 軽空母なら潜水艦にも攻撃できるらしいのだが、今回の編成では龍驤と春日丸だけ。

 俺のフォローに定評のある龍驤はともかく、あんな実戦経験のないお坊ちゃんに何ができるというのだ。潜水艦には手も足も出ないだろう。

 

 恐る恐る、ここ一か月の報告書を見てみると、鎮守府近海を潜水カ級とかいう潜水艦が結構うろうろしているではないか。

 アカン。

 

 俺はてっきり、敵は雑魚の駆逐艦程度しかいないだろうと思っていたから蹂躙できると思っていたのだ。

 ここに、明らかに格下なのに正規空母相手には無敵の潜水艦と鉢合わせてみろ。

 手も足も出ずにボコボコにされ、無能な司令官と見なされ、帰還した加賀達に俺がアウトレンジから蹂躙されかねん。

 今は提督という権力補正があるから、赤城や翔鶴姉も俺に従順なのだろう。

 ここで信頼を失い、翔鶴姉まで俺に反抗的になってみろ。「提督ったら、スカートはあまり触らないで!」なんて言われてみろ。興奮する。いや間違った、俺は死ねる。

 

 更に追い打ちをかけるように、夜は潜水艦の時間らしい。

 夜の潜水艦に攻撃を当てる術など無い。

 潜水艦と夜戦になったが最後、正規空母だけでなく、軽巡も駆逐も、戦艦までもが、一方的に攻撃されてしまう事態になるという。

 ダメ押しに、夜はそもそも艦載機の発艦自体ができないとか。

 

 窓の外を見る。

 

 綺麗ね……夕日。素敵だわ。

 私、この艦隊に来て、この風景が一番気に入ったわ。

 So lovely……。

 

 言ってる場合かーーーーッ!

 

「明石ッ!」

「はっ、はいっ⁉ ななな、何でしょうっ⁉」

「今鎮守府に残っている者の中で対潜能力に長けた者を六人、早急に執務室へ呼んでくれ!」

「えぇぇ⁉ も、もう日が落ちますよ⁉ いくら対潜能力が高くても、日が落ちてしまっては……」

「このタイミングしか無い! 今しか無いんだ! 時は一刻を争う! 俺を信じろ!」

「……わかりました! 明石、提督の判断に全てを賭けます!」

 

 なるべく表情は崩さずに、口調だけ激しく、明石にそう命じた。

 もはや呑気に『艦娘型録』を見て選定している時間も無かった。

 自分で選ばず明石に任せるのは疑われるだろうかとも思ったが、俺の必死さで何かを察したのか、明石は迷う事なく執務室を飛び出していった。

 しばらくすると、鎮守府中に呼び出しの放送が流れ出す。

 時間が、時間が無い。

 早くせねば、空母達が被害を受ける前に間に合わねば、俺のハーレム生活が……!

 

 その僅か数分後。

 執務室には、明石の厳選した精鋭六人が集合していた。

 

「水上機母艦、千歳です!」

「同じく水上機母艦、千代田です!」

「うち、浦風じゃ! 提督、よろしゅうね!」

「第十七駆逐隊、磯風。推参だ」

「駆逐艦、浜風です」

「よっ、提督! 谷風さんだよ! かぁ~っ、この時間に対潜哨戒かい? 粋だねぇ!」

 

 明石お前、何の精鋭呼んでくれてんの?

 俺、対潜能力に長けた者をって言ったよね?

 何で一人除いて対チン能力に長けた者を呼んでんの? 爆雷ならぬ爆乳ガン積みで俺の股間のチン水()級が撃チン寸前なんだけど。おかげで執務机から立てなくなったではないか。

 一人除いて胸部装甲の厚い順に呼び出したわけじゃないよな。こいつは胸が厚いな……!

 こいつら本当に駆逐艦なの? 谷風は除いて。

 大体なんだこの谷風という奴は。谷間も無いのに谷風を名乗るとは名前負けも甚だしい。

 それとも、山が無いから谷風という事か。名は体を表すという事だな。

 いや、完全にアウェイな中で気まずいだろうに、来てくれたんだ。感謝せねば。

 谷風、揉み心地の良さそうなのばかりに挟まれて、居心地悪くない? 俺のせいでゴメン。いじめとかじゃないから。

 

 ってそんな事を考えている時間は無い!

 明石の人選のせいで危うく俺の脳内で「駆逐艦も有りなのではないだろうか」という会議が開催される所だったではないか。

 そんな事で悩んでいる時間は無いのだ。

 時間があれば五人の姿をじっくりと眺めたい所だったが、それはもう後日の楽しみに取っておこう。

 明石が俺の隣から、声をかけてくる。

 

「現在鎮守府に残っている中では、彼女たちが最も練度と対潜に長けています。すでにソナーと爆雷は一セットずつ装備。千歳と千代田は甲標的を……」

「甲標的もソナーか爆雷に変えてくれ」

「それでは完全に対潜しか……」

「構わん。対潜に全力を注いでくれ」

「了解しました」

 

 甲標的とやらがそもそも何なのかよくわからなかったが、対潜水艦ではソナーと爆雷が大事。とりあえずこれだけは覚えた。

 俺は威厳を保つために何とか立ち上がり、大袈裟に机を両手で叩き、そのままの体勢で六人に目を向けた。

 前かがみになる為である。

 

「説明している時間は無いので端的に命じる。お前たちは先ほど出撃した赤城達の後を追い、合流。敵潜水艦が確認できた場合はそれを撃破。その後は赤城達を護衛しつつ撤退してくれ」

 

「……この時間に、空母だけの編成で出撃させたなんて、提督の意図がわかりません。そして今回の急な出撃も……」

 

 千歳お姉がそう言った。おっしゃる通りです。ハイ。

 

「私も千歳お姉と同じ意見よ。出撃する前に、提督の考えが聞きたいわ」

「同感だな。この磯風も興味がある。司令、納得のいく説明を頼む」

「提督、お願いします」

 

 いかん。千代田と磯風、浜風まで俺を不審に思っている。

 しかしここで説明している時間も、迷っている時間も無い。早くしないと夜が来てしまう!

 だがこのままでは納得してくれそうにも無い!

 どどど、どうすれば――

 

「ままま、それくらいにしときなよ! 説明してる時間が無いって提督も言ってたろ? 話は後、後! ささっ、出撃出撃ぃ!」

 

 谷風が全員を宥めると、千歳達はそれもそうね、と矛を収めてくれたのだった。

 何? 龍驤といい谷風といい、ペチャパイっていい奴しかいないの? 瑞鶴は別として。

 

「説明は帰投してからの楽しみにしておこう。覚悟しておくのだな、司令」

 

 磯風が不穏な事を言い捨てて、執務室から出て行った。

 くそっ、ちょっと胸部装甲がデカいからっていい気になりおって。

 ちょっと迷いはしたが、やはり駆逐艦はハーレム対象外だ。

 

 椅子に腰を下ろした俺の隣に、浦風が駆け寄ってくる。

 浦風は俺の耳元に顔を近づけて、こう囁いたのだった。

 

「すまんねぇ。磯風も浜風も、真面目なだけで悪い子じゃ無いんじゃ。なぁに、赤城姐さん達は、うちがついておるから大丈夫じゃて! うちに任せとき!」

 

 そう言って、浦風はにっこりと微笑むと、そのふくよかな胸をどんと、いや、ふにゅんと叩き、執務室から駆け出していった。

 

 駆逐艦も有りだ。

 私はそう結論づけざるを得ないのだった。

 



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011.『窮地』【艦娘視点】

 深海棲艦には、明らかなレベル差がある。

 レベルというよりも、進化と呼ぶ方が相応しいかもしれない。

 駆逐イ級は深海棲艦としては最もレベルが低い。

 その形状は船に近く、知恵や理性は持たず、ただ人を襲うという本能にのみ従うかのごとく、危険を顧みずに私達の領海によく姿を現す。

 

 深海棲艦は力を増すごとに、その形状は人間に近づいていく。

 まるでオタマジャクシが蛙になるように、手が生え、足が生え、異形の艤装を纏うものの、やがて明確な女性の姿と成る。

 さらに力を増したそれは、やがて人語を解するようになり、ならば話せば分かり合えるのではないかと考えた人間達が、奴らとコンタクトを図ろうとした事もあったが――

 

 力と共に知恵や理性を得た深海棲艦は、その力と比例するかのように人間への憎悪と殺意に溢れていた。

 その力も、知恵も、理性も、全ては人間を攻撃する為だけに振るわれた。

 本能だけで襲い来る方がまだ可愛げがあるというものだ。

 

 人は私達艦娘の事を、この国の守護神と呼んでいるらしいが。

 並の深海棲艦とは比較にならない、多くの艦娘を虫でも散らすかのごとく蹴散らして見せた、圧倒的な力を持つ暴虐の化身を人は鬼に例え。

 更に強大な力と人間に近い知恵を得て、禍々しさを超えてもはや神々しささえ感じる異形の女神を、人は姫と呼んだ。

 

「姫が一隻と……鬼が四隻や」

 

 それは何の冗談かと問う余裕も無かった。

 先ほどまで軽口を叩いていた龍驤の表情が瞬く間に絶望に変わり、疑う余地も無かったのだ。

 理解が追い付かない。

 艦上偵察機と空母は、その視界をリンクさせる事ができる。

 今の龍驤の視界には、監視カメラのモニターを覗くがごとく、彩雲からの視界が映し出されているはずだ。

 かつて何度も鬼や姫レベルの強敵と戦ってきた歴戦の龍驤が、その姿を見紛うはずが無かった。

 

「嘘……でしょ……? だって、今まで、そんな事……」

 

 声を震わせながらそう漏らした瑞鶴だけでは無い。

 その場にいた全員が、必死に考えていた事だろう。

 姫と鬼がこんな近海に――奴らにとってこんな遠洋に、出撃してくる事など有り得ない事だったからだ。

 

 深海棲艦も私達艦娘と同様に、動く為には資材が必要だ。

 私のような正規空母や戦艦など、艦の種類によっては必要とされる資材の量も多い。

 それでは、私達よりもさらに強大な力を持ち、巨大な艤装を操る鬼や姫レベルの深海棲艦はどうなるかと言うと――当然、私達艦娘とは比較にならないほどの資材がいる。

 

 故に、鬼や姫レベルの深海棲艦は、「棲地」と呼ばれる拠点から動かない。

 深海棲艦側の鎮守府とも言える棲地とは、私達がパワースポットと呼ぶ場所と同じ。自然に多くのエネルギーが湧きだすポイントだ。

 姫や鬼の恐ろしい武器は、やはりその知恵だろう。

 資源の消耗を防ぐ為に棲地から動かず、本能のみに従い行動する下位の深海棲艦を指揮し、統率し、人を襲う。

 言わば深海棲艦側の提督とも言える立場の姫や鬼だが、唯一違うのは、それ自身が最も強大な戦闘力を持つという事だろう。

 しかしその戦闘力故に、この国の近海まではむやみやたらに侵攻できない――できなかったはずだ。

 

 それが、何故。

 考えている暇は無かった。

 少数とは言え、姫と鬼が五隻。

 何の目的も無しにこんな鎮守府近海まで訪れる事は無い。

 つまり、奴らにとっても重要な意味を持つ。

 十分に資源を備蓄し、戦力を整え、作戦を立て、少数精鋭で出撃するほどの意味が――。

 

 考えるまでも無かった。

 私達が十分に資源を備蓄し、戦力を整え、作戦を立て、少数精鋭で敵地に乗り込む事と何も変わらない。

 敵棲地の撃滅。

 私達の拠点であり、この国にとって最も重要な防衛線。

 敵の狙いは、横須賀鎮守府の、壊滅――。

 

「龍驤さん! 艦種はわかりますか⁉」

 

 赤城さんの声が響いた。

 その場の全員が、はっと目が覚めたように身体を震わせる。

 

「五隻全て、戦艦や……あはは、前の司令官も言っとったな。戦艦並べりゃそりゃ強いわ……」

「空母はいないんですね⁉」

 

 諦めかけていた龍驤に赤城さんが確かめるようにそう言った。

 その言葉に、真っ先に顔を上げたのは翔鶴だった。

 

「提督は……提督はこれを読んでいたという事ですか!」

「えぇっ、しょ、翔鶴姉、どういう事⁉」

「夜戦ではむやみに艦載機を発艦させられないのは敵も同じ。つまり、敵艦隊に空母がいないという事は、昼戦は想定していない編成という事よ。そしてこの時間に、日が沈む前に私達をこの海域に出撃させたのは……」

 

「全員、艦載機発艦用意!」

 

 赤城さんの声に、瑞鶴の目が見開いた。

 不愉快だとは思わなかった。私達一航戦と、五航戦、四人が、一糸の乱れもなく同時に弓を引く。

 龍驤も巻物を広げ、春日丸も少し遅れて構え――全員の艦上攻撃機が同時に発艦された。

 

『お前たちにはこれより、鎮守府正面海域に出撃し、敵艦隊を迎え撃って欲しい。先制攻撃に成功したら即座に撤退してくれ』

 

 姫、鬼レベルの戦艦五隻に闇に紛れて奇襲されれば、弱体化している現在の鎮守府は確実に壊滅していた。

 しかも夜戦となれば、私達空母はまったく出番が無い。横須賀鎮守府の誇る空母機動部隊が、まったく戦力にはならないのだ。

 私達空母がこの戦いで唯一、かつ有効に敵に大打撃を与えられるタイミングは、今しか無かった。

 敵に空母がいないのであれば、艦上戦闘機はいらないだろう。艦上攻撃機だけで容易く制空権は確保できる。

 敵戦艦の砲撃も届かないアウトレンジから、できる限り大量の艦上攻撃機で先制攻撃を浴びせる。

 敵が夜戦しか想定していないのであれば、当然防空性能は――薄い!

 

「よ、よっしゃ! イケるで! 奴らもどうやら想定外だったみたいや! あはは! 面食らっとる!」

 

 彩雲からの映像が届いてか、龍驤が声を上げた。

 敵からしてみればたまったものでは無い。

 夜戦のみを想定して出撃したら、大量の艦上攻撃機が襲い掛かってきたのだ。

 奴らの装甲からすれば大破撤退級の致命傷とはならないだろうが、為すすべも無く、一方的に蹂躙されるしかない。

 

「よーっし、いけーっ! このままアウトレンジから決めるわよっ!」

 

 瑞鶴が遥か彼方の艦載機に向けて声を上げた。

 赤城さんを横目に見れば、ようやく緊張の糸を緩められたかのように、小さく息を吐いていた。

 無理も無い。ようやく提督の意図がわかり、蓋を開けてみれば、横須賀鎮守府の、この国の一大事だ。

 旗艦に指名され、その重圧も大きかっただろう。

 

 私は悔しさから、唇を嚙み締めた。

 

『この出撃の意図は何?』

『私も同感ね。五航戦の子と意見が合うのは気に入らないけれど、説明をしてもらいたいわ』

 

 私は提督への発言を恥じた。

 ただただ、恥ずかしかった。

 

 提督は今日着任したばかりだ。

 大淀からこの一か月分の報告書を貰い、目を通していたようだったが、果たしてそれにどれだけの時間をかけられたというのだ。

 

 この一か月間、私は何をしていたのだ。

 ただ、長門や大淀に言われるがままに出撃し、言われるがままに敵艦を迎撃し、ただそれだけではないのか。

 漫然と、それが当然だとでも言わんばかりに、何も考えずに、まるで口を開けて餌を待つ雛鳥のように。

 

 何故、この一か月の敵艦の動向から、この事態を予測できなかったのだ。

 

 提督が考えていた通り、私達には想像力、判断力が足りなかった。

 何も考えずに、目の前の敵を攻撃するだけしか脳が無かったのだ。

 その一か月後に、このような状況になる事など、想像する事もできなかった。

 

 私達をこの時間に出撃させたのは、敵艦隊の油断を誘う為だろう。

 おそらく、奴らが自らの防空態勢の薄さに気づかないわけがない。昼の間は奴らもそれを警戒していたはずだ。

 日が傾き、もう少しで夜になる。そこでようやく、敵に油断が生まれた。

 奴らの隙をつき、もっとも効果的に打撃を与えるには、私達を、この編成で、この時間に出撃させるしかなかったのだ。

 

 そして提督の目論見通り、敵艦隊は私達の艦載機に太刀打ち出来ていない。

 もしかすると今回の闘いにおいて出番すら与えられなかったかもしれない私達空母がこのような戦果を挙げられたのは、他ならぬ提督の――

 

「――加賀さんっ! 下ですっ!」

 

「いけないッ!」

「加賀さんっ! 危ないっ!」

「え――」

 

 春日丸の声が耳に届き。

 赤城さんと翔鶴に突き飛ばされ――瞬間。

 先ほどまで私が立っていた海面が爆発した。

 

「翔鶴姉ぇーーッ⁉」

「赤城ィーーッ!」

 

 瑞鶴と龍驤が叫び、そして――海面が震え、深い深い水底から、海と大気を震わせる、おぞましい嬌声が轟いた。

 

『……キタノ……ネェ……? エモノタチ……ガァ……! フフ……ハハハハ……!』

 

 私は――私は馬鹿か。

 何故、あの程度で勝ちを確信したのだ。

 何故、敵があれだけ万全の態勢で侵攻してきているというのに、五隻しかいない事に違和感を覚えなかった⁉

 深海棲艦には私達と同じように、最大で六隻の艦隊を編成したがる習性がある。

 何故、六隻よりはまだマシだ、と私は呑気に安堵していたのだ!

 

 敵は六隻いた。

 夜戦において無敵の女王。

 海中の奥深く、私達の目に見えないその場所に――潜水棲姫が、そこには存在していたのだ。

 

 敵艦隊はまだ目視もできないほど遠くにいるはずだ。

 単艦で乗り込んで来る事がハイリスクである事など、姫の知能ならばよく理解できているはずだ。

 姫の知能は私達が空母のみの編成であると判断し、たった一隻で攻撃に来たのだ。

 

「アカン……! 撤退や!」

「りゅ、龍驤さん! お、お二人の、足部艤装が……!」

 

 私を庇った赤城さんと翔鶴の足部の艤装が破損している。

 これではまともに海上を航行できない。

 潜水棲姫はおそらくそれを狙ったのだ。

 潜水棲姫の目的は単艦での私達の全滅では無く、足止め。

 不意をつけば一撃で大破させられただろうに、わざわざ足を狙って魚雷を放った。

 奴の言う事は誇張でも何でもなく、私達に奴を攻撃するすべはなく、潜水棲姫にとって私達空母は獲物に過ぎない。

 敵はたった一隻でも、いくら数の有利があろうとも太刀打ちが出来ない。

 奴にとっては、数多くの仲間を沈めてきた私や赤城さん、翔鶴に瑞鶴、龍驤は憎き仇であり、なおかつ極上の獲物だ。

 進化した深海棲艦の知恵は、私達をただ破壊するだけではなく、じわじわと嬲り殺しにする事を選んだ。

 このままでは逃げ切れず、夜が訪れ、いずれは敵艦隊にも追い付かれるだろう。

 そうなれば、艦載機を発艦できない私達は。

 

 無線は――すでに妨害されているようだった。

 

「……くそったれェ! 加賀と瑞鶴、春日丸は、赤城と翔鶴を連れて鎮守府に戻れ! 何としても生きて戻って、この状況を伝えるんや!」

「龍驤、貴女は……!」

 

「出来る限り時間を稼ぐ! 龍驤! 『改』――『二』!」

 

 龍驤はそう叫ぶと、もう振り向くことはなかった。

 莫大なエネルギーが龍驤を包み、その装束、その艤装が姿を変える。

 その小さな体躯に軽空母の中でもトップクラスの火力を持つ歴戦の戦士。

 だが、その全力を尽くしてなお、勝ち目が無いのは明白だった。

 

 軽空母は潜水艦に攻撃が届く――ただし、それが有効であるかは話が別だ。

 雑魚の潜水カ級相手ならば、数隻相手でも龍驤一人で蹴散らす事が出来るだろうが、潜水棲姫が相手となれば、それは不可能だ。

 言うなれば手が届くだけ。姫の耐久力の前では、正規空母との違いは、ただそれだけだ。

 龍驤がここに一人残った所で、足止めになるかすらわからなかった。

 

 ただ、私達は逃げるしか出来る事は無いというのに、誰も足が動かなかった。

 

「龍驤さん!」

 

 一番早く足を踏み出したのは、実戦経験に疎い春日丸だった。

 その足は後ろでは無く前に――龍驤へ向けて踏み出された。

 

「龍驤さん! 私も一緒に戦います!」

「春日丸! お前何言ってんねん! 早う、アイツらと――」

「――『大鷹改二』っ!」

 

 春日丸を包む装束と艤装が、その色と形を変えた。

 春日丸の戦闘特化形態――対潜能力に秀でた能力を有する『大鷹改二』。

 演習でしかその姿と性能を見た事は無い。

 しかし、駆逐艦や軽巡洋艦に匹敵するほどの対潜能力を持ち、演習相手の潜水艦の子たちがその攻撃を避けきれずに、何度も大破しているのを見た事がある。

 対潜戦に限っては、龍驤を凌ぐだろう。

 

 だが、天才の全力をもってしてなお、潜水棲姫との戦力差は明らかだった。

 たった二人の軽空母で、一体何が出来ようか。

 出来たとしても、それこそ――

 

 海面が再び爆発する。

 本気で狙っていない。いたぶって、逃げ惑う私達を水中から眺めて、嘲笑っているのが見えるようだった。

 

「対潜能力なら私は龍驤さんよりも上です! 私もいた方が敵を長く足止めできるはずです!」

「阿呆! 春日丸っ、お前も早く逃げんかい! お前はまだ若いんやから――」

「私はもう春日丸ではありません! 香取さんと鹿島さん、鳳翔さんと……龍驤さんが見出し、育ててくれた、『大鷹』ですっ! ここで戦わねば、私は一生後悔します!」

「……くそっ、聞き分けのええ子に育ってくれたと思うとったのに! 一体誰に似たんや!」

「おそらく龍驤さんだと思います!」

「……あぁもう、口も達者になりよって。うちの負けや。こうなりゃ何としても赤城達を逃がすで!」

 

 そう言った龍驤の声が少しだけ嬉しそうだったのは、気のせいだっただろうか。

 龍驤と大鷹は、振り向かないままに言った。

 

「赤城、加賀――鳳翔に、すまん、と伝えとってくれ」

「翔鶴さん、瑞鶴さん、今までありがとうございました!」

 

 そう言って海上を駆け出した二人に、私達は声にならない声を上げたような気がした。

 目の前には、その身を捧げて私達を逃がそうとする二人の背中。

 その遥か彼方には、横須賀鎮守府を攻め滅ぼさんとする深海棲艦の一軍。

 足元深くからは、私達獲物をいたぶり、楽しもうとする潜水棲姫の笑い声。

 

『ウッフフフフフ! ワタシト……ミナゾコニ……アッハハハハ!』

 

 故に、私達は気付かなかったのだ。

 故に、奴は気付かなかったのだ。

 私達のすぐ背後に恐ろしいほどのスピードで迫りくる、六つの影に。

 

「全艦爆雷一斉投射、始めぇっ!」

 

「よいしょおーーっ!」

「おどりゃあぁぁっ!」

 

 私達の叫び声も。

 潜水棲姫の笑い声も。

 全てを切り裂く威勢のいい声が、海原に轟いた。

 

 瞬間――突然のゲリラ豪雨。

 それくらいに激しく、大量の爆雷が、私達の周囲の水面を叩いたのだ。

 

 大量の爆雷を辺りにばらまきながら私達の頭上を飛び越えた二つの影。

 あれは――谷風と、浦風。

 

「敵影確認! 隠れても無駄なんだから!」

「サーチアンド、デストローイっ!」

 

 続いて現れたのは、水上機母艦の千歳と千代田。

 何故、水上機や甲標的ではなくソナーと爆雷を装備しているのか、理解が追い付かなかった。

 彼女達は私達を守るように輪形陣を作る。

 私のちょうど目の前に立つ二人の少女は、膝をつく私達を見下ろしながら言ったのだった。

 

「第十七駆逐隊、磯風。推参」

「同じく浜風。提督の指令により貴女方の護衛に参りました」

 

 瞬間。

 幾重にも重なる轟音と共に、海中から、潜水棲姫の叫び声が響いた

 

『アアッ⁉ イタイッ! バカナッ……! アァァーーッ! コノッ……エモノフゼイガァァッ! イヤアァァーーッ⁉』

 

 爆音は続く、まだ続く。

 誘爆は誘爆を重ね、やがて潜水棲姫の叫びを飲み込んでしまう。

 油断していた所を、数えきれないほどの爆雷の檻に閉じ込められたのだ。

 潜水棲姫は自分の置かれている状況が理解できていただろうか。

 海上の私達ですら、理解できていないというのに。

 

 鳴りやまぬ爆音の中で、浦風と谷風が、私達に駆け寄って来る。

 

「赤城姐さん! 翔鶴姐さん! 大丈夫け⁉」

「危なかったねぇ……谷風達が来たからにゃ、もう安心だよっ」

「え、えぇ……それより、提督が?」

 

「はい。空母のみでの出撃、そして間髪を容れずに私達の出撃……理解に苦しみましたが、どうやらただ事ではないようですね」

「うむ。司令が時間が無いと言っていた理由、この磯風、ようやく理解できた」

 

 赤城さんの問いに、浜風と磯風が答えた。

 どうやら浜風達も、私達と同様に、詳しい説明の無いままに出撃させられたようだった。

 浜風達の出撃もまた、常識では考えられなかったものだ。

 何しろ、装備は全て対潜水艦に特化したもの。

 

 いや――対潜水棲姫に特化したもの。

 

 それだけ大量の爆雷を一斉に浴びてしまえば、たとえ通常の敵潜水艦よりも耐久力のある潜水棲姫でもひとたまりもない。

 私達には、艦上攻撃機を大量に。

 浜風達には、対潜装備を大量に。

 

 ハイリスクだが非常に限定的な状況下でのみ効果的な、そんな装備の選び方だった。

 提督は、まさか――。

 

「あっ、千歳お姉っ! アイツ、逃げてるっ!」

 

 ソナーに反応があったのか、千代田が声を上げた。

 だがそれよりも早く、前に立つ小さな歴戦の猛者は、それに気づいていたようだった。

 

「読んどるわ! 逃がさへんでぇっ! トドメや! 合わせろ大鷹っ!」

「はいっ! 大鷹航空隊、発艦始め!」

 

 龍驤と大鷹の放った艦上攻撃機がまるで生きているかのように旋回し、そして見えているかのように海中の一点に爆撃を叩き込む。

 ひときわ大きな爆音が鳴り響き――海中の気配は消え失せた。

 

 瞬間、日が落ちる。

 辺りは闇に包まれた。

 九死に一生を得る、とは、この事だった。

 あのままでは十中八九、龍驤も大鷹も敗れ、私達も逃げ切れずに嬲り殺しにされていたところだろう。

 生を実感した瞬間、安堵よりも早く死の実感に襲われる。

 そして私はもう二度と、戦場で安堵はしないと決めていた。

 

「た、助かったんか……?」

「いいえ。私達の命運が、ほんの少し伸びただけなのかもしれないわ。このままでは……」

 

 私達は真っ黒な海の奥に目を向ける。

 ギリギリのところで艦載機はこちらに着艦し、操縦していた妖精さんが身振り手振りで情報を伝えてくれた。

 言葉を交わせない為、正確な意図は伝わらないが、慌てている事だけはよく理解できた。

 

「くそっ、やっぱり大破とまでは行かなかったか……撤退は、してくれるわけが無いよね」

「当たり前や。おそらくこれは綿密に準備した上での侵攻やで。奴らの目的の鎮守府、そして夜戦は目と鼻の先や……このくらいで諦めへんやろ」

 

 瑞鶴の言葉に、龍驤が答えた。

 

 せっかくこんなに深部まで侵攻したのだ。

 小破、中破したくらいで撤退などしていられない。

 再びここまで侵攻するには、多くの資材と時間がいる。

 何としても今回の出撃で、敵を撃破するのだ。

 

 ――それはまるで、私達と同じ考えを持つように感じられた。

 

「さっ、赤城姐さん、翔鶴姐さん。うちらが肩を貸すけぇ。母港に帰投じゃ」

「周囲の警戒はこの磯風に任せてもらおう」

「そうね、対潜装備しかないのが不安だけど……」

「――私が皆さんを守ります」

 

 浜風の言葉に、大鷹がそう答えた。

 龍驤はその言葉を聞いて、目を丸くする。

 

「た、大鷹……気持ちは嬉しいが、うちらの艦載機は」

「いえ、いけます。わかるんです。この子たちが、いけると言っていますから……」

 

 大鷹はそう言うと、暗闇の中に艦載機を放ったのだ。

 それは、歴戦の空母である龍驤や翔鶴、瑞鶴、そして赤城さんと私にとっては、信じられない光景だった。

 長い間戦ってきたからこそ、目の前の光景は、ただただ有り得ないものだったのだ。

 

 闇夜の中で、艦載機は発艦できない。

 それは今までの私達にとって、疑った事も無い、疑う余地も無い、絶対的な常識だったのだ。

 

「ななな、なんやて⁉ 何でこないに暗い中で発艦できるんや⁉ それに、お前、夜の海は……」

「はい、怖い、今も怖いです……でも、それを避けていたから、今までこの力に気が付きませんでした」

 

 大鷹の言葉に、龍驤はハッと目を見開き、身震いしながら言ったのだった。

 

「まさか……提督はお前の、大鷹のその能力に気が付いていたとでもいうんか……!」

「わかりません……でも、私達空母は本来、夜に出撃などしません。ありえない事です。だからこそ、私を心配してくれた鳳翔さんのお言葉を退けてまで、私をこのタイミングで出撃させたのは、もしかしたら」

 

 夜戦の出来る空母――前代未聞だ。

 もっと早くこの能力に気が付いていれば、戦局が変わっていた戦いもあったかもしれない。

 実戦経験の無かった春日丸をいきなり実戦投入し、そして、新たな力を自覚させた。

 

『可愛い子には旅をさせよと言うだろう。春日丸が一皮剥ける為にも必要な経験になるはずだ』

 

 敬意を持っているという、鳳翔さんの意見を却下してまで押し通した提督の言葉。

 ――それは果たして、偶然などで片づけられる話なのだろうか。

 

 このタイミングでの私達の出撃、装備。 

 続く千歳達の出撃、装備。

 そして、気付く事が出来た大鷹の新たな力。

 

 提督は、あの人は――。

 

「とりあえずは提督の言う通り、貴女達を護衛しながら撤退するわ。そして、一体何が起きているのか、私達にも教えてもらえるかしら」

 

 千歳の言葉に、私は小さく首を縦に振ったのだった。

 

「えぇ、ありがとう……撤退しながら、説明する事にするわ」

 



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012.『窮地』【提督視点】

 俺の目の前には、先に俺が送り出した赤城、加賀、翔鶴姉、瑞鶴、龍驤、春日丸。

 そしてその後、すぐに後を追ってもらった千歳お姉、千代田、浦風、磯風、浜風、谷風。

 十二名の艦娘が、艦隊ごとに揃って並んでいた。

 

 赤城と千歳お姉が報告を述べている間も、俺は目を合わせる事ができなかった。

 ヤッベェ……よりにもよって赤城と俺の翔鶴姉が負傷しているではないか。

 動揺しすぎて、報告の内容もよく頭に入らなかった。

 俺が自己保身と自己弁護の為に天才的頭脳をフル回転させている間に、報告のほとんどが右から左へ受け流されている。

 

「提督、お茶をどうぞ。熱いのでお気を付け下さいね」

「ダンケ」

 

 いいいいかん、動揺している事を表情に出してはいかん。

 明石が淹れてくれたお茶を震える手ですすりながら、俺は何とか断片的に理解できた言葉を繋ぎ合わせていく。

 端的に言えば、赤城達は敵艦隊を見つけ、先制爆撃には成功したが、同時に潜水艦に攻撃され、負傷。

 危機一髪のところで、千歳お姉達の救援が間に合ったという事だ。

 俺が危惧していた状況そのままではないか。千歳お姉達を出撃させなかったらどうなっていた事か……。

 何とか最悪の事態だけは避けられたが、俺が赤城達を出撃させた後に欠点に気づき、取り繕うように慌てて千歳お姉達を出撃させたのは明白だ。

 よっぽどの馬鹿でも無い限り、それは疑いようが無い。

 つまり、俺の無能っぷりが一日目にして白日の下に晒されてしまったという事だった。佐藤さん、マジゴメン。

 

 あと、ついでに春日丸がなんか新たな力に目覚めたとか。

 俺の大人げない嫌がらせでもある初めての実戦という逆境を乗り越えただけではなく、成長してみせるとは、流石は天才児という事か。

 その才能が妬ましい。ギギギ。

 

「一つ聞いてもいい? 提督さんは……この状況が読めていたの?」

 

 瑞鶴が追い打ちをかけるように、そんな事を言うのだった。

 もうやめて下さい! これ以上私に、どうしろというのですか!

 この状況というのは、空母だけの編成が潜水艦に手も足も出ないという事だろう。

 知りませんでしたとは言えない。いや、出撃させた時点では知らなかったのだが、もしそれを認めてしまったら、更に無能を晒してしまう。

 

 仕方が無い。その辺は上手くボカして、ひたすらに謝罪して許してもらおう。

 こういう時は誠意が大事。天使の翔鶴姉なら何とか瑞鶴を抑えてくれるはずだ。

 俺は顔を上げ、自分自身が逃げ出さぬように、しっかりと瑞鶴の目を見据えた。

 

「そうだ。空母による敵艦隊への先制大規模爆撃。その後の千歳達による敵潜水艦の迎撃は、私がこの状況を読んだ上で判断した。

「だが、今回の出撃で赤城と翔鶴が負傷する事は――読めなかった。お前たちならば無傷で帰投できると思っていたのだ。

「私の判断ミスだ。赤城、翔鶴、本当に申し訳ない。この通りだ」

 

 そう言って、俺は深く頭を下げた。

 俺が千歳お姉を送り出した段階での理想の展開は、赤城達が敵潜水艦と戦闘になる前に千歳達と合流し、無傷で帰投してくる事だった。

 だが、赤城と翔鶴姉は負傷した。

 そりゃあ確かに頭の悪い出撃を命じた俺も悪いだろうが、この鎮守府近海には大した敵もいないはずだ。

 そして正規空母組は皆、他の艦娘と比べて練度が高い。

 いわば圧倒的に実力差があるのだから、多少相性が悪くても無傷で帰ってこれると期待しても良いではないか。

 つい、そんな思いが言葉となって出てしまい、同時に、しまった、と思った。

 これでは、負傷したのはお前たちの練度不足だと誤解されてしまうかもしれない。

 

 そう考えた瞬間だった。

 

「――提督、頭を上げて下さい」

 

 加賀がそう言った。

 俺の失言に対する死刑宣告だろうか。殺られました。

 頭を上げると、加賀は一歩前に出て、言ったのだった。

 

「提督が頭を下げる必要はありません。赤城さんと翔鶴が負傷したのは、私の不注意を庇ったせいです。全てはこの私の責任です。申し訳ございません」

 

 そして加賀は深々と頭を下げる。

 何だと……! お前、鬼のような目つきのくせに何をしてくれているんだ。

 赤城と翔鶴姉を見ると、どうやらそれは事実らしく、何とも言えぬ気まずそうな表情を浮かべていた。

 おおっ。よく見れば翔鶴姉は袴にも被害が及んでおり、薄い桃色が見えているではないか。生パンツ! 生パンツです!

 くそっ、俺の頭はここぞとばかりに加賀の失態を厳しく叱責しろと叫んでいるのに、俺の股間の変態司令部から入電。よくやった、今日のMVPはお前だと大喜びしている。

 男は下半身で物を考える生き物なのだ。仕方ない、今日の判断は俺の大本営からの指示に従おう。

 翔鶴姉のパンツに免じて許してあげようではないか。

 

「……そうか。だが、私が見誤ったのは事実だ。顔を上げてくれ。それよりも、赤城と翔鶴に礼は言ったのか」

「はい。赤城さん、翔鶴。貴女達には命を助けられました。本当にありがとう」

「よ、よして下さい。同じ艦隊の仲間ですもの。当然の事ですから」

「翔鶴さんの言う通りよ。それに、ここに帰るまでに何度も頭は下げてもらったわ……それよりも、提督」

 

 赤城が俺を見据えた。エッ、ナニ、怖い。

 

「私達が負傷するのは読めなかったとの事でした……大変申し訳ございません」

 

 あぁ、やはり誤解されてしまった。

 違うのだ。口にするつもりはなかった。

 俺は慌てて釈明しようとしたが――

 

「提督のおっしゃる通りです。私は、私達は、慢心していました。慢心しては駄目だと、自分自身には常日頃から言い聞かせていたつもりだったのに……。

「敵艦隊を発見した時に潜水艦の存在まで予測が出来ていれば、龍驤さんと春日丸さんに対潜警戒を徹底してもらっていれば、あそこまで接近を許す事は無かったはずです。

「先制爆撃に成功したら即座に撤退せよとの提督の言葉も忘れて、喜びのあまり気を緩めてしまいました。

「私達の中で最後まで最も気を緩めていなかったのは、提督の見込み通り、翔鶴さんだけでした。

「私達の慢心のせいで、危うく全滅の危機でした。無線も使えず、あのままでは一方的に蹂躙されていた事でしょう。

「提督が機転を利かせて、千歳さん達を向かわせていなかったら……本当に、ありがとうございました。

「私、今日の悔しさは忘れません。今後、同じ轍は踏まぬよう、より一層精進していきたいと思います」

 

 そう言って、赤城は深く頭を下げたのだった。

 え? い、いや、あれ?

 もしかしてコイツ、わかっていない?

 それとも自分に厳しすぎるのだろうか。俺の無能な采配さえも、それを無傷でこなす事ができなかった自分の練度不足だと。

 提督がどんなに頼りなくても、自分が強ければ上手くいったはずだと。

 コイツはヤベェよ……危ない女だ。考えがもうすでに危険だ。普通に笑っていても目がなんか怖いし、負傷した今でも隙は見せないし。

 お前、これ以上精進してどうすんだよ。

 隙だらけの翔鶴姉を見習ってほしい。頼むから。

 

「いや……機転やない。これはハナっから綿密に練られた作戦や」

 

 龍驤がいきなり何か言い出した。

 室内の艦娘達の視線が龍驤に集まり、千歳お姉が首を傾げた。

 

「どういう事かしら」

「今にして思えば、司令官は、敵艦隊に潜水艦が一隻含まれている事も読んでいたんや。でなければ、千歳らの装備も、あのタイミングでの出撃も到底ありえへん」

「まぁ、確かに驚いたわね……甲標的まで外しちゃうし、どちらの命令も常識では考えられないもの」

「夜戦となれば潜水艦を仕留めるのは不可能に近い。せやから、何としても日が沈む前に仕留めたかったんや。うちらが空母だけで出撃したのはそう言う意味もあるっちゅー訳やな」

「……空母だけの編成なんて、潜水艦からすれば絶好の獲物……つまり、潜水棲姫をあえて釣り出す餌に使ったって事?」

「言葉は悪いが、せやな。そうして潜水棲姫が油断して釣り出されてきた所を、ドンピシャのタイミングで合流した千歳らが迎撃、敵は逃げる間も無く夜戦前に撃沈っちゅー寸法や。せやろ? 司令官」

 

 龍驤はドヤ顔でそう言った。

 何言ってんだコイツ。頭大丈夫か。

 全く言っている意味がわからんかったから否定しようかと思った瞬間、浦風が目を輝かせて俺を見たのだった。

 

「そこまで先を読んでいたんか……提督、凄いお人なんじゃねぇ!」

「それほどでもない」

 

 駆逐艦も有りだ。

 私はそう結論付けざるを得ないのだった。

 俺が浦風の言葉にそう頷くと、浦風と谷風が、磯風の背を叩いたのだった。

 少し躊躇った後に、磯風は一歩前に歩み出て、頭を下げる。

 

「その……なんだ。司令。先ほどは出過ぎた事を言ってしまい、悪かった。この通り、謝らせてほしい」

 

 それに合わせて、千歳お姉、千代田、浜風も前に出て頭を下げたのだった。

 

「もしも私達があそこで命令に従っていなかったら、大変な事になっている所でした」

「説明をしなかったのも、私達の判断力を試し、鍛えるつもりだったなんて……龍驤から聞いたわ」

「提督のおかげで、大切な仲間を救う事ができました。適切な指示に感謝します! どうか、私達の非礼をお許し下さい!」

 

 一体龍驤は何を言ったんだ。

 よくわからなかったが、四人が両手を身体の前で合わせ、深く頭を下げた事で、たゆんたゆんの爆雷がより強調された姿を見る事ができたので許す。

 素晴らしい眺めではないか。浦風がここに混ざっていれば完璧だったというのに。

 誤解であまり長く頭を下げさせるのも申し訳なかったので、非常に名残惜しいがその景色に別れを告げる。

 

「構わん。顔を上げてくれ」

「いよっ! 雨降って地固まるってね! かぁ~っ! 提督、粋だねぇ」

 

 谷風が満足そうにそう言うと、千歳お姉達は顔を上げて、恥ずかしそうに笑ったのだった。

 うむ。どうやら龍驤のおかげで、皆は何やら勘違いをしているようだ。

 まぁ、知らぬが仏という言葉もある。

 このまま何も知らない方が、幸せという事もあるのだ。

 

「……でも、こんな一大事なんだから、やっぱり教えてくれてた方が良かったと思うんだけど」

 

 ただ一人、瑞鶴だけが唇を尖らせながらそう呟いていた。

 こ、コイツ……龍驤や谷風と違い、ペチャパイのくせにチョロくねぇ。厄介な奴だ。あまり近づかないようにせねば。

 

 しかし、雑魚しかいない鎮守府近海で、一戦しただけで一大事とは大げさな奴らだ――。

 

「提督」

 

 アッハイ。ゴメンナサイ。

 加賀と赤城が、俺の目の前に立つ。

 加賀は俺を睨みつけるものとはまた違う目を俺に向けて、言ったのだった。

 

「今回は私の迷いのせいで、大変な失態を犯してしまいました」

「そ、それはもういいと言ったはずだ。そう気にするな」

「いえ……その、私は、貴方が何の関係も無いと知りながら、無理に前提督と重ね合わせていました。そうでもしないと、怒りの矛先をどこに向ければよいかわからずに、それを捨てる事も出来ずに、それに囚われていました」

「う、うむ……?」

「そのせいで、あんな事に……どれだけ後悔しても、足りません」

 

 ……き、気にしすぎでは無いだろうか。赤城も翔鶴姉もそんなに大きな負傷でも無いのに。

 いや、失敗は誰にでもあるよ。不注意で事故する事くらい、誰だって経験がある。

 前提督とやらはよくわからんが、赤城といい、加賀といい、一航戦は何でこうクソ真面目なんだ。

 何だか加賀の思いつめた顔を見ているとどうにも可哀そうになったので、俺は加賀の目をしっかりと見据えて言った。

 

「失敗は誰にでもある。私の人生も失敗だらけだ」

「提督も……?」

「うむ。大事なのはそれを後悔で終わらせる事では無く、反省し、次に活かす事だ。失敗は成功の母と言う。だからもうこれ以上過去に囚われる事なく、気に病むな」

 

 いわゆるPDCAサイクルというやつである。

 計画し、行動し、分析し、改善する。

 仕事だけでなく、人生の全てに活かせる考え方だ。

 まぁ、俺は過去の失敗から成長できている気がしないのだが。

 わかっていても、それが完璧にできるほど、俺は人間ができているわけではない。

 

「……わかりました。今後、二度と同じ間違いを犯さない事を誓います。赤城さんを見習って、これからはもう迷いません」

「加賀さん……。提督。一航戦、赤城。私ももう二度と慢心しない事を誓います。これより一航戦は、提督という弓に射掛けて頂ければ、千里先の敵をも貫く必殺の矢となりましょう」

 

 赤城がなんか怖い事を言っていた。

 微笑みながら必殺とか言うな。必ず殺すとか言うな。

 お前はちょっとくらい慢心してもいいから。少しは隙を作っていいから。頼むから。

 

「これからもどうかよろしくお願いします」と二人揃って頭を下げた一航戦を下がらせて、俺は小さく息をつく。

 

 まぁ、これで今日のノルマは終わりだ。

 日も暮れたし、これ以上の出撃はいいだろう。

 夜は空母が役に立たないとか潜水艦が無敵だとか、知らん事も多い。これ以上余計な事はしない方がいいだろう。

 明日以降、少しずつ隠れて勉強すれば良い。

 後は大淀と夕張が帰ってくるまでの間に、勇気を振り絞って明石にセクハラをするも良し。翔鶴姉の生パンツを眺めるも良し。

 いや、慣れない事ばかりで疲れたな。

 久しぶりにこんなに女性に囲まれたし、視線だの清潔感だの言葉遣いだの、普段は気を使わない事ばかりだったから、肉体よりも心が疲れた。

 飯食って、風呂に入って、今夜は早めに寝よう。

 

 そう考え、執務室から艦娘達を解散させようとした瞬間。

 

 大きな足音が近づいてきて、そのまま執務室の扉が勢いよく開き――真剣な表情の戦艦、長門が現れたのだった。

 



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013.『人望』【艦娘視点】

 緊急事態だった。

 鎮守府近海を哨戒していた利根、筑摩の報告によれば、明らかに鬼、姫級であろう強力な深海棲艦の反応が、複数、まっすぐにこの鎮守府へ向かっているという。

 横須賀鎮守府で最も索敵に長ける重巡洋艦である利根、筑摩が見紛うはずもない。

 

 おそらく、この一か月間の闘いで、こちらに提督がいないという事を感づかれたのであろう。

 提督の指揮下になければ、私達艦娘は本来の力を発揮できない。

『改』も『改二』もろくに発動できない状態での戦いを強いられ、なんとか凌いできたのだ。

 私が敵の軽巡洋艦の一撃で大破し、撤退せざるを得なくなった時――あの時の悔し涙は忘れない。

 ようやく信頼できそうな提督が着任し、これからは全力で戦えると思った矢先に、過去に例を見ない、最強の少数精鋭による奇襲だ。

 提督が着任した事すら、不幸中の幸いとは呼べなかった。焼け石に水、と言った方が良いかもしれない。

 

 あの提督の力は未知数だ。

 初めての命令により出撃した大淀達は、かなり時間が経つというのに、未だに帰らない。

 次の出撃命令は、放送だけを聞いていれば、全く理解のできるものではなかった。

 提督がこの鎮守府に着任し、僅か数時間しか経っていない。

 果たして、私達に適切な指示ができるのか。

 いや、出来たとしても、勝ち目があるのか。

 もはや艦隊司令部へ連絡し、他の鎮守府からの応援を頼んでも間に合わないだろう。

 横須賀鎮守府の、そしてこの国の最後が迫っていた。

 

 私はノックするのも忘れ、勢いよく執務室の扉を開けた。

 提督に報告をしていた途中だったのか、先ほど出撃命令のかかっていた十二名が提督に向かい合って並んでいる。

 ちょうどいい、と私は思った。

 実際にあの妙な出撃命令を受け、帰投した者に意見を聞けば、提督の力量も推し量れるというものだ。

 

 私は室内にいた艦娘の中で、もっともその役目に相応しいであろう者を指名したのだった。

 私も人を見定める能力は優れていると自負しているが、奴の観察眼には私も一目置いている。

 この役目に適任なのは、奴を置いて他にはいるまい。

 

「失礼する。提督、加賀をお借りしてもよろしいだろうか」

「あぁ。だが……私には聞かせられぬ話か」

「……気を悪くしたのなら申し訳無い」

「フッ……別に構わん。むしろ当然の事だろう。加賀、行ってくれ」

「了解しました」

 

 提督は私を見つめ、小さく笑って私の無礼を許可した。

 懐は深い人のようだ。私が自分の力量を疑っている事も見透かした上で、それを認めるとは。

 話がわかる方のようで、ありがたい。

 加賀を連れて、私は廊下に出る。執務室の扉を静かに閉めて、なるべく声を潜めながら、私は加賀に言ったのだった。

 

「緊急事態だ。鬼、姫級の深海棲艦五隻がこの鎮守府に――」

「えぇ。知っているわ。提督も、私達も」

 

 加賀は感情が表情に現れやすい方では無いが――まるで私が何を言っているのかを理解しているかのように、さも当然のように、そう答えたのだった。

 思わず私は言葉に詰まってしまう。

 

「なっ……! ど、どういう事だ」

「私達も今、帰投したばかりなのだけれど。この状況はすでに提督が予測済みという事よ。先ほどの私達の出撃により、その艦隊には大量の艦載機による先制打撃を与えたところだったわ」

「なん……だと……⁉」

「夜戦では倒す事が不可能だったはずの潜水棲姫も、提督の策による千歳達の追撃により、日が沈む前にすでに撃沈済みよ」

 

 馬鹿な――有り得ない。

 この一か月間の戦況分析からこの結果を予測し、対策を練り、最善手を導いたとでもいうのか。

 しかし、加賀は嘘をつくような性格ではない。ここで嘘をつく意味も無い。

 

「提督は全て予測済み……おそらくこの後の事も、全てね」

「お前がそこまで人を褒めるのを初めて聞いた気がするが……本物なのか。信じてもいいのか、今日着任したばかりの、どんな人間なのかも知らない、あの若き提督を」

「私も最初は気に食わないと思い込んでいたわ。前提督と重ねて……でも、そのせいで余計な思考が生まれ、不注意に繋がり、私は失態を犯した。私はもう迷わない。私はあの人を……信じるわ」

 

 表情の変化には乏しいが、人一倍感情の起伏が激しい加賀は、前提督の事も激しく憎み、生半可では無い怒りを抱いていたはずだ。

 それは例えば、他国からの攻撃で家族を失った者が、出会った事もないその国の民全てを憎むかのように、理不尽だが、理解し得る感情だった。

 提督という存在そのものに不信感を抱く艦娘は多いが、その中でも根深いそれを抱いていたはずの加賀が、たった一度の出撃でこうも変わるとは。

 

 いや、加賀だけでは無い。

 いわば反提督とでも言えるほどに提督という存在に疑念や不満、嫌悪感を抱いている艦娘は、大なり小なり他にも大勢いる。

 

 改修工廠での失敗の責任を負わされ、罵詈雑言の雨に打たれながら泊地修理の為に不眠不休で働かされていた明石。

 もっとも提督に近く、それゆえに進言する事も多く、そのたびに罵られ、人格否定までされていた大淀。

 装備の開発に失敗した責任を負わされ、汚い恰好で近づくなと嫌悪されていた夕張。

 性能の何もかもが中途半端だと貶されていた水上機母艦の千歳と千代田。

 その外見を気に入られていたのか、よく尻を撫でられていた香取と鹿島。

 大破率の高い天龍と、その姉妹艦だからと本来の性能に目を向けられず、まともに役割を与えられなかった龍田。

 資材を無駄に使うなと罵られて夜戦演習を禁止され、その分の資材は失敗続きの建造に浪費された川内型三姉妹。

 まともに働いていないのに食う飯は美味いかと嫌味を言われ続け、資材の無駄だと補給すらまともにされず、やがて自主的に食事すら遠慮する風潮が生まれた中で、建造用の資材確保の為に遠征に向かわされた駆逐艦達。

 戦艦の劣化だとまともに運用されなかった妙高や利根達、重巡洋艦。

 主力なのだからと疲労に構わず何度も何度も反復出撃させられ、失敗すれば力量不足のせいにされていた、加賀達、空母や、私達、戦艦。

 建造の為の資材を集めろと、昼も夜もなく遠征に駆り出されていた潜水艦達。

 

 執務室で初めて提督と対面し――私は皆の変化に驚愕したのだ。

 大淀の、明石の、夕張の目に光が宿っていた。

 旗艦に指名された喜びからか天龍が軽口を叩き、提督はそれを喜んだ。

 それを見て、川内や那珂、浦風や谷風など、もともと人懐っこい性格だったはずの奴らは気が付いたのだろう。

 この提督は、前提督とは関係ない。まったく別物なのだと。

 

 あの提督ならば、もしかすると――。

 

「提督の指示は言葉足らずで、突拍子も無いように聞こえるわ。でも、その裏にはかならず理由がある。疑ってかからない事ね」

「随分と入れ込んでいるな」

「私はそれで、赤城さんと翔鶴を負傷させる失態を犯したわ。それだけでは無く、私達の慢心は予想外だったと提督は言った。私はもう二度と提督を失望させるつもりは無いもの」

「お前にそこまで言わせる男だったとは……!」

 

 私も腹を括ろう。

 この加賀がここまで言うのならば間違いは無い。

 提督への信頼が無ければ、どのみち私達は本来の性能が出せないのだ。

 私は改めて執務室の扉を開け、今度は提督のいる執務机の前まで歩を進めた。

 

「待たせてしまって大変申し訳ない。早速本題に入るが、今後の予定をお聞かせ願いたいのだが」

「今後の予定か……ふむ」

 

 提督は腕を組み、しばらく何かを考え込んでいるかのようなそぶりを見せた。

 この僅かな時間の中で、私達では到底想像もつかないような思考が繰り広げられているのだろう。

 提督は顔を上げ、私の顔を見やり、こう言ったのだった。

 

「特に予定は無いな」

 

 なっ……⁉

 私は思わず言葉に詰まった。

 馬鹿な。私達が今後、どのように動き、どのように迎撃すれば良いか、作戦は立てていないという事か⁉

 どういう事だ。今すぐにでも問いたださねば――。

 

 その私の考えは、すでにその経験のある者達には容易く読まれていたのだろう。

 ぽん、と私の肩に加賀が手を置き、私に任せろと言わんばかりに、私の目をみて小さく頷いた。

 加賀は私を置いて、さらに一歩前に出る。

 

「つまり、全ての準備や段取りは、私達の判断に任せるという事でよろしかったでしょうか」

「ほう……流石だな。私の考えている事が理解できているとは」

「いえ、このくらい……なんともないわ」

 

 加賀のそんな表情を見るのは初めてだった。

 二度と同じ過ちは犯さぬと言う覚悟、提督への揺るがぬ忠誠が溢れ出ているように、加賀のその目には一切の迷いが見られない。

 

「それでは提督、これから艦娘全員に召集をかけ、話し合いを行いたいと思いますので。失礼します」

「うむ。期待しているぞ」

 

 期待だと……?

 提督も、加賀も何を言っているのだ。

 いや、加賀だけではない。赤城も、龍驤も、翔鶴も――千歳も、浦風も、磯風まで。

 この部屋にいる私と瑞鶴以外の全員が、加賀の言葉を理解し、アイコンタクトだけで小さく頷いた。

 皆、疑問に思わないのか?

 この提督は、予定は無いと言ったのだぞ。

 艦娘に全てを任せると言ったのだぞ。

 指揮官として、それでいいのか⁉

 

 加賀を先頭に、提督以外の全員が執務室を出た。

 私はどうにも納得ができず、飲み込んでいた言葉を吐き出したのだった。

 

「ありえん……私には理解できん……!」

「だよねだよね! 私もそう思うんだけど」

 

 瑞鶴が私の呟きに同意した。

 あの場にいた全員が、提督の事を理解できているわけではないのか。

 加賀は冷淡な眼で瑞鶴を見やり、吐き捨てるように言ったのだった。

 

「哀れね」

「な、何ー⁉」

 

 わからん。私にはわからない。

 あの加賀が、そして瑞鶴はともかくそれ以外の艦娘達が、たった一度の出撃でこうも理解を示すとは。

 私はあの提督を信頼できるのか……⁉

 

 明石によって鎮守府全体に召集命令が流され、艦娘達が会議室に集まるまで、私はその懸念から逃れる事は出来なかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 会議室には、現在出撃中の大淀達、水雷戦隊を除く、全ての艦娘が集まっていた。

 すでに利根と筑摩により情報共有は出来ているのであろう。

 全員が不安そうな表情を浮かべていた。

 どんなに勝ち目がなかろうとも、私達は艦であり、兵器だ。

 たとえ戦闘を命じられなかったとしても、逃げ出すという選択肢は無い。

 

「すでに聞いているとは思うが……まもなく姫級の戦艦一隻と、鬼級の戦艦四隻からなる敵主力艦隊による夜間奇襲が開始される」

 

 私がそう言うと、小さくざわめきが起こった。

 腕を組んで壁にもたれていた重巡洋艦、那智が不機嫌そうに声を上げる。

 

「それで……こんな一大事にあの提督はどうしてここに居ない?」

「それは……」

「提督の指示は、私達に判断の全てを任せる、という事だったわ」

 

 私が言葉に詰まり、加賀がそう言った瞬間、那智がその表情を怒りに染めた。

 そのまま踵を返し、部屋から出ていこうとしたところを妙高に止められる。

 

「どこに行くの」

「知れた事! 奴を執務室から連れてくる。引きずってでもな!」

「落ち着きなさい、那智」

「これが落ち着いていられるか! この国の一大事だぞ、命を張るのは私達――」

「落ち着きなさいと言っているの」

 

 妙高が静かにそう言うと、那智は言葉をぐっと飲み込み、不満げに再び壁にもたれかかった。

 落ち着いているかのようにも見えるが、妙高も内心、何を考えているのかわかったものではない。

 やはり、提督に顔だけでも出してもらった方が良かったのではないか。

 加賀や龍驤がこれでいいと言うから、私もそれ以上何も言わなかったが――

 

「これを先に言わないと混乱するでしょうから、言っておくわ。提督は、今回の敵の奇襲について全て予測し、その行動を掌握しているわ」

 

 加賀がそう言った瞬間、会議室内に大きなどよめきが起きた。

 そうか。まずは、先ほどの事を話す事が先決だったか。

 那智がじろりと加賀を睨みつけ、妙高は表情を変えずに、落ち着いた声色で加賀に問う。

 

「どういう事でしょうか」

「おそらく私達の一か月間の報告書から戦況を分析し、予測したのでしょうね。あの頭の回転は、私達では想像もつかないものでしょう」

「今までの私達の闘いから……」

「えぇ。先の放送で知っていると思うけれど、私達は空母のみの編成で出撃。提督の読み通りに先制攻撃は成功し、敵には大打撃を与えられたわ。敵艦隊は万全の状態では無いはずよ」

「……なるほど。敵が戦艦のみであり、かつ、夜戦のみに絞っていたのであれば、対空能力が薄いと予測したわけですか」

 

 加賀と妙高の会話を聞いていると、僅かに希望が見えてきたような気がしてきた。

 先制攻撃により敵の装甲や体力は削られており、さらに、提督の能力が高いことも理解できる。

 妙高に続き、羽黒が恥ずかしそうに小さく挙手をして、声を上げた。

 

「あっ、あのっ! す、すみません! そのっ、その後の千歳さん達の出撃は、どういう事でしょうかっ⁉ すみませんっ!」

 

 羽黒の問いに、磯風が腕組みをしながら一歩前に出た。

 

「敵艦隊は現在確認されてる五隻だが、実は見えない六隻目がいた。潜水棲姫だ。夜戦となればまず仕留められないそいつを仕留める為に、私達が出撃したというわけだ」

「えぇ……⁉ そんな事まで予測していたんですか」

「あの司令は大した奴だ。空母部隊という餌に釣られて、潜水棲姫が単艦で現れる事も予測していたらしい。奴を日が暮れるまでに仕留めるには、空母部隊も私達も、あのタイミングでの出撃しかなかったという事だ」

「へぇぇ……磯風さんにそこまで言わせるなんて」

「ふふん、この磯風が見込んだだけの事はあるぞ」

 

「何で旗艦の千歳お姉じゃなくて磯風が仕切ってんのよ」

「しかも何で磯風が自慢げなのかしら。さっきまで思いっきり提督の事疑ってたのに」

「千代田姐さん、千歳姐さん。磯風はあぁいう役回りが好きなんじゃ。勘弁してやってつかぁさい」

 

 満足気に頷きながら語る磯風を見て、千代田と千歳、浦風が小声でそう語っていた。

 先ほど加賀から聞いていた通りだ。どうやら何の誇張もしていないらしい。

 そして加賀にも負けず劣らずの反提督派、頑固な武人気質の磯風のその言葉に驚きを覚えた者は、私を含めて多かった事だろう。

 会議室内の雰囲気も、徐々に変わってきたような気がする。

 

 次に声を上げたのは足柄だった。

 

「つまり……勝ち目はありそうね。姫や鬼がここまで近海に、奴らにとっては遠洋にまで侵攻するって事は、相当の資材を消費しているはず。それならいつものように相手も万全な火力では無いはずよね」

「吾輩達には地の利も数の利もあるのう。戦場は鎮守府の御膝下じゃ。普段とは逆に、精鋭のみならず全艦娘で立ち向かう事もできる」

「流石です、利根姉さん。鎮守府を背にする私達ではなく、むしろ帰りの燃料に余裕の無い敵艦隊こそが背水の陣というわけですね」

 

 利根と筑摩がそう言うと、会議室の空気が一変した。

 提督の指示による、空母部隊の先制攻撃で体力を削り。

 対潜特化部隊により、夜戦では無類の強さを誇る厄介な潜水棲姫も撃沈済み。

 今から襲い来る敵艦隊は姫に鬼と驚異的に見えるが、それはあくまでも敵棲地にこちらから乗り込み、相手が万全の状態で戦った時の印象だ。

 今回は逆に、敵艦隊がいつもの私達のように、資材をすり減らした状態で乗り込んでくるわけだ。

 火力も装甲も万全では無いだろう。

 鎮守府という拠点が戦場に近いのも考え方を変えれば利点になる。

 損傷した場合に即座に工廠へと戻る事ができ、また、いつもは長時間の航行と連戦に耐えきれない艦も戦闘に参加できる。

 また、洋上補給と言わずとも、鎮守府から資材を補給する事もでき、持久戦にも向いている。

 日の出まで時間さえ稼げば、空母が戦力として数えられる。

 敵は後には引けぬ背水の陣。

 

「そうか……真正面から立ち向かうのではなく、持久戦に持ち込めば……!」

 

 私がそう言うと、加賀は小さく頷いた。

 

「それが最善手でしょうね。そして……この程度の事は、あの提督ならばすでにわかっているはずよ」

 

 加賀の言葉に、再び会議室内がざわめいた。

 動揺する皆に構わず、加賀は言葉を続ける。

 

「最低限の舞台を整えて、あとは私達艦娘の、戦場での判断に任せる。どうやらそれが、あの提督の指揮のやり方のようね」

「馬鹿な! そんな指揮があるものか!」

 

 那智が壁を叩きながら叫ぶと、瑞鶴が小さく頷いていた。

 だが、それに答えたのは、隣で黙って話を聞いていた龍驤であった。

 

「常識では考えられへん指揮や。せやけど、あの司令官は、何もうちらに責任を負わせようとしてるんと違うで。舞台を整えた上で、司令官の責任の下で、うちらに判断を任せると言っとるんや。

「命を張るのはうちらやと言うたな、那智。その通りや。司令官もそれをわかっとる。わかっとるから、うちらを鍛えようとしとるんとちゃうか」

「司令官にとって、おそらく、司令官の役目はもう終わってんねん。あとはうちらの判断で何とかなると……そう、うちらの事を信頼しとるんや」

 

「信頼だと……フン、くだらん!」

 

 実際に今回の出撃に参加している古参、龍驤にここまで言われては、流石の那智と言えども折れざるを得ないのだろう。

 那智が大人しくなったところで、加賀は全員に向けて言ったのだった。

 

「ただ、どうしても納得がいかないという子が一人でもいれば、構わないわ。提督に意見を伺いに行きましょう。私は……提督を信頼しているわ」

「あの司令は相当な実力者だ。この磯風が保証しよう」

 

 加賀と磯風の言葉に、手を上げる者はいなかった。

 加賀は不貞腐れたような表情の瑞鶴を見やり、声をかける。

 

「貴女はいいの?」

「納得はいかないけど、今回までは様子を見るわ! これで鎮守府が陥落なんてしたら絶対に許さないんだから……!」

「そう……哀れね」

「な、何ー⁉」

 

「那智はええんか? 加賀があぁ言うとるんや、別にうちに気ぃ使わんでもええで」

「気など使ってはいない。ただ、他ならぬ戦友がこれほどまでに信じると言っておるのだ。私も今回だけは信じざるを得まい」

「さよか。ま、答えは戦場で待っとるわ。うちらは夜戦では役に立たへんから、後は任せたで」

「あぁ、任された。せいぜいあの提督の実力を、戦場で見極めさせてもらうとするさ。それに……こんなものまで配られてしまってはな」

「? なんやこれは」

 

 那智が懐から取り出した一枚の紙を、龍驤が覗き込む。

 それは、私の懐にもしまわれている、アレだろう。

 

「えへへっ、青葉の艦隊新聞、号外ですっ。ささ、出撃されていた皆さんもどうぞどうぞ!」

 

 青葉がそう言いながら、加賀達に艦隊新聞を配り始めた。

 今回出撃していた艦娘と、提督の傍にいた明石を除いた全ての艦娘には、すでに青葉が配っていたのだった。

 明石がはっと気が付いたかのように詰め寄り、青葉の持つそれを奪い取った。

 それには隠し撮りをしたのであろう、大淀と明石が鎮守府の正門前で感涙している写真や、提督が夕張の手を取り真剣に何かを語っている様子の写真が掲載されていた。

 そして、隠れて提督の様子を観察していたのであろう青葉の解説と、提督評がつらつらと記されていたのだった。

 

 大淀と明石の仕事をねぎらい。

 装備の開発で汚れた夕張に感謝をし。

 艦隊司令部への報告書よりも、真っ先に私達艦娘の情報と戦況分析に着手した。

『艦娘型録』に真剣な表情で目を通している提督の姿を写したその写真は、加賀のどんな言葉よりも、雄弁に提督という存在について語っていた。

 百聞は一見に如かず。

 視覚のもたらす効果とは、それほどまでに大きいのだ。

 

 青葉もまた、戦力として役に立たないと前提督に冷遇を受けていた艦娘の一人だ。

 記者として中立の目線を持っていると常々言っていた青葉だったが、もしも彼女がその気になれば、悪意を込めた記事を書けば、容易く印象操作が出来た事だろう。

 しかし青葉は、その中立の視線を持って、あの提督が信頼に足りる人物であると、熱い思いを記事に込めていたのだった。

 

 耳の先まで真っ赤に染めた明石に、青葉は両頬をつねられている。

 

「あ・お・ばぁ~! いつの間にこんな写真を!」

「痛い痛い! み、皆さんが気になっているネタ……い、いえ情報でしたので……」

「もう……! でも、ありがとう。提督の姿を皆に伝えてくれて」

「当然です! 真実をありのままに伝えるのが青葉の仕事ですから!」

 

 実際に出撃を通して提督の能力に触れた加賀や龍驤、磯風の言葉。

 提督の後をつけて判断した、青葉の提督評。

 そして何より、写真を通して目の当たりにした、執務に当たる提督の姿。

 

 瑞鶴と那智以外にも、心に秘めたものを抱いている者はいるかもしれない。

 ただ、強大な敵を前にして、少なくとも今だけは提督を信頼するという意見で、艦娘達は一つにまとまった。

 初めて執務室で顔を合わせ、そして今回の加賀達への指揮を経て。

 提督は着任して僅か数時間で、この鎮守府の艦娘達の人望を確かに得る事ができたのだ。

 

 艦娘全員を引き連れて、執務室へと向かう。

 扉を開ければ、提督は執務机に座って海図を眺めていた。

 やはり、今回の闘いにおいて、何か作戦があるのだろう。

 提督は顔を上げて、整列した艦娘全員の先頭に立つ私の顔を見て言った。

 

「長門、準備は整ったか」

「はっ! 敵艦五隻が鎮守府正面海域へと侵入! これより現在鎮守府内に待機する艦娘全員、総戦力を持って、これの迎撃に向かいます!」

 

 提督の眼が見開いた。

 

「全員……全員だと?」

 

 提督は、まさか全員が文句も言わず今回の指令に従うとは予想していなかったのかもしれない。

 一人くらいは今回の提督の采配に文句を言うだろうと、その心の準備をしていたのだろう。

 提督がこの横須賀鎮守府に配属されるにあたり、前提督の件はよく知っているはずだ。

 不信感を持つ艦娘が多いという事も理解できていただろう。

 故に、私達は着任したばかりの提督を信頼できず、命令に従わないものがいるのかもしれないと。

 だが、ここには現在鎮守府内にいる艦娘全員が揃っている。

 一つにまとまったのは、提督が信頼できる人物だと、その行動で示してくれたからなのだ。

 

 だから私は、不器用ながらも提督に微笑みかけ、優しくこう言ったのだった。

 

「あぁ。これが提督の人望だと言うことだ」

 

 提督はその日初めて見る、気の抜けたような表情を浮かべた。

 今までは気を張っていたのかもしれない。

 無理も無い。まだ、着任して初日だ。部下に舐められてはならないと、提督も緊張していたのだろう。

 貴方は今夜だけは、確かに私達の人望を得た。

 今だけは、貴方を舐める者などいないと伝えたかった。

 

 やがて私達の思いが届いたのか、提督は感極まったかのように机に両手を叩きつけ、執務室中に響き渡る凛とした声で、叫んだのだった。

 

「――全員出撃! 我が鎮守府の全身全霊を持って、敵艦隊を撃破せよ!」

「了解ッ!」

 

 ――ここに、この国の命運を賭けた闘いの幕が、切って落とされた。

 



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014.『人望』【提督視点】

 執務室の扉を開けた長門はそれ以上こちらに近づくこともなく、その場で俺に声をかけてきた。

 

「失礼する。提督、加賀をお借りしてもよろしいだろうか」

「あぁ。だが……私には聞かせられぬ話か」

「……気を悪くしたのなら申し訳無い」

 

 どうやら加賀に用があったらしい。

 すでに報告も終わっていたので、加賀だけではなく全員出て行ってもよかったのだが、どうやら俺には聞かせられない話らしい。

 だが俺の聡明な頭脳と慧眼の前では、長門の考えなど全てお見通しなのだった。

 

 先ほど、大淀から聞いていた。

 今夜は俺の歓迎会を開く予定なのだと。

 ところが俺が大淀を遠征に出してしまったので、代わりに長門が仕切っているといったところだろう。

 そりゃあ、今日の主役である俺の前で、歓迎会の段取りを話し合う奴はいない。

 何らかのサプライズが用意されていると考えるのが妥当だろう。

 フフフ、長門め、不器用な奴だ。俺の前に現れては感づかれて当然ではないか。

 しかし今夜の事を考えると、胸が熱いな。夜戦だよ夜戦! 早く、や・せ・ん! 

 

「フッ……別に構わん。むしろ当然の事だろう。加賀、行ってくれ」

「了解しました」

 

 加賀は俺に小さく頭を下げて、長門と一緒に退室した。

 一緒に他の全員も退室して良いと促そうかと思ったのだが、そこで気が付いたのだ。

 目の前には、生の翔鶴姉。生パンツが見えている。

『艦娘型録』で目に焼き付けたそれが今目の前にあるという貴重な機会を無駄にするわけには行かないだろう。

 しかし理由も無くここに立っていてもらうのも不自然すぎる。

 特に、翔鶴姉に関しては、あの瑞鶴が目ざとく俺を監視してくるだろう。

 何とかしてそれらしい理由を作らねば。

 

「……そうだ、明石。お前は泊地修理という能力を持っていたな」

「はい。あっ、そうですね。赤城さんと翔鶴さんの足部艤装の損傷くらいは治せますよ。もう少し損傷の規模が大きいと無理でしたが」

「そうか。話には聞いていたが、実際に見るのは初めてだ。見せてはくれないか」

「はいっ! 勿論です!」

 

 俺は立ち上がり、明石と共に赤城、翔鶴姉の下へと歩み出した。

 跪いた明石が大きく息を吐き、「工作艦明石、参ります」と言うと同時に、その背に艤装が現れる。

 隣に立っていた俺の股間に勢いよくクレーンがめり込んだ。

 おごォォォオオッ⁉  直撃や! そこは俺のタマタマ、タマタマやで‼ 気にしといてや!

 一瞬白目を剥いてしまったが何とか堪えた。

 

「あっ、クレーンにあまり触ったら危ないですよ?」

「い、いや……大丈夫だ、問題ない」

 

 くそっ、こっちの台詞だ。俺のクレーンが危ねぇんだよ。赤城達だけでなく、提督も少し修理した方がいいみたいですね。

 泊地修理の見学にかこつけて翔鶴姉の生パンツと生足を思う存分見学する作戦に利用してなかったら怒鳴り散らしていたところだ。

 

「すいません、明石さん。いつもお世話になります」

「よろしくお願いしますね」

「最大五人まで同時に修理できます。今回は二人同時に行いますが、まずは損傷の少ない赤城さんからメインでいきますね」

「うむ」

 

 翔鶴姉は後のお楽しみにしておこう。俺は赤城の艤装に注目する。

 それに、艤装やら、艦娘の仕組みについても、それはそれで興味があるのだ。

 もちろん翔鶴姉の生パンツと生足に一番興味があります。

 明石が艤装のレバーのような部分を握り、何やら操作すると、クレーンが赤城と翔鶴姉の足部の艤装に接続された。

 機械音が鳴り響き、明石の艤装が光り出す。その光は、クレーンを通じて赤城と翔鶴姉に流れていく。

 俺は思わず、その不思議な光景に見惚れてしまった。

 

「どういう仕組みだ?」

「ご存じの通り、私達の艤装は資材、つまりエネルギーで構成されています。通常、艤装が損傷した場合は入渠、つまり資材を補給する事で妖精さんが修復してくれますが、私は自身のエネルギーを直接受け渡す事ができるんです」

「それが明石の唯一無二の能力、泊地修理というわけか」

「えへへ、その通りです」

 

 なるほど。

 入渠、というのも、『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』に書いてあったが、いわゆる艤装の損傷を修復する事らしい。

 ついさっきまで『入渠(にゅうきょ)』って読むことすらできなかったのは千代田には黙っていて下さいね。いや、千代田だけではなく皆に内緒だ。

 艤装の修復というのは、工廠に沢山いた妖精さんたちが行うのだろうか。

 オータムクラウド先生の作品内では、入渠というのは風呂に入ったり食事したりと、羽を伸ばしているようにしか見えなかったが。

 気になったので、俺は明石に訊ねたのだった。

 

「入渠というと、工廠にいた妖精たちが行うのか?」

「はい。資材、つまりエネルギーを破損した艤装に直接供給し、修理してくれます。そしてもう一つは、艦娘自身が英気を養う事で、艦娘自身の傷を癒し、時間をかけて艤装を修復する事ができます」

「英気を養う、とは」

「お風呂に浸かって身体を休めるのが一番ですかね。ここのお湯には豊富に資材が含まれていて、肌からエネルギーを吸収できるんです。それに、広いお風呂で足を伸ばして肩まで浸かれば、疲れも飛んでいっちゃいますしね!」

 

「ふむ。お前達の言う補給と入渠はどう違うのだ」

「あー、私達艦娘は戦闘行為によって、弾薬や燃料などの資材を消費します。これを再び身体に取り入れるのが『補給』です。一方で、戦闘行為によって艤装や艦載機、そして私達の身体が損傷した時に、それを再構成する為の資材を取り入れるのが『入渠』だと思ってもらえれば良いかと」

「なるほどな。ちなみに、お前達は資材さえあれば飯を食わずとも行動できるのか」

「あはは、食事は大事です。何といいますか、艦娘は基本的には人間と変わらなくて、その部分の活動には食事や睡眠が必要なのだと思っています。そして、プラスアルファで艦娘としての性能を発揮する為には、資材が必要といったような考え方なのかなと」

「ふむ。資材の枯渇した艦娘は人間と変わらぬとは聞いていたが……」

「そうですね。たとえ資源の補給が満タンでも、お腹が空いていたり睡眠不足だったりすると、結局は十分なパフォーマンスが出せないのだと思います。そういう意味では、今の私も万全ではありませんが……」

「何っ、寝不足か。そう言えば目の下にクマがあるな」

「い、いえ、多分これからは大丈夫だと思います」

 

 そう言って顔を背けてしまった明石の言葉を思い返し、俺は一人で納得した。

 

 なるほど、そういう事だったのか。

 オータムクラウド先生の作品は間違っていなかった。

 こんな細かい部分まで描写するとは、オータムクラウド先生凄すぎだろう。一体何者なのだ。

 

 つまり、腹が減っては戦は出来ぬ、の言葉通りというわけだ。

 資材、エネルギーが不足した艦娘はただの人間と変わらない。

 深海棲艦と戦うには、艦娘達を飢えさせてはいけない、疲労を溜めさせてはいけないという事だろう。

 艦娘としての資材の補給と共に、人間としての食事や睡眠をしっかり取らせる。

 なるほど、至極当たり前の事ではあるが、これはなかなか重要な事なのかもしれない。

 人間が疲労回復する時と変わらない。

 よく食べて、よく休み、よく眠る。英気を養い、気が身体に満ち足りる事で、万全の状態となるわけだ。

 やはり艦娘も人間も変わらないという事だ。俺が艦娘に欲情するのも致し方無し。

 そう言えば、明石がさっきやっていた通り、艤装はその意思で出し入れできるようだが……。

 俺はもう一つ、気になっていた事を訊ねたのだった。

 

「ちなみに、お前達の纏っているその装束は、何なのだ?」

「あっ、これはですね、艤装とは違いますけど、似たようなものです。私達のエネルギーから作られているバリア的な装甲というか。ちょっとやそっとの砲弾なら防ぎますよ」

「これが損傷した場合はどうなるのだ」

「こちらは妖精さんに修理してもらうまでもなく、先ほどお話しした通り、艦娘が英気を養うかエネルギーを補給する事で、自動的に修復されますね。ほら、こんな感じに」

 

 明石が掌で示したものを見れば、先ほどまで薄い桃色のパンツが見えていたはずの翔鶴姉の袴は、綺麗に修復されていたのだった。

 なるほどな。綻び一つ無い。いい仕事してますねぇ。グッジョブ。

 じゃねェーーーーッ!

 明石お前何してくれてんの⁉ 工作艦だからって、何の工作してんの⁉

 俺が入渠や補給の仕組みに夢中になってる間に、俺の桃色海域を綺麗さっぱり侵略しやがった。まさに裏工作ってか。やかましいわ。

 くそっ、俺の知的好奇心が、恥的好奇心を上回ったとでもいうのか。馬鹿な。俺に限りそんな事は無いと思っていたが……俺も人の子という事か。

 

「提督は勉強熱心なんじゃねぇ」

 

 駆逐艦も有りだ。

 私はそう判断せざるを得ないのだった。

 浦風が俺と明石のやり取りを眺めていてか、微笑みながらそう言った。

 

「えぇ。机上の知識だけでなく、必要とあらば部下に教えを乞い、積極的に実学を身に着けようとするその姿勢……浜風、感服しました!」

「以前の司令とはどうやら違うようだな。この磯風も認めてやろうではないか」

「いよっ、提督、あっぱれ!」

 

 浜風、磯風、谷風にも褒められた。

 う、うむ。その通りだ。

 俺は翔鶴姉と赤城の泊地修理がてら色々学びたかったのだ。そういう事にしよう。

 まぁ、いざとなれば『艦娘型録』でいつでも翔鶴姉は待っていてくれる。パンツは逃げない。

 

 軽く咳払いをして俺が席に戻った所で、執務室に長門と加賀が戻ってくる。

 長門は、今度は俺の目の前まで直接歩み寄り、単刀直入に言ったのだった。

 

「待たせてしまって大変申し訳ない。早速本題に入るが、今後の予定をお聞かせ願いたいのだが」

「今後の予定か……ふむ」

 

 こいつ、不器用すぎるだろ……。

 これでは歓迎会に誘おうとしているのがバレバレだ。

 さっきまで俺は疲れたから早く寝ようと思っていたが、歓迎会となればもちろん話は別だ。

 フフフ、むしろ今夜は眠れない。

 俺はなるべく、歓迎会の事を気にしていないように振舞いながら、答えた。

 

「特に予定は無いな」

 

 長門は一瞬、戸惑ったような表情を浮かべた。

 え? 何? 予定あった方がいいの?

 エッ。もしかして、俺が予定あるから歓迎会は開かなくてもいいって言って、中止になるのを期待してたとか。

 マ、マサカァ。

 一瞬、俺は冷や汗をかいたが、どうやらそれは杞憂だったようだ。

 加賀が長門の肩を叩き、俺に歩み寄ってきた。

 

「つまり、全ての準備や段取りは、私達の判断に任せるという事でよろしかったでしょうか」

 

 その通りだ。というか主役の俺に手伝わせる馬鹿がどこにいる。

 何だ? もしかして提督は艦娘の指示役だから、自分の歓迎会の指示もするのが鎮守府では普通なのか? 何だそれは。

 よくわからんが、とにかく加賀は歓迎会の幹事なのだろうか。長門に呼び出されていたという事は、そうなのだろう。

 準備も段取りも俺が指示をする気は無い。迎え入れる側がする事だ。

 しかし加賀は随分大人しくなったな。俺を睨みつけていた青鬼の目つきはどこへ消えた。

 あれだけ言ったのに、まださっきの失敗を気にしているのか……仕方ない。今日のMVPだしな。褒めて、励ましてやろう。

 

「ほう……流石だな。私の考えている事が理解できているとは」

「いえ、このくらい……なんともないわ」

 

 お前ホントしおらしくなったな。

 今まで失敗らしい失敗した事なかったのだろうか。赤城も翔鶴姉もそんなに負傷していないのにこの落ち込みようは。

 歓迎会にまでこのテンションだと気が滅入る。何とか気持ちを切り替えてほしいものである。

 

「それでは提督、これから艦娘全員に召集をかけ、話し合いを行いたいと思いますので。失礼します」

「うむ。期待しているぞ」

 

 楽しい歓迎会になるように期待を込めて、俺は加賀にそう言ったのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 艦娘が全員出ていき、一人きりになった執務室で、俺は大きく息を吐いた。

 つ、疲れた……一日中演技するというのがこんなにも体力を消費する事だとは。

 妹達から見て、俺は上手く本性を隠す事が出来ていただろうか。

 内心は全然自重できていなかったと自負しているが、清潔感など身だしなみはどうか。

 久しぶりに仕事らしい仕事をした。人と接するという事自体がかなり久しぶりな事もあり、楽しくもあったがそれ以上に疲れてしまった。

 もうこのまま眠ってしまいたいくらいだ。

 

 しかし、俺の求めていたシチュエーションはここからが本番だ。

 俺が主役の歓迎会である。

 部下である艦娘たちは必然的に俺に挨拶をしに来る事になり、挨拶がてら酒を勧める事も出来る。

 近年パワハラとアルハラ、おまけにセクハラが騒がれているので、もちろん俺も露骨な事はするつもりは無い。

 ただ、艦娘たちもわかっているだろう。上司に注がれた酒は、飲み干さねば失礼だと。

 

 体質的に酒に弱い艦娘がいるかは定かではないが、それはもうしょうがない。そういう者には無理に酒は勧めず、逆に俺が酒の力を借りて積極的にスキンシップに励もうではないか。

 もちろん酒が入れば隙も生まれやすい。まさに酒池肉林というわけである。

 駆逐艦達は未成年に見えるからジュースにしておこう。見た目が未成年の艦娘は二十時には提督命令で部屋に帰らせ、そこから先は大人の時間だ。

 

 何だか先ほどからの浦風達の態度を見ていると、案外俺は信頼されているような気がするしな。

 ちょっとくらいお触りしたところで、浦風なら甘いボイスで「こぉら、どこ触っとるんじゃ!」と言うくらいで許してくれそうだ。

 い、いや、浦風は駆逐艦。浦風は駆逐艦。俺のハーレムギリギリ対象外。

 そう考えると、浦風はともかく、龍驤が何を言ったのかは知らないが千歳お姉や千代田も俺の事を信頼してくれたような感じだったし。

 これは、もしかして今夜、いけるのではないだろうか。

 

 俺も酒に酔ったふりをすれば、先ほどまでは難しかったスキンシップも許されやすいだろう。

 酒の勢いで、先ほどまでのように勇気を振り絞る必要も無いと思われる。

 次の日に何か言われても、「酔っていて記憶にございません」の一言で逃げられる。

 たとえ翔鶴姉の格納庫をまさぐろうとも、飛行甲板を撫でまわそうとも、酔っていて記憶にございません。

 おぉ、俄然楽しみになってきたではないか。

 先ほどまで眠りたかったのが嘘のように目がギンギンに冴えてきた。もちろん股間もギンギンである。

 

 それにしても、大淀達は一体何をしているのだ。

 俺は机の上に海図を開き、考える。うーむ。駄目だ何もわからん。

 どこかで道草を食っているんじゃないだろうな。

 全員揃わねば歓迎会も興が削がれるというものだ。

 

 全員揃わねば、と言えば、先ほど執務室の前の廊下を通っていた駆逐艦達のものであろう会話が聞こえてきた。

 扉越しだったのであまり聞こえなかったのだが、どうやらこの鎮守府近くに敵艦隊が現れたらしい。

 当然、迎撃に向かわねばならないが、そうなると、その者達は歓迎会には参加できなくなる。

 まぁ、この鎮守府近海に現れる深海棲艦など雑魚しかいないという事は、ここ一か月の報告書からよくわかっている。

 軽巡洋艦は全員まだ帰ってきていないから、適当な駆逐艦を六隻ほど出撃させればいいだろう。潜水艦でもいい。

 それ以上のメンバーのほとんどは俺のハーレム対象内だ。一人たりとも歓迎会に欠ける事は許されない。

 

 俺はふと、昔の事を思い出す。

 俺がニートになる前の事。

 俺がまだ社会人にすらなる前の事。

 そう、まだ学生だった頃、バイト先で嫌いだった上司主催の飲み会がよく開かれていたのだ。

 俺はその度に、無理やりシフトを交代してもらったり用事を作って、なるべく飲み会に参加しないようにしていたのだった。

 飲み会に参加しなかったのは家庭の事情というのもあるが、嫌いな上司と仕事以外で顔を合わせ、酒を注いだりご機嫌を伺うのは、はっきり言って金と時間の無駄だと思ったからだ。

 

 昔はただの学生で、社会人を経てニートになった俺が提督か。

 そしていずれは艦娘ハーレムの王か。

 随分と出世したものだ。

 

 そんな事を考えていると、執務室の扉が開いた。

 先頭に立ち、大勢の艦娘を引き連れているのは長門だ。

 うむ。どうやら俺を歓迎する準備が整ったらしい。

 同時に、敵艦隊の対応をする面子についても話し合ってはいるのだろう。

 まるでクリスマスの日のシフト調整みたいに、皆で醜く押し付け合っていたのだろうか。

 俺の楽しい歓迎会の最中に敵艦隊を迎撃しなければならない可哀そうな子には申し訳ないが、これも仕事だ。頑張りたまえ。

 さぁ、素敵なパーティしましょ!

 

 俺は最大級のキメ顔で、長門に言ったのだった。

 

「長門、準備は整ったか」

「はっ! 敵艦五隻が鎮守府正面海域へと侵入! これより現在鎮守府内に待機する艦娘全員、総戦力を持って、これの迎撃に向かいます!」

 

 …………エッ?

 

 え? 何だと? 今、何て言った? 敵艦五隻に対して、ぜ、全員だと⁉

 それは何のサプライズだ。サプライズの方向性を間違えてはいないだろうか。

 ど、どういう事だ。ありえんだろうそんな事は。袋叩きにも程がある。

 鎮守府近海には雑魚しかいない。

 あまりにも不自然ではないか。

 ま、まさか、過去に俺がそうしていたように、俺が主役の歓迎会に参加したくなくて、不自然とわかっていながら全員が敵艦の迎撃に志望したとでも――!

 俺がそうだったように、仕事以外で顔を合わせるのは時間の無駄だと――!

 

 長門お前、何いい顔してるんだ。お前幹事だろう。何を率先して敵艦の迎撃を仕切っているのだ。お前が仕切るのはそっちじゃない!

 加賀、赤城、お前らさっきの誓いはどこへ消えた。俺に刺さってんぞ、必殺の矢が! 俺を必ず殺すつもりだったのか、一航戦!

 千歳お姉、千代田……私達が嫌っているのは提督には内緒よって事だったのか……! 私達が嫌っている事は提督には黙っていて下さいねって事だったのか!

 浦風、お前もか! 先ほどまでの俺への笑顔は嘘で、裏ではほくそ笑んでいたとでもいうのか。先ほどまで俺が対応していたのは浦風ならぬ裏風だったとでもいうのか!

 浜風、先ほどの感服は何処へ!

 磯風、認めてくれたんじゃなかったのか! 何だそのドヤ顔は!

 龍驤、谷風……ペチャパイだけどいい奴だと思っていたのに!

 瑞鶴……は分かってたけど! 俺の事信用してないの分かってたけど!

 翔鶴姉、俺の、翔鶴姉……! 俺の……パンツ……! 俺の……生きがい……!

 明石、お前……お前だけは信じていたのに……!

 

 皆……皆、俺の歓迎会参加拒否⁉

 

「全員……全員だと?」

 

 俺は衝撃のあまり、そう漏らしてしまった。

 そんな俺に、長門は微笑み、こう言ったのだった。

 

「あぁ。これが提督の人望だと言うことだ」

 

 ウォォォォォォオオァァァアアアア‼‼

 俺は心の中で叫んだ。

 長門お前いい加減にしろよ……! 何をいい顔で微笑んでんだ……! 男だろうと大人だろうと傷ついたら普通に泣くんだぞ……! あと数秒で泣くぞ俺は……!

 確かに俺は着任初日にしてしょうもない事ばかり考えていたし、初っ端から出撃大失敗しちゃったけど……俺に何か落ち度でも……⁉

 

 ま、まさかあの視線も、思考も、全てバレていたとでもいうのか……!

 妹達の言う通りだったとは……見られている側は完全にわかると……!

 俺が何気なく声をかけたり、間違いだらけの指揮を出したり、あるいは視線を向けたりするたびに、皆はこう思っていたのか。

 

 声をかけた時には――。

 

『提督……お前ちょっと、ウザい!』

『うわっ、キモッ! なんか、ヌメヌメするぅ⁉』

『……何? 気が散るんだけど。何がしたいの?』

 

 間違いだらけの指揮を出した時には――。

 

『チッ、なんて指揮……あっ、いえ、なんでもありませーん、うふふっ』

『ったく……どんな采配してんのよ……本っ当に迷惑だわ!』

『なにそれ⁉ 意味分かんない』

 

 視線を向けた時には――。

 

『こっち見んな! このクソ提督!』

『こんの……変態野郎が!』

『見ないで、見ないでぇーっ!』

 

 死ねる。

 普段から妹に似たような言葉を投げつけられ、鍛え上げられていたはずの俺のメンタル装甲は容易く粉砕された。

 肉親からの言葉と他人からの言葉で、こうも破壊力が違うとは。

 真面目そうに敬礼していた時、俺に笑顔を向けてくれていた時、皆は心の中で……!

 この嫌われっぷりは尋常じゃねェ……! マジパナイ……!

 ま、まさかの人望ゼロとは想像していなかった。そしてこの後も永遠のゼロのままなのだろう。全米が泣いた。

 これではハーレムどころではない……終わった。俺の提督生活は、僅か一日で終わりを告げた。

 

 ついに待ちに待った夜戦だと胸を躍らせていた俺だったが、まさか本当に艦娘達が夜戦の方を優先するとは思ってもいなかった。

 素敵なパーティどころの話ではない。参加者は俺一人。独り者(ソロモン)の悪夢とはこの事か。

 俺はもうやけくそになって、机を両手で叩きつけ、全員に向かって叫んだのだった。

 

「――全員出撃! 我が鎮守府の全身全霊を持って、敵艦隊を撃破せよ!」

「了解ッ!」

 

 勢いよく全員が出て行った後の、独りぼっちになった執務室で、俺は久しぶりに声を上げて泣いた。凹む。

 



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015.『掌の上』【艦娘視点①】

『こちら筑摩、敵艦発見……戦艦棲姫一隻、泊地棲鬼とみられる鬼が四隻です』

 

 先に警戒にあたっていた筑摩から無線が入る。

 先制攻撃の際に索敵をしていた龍驤から聞いていた通りだった。

 つまりそれは、提督の読んでいたとおりの編成だということだ。

 泊地棲鬼とは私も何度か戦った事があるが、戦艦のくせに何故か主砲を装備しておらず、代わりに艦載機と雷装を有する、おかしな存在だ。

 つまりそれであれば、赤城達の先制攻撃にも対応が出来ていたと思うのだが、そうできなかったという事は、今回、艦載機は除いていたという事だろう。

 提督の読み通りであれば艦載機の代わりに主砲を積み、夜戦に特化していると考えても良い。

 

 艦載機を主力とする泊地棲鬼との夜戦で、今までそれほど苦戦した経験は無いが――もしも提督の読みがなければ、私はそれを警戒せずに闘いに挑んでいたかもしれない。

 夜の泊地棲鬼は恐れるに足らず、と、この緊急時にも関わらず慢心していたのかもしれない。

 もしかすると、これも深海棲艦側の作戦の一つなのではないか。そう考えると背筋に悪寒がよぎる。

 

「皆、今までの泊地棲鬼とは別物だと思え。我々戦艦も、一撃でも食らったら大破、いや、当たり所が悪ければ撃沈されてもおかしくはないと考えるくらいが良いだろう」

「了解! 比叡、気合! 入れて! 行きます!」

「はい! 榛名、全力で参ります!」

「さて、どう出てくるかしら……?」

「な、なぜ青葉はここに編成されているのでしょうか……? 未だに理解が追い付きません……」

 

 私が無線で全艦娘にそう告げると、私の率いる比叡、榛名、霧島、青葉がそう答えた。

 横須賀鎮守府の誇る、火力と装甲に長けた戦艦四隻と数合わせの青葉を正面に並べ、その身を鎮守府への最後の砦とするのだ。

 

『了解。重巡、妙高。推して参ります』

『さぁ、那智の戦、見ててもらおうか!』

『戦場が、勝利が私を呼んでいるわ!』

『精一杯頑張りますね!』

『うむ、参ろうか……ば、バカな! カタパルトが不調だと⁉』

『あらあら、利根姉さん?』

 

 妙高、那智、足柄、羽黒、利根、筑摩の六隻は最前線に待機している。

 戦闘が始まり次第、敵艦隊の背後へ回り込み、私達との挟み撃ちにするのだ。

 戦艦には劣るがその火力は驚異的だ。背後からそれを浴びせられれば、敵艦隊も無視して鎮守府に侵攻する事はできないだろう。

 

『夜は私たちの世界よ。仕留めるわ!』

『イクの魚雷が、うずうずしてるの!』

『わぁ~、怖いのいっぱい、見ーつけちゃったぁ』

 

 潜水艦隊の伊168達からも好戦的な声が届く。

 闇夜の海において無敵なのはこちらの潜水艦も同じだ。

 奴らはまだ練度が低く、その魚雷では鬼、姫級の戦艦五隻には大きなダメージは与えられないだろうが、少しでも傷つける事ができれば御の字という奴だ。

 

『千代田、油断は禁物よ。私達は装甲が薄いんだから』

『もちろん。千歳お姉も気をつけてね……』

『千歳姐さん、千代田姐さん、うちがついとるけぇ、大丈夫じゃて!』

『浦風だけではない。この磯風もついている。共に進もう。心配はいらない』

『相手にとって、不足無しです!』

『こう見えて、この谷風はすばしっこいんだよ? 敵の砲撃なんざ、当たる気がしないね! かぁ~っ!』

 

 先ほど帰投したばかりで疲労も残っているだろうに、千歳達には重要な役目を任せてしまった。

 千歳は浦風と谷風、千代田は磯風と浜風を率いて左右より敵艦隊へ接近し、雷撃。敵の砲撃が鎮守府に向かないよう囮となる陽動部隊だ。

 

 これにより敵艦隊は五方向から攻め立てられる事となる。

 前方は私、長門の率いる戦艦部隊と青葉。

 後方は妙高率いる重巡戦隊。

 左右には千歳、千代田の率いる囮機動部隊。

 さらに水中には、伊号潜水艦隊。

 あちらは五隻、こちらは二十隻だ。

 実に四倍の戦力差である。

 

 それだけではない。提督の読みによる赤城達空母部隊の先制爆撃により、すでに敵はある程度の被害を受けている状態だ。

 棲地からここまでの道のりで、資材も消費している事だろう。

 勝てる要素は、十分にあるように思える。

 

『最後まで慢心しては駄目よ』

 

 港で待機している空母部隊、加賀から無線が入った。

 先ほどの出撃で失態を犯した事を、この出撃の前に赤城達は皆に話し、決して慢心しないようにと強く強調したのだった。

 一歩間違えば、提督の読みが上手くいかなければ私達は今頃ここにはいない――。

 歴戦の赤城と加賀、翔鶴と瑞鶴、龍驤と、本日が初めての実戦配備であった春日丸の表情を見れば、その深刻さは明らかだった。

 それだけで、皆の心から油断、慢心は消えたであろう。

 

「あぁ。勿論だ……香取、後方支援部隊の準備はできているか」

『はい。このような役目は初めてですが、精一杯務めさせていただきます』

『香取姉、頑張りましょう! 皆さんも、後方支援頑張りましょうね! えいっ、えいっ、おぉーっ!』

 

 鹿島の掛け声に、駆逐艦達の鬨の声が無線を通じて聞こえてきた。

 勝鬨は勝ってからにしろ、などと無粋な事は言わない。実に可愛らしい、いや、頼もしい事だ。

 

 練習巡洋艦である香取と鹿島には、戦闘の役割を与えた者以外の駆逐艦達をまとめ上げる後方支援を任せた。

 戦闘海域が鎮守府正面であるという地の利を生かし、大破した艦の撤退の同行や、消耗した際の資材の輸送など、普段は行わない仕事を任せる事になるだろう。

 

 駆逐艦の中でも戦闘力に長けた精鋭達は、未だに軽巡七人と共に提督の指示した遠征から帰ってきていない。

 連絡も無い為、心配だ。まさか、敵に見つかり、交戦し……いや、悪い想像はしてはいけない。

 してはいけないが、あの位置への遠征でここまで時間がかかる事は有り得ない。

 この時刻になって、未だに三艦隊とも帰投しないという事は、有り得ない事だった。

 

『こちら工作艦、明石。やはり、資材の備蓄に不安があります。積極的な補給は難しいかもしれません』

「あぁ――改二実装艦全員に告ぐ。今回は普段と違い持久戦狙いだ。作戦通りに、資材を多く消費する改二はなるべく温存していこう」

 

 同じく後方支援を任せた明石から無線が入る。

 この一か月で資材に少しは余裕ができていたと思っていたが、訊けば提督が、真っ先に建造を行ったのだという。

 おかげで予想していたよりも、資材の量に余裕が無い。

 それを聞いて那智がまた激怒し、執務室に乗り込もうとするのを再び妙高に止められていたのだった。

 

『フン……あの男は一体何を考えているのだ。この状況を読めていながら建造など。おかげで全力が出せないではないか』

 

 那智の呟きに、私も心の中では同意した。

 口では提督を信じようと言い聞かせたが、やはり理解が出来ないのだ。

 前提督の暴挙を思い出し、建造という行為そのものに反感を持つ艦娘も少なくは無い。

 地の利、数の利が整い、深海棲艦の強大な個の力を考えても有利に思えるこの状況で、唯一不安材料になったのが、資材の量だった。

 

 改二を発動するには多くの資材を消費する。

 それはつまり、艦娘として海上で活動できる時間が短くなるという事だ。

 性能は大幅に向上するが燃料の消費が増え、火力は上がるが弾薬の消費が増え、被弾した場合に艤装の修復に必要な鋼材の消費も増える。

 改二を発動するというのは、短期決戦と相性がいいのだ。

 

 しかし、今回の資材の備蓄状況では、改二実装艦が同時に一度改二を発動すれば、それで資材は枯渇してしまうだろう。

 私達が敵棲地へ攻め込む時も、敵を仕留めきれずに逃がしてしまう事は多々ある。

 ましてや、提督への信頼が薄い状態で改二を発動したところで、鬼や姫に対しての飛躍的な性能上昇効果は期待できないかもしれない。

 もしも短期決戦を狙い、万が一、改二発動可能時間内に仕留める事ができなかった場合。

 資材を補給できず不足してしまった私達艦娘はただの人間と変わらない。海上に立つ事すらできなくなる。

 それだけは、避けなければいけない事態だった。

 

 夜さえ明けてしまえば、空母部隊の艦載機による攻撃が可能になる。

 改二にならずとも、数の利と地の利を利用すれば、なるべく闘いを引き延ばす事は可能だろう。

 朝まで敵を押しとどめる事ができれば確実に私達の勝ちだ。

 それが私達の考えた作戦だった。

 

 不安材料の事は、胸の内に飲み込んだ。

 ここまで来れば、後は全力をぶつけるのみ。

 不安の無い戦場など今まで一度も無かったではないか。

 

『――来ました』

 

 筑摩の声が届いた。

 それよりも早く、暗黒に包まれた水平線の向こうから、圧倒的な重圧が肌を焦がす。

 怒り、憎しみ――そしてそれ以上に、何としても、今夜、横須賀鎮守府を陥落させるという覚悟が痛いほどに伝わってきた。

 重巡戦隊からの無線を通して、おぞましい叫び声が耳を貫く。

 

『ナンドデモ……ナンドデモ……! シズメェェエエ‼』

 

 ――それはこの国の命運を賭けた戦闘の開始を告げる、鐘の音だった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 戦いが始まり、どれくらいの時間が経っただろうか。

 少なくとも、日が変わった事だけは確実だ。

 こちらの被害は思っているよりも少ない。

 妙高達はうまく敵艦隊の背後に回る事に成功し、千歳率いる浦風、谷風、千代田率いる磯風、浜風の囮機動部隊はそれぞれ左右から敵を挟撃する。

 敵艦隊の攻撃も四方向へそれぞれ分散し、やはり消耗しているせいか、普段より火力も若干弱いように感じられた。

 ただ、直接の被弾はなくともその余波だけで駆逐艦を小破、中破に追い込む破壊力は流石としか言えない。

 弱っていても鬼、姫だ。提督の指示による先制打撃がなければ、これ以上の火力で攻められていたのだろう。

 

「全艦っ! 状況は⁉」

『こちら妙高。今のところ被害はありません』

『千歳小破、浦風中破。谷風は全弾回避に成功しています』

『千代田です! 私は無事だけど、磯風、浜風が共に中破!』

『こちらイムヤよ。勿論無傷だけど、もう弾薬が足りないわ。一度補給に戻ります』

 

 やはり普段に比べれば格段に被害は少ない。

 だが、こちらも改二が発動できないおかげで決め手に欠ける。

 改しか発動できない状態で、鬼や姫と戦った経験は今までに数える程しか無い。

 改二の状態でも手こずるくらいだ。奴らの装甲がここまで硬いものだったとは、と改めて感じた。

 あと何発、何十発、いや、何百発、砲撃を当てれば終わるのか。

 前提督の方針は、戦艦と空母をずらりと並べ、圧倒的な瞬間火力で敵を殲滅するものだった。

 故にここまでの持久戦の経験は無いと言ってもいいだろう。

 

 そして経験せねばわからない事がある。

 思いのほか、奴らは消耗していない。

 我々はこの数時間、一度は駆逐艦達による補給を受けているというのに、奴らは一度も補給無しで持ちこたえている。

 そこから推測される事は、まず一つ。戦艦棲姫達は、その巨大な体躯故に資材も多く溜め込めているのだろうという事。

 そしてもう一つは、奴らはここまで辿り着くまでに、一度は資材の補給をしているだろうという事だ。

 そうでなければ、ここまで持ちこたえる事はできないだろう。

 

 しかし、奴らのエネルギーも無尽蔵では無い。

 母港には入渠を終えた空母部隊が待機している。

 たとえ夜の内に私達の砲撃で削り切れなくとも、このまま朝まで凌ぎ切れば、赤城達による一斉爆撃で確実に殲滅できるだろう。

 あと数時間、敵の猛攻に耐える事さえできれば。

 

 ――猛攻だと。

 

 私は違和感に襲われた。

 こんなものは猛攻などと到底呼べるものではない。

 砲撃の頻度もやけに少ない。

 もしも私達が敵の立場だったら、どうするか。

 

 敵の目的は鎮守府の陥落。そして四方を囲まれている。

 ならば、そもそも妙高達や千歳、千代田の相手はしないのではないか?

 己の不利を悟ったのならば、鬼と姫の火力を目標一つに向け、一直線に攻めた方がまだ一矢報いる可能性は高い。

 鬼、姫レベルの知恵があるならば、それくらいの判断はつくはずだ。

 

 だのに、何を律儀に四方を向き、一点の火力を落としてまで持久戦に付き合っているのだ。

 こんなに長時間も気づかないはずがない。

 敵のこの異様なまでの持久力は、こちらの被害の少なさは、あえて火力を落として、燃費を優先している?

 

 馬鹿な。何のメリットがある。

 時間が経てば経つほどに不利になると予想がつくだろう。

 他の鎮守府からの応援が駆けつけてくる可能性もある。

 朝になれば空母が活躍できるようになる。

 たった五隻の戦艦では、不利になる要素しか無いではないか。

 

 奴らは何故、持久戦に付き合っている?

 奴らは時間を稼いでいる?

 奴らは何かを待っている?

 奴らは――

 

『……なっ、長門ォーーッ!』

 

 無線を通して、利根の叫ぶ声が聞こえた。

 私が返事をするよりも早く、利根の言葉が続く。

 

『わっ、吾輩達の背後より敵艦隊が接近しておる! 一隻二隻では無い! ちっ、筑摩ーっ!』

『はいっ、利根姉さん! 敵艦隊、編成は……輸送ワ級flagshipが四隻! 重巡リ級flagshipが二隻! それが三艦隊同時に向かってきています!』

 

 疑問が解けると同時に、その耳を疑った。

 信じたくは無い情報だった。

 

 そうか――洋上補給。

 戦艦棲姫達は、もともとその予定だったのだ。

 敵の補給艦である輸送ワ級は、こちらの補給艦がそうであるように洋上補給の能力を持つ。

 

 これは深海棲艦側の二の矢。

 一の矢である主力部隊六隻だけでも、提督不在で弱体化した横須賀鎮守府を陥落させるには十分すぎる戦力だった。

 しかし念には念を入れて、補給部隊を遅れて到着させる算段だったのだろう。

 

 ここで洋上補給が出来れば、万に一つも深海棲艦側には負ける要素が無い。

 個の性能差もありながら、資材も再び万全な状態になる。

 しかも、洋上補給を終えた輸送ワ級は、それで役目を終えるわけでは無い。

 flagship級の輸送ワ級の性能は、補給艦でありながら重巡洋艦に匹敵し、その護衛であろうflagship級の重巡リ級の性能は戦艦に匹敵する。

 つまり、敵艦隊には大量の資材と共に、重巡洋艦級の戦力が十二隻、戦艦級の戦力が六隻、援軍に来たようなものだ。

 

 現在、潜水艦隊が補給の為母港に戻っている私達の戦力は、戦艦四人、重巡洋艦七人、水上機母艦二人、駆逐艦四人の計十七人。

 敵は姫級の戦艦一隻、鬼級の戦艦四隻、戦艦級の重巡洋艦六隻、重巡洋艦級の補給艦十二隻、計二十三隻。

 

 ――数の利が覆された上に、個々の性能面でも釣り合わない。

 

 奴らはこれを待っていたのか!

 いや、洋上補給さえ食い止められれば、まだ――!

 

「くっ……妙高、千歳、千代田達はそれぞれ補給艦を迎え撃て!」

『了解!』

 

 ――そう、私が命じた瞬間だった。

 

「――長門さんッ! 危ないッ!」

 

 敵の砲撃が四方、それぞれの艦隊方面へ放たれ、大きな水柱が上がった。

 皆の注意が逸れた瞬間を狙ったのだ。

 

 目の前で轟音と共に巨大な爆発が起きた。

 私の目の前に出てきた三人が衝撃で吹き飛び、私はそれを受け止める形で数メートル後方へ吹き飛ばされた。

 

「比叡さんっ! 榛名さんっ! 霧島さんっ! あ、あわわ……」

「くっ、私を庇って……!」

 

 反応が間に合わなかったのか、青葉は幸運にも無傷のようだ。

 だが、この局面で戦艦三人が中破してしまうとは――。

 いや、攻撃されたのは私達だけでは無い。

 

「――皆! 応答しろ! 被害状況を!」

『こ、こちら妙高……! 油断しました……! 妙高小破、那智以下、中破……!』

『千歳です……千歳、谷風、中破』

『ち、千歳お姉……っ』

『浜風です! 千代田、中破!』

 

 先ほどよりも狙いも正確で、確実に火力も上がっている。

 明らかに、先ほどまでは手を抜いていた。

 そう考えた瞬間だった。

 戦艦棲姫が、さも愉快そうに、声高らかに嬌声を上げたのだった。

 

『アハハハッ! アハハハッ! ソノカオヨォ……! ソノカオガ、ミタカッタノォ! アハハハッ!』

 

 全てを理解した。

 何故、奴らは最初から合流して侵攻しなかったのか。

 何故、奴らはたったの六隻で横須賀鎮守府に攻め込んできたのか。

 何故、この数時間もの間、私達の攻撃を甘んじて受け入れていたのか。

 

 深海棲艦二十四隻による奇襲を目の当たりにしては、私達は初めから絶望し、諦めてしまっただろう。

 死を覚悟して立ち向かうしか無かっただろう。

 

 だが、六隻であればどうか。

 数だけを見れば、今まで敵棲地で何度か撃破する事が出来ている。

 私達は、勝てるかもしれないという希望と共に立ち向かうだろう。

 

『ネェ! カテルカモッテ、オモッタァ⁉ センセイコウゲキニセイコウシテェ……潜水棲姫ヲグウゼンタオセテェ……!』

 

『カテルカモッテ、オモッテタノォ⁉ アハハハハッ! ソノカオヨォォ! ソレガミタカッタノヨォォ! アハハハハッ!』

 

 奴らにとっては、確実に勝てると確信できている作戦。

 奴らは、私達が必死で抗戦する姿を見て、遊んでいたのだ。

 いずれ来るであろう援軍を見た時の絶望の顔を拝みたかった。

 僅かな希望が摘み取られた瞬間を見たかった。

 ただその為だけに手加減をして、ただその為だけに闘いを引き延ばしていたのだ。

 

 姫の知性は――より残酷に、より絶望的な状況で、私達を蹂躙する事を選んだのだ。

 

『ワタシノォ……テノヒラノウエデェ……! オドリクルウスガタヲォ……! アハハハハッ!』

 

 成すすべも無く、立ち尽くす。

 私達の姿は、滑稽だっただろうか。

 戦艦棲姫は、私達の必死の姿を見て、笑いを堪えるのに必死だったのだろう。

 どうせ何をしても、援軍が到着すれば全ては無に帰すというのに。

 数時間も、無駄に、みじめにあがいていた私達の姿は、さぞ、滑稽だったのだろう。

 私達なりに作戦を立案し、全力を尽くしたつもりだったが――全ては深海棲艦の掌の上。

 

 こうしている間にも、敵の援軍は無慈悲に近づいてくる。

 勝てるはずが無いとわかっているのに、私の頭は滑稽に踊り狂うのをやめてはくれない。

 まだ、みじめにあがくのか。

 無様にもがいてみせるのか。

 今から全員、改二を発動すれば――

 いや、頭数が足りなすぎる。

 善戦はできるだろうが、数の差を覆せはしない。

 数隻は私達の守りを潜り抜け、鎮守府が先に攻撃されてしまう。

 比叡、榛名、霧島を援軍にぶつからせるか。

 そうすると、鬼と姫は私と青葉で食い止めねばならない。

 後方支援の香取達は――戦力としては期待できない。

 現実的では無い。

 現実は――。

 

 目の前の空は、目の前の海は、私達の未来を暗示するかのごとく、黒く塗りつぶされている。

 私達はその数と性能の差の前に一人一人蹂躙され、一人一人、確実に――。

 

「勝て……ないの……? 嫌……嫌だ……!」

 

 比叡が目を見開き、崩れ落ちるように膝を海面についた。

 その目には涙が浮かんでおり、一筋、頬を伝った。

 榛名と霧島も、無言ではあるが、その顔は絶望に染まっている。

 

 ――詰み、だった。

 

 もう自嘲するしかなかった。

 私程度の頭では、これが限界だ。

 

 すまない、提督。貴方が信頼してくれた私は、私達はこの程度の――

 

 

 ――瞬間。不意に、暗黒の空が光に包まれた。

 

 

 目が眩んでしまい、思わず反射的に目を瞑ってしまう。

 朝が来たわけではない。

 それはまるで流星だった。

 ゆっくりと降下するその眩い光は、遠目に見える敵補給船団、そして戦艦棲姫達の姿を闇夜に映し出していた。

 理解が追い付かなかったが、私はそれに見覚えがあった。

 

「照明弾……?」

 

 私達の未来を暗示していたかのような、暗黒の空が、漆黒の海が。

 確かに光に包まれていた。

 無線にノイズが走り、そして――

 

『目標確認! 全艦、斉射! 始めッ!』

「全砲門っ! ファイアーーッ‼」

 

 ――無線を通じて、聞き覚えのある声がした。

 ――直接この耳に、聞き覚えの無い声がした。

 

 何重もの砲撃音と共に、敵援軍艦隊から爆炎が上がり。

 私達の背後から轟音と共に閃光が通り抜け、戦艦棲姫達に叩き込まれる。

 

『――キャアアァーーッ!? イ、イッタイナニガ……ッ⁉』

 

 戦艦棲姫も動揺を隠しきれていない。

 それは、私達も同様だったが――振り向いている暇は無かった。

 息をつく暇も無かった。

 無線から、次々に三つの声が響く。

 

『第二艦隊! 敵補給艦一隻撃沈!』

『第三艦隊っ! 同じく補給艦一隻撃沈っ!』

『第四艦隊ッ! こっちも敵補給艦、一隻撃沈だぜぇっ!』

 

 自分の耳を疑った。

 私だけではなかっただろう。

 この戦場に立つ全ての艦娘が、皆こう思った事だろう。

 目の前の光景は幻では無いだろうか。

 耳に届いた声は幻聴では無いだろうか。

 

 瞬間。

 私達を通り抜け、目の前に現れたその背中は、比叡達によく似た装束を纏っていた。

 照明弾に照らされた夜空。

 爆煙を上げて悶える戦艦棲姫を前に仁王立ちをしているそれは、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 

 見ない顔だった。

 この鎮守府では、見た事の無い顔だった。

 艦娘として再び海上に立ってから、一度も見た事の無い顔だった。

 だが、私はそれを、そいつを!

 この絶望的な状況をものともしないように、歯を見せて太陽のように笑ったそいつを!

 私は確かに知っていたのだ!

 

「ヘイヘイヘーイ! マイシスターズ! なんて顔してるデース!」

「うわぁぁあーーっ! 金剛お姉様ぁーーーーッ‼」

 

 比叡達が同時に叫んだ。

 

 理解が追い付かない。

 何故、金剛がここにいる⁉

 奴は今まで、艦娘としての姿を持たない、海底に沈んだままの艦だったはずだ。

 つい先ほどまでこの鎮守府に、いや、この世界の海上に存在すらしなかった艦が、何故ここにいる⁉

 

 比叡達の眼に涙が浮かび、火が灯る。

 それは先ほどまでの絶望からのものではなく、嬉し涙だ。

 比叡の一度折れてしまった膝が、心が、再び立ち上がり、しっかりと海面を踏みしめた。

 金剛は三人の妹達に泣きながら縋りつかれ、それをしっかりと抱きしめている。

 

「何で⁉ 何で⁉ どうしてここにお姉様が⁉」

「お姉様……! 金剛お姉様!」

「これは……夢では無いでしょうか……⁉」

「話せば長くなるので結論から言いマース! 提督が私を呼んでくれマシタ! 提督はこの私の存在を望んでくれて! そして! 暗く深い海の底に沈んでいたこの手を引いてくれたのデース!」

 

 ――提督は。

 

「あの司令が……金剛お姉様を望んで……⁉」

 

 ――提督は、何故。

 

「提督が……も、もしかして、そんな!」

 

 ――提督は、何故こんな時に建造を――。

 

「なるほど、そういう事……流石司令、データ以上の方ですね……!」

 

 まさか、まさかこれは――!

 

「――さぁ、私達の出番ネ! 皆さぁん、ついて来て下さいネー! フォロミー!」

 

 金剛の檄が私達の心を焚き付け、そして――大淀が無線を通じて、私達の待ちわびていた言葉を叫んだのだった。

 

『横須賀鎮守府全艦隊の皆さんに告げますっ! この戦場の全ては! 提督の掌の上ですっ!』

 



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016.『掌の上』【艦娘視点②】

 それは遡る事、数時間――。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 提督に海図と共に指示されたルートで海上を進む。

 そのルートは妙なものだった。

 意味があるのか、途中まで第二、第三、第四艦隊は同じルートを進む。海上を切り裂くようにジグザグに進み、最後に三方向に分かれて目的地である小島へと向かうのだ。

 そのナビゲートは、提督にくっついていたこの見慣れない妖精さん達がしてくれるらしい。

 道案内をしてくれるだろうと、提督が私達に預けてくれたのだ。

 

「で? 大淀。あの新しい提督はどうなの?」

「フフフ、あいつは出来る奴だ。何せ着任して早々、この天龍様を旗艦に据えるぐらいだからな」

「天龍には聞いてない!」

 

 川内さんの問いに、何故か天龍が満足気に答えていた。

 よっぽど嬉しかったのだろう。周りの第六駆逐隊が「天龍さん、おめでとうです!」「もっと私に頼っていいのよ!」「天龍さんが報われて良かったのです!」「ハラショー」などと持て囃している。

 私は川内さんを見て、正直な気持ちを答えたのだった。

 

「私個人としては……信頼できると思っています。しかし、この遠征の意図は、未だ読み取る事はできません……」

「そっかそっか。大淀でもわかんないんなら、誰にもわかんないね!」

「フフフ、オレにはわかるぜ。このオレの強さを存分に発揮できる戦場が……」

「だから天龍には聞いてないから! あっ、そろそろ進路を北東に変えるよ」

 

 川内さんは明るくそう答えてくれたが、実際の所はどうなのだろうか。

 意図のわからぬ戦場に送り込まれて、皆そう納得できるほど強くはない。

 やはり、提督にそこだけははっきりとして頂くべきだったか。

 

 いや、着任初日でまだわからない事も多いであろう提督が、この大淀をわざわざこの部隊に配置したのだ。

 その意図を読み取る事ができねば、あの人には置いて行かれてしまう。

 考えるのだ。

 提督の指示は、『高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変な判断と共に行動せよ』との事だった。

 それはひどく曖昧だが、それだけ予測のつきにくい戦場になるという事だろうか。

 逆に考えれば、それだけ予測のつきにくい戦場に私が配置されたという事は、提督の信頼の証だ。

 現在の鎮守府で提督に最も近いこの私がいち早く提督の意思をくみ取り、まだ提督との信頼関係の薄い艦娘達に伝えてほしい、と。

 

――もちろんです。提督が私に注いでくれたこの信頼、大淀、確かに受け取りました!

 

「案外、適当に考えてたりして~」

 

 龍田さんがそう言ったので私は思わず勢いよく振り向いてしまった。

 

「提督はそんな人じゃありませんっ!」

「お、大淀、落ち着いて」

「あら~、随分お熱なのね~?」

 

 夕張に宥められ、龍田さんのにやにやとした笑みを見て、私ははっと我に返る。

 謀られた……やはりこの人は少し苦手だ。

 くそう、顔が熱い。

 

「フフフ、大淀。お前もそう思うか? あの提督はそんな適当な奴じゃあない。何せこの天龍様を」

「天龍ちゃんには聞いてないわ~」

 

 龍田さんのせいでペースが乱れてしまったが、天龍の意見には私も同意だ。

 あの人が適当な采配をするはずが無い。

 今にして思えば、天龍をあえて旗艦に据えたのも悪くない采配であると思う。

 

 私の個人的な考えとして、天龍には駆逐艦を率いる特別な才能のようなものがあるように感じるのだ。

 ムードメーカーとでも言えばいいのだろうか。

 天龍はどうしても自分自身の力を誇示したがる性格上、その才能は目立たないし、指摘しても認めたがらないだろう。

 しかし過去の闘いにおいて、天龍の率いる水雷戦隊で真っ先に被弾、大破するのはいつも天龍であり、それ故に前提督からは駆逐艦以下の無能と扱われていたが。

 考え方を変えてみたらどうか。天龍が駆逐艦よりも頼りにならないのではなく、天龍が率いているからこそ、駆逐艦の戦意が高揚し、性能以上の力を発揮できるのだと。

 いわば、選手としては芽が出なかったが、監督としての才能はあったというか……いや、これは言わない方がいいかもしれない。

 

 ともかく、天龍は弱い。はっきり言って、弱い。しかし天龍の率いる水雷戦隊は、天龍以外強い。

 妙な話だが、いつも真っ先に戦闘不能になる天龍に率いられる駆逐艦達は皆、天龍を慕う。第六駆逐隊の皆もそうだ。

 もしかして、暁と響が駆逐艦で一番早く改二に目覚めたのは……それは流石に考えすぎだろうか。

 

 私達の作成した『艦娘型録』の情報だけでは決してわからない事だ。

 そういえば提督は、よく「お前の噂はよく聞いている」とかそういう事を言う。

 明石の改修工廠の事も実際によくご存じだったし、夕張の装備開発についても理解できているようだった。

 この鎮守府に配属されるにあたり、艦娘一人一人の事をよく学んできたという事だろう。

 それも、天龍の自分自身ですらわかっていないような才能まで把握するほどまでに。

 一体、過去のどれだけの報告書に目を通せば、そのような真似ができるのだろうか。

 

 ちなみに龍田さんはまた方向性が違い、この人は単純に、性能差を覆すほど戦闘センスが凄い。

 一回殴って倒せないなら、敵の攻撃を避け続けて死ぬまで殴り続ければいい、が出来る人だ。逆にこの人が高性能だったらと考えるだけで恐ろしい。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 海上を進み続けて、数時間が経過しただろうか。

 川内さんは息を整えるように大きく深呼吸をしてから、まったく息切れをしていない神通さんに尋ねた。

 

「すぅーっ……はぁーっ……、ねぇ神通。本当に、道に迷ったわけじゃないよね?」

「はい、川内姉さん。私達は妖精さんの指示通り、予定通りに進んでいます」

「な、那珂ちゃんのスケジュールにも狂いは無いよ! これくらい普段のレッスンで慣れて、ぜぇ、ぜぇ……」

「ふぅん……つまりこれも、提督の作戦通りって事なのかな。時雨、夕立、江風、調子はどう?」

「はぁ、はぁ……正直に言うと、かなり厳しいかな……」

「怪我はしてないけど、このままじゃ帰れなくなるっぽい~!」

「こ、これじゃあ夜戦どころじゃないッスよぉ、川内さん!」

 

 百戦錬磨、日々是鍛錬の川内さんや那珂さんが珍しく息を切らしてしまっている。

 私達ならば猶更だ。

 装備の重い夕張なんかは、膝に両手をついて、肩で息をしている。

 

 妖精さんの示した航路を進めば、やけに多くの敵艦隊に遭遇した。

 知性のかけらも感じない雰囲気から、敵の哨戒部隊という訳ではなく、はぐれ艦隊であろうと推測される。

 最大でも軽巡洋艦級しかおらず、提督の指揮下にあり本来の力を取り戻した私達には苦戦する相手では無かったが、とにかく戦闘回数が多かった。

 それだけでは無い。

 

「第六駆逐隊の皆~。資材の状況はどうかしら~?」

「はわわ……燃料も弾薬も、あまり余裕が無いのです」

「雷も右に同じよ。このままじゃ……」

「い、一人前のレディーはまだ少しは余裕があるけどね!」

「ハラショー」

「フフフ、駆逐共はすでに資材を半分近く消費している。オレの計算によると、このまま目的地に向かうと確実に帰れなくなるな」

「天龍ちゃんには聞いてないわ~。皆それくらいわかってるから~」

 

「ちょ、ちょっと大淀。どういう事? 大丈夫なの⁉」

 

 夕張が私の袖を引いてくる。

 私にもわからない。わからないから、疲れ切ってまだ整わない呼吸の中で、必死に考えているのだ。

 これもあの人の予測通りなのだろうか。

 

 妖精さんの示した航路には、やけに渦潮が多かった。

 深海棲艦の領海では、その禍々しい瘴気の影響なのか、海が荒れやすくなる。

 巨大な渦潮に巻き込まれては、そこを抜け出す為に無駄なエネルギーを消費してしまう。

 今まではそういったルートは避けて通るのが今までの常識であったのだが、妖精さんは身振り手振りで、突き進めと指示をしてきたのだ。

 

 当然、全員がそれを疑ったが――私はそれに従うように言った。

 

 そしてその結果が、まだ目的地に辿り着いてもいないというのに、疲弊しきった艦隊だった。

 

「大淀さん! 私達朝潮型も燃料に余裕がありません。このまま目的地へ向かえば、母港へ帰投する事ができなくなります」

 

 朝潮が報告してくる。

 駆逐艦達は燃費が良いが、その反面、資材の最大搭載量自体が少ない。

 雑魚との連戦と渦潮の強行突破で、その燃料と弾薬は半分近く消費されてしまっている事だろう。

 

「わかったわ」

「これも、あの司令官の考え通りという事なのでしょうか」

「……私にはまだ計り知れないけれど、多分、そうね」

 

 朝潮の問いに自信無く答える。

 こんな航路を指示してくる事は、予想外だった。

 はぐれ艦隊との連戦は時の運なのだから仕方が無いが、渦潮にさえ飛び込まなければ、ここまで資材を消費してはいない。

 提督は一体、何を考えているのか。

 いや、私にわからないという事は、私の考えが及ばない領域の考えという事だろう。

 

 しかし、わからない状況で進んでもいいものなのだろうか。

 駆逐艦の子たちは、半分近くの資材を消費してしまっている。

 天龍の言う通り、すでに、母港に帰投するだけでも資材は空っぽになるくらいの計算だ。

 あともう少しで目的地ではあるが、進んでしまえば帰れなくなる。

 ここから引き返せば、母港に帰る事だけはできる。

 

 生きるか死ぬかの瀬戸際だった。

 それは提督を信頼するかしないかの瀬戸際でもあった。

 提督を信頼している私でもこうなのだ。

 他の皆の不安は計り知れないだろう。

 

 霞ちゃんが我慢できないと言った風に声を荒げた。

 

「あぁもうっ! だったら先に説明すればいいじゃないのよっ! 本当にっ!」

「お、落ち着いて霞ちゃん」

「大淀さんも大淀さんよっ! 着任していきなりこんな訳のわからない指示出されて、何とも思わないわけ⁉」

「そ、それは……」

「だってこんな状況で前に進めるわけないでしょ⁉ ここは遠征失敗してもいいから撤退して、司令官を問い詰める! それが正しいと思うわ!」

 

 霞ちゃんの言葉は、おそらく私を含めた全員が考えていた事だった。

 そうするべきだ、という雰囲気が辺りを包む。

 せめて、無線を提督に繋いでもらい、ここで意図を説明してもらうか?

 

 いや、それでは意味が無い。

 提督は何の為にあんな指示を出したのだ。

 提督の仰った高度の柔軟性とは、迷ったらすぐに提督に救いを求める事なのか。

 臨機応変な判断とは、すぐに提督を頼る事なのか。

 

 私達は、限界まで考えているだろうか。

 

「……撤退はしないわ」

「だったら、無線を司令官に繋いで!」

「それもしない。この状況は、私達を試しているのかもしれないから」

「はぁ⁉」

 

 霞ちゃんを宥める私に、皆の注目が集まる。

 私は顔を上げて、全員を見回しながら言った。

 不安を感じる艦娘達に、提督の意思を伝えるのが、私がここにいる意味だと思ったからだ。

 提督はそれを私に期待して、私をあえて提督から遠ざけたのだと思ったからだ。

 

 この艦隊には、提督という存在自体に不信感を抱く者も編成されている。

 荒潮、霞ちゃん、時雨、夕立、そして龍田さんがそれに当てはまるだろう。

 そしてそれ以外の艦娘たちも、現在の状況に不安を抱いている。

 彼女たちの感情はもっともだ。

 だからこそ、提督の事も、彼女たちの事も、どちらも理解できる私にしか、この役割は果たせない。

 

「皆、冷静になって提督の指示を思い出して下さい。神通さん」

「『各自、高度の柔軟性を維持しつつ目的地へ向かい、臨機応変な判断を忘れる事無く行動せよ』……との事でした」

「はい。おそらく提督は私達がこのように動揺する事すら予想済みです。それをわかっていてなお、私達をこの状況に放り込んだと考えた方が自然だと思います」

「こんな見た事も無い妖精さんに道案内させるくらいだものね~」

 

 龍田さんにつんつんとつつかれ、妖精さんは天龍の頭の上に逃げてしまう。

 

「つまり、私達がこの地点でここまで疲弊している事も予測できているはずです。ですが、ここで私達が諦めて帰投する事は予測していないかもしれません」

「この状況は提督も予測済み……今の私達みたいに狼狽えるような状況では無いって事?」

「はい。川内さんの言うとおり、この状況ごときで狼狽え、撤退するという事は、提督にとってはおそらく有り得ない事です」

「大淀さんの言ってる意味が全然わかんない! だったらせめて、それを説明してれば私達もここまで狼狽えずに済んでるのよ!」

「霞ちゃん。おそらくそれを考えろと提督は仰っているの」

「……ッ!」

 

 私の言葉に、霞ちゃんは悔しそうに言葉をつぐんだ。

 ここからは賭けだ。まだ私自身も確信を持てていないというのに、皆を説得するというのは、無責任なのかもしれない。

 しかし、あの提督の指示である。

 あの提督の言葉である。

 それだけで、私が賭けるには十分な理由になるような気がした。

 

「ここからは私の推測ですが……私達はこんなに敵の領海奥深くまで進んでいながら、未だ誰一人として小破すらしていません」

 

 私の言葉に、全員がお互いの姿を見回した。

 

 そう、資材の消耗ばかりに気を取られていたが、私達は未だに、一つの損傷も無い状態だった。

 戦闘した相手は格下ばかり。

 一方でこちらは三艦隊合同で移動していた為、先手必勝で叩き潰す事ができていたのだ。

 渦潮を突破する際も、大きくエネルギーを消費はしてしまうものの、艤装が傷つくほどのものでは無い。

 

 ここまで敵の領海の奥に侵攻しながら、装甲の薄い私達水雷戦隊が傷の一つも負っていないという事は、これもまた、今まで有り得ない事だった。

 

「そう言えば、ここまで来るまでにいくつか小さなパワースポットを見つけられたよね。そこで少しは資材も補給できてた……」

「一度の出撃であんなに見つかる事って、そう言われれば今まで無かったような」

 

 川内さんと那珂さんが思い出したようにそう言った。

 そう、ここまでの道のりで、燃料と弾薬を補給できる小規模なパワースポットを発見していた。

 そのおかげで、私達の消耗はむしろ抑えられていたはずなのだ。

 

「偶然ではありません。かつてこの辺りが私達の領海であった頃にも、それらの位置がパワースポットであった記録が確か残っています。そして敵に奪われてからの、渦潮の発生した位置も」

「妙にジグザグした航路を指示してくると思っていたけれど、つまり提督はパワースポットの位置も渦潮の位置もわかっていて、私達を進ませたってわけ?」

「そう考えるのが妥当でしょう。そして何より……私達は敵の哨戒部隊とまだ一度も交戦していません」

「……なるほど。少しは知性のある哨戒部隊に見つかった場合、次々に敵の主力艦隊が迎撃して来るでしょうが、私達はそれらと無関係なはぐれ艦隊としか交戦していませんね。渦潮に近づかないのは深海棲艦も同じ……つまり渦潮を迂回せずにあえて強行突破したのは、敵の哨戒部隊とぶつからない為であるとも考えられますね」

 

 神通さんがそう言うと、皆が少しずつ、自分の中で理解しているような表情を浮かべた。

 燃料と弾薬は消耗したが、奇跡的に傷一つ負っていない私達。

 ここまで深部に侵入しながら、未だにその存在は敵には発見されてはいない。

 この状況が提督にとって予想できていたものであれば、当然、私達が引き返すという選択肢は有り得ない事となる。

 

「資材さえ補給できれば万全の状態。提督は、私達に何かを成して欲しいと思っています。目的地はもう目の前です。進めば帰りの燃料はありませんが……提督を信じてはくれませんか」

 

 私の言葉に、しばらく皆は考え込むように黙り込んでしまったが。

 

「お、大淀の言う通りよ! あの提督は、私には無責任な方には思えない! 意味も無く私達をこんな死地に送る人じゃない……と思うわ!」

 

 夕張が私に続いて声を上げたのだった。

 

「私はさっき、煤と油まみれの手で提督に触れてしまって、その軍服を汚してしまったわ。けれど、提督はそれを怒る事もせずに、素手で私の汚れた手を握り返してくれた。

「この汚れた手は、私の努力の結晶だって言ってくれて……すごく、すごく嬉しかった。

「そんな事だけで信用しちゃうなんて、我ながらチョロすぎると思うけど、馬鹿みたいだと思うけど……私は、あの提督を信じたい……です、ハイ……」

 

 夕張は顔を赤くして、自分の言葉が恥ずかしくなったのか、そのまま俯いてしまったのだった。

 すると、それに反応するように。

 

「フフフ、大淀に夕張。さっきから何を言っているのかよくわからなかったが、提督が意味無くこのオレを旗艦に」

「まぁ天龍はどうでもいいとして、まだ日も沈んでないしね! 私を出しておいて夜戦を考えていないわけないし、本番はこっからって訳だね!」

「そうですね。この指定された航路のおかげで哨戒部隊と接触していないのなら、感謝するならともかく疑うのは筋違いでしょう。むしろ姉さんの言うとおり、夜戦が本命なのだとすれば……」

「那珂ちゃんのステージは、夜が本番ってわけだね! よぉし、リハーサル頑張ろう!」

「私たちの対応能力を確かめてるって事かしら~、上等だわ~」

 

 軽巡洋艦の皆も、それに応じてくれたのだった。

 まとめ役の軽巡洋艦の意思さえ固まれば、この艦隊が今後乱れる事は無いだろう。

 

「霞ちゃんも、それでいい?」

「いいわけないでしょ⁉ 私はまだ、あの司令官を信用できない! でも……大淀さんの事は信じてるのよ」

「霞ちゃん……ありがとう」

「フンッ! これで帰れなくなったら、大淀さんでも許さないんだから!」

 

 霞ちゃんもまだ言いたいことはありそうだったが、ぐっと堪えてくれたようだ。

 夕張のナイスアシストだ。それも元を辿れば、夕張の汚れた手を包んでくれた提督の優しさに起因する。

 提督の思いは、霞ちゃんや不信感を抱く彼女たちにも、いつかきっと伝わるはずだ。

 

「さぁ、そろそろ分散する地点です。これより第二、第三、第四艦隊は各自、提督に指定された地点へ進行。近辺の偵察を行って下さい」

「了解っ。それじゃ大淀、天龍、また後でね。よーっし、川内! 水雷戦隊! 行くよっ!」

「よっしゃあ! 行くぜ龍田! 駆逐ども! このオレについてこい!」

 

 これからは、各艦隊六人での行動となる。

 敵艦隊に見つかった場合、逃げ切れる保証も無い。

 互いの武運を祈り、私達は三方向へと散開した。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 辺りが少しずつ薄暗くなってきた頃に、私達は目的地の小島に上陸する。

 運が良かったのか、あれから敵艦隊との交戦は一度も無かった。

 上陸したはいいが、近辺の海には何も異常は無いように思える。

 朝潮達、駆逐艦の資材はすでにほぼ尽きてしまっていた。

 

「あらぁ~、うふふふふっ、あはははぁっ!」

 

 荒潮が何かを見つけたのか、いきなり笑い出した。

 この子、実力はあるのだけれど、底知れぬ何かがあって怖い。

 感情が高ぶると瞳孔が開くし、笑顔が怖いし、正直ちょっと苦手だ。朝潮、助けて。

 しかし私は旗艦だ。苦手意識を持って避けるわけにも行くまい。何よりも提督の為だ。

 

「どうしたの、荒潮」

「うふふっ、大淀さん。こっちこっち」

 

 荒潮が手招きするので、私たちはその後をついていく。

 岸壁から顔だけ覗かせて先を見る。

 荒潮に指し示された先にある入江には――緑、金、銀、銅色の、四色のモヤが立ち上っていた。

 これは……パワースポット⁉ それも、かなり大規模な……!

 燃料、弾薬、鋼材、ボーキサイト、四つのエネルギーが、あそこには豊富に埋蔵されているようだ。

 

「おおおー、大潮テンションアゲアゲです!」

 

 大潮だけではなく、私も思わず胸が高鳴ってしまった。

 これならば、補給して母港に帰投する事も可能だ。

 あれだけの資材があれば、鎮守府の備蓄状況にも相当な余裕ができる。 

 ドラム缶を持ってきていればよかっただろうか。

 提督の予測とはつまり――。

 

「まさか、司令官はあれを輸送しろと……」

「あははっ! いいえ、朝潮姉さん。違うと思うわよぉ? ほらぁ、あ・れ」

 

 朝潮の呟きに、荒潮は更にその先を指差した。

 資材のモヤに目を奪われていた私達は、それに気が付く事が出来なかったのだ。

 私は反射的に息を止めてしまった。

 

 あれは……敵の補給艦! 輸送ワ級!

 船体の表面を覆うオーラの色、巨大さから、どうやらflagship級のようだ。

 深海棲艦側の資源の輸送や補給が主な能力でありながら、重巡に匹敵する火力と装甲を持つ、深海棲艦側で最上位の輸送艦だ。

 それが三……いや四体! 護衛を務めているのは重巡リ級が二体。こちらもflagship級か。あれはもはやちょっとした戦艦だ。

 資材の消耗した今の私達では十割返り討ちに遭う。戦いにもならない。絶対に見つからないようにせねば。

 

 提督が予測したのはこれか!

 この地点は、深海棲艦側の資材集積地!

 天然のパワースポットではなく、あれは深海棲艦側が集めた大量の資材だ。

 艦娘も深海棲艦もその根源であるエネルギーは同じだ。

 私達艦娘も、港から敵の本拠地まで攻め込む際、決戦の時には道中の消耗で満身創痍になっている事は多々ある。

 つまり、深海棲艦の本拠地が移動していないのであれば、一度侵攻に成功したとはいえ、鎮守府近海まで再び攻め込むにはそれなりの資材が必要なのは深海棲艦側も同じ!

 ここ一か月の戦況報告から、敵哨戒部隊との接触地点が徐々に前進してきている傾向にあると判断、そこから敵の補給線が伸びている事を推測したという事か!

 提督は報告書から予測して、敵の資材集積地の候補を今回指定された三地点まで絞り込み、私達を送り込んだ。

 

――何という事だ。

 

 あの報告書を、あれだけの速さで目を通し、一瞬とも言える僅かな時間で、ここまで状況を読んでいたのか⁉

 

「大淀、ど、どうしようか? あの資材が無いと私達帰れないし……」

 

 夕張がそう私に声をかけた瞬間、無線が入る。

 

『こちら第三艦隊旗艦川内。大淀、天龍、無事?』

『第四艦隊旗艦天龍。敵には見つからなかった。拍子抜けだぜ』

「だ、第二艦隊旗艦、大淀です。皆さんも無事のようで何よりです。状況の報告を」

『どうやらあの提督はこの状況を読んでたみたい。こっちは敵の資材集積地になってる。敵の補給艦が今、資材を積み込んでるみたい』

『こっちもだ。敵さん、たんまりと資材を貯め込んでやがるなぁ。どうする、奪うか? オレはいつでも、痛ッ、何すんだ龍田、耳引っ張るな』

「今戦えるわけないでしょう……もう少し、様子を見てくれませんか。こちらも同じ状況です。何か変化があれば連絡を」

『了解。さぁて、そろそろ夜になるね』

『フフフ、夜といえばオレの時間だな。早くブッ放してぇなぁ、ウズウズするぜ』

『いやちょっと待って天龍。夜と言えば私でしょ』

『え? いやオレだろ。何言ってんだ川内』

『アンタが何言ってんの⁉ 私以上に夜戦を愛して――』

 

 うるさいので無線の音量を小さくした瞬間だった。

 敵輸送船団が入江を離岸した。

 私は再び無線の音量を上げる。

 

「大淀です。こちら、敵輸送船団、南西方向へ出航しました」

『こっちもだね。西に向かって移動し始めた』

『同じく、北西方向に出航しやがった。よっしゃ、とりあえず補給だな』

 

 天龍の提案に、私達は賛成する。

 というよりも、ここで補給をせねば帰る事ができない。これも提督の予測通りだったのだろう。

 しばらく警戒を続けたが、どうやら敵はもうこの近辺には残っていないようだった。

 

「ふぅ……九死に一生を得た気分ですね」

「はぁうぅ~、ぽかぽかしますねぇ。テンションアゲアゲです!」

「うふふっ……あはははぁっ……! 提督、好きよ」

「……フンッ、最初っから説明してくれればよかったのに」

 

 ようやく補給する事が出来て、帰投する事ができないという不安から解放されたからか、朝潮達の表情も少しほぐれたように思える。

 荒潮が何か怖い事を呟いていた気がするが、空耳だったと信じたい。

 

『天龍さん! 暁ちゃんがドラム缶を装備していたのです!』

『よっしゃ、でかした!』

『ま、まぁ一人前のレディの嗜みよね』

『ハラショー』

『え? 暁、前の遠征からドラム缶降ろし忘れてたの?』

『そ、そんな訳ないじゃない! ぷんすか!』

 

 無線から間の抜けた声が聞こえてくる。

 あの人達は本当に緊張感が無い……。

 一歩間違えば全滅の危機もある死地だと言うことをわかっているのだろうか。

 

 敵の資材を少し拝借したが、私達の力が満タンになるまで補給しても、まだまだ減る気配を見せない。

 かなりの量を貯め込んでいるようだ。

 何とかしてこれだけの量の資材を鎮守府に運ぶ事ができたのならいいのだが。

 敵も先ほど補給艦に乗せた資材を、本拠地へ運んで――

 

「川内さん! 天龍!」

『うわっ! どうしたの大淀⁉』

 

 私は取り乱しながら、無線に声をかける。

 

「敵輸送船団は全て西方向へ向かっています! それは敵本拠地方面ではなく……鎮守府方面です!」

『……うぇぇええっ⁉ ま、マジじゃん! えっ、嘘ォ! 何で⁉ どういう事⁉』

「提督が何を思ってこの水雷戦隊を三艦隊同時運用したのかがようやく理解できました……!」

 

 震えが止まらない。

 神算。

 報告書を流し読みしたあの僅かな時間で、ここまで先を読む事ができるというのか。

 

 あの人が今日着任していなければ――確実に横須賀鎮守府は終わっていた。

 

『あぁ? 何だ? どういう事だよ大淀』

『なるほどね~。鎮守府方面に補給艦が向かう理由なんて一つしかないものね~』

 

 天龍はまだ理解できていなかったようだったが、話を先に進める為か龍田さんが無線に入ってきた。

 もう本当に旗艦を交代した方がいいのではないか。

 

『つまり私達に課せられた使命とは、強行偵察や資材の輸送などでは無く、本日行われる敵主力部隊による夜間鎮守府強襲に合わせた、敵補給路の寸断というわけですね』

 

 流石は神通さんだ。

 それしか考えられない。

 深海棲艦の主力部隊は今頃、鎮守府に向けて進軍している。

 もちろん敵も主力部隊となれば、莫大な量の資材が必要になる。帰りの事も考えるのであればなおさらだ。

 今まではその資材面の問題もあり、鎮守府近海までは攻め込んでこなかったのだ。

 しかし今夜は違う。補給艦にたっぷりと資材を積んで、洋上補給をしながら確実に鎮守府近海まで攻め込み、最大火力で鎮守府を落とすつもりだろう。

 おそらくこの一か月で、私達に提督がいない事に気が付いたのかもしれない。

 戦艦が敵軽巡洋艦に負けるような戦況が続いたのだ。あちらから見ても、異常に弱すぎると考えたのだろう。

 つまり、この国でも最も大きく重要な拠点である横須賀鎮守府を落とす、絶好の好機だと判断した。

 

 それが、今夜。

 

 まだ、震えが止まらない。

 何という、何という事だ。

 提督が今日着任しなかったら。

 提督が即座にこの状況を予測できるほど聡明でなければ。

 洋上補給により衰える事の無い敵主力艦隊の猛攻に晒されていたら――。

 

『はっはぁん、なるほどな。つまり、あの補給艦どもを追っかけて、ぶっ潰せっちゅー事か。この天龍様に相応しい戦場じゃねぇか』

 

 ようやく状況が理解できたのか。天龍が普段と変わらぬようにそう言った。

 この人は本当に緊張感が無い……だが。

 

『流石は天龍ちゃんね~。頼もしいわ~』

『ハラショー』

 

 だが、こういうところを見込んで、提督は天龍を旗艦に指名したのかもしれない。

 私達も、負けてはいられない。

 天龍の声を聞いていると、そんな気持ちになってくるのだ。

 

『さぁて、大淀。高度の柔軟性と、臨機応変な判断と共に行動しなきゃね。提督を満足させるにはどうすればいい?』

 

 川内さんが、こんな窮地だというのに、どこか楽しそうにそう言った。

 

 敵は補給艦と重巡とはいえflagship級。ちょっとした戦艦に匹敵する火力と装甲を持つ。

 昼戦では手も足も出ない。

 私はともかく提督との信頼が薄い他の皆ならば猶更だ。

 川内さん達の性能を底上げする事ができれば可能か。

 敵輸送船団と私達は同数。数の有利は無い。

 私達の得意とする夜戦に持ち込んで、その差は覆せるか。

 闇に紛れて背後から奇襲すれば、その差は覆せるか。

 いいや、駄目だ。まだ足りない。

 一隻でも取り逃がしたら意味が無い。

 

 提督ならば、どのように動けば最善であると考えてくれるだろうか。

 提督の神算には遥か遠く及ばないとしても、少しでも少しでも先を考えるならば、私はどう動くべきだろうか。

 提督を満足させるには。

 鎮守府を救うには。

 この国を守るには。

 

 ――夜が近づいてきた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 闇に紛れ、見つからないように十分に距離を取り、敵輸送船団の背後から尾行する。

 資材を大量に積んでいるからかその航行速度は遅く、鎮守府近海に辿り着いた頃には真夜中になってしまった。

 

 やがて砲撃音が耳に届き、ノイズを挟みながら届く無線の内容から判断するに――やはり、予想した通りだった。

 鎮守府正面に戦艦。

 重巡洋艦を敵後方。

 水上機母艦率いる駆逐艦隊を左右に配置したそれは。

 

 ――それは、私が『提督であればこのようにするだろう』と予想した編成と布陣そのままだったのだ。

 

 提督の思考に追いついたようで嬉しかったが、今はそれを喜んでいられる状況ではない。

 私の予想通りに配置されているのならば、私の立てた作戦とも噛み合うはず。

 川内さんから、小声で無線が届く。

 

『凄いね大淀……予想的中じゃん』

「いえ、私は提督の思考をなぞっただけにすぎません。恐るべきは提督です」

『へぇぇ、それじゃあこの後も、作戦通りでいいって事ね』

「はい。頃合いを見て一気に距離を詰め、敵主力艦隊と補給船団の上空へ照明弾をお願いします」

『了解!』

 

 敵主力艦隊も視認できるほどに接近した。

 洋上補給を食い止めるには――今しかない!

 

 前方へ急接近した川内さんが照明弾を敵上方に放ち、辺りは眩い光に包まれる。

 突然の事態に敵が混乱した――隙を逃さない!

 

「第二艦隊! 行きますっ!」

『第三艦隊! ついてきて!』

『第四艦隊! 行くぜぇぇっ!』

 

 私の号令に合わせて、夕張、朝潮、大潮、荒潮、霞ちゃんが艤装を構える。

 

『目標確認! 全艦、斉射! 始めッ!』

 

 私達は敵補給艦の一隻に集中攻撃し――砲撃を受けたそれは爆散した。

 爆煙は更に二つ。川内さん達と天龍達も上手くいったようだ。

 その爆煙が私達の反撃の狼煙となるように。

 戦場に立つ全ての艦娘に届くように、私達は声を上げる。

 

「第二艦隊! 敵補給艦一隻撃沈!」

『第三艦隊っ! 同じく補給艦一隻撃沈っ!』

『第四艦隊ッ! こっちも敵補給艦、一隻撃沈だぜぇっ!』

 おそらく、敵も味方も、この状況は理解できていないだろう。

 私であってもそうだ。

 まさか提督がこの夜間強襲だけではなく、敵の洋上補給を読んでいただなんて、誰が想像できただろうか。

 だが、この状況で隙だらけになるのは、敵だけでなければならない。

 

 私達はこの状況に、迅速に行動できなければならないのだ。

 私達がこの状況を巻き返す為には、提督への揺るぎない信頼を抱かなければならないのだ。

 

 私達艦娘の性能は、提督を信頼する事で飛躍的に上昇する。

 私の一声で皆に提督を信頼してもらう事で、更に性能を底上げする!

 

 故に私は、現在の私達がどのような状況に置かれているのかを最も簡潔に理解してもらえる言葉を探し、そして叫んだのだった。

 

「横須賀鎮守府全艦隊の皆さんに告げますっ! この戦場の全ては! 提督の掌の上ですっ!」

 



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017.『掌の上』【提督視点】

 艦娘達が一人残らず出ていき、俺だけが残された執務室。

 俺はしばらく机に突っ伏して咽び泣いていた。

 

 明石のせいで股間は痛いし、艦娘達のせいで心も痛い。

 俺が一体何をしたと言うのだ。

 何で俺がこんな目に遭わねばならんのだ。

 

 嫌だ。まだ諦めたくない。

 今回、俺に提督の素質が見つかった事は、まさに千載一遇のチャンスだ。

 これを逃したら、俺はもう二度と艦娘ハーレムを築き上げる事はできないだろう。

 まだまだこれからが本番だ。

 

 俺の前の勤め先で、第一印象がお互い最悪で、絶対あんな奴ありえない、なんて言っていた奴らが結婚した事もある。リア充爆発しろ。

 よくよく考えてみれば、それは当然の事なのかもしれない。

 思えば、過去の経験上、そんな出来事は何度もあった。

 

 不良が雨に濡れる野良猫に傘を差している姿をたまたま見たとしよう。

 普段は嫌な奴だと思っているから、「意外といいところあるじゃん」と思ってしまうわけだ。

 一方で、品行方正な生徒会長がポイ捨てをしている姿をたまたま見たとしよう。

 普段は真面目な人だと思っているから、「見損なった」と思われてしまうわけである。

 たとえ不良が普段からポイ捨てをしていても、それは不良だから当たり前だと思われてしまう。

 生徒会長が普段から野良猫に優しくしていても、それはいつもの事だと思われてしまうだけなのだ。

 

 俺の今までの人生で学んだ事だ。

 真面目な奴は損をする。

 いや、そうじゃない。この経験から学んだ事は、第一印象が最悪なのは、決して悪い事ではないという事だ。

 第一印象が最高である事に比べれば何倍もマシではないか。

 

『あの提督、視線がマジでキモいよね』『でも仕事はできるんだよね』。

『あの提督、仕事ができるよね』『でも視線がマジでキモいよね』。

 

 二つとも同じものを比べているはずなのに、順序が違うだけで大きく意味が変わってくるのだ。

 そうだ。この状況は俺にとっては向かい風では無い。むしろ追い風だと言ってもいい。

 最初に俺が完璧な演技で本性を隠し、後々ボロが出るよりも、最初に感づかれておいて、後々演技でカバーしていく方が絶対に良いはずだ。

 むしろ、過去の同僚のように、第一印象最悪からの結婚ならぬ、ハーレムへと繋がるかもしれない。

 ポジティブに考えよう。

 

 そう考えれば、着任初日に俺の本性を感づかれたのは僥倖ではないか。

 万が一、今日で俺に対する好感度が最大になってみろ。その後は本性がバレるたびに好感度は下がる一方だ。そっちの方が最悪のパターンだ。

 好感度が最低スタートなのであれば、後は上がる可能性も十分にある。

 今日は俺に対する好感度が最低だから良いのだ。後々ミスをしても、あの人だからしょうがないとなるのではないか。

 

 よし、気持ちを切り替えよう。雨は……いつかやむさ。

 涙を拭いて、これからの事を考えねば。

 艦娘は今頃夜戦をしながら、俺の事を全く使えないスケベ提督だと嘲っているところだろう。

 つまり、ここから俺がしなければならない事は、汚名を返上し、名誉を挽回する事だ。

 

 しっかりと鎮守府運営の知識を勉強し、艦娘達に相応しい提督を演じる事。

 そうする事で提督としての威厳や権力も増し、艦娘達の警戒が解けたところでハーレムルート直行である。多分。

 今までは頭の中でふざけた事ばかり考えていたが、そういう部分が艦娘にも伝わってしまったのだろう。

 ここからは自重せねば。

 これ以降は金輪際、心の中だけでもはしゃぐのはやめよう。

 真剣に艦娘達と向き合い、演技ではなく有能な提督となるのだ。

 

 俺が決意を新たに顔を上げると、ちょうど執務室の扉がノックされた。

 全員出て行ったと思ったが、まだ鎮守府内に誰かいたのかと、少し驚いてしまう。

 涙を拭い、軽く咳払いをして、入れと伝えた。

 静かに扉が開かれると、そこには――

 

「失礼します。お疲れ様です。私、給糧艦、間宮と申します。以後、お見知りおきを」

 

 うっひょーーッ! 艦隊のアイドル間宮さん! マンマミーヤ!

 俺ランキング堂々の第一位キタコレ! ウマー! 本命登場ですぞ!

『艦娘型録』に記載が無かったから所属していないと思っていたではないか! そうか、戦闘はせずに甘味処にいるからか。これは嬉しい誤算!

 間宮さんの後ろにはもう一人、地味な少女が付いてきている。確かイラコーとかいう小娘だ。

 オータムクラウド先生の『甘いものでもいかがですか?』は名作である。いつもお世話になっております。

 お世話になりすぎて、間宮さんを見ただけで俺の股間の疲労が回復し、戦意高揚状態になった。

 これがパブロフの犬で有名な、条件反射という現象です。

 

 駄目だ、艦娘でオ○ニーする事が俺のデイリー任務となってしまっていたせいで、心と身体が言う事を聞いてくれない。凹む。

 俺は諦めて、椅子に座ったまま、股間は立ったまま、改めて間宮さんに目を向けた。

 

「間宮に伊良湖か。どうした、こんな時間に」

「いえ、あの……ずっと部屋の明かりがついていたので、お腹がすいていないかと」

 

 ふと時計に目をやれば、すでに日が変わっていた。

 俺は一体何時間泣いていたんだ……。

 というか、まだ外から微かに砲撃音なんかが聞こえてくるという事は、アイツらまだ戦っているのか。

 敵艦隊が雑魚だという事はわかりきっているのに、歓迎会に参加したくないから引き延ばしているのだろう。

 アイツらどんだけ俺を歓迎したくないの?

 もう歓迎会は開催しないから、早く帰ってきてくれ。飯も食わずに何やってんだ。

 

 正直、艦娘にそれほどまでに嫌われているという事にショックが大きすぎて未だに食欲が無い。

 ハードルは低ければ低いほどいいとはわかっているし、俺を好いてくれる女性などいないとわかっていても、それでもやはり嫌われているという事実は傷つくのだ。

 

「あぁ、私は大丈夫だ。心配をかけてしまって、すまない」

「えっ、何も召し上がらないのですか」

「うむ。艦娘達も何も食べずに出撃し、今この時も命をかけて戦っているのだ。私だけが腹を満たすわけにはいくまい」

 

 適当に答えたが、少し嫌味に聞こえただろうか。

 アイツらがいつまでも戦闘を引き延ばして戦っているから、上官である俺も何も食えないのだ、と思われたかもしれない。

 失言だったかと思ったが、間宮さんは顔の前で両手を合わせ、優しく微笑んだのだった。

 

「まぁ……提督、艦娘思いの方なのですね」

 

 間宮さんは案外鈍いようだった。鈍感系お姉さんキタコレ! ウマー! 俺のマンマ、マミーヤ!

 いや、妹しかいなかった俺は確かにお姉さん属性に飢えた狼である事を自負しているのだが、間宮さんはかなりドストライクなのだ。

 包容力あるし、お姉さんだし、巨乳だし。甘えたい。間宮さんの甘味処を堪能したい。

 ハーレムに加えたいと思っている艦娘は多いが、結婚したいまでと思っている艦娘は今のところ間宮さんしかいない。

 ここからは真面目に頑張ろうと思った矢先に、まさか大本命の間宮さんが奇襲をかけてくるとは。正気を保っていられるかも危うい。

 ここに俺ランキング第二位の高雄がいたらヤバかった。俺の股間は異形と化し、二度と元の姿には戻れなかったであろう。

 

「提督、皆さんは戦闘糧食を口にしているはずです。同じものならば、提督が食べても大丈夫でしょう?」

 

 間宮さんはそう言って、お盆の上に乗せられたおにぎり三つを机の上に置いたのだった。結婚したい。那珂ちゃんのファン辞めます。

 腹は全く減っていないが、間宮さんが俺に気を使って握ってくれた特別なおにぎりだ。食べざるを得ないだろう。

 補給キタコレ! ウマー!

 

「気を使ってくれてすまないな。ありがたくいただこう」

「うふふっ、私は戦う事が出来ませんから、これくらいは」

「提督、お茶はいかがですか?」

「うむ。頂こう……んっ?」

 

 いつの間にか、鳳翔さんがいた。

 伊良湖の後ろについてきていたのか。

 俺はてっきり、鳳翔さんも加賀達と外に出ていったかと思っていたのだが……。

 執務机の上に湯呑みを置く鳳翔さんは、俺の顔を見て、気が付いたように言ったのだった。

 

「提督……泣いて、いらっしゃったのですか?」

 

 エッ。

 あっ、し、しまった。そうか、鏡を見る暇も無かったが、あれだけ泣いたのだ。目が赤くなっていてもおかしくはない。

 俺は慌てて、軍服の袖で目元をごしごしと拭った。

 

「な、何でもないんだ」

「何でもないという事はないでしょう。提督、よろしければこの鳳翔にお話だけでも……」

「い、いや……悔しくてな。艦娘達が出ていくのをただ見ているだけしか出来なかった自分が……」

 

 いかん。誤魔化そうと思ったのに、本心がそのまま出てしまった。

 俺を歓迎したくないと言い切った艦娘達に何を言う事も出来ず、引き留める事も出来ず、ただアイツらの望んでいたであろう指示を出す事しか出来なかった。

 何が提督の権力だ……情けない。

 なんだかまた思い出したら涙が出てきそうだった。

 

 そんな俺の心中を察してか、鳳翔さんは優しく微笑んで言ったのだった。

 

「まぁ、提督……お優しいのですね。ですが、そう心配なさらないで下さい」

「う、うむ……」

「私達艦娘にとって、戦場に立つ事こそが、何よりも優先すべき第一の使命なのですから」

 

 アンタ一体何のフォローしてんの?

 艦娘は戦う事が第一優先だから、貴方の歓迎会をしている暇はありませんでしたって事?

 雑魚五隻に鎮守府全体で戦いに行くのも使命か何か?

 獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすってやつ? 全力すぎるだろ。適度に手を抜けよ。

 流石に無理がありませんか。

 いいよ、もう! 無理にフォローしなくて!

 俺の人望の無さが引き起こした事だってのは理解できてるから!

 

 鳳翔さんの下手なフォローで更に傷ついた俺だったが、ふと気になった事を何気なく尋ねる。

 

「うむ、済まない……ところで鳳翔さんは――」

「で、ですから! 鳳翔とお呼び下さいっ」

「う、うむ。鳳翔は赤城達と一緒にいなくても良かったのか」

「私がついていなくても赤城さん達はもう一人前です。それに龍ちゃん……いえ、龍驤さんもついていますから」

「鳳翔さんは今、私と一緒にお店をやっているんですよ」

 

 間宮さんがそう言った。

 オータムクラウド先生の作品では、間宮さんは伊良湖と『甘味処間宮』を、鳳翔さんは『小料理屋鳳翔』を営んでいるとの事ではあったが……。

 

「鳳翔が前線から退いているという話は聞いてはいたが」

「間宮さんのお店を間借りして、夜は私がちょっとしたお料理なんかを提供しているんです。お昼は『甘味処間宮』、夜は『小料理屋鳳翔』と看板が変わります。一日を通して艦娘たちの食堂のようなもので、間宮さんと伊良湖さん、私の三人で切り盛りしています」

「那智さんや千歳さんみたいに、甘味よりもお酒の好きな大人の艦娘もいますからね。鳳翔さんの時間はそういった方々の憩いの場になっています。お料理もとても美味しいんですよ!」

「なるほど。是非一度、行ってみたいものだ」

「えぇ、是非。今はこの鎮守府の一大事ですので、お店どころではありませんが……」

 

 鳳翔さんはそう言って、窓の外を心配そうに見つめた。

 一大事……だと……。

 や、やはり俺が艦娘達の信頼を得る事が出来なかったのは、そんなにもまずい事なのか。

 佐藤さんも、俺の一番の仕事は艦娘達の信頼を得る事だと言っていたし。

 

 俺の引き起こした一大事のせいで、鳳翔さんはお店どころでは無くなってしまったと……。

 ま、まずい! オータムクラウド先生によれば、鳳翔さんはこの鎮守府で最も怒らせてはならない御方!

 これ以上失望させてはならん! これ以上ボロが出る前にご退出願おう。

 とりあえず一人になって、『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』を読み込むのだ。

 くそっ、何でさっきまで一人だったのに、泣いてばかりいたんだ俺は。勉強するかシコるかの絶好のチャンスだったというのに。

 

「そうだな。いや、間宮に伊良湖、そして鳳翔。気をかけてくれてありがとう。もう夜も遅い。私に構わず、戻って休んでくれ」

 

「まぁ……何をおっしゃいます。提督が起きていらっしゃるのに、私達だけが休むわけにはいきません」

「そうですね。私には差し入れくらいしかできませんが、小腹が空いたらおっしゃって下さい! 甘いものはお好きですか?」

「提督は先ほど、何も出来ない自分が悔しいと涙を流しておりましたが、提督にしかできない戦いもここにはあります。よろしければ、私には提督の戦いのお手伝いをさせて下さい。こう見えて、昔はよく秘書艦を務めていたんですよ? ふふっ」

 

 鳳翔さんはそう言って、微笑みながら俺を見据えた。

 

 ……こ、この人はこう言っている。

 お前のせいで鎮守府は一大事だ。お前に付き合って休む事ができないのだ。私が手伝うから、泣いてる暇は無いからさっさと提督らしい事をしろと。

 お前の敵は、目の前に山積みになっているだろうと。さっさと戦えと。

 間宮さんは俺の事を純粋に心配して、おにぎりを差し入れに来てくれていた。

 だが、鳳翔さんは違う。

 明石まで出て行って一人になった俺を、秘書艦として監視しに来たのだ。間違いない。

 オータムクラウド先生の作品によれば、空母のお艦と呼ばれる鳳翔さんにはあの赤鬼の赤城と青鬼の加賀も頭が上がらないとか。

 鳳翔さんが本気で怒ると、あの赤城や加賀も子供のように泣いてしまうという。想像がつかん。

 あの切れたナイフみたいな一航戦すら逆らえない鳳翔さんは、さながら鎮守府の大鬼。

 いかん、お艦、怒らせてはアカン。

 

 い、いや。ポジティブだ。ポジティブに考えよう。

 考え方によっては、鳳翔さんは俺の味方であるとも言えなくも無い。

 俺が春日丸を無理やり実戦配備した先ほども、おそらく俺の心中に気付いていながら大人の判断を下したではないか。

 つまり、鳳翔さんは俺が使い物にならないクソ提督だと理解してなお、あえて俺に提督の仕事を務めさせようとしているのだ。

 他の艦娘達は全員、俺を見捨てて外に出ていったが、この人は厳しくはあるが俺を見捨てていない。

 俺はまだ、見捨てられていない。

 いや、鎮守府を何とかする為に、俺にしっかりして貰わねばならないという事か。

 さながら俺は鳳翔さんの傀儡。

 俺が艦娘との信頼関係を築けるかは、鳳翔さんの掌の上……。

 

 監視をするのは、俺がこれ以上失態を犯さないようにだろう。

 まるで母親が、子供が転ばないようにすぐ近くで足元に注意するように。

 そうか、この人は逆に寛大だ。

 決して怒らせてはならないが、滅多な事では怒らないのだろう。

 だからこれ以上怒らせるような真似はできない――。

 怒らせた時は色んな意味で俺の死を意味する。

 

「ホ、鳳翔サン……!」

「もうっ! 鳳翔ですっ!」

「う、うむ。すまない、つい……鳳翔サン」

「訂正できていません!」

「わ、悪い……鳳翔、甘えてしまってもいいか」

「勿論です。とりあえずは、この山積みの書類の処理が先決でしょうか」

「そうだな。夜が明けるまでには終わらせてしまいたい」

 

 アイツらがいつ頃帰ってくるかはわからないが、徹夜でこの山積みの書類を処理したと知れば、少しは見直してくれるだろう。

 処理の仕方はよくわからないが、大体はすでに大淀が一度目を通しているらしく、サインがしてある。

 おそらくこれに印鑑を押し、どんどん決裁していけばいいのだ。

 内容に不備があれば、先によく目を通している大淀の責任である。

 上司の俺の責任を問われた場合、俺の更に上司である佐藤さんの責任である。

 とりあえず、数をこなす事が大事なのだ。

 俺は書類には適当に目を通し、大淀のサインがしてあるものにはどんどん印鑑を押していく。

 

「提督。こちらの書類は私が先に目を通しておきますね」

「うむ。よろしく頼む」

 

 大淀のサインが無いものなどは、鳳翔さんが率先して目を通してくれた。ありがたい。

 これならば俺の仕事はほとんど印鑑を押すだけだ。

 

 サインが無くても、艦娘からの簡単な物品の申請なんかは俺の判断で承認しちゃってもいいだろう。

 原稿用紙に筆ペン? お絵かきが好きな子がいるのだろうか。

 お絵かきの為に地味に高価なものを……生意気な。申請者は聞いたことの無い名前の駆逐艦だ。

 駆逐艦ならば画用紙とクレヨンで十分だと言いたい所だったが、俺は寛大なので承認してやる。ありがたく思うがよいぞ。

 

 中身がよくわからないものも、大淀と鳳翔さんがOKを出したのならば、それは承認した方が良いに決まっている。

 俺は心を無にして、ただひたすらに印鑑を押していったのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 何時間経っただろうか。印鑑を押しすぎて指が痛い。

 おそらく最後であろう書類に押印し、俺は小さく息をついた。

 

「お疲れ様です、提督。残りの書類は急ぎでは無いので、後日の処理でも良いでしょう」

「うむ。本当に助かった。鳳翔さんには――」

「……」

「ほ、鳳翔には頭が上がらないな。感謝する」

「いえ、勿体ないお言葉です。それにしても、本当に一晩で終わらせてしまうなんて……」

 

 鳳翔さんはまったく疲れたそぶりを見せない。

 俺も前の勤め先での経験から徹夜には慣れているつもりだったが、この人凄いな。

 俺は無心で印鑑を押す機械と化していただけなので頭は使わなかったが、鳳翔さんはしっかり書類に目を通していたし。

 空母だから夜戦は得意ではなさそうなのに……小料理屋をしてるからか?

 

「提督、鳳翔さん、お疲れ様です。間宮自家製アイスクリームを召し上がって下さい。熱いお茶もありますよ」

「う、うむ。いただこう」

「ありがとうございます、間宮さん」

 

 間宮さんがアイスを持ってきてくれた。普通のアイスでは無く、間宮さんの固有能力で作ったものらしい。スプーンですくい、口に入れる。

 瞬間、疲れがブッ飛んだ。

 何これ、悪いものとか入ってないよね? 眠気もダルさも消えて、まるで数時間寝た後みたいに頭がスッキリしてるんだけど。

 身体が起床後と勘違いしたのか、食った瞬間、股間も元気になったんだけど。

 人間が食べていいものなのだろうか、これは。隠し味に資材入ってない? ボッ、あ、いや、ボーキとか。

 

「これは……凄いな。艦娘達はいつもこんなものを食べているのか」

「あっ、いえ、その……前提督の指揮下では……」

 

 間宮さんは言葉を選んでいるように、口ごもってしまった。

 それに代わるように、鳳翔さんが言ったのだった。

 

「前提督は、艦娘がこのような嗜好品を楽しむ必要は無いとのお考えでした。ですので、艦隊司令部に認められている私達のお店も、前提督下ではほぼ機能しておりませんでした」

「えぇと……鳳翔さんの言う通りです。食材の仕入れも最低限に抑えられていたので、お酒や甘味を出す余裕が無くて。お店を再び始められたのは、ここ一か月の話なんです」

 

 なんと勿体無い。

 甘くて美味しいだけでなく、こんなに疲れが吹き飛ぶのだったら、むしろ積極的に使えば良かったのに。

 そう言えば前提督がいなくなったから俺がここに着任できたんだったな。

 せっかく提督になれたのに、どうしたのだろうか。そう言えば佐藤さんが何か話していたような気がするが……話を聞いていなかった。

 

 甘味は大事だ。甘味処間宮には、俺のアイドル間宮さんがいる。ついでにイラコーもいる。

 酒も大事だ。酒に酔っ払い、身体が熱くなり服を脱ぎ、夜戦に繋がる可能性は高い。やっ、せっ、ん~! 行ってみ~ましょ~! やっ、せっ、ん! 進め~!

 甘味を禁じれば間宮さんに会う機会は減り、酒が無くなれば自然にセクハラできる機会が減る。

 嗜好品を禁じるなどとんでもない話ではないか。

 

「甘味も酒も、適度に取れば活力に繋がる。今後、私も二人には世話になるだろうからな。よろしく頼む」

「まぁ……ありがとうございます。この間宮、一生懸命頑張りますね!」

「ふふっ、是非提督も、いらっしゃって下さいね。無事にこの戦いが終わったら……」

 

 何か鳳翔さんが死亡フラグみたいな事を言い出したが、アイツらまだ戦っているのか。

 雑魚相手に何時間かけているのだ。いくら俺の歓迎会に参加したくないからとは言え……。

 

 何時間かけて……ん? なんか忘れている事があるような……。

 

 アッ。

 俺は心の中で呟いた。

 しまった。そういえば建造してから、もうとっくに四時間過ぎてしまっている。

 すっかり忘れてしまっていた。

 

 俺は間宮さんのアイスクリームを食べ終わると、ゆっくりと立ち上がる。

 

「少し、工廠に行ってくる」

「まぁ、この時間にですか? 妖精さん達も休んでいるのでは」

「いや、そろそろ頃合いだと思ったのでな」

 

 忘れていたとは言えない。

 俺は一人で向かうつもりだったが、鳳翔さん達もついてきた。

 書類の処理も終わったし、もう本当に休んでくれていいのに。

 

 

 

 真っ暗な工廠の中は、昼間とは違って静かだった。

 妖精さん達の姿も見えない。

 建造ドックの部分だけ、蒼く光っていた。

 鳳翔さん達を外で待たせて俺一人で近づいてみると、水槽の一つが煌々と輝いている。

 水槽から蒼い光の柱が立ち上っており、中に人影のようなものが微かに見える。

 

 ……アッ。

 よく見れば水槽の目の前に、膝に顔を埋めて体育座りをしている妖精さんが一人、いた。

 

「す、すまん。今、来たのだが、起きているか」

 

 妖精さんに顔を近づけて、小声で話しかける。

 妖精さんは顔を上げないまま言った。

 

『提督さんは女の子とお出かけした事はありますか』

「エッ」

 

 い、いや。それくらいの経験はある。

 

「う、うむ。勿論だ」

『妹さん以外で』

「エェェ」

 

 お前何で俺に妹がいるって知ってるんだ。

 しかしそれを除いてしまえば、勿論そんな経験など皆無である。

 

「な、無い……です」

『だから女の子をこんなに待たせられるのですね』

 

 うっくぅ~……何も言えねェ……。

 さりげなく女の子アピールをしてくるグレムリンに反論したいところではあるが、妖精さんを敵に回す事はできない。

 妖精さんはいまだに体育座りをしたまま顔を上げてくれない。

 

「わ、悪かった。悪かった。出撃が上手くいかなかったり、艦娘達に歓迎してもらえないのが悲しくて号泣したり、鳳翔さんの監視下で寝ずに残業したりと色々あって、抜け出す事ができなかったんだ」

『提督さんは間宮さんのアイスを食べて、鼻の下を伸ばしていたよー』

 

 俺の頭上から声がした。

 そういえば、大淀達に押し付けた三人以外にもう一人いたんだった……。

 帽子の中に隠れていたのかコイツ……!

 

『へー、提督さんは女の子を数時間待たせておいて、別の女性とお楽しみでしたか。へぇー』

「ち、違うんだ。これは偶然で」

『私たちはずっと待っていたのに。提督さんの為に頑張ったのに』

「悪かった、悪かったって」

『だったら、愛してると言ってほしいのです』

 

 バカップルか! 俺は心の中でツッコんだ。

 コイツ何様なの⁉ 俺の何を気取ってんの⁉

 妖精さんの考える事がわからん。一向にわからん……。

 

 しかも俺に告白の真似事をしろとか、コイツ俺のトラウマをわかって言ってんじゃないだろうな。

 俺が一番嫌がる事だと知っておいて。

 

 く、くだらん。ここで戸惑っていたら、まるで俺がこのグレムリンを女の子扱いしているみたいではないか。

 女の子扱いなどとんでもない。子ども扱いですらない。キノコか野菜みたいなものだ。

 シルエット的には人語を話すマッシュルームもしくはブロッコリーだと思えばいい。

 野菜に向かって愛を宣言した経験は無いが、まぁ大した事では無いだろう。

 仕方ない。妖精さんのご機嫌を取る為だ。思う存分、口先だけの愛を叫んでやろうではないか。

 ――妖精さん!

 

「私にはお前が必要なんだ。私はお前を――愛している」

「テートクゥーーッ!」

 

 瞬間。

 目の前の光の中から、いきなり何かが飛んできて、俺に直撃した。

 いや、覆いかぶさって、いや、抱き着いている⁉

 

「そんなに私を必要としてくれていたなんて! 私、感激デース!」

 

 な、何だコイツは。む、胸が当たっているではないか!

 やったぁーっ! やりましたっ! 私っ! 嬉しい! これからも頑張りますね!

 いや、感激してる場合ではない。

 胸を押し付けられて、自動的に俺の股間に駆逐艦馬並が高速建造された。

 妖精さんに説明を求めようとしたが――。

 

『わー、かなり久しぶりに建造が成功しました』

『祝えー』

『おー』

『わぁぁー』

『わぁい』

『素敵ですねー』

『嬉しいですねー』

『おめでとうございます』

『ありがとうございます』

 

 いつの間にか、どこからか大勢の妖精さんが出てきて、万歳していた。

 お前ら本当に何なの⁉

 

「ずっとずっと冷たい暗闇の中に沈んでいた私に、声が聞こえてきましたネー! 貴女を望んでいる人がいるって……そんな声が聞こえてきマシタ! そして、大丈夫、帰ろうって呼ぶ声が……貴方の声デース! 提督、テートクゥ!」

「ま、待て! な、名を名乗れ」

「オォウ! 失礼しましたネー! 目が覚めた瞬間、提督に愛を囁かれたので、つい……白雪姫はこんな気分だったに違いないネー! えへへっ!」

「わかった、わかったから早く名乗ってくれ」

「英国で産まれた帰国子女の金剛デース! ヨロシクオネガイシマース!」

 

 金剛と名乗ったそいつは俺から離れ、元気よく敬礼した。

 いざ離れてしまうと先ほどまでの柔らかさが名残惜しい。

 しかしあれだけの柔らかさの割に金剛とは、名前負けも甚だしいというか。

 金剛……エッ。

 

「こ、金剛だと……? お前が……?」

「イエーッス! 超弩級戦艦として建造技術導入を兼ねて英国ヴィッカース社で建造された、金剛デース!」

 

 昔の事はわからん。

 オータムクラウド先生の作品にも出演していなかったからな。

 改めて、目の前の金剛の全身をまじまじと眺めてみる。

 

 金剛型戦艦、長女。姉属性。ストライーック!

 活発で明るく人懐っこそうな性格。ストライィーック!

 巨乳。ドストライィィーーック! 俺の股間のバッターアウト!

 

 外国の芸人のような話し方を除けば俺の好みど真ん中ではないか。

 まさか妖精さん……い、いや、まさかな。

 

 そうだ。そう言えば金剛型と言えば。

 

「比叡、榛名、霧島は……」

「オー! それは私の可愛い妹達デスネー! まさか提督の下にいるデスカー?」

「う、うむ。今は諸事情で夜戦中だが……」

 

 俺を嫌うがあまり、まだ海の上である。

 ちょうどいい。顔合わせも兼ねて、連れて帰ってきてもらおう。

 

「金剛、建造されたばかりで悪いが、一つ頼みたい事があるのだが」

「オフコース! 提督の為なら、たとえインザファイヤー! インザウォーター! デスネー!」

「う、うむ……顔合わせのついでに、まだ戦っている比叡達に、早く帰ってこいと伝えてくれないか」

「伝言ついでに感動の再会という奴デスネー! お任せ下サーイ!」

 

「て、提督……? これは……!」

 

 金剛の騒がしい声に気が付いたのか、鳳翔さん達が建造ドックに駆け寄ってきていた。

 

「うむ。建造は成功した」

「ヘーイ! 鳳翔! お久しぶりデース!」

「こ、金剛さん⁉ ま、まさか提督……この建造は……計画通りだったと言うのですか!」

 

 うぐっ。流石は鳳翔さん。

 俺がチュートリアルに従って建造した事を看破しおった。

 その通りである。必要だったから建造したわけではなく、チュートリアルの計画通りに行っただけなのだった。

 ほ、鳳翔さん怒らなければいいのだが。

 

「……まぁ、そうなるな」

 

 俺は諦めて認めたが、鳳翔さんは何ともいえない表情をしていた。

 怒っているのか、何なのか。

 怒りを通り越して、呆れているような、驚愕しているような。

 俺の考えの無さは、一周回って鳳翔さんの怒りを振り切ったという事だろうか。

 俺のアホさが俺を救う。芸は身を助けるとはこの事か。

 

「それでは提督! 比叡達に提督のメッセージを届けに行ってくるネー! うふふっ、提督と私の初めての共同作業ネー!」

「う、うむ。外はまだ暗いから気をつけてな」

 

 金剛は嬉しそうに敬礼し、工廠の外へと走って行ったのだった。

 まぁ、美人で可愛くて、明るくて巨乳でよくわからん奴だが、楽しそうだから、いいのかな……うん。

 



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018.『掌の上』【艦娘視点③】

 絶望の色に染まっていた海は、照明弾の明かりに照らされる。

 その光に包まれて、戦艦棲姫達は何が起こっているのかわからない、といった風に固まってしまっていた。

 

『テイトクダト……! バカナ……ソンナハズハ……ッ!』

 

 無線を介せずとも戦場に響き渡った大淀の叫びは、深海棲艦の耳にも届いたようだった。

 そうか。奴らはやはり提督の不在を確信して侵攻してきている。

 こればかりは偶然だが、まさか今日着任し、そして――ここまで有能な人だったとは、想像だにしていなかった事だろう。

 無理も無い。つい先ほどまで、この私達ですら疑っていたくらいなのだから。

 

「お姉様、現在の状況は……」

「チッチッ、比叡。ドントウォーリィ。ミナまで言うなという奴デース! 皆の顔を見ればだいたいわかりマシタ!」

「お姉様……流石です!」

 

 比叡の言葉に、金剛が思い出したように、ぽんと手を叩く。

 

「そうそう、提督から、比叡達にメッセージを頼まれていたネ! 霧島、マイクプリーズ!」

「はいっ、こちらに!」

「榛名! 無線を皆さんに繋いでくだサーイ!」

「すでに準備しています!」

「オッケーイ! ナイストゥーミートゥー、エブリワン! 私、提督に建造されマシタ、金剛型戦艦一番艦、金剛デース! ヨロシクオネガイシマース!」

 

 マイクで声が大きくなるわけではないが、気分の問題なのだろうか。

 金剛は榛名の無線を通じて、その場違いに明るい声を戦場に届けた。

 

 無線の向こう側からは、大きなざわめきが伝わってくる。

 この鎮守府の状況を把握した提督が、一番最初に着手した事が――建造であるという事。

 提督が何故、このタイミングで建造をしたのか。

 そして、その建造が成功したという事実。

 建造されたのが、強力な戦艦であり、比叡達が数年もの間待ち望んでいた、金剛型戦艦長女の金剛であるという事。

 大淀達の奇襲に合わせての、狙ったようなタイミングでの実戦投入。

 今まで白紙であった私達の頭に複数の点が生まれ、点と点が繋がって線となり、線が繋がり――提督の描いた絵図が一気に理解できた。

 その衝撃は……如何ばかりか!

 

「提督からメッセージを頼まれてイマース! 早く帰ってこい、との事デスネー!」

 

 提督は、今も私達を見てくれているのか。

 前提督からは、そんな言葉をかけられた事は無かった。

 刺し違えてでも敵を全滅させろ、ではなく、この戦いを終わらせて早く帰って来いと言ってくれるのか。

 つい先ほどまで諦めに沈んでいた心に、再び火が灯る。

 提督の存在は、声は、その言葉は、私達に勇気をくれる。

 

 大淀は叫んだ。

 この戦場の全ては提督の掌の上なのだと。

 ならば、私の判断も全て、提督には予測済みという事なのだろう。

 この状況も、この布陣も、全て。ならば――!

 

「総員、散開ッ! この機を逃すなっ! 各水雷戦隊と共に挟撃し、敵援軍を撃破しろッ!」

『了解!』

 

 その瞬間、確かに――確かに、艦娘の意識は一つになった。

 私は今、瞬間的に判断し、抽象的な言葉を叫んだだけで、具体的な指示はしなかったはずだ。

 だというのに――。

 

『羽黒は私と! 第二艦隊と挟撃します!』

『はいっ! 妙高姉さん!』

 

『足柄、貴様は私に付け! 第四艦隊を支援するぞ!』

『了解よ! さぁ、行きましょう!』

 

『筑摩! 吾輩達は正面じゃ! 第三艦隊と共闘するぞ!』

『はい、利根姉さん!』

 

『谷風はうちと一緒に! 一番近くの天龍姐さん達ん所じゃ!』

『合点! 燃えてきたじゃねぇか、ちっくしょーめ!』

 

『浜風はこの磯風と共に、大淀の支援に向かおう――征くぞ!』

『えぇ。必ず護り抜きます!』

 

『千代田、私達は第三艦隊の正面で合流、敵艦隊を迎え撃つわよ!』

『了解よ! 千歳お姉には負けないから!』

 

「長門さん! 青葉は改二実装艦のいない第二艦隊の支援に向かいます! こちらはよろしく頼みます!」

「良し! 頼んだ!」

 

 私は高揚と共に、それ以上に驚愕していた。

 以心伝心。

 瞬間的に頭の中で思い描き、しかし具体的な言葉にはできなかった布陣。

 一つ一つの編成を詳細に指示している時間は無かった。

 しかし、私の指示を聞いたそれぞれ艦娘達がその場で判断し、最善と思われる形を作ったのであろうそれは、私の想定と寸分違わぬものだったのだ!

 

 大淀の言葉により、この戦場の全ては提督の掌の上だと、艦娘全てが認識した。

 提督の存在を、そして思考を意識した上での判断。

 様々な性格を持つ艦娘達全てが、提督の思考をなぞる事で、瞬間的に、無意識の内に、同様の最善手を導き出したという事か。

 これが――これが、提督の思考、提督の領域、提督の世界!

 そして、提督が私達に求めているレベル!

 

『……サセルカァァアッ!』

「第一艦隊! 全艦斉射!」

 

 再び動き出した戦艦棲姫達だったが、その隙はあまりにも大きかった。

 一斉に動き出した他の艦娘達を足止めしようとした瞬間、私達の砲撃をまともに食らってしまう。

 

『キャアアッ!? オ……オノレェッ! ヨクモ……ヨクモォォオッ!』

 

 もう滑稽に踊り狂うつもりは無かった。

 現在の戦況を思考する。

 

 北東方向。

 敵艦隊は輸送ワ級flagship三隻、重巡リ級flagship二隻。

 敵前方には妙高、羽黒、磯風、浜風、青葉。

 敵後方には第二艦隊。大淀、夕張、朝潮、大潮、荒潮、霞。

 

 東方向。

 敵艦隊は輸送ワ級flagship三隻、重巡リ級flagship二隻。

 敵前方には利根、筑摩、千歳、千代田。

 敵後方には第三艦隊。川内、神通、那珂、時雨、夕立、江風。

 

 南東方向。

 敵艦隊は輸送ワ級flagship三隻、重巡リ級flagship二隻。

 敵前方には那智、足柄、浦風、谷風。

 敵後方には第四艦隊。天龍、龍田、暁、響、雷、電。

 

 そして私達。

 敵艦隊は戦艦棲姫一隻、泊地棲鬼四隻。

 敵前方には私、金剛、比叡、榛名、霧島。

 

 敵援軍に対しては数の上ではほぼ五対十。敵の倍。

 そして水雷戦隊は圧倒的に有利な、敵の背後からの奇襲。

 敵艦隊は前後からの攻撃に対応しなければならない。

 提督の予測と策略により、再び地の利と数の利を得る事が出来た。

 

 私達は数の上では五対五。数も艦種も互角――タイマンでの、殴り合いになるか。こちらは若干不利と言える。

 真正面から相対するが、敵は背後が気になって仕方が無い様子だ。

 これも、提督の策というわけか。

 後は――個々の性能差さえ縮められれば、戦況は覆る。

 

『長門さんっ! 何としてもここで敵の補給線を断つ必要があります! ここで勝負が決まります! そして鎮守府の備蓄状況も――すでに提督は把握済みですっ! 資材の心配はありませんっ!』

 

 やはり、提督には全てお見通しという事か。

 大淀からの無線を受けて、私は声を上げる。

 

「全艦に告ぐ! 『ラストダンス』だっ! 各自、その全身全霊を持って敵艦隊を撃破せよ!」

 

『ラストダンス』とは、誰が言い出したのか、勝負を決める為に行う最後の全力攻撃の事だ。

 持てる戦力の全てを振り絞り、確実に敵を沈めよ、という意味を持つ暗号である。

 指示を出してから、ふと気が付いた。

 これは、この指示は、提督が私達を送り出す時に出した指示と同じではないか。

 私は何故、改二の発動を許可する、と具体的な指示を下さず、あえてこんな言葉を。

 

 ――提督の領域に、私も足を踏み入れられたという事だろうか。

 

「こいつは……胸が熱いな……!」

 

『アァァアッ! ヤラセハ……シナイィッ!』

 

 戦艦棲姫達がその形相を変え、私達に背を向けた。補給部隊を支援に向かうつもりか。

 提督の神算の前に、先ほどまでの余裕は無くなってしまったようだ。

 それほどまでに、あの援軍、補給部隊は奴らの命綱であり、今回の奇襲の切り札であったのだろう。

 冷静さを失い――私達に背を向ける事がどれだけ愚かな事なのか、その判断すらもできないようであった。

 

 瞬間――背後に生まれた莫大なエネルギーを、奴らは無視できるはずも無かった。

 

「気合ッ……! いれっ……てぇェ……ッ! 征きまぁすッ! 比叡っ!――」

「全力で参ります! 榛名!――」

「マイクチェック、ワンツー……よぉしっ! 霧島ッ!――」

「提督のハートを掴むのは私デース! 金剛っ! レッツ!」

 

「――『改二』ッ‼」

 

 金剛型四姉妹が同時に改二を発動する。

 変わったのはその装束と艤装だけではない。全ての性能はもとより、先ほどまでとは比べ物にならないほどの圧倒的、驚異的な火力。

 これだけの火力を前に、無防備な背を向ければ、たとえ鬼と姫の強固な装甲でもどうなるか――。

 それくらいの判断はついたようで、奴らは再びその身を翻し、私達に相対した。

 悔しさと怒りに満ちた眼光が私を射抜いたが――もう恐れるものは何も無かった。

 

「……ちょっと待て。金剛、お前建造されたばかりだろう⁉ 何故いきなり改二が発動できる⁉」

「提督への抑えきれないバーニングッ、ラァーブッ! これこそが私の力デスネー!」

 

 馬鹿な。そんな事が有り得るものか。

 たとえ金剛が春日丸と同等の天才だとしても、艦娘として初めてその身体を手に入れた日に、いきなり改二が発動などできるはずがない。

 龍驤など、血ヘドを吐く思いで習得したと言っている。私だってそうだ。

 建造されたばかりの艦娘は、まだ艦娘としての身体に慣れておらず、本来の性能を発揮できない。

 幾度も演習や実戦を繰り返し、少しずつ練度を上げていく事で勘を取り戻し、また、その性能は強化されていくのだ。

 艦娘の強化には提督との信頼が必要不可欠だという事は理解していたが、流石に練度を凌駕するほどの信頼関係というものは前代未聞だ。

 何故、金剛は出会ったばかりのあの提督をそこまで信頼して、いや、これは信頼というよりも、まるで恋、いや、愛――

 

 ……いや。もう考えるのはやめておこう。

 あの規格外の提督に、今までの常識は通用しない。

 私達もすでに、提督の事を多かれ少なかれ信頼してしまっているではないか。

 むしろ、私達がもっと強くなる為には、この金剛を見習わなければならないのかもしれない。

 この長門には無縁であった、そんな感情を。

 

「金剛・比叡は戦艦棲姫から左側の泊地棲鬼を、榛名・霧島は右側の泊地棲鬼を各自一隻ずつ、狙えっ! 休みなく砲撃し、奴らを補給部隊に近づけるなっ! 改二の火力ならば奴らも無視できん!」

「イエス! 私の実力、見せてあげるネー!」

「いつでも準備、出来ています!」

「さぁ、砲撃戦、開始するわよ~っ!」

「はいっ、了解ですっ! 長門さんは、まさか一人であの戦艦棲姫を……⁉」

 

 気を使ったのであろう、榛名の言葉に、私は思わず、小さく微笑んでしまった。

 私も、もう金剛と何ら変わらないのかもしれない。

 金剛がバーニング・ラブと例えたのは、この胸に宿った熱の事なのだろう。

 先ほどまでとは比べ物にならない。湯水のごとく、どんどん力と勇気が湧き出てくる。

 私の背後に、こんなにも頼りになる提督がいる。私の背中を見ていてくれる。それを思うだけで、もう胸が熱くてたまらないのだ。

 あの方にいいところを見せたくて、あの方に褒めてもらいたくて、たまらなくなるのだ!

 

「私か? 私の相手は五隻全てだ! 改装されたビッグセブンの力、侮るなよ! 長門――『改二』ッ!」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 敵艦隊が迫って来る。そのすぐ背後には第四艦隊。

 敵の護衛艦である重巡リ級と交戦しながら、輸送ワ級を集中して狙っているようだ。

 

「ハッハァーーッ! 怖くて声も出ねぇかァ!? オラオラァ! 硝煙の匂いが最高だなぁオイ!」

 

 砲撃音に混じり、天龍が調子に乗っている声が自分の耳にまで聞こえてくる。

 敵の背後から奇襲した事も含め、どうやら戦況は優勢なようだ。

 

「龍田! 駆逐ども! ビビってんじゃねぇぞぉ! オラオラ! 天龍様の攻撃――ぐわぁぁあーーーーッ⁉」

「はわわ、天龍さんがまた大破したのです!」

「雷ちゃん、悪いんだけど、天龍ちゃんを鎮守府まで運んでくれないかしら~?」

「はーい! もっと私に頼ってもいいのよ?」

「天龍さん、あとはこの一人前のレディに任せて!」

ダスビダーニャ(また会いましょう)

 

 早速、戦線を離脱したようだ。何であの圧倒的に有利な状況で攻撃を食らうのだ……。

 もはや随伴艦達も慣れすぎているのか、旗艦が大破したというのに誰も動じていない。

 あの水雷戦隊は、旗艦がやられても艦隊としての機能を失わないという、ある意味で優秀な艦隊なのかもしれない。

 

「改二発動の許可も出たし、やっちゃっていいわよ~。私も離脱した二人分、頑張っちゃうわ~」

 

 昼行燈、龍田。

 奴を例えるならば、性能に恵まれなかった神通というべきか。

 だが、その類稀なる戦闘センスを、奴はなるべく隠すように努めている。

 軽巡洋艦の中でもトップクラスの戦闘センスを持ちながら、駆逐艦を率いての遠征任務を好んでおり、正直考えが読めない奴だ。

 性能にも戦闘センスにも恵まれないくせに突っ走ってしまう天龍の影に隠れ、常にそれを支えている事を喜んでいるようにも見える。

 前提督に天龍と同等の能力だと断じられ、天龍や他の駆逐艦達と共にしばらく役割を与えられず、満足に飯も食えなかった時も、それで良いとすら考えていたような節があり――本当に心中が読めない。

 しかし、一度戦場に出撃すれば本性が抑えられないのか――。

 

「死にたい船はどこかしら~? 絶対逃がさないから~」

 

 前方で爆発音が鳴り響く。

 どうやら一隻、いや二隻。輸送ワ級――いや、あえて戦闘能力に長けた護衛艦の重巡リ級を撃沈したようだ。

 提督により有利に運ばれた布陣で、背後からの奇襲とは言え――戦艦に僅かに劣る程度の性能を誇る重巡リ級flagshipを、あの一瞬で、こうも容易く、二隻同時に。

 龍田一人では、こうはならない。

 戦場において、天龍がいなくなってから、龍田はようやくその本領を発揮する癖がある。

 前提督の指揮の下では決して発揮される事の無かった厄介な龍田の性能を、あの男は理解しているという事か。

 

「天龍さんの仇を取るわ! 暁! 『改二』っ!」

「さて、やりますか。信頼の名は伊達じゃない――『Верный(ヴェールヌイ)』」

 

 そして、横須賀鎮守府の駆逐艦の中で最も早く改二に目覚めたあの二人。

 天龍の抜けた穴を防ぐ役割を果たしているあの二人を育てたのは、他ならぬ天龍であると私は考えている。

 奴に関して特筆すべきは、率いる才ではなく育てる才。過去に練習巡洋艦の手伝いをしてみてはどうだと提案したが、喧嘩を売っているのかと凄まれた事がある。

 本人さえも認めたがらぬその才に気づいている者は私の他には大淀くらいしかいないと思っていたが……まさかあの若い男が気付いているとは。

 

 ――いや、あの男の眼が正しく、この那智の眼は外れていた事を認めよう。

 

 育てる才では無く、奴の真骨頂は鼓舞する才。

 奴の本領は、演習や遠征では無く、戦場でこそ最大限に発揮される。あの男はそれを理解していたのだろう。

 そうでなければ、天龍をこの重要な任務の旗艦には据えないはずだ。

 旗艦に命じられた天龍の戦意の高揚は、随伴艦にも伝播し、鼓舞される。

 何しろ、ほんの僅かな時間、天龍の檄を聞いていただけでも、こんなにも身体が疼くほどなのだ。

 戦場に出ねば意味を成さない天龍の才能を最大限に引き出し、この絶望的な闘いにおいて、私達全員を鼓舞する事を目的としていたのならば。

 

「食えぬ男だ」

 

 私がそう呟くと、合流した浦風が私に声をかける。

 

「那智姐さん! あの提督さんは凄いお人じゃ。こんな恐ろしい戦いを掌で転がす頭を持っちょるのに、勉強熱心じゃったけぇ」

「ほう、浦風。貴様、随分と奴を高く買っているな」

「うふふっ……うち、嬉しかったんじゃ! 前の提督と違って、水雷戦隊や、うちらにも役割を与えてくれたけぇ。それに……」

「それに……何だ」

「うぅん、うちもようわからんのじゃけど、なんだか放っておけないんじゃ。ぶち男前だからじゃろうか……」

「下らん」

 

 やはり駆逐艦は子供だ。少し見た目が熟れていようが、そこだけは変わらない。

 少しばかり男前だったからといって、認める理由にはならない。

 提督として大事なのはやはりその資質。指揮能力は当然として、性格を言うならば剛毅さは必要不可欠であろう。

 

「まったく、子供ねぇ、浦風は」

「フン……足柄、貴様もそう思うか」

「素敵な男性に大事なのは顔ではなくカツ……そう、勝利に導いてくれるかどうかよ!」

 

 コイツはコイツで我が妹ながら心配だ……。

 実力だけは間違いなく一級品だが、時々頭が悪くなる。

 

 下らん話をしている暇は無い。

 第四艦隊に追い立てられ、敵艦隊は目の前にまで迫ってきていた。

 あの男は、後で私なりの方法で見極めてやろうではないか。

 私を認めさせた暁には、この那智も潔く、今後の忠誠を誓おう。

 

 後で、だと。

 馬鹿な。

 私は気付けば、口角が上がってしまっていた。

 

 ――まるでそれは、あの男の指揮の下、この戦いの勝利を確信しているようではないか。

 

「さぁ、食い止めるぞ! 怖じ気づく者は残っておれ! 那智! 『改二』ッ!」

「十門の主砲は伊達じゃないのよ! 足柄! 『改二』っ!」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「さあっ、待ちに待った夜戦だぁッ! 川内っ! 『改』ッ! 『二』!」

「那珂ちゃんセンター! 一番の見せ場でぇすっ! 那珂ちゃんっ! 『改二』っ!」

「……――『神通改二』」

 

 力が漲る。

 久方ぶりに改二を発動し、最初に気が付いた事はそれだった。

 戦闘に特化した形態である改二を発動すれば、力が漲るのは当然だろう――もちろんそういう事では無い。

 一番最後に発動した改二は、現在と比べればあまりにも弱弱しい、形だけの改二と言っても過言では無いような代物だったのだ。

 

 敵補給艦一隻撃沈。残り四隻。

 

 砲撃の火力、魚雷の速力、狙いの正確さ、破壊力。そして自身の身体能力。どれも比較にならない程だ。

 それはやはり、大淀さんの――いえ、提督の掌の上、と言うことだろう。

 私達艦娘がその性能を発揮するには、提督の存在が必要不可欠だ。

 提督の指揮下になければ、私達は本来の性能を発揮できない。

 そして何よりも――提督が信頼できると感じる事こそが、私達の力の源だ。

 

 前提督の指揮の下では、提督への信頼が低く、力を最大限に発揮する事ができなかった。

 提督不在のこの一か月間は、本来の性能すらも発揮できなかった。

 そして本日の提督の着任。普通であれば、せいぜい本来の性能を発揮するくらいが関の山であっただろう。

 

 そう、普通であれば。

 

 敵重巡洋艦一隻撃沈。残り三隻。

 

 今回の深海棲艦の奇襲は、普通に迎え撃っていただけでは絶対に防げないものであっただろう。

 地の利があろうとも、数の利があろうとも、いとも容易く蹴散らされていたはずだ。

 

 だが、あの提督は、この絶体絶命の危機を逆に利用したのだろう。

 事実、この私は――提督の事を、すっかり信じてしまっているからだ。

 

 あえて多くを語らず遠征に出撃させられた私達は、一瞬ではあるが提督の事を疑ってしまっていた。

 何しろ、前提督の禍根が未だに残っている中で、意図の読めぬ出撃だ。

 退くか進むか、生きるか死ぬかのあの瀬戸際。

 だが、徐々に状況が判明し、その真意を理解できた瞬間のあの衝撃――。

 

 あの人は、私達をもっと高みへと引き上げようとしている。

 

 理解できない者もいるだろう。

 意味がわからぬ、説明しろと声を上げた者もいただろう。

 だが、提督がこの鎮守府に着任し、行った全ての事は、私達を鍛える、ただその一点に通じているのだ。

 

 私達がそうであったように、おそらく他の艦隊も、具体的な説明が無いままに出撃させられていると予想できる。

 だが、私達と同じように、やがて提督の真意に気付く。

 提督の真意に気付いた者は――提督の事を信じるだろう。

 

 着任していきなり「私は有能だ。私の事を信じてくれ」と言っても信じる者などいないだろう。

 提督はあえて多くを語らず、その行動一つで私達の信頼を得たのだ。

 そうやって得られた信頼は――私達の性能を爆発的に強化する。

 信頼できる、と判断した提督の指揮の下でこそ、私達は強くなれる。

 

 敵補給艦一隻撃沈。残り二隻。

 

 提督は一体いつから、この策を思いついたのだろうか。

 大淀さんの話では、この一か月間の報告書も、読んでいるのか疑う程の速さで目を通したぐらいだという。

 そこから今夜の夜襲、敵の作戦、編成を予測し、それを迎え撃つ為の作戦、編成、布陣を導き、さらには建造さえも思いのままに成功させる事で、艦娘の信頼を得て、艦娘を強化する。

 常人では決して至る事の出来ない高みにあると言っても過言では無い、これ以上無い神算と、前代未聞、常識外れの指揮。

 

 この襲撃が読めた時点で、即座に艦隊司令部や他の鎮守府に援軍を求める事も出来ただろう。

 だが、提督はそれをせずに、この鎮守府にいる艦娘だけで応戦した。

 それは決して無謀な賭けでは無かった。

 提督の眼からすれば、私達には、それが出来るだけの、この国を守れるだけの、十分な練度があった。

 提督は、私達にこう言っているのだ。

 お前達ならば出来る。私はお前達ならば出来ると信じている。信頼しているのだと。

 

 ――それほどまでに熱い信頼を受けている事に気が付いてしまって、力が漲らない方がおかしいというものだった。

 

 私は提督の事を理解できた、と思う。

 だが、提督は私の事を理解してくれるだろうか。

 駆逐艦の中には私を鬼だと言って怖がる子がいるという。

 影では鬼の二水戦と呼ばれているとの噂も聞く。

 だがそれも、全ては彼女達の為。

 

 提督のこのやり方にも、理解をしてくれない艦娘がいるはずだ。

 だが提督のこの丸投げのように見える指揮も、私達を鍛える為のもの。

 私と提督は――似ていると思った。

 少なくとも私の方は、提督に共感してしまっている。

 シンパシーを感じてしまっている。

 

 敵重巡洋艦一隻撃沈。残り一隻。

 

 提督にもっと私を知って欲しい。

 提督にもっと私を理解して欲しい。

 どういう事だろう。提督の事を考えると、身体が火照ってきてしまう。

 提督無しでは、私達はこの戦場にまで辿り着く事さえ出来なかっただろう。

 提督が今日着任していなければ、今頃姫と鬼、大量の輸送ワ級と重巡リ級に蹂躙され、海の底にいたかもしれない。

 提督は、私の手を取って、ひとつ高みに連れ出してくれたのだ。

 前の提督の下では有り得なかった、提督不在では見上げる事すら出来なかった、そんな高みに、容易く連れ出してくれたのだ。

 

 あの人の傍にいれば、もっと高みに連れて行ってくれるだろうか。

 私達は、もっともっと強くなれるだろうか。

 私は――

 

「ぬわーーーーッ⁉ 筑摩ーっ! 筑摩ァーーッ⁉」

「あぁっ⁉ と、利根姉さん危ないっ!」

 

「えっ?」

 

 気が付けば、私の目の前にはひっくり返って大股を広げ、私に怯えた目を向ける利根さんと、それを庇うように両手を広げた筑摩さんがいたのだった。

 私達の近くには、砲撃の音は聞こえない。

 

「あ、あらっ……? 敵艦が確かあと一隻……」

「ばばば馬鹿者っ! あれを見よ! とっくの昔に吾輩達が迎え撃ったわい! お主、何処を見ておるんじゃ! 恍惚の表情を浮かべながら敵艦を次々と……恐ろしいわ! 何なんじゃお主は!」

「ごっ、ごめんなさいっ! 少し、提督の事を考えていて……」

 

 涙目で叫ぶ利根さんに、私は慌てて頭を下げる。

 視線を感じて振り向けば、川内姉さんと那珂ちゃんが恨めしそうな目で私を睨んでいた。

 時雨さんと夕立さんは呆れたような目を向け、江風さんは何故か目を輝かせている。

 

「コラ神通……久しぶりの夜戦だったんだけど……全部……全部独り占めって……お前……」

「那珂ちゃんの出番は⁉ もう終わり⁉ せっかく衣装変えまでしたのにー!」

「ねっ、姉さん! 那珂ちゃんっ! すみません! 考え事をしながら戦っていたら、いつの間にか……」

 

 ひたすらに頭を下げるが、川内姉さんは腰に手を当てたまま、率いていた時雨さん達に目を向け、言ったのだった。

 

「へー、へぇぇー、考え事をしてたらいつの間にか無意識に格上の敵を一人で全滅させてたわけね。時雨、夕立、江風ー、皆はこんなアホな先輩の真似しちゃ駄目だからねー」

「普通は真似できないよ」

「有り得ないっぽい……」

「神通さん、流石ッス!」

「ち、違うの! これは! な、なんというか、提督への信頼のおかげか、思いのほか力加減が……」

 

「ねぇ千代田。私達、他の艦隊の支援に向かえば良かったわね」

「そうね、千歳お姉……助けがいると思ったんだけど、結局私達何もしてないわね。天龍のとこ行きましょうか」

「い、いえ! 助けに来てくれてありがとうございました! あぁっ、ま、待って下さい! 話を聞いて!」

 



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019.『最高の提督』【艦娘視点】

「なるほど、そういう事でしたか……」

『えぇ。貴女の言う通り、敵の行動は提督の掌の上だったみたいね』

 

 敵補給部隊を追い立てながら、私は加賀さんとの情報共有を終える。

 空母部隊による先制爆撃と、それを利用しての潜水棲姫の撃沈。

 そして何より、金剛の建造。

 それは読む事が出来なかったが、それ以外の最低限の部分は私の読み通りであった。

 提督からすれば、私の判断は及第点であろうか。褒めて頂ければ幸いなのだが……。

 

 私達水雷戦隊だけでは、あの補給部隊と正面からぶつかり合えば、完全に撃滅する事は不可能であっただろう。

 あの神通さんを含め、改二実装艦が三人もいる第三艦隊はわからないが、私達第二艦隊には改二実装艦が一人もいない。

 返り討ちに遭う可能性が非常に高かった。

 

 提督ならばそれも予想しているはずだと私は考えた。

 ならば、私達が敵補給部隊を追い、そのまま鎮守府へ辿り着いた時に、敵を挟撃できる布陣を敷いていると思ったのだ。

 挟み撃ちとなれば、私達が相手をするのは実質半分、しかも背後からの奇襲と有利な条件が整う。

 そうなって初めて、ちょっとした戦艦並の性能を持つ敵補給部隊を完全に撃滅できる。

 更に、敵の主力部隊は補給部隊の到着を見て油断するだろう。それを目の前で破壊する事で隙が生まれる。

 提督ならば、この判断しかありえない――私の考えは正しかった。

 今現在、この鎮守府で提督の事を最も理解できているのは私なのではないだろうか。

 そう思うと誇らしくて、思わず眼鏡の位置を直した。

 

「――計算通りです」

「ちょ、ちょっと待ってぇ~! 置いてかないでよぉ!」

 

 振り向くと、夕張だけ遅れてしまっていた。

 奇襲の為に速度を上げたのについて来れなかったらしい。

 

「まったく。何をやっているの」

「しょ、しょうがないじゃない! 装備が重いんだもん!」

「だらしないですね。そんなんじゃいざという時に、提督に置いて行かれてしまうわよ?」

「うぐっ、が、頑張るわよ……」

「あら、てっきりいつもみたいに言い返すかと思ったのに」

「……大淀、うるさい」

「はいはい。さぁ、砲戦、用意。皆さん行きましょう!」

 

 私の号令に、朝潮、大潮、荒潮、霞ちゃん、そして頬を朱に染めてしまった夕張が小さく咳払いをして、艤装を構える。

 

「この海域から出ていけ!」

「行っきまっすよぉ~!」

「あははぁっ! 暴れまくるわよぉ~!」

「沈みなさい!」

「コ、コホン。さ、さぁ! 色々試してみても、いいかしら⁉」

 

 私も艤装を構え、敵補給艦に照準を合わせて声を上げた。

 

「全砲門! よーく狙って! てーっ!」

 

 私達の集中砲火を浴びた補給艦は、ひとたまりも無く爆炎に包まれる。

 補給艦の第一優先の役割は、敵主力艦隊に資材を届ける事だ。故に、私達の攻撃に構っている暇は無い。

 そして、その護衛艦である重巡リ級は――。

 

「『妙高改二』……推して参ります!」

「全砲門、開いてください!」

 

 前方で迎え撃つ、我が横須賀鎮守府の重巡洋艦最強の妙高さん、そして羽黒さんを無視はできない。

 羽黒さんはまだ改二には至っていないが、いずれ至るであろうポテンシャルを秘めていると私は思う。

 無線によれば、青葉もこちらに合流しようと向かってくれているらしい。

 加賀さんの話だと、青葉はやはり艦隊新聞で私達の写真を使った記事を書いていたらしいが……それによって提督不信派の艦娘達がとりあえずは矛を収めてくれたとの事だ。

 私個人としては恥ずかしい話だが……今回に限り許してあげよう。

 青葉の艦隊新聞がなければ、そもそも提督不信派の艦娘達がここまで大人しく従っていないかもしれないからだ。

 

 しかしながら、まさかあの建造に、こんな意味があったとは。

 意味があると、そして建造に成功するはずだと信じてはいたが、流石にこの結果は予想できるはずもなかった。

 金剛の声を聞いた時には、私も驚きすぎて手元が狂ってしまったぐらいだ。

 

 提督の行った建造は、私の中の常識を遥かに超えていくものだった。

 艦娘一人分の戦力を増やすだけでは無い。

 鎮守府の艦娘全員にもっとも手っ取り早く自分の実力を理解してもらい、この鎮守府の艦娘全員をもっとも手っ取り早く強化する為の手段だったのだ。

 こんな、こんな型破りな建造を、未だかつて行った者がいただろうか!

 

『長い時間待たせてしまい、すまなかった。お前たちのお陰で、ようやく立ち上がる事ができる』

 

 あの速さで『艦娘型録』と報告書に目を通した提督は、私達にそう言った。

 きっとあの瞬間には、この鎮守府に金剛が着任する事が、どれだけの利をもたらすのかを理解していたのだろう。

 そしてそれをいとも容易く実現した。

 私はもう目眩がしてきた。

 

 金剛型の妹達、比叡、榛名、霧島は、その長女である金剛に依存しているような節がある。特に比叡はその傾向が顕著だ。

 比叡は金剛に恋しているとまで言い切っており、榛名と霧島も金剛に絶対の信頼を持っている。

 金剛がいる、ただそれだけで、比叡達の戦意は大きく高揚すると見込まれていたのだ。

 故に、金剛がこの鎮守府に着任するという事は、戦艦一隻分の戦力が増強される以上に、大きな意味を持っていた。

 

 そして、ここまで提督が予測していたかは不明だが、あの声を聞く限り、金剛は提督に絶大な信頼を向けている。

 それを聞いた比叡達はこう思うだろう。

『お姉様が信頼する人に間違いは無い』と。

 提督への信頼は私達に更なる力を与えてくれる。金剛の着任により、比叡達は今までとは比べ物にならない性能を発揮できる事だろう。

 

 提督による艦娘の『建造』とは、例えるならば弓矢で的を射るようなものだ。

 的に当たらなければ、建造失敗。

 的に当たれば、建造成功。

 そしてど真ん中に命中すれば、お目当ての艦娘を建造できた、という感じだろうか。

 

 的に当たる要因は、大きく分けて二つ。

 弓を持つ者の技量と、運である。

 たとえ弓を持った事の無い初心者でも、たまたま、偶然にも、ど真ん中に当たる可能性もある。

 もちろんそれは、限りなく低い確率の話だ。

 狙い通りにど真ん中を射抜くには、結局のところ、射手の技量が大きな比重を持つ。

 

 前提督は、一度も狙った艦娘を建造できなかった。新しい艦娘の建造にすら成功しなかった。

 それはつまり、運も、提督としての資質も無かったという事なのだ。

 学ぶ事も嫌っていたから、提督としての腕が磨かれる事も無かった。

 

 そして今回、提督はたった一回で、提督が狙っていたであろう金剛の建造に成功した。

 それはつまり――運である可能性など、限りなく低い。

 そうだとするならば、天文学的な確率のはずだ。

 

 この事は全ての艦娘が周知している事実である。

 金剛がこの戦場に現れた。それはつまり、提督の資質の高さをそのまま意味するのだ。

 この戦場に立つ誰しもが――認めざるを得なかっただろう。

 

 あの提督は、只者では無い、と。

 

 金剛を建造し、この戦場に立たせる事で、比叡達の性能は大幅に向上し、その他の艦娘達も必然的に提督の実力を信頼せざるを得なくなる。

 提督を信頼すれば、私達の性能は向上する。

 提督の策により地の利、数の利を得て、そして提督への信頼により質さえも上がる事で、絶望的に見えた状況は、容易く形勢逆転するだろう。

 ついでに言えば、今回の侵攻において勘定に入れていないであろう戦艦が一人増えるだけでも、深海棲艦側からすればたまったものではないだろう。

『建造』の本来の意味がついでになってしまう程に、今回提督が行った建造は型破りすぎる。

 

『艦娘型録』と報告書の確認。

 真っ先に行った建造。

 私達、水雷戦隊の遠征任務。

 加賀さん達、空母機動部隊と千歳さん達対潜部隊による日没前の出撃。

 そして何より、私達を試すかのような、具体性に欠けた指揮。

 

 何と言う事だ。

 あの人が行った行動の全てに意味がある。

 考えれば考えるほどに、底が知れない。

 あの人は一体、何者なのだろう。

 この指揮能力は、明らかに素人のそれではない。

 着任するまでに一か月間もかかった――艦隊司令部が、最大の拠点である横須賀鎮守府にさえ手放す事を出し渋る程に、この国にとって優秀な、重要な人材だったのか。

 

 そうとしか――思えなかった。

 

「大淀ッ! 何をしているッ!」

「え――」

 

 その声と同時に、私は誰かに身体を掴まれ――瞬間、先ほどまで私がいた場所が爆発した。

 すでに随伴艦の皆は敵の砲撃に気付いており、距離を取っていたようだった。

 私の身体を引いてくれたのは、磯風と浜風だった。

 

「あ、ありがとう……助かったわ」

「礼には及びません。しかし珍しいですね。戦場で貴女が心ここにあらず、とは」

 

 浜風の言葉に、思わず私は言葉に詰まる。

 提督の事を考えすぎていた。

 だがそれは、きっと私のせいではないのである。

 心ここにあらず、となってしまったのは、きっと私だけではないだろう。

 私は額に手を当てて、大きく溜息を吐いた後に言ったのだった。

 

「提督の弱点を一つだけ見つけました……提督の事を考えるあまり、私達まで注意散漫になってしまいます」

「フフッ、なるほどな。司令には後で指摘してやらねばなるまい」

 

 磯風は小さく笑い、そして大きく右手を上げて、叫んだのだった。

 

「さぁ第二艦隊、残敵を掃射する! 磯風に続け! 陣形はもちろん、単縦陣だ!」

「いや旗艦は私ですからね⁉ 何さりげなく人の艦隊乗っ取ろうとしてるんですか!」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 それは怒りか、憎しみか。

 それとも、悔しさか、悲しみか。

 そういった感情が、お前達にもあるのだろうか。

 

『アァァ……! アァァアアッ‼』

 

 戦艦棲姫の声は、それら全てが混ざり合ったような、そんな風に聞こえた。

 改二を発動した私達との殴り合いの砲撃戦から手が離せず、その間に、背後から迫ってきていた敵の補給部隊は、全て撃沈。

 敵補給部隊を迎撃した第二、第三、第四艦隊が、逆に戦艦棲姫の背後から迫ってきていた。

 つい先ほどまで、私達の事を嘲笑っていたとは思えないほどに、完膚なきまでの形勢逆転。

 敵ながら、戦艦棲姫が少し哀れにさえ思えたほどだった。

 

 洋上補給ができるつもりで応戦していた戦艦棲姫達に、もはや万全の火力を出せる余裕は無いようだった。

 私達の改二状態の火力の前に、泊地棲鬼が一隻、また一隻と撃沈していき、目の前には、もはや息も絶え絶えの戦艦棲姫ただ一隻。

 

『ナゼ……ナゼダ……コンナハズデハ……!』

 

 姫の知性がなければこうはならなかっただろう。

 知性を持たない他の深海棲艦であれば、私達を嘲笑おうなどとは考えずに、目的に向かって最短距離で行動していたはずだ。

 勝利を確信し、より残酷に、より惨めに、私達を蹂躙しようとした驕り。

 人に匹敵する知性を持ってしまったが故の――慢心。

 そこに付け入る隙はあったのだ。

 

 だが、鬼や姫との純粋な殴り合いの砲撃戦。

 私も金剛も中破してしまい、改二状態の維持に必要なエネルギーも残り僅かだった。

 

「うぅー……日頃の無理が祟ったみたいデース……」

「日頃も何も、お前は建造されたばかりだろう……さぁ、もうひと踏ん張りだ」

「長門さんっ! 一人前のレディからお届け物よ!」

 

 くいくい、と装束の裾を引かれ、その声に振り向けば、私の後ろに暁と響、いや、ヴェールヌイが立っている。

 暁はその艤装から、ドラム缶を一つ具現化した。

 ドラム缶からは大量の資材――エネルギーが溢れ出し、第一艦隊全員の身体に染み渡っていく。

 あと一発分、最大火力を出すには十分すぎるほどだった。

 

「オー! サプラーイは大切ネー! サンキュー、ツッキー! アーンド、ビッキー!」

「ツッキーって何よ! ぷんすか!」

「今の私はヴェールヌイだ」

 

「ほう、ありがたい……これも提督の策の一つ、というわけか?」

「ももっ、もちろん、そうに決まってると思うわ!」

「いや、それは違う。あの司令官ですら予測できない、暁のドジが生んだ偶然だ」

「ひっ、響っ! しー! しぃーっ!」

「今の私はヴェールヌイだ」

 

 実に可愛らしい、いや、頼もしい事だ。

 危ないから下がっていろ、と暁達に距離を取らせる。

 

 すでに戦艦棲姫は、前後左右を私達に囲まれている。

 もう切り札の補給部隊は来ない。

 自らの行く末は、すでに理解できているようだった。

 

『コレデ……コレデ……コノクニガ……! オワルハズダッタノニ……ッ!』

 

 何故だろうか――この戦艦棲姫の気持ちがわかるのは。

 

 今回の出撃で、必ずあの棲地を制圧しよう。

 そう心に決めて出撃する私達と、根本では変わりないからではないだろうか。

 結果的には、勝利を確信した事による油断、慢心から敗北を招いたが、奴は奴なりに策を練っていた。

 少なくとも、提督がいなければ私達には読み取る事のできない程に巧妙に練られた策だった。

 提督の策による今回の迎撃も、敵の慢心が無ければ上手くいったか分からないほどだ。

 主力部隊も、補給部隊も、滅多に見ない精鋭揃い。

 おそらくこの戦艦棲姫は、今回の侵攻で、その全身全霊を持って、この国にトドメを刺すつもりだったのだ。

 

「……そうか。今回の侵攻は、お前にとってのラストダンスだったのだな」

 

 私は大きく息を吐き、右手を上げる。

 金剛達も主砲を構え、戦艦棲姫に照準を定めた。

 

 一歩間違えば、私達は負けていた。

 横須賀鎮守府の終わりは、この国の終わりの始まりを意味する。

 この一か月間は、いつそうなってもおかしくない状況だった。

 

『……アハハハッ! ココデワタシガシズンデモ……! マタ……シズメニ……クルカラァ……! コノクニガオワルマデ……ナンドデモ……ナンドデモネェェ!』

「いいだろう。何度でも受けて立つ。何度でも何度でも、この国にトドメを刺しに来るがいい」

 

 何故だろうか。

 あんなにも絶望的な状況だったというのに、今はこんなにも、心強い。

 

「だが今の私達には、信頼できる提督がいる。私達の帰りを待っていてくれる人がいる。あの人が横須賀鎮守府にいる限り、お前達のラストダンスは終わらない。それだけは覚えておくんだな」

 

 私は右腕を振り下ろし、高笑いしている戦艦棲姫へ向けて、叫んだのだった。

 

「全主砲、斉射ッ! てーーッ‼」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 母港に帰投した時には、もう空が白み始めていた。

 中破した者がほとんどだったが、その足取りは軽かった。

 練習巡洋艦の鹿島が、駆逐艦達と両手を上げて喜んでいる。

 

 私達を待っていたかのように、提督が姿を現した。

 その傍らには、鳳翔が控えている。

 

 艦隊ごとに整列し、提督に敬礼する。

 一歩前に出て、私が代表して報告した。

 

「第一艦隊旗艦、長門。報告します。敵主力艦隊五隻、敵補給部隊十八隻、迎撃成功しました。こちらに轟沈した艦は……無し!」

「うむ」

 

 提督は私達一人一人に目を向ける。

 私達の無事をその目で確認し、安堵しているような、まるで私達の事を愛でているかのような、慈しみを感じさせる目をしていた。

 

「長門」

「はッ!」

 

 不意に名前を呼ばれる。提督は私をじっと見つめていた。

 何かあるのかと思ったが、提督は私から視線を外し、次々に言葉を続けたのだった。

 

「金剛」

「ハァイ!」

「比叡」

「はいっ!」

「榛名、霧島、青葉――」

「大淀、夕張、朝潮、大潮、荒潮、霞――」

「川内、神通、那珂、時雨、夕立、江風――」

 

 私達の名を呼んでいる。名前を呼ばれた者は、提督の眼を見て返事をする。

 提督は一人一人の眼を見て、無事を確認するかのように名前を呼んでくれていた。

 すでに、私達の顔と名前を憶えてくれたのか。

 前提督はなかなか名前を覚えようとはしなかったというのに――。

 

「天龍……と雷は帰ってきていたな。龍田」

「はぁい」

「暁、響、電――」

「妙高、那智、足柄、羽黒、利根、筑摩――」

「千歳、千代田、浦風、磯風、浜風、谷風――」

「伊168、伊19、伊58――」

 

「加賀」

「はい」

「赤城、翔鶴、瑞鶴、龍驤、春日丸――」

 

「鳳翔さん」

「……」

「鳳翔」

「はい」

「間宮、伊良湖、香取、鹿島……――この鎮守府を支える全ての艦娘達よ!」

 

 提督は港に集まる全ての艦娘達を見渡し、満足そうに頷き、そして、優しく微笑みながら言ったのだった。

 

「――よく、頑張った」

 

 提督の言葉を聞いた瞬間。

 

 私はもう膝を折ってしまいたかった。

 今すぐにでも跪いてしまいたかった。

 喉元に何かがこみ上げてきた。

 目元にも、涙がこみ上げてきそうだった。

 たった一言、そのたった一言だけで。

 それほどまでに胸は熱く、心は滾ってしまった。

 他の者もそうだっただろう。

 

 私達が母港に帰投するまでに、私達の勝利を知った間宮から無線が入った。

 戦場へ向かう私達を送り出し、一人きりになった執務室で、提督は人知れず、目が赤くなるほどに泣いていたとの事だった。

 艦娘達を送り出すしか出来ず、何も出来ない自分が悔しいと、そう言っていたと。

 願わくば、一人たりとも欠けてほしくは無いものだと、そう言っていたのだと。

 私達に悪いからと、決して自分だけが食事をしようとせず、休息を取ろうとすらせず、一睡もせずに、私達の砲撃音を聞きながら執務をこなしていたのだと。

 工廠に金剛を迎えに行き、出撃させた後も、少しだけでも休んで下さいという鳳翔の言葉にも従わず、椅子にも座らずに心配そうに窓の外を見つめ続けていたのだと。

 

 提督は、あの方は、表情に出さずとも、私達の事をそこまで想っていてくれたのだ。

 あれほどの神算で勝利を導いてなお、自身だけが安全な場所にいる事が悔しいと、私達だけに命を賭けさせて悔しいと、涙を流してくれたのだ。

 

 提督のあの抽象的な指示は、やはりそういう事だったのだ。

 私達に対しての試練だったのだ。

 それは私達が乗り越えなければならない試練だった。

 私達が悩み、苦しむと知ってなお、提督は私達を信じて、あえて突き放したのだ。

 

 前提督の横暴に耐え兼ね、ついに命令に従わなかった私達を。

 初めて提督に逆らった艦娘と認識され、警戒されていた私達を。

 貴方に歯向かう可能性を持っていた兵器を。実際に貴方に不信感を抱いていた道具を。

 それを理解していながら、なお。

 

 信じて下さったのですか。

 よく頑張ったと、そう言ってくれるのですか。

 

 ――有り難き、御言葉――!

 

「皆、後ろを見てくれ」

 

 提督の言葉に、私達は一糸乱れず回れ右をする。

 すると、私達の眼に飛び込んできたのは――。

 

 朝日が、夜戦明けの眼に沁みた。

 水平線が赤く染まっている。

 黒く絶望に塗りつぶされていた海は、明るく、青く、静けさを取り戻していた。

 

 提督が見せたかったのは、水平線から昇る太陽。

 私達が守る事の出来た、日の丸。

 

 暁の水平線に――私達は勝利を刻む事ができたのだ。

 

「素晴らしい」

 

 提督が、息を漏らした。

 私達も思わず言葉を失い、目の前の光景に見惚れてしまう。

 それは、我々の勝利の証。

 私達が守った平和の証だった。

 

「この景色を見る事が出来た……それだけで、この鎮守府に来た甲斐があったというものだ」

 

 目の前に広がるそれは、今となってはかけがえのない景色だ。

 深海棲艦に侵略された領海ではドス黒く、赤い瘴気のようなものに覆われ、海面は嵐のように荒れる。

 

 目の前の空は白く、海は青い。

 水平線だけが、朝日に照らされて赤く染まる、穏やかな波音だけが耳に残る静かな海。

 この海はまさに、平和の象徴だ。

 

 平和な海を見る事ができた、ただそれだけの事に、こんなにも満足そうに頷くとは。

 やはり、この人は前提督とは違う。

 自身の事ばかりを考えていた前提督とは違い、この御方はこの国の平和、そして私達艦娘の無事、ただそれだけを願っている人だ。

 

 深海棲艦の行動を全て手中に収めた洞察力。

 私達を試すような厳しい指揮を行いながらも、私達を想って涙を流せる優しき心。

 艦娘一人一人に向けられる、慈愛の眼差し。

 この国の平和だけを願う、清廉潔白な人格。

 それは正に、提督の鑑――。

 

「いつまでも眺めていたいものだが……そういう訳にもいかないな」

 

 提督は名残惜しそうにそう呟き、私達は再び回れ右をする。

 

「――我々の勝利だ。損傷の大きい者から優先して入渠、傷の浅い者は明石の泊地修理。各自、補給はしっかり行い、休息を十分に取るように。報告書はそれらが全員、済んだ後でいい。以上、解散!」

 

 提督はそう言うと、背を向けて足早に戻って行ってしまった。

 この場に、戦場に立っていない自分がいるのは無粋だと思ったのかもしれない。

 

 やがて、誰からともなく、歓声が湧き上がる。

 感情を抑えきれなかった。

 タガが外れたかのように、言葉に出来ない狂喜の感情を吐き出すように、皆は次々に叫び始めた。

 声にならない勝鬨を上げた。私もどうにも堪え切れず、心のままに大声で叫んだ。

 感極まって泣いている者もいた。私の頬にも、一筋の涙が流れた。

 それでも全員、笑っていた。

 互いに抱き合う者、肩を組む者、諸手を上げて飛び跳ねる者、地面を踏み叩く者。

 誰もが皆、泣きながら笑っていた。

 この身体全身を使ってなお、狂喜の感情を上手く表す事ができなかった。

 

 胸に灯った熱が、未だに消えない。

 

 私は――私達はこの日の事を、一生忘れないだろう。

 暁の水平線に勝利を刻む事が出来たこの日の事を。

 

 この鎮守府は、今まではあの夜の海のように、黒く、赤く染まっていた。

 それがいとも容易く、目の前に広がるあの静かな海のように、白く、青く染め上げられた、この日の事を。

 

 ――私達の、最高の提督と初めて出会ったこの日の事を、私は決して忘れはしまいと、強く心に誓ったのだった。

 



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020.『最高の提督』【提督視点】

『提督さんを囲えー』

『祝えー』

『わぁー』

『わぁい』

『歌えー』

『踊れー』

『はぁー、よいしょ』

『それそれそれー』

 

 妖精さんがどんどん俺の周りに集まってくる。

 万歳をしながら俺の周りを回り始めた。俺は盆踊りの櫓か。

 そういえば外国ではキノコが円状に生える現象をフェアリーリングというらしい。

 妖精さんが輪になって踊った跡にキノコが生えると信じられているらしいが、その正体はまさかこれでは無いだろうか。

 

 動くに動けない俺を見て、鳳翔さんと間宮さんが笑った。

 

「まぁ、なんて微笑ましい……」

「えぇ。こんなに妖精さんに懐かれている方は見た事がありません」

 

「そ、そうなのか……うむ」

 

 懐かれてる……というのか、これは。

 明石もそんな事を言っていたが……。

 鳳翔さん達には聞こえていないだろうが、妖精さん達は妙な歌を歌いながら俺の周りを踊り続ける。

 何だその夏祭りのような歌は。

 

『童貞音頭です』

 

 何が童貞音頭だ。お前らホント後で覚えてろよ。お前コレ立派な虐めだからな。

 鳳翔さんさえ見てなかったらお前らなんか一瞬で蹴散らせるんだからな!

 流石に可哀そうだからやらないが、やろうと思えばそれくらいは出来るんだからな!

 

 俺を蔑む歌を延々と聞かされながら馬鹿にされるのもムカついたので、俺は妖精さん達をまたいで鳳翔さん達の方へ向かった。

 妖精さん達は俺に構わず踊り続けている。

 キノコ生えてきたら責任持ってちゃんと収穫しとけよマジで。

 

「と、ともかくこれで私の目的は終わりだ。後は、皆の帰りを待つだけだな」

 

 歓迎会から逃げる為とはいえ、流石に戦闘時間が長すぎる。

 金剛に伝言も頼んだし、そろそろ帰ってくるだろう。

 

 アイツらが帰ってくるまでは寝る事もできない。

 せっかく鳳翔さんに手伝ってもらってまで、徹夜で書類を処理したのだ。

 ここでアイツらよりも先に休んでしまっては意味が無い。

 寝ずに仕事を終わらせてアイツらを待っていた事を見せつけてやらねば。

 できれば一人にさせてもらって、その間に『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』を読み込んでおきたいのだが……。

 鳳翔さんが俺の監視をやめる気がしない。

 

「皆の帰りを……提督は、皆が帰ってくるのだと信じておられるのですね」

 

 鳳翔さんがそう言った。

 え? 何? もしかしてこのまま逃亡して帰ってこない可能性とかもあるの⁉

 それは流石に考慮していなかった。

 そ、そうなったら提督として無能ってレベルじゃねーぞ。

 着任一日目にして艦娘に逃亡されるとか、提督に向いていないという話では無い。クビになってしまう。

 

「……そうだな。願わくば、私の下からは、一人たりとも欠けてほしくは無いものだ。私にそれだけの力があるかはわからないが……」

 

 何だか自分で言ってて落ち込んできた。

 アイツらが帰ってきた時に、翔鶴姉とか千歳お姉とか、香取姉の姿が無かったらどうしよう。

 俺は本当に死ねる。いや、歓迎会欠席の時点で嫌われてる事はわかってるんだけど……。

 

 俺の表情が曇った事に気が付いたのか、不意に間宮さんが俺の手を取り、じっと俺の眼を見て、言ったのだった。

 

「大丈夫です。提督、貴方ならきっと大丈夫! 私だって、そう願っています。私も精一杯、提督のお手伝いをします!」

 

 結婚したい。

 い、いや、違った。俺の目的はハーレム。俺の目的はハーレム。

 しかし、間宮さん、これはいけませんよ。

 そう簡単に、異性の手を握るものではありません。

 たとえ間宮さんは俺の事を異性として見ていないのだとしても、俺みたいにチョロい奴は、すぐに堕ちるんだから。

 手を取られただけで好きになっちゃうのだから。結婚したい。

 いや、俺は自分の事をよく理解できているからまだよかった。

 俺の事なんて好きになってくれる女性はいないと理解しているからかろうじて勘違いとかしないけど、そうじゃない奴は勘違いしちゃうからね? 気をつけないと。

 

 うっひょー! 手ぇ小っちゃ! 指細っ! すべすべで柔らかーい! あったかーい!

 アッ、また俺の機関部がオーバーヒートしそう。鼓動パナイ。死ぬ。

 でも間宮さんの顔を見てたら自動的に疲労回復して永久コンボ。

 死ぬに死ねない。生き地獄、いや、生き天国。

 手を握られてるだけでそろそろ天国にイキそうです。

 俺が心の中で鼻の下を、ズボンの中で股の下を伸ばしていると、鳳翔さんがにっこりと微笑みながらこう言ったのだった。

 

「そうですね。提督の願いはとても困難な道のりでしょうが、私も力になれればと思います」

 

 俺の下から艦娘が逃亡しないようにするのって、そんなに困難な道のりなの⁉

 鳳翔さんアンタ本当に容赦ないな! 本当に笑顔でズバっと言うな!

 わかってますよ! 逃げられないように頑張りますよ! これからもお力を貸して下さいね!

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 執務室の窓から外を見れば、もう空が白んできている。

 来たぁ! 朝だぁ! 朝です! 朝の風ってほんっと気持ち良いー!

 そんなわけがない。いや、朝の空気は好きだが、気分は落ち着かない。

 鳳翔さんが気を使って何度も休むように言ってくれたが、不安で仕方がない。執務机に座っているのも落ち着かず、ひたすら窓の外を眺めながら祈るしかなかった。

 全員帰ってきてくれるだろうか……一人でも逃亡してしまったら、俺の提督の地位が、ひいてはハーレム計画に支障が……。

 

「提督! 港の加賀さんから無線が……敵艦隊の迎撃に成功! これから艦隊が、帰投するそうです!」

 

 鳳翔さんが嬉しそうに、そう言った。

 結局この人、本当に一晩中、俺の監視を務めおった。恐ろしい人だ。

 敵艦隊の迎撃に成功って……逆に数十人で出撃して、どうやったらこの時間までかかるのだ。

 駆逐イ級とかってそんなに強いの? そんな訳がない。引き延ばすにも程がある。

 金剛も、伝言してくれれば早く帰ってきてくれていいのに、まだ帰ってこないし。

 まぁ、感動の再会が何とかと言っていたから、積もる話もあるのだろう。

 俺の偏見かもしれないが、女子会と言えば恋愛トークか陰口だ。上司、つまり俺の悪口で盛り上がっていたりして。凹む。

 

 うぅむ、しかし、人数が減っていないかが気になって仕方が無い。

 一刻も早く確かめねば。

 

「出迎えに行ってくる」

「はい。私もご一緒します」

 

 俺は席を立ち、港へと向かった。

 向かう途中で、何やら重たい荷物のようなものを背負い、引きずっている少女が、こちらに向かってきているのに気が付いた。

 

 少女、雷は俺の姿に気が付くや、その手から荷物を放して敬礼する。

 

「あっ、司令官! おはようございます!」

「う、うむ。おはよう。ところでその後ろの……」

「あぁっ、ご、ごめんなさい天龍さん! 落としてしまったわ!」

「……お、おう……」

 

 雷に背負われて、いや、身長が違いすぎて半ば引きずられていた天龍は、顔面から地面に叩きつけられ、そのまま動かなかった。

 微妙に痙攣しながら返事をしていたので、なんとか生きてはいるようだったが。

 ボロ雑巾のように見えた天龍だったが、よく見れば服が破れてしまって世界水準を軽く超えた胸部装甲から肌色がポロリしている。

 スカートも破れており、白いパンツがチラリしていた。

 これこれ! こういうの欲しかったんだよ! 早くぶっ放してぇなぁ。

 俺の股間をこんなに強化しちゃって大丈夫か?

 

 い、いかんいかん。

 こんなにボロボロなのだ。そういう目で見てはいかん。

 

「お前達も今帰ってきたのか」

「いいえ、天龍さんが大破しちゃったから、私だけ先に連れて帰ってきたのよ。他の皆はまだ戦っているわ」

「ちょうど今、戦闘が終わったと連絡があって、私達もお出迎えに行くところでした」

「鳳翔さん、本当? やったわ! 私もお出迎えに行きたいところだけど、天龍さんの入渠をお手伝いしなきゃだから、もう行くわね!」

 

 雷はそう言って、再び天龍をその背に背負い、引きずりながら歩きだそうとする。

 背負うと言っても、天龍の両腕を肩から回し、掴んでいるような感じで、天龍の下半身は地面に引きずられる形になる。

 

 瞬間。俺は――閃いた。

 

「雷。私が背負うのを代わろう」

「いいのよこれくらい。もっと私を頼ってくれてもいいのよ!」

「提督命令だ」

「えぇー……」

 

 俺の十八番、職権乱用である。

 雷に背負われている天龍を横から見た瞬間、そこには世界水準を軽く超えた景色が広がっていた。

 押しつぶされて改装された天龍改二乙ならぬ天龍のパイオツである。

 こんなものを見せつけられては、たとえボロボロであっても、そういう目で見てしまっても致し方無し。職権乱用不可避。

 

「雷さん。提督は、遠征帰りで疲れてる雷さんを気遣っていらっしゃるみたい。ここはお言葉に甘えてはどうかしら」

「そっか……ありがとう司令官! 優しいのね!」

 

 鳳翔さんがナイスフォローしてくれた。

 うむ。その通りである。雷も天龍も疲れているだろうからな。

 特に天龍は、大破状態で引きずられてはたまったものでは無いだろう。

 俺の下心は、天龍をいたわる気持ちという名のダズル迷彩で隠されている。もっと俺を頼ってくれてもいいのよ!

 鳳翔さんの眼さえも欺く策略。

 神算鬼謀を自在に操る俺の事を智将と呼んでくれてもいいのよ?

 

「い、いいよ提督……思いっきり濡れてるし、焦げちまってるし、さっきから引きずられて砂だらけだしよ……汚れちまうよ」

「構わん」

 

 天龍が恥ずかしそうに、小さな声でそう言ったが、身体は言う事を聞いてくれないようだった。

 フフフ、身体は正直である。

 俺はその声に構わず、天龍を背負う。

 天龍は腕に力が入らず、そのまま俺の背にもたれかかり、世界水準を軽く超えたそれが俺の背に押しつぶされて姿を変え――。

 

 ――ぱんぱかぱーい! 股間に未だかつて無い勢いで血液が補給された。

 俺の主砲の火力MAX。

 俺の魚雷の雷装MAX。

 俺の機銃の対空MAX。

 俺の陰部の装甲MAX。

 これが……これがチン大化改装……!

 

「……あーあ、汚れちまった。新品じゃねぇのかこの軍服……」

「カマワン」

「……おい、オレそんなに重いか? そんなに前かがみになっちまってよ」

「モンダイナイ」

 

 身体は正直である。

 俺は一歩一歩、幸福を噛み締めるように歩み出した。

 背中に全神経を集中しろ。五感の全てを触覚に集中しろ。

 くそっ、何でこんなに無駄に生地が分厚いのだ、この軍服という奴は。脱いでから背負えば良かった。これでは感触が完璧にはわからんではないか。

 手袋も邪魔だ。太ももの手触りが全くわからん。夕張の時といい、この手袋はセクハラの邪魔だ。実にけしからん。

 しかし、この状態ですらこの柔らかさだというのに、軍服を脱いでしまったらどうなるというのだ。

 是非とも次の機会には試してみたいものである。

 

「……へへっ、悪ぃな提督。余計な仕事押し付けちまってよ」

「カマワン」

 

 むしろもっと押し付けちまってほしい。

 しかし、やはり戦いとなれば、こんなにボロボロになるものなのか……。

 目立った外傷は無いものの、天龍は自分の足で歩けないほどに疲弊しており、満身創痍といった状態だ。

 

 ……なんだか、それを見て股間を膨らませてる俺って、かなり最低じゃないか?

 

 考えなければよかった。

 背中の幸せな感触もそれ以上楽しむ気になれず、俺の股間もすっかりしおらしくなってしまった。大潮です。

 何と言うか……、うん。

 よくよく考えれば、艦娘達は俺達を守る為に戦ってくれてるんだよな。

 俺が仕事も探さずにオータムクラウド先生の作品を読んでデイリー任務に勤しんでいた時も、こんな風にボロボロになっていたのだ。

 罪悪感がひどい。申し訳ない。

 俺はもうたまらなくなって、思わず天龍に言ったのだった。

 

「天龍……本当にありがとうな」

「あぁ? 何がだよ」

「いや、こんなにボロボロになってまで戦ってくれたお前を背負っていたら、何だかな……申し訳なくてな。自分が情けなくなる」

「……なぁに言ってんだよ、提督。オレの方こそありがとうだぜ。俺を旗艦に抜擢してくれてよ。こんなに楽しい夜は久しぶりだったぜ……」

「お前がそれでいいなら何も言わんが、頼むから轟沈だけはしないでくれよ。できればこんなにボロボロな姿も見たくは無いのだ」

 

 そうだ。自分で口にして、気が付いた。

 こんなに満身創痍なのがいけないのだ。

 先ほどの翔鶴姉のように、せいぜい艤装が壊れて装束が破れるくらいなら、こんなに罪悪感に苛まれる事は無い。

 むしろいいオカズではないか。

 

 天龍お前、何ボロボロになってるんだ。馬鹿者め。これでは罪悪感でオカズにできん。

 

 今の天龍のように大破は駄目だ。艤装や装束だけでなく、本人まで疲労困憊している姿を見ては、罪悪感に苛まれる。

 轟沈など以ての外だ。それだけは絶対に駄目だ。オカズどころではない。罪悪感で逆に飯が食えなくなる。

 小破も駄目だ。艦娘に被害が少ないのはいいが、艤装と装束の損傷が軽微すぎる。

 艤装と装束が破損し、かつ、艦娘の身体自体にはそこまで影響が無い中破がオカズとしてはベストコンディションであろう。

 俺が後ろめたさを感じる事が無いように、これ以降、艦隊の皆にはなるべく大破しないで頂きたい。

 

 俺の言葉に、天龍は少し気恥ずかしそうに言葉を返した。

 

「な、何だよ提督……意外と心配性だなぁオイ。それより、次の出撃もオレを外すなよ」

「それはまた戦況と相談だ。必要な時には勿論、頼りにさせてもらう」

「……へへっ、期待してるぜぇ、提督」

 

 天龍は嬉しそうにそう言うと、無意識にだろうか、今まで以上に俺に身体を押し付けてきたのだった。

 俺の股間のチン龍ちゃんはすでにチン大化改修MAXであった。

 すでに限界である。

 これ以上の刺激を受けては、轟チン不可避。

 少しの刺激で暴発寸前。

 露出の多い艦娘の方もなるべく見ないようにしなくては……。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ぱんぱか、ぱかぱーい!

 ぱんぱかぱかぱか、ぱかぱかぱーい!

 

 天龍を入渠施設へ送り届け、ようやく帰投した艦娘達を出迎えた俺は、思わず言葉を失った。

 言葉というか語彙力を失った。

 艦娘を見ないようにするなど、不可能だった。

 俺は――夢でも見ているのではないか。

 

「第一艦隊旗艦、長門。報告します。敵主力艦隊五隻、敵補給部隊十八隻、迎撃成功しました。こちらに轟沈した艦は……無し!」

「ウム」

 

 衝撃のあまり、長門が何を言っているのか全然頭に入ってこなかった。

 目の前には艦隊ごとに整列している艦娘達。

 いつの間にやら、遠征に出ていた大淀達も合流していたようだ。

 全員を代表して、一歩前に出た長門は――中破していた。よーし、コンディション最高ー!

 これが噂のビッグセブンか……。胸が厚いな。俺の股間も熱いな……。

 

 長門だけでは無い。

 先ほど出て行ったはずの金剛も、比叡も、榛名も、霧島も、姉妹仲良く中破している。コンディション最高ー!

 金剛型はその胸部装甲をサラシで押さえつけていたらしく、四人とも出撃前に俺が目視により計測していたものを遥かに上回るサイズのそれが露になっていた。

 流石戦艦、データ以上の胸ですね。

 俺のマイク限界大丈夫? チェック、ワン、ツー……よし。

 

 その戦艦の超弩級胸部装甲を上回るインパクトを俺に与えたのは、千歳お姉、千代田、磯風、浜風、浦風、谷風の艦隊だ。

 全員中破。コンディション最高ー!

 こちらは元から押さえつけておらず、その存在は十分に理解していたつもりだったが、まさかここまでのものだったとは。

 水上機ボイン姉妹はともかく、他の三人は本当に駆逐艦なのだろうか。一部の軽巡洋艦に謝れ。大淀とか夕張とかに。

 谷風は別の意味でインパクトがあった。こいつだけは早く服を着せてあげたい気持ちになった。なんかゴメン。俺が満足するまでもうちょっと我慢して。

 

 妙高さんは小破程度だったが、那智、足柄、羽黒、利根、筑摩は揃って中破していた。コンディション最高かよ……!

 妙高型四姉妹と利根姉妹は、生地の厚い装束が破れ、その下に着ていた白いブラウスが水に濡れ、透け透けであった。

 透け透けのブラウスは決して直接的に肌を露出していないというのに、普段から丸見えの長門や夕張のお腹よりも興奮できた。

 普段の露出が控えめだからこそ、透け透けの薄いブラウス越しに彼女達の肌色を目にする事は特に貴重、故に欲情不可避。オータムクラウド先生の教えである。

 素晴らしいわ! 漲ってきたわ……! ねぇ! 試し撃ちしてもいいかしら⁉

 利根はペチャパイかと思ったら意外とある事が判明し、龍驤、谷風とはめでたく別枠扱いとなった。

 

 少なくとも俺のハーレム候補である艦娘は、誰一人として逃亡していないようだった。

 駆逐艦は数が多くてまだ全員覚えていないが、この様子では逃げた者はいないだろう。

 一安心だったが、今は別の意味で心が落ち着かない。

 

 何でこんな鎮守府近海で、ここまでボロボロになるのかが気になったが、すぐにどうでもよくなった。

 報告された敵の数も多かったように聞こえたし、無理やり敵を探して時間を引き延ばして戦っている内にダメージが蓄積したのだろう。

 そんな事よりも、今のうちに、この素晴らしい光景を目に焼き付けておかねばならない。

 もう二度と、こんな光景は見られないだろう。

 何とかして時間を稼がねばならない。

 

 俺は咄嗟に、長門の名前を呼んだ。

 

「長門」

「はッ!」

 

 何だかもう、俺の事を嫌いかどうか、などという事はどうだってよかった。

 歓迎会に参加したがらなかった事も、もうどうだってよかった。

 俺が提督である限り、この光景を見る事ができる。

 ただそれだけで全てが許せた。

 名前を呼ぶと姿勢を正すものだから、当然、胸など大事な部分を隠せないわけで……。

 

 いかんいかん。胸を見るな。ガン見するな。

 それで俺はこいつらに警戒されているではないか。

 同じ轍は二度と踏まない。

 艦娘の眼を見据えながら、残りの視野で堪能し、その目に焼き付けるのだ。

 俺レベルのチラ見スキル持ちなら可能なはずだ。

 

「金剛」

「ハァイ!」

「比叡」

「はいっ!」

 

 次々に名前を呼んでいく。

 提督への報告という真面目な場面だからか、誰一人として恥ずかしがるそぶりを見せなかった。あの羽黒ですらだ。

 ハラショー(素晴らしい)……スパスィーバ(ありがとう)……ウラー(万歳)……ただそれだけしか言葉が出なかった。

 何とかして時間を稼ごうとしたが、ついに名前を憶えていないゾーンに差し掛かる。

 少しでも時間を稼ぎたかった俺は、とりあえず俺の隣に立つ鳳翔さんの名前を呼んだ。

 

「鳳翔さん」

「……」

「鳳翔」

「はい」

 

 微笑んではいたが、目が笑っていないように感じた。フフフ、怖い。

 

「間宮、伊良湖、香取、鹿島……」

 

 時間稼ぎも、もう限界だった。

 残りの駆逐艦達の名前は完璧には覚えていない。ボロが出ないように誤魔化さなくては。

 

「――この鎮守府を支える全ての艦娘達よ!」

 

 それらしく上手くまとめたのだった。

 いやぁ、実にいい光景を堪能させてもらった。

 ある意味で、歓迎会を開くよりもいいものを見る事ができたのではないか。

 そんな思いを込めて、俺は言ったのだった。

 

「――よく、頑張った」

 

 それは心からの言葉だった。

 これも、コイツらが俺の歓迎会から頑張って逃げてくれたお陰である。

 雉も鳴かずば撃たれまい、とは少し違うが、艦娘も逃げねば見られまいである。

 お前達が俺の歓迎会を避ける為に夜戦を頑張ったお陰で、俺はいいものを見る事が出来た。

 少し皮肉を込めた言葉だった。

 長門が、いや長門だけでなく皆泣きそうな顔をしている。

 いかん、流石に少し嫌味過ぎたか。反省だ。

 

 しかし、せっかくのいい機会なのだ。

 前からの景色だけでは勿体ない。後ろから見た景色も目に焼き付けねば。

 

「皆、後ろを見てくれ」

 

 俺の言葉に、艦娘達は一糸乱れず回れ右をした。

 瞬間、俺の目の前に現れる尻の艦隊。俺の股間が蒼き鋼と化した。

 

 ややっ、アドミラル・ヒップ級プリンケツ・オイゲン発見!

 それではいただきマックス・シュルツ!

 俺の股間のティーガー戦車、主砲仰角最大!

 パンツに向かってパンツァー・フォォォォオッ! んんーッ、ダンケッ!

 衝撃のあまり俺は意識を失い思わず駆け出し、そのまま尻の海に飛び込んでしまいそうだったが、なけなしの理性で何とか踏みとどまった。

 

 水平線から太陽が昇る。

 徹夜明けの目に朝日が沁みる。しかも逆光のせいで目標がよく見えなくなった。

 ちょっと眩しくて邪魔だからもう一回太陽沈んでくんない?

 目を細めて、何とか尻に注目する。よし。わらわには見える。

 

「素晴らしい」

 

 俺は思わず声を漏らした。

 俺の股間にケツ液、いや血液が更に補給される。

 スカートが破れ、清ケツ感、いや清潔感のある白い下着が見えている者。

 大人の色気を感じさせる黒い下着が見えている者。

 色とりどりの、フリートガールズ&パンツァーコレクション。

 パンこれ、始まります。

 いいこと? 提督の網膜に、ショーツを刻みなさい!

 下着の存在が確認できず、尻が半分見えている者までいた。

 普段は見ることのできない背中、太もも……。

 目の前に広がる素晴らしい光景を俺は満ケツ、いや満喫していた。

 

「この景色を見る事が出来た……それだけで、この鎮守府に来た甲斐があったというものだ」

 

 それは素直な言葉だった。

 俺の本心からの言葉だった。

 

 もう俺の歓迎会に出席しなかった事などどうだってよかった。

 許す。俺が許す。

 お前ら全員半ケツ、いや判決、無罪!

 

 俺は改めてケツ意、いや決意した。

 俺は絶対にハーレムを諦めない。艦娘達は俺の事を、歓迎会にも参加したくないと思うくらいに嫌っているが、それでも俺は諦めない。

 人望が足りない事など知った事か。

 こんなに素晴らしい景色を尻ながら、いや知りながら、諦めるという苦渋のケツ断、いや決断など出来るはずがない。

 人望が無いのならば、これから挽回すればいいのだ。

 加賀にも話したPDCAサイクルだ。

 失敗したのならその原因を分析し、改善する事が、成功へ繋がる秘ケツ、いや秘訣だ。

 幸いにも、俺には鳳翔さんや間宮さんなど、一応信用できる人達がいる。

 鳳翔さんは少し怖いが、皆でエッチ団ケツ、いや一致団結すればきっと出来るはずだ。

 好かれるまでは行かずとも嫌われない程度の人望と、艦娘が逆らえないほどの権力を手にする事が。

 

 ――俺は絶対に、完璧に、有能な提督を演じきる。

 

 この景色を守る為に。

 そして、いつかこの素晴らしい景色を手中に収める為に。

 俺の夢を、艦娘ハーレムを実現する為に!

 

「いつまでも眺めていたいものだが……そういう訳にもいかないな」

 

 あまり長時間眺めていても不自然に感じるだろう。

 今までの俺であったらこのあたりの塩梅を誤り、艦娘の人望を失っていたはずだ。

 すでにこれ以上失う人望は無いが、俺は学んだのだ。もう二度と同じ失敗はしない。

 ガン見はほどほどに。チラ見程度で。

 見る時間が減った分は、気合と根性と愛国心による瞬間記憶でカバーだ。

 

 再びこちらを向くように促すと、艦娘達は先ほどと同じように回れ右をした。

 やっぱり前からの景色も素晴らしいな……いや、これ以上見る事は出来ない。もう限界だろう。俺の股間も。

 

「――我々の勝利だ。損傷の大きい者から優先して入渠、傷の浅い者は明石の泊地修理。各自、補給はしっかり行い、休息を十分に取るように。報告書はそれらが全員、済んだ後でいい。以上、解散!」

 

 俺は早口にそう言って、即座に踵を返す。

 艦娘達への指示は、俺がデイリー任務をこなす為の時間稼ぎだ。

 すでに股間のビッグセブン陸奥(ムッツ)リの主砲は暴発寸前だった。あら、あらあら。

 このままでは主砲火薬庫爆発事故が起こる。マラ、ムラムラ。

 網膜に焼き付けた記憶が少しでも薄れないうちにデイリー任務をこなすべく、俺は前かがみになりながら、忍者走りで執務室へと走り去る。

 

 ようやく俺が消えたからか、背後から大歓声が湧き上がった。また涙が出てきた。

 歓声に混じり、ゴリラのごとき猛獣の咆哮が大気を震わせる。

 よくよく聞いたら長門の叫び声だった。

 こうやって走っているだけでも、股間を刺激と快感が襲い、ヤバい。何かヌメヌメするぅ⁉

 執務室の奥にある提督専用トイレへ急ぐ。

 あぁっ、もう間に合わん! よしッ、提督専用トイレの個室確保! 施錠確認!

 何とか辿り着いた執務室(シャングリラ)で俺は蒼穹に、いや早急にファスナーを下ろす。

 

 俺、抜錨!

 砲雷撃戦、用意!

 

 イク、イクの! イクの魚雷が、うずうずしてるの! イクの魚雷攻撃、イキますなのね! 酸素魚雷六発、発射するアッ。

 

 …………。

 

 やりました。

 流石に気分が高揚します。

 

 俺は小さく溜息をつき、なんかもう色々と明日から頑張ろうと思ったのだった。凹む。




ここまで読んで頂きましてありがとうございました。
これにて第一章は終了となります。
大体ラノベ一冊分くらいにまとめられたと思います。
ここまで目を通して頂けた皆様には、とても感謝感激です。
皆様から頂いた感想を読み返すのが、私の毎日の楽しみとなっております。

今後もまた章ごとに書き上げ、完成したら毎日投稿していくスタイルで投稿しようと思っております。
一応ラストまでのプロットは出来ているのですが、現在、このお話を書き上げるのが先か、私の下ネタが尽きるのが先かのチキンレース状態となっております。
しばらくお待たせするかとは思いますが、ご容赦ください。


本日より艦これでは夏イベが始まりますね。
私も今年の五月に始めたばかりのクソ新人提督ですが、春イベのE1でお迎えできた伊13と水無月は宝物です。
今回は何人のニューフェイスをお迎えできるのか、楽しみです。
このお話を読んで、少しでも艦これに興味を持っていただける方が増えてくれれば、何よりの喜びです。


それではしばらく、お待ちいただく事になります。
第二章からもまた目を通して頂ければ、幸いです。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。




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第二章『歓迎会編』
021.『報告書』


「ほぉ、舞鶴鎮守府はまた駆逐艦だけで敵中枢を撃破したのか」

「流石は駆逐艦運用のエキスパートと呼ばれるだけの事はありますね」

 

 朝風くんではないが、私はまだ涼しい朝のうちに書類に目を通すのが好きだ。

 

 朝一番に、舞鶴鎮守府からの報告書に目を通しながら、私は一人で大袈裟に呟いた。

 秘書の山田くんは、そんな私の呟きにいちいち答えてくれるのだ。彼女には何度も気にしないでいいと言うのだが、どうも無視しているように感じられるとの事で、毎回返事をしてくれる。

 真面目で気が利く良い子なのだが、そういう所は少し融通が利かない。

 横須賀鎮守府の大淀くんからさらに茶目っ気をそぎ落としたような子だ。

 

「しかし、何故、彼はあそこまで駆逐艦のみの運用にこだわるのでしょう。舞鶴鎮守府には他の艦種も豊富に揃っているというのに」

 

 山田くんは更に話題を広げようとしたのか、それとも純粋な疑問だったのか、そう言葉を続けた。 

 確かに、事情を知らない者からすれば、彼の行動は異端としか思えないものだろう。

 

「うん。実はね、深海棲艦の領海には、ある種の制限がかかっている場合があるという事が、つい最近発見されたんだ」

「制限……ですか?」

「そうだね。それを発見したのも舞鶴の彼さ。深海棲艦の領海には、ある特定のルールを持つ結界が張られている場合がある、とね」

「特定のルール……例えば、戦艦や正規空母ではその結界を抜けられない、というような事ですか?」

 

 山田くんはやはりこの事を知らなかったようだ。

 目を丸くして、興味深そうに質問攻めをしてくる。

 こうして目を輝かせている姿を見れば、年相応に見えるのだが。いや、彼女もいい大人だし、子供扱いは失礼だろうか。

 

「彼が発見したのはまさにそれだった。敵棲地の場所は推測されている。だが、何度進撃しても方向を見失い、強力な敵艦隊に迎え撃たれ、消耗するしかなかった謎の海域だった。彼はそこを、あえて駆逐艦のみの軽い編成で向かう事で、結界をすり抜け、見事、敵棲地を発見、敵を撃滅する事に成功したのだ」

「なるほど、結界が網のようになっていたとして、大型艦はそれに引っかかってしまいますが、駆逐艦は網の目をすり抜けた、といった感じでしょうか」

「彼も同様の解釈をしているのだろうね。駆逐艦が結界攻略の鍵となる場合は多い。もちろん、それで駄目な時には駆逐艦に限らず、様々な編成を試しているよ」

 

 とはいえ、彼はちょっとやそっとの事ならば迷わず駆逐艦を選ぶのだが。

 結界が疑われない海域にも駆逐艦のみの編成で出撃する。そして大体勝利する。

 思えば、結界の存在が判明する前から、彼は駆逐艦に異常なほどのこだわりを持っていた。

 

 彼は駆逐艦のみの編成で先に進めなかった場合に、ようやく他の艦種を選択する。

 曰く、燃費が良く、負傷した時に消費する資材の量も少ない為、資材が貯まりやすいとの事。

 資材に余裕が出来れば、その分、演習や実戦により効率的に駆逐艦を鍛える事ができる。

 装甲の薄い駆逐艦だが、強力な敵の砲撃も当たらなければどうと言う事も無い。

 遠征も実戦も何でもこなせる、駆逐艦は最高だとの事。

 

 欲を言えばもっと手元に朝潮型が欲しいとよく言っている。陸奥くんや高雄くんと交換でいいから、横須賀鎮守府の朝潮くん達をこちらに異動させてくれと、たびたび申請が来る。

 彼は駆逐艦育成にも長けており、彼が着任してから吹雪くんや叢雲くんも改二に至る事が出来たという実績もある。

 駆逐艦運用のエキスパートとして、横須賀鎮守府で燻ったままなかなか芽が出ない朝潮くん達を育ててやりたいという事だろう。

 

 この一か月間、横須賀鎮守府には提督が不在であったが、そう言えば彼は駆逐艦だけなら引き取ってやってもいい、などと言っていた。

 流石にそれは戦力が偏る為に却下したが。

 

 それはともかく、彼の持つ駆逐艦への評価。そしてそれを証明するかのごとき実績。

 彼のような発想を持つ提督など、今まで存在しなかった。

 私や今までの提督達には考えもつかない発想。これが若さ、という事なのだろうか。

 

 艦娘と深海棲艦が現れてからの数年間。

 今までの提督達に多かったのが、いわゆる大艦巨砲主義。

 戦艦や正規空母などの大型艦の圧倒的火力を持って、敵を駆逐するのが一般的であった。

 その頃の軽巡洋艦や駆逐艦は遠征任務による資材の確保が主な任務であり、敵潜水艦が確認できた場合に、軽空母と合わせてその海域に出撃するくらいであった。

 重巡洋艦は高い性能を持っていながら、戦艦の安定性には劣るという事で、あまり用いられない時代があった。

 

 しかし、いくら資材を上手くやりくりしても、やはりそれでは消費量が多すぎるのだ。

 必然的に、勝率と反比例して出撃の頻度は減少し、その間に深海棲艦に再び領海を侵攻される隙を与えてしまう。

 そして最近まで判明しなかった結界の存在により、大艦巨砲主義だけでは進撃を行う事が上手くいかなくなっていた。

 舞鶴の彼がいなければ、じわじわと深海棲艦側に侵攻を許していた事だろう。

 

「うぅむ、しかし彼は駆逐艦達からの評判はいいのだが、他の艦娘達からは出番が少なすぎるとブーイングが多いんだよなぁ。今度私が視察に行って、声かけでもしておこうか」

「こんな事でいちいち現場を訪れていては、身体がいくつあっても足りませんよ。もっと一大事が起きたというのならともかく」

「うーん……そうだな。舞鶴の資材備蓄量は他の鎮守府に比べてダントツだし、彼が駆逐艦の練度を高めてくれている事で舞鶴の艦娘全体の性能差も縮まっているし……もう少し様子を見ようか」

「気になるのでしたら別の者を舞鶴の視察に向かわせましょうか」

「あぁ、それで頼むよ」

 

 視察ついでに、私の言葉を伝えてもらえばいい。

 山田くんは痒い所に手が届く提案を即座にしてくれる、とても気が利くいい子なのだ。

 真面目ではあるが顔立ちも整っており、他の男性職員からも人気が高いと聞くが、男っ気が一切感じられないのが不思議である。

 男よりも仕事だというのならば勿体ない、そろそろ結婚を考えてみては、などと考えてしまうのは私が歳を取ってしまった証拠だろうか。

 こういう事を口に出すのも最近ではセクハラ扱いになるらしい。難しい世の中になったものだと思う。

 

「しかし、佐世保鎮守府、大湊警備府の彼らにも負けず、皆若いのに優秀なのですね」

「横須賀鎮守府にも二日前から、新しい若者が着任した。まさかこの国の未来が、まだ三十歳にも満たない四人の若者達の肩に託されるとはね」

「実際に会ってみて、横須賀の彼はどうなのですか?」

「うん。近頃は珍しい、愛国心に溢れた若者だったよ。それ故に、こちらの事情できちんと教育を施す事なく鎮守府に着任させてしまった事が申し訳ない。彼自身もその困難さは理解できていたようだが……」

「よくそれで彼も納得しましたね」

「彼はむしろ、一刻も早く着任したいと言っていたからね。自身の不安よりも、提督不在で本来の性能を発揮できず、敗戦を重ねていた艦娘達をこれ以上見過ごす事が出来なかったのだろう。彼がそこに居る、ただそれだけで、少なくとも艦娘達は本来の性能を発揮できるのだからね」

 

 私も彼が着任するにあたり、細かく内情は説明したつもりだ。

 提督が指揮を執るかどうかで、彼女達の性能は大きく変わる事。

 しかし、前任の提督はそこに居るという事すらも受け入れられないほどに、彼女達に拒絶されたという事。

 彼女達にとって、そしてこの国にとってかけがえのない存在が、彼の手によって失われてしまったという事。

 その他にも、彼が提督として鎮守府に着任するにあたり、最低限必要な、重要な事柄だけを選りすぐって話したつもりである。

 私が話をしている間、彼は真剣な面持ちで何かを考えているようだった。

 前任の提督の指揮下にあった艦娘達が、一体どのような心情であったのかを考えていたのかもしれない。

 

 前任の提督の影響は未だに残っているだろう。

 提督というだけで、彼に不信感を持つ艦娘達も多いと推測はしている。

 更に、横須賀鎮守府の艦娘達は提督の指示に逆らった。それに大きく動揺した艦隊司令部の対応もまずかった。

 おかげで、横須賀鎮守府の艦娘達は提督に不信感を持ち、艦隊司令部の一部は艦娘達に不信感を持つという、実に不味い空気が広がっている。

 

 内情を知れば、前提督は歯向かわれても当然だと思うのが普通だと思うが、艦隊司令部の一部の者はそうではなかった。

 艦娘は軍艦であり、兵器であり、提督の指示に逆らうなど有り得ないと言う考えがそこにはあったのだろう。

 艦娘達は提督への信頼感により性能を増し、提督の指揮下で本来の性能を発揮できる。そこから、使う側の人間の方が、立場が上だという考えに繋がったのだろうと思う。

 戦う事が使命である艦娘達が、人間の指揮下で戦う事を拒んだ。

 これは大きな波紋を生んだ。

 

 艦娘達は、必ずしも私達の味方では無いのではないか。

 そう言った声が艦隊司令部の中からも上がってしまったのだ。

 それを声高々に主張したのが、それ相応の地位を持つ者だったから、性質(たち)が悪い。

 私からしてみれば、信じられない事だった。

 

「……山田くんは、艦娘達はただの兵器だと思うかい?」

「私は人間派ですよ。いわゆる軍艦の妖怪や付喪神とも言われる彼女達ですが、紛れも無く命ある、一人の女の子です」

「うん。私もそれに近い。資材の不足している状態の彼女達は、ただの人間の少女だ。しかし資材という名の不思議なエネルギーと、提督への信頼により神がかった力を発揮する。私は、艦娘達はただの人間ではなく、現人神(あらひとがみ)であると考えているんだ」

現人神(あらひとがみ)……人間でありながら、神であるという事ですか」

「そうだね。アニミズムって言葉を知っているかい」

 

 私の言葉に、山田くんは目を輝かせて顔を向けてきた。

 今まで見た事が無いくらい、興味津々といった感じだ。

 山田くんは早口に言葉を続ける。

 

「身の回りの全ての物に霊魂が宿っているという考え方の事ですね。ラテン語の『(アニマ)』に由来する言葉です。アニメの語源でもありますね。私、アニメは好きです大好きです」

「う、うん、私はアニメには詳しくないが……この国には八百万の神、つまり自然のもの全てに神様が宿るという考えがある。トイレや台所にもいるのだから、軍艦に宿っていてもおかしくは無いだろう」

「そうですね。実際に、彼女達を道具、兵器であると見なしているのはごく一部のグループだけで、多くの国民には、彼女達はこの国の守り神、守護神として扱われていますし。そして深海棲艦は台風などと同じように、ある種の天災として認知されています。いわば、深海棲艦は善神である艦娘と対を成す悪神でしょうか」

 

 山田くんがこんなに生き生きとしている姿を初めて見た……。

 意外にも、山田くんはアニメとか、もしくはその影響でなのか、民俗学やら神道やら、そういうものが好きだったらしい。

 うぅむ、人は見た目ではわからないものだ。そういうイメージは全く無かったのだが。

 勉強一筋の真面目な子だと思っていた。

 しかし飲み込みが早くて私としては非常に助かる。

 

「神には二面性がある。ぞんざいに扱われた神は、果たしてそれでも人々を守ってくれるだろうか」

「あぁー、なるほど。たとえ軍艦の神であろうとも、神としての性質がそれであるなら、という事ですね」

「神には祈りを捧げるものだ。深海棲艦という天災から、この国をお守りください、とね。だのに、艦娘に限り、まるで道具のように扱うのはおかしい事では無いか……と私は思うのだよ。まぁ、私一人の考えなのだが」

「いえ、たった今、私達二人の考えになりました。私も、その考え方は嫌いではありません」

 

 山田くんは、ふんすふんすと若干鼻息を荒くしながら、私に同意してくれた。

 この考えはあくまでも私一人が考えているだけであり、艦娘に関して現在主流の考え方ではないのだが、それでも共感をしてもらえるという事は嬉しいものだった。

 こんな事を主張した日には、自分の考えこそが正しいのだと信じて疑わない者達から無意味な議論を吹っ掛けられ、彼らが論破したと感じるまでそれに付き合わなくてはならなくなる。

 私は不毛な事が嫌いだ。彼らはこう思っており、私はこう思っている。

 艦娘の存在理由や、艦娘とは何か、という問いに正解などあるのかわからないのだから、互いに信じる考えがある、それで良いと私は思うのだが。

 

 ただ、私の考えと彼らの考えで、明確に違う部分があり、そこに衝突の可能性がある。

 それだけが少し、心配なのだ。

 

「私は、艦娘達は兵器ではなく、『兵器の神様』、そして人間であると考えている。ならば、神を祀るように、かつ、彼女達の人権を尊重して接しなければならないと思っているんだ」

「神として、かつ、人間の女の子として扱う、ですか」

「神様には祈りや供物を捧げるもの。ただし、彼女達はただの神様ではなく、現人神(あらひとがみ)だ。そうなると、ただの祈りや供物では無く、別のものを所望するのではないかと思うのだよ。そして彼女達の望みを満たした時に、彼女達は神としての力を存分に振るう事ができるのではないか、とね」

「彼女達が神としての力を発揮する為には、人間として、そして若い女の子として、欲しがるものを捧げなくてはならないという事でしょうか」

「うん。まぁ、仮説ですらない思いつきなのだが、その辺りはもう私は疎いからなぁ……山田くんは何か思い当たるものは無いかね」

「えぇと、美味しいものとか、お洒落とか、あとは……色恋沙汰とかですかね。若い女の子なら、その辺りに興味の無い子はいないんじゃないですか」

「ほぉ。山田くんもかね」

「そ、それは企業秘密です」

 

 山田くんは少し狼狽えると、誤魔化すように視線を逸らしてしまった。

 これもセクハラとやらに当たってしまうのだろうか。難しい世の中だ。

 しかし、美味しいものに、お洒落という衣食住に関する事はともかく、色恋沙汰。これは真面目な話、とても重要な事に繋がっているような気がする。

 この国だけではなく、世界の神々ですら、色恋沙汰で人間以上に面白おかしく踊り狂っている。

 若い女の子としてだけではなく、神としても、色恋沙汰にはとても関心があるのではないか。

 私の勘だが、そんな気がするのだ。

 

 色恋沙汰の行きつく先。

 神の前で誓う、永遠の絆。

 

 絆――それは、現在、私達が研究している新装備に関わるキーワードだった。

 

「山田くん、真面目な話だが、艦娘達も年頃の女性だというのなら……その、結婚とか、そういった事にも興味はあると思うかい」

「け、結婚ですか……ま、真面目な話なんですよね?」

「勿論だ」

「うーん……私の意見なので参考になるかはわかりませんが、やはり多かれ少なかれ、興味はあると思いますよ。駆逐艦にはまだ小学生くらいの精神年齢の子もいますけど、私が小学生の頃の夢はお嫁さんになる事でした。大人になればなるほどに、結婚という事には嫌でも興味を持つ事になるのではないでしょうか。艦娘達くらいの年頃であれば、素敵な旦那様と一緒になる事、自分が素敵なお嫁さんになる事を想像しない女の子はいないと思います」

「ほぉ……山田くんの将来の夢がねぇ」

「真面目な話ですっ!」

「ご、ごめん、つい……」

 

 山田くんは顔を真っ赤にして机を叩いた。

 真面目な話だと言ったのに冗談を言ってしまった私が間違いだった。申し訳ないと頭を下げる。

 

「いや、艦娘の性能の限界を超える特別な装備の研究がされているのは知っているだろう」

「えぇ。それは、まぁ」

 

 私は自身の左薬指を撫でる。

 家内を病で亡くしてから二十年以上経つが、それを未だに外す事は出来ない。

 それを家内に渡した時のあの顔だけは、今になっても忘れる事は出来なかった。

 

 この数年で、ほぼ確実と言われている事。

 それは、艦娘は必ず女性としての姿を持ち、提督の資質を持つ者は男性しかいないという事。

 処女航海や姉妹艦などという言葉が示す通り、古来より船は女性として扱われてきた。

 私もあまり詳しくは無いのだが、ルーツを辿れば外国からの風習が根付いたという事らしい。

 それ故にか、彼女達は女性としての姿形を持ち、頼れる、信頼できる提督を、男性を求めている。

 

 艦娘が現れてからの数年間で、人間側が艦娘に色情を抱いたという話はよく聞くが、艦娘が人間に対してそうであるという例は聞いた事が無い。

 横須賀鎮守府の鹿島くんなどは男性のファンが多いとも聞くし、艦隊司令部の若い男性職員が視察ついでに口説きに行くという話もよく聞く。

 説教ついでに話を聞けば、全く脈が無い、上手くあしらわれてしまうと、皆、口を揃えて言う。

 鹿島くんに限らず、他の艦娘も、人間とそういった関係になったという話は聞いた事が無い。

 

 人と神では、やはり感覚が違うのか。

 それともうちの若い者に魅力が無かっただけなのか。

 もしくは、「提督」で無かったからなのか。

 

 だとするならば、偶然にも若者達が提督となった現在は、今までとは状況が違うのかもしれない。

 

「提督と艦娘の絆……か。ふぅむ、説得力はあるし、提案してみてもいいかもしれないな。いやいや、山田くん、ありがとう。実に参考になったよ。今度ご飯でも奢るよ」

「えっ、でぃ、ディナーですか?」

「ハハハ、若い女性をディナーに誘う訳にはいかんだろう。安心したまえ、ランチだよ。近くに美味しい定食屋を知っているんだ。私のオススメはチキン南蛮定食なんだが」

「そ、そうですか……」

 

 山田くんは何故か落ち込んだように目を伏せてしまったが、話題を変えるように、すぐに顔を上げて口を開いたのだった。

 

「あ、あぁ、そう言えば、新しい提督が着任したばかりの横須賀鎮守府からたくさんの決裁書類が届いてましたよ。私もまだ目を通せていませんが」

 

 やけに今日は書類の量が多いと思ったが、横須賀鎮守府のものだったのか。

 しかしあの膨大な量……まさかこの一か月間で溜まっていた書類を僅か一日足らずで処理したとでもいうのだろうか。

 流石にこの量にしっかり目を通すとなると、私でも一日では捌き切れる気がしない。

 うーむ、どうやら彼はやはり仕事も出来るようだ。

 今は仕事はしていないようだったが、調べてみれば前職も事務職だったようだし、こういった書類仕事には慣れていたのかもしれない。

 

「申請書類の類は後で目を通すよ。それよりも、報告書はあるかな」

「はい。先に目を通されますか?」

「うん。提督達の初陣の報告書を見るのが私の数少ない楽しみでね」

 

 あまりいい趣味ではないのかもしれない。

 しかし、この初陣がいつか深海棲艦を打倒する第一歩なのだと思うと、どうにも心が躍るのだ。

 優秀な佐世保や大湊、舞鶴の彼も、着任初日は模索しながらの艦隊運用となり、最初の戦果は鎮守府近海の駆逐イ級などだ。

 そこから少しずつ進軍し、やがて鬼や姫級を打倒できるまでに成長する。

 その小さな一歩が、未来へと繋がるのだ。

 

 しかし、彼の場合は状況が違う。

 最初から提督に従順である艦娘達が揃う鎮守府に、事前にある程度の教育を受けて着任するのとは、あまりにも状況が違い過ぎる。

 横須賀鎮守府で彼を待つのは、出撃命令にすら従うかわからない、提督に不信感を持つ艦娘達。

 そして彼は、事前に教育を受ける暇が無いまま着任した素人だ。

 

 あの一癖も二癖もある艦娘達が、あの若い彼に素直に従うだろうか。

 ぱっと思いつくだけでも、まず加賀くんは絶対に従わないだろう。

 磯風くんも、心を開かせるのは難しいと思う。

 出撃命令一つにさえ、彼女達は執拗に噛みついてくるだろう。

 彼の心が折れていないかどうかが心配だ。泣いたりしていないといいのだが。

 

「うーむ、出撃すらもできていないかもしれないな。ともかく、後で励ましの電話を一本入れておこうかな」

 

 私はそう呟きながら、報告書に目を向けた。

 

 

 

『戦果報告』 ○○年○月○日 鎮守府正面海域

 

【艦隊名 深海夜間強襲主力精鋭艦隊】

 戦艦棲姫 一隻 撃沈

 泊地棲鬼 四隻 撃沈

 潜水棲姫 一隻 撃沈

 

【艦隊名 深海夜間強襲洋上補給部隊】

 重巡リ級flagship 六隻 撃沈

 輸送ワ級flagship 十二隻 撃沈

 

【艦隊名 敵はぐれ艦隊】

 駆逐イ級 十六隻 撃沈

 駆逐ロ級 十四隻 撃沈

 駆逐ハ級 十二隻 撃沈

 軽巡ホ級 十隻 撃沈

 

 敵主力艦隊の完全撃滅、敵資材集積地の掌握により鎮守府近海の奪還に成功。

 

『建造結果報告』

 建造回数 一回

 金剛型戦艦一番艦 金剛 建造成功。

 

『遠征結果報告』

【強行偵察任務及び敵補給路寸断作戦】

 敵領海への強行偵察の結果、敵資材集積地を三箇所発見。及び、上記敵補給艦隊への後方からの奇襲作戦、対象の完全撃滅に成功。

 

 以下、詳細を記す……

 

 

 

「…………」

 

 私は無言で目を擦る。

 いかんな。私ももう歳だからか、最近老眼気味なのだ。

 山田くんが手渡してきたから横須賀鎮守府の報告書と勘違いをしたが、おそらくこれは他の鎮守府のものだろう。

 いや、それにしてもここまで大きな戦果というと、それこそ大規模侵攻と呼ばれるような、年に数度あるか無いかのものだ。

 ましてや、鎮守府近海に鬼級や姫級が侵攻してきたとなると、それは喉元に刃を突き付けられているかのごとき、前代未聞の、この国の危機だったという事だ。

 他の鎮守府からそんな大規模迎撃作戦を行う予定という報告は事前に受けていないが……これはいけないな。迎撃に成功したらしいから良かったようなものの、このような重大な事は、前持って報告するように指導しておかねば。

 私は眉間を軽くつまみ、老眼鏡の購入を視野に入れながら、改めて報告書に目を向けた。

 

 ……うん。横須賀鎮守府の提督印が確かに押してあるな。

 その隣には作成者である大淀くんのサインがある。うん、横須賀鎮守府所属の艦娘だ。

 

 …………。

 

「すまない、山田くん。私も疲れているのかな……ちょっとこの報告書を声に出して読んでみてくれないか」

「は、はぁ」

 

 山田くんは首を傾げながらも、私から報告書を受け取った。

 

「えー、横須賀鎮守府戦果報告」

「わかった、もういい。ありがとう」

 

 どうやら私の目がおかしいのではないようだった。

 耳までおかしくなっているとは思いたくない。

 これは紛れも無く、横須賀鎮守府の報告書であるらしい。

 

 あの大淀くんが虚偽の報告書を作成するはずがない。そんな理由も無い。

 これが真実だというならば、素人である彼にそんな指揮が出来るはずが無い。

 彼は愛国心だけはあるが、艦隊指揮の知識については素人だ。それは私が一番良く知っている。

 彼の持つ知識と言えば、私の執筆した『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』を一冊、餞別に渡した程度である。

 そうなると、艦娘達が主導して作戦を練り、迎撃したという事だろうが、それだけではこの敵編成には敵わないだろう。

 何しろ、あの横須賀鎮守府の艦娘達は、提督という存在に不信感を抱いていたからだ。

 信頼とは程遠いそんな状態で、鬼や姫級の深海棲艦を撃滅できるだけの性能を発揮できるはずが無い。

 かと言って、たった一日かそこらで、あの提督不信に陥っていた艦娘達に信頼されるなど、私にはとても想像できる話では無かった。

 

 しかも、今まで多くの提督達が、そして艦隊司令部が望みながら決して得られなかった、建造に成功した鎮守府には褒賞を与えるとまで言われていた金剛の建造に成功している。

 詳細に目を通せば、この戦果は全て彼の指示によるものだという記載がある。

 彼には素人だと悟られないように演技をしてくれと指示は出しているが……何なのだこれは。

 

 彼が鎮守府に着任してから、僅か一日で何があったというのだ。

 

 …………。

 

 私は椅子から立ち上がり、なるべく動揺を悟られないように、山田くんに言った。

 

「……ちょっと、今から横須賀鎮守府に視察に行ってくる」

「えっ、い、今からですか? 本日は十七時から会議の予定が」

「それまでには帰るよ。数分だけでもいいから、横須賀鎮守府で直接話を聞いてみたくなっただけだ」

「で、では私もお供致します」

「いや、付き添いはいらない。私一人でいい。君はここに待機して、何かあったら私に連絡をくれ」

 

 私の態度から、何かを感じ取ったのかもしれない。

 扉の前で帽子を被り直した私を、山田くんは戸惑いながらも敬礼をしながら見送ってくれたのだった。

 

「は、はい。了解しました。お気をつけて行ってらっしゃいませ、佐藤元帥」

 




現在夏イベ真っ最中ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

私はE2で春風がドロップするとの情報を得て、先に進まずひたすら掘る毎日でありました。
やたらドロップするコモン艦の面々に心が折れそうになりましたが、今回無事、春風をお迎えする事が出来ました。
春風は私が艦これを始めた理由でもある艦であり、喜びもひとしおでございます。

というわけで春風をお迎えできた嬉しさにより、予定を変更して第二章のプロローグだけ先走って投稿した次第であります。
第二章はどんなお話になるのか、楽しみにして頂けますと嬉しいです。

まだまだお迎えしたいニューフェイスはたくさんおります。
私はE3でドロップするという噂の神風を目指して、今度はE3攻略に向かいます。

夏イベに参加されています全ての提督達が、お目当ての艦をお迎えできますよう祈っております。
第二章の続きも気長にお待ち頂けますと幸いです。



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022.『夢』【艦娘視点】

 深海棲艦による横須賀鎮守府夜間強襲という前代未聞の戦いが終わり、私達は提督の指示通りに、各自補給、休息を行った。

 今も工廠では、夕張に明石に、工廠の妖精さん達も総動員で、負傷した皆の艤装を修理している。

 徹夜での激しい戦いに、駆逐艦達は一人残らず、今頃は夢の中だろう。

 時刻はもうすぐヒトゴーマルマル。

 窓から覗く青空が、差し込む日差しが、昨日までとは違って見える。

 

 一歩間違えていれば、提督がここにいなければ、悪夢のごとき惨状となっていたはずの横須賀鎮守府。

 私達も一人残らず蹂躙され、海の藻屑と消えていたかもしれない。

 今こうしていられる事が、そしてあんなにも素晴らしい提督が着任してくれたという事が、夢のようだった。

 もしかすると私もまだ、夢から覚めていないのかもしれない。

 

 少しお行儀が悪いかもしれないが、報告書を作成する片手間で食事を取る為に、間宮さんにサンドウィッチを作ってもらった。サービスにアイスクリームをつけてもらったのが嬉しい。

 間宮さんの話では、私達が戦っている間、提督も私と同じように、おにぎりを食べながらあの大量の書類を処理してしまわれたのだとか。

 食事を取る暇さえ惜しんで執務に励むその姿にはどこか共感を覚えてしまう。

 休む間すら惜しい。一刻も早く、今回の提督の偉業を艦隊司令部に報告したい。

 私はもうすっかり興奮して目が冴えてしまって、休息を取るどころではなかったのだった。

 

 今回の夜襲迎撃作戦における艦娘達の被害状況を報告書に記し終える。

 戦艦部隊の長門さん、金剛、比叡、榛名、霧島は全員中破。

 補給部隊を援護しに向かおうとするあの戦艦棲姫、そして泊地棲鬼四隻を食い止める為、真正面から殴り合いの砲撃戦を行ったというのだから、流石としか言いようが無い。

 この横須賀鎮守府でも間違いなくトップの練度を誇る長門さん、比叡、榛名、霧島はともかく、建造されたばかりの金剛までもが改二となり、長門さん達に負けず劣らずの火力を出したというのだから驚きだ。

 金剛の弁によればバーニング・ラブ、これもまた、提督が関わっている力だとの事だが……要するに信頼の事だろう。

 流石に一気に改二に至るほどの信頼というものは前代未聞だが。

 

 重巡戦隊の妙高さんは小破、那智さん、足柄さん、羽黒さん、利根さん、筑摩さんは中破。

 敵補給部隊の迎撃に向かおうとした一瞬の隙を突かれたとの事だったが、さりげなく妙高さんだけ小破で済んでいるところに確かな実力を感じさせる。

 利根さんが危うく轟沈寸前だったという噂を聞き、詳しく話を聞きに行こうとしたら、真っ赤な顔をした神通さんに止められた。

 話を聞けば、提督の事を考えるあまりに、ついうっかり敵補給部隊を全滅させてしまい、勢い余って利根さんに突っ込んでしまったのだとか。

 背後からの奇襲とは言え、ついうっかりで全滅させられるような編成ではなかったはずなのだが……提督の事を考えるあまりに被弾しかけた私とはえらい違いだ。

 川内さんと那珂さん、利根さんにチクチクと嫌味を言われ、すっかり縮こまってしまっている姿からは想像が出来なかった。

 

 囮機動部隊の千歳さん、千代田、浦風、磯風、浜風、谷風も全員中破。

 皆、装甲が薄いにも関わらず中破で済んだというのは、もちろん運もあるが彼女達の練度の賜物であろう。一撃でもまともに食らっていたら危なかったかもしれない。

 千歳さん達の話によれば最初は反抗的だったらしい磯風が、すっかり掌を返して「あの司令は大した奴だ」などと他の艦娘達に偉そうに話していた。

 千代田は磯風にジト目を向けていたが、決して磯風は自分の意見をころころ変えるような調子のいい性格では無い。むしろその逆だ。

 あの頑固で一途な武人肌の磯風にたった一度の出撃で掌を返させた提督こそが、やはり底知れないと思う。

 

 あとの被害と言えば、水雷戦隊の天龍が大破。これはいつもの事なので特筆すべき事は無い。

 

 夜戦に先駆けて行われた空母機動部隊による先制攻撃も、赤城さんと翔鶴さんが小破しただけの被害で済んだ。

 結果だけを見てみれば、姫が二隻に鬼が四隻、更には援軍が十八隻という大規模侵攻を、天龍を除いて誰も大破せず、敵艦を一隻も逃さず、完全撃滅に成功したのだ。

 私も自分で改めて言葉にしてみて、自分で言葉を失ってしまった程だった。

 

「それでそれで、大淀さんっ。提督さんは、手袋を捨てて夕張さんの手を取ったんですよねっ」

 

 早く続きを、とせがむように、鹿島がそう言った。

 ちょうど切りの良い所まで書き終えたので、私は休憩がてら椅子を引き、鹿島達に向かって座り直す。

 艦娘寮の私の自室には、未だかつてないほど多くの艦娘達が訪れていた。

 当たり前だが、損傷の多かった艦は今も入渠中であるし、そうでない艦のほとんどは自室で睡眠を取っているところだろう。

 この室内にいるのは、今回の作戦において被害の少なかった艦娘の一部だった。

 

 後方支援に従事していた香取さんと鹿島。

 今回の作戦で面倒を見ていた駆逐艦達が全員寝付いたのを見計らって、わざわざ来たらしい。香取さんは鹿島の付き添いのようだが。

 そして空母機動部隊の赤城さん、加賀さん、翔鶴さん、瑞鶴、龍驤さん、春日丸。

 夜戦においては出撃こそしていないものの、聞けば命の危機だったという日没前の出撃から休んでいないというのに、全員揃ってここにいる。

 

 遊びに来た、というよりも、提督の着任からずっと近くにいた私から、提督の情報を引き出そうとしているのだろう。

 まるで提督に一番近い艦娘は私だと認められているかのようで、何故か誇らしい気分になる。

 というわけで、私は報告書を作成しながら、鹿島達の求める通り、提督が着任してからのお話をしていたのだった。

 

「そして提督は、自分の手が汚れる事もいとわずに夕張の手を包み込んで、こう言ったのです。『この煤と油まみれのお前の両手は、他ならぬお前の努力の結晶そのものだ。それに触れさせてもらえるとは、何とも光栄なことではないか』」

「わぁぁ、青葉さんの新聞に書いてあった通り! うふふっ、提督さんは、とても素敵な方なのですね! 夕張さん、いいなぁ」

 

 熱が入ってしまい、無意識に格好をつけた言い方をしてしまった私の言葉に、鹿島が嬉しそうにそう言った。

 そんな鹿島とは対照的に、瑞鶴はジト目で頬杖をつきながらこう言うのだった。

 

「ふーん、夕張の手を自然に握れるチャンスとでも思ってたんじゃないの?」

「哀れね」

「な、何ー⁉」

 

 瑞鶴の隣に座る加賀さんは、瑞鶴の方を見ずにそう言った。

 加賀さんを睨みつける瑞鶴を、翔鶴さんと鹿島が宥める。

 

「もう、瑞鶴ったら。どうしてそう、提督の事を悪く言うの」

「そ、そうですよぉ。夕張さんの手を握ったのも、汚されたのを気にしてないと伝える為のようですし……」

「翔鶴姉も鹿島もお人良し過ぎるの! あの提督さんだってあんな顔して、夕張の手、すべすべで柔らかーい、とか思ってるかもしれないんだから!」

「そ、そうでしょうか……」

 

 首を傾げる鹿島に、瑞鶴は一瞬言葉に詰まってしまったようだが、勢いのままに言葉を続けた。

 

「ま、まぁ、私も提督さんが悪い人じゃないってのは何となくわかるし、凄く頭が良いって事も今回で認めざるを得ないけど……それとはまた別の話! とにかく、翔鶴姉は隙だらけだし、鹿島は男の人によく誘われてるでしょ。二人とも男の人に騙されないように気をつけないと! いくら指揮能力が高くたって、あんなに若い提督さんが着任した事なんて無いんだし、私達はうら若き乙女なんだし! これくらい警戒するのが当たり前!」

「少なくとも貴女は大丈夫よ」

「加賀さんそれはどういう事かな⁉ 私さっきから喧嘩売られてるのかな⁉」

 

 翔鶴さんに宥められながらも加賀さんの肩を揺さぶる瑞鶴に構わぬように、龍驤さんも腕組みをしながら、うんうんと頷いた。

 

「まぁ、確かにあんな若い司令官に指揮されるっちゅーんは、うちも初めてやなぁ」

「貴女も大丈夫よ」

「まだ何も言うてへんやろ!」

「春日丸、貴女は身だしなみに気をつけなさい」

「は、はい」

「うち春日丸より可能性あらへんの⁉」

 

 左右から瑞鶴と龍驤さんに揺さぶられながらも無表情の加賀さんであった。

 おそらく加賀さんなりのジョークなのだろうが、何だかこんな雰囲気は久しぶりに感じてしまう。

 それは赤城さんや翔鶴さんも同じなのだろう。くすくすと、困ったように、愉快そうに笑ってしまっている。

 

 瑞鶴は気付いていないのだろうが、実は瑞鶴こそが、翔鶴さんや加賀さんよりも、提督への距離感を砕いてしまっているのだと私は思う。

 今までの瑞鶴であれば、提督という立場にある方に、ここまでいちゃもんのような文句をつけて騒ぎ立てる事は無かったからだ。

 前提督の無茶な指揮には、もう反論しても無駄だとでも言うような、死んだような目で、無言で従っていた。

 だというのに、あの提督には今までが嘘のように騒ぎ立てている。

 瑞鶴がこのように元気に騒ぎ立てている事こそが、無意識に提督への距離を縮めてしまっているという証拠なのだ。

 

 何より、瑞鶴は前提督の事を「提督さん」とは呼んでいなかった。

 過去数年間を振り返るに、瑞鶴が「提督さん」と呼んでいたのは、ある程度距離が近く、親しみやすい提督だけであった。

 瑞鶴にとってファーストコンタクトである、提督と天龍のやり取りを見ていて、無意識に親しみを覚えたのだろう。

 その辺りは翔鶴さんも加賀さんも気付いているのだろうが、指摘すると顔を真っ赤にして否定しそうなので、あえて言わないのだろうと思う。

 

 しかし、瑞鶴のような意見がでるというのは盲点だった。

 私も最初、その若さに驚いた。その後の行動や功績に目を奪われてしまっていたが、私達がうら若き乙女なら、提督はうら若き男性なのだ。

 瑞鶴の言ったような感情があるとしてもおかしくは無い。むしろ健常な生物としては、それが当たり前だ。

 だが、あの提督が、私達を見てそんな感情を抱くのだろうか……まるで想像できない。

 

 鹿島は男性に異常なほどの人気がある。これはもう横須賀鎮守府の艦娘全員が周知している事実だ。

 たまに鎮守府を訪れる艦隊司令部の若者達の中には、鹿島を口説く事を影の目的として、視察に志願する者もいると聞いた。

 というか、そう言って口説かれたと鹿島本人の口から報告された。

 非公認のファンクラブも出来ており、生の鹿島を一目見ようと横須賀鎮守府の周りに大量のファンが集まった事も一度や二度ではない。

 

 鹿島は少し天然気味ではあるがとても真面目で素直ないい子だ。

 自分から男性を誘うような事は勿論するはずが無いのだが、どうにも外見や仕草、その中身に至るまでが殿方達の何かを刺激するのか、やたらとモテる。

 同性の私から見ても、鹿島を一言で表すのならば「魔性」という言葉が浮かぶ。

 本人にはそんな気はなくとも、周りを狂わせてしまいかねないほどの美貌、プロポーション、そして愛嬌。

 何一つとして、私には無いものだ。

 鎮守府の外では「有明の女王」と呼ばれているらしいが……どういう意味なのだろうか。鹿島と有明に一体何の関係が……。

 

 意味はともかく、そこまで男性に好まれる鹿島に対して、提督はどのような感情を覚えるのだろうか。

 瑞鶴の言うような、下心というものを持ち合わせているのだろうか。

 いや、若い男性であるならば持ち合わせていて当然なのだが……そんな提督を見たくないと思ってしまうのは私のワガママであろうか。

 

 そんな私と同じことを考えていたのか、口を開いたのは意外にも赤城さんだった。

 

「実は私、間近で提督を観察する機会があったんです」

「えっ、どういう事ですか」

 

 私の問いに、赤城さんは翔鶴さんをちらりと見て、微笑みながら言葉を続けた。

 

「小破した私と翔鶴さんの足部艤装を、明石さんに泊地修理して頂いたんですが……その時、提督は明石さんに色々と教わりながら、私達の艤装が修復されるのを見学していたんです」

「あぁ、あれねー。案外あれも翔鶴姉の太ももとか下着を近くで見る為だったんじゃないの? あの時も翔鶴姉、思いっきりパンツ見えてたし」

「えぇっ⁉ う、嘘っ⁉ も、もう、瑞鶴! そういう事は早く教えて! あぁ、もう、提督にどんな顔を合わせれば……!」

 

 翔鶴さんの顔は瞬く間に耳の先まで赤くなり、両手でその顔を覆ってしまった。

 この人は実力も一級品で、戦闘時には隙なんて見せもしないのに、平常時は何故か隙だらけなのだ。

 今回の出撃においても最後まで隙を見せなかったと、赤城さんに認められるくらいだというのに。

 提督に下着を見られたかもしれないと落ち込む翔鶴さんに気を遣うように、赤城さんは少しだけ早口に、言葉を続けたのだった。

 

「そ、それはともかく……提督は、明石さんに補給や入渠の仕組みなどについて質問しながら、私の艤装から一瞬たりとも目を離さなかったんですよ。私は提督の眼をずっと間近で見降ろしていましたから、間違いはありません」

「……そ、そうですよね! 私もずっと提督のお顔を見ていましたから、間違いありません! 提督が私の方を見たのは、明石さんに修復が終わった事を示されてからでした! だ、だから私のパン……いえ、下……いえ……うぅぅ……」

「だ、大丈夫です。見られてないはずです。つ、つまりですね、私が間近で見た限りでは、そんな下心を持っているようには見えなかったという事です。感じられたのは私達艦娘という存在への純粋な興味、知識への探求心くらいでしょうか。ここだけの話、私も実は、近くで肌を見られるのではないかと少し恥ずかしく感じていたのですが……提督のあの真剣なお顔を見ていて、私は自意識過剰であったと、違う意味で恥じ入ってしまいました」

「……そ、そうだとしても、も、もう……提督のお顔を見れません……!」

 

 見られていないと理解しながらも、そんなあられもない姿で堂々と提督の前に立っていたのが恥ずかしいのか、翔鶴さんはまた両手で顔を覆って俯いてしまった。

 赤城さんのフォローも聞こえていないようだ。

 羞恥に染まる翔鶴さんなどどうでもいいとでも言うかのように、加賀さんは表情を変えずにさらりと言った。

 

「赤城さんが言うのならば間違いは無いわね」

「私との扱い違い過ぎない⁉」

 

 瑞鶴が再び抗議をしていたが、それはもうどうでも良かった。

 それよりも、あの赤城さんが言うのならば間違いは無いだろうという事は、私も同じように感じる。

 

 男性が女性に抱く性的な感情というものは、ある意味で反射に近いものらしい。

 足部艤装の修復ともなれば、それこそ翔鶴さんの魅力的な生足が視界に入ってしまった事だろう。

 反射的に、一瞬そちらに視線を向けてしまったとしても、若い男性である以上、責められるものでは無いと思う。

 

 しかし赤城さんの話では、翔鶴さんの魅力的な生足よりも、艤装の修復に注目していたとの事。

 色気より食い気、では無いが、目の前の翔鶴さんの生足よりも、私達艦娘についての知識を得る事の方が、提督にとっては魅力的だったという事だろうか。

 艦娘には珍しい事では無いが、そう言えば私も装束の丈の都合上、それなりに足を露出しているというのに、提督は私の目ばかり見ているような気がする。

 こちらが恥ずかしくなって目を逸らしてしまうくらいだ。

 あんなに若いというのに、私達の足には魅力を感じないというのか。

 いや、私達と提督は部下と上官なのだからそれでいいのだが、何故だろうか。それはそれで敗北感のようなものを感じてしまうのは……。

 うぅん、何だか自分でもわからなくなってきた。さっきは提督のそんな姿は見たくないと思っていたのに、自分が提督の眼中に無いのは嫌だと言うか……。

 

 瑞鶴は腕組みをして、小さく唸りながらぶつぶつと呟く。

 

「まぁ、確かにあの時は、提督さんが翔鶴姉を変な目で見たらすぐに艦載機発艦できるように警戒してたから、翔鶴姉の方を見てないって事はわかってるけど……あ、そう言えば、あの時提督さん、明石の艤装が思いっきりぶつかってたよね。あれは痛そうだったなぁ」

「私は長門に呼ばれて外に出ていたから知らないわ。ぶつかったって、何処にかしら」

「何処にって……そ、その、こか、あ、いや……局部?」

「……局部とは何処の事かしら。具体的に言いなさい」

「加賀さんもうわかって言ってるよね⁉」

 

 私は知らなかった話なので瑞鶴に聞いてみれば、明石の泊地修理を見学しようとした際に、明石が具現化したクレーンがかなりの勢いで提督の局部にめり込んだのだとか。

 しかも明石は気付いていない様子で、謝りもせずに、逆に提督に「クレーンにあまり触ると危ないですよ?」なんて言う始末だったとか。

 自分の事では無いというのに、それを想像しただけで私は目の前が真っ暗になった。

 あ、明石……! 提督になんて失礼な真似を!

 

「いやぁ、あの時は流石に提督さんも怒るかと思ったんだけど……何事も無かったように流したからびっくりしたよ」

「あの時、提督は一瞬白目を剥いて、その後も我慢しているようでしたが、小刻みに震えていましたね。か、かなり痛かったのでしょう……」

「明石さんもわざとでは無いと理解できているからこそ、ぐっと痛みを堪えたのでしょう。わざわざ教えても、明石さんが恥をかくだけですし。夕張さんの件とも合わせて、とても器の大きな方なのですね」

 

 赤城さん達に加えて、千歳さん率いる第十七駆逐隊など多くの艦娘達の前で局部を強打し、悶絶する姿を見られるなど、上官としての威厳を損なってしまうと考えてもおかしくは無い。

 上官に恥をかかせるとは、と明石が周囲への注意不足を叱責されたとしても、何らおかしい話では無い。

 艤装を具現化する際に周囲に人がいないかを確かめるのは、私はむしろ当然の事だと思っている。

 そうでないと、いきなり具現化された鉄の塊がぶつかって怪我をしてしまう恐れがあるからだ。

 明石は今回、それを怠り、提督に怪我……とまではいかなかったのが幸いだが、ともかく被害を与えてしまい、さらには艦娘達の前で恥をかかせてしまった。

 それを見ていた明石以外の艦娘達は、正直肝を冷やした事だろう。

 前提督にそんな事をしてしまった日には、何か月経っても、延々とそれを叱責されているはずだ。

 

 ところが今回、明石がしでかしてしまった事で、逆に皆は提督の器の大きさを目の当たりにする事ができたのだった。

 明石の不注意により、上官として、そして男性として恥ずかしい姿を見られても、それでもなお明石を気遣い、痛みと恥を飲み込む度量。

 新品の軍服が汚れる事もいとわずに夕張の汚れた手を包み込み、その仕事ぶりを素直に褒める誠実さ。

 そして、間宮さんからの無線により判明した、戦場に送り出した後に私達を想って泣いていたという、表情には決して出さない、胸の奥に秘められた情の深さ。

 

 改めて提督の事を考えてみれば、長門さんでは無いが、胸が熱くなる。

 こんなにも艦娘思いの方が着任してくれたという事は、本当に夢のようだ。

 仕方が無い。ここは私も提督に免じて、明石には黙っておいてあげよう。

 

「しっかし考えれば考える程に、ほんまに器の大きい司令官やなぁ。あの司令官を怒らせる奴がいたら、顔を見てみたいくらいや。なぁ、瑞鶴、加賀」

 

 龍驤さんがいたずらっぽく笑いながらそう言うと、横目に視線を向けられた瑞鶴と加賀さんが、びくりと身体を震わせた。

 二人とも落ち着かない様子で視線を泳がせ、心なしか、姿勢も正してしまっている。

 私は思わず声を上げてしまった。

 

「……えっ⁉ ま、まさかあの提督を怒らせたんですか⁉ お二人が⁉」

「い、いやぁ、まぁ、アハハ……」

「えぇ……正確に言えば瑞鶴が九割、私が一割といったところなのだけど」

「いやアレは私と加賀さんで半分こでしょ⁉ 何さりげなく私にほとんどなすりつけてるの⁉」

 

 詳しく話を聞いてみれば、瑞鶴と加賀さんは、提督の出した出撃命令の意図をその場で問いただしたのだという。

 すると提督は加賀さん達に落胆したかのように顔を伏せ、何も答えてはくれず、沈黙だけが室内に響き渡ったのだとか。

 そして提督から発せられたプレッシャー、重圧は、歴戦の猛者である加賀さんと瑞鶴が思わず一歩下がってしまった程だったとの事。

 

 少し機嫌を損ねたどころでは無い。それはまさしく、激怒であったと。

 しかし、翔鶴さんと赤城さん、龍驤さんのフォローもあり、提督はすぐに怒りを収めてくれたとの事だ。

 あの提督がそこまで怒りを露にするとは、私にはとても想像が出来なかった。

 

「で、でもさ、あれが提督のやり方だってのは説明してくれればわかったんだし、最初くらいは……」

 

 瑞鶴がまだ納得がいかないようにそう言うと、加賀さんは私に目を向けて、こう言ったのだった。

 

「……大淀。貴女達の率いた艦隊はどうだったの。提督の指示に対して反感を持った子はいなかったのかしら」

「え、えぇ。それはまぁ、予想の範囲内でしたが主に霞ちゃんが。口には出さなくても、他の子達も不安だったとは思います」

「それで、どうしたのかしら」

「私なりに考えた結果を皆さんに話し、納得した上で指示に従う事にしました。提督に無線を繋ごうかという案もあったのですが、それはしない事になりました」

「……そう」

 

 加賀さんは小さく目を伏せてしまう。

 あの加賀さんがこんなに小さく見えるのは、一体いつ以来だろうか。

 

「今ならわかるけれど、提督が私達に怒り、失望したのは、それが足りなかったからよ」

「か、加賀さん……」

 

 自分を責めるようにそう言った加賀さんに、瑞鶴が心配そうに眼を向けた。

 しかし加賀さんはそれに構わぬように、言葉を続ける。

 

「何故と疑問に思ったのならば、まずそれを自分で考えてみるべきだったのよ。私は提督の指示に疑問を抱いて、何故そのような指示を出したのか、考える事もせずに提督を問いただしたわ。何の罪も無い提督を睨みつけながら……私は何様だったのかしら」

「……ま、まぁ、私が言うのもなんだけど、提督さんも気に病むなって言ってたし、そんなに自分を責めなくても……」

 

 瑞鶴が慰めるように、加賀さんの肩に手を置いた。

 

「えぇ、でも、大淀はそれが出来ていたわ。翔鶴も赤城さんも龍驤も……千歳達の話では谷風さえも。あんな指示を出したのならば、何か理由があるはずだと、一歩踏みとどまって考える事が出来ていた。瑞鶴、貴女はどうだったかしら」

「……そ、そう言われると、皆が当たり前に出来ていた事が出来なかったっていうのも、認めざるを得ないかな……」

「哀れね」

「いや加賀さんもだからね⁉」

 

 すっかり立ち直ったような表情の加賀さんに瑞鶴が騒ぐ中で、私が内心、冷や汗をかいていた事は誰にも気付かれてはないだろう。

 もしもあの時引き返していたら。無線で提督を問い詰めていたら。

 私を信頼し、艦隊をまとめる為に私を遠くに送り出した提督は、私にきっと失望していたのだろう。あ、危なかった……!

 提督が怒り、失望するという姿が想像がつかないが、百戦錬磨の加賀さんがここまで恐れるのは鳳翔さんを本気で怒らせる事くらいだ。提督が怒ると怖いというのは事実なのだろう。

 つまりあの寛大で器の大きい提督にも、譲れない部分、逆鱗があるという事だ。

 あの提督に失望されたらと考えるだけで、恐ろしい。

 

 しかし、瑞鶴の言う事にも一理はあるのだ。

 私達水雷戦隊は、連戦と渦潮によって帰りの燃料すら枯渇寸前の状況だった。

 何の説明も無く目的地への片道切符しか持たされていない状況では、まだどんな人間かもわからない提督に不安を抱く事は当然であろう。

 私は皆を説得し、結果的にそれは正しい判断であったが、実はあの場で最も一般的な判断をしていたのは霞ちゃんであったと思う。

 私達を試し、鍛えるという目的があったにせよ、提督の指揮は少し厳しすぎたという事は、私にも否定はできない。

 

「『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば人は動かず』」

 

 不意に、今まで私達をにこにこと笑って眺めていただけの香取さんが、口を開いたのだった。

 

「……という言葉を知っていますか?」

 

 香取さんの言葉に、龍驤さんは苦笑しながら肩をすくめた。

 

「その言葉がいつ生まれたのかはわからへんけど、うちらの中で知らん奴はおらへんやろー?」

「うふふ、そうですね。では、この言葉に続きがあるのはご存知ですか?」

 

 いきなり始まった香取さんの講義に、龍驤さんは眉間に皺を寄せて考え込んでしまう。

 皆の表情を見れば、わかっている人とそうでない人が半分ずつ、くらいだろうか。

 

「あー……何やったかな、覚えとるんやけど……大淀」

「『話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば人は育たず』『やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば人は実らず』ですね」

「せやせや! 流石大淀」

 

 ぽんと掌を拳で叩き、龍驤さんは明るく声を上げた。

 

「それで、急にどうしたん、香取」

「ふふっ。皆さんのお話を聞いていて、この言葉が浮かんできたもので」

 

 香取さんの言葉に、私達も少し考え込んでしまう。

 

 明石や夕張は、顔を合わすと同時にその仕事ぶりを褒められ、働きぶりを承認された。

 私も一か月分の報告書や『艦娘型録』を必要とされた事で、私達の意見に耳を傾けられ、自分が認められたような気がしたものだ。

 提督は私達の練度と判断力を信頼し、舞台を整えた上で現場の判断を私達に任せ、迎撃作戦を行った。

 私達が戦っている間、提督は悔し涙を流しながら決して先に休む事なく執務を行い、私達の戦う姿を見守ってくれていた。

 言葉で自身の実力を説明せずに、狙い通りの金剛を建造して見せる事で、自分の実力を示してくれた。

 無事に帰投した私達に、「よく頑張った」と、一言ではあるがそれだけで十分すぎるほどのお褒めの言葉を与えてくれた。

 

 私以外にも思い当たる節がある者はいるのだろう。

 加賀さんは目を瞑り、うんうんと納得したような表情で頷いている。

 瑞鶴だけが「そ、そうかなぁ……」などと言いながら、加賀さんを若干引いたような目で見ていた。

 

 提督は意識して、それを行っているのだろうか。

 もしくは、意識せずとも、あの御方と同じ考えに至ったのか。

 あの提督ならば、あの御方と同等の器であったとしても――。

 

「……なるほど。提督が艦隊司令部の秘蔵っ子であるとするならば、どちらにせよ納得がいきますね」

「うん? なんや大淀。その、艦隊司令部の秘蔵っ子っちゅーんは」

「あ、い、いえ。私の推測なので。忘れて下さい」

 

 私がそう流すと龍驤さんは小さく首を傾げたが、続く香取さんの言葉に耳を傾ける。

 

「ともあれ提督は、『言って聞かせて』の部分が致命的に欠けていますね。それが一番、皆さんが不安に思っている部分でしょう」

「そう! そうなのよ香取さん! 流石! わかってるぅ!」

 

 香取さんの言葉に、瑞鶴は身を乗り出して声を上げた。

 

「うふふ。瑞鶴さんだけではありませんから。加賀さんも最初はそうだったのでしょう?」

「……そうね。その通りよ」

「那智さんもわかりやすく怒りを露にしていましたね。話を聞けば、千歳さんに千代田さん、磯風さん達に、霞さん……多くの方々が不安を抱えて出撃した事でしょう。それは何らおかしな事では無いと私は思います」

「だよねだよね! よかったぁ~、わかってくれる人がいた! そうなの、提督さんが悪い人じゃなさそうなのは私だって嬉しいし、指揮能力の高さはもう認めるけど、作戦の説明がない事とか翔鶴姉を見る目だけが引っかかるというか……あぁもう、香取さん、何処かの加賀さんと違って話がわかるぅ!」

「一体誰の事かしら」

「私今ちゃんと名指ししたよね⁉」

 

 流石は練習巡洋艦。艦娘達への演習、指導に長けた香取さんだ。

 同じ練習巡洋艦の鹿島も真面目に頑張ってはいるが、姉の香取さんにはまだまだ追い付けないか。

 まだ提督と直接顔を合わせてもいないというのに、話を聞いただけで皆の置かれた状況を正確に把握してしまっている。

 指揮、指導という意味では、提督と共通する思考を持っているのかもしれない。

 

「私も提督の方針に共感できる部分はあります。『何故』と考える癖をつけるというのはとても重要な事なのです。私も演習の際には、常日頃から駆逐艦の皆にはそう教えています」

「あっ、確かに香取姉は、駆逐艦の子から質問を受けたら、一度『何故だと思いますか?』って言いますもんね」

「ふふっ、もちろん私はちゃんと『言って聞かせる』ようにしていますけどね。そういう指導方針については、私は決して提督と分かり合えないのかもしれません」

 

 私が呑み込んでいた事を、いとも容易く口にした。

 そう、私もどちらかと言えば『言って聞かせる』タイプだ。提督の指揮方針も理解はできたし尊敬もするが、そればかりはこだわりというか、得手不得手がある。

 私が艦隊に指示を出すとしても、提督のような真似は出来るはずもないし、そもそも出そうとも思わない。

 もちろん私と同様に、香取さんも指導方針が異なるからと言って逆らう事は無く、上手くやっていくのであろうが……。

 

「少しスパルタですが、提督のお考えでは私達の思考能力、判断力を鍛え上げたいようです。故に、あえて『言って聞かせる』事はしないのでしょう。あの御言葉を提督風にアレンジすれば、『指示を出し、考えさせて、させてみせ』といった感じでしょうか」

「私達は失態を犯してしまいましたが、私達の出撃の際にも『先制攻撃に成功したら即座に撤退』という肝心な部分は指示して下さっていました」

「千歳さん達には、ちゃんと具体的な指示を出していたみたいですね。ただ、出撃の意図を説明しなかったという点は、全ての指示に共通しているようです」

 

 赤城さんと翔鶴さんの言葉に、香取さんも微笑みながら言葉を続ける。

 

「作戦遂行に当たって最も重要である、『出撃を行う意図』に関しては、やはり提督の与えた指示の内容から一歩踏み込んで考えて欲しかったと言う事でしょう。それも踏まえて、加賀さんと瑞鶴さんに激怒したというお話も考えれば、今後はあまり提督に質問をする事はよくないかもしれませんね」

 

 流石は香取さん……私が提案しようとしていた事をこうもあっさりと……。

 提督と顔を合わさず、提督の方針に分かり合えぬ部分を持ちながらも、私に匹敵する程に提督の領域を理解している……むむむ、強敵だ。

 い、いや。香取さんは味方だ。私は何を。

 

「私が艦載機の種類をお訊ねした時には、普通にお答えして下さいましたが……」

「こ、コホン。その辺りは翔鶴さんが訊ねなくても、提督が後から指示を出すつもりだったのかもしれませんね。提督の中での基準が不明である以上、念には念を入れて、香取さんの言う通り、鎮守府の全艦娘には、あまり提督に質問をしないようこっそり伝えておきましょう。皆さんもそのようにお願いします」

 

 翔鶴さんの言葉に、私は軽く咳払いをしてからそう言った。

 提督はおそらく質問を嫌う。

 質問をするくらいならば、自分の頭の中で考えてほしいと考えているのかもしれない。

 あの寛大な提督が、加賀さんと瑞鶴が恐れるほどに激怒したというのだ。おそらくそれが、提督の逆鱗に触れる事になるのだろう。

 

 私の言葉に、加賀さんは深刻そうな表情でこくりと頷く。

 

「えぇ。提督に質問を投げかけた瞬間、『そんな事も自分で考えられないのか』と失望される光景が目に浮かぶわ。私はもう御免よ」

「加賀は少し極端すぎんねん。あの器の大きい司令官が、そんな事でうちらに失望するわけないやろ」

 

 龍驤さんは励ますようにそう言ったが、加賀さんは小さく首を振った。

 

「貴女は提督のあの重圧を向けられていないからわからないのよ。今思えば言葉にせずとも伝わってきていたわ。私を絶対に許さないと言わんばかりのあの迫力……」

「大袈裟すぎるやろ……なんだかんだで、後でちゃんと許してくれたやん」

「許されるかどうかではなく、提督にそんな無用な感情を抱かせるのが嫌なのよ。ともかく私はもう二度と過ちを繰り返さないと提督に誓ったもの。どうせ許してくれるからと、提督の優しさに甘えたい子は好きにすればいいと思うわ」

「いや、うちらはそもそも過ちを犯さんかったし」

「私は哀れね……」

「自分で言うて落ち込むなや!」

「瑞鶴、私達、哀れね……」

「こんな時だけ擦り寄ってくるのやめてくれないかな⁉」

 

 肩を落として沈み込んでしまった加賀さんの手を払いのけながら、瑞鶴は小さく右手を上げ、言ったのだった。

 

「質問する前に自分で考えるってのは私も反対はしないけど……でもそれじゃあ、どうしても理解できなかった時に、間違った判断をしてしまう可能性があるんじゃあ……」

「えぇ、確かに独断、思い込みはよくありません。そこで今回の大淀さんのように、提督の指示をいち早く理解し、『言って聞かせる』役目を持つ者が必要でしょうね」

 

 香取さんの言葉に、私も内心頷いた。

 提督の領域に至った者が、その他の艦娘と提督との橋渡し役になる。

 提督の指示に込められた意図を読み解き、他の艦娘に伝える事で、無用な混乱を防ぐ事ができるだろう。

 それは本来の提督の目的に反する事かもしれないが……やはりその存在は必要であると思う。

 実際に、今回の作戦においても私や龍驤さんがその役目を担う事で、不安を持つ艦娘達を上手くまとめる事ができた。

 

「最終的な提督の理想は、鎮守府の艦娘全員が提督の意図を理解できるようになる事なのでしょうが、そう簡単にはいかないでしょうね」

「私はもう大丈夫よ。提督の意図は、私には理解できる自信があるわ」

「まぁ、流石は加賀さんですね。頼もしいわ」

「えぇ、任せて。赤城さん」

 

 赤城さんの言葉に、加賀さんが自信満々にそう答えた。

 確かに今回の作戦会議において、未だに提督への不安が拭えていなかった長門さんに代わり、全員を上手く導いたのは加賀さんだと聞いている。

 一度の失敗を糧に、提督の領域へと至ったという事だろう。

 そうなると、加賀さんも強敵か……い、いや、加賀さんも味方だ。私はさっきから一体何を。

 

「まずは提督を理解できる者が秘書艦となって、提督と艦娘の間を取り持つ事で、色々と上手くいきそうですね」

「そうなると、やはり大淀さんが適任でしょう。よく考えた上での大淀さんからの質問ならば、きっと提督も怒る事は無いでしょうから」

 

 翔鶴さんの言葉に、香取さんがそう言った。

 い、いやぁ、正直私も、あの提督の秘書艦を務められるのは私しかいないとは思っていたが、やはり他人から認められると嬉しいものだ。

 私が遠征に向かっていた間は明石が秘書艦を務めていたらしいが、話を聞けば、提督の指揮の意図は全く読み取れず、ただ提督を信じて戸惑いながらも指示に従うしか出来なかったとの事だった。

 ふふふ、やはり明石には荷が重かったようだ。仕方が無いですね。

 明石も後方支援に回ってからは鳳翔さんが秘書艦を務めたとの事。今回ばかりは仕方が無いが、前線から退いている鳳翔さんは普段はお店に付きっ切り。

 

 こうなるとやはり、提督は秘書艦として私を指名するであろうという事にすっかり自信を持ってしまう。

 おそらく今の私は相当ドヤ顔になってしまっているのだろう。いけないいけない、私の悪い癖だ。

 

 表情をほぐそうと頬に手を当てた瞬間――鹿島が満面の笑みと共に右手を高く上げ、言ったのだった。

 

「はいはいっ、私も提督さんの秘書艦に立候補しますっ」

 




夏イベも残り僅かとなりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

私はE3神風堀りで四人目の天津風をお迎えしたところで心が折れ、気分転換にE2で親潮堀りを行いましたが四人目の初風をお迎えしたところで心が折れたところです。

しかしその過程で多くのニューフェイスをお迎えできてとても嬉しく思います。
特に大淀をお迎えできた事が嬉しいです。

この回は導入回なのですが、第二章が思ったよりも長くなってしまったので先に投稿する事にしました。
第二章は現在執筆しておりますので、気長にお待ち頂けますと幸いです。


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023.『夢』【提督視点】

 秘書とは何か。

 俺のベッドの下に隠してあるオータムクラウド先生の作品群の事である。いや、それは別の意味の秘書だった。

 

 秘書とは何か。

 俺の考えでは、偉い人の身の回りの世話やら書類仕事、スケジュール管理を行う仕事に就く人の事だ。

 

 それでは、秘書艦とは何か。

 文字通りに、提督の秘書としての役目を持つ艦である。

 

 秘書の仕事とは、果たして書類仕事や身の回りの世話だけなのか。答えはNOである。

 俺ほどの天才的頭脳となると、凡人では決して見つける事の出来ない真実に気づいてしまう。

 そう、秘書という言葉に隠されたアナグラム、密かに込められた意味。俺でなきゃ見逃しちゃうね。

 

 秘書 → Hisyo → H siyo → Hしよ!

 いいですとも! 提督ッ、気合ッ! 入れてッ! イキますッ!

 

 このように秘書艦とは、提督の性的なお世話をする役目を持つ艦でもあるのだ。

 オータムクラウド先生の作品にもそう書いてある。

 そうと決まれば話は早い。提督命令を発動! 秘書艦隊を編成する!

 俺の天才的頭脳は瞬く間に横須賀鎮守府の艦娘達の中から、秘書艦に適した者を選別する。

 

 俺の秘書艦を務めるに当たり重視される三大要素はこれだ。

 一つ、年上属性。

 一つ、包容力。

 一つ、巨乳(必須)。

 

 ――執務机に向かって大量の書類を捌く天才有能提督、俺の前には、十人の秘書艦。

 我が鎮守府の誇る、最新俺ランキング横須賀鎮守府版のトップランカー達だ。

 名付けて横須賀十ケツ衆、いや十傑衆。

 

 

 第一席:給糧艦・間宮さん。(年上属性◎、包容力◎、巨乳◎)

 不動の第一位。俺のマンマ。結婚して下さい。

 

 第二席:戦艦・金剛。(年上属性◎、包容力◎、巨乳◎)

 ニューフェイスにしていきなり二位へ。三大要素全てを兼ね備え、ハグという名のおっぱい押し付け開幕爆撃をされてしまっては、流石の俺も陥落不可避。

 

 第三席:練習巡洋艦・香取姉。(年上属性◎、包容力◎、巨乳◎)

 トップスリー最後の一人。香取姉にはこれから俺専属女性経験練習巡洋艦として、手取り足取りナニ取り香取、厳しい躾をして頂きたい。

 

 第四席:水上機母艦・千歳お姉。(年上属性○、包容力◎、巨乳◎)

 提督七つ兵器の一つ『提督アイ』による目視によれば、おそらく横須賀十傑衆最胸。その圧倒的物量作戦の前では俺の股間の水上機基地もボカン不可避。

 

 第五席:正規空母・翔鶴姉。(年上属性○、包容力◎、巨乳◎)

 俺の天使。そのパンツは見るたびに俺の心を癒してくれる。ちょっとのお金と翔鶴姉のパンツがあれば俺は欲望とは無縁に生きていける気がする。

 

 第六席:重巡洋艦・妙高さん。(年上属性◎、包容力○、巨乳○)

 温和なお姉さんである妙高さんだが、オータムクラウド先生によると実は怒らせるとかなり怖いらしい。是非とも尻と眉毛を撫でてみたい。

 

 第七席:重巡洋艦・筑摩。(年上属性×、包容力○、巨乳◎)

 姉の利根を差し置いてランクイン。姉より優れた妹などいないと思っていた俺の常識を見事に壊してくれた。その清楚さと反比例するワガママボディは翔鶴姉に匹敵するだろう。

 

 第八席:軽巡洋艦・天龍。(年上属性×、包容力×、巨乳◎)

 凄く柔らかかったです。

 

 第九席:駆逐艦・浦風。(年上属性×、包容力◎、巨乳◎)

 駆逐艦にも関わらず十傑衆にランクイン。俺のマンマ候補。これはもう超弩級駆逐母艦とでも名付けるべきであろう。

 

 第十席:戦艦・長門。(年上属性○、包容力(物理)◎、巨乳◎)

 補ケツ、いや補欠としてランクイン。姉であり、ドラム缶を抱き潰せる程度の包容力はありそうで、間違い無く巨乳。一応三大要素は満たしている。

 戦闘力なら横須賀鎮守府最強だが、俺の秘書艦として評価される項目では無い。

 

 

 ……うむ。あっぱれ。

 壮観である。まさに俺のハーレム連合艦隊。

 高雄や陸奥などが横須賀鎮守府に所属していない以上、無い物ねだりをしてもしょうがない。

 俺の理想とは少し違う形にはなるが、それでも十分すぎるほどに贅沢な光景だ。

 

 他の全ての艦娘達は俺の指示により近海の警備や遠征などに出ている。鎮守府には俺達しかいない。

 切りの良い所まで書類を処理したのを見計らうように、間宮さんが俺の傍に歩み寄り、囁いたのだった。

 

「提督、もう日が沈みますよ。ふふっ、お風呂にしますか? 間宮アイスにしますか? それとも私……なんて」

「フフフ、決まっているだろう。もちろんお風呂で間宮を愛す」

「まぁ、提督ったら欲張りなんだから」

 

 間宮さんが艶っぽく笑うと、浦風が腰に手を当ててジト目を向けてくる。

 

「こぉら、提督。うちらもおるんじゃよ?」

「テートクゥ、目を離さないでって言ったのにー! 何してるデース!」

「そうですよ。千代田も今は出撃しているし……ふふっ、千代田には黙っていて下さいね」

「私達を除け者にして間宮さんとお楽しみなんて、これは少し、厳しい躾が必要なようですね」

 

 浦風、金剛、千歳お姉、香取姉がそう言うので、俺は椅子から立ち上がり、安心させるように言ったのだった。

 

「フフフ、もちろんお前達全員も一緒に決まっているではないか。十倍の相手だって支えてみせます」

 

 俺がそう言うと、くっ、殺せとでも言いたげな、羞恥に染まった視線を向けてきた者がいた。

 視線の主である妙高さんの下へ俺は歩み寄り、指先で顎をクイッと持ち上げる。

 

「どうした妙高さん。随分と反抗的な目ではないか」

「くっ……もうやめて下さい! これ以上……私にどうしろと言うのですか!」

「いつも言っているが、嫌ならいつだって秘書艦を辞めてもいいんだぞ。その場合、お前の後釜は羽黒になるがな」

「は、羽黒には手を出さないで下さい!」

 

 妙高さんがそう言った瞬間、俺は妙高さんの尻を鷲掴みにした。ついでに眉毛を撫でた。

 反抗的な気高い目が、瞬く間に羞恥と快感に染まる。

 

「はぁっ……!」

「ククク、身体は正直だな。妙高さん、お前はやはり尻が弱いようだ。急に従順になりおって。重巡なだけにな」

「な、何を馬鹿な……ああぁっ!」

「フフフ、お前のその表情には欲情せざるを得ないな。浴場でたっぷりと可愛がってやろう。欲情なだけにな。筑摩、お前はわかっているよな?」

「は、はい。だから、利根姉さんには……」

「それはお前の態度次第だな。大人しくパンツを見せて下さい」

「……っ、は、はい」

 

 筑摩は顔を羞恥に染めてぎゅっと目を瞑り、その華奢な身体を震わせながら、ゆっくりとスカートをめくりあげた。ダンケ。

 お、おぉ……大人しそうな顔をして、何と言う過激なものを……! 

 筑摩の行動を皮切りに、俺の秘書艦隊のメンバーは恥ずかしそうに、次々にその装束を脱ぎ出した。

 衣擦れの音が、執務室に響く。

 

「ハハハ、これこれ。執務室は脱衣所では無いぞ。さぁ、風呂に行くぞ! 陣形はもちろん、俺を中心に輪形陣だ!」

『おー』

『おぉー』

『わぁぁー』

『わぁい』

『はぁー、よいしょ』

『それそれそれー』

 

「…………」

 

 俺が足元に目をやると、四人の妖精さんが俺を囲んで童貞音頭を踊っていた。

 妖精さん達は俺を中心に輪形陣を作り、周りをくるくると回る。

 

『見てるこっちが恥ずかしくなるねー』

『仕方が無い……童貞の妄想だから……』

『リアリティも全然ないもんねー』

『ねー』

『いやー、あの本のおかげで皆の体型なんかは正確だと思うよー』

『……チェリーにしては、頑張ってる方……』

『童貞さんは童貞さんだからこそ、妄想力が凄いんだよ』

『おぉー』

『なるほどー』

『嫌われたくないとか言いながら、なんで妙高さんと筑摩さんには鬼畜風なんだろうねー』

『あの本の影響から逃れられてないみたい』

『ヘタレなのにねー』

『ねー』

『何だかんだでチェリーは優しいから……絶対無理……』

『まーまー、夢の中くらい、夢を見させてあげようよ』

『妙高さんがお尻が弱いというのはどこ情報なんだろうねー』

『あの本からだと思うよー』

『多分、妙高さんが昔、艦尾を吹き飛ばされた事があるからかなー』

『おぉー』

『なるほどー』

 

「…………」

 

 

 目を開ければ、見慣れぬ天井が視界に広がる。

 むくりと身体を起こし、枕元に目を向けると、妖精さん達が踊りながらお喋りしていた。

 君達、人の夢の中でまで好き勝手するのやめてくれない? 俺の夢から何を考察してんの?

 夢の中でくらい、夢を見させてくれよ。頼むから。

 

『あっ、童……提督さんがお目覚めです』

『提督さん、おはようございます』

『ご気分はいかがですか』

 

 最悪だよ。未だかつてないくらい最悪の寝覚めだよ。元気なのは股間くらいだ。

 朝の光景のおかげか、過去最高に素晴らしい夢を見る事が出来ていたのに、台無しだ。このグレムリン共め。

 夢の中でお前らが一言たりとも提督扱いしてないのばっちり聞こえてたからな。

 

 時計を見れば、もうとっくに十六時を過ぎている。

 昨日は徹夜だったし、その後は妹達の教えも忘れてデイリー任務達成しちゃったし、それはもう爆睡だったようだ。

 

 俺が寝ていたのは、執務室の隣にある仮眠室だ。提督専用トイレもここに備え付けられている。

 畳張りの部屋には布団の他にちゃぶ台なんかもあり、休憩スペースのような感じだ。

 俺は今朝、デイリー任務を達成後、急激に襲ってきた眠気で意識が朦朧とする中で何とか布団を敷き、軍服を脱いでそのまま眠ってしまったのであった。

 

 昨日の記憶がだんだんと鮮明に蘇ってくる。

 俺は立ち上がり、カーテンと窓を開けた。暖かな日差しが室内に差し込み、爽やかな潮風が頬を撫でる。

 

 そうか……俺は一日も持たずにオ○ニーを……。

 認めたくないものだな……自分自身の若さ故の過ちというものを……。

 

『提督さんは言うほど若くはないのです』

『四捨五入したら三十歳です』

 

 うるさいよ君達。

 まだ二十代だから。世間一般で言えばまだまだ若造だから。

 記憶が鮮明に蘇ったおかげで、あの素晴らしい光景も鮮明に思い出せた。

 どうやら脳裏に焼き付ける事に成功したようだ。流石俺。あとはこれを短期記憶で終わらせない為に、毎日復習を欠かさないようにせねば。

 いや、これからオ○禁を頑張らねばならないというのに、果たしてあの光景を記憶に焼き付けても良いのだろうか。

 まぁ、覚えておくだけならばセーフだろう。オカズにするかどうかは別として。俺は決して、お前達の事を忘れない。

 

『提督さん、提督さん』

『私達……昨日は頑張った……』

『褒めて褒めてー』

 

 昨日、大淀達に押し付けた妖精さん三人が、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。

 このグレムリン共め……俺の夢の中で好き勝手しよってからに、何を言っておるのだ。窓の外に放り投げてやろうか。

 

 しかし俺も大人の端くれだ。これからは有能な提督になるのだと、あのケツに決意したではないか。

 結局、帰ってくるのがやたら遅かった大淀達だが、そのおかげでか、天龍のパイオツを堪能できた事だし……まぁ褒めてやらん事も無い。

 妖精さんとは仲良くしろと佐藤さんも言っていたしな。

 こいつらと違って俺は大人なので、ちょっとくらいの無礼は飲み込んでやるのだ。有り難く思うがよいぞ。

 俺は妖精さんの一人の頭をぐりぐりと撫でてやったのだった。

 

『わぁぁー』

『いいな、いいなー』

『……ぽっ』

『あぁー、こ奴、すっかりホの字になっていますぞ』

『撫でポです。これが噂の撫でポです』

『私も、私もー』

 

 何が撫でポだ。どこでそんな言葉覚えてきたのだ。

 しかし妖精さんは脳みそが小さいからか、随分と単純なようだ。見た目通りのお子様だ。いや、妖精さんに脳みそがあるかはわからないが。

 俺に撫でられて、妖精さん達は気持ちよさそうに目を細めている。

 

『わぁー』

『わぁぁー』

『ニコポも、ニコポもお願いします』

『ほら提督さん、笑顔笑顔』

 

 妖精さんがそう言うので、気分を良くした俺はかっこよくニコッと微笑んでやった。

 

「フッ……仕方が無いな。どうだ」

『今回だけは目を瞑ります』

 

 うるせぇよ! もう二度と笑ってやんねーからな!

 急に真顔になった妖精さん達の上に俺の軍帽を被せる。『わぁぁー』などと言って騒いでいた。しばらくそこで反省するが良い。

 

 ふと、俺は自分の腋の辺りをすんすんと嗅いでみる。

 うぅむ、やはり一日も経てば少し臭うな。徹夜明けで風呂に入らず眠ってしまったせいで、臭いも染み付いているような気がするし……。

 妹の言いつけであるオ○禁は一日目にして守る事が出来なかったが、せめて清潔感くらいは守らねば。

 とりあえず風呂と、洗濯はしておきたい。できれば皺だらけになってしまった軍服にもアイロンをかけておきたい。

 そう言えば、先に鎮守府に送っていたはずの俺の私物はどこにあるのだろうか……。パンツとか、寝巻きとか。

 おそらく俺の私室が用意されているはずなのだが、何処にあるのか説明を受けていなかった。

 大淀か誰かに教えてもらわねば。

 

 軍帽を被り直した俺に、帽子の中から妖精さんが語りかけてくる。

 

『どこへ行かれるのですかー?』

「風呂を浴びたくてな。まずは自分の部屋を探さねば」

『輪形陣でいいですかー?』

 

 やかましいわ! お前ら風呂には絶対についてくるなよ!

 

『提督さんのお部屋なら知ってるよー』

『……案内……する……』

『提督さん、こっちこっちー』

 

 魔女っぽい恰好の妖精さんが、矢印のついた棒を持って俺の前にふわふわと浮く。

 とりあえず妖精さんの道案内に従って歩いていくと、何やらアパートというか、寮のような建物に辿り着いた。

 

『ここは艦娘寮です』

『艦娘の皆さんのお部屋があります』

『提督さんのお部屋は、ここの最上階だよー』

 

 何ッ、艦娘達と同じ建物の中で過ごすのか。

 憧れの艦娘達と一つ屋根の下、そう考えただけで、俺の一つ股間の下が元気になる。

 そうか、それならば色々とハプニングもありそうではないか。

 うっかりノックをせずに扉を開けた瞬間に、着替え中の艦娘に出くわす可能性もゼロでは無い。

 今までの生活ではゼロであった確率に、希望が見られるのだ。可能性がゼロで無いのならば、俺はそれに賭けたい。

 

 まぁ、今までの人生でそんなラッキースケベ体験など皆無であるのだが。

 ノックせずに扉を開けた妹にオ○ニーしている姿を見られた事なら何度かある。凹む。

 

 最上階まで階段で登ったが、全然艦娘と出くわさない。

 昨日は徹夜で出撃だったからか、まだ室内で休んでいるのだろう。俺もそのように指示を出したし。

 妖精さんが示した一室の扉の前に辿り着くと同時に、隣の部屋の扉が開く。

 すると、ちょうど出てきたのは大淀であった。

 

「あっ、て、提督。もう起きられたのですか」

「うむ。私の部屋はここで良かったか」

「はい。申し訳ありません。仮眠室でお休みになられているのを見て、こちらに案内しようかとも思ったのですが、起こすのが忍びなくて……」

「いや、それで構わん。おかげで良い夢を見る事が出来た」

 

 俺がそう言うと、大淀はほっと胸を撫で下ろしたような表情を見せた。

 俺達の会話に気が付いたのか、大淀の私室と思われる部屋の中から、ぞろぞろと艦娘達が姿を現し、敬礼する。

 赤城に加賀、翔鶴姉に瑞鶴、龍驤に春日丸。俺が出撃させ、見事に大失敗となった空母部隊のメンバーだ。

 

 大淀に俺の失態を愚痴っていたのだろうか……そうとしか思えなかった。凹む。

 

 翔鶴姉に目を向けると、ぱっと勢いよく目を伏せてしまった。

 ……エッ。

 ちらっ、と一瞬こちらを見たが、俺と目が合うと今度は顔ごと逸らしてしまった。

 ヴェァァアアーーーーッ‼‼

 目、目も、顔も合わせたくないという事カナ? 死ねる。俺に明日は無い。

 

 い……いや、わかりきっていた事では無いか。

 昨日の失態により、艦娘から俺への好感度は最低となってしまっている。

 それは横須賀十傑衆も例外では無い。

 昨日の態度を見るに、間宮さんは駄目な俺の味方だ。俺のお手伝いをすると言って励ましてくれた。結婚して下さい。

 天龍も裏表の無い奴だと思っているが、俺の事を嫌ってはいなさそうだった。凄く柔らかかったです。

 金剛は帰りが遅かったからな……比叡達から色々聞かされているだろう。こんな事なら伝言頼まなければ良かった。

 

 臥薪嘗胆。俺はこの痛みを忘れないように、艦娘達からの信頼を取り戻すのだ。

 この胸の痛みと、あの素晴らしい景色を忘れるな。

 俺がショックを表情に出さないよう、涙が零れてしまわないように必死に頑張っていると、部屋の中から更に二人の艦娘が姿を見せた。

 

「あっ、提督さんっ! うふふっ、お疲れ様ですっ。練習巡洋艦、鹿島ですっ」

「提督、お疲れ様です。昨日は慌ただしかったとは言え、ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。練習巡洋艦、香取です。どうぞよろしくお願いいたします」

 

 うっひょーーッ! 横須賀十傑衆第三席、香取姉キタコレ!

 やっと会えた! 俺の股間にご指導ご鞭撻、よろしゅうな!

 

 香取姉の姿を見て、涙も引っ込んだ。

 提督権限ですでに演習は卒業させたが、教え子である春日丸繋がりなのであろうか。

 大淀に愚痴を言いに来たにしては、香取姉は優しい微笑みを、鹿島はニコニコと愛想のいい笑顔を、それぞれ俺に向けてくれている。

 俺の歓迎会を参加拒否したとは思えない笑顔だった。女心ってわからない……いや、浦風の例もあるからな。期待はせぬようにしなければ。

 

 そう。営業スマイル、もしくは大人の対応という奴だ。

 俺が今、涙を堪えていたのも同じようなものではないか。

 人はその表情の裏で、何を考えているかわかったものではない。

 いかんいかん。調子に乗るな。香取姉も鹿島も、俺への好感度はゼロであると思っていた方がいいだろう。

 

 俺は鹿島に目を向ける。提督七つ兵器、『提督アイ』発動!

 

「?」

 

 鹿島は微笑みながら小さく小首を傾げた。可愛い。

 い、いや、違った。うむ。間違いない。提督アイは節穴では無い。俺への好感度ゼロ! この笑顔は営業スマイル!

 

 そもそも鹿島とはどういう奴か。

 オータムクラウド先生によれば、こいつは非常に真面目で毎日演習の計画を立て、復習を欠かさないドスケベサキュバスだ。

 ……キャラが把握できない。一体どういう事なんだ。

 

 俺は頭の中を整理する。

 俺もたまにお世話になっているオータムクラウド先生の名作『お洋服とこの体、少し綺麗に……待っていて下さいね?』によれば、鹿島は昼はとても真面目な練習巡洋艦だ。

 駆逐艦達の為に演習計画を作成し、演習では上手くいかずに大破する事が多いものの決してめげず、演習の成果を次に活かす為の復習を欠かさない。

 

 ――しかしそれは仮の姿。

 夜になると豹変し、夜な夜な提督の寝床に侵入し、提督を襲う淫魔と化す。

 その姿は、昼間の可愛らしい姿とは似ても似つかない、妖艶なものに変わるという。

 

 うむ。俺の尊敬するオータムクラウド先生の言う事に間違いは無い。信じます。

 やはり今の笑顔は仮の姿なのだろう。香取姉も。凹む。

 それを踏まえた上で、俺は二人に向かって、改めて声をかけたのだった。

 

「うむ。香取に鹿島、二人とも優秀な練習巡洋艦だと聞いている。私もまだまだ至らぬ身だ、よろしく頼む」

 

 俺の言葉に、香取は嬉しそうに微笑み、鹿島は照れ臭そうに小さく笑った。

 

「あら……ふふっ、勿体ないお言葉です」

「えへへ、私は香取姉と違って、そんなに優秀では……いつも失敗ばかりで」

「鹿島は毎日の演習計画、復習を欠かさないだろう。失敗に腐らず糧とする勤勉なその姿勢、十分に優秀ではないか」

 

 俺が何も考えずにそう言うと、鹿島は驚いたように目を丸くしたのだった。

 

「えっ……な、何で知っているんですか?」

「……まぁ、お前の頑張りを見ている者はいるという事だ。反省を次に活かそうとする鹿島の姿勢は、私も常々見習いたいものだと思っているよ」

 

 いかんいかん。オータムクラウド先生が言ってました、など言えるはずもない。

 オータムクラウド先生の情報が正しいのであれば、鹿島の姿勢はPDCAサイクルそのものだ。

 計画し、実行し、反省し、次に活かす。俺も仕事に限らず日常生活にそれを活かしていきたいと思っているのだが、意思が弱くなかなか上手くいかない。

 故に、鹿島を見習いたいという俺の言葉は嘘ではないのだった。

 

 俺の言葉に、鹿島は目を輝かせて俺を見る。

 

「わぁぁ……! はいっ! 勿体ないお言葉です! 鹿島、これからも一生懸命頑張りますねっ! うふふっ、嬉しい!」

 

 よし、何とか誤魔化せた。流石はオータムクラウド先生。

 香取姉も嬉しそうに微笑んでいる。よ、よし、よくわからんが少しは好感度回復できたのかな。一、いや二ポイントくらい。

 勢いに乗って香取姉と仲良くしたい所だったが、不意に、何やら不穏な視線を感じた。

 見れば、大淀が焦っているような、怒っているような、悲しんでいるような、何とも言えないような表情で俺を見ていたのだった。

 

「……ど、どうした、大淀?」

「い、いえ……そ、それよりも、提督。昨日はあんな事があったので、今夜、改めて歓迎会をしようと思っているのですが」

 

 あんな事とは、俺が艦娘達の信頼を損なってしまった事だろうか。凹む。

 そうか、大淀のあの目は、俺の大失態に対して焦り、怒り、鎮守府の未来を思い悲しんでいる、そんな気持ちが混ざり合ったものか。

 大淀、そんな目で見ないでくれ。俺も何とかしたいと思っているんだ。

 

 それにしても、何故そこで歓迎会が出るのだ。

 昨日の今日だぞ、誰も参加してくれるはずがない。

 そう考えている俺に、大淀は言葉を続けた。

 

「提督が休まれている間に、艦娘全員にも話したんです。提督と、新しい仲間である金剛の歓迎会と、昨夜の勝利の祝勝会をしようと。すると、全員、快く参加すると答えてくれました」

「そうか、全員……エッ、ぜ、全員だと?」

「はい、私も正直、驚いています……」

 

 ……フーン、クルンダァ……ヘーエ、クルンダァ……。

 昨日と今日で一体何が違うのか。言うまでも無く金剛の存在と祝勝会である。

 俺の歓迎会は全員不参加で、新しい仲間である金剛の歓迎会と自分達の祝勝会も兼ねますよと提案したら全員参加って、それもう完全に俺いらねぇじゃねぇか!

 この仕打ちはあんまりだ。いくら何でもあんまりではないか。

 俺はもう泣くぞ。ヴェァァアアーーーーッ‼‼

 これは、何? 一応、俺も参加した方がいいの? 正直、流石に場違いすぎていたたまれないんだけど。

 もはや罰ゲームの域ではないか。参加しない方が艦娘達からの好感度も上がるような気さえしてきた。

 

「……う、うむ、しかし今回は私がいては邪魔かもしれんな。艦娘達だけで存分に楽しんでほしい」

「なっ、何をおっしゃるんですか! 主役が居なくては何も始まりませんよ⁉」

 

 俺の言葉に、大淀が慌ててそう言った。

 大淀だけではなく、その場の全員が意外そうに目を丸くしている。まさか辞退するとは思っていなかったのだろうか。

 俺も流石にそこまで空気の読めない男では無い。

 おそらく大淀は最初に歓迎会を提案してくれていたし、本当に参加してくれるつもりなのだろう。ダンケ。

 大淀の気持ちはありがたいのだが、他の艦娘達の事を考えると……。

 

「て、提督。どうかご参加頂けませんか」

「うーむ、しかし……」

 

 腕を組んで考え込んでいる俺に、大淀がどう声をかけてよいかという風におろおろしていると、その後ろから加賀が足を踏み出してきた。

 

「提督。上官である提督がいては私達が楽しめないだろうとのお気遣いかと推察します。お心遣いありがとうございます」

 

 ド、ドウイタシマシテ。俺はもう泣いてしまいたい。

 要するに空気を読んでくれてありがとうと、こんなに堂々と言う奴があろうか。

 傷心の俺に追撃の矢を叩き込むとは、鬼かコイツは。加賀に慈悲の心は無いのか。

 

「しかし、今回の勝利、そして金剛を迎え入れる事が出来たのは、全て提督あっての事です。どうかお気遣い無く、ご参加頂けないでしょうか」

 

 加賀は表情を変えずに、淡々とそう言った。

 祝勝会に関しては、今回の夜戦での勝利を祝うものだ。その出撃命令を下したのは俺である。

 金剛に関しても、建造に成功したのは俺である。

 つまり、一応それらに関わっているのだから、上官として形だけでも顔を出しておいた方が良いという事だろうか。

 加賀の抑揚のない、淡々とした言葉に、参加して欲しいという感情が込められているようには一切思えない。

 これを社交辞令と言います。凹む。

 

 加賀に続いて、鹿島も足を踏み出して、至近距離で俺を見上げながら言ったのだった。

 

「そうですよっ! 皆、提督さんに参加してもらいたいと思っています! ねっ、香取姉?」

「うふふっ、勿論です」

「そうか……ならば、ありがたく参加させてもらおう」

 

 香取姉が言うんじゃあ、従わざるを得ない。

 たとえそれが社交辞令であろうとも、歓迎会が針のむしろであろうとも、男にはやらねばならぬ時がある。

 

 それに、ただそこに居るだけでも良いものが見られるかもしれないではないか。

 むしろ無礼講という事にすれば、艦娘達は俺に構わず勝手に酔いつぶれ、尻がチラリ、胸がポロリ。俺はそれを横目でチラリ、俺の股間も思わずポロリ。

 うむ。どうやら参加する価値は十分にあるようだ。

 

「うふふ、流石ですね、加賀さん」

「えぇ……これからも任せてくれていいわ」

 

 赤城と加賀が小声で何か言っていた。

 くそっ、至近距離から俺に必殺の矢を食らわせて、してやったりという事か。

 お前ら酔いつぶれたら見てろよ。介抱するふりしてあちこちガン見してやるからな。

 お前ら二人の胸当ての下に隠れている飛行甲板がかなりのものである事は、この提督アイにはお見通しなんだからな!

 

 ふと、またもや不穏な視線を感じた。

 見れば、大淀が先ほどよりも強烈な視線を俺に向けている。

 だから、その目はやめてくれ。焦っているのか怒っているのか哀しいのか悔しいのか、はっきりしてくれ。不安になるから。

 

「お、大淀……」

「はっ、あ、はいっ。そ、それでは正式に歓迎会を開く準備をしておきますので。そ、それと、これが今回の報告書です」

「う、うむ。目を通しておこう……ところで大淀、ちゃんと身体は休めたか?」

「はいっ! 問題ありませんっ! お心遣いありがとうございます!」

「う、うむ……」

 

 何でこんなに気合が入っているのだろうか……。よくわからん。

 と、とりあえずは、歓迎会が楽しみだな。うん。いやぁ、楽しみだ。

 なっ、大淀? ……大淀さん?

 

「……こ、こうしてはいられないわ、何とかして挽回しなきゃ私の立ち位置が」

 

 駄目だコイツ気付いてねぇ。

 よく聞こえないが、何やら考え込むように、早口に小声でブツブツと何かを呟いている。

 

 ……さ、さぁ、最っ高に素敵なパーティしましょ!




次回までまたしばらくお待たせしてしまいます。
気長にお待ち頂けますと幸いです。


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024.『歓迎会』【提督視点①】

「では提督、乾杯の音頭とご挨拶をお願いします」

「うむ」

 

 大淀の促しに、俺は小さく頷いた。

 甘味処や小料理屋にしてはそれなりに広い店内ではあるが、六十人近い艦娘が勢ぞろいとなると、流石に狭く感じてしまう。

 俺はカウンター席でいいと言ったのだが、大淀に却下されてしまった。

 やはり提督ともなると一番上座に座らなければならないらしい。威厳を保つ為にも必要なのだろう。

 

 しかしそうなると座敷席の一番隅っこなものだから、間宮さんには一番遠い位置だ。凹む。

 カウンター席ならば常に間宮さんの顔を眺めていられたと言うのに。 

 全く俺が歓迎されていない歓迎会というアウェイにおいて、たった一つのオアシスだった間宮さんが、遠い。遠すぎる。

 厨房の奥にいるから死角になってしまって顔も見えない。テンションサゲサゲである。大潮です。

 

 しかも俺の近くに陣取っているのは、俺が誰に手を出すか監視するつもりであろう大淀と夕張、俺の股間に多大なる被害を与えた裏工作艦の明石、この鎮守府の艦娘達のリーダー格らしい長門などだ。

 大淀と夕張により監視の目を光らせ、もしも俺が疑わしい行動に出たら明石のクレーンで俺の股間を迎撃するつもりだろう。完全に俺を押さえつける為の布陣ではないか。警戒されすぎていて凹む。

 

 だがここでポジティブシンキング。前向きに考えよう。

 壁を背にした隅っこに座る事で、俺は必然的に全艦娘の方を向く事になる。つまり店内の全ての光景を把握できるという事だ。

 カウンター席では間宮さんだけを眺める事になるが、おそらくそれでは見逃してしまうチラリポロリもあるだろう。

 横須賀鎮守府の頭脳と呼ばれているらしい大淀ではあるが、その策を逆手に取るコペルニクス的転回。

 大淀をも上回る智将、天才たる俺ゆえの発想の転換である。

 横須賀鎮守府全艦隊の皆さんに告げますっ! この店内の全ては! 提督の掌の上ですっ!

 

 期待に胸と股間を膨らませながら、俺は右手のグラスを軽く掲げたのだった。

 挨拶は短く済ませるのが人気の秘訣。

 

「手短に済ませよう。まずは皆に礼を言いたい。このような場に招いてもらい、本当に嬉しく思う」

 

 艦娘達は真剣な表情で俺に目を向けている。

 うぅむ、いかん。やはり上官である俺がいる事で、皆も警戒しているような気がする。もっと和やかな感じでいいのに。

 プライベートの飲み会では無く仕事場の飲み会となると、羽目を外しすぎてはならないと考える真面目な艦娘もいるだろう。

 当然、そうなると自制のある艦娘は飲み過ぎてはいけないと判断し、周りにもそれを呼びかける。チラリポロリなど夢のまた夢だ。

 なんとかせねば。

 

「皆、昨夜は本当によく頑張った。昨夜の勝利と、金剛という新たな仲間を迎え入れる事ができたこの日を、今日は存分に祝ってほしい。それに関して、今夜、一つだけ提督命令を下したい」

 

 姿勢を正して真剣な眼差しを向ける艦娘達に向かい、俺はグラスを掲げて、言葉を続けたのだった。

 

「今夜ばかりは無礼講だ。どうか私に気を遣わず、心から飲んで騒いで楽しんで、普段通りの姿を私に見せてくれ――乾杯」

 

 再び皆の艦パイを観パイしたい、第二回観艦式開催決定!

 あわよくばそのぬくもりを感じたい。間宮さんのアップルパイに埋もれパイ。

 そんな思いを込めた俺の言葉に、全員の表情がほぐれたような気がした。

 かんぱーい、と大きな声が店内を包み、一瞬にして賑わいが広がる。

 うむうむ。良い感じの空気ではないか。

 

「提督、お疲れ様です」

 

 大淀がそっとグラスを差し出してくる。かちん、とグラスを合わせると、大淀は嬉しそうにはにかんで、言葉を続けたのだった。

 

「混雑を避ける為に、皆には時間を決めて、順番で挨拶に伺うように前もって話してありますので」

 

 う、うむ。大淀はわかってないのかな。

 多分言わなければ、皆、俺の事いないものとして扱うと思うんだけど。

 大淀の言葉に従って、皆はしぶしぶ俺に挨拶に来るのだろう。凹む。

 

 そういえば鳳翔さんも俺が無能である事を理解しつつ上官として支えてくれようとしてくれていたし、大淀もそうなのだろう。

 提督という存在が鎮守府にとって重要であるという事は、佐藤さんも言っていた。

 やはり提督として威厳を保つ事は必要なのだ。たとえ心の中で見下されていようとも、胸を張ってその仕事を全うせねば。

 歓迎されていない歓迎会に出席するのも、しぶしぶ挨拶に来られるのも、上司の仕事の一つという事だ。

 

 そう考えてみれば、俺が前の職場で働いていた時も似たようなものだったではないか。

 飲み会で嫌いな上司に挨拶に行くのは嫌だったが、それでも社交辞令で行かねばならなかった。

 では俺が嫌っていた上司は全員が全員楽しんでいたのかと言えば、そういうわけでもなく二種類に分かれる。

 一方は俺を捕まえて離さず、酒臭い息でつまらない説教をクドクドと続け、ますます嫌いになるタイプ。

 もう一方は手短に簡単な話だけをして、すぐに切り上げてくれるタイプだ。こちらはそこまで嫌いにはならなかった。

 今にして思えば、後者の上司は俺に嫌われている事を理解していて、俺がしぶしぶ挨拶に来ていた事も理解した上で、俺を気遣ってくれていたのかもしれない。

 

 つまり今度は俺が、嫌われている事を承知で、しぶしぶ挨拶に来る艦娘達を気遣う立場になるという事だ。

 その辺りに気を遣う事で、艦娘達の信頼も少しは取り戻せるかもしれない。

 うむ。ピンチはチャンス。大淀の作ってくれたこの機会で、上手く艦娘達の好感度を稼がねば。

 とりあえず目の前の大淀から褒めておこう。

 

「すまない。大淀は本当に気が利くな。昨日から世話になりっぱなしだ。とても助かる」

「と、とんでもないです。これが私の仕事ですから……これからもお助けできれば何よりです」

「大淀は随分とこういった仕事に慣れているようだが、やはり今までも秘書艦を務めていたのか?」

 

 俺の言葉に、大淀は一瞬考えるように間を置いて、口を開いた。

 やけに落ち着きなく、その指で眼鏡をクイッと上げる。

 

「そ、そうですね……提督を補佐する役目に就く事は多いです」

「大淀の艦隊指揮能力は、この横須賀鎮守府の艦娘の中では随一ですよ。提督、お疲れ様です」

「それに、それなりに腕っぷしも強いですからねー。秘書艦としてちょうどいいんですよ。私とも、はいっ、乾杯っ!」

 

 大淀に続いて、話を聞いていたらしい夕張と明石がグラスを差し出してきた。

 それぞれと乾杯をすると、大淀がジト目のような何とも言えない目を二人に向ける。

 

 夕張の言によれば、その見た目通りに艦隊指揮能力は随一。わかりきっている事であるが、俺よりは確実に上であろう。

 明石の言によれば、見た目によらずそれなりに腕っぷしも強いとの事。俺の秘書艦としては評価される項目では無いが、何故明石はそこをアピールしてきたのだろうか。

 

「夕張、明石……今私が提督と」

「い、いいじゃない。大体、何で大淀がちゃっかり一番近くに座ってるのよ! 仕切るんだったらもっと動きやすい席でいいでしょ」

「こ、これは私なりに色々考えた布陣です。連合艦隊旗艦を務めた私が提督の傍に控える事で……」

 

 大淀と夕張が何やら言い合っているのに構わないように、明石はすすっ、と俺の隣に近づいて、言ったのだった。

 

「大淀と夕張は置いておいて……それより提督、明日からの秘書艦はもう決めたんですか?」

「いや、まだ決めてはいないが」

「ふふふ。戦闘は不得手だけど、また私を指名してくれてもいいんですよ?」

 

 い、いや結構。

 明石を近くに置いておいては、股間がいくつあっても足りん。クレーンを攻撃に使うとは何処の重機人間だコイツは。

 これ以上のダメージを受けてしまっては、俺の股間は使い物にならなくなる。

 工作艦ならぬ口搾艦らしく、俺の股間のお口修理、いや泊地修理に着手してくれるというならば考えてやらんでもないが、とりあえずは候補外だ。

 

「う……うむ。明石にはこれから改修工廠や泊地修理を任せたいからな。これ以上頼るのも悪いから、候補からは外してある」

「うふふっ、ですよねー。お心遣いありがとうございます! 提督ならそう言うと思ってました。あっ、ちなみに、秘書艦候補ってのはどの子になるんですかぁ?」

 

 明石と話していると、一瞬、店内が静まり返ったような気がした。

 俺が辺りを見渡すと、先ほどまでと変わらない喧噪が広がっている。やはり気のせいだったのだろうか。

 

 候補というのは俺が夢に見た横須賀十傑衆の事なのだが、あれはあくまでも夢の話だ。

 夢と現実の区別がつかないほど俺も馬鹿では無い。

 現実ともなると、性的なお世話だけではなく様々な仕事がある。

 特に提督の俺が、全く仕事が出来ない現状だ。大淀や鳳翔さんのように、仕事ができる者でなければならないだろう。

 

 大淀と鳳翔さんはそもそも艦隊編成条件(巨乳)を満たしていないから外すとして、やはり十傑衆から選ぶのがベターであろう。

 

 長門は駄目だ。オータムクラウド先生によれば脳みそまで筋肉で出来ている肉弾戦艦。事務仕事は不向きであろう。ペンを握れば壊してしまうかもしれない。

 

 浦風も駄目だ。どんなに母性があろうとも、その見た目は少し発育のいい中学生くらいにしか見えない。中学生を秘書にしてはあまりにも情けなさすぎる。Hしよ! などと言った日には条例に引っかかる可能性大。

 

 天龍も駄目だ。いい奴ではあるが見るからに馬鹿だ。俺よりも仕事が出来ない可能性すらある。

 

 筑摩は仕事面では大丈夫であろうが、おそらく利根から離れたがらないだろう。資質はあるが筑摩を秘書艦にするには、今はまだ時期尚早だ。

 

 妙高さんは完璧だ。見た目も余裕で成人しているOLって感じだし、妹達もそこまでべったりでは無いだろう。仕事も出来そうだ。採用決定。コングラッチュレイション……! 

 

 翔鶴姉には頭を下げてお願いしたい所だが、俺は瑞鶴に警戒されている。ここで翔鶴姉を指名してしまっては、ますますマークされてしまうだろう。ここは少し距離を置こう。翔鶴姉は目も合わせてくれないし。凹む。

 

 千歳お姉も大丈夫だとは思うが、千代田がかなりのシスコンらしい。ここで敵に回してしまう可能性もある。安全策を取るなら、少し時間を置くべきだろう。

 

 香取姉はむしろ俺の秘書艦になるべくして存在している気すらしてくる。見た目的にも中身的にもバッチリだ。採用しない理由が存在しない。コングラッチュレイション……!

 

 金剛は昨日建造されたばかりなので論外だ。秘書艦の仕事など出来るはずがない。まずはこの鎮守府に慣れてもらうところから始めねば。

 

 間宮さんは非常に残念だが、艦娘達の食を支える大切な仕事がある。俺が独占してしまっては、ますます艦娘達を敵に回してしまう事だろう。

 

 以上の事から、俺の秘書艦候補としては妙高さんと香取姉が適任であると思われる。

 

「まぁ、まだ候補ではあるのだが……妙高か、香取に頼もうかとは思っているな」

 

 かちゃん、と音がした。

 見れば、大淀がグラスを落としてしまったようで、酒が零れてしまっている。

 ど、どうした大淀さん。顔が青いぞ。

 

「あぁっ、も、申し訳ありません! 夕張、ふ、布巾を頂戴!」

「う、うん。はい」

「大淀、大丈夫か?」

「て、提督っ! 申し訳ございません!」

「何、構わん」

 

 震える手で零れた酒を拭き取る大淀を、俺も近くに置いてあった布巾で手伝う。

 まぁ、酒の場でグラスを落としてしまう事など日常茶飯事なのだから、別に気にはしない。

 むむっ。俺が座敷を拭うという行動に伴い、必然的に視線は下に向き、自然に大淀と夕張の太ももを眺める事ができるではないか。大淀、ナイスアシスト!

 大淀のハイソックスが作り出す絶対領域。夕張の白いお腹と対照的な黒ストッキングに包まれた太もも。俺のマイ枕にしたい。

 濡れてしまっているな、拭いてやろう、っていかんいかん。自制しろ。これ以上はアウトだ。

 早速、酒の席ならではのハプニング発生。幸先のいいスタートだ。これからも期待が持てるではないか。

 

 しかし大淀もいきなりグラスを落とすとは。何だか落ち着きが無いし、目は若干虚ろだし、元気も無いようだし、疲れが溜まっているのだろうか。

 うーむ、そう言えば、まだ目は通していないが結構な量の報告書を作成していたみたいだし……昨日は朝まで海の上にいたはずだ。やはり寝ていないのでは。

 

「本当に申し訳ありません。つい手が滑ってしまって……」

「気にするな。それよりも、やはり大淀、寝ていないのではないか」

「い、いえ、その……大丈夫です」

「正直に言ってくれ」

「……申し訳ありません。興奮のあまり、寝ずに報告書を作成しておりました」

「やはりか。しっかり休息を取れと、報告書は後で良いと、言っていただろう」

「はい。仰る通りです……申し訳ございません……」

 

 大淀はすっかり落ち込んでしまったように、目を伏せてしまった。

 い、いかん。これでは酒の席で説教して嫌われる上司の典型! 好感度アップどころでは無くなってしまう。

 俺がそんな事を思っていると、夕張と明石が声をかけてきたのだった。

 

「あ、あの! 私も妖精さんと一緒に、皆の艤装の修理を手伝ってましたので、寝てません! 大淀を叱るのでしたら私も……」

「私も泊地修理が終わったらそっちを手伝ってたので寝てませんね。提督、指示に背きまして申し訳ありませんでした」

 

 そう言って夕張と明石は頭を下げる。

 駄目だ。これは駄目な流れだ。

 よく考えてみろ。大淀が一体何をした。俺の指示に従わなかったが悪意があるわけでは無い。

 むしろ報告書は日報だ。急がねばならない理由があったのだろう。グースカ寝ているクソ提督に代わり、寝ずに報告書を作成していたという事か。

 夕張と明石も、寝ずに皆の艤装を修理していたというではないか。

 俺が一体何をした。朝一番にナニをした。そして夕方まで爆睡した。駄目人間すぎる。ただのクズではないか。

 

 俺が呑気にいびきをかいている間にも、コイツらは寝ずに働いていたのだ。

 説教などするつもりはなかったが、誤解は解かねば非常にマズい事になる。

 

「……そうか。いや、これは私が間違っていた。大淀、夕張、明石、本当にすまない。お前達が頑張っていたのだ、私も起きているべきだった。提督失格だ」

「なっ、何を仰いますか! 提督は昨夜も寝ていないと聞いています」

 

 俺が深く頭を下げると、大淀は慌ててそう言った。

 

「それはお前達も同じだろう」

「あぁ、提督。私達艦娘も毎日の睡眠は必要ですが、その気になれば二、三日は睡眠を取らなくても大丈夫なんですよ」

「何っ、そうなのか明石」

「任務によっては数日間海の上って事もありますからね。人間に比べれば睡眠不足にもそれなりに強いんです。ですから提督は私達に気を遣わず、お体第一でしっかり睡眠を取ってくださっていいんですよ。それが提督の仕事です」

 

 明石がそう言うのならば、間違いは無いだろう。

 確かに海の上を数日間移動する事もあるのならば、睡眠を取っているどころではないだろう。

 しかし大淀がうっかりグラスを落としてしまうくらいには疲労も溜まるようだし……やはりこまめに休息は取らせた方がいいようだ。

 

「……うむ、わかった。大淀、お前の気持ちも考えずに済まなかった。今後も、考えの足りない私を支えて欲しい」

「はっ……はいっ! こちらこそ、不束者ですがどうか末永くよろしくお願いします!」

 

 大淀は気を取り直したように、敬礼した。

 何とか最悪の事態は避けられたようだ。よ、よかった……。

 ここでいきなり説教してしまって好感度を下げてしまっては、もはやマイナスだ。バッドエンド一直線である。

 部下の体調への気遣いがいい上司の秘訣だ。コイツらにはしっかり休息を取ってもらわねば。

 

「ただし、大淀も、夕張も明石もだ。今夜は三人とも、しっかり睡眠を取るように。これは提督命令だ」

「はい。提督のお心遣いに感謝致します」

「了解です。しっかり休む事にしますね」

「安眠できるように、提督のお膝を貸してくれてもいいんですよ? キラキラ!」

「こ、こらっ、明石っ!」

 

 目を輝かせてお茶目に笑う明石に、大淀と夕張が慌てて注意する。

 可愛い。い、いや、油断してはいかん。この明石のいい笑顔も、上官に対する接待である可能性があるのだ。

 この状況はキャバクラみたいなものだ。明石達も仕事として俺に構ってくれている。

ちやほやしてくれたからと言って、「この娘、俺の事好きなんじゃね?」と思うのは馬鹿のする事である。

 特に俺は駄目な上官だと見限られており、誰にも歓迎されていない事が明らかな状況だ。

 こんな状況で好感度があるなどと勘違いをするな。

 騙されんぞ。俺は騙されん。少し油断したら俺の股間にクレーンを叩き込むつもりに決まっている。

『提督アイ』発動! なるほど……上半身のガードが固くて分かりにくかったが明石は意外と有るな。い、いや違った。

 

「――提督よ、失礼するぞ」

 

 アッハイ。スイマセン。

 不意に声を掛けられ振り向くと、そこには仁王立ちをして俺を見下ろしている、眼光の鋭い女がいた。

 な、何だコイツは。全盛期の加賀並に凍てつく視線を向けている。加賀や瑞鶴の他に、まだこんな危険な奴がいたのか。

 知った顔だ。妙高型重巡洋艦二番艦の那智である。

 い、いかん。見るからに不信感を持たれている。ボロを出さぬよう大人しくせねば。

 

「こら、那智。提督に失礼でしょう。正座しなさい」

「……フン。わかっているとも」

 

 おぉっ、横須賀十傑衆第六席、妙高さん! たちまち元気がアゲアゲです!

 どうも、俺が提督です! 大きな体に小さな魚雷! お任せ下さい! 常に全力疾走です!

 

 妙高さんの言葉に、那智も大人しくその場で膝を折った。

 足柄と羽黒もすぐ後ろに控えている。どうやら妙高型四姉妹で挨拶に来たようだ。

 妙高さん達の姿を見て、大淀が慌てたように声をかける。

 

「妙高さん、まだ時間では」

「ごめんなさい、那智がどうしてもと言って聞かなくて。その代わりにすぐに戻りますから」

 

 えぇ……妙高さん、すぐに戻っちゃうのか。この那智め、何てことをしでかしてくれたのだ、この馬鹿め、と言って差し上げますわ。

 那智に目をやると、変わらず鋭い眼光で俺を睨みつけている。ゴ、ゴメンナサイ。

 妙高さんはそれを制するように横目を向けてから、俺を見つめてグラスを差し出してきたのだった。

 

「改めまして、妙高型重巡洋艦、妙高です。提督、最後の日まで、共に頑張り抜きましょう」

「……私は那智。よろしくお願いする」

「足柄よ。砲雷撃戦が得意なの。ふふ、よろしくね」

「妙高型重巡洋艦、末っ子の羽黒です……あ、あの……ごめんなさいっ!」

「ふふっ、提督。お疲れ様です」

「提督さん、お疲れ様ですっ」

 

 それぞれと乾杯しつつ、俺は瞬間的に観パイする。

 香取姉≒足柄>鹿島≒妙高さん>那智>羽黒といったところか。しかし羽黒も無いわけでは無い。流石は重巡、バランス型である。

 ……ん? 何か多いと思ったら、妙高さん達に続いて香取姉と鹿島まで乾杯しに来ていた。

 おぉ、横須賀十傑衆第三席と第六席、しかも秘書艦候補が並ぶとは。ハラショー、股間に力を感じる。

 大淀がまた何か言おうとしていたが、それよりも先に香取姉が口を開いたのだった。

 

「予定では私達姉妹がご挨拶に伺う時間でしたから」

「香取さん、すみません……私達はすぐに戻りますので」

「いえいえ、逆にちょうどよかったです」

 

 妙高さんが頭を下げると、香取姉は気にしないように顔の前で手を振った。

 

「ついさっき、提督が興味深い事を仰っていたのが聞こえてきたので……秘書艦候補として私と妙高さんを考えていると」

「あら。そうなのですか? それは光栄ですね」

 

 香取姉と妙高さんは俺を見て、にこっ、と微笑んだ。二人の笑顔に俺はもう轟沈不可避。俺の愚息を厳しくしつけてくれまいか。

 一方で鹿島は何故か、拗ねてしまったように目を伏せて、小さく唇を尖らせてしまっていた。

 そんな鹿島をちらりと見て、香取姉は改めて俺を見て言ったのだった。

 

「提督、大淀さんの名が聞こえなかったようでしたが……」

「う、うむ。まぁ、私なりに考えがあってな」

「まぁ、そうでしたか……ちなみに、妹の鹿島はどうでしょう。やはり提督の秘書艦としては力不足でしょうか」

 

 香取姉の言葉に鹿島がぱっと顔を上げたので、思わず目と目が合う。可愛い。い、いや、そうじゃない。

『提督アイ』発動! 年上属性×、包容力◎、巨乳◎。うぅむ、流石は香取姉の妹。やはりポテンシャルはかなり高い。

 しかし、見た目は清楚だが、オータムクラウド先生曰く、中身がなぁ……。

 

 オータムクラウド先生からの情報をもとに、俺の天才的頭脳で検証してみよう。

『姦』という漢字がある。あまり良い意味では用いられない言葉だ。

 女三人寄れば(かしま)しい、という言葉で有名だが、ここからわかる事は、(かしま)と書いて鹿島(かしま)と読むという驚愕の事実である。

 俺の頭脳が導いた式が示す通り、鹿島は普通の女性の三倍に匹敵する性欲を持つと推測される。名は体を表すという奴だ。考えただけで恐ろしい。最低でも三発という事だ。

 

 このようにただでさえ危険な鹿島だが、秘書艦にしたら更に危ない事になる。

 凡人にはわかるまいが、俺ほどの天才的頭脳になると嫌でも気付いてしまうのだ。

 鹿島を秘書艦に据える危険性。

 水素と酸素が化学反応を起こして水になるように、鹿島が秘書艦となる事で起こる化学反応。俺でなきゃ見逃しちゃうね。

 

 鹿島 × 秘書艦 = Kashima × Hisyokan = Ka shima × H i syo kan = H shima syo × Ka i kan = Hしましょ? × 快感♪

 

 このドスケベサキュバスめ! 一体何を考えているんだコイツは!

 真面目そうな顔をして、四六時中エロい事を考えているに違いない。実にけしからん。

 まさに色欲を擬人化したような奴だ。えっちなのはいけないと思います。

 オータムクラウド先生の作品曰く、秘書艦になるという事は、四六時中一緒にいるという事だ。

 おそらく鹿島の前で眠りについたが最後、寝込みを襲われて俺が四半世紀守り続けた童貞は容易く奪われ、そのまま腹上死不可避。貞操の危機どころか命の危機だ。

 ハーレムが俺の夢だと言うのに、寝ている間に童貞を喪失し、経験人数一人のまま強制的に死に至る。最悪ではないか。

 童貞を捨てる事ができれば何でもいいというわけではない。夢を失った男は終わりだ。

 推薦してくれた香取姉と鹿島には悪いが、ここは丁重にお断りさせてもらおう。しかし何と言うべきか……。

 

 俺が悩んでいると、鹿島が正座したまま身を乗り出し、口を開く。

 

「あ、あの! 私、お忙しい提督さんのお手伝いがしたいんです。それに、秘書艦のお仕事は凄く勉強になるから、提督さんの近くで学べば、少しでも香取姉に近づけるかもって思ってて……駄目、でしょうか……?」

 

 可愛い。い、いや、いかん! くそっ、コイツ魅了系の能力でも持ってんのか⁉ 本当にサキュバスかコイツは。

 正座の状態で三つ指ついて前かがみで見上げてくるものだから、必然的に胸部装甲が強調される形になる。ダンケダンケ。

 違う! 正気に戻れ、俺! 『提督アイ』発動! 可愛い。違う、そうじゃない! 『提督アイ』再発動! おっぱい。だ、駄目だ、ブッ壊れてやがる⁉

 れ、冷静になるのだ。そう、鹿島は秘書艦としてまだ相応しくないという根拠を示せばいい。

 

「ち、ちなみに、鹿島。手伝いと言ったが、具体的には秘書艦とはどういった仕事をするのだ」

「えぇと……まずは、提督さんが執務に集中できるように、身の回りのお世話をします。お食事をご用意したりとか……」

 

 食事か……俺は三食間宮さんに作ってもらおうと考えているからな。俺に毎日味噌汁を作ってくれと頼むつもりだ。それは特に必要無い。

 

「お洗濯をしたりとか……」

 

 洗濯か。それはマズい。俺の部屋には現在、ヌメヌメがカピカピになったパンツを手洗いしたものが干してある。あんなものを見つかったら提督の威厳も台無しだ。

 ドスケベサキュバス鹿島は普通の女性の三倍は臭いにも敏感であろう。

 家でも妹達から一緒に洗濯しないでと言われていたし、今まで通り自分のものは自分で洗濯します。凹む。

 

「お部屋のお掃除をしたりとかしますね」

 

 部屋の掃除……だ、駄目だ! 俺の私物が入った段ボール、アレを見られたらヤバい!

 俺のパンツなどを詰め込んだ段ボールと間違ったのか、何故かオータムクラウド先生の作品が詰め込まれた段ボールが届いていたのだ。

 そう言えば俺が鎮守府に送る荷物を急いで詰め込んでいる時に、妹が視界に入れたくないからと段ボールに詰めていたような気がする。

 おかげで着替えのパンツが無い為、やむを得ず俺は現在ノーパンである。

 

 あの段ボールはもはや俺の宝箱と言っても過言では無いが、その中には何が詰め込まれているのかというと。

 

『甘いものでもいかがですか?』(間宮本)

『これは少し厳しい躾が必要みたいですね』(香取本)

『お洋服とこの体、少し綺麗に……待っていて下さいね?』(鹿島本)

『千代田に怒られちゃうから、黙っていて下さいね』(千歳本)

『千歳お姉には内緒よ』(千代田本)

『スカートはあまり触らないで』(翔鶴本)

『これ以上私にどうしろというのですか……!』(妙高本)

『こんな無様な姿……姉さんには見せられません……』(筑摩本)

『イク、イクの!』(伊19本)

『口搾艦、明石! 参ります!』(明石本)

『結構兵装はデリケートなの。丁寧にね』(夕張本)

『一航戦の誇り……ここで失うわけには……』(赤城本)

『ヤりました』(加賀本)

 ……これでもまだ全部では無い。

 

 宝箱というかパンドラの箱である。中には俺の希望が詰め込まれているが、開けたら最後、鎮守府全体に厄災が広がるであろう。

 もしも艦娘にバレてしまったら俺の鎮守府生活は終わりを告げる。

 俺の部屋を勝手に掃除しちゃ駄目!

 

「う、うむ……その辺りの身の回りの事は、とりあえず自分で何とかするつもりだ。私の考えだが、秘書艦に必要な条件が三つある。私から見て、鹿島はその一つが足りていないようだな」

「そ、それは一体何なのでしょうか⁉」

「……う、うむ、そこは自分で考えてみるのだ」

 

 だ、駄目だ! 冷静どころか思いっきり俺の脳内が垂れ流しになってしまっている! くそっ、鹿島恐るべし。

 包容力と巨乳はともかく年上属性が足りないなどと言えるはずもない。ましてや性欲旺盛すぎるから身の危険を感じますなどと言った日には、セクハラ案件で鎮守府追放の危機だ。

 

「むむむ……」

 

 鹿島が腕組みをして唸っている。可愛い。だ、駄目だ、コイツが近くにいると本当に駄目になる。すでに駄目人間なのに、更に駄目になってしまう。

 これからはなるべく距離を置かねば、うっかり本性が出てしまうような気がする。

 思わず鹿島から顔を背けると、愕然とした表情の大淀が小刻みに震えている。ど、どうしたの大淀さん。

 見なかった事にする為、俺は反射的に目を背けた。

 

 い、いかんな。何となくだが、なんだかまたマズい流れになってしまっているような気がする。

 香取姉の提案、鹿島のお願いは、俺の貞操のピンチではあるが、好感度アップのチャンスでもある。

 ピンチをチャンスに変えてこその天才、俺ではないか。

 他ならぬ香取姉の提案だし、まぁ寝込みを襲われないように俺が気をつければいいんだし……そう考えて、俺は何も考えずに口を開いたのだった。

 

「……しかし、香取の言う事も一理あるな。実際にやってみねば学べぬ事もあるだろう。鹿島、私の秘書艦を頼めるか?」

「えっ、ええっ⁉ いいんですかっ⁉」

 

 まぁ、仕方が無い。香取姉と妙高さんの二人体制が三人体制になるだけだ。支障は無いだろう。

 不意に、ごとん、と音がした。見れば、大淀がまたグラスを落としてしまっている。

 グラスの中身は入っていないようだったが、やはり相当疲れているようだ……夕張に肩を揺すられているが、固まったまま反応していない。もう休ませた方がいいのかな……。

 

 すると妙高さんが、ぽんと手を叩いてこんな事を言うのだった。

 

「あら、それならうちの羽黒もお願いしては駄目でしょうか」

「えぇっ、み、妙高姉さんっ⁉」

「鹿島さんも言っていたように、秘書艦の仕事はとても勉強になるのよ。私や那智、足柄が改二になれたのも、その影響が大きかったように思うの。提督、いかがでしょうか」

 

 うーん……羽黒か……。『提督アイ』発動。年上属性×、包容力△、巨乳△……うーん……バランス型ではあるが……。

 羽黒はこう、甘えたくなるって感じじゃないんだよなぁ。それとは逆で守ってあげたくなるというか、後輩系というかそんな感じだ。

 ただ俺は誰かを守ってあげられるほど自分に余裕が無い。自分と妹達だけで精一杯だ。

 その妹達はどいつもこいつも俺に厳しいし、どいつもこいつも胸が貧しい。

 おそらくその反動で、俺は思いっきり巨乳のお姉さんに甘えたいと思ってしまうわけだ。俺の甘味処間宮さんとかに。甘えパイ。

 羽黒は可愛いとは思うが、俺のストライクゾーンからは大きく外れているわけで……うーん、しかし妙高さんからの頼みだからなぁ……少しでも好感度を稼がねば。

 

「う、うむ……私は構わないが」

「決まりですね! 羽黒、頑張って!」

「えぇぇ……そ、そんな、私まだ心の準備が……」

 

 まぁ、他ならぬ妙高さんの頼みだ。引き受けざるを得まい。香取姉と妙高さん、鹿島と羽黒の四人体制になったところで執務に支障は――。

 

「それでは私の代わりに鹿島、妙高さんの代わりに羽黒さんの二人が秘書艦を務めるという事で決まりですね」

「えぇ。提督から学び、二人とも成長できる、いい機会になる事でしょう」

「はいっ! 鹿島、提督さんの為に一生懸命頑張りますねっ! うふふっ、嬉しい!」

「よ、よろしくお願いします……ご、ごめんなさいっ」

 

 …………アレッ?

 お、おかしいな。横須賀十傑衆の第三席と第六席の姿が自然に秘書艦のメンバーから消えたような気がする。

 ま、まさか俺の秘書艦を務めるのが嫌で、うまく妹にその役目を押し付けて――⁉ 

 俺が二人に目をやると、香取姉と妙高さんはクスクスといたずらっぽく笑って、こう言うのだった。

 

「ふふっ、実は鹿島が秘書艦をやりたいと言い出した時から、お願いしようと思っていたんです」

「あら、香取さんも? 実は私も、この提督ならばと羽黒を推薦しようと思っていたのです」

 

 そ、そんな、香取姉! 俺の童貞を奪いたい鹿島との利害が一致したという事か! 俺には害しか無いというのに!

 妙高さんも、明らかに羽黒はやりたくなさそうなのに、何故推薦を⁉ やはり俺が無能提督だという噂を聞いて、自分が秘書艦になる事を避ける為に――⁉

 

 や、やはり俺への好感度は最低! あの笑顔は愛想笑い! もうやめて下さい! これ以上、私にどうしろというのですか!

 しかも羽黒は俺への嫌悪感を隠すつもりゼロ! 最初の挨拶からごめんなさいされちゃったよ!

 学生時代に俺に好かれているという噂が流れていたらしく、別に告るつもりも無い女子にごめんなさいされた記憶が蘇る。凹む。

 唯一俺に好意的そうなのはドスケベサキュバス鹿島のみ。お前が好意的なのは俺の下半身に対してのみだろ!

 

 ここは提督命令で無理やり秘書艦に引き留めるか……駄目だ、ますます好感度が下がってしまう。

 俺への不信感を隠すつもりすらない羽黒に、俺の寝込みを襲う隙を虎視眈々と窺っているであろう鹿島。

 何でこんなメンバーを近くに置かねばならんのだ。

 羽黒に怯えられるたびに俺はハートブレイクしそうだし、鹿島にはテクノブレイクさせられる可能性がある。

 常に死と隣り合わせ。これが俺の運命だとでもいうのか。

 

 いや、こんな所で死んでたまるか。俺は運命と戦う。そして勝ってみせる。

 とりあえず秘書艦の事は置いておいて、この場を上手く乗り切る事だけを考えよう。これを思考放棄と言います。

 当初の目的を忘れるな。まずは艦娘達の信頼を取り戻す事。次に、艦娘達のチラリポロリをこの目に焼き付ける事。

 まだ歓迎会は始まったばかり。挨拶に来る艦娘達はまだまだいる。

 まずは最低になってしまった艦娘達の好感度を上げる。ただそれだけを考えて行動するのだ。

 

 俺は何となく大淀に目をやった。

 

「……な、何とかして私の長所をアピールしなきゃ……そ、そうだ、明日からの備蓄計画を再検討して……」

 

 よく聞こえないが、空のグラスを見つめてブツブツと何かを呟いている。

 俺は再び反射的に顔を背けたのだった。

 



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025.『歓迎会』【艦娘視点①】

「……まずは千歳さんと千代田に特大発動艇を装備してもらって……第二二駆逐隊の皆と組ませれば……」

「おーい? 大淀ー? ちょっとー?」

「川内さん達にもそれぞれ水雷戦隊を率いてもらうとして……そうすると駆逐艦の組み合わせは……」

「大淀っ、大淀ってば」

 

 空のグラスをじっと見つめながら備蓄計画を再検討している私の肩を、隣に座る夕張がゆさゆさと揺さぶってくる。

 集中できないので、私は我慢ならずに思考を打ち切り、夕張に目をやった。

 

「あぁもうっ! 何ですかっ⁉ 貴女の役目はドラム缶を四つ抱えていざとなったらそれで敵艦を殴り倒しつつ――」

「いや聞いてないから! とにかく落ち着こ? ねっ?」

 

 夕張がそう言ってメロン味のお酒を注いでくる。

 仕方なくそれに口をつけ、一息つく事にする。

 しかしどうにも一口では収まらず、ごくごくと一気に飲み干してしまった。

 

「んくっ、んくっ……ぷはぁ」

「もう、どうしたのよ。さっきからおかしいわよ」

 

 さっきから、どころではない。

 夕張の知らないずっと前から、私はもうおかしくなってしまっていた。

 遡れば、そう、鎮守府の正門前で、明石を泣かせてしまったと狼狽える提督を見て笑ってしまった時からだろうか。

 あの時から私はもう、きっとおかしくなっているのだ。

 

 鹿島が提督の秘書艦に立候補すると言った瞬間――嫌な感じがした。胸騒ぎが起きた。背筋に寒気が走った。

 それは何故かと言うと、正直に言えば、私の大切な何かを奪われてしまうのではないかと思ったからだ。

 

 過去の提督の中には、秘書艦の業務など誰がやっても同じだと言って、自分の好みの艦娘を指名する者もいた。

 事実、それは間違いではない。得手不得手はあろうと、やり方さえ覚えれば提督の補佐という仕事は専門性があるというわけではない。

 

 秘書艦の仕事は大きく分けて三つ。

 まずは、提督の身の回りの世話。たった一人で鎮守府を管理する提督の負担を少しでも減らす為、提督の食事の用意や洗濯、掃除などは基本的に秘書艦が行う。

 次に、鎮守府運営等、提督の執務の補佐。これもまた同様に、莫大な量の業務を抱える提督の負担を減らし、また執務を円滑に行う為の仕事だ。

 最後に、提督の護衛。『提督』という存在が無ければ、艦娘は本来の性能を発揮できない。たった一人、戦闘能力を持たない『提督』を仕留めてしまえば、一度に数十人の艦娘を弱体化する事が出来る。

 それを狙う深海棲艦側の刺客がすでにこの国には入り込んでいるのか、今まで何人もの提督が不審死、または行方不明になった。

 そのどれもが鎮守府外、艦娘から離れた時に起きている為、現在では提督は必要時以外鎮守府から離れられず、常に護衛の艦娘を近くに置く事を義務付けられている。

 

 つまり、秘書艦とは、ある程度身の回りの世話ができ、ある程度の執務の補佐ができ、ある程度の戦闘力があれば、誰にでもこなせると言っても過言では無い。

 もちろん、その能力が高ければ高いに越したことはないわけで、私も艦隊指揮能力やマメな性格を買われて、何度も秘書艦を務めてきたわけだが――。

 

 私と鹿島を比べればどうか。

 身の回りの世話に関しては互角だろう。私もそれなりに家事は出来る。

 執務の補佐に関しては、私は負けるつもりは無いが、鹿島も練習巡洋艦だけあって努力家だ。普通に執務をこなすには不都合が無いくらいには、すぐに成長するだろう。

 護衛能力に関しては、性能だけを比べるならば私が確実に上だ。それはもう軽巡洋艦と練習巡洋艦の違いなのでしょうがない。

 

 ここまでならば、理屈で言えば私を選ぶのが普通だと思う。

 だが、ここに秘書艦の第四の役割、つまり提督の眼の保養になるかどうか、という事が入ればどうか。

 

 過去の事例を考えるならば、前提督は舌なめずりをしながら私達を品定めし、迷わず香取さんと鹿島を指名した。そして隙を見ては尻を撫でまわすという愚行に出た為、香取さんと鹿島は秘書艦の辞退を願い出た。

 提督命令を振りかざしてそれを拒否した前提督だったが、香取さんによる艦隊司令部への直訴により指導が入り、代わりに私が秘書艦を務める事になったという経緯がある。

 艦隊司令部の指導のおかげか前提督は私に不埒な行動は起こさなかったが……それは私が、女性としての魅力に欠けるという事でもあったのだと思う。

 そんな事は今まで気にした事は無かったし、前提督に対してはむしろありがたいとすら思っていたのだが。

 

 もはや当たり前の事として理解できている、鹿島が殿方に好かれやすいという事実。

 同性の私から見ても、可愛さと綺麗さと美しさ、そして妖艶さが一つになっているような、不思議な魅力があると思う。

 見た目だけではなく、中身もとても素直で優しく、周囲に癒しの雰囲気を醸し出す。好かれて何もおかしな事は無い。

 

 望まずとも選ばれる事の多い鹿島が、自ら立候補したらどうか。

 戦闘能力を除けば秘書艦として最低限の能力は備えている鹿島を、傍に置いておきたいと思ってもおかしくはないのではないだろうか。

 だがそれは――私の性能を、私の能力を、そして女性としての私を否定されたも同然だった。

 

 提督の部屋の前で偶然顔を合わせ、鹿島は提督に挨拶をした。

 提督は私達にそう言ってくれたように、鹿島の陰の努力を誉めてくれて、鹿島はそれをとても喜んだ。

 私も、明石も、夕張も、皆同じだったというのに、何であんなにも心が騒いだのだろうか。

 提督が鹿島の事をよく知っていたというだけで、何故こんなにも胸が苦しくなったのだろうか。

 

 私達に気を遣って、提督はこの歓迎会に参加する事を遠慮していた。

 私がどんなにお願いしても頷いてはくれなかったのに、加賀さんの言葉、そして鹿島の言葉に、ようやく首を縦に振ってくれた。

 考えすぎではあると思うが――私では無く、鹿島の言葉だったからこそ、提督は頷いてくれたのではないだろうか。

 そんなおかしな考えが、次から次へと溢れて止まらない。

 

 やはり私は、おかしくなっているようだった。

 今までこんなくだらない事で悩んだ事など無かったというのに、どんな戦闘海域攻略作戦を考えている時よりも悩んでいるような気がする。

 

 結局、そんな私の悩みは杞憂であった――というわけでは無かった。

 提督が秘書艦候補として名前を挙げたのは、私や鹿島では無く、香取さんと妙高さんだったのだ。

 

 覚悟はしていたものの、実際に私が選ばれなかったというのはショックであった。

 しかも提督の人選が、私の予想していた失礼なものとは全く異なるものだったから、猶更だ。

 

 最も提督を補佐する経験が豊富なのは私であろうが、次点に挙げられるのは香取さんと妙高さんであろう。

 二人とも、私と同じく多くの提督の秘書艦を担当した経験を持ち、円滑に執務をこなすという意味では不都合の無い人選だ。

 また、妙高さんは我が横須賀鎮守府最強の重巡洋艦。護衛としての実力も申し分ない。

 香取さんも実は鹿島に比べれば数段強い。練習巡洋艦であるが故に性能は低いが、戦闘センスが優れている。ちょっとスケールダウンした龍田さんのようなものだ。安心して練習遠洋航海に送り出せるのも、彼女の確かな実力があってこそ。

 つまり実力の面においても、秘書艦としては申し分ない。

 滅多に怒らないが、怒らせるとかなり怖いと評判の二人でもあり、私達の事をよく調べているであろう提督がそれを知らないわけはない。

 時に厳しく自らを律してくれるであろう二人を傍に置こうと、提督は思ったのかもしれない。

 

 提督の好みが香取さんと妙高さんだったのだろうか――なんて邪推する余地も無いほどに、彼女達の経歴や適性を考えた上での指名だった。

 香取さんに鹿島を推薦されてなお、鹿島を秘書艦にする事にしばらく悩んでいた。

 もしかすると提督も、自分の好みで秘書艦を選ぶかも、なんて考えていた自分が恥ずかしい。

 

 しかしそうなると、何故私が選ばれなかったのか、という疑問が浮かぶのだが。

 確かに私は、香取さんや妙高さんほど、提督にお説教ができるような気質は持ち合わせていないが……提督はそれを決め手としたとも考えにくい。

 

 鹿島に対して、提督はこう言った。

 秘書艦として必要な要素が三つある。鹿島はその一つが足りないようだ、と。

 三つの必要な要素とは、やはり身の回りの世話、執務補佐、護衛の事だろう。

 鹿島の陰の努力すらも把握していた提督だ。鹿島本人はわかっていないようだったが、おそらく鹿島に足りないのは、護衛としての実力だと言いたいのだろう。

 何しろ、模擬戦闘演習のたびに指導している駆逐艦よりも早く中破、大破する事の多い鹿島だ。本人もそれを気にして努力はすれど、それで全てが上手くいくというわけではない。

 提督の指摘した通り、鹿島はどうも戦闘センスに欠け、提督の身を護る護衛となると少し頼りないのだった。

 答えを教えてあげたいところだったが、提督は鹿島自身に考えてほしいようだったので、あえて黙っていた。

 

 私が選ばれなかったのも、もしかすると足りない要素があるという事だろうか。

 戦闘力は、確かに軽巡洋艦としては神通さんや龍田さんなどには劣るものの、明石が言っていたように、それなりに腕っぷしには自信がある。

 夕張同様に装備可能数が彼女達よりも多いという利点もあり、対地戦闘など場面によっては、私の戦闘力は彼女達にも引けを取らないはず。

 少なくとも香取さんよりは強いはずだ。そうなると、護衛としての実力に不安があるという事ではない。

 

 執務の補佐に関しては、妙高さんや香取さんに劣るとは思わない。提督もそれは知っているはず。

 ま、まさか、私が身の回りのお世話が出来ないと思っているとか⁉ で、できますからね⁉ お掃除も、お洗濯も、一応料理だって!

 例えばカツレツとか……いや、考えてみれば足柄さんには劣るし、香取さんは更にその上を行く。

 そ、そう、カレーとか……うぅん、これも足柄さんには劣るし、妙高さんは更にその上を行く。料理という点ではあの二人には敵わない……。

 私だけの得意料理は……そうだ! お麩を入れたお味噌汁! 駄目だ、地味すぎる……提督に気に入ってもらえる気がしない……。

 と、とにかく、私も一応、料理できますから……一応……。

 

 や、やはり、私が提督に自分をアピールするには、長所であると自負している作戦立案能力しかないようだ。うん。

 

 しかし、香取さんと妙高さんの提案により、結局鹿島と羽黒さんが秘書艦になってしまった事。これには私は、少し賛成しかねる。

 嫉妬とかそういう事ではなく、単純に、それは提督の負担を増やす事になるのではないかと思うからだ。

 香取さんと妙高さんの思惑は、あの提督の傍で経験を積ませる事で、二人を成長させる事なのだろうが……提督に余計な仕事を増やす事にならないだろうか。

 

 まぁ、提督に全く選ばれなかった私に言える事は無いのだが。アハハハ。はぁ。

 

 明石と夕張のフォローがあったから良かったが、休息を取らなかったせいでさっそく提督に叱られてしまった。

 いや、叱っているつもりはなく、単に私達の事を心配してくれていたのだろう。

 提督に余計な心配をさせてしまった……お酒は零すし、提督に座敷を拭かせてしまったし……私は何なんだろう。はぁぁ。

 

「もしかして、秘書艦に指名されなかった事、気にしてる?」

「大淀ってば、内心自信満々だったもんねぇ」

 

 夕張と明石が小声でそう言ったので、私は心を見透かされたような気がした。

 本音を言えば気にしている。それはもう、もの凄く気にしていますとも。

 何しろ、提督の補佐をするというのは私自身のアイデンティティでもあると思っていたからだ。

 あの提督の隣に立ち、補佐をするのは今まで通り私の役目なのだと思い込んでいたからだ。

 

「夕張が装備開発しないでいいって言われたらどうします? 明石が装備改修しないでいいって言われたらどうします? 今そんな気分です」

「ま、まぁまぁ落ち着いて……ほらっ、もう一杯飲んで飲んで」

 

 私を気遣うように、夕張が再びお酒を注いで来る。

 ちらり、と横目で提督を見ると、ちょうど長門さん率いる戦艦部隊が挨拶をしているところだった。

 四人揃った金剛姉妹の勢いに、提督も少し押され気味のように見える。金剛が建造された事で、戦闘力だけではなく騒がしさもパワーアップしてしまったのは、流石に提督も想定外だったのだろうか。

 

 私が色々考えている間に、すでに何組かの艦娘達が提督への挨拶を済ませているようだ。

 つい先ほどまでは騒がしい潜水艦達に囲まれて困惑しているようだった。

 今夜ばかりは無礼講だ、普段通りの姿を見せてくれ、との提督の言葉に、皆も素の状態で提督に向かっている。

 提督に後ろからべったりくっついてイタズラを始めたイクの態度が流石に無礼に見えたので止めに入ろうかとも思ったが、それに気がついたのか、提督は私の目を見て無言で首を振った。

 たとえ少しばかり無礼であっても、普段通りの姿を見せてくれるのが嬉しいのだろう。提督の表情もいつもと変わらぬ真面目なものだったが、その目は少し嬉しそうに見えた。

 

 私はイク達の無礼を咎めなかった。

 あんなに楽しそうにはしゃぐイクやゴーヤを見るのは久しぶりだった。

 他ならぬ提督が無礼を許すと言っているのだから、私に止める権利など無い。

 それに、その光景を見ていて、私も何だか嬉しくなってしまったからだ。

 

 しかし、あぁやってアイコンタクトで提督と意思疎通が出来た瞬間は、やはり満ち足りた気分になってしまう。

 言葉にせずとも意思が伝わった瞬間、提督と私の間に確かな絆がある事を実感できるからだろうか。

 くぴ、とメロン味のお酒に口をつけ、考える。

 

 ……何だろう、この違和感は。

 

「大淀さん」

 

 鹿島と香取さんが、揃って私の近くに寄って来る。

 私の隣に腰を下ろした香取さんは、小声でこう言ったのだった。

 

「申し訳ありません。鎮守府を混乱させない為に、秘書艦には大淀さんのような方が良いと言っておきながら、勝手に鹿島を推薦してしまって……」

「え、えぇ。それは謝られる事では……元々、提督も私を傍に据える気は無かったようでしたし」

「あの時、大淀さんを推薦するのも有りだったとは思うのですが……提督が私と妙高さんを秘書艦候補として挙げたのを聞いた瞬間、提督のお考えが理解できたような気がしたのです。故に、私も安心して鹿島を推薦する事ができました」

 

 香取さんの言葉に、私は違和感の正体に気が付いた。

 提督の事が理解できていると、意思疎通が出来ていると自負していながら、私が秘書艦を外された原因がどんなに考えても理解できていないからだ。

 そして香取さんは、そんな提督の考えが理解できたと言う。

 私は恥を忍んで、香取さんに頭を下げたのだった。

 

「恥ずかしい話ですが、私には提督のお考えがまだ理解できていないようです。よろしければお教え願えないでしょうか」

「はい。私の考えですが、この鎮守府で現在最も提督の事を理解できているのは、やはり大淀さん、貴女です。それにも関わらず、まだ満足に会話すらしていない私と妙高さんを秘書艦候補として挙げました。そこから導き出せた結論は、『大淀さんをその能力の高さ故にあえて提督から離す』という判断に至ったのであろう、という事でした」

「か、買い被りだとは思いますが……あえて離した、ですか?」

「はい。提督の指揮方針から考えれば自然ではありませんか。つまり、大淀さんほどの方に身の回りの世話や執務の補佐をさせるのは勿体ない。それよりも、作戦立案などの、より高度な次元での提督の補佐を任せたい……あの提督ならば、そうお考えになると思ったのです。大淀さんは謙虚な方ですから、おそらくこの結論には辿り着かないかと思いまして……ふふっ、少しお節介だったでしょうか」

 

 香取さんの言葉に、私はまた恥ずかしくなった。

 私が謙虚だから、というのは、香取さんが私を気遣っての言葉だろう。単に私が、選ばれなかったショックで提督の考えを理解できなかっただけの事だ。

 香取さんに教えてもらえなければ、私はそれに気づかず、提督からの信頼を台無しにしてしまうところだった。

 

 提督は、私が最も提督の領域を理解していると信頼しているからこそ、あえて秘書艦候補から外したのだ。そう考えれば全ての辻褄が合うではないか。

 今回提督が行った金剛の建造がただの建造ではなく、比叡達の、そして艦娘全体の性能の底上げへと繋がっていたように、この提督は色々と型破りなのだ。

 私の考えはスケールが小さすぎた。

 身の回りのお世話だとか、執務の補佐だとか、護衛だとか、そういった枠に囚われていたのだ。

 秘書艦こそが、提督の最も近くにある存在なのだと、目が眩んでいたのだ。

 

 提督が仕事をしやすいように補佐するのではなく、提督の仕事そのものを受け取る事で、提督の仕事量を減らす。

 そうする事で、提督にも余裕ができ、それは更なる神算へと繋がるだろう。

 しかし、それは――。

 

「それは、権限を与えられていない部分に抵触するのではないでしょうか」

「確かに、今までの提督の指揮下であればそうでしょう。しかし私達は、特に大淀さんはこの一か月間、死に物狂いで鎮守府を運営してきました。提督は、その大淀さんの実績を評価しているのではないかと思うのです」

 

 提督の仕事は多種多様に及ぶ。

 深海棲艦の迎撃作戦や領海奪還作戦等の立案から、資材の備蓄状況や装備の保有状況、改修計画、艦娘達の練度、性能、疲労状況など多くの情報をリアルタイムで管理せねばならない。

 艦娘には、それらの仕事を手伝える権限が無い。提督が仕事を効率的にこなせるよう、資料を作成したり、作戦への意見を提案する程度の権限しか与えられていないのだった。

 しかし、もしも提督が私に期待している事が予想通りなのであれば、それは私に、今までの秘書艦を超える働きを期待しているという事だ。

 

 一か月間、提督不在の中で必死に鎮守府運営を主導してきた、この私に――。

 

 私は一体何を考えていたのだ。

 何が、鹿島の魅力に目が眩むかもしれない、だ。

 何が、自分の好みで秘書艦を選ぶかもしれない、だ。

 私が妙な邪推をして、一人で悩んでいる間にも、提督は私の中身を見ていてくれていたというのに。

 

 鳳翔さんの補佐はあれど、たった一晩であれだけの書類を処理できるほどに優秀な提督だ。根本的な事を言えば、普通の秘書艦など誰が務めても同じなのだろう。

 型破りなあの提督を補佐するには、秘書艦もまた型破りの働きをせねばならない。

 そしてその一人目として、提督は私を――?

 

 グラスのお酒を一息に飲み干し、改めて提督に目を向けると――提督は先ほどまでとは全く異なる真剣な眼に変貌していた。

 

 ――これは。この眼は。

 誰も気付いていないのだろうか。私は香取さんに目を向けたが、「どうかしましたか?」と首を傾げられる。

 いや、これは私だからわかったのだ。提督を最も理解できている私だからこそ、気付く事が出来たのだ。

 提督は基本的に表情を崩さない。ほとんど真剣な表情のままだ。故に皆は気付かない。

 だが、先ほどまでとは心中が明らかに違う。

 この歓迎会の場に似つかわしくないほどの、真剣な思考。

 微かに見える、焦りの色。

 

 ちょうど艦娘達が周りを離れ、提督も一息つけていたであろうその瞬間だ。提督があの眼に変わったのは。

 気づいたのは私しかいない――もしもそうだとするならば、ここで提督を補佐できるのは私しかいない。

 私は意を決して提督に近づき、こそっ、と小声で問いかけたのだった。

 

「提督、何かお考えでしょうか」

 

 私の問いに、提督はその真剣な表情を崩さぬままに、他の皆に聞こえないようにだろうか、声を潜めて早口に答えてくれたのだった。

 

「……あぁ、今後の備蓄の事を考えていてな」

 

 ――やはり。

 この歓迎会という僅かな休息の合間にも、提督はその脳内で執務をこなしているというのか。

 挨拶に来る艦娘一人一人に向き合う事を蔑ろにしているとも思えない。

 今だってそうだ。挨拶をしていた長門さん達が離れた瞬間、提督の眼は真剣なものに変わり、焦りの色が浮かんだ。

 提督は私達に心配をかけぬよう振舞いながら、心の中で現在の備蓄状況に焦りを感じているという事か。

 

 提督の作戦に必要不可欠であったとはいえ、金剛の建造、そして全艦出撃、改二実装艦による全力での迎撃により、資材はほぼ枯渇してしまっている。

 この状況では、正規空母、戦艦は出撃させられない。もしもこのタイミングで敵の主力が再び攻め込んで来たのなら、太刀打ちできない。

 横須賀鎮守府における自然回復分の資材量ではとても足りないだろう。

 勝って兜の何とやら、と那智さんや浜風は言うが、私達は昨夜の勝利に酔いしれている場合では無い。

 単に目の前の危機を退けただけであり、未だその脅威は残っている。

 現在の横須賀鎮守府に最も最優先されるのは、提督が、そして私が懸念している通り、迅速に、早急に、資材を再び備蓄する事だ。

 

 私はあの時、資材の備蓄に関しても提督は把握していると皆に伝え、改二の発動を許可してもらった。

 以心伝心。おそらく提督も私も同じ事を考えているはずなのだ。この後行うべき事は一つしか無い。

 

 深海棲艦が今回の夜間強襲の為に密かに用意していた三箇所の資材集積地からの資材の奪取。

 あれだけ豊富な資材があの位置に存在するという事は、敵が再び横須賀鎮守府を攻める際の足掛かりになってしまう。

 敵資材集積地から資材を奪う事でこちらの備蓄は回復し、敵の侵攻を防ぐ事が出来る、一石二鳥の作戦だ。

 資材確保を目的とした通常の遠征よりも、これを最優先で行わねばならない。

 

 ご自身の歓迎会の合間さえ縫って作戦を練る提督の負担は如何ばかりか。

 その負担を少しでも軽くできれば――それが出来るのは、香取さんの言葉が、そして私の考えが正しいのならば、唯一提督の領域に至っており、あえて秘書艦に選ばれなかった私しかいない。

 

 提督は他の皆には聞こえないような声で、唯一、私にだけ聞かせるように、考えを教えてくれた。

 

 ……これは賭けだろうか。間違えていれば、私は提督からの信頼を失ってしまう。

 しかし、もしも正しいのならば。

 

 私は意を決して、提督に進言したのだった。

 

「――提督、よろしければ、この大淀にお任せ頂けませんか」

「……何?」

 

 私の提案に、提督は怪訝そうな目を私に向けた。

 思わず冷や汗が頬を伝う。

 やはり出過ぎた提案であっただろうか……いや、私の考えが正しければ。

 私が提督の事を本当に理解できているのならば――。

 私と提督が、本当に以心伝心であるのならば――。

 

 私がごくり、と生唾を飲み込むと同時に、提督はゆっくりと確かめるかのように、口を開いた。

 

「……任せてもいいのか?」

「はい。兵站に関してはこの一か月間、私が中心となって管理しておりました。私がそちらを担当する事で、提督は他の執務に集中できるかと愚考いたします。日報にて逐一状況報告を徹底し、何かありましたら指示を頂ければ対応します。いかがでしょうか」

 

 提督はしばらく考え込むように目を瞑り、口元に手を当てた。

 数秒が経ち、提督は目を開けて、私の目をじっと見据えたのだった。

 

「――大淀」

「……ッ、はっ……!」

 

 一秒、二秒。時が長く感じられたが――提督はすぐに言葉を続けた。

 

「褒美は何がいい」

 

 時が止まった。

 提督の言葉の意味が理解できず、頭の中で何度も反芻し、それがやがて自分の提案に対する提督の評価なのだとの結論に至った瞬間、私は思わず顔を伏せ、慌てて妙な声を上げたのだった。

 

「……はっ、はぁぁっ! とっ、とんでもございませんッ! これがっ、これが私の仕事ですからっ! ご褒美なんてっ、そんなっ⁉ そんな、考えた事も……」

「ふむ……ならば、思いついたらいつでも言ってくれ。その代わりに、この件については大淀に一任する」

「は、はっ、お任せ下さい。すぐに作戦を立案いたします。出来上がりましたら提督の許可を――」

「いや、私の許可を待たずに、大淀の判断で開始して構わない。報告も随時で良い。ただし、なるべく迅速に頼む」

「――承知いたしました!」

 

 や、やった、やった……やったぁぁ‼

 私は真剣な表情を保っているつもりだが、もう顔がほころぶのを堪える事ができなかった。

 もう勢いのままに立ち上がって、加賀さんの持ち歌に合わせて踊ってしまいたい気分だった。

 何とか自分の感情を抑えて、心の中で歌いながらスキップして回る程度に留めておく。

 

 ようやくわかった。ようやく理解できた。

 何故、鹿島を秘書艦にする事を悩んでいた提督が、最初の方針を変えて許可したのか。

 未熟な鹿島と羽黒さんを傍に置く事で増える提督の負担を減らす事が出来るのは、唯一肩を並べられるほどに信頼されている私のみ。

 今回のように私が兵站管理などの仕事を請け負う事で、鹿島と羽黒さんで増えた負担を相殺する事が出来る。

 つまり、鹿島と羽黒さんが秘書艦になったという事実は、他ならぬ私への信頼の証!

 

 香取さんの言う通りだったのだ。提督は私を特別に信頼しているからこそ、あえて秘書艦に置かなかったのだ!

 この場で提督の考えに気付けたのは私だけ! やはり私と提督は以心伝心! この大淀、言葉にせずとも提督からの信頼、確かに受け取りました!

 よぉし、よぉし、頑張らねば!

 

 そこで私は、はっ、と気が付いた。

 私が思わず素っ頓狂な声を出してしまったせいで、皆の注目が私達に集まってしまっていたのだ。

 瞬間、提督の周りを幾人かの艦娘が取り囲む。

 

「ヘーイ、テートクゥ? これはどういう事デース? 詳しく聞かせてもらいマース!」

「提督! 大淀ばかりズルいのね! イクも頑張ったご褒美欲しいの!」

「一人だけ贔屓するのは駄目だと思うでち! ゴーヤはお休みが欲しいでち!」

「提督さんっ! 夕立ももっともっと褒めてほしいっぽい!」

「私は夜戦演習許可して欲しいなぁー? ねっ、いいよね提督っ⁉ や・せ・んっ!」

「寝ずに頑張ってた私にもご褒美をくれてもいいんですよ? 提督の膝枕とか! キラキラ!」

 

 も、申し訳ありません、提督……どうか、ご無事で……。

 明石の首根っこを引っ張りながら、私はそそくさと逃げるように元の席に戻る。

 鹿島と香取さんは嬉しそうに、そんな私を出迎えてくれたのだった。

 

「ふふっ、流石ですね。まさか提督がこの場でも兵站管理について考えていたなんて思いもしませんでした」

「香取さん……ありがとうございます。私も助言を頂けなければどうなっていたか……」

「岡目八目と言いますからね。第三者にはすぐにわかる事でも、当事者には答えが見つからない事は多々あります。お互いに助け合っていきましょう。それに大淀さんが悩んでいたのも、元はと言えば『言って聞かせる』事をしない提督がいけないのですからね。私の方から少し厳しく伝えてみましょうか?」

 

 香取さんは微笑みながら、教鞭をぱしんと掌に叩きつける。

 

「や、やめてあげて下さい……私達が悩むことで、思考力、判断力を鍛える事が目的だと思いますので……」

「うふふ。冗談ですよ。提督の方針は私も理解できているつもりです。この鎮守府を救ってくれた御方にそんな無礼な真似はできません」

 

 まったく冗談に聞こえなかったのだが……。

 この香取さんや妙高さんは、たとえ提督であろうとも筋の通らない事をすれば理路整然とお説教が出来る、とても貴重な存在なのだ。

 やはり提督はそれを見込んで香取さんと妙高さんを秘書艦候補として挙げたのだろうか……私も二人を見習って、少し勇気を出してみるべきか?

 

「鹿島もまだまだ秘書艦としては力不足。私も力になるつもりではありますが、必要な時にはどうか力を貸してあげて下さい」

「えぇ、勿論! こんな私でよろしければ!」

 

 香取さんや鹿島、加賀さんを強敵だ、なんて思っていた私が恥ずかしい。

 提督と以心伝心であると確信できた今ならばわかる。

 提督は決して、自分の好みで私達艦娘を差別したりなんてしない。

 おそらく一人の男性として好みはあろうとも、決して公私混同はしない御人だ。

 

 香取さんの言葉に合わせて、鹿島もぺこりと頭を下げた。

 

「えへへ……よろしくお願いします。でも、提督さんに、私には足りないものがある、って言われた時、私、何だか嬉しかったんです。おかしいですよね」

 

 鹿島は照れ臭そうにそう言った。

 鹿島の言葉に、香取さんが興味深そうに問いかける。

 

「あら、どうして?」

「私、今まで実力が足りないって自分でもわかってるのに、秘書艦に指名される事があったから……その、外見だけで選ばれたり、声をかけられたり、褒められたりする事が多くて。でも、提督さんは、はっきりと私に足りないものがあるって言ってくれて……誰にも言ってないのに、私が努力してる事も優秀だって褒めてくれて……何だろう、長所も短所も理解してくれた上で、等身大の自分を初めて見てもらえたような気がして。うふふっ、それで、嬉しくなっちゃったんです」

「ふふっ、なるほど。でも、鹿島が秘書艦に立候補したのは、まだ提督とお話しする前だったはずだけど」

「うーん、それが私にもよくわからないんですけど、大淀さんや間宮さんから提督さんの話を聞いたり、徹夜明けの提督さんの姿を見ていたら、なんだか放っておけないというか、支えてあげたいって気持ちになって……」

「あらあら、まぁ……ほほう、なるほど……」

「あっ、香取姉! 何か変な事考えてるっ?」

「うふふっ、どうかしらね。とりあえず秘書艦、頑張ってね。応援するわよ、色々と」

「ちっ、違うからっ! 本当にまだそんなんじゃないからっ!」

「まだ?」

「もぉぉぉ!」

 

 香取さんにからかわれ、顔を真っ赤にしている鹿島を見ても、提督の信頼を確信できた今は冷静でいられる。

 ほんの数分前であれば、また私は頭がおかしくなっていただろう。

 鹿島の言う事は、私にもよく理解できる。

 長所も短所も、美点も欠点も、全部丸ごと受け入れて、贔屓もせず邪険にもせず、常に公平な目で評価をしてくれる。

 だからこそ、提督から貰えるお褒めの言葉は、とてもとても心に沁みるのだ。

 

 改めて今までの自分の姿を顧みて、本当に、私はおかしくなっていたのだと思う。

 提督の事を考えていると注意散漫になって被弾しそうになるし、頭はおかしくなりそうだし、私は大丈夫なのだろうか。

 

 ……でも、たとえ大丈夫じゃなくたって、今の私はとても幸せなのだ。

 こんな私を、提督は本当の意味でお側に置いてくれている。

 たとえ秘書艦でなくたって、たとえ距離は遠くたって、提督の真の右腕はこの私なのだ。

 提督と肩を並べて補佐する事が出来るのは、今のところ私一人しかいないのだ。

 それだけでもう、胸がいっぱいでたまらない。

 

 あぁもう、駄目だ。すっかりドヤ顔が抑えられていないようだった。

 明石と夕張が何とも言えないげんなりとした表情で私を見ているからだ。

 私はもう固定されてしまった表情のままに、明石と夕張に言ったのだった。

 

「さぁ、明日からまた忙しくなりますよ! 資材は極力節約! 水雷戦隊は資材確保を目的とした、敵資材集積地からの輸送作戦を実施します!」

「……まぁ、元気になったのなら別にいいんだけど、なんかイラッとするわね……」

「大丈夫。夕張だけじゃなくて私もだから……」

「ふふふ。作戦は固まりました。早速、明日の朝イチから働いてもらう面子に説明せねばですね!」

 

 私がそう言って立ち上がろうとした瞬間、隣に長門さんが腰を下ろした。

 どうやら明日からの遠征作戦について聞いていたようだ。

 長門さんはオレンジジュースの注がれたグラスに小さく口をつけた後、私に流し目を向けて、言ったのだった。

 

「ふっ……大淀。お前ならば忘れていないとは思うが、私も改二状態ならば大発動艇を装備する事が可能に」

「駄目です」

 

 即答であった。

 酒も飲んでおらず、素面でそんな台詞が吐ける辺り、この人も私同様、少し頭がおかしくなってしまっているのかもしれない。

 私の返答に、長門さんは戸惑いながら声を上げた。

 

「なっ……何故だ⁉」

「ご自分の燃費を考えてから発言して下さい。ただでさえ燃費の悪い長門さんに改二発動を許可するほど資材に余裕はありません」

「し、しかし、ただ鎮守府で大人しくしているだけでは提督に褒めてもらえん! 私も、もっと提督に褒めてもらいたくて、胸が熱くてたまらないのだ……」

 

 やはり、私と同じようにおかしくなっているようだ。

 何故なら私も、長門さんの気持ちはよくわかる。痛いほどに、よく理解できるからだ。

 提督に何かを任せてもらえる、提督に褒めてもらえる、それがどんなに心地よいものかと、私達はあの朝に知ってしまった。

 しかしながら、非常に残念な事に、現在の鎮守府の状況では長門さんの願いは叶えられそうにも無い。

 資材枯渇の危機、という闘いには、長門さん達戦艦や、加賀さん達正規空母の皆は参加できない。

 提督に褒めてもらいたい、なのに褒めてもらえないという焦りは心中察するが、しばらく出撃は控えさせてもらいます。

 

 しかし長門さんの目を見ると……説得するのは骨が折れそうだ。

 私は大きく溜息をついて、我らが横須賀鎮守府艦娘達のリーダー的存在との長い戦いを始めたのだった。

 

「世界のビッグセブンがワガママを言わないで下さい。戦闘面では頼りにしていますから、今は休むのが仕事です」

「で、ではせめて鎮守府正面海域の警備を」

「駄目です。制海権を取り戻した現在の正面海域なら水雷戦隊や潜水艦隊で十分に戦えます」

「そ、そうだ! ならば遠征に向かう軽巡の代わりに私が駆逐艦の面倒を」

「駄目です。さりげなく長年の夢を叶えようとしないで下さい」

 



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026.『歓迎会』【提督視点②】

 秘書艦任務をやんわりと断った香取姉と妙高さんは満足そうに俺の下を去っていった。凹む。

 代わりに俺の秘書艦を務める事になった羽黒は見るからに憂鬱そうな表情だ。申し訳無い。

 苦手な上司と二人きりの部署で仕事する事が決定された時のような顔だ。上司側としても非常に気を遣う……。

 羽黒とは対照的に、鹿島はとても嬉しそうに鼻歌と共に去っていった。可愛い。い、いや違う。

 あんなに嬉しそうなのは、俺の秘書艦となった事で俺の寝込みを襲う隙を窺いやすくなったからであろう。

 少しでも好感度を上げようと香取姉のお願いを聞いた俺の自業自得なのだが、童貞を、そして命を奪われないように何か手を打たねば……。

 

 妙高さん達が挨拶を終えて去っていったにも関わらず、まだ那智と足柄はそこに残っていた。

 那智はタイミングを窺っていたように距離を詰め、デカい洋風の酒瓶を座敷にどんと置く。

 その鈍器で俺を殴り殺そうとしていると誤解されてもおかしくないような鋭い眼光と共に、那智はこう言ったのだった。

 

「貴様、酒は呑めるか?」

「……う、うむ。まぁ、それなりにな」

「そうか……ポン酒もいいが、こいつもなかなか悪くないぞ」

 

 那智がそう言って酒瓶を持ち上げ、瓶の口を向けてきたので、俺は慌ててグラスの中の酒を飲み干し、空のグラスを差し出した。

 それを見て、那智は意外なものを見たかのように目を丸くした。

 

「ほう、貴様、いける口だな。わざわざ一息に飲み干すとは律儀な奴だ」

「敬意を払うべき者から酒を注がれる際には、杯を空にするのが礼儀だと教わってきたものでな」

 

 俺が以前勤めていた職場で教えられた、というより強要されていた事だった。上司に酒を勧められたら断るな、杯を空にしろ、そうでなければ失礼だ、と。

 正直もうそんな時代では無いと思うのだが、上司の中にはそういう妙な礼儀を強制してくる者もいる。

 いわば悪しき風習だと思うが、俺は今回、あえてそれを口にした。

 人に強要するのではなく、個人がそう思い、そうするのならばそれは人の勝手である。

 俺がそれを口にして、そしてグラスを空にする事で、俺は那智を敬っているのだ、と示す事になるのだ。

 そう言われて悪い気がする者はいないだろう。

 

 実際には、俺は史実にあまり詳しくないし、那智の戦歴も全然知らないので尊敬という感情は皆無なのだが。

 那智についての知識など、オータムクラウド先生の作品から得た、首筋が弱いという情報しか知らない。

 

 那智に酒を注がれ、今度は俺が酒瓶を持ち上げる。お、重ッ⁉

 察したように差し出されたグラスに酒を注ぐと、那智もまた一息に飲み干し、小さく笑いながら言ったのだった。

 

「フッ……そうか。それならば遠慮はいらんな。勝って兜の何とやらと言うが……今夜ばかりは呑ませてもらおう。どれ、呑み比べといこうじゃないか」

「呑み比べだと?」

「まぁ、明日の執務に支障が出るならば無理にとは言わんが……」

 

 那智の眼はそう言っていなかった。

 明らかに、何か意味があって上官である俺に勝負を挑んできている、そんな眼をしていた。

 見るからに武人肌の那智だ。勝負から逃げては、おそらく更に好感度が下がる。部下を相手に逃げ出したぞ、と笑いものにする気かもしれない。

 こんな勝負を挑むくらいだ。那智は酒の強さにそれなりに自信があるのだろう。

 さりげなく自分に有利な土俵で戦いを挑むとは、武人のような雰囲気にも関わらず、なんて卑劣な奴だ。恥を知れ、と言ってやりたい。

 だが、ここで逃げては男が廃る――。

 

 俺は那智の眼を見据えて、言ったのだった。

 

「勝負というからには、何か賭けなければつまらないな」

「ほう、言うではないか。そうだな……敗者は勝者の言う事を一つ聞く、これでどうだ」

「面白い。受けて立とう」

 

 馬鹿めが! この俺の土俵にまんまと上がりおったわ! この智将に酒で勝負を挑むとは笑止千万!

 自慢ではないが俺は元々酒に強い体質であり、更に以前勤めていた会社でやたら上司の酒に付き合わされてきたおかげで鍛えられたのか、酔いつぶれた事など過去に一度しか無い。

 少なくとも今までの人生で俺よりも酒に強い奴には会った事が無い。つまりこの勝負は貰ったも同然!

 俺も男だ。負けるとわかっている勝負からは迷わず逃げ出すが、勝てるとわかっている勝負から逃げた事は一度も無い!

 俺が勝ったら、本当に那智は首筋が弱いのか確かめさせてもらう事にしよう。フゥーハハハァー。

 い、いや、違う。調子に乗るな。勝ちを確信して慢心するのは馬鹿のする事だ。このチャンスは有効に使わねば。

 

 姉を射んとすば、まず妹を射よ。

 この那智は妙高さんの妹なのだ。コイツを敵に回しては、妙高さんの好感度アップなど夢のまた夢。

 逆に言えば、那智を味方につけさえすれば、妙高さんの好感度アップも狙えるし、羽黒もあそこまで怯えなくなるかもしれない。

 よ、よし。俺が勝った暁には、那智にその辺りを頼むことにしよう。

 

「もう、那智姉さんったら。提督にあまり無理をさせては駄目よ」

 

 そう言って俺と那智の間に割って入ったのは、妙高型三女の足柄だ。妙高型の中では、妙高さんの次に俺のタイプである。巨乳なのだ。

 足柄は那智とは比較にならない人懐っこい笑みと共に、俺を見て言ったのだった。

 

「提督のおかげで昨日は最高の戦いが、そして最高の勝利が得られたわ! 本当にありがとう!」

 

 う、うん。そうだね。

 俺というクソ提督の存在のおかげで皆も一致団結して、俺の歓迎会を無視して最高の戦いができたみたいで何よりです。

 だが俺も心が広いからな。足柄達が最高の戦いに出てくれたおかげで、俺もあの最高の景色を拝む事ができたのだ。

 俺の歓迎会に出席しなかった事はこれでチャラにしようではないか。

 

「私は何もしていない。昨夜の戦果は他ならぬお前達の頑張りが実を結んだに過ぎん」

「ふふっ、やっぱりそう言うのね。提督がそう言うのなら、そういう事にしておくわ。あ、それと、私の出していたロース肉と食用油の申請! あれもすぐに決裁してくれたって聞いたわ!」

 

 申請の決裁……あぁ、そう言えばあったな! 『カツの調理に使用する為のロース肉と食用油の申請』! 名前までは見ていなかったが、足柄の申請だったのか。

 たくさん適当に処理したから中身はよく見ていないが、まぁ鳳翔さんや大淀がOKを出していたのならそれでいいのだ。

 足柄は何がそんなに嬉しいのか、目を輝かせながら言葉を続ける。

 

「そんな提督に、私から手料理をプレゼントしたいの! 食べて頂けるかしら?」

「手料理……だと?」

「えぇ! この最高の勝利を祝う、勝利のカツカレーよ! 他にもカツサンドとかカツ丼とか考えたんだけど、やっぱりカレーは艦娘にとって神聖な料理! ここはカツカレーしか考えられなかったわ!」

 

 あ、足柄コイツ……いい奴だな!

 俺の慧眼にはよくわかる。コイツは天龍と同じタイプだ。つまり少し頭は残念な感じだが裏表の無い性格をしている!

 浦風や明石のように、裏で何を考えているかわからないタイプではない!

 そ、そうか、俺は少し勘違いをしていた。

 オータムクラウド先生の作品によれば、足柄は三度の飯よりカツと勝利と自分が強くなる瞬間が好きな、飢えた狼。弱点は耳だ。

 

 女子の交友関係は難しいものだ。皆と違う行動をすれば協調性が無いと思われ、上手く行かなくなる部分もある。

 学生生活や前の勤め先で、その辺りは嫌でも目についた。何より妹達からそういう話をよく聞かされる。

 つまり長門などのリーダー格が俺の歓迎会に不参加を決めた事で、じゃあ私も、といった感じで不参加を決めた艦娘も少なからずいるかもしれない!

 少なくとも、俺が無能とわかっていながら、足柄は俺に手料理を振舞ってくれると言う。

 歓迎していない相手にも愛想笑い程度なら出来るが、わざわざ手の込んだカツカレーまで振舞う奴はいない。

 飢えた狼と呼ばれる程に戦闘狂らしいし、歓迎会に出席しない事で俺が傷つくことまで頭が回らずに、戦える方が良いと参加したのかもしれない。

 

 そう考えれば、鳳翔さんの下手なフォローも、案外外れてないのかもしれない。

 足柄にとって、提督の歓迎会よりも戦闘の方が何よりも優先すべき事項だったのだ。

 軍艦の魂が人の形として現れた艦娘にとって、むしろそれは当たり前なのかもしれない。

 無能がバレた事で俺の信頼度は最低レベルだと思っていたが、足柄のように俺の無能をそこまで気にしていない艦娘もいるかもしれない!

 俺の味方は、間宮さんや鳳翔さん、大淀だけでは無かった!

 

 そう考えると、嬉しくて泣いてしまいそうだ。つーか危うく足柄の事を好きになってしまいそうだった。胃袋を掴まれるとはこの事か。

 何しろ、女性に手料理を振舞ってもらうなど、生まれて初めてだ。

 いや、よくよく考えたらその前に間宮さんにおにぎりを振舞ってもらっていたのだから、俺の手料理振舞われる童貞は間宮さんに無事捧げられていた。マンマミーヤ!

 すでに俺の胃袋は間宮さんに掴まれていたのだった。結婚したい。

 俺が就職してから妹達もようやく本格的に料理をするようになってくれたが、父さんを事故で亡くしてからはほとんど俺が作っていたからな。外食をする余裕も無かったし、人に料理を振舞われるという事に、俺はどうやら耐性が無いようだった。

 

 そう言えば秘書艦の仕事として提督の食事を用意するという事を鹿島が言っていたが……いや、あのドスケベサキュバスのする事だ。睡眠薬とか媚薬とか盛られかねない。

 鹿島は足柄とは違って全ての行動が俺の童貞を奪う事に直結している気がする。気をつけねば。

 

 うむ。良いではないか。カツカレーでもカツサンドでもカツ丼でも何でも来い!

 本音を言えばカツサンドならぬ妙高さんと足柄のケツサンドとか、カツ丼ならぬ寝転んだ俺の顔の上にケツ、ドーン! みたいな方が嬉しいのだが、贅沢は言えない。

 勝利のカツカレー、頂きますとも!

 足柄は本当にいい奴だ。巨乳だし、三女だから年上って感じではないが同級生くらいの感じがするから気が合いそうだし、考えてみれば一応羽黒の姉属性あるし、巨乳だし。こいつは是非とも味方につけねば!

 

「う、うむ! ありがたく頂こう!」

「あら! そこまで喜んで頂けるなんて!」

「いや、恥ずかしながら、間宮や鳳翔さん以外に手料理を振舞われるとは思わなくてな。正直に言えば、お前達の手料理を口に出来るという事がとても嬉しいのだ」

「ふふっ、意外と可愛い所があるのね。お口に合えばいいのだけれど」

「何、口の方を合わせるから心配はいらん。どんなものでも美味しく頂けるのが私の特技なんだ」

 

 いかん。テンションアゲアゲなのが思わず表に出てしまった。

 少し声が大きくなってしまったからか、何人かの艦娘の視線を感じる。くそっ、反応が童貞臭いと心の中で笑われているかもしれない。凹む。

 磯風が誰にも声をかけずに立ち上がり、さりげなくそのままどこかへと消えていくのがちょうど目に入った。トイレだろうか。

 

「まぁ、御上手ね。それじゃあ早速、カツを揚げる準備をしてくるわ! またタイミングを見てお持ちしますね!」

「あぁ、楽しみにしておこう」

 

 俺が頷くと足柄は嬉しそうに立ち上がり、その場を去っていった。

 

「他の奴らの挨拶の邪魔になりそうだから、私も少し離れる事にしよう。妙高姉さんに立ち会って貰えるよう、すでに頼んであるから不正の心配は無い。貴様が呑んだ分だけ、私も呑む事にするよ。先に酔い潰れた方が負けだ」

 

 そう言い残して、那智も足柄と共に元の席へと戻っていった。

 自分の土俵で勝負を挑んできた那智は信用ならんが、他ならぬ妙高さんならば信頼できる。いくら俺の事を嫌っているとは言え、妙高さんならば身内びいきはしないはずだ。

 つまりイカサマの出来る余地は無い。那智も自分に有利な勝負だからと、それ以上は策を練る事を徹底せず、慢心したのだろう。

 馬鹿めが! 勝ちを確信して慢心し、敵を舐めてかかるとは愚の骨頂!

 その程度の策でこの智将に勝とうなどと片腹痛いわ!

 

 随分と余裕そうな表情で去っていった那智を見て、俺は笑いを堪えるのに必死だった。

 だ、駄目だ、まだ笑うな……こらえるんだ……し、しかし……。

 想像してしまう。どんなに呑んでも酔わない俺を見て、予想外だという表情を浮かべる那智の姿を。

 酩酊状態になり、立ち上がる事もままならない那智を、俺はしっかりと自分の二本の脚で立ちながら見下ろすのだ。那智も勝負を挑んだ相手との実力差を思い知るだろう。

 そんな俺に運ばれてくるのは、そう。勝利のカツカレーよ! カツ! カレー! ベストマッチ! よし! 勝利の法則は決まった!

 

 こうして那智は自分の言い出した賭けにより、俺の言う事を聞かなければならない。

 馬鹿な奴であれば那智の乳をネチネチ攻めたいなどとおかしな事を考えるかもしれないが、あいにく俺は頭が切れる。

 この機会を利用して、妙高さんとの仲を取り持ってもらうのだ。羽黒とも、せめて仕事に支障が出ない程度に態度を改めてもらえるよう説得して頂きたい。

 羽黒がしっかりと秘書艦をこなす事ができれば、妙高さんも俺を見直してくれるかもしれない。芋づる式ならぬ妹づる式に好感度を上げていく事もできそうだ。

 これで仕事もハーレム計画も上手くいきそうではないか。天才か俺は。

 

 俺は表情に出さぬように心の中でほくそ笑み、那智の手により注がれた勝利の美酒をゆっくりと味わったのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「司令官、お疲れ様。伊168よ。イムヤでいいわ、よろしくねっ!」

「海の中からこんにちはー! 伊58です! ゴーヤって呼んでもいいよ!」

「いひひっ、伊19なの! そう、イクって呼んでもいいの!」

 

 俺は一瞬不健全なお店に迷い込んだのかと錯覚してしまった。

 伊号潜水艦のイムヤとゴーヤ、イクである。イムヤとゴーヤはスクール水着に何故かセーラー服の上だけ着用するという、見るからにアウトな恰好だ。

 スクール水着のみを着用しているイクよりも肌を覆う表面積は広いはずなのに、何故逆にいやらしくなってしまうのだろうか。これを着エロと言います。

 

 まぁ、セーラー服は元々船乗りの服だし、スクール水着は言わずもがな水着なわけで、海に潜るのであればおかしくは……いや、それなら何故セーラー服を上半身だけ……駄目だ、コイツらの装束はよくわからん。

 艦娘の装束について深く考えるのはやめよう。夕張の丈の短いセーラー服や、大淀と明石の袴みたいな構造のスカートも謎だが、そのおかげでお腹とか太ももとかを堪能できるのだ。ダンケダンケ。

 

 ダンケで思い出したが、オータムクラウド先生を通じて間接的に俺のドイツ語の師匠である伊8(はっちゃん)はいないのだった。別にハーレムに加えるつもりは無かったが、ちょっと残念である。

 俺は元々、潜水艦に関してはハーレム対象外だ。

 何しろ、その見た目からして幼い。イクなんかはちょっとヤバい部分があるが、全体的に中学生にも満たないというか、正直、俺の目には小学生くらいに見える。大目に見てもやはり中学生くらいだ。

 ましてやセーラー服にスク水だ。どちらも学生が身に纏うものではないか。

 学生と考えてしまうと、どうしても妹達の事が頭によぎる。大学生くらいなら大目に見るとしても、高校生以下は俺の中では完全にストライクゾーン外なのだ。

 

 そういうわけで、いくら不健全な恰好をしていたところで、俺が反応する事などないのだった。

 俺は自分でも驚くほどに冷めた頭で、それぞれと乾杯した。

 形式的な挨拶を簡単に交わす。

 うーむ、潜水艦達は俺への好感度は低いのか……? そんな風には見えないが……。

 

「てーとく! ゴーヤの持ってきたお酒を飲むでち!」

「イクがお酌してあげるの!」

「わ、わかったわかった……頂こう」

「あぁっ、司令官、それは」

 

 イクは張り切ったように瓶を持って酒をなみなみと注ぎ出す。

 イムヤが俺に何かを言おうとしたが、勢いよく注がれ過ぎて危うく零れそうになったので、俺は咄嗟に唇をグラスにつけて酒を啜った。

 ――瞬間、俺の口内に広がるクッソ生臭い苦み! 例えるならば俺の学生時代の味だ。

 何というか、ニガウリをミキサーにかけたものを日本酒に混ぜたような、カクテルと呼ぶのもおこがましい何かだった。

 

 思わず顔をしかめて噴き出してしまいそうになったのを堪え、無表情を保った自分を褒めてやりたい。

 ある程度平静を装うスキルには自信があったが、こんな不意打ちがあるとは思ってもみなかった。

 俺が表情を固めて唇を噛み締めている姿を見て、イクはけらけらと笑ったのだった。

 

「いっひひひひ! ゴーヤ特製、ゴーヤ酒なの!」

「えぇ~、苦くなんかないよぉ。ねっ、てーとく?」

「あぁっ! 何て事するの! 司令官ごめんなさい、吐き出していいから」

 

 こ、こいつら……! 上官に向かってなんて真似を……馬鹿か!

 イクは言うまでも無く馬鹿だ。ゴーヤは味覚が馬鹿のようだ。

 俺の事を唯一心配してくれているのはイムヤだけだ。

 イムヤしかまともな奴がいないが、そんなイムヤも馬鹿みたいな服装だ。

 くそっ、潜水艦は馬鹿しかいないのか……。

 

 しかもこれはかなり高度な嫌がらせだ。

 小学生くらいにしか見えないゴーヤが普通に飲んでいる酒を、俺が苦くて飲めないなんて言って見ろ。あんなに偉そうにしておいて、股間だけじゃなくて味覚も子供なのねと笑い物になるのが目に見えている。

 

 ええい、那智といいイク達といい、どいつもこいつも俺を馬鹿にしおって。

 採用されたばかりの教師が歳の近い生徒に馬鹿にされる気分というのはこんな感じなのだろうか。イクもゴーヤもいい気になりおって!

 貴様らの目論見など、この智将の提督アイにはお見通しだ!

 この俺が貴様らの思い通りに踊り狂うと思うてか!

 この程度の苦味、学生時代に嫌と言うほど味わったわ!

 臥薪嘗胆と言うが、人生においてもう苦味は舐め飽きたわ! 故に甘味に飢えている俺が甘味処間宮さんに甘えパイと思うのも自然の摂理なのであった。

 

 俺は無表情を保ったまま、無心になって口の中の苦味の塊を飲み込んだ。

 ふぅ、と大きく息を吐くと、苦味が鼻や口の中を通り抜けて非常に気持ち悪い。

 イムヤは目を丸くして驚いていたが、イクとゴーヤは目を輝かせて「おぉー」などと言っていた。

 

 そんな潜水艦共に、俺は表情を変えぬままに言ってやったのだった。

 

「う、うむ……非常に個性的な味だな」

「いひひっ! 気に入ってくれたのね? それじゃあ張り切って、どんどんお酌しちゃうの! イクのお酒が飲めないっていうの~?」

「わぁ~、やったぁ! まだまだあるからいっぱい飲むでち!」

 

 も、もう、いっぱいでち……。

 くそっ、コイツら調子に乗りやがって!

 オータムクラウド先生の作品『イク、イクの!』はとりあえず買ってみたはいいものの、結局一度もオカズに出来なかった唯一の作品だ。

 オータムクラウド先生の描いたその見た目や性格が、どうしても俺の琴線に触れなかった為だが、どうやらそれは正解だったようだ。

 やはり俺は包容力のある大人の女性が好みだ。

 たとえ巨乳であろうとも、それだけでは俺の心には響かない。

 

 しかし俺も大人の端くれだ。ここでイクを無視したり軽くあしらう事は出来るが、それでは好感度が下がるだけだろう。

 ここは正々堂々と、イクの嫌がらせにも受けて立とうではないか。

 イクに注がれたゴーヤ酒を口に含む。ヴェァァァアアア――ッ! やっぱり不味い! もう一杯! つーかもういっぱいでち!

 反射的に表情が渋くなってしまうのを必死に堪えていると、それを見てか、イクはいたずらっぽく笑って言ったのだった。

 

「提督、表情が固いのね! こういう楽しい場では笑わなきゃ駄目なの! こうやって、こうなの!」

 

 イクは俺の後ろに回りこむと、俺の背中にむぎゅっ、とくっついて、俺の口角を無理やり指で上げた。

 必然的に、イクの酸素魚雷二発が俺の背部に命中!

 思わず顔がにやけてしまったが、イクの指で口角をいじられている為、おそらく気付かれなかっただろう。柔らかくなった表情の代わりに今度は股間が固くなった。

 ち、違うのだ、これは何かの間違いだ。

 俺の頭はイクの事など何とも思っていないというのに、俺の下心が叫びたがっているんだ。

 

 おっきな魚雷、大好きです‼

 

 ふと、大淀と目が合った。

 目と目で通じ合うとはこの事だろうか。大淀はイクを注意しようと思っていたみたいだったので、俺は無言で首を振った。

 俺の意思が通じたのだろう。大淀は小さく頷いて、再び視線を外したのだった。

 うむ、流石は大淀。言葉にせずとも俺の心をよく理解できている……。

 

 そう、度重なるイクの無礼も許してやるのが大人ではないか。

 こうしている間にも絶え間なくイクの魚雷が俺の背中に叩き込まれている。

 まだだ……まだこの程度で、この私は……沈まんぞ!

 そんな攻撃、蚊に刺されたようなものだ!

 くっ、いいぞ、当ててこい! 私はここだ! 偉いぞ!

 

 第十席:潜水艦・伊19。(年上属性×、包容力×、巨乳◎)←NEW()

 正直スク水のせいでよくわからなかったですが、凄く柔らかかったです。

 

 気づけば長門が横須賀十傑衆から転げ落ちていた。ランクインすらできないとなると、これでは長門はただのイケメンゴリラではないか。

 イクがまさかの第十席の座を獲得! なるほど、潜水艦に対して戦艦は手も足もでないと『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』に書かれていたが、こういう事だったのか……。

 

 考えてみればスク水もセーラー服もそれだけで卑猥ではないか。俺には理解できないが、世の中にはスク水やセーラー服そのものに興奮を覚える変態もいる。それを女の子が身に纏うというのだから、オカズにならないわけがない。

 

 潜水艦もありだ。

 私はそう結論づけざるを得ないのだった。

 俺は食わず嫌いだったのだ。また真理の扉を開いてしまった。

 スク水! セーラー服! ベストマッチ! よし! 今夜のオカズは決まった!

 恐るべし潜水艦。後で部屋に戻ったら新たな視点でパンドラボックスに眠る『イク、イクの!』を拝読させて頂こう。

 っていかんいかん! オ〇ニー禁止! 一日目にして頓挫した計画だったが、明日から頑張ろうと決めたではないか。

 非常に名残惜しかったが、俺は背中の幸せに別れを告げる。

 

「こら、やめないか。せっかくお前に酌をしてもらった酒を味わえないだろう」

「あっ、それもそうなのね。いひひっ!」

 

 イクはそう言って、ぱっ、と俺の背中から離れたのだった。

 そのまま元の位置に戻るか――と思いきや、イクは再び俺の背中に覆いかぶさり、こう言ったのだった。

 

「……んふー、提督は何をしても怒らないから好きなのね。素敵な提督で嬉しいのね。ふふっ、イク、ご機嫌なの!」

 

 イクはそう言うと、今度はちゃんと離れて、ゴーヤを連れて元の席へと戻っていったのだった。

 イムヤだけがこそっ、と俺に近づき、頭を下げてくる。

 

「司令官、ごめんなさい。イクもゴーヤも悪気があったわけじゃなくて……ただ、嬉しくて、ついはしゃいじゃって……でも、やっぱり失礼だったよね。本当にごめんなさい。私が代わりに謝るから、イク達を責めないであげて」

「いや、あれでいいんだ。あぁやって距離感を気にせずに接してくれて、むしろ私は本当に嬉しい」

「えっ……」

 

 俺はこの短い時間で理解した。

 イクやゴーヤは好感度というより、尊敬度が低い。コイツらはやはり頭の中が小学生並なのだ。

 故に、小学生が担任に友達感覚で接するように、俺に対してもそんな感じで接してくる。つまり馬鹿にはされているが、好感度が低いわけでは無いのだ。

 頭が小学生並なので羞恥心も少ない。そうでないとあんな恰好で歩き回る事などできやしないだろうし、俺の背中にくっついてくる事もできないだろう。ご馳走様です。

 味方かどうかと言えば非常に頼りないが、嫌われているよりはマシだろう。

 

 まぁ、子供に好かれたところで何とも思わないのだが……とりあえず明石さん、すみません、俺の股間、治してくだち……。

 気を抜いたところでイクにトドメの一撃を刺され、俺の股間は元の姿にモドレナイノ。

 明石は夕張と談笑していて、俺の視線に気付いていないようだった。

 本当に役に立たんな、この口搾艦は!

 俺の股間の鉄骨番長は今にもドドンパしてしまいそうだってのによ! グングングルグル!

 ここは「元に戻らないんですか、提督も少し修理した方がいいみたいですね。お任せ下さい!」とかいって何とかしてくれる場面だろうが!

 お前がここ最近でやった事は俺の股間の狙撃くらいだぞ。可愛いから大抵の事は許すが、大目に見るのも限度があるからな。

 

 俺の言葉を聞いて、イムヤは一瞬戸惑っていたようだったが、やがて満面の笑みを浮かべて、俺に敬礼したのだった。

 

「ふふっ、それじゃあ私もそうする事にするね! 改めまして、海のスナイパー、イムヤです! 正規空母だって仕留めちゃうから! 近海警備も資材回収も、イムヤにお任せ!」

 

 う、うむ。イムヤがくっついてきてもちょっと物足りないかな……。

 とりあえず正規空母相手に自信があるらしいので、俺のメンタルを執拗に痛めつけてくる加賀を何とかしてくれないだろうか……。

 というよりもまずはイクとゴーヤの手綱をしっかり引いていて欲しい。潜水艦の中で唯一の服装以外常識人として。

 

「ここだけの話だが、潜水艦の中では特にお前に期待しているのだ」

「えっ、何でイムヤに……他の皆と比べてみて性能も劣ってるし、いい所なんて一つもないのに」

「お前にしか無い長所もあるんだ。潜水艦隊のリーダーとして、頑張ってくれ」

「……そっか、司令官がそう言ってくれるのなら、イムヤ、頑張るね!」

 

 イムヤが笑顔で去っていったところで、俺もようやく動き出せる。

 俺の股間の伊号潜水艦、伊072(ニオナ)を急速潜航させるべく、とりあえず俺の部屋に行こう。

 部屋でしばらく瞑想でもして心と股間を落ち着かせて、ついでにそろそろ乾いているであろうパンツを履こう。

 すっかり忘れていたが、今の俺はノーパンなのだ。もしも俺の股間が先走ってしまったら、パンツという名の内部装甲が無い今、ズボンに直接ダメージが届いてしまう。それはマズい。

 

 すでに俺の魚雷はうずうずしてるのだ。

 これ以上俺の股間に特効を持つ艦娘が現れる前に動かねば。

 

 俺が意を決して、前かがみに立ち上がろうとした瞬間――四つの影が高速回転しながら俺に向かって飛んできた。

 それは同時に俺の目の前に着地すると――次々にポーズを決めながら、声高々に名乗りを上げたのだった。

 

「ヘーイ、テートクゥ! 金剛型一番艦! 英国で生まれた帰国子女! 金剛デース!」

「同じく二番艦! 恋も戦いも負けません! 比叡です!」

「同じく三番艦! 榛名、全力で参ります!」

「同じく四番艦! 艦隊の頭脳、霧島!」

 

「我ら、金剛型四姉妹!」

「デース!」

「……と、長門だ。戦艦部隊、挨拶をさせて頂きたい」

 

 やったぁ! 巨乳出たっぴょん! 思わず俺の股間も疼き(ウヅキ)でぇ~っす!

 妹にはクズって呼ばれてまぁ~っす!

 

 いかん! 横須賀十傑衆第二席、超弩級巨乳姉妹艦隊とゴリラを率いて襲来!

 無駄に洗練された無駄のない無駄な高速戦艦の機動力に退路を絶たれた!

 だ、駄目だ! 逃げられん!

 




艦これアーケードのうーちゃんのモーションは本当に可愛いですね。
先日一念発起してバケツを50個近くつぎ込み、ついに5-3を攻略でき、続いた5-4で念願の瑞鶴、大型艦建造にて長門をお迎えできました。
これで瑞鶴と長門の描写にも更に力が入ると思います。

提督視点が想定以上に長くなってしまったので、悩みましたが分割する事にしました。
次回も提督視点になります。


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027.『歓迎会』【提督視点③】

「えへへっ、提督にプレゼントネー! 私がお酌してあげるデース! どんどん飲むネー!」

「お姉さま、流石です! よぉし、私も……比叡! 気合、入れてぇっ、注ぎまーす! はぁーいっ!」

「提督、もし良かったら、この榛名にもお酌をさせて頂けないでしょうか……わぁ、ありがとうございますっ」

「冷え具合良ーし、瓶の角度良ーし、ビールと泡の比率良し! よーし大丈夫! 司令、どうぞ!」

「ヘーイ、テートクゥ。お次はバーニング・ラァーブッ! ……をたっぷり注いだウイスキーデース!」

「なるほど、司令が呑み飽きないように、色んな種類のお酒を……流石です、お姉さま! それじゃあ私は……司令! 気合を込めた日本酒、注ぎますっ! とおりゃあああ~っ!」

「それでは榛名は、提督への感謝を込めた赤ワインですっ。飲んで頂けますか……? わぁぁ、榛名、感激です!」

「ふむふむ、この霧島の戦況分析によれば……ここは焼酎のお湯割りがベストですね! 銘柄はズバリ黒霧島! お湯の温度良ーし、焼酎との比率良し! 司令、こちらを!」

 

 戦艦達と軽く挨拶を交わした後、俺は金剛型戦艦四人によるお酌連撃を浴び、文字通り酒を浴びるように呑む羽目になった。高速戦艦だからだろうか、注ぐペースも速い。

 というかコイツらもすでに酔いが回っているようだ。高速戦艦と言っても速すぎるのではないだろうか。

 しかも飲み飽きないようにと気を遣ったらしく、様々な種類のお酒が次々に注がれていく。これを酒のチャンポンと言います。

 ゴーヤ酒よりは断然マシだが、コイツらは意図的に俺を悪酔いさせるつもりなのだろうか。

 しかし四人ともめっちゃいい笑顔なのである。提督アイを発動するまでもなく、悪気が無い……。

 

 わざわざ注いでもらうたびに飲み干さなくても良いとは思ったのだが、俺は気付いていたのだ。

 那智がめっちゃこちらを見ている。俺が飲んだ分だけ飲むと言っていたから、それはそうだろう。

 それを気にしないわけにはいかなかった。何故ならば、俺は那智に、「敬意を払うべき相手から酒を注がれる際には、杯を空にするのが礼儀だ」と話してしまったからである。

 つまり金剛達が俺にお酌をしてくるのに対してグラスを空にしなかった場合、俺は金剛達を「敬意を払うべき相手ではない」と判断したという事になる。

 あの那智がそれを見逃すとは思えない。後で金剛達に「お前達は敬意を払うべきと思われていなかったぞ」などと伝えられてみろ。せっかく好感度が高そうな金剛型四姉妹を敵に回しかねない。

 故に、俺は那智の眼がある限り、お酌される際にはグラスの酒を飲み干さねばならないのだった。

 

 だがここでピンチはチャンス、ポジティブシンキングである。智将の策が光る場面ではないか。

 おそらく俺はこの程度の量ではまだまだ大丈夫だ。ここで金剛達に大量の酒を呑まされる事で、那智も一気に同じ量を呑まなければならない。

 つまり、那智が早々にダウンする可能性が高くなるという事なのだ。そうすればあの強烈な視線から逃れる事が出来る。

 

 更に、これだけの量を呑まされたのであれば、俺が多少酔っぱらった振りをしたとしても不審には思われないはずだ。

 金剛達も「私達があれだけ呑ませたのだからしょうがない」と思うであろう。つまり酔った振りをして意図的にラッキースケベを狙える可能性の芽が出てきた。

 勿論、初心忘れるべからず。第一は艦娘達の信頼を得る事。第二は艦娘達のチラリポロリを得る事だ。

 しかし、酒を呑まされ過ぎた結果、ちょっとよろめいて艦娘の胸に顔面ダイブしたところで、誰が俺を責められようか。相手を選べばちょっとくらいならいけるような気がしてきた。

 榛名辺りなら「あっ……いえ、榛名は大丈夫です!」って感じで許してくれそうだ。

 いや、いかんいかん。ノーパンなの忘れていた。迂闊な事はできん。

 つまりセクハラをする為にはまずはパンツを履いて、いや、パンツ一枚で一体何が変わるのだ。くそっ、呑み過ぎたせいか思考が上手くまとまらん!

 

 とりあえず一旦休憩を挟まねば、延々とお酌されてしまう気がする。

 俺は金剛達に待ったをかけ、一人一人を適当に労いながら酒を注いでやったのだった。

 キャッキャと喜ぶ金剛達とは対照的に凛とした佇まいの長門に酒瓶を向けると、長門は真剣な表情のままに小さく頭を下げて、こう言った。

 

「提督、申し訳ない。お気持ちは有り難いのだが、私は下戸でな……明日の体調に差し障る」

「む、そうか。それならば……このオレンジジュースで」

「あぁ、有り難い。提督のお心遣いに感謝する」

 

 一応、駆逐艦用にと用意してあったオレンジジュースをお酌してあげたのだが、智将たる俺は一手先を読む。

 この見た目で下戸であるという事が果たして事実であるかはともかくとして、ここで大事なのは長門がこの歓迎会において素面(しらふ)確定という事だ。

 何しろこの長門は横須賀鎮守府のリーダー格。素面の状態で俺を監視する為に、あえて酒を呑まないという事も十分に考えられる。

 やはり油断はならない。足柄や潜水艦達のように俺への好感度がそこまで低くない者がいる一方で、那智や長門のように警戒している者もいる。当然だ。

 那智は酔い潰せるだろうが、長門は難しい。私の酒が飲めんのか、と無理に勧めて酔わせるか……いや、下戸だと言っている以上、流石にそれは悪いしな。

 そうなると、せっかくの酒の席だが、やはり酔いに乗じたセクハラは難易度が高いか……。

 君子危うきに近寄らずと言うしな。昔の人もそう言っている。

 

 俺の眼によれば、足柄やイク達のように俺への好感度がそこまで低くない艦娘達が俺の歓迎会よりも夜戦を優先した理由の一つとして、この長門の存在は大きい。

 ゴリラの話になるが、群れのボスを務める、背中が銀色の毛に覆われた雄の事をシルバーバックと呼ぶらしい。

 さながら長門は横須賀鎮守府という群れにおけるシルバーバック。長門が俺の歓迎会よりも夜戦を優先すると言えば、他の艦娘達もそれに従う傾向があると推測される。

 長門がウホと言えば白、ウホホと言えば黒になるだろう。長門を敵に回すか味方につけるかが俺の提督生活を左右すると言っても過言では無い。

 コイツの扱いには気をつけねば……場合によってはご機嫌取りに動く必要があるかもしれん。バナナとかでいいだろうか。

 

 俺の今後の運命を握る長門を前にした緊張感からか、先ほどから暴れ放題だった俺の股間も大人しくなる。

 提督の魚雷さんは、お利口さんなのでち! 股間、潜りまーす!

 この調子で、歓迎会の間だけは二度と浮上しないで頂きたい。

 

「テートクゥ! 目を離さないでって言ったのにぃー! 何してるデース⁉」

 

 不意に、金剛が俺の腕に抱き着いてきた。ご馳走様でち!

 必然的に俺の魚雷さんが再び発射準備を完了した。凹む。

 

 俺に建造された事がそんなに嬉しかったのか、金剛はやけに好感度が高い。

 というか、人目も憚らずにバーニングラブだのなんだのと叫んでいる。スキンシップも激しい。

 とても嬉しい事なのだが、少しトラウマが蘇ってきて胸が痛くなる。素直に喜ぶ事ができないのだ。

 

 そう、あれは俺が高校三年生の夏の事だった。特に接点の無かったクラスメイトの女子が、いきなり話しかけてきたのだ。

「あまり目立たないけど、かなりイケメンだよね。めっちゃ私のタイプ!」などと言ってやけに思わせぶりな態度を取り、「結構細マッチョだよね。腹筋触らせて!」などと言ってボディタッチも激しかった。

 コミュ障の俺は話題を広げる事もできず、ただ狼狽えるだけであったが、その子はそんな事は気にしないように、毎日のように話しかけてきた。

 今までモテた事の無い俺が、「あれ? もしかしてこの子、俺の事好きなんじゃね?」と思うのに時間はかからなかった。

 そう思ったら、何だか俺もその子の事を好きなのではないかという気になっていった。

 

 恋バナをする相手がいなかったので当時小学生であった一番上の妹に相談したところ、何故か腰の入ったローキックをケツに叩き込まれるという仕打ちを受けた。

 仕方なく俺が一人で独自に調べた調査によると、どうやら告白というのは男の方からするものらしい。女子は男が告白してくるのを待つものらしいのだ。

 

 徹夜で告白のシチュエーションや台詞を考え、人生初の告白をするべく、俺がなけなしの勇気を振り絞って登校したその日、その子はバスケ部のキャプテンとイチャイチャしていた。

 後に知った事だが、どうやらその子とバスケ部のキャプテンは前々から付き合っており、少し前に大きな喧嘩をしたのだとか。

 俺に話しかけてきたのは、彼女がキャプテンの気を引く為だったらしい。

 彼女が俺と話している姿を見て、振られるのではと焦ったキャプテンは彼女に「俺が悪かった」と謝罪し、彼女も「私も悪かったの」などと言って仲直りをしたのだとか。

 その日から、その子は今まで通り、俺に話しかけてくる事は無かった。俺は二人の仲直りの為の道具として利用されただけだったのだ。

 あれから数年。その二人は多くの友人達に祝福されながらめでたくゴールインし、現在二人の子に恵まれて幸せに暮らしているのだとか。リア充爆発しろ。

 

 あれ以来、俺はコミュ障に加えて女性不信になった。

 いや、女性不信というよりも、俺が誰かに好きになられるという事が信じられなくなったと言った方がいいかもしれない。自分不信だ。

 ただでさえ自分に自信が無かったが、それはますます根深いものになったのだった。思い出すだけで凹む。

 

 そもそも、恋心の類をオープンに出来るという事が、コミュ障で童貞を拗らせている俺からすれば信じられないのだ。

 今にして思えば、あの時の彼女もわざわざ周りに言い聞かせるように、俺への好意を口にしていた。彼氏の耳に入るようにしていたのだから当然である。

 気軽に口に出来るというのは、つまりその程度の気持ちだという事なのだろう。 

 

 というわけで、金剛が俺に対してラブだ何だと言ってくれるたびに、俺の古傷が痛むのである。

 そして俺の右腕に柔らかな金剛の胸が押し付けられ、股間が痛むのである。トラウマと色欲は別物のようだった。畜生、第二席強すぎる……。

 周りの艦娘達の視線も痛いような気がするので、俺は金剛に離れるよう、小声で促した。

 

「こ、こら。若い娘が男にそうくっつくものでは無い。離れないか」

「ガビーン⁉ て、提督に拒絶されたデース⁉」

 

 いちいちリアクションが大きい。そして若干古い。

 金剛は背後に吹き飛ぶように大袈裟に俺から離れるとふらふらと倒れ込み、俺に尻を向けて畳にへたり込んでしまった。

 瞬間、その短いスカートがチラリ。ウホッ()! パンツ! パンツです!

 くそっ、コイツ本当に俺に対してガードが緩すぎる! こんな至近距離でパンツを見る事が出来たのは嬉しい事だが、俺の主砲がもう後に引き返せないレベルになってしまっている。

 金剛がこのままの姿勢だと、ずっとパンツが見えてしまう。妹に言われていた事だから絶対にガン見はするまいとわかってはいるが、自動的に俺の視線がホーミングされてしまうのだ。

 

 恐るべし金剛のケツ。俺の視線への脅威の吸引力、まさにケツダイソン!

 お姉さま、しっかり! などと言いながら比叡が駆け寄っていく。四つん這いになって肩を揺さぶっている。

 俺の視線はその小ぶりな尻に吸引された。ダブルケツダイソン!

 榛名も同じような姿勢で金剛に声をかけ出した。トリプルケツダイソン‼

 霧島も以下略。クアドラプル、いや、クアドラプリンケツダイソン⁉

 

 前代未聞の鬼畜編成である。

 ややっ、敵艦隊の向こうに水上機母艦コマン・ダンテスト発見! 

 俺も思わず主砲をコシュリュー!

 航空母艦マラーフ・ツェッペリン、配置に着いている!

 フォッケウルフならぬ仮性フォーケーウルフ攻撃隊、出撃! ンフーーッ、Danke(ダンケッ)

 

 無意識に金剛達にダイブしそうになったが、ギリギリのところで舌を噛んで正気を取り戻した。

 ま、マズい。コイツらに酒を呑まされ続けたせいか、普段よりも理性のタガが外れやすくなっているような気がする。

 恐れていた事だったが、やはり戦艦の体つきは俺に特効を持っているようだ。

 

 金剛以外の三人では比叡が一番上の姉であり、その比叡がどう見ても元気な後輩キャラであった為だろうか。その体つきにも関わらず今まで俺ランキングでは惜しくも圏外であった。

 その印象は今でも変わらないが、なんかもう色々とマズい。

 一番俺好みでは無い比叡ですら、胸部装甲だけならば横須賀鎮守府でも上位に入るであろう。

 高速戦艦ならぬ拘束戦艦という事だろうか、ブラの代わりにサラシで胸をキツく締めてあるようだが、その拘束が解かれた時にどうなるのか、俺は今朝目の当たりにしてしまった。

 コイツらは中破する事で胸部装甲のサイズが倍率ドン! 更に倍!

 金剛型のこの現象を改二ならぬパイ二と名付けようと思う。

 

 だ、駄目だ。金剛がこの姿勢でいる限り、俺の眼の前に桃源郷が広がり続けてしまう。俺の思考も桃色に汚染され、正常な判断が出来ない。

 俺のマイク大丈夫? チェック、パン、ツー……ウホ()。いや、何金剛のパンツチェックしてんだ。馬鹿か俺は。頭もマイクも全然大丈夫じゃない。

 この状況を切り抜ける唯一の方法は、そう、金剛を起こしてこの姿勢を崩すしかない。

 この絶景を自ら捨て去るのは非常に遺憾ではあるが、金剛には再び普通に座ってもらい、金剛のケツを視界から消し去るしかない。

 

「うぅー……ぐすっ、提督に嫌われたデース……。もう私は駄目ネー……」

「こ、こら。早とちりをするな。お前の事は大切に思っている」

「本当デスカー⁉」

 

 がばっ、と飛び起きた金剛は、そのままずざざざ、と俺への距離を詰めてくる。い、いかん。牽制せねば。

 金剛の進撃を抑えようと、俺が思わず両手の平を突き出した瞬間、ハグをしようとした金剛の胸を思いっきりタッチしてしまった。

 

「あっ……」

 

 俺と金剛は同時にそう声を漏らした。

 絶頂までの勢いを増した俺の股間とは対照的に、金剛は急に先ほどまでの勢いが無くなり、胸を庇うように少し体を逸らしてその場にぺたんと座り込む。

 そして俺に悪戯っぽい笑みを向けながら、こう言ったのだった。

 

「……ンッフフ、テートクゥ、触ってもいいけどサー、時間と場所をわきまえなヨー!」

 

 なッ、何ッ⁉ こ、こうしてはいられん! 可及的速やかに時間と場所をわきまえねば――⁉

 い、いや違った。落ちケツ、いや落ち着け、俺。妙な事は考えるな。

 まだ大丈夫。サラシのおかげでその感触は固く守られていたではないか。まだ致命傷では無い。

 危なかった。これが高度の柔軟性を誇るノーブラの天龍だったら俺の股間は間違いなくぶっ放していたところだろう。

 

 目の前の欲に囚われるな。

 ここで金剛にくっついてもらえるのはとても嬉しいし柔らかいし気持ちが良い。

 だが、そのままだと俺の股間が暴発するのは必然である。これだけビンビンだと、これまでの経験上、手でいじらずとも何かの衝撃だけで十分にイケる。俺は島風より早い。

 そうなると艦娘達から信頼を得る事など夢のまた夢だ。

 先の事を考えて、金剛には適切な距離感を保って頂きたい。

 俺は邪念を祓うかのように大袈裟に咳払いをした。

 

「んんっ! とにかく、今後はあまりこういう事はしないように!」

「ぶぅー、提督だって、さっきは潜水艦に抱き着かれて喜んでいたデス」

 

 金剛は唇を尖らせて、納得がいかないようにそう言い返してきたのだった。

 

「あ、あれはまだ子供だからいいのだ。お前のような年頃の若い娘が人前で」

「心配しなくても、提督以外には抱き着きマセン!」

「そ、そういう事ではなくてだな!」

「オーケーオーケー、ドントウォーリィ、デース! それよりそれより、本題デース。私の事を大切に思っているって言ってくれたデスが、例えるならどれくらいデスカー? えへへっ」

「う、うむ。まぁ、上から二番目といったところだな」

 

 アッ。

 い、いかん! やはり思ったよりも酒が回っているのか、うっかり俺ランキングを暴露してしまった!

 何も考えずに口にしてしまったが、なるべく表情に焦りを出さないように金剛を見る。

 金剛はふるふると小刻みに震えたかと思うと、俺の両肩をがしりと掴んで激しく揺さぶる。

 

「どどど、どういう事デスネー⁉ この私が二番目とは一体どういう事デスネー⁉ 一番は、提督の一番は誰デース⁉ 答えるネー!」

「ま、待て待て! お前の思っているような意味では無い!」

「ではどういう意味デス⁉」

「そ、それは自分で考えるのだ」

 

 便利な言葉であった。

 我ながら下手な誤魔化しであったが、金剛は不満げながらも俺の肩から手を離し、腕組みをして唸ったのだった。

 

「ムムム……オーケイ。提督の考えている意味はわかりませんでしたが、代わりに私が確実に一番になる方法がわかりマシタ! 一番と思われる艦娘を片っ端から倒していけば、いつかは一番になれマース!」

「わぁぁ、お姉さま、流石です!」

 

 ぐっ、と拳を握りしめた金剛を、比叡が囃し立てる。

 何とか攻撃目標を俺から逸らす事が出来たようだ。

 

「こうしてはいられマセーン……提督のハートを掴めるような可愛い艦娘は……あっ、見つけたデース! ってこれは比叡デース!」

「わわっ、私なんてお姉さまの足元にも及びませんよぉ」

「何言ってるデース! 私の妹達は世界一可愛いネー! 駄目な子ほど可愛いというやつデース! さぁ、比叡! さっそく相撲でウィナーを決めるデース!」

「ひ、ひえぇっ……て、撤退しまぁすっ!」

「あぁっ、何故逃げるデース⁉ 待てぇーーい!」

 

 う、うん、仲良いね君達。

 店の外に駆け出して行った比叡と金剛を追いかけるように、榛名と霧島もようやく離れて行ってくれた。

 俺達の様子を大人しく眺めていた長門も、それでは失礼した、と軽く頭を下げて離れて行く。

 う、うぅむ……長門は大人しい分、油断できんな。静かに俺達の姿を眺めていたのも、俺がボロを出さないか監視していたとも捉えられるし……。

 やはり賄賂として南の国から高級なバナナを取り寄せる事を検討すべきだろうか。

 

 ようやく静かになり、俺は一息ついた。

 いかんな。完全に股間が元に戻らない。今なら釘が打てるような気がする。イクの時よりも悪化しているではないか。

 冷静に考えてみれば、あれだ。今朝にあんなにもあられもない姿を晒していた金剛達が、普段通りに笑う姿を目の当たりにした事。これがイカン。

 目の前にいる金剛達と、半裸状態の金剛達をどうしても重ねて見てしまうのだ。

 特に金剛なんて風呂上りに全裸でタオル一枚を首からひっかけたような状態だったからな。無防備にも程がある。

 少しそよ風でも吹いた日には、金剛のビーチクが露になっていた事だろう。そう考えるだけで、イカン、俺の股間がますます敏感に――⁉

 

 ま、マズい! これはマジでマズい! もうオ〇禁なんて言ってる場合じゃねー‼

 すでにズボンに擦れる刺激だけでイケる領域に突入している!

 パンツ履くとかそれ以前に、ここらで一発抜いとかないと社会的に死ぬ!

 だと言うのに、俺の脳内には今朝の金剛の姿が完全に焼き付いて――!

 

「提督、何かお考えでしょうか」

「……あぁ、金剛のビーチクの事を考えていてな」

 

 …………ん?

 今俺は何を言ったのだろうか。焦りすぎて反射的に答えてしまった。

 見れば、そこにはいつの間に近づいてきていたのであろうか、大淀の姿。

 

 ウォォォォォオオオァァァアアアア‼‼

 俺はもう叫んでしまいたかった。

 ハイ終わった! たった今、俺の提督生活は終わりを告げたってばよ!

 くそっ! これも全部酒のせいだ! あのクソ不味いゴーヤ酒だろうか。それとも金剛達の高速チャンポンだろうか。

 頭は全然酔っぱらっていないのに、考えてもいない事が口に出る。いや、考えてる事が口に出るのか。

 酒を呑むと本音が出やすいとは聞いてはいたが、今の今まで他人事だと思っていた……。

 

 もうヤケクソで、筑摩辺りに鎮守府を去る前に一目だけでもおっぱい見せて下さいって土下座して頼んでみようか。

 オータムクラウド先生の作品の中で筑摩の胸が総合的に一番俺好みであった事は、妹であるにも関わらず筑摩がランカーである要因として大きなウエイトを占めているのだ。

 金剛のビーチクも気になるが、乳首のマーチクも捨てがたい……って俺は一体何を考えているのだ。駄目だもう。色々駄目だ。凹む。こんな状況でも股間は凹んでくれない。凹めよ。

 

 俺が諦めと共に必死に涙を堪えていると、大淀は真剣な表情で、意を決したように俺にこう言ったのだった。

 

「――提督、よろしければ、この大淀にお任せ頂けませんか」

「……何?」

 

 俺は耳を疑った。

 どういう事だ。一体何を言っているのだコイツは。

 俺がこの歓迎会の場で艦娘のビーチクの事を考えているクソ提督だと知って、何故そんな真剣な表情なのだ。それは一体何の進言だ。

 

 大淀に何を任せろと――ま、まさか、金剛のビーチクを⁉

 

 そ、そうか! そういえばコイツは翔鶴姉のパンツを捉えた聖典『艦娘型録』の編集者の一人!

 大淀がその気になれば金剛のビーチク程度、いとも容易く手に入れる事が――⁉

 お、落ち着け。ここは落ち着くのだ。さっきのは俺の聞き間違いではないだろうか。焦ってはいかん。

 俺は表情を変えぬままに、ゆっくりと確かめるように言ったのだった。

 

「……任せてもいいのか?」

「はい。平坦に関してはこの一か月間、私が中心となって管理しておりました。私がそちらを担当する事で、提督は他の執務に集中できるかと愚考いたします。日報にて逐一状況報告を徹底し、何かありましたら指示を頂ければ対応します。いかがでしょうか」

 

 やはり聞き間違いではないようだ。お、大淀、コイツは――!

 

 平坦に関しては大淀が中心に管理を……提督アイを発動するまでもなく、確かにその胸は平坦であった。胸部装甲の大きさによって管理する担当が決まっているのだろうか。

 補給と平坦、大切です、というのが大淀の口癖のようだしな。平坦はステータスだ、希少価値だと考えているのだろうか。

 

 どちらかと言えば豊満担当の御方を紹介して頂きたいのだが……明石だろうか。奴も意外と豊満だし。

 その場合、平坦とも豊満とも言えない者は一体誰が管理を……大きさ的には夕張辺りか。一体何を考えているんだこの三人娘は。姦しいってレベルじゃねーぞ。

 

 いや、むしろ『艦娘型録』を作成する為の副産物だろうか。性能や練度と共に、艦娘のパイオツの形状や感度を管理していたとしてもおかしくはない。

 名付けて『艦娘乳型録』といったところか……どうにかして資料として提出させられないだろうか。

 

 大淀が提案したように、確かに今の俺は金剛のビーチクが気になって、今後も執務どころでは無い。大淀がそちらを担当する事で、俺も安心して他の執務に集中する事ができるだろう。

 俺が金剛のビーチクを確認しようとすれば難易度が高いが、同性の大淀達の方が難易度は低いに決まっている。

 大淀達が中心となって作成した『艦娘型録』に翔鶴姉のパンツが捉えられたように、資料作りの為だとか何か理由をつけるも良し。青葉の協力を得て、脱衣所に隠しカメラを配置するも良し。俺が許す。

 

 そ、そうか。大淀にとってはこの鎮守府を混乱なく運営する事が大事。

 俺を仕事のできない変態クソ提督だと知っているからこそ、俺が仕事に集中できるよう気を利かせてくれたのだろう。

 俺の欲望を内密に処理し、これ以上鎮守府運営が混乱しないようにと……。

 

 曲がった事は許してくれなさそうな鳳翔さん辺りにバレたら激怒されそうだが、大淀は清濁併せ吞む性格という事か……無能な俺はさながら提督という名の傀儡。

 それを裏から操る大淀はまさに鎮守府の黒幕……オータムクラウド先生の言う通りではないか。

 目の前に人参をぶら下げられた馬車馬の如く、金剛のビーチクをちらつかせられた俺は全力で仕事に取り組む事が出来るだろう。

 股間の変態司令部より入電! 本日のMVP決定の瞬間であった。

 

「――大淀。褒美は何がいい」

 

 俺がそう言うと、大淀はしばらく呆けたように口を半開きにし、はっ、と気が付いたように勢いよく顔を伏せながら早口に声を上げた。

 

「……はっ、はぁぁっ! とっ、とんでもございませんッ! これがっ、これが私の仕事ですからっ! ご褒美なんてっ、そんなっ⁉ そんな、考えた事も……」

「ふむ……ならば、思いついたらいつでも言ってくれ。その代わりに、この件については大淀に一任する」

「は、はっ、お任せ下さい。すぐに作戦を立案いたします。出来上がりましたら提督の許可を――」

 

 いや、これ以上は俺の方から積極的に介入するべきでは無いだろう。

 まだこの件は他の艦娘にはバレていないはずだ。バレたら俺の信頼は失墜してしまう。

 リスクを最小限に抑える為にも、ここから先は大淀が独自に動き、内密に俺へ報告するべきなのだ。

 

「いや、私の許可を待たずに、大淀の判断で開始して構わない。報告も随時で良い。ただし、なるべく迅速に頼む」

「――承知いたしました!」

 

 や、やった、やった……やったぁぁ‼

 俺は真剣な表情を保っているつもりだが、もう顔がほころぶのを堪える事ができなかった。

 もう勢いのままに立ち上がって、童貞音頭に合わせて踊ってしまいたい気分だった。

 何とか自分の感情を抑えて、心の中で歌いながらスキップして回る程度に留めておく。

 

 昨日から思っていた事だったが、龍驤といい谷風といい、少し厳しいけれど鳳翔さんといい、やはりペチャパイにはいい奴が多い!

 特に大淀は不慮の事故により俺の本性を知りながら、それを利用して俺の点数を稼ぐというしたたかさを見せた。大淀、恐ろしい子……!

 しかし他の艦娘がそうとは限らない。今は好意的に見える足柄などにも嫌われてしまうだろう。

 大淀だけが例外なのだ。そういう意味では、俺がうっかり口を滑らせてしまった相手が大淀だった事は、幸運であったと言う他は無いだろう。

 やったー! 見たか! これが童貞の本当の力よ! 俺には幸運の女神がついていてくれるんだから!

 

 俺が内心ほっ、と胸を撫で下ろしていると、金剛が「テーートクゥーーッ!」と叫びながら全速力でダッシュしてきた。

 イクとゴーヤなど数人の艦娘達まで飛んできて、俺は瞬く間に取り囲まれてしまう。うわっ、何故か長門まで寄ってきやがった。

 い、いかん、油断した瞬間に、また逃げ場が!

 

「ヘーイ、テートクゥ? これはどういう事デース? 詳しく聞かせてもらいマース!」

「提督! 大淀ばかりズルいのね! イクも頑張ったご褒美欲しいの!」

「一人だけ贔屓するのは駄目だと思うでち! ゴーヤはお休みが欲しいでち!」

「提督さんっ! 夕立ももっともっと褒めてほしいっぽい!」

「私は夜戦演習許可して欲しいなぁー? ねっ、いいよね提督っ⁉ や・せ・んっ!」

「寝ずに頑張ってた私にもご褒美をくれてもいいんですよ? 提督の膝枕とか! キラキラ!」

 

 し、仕方ないな。そこまで言うなら明石には膝枕を……ってアッ、大淀に首根っこを掴まれて引きずられていった。凹む。

 

「ま、待て待て。贔屓では無い。大淀は私がこの鎮守府に着任してから、よくやってくれているのだ。私はこれからも皆の頑張りを見て、正当な評価を下すつもりだ」

「じゃあ、出撃とか遠征とかお仕事もっと頑張れば、イク達もご褒美貰えるの?」

「勿論だ。皆の頑張りには期待している」

 

 ぎゃんぎゃんと騒ぐ他の艦娘達を何とか宥めていると、川内が立ち上がって掌をひらひらと振り、追い払うような仕草と共に言うのだった。

 

「はーい、ともかくもう私達が挨拶する時間だよっ。戦艦も潜水艦も、ホラ散った散った!」

 

 川内がそう言うと、金剛達もしぶしぶ離れていった。うむ。ナイス川内。大人では無いが一応長女なだけあるな。

 

 俺の眼の前に集まったのは、川内の妹の神通と那珂ちゃん、そして時雨、夕立、江風だった。

 反省してこれ以上酒は呑みたくないところだったが……那智がめっちゃこちらを見ている……。

 い、いや。まだ大丈夫だ。あともう少しだけなら大丈夫だろう。多分。

 戦艦部隊と違って、今度の相手はちんちくりんだ。

 せいぜい中学生くらいにしか見えない時雨達に、高校生くらいにしか見えない川内達だ。俺のストライクゾーンにはかすってもいない。

 

 簡単な挨拶を交わしながら、まずは川内型三姉妹と酒を酌み交わした。

 人懐っこい笑顔を浮かべながら、川内と那珂ちゃんが俺を挟み込んでお酌をしてくる。

 

「で、どう? 提督、夜戦演習、駄目かなぁ~? いいよねっ?」

「きゃはっ! 那珂ちゃんのボイトレも許可して欲しいでーっす!」

「せ、川内姉さん、那珂ちゃんも……提督にそんな無理を言っては……」

「どっかの誰かさんのせいで私は欲求不満なんだけど」

「う、うぅぅ……それは、本当にすみません……」

 

 神通が二人を宥めたが、川内の一言で何故か小さくなってしまった。

 川内の言う夜戦演習と那珂ちゃんのボイストレーニング、ついでに言えば神通の朝演習もだが、何故か駆逐艦に恐れられているらしい。

 川内型に関しては俺もあまり詳しくは知らないのだが、川内は気さくな感じでいい奴そうだし、那珂ちゃんも少しウザいが悪い奴ではなさそうだし、神通に至ってはこんなに大人しくて気弱な感じだというのに、何故恐れられているのか。

 

 オータムクラウド先生がいつかの後書きで述べていたが、まるで参加した事があるかのような語り口であった。流石の表現力、描写力である。

 曰く、「昼なのに目隠しをさせられて疑似夜戦演習をさせられる」だとか、「七時から十五時まで鎮守府に帰れず八時間ブッ続けで演習させられる」との事らしいが、この川内型がそんな鬼のような事をするようには見えないが……。

 

 実際に参加するはずもないオータムクラウド先生ですら恐れる川内型の演習であるが、まぁ熱心なのはいい事だと思う。

 夜間であるがゆえに騒音問題に発展した事もあるようだが、それ関係で禁止されていたのだろう。そこだけは注意してもらいたい。

 

「うむ。夜戦演習もボイトレとやらも、熱心なのは実に素晴らしい事だ。この私が許可しよう。ただし、皆の迷惑にならない程度にな」

「わぁ、さっすが提督! 話がわかるね!」

「ありがとー! お礼に那珂ちゃんのとびっきりのスマイルあげちゃうねっ! きゃはっ!」

 

 ウザ可愛いとは思うが先ほどの妙高さんと香取姉の足元にも及ばなかった。

 艦隊のアイドルへの道はまだまだ遠いようである。真の艦隊のアイドル間宮さんもいるしな。

 それに負けずに頑張ってもらいたい。何かに向かって頑張っている人は無条件に尊敬できる。

 両手を上げて喜んでいる川内だったが、思い出したように俺の耳に顔を近づけて、こう囁いたのだった。

 

「あっ、そう言えば、さっき鹿島を秘書艦にするって話をしてたみたいだけど、正直、身の安全が不安じゃない?」

 

 鹿島を秘書艦にすると身の安全が不安……川内に心配されるレベルか。

 やはり鹿島がドスケベサキュバスであり、夜な夜な提督を襲うというのは周知の事実という事だろうか。そこまでわかっていながら何で野放しにしているんだ。

 不安じゃない訳がない。鹿島に寝込みを襲われたが最後、童貞を奪われて死ぬ――いや、それならばまだいい方だろう。

 

 提督たるもの、常に最悪のケースを考えるべし。

 何しろ普通の女性の三倍の性欲を持つであろう鹿島だ。いきなり本番というわけが無い。

 

 まずはキスからだろうか。童貞では耐えられるはずもないディープなキスの刺激だけでまず三発。

 次は手がある。俗にいう手〇キである。右手で三発、左手で三発。

 足もあるな。俗にいう足〇キである。これで三発。

 明石に負けず口も使うだろう。俗にいうフ〇ラである。これで三発は搾り取られる。

 胸があるな。俗にいうパイ〇リである。ここでも三発。

 本番の前に太腿で挟んで焦らす事も考えられる。俗にいう素〇である。つまり三発だ。

 

 何と言う事でしょう。本番に入る前に最低でも二十一発! 俺のデイリー任務一週間分ではないか。テクノブレイク不可避。

 つまり童貞を奪われるどころか童貞のまま俺は死ぬ可能性が高い。

 

「うむ……ここだけの話だが、少しな……昼はいいのだが、夜の睡眠中が不安でな」

「だよね。鹿島も悪い子じゃないんだけど……やっぱりそこは生まれ持った性能が大きいからね」

 

 鹿島の性的な能力は後天的なものではなく生まれ持ったものだと言うのか……!

 ナチュラルボーンドスケベサキュバスではないか。

 コイツは生まれながらの淫乱だな! とかいう台詞は成人向け漫画でしか見た事が無かったが、まさか実在していたとは……なんて奴だ。

 

「そこでさ、どう? 私達三姉妹、提督が寝てる間だけでも護衛として傍に置かない?」

「何?」

「いやぁ、自分で言うのも何だけど、私達、夜は結構強いよ? それに、神通も提督の近くに控えたがって――」

「ねっ、姉さんっ! 何でそれを――!」

 

 神通が慌てて川内に何かを言っていたが、これは悪い提案では無いように思える。

 自分から推薦するくらいだ。実力に自信があるというのは事実であろう。

 鹿島の本性も知っているようだし、つまり夜に俺を襲い来るドスケベサキュバス迎撃部隊という事か。

 三人とも若い見た目故に俺の好みからは離れているし、間違いは起きないだろう。

 川内が高三、神通が高二、那珂ちゃんが高一ぐらいの印象だ。妹達と同年代の子に手を出す気にはならん。

 うーむ、どうやら川内型も俺への好感度はそこまで低くないような気がする。有り難い。

 

「私の身を守れる自信があるのか」

「もっちろん! 夜と言えば私、私と言えば夜! いわば夜戦のエキスパートと言えばこの私! そして神通はこの私さえも凌ぐ夜戦火力の持ち主だよ!」

「ほう……ちなみに那珂は」

「那珂ちゃんはぁ、三人の中で一番早く改二になれた実力派アイドルでぇーす!」

 

 よくわからんが、やはり実力にも自信があるようだ。

 見た目がどう見ても高校生な川内型を夜遅くまで働かせるのは申し訳ないが、その気になれば眠気には強いと明石も言っていたしな。

 上手くシフトを組めば何とかなるだろうか。見た目もまだ若いことだし、無理のないよう、後で考えてみよう。

 ドスケベサキュバスに怯えずに安眠できるというのはありがたい。お言葉に甘えさせてもらおう。

 

 俺は川内、神通、那珂ちゃんの三人に一人ひとり目を向けて、はっきりと言ったのだった。

 

「うむ。それではしばらくの間、川内、神通、那珂に私の護衛をお願いしよう。もしも私が無防備な時に不埒な者が忍び寄ってきたのなら、容赦なく迎撃してもらいたい」

「了解!」

 

 三人は一糸乱れず敬礼する。こういう姿を見ると、やはり子供ではなく艦娘なのだなと思ってしまうな。

 

「きゃはっ! 不埒、ってなんだかやらしい響き~!」

「那珂ちゃん、不埒者、は不届き者という意味で……」

「あ~、でも確かに刺客がヤツらなら見た目もやらしいもんね。提督、言葉遊び上手いねっ」

「も、もう、川内姉さんまで」

 

 何やら話しながら、川内達は俺から離れていった。

 うむ。やはり見た目は高校生レベル。想定通り、俺の心には響かなかった。

 残るは中学生レベルの時雨達だけだ。もう何も怖くない。

 

 俺が目を向けると、待ってましたと言わんばかりに、夕立が両手でビール瓶を抱えた。

 慣れない手つきで、どうも危なっかしい。

 

「提督さんっ、上手く注げたら褒めて欲しいっぽい! えーと、ラベルは上向きで、泡ばかりにならないように……」

「……よし、よし。上手じゃないか。ありがとうな」

「えへへっ、龍田さん達に教えてもらったっぽい!」

 

 そう言って夕立が目を向けた先を見れば――いつの間にやら駆逐艦が俺に向かって長蛇の列を成している。

 その誰もが様々な酒瓶を抱えており、その列の後ろの方には――。

 

「そう、上手ね~。これなら提督も喜んでくれると思うわ~」

「わぁぁ、龍田さん、ありがとう、なのです!」

「こ、この程度、一人前のレディとして当然の嗜みよ!」

 

「うふふっ、そうです。ビールを注ぐ時は角度に気をつけて下さいね」

「鹿島さん、ありがとう! これで司令官に喜んでもらえるわ!」

「ハラショー。私はウォッカを用意したんだ」

 

 た……龍田ァーーッ⁉ 鹿島ァーーッ⁉ お、お前ら何してくれてんの⁉

 俺の視線に気づいたのか、こちらに目を向けた龍田達と目が合った。

 鹿島はニコッ、と魔性の笑みを、龍田はニコォ……と妖艶な笑みを俺に返す。

 こ……こいつら、まさか――!

 

 俺が思考を巡らせる間も無く、もう待ちきれないといった風に、駆逐艦の大軍が俺に向かって押し寄せてきたのだった。

 

「睦月型駆逐艦五番艦、皐月だよっ。よろしくなっ!」

「睦月型駆逐艦、その六番艦、水無月だよ。司令官、よろしくね。えへへ」

「あたし、文月っていうの。よろしくぅ~」

「睦月型八番艦、長月だ。駆逐艦と侮るなよ」

「朝潮型駆逐艦のネームシップ、朝潮です! 司令官、ご命令を!」

「どーん! 駆逐艦、大潮です~! 小さな体に大きな魚雷! お任せ下さい! ほらっ、満潮もご挨拶です!」

「……」

「荒潮ですぅ。うふふふふっ、好きよ……?」

「ちょっ、アンタたち、こんな一気に……あぁもう、バカばっかり!」

「霰です……んちゃ、とかは言いません……よろしく……」

「朝潮型駆逐艦五番艦、朝雲よ。貴方が司令……かぁ。ふぅーん」

「朝潮型駆逐艦、六番艦、山雲です~。よろしくお願いいたしま~す」

「最終量産型艦隊駆逐艦、夕雲型一番艦の夕雲です。提督、甘えてくれてもいいんですよ?」

「夕雲型駆逐艦二番艦、巻雲です。司令官さまぁ、お役に立てるよう頑張ります!」

「夕雲型駆逐艦、三番艦の風雲よ。『ふううん』じゃないですよ?」

「陽炎型十九番艦、秋雲でぇーす! いやぁ、提督のおかげで色々はかどりますなぁ~! ひひっ!」

「夕雲型駆逐艦四番艦、長波様だよ! 提督、よろしくなっ!」

「あ、あの……夕雲型駆逐艦六番艦、高波です。よろしくお願いしますかも……です」

「夕雲型十一番艦、藤波。司令、よろしくね。私も、もち、頑張るから」

「夕雲型駆逐艦十四番艦の沖波です。えっと……はい、頑張ります! よろしくお願い致します!」

「あたいは夕雲型駆逐艦十六番艦の朝霜さ。よろしくな、忘れんなよ?」

「夕雲型駆逐艦……その十七番目……早霜です……。私はこうして……いつも見てるだけ……見ています……いつでも……いつまでも……」

「夕雲型のラスト、十九番艦の清霜です! よろしくお願いです!」

「綾波型駆逐艦七番艦の朧です。誰にも負けない……多分」

「綾波型駆逐艦、漣です。ご主人様! さぁさぁ、お酌しちゃいますぞ?」

「特型駆逐艦……綾波型の潮です。も、もう下がってよろしいでしょうか……」

「暁よ。一人前のレディーとして扱ってよね!」

「ハラショー」

「雷よ! 元気ないわねぇ、そんなんじゃ駄目よぉ!」

「い、電です。どうか、よろしくお願いいたします」

「あぁーーっ、皆ずるいっぽい! まだ夕立たちの順番っぽい! ぽい~っ‼」

 

 多い多い多い多いよ‼ 『艦娘型録』読んでる時点でわかってたけど多すぎるよお前ら‼

 そんな一気に来られて覚えられるわけねーだろ! 夕雲と長波様と潮しか覚えられなかったわ! 

 ちゃんと順番に一人ずつ……い、いや、コイツら元からそのつもりだ。

 そうなると俺はあと何杯の酒を呑めばいい。那智が俺をめっちゃ見ている。

 

 ちょ、ちょっと待て。落ち着いて考えろ。

 普通に飲めばまず酔わない、酒の強さに自信がある俺だが、人生でたった一度だけ、記憶を無くすほど呑んだ事がある。

 ちょうど仕事を辞めた頃だった。まだオータムクラウド先生の作品にも出会っておらず、時間だけを持て余し、何をすればいいのかよくわからなかった時期だった。

 それで何かが解決するとも思わなかったが、ドラマや漫画でよくある、酒に溺れるという事に挑戦してみたのである。

 一晩中酒を呑み続けた俺はいつしか記憶を失い、翌日目覚めた時、何故か全裸だった俺は妹達の手によって両手両足を縛られていた。

 妹達はガチ泣きしながら俺にすがりついてこう言った。

 

「お兄ちゃん、もう二度とこんな風に呑まないで。外でこんな風になったら警察のお世話になっちゃう」

 

 妹達の話によれば、酔いつぶれた俺はいきなり「我が名は色欲童帝(ラストエンペラー)、シココ・フルティンコ」と名乗り、服を脱ぎ捨てるやいなや全裸で自宅内を縦横無尽に駆け回り、口を開けば耳を塞ぎたくなるような淫語のマシンガントーク、挙句の果てに妹達の無い胸を揉むわ、尻を揉むわ、パンツを脱がそうとするわとセクハラをしまくったらしい。

 俺には記憶が無かった為、それが妹達の作り話だと断ずる事もできたのだが、妹達がいつものように俺を蔑むでもなくガチ泣きでお願いするという事が、それを事実であると雄弁に物語っていた。

 

 お、おい……待てよ。俺は記憶を無くしているから、結局どれくらいが俺の限界なのかがわからない。

 駆逐艦一人ひとりに注がれる酒の量は、俺の限界に至るのか⁉

 その場合、この歓迎会場は阿鼻叫喚の地獄と化し、俺は警察どころか憲兵のお世話になることは間違い無い。

 ならば危険を避けて、那智の勝負も諦めるか? いや、もしも那智がそんな俺の事を気に食わず、「この程度の男の下では戦えん。鎮守府から去れ」と言われたら――!

 くそっ、誰だ、何か賭けなければつまらないなんて言った奴は! 俺だった。凹む。

 

 何故、龍田と鹿島は駆逐艦共をたぶらかし、こんな馬鹿な真似をしたのか。

 この智将の眼は誤魔化せない。真実はたった一つ。

 龍田は俺を泥酔させる事で、俺の本性を白日の下に晒す為。俺を社会的に殺すつもりだ。

 鹿島は俺を酔い潰して寝込みを襲う為。俺を性的に殺すつもりだ。

 この二人は確実に俺を殺しにかかっている! 横須賀鎮守府殺人事件の開幕だ。

 たった一つの真実見抜く、股間は子供、頭脳は大人げない、その名は神童貞、捨てるの困難(コンナン)

 こういう時こそ、出番だ、川内! ってアイツらどこにもいねェ! 何の為の護衛だ! 不埒な者が早速俺を狙ってんぞ!

 

 駆逐艦達は無垢な瞳をキラキラと輝かせて、俺にお酌をしたがっている。

 一人ひとりが注ぐそれを飲み干さねば、俺はその艦娘に対して敬意を持っていないという事になってしまう。

 那智に負けを認めたら、最悪の場合鎮守府を去る事になる可能性もある。

 酒に溺れて自分を見失ったら、憲兵のお世話になり、社会的に死ぬ。

 俺の中の闇が目覚める前に酔いつぶれて寝てしまったら、鹿島に搾り取られて死ぬ。

 忘れてしまいそうになるが、俺の股間は未だに戦意高揚状態だ。

 そして俺は現在ノーパンである。

 

 全ての酒を飲み干しつつ正気を保つしかねぇ――!

 こ、この窮地から性感、いや生還する事が出来るのか、俺⁉




長らくお待たせしてしまいました。
キリのいい所までと思うと、登場人物の多さにより少し長くなってしまいました。


いつも多くのご感想を頂きまして、ありがとうございます。
皆様から頂けるご感想のひとつひとつが、私の励みになっております。
それに関しまして、ご感想を下さっている皆様にお願いがございます。

展開予想と共に、「〇〇は△△という意味ではないか」「こう勘違いしているのではないか」などのような勘違いに関する予想に関しても、ご遠慮頂けないかと思っております。

理由を申し上げますと、そのご感想を目にする事で、その発想が思いついていなかった他の読者の皆様の楽しみを半減させる事になると思うからです。

本来ならば誰にも予想できない展開を考えるべきなのですが……私の実力不足ゆえ申し訳ありません。
より多くの皆様に楽しんで頂けますよう、どうかご協力をお願い致します。


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028.『歓迎会』【艦娘視点②】

「那智、提督に失礼な事を言わなかったでしょうね」

「無論だ。事前に話していた通り、呑み比べに誘っただけさ。ふふ、むしろ提督の方から、何か賭けねばつまらん、などと言いだしてな」

 

 元の席に戻ってきた私に、妙高姉さんが釘を刺すような言葉をかける。

 まぁ、わからんでもない。

 昨夜の私の態度を見ていれば、提督に対して批判的な態度を取ると考えられたとしても、何らおかしな事ではないだろう。

 そんな事をいつまでも根に持つ私では無いというのに、実に心外な事だった。

 

「まぁ。提督からそんな事を言ったのならば、相当お酒の強さには自信があるのかしら。那智が吞兵衛だって事を知らないわけは無いでしょうし」

「誰が吞兵衛か……奴も酒の強さに自信があるか、案外ただの負けず嫌いかもしれんぞ」

「言っておくけれど、この勝負に勝ったからと言って、提督に逆らうなんて真似は」

「妙高姉さんは私の事を何だと思っているんだ……昨夜の戦いで、その実力も人格も、十分に理解できたつもりだぞ。呑み比べの勝ち負けなど、どうだっていい。賭け事の話も提督から言い出した事だ」

 

 そんなに私は信用が無いのだろうか。

 昨日の時点では、提督の事を何も知らなかった故に、私も怒った。それは何らおかしな事ではないだろう。

 そして今回の戦いで提督の事は十分に理解した。故に、親睦を図ろうと試みた。ただそれだけの事だった。

 だというのに、妙高姉さんは私への警戒の眼を止めてはくれない。全くもって、心外な事だった。

 賭け事についても、別に私が勝ったところで、何を言うつもりも無い。提督が何か賭けようなどと言うから、提案しただけの事だ。

 

「じゃあ何でわざわざ、呑み比べなんて提督を試すような真似を」

「そ、そういう訳では無い。この那智は、この手の事は苦手なのだが……私なりに親睦を深める為には、こういう方法しか思いつかなかった」

「まぁ、あの提督なら理解して下さると思うけれど……」

 

 妙高姉さんが心配そうに、遠くの提督を見つめた。

 どうやら潜水艦達が無礼な真似をしているようだったが、それを不快に感じている様子は見られない。

 むしろ、喜んでいるようにも見えた。

 この歓迎会が始まる前に、提督は「普段通りの姿を見せてくれ」と提督命令を発した。

 それを受けての事だろう。潜水艦達も我慢をせずに感情をさらけ出し、私も気を遣わずに声をかける事が出来たと思う。

 礼を失することにもなると思ったが、それを不快に思うような男には見えなかった。

 やはり、懐は大きいようだ。

 

 作戦会議にすら顔を出さない、艦娘に全てを任せる指揮――やはり、今考えても有り得ない。

 しかしそれでも、結果としてあの絶望的な戦いから誰一人欠ける事なく生還できたという事実。

 中破した状態にも関わらず、自らの放った砲撃の火力に、思わず足柄と顔を見合わせてしまったものだ。

 提督への信頼が私達の性能を底上げするというのならば、私の放ったあの火力は、そのまま提督への信頼そのものであると認めざるを得ない。

 

 提督としての能力に関しては認めざるを得ないが――唯一、指揮官として不満なのは、出撃した私達を想って涙を流していたという点だ。

 気に食わないという意味ではない。批判する気などさらさらない。

 心配される側としては悪い気はしないが、上官としてはあまりにも情けなく、頼りない。

 何よりも、兵器の一つ一つの損傷や損失に涙を流していては、提督自身の心が持たないだろう。

 そこだけは軍人として、何とか割り切って欲しいものだが――。

 

 何故だろうか。あんなにも頼りになるのに、こんなにも頼りなく思えてしまうのは。

 

「……そうだ。それよりも妙高姉さん、聞いていないぞ。羽黒を秘書艦に推薦するなどと」

「あら、そうね。推薦しようとは思っていたのだけど、決めたのは直接話してみての事だったから」

 

 妙高姉さんは悪気も無さそうにそう言った。

 羽黒を見れば、すでに心配なのだろう。自信無さげに俯いてしまっていた。

 事前に聞いていなかったのは羽黒も同じのようだ。

 

「せっかく秘書艦候補として名前を挙げて頂いたのに、無理を言う事になってしまったけれど……」

 

 始めは妙高姉さんと香取を秘書艦候補として考えていたとの事だった。

 以前、妙高姉さんが秘書艦を担当していた際に、約束事を忘れてすっぽかした当時の提督を数時間に渡って説教したという話は、今でも艦隊司令部で語り草になっていると聞いている。

 妙高姉さんを怒らせると怖いという事は、私達姉妹だけではなく、艦娘ならば誰しもが知っている周知の事実というやつだ。

 当然、提督がそれを知らないわけは無いが……。

 

「フッ、妙高姉さんと香取を選んだのも、案外、前の提督と同様に、尻を撫でるつもりだったのかもしれんぞ」

「あの提督がそんな事を考えるように見えますか」

「じょ、冗談だ、そう怒るな……そ、それよりも、何故このタイミングで羽黒を推薦した? 今までの提督には秘書艦として推薦などするつもりもなかっただろう」

 

 危うく妙高姉さんの逆鱗に触れるところだったので、すぐさま話題を元に戻す。

 提督を侮辱したからか、はたまた、尻をいじったからなのか……危ないところだった。

 どうやら妙高姉さんは、足柄と同様に、すでにあの提督の事を認めてしまっていたらしい。

 

「勘、かしらね。あの提督ならば、羽黒を更なる高みに連れていってくれる……何となくそう感じたの」

「更なる高み……改二という事か」

 

 羽黒と私達姉妹の練度は、そう差があるわけでは無い。

 妙高姉さんだけは一つ抜けているが、羽黒の実力や秘めたポテンシャルは、この那智に劣るものでは無いと、私自身も認めている。

 持ち前の優しさや臆病さ、自信の無さがその足を引っ張っているのだとは思うが、そればかりは生まれ持った性格だ。変えようとしてもなかなか変えられるものではない。

 ましてやこの一年間、我ら重巡洋艦はまともに運用されていなかった。

 戦艦の完全下位互換であると断じられ、自慢の主砲も埃を被らされていた一年間。成長する余地など全く無かった。

 

「まぁ、それだけじゃないけれどね。改二に至る条件は艦により様々だけど、私はその艦の想いであったり、信念であったり、そういった『気付き』が必要だと思っているの」

「あの優秀な提督ならば、それを羽黒に気付かせてくれると?」

「さて、どうかしら。とにかく、頑張ってね、羽黒」

「みょ、妙高姉さぁん……」

 

 まるで他人ごとのように言って席を立った妙高姉さんに、羽黒もすっかり困り果てているようだった。

 羽黒は人見知りでもあるから、提督と打ち解けるのも一苦労かもしれん。秘書艦の仕事以前の問題だ。

 果たしてこの羽黒を成長させる事ができるのか……提督の御手並み拝見か。

 

「うぅぅ……那智姉さん。私なんかが、あんなに優秀な司令官さんの補佐なんて出来るのでしょうか。昨夜の作戦だって全く予想が出来なかったのに」

 

 羽黒は自身無さげに、そう言葉を零した。

 

「予想が出来なかったのは誰も同じさ。いや、強いて言うなら大淀くらいか。だが、あの提督は大淀を秘書艦候補として挙げなかった。そしてお前が秘書艦で構わないと言った……だから、それでいいのだろう」

「それは、妙高姉さんの無理を聞いて頂けたからで、私なんかじゃ司令官さんのご迷惑になるのでは……」

「さてな。ともかく、あの妙高姉さんがあぁ言っているのだ。やる以外の道はあるまい。どうしても無理だと思ったら、その時に辞めればいいさ」

「は、はい……」

 

 憂鬱そうな表情で俯いてしまった羽黒の隣に、妙高姉さんが戻って来る。

 そして何やら緑色の液体が入った酒瓶を私の前に置いたのだった。

 

「何だこれは」

「ゴーヤ酒というらしいわよ。提督は二杯呑んでいたから、那智も同じだけ呑みなさい」

「……冗談だろう?」

「同じものを呑まないとフェアじゃないでしょう」

「そ、それはそうだが……! お、おい、妙高姉さん! 何か怒ってないか⁉ し、尻の件は冗談だと……!」

「怒ってないわ。呑みなさい。早く」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……イムヤ、どうしたの? さっきから元気が無いの」

「えっ、あ、いや……元気が無いわけじゃなくて、少し考え込んでただけ」

 

 イクの声に、はっ、と気が付くと、私はグラスの水面をじっと眺め続けていたようだった。

 慌てて取り繕い、グラスに注がれたジュースに口をつけた。

 一息ついて、改めて考える。

 ほんの一か月前の、私達の事を。

 

 持ち前の燃費の良さを活かして、私達はよく資材の回収に向かわされていた。

 前の司令官はやたらと重い編成の艦隊運用を好み、また、建造に多くの資材をつぎ込んでいた為、鎮守府は慢性的な資材不足に陥っていた。

 私達は昼も夜もなく、ただひたすらに資材を回収する為に海に潜り、得られた資材が瞬く間に消えていくのを目の当たりにする毎日を過ごしていたのだった。

 当然、疲労は溜まる。深海棲艦も資材を必要とする為、パワースポットの周りでは交戦する事が多い。

 降り注ぐ爆雷の雨に打たれて、時には避け切れずに被弾、損傷する事は当然あり得る事だった。

 

 だが、前の司令官は、それを許さなかった。

 負傷して撤退した私達に降り注いだのは、自分の思い通りの結果にならなかったという苛立ちをぶちまけた、更なる罵倒の雨だった。

 

『資材を回収するだけという簡単な事も出来んのか、役立たず共め』

『何故被弾するのだ。愛国心さえあれば敵の攻撃など当たらぬはずだ。恥を知れ』

『貴様らが不甲斐ないせいで、儂の計画が台無しだ。どう責任を取るのだ』

『入渠もタダでは無いのだぞ。計算外の余計な資材を消費してしまうだろう』

『貴様らの尻拭いに余計な資材は使えんからな。入渠は許さん。入渠したければ、その分の資材は自分達で稼いでこい』

『疲れているなどと甘えた事は言うまいな。少し損傷したくらいで泣き事を言うな。根性無しめ』

 

 数え上げればきりがないが――中破状態、ひどい時には大破状態で反復出撃をしたのは一度や二度ではない。それこそ、数え上げればきりがないというものだった。

 死に物狂いで何とか資材を回収し、命からがら帰投すれば、前の司令官はふんぞり返ってこう言うのだった。

 

『ほら見ろ。私の言う事は正しいだろう。無理だと思うから無理なのだ』

 

 私はひねくれているのだろうか。それともイクやゴーヤが純粋なのだろうか。

 良い事なのか悪い事なのかわからないが、きっと私が冷めているだけの事だと思う。

 司令官の言葉を真に受けて、イクやゴーヤは「被弾する私達には愛国心が無いのではないか」と本気で悩んでいた時期がある。

 私はそうは思わなかったが、あの時期のイク達は見ていられたものではなかった。

 

 あんな無謀な出撃を繰り返して、私達潜水艦隊から誰も失われる事がなかったのは、奇跡としか言えないだろう。

 いつ誰が沈んでもおかしくはなかった――そんな地獄だった。イクもゴーヤも、おそらく私も、死んだ目をして、毎日毎日、地獄に繰り出していた。

 毎日を生き抜くのに精いっぱいで、誰かに甘えたり、イタズラする余裕なんてなかったのだった。

 

 だから、あんなイクとゴーヤを見るのは、とてもとても久しぶりの事だったのだ。

 目を爛々と輝かせて、司令官にイタズラを仕掛けた瞬間、私は色んな意味で驚いてしまった。

 何でわざわざ、自分から嫌われるような事をするのかと。

 

 だがそれが、本来のイクとゴーヤなのだ。

 そんな本来の、自然な姿で接して欲しいと、司令官は言ったのだ。

 それを信じてイク達はイタズラを仕掛け、司令官はそれに驚き、困りながらも喜んだ。

 内心不安だったであろうイクとゴーヤの喜びは、如何ばかりだった事か。

 

 ――司令官はきっと知らないのだろう。

 

 提督の背中にくっついてイタズラをしていたイクが、どんなに幸せそうに笑っていたのかを。

 その背中にくっついていたイクが司令官の言葉で一度離れた瞬間、どんなに名残惜しそうな顔をしていたのかを。

 もっともっと甘えたくて、もっともっとくっついていたくて、どうしても我慢できなくて、もう一度くっついてしまった事を。

 私達が、司令官の事をどれだけ待ち望んでいたのかを。

 

 出撃する事をあんなにも辛いと思っていたのに、今の私は、もう今すぐにでも海に飛び出したいくらいにうずうずしている。

 お休みが欲しい、なんてゴーヤは訴えていたらしいが、それでは司令官に褒めてはもらえない。

 ご褒美目当てだろう、イクもゴーヤも目を輝かせて張り切ってしまっていた。

 

「明日の資材回収と近海警備、頑張るの! 頑張って頑張って、提督のご褒美貰うのね!」

「いっぱい活躍して、お休みを貰うでち!」

 

 現在の横須賀鎮守府の資材状況は、枯渇寸前と言ってもいい。

 そうなると、燃費の良い私達潜水艦隊や水雷戦隊の出番だ。最低限の支出で近海を警備し、資材を回収する。

 しばらくはそういった、兵站の面での戦いが続くだろう。これもまた、立派な戦いだ。

 

 私は他の皆と比べて、性能が劣っている事は自覚できている。

 イクやゴーヤに比べれば雷撃の威力も低いし、被弾率も大破率も私が多い。総合的に、性能が低い。

 前の司令官には、よく『最初から期待していなかったが、足手まといめ。潜水艦は数が少ないから使ってやっているだけだ。有り難く思え』などと言われていたものだ。

 

 性能に恵まれず、龍田さんや香取さんのように戦闘センスにも恵まれず、改状態になっても潜水空母の能力は得られない。

 褒められる方が珍しい、期待などされた事のない、平々凡々な潜水艦。

 そんなコンプレックスまみれの私に、司令官は『潜水艦の中では特にお前に期待している』と言ってくれたのだ。

 潜水艦隊のリーダーに任命してくれたのだ。

 お前にしか無い長所があると言ってくれたのだ。

 

 こんな……こんな私に!

 それがどれだけ嬉しかった事か!

 

 しかしいくら考えても、私にしかない長所など一つも思いつかない。

 私は恥を忍んで、イクとゴーヤに声をかけたのだった。

 

「ねぇ、二人とも。司令官に言われたんだけど、私にしかない長所って何かあるかな」

 

 イクとゴーヤはきょとん、とした顔を見合わせ、少しも考えるそぶりを見せずに、こう言ったのだった。

 

「イムヤは頭がいいから、いつもイク達をまとめてくれるのね。字も綺麗だし、報告書を作るのも一番上手なの!」

「それに燃費もいいから、資材の消費量も入渠に必要な時間も、ゴーヤ達よりも少なく済むでち」

「そ、そう……? 確かに回復力には自信があるけど……っていうか、たまにはイク達が報告書を作ってくれてもいいんだけど」

「えぇー、それは面倒なの」

 

 長所というより、仕事を押し付けられてるだけのような気がする……。

 しかし、この潜水艦隊をまとめる事が出来るのはやはり私しかいないという事だろう。

 司令官もそれを期待して、私を潜水艦隊のリーダーに任命してくれたのだろうし……頑張らないと。

 内心、気合を入れた私を見て、イクはこう言ったのだった。

 

「明日の出撃頑張ったら、イムヤもご褒美に、提督にくっつくといいの!」

「えぇっ⁉ な、何で急にそんな事」

「色々考えて我慢しちゃうのがイムヤの悪いところなの! イクが提督にくっついてる時、羨ましそうに見てたの、イク、知ってるの!」

「頭がいいのはイムヤの長所だけど、そのせいで大人ぶって妙に気を遣ったり遠慮しちゃうのは短所だと思うでち」

 

「お、大人ぶってるとか遠慮してるとかじゃなくて、は、恥ずかしいでしょ! 普通!」

「あっ、くっつきたいのは否定しないのね」

「そ、そうじゃなくてぇ! もぉぉぉ~!」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「ほらほらっ、満潮も! 司令官に挨拶! 行っきまっすよぉ~!」

「……私はいい。行かない」

 

 大潮がいつものように強引に手を引くが、満潮は動きたがらない。

 朝雲と山雲にも励まされてはいるのだが、一向に変化は見られなかった。

 

 満潮は私達が無事に帰投してから、ずっとふさぎ込んでしまっている。

 その原因はただ一つ――私、大潮、荒潮、そして満潮。第八駆逐隊の中で、満潮だけが唯一、昨日の遠征部隊から外された事だ。

 満潮の代わりに霞を編成したそれは、単純に練度の高い者から選んだように思えるが、満潮と霞の差はそこまで大きくは無い。

 つまり、霞の代わりに満潮を編成したとしても、あまり任務に支障は無かったように思えるのだ。

 にも関わらず、司令官は満潮だけを外し、代わりに霞を編成した。

 

 それに一体、何の意味があったのか。

 満潮のトラウマを抉るような、酷薄な編成。まさか何も考えていないという事もないだろう。

 大淀さんの話では、あの司令官は私達の事をよく知ってくれている、と。

 つまり、満潮の過去を知った上で、あんなにも残酷な編成を組んだという事だろう。

 

 かつての大戦――まだ私達が艦娘ではなく、艦であった頃。

 満潮が入渠している間に、私も、大潮も、荒潮も、次々に沈んでしまったという過去。

 私達と同じ戦場で戦う事も、助けに行く事すらも出来なかったという後悔。

 そのトラウマは未だ深く、大きい。

 

 私達が遠征に出た後、満潮はどんな想いで待機していたのだろう。

 日が暮れても戻らない、連絡も取れない私達の事をどう考えていただろう。

 

 それがどれだけ辛かっただろうか、苦しかっただろうか、心細かったであろうか。

 

 いくら優秀な司令官であると理解が出来ていても、感情が追い付いていないのだろう。

 

 その怒りや悲しみは、一体どこに、誰にぶつければいいというのか。

 やはり、そんな編成を命じた司令官にぶつけるしか無いのだろう――。

 

「うふふふっ、満潮ちゃんも、しょうがないわねぇ~。気持ちは、わかるけどぉ」

「そうね。無理やりここまで連れ出してはきたけれど……司令官に挨拶に行くのは無理かしら。置いていくわけにもいかないし」

 

 荒潮がひそひそと小さく声をかけてきたので、私も同じように答えた。

 司令官の歓迎会に顔を出さないというのは流石に失礼なので、何とかここまでは引っ張ってきたのだが……挨拶に行くとなると、やはり尻ごみしてしまうのだろう。

 

「ったく、見てらんないったら! いい加減にしなさいな!」

 

 あぁ、やはり。

 予想はできていた事だが、やはり霞が痺れを切らしたようだった。

 ふさぎ込んでいる満潮に向かって、勢いよく立ち上がった霞は一切の遠慮なく厳しい言葉を投げかける。

 

「言っておくけど、司令官を恨むのは筋違いだからね。私の方が、練度が高かった。今回は危険な出撃だったからこそ、少しでも練度の高い私が選ばれた。ただそれだけの事よ」

「……あぁそうね! 私じゃ力不足って事ね! そんな事わかってるのよっ!」

「わかってるなら、何をいじけてるの⁉ それで強くなれるならどうぞ好きなだけ落ち込んでいればいいわ。惨めよね!」

「うるさいわねっ! ウザイのよっ! 霞っ!」

「はぁ⁉ それで逆ギレ⁉ だらしないったら!」

「喧嘩売ってきたのはアンタでしょ⁉」

「さっきから目障りなのよっ! 落ち込んでる暇があったらこんなところでウジウジしてないで――」

 

「――何を大きな声を出しているのですか? この場は提督の歓迎会ですよ」

「元気がいいねぇ。やっぱり夜はいいよね、夜はさ。元気が有り余ってるなら、夜戦演習行っちゃう? 今から提督に許可を貰うつもりなんだけど」

「ミッチもカスミンも大きな声! 那珂ちゃんと一緒にボイトレどう? きゃはっ!」

 

 いい加減にしなさい、と声をかけようと腰を上げた私よりも早く、二人の間に割って入ったのは、川内さん達、三姉妹だった。

 時雨さん達と共に、提督に挨拶に行く途中だったのだろう。

 満潮と霞は一瞬にして悟ったかのように顔を青くして、顔を伏せて縮こまってしまった。

 

 私は神通さん達の下へ歩み寄り、二人に代わって謝罪すると共に、事情を説明したのだった。

 何も言わないのに正座をして黙り込んだ満潮と霞を一瞥して、神通さんは目を瞑りながら口を開く。

 

「……なるほど。確かにそれは悔しいですね。確かに私も、あの編成が気になってはいたのです。何故、満潮さんではなく霞さんを選んだのか、と」

「単純に、練度の高い順であると言われればそうなのですが……満潮の過去を知った上での判断だったのでしょうか」

「そうですね。ここに配属される軍人であるならば、先の大戦の事は知っていて当然の事でしょう」

「それにしては、少し酷薄すぎるのではと……い、いえ、司令官の指揮に不服があるわけではないのですが、その……」

 

「ふぅん。話を聞けば、あの提督の考え方は、どこか神通に似てる気がするねぇ」

「あっ、それ那珂ちゃんも思った!」

 

 神通さんと私の会話を聞いていた川内さんと那珂さんは、いつものように飄々とした雰囲気のままに、そう言った。

 その言葉の意味がわからなかったのか、神通さんは何故か少し頬を染めて、川内さん達に言葉を返したのだった。

 

「提督が、私に……ですか? ど、どの辺りが……」

「そうだねぇ。厳しさの理由には優しさがあるというか、ほら、間宮さんが教えてくれたでしょ。夜戦の為に全員送り出した後、一人でこっそり泣いてたって」

 

 その無線は、私も聞いていた。

 司令官が私達を想って涙を流してくれていたと聞き、何と素晴らしい人なのだと感服した。

 その慈悲深さと満潮への仕打ちが、どうにも繋がらないのだったが、川内さんはこう言葉を続けたのだった。

 

「私達は遊びに海に出てるわけじゃないでしょ。一歩海に出ればそこは戦場。いつ沈むかもわからない死地で、地獄だよ。提督はそれをよくわかっているから、自分だけが安全な場所にいるのが悔しい、って泣いてたんだ。その気持ちは、満潮もよくわかるんじゃない?」

「……はい」

「ましてや、提督にはあんなに大きな危機が迫っているってわかっていたんだから、少しでも練度の高い艦で固めたかったと思っても、おかしくは無いんじゃない?」

「……えぇ、川内姉さんの言う通りです。通常の遠征ならばともかく、あの航路は駆逐艦の皆さんにはかなり厳しいものでした」

「過去の編成を優先して少しでも練度の低い艦を編成した結果、目も当てられない事になったら、それこそ本末転倒なんじゃないかなぁ。どう思う、朝潮?」

「……返す言葉もありません」

 

 川内さんの言う通りだった。

 思い返せば、昨日の戦い、それに至る作戦というのは、ほんの僅かにでも手を抜けるほど、余裕のあるものであっただろうか。

 否。一つ間違えれば全てが無に帰すような、綱渡りのような作戦だった。

 全ては司令官の掌の上だと大淀さんは例えたが、それならば少しでも慢心しても良いという道理は無い。

 ほんの僅かにでも、満潮よりも霞の方が練度が高いと、司令官は判断した。

 ならば、あの編成は司令官の考え得る限りの全力だったはずだ。

 

 それに対して、もっと手を抜いてもよかったのではないか、などと言えるはずがない。

 辛い事だが、満潮は口だけでは無く、認めなければならないのだ。

 自分自身の力不足を。

 

 川内さんは正座している満潮の前で膝を曲げ、ぽんぽんと頭を叩いて、言葉を続ける。

 

「だから、私達は強くならなきゃならないんだ。大切な仲間と共に強くならなきゃ、その内、隣に立つ事も出来なくなる……。大切な仲間が危険に晒されている時に、何も出来ないって事にもなるんだ。私も那珂も、神通に置いてかれないように、こう見えて必死なんだよ?」

「……はい」

「満潮は今回、悔しかったね。もうちょっとだったよね。だからこそ、頑張らなきゃ。いつか、朝潮達や時雨……大切な仲間に危機が迫っている時に、自分の手で助けに行けるように」

「……っ、はいっ」

「神通の演習はかなり厳しいけれど、それも皆の事を思って、心を鬼にしているんだよ。実戦で沈んでしまったら何の意味も無い。あの時、もう少し厳しく教えていればよかった、なんて思ったって、後の祭りだからね。だから神通は、たとえ皆に嫌われたって、怖がられたって、厳しい演習を続けるんだ……提督もきっと、表情には出さないけれど、案外、心の中では泣いてるんじゃないかな」

 

 川内さんの言葉に、満潮は肩を震わせ、ぽろぽろと涙を流してしまった。

 行き場無く司令官にぶつけていた怒りや悔しさ、悲しみが、全て自分自身への不甲斐なさとなって返ってきたのだろう。

 普段から、あとほんの少しだけ頑張っていれば、今回の編成から外される事は無かったかもしれない。

 司令官の作戦が少しでも上手くいかなければ、私達は沈んでいた。そうなれば、満潮は思い出したくもない過去の二の舞となるところだったのだ。

 満潮も本当はわかっていたのだ。あんなにも私達の事を想ってくれている司令官を恨むなど筋違いである事など、霞に言われるまでもなく、理解できていたのだ。

 

 それにも関わらず、司令官を恨む事で自分の弱さを誤魔化していた事を自覚したのだろう。

 

「今回の作戦で、あの加賀さんも少し失敗しちゃったんだってさ。それで落ち込んじゃった加賀さんに、提督はこう言ったそうだよ。『失敗は誰にでもある。大事なのはそれを後悔で終わらせる事では無く、反省し、次に活かす事だ』ってね。その悔しさをバネにして、進まなきゃ。一歩でも、ほんの少しだけでも、前にね」

「ひっく……ぐすっ……はっ、はいっ……!」

「よしよし。悔しいよね。これから皆一緒に頑張ろうね」

 

 川内さんは満潮を抱き寄せ、ぽんぽんと軽く背中を叩く。

 満潮の背を優しく撫でながら、川内さんはそのまま私達に目をやり、言葉を続けた。

 

「それじゃあ私達は提督に挨拶に行ってくるけど……朝潮達も失礼のないようにね」

「はいっ。無論です」

「朝潮や大潮なんかはまぁいいとして……霞はまさか、普段通りでいいって言われたからって『あの作戦は何なのよ、このクズ!』とか言い放つつもりは無いよね?」

「ギクッ⁉……そ、そんな事は……な、無い、です……」

 

 言うつもりだったようだ。私からも釘を刺してはおいたのだが……。

 霞は言葉を選ばない。先ほどの満潮への言葉も、言うなれば霞なりの叱咤激励だ。

 満潮に語っていた通り、霞も司令官の指揮方針については理解できている。だが、おそらく司令官と顔を合わせれば、納得のいかなかった点について思いをぶちまけるだろう。

 

 霞は相手の事を考えた上で正論を言う。

 だがそれが少し過激すぎるというか、口癖なのか、過去に司令官をクズ扱いした事は一度や二度では無い。

 感情が昂ると抑えが利かないのか、考えるよりも先にそういった厳しい言葉が出てきてしまうのだろう。

 そのせいで、過去の司令官の中には、霞を苦手とする方もいた。

 適切な言葉さえ選べば、霞も避けられる事は無いのだと思うのだが……姉としては、今後が心配だ。

 

「それと……荒潮。嬉しいのはわかるけど、さっきから目が怖いから、あまり提督を見つめ過ぎないように。荒潮の直視は目力が強すぎて、私でも目を逸らしたくなるくらいなんだから」

「えぇ~? うふふふふっ、何でかしらぁ? おかしいわねぇ~?」

「う、うぅん、でも提督も普段通りでいいって言ってたし……ま、まぁ、いっか。そのままで」

 

 荒潮は昨日の遠征の途中から様子がおかしかった。

 何だか随分と機嫌が良いように見える。

 私の妹ながら少し変わっている子だとは思うが、それが少し誤解を生んでしまいがちだ。

 前の司令官には、よく『何だその目は!』と顔を合わせるたびに怒鳴られていたし、機嫌の悪い時には頬を張られるのも日常茶飯事であった。

 最終的には、その目が気に食わないという理由で、顔を合わせないように部屋から出るなとまで言い放たれた。

 それでも荒潮はいつものように笑みを浮かべていたが、内心、どう思っていたのかはこの私にもわからない。

 

 朝潮型の中で特に問題児として扱われやすいのが、荒潮、満潮、そして霞の三人だ。

 荒潮は余裕ぶった笑みや態度、何よりも目が気に食わないと。

 満潮は捻くれた物言いが、霞は歯に衣着せぬ物言いが気に食わないと、私達の中でも特に冷遇されてきた。

 上官に向かってその態度は何だ、と言われれば、返す言葉も無いのだが……。

 

 ともかく、霞も荒潮も、そして満潮も、自分を偽るつもりは無いようだった。

 何よりも、提督自身がいつも通りの自然な姿を見せてくれと言っていたのだから、偽らずとも正解なのだろう。

 悪い子ではない、少しだけ個性的な私の妹達を、司令官が受け入れて下さる事を祈るばかりだ。

 

 司令官への挨拶に向かうべく立ち上がった川内さんを私は呼び止め、敬礼した。

 満潮と霞の喧嘩を仲裁してくれただけではなく、貴重な話を聞かせて頂いた。

 厳しく感じられる神通さんの演習には、厳しさ以上に確かな優しさがある。

 提督の指揮もまた然り。

 ならば、川内さんも那珂さんも、私達の事を想っていてくれているのだと、実感する事ができたのだった。

 

「ありがとうございました! あ、あの、もしかして神通さんだけではなく、川内さんの夜戦演習や那珂さんの発声練習も、私達の今後を思って――」

「あぁ、私は自分がやりたいからやってるだけだよ。夜戦最高ー!」

「那珂ちゃんもでぇーすっ! きゃはっ!」

「えぇ……?」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「だ、大丈夫ですか⁉ 金剛お姉さまっ!」

「シ……シィット……! 流石は私の妹デス……!」

「えぇと……この一年間、数えきれないくらい戦場に送り込まれてきたので、勝手に練度が上がってしまって……」

「フフフ、頑張ったのデスネ……でも次は負けまセーン……! 提督のハートを掴むのは私デース! さぁ、もう一度勝負ネー!」

「わぁぁ! お姉さま、流石です! よーし、私も気合っ、入れてっ、行きまぁすっ! とぉりゃぁぁあっ!」

 

 比叡お姉さまに投げ飛ばされ、相撲勝負に敗北してしまった金剛お姉さまだったが、すぐに立ち直り闘志を燃やしている。

 元々の練度の差が大きいのか、現在は比叡お姉さまの方が若干強いようだ。

 そうなると、私や霧島もまた、金剛お姉さまよりも上にいるという事になるが、おそらくこの程度の差は、すぐに覆されてしまうのだろう。

 

 夢のようだった。こうやって金剛お姉さまとはしゃいで、騒いで、笑い合える日が来ることを、私達は文字通り夢見て過ごしてきたのだ。

 私達の誰かが沈んでしまう前に、四人で再会する事が出来た。その御恩は、一体どうすれば返す事ができるのだろうか。

 そんな事を話そうかと隣に座る霧島に目を向けると、何やら難しい顔をして考え込んでいる様子だった。

 

「……どうしたの、霧島」

「いえ、結局のところ、司令の一番とは一体誰なのかと考えていて」

 

 それは、先ほど提督が金剛お姉さまに話した事だった。

 確かに、それは気にならないと言えば嘘になる。

 提督の表情を見るに、金剛お姉さまが二番目であるという事は、うっかり口が滑ってしまったというような感じであった。

 本来言うつもりが無かったのであろう。

 

「司令にとって、金剛お姉さまは昨日出会ったばかり。だというのに、上から数えて二番目。この霧島の分析でも、どうも理解ができないわ。初めての建造で出会えた故に一番というならまだわかるのだけれど、何故二番……」

「うーん……?」

「そもそも一体何の序列なのかしら。金剛お姉さまの、どれくらい大切に考えているかという問いに対して、迷うことなく二番目と答えたという事は、司令の中であらかじめその序列が決められていたという事よね。大切にしている序列として考えるならば、司令は艦娘に優劣をつけている……?」

「ま、まさか……」

「そうだとしても、何故金剛お姉さまが二番目……わからないわ、この艦隊の頭脳、霧島の分析でも……!」

「で、でも、あの提督が大切にしている艦娘に序列をつけているだなんて考えられないわ。提督も、そういう意味では無いと仰っていたし……」

「そうなのよ。だからますますわからなくて……司令の領域に至るには、この霧島の頭脳でもまだ足りないという事かしら」

 

 私と霧島は、腕組みをして唸ってしまう。

 大淀さんから前もって指示があったように、提督は質問を嫌うらしい。

 まずは自分の頭で考えてみて、どうしてもわからなかったら大淀さんに相談して下さい、との事だった。

 

 どれくらい大切に思っているか、という問いに対して、金剛お姉さまが二番目であると迷わず答えた。

 という事は、提督の中で大切に思っている順位があるとして、今回の建造により金剛お姉さまが二番目に滑り込んだという事だろうか。

 そうなると、金剛お姉さまでも超える事の出来なかった一番目とは、一体……。

 

 考えても考えても、わからなかった。

 

「もうっ、いい加減にして下さいっ! お手洗いにまでついてくるなんて!」

「た、頼む! 一回だけ、一回だけでいいんだ! 私と朝潮型で輸送連合艦隊なんてどうだろうか。皆で弁当を持ってだな」

「戦艦含んだ輸送連合なんてありますか⁉ どんどん要求が露骨になってきてるんですよ! もう大人しくしてて下さいっ!」

「お、大淀……!」

 

 一体どうしたものか、と考えていた所に、ちょうど大淀さんが通りかかった。

 何やら長門さんに付きまとわれているようだが……一体どういう状況なのだろうか。

 大淀さんも私達の姿に気付き、声をかけてくる。

 

「な、何してるんですか。何故こんな時間に相撲を……」

「えぇと、実は……」

 

 大淀さん達に事情を説明しようとしたところで、再び比叡お姉さまに投げ飛ばされていた金剛お姉さまが、声を上げて走ってきたのだった。

 

「あーーっ! そうデス! 長門デース! この横須賀鎮守府のリーダー格! ヘイ、長門! 提督の一番の座を賭けて勝負デース!」

「……何? 提督の一番? さっきの話の事か」

 

 首を傾げる大淀さんと長門さんに、私達は提督にかけられた言葉について説明したのだった。

 一通り説明を終えた所で、長門さんは理解が出来たというかのように大きく頷く。

 

「なるほど、そういう事か。先ほどの話の中で、提督が一番大切に思っている艦娘は一体誰かと……フフ、それで私か。胸が熱いな」

「シット! 何を見せつけてくれるデース! さぁ! 相撲で勝負ネー!」

「ふむ。それが事実だとしたならば、提督の一番に選ばれたその名誉は簡単には渡せんな。良かろう、受けて立とうではないか」

 

 長門さんと金剛お姉さまは土俵の中に入り、そのまま戦いを始めてしまった。

 

「金剛型の高速張り手を喰らうデース! ファイヤァーーッ!」

「フッ、効かぬわ。長門型の装甲は伊達ではないよ」

「なっ、なんて硬さとフィジカルデース⁉ まるで歯が立ちマセーン⁉」

「お姉さま、助太刀しますっ! とぉりゃぁぁあっ!」

「ハッハッハ! ビッグセブンの力、侮るなよ!」

 

 お姉さま二人がかりでもビクともしていない……長門さんのあの力も、提督への信頼から来るものなのだろうか。

 怒涛の勢いで勝負が始まってしまったが、大淀さんに目を向ければ、呆れたような表情で大きな溜め息を吐いていたのだった。

 

「はぁぁ、まったく、もう……人の話を聞かないんだから」

「あの、大淀さんはどう思いますか? 提督の一番大切にしている艦娘とは……」

「提督は艦娘に序列をつけたりなんてしません。鹿島も私も常に平等。提督はそういう御人です」

「えっ、なんでそこで鹿島さんが」

 

 私の問いに、大淀さんはハッと気が付いたように口をつぐみ、小さく咳払いをしてから言葉を続けたのだった。

 

「コ、コホン。と、とにかくですね。提督も、そういう意味ではないと仰ったのでしょう? 考え方のスケールが小さいんですよ」

「考え方のスケールが……どういう事でしょうか」

「まぁ、私も先ほどまでそれに悩んだりもしましたが……提督の言いたかった事は、金剛が二番目という事ではなく、私達艦娘全員が、提督の中で二番目に大切だという事なのでしょう。おそらく艦娘の中で序列があるという意味ではありません」

 

 大淀さんの言葉に、私と霧島は顔を見合わせた。

 確かに、筋が通っている。金剛お姉さまが二番目ではなく、私や霧島も含めた、艦娘という一つのスケールで、二番目に大切に思ってくれているのだ。

 そう考えれば納得がいく。私達の為に涙を流せるような人なのだ。艦娘そのものを大切に思ってくれている事は、よく理解できていた。

 

「なるほど……それでは、提督の一番とは」

「言うまでも無いでしょう。今朝、私達はそれを心で感じたはずですよ。提督の一番は私達にとっての一番と同じ。この国の平和、ただそれのみです」

 

 ――私と霧島は、もう恥じ入るしか無いのだった。

 この国の平和を一番に、そしてこの私達の事を二番目に大切に思ってくれている、そんな高潔な御人に、失礼な事を考えてしまった。

 艦娘に好みで序列をつけているのではないか、などと、妙な考えを持ってしまった。

 少し考えればわかりそうなものだが、大淀さんの言うとおりに、私達は考え方のスケールが小さかったようだ。

 まだまだ、提督の領域に至るまでは遠い。

 

 大淀さんは困ったように笑いながら小さく息を吐いて、言葉を続けた。

 

「それはとても光栄な事ではありませんか。ご自分の事よりも何よりも、この国の平和の次に、私達の事を大切に思ってくれている……人間に歯向かった兵器だと今も警戒されている、こんな私達を」

「そう……ですね。前提督に逆らった事で横須賀鎮守府の艦娘が問題視されている事はご存知でしょうし……まさかあんなにも有能な御方が着任するとは思いもしませんでした」

「私達はその恩に報いねばなりません。皆さん、戦艦部隊は空母機動部隊と同じくしばらく出撃を控える事になりますが、資材管理も立派な戦いです。ご協力をお願いしますね」

「えぇ、勿論です」

 

 私と霧島が大きく頷いたところに、何やら楽しそうに笑みを浮かべた間宮さんがひょっこりと現れる。

 どうやら厨房から、私達の声を聞いていたようだった。

 

「あらっ、間宮さん。どうしたんですか」

「うふふ、何やら楽しそうなお話をしているなぁと思いまして。思わず厨房から誘われて来てしまいました。ふふふっ」

 

 間宮さんは何故か、大淀さんに目を向けてニコニコと微笑んでいる。

 大淀さんもそれを怪訝に思ったのか、眼鏡の位置を直しながら間宮さんに尋ねたのだった。

 

「な、何ですか?」

「いえ、やっぱり大淀さんは提督の事をよく理解しているなぁと思いまして。もしも提督が信頼できる艦娘の序列をつけるのなら、一番は大淀さんかなぁ、なんて。うふふっ」

「はっ、はぁぁぁっ⁉ ななな、何を言うんですかっ⁉ わ、私なんて、そんな、そんな……」

「ふふっ、例えばですよ、例えば。女房役とはこういう関係の事を言うんでしょうね」

「にょ、女房……って、もう! 間宮さんっ! さてはからかいに来ましたね⁉」

 

 先ほどまでの冷静さは何処へやら、一瞬にして真っ赤に染まった頬に手を当てて慌てふためいている大淀さんを見て、間宮さんは愉快そうに笑みを浮かべる。

 何とか冷静さを取り戻そうとしている大淀さんだったが、間宮さんの話を聞いていたのであろう、金剛お姉さまと長門さんに詰め寄られるのだった。

 

「一人だけご褒美を貰ってたから怪しいとは思っていましたが、一番は大淀だったデスカー⁉ さぁ、土俵に上がるデース!」

「お、おい、大淀! お前、私に活躍の場を与えないだけでは飽き足らず、私から提督の一番の座まで奪うつもりか⁉ ずるいぞ!」

「いや貴女達はまず人の話を聞いて下さいっ‼」

 



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029.『歓迎会』【提督視点④】

 色欲童帝(ラストエンペラー)、シココ・フルティンコでぇーすっ! ひゃっはァーッ!

 パーッとイこうぜ! パァーッとなぁ! イけるイけるぅ! イクイクゥ!

 那珂ちゃんに負けじと歌いたい気分だ! 聴いて下さい! 『恋の0-7-21』‼

 

 い、いかん……今一瞬、俺の闇の人格が垣間見えた。

 俺は今一体何をしようと……危うく股間のスタンドマイクを両手で持って立ち上がるところだった。

 堪えるんだ……ここは堪えねば……!

 

 駆逐艦による物量作戦が始まってから、まだたったの十人程度しか消化していない。

 子供だと思っていた駆逐艦が今の俺にとっては鬼畜艦である。

 このままでは俺の理性が駆逐されてしまうではないか。

 俺はあと何杯の酒を呑めばいい……駆逐艦はあと何人いるんだ……!

 適当に応対したからもう自分でも一人ひとりに何を言ったかよく覚えていないし、誰と話したのかも定かでは無い。

 し、しかし上官としてせめて部下の顔と名前くらいは憶えねば……!

 

「提督さんっ! 手が止まってるっぽい!」

「う、うむ。昨日はよく頑張ったな、偉かったな。お酒の注ぎ方も上手だったな」

「えへへぇ……ぽいっ! ぽいっ!」

 

 幾多の駆逐艦達に途中で割り込まれた事に憤慨した様子の夕立は、さっきから俺の傍にくっついて離れようとしない。

 もっと撫でるっぽい、褒めるっぽい、と、俺に指図してくる有り様であった。

 その通りに褒めてやると本当に嬉しそうに笑ってくれるので、俺もなかなかストップをかける事ができない。

 夕立のその様子を、すでに俺への挨拶を終えた時雨と江風は、一歩引いた位置から呆れたような目で眺めている。

 

「まったく、夕立の姉貴はお子様だねェ。なぁ、時雨の姉貴」

「あ、あぁ、うん……そ、そうだね」

「むっ! 時雨だって本当は提督さんに甘えたがってるの、夕立にはわかるっぽい! 意地張らずにこっち来ればいいっぽい!」

「ぼ、僕はいいよ……」

 

 江風はともかく、夕立と時雨は見ているとアレだな……中学生というより、昔おばあちゃんの家で飼っていた犬を思い出すな。

 夕立はゴールデンレトリバーのダッチに似ている。

 なんかこう、フリスビーを投げたら全速力で取りに行って、戻ってきたらハイテンションで褒めて褒めてと全力ではしゃぐタイプのアホ犬だった。

 時雨はシベリアンハスキーのグレイに似ている。

 頭が良くて、あまりはしゃいだり甘えたりはしない落ち着いたタイプなのだが、ダッチがいなくなるとそそくさと寄ってきてそっと甘えてくる、そんなクールな犬だった。

 もう十年以上前に二匹とも亡くなってしまったが、どちらも可愛い奴だった……。

 

 い、いや、昔に思いを馳せて和んでいる場合では無い。

 今は目の前の駆逐艦達の相手に全力を注がねば。

 

 思い出せ。時雨達の次に挨拶したのは、そう、睦月型の……くそっ、見た目はカラフルだが名前が似すぎてよく違いがわからん!

 そうだ、皐月、そして水無月……えぇい、確かあと二人……! そ、そうだ、文月!

 世に文月のあらんことを……い、いや俺は何を……駄目だ、あと一人がわからん。

 いや、この限られたヒントから答えを導くのだ。真実はいつもひとつ! ()っちゃんの名に賭けて!

 

 小学生にしか見えない睦月型駆逐艦。当然俺のストライクゾーンの範囲外である。

 興味が無かった為、事前情報は少ないが、かろうじて俺が持つ知識によれば、睦月型駆逐艦には他に睦月や如月、弥生や疼き、いや卯月とやらがいるはず。

 つまり、睦月型駆逐艦は暦の名前からその名が取られているという事は明白だ。

 一月から順に考えるのならば、睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走。

 そして俺の前に現れたのはその中の四人。確か黄色いのが皐月で、青いのが水無月、茶色いのが文月だ。

 

 そういえば俺が事前に読んでいた書物によれば、水無月は春日丸同様、数少ない男の艦娘だったな……ズボン履いてたし、雰囲気もボーイッシュだったから事実なのだろう。

 おまけに自分の事をボクと言って……いや、それは皐月だったか……駄目だ、記憶が混濁してきた。ひゃっはァーッ! 聴いて下さい! 『ぱん☆ぱか☆ぱーい♪』‼

 

 いや、正気に戻れ俺。世に文月のあらんことを……。

 俺の知っている睦月、如月、弥生、卯月の四人は、そのまま暦の順番だ。一月、二月、三月、四月。

 おそらくこれでひとまとめ、いわゆる駆逐隊なのであろう。何か法則性があるように思える。

 十二の暦で四人組を作れば、ちょうど三つの駆逐隊ができるではないか。

 睦月、如月、弥生、卯月。

 皐月、水無月、文月、葉月。

 長月、神無月、霜月、師走。

 そして俺の眼の前に現れた四人の内、三人は五月、六月、七月の名を冠している……。

 

 おそらくこの四人は暦の順番になっているはず。

 したがって緑色の奴の名前は八月――ゆえに葉月だ! 髪の毛の色も葉っぱみたいだったしな。そうとしか思えん。

 酒に酔った状態でこうも容易く真実を導くあたり、やはり俺は天才じゃったか! 証明終了。

 

 次にお酌をしてもらったのは、確かアヴァロンみたいな名前の……オヴォロン、いや、バビロン……ホビロンだっただろうか。

 いかん。記憶がおぼろげで全く思い出せん。度重なるお酌のせいで、俺の頭はボロボロだ!

 ともかくソイツと、口調が特徴的なメイド喫茶のメイドみたいなのと、潮だ。

 そう、俺の頭がボロボロなのはこの潮にも原因がある。

 震えながらお酌をしてくれた潮に普通に礼を言おうとしたら「ひゃあああああ!」と悲鳴を上げられ、「も、もう下がってもよろしいでしょうか……」と面と向かって言われた事により俺の心がブレイクした為、この三人は応対した時間が短いのである。

 どうやら潮は想定通り、俺への好感度が最低レベルであるようだ。凹む。

 

 足柄や潜水艦、金剛型など、俺に普通に接してくれる艦娘がいた事で油断した俺の脇腹に容赦なくボディブローを叩き込まれた気分であった。

 あまりのショックに頭が真っ白になり、せっかく頑張って記憶しようとしていた艦娘の名前など消えてしまったのである。

 い、いや、駆逐艦だし、最初からハーレム対象外だし、別にいいんだけど、嫌われるという事実はやはり凹んでしまう。

 残りの二人は好意的だったような気もするのだが……潮ショックでよく覚えていない。

 ポジティブに考えれば、これのおかげで俺は初心を思い出せたと言えなくも無い。

 俺への好感度は低くて当たり前なのだ。調子に乗ってはならん。気を引き締めねば。

 

「司令官! 僭越ながら朝潮型姉妹、挨拶に伺いました!」

「う、うむ。ありがとう」

 

 俺が気を引き締め直したところで、朝潮がそう声をかけてくる。

 夕立に少し離れるように言うと、しぶしぶ言う事を聞いて下がってくれた。

 

 俺の中では、駆逐艦は中学生タイプと小学生タイプに分類される。

 浦風や磯風、浜風に谷風、時雨に夕立、江風、そして先ほどの潮その他などは中学生タイプ。

 皐月に水無月、文月に葉月、暁、響、雷に電、そしてこの朝潮型は小学生タイプだ。

 夕雲や長波様と同じ制服を着ているのがいわゆる夕雲型なのだろうが、これはどちらも混在しているように見える。若干中学生寄りだろうか。

 浦風という例外を除き、どちらにせよストライクゾーンの範囲外なので俺にとってはどうでもいい話なのだが、それとは別の意味で、子供と言えど油断は出来ない。

 朝潮が引き連れてきた面子を見れば、不穏な気配を纏う者が数名いるように見えるのだ。

 

 警戒しながら、順番にお酌をしてもらう。

 俺からも、準備していたオレンジジュースを注いでやりながら、一言ずつねぎらってやった。

 オレンジジュースを注がれた朝潮は肩を震わせながら、「……司令官! 朝潮、この感謝の気持ちは……一生忘れる事はありませんっ!」などと言っていた。

 固いよ。小学生なのに固すぎるよ。今現在の俺のフルティンコじゃないんだから。もっと肩の力抜いて。

 

「えへへっ、司令官っ! 大潮も撫で撫でを所望しますっ!」

 

 う、うん。朝潮にも、帽子を置いて満面の笑みでそう言う大潮を見習ってほしい。大潮は年相応に元気いっぱいだ。実に良い事である。

 大潮の頭を撫でてやりながら昨日の頑張りを適当に褒めていると、隣にもう一人、帽子を脱いで俺をじっと見ている子がいる。

 こ、こんな子居ただろうか……座敷わらしじゃないよな……。

 名前も思い出せないが、とりあえず適当に褒めながら撫でてやった。

 

「……んちゃ」

 

 わからん……喜んでいるのかわからんが、まぁ、目を細めておとなしく撫でられてるし、敵意は感じないし……良しとしよう。

 続いてお酌をしに来た霞が凄い目で睨んできている……。

 この霞、遠征を出す時にも少し感じていた事だったのだが、改めて近くで見て感じる。

 俺の一番目の妹、千鶴(ちづる)ちゃんに似ている瑞鶴同様、コイツは俺の四番目の妹に似ているのだ。

 見た目もだが、その纏う雰囲気が瓜二つである。つまり瑞鶴と同じく、俺とは相性が悪い可能性が非常に高い。気をつけねば。

 

「……お、おちゅ、お疲れ、さま、です……!」

 

 ピクピクと目尻と口角が痙攣している笑顔といい、言い慣れていない様子の台詞といい、物凄く無理をしているのが伝わってくる……。

 後ろから朝潮が「いいわ、その調子よ霞!」などと声をかけている。もしかして朝潮は真面目なのだが頭が少々残念なのだろうか……。

 今にも我慢の限界が訪れそうな霞を見ていると申し訳なくて、俺はつい声をかけてしまったのだった。

 

「普段通りでいいと言ったろう。何か私に言いたい事があるのではないか」

 

 俺の言葉に、霞の堪忍袋の緒が切れる音がしたような気がした。

 霞は酒瓶を座敷に叩きつけるように置き、どこか活き活きとした表情で立ち上がり、俺を見下ろしながら叫んだのであった。

 

「えぇ、そうよ! よくも何の説明も無しに、あんな辛い航路に押し付けてくれたわね⁉ 私達がどれだけ不安だったかわかる⁉ 大淀さんがいなければどうなってたと思う⁉ 大淀さん達にも色々説明されたからもう我慢するけど、それでも言わせてもらうわ! 司令官は私達の事を書類か何かで知ってるのかも知らないけど、私達、まだ司令官の事、何も知らないじゃない! それで信頼しろって言われても、出来る訳ないじゃない! えぇ、わかってるわよ! 司令官にやれって言われた事に文句を言う私の方が、兵器としておかしいって事くらいね! でも、そう思うんだからしょうがないじゃない! 司令官に何か考えがあっても、考えてるだけじゃ伝わんないのよっ! 大淀さんは頭が良いから理解できるのかもしれないけれど、他の皆がそうとは限らないでしょっ! それとも、それも全部司令官の掌の上なのかしら⁉ あぁもう、私だってわかってるけど、理解してるつもりだけど、それでも文句言いたいのよっ! これが私なのよっ! 文句ある⁉ このクズッ!」

 

 早口に、一気にまくしたてた霞は、そこまで言ってようやく大きく息をついたのだった。

 しん、と歓迎会場に静寂が訪れた。

 艦娘達全員がこちらに注目しているのを肌で感じる。

 

 う、うむ……正直何を言いたかったのかはよくわからんが、情報を整理すると、俺が適当に遠征先を決めたのがいけなかったのだろうか。

 航路も辛かったと言っていたように思うし……妖精さんの言う通りにしていたが、もしかして結構キツい遠征だったのか。

 同じ遠征に向かったはずの川内達や朝潮達は何も言わなかったが……上官の命令だから気を遣ってくれたのかもしれん。

 最後にクズと言われて普段の家での扱いを懐かしく感じる辺りが悲しい。妹にもクズって呼ばれてまぁ~っす!

 

 それはそれとして、他人に言われるとやはり凹むが……うぅむ、この気性の激しさ、やはり俺の四番目の妹、澄香(すみか)ちゃんにそっくりだ。

 俺の育て方が間違っていたのか、澄香ちゃんも口が悪く、こうズバズバと物を言うのだ。

 ただし悪口や陰口を言うのではなく、悪い事は悪い、間違っている事は間違っていると、はっきりと言える性格に育ってくれたのだと思う。

 

 今は大丈夫なようだが、そのせいで学校のクラスメイトから避けられがちになった時期もあった。

 クラスメイトへの虐めを注意した事で、今度は自分が虐めの標的になったのだ。

 私は間違ってないのに、正しい事を言ってるのに、何で私が悪いのかと悩んでいた時期があった。

 俺が学校に相談に行くと、担任の先生が遠回しに虐められる方にも理由がある、などと言うものだから、思わず掴みかかってしまって危うく大問題になりそうだった事もある。

 この冷え切った歓迎会場の雰囲気はその時を思い出す。

 

 おそらく霞は正しい事を言ったのだ。俺がクズなのは俺自身が一番よくわかっている。だがそれは、上官である俺にとって本来耳の痛い指摘だ。

 俺が適当に遠征先を決めた事で霞達は相当苦労をしたようだし……。

 部下の集まる歓迎会場でTPOを弁えずにそれを大声でまくしたてたという事は霞に非がある事かもしれないが、口にした事は間違ってはいない。

 空気の読める艦娘がここで霞を咎めれば、おそらく正しい事を口にした霞にとっては納得がいかないはずだ。

 あの時期の澄香ちゃんのように塞ぎこんでしまう可能性もある。

 

 やはり瑞鶴と同じく、妹に似ている霞もまた俺の本性を嗅ぎ取っているような気がする。

 俺との相性は最悪だと言ってもいいかもしれん。ここで他の艦娘に抑え込んでもらうのも一つの手だろう。

 今回の霞の言動は、正しいが歓迎会の空気をぶち壊す、決して褒められたものではないが……かと言って俺がクズなせいで、正しい事を言った霞がかつての妹のように塞ぎこんでしまうのは心苦しい。

 な、何とかフォローしなければ!

 

 俺は改めて霞の顔を見上げ、大きく頷いて言ったのだった。

 

「いや、返す言葉も無い。霞の言う通りだ。私も気をつける事にしよう。私に至らぬ点があれば、今後も遠慮なく、我慢する事なく、気を遣わずに意見をぶつけてくれ」

「えっ……ふ、ふんっ! 当たり前でしょ⁉ 言われるまでもないわ! 司令官も私に言われる前に、せいぜい精進する事ね‼」

「うむ。善処しよう。それと……昨日は辛かっただろうが、本当によく頑張ってくれた。ありがとう」

 

 俺はそう言って、霞にオレンジジュースを注いでやった。

 まだ何か言い足り無さそうだったが、霞はそれを飲み込んだように目を瞑り、顔を背けて言ったのだった。

 

「ふん、当然の事をしたまでよ……ったく、何なのよもう……死ねばいいのに」

 

 お前、口悪すぎるよ……上官に対する言葉遣いじゃねぇよ……。

 俺は普段から言われ慣れてるからいいようなものの、他の人に言っちゃ駄目だからなマジで。慣れてる俺も普通に傷ついてるからな。

 まぁ、俺が言わずとも朝潮に何やら口うるさく叱られているようだし、それで許してやろう。

 これが大人の余裕である。またの名をやせ我慢と言います。凹む。

 

 俺が辺りを見回すと、俺達の様子に注目していた艦娘達も胸を撫で下ろしたように笑みを浮かべ、談笑を再開したのだった。

 よ、よし、丸く収められただろうか。

 朝雲と山雲と名乗った二人とも無難に挨拶を交わし、何とかうまくこの場を乗り切る事が出来そうだ。

 肝が冷えたせいか、少し酔いも醒めたような気がする。いいぞ、この調子だ。ひゃっはァーッ! イけるイけるゥ!

 なお股間は一向に収まらない。霞もまさか現在絶賛対空強化中のノーパン野郎にキメ顔で対応されていたと知ったらブチ切れていた事であろう。

 

「ほらっ、満潮も司令官にお酌して!」

「……」

 

 大潮に無理やり背中を押されている満潮と呼ばれた艦娘の姿を見て、俺は再び肝を冷やす事となった。

 コ、コイツ……俺の三番目の妹の美智子(みちこ)ちゃんに似てやがる……!

 見た目だけではなく、このどこか捻くれた、いじけたような雰囲気……瓜二つではないか。

 つまり瑞鶴が俺への疑いの目を止めず、霞が俺と出会って一日でクズだと看破したように、コイツも俺と相性が悪い可能性が高い。

 まさか二番目の妹、明乃(あけの)ちゃん似の奴まで……い、いや、一通り見まわしたがどうやらいないようだ。流石に全員集合とはいかないか。

 

 しかし、この満潮とやら、枯れた声や目元を見るに号泣した後ではないか。明らかにご機嫌斜め三十度だな……。

 上官である俺を前にしてこの態度、満潮の号泣の理由に俺が絡んでいる事は明白である。

 全く身に覚えが無いが、これは少し厄介な気がする。

 

 俺の三番目の妹、美智子ちゃんは結構寂しがり屋なのだが、友人関係だったりもしくは自分自身の事だったり、ちょっとした事で悩んだりして塞ぎこんでしまう。

 一人で悩む癖があり、寂しがり屋のくせに決して自分の悩みを他人に相談したりはしない。一人で悩んで、その間は塞ぎこむ。

 そんな時には、どんな声をかけても反発されてしまうのだ。

 美智子ちゃんに味方をしても駄目、かと言って反対意見を言っても駄目、正論も駄目、感情論も駄目、優しくしても駄目、何をしても反発する。

 結局、自分の中で問題が解決するまで、声をかけずにそっとしておくのが一番なのだ。

 

 この満潮もそんな雰囲気を醸し出している。

 霞と違って、余計な事は言わない方が良さそうだ。

 たとえ満潮の求めていた言葉を俺が言ったとしても、おそらく満潮はキレる。いちいち言わなくてもそんな事わかっている、と言ってキレる。

 少なくとも美智子ちゃんであればキレるはずだ。雰囲気の似ている満潮もその可能性が高い気がする。

 口は災いの元である。黙っておくに越した事は無いし、無理にお酌をさせる事も無い。

 俺は大潮と朝潮を手招きして、小声で耳打ちしたのだった。

 

「私は構わないから、満潮を連れて下がってもいいぞ」

「で、ですが、ご挨拶も無しに……」

「いいんだ。私からかけられる言葉も無い。今はそっとしておいてやってくれ」

 

 俺がそう言うと、朝潮は申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「……了解しました。司令官のお心遣いに感謝します。その……昨日の遠征に自分だけ編成されなかった事を気にしてしまって」

 

 そ、そうだったのか……何も考えず練度の高い順に編成したが、艦娘同士の相性もあるのだろうか。

 自分だけ、という事は、朝潮、大潮、荒潮、霞の中には本来満潮がいたという事だろう。いわゆる駆逐隊というやつか。

 うぅむ、そういえば俺は艦娘の事はほとんどオータムクラウド先生の作品内の情報でしか知らない。

 那智の弱点が首筋だとか、足柄の弱点が耳だとか、そんな情報よりも提督として知らなければならない、もっと重要な事があるのでは……。

 いかんな、やはり満潮が塞ぎこんでしまったのは俺のせいか……。

 しかし下手に謝ったり励ましたりすると満潮がキレそうだし……練度が高ければ満潮が選ばれていたわけだし……やはりそっとしておこう。うん。

 

「霞といい、私の妹が重ね重ね本当に申し訳ありません……」

「いや、元はと言えば私のせいだからな……満潮には悪い事をした。だがこの問題を解決できるのは満潮自身だけなのだ。そして満潮ならばこれを糧にもっと強くなれると……私はそう信じているよ」

「……はいっ! 司令官の仰る通りです!」

 

 朝潮と大潮は俺に敬礼すると、他の姉妹達を連れて去っていった。

 うむ。難を逃れただけではなく、これで呑む量も一杯分減らす事が出来た。

 一石二鳥の策略に、我ながら惚れ惚れしてしまうな。

 

 俺が去っていく朝潮達の後ろ姿を眺めていると、近くから視線を感じる。

 見れば、荒潮がまだ残っているではないか。そう言えばまだ挨拶をしていなかった。

 

「うふふふふっ、あはははぁっ! やっとぉ、気付いてぇ、く・れ・た? ずっとずっとぉ、見つめて、いたのよぉ? あはははぁっ!」

 

 な、何だコイツ、危ねぇ……。眼が完全にイッてしまっているではないか。

 荒潮はじっと俺の眼を見て、その視線を逸らさない。

 妹達からなるべく相手の目を見ろと言われてはいたが、俺は荒潮の眼力の迫力に我慢ならずに、思わず目を逸らしてしまったのだった。

 

「あらぁ~? 何で目を逸らしてしまうのぉ? ねぇ、何でぇ? 何でぇ? うふふふっ、荒潮、傷ついちゃうわぁ」

 

 うわっ、寄ってきやがった……。

 蛇のように距離を詰めてきた荒潮は俺の身体に手をかけて、至近距離から俺の眼を射抜く。

 く、くそっ、小学生にガンをつけられて負けるなど……!

 俺は再び荒潮の目を見る。荒潮も決して逸らさない。我慢比べであったが、俺は僅か数秒で再度目を逸らしてしまったのであった。凹む。

 畜生、コイツ見た目小学生のくせに眼力強すぎる……!

 

「し、司令官っ! すみません! 荒潮は、その……この上なく純粋な子なんです! それが、少々目力に現れるというか……」

 

 俺達の様子に気が付いたのか、朝潮が慌てた様子で戻ってきた。うん。タスケテ。

 朝潮が俺から荒潮を引きはがそうと声をかけるも、荒潮は俺を見つめたまま、狂気の笑みと共に言うのだった。

 

「ねぇ、何でぇ、何で皆、荒潮から目を逸らすのぉ? うふふふっ、提督もぉ、荒潮の事を見てくれないのかしらぁ」

「あ、荒潮……司令官、すみません! お気になさらず!」

 

 い、いかん……荒潮コイツ、俺の事を嘲笑ってやがる……こんなに堂々と目の前で煽る奴がいるとは……!

 このままでは俺が小学生の眼力に負けて視線を逸らすチキン野郎だという噂が艦娘達の間で広がりかねん。

 しかし眼力勝負で勝ち目があるとは思えない……やむを得ん。

 人生負けてばかりのこの俺がただで負けると思うなよ。

 

「朝潮、荒潮はこの上なく純粋だと言ったな」

「は、はい……」

「そうか……道理で瞳が綺麗なわけだ」

 

 狂気の笑みを浮かべていた荒潮が、一瞬、きょとん、としたように見えた。

 朝潮も意味がわからない、というような表情をしている。

 俺は荒潮の頭にぽんと手を置きながらその目を再び見据え、逸らしてしまいたい衝動を我慢しながら、こう言葉を続けたのだった。

 

「済まない。私には荒潮の瞳が眩しすぎて、どうしても目を逸らしてしまうのだ。そのまま見つめていると、吸い込まれてしまいそうでな」

 

 それらしい適当な言葉で、荒潮を褒め称える。

 そう、俺が負けたのは俺が弱いせいではない。荒潮が強すぎるせいなのだ。

 お前が弱かったわけじゃない、俺が強すぎただけだ、という漫画によくありそうな台詞の逆バージョンである。

 俺はこの考え方により自身のメンタルを保ち、多くの負け戦を生き延びてきた実績があるのだ。このテクニックを負け惜しみと言います。

 PDCAサイクルとは程遠いこの考え方ゆえに、俺は全く成長しないのであった。凹む。

 ともかく、これにより俺が負けたのはチキン野郎だからではなく、荒潮が凄すぎるせいだという事に出来るはずだ。

 

「……ふふっ、うふふふふっ、あははっ、あはははっ! あははははぁっ!」

 

 うおっ、怖っ!

 荒潮の瞳孔が更に開き、いきなりテンションを上げて笑い出した為、俺も思わず目を逸らしてしまった。

 しかし俺が目を逸らす前に、荒潮は自ら朝潮に顔を向けていたのであった。

 

「ねぇ、朝潮姉さん、聞いたぁ? 面白いこと、言ってくれるのねぇ。うふふふふっ、私、相当しつこいけど、耐えられるのかしらぁ……荒潮からは逃げられないって言ってるのに……あははははぁっ!」

「あ、荒潮、落ち着いて」

 

 朝潮の制止にも耳を貸さないように、荒潮は「勝利の女神はここよ~、早く捕まえてぇ~」などと言いながら、踊るように店から出て行ってしまった。

 名前の通り、嵐のような奴だったな……ま、まぁ、今日のところはこの辺で勘弁しといてやるか。うん。

 そう言えばお酌もしなかったし、よくわからん奴だが……呑む量が減ったわけだからまぁいい。ちょっと怖いが、少なくとも瑞鶴や霞、満潮の怖さよりは遥かにマシだ。

 俺が呆気に取られて店の出入り口を眺めていると、何故か朝潮が再び俺に敬礼をしたのだった。

 

「……司令官っ! この朝潮、感服しました!」

「う、うむ。朝潮も真面目なのはいいが、もう少し肩の力を抜いてもいいぞ」

「はいっ! 駆逐艦としては、かなりいい仕上がりです! 御心配には及びません!」

「いや、そうじゃなくてな……ま、まぁともかく、朝潮型の長女として、妹達を上手くまとめてくれ。期待しているぞ」

「了解しました! 司令官との大切な約束……朝潮、いつまでもいつまでも守る覚悟です!」

「だ、だから肩の力をな……」

 

 大丈夫か朝潮型……ま、まぁいいか。まだ子供だしな。

 とにかくこれでようやく朝潮型の相手は完了した。名前を憶えられていないのもいるが、それはもう後で考えよう。

 朝潮も元の席に戻ったところで、ようやく一息ついて――。

 

「じゃーん! 司令官! 雷たち皆で、司令官にプレゼントを作ったのよ! 見て見て!」

「はわわ……響ちゃん、上手なのです」

「スパスィーバ。電のも可愛い……暁のそれは……何だい? 怪獣?」

「勲章よ! ぷんすか!」

 

 また小学生組がやって来やがった……!

 暁に響に雷に電という、暁はともかく名前からして賑やかな面子である。

 雷が自慢げに見せつけてきたものを見れば、どうやら折り紙で作られた勲章のようだった。

 暁のそれは……何だい? 怪獣?

 

「ふっふーん、大きな戦果を挙げた司令官に、私達が一生懸命作ったのよ! 今回は一つだけよ。どれがいい?」

 

 う、うむ……大きな戦果を挙げた覚えは無いのだが、年相応で可愛いじゃないか。

 しかしどれか一つとなると悩むな……ぶっちゃけどれでもいいだけに、迷う。

 暁のものだけは少し不格好だが、それ以外はまぁ、色使いや形に性格が出ているような気がしないでもないが似たようなものだ。

 一つ選ぶとなると、必然的に選ばれない者が出てくるわけで、そうなると残りの三人に悪いからな……。

 満面の笑みを浮かべている雷、クールで表情が読めないが結果に興味はありそうな響、遠慮がちに俺を見上げてくる電、自信がないのか、そわそわしている暁。

 誰を選んでも角が立つ……。

 

「全部は貰えないのか?」

「司令官ったら欲張りねぇ。そんなんじゃ駄目よぉ。今回は一つだけ! さ、早く決めて頂戴! あっ、でも司令官が悩んでる間に、暁は作り直してもいいのよ?」

「ば、馬鹿にしないでよね! 少し形は崩れちゃったけど、間宮さんと一緒に、一生懸命作ったんだから!」

「暁のを頂こうか」

 

 即決であった。

 間宮さんと一緒に作ったという事は、それはもはや間宮さんからのプレゼントと同じではないか。家宝にしよう。

 暁のものが選ばれると思っていなかったのか、四人とも目を丸くして俺を見上げた。

 

「えっ……ホ、ホントに暁のでいいの? 自分で言うのもだけど、あの、その……」

「フフフ、まぁレディファーストというからな」

「れでぃ! ま、まぁそうよね! 一人前のレディだもの!」

「フッ、そういう事だ。胸につけてくれるか」

「と、当然よ!」

 

 得意げな様子の暁に、安全ピンで折り紙製の勲章を胸に飾ってもらった。

 ハハハ、不器用な奴め。針が何度も俺に刺さっておるぞ。地味に痛いです。

 胸に飾られた勲章からは、心なしか間宮さんのぬくもりを感じるような気がする。ひゃっはァーッ! イけるイけるゥ!

 

「レディファーストとはそういう意味では無いが……司令官は優しいな。ハラショー」

「はわわ……暁ちゃん、凄く嬉しそうなのです! 電も嬉しいのです!」

「さっすが司令官! でも、次はこの雷の勲章を選んでもらうんだから! 皆、間宮さんに教えてもらいながら作ったのよ!」

 

 すっかりご満悦な俺と暁に、残りの三人がそう言った。

 仲良いなコイツら……これが原因で喧嘩とかになったらどうしようと思っていたが、一安心だ。

 しかし暁の勲章だけではなく、全てに間宮さんが関わっているとは……もはや国宝級ではないか。これは何としても回収せねばならんな。

 

「フフフ、皆の作ってくれた残りの勲章を貰う為にも、私もこれから一生懸命頑張らねばならんな」

 

 調子に乗った俺がそう言うと、雷たちはわぁっ、と嬉しそうな笑みを浮かべたのだった。

 そうそう、小学生はこうでなければ。何だったんださっきの朝潮型は。

 あれっ、響が何やら小さな酒瓶を取り出して……。

 

「さて、やりますか。司令官、お酌をさせてくれ。ウォッカを用意したんだ」

 

 さ、さらに酒の種類を増やそうというのかコイツは……!

 しかも度数がかなり高そうだ。

 いかん、これ以上俺の身体に入る酒の種類が増えると、ただでさえさっきからちょこちょことシココ・フルティンコの先っちょが顔を出しているというのに、それを抑えられるかどう……か……。

 

 あ、あれ……待って、い、痛い! 腹が痛い! 急に腹痛が……!

 ま、マズい……! 流石に一気に水分を取りすぎたか……!

 まさか俺の理性が限界を迎えるよりも先に、腹が限界を迎えるとは……!

 神は俺にどれだけ苦難を与えれば気が済むのだ……! これは一体何の罰だ……⁉

 お……俺また何かやっちゃいました……?

 か、神に祈りを捧げねば……世に文月のあらんことを……。

 

 股間の防空巡洋艦マラ様から久しぶりに緊急入電! このままじゃ漏れちまうぞ、クソが!

 くっ、大淀にビーチク任務を任せられた時は幸運の女神がついていてくれると思っていたのだが、今ではコーウンの女神のキスを感じちゃいます! 呼んでない! カエレ!

 このままでは二つの意味で名実ともにクソ提督となってしまう可能性大!

 最悪の場合、明日からはこう名乗らなくてはならなくなるかもしれない。

 ボンジュール、私の名前はコマンダン・テストならぬ、ウンコマン・ナンデスと。洒落にならん。

 

 いかん。冷や汗と脂汗が一気に噴き出てきた。この感覚は学生時代、授業中や試験中に限って腹が痛くなった時と同じだ。

 余談ではあるが俺はこの現象を疾風怒濤の便意(シュトゥルム・ウンコ・ドランク)と呼んでいる。

 何で休み時間になると痛みの波が引くんだろうな……いや、懐かしさを感じている場合ではない。

 現在ハザードレベル2.3……いや、2.4……! 落ち着いて深呼吸をすればまだ我慢できる……そんな気がする……!

 

 ア、アカン……今だけはこの国の平和とか艦娘ハーレムとかどうでもいい……!

 ただ一刻も早く、トイレに行きたい……‼

 

 目の前の座敷の狭い通路には、足の踏み場もないくらいに駆逐艦達が順番待ちをしている。

 服装的に夕雲型だが……一、二……九、十、じゅ、十一人いる⁉ ば、馬鹿な……朝潮型よりも多いな……。

 これでは合間を縫って出口まで歩いていくのも難しい。下手すればトイレに辿り着くまでに漏れてしまう可能性が……迷っている暇は無い!

 モーレイ海ならぬ、あと少しでモーレル海、強行突破作戦発動!

 まずは響達に事情を説明して、これ以上のお酌を遠慮させてもらって……。

 

「……司令官、どうした?」

「響の次はこの雷の出番よ! 見てなさい! 練習の成果を見せちゃうんだからね!」

「はわわ……あ、あの……司令官さん……電も精一杯頑張るのです」

「一人前のレディとして、お酌だってちゃんと出来るんだから! そわそわ、そわそわ……」

 

 い、言いにくい……いや、ちょっとトイレに行きたいというだけではないか。

 いくらヘタレの俺でもそれくらいは……し、しかしコイツらのキラキラ輝く目を見ていると、どうにも……!

 そ、それに那智がめっちゃ俺を見ている……!

 忘れかけていた。酒を遠慮したらその時点で俺の負けに……つ、つまり呑むのは必要だが、とりあえずトイレ休憩を挟んで……!

 よ、よし。とりあえずトイレに行かせてもらって、その後で改めてお酌して貰えば――。

 

「さぁ、提督お待たせ! 足柄特製、勝利のカツカレーよ! カツは揚げたてが一番美味しいの! 召し上がって!」

 

 あ、足柄お前……! タイミングを見てお持ちしますとは言っていたが、何てタイミングで持ってきてくれてんだ……!

 まさに第六駆逐隊、カレー大作戦、なのです! 言ってる場合か。

 こんな状態でカツカレーなど食ってみろ。俺のポンポン砲はその刺激で爆発四散し、ケツからカレーのような特別な瑞ウンが発艦される。

 神は俺を見捨てたもうたか……!

 

 手料理を作ってくれた足柄からすれば、一番美味しい時に食べて欲しいはずだ。

 俺にも身に覚えがある。一生懸命作った晩御飯を、妹達が少し遅れて部屋から出てきて食べた時のあの申し訳ないような、哀しいような、あの感じ。

 温め直せばいいというものでは無い。俺には妹達に、一番美味しい時に食べて欲しいという気持ちがあったのだ。

 

 見ただけでわかる。足柄がこのカツカレーに込めてくれた想いが、手心が。

 足柄は一番美味しく食べられる状態で、俺の前に持ってきてくれたはずなのだ。

 

 このタイミングで俺がトイレに立つと、足柄的には少し冷めてしまった、つまり味の落ちたカツカレーを提供してしまう事になる。

 一番美味しいタイミングで食べて欲しいという足柄の気持ちを、今度は俺が無碍にしてしまう事になるのだ。

 

 足柄はいい奴だから、俺が食べる前にトイレに行きたいと言えば、笑顔でそれを了承してくれるだろう。

 だが、内心残念に思う事は想像に難くない。

 俺が席を立ち、目の前で冷めていくカツカレーを見て、友好的な足柄の俺への好感度も冷めていきかねん。

 こ、これだけは何としても今食わねば……あんなにも待ち望んでいた手料理にここまで苦しめられるとは……!

 

 しかも俺は現在ノーパンだ。

 パンツという装甲が無い今、股間の高角砲の対空射撃も、後ろの噴式戦闘爆撃機によるジェット噴射も、直にズボンにダメージが届いてしまう。

 前も後ろも大惨事だ。いや、パンツがあろうとなかろうと大惨事は免れないのだが……。

 駆逐艦の相手をしている間も俺の股間はビンビンのまま萎えてくれなかったし、足柄のカレーは俺の腹に直撃する。

 まさに前門のマラ、肛門に効く飢えた狼ってやかましいわ!

 まさか翔鶴姉のパンツよりも俺のパンツが欲しいと心から願う日が来るなどとは想像もしていなかった。

 

 こんな時には大淀さん! 助けて下さい! って、いねェ!

 何で俺が助けてほしい時に限っていつもいないんだアイツは⁉

 さてはお手洗いか⁉ 俺も連れてって下さい‼ 

 だ、駄目だ……他に助けは来ないと考えた方がいいだろう。

 

 足柄も駆逐艦に負けないくらいに目を輝かせて、早く食べて感想を聞かせてほしい、と言わんばかりにニコニコと笑ってくれている。

 コイツは本当に、物凄く良い奴だ。足柄は何も悪く無い。悪いのはタイミングと俺の普段の行いだけだ。

 

 足柄のカツカレーはありがたく、今すぐに美味しく頂くしかない。

 こうやって迷っている間にも、カツカレーはどんどん冷めていってしまう。

 出来立てのカレーよりもトイレを優先したら、せっかく俺に友好的な足柄を失ってしまう……それだけは嫌だ……!

 だがこのカツカレーを食べたら最後、俺は駆逐艦に囲まれた檻の中で、股間を龍騎いや隆起させたまま漏らした男として社会的な死を迎える可能性が……い、嫌だ! 嫌だァッ‼

 間宮さんっ! 金剛っ! 香取姉っ! 千歳お姉っ! 翔鶴姉っ! 妙高さんっ! 筑摩ーッ、ちくまァーーッ‼

 出してくれっ! 出してくれよォッ‼

 俺は帰らなくちゃいけないんだ! 俺の世界(トイレ)に!

 嫌だ……嫌だァッ‼ ここから出してくれッ! 出してェッ‼

 

 ……何でこうなるんだよ……俺は……。

 

 俺は――。

 

 

 ――ハーレムを作りたかっただけなのに……。

 




お食事中に読んで頂いた方がおりましたら申し訳ありません。
提督視点が想定以上に長くなってしまったので分割します。
次回も提督視点になります。これで提督視点の歓迎会編は最後のはずです……多分。

どうでもいい裏設定
※提督兄妹の現在の年齢
 提督(26) 二日前まで無職 → 提督
 千鶴ちゃん(20) 公務員
 明乃ちゃん(17) 高校生
 美智子ちゃん(16) 高校生
 澄香ちゃん(15) 中学生


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030.『歓迎会』【提督視点⑤】

「……提督、大丈夫? 確かにかなり辛めに作ったけれど、食べる前から汗が凄いわよ?」

「ダ、大丈夫ダ、問題ナイ……」

 

 少しだけ、ほんの少しだけ腹の痛みが引いた……。

 だが気を引き締めろ。肛門の括約筋も引き締めろ。

 俺の十八番である痩せ我慢により表情だけは今まで通り無表情を保てるが、汗だけはどうしようもない。

 止まらない冷や汗と脂汗を不審に思われない内に何とかせねば……。

 考えろ……何か画期的な策を考えるのだ……俺は天才……俺は智将だ……! 

 駄目だ……何も思い浮かばねェ……!

 脳細胞がニュートラルだぜ……‼ もう考えるのは止めた……!

 

 おそらくこれは天罰だ……こんな俺ごときがハーレムを願うという罪が、神の怒りに触れたのだ……!

 いくら神に祈っても状況は変わらないだろう……‼

 

 おごォォオッ⁉ また腹痛がぶり返してきやがった……‼

 現在ハザードレベル2.6……いや、2.7……!

 

 こ、この状況……戦わなければ生き残れない……‼

 だが俺は運命と戦う……! そして勝ってみせる……‼

 たとえ腹痛が限界であろうと……カレーを完食できるはずだ……。

 俺に……提督の資格があるなら……!

 

 俺はもう迷わない……! 迷ってる内にまた腹が痛くなる……‼

 ハーレムを願う事が罪なら、俺が背負ってやる……‼

 命……燃やすぜ……! 俺の生き様……見せてやる……!

 絶望が俺のゴールだ……! さぁ……振り切るぜ……‼

 

 ――俺が覚悟を決めてスプーンを握った瞬間の事であった。

 

「オラオラァ! 天龍様のお通りだ! 駆逐共、道を開けな!」

 

 まるでモーゼが海を割るかのごとく、駆逐艦の群れをものともせずに、天龍が俺へと歩み寄ってきたのであった。

 あっという間に俺の前まで辿り着いた天龍は、腕組みをしながら俺を見下ろす。

 相変わらず柔らかそうな乳である。天乳。いや何を考えてんだ俺は……!

 

「あぁっ! いくら天龍さんでも、割り込むのはズルいわ!」

「一人前のレディとして有り得ないわよ!」

「流石にこれは……少しズルいな」

「天龍さん、鬼なのです!」

 

 駆逐艦たちのブーイングを浴びながら、天龍はいつものように自信満々に笑みを浮かべる。

 

「はぁぁん? このオレがお行儀よく順番待ちをするとでも思ってんのかぁ? へっへ、提督。ちょっとツラ貸して貰うぜ」

「う……うむ……」

「ちょ、ちょっと天龍! 提督は今私のカレーを……」

 

 天龍は俺の胸ぐらを掴み、有無を言わさずに店の外まで引っ張っていったのであった。

 俺は肛門に力を入れながら前かがみでチョコチョコと小走りについていく羽目になった。

 足柄も訳も分からない様子で、俺と共に外に出て行く。

 店から離れ、後ろをちらりと確認すると――天龍は俺の背中を軽くさすって、こう言ったのだった。

 

「ったく……大丈夫か? 気分悪くないか? それとも腹でも痛むのか? 何だか顔色が悪いように見えたからよぉ」

「えっ……そ、そうなの提督?」

 

 ――何……だと……⁉

 コイツ、遠くから俺の顔色を見て、体調を崩した事に気が付いて――⁉

 そ、そして俺が駆逐艦に囲まれて動けないのを察して、あえてあんな強引な真似を――⁉

 

 俺が改めて天龍の顔を見ると、天龍はニッと歯を見せて笑ったのであった。

 

 て、天龍ちゃん、お前……! 天使ちゃんじゃねーか!

 世界水準を軽く超えたいい奴すぎる……!

 お前が俺の最後の希望だ……!

 龍田の頭の艤装らしきアレ、お前の角と逆じゃないのか……!

 どう考えても悪魔の龍田に角、天使の天龍に輪っかの方が相応しいように見えるのだが……。

 いや、今はそんな事を考えている状況では無い……!

 また痛みの波が近づいてきた……!

 

 俺は今朝の自分を恥じた。

 天龍はこんなにいい奴なのに、俺はと言うと意図的に胸を押し付けられてチン代化改修に励んでいた。

 天使の描かれた宗教画をオカズにするかのごとき愚行ではないか。

 つーかその後実際にオカズにした。

 罪悪感が……半端ない……‼

 

 済まない……今朝は本当に済まない……!

 何が天乳だ。馬鹿か俺は。

 神に誓います……! もう二度と天使ちゃん、いや天龍ちゃんでいかがわしい事を考えません……!

 もう二度とオカズにはしません……! 今朝はお世話になりました……! 今朝ので最後にします……‼

 

 俺は猛省と共に冷や汗を流しながら、小さく口を開いた。

 

「う、うむ……恥ずかしながら、実はつい先ほどから腹の調子がな……よ、よく気付いたな」

「へへっ、たりめーだろぉ? オレが一番強いんだからよぉ」

 

 強いかどうかはわからないが、今の俺にとっては一番天使に近い存在だ。ラブリーマイエンジェル翔鶴姉に匹敵する。大淀がいなければ完全にMVPをかっさらっていた事だろう。

 い、いかん……足柄が凄く申し訳なさそうな表情を……。

 俺は腹痛を堪えながら、足柄に謝罪した。

 

「す、済まない足柄……私の考えが足りなかったんだ……少し一気に酒を呑み過ぎてしまった……」

「……そんな状態なのに、なんで言ってくれなかったの? もしかして私に気を遣って……」

「い、いや、その……足柄に悪いと思って……本当に、済まない……そ、その、良かったら、後でちゃんと食べたいのだが」

 

 俺がそう言うと、足柄は少し怒ったような表情でハンカチを取り出し、俺の汗を拭ってくれたのだった。

 

「もう……無理はしないで。那智姉さんと呑み比べをしている事くらい知ってるわよ。あのカレーは空母の誰かにでも食べてもらうわ」

「す、すまん……本当に……だが、本当に楽しみにしていたんだ……それは、それは本当なんだ……」

 

 駄目だ……俺が何も考えずに呑み比べとカツカレーのダブルブッキングをしたせいで、せっかくの足柄の好意を無碍にしてしまった……。

 俺はもはや自己管理も出来ずに約束を破ったクソ提督と捉えられてしまっただろう。足柄が怒るのは当たり前だ。凹む。

 

 俺が肩を落としながらそう言うと、足柄は小さく笑いながら口を開いた。

 

「ふふ、わかってるわ。そんなに悲しそうな顔をしないで。私も残念じゃないと言えば嘘になるけど……実を言うともう少し、煮込む時間が欲しかったの。だから、今度はより完璧な、名付けて完全勝利のカツカレーを作ってみせるわ! その時は、召し上がって下さるかしら?」

 

 足柄はそう言って、にっこりと微笑んでくれたのだった。

 お、俺はもう泣きそうだ……。

 天龍といい足柄といい、何でこんなにいい奴ばかりなのだ。

 

 こんなにも恵まれているのに、俺はその好意を無碍にしてばかりで……自分が嫌になってきた。

 天龍に対してはセクハラの挙句にオカズにしてしまい、足柄に対しては俺の為に作ってくれたカツカレーを食わないという仕打ち。

 最低だ……俺って……。

 あまりにも凹みすぎて、あんなにも元の姿に戻らなかった俺の股間も物理的にしおれてしまう。大潮です。

 精神的なストレスにより引き起こされるこの症状を勃起不全と言います。

 

 俺の股間の同志ちっこいのは、サイズは小さいがその硬さと回復力には自信がある。

 だが、おそらく今夜は罪悪感により二度と立ち上がる事が出来ずに、このまま大人しくしてくれる事だろう。

 名前はヴェールヌイだ。信頼できるという意味の名なんだ。

 

 股間が元のサイズに戻った事で、俺は前かがみの状態から背筋を伸ばし、胸を叩いて足柄にこう言った。

 

「も、勿論だとも! 今度はちゃんと万全を期して頂く事にするよ」

「ふふっ、それは楽しみね。でも無理だけはしないで下さいよ? 何なら那智姉さんにも私の方から……」

「い、いや! それは結構だ。腹の調子は悪くなったが、それほど酔っているわけではないからな。ここで負けを認めるわけにはいかん」

 

 ここで足柄がタオルを投げてしまっては、俺の敗北が決定してしまうではないか。

 あれだけの酒を呑んだのだ。那智もつい先ほど見てみればひどく苦々しい顔で、明らかに飲むペースが落ちていた。

 おそらく奴も限界が近いのだ。

 俺も闇の人格がはみ出つつあるが、腹の痛みのおかげか罪悪感によるメンタルへのダメージのおかげか、妙に頭が冴えてきた。

 おそらくここが正念場。俺の運命を決める分水嶺。

 那智との勝負をここで諦めるわけにはいかん……‼

 

 おごォォオッ⁉ い、いかん、凹んでいる内にまた腹の痛みが……‼

 ハザードレベル2.8……2.9……ア、アカン……!

 

「男のプライドというものかしら……ふふっ、でも勝ちにこだわるその姿勢、嫌いじゃないわよ。わかったわ。私は戻って駆逐艦の皆に上手く説明しておくから……じゃあ天龍、後は任せてもいいかしら」

「おう! このオレに任せときな!」

 

 勢いを増した便意を堪えつつ、店内へと戻っていく足柄を見送っていると、不意に足がふらついた。

 危機を脱した解放感からか、気が抜けてしまったようだ。

 今まではいくら酒を呑んでも足元がおぼつかなくなった事などなかったというのに、やはり相当酔ってしまっているようだ。

 の、呑み比べを続行したのは間違いだったか……⁉ い、いや、しかし負けてしまったら那智に見切りをつけられ、俺が鎮守府を去らねばならん可能性も……!

 そんな俺を見て、天龍は仕方なさそうな顔で俺へと近づいてきたのだった。

 

「あーあー、無理すんなって。ほらっ、肩貸してやっからよ」

 

 俺が答える前に、天龍は俺の右腕を自身の首に回し、その左腕を俺の腰に添えるようにして、俺の身体を支えたのだった。

 瞬間、当然その身体は密着し――俺の右手に天龍の右側の魚雷が、俺の脇腹の辺りに天龍の左側の魚雷が命中した。

 これこれ! こういうの欲しかったんだよ! 早くぶっ放してぇなぁ。

 こ、コイツ胸が当たってるの気付いていないのか……⁉ い、いや、気にしていない……⁉

 よっしゃラッキーッ‼ これが……これが俺の求めている『海戦(ロマン)』‼

 

「おいおい、大丈夫か? またそんなに前かがみになっちまって」

「イ、イヤ、腹ガナ」

 

 同時に股間の同志ちっこいのは俺の信頼を早々と裏切り、再び立ち上がった。不死鳥の名は伊達じゃない……!

 腹の痛みも相当なものだが、股間の装甲も痛いくらいにカッチカチであった。

 

 提督七つ兵器、『提督スキン』、発動!

 俺は点字を読み取るがごとく、右手と脇腹の肌に触れる感覚に集中した。

 こ、この圧倒的ボリュームと柔らかさ……提督アイで凝視しただけでもわかっていた事だったが、明らかに俺の知っている軽巡洋艦のそれでは無い……‼

 比較対象の横須賀鎮守府平坦担当、大淀さんと比べれば一目瞭然ではないか。

 その他の夕張や川内型とも比べ物にならん。一部の重巡洋艦よりもデカい……⁉

 もう日本の枠には収まらん。まさに世界水準を軽く超えている……!

 これはもう重巡洋艦級……アドミラル・オッパイ級、プリオツ・パイゲン!

 い、いや! 下手したら戦艦級⁉ クイーン・エリザベス級、ウォースパイパイ‼

 

 この軽巡洋艦凄いよォオ! 流石龍田のお姉さんンン‼

 軽巡の世界水準を軽く超えている……他の軽巡の胸部装甲を頂いたかのようになァア!

 わかっているのか大淀ォォオ!

 提督、絶好調である‼

 いやわかったからとりあえず落ち着け。

 

 この歓迎会の間に俺は何度も被弾して満身創痍だ。

 俺の背中にはイクの魚雷が、右腕そして両手の平には金剛の徹甲弾が、それぞれ命中している。

 だが、分厚いスク水に隔てられたイクや、サラシで固められた金剛のそれと比べ、天乳ちゃんは比べ物にならない柔らかさだ。

 ま、間違いない……こ、この天乳の高度な柔軟性と臨機応変な対応力の正体はノーブラ……!

 薄い生地の制服には、天乳の柔らかさを阻害する能力など無いに等しい……!

 つ、つまりこれこそが本物のパイオツに限りなく近い感触――‼

 千載一遇のこのチャンス! た、堪能せねば――‼

 

「さ、早く行こうぜ。提督専用のトイレならすぐそこにあるからよ」

 

 天龍はそう言って、俺をトイレへと導こうとする。

 今まで喉から手が出るほど望んでいた理想郷(シャングリラ)

 だがそこへ辿り着けば、俺の現在の桃源郷(エデン)を手放す事になる……!

 それはあまりにも惜しい……!

 

 この天乳チャンスには時間制限がある。

 俺がトイレへと辿り着けば、天龍は俺を支える必要がなくなり、この幸福を具現化したような柔らかさも離れてしまう。

 な、何とかして引き延ばさねば……ん?

 

 な、何ッ⁉ 腹の痛みが……消えている⁉

 あの痛みの波が嘘のように引き、今の俺の腹は干潮状態だ。波の気配すら無い。

 馬鹿な、天乳ちゃんには癒しの力があるとでも……パイオツは世界を救うのか……と、とにかくこれは願ってもいない僥倖!

 

 ッしゃオラァ! みなぎってきたぜェェェエエッ‼ ヒャッハァーーーーッ‼ これならイけるイけるゥ‼

 今の俺は、負ける気がしねェ‼

 智将フルティンコの頭がフル回転! 神算鬼謀が湯水のごとく次から次へと溢れ出して止まらねェ!

 ――よし! 繋がった‼ もう考えるのは止めた! 脳細胞がトップギアだぜ! トイレまでひとっ走り付き合えよ!

 柔らか軽巡洋艦天乳ちゃん、思う存分堪能の時間だコラァ‼

 

「――待て。私の部屋まで連れて行ってくれまいか」

「あぁ? 何でンな遠いとこまで……」

「ついでに少し済ませておきたい用があってな」

 

 艦娘寮の最上階にある俺の部屋へと向かう事で、天乳ちゃんを堪能する時間を稼ぐことが出来る。

 さらに、俺の部屋へ辿り着く事でパンツを回収し、俺の装甲を強化する事が出来るのだ。

 痛みの波が引いている今の状態ならば、俺の部屋まで辿り着くのは容易。安全に部屋まで辿り着け、心おきなく用を足す事が出来てスッキリ。

 パンツを装備する事で股間の装甲も強化され、気持ちの問題だが安全安心。

 そして天乳ちゃんを限りなく長い時間味わう事が出来る。

 一石三鳥のこの妙策を一瞬にして閃くとは……フフフ、自分の頭脳が怖い。腹痛さえなければこんなものだ。絶好調である。

 

「いや、それなら別にトイレ行ってからでも……」

「大丈夫だ。問題ない」

「まぁ、提督がそうしろっつーんならそうするけどよ。ほらっ、行くぜ」

「ウム。できるだけゆっくりな。腹に響くからな。ゆっくりとな」

 

 天龍は首を傾げながら、俺の身体を支えつつ艦娘寮へと歩を進めた。

 俺も強制的に前かがみになりながら、ゆっくりゆっくりと歩を進めていく。

 本来ならば永遠に制止しておきたいくらいであったが、こればかりは仕方が無い。

 時々腹が痛むふりをして立ち止まり、天龍に背中をさすってもらう。そしてその間も柔らかな感触を味わう。早くぶっ放してぇなぁ。

 腹の痛みは大丈夫だが股間の主砲暴発事故にだけは気をつけねば。いつイってもおかしくは無い。

 信頼してるぞ、ちっこいの……! いや、今はそれなりにおっきいの……!

 

「いやぁ、悪ィな提督。龍田はあぁ見えてオレより馬鹿だからなー。加減ってもんを知らねぇんだよな」

「ウム」

「駆逐共にせがまれて酌の仕方を教えてやってたみてぇだけど、全員に教えるんだもんなぁ。龍田もだけど鹿島の奴も結構馬鹿なんだよなー。あぁいうのを天然、っちゅーのか?」

「ウム」

 

 提督スキンに集中する為に他の感覚をほとんど遮断していた為、天龍の言葉が右から左へと通り抜けて行く。

 柔らかな感触を楽しみながら階段を少しずつ上り、二階へと辿り着いた。

 

 

 第八席:重巡洋艦・筑摩。(年上属性×、包容力○、巨乳◎)←DOWN……。

 姉の利根を差し置いてランクイン。姉より優れた妹などいないと思っていた俺の常識を見事に壊してくれた。その清楚さとワガママボディは翔鶴姉に匹敵するだろう。

 

 第七席:軽巡洋艦・天龍。(年上属性×、包容力×、巨乳◎)←UP!

 凄く柔らかいです。

 

 

 何とマーチクを追い抜き、天龍が第七席へ。早くぶっ放してぇなぁ。

 この柔らかさならば当然、いやむしろ必然と言っても良いかもしれない。

 川内型と同様、天龍も龍田も、大淀も夕張も、軽巡洋艦は俺には高校生程度にしか見えないわけだが、まぁ一応天龍も龍田の姉だしな。

 俺の理想のパイオツを持ち、かつ重巡洋艦とはいえ、筑摩には妹というハンデがある。早くぶっ放してぇなぁ。

 しかし左の胸と右の胸を押し当てられているこの状況、考え方によっては俺の全身が天龍ちゃんにパイ〇リされていると言っても過言では無いのではないだろうか。

 早くぶっ放してぇなぁ。

 

「へへっ、提督よ。これで今朝の借りはチャラだかんな」

「ウム」

「ま、まぁ、俺もあぁいうのは初めてだったけど、悪い気はしなかったからよ……提督もキツい時にはちゃんとオレ達に頼るんだぜ? なっ?」

「ウム」

 

 提督スキンに集中する為に他の感覚をほとんど遮断していた為、天龍の言葉が右から左へと通り抜けて行く。

 柔らかな感触を楽しみながら階段を少しずつ上り、三階へと辿り着いた。

 早くぶっ放してぇなぁ。

 

 

 第七席:重巡洋艦・妙高さん。(年上属性◎、包容力○、巨乳○)←DOWN……。

 温和なお姉さんである妙高さんだが、オータムクラウド先生によると実は怒らせるとかなり怖いらしい。是非とも尻と眉毛を撫でてみたい。

 

 第六席:軽巡洋艦・天乳。(年上属性×、包容力×、巨乳◎)←UP!

 早くぶっ放してぇなぁ。

 

 

 な、何と……妙高さんまで追い抜いただと……馬鹿な……!

 いや、妙高さんは俺の求める年上属性の持ち主ではあるが、未だ手の届かぬ高嶺の花。

 一方で天乳ちゃんはゼロ距離で密着し、リアルタイムでその感触を満喫できる。早くぶっ放してぇなぁ。

 絵に描いた餅よりも、手に触れる二つのお餅。やはりそういう事か……!

 この勢い……俺の部屋に辿り着くまでに天龍は一体どこまでランクアップするのだ……まさに龍が翼を得たる如し。早くぶっ放してぇなぁ。

 次は龍と鶴の戦いか。天使と天使の戦いといってもいい。まさに性戦、いや聖戦。

 俺のラブリーマイエンジェル翔鶴姉はなかなか手ごわいと思うンコォォォォオオオオッ⁉

 

 なッ……何……だと……ッ⁉

 こ、ここにきて津波レベルの痛みが押し寄せてきやがった――⁉

 干潮状態だった痛みは一気に満潮状態へ! 馬鹿ね、その先にあるのは地獄よ!

 ハザードレベル3.0に到達‼ ア、アカン、ケツの堤防が決壊寸前‼ このままじゃぶっ放しちゃう‼

 こ、これは計算外……! こんな事ならば素直に近くのトイレで事を済ませておけば良かった……ッ‼

 学生時代、帰り道で腹が痛くなった時に、まだ我慢できると思ってコンビニの前を通り過ぎ、引き返せなくなった頃に痛みがひどくなって後悔した記憶が蘇る……!

 だ……誰だ……俺の部屋まで行くなどと愚かな決断をした奴は……! お……俺だ……‼

 

 よ、よくよく考えれば俺がトイレに行こうが行くまいが、酔って足がふらついていたのであれば天龍は俺を支えてくれたはず……!

 つまり俺が腹の中の爆弾を輸送しながら部屋に向かう意味は皆無……‼

 ば……馬鹿か俺は……ッ! 天乳を前にして判断力が鈍ったか……ッ!

 ご、ごめんなさい……ごめんなさい……か、神よ……お慈悲を……‼

 お、俺が一体何をしたというのですか……!

 

 あまりの激痛に俺は足を止めた。もはや柔らかさを堪能している余裕など無かった。

 落ち着け……呼吸を整えるのだ……ひっひっふー……ひっひっふー……この呼吸法をラマーズ法と言います。

 これは出産の際に用いられる呼吸法であり、筋肉を弛緩させる事で陣痛を和らげ……いや筋肉弛緩させちゃイカン……!

 現在大活躍中の俺の括約筋が弛緩しちゃったら痛みが無くなると共に生まれてしまう……!

 分娩時ならばともかく、便意を我慢する時には使っちゃイカン……!

 い……痛いの痛いの、飛んでかないよォ……‼

 

「お、おいおい大丈夫かよ……だから近いとこに行ってりゃ良かったのに」

 

 天龍が心配そうにそう言うが、時すでに遅し。

 すでに現在地は三階。上に進むも下に進むも大して変わらない。策士、策に溺れたか……!

 し、しかし失敗は誰にでもある……!

 大事なのはそれを後悔で終わらせる事では無く、反省し、次に活かす事だ……!

 この悔しさをバネにして、進まなきゃ……! 一歩でも……ほんの少しだけでも、前に……‼

 

 立ち止まっていても、状況は何も変わらない……!

 だが裁きの時は着実に近づいてくる……!

 こういう時は冷静に、痛みを堪えながら、一歩一歩前に進むしかないのだ……!

 ただ進み続けるだけでいい……! 止まんねェ限り、トイレは近づく……!

 だ、だからよ……お、俺の足……止まるんじゃねェぞ……‼

 は、早くぶっ放したい……‼

 

「ハァーッ……ハァァーッ……ダ、大丈夫ダ……ハゥアッ、アァァーッ……」

「全然大丈夫に見えないんだが……」

 

 その後、生まれたての小鹿のように足を震わせる俺は何度も立ち止まりながら、ようやく俺の部屋へと辿り着いた。

 もう天龍の感触も全然覚えていない。あまりの激痛に股間のヴェールヌイは再び倒れ、桃源郷の記憶も上書きされてしまった。凹む。

 天龍には中まで着いて来なくていい、ありがとうと伝え、俺だけが部屋の中に入った。

 

『私たちはもう一年近く出番が無いのです』

『倉庫に眠ってばかりでつらいよねー』

『たまには出撃したいです』

『装備の棚卸もして欲しいねー』

『平等に出番が欲しいです』

『しくしく、しくしく』

『あー、泣いちゃった』

『泣かないでー』

『我慢していたんだねー』

『今夜は呑むしかないのです』

『おー』

『おぉぉー』

『わぁい』

『今度あのクソ童貞に一言もの申してやるのです』

『ストライキするぞー』

『交渉だー』

『闘争だー』

『団結だー』

『おぉー』

『うぉぉー』

『わぁぁー』

『わぁい』

 

 いつもの四人だけではなく大量のグレムリン共がテーブルの上でワイングラス片手に酒盛りしていた。今クソ童貞っつったの誰だ。

 そのワインとグラスはどこから出したとツッコむ余裕はもう無かった。

 騒がしい魑魅魍魎共に目もくれず、俺は最後まで気を緩めずに、少しずつ部屋の奥のトイレまで歩を進める。

 

『あれっ、クソ……提督さんお帰りですか』

『随分と早いねー』

『顔色が……悪い……』

『お手洗いですかー?』

『ちゃんと換気してねー』

『まだ死にたくないのです』

『化学兵器の使用は禁止されています』

『消臭スプレーも……使って……』

『出てきたら話を聞いてもらいます』

『交渉だー』

『闘争だー』

『出番をよこせー』

『仕事をよこせー』

『うぉぉー』

『わぁぁー』

 

 ここは俺の部屋だとツッコむ余裕も無かった。

 俺はプルプルと震える手でトイレのドアノブを掴み、ようやく理想郷(シャングリラ)へと辿り着く。

 ゆっくりとドアを閉め、鍵をかけ、ズボンを下ろし、便座に腰かける。

 

 俺は大きく息を吸った。

 

 クソ提督、いざ運航する!

 爆撃開始するであります!

 それっ! ちゃくだーん、今!

 

 

 …………。

 

 

 やりました。

 流石に気分が高揚します。

 痛みが無いという事がこんなにも素晴らしい事だったとは。

 こんなにも心が安らかなのはいつ以来だろう。

 世界中の洗濯物が真っ白になるみたいに、皆が幸せになりますように。今なら心からそう思える……。

 

 結局天乳の感触は綺麗さっぱり忘れてしまったが、何とか無事に用を足す事は出来た。

 それだけでいいじゃないか。

 二兎を追う者は一兎をも得ずとならなかっただけマシだ。

 最悪なのはトイレに間に合わず漏らしてしまい、天乳の感触も忘れてしまう事。

 用も足せたし、パンツも履ける。一石三鳥とはいかなかったが、一石で二鳥は得られた。

 先に近くのトイレに向かっておけば一石三鳥は容易に達成できていた事は置いておいて、十分すぎるほどの戦果ではないか。

 これ以上欲しがるのは流石に強欲というものだ。

 

 地獄の腹痛も無くなり、腹の中も膀胱の中も空っぽだ。

 身体の中から毒が抜けた気分だ。デトックスとはこういう事を言うのだろう。

 心も体も軽やかだ。俺は全身を包む多幸感と共にトイレから出る。

 

『提督さん、さぁ話を……あー……』

『あぁぁー……』

『ぐわぁぁぁー……』

『うぁぁー……』

 

 俺に向かって飛んできた妖精さん達が、蚊取り線香に近づいた蚊のごとくポトポトと地面に落ちた。

 いやそんな臭くねェよ!

 酒盛りをしていた妖精さん達も倒れ伏してピクピクと痙攣している内に、俺は干してあったパンツを装備する。

 ただパンツを履いただけだというのに、何なんだこのハイパームテキ感は……。

 俺はボクサーパンツ派なのだが、こう、包まれているという安心感が凄い。もう何も怖くない。

 腹痛も無くなったし、最後の激痛のおかげか股間のヴェールヌイも大人しくなったし、地獄は見たが何とか窮地から生還できたようだ。

 

 しかし何も考えていなかったが、天龍にはわざわざここまで来た理由を何と説明するか……まさかパンツを履く為だと素直に言うわけにもいかない。

 そうだ、そういえば大淀から貰っていた報告書。

 あれは日報だし、早めに処理しておきたかったという事でいいのではないか。

 

 俺は報告書を手に取り、パラパラとめくってみる。

 なるほど……撃沈したのは鬼に姫に……ん? 鬼に姫?

 どこかで聞いた事があるような……確かイ級とかロ級とかとは別に、人型に近い深海棲艦の事を確かそう呼んでいたような……。

 そうだ。オータムクラウド先生の作品では無いが、姫級や鬼級がメインの作品をちらっと目にした覚えがあるな。

 確かシリーズ物で、漁船の網に引っかかった鬼級や姫級が船の上に引きずり込まれ、女に飢えた屈強な漁師達に好き放題されるという、毎回お決まりのパターンの作品で有名な作品らしいが……。

 自国への脅威さえオカズにする辺り、もうこの国駄目なんじゃないかな。

 

 艦娘以外には興味が無かったので俺もあまり深海棲艦には詳しくないが、漁師よりも弱いのか……見た目は人間の女性に近いみたいだったしな。

 資材の不足した状態の艦娘は人間と変わらないらしいから、おそらく深海棲艦もそうなのだろう。

 

 鬼や姫という呼び名は、明らかに兵器に近い異形のイ級やロ級などよりも、人間に近い形をしているからだろうか。

 妖怪の鬼の起源は外国人だという一説もあるようだし……。姫というのは深海にちなんで竜宮城の乙姫か何かが由来だろうか。

 オタサーの姫みたいなものだ。イ級とかの中に人間の女性っぽいのがいれば、そりゃあ深海棲艦の姫と呼びたくなってもおかしくは無い。

 なるほどな……漁師に捕らえられ、慰み者にされてしまう前にうちの艦娘達に撃沈されたのは、奴らにとって幸か不幸か……。

 

 一番弱い深海棲艦である駆逐イ級が近海の漁船を襲い、沈没させる事例が多発しているという事くらいは俺も知っている。

 つまり、駆逐イ級>漁師>鬼、姫級 というパワーバランスになるという事だろう。

 普通の深海棲艦よりも人間に近く、それ故に力の弱い個体の事を鬼、姫と呼ぶという事で間違いはなさそうだ。

 イ級よりも弱いのであれば、こんな近海にいてもおかしくは無い。

 か弱いイメージの姫はともかく、鬼に関しては名前負けが凄いが……多分人型で角が生えてたりするからだろう。安直なネーミングである。

 それはともかく、姫や鬼は見つけ次第、近海の漁船に捕らえられる前に沈めてやるのが人情というものだろうか。

 

 うぅむ、いかん。こんなに分厚いものに今から丁寧に目を通していては時間が足りんな……。

 

 ……う、うむ、大淀の仕事ならば間違いは無いだろうし……。

 本来ならば報告書の内容にしっかりと目を通して現状を把握してから決裁するのが提督の役目だが、流石に今夜はイレギュラーな事態。

 後でゆっくり確認しようとは思っていたが、今回ばかりは致し方無し。部屋まで戻った理由に使わせて貰おう。

 オ〇禁と同じく、明日から……明日から心を入れ替えて有能提督を演じられるように頑張ろう。今夜だけは許してくれ。スマン、皆……‼

 

 俺が部屋から出ると、天龍はまだそこで待っていてくれた。

 

「おう、大丈夫か?」

「あぁ、心配をかけてしまったな。確認の終わった報告書を執務室に持っていきたかったのだ」

「なるほどな。どうだ? もう一人で歩けるか?」

 

 な、何っ。まだ支えてくれるというのか。

 そうか、腹痛はともかくとして、そもそも俺が支えられたのは酒のせいで足元がふらついたからだ。

 つまり帰りもまた天乳を堪能できるチャンスが――⁉ これは嬉しい誤算!

 地獄の痛みに耐えた甲斐があったというものだ。今度は腹痛に邪魔される事なく柔らかさに集中できる!

 行きは地獄、帰りは天国ではないか! ヒャッハァーーッ! イけるイけるゥ!

 

 せっかく大人しくなった股間に再び刺激を与える事になる? 暴発の危険性? これ以上欲しがるのは強欲? 知った事か‼

 俺の名は色欲童帝(ラストエンペラー)、シココ・フルティンコ! 色欲だ! 欲しがらなくてどうする⁉

 手が届くのに手を伸ばさなかったら死ぬほど後悔する! それが嫌だから手を伸ばすんだ!

 この手で掴めるパイオツがあるなら、俺は迷わず掴む!

 

 俺はわざとらしく額に手を当てながら口を開いた。

 

「うむ、それがな、まだ少し足元がふらついてな」

「へっへ、しゃーねぇなぁ。ほらっ、肩貸すぜ!」

 

 天龍の御言葉に甘えて俺が手を伸ばした瞬間であった。

 

「――お触りは禁止されています♪ その手、落ちても知らないですよ~?」

「ウェ⁉」

 

 変な声が出た。

 背後からの耳元への囁きに俺が背筋を伸ばして振り向くと、そこには艤装を身に纏った龍田が微笑んでいたのだった。

 い、いつの間に俺の背後に――⁉

 

「よぉ、どうした龍田。戦闘体勢に入っちまってよ。はっはぁん、さては酔い覚ましに今から夜戦か⁉」

「えぇ、そうね~。それもいいわね~。もしかしたら、もうすぐ夜戦が始まっちゃうかも~?」

「へへっ、夜戦と言えばオレを外すなよ! あっ、でも提督を支えてやんねーといけねぇんだった。龍田、悪ィな!」

 

 天龍がそう言って俺の右腕を首に引っ掛けて身体を支えるのを見て、龍田の凍てつく視線が俺を貫いた。

 アッ、これアカンやつや。笑っているのに眼が笑っていない。荒潮より余裕でヤバい。

 天龍の右乳に俺の手がめり込んでいるというのに、股間の長10cm砲ちゃんは全く反応しなかった。

 龍田の魔眼に射抜かれて、まるで冷水に浸かったかのごとくヒュンと縮こまってしまっている。

 

「……あら~、聞こえてないのかしら~? ……死にたい?」

「て、天龍。私は大丈夫だ。う、うむ、そうだな。よし、希望通り、酔い覚ましに、天龍と龍田に夜間哨戒任務を命じよう」

 

 俺が龍田の視線に圧倒されてそう言うと、天龍は俺に怪訝な目を向けた。

 

「何だよ提督、もう大丈夫なのかぁ? あっ、さては呑ませた龍田の前だからって、まぁた無理してんじゃねぇだろうな?」

「す、少しはふらつくがもう問題無い。心配してくれて済まなかったな」

「そうか……うっしゃあ、そんじゃ行くぜ龍田! 遅れんなよ!」

 

 そう言って歩き出した天龍の背中を眺めてから、龍田は俺へそっと近づいて口を開いた。

 

「ごめんなさいね~。駆逐艦の皆が提督にお酌をしてあげたいって言うから、私もつい嬉しくなっちゃって~。私もうっかりしてたわ~」

「アッハイ」

「ふふっ、駆逐艦の皆だけじゃなくて、天龍ちゃんにも優しくしてあげてね~? でも、勿論お触りは禁止されています♪」

「ハイ」

「……うふふっ、私も天龍ちゃん共々、よろしくお願いしますね~?」

 

 龍田はニコッ、と天使のように微笑んだ後で、ニィィ……と悪魔のような笑みを浮かべ、天龍の後を追って去って行った。

 ……あ、あいつ一体何を考えて……。やはり、俺の本性を勘づいて俺に社会的な死を……?

 わ、わからん……わからんが極力近づかないようにしよう……。龍田怖いです。

 

 

 

 その後俺はトボトボと一人で執務室まで向かい、報告書に提督印を押しておいた。

 決裁済の書類箱に報告書を入れておき、再び歓迎会場の小料理屋鳳翔へと向かう。

 

「あっ、て、提督……」

 

 小料理屋の入口の前で、長門や金剛型を引き連れた大淀とばったり顔を合わせた。

 俺の顔を見て何故か大淀は頬を赤らめて、ばつの悪そうな表情を浮かべてしまう。

 一応、報告書の件について一声かけておこうかと思ったところで、金剛達戦艦部隊が嬉しそうな笑みを浮かべながら、俺へ歩み寄って来たのだった。

 

「テートクゥ! 私、提督の言っていた意味がようやくわかりマシタ! 艦娘は全員平等に横並び……まさに博愛の権化デース! これが、これが提督のバーニング・ラーーッブっ! というわけデスネー⁉」

「あぁ、全く……胸が熱いな……!」

「司令っ! 司令には、恋も、戦いも、負けませんっ! えへへっ、何だか力が湧いてくるようですっ! はいっ!」

「提督は優しいのですね。榛名にまで気を遣ってくれて……榛名、感激です!」

「私の想像以上の高潔さです。流石司令、データ以上の方ですね!」

 

「う、うん……?」

 

 戦艦達が何を言っているのかよくわからなかった。

 先ほど俺が金剛に口を滑らせた事を、戦艦なりに一生懸命考えた結果納得してくれたのだろうか。

 長門だけじゃなくて戦艦は全員脳筋なのか……? 霧島は頭脳明晰そうだが……。

 戦艦達が何をどう納得したのかは全く理解できんが、横須賀十傑衆の事を明らかにするわけにもいかないし……このまま誤魔化しておこう。うん。

 

「う、うむ。そういう事だ……そ、そうだ大淀。先ほどの報告書には目を通して、執務室に置いてあるからな」

「えっ、あ、はい。了解しました。明日の朝イチで艦隊司令部へデータを送付しておきます。あっ、いえ、そう秘書艦の鹿島達にも伝えておきますね」

「うむ。……あぁ、それとな、大淀」

 

 はっ、と返事をした大淀の肩にぽんと手を置き、俺はしっかりと目を見据えながら伝えたのだった。

 

「――お前を信じてるからな」

「…………はっ……?」

「それだけは、改めて伝えておきたかったのだ。私を一番上手くフォロー出来るのはやはり大淀しか考えられんからな……これからも、至らない私を支えてくれ」

 

 そう、大淀の作成した報告書に間違いが無いと信じている。

 こんなどうしようもないクソ提督の尻拭いが出来るのは、俺の本性を知りながら、横須賀鎮守府の秩序を保つ為、裏で暗躍する黒幕の大淀しかいない。

 苦労はかけるが、横須賀鎮守府の平穏の為に頑張って欲しい。

 一言伝えたかった事だけを伝え、俺は大淀の返事も待たずに暖簾をくぐる。

 

 

『ノォォォオーーッ! どどど、どういう事デスカー⁉ 何で大淀にだけあんな言葉をかけるのデスカー⁉』

『お、おい大淀! お前、さっきの説明と話が違うぞ! 明らかにお前への信頼だけぶ厚いじゃないか! ずるいぞ! くっ、やはり私も遠征に向かわねば――!』

『えっ、あっ、え、えぇぇ……⁉ い、いや、そ、そういう事では無くて、提督は皆を大切に……え、えへへ』

『シィィーーット! 何照れてるデス⁉ その蕩け顔を今すぐ止めるネー! やはり決着をつけねば~……! さぁ今すぐ土俵に上がるデース!』

『あらあら、うふふふ。やっぱり私の見込みは正しかったようですね』

『まっ、間宮さんっ! い、いやこれは、あの、その』

 

 

 何やら背後が騒がしかったが、構わず俺は元の席へと再び舞い戻ったのであった。

 戻る際にカウンター越しにちらりと厨房を覗いてみたが、俺のアイドル間宮さんの姿は無かった。凹む。

 一体何処にいるのだ。あの席では遠すぎて顔を見る事もできないし……間宮さんが恋しい。

 一目、会いたい……。




本当に申し訳ございません。
提督が用を足すまでに一万字超を要した為か提督視点が二万字を超えてしまった為、分割します。
全ては私の計画不足と提督視点の謎の筆のノリによるものです。
次回の提督視点で歓迎会編は本当に終わりますので、大目に見て頂けますと幸いです。


さて、艦これはいよいよ秋イベが始まりましたね。
情報を見るだけで目眩がしてきましたが、弱小丙提督の私はしばらく様子見です。
我が鎮守府は現在何故か睦月型の育成に精を出しています。
史実艦がほとんど育っていないので今回も完走は難しそうですが、また新たな艦娘をお迎えできそうで楽しみです。
提督の皆さん、共に頑張りましょう。


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031.『歓迎会』【提督視点⑥】

「そわそわ、そわそわ……あっ、司令官が帰ってきたわ! まったく、レディを待たせるなんて、ぷんすか!」

「ハラショー」

 

 駆逐艦の群れは相変わらずその場に待機していた。

 俺の席の周りにたむろしているのは、先ほどまでと同じく第六駆逐隊の四人に、夕雲型の十一人。そして浦風たちが加わっていた。

 俺の姿を見つけるなり、ぱあっ、と顔を明るく輝かせた浦風がひらひらと手を振ってくる。可愛い。い、いや、違う。

 そう言えばまだ浦風たちがいたな……磯風の姿が見えないが、すっかり忘れていた。

 腹痛に関しては足柄がうまく説明してくれたとは思うのだが……。

 

 駆逐艦達の爛々と輝く視線に囲まれながら俺が腰を下ろすと、さっそく第六駆逐隊の四人が俺を取り囲んだのだった。

 雷が背後に回って俺の背中をさすり、電が心配そうに声をかけてくる。

 

「司令官、お腹の調子が悪かったのね。言ってくれなきゃ駄目じゃない!」

「はわわ……司令官さん、もう大丈夫なのですか?」

「う、うむ。もう大丈夫だ……ん?」

 

 六駆の四人に囲まれている俺に向かって、なにやら匍匐前進でずるずると距離を詰めてくる奴がいる。

 よく見れば、いやよく見なくても明石であった。その目はひどく据わっていた。

 暁と響の間に割り込むように俺の眼の前で膝立ちになった明石は、俺の両肩をガシリと掴み、俺をジト目で睨みつける。

 

「……提督、どこに行ってたんれすかぁ⁉ 今まで不眠不休で頑張ってきたご褒美に私の枕になるって約束だったじゃないれふかぁ!」

 

 そ、そんな事言ってたっけ⁉ まったく身に覚えが無いんだが⁉

 考えるまでもなく、明石はひどく酔っていた。顔は紅潮し、呂律が回っていない。俺が便意と戦っている間に一体何があったと言うのだ。

 

「は、はわわ……い、雷ちゃん、明石さんはどうしたのですか」

「しっ、あまり見ちゃ駄目よ。皆、少し離れましょう」

「一人前のレディとは思えない姿だわ……」

「大人の女性だからこその姿とも言えるが……ハラショー。司令官、頑張って」

 

 雷に促され、駆逐艦たちは気の毒そうな、興味深そうな顔で早々と退避してしまった。

 至近距離で睨みつけられ、戸惑ってしまっている俺に、夕張が慌てた様子で近寄ってくる。

 

「て、提督ごめんなさいっ! 少し飲み過ぎてしまったみたいで、潰れて眠ってしまったと思ってたんだけど……こらっ、離れなさい明石っ、提督に失礼でしょ⁉」

「嫌ですぅー、提督は私の枕になるんれふぅー。大体れすねぇ、大淀ばっかりご褒美貰ってズルいんですよ! 私たちだって頑張ってきたのに! ずっとずっと頑張ってきたのに!」

「あ、あれはその、大きな声では言えないのだが、今回は大淀が自主的に提案してくれた事を評価してな……」

「あー、だったら私だって私だって! 提案します! 大淀が備蓄管理するならぁ、私と夕張はぁ、二人で工廠を担当しまーす!」

「ちょ、ちょっと明石っ」

 

 工廠……? いや、交渉か。勘違いするところだった。

 ここで何故交渉、と思ったが、思い当たる節は一つしか無い。

 大淀がビーチク管理をするなら、明石と夕張は交渉を担当すると……。

 まさか明石にも大淀との会話を聞かれていたとは……いや、大淀が話したのかもしれない。

 何しろ大淀、夕張、明石の三人娘はそれぞれ艦娘の胸部装甲の平坦、中間、豊満をそれぞれ担当しているらしいからな。

 俺が豊満な胸部装甲を持つ金剛のビーチクを所望しているとなれば、担当者は必然的に明石となるはず。今後ともよろしくお願いします。

 

 しかし交渉という事はまさか金剛に話すのか……?

 この裏工作艦、もしや強力な装備を優先的に載せる代わりにビーチクを見せて下さいとでも言うのだろうか。

 改装とか言って私の裸を見たいだけなんでしょ、このクソ提督! などと罵られてはたまったものではないのだが……。

 

「な、何勝手な事言ってんのよ、もぉ」

「だってぇ、この一年間で開発したはいいけど狙ったものじゃないからって埋もれてるのもあるしぃ、もう倉庫は足の踏み場も無いしぃ、そもそも今倉庫に何が詰まってるかもよく把握できてないしぃ、改修計画だって立てられてなかったしぃ」

「そ、それはそうだけど……装備管理や改修計画も提督の仕事で」

「バリぃ、そこを私達が担当して提督の負担を減らすんでしょぉ?」

「誰がバリよ、誰がっ」

 

 明石と夕張が何やらこそこそと話していたがよく聞こえなかった。

 腹痛も消えて冷静になった頭で考える。

 確かに装備改修と開発に長けた明石と夕張ならば、そのような交渉には向いている気がするが、それは果たして有りなのだろうか。

 いや、脱衣所で盗撮したり許可を得ずに艦娘乳型録に載せるよりも、許可を得た方がトラブルは少ないに決まっている。

 ただし、俺が所望していた事がバレたら、俺への信頼が地に落ちる可能性も……。

 つまり俺が関わっている事は上手く隠しつつ交渉してもらえば、本人の同意を得られた上で確実にビーチクを得られる事が期待される。

 横須賀鎮守府の黒幕として権謀術数に長けた大淀と連携してもらう事で、スムーズに事が進むかもしれん。

 

 それに明石は、俺が大淀だけに褒美を与えると言った事にこだわっているようだからな……。

 大淀、夕張、明石の三人は仲が良さそうだし、その辺りはデリケートに扱わねばならないのかもしれん。

 俺のせいで三人の友情にヒビが入ってしまうのはいたたまれない。平等に扱わねば。

 

 しかし夕張は昨日のセクハラ以降、俺が他の艦娘に手を出さないか監視していると思っていたのだが……。

 この宴席で夕張からの視線をちらちらと感じていたのは、きっと俺の気のせいでは無いと思う。

 今にして思えば、やはり俺が他の艦娘に手を出さないか監視していたのだろう。

 天龍にセクハラしていた事は龍田以外にはバレていないと思うが……。

 

 俺は夕張に、こそっと声を潜めて訊ねたのだった。

 

「その……夕張はいいのか? 大淀と明石はともかく」

「あっ、はい。酔っぱらってはいますが明石も適当な事を言っているわけでは無いですし……これが鎮守府運営の助けとなるのであれば精一杯頑張ります。勿論、提督がよろしければですが」

 

 なるほどな……やはり大淀と同じく、俺の無能っぷりを危惧して、陰で鎮守府の支えとなろうと……。

 おそらく明石と夕張には大淀が上手く説明してくれたのだろう。

 金剛のビーチクが気になってあのクソ提督は執務どころではない、鎮守府の為に私達が何とかせねば、と。本当にすみません。

 ともかく、明石も夕張も納得の上での進言であるのならば、俺としては何も言う事は無い。全て任せようではないか。

 

「……よし。わかった。それでは明石と夕張には交渉の担当をお願いしよう。大淀と連携して、間違いの無いように事を進めてくれ」

「はぁい! 工作艦明石と兵装実験軽巡夕張にお任せ下さいっ!」

「も、もう、明石ってば……了解しました。工廠に関しては私と明石が責任を持って管理します」

 

 満面の笑みの明石と、それを見て呆れたような表情の夕張は、俺に向かって敬礼する。

 上手く話がまとまったかと俺が心の中で一息つく間もなく、明石は胡坐をかいている俺の足に座布団を置きながら言ったのだった。

 

「それじゃあお待ちかねのご褒美ですね! 提督の膝枕、お借りしまーす! キラキラ!」

 

 俺が返事をするのも待たずに、明石は座布団を枕にして顔を埋め、横になってしまった。

 う、うん……胡坐をかいた股間の辺りに思いっきり顔を埋めてるから、膝枕というよりフカフカキンタマクラになっている気がするのだが……。

 龍田のおかげで股間が縮こまっていたから良かったようなものの、ちょっと前だったら明石の頬に俺のクレーンが突き刺さっていたかもしれん。

 座布団越しとは言え、口搾艦の本能で股間に顔を埋める方が落ち着くのだろうか。

 他の艦娘達の視線が突き刺さって痛い。しかし交渉の褒美と言われてしまっては拒否するわけにもいかんからな……。

 

 そう言えば俺の二番目の妹の明乃ちゃんがまだ小学生だった頃、強制的に似たような事をやらされた事があった。

 友達と喧嘩をして帰ってきた後だったか、ソファーの上で膝枕をさせられながら、他の妹達が帰ってくるまで延々と愚痴を聞かされたものだった。

 その時の喧嘩の原因は、その友達に俺が本屋でエロ本の袋とじの中身を必死になって上下から覗き込んでいたのを目撃したと馬鹿にして笑われたのが原因だったらしい。

 最終的にそれは事実だと認めたら思いっきりぶん殴られたわけだが、それはともかく女の子はストレスが溜まったら膝枕を求めるものなのだろうか……多分違うと思うが、うぅむわからん。

 

 俺の独断と偏見によるイメージだが、明石はちょっと男子とも友情が成立すると思ってる女子っぽいな。なんとなく距離感が。

 男子の方はその子の事を好きになっちゃったりするタイプの。でも本人には恋愛感情とか全く無いという感じの。

 つまり明石にとっては昨日会ったばかりの男の膝枕程度、何も意識するほどの事でも無い。俺だけがドキドキして馬鹿みたいじゃないか。けしからん。

 

 俺の心労に構わぬように、やがて明石はすやすやと寝息を立ててしまった。早い。

 うーん、まぁ明石も酔ってるし、相当疲れてたみたいだし、何だかんだで明石も可愛いし、距離感が近いのは正直嬉しいし、あまり狼狽えても童貞臭いし……余裕を装い、平静を保たねば。

 

 酒で顔を赤くして気持ちよさそうに寝息を立てている明石を見て、対照的に顔を青くしてしまっている夕張に、俺は声をかける。

 

「ま、まぁ、相当疲れているらしいからな。眼の下にクマもあったし……ここはそっとしておいてやろう」

「申し訳ありません、本当に申し訳ありません、いくらなんでも無礼すぎます、すぐに起こしますから」

「これが褒美でいいと明石は言っていたからな。それに私が、今夜は無礼講だと言っただろう。明石を咎める理由など何も無い」

「……提督のお心遣いに頭が上がりません」

 

 深々と頭を下げる夕張に、俺は慌てて顔を上げさせながら言った。

 

「それよりも、その、なんだ。夕張は、褒美は何がいい。大淀のように思いついたらでもいいんだが」

「そ、そんな。ご褒美なんて……えぇと、その、じゃあ、そのぉ……」

 

 夕張はきょろきょろと周りを見渡してから、こそっ、と俺に耳打ちしたのだった。

 

「わ、私も普段通りに話してもいい……?」

「……ん、んん? どういう事だ」

「い、いえ、その、新しい提督の前で失礼の無いようにって思って敬語使ってたんだけど……その、仲良くしてる皆を見てたら何だか羨ましくなってしまって、ですね、はい……あっ、いえ、勿論、提督の事を敬っていないというわけではなくて……」

 

 可愛い。い、いやいかん。夕張は軽巡。軽巡は俺基準では高校生。高校生という事は妹達と同年代。巨乳以外は対象外だ。多分。

 

「も、勿論だ。普段通りでいいと言っただろう」

「や、やった。じゃあこれからは普段通りに話しますね! あっ、いえ、話す……ね? あ、あはは、何だか恥ずかしいね。自然に話せるように頑張りま……う、うぅん、頑張るね」

 

 可愛い。ちょ、ちょっと待て。何だこのときめきは。

 まるで付き合い始めの後輩に敬語禁止を命じた時のような初々しさ……。

 頬を赤くして照れ笑いと共に頬を掻く夕張を見ていると、何故か胸が高鳴ってきた。

 俺が大人のお姉さん方に感じる、憧れと性欲の入り混じった感情とは違う。

 外見年齢的にも胸部装甲的にも俺のストライクゾーン外であったはずなのに、何故夕張にはこんなにもときめくのだ。

 

 ――そうか、これは俺が過去に置いてきてしまった甘酸っぱい青春の香り。アオハルかよ。

 改造制服と言ってもいい川内型や大淀、明石などとは違い、夕張は正統派のセーラー服だからか、俺の心に突き刺さるのだ。

 そう考えれば天龍も似たようなものではないか。アイツも艤装を除けばただの高校生にしか見えん。あんな幼馴染が欲しかった。そんな感じだ。早くぶっ放してぇなぁ。

 セーラー服から覗く白いお腹、スカートから覗く黒ストッキングに包まれた太もも……若かりし俺に縁の無かった等身大のチラリズムが夕張にはある。

 それは性欲とかではなく、何と例えればいいのか、青さというか、若さというか、ノスタルジーというか、まぁつまり青春だ。

 

 もしかして俺は年下も有りなのか……? ば、馬鹿な。そんなはずは無い。妹達と同年代だぞ。犯罪ではないか。

 違う、俺は夕張に、俺が味わう事の出来なかった青春というものを重ねてしまっているだけだ。年下が対象内になったわけではない。

 そ、そうか、発想の転換。これこそ天才の発想だ。今まで俺は年下はハーレム対象外だと思っていたが、俺が自ら精神年齢を退行させる事で夕張を同年代と見立てて、いや、下手したら年上の先輩に見立てる事でストライクゾーンに、いや俺は一体何を考えているんだ。馬鹿か俺は。

 流石に酔い過ぎだ。腹の中は空っぽだが酒の影響はまだ残っているようだ。

 いかんいかん。夕張はこの歓迎会の間も俺をちらちら監視していたくらいなのだ。気を引き締めろ。

 大淀のおかげで俺を陰から支えてくれるように動いてはくれるだろうが、だからと言って気を抜けるわけでは無い。

 

「ま、まぁそれくらいなら褒美にもならんと思うから、また何か思いついたら教えてくれ」

「い、いいの? それなら、うぅん……考えておきますね! あっ、いえ、考えておくね。えへへ」

 

 可愛い。い、いやいかん。

 照れ臭そうに笑う夕張を見ていると何だかこっちまで照れ臭くなってしまう。

 な、何だこの甘酸っぱい雰囲気は。俺も夕張も上手く言葉を出せずに、照れ笑いだけを浮かべ、時折目が合っては、また照れ臭そうに笑う。

 あぁ、そうか。これが青春の……。

 

「おっ、二人ともいい表情ですねぇ! 恐縮です! 青葉、見ちゃいました! ささっ、それでは続いて青葉の突撃インタビューを……」

 

 ふと気が付くと青葉が俺達を覗き込んで、パシャパシャとシャッターを切っていた。

 ペンとメモ帳を取り出したところで顔を真っ赤にした夕張に首根っこを掴まれ、そのままずるずると外まで引きずられていった。

 

「あぁーッ、バリさん何をするんですかぁ! せっかく明日の艦隊新聞のネタを」

「だから誰がバリよ、誰がっ! ほらっ! カメラ寄越しなさい!」

「ええっ、あっ、待って、カメラ返してぇーっ!」

 

 夕張と青葉の声が遠くなっていく。

 う、うむ。危ない危ない。酒と雰囲気に酔っていたようだ。

 

 せめてものセクハラとして明石の頭を撫でながら俺が一息ついていると、遠くから様子を窺っていた駆逐艦達が再びわらわらと集まってきたのだった。

 俺の胡坐の上で寝息を立てている明石を眺めて、四人それぞれ違った表情を見せる。

 

「はわわ……明石さん大胆なのです」

「一人前のレディには程遠いわね。はしたないわ」

「暁はお子様ねぇ。大人だって、誰かに甘えたい時くらいあるわよ。ねぇ司令官?」

「ハラショー」

 

 雷の意見には全力で同意であった。間宮さんに甘えパイ。アップルパイに埋もれパイ。

 それはともかくとして、腹痛の為に途中で切り上げてしまったコイツらの相手をしなくては。

 

「さぁ、仕切り直して、皆にお酌してもらおうかな。まずは響からだったか」

 

 俺がそう言うと、四人はえっ、と意外そうな顔をした。

 

「司令官……いいのかい?」

「無理はしないでいいのよ? 一人前のレディとして、気遣いくらいできるんだからねっ」

「フフフ、あいにく私はそれなりに酒豪でな。少し腹の調子は悪くなってしまったが、これくらいでは全然酔えないのだ」

 

 本当はもう限界が近かったが、コイツらもさっきはあんなにもお酌するのを楽しみにしていたからな。

 おそらく足柄に言われて自重しているのだろう。子供がいっちょ前に気を遣いおって。

 だが、好意を無碍にするのはもう足柄に対してだけでお腹いっぱいなのだ。

 股間も通常サイズに戻ったし、パンツも履いた。

 最後の難関は――そう、あの那智だ。

 

 いくら他の艦娘が俺に友好的だったとしても、那智がそうでなければ意味を成さない。

 那智のあの眼光……そして呑み比べ。明らかに俺を敵視している。

 この呑み比べに負けてしまったが最後、俺を見限った那智により鎮守府を去らねばならない可能性すら否定は出来ないのだ。

 提督ならば常に最悪のケースを考えるべし。「だろう」ではなく「かもしれない」で動くべきなのだ。

 つまり那智に呑み比べで勝つ事は、俺が横須賀鎮守府に残る為の必須条件であると言えよう。

 たとえ俺が正気を失うリスクを孕んでいるとしても……!

 クソッ、こんな事になったのも、負けた方が勝った方の言う事を一つ聞くなどとなったせいだ。おのれ那智め。

 

 絶対に負けられない戦いがここにある。

 ちらりと那智を見れば、先ほどと同じく苦々しい顔で、湯呑の酒をちびちびと飲んでいる。

 明らかに飲むペースは遅くなり、そしてあの苦しそうな表情。やはり限界は近いようだ。

 ここで勝負を決めるしかねェ……!

 

 しかし第六駆逐隊の四人に一人ずつお酌をしてもらうのに、他の駆逐艦達からは遠慮するのは差別するようで悪いな……。

 そうなると、第六駆逐隊の四人で四杯、夕雲型で十一杯、磯風の姿が見えないが浦風達で四杯……じゅ、十九杯か……。

 ま、待てよ、その他にもまだ利根達や千歳お姉達、空母勢なんかも……お、おい、本当に大丈夫なのか……?

 すでに何度も正気を失いかけているというのに……い、いや、那智に勝てさえすれば、やんわりと断っても良いはずだ。

 ここからはデスマッチだ。俺が正気を失うのが先か、那智が酔いつぶれるのが先か……。

 

 つい先ほどまではイクや金剛や天龍のせいで頭がとろけてしまっていたが、今の俺は違う。

 今まで俺も本気を出していなかったが、ここからは本気を出させてもらおう。

 俺が気を緩める事はもう二度と無い! このフルティンコ、容赦せん!

 俺は目を覚ますように両頬をバチンと叩き、気合を入れる。ッシャア! かかってこいや駆逐共!

 

 覚悟を決めた俺を見てだろうか、困ったような微笑みと共に夕雲が俺の傍へと寄って来る。

 そして、膝立ちをして、まるで赤子をあやすかのように俺の頭をその胸に抱きしめたのだった。

 

「もう、駄目ですよ提督。お気持ちはわかりますけれど、貴方の身体はこの鎮守府の宝オブ宝……どうかご自愛下さい」

 

 マンマ~。

 い、いや、違う。俺は今一体何を。

 性欲とは別の意味で正気を失うところだった。

 何なんだこの夕雲の纏う人妻のような雰囲気は……駆逐艦ってレベルじゃねーぞ……。

 制服のせいでよくわかりにくいが、浜風や浦風ほどではないが駆逐艦にしては身長に対してそれなりのパイオツを持っているし……。

 まだ子供ではあるが数の多い夕雲型の長女だし……結構加点ポイントが多い。

 

 だが何故だ。先ほどの天龍のようにテンションが上がらない。

 胸が当たっているというのに、十傑衆にはランクインする気配も無い。

 むしろ心が豊かになるというか、安らかになるというか、何だかこのまま眠ってしまいたいような……。

 提督七つ兵器『提督ノーズ』発動……あぁ、いい匂いだ……ほっとする……例えるなら温かい蜂蜜ミルクのような……い、いかん、正気に戻れ。

 

 戸惑いを隠せないまま胸に抱かれている俺を夕雲から引きはがすように、今度は浦風が俺の頭を胸に包み込んだ。

 

「ふふっ、提督さんはお優しい御方じゃ。でも、無理はいかんよ? うちら、お冷やを用意しとるけぇ、それ飲んで、少し休んどって?」

 

 マンマ~。

 い、いかん……! また正気を……!

 どういう事だ。俺の股間の電探はまったく反応していないというのに……!

 たとえ駆逐艦だとはいえ、この浦風は横須賀十傑衆第九席の実力者。

 何故こんなにも豊かなパイオツに包まれながら今は性欲が湧かないのだ。

 天乳の時には手と脇腹に当たっていただけで痛いぐらいにビンビンだったというのに、頭に当たっている今は反応しないだと……⁉

 ま、まさか龍田の魔眼の恐怖によって立ち上がる事がインポッシブルに……⁉

 

 いや、違う……こ、これは……母性! これが噂のバブみというものか……!

 馬鹿な……! 俺のマンマは間宮さんしか存在しないと思っていたが、確かに浦風も俺のマンマ候補……!

 そうか……間宮さんは適齢かつ俺の好みドストライクだから股間の疲労も回復するが、コイツらは駆逐艦……。

 つまりストライクゾーン外でありながら強烈な母性を持つが故に、性欲が湧かずにバブみだけが俺に襲い掛かるという事か……!

 いや、流石に浦風とか浜風レベルになると生理現象として普通に股間も反応する事は昨日実証済みだが……な、何故だ、何故今はバブみだけが……!

 お、落ち着け……とりあえず俺の頭を優しく包み込むパイオツから離れねば……!

 

 俺が自ら離れようとする前に、浦風の胸に抱かれている俺を引きはがし、雷が後ろから抱き着きながら頭を撫でてくる。

 

「そうよ。無理しなくていいのよ司令官。私がいるじゃない! 明石さんが司令官に甘えたみたいに、司令官だってもっと私に頼ってくれてもいいのよ?」

 

 マンマ~。

 ウォォォオァァアーーッ‼ 正気に戻れァ‼

 母性の象徴たるパイオツを保有する夕雲と浦風はともかく、何故胸部装甲の欠片も無い雷に俺はバブみを……!

 な、何なんだコイツらは……! 雷はさっきまで小学生にしか見えなかったのに、今は聖母に見える。後光が差しているような気すらしてきた。

 尊い……。い、いや、待て。何で俺はさっきから文月だの雷だの駆逐艦に神秘性を見出しているのだ。正気に戻れ。

 

 気が付けば右には夕雲! 左には浦風! 背後には雷! いかん! 囲まれた! これぞまさしく鎮守府マンマ祭り、開催決定‼

 今なら特別ゲスト鹿島ンマによる大根おろしならぬ俺の男根筆おろしイベントも――⁉

 いや鹿島は呼んでない! お前はマンマじゃなくて淫魔じゃねーか! 殺す気か! カエレ!

 まったく、鹿島という奴はちょっと隙を見せると忍び寄ってくるな。油断も隙も無いなアイツは。

 落ち着け。よし。とりあえず夕雲、浦風、雷の三人に間宮さんを含めて、マンマ祭り四人衆と名付けよう。

 って冷静に名付けてる場合では無ェ‼

 

 い、いかん! このままではいかん!

 性欲は湧かないが、このままでは俺は別の意味で正気を失ってしまう!

 このまま夕雲と浦風、雷の母性に包まれ甘やかされ続けたが最後、理性の糸が切れた俺はバブみ補給艦速吸と化して浦風のパイオツにむしゃぶりついてしまう可能性大!

 駆逐艦相手に赤ちゃんプレイを求めた変態クソ提督として、最悪の形での社会的な死は免れん。

 性欲の権化と化して暴れまわるのも恐ろしいが、いい大人が赤子と化して甘える姿など、考えただけで吐き気がする。

 クソッ、普段から甘やかしてくれる人がいないせいか、まさか甘やかされた俺がここまで駄目になるとは想定外だった……!

 

 夕雲も浦風も雷も、本心から俺を労わろうとしてくれているのが痛いほどに伝わってくる。

 その気持ちは嬉しいが何とかこの場を逃れねば――!

 し、しかし、いい匂いと優しさに包まれて、駄目だ、酒のせいか、いきなり物凄い睡魔が……瞼が、重く……。

 

「――し、司令。失礼する。この磯風、司令の為に初めて料理を作ってみたんだ。私なりの忠誠の証として、その……受け取ってはくれないか」

 

 サンマ~。

 思わず目を閉じてうとうとしてしまっていた俺であったが、磯風の声に、はっ、と正気に戻った。

 見れば、割烹着姿の磯風が、俺の前に皿に乗せられた真っ黒い炭の塊を差し出してきていたのだった。

 俺を包んでいた母性の甘い匂いも、一瞬にして焦げ臭さに上書きされてしまう。おかげで目が覚めた。

 ……料理? これは、料理なのか? いや、形を見れば秋刀魚であった事だけはわかるのだが……。

 磯風は真剣な、不安そうな表情で三つ指をついて、俺を見上げている。

 

「も、申し訳ありません、提督……。提督は手料理を大変喜ばれるというのを聞いていたようで、手伝おうと言ったのですが聞き入れられず、その……止めるのも、忍びなく……」

「トホホ、谷風は止めろって言ったんだけどねぇ……こうなったら聞きゃあしないんだ、磯風って奴ぁ。かぁ~っ」

「磯風がここまでしたがるなんて初めての事じゃったけぇ、うちらもどうしたらえぇのか……提督さんならわかってくれるじゃろうけど、磯風に悪気は無いんじゃ」

 

 浜風と谷風が寄ってきて、浦風と共に小声でそう教えてくれた。

 なるほど、俺と足柄との会話を聞いていたのか……それでわざわざ……な、何だこいつ、結果はともかく足柄に負けずいい奴じゃないか。

 この磯風は、最初は俺に疑いの目を向けていたが、よくよく考えたらそれは俺が無能だったからで、至極当たり前の反応だろう。

 それが、龍驤に何を言われたのかはわからんが俺に頭を下げ、今はこうして忠誠の証を示してくれているのだ。

 無碍にするわけにはいかん……いかんが……何だこの魚の形をした炭の塊は……。炭素魚雷ってか。

 い、いや、ポジティブに考えれば、母性の甘味で正気を失いかけていた俺の頭を、真逆の苦味で目覚めさせてくれるかもしれん。多分。

 ただの料理ならば流石に断るのも手ではあったが、忠誠の証とまで言われてしまっては……。

 

「う、うむ。忠誠の証か……わかった、ありがたく頂こう」

 

 俺がそう言うと、周りの駆逐艦達は、えぇっ、と目を丸くして声を上げた。

磯風は嬉しそうに顔を上げ、腕組みをしながら落ち着きなく言ったのだった。

 

「そ、そうか! いや、恥ずかしながら料理というものが初めてでな、味付けが好みでないかもしれないが……口に合わなかった時は遠慮なく、口の方を合わせてくれ」

 

 何言ってんだコイツは。バカナノ……? オロカナノ……ッ?

 磯風お前……笑ってる内にやめような……。

 おそらく秋刀魚の塩焼きか何かだったのであろうと推測される目の前の物体だが、味付けも何もあるものか。

 秋刀魚の炭火焼きならぬ秋刀魚の炭だ。

 ポン酢をかけようが醤油をかけようが大根おろしと一緒に頂こうが、炭は炭である。

 磯風コイツ、味見は……そうか、焼き魚を味見するわけにはいかないからな。見ればわかりそうなものだが……。

 

 ……そういえば、十年前の俺も、最初は料理なんてできなかったしな。

 今でも簡単な料理ばかりで凝ったものは作れないし、焼き魚だって、最初は焦がしてしまっていたではないか。

 ここまで酷くはなかったが、それでも妹達は文句を言いながらも食べてくれていた。

 ともかく、ここは初心を思い出し、あの反抗的だった磯風が俺に忠誠を誓う為に初めて料理を作ってくれたという事実のみを評価しようではないか。

 たとえ磯風が俺に匹敵するほど救いようのない馬鹿なのだとしても……。

 悪い奴ではなさそうだし、浦風浜風ほどではないが駆逐艦にしてはそれなりに巨乳だしな……。ボインボーナスで大目に見よう。

 

 俺は覚悟を決めて炭の塊に箸をつけ、口に運んだ。

 予想通りの味だ。炭である。どこまでいっても炭である。見た目通りである辺り、むしろゴーヤ酒よりインパクトは少ない。

 苦味に慣れ過ぎている俺が悲しい……。

 何で待ち望んでいた足柄のカツカレーを諦めて、こんなクソ不味い炭の塊を食べなければならんのだ……。

 だがちゃんと食べねば、犠牲になった秋刀魚さんが可哀そうだし……。

 

「んん~っ、美味しい♪ 本当、絶品ですねぇ」

「そうね、赤城さん。流石に気分が高揚します。瑞鶴、貴女もどう? ほら、口を開けなさい」

「えっ、じゃあ一口、あ~ん……んーっ、美味しい! ……うわっ、提督さん、アレ何食べてんの……? 正気……?」

 

 ちらりと見渡してみれば、俺が食べるはずだったカツカレーは赤城と加賀が美味そうに食べている。

 クソッ、赤城め……なんて美味そうに食べるんだアイツは……! まるで俺に見せつけるかのように……!

 瑞鶴が可哀そうなものでも見るかのような目を俺に向けていた。凹む。

 正気に戻る為に食ってんだよ。そんな目で俺を見るな。つーか俺のカツカレー返せ。

 

 ええい、余所を羨ましがったって何も変わらない。魚の身らしき炭の塊を口に運び、大きめの骨は皿の角に避けていく。

 先ほどのトイレへの道のりと同じだ。どんなに辛くとも、一歩一歩先に進めば、いつかはゴールが見えるものなのだ。

 だから俺の箸……止まるんじゃねェぞ……。

 

「はぁ~っ……提督、魚の食べ方上手だねぇ……こりゃあ粋ってもんだよ」

「えぇ、お魚ってこんなに綺麗に食べられたんですね。浜風、感服です」

「ハラショー。暁も見て勉強するといい。暁の食べ方は、お魚が可哀そうになるから」

「な、何よ! 一人前のレディとしてあれくらい……が、頑張ればできる、かも……」

 

 俺が黙々と炭の塊を食べ進めるのを見て、数人の駆逐艦達は感心してくれていたようだったが、瑞鶴同様、他の駆逐艦達は若干引いているような気がした。凹む。

 クッソ不味いが、そのおかげで正気は取り戻せたような気がする。

 骨だけを残して俺はようやく炭の塊を完食した。

 うぅむ……今回は何とか食べたが、忠誠の証だからと言って何度もこんな真似をされては俺の身体が持たない。コイツの料理の腕は何とかせねば……。

 俺は改めて磯風に目を向けて言ったのだった。

 

「……うむ、ご馳走様。磯風の忠誠の証、確かに受け取った。だが、これに関して二つほど言いたい事がある」

「な、何だ……?」

「まず一つ。流石に火を通しすぎだ。熱い忠誠の現れだと受け取ったが、食べごろの焼き加減を覚えるように」

「そ、そうか……確かに私も、少し焼き過ぎたかとは思っていたんだ。め、面目ない……」

 

 少しどころじゃねぇよとツッコみたいのを我慢して、俺は言葉を続ける。

 

「そしてもう一つ。今後忠誠を示す際には、是非とも浦風ら、仲間と共に示してほしい」

 

 俺がそう言うと、数瞬の後に浜風達が、あっ、と気付いたような表情を浮かべた。

 

「そ、そうですね。提督へ忠誠を誓っているのは第十七駆逐隊全員です。提督、誤解の無きようお願いします」

「やいやい磯風っ、谷風達に声もかけずに一人だけ抜け駆けたぁ、どういう了見でいっ? かぁ~っ!」

「は、浜風、谷風……す、済まなかった。そ、そういうつもりは無かったんだが、そうだな……次に司令に料理を振舞う際には、皆にも声をかける事にするよ」

 

 よし、これで今後磯風が料理をする時は、浦風達がお目付け役となってくれるはずだ。

 流石にそれならば、それなりに食べられるものが運ばれてくる事であろう。

 面と向かって不味いというのは流石に悪いからな……少しずつ成長していってほしいものだ。

 磯風達が皿を片付けて去って行くのを眺めていると、俺の隣に控えていた浦風が、耳元でそっと囁いたのであった。

 

「ふふっ、やっぱりお優しい御方じゃ。磯風に気を遣ってくれたんじゃね……提督ぅ、素敵じゃねぇ……?」

 

 あぁ~。マンマ~。

 オァァァアアア‼ 目を覚ませァ! 炭食った効果全然感じられねェ‼

 やはり呑み過ぎたせいで理性のタガが外れやすくなっている――⁉

 もう今すぐにでも浦風の胸に埋もれて甘えてしまいたい衝動と必死に戦っている俺の苦労も知らずに、浦風は無邪気に笑いながら言葉を続けるのだった。

 

「お礼に今度はうちが美味しい茶碗蒸し、御馳走しちゃるけぇ、期待しとって? うふふっ、磯風の事も、うちに任しとき!」

 

 ボォォォオオンンノォォォォオオ‼‼

 い、いかん……間違いなく浦風もいい奴すぎる……! 裏風とか言ってスイマセンでした……!

 むしろ何でこんなに俺に好意的なのか謎なレベルの浦風まで夜戦を優先した辺り、やはり長門の影響力は大きいという事か……!

 あのゴリラのカリスマは計り知れんな……。陸奥と長門は日本の誇りというそうだし、世界のビッグセブンだし、俺とは比べ物にならんからな。凹む。

 

 と、ともかく浦風に実は嫌われてたという事がなくて良かった。本当に良かった。

 潮や羽黒みたいに態度に出してくれる方がまだダメージは少ない。

 表面的には好意的なのに実は、という方が立ち直れないからな。

 そう、大人だから態度には出さずに接してくれる妙高さんや香取姉のように……凹む。

 

「もう、浦風さんばかりずるいですよ。ほら、提督……夕雲にも甘えてくれてもいいんですよ?」

「そうそう、司令官、私もいるじゃない! もっともーっと、私に頼っていいのよ?」

「ま、まだ提督さんはうちと喋っとるんじゃ!」

 

 あぁ~。マンマ~……ァァァアアアアアーーッ‼

 だ、駄目だ。もう駄目だ。これ以上俺はここにいては駄目だ。

 夕雲、浦風、雷の三人が作り出す魔の海域バミューダ・トライアングルならぬ、マンマの海域バブミューダ・トライアングル!

 迷い込んだら二度と出られぬ三角地帯。

 俺の理性はもう完全に大破していた。単艦退避不可避。

 

 アッ、ヤバい。流石に龍田の魔眼の効果が切れた! 俺の股間に再び制御不能な熱い炎が――⁉

 股間がウェイクアップ! 理性の鎖を解き放て!

 いや解き放ったらイカン! ラストエンペラーフォームが開放されてしまう‼

 駆逐艦相手に股間おっ立てて赤ちゃんプレイとかもう完全に犯罪じゃねェか!

 俗に言う授乳手〇キは俺が謹んでお願いしたいプレイランキング第一位ではあるのだが、駆逐艦相手に許されるプレイでは到底無い。出来れば十傑衆第五席以上の方々にお願いしたい。

 

 さっきから俺の提督ノーズをくすぐる甘い香り、提督イヤーに届く電子ドラッグのごとき浦風の甘い声、提督スキンで感じる柔らかさと確かな温もり……。

 い、いかん、酒のせいか、バブみのせいか、なんだかあったかくて、ふわふわして、眠くなって……また、瞼が、重く、意識が……朦朧と……。

 

 

 

 …………。

 

 

 

「提督ー、お楽しみのところ悪いんだけどぉ、失礼しまーすっ。筆ペンと原稿用紙の申請通してくれたってねー? いやぁ、ありがたいですなぁ~! うひひっ、お礼に一年ぶりのスペシャル薄い本の新作、一番にプレゼントしちゃうね~!」

「あら、もう、駄目ですよ秋雲さん。秋雲さんのイラストは刺激が強いものが多いから、提督には見せない約束ですよ」

「夕雲姉さんの言う通りです! 司令官様に変なもの見せちゃダメっ!」

「まったく夕雲も巻雲も固いんだからぁ。実は今朝からインスピレーションが止まらなくてぇ、もうラフは出来上がってんのよぉ! ひひっ! 提督見て見てぇ、まだ正式には決めてないんだけどぉ、タイトルは名付けて『私は食らいついたら放さないワ!』って感じで~」

 

「……――『神通改二』」

「ウゲェェェーーーーッ⁉ じ、神通さん⁉ な、何でここにっ⁉」

「……そういうものは個人で楽しむ分には自由ですが、絶対に提督にはお見せしないと、かつて約束したはずですが……お忘れですか?」

「やっ、やだなぁもう! じょじょじょ冗談ですよぉ! あっ、神通さんには刺激が強いと思うんですが、あ、あの~……」

「…………~~ッ! ふ、不埒者を発見しました……! 第十駆逐隊各艦は身支度完了後、直ちに夜演習抜錨準備……!」

「えっ? えっ⁉ うぇぇええっーー⁉」

「あぁーーっ、もうっ、秋雲のバカッ!」

「あらあら、秋雲さんったら、しょうがないわねぇ。仕方ない子」

「コラァーーッ! 秋雲ーーっ! な、何で私までぇ、もぉぉ~……やだぁ~……」

 

「川内参上! えっ、なになに? 呼んだ⁉ 演習⁉ 夜戦⁉ やったぁ、酔い覚ましに夜戦だぁ!」

「いや何も言ってないし呼んでないんですけどォ⁉」

「あ、あの……川内さん、私も参加していいですか」

「おっ、満潮やる気だねっ! よーし、皆で夜戦だー!」

「那珂ちゃんも夜のボイトレ始めるよー! さぁ一緒に! あ、え、い、う、え、お、あ、お!」

「一人でやってて下さいよ! あっ、待って、川内さん、ごめんなさい、引きずらないで、アイエェェェエーーーーッ⁉」

「わぁい、ちょっと違うけどアッキーいい声ー!」

 

 

 

 …………。

 

 

 

 ……ハッ。

 い、いかんいかん。完全に眠ってしまっていた。

 何か今、断末魔の叫びが聞こえたような……アレッ、夕雲がいない……あっ、何か一人、川内に引きずられて外に出て行った。

 まだ名前を憶えられていない奴だ。き、君の名は――⁉

 今の奴は確か……巻……いや、秋……いや、沖……雲……いや、霜……沖霜? いや、それは現在の俺の股間か。オッキシモ、ってやかましいわ。

 夕雲だけじゃなく、何か数人いなくなっているな……夕雲型はまだ名前も憶えきれてないというのに、俺の意識が飛んでいる間に一体何が……。

 

 と、とにかく一瞬眠ってしまったが正気は保ててるよな。

 ここは何処? 俺は誰?

 ここは自分だけの艦娘ハーレム。自分の名前は精神退行艦オギャる丸であります。よし、至って正常であります。マンマ~。

 

 自分、クズ度を充実させてみたのであります。

 これはもう、救いようが無いであります!

 むしろ飛ばしていくであります!

 さて、人として退化したこのオギャる丸、本領発揮であります!

 

 ふふふ、夜目も利くのでありますよ。

 自分には、敵艦隊が見えるのであります。

 

「うぅぅ、ぐすっ、瑞鶴、何で私ばっかりあんな恥ずかしい目に……これから提督にどんな顔を合わせればいいの」

「ご、ごめん、確かに提督さんに報告に行く前に、私がパンツ見えてるの教えていればよかったね」

「わぁぁーっ!」

「あぁっ、泣かないで翔鶴姉! 今度からパンツ見えないように私も注意しておくから、ねっ?」

「哀れね」

 

 ややっ、泣き上戸状態の翔鶴姉が瑞鶴に絡んで抱き着いているであります。おぉっ、パンツ! パンツであります!

 据え膳食わぬは男の恥!

 もう少し近づいて乗り込むであります! あの海峡(パンツ)の先へ――!

 オギャる丸、性空権確保および童貞喪失を狙うであります!

 股間の震電改ならぬチンデッカイ! それっ、全機発艦!

 

 遠目に見えた翔鶴姉のパンツに、思わず我を忘れて股間と共に立ち上がった瞬間――。

 

「むにゃ……泊地修理ですね……お任せくらはい……ぐぅぅ……」

 

 俺の足から落ちた明石が寝ぼけたのか艤装が具現化され、勢いよく伸びてきたクレーンが俺の股間に再び叩き込まれた。

 おごォォオッ⁉ だからそこは俺のタマ改二おめでとうニャ!

 明石の艦艇修理施設カットインによりチンデッカイ全機撃墜……! 性空権喪失……! 引き続き童貞確保……! 凹む。

 このバカッ! 二日続けて上官の股間に甚大な被害を与える奴があるかッ‼

 チン(ポー)再打痛! 遥かなる据え膳‼

 俺は勢いよく膝から崩れ落ちた。

 

「はわわ⁉ 司令官さんがまるでいつもの天龍さんのように!」

「て、提督さん大丈夫け⁉ あ、明石姐さん、何を寝ぼけておるんじゃ!」

「司令官大丈夫? 雷がさすってあげましょうか?」

「い……いや、そこはさすらなくていい……そ、それより明石を隅の方に……」

「寝ぼけて艤装を具現化されては危ないからな……司令官、ハラショー」

 

 六駆の四人に明石を輸送させている間、俺は表情を崩さないように一人悶絶する。

 明石は相変わらずすやすやと幸せそうな寝顔を晒していた。

 こ、こンの裏工作艦がァ……! やけに膝枕をねだってくると思っていれば、俺の股間の狙撃に適した位置を確保する為の工作だったというのか……ッ⁉

 怒りのままに怒鳴り散らしたいところだったが、コイツは艦娘のパイオツ管理豊満担当者……。

 金剛のビーチク確保の為の交渉も担っている……!

 それに気持ちよさそうに眠っているのを起こすのも忍びないし……寝顔も可愛いし……。

 クソッ! 今回だけは許すが、今度こそ次は無いからな。ホント覚えとけよ。

 

 股間を襲った激痛により、何とか正気を取り戻す事が出来た。

 さっきまでの俺はなんておぞましい事を考えていたんだ……。

 まさかこの土壇場で色欲童帝に続き新キャラが出てくるとは……!

 明石の迎撃が無ければ、間違いなく俺は加賀や瑞鶴に構わずに翔鶴姉のパンツに飛び込んでいたところだろう。

 そ、そうか、明石も大淀や夕張と目的は同じで、俺がこれ以上下手な事をしないようにと……いや、今回のはただ寝ぼけていただけだ。うん。

 

 ともかく九死に一生を得られたが、もはや考えている暇は無い。もう凄い勢いで絶望へのカウントダウンが始まっている気がする。

 少し遅れて酒が回ってきたとでもいうのか……! それともバブみという名の酒に酔っぱらってしまっているのか。

 と、とにかく、ついに完全に正気を失ってしまった辺り、俺はもうヤバい。

 これ以上酒を呑んで理性が完全に消去されたが最後、おそらく性欲とバブみを求める魔物が俺の中から飛び出すだろう。ヒャッハァーーッ! マンマァーーッ‼

 ア、アカン! 横須賀鎮守府史上最低の性犯罪者がここに生まれてしまう――⁉

 

 もう那智との勝負どころではない! 一旦休憩!

 そ、そうだ、とりあえず目を覚まそう! 顔を洗ってシャキッとしよう!

 それでも駄目なら壁に頭ぶつけて気絶しよう!

 せめて誰もいない場所へ行こう!

 いや、あの時妹達がやったように、両手両足を妖精さんに縛ってもらって部屋に閉じ込めてもらおう!

 時間が無い!

 とにかく被害を防ぐ為にも、急いでこの場を離れねば――!

 

「提督さん、何でさっきは急に立ち上がったんじゃ?」

「い、いや、少し眠くなってしまってな。か、顔を洗ってくる!」

 

 心配そうに声をかけてくれた浦風の言葉に俺はそう答え、返事も待たずに立ち上がった。

 足早に出口へ向かい、そして――急ぐあまりに、出口の前で足がもつれて、躓いてしまう。

 アッ、転んだ。一瞬の内に俺が悟り、地面に顔面をぶつける前に反射的に瞼が閉じられた――瞬間。

 

 ふにゅん、と俺の顔を包み込んだのは、固い地面ではなく、今まで感じた事の無いほどの柔らかい何かだった。

 目を開けるまでの数瞬で、思考が走る。

 な、何だこれは、浦風や夕雲のそれに似て非なるこの圧倒的な柔らかさと暖かさは……天龍さえも足元に及ばないほどのかつてないボリューム感は……。

 これはまさか、俺のフルコースのデザートにすると決めている幻の果実、パイパイパパイヤ⁉(捕獲レベル8181)

 な、何故こんなところに⁉ それもこんな上質の――⁉

 

 混乱している俺の耳に届いたのは――。

 

「きゃっ⁉ あらあら、大丈夫ですか? 呑み過ぎてしまったのかしら……伊良湖ちゃん、お水を持ってきてくれないかしら」

 

 エッ……⁉

 

 な……何……だと……ば、馬鹿な……この声は……もしかして、こ、これは――⁉

 俺はゆっくりと、ゆっくりと目を開ける。

 

 

 …………‼

 

 

 最初の座席から遠かった……。

 

 

 カウンターの前に来ても遠かった……。

 

 

 どんなに彷徨っても……決して会えなかった君が……!

 

 

 

 ――こんな……こんな近くに‼

 

 

 

 ……。

 

 

 

 私……ハ……マン ゾク ダ

 

 

 間宮さんの胸に包まれたショックにより俺の意識はそこで途切れた。

 




大変お待たせいたしました。

丙ですが何とか初めてイベントを完走する事が出来ました。
我が鎮守府は陸攻、水戦って何ですかというレベルの弱小鎮守府ですが、第一ゲージでは基地航空隊と合わせて瑞雲ガン積みで制空を優勢に持っていき、第二ゲージでは俳句を詠みながらゲージを破壊してくれたもがみんには頭が上がりません。
瑞雲が無ければ詰んでいました。
瑞雲祭りで日向と最上が並んでいた公式絵は丙提督への隠れたメッセージだったのでしょうか。

今回のイベントで感じた絶望感や臨場感などを今後このお話に活かす事ができればと思っています。
目的の艦の掘りはまだまだなので、これから最後まで粘ろうと思います。


そして今まで伏せていたのですが、ここまで読んで下さった皆様にお伝えせねばならない事があります。






実はオータムクラウド先生の正体は秋雲なのです。


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032.『歓迎会』【艦娘視点③】

「――提督ッ⁉」

 

 未だにゴーヤ酒一杯に苦戦している私の視線の先で、提督がいきなり倒れこんだ。

 それを見た周りの艦娘達は私も含めて慌てて駆け寄ったが、提督をその胸に抱き支える間宮は口の前で指を立て、しぃ、と小さく囁いた。

 

「気分が優れないようでもないですし、おそらく呑み過ぎて眠ってしまったようです。昨日も眠っていないようですし、このまま眠らせてあげましょう」

 

 糸が切れたかのように崩れ落ちた提督の寝顔を見てみれば、起きている時の引き締まった表情とは対照的に、ひどく緩んでしまっているように思えた。

 いや、流石に眠っている間も表情を引き締めろというわけではないが、いい夢でも見ているのだろうか。

 提督を囲んで輪を作りながら、艦娘達はそんな提督の姿を物珍しそうに観察する。

 私の隣の龍驤がいつものように飄々とした様子で口を開いた。

 

「ほっほぉ~? あの鉄仮面の司令官も寝顔は随分可愛いんやなぁ。何やら笑ってるみたいやね。なぁ、瑞鶴」

「いや、笑ってるというかにやけてるというか、鼻の下が伸びてるというか……ふんっ、心配して損したわ。案外酔い潰れたんじゃなくて、間宮さんの胸に埋もれたショックで気絶してたりして」

「貴女とぶつかっていれば無事だったという事かしら」

「加賀さんちょっと表に出ようか⁉ 行くわよ、龍驤さん!」

「いや何でうちまで巻き込まれてんねん⁉」

「哀れね」

「やかましいわ!」

 

「さぁ! いよいよ吾輩と筑摩、利根型姉妹の挨拶の時間じゃ! 真打は遅れて登場するものなのじゃ! なーっはっはっは! ……って何事じゃー⁉ 筑摩ーッ! ちくまァーーッ⁉」

「あらあら、利根姉さん? どうやら提督は酔い潰れてしまったようですね」

 

 厠にでも行っていたのだろうか、高笑いしながら店内へと入ってきた利根がいつものように素っ頓狂な声を上げた。

 未だに挨拶が出来ていなかった千歳と千代田も、残念そうな表情を浮かべる。

 

「えぇー……どうしよう、千歳お姉」

「残念ね。提督とお酒を酌み交わしながらお喋りできると楽しみにしていたのに。次の機会を作ってもらえるのかしら」

「あっ! 千歳お姉、いくら提督相手でも二人きりで呑んじゃ駄目よ! 絶対私にも声をかけてよね!」

「さぁ、どうしようかしら。千代田には内緒で……ふふっ」

「駄目っ! 絶対に駄目なんだから!」

 

 中の騒ぎを聞きつけたのか、外に出ていた大淀達が慌てて駆け寄って来た。

 長門と金剛ら戦艦達が提督に駆け寄った余波で駆逐艦が数人木の葉の如く吹き飛ばされてしまう。非常に迷惑だった。

 

「ノォォーーッ⁉ こ、これは一体どういう事デスカーッ⁉ テートクゥーーッ⁉」

「ば、馬鹿なッ⁉ もしや敵襲か⁉ くっ、この長門がいない隙を狙うとは――!」

「この二人は置いておいて、まっ、間宮さんっ! 何があったんですかっ⁉」

 

 間宮が大淀達に改めて説明しているのを眺めていると、私の背後に立っていた妙高姉さんが困ったような表情でこう言ったのだった。

 

「先に酔い潰れた方が負け、という取り決めだったわね。おめでとう那智、貴女の勝ちよ」

「妙高姉さんも人が悪い……私がゴーヤ酒とやらで未だ足踏みをしている事くらい知っているだろう。その間に提督は何杯呑んだと思ってる」

「呑むペースも呑んだ量も勝敗には関係ないルールだったでしょう? 立ち合いを任されたこの私が貴女の勝ちだと判定しているのよ」

 

 妙高姉さんの言葉に私の方が面食らってしまったが、よくよく考えてみれば妙高姉さんはこういう人だった。

 あくまでも今回の呑み比べは「先に酔い潰れた方が負け」という取り決めしかしていない。これは私の落ち度であった。

 呑むペースを落とそうが、呑む量を減らそうが、それは作戦の一つとして容認されてしまうという穴があった。

 無論、この那智がそんな小細工を弄するつもりがあろうはずも無いし、あれだけの量をあれほどのペースで呑み干していた提督も同様であろう。

 

『敬意を払うべき者から酒を注がれる際には、杯を空にするのが礼儀だ』と提督は語ったが、まさに有言実行だった。

 私の後に潜水艦や戦艦、駆逐艦など数多くの艦娘と挨拶を交わしていたが、あの男はなんと全ての艦娘に注がれる酒を、全て一息に飲み干していたのだ。

 それはつまり、この鎮守府の艦娘全てに敬意を払っているという事に他ならない。

 金剛型に至っては一人で何回も注いでいたのだから、果たして提督は何杯の酒を呑み干してしまったのだろうか。

 一方で私はゴーヤ酒をどうしても飲み干す事が出来ず、酔ってすらいないような状況だ。

 

 そんな状況で、提督が最後に何を食べていたか。私は思わず自分の目を疑った。

 磯風が忠誠の証だと言って持ってきた炭の塊を、提督は顔もしかめずに黙々と完食していたのだ。

 

 それを見て、流石に私も悟らざるを得なかった。

 提督が相手にしていたのは私だけではなく、この横須賀鎮守府の艦娘全員だったのだと。

 未だに私が飲み干す事の出来ていないゴーヤ酒とやらも、あの磯風の作った焼き焦げた炭の塊も、提督にとっては、提督の望んでいた「艦娘達の自然な姿」だったのだろう。

 提督に気を遣わずに背中に抱き着いた潜水艦、提督を枕にして眠りこけていた工作艦、私が言える立場では無いが侮蔑とも取れる厳しい言葉を投げつけた駆逐艦。

 無礼と取られてもおかしくは無いそのどれもが艦娘の自然体であり、それこそが提督の求めていたものだった。

 私との呑み比べもその一つに過ぎなかった。

 

 最終的には艦娘の物量に負けて提督は酔い潰れてしまったが、私は試合に勝って勝負に負けた、という事なのだろう。

 

「そうだな……私の勝ち、か。フッ、普通に呑み比べても負ける気はしないが……奴には敵う気がしないな」

 

 今回の負けさえも、あの男は喜んで受け入れるのだろう。

 賭けを提案した時には、もしかするとすでに自らの負けを悟っていたのかもしれない。

 あれだけの智謀の持ち主ならば、むしろそう考えた方が自然だ。

 

「ふふっ、本当に不思議な人ね」

「足柄……その、済まなかったな。私もこんな席で呑み比べなどに誘うべきでは無かった。皆にも悪い事をした……」

 

 仕方が無い、とでも言いたげな表情の足柄であったが、どこか嬉しそうにも見えた。

 足柄は騒がしい艦娘達に囲まれながらも全く目覚める気配の無い提督を見つめながら、口を開いた。

 

「いいえ。多分、それで良かったと思うの。提督は私達が気を遣わずに接してくるのを喜んでいたようだったから……那智姉さんが呑み比べに誘ってきた事も、きっと嬉しかったんだと思うわ。それに、提督も口では那智姉さんに負けてられないなんて言っていたけれど、おそらく呑み比べがなくても、お酌されたお酒は全て飲み干していたと思うわよ」

「そのせいで足柄のカツカレーに手を付けられなかったと聞いた時には、思わずお説教をしようかと考えてしまったけれど。それも想定内だというなら流石に……」

「みょ、妙高姉さん、それは大目に見てあげて」

 

 妙高姉さんは怒っているというわけでは無いが、少し呆れているようだ。

 良くも悪くも公平で融通の利かない性格だ。

 足柄のカツカレーを食べるという約束をしていながら、考え無しに酒を呑む事で腹を下し、結果として足柄が遠慮する羽目になった事は、流石に提督と言えども落ち度であると考えているのだろう。

 ましてや最初からカツカレーに手をつけられなくなる事すらも想定内であったというならば、それは当然失礼にも程があると。

 しかし、当の本人はすでに納得が出来ているようで、小さく溜息をついて言葉を続けた。

 

「腹痛のせいで私のカレーを食べられなかったのはおそらく想定外よ。そう、本当に不思議な人……昨夜、私達に最高の勝利を与えてくれた頭脳を持ちながら、艦娘全員を大切に思うあまりにこんなヘマをやらかしてしまうなんてね。ふふっ、私のカレーを楽しみにしていたって言ってくれた時の提督の表情、妙高姉さん達にも見せてあげたかったわ。普段は凛々しいのに、今にも泣いてしまいそうな、あんなにも悔しそうな顔をされてしまったら、許すしか無いわよ」

 

 そう言って困ったように笑う足柄を見てしまっては、妙高姉さんも何も言えるはずが無かった。

 私と目を見合わせて、私達も肩をすくめて笑うしか無かったのだった。

 

「完全無欠の完璧超人、というわけでは無いみたいね。なんだか少し安心したわ」

「そうだな。私達にもまだあの男を支える余地はある、という事だ。聞いていたな、羽黒」

「ふぇぇえっ⁉」

 

 ぽん、と羽黒の肩に手を置くと、羽黒は素っ頓狂な声を上げて肩を震わせた。

 どういう事でしょうか、などと涙目で訴えてくるものだから、私はその目を見据えながら言葉を続けた。

 

「提督を支えるのは秘書艦の役目だ、という事だ。那智型……いや妙高型の名に賭けて、鹿島に負けてられんぞ」

「そ、そんなぁ……そ、そもそも勝負する事では……」

「いいえ羽黒。私が思うに、改二になる為に貴女に足りないのは勝利への執念! 勝ちへのハングリー精神よ!」

「足柄姉さんまで……みょ、妙高姉さん、何とか言って下さい」

 

 羽黒は縋るように妙高姉さんにそう言ったが、当の妙高姉さんは、隣の香取と何やら楽しそうに言葉を交わしていた。

 

「うふふ。うちの鹿島も羽黒さんに負けないように頑張らないとですね。香取型の名に賭けて」

「お手柔らかにお願いしますね。ふふふ、うちの羽黒も負けられませんね」

「あらあら、まぁ」

「いえいえ、うふふ」

「な、何を競い合ってるんですかぁ!」

 

 涙目の羽黒に縋りつかれるも、妙高姉さんはそれを気にせぬように私にこう言うのだった。

 

「あぁ、そうそう、那智。そう言えば、敗者は勝者の言う事を聞くという賭けの件だけど、提督に何を言うつもりなの?」

「む、そうだな……羽黒をどうかよろしく頼むと伝えておこう」

「ふぇぇええっ⁉ や、やめて下さぁいっ!」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――翌日。

 

「……朝潮? 荒潮の姿が見えないけれど」

「はいっ、大淀さん! 昨夜、司令官が追いかけてきて捕まえてくれなかったからと、未だ布団の中でふて寝しています! いかがいたしましょう?」

「叩き起こしてらっしゃい」

「了解しました!」

 

 提督が酔い潰れてしまった事で強制的にお開きとなった歓迎会から一夜明けた。

 私室までお連れしようかとも思ったが、あまり動かさない方が良いかもしれないとの意見を受け、提督にはその場に敷いた布団で休んでもらう事になった。

 添い寝しようと布団に潜り込もうとする金剛やイク達を長門さんに引きずり出してもらい、私はその場にいた面子に、提督に任された備蓄回復作戦について簡単に説明をして――現在に至る。

 

 提督の姿の無い執務室に、横須賀鎮守府のほぼ全ての艦娘が集合している。

 時刻はマルハチマルマル。

 あれだけ大量に呑んだからか、提督はこの時間になっても目覚めなかったが、私達はそれにほとんど戸惑う事が無かった。

 何故ならば、提督が前もって私にこう指示をしてくれていたからだ。

 

『私の許可を待たずに、大淀の判断で開始して構わない。報告も随時で良い。ただし、なるべく迅速に頼む』

 

 思えば、提督はこのような状況を考えて、私に備蓄管理を任せてくれたのだろう。

 現在の備蓄状況の回復については一刻を争い、迅速な行動が求められる。

 そして途中で力尽きたとはいえ、全ての艦娘に平等に対応した事で酔い潰れてしまう事も、あの提督ならば予測済みだと考えてもおかしくはない。

 

 ――前提督の場合、その日の気分で酒に溺れ、翌日も二日酔いで仕事にならないといった事が多々あった。

 その間、私達は指示を受ける事も出来ず、かと言って何もしなければ厳しく叱責されたものだ。

 

 深海棲艦のはぐれ艦隊が近海に迷い込んできたものを迎撃すれば、「兵器の分際で儂の指示も無しに勝手に動くとは何事だ!」と怒鳴り散らされ。

 それに従い動かなかった事で近海の漁船等に被害が出れば、「指示が無ければ満足に動けないのか! それくらいの判断も出来ないのか!」と怒鳴り散らされた。

 ついでに言えば、酒に溺れるのも、「誰のせいでストレスが溜まっていると思っているんだ!」との事だった。

 

 ふと、それを思い返せば、提督がただ一言残してくれた言葉の有り難さが身に沁みた。

 私に構わず、大淀の判断で動いてくれ、と。

 そして提督は艦娘一人ひとりに真摯に向かい合い、物量に押し負けて酔い潰れてしまった。

 あれほどの智謀を持つ方が、何も考えずに酔い潰れてしまうはずなど無い。

 提督は自分がいなくても鎮守府の動きが止まらないように、すでに手を打ってくれていた。

 そう。真の右腕たる、この私に――。

 

『――お前を信じてるからな』

 

『それだけは、改めて伝えておきたかったのだ』

 

『私を一番上手くフォロー出来るのはやはり大淀しか考えられんからな……』

 

『これからも、至らない私を支えてくれ』

 

 提督が私に、私だけにかけてくれた御言葉が頭の中で反芻される。

 つまり、提督が酔い潰れてしまった事は、私への信頼の裏返しなのだ。

 たとえ自分がいなくとも、この大淀がいれば艦娘達を上手くまとめ、備蓄管理をこなしてくれるだろう、と。

 大淀に指揮を任せる事で、自分は酔い潰れるまで目の前の艦娘達に全力で向かい合う事ができるだろう、と。

 私がいるから、提督は安心して酔い潰れる事ができたのだ。

 よ、よぉし、よぉし……! 頑張らねば! その信頼に全力で応えねば!

 

「大淀、ドヤ顔」

「もういちいち指摘しなくていいんじゃない?」

 

 明石と夕張が呆れたようにそう言うのが聞こえたので、平静を装いながらコホンと小さく咳払いをした。

 寝ぼけ眼をこすりながら、荒潮が朝潮に手を引かれて入室してきたので、私は改めて執務室に集まった艦娘達に向かって口を開いた。

 

「それでは全員揃いましたので、改めて本日の作戦について説明します。本作戦の主眼となるのは、先の遠征により発見された敵資材集積地からの資材確保、輸送作戦です」

 

 私の考えた作戦はこうだ。

 先の戦いで発見された三箇所の敵資材集積地。

 北東のA島、東のB島、南東のC島に、それぞれ私が振り分けた艦隊を向かわせる。

 ただ、いきなり輸送部隊を向かわせるのではなく、念には念を入れて、まずは精鋭駆逐隊で構成された先遣隊による偵察を行う事とした。

 

「北東のA島へは時雨、夕立、江風。東のB島へは暁、響、雷、電。そして南東のC島へは朝潮、大潮、荒潮、霞ちゃんの――」

「ちょっ、ちょっと待って!」

 

 私の声を遮ったのは満潮だった。

 それは私にも想定内の事であり、事実、とても悩ましい所だ。

 今回の先遣隊には、先の遠征部隊として提督が選んだ駆逐艦の精鋭達を再び編成した。

 そこで、霞ちゃんと満潮を入れ替えるか否か……提督はあの戦いにおいて、少しでも練度の高い霞ちゃんを選んだが、今回の作戦に関してはどうかという事だ。

 

「私じゃ、やっぱり私じゃ力不足って事、でしょうか……」

 

 今にも泣いてしまいそうな満潮を見ていると心が痛む。

 私の判断では、今回の作戦に関しては満潮でも十分であるとは思う。

 制海権を取り戻した今の領海内であれば、満潮も十分すぎるほどに高い練度を持っているからだ。

 それを知りながらなお霞ちゃんを編成した私も、少し提督の事を意識しすぎであろうか。

 

 どう声をかけようかと躊躇している私に、川内さんが声をかけてくる。

 

「大淀、昨日の遠征については、提督も厳しい航路になる事が予想できてたから、少しでも練度の高い霞を編成したんだと思うけど。今回の作戦もそうなの?」

「そ、それは……申し訳ありません。確かに、私も提督の事を意識しすぎているようです。正直に言えば、満潮の練度ならば今回の任務をこなすに十分すぎるほどだと思っています……」

「まぁ、それも無理はないけどさ。大淀の指揮能力は私達だって信頼してるんだし、自分の判断に自信を持ちなよ。満潮は昨日だって、私達の夜戦演習に最後まで着いてきてたし、練度は十分だと私は思うよ?」

 

 川内さんの意見は、満潮に対する同情や哀れみなどでは決して無かった。

 満潮の練度をしっかりと見極め、公平に判断した故の言葉であった。

 先の戦いにおいて提督が心を鬼にして、満潮が傷つく事を知りながら編成から外したのは、勝利の為に最善を尽くす為。

 今回の作戦内容であれば第八駆逐隊の中で満潮だけを外す意味など皆無。提督に囚われ過ぎて本質を見失い、満潮を傷つけるだけの意味の無い編成をしてしまうところであった。

 そんな事を提督は私に求めているであろうか――否。

 迷いを持ちながら提督の模倣をするのではなく、私が最善と思った判断を下す事こそが、提督の求めている事のはず。

 

 提督の事を意識するあまり自分を見失いかけていた私に、川内さんはそれを気付かせてくれたのだ。

 

「……川内さん、ありがとうございます。私もこれからは提督に囚われ過ぎず、自分の判断を信じる事にします」

「うんうん。頼りにしてるよー」

「ちなみに満潮、同じく夜戦演習に参加していた夕雲達は疲労困憊して休息中だけど……無理をしていない?」

「はっ……はいっ! 勿論、です!」

 

 一抹の不安はそれだった。

 昨夜の歓迎会において、提督は川内さん達に夜戦演習の許可を出し、早速それに巻き込まれた夕雲、巻雲、秋雲、風雲は現在揃って布団の中。

 這う這うの体でお風呂に浸かり、泥のように眠っているはずだ。

 練度の差もあるとは言え、厳しい演習を受けて満潮も全然平気というわけにはいかないだろう。

 見た所問題は無さそうだが、無理をして疲労を隠していなければ良いのだが……ここは満潮の熱意と練度を信頼しよう。

 

【先遣隊兼遠征部隊】

・時雨、夕立、江風

・暁、響、雷、電

・朝潮、大潮、満潮、荒潮

 

【鎮守府近海警備兼資材回収部隊】

・伊168、伊19、伊58

 

「――先遣隊はまず、ドラム缶では無く主砲と電探を装備し、目的地までの偵察と輸送部隊の露払いを担います。現在の領海内であればせいぜい迷い込んだはぐれ艦隊程度しかいないと思われる為、貴女達ならば後れを取る事は無いはずです。イムヤ達潜水艦隊は、普段通り近海のパワースポットを巡って資材回収を行いつつ、敵艦隊を見つけ次第排除して下さい」

 

 私の言葉に、名を呼ばれた駆逐艦、潜水艦の皆はにわかに活気づいた。

「提督さんにもっと褒めてもらうっぽい!」「きひひっ、時雨の姉貴も提督に褒めてもらえるように頑張ろうな!」「ぼ、僕は別に……」「第六駆逐隊、一人前のレディとして」「司令官にもっともーっと頼ってもらうのよ!」「なのです!」「ハラショー」「朝潮型、司令官の期待に応えるわよ!」「アゲアゲで参りましょう!」「うふふっ、華麗に出撃よ~」「伊号潜水艦隊の力、見せてあげましょう!」「いひひっ! 提督のご褒美、期待しちゃうのね!」「ゴーヤはお休みが欲しいでち!」などと、てんやわんやの状態だ。

 

 こんな光景を見るのは――初めてだった。

 皆の戦意が溢れんばかりに高揚しており、もはや光り輝いているようにすら見える。

 どうやら提督は、たった一晩で皆の心を掴んでしまったようだった。

 酔い潰れてまで、一人ひとりに全力で向き合った賜物であろう。

 そして提督が安心して酔い潰れる事が出来たのは、信頼できる右腕の存在があってこそ。

 何だか私まで嬉しくなってしまった。

 

「先遣隊による偵察と露払い終了後、輸送部隊を出撃させます。こちらはドラム缶を満載し輸送に主眼を置き、効率的かつ疲労が溜まらない程度に複数の艦隊で交互に反復出撃を行います。輸送に特化する事で不足する戦力は、各旗艦の方々に補ってもらう事となります。特に大発動艇を装備した千歳さんの艦隊が輸送部隊の主力となりますので、よろしくお願いします」

 

【輸送部隊】

・千歳、千代田、皐月、水無月、文月、長月

・香取、朧、漣、潮

・川内、朝雲、山雲、霰、霞

・神通、浦風、磯風、浜風、谷風

・那珂、長波、高波、藤波、沖波

・夕張、朝霜、早霜、清霜

 

 本来はここに天龍、龍田さん、そして夕雲、巻雲、秋雲、風雲で、もう一つか二つくらい輸送部隊が編成できたはずなのだが……。

 私の知らないところで天龍が大破していたり、第十駆逐隊が全員立ち上がる事も出来ないほどに疲労困憊していた事には頭を抱えてしまった。

 聞けば天龍と龍田さんに夜間哨戒任務を命じたのは他ならぬ提督だと言うし、川内さん達の夜間演習も提督の許可を得ているとの事であったので、私にはそれ以上何も言える事など無い。

 

 ご自身の歓迎会の最中に夜間哨戒に向かわせたのには、何か考えがあるのだろうか。

 帰投した龍田さんの話では、単純にあの夜の海の様子が気になったのでは、との事だった。

 やはり歓迎会の最中にも、あの脳内では休むことなく執務をこなしていたのだろう。本当に頭が上がらない。

 ならば、今現在、ようやく訪れたひと時の休息くらいは、私達が守らねば。

 

 私は決意を新たに、顔を上げて言葉を続けたのだった。

 

【待機】

・大淀(備蓄作戦指揮)

・長門、金剛、比叡、榛名、霧島

・赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴、龍驤、春日丸

・妙高、那智、足柄、羽黒、利根、筑摩、青葉

・天龍(夜間哨戒任務にて大破し入渠中)、龍田(夜間哨戒任務後の休息兼、天龍の付き添い)

・夕雲、巻雲、秋雲、風雲(夜戦演習後疲労の為休息中)

・鹿島、明石

 

「残りの方々は鎮守府内に待機となります。戦艦、空母、重巡の皆さんには歯がゆい思いをさせてしまいますが、備蓄確保も立派な戦いです。いつか再び迫り来る決戦の時に向けて、英気を養っておいて下さい」

「ひとついいか。大淀、昨日も言ったが私も改二を発動すれば大発動艇を」

「英気を養っておいて下さい」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「おっ、大淀さんっ! 大変っ、大変ですっ!」

 

 先遣隊を送り出してから数時間、もうすぐ昼になろうかという時であった。

 この先一か月間の備蓄管理計画について頭を悩ませている私のもとに、鹿島と羽黒さんが駆けて来たのだった。

 もしや提督の身に何か、とも思ったが、話も聞かぬうちに狼狽えていては頼りない。

 私は焦る気持ちをぐっと堪えて、平静を装いながら二人に向き合った。

 

「どうしました? そんなに慌てて」

「あっ、あのっ……元帥が、佐藤元帥が、今からこちらにいらっしゃるとの事です!」

「えぇっ⁉」

 

 思わず声が出てしまった。

 鹿島と羽黒さんが慌ててしまうのもよくわかる。それほどまでに、元帥が鎮守府を直接訪れるという事は滅多に無い事だ。

 大抵の場合、鎮守府を訪れるのは視察官であり、元帥が訪れる際にはよほどイレギュラーで無い限り、数日前には連絡が来るはず。

 話を聞けば、佐藤元帥から直接連絡が来たとの事だから疑いようも無い。

 すでに車でこちらへ向かっている最中であり、あと三十分もかからずに到着するとの事であった。

 

 すっかり狼狽えてしまっている新米秘書艦の鹿島と羽黒さんを落ち着かせ、私自身にも落ち着くように心の中で言い聞かせた。

 提督の真の右腕たるこの私が、この程度で動揺してはならない。

 そう、この程度の事は、あの提督ならば想定の範囲内だからだ。

 

 一つひとつ整理していこう。

 何故、元帥自ら横須賀鎮守府を訪れるのか。

 考えるまでもなく、今朝、艦隊司令部へデータを送った報告書が関係しているだろう。

 横須賀鎮守府の近海にまで姫級に侵攻され、あと一歩で壊滅させられていたという事実は、艦隊司令部にとって見過ごせる事では無い。

 つまり、詳しく話を聞きに来たと考えて間違いは無いだろう。

 ただし、それも視察官で済む話ではあるはずであり、元帥自ら訪れる理由になるかと言えば、少し弱い。

 

「……佐藤元帥は、何か仰っていましたか」

「いえ、その、特には……ただ、提督と二人で話したいと」

 

 やはり――むしろ、そちらが本命か。

 元帥自らが訪れた意味。それは、提督と膝を突き合わせて直接話すという事にある。

 視察官では意味が無いのだ。

 しかし、直接会って話すだけならば、提督を艦隊司令部へと呼び出す方が自然だが……多忙な元帥の方が出向くとは、どういう事だろうか。

 余程の事でも無い限り、今まで元帥自ら鎮守府を訪れるという事は無い。

 それはつまり――余程の事が起きているという事なのだ。

 

「わかりました。提督はまだ目覚めてはいなかったですか?」

「はい、ぐっすり眠ってしまっていて、あまりにも幸せそうなので起こすのも忍びなくて。間宮さんのお布団はそんなに寝心地がいいのでしょうか」

「寝心地はわかりませんが……それはともかく二人は提督に付いて下さい。可能ならば起こして状況説明、身だしなみも整えてもらって下さい。佐藤元帥は私が出迎えます」

「は、はい。了解です」

 

 鹿島と羽黒さんが去ったところで、私はようやく大きく息をつく事が出来た。

 廊下に出て窓の外を眺めながら、改めて考える。

 私のあの予想は何の根拠も無かったが……元帥自らが提督を訪ねてくるという状況に、現実味を帯びてきてしまった。

 だとするならば、やはり提督はこの横須賀鎮守府には――。

 

「うん? 大淀、何難しい顔してんねん」

「りゅ、龍驤さん……」

 

 いつからそこにいたのか、気が付けば龍驤さんが隣から顔を見上げていた。

 私は動揺を押し隠すように眼鏡の位置を直しながら言葉を返す。

 

「い、いえ、何でも無いんです」

「大淀。加賀ほどじゃないかもしれへんけど、うちも人も見る目には少し自信があんねん。一人で抱え込むのはキミの悪い癖や。昨日から一体何を隠しとるん?」

 

 図星だった。

 先の戦いにおいても、提督の指揮に隠された意図をいち早く理解し、周りの艦娘へと繋ぐ大きな役割を果たしたこの人は、そう、色々と鋭いのだ。

 だが、龍驤さんの言葉は私の意図とは少し違ったので、私は慌ててそれを否定した。

 

「い、いや! 隠しているわけでは無く」

「軽々しく口に出来る推測では無い、っちゅー事やろ。確たる根拠も無いのに鎮守府を混乱させるわけにはいかん、と慎重になる気持ちはよく理解できるわ」

 

 うぐ、と私が言葉に詰まってしまうのに構わず、龍驤さんは言葉を続ける。

 

「せやけどな、うちも、うちらも、キミの頭脳は信頼しとる。外れとっても誰も文句は言わんから、聞かせてくれへんか?」

 

 龍驤さんにそこまで言われてしまっては、私もそれ以上断る事も出来なかった。

 

「……その、ずっと考えてはいたんです。提督は一体何者なのだろう、と」

「まぁ、せやな。あの型破りな指揮能力……明らかに只者じゃあないわな」

「あの若さであれほど艦隊指揮に精通しているとなると、提督は提督候補として艦隊司令部に所属していた事は間違いありません。しかし最重要拠点の横須賀鎮守府に着任するまでに、一か月もの時間がかかりました」

「……提督の素質を持った、ただの提督候補では無い、っちゅー事か?」

「横須賀鎮守府があの状況にあっても艦隊司令部から容易に動かす事が出来なかった……この国にとって重要な人材だったのではないかと」

 

 そう、それならば、元帥自ら提督を訪ねて来たとしてもおかしくは無い。

 元帥からも一目置かれる、艦隊司令部の若き天才。

 本来、提督は艦隊司令部に所属する立場の人間であり、一鎮守府に収まるような器では無いのだとするならば、たとえ提督の資質を持っていたのだとしても、容易に異動させる事が出来なかった事の説明がつく。

 

「――やはりそういう事か……」

「な、那智さん!」

 

 どこから話を聞いていたのか、那智さんが私達に歩み寄ってきた。

 噂では提督の指揮に最も怒りを見せていたという事なので、その後考えを改めたとわかってはいても、私も思わず警戒してしまう。

 そんな私を、那智さんは鋭い目でジロリと睨みつけながら言った。

 

「……大淀。貴様も妙高姉さんと同じように、私が未だ提督に不信感を抱いているとでも思っているようだな」

「い、いえ、その……すいません」

「全く……龍驤、貴様には言っていただろう。提督の実力は戦場で見極めさせてもらうとな。そして中身は昨夜、この目で確かに見極めさせてもらった。不信感など抱けるはずもなかろう」

「うちは別に何も言うてへんし……それより、何やねん、やはり、って」

 

 那智さんの目に全く物怖じしない様子の龍驤さんに、那智さんは言葉を返した。

 

「特に思い当たるわけでは無いのだが……あの男、私達に何かを隠しているように見えてな。いや、悪い意味では無いのだ。疑っているわけでは無いのだが……何だろうな、一晩明けて振り返ってみれば、昨夜の提督の行動のどこかに、違和感を感じるのだ」

「司令官がうちらに隠し事を? なんやねん」

「いや、わからん。わからんが……大淀の語ったそれも、提督の隠し事の一つかもしれん。考えてみれば、初対面の際も昨夜の歓迎会の挨拶も不自然なほどに短く切り上げ、自分の略歴などは何一つ話さなかったしな」

 

 那智さんの言葉に、私もどこか納得してしまった。

 思い返せば、艦隊司令部からも、新しい提督が着任するという以上の情報は無かった。

 提督も自身の事を語らなかったが、たとえば昨夜、話の流れでお訊ねすれば答えてくれただろうか。

 

 提督は果たして何者なのか――もしも艦隊司令部にとって重要な存在であるならば、それも容易には明かす事が出来ないのかもしれない。

 今まで何人もの提督が不審死している状況だ。この国の将来を担う若き天才であるならばなおの事、謎の勢力に命を狙われる危険があるとしてもおかしくは無い。

 そう、提督となる事、ただそれだけでも深海棲艦達に命を狙われている現状なのだから。

 故に提督は、自身の素性を隠していても――。

 

「その、佐藤元帥が間もなく横須賀鎮守府を訪れるそうです。私が出迎える予定ですが、その際にさりげなくお訊ねしてみましょうか……」

「なッ……ど、どういう事だ⁉」

「こ、こら那智! 声が大きいって! 大淀、キミが悩んどったのはそういう事やったんか」

「え、えぇ……艦隊司令部へ今朝送った報告書関係の事だとは思っているのですが、おそらく本当の目的は佐藤元帥が提督と顔を合わせて話す事なのではないかと考えてしまって。しかし艦隊司令部に提督を呼び寄せるのではなく、多忙な元帥の方から提督を訪ねて来るなど、そうそうある事ではありません。そうなると、やはり提督は只者では……」

 

 私がそう言うと、龍驤さんと那智さんは顔を見合わせて小さく頷いた。

 

「うちも付き合うで。佐藤元帥とは、彼が元帥になる前からの旧知の仲や。何か話してくれるかもしれへん」

「この那智も同行しよう。構わんだろう?」

「そ、それは構いませんが……」

 

 駄目と言ったところで、どちらにせよこの人達は勝手についてくるだろう。

 私としては一人で応対した方が動きやすいのだが、龍驤さんと那智さんならば、状況をややこしくする事は無い、はずだ。多分。

 ともかく、佐藤元帥が到着するまで時間が無い。すぐにでも鎮守府正門へ向かわねば――。

 

「――話は聞かせて頂きました」

「じ、神通さん!」

 

 どこから話を聞いていたのか、神通さんが私達に歩み寄ってきた。

 神通さんは他に人影が無い事を確認するかのように周りを見渡し、口を開く。

 

「申し訳ありません。盗み聞きをするつもりは無かったのですが……よろしければ、私も元帥のお出迎えに同行させて頂けないでしょうか」

「じ、神通さんもですか?」

「はい」

 

 普段は腰が低く、川内さんと那珂さんが周りに迷惑をかけるたびに頭を下げて回っているが、実は芯の強い人だ。

 この人がこういう目をしている時は、決してその意思を曲げない事はよく理解できている。

 しかし、戦闘時や演習時以外にこういう目をするのは初めて見たような気がする。

 

「理由を、伺ってもいいでしょうか」

「……私は提督が何者であろうと構いません。只者であろうとなかろうと、私はあの方に付いて行くと決めました。ただ、私は提督の事をもっと知りたい。そして私の事を知って頂きたい……それだけです」

 

 その目に迷いは見られない。

 先の戦いを通して、神通さんは提督に揺るぎない忠誠を誓ったのだろう。

 提督の正体などはどうでもいい。ただ、それを知る事自体には大きな意味がある、という事か。

 提督への忠誠心ならば私も負けるつもりは無いが、この神通さんをここまで心酔させた提督が今までいただろうか……。

 

「……わかりました。ただし、三人とも傍に控えるだけにして頂けませんか。元帥へは私がお訊ねします。この件に関しては少し慎重に言葉を選んだ方がいい気がしますので……」

 

 私の言葉に、那智さんは怪訝な目を向けた。

 

「少し大袈裟すぎではないか?」

「いや、大淀がここまで言うっちゅー事は、そこまでせんとあかん想定があるっちゅー事や。せやろ?」

 

 龍驤さんの言葉に、私は小さく頷いた。

 

「はい。あくまでも想定の一つですが……提督が横須賀鎮守府から去る可能性もあるかと」

「なッ……⁉」

 

 私がそう言うと、三人の目が大きく見開かれた。

 冷静な神通さんですら、その目には動揺の色が浮かんでいる。

 何故と問われる前に、私は言葉を続ける。

 

「これは私にとって最悪の想定として考えていた事なのですが……提督が本来、国の中枢に所属するべき御方なのだとするならば、艦隊司令部は提督をすぐにでも危険な前線から異動させたいはずです。一方で、前提督は責任を問われて横須賀鎮守府から去りましたが、提督の資質を持つ者は未だ貴重です。厳重指導と再教育を施して、提督と入れ替わりで再び着任する可能性もゼロではありません。あくまでも可能性の一つとして想定していたのですが、提督がこの国にとって重要な人材である可能性がある事、そして今回の佐藤元帥の急な視察で、現実味を帯びてきたかと……」

 

「……なるほど。つまり、提督の素性について詮索される事は艦隊司令部にとって不都合。私達があまりにも余計な詮索をした場合、艦隊司令部の機嫌を損ね、そのような判断を下す可能性もあるという事ですね」

「司令官を呼び戻す事を優先するあまり、十分に指導、再教育が出来ておらん状態で前司令官が横須賀鎮守府に再着任させられる可能性は……アカン、十分にあり得るわ……」

「フン。佐藤元帥はともかく、未だ人間に逆らった兵器として我らを見る者も少なくは無い。提督がこの国の中枢でその能力を発揮すべき人材であるならば、こんなところには一刻たりとも置いておきたくは無いだろうな」

 

 神通さん達はそれぞれ納得してくれた様子だ。

 無論、これはただの想定だ。最悪の事態を考えただけに過ぎない。

 そんなはずがないだろう、と一蹴する事も出来る。杞憂である可能性の方が大きい。

 だが、そう考える事が出来ないのは、あの提督の領域に触れてしまったからだろうか。

 

 提督ならば常に最悪のケースを考えるべし。

「だろう」ではなく「かもしれない」で動くべき。

 あの提督ならば、そう考えると思ったからだ。

 

 杞憂であったのならばそれで良し。

 最悪のケースにも対応できるよう、佐藤元帥に接する必要がある。

 龍驤さん達は再び私に目を向けて、小さく頷いたのだった。

 

「大淀。もしも、最悪のケースが事実だったと判断できた場合、それを回避する策はあるんか?」

「……今は、まだ。ただ、策ではありませんが……唯一考えられるのは、そう……熱意。私達の熱意が理解して頂けたのならば、伝わったのならば……親艦娘派の佐藤元帥が、艦隊司令部に意見して下さる可能性もゼロではないかと……」

 

 私がそう言った瞬間、ザッ、と背後から足音が聞こえた。

 

「――どうやら私の出番ね」

「か、加賀さん!」

「おいおい、まさか私を置いて行く気じゃないだろうな?」

「な、長門さん⁉」

「フッ、お前達だけにいい恰好はさせんぞ」

「い、磯風ー⁉」

 

 振り返れば、曲がり角の陰からスッと姿を現した加賀さん。

 廊下の真ん中で腕組みをして、仁王立ちしている長門さん。

 壁にもたれかかり、不敵な笑みを浮かべながら腕組みをしている磯風の姿が、そこにあった。

 

 ――佐藤元帥の視察の時は、刻一刻と迫ってきていた。

 




大変お待たせしてしまいました。

年末で仕事が忙しい中、予告無しでのはっちゃんのクリスマスグラに狂喜乱舞しました。ダンケ!
是非ともイムヤにも限定グラが欲しいところです。

長かった歓迎会編も今回でようやく終了となります。
次回から元帥視察編がスタートする予定です。視察自体は編というほど長くはならないと思いますかもです、多分。
元帥、艦娘、提督の複数の視点を同時に考えながら執筆していく予定ですので、また少しお時間を頂くと思います。
お待たせしてしまいますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。


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第三章『元帥視察編』
033.『視察』【元帥視点】


「…………」

 

 横須賀鎮守府正門前に停められた車の後部座席で、私は無言のままに扉を開けるのを躊躇していた。

 窓から見えるのは、正門前に横並びに立つ七人の艦娘。

 運転手がハンドルを握る手は哀れなほどに汗ばみ、震えている。

 普段の私であれば、軽くドアを開けて車から降り、片手を上げながら気楽に挨拶をしていただろう。

 

 だが、それを戸惑うまでに、ひとつ間違えれば命取りになるのではないかと考えてしまうまでに――それほどまでに、窓越しに見える彼女達の纏う雰囲気と眼光がただ事では無かった。

 

 後部座席の窓は、外から中が見えにくいようになっている為、彼女達から私の姿は見えていないだろう。

 しかし私からは彼女達の姿がよく見える。

 彼女達の周囲の景色がまるで陽炎のごとく、ぐにゃあと歪んで見えているのは、私の視力の衰えによるものでは無いと信じたい。

 ゴゴゴ、などとどこからか地鳴りのようなものが聞こえているのも、私の聴力の衰えによるものでは無いと信じたい。

 それらの目の錯覚と幻聴のような何かは、おそらく彼女達の纏う只ならぬ迫力のせいだ。

 

 まるで今から激戦に赴くかのごとき決意、闘志、熱気。

 何故彼女達がそのような物騒なものを全身から発しながら私を迎え入れようとしているのかの答えに至るまでは、このドアを開ける事はしない方がいいだろう。

 

 何しろ、前提条件として、艦隊司令部は彼女達からの信頼をすっかり失ってしまっていてもおかしくは無いからだ。

 

 まず、私一人を出迎えるにしてはあまりにも多すぎる七人という人数も気になるが、その面子にも注目しなければならない。

 一言で言えば精鋭。

 更に言うなれば、艦隊司令部への不信感を隠そうとはしない面子が多く含まれている。

 特に那智くん、加賀くん、磯風くんなどは、前提督の件で艦隊司令部を痛烈に批判した事から、一部の艦娘兵器派の者達から特に危険視されているほどだ。

 大淀くんと長門くんは横須賀鎮守府のまとめ役を務めている二人だ。この二人がここにいる事は特段不思議な事では無い。

 

 私の目にひときわ異様に映るのは、龍驤くんと神通くんだ。

 二人とも普段と戦闘時のギャップが大きく、龍驤くんはいつも気さくに周囲を笑顔にしてくれ、神通くんは引っ込み思案で大人しい印象だが、いざ戦闘となればそれが嘘のような戦いぶりを見せる。

 そんな彼女達が今、戦闘時の目をしている。

 神通くんは駆逐艦から鬼と呼ばれ恐れられているが、その理由がようやく心から理解できたような気がした。

 

 いや、龍驤くんと神通くんだけでは無い。

 全員、明らかにこれから戦場へ赴く者の目をしていた。

 その眼光の向けられる先は、言うまでもなく私である。

 私は異様に真剣な表情で正門前に並ぶ彼女達の姿を見た時、「何ッ、七隻編成で出撃か。まさかレイテ並の脅威に立ち向かう準備を……空母に戦艦、重巡に軽巡、駆逐艦でバランスも取れているが」などと思わず口走ってしまったが、まさかそれが私を迎撃する為の編成だったとは……。

 

 もちろん迎撃というのは比喩であるが、彼女達が只ならぬ雰囲気を纏って私を出迎えようとしているのは事実だ。

 その目はとても真剣で、警戒の色が隠しきれていない。

 これを見るに、おそらく彼女達はまだ艦隊司令部への不信感を拭い去れてはいない。

 まぁ拭い去れるほどの事は何も出来ていないのだから、それは当然の事と考えた方がいいだろう。

 

 だが――彼女達の目は息を吹き返していた。

 

 私が最後に見た彼女達は、皆死んだ目をしていた。私達を、艦隊司令部を、そして自分達の運命や守るべき人間の事すら諦めたような眼をしていたのだ。

 そんな彼女達の目を見ていたからこそ、艦娘兵器派の者達は彼女達に対して怯えたのだ。

 兵器が人間に逆らった、奴らは危険だ、などと騒いでいたが、深海棲艦に唯一対抗できる彼女達から見放されたと口にするのが怖かったのだろう。

 私も今日は、そんな目をした彼女達に睨みつけられる事を覚悟してきたつもりだ。

 

 しかし、私に対して異様な圧力と熱気を発しながら向けられる眼光は、かつて死んでいたそれでは無かった。

 冷めた視線とは正反対に爛々と輝く双眸は、確実に生きているものだった。

 それだけは確実に言える。

 

 ――なるほど、わからない。

 

 やはり、彼の着任が何らかの関係を持っていると考えるべきだろう。

 大淀くんからの報告書によれば、誰も予測できなかった姫級深海棲艦による奇襲を、彼の神算鬼謀により見事に撃退する事に成功した、とある。

 

 勿論そんな事はありえない。

 ここに向かうまでに、彼の身の上に関する報告書に目を通したが、彼は艦隊指揮に関しては紛れもなく素人だ。

 彼の妹からの聞き取り調査と身辺調査を合わせても、そこだけは疑いようが無い。

 彼が意図せず指揮した事が偶然にも全てうまく行った可能性など、無に等しく万に一つも有り得ないだろう。

 

 そうなると、姫級の深海戦艦の奇襲とその迎撃に関しては事実だが、「提督の指揮により」という点は事実では無い可能性が高いか……。

 大淀くんがそのような虚偽の報告をする可能性は無いと信じてはいるが……それを否定できない要因もある。

 それは、報告書に記載されていた通りの敵編成を、彼女達が大きな被害を出す事なく迎撃する事が出来たという事実だ。

 

 彼女達艦娘が提督の指揮下に無い時の性能を仮に「レベル1」とする。

 艦娘としての姿を得てからの戦闘経験などにより、彼女達の練度は上がり、本来の性能を取り戻していく。

 それは艦娘によって様々だが、仮に「レベル50」の艦娘がいたとしても、提督の指揮下に無ければ「レベル1」の性能しか発揮できないという事だ。

 

 そして彼女達の性能は、提督への信頼により更に向上する事が実証済みである。

 提督をどれだけ深く信頼しているかにより、彼女達の性能は底上げされ「レベル50」の艦娘が「レベル80」の域に達する事もある。

 過去の戦況から、この『提督への信頼』というブースト無しでは、鬼、姫級の深海棲艦にはとても太刀打ちできないと推測されているのだ。

 

 つまり、横須賀鎮守府の艦娘達が姫級を撃滅できたという事実は、僅か一日にして彼女達が彼の事を深く信頼したという事を示している。

 そしてそれは、報告書に書かれている事と何一つ矛盾しない。

 

 ――なるほど、わからない。

 

 信頼は失うのは一瞬だが、一朝一夕で築き上げられるものでは無い。

 不信感を抱かれている私達艦隊司令部が送り込んだ彼の事を、彼女達はそう簡単に信頼する事が出来たのだろうか?

 近頃の若者には珍しい愛国心を持つ彼の熱意が艦娘達に伝わったのならば、彼女達がそれに応えたとしてもおかしくはない。

 

 そうだとするならば、私の策は裏目に出てしまったか……。

 彼には素人である事を隠すようにと伝えていたが、あんな大規模侵攻を前にして隠し通せる訳が無い。

 たとえ彼が恐れと動揺を押し隠しても、彼に求められる指揮能力は相当高度なものだ。

 大淀くんや長門くんなど歴戦の艦娘達の目を誤魔化せるはずが無い。

 

 そうなれば、前線に素人を送り込み、彼に嘘をつくように指示した私達艦隊司令部への不信感は拭い去れないほどに強まるだろう。

 一方で、素人ではあるが愛国心と熱意はあり、危険な前線に送り込まれた彼の事は――。

 

 ――なるほど、まだまだわからない事だらけだが、私なりに一応の推測と心の準備はできた。

 

 正門前に並んでいる七人。

 彼女達が纏う異様な迫力と鋭い真剣な眼光。

 姫級の大規模侵攻とその撃滅。

 私達艦隊司令部への不信感。

 素人である彼への信頼。

 彼女達の目が命を吹き返していた理由。

 

 わからない事を確かめる為に、私はこの場へ訪れたのだ。

 後は、この眼とこの耳で事実を確かめるしかない。

 私は意を決して、後部座席のドアを開けたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 私がドアを閉めて彼女達に向かい合うと、彼女達は一糸乱れる事なく敬礼する。

 普段であれば私も軽口と共に笑いかけるところだが――今回ばかりはそうもいかない。

 艦隊司令部に属し、前提督の暴挙に対して一年もの間、何も出来なかった私もまた、彼女達から不信感を向けられていて当然だからだ。

 その一挙手一投足にも油断は出来ない。

 笑顔でも浮かべようものなら、那智くんか磯風くん辺りに「何をへらへら笑っているんだ」などと睨みつけられてもおかしくは無い。

 私は真剣な表情を彼女達に向け、敬礼を返した。

 

「出迎え、ありがとう」

「はっ」

 

 近くでその表情を見るに――やはり皆、私の事を警戒しているという事がひしひしと伝わってきた。

 意外にも敵意は感じなかった。それは私の考えすぎであったようだ。

 だが、単に出迎えに来たというわけでもない。

 顔色を窺われているような感じだろうか。今までの対応とは明らかに違う。

 言葉一つにも、油断は出来ない。

 私は表情を変えぬままに、大淀くんに向けて口を開いた。

 

「報告書に目を通したよ。大変な戦いだったようだ。この国にとって前代未聞の危機だった……本当にありがとう」

「はっ、光栄です。しかし、今回の深海側の作戦は私達にも予想のできないものでした。私達は提督の指揮に従っただけに過ぎません」

 

 報告書に書かれていた通りの答えだ。

 素人の彼には出来るはずもない高度な指揮が、偶然の結果であるとは考えにくい。

 たまたま戦艦金剛の建造に成功し、たまたま遠征先に敵資材集積地を発見し、たまたま敵の奇襲部隊に先制爆撃を与え、たまたま補給艦隊を強襲する形となり、たまたま迎撃に成功する事など、あるはずが無い。

 そうなると、今回の大戦果はやはり艦娘達によるものであり、彼のものではない可能性が非常に高いと思う。

 

 幸運にも戦艦金剛の建造に成功した部分だけは、彼の功績であるのだと、なんとなく理解できる。

 何と言えばよいのか、提督と艦娘の間には、目に見えない縁のような絆のような、そんな何かがあるような気がするのだ。

 狙っている艦娘を何度やっても建造できず、狙っていない提督がひょいと建造に成功する事例は過去にも多々ある。

 そういう場合、その提督と艦娘には特別強い絆があり、より性能も強化されているような気がするのである。

 彼と金剛くんにもまた、そのような縁があったのかもしれない。

 

 彼の功績は、金剛くんの建造と、艦娘達からの信頼を取り戻した事。これだけは疑いようの無い事実であろう。

 彼への信頼が無ければ、迎撃も不可能であったと思われる。

 

 しかし、それはそれとして、艦娘達がこの大戦果を彼の功績と偽る理由とは……いや、それもこれからわかる事かもしれない。

 あまり考え込んでも不審に思われそうなので、私は切り替えて言葉を続けた。

 

神堂(しんどう)提督は今、何をしているのかな」

「――はっ……?」

 

 思いもよらぬリアクションに、私も呆気に取られてしまいそうになるのを何とか堪えた。

 大淀くんだけでなく、他の六人の表情にも僅かに困惑の色が浮かんでいる。

 困惑というよりも、それはすぐに脳内で答えを推測する事ができる程度の事だったのだろうが――私は同時に、しまった、と思った。

 

「神堂提督……神堂(しんどう)貞男(さだお)提督。彼の名前だよ。彼はまさか……名乗って、いなかったのかな?」

「はっ……はい。そう言えば、提督はまだ名乗られておりませんでした。自己紹介では、過去の経歴等に関しても一切……」

 

 ――いきなり、しくじってしまった。

 まさか彼が名前すら隠していたのだとは想像もしていなかった。

 彼には素人である事は知られないようにとだけ命じたが、もしかして彼はそれを忠実に守り、なるべく自分の情報について伏せていたのか。

 過去の経歴など話せるわけもない。しかし名前くらいは、と思ったが、もし、名を伏せる事も彼の作戦だったのだとしたならば――。

 

 だとするならば、私が下手に口を滑らせてしまうと、せっかく彼が隠していた事を私がバラしてしまいかねない。

 

 すでに素人である事がバレているのではないかという私の推測はあくまでも推測に過ぎない。

 彼の考えを私が邪魔してしまっては元も子も無いではないか。

 彼には彼なりの考えがあるかもしれないというのに――。

 

「しまったな……彼が口にしていなかったのならば、これは私が口にしていい事では無かった。それで、神堂提督は何処に」

「は、はっ。昨夜、提督と金剛の歓迎会兼祝勝会を行いまして、提督は私達一人ひとりに真摯に向き合っておりました。それゆえに酒を大量に呑んでしまい、今もまだ眠っております」

「ほう、歓迎会を」

 

 大淀くんの言葉に私が内心とても驚いてしまった事は、彼女達に気付かれなかっただろうか。

 あの死んだ目をしていた彼女達が、提督の歓迎会を開くとは……そうなると、やはり彼が一日にして艦娘達の信頼を得たという推測には間違いが無さそうだ。

 大淀くんの口ぶりを見るに、彼が彼女達と真摯に向き合ったという事をとても嬉しく思っているようだ。

 故に、この時間まで深酔いして目を覚まさない事に不満を持っているようには見えない。

 彼にも伝えてはいるが、艦隊運用に関しては艦娘達だけでも十分に行える。素人の彼が目覚めなくても支障は無いはずだ。

 うぅむ、これはやはり彼の人徳の成せる技か……。

 

 しかし大淀くん以外の六人は、何故こんなにも切れたナイフのような眼光で無言のまま佇んでいるのだろうか……。

 おしゃべりな龍驤くんがいつものように話しかけてくれないのも少し寂しいが……艦隊司令部はそれだけの事を彼女達にしてきたのだ。

 彼が信頼されているのを、私達の手柄のように考えてはならない。

 

「わかった。彼が目覚めるまで無理に起こさなくても良い。とりあえず応接室で待つ事にするよ」

「はっ……⁉ お、起こさずともよろしいのですか⁉」

「うん。約束も無しに訪れたのは私だからね」

 

 私はそう言って歩を進めた。

 驚いた様子の大淀くんが少し遅れて私の隣に付き、他の六人は私達よりも少し後に並んで付いてくる。

 私が彼に頼んだ仕事は、あくまでも艦娘達から信頼を取り戻す事だ。

 そういう意味では、彼は素晴らしい働きをしてくれた。

 まさかたった一日で彼女達の信頼を取り戻すなどとは思いもよらなかった。

 しばらく眠らせてあげてもお釣りがくるくらいの大戦果だと私は思う。

 

 それに、良く思われていない艦隊司令部の私が、信頼されている彼を無理やり叩き起こすというのは、やはり艦娘達からしても面白くないだろう。

 これ以上艦隊司令部の印象を悪くする事も出来ない。

 

 少なくともこれで彼女達は本来の性能を取り戻す事ができたのだから、よほどの大規模侵攻で無い限りは、大淀くんや長門くんの指揮だけでも近海の護衛は務まるはずだ。

 横須賀鎮守府は最もこの国の中枢に近い拠点だったので、これでようやく胸を撫で下ろす事が出来る。

 

 しかし、背後に感じる物凄い圧力に、どうも落ち着かない……。

 ストーブの近くに腰かけているみたいに、背中が焼けるように熱い。

 少し博打になるが、確かめてみるか……。

 私は首だけで振り向いて、ひときわ異様な熱気により周囲の景色を歪めている長門くんに向けて言ったのだった。

 

「こんなに錚々(そうそう)たる面子に出迎えてもらえるのは光栄だが、一体どうしたというのかね」

 

 私の言葉に、長門くんの放つ圧力が更に強まった。

 更に、まるで競い合うかのように、加賀くん、那智くん、磯風くんと、六人から発せられる圧力が次々に大きくなっていく。

 時代小説などでしか目にした事は無かったが、これがおそらく、殺気をぶつけられるという事なのだな、と平静を装いながら感じた。

 思わず私の顔も引きつってしまうほどであったが、そんな私に、長門くんは真剣な表情を崩さぬままにこう言ったのだった。

 

「……はっ! 我々の思いを伝えたく……!」

「ほう」

「佐藤元帥。我々はそれだけ本気だという事だ」

 

 続く那智くんの言葉に、私は「そうか」と小さく答えて、振り向いていた首を再び前に戻した。

 背中にはびっしょりと冷や汗をかいてしまっている。

 鷹の目のような那智くんや加賀くんの眼光を前にして平静を装うので精一杯だった。

 彼女達と相対して戦う深海棲艦達の気持ちが少し理解できたような気がした。

 

 この面子、そしてあの眼を見れば、彼女達が本気である事くらいは理解できる。

 長門くんに問いかける前から、私達艦隊司令部に何かを訴えかけているような、そんなものを感じてはいたのだ。

 目は口ほどに物を言う。彼女達はあえて、言葉にせず、目と雰囲気だけで思いを伝えようとしている。

 言うなれば、無言の圧力という言葉が一番しっくりくるのだが……つまり彼女達は私に何かをして欲しがっているというのだろうか。

 素直に言葉にしてほしかったが、彼女達が「察して欲しい」と思っているのであれば、「つまりどういう事だね」などと問う事は出来ない。

 ますます艦隊司令部への不信感は強まってしまうだろう。

 

 若い女の子の考える事を察するなんて、この私の古ぼけた頭にはわかるはずも無い。

 最近若者達の間で東野マナなる歌手の「取扱説明書」なる歌が流行っているようだが、全く歌詞の意味が理解できなかった私には荷が重すぎる。

 山田くんを連れてくれば良かった……などと後悔してももう遅い。

 彼女達は私に何をして欲しいのだ。帰って欲しいと思っているというのが私としては一番納得できるのだが……。

 

 私が黙って歩を進めていると、隣の大淀くんが意を決したように口を開いた。

 

「あ、あの、佐藤元帥。ひとつ、お訊ねしてもよろしいでしょうか」

「なんだい?」

「提督は……神堂提督は、一体何者なのでしょうか」

 

 私は表情を変えぬままに、古ぼけた頭を巡らせた。

 これは……言葉通りの意味か? それとも誘導尋問か?

 彼は過去の経歴については一切話さなかったというのはすでに確認済だ。

 名前すらも明かしていないくらいだ。そこは徹底していたと考えてもいい。

 そうなると、勿論私が答えられる事では無い。沈黙は金、である。

 

 しかし、「何者か」などと普通問いかけるだろうか。

 まるで彼の正体を暴きたいかのような問いだ。

 艦隊司令部で教育を受けた新米提督だよ、との答えを期待しているのか、それともただの素人だよ、との答えを予想しているのか。

 勿論私がそのように答えを返すはずもないが、かといって沈黙するのも彼女達の機嫌を損ねかねない。

 もしも彼がまだ素人である事を隠し通せており、彼女達が何となく感づいているという状況なのだとするならば、詮索するのも釘を刺しておいた方が良いだろうか。

 私は少し考え込んで、大淀くんに言葉を返した。

 

「悪いが、私の口からは話せない」

「なっ……⁉」

「出来る事なら、今後は彼に対してもなるべく詮索しないでもらいたい。横須賀鎮守府の艦娘全員に周知してもらえるかい」

「は、はっ! 申し訳ありません!」

 

 大淀くんはまるで失言でもしたかのように、大袈裟に頭を下げた。

 機嫌を損ねる事は無かったようで、内心でほっと胸を撫で下ろす。

 嘘はついていない故に罪悪感も無い。

 しかし、大淀くんが大きな失態でも犯してしまったかのように愕然とした表情になっていたので、私は少し可哀そうになってしまい、言葉を続けたのだった。

 

「私が唯一話せる事は、彼が近頃珍しいほどに愛国心に溢れた青年で、とても君達艦娘の事を大切に思っているという事くらいだ」

「はっ……愛国心と、私達の事を……?」

「うん。三日前かな。横須賀鎮守府の提督となってくれないかと頼む為、私が彼の自宅を訪れた時、私が詳しく説明する前に、彼は二つ返事で了承してくれたんだよ。彼はそれどころでは無かったというのに――」

 

 そこまで言って、私はまた口を滑らせてしまった事に気が付いた。

 しまった。少し話し過ぎた。

 まるで自分の事のように自慢げに話してしまったのは、ここに来るまでに彼の身の上に関する調査資料に目を通してしまったからだろう。

 そこで初めて、彼がおよそ一年前に心と身体を壊して仕事を辞め、療養中の身であったという事を知ったのだ。

 若くして両親を亡くし、歳の離れた妹達を支えながら生きてきた彼の事を、私は感心な若者だと思った。

 彼の力になりたい、支えてあげたいと思ったのだ。

 彼が何者かは伏せねばならないが、不器用ながらも苦労して生きてきた真面目な青年の事を、私は知って欲しいと思ったのだろう。

 いずれにせよ、失言には違いないのだが――。

 私は小さく咳払いをした。

 

「済まない。少し話し過ぎた」

「……いえ、ありがとうございます」

 

 聡明な大淀くんならば、私の言葉から彼の正体を推測してしまうだろうか。

 さっそく、何やら考え込んでいるようだ……情報を与えてしまった以上、考えるなとは言えるはずもない。

 覆水盆に返らずと言うが、もはや祈る事しか出来ない。

 これ以上は、もはや口を開かない方がいいだろう。

 

 しかし、やはり彼女達は彼の事を信頼しているはずなのだが……それとは別に、彼の事を詮索しようとしているようだ。

 これは、危うい。

 彼にも詳しく話を聞こうと思っていたが、その場には当然、秘書艦もしくは数人の艦娘達が控えたがるだろう。

 彼との話を聞かれてしまったら、正体を隠すどころでは無い。絶対にバレてしまう。

 応接室で二人きりになり、席を外すようにと伝えても、果たして彼女達がそれで納得をするかどうか。

 彼女達の真剣な眼を見るに、私と彼が話すという絶好の機会を逃すようには思えない。

 聞き耳は立てられると思った方が良いだろう。

 

 彼女達にとってもはや威厳など失ってしまった艦隊司令部の私が盗み聞きをしないように、などと言ったところで従うとも思えない。

 むしろ、彼女達を疑うような言動をする事で、彼女達の機嫌を損ねる可能性が大きい。

 そうなると、彼女達が聞き耳を立てる事を咎める事なく、かつ、聞き耳を立てられず彼と二人で話せるような策を考えなければならないか――。

 

 その後、私は大淀くんに、彼が着任してから今回の迎撃作戦に至るまでの流れを再度問いかけた。

 予想通り、やはり報告書に書かれていた内容以上の情報は得られない。

 大淀くんともあろうものが、ボロを出すはずも無い。

 つまり、彼の指揮によりこの大戦果が得られたという事は、彼女達が主張する事実であるという事だ。

 

 無論、素人の彼にそのような事は不可能であり、偽りである可能性が高い。

 だが、大淀くんから説明を受けている間、後ろの六人が「フッ、全く大した奴だ……」「あぁ、胸が熱いな……」「この磯風が認めただけの事はある……」「うちが見てきた中でもとびきりの切れ者やで……」「そうね。流石に気分が高揚します」「流石は提督です……」などと、ところどころでわざとらしい合いの手を挟んできたのが気になる。

 大淀くんだけではなく、この精鋭達もまた、彼の事をまるで有能な提督のように話している。

 

 ……もしや、素人である事はバレていないのか?

 それとも、それを勘づいている上で、あえて――。

 

 確かめるには、彼と話さねばならない。

 彼女達を遠ざけて彼と二人きりになるべく、大淀くん達の話を聞きながら、私は策を巡らせたのだった。

 




大変お待たせ致しました。
テンポの関係上なるべくまとめて投稿しようと思っていたのですが、気付けば前回の投稿から一か月近く経ってしまいましたので、取り急ぎ元帥視点を投稿します。

ここから第三章、元帥視察編がスタートとなります。
元帥の視察自体はそこまで長くはならない予定ですので、第三章は第二章に比べて比較的小規模の長さになるはずです、多分。


※どうでもいい裏設定
・神堂提督の簡単な身の上
十二歳:病により母を亡くす
十四歳:寿命により祖母宅で飼っていた犬二匹(ダッチとグレイ)を亡くす
十五歳:事故により父を亡くす 祖母宅に引き取られる
十八歳:高校卒業後地元で就職 介護が必要になった祖母の面倒を見ながら働く
二十歳:寿命により祖母を亡くす
二十五歳:諸事情により心身を病み退職 ニートになる
     オータムクラウド先生の作品に出会う
二十六歳:横須賀鎮守府に着任


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034.『視察』【艦娘視点】

 佐藤元帥を出迎えるべく、私達七人の艦娘は鎮守府正門にて横一列に並び、待機していた。

 正直に言えばこんなにも大人数で出迎える意味も無いので誰か遠慮をしてくれないだろうかと思ったのだが、誰もそんな事を言い出す気配が無かった。

 特に長門さん、加賀さん、磯風の三人は、佐藤元帥に熱意を伝えるのであれば私しかいないとすら思っているような節がある。

 

 ――それにしても、妙な空気だ。

 

 なんというか、こう……私も含めて、ここにいる誰もが牽制し合っているというか。

 龍驤さんと那智さんは一歩引いているような気がするが、性格的にこの場から去ってはくれないだろう。

 やけに空気がぴりぴりと張り詰めていると感じているのは私だけだろうか。

 私がそんな謎の危うさを感じていると、磯風がちらりと全員に目を向けて、口を開いた。

 

「それにしても、人数が多すぎるのではないか。誰か戻ってはどうだろうか」

 

 駄目だ、わかってはいたけれど、この子空気読めていない。

 磯風が口を開いた瞬間、私には更に空気が張り詰める音が確実に聞こえた。

 ギロリ、と那智さんが磯風を横目に睨みつけながら返事をする。

 

「貴様が戻ったらどうだ。大体、何で貴様がここにいるのだ」

「この磯風は司令の片腕のようなものだからな。司令が鎮守府を去る可能性があると聞いてしまっては、この場を離れるわけにもいくまい」

 

 さも当然のように磯風がそう言った瞬間、私も含めた全員のこめかみに血管が浮き出たような気がした。

 苛立ちを何とか噛み潰したような声で、那智さんが言葉を続ける。

 

「聞き捨てならんな……いつから貴様があの男の片腕になった……!」

「フッ、私は昨夜、司令に忠誠を込めた秋刀魚を焼いた。あの後、谷風に言われてもう一度作り、味見をしてみたのだが……焼き焦げてとても食えたものではなかった。あんなものを口にするなど、正気の沙汰では無い。しかし、司令は表情ひとつ変えずにあれを全て食したのだ。それが何を意味するのか……考えるまでもあるまい。忠誠が……そう、この磯風の忠誠が込められていたからこそ、あんな不味いものを綺麗さっぱり平らげたのだ。あんなにも余すところ無く忠誠を受け取られてしまってはな……フフッ、応えぬわけにはいくまい」

 

 照れ臭そうに鼻の下を人差し指で擦りながらそう言った磯風を見て、那智さんは鼻で笑って言葉を返したのだった。

 

「フン、それならばゴーヤ酒をふるまった潜水艦もあの男の片腕だな。奴は貴様も含めて全ての艦娘と真剣に、そして平等に向かい合っただけだ。その程度の事で特別視されたと舞い上がるとは片腹痛い」

「何だと……⁉ それならば那智、貴様は何故ここにいるのだ。先の出撃前はあんなにも司令に否定的だったくせに!」

 

 私から言わせれば那智さんも磯風も似たような経緯で提督を信頼しているのだから、それこそ似たようなものであった。

 磯風の主張を一蹴した那智さんの言葉が正しい事は明らかなのだが、自分は特別視されていると勘違いをした磯風の気持ちも実はわからないでもない。

 後に話を聞いた事だが、とても食べられたものではない黒焦げの秋刀魚を文句も言わずに完食してくれるには、何か理由があるはずだ、それは私が忠誠を込めたからだ、それほどまでに私は特別な存在なのだ、と舞い上がってしまってもおかしい事では無いと思う。

 特に、ここ一年間でぞんざいに扱われていた子であればあるほどに、そう思い込んでしまっても仕方が無いだろう。

 

 磯風は那智さんに対する態度を見ても分かる通り、誰に対しても堂々とした態度で接する。

 頑固で不器用で実直な性格だから、人を見てその態度を変える事が出来ない。

 提督に対してもそうなのだから、前提督に気に入られるわけが無かった。

 そんな磯風の全てを提督は受け入れてくれたのだ。初めて手料理を振舞うからには不安もあったであろう。

 その喜びは如何ばかりか。想像に難くない。

 ここまで磯風が不器用ながらも積極的に、提督という一人の人間に固執しているのを、私は今まで見た事が無い。

 

 ……つまり、磯風がそうであるならば、性格のよく似た那智さんにも当てはまるという事なのだが。

 

 磯風と那智さんの視線の間に火花が散った。

 

「この那智は貴様と違って艦隊司令部と話し合うのも一度や二度では無いからな。私がこの場を離れるわけにはいかん」

「艦隊司令部と激しくやり合った貴女がいると、逆に話がこじれないかしら」

「加賀、貴様……! ならば貴様も同様だろう!」

 

 私から言わせれば加賀さんも似たようなものであった。

 一か月前――あまりにも無謀な指揮により大切な仲間を失い、ついに私達が我慢の限界を迎えたその時に、真っ先に執務室へ向かい前提督を批判したのは那智さんだ。

 それに続くように加賀さんや磯風などが声を上げ、長門さんと私が中心となり皆の意見をまとめた結果、私達は提督に逆らい、艦隊司令部へ直談判した。

 話し合いの場で、那智さん等は前提督だけではなく、艦隊司令部の責任をも糾弾したのだ。

 那智さんは激しく、加賀さんは淡々と叱責した。

 それは正論ではあったのだが、今にして思えば、艦隊司令部が私達を危険視する決定的な行いであったのかもしれない。

 

 ……そういう意味では、ここに集まっている面子は非常に危ういような気がする。

 

 那智さんと加賀さんの視線の間に火花が散った。

 

「私は横須賀鎮守府の空母代表としてここにいるわ。そして提督の領域を深く理解できている数少ない艦娘としての自覚もあるもの。私がここを離れるわけにはいかないわ」

「いや、司令官の事を理解できとる空母代表ならうちがおるんやけど……」

「そうね。確かに役割が被っているわね。私がいるから貴女は戻ってもいいと思うわ」

「……ほっほぉ~? 言うてくれるやないか……!」

 

 ……なんだか、変な流れになってきているような気がする。

 確かにさっきから空気が張り詰めていたとはいえ、加賀さんの挑発に龍驤さんが乗ってしまうなど、滅多にある事では無い。

 あまりそういう事を気にしていない風に見えてはいたが、実は龍驤さんも提督の理解者として、そして空母組のまとめ役としてのプライドがあるのだろうか……。

 そろそろいい加減にしてもらおうかと私が声をかけようとした瞬間、神通さんが口を開いた。

 

「皆さん、落ち着いて下さい。確かに、こう人数が多すぎては佐藤元帥に圧迫感を感じさせてしまうかもしれません。ここは誰かが身を引くという事で……」

「そもそも軽巡ならば大淀がいるのだから、神通が身を引けば良いのでは無いか?」

 

 磯風のその言葉に、神通さんが改二状態のような表情に変貌した。

 もう磯風には黙っていてほしかった。

 この場において唯一の良心と成りえた龍驤さんと神通さんが鬼と化した今、横須賀鎮守府正門前は静かなる戦場、完全なる修羅場と化した。

 交わされる言葉が熱を帯びて行くのとは対照的に、周囲の空気が完全に冷え込んでしまっていた。

 もう今にも全員が艤装を具現化し、殴り合いでも始めてしまうのではないかというほどだ。

 そんな中、皆のやり取りをじっと聞いていた長門さんが、小さく溜息をついて一喝したのだった。

 

「まったく……いい加減にしろ! 佐藤元帥を迎え入れる気があるのか! このまま騒ぐなら大淀とこの長門以外は引っ込んでもらっていてもいいんだぞ!」

 

 横須賀鎮守府のリーダー格である長門さんの一喝に、五人は言葉を飲み込んだ。

 昨夜から忘れかけていたが、一応この人は艦娘達のまとめ役を務める超弩級戦艦。

 癖の強い横須賀鎮守府の艦娘達を長年まとめ上げて来たカリスマの持ち主なのだ。

 長門さんは全員の顔を一人ひとり確認するように目を向けながら言葉を続ける。

 

「先ほどから聞いていれば提督の片腕の座を巡って意地になっているようだが……そんな無意味な争いは止めろ。時間の無駄だ。提督の右腕は大淀である事は疑いようが無いだろう」

 

 えっ、な、何でそんな事を……。

 私を巻き込まないでほしいと思いつつも、実を言えばちょっと嬉しいのは内緒だ。

 

「……まぁ、異論は無いな」

「私達よりも明らかに深く信頼されているわね」

「この磯風もそれだけは認めざるを得ないな……」

「せやな。資材管理も一任されとるし」

「先日の勝利も、一足先に提督の思考へ至った大淀さんの功績が大きいですからね」

 

 長門さんの言葉に全員がうぅむと唸ってしまったので、思わずドヤ顔が出てしまいそうになるのをグッと堪える。

 流石は横須賀鎮守府のリーダー格、長門さんだ。もはや一触即発であった状況を一言で収めてしまった。

 昨夜からこの人の頭は大丈夫だろうかと心配だったが、そう、やはり肝心な時にはビシッと決めてくれるのだ、この人は。

 後は私が「そんな事は無いですよ、提督は艦娘全員を平等に大切に思っておられます」とでも言えば万事解決だ。

 そう考えて私が声を発しようとした瞬間、長門さんは満足そうに頷きながら言葉を続けたのだった。

 

「提督の右腕には知力に長けた大淀。ならば左腕はと言うと、そう体力だ。知力体力時の運と言うからな……つまり残る提督の片腕はこの長門を置いて他は無い。この話は終わりだ」

 

 昨日から特におかしくなっているこの人の頭を信頼した私が馬鹿だった。

 長門さんが仕事は終わったと言わんばかりの表情で口を閉じた瞬間、何かの火蓋が切られる音がした。

 

「何が知力体力時の運だ! それでは奴が運しか取り柄の無い男のようではないか!」

「戦艦脳のくせに難しい言葉を使おうとするから恥をかくねん! しかもそこまで難しくも無いわ!」

「だ、誰が戦艦脳だ⁉ 龍驤お前、戦艦は皆頭が残念とでも言いたいのか⁉ 大淀と並ぶ艦隊の頭脳、霧島を見ろ!」

「自称やないか! 鎮守府随一の脳筋やアイツは! 大淀との共通点は眼鏡しか無いわ!」

 

「頭にきました。言っておくけれど、長門相手なら私も負ける気はしないわ」

「なんや、やけに自信たっぷりやん。秘策でもあるんか?」

「えぇ。アウトレンジで決めたいわね」

「パクリやないか! 聞いた事あるわそれ! 何ドヤ顔で後輩の真似してんねん⁉」

「五航戦の子なんかと一緒にしないで」

「やかましいわ!」

 

「超弩級戦艦のくせに自身に有利な体力勝負に持ち込もうとは……フッ、この磯風も苦笑を禁じ得ん。少しは恥を知ったらどうだ」

「ぐうッ……⁉」

「せやせや! もっと言ったれ磯風!」

「しかし体力とはある意味燃費の良さとも取れる……ならば燃費と武勲を併せ持つ駆逐艦、この磯風で決まりでは無いだろうか」

「キミも少しは恥を知れや!」

 

「……あの、体力もとい戦闘力と言うのでしたら、この場から去る者を決めるにちょうどいい案を思いついたのですが」

「……神通の言う通りだな。この那智もここまで言われては引く気はさらさら無い」

「いいだろう……この磯風が相手になってやろう。たとえ貴様らが相手でも容赦なぞしない」

「なんやなんや、まぁうちもこういうのは嫌いじゃあ無いでぇ? 一石二鳥、っちゅー事やな」

「ここは譲れません……鎧袖一触よ」

「フフフ……どうやらこのビッグセブンの力、思い出させてやる必要があるようだな」

 

 嗚呼。私は空を仰ぎ見て心の中でそう漏らした。

 佐藤元帥を出迎えなければならないというのに、何故こんな事になってしまったのか。

 神通さんや那智さん、龍驤さんまでもが、何故こんなにも冷静さを失ってまで、大人げなく提督の片腕の座にこだわっているのだろうか。

 その理由が推測できているのは、おそらくこの場では私だけであろう。

 何故なら私にも、つい昨夜、身に覚えがある事だからだ。

 

 これは果たして艦としての(さが)なのか。

 それとも娘としての(さが)なのか――。

 

 私達は(ふね)であるからなのか、『誰を乗せたか』更に言うなれば『誰と共に戦ったか』という事をとても重要視する性質があるのだと思う。

 天皇陛下に乗艦して頂く御召艦という名誉もある。

 誰と共に戦ったか、と語るに一番わかりやすいのは、飛龍だろうか。

 先の大戦で共に戦い、共に沈んだ第二航空戦隊司令官、山口多聞提督の事を今でもよく口にするらしい。

 そしてこの時代においても、山口多聞提督と言えば飛龍、飛龍と言えば山口多聞提督というイメージが強く伝わっているという。

 優れた提督の艦として名を挙げられる事はとても光栄な事なのだと私も思う。

 

 横須賀鎮守府の艦娘達を束ねるリーダーシップを持つ長門さん。

 数多くの旗艦を務めた実績を持ち、艦隊の統率力ならば妙高さんにも引けを取らない那智さん。

 艦娘としての戦歴はベテランの域にあり、良識ある年長者として鳳翔さんと共に空母達をまとめる龍驤さん。

 常に冷静沈着、人一倍の激情を持ちながらもそれは決して表に出さない加賀さん。

 いつもフリーダムな姉と妹に挟まれて戦闘時以外は大人しく引っ込み思案だが、その落ち着きはどんな激戦の最中でも揺るがない神通さん。

 駆逐艦の中では成熟した心身を持ち、その実力に裏打ちされた自信と武勲を誇る磯風。

 そしてこの私。

 

 ここに集まった艦娘の面子は、常日頃はいつもクールに振舞っており、普段であればこのような事に熱くなったりはしない。

 決して、断じて、そんな事は無かったはずだ。

 

 あくまでも私の推測に過ぎないが、おそらくこれは、やはり提督が桁外れに型破りな優れた御方であった事が原因なのだろう。

 あの提督の右腕と言えば、腹心と言えば、懐刀と言えば――そこに自分の名が欲しいと思う気持ちは、艦であるならば当然のものなのかもしれない。

 だが、それでもここまで執着するのは少しおかしいような気がする。

 

 そうなると、やはり年頃の娘としての姿を与えられたが故の性質なのか。

 私達の『艦』の部分が提督の能力に惹かれているとするならば、『娘』の部分は提督の人間性に惹かれているのだろうか。

 提督が容姿端麗だからだろうか。慈愛に満ちた方だからだろうか。

 

 もしくはこれは、『艦娘』だから故の、人間には決して分かり得ない複雑な感情なのか。

 

 この場で私だけが冷静でいられるのは、提督が艦娘を平等に見ている事を十分に理解できているから――ではない。

 香取さんに教えられ、そして提督に言葉を頂いて、私は真の意味で提督の右腕なのだと、他の艦娘達よりも一歩先を行っているのだと実感できているからこそ、冷静でいられるのだろう。

 結局はそれがあるからこそ、この争いを高みの見物が出来ているのだ。

 私も優越感に支えられているだけであり、提督にとっての特別でありたいという独占欲からは逃れられていない。

 あの方の艦として、そして部下として振舞わねばならないのに、当の私達が公私混同してしまっている事は認めざるを得ない。

 

 昨夜、私も鹿島に勝手に嫉妬して、一人で塞ぎこんでしまいそうになっていた。

 だから、現在ぎゃあぎゃあと揉めている六人を止める資格など私には無いのだと思う。

 しかしそろそろ頭を冷やしてもらわねばならない。

 私は一計を案じて、不意に声を上げた。

 

「あっ! 皆さんっ、佐藤元帥が来ました!」

 

 私が慌てた様子でそう言うと、殺気を撒き散らしながら威嚇し合っていた六人は、反射的とでも言うべき速度で一斉に元の配置へと戻った。

 一糸乱れぬ七人の単横陣を作り、そして気合を入れる為か、仕切りたがりの磯風が大きく声を上げる。

 

「――さぁ、佐藤元帥に我々の熱意を届けるぞ! 磯風に続け!」

「ここは譲れません。一航戦、出撃します」

「いいだろう、ビッグセブンの力、侮るなよ! ――『長門』!」

「出るぞ! 怖じ気づく者は残っておれ! ――『那智』!」

「さぁ仕切るでぇ! いってみよう! ――『龍驤』!」

「各艦、突撃用意……行きましょう! 『神通』――」

 

「『改二』ッ‼」

 

 掛け声と共に六人に艤装が展開されたので、私は反射的に隣に立つ長門さんの右頬に思いっきり拳を叩きこんだ。

 右手首を痛めた……昨日金剛が言っていたように本当に硬い……!

 私が手首を押さえて悶絶していると、無意識の行動だったのか、はっと気が付いたように、六人は騒ぎ始める。

 

「……はっ⁉ し、しまったッ! お、お前達も何故艤装を⁉」

「長門ッ! 明らかに貴様から同時改二の流れになっていたぞッ⁉ 貴様に釣られてしまったではないかッ!」

「いやまず同時改二てなんやねん⁉」

「貴様も改二を発動しているではないか!」

「そ、それはそのー……同時改二の流れやったし……」

「哀れね。だからその同時改二とは何なのかしら」

「う、うちもわからんけど確実にあんねん! 戦場ではそういう流れが!」

「陸の上で改二を発動するとは……フッ、笑ってる内にやめような」

「いやキミらも艤装出とるからね⁉ ちゅーかそもそも流れ作ったのキミや!」

「わ、私とした事が……長門さん達の檄が明らかに強敵と戦う時のものだったから反射的に……す、すみません」

「じ、神通まで私のせいにするつもりか⁉ ずるいぞ!」

「長門の檄は戦場で嫌と言うほど身に沁みついてるから、反射的に艤装を展開してしまったとしても不思議では無いわね」

「身体が覚えてしまっているからな」

「そもそも我らが釣られていなければ長門だけが艤装を広げていただろう」

「ち、違うんだ! おそらくこれは昨日から遠征に行きたいという欲求が溜まっていたせいで無意識に」

 

「いいから一刻も早く艤装引っ込めて下さいッ! 特に長門さんは資材が勿体無いんですよ! 叛意があると思われたらどうするんですかッ⁉ もう全員大人しくしといて下さいッ!」

 

 私が怒りのままに一喝すると、六人は慌てて艤装を解除した。

 那智さんと加賀さん、磯風は長門さんにジト目を向けており、その長門さんは私に何か言いたそうな目を向けておろおろとしている。

 龍驤さんは少し恥ずかしそうに、「あはは……」などと言いながらぽりぽりと頬を掻いて視線を逸らす。

 神通さんは耳の先まで顔を真っ赤にして、「大変申し訳ありません……」と肩を小さくしながら恥ずかしそうに呟いていた。

 私は怒りと呆れに肩を震わせながらもなんとか堪える。

 

 この人達が冷静さを失い正常な判断ができなくなった原因は、提督にもあるような気がする……!

 何故だかはわからないが、そんな気がする……!

 提督を想うあまり、頭がおかしくなる経験は私にもある……!

 提督の領域を思い出せ……失敗を責めるな……! 次に繫げなければ……!

 だから、怒るな、怒るな……何とか堪えろ……!

 

 私は大きく深呼吸をして、顔を引きつらせながら何とか口角を上げた。

 

「当初の予定通り、佐藤元帥は私が応対します。皆さんは熱意を届けるのはいいですが、言葉には気を付けて、いえ、できれば黙っていて下さいね……!」

「りょ、了解……」

 

 私は再び前を向き、大きく溜息をついて考える。

 おそらくこれは提督があのような御方であるが故に起きた事だ。

 もしも私の予想が事実であるならば――提督が只者では無かったのならば、提督の片腕となりたいと考えるのは彼女達だけでは無いだろう。

 いや、たとえそうでなくとも、提督の特別になりたいと考えるのはおかしな話では無い。

 ここにはいない全ての艦娘に、そうなる素質は十分にある。

 何故ならば、私達は艦であり娘であり艦娘だからだ。

 理由はそれだけで十分だ。

 

 だが、そうなった時、提督はそれを上手く収める事が出来るのであろうか。

 艦であるが故の、娘であるが故の、そして艦娘であるが故の複雑な独占欲を受け止める事が出来るのであろうか。

 それだけの器が、提督にはあるのだろうか――。

 

 今度こそ本当に、佐藤元帥を乗せているであろう車の姿が確認できたので、私はそれ以上考える事を止めたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――おかしい。

 佐藤元帥を乗せているであろう車が鎮守府正門正面、私達から少し離れた位置に停められてからすでに数分が経過している。

 だというのに、何故か佐藤元帥が降りてくる気配が一向に見られないのである。

 

 私達は七人横並びになり、直立不動の姿勢を保っていた。

 視線も逸らさず、真剣な表情を保ったままに、脳内だけが困惑している。

 私だけでなく、他の六人もそれぞれ思考を巡らせていることだろう。

 

 親艦娘派であり、特にこの横須賀鎮守府とは長い付き合いになる佐藤元帥が、このような意味深な行動を取る事など今まで無かった。

 やはり、一か月前の確執が尾を引いているのであろうか――。

 

 前提督による艦娘の扱い方や鎮守府運営の方針は、生来の性格もあるだろうが、艦娘兵器派と呼ばれる派閥に属するものだった。

 佐藤元帥の考えとは異なる派閥であるが、艦隊司令部も一枚岩では無いという事であろう。

 横須賀鎮守府の惨状に佐藤元帥が一年近く気付く事が出来なかったのは、その艦娘兵器派によって事実が巧みに隠されていたからであったらしい。

 事実、戦艦と正規空母を基幹とした強力な艦隊を用いる前提督の方針はそれなりに戦果を上げられていた。

 私達の疲労が積み重なるにつれて作戦通りにいかない事が多くなったが、上手くいった部分のみ報告し、不都合な結果や私達の扱いについては握り潰されていた。

 多忙な佐藤元帥が、私達がどのような扱いをされていたのかを知ったのは、ほんの一か月前――疲弊しきった横須賀鎮守府の総力を挙げた迎撃作戦で、握り潰す事が出来ないほどの大惨敗を喫してからだった。

 

 私達が常日頃から疲労困憊していなければ、前提督の事を信頼できていたならば、失われる事は無かったであろうその代償はあまりにも大きかった。

 私などとは違い、この国に生きる者ならば誰もがその存在と名を知っているとすら言われる――この国の名を冠した彼女を失ったという事実は、あまりにも大きかったのだ。

 

 もしかすると、彼女はそれを考えて、あえて自ら沈む道を選んだのかもしれない。

 勿論、彼女が敵を引き付けて一人奮戦する事で他の艦娘達が命からがら逃げ切れたという状況でもあったのだが、彼女を沈めてしまったという事実は、私達だけではなくこの国をも動かす大事件だ。

 私達だけがいくら声を上げても握り潰されてしまう。

 しかし、彼女を沈めたという隠し切れない大失態により、艦隊司令部はこの国全体から非難を浴びる――それくらいしなければ、私達の状況は変わらない。

 今、冷静に考えてみれば、あの彼女ならば、そう考えてもおかしくは無いような気がする。

 

 そんな事に頭が回らなかった一か月前。

 横須賀鎮守府へ視察に訪れた佐藤元帥に対して、私達は怒りや悲しみ、後悔と無念、感情の全てをぶつけてしまった。

 佐藤元帥に非は無いと理解できていても、艦隊司令部という組織への感情が溢れ出して止まらなかった。

 そんな私達に対して、佐藤元帥はかける言葉、そして返す言葉が無かったのであろう。

 最初に済まなかった、と深く頭を下げてからは、私達一人ひとりの声に静かに耳を傾けるばかりだった。

 それすらも、あの時の私達には淡々と事務的な対応をされているようにしか受け取る事ができなかった。

 

 今にして思えば、一番泣きたかったのは佐藤元帥であった事だろう。

 私達を救えなかった自分に、怒り悲しむ資格は無いのだと、必死に堪えていたのかもしれない。

 

 何しろ、まだ私が艦娘として現れていない時から、佐藤元帥は艦娘達をまとめて戦ってきたのだ。

 まだ妖精さんと意思疎通が出来るという『提督の資質』なるものが判明していない頃から、『提督の資質』を持たないにも関わらず、突然の深海棲艦の襲来と艦娘の発見に困惑する世間の中で、未だ謎の多い艦娘達を率先してまとめ上げ、戦ってきた御方だ。

 しかし『提督の資質』を持たないが故に艦娘の本来の性能を発揮できず、それが原因で、娘のように可愛がっていた大切な艦娘を失ってしまった経験を持つのだと、鳳翔さんから聞いた事がある。

 もう二度と同じ過ちを犯すまいと、佐藤元帥はその後数年をかけて、自身の経験等を元に提督達の指針となる教科書を執筆したのだとか。

 

 艦娘を失う事の辛さを、佐藤元帥は私達と同様によく理解できているのだ。

 今更ながらそう考えると――実に、気まずい。

 

 佐藤元帥とはそれ以来、実に一か月ぶりに顔を合わせる事となる。

 もしや、佐藤元帥も私達と顔を合わせる事を気まずく思っているのだろうか。

 この一か月間、なかなか新しい提督が着任しなかった事で、私達は何度も艦隊司令部に催促し、最後には諦めてしまった。

 もはや艦隊司令部にも新しい提督にも、何も期待はしていなかったが、ようやく着任した提督は、私達の想像を遥かに超越する何かだった。

 きっとそれには佐藤元帥が関わっているのだと、私の勘が告げている。

 

 親艦娘派の佐藤元帥が一か月間をかけてようやく横須賀鎮守府に着任させる事が出来た、才気と慈愛に溢れた若き提督。

 おそらくは、佐藤元帥が車からすぐに降りてこない事にも、提督の存在が絡んでいるのだろう。

 長門さん達が発する熱気による汗をぐいと拭うと、ようやく車の後部座席のドアが開き、佐藤元帥が姿を現した。

 

 私達は一糸乱れず敬礼し――そして、敬礼を返した佐藤元帥の表情を見て、のぼせそうだった頭が一瞬にして冷えたのを感じた。

 

「出迎え、ありがとう」

「はっ」

 

 私達全員を一瞥した佐藤元帥のその真剣な表情には、一言で言うなれば警戒の色が浮き出ていた。

 まるで、私達の前で油断は出来ない、と一挙手一投足にさえ気を配っているかのような、そんな雰囲気が本能的に感じられた。

 おそらくそれは私だけではなかっただろう。

 この場の全員が気を引き締め直す音が聞こえたような気がした。

 

 佐藤元帥が口にする言葉。私達が口にする言葉。

 一言たりとも、油断は出来ない。

 

「報告書に目を通したよ。大変な戦いだったようだ。この国にとって前代未聞の危機だった……本当にありがとう」

 

 始めに佐藤元帥が口にしたのは、私達への労いの言葉であった。

 勿論、我ながら認めてしまう程の大戦果だ。元帥自らそう言って頂けることはとても嬉しく光栄な事なのだが、今はそれよりも、提督に関する情報を引き出したかった。

 しかし、ひとつ言葉を間違えてしまうと、最悪の結果を招きかねない。

 私はこの場に控えている六人を代表しているのだ。

 言葉を発す時には慎重にならねば……。

 

「はっ、光栄です。しかし、今回の深海側の作戦は私達にも予想のできないものでした。私達は提督の指揮に従っただけに過ぎません」

 

 考えた結果、私が口にしたのは紛れもない事実であった。

 それと同時に、提督の功績を話題に上げる。

 ここから提督について話を広げるのは、不自然では無いはずだ。

 

 佐藤元帥の返事を待ってから改めて問おうと考えていたが――佐藤元帥は返事を返さなかった。

 いや、明らかに、私の返事に対して考え込んでいた。

 どういう事だろうか……私の返事に何か考え込むような事があっただろうか。

 私はただ事実を口にしただけだというのに――やはり、私達の一言一句さえも警戒されているという事だろうか。

 そう、例えば、報告書の内容に虚偽が無いか。一か月前のように、提督に叛意を抱いていないか。

 直接私達の顔を確かめて、目は泳いでいないか、声色に不自然な点が無いか……。

 

 ――何という事だ。つまり、提督と顔を合わせ話す事だけでなく、私達艦娘の様子を直接見極める事も目的だと考えれば、佐藤元帥の妙な様子にも納得が出来る。

 

 勿論、私達にそのような気は無いのだから堂々としていれば良いのだが……ここまで警戒されるとなると、やはり佐藤元帥の提督への扱いが只事では無い。

 それは佐藤元帥の考えなのだろうか。それとも、更に上の――。

 

 その時、考え込んでいた様子の佐藤元帥は、考えを切り替えるように私に目を向けて、こう言ったのだった。

 

「神堂提督は今、何をしているのかな」

「――はっ……?」

 

 私は思わず間抜けな声を漏らしてしまった。

 佐藤元帥の問いへの答えはすぐに用意できた。提督は現在、甘味処間宮で眠っております、という事だ。

 だが、それでも私が答えを返す事が出来なかったのは、『提督』の前に、聞き慣れぬ言葉が付いてきていたからである。

 それが何を意味するかも瞬時に理解できたが、それでもなお、私は臨機応変に対応する事が出来なかった。

 それは、私だけではなく、他の六人もそうであっただろう。

 

 そんな私達に佐藤元帥がどのような反応を示したかと言うと――これもまた予想外のものであった。

 佐藤元帥は、明らかに失態を犯したかのような、「しまった」とでも思っていそうな表情を、反射的に浮かべていたのだ。

 一瞬、互いに脳内を整理するように息をついて、佐藤元帥は確かめるように、私にこう問いかけた。

 

「神堂提督……神堂貞男提督。彼の名前だよ。彼はまさか……名乗って、いなかったのかな?」

「はっ……はい。そう言えば、提督はまだ名乗られておりませんでした。自己紹介では、過去の経歴等に関しても一切……」

 

 そう、これもまた事実だ。

 故に私達が驚いてしまった事もおかしな事では無い。

 だが、あんなにも心優しく有能な提督が、実は私達に名前を教えてすらいなかったという事実に、私は頭から冷水を浴びせられたような気持ちになった。

 深海棲艦の夜間強襲に、艦娘達との顔合わせ。提督にとって慌ただしい二日間であっただろうが、それでも、名乗る事すら忘れるという事が有り得るだろうか。

 否。それはつまり、提督は意図的に、私達に対して自身の情報を隠していたという事になる。

 そして、ついうっかり提督の名前を口にしてしまった佐藤元帥が、大きな失態でも犯したかのような表情を浮かべている。

 

 それが意味する事は、一体――。

 

「しまったな……彼が口にしていなかったのならば、これは私が口にしていい事では無かった。それで、神堂提督は何処に」

 

 佐藤元帥は話を変えるかのように、そう口にした。

 提督が口にしていなかったのならば、それは元帥でさえも口にしていい事では無かった――⁉

 どういう事だ。提督の名前すらも、本人の許可が無ければ、たとえ元帥でも口にする事が許されていないという事か。

 い、いや。ここで考えすぎてはいけない。

 不審に思われる前に、とりあえず、返事をする事が優先だ。

 

「は、はっ。昨夜、提督と金剛の歓迎会兼祝勝会を行いまして、提督は私達一人ひとりに真摯に向き合っておりました。それゆえに酒を大量に呑んでしまい、今もまだ眠っております」

「ほう、歓迎会を」

 

 佐藤元帥はそう短く答えて、再び何やら考えている様子だった。

 それに合わせて、私も思考をフル回転させる。

 まるで佐藤元帥と将棋盤を挟んで対局しているような気分である。

 その表情から思考は読めないが……私達が提督を歓迎したという事実は、決して悪い方向には行かないだろう。

 私達が提督に叛意を抱いているなどという事は有り得ない事だと伝わってくれれば幸いだ。

 

 ……いや、自分達の事ばかり考えていたが、ここはむしろ、通常であれば提督が一喝される場面にも見える。

 何しろ、もう昼も間近の時間だ。

 たとえ大戦果を上げ、艦娘達と親睦を深める為と言っても、艦娘達が起きているというのに上官たる提督が未だに眠りこけているという事は、果たして許される事なのであろうか。

 いや、艦隊司令部に属する者として、そして一人の大人として、社会人として、艦娘を率いる者として、決して許される事では無い。

 佐藤元帥が私の言葉を聞いて、叩き起こしに向かったとしてもむしろ当然の事だ。

 い、いけない! 提督は私達の事を想うが故に酔いつぶれて――な、何とか説得しなくては!

 私が慌てて佐藤元帥に声をかけようとするよりも先に、佐藤元帥が口を開いた。

 

「わかった。彼が目覚めるまで無理に起こさなくても良い。とりあえず応接室で待つ事にするよ」

 

 ――思考が、一瞬止まってしまった。

 

「はっ……⁉ お、起こさずともよろしいのですか⁉」

「うん。約束も無しに訪れたのは私だからね」

 

 佐藤元帥はそう言って、鎮守府の中へと歩を進めた。

 呆気に取られていた私達であったが、私は慌てて佐藤元帥の隣に付く。

 他の六人も顔を見合わせて、私達から少し距離を取って、その後ろに付いて行く。

 

 歩いている間も佐藤元帥は何かを考え込んでいる様子であったが、私達もそれどころでは無かった。

 互いに長考し、戦局は膠着状態にあるように思われる。

 わからない。わからない。一体何が起こっているというのだろう。

 この時間まで眠っている提督を、元帥の方が譲歩して待つ、と……佐藤元帥ははっきりとそう言った。

 艦娘との親睦を図る為という理由があるからか。それとも、大戦果を上げた功績で大目に見たのだろうか。

 いや、それはそれ、これはこれでは無いだろうか。

 規律に厳しい軍がそのような特別扱いをするという事が有り得るだろうか。

 

 もしもそうだとするならば、佐藤元帥が提督に対して一目置いているという事は、もはや疑いようの無い事実であろう。

 いや、そんなレベルの話では無いのかもしれない。

 あの艦隊指揮能力に対して一目置く程度であるならば、名前すらも伏せねばならない理由としては弱い。

 そうと考えるならば……やはり、家柄、だろうか……。

 例えば名家の御子息であるだとか……そう考えれば、不自然な点にも一応の納得がいく。

 

 そうなると、初めて人間に逆らった兵器の集まる横須賀鎮守府に、そのような方を放り込むという事は……危ぶまれても仕方の無い事であろう。

 できるならすぐにでも横須賀鎮守府から異動させたいと考えていてもおかしくは無い。

 最悪の事態が脳裏をよぎり、それを振り切るように私は心中で大きく首を振った。

 

 不意に、佐藤元帥は首を後ろに向けて、背後の長門さん達に向けて声をかけた。

 

「こんなに錚々たる面子に出迎えてもらえるのは光栄だが、一体どうしたというのかね」

 

 瞬間、長門さんの目が「我らの出番だ! 征くぞ! 気を開放しろ! 破ァーーッ‼」と叫んでいた。

 一言も発していないのに眼光がうるさかった。

 それに呼応するかのように、他の皆から発せられる熱意……というよりも圧力のような何かが、勢いを増す。

 長門さん達の周りの景色がゆらゆらと揺らめいて見えるが、少し熱気を放ちすぎでは無いだろうか……。

 佐藤元帥に熱意を伝える為に彼女達はここにいるのだから、ようやく出番が訪れたことで張り切っているのはわからないでも無いが……。

 

「……はっ! 我々の思いを伝えたく……!」

「ほう」

「佐藤元帥。我々はそれだけ本気だという事だ」

 

 言葉には気をつけて下さい、と先に釘を刺していた為か、長門さんと那智さんが短く答えた。

 それを聞いて、佐藤元帥は「そうか」と短く答え、再び前を向いた。

 本気の熱意が伝わったかどうかは定かでは無いが……那智さんや加賀さん、磯風などといった面子がおとなしくしている姿を見て、佐藤元帥が何かを感じ取らない訳が無い。

 佐藤元帥ほど聡明な方であるならば、きっと言葉にせずとも私達艦娘の思いを汲み取って下さるであろう。

 

 最悪の事態を避ける為、なるべく口にする言葉は少ない方が良い。

 特に、提督に関して詮索する事……先ほどからの佐藤元帥の不可解な言動から考えるに、その可能性は非常に高い。

 私達の第一の目的は、提督に、何としてでもこの横須賀鎮守府に残ってもらう事。

 だが、それと同じくらい、提督の事を知りたいと思ってしまっているのも偽る事の出来ない事実だ。

 それを公言した神通さんだけではなく、それは全員に共通する思いであろう。

 那智さんに至っては提督が私達に何か隠しているのではと考えていたし、佐藤元帥の様子を見るにおそらくそれは事実なのだろう。

 

 ……皆の思いを背負い、思い切って勝負に出てみようか。

 私は意を決して、何かを深く考えている様子の佐藤元帥に顔を向けて口を開いた。

 

「あ、あの、佐藤元帥。ひとつ、お訊ねしてもよろしいでしょうか」

「なんだい?」

「提督は……神堂提督は、一体何者なのでしょうか」

 

 予想通りではあったが、佐藤元帥は表情を変えぬままに、数瞬考え込んでしまった。

 私なりに考えた末の問いである。

 佐藤元帥の受け取り方により、提督の家柄もしくは過去の経歴が明らかになるかもしれない。

 いや、明らかにならずとも、何かヒントとなるような情報が得られれば――。

 

 佐藤元帥が考え込んだ末に出した返答は、そんな私の期待を見事に打ち砕くものであった。

 

「悪いが、私の口からは話せない」

「なっ……⁉」

「出来る事なら、今後は彼に対してもなるべく詮索しないでもらいたい。横須賀鎮守府の艦娘全員に周知してもらえるかい」

 

 ――頭の中が、真っ白になった。

 

「は、はっ! 申し訳ありません!」

 

 何とか返事をして、大きく頭を下げた。

 やってしまった。やらかしてしまった……!

 やはり、質問したのは間違いだった。皆の代表を務めておきながら、私はなんて大きな失態を……!

 後ろを歩く皆を振り向いて謝りたい気持ちだったが、佐藤元帥に不審に思われる行動は取れない。

 

 しかしまさか、元帥命令で今後の詮索に関しても潰されるとは……これでは何も情報が得られない……!

 内心大きく狼狽えている私の耳に届いたのは、予想だにしていなかった、佐藤元帥の言葉であった。

 

「私が唯一話せる事は、彼が近頃珍しいほどに愛国心に溢れた青年で、とても君達艦娘の事を大切に思っているという事くらいだ」

 

 提督の事を知りたいという私達の思いを汲み取って頂けたのだろう。

 または、私を不憫に思ったのかもしれない。

 思わぬ佐藤元帥の言葉に、私は気の抜けた返事を返してしまう。

 

「はっ……愛国心と、私達の事を……?」

「うん。三日前かな。横須賀鎮守府の提督となってくれないかと頼む為、私が彼の自宅を訪れた時、私が詳しく説明する前に、彼は二つ返事で了承してくれたんだよ。彼はそれどころでは無かったというのに――」

 

 そこまで言って、佐藤元帥は再び「しまった」とでも言いたげな表情を浮かべて、口を噤んでしまった。

 またもや口を滑らせてしまったのであろう。

 佐藤元帥は再び気を引き締め直すように小さく咳払いをしたのだった。

 

「済まない。少し話し過ぎた」

「……いえ、ありがとうございます」

 

 佐藤元帥の優しさと、うっかり口を滑らせてくれた事に対して、私は心から礼を言った。

 たった一言、二言ではあったが、そこには新たな、重要な、大量の情報が含まれている。

 私は真っ白になった頭を再びフル回転させ、一つ一つ情報を整理する。

 

 まず、佐藤元帥が唯一話せると言った事。

 提督は近頃珍しいほどに愛国心に溢れた青年で、とても私達艦娘の事を大切に思ってくれている、と。

 それはすでに、私達も心で理解できている事実だ。

 提督にとって一番はこの国の平和、そして二番目は私達艦娘。

 言葉通り、ご自分の事は二の次だ。

 他ならぬ元帥からもそのように評されるという事は、提督が艦娘全員をご自分の事よりも大切に思ってくれているのは疑いようの無い事実のようだ。

 いや、元々疑ってはいない。提督の艦娘への慈愛の心が元帥のお墨付きになった、というだけの事である。

 

 むしろ、本題は佐藤元帥が口を滑らせてしまった事。

 

『三日前かな。横須賀鎮守府の提督となってくれないかと頼む為、私が彼の自宅を訪れた時、私が詳しく説明する前に、彼は二つ返事で了承してくれたんだよ』

 

 ……頼んだ? 指示や命令では無く⁉

 お、落ち着こう。冷静に、クールに、一つ一つ整理していこう。

 神堂提督が正式に『提督』となる事が決まったのは、僅か三日前。つまり、着任の前日に急遽決定したという事だ。

 艦隊指揮能力は一朝一夕で身に付くものでは無い。

 そうなると、その時点ですでに艦隊指揮の能力に長けていた事は事実だ。

 艦隊司令部にすでに所属していたという説が濃厚であろう。

 神堂提督はその高い艦隊指揮能力を見込まれて、横須賀鎮守府の提督になる事が決定したという事だろう。

 しかし、それならば艦隊司令部で辞令が降りるのが普通だと思うのだが、何故佐藤元帥はわざわざ提督の自宅へ……自宅⁉

 

 ちょ、ちょっと待って、落ち着こう。

 横須賀鎮守府に提督が不在であったこの一か月間、佐藤元帥が何もしていないわけが無い。

 つまり佐藤元帥はこの一か月間あらゆる手を尽くしたが、打つ手が無かったのではないか。

 考えられるのは、艦隊司令部に提督候補がすでにいなかったか、あるいは、その数少ない提督候補たちが横須賀鎮守府への着任を拒んだか、もしくは、私達が邪推していたように艦娘兵器派等の何かしらの力により、艦隊司令部があえて横須賀鎮守府へ提督を着任させる事を遅らせたか……。

 私達が提督に逆らった兵器として見なされているであろう事を考えれば、どれも有り得る。

 ともあれ、佐藤元帥が三日前に神堂提督の自宅を訪れ、頭を下げて横須賀鎮守府の提督になってくれないかと頼んだのは、最後の手段と考えてよいだろう。

 もしも提督が本来ならば前線に身を置く事が許されないような、それなりの家柄の御子息であるとするならば、最終手段であった事にも頷ける。

 佐藤元帥が詳しく説明する前に提督が二つ返事で了承したというのは、ひとえに提督の愛国心と艦娘愛によるものだろうか……。

 

 ふと、私の脳内に『三顧の礼』という故事成語が浮かんだ。

 目上の者が格下の者の元を三度も訪れ、礼を尽くしてお願いをするという意味の有名な言葉だ。

 三国志において、後の蜀の初代皇帝こと劉備玄徳が若き天才・諸葛亮孔明を迎え入れる際の逸話が由来である。

 また、この国においては、後の豊臣秀吉こと木下藤吉郎が天才軍師・竹中半兵衛を迎える際の逸話としても知られている。

 提督が二つ返事で快諾した事から佐藤元帥は三度訪れる事は無かったが、もしも提督が留守であったり乗り気で無かったとしても、佐藤元帥は三度、提督の自宅を訪れていたのではないだろうか。

 

 この故事成語は、通常迎え入れる側の懐の大きさを称えるものである。

 つまり、目上の佐藤元帥がまだ二十代であろう提督の自宅へ赴き、頭を下げて礼を尽くし、提督になって貰えるよう頼んだという事実は、佐藤元帥の懐の大きさを表している。

 だが、それと同時に――神堂提督が諸葛亮孔明、そして竹中半兵衛のような、現代まで天才軍師と説き伝えられている偉人と重なって見えたのは、私だけであろうか。

 

『彼はそれどころでは無かったというのに――』

 

 と、佐藤元帥は言葉を続けたが、つまり提督は、高い艦隊指揮能力を有していながら横須賀鎮守府の提督となるどころでは無い事情があったという事だ。

 だがそれに無理を言う形で、佐藤元帥自らが自宅を訪れて頭を下げ、その礼に応え、また、その愛国心と艦娘愛ゆえに、神堂提督は横須賀鎮守府に着任したと考えるのが自然だろう。

 ならば、提督が横須賀鎮守府に構っている場合では無かった理由とは――そこまではまだ読み取れない。

 やはり名家の御子息である可能性が濃厚だろうか……。

 いや、国の中枢で、より重要な役目を任されていたという可能性も……。

 もしくは、その両方――?

 

 おそらく、本心では佐藤元帥も、私達に提督の事を話したいのだ。

 口を滑らせた時の佐藤元帥の目は、まるで自分の事のように誇らしく英雄譚を語る語り部のようであった。

 あの立派な青年の事を艦娘達にも知ってもらいたい、だがそれは許される事では無い。

 佐藤元帥が垣間見せた表情からは、そんな色が読み取れた。

 

 話したいのに、話せない。

 教えたいのに、許されない。

 元帥でさえも従わざるを得ないその力とは、一体――。

 

 いずれにせよ、わかったのは神堂提督が佐藤元帥からも一目置かれる、立派な存在であるという事。

 そんな御方と共にある事は――隣に立つ事は、信頼される事は、片腕となる事は、御召艦とまではいかずとも、とても名誉な事だと太鼓判を押されたようなものだ。

 佐藤元帥は気付いていないだろうが、背後を歩く六人から発せられる気配が明らかに増大したのも、おそらくそれが理由であろう。

 

 その後、佐藤元帥に求められ、私は提督が着任してから昨夜の迎撃作戦までの流れを改めて説明する事になった。

 報告書に記載した内容との整合性を確かめるように、佐藤元帥は注意深く話を聞いていたようだ。

 私が佐藤元帥に状況を説明するのに合わせて、背後から声がする。

 

「フッ、全く大した奴だ……」

「あぁ、胸が熱いな……」

「この磯風が認めただけの事はある……」

「うちが見てきた中でもとびきりの切れ者やで……」

「そうね。流石に気分が高揚します」

「流石は提督です……」

 

 うんうんとドヤ顔で頷いている六人の姿が、振り向かずとも脳裏に映った。

 端的に言って、その……物凄くうざったかった。

 一体何のアピールをしているのだ。もしや私の手助けをしているつもりなのだろうか。

 提督が只者では無い事に太鼓判が押されたからといって、すこし露骨ではないか。

 優れた提督の片腕となりたいという欲望が艦娘の本能なのだとしたら、無理もない事なのかも知れないが……。

 無意識にだろうか、六人は徐々に距離を詰めてきていた。

 発せられている熱気と圧力のせいで背中が焼けるように熱いので、少し離れてほしかった。

 

 

 

 熱意と言うよりも、もはや六人の火の玉となった長門さん達が私達の背中にぴったりと張り付いた辺りで――予想だにしない事が起きた。

 艦娘寮の入り口近くで、一人で歩いている提督とばったり出会ってしまったのである。

 

 提督は私達の姿に気が付くと、佐藤元帥に目を向け――そして、今まで見せた事の無いような朗らかな笑顔と共に、駆け寄ってきたのだった。

 

「佐藤さん! どうしてここに⁉」

 

 佐藤さん⁉ げ、元帥に向かってそんな、知り合いのおじさんのように⁉

 思わず佐藤元帥に目をやると、こちらもまた、まるで安堵したかのような表情を浮かべてそれに答えていた。

 

「おぉっ、神堂くん! 会いたかったよ!」

 

 提督が目の前に駆け寄ってきた辺りで佐藤元帥は私の視線に気が付いたのか、またもや「はっ」と気が付いたような表情になった。

 そして再び真剣な表情を作り、小さく咳払いをしながら、提督にこう言うのだった。

 

「オホン。いや、神堂提督。ここでは佐藤元帥と呼ぶように」

 

 その言葉に、提督も同じく「はっ」とした表情で、私達の姿を見渡した。

 どうやら、佐藤元帥にばかり気が行っており、私達の事は目に入っていなかったらしい。

 状況を察したのか、提督は笑顔を消し去り、普段の凛とした表情で佐藤元帥に頭を下げた。

 

「は、はっ! 申し訳ありません! そ、それで、佐藤元帥は何故ここに……」

「大淀くんの報告書に目を通して、飛んできたんだ」

「あっ……はっ、な、なるほど、そういう事ですか……!」

 

 数瞬前に素を見てしまった為か、二人とも明らかに演技しているのが丸わかりであった。

 つまりお二人は普段「佐藤さん」「神堂くん」と呼び合う仲であるという事。

 談笑と呼ぶにはやけに固く、白々しいお二方の会話であったが、私の脳内はそれどころでは無かった。

 他の六人に目を向けるも、どうやら私と同じ感情を抱いていたようだった。

 提督と佐藤元帥から不意に零れた言葉や表情から、やはり提督が只者では無いらしいと確信が得られたから――では無い。

 

 私は――そして長門さんも、那智さんも、加賀さんも、龍驤さんも、神通さんも、磯風でさえも。

 

 大小の違いはあれど、私達七人はその瞬間、確かに、間違いなく、佐藤元帥に嫉妬した――。

 

 それは、提督が私達には決して見せないような笑顔を、佐藤元帥には見せたからか。

 佐藤元帥が、私達の知らない神堂提督の顔を知っているからだろうか。

 那智さんは、私達には隠し事かと苛立ちを覚えている事だろう。

 長門さんは、何故我々には素顔を見せてくれないのだと悩んでいる事だろう。

 艦隊司令部に所属していた以上、僅か二日前に顔を合わせた私達よりも付き合いが長いのは当然だ。

 提督は、私達を導く上官。故に、威厳のある態度を取るように心がけている。公私に区別をつけている。

 ただそれだけのはずなのに。わかっているのに。

 それは艦としての本能か、それとも娘としての本能か、あるいは艦娘であるが故の本能なのか。

 上官としての提督を求めながらも、私達は素顔の提督も求めていた。

 何故、ここまで心がかき乱されるのか、私にはわからなかった。

 

「おや、私が来る事は聞いていなかったのかい?」

「鹿島と羽黒さんに、提督を起こして伝えるようお願いしていたのですが……」

 

 佐藤元帥の問いに、私は横から答えた。

 そう言えば、佐藤元帥の視察を知っていたのならば、先ほどのような反応はしないはずだ。

 私の言葉に続き、提督は「そう言えば、二人は席を外していると聞いておりました」と答えた。

 どうやら入れ違いになってしまったらしい。

 鹿島と羽黒さんが佐藤元帥の視察の連絡を受け、私に相談をしに来た時、提督は目覚めたのだろう。

 そして二人が戻るのを待たずに、甘味処間宮を出たのだ。

 

 提督は気まずそうに、もう一度佐藤元帥に深々と頭を下げた。

 

「も、申し訳ありません……このような見苦しい姿をお見せしてしまい……ちょうど今から、風呂を浴びるところだったのです」

「いや、事情はすでに大淀くんから聞いているよ。気にしなくても良い――」

 

 ――瞬間。佐藤元帥の目に電撃が走るのを私は見逃さなかった。

 

 佐藤元帥は提督の肩にぽんと手を置き、目をぎらつかせながら言葉を続けたのだった。

 

「――いや、流石に酒臭いのは不味いな。寝ぐせもついているし、上官として示しがつかないじゃないか」

「は、はッ! 仰る通りです! 申し訳ありませんッ!」

 

 提督は本気で恥じているのか、大袈裟に頭を下げ続ける。

 佐藤元帥は私に視線を向け、こう問いかけたのだった。

 

「大淀くん、男性用の大浴場は使える状態なのかな」

「は、はい。しばらく使用しておりませんが、常に妖精さんが綺麗に掃除してくれております」

 

「良し。神堂提督、ここの大浴場は使った事があるかい? 入渠施設にあるんだが」

「……はっ? 大浴場、ですか? い、いえ……」

「ちょうど私も汗を流したいと思っていたんだ。男同士、裸の付き合いといこうじゃないか。……積もる話もある事だしね」

「……は、はーッ! 御一緒させて頂きます!」

 

 しまった――!

 この一手は佐藤元帥が仕掛けた策だ。提督も瞬時にそれを理解したのだろう。

 やはり、佐藤元帥は私達の目から離れた所で提督と話す事が目的!

 私は応接室で人払いをする程度だと推測していたが、更に念を入れてきた!

 まさか男湯という文字通り女人禁制の場で密談するとは、予想も出来なかった。

 おそらく、佐藤元帥の表情を見るに、この策は急遽思いついたものであろう。

 つまり、提督の情報を知りたがっている私達の不穏な気配に感づいて――!

 

 提督の身なりを整えるという大義名分もある。

 これを阻止する事は不可能。

 ましてや、脱衣所に忍び込んで聞き耳を立てる事など……そんな出歯亀のような真似、誇り高き艦娘であるこの私達に出来るはずが無い!

 

 佐藤元帥はそこまで理解しているのか、狼狽えている私達に向き直り、余裕のある表情で口を開いた。

 

「そういう訳だ。しばらく彼を借りるよ。君達は外で待機していてくれたまえ」

「……はっ……!」

 

 遠ざかっていくお二方の背中を見送り、私達はただただ茫然と立ち尽くすのみであった。

 慌てて他の六人が私に駆け寄り、輪を作って騒ぎ立ててくる。

 詮索するなとは言われたが――この機を逃しては!

 

「お、おい大淀! どうする⁉ 佐藤元帥がここまでするとは、この長門の目をもってしても見抜けなかった……!」

「さっきから話を聞いていれば、やっぱり司令官は只者じゃあらへん……これは司令官の事を知る千載一遇のチャンスやで!」

「私に名案があるわ。潜水艦の子に先回りしてもらって、湯船の中に隠れてもらいましょう」

「十中八九バレるわ! ちゅーか今全員出撃しとる!」

「廊下か外から聞き耳を立てれば、何とか聞き取れないだろうか……」

「いえ、女湯と造りは同じですから、経験上、那珂ちゃんの歌に匹敵するような大声で無い限りは廊下や外からでは聞こえないでしょう。逆に言えば、脱衣所まで行けば会話程度なら何とか聞き取れるはずです……」

「この磯風に考えがある。この中の誰かが司令の背中を流すという名分で堂々と乱入するのはどうだろうか。私は御免だがな」

「ア、 アホっ! 一番アカンわ! う、うちら一応女の子やし……司令官らも気にするやろ!」

「貴女ならきっと大丈夫よ」

「しばくぞ! 大淀! この加賀(アホ)は放っておいて、何か打つ手は無いんか⁉」

 

「わ、わかってますよ! ピンチはチャンス……男湯という私達の近づけない空間ならば、逆に佐藤元帥も油断する事でしょう……つまり、脱衣所に侵入してあの場の会話を聞き取る事が出来たなら……! で、でも! そんな出歯亀のような恥知らずな真似、誰がすると、いえ、誰が出来ると言うのですか⁉」

 

 私の言葉に、全員黙りこくってしまった。

 神通さんなどは何を想像してしまったのか、顔を真っ赤にして俯いてしまっている。

 聞き耳を立てる為に男湯の脱衣所に忍び込んだ事が提督にバレたならば――考えただけで恥ずかしいし、何よりも恐ろしい。

 

 提督の信頼を得たい私達が、自ら信頼を損なうような真似が出来るはずが無い。

 

 打つ手無しか、と私達全員が諦めかけたその瞬間――おーい、と呼ぶ声と共に背後から駆け寄ってくる足音が聞こえた。

 私達が振り向くと、そこには――。

 

「何よ大淀、珍しいメンバーで……何かあったの?」

「あ、明石っ?」

「ちょっ、ちょっと待ってぇ~! 置いてかないでよぉ!」

「ゆ、夕張!」

「なになに? 何の話ですかぁ?」

「あ、青葉ーッ⁉」




大変お待たせ致しました。
少し長くなってしまったのですが、艦娘視点となります。
次回は久しぶりの提督視点になります。

ついに冬イベが近づいてきましたね。
余談ですが、武蔵建造確率大幅アップ後、我が鎮守府はあえてのビスマルクレシピに挑戦したところ、武蔵が三人着任しました。
ビスマルク姉様は一向に姿を見せてくれません。
大規模イベントとの事なので完走できるかわかりませんが、提督の皆さんお互いに頑張りましょう。

※どうでもいい用語解説
【同時改二】
特撮等における同時変身と同義。
意識していないのに何故か改二発動のタイミングが重なる現象。
熱い展開の際に起こりやすい。


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035.『視察』【提督視点】

 ――俺は走っていた。

 いつから走っているのか覚えていない。

 この道は知っている――あぁそうだ、これは小学生の時に毎日見ていた帰り道じゃないか。

 ふと気づけば、俺の身体はあの頃に戻っていた。

 あぁ、これは夢なのだと何となく理解しながらも、走るのを止めなかった。

 

 友達の作り方を忘れてしまったのはいつからだろう。

 元々人見知りではあったものの数人の友人くらいはいた俺が、完全に友人を無くしてしまったのは、確か小学五年生の時からだ。

 その時は、別に俺が何か問題をしでかしてしまったというわけではなかった。

 クラス替えにより友人達が別々のクラスになってしまった事と、母さんの病気が判明した事、そして俺が、残された母さんとの時間を何よりも優先したのがきっかけだったのだと思う。

 

 学校が終われば、俺はすぐさま走って自宅に帰った。

 母さんが入院するようになってからは、学校から直接病院へと走った。

 面会時間が決められているので、歩いている時間さえももったいなかった。

 早く病院に辿り着けば、それだけ長く母さんと居られる。

 休日はもっと長い間、母さんと一緒に居られる。

 

 数少ない友人からの誘いも断り続けた。

 やがて誘っても必ず断るからと、誰からも誘われなくなった。

 俺から誰かを誘う事もしなかった。

 俺はそれでいいと思っていた。何しろ、母さんと一緒に居られる時間はもう僅かしかないのだから。

 面会時間は夜八時まで。

 余命は残り僅か一年。

 俺にとって何よりも優先しなければならない時間だった。

 

 ――走り続けて、やがて俺は見慣れた扉の前に辿り着いた。

 この扉の先に待っているのは何か、知っている。

 慣れない期待に胸を膨らませて病室の扉を開けると、そこには――。

 

「甘味処間宮へようこそ! 甘いものはお好きですか?」

「はいはい、なんですかぁ? 提督といい、巻雲さんといい、スキンシップ大好きですね?」

「提督さんには、うちがついておるから大丈夫じゃて! うちに、任せとき?」

「司令官、私がいるじゃない! この雷にも、もーっと頼ってくれてもいいのよ?」

 

 うっひょーッ! マンマ祭り四人衆発見!

 精神退行艦オギャる丸、準備万端であります!

 朝の光眩しくて、それっ、抜錨!

 たとえ世界の全てがバブ海色(ミいろ)に溶けても――!

 

 マンマ祭り四人衆が手招きするベッドにルパンダイブしたところで、ぱちり、と目を開けると、昨日とはまた違った見慣れぬ天井が目の前に映る。

 目を開ける数瞬前まで眠っていたという事実を理解するまでにしばらく時間がかかった。

 寝起き特有の身体のだるさや頭の寝ぼけた感じも一切無い。

 股間の駆逐艦朝立の装甲もギンギンにMAXっぽい。股間にハンモックっていうかテントを張ってでも戦うよ!

 こんなにすっきりと目覚めたのは、かなり久しぶりの事だった。

 昨日ようやく一日のオナ禁に成功したからだろうか……。

 

 俺の身体は布団に包まれていたが、自分で布団を敷いて眠ろうとした記憶が無い。

 身動き一つ取らぬまま、天井を見上げて記憶を整理する。

 そう、酒とバブみのせいで正気を失いかけ、俺は自室に戻ろうとしたのだった。

 そして足がもつれて、転びそうになって――えっ、転んだ? 頭を打った?

 そこからの記憶が一切無い。

 気が付いたらこの状態だ。

 

 お、おい、待てよ……記憶が無いという事は、ま、まさか俺の中の俺(フルティンコ)が、陰に隠れたその姿を見せてしまった可能性が――⁉

 い、いや! それに加えて、那智との呑み比べは……⁉

 

 俺は思わず、がばっ、と上半身を起こした。

 辺りを見回すと、どうやら昨日の歓迎会場の小料理屋鳳翔、いや、この時間帯は甘味処間宮のようだ。

 座敷に布団を敷かれて、俺はそこに寝させられていたらしい。

 少し離れた場所にある席で姉妹達と紅茶を飲んでいたらしい金剛と目が合うと、ぱあっ、と太陽のような笑みを浮かべて、前転しながら文字通り飛んできた。

 

「あっ! お目覚めデース! グッモーニンッ、テートクゥーッ!」

 

 俺の布団の上でバッとムササビのように手足を広げた金剛は、その勢いのままに着陸し、布団の上から俺の身体の上に覆いかぶさってきた。

 必然的に金剛の身体に押しつぶされ、立ち上がっていた俺の股間があらぬ方向へ押し曲げられる。

 アーーーーッ‼⁉ 駆逐艦朝立、轟チン! 目覚めているのに俺の早漏物(ソロモン)を悪夢が襲う――⁉

 も、もう馬鹿ッ! これじゃ戦えないっぽい!

 思わず白目を剥いてしまったが、何とか表情を保ったまま堪えた。

 

「あれっ、何か硬いものが当たって……あっ、さてはハラキリ用の小太刀を隠し持っていたデスカー⁉」

 

 ウ、ウン、小太刀っつーかピンコ立ちがねってやかましいわ!

 誰が小太刀だ。大太刀かもしれないだろ。

 俺は股間の激痛に肩を震わせながら、何とか金剛に目の焦点を合わせた。

 

「お、おはよう金剛……こ、こういう事を気軽にするなと昨夜言った記憶があるのだが……」

「ぶぅー、何でデスカ」

 

 くそっ、コイツ本当に距離感近いな!

 建造された事がそんなに嬉しいのか元々の性格なのかはわからんが、これでは俺も勘違いしてしまうではないか。

 コイツ俺の事好きなんじゃね? という勘違いはもう二度とするまいと固く心に誓ったのだ。

 自分自身への戒めと、男を惑わす金剛を脅かすつもりで、布団の上から俺の身体にまたがる金剛の両肩をがしっと掴む。わぁい、すべすべで柔らかーい!

 驚いた様子の金剛の目をじっと見つめながら、俺はドキドキしているのを表情に出さないように、真剣な眼で言ったのだった。

 

「……時間と場所をわきまえれば触ってもいいと言ったな。金剛から触れてきたという事は、今、そういうつもりでいいという事なんだな……?」

「へぅあっ⁉」

 

 金剛はたちまち顔を赤くして、しどろもどろといった表情を浮かべた。

 ……エッ? 何その反応。可愛い。

 い、いや違う。ほら見た事か。いざ押されると困ってしまう。

 俺をからかっていたようなものではないか。

 おろおろと狼狽えていた金剛は、慌てた様子で人差し指を立てて俺にまくしたてる。

 

「えっ、あっ、その、あっ、じ、時間と場所もそうだケド、む、ムードとタイミングも忘れたらノーなんだからネっ⁉」

「そうかそうか。時間と場所とムードとタイミングをわきまえれば、金剛を好きにしていいんだな? そうかそうか覚えておこう」

「あ、あぅぅ……」

「冗談だ」

「モォーーっ! テートクゥーっ! そういうジョークは悪趣味デースっ!」

 

 金剛は耳の先まで真っ赤にしてぽかぽかと俺の胸を叩いてくる。可愛い。

 いや落ち着け。冷静になって考えろ。

 この反応……俺をからかっているわけでもなく、外国かぶれ故に距離感が近いというだけでは無い。

 何というか、ぐいぐい押してくるわりに、押されるのには弱いというか……つまり可愛い。

 こ、これはまさか、コイツ俺の事好きなんじゃね?

 時間と場所とムードとタイミングをわきまえれば、童貞捨てさせてくれんじゃね? ワンチャンあるんじゃね?

 よ、よし、早速作戦を考えねば――!

 最低か俺は。目覚めて三分も経たない内に何考えてんだ。

 寝起きでドキドキしすぎた事により俺の心臓に多大なる負荷がかかっていた。

 このままでは寿命が縮む。頭を冷やさねば。

 

「……えへっ、改めてグッドモーニング。よく眠れましたカ?」

 

 俺の上からどいた金剛は、そのまま横から俺の顔を見て、まだ少し火照ったままの笑顔を向けて来た。可愛い。

 その微笑みは昨日のそれと一切変わらない。

 それにしても、俺も自分で見たわけでは無いから詳しくはわからないが、妹達をガチ泣きさせるほどの色欲童帝(ラストエンペラー)を見ていたならば、こんな笑顔は俺に向けられないはず……。

 ……もしや、俺の中の俺(フルティンコ)が降臨するのは防げていたのだろうか。

 

「金剛、その……眠った辺りの記憶が曖昧なのだが、私は何か妙な事をしでかさなかっただろうか……」

「あはっ、ノープロブレム! 酔い潰れていきなり倒れてるのを見た時はビックリしたけれど、その後はずっとすやすや眠ってマシタ」

 

 いきなり倒れた……つまり、転んで頭を打って気絶でもしたのだろうか。

 もしそうであるならば、俺の中の色欲童帝(ラストエンペラー)や精神退行艦オギャる丸が暴走していない事にも納得がいく。

 よ、よっしゃラッキー! まさに転んでもただでは起きない男、神堂貞男!

 結局昨夜、間宮さんに会えなかった事だけは残念だったが、獣化した姿を見られるよりは断然マシだ。

 

 い、いや、待てよ。金剛は俺が酔い潰れたと言っていたな。

 つまり俺は……那智との呑み比べに、負け……たのか……。

 なんてこった……俺の言い出した取り決めのせいで、俺は那智の言う事を何でも一つ聞かなくてはならない。

 俺のようなクソ提督に、あの鷹の目を持つ那智が何を命令するだろうか。

 想像したくもない。絶対まともな事を言う。最悪の場合、俺が提督でいられる最後の日になるかもしれない。

 何だかもう泣いてしまいそうだった。

 

 くそっ、まだ諦めてたまるか!

 最悪の想定はひとまず置いておいて、今日からは真面目に有能提督となろうと心に決めたではないか。

 俺の頑張りを那智が認めてくれる可能性も無きにしも非ず。

 金剛が俺の童貞を捨てさせてくれるかどうかを考えている暇は無い。

 今日こそは、いや今日からは! 今この瞬間からは! もう二度とふざけた事は考えないようにしなくては。

 

 目覚ましに両頬を叩き、気合を入れ直す。

 ッシャア! 心の火……心火だ! ふざけた思考は心火を燃やしてブッ潰す!

 今の俺は、負ける気がしねェ!

 キリッと表情を引き締め直して布団から立ち上がった俺の眼の前に、厨房からひょこっ、と顔を出したのは――。

 

「おはようございます、提督。昨晩呑み過ぎていたようなのでしじみ汁を作ったのですが、いかがですか?」

 

 食べりゅううううううう‼

 トラットリア・マーミヤ、最高で~す! お酒もお料理も美味し~い!

 しじみ汁飲んでるぅ~? あ、ごっちそうさまがぁ聞っこえなぁ~い!

 駄目だ、俺の煩悩の前に心火はいとも容易く吹き消されてしまった。凹む。

 

 二日酔いとは無縁の俺だが、間宮さんの魅力に酔ってしまったようだ。

 何しろ朝起きたら間宮さんが朝食を作ってくれていたという夢にまで見たシチュエーションだ。俺に毎日しじみ汁を作って下さい。

 朝マックならぬ朝マミヤだ。スマイルひとつ下さい。注文する前にすでに貰えていた。結婚して下さい。

 こんなの逆らえるはずも無いではないか。俺が正気を失うのも致し方なし。求婚不可避。

 思わずスキップしながらカウンター席に向かってしまいそうであったが、何とか堪えた。

 

 いや、待て。今の自分を顧みろ。

 妹達にも言われたではないか。清潔感には一番気を配れと。

 眉はボサボサではないか、髭は伸びていないか、服は皺だらけではないか、体臭や口臭は臭わないか、寝ぐせはついていないか……数々のチェックリストを叩き込まれた。

 軍服のまま寝ていた事で、シャツはすっかり皺だらけだ。

 厚着で寝ていたせいで自分でもわかるほどに汗臭い気がするし、何よりも吐く息は酒臭い。

 歯も磨かずに寝てしまったし、最後に食べた秋刀魚のせいで口の中が焦げ臭い。

 後頭部に手をやれば、豪快にぴょんと撥ねた寝ぐせ。

 頬から顎に沿って撫でてみると、若干チクチクするような……。

 い、いかん! 間宮さんの、いや、艦娘達の前で清潔感を失った姿を見せてしまっては、好感度が更に大幅ダウンする可能性が!

 

 目の前の衝動に流される事なく、大局を見極めてこそ智将である。

 俺はしじみ汁で満たされた鍋に頭から飛び込みたい衝動をぐっと堪えて、間宮さんに真剣な眼を向けたのだった。

 

「うむ、おはよう。是非、頂かせてもらおう。その前に、少し身だしなみを整えてくる」

「そうですか……あっ、さっきまで秘書艦の羽黒さんと鹿島さんがお側に付いていたのですが、何やら連絡が入ったようで、先ほど慌てて出ていってしまいましたよ」

「そうか。入れ違いになったら、すぐに戻ると伝えておいてくれないか」

「うふふ、了解しました。お待ちしていますね」

 

 俺の方がお待ちできない。

 羽黒と鹿島の事を考えている心の余裕は無かった。

 今すぐダッシュで自室に戻って身だしなみを整え、「ヘイお待ち!」と甘味処間宮に頭から滑り込みたいところだったが、それは流石に不審すぎる。

 金剛と一緒に紅茶を飲んでいた比叡、榛名、霧島とも無難に挨拶を交わした。

 慌てず、冷静に、衝動を押さえつけながら、一歩一歩、ゆっくりと自室へと向かう。

 

「えへへっ、私もテートクについていきマース!」

「あっ、駄目ですよ! お姉様は今から私達とリハビリです! 気合入れていきましょうっ! はいっ!」

「出撃が無い今の内に、基礎的な練度を取り戻さねばなりませんからね。榛名、全力で頑張ります!」

「フフフ、艦隊の頭脳、この霧島の計算により、お姉様にとって最も効率的なメニューを作成しました! まずは艤装を具現化した状態で腕立て百回お願いします」

「ノォォーッ!?」

 

 背後から金剛の叫び声が聞こえたが、聞こえないふりをして歩を進めた。

 あっさり~しっじみ~は~まぐ~りさ~ん。

 心の中で謎の歌を歌いながら、俺は艦娘寮へ向かう。

 俺の脳内は間宮さんのしじみ汁で満たされていた。

 

 ふと、遠くに羽黒と鹿島の姿を見つけ、俺は反射的に物陰に身を隠した。

 明らかに不審な動きであったが、清潔感の無い今の姿を艦娘達に見られたくないという気持ちがそうさせたのだろう。

 俺の脳裏に、清潔感の無い俺と顔を合わせた艦娘達の反応が浮かぶ。

 

『提督……お前ちょっと、臭い!』

『あのー……魚雷、撃ちますよ? 清潔感無さすぎなので提督に二十発、撃っていいですか?』

『うわっ、キモッ⁉ なんかヌメヌメするぅ⁉ もぉー、テンション下がるぅ!』

『貴様、酒臭いな。銃殺刑にしてやってもいいのだぞ』

『提督さんじゃん! 何やってんの⁉ 爆撃されたいの⁉』

『近づいたらマジで怒るから。有り得ないからっ! ホント、冗談じゃないわ!』

『うわっ、汚っ……私、なんでこんな部隊に配属されたのかしら』

『ったく、なんて恰好してんのよ……本っ当に迷惑だわ! だらしないったら! 惨めよね! 沈みなさい! 死ねばいいのに!』

『モウコナクテイイノニ……ナンデクルノォォ!?』

『ヤメテッテ、オネガイシテルノニィッ!』

『ヴェアアアアッ! ニクラシヤァァアッ!』

『カエレ!』

 

 凹む。

 俺に対して優しく接してくれる間宮さんや金剛だったから大目に見てくれたかもしれないが、すでに嫌悪感すら抱いていそうな羽黒は特にマズい。

 ただでさえ好感度が低いのに、清潔感の無い姿を見られた事で生理的に無理とか言われたら俺は余裕で死ねる。

 横須賀十傑衆の上位二席が俺に好意的なのは奇跡だとして、残りの香取姉や千歳お姉や翔鶴姉や妙高さんに嫌われてしまったらどうしようもない。

 いや、昨日の時点で翔鶴姉は目も合わせてくれなかったし、香取姉と妙高さんには露骨に距離を置かれてるけど……凹む。

 と、とにかく好感度を保つ為にも、今の姿は艦娘達には見せられん。

 何とか隙を見て俺の部屋まで辿り着かねば。

 

 物陰に隠れて様子を窺っていると、甘味処間宮から羽黒と鹿島が何やら慌てた様子で駆け出してきた。

 そのまま艦娘寮の方へと走っていき、中へ入っていく。

 俺を探しているのだろうか……そ、そりゃあそうか、一応秘書艦だもんな。何やってんだ俺は。

 しかし今の姿で鉢合わせたくは無い……少し様子を見てから部屋に戻るか……?

 いや、羽黒達が間宮さんから話を聞いていたとするなら、俺が身だしなみを整えていると思って部屋の前に待機しているのでは。

 くそっ、顔を合わせざるを得ないか……。

 

「む? 提督よ、お主こんな物陰で何をしておるんじゃ」

「提督、おはようございます」

「ウェ⁉」

 

 変な声が出た。

 急に背後から声をかけられ、慌てて振り向くと、そこに立っていたのは利根と筑摩の二人であった。

 おぉっ、利根はともかく、横須賀十傑衆第八席、姉より優れた妹、マーチクではないか。

 天龍に追い抜かれてワンランクダウンしたとはいえ、この鎮守府で十指に入る実力者だ。

 ん? 何だろう、パッと見、何か違和感があるのだが……。

 挨拶をしてきた筑摩に返事を返してから、適当に誤魔化した。

 

「い、いや。何でもないんだ。お前達こそ、何をしている」

「うむ! 大淀の立案した資材輸送作戦では吾輩達の出る幕が無くてのう。暇じゃったから周囲の索敵をしつつ散歩しておったのじゃ! なーっはっはっは!」

 

 腰に両手を当てて高らかに笑う利根と、それを微笑みながら眺めている筑摩を見ていて違和感の正体に気が付いた。

 あれっ、コイツら、今まで見てきた装束と違う?

 オータムクラウド先生の作品内での服装とも違う。

 しかし昨日の朝、帰投した時はこんな格好だったような……。

 今までは普通のミニスカートだったのに、今はチャイナドレスのような、大きなスリットというか……エッ、お前ら、パ、パンツは⁉

 どういう事だ。パンツの見えるべき場所にパンツが見えない。

 ラブリーマイエンジェル翔鶴姉であるならもうとっくに紐が見えている部分に何も無い。

 太腿よりも更に上の、腰の辺りさえも超えて深いスリットが入っており、これはもはやスカートと呼べるものでは無い。

 これではただの暖簾(のれん)ではないか。小料理屋鳳翔の入り口と間違えて俺がうっかりめくってしまっても責められんぞ。

 

 アホの利根ならばパンツを履き忘れていても別に不思議では無いが、筑摩お前、そんな大人しそうな顔して、パ、パンツは⁉

 まさかノーパン⁉ お、おい、俺は昨日経験したから知っているが、かなり心細いのでは⁉

 いやズボンでも心もとなかったというのに、こんな暖簾(のれん)装備では風が吹いただけでスッポンポンではないか。

 この薄い暖簾をめくった先には、まさか水上機母艦コマンちゃんが⁉ ボ、ボンジュール! メルシー!

 ちょ、ちょっと待て、何で急にこんな大胆な恰好に――⁉

 

 俺が凝視しているのに気付いたのか、利根はえへんと胸を張った。

 

「この装束が気になるのか? フフフ、お目が高いのう。何を隠そう、これこそ吾輩達の改二装束じゃ!」

「改二……お前達は今、改二を発動しているのか?」

「左様! 吾輩達は改二状態では重巡から航空巡洋艦となり、戦闘力のみならず索敵能力が大いに向上するからのう。他の者達とは違い、吾輩達は海に出る時は改二を発動するのが基本なのじゃ」

「でもこのお洋服、脚が少し涼しいんです。ふふっ」

 

 少し涼しいってレベルじゃねーぞ……丸見えじゃねーか。

 俺の脳内のしじみ汁が消えてしまった。利根と筑摩の暖簾(のれん)の中身が気になってしょうがない。

 航空巡洋艦が何なのかよくわからないが、ともかくコイツらが改二を発動すると格段にエロくなる事だけは理解できた。

 まさか筑摩がこんな隠し玉を持っていたとはな……俺の理想のパイオツを持つだけではなく、脚をここまで露出するとは……。

 大淀や明石のスケベスリットよりも更に攻めてきやがった……!

 露出が少ない故の着エロの妙味というものもあるからその辺りなかなかバランスが難しい話ではあるのだが……。

 いや、そんな事はどうでもいい。

 筑摩の纏う雰囲気に、俺の幼年性ママゾン細胞が反応している。

 

「筑摩~、お腹空いた~」

「はいはい、利根姉さん。もう少ししたらお昼ですからね」

 

 利根に対する態度を近くで見ていて気付いたが、これは姉ではなく完全に赤子に接するそれではないか。

 つまり妹属性であるにも関わらず、俺が筑摩をやけに高評価していた理由はこのバブみにあったという事か……!

 筑摩ンマ……そういうのもあるのか! は~ぎゅ~!

 俺の理想のバランスを持つパイオツ、パンツの存在すら消して大きく露出された美脚、そしておしとやかな雰囲気にこのバブみ……!

 清楚とエロスを絶妙に併せ持つ清純派AV女優のごとき存在感……。

 俺の提督アイによれば、おそらくコイツは何着てもエロくなる。筑摩そのものがエロいからだ。

 横須賀鎮守府第八席マーチク、恐るべし……!

 

 それはそれとして、うまく角度を調節すれば暖簾(のれん)の中身がチラリと見えたりしないだろうか……。

 俺は何とか話を引き伸ばしながら地味に立ち位置を変え、横目でチラチラと筑摩の太ももに目を向ける。

 

「大淀が資材輸送作戦を立案したと言っていたが……私が寝ている間に進めてくれたのか」

「うむ。まぁ必要経費だったとは言え、昨日の金剛の建造と迎撃作戦で、我が横須賀鎮守府の備蓄はほぼ枯渇しておるからのう。自然回復分では全然足りん。今大規模侵攻が起きたらと思うと背筋が凍るのう」

 

 そ、そうか。大淀の奴、俺が寝ている間にもこんなクソ提督に代わってしっかりフォローしてくれているんだな……アイツには頭が上がらん。ダンケ。

 意識していない事ではあったが、まさか資材がそんなにも足りない状況だとは思わなかった。

『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』のチュートリアルに沿って何も考えずに建造したが、今にして思えばかなり無駄だったのでは……い、いや、そのおかげで金剛に会えたしな。

 資材の重要性については流石の俺でも理解できている。資材が無ければ艦娘は戦う事すらできないらしいのだ。

 大淀も最優先で資材の回復に努めているという事だろう……それは大淀に任せるとして、今だけは何とか筑摩の暖簾の中身を……駄目だ、絶妙に見えねェ。

 

 これでは俺の痴的好奇心が満たされん……最悪、小料理屋鳳翔の暖簾と間違えたといった感じで直接めくってみるか……?

「鳳翔さん、とりあえず生!」とか言いながらどさくさに紛れて股間も入店して……いや、流石に無理すぎる。それに生は駄目だ、いや生じゃなかろうが駄目だ。馬鹿か俺は。

 筑摩相手だと犯罪だが、利根なら何とか、いや、それはそれで罪悪感があるな……つーかどっちにしろ犯罪だ。

 クソッ、スカートめくりが犯罪になるか否かの境界線はどこなんだ。

 セクハラと同じで、結局は相手がどう思うかが肝心なのだろう。つまり、昨日夢で見たようにやはり艦娘ハーレムに引き入れてベッドの上で直接めくるのが正攻法か……!

 

 というか、筑摩に気を取られてすっかり忘れていたが、コイツらにも清潔感の無いまま接していては駄目ではないか。

 利根にはどう思われようが知った事ではないが、大人しい筑摩に嫌われるのは地味にキツい。

 今のところ気が付いているようには見えないが、おそらく俺が風下に立っているからであろう。

 風向きが変わったが最後、俺の体臭と酒臭い息が届いてしまう可能性が……。

 くそっ、ここは智将の英断として、筑摩の暖簾の中身は諦めよう。

 いつか酒でも飲んだ時に、うまくチラリポロリが得られる可能性があるかもしれないではないか。

 ここは撤退するのが最善の判断であろう。

 

 俺は智将らしく冷静に判断し、利根と筑摩に真剣な眼を向けて言ったのだった。

 

「時間を取らせてしまって済まなかったな。索敵と散歩を再開してくれ」

「うむ! それでは筑摩よ、いざ征くぞ! なーっはっはっはっは!」

「はい、利根姉さん。それでは提督、失礼します」

 

 ぺこりと頭を下げて去って行く二人のケツを眺めていた――瞬間。不意に強風が吹いた。

 

 ――……⁉

 

「あっ、強い風が……もう、このスカートだと……」

 

 筑摩が慌てて前側の暖簾を押さえ、俺は反射的に前かがみになって股間を押さえ、二人は()しくも同じ構えとなった。

 何……だと……⁉ ち、筑摩、利根、お、お前ら……何てものを……⁉

 鼻腔に違和感が走り、ぼたり、と血が滴った。

 い、いかん! 暖簾の奥のあまりの衝撃に、鼻血が――⁉

 

「ぬわーーっ⁉ て、提督よ、どうしたっ⁉ 筑摩ぁーっ! ちくまぁーーッ⁉」

「と、利根姉さんっ? て、提督っ⁉ どうされたのですかっ⁉」

 

 俺が前かがみになって鼻血を垂らしている姿に気が付いたのか、利根と筑摩が慌てて戻って来た。

 鼻の頭を強く押さえながら、俺はおろおろと狼狽える二人を宥める。

 鼻で息が出来ず、喋ると息苦しい。

 

「だ、大丈夫だ……ゼェ、元々鼻血が出やすい体質なんだ……ハァ、それと利根、あまり大声を出すな……!」

「し、しかし……誰か他の者を呼ぼうか」

「呼ばなくていい……! その代わりに、血を洗う為の水を汲んできてくれ……ゼェ、ハァ……それと、この事は決して誰にも言うな……! これは提督命令だ……!」

「う、うむ……承知した」

 

 股間に血を集めながら鼻から血を垂れ流すという器用な真似をしている姿をこれ以上誰かに見られてたまるか。

 クソッ、脳に必要な血液が圧倒的に足りねェ!

 筑摩が近くに寄ってきた事で、暖簾の中身を思い出してしまう。

 俺はたまらず壁に手をつき、身体をくの字に曲げた。

 深呼吸……深呼吸だ……落ち着け、小学生の頃は何故か鼻血が出やすい体質だったのは嘘では無い。

 鼻血を出すたびに、クラスメートから「こいつエロい事考えてたんだぜ!」とからかわれていた嫌な思い出が蘇る。

 当時は勿論エロい事など考えてもいないのに鼻血が出ていたのだが、歳を取りエロい事ばかり考えるようになったら鼻血は出なくなったので、俺は鼻血とエロい事を考える事に因果関係は無いと考えていたのだが、ここにきて考えを改めねばならない可能性が……って何の話だ。

 

 ともかく筑摩の暖簾の中を見たが最後、鼻から血が噴き出し、股間は石になる事が明らかとなった。

 暖簾の中にはもう完全に魔物が封印されていると思った方がいい。ゴルゴンとかメデューサとかその辺りの魔物が。

 第八席にも関わらず直接的な殺傷力が一番ヤバいなマーチクは……。

 エロさに置いては鹿島と張るのではないか。

 ドスケベサキュバス鹿島ンマVS清楚系メデューサ筑摩ンマ……どちらが勝っても俺が死ぬ事だけは確かだ。

 オータムクラウド先生の作品だけでは伝わらなかった、俺の想像を遥かに超えるエロスを持つ筑摩とも、今後は鹿島と同じく距離を置いた方が良さそうだ……。

 俺の股間が色んな意味で持たない。

 

 利根が「高速修復材」と書かれたバケツに水を汲んできてくれたので、それで血に塗れた両手と顔を洗った。

 二人の見ている前で少し恥ずかしかったが、鼻をかんでから鼻腔を水で洗うと、鼻血はすでに止まっていた。

 圧迫止血すればすぐに止まる事は知っていたので、鼻血自体にはそれほど焦る事も無い。

 だが、いきなり上官が鼻血を出した事に、利根と筑摩は面食らってしまったのだろう。

 利根は涙目でおろおろと狼狽えており、筑摩はそんな利根を宥めつつ、ハンカチで俺の顔を拭いてくれた。優しい。清純派AV女優とか言ってすいませんでした。

 昨日挨拶が出来なかったが、利根はアホだがいい奴だし、筑摩はエロいがいい奴だという事が十分に理解できた。

 

「て、提督よ、本当に大丈夫なのか?」

「そう言っているだろう。体質なんだ。だから大袈裟に騒ぐんじゃあない」

「そ、それならよいのじゃが……」

「うむ。二人とも、心配をかけて済まないな。だが二人のお陰で助かった」

 

 筑摩に顔を拭かれながら、俺は前かがみのままに利根の頭にぽんと手を置いた。

 アホの利根は俺には子供にしか見えないので、特に性的な事を意識して接する必要が無い分、駆逐艦同様に気が楽だ。

 多分エロスの類は全て筑摩に持っていかれたのだろう……哀れね。

 

「こ、子供扱いするでない……吾輩は駆逐艦ではないのだぞ。筑摩のお姉さんなのじゃぞ!」

「うむうむ。わかったわかった。筑摩も、この事は皆には伏せておいてくれ。余計な心配をかけたくないのだ」

「わ、わかりました……あ、あの、提督。もしもお困りの際には、どうか利根姉さんと私をお呼び下さい。偶然とはいえ知ってしまいましたので、何か助けになれるかもしれません」

 

 筑摩が心配そうな顔でそう言ってくれた。優しい。

 実際のところ、鼻血が出たくらいならばそんなに大騒ぎする事では無いので、一人で対処できるだろう。

 筑摩が近くに寄ってくる事で鼻血が股間に降りて止血効果がみられるかもしれないが……そこまでする必要は無い。

 つーか鼻血が止まった今も股間はビンビンなのだ。これでは先ほどとは別の意味で表を歩けないではないか。

 鹿島に出会ったが最後、絶対にバレる。

 そして羽黒にはドン引きされて泣かれる。

 収まるまではこの物陰で大人しく隠れていよう……。

 

 俺は利根と筑摩に改めて礼を言い、二人を再び送り出した。

 途中で羽黒と鹿島が「司令官さんっ、どこですかっ?」「提督さーんっ」と俺を探し回る声が聞こえたが、そのまま身を潜めた。

 酒臭い息を吐きながら股間を膨らませている姿を羽黒に見られたが最後、ドン引きされ、秘書艦を辞退され、それは妙高さんの意図に反する事となり、那智の命令が発動され、俺が鎮守府を去る流れが容易に想像できる。

 絶対に今の状態を見られるわけにはいかん……!

 早く元の姿に戻ってくれ……信頼してるぞ、同志ヴェールヌイ……!

 俺の呼びかけも空しく、股間は一向にちっこくならず、昂ったままであった。

 そんな……同志……⁉

 

 その後も筑摩の暖簾の中身が頭から離れず、股間が再び元の姿に戻るまでに数十分の時間を要してしまった。

 うっかり暴発しないように気を引き締める事で、精神もすり減らしてしまった。

 寝起きなのに何でこんな目に会わなければならんのだ。しじみ汁が恋しい。

 

 ちらっ、と表を見てみれば、羽黒や他の艦娘達の姿も見えない。

 

 よし、今こそ自室に戻る絶好のチャンス!

 ダッシュしたい衝動を堪えて、不審に思われないよう、慌てず冷静に艦娘寮へと向かう。

 そして何とか入り口まで辿り着いた――その時。

 

 俺の眼に映ったのは、ここに居るはずの無い、俺の頼れる唯一の味方、佐藤さんの姿だった。

 ま、まさかこの俺を心配して――⁉

 

 フフ! キタンダァ! ヘーエ、キタンダァ!

 俺は清潔感の事など忘れて、思わず笑顔になって佐藤さんへと駆け寄っていった。

 

「佐藤さん! どうしてここに⁉」

「おぉっ、神堂くん! 会いたかったよ!」

 

 佐藤さんも俺を笑顔で迎えてくれたが、瞬間、何かに気が付いたような表情を浮かべて、真剣な表情で小さく咳払いをしてこう言った。

 

「オホン。いや、神堂提督。ここでは佐藤元帥と呼ぶように」

 

 そこで俺も気が付いた。

 佐藤さんの隣には大淀。そしてその背後には謎の熱気を放つ六人の艦娘達がまるで背後霊のようにぴったりとくっついている。怖ェよ。

 しかし何だこのメンバーは。

 肝心な時に姿が見えなかったのが気になるが俺の護衛を務めてくれている神通や、昨夜忠誠を誓ってくれた炭素魚雷艇・磯風、いい奴の龍驤、横須賀鎮守府の黒幕大淀さんはともかく、問題は残りの三人だ。

 豆腐メンタルモデルこと俺のガラスのハートを正確に射抜く必殺の矢、一航戦・加賀。

 呑み比べに勝利した事で俺の運命をその手に握る現在最も危険な存在・那智。

 横須賀鎮守府のシルバーバック、黒き鋼のデストロイヤー・ゴリラタンク長門。

 俺を見る目が厳しい三人がよりによって勢揃いしているではないか! ヤベーイ!

 

 じょ、状況が呑み込めんが、俺の提督七つ兵器『提督シックスセンス(第六感)』が危険を知らせている……!

 し、しまったッ! 俺はついうっかり佐藤さんと呼んでしまったが、役職名で呼ぶべきだったか⁉

 いや、佐藤さんの肩書き知らなかったというのもあるが……元帥? 元帥って、エッ、詳しくは知らないが、結構偉そうな響きだ。

 会社で言うなら課長、いや、部長クラス……⁉ い、いかん、そのクラスの人は肩書きで呼ぶのが常識……!

 いわば平社員の俺が佐藤さんなどと気安く呼べる相手では無かったという事か……⁉

 

 妹達に笑顔を見せるなと言われていたのも忘れて、佐藤さんを見つけた嬉しさからついうっかり笑顔を浮かべてしまったのも反省だ。

 俺は瞬時に笑顔を消し去り、いつもの仮面を被り直した。

 

「は、はっ! 申し訳ありません!そ、それで、佐藤元帥は何故ここに……」

「大淀くんの報告書に目を通して、飛んできたんだ」

 

 大淀の報告書……昨夜、俺が目を通したものか。

 い、いや待て! よくよく考えたら俺は全然目を通していない!

 最初の方だけ目を通したが、中身には何が書いてあったのか確認していないではないか!

 報告書を読んで、佐藤さんは俺を助ける為に飛んできてくれたのか……いや、もしも報告書に俺が着任してからの有り様が正確に、詳細に書かれていたとするならば――⁉

 

「あっ……はっ、な、なるほど、そういう事ですか……!」

 

 マズい。もしかして、佐藤さんは俺を助けに来たのではなく、艦娘の訴えで逆に俺を戒めに来たのではないか。

 始めて会った時から朗らかで気さくな雰囲気の佐藤さんが、今は見た事も無いような真剣な表情になってしまっているのも不穏だ。

 い、いや! 落ち着け。着任してから俺が一体何をしたというのだ。

 

 さぁ、俺の罪を数えろ!

 一つ、艦娘ハーレムなる邪な目的の為に着任した事。

 一つ、着任早々、提督の権力を活かして夕張の手を握るというセクハラをした事。

 一つ、資材に余裕が無いのに、チュートリアルの為に何も考えずに建造を行った事。

 一つ、具体的な目的も指示せずに、ふわっとした抽象的な指示で遠征に向かわせた事。

 一つ、空母六隻編成で出撃させてしまい、潜水艦により赤城とラブリーマイエンジェル翔鶴姉を損傷させてしまった事。

 一つ、結果として長門のカリスマに負けてしまい、歓迎会出席者ゼロ名という偉業を成し遂げ、艦娘全員に出撃されてしまうという事態を引き起こしてしまった事。

 一つ、大破して立ち上がる事も出来ない天乳ちゃんを相手にセクハラを強行した事。

 一つ、ボロボロになった艦娘達を見て我慢できずトイレに駆け込み……って今更数えきれるか!

 

 佐藤さんが横須賀鎮守府に飛んで来たのは、大淀の報告書を読んだ事が原因で……書かれていた事が艦娘からの訴えであった可能性があるから……つまり着任初日に色々やらかしてしまったせい……はっ! 全部私のせいだ! ハハハハハッ! 大淀くん、全部私のせいだ! ハハッ! 凹む。

 

 そ、そうか。大淀は俺の味方でもあるが、奴が一番優先しているのは横須賀鎮守府を正常に運営する事。

 つまり俺も鎮守府運営のための傀儡であり駒に過ぎないという事を忘れていた。

 大淀が俺に協力してくれているのも、ひいては横須賀鎮守府の正常な運営の為……。

 俺の至らない点に関しては、容赦なく艦隊司令部に報告したとしてもおかしくはない。

 クソッ、やはり時間がかかってもしっかり目を通しておくべきだった!

 い、いかん、あまりにも俺が使えなさすぎて、佐藤さんが俺をクビにするという可能性も――⁉

 なんて事だ、せめて佐藤さんが来る事がわかっていれば対策を考える余裕があったかもしれんというのに……。

 俺の秘書艦は何をしてるんだ。報連相はしっかりしてもらわねば。けしからん!

 

 如何にしてこの状況を切り抜けるかに頭脳をフル回転させている俺に、佐藤さんは声をかける。

 

「おや、私が来る事は聞いていなかったのかい?」

「鹿島と羽黒さんに、提督を起こして伝えるようお願いしていたのですが……」

 

 横から大淀がそう言った。

 な、なるほど、羽黒と鹿島が俺を探し回っていたのはそういう事か……。

 マジゴメン。俺が悪かったです。こんなクソ提督でスイマセン。

 まさか清潔感の無い状態かつ股間を膨らませた状態を見られたくないが為に、自ら身を潜めていたとは言えん……。

 偶然入れ違ったという事にしておこう。うん。

「そういえば、二人は席を外していると聞いておりました」と白々しく答えてから、俺はとりあえず佐藤さんに深々と頭を下げた。

 考えてみればこの状況……飲み過ぎてこの時間まで目覚めないクソ提督に代わり、大淀が資材回復作戦を指揮しているとの事。

 そこに佐藤さんの視察……ここに集まった七人の面子は、佐藤さんに何を訴えたのだろうか。想像するのも恐ろしい。

 

 昨日までは友好的だった龍驤や神通、忠誠を誓ってくれた磯風も、俺がだらしなく眠りこけている姿を見て幻滅した可能性も十分にあるではないか。

 俺が目覚めない内に、佐藤さんに直訴したとしてもおかしくはない。

 酒を呑み過ぎて昼まで眠りこける、自制の出来ない自堕落なクソ提督に好感を持つ艦娘など果たしているだろうか。否。

 間宮さんや金剛等が特別なだけで、むしろ幻滅されるのが当たり前だ。

 昨日の友は今日の敵! 信頼度も大幅ダウン! 全部私のせいだ!(泣)

 

 せめて……せめて酒臭いこの状況を改善しようと努力しようとしていた事だけは主張せねば……!

 

「も、申し訳ありません……このような見苦しい姿をお見せしてしまい……ちょうど今から、風呂を浴びるところだったのです」

「いや、事情はすでに大淀くんから聞いているよ。気にしなくてもいい――」

 

 意外にも、佐藤さんは怒らなかった。

 ん……? 大淀が上手く説明してくれたのか⁉ んんーッ、ダンケッ!

 流石は大淀……言葉にせずとも俺の事をよく理解できている……。

 いや、これも横須賀鎮守府運営の為の策略か何かなのだろうか……俺の頭では大淀の領域は到底わからん。

 

 しかし俺の喜びも束の間、佐藤さんは俺の肩をがしりと掴み、目をぎらつかせながら言葉を続けたのだった。

 

「――いや、流石に酒臭いのは不味いな。寝ぐせもついているし、上官として示しがつかないじゃないか」

「は、はッ! 仰る通りです! 申し訳ありませんッ!」

 

 い、いかんッ! やはり佐藤さんは俺のこの状態を好ましく思っていないッ!

 そりゃあそうだ。常識的に考えて社会人として有り得ないではないか。

 朝早く起きた部下に艦隊指揮を任せ、上官は日が昇るまでグースカと惰眠を貪るなど、とんでもない事だ。

 説教されたとしても、何の反論の余地も無い。凹む。

 

 佐藤さんは大淀に目を向け、問いかけた。

 

「大淀くん、男性用の大浴場は使える状態なのかな」

「は、はい。しばらく使用しておりませんが、常に妖精さんが綺麗に掃除してくれております」

「良し。神堂提督、ここの大浴場は使った事があるかい? 入渠施設にあるんだが」

 

 俺は質問の意味がわからず、とりあえず無難に答えを返す。

 

「……はっ? 大浴場、ですか? い、いえ……」

「ちょうど私も汗を流したいと思っていたんだ。男同士、裸の付き合いといこうじゃないか。……積もる話もある事だしね」

「……は、はーッ! 御一緒させて頂きます!」

 

 佐藤さんの只ならぬ眼光に、俺は状況を察した。

 個別面談……説教タイムである。

 何故風呂に入るのかはよく理解できなかったが、艦娘達の目から遠ざける為の佐藤さんなりの配慮なのかもしれない。

 自分が怒られているところを部下に見られるなど、提督の威厳どころでは無い。

 素人だと悟られるな、威厳を保てと言ったのは佐藤さんだ。その辺りは配慮してくれたのだろう。ありがたい。

 そして俺の清潔感の無い状態も解消できて、一石二鳥……佐藤さんも俺に劣らずなかなかの策士のようだ。

 

 佐藤さんは艦娘達に向き直り、「そういう訳だ。しばらく彼を借りるよ。君達は外で待機していてくれたまえ」と命じた。

 俺は佐藤さんに付き従って、入渠施設へと向かう。

 ちらりと後ろを振り返ると、艦娘達は何やら輪になって話し合っているように見えた。

 やはりあいつら……俺のいないところでコソコソと何か企んでやがる……!

 佐藤さんもきょろきょろと周りを見渡して、近くに艦娘がいない事を確認してから声をかけてきた。

 

「神堂くん、鎮守府内には君の他に人間がいないのに、大浴場があるというのは不思議ではないかい」

「そ、そう言えばそうですね。自室にも風呂は備え付けてありましたし、大浴場の必要があるのでしょうか」

「鎮守府はこれだけ大きな施設だからね。それなりに人手がいると考えられていたんだ。だが、後々わかった事なのだが、妖精達はどうやら人間の多い場所を好まないらしくてね」

「妖精さんが、ですか」

「うん。人見知りというか恥ずかしがり屋というか……まぁ私のような普通の人間には妖精の姿は見えないのだから、実感が湧かないのだけれどね」

 

 あのグレムリン共が人見知りで恥ずかしがり屋だと……⁉

 それは何の冗談だ。俺の部屋どころか人の夢の中にまで不法侵入してくる奴らだぞ。

 

「あまり人間が多いと、工廠や装備を担当する妖精さえも恥ずかしがって出てこなくなってしまうらしいんだ。そうなると鎮守府運営に支障をきたすからね。最終的に、常在する人間は提督一人とする事になったんだ。その分、提督が様々な執務に追われる事になってしまうのだけれどね」

「な、なるほど……。しかしそれでは施設の維持管理などが大変そうですが」

「先ほど大淀くんが、大浴場の掃除も妖精がやってくれていると言ってくれただろう? 私達には想像もつかないが、どうやらそういう事らしい」

 

 俺達が寝ている間に掃除とか施設の維持管理までしてくれているのだろうか……。

 まぁよくわからんが、あまり考えないようにしておこう。

 妖精さんの事よりも、今は俺のこの窮地を如何にして乗り越えるから大事なのだ。

 

 佐藤さんに連れられて、入渠施設に辿り着いた。

 中に入ると、どうやら銭湯のような作りになっており、男湯と女湯で入り口が分かれていた。

 男湯の扉を開けて脱衣所に入ると、まさに俺のイメージする銭湯の脱衣所といった様子だ。

 奥には昔ながらの体重計やマッサージチェアまであるではないか。

 佐藤さんは注意深く、再度扉の外を確認した。

 

「いやぁ、気を遣うね。艦娘達にはこれから話す事は聞かれたくないからね」

「は、はい。気を遣って頂いて申し訳ありません」

「ところでさっきから気になっていたのだが、胸元のそれは……何だい? 怪獣?」

「勲章らしいです」

 

 佐藤さんは、俺が胸元につけていた折り紙を指差した。

 正直俺にも勲章には見えなかったが、他ならぬ間宮さんが関わっている国宝なのである。

 俺は少し自慢げに言葉を続けた。

 

「昨夜、暁に貰ったんです」

「えぇっ⁉ ど、どうしてだい」

「さぁ……私にもよくわかりませんが、響や雷、電なども用意してくれていました」

「そ、そうか……いや、凄いな。僅か一日で一体何が……他の駆逐艦達はどうだい?」

「霞や満潮、潮など一部を除いて友好的なように思えましたが……」

「霞くん達は気難しいからわかるが……潮くんは少し臆病で人見知りなんだ。気を許すまで時間がかかると思うが、勘違いしないであげてくれ……ちなみに、磯風くんは」

「最初は反抗的でしたが、昨夜は忠誠を誓うと言ってくれて、秋刀魚を焼いてくれました」

「えぇっ⁉ あ、あの磯風くんが⁉」

「は、はぁ……」

 

 佐藤さんは何やら考え込んでしまった。

 駆逐艦から折り紙の勲章を貰ったり秋刀魚を焼いてもらう事がそんなに凄い事なのだろうか……。

 いや、俺もあの四人とは昨夜まで特に話したりしていなかったのだから、単に暁達が人懐っこいだけの話だと思うのだが。

 磯風に関しては何の心境の変化があったのか俺もよくわかってはいないが……。

 

 そうか。佐藤さんが俺に期待していたのは、艦隊指揮では無い。俺が素人であるという事は理解しているし、執務室で腰かけているだけでもいいとすら言っていた。

 佐藤さんが俺に求めていたのは、素人だとバレない事、そして信頼を取り戻す手伝いをしてほしい、という事だった。

 駆逐艦達に懐かれているかどうかも大切なのだろう。多分。

 いや、すでにご存じの通り、酒に溺れて惰眠を貪ったせいで結構な数の艦娘達からの信頼を失ってしまっておりますが……凹む。

 駆逐艦だけに好かれても何の意味も無い。艦娘ハーレム的にも何の意味も無い……。

 

「いや、続きは中で話そうか。実際、神堂くん、かなり酒臭いよ。清潔感には気を配らないとね」

「はっ、も、申し訳ありません」

「いやぁ、私の職場にも若い子がいるものでね。私も加齢臭で迷惑かけてないかと気が気でないんだ」

 

 そんな事を話しながら、佐藤さんと隣り合って服を脱ぐ。

 帽子を外して棚に置くと、中から『わぁぁー』などと言いながら四匹のグレムリンが這い出てきた。

 お前らいつから俺の頭の上に居たんだ。

 魔女っ子みたいなのと、頭にひよこ乗せてる奴と、兎のぬいぐるみ持ってる奴と、林檎の髪飾りつけてる奴。

 この四匹いつも俺の周りをちょろちょろしてるな……一体何なんだ。

 グレムリン達は棚の上に横並びになり、無言で俺の股間をじっと見つめてきた。

 お、おい、やめろよ。そういうのマジでやめろよ……つーか何か言えよ。

 

「神堂くん、どうしたんだい?」

 

 急に固まってしまった俺を見て、佐藤さんは怪訝そうにそう言った。

 

「いや、ここに妖精さんが四人……」

「へぇぇ、そうなのか。やはり私には全然見えないなぁ」

 

 どうやら本当に見えていないようだ。

 くそっ、このグレムリン共め。馬鹿にしやがって。

 見られていると思うから意識してしまうのだ。

 例えば脱衣所に犬や猫がいたからといって、脱ぐのを躊躇う奴がいるだろうか。

 ましてやキノコが生えていたからといって恥ずかしがる奴がいるだろうか。

 妖精さん達もそれらと似たようなものだと思えばいい。

 俺は意を決してズボンとパンツを下ろし、瞬時にタオルを腰に巻いた。

 ちらっ、と妖精さん達に目をやると、四人は俺の股間に向けて頭を下げた。

 

『あっ、初めまして』

『よろしくー』

 

 誰が妖精さんだ! ちっこくてもお前らの仲間じゃねーよ!

 俺は四匹を掴み、脱衣所の隅へと次々に放り投げた。

 

『わぁぁー』

『女の子に手を上げるなんてひどいです』

『むぎゅー……DV反対……』

『童貞バイオレンス反対です』

『最低な駄目男です』

『略してサダオです』

 

 クソッ、好き勝手言いやがって! 何が童貞バイオレンスだ! つーか何で俺の本名知ってんだ!

 女の子アピールするならそもそも男湯に入って来んな! カエレ!

 人見知りなんだったら佐藤さんいるんだから引っ込んでろ!

 

「し、神堂くん、一体何を……」

「いえ、何でもないんです」

 

 佐藤さんから見れば、俺は何も持っていないのに投球フォームを取ったように見えているのだろうか。

 完全に不審者ではないか。

「そ、そうか……」などと言いながら、佐藤さんはズボンを下ろした。

 なるほど、水色と白のストライプ柄のトランクス……オッサンがよく履いているオーソドックスなイメージのやつですね、って何パンツチェックしてんだ俺は。

 

 そう言えば俺は修学旅行などを除いて、誰かと一緒に風呂に入るという経験が皆無だ。

 部活にも所属していなかったし、同性の友達もいなかったから、一緒に旅行に行く事とかも無かったし……凹む。

 アダルトな動画や薄い本などで得た知識によれば、俺の主砲は色んな意味で劣っているとは把握しているが、佐藤さんはどうだろうか。

 せっかくの機会なので、少し参考にさせてもらおう。

 

 案外、俺と同程度のサイズで、むしろそれが日本人の平均サイズであり、俺が勝手にコンプレックスを抱いていた可能性もある。

 何しろアダルトな動画の男優たちはそれが仕事で、それなりに鍛えている。

 薄い本はフィクションなのだから、そもそも誇張されているだろう。

 比較対象としては適切では無い。

 

 そんな淡い期待と共に、俺は佐藤さんがトランクスを下ろすのを横目に見て――そして言葉を失った。

 

 ――佐藤さん、それは……何だい? 怪獣?




自宅で発見された神堂貞男が引き起こした横須賀鎮守府の勘違いから三日。
鎮守府は提督視点、艦娘視点、元帥視点の三つに分かれ、混沌を極めていた……。

ようやく三視点分の一場面書き終えました。
長くなってしまい申し訳ありません。
視点が一つ増えた事で描写が冗長にならないよう苦慮しております。

来週からいよいよ冬イベが始まりますね。
一期最後のイベントという事で色々気合が入ったものになりそうです。
イベント期間中の投稿は難しそうですので、次回の更新は気長にお待ち頂きますと幸いです。


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036.『浴場』【元帥視点】

 神堂くんが今から風呂に入る予定だったというのを聞いて、瞬時にこの策を思いつく事ができたのは、私にしてはなかなかの機転だったかもしれない。

 彼女達も艦の魂を持つとは言え、年頃の少女だ。

 余程の覚悟が無ければ、男湯にまでは足を踏み入れられないだろう。

 それに、先ほど大淀くん達には、元帥である私の口から詮索も控えてもらえるようにと伝えたばかりだ。

 この状況でもしも詮索に動いたとするならば――あの一件以来、彼女達はもはや、艦隊司令部の手には負えなくなってしまったのかもしれない。

 

「それにしても、一晩であんなに書類を処理したんだね。無理はしていないかい?」

「い、いえ……」

「それにしては元気が無いが……疲れが溜まっているんじゃないのかい」

「い、いえ、全然……大淀がしっかり下準備していてくれましたし、鳳翔さんが徹夜で手伝ってくれたので」

「そうか、鳳翔くんが……懐かしいな。艦娘や深海棲艦についてまだわからない事だらけだった頃、彼女は私の秘書艦を務めていてくれたんだよ」

「そ、そうなんですね……」

 

 雑談を交えながら浴場に入り、洗い場に腰かける。

 私が身体を洗う必要も無いとは思ったが、そのまま湯船に浸かるのは落ち着かない。

 それにしても神堂くんはやけに元気が無いようだが……やはり疲れているのだろうか。

 いや、むしろ当然だろう。着任初日から、素人の彼の肩には重すぎる状況だったはずだ。

 艦隊司令部に不信感を持っていたであろう艦娘達、姫級率いる深海棲艦の精鋭による奇襲……。

 彼の心身に過度の負担がかかっていなければ良いのだが……。

 

 ちらり、と隣の洗い場に腰かける彼に目を向けると、彼は何とも言えない表情で剃刀を手に持っていた。

 

「あれっ、神堂くん。そこに剃刀なんて置いてなかったよね」

「え、えぇ。妖精さんが持ってきてくれたみたいで……」

「えぇっ⁉ き、君についてきているのかい?」

「は、はぁ……追い出しましょうか」

「い、いや。私には見えないから……」

 

 そう、私には見えないからわからない話だが……これまでの提督達の話では、妖精というのは仕事以外では滅多に顔を出さなかったはずだ。

 それこそ、提督の資質を持つ者以外の人間がいる場所には姿を現したがらないらしい。

 鎮守府内に提督以外の人間が配置されておらず、必要時のみ訪れるようになっているのは、それが原因である。

 鎮守府運営や艦娘達の戦闘には、妖精の存在が何よりも優先されるからだ。

 

 妖精にも色々な種類がある。種類というよりも能力というべきだろうか。

 艦載機の操縦や装備の操作などを担う、艦娘の乗組員としての性質を持つもの。

 艦娘への補給や入渠、何故か家具の製作など、主に工廠や鎮守府内での作業に勤しむもの。

『熟練見張員』や『応急修理要員』のように妖精自体が特殊な技能や能力を持ち、装備品のような性質を持つものなどだ。

 

 私が今まで提督達に聞き取り調査を行ったところ、皆口を揃えて「必要時以外には顔を出さない」というような事を言っていた。

 いわゆるビジネスライクな関係であるのだと、私は認識していた。

 内気で、臆病で、恥ずかしがり屋だと形容した提督もいるが、私もそういうものなのだと理解していた。

 世界には様々な妖精の伝説が残されているが、むやみに人前に姿を見せないという、そういった性質は共通しているようにも思える。

 

 だが、彼の話を聞けば何やら様子が違う。

 脱衣所にもついて来ていたと言うし、その後彼がいきなり何かを投げるような動作を繰り返したのも、妖精絡みである事だけは明白だ。

 そして今も、確かにそこに無かった剃刀を持ってきてくれたのだという。

 目を離した隙にリモコンや携帯電話がどこかに行ってしまうのは妖精の仕業だという噂もあるが……気付かぬ内に剃刀を持ってくるとは。

 どうやら、彼の近くに妖精が寄ってきているという話は本当なのだろう。

 

 先ほど、大淀くんから話を聞いた時にも、そんな事を言っていた。

 神堂くんが初めて工廠に足を踏み入れた瞬間、大量の妖精達が彼を取り囲んだのだと。

 その後、彼が遠征計画を考え込んでいる最中も、見た事の無い妖精が四人、くっついていたのだと。

 どうやら提督は、妖精さん達に好かれているようですと、そう言っていたのだ。

 

 彼には妖精の言う事は聞いておいた方がいいとは伝えていたが、まさかここまで状況が違うと、私もどうアドバイスをしていいのかわからなくなってきた。

 大袈裟かもしれないが、これもまた前代未聞の出来事だからだ。

 妖精に好かれるというのは悪い事では無いだろうが……何故、彼はここまで妖精に好かれているのだろうか。

 いや、それだけではなく、この短期間で艦娘達からも信頼されているように思える。

 一体何故……いや、とりあえずは順を追って話を聞いていかねば。

 

 私達は身体を洗い終え、肩を並べて湯船に浸かる。

 少しお湯の温度は熱めで、私にはちょうどいいくらいだ。

 年寄り臭い声を漏らし、大きく息を吐いて、私は彼に話を切り出したのだった。

 

「はは、しかしようやく気が抜けるよ。さっきまで油断が出来なかったものでね」

「は、はい……」

「報告書に目は通しているが……いやぁ、初日から大変だったね」

「はい」

 

 何だか、まだ元気が無いようだ。

 昨日も大量に酒を呑んだと言っていたし、長く寝たとは言え、これだけ大きく環境が変わったのだ。

 一体何が原因で……。

 心身の負担となるほどに疲れが溜まっていなければ良いのだが。

 

「提督印が押してあったから当然だろうが、君も報告書には目を通したんだよね?」 

「えっ――あっ、はい、と、当然です!」

 

 これはまぁ、当然の事だろう。

 彼も十八の時に就職してから、社会人を七年近く勤めていたのだ。

 初日から適当な仕事はしないであろう。

 そうなると、あの報告書に書いてあった事が事実であろうと虚偽であろうと、彼は理解しているという事であるが……。

 

「あの夜戦に関する一連の出撃については、君が指揮したのかい?」

「あ、いやぁ、そ、その、佐藤元帥に頂いた本のチュートリアルを参考に、自分なりに頑張ってみたのですが、その、金剛を建造できた以外は上手くいかず……最後には艦娘達だけで話し合って、出撃していきました……。夜戦の指揮をしたのは長門です……全ては私の力不足で……」

 

 ――やはり。大方、私が予想した通りだった。

 つまり、報告書に書かれていた事はほとんどが虚偽であるという事だ。

 大淀くんがそんな事をするはずが無いとは信じていたが……虚偽の報告を送られるほどに、艦隊司令部は彼女達からの信頼を損なってしまったという事だろう。

 覚悟していた事ではあるが、やはり我々の犯した過ちの大きさを悔いるばかりだ。

 しかしそうなると、一体何の為に、大淀くんはそのような虚偽の報告を作成し、神堂くんもそれを許可したのかという事になる。

 

「ふむ、やはりか。大淀くんの報告書には、あたかも君が全ての指揮をしたかのような記載がされていたんだが……それはどういう事だい?」

 

 神堂くんは少し考えこんだが、すぐに口を開いて言葉を返した。

 

「その、ここだけの話ですが。一応、私はまだ素人だという事はバラしていないんですが……多分察しのいい数人にはバレてると思うんです」

「ふむ。まぁ、仕方の無い事かもしれないな。今思えば君には無理を言ってしまったが……ん? 全員にはバレていないのかい?」

「おそらく……。少なくともすでに大淀や長門、それに瑞鶴などにはバレていると思うのですが……大淀は、混乱を避ける為に私のフォローをしてくれているのだと私は考えています」

 

 なるほど……確かに彼は、名前すらも隠していたくらいだ。

 彼の方から素人だという事は決してバラしてはいないというのは事実であろう。

 しかし、あれだけの窮地に際して、いくら固く口を閉ざしたといっても、行動が伴わなければ意味が無い。

 察しの良い数人とは言わず、全ての艦娘にバレたとしてもおかしな話では無い。

 しかし、いち早く事実に気付いた大淀くんや長門くんなどが混乱を避ける為に、裏で彼に協力をしたとすればどうだろうか。

 報告書に記載されていたように、まるで神堂くんが指揮をしたように、長門くんや大淀くんが指揮をしたとすれば――鎮守府は無用な混乱を避けられる。

 彼への信頼が損なわれなければ、性能も底上げされる事だろう。

 

「ほう、なるほど……そういう事か……。大淀くんからそれを申し出たわけでは無いんだね?」

「はい。私からバラすわけにもいきませんし、おそらく大淀も気を遣ってくれているのだと……」

「そうか……そういう形になったか……」

 

 あくまでも、神堂くんは素人であるという事は明らかにしていない。

 大淀くんや長門くん達もそれを察しながらも、彼を問い詰めたりなどはしない。

 彼が自ら明らかにしない限りは、艦娘達が問い詰めない限りは――彼が素人であるという事実は確定しない。

 

 それこそ、先ほど長門くんや那智くんが私に無言で訴えていたように、『察して欲しい』という事だろう。

 彼と艦娘達は話し合わずともお互いに察し合い、このような形にまとまったという事か。

 神堂くんには身の憶えの無い報告書であっただろうが、彼は大淀くん達の意向を察して、それを許可した。

 

 彼一人が艦娘全員に正体を隠すのではなく、一部の艦娘が察した上で、彼の正体を隠す事に協力してくれている、という事か。

 私の考えていた形とは少し違うが……大淀くんや長門くんが味方になってくれているのならば、安心だろうか。

 

 ……いや、そうなると、艦隊司令部が素人を送り込んだという事は、大淀くんや長門くんにはバレているという事だ。

 少なくとも、出迎えに来てくれた七人は確実に真実を察していると考えていいだろう。

 これでは、艦隊司令部は信頼を回復するどころでは無いが……彼に対してはどうなのだろうか。

 口では神堂くんの事を褒め称えていたが、あれも何かの戦略なのか、それとも本心なのか……駄目だ、考えがまとまらない。

 とりあえず気分転換がてら一旦考えるのは止めて、私は大きく息を吐いた。

 

「いや、大体わかった。君がここの提督になってくれて、本当に助かったよ。ありがとう」

「い、いえ。私は何も」

「謙遜する事は無い。あの夜の大戦果は勲章ものだよ。おそらく近いうちに、君の功績を称えて勲章が与えられるだろう」

「えぇっ⁉」

 

 神堂くんは目を丸くして、素っ頓狂な声を上げた。

 着任して初日で勲章などと言われては、彼が驚くのも無理は無い。

 だが、今回の深海棲艦の襲撃は、明らかに横須賀鎮守府の陥落を狙ったものだった。

 この国の中枢に最も近い位置にある鎮守府が壊滅したとすれば、この国の終わりを意味していたと言っても過言では無いだろう。

 それを鎮守府側の被害は少なく、かつ完全に防いだという横須賀鎮守府の成した功績は、勲章が与えられるに相応しいものだ。

 これで艦娘達の士気が上がってくれると嬉しいのだが……。

 

 だが、彼は素直に喜ばず、何やら考え込んでしまい、そして何かを思いついたかのように顔を上げて、こう言ったのだった。

 

「いえ、佐藤元帥。身に余る光栄な事なのですが、辞退させて頂くというのは可能でしょうか」

「えぇっ⁉ ど、どうしてだい」

「あの戦いは、私は何もしておりません。頑張ったのは艦娘達です。私への勲章ではなく、彼女達の功績を称える形にして頂きたいのです」

 

 うぅむ、謙虚というか、律儀な青年だ。

 確かに、提督と艦娘が共に作戦を立案し、提督の指揮の下に艦娘が出撃し、戦果を上げ、褒賞を受けるという通常の流れとは異なっているかもしれない。

 彼にとっては、全て艦娘達が頑張ったのだから、何もしていない自分が勲章を貰うという事に納得がいかないのだろう。

 だが、彼は提督で、彼女達は(ふね)だ。

 自分達の提督が勲章を与えられるという事は、自分達の戦果が認められたという事なのだから、そこまで気にしないと思うのだが。

 

「君の言う事も理解はできるが……自分達の提督が勲章を貰うという事は、彼女達にとっても誇らしい事だと思うよ」

「そうかもしれませんが……今回は勲章を辞退する代わりに、私のお願いを聞いて頂けないかと」

「ほう。何だい?」

「彼女達の為に、何とか資材を融通して頂けないでしょうか」

 

 神堂くんの言葉は、私も予想していない事であった。

 報告書にしっかり目を通していたというのはどうやら嘘ではないようだし、素人なりに出来る事を考えてくれているようだ……。

 確かに、あの迎撃作戦では艦娘達は死力を尽くし、全力を出すしか無かった。

 前提督の無思慮な備蓄運用のおかげで余裕の無かった資材は、再び枯渇の危機に瀕している。

 ここでもし、もう一度同規模の奇襲が起きれば――どうしようもない。

 そう言えば先ほども、今も遠征艦隊を送っているところだ、と大淀くんが口にしていた。

 

 各拠点の資材の備蓄については、それも鎮守府運営の中のひとつとしてそれぞれの拠点に一任している。

 それ故に、鎮守府間での備蓄の量は差がある現状だ。

 一番余裕があるのは、主に駆逐艦を好んで運用する舞鶴鎮守府。

 今回敵棲地を攻略した事で、日本海側の制海権はほぼ奪取したと言っても過言では無い状況だ。

 一方で、現在太平洋側の守りを一身に担う横須賀鎮守府の備蓄が枯渇しているのは非常にまずい。

 今朝目を通した舞鶴からの報告書の事も考えれば……なるほど、舞鶴鎮守府から陸路で資材を横須賀鎮守府に輸送すれば、早ければ明日には何とかなりそうだ。

 おそらく舞鶴鎮守府からは文句を言われるだろうが……そこは私が引き受ければ良い。

 

 勲章を辞退するだけではなく、むしろそれと引き換えに艦娘達の為に資材を要求するとは……。

 名誉では喰えぬ、と現物支給を求める辺り、流石、神堂くんは数奇な人生を歩んできたおかげか、しっかりしているというか……意外と(したた)かだな。

 

 いや、それとも案外そこまで考えていないのかな?

 彼はいつだって、自分の事は二の次だ。

 報告書に書いてあったような神算鬼謀ではなく、おそらくこれは、単に艦娘達の事を考えて、出来る事をやろうと努めた彼の人柄なのだろう。

 資材が足りないので融通して下さい、などと、艦娘達が言えるはずもない。

 素人ではあるが提督である彼だからこそ、私に相談が出来る事なのだ。

 

「……ふむ、なるほど。報告書を見た限り、確かに備蓄に余裕は無かったね。ならば迅速に、という事か」

「はい。出来得る限り、大至急で」

「わかった。君への勲章の辞退が認められるかはともかく、艦娘達の功績を称える事と、資材に関しては私が何とかする事を約束しよう。」

「ほ、本当ですか⁉ ありがとうございます! 助かります!」

 

 神堂くんは嬉しそうに、大袈裟に頭を下げたのだった。

 

「何、他ならぬ君のお願いだからね。無下に断るわけにもいかないよ。それにしても、勲章よりも艦娘達への資材を優先するとは……」

「勲章なら、昨夜暁に貰いましたからね。何よりの宝物です」

 

 彼の言葉に、何だか私まで嬉しくなってしまった。

 幼い妹達を育ててきたからか、彼はどこか、駆逐艦受けがいい雰囲気がある。

 素人である事がバレているかは置いておいて、駆逐艦の子達が彼に懐いているという事にも納得がいく。

 だからこそ、こんなにも優しい彼にはあまり負担をかけたくは無い。

 艦娘達も、そして彼の妹達も悲しませてしまう事になる。

 

「ハハハ、そうか。その調子で、皆と仲良くしてもらえると嬉しいよ。ところで、身体の具合はどうだい?」

「……身体、ですか?」

「あぁ、君の身の上を簡単に調査したのだが……この一年間は、心身を病んで自宅療養中だったのだろう?」

 

 私の言葉に、彼は気まずそうな、微妙な表情を浮かべた。

 彼の妹達も言っていたが、彼の複雑な家庭事情にも絡む問題であり、あまり他人には話したがらない事のようだ。

 長女の千鶴くんの話では、燃え尽きたのではないか、との事であった。

 彼の身の上を思い浮かべれば、そうなったとしても無理は無い。

 

 彼の四人の妹達に、私は直々に頭を下げられたのだ。

 口下手で不器用で少しおかしな行動が目立つかもしれませんが、文句の一つも言わずに、今まで私達を育ててくれた、たった一人の大切な兄なんです、と。

 兄が提督になりたいというので私達も協力しましたが、本音を言えば命の危険がある場所には行ってほしくはないんです、と。

 どうか、兄に力を貸してあげて下さい、兄を守ってあげて下さい、と。

 

 勿論そのつもりではあるが――多くの提督が原因不明の失踪をしている事や、不審死が相次いでいる事。それに鎮守府運営の現状、提督の執務が激務である事は否定できない。

 一度心身を壊している彼がもう一度同じ事になってしまっては、私は彼の妹達に合わせる顔が無い。

 

「提督の仕事は激務だからね。せっかく調子が戻ってきていた君の体にまた負担が掛かったらと……」

「い、いえ……最悪の場合は手術を……」

「? 手術して治る病では無いだろう、君の病は」

「そ、そうですね……」

 

 彼に手術が必要な病気など無い事くらいは、調査で分かっている。

 長年積み重なった過度のストレスから来るメンタルの疲労と、そこから来る身体の異常がメインだ。

 むしろ手術で治ればどれだけ良い事か……。

 無理をしていないかと、思わず心配の目で見つめていると、神堂くんはおずおずと口を開いた。

 

「……あの、佐藤元帥。何故、私にここまで良くして下さるのでしょうか」

 

 彼のその言葉に、私は彼を励ますようににっこりと笑みを浮かべて、その肩をがしりと掴んだ。

 お湯が熱めなせいで、身体が火照る。

 私は彼のその目をしっかりと見据えながら、私の思いを伝えたのだった。

 

「何を言っているんだ。最初に話した通り、君を支えるのが私の仕事だ。だがそれとは別に……私はね、君の事が大好きなんだよ」

「えっ」

 

 神堂くんはびっくりしているような表情を浮かべていたが、そう、私はもう、すっかり彼という人間の大ファンになってしまったのだ。

 彼の妹達からの聞き取り調査と、身辺調査に目を通して、彼を守りたいという思いはより強まった。

 まだ子供の頃に病で母を亡くし、事故で父を亡くし、不幸続きの中で、親代わりとして、そして兄として、歳の離れた妹達を支え続けた。

 その青春の全てを家庭に捧げる為に、部活にも入らず、かけがえのない若い時間を犠牲に、友人も恋人も作らず……ただ一所懸命に妹達を支え続けた。

 一番上の妹、千鶴くんが就職したタイミングで、燃え尽きたように倒れてしまった彼を、同じ男として私は応援したいと思ったのだ。

 

「君の身の上を見て、私は男として君に惚れてしまったんだ。若い内に両親を亡くし、唯一の男手ひとつで妹四人を支える為に彼女も作らずに……感動したよ。そんな感心な若者を支えてあげたいと思ったんだ。君さえよければ、プライベートでも付き合っていきたいくらいだ」

 

 私の言葉に神堂くんは感極まってしまったのか、ふるふると小刻みに震えながら白目を剥いていた。

 言葉に宿る熱と共に、思わず彼の肩を掴む力が強まってしまう。

 

「いいかい。艦娘達への建前上、彼女達の前では元帥と提督として振舞ってもらう。しかし、君だけは提督の中でただ一人、事情が違う。君が望むなら私は君の手足となって、いつだって陰から全力で支えるつもりだ。決して遠慮しないでくれ」

「あ、ありがとうございます……あっ、さっきから携帯鳴ってますよ」

 

 彼の言葉で、私は脱衣所から聞き慣れた着信音が鳴り響いている事に気が付いた。

 あの着信音は、仕事関係のものだ。

 何か急ぎの要件でも発生したのだろうか……。

 

「ふむ、本当だね。山田くんかな……済まない、ちょっと出てくるよ」

「はい。ごゆっくり」

 

 私は脱衣所へ急ぎ、棚に置かれていた携帯電話を手に取った。

 画面には『山田くん』と表示されている。

 

「もしもし、ごめん。待たせてしまって」

『あっ! 佐藤元帥! もしかして何か取り込み中でしたか』

「あぁ、ようやく彼と二人きりになれてね。艦娘達には聞かれてはならない事だったから……それで、何かあったのかい?」

 

 私の問いに、山田くんは一呼吸置いて、急ぎつつも冷静な口調で、静かに言葉を続けた。

 

『速報です。つい先ほど、艦隊司令部の職員から提督の資質が発見されました』

「な、何だって⁉」

 

 何という事だ。まさか、こんなタイミングで――。

『提督の資質』は先天性のものではなく、後天性のものであると考えられている。

 昨日まで検査に通らなかった者に、その翌日に資質が発見される事もあるのだろう。

 その為、国民への検査は月に一度、艦隊司令部内では週に一度の頻度で検査を行っていたのだが……もう少し早く見つかっていれば、神堂くんが素人のまま着任する事も無かっただろうに。

 もしもの話を考えてもどうしようもないというのに、そんな事ばかり考えてしまう。

 そんな私の耳に、山田くんの声が続けて届いた。

 

『事務員の森盛(もりもり)さんです。あの筋肉が凄いと評判の』

 

 森盛くんなら私も知っている。

 まだ若いが人望も厚く、スポーツ万能、成績優秀な好青年だ。

 艦隊運用の知識も申し分無いし、何より艦娘兵器派には属していなかったはずだ。

 それならば一安心だが――話はそれだけでは終わらないだろう。

 

『森盛さんも、すぐにでも着任できると言ってくれています。そこで、現在、素人が着任している状態の横須賀鎮守府に森盛さんを着任させるべきではないかという意見と、これを機会に、以前から計画されていた呉鎮守府の設置を実行するべきではないかという意見が出まして……緊急会議が開かれる事になりました。すぐに戻ってきて頂きたいのですが』

 

 ――やはり、そういう事になるだろう。

 艦娘達が指揮を取ってくれるとはいえ、首都圏に最も近い横須賀鎮守府の提督を素人に任せるのは不安だという意見も多い。

 神堂くんの着任は、新たに『提督の資質』を持つ者が見つかり、十分な教育を施してから着任するまでの、あくまでも一時しのぎの予定であった。

 ここで、すでに艦隊運用の知識を持った森盛くんが提督の資質に目覚めた事で、いわば神堂くんはお役御免となる。

 

 しかし、呉鎮守府の設置も捨てがたい。

 大まかに分けて、この国は四つの拠点で周囲を守られている。

 北方は主に大湊警備府。

 南方は佐世保鎮守府。

 西方は舞鶴鎮守府。

 そして東方は横須賀鎮守府だ。

 だが、太平洋側は展開する海域が広く、横須賀鎮守府だけでは手が足りなくなる状況も幾度かあった。

 その為、東方を守るもう一つの拠点として、呉鎮守府を置くのはどうかという計画が進行していたのだ。

 今までは提督の数、そして何より艦娘の数が足りなかった為、実行には移せなかったが……現在、艦娘の数もそれなりに増え、今回、提督の数も五人に達した。

 舞鶴鎮守府近海がほぼ攻略でき、日本海側の制海権が安定している事も合わせれば、計画を実行に移すいい機会だ。

 

 折衷案として、神堂くんと入れ替わる形で森盛くんを着任させ、神堂くんには改めて艦隊運用の教育を受けてもらってから、再度着任してもらうのに合わせて呉鎮守府を置くのが最良だろうか……。

 やはり満足な知識も無いまま自らを偽り続けるというのは彼自身にも負担になるはずだ。

 いや、一刻も早く呉鎮守府を置きたがっている層の事も考えると、彼を舞鶴に異動させるという手もあるな……。

 舞鶴ならもうしばらくは大規模な侵攻も無いだろうし、制海権もほぼ奪い返している。

 それならば横須賀にいるよりは、心身への負担は少ないだろう。

 とりあえず、彼に相談してみるとしよう。

 

 しかし、もう少し彼に詳しく話を聞きたかったが……この状況では仕方が無い。

 大体理解できただけでも良しとしよう。

 

「わかった。すぐに戻るよ」

 

 私は携帯の通話を切ると、そのまま彼に急用が出来たと伝え、急いで身体を拭いて着替えた。

 神堂くんも慌てたように風呂から上がり、身体を拭き始める。

 私が着替え終え、彼が上半身裸のままにズボンを履いたところで、私は話を切り出した。

 ここは脱衣所であり、廊下と扉一枚で隔てられている。

 外で艦娘達が聞き耳を立てている事も考慮して、私は彼の耳元に口を寄せ、声を潜めて伝えたのだった。

 

「神堂くん……急な事だが、状況が変わった。つい先ほど、新たな提督候補が現れたらしい」

「えっ」

「艦隊司令部の職員でね。私の印象では、君より年下だが、礼儀正しく、友人も多く、人望もある好青年だよ。背も高くて、男女問わず好かれる男だ。スポーツも万能、成績も優秀で、艦隊運用の知識も申し分ない」

 

 私がそう言うと、彼は愕然とした表情を浮かべた。

 何やら考えてから、恐る恐る口を開く。

 

「そ、それでは私はお役御免という事でしょうか……」

「いや。太平洋側の守りを強化すべく、新たに呉鎮守府を置く事が以前から検討されていてね。今までは艦娘の数と提督候補に余裕が無かった為、実現できなかったのだが……まだ確定ではないが、今後は横須賀、舞鶴、佐世保、大湊に呉を加えた五つの拠点に提督、艦娘達を再編成する事になるだろう。つまりまだ君には力を貸してもらう事になると思う」

 

 私の言葉に、彼はほっと胸を撫で下ろしたように見えた。

 やはり、彼の国を守りたいという愛国心は本物のようだ……。

 

「それに加えて、舞鶴鎮守府の周辺海域はほとんど攻略が完了していてね。舞鶴の提督……露里(つゆさと)くんというんだが、彼も、今後は舞鶴鎮守府を数が多く練度が十分では無い駆逐艦達の演習兼、近海警備の為の拠点にしてはどうかと意見具申をしてきているんだ」

「は、はぁ」

「佐世保と大湊に挟まれている地の利もあり、今後は舞鶴方面への大規模な侵攻も無いと推測される為、彼の意見にも一理ある。露里くんが提案しているように、運用するのが主に軽巡や駆逐艦、海防艦となれば、備蓄に頭を悩ませる事も少なくなる。そこで一つの提案なんだが、森盛くんをここに着任させ、代わりに君が舞鶴鎮守府への異動というのはどうだい? このまま横須賀鎮守府にいるよりは、君の心身への負担は各段に軽くなる。悪くない話だとは思うのだが……」

 

 人格と能力が伴う森盛くんならば、横須賀鎮守府の艦娘達とも上手くやっていけるだろう。

 そして、このまま露里くんを舞鶴に置いておくのは、宝の持ち腐れだ。

 露里くんは呉に異動してもらい、舞鶴近海の制海権を完全に奪い返したその手腕を活かしてもらう。

 今後は『駆逐艦運用のスペシャリスト』と呼ばれる彼が好まない、重い編成での出撃が主になるかもしれないが……。

 森盛くんとの二枚看板で、太平洋側の守りはより強固になるだろう。

 そして神堂くんは比較的安全な舞鶴鎮守府で、駆逐艦や海防艦の演習や海上護衛に励んでもらえばバランスが良い。

 神堂くんへの負担は軽くなるし、抱える責任も少なくなる。

 それに、多分彼は駆逐艦だけではなく海防艦とも相性が良いような気がする。

 露里くんと森盛くんの艦隊運用の実力も存分に発揮される布陣。

 今考え得る限りでは、これがベストだと思うのだが――。

 

 私の言葉に、彼はしばらく考え込んでしまったが――やがて勢いよく顔を上げ、私に向けて深く頭を下げ、大きく声を上げたのだった。

 

 

「佐藤元帥! どうか、私を横須賀鎮守府に残しては頂けないでしょうかっ!」

 

「確かに私はまだまだ至らない事ばかりです! それだけでなく、様々な事情を鑑みても、この横須賀鎮守府を任せるには不安が多いとは思います!」

 

「ですがっ! この横須賀鎮守府に着任し、艦娘達の顔を見て! 改めて思いましたっ! 私の居場所はここにしかありませんっ!」

 

「身体の調子も、もう大丈夫ですっ! 着任してからも何の症状も出ておりません! 少々の負担など、何の問題もありませんっ!」

 

「私に足りない部分は大淀を筆頭に、艦娘達が埋めてくれていますっ! 私自身もこれから更に精進していきますっ!」

 

「私はこの横須賀鎮守府に骨を埋める覚悟ですっ! 私の死に場所はここですっ! どうか、どうか、私を! 横須賀鎮守府に残して下さいッ‼ お願いしますっ! お願いしますっ!」

 

 

 そう言って何度も何度も深く頭を下げ続ける彼の姿を見て、私は理解した。

 ――まさか、彼がここまでの覚悟を持っていたとは。

 そうか、彼はこの横須賀鎮守府の艦娘達の抱える事情を知って、彼女達の力になりたいと、彼女達だからこそ、共に戦いたいと思ったのではないか。

 

 護国の為に身を粉にして戦う彼女達が、あまりに杜撰(ずさん)な扱いに耐え兼ねて、そして大事な仲間を失って――たった一度歯向かった。

 それだけで、艦隊司令部や守るべき人間の一部から、人間に歯向かった兵器だと警戒されている現状。

 それは、心優しい神堂くんの目にはあまりにも不憫に映ったのではないか。

 そんな彼女達だからこそ、一緒に戦いたいと願ったのではないだろうか。

 

 神堂くんは気付いていないようであったが――おそらく彼の底抜けの優しさは、隠し切れるものでは無い。

 どんなに演技をしようとも、艦娘達にも伝わってしまっているのだろう。

 だからこそ、大淀くんや長門くんも、素人であると気付きながらも、気付かないふりをして支えてくれたのではないだろうか。

 

 神堂くんの熱意は買ってあげたいが……やはり彼自身への負担は見過ごせない。

 先ほどの言葉に嘘は無いであろうが、おそらく、彼は相当無理をしているはずだ。

 それに、彼を異動させるかどうかは深海棲艦からの国防上の問題にも関わって来る。

 艦隊運用の知識を持つ提督が現れたのに、なお素人に首都圏の護りを任せる理由など無い。

 彼がどう熱意を述べようと、私がどれだけそれを主張しようと――熱意だけでは神堂くんをここに置く根拠にはならないのだ。

 実質艦娘達が指揮を執るから大丈夫だ、などと理由にもならない。

 

「……そうか。いや、わかった。君の熱意はしかと受け取ったよ。だが、この件は私の一存で決められる事では無い。これに関しては、また連絡する事にするよ」

「はっ、はいっ! どうかよろしくお願いしますっ!」

 

 深々と頭を下げた神堂くんの姿を見て、私も少し心を痛めてしまった。

 新たな提督候補が現れた事で、先ほどまでとは状況は変わってしまったのだ。

 

 国の中枢に近く、この国にとって最も重要な拠点である横須賀鎮守府。

 そこに所属する艦娘達への警戒と、今後の処遇。

 神堂くんが紛う事無き素人であるという事。

 新たな提督候補は即戦力となる人物であるという事。

 呉鎮守府の設置と、それに伴う提督と艦娘達の再配置。

 

 彼の心身への負担を考えても。

 安定した深海棲艦対策の事を考えても。

 どれだけ考えても、彼を異動させない方が難しい――。

 

 もはや、熱意では何も変わらないところまで話が進んでしまった。

 緊急会議が終わった後で、彼をどのように慰めるべきかを考えながら、私は帽子を被り直したのだった。

 




大変お待たせ致しました。
丁作戦でしたが何とか冬イベ攻略に成功し、運良くタシュケントもお迎えできました。
他にも掘りたい艦がたくさんいるのですが、年度末の忙しさもあり現在色々と燃え尽きてしまっております。
提督の皆さん、残りのイベント期間頑張りましょう。


※どうでもいい裏設定
【舞鶴鎮守府提督】
露里(つゆさと)紺太郎(こんたろう)(26)
・身長172cm 体重55kg
・金髪とサングラスがトレードマークのヤンキーのような外見。
・目つきと態度と口が悪いが腕は確かな有能提督。
・通称『駆逐艦運用のスペシャリスト』

【新たに提督の資質に目覚めた人】
森盛(もりもり)松千代(まつちよ)(24)
・身長178cm 体重76kg
・事務員だが現場の人並みに体格が良いと評判の好青年。
・ゲイ。

【横須賀鎮守府提督】
神堂(しんどう)貞男(さだお)(26)
・身長187cm 体重69kg
・妹達により外見だけは高身長細マッチョイケメンに整えられたコミュ障。
・素材は良いがファッションセンスが絶望的に無い。
・自称『智将』
・童貞。


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037.『浴場』【艦娘視点】

「長門さん! ありましたよ、携帯型集音器が!」

「よし、でかした! 青葉、いけるか⁉」

「はい! いつでも準備万端です! フフフ、腕が鳴りますねぇ!」

「青葉、はいこれ、集音器と無線機。聞き取りたい方向に向ければ音を拾って、無線を通してこちらにも伝わるはずよ。でも全然使ってなかったからちゃんと動くかどうか……」

「しかしテストしている時間はありませんね。すでに密談は始まっているはず……一刻たりとも無駄には出来ません」

 

「貴様一人に危険な役目を押し付けてしまって済まないが……」

「何を言っているんですか、那智さん! 適材適所! この青葉にもってこいの任務じゃないですか。……それに、青葉は古株であるがゆえに横須賀鎮守府に所属していますが、ここの重巡の中で最も性能が低く、恥ずかしながら戦闘面ではあまり頼りになりません……そんな青葉がこうやって歴戦の皆さんから頼られるというのは、案外悪い気分では無いのですよ! それでは青葉出撃、いえ、潜入取材、行ってきまーす!」

 

 入渠施設の入り口前。

 青葉は私達にビシッと敬礼し、慣れた手つきで物音一つ立てずに男湯の扉を開き、するりと中へと入って行った。

 私達は少し離れた物陰からただその背中を見つめ、無線機を片手に見送るしかできなかった。

 

 それは遡る事数分前。

 浴場に向かってしまった佐藤元帥と提督を追う訳にもいかず頭を抱えていた私達の前に現れたのは、明石、夕張、青葉の三人だった。

 事情を説明すると、明石と夕張はみなまで言うなと言わんばかりに工廠に駆け出し、数分後、倉庫の中から引っ張り出してきたのか、小型無線機と携帯型集音器を差し出してきたのだった。

 二人を待っている間、青葉は無言で屈伸や伸脚など柔軟運動をこなしており、それに私達が何かを言う事も無かった。

 頼んでもいないのに、明石も夕張も青葉も、真っ先に提督の正体を詮索するという判断を下したのだ。

 まるで艦娘全員の気持ちが一つとなったようなこの感覚は、あの夜戦の時に感じたものと同じだった。

 

 私達の置かれた状況を共有、把握し、明石と夕張がその状況を打破する為の機器の存在を思い出し、用意し、唯一男湯にすら突撃できる潜入技術と記者根性を持つ青葉が潜入する。

 各自が自分の能力とやるべき最善の役目を正しく認識し、指示をするよりも前に身体が動くようなこの感覚――それは間違い無く、私達が『提督の領域』と呼んでいる高みにあるものだった。

 戦闘時以外、それも元帥命令に背くような形でこの感覚が再び現れようとは思いもしなかったが――。

 

「でも、集音器準備した私が言うのもなんだけど……本当に良かったの? 提督の事詮索しないようにって、元帥命令が下ってるんでしょ?」

 

 夕張の言葉に、私達も上手い言い訳を探す事が出来なかった。

 肯定などできやしない。

 どう考えても擁護できない行動に出ている。

 故に私も、他の皆も、腕組みをして沈黙するしか無かった。

 どう言い繕っても、元帥命令が下った直後から無視しているという事実は否定できない。

 たとえ命令違反だとわかっていても、盗聴という褒められるべきではない行動に頼ってでも、謎の多い提督の事をもっと知りたい……そうとしか言い表せない。

 私だけではなく、ここにいる全ての艦娘がきっとそう思っているのだ。

 確かめるような事を言った夕張すらも、きっとわかっている。

 

 ちなみに、ここにいる全ての艦娘とは、佐藤元帥の出迎えに向かった七人に明石達三人を合わせた十人の事――では無い。

 明石と夕張が集音器を用意している間に、只ならぬ雰囲気に気が付いた他の艦娘達も次々に集まってきたのだった。

 遠征に向かった面子を除く全員が、である。

 昨夜の疲労で休んでいた第十駆逐隊の四人や、天龍と龍田さん、鳳翔さんに間宮さんまで、全員が、である。

 その誰もが、私達が行おうとしている愚行に対して、夕張が問いかけるまで何も言う事は無かったのだ。

 規律に厳しい妙高さんや香取さん、鳳翔さんに至るまでが――。

 

 私達はすでに、艦隊司令部の言う『人に逆らう兵器』に十分当てはまってしまっているのかもしれない。

 今までであれば、元帥命令に逆らうなんてありえない事であった。

 規律や命令を無視して、感情で動く事など、断じてあってはいけない事であった。

 やはり、提督と出会ってからだろうか。私達がどこかおかしくなってしまったのは。

 

 しかし、これだけの人数が集まっていては、何かあった時に流石に目立ちすぎる。

 バレてしまうリスクも高くなるように思えるし、その時の連帯責任も広がってしまう……。

 責任を負うのは中心となったメンバーだけに抑えたいところなのだが……他の面子も席を外してはくれないだろう。

 せめて駆逐艦達だけでも巻き込まれないよう、離れてもらおうか……。

 川内さん、神通さん、那珂さんの言葉ならば、駆逐艦達も素直に従ってくれるだろう。

 

「しかし流石に人数が多すぎるな……よし、駆逐艦はこの磯風を除いて全員席を外せ」

「何で磯風だけ当たり前のように残ろうとしとるんじゃ!」

「抜け駆けはしないと昨日私達に約束したばかりですよね?」

「かぁ~っ! こいつぁふてぇ野郎だ! 浦風、浜風、とっちめちまえ!」

「こ、こら! やめろ谷風! 司令の片腕たるこの磯風がここを離れるわけには……!」

「いつ磯風が提督の片腕になったんじゃ!」

 

 もう磯風は本当に黙っていてくれないだろうか……。

 浦風達に押さえられているどさくさに紛れて、他の駆逐艦達と一緒に席を外してもらうのもありかもしれない。

 私が川内さんに声をかけようと足を踏み出したところで、私の前に立ちふさがったのは霞ちゃんだった。

 その目を見るに、どうやら私の意図していた事はすでに読まれていたようであった。

 

「大淀さん、何で私達だけ除け者にしようとするのよ?」

「か、霞ちゃん……そういう訳じゃなくて。後で私達からちゃんと話すから」

「私達もあの司令官に命を預けてるのは同じでしょ。聞く権利はあるはずよ。私達も直接聞かせてもらうわ」

「で、でも」

「聞かせてもらうから」

「あ、あのね?」

「聞かせてもらうから」

 

 あまりに揺るぎない霞ちゃんの眼差しに私も言葉を詰まらせてしまう。

 そんな私の肩にぽんと手を置いて、足柄さんが小さく首を振った。

 

「こうなったら説得は無理よ。いいじゃない、皆に聞かせてあげましょう?」

「あ、足柄さん……しかし」

「佐藤元帥にバレた時の責任を考えているんでしょう? ここまで来たら、もう一蓮托生でしょう。一人で抱え込まないで」

 

 足柄さんにそこまで言われてしまっては、もはや何も言える事など無いのだった。

 私は諦めて大きく溜息をつき、霞ちゃん達、駆逐艦に向けて口を開いた。

 

「わかりました。ただし、もしもバレてしまいそうになった時には、巻き込まれぬよう一刻も早く身を隠して下さい。それが条件です」

「私は嫌よ」

「か、霞ちゃん……」

「除け者にされるのは嫌だって言ったつもりよ。権利を主張した以上、責任だって果たすわよ」

「霞の言う通りだぜ。大淀さん、あたい達だって子供じゃねーんだ」

「清霜も一緒に謝るよ!」

「大淀、だから無理ですって。諦めましょう?」

 

 足柄さんに、再び肩に手を置かれてしまったのだった。

 霞ちゃんだけではなく、朝霜に清霜、その他大勢の駆逐艦の意見も同様のようであった。

 謝って済む問題では無いという事を清霜はわかっているのだろうか……。

 それを説明するのも、説得するのも骨が折れる。

 私は再度諦めて、明石が手に持つ無線機に目を向けたのであった。

 

≪――ザザッ……いや、大体わかった。君がここの提督になってくれて、本当に助かったよ。ありがとう――≫

 

「! 聞こえた! 皆、静かにっ」

 

 明石の声に、全員同時に息を飲んだ。

 少しノイズがかかっているが、何とか聞き取れる。

 佐藤元帥の言葉から推測するに、おそらく先ほどまでは、提督に先日の状況を訊ねていたようだ。

 その内容は先ほど私が説明した事や、報告書に記載していた内容と変わらないはず。

 幸運にも、どうやら聞き逃しても問題無い内容であったようだ。

 後は、ここから新たな情報が得られるかであるが……。

 

≪い、いえ。私は何も――≫

≪――ザッ……謙遜する事は無い。あの夜の大戦果は勲章ものだよ――ザザッ……おそらく近いうちに、君の功績を称えて勲章が与え――ザザッ≫

≪ザザッ……ザザザッ――≫

 

「ほう、勲章か……あの大戦果ならば当然だろうが……フフ、胸が熱いな……」

 

 長門さんは満足気に頷きながらそう呟いたが、私達は皆同じ事を思ったことだろう。

 あの夜はまさに、この国の生死を左右する分水嶺と言っても過言では無かった。

 誰もが予測できなかったであろう深海側の奇襲を見事読み切り、大きな被害を出す事なく迎撃してみせた提督の功績は、勲章が与えられて然るべきであると私達ですら思う。

 

「しかし、着任初日からあれだけの大戦果を上げ、勲章を与えられた提督が今までいたでしょうか……」

「いえ、私が知る限りは……やはり提督は凄い御方なのですね」

「ふふ、何だか私達が誇らしくなってしまいますね」

 

 赤城さんと翔鶴さんが声を潜めながらそう話していた。

 二人だけではなく、それを聞いていたほとんどの艦娘達がうんうんと頷いている。

 勲章が授与されるという事は提督の功績が認められたという事。

 それは艦であるが故の性質なのか、提督の指揮下で戦った私達にとっても、まるで自分の事であるかのように嬉しく思うのだ。

 だが、次に私達の耳に届いたのは、全く予想だにしない言葉だった。

 

≪――ザザッ……いえ、佐藤元帥。身に余る光栄な事なのですが――ザッ……辞退させて頂くというのは可能でしょうか≫

 

「なっ……⁉ ばっ、馬鹿な……⁉」

「せっかくの勲章を辞退やと……⁉ な、何を考えとるんや、司令官は……⁉」

 

 思わずそう口走った那智さんと龍驤さんだけではなく、私を含めた他の全員も動揺を隠せていなかった。

 静寂は消え、ざわめきが辺りを包み込む。

 何故、一体、何故――⁉

 どうして、着任初日からあれだけの大戦果を上げたという功績を称えられる名誉を捨てるような真似を――⁉

 私達の動揺はどうやら、佐藤元帥も同じように感じているようだった。

 佐藤元帥の驚愕の声に続き、提督の凛とした声が届く。

 

≪えぇっ⁉ ど、どうして――ザザザッ≫

≪あの戦いは、私は何もしておりません。頑張ったのは艦娘達です。私への勲章ではなく、彼女達の功績を称える形にして頂きたいのです≫

 

「……アホや、うちらの司令官は本物のアホや……! どこまで、どこまで自分の事は二の次で、うちらの事を……!」

「えぇ、おそらくこれは私達の風評を良くする為に……」

 

 顔に手を当てて、龍驤さんは声を絞り出すかのようにそう言った。

 加賀さんも表情こそ冷静ではあったものの、思い当たるものがあったのであろう、小さく肩を震わせている。

 そう、提督の功績ではなく、戦場で奮戦した私達の功績であると主張するという事は、『人間に逆らった兵器』である私達に汚名返上の機会を与えてくれているのではないだろうか。

 着任初日にしてこの国の危機を防いだという、ご自分の大きな名誉の証である勲章と引き換えに――。

 そしてあの提督ならば、そう考えてもおかしくはないという根拠が、私達の胸の中にはあった。

 

「提督はあの夜、皆さんが戦場に赴くのを見ている事しかできない自分が悔しいと、一人で隠れて、目が赤くなるほどに泣いていらっしゃいました……あの戦いで提督は何もしていないという言葉は、その気持ちの表れなのかもしれませんね」

 

 鳳翔さんが静かにそう言うと、皆も少し落ち着きを取り戻したように思えた。

 すでに間宮さんから聞かされていたが、そう、提督はそういう考えを持っているようなのだ。

 夜を徹しての長期戦であったあの戦いにおいても、提督は一睡もせず、食事もとらずに私達の身を案じ、見守ってくれていた。

 深海棲艦の挙動を読み切り、完璧な迎撃の舞台を整えてなお、最終的には見守る事しかできない自分を恥じている。

 そんな提督ならば、大戦果を上げた名誉を称えられる事すらも、自分には相応しくないと思ってしまうかもしれない。

 称えられるべきは私ではなく、実際に戦場に向かい、勇敢に戦った艦娘達なのだと――。

 

≪君の言う事も理解はできるが……自分達の提督が勲章を貰うという事は、彼女達にとっても誇らしい事だと――ザザッ……≫

 

「この磯風も佐藤元帥と同意見だな……司令の名誉は我々の名誉も同然だぞ。勲章を受け取るよう、今から誰か説得しに行ってきてはどうだろうか。私は御免だがな」

「いや盗聴しとるのバレてまうやろ! そ、それにさっきも言うたけど、男湯に女の子が入るのはやっぱ色々マズいっちゅーか……」

「貴女の独特なシルエットならきっと大丈夫よ」

「お前ホンマにしばくぞ!」

 

 加賀さんと龍驤さんは置いておいて、おそらく磯風の意見はここにいる全ての艦娘の意見とも一致しているだろう。

 提督の名誉は私達の名誉も同然――提督には理解しがたい事なのかもしれないが、それは気を遣っている訳ではなく、本心からそうなのだ。

 故に、提督のお気持ちは嬉しいが、やはり提督自身が勲章を授与されるべきであると私も思う。

 しかし――私達はまだまだ提督の領域から程遠いのだと、私達はすぐに思い知らされる事になった。

 

≪そうかもしれませんが……ザザッ……今回は勲章を辞退する代わりに、私のお願いを聞いて頂けないかと――ザッ……≫

≪――ザザッ……何だい?≫

≪彼女達の為に――ザッ……何とか資材を融通して頂けないでしょうか≫

 

「なっ……⁉」

 

 それは誰の声だったかわからなかった。

 誰もが同じような声を思わず漏らしてしまったからだ。

 

 私達の為に、勲章を辞退する代わりに資材を融通してもらえるように、元帥に交渉を――⁉

 何と言う事だ。これは全くの盲点というか、ある意味で禁じ手に近い。

 艦隊司令部は戦況に応じて各鎮守府間の戦力、資材等の管理を総括、調整する役割も持ってはいるが、鎮守府における備蓄管理は、基本的には各鎮守府の運営に含まれている。

 故に出撃と遠征のバランスを考え、適切なスケジュールを組み、常に備蓄には余裕を持たねばならない。

 やむを得ない事情があるならばまだしも、自己管理が出来なかった挙句に「出撃したいのですが備蓄に余裕が無いので、他の鎮守府から融通してもらえませんか」などと、言えるはずも無い事であったのだ。

 普通であれば、他の鎮守府に対して恥ずかしくて言えるはずもない。

 

 だが、現在の横須賀鎮守府は、前提督による無計画な運用により資材は擦り減り、一か月かけてある程度回復した備蓄も、先日の迎撃作戦で再び枯渇寸前にまで陥っている。

 ここまで追い込まれてもなお、備蓄は各鎮守府の自己責任で何とかせねばならないという思いが私達の中には刷り込まれていた。

 いや、それに気付いて私達が提案したとしても、艦隊司令部はそれを許可してくれただろうか。

 人間に逆らった兵器がそれを口にするのは、あまりにも虫の良すぎる話ではないか。

 そうなると、艦娘兵器派なる派閥からすれば、再び主導権を得るために弱みに付け込むような物言いをしたかもしれない。

 

 しかし、あれだけの戦果を上げたのならば。

 提督自らが、前人未踏の大きな名誉をあえて辞退し、それと引き換えに頭を下げたのならば――。

 私達の立場は守られるのではないか。

 

 提督はご自分の名誉よりも、私達が安心して戦える『今』を見ていた。

 自分の胸に煌びやかな勲章が光ろうが、それが何になろうか。

 私達がそれを誇りに思おうが、それが何になろうか。

 それよりも、何よりも、艦娘達が万全に戦える環境を整える事こそが、第一優先。

 またしても、またしてもこの御方は、ご自分の事は二の次で――!

 

≪ザッ……ふむ、なるほど。報告書を見た限り、確かに備蓄に余裕は無かっ――ザザッ……ならば迅速に、という事……ザザッ――≫

≪はい――ザッ……出来得る限り、大至急で≫

≪わかった。君への勲章の辞退が認められるかは――ザザッ……艦娘達の功績を称える事と、資材に関しては私が何とかする事を約束しよう――ザザッ……≫

≪ザザッ――本当ですか⁉ ――ザッ……ありがとうございます! 助かります!≫

 

 耳に届くその声だけで、提督が安堵の笑みと共に、佐藤元帥に深く頭を下げる姿がありありと目に映った。

 私達はもはや何も口にする事が出来なかった。

 恥ずかしかったのだ。

 何故、せっかくの名誉を遠慮しているのだ、せっかくなのだから受け取って欲しいと考えていた自分達の思慮の浅さが、何よりも恥ずかしかった。

 提督はあの大戦果にすら気を緩めず常に私達の事を考えてくれていたというのに、私達はあの大勝に舞い上がり、名誉に目が眩んで何もわかっていなかった。

 勝って兜の何とやら。

 それを常日頃から口癖にしている那智さんと浜風さえも、己を恥じるように目を閉じて、肩を震わせていた。

 横須賀鎮守府はまだまだ、気を抜けるような状態では無いというのに――。

 

「……しかし、ご自分の勲章と引き換えとはいえ、元帥相手に直接交渉とは、提督も意外と大胆というか、(したた)かというか……」

「えぇ。これは正攻法ではなく明らかに(から)め手とでも呼ぶべきものですよね。それを何の躊躇(ちゅうちょ)もなく実行する辺り、本当に底が見えないですね……」

 

 香取さんと妙高さんが声を潜めながらそう話していた。

 妙高さんの言う正攻法とは、現在私が行っているような遠征による備蓄回復優先の作戦を実施する事であろう。

 大型艦の出撃を控え、出撃自体の頻度を押さえ、燃費の良い駆逐艦や潜水艦による遠征を集中的に行う事、これこそが正攻法であり、常識であり、一般的な、王道だ。

 だが、今回提督の行った事は、私の中の常識では有り得ない、艦隊司令部への直接交渉という搦め手であった。

 恥にも外聞にも囚われず、ご自分の名誉と引き換えに、頭を下げて、最も手っ取り早く資材を回復できる方法を実行した。

 そう、昨夜の歓迎会の間も、提督は今後の備蓄について考え続けていたではないか。

 提督の頭であれば、あの時にはすでに、この搦め手も一案として考えついていたのかもしれない。

 正攻法の備蓄管理に関しては私に一任し、提督にしか実行できない搦め手はご自分で引き受ける……。

 いや、そもそも考えついたとしても一切の躊躇なく実行できるものなのだろうか。

 大勝の余韻が冷めやらぬ内から、あの大戦果の名誉ですらも、次に活かす為の手札として考える思考……その領域!

 

 本当に……あの人の底が見えない……!

 

≪何、他ならぬ君のお願いだ――ザッ……無下に断るわけにもいかない――ザザッ……それにしても、勲章よりも艦娘達への資材を優先するとは……≫

 

「……『他ならぬ君』? 『無下に断るわけにもいかない』? ……ねぇ、千歳お姉、佐藤元帥と提督って、元帥と提督なのよね?」

「え、えぇ千代田、言いたい事はわかるわ……どういう事かしら。なんだか、元帥と提督って関係じゃないみたい」

「フフフ、オレにはわかるぜ。あの提督は只者じゃない。何せこの天龍様を旗艦に」

「天龍ちゃんには聞いてないわ~」

 

 佐藤元帥が何気なく発した言葉に、艦娘達が再びざわめき始めた。

 何しろ、明らかに元帥という立場の御方が、部下である提督にかける言葉では無かったからだ。

ただの部下の一人であるのならば、『他ならぬ君』などと表すだろうか。

『他ならぬ君』のお願いだからこそ、無下に断るわけにもいかない、などと表すだろうか――。

 先に佐藤元帥を出迎えに向かい、すでに提督が只者では無い身分にあるのではと推測している私を含めた七人は無言だった。

 いや、磯風だけが意味深にドヤ顔で腕組みをしており、なんだか非常にうざったかった。

 

≪勲章なら、昨夜暁に貰いましたから――ザザッ……何よりの宝物です――ザッ……≫

 

「まぁ……! うふふ、六駆の皆に直接聞かせてあげたかったですね。帰投したら早速教えてあげなくちゃ」

 

 間宮さんが顔の前で手を合わせながら嬉しそうにそう言った。

 その隣で龍田さんもニコニコと微笑んでいる。

 間宮さんの話では、提督に勲章をプレゼントしたいという第六駆逐隊の四人と一緒に、折り紙で勲章を作ったのだという。

 提督はそれを心から嬉しそうに喜び、わざわざ胸元につけてもらったとの事。

 そう言えば先ほども顔を合わせた際にも、勲章に見えたかどうかはともかく身に着けていたところを見るに、本当に心から気に入っているのだろう……。

 間宮さんや龍田さんだけではなく、気付けばほとんどの皆がほくほくとした笑みを浮かべていた。

 私もそうだ。提督の優しさが、想像しただけで微笑ましく暖かい。

 

「本物の勲章には見向きもしないというのに、あの折り紙の勲章を宝物と……フフ、胸が熱いな。私は一度も貰った事は無いが、その気持ちはわかるぞ。どうやら私も提督の領域が理解できて」

「長門さんのそれと一緒にしないで下さい」

「な、何故だッ……⁉」

 

 反射的に長門さんに冷たい言葉を投げかけてしまったが、実際、提督の領域は理解するにはまだまだ遠すぎると思う。

 大きな名誉の証である勲章さえも資材と引き換えにするというある意味で冷徹な感覚と、暁達の作った折り紙の勲章を心から喜ぶ暖かな感受性が同居するその中身は、理解できたと言うにはあまりにも遠く深すぎる。

 提督の事を考えれば陽だまりのような暖かさを感じるにも関わらず、何故だろうか、時に背筋が凍るような感覚に襲われるのは。

 その姿に、不安を覚えてしまうのは――。

 

 不意に無線機から届いた、ノイズまみれの佐藤元帥の言葉に、私はその正体を知る事になる。

 

≪ザザザッ……――そうか。その調子で、皆と――ザザザッ……ザザッ……――ところで、身体の具合はどうだい?≫

≪……身体、ですか?≫

≪あぁ、君の……ザザザッ――ザーー……ザザッ……――この一年間は、心身を病んで自宅療養中――ザザザッ……ザッ……≫

 

「えっ――」

 

 時が、止まった。

 一瞬にして、私達の周りを静寂が包み込んだ。

 

 集音器の調子がおかしいのか、ノイズが多く聞き取れない部分が多かったが、重要な部分、いや、重大な事実だけが、まるで運命のいたずらのごとく、私達の耳にはっきりと届いたのだった。

 

 提督の身体の具合が……?

 この一年間は、心身を病んで、自宅療養中……?

 

 私達は誰も、物音一つ立てなかった。

 生唾を飲み込む音すらも雑音に感じるほどであった。

 

 石のように固まりながら、おそらく私を含めた最初の七人だけは、一歩先の推測をしていただろう。

 佐藤元帥から先に得られていた情報――佐藤元帥が、何故わざわざ、提督の自宅までお願いに向かったのかという事。その答え――。

 

 おそらく提督は、この一年間、艦隊司令部から退いていたのだ。

 その原因は、佐藤元帥が先ほど漏らしたように、心身を病んだ事が原因――。

 だが、やむを得ない事情により、佐藤元帥は神堂提督に横須賀鎮守府に着任してもらうべく、その足で自宅療養中の神堂提督のもとへお願いに向かった。

 そうなると、最終手段として頼られるほどなのだから、やはり神堂提督は以前から艦隊司令部でその手腕を振るっていたのだろう。

 しかし、病により若くして退役せざるを得なくなった――。

 

 だんだんと提督の事情が見えてきた。

 佐藤元帥が口を滑らせた『彼はそれどころでは無かったというのに――』という言葉の意味は、つまり――!

 

≪――ザッ……提督の仕事は激務だから――ザザッ……せっかく調子が戻ってきていた君の体にまた負担が掛かったらと……≫

≪ザザッ……最悪の場合は手術を……≫

≪……ザッ――手術して治る病では無いだろう、君の病は――ザザッ≫

≪ザザザッ……そうですね……ザッ――≫

 

 ――提督は、手術しても治らないほどの難病を患っている――⁉

 

「――やはりそういう事かッ!」

 

 静寂の中で不意に那智さんが叫んだので、全員はびっくりして那智さんに目を向けた。

 それを咎める事無く、妙高さんは冷静に那智さんに声をかける。

 

「那智、何か気付いたの? どういう事かしら」

「クソッ……! 何故昨夜の内に気付かなかった……! あの男、我々にとんでもない事を隠していた……!」

「落ち着いて。皆にわかるように、ひとつひとつ説明しなさい」

 

 那智さんは大きく息を吐くと、足柄さんをギロリと睨みつけて声をかけた。

 

「……足柄。貴様、提督が途中で離席した時の状況に詳しいだろう。まずはそれを詳しく話せ」

「え、えぇ。その、お酒を呑み過ぎたみたいでお腹を下してしまったみたいで……でも、私は皆にそれを伝える為にすぐに戻ったわ。提督の事は天龍に任せていたの」

「良し。おい、天龍。貴様、奴に付き添ってすぐに厠に連れて行ったのか?」

 

 那智さんの問いに、天龍は特に戸惑う事も無く言葉を返した。

 

「あー、いや、提督の部屋まで連れて行ったぜ」

「えっ……⁉ あんなに遠くまで……? すぐそこのお手洗いに向かわなかったの⁉」

 

 足柄さんは目を丸くしながらそう言った。

 この時点で、私を含む数人の艦娘はその違和感に気付いていたようだった。

 

「いや、オレもそう言ったんだけどよ、部屋でついでに済ませたい用があるって言うから……」

「その用とは一体なんだった⁉」

「確認の終わった報告書を執務室に持っていきたかったらしいぜ。でもよ、オレも忠告したってのに、結局部屋に向かう途中で痛みがひどくなったみたいで、大変だったぜ。ひーひー言いながら脂汗かいちまって……歩くのも精一杯って感じでよ」

「そこまで一緒にいて何故気付かんのだ貴様は……!」

 

 那智さんは苛立ちを押さえるように前髪を掻き上げた。

 天龍はまだ気付いていないようであったが、ほとんどの艦娘達はすでに那智さんの言いたい事が理解できているようであった。

 

「あぁ? な、何だよ、どういう事だよ龍田」

「い~い? もしも提督がお腹を下していたのなら、近くのお手洗いで用を足してから、部屋に報告書を取りに行くのが普通でしょう?」

「そ、それくらいオレでもわかる! だからオレだって最初に提督にそう言ったんだぜ?」

「あら~、天龍ちゃんにしては上出来~♪」

「フフフ、まぁな……おい、だから結局どういう事だよ」

 

 パチパチと拍手しながら、龍田さんがちらりと私の方を見た。

 面倒臭くなったのだろうか……。

 私はコホンと咳払いをしてから、天龍だけでなく皆の方を見て、口を開いた。

 

「いいですか。正常な思考回路をしていれば、今龍田さんが言ったように行動するのが当然だと判断できるのが当たり前なんですよ」

「おう……なるほどな。つまり、アレか。提督は正常な思考回路じゃねぇと」

「そんなわけないでしょう⁉ 何でそうなるんですか⁉」

「な、何だよ、違ぇのかよ?」

 

 龍田さんが口元を押さえながら笑いを堪えて肩を震わせていた。

 厄介な仕事を人に押し付けておいてこの人は……。

 私は大きく溜息をついて、説明を再開する。

 

「提督の思考回路は当然ですが正常です。そうなると、提督が激痛に苦しんでまで部屋に向かうのを優先した事がおかしいと思いませんか?」

「そ、そりゃあそうだな……つまり、どういう事だよ」

「提督の行動は全て理にかなっていると考えれば答えは導けます。何故、提督は近くのお手洗いに向かわなかったのか……それは、『お手洗いに向かう事では痛みが解決できなかったから』です」

「はぁ? いや、だけどよ、提督は腹が痛ぇって……」

「おかしいのは提督の行動ではなく、その前提条件だという事です。提督がお腹を下したという事が嘘。痛みに苦しみながら部屋へと向かったのは、『部屋へ向かう事こそが、痛みを解決する為の唯一の手段だったから』……!」

 

 そこまで言って、天龍はようやくぽんと手を叩いた。

 提督が難病を患っており、それを私達に隠していたという事実で、ようやく点と点が繋がった。

 そう、酒を呑み過ぎて腹を下したというのは嘘――。

 もしも腹を下したのが事実であれば、その痛みを堪えたまま自室へ向かう意味は皆無……!

 実際には、おそらく患っている難病に関わる症状が提督を襲ったのだ。

 天龍の話によれば、あの常に凛とした表情が崩れ、苦悶の表情を浮かべるほどに、激痛に襲われていたとの事。

 その痛みを抑える為に、提督は自室に向かった。

 そうする事でしか、その痛みは抑える事が出来なかったのだ。

 おそらく提督の自室には、症状を抑える為の薬の類が持ち込まれているのだろう。

 

 提督は私達に病の事を隠すために、余計な心配をかけないために、腹を下したなどと嘘をついていたのだ――。

 

「クソッ……戻ってくるのが遅すぎるとは思っていたが……そう考えれば、戻ってきてからの挙動もおかしかった」

「そ、そうじゃ、提督さん、帰ってきてうちらの相手してくれとる時も、何だかやけに眠そうじゃった……。のう、夕雲」

「えぇ、浦風さんの言う通りです。私が夜戦演習に向かう前には、すでに眠っていたようでしたね」

「夕雲達が川内姐さん達に連れられていってから、提督さんは眠くなったけぇ、顔を洗ってくると言うて外に出ようとしたんじゃ。そしたらいきなり倒れてしもうて……今思えば、やけに慌てとるようじゃった」

「提督が服用したのが痛み止めであると仮定すると、かなり即効性があるもの、そして鎮痛力のあるもののようですね。そうなると、私もあまり詳しくはありませんが、副作用として強い眠気に襲われるものがあると耳にした事があります。それこそ、モルヒネのような麻薬の一種などは……」

「ま、麻薬……⁉」

 

 那智さんと浦風、夕雲の言葉に続いて、赤城さんがそう口にした。

 私はその様子を目にしてはいないが、提督は部屋から戻ってきて再び駆逐艦達の相手を始めた時から、やけにうとうとと眠そうだったという。

 そして浦風に顔を洗ってくると言って歩み出したが、外に出る前に崩れ落ちるように眠ってしまったという……。

 考えてみれば、そんなに急に眠ってしまう事など有り得ないだろうし、あの場でいきなり気絶する要因があるはずもない。

 しかし、強力な薬物の作用であるならば、即効性のある鎮痛効果と同時に強い眠気が現れたとするならば――!

 

「そう言えば、提督がいきなり崩れ落ちて眠ってしまったのはお酒の呑み過ぎだと思っていましたけれど……今朝の様子を見るに、全然お酒が残っている様子は無かったですね。提督がお酒に強いと自称していたのは本当でしょう。そうなると、あんなに崩れ落ちるように眠ってしまうのはやっぱりおかしいですね……」

 

 今朝、提督と話したという間宮さんもそう言っていた。

 提督は今朝、こちらが心配になるほどに深く眠り、この時間になるまで目を覚まさなかった。

 だが、全く酒が残っているような様子は無かったという。

 ここまでくると、全てが繋がる。

 提督が服用したのは相当強力な鎮痛剤――その副作用により、強い眠気に襲われた提督は崩れ落ちてしまったのだ。

 つまり、提督が患っている病の症状のひとつは、そこまで強力な薬でなければ抑えられないレベルの激痛であるという事――。

 

「……私は提督に合わせる顔がありません……」

「妙高姉さん……」

「私はもしかすると、足柄のカレーを食べられなかった事すらも想定内なのではないかと邪推して、一時は、お説教をしようかと考えていました……しかし、実際は」

「えぇ……提督が楽しみにしてくれていたのは、この私が一番わかっているもの。きっと、予想外の激痛で、食べたくても、食べられなかったのね」

「提督は私達に心配をかけぬようにと痛みに耐えて……呑み過ぎて腹を下したなんて、情けなく聞こえるような嘘をついて……そんな提督の気持ちも知らないで、私は……提督にどんな顔を合わせれば……!」

 

 固く目を瞑り、自分自身への腹立たしさからか肩を震わせる妙高さんに、翔鶴さんが優しく声をかけた。

 

「妙高さん……私と同じですね。私も提督に合わせる顔が無くて……」

「翔鶴さんも……?」

「はい……全く気付かずに、提督の眼の前で下着を見せつけるような見苦しい真似をしてしまって……」

「そ、それと一緒にされるのはちょっと……」

 

 まるでお通夜のような雰囲気で、皆落ち込んでしまっていた。

 しかし、その中で、明らかに周囲と異なる挙動をしていた二人が、不意に目に映った。

 

「あ、あわわわ、あわわわわ」

「と、利根姉さん、どうしましょう」

 

 ……利根さんと筑摩さんが、異常なまでに動揺していた。

 明らかに様子がおかしい。

 私はとんとんと利根さんの肩を叩き、声をかけた。

 

「利根さん、筑摩さん、もしかして、何か心当たりでも?」

「ギクッ⁉ い、いや! 何でもないぞ! 吾輩達は何にも知らん!」

「いや、それにしては様子が……」

「し、知らぬと言っておるじゃろう! それに、知っておったとしても言えるはずがなかろう! 提督命令じゃからな!」

「提督命令⁉」

「あぁっ⁉ しもうた!」

 

 その場の全員の視線が利根さんに集中した。

 那智さんが利根さんの胸倉を両手で掴み上げ、ガクガクと揺さぶりながら睨みつける。

 

「利根ッ! 貴様ァーッ! 何を隠しているッ! 大人しく吐けッ!」

「ぐおぉぉーッ⁉ 筑摩ーっ! ちくまァーーッ⁉」

「な、那智さん落ち着いて下さい! 話します、話しますから! 放してあげて下さい!」

 

 筑摩さんに宥められて、那智さんは利根さんの胸倉から手を離した。

 涙ぐみながらゼェゼェと息を切らす利根さんであったが、その背を撫でながら、筑摩さんがおずおずと口を開いたのだった。

 

「その、黙っていたのは、申し訳ありません……提督命令でしたので」

「それについて責める気は無いが……ここまできたら話すしかないだろう」

「はい。どこから話すべきなのか……まず、つい先ほどの話なのですが、提督が壁を背にして、まるで物陰に隠れているような様子であったところに、偶然遭遇したんです」

「えぇっ、司令官さん、いくら探しても見当たらないと思ったら……」

 

 筑摩さんの話を聞いて、涙目の羽黒さんがそう言った。

 確かに、よくよく考えてみれば入れ違ったにしてもあまりにも出来過ぎてしまっているような気がする。

 甘味処間宮から艦娘寮まで、回り道をする理由も無いだろう。

 だというのに、鹿島と羽黒さんは、数十分もの間、提督の姿を探し回っていたのだという。

 

「その……提督は何でもないと仰っていたのですが、今にして思えば、おそらくあの時提督は、羽黒さんと鹿島さんから隠れていたのだと思います」

「どっ、どういう事ですかっ⁉」

 

 鹿島の問いかけに、筑摩さんは言葉を続ける。

 

「私達はその時軽く雑談をして別れたのですけれど……その後すぐに、提督が鼻から血を流して苦しんでいるのに利根姉さんが気付いて……」

「えぇっ⁉ りゅ、流血してたんですかっ⁉」

「はい、全く前触れも無く……しかし、提督にはその兆候がわかっていたからこそ、羽黒さん、鹿島さんから隠れていたのではないでしょうか」

 

 私達は予想だにしない事実に絶句してしまった。

 まさか、つい先ほど、提督が病の症状に苦しんでいたとは……。

 しかも、激痛だけではなく、鼻から流血するほどの症状に……!

 ついさっき顔を合わせた時には、そんな様子など微塵も感じさせなかった。

 提督の演技力、そして精神力の成し得る嘘に、私達は見事に騙されていたという事だ。

 筑摩さんは更に言葉を続けた。

 

「慌てて駆け寄った私達に、提督はこう言いました。苦しそうに壁に手をついて、ゼェゼェと息を切らせながら……『元々鼻血が出やすい体質なんだ、大袈裟に騒ぐな』と。そしてこう念を押されました。『この事は決して誰にも言うな、これは提督命令だ』と。『この事は皆には伏せておいてくれ。余計な心配をかけたくないのだ』と……しかし、これは矛盾していると思ってはいたのです」

「矛盾?」

 

 天龍がそう首を傾げると、筑摩さんはこくりと小さく頷いた。

 

「矛盾とは、物事の辻褄が合わないという意味で、元々は中国の故事から――」

「いやそれぐれぇはオレでもわかってるよ! ナメてんのか!」

「し、失礼しました……その、元々鼻血が出やすい体質であり、大袈裟に騒ぐ事が無いのであれば、むしろそれは前もって皆さんに伝えておくのが普通ではありませんか。それでこそ、心配をかけずに済むと思います。しかし、提督は絶対に口外しないように強く念押ししてきました。提督命令と口にしてまで……私は、こちらこそが重要な事だったのだと思っています」

「なるほどな……そういう事か」

「今度は一回で理解できたのね~♪ 天龍ちゃん凄~い」

「フフフ、まぁな……って馬鹿にしてんのか」

 

 筑摩さんの言う通りだ。

 もしも大した事では無いのであれば、提督から皆に「鼻血が出やすい体質だから、もし鼻血が出たとしてもあまり慌てるな」とでも前もって言っていれば大騒ぎになる事は無いだろう。

 それくらいの事は、提督ならばわかるはずだ。

 だが、提督命令とまで言って、それを口外する事を防いだという事は……つまり知られてはまずいという事だ。

 提督の患う病に繋がる症状だとするならば、提督が私達に隠したかったのにも納得がいく。

 焦りのあまり、提督も思わず短絡的に、打つ手を間違ってしまったのだろう。

 

「提督の言う通り、すぐに鼻血は止まって、私達は再び別れたのですが……提督の様子が気になって、実はこっそり遠くから様子を窺っていたんです。すると、それから数十分もの間、物陰でじっとして動きませんでした。羽黒さんと鹿島さんの呼びかけにもやはり気付いているようでしたが、むしろ見つからないようにと身を隠しているように見えました……まるで、早く症状が治まってくれとでも祈るような表情で……」

「そ、そんな……グスッ、司令官さん、私達に心配をかけない為に……?」

「おそらく、そういう事かと……」

 

 筑摩さんの推測は、おそらく正しいだろう。

 そうなると、提督が語っていた、羽黒さん達と偶然入れ違ったかのような発言も――やはり嘘か。

 羽黒さん達に見つからないように、身を丸くして物陰に隠れ、早く治まってくれと祈る提督の姿が脳裏に浮かんだ。

 私達に余計な心配をかけぬよう、提督は昨夜もつい先ほども、自身に巣くう病と人知れず戦っていたのだ。

 

「……そういえば、今日は珍しく大人しいのね。いつものように茶々を入れないのかしら」

「正直ちょっと疑ってるところもあるけど……私にだって、流石に疑っていい事と悪い事の分別くらいはあるよ」

「そう……いい子ね」

「……加賀さんうるさい。な、撫でないでよっ」

 

 加賀さんと瑞鶴がじゃれ合っているのに構わないように、利根さんが止まらない涙と共にようやく口を開いた。

 

「グスッ、ひっく、わ、吾輩は、提督の事を思うと、あまりに不憫で……! こんな、こんな、人間に歯向かった兵器と罵られる吾輩達を救う為に、病に蝕まれている身体に鞭打って、ひっく、ふ、二つ返事で着任し、グスッ……それにも関わらず、加賀には不当に睨みつけられ、那智には胸倉を掴まれて……ひっく、それでも吾輩達の事を想い、心配をかけぬよう、惨めに物陰に隠れ、下手な嘘をついて、人知れず苦しんでおる提督の事を思うと、ひっく、わ、吾輩は、吾輩はっ……!」

「利根姉さん……」

「お、おい! 加賀はともかく、私は奴の胸倉を掴んでなどいないぞ! さりげなく捏造するな!」

「私は悪い子ね……」

「か、加賀さん元気出して! ほらっ、提督さんも水に流してくれてたし!」

 

 泣きじゃくる利根さんの言葉に、加賀さんが深く落ち込んでしまっていた。

 提督が隠していたとはいえ、その背景を知ってしまった今、私達の心に何が去来したか。

 あの方がどんな覚悟で横須賀鎮守府に着任したのか、私達は知らなかった。

 それを知ってしまった、今。

 八つ当たりのようにきつく当たってしまっていた事を思い出し、落ち込んでしまう者。

 提督の想いを感じ、涙を堪えられない者……。

 提督が必死に隠していたこの秘密は、果たして私達が本当に知ってしまっても良い事だったのだろうか。

 

≪……ザッ――佐藤元帥……ザザッ――私にここまで――ザザザッ……ザーー……――≫

≪何を言って……ザザッ……ザッ――君を支えるのが私の仕事――ザザッ……私は――ザッ、君の――ザザッ……ザザザッ……――なんだよ――ザッ……≫

≪ザザッ――ザー……≫

≪君の身の上――ザザッ……――ザザザッ……ザーー……若い内に両親を亡くし、唯一の男――ザッ……妹四人……ザザザッ……――感心な……ザザッ……支え――ザザッ……ザーー……≫

 

 無線機から再び声が届いたので、私達は話と思考を切り上げた。

 どんどん集音器の調子が悪くなっているようで、ノイズがひどくなっている。

 おまけに何やら妙なメロディまで紛れ込んでいる。

 聞き覚えがある。佐藤元帥の携帯電話の着信音だろうか。

 かろうじて聞き取れた部分もあるが……。

 

「『君を支えるのが私の仕事』? ねぇ、千歳お姉、佐藤元帥と提督って、本当に元帥と提督なのよね?」

「え、えぇ千代田、言いたい事はわかるわ……そうね、まるで佐藤元帥が下の立場にあるような……『私は君の〇〇なんだよ』って、一体何なのかしら」

「付き人とか、世話役とか、側近、とか……?」

「ま、まさか……それじゃあまるで、提督がやんごとなき身分にあるような……」

 

 千歳さん達の会話にあえて私は何も言わなかったが、他の皆のざわめきがひときわ大きくなった。

 私はそれよりも、その後に聞こえた部分、『君の身の上。若い内に両親を亡くし、唯一の男。妹四人』という新情報について考えていた。

 

「大淀。提督の家族構成、聞き取れたか」

「はい、長門さん、何とか……この情報から考えるに、神堂家において現在提督が当主の座にあるという事ですね」

「あぁ……両親を亡くし、長男、それも唯一の男子か。もしもそれ相応の家系であるならば、その理由だけでも、このような場所に置いておきたくは無いだろうな」

 

 予想がだんだんと確信に変わっていく。

 それと同時に、提督が横須賀鎮守府にいるという状態こそが、むしろおかしな事なのではないかとすら考えてしまうほどだ。

 手術をしても治らぬほどの難病に侵され、今も不意に激痛や流血を伴うほどの症状に苦しんでおり、退役して自宅療養中であったという事。

 元帥に頼み込まれるほど卓越した艦隊指揮能力の持ち主であり、あの若さで、おそらくはその手腕を艦隊司令部の中心で発揮していたであろうという事。

 やんごとなき家系における長男であり、唯一の男子であり、現在その当主の座にある立場という事。

 どれか一つだけでも、人間に逆らった兵器と呼ばれる私達に囲まれる横須賀鎮守府から異動させるには十分すぎる理由になる。

 

 いや、まだ提督が隠している身分や地位については、推測の域を出ては――。

 

≪――ザザッ……いいかい。艦娘達への建前上、彼女達の前では元帥と提督として振舞ってもらう――ザッ……しかし、君だけは提督の中でただ一人、事情が違う。君が望むなら私は君の手足となって、いつだって陰から全力で支えるつもりだ。決して遠慮しないでくれ≫

 

「…………」

 

 集音器の調子が戻ったのか、佐藤元帥の声が明瞭に聞き取る事が出来た。

 誰一人、言葉を発する事が出来なかった。

 確定してしまった。佐藤元帥と神堂提督が『元帥』と『提督』として振舞っているのが、あくまでも私達艦娘への建前である事が、確定してしまった。

 神堂提督だけがただ一人、他の提督とは事情が違う事が確定してしまった。

 佐藤元帥は。『元帥』が。

 神堂提督の為ならば、その手足となって、陰から全力で支えるらしい。

 元帥が、提督の為に。

 

 ――到底有り得ない事であった。

 

 言葉だけではなく、おそらくもう思考も止まってしまった。

 考えすぎて頭が壊れないように、安全装置が作動したかのようだった。

 

 提督は、何者なのか。

 今更ながら、佐藤元帥の言葉通り、詮索しないのが正しかったように思えてきた。

 

≪ザザッ……ありがとうございます……あっ、さっきから携帯鳴ってますよ≫

≪ふむ、本当だね。山田くんかな……済まない、ちょっと出てくるよ≫

≪はい。ごゆっくり≫

 

 はっ、と正気に戻った。

 いけない、どうやら佐藤元帥が脱衣場に戻って来るようだ。

 青葉の存在がバレないといいのだが……。

 電話の内容も聞き取る為、私は唇に人差し指をつけて、周囲の皆に目配せをした。

 全員、無言でこくりと頷く。

 

≪もしもし、ごめん。待たせてしまって≫

『~~~~』

≪あぁ、ようやく彼と二人きりになれてね。艦娘達には聞かれてはならない事だったから……それで、何かあったのかい?≫

『~~~~』

≪な、何だって!?≫

『~~~~』

『~~~~』

≪わかった。すぐに戻るよ≫

 

 流石に電話の内容までは聞こえないが……艦隊司令部からの電話のようだ。

 どうやら佐藤元帥が急いで戻らねばならない用ができたらしい。

 一体何事だろうか……。

 

 ガラガラと浴場の扉を開ける音に続いて、佐藤元帥が提督に、急用が出来たから急いで戻る事になったと伝える声が届いた。

 物音から察するに、おそらく提督も脱衣所に戻って来たようだ。

 い、いけない。妙な事を想像しないようにしなければ……。

 神通さんはすでに何かを想像してしまったのか、すでに耳の先まで真っ赤になっていた。

 

≪神堂くん……急な事だが、状況が変わった。つい先ほど……~~~~≫

≪えっ≫

≪艦隊司令部の……~~~~……≫

 

 ……佐藤元帥の声が明らかに聞こえづらくなった。

 おそらく扉一枚向こうで私達が聞き耳を立てている事を警戒しての事だろう。

 脱衣所にいてもなお抜け目が無い……つまりそれだけ私達が警戒されているという事だ。

 事実、扉一枚向こうどころかすでに脱衣所に潜入済みであるという状況である以上、我ながら警戒されて当然だと思うが……。

 それにしても一体何事だろう。佐藤元帥が急いで戻らなければならないような、状況の急変とは――。

 私の思考に続いて、提督の声が佐藤元帥のそれとは違い、はっきりと届いた。

 

≪そ、それでは私はお役御免という事でしょうか……≫

 

「なっ――⁉」

 

 思わず声が漏れそうになるのを必死に堪えた。

 提督がお役御免になる状況とは、それはつまり――⁉

 

≪いや。太平洋側の守りを強化すべく、新たに呉鎮守府を置く事が以前から検討されていてね。今までは艦娘の数と提督候補に余裕が無かった為、実現できなかったのだが……まだ確定ではないが、今後は横須賀、舞鶴、佐世保、大湊に呉を加えた五つの拠点に提督、艦娘達を再編成する事になるだろう。つまりまだ君には力を貸してもらう事になると思う≫

 

 続く佐藤元帥の言葉に、私達は、ほっ、と胸を撫で下ろした。

 青葉が集音器の方向と設定を微調整したのか、佐藤元帥の声もはっきりと届くようになった。

 やはり装置だけ設置するのではなく、リスクは高いが潜入する作戦を採用して正解だったようだ。

 予想外のトラブルに対して、青葉も高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応してくれている。

 

 なるほど、佐藤元帥の言葉から推測するに、おそらくは新たな提督の着任準備が整ったという事だろう。

 まさか前提督ではないかとも思ったが、それにしてはあまりにも期間が短すぎる。おそらく別人だ。

 神堂提督はそれで自分と入れ替わりになるのではと考えたが、佐藤元帥の推測では、新たに呉鎮守府を設置する事になるだろうと。

 確かに、呉鎮守府を新たな拠点として置く事は、以前から提案され続けてきた事だ。

 このタイミングで実行されたとしてもおかしくは無い。

 

 ――しかし、嫌な予感がする。

 改めて考えてみれば、新たな鎮守府を置くという事は、提督、艦娘の再編成が行われるという事だ。

 現在四つの拠点に配属されている艦娘を、五つの拠点に再編成するという事。

 神堂提督は今後も横須賀鎮守府にいてくれるかもしれないが、私達の中の数人は、確実に神堂提督の下から去らねばならない――。

 いや、それどころか、最悪の場合――。

 

≪それに加えて、舞鶴鎮守府の周辺海域はほとんど攻略が完了していてね。舞鶴の提督……露里(つゆさと)くんというんだが、彼も、今後は舞鶴鎮守府を数が多く練度が十分では無い駆逐艦達の演習兼、近海警備の為の拠点にしてはどうかと意見具申をしてきているんだ≫

≪は、はぁ≫

≪佐世保と大湊に挟まれている地の利もあり、今後は舞鶴方面への大規模な侵攻も無いと推測される為、彼の意見にも一理ある。露里くんが提案しているように、運用するのが主に軽巡や駆逐艦、海防艦となれば、備蓄に頭を悩ませる事も少なくなる。そこで一つの提案なんだが、森盛くんをここに着任させ、代わりに君が舞鶴鎮守府への異動というのはどうだい? このまま横須賀鎮守府にいるよりは、君の心身への負担は各段に軽くなる。悪くない話だとは思うのだが……≫

 

 ひときわ大きなどよめきが、私達の周囲を包み込んだ。

 

「――アカン……! 大淀、これはキミが想定していた最悪の場合に限りなく近いで……!」

 

 龍驤さんの言葉に、他の皆も私に注目した。

 

「はい。前提督ではなく新たな提督が着任するという違いはあれど……神堂提督が横須賀鎮守府を去るという点では変わりありません……!」

「クッ……! 無理もない……! あの若さで元帥に認められるほどに神がかり的な艦隊運用能力に加えて、発作的に激痛や流血を伴う難病を患い、本来ならば退役し、今も自宅療養中であった身……! 加えて明らかに只事では無いであろう身分に、その家の現当主、たった一人の男子だぞ……⁉ どれ一つ取っても、すぐにでもここから連れ戻したいに決まっている……!」

「更にここはこの国最大の拠点、横須賀鎮守府……人間に逆らった兵器と警戒される艦娘に囲まれながら、この国の心臓部を守るという重責を背負わねばなりません。ただでさえ虚弱な提督の心身への悪影響も去る事ながら、直接戦火に巻き込まれる可能性も十分にあります。先日の戦いも、ひとつ間違っていたら鎮守府も火の海となっていた事でしょう……」

 

 私の言葉に続いて、長門さんと神通さんがそう口にした。

 更に、香取さんと妙高さんが続けて口を開く。

 

「佐藤元帥は、舞鶴鎮守府への異動を提案していましたね。確か、すでに近海の攻略は完了しており、今後は駆逐艦達の演習や近海警備の拠点となる予定であると……」

「大規模侵攻も無く、部下の艦娘達も、逆らった前科の無い駆逐艦達のみ。積極的に出撃する事もなく、備蓄に頭を悩ませる事もない。横須賀鎮守府で背負う事となる重責と比べて、提督の心身への負担や、危険に晒したくない立場を考えればメリットしかないですね」

「えぇ、提督の艦隊指揮能力を腐らせる事になりますが……おそらく佐藤元帥も、提督の御身体を心配していらっしゃるのでしょう……」

 

 沈黙が、私達を包み込んだ。

 佐藤元帥が提案したという事は、それはつまり、提督にとって悪くない話だという事だ。

 事実、考えれば考えるほどにメリットしか無い。

 艦隊司令部にとって警戒すべき艦娘である私達から離す事もできる。

 横須賀に比べて重責も軽く、提督への心身の負担は各段に少なくなるだろう。

 神堂家にとって貴重な男子である提督を危険に晒したくないと思う派閥がもしもあるとするならば、舞鶴であれば納得するはずだ。

 新たな提督も、佐藤元帥の目が行き届いているのならば、私達にとって悪い風にはしないだろう。

 

 悪くない。悪くないはずなのに、何故私はこんなにも、胸が締め付けられるのだろうか。

 

「――私は、提督と一緒にいたい」

 

 そう、小さく呟いたのは明石だった。

 明石はぼろぼろと大粒の涙を流しながら、その肩を震わせていた。

 

「提督と一緒に戦いたい! もっともっと提督と一緒に居たいよぉ……! でも、でも、これ以上負担はかけたくない……!」

「明石……」

「ワガママだってわかってるけど! 提督の負担になるってわかってるけど! それでも、私、私ぃ……どうしたらいいのよぉ……っ‼」

 

 明石に引っ張られるように、気が付けば夕張も、他の皆も、次々に涙を流していた。

 わかっているのだ。理解できているのだ。

 私達は皆、本音を言えば、提督に去ってなど欲しくない。

 もっともっと、一緒に居たい。

 

 ――だがそれは、決して許される事では無いのだ。

 

 最重要拠点である横須賀鎮守府の提督を務める事に、どれだけの重責を背負わねばならないのかという事。

 人間に歯向かった兵器と呼ばれる私達に囲まれた環境であるという事。

 現在進行形で重い病を患っているという事。

 この国の未来を担えるほどの、卓越した艦隊指揮能力を持った若者であるという事。

 おそらくその血筋すらも、護られなければならない立場にある御方であるという事。

 

 私達は、この方の近くにいたいと望んではいけない。

 

 あの人が、大事だからこそ、大切だからこそ、ここに居てはいけないのだ――。

 私達の近くにいてはいけないのだ――。

 

 ――瞬間。

 

 無線から――いや、少し離れた入渠施設の壁の向こうから、私達の耳に直接、提督の声が届いたのだった。

 

 

「佐藤元帥! どうか、私を横須賀鎮守府に残しては頂けないでしょうかっ!」

 

「確かに私はまだまだ至らない事ばかりです! それだけでなく、様々な事情を鑑みても、この横須賀鎮守府を任せるには不安が多いとは思います!」

 

「ですがっ! この横須賀鎮守府に着任し、艦娘達の顔を見て! 改めて思いましたっ! 私の居場所はここにしかありませんっ!」

 

「身体の調子も、もう大丈夫ですっ! 着任してからも何の症状も出ておりません! 少々の負担など、何の問題もありませんっ!」

 

「私に足りない部分は大淀を筆頭に、艦娘達が埋めてくれていますっ! 私自身もこれから更に精進していきますっ!」

 

「私はこの横須賀鎮守府に骨を埋める覚悟ですっ! 私の死に場所はここですっ! どうか、どうか、私を! 横須賀鎮守府に残して下さいッ‼ お願いしますっ! お願いしますっ!」

 

 

 ――提督が佐藤元帥に何度も何度も深く頭を下げる姿が、はっきりと脳裏に映った。

 

「う……うわぁぁああんっ! うあぁぁあんっ!」

 

 ――堰を切ったかのように、明石の子供のような鳴き声が溢れ出した。

 もはや、泣いていない者など一部を除いてほとんどいなかった。

 駆逐艦達はほぼ全員、声を上げて泣いていた。

 私も口元を押さえ、必死に嗚咽を噛み殺そうとしたが、そんな事は不可能だった。

 ぼろぼろと大粒の涙が零れ、次々に溢れ出し、嗚咽は絶え間なくこみ上げてくる。

 

 あの人は、あの御方は――。

 

 提督も理解できているのだ。

 ご自分が、この横須賀鎮守府にいるという事が、どれだけ多くの者に不安を与えているのかを。

 だが、それを知ってなお、提督はこう言って下さった――。

 

 この横須賀鎮守府に着任し、私達の顔を見て、改めて、自分の居場所はここにしかないのだと思ったのだと仰って下さった――!

 この一年間、酷い仕打ちを受け、提督という存在に不信感を持ち、当たり散らすような者もいた、そんな私達を見て、そんな私達だからこそ、一緒に戦っていきたいのだと――!

 

 何が、何が、身体の調子が大丈夫な事があろうか。

 昨夜も激痛に(さいな)まれ、つい先ほどですらも、流血していたほどだというのに、どの口が、着任してから何の症状も出ていないなどと言うのだろうか。

 今も一人孤独に苦しんでいるというのに、佐藤元帥にも、私達にもそれを隠して、少々の負担など、何の問題もないのだと、これからもそれを隠し続けて、激務をこなすつもりなのだろうか。

 

 私に足りない部分は大淀を筆頭に、艦娘達が埋めてくれているのだと。

 ここでもまた、私達艦娘の汚名返上の機会を与えてくれているのか。

 人間に歯向かった兵器、そんな私達が、提督を支えてくれているのだと、そう言って下さるのか――。

 

 提督は二つ返事で着任を決めたとの事であったが、その時にはすでに覚悟は決まっていたのだ。

 横須賀鎮守府に骨を埋める覚悟を――自分の死に場所はここだと――!

 自宅で静かに生き永らえる事よりも、この御方は、戦場で私達と共に戦い、ここで果てる事を決めていたのだ。

 厳しすぎるほどの荒唐無稽な指揮、神がかり的な艦隊運用、そしてあの暖かな優しさ。

 提督は、文字通り命を削って、私達に生きた証を残そうとしてくれているのではないか。

 こんな、こんな、私達の為に――!

 

「テートク……! ぐすっ、テートクゥ……!」

「うっ、うっ……司令……!」

「は、榛名……榛名っ、感激ですっ……ひっく、ひっく、こ、こんなに、こんなにも想ってもらえていたなんて」

「これはデータ以上の……いえ、もはやデータでは計りきれないわね……」

 

「うぉぉおお……! ひっく、筑摩っ……! グスッ、ぢぐまぁぁ……!」

「えぇ、利根姉さん……。嬉しいですね、本当に……こんなにお優しい方の下で戦えるなんて」

 

「うぇぇん……! し、司令官さん……! うぇぇえん!」

「羽黒……泣きすぎよ、グスッ」

「足柄も人の事は言えんぞ……いかんな、目にゴミが……!」

「フフ、那智もね。そして私も……でも、今、この時ばかりは……泣いていたって、誰も何も言わないわよ」

 

「香取姉……っ! 私っ、悔しい……! ひっく、グスッ、私、提督さんの力になってあげたい……! グスッ、香取姉みたいに、提督さんに頼られるようになりたいよぉ……!」

「えぇ、鹿島……きっと、なれるわ。貴女なら……」

 

 金剛型四姉妹、利根型姉妹、妙高型四姉妹、香取型姉妹――誰もが、皆、泣いていた。

 仕方が無い。こればかりは仕方が無いではないか。

 あんなにも、あんなにも熱い想いをぶつけられてしまっては――。

 

「フフフ、提督の奴、やっぱり只者じゃねぇな。この天龍様を乗りこなすには、あれくらいじゃねぇとな」

「……そうね~。天龍ちゃんとも、もっと仲良くしてもらわないとね~♪」

 

「ひっく、グスッ、せ、川内姉さん、那珂ちゃん……!」

「うん……本音を言うなら、これからも一緒に戦いたいね、あの提督と……」

「うぅっ、提督、引退しちゃダメ~! 那珂ちゃんのプロデュースは始まったばかりなんだから!」

 

 龍田さんや川内さんなど一部の艦は泣いていなかったが、それでも提督の熱い想いは、確かにその胸に火を灯していたようであった。

 提督――。

 司令官――。

 提督さん――。

 司令――。

 胸に灯った火の熱を確かめるかのように、誰もがそう呟いていた。

 

「明石、気持ちはわかるけれど……やっぱり、提督は、舞鶴に異動した方がいいと思うわ」

「うっ、うっ……夕張、わかってる。私だって、わかってる……! 提督に、生きていて欲しいから……! 死んでほしくないから……!」

「えぇ、だけど、たとえ離れてたって、提督の為に戦う事は出来るはずよ……グスッ、ほ、ほら、明石が泣き止まないと、また提督が慌てちゃうわよ」

「グスッ……うん……!」

 

「アホや……! うちらの司令官は救いようの無いアホや……! うちらの事より、自分の命が第一やろ……! 自分の身よりも、平和、艦娘……あの、アホ……!」

「……加賀さん、私、悔しいです。提督の病に対して何もできない、戦う事しかできない無力な自分が……」

「赤城さん……えぇ、そうね。だけど、私達は戦う事が出来るわ。提督が一番大切に思っている、この国の平和……いつか静かな海を取り戻す事が出来るのは、私達だけよ」

「加賀さんの言う通りですね。それこそが、戦う事しかできない私達が提督の力になる唯一の方法……頑張りましょう、瑞鶴」

「……うん、翔鶴姉。もしも本当に提督さんの命が長くないのだとするなら……せめて、その命がある内に、静かな海を取り戻すんだ!」

 

「あぁ、胸が熱いな……! 皆っ! 瑞鶴の言う通りだ! たとえ提督が横須賀鎮守府から去ったとしても! 提督の想いに報いる為、一刻も早くこの海の平和を取り戻すぞ!」

 

 長門さんの檄に、大きな歓声が上がった。

 提督の声で、私達の心に火がついた。

 信頼という名の燃え盛る炎が渦を巻き、天を焼かんばかりの勢いで今にも体中から噴き出しそうなほどであった。

 

≪……そうか。いや、わかった。君の熱意はしかと受け取ったよ。だが、この件は私の一存で決められる事では無い。これに関しては、また連絡する事にするよ≫

≪はっ、はいっ! どうかよろしくお願いしますっ!≫

 

 無線機から届いたその声から、おそらく提督の望みは叶えられないだろうと無意識に感じた。

 たとえ提督本人が望もうとも、それを良しとしない周囲の力は、提督や佐藤元帥の一存ではどうにもならない。

 いや、むしろこの件に関しては、佐藤元帥すらも、提督の意思とは一致していないだろう。

 そして、その覚悟はすでに、私達にも出来ていた。

 

 ほんの短い間だったけれど。

 貴方のような人間が、貴方のような提督がいるのだと知る事ができて本当に良かった。

 それだけで、たったの三日間で、私達は十分すぎるほどに、救われたのだ。

 

 貴方には、これからは身体に負担をかけぬよう、舞鶴で自身を労わりながら、なるべく長く生きていてほしい。

 貴方がいる、ただそれだけで――私達はどこまでも駆けて征ける。

 悲しいけれど、胸が苦しくなるけれど――。

 

 私達は全員、提督が横須賀鎮守府を去るだろうという現実をこの胸に刻んだのだった。

 

 潜入、盗聴というハイリスクな手段であったが、それに見合うだけのハイリターンを得る事が出来た。

 今回の青葉の潜入によって得られた情報はかなり大きい。

 後は、提督と佐藤元帥が出てきた後に、青葉が気付かれる事なく脱衣所から抜け出せば作戦終了だ。

 もしも青葉の存在がバレてしまったら、元帥命令にさっそく背いて私達が詮索していた事がバレてしまったら、想像したくも無い、最悪の事態に――。

 

 瞬間。

 

『ひゃっ……ひゃああああああっ⁉』

 

 ――青葉の甲高い悲鳴が、無線機と、脱衣所の壁の向こうから、同時に聞こえてきたのだった。

 




お待たせいたしました。
ようやく冬イベが終わりましたね。
私は今回は諸事情によりほとんど掘りができませんでしたが、地味に谷風をお迎えできたのが嬉しかったです。
乙改なるものが実装される磯風も早くお迎えしたいのですが、しばらく無理そうです。
提督の皆さん、お疲れ様でした。


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038.『浴場』【提督視点①】

 デカアァァァァァいッ! 説明不要!

 浴場に足を踏み入れ、雑談している間にも、佐藤さんの言葉が何も頭に入らなかった。

 つーか佐藤さんのナニの事しか頭に入らなかった。

 それは主砲というにはあまりにも大きすぎた。

 大きく分厚く重くそして大雑把すぎた。それは正に鉄塊だった。

 はぇ~、すっごい大きい……。

 

「それにしても、一晩であんなに書類を処理したんだね。無理はしていないかい?」

「イ、イエ……」

「それにしては元気が無いが……疲れが溜まっているんじゃないのかい」

 

 元気が無いのはアンタのせいである。

 どういう事だ。俺の想定を遥かに超えるあの巨大な主砲は……。

 俺の股間の主砲を12cm単装砲だとするならば、佐藤さんのそれは51cm単装砲……⁉

 仮に俺の娘艦(こかん)を『信頼(ヴェールヌイ)』と名付けるならば、佐藤さんのそれは『十月革命(オクチャブリスカヤ・レヴォリューツィヤ)』……⁉

 俺の中の常識にとって革命的すぎんぞ……⁉ 佐藤さんブルジョワすぎる……! 俺のはどう考えてもプロレタリアート……凹む。

 いや、むしろ俺の駆逐艦(destroyer)に対して佐藤さんのそれは完全生命体の方のデストロイア(destroyah)……⁉

 本物の怪獣ではないか。俺の小美人では万に一つも勝ち目が無ェ……!

 混乱する頭で佐藤さんとの雑談を何とか繋ぐ。

 

「イ、イエ、全然……大淀がしっかり下準備していてくれましたし、鳳翔さんが徹夜で手伝ってくれたので」

「そうか、鳳翔くんが……懐かしいな。艦娘や深海棲艦についてまだわからない事だらけだった頃、彼女は私の秘書艦を務めていてくれたんだよ」

「ソ、ソウナンデスネ……」

 

 佐藤さんの昔話にも興味はあったが、俺の頭はそれどころではなかった。

 何を食ったらそんなに育つのだ。それは俺のと同じ器官なのか。

 佐藤さんのそれはさながら重戦車。例えるなら鋼鉄のブルーウォーリア! ツエーイ!

 一方、俺のそれはまるで脱兎のごとき逃げ足にしか定評の無い子兎だ。早漏(ハエ)ーイ……。

 あれこそが日本人の平均だとでも言うのか……⁉

 馬鹿な……こんなレベルの一物は俺も見た覚えが無い――いや、どこかで見たような――。

 

 ――不意に、俺の脳裏にとある薄い本の内容がフラッシュバックした。

 オータムクラウド先生の作品では無いが、俺の自室の段ボール箱(パンドラボックス)の中に今も厳重に封印されているはずだ。

 前後編で構成されており、前編の内容は股間の小さい新米提督が、着任先のお姉さん系の艦娘達とイチャラブハーレムを形成するというものだった。

 メインで描かれているのも間宮さんや香取姉、妙高さん、翔鶴姉に千歳お姉などなど、俺好みの艦娘ばかりであった。

 俺の性癖にベストマッチの作品だと舞い上がり、主人公にすっかり感情移入した俺は、喜び勇んで後編を購入した。

 

 その後編で、主人公の新米提督は艦隊司令部の指示により急遽別の鎮守府へ異動となり――そしてその間に巨根のチャラい後任提督や上官のオッサンに次々と堕とされ、寝取られていく艦娘達の姿を見て、俺は殺虫剤を振りかけられた虫のごとく手足をバタバタさせながら床の上をのた打ち回るほど悶え苦しみ、号泣しながら死ぬほど抜いた。

 

 非人道的……あまりに悪魔的所業……予告無しでの寝取られ展開‼

 寝取られ耐性の無い俺にはキツすぎる内容だった。

 あまりのショックに数日間食欲が無くなり、夜は眠れなくなり、体重は数キロ落ち、抜きすぎて精気は無くなり、その時の俺の落ち込みっぷりは、妹達が四人揃って「悩みがあるなら聞くから」と心配してくれたくらいだ。

 現物を見せながら素直に相談したら四方向から同時にぶん殴られた。

 

『提督のじゃ届かなかったのぉ!』という台詞は今でもたまに夢に見てうなされる。

 妹達からも、最近寝ている俺がたまにうなされながら『届いて! もう少しだから!』などと叫ぶ事があると気味悪がられた事がある。

 股間にコンプレックスを持つ俺には、今でも深いトラウマになっていた。凹む。

 

 い、いや、落ち着こう。あんなものが日本人の平均であるはずがない。

 あれはもう日本人のナニじゃない。あれは別の何処かから来た(ナニカ)だ。

 佐藤さんの股間(ここ)は……デカすぎる……‼

 

 佐藤さんだけが規格外で、まだ日本人の多数が俺レベルである可能性もあると信じよう。

 そうとでも考えないと俺はもう劣等感で死んでしまいそうだ。

 

 ここは気持ちを切り替えねば。

 股間にコンプレックスを持つこの俺だ。職場旅行など何かの間違いで、職場の人達などと温泉に行かねばならなくなる場合もすでに想定済みだった。

 強制的に股間を見られ、比較され、恥をかく事になるであろう事も予測できていた。

 そんな時の為に、股間の小ささを誤魔化す為の能力もすでに日頃の修行で開発済みだ。

 俺の先見の明がこんなところで役に立つとは……。

 ここは金剛……いや、困った時の天龍ちゃん! 行くぜ!

 

 俺は昨日の天乳ちゃんの感触を脳内で具現化する事で、股間にオーラ的な何かを集中した。

 脳内具現化系、股間強化系、股間変化系、股間操作系、股間から放出系の五系統を同時かつ精密に発動する高等技術……!

 適度にエロい事を考えて股間を戦闘体勢に持っていきつつ制御する事で、少しだけ大きい状態に留める……!

 制御する限度はフル改装状態の半分(約1.5倍)までで十分……‼(つーかこれが限界)

 これにより俺の小口径主砲を中口径主砲へ装備改修!

 俺の残(ネン)能力の一つ『見栄っ張りな嘘(ボッキリテクスチャー)』……! 発動‼

 またの名を半勃ちと言います。

 

 一歩間違って戦闘体勢に入ってしまったらゲイと間違えられかねない諸刃の剣……!

 縮こまった状態を脱し、かつ戦闘体勢に入らない精密操作……お前ならば出来るはず……!

 信頼してるぞ、同志ヴェールヌイ……!

 俺の呼びかけも空しく、股間は一向にでっかくならず、縮こまったままであった。

 そんな……同志……⁉

 

 駄目だ。佐藤さんの股間から受けたショックですっかり塞ぎこんでいるようだ。

 マラショー()、敗北感を感じる……。

 改修に失敗しました……‼ 凹む。

 く、くそっ……み、見たけりゃ見せてやるよ(震え声)

 

 俺の気も知らず機嫌良さそうに朗らかな笑みを浮かべる佐藤さんの隣の洗い場に、諦めて俺も腰かけた。

 しかし、一向に俺を叱りつけるような気配が無いな……。

 説教を喰らうと思っていたのだが、もしかして俺の勘違いだったのだろうか。

 それならば何故さっきはあんなにも真剣な顔を……。

 そんな事を考えながら、備え付けのシャンプーと石鹸で頭と身体を洗う。

 ついでに髭も剃りたいが……。

 

『提督さん、あったよ。剃刀が』

 

 よし、でかした! ……じゃねーよ。何当たり前みたいに入ってきてんだ。

 脱衣所の隅に放り投げたグレムリン共がいつのまにか洗い場にいた。

 ご丁寧に身体にタオルを巻いているのが妙にムカつく。

 いつの間にか目の前に置かれていた剃刀を手に取って眺めていると、佐藤さんが声をかけてきた。

 

「あれっ、神堂くん。そこに剃刀なんて置いてなかったよね」

「え、えぇ。妖精さんが持ってきてくれたみたいで……」

「えぇっ⁉ き、君についてきているのかい?」

「は、はぁ……追い出しましょうか」

「い、いや。私には見えないから……」

 

 佐藤さんは身体を洗いながら、何やら考え込んでいるようだ。

 俺の方から話を切り出すのも変なので、俺も無言で身体を洗う。

 駄目だ、無心になろうと考えても、チラチラと佐藤さんのナニを見てしまう。アカン()これデカイ()

 やがて、頭と身体を洗い終え、佐藤さんは湯船に浸かりながら口を開いた。

 ついに個別面談のスタートである。

 たとえ叱られないとしても、油断はできん……気をつけねば。

 

「はは、しかしようやく気が抜けるよ。さっきまで油断が出来なかったものでね」

「ハ、ハイ……」

「報告書に目は通しているが……いやぁ、初日から大変だったね」

「ハイ」

「提督印が押してあったから当然だろうが、君も報告書には目を通したんだよね?」 

「エッ――アッハイ、と、当然です!」

 

 い、いかん。股間の事ばかり考えている場合では無かった。

 こんな事を聞くという事は、佐藤さんは俺が報告書に目を通していないのではと疑っている――⁉

 ず、図星ではないか。マズイ……!

 これでは早速仕事をしていないクズだという事がバレてしまう……!

 思わず反射的に嘘をついてしまったが、疑われないだろうか……?

 い、いや、最初の部分だけは目を通したしな。完全に嘘という訳でも無い……。

 

 佐藤さんはしばらく考え込んだ後に、言葉を続ける。

 

「あの夜戦に関する一連の出撃については、君が指揮したのかい?」

「アイヤー、ソ、ソノ、佐藤元帥に頂いた本のチュートリアルを参考に、自分なりに頑張ってみたのですが、その、金剛を建造できた以外は上手くいかず……最後には艦娘達だけで話し合って、出撃していきました……。夜戦の指揮をしたのは長門です……全ては私の力不足で……」

「ふむ、やはりか。大淀くんの報告書には、あたかも君が全ての指揮をしたかのような記載がされていたんだが……それはどういう事だい?」

 

 ……何?

 どういう事だ。最速で状況を整理しろ。

 股間の事はもう忘れて、今はこの状況を切り抜ける事だけを考えねば。

 大淀の報告書に俺はほとんど目を通していないが、佐藤さんの言によると、俺が全ての指揮をしたかのように記載をしていたと……。

 俺の想像とは違う。大淀にとって俺は都合のいい傀儡であり駒程度のものでしかないのだから、てっきり悪行の数々をチクられているものかと……。

 そういえば、佐藤さんも全然怒っているようには見えないし……いや、それは大淀がうまく説明を――。

 

 そ、そうか! そういう事か! 流石は大淀……! 俺の為、いや違う、これは横須賀鎮守府の為に……!

 キングコング(猿王)長門やホークアイ(鷹の目)加賀、マッドドッグ(狂犬)那智などは、佐藤さんに俺が頼りにならないクソ提督であるという事を伝えようとしていたのかもしれないが、もしや大淀はそれを止めようとしてくれていたのではないか。

 大淀にとっては、俺が提督である方が傀儡とするには都合が良い。そういう事ではなかろうか。

 いい奴の龍驤、対ドスケベサキュバスの護衛を申し出てくれた神通、忠誠を誓ってくれたらしい磯風がやはり数少ない俺の味方であり、大淀はそれらと共に俺を擁護してくれたのだとすれば、三対四の多数決で、何とかあの桃太郎のお供を邪悪に強化したような三匹を押さえつけられる。

 

 もしも大淀があまりに駄目すぎる俺を追い出したいのならば、金剛のビーチクはお任せくださいなどとは言わないだろうし、明石や夕張も協力しないだろう。

 むしろ俺が駄目すぎるが故に都合が良い事があるのかもしれん。

 大淀のする事に間違いは無いはずだ。俺はオータムクラウド先生から鎮守府の黒幕と称される大淀の頭脳を信じている。

 ならば、大淀が報告書に記載していたという、俺が全ての指揮をしたかのような虚偽の報告も、大淀が横須賀鎮守府をスムーズに運営する為に必要な事なのだろう。

 この俺が大淀の足を引っ張るわけにはいかん。下手をしたら都合が良い傀儡とはいえ切り捨てられる可能性も十分にある。

 よし、そうなれば大淀が黒幕として暗躍しているという部分は隠しつつ、俺の考えを語れば間違いは無いだろう。

 

「その、ここだけの話ですが。一応、私はまだ素人だという事はバラしていないんですが……多分察しのいい数人にはバレてると思うんです」

「ふむ。まぁ、仕方の無い事かもしれないな。今思えば君には無理を言ってしまったが……ん? 全員にはバレていないのかい?」

「おそらく……。少なくともすでに大淀や長門、それに瑞鶴などにはバレていると思うのですが……大淀は、混乱を避ける為に私のフォローをしてくれているのだと私は考えています」

「ほう、なるほど……そういう事か……。大淀くんからそれを申し出たわけでは無いんだね?」

「はい。私からバラすわけにもいきませんし、おそらく大淀も気を遣ってくれているのだと……」

「そうか……そういう形になったか……」

 

 佐藤さんはまた再び考え込んでしまった。

 艦娘達に素人だとバレてはいけないという任務に初日から失敗した俺であったが、そんな駄目な俺を責める様子は無い。

 まぁ、佐藤さんも自覚しているようだが、かなり無理のある任務だったからな……。

 かと言って自分から言い出す事もできないし、開き直る訳にもいかんから演技を続けるしかないのだが……。

 またしばらく沈黙が続いた後に、佐藤さんは小さく息を吐いて、言ったのだった。

 

「いや、大体わかった。君がここの提督になってくれて、本当に助かったよ。ありがとう」

「い、いえ。私は何も」

「謙遜する事は無い。あの夜の大戦果は勲章ものだよ。おそらく近いうちに、君の功績を称えて勲章が与えられるだろう」

「えぇっ⁉」

 

 く、勲章ものなの⁉ まだ鎮守府近海しか出撃してないよ⁉

 報告書もチラッとして見てないからよく覚えてないけど、駆逐イ級とかそれ以下の鬼とか姫とかしかいなかったよ⁉

 深海棲艦は艦種や強さごとにいろは順で名付けられているらしいが、俺は「いろはにほへと、ちりぬるを」までしか知らない……。

 そういえば確か報告書の中にワ級とかいうのがいたような……艦種までは覚えていないがそいつが結構強かったのだろうか……?

 少なくとも俺が知る限り最強であろうヲ級よりも強いのだろうし……。

 

 ともかく鎮守府近海で勲章ものの大戦果とか、い、意外と勲章のハードル低いな!

 それとも素人である俺への初回サービス的なものなのだろうか……。いや、そういうのがあるのかは知らんが……。

 案外ノリで適当に決めているのではないだろうか。「おっ、一晩中夜戦とは頑張ってるなぁ。これって勲章ですよ」みたいな感じで……。

 しかし俺はあの夜戦に全く関わって無いというか、むしろ俺の歓迎会よりも優先して長門が仕切ったというか……。

 

 そ、そうだ。落ち着いて考えてみろ。

 あの夜戦の戦果が勲章ものだったとして、その功績はどう考えても艦娘達、さらに強いて言えば仕切った長門にある。

 間違っても、無関係の俺が貰えるものでは無い。

 俺はあの日、誰も歓迎会に参加してくれなかったショックで号泣していただけではないか。

 いわば俺は今回の大戦果とは最も対極にある存在だ。

 だというのに、部下の功績を横取りして、無能な上司の俺が勲章なんて貰ってみろ。

 黒鋼(くろがね)のマッスルモンスター・ゴリラゴリラ、じゃなかったナガトナガトが黙ってはいない。ヤベーイ! ウッホホーイ!

 

 い、いかん! 今の俺にとってこれは罠だ!

 佐藤さんにそんなつもりは無いのだろうが、この勲章を受け取ってしまったら、長門達からの印象が更に悪くなる可能性大!

 元々勲章などに興味は無い。大事なのは艦娘達からの好感度だ。

 俺にとって大した価値の無い勲章などよりも、夢の艦娘ハーレムを優先せねば!

 ここは丁重に辞退させて頂いて――。

 

 ――瞬間。俺の脳内に神の一手が舞い降りた。

 用意された巧妙な罠を逆手に取り反撃に出る、まさに一転攻勢、起死回生の一手!

 これだ! 一石二鳥! ピンチはチャンス! このチャンスを生かして艦娘達からの好感度を稼ぐ!

 佐藤さんの用意してくれたこの絶好の好機、やはりありがたく頂こうではありませんか! オッスお願いしまーす!

 俺は佐藤さんに向けてキリッとした表情で口を開いた。

 

「いえ、佐藤元帥。身に余る光栄な事なのですが、辞退させて頂くというのは可能でしょうか」

「えぇっ⁉ ど、どうしてだい」

「あの戦いは、私は何もしておりません。頑張ったのは艦娘達です」

「君の言う事も理解はできるが……自分達の提督が勲章を貰うという事は、彼女達にとっても誇らしい事だと思うよ」

「そうかもしれませんが……今回は勲章を辞退する代わりに、私のお願いを聞いて頂けないかと」

「ほう。何だい?」

「彼女達の為に、何とか資材を融通して頂けないでしょうか」

 

 そう、先ほど利根から聞いていたが、現在この横須賀鎮守府は資材が枯渇の危機にある。

 その原因の一つは、俺が何も考えずにチュートリアルで金剛を建造した事にある事は言うまでも無い。

 燃費の悪い正規空母四人を含む空母六人での出撃や、それをフォローする為の千歳お姉達の無用な出撃も原因の一つであろう。

 俺が長門のカリスマに勝てなかった事による、その後の艦娘全員による夜通しの夜戦もあり、現在、大淀はこのクソ提督によって引き起こされた資材の危機(オイルショック)を何とかするべく、遠征作戦を指揮してくれている。ダンケ。

 

 資材が不足しては、艦娘達は戦えない。

 燃料が足りないと、海に出る事が出来ない。

 弾薬が足りないと、砲撃が出来ない。

 鋼材が足りないと、損傷を修復する事が出来ない。

 ボーキサイトが足りないと、艦載機を飛ばせない。

 資材は正に、艦娘達にとっての生命線。

 今頃、大淀や他の皆も備蓄の回復の為にてんてこ舞いであろう。

 

 ここで俺が颯爽と登場! 俺の唯一の人脈である佐藤さんというコネを使って資材を調達!

 備蓄量の回復と共に俺への信頼も回復!

 鎮守府の危機を救った俺への好感度も急上昇!

 資材が回復すれば、安心して出撃は勿論、装備開発や建造をする余裕も生まれるだろう。

 それにより艦娘達に心の余裕が出来る事で、運が良ければ我、夜戦に突入す! 夜の性感帯開発! ゆくゆくはハーレム建造も可能に――⁉

 

 海老で鯛を釣るならぬ、勲章で資材を得る!

 わらしべ長者のごとく、勲章が資材へ、資材が信頼へ、信頼がハーレムへと繋がるであろう。

 初日で失った信頼を回復できる完璧な作戦ではないか。自分の才能が怖い……。

 いや、そもそも資材の枯渇の原因はほとんど俺にあると思われるのだが……。

 自分で問題を起こし、自分で解決する事で賞賛を得る。

 これをマッチポンプと言います。まぁ多少はね? 備蓄の回復の為だしね?

 

 佐藤さんはしばし考えた後に、ゆっくりと口を開いた。

 

「……ふむ、なるほど。報告書を見た限り、確かに備蓄に余裕は無かったね。ならば迅速に、という事か」

「はい。出来得る限り、大至急で」

「わかった。君への勲章の辞退が認められるかはともかく、艦娘達の功績を称える事と、資材に関しては私が何とかする事を約束しよう」

「ほ、本当ですか⁉ ありがとうございます! 助かります!」

「何、他ならぬ君のお願いだからね。無下に断るわけにもいかないよ。それにしても、勲章よりも艦娘達への資材を優先するとは……」

「勲章なら、昨夜暁に貰いましたからね。何よりの宝物です」

 

 それは俺の本心であった。

 何せ、間宮さんの温もりが込められている折り紙だ。

 神堂家の家宝決定の代物である。

 俺にとっては本物の勲章よりも価値があると言っても過言では無い。

 たとえ見た目が勲章に見えなくとも、大事なのは見た目ではなく中身なのだ。

 俺の言葉に、佐藤さんも愉快そうに笑ったのだった。

 

「ハハハ、そうか。その調子で、皆と仲良くしてもらえると嬉しいよ。ところで、身体の具合はどうだい?」

「……身体、ですか?」

「あぁ、君の身の上を簡単に調査したのだが……この一年間は、心身を病んで自宅療養中だったのだろう?」

 

 身の上調査だと……そうか、どこの馬の骨かもわからん奴に艦娘達を任せるわけにもいかないからな。

 俺には無縁の世界だが、過激な思想を持つ輩だの、本人や身内が犯罪者だったりするとやはりマズいのだろう。

 ならば一応犯罪になるような悪い事だけはせず、清く正しく真面目に生きてきた俺ならば大丈夫だろう。

 かつて色欲童帝が降臨した際、身体を張って四人がかりで外への被害を食い止めてくれた妹達に感謝だ。

 もしも玄関を突破していたら、俺には間違いなく前科がついていただろう。

 しかし、やましい事があるわけでもないが、俺達の家庭環境とかはあまり人に話したい事でも無いのだが……千鶴ちゃん辺りが対応してくれたのかな。

 

 一年前、俺は出勤途中で突然意識を失って道端にぶっ倒れた。らしい。目撃者の話によれば。

 気が付いたら病院のベッドの上で、俺は何も覚えていなかったのだ。

 今思えば、あの時は俺も自分で信じられないくらい無気力になっていたからな……。

 俺が豆腐メンタルなのは知っていたが、まさか長年のストレスが原因だの、職場環境が何だの、鬱だの何だのと病名までつけられるとは思わなかった。

 

 妹達に泣きながら促されて、流れるように仕事を辞めて一時期は死んだように生きていたし、家事をする気にもなれず、働く気にもなれず、何をすればいいのかわからなくて酒に溺れる真似事をしてみた事もあった。

 いや、その結果シココ・フルティンコなる化け物が産声を上げたわけだが、それはともかく、オータムクラウド先生の作品に出会ってからは性器に精気を、もとい生気を取り戻せた。

 何をしても生きる気力を取り戻せなかった俺に艦娘の魅力を伝え、再び蘇らせてくれたのが、オータムクラウド先生という訳である。

 そのおかげで今ではすっかりオ〇ニー狂いの駄目人間になってしまったわけだが、死んだように生きていたあの頃に比べれば、艦娘ハーレムを夢見る今の方が確実に生きているという実感があるだけまだマシなのかもしれない。

 反抗期を迎えた妹達にめちゃくちゃ軽蔑された目で見られているのは凹むのだが。

 

 そんなわけで、確かに一時期はメンタルが原因で身体にも不調が出てしまったが、今はもう大丈夫だ。

 むしろその後寝取られ物を読んだダメージの方が確実にメンタルに深い傷を負わせたような気がする。

 今は身体も至って健康であるし、毎年夏風邪にはよく罹るものの、冬には風邪やインフルエンザに罹った経験は無いというのは小さな自慢だ。

 不調と言えば、強いていうなら股間のヴェールヌイが常時バルジを装備して放してくれない事くらいか。

 いや、それは病気ではないが、最悪の場合、手術を考えている事は事実だ。

 俺はチラッ、とお湯の中の佐藤さんの股間に目をやった。

 く、くそっ、佐藤さんのような状態が普通だというのか……⁉ 俺は戦闘体勢になって更に手動でようやくバルジをキャストオフ出来るというのに……!

 

「提督の仕事は激務だからね。せっかく調子が戻ってきていた君の体にまた負担が掛かったらと……」

「い、いえ……最悪の場合は手術を……」

「? 手術して治る病では無いだろう、君の病は」

「そ、そうですね……」

 

 い、いかん……佐藤さんの話と全く関係の無い悩みが口に出てしまった。凹む。

 佐藤さんはメンタル面を気にしているのに、何で俺はバルジの事を気にしているんだ。

 真面目な話をしているのだ。俺も真剣に、ふざけた事は考えないようにしなくては。

 

 しかし、他ならぬ君の、と言って快く引き受けてくれたが、何故佐藤さんはこんなにも俺に優しいのだろうか……。

 初日から任務にも失敗してるし、素人である事がバレたらこの国は滅びるかもしれないとまで言われていたのに。

 たとえ俺が素人だとしても、二つ返事で引き受けてしまった俺に責任はあるのだから、激怒されても仕方が無いと思うのだが……。

 ただ優しい性格であるだとか、人間が出来ているだとかで、ここまで寛大になれるものだろうか。

 俺の直感だが、無知な俺が知らないだけで、なんとなくこの裏でシリアスな展開が繰り広げられているような気がする……。

 俺はふと気になって、恐る恐る佐藤さんに問うたのだった。

 

「あの、佐藤元帥。何故、私にここまで良くして下さるのでしょうか」

 

 俺の言葉に、佐藤さんは少し考え込み、そして火照った顔を俺に向けた。

 瞬間、俺の背筋に寒気がよぎる。

 佐藤さんは優しく微笑みながら、がしりと俺の両肩を掴んだのだった。

 

「何を言っているんだ。最初に話した通り、君を支えるのが私の仕事だ。……だがそれとは別に……私はね、君の事が大好きなんだよ」

「エッ」

 

 …………ファッ⁉

 き、聞き間違いかな?

 今、二十六年間の人生での初告白をオッサンから頂いたような気がしたのだが。

 エッ、今、確かに「お前のことが好きだったんだよ」って……。

 ちょ、ちょっと待て。佐藤さん、もしや俺に優しかったのは――⁉

 

「君の身の上を見て、私は男として君に惚れてしまったんだ。若い内に両親を亡くし、唯一の男手ひとつで妹四人を支える為に彼女も作らずに……感動したよ。そんな感心な若者を支えてあげたいと思ったんだ。君さえよければ、プライベートでも付き合っていきたいくらいだ」

 

 アウトォォォオオオッ‼

 決定! 佐藤さん、まさかのゲイ!

 俺の失態を色々大目に見てくれていたのは、男として俺に惚れたから――!

 シリアス展開ならぬ尻アヌス展開――⁉

 駄目だ。何か色々褒めてくれていたが、「彼女も作らずに」という部分しか頭に残らなかった。

 そこ重要!? えっ、そんなん関係無いでしょ⁉

 いや二十六年間彼女作らなかったのは俺が女性に興味無いからじゃないよ⁉

 普通に興味あるけどモテなかっただけだよ⁉ 凹む。

 どこに食いついてんの⁉ 何だこのオッサン⁉ もしや俺にもゲイの素質があると――⁉

 い、いかん! そう言えば俺はさっきから佐藤さんの股間をチラチラと盗み見ていた……!

「お前さっきからチラチラ見てただろ」なんて言われても否定できねェ……!

 くそっ、「まずうちさぁ……大浴場あんだけど……入ってかない?」みたいな事を言い出した時に警戒すべきだった……!

 俺を風呂に誘った時に見せたあのぎらついた野獣の眼光……!

 言わばこの状況は昨日の歓迎会に引き続き漢ゲイ界という事か……!

 

 なんてこった……! まさか俺の正体を知る唯一の頼れる味方だと思っていた佐藤さんがゲイだったとは……!

 ハハッ、まさにゲイがミーを助けるってやかましいわ! 全然笑えねぇ!

 ちょ、ちょっと待て! ゲイという事は当然ながら男同士のプレイを想定しているわけで……!

 プ、プライベートでも付き合っていきたいとは、まさかお突き合いのお誘い――⁉

 やはり今もマリアナならぬ俺のシリアナ海域攻略作戦が着々と進行中――⁉

 最終的には佐藤さんのナニが潤動! 俺と二人でファンキーマッチ! 合体してアナルブロス(尻穴兄弟)に――⁉

 じょ、冗談じゃねェ! 佐藤さんの股間を見ただけで、俺の本能が即座に答えを出した。

 あんなモンぶち込まれたらサケル! サケルガ! オレノ・アナルガ!

 

 やべぇよ……やべぇよ……!

 俺の両肩を掴む腕はまるで万力のようだ。

 力ずくで振りほどける気がしない……!

 よく見たら佐藤さんめっちゃムキムキではないか。

 俺の細腕では勝てるはずも無い。

 今の俺は負ける気しかしねェ!

 漁師の網に捕らえられ蹂躙される姫級深海棲艦達の気持ちが少しだけ理解できたような気がした。

 む、無理やりはいけないと思います!

 し、しかし男同士、密室、全裸。何も起きないはずがなく――⁉

 

「いいかい。艦娘達への建前上、彼女達の前では元帥と提督として振舞ってもらう。しかし、君だけは提督の中でただ一人、事情が違う。君が望むなら私は君の手足となって、いつだって陰から全力で支えるつもりだ。遠慮しないでくれ」

「ア、アリガトウゴザイマス……アッ、サッキカラ携帯鳴ッテマスヨ」

「ふむ、本当だね。山田くんかな……済まない、ちょっと出てくるよ」

「ハイ。ゴユックリ」

 

 タイミングよく電話がなったのは神の恵みだろうか。

 佐藤さんが脱衣所に電話をしに出て行った隙に、俺は頭をフル回転させる。

 ふ、不覚……! こんな事ならば佐藤さんに資材とかお願いしなければよかった……!

 これ以上借りを作ったらマジでケツを差し出さねばならない可能性が……!

 すいません許して下さい! 何でもしますから! いや何でもはイカン……!

「ん? 今何でもするって言ったよね?」などと言われてしまったら終わりだ……! 言葉は選ばねば……!

 何で童貞を捨てる事だけじゃなく後ろの処女を守る事に悩まねばならんのか……!

 提督として着任してから、神は何でこう俺に試練を与え続けるのだ……⁉

 つーか恵みと試練を交互に与えられ、神の掌の上で滑稽に踊らされているような気がする……!

 

 同志大淀! 早く俺をタシュケント!

 駄目だ、肝心な時に限って俺の近くにいない事に定評のある大淀はこういう時は大概当てにならん。

 自分のケツは自分で守護(まも)らねば……!

 いや、ケツだけではなくドスケベサキュバス鹿島の夜襲に対して前門(股間)の、佐藤さんに対して後門(肛門)の守りを固める必要がある。

 わ、私が(前後)を守るんだから!

 

 とにかく佐藤さんが戻って来るまでの数分、いや多く見積もって数十秒で、何とかして尻を差し出さなくてもよい作戦を練らねば……!

 いつの間にか目覚めた俺の『下ネタを出す者(アンダー・トーカー)』の能力ならば数秒あればイケるはず……!

 この力はあらゆる問題に対して即座に下ネタが出るというものである。

 いや下ネタじゃなくて答えを出さねば……! 落ちケツ……いや落ち着け……!

 俺の天才的頭脳でこの絶望的な状況を乗り切る解ケツ策、いや解決策を導くのだ……!

 馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前……!

 

 俺はすぅぅ、と大きく息を吸った。

 さぁ、実験を始めようか……――よし! 閃いた! ゆけっ、金剛型戦艦三番艦、榛名! 君に決めた!

 お前に隠されたポテンシャル、俺でなきゃ見逃しちゃうね。

 

 Haruna → H aruna → anaru H → アナルH‼

 

 つまり口癖の「えぇ、榛名は大丈夫です!」は「えぇ、アナルHは大丈夫です!」となり、アナル適正がある可能性が――⁉

 いや駄目だ……ゲイの方々は男と交わる手段としてケツを選択しているだけであり、ケツで致す事が目的では無い……!

 手段と目的をはき違えては駄目だ……! つーかアナル適正って何だ。

 ケツはあくまでも手段であり、目的は男である事だから……該当者が俺しかいねェーーッ⁉

 

 い、いや! 幸いな事に横須賀鎮守府には数少ない男の艦娘である春日丸と水無月がいるではないか!

 これぞ神の御導き!

 歴史には全然詳しくないが戦国時代とかには美少年とのそういう風習もあったそうだし、二人を俺の代わりの生贄に差し出して――!

 し、しかし佐藤さんの51cm単装砲……あの軽空母と駆逐艦の小さな体で耐えられるだろうか……。

 一撃大破……いや、下手したら一撃で轟沈も……。

 流石に可哀そうだ……。俺が難を逃れる為とはいえ子供をそんな目に会わせるのは罪悪感が……。

 こ、この案はボツにしよう……うん。

 それに佐藤さんも男なら誰でもいいわけではなくて、普通にショタは対象外で適齢の俺にターゲットを定めているとしたら……やっぱり俺しかいねェーーッ⁉

 駄目だ、万策尽きた……チェックメイトだ!

 

 く、くそっ! こうなれば最終手段! ポジティブだ。ポジティブに考えよう。

 俺の十八番(おはこ)である発想の転換! つまりこの試練は逃れられるものではなく必要経費であると考えるのだ。

 錬金術の基本は「等価交換」! 何かを得ようとするならそれと同等の代価が必要なのである。

 今、俺の中で真理の扉ならぬ尻の扉が開かれた。

 先日艦娘達が戦い、勝利する為に大量の資材を消費したように、艦娘ハーレムの為にはケツを捧げる必要がある。

 夢を叶える為には少々の代償はつきものだ。

 痛み無くして得るもの無し!

 最終的に艦娘ハーレムの夢を叶える為ならば、佐藤さんにケツを差し出すのもホンモォ(┌(┌^o^)┐)……いや本望!

 よし、このポジティブシンキングで自分を鼓舞して乗り切るしかねェ!

 覚悟を決めろ! 神堂貞男ッ‼

 

 何でも出来る! 何でもなれる!

 輝く未来(艦娘ハーレム)を~……抱きしめて!

 フレッフレッ貞男! フレッフレッ私!

 いっくよー!

 

 諦めんなよ! 諦めんなよお前‼

 どうしてそこでやめるんだ、そこで!

 もう少し頑張ってみろよ!

 駄目駄目駄目! 諦めたら!

 艦娘の事思えよ、叶えたい夢(艦娘ハーレム)の事思ってみろって!

 あともうちょっとのところなんだから!

 言い訳してるんじゃないですか⁉

 出来ない事、無理だって、諦めてるんじゃないですか⁉

 駄目だ駄目だ! 諦めちゃ駄目だ!

 出来る、出来る! 絶対に出来るんだから!

 何を躊躇(ためら)ってる⁉ お前には守るもの(艦娘ハーレム)があるんじゃないのか⁉

 自分が叶えたい夢の為に戦うんじゃないのか⁉

 それとも全部嘘だったのか⁉

 Are you ready? ……って無理に決まってんだろ! ポジティブシンキングにも流石に限度があるわ!

 艦娘ハーレムの為とはいえ、想像してみろや!

 あの突き穿つ股間の槍(ゲイ・ボルグ)が無理やりぶち込まれたらどうなるか‼

 アナルが割れる! 佐藤さんに食われる! 後ろの処女が砕け散るゥ! オーラァア‼

 だからァ! お尻はやめてって言ってるのにィ! もうやだやだァ!

 これ以上私にどうしろと言うのですか!

 ぬわぁぁああん疲れたもぉぉおん‼

 

 俺が万策どころか一つの策すら編み出せずに無様にもがいていた所で、脱衣所の扉がガラガラと開いた。

 アーーッ⁉ ここで無情のタイムアップ!

 小便は済ませてない!

 神様(文月)にお祈り!

 部屋の隅でガタガタ震えて命乞いする心の準備はOK!

 

 白目を剥いて半笑いで震えていた俺であったが、意外にも佐藤さんは再び浴場に足を踏み出さなかった。

 それどころか、何やら急用が出来たから急いで帰らねばならないなどと言うではないか。

 よ、よっしゃラッキー! もしかして俺は宇宙一ラッキーな男なのではないだろうか。

 すでに身体を拭き、着替え始めている佐藤さんに置いていかれぬよう、俺も慌てて湯船から上がった。

 一刻も早くこの閉鎖空間(漢ゲイ界)から脱出し、佐藤さんを丁重にお見送りせねば。

 

 身体を拭き、パンツとズボンを履いたところで、着替え終えた佐藤さんがスッと近づいて、耳元に口を近づけてきた。

 一瞬力ずくで唇を奪われるのを覚悟したが、佐藤さんは声を潜めて、こう言ったのだった。

 

「神堂くん……急な事だが、状況が変わった。つい先ほど、新たな提督候補が現れたらしい」

「エッ」

「艦隊司令部の職員でね。私の印象では、君より年下だが、礼儀正しく、友人も多く、人望もある好青年だよ。背も高くて、男女問わず好かれる男だ。スポーツも万能、成績も優秀で、艦隊運用の知識も申し分ない」

 

 ……なるほど、佐藤さんが帰らねばならなくなった急用とはこれか。

 新たな提督候補……俺より若く、礼儀正しく、友人も多く、人望もあり、背も高くて、男女問わず好かれ、スポーツ万能、成績優秀……。

 素人の俺とは違って艦隊運用の知識もしっかり持っている……な、何一つ勝てねェ……。

 俺の完全な上位互換ではないか。

 いや、下手したら互換どころか陰と陽のごとく全く異なる存在なのではないか。

 いわゆる陰キャと陽キャ、リア充と非リアと呼ばれるような……。

 それはまさしく月とスッポン。さっきまで俺はスッポンポン。いや何の話だ。

 混乱している場合では無い。そ、そうなると、アレッ、俺がここにいる意味って……エッ。

 

「そ、それでは私はお役御免という事でしょうか……」

「いや。太平洋側の守りを強化すべく、新たに呉鎮守府を置く事が以前から検討されていてね。今までは艦娘の数と提督候補に余裕が無かった為、実現できなかったのだが……まだ確定ではないが、今後は横須賀、舞鶴、佐世保、大湊に呉を加えた五つの拠点に提督、艦娘達を再編成する事になるだろう。つまりまだ君には力を貸してもらう事になる」

 

 恐る恐る訊いてみたが、佐藤さんの答えに俺はほっと胸を撫で下ろした。

 よ、よっしゃラッキー……。まさかこのタイミングで拠点の数が増えるとは……。

 それならば俺はまだこの横須賀鎮守府に残る事ができるというわけだ。

 よかった。何しろ、ここには俺ランキングでもかなり上位を占めている艦娘達が奇跡的にも数多く揃っているのだ。

 ザ・大人のお姉さんな妙高さん、ラブリーマイパンツ翔鶴姉、二式爆乳装備の千歳お姉に、貴重な眼鏡のお姉さんな香取姉、そして建造で初めて出会え、何故か俺への好感度が高いと思われる金剛に、言わずもがな俺のマンマ、マミーヤ!

 それに、こんなクソ提督な俺をサポートしてくれる頼れる仲間も数少ないが存在する。

 横須賀鎮守府の黒幕こと大淀に裏工作艦明石、それに俺のアオハルこと夕張に、微妙なところだが鳳翔さん、そしてやっぱり俺のマンマ、マミーヤ!

 長門に加賀、那智に瑞鶴、霞に満潮など正直相性が悪そうな面子も存在するが、人数が多い以上それはしょうがない。

 

 短所を気にするのではなく長所を見出さねば。

 俺のハーレム計画に十分すぎるメンバーが揃っている事や、頼れる同志達の助けにより金剛のビーチク作戦も着々と進行中である事。

 そう考えてみれば、横須賀鎮守府に着任できて本当に良かった!

 皆と出会えた奇跡を俺が改めて噛み締めていると、佐藤さんが長々と言葉を続けた。

 

「それに加えて、舞鶴鎮守府の周辺海域はほとんど攻略が完了していてね。舞鶴の提督……露里(つゆさと)くんというんだが、彼も、今後は舞鶴鎮守府を数が多く練度が十分では無い駆逐艦達の演習兼、近海警備の為の拠点にしてはどうかと意見具申をしてきているんだ」

「は、はぁ」

「佐世保と大湊に挟まれている地の利もあり、今後は舞鶴方面への大規模な侵攻も無いと推測される為、彼の意見にも一理ある。そこで一つの提案なんだが、森盛(もりもり)くんをここに着任させ、代わりに君が舞鶴鎮守府への異動というのはどうだい? このまま横須賀鎮守府にいるよりは、君の心身への負担は各段に軽くなる。悪くない話だとは思うのだが……」

 

 ……ん? ど、どういう事だ?

 佐藤さんの言葉を整理すると、舞鶴鎮守府へ異動すれば俺の心身への負担は軽くなると……。

 それは何故かというと、周囲はほとんど攻略が完了しており、駆逐艦達を集めた演習を中心に運用する拠点になるからだと……。

 く、駆逐艦を中心に⁉

 つまり俺のストライクゾーン外のガキ共に囲まれて過ごす事に⁉

 お、おい! 佐藤さん! そんな殺生な話があるかよ!

 つーか当たり前のように出てきたけどモリモリくんって誰だよ⁉

 何がモリモリなの⁉ 股間⁉ 股間が⁉

 

 いや落ち着け。俺の天才的頭脳でこの流れから推測するに、モリモリくんとやらはおそらく新たな提督候補の事……!

 つまりモリモリくんは俺の上位互換、いや、完全に俺とは正反対の好青年……!

 ま、待てよ、ここまで正反対という事は、やはり股間も俺と違ってモリモリくん――⁉

 コミュ障の童貞である俺と正反対であるならば、むしろコミュ力のあるヤリチン野郎である可能性が――⁉

 二股とか三股とか当たり前のようにこなすクズ野郎かもしれん……!

 くそっ、何て奴だ……!

 

『ハーレムと同じなのでは』

『ブーメラン凄いですね』

 

 うるさいよ君達。少し黙ってなさい。

 俺の頭の上で正論を語るグレムリン共は無視して、俺は思考を再開する。

 

 そんな奴が万が一横須賀鎮守府に着任してみろ。

 ただでさえ俺というクソ提督の駄目さ加減を目の当たりにしてきた横須賀の艦娘達である。

 俺との比較により相対的かつ合法的かつ必然的にモリモリくんの好感度は急上昇!

 俺が舞鶴でガキの面倒を見ている隙に、間宮さんや金剛、香取姉や千歳お姉、翔鶴姉もあえなくソイツの毒牙に……ウォォォオオアアアアアーーーーッ‼‼

 俺のトラウマになった寝取られ物の展開そのまんまじゃねェかァア‼‼

 くそったれがァ! 俺には寝取られ耐性無いって言ってんだろ!

 何を追体験させようとしてくれてんだァア‼

 もう想像しただけで死にそうだ……!

 いかん、またトラウマが再発しかねん……!

 

『そもそも……付き合ってもいないし……』

『それはただの失恋なのでは』

 

 うるさいよ君達。少し黙ってなさい。

 俺の豆腐メンタルがぶっ壊れるのはどっちでも変わらないから。

 つーかハーレムが寝取られて俺のガラスのハートが崩壊するだけではなく、同志達が着々と進めていたビーチク作戦すらも、全てが水の泡……。

 これでは俺はただ古傷を抉りに着任したようなものではないか。

 痛み残して得るもの無し。

 期待させるだけさせて収穫ゼロというのはあまりにも残酷だ。

 あんまりだ。いくらなんでもあんまりな仕打ちではないか。

 こんなに苦しいのなら、着任しなければよかった。

 現実を知らずに、部屋のベッドの上で艦娘ハーレムを夢見てシコっていた方が幸せだった。

 そう、知らなければ……知らなければ幸せだったのだ。

 

 俺はもう知ってしまった。

 間宮さんや妙高さん、香取姉の魅力を。

 千歳お姉のデカさを。

 翔鶴姉の生パンツを。

 金剛のパイオツの柔らかさを。

 イクのパイオツの柔らかさを。

 天龍のパイオツの柔らかさを。

 筑摩の暖簾の中身を。

 俺はすでに、本物の艦娘達を知ってしまったのだ。

 それは禁断の果実だったのかもしれない。

 着任してしまった事で、俺は妄想という名の楽園から追放されてしまった。

 もはや俺は、後戻りはできない。

 今更諦めるなど、出来るはずも無い。

 

 今まで俺にとって艦娘ハーレムとは、現実から逃げていただけだった。

 そんな事は無理だとわかっていながら、幸せな妄想の世界に逃げていた。

 今は違う。

 今の俺にとって、艦娘ハーレムは現実だ。

 それを掴み取る為には、現実と戦わなければならない。

 俺は現実と戦う。そして勝ってみせる!

 

 グレムリン共に構わず、俺は佐藤さんに向き直り、頭を下げ、なりふり構わず叫んだのだった。

 

 

「佐藤元帥! どうか、私を横須賀鎮守府に残しては頂けないでしょうかっ!」

 

 ――それは俺の心の叫びであった。

 

「確かに私はまだまだ至らない事ばかりです! それだけでなく、様々な事情を鑑みても、この横須賀鎮守府を任せるには不安が多いとは思います!」

 

 ――素人の俺をここに置く理由など何ひとつ無いと理解できていた。

 

「ですがっ! この横須賀鎮守府に着任し、艦娘達の顔を見て! 改めて思いましたっ! 私の居場所はここにしかありませんっ!」

 

 だが、俺には横須賀鎮守府しかない。

 俺はロリコンでは無い。舞鶴だけは嫌だ。

 そんな環境で喜ぶ奴はどう考えても変態ではないか。

 

 失いかけて改めて気付いた。横須賀鎮守府の面子は俺にとってほとんど理想的なのだ。

 着任前から存在する俺ランキングでも上位陣が揃っており、俺をフォローしてくれる有能な大淀(黒幕)もいる。

 たとえ都合のいい傀儡であろうとも、俺の居場所はここにしか無いのだ。

 

「身体の調子も、もう大丈夫ですっ! 着任してからも何の症状も出ておりません! 少々の負担など、何の問題もありませんっ!」

 

 実際に、身体の調子はもう万全だ。

 久しぶりに徹夜もしたが、翌日もぐっすり眠らせてもらえたし、全く支障は無い。

 だが舞鶴に異動になり、恐れていた事が起きてしまったならば、おそらく俺は再び倒れる自信がある。

 間違いなく倒れる。そしてもう二度と起き上がれなくなるかもしれない。

 

 フィクションですら数キロ痩せたのだ。実体験したら俺は痩せすぎて消滅してしまう可能性がある。

 俺の心身への負担を考えてくれているのなら、どうかここに置いてくれませんか。

 

「私はこの横須賀鎮守府に骨を埋める覚悟ですっ! 私の死に場所はここですっ! どうか、どうか、私を! 横須賀鎮守府に残して下さいッ‼ オナシャス! オナシャス!」

 

 

 俺は必死に頭を下げた。

 何度も何度も、見苦しいほどに深く頭を下げ続けた。

 名案など浮かぶはずもなく、ただそれしか俺の頭では考えつかなかった。

 具体的な代案や根拠もメリットも何も説明できずに、ただお願いをするという無様な姿を晒していると我ながら理解はできていた。

 

 やがて、佐藤さんは小さく息をつき、口を開く。

 

「……そうか。いや、わかった。君の熱意はしかと受け取ったよ。だが、この件は私の一存で決められる事では無い。これに関しては、また連絡する事にするよ」

「はっ、はいっ! どうかよろしくお願いしますっ!」

 

 佐藤さんの声は優しかったが、同時に嫌な予感がした。

 俺の願いが通らないからこそ、慰めに優しくしてくれているのではないか、と何となく感じたのだった。

 もしくは俺に惚れているから優しいのかもしれないが、それは考えない事にした。

 ともかく、俺に出来る事はもはや何も無い。

 後はもう、祈る事しか出来ないだろう。

 

 しかし、こうなると、もう諦めた方がいいのだろうか……。

 提督たるもの常に最悪の場合を想定するべし。

 つまり俺に異動命令が下るのが確定だとして、それがどうしようも無いのであれば、せめてその前に一目だけでも金剛のビーチクを……。

 大淀達を待っている余裕が無いなら、俺が直接土下座でおっぱい見せて下さいと頼むか……。

 いや、せっかくだから童貞を捨てさせてもらえないだろうか……。

 もし金剛が本当に俺の事を好きなのだったら俺が異動するのも悲しんでくれそうだし、土下座で頼めば一夜限りの過ち的な感じで……。

 いや、最悪というなら佐藤さんにケツを差し出せばまだワンチャンあるか……?

 し、しかし肉を切らせて骨を断つにも限度がある……!

 諦めるべきか、最後のチャンスに賭けるべきか……⁉

 上半身裸のままである事も忘れて真剣に今後の事を考えていると、魔女っ子みたいな恰好のグレムリンが声をかけてきた。

 

『ねーねー、キュアチェリー』

 

 誰がキュアチェリーだ。いつ俺がプ〇キュアになったんだ。

 ネーミング的に絶対ピンクだろ。主役じゃねぇか。まさに脳内ピンクキュアってやかましいわ。

 エッチ(H)エロ(ERO)をレッツラ、まぜまぜ!

 弾けるイカの香り! 抜きたてフレッシュ!

 空元気のプ〇キュア、キュアチェリー! ブラァァァ! って何やらせんだ。

 

 グレムリンは矢印のついた棒を俺の眼の前で振った。

 グレムリンが指し示した先は、先ほど俺が奴らを放り投げた方向であった。

 そこにはマッサージチェアが備え付けられてあり、その後ろには何やら荷物が積まれているようだった。

 

『なんだか怪しい気配がするシコ』

 

 何その語尾? 何微妙に個性出そうとしてんの?

 もしかしてお前キュアチェリーのパートナー妖精の座狙ってんの?

 って言うかもうちょい良い語尾無かったの?

 

『チェリーのパートナーといったらこれしか無いと思って……』

『あー、ずるいよー』

『抜け駆け禁止だよー』

『私もチェリーのパートナーに立候補するシコ』

『ここは譲れないシコ』

『いやいや、サダオのパートナーは(わたシ)ココ』

 

 シココじゃねぇよ。何若干アレンジしてんだ。つーかさりげなく呼び捨てにすんな。

 

『すいませんシココさん』

 

 そっちじゃねぇよ! 貞男の方! って言うかいい加減提督って呼べや!

『わぁぁー』などと言いながら取っ組み合いを始めた四匹のグレムリンには構わず、俺はマッサージチェアの方へと向かった。

 一応妖精さんの言う事は聞いておいた方がよさそうだからな……。

 マッサージチェアの後ろに、何やら物が積まれているのか布が被せられている。

 何の気なしにその布をめくってみると――体を丸めている青葉とばっちり目が合い、そして――。

 

「ひゃっ……ひゃああああああっ⁉」

 

 顔を紅潮させた青葉の甲高い声が、脱衣所中に響き渡ったのだった。

 




大変お待たせいたしました。
私事ですが転居を伴う環境の変化があり、予定よりも投稿が遅れてしまいました。
そして予定よりも何故か提督視点が長くなってしまったので分割します。

諸事情により更に遅筆になると思われますが、次回の更新も気長にお待ち頂けますと幸いです。

※どうでもいい裏設定
 提督達の好みのタイプ
【露里提督】
・年下

【神堂提督】
・巨乳で包容力のあるお姉さん

【森盛事務員】
・美形で自分より背が高くて痩せ型で不器用で子供に好かれるような優しい人


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039.『浴場』【提督視点②】

 青葉の甲高い悲鳴に俺も声を上げてしまいそうになったが、何とか堪えた。

 火にかけた薬缶(やかん)のごとく湯気が吹き出たかと思う程に一気に顔を紅潮させた青葉は俺から目を逸らさず、それでいてしどろもどろと目を回しているようだった。

 な、何なんだ一体……これは一体どういう事なのだ。つーかいつからいたのだ。

 完璧に気配を感じなかった。グレムリンに言われなければ全く気付かなかったぞ。

 すごーい! 青葉は潜入が得意なフレンズなんだね!

 ちなみに俺には一人もフレンズいないんだよね! 凹む。

 

 オータムクラウド先生によれば、青葉は取材と称して鎮守府のあちこちに監視カメラや盗聴器を仕掛けたり、現在のように盗撮を試みたりという筋金入りのパパラッチだ。

 それ故に艦娘達から何度も成敗されているらしいが……つまりコイツがここにいる理由は一つしか無い。

 青葉の前科から推理するに、目的は俺と佐藤さんの裸体の盗撮……!

 お前……そんな事の為にコンナトコマデ……キタノ……?

 バカナノ……? オロカナノ……ッ?

 

 極端に男性の少ない、まるで女子高のような環境の鎮守府においては、男性の裸体というのは珍しいものなのかもしれん。

 男子がグラビアを見て興奮するように、艦娘達も男性の裸体を見て喜ぶのだろうか。

 脱ぐと意外とムキムキなオッサンと、身長だけは無駄に高いがヒョロヒョロのアスパラガスのごとき俺の裸体で果たして艦娘が喜ぶのかどうかは知らんが……。

 青葉の存在に気付かず呑気に着替えている俺達をレンズ越しに見て、「よく見えますねぇ~」「敵はまだこちらに気付いてないよ」などとほくそ笑んでいたのだろうか。

 くそっ、何て奴だ……い、いや、ちょっと待て。

 コイツがどこから盗撮していたのかはしらんが、もしや俺と佐藤さんの主砲も激写しているのでは⁉

 い、いかん! 佐藤さんの巨砲と並べられる事で目の錯覚が引き起こされ俺の主砲がますます小さく見えて――⁉

 い、いや! むしろ佐藤さんが俺に迫りかけた時も傍観して――⁉

 青葉ワレェ! おどりゃ提督の危機に何をしとるんじゃ!

 

 混乱している俺と青葉のもとへ、佐藤さんが慌てた様子で駆け寄ってきた。

 

「あ、青葉くん⁉ これは……一体どういう事だね⁉」

「あ、あわわ……」

「神堂くん、どうして気付いたんだい」

「い、いえ、怪しい気配が……」

 

 表情を見るに、佐藤さんも心底驚いている様子だ。

 そりゃあそうだ。女湯ならまだしも、オッサンと俺しかいない男湯に、まさか忍び込む馬鹿がいるなどとは思ってもいなかったのだろう。

 俺はオータムクラウド先生の作品のおかげで青葉がこういう奴だと知っていたから、混乱しつつも何とか頭の整理が出来ているのかもしれない。

 少しばかり考え込んだ後、佐藤さんは動揺のせいか、珍しく大声かつ切羽詰まった声を発した。

 

「何て事だ……! 大淀くんに詮索はしないようにとつい先ほど伝えておいたはずだが……聞いていなかったのかい⁉」

「……ッ! はッ! はいッ! 何も聞いておりませんでした! この愚行は青葉の独断です! 大淀さん達はこの事を知りませんし、何も関係ありません! 好奇心が抑えきれず、このような愚行を犯してしまいました! 申し訳ございませんッ!」

 

 青葉はそう言って、そのまま床に額を叩きつけて土下座した。

 さ、佐藤さん……大淀達にそんな事を……ナイスサポートではないか。

 俺が素人だとバレてしまわない為に、元帥という地位を活かして命令していたという事か。

 まぁ、俺が駄目すぎるせいで初日からバレバレなので後の祭りなのだが……せめて俺が着任する前に命令しておいてくれないか。

『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』のタイトルといい、佐藤さんはどこかズレてるんだよな……。

 いや、そもそも俺が素人だとバレてるのは詮索とかそういう以前の問題だった。完全に俺のせいだった。凹む。

 

 それはともかくとして、佐藤さんを見れば青葉の言う事を疑っているようだが……この俺の慧眼によれば、青葉は嘘はついていないだろう。

 オータムクラウド先生の作品によれば、むしろ大淀は青葉を止める立ち位置になるはずだ。

 というか青葉の取材に協力する艦娘はいない。

 ましてや佐藤さんと俺が風呂に入るからといって、「これは千載一遇のチャンスやで!」とか言い出す者がいるだろうか。

 いたら救いようの無いアホだろう。

 だがそのアホが青葉だ。新聞を作成する為のネタ集め、その為の取材、それがエスカレートしての盗撮、盗聴行為……。

 コイツならば独断でやりかねん。

 

 つまり佐藤さんは大淀その他の艦娘も一枚噛んでいるのではと疑っているようだが、それは有り得ない。

 良識ある艦娘達が、青葉が脱衣所に侵入する背中を黙って見ているという事が有り得るだろうか。いや、無い。

 提督という立場にありながらすでに威厳の欠片も無い俺だけを盗撮するのならばまだわかるが、元帥である佐藤さんを盗撮するとなれば、流石に誰か止めるだろう。

 俺の信頼する同志大淀ならば、その辺りの判断を間違える事は無いであろう。

 

 佐藤さんは信じられないと言ったような驚愕の表情で青葉を見つめていた。

 青葉は土下座した後も顔を上げず、額を床に擦り付けている。

 ぼろぼろと泣いているようで、震える肩と共に、押し殺すような声が漏れていた。

 深刻な雰囲気が漂っていたが、俺はとりあえず佐藤さんに声をかけたのだった。

 

「ま、まぁ、佐藤元帥。青葉は嘘は言っていないでしょう。他の艦娘達はこの事を知らない、そうだろう?」

 

 俺はそう言って青葉の隣で膝を曲げ、励ますようにぽんと背を叩いてやったのだった。

 青葉はびくりと身体を震わせて、少し時間を置いてから顔を上げずに口を開いた。

 

「……ッ! は、はい……ッ!」

 

 佐藤さんは難しい顔をして、腕組みをしながら俺と青葉を交互に見下ろした。

 何やら悩んでいるようで、時折深く唸る。

 

「……青葉くん。ここに侵入していたという事は、私達の会話も聞いていたという事だね?」

「……はい」

 

 佐藤さんは顔を片手で覆った。

 そうか、どこから聞いていたかは知らんが、思いっきり俺が素人だって事も含めて話してたからな。

 つまり俺の駄目さ加減から確定に近い推測をしていた事が、ここで完全に事実となったわけだ。

 更に佐藤さんは元帥の立場から命令していたのだから、それを無視されたというのは大きな意味を持つのではないだろうか。

 軍紀は知らんが、命令違反であるならば何か罰を与えねば示しがつかないような気もするし……。

 

 佐藤さんは深刻そうな表情のままに、低い声で言葉を続けた。

 

「他の艦娘達が関わっていないという事は、この事実を知るのも君一人。そういう事かい」

「……は、はい」

「そうなると、知ってはならない事を知ってしまった君をこのまま横須賀鎮守府に置いておくわけにはいかなくなる」

「えっ……」

 

 青葉が思わず顔を上げるが、佐藤さんは目を瞑り、自らを落ち着かせるように、ゆっくりと言葉を続ける。

 

「青葉くん。君と私は、君が艦娘として現れて以来の付き合いだ。短い間だったが、共に戦った事もある……。故に、君の個性、君の性分もそれなりに理解しているつもりだ」

「……はい」

「君の好奇心は、自分だけが事実を知れば良いというものでは無い。真実を知り、それを他者へ伝え、楽しませる事こそが、君が欲するものだ。私はそう思っている」

「……仰る通りです」

 

 うむ。俺もそれはよく知っている。

 コイツの最終目標は、青葉が執筆しているという艦隊新聞の記事を書く事だ。

 つまりここで見聞きした事実が記載されるとなれば、俺が素人であるという事が鎮守府中に明らかにされ、一面には俺の股間の写真が掲載されるだろう。

 おそらく見出しは『我らが司令塔、やはり素人! 股間には探照(短小)灯標準装備!』とかそんな感じだろうか。凹む。

 警戒してはいたが、一番知られてはいけない奴に知られてしまったという事か……。

 

 佐藤さんが珍しく本気で深刻そうな表情を浮かべているのも納得だ。

 俺が素人であるという事が暴露される恐れがあるだけではなく、我が国が誇るあの巨砲が艦隊新聞の一面に掲載される可能性もあるからな……。

 世界水準を軽く超えるレベルのあの主砲は艦娘達には秘密兵器にしておいた方がいいだろう。

 つーかあれが普通だと思われたら俺が困る。

 艦娘達の認識が「魚雷って太いわよねぇ~」「おっきな魚雷、大好きです!」となってしまったら本当に困る。

 俺の九三式酸素ラブアタックが効かなくなる。

 たとえ俺の魚雷が戦闘体勢に入っても「こんなの全然強化のうちに入んないわよ! 見てらんないったら! 惨めよね!」とか言われ、ショックで俺は二度と立ち上がれなくなるだろう。

 

 俺が青葉の危険性を再確認したのに構わず、佐藤さんは重苦しい表情で言葉を続けた。

 

「つまり、君をここに置いておくという事は、私にとっては見過ごせない事なんだ。神堂提督にここへ着任してもらったのには、私が深く関わっているからね。君がここへ侵入してまで知りたがっていたように、彼には只ならぬ事情がある。君達もうすうす感じていた事ではあるのかもしれないが……悪いが、この事実を公式に広められるわけにはいかない」

「……はい」

「私個人の気持ちとしては今まで同様に大目に見てあげたいのだが……今回ばかりは、流石に許容できる事では無いんだ。大淀くんに詮索しないようお願いした後の事だし、示しも付けなければならない」

「……は、はい……ッ!」

「私は今から艦隊司令部へ戻るが、とりあえず一緒に付いて来てもらおうか。君の今後の処遇については、後程決めよう。それまでは艦隊司令部で私が預かるよ。君の今回の行いについては艦娘兵器派の者達が大袈裟に騒ぎ立てるかもしれないが……そこは私が何とかする。わかってくれるかい?」

「……グスッ、は、はい……ッ! お心遣い、ありがとう、ございます……!」

 

 お、おぉ……佐藤さん、厳しいな。

 いや、本心では大目に見てあげたいのだろうが、やはり軍紀を乱した事に対して示しをつけなければならないという事だろう。

 佐藤さんも元帥だしな。結構偉い立場なのだとすれば、なおさら規則を大目に見てはいけないはず。

 たとえ青葉が普段は悪い奴ではなかったとしても、罪は罪。相応の罰を受けなければならない。

 言ってしまえば不法侵入と盗聴、盗撮だからな……やむを得ない事情があるわけでも無く、好奇心と己の欲を満たす為に犯したわけで、情状酌量の余地は無い。

 まぁ俺にとっては完全にストライクゾーン対象外だし、むしろ俺の身辺を嗅ぎまわらないか、厄介な奴だと思っていたからちょうどいいのかもしれん。

 艦隊新聞の一面を俺達の局部が飾る事で猥褻物チン列罪となり、憲兵を呼ばれても困るしな。

 さようなら青葉。君の事は忘れない。

 

 ……――いや、ちょっと待て。

 冷静になって考えてみろ。青葉は本当に俺にとって厄介なだけの存在なのか?

 

 そうだ、『艦娘型録』の編集者は大淀、明石、夕張、そして青葉の四人だったではないか。

 そして青葉が撮ったという写真により俺は不審に思われずに艦娘達の体の隅々まで見る事ができたし、何より翔鶴姉のパンツを得る事ができた。

 ほんの二日前に、あの写真を撮影したのが青葉だと聞いた俺が、あの時何を思ったのか。

 

 ――青葉か。君がこの鎮守府にいてくれて本当に良かった。今後もこの調子で頼みたい。

 ――翔鶴姉のパンツを仕留めたMVPだ。後で何かご褒美をあげよう。

 

 そう思ったではないか。

 そして青葉にはまだ何のご褒美も与えられていない。

 

 ――そうだ。人の悪い面だけでは無く、良い面に目を向けねば。

 青葉が不法侵入や盗聴、盗撮を駆使して人のプライバシーを平気で侵害するクズだとして、それに何も考えずに罵声を浴びせるのはあまりにも簡単だ。

 だが、青葉はそれだけの奴なのか? 否!

 百の罵声を浴びせるよりも好きなもん一つ胸張って言える方がずっとカッコいいだろ!

 何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ‼

 そういう事である。

 俺は翔鶴姉のパンツが好きだ。

 そういう事なのである。

 

 つまり青葉にはまだ利用価値がある。

 大淀も明石も夕張も、俺が金剛のビーチクの事で頭がいっぱいのクソ提督であると知りながら、健全な鎮守府運営の為に何とか協力してくれているではないか。おそらく。

 あれだけ素晴らしい資料である『艦娘型録』を作り上げた四人だ。

 大淀達三人に加えて青葉も俺の同志(フレンズ)に引きずり込めば、俺の求める夜の資料集『艦娘乳型録』の完成は目前ではないか。

『しりょう……だいじ……とても……だいじ……』と何時(いつ)何処(どこ)かの偉い人も言っていたらしい。

 青葉は艦娘に唯一のパパラッチ的性質を持ち、艦隊新聞作成を自主的に行うという事から、大淀同様に資料作成能力に長けているとするのならば、それを利用しない手は無い。

 むしろ青葉がクズだと言うのならば、性格的にも俺と相性が良い可能性もある!

 クソ提督! パパラッチ! ミラクルマッチでーす! ひゃっはぁー!

「……気になるんですかぁ? いい情報ありますよぉ?」などと言って山吹色のお菓子ならぬ桃色のオカズを差し入れてくれるかもしれん。

 弁当箱の蓋を開ければ、うっひょー! まるで宝石箱や~!

 パンチラも胸チラもビーチクも、青葉にお任せ!

 

 ――情状酌量の余地あり! よって被告人を無罪とする‼

 俺の股間の最低裁判所が判決を下した。

 俺は青葉の隣で膝と手をつき、佐藤さんを見上げて言ったのだった。

 

「――佐藤元帥! どうかここは私に免じて許して頂けないでしょうか!」

「な、なんだって⁉ 神堂提督、しかしこれは」

「いえ、これは私の監督不行届です。私からちゃんと言って聞かせるべきでした。青葉が罰を受けるのならば、私にも連帯責任があります!」

「そ、それは……うぅむ」

 

 青葉が顔を上げ、目を丸くして俺を見た。

 まさか盗撮、盗聴の被害者である俺が自分を庇うなどとは考えてもいなかったのであろう。

 佐藤さんも同様に、驚いたような、困ったような表情を浮かべていた。

 

 佐藤さんが危惧しているのは、青葉がここで聞いた事を艦隊新聞などで暴露する事。

 だが、その辺りはおそらく横須賀鎮守府の黒幕大淀さんが裏から手を回してくれるだろう。

 すでに察しの良い艦娘達にはバレている事ではあるが、俺が素人であるという事が確定し、他の艦娘達にも広まってしまうという事は、おそらく大淀の求める事では無い。

 佐藤さんにここまで厳しく言われてしまった後であるし、そこに大淀の手が回れば、おそらく青葉はこの事を記事にはしないはずだ……多分!

 

「どうか、どうか! お願いします!」

 

 俺がそう言って額を床に擦り付けようとした瞬間――。

 

「わぁぁあーーっ! やめて下さいっ!」

「し、神堂くんっ! 頭を上げたまえ!」

 

 青葉と佐藤さんが二人がかりで俺に手をかけたのだった。

 佐藤さんは膝をつき、俺の肩を支えるように、そして青葉は俺の背中に縋りつくよう抱き着いてきた。

 青葉にも一応パイオツはあるんだな……いや、自分でも驚くほど全然興奮しないのだが……。

 

「わぁぁあーーっ! ご、ごめんなさいっ! ごめんなさいぃっ! あ、青葉が、青葉が悪いんです! グスッ、提督は関係無いんですぅっ! ひっく、ひっく、わぁぁあーーッ!」

 

 青葉は俺の背中に縋りついたまま号泣している。

 あぁ、自分のせいで全く悪くない他人が頭を下げるのを見るのは心に効くもんな……。

 澄香ちゃんの虐めの件で担任の先生に掴みかかってしまった件でも、まだ学生だった千鶴ちゃんが俺の為に頭を下げている姿を見たのはかなり精神的にキツかった……。

 しかし今回は俺にも青葉を庇う理由があるのだから、気にしなくても良いのだが……無論、青葉がそれを知る由も無い。

 佐藤さんはふぅ、と小さく息をつき、何故か焦ったような表情で俺を見て言ったのだった。

 

「ま、まったく、肝が冷えるな……そんなに簡単に土下座なんてしないでくれ。心臓に悪い」

「しかし……」

「神堂くん、いや神堂提督、私の立場にもなってくれ……罪を犯し、それを反省している青葉くんならともかく、君にそこまでされてしまっては、私の立つ瀬が無いじゃないか」

 

 佐藤さんはしばらく悩んでいたようだったが、やがてゆっくりと立ち上がりながら口を開いた。

 

「……わかった。当事者の君にそこまで言われてはな。もはや私に言える事など何も無い。今回の事は不問にするとしよう」

「ほっ、本当ですかっ⁉ ありがとうございますっ! よ、良かったな、青葉!」

「ふぇぇえ」

 

 俺が振り向いて青葉の肩を掴みながらそう言うと、青葉は妙な声を出した。

 泣きすぎて訳が分からなくなっているのかもしれん。

 佐藤さんは青葉の隣へと歩み寄り、膝を折って青葉と目線を合わせ、口を開く。

 

「ただし、当然だが絶対に口外しないという事が条件だ。誓えるかい」

「はっ……はい……」

「良し。いいかい、青葉くん。今回ばかりは神堂提督の顔に免じて不問とするが、今回の君の行為は軍紀関係無く、鎮守府の外では立派な罪となる。それだけは覚えておいてくれ。親しき中にも礼儀あり、という言葉もね。もう二度と、神堂提督の信頼を裏切らないように」

「はっ……! はいっ……! 申し訳、ありませんでした……」

 

 佐藤さんは俺に「先に外に出ているよ」と言い、そのまま脱衣所から出て行った。

 よし、何とか漢ゲイ界からの脱出には成功したか……。

 そして青葉に貸しを作る事にも成功した……俺は本当に天才なのではないだろうか。

 こうなれば青葉はきっと俺の為に働いてくれるはず……また一歩、(オカズ)に近づく事が出来た。

 何としても舞鶴行きは阻止せねばならんな。

 

 青葉は腕でぐしぐしと涙を拭い、しゅんと項垂(うなだ)れながら口を開く。

 

「あの、提督……ありがとうございました。そして、大変申し訳ありません……提督の顔に泥を塗るような真似を……」

「まぁ、今回の件は流石に擁護が出来ないが……私が頭を下げた事は気にしなくても良い。私にも下心が無かったと言えば嘘になるからな……青葉。お前はな、私の艦隊に必要な存在なのだ」

「えぇっ⁉」

 

 青葉は素っ頓狂な声を出し、口を半開きにして俺を見つめる。

 

「な、何故青葉なんかを……ここの重巡では一番弱いですし、衣笠(ガサ)みたいに改二も発動できませんし、下手すれば神通さんなどの軽巡よりも戦力としては……」

「うむ。無論、戦力はあるに越した事は無いが……どちらかと言えば、青葉には唯一無二のその個性を活かして欲しいのだ」

「唯一無二の個性……ですか?」

 

 よし、このタイミングで青葉を完全に俺の味方につける!

 神算鬼謀を操るこの智将の話術に嵌まるが良い。

 俺は青葉と目線を合わせ、キリッと表情を引き締めながら言葉を続けたのだった。

 

「うむ。『艦娘型録』、実に素晴らしい資料だった。それに、私はまだ目を通した事は無いが、艦隊新聞とやらも作成しているそうじゃないか。取材、撮影、執筆……どれも本当に素晴らしい個性だ」

「は、はっ……きょ、恐縮です……」

「だが、その素晴らしい個性も使い方を誤れば罪を犯し、先ほどのような事になる。握れば拳、開けば(たなごころ)という(ことわざ)を知っているか?」

「い、いえ……」

 

 青葉がきょとんとした表情になったので、俺はその顔の前で拳を握り、青葉の頭をゴンと小突いたのだった。

 

「あうっ⁉」

「これは私からの罰だ。何の御咎めも無しという訳にはいかんから、ついでにな」

「す、すみませんでした……」

「さて、手を握り固めれば、他者を傷つける拳となる。今のようにな」

 

 そして今度は拳を解いて、その掌で先ほど小突いたところをぽんぽんと撫でてやりながら言葉を続ける。

 相手が相手なら俺もセクハラめいた行動により心が浮ついていた所であろうが、年下の高校生系かつ完全にストライクゾーン外の青葉相手なら冷静でいられる。

 

「しかし拳を開けば、その掌で誰かを撫でて慈しみ、互いに手を取り合う事も出来るだろう。そういう事だ」

「へぇぁっ……⁉ な、なるほど……です、はい……拳にするか掌にするかが問われるという事ですね」

「うむ。だが、さらに言えば拳が悪いという事でも無い。握りしめた拳で大切な何かを守らなければならない時もあるだろう……逆に、広げた掌で誰かの大切な何かを奪い取る事だって出来る。結局は、扱う者の意思、それ一つで道具という物は善にも悪にも成り得るという事なのだ」

 

 これは昔、父さんに教えられた諺だ。

 日常生活には欠かせない便利なもの。

 自動車のおかげで、ろくに歩けなくなった母さんを乗せて、昔好きだった景色をもう一度見せてあげる事ができた。

 一方で、ニュースでは暴走運転に巻き込まれて罪も無い子供が亡くなっていた。

 果物ナイフのおかげで、母さんの好きな林檎を剥いて食べさせてあげる事ができた。

 一方で、ニュースでは果物ナイフを使って誰かが誰かを傷つけていた。

 医療麻薬や睡眠薬のおかげで、母さんはなるべく痛みに苦しまずに最後まで過ごす事が出来た。

 一方で、ニュースでは非合法に麻薬を使用して有名な芸能人が逮捕されていた。

 

 間違った使い方は誰にだって出来る。

 アクセルを僅か数センチ踏み込んで、ハンドルを僅か数センチ回せば、いとも容易く人を傷つける事ができる。

 果物ナイフを手に持って振り回せば、いとも容易く人を傷つける事ができる。

 薬も飲み過ぎれば毒になり、人の命を奪うだろう。

 

 当たり前の事であるはずなのだが、カッとなるとそれがわからなくなる人は大勢いる。

 一時的な衝動に負けてしまう、弱い心を持つからだ。

 だから、自分の中の弱さに打ち勝てるような、強く、優しい男になれと――そう言われたのだ。

 清く正しく節操を守り、どんな誘惑や困難にも負けない男――父さんと母さんに名付けられた、俺の名前の由来である。

 

 ゴメン父さん。俺は貴方のように強い男にはなれませんでした。

 拳は握らないものの、一時的な衝動(性欲)に負け、その掌で股間を毎日のように握りしめておりました。

 ここに着任してからも、この掌で夕張の手の柔らかさを堪能したり天乳ちゃんの柔らかさを堪能したりとろくな事をしておりません。

 拳を握っていては女体の柔らかさを堪能できないという事だけは理解しておりますので、今後も拳は握らない事でしょう。

 貴方の教えすらも青葉を納得させる為に利用する立派なクズに成長しました。我ながら凹む。

 

 青葉は俺の言葉を聞いて、ほぅ、と小さく息を漏らした。

 

「使い方一つで、善にも、悪にも……それは、私達も」

「うむ。それが心の強さという事だ……今後は、私の詮索はしないと約束してくれるな?」

「は、はっ! も、勿論です! ここで聞いた事は誰にも……うぅ、だ、誰にも言い、ません……うぅぅ~! あ、青葉は、青葉はどうすれば」

 

 青葉は頭を抱えて苦しんでいた。

 そんなに言いたいのだろうか……しかし俺がここまでして裏切ったら本物のクズだぞコイツは……。

 とりあえず話を進めよう。

 

「そして、その個性を活かし、今後は私の為に働いてくれるか?」

「……はっ、はいッ! そ、それで一体何をすれば……」

「フッ、そこは自分で考えてみるのだな……楽しみにしているぞ」

「……わ、わかりましたっ! 青葉、これからは心を入れ替えて、強く……もっと強くなれるよう精一杯頑張ります!」

 

 ッシャア! 同志(フレンズ)、ゲットだぜ! 万歳(ウルァァア)

 これで『艦娘型録』の編集者四人を全て味方に付ける事が出来た……!

 俺の両脇を艦娘への交渉担当、夕張と明石が固め、青葉が前に出て撮影を行う。

 俺のバックには編集長大淀さんが立ち、何かあった時には即座にフォローしてくれるだろう。

 完璧な布陣ではないか。この輪形陣を(イン)ペリアルクロスと名付けよう。

 

 流石に俺の口から素直に「艦娘達のあられもない姿を撮影せよ!」とは言えなかったが、青葉ならば忖度(そんたく)し、理解できるはずだ。

 俺が何を求めているのか、何を差し出せば良いのかを……。

 何が悪で、何が善なのかを。

 やがて青葉は自分の意思でその答えに辿り着き、俺にお宝写真を差し出してくるだろう。

 全ては俺の掌の上だという事も知らずに……。

 そう、握れば拳、開けば掌……! 掌もまた使いよう! 智将(クズ)の手にかかればこんなモンよ!

 善悪の区別? 知るか! これが俺にとっての最善手だ!

 これぞまさに神の一手、神の才能……。

 

 フッ……フフフハハハハハ。

 本当に助かったよ青葉……お前ほど騙しやすい艦娘はいない……。

 俺がお前を庇ったのは、全て計画の内……!

 危うく佐藤さんに連れて行かれてしまうところだったが……資料(オカズ)作成に利用させてもらった!

 

 オータムクラウド先生の言っていた通り、実際お前はかなりの問題児だ……!

 だが、その記者根性が生んだ水晶(翔鶴姉)輝き(パンツ)が、俺の股間を刺激してくれた!

 君は最高のパパラッチだァ‼

 青葉の人生は全て、俺の、この手の上で……転がされているんだよ!

 ダァーッハハハハッ! ハァーッハハハハッ! ブゥン‼

 

 心の中で勝利の雄叫びを上げていたところで、気が付いた。

 そうだ、一応俺達の写真は破棄してもらわねば。

 

「ところで青葉、私達の写真を撮っていたのならば、それは処分してほしいのだが」

「ふえっ⁉ ととと、撮ってないですよぉ⁉ えぇっ、ま、まさか青葉が佐藤元帥と提督の裸を撮影してるとでも疑ってたんですか⁉ がーん!」

「嘘はつくなよ。青葉にそのような前科がある事くらいは把握しているのだからな」

「あばばばば⁉ な、何故それを⁉ ど、どこ情報なのですか⁉ い、いや今回は流石に、絶対にっ! 撮影してませんよ! 提督の……て、提督の……」

 

 慌てていた青葉は何かに気が付いたようにハッと目を見開き、そして見る見るうちに顔を紅潮させて叫んだのだった。

 

「そ、それよりも……は、早く服を着てくださぁいっ!」

 

 青葉は真っ赤な顔でそう言うと、もう限界だとでも言うように顔を両手で覆い隠しながら、脱衣所から走り去ってしまった。

 う、うむ。そう言えば、上半身裸だった。い、いかん、見苦しいものを……。

 パンツとズボンだけでも履いててよかったぜ……もしもグレムリンがもう少し早く俺に声をかけていたら、俺はフルティンを青葉の前に晒していた事だろう。

「青葉、見ちゃいました!」となった場合、顔を両手で覆いながら脱衣所を走り去る事になっていたのは間違い無く俺だったであろう。危なかった……。

 

 着替える為に棚へと歩み寄ると、四匹のグレムリンが倒れていた。

 採用する気は無いが、俺のパートナー妖精とやらの座は決まったのだろうか。

 俺がシャツに袖を通していると、グレムリンはむくりと起き上がって言ったのだった。

 

『今回は相打ちでした』

『次こそは負けないよー』

『今度は私達も参戦します』

『あっ、工廠の皆さん』

『私達を忘れては困ります』

『装備担当の……皆も……』

『いやいや、サダオのパートナーは私達シコ』

『家具職人の皆さんまで』

『決戦だー』

『童貞祭りだー』

『踊れー』

『おー』

『わぁぁー』

『わぁい』

『はぁーよいしょ』

『それそれそれー』

 

 どこから入ってきたのか、さくらんぼ柄の法被(はっぴ)を着た大量のグレムリンが脱衣所に押し寄せてきて俺の周りで童貞音頭を踊り出した。

 童貞祭りって何だ! 俺を囲んでサバトすんなや!

 邪魔だからさっさと持ち場にカエレ!




大変お待たせいたしました。
前話の続きですが長くなり過ぎるので分割しました。
次回は視察編最後の元帥視点になる予定です。
お待たせしてしまいますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。


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040.『理解』【艦娘視点①】

 それは、佐藤元帥が横須賀鎮守府に到着する少し前の事――。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「イムヤ、何だかいつもより張り切ってるみたいなの」

 

 海中を縦一列になって進む途中。

 私のすぐ後ろを泳ぐイクにそう言われて、私は振り向いた。

 内心、ぎくりとしてしまったが、それを押し隠してイクに言葉を返す。

 

「そ、それは二人もでしょ。備蓄の回復とくれば、燃費の良い私達の出番なんだから」

「イクは提督のご褒美を期待しちゃうなのね!」

「ゴーヤはお休みをもらうでち! イムヤは何か考えてるの?」

 

 捕らぬ狸の皮算用ではあるが、目を輝かせている二人もやはり、いつもより張り切っているように見える。

 無論、イクに指摘されたように、きっと私もそうなのだと思うが……ご褒美目当てなどでは断じて無い。

 ゴーヤの問いかけに、私は胸を張ってこう答えた。

 

「私はご褒美なんて期待してないわよ。司令官の役に立てる……それだけで十分でしょ」

「イムヤは真面目すぎてつまんないのね」

「同感でち」

 

 イクとゴーヤに呆れたような視線を向けられたが、私は本当にそう思っているのだ。

 それを理解できたからこそ、イクもゴーヤもそれ以上茶化してこなかったのだろう。

 

 性能のほぼ全てにおいて劣るこの私を、潜水艦隊のリーダーに任命してくれた。

 こんな私でも、司令官の役に立てる……それを考えるだけで、本当に嬉しいのだ。

 言ってしまえば、それにより褒めてもらえる事を期待しているのかもしれないのは否定できないけれど、それは秘密だ。

 昨夜の歓迎会で、一部の駆逐艦達が司令官に頭を撫でられ、労をねぎらわれているのを遠目に見て、羨ましいと思った。

 私もあんな風に褒めてもらいたいと思ったとしても、誰が責められようか。

 イク達に茶化されたくないから、絶対に口には出せないけれど。

 

「ともかく、気を引き締めていくわよ! もうすぐパワースポットに到着する。敵艦隊との交戦が予測されるわ」

「いひひっ、言われなくてもわかってるのね!」

 

 少し進むと、海底から緑色に光るモヤが立ち上っているのが確認できた。

 緑色に淡く輝いて見えるエネルギー……燃料のパワースポットだ。

 私達潜水艦の利点は、燃費が良い事。

 例えば一回の出撃に必要な燃料を十として、百の燃料を回収できれば、九十の黒字となる。

 これを計画的に何度も繰り返せば、水雷戦隊による遠征よりも遥かに効率良く資源を回収できるのだ。

 

「わぁ~、怖いのいっぱい見ーつけちゃったぁ」

 

 ゴーヤの言う通り、そのモヤの立ち上る先――海上に不穏な気配を感じる。

 一、二……三つの敵影。駆逐二隻と軽巡一隻からなる水雷戦隊。

 タイミング悪く、近海を徘徊するはぐれ艦隊も補給に来ていたようだ。

 だが、そんな事は珍しい事では無い。

 無論、交戦しないに越した事は無いが、こういう場合はむしろ近海警備もこなせて一石二鳥と考える。

 私達は顔を見合わせると、目配せをしてこくりと頷く。

 そして気付かれない程度の射程距離まで接近し、身体に満たされた弾薬のエネルギーを使い、周囲に魚雷を具現化した。

 

「魚雷一番から四番まで装填! さぁ、戦果を上げてらっしゃい!」

「狙ってくれって、言ってるようなものなの! イクの魚雷攻撃、行きますなのね!」

「ゴーヤの魚雷さんはお利口さんなのでち! 当たってくだち!」

 

 私達は息を合わせて、一斉に魚雷を発射した。

 潜水艦の戦いは先手必勝一撃必殺。この先手にこそ全てが掛かっている。

 

 その性質上、私達潜水艦隊はほぼ確実に敵に先手を取る事ができる。

 だが、私達がエネルギーを練り上げて魚雷を具現化するには時間がかかり、連続して発射は出来ない。

 つまり一度発射した後は、次の魚雷を装填するまで無防備になってしまうのだ。

 一度魚雷を発射してしまえば、敵艦隊にその存在がバレてしまう。

 

 水雷戦隊相手だと、その後待っているのは爆雷の雨だ。

 装甲の薄い私達は、一撃でもまともに食らってしまえばそれが致命傷となる。

 撃ち漏らした敵艦が少なければ少ないほど、爆雷の密度は薄くなる。

 したがって、この先手こそが私達の戦闘の鍵を握るのだ。

 

 ――爆音、振動、そして静寂。

 いつでも潜航できるよう体勢を整えながら、海面を観察する。

 敵影は……えぇっ、か、確認できず!

 

「う、嘘っ⁉ や、やった! 敵艦三隻全て、仕留められたわ!」

「いひひっ! 大金星なのね!」

 

 一、二隻は撃ち漏らすかと気を張っていたが、予想外の結果に私達は高揚した。

 司令官への信頼の力だろうか、雷撃の威力も精度も格段に上がっている。

 そのまま緑色に輝くモヤまで泳ぎ、その光を浴びた。

 

「わぁお! 大漁大漁!」

「ご馳走様でち!」

 

 私達の身体と艤装にエネルギーが吸収され、満ちていくのを感じる。

 これで燃料の回収は成功だ。

 司令官は、褒めてくれるだろうか。

 喜んでくれるだろうか。

 もしもそうなら、私が力になれたのなら……嬉しいな。

 

 そもそも、私が力になれたのも、司令官が信頼させてくれたからなのだと思うけれど。

 性能の低いこんな私でも、今の力が常に出せれば戦力として期待されるかも。

 司令官の下に居れば、こんな私でも力になれる。

 もっともっと力になって、もっともっと褒めてもらいたいな――。

 

 いや、まだまだ任務は始まったばかり。

 これから何周もしなければならないパワースポット巡りの、最初の一か所目に辿り着いただけだ。

 皮算用をするにはまだまだ早い。

 後はこの調子で残りのパワースポットを周り、弾薬、鋼材、ボーキサイトを回収すれば――。

 

「――イムヤっ! 敵なのーッ!」

 

「――えっ」

 

 イクの叫びが耳に届き、続いてさらに深く潜航したイク、ゴーヤと目が合った。

 ――不意に、頭上に感じた不穏な気配。

 不吉な水音。

 顔を上げた時には、重力に従って迫り来る鉄の雨。

 私が状況を把握し、潜航の体勢を取るよりも僅かに早く、爆雷の弾けた衝撃と轟音が私を包み込んだ。

 

「きゃああーーっ⁉」

「くうっ、イムヤ! 急速潜航なの!」

「早くっ、早くーっ!」

 

 思うように動かない私の身体を、イクとゴーヤが引いて潜る。

 魚雷を再度装填するにはまだ時間がかかる。深く潜り、逃げ回るしか無い。

 しかし深海棲艦もソナーを装備している。すぐに捕捉され、爆雷が投げ込まれる。

 逃げて、逃げて、時が経つのを待つしか無かった。

 

 油断した――接近してきていたもう一隊の存在に気付かなかった。

 敵艦隊を攻撃する前に、周囲に他の艦隊がいないかを再度確認するべきだった。

 私達の強みは先手が取れる事――だが、目の前で味方の艦隊が雷撃されるのを目撃していた艦隊がいたとしたら。

 先手の有利は無くなり、敵は万全の状態、こちらは無防備な状態で爆雷の雨に晒される。

 立場は完全に逆転する。

 それくらいの事は知っていたのに、知っていたはずなのに!

 

 目的のパワースポットを前にして、そして三隻同時に仕留めた高揚感で、私達の目は眩んでいたのだ。

 しかも頭上にまで接近されてなお気付かなかったのは私だけだ。

 イクとゴーヤは咄嗟に気付き、いつもそうしていたように、反射的に急速潜航が出来ていた。

 リーダー気取りで二人に偉そうな事を言って、一番足を引っ張っているのは私だ。

 

「くっ! 私狙ってるの、アイツなの⁉」

「ま、まだ大丈夫でち!」

 

 私を左右から支えているせいでうまく動けず、イクとゴーヤも避け切れずに少しずつ被弾していく。

 私の……私のせいで!

 悔しさと、恥ずかしさと、情けなさがこみ上げる。

 それは自分への怒りとなって、ようやくエネルギーが満ち、魚雷を装填できたと共に体中から溢れ出てきた。

 

「……このぉっ! 船底に大穴開けてあげるからッ!」

「こんなんでイクを追い込んだつもりなの……⁉ 逆に燃えるのね!」

「魚雷さん、お願いします!」

 

 体勢を立て直し、敵艦隊に向けて魚雷を発射する。

 攻勢を続けていた敵艦隊は不意を突かれたのか避けるのも間に合わず、再び爆音が轟いた。

 再度訪れた静寂に、私達は用心深く周囲を索敵する。

 今度こそ、周囲に敵艦隊はいないようだ。

 大きく肩で息をしながら、私達は大きく息をついた。

 気が抜けたせいか、一気に身体が重くなる。

 

「ご、ごめん、本当にごめんね……私のせいで……」

「そんな事はどうだっていいの! イムヤ……大破しちゃってるの」

「これ以上は危険でち……母港に戻った方がいいでち」

 

 水着も破れ、艤装も身体もボロボロだ。

 中破とは違う、激しい息切れと、まるで全身で鉛を背負っているかのように身体全体が重いこの感じ――間違いなく、大破している。

 私を心配してくれるイクとゴーヤの言葉を聞いた時――私の脳裏に、前司令官の言葉がフラッシュバックした。

 

『資材を回収するだけという簡単な事も出来んのか、役立たず共め』

『何故被弾するのだ。愛国心さえあれば敵の攻撃など当たらぬはずだ。恥を知れ』

『貴様らが不甲斐ないせいで、儂の計画が台無しだ。どう責任を取るのだ』

『入渠もタダでは無いのだぞ。計算外の余計な資材を消費してしまうだろう』

『貴様らの尻拭いに余計な資材は使えんからな。入渠は許さん。入渠したければ、その分の資材は自分達で稼いでこい』

『疲れているなどと甘えた事は言うまいな。少し損傷したくらいで泣き事を言うな。根性無しめ』

 

 ――震えが止まらなかった。

 イクやゴーヤと私は違う。前司令官のそんな言葉なんて、従ってはいたものの心に響いてなどいない。

 そう思っていた。

 だが、それはトラウマとなり、深い爪痕を私の中に刻み込んでいたようだ。

 

 伊号潜水艦、私達が活躍できるはずだった資材回収。

 司令官は大淀さんに備蓄回復作戦を一任していたという事だったが、私はいきなり失敗してしまった。

 あれだけ出来る司令官だ。まさか私達が一か所目から失敗し、何の戦果も得られぬまま帰投するだなんて考えていないだろう。

 そうなると、司令官は私達の事を、私の事をどう思うだろうか――。

 

『ここだけの話だが、潜水艦の中では特にお前に期待しているのだ』

『お前にしか無い長所もあるんだ。潜水艦隊のリーダーとして、頑張ってくれ』

 

 そう言ってくれた司令官の期待を、私はいきなり裏切ってしまった。

 前司令官のあの眼が――失望、いや、最初から期待さえされていないような、あの視線が、司令官と重なった。

 さぁ、と血の気が引いていくのがわかる。

 嫌だった。怖かった。

 司令官が落胆する顔を見たくなかった。

 ――司令官に、嫌われたくなかった。

 

「ぜぇ……はぁ……ッ! ……先に、進むわ。予定通りのルートで資源を回収してから帰投しましょう」

「えっ……! そ、そんなの無理なの! 危ないのね!」

「今までだってそうやってきたじゃないっ!」

「駄目駄目、絶対駄目でち! こんなのイムヤらしく無いでち! どうして――」

「司令官に嫌われたくないのッ!」

 

 私が叫ぶと、イクとゴーヤは目を丸くして黙ってしまった。

 私はもう怒りと悲しみと悔しさと申し訳なさと、色んな感情が混ざり合って訳がわからなくなってしまった。

 ぽろぽろと涙を零しながら、イク達に思いを訴える。

 

「せっかく私に……こんな私に! 期待してるって言ってくれて! 潜水艦隊のリーダーとして頑張れって言ってくれて! だのに、だのに、油断して、こんな無様な結果じゃ……! 私、馬鹿みたいじゃない……っ!」

「イ、イムヤ……きっと、提督はそんなの気にしないの」

「そ、そうでち。ゴーヤは前の提督とは違うと思うでち」

「……せめて、補給と入渠分の弾薬、鋼材くらいは回収しないと、司令官に合わせる顔がないわよ……私は一人でも、行くから」

 

 無謀なのはわかっている。

 それでも私は本気だった。

 潜水艦で最弱の私が、大破した状態で、単艦で進むなんて自殺行為だ。

 だけどそれよりも、あの優しい司令官に嫌われる方が何倍も怖い――私は本気でそう思っていたし、イク達も私のその気持ちが理解できたようだった。

 

「そ、そんなの放っておけるわけないのね……イクも付き合うの」

「ゴーヤも一緒に行くでち……」

「……ごめん、私のワガママに付き合わせて……」

「お互い様なのね! 前提督の時は、被弾したイクをイムヤが何度も庇ってくれたから、何とか生還できたと思うの」

「ゴーヤもでち! あんな酷い毎日を生き抜けたのは、戦場でのイムヤの指示が正しかったからでち。今回もきっと……きっと帰れるよ!」

「ごめん……ありがとう……!」

 

 小破しているにも関わらず私を励ましてくれた二人に、私は泣きながら頭を下げた。

 

「お礼なんていいの。さ、早く終わらせて帰投するのね! いひひっ、帰ったらイムヤ、提督にぎゅっとしてもらって、撫で撫でしてもらうといいの!」

「な、何よそれ」

「昨日、イクの事だけじゃなくて、皆が撫でられてるの見ながら羨ましそうにしてたのも、知ってるのね~」

「べ、別に私は……そ、それに、今回は褒められるには程遠いし……」

「じゃあ次こそはちゃんと成功して、褒めてもらうといいでち! 」

 

 私を和ませる為にだろう。

 いつもの調子でからかってくるイクとゴーヤに、私もようやく小さく笑う事が出来た。

 

「……そうね、うん……この出撃から帰って、次こそはちゃんと役目を果たして、司令官に嫌われてなかったら……その時は、お願いしようかな」

「おぉっ? イムヤが珍しく素直なの! これは必ず帰投しなくちゃいけないのね~」

「そうと決まれば早く行くでち!」

 

 イクとゴーヤは私を励ますように明るく振舞いながら、左右から私の身体を支えてくれた。

 

 大破しながらも資材回収に向かわされる事は今までだって何度もあった。

 命からがら、何度も帰ってこれた。

 だから私達はここにいる。

 あと一度くらいは、きっと大丈夫なはずだ。

 今回も、無事に帰れる。そう、今回も、きっと――。

 

 そう自分達に言い聞かせながら、私達は先へと進んだのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「――満潮? 満潮っ」

「えっ、あ……な、何よ、朝潮」

 

 ふと気づけば、先頭を進む朝潮が私を振り返り、心配そうな表情を浮かべていた。

 私のすぐ目の前を進む大潮に加えて、私の後ろの荒潮も、おそらく私に目を向けている事だろう。

 しまった、と思った。

 

「大丈夫? やっぱり、少し無理をしているんじゃないかしら」

「べ、別に、そんな事は無いわ。少し考え事をしてただけよ」

 

 嘘だった。

 何かあったらすぐに考え込んで、塞ぎこんでしまうのは私の悪い癖だと自覚できているが、今回ばかりはそれでは無い。

 おそらく、何も考えてなどいなかった。

 単に、不意に襲ってきた眠気と疲労感で、ぼーっとしていただけなのだろう。

 戦場においては有ってはならない事だ。私はぶんぶんと首を振り、ぱんと頬を叩いた。

 そんな私の姿を、朝潮と大潮は怪訝そうな目で見つめていたが、また前方に目を向けた。

 

 私は今度こそ、本当に考え込んだ。

 

 私は今朝もひとつ嘘をついた。

 昨夜の夜戦演習の疲労は、まだ残っている。

 あの大きな戦いで、自分だけ第八駆逐隊から外された悔しさから塞ぎ込んでいた私を、川内さんは優しく励ましてくれた。

 もっと、もっと強くならなければならない。そう思って、川内さんの夜戦演習に参加した。

 駆逐艦の誰もが恐れる川内さん達の演習は、事実、やはりとてつもなく厳しいものだった。

 私もそれなりに高い練度であるからか、夕雲達ほど疲労はしなかったが……それでも、万全には程遠いコンディションだ。

 自分でもそれは理解できていたが、今回の編成にまた霞が選ばれていたのを聞いて、反射的に声を上げてしまった。

 

 私の練度は確かに霞より低いが、それでもこの鎮守府近海で後れを取るほど低くも無い。

 また置いてけぼりにされたくない。

 そんな思いから声を上げ、同時に「しまった」とも思ったが――その後、大淀さんに、川内さん自ら私を推してくれたのだ。

 大淀さんにも思うところがあったようで、私と川内さんの意見を取り入れてくれたが、やはり私の疲労を懸念しているようであった。

 そこが引き返す最後のチャンスだったのだろう。

 

 だが私は、もはや引き返す事などできなかった。

 もう二度と八駆の皆に置いていかれたくない、私を推してくれた川内さんの言葉を無下にしたくない。

 そんな思いから、ほとんど反射的に、大丈夫だと答えてしまったのだ。

 

 万全では無いものの、この鎮守府近海における警備であるならば、深海棲艦に後れを取る事は無い。

 そう自分を納得させた。

 

「――左舷、敵艦発見! 四隻編成、駆逐イ級、ロ級のはぐれ艦隊のようね」

 

 朝潮がいつもの堅苦しい真面目な声でそう言った。

 示された方角へと目を向けると、あちらも私達に気付いたようで、勢いよく迫って来る。

 ふぅー、と大きく息を吐いて、呼吸を整えた。

 艤装を構え、タイミングを見計らい、そして朝潮が檄を発した。

 

「――よし、突撃する! 一発必中! 肉薄するわ!」

「それっ、どーん!」

「撃つわッ!」

「仕方ないわねぇ~」

 

 敵艦はこちらと同数、一人一隻、確実に沈めれば良い。

 いつもよりも少し重く感じる艤装を構えつつ、敵の砲撃をすり抜ける。

 距離を詰め、敵の砲撃後の隙を狙い、構え、放つ。

 

「ウザいのよッ!」

 

 私の砲撃が横腹に直撃し、駆逐イ級は蝉のような断末魔と共に沈んでいった。

 よし、よし……いつも通りだ。

 身体が少し重く感じられるけれど、この程度の相手ならばやはり問題は無い。

 川内さんの推薦も、無下にせずに済みそうだ。

 内心、安堵の気持ちと共に、私は再度大きく息を吐いた。

 

「ふんっ! 手ごたえの無い子っ!」

「あらあらぁ、満潮ちゃん、気合入ってるわねぇ」

「べ、別に……私はいつもと変わらないわよ」

「ふぅん、そぉ? うふふっ、とにかく、今日は満潮ちゃんと一緒に戦えて、荒潮、嬉しいわぁ」

 

 荒潮はいつものように不敵な笑みを浮かべながら、そう言った。

 私はその言葉に嬉しくなったが、表情には出さないように胸の奥でその感情を噛み殺す。

 

「ふん……私だって、もう置いていかれるのは二度と御免なんだから……」

「大潮も気分がアゲアゲです!」

「そうね。やっぱり第八駆逐隊、この四人が落ち着くわ」

 

 大潮と朝潮の言葉に、私はもう嬉しさが堪え切れずに小さく笑みが零れてしまった。

 皆もそう思ってくれているのなら、私がもっと頑張らなければならない。

 昨夜、川内さんが諭してくれた言葉が、頭の中で反芻された。

 

『だから、私達は強くならなきゃならないんだ。大切な仲間と共に強くならなきゃ、その内、隣に立つ事も出来なくなる……。大切な仲間が危険に晒されている時に、何も出来ないって事にもなるんだ』

『満潮は今回、悔しかったね。もうちょっとだったよね。だからこそ、頑張らなきゃ。いつか、朝潮達や時雨……大切な仲間に危機が迫っている時に、自分の手で助けに行けるように』

 

 そうだ。強く……もっと強くならなくてはならない。

 すでに少しだけ置いていかれているこの現状を、何とかして変えなきゃならない。

 その内、隣に立つ事も出来なくなる前に。

 いつか、大切な皆に危機が迫った時に、助けに行けるように――。

 

 瞬間――無線にノイズが響き、雑音と共に悲鳴にも似た声が耳に届いた。

 

『――ザザッ……誰かぁーーっ! 助けてなのーーっ!』

 

 朝潮が瞬時に耳に手を当て、応答する。

 この声は――。

 

「第八駆逐隊、朝潮ですっ! 潜水艦隊ですね⁉」

『……ザザッ――鎮守府南東方向、弾薬のパワースポット付近で敵に襲われてるのーーっ!』

『ザッ……――イムヤがぁっ、イムヤが大破してるんでちーーっ!』

『このままじゃ轟沈しちゃうのーーッ!』

『ザッ……ザザザッ――ガガガガガッ……ザァーー――……』

 

 悲鳴の合間にも爆音が轟き、やがて雑音と爆音で声はかき消されてしまった。

 私達は顔を見合わせ、四方を見渡した。

 それらしき敵影や戦闘の気配は見当たらない。

 荒潮の顔から笑みが消える。

 

「あらあらぁ……鎮守府南東方向……私達と同じ方向のはずよねぇ」

「鎮守府から南東にある弾薬のパワースポット……大潮、位置がわかりません!」

「私もです……くっ、時間が無いのに……このままでは……!」

「わっ、私、わかるかも!」

 

 私はポケットの中から一枚の紙を取り出し、広げた。

 人に見せるのは少し恥ずかしかったが、私がお守り代わりにいつも持っている手作りの海図だ。

 役に立つ事があるかもしれないと思い、鎮守府近海のパワースポットの位置も原本から模写してメモしてある。

 朝潮達は海図を覗き込んで、現在の私達の位置を推測する。

 

「えぇと、目的地のC島の方角と私達の航行速度からすると、おそらく現在地はこの付近……?」

「そうねぇ。そうなると、潜水艦隊が交戦しているのは……ここから南南西ねぇ」

「よし! 時間がありません! 第八駆逐隊、南南西へ進路を変更! 全速力で潜水艦隊の救援に向かいます!」

「了解! 行っきまっすよぉ~!」

 

 私達は全力で海上を駆けた。

 幸いにも、周囲に敵影は見られない。

 早く、一刻も早く見つけなければ――。

 

「満潮ちゃん?」

 

 わかってる、わかってる!

 縦一列に隊列を組み、私の後ろを進んでいた荒潮が私に追いついたのだ。

 逆に、前を行く朝潮と大潮はぐんぐんと離れていく。

 重い、脚が重い、身体が重い!

 全力で脚部艤装をフル稼働しているのに、思うように進まない!

 

「だいっ、じょうぶ……大丈夫だから! 私に構わず先に行って! すぐに追いつくからっ!」

 

 荒潮は一瞬、私を気遣うような眼をしたが――やがて優先順位をつけたのだろう。

 前方へと目をやり、朝潮達の背を追って先に進んだ。

 全力で航行するにつれて、先ほどまでの身体が羽のように感じられるほど、全身が重くなっていった。

 早く、早く……進めっ、進めっ! 私の脚っ!

 やがて、水平線の向こうから爆音が聞こえ、黒い影が視認できた。

 ――間違いない、あそこだ!

 

「あらぁ、随分と数が多いわねぇ」

「二、四……うわぁっ、十隻以上いますよぉ⁉」

「大潮、落ち着いて。数は多いけれど艦種は駆逐艦と軽巡のみ。運悪く、水雷戦隊二隊……いや、三隊同時に発見されたようね。でも、潜水艦隊には天敵だけれど、私達の練度なら問題ないわ」

 

 速度を落とさず、朝潮達はそのまま敵の背後へと突っ込んだ。

 私も少し遅れて、同じように突撃する。

 構えた主砲が、先ほどまでと比べて格段に重い。

 思わず腕が下がってしまいそうになったが、歯を食いしばり、もう片方の腕でなんとか支えた。

 

「この海域から出ていけ!」

「てぇーーっ!」

「こんなに大勢で囲んでくれて……あらあら、素敵な事するのねぇ」

「はぁっ、はぁっ……撃つわッ!」

 

 潜水艦隊を執拗に攻撃していた深海棲艦達は、着弾の寸前になってようやく私達に気付いたようだった。

 着弾と共に爆炎が昇り、四隻の敵艦が軋みながら海中へと崩れ落ちていく。

 まだまだ、十隻以上数は残っている。

 深海棲艦の数隻が無秩序な砲撃と共に私達へと向かってきたが、残りは私達に見向きもせずに潜水艦隊を追い続けている。

 深海の駆逐艦と軽巡は、まず潜水艦を優先して攻撃する習性がある。

 重巡や戦艦、空母では手が出せないからこそ、それが自分の役目であるのだと、知性も無いのに本能的にわかっているのかもしれない。

 

「くっ、時間稼ぎか……! 大潮、満潮、荒潮! 焦らず手早く掃討します! 一発必中っ!」

「潜水艦隊の皆ーっ! 大潮がついてるからね! 頑張ってーっ!」

 

 時間が無い。

 イムヤ達が被弾するのが先か、私達が殲滅するのが先か。

 そうだ、さっきの戦いとやる事は同じ。

 敵は数こそ多いが全て格下。

 敵の砲撃を避けて、接近し、狙いを定めて、引き金を引く――ただそれだけだ。

 少々の身体の重さが何だ!

 いつも通り、演習通り、さっきと同じようにこなせばいい!

 

 向かってくる駆逐艦は四隻、一対一で撃沈すればいい。

 敵艦が砲撃を放ち――私達はその軌道を見極め、水面を蹴り、回避して――。

 

 ――え。

 判断に身体が追い付かない。

 海面を蹴ったはずなのに、何故身体が動かない?

 目の前に、敵の放った砲弾が――。

 

「きゃあぁっ⁉」

「満潮っ⁉」

 

 防御する腕すらも重くて上がらず、私は正面からまともに被弾してしまった。

 ダメージは大した事無い。何しろ相手にしているのは圧倒的に格下だ。

 私の方が断然練度が高いが、防御も出来なかったせいで中破してしまった。

 朝潮達は想定通りに迎撃に成功し、勢いを止めぬままに前方へ進んでいた。

 予想外だったのだろう、私を振り返る朝潮達に、私は爆煙に咳き込みながら叫んだ。

 

「ゴホッ、ケホッ……私は大丈夫よっ! それより潜水艦隊をっ!」

 

 その言葉に、朝潮達もどちらを優先すべきかを瞬時に思い出したのだろう。

 潜水艦隊を追い回している残りの敵艦を追い始めた。

 喉の奥が痛い。呼吸するたびに肩が大きく上下する。

 腕も、脚も、瞼も、全てが重い。

 

「……ゴホッ、ゼェ、ハァ……面白い事してくれたじゃない……倍返しよ!」

 

 歯を食いしばって主砲を構え、私は距離を詰める。

 砲撃も避けられない、こちらの砲撃も狙いが定まらないのなら、密着して零距離で放つ!

 もう一度正面から食らったとしても、最初から艤装で防御すれば耐えられる!

 

 全力で一直線に距離を詰める私に対して、敵艦は再び砲撃を――しなかった。

 

「――え」

 

 敵艦は私に背を向けて、再び敵艦隊の方へと向かったのだった。

 その先には、当然――背を向けている、朝潮達。

 

「――まっ、待ちなさいっ! 待てぇーーっ!」

 

 私は主砲を構えて、砲撃した。

 普段ならば当然のように当てられる射程距離。

 だが、艤装の重みと砲撃の反動に身体が耐えられず、踏ん張りが効かず、私の放った砲撃はあらぬ方へと着弾した。

 私は駆けた。全力で、全速力で追いかけた。

 だが、ぐんぐんと距離は離れていく、そして――。

 

「うわぁぁっ⁉」

「大潮っ⁉」

 

 私が逃がした敵艦の砲撃が、大潮の背部へと命中した。

 格下とは言え想定していない方向からの一撃に、大潮は体勢を崩してしまう。

 

「うぅっ、大潮、まだ、大丈夫だから!」

 

 大潮はすぐさま体勢を立て直し、踵を返して構え、砲撃を放った。

 私とは違い、不意を突かれたにも関わらず姿勢もブレず、正面から放たれた一撃に、敵駆逐艦は崩れ落ちた。

 だが、今後は踵を返した大潮の背後に、敵の軽巡が襲い掛かる。

 それを迎撃する為に朝潮がその正面に立ち上がった瞬間――敵艦隊の軽巡一隻がその隙をついて、朝潮側の脇を抜けて私の方へと向かってきた。

 

 ――え?

 私?

 万全では無いと感づいて、私を優先して狙いに――。

 

 声を出す間も無かった。

 朝潮、大潮、荒潮が私の方を向き、その隙を狙って背後の敵艦隊から砲撃が放たれた。

 被弾した三人は体勢を崩し、それでも瞬時に目配せをして判断を下し、朝潮と大潮は背後の敵を、荒潮は私に迫り来る軽巡を追った。

 格下とはいえ軽巡洋艦――艦種の差は残酷にも、時にいとも容易く練度の差を覆す。

 こんな状態でまともに攻撃を喰らってしまっては――。

 

 被弾。大破。轟沈。恐怖――。

 数瞬で体中を寒気が走った。

 

 嫌だ……嫌だ!

 皆と……また皆と離れ離れになりたくない!

 私も迎撃する為に――動かない、石のように、鉄屑のように、腕も脚も動かない。

 駄目だ、間に合わない。せめて、せめて防御を――。

 

「ひっ……あぁぁーーッ‼」

 

 身を護る為に必死で腕を持ち上げて盾を作り、私が反射的に目を瞑るよりも早く――敵軽巡は私の存在など見えていないかのように、私の横を通り過ぎていった。

 まるで私を嘲笑うかのように、跳ね上げられた水飛沫が私の顔を叩く。

 

 ――私は、馬鹿か。

 

 何故、敵の方から接近してくれた好機に撃たなかった⁉

 何故、至近距離からちゃんと当てれば沈められたはずなのに、自分の身を守った⁉

 

 深海の駆逐艦と軽巡は、まず潜水艦を優先して攻撃する習性がある。

 だというのに、わざわざ朝潮達を避けてまで私を狙いに来るだろうか。

 私を狙って来たのではなく、最初から標的は変わらず、それを追ってきたのではないか。

 

 今も必死に逃げている彼女達を。

 守りを固める事すらできない、駆逐艦の私なんかよりも装甲の薄い彼女達を。

 私よりも万全では無いのは、私が守らなければならなかったのは、助けを求めていたのは――。

 

 第八駆逐隊の皆に置いていかれたくない。

 万全では無いものの、この鎮守府近海における警備であるならば、深海棲艦に後れを取る事は無い。

 沈みたくない。

 皆と離れ離れになりたくない――。

 何故、私は最後まで自分の事しか考えられなかった⁉ 

 

 荒潮の砲撃音が轟いた。

 それが着弾するよりも早く、敵軽巡は周囲に爆雷を放つ。

 待って、待って。

 声にならない声を上げて、私は鉛の身体を翻し、手を伸ばした。

 届かない。届くはずもない。

 止められるわけもない。

 嘘、お願い、ちょっと、ねぇ。

 待って、待って、違うの。

 あの時、嘘をついたのは。

 そんなつもりじゃなかったの。

 私はただ、皆と離れたくなくて。

 私がここに来たのは。

 私が守りたかったのは。

 それだけは、嘘じゃないの。

 どぽん、どぽんと音を立てて、無慈悲にもそれは海中に消えて、そして――。

 

 ――私は、馬鹿だ。

 

 この瞬間になってようやく理解した。

 私は何を悠長に考えていたのだ。

 

 何が、その内、隣に立つ事も出来なくなる前に、だ。

 何が、いつか、大切な者に危機が迫った時に助けに行けるように、だ。

 

 皆の隣に並び立てない『その内』は。

 大切な者に危機が迫る『いつか』は――。

 

 

 ――『今』だ。

 

 

 荒潮の砲撃が背部に着弾し、敵軽巡は爆煙を上げて海中に崩れ落ち。

 数瞬の後に、海中からひときわ大きな爆音と衝撃が響いた。

 

「いやぁぁあーーっ‼ イムヤァーーーーッ‼」

 




お待たせいたしました。
当初は元帥視点の予定でしたが、構成のバランスを再考した結果、艦娘視点の前半を先に投稿する事にしました。
次回はおそらく第三章ラストの艦娘視点の予定です。
またしばらくお待たせしてしまいますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。


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041.『理解』【艦娘視点②】

 脱衣所から先に出てきた佐藤元帥は、離れた場所で待機していた私達の姿を見つけると、まっすぐに向かってきた。

 出迎えに向かった七人だけではなく、その他の艦娘も勢揃いしているのを見て少し驚いていた様子であったが、その厳しい眼差しは変わらない。

 あぁ――私達はその目を見た瞬間、諦念と共に全てを察した。

 

 青葉の悲鳴を聞いた私達は頭の中が真っ白になり、誰一人として声を発する事も、身動き一つ立てる事もできなかった。

 しかし、それに続いて無線機を通して聞こえてきた、元帥命令を破った罪を一人で被ろうとした青葉の言葉。

 思考を再開した私の頭は、一瞬、躊躇した。

 青葉の思いも痛いほどによく理解できる。

 青葉の気持ちを無下にしないよう、出迎えの七人以外は再び戻ってもらうべきかどうか。

 そして自分達は知らぬ存ぜぬを押し通し、青葉が望む通りに一人で罪を被ってもらうべきか。

 その青葉の罪は、提督が土下座をした事で不問となった。

 つまり、青葉一人に罪を被ってもらった方が上手く話は進むのだが――。

 

 無論――そんな事は出来なかった。

 バレた時には責任を取ると言い切った霞ちゃんもその場から動こうとはせず、それは他の皆も同様であった。

 青葉一人だけに罪を被らせる事は出来ない。これは私達全員の背負った罪なのだと――それが、私達が言葉を交わさずとも出した結論だった。

 

 そしてそれは――やはり、更に嘘を重ねるよりは、正しい選択だったのであろう。

 佐藤元帥は私達の目をゆっくりと見据え、言ったのだった。

 

「……青葉くんは咄嗟に身体の陰に隠していたようだが……土下座をしようとした神堂提督を止めようと泣き縋った時に、露になったよ。無線機と集音器らしき機械がね……聞いて、いたんだろう?」

「……はい……」

 

 佐藤元帥は聡明な御方だ。もはやこれ以上、嘘は重ねられない。

 観念して目を固く瞑りながら私が正直に答えると、佐藤元帥は怒るでも呆れるでもなく、何とも言えない表情で腕を組んだ。

 

「やはりそうか……あの場では彼の顔に免じて話を合わせたが……そうなると、青葉くんはあの状況で更に嘘を重ねたという事になるな」

「あっ、あのっ! そ、それは私達を庇う為に……!」

「佐藤元帥! 今回の愚行はこの長門が……!」

「いや、この那智が……!」

「もういいんだ。君達を責めようというわけじゃない。青葉くん一人だけに聞かれていたのであれば配置替えもやむなしと思っていたが、流石に全員に聞かれてしまったのではね……もはや罰など何の意味も成さない。どうしようも無い……そもそも、君達を罰する軍紀など存在もしないのだからね」

 

 佐藤元帥はそう言って、申し訳なさそうな表情で私達に言葉を続けた。

 

「むしろ、先に君達に偽るような事をしてしまったのはこちらの方だ……こんな真似までさせてしまって済まなかったね」

 

 佐藤元帥が何を言っているのか訳がわからなかった。

 何故、即行で元帥命令を無視した私達を咎めないのか。

 何故、逆に申し訳なさそうなのか。

 神堂提督に関して多くの事を隠していたのは、それ相応の事情があったという事くらい私達にも理解が出来ている。

 只者では無いその素性や、何よりも、提督自身が隠したがっている持病。

 命令を無視してまでそれを詮索してしまったのは、私達の過ちだ。

 出歯亀のような真似をしてまで……。

 

 だというのに、佐藤元帥は、私達に隠し事をしていたという事を申し訳なく思っているという事だろうか。

 親艦娘派のお優しい方だとは言え、神堂提督も佐藤元帥も、それは流石に寛大すぎるのではないだろうか。

 私達は恥ずかしさと罪悪感で胸がいっぱいになってしまい、何も言う事ができなかった。

 

 佐藤元帥はしばらく考え込んだ後に、私達一人ひとりの目を確かめるように見回した。

 即行で元帥命令を破ってしまったという罪悪感から思わず目を伏せてしまったが、佐藤元帥は少ししてから口を開いた。

 

「私は本来、元帥なんて呼ばれるような立場の人間では無い。それにも関わらずこんな大仰な役職に就いてしまったのは、君達が望んだからだ。艦隊司令部という組織や、元帥という上官の存在をね。だからこそ、正直、驚いているよ。君達自身が望み、何よりも君達自身が重視している元帥命令に、君達が自らの意思で従わなかったという事実に」

 

 佐藤元帥の言葉に、私達も自省するように考え込む。

 何しろそれは、私達自身もよくわかっていない事であり、私達自身も驚いている変化だったからだ。

 今までであれば、こんな愚行を妙高さんや香取さん、鳳翔さんまでもが見逃すという事など有り得なかった。

 いや、それ以外の艦娘でも、ほとんどが自身の倫理観と照らし合わせれば、行動には起こせなかっただろう。

 しかし今、ここには鎮守府に残る全ての艦娘が集まり、その意思を一つにして愚行を犯した。

 私はその戸惑いの気持ちを、正直に口にしたのだった。

 

「……正直に、申し上げますと……私達も、わからないんです。提督のせいにするわけでは無いですが……神堂提督が着任してからというもの、私達は確かにどこかおかしくなってしまったのかもしれません」

「艦隊司令部や私達に見切りをつけたという事ではないのかい?」

「い、いえ、まさか! 勿論、元帥命令の重要性は理解できています。それにも関わらず、このような愚行を犯してしまったのは……信じて頂けるかわかりませんが、私達自身も、本当に訳が分からず……」

 

 私の言葉を聞いた佐藤元帥は、再び皆を観察するように顔を向け、そしてまた腕組みをして考え込んでしまった。

 しばらくすると、脱衣所から真っ赤な顔をした青葉が駆けだしてきた。

 ふらふらとよろめきながら私達へと駆け寄り、目を回しながらそのままへたり込んでしまう。

 

「あ、青葉、見ちゃいました……」

「な、何をっ⁉ し、しっかりして!」

 

 へたり込んだ青葉に皆で駆け寄る。

 青葉の肩を長門さんががしりと掴み、その目をしっかりと見据えて声をかけた。

 

「済まない、お前一人に抱え込ませるような事を……! だが、佐藤元帥には全てお見通しだったよ……」

「そ、そんな……」

 

 青葉はあの状況で更に嘘を重ねていた事がバレた為か、顔をみるみる真っ青にして、その場に顔を伏せて崩れ落ちてしまった。

 そんな青葉の背中を、那智さんがぽんと叩いて言ったのだった。

 

「貴様、一人で罪を被ろうなどと馬鹿な真似を……」

「だ、だって、戦闘でも足手纏いなのに、唯一の特技の潜入すらも失敗してしまって……これでは自分の存在価値など」

「馬鹿、艦娘として姿を現して以来、共に海を駆けてきた……貴様も我らの大切な(ともがら)ではないか。貴様がどうかは知らんが、少なくとも我らは全員そう思っている。そう卑屈になるな」

「な、那智さん……! 皆さん……!」

 

 その場に泣き崩れた青葉を励ますように、那智さんと長門さんはその背にぽんと手を置いた。

 そんな私達の姿を眺めていた佐藤元帥であったが、タイミングを見計らって、私に目を向けて言ったのだった。

 

「彼の……神堂提督の舞鶴鎮守府への異動案についても、聞いていたのかい?」

「……はい」

 

 佐藤元帥の言葉に、艦娘達の注目が集まる。

 青葉も顔を上げて、私達に目を向けた。

 佐藤元帥は真剣な表情で全員の顔を見回し、確かめるような口ぶりで言葉を続けた。

 

「君達はどう思う」

「……先ほど皆とも話したのですが、致し方ない事かと思います……」

「そうか……理解が早くて助かるよ。彼に横須賀鎮守府の運営は荷が重い……」

 

 佐藤元帥は私の答えに小さく頷いた。

 それに続くように、龍驤さんが口を開く。

 

「せやな……あの司令官は救いようの無いアホや。自分の事は二の次で、無理して、頑張って……また心身を壊されるのはまっぴら御免やで」

「そうですね。提督の事を考えるのならば、佐藤元帥が仰った通り、ここよりも舞鶴鎮守府がちょうどいいでしょう」

「えぇ、赤城さんの言う通りね。これ以上提督に重荷を背負わせる訳にはいかないわ」

 

 龍驤さんに続いて、赤城さんと加賀さんがそう言った。

 その言葉に佐藤元帥は少し意外そうな表情を浮かべる。

 艦隊司令部に対して特に反抗的であった加賀さんの、提督を労わる言葉に驚きを隠せなかったのかもしれない。

 更に、那智さんと磯風が言葉を続けた。

 

「フン……奴自身はやる気のようだがな。艦隊司令部のみならず、この国自体が、ここで奴が指揮を執る事に不安を覚えているというのならば、致し方ない事だろう」

「この磯風が共にある。心配はいらない……と言いたいところだがな。フッ、どうやら司令は、この磯風の手にさえ負えないようだ」

 

 佐藤元帥が目を丸くして、二人に目を向ける。

 特に磯風の言葉に驚いたようで、佐藤元帥は磯風に声をかけた。

 

「い、磯風くん。ところで、君は昨夜、神堂提督に秋刀魚を焼いたと聞いたが……」

「む? あぁ、焼いたさ。忠誠を込めてな。それがどうしたというのだ」

「い、いや、失礼かもしれないが、その……意外だと思ってね。君が手料理を作ったのもだが、彼に忠誠を誓うなどと言ったという事が……」

「フッ、何を言っている。あの司令のような人物こそ、この磯風が忠義を尽くすに相応(ふさわ)しい……至極当然の事ではないか」

 

 磯風がドヤ顔で腕組みをしながら、微笑みと共にそう言った。

 非常にうざったかった。

 浦風や浜風、谷風、千歳さん達からもジト目を向けられていたが、気付いていないようだった。

 佐藤元帥が磯風の言葉に驚きを隠せない様子であったから水を差すような真似はしなかったが、「最初は反抗的だったようです」と言ってやりたかった。

 と、そこで長門さんが一歩前に出て、佐藤元帥に声をかけた。

 

「佐藤元帥。磯風だけでは無い。提督が着任して僅か三日だが、横須賀鎮守府の全員が忠誠を誓ったと言っても過言では無い。ゆえに、舞鶴鎮守府への異動は、我々にとっては苦渋の決断なのだ……!」

「そ、そうか……いや、しかし、受け入れてくれてありがとう。君達の気持ちもわかるが、彼の為、引いてはこの国の混乱を避ける為なのだ」

「あぁ、提督のような人物がこの国にいたと知れただけでも良かったと……心からそう思うよ」

 

 長門さんの言葉に、佐藤元帥も何かを考えているようだった。

 瞬間――崩れ落ちたままの体勢であった青葉がいきなり立ち上がり、叫んだのだった。

 

「あっ、青葉もッ! 青葉も提督に着いて行ってはいけないでしょうかッ⁉」

「なっ――あ、青葉っ、何を言っているの⁉」

 

 いきなりの青葉の提案に、私達は、そして佐藤元帥も驚きを隠せなかった。

 提督の事を考えれば、舞鶴へ異動するほかない――それを受け入れてなお、自分も着いて行くなどという発想が出るなんて考えてもいなかったのだ。

 というよりも、たとえ考えたとしても、それを口にしていい訳が無い。

 だが、青葉は佐藤元帥に詰め寄るように言葉を続けた。

 

「提督は拳骨一つで今回の愚行の罪を水に流して下さり、更に青葉にこう仰りました。お前は、私の艦隊に必要な存在なのだと……! 唯一無二の個性を活かしてほしいのだと……! そしてこう諭して下さりました。握れば拳、開けば掌……力の扱い方を誤らぬ、強い心を持てと! 青葉は、青葉は、提督の下でっ、力の扱い方を学んで行きたいのですっ!」

 

 青葉の必死さに、佐藤元帥も面食らっていたようであった。

 少し落ち着くように、と声をかけてから、佐藤元帥は確かめるように口を開いた。

 

「……彼が、そう言ったのかい?」

「はっ!」

「そうか……うん、そうかぁ……彼が、そんな事を……」

 

 ……何だろう。何故、佐藤元帥は心なしか嬉しそうなのだ。

 提督に特別な御言葉を賜った青葉に内心嫉妬しつつも、佐藤元帥の表情を観察する。

 何と言うか……何だろう。一体何なんだろう……。

 感心しているのは確かなようだが……元帥が一提督の言葉にここまで反応するだろうか。

 ましてや、こんな提案を受け入れるわけが――。

 

「……うん、そうだな。舞鶴には君の相方の衣笠くんもいる事だし……青葉くん一人くらいなら、再編成時に舞鶴に一緒に異動しても支障は無いかもしれない。そうなると、代わりに舞鶴から高雄くんと愛宕くん辺りを横須賀に――」

「えぇぇっ⁉ ちょ、ちょっと待って下さいっ! 佐藤元帥っ! い、いいんですか⁉」

 

 私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 佐藤元帥も悩ましそうな表情であったが、がしがしと頭を掻きながら、私の問いに答える。

 

「うぅむ、しかし、彼も青葉くんもそう望んでいるのであれば……」

「佐藤元帥、一人だけ抜け駆けは良くないだろう。ならばこの磯風も連れて行ってもらおうか」

「おどりゃ磯風ェ! わりゃえぇ加減にせんとシゴウしゃげたるぞ!」

「どの口が抜け駆けは良くないなどと言うのですか!」

「かぁ~っ! べらんめぇ! 流石にこの谷風さんの堪忍袋の緒も切れちまったぜ! 浦風、浜風! とっちめちまえ!」

「こ、こら! やめろ谷風! 青葉が行くなら司令の片腕たるこの磯風も共に行かねば……!」

「だからいつ磯風が提督の片腕になったんじゃ!」

 

 磯風が口を開くたびに騒ぎが起こる。

 頼むから本当に黙っていてくれないだろうか……。

 第十七駆逐隊の三人に関節を決められ押さえつけられている磯風から目を外し、周りに目を向ければ、明石や夕張を始めとした他の艦娘達の目の色まで変わっていた。

 おそらくは、何かしら理由をつければ提督に着いていけるかもしれないという考えが浮かんでしまったのだろう。

 本音を言えば、私だって、私だって……!

 何やら嫌なざわめきが起こり始めていたので、私はコホンと咳払いをして、先手を打ったのだった。

 

「佐藤元帥。提督に着いて行きたいのは青葉だけでなく皆同じです。一人だけ許してしまうと、磯風を見ればわかるように次々に手が上がり、やがて内部崩壊に繋がりかねません。青葉もここに残るよう意見具申致します」

「う、うん。そうだね……青葉くん、済まないが……やはりやめておこう」

「がーん……そ、そんなぁ」

 

 がっくりと肩を落として落ち込んでしまった青葉の両肩に、夕張と明石がぽんと手を置いた。

 諦めろ、という事である。

 他の皆も私の言葉で我に返ったのか、冷静を取り戻そうと咳払いなどをしていた。

 

「何を騒いでいる」

 

 ――提督の声に、私達は脊髄反射的な速度で隊列を作り、提督の方へ向かい直り、敬礼した。

 佐藤元帥が目をぱちぱちさせているのが視界に映る。

 神堂提督が、青葉が置き忘れてきたのであろう無線機と集音器をその両手に携えているのに気付いた瞬間、私はもう目眩がした。

 あぁ、若干怒っているような気がする……!

 せっかく庇ってあげたというのにこんなヘマをしている青葉に対して若干怒りを感じているような気がする……!

 隣に立つ青葉を横目でちらりと見てみると、白目を剥いて口から魂が抜けていた。

 

「青葉。何やら落とし物のようだが……これは没収だ。いいな」

「ハ、ハイ」

「それと……今回の件に関わっているのは青葉一人。そうだな?」

「エッ」

「……そうだな……⁉」

「ハッ、ハイ!」

 

 青葉が白目を剥いたままそう答えると、提督は私に目を向けた。

 一瞬目が合ったが――駄目だった。

 私達が盗聴などするはずがないと青葉を庇い、さらには土下座までして下さった提督の。

 人間に逆らった兵器と警戒されている私達の風評を良くする為に、勲章さえも辞退して下さった提督の。

 私達の浅はかさが、そんな提督の想いを無下にしたという罪悪感から、私は提督のまっすぐな目を見る事が出来なかった。

 思わず唇を噛み締め、顔ごと目を伏せてしまう。

 

 それは私だけでは無かった。

 提督は次々に艦娘達に目を向ける。

 皆、私と同じように、提督の瞳から目を背けた。

 直視など出来るはずが無かった――。

 私達を責めているわけでは無いとわかっていながらも、提督の鏡のような瞳を見ていると、自らの浅慮さが導いた過ちの大きさに向き合わざるを得ないのだ。

 駄目だ……私達に提督と合わせる顔など無い。

 しばらくは目を合わせる事も出来る自信が無い……。

 

 自業自得ではあるのだが、犯した過ちを自省していると、全員に目を向け終わったのか、提督は佐藤元帥に顔を向けて言ったのだった。

 

「……そういう事です」

「う、うむ……わかった。そういう事にしておこうか……」

 

 ――なっ……⁉

 私は思わず声が出そうになるのを必死で堪えた。

 それに気付いたのは私だけでは無いだろう。

 佐藤元帥は私達の犯した過ちを当然理解できている。

 無線機と集音器を手にしている神堂提督も同様だ。

 だが、提督は、それでも青葉一人の愚行であると主張している。

 私が先に考えていた通り、もしそうであるのならば、すでにその罪は提督によって赦されているからだ。

 ここで私達全員同罪であるなどという事になってしまっては、流石に提督でも庇いきれなくなるのではないだろうか。

 

 しかし、あまりに強硬手段。あまりにも無理がある物言いであった。

 それにも関わらず、提督の一言は、佐藤元帥に有無も言わさず、それが真実であると頷かせた。

 提督の言葉が鶴の一声となった。

 提督が白と言えば白、黒と言えば黒――元帥がそのように意見を変える事などあるだろうか。

 否。ならばこれは一体、どういう事だろうか。

 もう私などの頭では理解できなかった。

 

 目を伏せながらも、何とか提督の目を見てみる。

 あぁ、落ち込んでいるように見える……。

 信じていた私達がこんな愚行を犯した事を、心から残念に思っているのだろうか……。

 提督の想いを裏切り、無下にしてしまった。

 私達は申し訳無さと不甲斐なさから無意識に歯を食いしばり、拳を握りしめ、肩は小さく震えた。

 

「そうだ、神堂提督。先ほど話した通り、私は急いで帰らねばならないのだった……済まないが、ここで失礼するよ」

「あっ、そうでしたね。それでは正門までお見送りを……」

 

 佐藤元帥と提督がそんな会話をしているのを聞いていた時――港の方向から一人の妖精さんが飛んできた。

 妖精さんは長門さんの前で止まり、身振り手振りで何かを伝えようとしている。

 勿論私達では何を言っているのかはわからないのだが――何やら慌てている事だけは私にも汲み取れた。

 

「む……遠征艦隊が帰投したのか」

「長門さん、そこまでわかるんですか? 凄いですね……」

「まぁ、何となくはな……しかし、何やら様子がおかしい。まるで急いで来てくれと言っているかのようだ」

 

 長門さんも同様の結論に達したようだ。

 私と顔を見合わせて、こくりと頷く。

 おそらく私と同じく、ある違和感に気付いたのだろう。

 気付けば、提督も妖精さんに気付いているようで、こちらに顔を向けていた。

 それを見て、佐藤元帥が声をかける。

 

「長門くん、何かあったのかい?」

「はっ、妖精の様子を見るに、遠征艦隊が帰投したようなのですが、何やら様子が……」

「あぁ、それでは君達はそちらに向かってくれ。神堂提督も。悪いが、私はこれで失礼するよ」

「は、はっ。しかし、お見送りは……」

「よろしければ、佐藤元帥には私達が付き添いましょうか」

 

 そう口にしたのは、鳳翔さんだった。

 隣には間宮さんと伊良湖さんも控えている。

 今は第一線を退いている鳳翔さんは、かつて佐藤元帥がこの横須賀鎮守府で指揮を執っていた時の秘書艦だったらしい。

 まだ提督の資質を持つ者の存在すら明らかになっていない頃の、苦しい戦いの毎日を共に過ごした、戦友のような存在だ。

 そんな鳳翔さんと、戦闘要員では無い間宮さん、伊良湖さんならば、遠征艦隊の出迎えへ向かわずとも支障は無い。

 そう判断したのか、佐藤元帥はどこかほっとしたような表情で、答えたのだった。

 

「おぉっ、鳳翔くん、間宮くん、伊良湖くん。それでは君達にお願いしようかな」

「はい。御一緒致しますね」

 

 佐藤元帥が私達の方を向き直ったので、私達も提督と共に元帥に向かい、敬礼して別れの挨拶を交わした。

 詳しい事が決まったらまた連絡すると提督に言い残し、佐藤元帥は鳳翔さん達と共に鎮守府正門へと向かう。

 その背をしばらく見送ってから、提督は港へと向かって歩き出した。

 私達は声をかける事もできず、ただ無言で、その後ろに着いて行った。

 

 何故だろうか――嫌な予感がする。

 普段であれば、妖精さんがこのようにして知らせてくるなどという事は無かった。

 艦隊が帰投する場合、今回であれば艦娘のまとめ役であり鎮守府に待機している長門さんか私のどちらかに、帰投を知らせる無線が入るはずだ。

 それ以外にも変わった事があったのならば、随時無線が繋がるようにしてある。

 だが、私にも長門さんにも、そのような連絡は一切入ってこなかった。

 

 何かが、とんでもなく悪い何かが起きているような予感がする。

 もはや、私の手ではどうしようもないような――。

 私のその予感が外れてくれている事を願いながら、私はただ前を歩く提督の広い背中を見つめる事しか出来なかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 気を失っていたのだろうか。

 私は今、何を――脚と掌に触れる冷たく固い地べたの感触。

 重力の重み。無くなった水圧。

 いつの間にか、帰投していたのか。

 

 ――重い瞼をうっすらと持ち上げると、見慣れた鎮守府の景色、その視界の全てが海色に染まっていた。

 まるで単色に加工された写真のように、赤も白も緑も何もかもが、一色に塗りつぶされていた。

 海面を通して見ているかのように、薄い青、深い蒼――ゆらりゆらりと光に揺らめき、色合いが変わる。

 あぁ、今から私は沈むんだな。

 何故か、自分でも驚くくらい、冷静に飲み込む事が出来た。

 あぁ、そうか。

 多分、私は知っているんだ。

 薄い青色がだんだんと遠ざかって行って、深い深い蒼色に染まって、青は黒になり、最後には視界の全てが闇に包まれる。

 耳に届く音もだんだんと消えていき、最後には、静寂。

 肌に触れる温度も消えて、冷たい冷たい、海の底で、一人。

 

 私の視界に映る、私の手から、光の粒子が立ち上っている。

 あぁ、そうだ。今まで沈んだ子も、そうだったらしい。

 限界以上の損傷を負った艦娘の身体からは、こうやって光の粒子がきらきらと立ち上る。

 しばらくは触れる事もできる。仲の良い子がそうなった時に、沈ませないようにと必死にその手を掴んだ子もいたらしい。

 だが、時間が経ち粒子化が進むと、その身体は薄く透け、触れる事さえできなくなってしまう。

 そうなると、もう駄目だ。

 いくら掴もうとしても、その手をすり抜けて――ただ、海の底に消えていくのを見ているしか無い。

 今の私のように、陸に引きずり上げられた者もいたらしいが、最後には光の粒となって虚空に舞い、海風に吹かれて消えていくのを見ているしか無かったそうだ。

 

 ――あぁ、沈んでしまったんだなぁ。

 

「……何が……一体、何があったというの……」

 

 大淀さんが、震える声でそう呟いた。

 私達を、駆けつけてきた鎮守府の皆が囲んでいる。

 私の目の前には司令官が立っているようだ。

 その表情を確かめる勇気が私には無かった。

 不思議と、息は切れていない。

 

「……朝潮。状況を、報告します。朝潮、大潮、満潮、荒潮――中破。潜水艦隊、伊19、伊58――中破……伊168、大破後、敵の爆雷を避けられず……ここまで連れてきましたが……」

「ひっ、ひっ……ひぐっ、イ、イムヤが、初戦で大破しちゃったの……! それで、て、提督の期待に応えたいからって、嫌われたくないからって……!」

「い、今まで大丈夫だったから、今回もって思ったんでち……! うっ、うっ、うぅぅ……!」

 

 朝潮と、イク、ゴーヤが状況説明をしてくれた。

 改めて説明されると、私は馬鹿だなぁ、なんて、どこか他人事のような感想が浮かんだ。

 イクとゴーヤが泣きすぎて声が出なくなってしまったので、朝潮が説明を続ける。

 

「大破進軍をした先で、運悪く敵水雷戦隊三隊に同時に捕捉されてしまったようです。無線を受けて、私達は救援に向かいましたが……その、申し訳ありません。満潮が、疲労を隠していたようです。万全に力を発揮できなかった為、私達の連携が上手く行かず、体勢、戦況を立て直すまでの隙を狙われ、イムヤさんの被弾を許してしまいました……大変、申し訳、ありません……」

 

 朝潮が悔やんでも悔やみきれないといったような表情で頭を下げた。

 それに続いて、イク達の無線を受け取り、途中から合流してくれた第六駆逐隊の響が口を開いた。

 

「……私達も救援の無線は受け取っていたんだが、距離が遠くて、場所も正確にわからなくて、間に合わなかった。合流できたのは、ついさっきだ……」

「ひっ、ひっく、ひっく、い、電が悪いのです、パワースポットの場所を間違えて覚えていたから……!」

 

 響以外の三人は号泣してしまっていた。

 悪い事をしたなぁ、これなら助けを呼ばずに、イクとゴーヤに逃げてもらって、私だけで沈んでいた方が迷惑をかけなかったかもなぁ。

 なんて、まだそんな他人事のような感想が浮かんでくる。

 悪い事をしたと言えば、そうだ、満潮は大丈夫だろうか。

 自分のせいで助けられなかった、だなんて思ってほしくないなぁ。

 悪いのは私なのだから。

 

「……大破、進軍を……したというのですか……っ⁉」

 

 大淀さんが、声を震わせながら小さく叫んだ。

 あぁ、大淀さんにも悪い事をしたなぁ。

 普段から、大破進軍は危険だからと念押しされていたのに。

 前提督の指揮下ではそれに従うしか無かったけれど、今は違うのだからと言われていたのに。

 作戦に不備があったわけでは無い。

 大淀さんの想定外の事をしてしまったのは私なのだ。

 

 ――あぁ、本当に、人に迷惑をかけてばかりの、駄目な潜水艦だったなぁ。

 

 性能も低いのに、命令にも従えず、こんな簡単な任務もこなせない。

 私を運用する事自体、資材の無駄だったんじゃないかなぁ。

 

 私の背中に添えられていたイクとゴーヤの手が、不意に、私の身体をすり抜けた。

 

「――えっ……えっ、えっ、あっ、あぁぁっ……! いやっ、いやぁーーっ! イムヤァーーッ‼ いやなのーーっ‼」

「行っちゃ駄目でちーーっ! あっ、あぁっ! 何で、何で、触れられないの……⁉」

 

 あぁ、もう、いつのまにか、ここまで粒子化が進んでたのか。

 触れられるはずもないのに、イクとゴーヤが泣きわめきながら、私を掴もうと手を振り回している。

 その度に、私の身体をすり抜けていく。

 馬鹿だなぁ……もう、無理なんだから。

 馬鹿みたいだから、やめた方がいいよ。そんなに泣いて、喚いても、もうどうにもならないんだから。

 

 気付けば、視界も深い蒼に染まって、もう前が見えない。

 だんだんと、耳元で喚いているイク達の声も遠ざかっていく。

 吹き抜ける海風も感じなくなって、消えて、だんだんと、あぁ、冷たい、冷たい、寒いなぁ。

 

 あぁ、暗くて、冷たくて、静かだなぁ。

 

 ――そうだ、あぁ、そうだ。

 何で忘れていたんだろう。

 ここまで連れてきてと頼んだのは私だった。

 

 ――司令官。

 

 あぁ、思い出さなければ良かったかなぁ。

 まだ目の見えるうちに、勇気を出して顔を上げれば良かった。

 最後に一目だけでも、その顔が見たかった。

 出来ればあの笑顔が良かったけれど、こんな無様な姿じゃ、無理だろうなぁ。

 きっと、怒らせてしまっただろう。

 それとも、こんな簡単な任務すらもこなせないのかと、呆れられてしまっただろうか。

 

 あぁ、あぁ、それでもいい。

 怒り顔でもいい、私に失望した顔でもいい、何でもいいから、貴方の顔が見たい。

 目の前に広がるのは、真っ青な闇。

 

 怒鳴り声でも何でもいい。

 何でもいいから、もう一度だけ、貴方の声が聞きたい。

 耳に届くのは、永遠の静寂。

 

 あぁ、あぁ、思い出さなければ良かったかなぁ。

 今頃になって、未練が出てきた。

 粒子化が進む前に、ぎゅっと抱きしめてもらえばよかったなぁ。

 頭を撫でてもらえばよかったなぁ。

 

 粒子化が進んだ今じゃあ、もう出来ない。

 抱きしめてもらう事も、頭を撫でてもらう事も。

 あぁ、これは罰なのかもなぁ。

 色んな人に迷惑をかけて、心配ばかりかけて、何も成し得なかった駄目な潜水艦への、罰なのだ。

 

 ――後悔してばかりの、人生だったなぁ。

 

 ――そうだ、あぁ、そうだった。

 司令官に、伝えたい事があったのだ。

 こんな私に、期待してるって言ってくれて、ありがとう。嬉しかったよ。

 だけど、それに応えられない、最後まで駄目な潜水艦でした。

 資材も回収できませんでした。ごめんね。

 

 あぁ、もう少し早く思い出せば良かったなぁ。

 視界の全てが闇に包まれて、司令官が、見えない。

 何も、見えない。

 何も、聞こえない。

 何も、感じない。

 

 いや、まだだ。

 まだ、後悔するには早い。

 頑張ろう、もう少しだけ、頑張ろう。

 惨めでも、無様でも、力を振り絞って、最後まで。

 

 声は、出せるかなぁ。

 二言、いや、せめて、一言だけでも、絞り出せるかなぁ。

 

 私はもう自分の身体が形をとどめているのかさえわからなかったが、その手を前に伸ばした。

 その指には何も触れない。何も感じない。

 それでも私は声を振り絞った。

 

「司令官……そこに……そこに、いる……?」

 

 何も聞こえない。何も感じない。

 自分の声さえ聞こえなかった。

 それでも私は声を振り絞った。

 司令官を心配させないように、短い間だったけれど、貴方の指揮下で戦えて本当に良かったと、そう伝える為に、精一杯、笑顔を作りながら、言ったのだった。

 

「……資材、回収、出来なかった……ごめん、ごめんね――」

 

 

 

 ――瞬間。

 

 

 

 私はこの瞬間を、この景色を、おそらく一生忘れる事は無いだろうと思った。

 不意に、一陣の風が舞い上がった。

 深い青に塗りつぶされていた視界が一瞬にして晴れ――それは、そう、まるで深海から急浮上して、水面に顔を出した時のように――私の世界に、鮮やかな色が満ちた。

 太陽の光に目が眩む。

 どこまでも広がる空は眩しいほどに青い。空を泳ぐ雲は鮮烈なほどに白い。

 周りを囲む艦娘の皆は、まるで色とりどりの花畑のようだ。

 ひゅう、と全身を撫でる(ぬる)い海風が、やけに暖かく感じられた。

 静寂はかき消され、風に草木の揺れる音、私達を囲む艦娘達のどよめき、全てがうるさく感じられた。

 

 理解が追い付かなかった。

 私の目の前には、怒りを堪えているような表情で、司令官が仁王立ちしている。

 私はそれを、ただ固まって見上げるだけだ。

 

 見える。司令官の顔が、見える。

 

 ひらり、と、私の目の前を何かがかすめた。

 薄い、薄い、桜色――桜の花弁だ。一枚、二枚、いや、数えきれない程のそれが、私達の頭上から舞い降りてくる。

 桜の木なんて、この近くにはどこにもない。

 いや、まず、桜の季節では無い。

 やがて、私の耳に、いや、頭に直接染み渡るように、どこからか荘厳な音色が響いてきた。

 初めて聞く曲だ。だが、どこか懐かしいような。

 仮に、この曲に名前を付けるのであれば、『提督(あなた)との絆』――不思議と、そんな言葉が頭に浮かんだ。

 季節外れの桜の花びらに、(おごそ)かな音色――何もかもが、訳がわからなかった。

 だが、それは幻視でも幻聴でも無いという確かな実感があった。

 周りの皆も、耳に手を当てて辺りを見渡したり、目を丸くして空を見上げているからだ。

 

 ふと、地面に目をやると、私の目の前で、桜色の法被を着た妖精さんが、バシバシと小さなドラム缶を叩いていた。

 ドラム缶からぶわっ、とモヤが立ち上り、それは私の――いや、イクやゴーヤ、私達、皆の身体へと染み渡っていった。

 あぁ、暖かい……これは、補給? こんなところで……?

 妖精さん達は持ち場を離れない。

 補給をするには、工廠まで行かなきゃならないはずなのに。

 何で……こんなところに妖精さんが……?

 

 気が付けば、私のボロボロになった艤装が、どこかへと運ばれていくのが目に映った。

 まるで蟻が獲物を運ぶかのように、よく見てみれば、工廠の妖精さん達が私の艤装を数人がかりで抱えていた。

 やはり、薄い桜色の法被――その背には、さくらんぼの意匠が施されていた。

 ……桜? この、舞い散る桜と、何か関係が……?

 えっ、いや、だから何で、こんなところに妖精さんが……。

 妖精さん達は持ち場を離れない。

 艤装の修理も、自分達で工廠まで行かなきゃならないはずなのに。

 妖精さん自らが運びに来るなんて……そんな事、今まで……。

 

 私の視界に、また別の妖精さんの姿が映った。

 こちらもまた桜色の法被を身に着けており、ヘルメットを被って、木材のようなものを運んでいる。

 私の身体によじ登り、全然痛くないが、何やら金槌を叩きつけたりしている。

 これも、工廠の妖精さん……いや、違う――えっ、嘘、これは、格好が違うけれど、まさか、応急修理要員……。

 

 応急修理要員は、滅多にその姿を見せない妖精さんだ。

 妖精さんそのものが装備のような性質を持ち、その能力は、『一度轟沈した艦娘のダメージを最小限に食い止めて、大破状態で堪えさせる』というもの。

 それ故に、それはまさに大規模作戦において、敵棲地最深部を攻略する際の最後の切り札。

 この機を逃しては、再びここまで辿り着く事は出来ない――そう言った場合に、轟沈を覚悟して使用するような、とても貴重な妖精さんなのだ。

 

 横須賀鎮守府にまだ残っていたのか……?

 いや、そんな話は聞いていない……。

 噂では、妖精さんは清き心身を持つ者の前に姿を現すなどと言うけれど……。

 いや、そんな事はどうでもいい。

 まさか、司令官……使った、のか。

 こんな鎮守府近海で……こんなにも簡単な任務で……こんなにも、こんなにも不甲斐ない、性能の低い、私の、為に……。

 

 あぁ――私は何て事をしてしまったのだ。

 嬉しさよりも何よりも、私を包んだのは大変な事をしでかしてしまったという危機感だった。

 私なんかでは一生縁が無かったはずの貴重な妖精さんの能力を、こんなところで使わせてしまった。

 

 司令官は優しい人だから。

 私を見捨てられなかったから。

 本当は、別のタイミングで使いたかったのに、仕方なく私に使わざるを得なかったのではないか。

 あぁ、あぁ、どうしよう、どうしよう。

 

 降り止まない桜吹雪と、鳴りやまない厳かな音色に包まれて。

 私は時が止まってしまったかのように、固まってしまった。

 

「……私の、為か……?」

 

 仁王立ちしたまま固まっていた司令官が、小さく口を開いた。

 私は答えられないまま固まっている。

 

 聞こえる。司令官の声が、聞こえる。

 

「……私の為に……そんな無理をしたのか……っ……?」

 

 私は何も答える事が出来なかった。

 

 ――瞬間、司令官が、見た事の無いような形相で叫んだのだった。

 

「馬鹿者ォーーーーッ‼‼」

 

 そして、司令官は勢いよく膝をつき、がしっ、と痛いくらいに、私の両肩を掴んだ。

 あぁ、痛い、痛い、暖かい。その掌から、司令官の温もりを感じる。

 司令官は私の目を真正面から睨みつけ、勢いのままに言葉を続けた。

 

「そんな事をして私が喜ぶとでも思ったのかッ! お前のそんな姿を見て私が喜ぶとでも思ったのかッ! 資材などっ、戦果などっ、そんなものどうだっていいんだッ‼ 沈んでしまったら取り返しがつかないではないかッ‼」

 

 私は司令官から目を逸らす事が出来なかった。

 私を睨みつけるその目には、大粒の涙が浮かんでいた。

 司令官は近くに控えていた大淀さんに目を向け、叫ぶ。

 

「今までもこうやって来たのか……⁉ これがこの鎮守府のやり方かッ⁉」

「……は、はッ……! 私や長門さんが指揮を執っている間は、無論、禁止しておりました……! しかし、前提督の指揮下では、その……潜水艦隊は、そのやり方を、強要されており……! おそらく、その影響で……」

 

 舞い散る桜の花弁と荘厳な音色に気を取られていたのか、一瞬反応が遅れていたが、大淀さんはそう答えた。

 司令官はぎゅっと目を瞑り、顔を伏せた。

 無意識にだろうか、私の肩を掴む力が更に強くなる。

 通り抜けない。透き通らない――その痛みすらも、心地よく感じられた。

 やがて、司令官はわなわなと肩を震わせて、顔を伏せたままに小さく声を漏らした。

 

「そうか……全部、全部、私のせいか……私が、ちゃんと言っておかなかったから、前の方針に従ってしまったという事だな……!」

 

 司令官は勢いよく顔を上げ、天を仰いで叫んだのだった。

 

「大淀ォーーッ‼」

「はッ‼」

「提督命令だッ‼ 今後、艦隊の一隻でも大破した場合、進軍する事は決して許さんッ! できれば大破もするなッ! 轟沈などもってのほかだッ! たとえ目的を果たせずとも、必ず全員で帰還しろッ! 二度と……ッ! もう二度と沈むなッ! お前達が俺の下にいる限り、ずっとだッ‼」

 

 ――司令官はそう言って、私の肩を掴んだまま、崩れ落ちるように顔を伏せてしまった。

 雲間から日の光が差し込み、まるで司令官に後光が差しているように見えた。

 舞い散る桜花と厳かな音色に包まれて――私達を囲む艦娘達は、気付けば全員が、無言で敬礼していた。

 涙さえも必死で堪えていたのは、おそらくこの光景を鮮明に焼き付ける為だ。

 それは私も同じだった。

 

「……はっ……! 了解しました。横須賀鎮守府全艦娘に、直ちに、確実に、以後、絶対に遵守するよう、周知徹底を図ります……!」

 

 大淀さんが震えながらようやく絞り出した言葉を聞いて、司令官は無言で深く頷いた。

 

「……司令官……」

 

 私のかすれた小さな声に、司令官は顔を上げて、力の無い表情で目を合わせてくれた。

 謝りたいと感じていた。だけど、それよりも何よりも、どうしても、私には確かめたい事があったのだ。

 性能が低いにも関わらず、独断で危険な大破進軍を強行して、簡単な任務すらも失敗した挙句、貴重な応急修理要員を消費させてしまった。

 私はそんな、駄目な潜水艦。

 そんな私だけれども。

 沈みかけたからだろうか。今なら何だって言えるような気がする。

 

「司令官……イムヤのこと、嫌いになった……?」

 

 司令官は少しだけ目を丸くしてしまったが、すぐに肩を掴んでいた両手を離して、私をその胸にぎゅうっと抱きしめながら言ったのだった。

 

「馬鹿っ、そんな訳があるか。よく頑張ったな、よくここまで帰ってきてくれたな。ありがとうな。偉いぞ」

 

 海水で全身ずぶ濡れである事も厭わずに力強く抱きしめられ、頭をぐしゃぐしゃと手荒く撫でられながら、あぁ、私はこの瞬間だけは、世界一幸せ者なのだなと、まるで根拠の無い確信を胸に抱きながら、私の意識は深みに落ちていったのだった――。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――この、目の前に広がる奇跡の光景を、一体どのような言葉で形容すれば良いのか。

 私の語彙力ではとても表現する事ができなかった。

 

 虚空から舞い散る桜の花びら。

 どこからか響く荘厳な音色。

 一陣の風と共に、提督から飛び出すように現れた多くの妖精さん達。

 

 そのどれもが桜色の法被をその身に纏い、その背にはさくらんぼの意匠。

 イムヤはもうその身体のほとんどが光の粒子と化し、完全に消滅してしまう寸前だった。

 それを救うべく、本来持ち場を離れないはずの妖精さん達が、自らの意思で持ち場を離れ、提督の為に働いた――?

 私が把握している限り、確実にいるはずの無い応急修理要員が、提督の懐から現れ、イムヤの危機を救った――?

 

 もう理解が追い付かなかった。

 故に、奇跡と――そう呼ぶ方が、都合が良いのかもしれなかった。

 

「……素敵……」

 

 ほぅ、と荒潮が小さく息を漏らした。

 

「……綺麗……なのです……」

「ハ……ハラショー……!」

 

 第六駆逐隊の四人も泣き止んで、空を見上げている。

 単純に、その美しさに、その非現実感に、私達は見入ってしまっていた。

 提督のその姿に、私達は魅入られてしまっていた。

 もはや陥落寸前であった横須賀鎮守府に、元帥が最終手段として送り込んだ、文字通りの最後の英雄(ラストヒーロー)

 もしも私に提督の英雄譚を記す名誉が与えられたのならば、確実に轟沈していたはずのイムヤを救った一本の桜を――この奇跡の光景を『癒しの桜』と名付け、未来永劫語り継ごう――。

 そんな訳の分からない事を妄想するほどに、私はもうすっかり頭がおかしくなってしまっているようだった。

 それでも私の頭は、この状況を何とか飲み込もうと必死に回転する。

 

 桜――それは私達にとって、そして何よりもこの国にとって、象徴とも言える存在だ。

 

 目の前に広がるこの光景――提督を中心として舞い散り降り注ぐ桜の花弁。

 まるで、この御方はこの国の象徴、桜の化身なのではないか――そんな事を考えてしまった。

 (いかり)と桜。私達がかつて艦であった頃、海軍の徽章(きしょう)はそれであった。

 そして今、錨が私達艦娘を表すのならば、桜は、そう、提督だ。

 艦と提督が揃って、一つの軍となる……そういう意味でも、提督が桜と重なって見えた。

 

 桜が告げるのは、春の訪れ。

 長い長い、冷たく厳しい極寒の冬。前提督の指揮下でそんな一年を過ごしてきた私達に、ようやく届いた日の光。

 暖かな、麗らかな、待ちわびていた、春。

 それを知らせる、一本の桜。

 

 私は提督から目が離せなかった。

 固まってしまっているのは、私だけではない。

 泣きわめくのも忘れて、イクやゴーヤも、朝潮達も、ぽかんと口を開けたまま、ただただ目の前に広がる光景を見つめている。

 桜の花弁は降り積もらず、肌や地面に触れると粉雪のように溶けて消えた。

 やがて、だんだんと厳かな音色が遠ざかっていく。

 

 完全に音色が聞こえなくなり、はらはらと舞い散る桜の花びらも途絶えた。

 しん、といきなり静寂が広がったように感じた。

 提督はどうやら眠ってしまったらしいイムヤを抱きしめたまま、顔をくしゃくしゃにして涙を流している。

 あの凛々しい姿からは想像がつかないほどに、情けない姿だった。

 

 ――不意に、その背に寒気が走ったのは、私だけでは無いようだった。

 

「あ、あぁぁ……」

 

 そんな力無い声がどこかから漏れた。

 一部の駆逐艦達など、まだ精神が幼い子たちはまだ、茫然と目を奪われているようであったが――。

 赤城さんや加賀さんを始めとした、歴戦の艦娘たちの顔は、一斉に蒼白になっていた。

 それは確かな予感だった。

 こんなにも暖かな、美しい桜の裏にある、冷たい悲劇。

 

 その美しさ故に、その儚さ故に、その潔さ故に――それが何に例えられたか。

 それは――美徳。そして、覚悟。

 かつての大戦においても、多くの若き命がその身を桜に見立て、散っていった。

 俺とお前は同期の桜――誰もがそう歌いながら、二度と帰らぬ空へと飛び立ったという。

 

 米国からは馬鹿爆弾とさえ揶揄されたそれは、一度放たれれば燃料を燃やし尽くし、その勢いのままに体当たりを仕掛けるしか無い――二度と戻れぬ特攻兵器。

 この横須賀鎮守府と深く関わりのあるその兵器の名は、()しくも――『桜花』。

 

 美しく、儚く散る桜の花弁だけでは無かった。

 その命を燃やし尽くして進むしかない特攻兵器と、不治の病に苦しみながらも横須賀鎮守府で戦い抜く覚悟を決めた神堂提督の姿が――はっきりと重なって見えたのだった。

 

 嗚呼(あぁ)――この御方は、やはり、桜の化身なのだ。

 

 私達の胸の中に、ひとつの想いが去来した。

 この御方は、心優しいこの御方は、きっと、本当は、絶望的なまでに、軍人に向いていないのだ。

 ボロボロになったイムヤをその胸に抱いて流されたその涙には、一切の(よこしま)さは感じられなかった。

 そこにあるのは、ただただ、純粋に、ひとつの命を慈しむ心。

 

 被弾を前提とする艦隊戦において、ダメージコントロールの概念は必要不可欠だ。

 個々の艦の被害を最小限に防ぐだけではなく、時には情を捨てて損傷艦を切り捨てた方が、艦隊全体の被害を食い止められる事もある。

 

 そう、一か月前に彼女が――大和さんが、そうしたように。

 

 誰もが無傷で帰投するなど有り得ない事であるし、不運が重なれば今回のように轟沈してしまう事も当たり前にある。

 軍人ならば、提督であるならば、その覚悟は当然あって然るべきものであるはずだ。

 そのような情など、いつでも切り捨てておけるようにしてあるはずだ。

 

 だが、この御方は、それをどうしても諦めきれなかったのだ。

 どうしても、その情けを、優しさを、切り捨てる事が出来なかったのだ。

 そうでなければ、大破もするな、轟沈するなと、あのような提督命令を発する事はできない。

 たとえ目的を果たせずとも、必ず全員で帰還しろなどと、本末転倒に聞こえるような提督命令を発する事はできない。

 私達艦娘が命を惜しんで撤退し、護るべきこの国に被害が出たら、提督は国中からなんと罵られるだろうか。

 想像に難くない。

 

 ――あぁ、提督は、あの鉄仮面の下で、一人で必死にあがいているのだ。

 

 私達は全てを理解した。

 あのスパルタすぎる厳しい指揮は、残された僅かな時間で私達を鍛える為のもの。

 本末転倒にならぬ為に。目的を果たせないまま、私達が帰還する事が無いように。

 私達が沈まぬように、それに見合った力をつけられるように。

 あの天才的な頭脳と神算鬼謀を最大限に駆使して、提督は細い糸を必死に手繰り寄せているのではないか。

 

 誰もが無事で、誰もが沈まず、この国を護る――そんな夢のような、理想的な、欲張りな結果を。

 

 いや、天才などと、神算などと、口にするのは容易い。

 それは、我々では想像もつかぬほどの苦心の結果なのではないだろうか。

 

 提督の心は、まるで硝子細工のように脆い。

 しかし提督は強靭な精神力と覚悟でそれを研ぎ澄まし、薄く鋭い薄氷の刃を作り上げたのではないか。

 そう、それは提督の領域に至らねば扱えぬ刃。

 その一閃は、闇をも切り裂く。

 先日の戦いのように、上手くいけば被害を最小限に、最大の戦果を上げられる。

 しかし、何かひとつでも間違えば、それはいとも容易く砕け散る。

 

 ――その刃を戦場で扱うのは、私達だ。

 

 イムヤを抱きしめる提督の涙が、地面を叩く。

 私はあまりの悪寒に、思わずぶるりと身震いした。

 あぁ、この人は――この御方は、私達が沈んでしまったら、一体どうなってしまうのだろう。

 

 今回は何とかイムヤを救う事が出来た。

 だが、これが海の上であれば。

 提督の目の届かぬ、手の届かぬ場所であったならば、おそらくイムヤは今頃海の藻屑となって消えていただろう。

 そうなった時、提督は一体、どうなってしまっただろう。

 

 病は気から。

 佐藤元帥は、提督は心身を病んだと言っていた。

 つまり、不治の病に加えて、心も弱っていたという事だ。

 それはもしや――戦場に身を置いていた故ではないか。

 逃れ得ぬ非情な現実に打ちのめされ、憔悴してしまったのではないだろうか。

 提督が何よりも弱っていたのは、身体ではなく、心だったのではないだろうか。

 

 目の前の提督を見ればわかる。

 普段の凛とした表情も消え、生気さえ感じられないような、頼りなさ。

 それはまさしく、散りゆく桜のひとひら。

 

 ――駄目だ。私達が一人でも沈んだら、おそらくこの御方の心は砕け散る。

 

 ――心が砕け散れば、病は、身体は、命は。

 

 どうにかしなければならない。

 何とかしなければならない。

 

 ――強くならねばならない。

 この御方の領域で戦えるように。

 守らねばならない。

 私達が護らねばならない。

 この御方の心を、全てを、守護(まも)らねばならない――!

 

 何かしなければと思ったが、何ができるのかさえもわからなかった。

 ただただ、提督の姿を見つめているしか出来なかったが――。

 

「あぁっ、もうっ! いつまでメソメソしてんのよっ! 情けないったら!」

 

 そう言って一番早く提督に駆け寄ったのは、霞ちゃんだった。

 霞ちゃんはそのまま提督の御尻を勢いよく蹴り上げた。

 提督よりもそれを見ていた私達の方が両目が飛び出るほどの衝撃を受け、一瞬にして全員が正気に戻った。

 ようやく時が動き出したような気がした。

 

「泣いてたって何も変わんないでしょ! イムヤもまだ大破してんのよ⁉ ほらっ! 損傷のある子はさっさと入渠! さっさと指示出して! ったく……! しっかりしなさいな! 私達の司令官でしょ⁉」

「う、うむ……! そ、そうだ……! イクと朝潮達も、傷ついた者は入渠施設へ! ご、ごめんなイムヤ、すぐに連れてってやるからな……! 頑張ってくれよ……!」

 

 霞ちゃんに活を入れられ、提督もようやく気を取り直したのか、イムヤをその腕で抱きかかえて自ら入渠施設へと駆け出していった。

 その隣を、提督の背中をバシッと叩いて霞ちゃんが並走する。

 朝潮やイク達がその後を追っていくのを眺めていると――その背が視界から消えてしばらくしてから、私の肩を、長門さんがぽんと叩いたのだった。

 顔を向ければ、那智さんや加賀さんと共に、唇を噛み締め、肩を小さく震わせていた。

 

「……すまん、大淀……! もう、耐えられん……!」

「えっ」

「後は頼んだわよ」

 

 加賀さんがそう言い残すと、三人はザッと足並みを揃え、どこかへと向かって去って行った。

 その背を首を傾げながら見つめていた私だったが、瞬間、さぁ、と血の気が引いていくのがわかった。

 提督の領域――私達は全員、互いに顔を見合わせた。

 長門さんが、那智さんが、加賀さんが、何をするつもりなのかが理解できてしまったからだ。

 全員の視線が私に向けられ、私はもう勢いのままに叫ぶしかなかった。

 

「駆逐艦は全員入渠施設へ向かい、提督のフォローをッ! それ以外の皆さんは直ちに鎮守府正門へ集合して下さいッ!」

「了解ッ!」

 

 私達が全速力で長門さん達の後を追っていくと、ちょうど鎮守府正門の方から「佐藤元帥ーーッ‼ ウォォォオオオ‼」と声がした。

 見れば、すでに発進していた車に走って追いつき、長門さんが前方から力ずくで押しとどめていたようだった。

 佐藤元帥を乗せた車は混乱していたのかしばらくアクセルを全力で踏んでいたようだったが、長門さんが獣のごとき咆哮と共に鎮守府正門まで一気に寄り切ったところで諦めたかのように動きを止めた。

 慌てて私達が駆け寄ると、運転手の方が泡を吹いて気絶していた。非常に申し訳無かった。

 佐藤元帥は後部座席から慌てた様子で姿を現し、集まった私達の姿を見渡した。

 鳳翔さんも間宮さんも、状況がよくわかっていないようで、口元に手を当てながら目を丸くして、きょろきょろと辺りを見渡している。

 

「な、長門くん……! それに、皆も……こ、これは一体、どういう事だね」

「手荒な真似をして申し訳無い……! しかし、ひとつだけ……どうしても前言撤回をさせて欲しい事ができた!」

「な、何だって……」

 

 戸惑う佐藤元帥の前に、私達は並び立った。

 その心はひとつ――長門さんが何を言うつもりなのか、私達にはわかっていた。

 長門さんは息を整えるように大きく息を吐き、静かに目を瞑り、小さく肩を震わせながら口を開いた。

 

「佐藤元帥」

「提督は……神堂提督は、弱い御方だ」

「我らが出撃すれば一人隠れて涙を流し、今もまた傷ついた部下を見て涙を流した」

「その心身はまるで舞い散る桜の花弁のごとく、脆く、儚く、頼りない。誰一人として沈むななどと、軍人としてあるまじき夢物語を口にするその優しさは、絶望的なまでに軍人に向いていない……」

「その出自や艦隊指揮能力、そしてかつて艦隊司令部に逆らった我々の存在……提督は、あらゆる面でこの横須賀鎮守府にいない方が良い御方だ……」

 

 長門さんはカッと目を見開き、佐藤元帥の目をしっかりと見据えながら、言葉を続ける。

 

「しかし、しかし佐藤元帥……! たとえ今後、あの方よりも優れた提督が現れようとも! 再び艦隊司令部に逆らう事になろうとも! あの方の命を縮めてしまう事になろうとも、その先にどのような試練が待ち受けていようとも! 我々は神堂提督と共に戦うッ!」

「なッ……⁉」

「たった今、我らは理解した! 軍略、戦術、神算鬼謀……もうそんなものはどうだっていい……! そんなものは二の次だ……! 自らの事を厭わず、この国を、我らを想う、あの底抜けの優しさが! あの弱さが! 覚悟が! 生き様が! あれこそが我ら横須賀鎮守府の艦娘総員が、真に護らねばならなかった者の姿だッ! あの方こそがッ、我が国の未来だッ‼」

 

 佐藤元帥は驚愕を隠す事が出来なかったようだった。

 目を見開いて、信じられないと言った表情で固まってしまった。

 

 あぁ、ついに口にしてしまった。

 ほんの数分前の私であれば、絶対に止めていた言葉であったが、今はもう、それでいいと思った。

 後悔は一切無かった。

 もう、理屈ではどうにもならなかった。

 理屈なんてどうでもよかった。

 

 提督が横須賀鎮守府に着任すると決めた瞬間、すでに火は着いていたのだ。

 命を燃やし尽くす覚悟は出来ていたのだ。

 散りゆく覚悟は出来ていたのだ。

 提督自身が望んでいないというのに、私達が提督を気遣って舞鶴で余生を過ごす事を許容してしまっては、また提督の想いを無下にする事になる。

 それは提督の命を冒涜(ぼうとく)する事になる。

 私達はもう二度と、提督の信頼を裏切りたくなかった。

 

 しかし、私達の立場を少しでも良くしようと考えて下さっている提督だ。

 艦隊司令部に逆らってでも、と断言した私達の言葉を聞いたら、提督は怒るだろうか。失望されるだろうか。

 これこそが、提督の信頼を裏切る事になるのではないだろうか。

 

 それでもいいと思ったのだ。

 矛盾していようが、もうそれでいいと思ったのだ。

 私達ももう、何が何やら訳が分からないのだ。

 再び人間に逆らった兵器の烙印を押されようとも。

 誰に何を言われようとも、罵られようとも。

 貴方にどれだけ嫌われようとも。

 怒られようとも、失望されようとも。疎まれようとも。

 

 ――貴方がいい。

 

 共に征きたい。貴方と共に、海を駆けたい。

 

 もしもこの戦いにいつか終わりが訪れるのならば、その終わりまで貴方といたい。

 

 ――私達には、もはや、もはや――貴方の声しか届かない。

 

 それだけが、何一つ嘘偽りの無い、私達の想いだった。

 貴方の望みを叶えたい。

 誰一人として沈まずに、この国を護りたい。

 貴方の心を護りたい。

 

 神堂提督の底抜けの優しさが生んだ、あまりにも厳しすぎる艦隊運用。

 私達がそれを完璧にこなす事ができれば、それは自然と戦果に繋がる。

 最小限の被害で、最大の戦果を上げる――何よりも厳しくて、何よりも優しい策。

 それを成し得るには、もっと強くなるしかない。もっと精進するしかない。

 貴方への信頼があれば、私達はどこまでも強くなれる。

 強くなれば、貴方の理想を叶えられる。 

 貴方の愛するこの国を、私達を、そして貴方を、護る事が出来る。

 

 ――私達はようやく理解できたのだった。

 

 ――これが提督の領域の神髄……神堂提督の艦隊教義(ドクトリン)

 

 やがて佐藤元帥は私達の意図を理解し、飲み込めたようで、愕然とした表情を浮かべたままに、静かに口を開いたのだった。

 

「……彼は、とんでもない事をしでかしてくれたな……いや、そうか……取り返しのつかない事をしてしまったのは、私の方か……私は……何て事を……」

「佐藤元帥。貴方には感謝している。神堂提督を横須賀鎮守府に着任させてくれた事を……我らとあの方を引き合わせてくれた事を」

 

 長門さんに続いて、那智さんが口を開く。

 

「フン……あの男、鉄仮面の下に随分と情けない本性を隠していたものだ……正直、見るに耐えん。ならば、我らが何とかするしかあるまい。奴の下からな……」

「そう……提督がどんな想いでここに着任したのか……危うく、それを無下にするところだったわ。私達は本当に……救いようが無いわね」

「那智くん、加賀くん……」

 

 佐藤元帥は驚きと申し訳無さが同居しているような表情で、ただ、そう呟いた。

 そんな佐藤元帥に、龍驤さんがいつものように軽快な笑みを浮かべて、声をかけた。

 いや、龍驤さんだけでなく――。

 

「佐藤元帥、もう、返せと言われても返せへんよ。ここまで司令官の事を知ってもうた後じゃなぁ……無理やろ、あんなん。もうアカンわ」

「龍驤くん……」

 

「私は今まで、何も理解できていませんでした……提督の御心を……今までの自分を張り倒してやりたいくらいです。どうか、これからも提督と共に戦わせて頂けないでしょうか」

「赤城くん……」

 

「佐藤元帥っ! 鹿島からもお願いしますっ! 秘書艦としてっ、提督さんが少しでも楽になれるよう頑張りますっ! 本気でっ、死ぬ気でっ、やり遂げてみせますっ! たとえ疲れ果ててもっ、最後まで力を振り絞ってっ、支え抜きますっ!」

「鹿島くん……」

 

「佐藤元帥よ、悪い話ばかりでは無いぞ。提督の下にあれば、この神通が修羅と化す。まさに向かう所、敵無しじゃ! 先日の夜戦では提督の事を考えるあまり敵味方の見境が無くなり、吾輩まで沈めようとしたくらいじゃからな」

「と、利根さんっ! そ、それはもう、勘弁して下さい……!」

「フッ、一方で大淀は司令の事を考えるあまり被弾しそうになっていたがな」

「そ、それは……って何で磯風がここにいるんですか⁉」

「問題無い。この磯風の代わりに、司令の側へは金剛が向かった」

「そういう問題じゃないんですよ!」

 

 いつの間にか磯風がドヤ顔で腕組みをして、私の隣にいた。

 駆逐艦は皆提督のフォローにと言っておいたはずなのだが……とんだ片腕もあったものだ。

 私達全員の意思と、迸る思い。

 それを真正面からぶつけられ、佐藤元帥はぶるりと身震いしたように見えた。

 驚きの中に、どこか満足しているような、そんな複雑な表情だった。

 そして覚悟を決めたように、ゆっくりと口を開く。

 

「この一件は、私の一存で決められる事では無い。だから、悪いが約束する事はできない」

「……はい」

「艦隊司令部に逆らってでも、という物騒な言葉は聞かなかった事にさせてもらおう。だが、君達の意思は、確かに艦隊司令部に持ち帰るよ。君達の熱意は……そのままにね」

「――は、はッ! どうか、よろしくお願いしますッ!」

 

 一斉に頭を下げた私達に、佐藤元帥は静かに言葉を続けた。

 

「ただし、もう一度だけ、私から……ひとつ、元帥命令を発したい」

 

 その言葉に、私達は顔を上げ、背筋を伸ばして姿勢を正す。

 佐藤元帥は私達一人ひとりの顔を確かめるように見据えてから、言ったのだった。

 

「君達はもう気付いている事だとは思うが……彼は、この国そのものだ。決して失われてはならない存在だ……絶対に、護り抜いてくれ。今度は、誓ってくれるかい?」

 

 ――この国、そのもの……。

 決して失われてはならない存在。

 やんごとなき、血筋。

 只事では無い、奇跡の光景。

 この国の象徴――桜の化身。

 国の、桜の、奇跡の、血筋――。

 も、もしや、提督の血筋とは、高貴というレベルではなく、もしや――⁉

 

「――了解ッ‼」

 

 私達は一糸乱れず敬礼した。

 それを見て、佐藤元帥はどこか安心したかのような表情で車に乗り込み、やがて去っていった。

 車が見えなくなってからも、私達はしばらく固まったまま動く事が出来なかった。

 

 提督は……提督が、そんな、まさか――。

 

 ……いや、そんな事は、私達にとってどうだっていい事だった。

 身分や血筋なんてどうだっていい。

 私達が惚れこんだのは、そんなところでは無い。

 そんなものは、物のついでだ。

 そう考えているのは私だけではないようだった。

 故に誰もが、わかっていたとしてもそんな事は口に出さなかった。

 

「……強く、なるぞ……! もっと……もっとだ……‼」

 

 長門さんが呟いた。

 私達は顔を見合わせ、こくりと頷く。

 

 足りない……まだ足りない。

 あの方の領域に至るには、まだまだ足りない……!

 轟沈せず、大破すらせず、作戦を全うできる強さが欲しい……!

 もう二度と、あの方の泣き顔を見なくて済むような、力が欲しい……!

 もう二度と、あの方の期待を裏切らない……!

 

 提督の異動は、佐藤元帥の一存で決められる事では無い。

 おそらく提督の意思さえも関与できない、大きな力があるはずだ。

 ならば、結果で示す他は無い。

 横須賀鎮守府には神堂提督しか有り得ないと、世間に納得してもらうしかない。

 必要だ……誰もが認める大きな戦果が……! それを成し得る更なる力が……!

 

 提督の真実を知ったからか。

 その隠された意思を理解できたからか。

 胸に宿った熱から、こんこんと力が湧き上がってくる。

 

 横須賀鎮守府に根を張った、一本の癒しの桜。

 いつか散りゆく宿命(さだめ)と知りながらも、私達はその下に錨を下ろす。

 

 心無き刃に、その幹が切り倒される事が無いように。

 いつか静かな海を取り戻せたその時に、まだその花が咲き誇っていられるように――。

 

 (あなた)に寄り添う錨になろう。

 貴方と共に、皆と共に、終わりまで誰一人として欠ける事無く、美しいこの国を護り抜こう。

 

 私が空を仰いでそう誓っていると、その隣で磯風が、照れ臭そうに鼻の下を人差し指で擦りながら言ったのだった。

 

「……フッ、どうでもいい事だが、司令の片腕たるこの磯風はさながら御召艦という事か……まぁどうでもいい事だがな」

「貴女もう本当に黙っていてくれませんか」




大変お待たせいたしました。
これにて第三章の艦娘視点は終了となります。
残るは元帥視点と提督視点になります。
またしばらくお待たせしてしまいますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。

艦これも五周年、そろそろ春のミニイベが始まりますね。
私事ですが、大和の私服グラに一目惚れして久しぶりに大型建造に挑戦した結果、運良く無事大和とビスマルクをお迎えする事が出来ました。
bobさんの新艦も予定されているようで、とても楽しみです。
提督の皆さん、これからも楽しんでいきましょう。


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042.『理解』【元帥視点】

 脱衣所の扉を開けて外に出る。

 近くに艦娘達の姿は見当たらなかったが、少し離れた場所に何やら人だかりを見つけた。

 それが目に入った瞬間、私は表情がこわばってしまうのを堪えられなかった。

 

 何しろ、先ほど私を応対していた七人だけでは無い。

 私が見る限り、大淀くんが遠征に向かわせた面子を除く全ての艦娘達が、そこに勢揃いしていたからだ。

 嗚呼――私は心の中で空を仰いだ。

 彼女達に一歩ずつ近づくたびに、状況の重みが嫌でも理解できた。

 まだ精神的に幼い駆逐艦の中には、まだべそをかいている子もいる。

 態度こそ平静を装っているものの、大人の艦娘達の目を見れば、駆逐艦達と同様に、目は赤く、涙の跡も見られた。

 

 私と彼が風呂に入っている内に何があれば、こんな事になるのか。

 ――青葉くんの犯したミスと合わせて考えれば、必然的に答えは導かれる。

 

 艦娘達の前に立ち、私は皆の目をゆっくりと見据えた。

 武人肌の那智くんの目にすらも涙の跡が残っている事に少々動揺しながらも、私は低い声を出したのだった。

 

「……青葉くんは咄嗟に身体の陰に隠していたようだが……土下座をしようとした神堂提督を止めようと泣き縋った時に、露になったよ。無線機と集音器らしき機械がね……聞いて、いたんだろう?」

「……はい……」

「やはりそうか……あの場では彼の顔に免じて話を合わせたが……そうなると、青葉くんはあの状況で更に嘘を重ねたという事になるな」

 

 そう、青葉くんは、あの場面で更に嘘をついていた。

 一人の愚行であると主張していた彼女は、あの状況にありながらも巧みに集音器と無線機を私達の死角に隠していたのだ。

 

 だが、彼女も予想できぬ神堂くんの行動に――青葉くんはその嘘を放り投げてしまった。

 無理もない。

 彼はあの場で、青葉くんは嘘をついていないと庇い、更には土下座までしてその罪を不問にしようとしたのだ。

 彼にそのつもりは無かったのだろうが、あの行動は彼女達にとってはあまりにも酷だ。

 今回のようにその個性が少々行き過ぎてしまう事もあるが、青葉くんは決して悪い子では無い。

 自分を信じてくれた提督が、まだ嘘を重ねている自分の為に土下座をする姿など、黙って見ていられるだろうか。

 

 青葉くんは隠していた無線機と集音器の事など忘れたように、彼に縋りついて泣いた。

 故に、彼女の犯した更なる罪が明らかとなってしまったわけだが――。

 

「あっ、あのっ! そ、それは私達を庇う為に……!」

「佐藤元帥! 今回の愚行はこの長門が……!」

「いや、この那智が……!」

「もういいんだ。君達を責めようというわけじゃない」

 

 青葉くんを庇う為に、大淀くん、長門くん、那智くんが声を出したが、私は手を前に出して、それを制止しながら言葉を被せた。

 それは嘘ではなかった。

 諦めが半分だろうか。自暴自棄になっていたのかもしれない。

 ただ、何故か悪い気持ちはしなかった。

 今まで彼女達をだましていたという罪悪感や緊張感から、ようやく解き放たれたからかもしれなかった。

 

「青葉くん一人だけに聞かれていたのであれば配置替えもやむなしと思っていたが、流石に全員に聞かれてしまったのではね……もはや罰など何の意味も成さない。どうしようも無い……そもそも、君達を罰する軍紀など存在もしないのだからね」

 

 先ほどまでは、青葉くん一人だけに聞かれていたと思っていたので、配置換えも考慮した。

 だが、鎮守府のほぼ全員に聞かれてしまったというのでは、もはやどうしようもない。

 艦隊司令部は形の上では彼女達を管理する立場にあるし、彼女達も(ふね)であるが故にか、それを望んでいる。

 しかし、だからといって、彼女達が艦隊司令部に逆らった時に、与える罰など何も無い。あるはずが無いのだ。

 

 何しろ、彼女達は深海棲艦という脅威に自主的に戦いを挑み、この国を護る存在だ。

 一隻として代わりなどいない。罰を与える意味も余裕も有り得ない。

 そしてここまで知られてしまった今、彼女達に頭を下げるべきはこの私だ――。

 

「むしろ、先に君達に偽るような事をしてしまったのはこちらの方だ……こんな真似までさせてしまって済まなかったね」

 

 私は彼女達にそう詫びてから、私の感じた率直な思いをそのまま続けたのだった。

 

「私は本来、元帥なんて呼ばれるような立場の人間では無い。それにも関わらずこんな大仰な役職に就いてしまったのは、君達が望んだからだ。艦隊司令部という組織や、元帥という上官の存在をね。だからこそ、正直、驚いているよ。君達自身が望み、何よりも君達自身が重視している元帥命令に、君達が自らの意思で従わなかったという事実に」

 

 艦隊司令部や大本営などと称しているものの、我が国には『軍』と呼ばれるものは存在しない。

 艦娘達は私達の事を軍人として扱うが、この時代において、厳密には違う。

 私の所属している組織は、突如現れた深海棲艦という超常災害への対策をする為に立ち上げられた機関。

 他国に対する武力などでは決して無い。

 数年前までは他国から色々と言われていたものの、今ではそれが世界の共通認識とされている。

 私も元帥などと呼ばれているものの、実際にはその組織内での『部長』といったところだろう。

 にも関わらず、何故このような仰々しい名称を付けられたのかと言えば、彼女達が力を発揮しやすい環境を作り上げる為だ。

 

 かつての大戦から時代を経て現代へと蘇った彼女達との相談の結果、彼女達が扱いやすい名称を用いる事になり、その結果が『艦隊司令部』という組織であり、『元帥』という私の役職だ。

 ゆえに、これらに関わる言葉は、『軍法会議』や『軍紀』『軍事機密』のように、表面上だけは『軍』という言葉を使う。

 国家ぐるみで軍という組織を演じているというようなものだ。

 ややこしい事ではあるが、それにより、様々な問題も起きており――それはともかく、彼女達は(ふね)である性質ゆえにか、基本的に提督、元帥命令や艦隊司令部からの指令に従って行動する事を求めていた。

 だが、それを何か勘違いしたのか、彼女達に対してやけに過激で高圧的な、攻撃的な言動が目立つようになった者も存在するのだが……。

 ともあれ、彼女達にとって艦隊司令部からの指令や、提督、元帥命令は絶対。それがここ数年間での私達にとっての常識であった。

 故に、この一年間での悲惨な扱いや、大和くんを失ったという取返しのつかない過ちがあったとはいえ、彼女達が直属の提督に歯向かい、艦隊司令部にすら敵意の目を向けたという事実に、艦隊司令部は大きく揺れたのだ。

 

 私自身も、今回私が命じた詮索無用の指示に即反し、脱衣所に侵入して盗み聞きまで行ったという事実に、正直動揺を隠せない。

 彼女達が頼れる組織であったはずの艦隊司令部や元帥という存在は、もはや彼女達にとって信頼できるものでは無くなったのだろう。

 だが、それだけでは無いような気がする……。

 彼女達をここまで突き動かしたものは何なのか……私が想像していたもの以上の何かが働いているような気がした。

 

 彼と彼女達から聞き取れた事から私が推測した事。

 まず、大淀くんなど一部の艦娘は、彼が素人である事に初日の時点ですでに気付いていた。

 彼がそれを伏せ、何も語らずとも、艦隊司令部の指示であると推測するのは容易だろう。

 つまり、艦隊司令部は自分達に何も語らず、提督の資格を持つだけの素人を送りこんだと考えただろう。

 私達艦隊司令部への反意が更に強まったとしてもおかしくはない。

 

 だが――彼女達は彼に目を向けた。

 神堂くんは提督の資格こそ持つものの、まごう事無き素人だ。

 そんな者が我々の上に立とうというのか、馬鹿にするなと、例えば那智くんであれば怒鳴り散らすだろう。

 しかしそうなる前に、神堂くんの置かれた状況に、目を向けたのではないだろうか。

 

 神堂くんの愛国心、この国を護りたい、そして彼女達の力になりたいと願う気持ち。

 たとえ知識は無くとも、何一つ偽りの無いその想いは十分に伝わったのではないだろうか。

 そして艦隊司令部に言われるがままに、素人である事を隠しながら着任した哀れな若者の気持ちを汲み取り、彼女達は気付かないふりをしたまま彼に従う事にした。

 

 神堂くんはそう捉えてはいないようであったが、全てが彼の指示であるかのような報告書における虚偽の記載も、言うなれば艦隊司令部への小さな当てつけなのかもしれない。

 貴方達の送り込んでくれた提督は、御覧の通りこんなに優秀な方でしたよ、とでも言うような――。

 

 大淀くんは少し言葉に詰まりつつも、私に言葉を返す。

 

「……正直に、申し上げますと……私達も、わからないんです。提督のせいにするわけでは無いですが……神堂提督が着任してからというもの、私達は確かにどこかおかしくなってしまったのかもしれません」

「艦隊司令部や私達に見切りをつけたという事ではないのかい?」

「い、いえ、まさか! 勿論、元帥命令の重要性は理解できています。それにも関わらず、このような愚行を犯してしまったのは……信じて頂けるかわかりませんが、私達自身も、本当に訳が分からず……」

 

 大淀くんが嘘を言っているようには見えなかった。

 どういう事だろうか……私達艦隊司令部はまだ彼女達に見捨てられてはいないというのか。

 私が邪推している事ともまた少し違う……?

 それならば何故あのような虚偽の記載や説明を……。

 彼女達を突き動かす謎の力の正体は、頭脳明晰な大淀くんにもわからないという。

 自分自身ですらわからないのであれば、私にわかるわけもない。

 だが、元帥命令に逆らい、男湯に侵入し、盗聴までするからには、かなり大きな力だと思うのだが……。

 

 私が思考していると、顔を紅潮させた青葉くんがふらふらと頼りない足取りでこちらに近づいてきた。

 随分と遅かったが、彼はまだ出てこないようだ。

 何か話していたのだろうか。

 

 彼女のついた嘘が見破られていた事を聞いてだろうか、膝をついて顔を伏せてしまった青葉くんを、長門くんや那智くんが慰めている。

 彼女達の結束の強さを改めて感じさせる光景であったが、青葉くんの行為を長門くんや那智くんが容認していたという事を証明する光景でもあった。

 神堂くんが着任してから私達はどこかおかしくなったのかもしれない、と大淀くんは語ったが、確かにそうとしか表せないかもしれない。

 長門くんや那智くん、更には鳳翔くんなどが、誰一人としてこの行為を咎めないというのは、今までの私の中の常識でも有り得ないからだ。

 

 私は一旦考えを切り替えて、大淀くんに声をかけた。

 もはや秘密にすることでも無い。ならば、ここで彼女達の意見を聞くのも良いと思ったからだ。

 

「彼の……神堂提督の舞鶴鎮守府への異動案についても、聞いていたのかい?」

「……はい」

 

 大淀くんは小さく目を伏せながらそう言った。

 

「君達はどう思う」

「……先ほど皆とも話したのですが、致し方ない事かと思います……」

「そうか……理解が早くて助かるよ。彼に横須賀鎮守府の運営は荷が重い……」

 

 どうやら彼女達も理解はしているようだ。

 私が彼に命じた指示は、やはりどう考えても無理がある。

 ただでさえ激務である提督という立場だ。

 素人である事を隠しながら、艦隊指揮の勉強をしつつ、横須賀鎮守府を運営するというのは、相当な負担になるだろう。

 彼に着任のお願いに行った時にはまだ知らなかったとは言え、彼にはあまり心身に負担をかけたくない。

 それに、艦娘達としても、やはり素人が上に立つというのは不安が大きいだろう。

 

 大淀くんに続いて、龍驤くんや赤城くん、加賀くんなどが口を開く。

 

「せやな……あの司令官は救いようの無いアホや。自分の事は二の次で、無理して、頑張って……また心身を壊されるのはまっぴら御免やで」

「そうですね。提督の事を考えるのならば、佐藤元帥が仰った通り、ここよりも舞鶴鎮守府がちょうどいいでしょう」

「えぇ、赤城さんの言う通りね。これ以上提督に重荷を背負わせる訳にはいかないわ」

 

 ふと、小さな違和感を覚えた。

 彼女達は皆、神堂くんの事ばかりを心配しているように聞こえたのだ。

 彼の身の上についても聴いていたのだろう。また心身を壊されるのはまっぴら御免と言う龍驤くん。

 提督の事を考えるのならば、これ以上提督に重荷を背負わせる訳にはいかないと言う赤城くん、加賀くん。

 

 ――素人が上に立っていたという事については、何も不満は無いのか?

 

 大淀くんを筆頭に、彼女達の顔はまるで神堂くんの異動を惜しんでいるかのようだった。

 確かに彼は素晴らしい青年だが、艦隊指揮の知識がある提督と無い提督では、単純にある方がいいと思うのだが……。

 彼女達がそれよりも優先するような、惜しむような何かが、神堂くんにはあるというのだろうか。

 彼の愛国心、艦隊指揮能力の有無、そんな単純な話では無いのだろうか……。

 

「フン……奴自身はやる気のようだがな。艦隊司令部のみならず、この国自体が、ここで奴が指揮を執る事に不安を覚えているというのならば、致し方ない事だろう」

「この磯風が共にある。心配はいらない……と言いたいところだがな。フッ、どうやら司令は、この磯風の手にさえ負えないようだ」

 

 那智くんと磯風くんも口を開く。

 神堂くんが横須賀鎮守府に残りたいと懇願する声も聴いていたのだろう。

 だが、たとえ彼や彼女達が望んでも、素人が指揮を執っているという事が周囲に不安を与えるという事を、那智くんは理解しているようだった。

 いや、那智くんだけではなく、それが彼女達の出した苦渋の決断なのだろう。

 彼が僅か着任一日でここまで信頼を獲得するとは予想外であったが――。

 

 私は腕組みをして何故か満足そうな笑みを浮かべる磯風くんに問いかけた。

 

「い、磯風くん。ところで、君は昨夜、神堂提督に秋刀魚を焼いたと聞いたが……」

「む? あぁ、焼いたさ。忠誠を込めてな。それがどうしたというのだ」

「い、いや、失礼かもしれないが、その……意外だと思ってね。君が手料理を作ったのもだが、彼に忠誠を誓うなどと言ったという事が……」

「フッ、何を言っている。あの司令のような人物こそ、この磯風が忠義を尽くすに相応(ふさわ)しい……至極当然の事ではないか」

 

 わ、わからない……。

 彼女が何を言っているのか全く理解できなかった。

 いや、磯風くんが忠義を尽くすような人物について語った事が無いから当然なのだが、私はてっきり、それこそ艦隊指揮の知識に精通し、頼りがいのある人物こそ彼女が好みそうだと思っていたのだ。

 それが、彼のような人物となると……確かに立派な青年だと思うが、うぅむ、どうも彼女の雰囲気と重ならない。

 

 もしや、艦娘達は、私達が思っているほどに、提督の艦隊指揮能力は重視していないのだろうか。

 それとも、その欠点を補って余りあるほどの魅力が、神堂くんにはあるというのか。

 私が頭を悩ませていると、長門くんが私に声をかけてくる。

 

「佐藤元帥。磯風だけでは無い。提督が着任して僅か三日だが、横須賀鎮守府の全員が忠誠を誓ったと言っても過言では無い。ゆえに、舞鶴鎮守府への異動は、我々にとっては苦渋の決断なのだ……!」

 

 何かを堪えるように小さく肩を震わせる長門くんの背中に巨大な活火山が見えた。

 まるで今にも噴火しそうになっているのを、必死に理性で堪えているかのようだった。

 肩の震えさえも、大きな地震の前触れである余震にすら見えたほどだった。

 その眼光だけで殺されてしまいそうだった。

 何故だ……何故彼は僅か三日でここまで尋常では無く信頼されて……。

 いや、立派な青年だ。今時珍しいほどに感心な青年だ。だが、それでも、しかし、これは……駄目だ、理解が追い付かない。

 私は動揺を押し隠しながら、何とか答えを返した。

 

「そ、そうか……いや、しかし、受け入れてくれてありがとう。君達の気持ちもわかるが、彼の為、引いてはこの国の混乱を避ける為なのだ」

「あぁ、提督のような人物がこの国にいたと知れただけでも良かったと……心からそう思うよ」

 

 ――提督のような人物が……?

 やはり、彼女達は能力では無く、彼の人柄こそに――。

 

 私がそう考えた瞬間、地に伏せていた青葉くんが声を上げた。

 

「あっ、青葉もッ! 青葉も提督に着いて行ってはいけないでしょうかッ⁉」

「なっ――あ、青葉っ、何を言っているの⁉」

 

 大淀くんの声にも構わず、青葉くんは私を見据えて必死に懇願を続けた。

 

「提督は拳骨一つで今回の愚行の罪を水に流して下さり、更に青葉にこう仰りました。お前は、私の艦隊に必要な存在なのだと……! 唯一無二の個性を活かしてほしいのだと……! そしてこう諭して下さりました。握れば拳、開けば掌……力の扱い方を誤らぬ、強い心を持てと! 青葉は、青葉は、提督の下でっ、力の扱い方を学んで行きたいのですっ!」

「……彼が、そう言ったのかい?」

「はっ!」

「そうか……うん、そうかぁ……彼が、そんな事を……」

 

 青葉くんが外に出てくるのが随分と遅いとは思っていたが……彼はあの後、彼女のフォローをしてくれていたのか。

 私も一言釘を刺しておいたとはいえ、それは彼女の愚行を止めるに留まっていた。

 だが彼は彼女の個性を活かすよう諭し、青葉くんはそれに感銘を受けたと……。

 その目を見ればわかる。彼女はもう二度と、今回のような過ちは繰り返さないだろう。

 

 男手ひとつで四人の妹達を育て上げてきた彼だ。

 叱り方、諭し方にも彼の人柄が垣間見える。

 ただ感情のままに怒鳴りつけるのではなく、彼女の事を本当に大切に考えて諭したのだろうという事がよく伝わってきた。

 

 身の上調査の合間に、彼の妹達はこう語った。

 私達は兄に甘えて、ついキツい言葉を浴びせてしまいます。

 両親のいないこの境遇に対する不平不満を、理不尽に兄にぶつけた事もあります。

 それでも私達は、私達よりも弱虫で泣き虫の兄が、この境遇に対して弱音を吐いたところを一度も見たことがありません。

 どんなに私達に理不尽に当たり散らされても、いつも困ったような顔をして、黙って話を聞いているんです。

 私達が悲しんだり、落ち込んだりしていると、怒鳴り散らされるとわかっていても、必ず自分から近づいてくるんです。

 

 兄がとても大切にしていた、お母さんの形見のマグカップを、私が癇癪を起こして割ってしまった事がありましたと――そう語ったのは、二番目の妹の明乃くんだった。

 その時も、兄は怪我は無いかと私の心配ばかりして、一言も私を責めたりしませんでした。

 割れた破片で怪我をしていたのは兄の方でした。

 その後、私が謝る為に買ってきたマグカップを、兄は今でも大切に使っていますと。

 

 本当は言いたい事も、やりたい事もあったはずなのに。

 自分の事は二の次で、我慢ばかりして、本気で私達の事ばかり考えている。

 不器用で、人付き合いが苦手で、かなり変わっているかもしれないですが、兄はそういう人なんですと。

 

 それは、私の尊敬する人物の言葉を体現しているように聞こえたのだった。

 

 苦しいこともあるだろう。

 ()()いこともあるだろう。

 不満なこともあるだろう。

 腹の立つこともあるだろう。

 泣き()いこともあるだろう。

 これらをじっとこらえていくのが男の修行である。

 

 妻を亡くしてから、私はこの言葉を座右の銘にして生きてきた。

 私も男手ひとつで子供を育ててきた経験があるので、彼がどれほどの苦労をしてきたのかはよく理解できる。

 いや、学生の内からそれを担う苦労など、私の想像にも及ばないのかもしれない。

 生涯の宝となる大切な仲間との友情や汗、涙、そして恋愛、その青春の全てを妹達の為に捧げる――それにどれだけの覚悟がいるというのか。

 それでも彼は、自分の事は二の次で、妹達を第一に考え、四人とも立派な、真面目な娘に育て上げた。

 だから私は彼の事が大好きなのだ。

 

 そんな彼の言葉だからこそ、青葉くんの心に強く響いたのだろう。

 彼が青葉くんの事を大切に思っており、青葉くんもそれに応えたいと思っているのであれば、一緒に異動させた方が良いだろうか。

 ちょうど青葉くんの姉妹艦の衣笠くんも舞鶴鎮守府に所属しているし、悪くはないだろう。

 

「……うん、そうだな。舞鶴には君の相方の衣笠くんもいる事だし……青葉くん一人くらいなら、再編成時に舞鶴に一緒に異動しても支障は無いかもしれない。そうなると、代わりに舞鶴から高雄くんと愛宕くん辺りを横須賀に――」

「えぇぇっ⁉ ちょ、ちょっと待って下さいっ! 佐藤元帥っ! い、いいんですか⁉」

 

 私の言葉に、大淀くんが目を丸くして声を上げた。

 

「うぅむ、しかし、彼も青葉くんもそう望んでいるのであれば……」

「佐藤元帥、一人だけ抜け駆けは良くないだろう。ならばこの磯風も連れて行ってもらおうか」

「おどりゃ磯風ェ! わりゃえぇ加減にせんとシゴウしゃげたるぞ!」

「どの口が抜け駆けは良くないなどと言うのですか!」

「かぁ~っ! べらんめぇ! 流石にこの谷風さんの堪忍袋の緒も切れちまったぜ! 浦風、浜風! とっちめちまえ!」

「こ、こら! やめろ谷風! 青葉が行くなら司令の片腕たるこの磯風も共に行かねば……!」

「だからいつ磯風が提督の片腕になったんじゃ!」

 

 磯風くんが十七駆の三人に関節を決められながら押さえつけられていた。

 こんな磯風くんの姿は初めて見る……彼女がここまで一人の提督に執着した事があっただろうか。

 まさか青葉くんに続いて磯風くんまでもが手を上げるとは……しかしこうなると収拾がつかなくなるのでは。

 私がそう考えたのと同時に、大淀くんが軽い咳払いと共に口を開いた。

 

「佐藤元帥。提督に着いて行きたいのは青葉だけでなく皆同じです。一人だけ許してしまうと、磯風を見ればわかるように次々に手が上がり、やがて内部崩壊に繋がりかねません。青葉もここに残るよう意見具申致します」

「う、うん。そうだね……青葉くん、済まないが……やはりやめておこう」

「がーん……そ、そんなぁ」

 

 上げて落とすようで青葉くんには申し訳ない事をしたが……全員が提督に着いて行きたいとまで言うとは……。

 一体どういう事なのだ。

 彼女達の目を見ればわかる。全員本気だ。

 やはり私の想像を超える何かが起きているようだ――。

 

「何を騒いでいる」

 

 気付けば、彼がすぐ近くに歩み寄ってきていた。

 彼の声が聞こえた瞬間、艦娘達は目にも止まらぬ速度で瞬時に隊列を作り、彼に向かって敬礼した。

 その光景に私は思わず一秒に四回くらいの速さで瞬きしてしまった。

 え? 今、いや……エッ?

 

 彼はその手に、青葉くんが落としていったと思われる無線機と集音器を持っている。

 おそらく、彼も話を聞いていたのが彼女だけでは無い事に気が付いているだろう。

 彼は青葉くんをジロリと見据えて、確認するかのように、穏やかに、かつ少しだけ強い口調で声を発した。

 

「青葉。何やら落とし物のようだが……これは没収だ。いいな」

「ハ、ハイ」

「それと……今回の件に関わっているのは青葉一人。そうだな?」

「エッ」

「……そうだな……⁉」

「ハッ、ハイ!」

 

 彼は艦娘達を一通り見まわした後、私に顔を向けて言ったのだった。

 

「……そういう事です」

「う、うむ……わかった。そういう事にしておこうか……」

 

 何故か少しだけ落ち込んでいるように見えたが、それはともかくとして、私は彼の意思を汲み取った。

 おそらく、彼は彼女が偽ったように、青葉くん一人だけの仕業である事にしたいのだ。

 それならば、先ほど青葉くんが語ったように、すでに水に流された事。

 彼女達全員に聞かれた時点で、もはや彼女達を叱る意味も無い。

 それは彼にもわかっているのだろう。

 しかし素人である事がバレたにも関わらず、まだ威厳ある態度を崩そうとしないのは……そうか、上官として威厳ある態度を保つようにと、私が言ったのだったな。

 彼は私のアドバイスを律儀に守っているのだろう。

 舞鶴に異動してからも、彼の提督としての毎日は続く。

 ここで演技を止める必要も無い。

 

 だが、彼はともかくとして、艦娘達のあの動きの速さは……。

 雑然と並んでいた状態から、彼の声がした瞬間に、まるで決まっていたかのように全員が隊列を組んだ。

 あれも彼の人柄の成し得る……い、いや、人柄や人望であぁなるのか……?

 駄目だ……現在の横須賀鎮守府の状況が大体理解できたつもりだったが、まだわからない……。

 ともかく、最低限の状況は把握できたのだ。

 この後は緊急会議も控えている。急いで艦隊司令部に戻らねばならない。

 

「そうだ、神堂提督。先ほど話した通り、私は急いで帰らねばならないのだった……済まないが、ここで失礼するよ」

「あっ、そうでしたね。それでは正門までお見送りを……」

 

 私が彼とそう話していると、彼の視線が不意に逸れた。

 その方向へ私も目を向けると、何やら長門くんと大淀くんが話している。

 何も無い空間に目を向けているあの仕草は、妖精が絡んでいる時だ。

 私は何気なく長門くんに問いかける。

 

「長門くん、何かあったのかい?」

「はっ、妖精の様子を見るに、遠征艦隊が帰投したようなのですが、何やら様子が……」

「あぁ、それでは君達はそちらに向かってくれ。神堂提督も。悪いが、私はこれで失礼するよ」

「は、はっ。しかし、お見送りは……」

「よろしければ、佐藤元帥には私達が付き添いましょうか」

 

 そう申し出てくれたのは鳳翔くんだった。

 その後ろには間宮くんと伊良湖くんも控えており、私は内心ほっとしてしまった。

 先ほどから長門くん達の謎の迫力に圧倒され、緊張の連続で心が疲れていたのかもしれない。

 鳳翔くんとは、艦隊司令部やこの横須賀鎮守府すらまだ存在しない時から共に戦ってきた、長い付き合いだ。

 故に彼女が今回の件に関わっている事に疑問が無いわけではないが、彼女にならば腹を割って話せるような気がする。

 

「おぉっ、鳳翔くん、間宮くん、伊良湖くん。それでは君達にお願いしようかな」

「はい。御一緒致しますね」

 

 私は神堂くんと艦娘達に別れを告げ、正門に向かって歩き出した。

 ある程度彼女達と距離を取ったところで、私は大きく息をつき、鳳翔くんに目を向けたのだった。

 

「まさか君まで盗み聞きをしているとは思わなかったよ」

「申し訳ありません……」

「いや、さっきも言っただろう、それはもういいんだ。責めているわけじゃない。しかし、どういう心境の変化だい?」

「うぅん……開き直るわけでは無いのですが……やはり、私にも大淀さんの言った以上の表現はできかねます……」

 

 やはり、神堂くんが関わっているという事か。

 しかし、その理由は彼女達にも理解できていない。

 果たしてこれは喜ばしい変化なのか、それとも喜ばしくない変化なのか――。

 

 この話を広げると彼女達が罪悪感からか申し訳なさそうな顔をしてしまうので、私は話題を変える事にした。

 

「君達から見て、彼はどうだい?」

「とてもお優しくて、素晴らしい御方だと思います!」

 

 私の問いに、間宮くんが肩を乗り出すほどの勢いでそう言った。

 彼女は顔の前で掌を合わせて、言葉を続ける。

 

「提督はこう仰りました。願わくば、一人たりとも、私の下から欠けてほしくはないと……私は感動してしまいました」

「そうか……彼ならば、そう願うだろうな……無論、私もそう願っているよ」

「はい! 戦闘はできない私ですが、何とか提督の御力になれればと思っているのですが……」

 

 そうか、彼はそんな事を言っていたのか。

 そうだとするならば、この一年間、大破進軍や疲弊状態での反復出撃を強制させられていた彼女達には、彼の優しさはさぞ魅力的に映った事だろう。

 なんだか彼を彼女達から引き離す事が今になって申し訳なくなってきたが、こればかりはどうしようもない事だ。

 せめて、その時が来るまではと思い、私は間宮くんに言ったのだった。

 

「彼は自分の事はおろそかにする悪い癖があってね。かつては時間が無いからと、昼食も昼休みも取らずに膨大な量の仕事を毎日こなしていたらしい」

「まぁ……! そう言えば、着任したその日も、出撃した皆に悪いからと何も口にしようとはしませんでした。なんとか説得しておにぎりを数個食べて頂きましたけれど……」

「やはりか……彼は今後もそういう事をするだろうな」

 

 これも彼の妹達に聞いていた事だった。

 彼が倒れて入院した後、彼の職場環境について後々判明した事があった。

 

 彼は上司にも同僚にも恵まれなかった。

 彼は頼まれると断れないタイプだと認識されていたらしく、本来担当している業務以外の仕事まで押し付けられていたらしい。

 しかし、彼はなるべく夜は家族の為に時間を使いたかったらしく、徹底して遅くまで残業はしようとしなかったらしい。

 さらに、働きながらも妹達の学校行事などにも極力参加するようにしており、彼は膨大な仕事の山と、大切な家庭を背負う事となった。

 仕事と家庭、どっちが大事かなどとはよくある話だが、不器用な彼は職場の誰かに助けを求める事もできなかったし、妹達に寂しい想いをさせたくもなかったのだろう。

 

 結果として彼が編み出した術は、まだ日も昇らぬ内に起床し、そのまま早朝に出勤。

 六時には職場に到着し、始業時間の八時半まで仕事。

 昼休みも食事は一切取らず、同僚たちが外にランチを食べに行っている間、十二時から十三時までの昼休み時間も継続して仕事。

 定時になり同僚たちが帰宅を始める十七時の終業後も一時間半ほど残業し、十八時半に退勤。

 そして十九時には帰宅し、妹達と共に過ごしていたという。

 

 彼は数年間、平日は毎日このような状態で仕事をこなしていた。

 つまり一日に約五時間の残業をし、実に一日の半分を占める十二時間半休み無しの労働を続けていたのだ。

 どうしても仕事が期限に間に合いそうにない時には一度帰宅し、妹達と夕食を食べてから再び出勤し、徹夜で仕事をこなし、そのまま次の日の仕事に入っていたという。

 休日も、妹達が出かけるなどで共に過ごす予定の無い時には、常に職場にいたらしい。

 そんな状態でなお、気まぐれな上司の誘いを断る事ができず、遅くまで呑みに付き合わされる事もあったとか。

 それでも彼は弱音を吐かず、誰にも相談せず、自分の時間を極力削り、自らの心身など二の次で仕事と家庭を両立した。

 

 毎月百時間を超える残業――それこそが彼の戦場だった。

 何度も何度も幾多の修羅場を潜り抜け、大切なものを護る為に戦い、生き延びてきた。

 だが、それでもその心と身体は無傷では済まない。

 糸が切れたように倒れてしまったのも無理もない事だった。

 

 彼の勤め先では残業申請は二時間以上から、更に早朝勤務は残業と認められていないという暗黙のルールがあった。

 つまり彼は書類上では一時間半の残業しかしておらず、その数年間はほとんど残業代も入っていなかったらしい。

 彼が倒れ、退職した後に、彼の務めていた部署は仕事が回らなくなり大問題になったという。

 入院していた彼の病室に、仕事について尋ねるために同僚が押し寄せた事で、千鶴くん達四人の妹が激昂し追い返したという話は、今でもその病院で語り草になっているらしい。

 

 神堂くんが多くの仕事を引き受けていた事から、周りの者はほとんど残業もせずに早く帰宅しており、彼自身もまた、書類上ではほとんど残業していない事になっていた。

 それが大事(おおごと)になり、彼の元勤務先が彼の異常な勤務状況を改めて調べ直し、謝罪と共にその残業代の一部を支払ったというのがせめてもの救いだろうか……。

 

 ともあれ、鳳翔くんの助けがあったとは言え、彼が初日から徹夜であれだけ膨大な書類を処理できたのは、前職の経験によるものだろう。

 彼は若いのに、自分に対する無茶に抵抗が無さすぎる。

 というよりも、無欲すぎるのだろうか。

 自分の事よりも、妹達が一人前になるまで、という事を第一優先に考えているような節があると千鶴くんも言っていた。

 そのため、千鶴くんが就職できたことで少しだけ気が緩み、一気に燃え尽きてしまったのではないかと。

 彼の気持ちもわかるが、もっと自分の事を大切にしてほしいものだが……。

 

 私は間宮くん達に言葉を続けた。

 

「間宮くん、伊良湖くん、鳳翔くん……彼はそういう、自分自身に無頓着なところがある。食事を通して彼を支えるというのも、君達にしか出来ない大切な事だと思うよ」

「はい! そうだわ、伊良湖ちゃん、鳳翔さん! 提督には栄養バランスを考えつつ、なるべく元気が出るような、ニンニクや山芋など精のつくものをお出しするのはいかがでしょう?」

「うふふ、素晴らしい考えだと思います。日替わりで、提督定食なんてご用意するのも面白いですね」

「うん、彼が舞鶴に異動するのはほぼ確定だとは思うけれど……それまでの間、よろしく頼むよ」

「……はいっ、勿論です!」

 

 間宮くんは少しだけ残念そうに、そう返事をしたのだった。

 その時、彼女の後ろから、こちらに駆けてくる少女達の姿が目に映ったのだった。

 見れば、漣くん、朧くん、そして潮くんの三人であった。

 三人は私達に追いつくと、息を切らせながら眩しい笑顔と共に口を開いた。

 

「さ、佐藤提督、じゃなかった、佐藤元帥……潮たちも、お見送りに来ました」

「水臭いですぞ、元祖ご主人様! 漣たちに一言も無しに帰っちゃうだなんて!」

「漣、今は佐藤元帥、でしょ。失礼だよ、多分……」

「はは、構わないよ。済まないね。皆とも話したかったのだが……あちらの方は良かったのかい?」

「全員ついてくるようにと特に指示も出されなかったので、大丈夫だと思います! 多分!」

 

 第七駆逐隊の三人も、鳳翔くんと同じく、私がかつて指揮をしていた時からの付き合いだ。

 深海棲艦との戦いが始まった初期の手探りの状況を知る、艦娘歴で言うなら古参の部類に入る子たちである。

 特に漣くんは、電くん、吹雪くん、叢雲くん、五月雨くんと合わせて、最初にその姿が確認された艦娘として、『最初の五人』と呼ばれる最古参の艦娘の一人だ。

 こんな私の為にわざわざ足を運んでくれたのが、とても嬉しかった。

 正門まで歩きながら、私は何気ない話を彼女達と交える。

 

「そうそう、神堂くん……いや神堂提督が、潮くんに嫌われているのではと心配しているようだったよ」

「ふぇぇっ⁉ そ、そんな事ないです」

「潮が恥ずかしがり屋なのは知ってるけど……あれは確かに提督も傷つくかも。多分……」

「ご主人様が声かけようとしたら『ひゃあああっ! も、もう構わないで下さい……もう下がってよろしいでしょうか……』っしょ~? あれは誰でも凹むね」

「そ、そんなつもりじゃ……て、提督、かっこいいから、ち、近くにいるのが、は、恥ずかしくて」

「潮にもついに春がキタコレ! いや~、お年頃ですなぁ! ウマー!」

「ちちち、違うよぉ!」

「あら、顔が真っ赤ですね。ふふっ、可愛らしい」

「あぁっ、み、皆見ないでください……恥ずかしいよぉ」

 

 彼女達のやり取りを、鳳翔くん達と微笑ましく眺める。

 一か月前に私が彼女達の姿を久しぶりに見た時、私は心底後悔したものだった。

 何故、私は忙しさにかまけて、彼女達をちゃんと見てあげられなかったのだろうかと。

 かつて私が見ていた目の光はすっかり消え失せて、完全に死んでいた。

 だが、今の彼女達にはその光が再び宿っている。

 

 私は神堂くんに、艦娘からの信頼を取り戻す手伝いをしてほしいとお願いした。

 そしてそれは、僅か三日で達成された。

 それはおそらく、彼だからこそ成し得た事なのだろうと、彼女達を見ていて思う。

 時間さえ合えば、タイミングさえ合えば、彼に鎮守府運営のいろはを教え、胸を張って着任させられたというのに……。

 彼女達も了承済みとは言え、彼を引き離す事が本当に申し訳無い。

 

 思い出話にも花が咲き、楽しい時間は瞬く間に過ぎて行った。

 正門前についても名残惜しむようにしばらく話していたが、もう流石に時間が無い。

 私は彼女達に別れを告げて、車の後部座席へと乗り込んだ。

 

「元祖ご主人様! また来てくださいね!」

「あぁ、勿論。いつになるかはわからないけれど……約束するよ」

 

 窓を閉め、ふぅ、と大きく溜息をつき、車が発進する。

 私が何気なくバックミラーに目をやると、何かが映っている。

 というよりも、何かが凄い勢いで迫ってきていた。

 

「佐藤元帥ーーッ‼ ウォォォオオオ‼」

 

 陸奥と長門は日本の誇り、世界のビッグセブン。

 巨大な艤装を展開した超弩級戦艦、長門くんがまるで海の上を滑るように、戦車のごとく地面を削りながら高速で迫ってきていた。

 まさか超弩級戦艦長門が水陸両用だったとは知らなかった、などと訳の分からない事を考えていた私だったが、運転手の悲痛な叫び声で正気に戻った。

 運転手も気が動転していたのか、アクセルを目一杯踏み込んだが――長門くんはそれよりもなお早く、私達の車の前方へと回り込んだ。

 

「うわぁぁぁっ⁉ ブレーキ! ブレーキッ‼」

 

 私がそう叫ぶも間に合わず、艤装を解除した長門くんは車に真っ向からぶつかった。

 パニック状態の運転手はアクセルを踏み続けていたが、長門くん撥ねられたにも関わらずびくともせず、それどころか私達が怪我をしないようにだろうか、徐々に踏ん張りを効かせてスピードを落とした。

 悪い夢でも見ているのではないかと思った。

 最終的には車は完全に停止し、タイヤだけが悲鳴にも似た音を上げて地面を削り、空回っていた。

 長門くんはすぅぅ、と大きく息を吸い、そして叫んだ。

 

「フンハァーーーーッ‼」

 

 フロントガラス越しに長門くんの目が探照灯の如く光を放ったように見えた瞬間、運転手が白目を剥いて気絶し、車は後方へと押し戻された。

 アクセルを踏んだままの運転手の足もやがて離れ、車は瞬く間に鎮守府正門まで押し戻された。

 窓の外に目をぱちくりとさせている鳳翔くん達や、漣くん達の姿が映る。

「やぁ、また来たよ」とでも言えばいいのだろうか。そんなわけがない。

 私は混乱する頭のままに、何とか後部座席のドアを開けて外に出た。

 

 そこには長門くんだけではなく、那智くん、加賀くんを筆頭に、大淀くん以下、駆逐艦以外の艦娘がほぼ勢揃いしていた。

 

「な、長門くん……! それに、皆も……こ、これは一体、どういう事だね」

「手荒な真似をして申し訳無い……! しかし、ひとつだけ……どうしても前言撤回をさせて欲しい事ができた!」

「な、何だって……」

 

 悪い夢でも見ているのではないかと思った。

 明らかに――彼女達の纏う雰囲気が先ほどまでとは異なっていた。

 

 深海棲艦には、同じ(クラス)のものでも、さらにレベルが違うものが存在する。

 通常の個体に加えて、稀に赤いオーラを纏うものがおり、精鋭(elite)と呼ばれるそれは、姿形は同じでも性能が強化されている。

 更に、ごく稀に黄金色のオーラを纏うものもおり、旗艦級、もしくは最上級(flag ship)と呼ばれるそれは、eliteよりも性能が強化されているのだ。

 

 先ほどまで私達が話していた彼女達には、何も変わったところは無かった。

 目の錯覚だろうか。

 長門くん、那智くん、加賀くん、大淀くん、その他の皆――。

 神妙な顔をして私の前に立つ彼女達の体中からキラキラと光が放たれ、その周囲に黄金色のオーラが立ち上って見えるのは。

 多分加齢による目の錯覚だろう。そう信じたい。

 

 長門くんが艦娘達を率いるように、ゆっくりと私の前に立った。

 彼女が息を整えるように、ふぅぅ、と大きく息を吐くと、プッシュゥゥウと音を立てて、その体中から蒸気が噴出された。

 排熱しているらしい。生きた心地がしなかった。

 長門くんは静かに目を瞑り、小さく肩を震わせた。

 余震、初期微動――彼女達の背後に、再び巨大な活火山が見えた。

 

「佐藤元帥」

「提督は……神堂提督は、弱い御方だ」

「我らが出撃すれば一人隠れて涙を流し、今もまた傷ついた部下を見て涙を流した」

 

 ――彼は、遠征から帰投した艦娘が傷ついているのを見て、また涙を流したのか。

 

「その心身はまるで舞い散る桜の花弁のごとく、脆く、儚く、頼りない。誰一人として沈むななどと、軍人としてあるまじき夢物語を口にするその優しさは、絶望的なまでに軍人に向いていない……」

 

 ――そう、彼の優しさは、軍人になど向いていない。

 いや、正確には軍人ではないが、ともかく、艦娘の轟沈などに直面するのは、彼にとってあってはならない事だろう。

 そういう意味では、彼は提督には向いていないのかもしれない。

 

「その出自や艦隊指揮能力、そしてかつて艦隊司令部に逆らった我々の存在……提督は、あらゆる面でこの横須賀鎮守府にいない方が良い御方だ……」

 

 ――その出自は、そう、言うまでもなく彼が素人のまま着任させられたという事。

 ゆえの艦隊指揮能力の乏しさ、そして彼女達が艦隊司令部に逆らったとして一部の者達から警戒されているという事実、様々な負担……。

 長門くんの言う通り、彼はあらゆる面で、この横須賀鎮守府にいない方がいい。

 

 だから、そう、だからこそ、舞鶴鎮守府に異動するのではないか。

 彼の負担も軽くなる。

 重要拠点にちゃんとした艦隊指揮能力を持つ提督を配属できる。

 君達も満足できる。

 そうすれば全て上手く収まると、君達もわかっていたではないか。

 理解してくれていたではないか。

 

 だのに、君達は、何を言おうとしている――⁉

 

 瞬間。巨大な本震が私を襲い、活火山が爆発した。

 

「しかし、しかし佐藤元帥……! たとえ今後、あの方よりも優れた提督が現れようとも! 再び艦隊司令部に逆らう事になろうとも! あの方の命を縮めてしまう事になろうとも、その先にどのような試練が待ち受けていようとも! 我々は神堂提督と共に戦うッ!」

「なッ……⁉」

 

 声を失った私に、長門くんは言葉を続ける。

 

「たった今、我らは理解した! 軍略、戦術、神算鬼謀……もうそんなものはどうだっていい……! そんなものは二の次だ……! 自らの事を厭わず、この国を、我らを想う、あの底抜けの優しさが! あの弱さが! 覚悟が! 生き様が! あれこそが我ら横須賀鎮守府の艦娘総員が、真に護らねばならなかった者の姿だッ! あの方こそがッ、我が国の未来だッ‼」

 

 彼女達が声に載せた想いが、私の胸に大穴を開けた。

 その衝撃で、私はようやく、私の犯した罪の大きさに気付いたのだった。

 

 たった今、理解できた。

 彼女達を突き動かす、正体不明の謎の力の正体。

 

 彼は――まだ若い彼は。

 ろくに艦隊指揮の知識も無いままに、国の都合で着任させられた彼は。

 その愛国心ゆえに、その身を粉にして戦う彼は。

 

 ――かつての大戦の末期、帰らぬ空に散った若者達、その姿そのものではないか。

 

 彼の姿に、艦娘達はそれを重ねたのではないか。

 そして、こう判断したのではないか。

 あぁ、この戦いはかつてのように、もはや末期なのだと。

 またしても、国を愛する若者を無謀な戦いに放り込むのかと。

 

 私は彼に何をした?

 素人である事を隠して、提督として激務をこなせなどと、どう考えても無理のある指示だ。

 彼の愛国心に付け込んで、甘い言葉でたぶらかし、そそのかしたのではないか。

 正体がバレたら鎮守府は崩壊し、最悪の場合この国が滅びるかもしれないなどと、彼を(おど)かすような事まで言った。

 彼が自ら志願したのをいいことに、とんとん拍子で着任させた。

 提督の資質を持つ者が着任さえすれば、艦娘達は最低限の性能だけは発揮できるからと、焦り、()いてそればかりを考えていたのではないか。

 

 私は何故、彼女達を信じられなかったのだろうか。

 何故、素直に彼が素人である事を話し、協力を申し出る事が出来なかったのだ。

 信頼を失うのが怖かったからだ。

 だから、彼女達を騙すような真似をした。

 彼に無理を言ってしまった。

 

 彼を見て、彼女達は誓ったのではないだろうか。

 

 かつての過ちを繰り返さない――。

 彼を二度と、無謀な戦いに送り出さない。

 この国を愛する、弱く、優しい、一人の民……この国の未来を必ず守ってみせると。

 

 たとえ、艦隊司令部に逆らう事になったとしてもと、長門くんは言った。

 それはきっと本気だろう。

 大淀くんは、艦隊司令部に見切りをつけたわけでは無いと言ってはいたが……私が素人のままに若い彼を送り込んだ時点で、やはり私達は見切りをつけられていたのだ。

 彼女達には今、自由に動く身体がある。

 彼女達が艦隊司令部や世間の声に構わずに本気で拒否したのならば、私達には彼の異動を強行できる術など何もない。

 この国の守護神が、彼でなくては駄目だと宣言したのだ。

 いわば彼は、神に選ばれた御子。

 世間が何を叫ぼうが、この国を護れるのは彼女たちだけ。

 

 長門くん達がそう宣言した以上――横須賀鎮守府の提督は神堂くんしか有り得ない。

 

 同じ状況であれば、着任したのが誰でもこのような事になっただろうか。

 いや、やはり、送り込まれた哀れな若者が神堂くんだったという事。

 あの愛国心と底抜けの優しさは、彼女達の心の隅々まで、どこまでも甘く染み渡った事だろう。

 

 かつて帰らぬ空に散った若者と、神堂くんに沁みついている自己犠牲精神。

 今時珍しいほどの愛国心と、どこまでも底抜けの優しさ。

 威厳を保つようにと私は彼にアドバイスしたが、彼から滲み出る人の良さは、どんなに演技をしようとも隠しきれるものではない。

 だから私がそうなったように、彼女達も、彼の事が大好きになってしまったのだろう。

 

 彼は僅か一日で艦娘達を従えたのではない。

 彼は僅か一日で、艦娘達に慕われたのだ。

 

 着任したのが彼だったから――彼女達は自分達でも訳が分からなくなるほどに、おかしくなってしまったのだ。

 気が狂いそうなほどに、彼を護りたくなったのだ。

 

 嗚呼。私ははっきりと確信した。

 

 ――彼女達には、もはや、もはや――彼の声しか届かない。

 

「……彼は、とんでもない事をしでかしてくれたな……」

 

 私は思わずそう声を漏らしてしまった。

 私も彼の事は一人の男として尊敬している。立派な、感心な青年だと思っている。

 だが、まさかここまでとは。

 様々な要因が重なったとはいえ、彼女達をここまで突き動かしてしまうとは――。

 

 彼に責任転嫁をするかのような思考に至った事を一人で恥じて、私はすぐにそれを訂正した。

 

「……いや、そうか……取り返しのつかない事をしてしまったのは、私の方か……私は……何て事を……」

 

 焦っていたのだ。

 ()いていたのだ。

 このままでは大和くんだけではなく、またしても誰かが沈んでしまう。

 

 ――()()()彼女がその身と引き換えに守った仲間達が、()()沈んでしまう。

 

 だから私は、一刻も早く、提督の資質を持つ者を鎮守府に配属したかった。

 資質を持つ提督の指揮下にあるかないかでどれだけ彼女達が楽になるかは、この私が身をもってよく理解できているからだ。

 妖精を知覚できる者が――提督の資質を持つ者が私に代わって指揮を執った瞬間、彼女達の性能は各段に上がり、目に見えて勝率は上昇した。

 あの時に感じた無力感は、不甲斐なさは、流した涙は、後悔は、忘れられるものではない。

 そう、だから、だから私は、焦りから、彼にこんな無茶を……。

 

「佐藤元帥。貴方には感謝している。神堂提督を横須賀鎮守府に着任させてくれた事を……我らとあの方を引き合わせてくれた事を」

 

 自らの過ちを悔いている私に、長門くんは凛とした表情のままにそう言った。

 もはやその意思は固く、砕けない。

 彼という人間と触れ合った事で、彼女達はおそらく自らを縛り付けていた何かから解き放たれたのだ。

 それは彼女達にとっても未知の領域。

 だがそれゆえに、かつての悲劇から逃れられる可能性を持つのかもしれない。

 

「フン……あの男、鉄仮面の下に随分と情けない本性を隠していたものだ……正直、見るに堪えん。ならば、我らが何とかするしかあるまい。奴の下からな……」

「そう……提督がどんな想いでここに着任したのか……危うく、それを無下にするところだったわ。私達は本当に……救いようが無いわね」

「那智くん、加賀くん……」

 

 もう、驚きを隠すのも止めた。

 あの那智くんが……そう、情けない姿を見せれば一喝しかねない那智くんが、彼の優しさ故の弱さを認めている。

 見るに堪えないと言いつつも、その下に付き、情けない提督を支えようと、そう言っている。

 そして加賀くんに続いて、龍驤くんが、赤城くんが、鹿島くんが、利根くんが……彼を横須賀鎮守府に残そうと次々に声を上げた。

 

 私を出迎えた時の殺伐とした雰囲気はもはや無かった。

 彼女達には笑顔も見られる。

 利根くんなどは神通くんをからかって、冗談まで言っていた。

 そう、彼女達はもう、色々と吹っ切れたのだろう。

 そしてそれ故に、彼女達はきっと強くなった。

 決して揺らがぬ強固な理念はただひとつ――ただひとりの心優しい若者を護る事。

 それはまさに前代未聞。素人の彼と艦娘達が作り上げた、あまりにも(いびつ)なそれは、それこそが――今の横須賀鎮守府の、彼と彼女達の艦隊教義(ドクトリン)

 

 ……敵うものか。

 私達がどれだけ机上の空論を並べ立てたところで、艦隊運用の道理を説いたところで。

 たったひとつのシンプルな、彼女達の理念に敵うわけがあるものか。

 

 彼女達が報告書に虚偽の記載をした理由がなんとなく理解できた気がした。

 おそらくあれは彼女達にとって虚偽ではない。

 たとえ指揮をしたのが艦娘達だったとしても、彼女達にとってその戦いは、彼と共に作り上げたものなのだ。

 艦隊司令部への当てつけだけでなく、彼女達は本気でそう思っているのかもしれない。

 艦である彼女達にしかわからない領域ではあるが、おそらくそういう事なのだろうと思った。

 

 何故だろうか。

 私の胸までも熱くなっているのは。

 この震えは何だ。

 驚きと、予感と、覚悟。

 おそらく心で考える前に、身体が叫んでいるのだ。

 これは武者震いだ。

 そう、逃げ出すな、戦えと、私が私を鼓舞している。

 何故だろうか。

 彼の為に戦いたいと、私もそう思ってしまったのは。

 

 あぁ、これが、今の彼女達の気持ちなのだ。

 彼を護る為に戦いたいと、心からそう思える。

 

 私は覚悟を決めて、彼女達に目を向けて、ゆっくりと口を開いた。

 

「この一件は、私の一存で決められる事では無い。だから、悪いが約束する事はできない」

「……はい」

「艦隊司令部に逆らってでも、という物騒な言葉は聞かなかった事にさせてもらおう。だが、君達の意思は、確かに艦隊司令部に持ち帰るよ。君達の熱意は……そのままにね」

「――は、はッ! どうか、よろしくお願いしますッ!」

 

 私の言葉に、彼女達は一斉に頭を下げた。

 

「ただし、もう一度だけ、私から……ひとつ、元帥命令を発したい」

 

 私がそう言葉を続けると、彼女達は背筋を伸ばして顔を上げた。

 皆、いい顔をしていた。

 その目は誰一人として死んでいない。

 爛々と輝いて、あまりにも(まばゆ)くて、目を背けたくなるくらいだ。

 

「君達はもう気付いている事だとは思うが……彼は、この国そのものだ。決して失われてはならない存在だ……絶対に、護り抜いてくれ。今度は、誓ってくれるかい?」

 

 そう――彼という、一人の心優しい、若く、未来ある、弱き民。

 民無くして国は無し。

 長門くんが叫んだように、彼こそが、彼のような一人の民こそが、この国そのものであり、この国の未来。

 この国に生きる全ての国民の中からたった一人選ばれただけの哀れな彼には、何を犠牲にしてでも護らなければならないものがある。

 彼に残された、自分よりも大切な、たった四人の肉親。

 千鶴くん、明乃くん、美智子くん、澄香くん。

 皆、とてもいい子だった。

 神堂くんが命よりも大切に思っている彼女達がただ願うのは、彼が無事に帰る事。

 彼女達の祈りを、裏切ってはならない。

 決して、失われてはならない。

 絶対に、護り抜かねばならない。

 

「――了解ッ‼」

 

 彼女達の一糸乱れぬ敬礼を見て、私は根拠も無しに、大丈夫だと思った。

 車に再び乗りこむと、運転手も目覚めていたようで、逃げるように慌てて車を発進させた。

 鎮守府正門から離れてしばらくすると、私の携帯電話から着信音が鳴り響く。

 確認すると、横須賀鎮守府正門前の監視施設の職員からのようであった。

 鎮守府内には、妖精のために提督以外の人員を配置できない為、防犯のための施設も外に設置しているのだ。

 私が応答すると、職員の慌てたような声が届いた。

 

「もしもし」

『あっ、佐藤元帥! 御無事でしたか⁉ 先ほどの戦艦長門の暴走は……』

「あぁ……あれは暴走などでは無いよ。少し言い忘れていた事があったらしくてね」

『そ、そうでしたか。モニター越しに見ていた私も一瞬気絶しそうになりましたが……それとは別に、一応報告です。佐藤元帥が到着する前に、出迎えの艦娘達が並んでいたのですが……そこで、いきなり軽巡大淀以外の六人が凄い形相で艤装を展開したんです』

「エッ」

『軽巡大淀が諫めたみたいですぐに引っ込めていたので何かの間違いだと思ったのですが、もしかしたら力づくで佐藤元帥を追い返すつもりだったのではないかと疑ってしまって』

「い、いや、大丈夫だ。それはきっと、何かの間違いだよ」

『それなら良いのですが……過激派に見られていたら大騒ぎされかねなかったですね。安心しました。失礼します』

 

 通話を切り、私は片手で顔を覆って大きく息をついた。

 ……うん、今ならわかる。きっと、これも神堂くんのせいなのだ。

 そう、元はと言えば、彼を送り込んだ私のせいだ。

 根拠は無いが、なんとなくわかる。

 きっとそうなのだ。

 

 ……緊急会議までの僅かな時間で、何とかうまい言い回しを考えなければならない。

 神堂くんを横須賀鎮守府に残し、彼女達の評判も落とさないような、上手い言葉を。

 穏便に事を済ませられなかった場合、おそらく彼女達は言葉通り、私達に逆らってでも彼を引き渡そうとはしないだろう。

 彼女達の思いはきっと、神堂くんでも止める事はできない。

 そうなれば、彼女達の立場はますます悪くなり、私達への信頼も悪化し、最悪の展開になるだろう。

 何とかして、それだけは避けなければ。

 胃がムカムカしてきたが、この程度、何てことは無い。

 

 私は運転手に声をかけた。

 

「ごめん、帰りにちょっと、薬局に寄ってくれないかな」

「薬局ですか?」

「うん、胃薬を買っておこうと思って……」

 

 窓の外に流れる景色を眺めながら、私は思う。

 私には彼女達に、あえて黙っている事がある。

 この数年間で、提督が不審死や行方不明になっている事。

 彼女達はそれが深海棲艦の仕業なのではないかと疑っているが――この国の平和は、他ならぬ彼女達のお陰で、まだ深海棲艦の脅威から守られている。

 私達もはっきりと尻尾を掴んだわけでは無いのだが、犯人の大体の目星はついている。

 

 ――人間なのだ。

 

 この国には基本的人権のひとつとして、言論の自由がある。

 故に、この国に生きる者の意思もまた、一枚岩では無い。

 

 艦娘達にしか対抗できない深海棲艦という驚異に晒されていながら、彼女達に守られていながら、彼女達の存在を否定する集団もいる。

 代案の一つさえも提示せずに、ただそれが気に喰わないからと、感情ひとつで騒ぎ立てる者達もいる。

 今の彼女達は兵器ではない、武力ではない。戦争をする為の力ではない。

 自然災害から、例えば河川の氾濫から街を護る堤防のようなものだ。

 大地震による津波からこの国を護る防波堤のようなものだ。

 堤防が決壊すればどうなるだろうか。防波堤が無ければどうなるだろうか。

 そのようにいくら説明をしても聞く耳を持たず、狂ったように戦争反対、この国に武力はいらないと叫び続ける者達がいる。

 愛を掲げ平和を胸に、正義の名の下に人を容易く傷つけられる者達がいる。

 

 提督達が不審死や行方不明となった犯人は未だ突き止められていないが――。

 着任し、指揮を執っている途中で、その役目から降りたがる者が増えた事。

 数は多くないが、たとえ提督の素質を持っていても、提督となる事を拒否する者。

 それらの原因は、確実にそれらのごく一部の人間なのだ。

 

 艦娘達について国民に周知する際、当然ながら提督の資質についても説明が成された。

 この資質が見つかった者には、協力をお願いしたいという事。

 それと共に、提督の資質を持つ者の指揮下に無ければ、艦娘達が本来の性能を発揮できないという事も説明が成されている。

 

 ゆえに、過激な思想を持つごく一部の者はこう思ったのだ。

 提督の資質を持つ者を何とかすれば良いのだと。

 

 ネット上に多くの情報が溢れるこの時代。

 まだ提督が国民の前に顔を出していたその時、提督の個人情報はいとも容易く突き止められた。

 その結果何が起きたか――過激派と呼ばれるごく一部の者達による、陰湿で執拗な、提督への嫌がらせだ。

 自宅に生卵を投げつけたり、玄関先に生ごみをバラまいたり、窓ガラスを割ったり、壁や扉に落書きをしたり、脅迫状が送り付けられたり――愛と平和と正義の名の下に、それらの心無い凶行は平然と行われた。

 提督のほとんどは、たまたま、偶然、提督の資質を持っているだけの一般人だ。

 そんな彼らが、時には家族さえも危機に晒され――そのような状態で、この国を護る為に戦えるだろうか。

 こんな者達を護る為に、艦娘達は、私達は命を張るのかと、嫌になってしまっても責める事はできない。

 

 現在、徴兵するかのごとく、提督となる事を強制する事は出来ない。

 あくまでも本人の同意が必要だ。

 だが、過激派の存在やその凶行はニュースや新聞でも報道されており、今では資質があっても提督となる事を拒否する者も多い。

 ただでさえ稀少な提督の資質の持ち主が、護るべき人間の手によって更に減らされているのだ。

 

 現在では、提督の個人情報は機密という事で厳密に扱われている。

 自衛の為に、鎮守府からの外出も極力禁じられており、執務により外出する必要がある際には公共機関の使用は禁じられ、艦隊司令部と艦娘の護衛と共に、司令部が保有している車や飛行機で移動する事となっている。

 提督となる者の身内についても、艦隊司令部が秘密裏に護衛しており、過激派の動きにも常に気を配っている。

 そんな中で提督になるのは、よっぽど愛国心が強い者か――艦娘を『兵器』と見なしているからこそ、自分の手でその力を振るいたいという欲望を持つ者か。

 

『艦娘兵器派』と呼ばれる派閥は後者に該当する。

 愛と平和を掲げて戦争反対、武力反対を叫ぶ過激派とは表面上は対立しており、艦隊司令部内にもその派閥に属する者は一定数存在する。

 彼らは艦娘達をかつてと同様、兵器として、道具として、人間が責任を持って正しく管理せねばならないのだと主張するのだ。

 その裏には、かつての大戦で活躍し、現代まで名が残る英雄たちと、自分達を重ねているのだろう。

 この国を護る艦娘達、それを従えた彼らの名を、後世にまで残したいと思っているのかもしれない。

 

 彼女達が護るこの国には自由があるし、権利がある。

 故に、その思想は様々だ。

 戦争反対、武力反対を叫び、艦娘を好ましく思わない者もいる。

 兵器だからこそ、人間が管理しなければならないと主張する者もいる。

 深海棲艦とも話せば分かり合えるのだと、根拠も無しに自ら船で近づいてあえなく攻撃されてしまった団体もいた。

 

 そして今、横須賀鎮守府の艦娘達は、ただの素人である神堂くんの指揮下で戦うと宣言した。

 それが何を意味するか。

 この国の保有する対深海棲艦戦力のおよそ四分の一が、実質的に艦隊司令部から離れ、彼一人の手に握られたという事だ。

 いや、国の中枢に近く、精鋭が集中して配属されている横須賀鎮守府だ。四分の一以上かもしれない。

 あの黄金色のオーラ、尋常では無い信頼……今の彼女達は間違い無く、この国最強の艦隊だ。

 

 そんなものが、ただ一人の素人の手に握られており、自分達では手出しが出来ない。

 しかも艦娘達は自分達の意思で作戦を練り、戦い、この国を護ろうとしている。

 艦娘の力を管理し、上から指示する事で戦果に干渉したがっている艦娘兵器派からすれば見過ごせる事ではないし、過激派に知られたら間違いなく彼に、彼の家族に、危害が加わるだろう。

 下手をすれば、艦娘兵器派すらも、彼を何とか失脚させようと権謀術数を画策するかもしれない。

 彼女達の力は、彼のような素人には勿体ない、と。

 

 私には到底理解し難い事だが……たとえそれでも、私達の理想とは相反するそれさえも、この国の一部だ。

 それらもひっくるめて、私達はこの国を護らなければならない。

 

 私は今、私の天命を理解した。

 きっと私はこの時の為に、元帥なんて地位に就いたのだ。

 

 心優しい一人の青年を、心無い世界に巻き込んではならない。

 この国を護る為に再び蘇った彼女達を、これ以上傷つけてはならない。

 提督になりたいと願った彼の思いを色褪せさせない。

 兄の望みを叶えたいと思った、彼の妹達の望みを叶えたい。

 

 神堂くんを護らなければならない。

 艦娘達を護らなければならない。

 彼が、彼女達が、安心してこの国を護り続けられるように。

 

 彼らが護るその背後から浴びせられる正義の矢の雨から、欲望の嵐から、私はこの身を盾にして、彼らを護ろう。

 たとえ胃に穴が開こうとも、体中が穴だらけになろうとも――。

 

 私に背中は任せてほしい。

 君達は前だけ見ていてほしい。

 

 欲望渦巻く汚い世界は、全て私が食い止めよう。

 彼と彼女達の目に映るこの国が、美しいままでいられるように。

 

 これが提督の資質を持たない、元帥である私にしかできない、私の戦い――これが私の戦場なのだ。

 焦りから彼を着任させてしまった私の、彼への、彼女達への贖罪なのだ。

 

 私は窓の外に広がる青い海に目を向けて、そして小さく呟いたのだった。

 

 ――誓うよ。

 

 まだ何もわからない内から、私と共に戦ってくれた君に。

 艦娘達の本来の性能を引き出せない、頼りない私をクソ提督と呼んだ君に。

 それでも必死に、この国を護ろうと毎日ボロボロになって戦ってくれた君に。

 作戦が上手くいかず、敗戦が重なっていたあの日、自らへの不甲斐なさと苛立ちから、たった一度だけ、大人げなく言い返してしまった私を残して出撃していった君に。

 仲直りをしようと買ってきた、近所で評判だった甘い苺のケーキを受け取る事なく、二度と帰って来なかった君に。

 謝る事さえ許してくれずに、この海に消えてしまった君に――。

 

 君の大切な仲間達を。

 青く静かなこの海を。

 この国の未来を。

 

 君がその身と引き換えに守ったものを。

 君が守りたかった全てを、今度こそ必ず守ってみせる事を。

 

「――見ててくれよ……曙くん」

 

 車窓越しに見える道端に咲いていた、ミヤコワスレの花が一輪、頷くように小さく揺れた。

 




大変お待たせいたしました。
これにて第三章の元帥視点は終了となります。
残るは第三章のラストを飾る提督視点になります。

実はつい先日までリアルの忙しさによりほとんど執筆できていなかったのですが、藤川さんの五周年記念イラストがまさかの間宮さんというサプライズにより戦意が高揚し、超特急で書き上げました。
あんなものに埋もれてしまっては神堂提督が一部の記憶を失い気絶するのも無理もないと思いました。

梅干しと海苔とお茶を集めながらこつこつ執筆していきますので、次回の提督視点も気長にお待ち頂けますと幸いです。お米はもういいです。


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043.『理解』【提督視点】

 俺が着替え終えて帽子を被り直すと、周りで踊っていたグレムリン達が『わぁぁー』などと言いながら俺の体を登ってきた。

 そのまま俺の帽子の中やら、ポケットの中やら懐の中に潜り込んでいく。

 えぇい、鬱陶しい。帽子をバサバサと振ってみたり、ポケットの中を見てみたが、すでにその姿は無い。

 くそっ、隠れるのが上手い奴らだ……。

 そんな事をしていると、まだ外にいたグレムリンが二匹、俺に声をかけてきた。

 

『ねーねー、キュアチェリー』

 

 だから誰がキュアチェリーだ。

 特別()規格外(EX)をレッツラ、まぜまぜ!

 海風に揺れる一輪の栗の花!

 悪知恵のプ〇キュア、キュアチェリー! ブラァァア! ってだから何やらせんだ。

 

 見ればグレムリンは自身の体よりも何倍もある機械を持って浮かんでいる。

 何だこれは……。

 

『無線機と集音器です』

『青葉さんの忘れ物のようです』

 

 あぁ、青葉の取材道具か。俺が見苦しいものを見せつけてしまったせいで、両手で顔を覆いながら走り去ってしまったからな。

 持って帰るのを忘れたのだろう。

 おそらく俺達の会話を聞きとる為の集音器とやらに……無線機だと?

 

 どういう事だ。青葉が言っていたように独断で侵入したのなら、こんな荷物はいらないはずだ。

 無線機は一つでは意味が無い。つまりリアルタイムで聞いていた相手がいたはず……。

 つまり奴はただの取材だけでなく実況配信していたという事か……⁉

「【R18】男湯侵入したったwww【ホモ】」みたいな感じで……!

 

 あンのクソパパラッチがァ~……! あの場で更に俺に嘘を重ねていたという事か……ッ!

 これでは俺の慧眼がまるで節穴のようではないか。

 俺が青葉を庇った時、奴は心の中で「敵はまだ気付いてないよ」とほくそ笑んでいたのだろう。

 誰が敵だ。くそっ、せっかく俺が寛大にも許してやったというのに……!

 

 い、いや落ち着け。短絡的に判断するな。

 人の悪い面では無く、良い面を見るのだ。

 青葉は俺と佐藤さんに対してさらに嘘をついたが、つまりそれは共犯者の存在を隠し、自分一人で罪を被ったという事……。

 そして青葉が俺の味方になった今、もしも艦娘達に盗撮がバレたとしても、青葉は同じように決して俺の名前は出さないだろう。

 

 な、なんだ、そう考えれば良い奴じゃないか、うん。

 昨日の敵は今日の友。

 俺の為に働く際にも同じ姿勢でお願いしたい。

 

 グレムリンからとりあえず無線機と集音器を預かる。

 これは後で青葉に返しておこう。

 

『それでは私達も戻りますねー』

『失礼します』

 

 グレムリンはそう言って、俺の懐の中にもぞもぞと入りこんできた。

 いやどこに帰ってんだ! さっさと持ち場にカエレ! 仕事しろ仕事!

 くそっ、馬鹿にしやがって……。

 

 相手にするのも疲れるので、俺は構わず脱衣所の扉を開け、そしてぴたりと足を止めた。

 何やら妙な雰囲気を感じて、入渠施設の陰からそっと顔を覗かせてみると、少し離れたところで佐藤さんと艦娘達が何やら話していたのだった。

 

 な、何だ……⁉ 遠くてよくわからんが、艦娘達が全員揃っている……⁉

 嫌な予感がする。な、何を話しているのだろうか……。

 しかし俺が姿を見せると、おそらくその話題は切り上げられてしまうだろう。

 そう、陰口のように……。

 くっ、何とかして聞く事が出来れば……。

 

 そんな俺の肩に、グレムリンがひょこっと姿を現した。

 

『サダオ、サダオ、いいものがあるじゃないですか』

 

 もう完全にサダオ呼ばわりかお前ら。

 俺は心が広いからもう諦めるが、一体何なんだ。

 

『この集音器を使えば、聞き取れると思うよー』

 

 俺が右手に持っていた集音器に、ぴょこぴょことグレムリン達が集まってくる。

 おぉっ、なるほど。しかし俺には使い方がわからん。

 

『世話が焼けるなー』

『機械の事なら私達にお任せ下さい』

『ここを……こうして……』

『聞きたい方向にこう、向けて、ここを耳に当ててみてください』

 

 ほう、グレムリンもたまには役に立つんだな……。

 俺は言われた通りに、集音器を耳に当ててみた。

 

≪彼の……神堂提督の舞鶴鎮守府への異動案についても、聞いていたのかい?≫

≪……はい≫

≪君達はどう思う≫

≪……先ほど皆とも話したのですが、致し方ない事かと思います……≫

≪そうか……理解が早くて助かるよ。彼に横須賀鎮守府の運営は荷が重い……≫

 

 なるほど、鮮明に聞き取れるな。鮮明に聞き取れすぎて凹む。

 そうか、青葉の奴が実況配信していたという事は、俺と佐藤さんの濃厚な展開だけではなく、その件についても聞かれていたという事か。

 

 ん? つーか佐藤さん、普通に艦娘達にそれを話しているという事は……青葉が嘘をついている事も気付いていたという事か……⁉

 ば、馬鹿みてぇじゃん、俺……!

 おそらく青葉を信じていた俺があまりに哀れ過ぎて、あの場では俺の顔を立ててくれたのだろう。

 青葉ワレェ! お前のせいで赤っ恥かいたじゃねえか!

 い、いや、青葉は俺の味方。青葉は俺の強い味方……。堪えねば。

 

 し、しかし大淀……舞鶴鎮守府への俺の左遷は致し方ない事だと……。

 すでにあの場にいる皆とも話したと……そ、そんな……もう駄目だァ……発注! おしまいだァ……!

 確かに佐藤さんの言う通り、横須賀鎮守府の運営は荷が重いのかもしれんが、それを承知で着任させてくれていたのでは……!

 くそっ、素人に任せるには舞鶴鎮守府の方が色々安心らしいというのは理解できるが……そんな殺生な……!

 

 凹んでいる俺の耳に、艦娘達の声が次々に届く。

 

≪せやな……あの司令官は救いようの無いアホや……ザザッ……無理して……ザザザッ……壊されるのはまっぴら御免やで≫

≪そうですね。提督の事を考えるのならば、佐藤元帥が仰った通り、ここよりも舞鶴鎮守府がちょうどいいでしょう≫

≪えぇ、赤城さんの言う通りね。これ以上提督に……ザザッ……せる訳にはいかないわ≫

≪フン……奴自身はやる気のようだがな。艦隊司令部のみならず、この国自体が、ここで奴が指揮を執る事に不安を覚えているというのならば、致し方ない事だろう≫

≪この磯風が共にある。心配はいらない……と言いたいところだがな。フッ、どうやら司令は、この磯風の手にさえ負えないようだ≫

 

 くっ、雑音が入って鮮明に聞き取れなかった部分があるが、俺の評価が散々である事だけは理解できる。凹む。

 俺の数少ない味方、いい奴の龍驤にまで救いようの無いアホとまで言われるとは……い、いや、しょうがない事だな。事実だ。

 素人がここで無理して指揮を執り、鎮守府を壊されるなどまっぴら御免だろう。

 

 赤城の言う通り、俺のレベルでは舞鶴鎮守府がちょうどいいのだろう。

 これ以上俺に指揮を執らせるわけにはいかないという加賀の言葉が胸に刺さる。

 佐藤さんにより俺は横須賀鎮守府に着任したが、やはり素人が指揮を執るという事には、艦隊司令部だけでなくこの国自体が不安を覚えたとしてもおかしくはない。

 

 しかし磯風は何故か俺の味方っぽいんだよな……。

 俺が色々と手に負えないのは事実だが、そんな俺を支えようとしてくれているというか……昨日も忠誠を誓ってくれたし……馬鹿ではあるが悪い奴では無いようだ。

 まぁそんな磯風も多数決で致し方ないと諦めたといったところだろうか……凹む。

 

≪い、磯風くん。ところで、君は昨夜、神堂提督に秋刀魚を焼いたと聞いたが……≫

≪む? あぁ、焼いたさ。忠誠を込めてな。それがどうしたというのだ≫

≪い、いや、失礼かもしれないが、その……意外だと思ってね。君が手料理を作ったのもだが、彼に忠誠を誓うなどと言ったという事が……≫

≪フッ、何を言っている。あの司令のような人物こそ、この磯風が忠義を尽くすに相応(ふさわ)しい……至極当然の事ではないか≫

 

 磯風アイツ……本当にいい奴だな!

 あの焦げた秋刀魚の炭はともかくとして、やはり俺に忠誠を誓ってくれたのに嘘は無かったのか……!

 佐藤さんが驚いていたように、磯風がここまでするというのはとても珍しい事のようだ。

 金剛や足柄など何故か俺に好意的でいてくれる艦娘もいるにはいるが、自分から忠誠とまで言い切ったのは磯風くらいだ。

 一応浜風も、私達も同じですとは言ってくれたが、あれはあの場の空気を読んでくれたのかもしれない。

 それはともかく、俺のどこに忠義を尽くすに相応しい要素があったのかは理解不能だが……。

 

『駄目なところじゃないですかね』

『私達と同じですねー』

『あー』

『あぁぁー』

『わかるわかる』

 

 うるせぇよ! 何勝手な事言ってんだ!

 俺の頭の上で駄弁(だべ)っているグレムリン共には構わず、俺は壁に隠れて艦娘達の様子を窺う。

 しかし磯風はもしやグレムリンの言う通り、俗に言うダメンズ好きなのか……?

 着任した初日は俺の事もよくわからなかったが、むしろ出撃を通して俺があまりにも駄目である事を察してデレたとか……。

 つまり急に態度が軟化したのは千歳お姉達みたいに龍驤の説得によるものではなく、俺が駄目すぎたから……。

 そ、それはいかん。今の俺にはありがたいが、アイツの将来が心配だ……。

 駄目な男に騙されなければ良いのだが……。

 

『現在進行形ですよね』

『罪な男ですね』

 

 やかましいわ! 冤罪だそれは!

 くそっ、しかしもしもそれが事実だとすれば、俺の本性を知ってなお鎮守府の健全な運営の為に仕方なく味方してくれていると思われる大淀や明石などとは違い、磯風は純粋に俺の味方をしてくれているのでは……。

 それは俺が駄目すぎるからというのが情けなさすぎるが……。

 

 見た目中学生系の駆逐艦、包容力皆無、乳以外はストライクゾーン外の磯風が、まさか俺の片腕に近い存在になるとは……。

 頭は残念そうだが、純粋に忠誠を誓ってくれている分、いざという時にはある意味で黒幕大淀さんに匹敵するレベルで頼りになるかもしれんな……。

 い、いや、このままだと普通に離れ離れになるんだけど……凹む。

 

≪佐藤元帥。磯風だけ……ザザッ……提督が着任して僅か三日だが、横須賀鎮守府の全員が……ザザッザッ……と言っても過言では無い。ゆえに、舞鶴鎮守府への異動は、我々にとって……ザザザッ……なのだ……!≫

≪そ、そうか……いや、しかし、受け入れてくれてありがとう。君達の気持ちもわかるが、彼の為、引いてはこの国の混乱を避ける為なのだ≫

≪あぁ、提督のような……ザッ……が……ザザザッ……良かったと……心からそう思うよ≫

 

 ノイズが酷く聞き取れなかった部分が多かったが、脳内補完された長門の言葉に俺は再び深く傷ついた。

 ウ、ウン、ソウネ……磯風だけ特殊なのよね……。

 横須賀鎮守府の全員が俺に不信感を抱いていたとしても過言ではないよな……。

 エッ、全員……⁉

 こ、金剛とか足柄とか、それ以外にも川内型とか、駆逐艦とか、潜水艦とか、一応俺に友好的でいてくれる艦娘もいたような気が……お、俺の気のせいデスカ……?

 

 い、いや、友好的なのはともかく、今は俺の上位互換モリモリ君が現れた状況だ。

 それなら話は別だよな……。

 ド素人の俺なんかよりも、ちゃんとした知識を持つ方がいいに決まってる。

 俺の舞鶴鎮守府への異動は、もはや艦娘達にとっての悲願……俺のようなド素人が左遷されて良かったと、心からそう思うよな……凹む。

 

 そんな俺の耳に飛び込んできたのは、思いもよらぬ青葉の声であった。

 

≪あっ、青葉もッ! 青葉も提督に着いて行ってはいけないでしょうかッ⁉≫

≪なっ――あ、青葉っ、何を言っているの⁉≫

≪提督は拳骨一つで今回の愚行の罪を水に流して下さり、更に青葉にこう仰りました。お前は、私の艦隊に必要な存在なのだと……! 唯一無二の個性を活かしてほしいのだと……! そしてこう諭して下さりました。握れば拳、開けば掌……力の扱い方を誤らぬ、強い心を持てと! 青葉は、青葉は、提督の下でっ、力の扱い方を学んで行きたいのですっ!≫

 

 あ、青葉お前……やはり俺の同志(フレンズ)に! ハラショー!

 俺の真意は理解できていたようだ。クソパパラッチとか言ってすいませんでした。

 そうそう、握れば拳、開けば掌。父さんの教えはすでに俺よりも理解できているようではないか。

 そんなに俺に着いてきたいとは可愛い奴め。

 しかし一緒に舞鶴に来ても、そこが駆逐艦とかしかいないのならば青葉の個性も無意味なのでは……。

 どうせなら横須賀鎮守府に残って、お宝写真を手紙とかで送ってくれた方が助かるような気が……。

 

≪……彼が、そう言ったのかい?≫

≪はっ!≫

≪そうか……うん、そうかぁ……彼が、そんな事を…………うん、そうだな。舞鶴には君の相方の衣笠くんもいる事だし……青葉くん一人くらいなら、再編成時に舞鶴に一緒に異動しても支障は無いかもしれない。そうなると、代わりに舞鶴から高雄くんと愛宕くん辺りを横須賀に――≫

≪えぇぇっ⁉ ちょ、ちょっと待って下さいっ! 佐藤元帥っ! い、いいんですか⁉≫

≪うぅむ、しかし、彼も青葉くんもそう望んでいるのであれば……≫

 

 佐藤さんと大淀が何やら揉めていた。

 っていうかちょっと佐藤さん! 青葉の代わりに高雄と愛宕を⁉ 聞き捨てならんぞ‼

 横須賀鎮守府版になる前の俺の旧ランキングで高雄と愛宕がどの位置にいたのか知っての所業か⁉

 

【参考:旧神堂ランキング】

 一位:給糧艦・間宮

 二位:重巡洋艦・高雄 ←

 三位:練習巡洋艦・香取

 四位:水上機母艦・千歳

 五位:正規空母・翔鶴

 六位:重巡洋艦・妙高

 七位:戦艦・扶桑

 八位:戦艦・陸奥

 九位:重巡洋艦・愛宕 ←

 十位:重巡洋艦・筑摩

 

 二人ともランカーですよ! 同じ重巡でも完全にストライクゾーン外の青葉一人とは釣り合わんのですよ‼

 等価交換の原則を無視してますよ!

 オータムクラウド先生の『何かが私の中で開放されたような……素敵な気持ち……』と『タンクが大きいと肩が凝るのよねぇ』は名作ですよ! いつもお世話になっております。

 特に高雄は二位ですよ! 今でも金剛と張り合うレベルの猛者ですよ!

 もしも俺の舞鶴行きが避けられん事ならば、クソパパラッチ青葉はいらん!

 青葉には横須賀に残ってもらい、舞鶴の俺にお宝写真供給ウィークリー任務常時発動!

 その代わり高雄と愛宕は残して下さいお願いします! 何でもしますから! いや何でもはアカン……!

 

 青葉の言葉が意外だったのか、何やら艦娘達がざわめき始めた。

 そりゃあ、こんなクソ提督に自ら着いて行きたいなんて酔狂な奴はいるはずも無いからな……。

 青葉には先ほど俺に庇われたという負い目と、父さんの教えに感銘を受けたというのがあるのだろうが……。

 艦娘達の様子を窺っていると、腕組みをした磯風が一歩前に足を踏み出し、言ったのだった。

 

≪佐藤元帥、一人だけ抜け駆けは良くないだろう。ならばこの磯風も連れて行ってもらおうか≫

≪おどりゃ磯風ェ! わりゃえぇ加減にせんとシゴウしゃげたるぞ!≫

≪どの口が抜け駆けは良くないなどと言うのですか!≫

≪かぁ~っ! べらんめぇ! 流石にこの谷風さんの堪忍袋の緒も切れちまったぜ! 浦風、浜風! とっちめちまえ!≫

≪こ、こら! やめろ谷風! 青葉が行くなら司令の片腕たるこの磯風も共に行かねば……!≫

≪だからいつ磯風が提督の片腕になったんじゃ!≫

 

 アッ、浦風達三人にシメられた。関節技を決められている。

 おぉっ、女体が絡み合ってくんずほぐれつ。俺も混ざりたい。

 あれはまさに入渠ならぬ乳巨……谷風、そこを代わってくれまいか。

 馬鹿な事を考えている場合では無い。

 

 まさか磯風までもが俺に着いて行きたいなどと言うとは……どうやらアイツの忠誠は本物のようだ。

 アイツ本当にいい奴だな……頭は残念だし、下手したらただのダメンズ好きっぽいけど……。

 普通に感激している自分が悔しい。

 

 そうか、アイツ、自分から俺の片腕とまで……よし、許可しよう。

 俺の右腕は流石に色々と世話になっている大淀さんから譲れないが、左腕の座は磯風に差し上げようではないか。

 知力体力時の運と言うからな……頭が残念そうな磯風だが体力には自信がありそうだ。

 大淀の知力に磯風の体力、後は今までの人生経験的に薄幸な俺の運さえも塗り替える幸運艦が居れば万全では無いか。

 幸運艦、幸運の空母……瑞鶴。い、いや、瑞鶴だけはアカン。

 

≪佐藤元帥。提督に……ザザザッ……ザザッ……ザッ……磯風を見ればわかるように……ザザッ……内部崩壊に繋がり……ザッ……青葉もここに残るよう意見具申致します≫

≪う、うん。そうだね……青葉くん、済まないが……やはりやめておこう≫

≪がーん……そ、そんなぁ≫

 

 くそっ、ノイズが酷くてほとんど聞き取れなかったが……何? 俺のせいで横須賀鎮守府は内部崩壊の危機にあるの?

 磯風を見ればわかるようにと……俺に悪影響を受けたという事だろうか。

 お、大淀さん、それは流石に濡れ衣だ!

 確かに俺は色々と悪影響しか無いかもしれんが、磯風のダメンズ好きはおそらく生まれ持ったものだ!

 いや、俺が駄目すぎるせいでそれが顕在化したというのなら返す言葉も無いが……。

 

 とにかく青葉が残る事が決定したのなら、後はお宝写真を送ってもらえば……いやだから高雄と愛宕はともかくそもそも舞鶴に行きたくねぇんだよ!

 横須賀には間宮さんが、金剛が、香取姉が、千歳お姉が、翔鶴姉が、妙高さんが、いや、しかし舞鶴には高雄と愛宕が……!

 でもモリモリ君に皆を寝取られたら俺は悲しみに包まれて死の危険性が……!

 

 ええい! もういい! 頭がこんがらがってきた!

 話を聞いたはいいものの、聞けば聞くほど悲しくなるわ!

 磯風がマジで俺に忠誠を誓ってくれてた事しか収穫は無かった。

 くそっ、何だか色々と怒りがこみ上げてきた。

 とりあえず俺が青葉に騙されていたという事実は無かった事にしよう。

 そして俺と佐藤さんの実況配信を楽しんでいた馬鹿者を炙り出そう。

 まったく、コイツらという奴は、実にけしからん! 盗み聞きなど言語道断!

 

『どの口が言うのですか』

『ブーメラン凄いですね』

 

 お前らがそそのかしたんだろうが! いい加減さっさと持ち場にカエレ!

 俺は怒りを堪えつつ、真剣な表情で艦娘達へと歩み寄った。

 

「何を騒いでいる」

 

 静かなる俺の怒りを察したのか、艦娘達は瞬時に隊列を組み、敬礼した。

 コイツら本当に外面だけはいいのな……。

 まぁ俺も人の事を言えたものではないのだが……。

 というか、これは普通の社会人ならば常識だ。

 たとえ嫌な事があっても、目の前で文句を言う奴は滅多にいない。

 もちろん陰口は言わないに越した事は無いのだが、知らぬが仏。

 本人の知らぬところで文句を言って不満を吐き出し、それでストレスを溜めずに働けるのならば、それは決して悪い事では無いと俺は思う。

 まぁ、文句を言われる本人が盗み聞きとかしてなければの話なのだが……凹む。

 

 俺が青葉を睨みつけ、集音器と無線機を見せると、青葉は白目を剥いていた。

 俺に嘘をついていた事がバレたからだろう。

 くそっ、返してやろうと思っていたが、これは没収だ。けしからん。

 

「青葉。何やら落とし物のようだが……これは没収だ。いいな」

「ハ、ハイ」

「それと……今回の件に関わっているのは青葉一人。そうだな?」

「エッ」

「……そうだな……⁉」

「ハッ、ハイ!」

 

 俺の眼が節穴だったという事実など無い。

 この横須賀鎮守府のトップは一応俺なのだ。

 俺がウホと言えば白、ウホホと言えば黒、いやこれは長門の話だった。

 ともかく俺の十八番、職権乱用により、俺の意見こそが絶対だ。空気読んでそういう事にしといて下さい。

 

 さて、青葉はそう認めてくれたが、他の面子は……。

 青葉の実況配信を聞いていた不届き者は誰だ……!

 俺が目を向けると、次々に艦娘達は視線を逸らす。

 エッ、ちょっ、しょ、翔鶴姉、妙高さん、千歳お姉、香取姉、金剛……ま、間宮さん⁉

 皆、な、何その申し訳なさそうな顔⁉ 何で皆そんな表情で目を逸らすの⁉

 ま、まさか全員⁉ この場の全員、俺と佐藤さんがくんずほぐれつケツに入巨しかねない実況配信を黙って見てたの⁉

 下手したら俺が掘られかねなかった状況にも関わらず、誰も止めてくれなかったの⁉

 駆逐艦のガキ共まで⁉ 教育に良くないだろ! マンマミーヤ(なんてこった)

 

 俺の怒りがみるみるしぼんでいく。

 ……い、いや、そうか、そうね。

 これは青葉一人の独断だから、実況配信の事実など無かった。

 全員とかそういう話じゃない。ゼロ人だ。

 うん、俺が提督権限で主張している通りの事実では無いか。何も問題は無い。

 そういう事だ。

 そういう事なのだ。

 そういう事なのだった。

 

 俺は泣きそうになるのを堪えながら、佐藤さんに何とか声を絞り出した。

 

「……そういう事です」

「う、うむ……わかった。そういう事にしておこうか……そうだ、神堂提督。先ほど話した通り、私は急いで帰らねばならないのだった……済まないが、ここで失礼するよ」

「あっ、そうでしたね。それでは正門までお見送りを……」

 

 そうだ。佐藤さんは何やら急用が入ったのだった。

 後は丁重にお見送りをして、とりあえず今後の事は後で考えよう。

 そんな事を考えていると、一匹のグレムリンが飛んできて、長門の前で何やら手をばたばたと動かしていた。

 そう言えば艦娘達には妖精さんの声は聞こえないと言っていたな……。

 俺はそちらに顔を向けて、身振り手振りで何を伝えようとしているのか耳を澄ませてみた。

 推測するしかない艦娘達と違って、一応俺ならちゃんと声が聞けるからな……。

 

『ウホホ、ウホウホホ』

 

 いやわかんねーよ。

 何ゴリラ語で説明してんだ。

 長門(ゴリラ)に少しでも伝えたいという気持ちはわかるが、そもそも声自体聞こえないのだから、いくら長門でも理解できるはずが……。

 

「む……遠征艦隊が帰投したのか」

 

 わかんの⁉

 何で声が聞こえてる俺にわかんねー事がお前にはわかんの⁉

 俺だけでなく大淀も驚いているようで、長門と何やら話していた。

 

「長門さん、そこまでわかるんですか? 凄いですね……」

「まぁ、何となくはな……」

 

 マジかよ……お前もう完全にゴリラじゃねぇか。

 まさかゴリラ語までリスニングできるとは……。

 オータムクラウド先生がゴリラとして描いていた以上ではないか。

 俺が長門のゴリラっぷりに戦慄を覚えていると、佐藤さんが長門に声をかけた。

 

「長門くん、何かあったのかい?」

「はっ、妖精の様子を見るに、遠征艦隊が帰投したようなのですが、何やら様子が……」

「あぁ、それでは君達はそちらに向かってくれ。神堂提督も。悪いが、私はこれで失礼するよ」

「は、はっ。しかし、お見送りは……」

「よろしければ、佐藤元帥には私達が付き添いましょうか」

 

 声をかけてきたのは、鳳翔さんだった。

 その傍らには、間宮さんと伊良湖もいる。

 そう言えば、鳳翔さんはかつて佐藤さんの秘書艦を務めていたとかいないとか、さっき言っていたような。

 

「おぉっ、鳳翔くん、間宮くん、伊良湖くん。それでは君達にお願いしようかな」

「はい。御一緒致しますね」

 

 何だか俺がついていけるような雰囲気ではなかった。

 遠征艦隊が帰投したらしいし、佐藤さんもそう言うのだから、俺はそちらに向かわねばならないようだ。

 俺は艦娘達と共に佐藤さんに敬礼し、その背中を見送った。

 ある程度離れた所で俺は港へと歩き出し、その後ろを艦娘達がぞろぞろと着いてきた。

 うぅ、居心地が悪い……。さっきまで俺がここにいない方がいいとか話してたのを聞いてただけに……。

 遠征艦隊も俺がグースカ寝てるにも関わらず、朝早くから出撃してくれたのだろうし、どんな顔を合わせればいいのだろうか。

 

 気の重さに比例して重くなる足取りと共に、俺は港へと向かったのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……何が……一体、何があったというの……」

 

 ――頭が真っ白になった。

 

 先ほどまで気を失っていた様子のイムヤから、きらきらと光が立ち上っていた。

 不思議と、綺麗だとは思わなかった。

 それは何故だか、とても、とても不吉な光に見えた。

 

「……朝潮。状況を、報告します。朝潮、大潮、満潮、荒潮――中破。潜水艦隊、伊19、伊58――中破……伊168、大破後、敵の爆雷を避けられず……ここまで連れてきましたが……」

「ひっ、ひっ……ひぐっ、イ、イムヤが、初戦で大破しちゃったの……! それで、て、提督の期待に応えたいからって、嫌われたくないからって……!」

「い、今まで大丈夫だったから、今回もって思ったんでち……! うっ、うっ、うぅぅ……!」

 

 ――朝潮達が状況報告をしている間も、何が何だか理解できなかった。

 

 中破してボロボロの朝潮達、潜水艦達。

 朝潮と響以外は、ボロボロと涙を零している。

 それは、同じ中破状態だらけの昨日の帰投とは全くの別物だった。

 

 やり遂げた、という満足感に溢れた表情の昨日の朝とは違い、今は逆だ。

 やり遂げられなかった、成し得なかった、失敗した――。

 それは、何を――何を、失敗した?

 

 満潮が膝から地面に崩れ落ちた。

 顔を伏せて、まるでイムヤに土下座をするような体勢で、肩を大きく震わせて、堪えてもなお漏れ出すような悲痛な泣き声を絞り出す。

 そんな満潮を、誰も支えようとはしなかった。

 薄情なのではなく、そうする事が、唯一の慰めなのだと理解しているかのようだった。

 

「大破進軍をした先で、運悪く敵水雷戦隊三隊に同時に捕捉されてしまったようです。無線を受けて、私達は救援に向かいましたが……その、申し訳ありません。満潮が、疲労を隠していたようです。万全に力を発揮できなかった為、私達の連携が上手く行かず、体勢、戦況を立て直すまでの隙を狙われ、イムヤさんの被弾を許してしまいました……大変、申し訳、ありません……」

「……私達も救援の無線は受け取っていたんだが、距離が遠くて、場所も正確にわからなくて、間に合わなかった。合流できたのは、ついさっきだ……」

「ひっ、ひっく、ひっく、い、電が悪いのです、パワースポットの場所を間違えて覚えていたから……!」

 

 ――何が起きているのだ。一体、何が起きたというのだろうか。

 

 目の前にへたり込む満身創痍な様子のイムヤの体。

 光の粒子が立ち上るそれは、昨日の朝に見た、中破した艦娘達とは違う、大破した天龍とも違う。

 似て非なる、1と0の間にある確実な、残酷な、絶対的な、あまりにも遠すぎる距離だけは、なんとなくわかった。

 ――今のイムヤはゼロだという事だけは、かろうじて理解できた。

 

「……大破、進軍を……したというのですか……っ⁉」

 

 大淀の震える声が耳に届く。

 大破して、更にダメージを受けたらどうなるのか――言うに及ばない。

 

 そんな事は艦娘達が一番知っている事だろう。

 何で、イムヤはそんな事を――。

 

 ――提督の期待に応えたいからって――。

 

『ここだけの話だが、潜水艦の中では特にお前に期待しているのだ』

『潜水艦隊のリーダーとして、頑張ってくれ』

 

 ――俺の、せいか……――?

 

 イムヤの体から立ち上る光の粒子は、徐々に色濃くなっていく。

 その背中に添えられていたイクとゴーヤの手が、不意にその身体をすり抜けた。

 まるで、幽霊のように、その場にイムヤの存在など最初から無かったかのように――。

 

「――えっ……えっ、えっ、あっ、あぁぁっ……! いやっ、いやぁーーっ! イムヤァーーッ‼ いやなのーーっ‼」

「行っちゃ駄目でちーーっ! あっ、あぁっ! 何で、何で、触れられないの……⁉」

 

 イクとゴーヤが叫び、イムヤに縋りつこうとする。

 出来ない。まるで虚像のように、幻影のように、イムヤの姿は見えるけれども、すでにそこにイムヤはいなかった。

 すぐ近くに見えるのに決して辿り着けない。

 イムヤから立ち上る七色の光は虹のようだと思った。

 手を伸ばしても届かない。

 イムヤのそれは闇夜に光る星のようだと思った。

 

 薄い、イムヤが薄い。だんだんと、薄くなっていく。

 何も出来ずにただ立ちすくんでいるだけの俺に対して、イムヤがゆっくりと顔を上げた。

 俺は一歩も動いていなかったが、イムヤは俺とは少しズレた方向に向けて、手を伸ばす。

 そこに、俺はいない。

 その目はちゃんと開いていたが――。

 

 ――見えてないのか?

 

 伸ばされたその手は、身体は、かたかたと小さく震えている。

 

 ――寒いのか?

 

「……イ、イム……ヤ……おい……ここだ、ここだよ、私は、ここにいる……」

 

 何とか震える声を絞り出したが、反応は無い。

 

 ――聞こえてないのか?

 

 よろよろと、放心状態で、石のように動かない足を引きずるように、イムヤが手を伸ばした目の前へと自ら歩を進めた。

 そんなことをして何になるのかもわからなかった。

 だが、イムヤは手を伸ばしていた。

 何かを求めていた。

 何かじゃない。求めていたのは――俺だ。

 

「司令官……そこに……そこに、いる……?」

 

 イムヤの問いに何も答える事は出来なかった。

 駄目だ。何とかしなければ、何とかしなければ。

 このままでは、イムヤは。

 しかし、俺に何ができる?

 何もできるはずがない。

 手を伸ばしても届かない。

 

 考えろ、考えろ、考えても――。

 

 俺じゃ無理だ。俺の力じゃ無理だ。

 俺ではイムヤは救えない。

 こんなに近くにいるのに。

 目の届く場所にいるのに。

 手の届く場所にいるのに。

 

 ――さだくんは優しい子だけれど。

 さだくんはヒーローにはなれないよ。

 世界の裏側で泣いてる誰かを助けに行くのは難しい。

 その声は聞こえないし、その姿は見えない。

 その手は届かないし、走っていくには遠すぎる。

 だけど泣かなくてもいい。

 自分の非力を悩まなくてもいい。

 ヒーローになれなくてもいい。

 ただ、その代わりに。

 さだくんの目の届く場所にいる人で。

 さだくんの手の届く場所にいる人で。

 さだくんに声が届く場所にいる人で。

 さだくんが走っていける場所にいる人で。

 無理はしないで、出来る範囲で。

 その場所で泣いている人を見つけた時には、決して見捨てない男になってね――。

 

 ――母さん。

 

 何でだ。何でこんな時に、母さんの事を思い出すんだ。

 これじゃあ、まるでイムヤが――。

 

 それは、今の今まで忘れていた記憶。

 

 母さんが俺に遺してくれた最後の言葉――。

 それは病による痛みと薬の副作用で朦朧とした意識の中で見た、幻覚の話だったのだと思う――。

 

 

 ――さだくん。

 

 お母さんね、妖精さんに出会ったの。

 

 ほら、そこの窓のふちに腰かけてる。

 

 見えないの? そう――いつか見える時が来るのかな。

 

 妖精さんと、もっとお話ししたかったんだけどねぇ。

 

 妖精さんね、さだくんの事、気に入ってるみたい。

 

 だからね、お願いしたの――。

 

 もしも、お母さんがいなくなっても。

 

 さだくんが――。

 

 

 何でこんな事を思い出すんだ。

 何で母さんの事を思い出すんだ。

 それどころじゃない。

 どうすれば、どうすれば。

 

 何とかしなきゃ。

 

 俺が何とかしなければ。それでも何とかしなければ。

 

 俺が、俺が――。

 

 

 ――瞬間。辺りは無音に包まれ、時が止まったような感覚がした。

 

 

 

『――提督さん、提督さん』

 

 どこからか、声がした。

 

『もう一人で頑張るのはやめてください』

 

 それはどこかで聞いた事があるような声だった。

 

『一人で抱え込むのはやめてください』

 

『一人では難しくても』

『誰かを頼れば何とかなる事もあります』

『私達を頼って下さい』

『指示を下さい』

『命令して下さい』

『私達は味方です』

 

『提督さんは、一人じゃないよ』

 

『提督さんに見えてなくても』

 

『提督さんが頑張っている時は』

 

『朝も、夜中も、休日も』

 

『ずっと、ずっと』

 

『いつだって、近くにいました』

『いつだって、見守ってきました』

 

『ずっと、ずっと』

 

『いつだって、近くにいます』

『いつだって、見守っています』

 

『頼まれましたから』

 

『あなたが笑顔でいられるように』

『愉快な日々を過ごせるように』

『あなたの世界を守れるように』

 

『提督さん、提督さん』

『あなたが望めば』

『あなたが無理でも』

 

『私達なら救えます』

 

『さぁ――』

 

『呼んで下さい』

『命じて下さい』

『頼って下さい』

『願って下さい』

 

『今までは見ているだけだったけれど』

『今までは助けてあげられなかったけれど』

 

『今はその目に映るから』

『今はこの声が届くから』

『今は助けてあげられるから』

『必ず応えてみせるから』

 

 

『今度こそ助けてみせるから』

 

 

『――さだくん』

 

 

 

 ――誰の声だかわからなかった。

 

 何を言っているのかさえわからなかった。

 

 それはただの白昼夢だったのかもしれない。

 

 そんな事などどうだってよかった。

 

 止まった時の中で、イムヤが、目の前のイムヤが、俺に向かって――笑ったのだった。

 

「……資材、回収、出来なかった……ごめん、ごめんね――」

 

 ――誰でもいい何でもいい天使でも悪魔でも何だっていい‼

 救えるんならイムヤを救えと、誰でもいいから何とかしてくれと、俺は大声で叫んだ。

 いや、叫んだつもりだったが、実際には声は出ていなかった。

 もう泣いてしまいそうで、喉がひりついて、声を上げる事ができなかったのだ。

 だが――俺が心の中で叫んだ瞬間、時は動き出し、俺を中心に一陣の風が巻き起こった。

 

 訳が分からなかった。

 ただ、吹き荒ぶ風の中で、俺の周りから妖精さん達が次々に飛び出し、イムヤに飛んでいくのが見えた。

 

『命令が出たぞー』

『指令が出たぞー』

『頼まれたぞー』

『頼られたぞー』

『急げ急げー』

『提督さんを泣かせるなー』

『おー』

『救えー』

『傷を治せー』

『私達の出番です』

『応急修理だー』

『艤装を直せー』

『工廠に運べー』

『おー』

『燃料と弾薬を補給しよっか?』

『わー』

『わぁぁー』

 

 イムヤの艤装を運んでいく者。

 ドラム缶をバシバシ叩いている者。

 イムヤの体にくっついて木の板のようなものを金槌で叩きつけている者。

 何が何やらわからなかったが――妖精さん達がイムヤの体にくっついてから、その身体は透けていない。

 木の板のようなものがイムヤの体に溶けてなじんでいき、やがて光の粒子も止まった。

イムヤと、はっきりと目が合った。

 その目はきょろきょろと周りを見回している。

 見えている、聞こえている――。

 何が起きているのか分からなかったが、俺の帽子の中から声がした。

 

『彼女達は応急修理要員さんです』

『轟沈を食い止めてくれる能力を持ちます』

 

 轟沈を……食い止めて……。

 つまり、イムヤは……助かった……のか……?

 俺もイムヤも固まっていた。

 はらり、と桜の花びらが舞い、何やら妙な音楽が俺の頭の上から流れてきたが、そんな事はどうでもよかった。

 

 時は動き出し、イムヤが助かったという安心感からか――俺の中で燻っていた感情が、少しずつ漏れ出してきた。

 感情と涙を抑え込む石壁に、ぴしりと音を立てて亀裂が入る。

 イムヤが……イムヤがこんな無茶をしたのは……。

 

「……私の、為か……?」

 

 イムヤは何も答えない。

 ただ、茫然と俺を見つめていた。

 

「……私の為に……そんな無理をしたのか……っ……?」

 

 亀裂は徐々に広がり、臨界点に達して、そして――。

 

「馬鹿者ォーーーーッ‼‼」

 

 溜めに溜め込んだ感情と涙が、一気に溢れ出した。

 俺は勢いよく両膝をつき、イムヤの両肩を強く掴み、感情のままに叫んだ。

 

「そんな事をして私が喜ぶとでも思ったのかッ! お前のそんな姿を見て私が喜ぶとでも思ったのかッ! 資材などっ、戦果などっ、そんなものどうだっていいんだッ‼ 沈んでしまったら取り返しがつかないではないかッ‼」

 

 イムヤは何を勘違いしていたのだ。

 俺は、俺には、そんなつもりは無かった。

 個性的なイクとゴーヤを、常識人としてまとめ上げてくれればそれだけで良かったのだ。

 無理をして資材を集めようが、戦果を上げようが、そんなものはどうだってよかった。

 お前の轟沈と引き換えに得られる資材や戦果などに何の意味も無い、俺は心からそう思った。

 

 資材が枯渇したのはほとんど俺のせいだ。

 イムヤは、そんな俺の為に、期待に応える為に、無理をして資材を集めようと……!

 何で、何で大破進軍など……!

 

 俺は勢いのままに大淀を睨みつけ、強い口調で問いかけた。

 

「今までもこうやって来たのか……⁉ これがこの鎮守府のやり方かッ⁉」

「……は、はッ……! 私や長門さんが指揮を執っている間は、無論、禁止しておりました……! しかし、前提督の指揮下では、その……潜水艦隊は、そのやり方を、強要されており……! おそらく、その影響で……」

 

 大淀の答えに嘘は無さそうだった。

 つまりイムヤは、大淀や長門に禁じられていてもなお、前提督の指揮方針を優先したという事だ。

 前提督がどれだけ有能な人物だったのかは知らんが、今もなおその提督命令が後を引いているのは……俺が提督らしい指示を一つも出していないからではないか。

 俺はぎゅっと目を瞑り、顔を伏せた。

 大粒の涙がぽろぽろと溢れ出して止まらない。

 

「そうか……全部、全部、私のせいか……私が、ちゃんと言っておかなかったから、前の方針に従ってしまったという事だな……!」

 

 前の提督のやり方が正しいのかもしれない。

 俺もまだ全てに目を通せてはいないが、教本にもそう書いてあるのかもしれない。

 戦場で甘えた事は言っていられないし、物事に優先順位は必要だ。

 時には艦娘の尊い犠牲と引き換えに、護られる命もあるかもしれない。

 時には艦娘の尊い犠牲と引き換えに、多大なる戦果を得られる戦いもあるかもしれない。

 それこそ、等価交換の原則さえも無視するほどの――。

 

 ――尊い犠牲。

 

 ――そんなもん、俺の辞書には無い‼

 

「大淀ォーーッ‼」

「はッ‼」

「提督命令だッ‼ 今後、艦隊の一隻でも大破した場合、進軍する事は決して許さんッ! できれば大破もするなッ! 轟沈などもってのほかだッ! たとえ目的を果たせずとも、必ず全員で帰還しろッ! 二度と……ッ! もう二度と沈むなッ! お前達が俺の下にいる限り、ずっとだッ‼」

 

 俺はもう最後の力を振り絞り、感情のままにそう叫んだ。

 それ以上はもう無理だった。

 体中の力が抜けていき、イムヤの肩を掴んだまま、顔を伏せて崩れ落ちた。

 演技が出来ているのかもわからなかった。

 有能提督の仮面などすでにボロボロに剥がれ落ちていた。

 情けないとわかっていても、俺は溢れる涙を止める事が出来なかった。

 

「……はっ……! 了解しました。横須賀鎮守府全艦娘に、直ちに、確実に、以後、絶対に順守するよう、周知徹底を図ります……!」

 

 大淀が何かを堪えているかのような声で、そう答えた。

 俺はもう声を出す事も顔を上げる事も出来ずに、ただ深く頷く事しか出来なかった。

 

「……司令官……」

 

 かすれた声で、イムヤが俺を呼んだ。

 顔を上げる事すらも出来ない俺だったが、それにだけは応えなければと思った。

 何とか力を振り絞って、イムヤの顔を見る。

 イムヤはもう今にも眠ってしまいそうな表情で、俺の眼を見て言ったのだった。

 

「司令官……イムヤのこと、嫌いになった……?」

 

 俺はイムヤの問いの意味がわからなかった。

 だが、問いの意味や答えを考えるよりも先に俺の手はイムヤの肩から離れ、感情のままにイムヤを抱きしめていたのだった。

 考えるまでもなく、答えは感情と共に勝手に口から溢れ出た。

 

「馬鹿っ、そんな訳があるか。よく頑張ったな、よくここまで帰ってきてくれたな。ありがとうな。偉いぞ」

 

 もう今だけは演技など無理だった。

 俺は溢れる感情のままにイムヤの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

 ちゃんと触れられる事を確かめた。

 もう二度と手の届かないところへと行かないようにと、強く強く抱きしめたのだった。

 

 そうしてどれだけの時間が経ったのか。

 数秒かもしれないし、数分かもしれなかったが、わからなかった。

 

『元気出してー』

『よしよし』

『いつもの提督さんに戻って下さい』

『えーん、えぇぇん』

『しくしく』

 

 俺の頭の上で妖精さん達が俺を励ましたり何故か泣き出したりしていたが、それに構っている余裕は無かった。

 俺にはもう指一本動かす気力すら無かった。

 

「あぁっ、もうっ! いつまでメソメソしてんのよっ! 情けないったら!」

 

 不意に甲高い声が上がり、俺に駆け寄る音が聞こえたと思ったら、尻を衝撃が襲った。

 澄香ちゃッ……⁉ 違った。俺の尻を蹴り上げていたのは霞であった。

 地面に膝をついてへたり込んだままの俺を見下ろしながら、霞は強い口調を俺に叩きつけたのだった。

 

「泣いてたって何も変わんないでしょ! イムヤもまだ大破してんのよ⁉ ほらっ! 損傷のある子はさっさと入渠! さっさと指示出して! ったく……! しっかりしなさいな! 私達の司令官でしょ⁉」

 

 ――私達の、司令官……。

 そ、そうだ……まだ、今は、俺は横須賀鎮守府の司令官だ。

 俺は一体何をしていたのだ。

 イムヤもまだ轟沈から救われただけで、満身創痍なのには変わりないではないか。

 

「う、うむ……! そ、そうだ……! イクと朝潮達も、傷ついた者は入渠施設へ! ご、ごめんなイムヤ、すぐに連れてってやるからな……! 頑張ってくれよ……!」

 

 俺は慌てて立ち上がり、そう指示を出してイムヤを抱きかかえた。

 イムヤはすでに眠っているようだった。

 周囲に集まっていた艦娘達も道を開け、俺はイムヤを抱きかかえて入渠施設へと駆け出した。

 並走している霞に背中をバシッと叩かれる。

 俺の眼を覚まさせようとしているかのようだった。

 

 その手に感じるイムヤの確かな重み。

 並走する霞の足音、叩かれた背中と蹴り上げられた尻の痛み。

 

 ――あぁ俺は、一人じゃないんだな、と思った。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……司令官、その……昨日は……」

 

 入渠施設へと走りながら、霞が顔を伏せながら何かを口ごもった。

 だがそれ以上何も言えないようで、俺達は入渠施設前に辿り着いて足を止めた。

 俺はまだ感情のタガが外れたままのようで、霞の目を見て言ったのだった。

 

「霞……その、さっきは、ありがとうな」

「……はぁ……?」

「いや、お前が活を入れてくれなかったら、私は今も情けない姿を見せていただろう。イムヤもまだ大破したままだというのに……その……助かった」

 

 俺の言葉を聞いて、霞は肩をぷるぷると震わせ、我慢しているような、我慢できないといったような、妙な表情で叫んだのだった。

 

「~~ッ‼ あぁっ、もうっ! 悪かったわよっ! 昨日はっ!」

「な、何がだ……?」

「そのっ……! クズとか、死ねばいいとか言って……何も知らないのに、言い過ぎた……ごめんなさい」

 

 霞はそう言って深く頭を下げたのだった。

 あ、あぁ、そういう事か……。

 コイツ本当に澄香ちゃんに似てるな……。

 澄香ちゃんもカッとなって友達とかにもめちゃくちゃ厳しい事言っちゃって、後で家に帰ってから悩むタイプなんだよな……。

 さっきもそうだったが、カッとなったらブレーキが効かなくなるのは、ある意味俺と似てるのかもしれないけれど……。

 澄香ちゃんの担任に掴みかかった時もそうだったが、大体後で死ぬほど後悔するんだよな……。

 

 俺は頭を下げた霞に向けて言葉を返した。

 

「まぁ、クズはともかく、確かに死ねは言い過ぎだな」

「え……? ク、クズはいいの?」

「私にはな。他の人達には大変失礼だから絶対に言わないように」

「い、いや……司令官にも言わないように、これからは気を付けるわよ……」

 

 ばつが悪そうな表情で視線を逸らした霞の前で、俺はイムヤを抱えたまま膝を曲げ、視線を合わせた。

 霞に尻を蹴り上げられ、背中を叩かれてから、何だか元気が出てきたような気がするのだ。

 文字通り、活を入れられたという事だろう。

 澄香ちゃんに「おにぃ! しっかりしなさいよ!」と尻を蹴り上げられた時の感覚と同じなのだ。

 尻と背中のじんじんとした痛みが、何故か嬉しい。

 俺のやる気スイッチは尻や背中にあるのだろうか……。

 俺は霞と目線の高さを合わせて、妹に対してそうするように、ニッと笑って言ったのだった。

 

「これからも、私が情けないところを見せたら遠慮なく尻を蹴り上げてもいいからな」

「なっ……⁉ だっ、だからっ、昨日も言ったけどっ! 私に言われる前に精進しなさいよっ! またあんな情けない姿見せたら、本ッ当に皆に愛想尽かされるわよ! このクッ……んんっ!」

「う、うむ……お互い頑張ろうな」

「ふんっ!」

 

 顔を紅潮させた霞がそっぽを向いたと同時に、微妙に演技するのを忘れていた事に気が付いた。

 そうだ、妹達に笑うなと言われていたのだった。

 確かに鏡の前で笑顔の練習をしてみた事があったが、ヤバいくらいキモかったからな。

 俺が有能提督の仮面を装着しなおしていると、イクや朝潮達が追い付いてきた。

 朝潮は霞の顔を一目見るや否や、目を丸くして俺に顔を向けたのだった。

 

「司令官っ! 霞の鼻の穴が開いています!」

「なぁっ⁉」

「霞は嬉しい事があると鼻の穴が開く癖があるんです! 一体何があったのでしょうか⁉」

「ちょっ、ちょっと何、変な事言って……! そんなのっ、知らなっ……」

「うふふふっ、あはははぁっ! 本当だわぁ~」

「嘘でしょっ……⁉ や、やめてよ! もっ、もぉぉお!」

 

 霞は恥ずかしそうに鼻を隠しながら、朝潮の肩を揺すった。

 う、うむ……まぁ、その……そっとしておいてやってくれ。

 顔を真っ赤にした霞は話題を変えるように、鼻を隠しながら大声を張り上げた。

 

「そっ、それよりっ! 満潮はっ⁉」

「それが……ここに向かう途中でどこかに駆け出して行ってしまって……」

「まぁた勝手な事を……」

「そう言わないであげて。流石に今日の事は……イムヤさんに合わせる顔が無いと思っているのかも」

 

 朝潮の言葉に、その場の全員が落ち込んでしまったように見えた。

 そう言えば放心状態でよく俺も憶えていないが、満潮が何かやらかしたと言っていたような……。

 改めて見回すと、わかっていた事ではあるが朝潮達もイク達もボロボロだ。

 いかん、立ち話をしている場合ではなかった。

 俺は慌てて声をかける。

 

「と、ともかく今は満潮の事はそっとしておこう。まずは、イムヤを入渠させてやってくれ」

「イク達が一緒に入渠するの!」

「うむ。し、しかし随分深く眠っているようだが、イムヤは大丈夫だろうか……」

「湯船に頭から放り込んでおけば勝手に治ってるの」

「う、うむ。もう少し優しく扱ってやってくれな……溺れないようにな」

「潜水艦が溺れるわけないの」

「そ、それもそうだな……」

 

 いかんな……霞と話している時は少し元気も出ていたが、また気分的に落ち込んできた。

 抱きかかえていたイムヤをゴーヤに任せると、思わず、はぁ、と大きな溜め息が出る。

 何と言うか……駄目な提督だな、俺は……。

 艦娘ハーレムなる不純な動機で着任したが、艦娘達はこんな風に命を賭けて戦ってくれてるんだよな……。

 大破した天龍を見た時にもわかっていたはずなのに……最低だ……俺って……。

 

『もう大丈夫だよー』

『元気出してー』

『よしよし、よしよし』

『ふぇぇぇん、えぇぇん』

『いつもの提督さんに戻ってよー』

『しくしく』

 

 帽子の中で妖精さんが泣きながら励ましてくれたが、今はもう無理だ。

 イムヤが無事だった事で安心はしたが、どっと疲れた。

 もう今日分の元気を使い果たしてしまった感じだ……。

 この気分の重さは数日は後を引くだろう。

 しばらく立ち直れそうに無い。

 何だかもう、今日こそは自分自身が嫌になった。

 すると俺の落ち込んでいる背中を見かねてか、イクが勢いよく俺の背中に抱き着いてきたのだった。

 

「提督っ! 元気出すの! 頑張るの!」

 

 アーーッ⁉ 俺の股間の(そー)ろーちゃんが元気出ちゃうって! 頑張る~、がるる~!

 駄目だ。疲れている時こそ股間は正直だ。これを疲れマラと言います。凹む。

 中破によりスク水という名の鎧から解き放たれたイクのパイオツ、それはまさにグローブを外したボクサーの拳……!

 つまり凶器である。昨日の感触とは比較にならん……!

 いかん……駆逐艦に囲まれた状況で股間の試製晴嵐ならぬ仮性性乱を発艦させるわけには……! 急速潜航!

 浮上しても抵抗するよ……! 持ち上がった20mm単装機銃が火を噴くわ……! いや火を噴いたらアカン……!

 横須賀十傑衆第十席イクの生乳は絶え間なく俺の背中に触接中!

 俺の背中のやる気スイッチ(ハザードトリガー)が連打された。

 ツァァアアーーッ‼ 性乱さん達は友達だもーん‼ ひゃっはァーーッ‼ イケるイケるぅ‼

 

『わー、いつもの提督さんに戻りました』

『平常運転です』

『やりました』

『一安心です』

『嬉しいです』

『よかったです』

『祝えー』

『おー』

『わぁぁー』

『わぁい』

 

 俺の帽子の中で、何故か妖精さん達が喜んでいた。

 くそっ、情けない……。

 そう言えば、イムヤを助けにコイツらが出て行く前、何かの声が聞こえていたような……。

 ショックのせいか何故か記憶が曖昧だ。

 俺はあの時一体、何を考えて……全く覚えていない……。

 ……あれ? 俺、何かしたっけ?

 

『何もしてないですね』

『固まってただけです』

『仕方ないから私達が働きました』

『サダオは私達がいないとダメダメですね』

『まったく、サダオってば、まったく』

『何か言う事があるんじゃないですか』

『ほら早く早くー』

 

 ダ、ダンケ……くそっ、まさかコイツらに礼を言う日が来ようとは……。

 しかし妖精さんには逆らうなと聞いていたが、実際コイツらのおかげでイムヤは助かったわけだしな……。

 マジで頭が上がらない。俺の頭上に巣を作られた今、色んな意味で尻に敷かれている。

 うっくぅ~……今回ばかりは何も言えねぇ……。

 それにしても、あの時流れてた音楽と桜の花びらは何だったんだ……?

 

『あれは特注家具職人さん達による演出です』

『桜の和のアレンジメント的な奴です』

『音楽はBGM付家具妖精さんが演奏してくれました』

『曲名は名付けて「提督(あなた)との絆」でしょうか』

『おぉー』

『おぉぉー』

『素敵です』

『いい仕事してますねー』

 

 演出ってなんだ……? 必要だったのか……?

 一体何の意味が……。

 いや、そもそも家具職人とは……。

 

『普段は鎮守府の施設管理もしてるんですよ』

『わぁー』

『偉い』

『凄いです』

 

 そう言えば佐藤さんが大浴場の掃除とかも妖精がしているとか言っていたような……。

 つまり特注家具職人とは鎮守府内の施設や備品の維持管理を担ってくれている妖精さんという事だろうか。

 それはともかく演出とは一体……。つーかBGM付家具って何なんだ……。

 楽隊みたいな演奏専門の妖精さんがいるという事なのか。

 掛け軸から音楽が流れたりするのだろうか……機械とかじゃなく妖精達の人力で……。

 

『もしもサダオが誰かと結婚する時には演出してあげてもいいですよ』

 

 な、何を言っているんだコイツは……。

 結婚か……間宮さんと……桜の花びらと音楽に包まれて……い、いいかもしれんな……。

 

『結婚だなんて、そんな』

『照れてしまいます』

『まずはお友達からです』

 

 お前らじゃないよ?

 頭上の何妖精さんだか知らんが、少なくともお前らじゃないよ?

 わかったからもうおとなしくしてくれ。

 演出の意味はわからんが、そもそも妖精さんの考えなどさっぱりわからん。

 お前らに構ってる内に、さっきから俺の股間がヤバい事になっている。

 俺は背中にぎゅうっとくっついているイクを振り向いて、何とか声をかけた。

 

「イ、イク、わかった、わかったから。元気出たから、早く入渠してきなさい」

「いっひひ! 元気出たなら何よりなのね!」

「イクも早く手伝うでち!」

 

 イクが俺の背中から離れて艦娘用の脱衣所へと入っていったところで、俺はたまらず近くの段差に腰を下ろした。

 疲れていたのもあるが、完全に股間が元気を取り戻したからである。凹む。

 すると、何やら数人の艦娘達がこっちに向かってくるのが見えた。

 夕雲型に睦月型、暁型……お、多いな。

 どうやら全員駆逐艦のようだったが、一番早く俺の目の前に辿り着いた雷は、どんと胸を叩く。

 

「司令官! お手伝いに来たわよ! 何か手伝える事は無い? この雷に任せて! あら? 元気ないわねぇー、そんなんじゃ駄目よぉ! 大丈夫! 司令官、私がいるじゃない!」

「そ、そうか……そうだ、朝潮達も入渠を……」

「いえ、今はイムヤさん達三人が入渠していますから、入れてあと一人ですね」

「そういうものなのか……? 男湯は随分広かったが……」

 

 俺がそう言うと、朝潮は言葉を続けた。

 

「はい。確かに入れるスペースはあるのですが、単なる入浴ではなく入渠する場合、私達の身体に吸収されるエネルギーは艦種問わず四人分が限界なのです。五人以上が同時に入渠しようとすると格段に効率が落ち、身体の損傷はほとんど回復しません。その為、負傷した艦が多い場合、入渠待ちの時間が発生します。小破程度の損傷ならば明石さんが泊地修理してくれますし、艤装だけは、先に工廠で妖精さん達が修理してくれますが……」

「なるほどな……そういう事なのか。ならば、誰かあと一人だけでも入ったらどうだ」

「司令官のご命令ならばそうしますが……出来る事なら、私達は満潮と一緒に入渠させて頂けないでしょうか」

 

 朝潮は申し訳なさそうにそう言った。

 あぁ、そういう事か。

 満潮が勝手に単独行動しているとはいえ、置いてけぼりにするのを気にしているのだろう。

 昨日の歓迎会で塞ぎこんでいたのも、朝潮達の編成から一人だけ外れたからという話だったしな。

 ましてや今の満潮はかなりデリケートな状態だからな……取り扱い注意だ。

 俺は朝潮の頭にぽんと手を置いて、言ったのだった。

 

「わかった。満潮を一人にしないようにな。頼むぞ」

 

 朝潮は俺に触れられた頭に手をやり、しばらくぽーっとしていたが、すぐにいつもの調子で敬礼した。

 

「はっ……はいっ! 司令官との大切な約束……この朝潮、いつまでもいつまでも守り通す覚悟です!」

「う、うむ……少し肩の力も抜こうな」

 

 股間の力が一向に抜けない俺が言えた事でも無いのだが……。

 とにかく、朝潮達は中破しており、服はボロボロだ。下着も肌も見えているあられもない姿ではないか。

 子供だから俺も別に何とも思わないし、朝潮達も恥じらう様子は見られないが……放置しておくのも忍びない。

 俺は雷たちに目を向けて、言ったのだった。

 

「とりあえず、朝潮達に何か羽織るものを。それと、艤装だけでも工廠で修理しておいてくれ」

「はーいっ! わかったわ司令官! まっかせて!」

「い、いや、そういえば雷たちも帰投したばかりではないか。疲れているだろう、別の者に……」

「いいのよこれくらい! それに私達はほとんど戦闘も負傷もしてないもの! もっと私に頼ってくれてもいいのよ? ねぇ皆?」

「なのです!」

「ハラショー」

「なんで雷が仕切ってるのよ! 暁の方がお姉さんなんだからね!」

「そ、そうか……ともかく、出撃した者は入渠していない間もしっかりと身体を休めるように。補給もしっかりとな。報告は後でいいから」

 

 本当に働き者だな、雷は……。

 というよりも、やけに生き生きしているというか、頼られる事でむしろ輝いているというか……よく見れば何か全員輝いて見えるのは気のせいだろうか。

 雷とかもさっきまで泣いていたのに、なんかこう……わくわくしているというか、戦意高揚しているというか……遠足前日の小学生みたいだ。

 

 暁型四人と朝潮型の満潮除く七人を工廠へと向かわせると、文月がてててっ、と俺の隣に寄ってきて、ちょこんと座った。

 そしてキラキラと輝く瞳で俺を見上げて、言ったのだった。

 

「しれぇかぁん、もう泣いちゃ駄目だよ~? これでもくらえぇ~い」

 

 とろける声でそう言って俺に横から抱き着いてきたのだった。

 世に文月のあらんことを……今、何気に時代は文月……。

 笑顔でぐりぐりと頬を押し付けてくる神に俺が祈りを捧げていると、それをからかうような目で見ながら、緑色の髪の艦娘……確か葉月が言ったのだった。

 

「なんとなんと! 情けない司令官もいたものだな……フッ、だが、我々もこれまで以上に頑張らないとな」

「いいじゃない。ボクは嫌いじゃないよ! ふふっ、司令官、可愛いね!」

「さっちんとふみちゃん、こういうタイプ好きそうだよねぇ……ま、それは水無月もだけどね! えへへっ」

 

 ボクっ娘・皐月と男の艦娘・水無月も微笑ましいものでも見るかのような視線を俺に向ける。

 ボーイッシュな奴らとは言え、何で俺がこんな小学生型に子供扱いされねばならんのだ……。

 いや、情けないところ見せたからだけど……凹む。

 

 ……何か凄い視線を感じる……うわっ、夕雲……⁉

 な、何でそんな庇護欲をかき立てられたかのような尊い視線を……⁉

 物凄い視線を送る夕雲よりも早く、次に俺に駆け寄ってきたのは夕雲型の妹達だった。

 相変わらず数が多い……。

 そ、そう言えば結局コイツらの名前全然覚えてないんだよな……。

 歓迎会でまったく話せていないとは言え、まさか今になって全然覚えていないとは言えん……この機会にさりげなく覚えねば……。

 任務開始(ミッションスタート)

 

「司令官様ぁ、巻雲、夕雲姉さんを見習って、お役に立てるよう頑張ります!」

「提督、どうしたの? しっかりしてよ。貴方が元気じゃないと、この風雲も本気が出せないわ!」

 

 なるほど、萌え袖眼鏡っ子が巻雲で、ごく普通のポニーテールが風雲な。よし覚えた。次!

 

「どうしたー? 浮かない顔をしてー。提督がそんな感じだと、艦隊全体に影響が出てしまうぞ。まぁ、ここはこの長波が胸を貸そうか?」

「司令官、高波、一生懸命頑張ります……かも、です!」

 

 長波様はすでに覚えていた。胸を貸して下さい。

 おどおどしていて常に長波様にべったりなのが高波な。よし覚えた。次!

 

「……早霜、見ています。ふふっ……ふふふふっ……」

 

 怖ェよ。片目隠れた黒髪ロングの占い師みたいな奴が早霜な。

 しかし俺の股間みたいな名前だな……早下(ハヤシモ)。よし覚えた。次!

 

「ひひっ、朝霜参上! よぉ、どうしたよ司令。元気無いじゃんか。よっしゃ! このあたいが元気づけてやんよ! ん? 歌でも歌ってやろうか? んん?」

 

 ふむ、片目隠れた灰色髪で威勢のいい奴が朝霜な。

 しかし今朝の俺の股間みたいな名前だな……朝下(アサシモ)。よし覚えた。次!

 

「しれーかーん! あのさ、疲れたなら、清霜と一緒に一休みしよ? ねぇ、ねーぇ?」

 

 なるほどな、元気いっぱいで見るからに末っ子な感じのが清霜な。

 しかし穢れ無き俺の股間みたいな名前だな……清下(キヨシモ)。よし覚えた。次!

 

「あ、あの~……司令官。えっと……はい! 頑張ります! これからもよろしくお願いします!」

「いっひひひ。沖ちんだけじゃなくて、藤波も頑張るからね。もち!」

 

 前髪切るのを失敗した感じの奴が藤波で、図書委員みたいな雰囲気の眼鏡っ子が沖ちんか。

 しかし今の俺の股間みたい名前だな……オッキチン。よし全員覚えた。任務完了(ミッションコンプリート)

 ってあれ、何か一人離れたところでスケッチしてる奴が……。

 

「あっ、提督動かないでー。そのままそのままー。いや~、いいもの見せてもらったわ~! 何かわからないけど疲れも消えて~! うっひょひょ~! (はかど)りますねぇ~!」

 

 う、うむ……だから君の名は……ま、まぁいいや、後で……。

 はっ、と気が付くと、夕雲が俺を挟んで文月と反対側に腰かけていた。

 うっとりとした目で俺を見つめている。

 アッ、これ甘やかされる奴だ。俺の本能がそう告げた瞬間――。

 

「テーートクゥーーッ‼」

 

 金剛が高速回転しながら俺に向かって飛んできた。

 周囲に群がっていた駆逐艦達は弾き飛ばされ、俺の両側にいた二人も木の葉のように吹き飛ばされた。マ、マンマーッ⁉ そして(文月)よー⁉

 

 金剛はその勢いのままに俺の上半身にがばっと抱き着いたのだった。

 同時に勢い余った金剛の右膝が立ち上がったままの俺の股間を痛打した。

 オゴォォオオッ⁉ 砲塔へしゃげとるしボロボロになってしもうた‼

 金剛お前俺の早漏物(ソロモン)強襲すんの本日二度目やぞ‼

 

 激痛で白目を剥いた俺はその勢いを支え切らずに、地面に押し倒されたような形になったが、金剛はそのまま俺をぎゅうっと抱きしめてくる。

 まだ名前覚えられてない夕雲型がうひょひょ~資料資料などと言いながら至近距離でスケッチしている。

 エッ、アッ、アノッ、アノネ、駆逐艦ガ見テルカラ、離レテ、ネッ? ネッ、ネーエッ。

 俺が金剛の背中をぱんぱんとタップすると、金剛は俺を押し倒したまま、ゆっくりと俺から離れ、超至近距離で俺と顔を見合わせた。

 アレッ、なんかいつもと雰囲気が……何でそんなに悲しげな、泣きそうな表情を……。

 

「提督ぅ……」

 

 ただそれだけ言って、金剛は再び俺を抱きしめたのだった。

 アッ、こいつ俺の事好きだわ。何かわかんないけど絶対そうだわ。

 時間も場所もムードもタイミングも揃ってるわ。

 これもうヤレるわ。最後までいけるわ。

 女性不信にも関わらず、俺の本能がそう告げていた。

 

 普段と違う金剛の表情……グッと来たぜ!

 よっしゃァァアッ‼ 提督権限において、実力を行使する‼

 提督ガッタイム‼ 性器を掴み取ろうぜ‼

 俺は金剛のケツを震える手で鷲掴みにしようとしたが、無意識に間違えてその背中に手を回していた。

 

 こんな俺を好きになってくれる女性(ひと)がいたなんて。

 そう確信した瞬間、急に胸が苦しくなってきた。

 ……ヤベエ、金剛に触れてる。

 心臓がドキドキ、バクバク、そんな言葉じゃ形容できませんねぇ。

 駄目だ……緊張して金剛の顔が見れない!

 でも見たい! 至近距離で見たい!

 よーし貞男!

 ここは心火を燃やして覚悟を決めて(スリー)(ツー)(ワン)……!

 

「……んんっ! あー……金剛、提督……皆、見てますから」

「うぉあーーッ⁉」

 

 気まずそうな浜風の咳払いに、俺は再び正気に戻った。

 金剛を無理やり押しのけて、がばっと身体を起こして大きく息をつく。

 顔を手で覆いながら指の隙間から見ている者や、気まずそうに視線を逸らしている者、凝視している者、目を輝かせている者、呆れたようなジト目で見ている者、恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべている者、頬を膨らませている文月……周囲の駆逐艦から様々な視線を向けられていた。

 あ、危なかった……よくよく考えてみれば時間も場所もムードもタイミングも全然大丈夫じゃねぇ……!

 つーか入渠中のイムヤを尻目に四方八方を駆逐艦に囲まれながら野外で致すのは童貞にはハードルが高すぎる……!

 性欲の前に人は盲目になるとは言うが、まさかここまでとは……。

 そんな俺を、何だか恐ろしい微笑みの浦風が、腕組みをしながら見下ろしていたのだった。

 

「……提督ぅ? 今、何を考えとったんじゃ? 怒らんけぇ言うてみ? ん? んー?」

「な、何でも無い!」

「つーんっ、どうじゃか……そ、そもそも何で金剛姐さんがここにおるんじゃ!」

 

 拗ねたように唇を尖らせた浦風の言葉に、俺から押しのけられた金剛はケロッとした表情で後頭部に手をやりながら答えた。

 

「磯風と交代したネー! 磯風が、私は提督の側にいた方がいいからって……これぞまさにWin-Winの関係デース!」

「あんにゃろ、また単独行動を……かぁ~っ! どうしようもねぇな!」

 

 谷風だけでなく浜風と浦風もキレているようだったが、俺だけは磯風に感謝していた。

 あいつ本当にいい奴だな……俺の為に金剛と代わって……。

 

「ま、まぁ昨日もだったが、磯風も私を思っての事だからな。大目に見てやってくれ」

「ふんっ、提督さんは磯風を甘やかしすぎじゃ」

 

 な、何で浦風はご機嫌斜めなんだ……。

 ……そう言えば、何でこっちには駆逐艦しかいないのだろう。

 さっき盗み聞きした長門の話とは少し違う。

 奴め、やはり少し大袈裟に言ってやがったか……!

 少なくとも駆逐艦達に反感は見られない。

 ここにいる皆は友好的でいい子ばかりじゃないか。

 それはともかく、皆俺の手伝いをしてくれたり、俺を励ましてくれて、それはとても嬉しいのだが、何故駆逐艦だけが……。

 磯風のファインプレーが無ければ駆逐艦率百パーセントではないか。

 せめて十傑衆のお姉さん方の誰かが俺を慰めに来てくれても良いのでは……。

 え? 俺の味方駆逐艦と潜水艦しかいねぇの……?

 

 ちょ、ちょっと待て、じゃあ残りの面子はどこに……。

 い、嫌な予感がしやがる……!

 金剛の右膝と浦風の黒い微笑みの迫力により俺の股間が萎えた事で、俺は勢いよく立ち上がり、皆を見回して頭を下げたのだった。

 

「皆、こんな私を励ましてくれて本当に……ありがとう。おかげで元気が出たよ。皆に言われたように、私がしっかりしないとな。そして金剛も、せっかく来てくれて悪いが……少し、私を一人にしてくれないか」

「えっ……ふふっ、わかりました。時にはそういう事もありますネ。テートクに代わって潜水艦(サブマリン)達は私がしっかり見ておきマース! 安心して下サーイ!」

 

「……金剛姐さん、ええの? 来たばっかりじゃのに」

「ふふっ、寄り添うだけではなく、こういう支え方もあるのデスヨ。浦風にはまだわからないかもしれないネー」

「むっ……ふんっ、なんじゃい、提督さんも鼻の下伸ばしよって……」

 

 金剛と浦風が何やら話していたが、よく聞こえなかった。

 金剛が俺の言葉に素直に従ってくれたのが意外ではあったが、イムヤ達の様子も見てくれるとの事で、非常にありがたい。

 何故か浦風がむくれていたのが気になるが、それに構っている暇も無く、俺はその場を離れた。

 

 アイツら一体どこに……。

 

「フンハァーーーーッ‼」

 

 うおッ⁉ な、なんだ⁉ 南方海域からの敵襲か⁉ 戦艦ゴ級か⁉

 遠くから野獣の雄叫びのようなものが轟き、俺はそれが聞こえた方向へと走った。

 それは横須賀鎮守府の正門の方向であった。

 少し離れた所で身を潜めて観察すると、やはり他の艦娘達は全員正門前に集まっていた。

 

 もう少し近づくか……?

 いや、これ以上はバレる危険性が……しかしここからじゃ何も聞こえん……!

 くそっ、こういう時にはアレがあれば……! アレがあればなァ~……!

 

『あったよ、集音器が』

 

 よし、でかした!

 港に放置していた集音器をグレムリンが拾ってきていた。

 コイツらなんか今日は随分働くな。褒めて遣わそう。

 俺は集音器を艦娘達の方向に向け、耳に当てた。

 

≪な、長門くん……! それに、皆も……こ、これは一体、どういう事だね≫

≪手荒な真似をして申し訳無い……! しかし、ひとつだけ……どうしても前言撤回をさせて欲しい事ができた!≫

≪な、何だって……≫

 

 何だ……随分と不穏な空気ではないか。

 つーか遠すぎてよく見えなかったが、長門の奴、車を前方から押し戻してなかったか?

 手荒すぎんだろ……そこまでして一体何の前言撤回を……。

 

 しかし何だあの極熱筋肉は……。

 さっきまでの長門とは明らかに違う。

 周囲は煌々と輝き、体中からめっちゃ蒸気を噴出しているではないか。胸がアチャチャーー!

 あれではまさにゴリラマグマ……いや、戦艦ゴ級改flagship後期型……更なる進化を遂げた長門改二ならぬ長門フェーズ2・エボルゴリラと言ったところか……恐ろしすぎる。

 こんなに遠くにいるのに熱気が凄ェ……! 周囲の景色が熱気で歪んでんじゃねぇか……。

 

 いや、長門だけではなくあの場にいる全員の雰囲気がヤバいような気がする……。

 艦娘達の先頭に立つのは狂犬・那智、狂える猛禽・加賀、ゴリラモンドハザード長門……。

 桃太郎のお供狂化版三匹の前には、桃太郎ならぬホモタロス佐藤さん……。

 み、見るからにヤバい雰囲気が漂っている……! ヤベーイ……。

 

 し、しかもあの場には金剛を除いた駆逐艦以外の全員が揃っていないか……⁉

 いや、よく見れば何故か潮とその他二人もいるようだが……あ、当然だが金剛の代わりに磯風がいるな……。

 磯風に加えて龍驤に神通、大淀さん……俺の味方だと思われる艦娘達も、何故あんなにも尋常ではない雰囲気を……。

 遠目でよくわからんが、なんとなく間宮さんはあの場の雰囲気がよくわかってないような感じだが……そのまま染まらないでいてほしいものだが……。

 

 ま、まさか歓迎会の時のごとく、また長門の奴がそのカリスマで何かやらかそうと皆を引き連れて――⁉

 

 いかん! ここは俺のカリスマで皆を振り向かせねば!

 俺こそが艦隊の指揮を執る鎮守府のトップであるという事を思い出させてやらねば――!

 

 目を覚ませ皆ァーーッ‼

 艦隊の皆! 俺の声を聞けェーーッ‼

 ミナサーン、アタシノシジニシタガッテクダサイ……ンンッ、シタガッテクダサーイー!

 駄目だ、俺の声が届いてくれるビジョンが浮かばねェ……‼ 凹む。

 勝てねェ……! 長門のゴリスマには……‼

 

 俺が脳内シミュレーションで長門に惨敗したところで、長門の声が集音器を通して俺の耳に届いた。

 

≪佐藤元帥≫

≪提督は……神堂提督は、弱い……ザザッ≫

≪我らが……ザッ……すれば一人隠れて涙を流し、今もまた傷ついた部下を見て涙を流した≫

≪その心身はまるでザザッ……のごとく、脆く、ザザッ……頼りない。誰一人として沈むななどと、軍人としてあるまじき……ザッ……を口にするその……ザッ……は、絶望的なまでに軍人に向いていない……≫

≪その出自や艦隊指揮能力、そして……ザザザッ……我々の……ザッ……提督は、あらゆる面でこの横須賀鎮守府にいない方が良い……ザザッ……≫

 

 凹む。

 い、いや、うん……返す言葉も無ェ……!

 た、確かに俺は弱いし、よく泣くし……! 体力も無いし豆腐メンタルだし……!

 

 イムヤが轟沈しそうになった時の感覚も、アレだ。

 小学生の時に、国語の教科書に載っていた「スーホの白い馬」とか「ごん狐」を読んで授業中に号泣し、クラスメイトからドン引きされた苦い記憶が蘇る……!

 中学、高校の国語の授業も同様である。人が死ぬ系はマジで教科書に載せないで欲しいし、感動系はテストに出さないでほしい。テスト中も泣くから。

 

 最近明乃ちゃんに勧められて読んだ、内心馬鹿にしていた携帯小説でも明乃ちゃんより号泣したし、つーか人や動物が死ぬ展開だと百パーセント泣く……!

 寝取られモノで死にかけたのもだが、もしかして俺の感受性は異常なのか……⁉

 

 い、いやつまり、ただの豆腐メンタルなんだけど……!

 そ、そんな脆いメンタル、頼りないですよね……!

 

 誰一人沈むななんて提督命令は、やっぱり軍人としてあるまじき事だったようだし……俺は絶望的なまでに軍人に向いていないと……!

 た、確かに俺は具体的な指揮方針など出せやしない。

 

 その一、強くなれ

 その二、提督を尊敬せよ

 その三、巨乳であれ

 

 これが俺の最低限重視する艦隊運営方針であったが、それに先ほどの経験を活かして、

 

 その四、命を大事に

 

 これを新たに加えた四ヵ条を貞男ドクトリンと名付けよう。

 横須賀鎮守府の皆にはこれを遵守して頂きたい。

 

 この通り、俺にはこれが限界だ。

 素人だし、艦隊指揮能力は皆無だし……!

 あらゆる面で横須賀鎮守府にいない方がいいと……!

 

 わ、わかってる……わかってますけど……!

 だから舞鶴鎮守府に異動させられるんですよね……!

 そ、それで長門達は、結局佐藤さんに何を訴えて――。

 

≪……ザザッ……佐藤元帥……! ザザザッ……あの……ザッ……よりも優れた提督が現れ――ザザッ……! ザッ……艦隊司令部に逆らう事になろうとも! あの……ザザッ……の命を縮めてしまう事になろうとも、その先にどのような試練が待ち受けていようとも! 我々は神堂提督と……ザッ……戦うッ!≫

 

 エェェェエエエ⁉

 衝撃のあまり、俺は思わず集音器を耳から離した。

 ど、どういう事だ。途中ノイズが酷かったが、俺の天才的頭脳で穴埋めせねば。

 真実はいつも一つ……おそらく俺の推測によると、「佐藤元帥……! あの馬鹿よりも優れた提督が現れた今、艦隊司令部に逆らう事になろうとも、あの馬鹿の命を縮めてしまう事になろうとも、その先にどのような試練が待ち受けていようとも、我々は神堂提督と戦う!」的な事を……アカーーン⁉ ちょっちピンチすぎや! 

 

 何でや⁉ 何でその答えに至ったんや⁉

 元帥に、艦隊司令部に逆らってまで――⁉

 その為にどんな試練が待ち受けていようと――⁉

 エッ、つーかクソ提督を舞鶴に異動する方向で納得してたんじゃなかったの⁉

 何で異動による左遷じゃ飽き足らず俺に直接手を下す道を選んだの⁉

 

 さ、さっきの醜態のせい⁉

 そう言えばさっき霞も、「またあんな情けない姿見せたら、本ッ当に皆に愛想尽かされるわよ!」って言っていたが……すでに愛想を尽かされて――⁉

 

 そう考えれば、俺が何も考えずに放ったあの提督命令は、艦娘達にとって逆鱗に触れるものだったのではないだろうか。

 艦娘達はいつだって命がけで戦っている。

 それを、ド素人の提督が「全員沈むのは許さん」などと言い放ったのだ。

 そんなもの、ただの理想論ではないか。

 戦場に立っていない俺が、そんな事を言って許されるのだろうか。

 戦いの苦しみを知らぬ俺が口にしていい事だったのだろうか。

 

 ――俺の三番目の妹の美智子ちゃんは陸上部に所属しており、主に駅伝に出場している。

 ある時、美智子ちゃんは沿道で応援している俺の前で、他校の選手に追い抜かれたのだが、俺の隣にいたオッサンからこんなヤジを飛ばされた事があった。

「かァ~っ! 何でそこで抜かれんだよ! たるんでんぞ! 真剣に走れ!」

 たるんでいるのは、真昼間からビールの缶を片手に見物しているそのオッサンの腹だった。

 見るからに陸上とは縁が無さそうな、ただ暇つぶしに見物に来ただけという風貌のオッサンに、美智子ちゃんはそんな事を言われてしまったのだ。

 栄養バランスを考えた食事、効率的かつ厳しい練習……美智子ちゃんの普段の努力も何も知らぬオッサンにだ。

 

 口にも態度にも出さなかったが、その時俺は激怒した。

 

 もちろん美智子ちゃんは一生懸命走っていた。

 美智子ちゃんだけではなく、自校も他校も、選手達は皆死ぬ気で走ってるし、それでも追い抜かれてしまうのだ。

 追い越す側も、追い抜かれる側も、いつだって皆そうやって死ぬ気で、全力で、真剣に走っているのだ。

 選手達のその体つきを見ればわかるが、オッサンのようにたるんでいる余裕なんて無い。

 

 多分、なんとなくだが、あのオッサンには駅伝の経験は無い。

 走る苦しみをわからないから、あんな無責任なヤジを飛ばせるのだ。

 

 ――常に命がけで戦っている艦娘達に対して俺が叫んだ提督命令は、それと同レベルではないか?

 

 具体的なアドバイスも出せないド素人のくせにたるんでるなどとヤジを飛ばしたオッサンと、艦隊運用能力の無いド素人であるにも関わらず理想を掲げた俺は、同じではないのか?

 

 何故か駆逐艦達だけは俺に対して友好的だったが、精神的にまだ子供だからだろうか。

 ではそうでない者達は……⁉

 ド素人の分際で理想を語るなと、適当な事を言うなと、あの時オッサンにブチ切れた俺のように――俺にブチ切れてもおかしくは無い。

 艦娘達を率いている長門、加賀、那智……。

 ま、まさかあの三匹、一応俺の味方っぽいホモ太郎、いや佐藤さんに逆らってまで、自らの手で鬼退治を強行しようと――⁉

 俺は鬼つーかただのおにぃ――‼

 

 聞き間違いである事を信じつつ、俺は震える手で再び集音器を耳に当てた。

 

≪……彼は、とんでもない事をしでかしてくれたな……≫

 

 聞き間違いじゃないようだった。凹む。

 ウ、ウン……我ながら、とんでもない事をしでかしてしまいました……。

 今になって考えれば、俺はなんて無責任な発言を……。

 

≪いや、そうか……取り返しのつかない事をしてしまったのは、私の方か……私は……何て事を……≫

 

 え? も、もしかして佐藤さんにまで責任が及ぶレベル⁉

 まさか減給、いや、下手したら責任を取って降格、解雇とか……。

 ちょ、ちょっと待って下さい! そんなつもりじゃ……!

 た、確かに無理のある着任だったのは佐藤さんの判断かもしれんけど……!

 

≪佐藤元帥。貴方には感謝している……ザザッ……ザザッザザザッ……ザヴッ、ヴボボ、ウホウホホ≫

 

 おい集音器調子悪いんだけど。最後完全にゴリラ語に翻訳されてんだけど。

 俺ゴリラ語わかんねぇよ。長門じゃねぇんだから。

 くそっ、駄目だ。もう完全にノイズまみれで聞こえん……!

 そう言えばグレムリンとは機械に悪戯をする妖精らしいが、集音器の調子が悪いのはさてはお前らのせいじゃないだろうな。

 

『あぁぁー、こやつ、人のせいにしていますぞ』

『最低です』

『最低な駄目男です』

『略してサダオです』

『ダメダメすぎます』

『もう見捨ててもいいんじゃないかなー』

『でも私達が見捨てちゃったら、サダオもっと駄目になっちゃう』

『あー』

『あぁぁー』

『だよねー』

『ねー』

『わかるわかる』

『しょうがないねー』

『ねー』

 

 好き勝手言いやがって……!

 集音器を耳に当て続けるも、やはり雑音ばかりで何も聞き取れない。

 するとグレムリンが数匹、集音器にくっついてバシバシと叩き始めた。

 

『しょうがないですねー』

『どんてんかん、どんてんかん』

『本当に調子悪いねー』

『ねー』

『これでどうでしょうかー』

 

 再び集音器を耳に当ててみると、おぉっ、ノイズが消えているではないか。

 グレムリンにしては良い仕事だ。褒めて遣わそう。

 

≪フン……あの男、鉄仮面の下に随分と情けない本性を隠していたものだ……正直、見るに耐えん。ならば、我らが何とかするしかあるまい。奴の下からな……≫

 

 おごォォオッ‼ この重巡、容赦無ち(那智)

 聞かなきゃよかった!

 やはりさっきの醜態により、有能提督の仮面の下に隠していた俺の情けない本性がバレてしまっている……!

 だ、だよな……見るに堪えないよな……! 自分達の上官のあんな情けない姿……!

 ゆえに俺の下から何とかしようと、那智も長門に続いて下克上宣言を――⁉

 

≪そう……提督がどんな思……ザッ……ここに着任したのか……危うく、それを……ザザッ……ところだったわ……ザッ……本当に……救いようが無いわね≫

 

 またノイズで一部聞こえなかったが、バ、バレてる――⁉

 情けない本性だけではなく、俺がどんな思惑でここに着任したのかまでバレてる――⁉

 危うく騙されるところだったと……な、何でバレて――⁉

 や、やはり視線か⁉ それとも挙動か⁉

 俺が本当に救いようの無い奴であるのは自分でもわかってるが……! しょうがねえじゃん‼

 

 ハーレムが欲しくてさぁ‼

 レースとか紐パンとか どんなにきわどくてもいい……

 艦娘のパンツが見たくてさぁ‼

 それが悪い事かよ‼

 そう思う事が犯罪かよ‼

 だったら……! だったら提督全員犯罪者じゃねーか‼

 

『まごう事なき犯罪者です』

『本当に救いようが無いです』

『よその提督さんを巻き込まないで下さい』

 

 うるさいよ君達。少し黙ってなさい。

 そうだよ犯罪だよ。だがね、本人の同意があれば合法なのだよ。

 ゆえに俺はハーレムを夢見たのだ。

 優柔不断で一人に絞れないこの俺が、合法的に複数の艦娘達に癒される為にな!

 

『ホント最低ですね』

『サダオです』

『恥ずかしくないんですか』

 

 恥だと? ――そんなもん、俺の辞書には無い‼

 何とでも言うが良い。

 撤回はしなくていい。

 所詮妖精の戯言。

 俺の心には響かない。

 頭の上のグレムリン達を無視している俺の耳に、龍驤の声が届いた。

 

≪佐藤元帥、もう……ザザザッ……司令官……ザッ……無理やろ、あんなん。もうアカンわ≫

 

 オゴォォォオッ⁉ 辛辣ゥーーッ⁉

 龍驤の呆れたような声が俺の心に深く響いた。

 愛想尽かされすぎだろ俺……⁉

 まさかいい奴の龍驤に匙を投げられるとは……!

 続いて赤城の声が聞こえてくる。

 

≪私は今まで、何も理解できていませんでした……提督……ザザザッ……を張り倒してやりたいくらいです。どうか、これから……ザッ……提督と……ザッ……戦わせて頂けないでしょうか≫

 

 張り倒したいの⁉ エッ、つーか赤城、俺とタイマン希望⁉ これから⁉ 急ぎすぎじゃない⁉

 ちょ、ちょっと待って心の準備が――⁉

 くそっ、赤城の奴、穏やかな声色で何てことを言うんだ。自然体なのに相変わらず隙が無さすぎる。

 一航戦は二人揃ってヤバい。奴らが()ろうと思った時には、行動はすでに終わっているだろう。

 何気ない日常の中で眉一つ動かさず俺に必殺の矢を放ちかねん。

 張り倒されるどころかこのままではマジで殺される。な、何とかせねば――!

 

≪佐藤元帥っ! 鹿島からもお願いしますっ! 秘書艦としてっ、提督さんが少しでも楽に……ザッ……るよう頑張りますっ! 本気でっ、死ぬ……ザッ……でっ、やり……ザッ……ますっ! たとえザッ……かれ果ててもっ、最後まで……ザッ……絞ってっ、ザザッ……抜きますっ!≫

 

 鹿島お前真っ昼間から何言ってんだ!

 どさくさに紛れて俺から何を搾り取ろうとしてんだ!

 佐藤さん何とも言えない顔してんじゃねーか!

 何⁉ 提督が少しでも楽に死ねるよう頑張ります⁉

 本気で死ぬまでヤります⁉ たとえ枯れ果てても最後まで絞ってヌきます⁉

 この精巣殺し(テクノブレイカー)がァ~……! ある意味お前が一番殺意に満ち溢れてんぞ!

 つーか隣の川内型ァ! この淫魔何とかしろや!

 ほら、ドスケベサキュバスがこんな……こんな近くに‼

 コイツを何とかすんのがお前らの仕事だろうが‼ 何で野放しにしてんの⁉

 

 赤城と鹿島による死刑宣告に混乱する俺の頭に、利根の声が届いた。

 

≪佐藤元帥よ、悪い話……ザザッ……提督の下にあれば、この神通が修羅と化す。……ザザッ……先日の夜戦では提督の事を考えるあまり敵味方の見境が無くなり、吾輩まで沈めようとしたくらいじゃからな≫

 

 俺の事を考えるあまり修羅に⁉

 あのおとなしそうな神通が⁉ 敵味方の見境が無くなるほどに⁉

 う、嘘だろ⁉ 悪い話すぎんぞ!

 その夜戦の後に、俺の護衛をわざわざ申し出てきたという事は……。

 も、もしや鹿島を放置してるのは、俺を護衛する気など初めから無く、むしろ俺が妙な事をしないように監視する為に――⁉

 そ、そんな……川内、神通、那珂ちゃん……いい奴らだと思っていたのに……!

 そう言えば川内型は駆逐艦に恐れられてるという事らしいし……!

 やっぱり女心わかんねェ……!

 川内も那珂ちゃんもあんなに明るい笑顔だったのに……!

 神通も奥ゆかしい雰囲気で、物腰柔らかで清楚な感じだったのに……!

 裏では俺への鬱憤により敵味方の見境が無くなり、アホの利根を沈めかねんほどの修羅と化していたとは……‼

 怖ェよ……女の子怖ェよ……! 何考えてるのか全然わかんねェよ……!

 

 ガタガタと震えている俺の耳に、磯風の声が届く。

 

≪フッ、一方で大淀は司令の事を考えるあまり被弾しそうになっていたがな≫

 

 お、大淀にも俺の知らぬところで迷惑が――⁉

 すみません、クソ提督でホントすみません。

 重ね重ね申し訳ない。面目次第もありません。

 大淀にはいつも迷惑をかけてばかりで……!

 つーか大淀さん、何でそこにいんの⁉

 明石も夕張も青葉も……! これも何かの作戦……⁉

 敵なの⁉ 味方なの⁉ それとも中立なの⁉

 でも長門に勝るとも劣らないその異様な雰囲気……!

 そう言えば俺の提督命令に対して大淀の返事もやたら遅かったし、声も震えていた……!

 も、もしや怒りを堪えて――⁉

 だ、駄目だわかんねェ……! 俺には大淀の領域が遠すぎる……‼

 と、とりあえずすみません……!

 

 俺が脳内で大淀に平謝りしていると、佐藤さんが深刻そうな表情でゆっくりと口を開いたのだった。

 

≪この一件は、私の一存で決められる事では無い。だから、悪いが約束する事はできない≫

≪……はい≫

≪艦隊司令部に逆らってでも、という物騒な言葉は聞かなかった事にさせてもらおう。だが、君達の意思は、確かに艦隊司令部に持ち帰るよ。君達の熱意は……そのままにね≫

≪――は、はッ! どうか、よろしくお願いしますッ!≫

≪ザザッ……ザザザザーーーーッ……≫

 

 もう完全にノイズしか聞こえなくなって、俺は集音器を耳から離した。

 さ、佐藤さん、艦娘達の意思を艦隊司令部に持ち帰っちゃうの⁉

 あの異常な熱意つーか熱気そのままに⁉

 アイツら上官殺してもいいですかって言ってんですけど⁉

 くそっ、妖精さん! 早く直して下さい! オナシャス!

 

『世話が焼けますねー』

『妖精使いが荒いです』

『でも頼ってくれて嬉しいです』

『ねー』

『元気になってよかったねー』

『ねー』

『えい、えい』

『がたがたごっとん、ずったんずたん』

『出来ましたー』

 

 万歳するグレムリン達に構わず、俺は素早く集音器を耳に当てた。

 

≪――了解ッ‼≫

 

 何が⁉ お前ら何を了解したの⁉

 くそっ、大事なところが聞き取れんかった……!

 しかし艦娘達のあの雰囲気……!

 ま、まさか佐藤さん、アイツらの要求を聞き入れて――⁉

 そ、そんな、ついに俺は佐藤さんにも見捨てられて――⁉

 

 敬礼する艦娘達に見送られながら、佐藤さんは車の後部座席に乗り込んだ。

 アーーッ⁉ 全力で支えてくれるって言ったのにー⁉ 佐藤さん、何してるデース⁉

 わ、わかりました! えぇ、アナルHでいいならお相手しましょう!

 佐藤さんのマイクでも多分大丈夫!

 私っ、頑張るからっ、見捨てないでぇーーッ‼

 

 俺の心の叫びが届くはずもなく、佐藤さんを乗せた車はそのまま無慈悲に走り去ったのだった。凹む。

 




大変お待たせ致しました。
これにて長かった第三章は終了となります。
予定では上中下の三場面を三視点分で、九話くらいで短くまとまるつもりでしたが、描写量が予想を遥かに超えてしまいました。

次回から第四章が始まりますが、章単位での構想を少々練り直しますので、いつもよりも少し更新までに時間がかかると思われます。
普段の遅筆に加えて更に長くお待たせしてしまいますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。

春の米騒動は六月中旬までらしいですね。。
運良く2-4で福江はお迎えできましたが、米以外が落ちません。
提督の皆さん、目標達成できるようにお互い頑張りましょう。

読者の皆様
いつも多くの感想、評価コメントを頂きましてありがとうございます。
皆様から頂ける一つひとつの御言葉をとても楽しみにしており、それが執筆の励みとなっております。
すぐに返信したいのですがリアルの事情にて難しい時もあり、感想の返信が遅れてしまう事もありますが、ご了承頂きますと幸いです。


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第四章『迷子の駆逐艦編(前)』
044.『仮説』


※三か月ぶりの更新なので十秒でわかる前回までのあらすじ

【艦娘視点】
 ――私達には、もはや、もはや――貴方の声しか届かない。

【元帥視点】
 ――彼女達には、もはや、もはや――彼の声しか届かない。

【提督視点】
 駄目だ、俺の声が届いてくれるビジョンが浮かばねェ……‼ 凹む。


「失礼します。森盛さんは……」

「あっ、山田秘書官! お疲れ様です!」

 

 休憩室に入室した私の姿を見るや否や、椅子に腰かけながら何やら書類に目を通していた青年はメリハリのある動きで立ち上がり、私に深く頭を下げた。

 デスクワーカーに似つかわしくないほど鍛え上げられた筋肉。

 しっかりアイロンもかけられている清潔感のある白い半袖シャツは、サイズが合っていないのかピチピチだ。

 そんな体格とは裏腹に、どこか幼さの残る顔立ちと、スポーツマンらしく爽やかに短く切り揃えられた髪。

 老若男女誰からも好かれ、可愛がられる雰囲気と、裏表の無い誠実さを持つと評判の好青年。

 

 五人目の若き提督候補――森盛(もりもり)松千代(まつちよ)さんだ。

 

 森盛さんを手で促して椅子に座らせ、私もテーブルを挟んで向かい側の椅子に腰かけた。

 

「横須賀鎮守府へ視察に向かわれていた佐藤元帥は、もう少しでこちらに到着するとの事でした。戻り次第、すぐに会議が開かれると思います」

「はい。先ほど鈴木元帥とも少し話しましたが……主眼となるのは僕が横須賀鎮守府に着任するか、新たに呉鎮守府を設置するかという事ですよね」

「えっ、す、鈴木元帥とお話しされたんですか⁉」

 

 私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 鈴木元帥は――艦娘兵器派と呼ばれている派閥のトップであり、佐藤元帥としばしば意見を対立されている御方だ。

 

 佐藤元帥が視察に向かっているのを好機だと判断したのだろうか。

 大方、艦娘兵器派に引き込もうと画策したのであろうが……私は少し警戒しながら、森盛さんに言葉を続けたのだった。

 

「す、すみません大きな声を」

「いえ、まぁ、佐藤元帥と同様にお忙しい方なのでほんの数分でしたが」

「その……艦娘兵器派への、スカウトとかでしょうか」

「あー、近いと言えば近いのですが……言うなれば、提督としての心構えの忠告、でしょうか」

 

 森盛さんは少し悩んでいるように顎に手を当てて、ゆっくりと言葉を続けた。

 

「端的に言うならば、艦娘は兵器なのだから、時には人を護る為に犠牲になる事がある。彼女達自身にもその覚悟はある……だから、必要以上に慣れ合うな、あまり情を注ぐな、という事をお話しされました」

「艦娘兵器派の主張そのものですね」

「はい。ただ、初めてお話ししましたが……鈴木元帥は、僕が今まで抱いていた印象とは少し違いましたね。僕は今まで、艦娘兵器派のトップなのだから、もっと横暴な、艦娘を軽視するものだと思っていました」

 

 森盛さんの言葉に、私は小首を傾げながら訊ねた。

 

「違うのですか?」

「えぇ。艦娘達を軽視するというよりは、むしろ、諦め、いや、覚悟……でしょうか。鈴木元帥も、佐藤元帥と同じく、提督の資質を持たないにも関わらず、深海棲艦との戦いを率いてきた人です。お二人とも、その戦いの中で、大切にしていた艦娘を失った経験があると聞いています。その経験から鈴木元帥は、艦娘は兵器であるという思想を抱いたのではないでしょうか。娘のように可愛がれば可愛がるほど、危険な戦場に送り出す事が辛くなる……だから、その一線を引くために」

「……し、しかし、他の艦娘兵器派の動きを見ていると、とてもそうとは」

「艦娘兵器派も一枚岩では無いという事でしょうかね。野蛮で過激な人ほど声が大きい。鈴木元帥も多忙な方ですから、徐々に極端な言動、行動が目立つようになってきた艦娘兵器派を御せなくなってきたのではないでしょうか。少なくとも、あの横須賀の前提督と同じようには見えない……僕は鈴木元帥にはそのような印象を受けました」

 

 ――嘘を言っているようにも、惑わされているようにも見えない。

 そう考えてみれば、私自身も鈴木元帥とそのような話はした事がなかったし、艦娘兵器派という派閥の印象に踊らされていたのかもしれない。

 艦娘兵器派の本質とは、かつての軍艦の魂を持つ艦娘はやはり兵器であると認めた上で、情に流されぬよう運用する、という事だろうか。

 情を注ぎこめば注ぎ込むほどに、それを失った時に辛い思いをするから。

 戦いの中でやむを得ない犠牲が出る事は、どうしようも無いから。

 

 それは決して、艦娘に対して横暴な扱いをするという事には繋がらない。

 つまり、横須賀の前提督のような非道な扱いは、本来鈴木元帥が望んでいたものでは無いのだろうか。

 大和を轟沈させてしまってなお「儂は悪くない!」の一点張りだった横須賀の前提督――葛野(くずの)提督は人としてどうなのだろうと思うが、あれは艦娘に情を注がない事で轟沈しても心を痛めない究極系かも知れない……。

 勿論、私としては決して認められたものではないが。

 

 しかし、たった数分の会話で、事前の悪評に惑わされる事なく鈴木元帥の本質を評価できるとは――やはり森盛さんは聡明な人のようだ。

 文武両道、鍛え抜かれた身体と明晰な頭脳を持つという評判に偽りはないのだろう。

 おまけに顔も性格も良く、人間も出来ている。まさに完璧超人だ。

 女性職員からの評判も良いが、彼女がいるというような浮いた話を聞かないのが不思議なくらいだ。

 私が心の中でそんな事を考えていると、森盛さんはこう言葉を続けた。

 

「僕も少し気になって、鈴木元帥の主張する艦隊運用についての資料に目を通してみたのですが……やはり艦娘達を人間として見るのならば過酷なものでした。しかしそれは深海棲艦に対して艦娘の数があまりにも少ない事によるやむを得ない対策であり、艦娘にもそれを納得してもらった上で運用する事が提案されていました。それにも関わらず、派閥内の過激派とでも呼ぶ方々はその表面だけを見て、艦娘を厳しく管理するべきだという声ばかりが大きくなってしまっているみたいですね」

「そうだったんですね……艦娘兵器派の思想とは、艦娘を人として扱わない事、故に鈴木元帥もそういう方なのだと思っていました」

「艦娘を失う覚悟と諦念から、彼女達は人ではなく兵器なのだと考えた鈴木元帥の下に、その覚悟や諦念とは無縁の性質を持つ人達が集まってしまったのは皮肉かもしれませんね」

「……森盛さんも、その覚悟は出来たのですか?」

「うーん……正直、まだ……もどかしい事ですが、結局、深海棲艦との戦場に僕たちは関与できません。誰も沈まない作戦を立てるなんて不可能でしょう……戦場では何があるかわからないのですから」

 

 どんなに身体を鍛えても、勉強しても、結局は彼女達に任せるしかない。

 僕達は海の上に立つ事はできない。

 無事に帰る事を祈るしかできない。

 それが悔しいと、森盛さんは唇を噛んだ。

 

「舞鶴の露里(つゆさと)提督は、艦娘達が帰投すると必ずお帰りのハグをしに駆けつけるようですね」

「え、えぇ。駆逐艦限定かつ全力で逃げられてるようですが……」

「そうなると、やはりそれだけ可愛がっている子が不慮の事故で轟沈した時に、露里提督のメンタルが心配ですよね。佐世保、大湊の提督も情に厚い方だと聞いています」

 

 森盛さんはそう言って、言葉を続けた。

 

「しかし、だからこそ彼らの艦隊は強いのでしょうし、生きている彼女達に愛着を持つなという方が不可能だと思います。僕にはそんな事できやしない」

「……えぇ。私もそう思います」

「鈴木元帥のように割り切る事も、すぐにできそうにはありません。しばらくは……悩みながらの付き合いになるでしょうね」

 

 複雑な表情の森盛さんを見て、私は提督という立場が孕んでいる、ある種の残酷さを感じた。

 艦娘達は、提督の指揮下になければその力を発揮できない。

 信頼関係により、その性能は更に底上げされる。

 故に、提督達は艦娘達の信頼を得るという事が第一の使命であり、その為に基礎的な艦隊運用や鎮守府運営についての知識を身に着けてから着任する事となるのだ。

 何故ならば、そんな基本的な事も知らない上官に信頼など出来るはずも無い――という事は、至極当然の事だからである。

 

 そして、それはただのスタートラインに過ぎないと私は思うのだ。

 結局は、信頼というのは人間関係の中で築かれる。

 彼女達を物や兵器として扱っていては、それは決して成し得ないものなのだろうと、私は思っている。

 大切な艦娘を失った経験から、艦娘は兵器なのだと考える事にした鈴木元帥の気持ちもわからないではないが……傷つく事を恐れていては、彼女達の性能も引き出せないと思う。

 

 舞鶴鎮守府の駆逐艦隊や水雷戦隊の勝率は、はっきり言って異常だ。

 露里提督が着任してから、目に見えて向上しており、それ故に彼は「駆逐艦運用のエキスパート」と呼ばれているのだが――。

 彼だって、提督の資質が判明し、艦隊司令部で教育を受けるまでは、艦隊運用に関しては全くの素人であった。

 つまり、「駆逐艦運用のエキスパート」が率いたから舞鶴の駆逐艦隊は強いのではない。

 彼が駆逐艦隊と信頼を育み、運用した結果、そう呼ばれるようになっただけの事なのだ。

 

 森盛さんが懸念したように、駆逐艦の誰か一人でも失ってしまったら――露里提督はどうなってしまうのか。

 考えれば怖い事だが、それはどの提督にも言える事だ。

 信頼を育めば育むほどに、艦娘達に情を注ぎ込むほどに、喪失した時の絶望も比例して巨大になる。

 それだけの信頼が無ければ、鬼、姫級の深海棲艦には太刀打ちできない。

 

 舞鶴、佐世保、大湊の若き提督達がそれに気付いているのかは定かではないが、少なくとも森盛さんは十分に理解できているようだ。

 苦悩しているような表情を浮かべており、休憩室を包む空気も重くなってしまう。

 私は何とか空気を変えようと、森盛さんが机の上に広げていた書類に目を向けたのだった。

 

「あれっ、英語ですね。何かの資料ですか?」

「あ、あぁ……これは、英国の友人が面白い話を教えてくれて。ちょっとそれ関係で。妖精に関する考察なのですが、日本語に訳すなら、そうですね……『妖精さんグレムリン説』といったところでしょうか」

「『グレムリン』?」

 

 提督の資質を持たない私には妖精さんの姿は見えないが、ぬいぐるみのような、こけしのような、コロポックルのような、可愛らしい女の子の容姿をしているという事は知っている。

 一方で、森盛さんの口から出た言葉が示すものは、私の脳内にあるそれとはとてもかけ離れた姿をしており、私は首を傾げてしまったのだった。

 

「グレムリンって、私もあまり詳しくは無いんですが……小悪魔か何かですよね。毛むくじゃらな感じの……」

「日本のサブカルチャーにおける扱いはそんな感じですよね。ゲームにおいても敵キャラクターとして出てくる、悪魔のようなイメージでしょうか。しかし、そもそもグレムリンとは何なのか、御存知ですか?」

「い、いえ。何かの映画で見た事があるくらいで」

 

 森盛さんは机の上の書類を私の前に広げてから、言葉を続けた。

 

「グレムリンとは、二十世紀初頭、先の大戦において英国の空軍パイロットの間で噂となったのが起源であると言われています。戦闘機の燃料タンクに穴をあけたり、電波を妨害したり、機械を狂わせたりと戦闘機乗りを悩ませた、『最も新しい妖精』と言われているんです」

「へぇぇ……思ったよりも歴史の浅い……先の大戦で生まれた妖精なんですね」

「そう伝えられています。総じて機械に悪戯をする妖精とされており、先の大戦において、技術者たちの間では、『原因不明の機械の誤作動』をグレムリン効果と呼んでいたそうですよ」

「……自分達の点検不足をグレムリンに押し付けただけじゃないですか?」

 

 私の言葉に、森盛さんは軽快に笑ったのだった。

 重苦しい空気は払拭できたようで、私も内心、息をつく。

 

「ハハハ、正解だと思います。この国でもちょっと前に『妖怪のせい~』なんてフレーズが流行ってましたが、それと同様に『グレムリンのせい』と言われていたそうですね。それにも関わらず、いつしかグレムリンにはこんな伝承が出来上がっていました。『グレムリンとは、かつては人間に知恵を与え、人間を導き、益をもたらす能力を持っていた。しかし、人間達はグレムリンへの感謝を忘れ、ないがしろにした為、いつしか人間を嫌い、悪さをするようになった』と」

「な、なんだかそれっぽい伝承ですね。歴史は浅いのに……不思議です」

「伝承というより、都市伝説に近いかもしれませんね。ちなみに、今もなお北米では航空機部品の納入の際には飴玉を一つ同梱する習慣があるそうです。これは、グレムリンはチューイングガムや飴玉などの甘い物が好物であり、この飴玉で悪戯を止めてくれ、というお供え物であると考えられているそうですよ」

「へぇ、何だか面白いですね」

 

 私自身、実はこういった考察は大好物であるので、森盛さんの話は興味深い。

『艦娘』を艦とした場合、乗組員や整備員などの性質を持つものが妖精さんであると考えられているが、つまり先の大戦で誕生した妖精であるグレムリンが、その性質に近いのではないかという説だろうか。

 一理あるようにも聞こえるが、妖精さん達が悪戯好きなのかというと、疑問が残る。

 提督の資質を持つ者達の話では、彼女達はとても事務的で、無駄口も叩かずに提督や艦娘達の為によく働いているという。

 そんなお茶目な妖精さんがいるという話は聞いた事が無い。

 

「つまり、そういった経緯から、妖精さんの正体はグレムリンだという事ですか」

「まぁ、端的に言えばそうなりますね。しかし、話はこれで終わりではありません。この仮説は、むしろ警鐘を鳴らしているんです」

「警鐘……ですか?」

「はい。それは――」

 

「おぉっ、ここだったか。ごめんよ、少し遅れてしまった。薬局でどの胃薬を買うか悩んでしまって」

 

 森盛さんが言葉を続けようとしたところで、休憩室の扉が開いた。

 私と森盛さんは瞬時に立ち上がり、声の主――佐藤元帥へと向き直って敬礼をしたのだった。

 

「お帰りなさいませ、佐藤元帥。視察はいかがでしたか」

「うん……収穫はあったよ。かなりね……。今の横須賀鎮守府の提督は、もはや神堂くんでなければならない。そういう事になった……。やはり呉鎮守府を設置し、森盛くんにはそこへ着任してもらう方向にしたい」

「僕は構いませんが……鈴木元帥達が、いえ、それ以外の方々も何と言うでしょうか」

 

 森盛さんの言葉に、私も続く。

 

「はい。神堂く……神堂提督は佐藤元帥の強い希望で、教育を施す事なく横須賀鎮守府へ着任させましたが、それは新たな提督候補が現れるまでの一時しのぎのはずです」

「うん、私もそのつもりだったのだが……状況が大きく変わった。何と言えばいいのか……素人の若者を着任させてしまったせいで、彼女達に逆に火が付いたというか……詳しくは後の会議で説明するつもりだが、もう彼女達は、艦隊司令部の手には負えないよ。我々に逆らってでも、彼と共に戦うとはっきりと宣言したのだからね」

「えぇっ⁉ 彼って、あの神堂くんですよね? 何でそんな……」

「おや、彼の事を知っていたのかい?」

 

 思わず声を上げてしまった私に、佐藤元帥が興味深そうに尋ねてきた。

 何故か、しまったと思ってしまったが、別に隠すような事でも無いので、私は素直に答えたのだった。

 

「は、はい。佐藤元帥が視察に行かれて、改めて資料を見直していて気が付いたのですが……彼、神堂貞男くん、私が高校生の時に一年間だけ同じクラスメイトでした。特に仲良くはありませんでしたが」

「ほぉ! そうだったのか。世間は狭いね。素晴らしい青年だろう?」

「あ、その……正直に言いますと、私、今もあまり良い印象を持っていないんです。私の周囲の同級生達からも同様の評判で……」

「……何? どういう事だい」

 

 怪訝そうな佐藤元帥の問いに、私は少し言葉が詰まってしまった。

 逆に、私の方が佐藤元帥に、何故「素晴らしい青年」などという評価を付けたのか訊ねたいくらいだった。

 しかし、質問に質問で返すのは失礼なので、私は少し戸惑いながらも、正直に言葉を続ける。

 

「その……不良というわけでは無いのですが、学校もよくサボっていましたし、休み時間や授業中もよく居眠りをしてて……近所のデパートで女児ものの服飾品売り場をうろついてたという噂があって、俗に言うロリコンという疑惑も囁かれていて……友人もいないみたいでしたし……卒業後も、噂なんですが、小学校に殴りこんだとか、子供を誘拐しようとしたと騒ぎになって、取り押さえられてる姿を見たと言う友人もいまして……一番新しい噂だと、一年前くらいに勤めていた職場を辞める時に、腹いせにパソコンにウイルスを感染させて大損害を与えただとか……その、悪い意味で有名人というか、印象がですね……」

「えぇ……そんな人が提督なんですか? 露里提督が聞いたら殴り込みに行きそうですね……大丈夫なんですか」

 

 私の言葉に、森盛さんが若干引いたような感じでそう言った。

 そんな事を私に言われても困る。

 提督の資質は善人だろうと悪人だろうと関係なく宿る。

 横須賀の前提督がいい例だろう。

 故に、地元でも訳アリとして知られていた神堂くんが提督の資質に目覚めたとしてもおかしな事では無いが……。

 

 だが、心配そうな私達とは異なり、佐藤元帥は真剣な表情で息をついた。

 そして眉間に皺を寄せて言ったのだった。

 

「そういう事か……勘違いというのは実に恐ろしいな」

「えっ、どういう事でしょうか」

「私は彼の妹達から直接話を聞いたから知っているが……そもそも山田くん、そして君の周りの同級生達は、彼の家庭環境について詳しく知っているのかい?」

「い、いえ……詳しい事情は知りませんが、離婚か何かの諸事情で両親がいないとは噂で聞いていましたが、その」

「噂か……離婚なんて根も葉もない……千鶴くんが心配していた通りだな」

 

 佐藤元帥はそう呟くと、ゆっくりと言葉を続ける。

 

「彼が学校を休みがちだったのは、亡くなった両親に代わって四人の妹達の父兄参観などの学校行事に参加する為だ。居眠りが多かったのは、幼い妹達の面倒を見ていた事もだが、それに加えて放課後、妹達と夕食を済ませてから、夜のシフトのアルバイトをこなしていた事……これは校則違反だったようだがね。そういう意味では、彼は不良と言っても間違いではない」

「妹さん達の……? えっ、ご、ご両親を亡くして……⁉」

「あぁ。彼は小学生の時に、病により母を亡くし、中学生の時には交通事故で父を亡くし……高校時代には祖母の家に引き取られていたようだが、その時には祖母も足が不自由だったらしく、日用品の買い物なども率先して彼が行っていたらしい。その時には長女の千鶴くんですらまだ小学生……四女の澄香くんは幼稚園児だ。女児ものの服飾品売り場というのも、歳の離れた妹達のものを買う為だろう……そのせいで妙な噂を流されるとは……彼の妹達からはそんな事は聞いていないから、彼は知らなかったのか、知っていたが妹達には知られないように伏せていたのか……何てことだ」

 

 佐藤元帥はまるで自分の事のように、悲愴な面持ちになった。

 私は少し罪悪感を感じてしまう。

 佐藤元帥が口にした事は、今回の彼の着任に際して、彼の妹達に聞きとり調査を行った結果によるものだろう。

 つまり、神堂くんの家庭環境に嘘偽りは無いという事。

 噂では、両親の離婚だとか、訳アリで親に捨てられただとか、そういう事を聞いていたが……もしもそれが彼の耳に入っていたのなら、流石に訂正くらいはするのではないだろうか。

 私はそんな思いを、つい口にしてしまった。

 

「そ、そんな事、初めて知りましたよ。だって、彼はそんな事は一言も……言ってくれればよかったのに」

「そうだね。もしも彼がそれを知っていて、あえて何も言わなかったのなら、それは彼の怠慢かもしれない。だが、あの若さで両親に甘える事もできず、幼い妹達を支えてきた彼が、何を考えながら青春の欠片も無い学生生活を過ごしていたのか、それは私にもわからない。間違った噂を訂正する事なんかよりも、もっと大切な事で頭がいっぱいだったのかもしれない……多分、彼はそこまで器用な男ではないんだ。それでも必死に、彼なりに……頑張って生きていたんだ」

 

「不器用な……人なんですね……」

 

 佐藤元帥の言葉に、森盛さんが呟いた。

 そう言われてしまうと、私にはもう何も言う事ができない。

 学生の頃は、家に帰ればお母さんが料理を作ってくれていたし、掃除も洗濯も全てやってくれていた。

 勉強に部活、休日は親からお小遣いを貰って、友人と遊び回って――そう、そんな当たり前の日常を過ごしていた。

 彼にはそんな、ごく当たり前のものが無かったのだろう。

 

 そう言えば、休日に友人達と街を遊び歩いている時に、彼を目撃した事があった。

 あの時も、私は友人達と一緒に、遠くから変質者を見るような目を向けて、キモいとかダサいとか何とか話のタネにしたような記憶がある。

 確か前面に大きく「さんま」とプリントされた紺色のTシャツを着ていて、どんなセンスだと笑ったような。

 もしかしてあれも他に着る服が無くて仕方なく……そ、そうなのだろうか……?

 ともかく、よくよく思い出してみれば、彼はそう、あの日、食料品を沢山買っていたのを覚えている。

 しばらく遠くから眺めて、秋刀魚は買わないんだなどと言って笑った記憶があるからだ。

 その後、私達は服を物色したり、ゲームセンターで遊んだり、カラオケに行ったり……なんだか思い出すだけで自分が嫌になってきた。

 たとえそれがごく普通の学生の在り方だったのだとしても……。

 

 私が内心落ち込んでいるのに構わず、佐藤元帥は言葉を続ける。

 

「小学校に殴りこんだというのも少し違うな。私が知っているのは、四女の澄香くんが虐められているという問題に毅然と立ち向かったという事だ。誠意のない教師の態度に、思わず胸倉を掴み上げてしまい、少々大事(おおごと)になってしまったらしいがね」

「妹さんの虐めに……」

「冤罪ではあるが、警察の厄介になりかけたという話も聞いている。長女の千鶴くんも呆れていたよ。親とはぐれて泣いている子供を見れば、必ず声をかけるのだと」

「迷子の子供を……で、でも、警察って、まさか……」

 

 なんとなく察した私に、佐藤元帥は小さく頷いた。

 

「うん。親を見つけ出して感謝されて終わればいいが……最近は世知辛い世の中だね。ある時、迷子と一緒になって親を探していたところを、相手の親の方から見つかった事があったそうだ。その時、相手の親が自分の不注意は棚に上げて、彼の事を誘拐犯だと騒ぎ立てた事があったらしい。幼い子供は親と再会できた安堵感で泣いてしまって彼の事を擁護してくれない。事実を述べても言い逃れだと断じられ、彼もその不器用さ、口下手故に上手く説明できず、逆に挙動不審に狼狽えてしまうばかり。そうしている内に人が集まり、ひどい時には逃げようとも暴れようともしていないのに、事情も知らない通りすがりの正義漢にいきなり羽交い締めにされ、地べたに押さえつけられ、警察に連行され、連絡を受けた千鶴くんが迎えに行くのは一度や二度では無いと」

「……えぇ……?」

「誤解が解けた交番からの帰りに、こんな目にばかり遭うのなら人助けなんて馬鹿らしい、迷子を見つけても声をかけるな、こんな事もうやめればいいと千鶴くんが強く言ったそばから、一人で泣いている子供を見つけて駆け寄っていった時には、千鶴くんも目眩を覚えたそうだ」

 

「優しい……人なんですね……」

 

 佐藤元帥の言葉に、森盛さんが呟いた。

 それに対して、佐藤元帥も小さく頷く。

 

「うん。そんな彼だからこそ、艦娘達に選ばれたのだろう。葛野(くずの)提督の事がトラウマになっていないかと心配していた駆逐艦の皆も、どうやらたった三日で彼にすっかり懐いてしまっているようだ。人見知りの潮くんや、磯風くんのような気難しい子までね」

「……子供に、好かれているんですね……」

 

 森盛さんがそう呟き、佐藤元帥は更に言葉を続ける。

 神堂くんが前の職場を辞めた理由は、彼の不器用さ故に逃げる事の出来なかった、異常な勤務体制による心身の衰弱によるものだと。

 

「彼が前に勤めていた職場での騒動だが……それもウイルスなんかじゃない。そんな事を言い出したのは誰なんだろうね。確かにパソコン内の重要なデータが消えただとか、上手く動かないだとか、機械の不調が相次いで、業績にも大損害を受け、彼の前職場は予定外の出費を余儀なくされたようだが……エレベーターが動かなくなったり、電話がつながらなくなったり、電灯がつかなくなったりという事も同時に起きていたそうだ。それも、彼が退職して完全に職場に顔を出さなくなってからの話だ。その頃の神堂くんはまだ心身が回復しておらず、家から一歩も出られない状況だった。彼は関係なく、おそらくは耐用年数か何かの問題だろう」

「そ、それは流石に冤罪にも程がありますね……」

「ただ、彼が勤めていた課の一部の職員に至っては、何故か個人のスマホ内のデータが綺麗さっぱり消えていたという現象が相次いだらしくてね……まぁ仲間内で妙なサイトに接続してウイルスに感染しただとか、何かの偶然だろうが、それで神堂くんがウイルスを感染させただなんて噂が流れたのかもね。とんでもない逆恨みだ」

 

 確かに神堂くんがウイルスを感染させたという説は私も有り得ないとは思っていたが、それ以外の事は私も完全に事実だと信じていた事だ。

 何だか自分の中で常識だと思っていた事がひっくり返されて、訳が分からない。

 天動説を否定され地動説を展開された当時の人々は、こんな気持ちだったのだろうか。

 私の中では犯罪者一歩手前の危ない人だった神堂くんだったが、まさかそれが全て勘違いだったとは……。

 愕然としている私に、佐藤元帥は少し呆れたように声をかけた。

 

「それにしても、一度資料に目を通した時に気付かなかったのかい?」

「あ、あの時はすぐに着任させねばならなかったので、急いでいたという事と……ほとんど関わりが無かったというのもありますが、見た目があまりにも違い過ぎたんですよ! 私が知ってる神堂くんは、もっとこう、髪も眉毛もボサボサで、清潔感が無いというか。見た目に全く気を遣ってなくて、軍服着てるとわかりませんけど私服のセンスも独特で……あんな爽やかな感じじゃなかったんですって!」

 

 気付かなかったのは本当だ。

 決して適当に仕事をしていたわけではないし、資料を流し読みしたわけでもない。

 何か聞き覚えのある名前だなとは思っていたが、そもそも彼とはもう七、八年近く会っていないし、たった一年間同じクラスだっただけだし、直接話した事もたった一回しか無い。

 ゆえに、そもそも彼の顔だってうろ覚えだったのだ。

 適当な仕事をしたのではないかと佐藤元帥に幻滅されないかと心配だったが、佐藤元帥は特に気にしていないようだった。

 懐の大きい人だ……少し天然なところもあるが、そういうところもまた魅力的なのである。

 

 佐藤元帥に必死に言い訳をしていた私に、森盛さんが興味深そうに訊ねてくる。

 

「へぇ、そんなに変わっているなんて……今はどんな感じなんですか?」

「あぁ、私がちょうど顔写真入りの調査資料を持っているよ。ほら」

 

 佐藤元帥は鞄の中からファイルを取り出して、ぱらぱらとページをめくる。

 そして彼の写真が貼られたページを開いて、森盛さんに手渡したのだった。

 鎮守府に着任するにあたり、撮影した写真である。

 髪も眉毛も爽やかに整えられ、きっちりと軍服を着こなして背筋を伸ばす神堂提督のその姿は、髪も眉毛もボサボサで「さんま」Tシャツを身に纏い、死んだ魚のような目で猫背気味に食料品売り場を歩いていた、私の記憶の中の神堂くんの姿とはまったく似ても似つかない。

 まるで見惚れるかのように彼の写真を見つめていた森盛さんが、小さく声を漏らす。

 

「……美形……ですよね……」

「そうだろうそうだろう。身長も君より高くて、スラッとしててね。ふふふ、イケメンだろう」

「僕より……背が高いんですね……」

「でも、今時の若者らしいというか、前職の環境のせいか……身長に対して少し痩せすぎかな」

「痩せ型……なんですね……」

 

 何かを確かめるようにそう呟きながら写真を食い入るように見つめていた森盛さんであったが、やがて顔を上げて言ったのだった。

 

「話を聞けば、艦隊運用に関しては素人なのは間違いないようですが、凄く立派な方みたいですね」

「ふふふ、私が惚れた男だよ」

「いやぁ、話を聞いただけで僕も惚れてしまいそうでしたね」

「ふふふ、悪いが彼のファン第一号はこの私だ」

 

 森盛さんの隣で、何故か佐藤元帥が腕組みをしながら、うんうんと頷いた。

 ……何故佐藤元帥が自慢げなのだろうか……。

 まるで息子さんを自慢する父親のようであった。

 いや、話を聞くにとても良い人なのはよくわかったが……佐藤元帥にここまで言わせるとは。

 ……何故だろうか、微妙に悔しい……。

 

 佐藤元帥は私達の誤解が解けた事を感じたのか、改めて小さく息をつく。

 

「しかし全く、勘違いというのは本当に恐ろしいな……根も葉もないような噂に尾ひれがついてそんな事になっているとは」

「そ、それではもしかして、本屋で成人向け雑誌の袋とじの中身を上下から必死に覗き込んでいたという噂も……」

「完全な誤解だろう。そんな失礼な噂まで……まったくけしからん。神堂くんも可哀そうに……」

 

 そうか……彼の悪い噂はやはり全て、私達の勘違いだったという事か……。

 そうなると……やはり、あの事も……。

 

「…………うわぁ、うわぁぁ、私、何と言う事を……」

 

 思わずそう口から漏らし、両手で顔を覆う私に、佐藤元帥が怪訝な目を向ける。

 

「どうしたんだい?」

「い、いえ、その……実は……高校時代、友人達が、神堂くんが私の事を好きかもしれないと騒ぎ立ててきた事があって……」

「ほぉ!」

 

 佐藤元帥は興味深そうに目を丸くした。

 ……何故だろうか、微妙に悔しい……。

 続きを聞きたそうに目を輝かせている佐藤元帥に少し傷つきながらも、私は今や思い出したくも無い過去を正直に話した。

 

「友人達曰く、誰とも関わろうとしない神堂くんが私の方をじっと見てたから間違いないなんて騒いでいたんですが……た、ただですね、私、一度も話した事が無かったですし、そもそもいい印象も無かったですし、当時は誰かと付き合うなんて考えてもいなかったので、その……友人達が騒ぐのも煩わしいというか面倒だったので、その……私からお断りを……ですね」

「……一度も話した事が無いのに振ったのかい?」

「は、はい……今思えば彼も状況がよく理解できていないような表情でして……その……」

 

 そう……そういう事なのである。

 私自身は、彼の視線とやらにまったく気付いていなかったが、友人達があまりにも騒ぎ立てるのが煩わしかった為、それを早く終わらせようと考えたのだ。

 そして私は、彼に対して単刀直入にゴメンナサイしたのである。

 勘違い故の事ではあるが、当時の彼の評判は最悪であったし、そもそも外見的な意味でも私の好みでは無かった事だけは事実だ。

 だがそれはそれとして、そもそも彼が私に気があったという事自体が勘違いだったのだとすれば……。

 

 佐藤元帥は事情を察して、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。

 

「あー……彼は家庭の事で恋愛どころでは無かっただろうし……千鶴くんも言っていたが、彼は妹達が一人前になるまで自分の事を後回しに考えている節があるらしく……つまり、その、勘違いだろうね……」

「は、恥ずかしい……!」

 

 私はもう悶絶して転げ回りたい気分であった。

 当時の友人達と自分を今すぐ呼び出して張り倒してやりたいくらいだ。

 恥ずかしすぎる……!

 別に好きでも何でもない女子からいきなり呼び出され、何故か振られた神堂くんは何を思っただろうか。

 相手によってはそれを友人達や周りに話すなりして、私は稀代の勘違い女として学校で有名になっていたかもしれない。

 

 そう言えば、神堂くんはあの時も騒いだりしなかった。

 女子の間でも流石にドン引きされていた出来事だったが、バスケ部のキャプテンと付き合っていた女の子が、喧嘩した彼氏との仲直りの道具として神堂くんを利用した事があったのだ。

 あれは流石に酷いと思ったが、神堂くんは彼女が再び近づいて来なくなっても、別に何も変わらなかった。

 今にして思えば、彼は妹さん達の事で頭がいっぱいで、やはり恋愛の事なんて頭に無かったのだろう。

 

 そういう意味では、彼女が仲直りの道具として神堂くんに目をつけたのは正解だったのかもしれない。

 家庭の事を第一優先で考えているらしい彼ならば、たとえ彼女があからさまにベタベタと寄ってきたところで、「あれ? もしかしてこの子、俺の事好きなんじゃね?」などと簡単に勘違いする事は無いはずだからだ。

 いや、だからといって彼女が神堂くんにした行為は褒められたものでは無いのだが……。

 

 ともかく、そういう事を考えてみても、やはり彼が私に気があったという事は十割勘違い……‼

 し、死にたい……‼

 い、いや、恥を忍んで、別の意味でゴメンナサイをしなければ……‼

 今からでも謝罪しておかないと、罪悪感で私の身が持たない……!

 

「あ、謝らないとですね……」

「う、うん。それなら、私がいつかまた視察に向かう時にでも同行すればいいよ。今度は連れて行くから」

「佐藤元帥。僕も着任前に、一度は神堂提督と顔を合わせて挨拶しておきたいですね。呉鎮守府に着任するとなれば、共に太平洋側の守りを担うパートナー、相棒となるのですから」

「おおっ、それはいい。森盛くんも、山田くんも、これからは神堂くんと仲良くしてやってほしいんだ。彼の妹達が気にしていてね。神堂くんはあまり社交的な性格ではないようだが、それに加えて、妹達を優先するあまり自分の交友関係を大事に考えていないのではないかとね」

 

 佐藤元帥の言葉に、私は自身無さげに、森盛さんは目を輝かせて自信満々に答えたのだった。

 

「は、はい……合わせる顔がありませんが」

「勿論ですっ! そんな素晴らしい方と交友を深められるなんて光栄です。公私ともに仲良くしていきたいですね」

 

 佐藤元帥は満足そうに小さく頷き、私に目を向ける。

 

「それにしても、いい印象を持っていなかったとは言え彼ほどの男を振るとは……ちなみに山田くんはどんなタイプの男性が好みなんだい?」

「そ、それは、その……ってもう! 佐藤元帥!」

「ご、ごめん。あ、あぁっ、そろそろ会議が始まるね。私はちょっと胃薬を飲んでから向かうから、君達は直接会議室に向かってくれ」

 

 佐藤元帥はそそくさと逃げるように休憩室から出て行ってしまったのだった。

 時計を確かめてみれば、会議の予定時刻が近づいてきていた。

 森盛さんにもそろそろ行きましょうと伝え、私達は佐藤元帥の指示通り会議室に向かう。

 

 並んで歩いている中で、私はふと、佐藤元帥が帰って来る前に話していた事を思い出したのだった。

 

「そう言えば、森盛さん」

「はい」

「ちなみに、先ほどの話の続き……警鐘とは何なんですか?」

「警鐘……あぁ、そう言えばそうでしたね」

 

 森盛さんはすっかり忘れていたようで、少し考え込むような仕草をしてから、ゆっくりと口を開いたのだった。

 

「今、妖精さん達は無条件に僕達の味方をしてくれていますよね」

「え、えぇ」

「敵に回したらどうなると思います?」

「えっ?」

 

 急な問いに、私はすぐに言葉を返す事が出来なかった。

 そもそも私には、いや、提督の資質を持つ者以外には知覚できない存在なのだ。

 味方をしているのかどうかすら目に見えないのだから、あまり実感できる事ではない。

 ともかく、話によれば妖精さん達は艦娘達の整備をしたり艦載機を操縦したり、その能力自体で艦娘達を支援したりと――深海棲艦と戦う艦娘の味方なのだから、私達人間の味方なのだと考えている。

 そう言わざるを得ないのだ。

 敵に回る、だなんて考えた事も無い。

 

 何故だろうか――森盛さんの笑みが、やけに不気味に見えたのは。

 

 言葉に詰まった私が口を開くよりも先に、森盛さんは言葉を続けた。

 

 低い声と共に、それはまるで――脅かすような口調で。

 

「グレムリンがどんな妖精だったか覚えていますか? 人間に知恵を与え、導き、益をもたらすが――人間を嫌えば、機械に悪戯をする」

「あの仮説はこう続いています。グレムリンは味方に付ければ頼もしいが、敵に回せばこれほど恐ろしいものは無い」

「もしもグレムリンを本気で怒らせてしまったのならば、もはや機械無しでは成り立たない我々の世界は一体どうなってしまうのでしょうね」

 

「スマホ、自動車、テレビ、冷蔵庫、冷凍庫、エアコン、電灯、ラジオ、電話、パソコン、電子レンジ、洗濯機、飛行機、電車、船、エレベーター、ATM、人工衛星、医療機器、工場、発電所……マイクロチップのような小さなものから重機のような巨大なものまで、世界中のあらゆる機械がグレムリン達の掌の上にある」

 

「もしも、人間達がグレムリンの機嫌を損ねて、それらに悪戯をされたなら」

「それらがある日、一斉に使い物にならなくなった時の事を想像できるでしょうか」

「提督の資質を持つ者以外には知覚できない。それは決して防げない……」

 

「つまりこういう事です」

 

「もしも妖精さんの正体がグレムリンなのだとするならば――」

 

「我々が最も恐れなければならないのは、深海棲艦ではなく、提督の資質を持つ者以外ではその存在を知覚できず、一家に一人は存在するとすら伝えられているグレムリンなのだ。グレムリンのご機嫌を損ねてしまう事なのだ。グレムリンを敵に回してしまう事は、グレムリンの――妖精さんのご機嫌を損ねてしまう事は、世界の終焉に他ならない」

「え、えぇぇ……」

 

 私が思わず唾を飲み込むのを見て――森盛さんは再びいつもの爽やかな笑みを浮かべて、言ったのだった。

 

「だから妖精さん達のご機嫌を損ねないように、大好物の甘い物を常備しておこう、という事で、最後に製菓メーカーの広告が貼ってあります」

「ただのマーケティングじゃないですか! 驚かせないで下さいよ! もうっ!」




※どうでもいい裏設定
【佐藤元帥の秘書官】
山田(やまだ)千里(ちさと)(26)
・髪の長さは艦娘で言えば名取くらい
・真面目な黒髪眼鏡っ子
・体型は艦娘で言えば一番近いのは阿賀野
・彼氏無し。独身。年上好き
・隠れオタク


超大変お待たせ致しました。
リアルの事情に加えまして、今後の展開の再構想、オリジナル作品の執筆、世界樹の迷宮Xの発売、艦これ2期への移行による海域再攻略など様々な事が重なりまして、かなり間が空いてしまいましたが、これより第四章のスタートとなります。

艦これ2期になり画質が綺麗になって嬉しいですね。
資料として図鑑で艦娘の姿を眺めてますが、個人的には隼鷹改二が高級そうな下着をつけていたのが一番驚きました。
やっぱり飛鷹と隼鷹ってお嬢様ですよね。
羅針盤による運要素がほぼ無くなったのが嬉しいです。

気が付けばこの作品も一周年を迎えておりました。
ここまで長く続けられたのも、温かく応援して下さる皆様のお陰です。
これからもどうぞよろしくお願い致します。

早いもので来週から秋イベが始まりますね。
またしばらくお待たせしてしまいますが、なるべく早く更新できるよう頑張ります。


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045.『資格』【提督視点】

『ねー、サダオー。褒めて褒めてー。ねーねー』

『私達頑張ったので疲れました』

『褒めろー』

(いた)われー』

『甘味をよこせー』

『甘やかせー』

『甘えさせろー』

『撫でて撫でてー』

『わー』

『わぁぁー』

 

 えぇい、うるさい。それどころでは無いのだ。

 しかしこいつらがいなければイムヤは轟沈していたからな……それだけは確かだ。

 俺ではどうしようもなかった事をフォローしてくれた事は評価に値する。

 ここは素直に感謝せねば。さーんきゅっ! これからもご指導ご鞭撻、よろしゅうな!

 

『誠意が伝わりませんね』

『もっとドイツっぽくお願いします』

 

 ダーンケっ! 俺の感謝もマックス(MAX)・シュルツ! って何やらせんだ! 調子に乗るな! つーかドイツっぽくって何だ!

 俺は左の掌の上で騒ぐ応急修理要員さん達を右手でまとめて撫でながら、こそこそと足早に歩いていた。

 俺の命を狙っているアホ共から身を隠す為である。

 

 決してビビッているわけではない。

 ビビッているわけではないが、赤城や加賀と顔を合わせたが最後、間髪入れずに鎧袖一触三段式ビンタで張り倒されるであろうし、鹿島と顔を合わせれば絞り殺されかねん。

 決してビビッているわけではない。

 ビビッているわけではないが、やはりここは戦略的撤退がベストだろう。

 どこかに身を潜め、可及的速やかに艦娘達の信頼を取り戻す作戦を練り直す必要がある。

 

 一部の艦娘達からの信頼が地に墜ちたと思われるこの状況……何とかせねば。

 このままではハーレムどころか童貞卒業も夢のまた夢、童貞を拗らせたまま歳を重ねた俺はやがて最低最悪の魔王、自慰王(ジイオウ)となってしまうだろう。

 祝え、新たな王の誕生を……! いや全然めでたくねェ……!

 何とかして最悪の未来を変えねば……!

 

 くそっ、しかし一体どこに隠れれば……。

 自室や執務室に戻るわけにもいかないし……。

 すると、俺の頭の上にいたグレムリン達が目の前に舞い降りてふわふわと浮いた。

 

『ちょうどいいところを知ってるよー』

『こっちこっちー』

 

 魔女っ子っぽい恰好のグレムリンが矢印のついた棒で示す方向へと、とりあえず進む。

 辿り着いた先は工廠施設の裏であった。

 

『あったよ、倉庫が』

 

 よし、でかした! この倉庫超助かる!

 こそっと中を覗いてみれば、主砲や機銃、魚雷に艦載機、その他諸々の、数えきれないほどの装備が乱雑に押し込まれている。

 保管というよりも、適当に投げ入れただけのように見える。足の踏み場も無いくらいだ。

 アイツらは揃いも揃って整理整頓できないのだろうか……。

 それともすでに使わない装備を適当に押し込んでいるのかは定かではなかったが、なるほど、この陰に身を隠せば簡単には見つからないだろう。

 グレムリンもなかなかいい場所を知っているではないか。

 

 倉庫の中に足を踏み入れ、装備の山を潜り抜けて奥へと進む。

 まずは地に墜ちた信頼を回復するべく、今のうちに『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』を読み込んで有能提督っぽい作戦を――……ん?

 適当に進んでいった倉庫の奥、その先に明らかに装備とは異なるものが膝を抱えていた。

 

「……」

 

 み、美智子ちゃん……じゃなかった。み、満潮……!

 お前、こんなところに隠れていたのか……。

 俺が気が付くと同時に、満潮もはっと顔を上げ、ばっちり目が合ってしまった。

 

 いかん……昨日もそうだったが、満潮は完全に塞ぎこんでしまっている。

 この場合、俺の勘では放っておくのが最善手だった。

 だが、先ほどの朝潮の報告によれば、満潮が何かをやらかしてしまったとの事……。

 そうだ、たしかイムヤの轟沈に関わっているとか言っていたような……。

 今目の前にいる満潮は、昨日とは比較にならないほどの落ち込みっぷりだ。

 俺を見てごしごしと目元を拭ったが、その表情はひどく憔悴している。

 こんな人気(ひとけ)の無い場所に一人で隠れるほどである。

 

 昨夜、満潮が塞ぎこんでいた理由は、俺の知識不足により満潮だけ仲間外れにするような事をしてしまったからだ。

 今回、爆睡していた俺に代わって鎮守府の頭脳大淀さんが編成した面子を見るに、朝潮、大潮、満潮、荒潮の四人がいわゆるひとつの駆逐隊なるグループであったのだろう。

 姉妹でありながら仲良しグループみたいな感じだろうか。

 ともあれ大淀さんが選んだ編成であるならばそれに間違いは無いはずだ。

 

 二日前に俺は練度の高い順に編成した為、満潮の代わりに霞が入る事になり、満潮だけハブられた。

 それにより満潮は落ち込んでしまっていたようだったが……美智子ちゃんによく似たコイツの悩みや迷いは、おそらく一日や二日で解消されるものではない。

 おそらく今日も引きずっていた事だろう。

 そうなると満潮のコンディションにも影響している事だろうし、今日の失態とやらにも俺が深く関わっているであろうことは明白だ。

 

 俺の妹の千鶴ちゃんや澄香ちゃんに似ている瑞鶴や霞と同様、どこか美智子ちゃんに似ている満潮も俺とは相性が絶望的に悪そうだ……。

 瑞鶴は俺が無能である事をすでに看破している風であったし、霞は俺がクズである事を初見で見抜いていた。

 更に、二人ともそれを他の艦娘のいる前で大声で意見するという厄介な性質を持っている。

 いや、まぁ俺が駄目すぎるせいなのだが……。

 

 ともかく、俺の勘では満潮も同じタイプに見える。

 触らぬ神に祟りなし。

 ここで空気を読んで「すまん、邪魔をしたな」とでも言って踵を返して見て見ぬふりをするのもアリかもしれん。

 むしろ引き返して朝潮達を呼んでくるのが正解のように思われる。

 し、しかし……クソッ、泣いてるじゃないか。放っておけん。

 俺が近づいたところで何も解決しないとは思うし、逆に痛い目を見るかもしれんが、元はと言えば俺のせいだし……。

 何とかして満潮をここから連れ出して朝潮達に合流させ、その後改めてここに身を隠し、作戦を練るのが最善手であろう。

 

 仕方が無い。満潮には何とかして元気を出してもらわねば。

 何かいい手は無いだろうか……まずは、失敗など気にするな(Don't mind)と励ます感じで明るく声をかけて……。

 

 こんにちは~! ドンマイ()風で~す! 暗い雰囲気は苦手で~す!

 あれ~? 元気無いぞぉ~? さぁ、華麗に踊りましょう! そぉれワン、ツー!

 

 よし、こんな感じで陽気にヒゲダンスでも踊りながら接近して……駄目だ、俺の慧眼にはぶん殴られる未来しか見えない。

 この案はやめておこう。ナイス判断! 提督ぅ!

 くそっ、わかっていた事ではあるが、俺に誰かを笑顔にできる才能は無い。凹む。

 まぁ天は二物を与えずと言うからな。

 俺はエンターテイナーでは無いし、ダンスを踊るセンスも無い。

 策士の才を与えられた俺にはコメディアンの才能など必要ないのだ。

 よし、ここは美智子ちゃんに接する感じで、いつも通りとりあえず話してみてから、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処しよう……。

 

『要するに行き当たりばったりという事ですね』

『無策士すごいですね』

 

 頭の上のグレムリンに構わず、俺は満潮に歩み寄る。

 朝潮達と同じく中破しており、服もボロボロの痛々しい恰好のままだった。

 他に羽織らせるものも無かったので、仕方なく俺は上着を脱いで満潮に肩から羽織らせ、隣に腰かけたのだった。

 

「隣、いいか?」

「……もう座ってるじゃない……」

「そ、それもそうだな」

 

 駄目だ、いきなりテンパってるのが隠しきれていない。

 満潮は俺と顔を合わそうともせず、ぐしぐしと袖で涙を拭った。

 どうしたものかと俺が考え込んでいると、満潮の方からか細い声をかけてきたのだった。

 

「……司令官、イムヤを救ってくれて、ありがと……」

 

 や、やはりめちゃくちゃ落ち込んでおる……。

 昨日の態度とは別物だ。すっかりしおらしくなってしまっているではないか。大潮です。

 ともあれ、これなら痛い目を見る事はなさそうで一安心ではあるが、逆に言えばそれだけ満潮は傷ついているという事だ。

 取り扱いには気をつけねば……。

 

「ん、あ、あぁ……あれは私じゃない。この応急修理妖精さん達が助けてくれたんだ。情けない事だが、あの時、私は何も出来なかった……」

 

 俺が正直にそう言うと、応急修理要員さん達が満潮の膝の上に飛び移った。

 

『もう大丈夫だよー』

『だから泣かないで』

『精一杯頑張ったの、わかってるよ』

『よしよし』

『ウホホイ、ウッホッホイ』

 

 いや長門以外にゴリラ語使うな。伝えたい気持ちはわかるが多分逆に伝わんねぇから。

 満潮は膝の上で身振り手振りをする応急修理要員さん達を見ながら、口を開いた。

 

「……励ましてくれてるの?」

「うむ。もう大丈夫だから泣くなと言ってるぞ。お前が精一杯頑張った事も、よくわかってるそうだ」

 

 俺がそう伝えると、満潮はまた目に涙を浮かべて、膝に顔を埋めてしまった。

 そして肩と声を震わせながら言ったのだった。

 

「いくら頑張ったって、こんなんじゃ何の意味も無い……! 私、自分の事しか考えてなくて……! 頑張った気になって……! そのせいで皆に迷惑かけて……! イムヤを救えなくて……‼ 何の役にも立てなかった! ただの足手纏いだった! 私、私っ、もう、自分の事が嫌い……! 大嫌い……‼」

 

 そう言って、満潮はわんわんと泣き出してしまった。

 ア、アカン……これは重症だ。策は思いつかんが、何とかせねば。

 ある程度泣き声が収まるのを待ってから、俺は満潮の背をぽんぽんと撫でて、何とか宥めながら言った。

 

「ま、まぁ落ち着け。とりあえず、何があったのか聞かせてくれないか」

「報告なら朝潮からもう聞いたでしょ……! 私がっ、私のせいでっ!」

「聞きたいのは報告じゃない。満潮から、何があったのかを聞きたいんだ」

 

 正直に言えば俺もあの時は放心状態で、朝潮の報告した内容もよく覚えていないのだ。

 それに、報告はあくまでも報告だ。

 満潮がここまで塞ぎこんでいる理由は、満潮しか分かり得ない事だろう。

 

 俺なんかにこんな事を言われて、逆に怒らせてしまう事にならないかとヒヤヒヤしていると、満潮は俺を横目に睨みつけた。

 そして、ぽつり、ぽつりと少しずつ言葉を紡いだのだった

 

「……一昨日(おととい)の遠征で、私だけ第八駆逐隊の面子から外されて……凄く、悔しくてっ……!」

「……うん」

 

「でもっ、いつもみたいに塞ぎこんでる私を、川内さんが励ましてくれてっ! 少しでも、一歩ずつでも、頑張らなきゃって思ってっ! 川内さん達の演習にも参加させてもらってっ……! 凄く辛かったけど、頑張って……」

 

「今朝、大淀さんから編成が発表された時……また、私だけ外されてて……私、思わず声をあげてて……! 本当は、疲れてて、万全じゃなかった……! 出撃できる状態じゃなかったのに、皆に置いていかれたくないって、自分の事だけ考えて! 疲れも隠して……!」

 

「川内さんも、私の事を思って、推してくれて……大淀さんも、私を編成に入れ直してくれて……でも、私、呑気に喜んでて……!」

 

「制海権を取り戻した近海だからって、敵も格下しかいないって、甘く考えて……!」

 

「……イムヤ達を救援に向かった時、身体がうまく動かなくて……私のせいで、連携がうまくいかなくて……」

 

「最後の最後まで、自分の事しか考えられなくて……!」

 

「朝潮も、大潮も、荒潮も……! イムヤも! 皆、皆、私のせいで傷ついて‼」

 

「出撃しなきゃよかった……! あの時、声をあげなければよかった! 何もしない方がましだった! 私なんていなければよかった! 全部、全部、私のせいで……!」

 

「私、もう、皆に合わせる顔が無い……! 皆と一緒にいる資格なんて無い‼」

 

 そこまで言って、満潮は泣き崩れてしまった。

 隣でそれを聞いていた俺も、満潮に感情移入してしまい、思わず泣いてしまいそうになる。

 そうか……そんな辛い思いを……焦りから無理をしてしまい、イムヤを助けられなかったという最悪の結果を招いてしまったという事か。

 大淀も最初は満潮を編成から外していたという事は、おそらく満潮の疲労を考慮しての事だったのだろう。

 だが、本人が大丈夫だと言い切り、一緒に演習した川内の太鼓判もあり、大淀も満潮を編成しなおしたという流れだろうか。

 うぅむ、そうなると、やはり疲労を隠したという満潮に非があるのは否めないが……。

 そもそもイムヤを助けられなかったのは満潮が疲労を隠して出撃した事が原因で……それは一昨日の遠征任務で満潮だけ編成から外されてしまったせいだから……つまり、そんな編成を指示した者のせい……はっ、全部私のせいだ! 大淀くん、全部私のせいだ! 

 満潮にも非があるかもしれないが、そもそもの諸悪の根源は完全に俺ではないか。

 

 ど、どうしたものか……俺のせいでイムヤも満潮も無理をしてしまった。

 イムヤが大破進軍をしたのは、俺がかけた言葉に応えようとしたからという事だし、満潮が無理をしたのは俺の適当な編成のせい……。

 罪悪感が半端ない。本当にすいません。

 とりあえず満潮には、応急修理要員さん達のおかげでイムヤが助かった今、そんな失敗は刹那で忘れちまえと励ましたいところだが、満潮がそんなに切り替えが早いタイプだとは思えん。

 しかし何とか元気を出してもらわねば。

 俺はどうやって立ち直ったんだったか……そうだ、イクの生パイオツ!

 よ、よし、早速イクを呼んで満潮にも酸素魚雷六発――いやこれで立ち直れるのは俺と俺の股間だけだ。馬鹿か俺は。満潮に喧嘩売ってんのか。

 

 イクのパイオツのおかげで気持ちも股間も即座に立ち直った俺とは違い、満潮は今後もこの失敗を引きずってしまうだろう。

 確かに、終わり良ければ全て良しとも言えん……結果だけ見れば運よくイムヤは助かったが、そうでなければ普通に轟沈していただろう。

 塞ぎこんでしまっても無理は無い。

 どうすればよいだろうかと考えながら、咽び泣く満潮を見ていると、ふと、俺の三番目の妹、美智子ちゃんが同じように泣き崩れていたあの時を思い出した。

 あの時、俺は何も力になってあげる事ができなかった。

 そして結果的に、その時間の事を、美智子ちゃんは今も後悔している。

 もし、あの時、あぁしていれば、と。

 

 ……。

 

 満潮に何と声をかければ良いのかまだ答えは出ていなかったが、俺は満潮の肩にぽんと手を置いて、声をかけたのだった。

 

「今のお前に、よく似た子を知っているんだ」

「……?」

「その子は駅伝の選手でな……駅伝、知ってるか?」

「う、うん……」

 

 怪訝な目を向ける満潮に、俺は言葉を続ける。

 

「ひとつの(たすき)を繋いで走る競技だ。ひとりでも欠ければ襷は繋がらない……その子はチームのエースでな。仲のいい仲間達と共に頑張っていたよ。小さい頃から足が速くて、親にもそれを褒められてて……だからかな。いつしか、走る事がその子の全てになっていた」

「周りからの期待も大きかった。頼りにされてたんだ」

 

「大会が近くなったある日、その子の足に痛みが走った。日に日に痛みは引かなくなった……だけどその子は、私にも、誰にも相談しなかった。病院にも行かなかった。ドクターストップがかかるのが怖かったんだな」

「その子は走ること以外は少し苦手で……自分に自信が持てない子でな。気付けば、走る事にしか自分の意味を見出せなくなっていた。皆の期待を裏切るのが、そして何よりも、共に走る仲間に置いていかれるのが怖かったんだ……」

 

「病院に行かないかぎりは、病名がつく事も無い。それを知る事が怖くて、休む事が怖くて……その子は周りにそれを隠して、無理をして大会に挑んだんだ」

 

 俺の話に、満潮も静かに聞き入っているようだった。

 

「そして大会当日――その子は襷を繋げなかった」

 

 俺がそう言うと、満潮は小さく目を見開いた。

 

「次の走者は目の前にいた。あとたったの数十メートル。だがそれは、その子にとってはあまりにも遠かった……その子はもう痛みで走れる状態では無かった。余りの痛みに膝を折って、立ち上がる事さえ出来なかった」

「大勢の観客の前で、走るどころか無様に這いつくばって、泣きながら手を伸ばして必死に襷を繋ごうともがいたけれど、出来なかった」

「激痛を堪えて何とか立ち上がって、足を引きずりながら這う這うの体で進んだけれど……無情にも時は過ぎて、その子の目の前で、次の走者は強制的にスタートさせられた」

「あの時のその子の姿は、とても見ていられるものではなかったよ」

 

「その後、急いで病院に連れていかれて……走りたくても走れなくなっていて……その子は走るのをやめた」

「大きな舞台で皆の足を引っ張って、台無しにした。自分が無理しなければ、襷を繫げていた。仲間達に合わせる顔が無いと言って、退部して……テレビでも放送されてたから大恥をかいたと言って……一時期は部屋に引きこもって、学校にも行こうとしなかった」

「自暴自棄になって、杖をついて歩くのも嫌がって……もう走らないのだから意味は無いと言って、治療にもリハビリにも行こうとしなかった」

「走る事に全てを捧げてきたその子は、走れなくなった絶望と自己嫌悪で、もう生きる気力を無くしてしまったんだ」

「今の満潮を見ていると、あの時のその子の事を思い出すよ」

 

 俺の妹、美智子ちゃんの話だ。

 美智子ちゃんがまだ中学生だった時の頃の話。

 部活動に所属した事の無い俺には想像もつかないほどの、辛い経験だっただろうと思う。

 あの頃、美智子ちゃんは一時的に不登校になり、家の中でも荒れてしまって大変だった。

 俺もその時期は仕事を休むわけにもいかず、帰宅してから話そうとしても取り付く島もなく、千鶴ちゃんに任せっきりで……俺は何もしてあげる事が出来なかったのだ。

 

「……その子は、その後、どうなったの?」

 

 満潮が問いかけてきたので、俺は小さく息をついてから答えたのだった。

 

「しばらく走る事から離れていたけれどな。一年くらい前から、一人でまた走り出したよ。一歩一歩、リハビリから始めて……前のように走れるようになるにはまだまだ時間がかかりそうだ。そして今までをひどく後悔しているよ」

「後悔……?」

「何もしなかった時間、リハビリに励んでいれば、今頃は元のように……また皆と共に走れるようになっていたかもしれないとな」

 

 一年程前、ちょうど俺が倒れてしまって退職し、無気力状態だった頃だろうか。美智子ちゃんが再び走り出すようになったのは。

 何で再び走り出そうと思ったのかは、おそらくデリケートな問題であろうから聞いてはいない。

 トラウマにも深く関わる話題であるし、そもそも美智子ちゃんの事だから、聞いても教えてくれなさそうだったというのもある。

 そして現在、再び走り出してから一年近くが経過したが、やはりブランクが大きく、まだ全盛期には程遠い。

 美智子ちゃんはその理想と現実の差にたびたび悩んでいるようだが、それでもまだ走り続けている。

 その姿に、俺も少なからず勇気を貰った。

 

 まぁそれでもなかなか無気力状態から立ち直れず、最終的にはオータムクラウド先生の作品によって立ち直れたわけだが……余談ではあるが、それを知った美智子ちゃんは何故か腰の入ったミドルキックを俺の脇腹に叩き込んだ。

 

「……その子は前と同じように走れるようになるの?」

「わからない。その子は今高校生だ。リハビリを続けても、卒業までに間に合わないかもしれない。完治しても、大会に出られるほど記録が伸びないかもしれない。何より、あの時の失態が消えるわけじゃないし、過去は決して変えられない。迷いと後悔は尽きないが、その子はそれでも、たった一人で歩き出す事を選んだんだ。何故だかわかるか?」

「……」

「――未来は変えられるからだ。その子は同じ歴史を二度と繰り返さない事を選んだんだ。今度こそ間違わないように。そして、あの時あぁしていればと、もう二度と後悔しないように」

 

「……同じ、歴史を……」

 

 満潮の口から、小さな声が漏れた。

 そう、未来は変えられる。俺が自慰王(ジイオウ)となる最悪の未来もきっと……。

 いわゆるPDCAサイクルとはそういう事だ。計画し、実行し、評価し、改善する。

 それを繰り返せば、成長するのは自明の理だ。

 まぁ頭では十分わかっていても実行できないのが俺の駄目なところなのだが。

 美智子ちゃんが頑張る姿にどんなに勇気づけられても、長続きしない意志の弱さが我ながら情けない。

 俺は無意識に、妹にやるように満潮の頭に掌を置いて、指先でぽんぽんと撫でるように叩く。

 

「変わろうとしたんだな。だが、今回は少し焦りすぎだったな。変わるという事には物凄く大きな力と長い時間が必要なんだ。勉強だって運動だって、何だってそうだ。一日や二日では劇的に変わる事なんてできやしない……その気持ちは、私だってよくわかる。この数日間だけで、私も何度も挫折してるからな」

「……司令官も?」

「うむ。お前達に信頼されるような、立派な提督であろうと……そう考えてはいるんだがな。ついさっきも、情けないところを見せてしまってな……我ながら自分が嫌になるよ」

「……」

 

 横須賀鎮守府に着任してから、俺はもう数えきれないほど挫折している。

 初日に決意していたオ○禁も一日すら持たなかったし、今から、次から、明日から、いつか頑張ろうと考えては即堕ちしている。

 すぐに変わりたいけど変われないという満潮の気持ちは痛いほどによく理解できるのだ。

 それでも少しずつ、変われているような気がしないでもない。

 現在、何とオ〇禁を一日継続できているのだ。スゲーイ! モノスゲーイ!

 これを積み重ねていけば、きっと俺も猿から進化できる事であろう。

 

「まぁ、それはともかくとして……たった一晩で生まれ変われるような魔法なんて、存在しないんだよ。潮が満ちるには時間がかかる。大事なのは当たり前の事を継続する事……疲れたら休む事、痛んだら立ち止まる事……。たとえ一度上手くいかなくても、それでも続ける事だ。迷ったっていいし、転んだっていい。迷った時には引き返せばいいし、転んだ時には立ち上がればいい。何回凹んだって、すぐに立ち直ればいい。自分が諦めない限り、自分に負けは無いんだ。きっといつかは変われるさ」

「……うん……」

「とりあえず、今満潮がやらなきゃいけない事は、補給と入渠だな。朝潮達が待ってるぞ? 満潮と一緒に入渠したいと言ってな」

「朝潮達が……?」

 

 満潮は朝潮達の名を聞いて目を見開いて俺を見たが、すぐに塞ぎこむように顔を背け、俯いてしまった。

 

「で、でも、やっぱりこんな私なんかが、皆と一緒に戦う資格なんて――」

 

 全てを言い終わる前に、俺は満潮の頭を撫でていた右手で、その肩をがしっと掴む。

 満潮が顔を上げ、俺はその双眸から目を逸らさずに、言葉を被せた。

 

「資格なんて働きながら取ってしまえばいいんだ。少なくとも私はそうやって生きてきたし……資格なんて無いのに働いているのは今も同じだ」

 

 まぁ、俺の場合は簿記とかの話なのだが……。

 前の職場で、上司が資格取れとうるさかったから取っただけの話だ。

 ただでさえ家の事と馬鹿みたいな量の業務に加えて試験勉強までやれと言われた日には、もう一日が二十四時間では足りなかった。

 受験料も自腹だったから一発で合格したかったしな。あの頃は地獄だった。

 死ぬ思いでようやく資格を手にしたはいいものの、その後、別に業務内容が変わるわけでもなく、給料に反映される事も無かった。凹む。

 おそらく上司的には、自分の部下がその資格を持っている事が重要だったのだろう。業務においてはほとんど何の役にも立たなかった。

 そして前職を辞めた事で、あんなに苦労して手にした資格は無意味となり、今はこうやってド素人なのに提督をやっている。

 結果として一部の艦娘達から現在命を狙われている俺に皆を率いる資格などあろうはずもない。

 資格職に就くならともかく、そうでないなら資格の有無なんて些細な問題なのだ。

 いや、提督がド素人のドスケベ野郎なのは全然些細では無いが……。

 

 うぅむ、何だか自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。

 何で美智子ちゃんの過去話をしたのかも、今思えばよくわからん。

 とりあえず自分なりに励ましの言葉を送ってはいるつもりなのだが、なんだか最後は説教臭くなってしまった。

 こんなクソ提督に説教されて、満潮がそれをどう捉えたか……。

 失言は無かっただろうかと俺が考え込んでいると、満潮は自ら立ち上がり、ぱっぱと尻の埃を祓った。

 

「……わかった。出てく」

「お、おぉ、そうか。よし、しっかり休むんだぞ」

「うん……」

 

 よ、よかった。とりあえずここから出て行く気にはなったようだ。

 俺の説教を聞くのが面倒臭くなったのだろうか……。

 しかし俺が何を言っても、結局元気を取り戻す事は出来なかったな……。凹む。

 自分なりに励ましたつもりだったが……まぁ、とりあえず今は出て行く気になっただけでも上出来だ。

 とぼとぼと歩いていく満潮の背中がどうも心配だったので、俺も付き添う事にする。

 赤城や鹿島に見つかったら死の危険性があるが、どうにも一人にしておけん……。

 まぁ子供の見ている前で処す事は無いと信じたい。

 朝潮達を見つけたら即座に満潮を引き渡して、再びここに身を隠そう……。

 

 そんな事を考えながら、満潮と一緒に倉庫から出た瞬間であった。

 

「天龍さん、本当にこんなところに満潮はいるのでしょうか……? いつもはこんな所には」

「フフフ、まぁ完全にオレの勘だが、アイツの事だから今回は普段と違う場所に……おぉ、いたぞ。ほれ」

「あっ、満潮! ……と、司令官っ⁉」

 

 ちょうど倉庫の角の辺りから現れた朝潮が、目を丸くして声を上げたのだった。

 一緒に現れたのは朝潮型の六人――大潮、荒潮、霞……えぇと、後は、確か朝雲と、山雲と、残り一人の座敷童みたいなのはなんだっけ……。忘れた。

 それらの駆逐艦達を率いていたのは、軽巡洋艦、天龍と龍田であった。

 な、何だこれは……満潮を捜索する為に水雷戦隊を編成したというのだろうか。

 天龍と龍田も先ほど長門達と一緒にいたが……しまった、早速見つかってしまったではないか。オワタ。

 

 朝潮達が満潮に向かって駆けてくる。

 先に出撃した朝潮、大潮、荒潮の三人は大きめのバスタオルを羽織っていた。

 どうやら俺が命じた通りに、雷たちが用意してくれたようだ。

 

「満潮っ、心配したのよ」

「……うん、ごめん……」

「もう……とにかく、今はゆっくり休みましょう」

 

 満潮を囲んで声をかける朝潮達だったが、霞だけが腰に手を当てながら俺にジト目を向けていた。

 

「ふんっ、何よ。私達には満潮の事はそっとしておけなんて言っておきながら、一人で探しに行ってたってわけ?」

「い、いや、そのな」

 

 何と言おうか迷っている俺に、朝潮がはっと気づいたように俺の顔を見上げ、驚愕の表情を浮かべたのだった。

 

「し、司令官……! 一人にしてくれと言ってどこかへ向かったとは聞いていましたが……満潮を探して下さる為だったのですか⁉」

「う、うむ、まぁ……そ、そういう事だな」

 

 まさか駆逐艦以外の艦が何してるか不安で偵察に向かい、今は身を潜めているとは言えん。

 上手い誤魔化しの言葉が思いつかなかったので、もう諦めて適当に返事をした。

 すると、朝潮だけでなく大潮と荒潮が一気に目を輝かせたのだった。

 

「わぁぁ……! 司令官! 大潮、気分がアゲアゲです!」

「うふふふっ……あはははぁっ……! あらあらぁ、素敵な事するのねぇ……そういうの、好きよ……? あははははぁっ!」

 

 怖い。大潮はいいけど相変わらず荒潮の目が怖い。

 めっちゃ瞳孔が開いているではないか。

 あ、朝潮! 長女としてコイツ何とかしなさい!

 

「司令官……! 朝潮は……朝潮は……っ! か、感服、感服……!」

 

 いや何でお前も瞳孔開いてんの⁉

 何故かガクガクと肩を震わせ、目を見開きながら感涙していた。

 駄目だ。よく考えたらコイツ荒潮の姉だった。第八駆逐隊の良心は大潮しかいねぇ。

 本当に大丈夫か朝潮型……。

 

 瞳孔が開いた目で俺を見つめていた荒潮であったが、その視線が満潮の方へと向けられる。

 そして俺と交互に見比べるように首を動かしてから、満潮にからかうような声で言ったのだった。

 

「あらぁ~……それにしても、満潮ちゃん、素敵なもの羽織ってるわねぇ~……せっかくバスタオル持ってきたけど、いらなかったかしらぁ……あははははぁっ!」

「えっ……あっ……! こ、これはっ」

 

 満潮も俺もすっかり忘れていたが、満潮は俺の軍服の上着を羽織っていたのだった。

 荒潮にからかわれたのが恥ずかしかったのだろう、満潮はそれを慌てて肩から剥ぎ、俺に突き出してくる。

 

「こっ、これ! 返すからっ! ふんっ、どうも! …………ありがと」

「あ、あぁ」

 

 満潮から突き返された上着を受け取り、袖を通す。

 満潮は荒潮から受け取ったバスタオルを羽織り、そっぽを向いてしまった。

 朝潮達が来たからか、満潮も少し元気を取り戻したように見える。

 うぅむ、やっぱり俺いらなかったな……。

 ノープランで挑んだ結果、美智子ちゃんの過去話と、いらん説教しかしていない。

 やはり最初っから引き返して朝潮達を呼んでくるのがベストだったか。

 まぁもう終わってしまった事はどうでもいい。

 

「と、とにかく、満潮も揃った事だし、イムヤ達の入渠が終わり次第、出撃した皆も入渠するように。補給もしっかり取って、今はゆっくり休むんだぞ」

「はっ! 了解しました! 約束は……司令官との大切な約束は、必ず守り通す覚悟です!」

「う、うむ……ちゃんと肩の力も抜いて休むようにな」

「はっ! 了解しました! 第八駆逐隊、入渠準備完了! これより休息に入ります! 大丈夫……次の作戦には間に合わせます!」

「だ、だから肩の力をな……」

 

 なんか満潮も心配だが、朝潮が一番心配だぞ……。クソ真面目すぎる。なんか瞳孔開きっぱなしだし……。

 少しは遊び心を覚えてもらいたいものだが、とりあえず俺にとって害は無さそうだし……まぁ、いいか、もうこのままで……。

 

 朝潮型の八人が揃って入渠施設へと歩いていくのを見送り、改めて倉庫の中に隠れ直そうとして気が付いた。

 まだその場には、天龍と龍田が残って俺の事を何だかにやにやと眺めていたのだ。

 うぐっ、な、何を考えているんだコイツらは。

 い、いや、天使の天龍ちゃんはともかく、一歩違えば悪魔の龍田に物理的に首を切られる可能性大!

 問題の早期解決には初動が大事! 先手必勝! 謝罪速ーい!

 俺は二人に向かって大きく頭を下げたのだった。

 

「ふ、二人とも! さっきは本当に済まなかった!」

「……はぁ? おいおい提督、いきなり何の事だよ?」

 

 本当によくわかっていなさそうな天龍に、俺は顔を上げて言葉を続けた。

 

「傷ついたイムヤを見て、気が動転していたんだ。後で冷静に考えてみて、大破もするな、轟沈するななどと、いつだって命を賭けて戦っているお前達に失礼な言葉だと思った……戦場に立てない私が簡単に口にしていい言葉では無かった。訂正させてくれ、本当に済まない!」

 

 そう言って再び俺が頭を下げたところで、ようやく二人は俺が言っている意味に気が付いたようだった。

 龍田がにっこりと怪しい笑みを浮かべて、俺に一歩距離を詰める。

 顔を上げた俺を息がかかるほどの至近距離から見上げながら、龍田は不敵な微笑みと共に口を開いた。

 

「……えぇ、そうね~。あんなに厳しい提督命令を出すなんて、酷い提督だわ~♪」

「あぁん? 何言ってんだ龍田。お前もあの時しっかり敬礼して、痛っ、コラっ、何すんだ、だから耳引っ張んな!」

 

 何かを言おうとした天龍の耳を引っ張りながら、龍田は笑顔のままに俺を見つめながら言葉を続けた。

 

「でも、今更、提督命令を取り下げるつもりかしら~? 聞いたのが私と優しい天龍ちゃんだったから良かったけれど、男の二言、朝令暮改だなんて、他の皆が聞いたら信用を無くしちゃうわよ~? 優しい天龍ちゃんはともかく、私はちょっぴり、がっかりだわ~♪」

「うぐっ……し、しかしあまりにも失礼な言葉だと思って……」

「大丈夫よ~。それが理想なのは事実だし……皆、逆に燃えちゃっているもの~♪ さっきも、長門ちゃんと大淀ちゃんが皆をまとめた所だったわ~。提督がこれからどんなに厳しい事を言っても、皆で力を合わせて立ち向かおう、って……ふふっ」

 

 ……ん? な、何だ? なんか、天龍も龍田も怒っていないな……。

 優しい天龍ちゃんはともかく、龍田は一体何を考えているんだ。

 龍田の言葉によると、俺の無茶な提督命令で、逆に一丸となって結束が深まったといった感じだろうか。

 

 つーか大淀ちゃんはともかく長門ちゃんって……。

 見た目で言えば長門に比べて天龍や龍田は断然若いわけだが、明らかに目上かつ年上であろう群れの長(シルバーバック)をちゃん付けするとは龍田恐るべし……。

 いやそもそも今まで見た目重視で判断していたが、艦娘の実年齢は考えた事なかったな。

 俺はどちらかといえば年上系の方が好みなのだが、横須賀鎮守府の年齢層は一体どうなっているのだろうか……。

 気持ち的に、さすがにお艦鳳翔さんより年上系はちょっと……いや今はそんな事はどうでもいい。そもそも鳳翔さんより年上っぽい艦娘なんて存在しなさそうだしな。知らんけど。

 

 それはともかく、そういえば前の職場でも似たような事があったな……。

 別のグループの話だが、あまりにも無茶なノルマを出してくる上司に対して、その部下の社員達がグループ一丸となり、上司に負けないように結果を出して見返してやろうぜと結束を強めた事が。

 つまり長門が言っていた「提督と戦う」という言葉は、俺を物理的にボコボコにするという意味では無くて、「ド素人クソ提督のどんな無茶な指示にも、艦娘の誇りに賭けて立ち向かう」という意味だろうか。

 確かによくよく考えてみれば上官抹殺宣言を佐藤さんにするのはどうかと思うしな。

 俺は改めて、奴らが口にしていた事を思い返す。

 

『フン……あの男、鉄仮面の下に随分と情けない本性を隠していたものだ……正直、見るに耐えん。ならば、我らが何とかするしかあるまい。奴の下からな……』

『そう……提督がどんな思惑でここに着任したのか……危うく、それを見逃すところだったわ……本当に、救いようが無いわね』

『佐藤元帥、もう……司令官……無理やろ、あんなん。もうアカンわ』

『提督の下にあれば、この神通が修羅と化す。先日の夜戦では提督の事を考えるあまり敵味方の見境が無くなり、吾輩まで沈めようとしたくらいじゃからな』

『私は今まで、何も理解できていませんでした……提督を張り倒してやりたいくらいです。どうか、これから提督と戦わせてくれないでしょうか』

『佐藤元帥っ! 鹿島からもお願いしますっ! 秘書艦としてっ、提督さんが少しでも楽に死ねるよう頑張りますっ! 本気でっ、死ぬまでっ、ヤりますっ! たとえ枯れ果ててもっ、最後まで絞ってっ、ヌきますっ!』

 

 駄目だ、那智や加賀、龍驤、修羅と化した神通に関しては、駄目すぎる俺への諦めと、それに負けないよう立ち向かう意志とも解釈できるが、どう好意的に解釈しても赤鬼(アカギ)淫魔(鹿島)だけは擁護できねェ……!

 アイツらだけは俺と殺り合う気満々じゃねェか……!

 とりあえず地獄の住人達の事は置いておこう。

 長門は「艦隊司令部に逆らう事になろうとも」とか言っていた気がするが……

 つまり逆らった結果として、俺の無茶な命令に立ち向かう事を選んだのだとすれば、艦隊司令部、つまり佐藤さんからの指示は俺に従わない事……そうか、俺の舞鶴への異動の話が進んでいたもんな。

 艦娘達も一度は俺の舞鶴流しに賛成していたが、それが何故、苦労をするとわかっていながら俺に立ち向かう道を……。

 長門ちゃんと大淀が皆をまとめたとの事だったが、何か上手く話をつけてくれたのだろうか。

 

 瞬間――俺の天才的頭脳が答えを導いた。

 そうか、前職での上司と同じ。

 俺の役割は艦娘達の結束を深める為の憎まれ役、仮想敵……。

 横須賀鎮守府の裏で暗躍する黒幕、大淀さんならば考えそうな策だ。

 無能な上司の部下がそれ故に成長し、有能に育つのはよくある話。

 たとえ提督が無能であろうとも、むしろそれ故に艦娘達が団結して結束を深め、個々の成長を促すというメリットを、大淀さんは画策したという事か。

 なるほどな……駄目すぎる俺にもこんな役割を見出すとは、大淀半端ないって! アイツ半端ないって!

 こんなクソ提督をめっちゃ利用するもん! そんなん出来ひんやん普通! 言うといてや、出来るんやったら!

 

 龍田の言う事が事実なのであれば、命の危機というのは少々大袈裟だったようだ。

 しかし、艦娘達からの信頼が地に墜ちている事に間違いは無いようだ。

 やはりすぐにでも信頼を取り戻す策を練る必要があるな……。

 龍田の言った通り、これ以上信用を無くさない為にも、口にしてしまった事を訂正するのはやめておいた方が良さそうだ。

 提督命令とまで言ってしまった事をすぐに改めては、それこそ朝令暮改、感情で物を言うクソ提督の事など誰も信頼しない。

 言ってしまった事はしょうがない。艦娘の皆さんには轟沈、大破は何とか回避して、できれば中破で留めていただきたい。

 俺のメンタルを保つ意味でも、オカズという意味でも……。

 

 俺は覚悟を決めて、龍田の目を見据えて言ったのだった。

 

「……わかった。お前達がそう言うのならば、私も腹を括る事にするよ。至らない私だが、これからも、どうかよろしく頼む」

「あはっ♪ えぇ、こちらこそ、天龍ちゃん共々、どうぞよろしくお願いしますね~」

「うむ。天龍も、これからはなるべく大破しないでくれよ」

「けっ、ンな事気にして気持ちよく戦えっかよ。……まぁ、提督がそう言うんなら、しゃーねぇけどな。提督命令だからな」

 

 まんざらでもなさそうにそう言った天龍を、龍田がニコニコしながら眺めている。

 コイツは本当に何を考えているのかわからんな……気が抜けん。

 ともかく、急いで信頼を取り戻すべく策を練らねば。

 艦娘達のいる前で堂々と『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』を広げるわけにもいかんからな……。カッコ悪すぎる。

 努力している姿はなるべく人には見せたくないものだ。

 倉庫の陰に隠れてこっそり読もう。

 

 俺が再び倉庫の中へと戻ろうとしたところで、天龍が声をかけてきた。

 

「おいおい、どこ行くんだよ」

「い、いや、ちょっとな」

「あぁん? まさか、まだイムヤの事気にして落ち込んでんのかぁ?」

「う、うむ。まぁ、そんなところだ」

「マジかよ……情けねぇ提督だなぁオイ」

 

 天龍は腰に手を当てながら、若干引いたような、呆れたような目を向けた。

 いかん、さすがに天龍にも愛想を尽かされただろうか……。

 僅かにそう心配してしまった俺に、天龍はやれやれといった風に息をついたのだった。

 

「ったく仕方ねぇなぁ。元気出るまで一緒にいてやるよ! 仕方ねぇなぁ!」

 

 何故か嬉しそうに天龍はそう言って、俺の隣に寄ってきた。

 そして俺の首を無理やり引き寄せて、腕を回してヘッドロックをしてきたので、必然的にその身体が密着される。

 

「オラオラ! 放して欲しけりゃ早く元気出せ!」

 

 天龍にその気は無いのだろうが、世界水準を軽く超えるクイーンエリザベス(クラス)ウォースパイパイの艦首が俺の頬にむぎゅうと衝突した。

 図らずしもイクと同様、俺を元気にするには最善手であった。

 

 うっひょーーッ! こいつは思わぬラッキー・ジャーヴィス!

 私が出る! Force (エッチ)! 社会の窓が()ーク・ロイヤル! 出撃!

 早漏小魚(ソーロフィッシュ)! 相手(天龍)ゴール(谷間)シュウウウーーッ(shoooooot)

 超! エキサイティンティン‼

 

 思わず俺の股間(ソーフィッ)が格納庫を突き破り、戦艦級巨乳(ビスマルク)追撃戦に出撃しようとした瞬間、龍田の薙刀みたいな艤装が俺の股間の数センチ前方の地面に勢いよく突き刺さった。

 

「あら~、いけない。手が滑って落としてしまったわ~」

 

 俺の股間(ソーフィッ)は瞬時にヒュンと格納庫の中へと引き返した。

 手が滑ったっつーか、具現化してから思いっきり振りかぶって投げていた。

 同志ちっこいのはまるで水風呂に浸かったかのように縮こまってしまっている。

 ヘッドロックされたままの俺を、龍田は氷のような凍てつく視線で見下ろしてから、天龍に優しく声をかけた。

 

「天龍ちゃんも、ここに来る前に聞いてたでしょ~? 提督は、少し一人になりたいんですって」

「あぁ? いや、それは満潮を探す為の口実だろ?」

「……提督も、一人になりたいのよね~?」

「アッハイ」

 

 天龍ちゃんの柔らかヘッドロックが、今は断頭台のように思えた。

 龍田の手は薙刀の柄を握っている。

 首を縦に振らねば、龍田の薙刀がそのまま俺の首に振り下ろされかねん凄みがあった。やっぱり龍田怖いです。

 

「ほらぁ、提督もこう言ってるでしょう? 天龍ちゃんの気持ちもわかるけど、こういう時にそっとしてあげるのも、大切なのよ~」

「そういうもんか……? まぁ、提督がそう言うんなら、仕方ねぇな。ま、落ち込むのはほどほどにして、さっさと出てくるんだぜ!」

「それでは私達は失礼しますね~。ふふっ、早く元気出して下さいね~♪」

「ハイ」

 

 俺の頭は柔らかヘッドロックから解放される。

 ひらひらと手を振って、天龍と龍田は去って行った。

 倉庫ノ中ハネ……冷タクテ……ヒトリハ、サビシィィイイッ‼‼

 一人取り残された俺の心の叫びが、暗く静かな倉庫の中に響き渡ったのであった。

 ドンマイ()風で~す。凹む。




最近7-1で萩風をお迎えでき、ようやく第四駆逐隊を揃える事が出来ました。
そしてローソンコラボの皆可愛いですね。特に舞風が可愛いです。
限定グラとして実装されるのが楽しみです。

大変お待たせ致しました。
物凄く悩んだところなのですが、今回は提督視点から投稿します。
次回は満潮視点になるかと思われますが、もしかするとカットするかもしれません。

いよいよ初秋イベが始まりましたね。
我が弱小鎮守府は今回も完走と新たな艦娘のお迎えを目標に頑張りたいと思います。
欲しい艦はまだまだ沢山いますが、趣味で言うなら磯風と朝風をお迎えしたいところです。
しばらくは逸る気持ちを抑えて情報収集に励みたいと思います。

イベントという事で、次回の更新までしばらくお待たせすると思われますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。
提督の皆さん、お互いに頑張りましょう。


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046.『資格』【艦娘視点】

 暗く静かな倉庫の奥で、私は一人、膝を抱えて泣いていた。

 真昼にも関わらず倉庫内の空気はひんやりと冷たい。

 倉庫の中には装備品の類が整理もされずに乱雑に押し込められており、足の踏み場も無いくらいだった。

 私はそれをかき分けて、誰にも見つからないようにその奥の空間に身を隠した。

 我武者羅に、無我夢中に走って、気が付いたらここにいた。

 こんなところに隠れるのは初めての事だ――自分から出て行かない限り、誰にも見つからないかもしれない。

 それでもいいと思った。

 その方が、これ以上皆に迷惑をかけないで済む、と思った。

 

 ――散々な結果だった。

 

 私のせいでイムヤは取り返しのつかない傷を負い――私の異変を見過ごせなかった朝潮達が陣形を崩した為、連携が上手くいかず、そして被弾を避けられずに中破した。

 疲労で石を背負っているかのごとく身体も動かず、放心状態になった私はもう何もできず、ただただ、朝潮達が必死に戦う姿を見ているしかできなかったのだ。

 格下の相手とは言え、私という足手纏いを抱えながら数の不利を跳ね返し、何とか敵を撃滅した朝潮達は、遠い存在に思えた。

 私は文字通りの足手纏い――朝潮の、大潮の、荒潮の足を引っ張っただけだった。

 

「……うぐっ……ひっぐ……! グスッ……!」

 

 自身のしでかしてしまった事の重大さに、私は今まで茫然自失していたが――今頃になって、悔し涙が溢れて止まらない。

 結果として、イムヤは轟沈を免れた。

 あの司令官が関わっているのであろう、応急修理要員によって一命を取り留めた。

 だからといって、私にイムヤの生還を喜び、嬉し涙を流す資格なんて無い。

 謝って償える事では無い。

 安堵など出来る訳が無い。

 一度はイムヤが沈んでしまったという事実は――無かった事になどならない。

 

 全ては私のエゴだった。

 皆と一緒に戦いたいという私のエゴに、皆を巻き込んでしまった。

 

 ――最悪だ。

 

 川内さんにあれだけ優しく諭されたのに、川内さんの顔に泥を塗るような真似をしてしまった。

 私を信じて編成を変更してくれた大淀さんにもだ。

 何も成長していなかった。

 頑張ったつもりになって、努力した気になって、実際は何も変われていなかった。

 

 練度だけの問題では無い。

 私のこういう最悪な所を、あの司令官は見透かしていたのかもしれない。

 自分でも捻くれた性格だと思う。

 遠征艦隊から私一人だけ外されてしまった時も、私は自分に落ち度があるなどと考えずに、真っ先に司令官を恨んだのだ。

 嫌な人だと思った。気に入らない人だと思った。

 司令官が人並外れた指揮能力の持ち主だとわかった後にも、前司令官のように悪い人では無いとわかった後にも、それは根強く私の中に残っていた。

 他の艦娘達はすぐに気持ちを切り替えて司令官の事を信頼し、その性能を大きく向上させていた。

 朝潮や大潮、荒潮、口では憎まれ口を叩いている霞も同様だ。

 きっとそれが心の強さのひとつでもあるのだと思う。

 それを私は、「すぐに掌を返して、恥ずかしくないのか」などと考えていたのだ。

 

 私は弱い。

 第一印象で司令官に抱いた印象――私だけを編成から外した、気に喰わない司令官だという逆恨みは、未だに私の中に残っている。

 

 ――私だけだろう。司令官への信頼による性能強化をろくに得られていなかったのは。

 

 そういう意味でも、私は今の横須賀鎮守府で一番お荷物な存在だ。

 そしてこのまま、置いて行かれるだけだろう。

 

 私は何でこんな性格なんだろう。

 何でこんなに心が狭いのだろう。

 何でこんなに度量が小さいのだろう。

 自分の事しか考えられないのだろう。

 司令官が私達の事をとても大切に思っているという事は、先ほどの奇跡的な光景で十分に伝わってきた。

 あの提督命令と共に流された涙に嘘は無い。

 司令官がとても優しい人だってよくわかってる。

 それをわかっていながら、何故私は素直になれないのだ。

 

 もう、嫌いだ。大嫌いだ。

 こんな性格が、こんな自分が大嫌いだ。

 私なんかが、出撃しなければよかった。

 口を出さなければよかった。

 手を上げなければよかった。

 皆と一緒にいたいと願わなければよかった。

 当初の予定通り、霞が出撃していれば、皆が負傷する事も無かった。

 皆を傷つけたのはこの私だ。

 

 もう、駄目だ。

 朝潮達にも、霞にも、川内さんにも、大淀さんにも、イムヤにも、司令官にも、合わせる顔が無い。

 私の為に入渠枠が一つ潰れるのも、入渠と補給の為の資材も、勿体ないと思った。

 

 私の周りを囲む、必要とされるわけでも、廃棄されるわけでもなく、存在を忘れ去られて放置されている装備品のように。

 このままずっと、誰にも見つからずに、ここにいれば――。

 

 瞬間。倉庫の中に、一つの足音が響き渡った。

 私は反射的に息を止める。

 こんな倉庫に用があるのは、夕張さんか、明石さんか――そう思っていた私の方へと、その足音は迷う事なく近づいてきた。

 顔を上げると、その先には司令官が立っており、私へ目を向けていたのだった。

 薄暗くてその表情は見え辛かったが、あちらも私の姿を見つけたのか、足を止めて何やら考え込んでいるようだった。

 

 ――なんで……こんなところに、迷い無く……。

 

 もしかして――私を……探しに……?

 

 少し時間をおいて、司令官は足元に散らばる装備品の山を乗り越えながら、ゆっくりと私へと歩み寄ってきた。

 驚きのあまり逃げる事も声を上げる事もできず、私は膝を抱えたまま座り込んでいた。

 中破したままの私を見ていられなかったのか、司令官は着ていた軍服の上着を脱いで私に肩から羽織らせ、隣に腰かけながら言ったのだった。

 

「隣、いいか?」

「……もう座ってるじゃない……」

「そ、それもそうだな」

 

 司令官には目も合わせずに、抱えた膝に顔を埋めたまま、私はぶっきらぼうに答えた。

 情けないような頼りないような、妙に気の抜けた返事をした後、司令官は私の隣にただ座っていた。

 倉庫の中を再び沈黙が包む。

 

 言わねばならないと思っていたものの、いざ口に出そうとすると躊躇してしまう。

 私は膝に埋めていた顔を上げ、涙を拭って、司令官の方は見ずに小さく呟いた。

 

「……司令官、イムヤを救ってくれて、ありがと……」

「ん、あ、あぁ……あれは私じゃない。この応急修理妖精さん達が助けてくれたんだ。情けない事だが、あの時、私は何も出来なかった……」

 

 司令官がそう言うと共に、その近くにいたのであろう応急修理妖精さん達が私の膝の上に飛び乗って来た。

 そして私の顔の前で身振り手振りをしながら、何かを伝えようとしているようだった。

 私には何を言っているかわからないが、司令官には妖精さん達の声も聞こえているらしい。

 

「……励ましてくれてるの?」

「うむ。もう大丈夫だから泣くなと言ってるぞ。お前が精一杯頑張った事も、よくわかってるそうだ」

 

「――……ッ!」

 

 妖精さん達の励ましと司令官の言葉に、私の目に再び涙がこみ上げてきた。

 そしてもう堪え切れずに、私はまた膝に顔を埋め、ぼろぼろと涙を零す。

 

「いくら頑張ったって、こんなんじゃ何の意味も無い……! 私、自分の事しか考えてなくて……! 頑張った気になって……! そのせいで皆に迷惑かけて……! イムヤを救えなくて……‼ 何の役にも立てなかった! ただの足手纏いだった! 私、私っ、もう、自分の事が嫌い……! 大嫌い……‼」

 

 その後はもう言葉にならなかった。

 わぁぁ、と大声で泣き叫び、喚き散らした。

 司令官や妖精さん達の励ましの言葉が、何よりも不甲斐なかった。

 自責の念と自己嫌悪に押しつぶされてしまいそうだった。

 

 私の泣き声が少し落ち着いたところを見計らうように、司令官はぽんと私の背中に手をやりながら、言ったのだった。

 

「ま、まぁ落ち着け。とりあえず、何があったのか聞かせてくれないか」

「報告なら朝潮からもう聞いたでしょ……! 私がっ、私のせいでっ!」

「聞きたいのは報告じゃない。満潮から、何があったのかを聞きたいんだ」

 

 司令官のその言葉に、私は初めてこの目を司令官に向けた。

 私を気遣うような、困ったような、優しい目をして、何て厳しい事を言うのだろうと思ったからだ。

 私が醜態を晒した原因は、川内さんや朝潮、大淀さんなどに尋ねればおおよその推測はできるだろう。

 しかし、司令官はそれをせずに私を探し、私の口から直接話させようとしている。

 あんな事があったのだからそっとしておいてやろう、とは言わずに――この司令官は、優しいのか厳しいのかわからない。

 

 ……いや、司令官のそれは優しさ故の厳しさなのだと、先日の勝利に沸いた私達が結論づけていた事だ。

 おそらくこれも、私の事を思っての事なのだろう……。

 それを理解していながらも、反射的に文句を言ってしまいそうになった自分が本当に嫌いだ。

 

 感じたままに聞きたい、と司令官は言った。

 報告の(てい)を成していなくてもよい、という事だろう。

 私はもう難しい事は考えずに、司令官に促されるがままに、思うがままに言葉を紡いだ。

 

「……一昨日(おととい)の遠征で、私だけ第八駆逐隊の面子から外されて……凄く、悔しくてっ……!」

「……うん」

 

「でもっ、いつもみたいに塞ぎこんでる私を、川内さんが励ましてくれてっ! 少しでも、一歩ずつでも、頑張らなきゃって思ってっ! 川内さん達の演習にも参加させてもらってっ……! 凄く辛かったけど、頑張って……」

 

「今朝、大淀さんから編成が発表された時……また、私だけ外されてて……私、思わず声をあげてて……! 本当は、疲れてて、万全じゃなかった……! 出撃できる状態じゃなかったのに、皆に置いていかれたくないって、自分の事だけ考えて! 疲れも隠して……!」

 

「川内さんも、私の事を思って、推してくれて……大淀さんも、私を編成に入れ直してくれて……でも、私、呑気に喜んでて……!」

 

「制海権を取り戻した近海だからって、敵も格下しかいないって、甘く考えて……!」

 

「……イムヤ達を救援に向かった時、身体がうまく動かなくて……私のせいで、連携がうまくいかなくて……」

 

「最後の最後まで、自分の事しか考えられなくて……!」

 

「朝潮も、大潮も、荒潮も……! イムヤも! 皆、皆、私のせいで傷ついて‼」

 

「出撃しなきゃよかった……! あの時、声をあげなければよかった! 何もしない方がましだった! 私なんていなければよかった! 全部、全部、私のせいで……!」

 

「私、もう、皆に合わせる顔が無い……! 皆と一緒にいる資格なんて無い‼」

 

 そこまで言ったところで、私はもう我慢が出来なくて、再び泣き崩れてしまった。

 自分がしでかしてしまった事を改めて口にするという事が、こんなにも辛い事だとは思わなかった。

 咽び泣く私を気遣ってか、司令官は何も言わずにただ隣に寄り添っていたが、しばらく経ってから、私の肩にぽんと手が置かれる。

 

「今のお前に、よく似た子を知っているんだ」

「……?」

 

 いきなり何を言い出したのか意味がわからず、私は涙を拭って司令官に怪訝な目を向けた。

 

「その子は駅伝の選手でな……駅伝、知ってるか?」

「う、うん……」

「ひとつの(たすき)を繋いで走る競技だ。ひとりでも欠ければ襷は繋がらない……その子はチームのエースでな。仲のいい仲間達と共に頑張っていたよ。小さい頃から足が速くて、親にもそれを褒められてて……だからかな。いつしか、走る事がその子の全てになっていた」

「周りからの期待も大きかった。頼りにされてたんだ」

 

 ゆっくり、ゆっくりと、懐かしむように、司令官は言葉を紡いだ。

 私の脳裏に、私とよく似ているという女の子の姿が浮かぶ。

 外見まで似ているかはわからないが、何故かジャージを着ている自分自身の姿のように思えた。

 

「大会が近くなったある日、その子は足に違和感を覚えた。日に日に痛みは引かなくなった……だけどその子は、私にも、誰にも相談しなかった。病院にも行かなかった。ドクターストップがかかるのが怖かったんだな」

「その子は走ること以外は少し苦手で……自分に自信が持てない子でな。気付けば、走る事にしか自分の意味を見出せなくなっていた。皆の期待を裏切るのが、そして何よりも、共に走る仲間に置いていかれるのが怖かったんだ……」

「病院に行かないかぎりは、病名がつく事も無い。それを知る事が怖くて、休む事が怖くて……その子は周りにそれを隠して、無理をして大会に挑んだんだ」

 

 まるで自分の話をしているのではないかと思うほどに、その子の気持ちがよく理解できた。

 もしも私が人間で、その子と同じ立場にあったとしたら、きっと私もそうしただろうと思ったほどだ。

 何しろ、その子の行動は、つい先ほどの私とほとんど同じなのだ。

 

 その子は走る事しか自信が無くて。

 休むのが怖くて。

 仲間に置いて行かれたくなくて。

 周りに足の痛みを隠して、無理をして大会に挑んだ。

 

 その子と私が似ているのなら、その結果は――。

 

「そして大会当日――その子は襷を繋げなかった」

 

 私は思わず、目を見開いてしまった。

 予想通りでありながら、違っていてほしいと心の底で願っていたせいかもしれない。

 司令官はどこか思い出すのも辛そうに、言葉を続ける。

 

「次の走者は目の前にいた。あとたったの数十メートル。だがそれは、その子にとってはあまりにも遠かった……その子はもう痛みで走れる状態では無かった。余りの痛みに膝を折って、立ち上がる事さえ出来なかった」

「大勢の観客の前で、走るどころか無様に這いつくばって、泣きながら手を伸ばして必死に襷を繋ごうともがいたけれど、間に合わなかった」

「激痛を堪えて何とか立ち上がって、足を引きずりながら這う這うの体で進んだけれど……無情にも時は過ぎて、その子の目の前で、次の走者は強制的にスタートさせられた」

「あの時のその子の姿は、見ていられるものではなかったよ」

 

 その子の絶望が、私と重なった。

 襷が繋げなかった――それはつまり、チーム全体の命が自分のせいで途絶えてしまったようなものだ。

 私の立場に例えれば、自分のせいで艦隊全体が取り返しのつかない大きな被害を受けた事と同じ。

 どんなに頑張ったって、這いつくばったって、時間は待ってくれないし、現実は非情だ。

 私がどれだけ必死になっても身体が動いてくれなかったように、目の前でイムヤを救えなかったように――。

 

 目の前で遠ざかっていく走者を見送ったその子は、チームの命が途絶えた瞬間を目の当たりにしたその子の絶望は如何ばかりだっただろうか。

 

「その後、急いで病院に連れていかれて……走りたくても走れなくなっていて……その子は走るのをやめた」

「大きな舞台で皆の足を引っ張って、台無しにした。自分が無理しなければ、襷を繫げていた。仲間達に合わせる顔が無いと言って、退部して……テレビでも放送されてたから大恥をかいたと言って……一時期は部屋に引きこもって、学校にも行こうとしなかった」

「自暴自棄になって、杖をついて歩くのも嫌がって……もう走らないのだから意味は無いと言って、治療にもリハビリにも行こうとしなかった」

「走る事に全てを捧げてきたその子は、走れなくなった絶望と自己嫌悪で、もう生きる気力を無くしてしまったんだ」

「今の満潮を見ていると、あの時のその子の事を思い出すよ」

 

 そこまで話すと、司令官は一息ついた。

 どこか、その目には後悔の色が浮かんでいるように見えた。

 無理をした結果、取り返しのつかない事になった。

 自分の最も大切なものを失って、周りにも迷惑をかけて――その子が全てに絶望して、生きる気力を無くして引きこもってしまった気持ちはよく理解できた。

 今の自分と全く同じだからだ。

 

 今回は司令官のおかげでイムヤは助かったが、何かひとつ間違っていれば、イムヤだけではなく他の皆も、下手したら朝潮達さえも失ってしまっていたかもしれない。

 そうなってしまったら、私は一体どうなってしまっただろうか。

 そう考えれば、大切なほとんど全てを失ってしまったその子に比べれば、今の私は少しだけマシなように思えた。

 それと同時に、私よりも深い絶望に包まれたであろうその子の事が気になった。

 司令官が話している事は過去の話――ならば、私によく似た、私よりも深い絶望の底にあったその子は、今、どうしているのだろうか。

 

 司令官が再び口を開くのを待ちきれずに、私の方から問いかける。

 

「……その子は、その後、どうなったの?」

 

 小さく息をついて、司令官はそれに答える。

 

「しばらく走る事から離れていたけれどな。一年くらい前から、一人でまた走り出したよ。一歩一歩、リハビリから始めて……前のように走れるようになるにはまだまだ時間がかかりそうだ。そして今までをひどく後悔しているよ」

「後悔……?」

「何もしなかった時間、リハビリに励んでいれば、今頃は元のように……また皆と共に走れるようになっていたかもしれないとな」

 

 再び走り出したという事に驚きつつも、その子が抱えたという後悔について私は考えた。

 それは至極当たり前の事だ。時間とはそういうもの。

 早く治療をすれば、早くリハビリに取り組めば、それだけ早く復帰できるだろう。

 逆にそうでなければ、それだけ復帰するのが遅れてしまう。

 それは私達に例えれば、入渠だろうか。

 私達が戦闘で負った損傷は、入渠しない限り、自然には決して治らない。

 こんなところに隠れて、引きこもっていても、決して治りはしないのだ。

 私がここに身を隠して、引きこもって、一体どれだけの時間が経っただろうか。

 これからどれだけの時間、私は入渠せずに逃げ回るつもりだろうか。

 その間、私は回復しない――それでいいと思っていたが、本当にそうだろうか。

 

 私は、その子のように……私によく似たその子のように、後悔しないだろうか。

 

「……その子は前と同じように走れるようになるの?」

「わからない。その子は今高校生だ。リハビリを続けても、卒業までに間に合わないかもしれない。完治しても、大会に出られるほど記録が伸びないかもしれない。何より、あの時の失態が消えるわけじゃないし、過去は決して変えられない。迷いと後悔は尽きないが、その子はそれでも、たった一人で歩き出す事を選んだんだ。何故だかわかるか?」

「……」

 

 私の問いに、司令官は迷わずにわからないと答えた。

 口先だけの希望的観測ではなくはっきりと事実を述べた事に、司令官の厳しさを改めて感じたが――捻くれた私の胸に、今はすんなりと沁み込んだ。

 言葉だけの優しさなど、この司令官には必要ないのだ。

 言葉にできない優しさを、この司令官は確かに持っているから。

 

 厳しい現実と、決して尽きない迷いと後悔。

 その中で、私によく似たその子は、何故再び一人で歩き出したのか――沈黙する私に、司令官は言葉を続けた。

 

「――未来は変えられるからだ。その子は同じ歴史を二度と繰り返さない事を選んだんだ。今度こそ間違わないように。そして、あの時あぁしていればと、もう二度と後悔しないように」

 

「……同じ、歴史を……」

 

 ――そう、それはきっと、私達艦娘にとって、とても大切な事。

 

 周期的に、まるで歴史をなぞるように、世界中のかつての戦場に現れる大型の深海棲艦達。

 史実反映型と呼ばれる大規模侵攻――。

 数年前、敵上陸部隊が集結しつつあったレイテ湾におけるそれも、そうだった。

 地獄の海、地獄の夜――。

 あの時、私は、私達は――西村艦隊は、過去を繰り返したか?

 違う。私は、時雨は、朝雲は、山雲は、最上さんは、山城さんは、扶桑さんは、志摩艦隊、栗田艦隊、皆、皆。

 全鎮守府の総力を持って、かつての歴史を繰り返さないように、まるでやり残した事を、もう一度やり直すかのようにして。

 

 進めたのだ。あの海峡の先へ――。

 まるで扶桑さんと山城さんの影のような深海棲艦との長い戦いにも、やがて朝は訪れて――暁の水平線に、勝利を刻めたのだ。

 

 未来は、変えられる。

 同じ歴史は、繰り返さない。

 

 私達艦娘がもう一度この海の上に立つ意味は――。

 

 ならば、今の私は――?

 入渠すら拒否して、逃げて隠れて、今、朝潮達に危機が訪れたら。

 私はそれからも逃げるのか。かつて後悔した事を、諦められるのか。

 それが歴史を変えるという事なのか――。

 

 司令官の手が私の頭に乗せられ、その指先がぽんぽんと毛先を撫でた。

 少しくすぐったいが、心地よかった。

 

「変わろうとしたんだな。だが、今回は少し焦りすぎだったな。変わるという事には物凄く大きな力と長い時間が必要なんだ。勉強だって運動だって、何だってそうだ。一日や二日では劇的に変わる事なんてできやしない……その気持ちは、私だってよくわかる。この数日間だけで、私も何度も挫折してるからな」

「……司令官も?」

「うむ。お前達に信頼されるような、立派な提督になろうと……そう考えてはいるんだがな。ついさっきも、情けないところを見せてしまってな……我ながら自分が嫌になるよ」

「……」

 

 嘘だとか、謙遜だとか、そういった色は一切見られない。

 司令官のこの言葉は、きっと本心からのものだろう。

 まるで欠点のない完璧超人のように見える司令官ですらも、まだ自分を変えようと悩んでいる。

 先ほど見せた泣き顔は、司令官にとってはきっと私達には見せたくなかったところなのだろう。

 上官としてはあまりにも頼りないあの姿だ。そう考えてもおかしくはない。

 

 変わろうともがいていたのは、私だけでは無い――司令官ですらそうなのだから、他の皆も、きっと何かしら、そうなのだろう。

 

 司令官は私の髪を指先で撫でながら、言葉を続ける。

 

「まぁ、それはともかくとして……たった一晩で生まれ変われるような魔法なんて、存在しないんだよ。潮が満ちるには時間がかかる。大事なのは当たり前の事を継続する事……たとえ一度上手くいかなくても、それでも続ける事だ。迷ったっていいし、転んだっていい。迷った時には引き返せばいいし、転んだ時には立ち上がればいい。何回凹んだって、すぐに立ち直ればいい。自分が諦めない限り、自分に負けは無いんだ。きっといつかは変われるさ」

「……うん……」

 

 司令官の言葉は、あまりにも当たり前の事だった。

 そんな事をわざわざ改めて言われる必要は無い、と、いつもの私であったなら突き返したくなるくらいだ。

 だが――それこそが、当たり前の事こそが、生まれ変わるためのたった一つの方法なのだろう。

 

 私達が敵棲地まで飛んでいけないように。

 苦難に満ちた航路を切り拓きながら一歩一歩進まねばならないように。

 

 自分を変えること。

 静かな青い海を取り戻すこと。

 きっと、どちらも本質は同じなのだろう――ならば、たった一度の間違いで挫折などしていられない。

 

「とりあえず、今満潮がやらなきゃいけない事は、補給と入渠だな。朝潮達が待ってるぞ? 満潮と一緒に入渠したいと言ってな」

「朝潮達が……?」

 

 司令官の言葉に私は一瞬嬉しくなってしまったが、すぐにそれを自省して、その感情を抑え込んだ。

 私のために入渠を待ってくれている朝潮達の優しさが身に沁みたが、それをこんな私が受け取っても良いものなのかと思ってしまったからだ。

 再び顔を伏せて、自らの感情を否定するように言葉を吐いた。

 

「で、でも、こんな私なんかが、皆と一緒に戦う資格なんて――」

 

 瞬間、私の髪を撫でていた司令官の手が離れ、私の肩をがしりと掴んだ。

 まるで抱き寄せられるような形になり、私は驚いて司令官の顔を見る。

 今まで私の方を見ないで、どこか遠くを見つめながら話していた司令官が、はっきりと私に目を向けていた。

 その真剣な瞳に射抜かれて、私は肩を抱かれた事に対する抗議や反抗のリアクションを取る事さえも出来なかった。

 息を呑んだ私に、司令官は優しく、しかし力強く、言ったのだった。

 

「資格なんて働きながら取ってしまえばいいんだ。少なくとも私はそうやって生きてきたし……資格なんて無いのに働いているのは今も同じだ」

 

 ……資格という、曖昧な言葉。

 私が口にした資格とは、一体何だっただろうか。

 皆と一緒に戦う資格は、一体どうすれば得られるのだろうか。

 自分で口にしていながら、私は自分の問いに答える事が出来なかった。

 それはきっと私が皆から距離を置こうとしている口実に過ぎないという事を、司令官はよく理解できていたのだろう。

 

 司令官の言う資格とは、何だろうか。

 働きながら取ればいい、今は資格が無いのに働いている……おそらく、私達の司令官となる資格という事だろう。

 司令官は着任初日のあの戦いにおいても、皆を見送る事しかできない自分が悔しい、と、鳳翔さんに零したという。

 そして、自分は情けない、頼りない提督だと、私達に信頼されるような立派な提督であろうと、変わろうともがいているという。

 きっと、司令官はそういう意味で、まだ私達の司令官となる資格なんて無いと考えているのだろう。

 

 しかし、だからといって、資格を得るまで着任しない、なんて悠長な事はしない。

 着任して、働きながら、その資格を得ようと考えている。

 もしも司令官がその資格とやらを優先していたら――今頃横須賀鎮守府は壊滅していた。

 そして今――横須賀鎮守府の艦娘達に尋ねたならば、司令官の資格が無いなどと言える者は一人としていないと断言できる。

 

 資格なんて、結果なんて、きっと後からついてくる。

 それまでは、もがきながら、足掻きながら、転びながら、迷いながら、傷つきながら――それでも立ち上がりながら、進み続けるしかないのだろう。

 

 ……司令官もきっと、そうやって生きてきたのだ。

 

 少しだけ惜しいような気がしたのがどこか悔しかったが、私は無理やり身体に力を入れて重い腰を上げた。

 肩を抱いていた提督の手が、必然的に離れる。

 ボロボロのスカートの埃をぱっぱと払い、私は意を決して呟いた。

 

「……わかった。出てく」

「お、おぉ、そうか。よし、しっかり休むんだぞ」

「うん……」

 

 どこかほっとしたようにそう言った司令官に目を向けず、私は光の差す倉庫の出口へと歩を進めた。

 励ましてくれてありがとう、と言えなかった自分の小ささに、さっそく落ち込んでしまう。

 陰から再び光の下へと足を踏み出す事に少し躊躇してしまったが、まるでタイミングを計ったかのように、司令官が後を追ってきてくれた。

 何も言わずに、私の方を一瞥もせずに、先ほどまでと同じように、ただ私の隣に寄り添ってくれた。

 

 それが不思議と、心強かった。

 何故だろうか――この情けない、頼りない、まだ私達の上に立つ資格が無いらしい司令官は、私に何かを与えてくれる。

 一晩で生まれ変われる魔法なんて無いのだと理解しながらも、私の何かを変えてくれるような気がする――。

 

 そうして、私は先ほどまでの躊躇などまるで忘れてしまったかのように、いとも容易く、倉庫の外へと――光の下へと、再び足を踏み出したのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「そうだわ~、朝雲姉~。さっきの話、朝潮姉たちにも聞かせてあげなきゃ~」

「さっきの? 山雲、何の話かしら」

 

 朝潮達と合流し、入渠施設へと向かう途中、山雲が口にした言葉に、朝潮が問いかけた。

 朝雲と山雲、そして霞の話によれば、私達が出撃している最中に、佐藤元帥がいきなり視察に訪れたらしい。

 そしてそれを通して一悶着あったらしいが、司令官が私達の事をどれだけ大切に思っているか――それだけでなく、司令官が私達に隠していた、自身の病等の事情に関しても知る事になったのだとか。

 

 自らの勲章と引き換えに、資材を融通してもらえるよう頭を下げ――。

 手術をしても治らない病による激痛や流血を伴う発作に苦しみながら、それを私達には隠し――。

 元帥から異常に気を遣われ、明らかに只者では無い身分であり、それらの事情から横須賀鎮守府からの異動を提案されるも――。

 前指揮下で辛い思いをしていた私達の為に、死に場所はここだとすら言い切って、ここに残らせて下さいと元帥に頭を下げたという――。

 

 それを直接見聞きしたからだろうか。

 よく見れば朝雲も、山雲も、霞も、霰に至るまで、目の輝きが違うように感じられた。

 特に霞は、一番反抗的な態度を取っており、今も不貞腐れたような顔でありながら、何故か一番輝いているように見える。

 表面上の態度は変わらないが、いつも大人しい霰がやけに張り切っているようにも見えた。

 

「し、司令官が……そこまで……⁉ ……司令官っ! 了解しました‼ こ、この朝潮、これより片時も司令官の側を離れませんっ‼ か、感服、感服しまっ……‼」

「あらあらぁ、そんなに私達の事、大切に思ってくれているのねぇ……ふふっ、提督……私も、好きよ……?」

「朝潮姉さん! 司令官の思いに応えられるよう、アゲアゲで参りましょう! おーっ!」

 

 工廠の倉庫の方角を振り向いて、朝潮が感涙に咽び泣きながら敬礼した。

 朝潮だけは何だかもう引き返せないところまで行ってしまったような気がした。

 大潮と荒潮も元々友好的ではあったが、司令官の事を更に一段と見なおしたようだった。

 今までの自分の態度を顧みて恥ずかしい思いをしているのは、おそらく私と――あと霞くらいのものだろう。

 

 艦娘達の視線の無い浴場での言葉に、艦娘達への見栄は無い。

 つまり、司令官は心から、私達の事を思っているという事だ。

 自然に自分の心の狭さ、度量の小ささと比較してしまい、私は心中で一人恥じた。

 もともと司令官に好意的だった朝潮達は、司令官の事を一層見直しただけだろうが、反抗的な態度を取っていた私は合わせる顔が無い。

 何とも言えない表情をしていた霞と目が合った――何となく、シンパシーを感じる……。

 

 入渠施設の扉を開け、脱衣所に足を踏み入れると、休憩用のベンチに腰かけていた金剛さんがこちらに目を向け、気さくな笑顔で声をかけてきた。

 

「あっ、満潮も合流したのデスネ? 良かったデス」

「はい。司令官が一人で探して下さって……ご迷惑をおかけしました」

「提督が……フフッ、そうデシタか! 流石は私の提督デース!」

 

 朝潮の報告に、金剛さんがまるで自分の事のように嬉しそうな笑みを浮かべたところで、浴場と脱衣所を繋ぐガラス戸が開かれる。

 

「イムヤが元通りになって本当に良かったの!」

「う、うん、スク水も脱がしてくれてればもっと良かったんだけど」

「面倒だったでち」

 

 そこから姿を見せたのは、傷ひとつ無いスクール水着とセーラー服を纏ったイムヤと、逆に一糸纏わぬ姿のイクとゴーヤだ。

 おそらくイムヤの装束を脱がさないまま湯船に放り込んだのだろう。

 全身ずぶ濡れだったが、潜水艦であるからか、イムヤは案外不快そうなそぶりを見せなかった。

 私は言わねばならない事があるのだとわかってはいたが、胸が詰まって言葉にする事ができず――私達の姿を目にしたイムヤの方から、泣きそうな笑顔を浮かべて駆け寄ってくる。

 

「皆……! 助けに来てくれて本当にありがとう……‼ 私、なんてお礼を言ったらいいか……!」

 

 回復が早い潜水艦なだけあって、イムヤはすでに全快しているようだった。

 特にイムヤはその性能の低さ故にか、他の潜水艦と比べても格段に早い。

 先ほどまで消滅しかけていたとは思えないほどだ。

 大きく頭を下げたイムヤの姿を見て、私は安堵や後悔の感情を混ぜこぜにしたような熱いものが喉にこみ上げてきて、声を出す事が出来なかった。

 それでも謝らなければと、私は胸の奥から無理やりかすれた声を絞り出す。

 

「……ごめっ……ごめん……なさい……‼ わっ……私のせいで……っ!」

「み、満潮……泣かないで。満潮は悪くないよ、悪いのは全部、大破進軍した私なんだから……私のせいで、満潮にもこんな思いをさせちゃって……」

 

 気付けばまたぽろぽろと涙が零れてしまい、そんな私にイムヤは心から心配そうな声をかけてくれた。

 口先だけの慰めではなく、イムヤ自身もそうなのだと反省している事が伝わってくる。

 そもそもイムヤが大破進軍しなければ、こんな事にはならなかったのだと――。

 それでも、助けられたかもしれないところで足を引っ張り、イムヤを轟沈させてしまったのは他ならぬ私なのだ。

 私は頭を下げながら、首を振った。

 

「違う……私だったから、助けられなかった……! 私があの時、声を上げなければ、霞が出撃していれば――」

「……満潮。その事なんだけど」

 

 私の言葉に割り込むように背後から声をかけてきたのは、霞だった。

 振り向くと、霞は視線をどこかに逸らす。

 

「さっき、皆から聞いたわ。イク達からの救援要請があった時、あんたの私物の海図を参考にして救援に向かったのよね。その結果、潜水艦隊が襲われている現場まで迷わずに辿り着けたって」

「……?」

「胸を張って言える事じゃないけど……あんたの代わりに私がその場にいたら、場所の目星はつけられなかったわ。そうすると、六駆の皆がそうだったように、そもそも救援が間に合わなかったかもしれない。私達が辿り着いた時には、イムヤはもう沈んだ後だったかもしれない……」

「……え……?」

 

 霞が何を言っているのか意味がわからなかった。

 腕組みをして、どこか居心地が悪そうな表情で、霞は言葉を続ける。

 

「今回は応急修理要員(ダメコン)で何とか助かったけど、もしもそうなったとしたら、司令官でもどうしようもなかったと思う……そして、轟沈させてしまった事、あの司令官はきっと耐えられない、と思う……」

「……」

「結果論かもしれないけれど……あの時、満潮が声を上げなければ、きっと――そうなってたわ。慰めとかじゃなくて、本当に。出撃したのが私だったら、救えなかった」

 

 わけがわからなかった。

 疲労を隠して私が霞の代わりに出撃したせいで、イムヤを助ける事が出来なかった。

 だけど、私が声を上げていなかったら――。

 朝潮も、大潮も、荒潮も、霞も、万全の状態。

 だが、救援要請を受け取った時に、そもそも場所の目星が付けられない。

 第六駆逐隊の皆も、場所を間違ってしまった結果、合流できたのはイムヤが取り返しのつかない被害を受けてからだった。

 朝潮達もそうなっていた可能性が――。

 

 霞の言葉を聞いていたイクとゴーヤが、バスタオルで髪を拭きながら声を上げる。

 

「あの時皆が来てくれなかったら、イク達も危なかったの!」

「イムヤだけじゃなくて、ゴーヤ達も一緒に沈んでたかもしれないでち……考えただけでも恐ろしいよぉ……!」

 

 私はあの時何もできなかったが、朝潮達が奮闘したおかげで、潜水艦隊を襲っていた敵水雷戦隊を撃滅する事が出来た。

 もしもあの場に私達が辿り付けなければ、少しでも遅れていたら。

 たった三隻の潜水艦達は、水雷戦隊三隊、十隻以上の敵艦から袋叩きだ。その結果がどうなるか――考えるまでも無い。

 

 私は足を引っ張っていた。

 ()()()では何もできなかった。

 だけど、私がいなければ、そもそも()()()に辿り着く事が出来なかった――?

 もっと、被害が広がっていた……のか?

 

 少しずつ理解ができつつも、まだ放心状態で固まってしまっている私の肩に、ぽんと手が置かれた。

 私達の様子を眺めていた金剛さんが、相変わらずの人懐っこい笑みを浮かべている。

 

「話は大体わかりマシタ。満潮が無理を押して出撃した事で、確かに満潮はそれを救う事ができず、イムヤは轟沈してしまいマシタ……しかし、敵艦隊の撃滅に成功し、イムヤも提督に救われて……結果的にこうやって皆、無事に生きてマス。もしも満潮が出撃していなければ、おそらく救援が間に合わずに潜水艦隊は全滅……そうなると私の提督のハートもブレイクしてしまい、私が慰めても立ち直らせる事は出来なかったでしょう……つまり満潮は私の恩人でもあるわけデスネー! いや、満潮は横須賀鎮守府を救ったとも言えマスネー!」

「はっ、はぁ……っ? そ、そんなの、ただの偶然で……」

 

「難しく考える事は無いのデスよ。今回の結果は、確かに満潮が意図しなかった、神がかった偶然だったのかもしれマセン。しかし――救われた側からすれば、そんな事はどうだっていい事なのデスよ。たとえそれがただの偶然だったのだとしても、意図しない事だったのだとしても、何かの間違いだったのだとしても――救われた事には変わりないのデスから」

 

 金剛さんのその言葉に、イムヤ達三人が力強く頷いてくれた。

 ふわり、と柔らかな感触が私を包む。

 金剛さんが、その胸に私を優しく抱きしめてくれたのだ。

 感触は全く似ても似つかないものだったが、どこか司令官に肩を抱かれた感覚に似ているような気がした。

 そのまま、後頭部をそっと撫でられる。

 

「満潮、Thank you very much indeed(本当にありがとう)……」

 

 いいの、だろうか。

 皆……そう言って、くれるのか。

 自分の事しか考えていなかった私が。

 捻くれて、いじけてばかりの私が。

 私が、こんな私が――イムヤを救う事が出来たのだと。

 

 気付けば私はその場に崩れ落ちて、金剛さんの胸の中で、大きな声を上げて泣いていた。

 今日何度目になるかわからない涙だったが、それは今までのものとは違っていた。

 後悔でも自責でも無い、歓喜でも安堵でも無い――。

 

 気付き、決意、誓い――上手く形容する事が出来なかった。

 

 ただ、何となく――司令官が話してくれた私によく似た子も、再び走り出す前に、今の私と同じ涙を流しているような――不思議と、そんな気がしたのだった。

 




満潮+ジャージ+エプロン+三角巾=可愛い

大変お待たせ致しました。
勘違い要素が少ない為カットしようかとも思いましたが、満潮の描写をどうしても省略できなかった為、カットできませんでした。
タイミングよく鎮守府秋刀魚祭りで満潮に新たな限定グラが実装されましたね。可愛いです。

初秋イベも終わり、我が弱小鎮守府も多くのニューフェイスをお迎えできました。
ついに磯風をお迎えできたので、これからの作中での描写に活かす事ができればと思います。秋刀魚グラ中破のドヤ顔ほんと好きです。

秋刀魚漁支援任務の為、次回の更新までまたしばらくお待たせしてしまいますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。


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047.『考察』【艦娘視点】

「……そんな事が、あったんですね……提督のおかげでイムヤちゃんが……」

 

 提督のいない執務室。間宮さんが指で涙を拭いながら小さく呟いた。

 満潮を探しに別行動をしていた龍田さんや霞ちゃん達、入渠を終えたイムヤ達潜水艦隊も戻ってきて、執務室の中には、入渠中の八駆を除いたほぼ全ての艦娘が勢揃いしている。

 

 佐藤元帥を見送った後に合流した駆逐艦達によれば、提督が何やら一人になりたい、と言ってどこかへ向かったとの事であった。

 あの奇跡の光景を見逃してしまった間宮さん、鳳翔さん達から、一体何があったのかを問われた事もあり、私達は今のうちに情報共有をしておこうと思い、一度ここに集合する事にしたのだ。

 出撃していた六駆と潜水艦隊にもわかるよう、佐藤元帥の出迎えに始まり、浴場で明らかとなった提督の秘密、そして青葉が受けた提督からのお説教を挟み、満を持して提督の英雄譚、『癒しの桜』の章の名誉ある語り部となった私であったが、語り口に少々熱が入りすぎてしまったのか、間宮さんを含む一部の艦は涙を流してしまっていた。

 あの場では皆、必死に涙を堪えて敬礼していたわけで、改めて思い出すだけで私も涙ぐんでしまいそうになる。

 

「ひ、ひっく、ひっく、い、電は、電は、感動したのです……! 司令官さんは素晴らしいのです……!」

「わ、わかるよぉ、電ちゃん、う、潮も、潮もっ、ふぇぇぇぇ」

「ふぇぇぇん、うぇぇぇん!」

 

 電と潮と羽黒さんがまるで円陣を組むかのように固まって泣いていた。羽黒さんが一番号泣しているような気がする……。

 見方によっては臆病に見えるほど心優しく穏健派の三人だが、だからこそ提督の御言葉が何よりも心に響いたのかもしれない。

 べそをかいている電の隣で、雷が何やら満足そうに腕組みをしながら、うんうんと頷いている。

 

「雷もただ強いだけじゃ駄目だと思ってたのよ! 司令官はよーくわかってるみたいね! うんうん!」

「実にハラショーだ。ほら、暁もそろそろ泣き止んで」

「べ、別に思い出じで泣いでなんかいないんだがらね! グスッ……」

 

 ぐしゃぐしゃに泣き腫らした顔で暁は強がっていたが、むしろ泣いていない者の方が少ないこの空間で意地を張る必要も無いと思った。

 私だってあの奇跡的な光景と提督の声を思い出すだけで、数日は涙ぐんでしまうであろう。

 

「うっ、うっ……し、司令官が、そんな……」

「うわぁぁーーんっ! 提督、死んじゃ嫌なのーーっ!」

 

 潜水艦隊もすすり泣いていたが、遂に我慢ならなくなったのか、イクが大声で喚いた。

 気持ちはわかるが、私はそれに対して冷静に声をかける。

 

「イク……それに他の皆さんも。提督の病に関しては、いえ、それだけではなく浴場を通して知り得た情報に関しては、今後一切、決して触れないようにして下さい」

「グスッ、な、なんで……? イク、心配なの……」

「先ほども説明しましたが、提督は私達の犯した愚行を、青葉一人だけしか聞いていないという事で手打ちにしてくれたんですよ。つまりそれを知らないはずの私達が提督のお身体を心配するという事は、その提督の配慮を踏みにじる事になりますし、青葉の信頼を損ねるという事にもなります」

「うぅっ……わ、わかったの……」

 

 しゅんと肩を落としてしまったイク達に、長門さんが優しく微笑みながら力強く声を発した。

 

「行動で示せば問題ないんだ。それを言葉にしなければ良い。そうだろう? 大淀」

「はい。提督のお身体を気遣う言葉を発するのは問題ですが、提督の負担を軽減すべく各々が働く事については問題ありません」

「皆、そういう事だ。言葉にできぬのは辛い事だが、せめて行動で提督を気遣おうじゃないか! 我々のその気持ちは、きっと提督も理解して下さるはずだ!」

 

 長門さんの檄に、潜水艦隊や駆逐艦達もこくこくと頷いた。

 こういうカリスマでは私も敵わない。流石は横須賀鎮守府のリーダーだ。

 皆が涙を拭ったところで、鳳翔さんが口を開いた。

 

「ところで、話を聞く限りでは、提督が何も指示を出さないにも関わらず、提督から飛び出してきた妖精さん達が自主的に働いていたとの事ですが……私にはまるで想像がつきませんね」

 

 鳳翔さんの言葉も当然の事だ。

 私達だって、この目で見ていなければ信じる事が出来ないような、本来ありえない光景だった。

 季節外れの桜吹雪や、天から響く荘厳な音色などの前に、まずはそれだ。

 妖精さんが、提督から飛び出してきた事。

 提督が一言も口にしていないのに、まるで提督の意志を汲み取ったかのように動いた事。

 そんな光景は、私達が艦娘として生を受けてからの数年でも、一度も見た事が無いものであった。

 

 疑っているわけではないのだろうが、考え込んでいるような鳳翔さんに、龍驤さんが声をかける。

 

「誰が言い出したのかは知らへんけど、妖精さん達は清き心身を持つ者の前に姿を現すっちゅー噂や。あの司令官なら、常識では計れんほど懐かれても……まぁ、納得がいくわなぁ」

「それに加えて、私達の想像が確かであるならば……血筋もあるかもしれないわね」

「えぇ、加賀さんの言う通り……もしもそうであるならば、妖精さん達が異常なほどに提督に懐いていたとしてもおかしくは無いと思います」

 

 加賀さんの言葉を、赤城さんも肯定して言葉を続けた。

 元々、佐藤元帥は提督の名前すらも口に出来ないほどに、提督の情報について伏せていた。

 それはつまり、声を大にして言えないような立場にあるという事だろう。

 にも関わらず、佐藤元帥が「彼はこの国そのものだ」などと、わざわざあのような意味深な言い回しで私達に伝えたという事は、暗に私達にそれを知っていて欲しかったという事であろうと思う。

 それを知っていれば色々な事が納得できるし、何よりも、そんな御方が直に私達の指揮を執るという事の重大さが嫌でも理解できた。

 感極まるほど嬉しいと共に、身に余るほどの光栄であり、それに匹敵して責任重大な責務である。

 妖精さん達が今までの常識を覆すほどに、提督の為に自ら働いていたように、私達も今までの働き方ではいけない、と思う。

 

 提督の血筋については、駆逐艦達も含めて大体理解できているようであった。

 私が佐藤元帥の言葉をそのまま伝えた瞬間、駆逐艦達も目を丸くしてざわついていたからだ。

 磯風だけがうざったいほどのドヤ顔で腕組みをしていたが、何も口にしていないのに谷風に首を絞められていた。

 気持ちはよくわかる。

 

「それにしても、提督が特別だとしても……何やら妖精さん達の服装も普段見ないものでしたね」

「うむ。横須賀鎮守府の目、この利根の目に狂いは無いぞ。桜色のあれは、法被じゃな。その背にはさくらんぼの意匠が見えたのう」

「流石です、利根姉さん。あの桜の花びらと、何か関係があるのでしょうか」

 

 利根さんと筑摩さんの言葉に、室内の全員が少しばかり考え込んでしまった。

 あんな恰好をした妖精さんなど、今まで見た事が無い。

 だが、その挙動や能力を見るに、どうやら新種の妖精さんというわけではなく、工廠や補給担当の妖精さん達が、まるで制服のように桜色の法被を身に纏っていただけのようだった。

 あの法被が提督に深く関わっているという事は明白だろう。

 妖精さんはその見た目通り、可愛らしいセンスをしている。

 故に、桜の化身かと見紛うほどの提督と桜繋がりで、単にさくらんぼをチョイスしたというだけの可能性もあるが……そんな単純なものだろうか。

 そもそも、何故、法被……。

 

 足柄さんが小さく唸りながら、口を開いた。

 

「法被について単純に考えれば、お祭りの時に着用する伝統衣装よね」

「うむ……祭りというのは様々な意味を持つが、起源を辿れば『(まつ)る』という意味もある。神への祈りという意味だな。桜の法被……まるで提督から飛び出してきたように見えたあの妖精達は、提督を祀っていた……という事だろうか」

「那智の言う通り、そう考えるのが自然かしら。提督の血筋を考えれば、祀られる立場にあってもおかしくは無いわね。つまり提督は神……?」

「かの血筋であるならば、神の血を引いていると言っても過言では無いだろうな……」

 

 妙高さんと那智さんが声を潜めながらそう言った。

 提督の素性については、あまり大きな声で話せる事ではないからであろう。

 妖精さん達が何の意味も無く法被を着用するとも思えない。

 意味があるとするならば、法被を着用するという本来の意味を紐解いて、妙高さん達が話していたような事に必然的に結びつくだろう。

 その血筋を考えれば決して大袈裟な仮説ではなく、むしろ当然の事にすら感じられる。

 

 妙高さん達の話を聞いて、間宮さんが思い出したかのように声を上げた。

 

「そ、そう言えば、金剛さんの建造に成功したあの日、妖精さん達は提督を囲み、まるで提督を祀っているかのように踊っていました……! そうですよね、鳳翔さん⁉」

「確かに、あの時は単に微笑ましいとしか思っていなかったですが……今思えば、まるでお祭りのようにも見えましたね。何かの音頭さえ流れているのではと思うほどでした」

「や、やはり提督は妖精さん達に祀られるほどの存在……!?」

 

 間宮さんと鳳翔さん、そして伊良湖さんしか目撃していない光景らしいが、どうやら以前もそのような事があったらしい。

 私の脳内に、ある幻想的な光景が不意に浮かんだ。

 一本の桜の大樹――御神木の周りを、妖精さん達が踊っているのだ。

 舞い散る桜の花びら、その周りを飛び交う妖精さん……まるで先ほどの奇跡の光景、『癒しの桜』そのものだった。

 

「うーん……さくらんぼ食べるのは私も好きですけど……そんなの関係無いですよね。妖精さんから見て、さくらんぼが提督さんを象徴するシンボルという事でしょうか……」

 

 そう呟いた鹿島に、香取さんが閃いたかのように微笑んだ。

 

「なるほど。鹿島、その解釈は案外当たってるかもしれないわね」

「えっ、香取姉、どういう事?」

「あの光景、散りゆく花びらを見て、私はその儚さと提督をただ重ねてしまったけれど……提督は散りゆく花弁では無くて、果実のようなものであると妖精さん達は捉えているのではないかしら」

 

 香取さんの言葉に、納得がいったというような表情をしたのは数名だけであった。

 他の面子は、言っている意味がわからないという風に首を傾げたり、近くの者に相談したりしている。

 無論、私は香取さんの言いたい意味が理解できていた。

 香取さんは、まだ意味がわかっていない様子の鹿島に対して、言葉を続けた。

 

「鹿島もさくらんぼを食べるのは好きだと言っていたけれど……果実とはつまり、恵みを与えてくれるもの。その恵みを求めて、実をつけた樹には多くの鳥獣が集まるでしょう?」

「……なるほどぉ! つまり提督さんがさくらんぼだとするなら、私達がその恵みを受ける鳥さん達みたいなものという事ですね! 流石、香取姉!」

「フッ、確かに御召艦たるこの磯風の司令は少し甘すぎるところがあるからな。果実なだけに……ウゴゴ、お、おい浦風! やめろ! 裸絞めは危ない!」

「いつ磯風が御召艦になったんじゃ! まったく、甘いと言うんなら提督は磯風を甘やかしすぎなんじゃ……!」

「そ、それは司令の片腕ゆえにだな……そ、それより浦風、さっきから何か怒っていないか⁉」

「ふんっ、知らんわい!」

 

 ドヤ顔でうまい事を言おうとした磯風が浦風にシメられていたが、それは置いておく。

 香取さんの仮説に、鹿島含む他の艦娘達も納得したような表情を浮かべていたが、おそらく、それではまだ半分だ。

 私は香取さんに声をかける。

 

「そして、果実は食べて終わりでは無い、という事ですよね?」

「えぇ。流石は大淀さんです。鹿島、さくらんぼを食べた後には、必ず残るものがあるわよね?」

 

 香取さんの問いに、鹿島は小首を可愛らしく傾げた。

 

「えぇと……茎と種? そうそう、私、さくらんぼの茎を口の中で結ぶの得意なんですよ! えへへっ」

「鹿島の特技は置いておいて……そう、種が残るわね。鳥や獣に食された果実は、ただ恵みを与えるだけではなく、別の地に運ばれた種はやがて芽を出し、成長し、長い時の果てにより多くの果実をつける大樹となる……つまり、妖精さん達は、提督の事をそのような存在であると捉えているのではないかしら」

 

 そう。私も同じ結論に辿り着いた。

 さくらんぼの果肉は、思わず頬が綻んでしまうほどに甘い。

 それはまるで、提督が私達に与えてくれた優しさのようだ。

 その恵みを享受するのが私達艦娘であるとするならば、その種を運び、いつかまた実をつける手助けをするのも私達だという事だろう。

 種というのは提督の持つ知識であったり、考え方であったり――それらを総称して提督の領域と名付けるのであれば、つまりそれを私達が伝え続けなければならないという事。

 熟した果実が数日で腐り落ちてしまうように、不治の病に侵されている提督の命は、長くないかもしれない。

 だが、それで提督の領域が死ぬわけではない。

 人は何かを遺して、それを誰かが伝え続けて、誰かの中で生きていく。

 私達がそれを伝え続ける限り、きっと提督は死なないのだ。

 たとえ提督がこの世界からいなくなっても、私達の中で、誰かの中で、提督は生きていく――。

 

 提督が与えてくれる甘い恵みに、ただ口を開けているだけでは駄目だ。

 それを運び、その身に携え、広め、育てる事――それこそが、私達に課せられた役目なのだろう。

 

 ぽんと手を叩いて、鹿島が納得のいった表情で明るく口を開いた。

 

「そういう事ですか! つまり私達艦娘は、提督さんの種を遺す為の役目を担っているという事ですね!」

「ちょ……! ちょ、ちょっと鹿島、何を」

「えっ? 鳥さん達が種を新天地に運ぶように、私達が提督さんの知識や思いを受け継がなくてはならない、って話じゃないの?」

「あ、あぁ、わかってるのね……いえ、さっきの言い方だと、その、ね?」

 

 香取さんがこそっ、と鹿島の耳元に口を当てた。

 鹿島の頬がみるみるうちに赤く染まる。

 

「……あ、えぁぁっ……⁉ ちち、違うんですよ⁉ 香取姉っ、そそ、そういう意味では決してっ! そんなつもりは無くてっ!」

「わ、わかったわ、わかったから落ち着いて」

 

 見ている方が恥ずかしくなるほどに取り乱していた鹿島であったが、やがて耐えられなくなったのか、両手で顔を覆い隠してしまった。

 本人は深く考えずに発言したようであったが、そのせいで室内に何とも言えない微妙な空気が漂ってしまう。

 多かれ少なかれ、誰もが()()を想像してしまったのだろう……私もまた然り、顔が赤くなっていない事を祈るばかりだ。

 駆逐艦達も大勢揃っているこの場だ。何というか、非常に気まずかった。

 彼女達も見た目ほど子供では無いわけで、それ故にそれなりの知識はあるようで、ほとんどが顔を赤く染めていたり、視線をきょろきょろさせていた。

 

「ねぇ響? 何で皆黙ってしまったのかしら」

「……暁のそういうところ私は実にハラショーだと思うけれど、ここは黙っていた方がいいと思うよ」

「あら~、暁ちゃん可愛い~♪ 天龍ちゃんもそう思わない~?」

「あぁ? ンな事より龍田、何でアイツら妙な顔して黙っちまったんだ?」

「……」

 

 生暖かい目で微笑んだまま黙ってしまった龍田さんが首を回して私の方を見たが、気付かないふりをした。

 流石に私と言えども、そこまで説明したくない。

 空気を変えるべく、私は大袈裟に咳払いをした。

 

「んんっ! と、ともかく、香取さんの仮説には筋が通っていますね。提督が私達に与えてくれた甘い恵みは、まさに果実のそれと言えるでしょう。ならば、その種……提督の領域を受け継ぎ、広く伝え、育て、やがて今の提督をも超える大樹を育てる事こそが、その恩恵を享受した私達の役目。まるで桜の化身とすら思えた提督のシンボルとして、桜の花弁ではなくさくらんぼを選んだ妖精さんの意図とも矛盾していないように思えます。そして妙高さん達の仰った通り、あえて法被を纏っていた事から、妖精さん達が提督の存在を祀っていたというのも、血筋を考えればごく自然なことのように思えますね」

「そ、そうね。ところで、その提督は? 満潮を慰めてくれていたとは聞いていたけれど……」

 

 上手く話題を変えようとした夕張の言葉に、天龍があっけらかんと答える。

 

「あぁ、まだ工廠裏の倉庫にいると思うぜ。なんかまだ落ち込んでるから一人になりてぇってよ」

「工廠裏の倉庫……えぇっ⁉ ちょ、ちょっとぉ! あんな全然片づけられてないところ見られて……⁉ あぁっ、ど、どうしよう……! 装備の整理整頓も出来ない兵装実験軽巡だって思われちゃうじゃない! お、大淀っ! 私、ちょっと行ってくるね!」

「えっ、あ、夕張っ……?」

 

 私が返事をする前に、夕張は勢いよく執務室から駆け出して行ってしまった。

 まるで片づけられていない自分の部屋を見られたかのようなリアクションであったが、装備担当を自称しているだけに思うところがあるのかもしれない。

 

 ここ一年、前提督の指揮下では装備品の開発はともかく、廃棄などの整理整頓についてはそこまで重要視されていなかった。

 何故ならば、それをどれだけ徹底したからといって、何の戦果にもならないからである。

 そんな事に時間を割いている暇があったら、出撃して戦果を挙げろというのが前提督の方針であった。

 勿論、強力な装備の開発にも勤しんではいたものの、お目当てのもの以外には目もくれず、かといってすぐに廃棄もしない。

前提督は「いつか使うかもしれない」と言って、使わないにも関わらず、何がどれだけあるのか把握できていない装備品をいつまでも取っておこうとする癖があった。

 許可が出ないものを勝手に廃棄するわけにもいかず、私達はいわゆる「ハズレ」の装備を工廠裏の倉庫に乱雑に押し込むしかないのだった。

 横須賀鎮守府全体の運営に関わる事なのだから、夕張だけが恥ずかしがる事では無いと思うのだが……。

 

「まったく。夕張ったら、提督は一人になりたいらしいのに……じゃあ私も行ってくるね。夕張と二人で工廠担当だし」

 

 小さく息をついてから、明石もそう言って執務室から出て行った。

 その様子を見て、青葉が何やら面白いネタでも嗅ぎつけたかのような表情を浮かべる。

 

「おやおやぁ? 何やら美味しそうなネタの臭いがしますねぇ~」

「……青葉。貴様、わかっているとは思うが」

「わ、わかってますよぉ那智さん。冗談ですって」

 

 お互いに本気では無いのだろうが、那智さんの牽制に青葉は大袈裟に返答した。

 あの場で自分一人で罪を被ろうとした青葉には頭が上がらないが、すっかり元気を取り戻した青葉はむしろ、提督のありがたい御言葉を頂けたのだから役得でしたなどと言ってくれる。

 それは確かに羨ましい事で、正直嫉妬してしまったが……提督にお説教される為には何かしでかさないといけないわけで、それはそれで難しい。

 ともあれ、青葉にはすでに、青葉一人しか聞く事のできなかった提督の金言について話してもらっている。

『握れば拳、開けば掌』……提督の考えを端的に表した諺だと言えよう。

 だからこそ、提督は青葉をこの諺を用いて諭したのだ。

 青葉が話したこの言葉に最も強く反応を示したのが、この場で一番号泣していた三人組である、電、潮、羽黒さんだった。

 おそらくその言葉の持つ意味が、三人の琴線に触れたのだろう。

 

 提督が語った言葉は、その諺の持つ本来の意味を更に拡大解釈していると言ってもいい。

 本来は、握れば人を傷つける拳に、開けば人を慈しむ掌に変わるように、気持ちひとつで物事が形を変える事を意味する。

 だが、提督はそれに加えて、その拳で人を護る事も出来る、その掌で人を傷つける事も出来るという事も付け加えた。

 大切なのは、扱う者の意志。拳も掌もその使い方次第――前提督がその掌で、その目つきが気に入らないという理由で荒潮の頬を張っていた事を思い出す。

 

 きっと、提督の掌はそんな事には使われない。

 もっと大切な事の為に、大切なものに触れる為に、大切なものを包み込む為に使われているのだろう――。

 

 青葉は胸を張って、那智さん達に主張した。

 

「青葉は心を入れ替えました。これからは艦隊新聞に低俗な記事を載せない事を提督に誓います」

「フン。以前、軽巡乳比べなる記事を載せた奴の言葉とは思えんな」

「な、那智さぁん! それは昔の話ですって!」

 

 那智さんの言った記事は、数年前にネタに困った青葉が載せた最低の記事の事だ。

 入渠施設の脱衣所で息を潜めて私達軽巡洋艦の着替えを盗撮し、目測で胸の大きさを計り、掲載するという、本当に最低の記事だった。

 そもそも普段一緒にお風呂に入ったりしているわけで、何故わざわざ盗撮するような真似をしたのか。

 その時の青葉の言い訳は「つい出来心で」との事だったが、ネタに困った記者とはあんなにも哀れな存在になるものなのだろうか。

 無論、記事にしたという事は私達もそれを目にするというわけで、当時の提督の目に入る前に回収され、呆れる私達の前で龍田さんと神通さんにみっちり絞られたわけだが――。

 

 その当時の事を思い出したのか、青葉は何かに気付いたように言ったのだった。

 

「あっ、軽巡乳比べと言えば……提督の直感、あれは只事では無いですよ」

「直感? どういう事だ」

 

 青葉の言葉に、長門さんが怪訝そうに言葉を返した。

 

「今回、青葉の潜入がいとも容易くバレた事ですよ! 軽巡乳比べの時は誰にも気付かれなかったでしょう。しかし、提督は怪しい気配を感じたといって、すぐに青葉の存在を看破したんです!」

「……ふむ。何か物音でも出してしまったのではないか?」

「いえ、まったく。青葉に隙はありませんでした。今回の気配の消し方も完璧であったと自負しています」

「確かに、あの時は私達も青葉が潜んでたなんて気付かなかったからね。今回の提督も条件は同じ……そうなると、え? 私達より索敵能力、上ってこと……?」

 

 川内さんが若干顔を引きつらせながらそう言った。

 提督の護衛を申し出たという川内さん達にとっては、見過ごせない情報であろう。

 何しろ、自分達が気付かない脅威に、提督が先に気付く可能性が出てきたからだ。

 勿論、重視されるのは索敵能力だけではなく戦闘力の方なのだから問題は無いのだが、だからといって護衛する側としては胸を張れる事では無いだろう。

 

 少し考え込んでから、神通さんが口を開いた。

 

「索敵能力というより、提督は感覚が鋭い御方なのかもしれませんね。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、そして第六感……それらの何かで、青葉さんの存在を感じたのかもしれません」

「味覚が鋭ければ磯風の秋刀魚は完食できんと思うんじゃが……」

「そこは提督の優しさでしょうか……」

「お、おい浦風! お前、なんでさっきからそう厳しいんだ! 神通もわかってないようだが、あれは優しさではなく、この磯風の忠誠が通じたからこそ……」

 

 磯風の言い分は置いておいて、提督の直感が鋭いというのは何となく理解できる。

 何というか、類稀なる頭脳による神算鬼謀だけではなく、天啓的、神がかり的な直感も、提督は持っているような気がするのだ。

 むしろそれがあるからこそ、僅かな情報や違和感から敵の侵攻を導き、そこからその頭脳で最善手を導いているような、そんな気がする。

 もしかしたら、その直感とやらも、実は神託のようなものなのかもしれない……。

 

 人を見る目には定評がある加賀さんが、騒ぐ磯風に構わないように口を開く。

 

「第六感もだけれど、提督が特に優れているのは、あの眼……まるで私達とは異なるものを見ているような気さえするわ」

「加賀さん……どういう事ですか?」

「そうね。先の迎撃作戦においても、まるで水平線の向こう側が見えているかのような指揮……それに、私達でさえも気付いていなかった春日丸の夜間戦闘能力を見通していたかのような実戦配備。性能では決して計れない鼓舞能力を評価しての、天龍の旗艦抜擢……どれも、目に見えないものを見通したかのようだわ」

「なるほど。思い返してみれば、提督はたまに、私達艦娘をまるで見定めているかのような視線で見つめる事がありますよね」

「えぇ、おそらく私達の性能を計っているのでしょうね」

 

 加賀さんと赤城さんの会話に、他の面子も思い出したかのように頷いた。

 確かに、たまに提督から視線を感じる事があったり、他の艦娘達をじっと見つめているところを目撃したりという事が、この三日間で何度かあった。

 春日丸や天龍のように、本人でさえも気付いていない性能外の能力についても見通しているのかもしれない。

 言葉にするなら、まさに千里眼、心眼、いや、神眼……?

 

 ただ一人、瑞鶴さんだけが呆れたような表情で、加賀さんに顔を向けた。

 

「いやいや……提督さんが立派な人だってのは私も認めるけど、あれは違うと思うけどなぁ」

「だったら何だと言うのかしら」

「それは……まぁ、その、下心的な?」

「哀れね」

「な、何ー⁉」

 

 加賀さんから一蹴された瑞鶴さんの言葉だったが、瑞鶴さんは昨日からやけにそういう事を主張する。

 確かに提督も若い男性だ。そのような事を危惧する気持ちもわからないではないが、提督はそのような次元に無いという事がまだ理解できないようだ。

 その言葉のせいで、また執務室に微妙な空気が広がってしまったが、流石に本気で考えている者は他にはいないようだった。

 龍田さんも可愛いものを見るかのような視線を瑞鶴さんに向けている。

 

「加賀さん達、少し提督さんの事、神格化しすぎだと思うんだよね。提督さんも人間だよ? 私達にそういう目を向けたって、何もおかしくは無いでしょ」

「瑞鶴、貴女……提督の想いを理解して、よくもそんな事が言えるわね」

「べ、別に貶めたいとか、嫌ってるわけじゃないよ⁉ 提督さんの想いは、まぁ、理解できたし……優しい人だってのもよくわかったし、あの提督命令を聞いて、信頼してるし、尊敬だってしてる。提督さんが下心抱いてたって、別に嫌いにならないよ。ただ、それならそれで、隠し事されてるのが、何か、ちょっと、なんとなく、気に入らないってだけで……」

「貴女がそう思うのは自由だけど……次からは大声で主張するのは、はしたないから止めておきなさい。駆逐艦達に悪影響だわ」

「ふんっ、言われなくたって、好きにさせてもらうわよ。加賀さん達こそ、勝手に神格化しすぎて、あとで幻滅しないようにね」

 

 腕組みをして顔を背けた瑞鶴さんを、翔鶴さんが宥めている。

 まぁ、考え方は自由だ。瑞鶴さんは口ではあぁいう事を言うが、「提督さん」と呼んでいる事からもわかるように、すでに提督の事を信頼している。

 それに、あの奇跡の光景を目の当たりにして、なお提督に不信感を抱くなどできるはずもない。

 瑞鶴さんが提督の事を信頼しつつ、実は下心もあるのではないかと疑う事は、矛盾する事では無いだろう。

 それはむしろ、「もっと提督の事を知りたい、本当の提督を見てみたい」という感情の裏返しなのだから――本質的には、それはきっと、私達と何も変わらない。

 

 瑞鶴さんの言葉による微妙な空気を再び払拭すべく、私はふと気になった事を口にした。

 先ほど龍田さん達と帰ってきた霞ちゃんに目を向ける。

 

「そう言えば、霞ちゃん……あの後は大丈夫だった?」

「? あの後って何よ?」

「ほら、提督のお尻を蹴り上げて……何か言われなかった? 流石に注意されたりとか……」

 

 そう、私も少しばかり、それが気になっていたのだ。

 歓迎会の際にも提督に対して失礼な言葉を浴びせていた霞ちゃんであったが、それを提督は見事に受け止めてみせた。

 今回の霞ちゃんの行動も、当然提督を思っての事なのだが、如何せん過激すぎる。

 流石にお尻を蹴り上げるというのは失礼すぎるのではないだろうかと、流石の提督も怒るのではないかと、それだけが心配だった。

 

 霞ちゃんは少しばつの悪そうな表情を浮かべて、僅かに迷ったように見えた。

 そして、視線を逸らしながら唇をとがらせ、小さく呟く。

 

「……お礼言われた」

「えぇっ⁉ な、何て言われたの⁉ そこのところを詳しく!」

「お、大淀さん、なんか怖いんだけど……うわっ、ちょ、ちょっと皆……⁉」

 

 私だけではなく、他の艦娘達の視線も一斉に霞ちゃんに向けられた。

 横須賀鎮守府のリーダーが滑り込むような勢いで、霞ちゃんの前に駆け寄って正座していた。

 おそらく、提督に褒められたいと昨日から連呼している為、聞き逃せないと思ったのであろう。カリスマが台無しだった。

 霞ちゃんはその圧に文字通り圧倒されそうになりながら、何とか言葉を紡いだ。

 

「その……私が活を入れなかったら、まだ情けない姿を見せていただろう、助かったって……」

「……あ、足柄さん……!」

「えぇ、わかるわ……」

 

 ――私の心配など、杞憂であった。

 思わず足柄さんと視線を交わし、瞳を潤ませてこくりと小さく頷いた。尊い……!

 

「霞やるなー……あたいでも流石にあの司令にケツバットは躊躇すんぜ……」

「さっすが霞ちゃんね! 霞ちゃんを称えよー!」

 

 清霜の拍手に続いて、執務室の全員がスタンディングオベーションを送った。

 霞ちゃんは顔をきょろきょろさせて「なんなの⁉ なんなのよ⁉」などと叫び、混乱している様子であった。尊い……。

 

「そ、それで、他に何か言ってなかったですか?」

「……その、これからも、司令官が情けない姿を見せたら、遠慮なくお尻を蹴り上げていいって……ニコッと笑いながら……」

「えぇっ⁉ に、ニコッと、提督がニコッと笑ったんですか⁉」

「お、大淀さん、なんでそんなに食いついて……」

 

 霞ちゃんが若干引いているようだったが、食いついていたのは私だけではないようだった。

 私は思わず霞ちゃんの肩を掴んでしまっていたが、主に駆逐艦よりも大型の艦娘達が霞ちゃんに詰め寄っていた。

 しかし、あの鉄仮面の提督がニコッと笑ったなどと聞かされては、それを想像してしまっては……み、見たい!

 いや、それだけではなく、提督が私達に求めている重要な資質――やはりそういう事なのだろうという確信に繋がる。

 それに気付いたのは私だけではなく――香取さんと、妙高さんも同様のようであった。

 

「フフフ、なるほどな。つまり提督を励ますにはケツを蹴り上げるのが一番という事か」

「天龍ちゃんはやめといた方がいいと思うわよ~?」

 

 天龍は理解できていないようであったが、勿論そういう事ではない。

 このままでは提督に褒められたいがあまり、霞ちゃんの行動の表面だけを読み取って提督のお尻を蹴り上げる艦娘が続出しかねない。

 提督のお尻の危機を防ぐべく、私はコホンと咳払いをしてから口を開いた。

 

「提督は霞ちゃんの気持ちをしっかり理解できていたというのは当然ですが……元々、提督はそういう資質を重視してはいたんですよね」

「ど、どういう事よ?」

「提督が秘書艦として最初に想定していたのが、香取さんと妙高さんだったという事がそれを示しているんですよ。お二人とも、提督に対して厳しく諭す、諫める強さを持っていますよね。提督は、ご自身の弱点、弱さを理解しています……あの優しさ、甘さは、美点にして弱点。先ほどのように情けない姿を見せる事もある……そういう時に背中を押す事が出来る、それこそが、提督が艦娘達に求めている資質のひとつという事です。特に今は、提督の血筋を知ってなお、厳しく諫める事が出来る……ただそれだけで、提督にとってとても貴重な存在に成り得ると思います」

 

 私の言葉に、他の皆も納得したように大きく頷いた。

 上司を諫める部下というのは、人によっては疎まれる存在であろう。

 いかに忠臣であろうとも、それを疎まれた故に切り捨てられ、結果としてその組織が崩壊するという事例は後を絶たない。

 長い歴史がそれを証明しているし、前提督の指揮下においてもそれは実感できていた。

 

 だが、提督はあえて、自分を諫める事のできる存在を求めている。

 提督が霞ちゃんを怒らないのは、その根底に提督を思う気持ちがあるからだ。

 そしてあの場で、呆けてしまっていた私や香取さん、妙高さんよりも誰よりも先に駆け出す事が出来たのは霞ちゃんただ一人。

 表面の厳しさだけに囚われず、その内面を評価されて当然であろう。尊い……。

 

 提督の弱点がその底無しの優しさにある事が、あの奇跡の光景から理解できた。

 あの時提督はイムヤを抱きしめ、咽び泣いていたが、最善手を言うならば、そんな事をしている暇は無かった。

 霞ちゃんが活を入れたように、少しでも早くイムヤを入渠させるべきであったのだ。

 そうすれば、その分だけ早くイムヤは回復できた。

 つまり、その優しさのあまり、提督は判断が遅れてしまう可能性がある。

 今後もそういった事は起こりうるであろうし――それを考えれば、時には厳しく、しっかりと諫める事が出来る存在こそが、提督の片腕として相応しいとも思う。

 

「提督の評価は光栄ですが……今の私に提督を厳しく諭す資格なんてありませんよ……」

「妙高姉さん……」

 

 妙高さんが自嘲気味にそう言った。

 こんな妙高さんを見るのは初めてかもしれない。足柄さんも心配そうな目を向ける。

 昨夜の歓迎会で、提督が足柄さんのカレーを食べなかった事を想定内なのだと疑ってしまった事を気にしているのだろう。

 妙高さんの気持ちもわからないでもないが、せっかく提督に認められている数少ない艦娘なのだ。

 辞退するにはあまりにも勿体ない。気持ちを切り替えて欲しいものだが……。

 

「ふむ。妙高姉さんがそう言うならば……わかった。その役目、しばらくは妙高姉さんに変わってこの那智が請け負おう」

「え? 那智が……?」

 

 妙高さんが何とも言えない目を那智さんに向けた。

 

「何だその目は……まぁ確かに、この那智はこの手の事は苦手なのだが……心を鬼にしよう」

「いやいや得意分野じゃろ。強いて言うなら手加減が苦手の間違いじゃろうが」

「利根っ! 貴様ァーーッ!」

「ぐぉぉーーッ⁉ 筑摩ーーっ! ちくまぁーーッ⁉」

 

 呆れたように皮肉を言った利根さんが締め上げられていた。

 慌てた筑摩さんに宥められている那智さんだったが、利根さんの言った事は案外間違ってないような気がする……。

 私が言うのもなんだが、那智さんで大丈夫だろうか……。

 おそらくは、妙高さんの代わりというのはただの口実に過ぎず、実際のところは「提督の片腕」の座に近づきたいという意図があるように思える。

 

「微力ながら、私も力になりましょう」

「じ、神通さん?」

「はい。提督がそれをお望みであるならば、得意ではありませんが、私も努力しようと思います。心を鬼にして……」

 

 不意に、覚悟を決めたような表情の神通さんがそう口にした。

 瞬間、室内の駆逐艦達の顔が何かに怯えるような表情で固まったのは気のせいだろうか。

 数人の駆逐艦は提督に同情しているような顔をしていた。

 秋雲は声を発していなかったが、明らかに「ウゲェェェーーッ!?」と脳内で叫んでいたのが表情だけでわかった。

 気持ちはわかるが神通さんを何だと思っているのだろうか……。

 

 神通さんもまた、那智さんと同様に提督の力として一歩先に行きたいという魂胆があるのだろう。

 提督が弱いところを見せた時に諫める、(たしな)める、諭す力……神通さんならば那智さんより適正はありそうだが……。

 普段は大人しく、気弱な印象の神通さんにここまで言わせる提督の魅力は計り知れない。

 

 ザッ、と同時に足を踏み出すような音がした。

 

「――どうやら私の出番ね」

「おいおい、まさか私を置いて行く気じゃないだろうな?」

「フッ、お前達だけにいい恰好はさせんぞ……ウゴゴゴ! お、おい、やめろ浦風! なんだその技は! これは御召艦にして提督の片腕たるこの磯風の役目で……!」

 

 加賀さん、長門さん、浦風にコブラツイストをかけられている磯風であった。

 大人しく英気を養っていて欲しかった。ついさっきもこの光景を見たような気が……。

 提督が片腕として重視している資質をここで口にしてしまったのは失言だっただろうか……。

 気が付けばその座を狙う艦娘達が、異なる組織に属するチンピラのごとく至近距離で睨み合って醜い争いを繰り広げていた。

 

「貴女達の出る幕は無いわ。ここは譲れません。提督の背を押すのも鎧袖一触よ。そう、心を鬼にして……」

「フッ……この長門を侮るなよ。今度情けない姿を見せた時、提督との殴り合いなら任せておけ。そう、心を鬼にして……」

「奴を殺す気か貴様は……! この那智が請け負うと言っているだろう。そう、心を鬼にして……」

「いえ、ここはこの第二水雷戦隊旗艦、神通が行きます。心を鬼にして……」

「この磯風、たとえ司令が相手でも容赦なぞしない。そう、心を鬼にしてな」

 

 誰かに止めて欲しかったので私は他の皆を見渡したが、皆見て見ぬふりをしているようであった。

 

「那智はともかく、足柄はいいの?」

「私はそういうのは性に合わないから……那智姉さんに任せるわ。いえ、むしろここは秘書艦の出番じゃないかしら⁉ さぁ羽黒! 霞ちゃんを見習って提督に活を入れるのよ! みなぎってきたわ!」

「む、無理ですぅ‼ 絶対に無理ですぅっ‼」

 

「利根姉さん、私達は……」

「性分に合わん事を無理にする事もあるまい。得手不得手もあるじゃろう。吾輩達は普段通りで構わんと思うぞ」

「利根姉さん……流石です!」

 

「千歳お姉はどうするの?」

「私もそういうのはちょっと苦手だから、那智さん達に任せるわ。むしろ私的には落ち込んでる時には慰める方が……ふふっ」

「あっ、千歳お姉! 駄目よ! そういう時には私にも声をかけてよね!」

 

「むむむ、厳しく、活を入れる……そうだ、香取姉! 教鞭貸して! まずは形から入ります!」

「鹿島は明らかにそういうの苦手だと思うけれど……はい、これ」

「ありがとうございます! よぉしっ、提督さんをびしびし指導しちゃいますよっ、私っ! えへへっ、鹿島、頑張りますっ!」

 

「那珂ちゃんはパスでぇーすっ! きゃはっ!」

「まぁ、神通に任せてれば間違いはないか。私もそういう事は得意じゃないし」

 

「榛名はそういう事はできそうにありません……」

「ノンノン、心配する事はありまセン……普段通りが一番デース! でも勿論、長門達には負けまセーン!」

「この霧島の計算によれば、私達金剛型は明らかに向いていないわね。金剛お姉さまを見習っていきましょう」

「よぉしっ! いつも通り気合入れていきましょうっ! はいっ!」

 

「まぁ司令官がそうせぇっちゅーんなら、うちもそうするけど……赤城はどうすんねん」

「加賀さんだけに負担をかけるわけにはいきません。僭越ながら、私も加賀さんに協力しようと思います。そう、心を鬼にして……」

 

「――それなら、私も提督の為に一肌脱ぐ事にしましょうか」

「えっ⁉」

 

 鳳翔さんの穏やかな言葉に何故か勢いよく反応したのは、加賀さんと赤城さんだった。

 どことなく顔が青くなっているような気がする。

 加賀さんは慌てた様子で鳳翔さんの元へと駆けつける。

 

「ほ、鳳翔さん、一肌脱ぐとは」

「必要な時には提督を叱りつける役目を私も請け負おうかと……」

「い、いえ! 鳳翔さんが出るまでもありません。そうよね、赤城さん」

「そ、その通りです。加賀さんの言う通りです。一航戦の誇りに賭けて、まずは私達が提督の背を押してみせます。そう、心を鬼にして……」

「しかし、時には私も心を鬼に……」

「いえ、鳳翔さんが心を鬼にする必要はありません。二度とありません。私達はもう一人前です。私達だけで何とかできます。私達は優秀な子たちですから」

「自分で何言ってんの加賀さん……」

 

 瑞鶴さんが呆れたようにそう言ったが、赤城さんと加賀さんがこんなに焦るとは一体何事だろうか。

 春日丸も首を傾げていたが、龍驤さんは何やら事情がわかっているようで、「あぁ……」などと呟いていた。

 ちょんちょん、と加賀さんを肘でつついて、瑞鶴さんが問いかける。

 

「ちょっと加賀さん、顔色が悪いよ。鳳翔さんと何かあったの?」

「な、何を言っているの瑞鶴。まったく、みょ、妙な詮索は止めておくんなまし」

「鳳翔さんに何をされたの⁉」

 

 混乱しているかのように口調が定まっておらず、何かに怯えるように肩を震わせる加賀さんは、それ以上何も言わなかった。

「二人がそこまで言うなら……」と鳳翔さんが引いたところで、赤城さんと揃ってほっと胸を撫で下ろしている。

 そして思いつめたような表情で、赤城さんと声を潜めた。

 

「……赤城さん。鳳翔さんを二度と怒らせるわけにはいかないわ。提督の背を押さねばならない時は、私達が何とかしましょう。そう、心を鬼にして……」

「そ、そうですね。提督の為にも、私達が頑張りましょう。心を鬼にして……」

 

 鳳翔さんと一航戦の二人の間に、一体何が……。

 ふと、何かに気が付いたように、鳳翔さんが顔を上げた。

 

「そう言えば、先ほど天龍さんが仰っていましたけれど……提督はまだ倉庫で落ち込んでいるとの事でしたね」

「あっ」

「……一人になりたいとの事でしたが、まだ本日の執務には何も手をつけていませんし、いい加減に立ち直ってもらわないと……そろそろ様子を見てきましょうか」

 

 そう言って鳳翔さんが一歩踏み出す前に、赤城さんと加賀さんがその前に立ち塞がった。

 

「い、いえ、鳳翔さんが向かうまでもありません。私達が見てきましょう。そうよね、赤城さん」

「え、えぇ。必要な時には私達から活を入れておきましょう。心を鬼にして」

「そうですか? それなら、私はそろそろ夜の仕込みに入りましょうか。提督の事は二人にお任せしますね」

「了解!」

 

 鳳翔さんに敬礼する赤城さんと加賀さんの肩を、長門さんが叩いた。

 その周りには、提督の片腕の座を狙う他の艦娘達も揃っている。

 

「鳳翔よ。一航戦だけではなく、この長門の事も忘れてもらっては困るな」

「フン……確かに、いい加減そろそろ立ち直ってもらわねば執務が滞る。ここはこの那智が……」

「いえ、この神通に……」

「フッ、つまり早い者勝ちという事だな。この磯風に続け!」

 

 そう言うやいなや、磯風が執務室を駆け出していった。

 浦風が「おどりゃあーーッ‼」と叫んだが、それから逃げ出したようにも思えた。

 それを追いかけて、心が鬼級艦隊の面子が執務室から駆け出していく。

「アッ! 抜け駆けは許さないんだからネー!? 待てぇーーい!」と叫んだ金剛さんもそれを追いかけ、その姉妹達も慌てて駆け出す。

 おとなしく英気を養ってほしいところであったが、このままでは無理だろう。

 ここはひとつ、あの暴走した人達は提督に収めてもらう必要があるだろうか……。

 

「はぁぁ……あの人達は、まったく」

 

 開け放たれた執務室の扉を眺めて頭を抱えていた私に、川内さんが声をかけてくる。

 

「大淀、私達はどうする?」

「活を入れるのはともかく、私の立案した計画について、提督と現状の情報共有をする必要はありますね」

「うん……気が重いなぁ。ごめん、満潮が無理してるの気付けないで、推薦しちゃったせいで、こんな事になって……」

「い、いえ。私もまったく気付けませんでしたから」

 

 川内さんが私に頭を下げてきたが、それを言うならば私も同罪だ。

 確かに無理をしていないかは懸念していたが、最終的にいけると判断したのは私だからだ。

 それに、疲労を隠していた満潮はともかく、イムヤが大破進軍を決行した事については完全にどうしようも無い。

 そんな私達に、腰に手を当てた天龍が呆れたように声をかけてきた。

 

「ったく、川内型(お前ら)の悪い癖だぜ。体力バカのお前らと駆逐共を一緒にしちゃ駄目だろ」

「うぐっ……た、体力バカって……天龍に馬鹿って言われた……」

「うぅっ、那珂ちゃん反省~……」

 

「そもそも見てわかんなかったのか? 今朝、オレも夜間哨戒から帰投した時に見たけどよ……まぁオレも大破して龍田に背負われながらだったけど、満潮がめちゃくちゃ疲れてんのは一目瞭然だったぜ? なぁ龍田」

「あら~、一目瞭然なんて難しい言葉知ってたのね~? 天龍ちゃん凄~い」

「フフフ、まぁな……ってコラ」

 

 天龍の言葉に、珍しく川内さんがしょぼくれていた。

 終わった後でなら何とでも言える――なんて事は思わない。

 天龍はそんな意味の無い事はしない。天龍が満潮の疲労に気付いていたというのは事実だろう。

 川内さんもそれを理解できているのだ。

 

 駆逐艦達に対するその観察力、性能では評価されない項目――先の出撃で天龍が旗艦に抜擢された理由のひとつとして、それがあるのかもしれない。

 天龍の率いる水雷戦隊が本人以外強いのは、案外、天龍が常に僚艦のコンディションが万全の状態であるかを見定めているからなのかもしれないからだ。

 そう考えれば、提督が天龍を評価しているのも納得だ。

 いや、むしろ私達がまだ気付いていないポテンシャルが、天龍には秘められている――?

 

 私は何となく、龍田さんに目を向けた。

 私の視線に気付いた龍田さんが、真意の読めないいつもの微笑みと共に、小首を傾げる。

 この人も、明らかに実力を隠している節があるのだが、その底が知れない。

 未だ誰にも知られていない龍田さんの本気も、提督の神眼ならば容易く見透かしてしまうのだろうか……。

 

 いや、今はそんな事を考えている場合ではない。

 まずはあの提督の片腕の座に固執する鬼艦隊の暴走を何とかして、それから出鼻をくじかれた備蓄回復計画について提督と話し合う必要がある。

 私は気持ちを切り替えて、目の前の問題に冷静に対処すべく、執務室に残る艦娘達に向かって指示を出したのだった。

 

「とりあえず、駆逐艦の皆さんは自室で待機。それ以外の皆さんは私と共に提督のもとへ参りましょう」

 




大変お待たせ致しました。

秋刀魚も何とか集め終え、大潮の秋刀魚グラが示唆される中、ついに谷風に新たな改装が実装されますね。
地味に十七駆好きなのでとても嬉しいです。
二期になってレベリングしにくくなったように思いますが、磯風と共になるべく早く育ててあげようと思います。

いよいよ年末も近づき、仕事も忙しい時期になってきました。
皆様からのご感想への返信も滞っておりますが、ご容赦頂けますと幸いです。
いつも楽しみにさせて頂いております。

次回の更新まで気長にお待ち頂けますと幸いです。


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048.『考察』【提督視点】

 天龍と龍田が去り、一人ぼっちになった俺は倉庫の奥に隠れて凹んでいた。

 天乳ちゃんのパイ圧が恋しい。

 

『提督さんは一人ぼっちじゃないよ』

『私たちがいるじゃないですか』

 

 ダ、ダンケ……でもお前達は数としてカウントしたくない……。

 なんか負けた気がする……。

 いや、俺は学校でも職場でも孤独に生きてきた男。

 こんな事で今更傷ついてたまるか。俺の十八番、ポジティブシンキングを発動だ。

 そう、考えてみれば艦娘達の監視を逃れて一人になれたというのはこの上無い好機ではないか。

 元々俺がここに来たのは艦娘達の目を逃れ、長門達の信頼を取り戻す方法を考える為だった。

 満潮もなんとか立ち直ってくれたのだ。時間は有限、満潮を見習って俺も気持ちを切り替えようではないか。

 

 俺は乱雑に積まれた装備の陰に隠れて適当に腰かけ、懐の中に忍び持っている『クソ提督でもわかるやさしい鎮守府運営』を取り出した。

 ……いかん、この倉庫は隠れるにはちょうど良いが暗すぎる。

 せっかく勉強しようとしてるのにページがよく見えん。

 

『あったよ、探照灯が』

 

 よし、でかした! この探照灯超助かる!

 一匹のグレムリンが俺の頭上から探照灯の光を照射した。

 グレムリンにしては気が利くではないか。褒めてつかわそう。

 俺がその頭を撫でてやると、グレムリンは目を細めて『ふわぁー』などと間抜けな声を出した。

 

『あー、ずるいよー』

『私も、私もー』

『負けてられないです』

『こっちも探照灯です』

『私達は96式150cm探照灯を持ってきました』

『あぁー、大型探照灯はずるいです』

『褒めて褒めてー』

 

 うおッ! 眩しッ⁉

 どこからかわらわらと湧いてきたグレムリン共が俺の至近距離で巨大な探照灯を照射した。

 やめろ! 目が潰れる‼

 

『えぇー』

『サダオのくせに注文が多いです』

 

 馬鹿者! いいか、一人が褒められたからといってどいつもこいつもそのまま真似をする奴があるか。

 そういうのを柳の下の二匹目のドジョウを狙うと言うのだ。

 思考が単純すぎる。単細胞生物かお前らは! 恥ずかしいと思わないのか、まったく!

 まぁ、サイズ的に豆大福程度の脳みそしか無さそうだからな……。

 

『サダオの風船頭よりは中身が詰まってると思いますが』

 

 俺の頭が軽くて空っぽだって言いてーのか! 黙ってろ!

 くそっ、お前らに構っている暇など無いのだ。何とかしてアイツらに見直してもらわねば……。

 敵は多いが、とりあえず長門に焦点を絞ろう。

 将を射んと欲すれば先ず馬を射よと言うからな……。

 名付けて信頼を得んと欲すれば先ずゴリラを射よ作戦だ。

 まずは間宮さんにでも相談して賄賂(バナナ)を一房用意して……。

 

『何の為に本を開いたんですか』

『サダオはほんと馬鹿だなー』

『はいはい、提督ー。私にいい考えがあります』

 

 俺の目の前で一匹のグレムリンがぴょんぴょんと飛び跳ねながら挙手していた。

 ほう、参考までに一応聞いてみようではないか。

 

『長門さんは連合艦隊旗艦を務めた栄光を大切にしているので、また連合艦隊の旗艦を務めさせてあげればいいと思います』

『おー』

『おぉぉー』

『流石は艦隊司令部施設妖精さんです』

『頭いいです』

『ふふふ、連合艦隊の事ならお任せください』

 

 艦隊司令部施設って何だ……? つーかこのグレムリン、どことなく大淀に似てるな……。眼鏡かけてるし。

 俺よりも頭良さそうなのがなんかむかつくんだが……。

 俺の桃色風船頭よりは確実に中身がぎっしり詰まってそうだ。

 

 しかし旗艦を務める事ってそんなに嬉しい事なのか……?

 そういえば一昨日、天龍も旗艦を命じられてとても喜んでたな。

 そこまで考えていなかったが、艦娘達にとって旗艦とは艦隊のいわゆるリーダー的な存在、それに命じられるのは名誉という事だろうか。

 ならば群れの長たる長門もまた同様。単純な天龍ちゃんのようにはいかないだろうが、旗艦に命じた俺の事を見直してくれる可能性も無きにしも非ずという事か。

 グレムリンの案にしてはなかなか……い、いや、俺の考えた賄賂(バナナ)に勝るとも劣らないといったところかな。

 俺も頭脳も負けてない。うん。

 

 ところで連合艦隊って何だ……?

『やさしい鎮守府運営』の目次から連合艦隊について記載されているページを開いてみる。

 結構後半に記載されていたという事は、艦隊運用の中でも上級編という事なのだろう。

 つまり連合艦隊を運用できる提督()の能力の高さを証明する事にもなる……よし、ここは基本をぶっ飛ばしてでも学ばねば。

 なるほどな。大雑把に言えば、通常は最大六隻編成のところを、二つの艦隊を合体させて十二隻編成とするから連合艦隊という事か……。

 しかし普通の艦隊を二つ同時に運用するのと何が違うんだ……?

 

『そんな事も知らないんですか』

『目的によって、水上打撃部隊とか空母機動部隊とか輸送連合とか色々あるんですよ』

『陣形も戦術も通常艦隊とは大きく変わるじゃないですか』

『馬鹿が』

 

 今なんか凄い辛辣な奴いなかった?

 怒ってないからちょっと名乗り出てくんない? 絶対怒ってないから。

 

『私です』

「この野郎!」

 

 俺は名乗り出てきたグレムリンの頬を親指と人差し指でぷにぷにと挟み上げた。

 くそっ、赤ちゃんの肌みてーだ。何だこのマシュマロほっぺは。無駄に肌触りが良いのがむかつく。

 

『わぷぷ』

『あー、いいなー』

『私も、私もー』

『この馬鹿が』

『クソ童貞』

『まるでさくらんぼの化身ですね』

『そんなんだから彼女できないんですよ』

 

 やめろ! だから二匹目のドジョウ狙いはやめろ!

 つーか単純にむかつくからマジでやめろ!

 俺がグレムリン共と格闘していると、積まれた装備の陰などあちこちから大量のグレムリンが湧いて出てきた。怖っ。

 俺の目の前の床に集まったグレムリン共は「整理整頓」「断捨離」「金曜日はカレーの日」などと書かれたプラカードを持って俺を見上げていた。

 胸元に「ーダーリ」の名札を付け、先頭に立つグレムリンが声を上げると、その後ろのグレムリン共もそれに続く。

 

『そんな事よりも、この状況を何とかしろー』

『何とかしろー』

『この装備のほとんどは開発された後、一度も使われていないぞー』

『いないぞー』

『せっかく呼ばれて出てきたのに』

『こんなのはあんまりです』

『使わないならさっさと廃棄しろー』

『廃棄しろー』

 

『私たちなんかこの山に埋もれてすっかり出番が無いのです』

『忘れ去られてます』

『ずっと昔から頑張ってきたのに』

『せっかく改修してもらったのに』

『結構役に立てるのに』

『しくしく』

 

『あー、泣かせたー』

『サダオのせいです』

『許せません』

『サダオ最低です』

『最低のダメ男です』

『略してサダオです』

 

『ストライキです』

『団結です』

『闘争です』

『交渉です』

『我々はー、倉庫内の整理整頓を要求するー』

『要求するー』

『不要な装備は廃棄しろー』

『廃棄しろー』

『そして我々に出番をよこせー』

『出撃させろー』

『わー』

『わぁぁー』

 

 う、うざってぇ……! これでは長門の機嫌を取る為の策を練るどころではない。

 確かに俺もこの乱雑な状況はどうかと思うが、大淀や長門など他の艦娘達が何も言わないのであれば、それでいいのではないか。

 俺は素人だからな。奴らにも何か考えがあるのかもしれん……。

 ならば優先度は低い、故に却下! さっさと持ち場にカエレ!

 

『あー、そんな事言っていいんですか』

『それなら私達にも考えがありますよ』

『ちらっ、ちらっ』

 

 交渉しているつもりなのか、先頭のグレムリンが顔を背けながらちらちらとこちらを見てくる。非常にウザい。

 えぇい、うるさい! なんだ、まさかこの俺を脅すつもりか。くだらん、一応聞いてやろうか。

 

『私達の頼みを聞いてくれなきゃ、いたずらしちゃいますよ』

 

 ハロウィンかよ。話にならんな。お菓子もやらん。帰れ帰れ。

 

『日本中で』

『いや世界中で』

 

 ……今なんか凄い不穏な事言わなかったか?

 豆大福程度の脳みそしか無いと思われるグレムリン共の考えるいたずらなんてたかが知れているが、万が一の事を考えると……。

 俺だけならいいが、もしもこの馬鹿共が何かをしでかしてしまい、周りに何か問題が起きた時、俺の監督不行き届きで責任を問われ、横須賀鎮守府の提督の座を退かねばならん可能性も無いとは言えん……。

 うぅむ、佐藤さんも妖精さんには逆らうなと言っていた事だし……くそっ、非常に不本意だが長門よりも先にこいつらのご機嫌を取らねばなるまいか。

 倉庫内の整理整頓だけならば専門知識もそこまで必要なさそうだし、そんなに大変ではないだろう。

 

「わかったわかった。俺が何とかしてやるから」

『わー、流石です』

『話のわかる提督さんで嬉しいです』

『これからも仲良くしましょう』

『私達とサダオの仲じゃないですか』

『わぁぁー』

『わぁい』

 

 グレムリン共は揃って万歳していた。

 なんかやり口がヤクザじみてると思うのだが……。

 足元のグレムリン共を蹴散らしてやりたい衝動を堪えていると、不意に倉庫の入り口の方から俺を呼ぶ声がした。

 

「提督っ、提督、どこっ?」

 

 うおっ、誰だ……? この声は夕張か。

 迷わず声をかけてきたという事は、天龍か龍田から俺の居場所を聞いてきたという事だろうか。

 このまま隠れるべきか……それとも姿を見せるべきか。

 夕張もあの時長門達と一緒にいたんだよな……だが龍田の話を聞くに、大淀が皆をまとめてくれたとの事だ。

 そう考えると、大淀、明石、夕張、青葉の同志(フレンズ)組は、俺に対して穏健派のはず……!

 青葉は俺と一緒に舞鶴についていくとまで言ったほどだし、夕張も信じていいのでは……。

 それに、夕張は俺への監視の目は鋭いが、それを踏まえても俺の心を妙にくすぐる青春巡洋艦……。

 横須賀十傑衆にランクインしておらず、パイオツは控えめだし年下系なのだが、単純に可愛い。

 俺にとって結構イレギュラーな存在だ。どうしてイレギュラーは発生するんだろう……。

 よ、よし、ともかく夕張ならば大丈夫だろう。

 

 俺は装備の山の陰から顔を出す。

 それを見て夕張は俺のもとへと駆け寄ってきた。

 

「どうした、何かあったのか」

「こんなところにいたのね? 迷惑だったかな」

「いや、そんな事は無い。少し、この装備の山をどうにかしなければと考えていてな」

 

 俺がそう言うと、夕張は何故か顔を一気に紅潮させながら頭を下げた。

 

「あぁ、もう……本当にごめんなさい! 恥ずかしい……」

「……何がだ?」

「その……この一年間はちょっと、忙しかったり、提督からの指示が無かったから片付けられなかっただけで……わ、私、片付けができないってわけじゃないから! そこは誤解しないで、ほしいなって……」

 

 可愛い。まるで散らかっている部屋を見られた幼馴染のようなリアクションだ。

 い、いや、いかん。やはり夕張が穏健派のようだからといって浮かれている場合では無い。

 俺が夕張の可愛らしさに内心呆けていると、倉庫の入り口の方から今度は明石の声がした。

 

「あれ? 提督ー? 夕張ー? おかしいな、いないのかな……?」

 

 奥に隠れている俺と夕張の姿が見えないのであろう。

 夕張が大丈夫だったという事は、明石も穏健派と判断して間違いない。

 俺が顔を出して明石に声をかけようとした瞬間――夕張が俺の背にぎゅっと縋りついてきた。

 夕張の腕が俺の身体に回され、背後から抱きしめられるような形になる。

 えっ⁉ ななな、何事⁉

 夕張のメロン、いやメロンというには少しパワー不足、ピーチ、いやピーチはせめて明石レベルでなければ、レモン、そう、夕張のレモンが俺の背にぴたりと押し当てられる。

 インクレディブル夕張……! いかん、俺の股間のチェリーエナジーが反応して……!

 見ぬふりか……? もぎ取るか……? 禁断の果実!

 

 訳も分からず混乱する俺が固まっている内に、明石は倉庫から出て行ってしまった。

 ばくばくと跳ねる心臓はまったく落ち着かない。

 俺は背中の夕張に向けて、何とか言葉を絞り出した。

 

「ゆ、夕張。どうしたんだ」

「あっ……な、なんでだろ。何故か、気付いたら身体が勝手に……あはは、なんでだろうね」

 

 背中からぱっと離れ、そうは言っていたものの、夕張は顔を伏せ、何だか暗い表情を浮かべていた。

 妙に気まずい沈黙がしばらく流れる。

 しばらく考え込んでいるように黙ったままの夕張であったが、意を決したかのように顔を上げた。

 

「て、提督。あ、あのね……? 昨日、言ってくれたじゃない? ご褒美を、思いついたら教えてくれ、って……」

「あ、あぁ……」

「その、思いついたから……聞いてくれる?」

 

 夕張はそう言うと俺の手を取り、その小さな両手でそっと包み込みながら、泣きそうな表情を浮かべて言葉を続けた。

 

「……死なないで……」

「エッ」

「提督の気持ちもわかるけど……本当に辛くなったら……その身に危険が迫ってきたら、私達に構わないで舞鶴に逃げて……! 提督ならわかってるとは思うけど、この鎮守府は舞鶴に比べてかなり危険だから……自分の身体を大切にして……」

 

 どどど、どういう事だ。何で夕張は俺の死の心配をしているのだ。

 その目に偽りは見られない。ガチで俺の事を心配してくれている。ダンケ。

 一体何が起こっているんだ。頭を整理しろ。

 駄目だ、わからん。夕張は何を言っているんだ。俺の事を心配して憂いの表情を浮かべる夕張が可愛い事しかわからん。

 と、とにかく何か返事をせねば。

 

「な、何の話だ?」

「えっ……あっ、そ、そうだったね。私達は何も聞いてないから……うん……うぅん、何でもない。とにかく、自分の心配をした方がいいよ、ってだけの話。お願い……」

 

 可愛い。いかん、本格的にわからなくなってきたぞ。

 何で夕張ははぐらかしたんだ。というか、自分の心配をしろと忠告するだけならば、別にご褒美を使うまでも無いはずだ。

 つまり貴重なご褒美のお願いという権利を使用してまで夕張が「死なないで。自分の心配をして」と言ったという事は、それを最優先に考えてほしいという事。

 俺に命の危機が迫っているというのか……⁉

 いや、そんな事よりも、自分の為ではなく俺の為にご褒美のお願いを使うとは……夕張、良い子すぎるだろ。可愛い。

 夕張の真剣な表情を見るに、冗談では無い。

 俺の身が本格的に危なくなったら、舞鶴に逃げてもいいと言っている。

 これはつまり、横須賀鎮守府に残る事で、俺の身に危険が迫ると言いたいのか……?

 元々舞鶴に左遷される予定だったが、大淀のおかげで横須賀に残る事ができたと喜んでいたのだが、夕張的にはむしろ俺の命が危ないと……?

 わからん……異動する気などさらさら無いが、とにかく言葉だけでも、悲し気な表情を浮かべる夕張を慰めねば。

 

「夕張、心配してくれてありがとうな。わかった、本当に辛くなったら、舞鶴に異動する事も検討する事にするよ」

「ほ、ほんと……? 絶対、約束よ……?」

 

 夕張はそう言って、その小指を俺のそれと絡めた。可愛い。

 指切りをしながら、ばくばくと脈打つ鼓動を忘れるように、俺は夕張と見つめ合う。可愛い。

 

「――あぁ、約束だ。俺は死なない」

「うん……あれっ、提督、今、自分の事『俺』って……」

「あ、いや、き、聞き間違いだな。私は死なない。うむ」

「いやっ、絶対言ってた! そう言えば提督命令の時もそう呼んでたような……提督、さては猫を被ってない⁉」

「い、いや、知らんな。私は私だ」

「もうっ! いいじゃない! そんなに気を張らなくたって! せめて私と二人きりの時くらい――」

 

「……何いちゃついてんのかな、二人とも」

 

 不意にかけられた声に俺と夕張が振り向くと、そこには呆れたような冷たい視線を向ける明石が立っていた。

 いつもの改造セーラー服みたいな装束ではなく、着任初日の夕張のような、作業着とタンクトップというラフな格好に着替えている。

 夕張は瞬時に耳の先まで顔を赤くして、わちゃわちゃと両手を動かした。

 

「あああ、明石⁉ な、なんでここに⁉」

「いや、着替えて戻ってきたら声がしたから……さっき私が声かけた時もいたんでしょ。何で返事しなかったのよ」

「い、いや、それは、その」

 

 要領を得ない夕張を見限ったように、明石が拗ねたような眼を俺に向けた。

 

「……提督、どういう事ですか」

「う、うむ。私は顔を出そうとしたのだが、夕張が――」

「わーっ! わーっ! わぁぁぁぁっ! と、とにかく何でもないのっ! はいっ、この話は終わりっ! そうそう、片付けだったわね! 私も着替えてくるから!」

 

 そう一気にまくしたてるように叫んだ夕張は、その場から逃げ出すように駆け出していってしまった。可愛い。

 去りゆく間際に、泣きそうな、縋るような眼で、俺の顔を睨みつけていく。

 明石には先ほどの事は話すなという事だろう。

 一方で明石はそれを知りたがっているような、俺を責めるような視線を向けていたが……今回は俺の為にご褒美のお願いを使ってくれた夕張に配慮して、うまく誤魔化そう。

 

「で? 一体何があったんですか。言えないって事は、まさか人に言えないようなやましい事してたってんじゃないでしょうね?」

「そんなわけ無いだろう。夕張は私の身体を心配してくれていたんだ。まぁ何の話か私には理解できなかったがな」

「身体の心配……あぁ、そういう事ですか。まったく、大淀もそういう事は口にするなって言ってたのに……」

 

 大淀が口止めを……? どういう事だ。

 もしや夕張が明石に見られたがらなかったのは、あの忠告自体、本来俺に言うべき事ではなかったからなのか?

 俺が横須賀に残る事で俺に命の危険が迫る……それを知っていながら、大淀は無能な俺に利用価値を見出し、ここに残す判断を下した。

 勿論、命の危険(リスク)についてはただの傀儡である俺には伏せておく……大淀の動きが黒幕すぎんぞ!

 お、大淀さん! 何を考えているんですか……⁉

 だ、駄目だ、俺程度では大淀の領域は理解できねェ……‼

 理解できたのは、それでも俺の事を心配してこっそり忠告してくれた夕張がめっちゃ良い子だという事……おまけに可愛い。

 

「でも、あの慌てっぷりはそれだけじゃないと思うんですけどねぇ」

「そ、それだけだ。それよりも明石、昨日はよく眠れたか」

「えぇ、そりゃあもうグッスリと。ありがとうございました」

「そ、そうか。それはよかった。身体は大切にしなくてはな」

 

 俺が露骨に話題を逸らそうとすると、明石は一瞬それが気に障ったような眼になったが、やがて仕方ないとでも言いたげな表情で息をついた。

 

「もう……夕張の気持ちもわかりますよ。提督は私の心配をする前に、自分の心配をするべきだと思います」

 

 呆れたようにそう言った後で、顔を背けて、俺に聞こえないくらいの声でぼそりと何かを呟く。

 

「そんなんだから……夕張も、私も本気になっちゃうんですよ」

「……ん? なんだって?」

「あ、いや……だ、だからっ、もう私も本気ですからね。本気出しますからねっ! 提督がその気なら、私も覚悟を決めました。私や夕張だけじゃなくて、大淀も長門さん達も、皆、本気になっちゃいましたから! 完全に火がついちゃいましたから! 提督のせいですから! 全部、提督のせいですからねっ⁉ もうどうなっても知りませんからっ!」

「だ、だから一体何の話を……」

「ふーんっ、知りませんっ! ご自分の胸に聞いてみたらどうですか? 私が聞いてみましょうか。どれどれ」

 

 何故か赤面した明石はそう言うと、何かを誤魔化すかのように俺の胸に耳を当ててきた。

 必然的に明石の顔がぴったりと押し当てられ、その身体との距離もほぼゼロになる。

 というか本人にその気は無いのだろうが、明石のピーチが非常に絶妙な距離感で俺の身体にふよふよと触れていた。

 まずいぞ明石くん、このままでは俺の股間がバナナバナバナナ……!

 こ、こいつやっぱり無意識に距離が近すぎる……! ドキドキしてるのは俺だけだろう。

 い、いかん、意識しては……俺が女慣れしてない事がバレてしまう。

 しかし新型高温高圧缶とタービンを装備した空色の巡洋艦並の速さで高鳴る鼓動など、自分の意志で何とかなるはずもない。

 

「……何か凄い鼓動が早いんですけど……大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫だ。大体いつもこんな感じだ」

「いつもこんな感じなんですか⁉ しゅ、修理した方が……あ、いや、何でもありません」

「う、うむ。ところで、夕張とも話していたのだが、この装備の山を何とかせねばならんと思っていてな」

 

 俺がそう言うと、明石は思い出したかのように俺の胸から顔を離し、辺りを見渡した。

 

「あー、確かにこれは見るに堪えないですよね。申し訳ありません」

「いや、いいんだ。ただこれからはその辺りもしっかりしておきたい。まずはこれを最優先だな」

「不要な装備を廃棄すれば、これだけの量なら少しは備蓄の足しになるかもしれませんしね」

「うむ。それと、有用な装備が眠っているかもしれん。その辺りを把握しておきたい」

「うっ……も、申し訳ないです。ここ一年、それどころではなくて……」

 

 グレムリン達に半ば脅された事は伏せておく。

 妖精達の言いなりになっているなんて事が知られてしまっては提督の威厳など台無しになるからだ。

 それにしても、改めて考えてみれば、艦娘達の装備とはそもそもどういったものなのだろうか。

 装備を積んだと言っても、艦娘達がそれをそのまま抱えているようには見えないし……。

 少しそれが気になったので、俺は明石に問いかけた。

 

「明石。ちなみに、これらの装備品というのは一体どのような原理でお前達に積まれているのか、教えてくれないだろうか」

「あっ、はい! 勿論です。まず、装備というのは――」

「ちょおっと待ったぁーっ!」

 

 勢いよく滑り込んできたのは、明石と同じような作業着に着替えた夕張であった。

 何やら聞き逃せない事があったのか、夕張は俺と明石の間に割り込んできて胸を張った。控えめだが可愛い。

 

「提督、水臭いじゃない! 装備の事ならこの兵装実験軽巡、夕張に聞いてよね!」

「……夕張、提督は私に訊ねてきたんだけど」

「いいのいいの! 明石は泊地修理とかについて説明したでしょ⁉ 装備と言ったらこの私! ねっ、提督! いいよね?」

「全然よくないんだけど……」

 

 先ほどまでとは目の色が変わっており、その輝きも増していた。

 得意分野の話だったから聞き逃せなかったのだろうか。可愛い。

 明石は呆れたような抗議の視線を向けていたが、せっかくなのでその熱意を買う事にする。

 

「そこまで言うなら、今回は夕張に頼むとしよう」

「はいっ! 夕張にお任せ! ふふっ、私達がどのようにして装備を積んでいるかという事だったけど」

 

 夕張に促されて、俺達は倉庫の奥から入り口の辺りまで移動した。

 ある程度の空間が欲しかったのだろう。夕張は少し距離を取って、自分の艤装を具現化した。

 腰の辺りで固定され、背中に背負っている艤装から両手に伸びている砲塔。

 足首に装備されているのは魚雷だろう。

 

「まず、艦娘達にはそれぞれ固有の艤装があるわ。装備を積まなくとも、基本的にこれだけで戦闘を行う事は可能よ」

「ふむ。主砲も魚雷も飾りというわけでは無いという事だな」

「うん。そこに、装備を積むわけね。そうね……よいしょ、よいしょ、例えばこの14cm連装砲と、61cm四連装酸素魚雷」

 

 夕張は近くに積まれていた装備の山の中から、主砲と魚雷発射管らしき装備品を持ってきた。

 勿論、実艦サイズではなく艦娘サイズではあるのだろうが、それでもそれなりに大きく、重量もありそうだった。

 だが、夕張が足元に置いたそれにそっと手を触れると、それらの装備品は一瞬にしてヒュンと消えてしまった。

 

「おぉ……?」

「今、私は先ほどの二つを装備したわ。艤装の見た目はあまり変わらないかもしれないけれど、砲撃火力と魚雷の威力は何も装備していない状態に比べて遥かに上昇しているのよ?」

 

 なるほど……つまり艦娘の艤装がハードだとすれば、装備品はソフトだという事か。

 CDプレイヤーの中にCDを入れる事で色んなジャンルの音楽を流せるように、艤装の中に装備品を取り込む事で、その能力を使用できるという考えで間違いは無いだろう。

 よく見れば、足首についていた魚雷発射管の形状が若干変わっている。四連装になったという事か。

 主砲は変わらないように見えるのは、元々艤装と同じものだからだろうか……。

 夕張はさらに、近くに転がっていたドラム缶を抱えてくる。

 同じように手を添えると、ドラム缶も消えてしまった。装備したという事だろう。

 

「知ってるとは思うけど、私達の艤装には必要量以上の資源を搭載できる性質があるわ。遠征で資源を回収し、黒字に出来るのはそういう理由からなんだけど、その資源搭載量を更に増大させる事ができるのがこのドラム缶。他にも大発動艇とかがあるけれど、これらを装備した場合は、艤装に能力が上乗せされるんじゃなくて、そのまま具現化されるの。自分の意志で出し入れ可能だけどね」

 

 夕張がそう言って手をかざすと、目の前にドラム缶が現れる。

 

「探照灯や爆雷投射機、WG42(ロケットランチャー)なんかも同様ね。艦娘によっては神通さんみたいに艤装に探照灯が装備されている場合があるから、そういった場合は例外だけど、それ以外の場合は別に具現化される形になるわ。こんな風にね」

 

 今度は探照灯を持ってくる。それに手を添えると、姿が消える――つまり、夕張が探照灯を装備する。

 そして直後に、夕張の太ももに探照灯が具現化された。

 作業着に着替えていなければ合法的かつ自然に夕張の太ももをガン見できていたのが非常に惜しい。

 

「なるほどな。元の艤装に無い性能を持つ装備の場合、追加の武装として具現化されるというわけか」

「ふふっ、その通り。強化弾とか電探、ソナーなんかは艤装に含まれるんだけどね。ちなみにバルジを装備すると私達自身の装甲が強化されるのよ」

 

 夕張は話しながら、機銃らしき装備を持ってきた。

 それに手を触れるも、今度は消えない。

 

「ただし、艦娘達には装備を積める数が決まってるわ。艦隊司令部はこれを『スロット』と呼んでるわよね?」

「あ、あぁ」

 

 初耳であった。

 いや、艦娘達に装備を積める数が決まっているという事くらいは知っていたが、スロットなる言葉は知らなかった。

 まぁ艦娘達は(ふね)だからな。重量制限のようなものがあるというのは理解できる。

 駆逐艦が戦艦用の大口径主砲を積めないというように、数だけではなく種類によっても装備が制限されるらしい。

 

「大体は三つか四つ。私は四スロットで、今は全て埋まってしまっているから、機銃は積めない状態ってわけね」

「ふむ。必要に応じて適切な装備を積まねばならないという事だな」

 

 例えば主砲は当然として、潜水艦に備えてソナーと爆雷、敵艦載機に備えて電探と機銃、装甲を固める為にバルジ、などと一度に全てを得る事は出来ないという事だ。

 む、難しいな……。そうなるとやはり対空担当とか対潜担当とか役割を分けて装備した方がいいという事か。

 今にして思えば、六隻全て空母で艦上攻撃機ガン積みとか六隻全て対潜装備ガン積みとかで出撃させた初日の俺は本物のアホだな……。

 素人丸出しではないか。そりゃあ艦娘達に不信の目を向けられるわ。凹む。

 ともかく艦娘達がどのようにしてこれらの装備を積んでいるのかはよく理解できた。

 

「大体わかった。夕張の説明は実にわかりやすかった、ありがとう」

「ふふっ、光栄ね。また装備の事で何かあったら、いつでもこの夕張を呼んでよね?」

 

 夕張は満足気にそう言って微笑んだ。可愛い。

 出番を奪われた明石が恨めしそうなジト目を向けていたが、あえて触れてやらない事にする。

 グレムリン共がいつ騒ぎ出すかわからんし、面倒な事になる前に早めに済ませねば。

 

「と、とにかく倉庫の片付けについてだが、人手は足りて――」

「司令! 司令はどこだ⁉ 出てこい!」

 

 うおッ⁉ な、何だ⁉

 倉庫の外から何やら地響きと辛辣な声が響いてきた。

 あの声は磯風だろうか……? 何やら嫌な予感が……。

 同じく目を丸くした夕張、明石と共に倉庫の外へと出て行くと、物凄い形相で数人の艦娘がこちらに向かって駆けてきていた。

 そのどれもが獲物を狩る猛獣のような眼をしていた。

 そしてその眼が俺を見据え、その勢いが更に加速した。

 まるで誰が先に獲物を仕留めるかを競っているかのようだった。

 

 提督アイ発動! 敵影見ゆ! 敵編成確認!

 

 駆逐()級flagship!(炭素魚雷艇型)

 軽巡()級flagship!(修羅型)

 重巡()級flagship!(狂犬型)

 空母()級flagship!(赤鬼型)

 空母()級flagship!(青鬼型)

 戦艦()級silverback!(ゴリラ型)

 

 百鬼夜行かな?

 何だあのバランスの良い編成は。火力、対空、対潜、どれも隙が無い。

 初日の俺に対する当てつけのようだ。

 あんなものを相手にする深海棲艦は不幸としか言いようがない。

 って十中八九俺じゃねーか‼

 ま、まさか夕張が心配していた、俺に迫る危険とは――⁉

 明石が言っていた、俺のせいで皆に火がついて本気になっちゃった事とは――⁉

 大淀が俺に伏せていた、命の危機とは――⁉

 

 アカン! 大淀さん! 話が違います!

 奴らが俺と戦いたがってるのを止めてくれたんじゃなかったんですか⁉

 アレどう見ても俺に危害を加える気満々じゃないですか⁉ やだー!

 鎮守府は危険がいっぱい! 鬼もいっぱい!

 ここは夕張との約束を守るべく舞鶴に退避して――駄目だ! 間に合わん!

 

 奴らにボコられる心の準備はいいか⁉

 Are you ready? できてるよ!(泣)

 これが最後の祭りだ! 駆逐()級ダメージコンテスト、いざ開幕‼

 心火を燃やしてブッ潰される!

 夕張スマン! 俺はおそらくここで死ぬ! デュエルスタンバイ‼




大変お待たせ致しました。

ついに谷風に丁改が実装されましたね。
パンツ全開なのが谷風らしいと思いましたが、他の三人は頑なに見せないのは一体どういう事なのでしょうか。
浦風、谷風が丁型、磯風、浜風が乙型とバランスよく分かれて良かったです。
我が弱小鎮守府も磯風と谷風の改装目指してレベリング中です。
このお話の十七駆の四人も、果たして強化されるのでしょうか。

朝潮型の誰かに限定グラが実装されそうな気配でそわそわしています。
次回の更新まで気長にお待ち頂けますと幸いです。


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049.『視線』【提督視点】

 迫り来る六鬼夜行の迫力のあまり、俺は白目を剥き半笑いで肩を震わせる事しか出来なかった。

 夕張と明石も口を半開きにして、その光景をぽかんと眺めていた。

 俺の目の前に辿り着いた鬼畜艦隊はまるでカチコミに来たヤクザのごとき眼光で俺を睨みつける。

 凄まじい殺気って奴だ。ケツの穴にツララを突っ込まれた気分だった。

 

 一際冷たい凍てつく視線を向けているのは加賀だった。

 この女の目……養豚場の豚でも見るかのように冷たい目だ、残酷な目だ……。

「かわいそうだけど明日の朝にはお肉屋さんの店先に並ぶ運命なのね」って感じの……!

 どう見ても上官に向ける視線では無い。フナムシを見る目と言い換えてもいいだろう。

 

 この隙の無い編成に単艦で立ち向かえというのか……⁉

 駄目だ、実力の差がはっきりしすぎている……。

 これじゃあ甲子園優勝チームにバットも持った事が無い茶道部か何かが挑戦するようなもの……。

 みじめ……すぎる……。

 

 い、いや! 俺の後ろには心強い二人の同志がいるではないか。

 夕張さん、明石さん、やっておしまいなさい!

 駄目だ、見るからに戦闘よりも裏方タイプの青春巡洋艦と口搾艦コンビでは勝ち目が見えねェ……。可愛さでは圧勝しているのだが……。

 下手に助けを求めて地獄に付き合わせるわけにはいかん……。

 万策尽きた。もはや覚悟を決めるしか無い。

 重巡ナ級が今にも俺を噛み殺しそうな目つきと共に、蔑むような口調で言った。

 

「……貴様、満潮を励ましてくれたはいいが、まだ塞ぎこんでいるのか」

「う、うむ……」

 

 そうか、夕張と明石だけでなく、こいつらも龍田に聞いて……くそっ、なんて事だ。

 優しい天龍ちゃんは俺を励まそうとパイパイヘッドロックをお見舞いしてくれたが、厳しいコイツらはガチで活を入れに来たという事だろう。

 そりゃあそうだ。自分達の上官が仕事もせずに倉庫に引きこもって落ち込むなど、常識的に考えてあってはならない事ではないか。

 夕張が俺の命の危機を心配してくれたのも当然だ。

 

 まず那智はイカン。那智は非常にアカン。

 昨夜の呑み比べで俺に勝利した那智は、俺に対して何でも言う事を聞かせる権利を持っている。

 機嫌を損ねたが最後、もしも那智に鎮守府を去れと言われれば、俺はそれに従わなければならない。

 そしてこいつらの目を見れば、俺に対して明らかに敵意を持っている事は明らかだ。

 つまり俺はもう詰んでいた。オワタ。

 

 次に長門も、呼吸するたびに両耳や鼻の穴から蒸気がプッシュウウと音を立てて噴出している。

 このメカゴリラ、俺を殺したいという衝動がその身体から溢れ出ているようだ。

 神通は目が据わっていた。覚悟完了した面持ちであった。

 昨夜の歓迎会で見た大和撫子の姿はどこにもない。

 利根の言っていた通り、一人の修羅がそこに居た。

 赤城はいつもと変わらないように見えたが、よく見れば普段よりも真剣な表情を浮かべている。

 いつもは隙の無い柔らかい微笑みを浮かべているのに、今はそれが無い。

 只事では無いのは明らかであった。

 

 力無く返事をした俺に、磯風が不敵な笑みを浮かべて近づき、肩をぽんと叩きながら言った。

 

「フッ、司令……笑ってる内にやめような」

 

 言葉とは裏腹に、磯風だけは何故か嬉しそうなドヤ顔であった。

 そう言えばコイツは俺の片腕を自称するほど筋金入りのダメンズ好き……。

 嬉しそうなのは、俺が駄目なところを見せたからであろう。コイツの将来が本当に心配だ。

 磯風の言葉に続き、長門、那智、加賀が鬼の形相で辛辣な言葉を吐く。

 

「気持ちはわからないでもないが……イムヤ達も駆逐艦達も、皆すでに気持ちを切り替えたと言うのに、一体何をしているんだ! 提督ッ!」

「貴様、そんな情けない有り様で我らを指揮するつもりか! フン、実に情けない!」

「予想外の事があったとはいえ、本日の執務にもまだ手をつけていないでしょう。それでも私達の提督ですか」

 

 うっくぅ~……何も言えねェ……‼ 凹む。

 いや佐藤さんとの会話を盗み聞きした時点で覚悟はしていたが、ここまで辛辣な言葉を面と向かって叩き込まれるとは……!

 確かに俺が起きてからした事と言えば……。

 

・金剛に股間を痛打される。

・筑摩の暖簾の中身を目撃してしばらく行動不能になる。

・佐藤さんと風呂に入る。

・青葉を同志に引き入れるべく策を弄す。

・イムヤの轟沈騒ぎでは気が動転して固まってしまい、グレムリン共に助けられる。ダンケ。

・泣いてばかりで霞にはケツを蹴り上げられる。ダンケ。

・金剛に股間を痛打される(二回目)。

・艦娘達に隠れて策を考える為、倉庫に逃げ込む。

・倉庫で鉢合わせた満潮を励まそうとするも、おそらく俺の話とは関係なく立ち直る。

・天龍ちゃんにパイオツを押し付けられる。ダンケ。

・グレムリン共に半ば脅されて倉庫の片付けを約束する羽目になる。

・夕張にパイオツを押し付けられる。ダンケダンケ。

・明石にパイオツに押し付けられる。ダーンケっ。感謝ね!

 

 ……我ながらマジで執務してねェな!

 執務室に足を踏み入れてすらいない。

 大淀さんがいなければこの鎮守府は半日以上機能停止していたではないか。

 横須賀鎮守府の頭脳、そして黒幕大淀には頭が上がらない。本当にありがとうございます。

 

「う、うむ……返す言葉も無い……」

「フッ、よし。ここはこの磯風が、忠誠を込めた右足で活を入れてやろう。そこの壁に両手をつけ」

 

 白い太腿を撫でながら、磯風が嬉しそうにそう言った。

 え? 何? コイツまさか俺のケツにタイキックぶち込むつもり⁉

 ダメンズ好きの磯風が何故⁉

 混乱している俺に構わず、その言葉に鬼共がより一層迫力を増し、磯風に食ってかかった。

 

「おい! 勝手に抜け駆けをするな! 横須賀鎮守府を代表して、ここはこの長門に任せておけ」

「長門、そう言えば以前、戦場で貴様に蹴り上げられた駆逐イ級が蹴鞠のごとく上空に打ち上がった挙句に一撃で爆散していただろう。貴様に任せては奴が死ぬ可能性がある。ここはこの那智に……」

「いえ、利根さんが言っていた通り、那智さんも長門さんと同様に手加減が苦手だと思いますので、ここは私が……」

「その利根を危うく轟沈させかけたのは何処の誰だ! 神通、それなら貴様もこの男が絡むと周りが見えなくなる危険性があるだろう! 手加減が苦手などと貴様にだけは言われたくないものだな!」

「こ、今回は大丈夫です……!」

「私に任せなさい。鎧袖一触よ。心配いらないわ」

「フッ、鎧袖一触してどうする。火力しか脳が無い戦艦空母はこれだから駄目だ。やはりこの磯風しか」

「いや、この長門が」

「いえ、私が」

 

 聞くに堪えない。地獄の処刑人決定会議である。

 徐々にヒートアップし、鬼共はチンピラのごとく至近距離でガンをつけ合っている。

 誰が俺を刑に処すかでここまで揉めるのか……どんだけ俺を蹴り上げたいんだコイツらは。

 話聞く限りほぼ全員手加減が苦手じゃねェか。

 このまま同士討ちしてくれないだろうか……。

 

 ……しかしよくよく考えてみれば、ダメンズ好きの磯風だけは、実は俺を救おうとしているのかもしれない。

 何故ならば、俺へ活を入れる事を建前として合法的に俺に手を下そうとしている艦娘達の中で、艦種的にも練度的にも磯風が一番弱い。

 いや磯風も決して弱いわけではないが、他の面子に比べれば相対的に最弱となる。

『艦娘型録』に記載されていた練度だけを考えてみれば、実はコイツは見た目小学生型の暁や電、朝潮、大潮などよりも若干練度が低いのだ。

 ……なんでコイツこんなに自信満々なのだろう。

 それはともかく、つまり磯風に蹴り上げられる方が、俺の受ける被害は一番少ないのでは……。

 他の鬼共は手加減無しで俺を蹴り上げるかもしれんが、俺の片腕を自称するほどの磯風ならば手加減してくれるだろう。

 思い返せば、先ほども磯風は俺の為に金剛を派遣してくれたではないか。

 そうか、磯風……そこまで俺の事を考えて……。馬鹿だが本当にいい奴だ。

 俺の処刑人が決まるのをただおとなしく待つしか出来ないと思ったが、むしろ俺の方から磯風を指名するのが生還への道か――⁉

 

 そこで、俺の耳に不意に一人の救世主の声が届いた。

 

「ヘイヘイヘーイ! Wait a minute(ちょっと待った)! 待ぁてぇーい!」

 

 おぉっ、金剛! そしてその後ろにはその妹達!

 先ほども駆逐艦達に紛れて俺を励ましに来てくれた、横須賀十傑衆第二席にして数少ない俺の味方!

 そして俺の事を絶対好いていてくれていると、時間と場所とムードとタイミングさえ整えれば確実にヤレると、女性不信の俺ですら確信できる唯一の存在!

 Be the one(貴女と合体したい)

 

「食らいついたら放さないってっ、言ったデースッ!」

 

 金剛は先ほど駆逐艦達を木の葉のごとく吹き飛ばしたように、助走の勢いのままに地面を蹴り、高速で前転しながら飛んできた。

 よ、よし! そのまま鬼共を蹴散らして――!

 しかし長門(ゴリラ)の肩にサッカーボールのごとく容易く弾かれ、軌道を変えて勢いよく俺に向かってきた金剛の頭がそのまま俺の股間を痛打した。

 オゴォォーーッ⁉ Shit! 提督の大切な装備が‼

 これで本日三度目やぞ! 金剛お前何してるデース……‼

 俺はその場に悶絶しながら崩れ落ち、金剛は慌てた様子でがばっと顔を上げた。

 

「あぁっ、提督! おのれ長門、提督になんて事を~……! ヘイ長門! なんで私が衝突してびくともしないデース⁉」

「フッ、今の私にはその程度の衝撃など効かぬわ。そう、提督のお陰でな……長門型の装甲は伊達ではないよ」

「くっ、なんというフィジカルデース……! 昨夜よりも更に強化されてマース……!」

 

 世界に誇るビッグセブンとはいえ、戦艦に衝突されてびくともしないのか……。

 何なんだアイツは。その装甲は一体何で強化されているんだ。俺のお陰との事だが、言うまでもなく俺への怒りであろう。

 まさにジャングルの王者、ジュウオウゴリラ……いや、野生と筋肉を知ろしめす戦艦の王者、戦艦ゴオウ。

 よく見れば銀色の光を放っているようにすら見える長門のあの驚異的な装甲をゴリラアーマーと名付けよう。

 金剛に続き、比叡、榛名、霧島が俺を挟んで鬼共の前に立ち塞がり、各々が謎のポーズを決めた。

 

「シスターズ! 提督を護るデース!」

「はいっ! 司令っ、全力でお護りしますっ! お姉様の邪魔する人は、許さないっ!」

「長門さん達と言えども……勝手は! 榛名が! 許しません!」

「ベストタイミングの援軍です。お姉さま、流石ですね!」

 

 おぉっ、こ、金剛シスターズは俺の味方なのか!

 そうか、金剛が俺の事を好いていてくれるのだから、金剛大好きな妹達もまた然り。

 金剛に逆らう理由は無い! う、うまくいけば、そう、金剛さえ攻略できればまさかの金剛型ハーレムも――⁉

 包容力と年上属性的には乏しいものの、必須項目(巨乳)は全員満たしている……!

 全員に改二ならぬパイ二実装済み……!

 よっしゃァァアアッ‼ 夜は姉妹丼っしょォーーッ‼

 よ、よし! やはり最優先で金剛をハーレムに引き入れるべく、可及的速やかに時間と場所とムードとタイミングを整えねば――!

 いやいかん。今はそれどころでは無い。

 しかしゴリラに敵うかはわからんが、戦艦四隻が俺の味方とは……!

 いちいちポーズを決める辺りが四人揃って馬鹿っぽいが、非常に心強い。

 

「さぁ! マンツーマンで食い止めるネー!」

「はいっ! 比叡、気合、入れてっ! ディーフェンス! ディーフェンス!」

「くっ、貴様ら邪魔を……!」

 

 両手を広げて立ち塞がった金剛シスターズに、那智や加賀達も苦戦している。

 高速戦艦の機動力と装甲が相手なのだ。いくら狂犬や修羅と言えどもそう簡単には突破できない。

 よ、よし、頑張れ金剛シスターズ! がんばえー!

 

「しかし相手は六人、こちらは四人……この霧島の計算によると、マンツーマンでは必然的に人手が足りませんね……」

 

 霧島がそう呟いた瞬間、俺のすぐ隣から赤城の声がした。

 

「提督。歯を食いしばって下さい」

 

 エッ。

 俺が顔を向けると、まるでさっきからそこにいたかのように、覚悟を決めたかのような表情の赤城が佇んでいる。

 な、何ー⁉ さっきから一言も話さないとは思っていたが、いつの間に!? 気配全く感じなかったぞ⁉

 そして歯を食いしばる前に、パァンと何かが破裂したかのような音が工廠内に響いた。

 赤城の右手が俺の頬を張ったのである。

 

 アーーッ⁉ いや意外と痛くない……!

 でも部下に張り倒されて心が痛い……!

「アァッ⁉ テートクゥーッ⁉」という金剛の叫びが耳に届く。

 明石と夕張が目を丸くして、口元を抑えているのが目に映った。

 こ、金剛シスターズ……何を律儀にマンツーマンしてんだ……!

 磯風はともかく、よりによって俺とタイマン希望の赤鬼がフリーになってんじゃねェか……‼

 勢い余ってその場に倒れてしまった俺を見下ろしながら、赤城は何かを耐えるかのように表情を変えて口を開いた。

 

「申し訳ありません……私も本当はこのような事はしたくありませんでした……! しかし、一刻も早く立ち直ってもらわねば、鳳……あ、いえ、とにかく、これは私の本意では無いのですが、心を鬼にして……」

 

 いやお前さっき俺の事張り倒してやりたいって言ってたよね?

 俺ちゃんと聞いてたからね? 心を鬼にするまでもなくお前すでに赤鬼だろうが!

 くそっ、コイツ本当に演技派だな……心から悔やんでいるような表情にしか見えない。

 普段から朗らかな感じで全く隙が無いからな……表情や雰囲気から全く本心が読めねぇ……!

 とりあえずもう堪忍してつかあさい……! ガチで凹む。

 

 いやポジティブだ。ポジティブに考えよう。

 赤城に張られた頬はじんじんと痛むものの、金剛に痛打された股間に比べれば断然痛くない。

 てっきり赤城の事だからビンタどころか鞭打、最悪の場合五分間ほど無呼吸連打でも叩き込まれるかと覚悟していたくらいなのだから、むしろ拍子抜けなくらいだ。

 提督の威厳は地に墜ちたものの、ポジティブに考えれば、この程度の痛みで活を入れられた事にできるのならば安いものではないか。

 もしも長門に蹴り上げられていたら、俺は哀れな駆逐イ級と同じく上空に打ち上げられて爆散し、汚い花火と化していただろう。

 第二撃が飛んでくる前に、俺は迅速に立ち上がって赤城、そして鬼共に目をやった。

 

「う、うむ。赤城が活を入れてくれたお陰で私も目が覚めたぞ。私だけがいつまでも気落ちしているわけにはいかんな。情けないところを見せてしまい、本当に済まない!」

 

 そう言って俺は深く頭を下げた。

 兵は神速を貴ぶというからな。色々な速さに定評がある俺である。

 イクのも速いし逃げ足も速い。謝罪の速さも一級品だ。

 ここは素直に平謝りするのがベスト……!

 これで納得しないのであれば、金剛達が何とか頑張ってくれる事を祈るしかない。

 

 いや、俺の天才的頭脳による推理によれば、活を入れに来たという建前上、そして誰が活を入れるかで揉めていたという事は、おそらく一発で済ませるつもりだったのだろう。

 これで何発も俺に蹴りを入れるつもりだったのなら、それはもはや私刑ではないか。

 それは流石に大淀が止めてくれているはず……!

 そう、俺にまだ利用価値があるならば……!

 大丈夫、大丈夫だ……! 顔を上げればコイツらもやれやれ、仕方の無い奴だ、とか言って許してくれると思いたい……!

 

 俺がゆっくりと顔を上げると――長門、那智、神通、加賀……鬼達はどこか、拍子抜けといったような、不満そうな表情を浮かべていた。

 エッ、何その表情……。

 長門が物足りなさそうに、腕組みをしながら口を開く。

 

「……それだけか?」

 

 エッ⁉ な、何⁉ まだ何か足りないのか⁉

 誠意⁉ 誠意が⁉

 鬼達のこの眼……以前働いていた職場で、受け持っていた業務の締め切りにどうしても間に合わせる事が出来ず、上司に報告に行った時の眼と同じ……!

 そう、あの時も頭を下げて謝罪した俺に、上司は今の長門と同じ言葉を投げかけたではないか。

 あの時は謝り続けて何とかなったが、この鬼共にそれが通用するとも思えない。

 謝罪の最上級……土下座……! 土下座が必要か……⁉

 熱した鉄板の上とかで……!

 くそっ、コイツら本物の鬼か! 鬼だった。凹む。

 

「……まぁ、私は貴女達と違って、初めから何も期待していなかったから別に構わないわ。赤城さん、流石です」

「うむ。早い者勝ちと言ったのは他ならぬこの磯風だからな。潔く今回は赤城に譲ろうじゃないか。お前達もこれ以上司令に多くを求めるのはやめないか、見苦しい」

 

 加賀は冷たい目で俺を一瞥した後に、赤城に向かって親指を立てる。

 磯風だけは特に不満そうな表情を浮かべる事も無く、何故か上から目線でそう言った。

 それを聞いて、那智が不愉快そうに口を開く。

 

「磯風、貴様……! わ、私も奴に何も期待などしていない……! フ、フン、下らん! 馬鹿らしい!」

「私は、その……期待していなかったと言えば嘘になりますが……い、いえ、何でもありません。これ以上を望むのは贅沢すぎましたね。私が間違っていました」

 

 何かを諦めたかのように、何故か薄く頬を染めた神通が悲し気に小さく首を振った。

 お、俺どんだけ期待されてないの……? 凹む。

 鬼共が俺に何を期待していたのかは定かでは無いが、知らない方がいいだろう。何とかこの場は生きて帰る事ができそうだ。

 よ、よし。赤城に張り倒される未来を変える事は出来なかったが、最悪の未来だけは回避できたと言えるだろう。

 そう考えれば上出来ではないか。

 

「提督、失礼します。よろしいでしょうか」

 

 と、そこで倉庫の入り口の方から声がした。

 見れば、数人の艦娘を率いた大淀がこちらの様子を窺っている。

 随分と落ち着いており、長門達の後を急いで追ってきたというわけではなさそうだ。

 下手すれば命の危機だったのだが……もしやこうして俺が生き残る事も大淀の掌の上なのか……?

 大淀の深謀遠慮に俺が戦慄を覚えていると、艦娘達の陰に隠れておずおずとこちらを覗き込んでいるイムヤに気が付いた。

 

「い、イムヤっ⁉」

 

 俺は鬼共の事も忘れて思わず駆け出し、イムヤの前に跪いて両肩を掴み、声をかけた。

 

「も、もう大丈夫なのか⁉ まだ一時間くらいしか経っていないが」

「う、うん。私、潜水艦の中でも特に回復が早いから……ほらっ、こんなに元気!」

 

 イムヤはそう言って、笑顔で腕をぎゅっとしてガッツポーズをして見せた。

 つい先ほどまでボロボロだったスク水も綺麗になっており、その上のセーラー服も新品同様に見える。

 イムヤ自身の状態と合わせて見ても、完全に回復したというのは本当なのだろう。

 俺はイムヤの肩から腕を撫でまわしながら、その肌に異常が無いかを確かめる。

 

「そ、そうか。よかった、本当によかった……それで、傷は残ってないか? 痕になっていないかっ⁉」

「し、司令官、恥ずかしいよ……大丈夫だってば、もう……。でも、ありがとう。心配かけてごめん……」

「いいんだ、いいんだ。だが、今後は二度と同じような事をしちゃ駄目だぞ。約束だ」

「うん……」

 

 俺はもうたまらず、イムヤをぎゅっと胸に抱きしめながら頭を撫で回した。

 いかん、思い出したらまた目が潤んで……! また完全に素が出てしまった。

 何とか耐えねば、第二回処刑人会議が開かれてしまう。

 俺は潤む瞳をぐしぐしと拭い、俺達の様子を眺めている艦娘達の中から大淀に顔を向けて言った。

 

「この後、潜水艦隊に出撃の予定はあるのか?」

「えっ、あっ、本来は損傷、疲労の状況と相談しつつ反復出撃の予定でしたが……今回は、その……」

「あんな事があったのだ。三人にはしばらく休んでもらっても構わないか」

「はっ。勿論です」

 

 備蓄回復作戦責任者、大淀さんの了解を得て、俺は抱きしめていたイムヤを身体から離す。

 目を潤ませて俺達の様子を見つめていたイクとゴーヤにも目を向けて、今はしっかり心と身体を休めるようにと伝えた。

 

「えぇー。お休みが欲しいってずっと思ってたけど……ゴーヤ、今は何だか無性に働きたい気分でち!」

「イクも! まだまだ行けるの! スナイパー魂が滾るのね! 名誉返上、汚名挽回したいのね!」

「無理して難しい言葉使わないでもいいでち」

 

 意外にも、イクとゴーヤは再出撃したいようであった。

 先ほどの失敗を取り返そうとしているのだろうか……。

 なんだかキラキラ輝いて見えるし、無理はしていないようだが……本人達はよくても、俺のメンタル的に再出撃は控えてもらいたい。

 イムヤを見ると、自分が信頼されていないとでも勘違いをしたのか、茫然と口を開き、(ハイライト)の消えた目を潤ませて、ガクガクと肩を震わせていた。

 

「し、司令官……私も、もう万全だよ? そ、それとも……や、やっぱりイムヤの事、嫌いに、キライニ」

「エッ⁉ ば、馬鹿っ。そんな訳があるか。そういう事では無い。私がこれから指揮を執るに当たって、いつでも出撃できるよう備えていてほしいという事だ。お前達の力がすぐに必要な時に、すでに出撃していたでは困るからな」

「そ、そうだよね、えへへ……そういう事なら……うんっ、了解。しっかり休ませてもらうね!」

「う、うむ。報告書は急がなくてもいいからな」

 

 ほっとしたような笑顔を浮かべたイムヤであったが、よく見たらこいつも瞳孔開いてんぞ……。

 轟沈騒ぎで改修資材(ネジ)が頭から二、三本抜け落ちてたりしてない? 大丈夫?

 ま、まぁ、あんな事があったばかりだからな。疲れているのだろう。うん。

 今はゆっくりと休んでもらおう。

 

「さ、磯風も戻りますよ。駆逐艦は一旦、自室にて待機と大淀から命令が出ています」

「いや、浜風。悪いがこの磯風は司令の……お、おい! 浜風、谷風! やめろ! 引きずるな! オゴゴ、う、浦風! 首を絞めるな!」

「おどりゃ覚悟せぇよ……部屋に戻ったら折檻じゃ! ふんっ!」

「かぁ~っ! ちっとばかし独断専行が過ぎるってんだ畜生め! この谷風さんもご立腹だよっ!」

「くっ、やむを得ん……司令、すまない……この磯風を置いて進んでくれ……頼む……」

 

 あっ。浜風に右腕、谷風に左腕、浦風に背後から首を固められ、磯風が力ずくで連行されていった。

 まぁ大淀も合流した今ならば、長門達に対する抑止力は足りているからな……。

 まるで出荷される子牛のごとく、三人がかりでずるずると引きずられ、諦めたような表情で俺に別れを告げた磯風の情けない姿が遠ざかっていくのを見送る。

 さらば磯風。結果的に何の役にも立たなかったが、お前の忠誠心だけはしかと受け取ったから。

 

 潜水艦隊と磯風達が戻ったところで、大淀が夕張、明石らと何やら話していた。

 どうやら先ほど話した倉庫の片付けについて説明しているらしい。

 大淀はクイと眼鏡の位置を正してから、俺に向き直って口を開く。

 

「確かにここのところ、装備の廃棄については滞っておりました。少しでも備蓄状況の足しにする事と、装備の現状把握も急務という事ですね」

「う、うむ。片付いていない状態というのは作業効率にも影響が出るからな。仕事には五つのSが大切だと言うだろう」

「五つのS……? 五省(ごせい)の事でしょうか」

 

 五省って何だ……?

 俺の考えているものとは違う事は確かだが、まさか知らないとは言えん。

 大淀さんの中で俺の評価がまた下がってしまう。今後の査定にも響くだろう。

 もっともらしい言葉を探して5Sの事を話してしまったが、五省とやらの事は上手く誤魔化さなければ……。

 

「いや、それとは別だ。整理、整頓、清掃、清潔、そして躾……最後のは私は習慣と考えているがな。この五つの頭文字を取って5Sと言う。聞いたことは無かったか」

「は、はっ。初耳です」

「そうか。『整理』は不要なものを処分する事。『整頓』は必要なものを必要な時にすぐに取り出せるようにしておく事。清掃、清潔は言葉通りだな。そして『習慣』……これが最も大切なのだ」

「習慣、ですか」

「うむ。本来の目的を忘れて整理整頓に集中しすぎず、無意識にその状況を保てる状態にするというのが理想だな」

 

 前の職場での研修で教えられた、仕事の基本の概念である。

 デスク周りやオフィス、パソコンの画面上にまで色んな事に応用できる良習慣であると俺は考えている。

 無論、これにこだわりすぎるのも本末転倒だ。

 習慣づけられ、無意識にその状態をキープできるようになれば、作業効率は各段に上がるであろう。

 ちなみに俺も自室は清潔に保っているし、オータムクラウド先生の作品含む薄い本は作者やジャンルごとに整理整頓、ティッシュの箱も常に定位置とする事で、デイリー任務(オ〇ニー)という悪習慣が非常に捗っていた。クズである。

 

「なるほど……デイリー任務には廃棄任務もありますし、装備改修に必要となる装備もあります。不要な装備とそうでないものを整理整頓し、今後の資材管理計画や改修計画にも活かす事ができますね。今までは何の装備がいくらあるのかも満足に把握できておらず、必要時にはこれらの山をひっくり返して引っ張り出すような状態でしたから、それらの不要な時間を削減する為にも、整理整頓を習慣づける事は必要、と」

 

 大淀が納得したようにそう呟いた。

 デイリー任務とか言い出すから心読まれたかと思ってビビった。

 

「う、うむ。そういう事だ。それで、夕張と明石だけでは人手が足りないと思っていたところでな」

「了解しました。それならば、夕張と明石には中心となって仕切ってもらう事として、現在手が空いている戦艦、空母、重巡などの皆さんにも手伝ってもらってはいかがでしょうか。……元気が有り余っている人達もいるようですし」

 

 どこかトゲのある言葉と共に、ジロリ、と大淀が鬼達を横目に見ると、赤城と加賀は気まずそうに前髪をいじりながらその眼を逸らした。

 那智は何かを誤魔化すかのように咳払いをし、神通は「申し訳ありません……」などと小声で言いながら肩を縮こまらせている。

 長門に至っては「お、大淀……」などと情けない声を漏らして、おろおろと狼狽えているではないか。

 横須賀鎮守府の黒幕、大淀さん半端ねェ……!

 やはり表のリーダーは長門であるが、裏で実権を握っているのは大淀さんという事か……。

 大淀の声かけにより、この場に集まった艦娘達は倉庫の片付けを手伝ってくれるようだ。

 

 しかしそれでもこの大量の装備品の山を片付けるには一苦労であろう。

 そもそもはグレムリン共の要求によるものだ。

 艦娘達だけに働いてもらうのも悪いし、アイツらにも動いてもらおう。

 俺は倉庫の中に向かって、ぱんぱんと手を叩いた。

 

「よし、今から倉庫の片付けを行う。お前達も手伝いなさい」

 

『提督さんが呼んでるよー』

『皆ー、集まれー』

『第二次童貞祭りだー』

『おー』

『わぁぁー』

『わぁい』

『はぁーよいしょ』

『それそれそれー』

 

 装備品の山からわらわらと湧いてきた大量のグレムリン達は、いつの間にかまたしても桜色の法被を纏っており、俺の周りで童貞音頭を踊り出した。

 いやお祭りじゃねェよ! 散れ! そして働け‼

 不意に視線を感じたので振り向くと、艦娘達があんぐりと口を開けて俺の情けない姿を見つめていた。

 鹿島に至っては「か、可愛い……!」などと呟きながら肩を震わせ、口元を隠して必死に笑いを堪えている。

 俺の提督アイには、明らかに俺の童貞と股間のサイズを嘲笑する淫魔の笑みが映っていた。凹む。

 駄目、見ないで、見ないでぇーっ‼

 

「んんっ! 整列ッ!」

 

 咳払いをしてからそう叫ぶと、グレムリン達は俺の目の前の足元に見事な隊列を作った。

 初めからそうしてくれ。艦娘達の前で何してくれてんだ。提督の威厳が下がっていく一方ではないか。凹む。

 

「今から皆が倉庫の片付けをしてくれる。お前達も手が空いている者は手伝ってくれ」

『ウホッ』

 

 いやゴリラ語で返事すんな。俺はリスニングできねェって言ってんだろ。

 敬礼と返事が一糸乱れていなかったのは凄いと思うけど。馬鹿にしてんのか。

 

「フフ……声は聞こえずともこの長門にはわかるぞ。いい返事だ、胸が熱いな……」

 

 ゴリラ語に反応すんのやめてくんない?

 ドヤ顔で満足気に頷いている長門には構わず、俺は大淀に目を向けた。

 俺の情けなさに呆れ果てたのか、まだ口を半開きにして呆けている。

 

「この妖精さん達にも手伝ってもらう事に……どうした?」

「い、いえ……この程度ではもう驚きませんけどね、えぇ……了解です。妖精さん達と協力しながら進めて行きましょう」

「うむ。夕張、明石。悪いがよろしく頼む」

「は、はっ! 了解! よーし、それじゃあ、まずは一度、全部外に持ち出しましょう。そこで装備の種類ごとに大きく分けて……」

 

 夕張と明石の指示が飛び、艦娘達はわらわらと動き出す。

 それを眺めていた俺の近くには、大淀と川内、神通、那珂ちゃん、そして秘書艦の羽黒と鹿島だけが残っていた。

 意を決したように、川内が神通と那珂ちゃんを引き連れて俺に向かって頭を下げる。

 

「提督、ごめん! 昨日、一緒に夜戦演習してたのに、満潮が疲れてるのを見抜けなくて……最初は、大淀は霞を編成してたんだけど、満潮を推薦したのは私なんだ」

「そこまで疲労していたとは思わず……申し訳ありません」

「那珂ちゃんも、ごめんなさーい……」

「提督、満潮の疲労に気付けなかったのは私も同様です……申し訳ありませんでした」

 

 神通に那珂ちゃん、大淀まで、俺に向かって深く頭を下げてきたではないか。

 な、何を考えているんだコイツらは……これも大淀の策略の一つなのか。

 俺にしてみれば、グースカ爆睡しているクソ提督に代わって指揮を執ってくれたのだから感謝こそすれど失敗を責める資格などあろうはずもない。

 大淀が今までと変わらない態度なのは、おそらくまだ俺には有能提督を演じてもらい、その陰で黒幕として立ち回る為で間違いない。

 修羅は置いておいて、川内と那珂ちゃんは俺に反抗的には見えないが……女の子の気持ちはよくわからん。

 わからん、わからんが……ともかくこれ以上俺の株を下げないようにしつつ、うまくフォローせねば。

 

「い、いや。今回の件は仕方が無い。本人からも話は聞いたが、疲労を隠していた満潮にも非はあるからな」

「でも、天龍は満潮が疲れ切ってる事に気が付いてたんだ……私達がもっと気を付けていれば防げた事だった」

「天龍が……そうか。天龍ならば当然だろうな。うむ、流石だ」

 

 天龍は昨夜、誰も気付けなかった俺の腹痛に唯一気付いた存在だからな。

 天龍がいなければあの歓迎会場は大惨事となり、俺は今頃ここにはいない。

 満潮が隠していた疲労について見抜いたとしてもおかしくはないであろう。

 俺が一人で納得して小さく頷くと、川内と大淀がぐぬ、と小さく唸った。

 いかん。何か気に障っただろうか。

 

「し、しかし、満潮を推薦した事は間違っていないと思うぞ。私であったとしても、今回は霞ではなく満潮を編成しただろう」

「えっ」

 

 そう、後で知った事であったが、そもそも昨日から満潮が塞ぎ込み、今日の失態に繋がったのは、元はと言えば俺が満潮だけを第八駆逐隊から外してしまったからだ。

 満潮のデリケートなメンタルを知った今ならば、そんな愚かな編成はしないと断言できる。

 そもそも霞と満潮の練度の差も、僅かなものだ。ならば満潮の気質を優先した方がいい結果に繋がったであろう。

 つまり、俺の編成を川内と大淀が訂正し、満潮を推薦したのは何ら間違った事では無いのだ。

 本日起きてしまった失敗は、元を辿れば全部俺のせいなのだから。凹む。

 

「初日はまぁ、私にも考えがあって霞を編成したが、そうでないならば満潮を編成するのは自然な事だ。だから大淀も川内も、これ以上気に病まないように」

「そう言って……下さいますか……」

 

 深い考えが無かったから霞を編成したわけだが、流石にそんな事を口にできるはずもない。

 建前上のものだとは思うが、大淀はぺこりと小さく頭を下げた。

 川内はしばらく深く項垂れ、やがてすっぱり切り替えたかのように顔を上げると、笑みを浮かべた。

 

「……わかった。この失態は次の夜戦で取り返すから! だから早く夜戦! やっ、せっ、んー!」

「ね、姉さん……! ほら、那珂ちゃんもこちらを手伝って」

「えぇー、倉庫の片付けとか裏方の仕事でしょー? アイドルっぽくないしー」

「……」

「じょ、冗談でぇーすっ! アイドルは下積みも大事っ! きゃはっ!」

 

 修羅に連れられて、那珂ちゃんと川内も片付けに取り掛かった。

 艦娘達は倉庫の中に山積みになっている主砲、魚雷発射管、電探、機銃、などなどを、まるで段ボール箱でも運ぶかのように両手で持ち、ひとつひとつ、次々と外に運んでいく。

 観察してみれば、龍驤ですら両腕いっぱいに艦載機を抱えて、しかし楽々と歩いている。

 傍から見ればラジコン抱えた小学生……いや、これは言わないでおこう。

 ともかくそれらの装備品はどう見ても鉄の塊にしか見えないが、駆逐艦ですら足の先やら手の先に装備してぶん回してるからな……多分そんなに重くないのだろう。

 

『運べー』

『おー』

『わぁぁー』

『わぁい』

 

 手乗りサイズのグレムリン共でさえも数人がかりで一つの装備を運んでいる。

 少し興味が湧いて、俺はその辺に転がっていた小口径主砲を両手で持ち上げようとした――お、重ッ⁉

 なんだこれは。全然持ち上がらん。

 小学生型の駆逐艦達でさえこんなものを振り回して戦っているというのか……⁉

 チワワのごとくプルプル震えながら、男のプライドと共にせめて数センチだけでも持ち上げようとしていると、ぽん、と肩に手が置かれた。

 振り返れば、まるで米俵か何かのごとく大口径主砲を片方の肩に軽々と担いだ長門(ゴリラ)が、俺を鼻で笑いながら言ったのだった。

 

「フッ……提督の力では無理だ。提督はその辺で見ていればいい」

 

 ストレートな戦力外通告キタコレ! 凹む。

 男のプライドがズタズタである。

 初日の俺への人望皆無宣言といい、このゴリラ手加減とか手心というのを知らないのか。

 いや知っていれば哀れな駆逐イ級が打ち上げ花火と化す事は無かったであろう。

 

「し、しかしあの龍驤ですら軽々と持ち上げているというのに……」

「なんやなんや。うちの名前が聞こえたでぇ? うちが非力やっちゅーんか?」

 

 まるで因縁でもつけるかのように、しかしどこか嬉しそうに、龍驤がとことこと足早に寄って来た。

 おそらく本気で怒っているわけではなくからかわれているだけだとは思ったが、コイツはコイツで俺の事をもうアカンわとか言ってたからな……凹む。

 

「い、いや。そういうわけでは無いのだが、その小さな体で頑張ってくれていると」

「誰が小さな体やねん! あっ、それとも……ほっほぉ~ん? うちの事、大切に思ってくれてるん? それはちょっち嬉しいなぁ~♪」

「哀れね」

「何やねんお前! しばくぞ!」

 

 遠くから冷ややかな視線を向けていた加賀が吐き捨てた言葉に、龍驤はずかずかと詰め寄って行った。

 う、うむ……てっきり見放されたと思っていたが、思っていたほど龍驤も敵対的ではないような……まぁいいや。

 すると俺達の様子を近くで見ていたのであろう童貞殺し(チェリースレイヤー)さんが、右手に持った教鞭でぴしぴしと左の掌を叩きながら歩み寄ってきた。

 童貞は全て搾り殺すとでも言いたげな、わくわくしているような微笑みだった。

 何だかやけに嬉しそうだが、な、なんだその教鞭は。まさか俺に新たなプレイを叩きこもうと……。

 

「提督さんっ。これらの装備は艦娘には軽く感じられるみたいですけれど、人間にはとても持ち上げられない重さに感じられるそうですよっ、えへへっ」

「そ、そうなのか」

 

 鹿島は人差し指をぴっと立たせて、眉毛だけを吊り上げてドヤ顔で微笑む。

 

「そうなのですっ。ただ、長門さんの担いでいる大口径主砲みたいに装備できないものは、私達でも持ち上げられませんけど。うふふっ、楽しい……っ♪」

「……な、何がだ?」

「えっ、あ、な、何でもないですっ。……えへへ」

 

 くそっ、マジでいちいち可愛いなコイツ……。

 何でそんなに嬉しそうなんだ。あと何でさっきから教鞭ぴしぴししているんだ。

 香取姉の真似なのだろうか……この童貞殺し(サダオボルグ)、どう見ても本日はSMプレイですとか言い出すようにしか見えんのだが……。

 鹿島はおそらく『魅了(チャーム)』系の常時発動(パッシブ)スキルを保持している。

 あまり近くで長時間視界に入れていると、俺の理性は崩壊するであろう。気をつけねば。

 油断していると、また俺の提督七つ兵器が誤作動を起こしかねん。

「そうか」と短く答えて、俺は鹿島から目を逸らすように、働く艦娘達に目を向ける。

 鹿島の魅力に負けず、今日からは真面目にやらねば……。

 

 むむっ。あれは横須賀十傑衆第四席・千歳お姉と千代田!

 通称ちとちよ姉妹。俺の提督アイはその名に隠れた真実を見逃さない。

 

 ちとちよ姉妹→chitochiyo姉妹→toyochichi姉妹→豊乳(とよちち)姉妹!

 

 そう、あの二人こそ、横須賀鎮守府の誇る爆乳三本柱(俺調べ)の偉大なる二柱ではないか。

 ちなみにあと一人は間宮さんである。横須賀十傑衆、マンマ祭り四人衆に加えてまさかの三冠である。結婚したい。

 間宮さんのそれを大玉ビッグバン(スイカ)と形容するならば、さながら千代田はメロン、千歳お姉はメロンエナジー……!

 ミックス! 二人揃って豊乳姉妹(ジンバーメロン)! ハハーッ!

 その神々しさに思わず頭を下げてしまいそうになったが、何とか堪えた。

 

 千代田は千歳お姉にべったりくっつくかのように、並んで歩いている。

 その腕には主砲が抱えられており、意図しての事では無いのだろうが、主砲の上にはたわわな果実が二つ乗せられているではないか。

 俺の目視によれば一つ一キロは軽く超えているのではないか……?

 つまり千歳お姉と千代田は龍驤などに比べて数キロ分余計な重さを運んでいるという事に。

 何という事だ。作業効率向上の為、今すぐにでも後ろに回ってその果実の重量だけでも支えてあげパイ。

 そう、やむを得ない事だ。装備を運べない俺が力になるにはこれしか――!

 

 いや落ち着け。やけに脳内がピンク色になってしまう。きっと鹿島のせいだな。

 うーむ、しかしデカい。惚れ惚れしてしまうな。

 大は小を兼ねる。至言だなこれは。

 駄目だ、目が離せん。ちとちよ姉妹のたわわなメロン畑に俺の頭もメロメロン。

 千代田もデカいが、やはり千歳お姉の方が姉なだけあって大き……ん?

 いや、よく見れば、千代田の方は千歳お姉よりも全体的にムチムチしているというか、胸元もパッツンパッツンだ。

 一方で千歳お姉の方は腕も脚もすらりとしていて、胸元もぴったりフィットしているような感じがする。

 俺の提督アイは真実を見通す。

 おそらく千代田は無理してサイズの小さい服を着ているような状態なのだ。

 胸も押さえつけられており、結果的に千歳お姉と同じくらいに見えるが、実は若干千代田の方が上であろう。

 全体的なムチムチ感……焼き芋とかの食いすぎで余計なバルジができたのだろうか。

 艦娘の状態を把握するのも提督の仕事。よし、青葉辺りを上手く誘導して水上機母艦乳比べとか記事にしてもらえば……いや水上機母艦はあの二人しかいないからついでに戦艦乳比べを――。

 

「――提督さん、さっきから何考えてんの?」

「うむ。千代田の方が千歳よりも上なのではと思ってな……本来の姿を抑え込んでいるのではないかと」

 

 ……ん?

 反射的に答えた俺が首を回すと、いつの間にか側にいた瑞鶴が、俺の事を軽蔑したかのような視線をじーっと向けていたのだった。

 オォォォアアアアア‼!?

 い、いかん! 要注意人物の瑞鶴ではないか!

 コイツ俺の視線に気付いて――⁉

 俺の予感は当たっていた。

 瑞鶴は俺の言葉を聞いて、顔を真っ赤にし、叫ぶように詰め寄ってきたのだった。

 

「へー⁉ 確かに千代田の胸キツそうだもんね⁉ 私達が働いてる時に水上機母艦乳比べしてたってわけ⁉ へぇぇー⁉ 提督さんそういうのが趣味なんだー⁉ 何考えてんの⁉ 信じらんない!」

「ままま、待て待て待て‼ それは違う! 誤解だ! それは誤解なんだ‼」

 

 やメロォォォン‼

 大声で叫ぶな! 本人達(メロン畑)に聞こえてしまう!

 くそっ、エスパーかコイツは⁉

 何で水上機母艦乳比べを画策していた事まで読み取って――⁉

 ち、違うのだ。俺がおかしくなったのは多分鹿島のせいなのだ。

 もちろん何も違わないし、誤解でも無い。

 俺の下手な弁明が通用するはずもなく、俺はじりじりと後退し、ついには壁際まで追いつめられてしまう。

 俺よりも背の低い瑞鶴に壁ドンされてしまう始末であった。

 ア、アカン! 現行犯逮捕の危機――⁉

 

「いーや! 嘘だね! じっと千代田達の胸の辺りを凝視してたのを私は見てたっ! そしてしょうもない事考えてたっ! 私にはわかる! 提督さん、吐くなら今の内! 早い内に認めちゃった方が楽になるよ。……薄々気付いてたし、私は別に今更そんな事で軽蔑なんてしないからっ」

 

 俺の心読んでんのかコイツ……⁉

 くっ、やはり俺の妹、千鶴ちゃんによく似ている時点で相性が悪いと思っていたが、まさかここまでとは……!

 思い返せば、俺がエロ本や薄い本を購入して帰ってきた時、千鶴ちゃんは一目見ただけで俺の不審を感じ取り、必ずその場で荷物を改められてバレてしまうのだ。

 鞄の奥にしまおうが、ズボンに挟んでシャツの下に隠そうが、百パーセント看破される。

 そして機嫌が悪くなる。巨乳モノだった時は今の瑞鶴レベルに悪くなる。

 くそっ、瑞鶴も千鶴ちゃんと同様に、俺の不埒な雰囲気を感じ取る才能があるという事か……⁉

 

「ちょ、ちょっと瑞鶴さん……!」

「ねぇ、何を騒いでいるの?」

「ち、千歳さん、これは、その」

 

 大淀が瑞鶴を宥めようとしてくれたが、時すでに遅し。

 これだけ大声を出して艦娘達が気付かないわけがない。

 千歳お姉や千代田だけでなく、他の艦娘達までわらわらと寄ってきてしまった。

 逃げ場無し! 八方塞がり!

 

 いや、天才的頭脳をフル回転させて考えろ……!

 この逆境から生還する術を……!

 先ほど集音器で盗聴した事を思い出せ。

 そもそも俺がエロい事を考えているという思惑は、すでに一部の艦娘達にはバレている線が強い。

 加賀には救いようが無いとまで言われるほどである。

 ならば、何故瑞鶴はわざわざこんな騒ぎを起こしてまで、俺の口からそれを認めさせようとしているのだろうか。

 今更軽蔑しないだなんて、そんなわけがない。

 もしもできる者がいたならば、それはもはや聖女ではないか。

 俺の最低な内面を知ってなお受け入れてくれる聖女がいれば俺だって今すぐ結婚したいくらいだ。

 そう考えれば、あれ? 夕張とか明石とか……い、いや! 勘違いするな!

 二人もきっと表面に出していないだけだ。いかんいかん。

 甘い言葉に釣られて、危うく自供してしまいそうに――。

 

 ――繋がった。脳細胞がトップギアだぜ!

 

 俺の記憶の片隅にあった『シュレディンガーの猫』という言葉。

 何か難しくよくわからないが、端的に言えば例え話である。

 間違っているかもしれないが、物事は観測された時点で決定する、的な。まぁそんな意味だったはずだ。

 箱の中に入れた猫が一時間後に半々の確率で死んでいるとする。

 そして一時間後、箱の蓋を開けて中身を確認するまでは、猫の生死は確定していない。

 つまり、死んだ猫と生きている猫という状態が同時に存在しているという事になる。

 実際にはどちらかなのだろうが、その状態を観測されて生死が初めて決まるという事だ。多分。

 

 つまり、俺の口から本性を言い出していない現状、艦娘達から見て俺の中にはドスケベクソ提督とそうでない提督の二人が存在している事になる。

 実際のところ証拠はほとんど揃っており、俺がドスケベクソ提督である事は明らかなのだが、それでもまだ確定はしていないのだ。

 

 警察の取り調べが時に度が過ぎてしまい、無実であるにも関わらず自供を強要され、冤罪で罰せられるという痛ましい事件も存在する。

 何故そんな事になるかと言えば、俺にも詳しくはわからないが、自供させるのが一番楽だからだと思う。

 一度言質を取ってしまえば、それが間違っていても真実になるのだから恐ろしい。

 

 ――つまり、瑞鶴は俺の口から、はっきりと認めさせたいのだ。

 その瞬間、俺がドスケベクソ提督であるという事実が観測され、もはや誤魔化しようのない事実となる。

 しかし認めない限りは、それは確定しないのだ。

 何しろ物的証拠は何もない。俺の頭の中にしかないし、視線を掴まれたのは痛いが、誤魔化しようはいくらでもある。

 

 シュレディンガーの猫ならぬ、シュレディンガーの色欲童帝(シココ)……!

 なるほど、瑞鶴の狙いは読めた……。目的は俺の口から自供させる事……!

 だが俺も見苦しいほどの悪あがきには定評のある男。絶対認めねェ!

 俺が千代田達の胸を凝視していたという事実は覆せない。

 だがその意図は誤魔化せる……よし! これでいくしかねェ!

 

「えっ、提督が私達の胸を……? ちょ、ちょっと……やだぁ」

「……て、提督、本当なのですか?」

「まったく……哀れね。本当に救いようがないわ」

 

 千代田は胸を隠すように腕組みをして、俺にジト目を向ける。

 千歳お姉は困惑しながらもなんとか平静を装おうとしているように見えた。優しい。

 加賀が冷めたような、呆れたような眼で俺達に目を向けて溜め息をついている。凹む。

 

 覚悟を決めて、俺は至近距離で俺を睨みつける瑞鶴の肩に手を置いて、そっと押しのけた。

 そして千歳お姉と千代田に目をやって、真剣な表情で深く頭を下げたのだった。

 

「瑞鶴の言う通り、千歳と千代田の胸の辺りを凝視していたのは本当だ。本当に済まない」

「えぇっ⁉」

 

 艦娘達が大きくざわめいた。

 まさか俺が自ら認めるとは思っていなかったのであろう。

 千歳お姉も慌ててその胸を隠すように腕を組む。凹む。その腕で柔らかな胸が変形する。ダンケ。

 だが勿論これで終わりでは無い。これで終わったらただの視姦宣言ではないか。

 俺は間を置かずに言葉を続ける。

 

「だが、そういう意図で見ていたのではないのだ。そこだけは、誤解されたくはない……。だが、瑞鶴が勘違いをしたのも無理は無いのだから、今後、瑞鶴を責めないでやってくれ」

「はぁぁ⁉ ちょっと提督さん! 何を人のせいに……往生際が悪いよ‼ それなら一体何を考えてたっていうのよ⁉」

「それは……言えない」

 

 必殺・黙秘権の発動であった。

 俺はなるべく深刻そうな表情を作り、納得など当然出来ていない様子の瑞鶴から目を逸らし、千歳お姉に目をやった。

 狙うべきは瑞鶴と千代田ではない。千歳お姉に集中するのだ。

 千代田はともかく、横須賀十傑衆第四席・千歳お姉は優しいからきっと許してくれる。

 千歳お姉が許してくれれば、シスコンの千代田もきっと許してくれる。

 本人達が許したのなら、部外者の瑞鶴が騒ぐ意味もなくなるであろう。示談成立!

 被害者である千歳お姉の優しさに頼るという、我ながら最悪の解決策であった。

 

「千歳、そして千代田。不快な思いをさせてしまって済まなかった……今の事は忘れてくれると助かる……」

「え、あ、あの……」

「忘れてくれ。そして今後、話題にも出さないでくれ。この話は終わりだ」

「そ、それは、あの、はい……あっ、何処へ」

「間宮を待たせたままだったからな……昼食を食べてくる」

「て、提督さんっ、私達は……」

「鹿島と羽黒は大淀の指示に従ってくれ。後で私も執務室に戻る。大淀、後は頼んだ」

 

 事態の収束を大淀に丸投げし、俺は逃げるように足早に倉庫を去ったのであった。

 千歳お姉と千代田の胸を凝視していた事さえも否定すれば、瑞鶴にそこを突かれるであろう。

 ひとつ嘘をついていた事が明らかになれば、圧倒的に不利になる。

 周囲の艦娘達の心証も最悪になるであろう事は明白だ。

 故に、そこは認め、素直に謝る。

 だが、瑞鶴でもはっきりと確定できていない、「俺が胸を凝視していた意図」については一切黙秘!

 これにより、瑞鶴による俺への追及はそこで止まってしまい、迷宮入り。後は時効が成立するのを待つのだ。

 我ながら見苦しいが、あの場を切り抜けるにはこれしか思いつかなかった。

 

 これからは、瑞鶴の見ている前では一層挙動に気をつけねば……。

 そして大淀さん……! できればあの状況さえもその手腕で何とかしてくれ……‼

 俺にまだ……利用価値があるなら!

 こんなドスケベクソ提督でマジすいません……‼

 

 鬼達が再び追ってこない事を祈りつつ、俺は甘味処間宮(天国)へと現実逃避したのであった。




大変お待たせ致しました。
思ったよりも長くなってしまった為二つに分割しようかとも思いましたが、あえてまとめて投稿する事にしました。

七駆の秋刀魚グラが可愛くて色々捗ります。
曙が普通に提督って呼んだ事と、朧が「曙ちゃん、磯風ちゃん」とちゃん付けで呼んでいた事が色々衝撃でした。
朧は呼び捨て系だと思っていました。

リアルの都合上更新が不定期ですが、気長にお待ち頂けますと幸いです。
余談ですが、今月の「おねがい! 鎮守府目安箱」は私のケッコン艦予定の春風回です。


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050.『視線』【艦娘視点】

 私と共に謝罪を済ませた川内さん達は、他の艦娘達と共に装備品の片付けに入った。

 私も手伝うべきか一瞬考えたが、提督はあえて私を、そう、この大淀を秘書艦から外し、他の艦よりも高度な補佐が出来るようにと考えている。

 自称しているだけの磯風とは違い、私は提督じきじきに信頼していると御言葉を賜った、自他共に認める右腕――言わば真の秘書艦、いや秘書艦統括……。

 これは決して自惚(うぬぼ)れでは無いと断言できる。

 先ほどのイムヤの轟沈騒ぎの際、提督は私の名を大声で呼んでから命令を発した。

 秘書艦の羽黒さんや鹿島ではなく、艦娘達のリーダーである長門さんでもなく、他ならぬこの私の名を呼んで下さったのだ。

 その瞬間――提督が私へ多大なる信頼を預けてくれている事が心で、魂で理解できた。

 それを考慮すれば、秘書艦の羽黒さん、鹿島と共に提督の側に控えるべきであろう。

 明石と夕張が工廠担当に任命されたのだから、それを私が、そう、秘書艦統括たるこの大淀が仕切る必要は無い。

 適材適所、役割分担――そういう事である。フフフ。右腕。

 

 しかし、私に備蓄回復作戦を一任し、提督自身が次に何を立案するかと考えていたが……まさか倉庫の整理などに目をつけるとは思わなかった。

 前回の勝利の勢いに乗って、このまま太平洋側の制海権を広げていく神策を湯水のごとく編み出していくものだと期待していた事からすれば、それはあまりにも拍子抜けで――そして私はまた自分を恥じる事となる。

 先の事ばかり、前の事ばかりに目が行っていて、足元が(おろそ)かになっている事を失念していたのだ。

 主に必要とする装備の類はある程度手の届くところに保管しているが、そうでないものは前提督のデイリー装備開発の結果生まれた装備の山に埋もれてしまっている。

 これではいざ必要とする時に、この山をかき分けて探す事から始めなければならない。

 そんな時間さえも無い、切迫した状況であったならば――倉庫の片付けをしていなかった、ただそれだけで救えたものが救えなくなるかもしれない。

 

 どんな神策よりも、基礎、基本――それはあまりにも当たり前の事。

 不要なものを処分する事。

 必要なものを必要な時に、すぐに取り出せるようにする事。

 整理整頓。清掃、清潔――そして習慣。

 

 常にそれが当たり前の状態を保つ事。

 そんな単純な事が、私達はこの一か月間出来ていなかった。

 その間、倉庫の山に埋もれた装備の何かが必要とならなかったのは、ただの幸運だったのだ。

 まずは足元を固める事、そうでなければ、いつ足を掬われるかわからない。

 時は一刻を争う――この倉庫の整理もまた、立派な戦いだ。

 ただ落ち込む為にこんなところに引きこもるとは思っていなかったが……おそらく満潮を励ます際に倉庫の現状が目についたのだろう。

 夕張ではないが、こんな基本的な事さえもできていないと思われていないか、この一か月間長門さんと共に横須賀鎮守府を指揮してきた立場として今更ながら恥ずかしくなってきた……。

 

 私がそんな事を思案している内に、提督は何やら長門さんや龍驤さんに声をかけられている。

 何やら小口径主砲を持ち上げようと試みていたらしい。

 そんな提督を見て、鹿島が嬉しそうに教鞭をぴしぴししながら歩み寄っていく。

 

「提督さんっ。これらの装備は艦娘には軽く感じられるみたいですけれど、人間にはとても持ち上げられない重さに感じられるそうですよっ、えへへっ」

「そ、そうなのか。」

「そうなのですっ。ただ、長門さんの担いでいる大口径主砲みたいに装備できないものは、私達でも持ち上げられませんけど。うふふっ、楽しい……っ♪」

「……な、何がだ?」

「えっ、あ、な、何でもないですっ。……えへへ」

 

 くっ……あざとい……。

 い、いや私は何を。こういう事は昨夜自己解決したかと思っていたが、全然吹っ切れられていない自分が情けない。

 鹿島は天然だ。計算であぁいう態度を取っているわけでは無い。

 提督の秘書艦を務められているという嬉しさが堪え切れず、笑いが漏れてしまうだけなのだ。

 だが鹿島の男性からの異様な人気……やはり明石の装備改修のような固有性能のように、鹿島にも男性を魅了する固有性能が……いや、だから私は一体何を馬鹿な事を考えているんだ。

 こんな有り様では提督の右腕など名乗れない……。提督の領域はまだまだ遠い。

 やはり提督も鹿島の魅力の前にはくらりときてしまうのではという私の心配など露知らず、提督は「そうか」とそっけなく答え、何事も無かったかのように鹿島から目を背けた。

 て、提督……流石です!

 

 鹿島から逸らされた提督の視線は、ある一点でぴたりと固定された。

 その先を辿ると、千歳さんと千代田さんが並んで主砲を運んでいる。

 千歳さんと千代田さん姉妹に、何か気になる点でもあるのだろうか……。

 

 提督の視線を更に正確に辿れば、千歳さんと千代田さんの胸元を見比べるかのように行ったり来たりしている。

 む……胸を……見比べて……ッ⁉

 い、いや落ち着け。これではまるで瑞鶴さんではないか。

 つい先ほども話したばかりだ。提督はその神眼で艦娘達の性能を計る癖があると推察されている。

 その為にはしばらく凝視する必要があるのだろう……そうだ、あの真剣な眼光はそういう事だ。

 だから千歳さんと千代田さんの胸を……ッ、胸を見比べているわけでは無い……!

 い、いや、そもそも性能を計るだけならば見比べる必要があるのか……⁉

 提督の視線はメトロノームのごとく一定のリズムで千歳さんと千代田さんの胸を往復している。

 あれではまるで、どちらが大きいか水上機母艦乳比べでもしているかのような……!

 そ、そんな、提督がネタに困って倒錯したかつての青葉と同じ領域にあるはずは無い!

 し、しかし、それならばあれは一体……⁉

 

 私が必死に答えを探していると、つかつかと提督に向かって歩いていく人がいる。

 ――瑞鶴さんであった。

 提督はかなり集中しているのか、瑞鶴さんが近くでじっと視線を向けても気付いていない。

 瑞鶴さんの視線が蔑むような色を帯び、そして静かな声色で口を開いた。

 

「――提督さん、さっきから何考えてんの?」

「うむ。千代田の方が千歳よりも上なのではと思ってな……本来の姿を抑え込んでいるのではないかと」

 

 千代田さんの方が千歳さんよりも上……⁉

 どういう事だ。性能的に二人は互角。いや、性能だけではなく経験や判断力なども含めて判断すれば、総合力では千歳さんに軍配が上がる。

 提督は一体何を見て――。

 私がそれを考察する間もなく、提督の言葉を聞いた瑞鶴さんは瞬時に頭に血が上ったかのように顔を赤くして、責めるような口調で声を上げた。

 

「へー⁉ 確かに千代田の胸キツそうだもんね⁉ 私達が働いてる時に水上機母艦乳比べしてたってわけ⁉ へぇぇー⁉ 提督さんそういうのが趣味なんだー⁉ 何考えてんの⁉ 信じらんない!」

「ままま、待て待て待て‼ それは違う! 誤解だ! それは誤解なんだ‼」

「いーや! 嘘だね! じっと千代田達の胸の辺りを凝視してたのも私は見てたっ! そしてしょうもない事考えてたっ! 私にはわかる! 提督さん、吐くなら今の内! 早い内に認めちゃった方が楽になるよ。……薄々気づいてたし、私は別に今更そんな事で軽蔑なんてしないからっ」

 

 鉄仮面の提督が珍しく、激しく動揺していた。

 それはそうだろう。瑞鶴さんの言葉通りではまるで救いようのないムッツリスケベの変態ではないか。

 たとえ常に冷静沈着であろうと心がけている提督であろうとも、冷静に対処できずともおかしくはない。

 しかし私の考えていた事がやはり瑞鶴さんと同レベルだった事が、地味に……悔しい。

 提督が否定していた通り、そんなわけが無いではないか。

 真の秘書艦にして右腕たるこの私が情けない……。まだまだ未熟だ。

 と、とにかく落ち込んでいる場合ではない。騒ぎになる前に瑞鶴さんを止めなければ。

 

「ちょ、ちょっと瑞鶴さん……!」

 

 私が瑞鶴さんを宥めようと足を踏み出した瞬間、千歳さんがこちらに声をかけてくる。

 

「ねぇ、何を騒いでいるの?」

「ち、千歳さん、これは、その」

 

 駄目だ、もう内々に対処できない。

 倉庫内であれだけ大きな声を出したのだ。しかも瑞鶴さんが、提督に向かって。

 気にならない艦娘など一人もいないであろう。

 他の艦娘達も作業の手を止めて、遠巻きにこちらの様子を眺めている。

 瑞鶴さんが喚いた言葉から、騒ぎの内容は大体理解できているようであった。

 それらのざわめきから状況を読み取った千代田さんが、その胸を隠すように腕組みをしながら提督にジト目を向ける。

 

「えっ、提督が私達の胸を……? ちょ、ちょっと……やだぁ」

「……て、提督、本当なのですか?」

 

 千歳さんも提督の神眼については理解できているはずなのだが、それでもやはり胸を凝視されていたというのは恥ずかしいのだろう。

 何とか平静を装いつつも、恥じらっているように見えた。

 

「まったく……哀れね。本当に救いようがないわ」

 

 加賀さんはまったくそのような邪推はしていないのだろう。

 初日に提督を疑って失態を犯してしまったという後悔から、加賀さんは提督を二度と疑うまいと固く誓っている。

 先ほど説明したにも関わらずまだ騒いでいる瑞鶴さんに呆れてしまったのだろう。冷めた目を向けて、小さく溜め息をついていた。

 提督が豊満な乳房を凝視していたとしても、決して提督を疑う事の無い、揺らぐことの無い強固な意志。

 私もあぁなりたいものだ。提督の右腕として見習わねば……。

 

 提督は瑞鶴さんの追及の視線に困惑しつつも、必死に何かを思惑しているようであった。

 まさか本当に下心から胸を凝視しており、言い逃れの為の言い訳を考えているというはずも無いだろう。

 だが、一度ははっきりと誤解だと否定したにも関わらず、何をそんなに考え込む必要があるのだろうか。

 本当に誤解というだけであれば、瑞鶴さんの言葉はきっぱりと否定し、性能を計っていたと素直に説明すればいい。

 だというのに、何を悩んでおられるのか……。

 

 やがて提督は詰め寄っていた瑞鶴さんをそっと押しのけて、千歳さんと千代田さんにいつもの真剣な表情で頭を下げた。

 

「瑞鶴の言う通り、千歳と千代田の胸の辺りを凝視していたのは本当だ。本当に済まない」

「えぇっ⁉」

 

 私を含め、ほとんどの艦娘達は思わず声を上げた。

 千歳さんも千代田さんと同じように、慌ててその豊満な胸を腕組みをして隠し、提督から身体の前面を逸らした。

 しかし千代田さんも千歳さんも全く隠せていないというか、腕で圧迫されてむしろはみ出して、いや私は何を考えているんだ。

 頭がおかしくなってしまっている私に構わず、提督は間を置かずに言葉を続けた。

 

「だが、そういう意図で見ていたのではないのだ。そこだけは、誤解されたくはない……。だが、瑞鶴が勘違いをしたのも無理は無いのだから、今後、瑞鶴を責めないでやってくれ」

 

 ……なるほど、確かに性能を計る為とはいえ、千歳さん達の胸を凝視していたのは私も確認している完全なる事実。

 そこさえも否定していれば、提督の言う言葉とはいえ完全に嘘となってしまう。

 そうだとはいえ、女性の胸を凝視していた事を素直に認めて謝罪するとは、正直な御方だ……。

 しかし、その意図は当然、下心などでは断じて無い。

 そこだけは誤解されたくないと主張するのも、提督の名誉に関わる問題なのだから当然であろう。

 下手をすれば艦隊運用にも支障が出かねない。

 

 つまり、瑞鶴さんは早とちりをして提督の名誉を傷つけるような発言をしてしまった。

 提督が伏せている出自を考えれば不敬にも程があるが――提督はそれを許した。

 火のない所に煙は立たぬ。李下に冠を正さず。

 瑞鶴さんに疑われてしまったのも、元はと言えば艦娘達に許可を得る事なく盗み見るような事を提督がしたからだ。

 疑われるような事をした自分が悪い、だから瑞鶴さんを責めないでやってくれと、今後艦娘達の中で瑞鶴さんの立場が悪くならないようにと配慮して下さっている。

 お優しい御方だ……。

 

 だが、当の瑞鶴さんはまだ納得がいかないようで、提督を更に激しく問い詰める。

 

「はぁぁ⁉ ちょっと提督さん! 何を人のせいに……往生際が悪いよ‼ それなら一体何を考えてたっていうのよ⁉」

「それは……言えない」

 

 そう言って、提督は口を固く閉じてしまった。

 それに私は、若干の違和感を感じてしまう。

 艦娘の性能を計っていた事を素直に言えばいいのに……何故言わないのだろうか。

 いや、それだけでは二人を見比べていた理由にはならないし、そこを瑞鶴さんも問い詰めてくるだろう。

 提督が隠したがっているのは、その部分……?

 

 提督は瑞鶴さんから千歳さんへと顔を向け、そして再び頭を下げた。

 

「千歳、そして千代田。不快な思いをさせてしまって済まなかった……今の事は忘れてくれると助かる……」

「え、あ、あの……」

「忘れてくれ。そして今後、話題にも出さないでくれ。この話は終わりだ」

 

 半ば強引に押し付けるかのようにそう言って、提督は踵を返した。

 倉庫から出て行こうとするその背中に、千歳さんが声をかける。

 

「そ、それは、あの、はい……あっ、何処へ」

「間宮を待たせたままだったからな……昼食を食べてくる」

 

 そう言えば確かに提督は起床してから何も口にしていない……。

 だがこの場においては、明らかにこの話題を打ち切る為の理由としか思えなかった。

 提督にしては珍しく粗の目立つ強硬策であるが、つまりそれだけ、この話題を終わらせたい理由があるという事だろう。

 鹿島が提督に駆け寄って、秘書艦である自分達も付き添った方がいいかを問う。

 

「て、提督さんっ、私達は……」

「鹿島と羽黒は大淀の指示に従ってくれ。後で私も執務室に戻る」

 

 提督は鹿島にそう答えると、私に目を向けた。

 一切の濁りの無い水晶のような瞳が私を射抜き、耳に沁み込むような低い声で、提督は私に囁くように言ったのだった。

 

「大淀、後は頼んだ」

 

 ただ一言そう言い残して、私の返事も待たぬままに、提督は足早に倉庫を去ったのだった。

 返事を待たない――それは私の答えを聞くまでも無いから……私の事を信頼している故に他ならない。

 私の脳内には、提督が残してくれたその一言が、エコーがかかりながらリフレインしていた。

 

 ――大淀、後は頼んだ……――

 

 後は頼んだ……――

 

 頼んだ……――

 

 よ、よぉし、よぉし……! お任せ下さい! お任せ下さい‼

 貴方の真の秘書艦にして秘書艦統括、この大淀にお任せ下さい! フフフ。右腕。

 

「大淀、ドヤ顔」

「だからもう指摘しなくていいって」

 

 夕張と明石が呆れたような視線と共に何か言っていたが、そんな事はどうでもよかった。

 提督が私に求めている事は何だ。考えろ。

 話題を強制的に打ち切った形だ。瑞鶴さんだけでなく、当事者の千歳さんも千代田さんも、周りの艦娘達も不完全燃焼の状態。

 単にこの件について緘口令を敷いてしまえばそれまでだが、皆の中にもやもやが燻ったままというのは危うい。

 やはり、丸く収めなければ……その為には皆を納得させる事が必要不可欠。

 まぁ、瑞鶴さん以外の皆は、提督が下心なんて抱いていないという事は疑ってなどいない。

 皆のもやもやは、何故提督があんな妙な話題の終わらせ方をしたのか、という事だ。

 それについては、私もまだ答えが出ない。

 そうか、提督の領域に至った者であれば、提督の考えも容易く導ける。

 ここで悩んでいる時点で、私も含めた全員、提督の領域にはまだまだ遠いという事の証明なのだ。

 本当に底の見えない御方だ……。

 

 だがせめて、誰よりも早くこの私が追い付かねば……。

 私の名を呼んでくれた、私を指名してくれた提督の信頼に応える為にも……!

 

 私が必死に思案していると、翔鶴さんが慌てて瑞鶴さんに駆け寄った。

 

「ず、瑞鶴! 貴女、提督に何て失礼な事を……! 一体どうしちゃったの」

「うっ……それは、その……いや、本当はあんなに騒ぐつもりは無かったんだけど……提督さんが変な事言うものだから、つい、カッとなっちゃって……」

 

 瑞鶴さんも、感情に流されて言い過ぎたという事は反省しているようだった。

 すぐに口が、そして手が出る瑞鶴さんは少々気性が荒いと言えるが、逆に言えばあの出自を知っていながらそれだけ素を見せてしまう提督こそが凄いのかもしれない。

 提督も、私達が素の状態で接するのを望んでいるようだから、瑞鶴さんに対して不敬だとかは思っていないとは思うが……。

 加賀さんがいつもの表情を崩さないままに、しかし呆れ果てたような声色で瑞鶴さんに声をかける。

 

「提督の視線には理由があると私は言っていたつもりだけど、聞いていなかったのかしら。大声で騒ぐのもはしたないからやめなさいと言ったでしょう」

「さ、騒いだのは、我ながら悪いと思ってる……でも、あの視線は確かに」

「貴女が怒ったのは、千歳と千代田の豊満な胸に視線が釘付けになっていたのが面白くなかったからでしょう。自分の劣等感を提督に八つ当たりするなんて……」

「ぐっ……べ、別にそういう事じゃないしっ!」

「じゃあどういう事なのかしら」

「それは……だ、だからっ、カッとなっちゃったのよっ! あんなに女の子の胸見てたら怒るでしょ普通! 誤解だなんて言ってたけど、千歳と千代田のどっちが巨乳かなんて真剣に吟味してるもんだから……!」

 

「し、司令官さんはそんな事、仰ってませんっ!」

 

 絞り出すようにそう叫んだのは、今まで私達の近くで様子を窺っていた羽黒さんだった。

 引っ込み思案で、普段は周りに遠慮して意見もなかなか言えない性格だが、そんな羽黒さんでも流石に見過ごす事ができなかったのだろう。

 

「司令官さんはあの時こう仰っていました。千代田さんの方が千歳さんよりも上なのではと思った、本来の姿を抑え込んでいるのではないか、って……」

 

 羽黒さんの言葉を聞いて、加賀さんは瑞鶴さんに冷たい視線を向けた。

 

「何をどう聞いたら水上機母艦乳比べという発想になるのかしら。この風船頭の中身を一度見てみたいものね」

「風船頭って何よ⁉ 私の頭が軽くて空っぽだって言いたいの⁉ だって千代田が千歳より上回ってて、提督が凝視してたとなるともう胸のサイズしかないじゃない! 抑え込んでる本来の姿ってのも、パツパツになってる千代田の胸の事でしょ⁉」

「どう解釈したらそうなるのかしら。まったく……誤解されてもしょうがない事だから瑞鶴を責めるなと提督から言われているけれど……話にならないわね」

「いや、あの眼は完全に下心満載だったよ! あれは千歳達の胸をこの手で支えてあげたいとか思ってる眼だった! 大は小を兼ねるとか考えてる眼だったっ!」

「貴女は支えられるほど無いし兼ねる事もできないものね」

「関係無いでしょ‼」

「あるでしょう。哀れね」

「な、何ー⁉」

 

「あ、あのっ!」

 

 加賀さんと瑞鶴さんのいつものやり取りに、羽黒さんが割って入る。

 非常に珍しい事だ。妙高さん、那智さん、足柄さんも、驚いたように目を丸くしてその様子を窺っている。

 

「し、司令官さんが千歳さん達に謝った時も、む、むね……胸の()()を凝視していたと仰っていました。胸を見ていたとは仰ってません……。ただ、それにあまり違いはなくて、千歳さんと千代田さんに不快な思いをさせてしまったと思ったから、素直に謝ったのではないでしょうか」

「それは……凝視してたのは近くで私も見てたし、逃れようがなかったからだと思うけど」

「わ、私は、その……大淀さんや加賀さんが仰っていたように、司令官さんが私達の性能を見定めていたと仮定すると、司令官さんの仰っていた事は、その……む、むね……胸ではなくて、千代田さんが、千歳さんよりも性能が上で……本来の性能を抑え込んでいるのではないか、という事になる、と思うんです」

「そ、そんなわけないじゃない! 私が千歳お姉を超えているなんて」

 

 頬を紅潮させながらの羽黒さんの言葉を、千代田さんが即座に否定した。

 その姿に私はどこか違和感を覚え――それは常に一緒にいる姉の千歳さんからすれば、猶更であったのだろう。

 何故ならば少し前までの千代田さんは、練度が上がったり近代化改修を済ませるたびに、「これで勝てる……! 千歳お姉に勝てるかも!」などと言って、常に千歳さんに張り合っていたからだ。

 いつからだろうか、そう言えば――千代田さんがそんな事を口にしなくなったのは。

 千歳さんは少し考えた後で、千代田さんに眼を向ける。

 

「ねぇ千代田。貴女、私に何か隠してない?」

「えっ……お、お姉?」

「イエスかノーで答えて。別に、人には誰しも秘密があるものだから、プライベートな事なら秘密にしても全く問題無いと思うわ。だけど、もしも提督の言っていた事が正しければ、艦隊運用に関わる事であったならば……それはとんでもない事よ。千代田、正直に答えて」

「な、無いわよ! 私が千歳お姉に隠し事なんてするはずが無いじゃない!」

 

 大好きな千歳さんに疑われて、千代田さんも狼狽していた。

 だがそこには身の潔白を主張するも疑われている事に対する悲壮感は感じられず――むしろ、罪悪感、後ろめたさ、焦り……そんな色ばかりが態度や声色から滲み出ていた。

 何かが、おかしい。

 周囲の艦娘達からの疑惑の視線が千代田さんに突き刺さり、千歳さんは千代田さんの肩をしっかりと掴み、真正面からその眼を見据えながら言葉を続ける。

 

「……わかったわ、信じてもいいのね。つまり提督の眼は節穴だった……私達の性能を正確に計る事も出来ず、私達はただ胸を眺められていただけだったに過ぎない……いえ、瑞鶴さんが言っていたように、下心から私達の胸を見ていた……私はそう考えてもいいのね?」

「そっ、それは……い、いや、そこまでは、その」

「私達を地獄から救い出してくれた提督は、あの心優しい提督はっ、そんな人だったと! 千代田を信じて、私はそう判断してもいいのねっ⁉」

「……っ!」

 

 千代田さんはもう耐えられないと言ったように千歳さんから顔を逸らし、そのまま押し黙ってしまった。

 その沈黙は何よりも雄弁だった。

 つまり、そういう事だったのだろう。

 四方八方から視線を受けながら、しばらく沈黙を続けていた千代田さんは、やがて耐えかねたように千歳さんから一歩下がり、顔を伏せながら艤装を具現化した。

 

 背中の艤装から伸びる二本の射出機(カタパルト)に、両腕に一丁ずつ握られているトリガー式の射出機(カタパルト)

 そして両足首に装備された甲標的。

 千歳さんと千代田さんは、少し特別な改装形態を持っている。

 二人の通常の艤装は背中と両腕、四本の射出機(カタパルト)のみであり、そこから更に両足の甲標的を追加で具現化する事ができるのだ。

 間違い無く『改』よりも次の段階でありながら『改二』とは異なる改装であり、この形態はそれぞれ『千歳甲』『千代田甲』と命名されている。

 

 そこまでならば、やはり千歳さんと精々互角、とても上回っているようには見えなかったが――千代田さんは、更に言葉を続けたのだった。

 

「……千代田……『コウ』……っ!」

 

 瞬間――私達は言葉を発する事が出来なかった。

 千代田さんが纏っていた射出機も甲標的も姿を失い、その代わりに、千代田さんの傍らに巨大な箱のようなものが具現化されたからだ。

 一言で言えば妙な形の木製の箱。

 だが、その表面に描かれているデザインと、『ちよ』の文字。

 あれはまるで――飛行甲板。

 千代田、『コウ』……甲……いや――『航』……⁉

 

 周囲の視線を一身に集めるその箱にいち早く駆け寄ったのは龍驤さんだった。

 横須賀鎮守府の空母達のまとめ役として、そして歴戦の軽空母として、いち早くそれを察知したのだろう。

 

「これは……妙な形やけど……千代田、キミ……これは……っ、甲板やないか! 水上機母艦から空母、いや、軽空母になっとったんか……⁉」

 

 がこん、と音が鳴り、その箱が棚のように開かれる。

 その中には大量の艦載機が格納されていた。

 からくり箱、だろうか――こんな形の艤装は今まで見た事が無い……。

 私達はすっかり言葉を失ってしまった。

 

 艦種が変わる改装――確かにそれは今までにも確認されてはいる事だが、その前例はごく僅かだ。

 横須賀鎮守府で言えば利根さん、筑摩さん。

 通常は重巡洋艦でありながら、改二の実装と共に航空巡洋艦へと変わる。

 他の鎮守府で言えば、戦艦でありながら改装により航空戦艦となる扶桑型、伊勢型姉妹。

 そして改装により軽空母となり、龍鳳と名が変わる潜水母艦、大鯨など……。

 扶桑型姉妹の航空戦艦化のように、中には史実では有り得なかった改装が実装されたものもあり、そういったものは艦隊司令部から『IF(イフ)改装』と呼ばれている。

 

 赤城さんが千代田さんのからくり箱、飛行甲板を見て、どこか悲し気な表情で口を開いた。

 

「……おかしな話ではありません。千歳さん、千代田さんは、あの戦いの後で……航空戦力の……私達の穴を埋めるべく、軽空母へ改装されたと聞いています」

「赤城さん……」

 

 加賀さんが赤城さんに寄り添い、心配そうな目を向ける。

 赤城さんの言うあの戦いとは、言うまでもなく――ミッドウェー海戦の事だ。

 赤城、加賀、そして蒼龍、飛龍……栄光の空母機動部隊、その主力空母四隻が失われた――語る事も、思い出す事さえ(はばか)られる、圧倒的な、決定的な、あまりにも凄惨な敗北。

 今の千代田さんの姿は、赤城さんの知らない姿……自らの穴埋めの為に改装された姿なのだ。

 思うところがあるのかもしれない。

 

 ――確かに、千歳さん、千代田さんは史実においても軽空母へと改装されている……『IF改装』では無い。

 赤城さんの言うようにおかしな話では無いが……すでに千代田さんがそれに目覚めていたとは考えもしなかった。

 それに、あの独特な形状の飛行甲板……。

 

 空母型の艦娘の発艦形式は様々なものがある。

 鳳翔さん、赤城さん、加賀さん、翔鶴さん、瑞鶴さんは和弓形式。

 艦載機は矢という形で矢筒に格納されており、弓型の艤装により空へと放たれる。

 龍驤さんは召喚形式と呼ばれており、舞鶴鎮守府の飛鷹さん、隼鷹さんなどが同様の形式を持つ。

 その装束もそうだが、まるで陰陽師のような風貌で、彼女達の飛行甲板は巨大な巻物型、そして艦載機は切り紙人形の形で格納されている。

 その切り紙人形を媒介として、飛行甲板に描かれた紋様を通して、艦載機を式神として召喚する。

 春日丸は更に変わっていて、鷹匠形式と呼ばれている。

 艦載機をまるで鷹のように扱い、懐いてくれたら腕に乗ってきてくれるらしいが、そうでなければどこかに飛んで行ってしまうらしい。

 故に格納形態は不明であるが、そもそも艦載機自体が意志を持つような言い方をするのは、春日丸固有のものなのであろうと推測される。

 おそらく、『春日丸に装備された艦載機』がそういう事になるのであろう。

 

 千代田さんが具現化した飛行甲板は、それらのどれにも当てはまらない。

 名付けるならば、『傀儡(くぐつ)形式』といったところだろうか。

 外見上の前例は無いが、それは間違いなく空母の艤装であった。

 勿論、千代田さんにそんな能力があった事など、今の今まで誰も――千歳さんでさえも、知らなかった事。

 

『千代田の方が千歳よりも上なのではと思ってな……』

『本来の姿を抑え込んでいるのではないかと――』

 

 提督の言葉が脳内で反芻された。

 やはり、やはりあの御方は、これを見抜いていたのだ。

 抑え込まれていた本来の姿――軽空母としての姿を。

 千代田さんが、大好きな姉の千歳さんにまで秘密にしていたそれを僅か数秒、千歳さんと見比べただけで看破してしまったのだ――。

 提督が二人に注目していた理由。

 史実を考えれば、そして『艦娘型録』に記載されていた練度を考えれば、軽空母への改装という更なる強化がすでに可能なのではないかという意図が、提督にはあったのかもしれない。

 そしてそれは、千代田さんにはすでに実装されていながら、それを隠しているという事実として確認された。

 

 だが、何故提督はその事実を伏せたのだろうか。

 千代田さんにジト目を向けられてしまったように、瑞鶴さんの追及により、危うく下心から胸を凝視していたと勘違いされるところであった。

 それはとても不名誉な事だ。流石に提督もそれ自体は否定したものの、胸の辺りを凝視していた意図については、不自然なほどに強引に伏せた。

 瑞鶴さんに不意に声をかけられて、うっかり口を滑らせてしまった故に明らかになってしまったが、本来はこの場で明らかにするつもりなどなかったのだろう。

 

「……千代田、貴女、一度は嘘をついたわね。千代田が私を超えている事なんてない、隠し事なんてするはずがない、って……」

「ご、ごめんなさいっ! 千歳お姉っ! 私、私っ」

「謝る相手は私じゃないでしょうっ! 私が怒っているのは、私に隠し事をしていた事じゃ無い! 私を超えていた事でも無い! まさか貴女、提督に不名誉な罪をなすりつけて、この場を切り抜けようとしていたの⁉ あんなにも優しい人に……あんなにも立派な人にっ! なんて事を……!」

「ちっ、違うっ! わ、私っ、そこまで頭が回らなくて……!」

「それだけじゃないわ。軽空母への改装……そんな能力を隠していた事がどういう事か、本当にわかっているのっ⁉」

 

 いつも優しく穏やかな千歳さんには珍しく、感情的な言葉を千代田さんに叩きつける。

 千代田さんはもうすっかり萎縮してしまい、ただ千歳さんに涙ながらに縋りつく事しか出来ていなかった。

 龍驤さんがからくり箱に手を添えながら、千代田さんに目を向けて口を開く。

 

「キミら水上機母艦は未だ数が少なくて貴重な存在やけどな、激戦地においては制空権の確保っちゅー意味で、空母は必要不可欠な存在や。空母の数がそのまま制空権の確保に繋がり、戦況を左右する事もある……もしも空母があと一隻運用できていれば、結果が変わっていた戦闘もあったかもしれへんな。キミがこの力に目覚めたのは、いつやねん」

「……ひっ、ひっく、ひっく、は、半年前くらい……」

「まだ前司令官の指揮下にあった時か……うーん、まぁあの時はキミら水上機母艦も、うちら軽空母組も全然出番無かったからなぁ……報告したところで出番は無かったかもしれへんけど……」

 

 腕組みをしながら唸っている龍驤さんに、千歳さんが声をかけた。

 

「龍驤さん、無理してフォローしてあげなくても結構です。前提督の更迭後、一か月間……提督が着任しないまま、私達は必死に戦ってきました。そのつもりでした……」

 

 千歳さんは千代田さんから顔を背け、踵を返し――後ろで見ていた私と長門さんの方へと向き直る。

 そして震える声を必死で堪えながら、言葉を続ける。

 

「しかし、千代田は軽空母として戦える能力を隠していた……軽めの燃費でアウトレンジから攻撃できる軽空母が一人増えれば、この一か月間の戦いも少しは楽になっていたはず……そうでしょう?」

 

 千歳さんが私に何を言わせようとしているのかは理解できたが、ぼろぼろと涙を流している千代田さんを見て、少し躊躇ってしまった。

 しかし、長門さんは物怖じする事もなく、凛とした表情のまま、はっきりと口を開いたのだった。

 

「……あぁ、その通りだ。提督の指揮下に無かった私達は、最低練度の状態での戦いを強制されていた。この長門ですら、当たり所が悪ければ敵の軽巡に大破させられた事があるくらいの……思い出したくもない、地獄だった。そんな中で、敵の射程外から制空権を握り、ほぼ確実に強力な先制攻撃が可能な空母という存在は、とても貴重だった」

 

 長門さんの堂々とした態度に勇気づけられ、私もそれに続く。

 

「そんな状況で、未だ実戦経験の無い春日丸や前線を退いた鳳翔さんを運用する事は出来ませんでしたから、必然的に残る五人、赤城さん、加賀さん、翔鶴さん、瑞鶴さん、そして龍驤さんへの負担はとても大きなものでした……あと一人だけでも、運用できる空母があればと考えた事がないかと問われれば……否定はできません」

「……本当にごめんなさい……っ!」

「ちっ、千歳お姉っ! 違う、違うの! お姉が頭を下げる必要なんてないっ! 私がっ、私が悪いからっ! みっ、皆っ、ごめんっ、ごめんなさいっ‼」

 

 千歳さんは私達に深く頭を下げた。

 それを見た千代田さんが号泣しながらそれを止めようとするも、千歳さんは頑なに頭を上げようとはせず、やがて千代田さんも並んで頭を下げた。

 どうするべきか判断に迷ったが、とりあえず頭を上げてもらえるよう、二人に声をかける。

 そして、私は千代田さんに問うたのだった。

 

「その……終わってしまった事を責めても仕方ありません。それよりもお訊ねしたいのは、何故、それを黙っていたのか、という事です」

「ひっく、ひっく、さ、最初は、す、水上機母艦と軽空母だと、運用が変わるから……っ、万が一、ち、千歳お姉と離れ離れになっちゃうんじゃないかって、怖くなって……っ」

「千代田、貴女……そんな理由で……っ⁉ なんて事……」

 

 千歳さんに信じられないようなものを見るかのような眼で睨みつけられ、千代田さんは涙を流しながら言葉を続ける。

 

「で、でも千歳お姉なら、すぐに目覚めるって思って……その時に一緒に報告しようって思ってて……っ、で、でも、その内に言い出せなくなって……」

 

 その言葉を聞いて、千歳さんは愕然とした表情を浮かべ、言葉を失ってしまった。

 それを見て、千代田さんはそれが失言であった事に気付いたようだったが、もはや遅かった。

 千歳さんは声を震わせながら、必死に言葉を紡ぎ出す。

 

「……そう、私が不甲斐ないから、千代田に嘘をつかせてしまったのね」

「ちっ、違うっ! そんなつもりじゃ、私、私は、千歳お姉を信じて……」

「信じてくれた千代田に私は応える事が出来なかった! だからこんな事になった! そういう事でしょう⁉」

「ひっ……」

「あんな地獄の中で、皆、必死で戦っていたのに! 本気を隠していただなんて……許される事じゃ無い! 千代田にそんな馬鹿な真似をさせてしまったのは……私のせい……! 私がもっと精進していれば、千代田と同じように軽空母への改装に目覚めていたかもしれない……! それなら、千代田もこんな事はしなかった……! 皆の負担を少しでも軽くできていた……! ……皆さん、本当に、本当に、ごめんなさい……! 千代田の過ちは……私の、全て私のせいで……!」

「やめてぇっ! お姉っ、違うっ、違うのぉっ! お姉は悪くない! 私がっ、全部私が悪いのぉっ! やめてぇぇっ‼」

 

 千歳さんはぼろぼろと大粒の涙を流しながら、必死に嗚咽を堪えながら、深く深く、頭を下げた。

 その怒りと悲しみの矛先は千代田さんではなく、自分自身だという事は、この場の誰しもが理解できていた。

 千代田さんには悪気があったわけではなく、ただ、千歳さんが目覚めるのを信じて待っていた。

 だが、半年経っても、千歳さんは新たな改装に目覚めなかった。

 怠慢なのか、才能なのか、改二と同様に何かの気付きが必要なのか……それは定かではないが、千歳さんにも思い当たる節があったのかもしれない。

 千代田さんの過ちは全て自分のせいだと言う千歳さんの言葉は、何の嫌味でも皮肉でもなく、本心だという事は嫌でも伝わってくる。

 

 悪いのは全て自分だと理解していながら、そんな自分の為に大好きな姉が頭を下げる姿は、耐えられるものではなかっただろう。

 泣きじゃくる千代田さんに縋りつかれ、それでも千歳さんは頭を上げようとはせず、倉庫内は重苦しい空気に包まれた。

 これでは装備の片付けどころでは無い……。

 

 千代田さんの行いは間違い無く、艦としてはあってはならない事だ。

 姉妹艦と離れ離れになってしまう事を恐れて本来の性能を隠すなど、それこそ有り得ない。

 前提督や艦娘兵器派が知れば、それこそ欠陥品、不良品の烙印を押されていただろう。

 だが、それ故に艦娘なのか――私達は何故、このような姿で再び海を駆ける事になったのか。

 何故、心を手に入れ、時に迷い、時に間違う――そんな兵器としては欠陥だらけの存在として、生まれ変わったのか。

 果たしてこれは劣化なのか、それとも――。

 

 ちょんちょん、と肩をつつかれたので振り向いてみると、何故かばつの悪そうな表情の龍田さんが、申し訳なさそうに小さく囁いた。

 いつもの不敵な笑みは浮かべておらず、非常に珍しい姿だ。

 

「大淀ちゃん、そろそろ何とかしてあげられないかしら……千代田ちゃんの気持ちは痛いほどわかるし、なんだか私の方がいたたまれなくなってきたわ……」

「えぇ、私も見ているだけで辛いです……」

「きっと、提督もこんな事は望んでないと思うの……大淀ちゃん、提督にこの場を任せられていたじゃない? 何とかならないかしら……」

 

 提督も、こんな事は望んで……あっ。

 龍田さんの何気ない一言で、全てが繋がった。

 そうか、だから提督は、あんな強引な事を……。

 ようやく提督の領域へと辿り着いた私は、一歩足を踏み出しながら、口を開いた。

 

「皆さん、話を聞いて下さい。そして千歳さん、千代田さん、顔を上げて下さい。提督は、こんな状況は望んでいないんです」

 

 私の言葉に、艦娘達は一斉に視線を向けた。

 千歳さん達も涙を流しながらも顔を上げ、私は言葉を続ける。

 

「去る間際に提督はこう仰いました。今の事は忘れてくれると助かる、忘れてくれ。そして今後、話題にも出さないでくれ。この話は終わりだ……と。故に私達は、この場でこの件について考察するべきではなかった。提督は、この場でそれを口にしてしまったら……こうなる事がわかっていたんです」

「あっ――」

 

 誰かがそう声を漏らした。

 そう、あまりにも強引な提督の行動は、見る人が見れば、瑞鶴さんの追及から逃げ出す為の苦肉の策とも見えた事だろう。

 しかし、そんな邪推をする前に、私達は提督の言葉に素直に従うべきであったのだ。

 そうしていれば、少なくともこのような事にはなっていない。

 丸く収めようとした時点で、私は間違ってしまっていたのだ。

 

「今回の件が示す通り、やはり提督はその眼で艦娘達の性能か何かを計る能力があると思われます。おそらく提督が見ていたのは胸ではなく、その奥にある心――のような何かでしょうか。私にはわかりかねますが、胸の辺りに、大切な何かがあるのでしょう。提督は何度も、千歳さんと千代田さんの胸の辺りを見比べるように視線をやっていましたが、それは違和感を感じた為……そう、千代田さんが千歳さんに比べて一歩先に進んでいる事……軽空母への改装に目覚めている事と、それを隠している事を勘づいたのでしょう。先日、目を通して頂いた『艦娘型録』には、千歳さんと千代田さんの性能に大きな違いは無いように記載されていたはずですから」

 

 胸の奥にあるのは、人間で言えば心臓。

 勿論私達にも存在する。それはまさに機関部のようなものだ。

 命にして(かなめ)。性能を計る為の大切な何かがそこにあったとしてもおかしくはない。

 つまり、提督が視線を送る目的はそれであり、ならばその上を覆う乳房を見る事になってしまうのも必然かつ致し方ない事なのだろう。

 提督が凝視していたのは千歳さん達の豊満な乳房ではなく、その奥にある何か。

 瑞鶴さんと同様に、一瞬だけでも疑ってしまった自分を内心恥じる。

 

「胸だけじゃなくて、艦娘によっては太ももとかも見られてたと思うけど……私が見る限り、昨日だけでも夕張とか、大淀とか……」

 

 若干引いたような瑞鶴さんの言葉に、腕組みをした加賀さんがさらりと答える。

 

「そんな事もわからないのね。簡単な事……その子達は太腿にあるのよ。提督が注視するような大切な何かが」

「太ももに⁉ い、いや、でも、金剛型とかは胸もだけど、同じくらいお尻も見られてたよ⁉」

「その子達は臀部にもあるのよ。提督が注視するような大切な何かが」

「お尻に⁉ じゃ、じゃあ私は全く視線感じないんだけど、どういう事よ⁉」

「哀れね」

「な、何ー⁉」

 

 瑞鶴さんに睨みつけられるも、それを全く意に介さないまま、加賀さんは瑞鶴さんを見下ろすような視線と共に言葉を続ける。

 

「それにしても貴女、随分と提督の事をよく見ているのね。もしかして、あら、あらあら」

「ちょっ⁉ か、加賀さん、変な事考えないでよね⁉」

「えぇ、わかってるわ。貴女なら鎧袖一触よ。心配いらないわ」

「違うーッ! ちーがーうーッ‼」

 

 顔を赤くした瑞鶴さんにがくがくと揺さぶられるも、加賀さんは視線を逸らしてそれを無視する。

 

「と、とりあえずそれは置いておきましょう」

 

 加賀さんと瑞鶴さんの漫才のせいで、話が大幅に逸れてしまった。

 勿論女性の身体を凝視するというのはよろしくない事であり、おそらく提督もそれは本意では無いのだろうが……だからこそ、本人に気付かれないようなタイミングで視線を送っているのだ。

 しかし提督には珍しく、それは悪手であるとしか言いようが無い。

 提督は気付いているのかわからないが……瑞鶴さんの言う通り、そういう視線は見られている側や周りからすれば結構バレバレなのだ。

 いや、太腿を見られていたらしい事は私自身、全然気付いていなかったが……い、いつの間に……。正直かなり気恥ずかしい。

 

 ともかく、それは今回のようなトラブルに繋がりかねない。

 そう言えば提督は初対面の時にも、女性の扱いに慣れていないと口にしていた。

 気付かれないように視線を送るのは提督が精いっぱい考えた結果なのだろうが、流石に忠告した方がいいだろうか。

 いや、今回のようなトラブルに繋がるのであれば、むしろ本人の了解を得てから堂々と見るように口添えした方が良さそうだ。

 堂々と見る方が本来は有り得ないのだろうが……そういう事情なのであれば、艦娘達も割り切ってくれるだろう……多分。

 

 思考が逸れてしまった。咳払いをして、話を続ける。

 

「提督なりに考えた結果なのでしょうが、瑞鶴さんの指摘通り、女性の身体を盗み見るような真似はよろしくありません。今後は艦娘の同意を得るよう、この私から提督に意見具申しようと思います。気恥ずかしいですが、もしも提督が性能を計りたいと仰った時には、その、身体検査のようなものだと思って……強制はしませんが、いかがでしょう」

「この半年間、誰も気付けなかった千代田の能力を看破するほどだ……艦隊強化に必要であるならば、致し方あるまい」

 

 長門さんは堂々とそう言ったが、他の艦娘達は答えを言いよどんでいるようだった。

 羽黒さんなどは耳の先まで真っ赤にして、目を回してしまっている。

 自らの同意の下で提督に胸や太ももやお尻を見られるなどと考えては、それが普通だ。私だってそうだ。

 艦隊強化、そして自らの強化に繋がる可能性もあるとはいえ、長門さんの判断は男らしすぎる……。

 ともかく、話が逸れすぎたのでこれは置いておこう。

 

「話を戻します。提督は千代田さんが隠していた能力を看破しました。しかし、千代田さんが何故隠しているのかを考え、そして提督はそれに配慮する事にしたのでしょう。あの提督ならば、千代田さんが隠していた理由を察してもおかしくは無いですし、そこに一切の悪気が無い事も理解して下さっていたはずです。何より、千歳さんと仲違いしてしまう事など、決して望んではいない事でしょう。故に、あんな強引に話題を打ち切り、この場を去った」

「……提督は、私達の事を考えて……? そんな、下手をすれば不名誉な冤罪を被る事になっていたかもしれないのに……」

「提督は、そういう御人です。ご自分の事よりも、第一にこの国の平和、次に艦娘……言葉通り、ご自分の事は二の次です。今回は提督にしては珍しく、少々強引な力技でしたが……千歳さんと千代田さんが仲違いをしないように、そして今回の誤解によって瑞鶴さんが責められる事が無いように……私達に亀裂が入らないようにと、それだけを考えていて下さった事は確かです」

 

 千歳さんの言葉に、私はそう答えた。

 提督は嘘が得意なのか苦手なのか、わからない。

 自らの病や出自に関して巧妙に伏せていたかと思いきや、今回のように大雑把な、明らかにおかしな強硬策を取る事もある。

 利根さん、筑摩さんに病の事を勘づかれてしまった時のように、焦りからか言葉を間違えてしまう事もある。

 そういう一面を見ると、やはり提督も完璧なのではなく、一人の人間なのだと実感させられる。

 底抜けの優しさという美点にして致命的な弱点も存在する。

 やはり私が支えねば……。いや、私達が支えねば……。

 

「勿論、提督も千代田さんをこのまま運用するつもりは無かったと思われます。おそらく、このような騒ぎにならないように手を打ってから、上手く千代田さんの軽空母改装を(おおやけ)にしていた事でしょう……」

「……」

 

 長門さんが項垂れる千代田さんへと歩み寄る。

 千歳さん達二人の前に堂々と仁王立ちし、そして真剣な表情で二人を見やりながら口を開いた。

 

「努力に(うら)()かりしか。不精に(わた)る勿かりしか……お前達にも思うところがあるだろうが、それは置いておこう」

「……」

「確かに千代田が軽空母として運用されていれば、幾分楽になっていた状況はあるだろう……だが、それは千代田自身もまた同じ。二人とも、この一か月間、何度も中大破を繰り返しながらも出撃してくれた……過酷な状況だったのは、この長門が一番理解できている。自身の軽空母化を明らかにする事は、自分の身だけではなく、大切な千歳の身を守る事にも繋がっていた事だろう。自分や千歳を苦境に立たせる事になるとわかっていながら、それでも言い出す勇気が持てなかった……そういう事だな」

「……はい……っ」

「矛盾しているようだが……案外、心とは……艦娘とは、そういうものなのかもな……」

 

 長門さんは周囲の艦娘達を見渡し、一際大きく声を発した。

 

「大淀の言う通り、この話は終わりだ! この件については提督の判断に任せよう。我々が一刻も早く取り組まねばならない事は、装備の整理整頓、状況把握! 千代田が真の姿を隠していた、その程度の事で戸惑い、作業の手を止めている猶予は無い。大淀、そうだろう?」

「は、はい。その通りです」

 

 流石は百戦錬磨、歴戦の横須賀鎮守府の艦娘達をまとめるリーダーだ。

 カリスマ溢れるその一声には、皆の心を揺さぶる何かがある。

 長門さんの言葉に、今回の騒動でざわついていた艦娘達も背筋を伸ばして頷いた。

 

「……すみません。少し、席を外してもいいでしょうか。頭を、冷やしたくて……」

 

 千歳さんの言葉に、長門さんは「あぁ」と短く返した。

 

「あっ、お姉……」

「千代田はついてこないで」

「……! お、お姉ぇ……っ!」

 

 去りゆく千歳さんに冷たく突き放され、千代田さんはその場にぺたんと尻もちをついた。

 茫然自失といった表情の千代田さんに、那智さんが歩み寄る。

 

「千歳の奴も、たまには一人になりたい時くらいある……そっとしておいてやれ」

「ひっ、ひっく、な、那智さん……」

「私もよく千歳と呑むが……酔いが進むと奴はお前の自慢ばかりだ。出来た妹だ、負けてられない……そして、今はまだ姉の面目は保てているが、いつ追い抜かれるかわからない、うかうかしてられない、とな。それが、すでに先に行かれていたと知ってしまったのだ。きっと、お前を責める気は無いが、自らを省みて自己嫌悪に押しつぶされそうなのだろう……奴はそういう女だ」

「お、お姉、お姉ぇっ……私、私っ……!」

「千歳の事を本当に想うのなら……そして本来の性能を隠していた事について反省する気があるなら行動で示せ。ほらっ、立て! そして千歳の分まで働いてもらうぞ!」

「は、はい……っ!」

 

 袖で涙を拭い、千代田さんはふらふらと立ち上がった。

 言葉は厳しいが、千歳さんをそっとしてあげようと、そして千代田さんに反省の機会を与えようという、那智さんなりの優しさなのだろう。

 作業が再開された中で、瑞鶴さんが気まずそうな表情で私に歩み寄ってきた。

 

「あ、あのさ……私も、ちょっと席外してもいいかな。……提督さんに、謝ってくる……」

「え、えぇ、それは構いませんが……」

 

 下心があると決めつけて騒いで、提督が考えていたであろう千代田さん達への処遇についても台無しにするきっかけとなり、おまけに自身が責められる事が無いように庇われた。

 あんなに騒ぎ立ててこの結果だ。立つ瀬が無いのだろう……。

 私が瑞鶴さんの立場だったら、それこそ提督に合わせる顔が無い。

 いつの間にか近くに来ていた加賀さんが溜め息をつき、瑞鶴さんにジト目を向ける。

 

「これでわかったでしょう。これからは、はしたない真似はやめる事ね。耳にする私達も聞くに堪えないから」

「うっ……わ、わかってるよ。私の早とちりで、提督さんの目論見を台無しにしちゃったのは認める……それは私が悪かった……で、でも、提督さんが色々考えてたのはわかるけど、あのいやらしい視線についてだけは、まだ納得できてないんだから……!」

「まったく、懲りないのね。そう言えば、馬鹿と言う方が何とやら、というけれど、それに当てはめて考えれば、提督にいやらしいという瑞鶴の方が……あら、あらあら」

「な、何よ⁉ 言いたい事があるならちゃんと言いなさいよ!」

「いやらしいのね」

「違うーッ! ちーがーうーッ‼」

 

 顔を赤くした瑞鶴さんにがくがくと揺さぶられるも、加賀さんは視線を逸らしてそれを無視する。

 それを見かねた翔鶴さんが、困ったような笑みと共に、加賀さんに声をかけた。

 

「か、加賀さん。そう瑞鶴を虐めないであげて下さい」

「一方でその姉は提督の眼前で下着を見せつけるような真似をするし……五航戦はとんだいやら姉妹(しまい)ね」

「わぁぁーっ!」

 

 翔鶴さんは顔を両手で覆い、泣き声を上げながら全速力で倉庫から駆け出してしまった。

 

「あぁっ、翔鶴姉、何処へ⁉ ちょっと加賀さん! いやら姉妹って何よ⁉ 翔鶴姉は関係無いでしょ!」

「いやらしいのね」

「うるさいよ! しょっ、翔鶴姉っ、待ってーっ! 私が悪かったからーっ!」

 

 翔鶴さんを追って、瑞鶴さんも倉庫から出て行ってしまった。

 ちゃんと提督に謝罪してくれるだろうか……また失礼な事を言わなければいいのだが。心配だ……。

 瑞鶴さんの背中を無表情で眺めていた加賀さんに、私はコホンと咳払いをしてから釘を刺す。

 

「仲が良いのは結構ですが……こんな時に可愛がりはやめて下さい。謝罪に行くつもりだった瑞鶴さんはともかく、翔鶴さんの分は働いてもらいますからね」

「……まったく、世話の焼ける後輩達ね。仕方が無いわ」

 

 加賀さんは表情を変えぬままに小さく肩をすくめて、珍しく素直に私の言葉に従ってくれたのだった。

 




大変お待たせ致しました。
切りの良いところまで書き進めた結果、文量が多くなってしまって申し訳ありません。
第四章は少し文量が多めになりそうです。

余談ですが、最近艦これアーケードに利根改二と筑摩改二が実装されました。
私はプレイしていませんが、艦娘達の戦闘時の動きなどの資料として活用しています。
ちとちよ姉妹改二の発艦モーションなどはかっこよすぎて何度も見てしまいますね。

執筆の参考にする為に目を皿のようにして画面にかじりついた結果、筑摩のトナカイグラ中破の検証結果と併せて、とねちく改二はやはりノーパンではなく、劇場版の設定と同様に超ハイレグなレオタード的な白いインナーを着用している事が判明しました。
このお話においてもそのつもりで描写していたので良かったです。
暖簾の中身が気になって眠れない日々を過ごしていましたが、これでようやくぐっすりと眠れそうです。

次回の更新も気長にお待ち頂けますと幸いです。


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051.『視線』【提督視点②】

 大淀に全てを託して倉庫から逃げ出した俺は、平静を装いつつ甘味処間宮の暖簾をくぐった。

 カウンターの向こうから俺に気が付いた間宮さんが、ぱあっと表情を輝かせながらぱたぱたと駆け寄って来る。

 

「提督、来て頂けたんですね。よかった……ひょっとしたらお昼を抜いてしまうのではと……」

「う、うむ。色々あって食事どころでは無かったが、私も間宮のしじみ汁を楽しみにしていたからな。少し大淀に任せて、抜け出してきたんだ」

「まぁ、嬉しい……ふふ、私もお待ちしておりました。しじみ汁、冷めてしまったので温め直しますね。鳳翔さん、伊良湖ちゃんと共に、お食事もすぐにご用意いたしますので、少々お待ち下さい」

 

 結婚したい。

 流石は横須賀十傑衆第一席にしてマンマ祭り四人衆筆頭にして横須賀爆乳三本柱最胸。身に纏う癒しのオーラが違う。

 狂暴な鬼や修羅や狂犬やゴリラに囲まれていた地獄から一転、ここは楽園であった。

 おそらく大淀がフォローしての事だとは思うが、間宮さんはこんな俺に対して、何故かかなり好意的に接してくれている。

 他の艦娘達は裏で何を考えているかわからない者も多いが、間宮さんだけは無条件に信じてしまう大らかさと安心感がある。

 

 案内された席に腰かけ、カウンター越しに間宮さんを眺めているだけで、鬼畜艦隊に傷つけられた俺のメンタルがみるみる癒されていく。

 鼻歌を歌いながら料理をしている間宮さんの他に、伊良湖と鳳翔さんの姿も見える。

 夜は小料理屋鳳翔、昼は甘味処間宮となるらしいが、どちらの時間もお互いに手伝っているのであろう。

 とんとんとん、と包丁がまな板を叩く音……それを聞きながら空腹と共に待つ時間……なんか、いいな……。

 

「しじみ汁だけ先に貰ってもいいかな」

「はい、勿論です。おかわりもいっぱいありますからね!」

 

 結婚したい。

 温め直されたしじみ汁で満たされたお椀が、俺の目の前に置かれる。

 間宮さんはニコニコと微笑みながら俺の様子を眺めていた。可愛い。い、いや、な、何だ? なんかプレッシャーだな……。

 何か気の利いた感想でも求めているのだろうか……。

 つい先ほどは鬼畜艦隊が謝罪の他に期待していた事を全く理解できずに失望されてしまった俺であるが、間宮さんにだけは失望されたくない。

 

 よし、テレビでよく見る、芸能人が食レポをしている番組とかを参考にしよう。

 とりあえず海産物を食べた時には「うわっ! プリップリやないか!」、野菜は畑から掘り出したものをそのまま生で齧り、「甘ーい! 果物より甘いですよコレ!」、チーズを食べれば「甘露! 甘露!」などと言っているイメージだ。

 いや、俺の勝手なイメージなのだが……。

 駄目だ、そんなありきたりなコメントでは間宮さんを失望させてしまう可能性大。

 しじみ汁キタコレ! ウマー!

 いかん、これでは潮と一緒にいたピンク色のメイドみたいなのと同レベルだ……。

 くそっ、あまり考えすぎても不自然だ。ここはいつも通り高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変なコメントが出るのを期待しよう。

 俺は諦めて目を閉じ、両手を合わせる。

 

「いただきます」

 

 しかし間宮さんが俺の為に作ってくれたしじみ汁……考えてみればなんて神々しいのだ。

 改めてお椀に注がれたしじみ汁を見ると、表面からオーロラが立ち上っているかのような気さえしてくる。

 俺はしじみ汁から立ち上るオーロラの美しいゆらめきを目で楽しみ……。

 適温に温め直された優しい温もりを掌で堪能し……。

 しじみの他に何が入っているのかよくわからんがとにかく具材が織り成す濃厚な香りのハーモニーを鼻で頬張り……。

 しじみ汁の上品な音色を耳で満喫し……そして……。

 こんなドスケベクソ提督の為に手ずから作ってくれた間宮さんに感謝をしながら……口で……舌で……全身で……。

 (たた)え……! 噛みしめ……! 味わった‼

 

 お椀に口をつけ、しじみ汁を啜る。

 口内にじんわり旨味と温かさが広がっていき、俺はコメントを考える間も、味わう間もなくそれを飲み込んでしまった。

 何だこれは。旨味の種類、数が半端なく詰まっている……ような気がする……。

 しじみの美味しさの分厚い層が口の中でだんだんほどけて広がっていく感じだ……。

 今まで眠っていた股間が少しずつ起こされていくぞ……! いや何でだ。

 これが間宮さんのしじみ汁か……!

 

 い、いかん……! 笑顔になろうとする顔を止められねェ……!

 美味しすぎて、満足すぎて、ニヤけちまう……!

 妹達からキモイから絶対に笑うなと言われていたが、股間を膨らませながらみだらな顔になってみろ……!

 完全に変態ではないか。間宮さんにドン引きされてしまう……!

 何とか堪えようとしたが、完全には無理だった。

 俺はお椀から口を離し、ふぅと息をつくと共に、自然と小さく笑ってしまったのだった。

 

「……美味い……。五臓六腑に沁み渡るな……」

 

 おまけに芸人以下のありきたりなコメントしか出せなかった。

 俺の語彙力の低さが露となってしまった瞬間であった。凹む。

 恐る恐る間宮さんに目をやると、ほっと小さく息をつきながら「よかった……」などと呟いていた。結婚したい。

 あまりにもコメントのレベルが低すぎたので、俺は気持ちを切り替えて間宮さんに訊ねた。

 

「いや、本当に美味い。私が今まで飲んだしじみ汁の中でも一番美味しかった……」

 

 間宮さんは俺の言葉を聞いて、「まぁ……!」と嬉しそうな声を漏らし、顔の前で掌を合わせた。結婚したい。

 

「何か隠し味でも入れてあるのか?」

「はい。東のボーキボトムサウンドにあるという幻のボーキサイトを隠し味に使うと、どんな料理も最高の味に……」

 

 ボーキ入れてあんの⁉

 だから俺の股間がボッ、あ、いや何でもないです。

 しじみ汁といい間宮アイスといい、何で間宮さんの作るものは俺の股間まで元気になるのだ。

 俺の表情を見て、間宮さんは「ふふっ、冗談です」とクスクス笑った。結婚したい。

 そして少しだけ考え込んだ後に、立てた人差し指を唇に当て、ウインクしながらこう言ったのだった。

 

「そうですね。愛情という名のスパイスでしょうか。ふふっ」

 

 結婚不可避。俺は間宮さんのトリコォ‼

 間宮さんのしじみ汁、晴れて俺のフルコースに採用決定!

 デザートのパイパイパパイヤに続き、俺のフルコースのスープが埋まった瞬間であった。

 俺の専属料理人になってほしい。俺に毎日しじみ汁を作ってほしい。

 気の利いたコメントの一つも返せなかった俺であったが、あの鬼共とは違い、間宮さんはそれで心から満足しているようだった。優しすぎる……。

 

「それでは調理に戻りますね。おかわりの際はお声をかけて下さいね」

「あ、あぁ。ありがとう」

 

 間宮さんは再び厨房へと戻り、俺がその様子を眺めながらしじみ汁を一口ずつ堪能していると、甘味処の入り口の方から足音が聞こえた。

 振り返った俺は動揺のあまり、思わずしじみ汁を噴き出しそうになった。

 そこには何故か泣き腫らした目に大粒の涙を浮かべ、それを指で拭う千歳お姉が立っていたからである。

 

「……て、提督……」

「ち、千歳おっ……千歳っ⁉」

 

 どどどどどどういう事だ。

 状況を整理しろ。俺が逃げる前には千歳お姉はこんな状態ではなかった。

 つまり俺が去った後に倉庫で何かがあり、お姉は号泣し、そして俺の元へ向かって来たという事……。

 千歳お姉にとって俺は視姦の加害者であり、お姉の優しさを考慮しても好ましい存在では無いはずだが……何が起こっているんだ。

 何故いつもべったりの千代田はいない……⁉ 何故俺の元に……⁉

 だ、駄目だ、わからん……! と、とにかく泣いてる千歳お姉を立たせっぱなしにするわけにはいかん!

 

 俺は訳も分からないままに千歳お姉に駆け寄った。

 

「ど、どうした、何があった……ま、まぁ座れ、ほらっ」

「うっ、うっ……はい……っ」

 

 俺に促されて、千歳お姉は俺の隣のカウンター席に腰かけた。

 やっぱり俺に対して警戒心とか不快感とかは抱いていないようだ……。

 もしもそうであるならば、自分の胸を凝視していたドスケベクソ提督の隣に腰かけるなんて有り得ない。

 大淀がやってくれたか……流石は横須賀鎮守府を裏で牛耳る黒幕大淀さん……一体どんな話術であの場を収めたのだろうか。

 我ながらかなり無茶振りだったと思うのだが……大淀は常に俺の予想の上を行く。

 こりゃあマジパナイ!

 

 千歳お姉は俺の顔を見て、何故か更に嗚咽を漏らした。

 

「提督、ご、ごめんなさい、ごめんなさい、わ、私っ、私のせいでっ……」

「ま、まぁまぁ、落ち着け。間宮、千歳にもしじみ汁を出してくれないか」

「は、はい」

 

 目を丸くしてこちらの様子を窺っていた間宮さんに、しじみ汁を用意してもらう。

 

「ほら、とりあえず飲んで、落ち着け。美味しいぞ、温まるぞ」

「うぅ、うっ……あ、ありがとうございます……」

 

 千歳お姉は泣きながらお椀に口をつけ、そして小さく吐息を漏らした。

 とりあえず落ち着くまでは、俺の方からは何も聞かない事にする。

 俺の昼食の用意が出来たのだろうか、間宮さんがお盆を持って、どうしますかと視線で問いかけてきたので、俺は掌を向けてそれを制止した。

 しじみ汁くらいならともかく、俺だけ飯を食えるような空気じゃない。

 代わりにしじみ汁のおかわりを頼むと、間宮さんは声に出さずともとても嬉しそうに、いそいそと注いでくれた。結婚したい。

 

 しかしバーカウンターで女性と並んでお酒を呑むというのに密かに憧れたりもしているが、まさか並んでしじみ汁を飲む事になるとは……。

 いやこれも普通に嬉しいんだけど……まぁそんな事はどうでもいい。

 やがて、千歳お姉はしじみ汁を飲み干すと、はぁぁ、と大きな溜め息をついた。

 

「沁みますね……」

「あぁ、本当に美味しい」

「それだけじゃなくて……ふふ、色々と……」

 

 もう流れる涙も枯れたのだろうか。

 千歳お姉は目元を拭いながら、自嘲気味に小さく笑った。

 そして、俺に向かって深く頭を下げてくる。

 

「先ほどは申し訳ありませんでした。提督にも考えがあっての事だったのに……」

「ま、まぁ待て待て。私が去った後、一体何があったんだ」

「はい……大淀さんが全て説明してくれました。提督が私達を見ていたのは、私達の性能を計る為なのだと」

 

 アイツ何つー説明してんの⁉

 お、大淀さん、それは流石に無理があるだろ……⁉

 何? 俺が千歳お姉たちを視姦してたのは性能を計る為って、そんな設定薄い本でしか見た事ねェよ!

 アレだろ、新しく着任した提督が身体検査とか性能測定とか言って胸のサイズを計ったり色々しちゃうやつ! 結構お約束のシチュエーション!

 俺の提督アイは性能なんて勿論計れない。性的潜在能力(セクシャルポテンシャル)に関しては測定できるが……。

 ちょっと待て、俺の行動が中身のない薄い本レベルなのはともかくとして、千歳お姉はそれで丸め込まれたのか⁉

 いや、この様子だと千歳お姉だけじゃなく他の面子も、胸のサイズじゃなくて、ガチで俺が性能を計ってたと信じているのか……⁉

 何故だ。そんな事が有り得ん事くらい馬鹿でもわかる。一体どんな話術を使えばこんな事になるのだ。

 これはもはや洗脳、いや催眠、いや、それ以上……⁉

 横須賀鎮守府の黒幕・大淀さんの完全催眠とでも称すべき話術を『眼鏡花水月(メガネすいげつ)』と名付けよう。

 そう、これが本当の、大淀型の力よ!

 

「そして、提督のお察しの通り、千代田は軽空母への改装にすでに目覚めていた事を隠していました……! 私は、それに気付かず、この半年間のうのうと……! 皆にも迷惑を……千代田にこんな真似までさせてしまって……うっ、うぅ……っ!」

 

 お察しした覚えが無い……!

 よし、千歳お姉が再び涙ぐんでしまった隙に、天才的頭脳をフル回転させて情報を整理するのだ。

 千歳お姉の言葉から推理するに、お姉が泣いていた理由は、千代田が軽空母への改装に目覚めていた、という事に起因する。

 俺の視姦によるものではないようだ……。

 理由はわからんが、つまり千代田は千歳お姉よりも強化されていた上で、それを隠していた。それが今回明らかになり、千歳お姉は自らを省みて泣いてしまった……そういう事だろうか。

 つまり俺が水上機母艦乳比べをしていたのはその性能を計る為であり、俺が千代田の秘密を察したという事になっているのか。

 そんな偶然があるものか……? いや、もしかすると千代田の秘密についても大淀は把握していて、それを泳がせていた可能性もあるのでは……。

 そして俺の無茶振りを何とかすべく策を弄した結果、今まで見逃していた千代田の秘密をこのタイミングで暴露する事で、俺が視姦していたという事実を闇に葬った……。

 結果的に千歳お姉はこんなに泣いてしまうほど深く傷ついてしまい、おそらく千代田も同様であろうが、大淀にとっては必要な犠牲として勘定された……。

 黒幕(アイツ)なら普通にそれくらいの事はやってしまいそうだ……。大淀の……底が見えない……!

 

「それに、私は一瞬とはいえ、疑ってしまいました……! 下心から、胸を見られていたのではと……!」

「そ、それはさっきも謝ったが、私が悪いんだ。本当にすまなかった」

「いいえ、いいえ! 提督がそんな人じゃないって、私、理解してたはずなのに、なんで……!」

 

 何が起こっているんだ。

 俺はどう考えてもそんな人だ。

 千歳お姉の表情、態度に嘘は見られない……。

 軽蔑なんて一切していない。心の底から、俺を信頼している目だ。

 

 千歳お姉とのファーストコンタクトが脳裏をよぎる。

 

『……この時間に、空母だけの編成で出撃させたなんて、提督の意図がわかりません。そして今回の急な出撃も……』

 

 そう、あの不信感に溢れていた目……。

 初日に俺と初めて話した時には、俺の素人丸出しの指示もあり、千歳お姉が俺に対して不信感を抱いていたのは明白であった。

 だが出撃前に谷風、出撃後に龍驤のフォローもあり、あの場は丸く収まった。

 つまり、千歳お姉も俺に対して普通に警戒していたし、あくまでも谷風、龍驤、そして大淀さんの助けがあって、何より千歳お姉自身の優しさがあってこそ、今は俺に対して何とか友好的に接してくれているという状況のはず。

 あの時は千代田に浜風、磯風ですら明らかに反抗的だったし、思い返せばなんか最初から友好的なのペチャパイしかいねェな……い、いや浦風もいたな。マンマ~。

 

 しかしそんな状況だった千歳お姉が、今では俺に下心なんて存在しない、性能を見る為に目を向けていたのに、疑ってしまった自分が悪い、と……何がどうなったらそんな考えになるんだ!

 俺が着任してからまだ僅か三日目だが、それだけでも俺の罪は今更数えきれないほど積み重なってしまっている。

 そんな簡単に人の評価は変わらない。

 特に俺がドスケベクソ提督であるという事は、少なくとも加賀や瑞鶴にはバレているし、周りの艦娘達も同様であろう。

 だというのに、千歳お姉の記憶の中からは、まるで俺に対する不信感など無かったかのように……これも大淀⁉ 大淀の話術なの⁉

 何という事だ、誰がそこまでやれと言った。

 いや、無茶振りしたのは俺なのだが、まさかその為に俺の過去の失態まで無かった事にするレベルの改変を行うとは……つーかそもそもやろうと思って行えるものなのか……⁉ 何なんだアイツは……⁉

 ま、まぁいい。難しい事は考えないに限る。これを思考放棄と言います。

 大淀がその気になれば詐欺師どころか何かの怪しい宗教の教祖とかにもなれそうだな……。

 横須賀鎮守府の黒幕・大淀さんの過去改変とでも称すべき話術を『メガネ・オブ・ジ・エンド』と名付けよう。

 そう、これが本当の、大淀型の力よ!

 

 と、ともかく大淀にしてはかなり力技というか、俺の無茶ぶりによって隠していた本当の力(奥の手)を使わせてしまった感があるが、何とか俺の提督の座はギリギリで保たれていると思ってもいいのだろうか。

 いや、洗脳とか催眠とかそういう搦め手は全く効かなそうなゴリラ達がいるから油断はできん。

 アイツらは気合で何とかしてしまいそうな凄みがある。

 心優しい千歳お姉なんかは押しに弱そうだからな。大淀の話術に騙されてくれたのだろう。本当にすみません。

 

 しかし千歳お姉がこんなに落ち込んでしまったのは千代田の秘密が暴露されてしまったせいで、それは俺の提督の座を守る為に大淀が策を弄したせいだから……やはりこれも俺のせいだ。

 くそっ、何とか元気づけてあげたいが、なんて声をかければいいんだ。

 気の利いた言葉が思いつかずに悩んでいる俺に、千歳お姉は覚悟を決めたような表情で俺を呼んだ。

 

「……提督っ!」

「な、何だ」

「もう一度、私の性能を見て下さい!」

「エッ」

「私は、私はこの半年間、全く成長してなかった……! これが限界なんですか⁉ このまま千代田に追いつけないんでしょうか⁉」

「ア、アノ」

 

 千歳お姉は両手を膝の上に置いて、まるで医師の診察を受けるかのように胸を張った。

 細い両腕に挟まれ、図らずもその爆乳が更に強調される形となる。

 やはり無理をしているのであろう。頬を朱に染めながらも、一切の曇りなきその双眸は、俺の目をじっと見据えている。

 隣の席に座っている俺と千歳お姉の距離は僅か数十センチ程度。

 俺は耐えきれなくなって、その爆乳に視線が吸い寄せられる前に瞼を閉じた。

 こんな至近距離でお姉のパイオツを目にしては冷静な判断などできやしない。

 腕組みをして、閉じられた視界の中で考えを巡らせる。

 

 おちょちょおちょ落ち着こう……!

 心を平静にして考えるんだ……! こんな時どうするか……。

 落ち着くんだ……素数を数えて落ち着くんだ……。

 素数は一と自分の数でしか割れない孤独な数字……友達のいない俺に勇気を与えてくれる……。

 3.14159265358979……違う、これは円周率だ。

 駄目だ、π(パイ)が頭から離れねェ……!

 

 くそっ、落ち着こう。気を紛らわさねば。よし、パイオツから離れて心を落ち着かせる為に、ここで謎かけをひとつ……よし、整いました!

 えー、千歳お姉のパイオツと掛けまして、着弾観測に必要不可欠、と解く。

 その心は? 水偵(吸いてェ)‼ おあとがよろしいようで……いや全然よろしくねェ……!

 つーかお題の時点でパイオツから離れられていねェ……!

 ドスケベ大喜利を開催している場合ではない。

 

 くそっ、もうパイオツの事を忘れるのは諦めよう。

 残念な状態の頭で思考するしかない。

 千歳お姉は何を言っているんだ。もう一度性能を見ろという事は、つまり、エッ、胸を⁉

 この至近距離で⁉ やだ、股間から燃料が溢れちゃうよぉ……。いや先走っている場合では無い。

 

 つまりどういう事だ。

 大淀が俺の視線にはそんな能力があるのだと薄い本じみたアホみたいな説明をし、千歳お姉がそれを信じ、千代田との性能差に悩んでいる以上、このような展開も想定内……!

 うまくやれば服が邪魔だと言って、医師の診察のごとくはだけさせる事も可能……!

 つまり合法的に千歳お姉のパイオツを……いや、パイオツどころかビーチクを……いや、お姉だけではなく――!

 お、大淀アイツ、昨夜の歓迎会で任せてから僅か半日足らずで艦娘達のパイオツを、つまり金剛のビーチクを合法的に得られる状況を作り出して――⁉

 青葉による盗撮という手段は使わず、交渉担当の明石と夕張に頼るまでもなく、アイツ一人で……!

 もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな。

 

 何なんだアイツは……! 完全に想定外であろう俺の無茶振りを利用して、いとも容易く任務完了しやがった……!

 変態司令部より入電! 提督、作戦成功しました。流石です!

 智将を自負する俺ですら足元にも及ばない知略、そして明石によれば腕っぷしも強いらしい……。

 おそらく戦闘時には完全催眠や過去改変レベルの話術に頼るまでもなく、単純に強いのだろう。

 先ほど見た通り、赤城に加賀、那智に神通、あの長門ですら逆らえないレベルだ。隙が無さすぎる。『全知全能(ジ・オールマイティ)』の称号を与えよう。

 そう、これが本当の、大淀型の力よ! 大淀型マジパナイ。

 そのまま俺の最悪の未来も改変してくれまいか。

 

 それはともかく、よっしゃあああっ! そうと決まれば話は早い!

 御言葉に甘えてさっそく千歳お姉の願いに応えねば――!

 薄い本で見た通り、やはり正確に性能を計るには見るだけでなく触れる事も肝心! 触診不可避。

 ここはMO作戦、いやAL/MI作戦……いや、名付けてMO/MI(モミモミ)作戦! 発動‼

 お前の運命(さだめ)は俺が決める!

 変態認証! お姉の乳を揉メッテオ! Ready⁉ OK! 理性崩壊(リミットブレイク)! ホーッ! ホワチャァァーーッ‼

 

 いや待て。だから落ち着くのだ。理性崩壊(リミットブレイク)してはイカン。

 一度冷静になって考えてみろ。

 大淀が俺にとって理想的な状況を作り上げてくれたとは言え、実行に移す事は本当に正解なのか?

 

 まず、俺が煩悩に従って目を開けたとしよう。

 前提として、巨大な質量を持つ物質には強い引力が発生するという自然の摂理がある。

 街中で巨乳の女性とすれ違う瞬間、巨乳の女性が前かがみになった瞬間、男の目はその意志に関わらず自然とそれに引き寄せられてしまう。これをパイ有引力の法則と言います。

 つまり千歳お姉のパイオツを乳球、いや地球に例えれば、俺の眼球は月のようなものだ。

 この至近距離で凝視したが最後、煩悩という引力に逆らう事が出来ず、千歳お姉のパイオツの周りを周回する衛星のごとく視姦し続ける事になるだろう。

 そんな俺を見て、千歳お姉はどう思う?

 いや、千歳お姉だけではない。今、この場には俺のマンマ間宮さん、一航戦すら恐れる大鬼鳳翔さん、あとついでに伊良湖もいる。

 大淀は俺の視線に理由をつける事であの場を切り抜けたが、本来そんな能力は無い。

 にも関わらず俺に再び視姦されただけの千歳お姉は、今度こそ俺に幻滅し、大淀の話術をもってしても二度と俺に近づいてくれなくなるだろう。

 間宮さんも同様かもしれない。考えただけで死ねる。鳳翔さんはキレるかもしれない。赤城のビンタどころでは無い。伊良湖は知らん。

 

 いや、この至近距離、しかもここまで合法的に好き放題できる状況……おそらく俺は見るだけで満足できない。

 つーかここで冷静にならなかったら完全に勢いのままに揉む気だった。

 酒は入っておらずとも、性欲のあまり、俺の中の俺(フルティンコ)が目を覚ます可能性もある。

 瞼を開けてお姉のパイオツが視界に飛び込んできた瞬間、俺の中の俺(フルティンコ)それ(メロン)にダイブし、「うわっ! プリップリやないか!」「甘ーい! 果物より甘いですよコレ!」「甘露! 甘露!」「爆乳キタコレ! ウマー!」と食レポを行う可能性が無きにしも非ず。水偵(吸いてェ)

 

 そんな事になってみろ。

 俺が幻滅されるだけならばまだいい。問題は、俺をフォローしてくれた大淀さんの顔に泥を塗る羽目になる事だ。

 大淀は俺がやろうと思えば好き放題できる状況を作ってはくれたものの、実際に好き放題したら千歳お姉から俺への好感度が終わる。

 俺の視線に性能を計る能力など無いと判明すれば、大淀が説明した事も出まかせである事が決定し、無能提督()の陰から暗躍するという大淀自身の黒幕ムーブにも確実に支障が出るであろう。

 俺からの無茶振りに対して大淀が行った仕事はパーフェクトだ。文句の言いようが無い。

 だがそれを他ならぬ俺が台無しにしてみろ。

 堪忍袋の緒が切れた大淀さんは俺をばっさりと切り捨てた後、前髪を掻き上げ、眼鏡を外して握り潰し、「私が天に立つ」とか言い出しかねん。

 俺はあくまでも大淀にとって都合の良い傀儡(かいらい)……だからこそ、ここまで庇われている。

 だが、不要となればいとも容易く切り捨てられる……俺はおそらくその程度の存在だ。

 大淀さんの意図を読まねば生き残れない……! 先を見据え、大局的な視野を持ってこその智将……!

 

 父さんの教えを思い出せ。俺の名は貞男。

 清く正しく節操を守り、どんな誘惑や困難にも負けない男。

 一時的な衝動に負けてしまう、弱い心を持つな。

 ここで俺がその気になれば、確かにお姉のパイオツを思う存分堪能できる。

 だがそれと同時に俺の人生も夢も終わりを告げる。

 もうこれで終わってもいい。だから、ありったけを――その考えじゃ駄目だ。

 お姉のパイオツは確かに魅力的だが、それだけでは俺の欲望は満たされない……。

 千歳お姉はあくまでも俺の求めるハーレムの一人なのだから。

 最終的な(ハーレム)の為ならば、目の前の性欲に囚われず、下心を忘れて生きていけるはず。

 要らない持たない夢も見ない、フリーな状態……。

 いけますって! ちょっとのお金と、翔鶴姉のパンツがあれば!

 そう、翔鶴姉のパンツが俺の明日だ。

 大淀もある意味で俺の欲望の大きさを信じたからこそ、このような策を立てたのではないだろうか。

 

 あのアホはこの程度では満足しない。

 もっと貪欲に夢を目指すはずだ。

 だから、たとえ合法的に好き放題できる環境が整ったからといって目の前の衝動には流されない……。

 そのくらいの判断力はあるはずだ。

 もしも私の期待を下回る、その程度の男だったら――私が天に立つ、と。

 俺は閉じられた瞼の裏で白目を剥いた。アカン。

 

 よ、よぉし、よぉし……! お任せ下さい! お任せ下さい‼

 貴女の傀儡にして操り人形、この神堂貞男にお任せ下さい! フフフ。一応提督。

 

 覚悟を決めてカッと目を見開くと、俺の様子を観察していたのであろう、緊張したような面持ちの千歳お姉とばっちり目が合った。

 やはりこのまま胸を見てしまえば、千歳お姉からは丸わかりだ。下心も隠しきれないだろう。

 俺は自分自身を繋ぎとめるように、しっかりと千歳お姉の目を見据えた。

 覚悟を決めたように唇を小さく噛み締めた様子の千歳お姉であったが、俺はそれどころではない。

 視線が下に行く前に、何とか千歳お姉を励ますべく、しかしノープランのまま、慎重に言葉を紡ぐ。

 

「千歳。お前の問いについては、その……答えかねる」

「……そう、ですか……」

 

 千歳お姉はしゅんと目を伏せてしまう。

 根拠の無い適当な慰めでは駄目だ。強くなれるなんて適当な事を言ってそれが当たらなかった時、俺の目が節穴だとバレてしまう。

 どうとでも取れるような曖昧な言葉ではぐらかしつつ、何とか励まさなければならない。

 とりあえず安定の黙秘権を発動した。

 何と言えばいいのか俺が言葉を探している内に、千歳お姉はだんだんと肩を震わせ、目に涙を浮かべ――そして不意に椅子から立ち上がった。

 

「も、申し訳ありません……っ! 私っ、まだ自分の力を引き出せてないんじゃないかなんて思ってっ、千代田が出来たんだから私も出来るなんて思って……っ! ただの、怠慢だったのに……! 私、私っ……! しっ、失礼します……っ!」

 

 い、いかん! 言葉に迷っていたせいで千歳お姉を不安にさせてしまった!

 千歳お姉はこの場から逃げ出すように、足早に店の出口へと向かう。

 俺も慌てて立ち上がり、そして思わず千歳お姉の手を掴んだ。

 

「まっ、待て! 私の話はまだ終わっていない!」

「いいんです! 提督の目を見ればわかります! 私に秘めた力なんて見えなかったんだって事は!」

 

 いやそれは秘めた力が無いからじゃなくて、本当に見えてないだけだよ!

 俺に手を掴まれているにも関わらず逃げ出そうとする千歳お姉を止めるべく、俺はその両肩をしっかりと掴んで俺の正面に向き直させた。

 何を言えばいいかも決まっていなかったが、勢いのままに言葉を続ける。

 

「落ち着け! 確かに、今の千歳にはそんなものは見えなかった。しかし、しかしだ。千歳、たとえ今、千代田の方が一歩先を行っていたとしてもだ。それでも、それでも私は、私の中では、お前の方を高く買っているんだ」

「えっ……な、何で……」

「決まっているだろう。お前が千代田の姉だからだ」

 

 千代田の方が巨乳だろうが軽空母だろうが、そんな事は俺にとってはどうだっていい。

 俺ランキング・横須賀十傑衆第四席という、あのラブリーマイエンジェル翔鶴姉すらも超える位置にいるのは伊達じゃない。

 それは決して胸の大きさランキングなどでは無いからだ。

 巨乳レベルで言えば上位に入る榛名達や千代田がランクインしていない事がそれを示している。

 千歳お姉の魅力は爆乳もだが、あくまでも姉属性、そしてその優しく大らかな内面、包容力によるものが大きい。

 それはどんなに強化されようともシスコンの千代田では決して辿り着けない境地で、いや何で俺の好みの話になっているんだ。我ながら意味がわからん。

 胸を見ないようにする事に必死すぎて、肝心の励ましについては全く考えていなかった。凹む。

 

「私が、千代田の姉だから……」

「う、うむ。千歳は、その、やはり姉として妹には負けてられないという気持ちがあるのではないか」

「……はい」

 

 目をぱちくりとさせながら言葉を漏らした千歳お姉に、俺は話を逸らすように言葉を続ける。

 

「その気持ちは私にもよくわかる。その、実は私も長男でな。妹が四人いるんだ。兄らしくあろうと考えてはいるのだが、なかなかうまくいかなくてな」

「……提督でも、ですか?」

「あぁ。妹達は私よりも要領が良かったり、頭が良かったり、足が速かったり……皆、私よりも秀でたものを持っていてな。兄妹の中では私が一番劣等生だな」

「て、提督が一番劣ってるんですか⁉」

「う、うむ。学生時代の成績から比較すれば、私が最も出来が悪いな」

「提督が一番出来が悪いんですか⁉」

 

 千歳お姉は何故かオーバーなリアクションを取った。

 そうか、千歳お姉は姉だからこそ妹には負けたくないという向上心の持ち主。

 兄妹の中で最も劣っている男が自分達の上官などと聞かされては、このような反応も当然であろう。凹む。

 

 実際のところ、妹達は俺よりもかなり才能に溢れていると思う。

 歳が離れているからこそ、母さんが亡くなった後にはしばらく俺が料理を作っていたが、最初は失敗ばかりだった。

 その後、俺が就職するまでに妹達に料理を教えてやったのだが、四人とも飲み込みが早く、一度教えたら二度と失敗しない。

 俺のように焦がしてしまったり、形が崩れてしまったりという事はなく、今では末っ子の澄香ちゃんですら普通に俺を超えていると思う。

 四人とも家庭科の成績はいいのだ。

 千鶴ちゃんは学年トップクラスに頭が良かったし、明乃ちゃんは友達が多いし、美智子ちゃんは現在リハビリ中だが兄妹で一番足が速かったし、澄香ちゃんは人一倍正義感が強い。

 俺には秀でたものは何も無い。

 智将を気取ってはいるが、それは悪知恵や小賢しさとでも呼ぶべきものだ。

 何も良いところが無いなりに、せめてもっと人に優しくなりたいと思ってはいるが、それも全然出来ている気がしない。

 兄妹の中で飛び抜けて一番エロいとか一番クズとか言う事は出来るだろうが、それはつまり最低という意味である。

 

「皆、私よりもしっかり者に育ってくれてな……私が頼りなさ過ぎて、自分がしっかりしなければならないと思ってくれたのかもしれない。千代田が千歳よりも先に次の段階へと進んだのも、案外そういう事かもしれないな」

「……私が頼りなかったから、ですか……」

「い、いや、千歳に限ってはそうは思わない。姉の存在を意識して、という事だ。その、千代田は千歳に対して強い対抗心を燃やしているらしいと聞いてはいるのだが……実際、そうなのか」

 

 オータムクラウド先生の作品『千代田に怒られちゃうから、黙っていて下さいね(千歳本)』『千歳お姉には内緒よ(千代田本)』から得られた知識である。

 千歳お姉が自分の意思で提督とイチャイチャするのとは違い、千代田は提督への嫉妬と千歳お姉への対抗心から、「この任務、千歳お姉にはさせられないわね……私がやらないと」と提督からのエロ任務に自ら足を踏み入れるという展開が濃密に描かれている名作だ。最終的には姉妹丼になる。いつもお世話になっております。

 

「よく……御存知ですね。はい、千代田はいつも、私に張り合ってきて……でも、私も千代田には負けてられないって思ってて……お互いに切磋琢磨できている、そう思っていました。でも、私は千代田について行けずに……姉失格です」

「千歳が姉失格なら、私も兄失格だ。しかし、失格で終われば楽なのだが……それでも辞める事が出来ないのが、先に生まれた者の辛いところだな。たとえ妹の方が優れていようと、それでも私は妹達の兄であるし……千歳も千代田の姉なのだ」

「姉である事は、辞める事が出来ない……?」

「うむ。先に生まれたその瞬間から、ずっとな。だからこそ、私は千歳の事を高く買っているんだ。千歳は、千代田には無いものを持っていると思う。落ち込む気持ちは私にもよくわかるが、だが、その、なんだ。とにかく、泣かないでくれ……」

 

 ノリと勢いとライブ感だけで言葉を続けた結果、最終的に自分でも何が言いたかったのかよくわからなくなってしまった。凹む。

 何とかうまい事誤魔化そうとしたはいいが、結局俺の好みの話に終着してしまっている……。作戦失敗!

 くそっ、俺に大淀の頭脳の1%でもあれば……!

 しばらく考え込んでいる様子の千歳お姉であったが、自信無さげに目を伏せながら小さく呟く。

 

「……提督の仰っている意味がよくわかりません……」

 

 でしょうね。俺もよくわかりません。本当に申し訳ない。

 くそっ、何の身にもならない話しか出来なかった。これでは満潮の時の二の舞ではないか。

 俺の頼りなさに呆れ果てたのか、やがて千歳お姉の俺を見る目がだんだんとジト目になっていく。

 そして俺を責めるような、少しトゲのある口調で言ったのだった。

 

「それに……提督ぅ? 触っていい、とは、一言も言ってませんけど?」

「あっ、すっ、すまんっ」

 

 俺は慌てて千歳の両肩から手を離した。

 しまった、珍しく今回はそんな気は無かったというのに、これでは完全にセクハラ……!

 気の利いた言葉も言えず、出てきた言葉は意味の分からない俺の好みの暴露……おまけにボディタッチまで……!

 ち、違うんだ、これはつい出来心で……! いや違う、必死すぎてつい……!

 だ、駄目だ、千歳お姉と言えども、流石にこれはアウト……。

 完全に嫌われた……やっちまった。ガチで凹む。

 

 俺が額に手を当てて悔やんでいると、千歳お姉はまるでいたずらをした子供に向けるような表情で俺を見ながら息をついて、言ったのだった。

 

「……ふぅ、仕方ない。今だけ特別ですよ? でも、千代田に怒られちゃうから、黙っていて下さいね。ふふっ」

 

 お姉~!

 トゲのある口調は、どうやらからかわれていただけらしい。

 俺のド下手すぎる謎の話で励まされるわけもなく、まだ落ち込んでいるだろうに、気丈に振舞ってくれている。優しすぎる。頼りなさすぎる俺に対してこの対応。

 大淀の話術により若干好感度を操作されている感もあるが、これもお姉の人柄あっての事だろう。

 この大らかさ、優しさ、包容力は間宮さんにも匹敵する。第四席の貫禄を見せつけた形だ。強い……。

 千歳お姉が魅力的すぎて見惚れてしまいそうになったので、俺は咳払いをして顔を逸らした。

 間宮さん達の視線も感じるので、やはりここで手を出さなかったのは正解だったのであろう。

 

 千歳お姉は指で涙を拭い、小さく微笑む。

 

「とりあえず、泣くのは止めます。提督ですら、同じ事で悩んでいるんですものね……提督が仰った意味はまだわかりませんが……よく考えてみますね」

「あ、あぁ。ありがとう……」

「ふふ、なんで提督がお礼を言うんですか……それは私の――」

「わぁぁーーっ!」

 

 千歳お姉が何かを言おうとしたところで、大きな泣き声と共に何かが勢いよく店内に駆けこんできた。

 ラブリーマイエンジェル翔鶴姉であった。

 何⁉ 今度は何なの⁉




大変お待たせ致しました。
何故か予定を遥かに超えて無駄に長くなってしまったので、分割します。
第四章はちょっと日常回が多めになっています。

そろそろ冬イベが近づいてきましたね。
我が弱小鎮守府はイベント前にも関わらずサラトガ狙いの大型艦建造で軽空母を量産してしまった為、大急ぎで備蓄の回復に取り組んでおります。
小規模イベとの事ですが、提督の皆さんも共に頑張りましょう。
年度末で執筆の時間の確保が難しい毎日ですが、次回も気長にお待ち頂けますと幸いです。

※どうでもいい裏設定
【神堂兄妹の好きな食べ物】
・千鶴ちゃん:お兄ちゃんが作ったカレー(野菜たっぷり)
・明乃ちゃん:兄貴が作った唐揚げ(たまに焦げている)
・美智子ちゃん:さだにぃが作ったハンバーグ(たまに崩れている)
・澄香ちゃん:おにぃが作ったオムライス(たまに卵が破れている)
・提督:母さんが作ってくれたカレー(甘口)


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052.『視線』【提督視点③】

 甘味処間宮へと駆け込んできた翔鶴姉は頬を赤らめながら両手の指で涙を拭うも、それは次々に溢れ出して止まらない。

 俺は訳もわからず、千歳お姉に小声で問いかけた。

 

「ち、千歳。一体何があったんだ」

「わ……わかりません。私が出て行った時には何も……」

 

 千歳お姉も俺と同様に、状況が理解できていない表情だ。

 そうなると、千代田の秘密が晒された事により一悶着あった後に、翔鶴姉がここまで泣いてしまうような事が起きたという事であろう。

 だが、何故俺の元へ……翔鶴姉からは顔も合わせてくれないほどに避けられていると思っていたが……。

 もしや千歳お姉と同じく、実は瑞鶴の方が強かったとかを黒幕(大淀)がついでに明らかにしたとか……?

 泣いてばかりの翔鶴姉であったが、やがて震える涙声で言葉を紡いだ。

 

「うっ、うっ……て、提督……っ、五航戦翔鶴、意見具申願います……っ……!」

「な、何をだ」

「はい……スカートの下にジャージの着用の許可を……」

「駄目に決まってるだろ! 何を言っているんだ!」

「わぁぁーっ!」

 

 翔鶴姉は両手で顔を覆って泣き崩れてしまった。

 やべっ。思わず素で返してしまった。

 しかし思わず素が出るほどに、翔鶴姉の提案は衝撃的なものだった。

 スカートの下にジャージはイカン。それだけは駄目だ。

 

 スカートの代わりにジャージを着用するのは良い。

 確かにパンチラの可能性は無くなるが、スカートよりも尻のラインがわかりやすくなるというメリットがある。

 それはそれで(おもむき)があるものだ。ジャージを着用した翔鶴姉を想像するだけで十分オカズになる。

 現在のようにスカートというのは言うまでも無く、非常に良い。

 特に隙だらけの翔鶴姉は良質のパンチラを俺に恵んでくれる。俺の明日だ。

 だがスカートの下にジャージを着用した場合、尻のラインがわかりにくくなり、パンチラの可能性も無くなり、互いの弱点を見事に補完してしまうのだ。

 いくら隙だらけの翔鶴姉であろうともそれを身に着けたが最後、パンチラの可能性は消えて無くなる。

 おまけにエロスから遥かにかけ離れたダサい恰好になってしまう。流石にこの俺でもオカズに出来ない。

 それはまさに、上等な料理にハチミツをブチまけるがごとき思想……‼

 

 いやちょっと待て。そもそも何で翔鶴姉はそんな事をわざわざ俺に……。

 鎮守府では服装を変えるだけでも提督の承認がいるというのだろうか。

 明石によれば艦娘達が纏っている装束はバリア的な装甲であるとの事だから、いわゆる軍服、制服みたいな扱いなのだろうか……。

 駆逐艦や潜水艦、軽巡が着用しているセーラー服というのも、元を辿れば海軍の軍服なわけだし……。

 そうであるならば規則に定められていないジャージの着用について上官の承認を得ようとするのも理解できる。

 

「しょ、翔鶴姉っ。何言ってんのよ……!」

 

 うげっ、瑞鶴……。

 今度は瑞鶴が店内に駆け込んできた。どうやら翔鶴姉を追いかけてきたらしい。

 俺と目が合うと、コイツも「うげっ」と声を出し、気まずそうに目を逸らした。

 うーむ、先ほどの件があるので正直近づきたくないが、翔鶴姉に何があったのかを知っているのはこの場では瑞鶴だけ……。

 大淀さんが上手く誤魔化してくれただろうし、対応に気を付ければ大丈夫だろうか……。

 話を聞くにしても、間宮さんや千歳お姉への悪影響を考慮して、まずは瑞鶴をこの場から離す事が必要であろう。

 

「……よし。とにかく翔鶴はここに座れ。間宮、翔鶴にもしじみ汁を。千歳は翔鶴が落ち着くまで傍についていてくれ」

「は、はぁ……」

 

 俺に促されて椅子に腰かけた翔鶴姉は、カウンターに突っ伏して咽び泣いている。

 間宮さんと千歳お姉にそれぞれ指示を出すと、俺は外に歩を進めながら瑞鶴にちょいちょいと手招きをした。

 

「瑞鶴はちょっとこっちに来なさい」

「うぅっ……」

 

 心底嫌そうな表情であった。くそっ、俺もだっつーの。

 甘味処間宮の裏手で足を止め、俺はなるべく瑞鶴の方を見ないようにしながら口を開いた。

 

「大体何があったのかは千歳から聞いた。まぁ……色々あったらしいな」

「う、うん……ごめん。私が勘違いして過剰に騒ぎ過ぎちゃったせいで、千歳達が気まずくなっちゃって……」

 

 おぉ、あの瑞鶴までもが俺に謝って……! 流石は大淀さん、マジパナイ……!

 千歳お姉からの話を聞くに、大淀は完全に俺が悪くないという方向でフォローしてくれている。

 故に、あれだけ声高々に騒いだ瑞鶴は赤っ恥をかいたという事になるだろう。

 フフ……恨むなよ。全てはこの横須賀鎮守府の黒幕大淀さんが下した判断だ。

 大義の為の犠牲となれ……!

 

「提督さんにも色々考えがあったっていうのも、大淀が説明してくれた。私のせいで……本当にごめん……」

「うむ、ともかく千歳達の事は何とかしなければな。それと、さっきも言ったが気にしなくていいんだ。千歳達の性能を計る為とはいえ、胸の辺りを凝視していたのだからな。性能を計る為とはいえ、お前が勘違いしてもおかしくはない。性能を計る為にやむを得ない事だとはいえな……」

 

 大淀さんの策に全力で乗っかる俺であった。

 どう考えても薄い本じみた作戦にしか思えないが、瑞鶴も気まずそうに目を伏せている。

 コイツも本気(マジ)で信じてんのか……⁉ 大淀の話術凄ェな……!

 

「そんな事よりも、翔鶴に何があったんだ。千歳もわからんと言っていたが」

「いや、その……」

 

 瑞鶴は少し迷った様子で頭を掻き、俺の問いに答える。

 

「あー……提督さんは気付いてなかったと思うけどさ、こないだの出撃から帰投した時、翔鶴姉が、その、被弾してたから、その……ちょっと下着が一部、露になってたんだけど」

 

 ばっちり気付いていましたが何か。

 むしろそれを至近距離で目に焼き付けるべく明石の泊地修理を利用したのだが、結果として股間にクレーンを叩き込まれただけであった。

 くそっ、思い出すだけで股間が痛む。

 つーか着任してから三日が経つが、初日は明石、二日目も明石、本日は金剛から三連打と、股間を痛打されてない日が無い。

 何なんだお前らは。肝心な時に役に立たなくなったらどうするんだ。

 

「それで、それを加賀さんにからかわれて……さっきの私も、私がいやらしいからそんな勘違いをするんだなんて言われて……翔鶴姉まで巻き込まれて、そんなんじゃないのに……! 私はいやらしくないのに……‼」

 

 加賀(アイツ)容赦無さすぎだろ……。

 いやアイツは俺が下心ガン積みの変態クソ提督である事は理解できているはず。

 現に瑞鶴が騒いでいた時も、アイツは俺を見て「哀れね。本当に救いようがないわ」などと言っていた。

 そこまで理解できていて、大淀の話術でころっと掌を返すものか……?

 単に瑞鶴と翔鶴姉を馬鹿にするチャンスだと判断しただけのような気がしないでもないが……あの青鬼の事だ、何か良からぬ事を考えているかもしれん。

 

 加賀の企みはひとまず置いておいて、そうか、それで翔鶴姉はあんなに号泣して……一体どんな酷い事を言われたのだろうか。

 あんなに泣くほどだ。瑞鶴はかなりオブラートに包んでいたが、きっと鬼のように残酷な言葉でキツく責め立てたのであろう。哀れね。

 くそっ、加賀の奴め。何て余計な事を……!

 おかげで翔鶴姉がパンチラの可能性を完全に潰しに来てしまった。

 瑞鶴を責めるなと言っていたのに、瑞鶴どころかラブリーマイパンツ翔鶴姉まで巻き込みおって。

 先ほどは思わず素で拒絶してしまったが、何とか論理的に翔鶴姉を納得させねば……。

 

 それはともかく、瑞鶴も正しい事を言っていたのに、馬鹿にされて、恥をかいて……考えてみれば非常に理不尽なのではないか。

 たとえ瑞鶴自身が大淀の話術によって騙されているとはいえ、それで俺に対して頭を下げるとなると……大義の為の犠牲……いかん、やはり罪悪感が……。

 心の底から落ち込んでいる様子の瑞鶴を見ていると、俺はもうたまらなくなってしまって、瑞鶴から顔を逸らし、腕組みをしながら口を開いた。

 

「瑞鶴、その……すまん。お前に謝らなければならない事がある……」

「へ?」

「その、あの場では否定したが……実は、お前の言っていた事も、間違ってはいないんだ」

「……どういう事よ?」

 

 瑞鶴が怪訝な目を俺に向けてくる。

 俺はそれを見ないようにしながら、言葉を続けた。

 

「大体は、大淀が説明してくれた通りだ。お前が騒いだように、下心から凝視していたわけではない……まず、それだけは理解してくれ」

「うっ……わ、わかってるわよ。それで?」

「う、うむ。だが、たとえそうでなくとも、その……やはり女性の体を見るわけだから、その……そのつもりは無くともだな……千歳達に、そういう感情を抱かなかったかと言われれば、その、嘘に、なる……」

 

 俺はなるべく大淀が説明してくれた事とは矛盾せず、かつ瑞鶴の言っていた事も間違ってはいなかったという風に言葉を選んだ。

 実際は瑞鶴が百パーセント正しいのだが、ここで全てを暴露してしまっては大淀の力技が台無しになり、俺は見切りをつけられ、大淀が天に立つ可能性大。

 この説明ならば、瑞鶴が感づいたものは男の本能、不可抗力的なものなのだから、大淀の説明とも矛盾しない……はず!

 つまり大淀が説明した通り、俺は下心からではなく性能を計る為に千歳お姉達を見ていたが、男の本能に抗う事ができずに少し欲情してしまい、それを瑞鶴が感づき、勘違いをしたという事にするのだ。

 これならば大淀も瑞鶴も間違っていない事になり、瑞鶴も少しは溜飲が下がると思われる。

 シュレディンガーの色欲童帝(シココ)の存在も誤魔化せるはずだが……やはり瑞鶴が追及してくる隙を見せてしまっただろうか。

 瑞鶴は意外そうに目を丸めた後で、再び俺にジト目を向けた。

 

「つまり、千歳達を見て多少ムラムラしてたって事?」

「ぐっ……う、うむ、そう言って、構わない……」

「……ふぅん。認めるんだ。意外」

「す、すまん。私もお前達をそういう目で見ないようにとは思っているんだ。気を付けてはいるんだ。その、駆逐艦とか、子供なら大丈夫なんだ。だが……」

「子供をそういう目で見てないのは知ってる。まぁ見てたら流石に軽蔑するけど……つまり、千歳達は大丈夫じゃなかったわけね。へー。美人だし胸大きいしね」

「うぐっ……そ、その、女性的で、魅力的、だとは、思う……!」

「ふーん。そうなの。へー」

 

 い、いかん……! これはなんかまずい方向に向かっているような気が……!

 俺も誤魔化せずに正直に答えてしまったが、甲板胸的にはアウトな発言か……⁉

 どこか面白く無さそうな表情の瑞鶴は腰に手を当てて、呆れたように言葉を続ける。

 

「それで? なんで、そんな事私に教えてくれたわけ?」

「い、いや、その……不可抗力的なものとはいえ、私が千歳達にそういった感情を抱いてしまった事は事実だ。その点については、瑞鶴は間違っていない……大淀が、私が誤解されないようにとまとめてくれたのは有り難いが、その、それはそれで、何だかお前だけが不憫で……」

 

 俺が自信無さげにそう言うと、瑞鶴はがしがしと頭を掻いて、はぁぁ、と大きな溜め息をついた。

 

「……あぁもう、これじゃあ、私の立つ瀬が無いじゃん……提督さん、人良すぎ」

「う、うむ。まぁ、つまり、お前が下心と勘違いしてしまったのは、千歳達の性能を計りながら、私がそういった感情を抱いてしまっていたからだと思うのだ。だから、元はと言えば私のせいだ。そして瑞鶴は、人一倍そういう感情に敏感なのかもしれない」

「私はいやらしくなんか無いッ!」

「エェッ⁉」

「あ、いや、何でもない……」

 

 いきなりキレた瑞鶴に素で驚いてしまった。

 瑞鶴もハッと我に返り、どこか落ち着きなく言葉を続ける。

 

「あ、あのさ、若い男の人が、女の子に対してそういう感情を持つのって、おかしい事じゃないって、私もわかってるつもりなんだ。翔鶴姉や千歳は美人だし、鹿島とか、他の皆もそう……艦隊司令部の一部の人達からもそういった目で見られてるし、わかってるつもりなんだけど……私、すぐにカッとなっちゃうところがあって……」

 

「私のためにわざわざそんな事言わせちゃって、本当にごめん……」

 

 そして瑞鶴は俺に向かって大きく頭を下げたのだった。

 よ、よし。途中不機嫌そうだったからどうなるかと思ったが、案外話が分かる奴だ。

 

「だが、この事は他の者には黙っておいてくれよ。わざわざ声を大にして言う事じゃないんだ。私の精進が足りないのが原因とは言え、信頼関係にも影響が出かねん」

「これくらいで別に影響出ないと思うけど……い、いや、今の皆の状態だと出ちゃうかもなぁ……」

 

 瑞鶴は少し考え込んでから、顔をひきつらせるような苦笑いをしながらそう言った。

 確かに俺がドスケベクソ提督であるという事実は一部の艦娘達には知られているから、今更千歳お姉達に欲情していた事が知られたくらいで影響は出ないだろうが……。

 いや、今の状態というのは大淀の話術の影響下にある状態という事か。

 瑞鶴に話した事実が知られたら大淀の策が台無しになる可能性も考えられる。

 元から俺に対して疑い深い瑞鶴はともかく、大淀の説明を聞いた千歳お姉達は俺が一切欲情していないと思っているはず。

 だからこそ千歳お姉も、先ほど俺にもう一度見てもらおうなどとしたのだ。

 それに影響が出るのは非常にまずい。最悪の場合艦娘達は完全催眠から目覚め、俺は大淀に見捨てられ、天に立たれる。

 俺は瑞鶴の両肩をしっかりと掴んで、その目を見据えた。

 

「提督命令だ。いいな」

「わ、わかった……提督さんがそう言うんなら、皆には黙っとく。まぁ、確かにわざわざ口にするような事でも無いし、ある意味私が間違ってなかったってのも証明してくれたし……なら、それだけで十分だよ」

 

 そう言って、瑞鶴は小さく笑ったのだった。

 よ、よかった。わかってくれた……。

 瑞鶴がこの短時間でここまで丸くなってくれたのも大淀のお陰であろう。

 後でご褒美をやらねば……。

 内心ホッと胸を撫で下ろしてその両肩から手を離すと、瑞鶴が俺の顔を見上げながら口を開いた。

 

「その……ちなみに、見ただけで艦娘の性能が計れるのって、ホントなの?」

「え? あ、あぁ、いや、その……実は正確にではないんだ。根拠があるわけではなくて、私なりに、なんとなくだ、なんとなく」

「それでも、千代田が軽空母としての改装に目覚めている事はわかったんでしょ?」

「う、うむ……そうだな。いや、そこまで具体的にではないのだが、まぁ、なんとなくな」

「ふぅん……」

 

 瑞鶴は少し迷った素振りできょろきょろと周りを見渡してから、数瞬の躊躇の後に言葉を続ける。

 

「それじゃ、私も知りたいんだけど……」

「エッ」

 

 しまった、まさか千歳お姉だけではなくコイツまで言い出すとは……!

 いや、大淀の説明により俺は艦娘の性能を見抜く事ができる事になった……言うなれば未来を見通す占い師みたいなものではないか。

 女の子は占い好きだからな……妹達もそういうのが大好きだ。俺は全然信じていないけど。

 星座占いだの、血液型占いだの、タロットだの、手相だの、そういったもので運勢がわかってたまるかと思っている。

 しかし、艦娘達も女の子……興味を持ってもおかしくは無い。

 

 千歳お姉と同じく、瑞鶴も本気であろう。

 いや、おそらく俺を疑ってはいたのだろうが、大淀の話術によって信じる事にしたのだ。

 先ほどの千歳お姉への対応は、はっきり言って失敗だった。

 あまりに迷い過ぎた為、千歳お姉は自分に秘めた力など無いと察してしまい、傷つけてしまった。

 ならば同じ轍は二度と踏むまい。ましてや相手は疑い深い瑞鶴だ。

 ここで迷えば、やはり大淀の言った事は嘘だったのかと、そしてやはり下心だったのだと確信を持ってしまいかねん。

 

 演じるのだ、神堂貞男……! 今だけは提督ではなく、占い師になったつもりで……!

 大淀さん、見ててください……! 俺の……変身!

 俺は不安そうな瑞鶴に、真剣な表情で告げた。

 

「わかった。ちょっと見る事になるが、いいか」

「う、うん。あ、でも、男の人だから仕方が無い事かもしれないけど……あ、あんまりいやらしい目で見たら爆撃するからね⁉」

「あぁ、お前なら大丈夫だ」

「は?」

 

 俺がさらりと答えた言葉に、瑞鶴は何故か機嫌を損ねたようにこめかみの辺りをピクピクとさせながら拳を握りしめ、好戦的な笑みを浮かべながら俺を睨みつけた。

 

「何? どういう意味? 提督さん、子供なら大丈夫って言ってたよね? え? 私、馬鹿にされてるの? 何言ってんの? 爆撃されたいの……⁉」

 

 どっちにしても爆撃されるのか……。

 一体何なんだ。何を考えているのか全然わからねェ……!

 とりあえず瑞鶴が危ない奴だという事だけはわかった。

 コイツは機嫌を損ねるとマジで執務室に向かって全機発艦しかねない凄みがある。

 加賀に負けず劣らず危険な女だ……。

 

「ま、まぁ落ち着け。悪い事じゃないだろう」

「そうなんだけど、何か微妙に納得できない……! あぁもう、いいわ。早くしてよね」

 

 納得のいっていない表情のままに瑞鶴は後ろ手を組み、所在なさげに視線を逸らした。

 その姿を俺はまじまじと眺める。

 うーむ、わからん。やはり俺は占い師ではないので、何もわからん……。当然の事であった。

 しかし改めて至近距離で見てみれば、本当に俺の妹、長女の千鶴ちゃんに瓜二つだな……。

 身長も体型も、今の千鶴ちゃんと大体同じくらいだろう。

 つまりこの甲板胸にも将来性は無い……哀れね。翔鶴姉に全て持っていかれたのだろうか。

 流石に髪型は違う。千鶴ちゃんはここまで長く伸ばした事は無いし、ツインテールにした事もない。

 髪を下ろせばもっと近づくんじゃないか。

 

「ちょっと髪を下ろしてみてくれないか」

「え? な、なんで?」

「いや、ちょっと気になる事があってな」

 

 ただの好奇心と時間稼ぎであったが、微妙に疑うようなジト目と共に瑞鶴は意外にも素直に応じてくれた。

 おぉ、少し髪が長すぎるが、どこからどう見ても千鶴ちゃんではないか。

 つまりやはり胸部装甲には将来性は無い……哀れね。

 

「何か変な事考えてない?」

「アイヤ! そ、そんな事はないぞ、特に装甲に将来性を感じるな!」

 

 変な声が出た。くそっ、やはり千鶴ちゃんに似ているだけあって俺の良からぬ思考にも敏感なのか……!

 少し丸くなったが油断はならん。思わず胸部装甲についてフォローしてしまったではないか。アカン。

 

「装甲……? ふぅん、私達空母は中破したら艦載機の発着艦が出来なくなるから、確かに装甲は重要だけど……加賀さん並に搭載数増えたりしないかな」

「い、いや、流石に加賀並は難しいかもな……しかし、瑞鶴にはまだまだ伸びる余地があると思うぞ。だが、全てはお前の頑張り次第だ」

 

 どうやら瑞鶴は胸部装甲の事だとは思っていないようだ。

 バストサイズ=胸部装甲という薄い本でおなじみの隠語を使用していて助かった。

 オータムクラウド先生ありがとうございます。

 

 つい先ほど千歳お姉を泣かせてしまった反省を活かし、俺は即座にPDCAサイクルをフル回転させ、瑞鶴を褒め殺す作戦へと方向転換した。

 そう、今の俺はインチキ占い師なのだ。

 つまり将来の事を的確に当てる必要など無い。ただ、今この瞬間だけ曖昧な言葉で喜ばせてやればいいのである。

 そして「全てはお前の頑張り次第」と言う事で、俺の言葉が当たらなかった場合は瑞鶴に原因がある事になる。

 もしも瑞鶴が努力の結果として伸びた場合には、俺の言葉が正しかった事になる……そう、これが智将の、本当の力よ!

 

「まぁ、空母は搭載数が全てじゃないしね。装甲が伸びるって事は継戦能力も上がるって事だし……総合的に加賀さんに勝てるかも?」

「あぁ、その通りだ。勝ち負けでは無いと思うが……長所を伸ばしていけば、きっといつかは加賀をも超えられるさ。だが、全てはお前の頑張り次第だ」

 

 俺が口を滑らせてしまったせいで装甲に将来性を見出してしまった瑞鶴であったが、胸部装甲で言うのなら加賀に敵うはずも無い。哀れね。

 俺はひたすらに耳に心地のいい言葉を並び立てるが、この天才的頭脳が何も考えていないはずがない。

 きっといつかは加賀をも超えられるとは言った……言ったが……今回まだその時と場所の指定まではしていない……!

 その事をどうか瑞鶴も思い出して頂きたい……つまり、瑞鶴が加賀を超えられるのは十年、二十年先という可能性もあるという事……!

 そして瑞鶴が加賀を超えられるかどうかの全てはお前の頑張り次第……‼

 万が一、それが現実となった場合は俺を崇め奉れ……!

 完璧だ……! 今の俺は完璧なインチキ占い師だ……!

 

「なんか、全ては私の頑張り次第ってところが気になるんだけど……」

「何の努力もせずに掴み取れる未来があると思うか?」

「くっ、正論……! ま、まぁ、頭の片隅には留めておくわ。完全に信じたわけじゃないけどね。ふふん」

 

 どうやら俺の作戦は功を奏したようで、その言葉とは裏腹に瑞鶴はまんざらでもない様子であった。

 褒められたりおだてられて不快になる奴はいないからな……結局は占いというのはその時いい気分になれればいいのかもしれない。

 というか、今更だがこれは占いというよりも、女の子に対するテクニックに近いような気がする。

 本やネットで調べても、女の子とデートする時はとにかく褒めろと書いてあったし。

 万全に予習したにも関わらず、実践する機会には恵まれなかったが……凹む。

 要注意人物の瑞鶴ですら悪い気がしない様子なのだ、他の艦娘相手にも役に立てられるテクニックだな。覚えておかねば。

 まぁ、露骨に褒めるとそれを気付かれて逆効果らしいから使いどころが難しいところだが……。

 くそっ、意識せず自然にさらっと褒めるテクニックが欲しい……!

 

「うむ、こんなところだろうか。もう髪も戻していいぞ」

「あ、うん。何か意味あったの?」

「まぁ、ちょっと見てみたくてな。それに下ろしたのも似合ってたぞ」

「なっ……な、何それ、意味わかんない。答えになってないし……そ、それより、翔鶴姉を何とかしてよ。私はどうかと思うけど、ジャージの着用くらい許してあげてもいいでしょ?」

 

 髪を結いながら、瑞鶴は何故かふいっと顔を背けてしまった。

 そうだ、瑞鶴の髪型や胸部装甲の将来性などどうでもいい。

 大事なのは翔鶴姉がパンチラ根絶作戦を意見具申してきているという事だ。

 これを認めてしまったが最後、一度前例が出来てしまっては、他の艦娘達から同様の意見が出る可能性だって否定できない。

 そうなるともう拒否できなくなる。翔鶴姉だけ特別扱いする事はできないからだ。

 

 智将の天才的頭脳は常に最悪の場合を想定する。

 そう、スカートの下にジャージの着用が有りなのならば、上半身に重ね着だって有りであろう。

 せっかく大淀が合法的に艦娘の胸を凝視できる状況を整えてくれたというのに、例えば艦娘達がポンチョのようなものを着用してみろ。

 身体の線が出るから目の保養になるのだ。てるてる坊主のような状態の艦娘を見ても何のオカズにもならない。

 千歳お姉達や瑞鶴に対しては普通に服の上から判断できたのだ。薄い布一枚で性能が見えなくなったから脱げなどとは今更言えない。

 つまり翔鶴姉にジャージを認めてしまった場合、翔鶴姉のパンツだけでなく艦娘達の胸部装甲(ボイン)を視姦するチャンスも永久に失われる可能性が――。

 

 ――繋がった。脳細胞がトップギアだぜ!

 加賀がこのタイミングで翔鶴姉を焚きつけたのはその為だと考えれば辻褄が合う!

 言わば大淀の策により俺が視姦を行う事に対しての対策……!

 

 おそらくあの青鬼(加賀)でも黒幕(大淀)に直接逆らう事はできないのだ。

 さっき大淀に睨まれただけで、あの鬼畜艦隊がおとなしくなってしまった事からもそれは明白だ。

 しかし、大淀は黒幕として暗躍する事を目的としている以上、なるべく提督()に逆らう事はしない。

 そして加賀は先ほどケツを蹴り上げに来たように、俺に対してならば普通に歯向かう事が出来る……提督の威厳は何処へ。

 

 つまり俺は加賀に弱く、加賀は大淀に弱く、大淀は提督()に弱いという三すくみの関係が成立しているわけだ。

 いや、大淀がその気になれば普通に俺よりも強いから本来俺は最弱なのだが……。

 

 したがって加賀は大淀の策に対抗する為、俺を動かす事を画策した……!

 翔鶴姉に涙ながらに懇願させる事でジャージの着用を許可させ、それをきっかけとして胸部装甲(ボイン)を隠す口実を得る事こそが目的……!

 俺が認めた事であれば大淀も逆らえない。逆らう時は俺が切り捨てられる時だけだ。

 

 しかも奴は自分の手は汚さずに、翔鶴姉を使って……! あ、あの外道がッ……!

 目つきや態度だけではなく頭もキレるのかアイツは……しかし、馬鹿めが! この智将にその程度の策で対抗しようとは片腹痛いわ!

 

 智将の天才的頭脳は瞬時に加賀の奇策への対策を緊急立案した。

 名付けて『邀撃(ようげき)! ボイン防衛作戦!』発動!

 外道共め、今に見とれよ! こがいな事では負けん! 全部やっつけてやるけぇ!

 

『翔鶴姉を励ます』。『パンツも守る』。両方やらなくちゃあならないってのが提督のつらいところだな……。

 覚悟はいいか? 俺はできてる。

 俺はキリッと表情を引き締めて、瑞鶴と共に再び甘味処間宮へと入店した。

 泣きながらしじみ汁をすすっていた翔鶴姉が、ぱっと立ち上がって俺に向かい直った。

 千歳お姉や間宮さん、鳳翔さんなどはすでに翔鶴姉から事情を聞いていたようで、泣いていた理由の情けなさからか、困ったような笑みを俺に向けている。

 

「……事情は瑞鶴から聞いた」

「は、はい……私の注意が足りないせいで、これからも提督に見苦しいものを見せてしまいかねません。どうか、ご許可を……」

「先ほども言ったが、却下だ。その意見を許可する事は出来ない」

「そ、そんな……!」

 

 翔鶴姉は愕然とした表情で固まってしまった。

 俺の言葉が意外だったのか、鳳翔さん達が僅かに目を見開く。

 だが、動じては駄目だ。悪びれては駄目だ。これが当然であると、当たり前であると、自信を持って主張せねばならない。

 下心などでは断じて無い。これは翔鶴姉のためなのだ。

 智将の頭脳はすでに俺にとっての最善手を導いていた。

 

「……翔鶴。お前は自分に隙が多いという事を自覚しているという事だな」

「はい……だから、だから私はもう、こうするしか……!」

「先ほど、私がお前の言葉を聞いて即座に却下したのには理由がある。短所を克服しようとする姿勢は間違っていない。それはとても素晴らしい事だ。だが、翔鶴。今、お前が意見具申した方法は何の解決にもならないのだ」

「えっ……」

 

 俺の言葉に、翔鶴姉は涙ぐみながら顔を上げた。

 

「翔鶴、お前だけが特別な服装をしているわけでは無いだろう。瑞鶴に赤城、加賀、それに鳳翔さんも――」

「鳳翔です」

「――鳳翔も、似たような和風の装束だ。そして裾の長さ自体はほとんど変わらない」

 

 鳳翔さんの優しい微笑みが怖かった。目が笑っていない。

 いや、だってお艦鳳翔さんを呼び捨ては演技とは言えちょっと体が受け付けないというか……。

 内心ビビッているのを何とか表に出さないように言葉を続ける。

 

「翔鶴。お前は、皆も自分と同じように隙が多いと思うか?」

「い、いいえ! そんな事はありません。皆、私とは違って……」

「そうだ。そうであるならば、装束がほとんど同じような翔鶴と皆で何が違うのか……一言で言えば、意識と所作なのだろう」

「意識と所作……ですか」

「そうだ。赤城の隙の無さを思い出してみろ」

「確かに……常在戦場といった感じですね」

 

 翔鶴姉にあの赤鬼と同レベルの隙の無さまでは求めないが……説得の為には致し方ない。

 俺は翔鶴姉の目を真剣に見据えて、言葉を続けた。

 

「スカートの下にジャージを着用する。そうすれば確かに翔鶴が抱えている問題はすぐに解決するだろう。だが、それではお前が泣くほどに思い悩んでいる隙の多さという根本的な問題は解決しないんだ」

「あっ……」

「少し違うかもしれないが、何度も計算間違いをするからと言って電卓の使用を願うようなものだ。それでは頭は鍛えられないだろう」

「は、はい……っ」

「意識や所作であるならば、克服できるはずだ。それは翔鶴自身の成長に繋がる……私は、問題を解決するにしても楽で安易な方法に頼って欲しくは無いのだ」

 

 スカートの下にジャージを履いて欲しくないというだけで、俺は真剣な表情で一体何を熱く語っているのだろうか。

 いや、考えてはイカン。冷静に自分の姿を顧みてはイカン。

 先ほどの瑞鶴で学んだテクニックを早速活かす時が来た。褒めていい気分にさせるのである。

 

「翔鶴。私はな、空母の中ではお前に一番期待しているんだ。あの赤城よりもだ」

「えっ、そ、そんな、何で私に」

「お前の弱点はその僅かな隙の多さだけだろうと思っている。だが、それを克服した時、お前はきっと赤城にも匹敵できると、私は信じているんだ」

「私なんかが……あの赤城さんにも……⁉」

「そうだ。だがその全てはお前の頑張り次第だ。ここで安易な方法に頼ってしまってはその可能性さえも失われかねない……」

 

 空母の中で翔鶴姉に一番期待しているという俺の言葉は嘘ではない。

 何しろ翔鶴姉は横須賀十傑衆第五席。俺ランキングの中で五本の指に入る実力者。

 他が赤鬼(赤城)青鬼(加賀)、その二人ですら恐れる大鬼(鳳翔さん)、妹似の要注意人物(瑞鶴)いい奴(龍驤)天才美少年(春日丸)というどうしようもない面子だらけの空母勢の中で唯一のエンジェルだ。

 空母勢の良心と言い換えてもいい。

 個人的にはその隙の多さも、欠点どころかラブリーマイエンジェル翔鶴姉の大きな美点のひとつ。

 そしてそれはちょっとやそっとの努力では改善されないだろうと信じている。

 赤城に匹敵できるは少し言い過ぎたような気がしないでもないが、翔鶴姉の隙が無くなる日はそう近くは無いから構わないだろう。

 俺は翔鶴姉に向かって、最大限のキメ顔で言ったのだった。

 

「欠点を克服する、それはとても難しい事だ。私だってそう思っているし、実際なかなか上手くいかない……それでも、それでもだ。翔鶴、お前に辛い、恥ずかしい思いをさせてしまうが……その可能性を、私に見せてくれないか」

「……っ! て、提督! 申し訳ありませんでした! 私、私は何も考えずに、提督の仰る通り、安易な方法に頼ろうとして……!」

 

 おぉっ! 妹と違って想像以上にチョロいぞ! 流石は翔鶴姉!

 翔鶴姉の涙は先ほどの悲しみからのものとは違い、感涙へと変わっていた。

 チョロすぎて若干不安になった。おそらく大淀の話術の影響下にあるのだろうが……。

 翔鶴姉は俺に駆け寄り、その手を取って言葉を続けた。わぁい、柔らかーい!

 

「私、頑張ります! 赤城さんを見習って、精進します! でも、その間、提督にお見苦しいものを見せてしまうかもしれません……!」

「気にするな。そんな事で私は迷惑だなんて思いはしない。成功への過程にはいくつもの失敗がつきものだ。たとえ意図せずに見えてしまったとしても、私はそれを見苦しいなどとは思わないよ」

「提督……ありがとうございます!」

 

 なんでパンツ見られる前提でお礼言われてるんだろう……。

 いや、俺の天才的話術によるものだとはわかっているのだが、大淀の話術の影響が強いとは言え、翔鶴姉チョロすぎる……。

 瞬間、俺の隣から強烈な殺気と視線を感じた。

 見れば、瑞鶴がもの凄い目で俺を睨みつけている。

 

「……まさかパンツ見えなくなったら困るってわけじゃないよね?」

「ば、馬鹿な。お前は一体何を言っているんだ」

「瑞鶴、なんでそう提督を疑うような事を言うの。提督は私の成長の為に、見苦しいものが見えてしまっても気にしないと言ってくれているのよ」

「やっぱり微妙に納得できない……!」

 

 くそっ、やっぱりコイツ油断ならねェ……!

 チョロすぎる翔鶴姉と極端すぎんぞ。胸部装甲を全て持っていかれた代わりに、注意力を全て受け取ったのだろうか。

 さっきは丸くなったかと思ったが、やはり俺への警戒心は健在のようだ。

 いや、大淀のおかげで初日に比べればマシになった方か……?

 少なくとも、俺の下心に関しては敏感だが、初日に感じていた全体的な敵意みたいなのは感じられないし……。

 疑いはしたが騒ぎもしないし、納得していないようだが堪えてくれている。

 うぅむ、ともかく、やはり瑞鶴の前では下手な真似は出来ないと考えていた方がいいだろう。

 丸くなったとはいえ、気を抜けば俺に向かって躊躇いなく艦載機を向かわせる事が出来る奴だ。

 

 瑞鶴はしばらく疑うように俺を睨みつけていたが、やがて大きく溜め息を吐いた。

 

「まぁいいわ。翔鶴姉が立ち直ってくれたのは事実だし……ほら、翔鶴姉っ、そろそろ倉庫の片付けに行こう。あまり長いと、また加賀さんに何か言われちゃうよ」

「えぇ。提督、ありがとうございました。私、これから赤城さんを見習って、隙が無くなるように頑張りますね! うふふっ、行きましょう、瑞鶴」

 

 翔鶴姉は笑顔でぺこりと頭を下げ、外へと歩み出し――瞬間、地面に躓いた。

 

「きゃっ」

「あっ、翔鶴姉、危ないっ!」

「きゃああっ⁉ うっ、うぅっ、痛い……」

 

 瑞鶴は反射的に手を伸ばし、翔鶴姉のスカートを掴み、だがそれで体重を支えられるはずもなく、翔鶴姉は見事に転んでしまった。

 何がどうなったのかは俺の提督アイによる動体視力でも捉えられなかったが、何故か翔鶴姉のスカートは綺麗に足からすっぽ抜け、瑞鶴の手に握りしめられている。

 翔鶴姉は瑞鶴の手元と自分の下半身を見比べて、瞬時に頬を染めながら絶句した。

 

「あ、あぁぁっ……⁉」

 

 翔鶴姉は現在パンチラどころかスカートを失い、パンモロしていた。

 紐だけではなく、その薄い桜色のパンツと白くきめ細やかな肌、柔らかな太ももと大きなお尻が白日の下に晒されてしまっている。

 それを見て思考停止してしまったのか、瑞鶴も頬を染め、口をぽかんと開けたまま固まってしまっていた。

 ありがとうございます! こういうのを待っていました!

 

 おっほっほっほっほっほっほっほっほぉ~!

 もう変な声しか出ませんよ……!

 何ですか~? この神々しいまでのフォルムは!

 これってつまり、翔鶴姉を抱きしめてもいい! という公式の許可が下りたって事ですよねぇ!

 なんて素晴らしいアイテム(パンツ)なんでしょう! 素晴らしい!

 では早速、心火を燃やしてチューから行かせていただきや~す! あざ~っす!

 

「提督さんは見ちゃ駄目! っていうか見すぎ!」

「ぶっ⁉」

 

 俺の視界を塞ぐように顔面に何かが投げつけられたが、翔鶴姉のスカートだった。

 しょ、翔鶴姉の……スカート……⁉

 拭いたい……! これで汗を拭いたい……‼

 やめろ! そんな事したらな、提督の風上にも置けねえぞ!

 で、でも目の前にあったら拭いたくなるじゃないですか……!

 いや、翔鶴姉はパンツが見えても気にしないと言った俺の為に、あえて顔面(ここ)にスカートを置いてくれているんだ!

 やったー! アーッハッハッハッハッ!

 ンフフフフ……ではここは心火を燃やして遠慮無く……!

 

「あぁーっ! 間違った⁉ 返してっ! ちょっ、何その恍惚とした顔⁉ 提督さん絶対変な事考えてたでしょ⁉ 仕方ないってレベルじゃなくて! やっぱり微妙に納得できない‼」

「ば、馬鹿な。誤解を招くような言い方はやめてくれないか。そんな事は無い。やはり瑞鶴が敏感故に大袈裟に感じるだけではないかな」

「私はいやらしくなんか無いッ‼ ……あっ」

 

 瑞鶴が甘味処間宮の入り口を見て固まった。

 翔鶴姉もそれを見て、顔をそちらに向ける。

 そこにはまるでフナムシを見るような目で翔鶴姉を見下ろしている青鬼が立っていた。

 加賀は翔鶴姉のスカートを握る瑞鶴と、下半身パンツ一丁状態の翔鶴姉を交互に見比べて、吐き捨てるように言ったのだった。

 

「ちょっと様子を見に来たのだけれど……姉妹ならではの流れるような見事な連携で提督に下着どころか下半身を見せつけるなんて……やはり五航戦は疑いの余地無くいやら姉妹ね」

「わぁぁーっ! もうやだぁっ! なんで私ばっかりぃっ!」

「あぁっ、翔鶴姉ごめーんっ! わざとじゃないのーっ!」

 

 翔鶴姉は再び号泣しながら店の外へと駆け出して行き、瑞鶴も慌ててそれを追って行った。

 加賀は表情ひとつ変えずに「それでは失礼します」と言って一礼し、再び帰って行く。

 何しに来たんだ。翔鶴姉を傷つけに来ただけじゃねぇか。鬼かアイツは。鬼だった。

 せっかく翔鶴姉の説得に成功したのに、これでまたジャージを履く意思が固くなってしまったらどうするんだ。

 いや、むしろ加賀はそれが目的と思われる……わざわざ様子を見に来て、翔鶴姉を更に傷つけてまで……何て奴だ。

 まぁ元はと言えば翔鶴姉が転んだのがいけないのだが……あの筋金入りの隙の多さと不幸っぷり……しばらく赤城みたいにはならなそうで一安心である。

 これからも俺のセクハラ被害担当艦としてよろしくお願いします。

 

 五航戦のファインプレーのおかげで俺の股間の高射装置が起動を開始し始めたので、俺は即座に席についた。

 席についた瞬間に完全に立ち上がってしまう。長10cm砲ちゃん、あんまり暴れないで! 空母もういないから!

 微妙な空気に包まれてしまっていた店内であったが、俺はカウンター越しに間宮さんを見上げて言ったのだった。

 

「……昼食にしようか」

「そ、そうですね! 提督、色々とお疲れ様でした。冷えてしまったものを温め直しますので、少々お待ち下さいね」

「わ、私もそろそろ作業に戻りますね。千代田とはちょっと気まずいけれど……とりあえず働きながら色々考えてみようと思います。提督、ありがとうございました」

 

 何の解決にもならなかっただろうに、千歳お姉は俺にお礼を言ってから、そそくさと店を出て行った。優しい。

 考えてみればさっきまでは横須賀十傑衆第一席と第四席と第五席がこの狭い空間にいたのか……。

 千歳お姉とも間近で話せたし、翔鶴姉の生パンツもバッチリ見れたし、匂いは嗅げなかったがスカートが顔に覆い被さるというご褒美も貰えた。天国かな?

 思い返せばその前の鬼畜艦隊との落差が酷い。

 しかもこの後は待ちに待った間宮さんの昼食だ。一体何が出てくるのだろうか……凄く香ばしくていい匂いがするけれど……。

 

「お待たせしました! 名付けて日替わり提督定食です!」

「おぉっ、美味しそうだな」

 

 満面の笑顔の間宮さんが運んできてくれた料理を見て、俺は思わず喉を鳴らした。

 まず、これはいわゆるスタミナ丼というものだろうか。どんぶりに盛られたご飯の上に、ニンニクや玉ねぎ、ニラと炒めた豚肉が載せられ、仕上げに卵が落とされている。

 ニンニク、玉ねぎ、ニラ、豚肉……どれも精力がつく食材として有名だな。

 間宮さんの料理は俺の股間が元気になる傾向があるが、こんなものを食べて大丈夫だろうか。

 次に山芋をすりおろしたもの、いわゆる山芋のとろろが小鉢で添えられている。

 わさび醤油でいただくのだろう。美味しそうだ。

 山芋……粘り気があり、精力がつく食材として有名だな。こんなものを食べて大丈夫だろうか。

 更に、牡蠣をさっと茹でたもの。レモンを絞っていただくのだろう。昼食にしては贅沢すぎる。

 海のミルクと呼ばれる牡蠣はセックスミネラルと呼ばれる亜鉛を豊富に含み、ビタミンCと一緒に摂取する事で吸収率が上がるという……つまり精力がつく食材として有名だな。大丈夫だろうか。

 汁物も添えてある。さっきしじみ汁を飲んだばかりなのだが、これは別腹なのだろうか……。

 野菜がたっぷりで栄養バランスも良さそうだ。何か見た事の無い肉が入っているが……一体何だろう。

 ただの味噌汁や先ほどのしじみ汁とかでは無さそうだが……。

 

「これは何だ?」

「スッポンのお鍋です。味が染み出て美味しいですよ」

 

 そうか、スッポンか……食べるのは初めてだな。

 言うまでもなく精力がつく食材として有名……って全部精がつく食材じゃねぇか!

 現在オ〇禁一日目、そしてこれからも継続していかねばならない俺が食っていい代物ではない。

 食べたらムラムラしてしまう食材のオンパレードではないか。

 これは一体どういう事だ。間宮さんだけでなく鳳翔さん達まで何故……。

 固まってしまった俺を見て、間宮さんが少し不安そうに言った。

 

「あ、すみません。もしかして、苦手なものが……?」

「い、いや! そうではない。思ったよりも豪華で、驚いてしまっただけだ。まさか牡蠣やスッポンが出てくるとは……常備しているのか」

「ふふっ、私と伊良湖ちゃんは給糧艦ですから」

「出汁を取るとなると時間もかかりそうだが……」

「ふふっ、給糧艦ですから」

 

 わ、わからない……。

 夕張が装備の説明をしてくれたように、給糧艦は食材を艤装に保管できるとか、そういう事なのだろうか……。

 調理にも時間がかかりそうだが、それも給糧艦だから何とかできるのだろうか……。

 ま、まぁいい。気になっているのはそういう事では無い。

 

「なんというか、元気が出そうな食材ばかりだな」

「わかりますか! 実は、佐藤元帥に言われたんです。提督は、自分自身に対して無頓着なところがある、食事を通して提督を支える事が、私達の大切な仕事なのだと」

 

 さ、佐藤さん、裏で間宮さんにそんな事を……基本的にいい人なんだよな。俺のケツを狙ってさえいなければ……。

 いや、しかし身に覚えが無い事だ。佐藤さんは何でそんな事を……。

 

「佐藤元帥の言葉とはいえ、私は自分に無頓着だとは思っていないが……」

「いいえ、提督。着任当日は夜食のおにぎりとアイスしか口にしていないでしょう。翌日は夕方に目覚めて、歓迎会で私達が作った料理を食べて下さりましたか?」

 

 ……そう言えば、テーブルには美味しそうな料理が沢山並んでいたが、結局何も箸をつけなかったな。

 つけなかったというか、つける暇が無かったというか……。

 艦娘達が次から次に挨拶に来て、その対応に必死だったからな……。

 酒をがぶがぶ呑んでたから別に空腹も気にならなかったし、そもそも食は細い方だし……。

 足柄のカツカレーも食えなかったから、結局口に出来たのは磯風の焼いた炭だけだ。あれは料理にカウントされない。

 

「……い、いや、色々あって食べる暇がなくてな」

「ほら、やっぱり……私も、せっかく心を込めて作ったのに……皆に構って下さるのは私としても非常に嬉しい事ですが、それでも箸をつけられないというのは、少し、寂しいものです……」

「わ、悪かった、悪かった……」

 

 しゅんと落ち込んでしまったような間宮さんであったが、すぐに眉を吊り上げて自信満々に言葉を続けた。

 

「と言うわけで、今回は栄養補給を重視して、元気が出るような食材を選んでみました!」

「そ、そうか……そこまで考えてくれていたんだな。ありがたくいただくよ」

「はい! お代わりもありますよ! これからは三食、私達が心を込めてお作りします。食事を抜こうとしないで下さいね?」

 

 結婚したい。完全にご褒美ではないか。

 元気が出る方向性がちょっと違うような気がするが、まぁ一応間違ってはいない。

 股間が元気になるという事は全身に活力がみなぎるという事と同義だからな。

 元気が出る食事というものは栄養が豊富という事なのだから、男の場合は必然的に股間も元気になるものなのだ。多分。

 

 しかし俺の股間に即効性が強い間宮さんの料理……オ〇禁一日目の俺は正気を保っていられるだろうか。

 下手をすれば俺の中に封印されている魔物が理性の鎖を引きちぎって解き放たれる可能性も……。

 しかし普通に美味そうだし、ここまで心を込めて作られた手料理を残す事などできるはずも無い。

 う、うむ。きっと大丈夫であろう。なんかイケそうな気がする、いやイッたらアカン、いけそうな気がする!

 長10cm砲ちゃん! だからあんまり暴れないで!

 俺は自分の意思の強さを信じて、待望していた昼食をようやく口に運んだのであった。




大変お待たせ致しました。
仕事の都合も相まり遅筆っぷりに拍車がかかり申し訳ありません。
なんとか新艦も全員お迎えでき、待望の照月をお迎えする事も出来ました。
次回のイベントでは秋月と朝風との出会いに期待したいところです。

ついにアニメ第二期が発表されたらしいとか、某正規空母や夕雲型などの改二が実装されるらしいとか、気になる情報が入ってきて落ち着きません。
特に改二実装についてはその対象とタイミングによって今後の展開にも結構関わってきたりするのでそわそわします。
アニメ第二期は時雨主役の西村艦隊メインらしいですね。楽しみです。

次回の更新まで気長にお待ち頂けますと幸いです。


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053.『神の恵み』【艦娘視点】

 ――生気が満ち溢れておられる。

 執務室の扉を開いて正面の執務机に向かっていた提督の姿を一目見て、私はそんな感想を抱いた。

 イムヤの轟沈騒ぎもあり、表面上は強がってはいたものの内心意気消沈していたであろう提督の目は、ギラギラと光を帯びているように見える。

 話を聞けば、間宮さん達が提督の事を思って、元気の出る料理を作ってくれたのだという。

 

 流石は間宮さんと伊良湖さん、そして鳳翔さんだ。

 特に給糧艦である二人の作る料理に疲労回復や戦意高揚のような不思議な効果があるという事は私達もよく知っているし、鳳翔さんにはそんな能力はなくとも、その手料理に込められた真心は、きっと提督の心に深く染み渡った事であろう。

 若干落ち着きが無いように見えるものの、三人の手料理を食べて元気が出た提督も心機一転して今後の指揮を執って下さるだろう……。

 

 現在、執務室の中にいるのは全員で六人。

 提督とその秘書艦である羽黒さんと鹿島、秘書艦統括たるこの私。

 そして妙高さんと香取さんである。

 それぞれ、妹が初めて秘書艦を務めることになるのだから粗相が無いように見学をしたい、と私に直訴してきたのである。

 私がいるからと言ってみたものの、提督の右腕たる大淀さんのお手を煩わせるわけにはいきませんなどと言うものだから、無下に断る事も出来なかった。

 いや、決しておだてられて良い気分になってしまったわけではない。フフフ。右腕。

 一応提督に訊ねてみたが、二つ返事で了承を得られた。

 提督としても、元々秘書艦に指名しようとしていた二人が、まだ未熟な秘書艦を見ていてくれるというのは助かるのであろう。

 

「提督さんっ。お茶をお淹れしますね。珈琲の方がいいですか? ミルクとお砂糖、たっぷり入れるのはどうでしょう? うふふっ」

「う、うむ。ありがとう。珈琲を頂こうか。ミルクと砂糖は多めで頼む」

「はいっ、了解しました! 頭を使うには糖分が必要ですもんね! えへへっ、提督さんは甘い方がお好きなのですね。なるほどぉ、覚えておかなきゃ」

 

 鹿島がニコニコと笑みを浮かべながら、提督に嬉しそうに声をかけている。

 その姿を見て、壁際に控えている香取さんが、隣の妙高さんにちらりと横目を向けて小さく笑った。

 

「……ふふっ」

「むっ……」

 

 妙高さんが眉間に皺を寄せた。

 

「し、司令官さん。あの……こちらが現在の備蓄状況で、こちらは大淀さんが計画した遠征計画です……本日分の開発、演習等はどうしましょうか……」

「そうだな……まずは倉庫の整理を優先してもらいたい。開発や演習に回す資源に余裕が無いからな」

「そ、そうですよね……ご、ごめんなさいっ」

 

 なけなしの勇気を振り絞ったかのように、羽黒さんも提督に声をかけていた。

 それを見て、今度は妙高さんが香取さんを横目に見て、無駄に綺麗な笑みを浮かべる。

 

「ふふふっ」

「むむっ……」

 

 二人の間に火花が散っていた。

 何を競っているのだろうか。もう出ていってもらおうかな……。

 私の呆れた視線に気付いたのか、二人はコホンと小さく咳払いをして背筋を伸ばした。

 

 羽黒さんと鹿島には、本日予定していた遠征計画の現状について提督に説明するようお願いをしている。

 本来は私の役目なのだろうが、秘書艦見習いの二人にはちょうどいい練習になると思ったのでそれを譲ったのだ。

 いきなり失敗に終わった事を他人に説明されるというのも情けないが……。

 

 羽黒さんと鹿島の説明を、提督は珈琲を飲みながら聞いている。

 緊張のあまり舌を噛んでしまい、上手く説明できずに涙ぐむ羽黒さんに全く苛立つ様子も見せず、「急がなくていい。もっとゆっくりでもいいぞ」と困ったように微笑みながら静かに励ましていた。

 着任初日の報告書に目を通す速さを思い返すに、提督の処理能力ならばそんなにゆっくり――ほ、微笑んでおられる⁉

 思わず二度見してしまった。

 くっ、羽黒さんを励ます為なのだろうが……う、うらやましい……!

 妙高さんが私を横目に見て「ふふっ」と小さく笑った。本当に出て行ってもらおうかな……。

 

 一通りの説明が終わったところで、提督は顎に手を当てながら、難しい顔で報告書を眺めている。

 何やら気になる点があるのだろうか……。

 それに気付いたのか、鹿島は香取さんから借りた教鞭をぴしぴししながら、嬉しそうに笑みを浮かべて提督の顔を覗き込んだ。

 

「提督さんっ。何かお悩みですか?」

「い、いや、そういう訳ではない」

「うふふっ、そうですかっ。何かありましたら、遠慮なくこの鹿島にお声をかけて下さいね? ふふふっ」

 

 くっ……動作がいちいちあざとい……。

 い、いや、鹿島は真面目に秘書艦の役目を果たそうとしているだけだ。

 しかし何で普通の会話なのにあんなに色気が出るのだろうか……。

 提督は鹿島の言葉に答えながらも悩ましげな表情で報告書を眺め続け、そして顔を上げて鹿島に問いかけた。

 

「ふむ……それでは、鹿島。練習巡洋艦のお前から見て、先遣隊の力量はこの任務に適切だったと思うか?」

 

 えっ……――だ、駄目だったのだろうか……⁉

 い、いや、落ち着け。提督は考えさせるために問いかけているだけだ。

 成長のために、あえて香取さん達が妹達に秘書艦を任せているという事は提督もよく理解して下さっているはず。

 提督の問いも、おそらく鹿島を成長させる為のものであろうが、だからといって聞き流せるものではない。

 私自身も、提督の領域にはまだまだ程遠いからだ。

 鹿島が考えている内に、私も思考を集中させて答えを考えてみる。

 

「そうですね……私は、十分すぎるほどだと思っています。六駆の暁ちゃんと響ちゃんはこの鎮守府の駆逐艦で唯一改二が実装されている事からもわかる通りの実力を有していますし、雷ちゃん、電ちゃんも練度は負けていません。時雨さん、夕立さん、江風さんは川内さん達が特別目をかけていますけど、戦闘センスが飛び抜けています。元々あの三人はその実力を買われて、他の姉妹艦と別れて横須賀鎮守府に異動になったくらいですし……。八駆の四人も、私個人としては六駆に負けない練度と資質を持っていると思っています」

「ふむ……香取はどう思う」

 

 否定されなかった事に、内心ほっと息をついてしまった。

 鹿島はちょっと天然なところがあるが、提督に評価されるほど、基本的にはとても真面目な勉強家なのだ。

 香取さんには及ばないものの、艦娘の性能を見極めて成長を促す練習巡洋艦としての能力はそれなりに高い。

 鹿島の答えが合格だったのか、小さく頷いていた香取さんであったが、自分に意見を求められると思っていなかったのか、提督の言葉に少し慌ててしまっていた。

 

「あ、えぇと……はい、私も鹿島と同意見です。旗艦に軽巡を編成するなりすればなお安定はしたでしょうが、いささか過剰戦力になったかと。提督もお分かりでしょうが、今回の失敗の原因は、イムヤさんの大破進軍、そして満潮さんの疲労を隠しての出撃という想定外のイレギュラーによるものです。潜水艦はどれだけ練度を上げても装甲自体は大きく強化されませんから、被弾、大破すれば即撤退する事も織り込み済みで計画を立てています。満潮さんは、実力は十分ですが、やはり過去の経験上、精神面で難しいところはありますね……」

「うむ……大淀はどうだ」

 

 私は迷ってしまった。

 当たり前の事ではあるが、私も二人と同意見だ。

 そうでなければそんな作戦など立ててはいない。

 だが、二人の意見を聞いてなお私の意見を求めるという事は……ち、違うのではないだろうか。

 つまり、私の案には穴があり、先遣隊としては力量不足だったと……つまりここでは、「いいえ」と答えるのが正解……⁉

 い、いや! 何を深読みしているのだ。これはただの〇×問題などでは無い。

 たとえそれが正解だったのだとしても、その理由が私にはわからない。

 何よりも、私はすでに先遣隊を選び、それを送り出してしまっているのだ。

 だというのに、この場で正解する事を重視して、過去の自分の判断と矛盾する答えを言ってみろ。

 きっと提督に幻滅されてしまうだろうし、私の判断を評価してくれた香取さん達にも申し訳ない……。

 そうだ、過去の自分の判断を素直に答える事。それこそが、提督の問いに対する正解であるはずだ。

 

「……は、はい。制海権を奪還した現在の鎮守府近海には、下級の深海棲艦しか存在しないはずです。現在の備蓄状況を考慮して、なるべく資源を消費しない事と戦闘力を両立する先遣隊を考え、私はこの編成がベストであると判断しました」

「うむ……」

 

 私の答えを聞いて、提督は考え込んでしまった。

 や、やはり間違っていたのだろうか……⁉

 だとするならば、それは一体……⁉

 やがて提督は顔を上げ、鹿島、香取さん、そして私に顔を向けて口を開いた。

 

「いや、流石だ。鹿島と香取は練習巡洋艦なだけあって、皆の力量をよく理解できているな」

「えへへっ、そうですか? やったぁ……!」

「ふふ、勿体ない御言葉です」

「大淀の仕事も完璧(パーフェクト)だ。私が眠っている間、よくやってくれた。本当に助かった、ありがとう」

「い、いえ……そんな事は」

 

 提督のお褒めの言葉に、鹿島と香取さんは喜んで笑みを浮かべていたが……私は内心穏やかではなかった。

 先ほども提督は、私と川内さんの失態を責める事もなく労をねぎらって下さった。

 私達に何か至らぬ点があったとしても、ちょっとの事は大目に見て、褒めて下さるのだ、この御方は。

 仕方が無かった、とは言って下さるものの、実は提督が直接指揮を執っていれば、イムヤも大破進軍せず、満潮も疲労を隠したりなどしなかったのではないだろうか……そんな可能性も十分に考えられる。

 もっとも、それを口にしたところで、この御方は認める事などしないのであろうが。

 

 何か私は忘れていないだろうかと思考回路をフル回転させようとしたところで、執務室の扉がノックされた。

 扉を開いて入ってきたのは、未だにべそをかいている千代田さんであった。

 

「うぅっ、千歳お姉に嫌われたよぉ~……! もう生きていけないよぉ~……! 足りない……千歳お姉が足りないよぉ~……」

「千代田さん……ど、どうしたんですか」

「千歳お姉が、提督に報告に行ってきなさいって……! 私と一緒に居たくないのよ……! うぅぅ~……!」

 

 少し前に、千歳さんは倉庫へと戻ってきた。

 ご迷惑をかけてすみませんでしたと私達に頭を下げ、今は倉庫の片付けをしているはずだ。

 提督のところへ相談に向かっていたらしく、何やら御言葉を賜ったのだとか。

 決して問題が解決したわけでは無いし、未だに千代田さんと気まずそうな様子であったが、少なくとも私の目には確実に倉庫を出る前とは違う風に映っていた。

 提督に相談して、何か思うところがあったのだろう。

 

 今の状態の千代田さんでは満足に報告する事が出来ないと思ったので、私は助け舟を出す事にした。

 

「提督、申し訳ありません。御存知かとは思いますが、千代田さんが軽空母への改装にすでに目覚めていた事が判明しまして……」

「うぅぅ~……! ご、ごめんなざい……!」

「う、うむ。大体の事は千歳から聞いた。千代田も、もう気にするな。それと、瑞鶴からも聞いたが、大淀が皆をまとめてくれたらしいな。助かった」

「は、はい……」

 

 ほら、まただ。

 提督が私に任せた事は、あの場で考察させずに丸く収める事であったはずだ。

 しかし私の力不足により、千歳さんと千代田さんの仲に亀裂が入り、提督に千歳さんのフォローという本来必要の無かった仕事をさせてしまった。

 だというのに、こうやって褒めて下さるのだ、この御方は!

 空しい……提督にとって全然役に立てていないというのに、お褒めの言葉を頂ける事がこんなにも空しいとは……。

 そして、それにも関わらず、普通に嬉しいと思ってしまっている私が単純すぎて悔しい……。

 

 瑞鶴さんから聞いた、との事であったが、つまり翔鶴さんも提督のところへ駆けていったという事か。

 提督の様子を見るに、瑞鶴さんともうまく話せたようだ。寛大な御方だ……。

 そう言えば結局倉庫には戻ってきていないが、一体どこで油を売っているのだろうか……。

 

「あ、それに関してなんですが、その、性能を計る為とはいえ、隙を見て視線を送るのは今後やめてもらえないでしょうか」

「エッ」

「いえ、勿論提督のお心遣い故という事は理解できているのですが、今回瑞鶴さんに指摘されたように勘違いされる事もあるかもしれませんし、やはり盗み見るような真似はよろしく無いかと……それに、皆も提督の視線にはそれなりに気付いていたので、そんな真似をする意味も無いかと……」

「そ、そうか……」

「ですので、今後艦娘の性能を計りたい時には、本人に直接同意を得て、堂々と正面から計るようにお願いします。同意を得られない時はこの大淀にご相談頂ければ、誠心誠意、出来る限りは説得しますので……」

「ハイ」

 

 わかって下さったようだ……。

 前提督は部下からの意見にたとえ利があるとわかっていても、気に喰わないという理由で話も聞かずに却下するような人だった。

 神堂提督は部下からの意見具申を感情的に切り捨てる事無く、柔軟に対応して下さる懐の大きい御方で本当に助かる。

 提督にも下心があるわけではないし、服を脱げと言われているわけでも無い。

 結果として至近距離から身体を見られるというのは恥ずかしいが、性能を見る為ならば致し方ない事であろう。

 今の私達の会話を聞いていただけで顔を真っ赤にして目を回してしまっている羽黒さんを説得するのは少々骨が折れそうだが……。

 

 視線に気付かれていた事が地味にショックだったのか、無表情を維持しつつも愕然としたように見える提督に向かって、私は言葉を続けた。

 

「では、早速ですが、軽空母化した千代田さんの性能を確認して頂ければと。千代田さん、お願いします」

「うぅっ、はいっ……千代田、『航』……!」

 

 千代田さんは涙ぐみながら軽空母化を発動し、その傍らにからくり箱型の格納庫兼飛行甲板が現れた。

 瞬間――それを見た提督の目がはっきりと見開かれた。

『千代田航』としての性能を計っているのだろう。食い入るようなその視線は、千代田さんの胸の辺りへとはっきりと注がれている。

 軽空母化した千代田さんを目にした僅かな一瞬で、一体どのような高度な次元の思考が成されていたのか――この私程度の頭脳では想像もつかない。

 

「千代田さんはこの状態では三スロットしかなく、そこまで軽空母としての性能は高くないようです」

「うむ」

「しかし、春日丸――大鷹が改を経て改二となるように、千代田さんもここから『千代田航改』を発動する事ができ、スロット数も四つへ増えます」

「うむ」

「『改』の状態ならば実戦においても非常に心強い戦力になるであろうと期待されますね」

「うむ。更に上は無いのか」

「えっ、か、改二という事ですか⁉」

 

 私の解説を聞きながらも千代田さんから目を離していなかった提督であったが、私の反応を見て何とも言えない表情を浮かべた。

 そしてそれを誤魔化すかのように、口早に言葉を続けたのだった。

 

「いや、単に気になっただけだ。『改』までで十分に戦力になるという事だな」

「は、はい」

「そうか……いや、素晴らしいな。これは何としても、千歳にも実装してもらいたい」

「えっ! お姉もできるの⁉」

 

 今にも肩を乗り出してきそうな千代田さんの言葉に、提督はそれを制するかのように両手の平を向けて言葉を続けた。

 

「い、いや、千代田に出来たのだから姉の千歳にも出来るはずだ、などとは言いかねる。あくまでも私の希望の話だ」

「そっか……」

「確かに千代田さんだけではなく、千歳さんにも同性能の軽空母化が実装されたと考えれば、戦略の幅が大きく広がりますね」

「う、うむ。そういう事だ。流石は鹿島、よくわかっているな」

「えへへっ、はいっ! ありがとうございますっ」

 

 くっ……私も同じ事を言おうとしていたのに……。

 鹿島に先を越されてしまい、お褒めの言葉を奪われてしまった。

 香取さんが私を横目に見て「ふふっ」と笑みを浮かべた。よし、今すぐこの部屋から出て行ってもらおう。い、いや私は何を。

 内なる自分と戦っている私の事など気にせずに、提督は千代田さんへと問いかけた。

 

「しかし、何故千代田だけ先に実装されたのだろうな……何か思い当たる節は無いのか」

「と、特には……ある日、起きたら突然、実装されている事に気付いたの。それで、お姉に隠れて確認してみて……」

「ふむ、そういうものなのか……少し、調べる必要があるな……」

 

 提督は小さくそう呟き、羽黒さんに顔を向けた。

 

「改二が実装されている者を、適当に数人見繕って連れてきてくれないか」

「えっ、あっ、は、はい! ごめんなさいっ、失礼します!」

 

 癖になっているのだろうが、何故か大袈裟に謝って、羽黒さんは執務室から駆け出して行った。

 それを見て、仕方が無いとでも言いたげな表情で一歩踏み出したのは妙高さんであった。

 妙高さんは千代田さんの隣に並び、執務机を挟んで提督と向かい合い、胸に片手を当てて口を開いた。

 

「羽黒は慌てすぎて忘れていたようですが……この妙高も改二実装済みです。どのようなご用件でしょうか」

「う、うむ。要するに、更なる強化の実装前後を比較してみたいのだ」

「なるほど、了解しました。まずは『改』をお見せすれば良いという事ですね」

 

 妙高さんはそう言うと、静かに艤装を展開した。

 両肩と前腕部、太ももにそれぞれ主砲、魚雷発射管などが装備され、私のそれと比べれば非常にコンパクトなシルエットの艤装である。

 しかし、妙高型のそれは改二になると大きく姿を変える。

 

「そしてこれが――『妙高改二』」

 

 その言葉と同時に妙高さんの身体から閃光が放たれ、妙高さんの改二が姿を現した。

 両肩と前腕部の艤装は腰で固定するタイプの大型のものに形状を変え、セレター迷彩と呼ばれる独特の迷彩が施されている。

 ついでに他の改二実装艦にも言える事だが、身に纏う装束のデザインも微妙に変わっている。

 提督の視線はまるで見惚れているかのように、口を半開きにして妙高さんに釘付けになっていた。くっ……。

 変な意味は無いと理解しつつも、妙高さんもその熱い視線は少し気恥ずかしいようで、小さく照れ笑いを浮かべながら言ったのだった。

 

「ど、どうでしょうか。何かわかりましたか?」

「い、いや、十分だ。凄いな……その、妙高は改二に目覚める際、何かきっかけとかは無かったのか」

「そうですね……私も特に何かを意識した覚えはありません。戦闘中に身体が光り出して……。大体は、私と同じパターンが多いみたいです」

「ほう……」

「ただ、提督なら御存知だとは思いますが、窮地に陥った際などに、強い思いに応じて目覚めたという例もあるようです。私達は改二などの強化には何らかの『気付き』が必要なのだと考えていますが、それが何なのかはわかりません。個人差があるというのも考えられます」

 

 妙高さんの説明に、提督は納得したかのように「なるほど」と小さく呟いた。

 どうやら提督は、千歳さんにも何とかして軽空母化を実装してあげたいと思っておられるようだ。

 いや、これは千歳さんだけではなく、他の艦にも言える事だろうか。

 前提督は建造によって基礎的な性能の高い艦を手にしようとばかり考えていたが、提督は今ある戦力を更に向上させる事を考えている。

 すでに提督への信頼によって練度が底上げされている私達に必要なのは、おそらく何らかの『気付き』だけ。

 何かのきっかけさえあれば、今ここにいる誰が改二に目覚めてもおかしくはない、と思うが……なるほど、そういう事か。

 提督の助けになるべく、私は提督へと言葉を発した。

 

「提督。改二の実装にはある程度高い練度が必要であると考えられています」

「うむ」

「そして提督もご承知の通り、私達艦娘は、提督への信頼によってその練度が底上げされます」

「……う、うむ」

「まぁ、それに関しては考える必要はありません。考えるべきは『気付き』のみ。何かそのヒントになるものはないか聞き取り調査を行おう、という事ですね」

 

 私の言葉に、提督は数瞬考え込んだ後に「うむ、その通りだ。流石は大淀」と答えてくれた。フフフ。右腕。

 鹿島が呑気な声で「なるほどぉ、提督さんっ、流石です! うふふっ」などと微笑みながら、提督に珈琲のお代わりを持ってきていた。くっ……。

 やがてドスドスと廊下の方から騒がしい足音と口論する声が響き、勢いよく扉が開かれた。

 

「提督、この長門をお呼びだろうか。ちなみに私は改二を発動すれば大発動艇を」

「フン、貴様はその馬力を活かして倉庫を片付けておけ。ここはこの那智が」

「いえ、改二という事であれば、この神通にお任せください」

「なんやなんや、改二実装艦をお呼びやと? 空母の改二っちゅーたら、うち以外ありえへんやろ!」

「哀れね。ここは譲れません」

「いや何でキミが来とんねん。まだ実装されて無いやろ」

「私は哀れね……」

「何で自分から傷つきにきたんや⁉」

 

 足音からして大体想像はついていたが、この人達は加賀さんと一緒に帰ってもらおうかな……。

 提督もあまりの騒がしさに呆れているのだろう。白目を剥いていた。

 さらに少し遅れて、更なる騒がしさがぞろぞろと執務室の中へと飛び込んできた。

 

「ヘーイ! テートクゥーッ! 提督へのバーニングッ、ラァーブッ! で、改二が実装されたっ、金剛デース!」

「お姉様への想いと気合で改二に目覚めたっ、比叡ですっ! はぁいっ!」

「榛名もお姉様への想いで目覚めました!」

「この霧島もお姉様への想いで改二に目覚めたと分析しています。金剛お姉様、流石です」

「姉妹の中で一番早く改二が実装されたっ、那っ珂ちゃんだよーっ! きゃはっ!」

「提督なになに⁉ 改二実装艦を集めるって、何が始まるの⁉ 夜戦⁉ やったぁーっ! 待ちに待った夜戦だぁーっ!」

「何ですって⁉ 提督、本当なの⁉ よぉし、戦場が、勝利が私を呼んでいるわ! みなぎってきたわ!」

「改二と言えば、航空巡洋艦へと艦種が変わる我ら利根型を忘れてはなるまい。特に代わり映えの無い那智は帰ってよいぞ。なーっはっはっはっは!」

「貴様ァーーッ! 妙高型を愚弄するかッ!」

「ぐおぉォーーッ⁉ 筑摩ぁーっ! ちくまァーーッ⁉」

「な、那智さん! 謝りますから利根姉さんを放してあげて下さい!」

 

 大人しく倉庫の片付けをしていて欲しかった……。

 羽黒さんが提督に向かって涙目でごめんなさいごめんなさいとひたすら頭を下げていた。

 倉庫の片付けに人手が必要だから、提督は数人見繕ってと仰っていたのに……改二実装艦の内、暁と響と春日丸以外の全員が馳せ参じているではないか。

 倉庫で何があったのかは大体想像はつくが、まぁこの濃過ぎる面子が羽黒さん一人に御せるはずもないか……。

 私なら何とかできただろうが、提督もおそらくこうなる事を想定して羽黒さんにあえて試練を与えたのであろう。

 羽黒さんには落ち込まずに今後も頑張ってもらいたい。

 

 妙高さんに慰められている羽黒さんの代わりに、鹿島がこの場に集まった全員に説明を行った。

 千代田さん、千歳さんの為にも、そしてこの鎮守府全体の戦力強化の為にも、更なる段階の改装に至るきっかけとなるヒントがあれば教えてほしいという提督の意思を端的に伝える。

 鹿島はあまり緊張しないタイプなのだろうか。練習巡洋艦という役割もあってか、説明も手馴れている感じがする。

 香取さんの妹なだけあって、秘書艦としての適性は十分か……。

 

 一通り聞き取りを行ったが、やはり大体は戦いの中で自然と目覚めたという場合が多いようだった。

 龍驤さんの話によると、春日丸だけは演習だけで改二にまで至っていたが、特に何かを意識したという自覚は無いという事だ。

 人によっては戦闘中では無く、帰投中や鎮守府での待機中、中には千代田さんのように、起床した時に気付いたら、という者もいるらしい。

 比叡さん、榛名さん、霧島さんは揃って「金剛お姉様への想い(と気合)」との事だが、信憑性は不明。

 金剛さんは「提督へのバーニング・ラブ」との事だが……建造初日にいきなり改二が実装されるというのは正直かなり異常だ。

 だが、提督への信頼によって練度が底上げされた結果、改二に至るに十分な練度となったと考えれば、実装されたとしてもおかしくはない。

 それ自体はおかしくはないが……初対面でそこまで深い信頼を抱ける金剛さんがおかしいのか、それともやはりそこまで信頼される提督がおかしいのか……。

 

「うぅむ、『気付き』……想い、気合、何らかのきっかけも関係ありそうだが、やはり個人差があるという事なのだろうか」

「そうみたいですね……必ずしもそれが必要というわけではなく、来るべき時が来たら自然と実装される、と考えるのが妥当でしょうか」

 

 私の言葉に、提督は少し考え込むように顎に手を当てた後、切り替えるように顔を上げながら言った。

 

「よし。あとは性能差を見ておきたい。まずは、そうだな……川内型。三人一緒に見せてくれ」

「了解! よぉし、神通、那珂、いくよっ」

 

 提督の言葉に、川内さん、神通さん、那珂さんが執務机を挟んで提督に向かい合い、同時に改二を発動した。

 

「川内! 『改二』っ!」

「……――『神通改二』……‼」

「那珂ちゃんっ! 『改二』っ! きゃはっ――ウゲェッ⁉」

 

 瞬間、三人の真ん中に立っていた神通さんから明らかに桁違いの爆風と閃光が発せられ、私達は文字通り圧倒された。

 物凄い音がしたので目を向ければ、提督が椅子に座ったまま後ろにひっくり返ってしまっていた。

 川内さんは何とか堪えていたようだったが、那珂さんはポーズを決めたまま壁に顔面から激突していた。

 何かアイドルにあるまじき声を吐いていたように聞こえたが、空耳だった事にしたい。

 

「あぁっ! て、提督っ! しっかりっ! 頭を打ってませんかっ⁉」

「し、司令官さんっ……!」

「提督さんっ、大丈夫ですか? 痛いところがあればさすりましょうか?」

「う、うむ、大丈夫だ。さすらなくていい……!」

 

 私と羽黒さん、鹿島は慌てて駆け寄り、座ったままの姿勢で倒れている提督ごと椅子を元の位置へと戻す。

 川内さんと那珂さんにジト目を向けられ、神通さんは提督にぺこぺこと頭を下げた。

 

「て、提督……申し訳ありません……!」

「神通、貴様! その有り様でよくも人に手加減が苦手などと言えたものだな!」

「アカン、あの軽巡、ついに味方どころか姉妹艦にまで手を出しよったで!」

「しゅ、修羅じゃ! 修羅が現れおった! 筑摩ーっ! 吾輩は沈むのは嫌じゃーっ!」

「だ、大丈夫です! 利根姉さんは私が護ります」

「くっ、神通の奴め、提督に戦闘力を見せつけて……! この長門も負けてはおれん……!」

 

 外野の那智さん達からここぞとばかりに野次を受けて、神通さんはおろおろと戸惑いながら肩を縮こませていた。

 

「ち、違うんです……これは、その、提督の前ですので、……その、感情と、力を抑えきれず……」

「何が違う! 見ろ! 恐怖のあまり利根が泣いているではないか!」

「そ、それは先ほど那智さんが締め上げていたせいもあるのでは……」

 

 横須賀鎮守府軽巡最強とは言え、流石にここまで色々と酷くは無かった……。

 提督への信頼による強化がここまで凄まじいものだとは。

 何とか椅子に腰かけた提督は、室内に響く喧騒に構わず川内さん達三人をじっと見比べ始めた。

 川内さん、那珂さん――そしてやはり、神通さんを見て一際その目を大きく見開いた。

 決して川内さん達が劣っているわけではないが、やはり神通さんが頭一つ飛び抜けているという事であろう。

 

 その視線に気付いたのか、神通さんの顔がだんだんと紅潮していく。

 恥じらいながらも提督の命令だから断ることもできず、もじもじと落ち着きのない様子だった。

 

「あの、提督……そんなに見つめられると、私、混乱しちゃいます……」

「混乱のあまり修羅と化さなければいいんだけどね」

「せ、川内姉さん……! ど、どういう事でしょう……身体が、火照ってきてしまいました……」

「そろそろ修羅が目覚めつつあるのかもねー」

「な、那珂ちゃん……! なんで二人ともそんな意地悪を言うんですか……」

 

 川内さんと那珂さんにも呆れ顔を向けられていたが、提督だけは真剣な表情で、満足気に頷いていた。

 

「いや。神通、流石だ。非常に参考になった」

「は、はい……こんな私でも、提督のお役に立てて……本当に嬉しいです……」

「ちょっとちょっと、神通だけ? 私達はー?」

「う、うむ。勿論、川内も那珂も参考になった。ありがとう」

 

 神通さんは頬を染めながらぺこりと頭を下げて、静かに壁際へと移動する。

 そして提督は次々と、改二実装艦の性能を確かめていった。

 神通さんと同じく気合を入れ過ぎた横須賀鎮守府のリーダー等に何度か吹き飛ばされながらも、その目はまさに真剣そのもの。瑞鶴さんが言ったような下心など欠片も感じられない。

 改二を見せ終えた龍驤さんが私の隣に移動してくると、その隣に控えていた加賀さんが真剣な表情で囁きかけてきた。

 

「……わかっていた事だけれど、やはり提督は下心から千歳達の胸を見ていたわけではないようね」

「うん? なんやねん急に」

「貴女の胸も他の子と変わらず真剣に凝視していたもの」

「せやな……って表出ろや! ちゅーか何でキミまだここにおんねん!」

 

 いや本当に何で加賀さんここにいるんだろう……。

 翔鶴さんの分まで働いてもらいたいのだが。

 しかし、皆の性能を確認していた提督であったが、その様子が何やらおかしい。

 その表情は普段と変わらず平静を装っている為、他の者は気付いていないかもしれないが、何だかそわそわしているというか、落ち着きが無い。

 怒り……? いや、焦り……? 何だろうか、湧き上がる何かを必死で堪えようとしているような……。

 

 何を焦っているのだろうか。

 千歳さんに軽空母化を実装したいという気持ちから、改二に至る『気付き』の考察を始めたと思っていたが……そんなに急ぐ事だろうか。

 艦娘達に更なる強化を実装するべく焦っている……?

 提督の目には、一体何が見えている――?

 

 提督はまた、その鉄仮面の下で一人必死に何かと戦っている。

 貴方は今、何を考えているのだろうか。

 その領域に至らない故に、貴方の助けになれない自分が悔しい……。

 

 一通りの性能を確認したところで、提督はまるで瞑想でもするかのように静かに目を閉じて、深呼吸を始めた。

 いきなり何を……声をかけてもいいものだろうかと私が悩んでいると、私よりも先に鹿島が声をかける。

 

「提督さんっ? どうされたんですか?」

「済まない、少し黙っていてくれ。ちょっと、集中させてくれ……」

「は、はい」

「――悪いが、一旦全員、部屋から出て行ってくれないか。長門達は倉庫の片付けに戻っていい」

「……了解した」

 

 提督は鹿島を一瞥もせずに、目を閉じたままにそう言った。

 あの歓迎会の場においても、艦娘達の相手をしながら今後の備蓄について考えていた御方だ。

 そんな提督が、人払いをしてまで深く集中したいとは……一体どのような高度な思考が必要とされているのだろうか。

 周りの艦娘達も、提督の挙動に注目していたが、踵を返した長門さんに続いて、私達も提督の言葉に従い部屋から出ていく。

 扉を閉めると、提督の前では凛としていた長門さんが急に自信無さげに背中を丸め、私に目を向けて小声で訊ねてきた。

 別に提督の前で格好つける必要も無いと思うのだが……。

 

「お、おい、あれは一体どういう事だ。もしやまた体調が……」

「いえ、それは無さそうです。間宮さん達のおかげで、むしろ元気がみなぎっているくらいだと思います」

「ならば、何か気に障る事でもしてしまっただろうか。やはり張り切りすぎて吹き飛ばしてしまったのが……」

「それは怒られても仕方が無いと思いますが……違いますね。そもそも提督はあれでも怒ったりしません。あれは怒りというよりも、焦り……でしょうか。それを何とかして鎮めようとしているような」

「焦りだと……? 一体何を焦っておられるのだ」

「それは……私にも、まだ……」

 

 倉庫に戻っていいと言われたにも関わらず、他の皆もその場を動こうとはしなかった。

 提督の様子が気になるのであろう。

 気持ちはわかるが、倉庫の片付けは提督が早急に取り組んでほしいと考えている仕事だ。

 早く作業に戻ってもらわねば、と私が長門さんに話そうとした瞬間、執務室内から羽黒さんを呼ぶ提督の声がした。

 

「羽黒、羽黒はいるか」

「はっ、はいっ! 失礼します!」

 

 羽黒さんが執務室の扉を開けると、提督は変わらず執務机に向かったまま指を組んでいた。

 提督は焦る気持ちを押し殺すような声色で、真剣な表情と共に言葉を続ける。

 

「……大至急、文月を呼んできてくれないか」

「文月ちゃんですか? は、はいっ、すぐに!」

 

 只ならぬ気配を感じたのであろう。羽黒さんは慌てて廊下へと駆け出して行ってしまった。

 何故、文月……? 脈絡が無さすぎる。

 どういう事なのか、お訊ねしてもいいのだろうか……。この場にいる全員が知りたがっているはずだ。

 いや、提督には気軽に質問をするなと皆にお願いしたのは他ならぬこの私だ。

 質問する前に、『何故』を考える事。私達の思考力を鍛える為に、提督が行っている事だ。

 ならば、何故このタイミングで文月を呼び出したのか……考えなければなるまい。

 しかし、どれだけ考えてもわからない。

 ちらり、と香取さんと妙高さんに視線を送ってみたが、小さく首を振られるだけであった。

 執務室に足を踏み入れる事もできず、廊下で立ち尽くしたまま、この場の誰しもが答えに辿り着けず――そしてタイムアップを迎えた。

 

「しれぇかぁん。なんですかなんですかっ? えへへっ」

 

 重苦しい雰囲気に包まれた執務室の中に、場違いに明るい呑気な表情の文月が入って行った。

 呼ばれてもいないのに、同じ二二駆逐隊の皐月、水無月、長月もついてきており、執務室の中を覗き出す。

 まぁ、気になる気持ちはよく理解できるが……何で皆呼ばれてないのに来るんだろう……。

 またしても説得できずに余計なものがついてきた事を気にしてだろうか、羽黒さんがまた涙目で肩を落としていた。めげずに頑張ってほしい。

 

「うむ。よく来てくれたな。ちょっとこっちに来てくれないか」

「はぁ~い」

 

 提督に促されるがままに、文月は椅子に腰かける提督の傍らへと歩み寄った。

 無邪気な笑顔を浮かべる文月を見て、提督はどこか遠い目をして小さく微笑んだように見えた。

 そして、提督は目を閉じて、深く呼吸をすると共に、文月の頭にぽんと手を置いたのだった。

 それはまるで祈りのようだった。

 文月はよくわからない様子で、目を丸くして提督の顔を見つめている。

 

 すると――。

 

 まるで、カンテラに火が灯るかのように。

 ぽぅ、と文月の身体が淡い光に包まれた。

 文月はその両手の平を自分に向けて、自身に起きた変化を確かめ、それでも普段のマイペースのままに、小さく首を傾げた。

 私達はそれをただ見つめる事しかできなかった。

 

「あ……あれは……ッ……⁉」

 

 その光に見覚えがあるのだろう。長門さんが小さく驚愕の声を漏らした。

 この場にいるほとんどの者は見覚えがあったはずだ。そして私にも、それには聞き覚えがあった。

 光はだんだんと強くなり、やがて目を開けていられないほどの光量となり、そして――。

 

 光が治まり、うっすらと目を開けると、そこには――若干成長した文月がいた。

 背が伸びて、顔立ちも若干大人っぽくなっている。

 身に纏う制服もやや変わっており、白いリボンが黄色になっていたのがわかりやすかっただろうか。

 いや、そんな間違い探しをしている場合ではない。これは、これは――。

 

「ふぅー……」

 

 一際大きく息を吐いて、提督も静かに目を開けた。

 そして、目の前の文月の姿を見る。その表情は微動だにしないまま、固まったように沈黙していた。

 鹿島がぱたぱたと提督の側に駆け寄り、間近から文月を観察する。

 

「か、改二……ですよね……」

 

 室内を覗き見ていた私達に顔を向け、鹿島が小さく呟いた。

 艦娘達は全員、文字通り開いた口が塞がっていなかった。さぞかし滑稽な光景であっただろう。

 文月は目をぱちくりとさせて、両手の指をグー、パーと閉じたり開いたりしている。

 

「……すご~い……これならあたしも、活躍できそぉう」

 

 艦娘達が固まってしまった室内で、提督は表情ひとつ変えずに文月の頭をぽんぽんと撫でて、言ったのだった。

 

「……うむ。なるほどな。改二……改二か。全ては文月の、今までの努力の結果だな。よく頑張った。これからも期待しているぞ」

「えへへっ、いい感じ、いい感じぃ~。改装された文月の力ぁ、思い知れぇ~。えぇ~い」

 

 満面の笑みで提督の胸に抱き着き、幸せそうにぐりぐりと頭を押し当ててくる文月を、提督は全く動じていない様子で頭を撫でていた。

 まるで悟りを開いたかのような表情であった。

 まさか、このタイミングで文月を呼んだのは……改二に目覚めさせる為……⁉

 改二実装艦をじっくり観察した事で、この短時間で、改二実装に必要な何かを掴んだとでもいう事か……⁉

 い、いや、そんな馬鹿な、それにしてもあんな祈りのような何かで……し、しかし神のごとき提督ならば、あるいは……⁉

 頭に手を当てて、何らかの神聖な力を文月に与えたとか……い、いや、そんな、そんな事が……⁉

 

「あぁーっ! 文月ばっかりずるいや司令官! ボクも強くしてよ!」

「あっ、さ、さっちん!」

 

 扉の外から中の様子を覗き見ていた皐月が、水無月の制止に構わず室内へと飛び込んで行った。

 突然の声に、私の思考も中断される。

 どうやら提督のおかげで文月が改二へと目覚めたという事を理解したらしい。

 その気持ちはもっともだ。自分とほとんど練度が変わらない文月が改二に目覚めたのならば、自分もと考えてもおかしくはない。

 だが、提督ははぐらかすつもりなのか、その胸に頭を埋めている文月を撫でながら言葉を返した。

 

「さ、皐月。何でお前がいるんだ……」

「仲間外れは良くないよ! 何で文月ばっかり!」

「何かを勘違いしているようだが……私は何もしていないぞ。文月は今まで改二に至れるくらい頑張っていたから、その結果として目覚めただけだろう」

「ボクだって文月に負けないくらい頑張ってるよ! 練度だってあんまり変わらないんだから!」

「そ、そうか……ならば近い内に目覚めるかもしれんな」

「むっ、はぐらかすのはずるいよ! ほらっ、とにかく文月と同じようにしてみてよ! この手を、こう!」

 

 皐月は無理やり提督の手を取って、自分の頭の上に載せた。

 そしてしばらく押し付けるも、全く変化は無い。

 提督も困ったように、皐月に声をかける。

 

「ほ、ほらな。文月がこのタイミングで目覚めたのはたまたまだ。だが、来たるべき時が来ればお前も――」

「むぅ~……あっ、そうだ、これだぁ! えぇい!」

「うぉっ?」

 

 不満げに唸っていた皐月であったが、何を思いついたのやら、文月を押しのけていきなり提督に抱き着いてしまった。

 一体何を馬鹿な事を、と私が考えるよりも早く、皐月の身体が発光し出したので、私達は思わず吹き出してしまう。

 光が治まると共にそこに居たのは、先ほどの文月同様に、少しだけ成長した様子の皐月であった。

 身に纏う制服は、文月のそれと同じものだ。

 どう見ても……皐月にも改二が実装されていた。

 口を開けたまま茫然と固まる私達に構わず、文月だけが「おぉ~」などと言いながら呑気にぱちぱちと拍手している。

 自身に起きた変化を自覚し、提督から離れた皐月は自慢げに腰に手を当てて胸を張り、ドヤ顔で口を開いた。

 

「わぁ、やったぁ! へっへ~ん! ボクのこと、見直してくれた?」

「あ、あぁ……本当に頑張ってたんだな……」

「へへっ、強化してくれてありがとう! これで司令官……いや、皆を守ってみせるよ!」

「い、いや、だから私は何も……」

「またまたぁ。ピンと来たんだよね、入渠施設の前で、文月は司令官に抱き着いてたじゃない? あれで提督パワーを充填してたんじゃないかってね! ボク、名探偵になれるかもなぁ」

「そんなものは無い……」

 

 艦娘達は誰も声を出さなかったが、その視線は提督へと集中していた。

 提督に抱き着いたら……強化……⁉

 提督パワーを……充填……⁉

 馬鹿な、そんな馬鹿な話が……い、いや、しかし文月と皐月にこんなにもあっさりと改二が実装されたのは事実……!

 確かに減るものでもないし、提督ならば信頼できるし、気恥ずかしさはあるものの、気軽に試せる割にリターンは大きいとなると……お、大淀改二……い、いや私は何を考えているんだ。

 

「アッ! そう言えば、私も建造されてすぐに提督にハグしていましたネー! テートクゥー! 私も提督パワーの充填デース!」

 

 そう言って駆け出していった金剛さんは執務机越しに提督に飛び掛かり、提督はまたもや椅子に座ったままひっくり返ってしまった。

「あぁーっ! 提督ばかりずるいずるい!」と羨ましがっている比叡さん率いる妹達に引き離されまいともみ合っている。

 金剛さんが建造されてすぐに提督とハグを……⁉ て、提督、聞いていないんですけど……聞いていないんですけど!

 

 いや落ち着け。冷静になれ。ここまでの流れを整理しよう。

 ハグはともかく、提督が文月を名指しで呼び出したのは、おそらくその目によって文月に改二実装に至るポテンシャルが秘められている事にすでに気付いていたからであろう。

 そうでもなければ、話題にも出ていなかった文月をいきなり呼び出す意図がわからない。

 つまり、提督は改二実装艦の性能をしっかりと観察した結果、『気付き』の正体の見当がついたのかは不明だが、改二を実装する何らかの方法を思いついた。

 それを仮に提督パワー……いや、神の恵みと呼ぼう。

 そしてそれを確かめる為に、文月を呼んでそれが正しいのかを実践したのだ。

 文月の頭に手を置いて、祈るように目を閉じ、深呼吸――思い返してみれば、文月に何かを与えているようにも見える。

 そしてそれは実証されたが、羽黒さんの力不足により皐月までついてきてしまい、乱入によって改二に目覚めてしまったのは、提督の想定外だったのだろう。

 皐月に対して話をはぐらかそうとしていたが、それは一体……。

 し、しかしやはり、この仮説は正しいのでは……⁉ お、大淀改二……いやだから私は一体何を考えているんだ。

 

「うわぁぁぁーーっ!」

 

 千代田さんが泣きながら叫んで提督へと駆け寄り、その両肩を掴んでがくがくと揺さぶる。

 

「駄目よ! 千歳お姉の強化の為とはいえ、ハグなんて絶対に許さないっ! いくら提督でも絶対に許さないんだからっ!」

「ま、待て待て待て! だから違うと言っているだろう‼」

「うぅぅーっ……! 本当よね……⁉ さっき千歳お姉が相談しに行った時も、指一本触れてないわよねっ⁉」

「えっ、あ、いや……」

「……えっ……い、いやぁぁぁーーっ‼ お姉ぇぇーーっ‼ 何をしたの! お姉に何をしたの‼」

 

 金剛さんに抱き着かれながら千代田さんに肩を揺さぶられ、提督は取り乱した様子で珍しく声を荒げた。

 

「こ、こらっ! 落ち着け! 引き留める為に肩を掴んでしまっただけだ!」

「うわぁぁぁーーんっ! 提督のお姉に関する記憶を塗り替えるわ! さぁ、その手を差し出すのよ! 忘れてっ、お姉の感触を忘れてよぉっ!」

 

 千代田さんは提督の両手を取り、無理やり自分の両肩を掴ませて泣きわめいている。

 ここまで暴走するのは久しぶりだ。とんだ地獄絵図だった。

 自分と千歳さんと気まずい状況にある中で、提督が千歳さんと触れ合ったという事は、千代田さんにとっては耐えがたい状況だというのは理解できるが……。

 

「あぁっ、もう、金剛も離れないか! 今日で何度目だと思ってる! こういう事は気軽にするなと何度言ったらわかるんだ! 比叡! 二人を早く引き剥がせっ!」

「了解っ! 比叡、行っきまぁすっ!」

「ぶぅー、提督はいけずデス」

 

 金剛さんはしぶしぶと提督から離れたが、千代田さんは比叡さんに羽交い締めにされながらもまだ泣きわめいてた。

 椅子を起こして再び腰かけ、提督は大袈裟に咳払いをしてから、僅かに語気を強めて言葉を続ける。

 

「んんっ! まったく、早とちりはするな! いいか、言っておくが私にそんな妙な力は無い! 文月と皐月に改二が実装されたのは、二人の頑張りが実った結果に過ぎん!」

「えぇー……、じゃあ、司令官は何で文月を呼び出したのさ」

「そ、それは私に考えがあっての事だ。お前達が知る必要は無い」

 

 皐月に当然の質問をぶつけられたが、提督は視線を逸らしてそれを誤魔化した。

 やはりこの御方は嘘が得意なのか下手なのかわからない……。

 だが、提督の考えている事が何となく理解できたような気がした。

 提督が何らかの力によって文月を改二に導いたのは明白だ。

 皐月はそのおこぼれを貰ったような形であり、提督が意図していたものではないのだろう。

 文月が改二に至ったのを見て、自分もと駆け出した皐月――それこそが、提督が防ぎたかったものだ。

 

 おそらく、提督はその力を当てにしてほしくないのだ。

 文月はあくまでも検証のために神の恵みを与えられ、改二を実装する事となったが、やはり本来は自分の力で目覚めて欲しいのだろう。

 信頼によって練度が底上げされている、それだけでも十分すぎるほどだというのに、更なる強化まで提督に頼ってしまうのは堕落へと繋がる。

 そう、この御方は私達を鍛えようと、あえて抽象的な指示を出したりしているのだ。

 そう考えるのが当然であろう。

 神の恵みによる艦娘の強化が私達の堕落を引き起こすという可能性を危惧した提督は、その能力を実証しつつも思いなおし、封印する事に決めた……。

 そういう事で間違いは無いだろう。

 

 文月は私が考察していた疑問などどうでもいいようで、普段と変わらぬほんわかとした笑顔を提督に向けながら口を開いた。

 

「えへへっ、しれぇかぁん。あたし、司令官の為に強くなりたいって思ってたところだったの~」

「何? わ、私の為にか……?」

「うんっ」

 

 文月の言葉に提督が反応したのを見て、僅かにむっとした皐月が割り込むように声を発した。

 

「あっ、ボクもだよ? さっき、泣き虫の可愛い司令官を見て、ボクが何とかしてあげなきゃダメだなぁって思ったからさぁ。ボク達がもっと強くならなきゃダメだもんね!」

 

 二人の言葉を聞いて提督は感銘を受けたのか、思わず表情を綻ばせながら二人を引き寄せ、その頭をくしゃくしゃと撫でまわした。

 

「そ、そうか……お前達、良い子だなぁ」

「えへへっ。あぁ~、いい感じぃ~。ありがとぉ~」

「ふわっ、わっ、わぁっ⁉ く、くすぐったいよぉっ」

 

 くっ、羨ましい……! い、いや私は何を。

 駆逐艦に対して嫉妬なんて情けない……。

 内心恥じていた私の隣で、長門さんが真剣な表情で固く拳を握りしめながら呟いた。

 

「くっ、羨ましい……!」

「それは文月達に対してですか、それとも提督に対してですか」

「どっちもだ……!」

「早く装備片付けてほしいので、そろそろ倉庫に戻ってくれません?」

「お、大淀……! 何でそんなに辛辣なんだ……!」

 

 同レベルだったのが嫌だったからだとは言えない。

 提督は二人の頑張りを十分に労うと、肩をぽんと叩いて言った。

 

「文月、皐月。今日は遠征に向かう予定だったな。だが、ひとまずは大淀の指示通り、部屋で待機しておいてくれ」

「はぁいっ。えへへっ、本領発揮するよぉ~」

(まっか)せてよ、司令官! うんっ、いつものボクとは違うよ~!」

 

 皐月は鼻歌を歌いながら、文月を連れて執務室を後にした。

 水無月と長月も戸惑いを隠せないような様子であったが、皐月の後を追う。

 

「二人も隙を見て司令官に抱き着いてみれば? 減るもんじゃないし」

「さっ、皐月! ふざけるのやめろぉ! あんなはしたない真似が出来るか、まったく! 私は自分の力だけで目覚めてみせる!」

「み、水無月はまだ心の準備が……も、もうちょっと鍛えてからかな! アハハ……」

 

 二二駆の声がだんだん遠ざかっていく。

 もう私達も執務室内に戻っても良いのだろうか……。

 恐る恐る足を踏み入れると、提督も疲れたのか大きく息をついていた。

 比叡さんに羽交い締めにされている千代田さんは、涙目でまだ息を切らせながら提督を睨みつけていたが、私の指示で金剛さんと共に扉の外へ引きずり出された。

 千歳さんが絡むとやや暴走してしまう事をご存知なのか、提督は困り顔ではあったが特に怒った様子もなく、何かを考え込んでいる。

 そして顔を上げると、私に向けてこう言ったのだった。

 

「大淀。提督を信頼する事で練度が底上げされるという事だったが……文月と皐月はその例が当てはまるのかもしれん」

「え、えぇ、そうですね。あの二人の練度は決して低くはありませんが、飛び抜けて高いわけではありませんでしたし……」

「そうか、やはりな……うむ。そういう事か……」

 

 提督は納得がいったように小さく頷いている。

 まぁ、文月と皐月だけに限った話では無いのだが。

 この鎮守府において、おそらく提督への信頼によって練度が底上げされていない艦娘など存在しない。

 そこに、改二に至るに必要な何らかの要素があり、提督は文月についてはそれを見出しており、皐月については想定外だったという事であろう。

 提督は真剣な表情で私を見やりながら、言葉を続けた。

 

「ならば、もしも長門らが私に対して信頼を深めたとしたら、更に強くなれるという事だろうか」

「えっ。さ、更に……という事ですか?」

「うむ。それは実に良い事だ。そうは思わないか、大淀」

 

 どうだろうか……私達の練度には限界があり、いくら信頼で底上げしたところでそれは超えられないと思っているが……。

 長門さん達、主戦力はほとんど改二実装済だし……そもそも、すでにこれ以上無いほど信頼をしているというのに、更に信頼を深めるという事ができるのだろうか。

 そう言えば艦隊司令部でその限界を超える案が考えられているという噂を耳にした事もあるけれど……。

 ともかく現状は、すでにこの上なく信頼している為、これ以上は難しいと答えるのが正解であろう。

 私がそう答えようとする前に、扉の向こうで盗み聞きしていたのであろう、まだ倉庫に戻っていなかった長門さん達がしたり顔で勢いよく扉を開け放ち、提督に向かってこう言ったのだった。

 

「フッ……それは無理な相談というものだ。私だけではなく、我々にはこれ以上、上がる余地など存在しないからな。そうだろう、皆!」

 

 長門さんの声に、他の艦娘達も頷きながら同感の意思を示していた。

 

「あぁ。一体何を言い出すかと思ったが……話にならんな」

「せやな。まさかわかっとらんかったとは……司令官、そりゃちょっちアカンで」

 

 那智さんの言葉に、龍驤さんがからかうように提督に笑みを向けた。

 

「提督。私達にも限界というものがありますから」

「えぇ……これ以上はとても……考えられません」

 

 表情ひとつ変えないまま、加賀さんがさらりと口にした。

 神通さんも俯きながら、恥ずかしそうに提督に伝える。

 提督は皆の様子を静かに見ていたが、そのまま首だけを回して私に目を向けた。

 

 そうか、この御方は……前提督によって刻まれた私達の傷がとっくに癒されてしまったとは思っていないのだ。

 提督は、謙虚な御方だから……教えてあげねばならぬのだ。

 私もまた、ただ無言でアイコンタクトを交わし、微笑みながらゆっくりと頷くだけに留めた。

 そう、提督と私の間に言葉は必要無い――提督の右腕たるこの私との間には。

 

 提督の様子を見届けた長門さんは、満足そうに「それでは倉庫の片付けに戻るとしよう」と、皆を引き連れて去って行った。

 提督はしばらく耐えていたようであったが、感動を堪え切れなくなったのであろう、「そ、そうか……」と呟き、小さく肩を震わせている。

 私はそっと提督の側に寄り添い、その肩にぽんと手を置きながら言った。

 

「まったく……それくらい、自覚して下さい。考える必要は無いと言ったでしょう。以後、ちゃんと心に留めておいて下さいね」

「ハイ」

 

 提督はいつもの無表情を保っていたが、涙を堪えているのか、若干ガクガクと上下に震えていた。

 皐月にも言われてしまったが、本当に涙もろい御方だ。

 感涙ならばともかく、悲しみの涙をもう二度と流させないように――私が守護(まも)らねば。

 必死に涙を堪えている様子の提督を見下ろしながら、私は自分に固く誓ったのだった。フフフ。右腕。




大変お待たせ致しました。
年度末から新年度にかけて仕事が増える為、更新ペースが遅くなってしまい申し訳ありません。

現在、節分任務が実装されておりますが、我が弱小鎮守府も銀河目指してコツコツ豆を集めております。
5-5にはまだ一度も出撃した事の無い我が鎮守府ですが、それでも手が届きそうなので良かったです。

今月には夕雲型と陸奥の改二が実装されるらしいですね。
長門と武蔵は超イケメンになっていましたが、陸奥がどれだけ美しくなってしまうのか楽しみです。

次回の更新まで気長にお待ち頂けますと幸いです。


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054.『神の恵み』【提督視点①】

 間宮さん達の手料理は俺の想像を遥かに超えていた。

 しじみ汁でわかっていた事であったが、単純に美味い。それはあまりにも美味すぎた。

 正直、小食な俺には少し量が多すぎると思っていたのだが、まるで炎天下で渇いた喉にサイダーを流し込んだかのように、我ながら驚くほどにぺろりと平らげてしまった。

 心のこもった極上の手料理と、それを食する俺を見つめる間宮さんの笑顔……もう死んでもいいとすら思った。

 だが、心と腹を満たしてくれた満足感と共に津波のように俺に襲い掛かってきたのは、抗いがたい衝動であった。

 

 一言で言えば、めっちゃムラムラするのだ。

 ただでさえ先ほどのラブリーマイパンツ翔鶴姉によりムラムラしていた俺であったが、食している最中から明らかに長10cm砲ちゃんに装備改修が施されていた。

 間宮さん達にその気は無いのであろうが、元気の出る食材というのは男にとっては精力食材とほぼ同じなのである。

 しかもタイミングが最悪だった。

俺の脳裏には今も千歳お姉のパイオツと翔鶴姉(パンツ)がしっかりと刻み込まれており、しばらく忘れる事は不可能だった。

 なんとか忘れる努力をしようと目の前の間宮さんに目をやったりしてみたが、自動的に顔から下に視線がホーミングされてしまうので慌てて料理に目を向けた。

 この状態でちとちよ姉妹を凌駕するスイカップの持ち主に目を向けるなんて自殺同然であった。

 よくよく考えてみればオータムクラウド先生の作品等を介して、間宮さんには今まで数えきれないほどにお世話になっているのだ。

 長10cm砲ちゃんがパブロフの犬と化して反射的に対空見張りを厳としてしまっても責めることは出来ない……。

 

 というわけで俺の股間は間宮さん達の精力料理により刺激され、俺の中には白露型駆逐艦、ムラ村雨が高速建造されたわけである。

 主砲も魚雷もあるんだよ?(股間) イッきま~す! いやイッたらアカン……!

 このままではちょっといいとこ見せたげると言わんばかりに股間が暴発して白露が(ほとばし)る危険性大。

 御馳走様と共に、俺は前かがみになりながら忍者走りで執務室へと逃げ込んだのであった。

 

 椅子に腰かけ、執務机に向かいながら、俺は悩んだ。

 このままでは執務どころでは無い。そんな事など考えられる状況では無い。

 今は完全にそういう頭と身体になってしまっている。

 いくら頭を執務モードに切り替えようとしても、身体は正直なのだ。

 即座に解決する方法はただ一つ。抜いてスッキリするしかない。これを賢者モードと言います。

 

 しかし、妹達が言っていた……女の子は嗅覚が鋭いから、絶対にバレると。

 大淀とかはさっき俺に近づいていたからな……次に顔を合わせた時にイカ臭くなっていたら確かにバレてしまいそうだ。

 艦娘達に倉庫の整理を任せ、大淀にはかなりの無茶振りをしてしまい、その間に俺が一発抜いていたなどと知られてしまっては、流石の大淀さんもキレてしまうのではないだろうか……。

 俺の股間の勢いを物理的に削ぐべく、裏から龍田に手を回して文字通り去勢されかねん。

 神堂貞子の爆誕である。祝え、新たな女王の誕生を……!

 まさにシコ子・フルティン子ってやかましいわ。

 

 そういえば初日は余裕が無くここのトイレでデイリー任務を達成してしまったが、バレていないだろうか……。

 提督専用だからおそらく誰も使用しておらず、気付いていないのだろう。そう信じるしかない。

 ともかく、抜いた後に風呂に入って念入りに全身を洗えば……駄目だ、さっき佐藤さんと風呂に入ったばかりではないか。

 くそっ、あれがなければごく自然に風呂に入れたかもしれないというのに……。

 抜くのはアカン。しかしこのままでは暴発するのも時間の問題……!

 こうなれば、やはりこの全身にみなぎる性衝動と荒ぶる股間を何とか鎮静化もといチン静化させる方向で頑張るしか……。

 長10cm砲ちゃん、そろそろ仕事の時間だからおとなしく……駄目だ、精気が満ち溢れておられる……!

 

 そんなこんなで俺がムラムラと格闘している内に、大淀達が入室してきた。

 俺の秘書艦を務める事となった鹿島と羽黒、そしてそれに加えて香取姉と妙高さんまでついて来ていた。やったぜ。

 何やら妹達の見学に来たとの事で、俺は何も考えずに喜んでOKを出したのだが、よくよく考えてみたら横須賀十傑衆第三席と第七席(天龍が追い上げるまでは第六席)の猛者。

 当然オータムクラウド先生の作品を介して何度もお世話になった面子である。俺は馬鹿か。

 いかん、何とかしてエロい事は考えないようにしなくては。

 

「提督さんっ。お茶をお淹れしますね。珈琲の方がいいですか? ミルクとお砂糖、たっぷり入れるのはどうでしょう? うふふっ」

「う、うむ。ありがとう。珈琲を頂こうか。ミルクと砂糖は多めで頼む」

「はいっ、了解しました! 頭を使うには糖分が必要ですもんね! えへへっ、提督さんは甘い方がお好きなのですね。なるほどぉ、覚えておかなきゃ」

 

 おぉ~、グッド~! ムラ村雨、パワーア~ップ! スタンバイOKよ!

 普通に会話しただけだというのに、俺の性衝動は更に勢いを増した。

 駄目だ。鹿島コイツ、エロスの権化だった。

 コイツを前にしてエロい事を考えるなという方が不可能だ。

 大体なんなんだその体型(スタイル)は。

 香取姉には劣るものの十分に豊かなパイオツ!

 短すぎるスカートとそこから覗く生足! ケツ! ムッチムチの太もも!

 精を搾り()る形をしてるだろ?

 

 勝気そうな目つきと対照的に柔らかな表情と物腰、ふんわりと漂ういい香りから声に至るまで、全てが俺のムラムラを刺激する。

 鎮守府の外では有志により非合法に作られた鹿島のフィギュアが淫魔像と呼ばれ高値で取引されているという噂も納得だ。

 今の俺には目の毒にしかならない。絶頂へのカウントダウンが早まってしまう。

 鹿島の淹れてくれた甘い珈琲に口をつけながら心を落ち着ける。美味い……。

 ミルクと砂糖の他に媚薬とか精力剤とかが盛られてない事を祈る。

 つーかコイツがミルクとか言うだけでいかがわしい単語に聞こえてしまう。

 俺の好みをメモしているのも同様だった。いつかプレイに活かすつもりじゃないだろうな……。

 

「し、司令官さん。あの……こちらが現在の備蓄状況で、こちらは大淀さんが計画した遠征計画です……本日分の開発、演習等はどうしましょうか……」

「そうだな……まずは倉庫の整理を優先してもらいたい。開発や演習に回す資源に余裕が無いからな」

「そ、そうですよね……ご、ごめんなさいっ」

 

 俺の言葉に怯えるように頭を下げる羽黒に、障子紙並みの強度を誇る俺の心は軽く傷ついた。

 話しかけるのにも躊躇していたようだし、なんだか悪い事をしているような気になってしまう。

 元々やりたくなかっただろうに、妙高さんから強制的に押し付けられたような形だったからな……。

 何か俺が見る限り、常に涙目なんだよな羽黒は……。

 今も監視されているから、嫌なのを我慢して話しかけてきたのだろう。

 わざわざ訊ねてくれたが、開発や演習に回す資源に余裕が無いのは俺のせいである。なんかすいません。

 

 しかし、今の俺にとって羽黒の存在は利点がある。

 まず、全体的に俺の好みではないというのもあるが、羽黒からはほとんどエロスを感じないのだ。

 地味だが可愛らしく、庇護欲をそそる守ってあげたい系女子の羽黒はそれなりに薄い本界隈でも人気があったようだが、俺の需要とは結び付かなかった。

 一説によれば俺と同レベルのオ〇ニー好きであり妙高型で一番のムッツリドスケベだという情報も聞いたことはあるが、それが嘘にせよ本当にせよ、仲間意識は持てるものの、オカズとしてはどうでもいい話である。

 

 話が逸れた。そう、今の俺にとって魅力が無いのが魅力的という話だ。

 妙高型が身に纏う制服が、非常に露出が少ないものであるという事も、今の俺には非常に良い。

 他の艦娘達の例に漏れずタイトなスカートの丈は短いが、妙高型は白いタイツを履いているのだ。

 さらに腕にも白い手袋を装着しており、肌が露出しているのは首から上だけという徹底ぶりである。

 それが今は逆に良い! 心は傷つくものの年下系という事もあり、あまり気も遣わないし、股間もピクリとも反応しない。

 俺と接するのを嫌がっている羽黒には悪いが、もうしばらく我慢して頂きたい。

 鹿島とプラスマイナスゼロで相殺する効果に期待したい。

 

 羽黒と鹿島は執務机の上に資料を広げ、俺が寝ている間に大淀が仕切ってくれた備蓄回復作戦について説明を始めた。

 大淀が考えた作戦だ。イムヤの大破進軍と疲労を隠していた満潮というイレギュラーがあったものの、それ以外はしっかり計算された作戦なのであろう。

 少なくとも俺が考えるよりも間違いは無い。

 

 そんな事よりも、執務机を挟んで立つ鹿島の太ももが視界に入って集中できない。

 なんという太ももだ。挟まれたい。いかん、俺は何を。

 何か別の事を考えねば。コイツ何とかしてくれ香取姉……そうだ、香取姉の事を考えよう。

 香取姉の何が素晴らしいかって、その落ち着いた柔らかな性格や年上系の雰囲気は勿論の事、実は意外と背が低くて童顔なところが可愛いと思うのだ。

 だというのにそのパイオツは鹿島を遥かに凌ぎ、「意外と重武装でしょ、私」との本人の弁の通り、こういうのをトランジスタグラマーと呼ぶのだろう。

 生足の鹿島に対して黒タイツで覆われたムチムチの足も魅力的。

 なんという太ももだ。挟まれたい。

 駄目だ、考えを逸らせていない。

 香取姉はあの淫魔の姉……! そして俺ランキング第三位、トップスリーの実力者……。

 ムラムラが治まるはずがねェ……!

 

「先遣隊による偵さちゅ……てっ、偵さちゅ終了、あ、あうぅ……」

「い、急がなくてもいい。もっとゆっくりでもいいぞ」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ」

 

 俺が一人孤独に性衝動と格闘していると、羽黒が舌を噛んだ。

 軽くパニックに陥っていたようだったので、俺は思わず笑いかけながら落ち着くように伝えた。

 いかんいかん。妹達からキモいから笑うなと言われていたではないか。

 思い返せば霞に対しても意識せずに普通に笑いかけてしまっていたな……。

 夕張にもうっかり俺って言ってしまったし、翔鶴姉(パンツ)にも素で拒否ってしまったし、イムヤの轟沈騒ぎで動転し、気が緩んでしまったのだろうか。

 オ〇禁は一日目にして達成できなかったし、こんな事では妹達に合わせる顔が無い。絶対馬鹿にされる。つーか怒られる。

 

 うーむ、しかし涙ぐみながら何とか説明を終えた羽黒には悪いが、ムラムラと戦うのに必死で全然頭に入ってこなかった……。

 俺は報告書を眺めているふりをしながら思考を巡らせる。

 こんな状態では執務が出来ない事はわかっていた事だったが、だからといって一発抜いてスッキリするわけにも……。

 ムラムラしすぎて執務が頭に入らないクソ提督と、賢者のごとく執務に励めるが栗の花の匂いを纏うクソ提督、どっちがマシなんだ……。

 ひとつだけ言えるのはどっちも最悪だという事である。

 究極と至高のクソ提督対決。

 悩ましすぎる……なんという最悪の二択なのだ。

 オ〇ニーするかしないかでここまで悩む日が来るとは……。

 

 抜くか抜くまいか真剣に苦悩している俺の顔を嬉しそうに覗き込み、鹿島が教鞭をぴしぴししながら声をかけてくる。

 

「提督さんっ。何かお悩みですか?」

「い、いや、そういう訳ではない」

「うふふっ、そうですかっ。何かありましたら、遠慮なくこの鹿島にお声をかけて下さいね? ふふふっ」

 

 コイツ、俺の悩みを嗅ぎつけて……⁉

 そりゃあ現在俺が抱えているお悩みはお前の手にかかれば文字通りお手の物だろうが……遠慮なくお声をかけたが最後、数秒で解決と絶頂に至らしめる事が可能であろう。

 というか先ほど佐藤さんに宣言していた通り、たとえ枯れ果てても最後まで搾って抜かれ、俺はおそらくテクノブレイクで死に至る。

 先ほど俺の好みを把握した事から、やはり甘やかしプレイを……⁉ いや、それともあえてその教鞭で厳しく焦らす方向で……⁉

 どちらも容易に想像できる……いかん、想像したせいでまたムラムラが……!

 つーかその声だけでムラ村雨が元気になるからもう黙っていてくれまいか。

 ムラ叢雲、出撃するわ! 酸素魚雷を食らわせるわよ!(股間)

 いや誰だお前は! もうこれ以上新キャラはいらん! カエレ!

 

 くそっ、ドスケベサキュバスに負けてたまるか。

 そう、悩んでいたのはそんな低俗な事ではない。勿論目の前の報告書に関する事である。そういう事にしよう。

 とりあえず何か適当に疑問に思った事を問いかければいい。

 個人的に気になる事と言えば……大淀の編成した先遣隊が駆逐艦だけで編成されているという事だ。

 面子は俺も知っているように、駆逐艦の中でも練度の高い者ばかりで編成されている。

 だが、先日俺が編成したように、せめて軽巡を……えぇと、天龍と龍田は俺が夜間哨戒に送り出したせいで休んでいたから編成できなかったとして、大淀は俺の代わりに指揮してくれていたし……夕張と、そう、せめて川内型の三人をそれぞれの艦隊に組み込むなりすれば、より安全安心だったのではないだろうか。

 結果論かもしれないが、その場に俺への怒りで修羅となった神通が居れば、イムヤが轟沈する事もなく、朝潮達が揃って中破する事もなく、救援できていたかもしれん。

 いや、話を聞く限り、修羅となった神通は暴走して敵味方の区別がつかなくなるそうだから利根のようにむしろ被害に遭う者が出たかもな……ヤベーイ!

 

 俺は真剣に報告を聞いていた事をアピールすべく、顔を上げて鹿島に問いかけた。

 

「ふむ……それでは、鹿島。練習巡洋艦のお前から見て、先遣隊の力量はこの任務に適切だったと思うか?」

「そうですね……私は、十分すぎるほどだと思っています。六駆の暁ちゃんと響ちゃんはこの鎮守府の駆逐艦で唯一改二が実装されている事からもわかる通りの実力を有していますし、雷ちゃん、電ちゃんも練度は負けていません。時雨さん、夕立さん、江風さんは川内さん達が特別目をかけていますけど、戦闘センスが飛び抜けています。元々あの三人はその実力を買われて、他の姉妹艦と別れて横須賀鎮守府に異動になったくらいですし……。八駆の四人も、私個人としては六駆に負けない練度と資質を持っていると思っています」

 

 鹿島は少し考えた後、すらすらと流れるように俺の問いに答えた。

 なるほど、オータムクラウド先生が描いていた通り、やはり昼の鹿島は真面目で勤勉な優等生というのは本当のようだ。

 適当な答えだとは思えない。

 さっきからドスケベサキュバスの顔がちらちらとはみ出ている事を置いておけば、非常に優秀なようだ。

 羽黒に比べて、秘書艦の仕事も初めてとは思えないくらい自信満々にこなしているし……優秀にして色欲を併せ持つ、まさに才色兼備。

 鹿島の意見としては、駆逐艦四人、時雨達は三人での編成でも十分すぎるほどの戦力はあったという事か。

 しかし、念には念を入れ、俺は香取姉に目を向けて問いかけた。

 妹のフォローをする為にここにいるのだ。意見を求めてもおかしい事では無いだろう。

 

「ふむ……香取はどう思う」

「あ、えぇと……はい、私も鹿島と同意見です。旗艦に軽巡を編成するなりすればなお安定はしたでしょうが、いささか過剰戦力になったかと。提督もお分かりでしょうが、今回の失敗の原因は、イムヤさんの大破進軍、そして満潮さんの疲労を隠しての出撃という想定外のイレギュラーによるものです。潜水艦はどれだけ練度を上げても装甲自体は大きく強化されませんから、被弾、大破すれば即撤退する事も織り込み済みで計画を立てています。満潮さんは、実力は十分ですが、やはり過去の経験上、精神面で難しいところはありますね……」

 

 ほう、香取姉も鹿島と同じ意見……鹿島は本当に優秀なんだな。

 軽巡を編成すればなお安定するという事は当然わかっていたようだが、それでは戦力が過剰になったと考えているのか。

 つまり、やはりこの鎮守府近海は駆逐艦数人でも戦えるほど雑魚しかいない海域という事だ。

 まぁこんなところにまで強敵に攻め込まれていたらこの国はもう終わりな気もするし、当然の事であろう。

 それでも被害が出てしまった原因は、やはりイムヤの大破進軍と満潮の強行出撃。

 それさえなければ、おそらく朝潮達があれほど被害を被る事もなかったのだろう。

 必要の無かった負傷、満潮があれだけ落ち込んでいたのも当然か……。

 それにしても、潜水艦はどれだけ練度を上げても装甲はそこまで強くならないのか……なんか出撃させるのが恐ろしくなってきたな。

 

 鹿島と香取姉の意見を聞けば、大淀の作戦に問題が無かったという事は明白だが、更に念を入れて大淀本人にも訊ねる事にする。

 

「うむ……大淀はどうだ」

 

 声をかけてから気が付いた。

 エッ、な、何か難しい顔をしていらっしゃる⁉

 そんなに難しい事は訊いてないのに、俺の疑問に何か問題でも――⁉

 内心ヒヤヒヤしている俺に、大淀は妙に悩んだ後に、ゆっくりと確かめるような声色で答えた。

 

「……は、はい。制海権を奪還した現在の鎮守府近海には、下級の深海棲艦しか存在しないはずです。現在の備蓄状況を考慮して、なるべく資源を消費しない事と戦闘力を両立する先遣隊を考え、私はこの編成がベストであると判断しました」

「うむ……」

 

 な、何だったんだ今の間は……。

 首を切られないように落ち着いて考えよう。

 香取姉の言葉から推測したように、やはり現在の鎮守府近海には下級の深海棲艦しか存在しない。

 大淀がベストだと判断したあの編成は、戦闘力と資源の節約を両立する為の編成という事か……。

 香取姉も軽巡を旗艦に編成するのは安定すれどいささか過剰だと言っていたしな……。

 

 ちょっと待てよ。報告によれば、大淀が今回向かわせた遠征先は、先日俺が向かわせた場所と同じだった。

 グレムリンが怪しい感じがすると言っていた場所であったが、偶然にもそこに敵が資源を貯め込んでいたのが見つかったのでブン取るという算段らしい。

 大淀達は駆逐艦だけで十分だと理解しているのに、そこに俺は軽巡をフルに採用して出撃させたわけだ。

 

 朝潮、大潮、荒潮、霞に加えて大淀、夕張。

 暁、響、雷、電に加えて天龍、龍田。

 時雨、夕立、江風に加えて川内、神通、那珂ちゃん。

 

 確かに安定はしただろうが、大淀達に言わせれば明らかに過剰戦力、資源の無駄……。

 そうか、今回大淀が安定を捨てて駆逐艦だけで編成したのは、俺が無駄に使った資源の尻拭いの結果だ。

 俺が無計画に建造したり、空母六隻で出撃させたり、その救援で余計な出撃をさせたりしなければ、まだ備蓄に余裕があったわけで……それなら今日の出撃に軽巡を編成する余裕があったかもしれず……イムヤが轟沈する事もなかったのかもしれん。

 なんか全部俺のせいだな……死にたくなってきた。

 

 そうか、大淀のあの顔……。

 コイツはそんな事もわからないのかと本気で悩んでいたのか。

 俺の尻拭いのために軽巡を編成しなかったのに、他ならぬ俺が「この編成で問題なかったの?」などとアホ面で言い出したものだから、そりゃあ呆れ果てるだろう。

 何とかこらえてくれているが、大淀がもう少し短気だったら「お願い、艦隊指揮の邪魔、しないで‼」とその右拳でブン殴られてもおかしくはない。本当にすみません。

 

 いや待て。それはともかく、鎮守府近海に雑魚しかいないのだったら、あの夜に艦娘全員で出撃したのはやっぱり……。

 あンのゴリラがァ~……‼ テメーが一番資源の無駄遣いしてんじゃねーか‼

 くそっ、しかし俺の信頼度の低さが招いた事だから主張できん……!

 

 ともかく、俺の無能っぷりが改めて明らかになってしまったのはともかくとして、先遣隊に無理をさせているわけではないという事がわかったのは良かった。

 ムラムラは一向に収まる気配が無いが、それはそれでちょっとだけ気になっていたのだ。

 俺は気を取り直して、威厳たっぷりに鹿島と香取姉に声をかけた。

 

「いや、流石だ。鹿島と香取は練習巡洋艦なだけあって、皆の力量をよく理解できているな」

「えへへっ、そうですか? やったぁ……!」

「ふふ、勿体ない御言葉です」

 

 鹿島はよくわからんが、香取姉も俺に対する負の感情を表に出さんな……。

 まぁ大人としては当然の嗜みであるし、千歳お姉と同じように大淀の話術の影響下にあるのかもしれないが……。

 顔に出さないだけだと考えておいた方が身のためであろう。

 俺は大淀に顔を向け、深くお辞儀をしながら「生意気な事言ってすいませんでしたァーッ‼」と陳謝したい気持ちを抑えながら、冷静に声をかける。

 

「大淀の仕事も完璧(パーフェクト)だ。私が眠っている間、よくやってくれた。本当に助かった、ありがとう」

「い、いえ……そんな事は」

 

 どこかそっけない態度の大淀さんであった。凹む。

 いや、しかし大淀の場合、これが正解なのだ。

 この御方はあくまでも俺の影となって後ろから操る事が目的なのだから、俺がへりくだってはならない。

 堂々と上官として、提督として振る舞う事こそが、大淀に対する何よりの忠誠を示す事なのであろう。

 そして俺に何か至らぬ点があったとしても、ちょっとの事は大目に見て、フォローして下さるのだ、この御方は。

 今回の俺の失礼な質問も水に流して下さるであろう。本当にすみません。

 

 何やらまた難しい顔で考え込んでしまった様子の大淀を見ないふりをしながらムラムラとの戦闘を再開したところで、執務室の扉がノックされた。

 扉を開いて姿を見せたのは、涙を拭いながらすんすんとべそをかいている千代田であった。

 

「うぅっ、千歳お姉に嫌われたよぉ~……! もう生きていけないよぉ~……! 足りない……千歳お姉が足りないよぉ~……」

「千代田さん……ど、どうしたんですか」

「千歳お姉が、提督に報告に行ってきなさいって……! 私と一緒に居たくないのよ……! うぅぅ~……!」

 

 千歳お姉も泣いていたが、こっちは大号泣だな……。

 俺の推理によれば、俺が視姦していたという事実をもみ消す為のとばっちりを受けた形になる。

 すいません、大淀は悪くないんです。勿論千代田も悪くないんです。悪いのは全て俺です。

 それはそれとしてなんという乳だ。

 

 千代田の涙に罪悪感を、千代田の乳に股間を刺激されている俺に、大淀が横から声をかけてくる。

 

「提督、申し訳ありません。御存知かとは思いますが、千代田さんが軽空母への改装にすでに目覚めていた事が判明しまして……」

「うぅぅ~……! ご、ごめんなざい……!」

「う、うむ。大体の事は千歳から聞いた。千代田も、もう気にするな。それと、瑞鶴からも聞いたが、大淀が皆をまとめてくれたらしいな。助かった」

「は、はい……」

 

 大淀が求めている事とはいえ、堂々と上官を演じるのが若干心苦しい。

 しかし、千歳お姉と千代田が気まずくなってしまったのも俺のせいだし、俺をフォローしてくれた大淀さんに報いねば――。

 

「あ、それに関してなんですが、その、性能を計る為とはいえ、隙を見て視線を送るのは今後やめてもらえないでしょうか」

「エッ」

 

 一瞬心臓が止まった。

 大淀の放った言葉は、一瞬とはいえ確実に一人の人間を死に至らしめるほどの威力を持っていた。

 間宮さんの精力料理がなければ息を吹き返せなかったかもしれん。

 エ? ア、イヤー、エェ?

 

「いえ、勿論提督のお心遣い故という事は理解できているのですが、今回瑞鶴さんに指摘されたように勘違いされる事もあるかもしれませんし、やはり盗み見るような真似はよろしく無いかと……それに、皆も提督の視線にはそれなりに気付いていたので、そんな真似をする意味も無いかと……」

「そ、そうか……」

「ですので、今後艦娘の性能を計りたい時には、本人に直接同意を得て、堂々と正面から計るようにお願いします。同意を得られない時はこの大淀にご相談頂ければ、誠心誠意、出来る限りは説得しますので……」

「ハイ」

 

 死にたい。

 皆それなりに気付いていたって……。

 恥ずかしいより、死にたい……。

 無表情を保つので精一杯であった。

 艦娘達の間でどんな話題になっていたのか。考えるだけでも恐ろしい。

 妹達の言っていた通りだった。見られている方にはバレバレだと。

 わかっていたはずなのに、なんで俺は見てしまったのだ。

 妹達にどう弁明すれば良い……駄目だ、弁明のしようが無い……。

 

 大淀は提督のお心遣いとかいう意味のわからないワードを口にしていたが、おそらくその話術で妙な意図を捏造してくれたのだろう。ダンケ。

 ガン見が性能を計る為という薄い本展開になるのは百歩譲ってわかるとしても、チラ見が俺のお心遣いになる意味がわからない。

 じろじろ見るのが悪いからチラっと見て性能を計っていたという事になっているのか。

 大淀の用意した言い訳はどうなっているんだ……。流石に無理がありすぎる……。

 いや、それではフォローしきれないから、今度からは正面からという事になったのだった。

 つまり俺はもうチラ見はできない。

 正面から計るのを許可されているのにチラ見したのだとすれば、それは完全に下心だとバレてしまう。

 

 お、大淀さん……! 正面から見れるようにしてくれたのは凄いけど、チラ見は男の本能も混ざってるんスよ……!

 本人の意思とは無関係に視線がホーミングされるものなんスよ……!

 し、しかしチラ見が下心からという事がバレたら、大淀が適当な事を言っていた事がバレてしまい、大淀の顔に泥を塗った俺は首を切られる可能性が――アカン。

 あまりの恐怖に俺のムラムラは消え去り、あんなにも言う事を聞かなかった長10cm砲ちゃんがおとなしくなった。

 よ、よし。俺の置かれた状況が大体わかった。

 この調子でいこう。今から、この瞬間から真面目にいこう。

 

「では、早速ですが、軽空母化した千代田さんの性能を確認して頂ければと。千代田さん、お願いします」

「うぅっ、はいっ……千代田、『航』……!」

 

 最終股間変形(ファイナルフォームライド)乳乳(チチチチ)代田(ヨダ)

 俺の股間がデッケード発情態と化した。ちょっとくすぐったいぞ。

 目を離すことが出来なかった。

 暴発の危険性があるにも関わらず俺が千代田のパイオツを凝視してしまったのには深い理由がある。

 

 俺の提督アイにはわかる――コイツ、確実にサイズアップしている……!

 ただでさえ爆乳の域であった千代田が……更に……‼

 

「千代田さんはこの状態では三スロットしかなく、そこまで軽空母としての性能は高くないようです」

「うむ」

「しかし、春日丸――大鷹が改を経て改二となるように、千代田さんもここから『千代田航改』を発動する事ができ、スロット数も四つへ増えます」

「うむ」

 

 大淀が何か丁寧に解説してくれていたが、右から左へ通り抜けてしまっていた。

 

「『改』の状態ならば実戦においても非常に心強い戦力になるであろうと期待されますね」

「うむ。更に上は無いのか」

「えっ、か、改二という事ですか⁉」

 

 いかん。思わず口が滑ってしまった。

 春日丸が改を経て改二にとか聞こえたから、千代田もここから改二になれるのではないかと欲が出てしまったのだ。

 今でこれならば、改二になったらどうなってしまうのだろう……デカければデカいほど良いというわけでは無いが、ロマンがある。

 デッ改二と名付けよう。

 ともかく、俺は失言を適当に誤魔化した。

 

「いや、単に気になっただけだ。『改』までで十分に戦力になるという事だな」

「は、はい」

「そうか……いや、素晴らしいな。これは何としても、千歳にも実装してもらいたい」

「えっ! お姉もできるの⁉」

 

 俺の言葉に、千代田が予想外の勢いで食いついてきた。

 千歳お姉もサイズアップすればいいなって欲望が漏れてしまっただけだったが……そうか、二人が気まずくなった原因的にも大切だな。

 ムラムラしすぎてそこまで頭が回らなかった。

 ともかく、下手に希望を持たせるのは良くない。

 

「い、いや、千代田に出来たのだから姉の千歳にも出来るはずだ、などとは言いかねる。あくまでも私の希望の話だ」

「そっか……」

「確かに千代田さんだけではなく、千歳さんにも同性能の軽空母化が実装されたと考えれば、戦略の幅が大きく広がりますね」

「う、うむ。そういう事だ。流石は鹿島、よくわかっているな」

「えへへっ、はいっ! ありがとうございますっ」

 

 俺の言葉を鹿島がうまくフォローしてくれたので、素直に褒めた。

 今は昼モードなので基本的に真面目な思考なのだろう。

 ドスケベサキュバスでさえなければ本当に完璧なのにな……。

 そして鹿島の声(サキュバスボイス)により俺の性衝動が更に加速した。もう堪忍してつかあさい。

 淫語とか言葉責めというものがあるように、人は言葉だけでも感じる事ができるのだ。

 この調子だとあと数回お前と言葉のキャッチボールをするだけで果ててしまいそうだ。

 

 ふと大淀を見ると、何か怒りを堪えているかのような凄い顔をしていた。ヒャアッ。

 俺がしょうもない事を考えていた事を勘づかれてしまったのかもしれない。

 見なかった振りをして言葉を続ける。

 

「しかし、何故千代田だけ先に実装されたのだろうな……何か思い当たる節は無いのか」

「と、特には……ある日、起きたら突然、実装されている事に気付いたの。それで、お姉に隠れて確認してみて……」

「ふむ、そういうものなのか……少し、調べる必要があるな……」

 

 鹿島の言った通り、戦略の幅を大きく広げるためにも、ちとちよ姉妹を仲直りさせるためにも、千歳お姉に更なる強化(サイズアップ)をするためにも、改装の仕組みを知る事は重要だ。

 俺も詳しくは知らないし、千代田もよくわからないようだが、この鎮守府には改二が実装されている者がそれなりに存在する。

 もしかしたら、何かヒントになるような事がわかるかもしれん。

 俺は鹿島に声をかけようとしたが、これ以上股間に刺激が加わるのを恐れ、羽黒に声をかけた。

 

「改二が実装されている者を、適当に数人見繕って連れてきてくれないか」

「えっ、あっ、は、はい! ごめんなさいっ、失礼します!」

 

 ばたばたと部屋から駆け出していった羽黒を見送っていると、壁際に控えていた妙高さんが執務机越しに俺の正面に立った。

 何か羽黒にまずい事をしてしまっただろうかという俺の心配は杞憂だったようで、妙高さんは胸元に手を当てて口を開いたのだった。

 

「羽黒は慌てすぎて忘れていたようですが……この妙高も改二実装済みです。どのようなご用件でしょうか」

「う、うむ。要するに、更なる強化の実装前後を比較してみたいのだ」

「なるほど、了解しました。まずは『改』をお見せすれば良いという事ですね」

 

 妙高さんはそう言ってその場で艤装を展開した。

 提督アイ発動! ……ふむ、特に妙高さん自身に影響は見られない。

 おそらく単純に『改』となるだけならば身体的な影響は無い、もしくは微々たるものなのだろう。

 千代田がサイズアップしたのは水上機母艦から軽空母という特別な改装だからである可能性が高い。

 そして『改二』こそが、その特別な改装に該当するのであろう。

 つまり、改二が実装される事で身体的な影響が出る可能性は高いと推測される。

 

「そしてこれが――『妙高改二』」

 

 柔らかな光に包まれ、やがて改二状態の妙高さんが姿を現す。

 改めて至近距離からまじまじと見つめてみて、俺は思わず見惚れてしまった。

 何と言うか……美人度が増していないか?

 元々美人ではあったが、更にあか抜けたというか、明らかに魅力が増している。

 艤装がデカくなったとか、独特の迷彩が施されているだとか、制服のデザインが変わっただとか、むしろそちらが重要なのだろうが……え? ちょっと美人すぎない?

 パイオツの力だけで第六席まで駆け上がった天乳ちゃんの地位が揺らぎ始めた。

 提督アイによればちょっとだけ肉付きも良くなっているような……改二マジパナイ!

 

 大淀さんに許可された事とはいえガン見しすぎたのか、妙高さんは少し気恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべながら口を開いた。美しい。

 

「ど、どうでしょうか。何かわかりましたか?」

「い、いや、十分だ。凄いな……その、妙高は改二に目覚める際、何かきっかけとかは無かったのか」

「そうですね……私も特に何かを意識した覚えはありません。戦闘中に身体が光り出して……。大体は、私と同じパターンが多いみたいです」

「ほう……」

「ただ、提督なら御存知だとは思いますが、窮地に陥った際などに、強い思いに応じて目覚めたという例もあるようです。私達は改二などの強化には何らかの『気付き』が必要なのだと考えていますが、それが何なのかはわかりません。個人差があるというのも考えられます」

「なるほど……」

 

 まったく御存知ではなかったが、ピンチの際に目覚める場合もあるのか……。

 少年漫画とかにありがちな展開だな。ドラマチックだ。

 いや、改二の本質は性能の向上なのだから、それはおかしな話では無い。

 むしろ女性としての魅力が増す方が副作用的なものなのだろう。俺的にはそっちの方が重要だが……。

 性能も上がり、魅力も増す……良い事ずくめではないか。

 これは良いわね……みなぎってきたわ! ねぇ! 勿論試し撃ちしてもいいのよね⁉

 いやイカンイカン! 妙高さんが魅力的すぎて俺の股間の飢えた狼が遠吠えしている。

 こらっ、お座り! チンチンじゃない! お座り! ハウス!

 

 躾に奮闘している俺に、横から大淀さんが声をかけてきた。

 

「提督。改二の実装にはある程度高い練度が必要であると考えられています」

「うむ」

「そして提督もご承知の通り、私達艦娘は、提督への信頼によってその練度が底上げされます」

「……う、うむ」

 

 え? そうなの?

 そう言えば最初に佐藤さんから説明を受けた時に、なんかそれっぽい事を言っていたような……。

 話が長くてよくわからなかったし、ハーレム計画を考えるのに夢中だったからあんまり覚えていないが……。

 俺に元々下された使命は、艦娘からの信頼を取り戻す事。

 提督の存在なくして艦娘はその力を発揮できない。

 提督と艦娘の信頼関係や絆が性能を向上させる研究結果も出ているとか……。

 そうだ。思い出した。確かに佐藤さんはそう言っていた。

 

「まぁ、それに関しては考える必要はありません。考えるべきは『気付き』のみ。何かそのヒントになるものはないか聞き取り調査を行おう、という事ですね」

 

 ……ウ、ウン。いや、そうです。わかってます。

 信頼を取り戻すのが俺の仕事であったが、それは初日にして見事に失敗していたのだった。

 そうか、もしも俺が信頼できる一人前の提督だったなら、艦娘達の性能が向上していた可能性もあるのかな……。

 瑞鶴には全てはお前の頑張り次第と伝えたが、案外俺の頑張り次第で改二に繋がる可能性もあったのかも……。

 まぁ大淀さんに考える必要は無いと断ぜられるほどに取り返しがつかないレベルで俺への信頼は地に墜ちているからもうどうしようも無いが。凹む。

 それはそれとして、改二に至るヒントを探ろうとしている事は、大淀さんにも理解してもらえたらしい。

 俺の目的は副作用の方なのだが、性能強化という本来の効果は大淀にとっても悪い話では無いだろう。

 

「うむ。その通りだ。流石は大淀」

 

 俺が褒めると、大淀は眼鏡の位置をクイッと直しながら密かに黒幕スマイルを浮かべていた。フフフ。怖い。

 鹿島が「なるほどぉ、提督さんっ、流石ですっ! うふふっ」と微笑みながら、珈琲のお代わりを持ってきてくれた。

 本当に気が利く良い娘だと思うのだが、頼むからもう声をかけないでほしい。

 そろそろ飢えた狼が理性の鎖を引きちぎってしまいそうだ。

 ん? 何か廊下の方から地響きと獣同士が威嚇するような声が……。

 

「提督、この長門をお呼びだろうか。ちなみに私は改二を発動すれば大発動艇を」

「フン、貴様はその馬力を活かして倉庫を片付けておけ。ここはこの那智が」

「いえ、改二という事であれば、この神通にお任せください」

「哀れね。ここは譲れません」

 

 わぁ~、怖いのいっぱい見~つけちゃったぁ~。帰ってくだち!




大変お待たせ致しました。
繋ぎの回なのですが何故か提督視点だけで三万字超えそうだったので分割します。
お待たせしたにも関わらず全然話が進まず申し訳ありません。
早く展開を進められるよう頑張ります。
次回はなるべく早く更新できるよう頑張りますので、気長にお待ち頂けますと幸いです。


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055.『神の恵み』【提督視点②】

 ゴリラと狂犬と修羅と青鬼に攻め込まれ、俺は思わず白目を剥いた。

 長門の影に隠れていてよく見えなかったが、よく見たら良い奴の龍驤もいた。

 羽黒お前……よりによってなんという面子を見繕ってくれてんだ……!

 加賀に至っては改二が実装されていない。何故ここに居る。

 またしても俺の(よこしま)な目論見を監視しに来たというのだろうか……。

 俺が絶望に震えていると、廊下の方から更に騒がしい声が駆け込んでくる。

 

「ヘーイ! テートクゥーッ! 提督へのバーニングッ、ラァーブッ! で、改二が実装されたっ、金剛デース!」

「お姉様への想いと気合で改二に目覚めたっ、比叡ですっ! はぁいっ!」

「榛名もお姉様への想いで目覚めました!」

「この霧島もお姉様への想いで改二に目覚めたと分析しています。金剛お姉様、流石です」

「姉妹の中で一番早く改二が実装されたっ、那っ珂ちゃんだよーっ! きゃはっ!」

「提督なになに⁉ 改二実装艦を集めるって、何が始まるの⁉ 夜戦⁉ やったぁーっ! 待ちに待った夜戦だぁーっ!」

「何ですって⁉ 提督、本当なの⁉ よぉし、戦場が、勝利が私を呼んでいるわ! みなぎってきたわ!」

「改二と言えば、航空巡洋艦へと艦種が変わる我ら利根型を忘れてはなるまい。特に代わり映えの無い那智は帰ってよいぞ。なーっはっはっはっは!」

「貴様ァーーッ! 妙高型を愚弄するかッ!」

「ぐおぉォーーッ⁉ 筑摩ぁーっ! ちくまァーーッ⁉」

「な、那智さん! 謝りますから利根姉さんを放してあげて下さい!」

 

 ……アッ、これ見繕ってないな。

 これではもはや手当たり次第ではないか。

 羽黒が俺の目の前に駆け寄り、涙目でごめんなさいごめんなさいと頭を下げる。

 ま、まぁいいや。サンプルは多い方がいいしな。うん。

 これで構わない、大丈夫だと一応伝えたが、羽黒は妙高さんに頭を撫でられながら慰められていた。羨ましい。

 

 俺がそれに気を取られている内に、鹿島が集まった面子に説明を始めている。

 うぅむ、説明も簡潔かつ要点を押さえていて上手い。

 本当に優秀だ。優秀なのだが、もうその声と仕草を何とかしてくれ。

 執務机を挟んで俺の正面に立ち、艦娘達の方を向いて説明をしているものだから、尻と太ももが目の前にある。

「練習巡洋艦を甘く見ないで。装備と練度は、十分ですっ」とでも言いたげに主張されていた。

 甘く見ていない。装備(スタイル)練度(テクニック)も十分なのはよく理解できている。

 何なんだそのスカートは。あまりにも短すぎる。膝上何センチなんだ。

 いやそれを言ったら大淀や明石も同じだ。むしろ鹿島にはスケベスリットが実装されていない事を幸運に思うしかない。

 

 説明を続ける鹿島の動きに合わせてスカートの裾が揺れ、尻と太ももに視線がホーミングされそうになる。

 実はこれはお色気の術の一種なのではないだろうか。

 止めてくれ鹿島。その術は俺に効く。

 いかん、見てはいかん。あれは見てはいけない類のものだ。

 しかし俺の視界に嫌でも入る。説明をする声は嫌でも聞こえてくる。

 アカン。このままでは俺の股間から流精(四五五空)が誤発艦不可避。

 くそっ、私の前を遮る愚か者めっ! 沈めっ!(股間)

 

 この調子だと鹿島が聞き取りまで始めてしまいそうだったので、俺は鹿島に声をかけて壁際に控えてもらった。

 淫魔を視界から排除すると、こんどは目の前に鬼畜艦隊その他が現れて恐ろしかったが、背に腹は代えられない。

 暴発するよりはマシだ。むしろ縮こまらせてくれる事を期待する。

 ゴリラの後ろから龍驤が顔を出し、腕組みをしながら口を開いた。

 

「うちが目覚めたのは実戦形式での鍛錬の結果やね。そりゃあもう血の滲むような努力の結果や! 春日丸は一度も実戦を経験しないまま演習だけで目覚めたけど、特に何かを意識したっちゅーわけでは無いようや。才能かな、アハハ……」

「うむ。才能もあるだろうが、二人とも努力の結果というわけだな。実に素晴らしい。長門。お前が改二に目覚めた時はどうだったんだ」

「私の場合は……そう、激戦の最中(さなか)でな。敵艦隊に囲まれ、中破まで追い込まれ、燃料も弾薬も尽き……この拳で敵戦艦と殴り合っている時の事だった。身体が光りだしてな……」

 

 敵戦艦との殴り合いって比喩じゃないのか……。

 キャットファイトならぬゴリラファイト。俺の知ってる艦隊戦と違う。

 艤装に頼らずそんな真似が出来るのはおそらくこのゴリラだけだ。参考にならん。

 つーかイ級どころか戦艦と戦えるレベルの一撃を俺のケツに叩き込もうとしていたのかコイツは。

 オーバーキルにも程がある。

 大淀が傍に控えてくれているからこうやって安心して話せるが、そうでなければ俺はもう逃げ出したい気持ちだった。

 

「う、うむ。窮地で発動したという事だな」

「あぁ。そのおかげで中破した艤装も、燃料も弾薬も全て回復してな。命からがら窮地を脱する事ができたというわけだ」

「ほう。改二を発動すると損傷や資源も回復するのか?」

「いや、常時ではなく、最初の一回だけだった。奇跡のようなものだったのかもしれない……」

「へぇー、そんな効果があったんだ。なんだか勿体なかったなぁ」

 

 長門の言葉に川内が口を開いたので、俺はそちらに目を向けた。

 

「川内はどうだったんだ?」

「私は夜戦から帰ってきて、寝て、起きたらなんかこう、実装されてるのを理解したって感じで。入渠も補給も済ませてたから気付かなかったよ」

「あっ、私と同じ……」

 

 千代田が声を漏らした。

 別にピンチじゃなくても普通に目覚めるものなんだな……。

 単にタイミングの問題なのだろうか。

 

「そう言えば、私は帰投中に実装されましたが、確かに補給の必要はありませんでしたね……」

「那珂ちゃんはオフの時に目覚めましたぁ。きゃはっ!」

「私は戦闘中に力がみなぎってきて……きっと勝利が私を呼んでいたのよ! 自分が強くなるあの瞬間……最高だったわ!」

「フン。この那智は足柄と同じタイミングでの実装だったな。長門ほどではなかったが、苦しい戦いだった……」

「吾輩も敵艦隊との交戦中じゃったのう。ま、那智と違って特に苦戦はしておらんかったがな。なーっはっはっは!」

「流石です、利根姉さん。提督、私は……ってあぁっ、那智さんっ! 利根姉さんに悪気は無いんです!」

 

 神通は意外にも帰投中、那珂ちゃんはらしいと言えばらしいがオフの最中……。

 しかし那珂ちゃんが川内三姉妹の中では一番早く実装されたらしいし、よくわからん……。

 春日丸と同じように、才能なのだろうか……。

 戦闘大好きの足柄、そして那智、利根は敵艦隊との交戦中。利根はピンチというわけではなかったようだ。

 

「筑摩はどうなんだ」

「あっ、はい。私は今のように那智さんに締め上げられてる利根姉さんを助けようとしていた時に……」

 

 那智から守るために改二に目覚めたのか……。

 ある意味窮地で発動したタイプ。筑摩が強い理由は守りたい者がいるからなのだろう。

 少年漫画的な熱い展開だ。

 その守りたい姉に迫る脅威が同じ艦隊におり、しかも脅威が迫る原因がアホの利根の失言というのが情けないが……。

 このシスコンに関しても長門と同様、参考になる気がしない。

 いや、千代田もシスコンだから……いや駄目だな、千歳お姉は筑摩や千代田ほど筋金入りではない。

 

「えへへっ、テートクゥ。私が建造されてすぐに改二を発動できたのはっ、きっとバーニングッ、ラァーブッ! が起こした奇跡に違いないデースっ!」

 

 金剛が両頬に手の平を当て、くねくねと身体をよじらせながら言った。

 うむ、間違いない。入渠施設の前で抱き着かれた時にはっきりと確信できたが、コイツは間違い無く俺に惚れている……!

 何故か建造されていきなり好感度マックスな感じだったが、卵から生まれたばかりの雛鳥が初めてみたものを親だと思うという、いわゆる刷り込みみたいな現象が起きているのではないだろうか。

 他に思い当たる節が無い。そうとしか考えられん……。そうでなければ一目惚れにも程があるし、男を見る目が無さすぎる。

 

 事実、金剛にはいきなり改二が実装されている。

 先ほど大淀が語った通り、提督への信頼が艦娘の練度を底上げするのであれば、これだけラブラブな金剛が超強化されたとしてもおかしくはない。

 つまり、金剛に改二が実装されたという事実こそが、金剛が俺を本心から愛してくれているという証明になるのだ。

 

 彼氏の気を引くために俺を利用した、俺のトラウマになった子とは違う。

 金剛は口だけの女ではない。溢れる想いをただ口にしているだけなのだ。

 股間が戦闘体勢に入っていなければ今すぐ抱きしめにいきたいくらいだった。

 そしてそのままベッドインしたい。時間と場所とムードとタイミングさえ確保すれば、俺は今夜にでも童貞を捨てる事ができるだろう。

 金剛に影響されてか、シスコンぎみの妹達三人も俺に友好的に見えるし……うまくいけばマジで姉妹丼もいけるのでは――⁉

 よし、ちょっと本格的に策を――いかんいかん。今は想像するな。股間に響く。

 

 それに一人だけあからさまに贔屓するような態度はいかん。

 俺は金剛の言葉で緩みそうになった表情を引き締め、「そうか」とだけ答えておいた。

 比叡、榛名、霧島も改二が実装されたいきさつを熱く語ってくれたが、要は金剛への熱い想いとの事だ。

 まぁ比叡は金剛の夢を見て、目覚めたら実装されていたらしいから間違っていないのかもしれない。

 

「うぅむ、『気付き』……想い、気合、何らかのきっかけも関係ありそうだが、やはり個人差があるという事なのだろうか」

「そうみたいですね……必ずしもそれが必要というわけではなく、来るべき時が来たら自然と実装される、と考えるのが妥当でしょうか」

 

 結局ヒントは得られなかったが、大淀もそれに同意してくれた。

 俺が考えるに、新たな強化が実装されるには「自然に目覚める」パターンと「何かがきっかけとなり目覚める」パターンがあるのではないだろうか。

 川内や千代田、那珂ちゃんなどが前者、長門や足柄、筑摩などが後者である。

 おそらく基本的には前者なのだが、窮地に立たされるなど何かがきっかけとなり、本来自然に目覚めるはずだった強化が早まるという後者のパターンがあると考えればおかしくはない。

 金剛の場合は俺へのバーニングラブによって練度が底上げされ、改二が実装されたわけだ。Be the one(貴女と合体したい)

 

 前提として高い練度があれば、いつかは自然に目覚めると考えれば、やはり俺が瑞鶴に語った通り、新たな強化が実装されるかどうかは本人の頑張り次第なのだろう。

 ならばもはや俺にできる事は何もない。

 後は俺の仮説――更なる強化によって艦娘自身の魅力が増すという事について検証する必要がある。

 むしろ個人的にはそっちの方が興味があった。

 

「よし。あとは性能差を見ておきたい。まずは、そうだな……川内型。三人一緒に見せてくれ」

「了解! よぉし、神通、那珂、いくよっ」

 

 俺の言葉に、川内達が執務室の中央に集まり、執務机の前で一列に並んだ。

 

「川内! 『改二』っ!」

「……――『神通改二』……‼」

「那珂ちゃんっ! 『改二』っ! きゃはっ――ウゲェッ⁉」

 

 瞬間、俺の真正面にいた神通から強烈な閃光が放たれ、爆風が巻き起こり、俺は椅子に座ったままひっくり返り、後頭部を強打した。

 おごォォオッ⁉ 目がっ、目がァッ⁉

 強烈な閃光で目が眩んで前が見えない。

 

「あぁっ! て、提督っ! しっかりっ! 頭を打ってませんかっ⁉」

「し、司令官さんっ……!」

「提督さんっ、大丈夫ですか? 痛いところがあればさすりましょうか?」

「う、うむ、大丈夫だ。さすらなくていい……!」

 

 後頭部よりも股間の方が痛いくらいにパンパンなのだが、さすられたらおそらく一瞬で果てる。

 鹿島ンマの手にかかれば文字通り赤子の手を捻るよりも容易い事であろう。

 大淀達に支えられ、椅子に座ったままの姿勢で元の位置に戻してもらった。ダンケ。

 ようやく視力が戻ると、俺にぺこぺこと頭を下げている神通が他の艦娘達から辛辣な視線と罵声を浴びせられていた。

 新手のテロかと思ったが、どうやら神通が改二を発動しただけらしい。

 なんでお前だけそんな事になるんだ。普段は大和撫子といった感じで、穏やかで控えめな印象なのに……油断すると抑えきれない本心が出るのか。凹む。

 しかしこれはもはや改二どころの話ではない。

 穏やかな心を持ちながら俺への激しい怒りによって目覚めた伝説の戦士、(スーパー)サイヤ神通(人2)と名付けよう。

 

 気を取り直して川内達に目を向ける。

 うーむ、この服装。今までと違って個性が出ているというか、川内は忍者、神通は侍、那珂ちゃんは……アイドルをモチーフにしているのか?

 ベースは似通っているが、那珂ちゃんだけフリフリの衣装だ。

 本人の嗜好も影響するのだろうか。那珂ちゃんは言うまでもないし、川内は夜が好きだし、神通は人斬り……ちょっと考えるのはやめておこう。

 しかし川内と神通はノースリーブになるのが高ポイント。

 特に神通は金剛型なみに脇にスリットが入り、サラシのような下布ががっつり見えている。

 むむっ。意外といいものを持っているな……提督アイによれば神通は確実にサイズアップしている。

 一方で川内と那珂ちゃんは微々たるものだ。

 なるほど、強化に伴う身体的な成長には個人差があるという事だろうな。

 神通は改二前の時点で姉妹で一番大きいようだったし……。

 ただ、三人ともやっぱり美人度が増しているのだけは確かだ。不思議だ……。

 

「あの、提督……そんなに見つめられると、私、混乱しちゃいます……」

「混乱のあまり修羅と化さなければいいんだけどね」

「せ、川内姉さん……! ど、どういう事でしょう……身体が、火照ってきてしまいました……」

「そろそろ修羅が目覚めつつあるのかもねー」

「な、那珂ちゃん……! なんで二人ともそんな意地悪を言うんですか……」

 

 少し見すぎたのだろう。神通が恥ずかしそうに目を伏せながら口を開いた。

 こうして見れば大人しくて気の弱い大和撫子なのに、なんで中身が修羅だったり侍だったり戦闘民族だったりするのだろう。

 鹿島といい、外面に比べて中身が残念すぎる……。

 

「いや。神通、流石だ。非常に参考になった」

「は、はい……こんな私でも、提督のお役に立てて……本当に嬉しいです……」

「ちょっとちょっと、神通だけ? 私達はー?」

「う、うむ。勿論、川内も那珂も参考になった。ありがとう」

 

 俺に促され、川内達は壁際に控えた。

 小さく息をつき、考えをまとめてみる。

 うむ、妙高さんと川内三姉妹だけで、艦娘達に更なる強化が実装される事により魅力も増すという仮説が十分に立証できた。

 千代田の胸が更にサイズアップしていたのもそれが原因なのであろう。

 ともあれ、もう十分に――ん?

 俺の股間のSKK(シココ)レーダーがピクピクと反応している。

 何だ……? 川内や神通の何が股間に響いて……――!

 

 瞬間、俺の頭脳が記憶の中から答えを導き出した。

 そう、あれは神通が改二を発動した瞬間。

 閃光に目が眩む僅か一瞬の事だったが、俺の提督アイはそれを確かに捉えていた。

 神通から巻き起こった爆風により、川内のスカートがめくれていたのだ。ウホッ()

どういう事でしょう……股間が、火照ってきてしまいました……。

 閃光と爆風のおかげで俺の視線には誰も気付いていない。

 

 ややっ。提督殿、この機を逃してはならないであります。

 俺の中の精神退行艦オギャる丸が意見具申を始めた。

 他の者は見なくてもいいと思っていたでありますが……うまく順番と立ち位置を調整すれば、筑摩改二の暖簾の中身を前から拝む事ができるであります!

 まずはとねちく姉妹に改二を発動してもらい、その流れで誰かに先ほどの神通殿のように爆風を巻き起こしてもらうのであります。

 間違いなくあの暖簾の装甲では耐えられないでしょう。

 いくら性能調査と言っても、暖簾を自ら持ち上げてもらうのは絶対に不可能。

 しかしハーレムを築くまで待つのはあまりにも気の長い作戦。

 大淀殿にチラ見を封じられ、真正面から立ち向かうしかない中で合法的に暖簾の中身を拝むには今しかないであります!

 

 なるほど、一理あるな……。つーかマンマ祭り四人衆だけではなく筑摩ンマにも反応するのかオギャる丸(コイツ)は。

 まぁ筑摩も横須賀十傑衆第八席の実力者だからな……。バブみも備えているし。

 しかし俺の股間の()号にこれ以上刺激を与えても良いものだろうか……。

 いや、だが確かにこの機を逃しては……。

 男の仕事の八割は決断……あとはおまけみたいなものだ。

 よし、採用! 改二発動時の閃光に紛れてアンタのお宝(パンツ)、頂くぜ!

 名付けて『偵察戦力緊急展開! 「光」作戦』! 発動‼

 

 作戦を遂行するためには、神通なみの戦闘力を持ち、なおかつ俺に対して遠慮のない奴が必要だ。

 俺がひっくり返ったのを見て遠慮してくれる者もいるだろう。足柄なんかはその辺に気を遣ってくれそうだ。ダンケ。

 やはり神通と同じ鬼畜艦隊の面子を利用するか……ならば那智が適しているだろう。

 とねちく姉妹と同じ重巡という艦種であり、那智と足柄も一緒に観察しても不自然ではない。

 誰が俺を処すかで鬼畜艦隊内でも揉めていた事だし、神通と張り合う気持ちも大きいと推測されるし、俺に対して遠慮も無いと考えられる。

 恐るべき狂犬さえも策に組み込み利用する……フハハ、これが智将の神算鬼謀よ。

 

「よし、次は利根と筑摩。それと足柄、那智も一緒に改二を見せてくれ」

「うむ! 参ろうか!」

 

 利根がアホのような自信満々の笑顔で足を踏み出し、筑摩、足柄、那智もそれに続く。

 おそらく那智も先ほど神通に好き放題罵倒していた手前、今のままでは本気は出さないだろう。

 故に、俺はあえて誘導するような言葉を選んで言ったのだった。

 

「先ほどの神通の改二発動は実に素晴らしかったな。あれほどの力を持つ者は他にいるか? いるなら見てみたいものだが……那智、お前はどうだ」

「むっ……」

 

 那智が俺に不愉快そうな視線を向けた。

 餌にかかったのだろう。結構単純な奴だ……。

 それとは対照的に、足柄は困ったような笑みを浮かべて口を開く。

 

「提督。あぁいうのは私もやろうと思ったらできるけれど、やめておいた方がいいわよ。怪我したら危ないじゃない。部屋も散らかっちゃうし」

「うむ。神通は確かに戦闘力の面では抜きんでておるが、あれは制御できとらんかっただけで、ただのアホじゃな」

「流石です、利根姉さん」

 

 利根も意外と中身は大人なんだな……だがアホの利根にアホ扱いされた神通が不憫である。

 壁際に控える神通に目をやると、顔を真っ赤にして俯いていた。ちょっと可愛い。

 筑摩も俺の挑発に乗る気は無いようだ。単純なのは那智だけか。

 

「フン……そうだな。見たいというなら見せてやるが、怪我をさせるわけにはいくまい」

 

 俺のケツを蹴り上げようと争っていた奴の台詞とは思えん。

 よく言えたものである。さっきは怪我で済ませるつもりなかっただろ。

 

「うむ。その点は問題ない……羽黒、こっちに来てくれ」

「えっ……あっ、はいっ! ごめんなさいっ!」

 

 俺に指名され、羽黒が慌てて駆け寄ってきた。

 そのまま俺の背後から椅子を支えるように指示をする。

 気弱そうに見えても一応重巡、那智の妹だ。頑張れば支えてくれるだろう。

 鹿島が「私も支えますっ」と笑顔で駆け寄ってきたが、羽黒だけで大丈夫だと断った。

 淫魔に背後を取られるなど考えただけで恐ろしい。

 筑摩の暖簾の中身を拝む前に暴発し、全てが台無しになる可能性も十分に考えられる。

 

「羽黒、一人で支えられるか?」

「え、えぇと……」

「大丈夫だ。お前ならできるよ」

「……は、はいっ! 頑張りますっ!」

「よし。那智、これで本気が出せるだろう」

「フン……いいだろう。そこまで言われてはな。羽黒、しっかり支えておけ! ゆくぞッ! 那智――『改二』ッ‼」

 

 あっ、馬鹿ッ、筑摩が先に改二にならないとオゴォォォオッ⁉

 羽黒がしっかり支えてくれたおかげでギリギリ吹き飛ばされはしなかったが、不意を突いて那智から放たれた閃光のせいで思いっきり目が眩んだ。

 作戦は失敗であった。改二を発動していない利根と筑摩は、丈は短いが身体にぴったりと沿ったタイトなスカートであり、ベルトでしっかり固定されている事もあり、風でめくりあがるようなものでは無い。

 先走りやがってクソがァ~……! 俺の股間かお前は……! 堪え性那智(無ち)

 とねちく姉妹と足柄も改二を発動し、眩んだ視力が戻るとそこには渋めのイケメンと化した那智がいた。

 確かに魅力は増しているが、お前だけなんか方向性違わない?

 利根は可愛い系、筑摩と足柄は美人系としての魅力が倍増しているのに……いや、これは中性的な顔立ちというのだろうか。

 おっぱいのついたイケメンとはこういうのを言うのだろうな……。

 

 利根と筑摩は先ほども見た通りの暖簾(のれん)装備になっていた。

 やはりパンツのあるべきところにパンツが存在しない。

 それにも関わらず恥じらう様子は無い。

 先ほどいたずらな風により俺が目撃した事実によれば、暖簾の中身はかなり際どい白のハイレグみたいな感じであった。

 つまりパンツというよりも競泳水着やレオタードに近く、その上から暖簾を装備していると考えれば、むしろ装備は厚い方なのではないだろうか。

 スク水の上からセーラー服を装備している潜水艦みたいな感じである。

 パンツじゃないから恥ずかしくないもん! というのであれば、ここまで堂々とできるのもおかしな話ではない。

 くそっ、だがこの距離で前から見てみたかった……!

 白かったし生地によってはもしかしたら透けていたかも……!

 

 足柄と那智は基本的には妙高さんと同じだ。

 だが足柄は筑摩と同じく、胸部装甲が更に増している。流石は妙高型で一番の巨乳。

 性格も良いし、優しいし……実に素晴らしい。みなぎってきたわ!

 那智は……男装とか似合いそうですね。新選組のコスプレとかどうでしょう。

 イケメンです。俺よりモテそう。凹む。

 まぁ、魅力といっても人それぞれという事だろう……。

 

「う、うむ。那智も神通に負けてはいないな……実に甲乙つけがたい。流石だ」

「フン、当然だ」

「利根、筑摩、足柄も参考になった。これからも頼りにしているぞ」

 

 作戦が失敗した事でテンションが下がり、適当に褒めて利根達を下がらせた。

 ん? なんか長門が金剛型を率いて前に……。

 

「提督のハートを掴むのは、私デース! 金剛っ! 『改二』!!」

「気合っ、入れてぇっ! 行きまぁすっ! 比叡! 『改二』!」

「いざ、全力で参ります! 榛名! 『改二』っ!」

「艦隊の頭脳と呼ばれるように頑張りますね。霧島っ! 『改二』っ!」

「改装されたビッグセブンの力、侮るなよ! 長門! 『改二』っ! ハァーーーーッ‼」

 

 オゴォォオッ⁉ お前ら呼んでないんだけど⁉

 五人全員から爆風が巻き起こり、羽黒に支えられているにも関わらず俺は椅子ごと吹き飛ばされて床を転がり、股間がキツツキのように壁に打ち付けられた。

 アーーーーッ‼ 痛いぞ! だが、悪くない……! ワカバダ。

 いや目覚めている場合ではない。

 支え切れずに俺と共に床を転がった羽黒が、這いつくばりながら涙目で俺に謝ってくる。

 羽黒は悪くない。相手が悪すぎた。戦艦相手に五対一は流石に無謀だ。

 長門(ゴリラ)! 金剛型(ダイヤモンド)! ベストマッチ! まさに輝きのデストロイヤーとでも呼ぶべき代物であった。

 光量が強すぎて誰のパンツを捉える事も出来ず、完全に吹き飛ばされ損だ。

 金剛型に悪気は無さそうだが、くそっ、どういうつもりだあのゴリラ……!

 

 平静を装い、羽黒に支えられながら何とか元の位置に戻り、椅子に座る。

 せっかくだから観察してみるが、金剛型はあんまり服装的な違いは大きくないようだ。

 スカートの色が若干変わったりしているくらいか。

 だがやはり明らかに美人度が増しているし、サラシで押さえつけられているから目立たないが胸部装甲も確かに増している。

 姉妹の中でもひときわ大きい金剛のそれがすでに俺の手の中にあるようなものだと考えただけで、股間が気合入れてイキそうになる。

 まだ待てっ! 勝手は、貞男が、許しませんっ!

 比叡も名前からしてHiei →H! イェイ! って感じだからな……金剛と一緒なら案外ノリノリで姉妹丼に応じてくれるのではあるまいか。

 残りの二人も「榛名は大丈夫です! 榛名でいいならお相手しましょう!」「ふむ、これはいいものですね。さ、早くご命令を。司令」って感じで……本当にいける気がしてきた。

 間宮さんの精力料理でブーストがかかっている今なら、四人が相手だろうが二十四時間寝なくても大丈夫。ワカバダ。

 具体的に想像しすぎてムラムラがヤバい。

 

 長門は……何だこのイケメン⁉

 相変わらず腹を出し、ミニスカートであるが、その上に半袖のロングコートという暑いのか寒いのかよくわからない装備になっている。

 か、カッコいい……‼ 露出が減って本格的にイケメンゴリラのナガートさんになってしまっている。

 その爆乳(ビッグセブン)も、露出されたくびれたお腹も太腿も気にならないほどにイケメンすぎる。

 加えて戦艦と殴り合える膂力、艦娘を率いるカリスマ性。

 男としての敗北感が凄かった。足柄のように俺に友好的な艦娘でさえ長門を優先するのも当然だ。

 俺だってあの銀色の背中についていきたい気持ちはわかる。凹む。

 

 しかし何と言う事だ。長門がここまでイケメンになるのなら、もしも陸奥(むっちゃん)に改二が実装されたらどこまで美しくなってしまうのだろう……。

 想像しただけで俺の股間の第三砲塔が火遊びの準備を始めた。

 長門、いい? イクわよ! 主砲イッ精射ッ! てーっ!

 アカン……! このままでは爆発事故が……!

 

 暴発の危険性が高まってきたので、戦艦達を適当に褒めて下がらせる。

 もはや観察する必要は無かったが、一人だけ見ないのもなんか悪い気がしたので、最後に残った余り物の龍驤にもついでに声をかけた。

「真打登場やね! 期待してや!」と意気揚々と改二を発動した龍驤であったが、もはやいきり立った俺の股間を鎮静化させる効果にしか期待していない。

 

 龍驤、キミ……これは……っ、甲板やないか!

 他の者と同じくあか抜けた感じはするが、悲しいほどに体型に変化が見られない。

 強いて言うなら靴下の色が白から黒に変わり、スカートに白の二重線が入り、首元の勾玉が一つから三つに増えている。以上だ。

 よく見たら靴下に小さくワンポイントで「弐」と刺繍が入っていた。どこで改二アピールしているんだコイツは。

 いくら個人差があると言っても、軽空母化した千代田の胸部装甲に比べてあまりにも格差が酷過ぎる。

 増設バルジをいくつ装備すれば追いつけるというのだろうか。

 無理やろ、あんなん……もうアカンわ。ドンマイ()風で~す。

 まぁ、龍驤は良い奴だからな……個人的には、俺はお前の事嫌いじゃないよ。

 これ以上ムラムラを増大させないという意味では確かに俺の期待にも応えてくれたし……。

 

 龍驤を下がらせ、俺は目を閉じて深く息を吐いた。

 いかんな……龍驤で現状維持はできたものの、すでに金剛型と陸奥(むっちゃん)の時点で臨界に達していたらしい。

 非常にまずい。やはりこの状態で観艦式を始めたのは失敗であった。

 端的に言うなれば、そう、そう、そう、この感じ! イキそう‼

 俺はなんとかムラムラを消し去ろうと深呼吸を続ける。

 

「提督さんっ? どうされたんですか?」

「済まない、少し黙っていてくれ。ちょっと、集中させてくれ……」

「は、はい」

 

 淫魔の囁きが耳に入ったが、俺は目を開かず一瞥もせずにその誘惑を断ち切った。

 耳も塞ぎたいくらいだったが、流石に不自然すぎる。

 もしも鹿島がもっと近づき、耳に吐息がかかっていたら俺は果てていた。

 いや、目を開けて艦娘達の姿が視界に入っただけで果ててしまうかもしれん。

 それくらい今の俺は追い込まれている。

 だって俺も若干慣れてきたけど、普通の格好でも十分エロいんですもの……!

 どいつもこいつも足を出しおって! 首から上しか露出してない妙高型を見習え!

 ともかく、艦娘達に囲まれているこの状況は何とかしなければならない……!

 

「――悪いが、一旦全員、部屋から出て行ってくれないか。長門達は倉庫の片付けに戻っていい」

「……了解した」

 

 俺が目を閉じたままそう言うと、長門が大人しく了解してくれた。

 ぞろぞろと足音が遠ざかり、執務室の扉が閉じる音が耳に届く。

 数秒経ち、室内に俺以外の気配が無い事を確かめてから、俺はゆっくりと目を開けた。

 

 もはや時間との勝負。すでにカウントダウンは始まっている。

 間宮さんの精力料理により俺を包み込むムラムラ世界。

 感覚的にあと数分で俺の我慢はブレイク限界、絶頂までマッハ全開!

 すでに策は考えてある。暴発するよりも先に致すのがズバリ正解!

 執務室のトイレが使えないというのなら、俺の部屋までダッシュ豪快!

 服に匂いがつく? ならば全裸で致せばいい。

 何故か俺の私室にも風呂があるから、そこでシャワーでも浴びれば万事解決スマイル満開!

 理由は後で考えて適当に考えればいい。

 

 前かがみに立ち上がり、よちよちと歩み出した瞬間、俺は気付いた。

 閉じられた執務室の扉の向こうに、いくつもの気配がある……!

 し、しまった……ッ! あ、アイツら……廊下で待機してやがる……!

 おそらく長門達も倉庫に戻っていない……!

 出口は扉一つ、必然的にアイツらと顔を合わせる事になる……!

 前かがみにしか歩けない今の姿は見せられん……!

 色んな意味で退路を断たれた……ど、どうすればいい……⁉

 か、神よお慈悲を――!

 

 ――神……そ、そうだ、これだ!

 抜くしか手はないと考えるのはまだ早計だった。

 このムラムラを根本的に消し去ればいい。

 これで駄目だったら、俺は自分を本当に軽蔑する。

 よし、そうと決まれば早速鹿島あたりに、いや危ない、手の込んだ自殺をするところだった。

 なるべくムラムラを刺激しないようにしなくては。

 

「羽黒、羽黒はいるか」

「はっ、はいっ! 失礼します!」

 

 再び椅子に腰かけた俺の呼びかけに応じて、すぐに羽黒が顔を見せた。

 露出が少なく俺の好みから遠い羽黒が地味に大活躍だな……本人は嫌かもしれんが、関わりの多い秘書艦としては逆にアリかもしれん。

 やはり他の者も廊下に控えているようだ。倉庫に戻っていいって言ったのにな……頼むから言う事聞いてくれ。

 ともかく、今は一刻一秒を争う。そんな事を考えている暇は無い。

 

「……大至急、文月を呼んできてくれないか」

「文月ちゃんですか? は、はいっ、すぐに!」

 

 俺の焦りを察したのか、羽黒は慌てて廊下に駆け出していった。

 急いでくれ……! 本当に時間が無い……!

 俺の股間は小学生型の艦娘には反応しない。というか反応したらロリコンなのだから、反応しないのが当たり前だ。

 駆逐艦を対象にした薄い本はいくつも存在するが、正直理解が出来ない。

 まぁ、人の性癖にとやかく言うつもりは無いが……ロリコンとだけは仲良くなれる気がしない。

 仲良くなれる以前にそもそも友達がいないのだが、いやそんな事はどうでもいい。

 

 横須賀鎮守府にも小学生型の駆逐艦は何人もいるが、その中でも文月は何故か祈りを捧げてしまう神秘性がある。

 我ながら意味がわからないが、とにかくそういうものなのだ。

 ストライクゾーン対象外というなら小学生型かつ男の艦娘、水無月も適しているかもしれないが、真っ先に思いついたのが文月だった。

 文月を前にしてなお暴発するというのなら、俺はそれまでの男だったという事だろう。

 天罰が下ったとしても俺はそれを受け入れよう。

 だから早く、早く来て下さい……!

 

「しれぇかぁん。なんですかなんですかっ? えへへっ」

 

 おぉ、神よ! さぁ、今こそ性欲を振り切るぜ!

 逸る気持ちを押さえて、俺は平静を装いつつ文月に手招きした。

 もうマジで時間が無い。

 体感的に残り9.8秒……それが俺の絶望までのタイムだ……!

 

「うむ。よく来てくれたな。ちょっとこっちに来てくれないか」

「はぁ~い」

 

 俺の傍らへと歩み寄ってきた文月の笑顔を見て、俺も思わず安堵の微笑みを浮かべてしまった。

 氷が解けるように、すでに性欲が消失しつつある事が実感できていたからだ。

 俺は文月の頭にぽんと手を置いて、目を閉じ、深呼吸しながら祈りを始めた。

 大いなる者(文月)が俺を見ている……性欲に負けるはずが無い……。

 世に文月のあらんことを……。

 そして俺の股間に平穏のあらんことを……。

 

 ――イイトコ、ミセヨウトシタノニ、ヤラレチャッタァ……

 エ……ソッカ……ソウ。ナラ、イッテキナサイ……

 アナタモ……カエルノ……

 ホラ……アタタカイ……ネ……アナタナラ……キット……

 

 おぉ、俺を包み込んでいたムラ村雨が浄化されていく……。

 無邪気な少女の笑顔により怒り狂った股間の一角獣もおとなしく……。

 まるで神話の1ページではないか。神だ、やっと神と……。

 何か閉じられた瞼の向こうが眩しい。

 

「ふぅー……」

 

 俺は大きく息をついてゆっくりと目を開けた。

 この逆境をアドリブで乗り切るとは、やはり天才じゃったか……ん?

 なんか文月の感じが……あれ? なんか成長してない?

 小学生から中学生くらいに……。

 

 鹿島が近くに駆け寄ってきて、文月の様子を眺め始めた。

 一瞬ビビッてしまったが、俺の股間に事故る気配は無い。

 淫魔の影響をかき消すほどの浄化の力……まさに神の恵み……。

 文月の観察を終えたらしい鹿島は、目を丸くして執務室の扉の方へと目を向けた。

 

「か、改二……ですよね……」

 

 ……エッ、改二?

 確かに成長はしているし、微妙に服装も変わっている……。

 当の本人は拳を作ったり開いたりしながら、目をぱちぱちさせていた。

 

「……すご~い……これならあたしも、活躍できそぉう」

 

 ……何故このタイミングで……。

 俺の存在を脅威に感じたとか……いや、文月にそんな感じはしない。

 そうなると俺は関係無い。つまりオフで目覚めた那珂ちゃんや川内、千代田のように、来るべき時が来て目覚めたパターンか……。

 しかしまた凄いタイミングで目覚めたな……。

 ともかく動揺を顔に出してしまってはカッコ悪い。

 俺はなるべく平静を装いながら、文月の頭をぽんぽんと撫でながら適当に言ったのだった。

 

「……うむ。なるほどな。改二……改二か。全ては文月の、今までの努力の結果だな。よく頑張った。これからも期待しているぞ」

「えへへっ、いい感じ、いい感じぃ~。改装された文月の力ぁ、思い知れぇ~。えぇ~い」

 

 あらんことを……。

 文月は満面の笑みで俺に抱き着き、ぐりぐりと頭を押し付けてくる。

 何故かはわからんが、文月はむしろ俺に対して好意的だ。

 つい先ほども、凹んでいた俺に抱き着いて慰めてくれたしな……。

 いや、そうか、イムヤの一件で情けないところを見せたせいだった……。

 磯風を筆頭に、なんか駆逐艦ダメンズ好き多くないか……? 将来が心配だ。

 それはそれとして、今、何気に時代は文月……。

 

「あぁーっ! 文月ばっかりずるいや司令官! ボクも強くしてよ!」

 

 俺が心穏やかに文月の頭を撫でていると、不満そうな抗議の声と共にボクっ娘皐月が乱入してきた。

 

「さ、皐月。何でお前がいるんだ……」

「仲間外れは良くないよ! 何で文月ばっかり!」

 

 何を言っているんだコイツは……。

 ボクも強くしてって……そんな事ができればさっきまでの苦労は無い。

 俺の推測により、結局は本人の頑張り次第という結論に至ったのだ。

 文月も勿論、その例に漏れてはいないはず。

 それを俺のお陰だと思うとは……まぁ頭も小学生並なのだろう。残念な奴だ……。

 

「何かを勘違いしているようだが……私は何もしていないぞ。文月は今まで改二に至れるくらい頑張っていたから、その結果として目覚めただけだろう」

「ボクだって文月に負けないくらい頑張ってるよ! 練度だってあんまり変わらないんだから!」

「そ、そうか……ならば近い内に目覚めるかもしれんな」

「むっ、はぐらかすのはずるいよ! ほらっ、とにかく文月と同じようにしてみてよ! この手を、こう!」

 

 皐月は文月を撫でていた俺の手を無理やり取って、自分の頭にぐりぐりと押し付けた。

 だが、勿論そんな事をして改二になれるはずが無い。

 ここは大人として人生の厳しさを優しく諭してやらねばなるまい。

 

「ほ、ほらな。文月がこのタイミングで目覚めたのはたまたまだ。だが、来たるべき時が来ればお前も――」

「むぅ~……あっ、そうだ、これだぁ! えぇい!」

 

 まだ納得のいっていない様子の皐月は何を思ったのか、文月を押しのけて俺の胸に抱き着いてきた。

 全く、何を馬鹿な事を……うおッ眩しッ⁉

 いきなり至近距離で発光しやがった。一体何が……ん?

 なんか皐月も文月と同じくらい成長して……か、改二⁉ な、何故⁉

 

 自分でも変化に気付いた皐月は俺から離れ、腰に手を当てて満足気な笑みと共に言った。

 

「わぁ、やったぁ! へっへ~ん! ボクのこと、見直してくれた?」

「あ、あぁ……本当に頑張ってたんだな……」

「へへっ、強化してくれてありがとう! これで司令官……いや、皆を守ってみせるよ!」

「い、いや、だから私は何も……」

「またまたぁ。ピンと来たんだよね、入渠施設の前で、文月は司令官に抱き着いてたじゃない? あれで提督パワーを充填してたんじゃないかってね! ボク、名探偵になれるかもなぁ」

「そんなものは無い……」

 

 なんという迷推理だ。名探偵どころか探偵モノで言えば間違った推理で別人を逮捕しようとする無能な刑事ポジションだぞお前は……。

 推理というならこの俺を見習え。

 しかしこのタイミングで皐月にまで改二が実装されたのは偶然と言ってもいいものなのか……?

 いや、皐月刑事は頭小学生だからな……。

 本人の弁によれば文月と同じくらい頑張っていたそうだから、いつ改二が実装されたとしてもおかしくはない。

 加えて文月と同じく俺に対して結構好意的……金剛と同じく僅かに練度が底上げされていた可能性もある。

 名探偵サダオの名推理によれば、おそらく脅威がトリガーとなるパターンと似た感じで、提督パワーとやらで改二になれると思い込んだ挙句、本当に身体に影響を与えてしまったのだろう。

 これをプラシーボ効果と言います。スゴいね人体。いや、この場合は船体……?

 なんて思い込みの激しい奴だ。こんな勘違いするか普通……頭大丈夫か?

 まぁ小学生型相手に正論で言い負かすのも大人げないからこれ以上は言わない。

 本人が満足気だからもうそれでいいのだ。

 

「アッ! そう言えば、私も建造されてすぐに提督にハグしていましたネー! テートクゥー! 私も提督パワーの充填デース!」

 

 勢いよく執務室内に駆け込んできた金剛がそのまま執務机越しに俺に飛び掛かってきたので、俺はまたしてもひっくり返ってしまった。

 床に転がりながらも抱き着いてくるので、その豊満な胸が俺の薄い腹筋にむぎゅうと押し付けられる。

 アーーッ! せっかく鎮静化した股間に再び提督パワーが充填されて――⁉ サプラーイは大切ネー!

 か、神よー! ほっぺた膨らませて見てないでお助けを――!

「あぁーっ! 提督ばかりずるいずるい!」と声を上げながら比叡達が走ってきた。

 引き剥がそうとする妹達と、引き剥がされまいとする金剛が揉み合いになっている。俺も揉み合いたい。

 更には「うわぁぁぁーーっ!」と泣き声を上げながら千代田までもが乱入し、俺の両肩をがくがくと揺さぶる。

 

「駄目よ! 千歳お姉の強化の為とはいえ、ハグなんて絶対に許さないっ! いくら提督でも絶対に許さないんだからっ!」

「ま、待て待て待て! だから違うと言っているだろう‼」

 

 その手があったか! と一瞬考えたが、千歳お姉にプラシーボが効くとも思えない。

 性能調査の名目で視姦するだけでも危ういのに、確実に効果も無いのに抱き着いたりしては完全にアウトだ。

 流石に目先のハグの為にそこまで無謀な事を選ぶほど俺もアホではない。

 

「うぅぅーっ……! 本当よね……⁉ さっき千歳お姉が相談しに行った時も、指一本触れてないわよねっ⁉」

「えっ、あ、いや……」

「……えっ……い、いやぁぁぁーーっ‼ お姉ぇぇーーっ‼ 何をしたの! お姉に何をしたの‼」

「こ、こらっ! 落ち着け! 引き留める為に肩を掴んでしまっただけだ!」

「うわぁぁぁーーんっ! 提督のお姉に関する記憶を塗り替えるわ! さぁ、その手を差し出すのよ! 忘れてっ、お姉の感触を忘れてよぉっ!」

 

 千代田は俺の手を取って無理やり自分の二の腕を掴ませた。うわっ! ムッチムチやないか! 水偵(吸いてェ)

 いや落ち着け。と、とにかく、コイツ危ねェ!

 噂には聞いていたがマジでムチムチだよ、いやムチム千代田、ここまでシスコンだったとは……。

 千歳お姉の記憶を塗り替えるべく自分の身体を差し出す辺り、本当にオータムクラウド先生の作品と同じ流れになっているではないか。

 もしかして万が一俺が千歳お姉と致してしまったら姉妹丼もといメロンサンドも現実的なのでは……。

 いやイカンイカン! せっかく文月のお陰で難を逃れられたというのに、これではまた元の木阿弥ではないか。

 喉元過ぎれば熱さを忘れる、では駄目だ。

 先ほどの反省を活かさねば。金剛に抱き着かれるのも正直嬉しくて仕方が無いが、またしても股間が鬼になる前に今は心を鬼にする必要がある。

 

「あぁっ、もう、金剛も離れないか! 今日で何度目だと思ってる! こういう事は気軽にするなと何度言ったらわかるんだ! 比叡! 二人を早く引き剥がせっ!」

「了解っ! 比叡、行っきまぁすっ!」

「ぶぅー、提督はいけずデス」

 

 金剛がしぶしぶと自分から離れてくれたので、比叡は千代田を羽交い締めにして俺から引き離した。

 戦艦と水上機母艦では馬力が違うのだろう。千代田は泣きわめいて暴れようとしていたが、比叡、榛名、霧島に軽く押さえられているだけでまったく抵抗ができていない。

 気を取り直して、俺は大きく咳払いをしてから金剛と千代田に言い聞かせるように強めの口調で言ったのだった。

 

「んんっ! まったく、早とちりはするな! いいか、言っておくが私にそんな妙な力は無い! 文月と皐月に改二が実装されたのは、二人の頑張りが実った結果に過ぎん!」

「えぇー……、じゃあ、司令官は何で文月を呼び出したのさ」

「そ、それは私に考えがあっての事だ。お前達が知る必要は無い」

 

 皐月刑事、俺に質問をするな……!

 猛り狂っていた股間の一角獣(ユニコーン)をおとなしくさせる為だなんて言えるはずが無いだろ……!

 皐月は納得がいっていないようにジト目で向けてきたが、文月はそんな小さな事などどうでもいいようで、無邪気な笑顔と共に口を開いたのだった。

 

「えへへっ、しれぇかぁん。あたし、司令官の為に強くなりたいって思ってたところだったの~」

「何? わ、私の為にか……?」

「うんっ」

「あっ、ボクもだよ? さっき、泣き虫の可愛い司令官を見て、ボクが何とかしてあげなきゃダメだなぁって思ったからさぁ。ボク達がもっと強くならなきゃダメだもんね!」

 

 皐月も胸を張りながら、文月の言葉に割り込むようにそう言った。

 ふ、文月、皐月……! お前らって奴は……!

 

「そ、そうか……お前達、良い子だなぁ」

「えへへっ。あぁ~、いい感じぃ~。ありがとぉ~」

「ふわっ、わっ、わぁっ⁉ く、くすぐったいよぉっ」

 

 俺は感動のあまり二人を引き寄せ、くしゃくしゃとその頭を撫で回した。

 なんて良い奴らなんだ。(文月)だけでなく頭小学生の皐月刑事もこんなクソ提督を何とかしようと……。

 何が可愛い司令官だ、お前らの方が可愛いわ! こやつめ、ハハハこやつめ! 可愛い奴らめ!

 そうか、やはりイムヤの轟沈騒ぎでいい歳して泣いてしまった俺を見て、自分達がしっかりしなければと思ってくれたのか。

 変態クソ兄貴を反面教師にしてしっかり育ってくれた俺の妹達と同じパターンではないか。

 小学生型故に純粋、元々何故か高い好感度もあり、俺を軽蔑するよりも俺を支えようという気持ちが上回った……。

 もしかして提督パワーやプラシーボ効果ではなく、それがいわゆる『気付き』になった可能性もあるのでは……?

 

「文月、皐月。今日は遠征に向かう予定だったな。だが、ひとまずは大淀の指示通り、部屋で待機しておいてくれ」

「はぁいっ。えへへっ、本領発揮するよぉ~」

(まっか)せてよ、司令官! うんっ、いつものボクとは違うよ~!」

 

 俺は二人の肩をぽんと叩き、部屋に戻るように促した。

 とりあえず大淀さんの指示に従っておけば間違いはない。

 皐月達が部屋を後にすると、やがて大淀達が再び室内に戻ってきた。

「千代田さんと金剛さんも外に」との大淀の一言に、二人は比叡達に引きずられて扉の外へと連れ出されていった。

 俺も一歩間違えたらあんな風に追放されてしまうのだろうか……恐ろしい。

 

 ともかく、何とか危機を切り抜けたはいいものの、どっと疲れたな……。

 しかし思わぬ収穫もあった。

 金剛もそうだが、俺への好感度が高い文月や皐月が改二に目覚めたという事実である。

 ほとんどは本人の頑張りによるものであろうが、これにかこつけて艦娘達の信頼を取り戻す事ができるのでは――?

 俺は大淀に向かって真剣な表情で口を開いた。

 

「大淀。提督を信頼する事で練度が底上げされるという事だったが……文月と皐月はその例が当てはまるのかもしれん」

「え、えぇ、そうですね。あの二人の練度は決して低くはありませんが、飛び抜けて高いわけではありませんでしたし……」

「そうか、やはりな……うむ。そういう事か……」

 

 大淀も認めている……心が純粋な駆逐艦に関しては信頼による強化が認められる場合があるという事か。

 情けないクソ提督だからこそ何とかせねばと考えるダメンズ好きに対しては逆に有効……。

 しっかり者の提督では出来ない方向性のアプローチ。

こんなクズにもそんな使い道があったとはな……もしかして大淀はそれも考慮して俺を残していたり……。

 もしもそうならば、いっそのこと逆転の発想をしてみてはどうだろうか。

 

「ならば、もしも長門らが私に対して信頼を深めたとしたら、更に強くなれるという事だろうか」

「えっ。さ、更に……という事ですか?」

「うむ。それは実に良い事だ。そうは思わないか、大淀」

 

 どうでしょうか、大淀さん。

 確かに俺は情けない駄目人間であるが、更に強くなる為に今の俺を信頼するように仕向けてくれないだろうか。

 発想のコペルニクス的転回、今すぐ俺がまともになれないのなら、文月達のように艦娘達が今の俺を受け入れてくれればいい。

 名付けて横須賀鎮守府総ダメンズ化計画……!

我ながら最悪のプロジェクトだった。

 俺の成長には時間がかかるが、艦娘達の心のハードルを下げる事で今すぐにでも強化が可能……!

 すでに千歳お姉や翔鶴姉などのように、一部の艦娘は大淀の話術の影響下にあるようだが、頑張って長門達も支配下においてくれないでしょうか。

 悪い話じゃないと思うのですが……。

 

 少しばかり悩んだ様子の大淀が何かを言おうと唇が動いた瞬間、執務室の扉が勢いよく開かれた。

 そこには艦娘達をその背に引き連れたドヤ顔の長門が威風堂々と立っており、俺の目を見ながらはっきりと言ったのだった。

 

「フッ……それは無理な相談というものだ。私だけではなく、我々にはこれ以上、上がる余地など存在しないからな。そうだろう、皆!」

 

 長門の声に、他の艦娘達も頷いたり苦笑したりしていた。

 那智が俺を一瞥して、吐き捨てるように言う。

 

「あぁ。一体何を言い出すかと思ったが……話にならんな」

「せやな。まさかわかっとらんかったとは……司令官、そりゃちょっちアカンで」

 

 龍驤が苦笑しながら、呆れたようにそう言った。

 

「提督。私達にも限界というものがありますから」

「えぇ……これ以上はとても……考えられません」

 

 加賀は表情ひとつ変えずに、神通は目を伏せたままに言葉を続けた。

 まるで無呼吸連打のごとく叩き込まれる言葉の暴力に、俺の心は完膚なきまでに叩き折られる。

 ……エェト、ソノ、アッハイ。

 信頼度が上がる余地は……存在しないと……。

 今の状態で、すでに限界……。

 俺は救いを求めて我が救世主、大淀さんに顔を向けた。

 大淀さんは何も言わず、ただ怖いほどに優しい微笑みと共に、ゆっくりと頷くだけであった。

 アイコンタクトだけで理解した。「察しろ」と大淀さんは言っている。

 どうやら大淀さんの話術を持ってしても、出来ない事はあるらしい。

 

 俺が察したのを見て満足したのか、長門は群れを引き連れて倉庫へと戻っていった。

 

「そ、そうか……」

 

 あまりの悲しみを耐え切れずに、俺は震えた。

 長門の後ろでクスクスと苦笑する艦娘達……。

 こんな俺でも友好的に接してくれる者もいると安心していた俺が馬鹿だった。

 大淀さんはすでに打てる策は打っているのだ。それでも無理なほど信頼度が低い長門達も同じようにと求めるのはあまりにも無知で強欲すぎた。

 これでは流石の大淀さんも堪忍袋の緒が――。

 

 ぽん、と俺の肩に手が置かれた。

 一瞬にして血の気が引いていく。

 あまりの恐怖に、俺はその手の主の顔を見上げる事ができなかった。

 

「――まったく……それくらい、自覚して下さい。考える必要は無いと言ったでしょう」

 

 その声はあまりにも優しかった。

 まるで子供に言い聞かせるかのように、厳しさの欠片も感じられなかった。

 それが何よりも恐ろしかった。

 悲しみと恐怖の入り混じった涙を堪えるのに必死で、身体の震えを止める事ができなかった。

 

「――以後、ちゃんと心に留めておいて下さいね……?」

「ハイ」

 

 短く答えるので精一杯であった。

 そうでした。俺が信頼を得る事についてはもう考える必要は無いほどに取り返しがつかないのでした。

 これは警告であるのは明らかだった。

 いい加減に己の無能さを自覚しろ。下手な事を考えるな。二度と言わせるな。覚えておけ、と。

 出過ぎた真似をしてしまいました。本当に申し訳ありません……!

 俺が白目を剥きながら我が魔王(大淀)への忠誠を誓っていると、ドタドタと騒がしい足音が近づいてきて勢いよく扉が開かれた。

 

「テートクゥーッ! 言い忘れてましたが私のバーニング・ラブには限界はありませんからネー! あっ、ついでに提督パワーの充填を……比叡! 榛名、霧島っ! 何故邪魔するデースッ⁉」

「だって提督ばっかりずるいずるい!」

「お姉様! 時間と場所が大丈夫じゃないです!」

「この霧島の計算によると、ムードとタイミングも考えた方が良いかと……今は倉庫の片付けを優先しましょう」

「ムムム~……! わかりマシタ! 可愛い妹達の言う事デス……! テートクゥーッ! 提督パワーの充填はまた今度……イエ! 待ちきれないので今夜デース!」

 

 太陽のように眩しい笑顔と共にブンブンと大きく手を振りながら、金剛は姉妹達に引きずられて行った。

 

 ……。

 

 …………。

 

 …………アッ、コイツだけは間違い無く俺の事好きだワ!

 




大変お待たせ致しました。
リアルの都合上執筆の時間が取り辛くなってきており、遅筆も加わり更新が遅くなってしまい申し訳ありません。
ご感想への返信も滞っておりますが、ご容赦下さい。

プロットよりも何故か大幅に文字数が増えてしまいましたが、次回の艦娘視点、提督視点で第四章は終わる予定です。
第五章と前編後編になる予定ですので、次回で第四章の章タイトルも明らかになるかと思われます。

次回の更新も気長にお待ち頂けますと幸いです。


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056.『欲望』【艦娘視点】

 ――生気が満ち溢れておられる……!

 長門さん達の言葉によって、とっくに信頼を得られているという事を自覚したからであろうか。

 それに加えて私の励ましの言葉によるものだろう。フフフ。

 わざわざ帰ってきてまで大袈裟にバーニングラブとやらを宣言した金剛さんの存在も一因かもしれない。

 私達からの信頼が、提督に更なる力をみなぎらせてくれたようだ。

 

 しかし、今更ながら、肩に触れてしまったのは、私にしては少し大胆すぎただろうか……。

 つい、そうやって励ましてあげたいと思った故の行動であったが、はしたないと思われていないかが心配だ。

 い、いや、真の秘書艦、提督の右腕なのだから、これくらいは普通の事だ。

 ともかく一応、夕張や明石には内緒にしておこう。

 励ましついでに肩に触れてしまうだなんて、こんな大胆なスキンシップをしてしまった事を知られたら何と言ってからかわれてしまうか……。

 下手をしたら抜け駆けをしたとでも……い、いや。何の抜け駆けだ。結果的に私が一番距離が近いとは言え、私達は別に何も競ってなどいない。うん。

 

 提督は先ほどから真剣な表情で報告書と海図に目を通し続けている。

 羽黒さんと鹿島からの報告を経て、次の作戦について思考しているのであろう。

 着任当日や昨夜の歓迎会においてもそうだったが、提督がこのような顔になる時はかなり重要な事を考えておられるはず……。

 ならば私は提督がそれに集中できるよう、備蓄の管理を仕切らねばならない。

 

 提督はそう言わないが、はっきり言って今日の私は失敗続きだ。

 イムヤの件は防ぎようがないが、もう少し私に天龍並みの観察眼があれば、少なくとも疲労を隠していた満潮の出撃は止められていた。

 霞ちゃんの話によれば、満潮以外では襲われていた潜水艦隊の場所まですぐに辿り着けず、イクやゴーヤにまで被害が広がっていたかもしれず、結果的には満潮が出撃していて良かったとの事であったが……私が満潮の疲労を見抜けなかったという点については何のフォローにもならない。

 加えて、佐藤元帥の命令に背いての盗み聞きへの処遇。

 更には、備蓄の管理について一任されていたにも関わらず、提督に散らかりっぱなしであった倉庫の整理まで気にかけさせてしまった事。

 右腕、そして真の秘書艦として期待されていながらこの(てい)たらく……情けない。

 イムヤは轟沈から救われ、満潮は提督に励まされて過去に無いほどの早さで立ち直り、倉庫の整理も提督の方から妖精さん達に手伝ってもらって……なんだか私の方が提督に助けられてばかりだ。

 何とかして汚名返上しなければならない……。

 

 唇を噛みながら提督に目を向けると、無意識にであろうか、報告書から目を離さないままに、独り言を小さく呟いた。

 

「時間と場所は決まりか……あとは……ドと、タイミングだな……」

 

 ……何?

 よく聞き取れない部分もあったが、確かに時間と場所はすでに決まったと……。

 あとは……ド……練度? だろうか。 練度とタイミング……?

 間違いない。作戦開始の時刻と海域、艦隊の練度と出撃のタイミング……すでに次の出撃について考えておられる。

 しかし、着任初日の神がかりな作戦をほんの僅かな時間で立案したあの御方の頭脳をもってしても、随分と悩んでおられるようだ。単純な出撃ではないという事だろうか。

 神眼……提督の目には今、どのような未来が映っておられるのか。

 提督の思考の邪魔にならぬようにしなければ――そう考えた瞬間、提督は何かに気付いたようにぱっと顔を上げ、羽黒さんに目を向けた。

 

「は、羽黒。どうした……」

 

 提督の視線を追うと、秘書艦用の机に向かっていた羽黒さんがいつの間にかぽろぽろと涙を流していた。

 

「ご、ごめんなさいっ、私、また司令官さんの邪魔をっ……」

 

 先ほどから失敗続きだった事を気に病んでいたのだろう。

 しかもそれで落ち込んでいたところを気にかけられ、提督の思考を妨げてしまい、またしても邪魔をしてしまった。

 不甲斐なくて、もう涙を止めようにも止められないようであった。

 次の出撃について頭を悩ませていた様子の提督であったが、優しい御方だ。それどころではなくなってしまうだろう。

 事実、提督はすっかりおろおろと狼狽えてしまっている。

 私と初めて顔を合わせた時の事を思い出す。

 あの時もいきなり泣き出した明石と私に、同じような顔をしていた。

 意識して鉄仮面を被っている提督だが、女性の涙の前には容易く剥がされてしまうのが、ちょっと可愛い……。

 い、いや。とにかく、提督には次の作戦に集中していただかなければなるまい。

 こういう時こそ私の出番だ。

 

「提督。何かお考えだったのではないですか?」

「う、うむ。しかし……」

「提督は、今はそちらに集中して下さい。こちらは、この大淀にお任せ下さい。羽黒さん。それと、皆さんも。少し、外に出ましょう」

 

 私の言葉に、提督は驚いたように目を丸くした。

 そして僅かな逡巡の後に、嬉しさを押し殺すかのような表情で私を見据えて言葉を続ける。

 

「そ、そうか! 大淀がそう言うのなら、それに甘えるとしよう。実は、また少し考えに集中したかったところでな。悪いが皆、席を外してくれないか」

「了解しました」

 

 右腕……!

 真の秘書艦に相応しい対応が出来た自分を褒めてあげたい。

 先ほど文月を改二に目覚めさせる前にもそうであったが、どうやら提督が本気で集中したい時には一人にしてあげた方が良さそうだ。

 私に促されて、妙高さんが羽黒さんに寄り添い、席を立たせる。

 香取さんと鹿島も心配そうに見つめる中、執務室から出て行こうとした私達は、提督から声をかけられた。

 

「は、羽黒! その……気持ちはわかる。だが、できればもう少し頑張ってみないか」

「ふぇぇっ……⁉ で、でも、私っ、鹿島さんみたいにうまくできずに、司令官さんに迷惑をかけてばかりで……も、もう私はいらないんじゃないかって、やっぱり辞めた方がいいんじゃないかって」

 

 べそをかきながらしゅんと肩を落とす羽黒さんに、提督は立ち上がり、歩み寄る。

 そして妙高さんに顔を向けて、言ったのだった。

 

「妙高。お前が羽黒を秘書艦に推薦したのは、成長を促すため……そうだな?」

「は、はい。私は羽黒も、いずれは改二に至る素質を秘めていると思っております。そのきっかけになるのではと……申し訳ありません」

「いや、いいんだ。責めているわけではないし、むしろ褒めたいくらいだ。確かに昨夜は妙高の名前を挙げたが、今は羽黒が改二に至ったとしても、秘書艦を続けてほしいと思っているくらいだしな」

「ほ、本当ですか⁉」

 

 責任を感じていた様子の妙高さんであったが、思いもせぬ提督からの言葉に、下げた頭をぱっと上げた。

 羽黒さんも訳が分からないと言った様子で提督を見つめている。

 

「勿論だ。だが、ひとつだけ気掛かりな事がある……羽黒自身の意思はどうなのか、という事だ」

「羽黒自身の意思、ですか……?」

「うむ。その……鹿島も、香取に推薦されたというのは同じだが、鹿島自身も秘書艦をやりたい、と思ってくれていただろう」

「はいっ」

 

 提督の言葉に、鹿島が元気よく答えた。

 

「だが、羽黒は妙高に推薦され、断れずに流され、無理をしているのではないかと……もしもそうなら、無理に頑張らせるのは悪いと思ってな」

「そっ、それはっ」

 

 羽黒さんは何かを言おうとしたが、べそをかいているせいか、上手く言葉に出来ないようだ。

 妙高さんも考えこんでいる。わかってはいるが、自分が口を出す事ではないと考えたからだろう。

 何故ならば、妙高さんがそれを口にすれば、またしても羽黒さんの意思なのか流されただけなのかがわからなくなるからだ。

 

 おそらくは、これに関しては提督の人の良さから来るものであろうが、考えすぎだ。

 羽黒さん自身も成長を望んではいるが、それに付き合わされて提督に迷惑をかけるという事を申し訳なく思っているだけであって、秘書艦となる事を望んでいないわけではない。

 たとえ結果的に秘書艦業務を辞退するような事になったとしても、それは提督に負担をかけたくないが故に、諦めるというだけの事だ。

 羽黒さんが秘書艦を務めたがっていないという事ではないと伝えたい……。

 だが、それは羽黒さん自身の口からの言葉でなければ意味が無いのだ。

 

 涙を流しながら言葉に詰まっている羽黒さんをしばらく見つめた後、提督は言葉を続けた。

 

「羽黒は鹿島の仕事ぶりと自分を比べてしまっていたが……そんな事よりも、むしろ別のところを見習ってほしいな」

「べ、別の……?」

「あぁ。鹿島の欲望に忠実なところをな」

「えぇっ⁉」

 

 提督の言葉に、鹿島が素っ頓狂な声を上げた。

 私達も訳がわからずに目を見開いてしまう。

 よ、欲望⁉ 鹿島は欲望に忠実なんですか⁉

 

「て、提督さんっ⁉ どういう意味ですかっ、どういう意味ですかっ⁉ わ、私が欲望に忠実って、そ、そんな、そんなまるで私が」

「あ、いや、早とちりするな!」

 

 勢いよく詰め寄った鹿島を制するように両手の平を向けて、提督は咳払いをしてから言葉を続ける。

 

「まったく……言葉の響きだけで判断するな。鹿島は今、なんで慌てたんだ」

「そ、それは……欲望に忠実だなんて言われちゃったら、誰だってそうなりますっ」

「それが早とちりだというんだ。欲望とは『(ほっ)』し、『(のぞ)』む事……確かにあまり良い意味では使われないが、それ自体に良いも悪いも無い。むしろ生きるためには必要不可欠なものなのだぞ」

 

 提督の言葉に、私は青葉から聞かされた提督の金言を思い出した。

 握れば拳、開けば掌。

 人を傷つけたい。人を守りたい。それはどちらも紛れも無い『欲望』だ。

 大切なのはそれを扱う人の心……おそらくは提督の根底には、常にこの考えがあるのであろう。

 ゆえに、『欲望』という言葉の響きだけに囚われずに、その本質に目を向ける。

 

 青葉の見解であったが、それはおそらく、かつて兵器として生まれた私達の在り方にも深く関わっているのではないだろうか。

 私達は一体何のために生まれてきたのか。

 ただの船ではなく、軍艦として作られた私達には――何が欲し、望まれていたのだろうか。

 そして私達は一体何を欲し、望んでいるのか……。

 

 いや、考えが逸れてしまった。

 目をやれば、どうやら他の皆も私と同じく提督の金言を思い出し、繋げる事ができたようだった。

 

「なるほど……確かに鹿島は自らが成長したい、そして提督のお役に立ちたいという『欲望』に、まっすぐに行動していますね。それがたとえ提督の負担になると知りつつも、それを受け入れ、むしろそれを糧に早く成長せねばと、ただそれだけを考えています。欲望に忠実だなんて言われたので、私もどうしようかと思いましたが……お褒めの言葉だったのですね」

 

 癖なのであろう、香取さんがぴしりと教鞭を掌に叩きつけながら言った。

 それを見て、提督も満足そうに頷く。

 

「う、うむ。流石は香取。私が言いたかったのはそういう事だ。鹿島はやりたい事をやっている……だからいつだって芯がぶれないし、揺るがない」

 

 相変わらず言葉足らずが過ぎると思うが、しかし蓋を開けてみればその言葉の裏には深い意味がある。

 考えてみれば、これも提督のスパルタな指揮と同じではないか。

 いきなり欲望に忠実などと言われて冷静ではいられなかった鹿島の、そして私達全員の想像力が足りなかった。

 提督は私達の思考力、想像力を鍛えようと、あえてそういう言い方をするというのはすでにわかっていた事であった。

 どういう意図なのか、と一拍置いて落ち着いて考える事が必要だったのだ。

 何気ない会話の中でも私達を鍛えようとしておられるとは……右腕を自負する私もまだまだだ。

 

 先ほどまでぷんぷんと頬を膨らませていた鹿島であったが、香取さんの言葉を聞いて、コロッと笑顔を浮かべ、可愛らしく敬礼しながら口を開いた。

 

「そういう事だったんですね! うふふっ、ありがとうございますっ、提督さんっ、まだまだ想像力が足りませんでしたっ。練習巡洋艦鹿島、欲望に忠実ですっ! うふふっ」

「う、うむ。つまり、羽黒。私はお前に秘書艦を務めてほしいと思っている。それは本心だ。だが、お前の『欲望』……本当にしたい事、やりたい事があるなら、それを優先してほしいという事なんだ。お前の『欲望』が『秘書艦を辞めたい』というのなら、それでいい」

「わ、私は……」

 

 提督の言葉に、羽黒さんが答えられずに言葉に詰まる。

 少し時間をあげた方がいいだろう。それに、これ以上提督に貴重な時間を使っていただくわけにもいかない。

 そう考えて、私は提督に声をかけた。

 

「提督。とにかく、今は落ち着いて考えてもらいましょう。提督に面と向かってそう言われてしまっては、羽黒さんも落ち着けませんよ」

「う、うむ。そうだな。羽黒、命令では無いんだ。確かに常にやりたい事だけを優先する事はできない。だが、今回ばかりは私や周りに気を遣わず、よく考えて、羽黒自身のやりたい事をすればいい……大淀、後は任せてもいいか」

「はい。了解しました」

 

 廊下に出た私達は、閉じられた執務室の扉をしばらく眺めていたが、やがて妙高さんが口を開いた。

 

「提督のお言葉で、昨夜、足柄が言っていた事を思い出しました。羽黒が改二に至る為に足りないのは、勝利への執念。勝ちへのハングリー精神であると……」

「足柄さんは誰にでもそう言いそうですけどね……」

「えぇ。ですが、提督の仰った、鹿島さんの『欲望』に忠実な部分を見習ってほしい、という事と共通する部分もあります」

 

 足柄さんは深く考えずに言ったのかもしれないが、もしかすると羽黒さんの事をちゃんと理解した上でそんな言葉が出たのかもしれない。

 羽黒さんは引っ込み思案で、遠慮がちで、それは紛れもなく美点であると思う。

 思えば、改装の際にも「他の子の改装を……優先して下さい……」と、入渠の際にも「私より、あの娘を先に……」と、自分より他の誰かを優先する節がある。

 提督は羽黒さんのそういう部分もすでに知っていらっしゃるのであろう。

 姉妹の足柄さんと同じ意見になるという事は、偶然とは思えない……ならば、やはりそれが羽黒さんの成長への鍵なのだろうか。

 しかし、本人の意思を優先するとは言ったものの、提督はこれからも羽黒さんに秘書艦を務めてもらいたいと……。

 この短い時間で失敗続きの羽黒さんの何に価値を見出したというのだろうか……。

 

 腕組みをして考え込む私達に、鹿島が恐る恐る小さく手を上げて言った。

 

「その……ひとつ、気になったところがあって。那智さんの改二を観察する時に、提督さんは羽黒さんに支えてくれるよう指示しましたよね。あの時、私も手伝おうとしたんですが、遠慮されました。確かに練習巡洋艦の私は腕力という点では頼りなかったかもしれませんが、それでも支えるという目的であるなら一人より二人の方がいいはずです。むしろ私達にこだわらずに戦艦の誰かに手伝ってもらうだとか色々とやりようはありましたが、それでも羽黒さん一人に支えさせる事を優先したように思えました」

 

 鹿島の言葉に、香取さんが小さく唸った。

 

「うぅん、確かに……。椅子を支えさせる以外にも、改二実装艦や文月さんを呼びに行かせる際など、提督はあえて羽黒さんを指名する場面が見られましたね」

「えぇ。結果はうまくいったとは言えませんでしたが、むしろそれでこそ成長の糧となるでしょう。羽黒の成長を考えて挑戦させたと考えていいと思います」

 

 妙高さんはそう言いながら羽黒さんに目を向けた。

 相変わらず止まらない涙を指で拭いながら、羽黒さんは嗚咽を漏らす。

 

「ひっく、ひっく。わ、私、何ひとつ上手くできなくて……」

「那智の風圧からはちゃんと一人で支えられたでしょう? 提督はあの時、手伝いを申し出た鹿島さんを断って、なんて言っていたかしら?」

「ぐすっ……大丈夫だ、お前ならできるよ、って……う、うぅぅ……っ、し、信頼してくれたのに、長門さん達から支え切れずに……」

「い、いやあれは流石に相手が悪すぎたから……」

 

 先日は戦艦棲姫と泊地棲鬼四隻でも敵わなかった五人である。

 あの戦艦五人を一人で相手できる者など、この鎮守府のどこを探してもいるはずがない。

 羽黒さんは提督を支え切れずに一緒に吹き飛ばされた事を気にしているようであったが、それについては悩むだけ無駄だと思う。

 おまけに不意打ちのようなものであり、提督も予測していなかった様子だった。

 金剛型はともかく、長門さんは一応この鎮守府の艦娘達の頼れるリーダーなのだが、提督が絡むと途端に頭が残念になってしまう……まったくどうしようもない。

 やはり私がしっかりしなければ……フフフ。右腕。

 

 私は中指で眼鏡の位置を整え、皆に目を向けて口を開いた。

 

「まとめると、やはり提督は秘書艦業務を通しての羽黒さんの成長を意識しています。しかし、今回秘書艦を続けさせるよりも、羽黒さんの意思の確認を優先しました。辞めたいならそれでも良いと……私は最初、それは提督の優しさ故に気を遣ったのだと思っていました」

「違うのですか?」

「はい。おそらくは……これもまた、羽黒さんの成長に繋がる、ある種の試練のようなものではないでしょうか」

 

 私の言葉に鹿島は首を傾げたが、妙高さんと香取さんは納得がいったように小さく声を漏らした。

 俯き気味の羽黒さんに目を向け、言葉を続ける。

 

「羽黒さんは、本当に自分がやりたい事……羽黒さん自身の本当の『欲望』について、よく考え、そしてその答えを出す事が必要なのだと思います」

「本当の、よ、欲望……」

「秘書艦を続ける事……提督に迷惑をかけない事……それとも他の何か……羽黒さんが最も欲し、望んでいる事について悩み、答えを出す事。それこそが羽黒さんの成長に繋がると思ったからこそ、提督はあんな事を言ったのだと思います」

 

 こればかりは私や妙高さんが口を出す事も、手助けをする事もできない。

 羽黒さん自身で乗り越えなければならない試練なのだ。

 そしてそれが、どれだけ羽黒さんにとって難しい事なのかは、妙高さんにもよく理解できているようであった。

 

「まったく、提督も人が悪いというか、意地が悪いというか……」

 

 おそらく羽黒さんは、本心では秘書艦を続けたいと思っている。

 だが、提督に迷惑をかけたくないため、()()()()()辞めようとしている。

 しかし提督は、あえて羽黒さんに秘書艦を続けてほしいと伝えた上で、よく考えるようにと試練を与えた。

 命令ではないと言ったものの、提督にそう言われてしまっては、羽黒さんの性格上、本当に辞めたいと思っていても()()()()()秘書艦を続ける事を選ぶだろう。

 つまり羽黒さんが提督に気を遣おうと思う限り、どちらにせよ悩む事になってしまうのだ。

 

 提督は最後に、気を遣わずに羽黒さん自身がやりたい事をすればいい、と言った。

 今回ばかりは、羽黒さんの優しさと性格故の気遣いを忘れなければ、永遠に答えは出ないだろう。

 いや、最終的に気を遣いたいというのが羽黒さんのやりたい事であったとしても、それでいいのかもしれない……。

 

「あぁん? お前らこんなところで何してんだよ。秘書艦の仕事はどうした?」

 

 執務室前の廊下で頭を悩ませていた私達に、龍田さんと共に歩み寄ってきた天龍が声をかけてきた。

 更に、六駆の四人もその後についてきていた。横須賀鎮守府の水雷戦隊の中でも、特に仲の良い六人組だ。

 私は執務室の扉に目を向け、天龍にジト目を向けて言ったのだった。

 

「……サボっているわけではありませんよ。提督は今、高度な思考の為に一人で集中しておられます。貴女達こそどうしたのですか? 倉庫の片付けは」

「オレらは夜間哨戒の報告にな。ったく、提督が起きてからなんやかんやで報告する暇が無かったからよぉ。駆逐共はさっきの出撃の報告だとよ」

「と言っても、私達は戦闘もしていないから、特に報告する事も無いのだけれどね」

 

 響が帽子に手を当てながら、表情ひとつ変えずにそう言った。

 報告書の処理であれば、一旦私達が引き受けても問題は無いだろう。

 火急の要件があれば提督に報告すればいい。

 

「報告は一旦、秘書艦の方で受けましょうか」

「あっ、そうですねっ。はいっ、報告書は私が受け取りますねっ。はいっ! 羽黒さんも」

「ふぇぇっ……? は、はい……」

 

 鹿島は龍田さんと響から報告書を受け取ると、一つは羽黒さんに手渡した。

 羽黒さんは秘書艦を続けるものだと信じているのだろう。

 ぱらぱらと報告書に目を通す鹿島の後ろから、私も報告書の中身を覗き見る。

 

「ふんふん……被害は天龍さんが大破しただけですか……いつも通りという事ですねっ」

「フフフ、まぁな……ってコラ鹿島」

「私達が見た感じ、下級の深海棲艦以外は見当たらなかったわね~。鎮守府近海の制海権は取り戻したと言っていいと思うわ~。天龍ちゃんが大破しなければ、もう少し奥まで見回りたかったところだけど……」

「うぐっ……で、でもよ、大破と引き換えに収穫はあったぜ?」

 

 天龍は気まずそうに龍田さんから目を逸らしたが、見栄を張るように腕組みをしながら言葉を続けた。

 

「俺をやりやがったのは軽巡ホ級だ。まぁ雑魚だな」

「その雑魚に大破させられたのでは……」

「ま、まぁ最後まで聞けよ。そいつを見つけて、何となく妙な感じがしたからよ、あえて突っ込んで接近戦を挑んでみたんだ。で、結果だが……ありゃ野良じゃねぇな。指揮を受けてる動きだった」

「えっ。ど、どういう事ですか?」

 

 私だけではなく、皆が天龍に注目した。

 

「俺を先に通さねぇ、って事を優先している動きだった。野良の深海棲艦はただ本能に従って目の前の敵と戦うだけで、そんな動きはしねぇよ。最終的には身体ごと突っ込んできやがったからよ、オレも避けきれずに大破しちまったってわけだ」

「ちょ、ちょっと待って下さい。深海棲艦の動きだけで、そんな事がわかるんですか?」

「あぁ? だから見りゃわかんだろ」

「……」

 

 私は言葉を失ってしまった。

 信憑性は無い。ただの主観と言ってしまえばそれまでだ。

 だが、天龍の観察力については、提督からも認められていると思われるほどの立派な能力だ。

 昨夜、提督を襲った激痛、そして満潮が隠していた疲労についても見事に見抜いていた。

 本人の戦闘力はともかくとして、駆逐艦を率いる力、艦隊を鼓舞する力、そして観察力については認めざるを得ない。

 歓迎会の最中に天龍を夜間哨戒に向かわせたのは、もしやそれを評価して――?

 

「龍田さんはどう思われますか?」

「うぅん……正直、闇の中だったし、私はそこまで正確に敵の動きを観察できていなかったのよね~……突っ込んでいった天龍ちゃんにしかわからない事だけど、天龍ちゃんの言う事なら、私は信じるわよ~?」

「……仮にそれが事実だったとするならば……指揮を受けていたという事は、規模は不明ですが主力艦隊が近くにいる可能性があります。流石に棲地とまではいかないでしょうが……」

 

 鹿島の持つ報告書を覗き見て、私は言葉を続ける。

 

「天龍が大破した位置……敵が立ち塞がったのはどの辺りですか?」

「そうだな……そのまままっすぐ行けばB島ってところだな」

 

 B島……敵の資源集積地に使われていた場所の一つだ。

 それを奪うべく備蓄回復作戦を立案したわけだが……そう言えば、B島への先遣隊がちょうどここにいる六駆の四人だ。

 不慮の事態によってB島まで辿り着く事はなかったが、私は四人に目を向けて訊ねた。

 

「貴女達はB島への先遣隊だったけれど、何か異常はありませんでしたか?」

「はわわ、と、特には何もなかったと思うのです。雷ちゃんは?」

「私も別に……響は?」

「右に同じだな――いや」

 

 響が何か気付いたかのようにそう言って、暁に目を向けた。

 

「何も確認できなかったから報告書には書かなかったが……向かっている途中に暁が言っていた。何か嫌な感じがする、と。そう言って、怯えていた。そうだろう」

「えぇっ? い、いえ、あの、その……た、確かに言ったかもしれないけれど、べ、別に怖がってたんじゃないからねっ⁉」

「暁は怖がりだものねぇ。未だに夜中に一人でトイレに行く事もできないし」

「い、雷っ! 今はそんな事関係ないでしょ⁉ もうっ!」

「ふ、二人とも喧嘩は駄目なのです!」

 

 やれやれと肩をすくめる雷に暁が食いつくのを、電が仲裁する。

 それに呆れたような視線を向けてから、響が私達を見上げて言葉を続けた。

 

「こう見えて、暁の索敵能力は駆逐艦随一だ。私達に気付かない脅威を感じる力があるのかもしれない。案外、夜中に恐怖を感じるのも、私達にはわからない幽霊の存在を感じているのかも……」

「ひ、響⁉ 褒めてくれるのは嬉しいけど怖い事言わないでよね⁉ おおお、おばけとか信じてないんだから!」

 

 暁は顔面蒼白になって、震えながら響の袖をぎゅっと掴んだ。

 確かに、この暁型の長女はちょっと見た目が頼りないが、横須賀鎮守府の駆逐艦の中で最も早く改二に目覚めた実力を持つ。

 更には、響も言っていたように、駆逐艦の中でも随一の索敵能力。

 暁自身が、常に高性能の電探を積んでいるようなものだ。それはつまり勘の良さや第六感と言ってもいいかもしれない。

 

「あ、あの、その……確かにそう感じたけれど、自信があるわけではなくて、なんとなくというか、ただの勘だから……」

「――いいや」

 

 自信無さげに暁がそう言った瞬間、執務室の扉が開かれ、凛々しい表情の提督が姿を現した。

 いつから話を聞いていたのだろうか。提督は暁に歩み寄ると、膝を地面について目線を合わせ、帽子の上から頭を撫でながら言ったのだった。

 

「私は信じよう。フフフ、女の勘はな……当たるんだ」

「な、なんか一人前のレディっぽいわ! ……って、頭を撫で撫でしないでよ! もう子供じゃないって言ってるでしょ! ぷんすか!」

 

 頬を膨らませる暁に構わず提督は立ち上がると、私に目を向けた。

 不安と喜びが入り混じったような言いようのない感情に、どきり、と胸が跳ね上がる。

 

「大淀。少し、相談がある。入ってくれ」

「は、はい」

 

 ただ一人だけ提督に指名され、普段であれば光栄に思うところだが、私はどこか不安だった。

 椅子に腰かけた提督と執務机を挟んで対面する。

 そして、提督は真剣な表情で、ゆっくりと口を開いた。

 

「済まないな。だが、お前以外には頼めないのだ」

「はい。なんなりとお命じ下さい」

「うむ。とりあえず、聞くだけ聞いてほしい。備蓄に余裕が無いのはわかっているが……倉庫の片付けが終わったら、すぐに出撃してほしいのだ。その為の編成はすでに考えてある」

 

 執務机の上に広げられた海図には、艦隊編成用の名札が並べられている。

 私はそれを見て思わず息を呑み――そして衝動的に声を漏らした。

 

「……⁉ れ、連合艦隊……ですか……っ⁉」

 

 海図の上に並べられていた編成は、確かに連合艦隊を現していた。

 しかも――三つ。連合艦隊が、三つ、確かにそこに並べられていた。

 こ、こんな、制海権を取り戻したと思われる鎮守府近海で……⁉

 十二人からなる連合艦隊を三つ、三十六人同時運用……⁉

 確かに過去にも、複数の連合艦隊を用いて敵棲地を攻略する作戦はあったが、その時は順序立てて敵の拠点を制圧していった。

 偵察も満足に行えていないというのに、同時に複数の拠点に向かわせるとは。

 備蓄に余裕の無い状況……おそらく何度も出撃はできないだろう。

 これではまるで将棋の三面指しではないか。一人になって集中したかったのも納得ができるが……。

 

 私の名も確認できた。

 しかし、これは……何連合なのだ。空母機動部隊、水上打撃部隊、輸送連合……一体なんなのだ。

 一体何を目的として……。

 私はもう頭がパンクしそうになった。

 

「出撃の意図に関しては、暁の言っていた不安を拭い去るためと言っておこうか。皆にはお前の方から上手く説明しておいてくれ」

「は、はっ……!」

「できれば明日の夜明けまで粘ってほしい。完全に不安を拭い去るにはそれくらい必要だからな」

「はい……」

「だが、無理はするなよ。特に、大破した艦がいればすぐに帰還させてほしい。そのために、お前達にはこれを積んでもらう」

 

 提督がそう言うと、その頭の上に妖精さんがにゅっと顔を出した。可愛い。

 って、その私によく似た妖精さん達は……。

 

「艦隊司令部施設ですか……!」

「うむ。有効に使ってくれ。それ以外にも、一部の者については私の方ですでに積む装備を決めている。何か言われるかもしれないが……その時はお前の方から上手く説明しておいてくれ」

「了解しました……」

 

 私は海図の上に並べられた名札を凝視しながら返事をする。

 

【北東・A島方面連合艦隊】

第一艦隊:那智、足柄、利根、加賀、瑞鶴、龍驤

第二艦隊:川内、神通、那珂、朧、漣、潮

 

【東・B島方面連合艦隊】

第一艦隊:長門、青葉、朝潮、大潮、満潮、荒潮

第二艦隊:大淀、夕張、朝雲、山雲、霞、霰

 

【南東・C島方面連合艦隊】

第一艦隊:妙高、羽黒、筑摩、赤城、翔鶴、春日丸

第二艦隊:天龍、龍田、暁、響、雷、電

 

「……」

「それと、千歳、千代田、香取、鹿島にもそれぞれ駆逐艦を率いて鎮守府近海の警戒に当たってほしい。必要とあらば連合艦隊に合流してもいいが、これらは夜間演習の一環とでも考えてもらっていい。故に、演習が必要な駆逐艦の面子はお前達で決めてくれ」

「はい」

 

 疑問が残ったが、それが口に出そうになるのをぐっと堪えた。

 横須賀鎮守府において重要な戦力である金剛型の名前が見えない……。

 いや、少し考えればわかる事だ。おそらくは何か重要な任務があるのだろう……。

 

 その後、一通りの説明を終えた提督は、一息ついた後に、不安そうな目を私に向けた。

 

「――それで……できるか? 無理を言っているのはわかる。もしもお前が無理だと言うのなら、私も、諦めるしかないが……」

 

 諦める……?

 一体、何を……――⁉

 瞬間、私は衝動的に執務机に両手を叩きつけ、前のめりになりながら叫ぶように口を開いた。

 

「やりますっ! 絶対にやり遂げてみせますっ! だからっ、だから諦めないで下さいッ! 提督の『欲望』をっ!」

 

 あえて欲望という言葉を使ったのは、少しでも提督の事を理解できたと伝えたかったのかもしれない。

 提督が欲しているもの、望んでいる事。

 私は理解した。私が何をしでかしてしまったのかを。

 何てことを、しでかしてしまったのかを――。

 

 諦めさせてはならない。

 私のせいで、諦めさせてはならない。

 提督の『欲望』を――誰一人沈めずに、この戦いを終わらせるという事を。

 

 提督は私の勢いにぽかんと口を半開きにして呆けていたが、やがて感動したかのように震える声を出した。

 

「い、いいのか……? 本当に……?」

「はい。この任務、必ず成し遂げてみせます……! 提督、羽黒さんに仰った通り、提督こそ、どうぞ『欲望』に忠実に……」

 

 私は提督の返事も待たずに踵を返した。

 

「倉庫の片付けを急がせ、早急に出撃の概要を説明してきます。失礼します」

 

 執務室の扉を閉じると、私の表情を見てだろう、妙高さん達が目を丸くしていた。

 何かを訊ねようとした香取さんに構わず、私は艤装を展開し、そして無線を繋ぐ。

 

「……やっぱり……」

 

 天龍が見抜いた敵の存在。

 暁が感じた不安。

 歓迎会の最中から、提督が警戒していた事。

 提督の右腕だ、真の秘書艦だと舞い上がっていた私の浅慮。

 あまりにも遠すぎる提督の領域――。

 

 動悸が激しい。目眩がする。

 香取さん達に目を向けて、私は動揺を必死に押し隠しながら、ゆっくりと言葉を続けた。

 

「……時雨達の艦隊と……連絡が取れません……」




大変お待たせ致しました。
これにて第四章の艦娘視点は終了となります。
次回の提督視点で第四章はおしまいの予定です。
新年度になり、仕事の割り振りや環境も変わり、執筆の時間が取りにくい毎日が続いております。

艦これではまさかの金剛改二丙の実装がアナウンスされていますね。
赤城改二や矢矧改二もそろそろなのでしょうか。
もうすぐ春イベが始まるというのもあり、何人のニューフェイスをお迎えできるのかが楽しみです。
朝風と秋月をお迎えできれば嬉しいですが、仕事の関係でまずイベントに参加できるかどうかが不安です。

次回の更新まで気長にお待ち頂けますと幸いです。


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057.『欲望』【提督視点】

 俺は齧りつくように報告書と海図を見つめ続ける。

 文月のおかげで股間の暴発を防ぐ事ができ、ようやく執務に取り掛かれる――という事にはならなかった。

 股間はまだ静けさを取り戻したままだが、せっかく浄化したはずのムラムラが再び蘇り、またもや俺を包み込み、非常に落ち着かない。

 間宮さんの精力料理恐るべしといったところだが、原因はそれだけではない。

 俺の頭の中はもう金剛の事でいっぱいだった。

 

 これはもはや恋なのではないか。

 恋は下心、愛は真心というなら間違いなく恋なのだろう。

 俺の燃える下心は金剛のバーニング・ラブにも負けない。

 

 童貞かつ彼女いない歴=年齢の俺でもわかる。

 時間と場所をわきまえずにハグをしてくる、俺への距離感の近さ……。

 わざわざ戻ってきてまで、提督パワーの充填を待ちきれないと、夜のお誘い……。

 そう、そう、そう! この感じ! ヤレそう‼

 

 もう執務どころではない。

 精力料理の効果と金剛のスキンシップがベストマッチした結果、ただでさえ救いようのない俺の頭はさらにパーになった。あばば~、ボクカワウソ。

 何とかして抜いてスッキリせねば、とはもう考えられない。

 オ〇ニーしようという考えは全く無かった。

 ヤリたい。金剛とヤリたい。なんとかしてヤリたい。ムラ村雨、ヤッちゃうからね!

 

 すでに好感度マックスな金剛に関しては、もはやこれ以上の段取りは不要。

 アダルトな動画の世界ではナンパされた相手と一晩の過ちを犯したり、出会って三秒で合体したりは日常茶飯事。

 ならば俺が金剛と出会って三日でBe the one(合体)したとしても何らおかしくはない。

 時間と場所とムードとタイミングさえ整えればあとはその場の雰囲気で……ひゃっはぁーッ! イケるイケるぅ!

 考えただけで股間に力が漲る! タマが燃える! 俺の白露(マグマ)が迸る! もう誰にも止められねェーーッ‼

 発令! 艦隊作戦第三法! セクロスロード作戦! 夜のベッド(ウェー)海戦!

 旗艦はスモールセブン、短門! イッ精射か、股間が熱いな……。

 いざ童貞卒業(シャングリラ)を目指し、渚を超えて――!

 

 時間は金剛の指定した通り、夜がいい。まぁそういう事を致すのであれば、普通は夜であろう。

 俺個人としては今すぐにでもおっ始めたいところだったが、色々と障害が多すぎる。

 場所は……鎮守府から出るわけにもいかないし、オーソドックスに俺の部屋だろうか。

 しかしそうなると隣が大淀の部屋なんだよな……そもそもこの建物の壁の薄さがわからない。

 金剛のアンアン(モト)ムサウンドが響き渡る可能性もある……。

 ところで金剛の喘ぎ声はカモン! オウ! イエス! 派なのだろうか。それともイク! イクの! 派なのだろうか……。

 個人的には後者の方が、いやそんな事はどうでもいい。

 ともあれ他にいい場所も思いつかないし……やはり俺の部屋しかないか。

 

 いや、まずムードとタイミングが一番難しいのではないか。

 夜は川内達が俺の護衛につくと言っていた。

 だがドスケベサキュバスの搾り殺す宣言をスルーしていた事から、あれはおそらく俺の護衛が目的なのではなく、俺を監視する事が目的だったのではないかという結論に至る。

 俺のような飢えた狼と一つ屋根の下で過ごすのだ。鹿島は艦娘達には害が無いようだから、警戒には値しないのだろう。

 艦娘達にとってむしろ俺の方がドスケベインキュバス。俺が夜這いをする事を警戒していたとするならば、夜に強いらしい川内型が俺を監視するとしてもおかしくはない。

 金剛を部屋に招き入れるのはともかく、川内型に監視されながら致すのは流石に……。

 下手をすれば不埒な雰囲気を嗅ぎつけた鹿島が乱入してくる可能性も無きにしも非ず。

 俺的には有りだが、そうなると、もはやいちゃラブなムードでは無くなる……。

 おそらく流石の金剛でも嫌だろうし、そのまま続行は不可能だろう。

 いや鹿島に乱入されたら俺は搾り殺されるんだった……やっぱ無しだ。

 鹿島でなくとも、他の誰かが扉をノックでもした瞬間、ムードはぶっ壊れる……。

 隣の部屋には大淀、扉の外には川内型、そして男を求めて夜な夜な徘徊する鹿島。

 いかんな……今すぐでなくとも、夜になっても障害が多すぎる。

 

「時間と場所は決まりか……あとはムードと、タイミングだな……」

 

 ついそこまで呟いてしまい、俺は慌てて口を噤んだ。

 いかん、つい口が滑って……!

 どうやら俺には考えに集中しすぎると独り言が出てしまう癖があるようだ。

 まずいな、大淀さん達に聞かれていなければ良いのだが……。

 俺が顔を上げて大淀の方を見ると、その隣の机に向かっていた羽黒の様子がおかしい。

 今にも泣きそうな表情で俯いたまま固まってしまってたので、俺は思わず声をかけてしまった。

 

「は、羽黒。どうした……」

 

 俺の言葉に、羽黒ははっと気が付いたかのように顔を上げる。

 

「ご、ごめんなさいっ、私、また司令官さんの邪魔をっ……」

 

 そして、何かの糸が切れてしまったかのように、ぼろぼろと涙を流し始めた。

 エッ、アァッ、エアァ? ま、また俺何かやっちゃいました……⁉

 どどど、どうすればいい。可愛い妹を泣かせたとなれば、妙高さんにお説教される可能性が。

 それはそれでアリだな……いや混乱している場合ではない。

 俺が何も出来ずにおろおろと狼狽えていると、大淀が見るに見かねた様子で口を開いた。

 

「提督。何かお考えだったのではないですか?」

「う、うむ。しかし……」

「提督は、今はそちらに集中して下さい。こちらは、この大淀にお任せ下さい。羽黒さん。それと、皆さんも。少し、外に出ましょう」

 

 な、何っ。か、考えに集中していいの⁉

 大淀ならば俺がしょうもない事を考えていた事くらいはお見通しのはず……。

 それを咎めるでもなく、むしろ集中させるべく人払いをするとは、コイツ一体何を考えて――?

 羽黒を泣き止ませるには俺の存在が邪魔だという事だろうか。その可能性が非常に高い。凹む。

 いや、先ほど肩ポンされながら言われたではないか。考える必要は無いと。

 俺の風船頭で何を考えても意味は無い。むしろ大淀さんの邪魔になる可能性もある。

 さぁ、今こそ雑念を振り切るぜ! あばば~、ボクカワウソ。

 俺は思考放棄して大淀の申し出を素直に喜び、受け入れたのだった。

 

「そ、そうか! 大淀がそう言うのなら、それに甘えるとしよう。実は、また少し考えに集中したかったところでな。悪いが皆、席を外してくれないか」

「了解しました」

 

 俺が答えた瞬間、大淀が密かに右拳を握りしめ、黒い笑みが浮かびそうになるのを堪えているような表情になっていたのを俺は見逃さなかった。

 俺を置いていく事で、何かの策が上手くいったという事だろうか。フフフ。怖い。

 

 それにしても、羽黒の様子を見るに、もしかしてこのまま秘書艦を辞めてしまうとか言い出すのではないだろうか。

 それは困る。非常に困る。

 この僅かな時間で実感できた事だが、羽黒は言うなればアンチ鹿島。

 俺の好みではなく露出も低く、大してエロくもない事から、鹿島により欲情が促されるのを僅かながら打ち消す効果があるのだ。

 事実、羽黒がいなければ先ほども文月を呼べずに詰んでいただろう。

 羽黒が秘書艦を辞めても鹿島は続けるわけで、そうなると非常にヤバい。

 ある程度成長してお目付け役の香取姉や大淀さんがいなくなれば、童貞と淫魔、密室、二人きり。何も起きないはずがなく……。

 次の日には無駄にキラキラしている鹿島と、テクノブレイクで死に至り、枯れ果ててミイラのようになった俺の(むくろ)が発見されるであろう。

 たとえ搾り殺されなくても、鹿島のせいでムラムラを抑えきれずに執務中に前主砲精射してしまい、社会的に死ぬ可能性もある。

 這い寄る死の予感に、俺は退室しようと席を立った羽黒に思わず声をかけてしまった。

 

「は、羽黒! その……気持ちはわかる。だが、できればもう少し頑張ってみないか」

「ふぇぇっ……⁉ で、でも、私っ、鹿島さんみたいにうまくできずに、司令官さんに迷惑をかけてばかりで……も、もう私はいらないんじゃないかって、やっぱり辞めた方がいいんじゃないかって」

 

 なるほど……俺を生理的に受け付けないというだけではなく、自分の失敗にもめげていたのか。

 それならば涙の理由にも納得がいく。

 自分が上手く仕事が出来なかったという事は、俺とは関係ないからな。

 しかしまだ一日どころか半日も経っていないし、失敗といっても大したことは無い。

 そんな事で自分の成長を見限られ、それが原因で俺が死ぬ事になってしまってはたまらない。

 俺は羽黒に歩み寄り、その隣の妙高さんに顔を向けた。

 

「妙高。お前が羽黒を秘書艦に推薦したのは、成長を促すため……そうだな?」

「は、はい。私は羽黒も、いずれは改二に至る素質を秘めていると思っております。そのきっかけになるのではと……申し訳ありません」

 

 やはりそういう事か……。

 最初は妙高さんが秘書艦になるのが嫌で妹に押し付けたのだと思っていたが、それは俺の被害妄想が過ぎたようだ。

 妙高さんは妹に対してそんなひどい事はしない。

 先ほどの改二の話で思いついた事だったが、明らかに俺の事を避けている羽黒をあえて秘書艦にするという事は、いわゆる試練のようなものではないか。

 那智から利根を助ける為に改二が実装された筑摩のように、困難に立ち向かう事で改二に至るケースはある。

 妙高さんもそれを期待して、俺という困難に立ち向かわせるべく秘書艦に推薦したのであろう。

 

「いや、いいんだ。責めているわけではないし、むしろ褒めたいくらいだ。確かに昨夜は妙高の名前を挙げたが、今は羽黒が改二に至ったとしても、秘書艦を続けてほしいと思っているくらいだしな」

「ほ、本当ですか⁉」

 

 妙高さんは俺の言葉が意外だったのか、そう声を上げた。

 羽黒が失敗続きだからなのか、それとも俺の好みではないという事を薄々感じていたからなのか……。

 

 それはともかく、俺は羽黒に秘書艦を続けてほしいと思っているし、妙高さんもそうだろう。

 だが、あんなに泣いているというのに無理やりというのはどうも……成長の為とはいえ、罪悪感が凄い。

 故に俺はそれで話を終わらせずに、言葉を続けた。

 

「勿論だ。だが、ひとつだけ気掛かりな事がある……羽黒自身の意思はどうなのか、という事だ」

「羽黒自身の意思、ですか……?」

「うむ。その……鹿島も、香取に推薦されたというのは同じだが、鹿島自身も秘書艦をやりたい、と思ってくれていただろう」

「はいっ」

 

 俺の言葉に鹿島は微笑み、両腕をぎゅっとしながら元気よく答えた。可愛い。

 いちいち仕草が可愛いんだお前は。

 そして両腕をぎゅっとしたせいで胸が寄せられてエロい事になっている。

 だから止めてくれ鹿島。その術は俺に効く。

 

「だが、羽黒は妙高に推薦され、断れずに流され、無理をしているのではないかと……もしもそうなら、無理に頑張らせるのは悪いと思ってな」

「そっ、それはっ」

 

 羽黒は何かを言おうとしたが、そこで言葉に詰まってしまった。

 しばらく待ってみたが、しどろもどろとしながらべそをかき、上手く言葉に出来ない様子だ。

 その様子を見て、おそらく羽黒は色々と気を遣ってしまっているのだろうと俺は思った。

 空気を読んでいるというか、自分を後回しにしてしまっているというか、そんな感じがしたのだ。

 妙高さんに推薦され、俺にも続けて欲しいと言われたが、やはり望んでいない事ゆえに失敗も多く、本心では秘書艦を辞めたいと思っているのだろう。

 だが、妙高さんと俺に気を遣い、葛藤しているのだ。

 そんな羽黒を見ていて、俺は思わずこう口にしてしまったのだった。

 

「羽黒は鹿島の仕事ぶりと自分を比べてしまっていたが……そんな事よりも、むしろ別のところを見習ってほしいな」

「べ、別の……?」

「あぁ。鹿島の欲望に忠実なところをな」

「えぇっ⁉」

 

 鹿島が変な声を上げ、他の皆も目を丸くしてしまったので、俺はそれが失言であった事を瞬時に理解した。

 しまった、もう少し言葉を選ぶべきだったか……!

 いつでもどこでも俺を搾り殺す事しか考えていなさそうな鹿島と比べてしまい、つい口にしてしまった事であった。

 

「て、提督さんっ⁉ どういう意味ですかっ、どういう意味ですかっ⁉ わ、私が欲望に忠実って、そ、そんな、そんなまるで私が」

「あ、いや、早とちりするな!」

 

 勢いよく距離を詰めてきたエロスの権化に、俺は慌てて両手を突き出して動きを制止した。

 俺も合わせて下がったおかげで間に合ったが、下手をすればパイタッチしてしまう距離だった。

 コイツは本当に油断ならんな……欲望に忠実そのものではないか。

 そう言い返したいところであったが、他の皆の目もあったので上手く誤魔化す事にする。

 

「まったく……言葉の響きだけで判断するな。鹿島は今、なんで慌てたんだ」

「そ、それは……欲望に忠実だなんて言われちゃったら、誰だってそうなりますっ」

 

 鹿島は頬を膨らませながらそう言った。可愛い。

 

「それが早とちりだというんだ。欲望とは『(ほっ)』し、『(のぞ)』む事……確かにあまり良い意味では使われないが、それ自体に良いも悪いも無い。むしろ生きるためには必要不可欠なものなのだぞ」

 

 適当にそれらしい事を言って誤魔化したが、我ながら間違った事は言っていないと思う。

 少なくとも一度死んだように生きていた俺が息を吹き返したのは性欲のおかげだからだ。オータムクラウド先生ありがとうございます。

 それに、父さんが俺に教えてくれた事にも通じる。

 またしても父さんの遺してくれた言葉を汚してしまった気がするが、気にしない事にする。

 皆は少し考えていたが、やがて香取姉がぴしりと教鞭を掌に叩きつけながら口を開いた。

 

「なるほど……確かに鹿島は自らが成長したい、そして提督のお役に立ちたいという『欲望』に、まっすぐに行動していますね。それがたとえ提督の負担になると知りつつも、それを受け入れ、むしろそれを糧に早く成長せねばと、ただそれだけを考えています。欲望に忠実だなんて言われたので、私もどうしようかと思いましたが……お褒めの言葉だったのですね」

「う、うむ。流石は香取。私が言いたかったのはそういう事だ。鹿島はやりたい事をやっている……だからいつだって芯がぶれないし、揺るがない」

 

 香取姉、ナイスアシスト……!

 正直鹿島の欲望はそんなものじゃないと思うが、それを知りながらあえて誤魔化したのだろうか。

 鹿島の欲望とは、たとえ提督が死ぬとわかっていても快楽を貪りたいとかそういう感じだと思うのだが……まぁこの場を乗り切れれば何だっていい。

 ともかく言いたかったのは、その鹿島の姿勢を羽黒にも見習ってほしいという事なのだから。

 香取姉の配慮を汲み取ったのか、鹿島は可愛らしく小首を傾げながら敬礼した。だから仕草がいちいち可愛い。

 

「そういう事だったんですね! うふふっ、ありがとうございますっ、提督さんっ、まだまだ想像力が足りませんでしたっ。練習巡洋艦鹿島、欲望に忠実ですっ! うふふっ」

 

 むしろ鹿島はもう少し欲望を押さえてほしい……。

 そんなんだから淫魔像として崇められるんだぞお前は。

 

「う、うむ。つまり、羽黒。私はお前に秘書艦を務めてほしいと思っている。それは本心だ。だが、お前の『欲望』……本当にしたい事、やりたい事があるなら、それを優先してほしいという事なんだ。お前の『欲望』が『秘書艦を辞めたい』というのなら、それでいい」

「わ、私は……」

 

 どうしてもと嫌だというのなら、俺だって無理強いするつもりは無いのだ。

 俺の言葉に羽黒がまた俯いてしまうのを見かねてか、大淀が声をかけてくる。

 

「提督。とにかく、今は落ち着いて考えてもらいましょう。提督に面と向かってそう言われてしまっては、羽黒さんも落ち着けませんよ」

「う、うむ。そうだな。羽黒、命令では無いんだ。確かに常にやりたい事だけを優先する事はできない。だが、今回ばかりは私や周りに気を遣わず、よく考えて、羽黒自身のやりたい事をすればいい……大淀、後は任せてもいいか」

「はい。了解しました」

 

 大淀は羽黒達を引き連れて廊下に出る。

 羽黒の事も気になるが、せっかく大淀が気を利かせてくれたのだ。今夜の童貞喪失作戦に集中するべきであろう。ダンケダンケ。

 

 障害は、やはり他の艦娘達の存在。

 ムードとタイミングを考えるなら、やはり出撃などで鎮守府に不在の状況しかないか……。

 そう言えば川内型は昨夜も夜戦の演習を行っていたな……むしろ川内からお願いされたくらいだ。

 よく考えてみればアイツらはいきなり俺の護衛を投げ出していたわけか。

 鹿島の前でグースカと無防備な姿を晒していたと考えると恐ろしいが、他の艦娘達がいるから大丈夫だと判断したのだろうか。

 俺が寝ていたのは小料理屋鳳翔の座敷だったし……鳳翔さんのテリトリーならたとえ淫魔でも入り込めないような気がするな……。

 

 ともあれ、艦娘達がいない状況を自分で作り出すというのは良い案であろう。

 川内型だけではなく、淫魔も出撃させる事でこちらも安全安心に夜戦に励むことができる。

 鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、ではいかん。

 いいムードとタイミングが巡ってくるのを悠長に待っていては、機会を逃してしまう。

 鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギスだ。

 ムードとタイミングは自分で作らねば!

 

 普通の男女の付き合いだってそういうものだ。

 そういう雰囲気になるのを悠長に待つのでは無い。

 ムードのいい店に行く、二人きりになる、お酒の力を借りる……そういう雰囲気を創造(ビルド)してからのBe the one(合体)

 それが当たり前なのだ。

 うーむ、しかしなんと理由をつけて出撃させるか……。

 

『呼びましたか』

 

 呼んでねぇよ。帰れ。

 どこからかグレムリンがわらわらと机の上に集まってきた。

 今はお前らに構っている暇は無いの。ほら散った散った!

 

『えー、そんな事言っていいんですか』

『せっかく耳寄りな情報を持ってきてあげたのに』

『ちらっ、ちらっ』

 

 わざとらしくチラチラと俺を見るグレムリンがあまりにもウザかったので窓の外に放り投げてやろうかと思ったが、一応聞いてみる事にする。

 

『出撃と言えば、長門さんは朝潮型の皆と出撃するのが夢みたいです』

『水雷戦隊の皆が仲良さそうなのが羨ましいみたいですよ』

『天龍さんみたいに気軽に接してほしいようです』

『大淀さんにはなかなか出撃を許可してもらえてないみたいなので、きっと喜ぶと思います』

 

 ほう、群れの長だからと懐かれているわけではないのか……。

 いや、俺に対してさえ(かたく)なに固い態度を取るあの朝潮だからな。

 俺よりも更に格が上であろう長門に懐く姿が想像できん。きっと物凄くよそよそしい態度であろう。

 朝潮型というと、他には大潮、満潮、荒潮、えーと、朝雲、山雲、霞と……あの座敷童子みたいな……。

 

『霰ちゃんですね』

 

 アラレちゃん……霰って名前だったのか……んちゃ。存在感が薄くて全然覚えてなかった。

 他の面子も一癖ありそうだからな……仲良く話せそうとなると大潮くらいか。

 しかし何故、朝潮型……。

 

『他の駆逐艦の子たちもだと思いますけど、昨夜、朝潮型と連合艦隊で出撃したいと大淀さんに直訴していたのを聞いていました』

「ほう。それで、大淀は」

『ばっさり切り捨ててました』

 

 凄ぇな大淀さん……。流石は横須賀の黒幕。

 表のカリスマである長門ですら、大淀の許可を得なければ叶わぬ事もあるという事か。

 なるほど、つまり俺が大淀に代わってそれを許可すれば、人払いできると共に長門からの評価を稼げる可能性もある……有りだな。

 

 そういえば倉庫に隠れている時にも、連合艦隊の旗艦を務めさせればいいという案が出ていたな。

 連合艦隊を編成すれば十二人もの人数を一気に人払いできるし、数の暴力でこちらの被害を少なくする事もできるだろう。

 まぁ、大淀や香取姉、鹿島が言っていた通り、こんな近海で強敵が出るとも思えないが、事実イムヤ達は危うく轟沈するところであったし、状況が悪かったとはいえ朝潮達もボロボロだったからな……。

 転ばぬ先の杖。石橋を叩いて渡る。被害が出る前にあらかじめ敵を一掃しておくというのは……俺の精神衛生的にも非常にマッチしている。

 備蓄に余裕が無いという状況がネックだが、佐藤さんにお願いしてるし……今夜だけなら大丈夫ではないだろうか。

 

『出撃するんですか』

『聞き捨てならないです』

 

 更にグレムリンの数が増えた。持ち場に戻れ! 仕事しろ仕事!

 

『サダオにだけは言われたくないのですが』

 

 ごもっともであった。凹む。

 よく見れば集まって来たグレムリン達は先ほど工廠裏の倉庫でストライキを始めていた奴らのようだった。

 倉庫の片付けはどうした。

 

『おかげ様で、順調に進んでいます』

『もう少しで私達も日の目を浴びそうです』

『次は出撃したいです』

『ずっと倉庫で埃を被っていたので、海に出たいです』

『出撃するなら我々を連れていけー』

『我々の装備を積んでいくことを要求するー』

『わー』

『わぁぁー』

 

 こ、コイツら、一度要求を飲んだからと調子に乗りおって……!

 ここでビシッと断固拒否せねば提督の威厳に関わる。

 駄目だ駄目だ! 必要な時には呼ぶから今はおとなしくしてろ!

 

『えー、今日がいいです』

『今すぐがいいです』

『それに、連合艦隊というなら私達はお役に立てると思いますよ』

 

 そう言ったのは、先ほども倉庫にいた大淀似のグレムリンであった。

 たしか艦隊司令部施設とか言ってたな……。

 グレムリンが三人集まって俺を見上げる。どうやら三人一組の装備らしい。

 

『私達は護衛退避という能力を持っています』

『連合艦隊を編成した状態でしか使用できませんが』

『他の艦娘を一人付き添わせる事で、大破した艦を瞬時に母港に送る事ができるのです』

 

 な、何っ、そんな能力があるのか⁉

 つまり大破してから帰還するまで危険に晒されるのを防げるという事ではないか。

 それは素晴らしいな……連合艦隊を編成する事にこんなメリットがあったとは。

 ならばむしろ率先して積みたいくらいだ。

 大淀に似てるだけの事はあるな……こんな素晴らしい妖精さんがいたとは。

 応急修理要員と並んで丁重に扱わねば。

 

「お前達三人……装備はひとつ分しか無いのか?」

『あと二つ分はいますね』

『私達を含めて、連合艦隊三つ分です』

 

 そうか……なら連合艦隊を三つ編成して、それぞれに配置すればいいか。

 それならば万が一の事があっても大破艦は母港に送る事ができるし、他の艦は残って敵の掃討に励む事ができる。

 よし、そうと決まればさっそく連合艦隊の編成を考えてみよう。

 俺は『やさしい鎮守府運営』の該当ページを開き、執務机に置いてあった艦娘達の名札を手に取った。

 これを机に並べていくと編成しやすいわけだな……初日にも使えばよかった。

 

 本命の金剛、そして姉妹丼の可能性がある比叡、榛名、霧島は当然待機。

 色々あって疲れているであろうイムヤ達にも今日はゆっくりしてもらおう。

 

 まずご機嫌取りをしなければならない長門は旗艦。そしてさらにご機嫌取りにブーストをかけるべく、朝潮型を全員編成!

 このままだとパワー系のみで頭が足りなくなりそうなので、バランスを取るべく頭脳派かつ長門が唯一逆らえない大淀を第二艦隊旗艦に編成する。

 後は……俺の同志である青葉と夕張をねじ込んでおこう。俺に友好的な空気に当てられて、長門が少しでも丸くなってくれる効果を期待する。

 満潮の様子が不安だが……まぁ本人の様子を見てから考えよう。

 

 次に、うーむ、重巡と空母はバランス的に姉妹艦や仲良さそうな艦が別々になってしまうな。

 旗艦は重巡級に任せたいが、そうなると練度は高いがアホの利根では不安だ……。

 妙高さんと那智に任せよう。少し頼りない羽黒は妙高さんと同じ艦隊にして、俺に友好的な足柄は那智と同じ艦隊にする事で良い影響を及ぼしてほしい。

 そして航空巡洋艦、利根と筑摩もそれぞれ編成。筑摩には悪いが、利根は那智と同じ艦隊にする事で、俺への怒りの矛先を理不尽に向けられるサンドバッグとなってもらう。

 

 普通に考えれば一航戦・赤城、加賀と五航戦・翔鶴姉、瑞鶴は同じ艦隊の方が良いだろう。

 しかし赤城と加賀、翔鶴姉と瑞鶴などのコンビが同じ艦隊であるのに、シスコンの筑摩とアホの利根だけが別々になってしまうのも忍びない。

 龍驤と春日丸も仲良さそうだが、この感じだと別々になってしまうしな……ならば平等にするため、あえてバラバラに編成してみよう。

 パンツの事とはいえ、翔鶴姉は赤城を見習いたいという話になっていたし、瑞鶴も加賀の事をやけに意識しているようだしな。

 赤城と翔鶴姉、加賀と瑞鶴という組み合わせにすれば、ある意味バランスがいいかもしれない。

 うむ。悩んだが第一艦隊はこれでいいだろう。

 

 第二艦隊には軽巡を配置。川内、神通、那珂ちゃんと、天龍、龍田に率いてもらう。

 天龍ちゃん達は昨日も率いた暁、響、雷、電を、川内達は時雨、夕立、江風を……って、時雨達は遠征中だったか。

 そうなると、残り三人……誰にしようか。

 駆逐艦はある程度グループが出来ているみたいだからな……適当に編成したらまた満潮の二の舞になってしまいかねん。

 なるべく同じ駆逐隊、もしくは姉妹艦で組んだ方がいい事を俺は学んだのであった。

 本当に女子中学生の集まりみたいだな……多感な年頃なのだろう。

 

 と、ちょうどいい三人組を見つけた。

『艦娘型録』によれば三人とも綾波型駆逐艦の姉妹艦、そして第七駆逐隊という同じグループだったらしい。

 そう言えば昨夜も一緒に挨拶に来てくれてたな。潮と……「朧」? 「漣」? え? これなんて読むの……?

 名札にも『艦娘型録』にも振り仮名書かれてないし、挨拶の時の記憶は曖昧だし……。

 ちょ、ちょっと妖精さん達……。

 

『馬鹿が』

「この野郎! いいから教えろ!」

『わぷぷ』

 

 鼻で笑いやがったグレムリンの頬をぷにぷにしながら摘み上げる。

 

(おぼろ)ちゃんと(さざなみ)ちゃんですよ』

『それくらい読めないんですか』

『提督失格ですね』

『私達がついてないと本当にダメなんだから』

『まったく、サダオってば、まったく』

 

 くそっ、むかつく……!

 しかし、そうか、(おぼろ)は頑張れば読めたな。やけに記憶が朧気(おぼろげ)だと思っていたが、まさか名前がそのまま朧だったとは。

 (さざなみ)は普通読めねぇだろ。つーかあんなピンク色のメイドみたいな格好で(さざなみ)は無いだろ。渋すぎるわ。

 

『というよりなんで潮ちゃんだけしっかり覚えてるんですか』

『最低です』

『あんな子に手を出そうだなんて』

 

 いや手を出そうとは思ってねぇよ⁉ 完全にストライクゾーン外だよ!

 そもそも避けられすぎてて俺のメンタル的にもあまり近づきたくないくらいだ。

 何で覚えられていたのか俺にもよくわからんが、ちょっと身体の一部が特徴的だったから印象に残って覚えやすかっただけだと思う。うん。

 

『あぁ見えて朧ちゃんも意外とありますよ』

 

 どうでもいいわ。あの三人はどう見ても中学生型だから完全にストライクゾーン外だし。

 そんな事よりも、これで連合艦隊は完成か。

 後は残りの面子も適当に編成して出撃させるか……駆逐艦多すぎて考えるのも疲れたし、その辺はもう大淀にお願いしようかな。

 大淀が考えた方が、きっと俺が考えるよりも上手くいくだろう。

 よし、ではさっそく大淀に相談を……。

 

『ちょっと待ったー』

『まだ私達がいます』

『艦隊司令部施設さん達だけずるいです』

『我々も連れて行けー』

『わー』

『わぁぁー』

『連れて行かないと毎晩サダオの枕元で童貞音頭を踊ってやります』

『キてますキてます』

『童貞キてます』

 

 何が童貞キてますだ! つーかいつものとちょっと変わってんじゃねーか!

 机の上で輪になって踊るグレムリン共を見て、俺は頭を抱えた。

 くそっ、コイツらが一番厄介なのを忘れていた……!

 どこから入り込んでくるのかいつの間にか近くにいるし、小さいし数が多いし、力ずくでは完全に排除できん……!

 枕元でグレムリンが童貞音頭を踊っている中で童貞卒業なんて出来るわけがねー‼

 呪いの儀式じゃねーか! ムードが台無しすぎる‼

 

「わ、わかった。話を聞こうじゃないか」

『わー、流石です』

『話のわかる提督さんで嬉しいです』

『これからも仲良くしましょう』

『私達とサダオの仲じゃないですか』

『わぁぁー』

『わぁい』

 

 だからやり口がヤクザじみているのだが……。

 グレムリンのうち数人が前に出て、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。

 

『私達はたっちゃんがいいです』

「……たっちゃんって誰だよ」

『龍田さんですが』

 

 殺されるぞお前⁉

 いや、グレムリンの声は艦娘には聞こえないらしいから好き放題言えるのか。

 後でチクってやろうかな……まぁいいや、わかった。次!

 

『はいはい、サダオー。私達はなっちゃんがいいです』

「……なっちゃんって誰だよ」

『那智さんですが』

 

 恐い物無しかお前ら⁉

 親しまれてんのか馬鹿にされてんのかわからんな……。

 まぁチクったところで何故か俺が張り倒されそうだからチクるつもりは無いが。次!

 

『我々はゴッさんを希望します』

 

 長門(ゴ級)か……物好きな奴らだ。次!

 その後も続々と現れるグレムリン共の要求を流れ作業で受け入れていく。

 出撃するだけでは飽き足らず、まさか装備の方から艦娘を逆指名するとは……コイツらフリーダムすぎんぞ。

 くそっ、おとなしく要求を飲むのは今夜だけだ。童貞卒業したら覚えてろよ。

 

 ともあれ、これでグレムリン共も艦娘達と共に海に向かわせる事ができた。

 大淀に相談するためにようやく立ち上がり、扉の前でふと足を止める。

 何やら大淀達の話し声が聞こえてきたからだ。

 

「貴女達はB島への先遣隊だったけれど、何か異常はありませんでしたか?」

「はわわ、と、特には何もなかったと思うのです。雷ちゃんは?」

「私も別に……響は?」

「右に同じだな――いや」

「何も確認できなかったから報告書には書かなかったが……向かっている途中に暁が言っていた。何か嫌な感じがする、と。そう言って、怯えていた。そうだろう」

「えぇっ? い、いえ、あの、その……た、確かに言ったかもしれないけれど、べ、別に怖がってたんじゃないからねっ⁉」

「暁は怖がりだものねぇ。未だに夜中に一人でトイレに行く事もできないし」

「い、雷っ! 今はそんな事関係ないでしょ⁉ もうっ!」

「ふ、二人とも喧嘩は駄目なのです!」

 

 あぁ、さっき遠征から帰って来た六駆の四人か。

 会話の内容から推測するに、どうやら先ほどの報告に来たらしい。

 ふむ、どうやら特に異常は無かったらしいが、暁だけが嫌な感じがする、と……。

 これは……出撃の理由として十分じゃないか?

 イムヤ達が危険な目にあったことも含め、後顧の憂いを絶とうと思っていた俺だったが、暁も不安を感じていたと。

 実際は雷が言う通り、ただの怖がりの類である可能性が高いが、連合艦隊の数と火力で鎮守府近海の敵を掃討する事は、暁の不安を絶つ事にも繋がるであろう。

 

 艦娘達とグレムリン共を海に送り出し、ムードを作り出し、金剛とヤる。

 鎮守府近海の敵を一掃し、安全に遠征できる環境を整え、俺と暁の不安も解消する。

 一石二鳥の作戦ではないか。よし、あとは大淀さんの許可が下りれば――。

 

「こう見えて、暁の索敵能力は駆逐艦随一だ。私達に気付かない脅威を感じる力があるのかもしれない。案外、夜中に恐怖を感じるのも、私達にはわからない幽霊の存在を感じているのかも……」

「ひ、響⁉ 褒めてくれるのは嬉しいけど怖い事言わないでよね⁉ おおお、おばけとか信じてないんだから!」

 

 暁の怯える声が届く。

 おばけって……本当に大したこと無さそうだな……。

 まぁ大したこと無いに越したことはない。

 

「あ、あの、その……確かにそう感じたけれど、自信があるわけではなくて、なんとなくというか、ただの勘だから……」

「――いいや」

 

 俺は満を持して扉を開き、暁に歩み寄って膝を折り、頭を撫でる。

 ナイスアシストだ。間宮さんの勲章をくれた事といい、実に素晴らしい働きである。

 

「私は信じよう。フフフ、女の勘はな……当たるんだ」

「な、なんか一人前のレディっぽいわ! ……って、頭を撫で撫でしないでよ! もう子供じゃないって言ってるでしょ! ぷんすか!」

 

 頬を膨らませる暁に構わずに立ち上がり、大淀に目を向ける。

 どうやら天龍と龍田も報告に来ていたらしい。

 

「大淀。少し、相談がある。入ってくれ」

「は、はい」

 

 察してくれたのか、大淀はおとなしく俺についてきてくれた。

 俺達しかいない執務室で、机を挟んで向かい合う。

 

「済まないな。だが、お前以外には頼めないのだ」

「はい。なんなりとお命じ下さい」

「うむ。とりあえず、聞くだけ聞いてほしい。備蓄に余裕が無いのはわかっているが……倉庫の片付けが終わったら、すぐに出撃してほしいのだ。その為の編成はすでに考えてある」

 

 俺が机の上に広げた海図と名札を見て、大淀はその目を見開いた。

 

「……⁉ れ、連合艦隊……ですか……っ⁉」

 

 流石の大淀でも少し無理があるだろうか。

 この近海に連合艦隊を三つというのは……駆逐艦三隻とか四隻で十分らしいからな。

 だがそれには俺なりに考えた理由があるのだ。

 

「出撃の意図に関しては、暁の言っていた不安を拭い去るためと言っておこうか。皆にはお前の方から上手く説明しておいてくれ」

「は、はっ……!」

「できれば明日の夜明けまで粘ってほしい。完全に不安を拭い去るにはそれくらい必要だからな」

「はい……」

 

 もしも童貞卒業できたとしても、今のムラムラ状態では一発だけでは満足できるはずがない。

 きっと金剛も「届いて! もう少しだから!」いや違った、「これでフィニッシュ? なわけ無いデショ⁉ 私は食らいついたら離さないワ!」と言って二回戦、三回戦に突入するだろう。

 俺が夜通し戦うためにも、皆にも夜通し戦い抜いてほしいのだ。

 

「だが、無理はするなよ。特に、大破した艦がいればすぐに帰還させてほしい。そのために、お前達にはこれを積んでもらう」

「艦隊司令部施設ですか……!」

「うむ。有効に使ってくれ。それ以外にも、一部の者については私の方ですでに積む装備を決めている。何か言われるかもしれないが……その時はお前の方から上手く説明しておいてくれ」

「了解しました……」

 

 そのための艦隊司令部施設だ。大淀に言わせれば連合艦隊は明らかに過剰戦力。

 しかし夜通し戦うとなれば、数は多い方がいい。攻撃は最大の防御なり。それでも万が一、運悪く大破するような事になれば、通常艦隊では使用できない艦隊司令部施設で即座に帰投する事ができる。

 いわば資源消費を度外視して安全に戦い抜くための、そして一夜限りの編成だ。大目に見て頂きたい。

 ややこしくなりそうな事は全て大淀から上手く説明してもらう。丸投げであった。

 

「それと、千歳、千代田、香取、鹿島にもそれぞれ駆逐艦を率いて鎮守府近海の警戒に当たってほしい。必要とあらば連合艦隊に合流してもいいが、これらは夜間演習の一環とでも考えてもらっていい。故に、演習が必要な駆逐艦の面子はお前達で決めてくれ」

「はい」

 

 とりあえず淫魔含むその他の面子は、とりあえず出撃する事だけ決めて大淀に任せる。

 ちとちよ姉妹はちょっと気まずい感じになりそうなので、今回はあえて別々に行動してお互いに頭を冷やした方がいいだろう。

 その後一通り説明していったが、大淀の方から俺になにか質問する事はなく、ただただ黙って聞き、考えている様子であった。

 問い詰められないのはありがたいが……マジでこの御方の底が見えない。

 

 説明を終えて、俺は恐る恐る大淀の顔を見上げて訊ねる。

 

「――それで……できるか? 無理を言っているのはわかる。もしもお前が無理だと言うのなら、私も、諦めるしかないが……」

 

 黙って聞いてはくれたものの、実際に出来るかどうかは話が別だ。

 大淀の許可が降りなければ、俺も童貞卒業を諦めるしかない。

 俺の童貞卒業、あわよくば姉妹丼という欲望のために、安全策を練ったとはいえ夜通し海に送り出すというのが許されるのかどうか……!

 備蓄の無駄遣いだとは思っていますが、もうムラムラが限界で辛抱たまらんのです……‼

 今夜、今夜だけ見逃して頂ければ、明日からはスッキリして真面目に執務に励みますから、何卒(なにとぞ)、何卒……‼

 

 俺の言葉に、大淀はしばらく考え込んでいる風であったが、いきなり人が変わったかのように机に両手を叩きつけ、俺に食い入るように叫んだ。

 

「やりますっ! 絶対にやり遂げてみせますっ! だからっ、だから諦めないで下さいッ! 提督の『欲望』をっ!」

 

 一瞬殺されたと思ったが、話をよくよく聞いてみると、なんと了承との事であった。

 しかも、やり遂げるというだけではなく、俺の欲望を諦めるなと――⁉

 宝くじで一等が当たった人というのはこんな気持ちなのかもしれない。

 俺は信じられずに、しかしこみ上げてくる嬉しさを堪え切れずに、確かめるかのように震える声を絞り出した。

 

「い、いいのか……? 本当に……?」

「はい。この任務、必ず成し遂げてみせます……! 提督、羽黒さんに仰った通り、提督こそ、どうぞ『欲望』に忠実に……」

 

 欲望に忠実になっていいの⁉

 俺の欲望がろくでもないという事は大淀もわかっているはず……!

 いや、大淀の頭脳ならば、このあからさまな編成を見て、俺が金剛型との夜戦狙いであるという事も推測できているはずだというのに……じ、自分で提案しておいてなんだが、い、いいの⁉

 これも何かの策なのか……⁉ 横須賀鎮守府にとってプラスになるような何かが……何かが……あばば~、ボクカワウソ。

 俺の頭が完全にパンクしたのにも興味が無いように、大淀は踵を返した。

 

「倉庫の片付けを急がせ、早急に出撃の概要を説明してきます。失礼します」

 

 そう言って、足早に執務室から出て行ってしまった。

 ……何か最後の声色が完全にキレてるのを必死に抑え込んでいる感じだったんだが……。

 

 ……。

 

 と、とにかく大淀さんへの意見具申が通ってしまったのだから、覚悟を決めよう、うん。

 俺は今夜は金剛と()ルソン! 俺の股間も()ッチ完了!

 千載一遇のこのチャンス! ()がさんぞ! シュゥゥーッ‼

 余は各艦がその責務を全うする事を期待する。続け!

 そうだ! 各々がその責務を尽くせば、勝てる!

 

 そして余は今夜限りで童貞を卒業し、色欲童帝(ラストエンペラー)の位を返上し、シココ・フルティンコから名を改める! 元号改正決定!

 祝え! 大淀さんの許しを得て、童貞を捨て、大人の階段を上り、エッチ()エロ(ERO)をしろしめす艦娘ハーレムの王者。

 その名も脱童帝(ロストエンペラー)、パココ・ヤリティンコ‼

 まさに生誕の瞬間である。

 親しみを込めてパコさんと呼ぶが良い‼

 

『はぁーよいしょ』

『それそれそれー』

『キてますキてます』

『童貞キてます』

 

 執務室の中で一人、天に拳を掲げた俺の周りでグレムリン共が童貞音頭を踊っていた。

 いや縁起悪いから帰れや! さっさと倉庫の片付けを手伝って出撃してこい!




お待たせ致しました。
平成最後の更新にて長かった第四章は終了となり、令和最初の更新となる次回から第五章に突入します。

艦これはついに六周年を迎え、いよいよ春イベ目前となりましたね。
その前のゴールデンウイーク限定で水母祭りとなっていますが、我が弱小鎮守府はイベ前にも関わらず備蓄がどんどん溶けていっております。
ようやく秋津洲をお迎えできて嬉しいのですが、一体いつになったら二人目の秋津洲をお迎えする事ができるのでしょうか。
提督の皆さんはお互い頑張りましょう。

第四章も終わり、区切りもいいので改めてお礼申し上げます。
いつもご感想、評価、誤字訂正をしていただける読者の皆様、いつも本当にありがとうございます。
このお話がここまで長く続けられたのは、他ならぬ皆様からの応援のお陰です。
仕事の都合上執筆の時間が取りにくくなってきておりますが、次回の更新も気長にお待ち頂けますと幸いです。


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第五章『迷子の駆逐艦編(後)』
058.『最善手』【艦娘視点】


※ちょっと考えがありまして、第五章の艦娘視点は三人称での執筆に挑戦することにしました。
 慣れないもので用法的に色々と間違っている部分や至らぬ点があるかもしれませんが、生暖かく見守って頂けますと幸いです。


 数時間前の有り様が嘘のように整頓された倉庫の中――。

 間宮や伊良湖、鳳翔を除いた全ての艦娘達は、ただ一人彼女達の前に立つ大淀に向かい合い、神妙な面持ちで整列した。

 つい先ほどまで自室で待機しており、大淀によって至急の呼び出しを受けた駆逐艦や潜水艦達は何も分からぬ様子であったが、それでもただならぬ雰囲気から何かを察したように、表情を固くしている。

 一方で倉庫の片付けに尽力していた艦娘達は、大淀からまだ断片的にしか聞かされていないとはいえ、今置かれている状況が何となく理解できているようであった。

 

 血相を変えて倉庫に現れた大淀と、秘書艦を務めていた鹿島達。

 それとほぼ同時に、倉庫の片付けを手伝ってくれていた妖精達が明らかに急ぎ始めたのだ。

 大淀はその場の全員に、今から大至急で出撃する必要があるという事、その為にはこの倉庫内の装備を全て把握する必要がある事を端的に説明した。

 満足な説明をする間もなく夕張と明石に声をかけ、鹿島や羽黒と共に、全ての装備の種類、個数の確認に入った大淀であったが、その様子を見た長門は湧き上がる疑問を堪え、大淀の指示に従うべく艦娘達を仕切ったのだった。

 横須賀鎮守府の頭脳、そして提督の右腕の座に最も近い大淀があそこまで余裕を無くしている――それだけで疑う余地も無かったからだ。

 そしてそれは他の者も同じ意見であり、目配せひとつで互いに頷き合い――全力で片付けを終わらせて今に至る。

 

 大淀は全ての艦娘に目をやると、自らの不安や衝動を押し殺すかのように、ゆっくりと声を絞り出した。

 

「――提督より出撃の指示が出ました。主力艦隊の編成については、すでに提督から指定されています。……連合艦隊を、三艦隊です」

 

 大きなざわめきが沸き起こったが、大淀はそれに構わず淡々と言葉を続ける。

 

「読み上げますので、まずはその通りに整列をお願いします」

 

 そして先ほど提督から指定された通り、艦娘達の名を呼んだ。

 

「A島方面連合艦隊……第一艦隊、旗艦・那智。以下、足柄、利根、加賀、瑞鶴、龍驤。第二艦隊、旗艦・川内。以下、神通、那珂、朧、漣、潮」

「C島方面連合艦隊……第一艦隊、旗艦・妙高。以下、羽黒、筑摩、赤城、翔鶴、春日丸。第二艦隊、旗艦・天龍。以下、龍田、暁、響、雷、電」

「よっしゃあああっ‼」

 

 よほど嬉しかったのか、空気を読まずに歓喜の声を上げたのは天龍であった。

 しかし大淀にジロリと睨みつけられ、誤魔化すように咳払いをした後でいそいそと整列を始める。

 そんな天龍に呆れたような視線を向けていたのは那智であったが、そんな那智も大淀から見れば、高揚する気持ちが隠しきれていないのは明らかだった。

 一見して平静を装っているようにも見えるが、誇らしげな笑みを抑えられていないからだ。

 妙高と共に、連合艦隊の旗艦を務める事――それすなわち、提督が自身の実力を認めているという事に他ならない。

 決して挑発に乗ったわけではないが、先ほど、下手に奴に気を遣わずにしっかりと実力を見せたのが良かったのだろう、と那智は理解していた。

 

 大淀は何故か声に出すのを一瞬躊躇した後で、言葉を続ける。

 

「……そして、B島方面連合艦隊……第一艦隊、旗艦・長門。以下、青葉、朝潮、大潮、満潮、荒潮。第二艦隊、旗艦・大淀。以下、夕張、朝雲、山雲、霞、霰」

「何……だと……」

 

 長門は大きく目を見開き、固まってしまった。

 そして武者震いのようにわなわなと身体を震わせながら、確かめるように言葉を紡ぐ。

 

「い、いいのか……? 返せと言われても返さないぞ……?」

「何を仰っているのかよくわかりませんが、ちゃんと返して下さい」

 

 提督が着任してからというもの、数人の艦娘達が僅かに残念になっているという事は大淀も理解できていたが、今はそんな気分ではなかった。

 横須賀鎮守府の艦娘達を束ねるリーダーに、天龍に向けたそれよりも冷ややかな視線を浴びせた後で、残りの艦娘達に声をかける。

 

「そして、提督の指示により、鎮守府近海の警戒、兼、夜間演習の一環として、四つの艦隊を編成します。こちらの編成には、()()()()指定はありませんでしたので、私と香取さん達で相談して決めました。整列をお願いします」

「旗艦・千歳。以下、夕雲、巻雲、風雲、秋雲」

「旗艦・千代田。以下、長波、高波、藤波、沖波」

「旗艦・香取。以下、皐月、水無月、文月、長月」

「旗艦・鹿島。以下、朝霜、早霜、清霜」

 

 読み上げられた通りに整列し、千代田は隣に立つ姉に縋りつくような眼を向けたが、千歳はそれに気付いていながらあえて微動だにしない様子であった。

 涙目になっている千代田の事が僅かに気にかかったが、今はそれどころでは無い――大淀が本題に入ろうと小さく息を吸ったところで、整列した艦娘達の端の方から不満そうな抗議の声が上がる。

 大淀は僅かに苛立った。

 

「お、おい! 大淀! この磯風の名が、いや、この磯風率いる第十七駆逐隊の名が呼ばれていないようだが何かの間違いか⁉」

「……」

「ま、まさか忘れていたわけではないだろうな⁉ くっ、さては最も司令の左腕に近いこの磯風が武勲を上げる機会を奪おうと……!」

「おどりゃ大淀姐さんになぁに失礼な事を言っとるんじゃ‼ ほらっ、謝りんさい!」

「かぁ~っ! 頭下げやがれってんだ畜生め!」

 

 谷風に無理やり頭を押さえつけられながらも、磯風は意地で抵抗しながら声を荒らげる。

 

「いいや、納得がいかん! 先ほど出撃したばかりの六駆や八駆が主力艦隊に選ばれているというのに! 浦風! 浜風! 谷風! お前達は納得できるのか⁉」

「そ、それは……」

 

 磯風の言葉に、浜風が口ごもってしまった。

 ――提督は何も考える事なく質問される事を嫌う。

 それを理解せずに真っ先に抗議の声を上げておきながら左腕を自称する磯風に哀れみを覚え、大淀は沈黙――いや、文字通り絶句してしまった。

 しかし、口では磯風を押さえようとしているものの、浦風、浜風、谷風にも同様の疑問の色が浮かんでいる。

 提督の主義とはいえ、僅かに支障が出てしまっている。

 全て教えるべきか、と大淀が考えるよりも先に口を開いたのは、十七駆の隣に大人しく控えていた金剛であった。

 

「フフフ、浜風達もまだまだデスネ」

「金剛……そう言えば、金剛達も名前を呼ばれていませんでしたね」

「戦艦四人が主力に含まれていねぇってのかい……⁉ かぁ~っ、こりゃあ一体どういうこったい⁉」

「こ、金剛姐さんは理由がわかっとるんけ⁉」

 

 浦風の問いに、金剛は親指を立てながら自信満々な笑顔と共に答える。

 

「オフコース! 全然ワカリマセーン‼」

「なぁんじゃ……一瞬期待したうちが馬鹿じゃった」

「ふふっ。しかし、たとえ今は理解できなくても、提督を疑う余地など無いのデスヨ。まぁ浦風達にはちょっと早いかもしれないネー」

 

 ウインクしながらそう言った金剛に、浦風は不愉快そうにジト目を向ける。

 

「むっ……う、うちらを子供扱いしとるんけ?」

「ウッフフ。そうは言ってないデスが、提督の指示に不安を感じているうちはまだまだそうなのかもしれないネー?」

「お姉さま……流石です!」

「これが大人の女性としての嗜みというものなのですね……榛名、憧れてしまいます!」

「流石お姉さま……データ以上の余裕ですね」

「な、なんか一人前のレディっぽいわ!」

 

 目を輝かせる妹達と暁からの視線を受けながら余裕の笑みを浮かべる金剛に、浦風は顔を真っ赤にして頬を膨らませていた。

 そして磯風にぐるんと顔を向け、ヘッドロックを仕掛ける。

 

「うぐぐ……おどりゃ磯風! うちらまで巻き込まれて子供扱いされてしもうたじゃろ!」

「い、いや、浦風も不安を感じていたのは事実では……オゴゴ、わ、わかったわかった! 悪かった!」

 

 提督の左腕とは程遠いその姿に大淀が情けなさを感じていると、金剛が自分に顔を向け、笑顔で親指を立てているのに気付く。

 助けられた事に軽く頭を下げ、改めて口を開いた。

 

「私達も、何も考えずに編成したわけではありません。提督が意図した事を読み解いた上で、貴女達第十七駆逐隊はあえて編成から外してあります」

「だったらその理由を……!」

「磯風っ、いい加減にしんさい! うちらで考えろと言うとるんじゃ!」

「そもそも連合艦隊の編成は提督が決めた事……大淀を問い詰めたところで何にもなりません」

「くっ……」

 

 浦風に叱られ、浜風に諭されて、磯風はようやく言葉を飲み込んだ。

 

「――そう、浜風の言う通り、主力艦隊については提督の指示です。まったく……貴女達のために一応説明しておきますが、千歳さん達率いる四艦隊は、あくまでも夜間演習の一環……演習が必要な駆逐艦を、と提督は仰りました。故に、練度の高さや武勲ではなく、それを優先して編成しました」

「かぁっ! なぁるほどねぇ……それで、谷風達よりは練度が低い夕雲型ってわけか! それなら納得だねぇっ」

「それと、つい先ほど改二が実装された文月と、実装されてしまった……というべきでしょうか、皐月を含む第二二駆逐隊。彼女達は練習巡洋艦・香取さんを旗艦とする事で性能の把握、調整を目的としています」

「えへへっ、いい感じぃ~」

「いやぁ、ボクも提督パワーのおかげで強くなっちゃったからなぁ~。提督パワーのおかげで! 『皐月改二』! フフフ。提督パワー」

 

 皐月が照れ臭そうに、しかし自慢げに頭を掻きながら見せびらかすように改二を発動したのを、他の駆逐艦達は興味深そうに眺めていた。

 提督パワーなる謎の言葉に誰も疑問を持たない事、そして一部の艦娘の羨望と羞恥が入り混じったような複雑な表情を見るに、どうやら皐月はかなり口が軽いらしい。

 朝潮は「あ、あれが噂の提督パワー……し、司令官、か、感服、感服……!」と呟きながらガクガクと震えている。

 提督があえて誤魔化そうとしていた情報を流布したという事で何か罰を与える必要があるだろうか、と大淀は一瞬考えてしまったが、今はそれどころではない。

 それよりも今、罰を受けなければならないのは――他ならぬ自分だ。大淀は心中でそう自嘲し、潜水艦隊に顔を向けた。

 

「潜水艦隊については、提督も今日一日は身体を休めてもらう事を望んでいます。今夜はしっかりと休んで、また明日から気持ちを切り替えて出撃しましょう」

「はい……」

「イムヤ! 提督の言う通り、明日からまた頑張るの!」

「お休みは大事でち! 今日はゆっくり休も?」

 

 責任を感じてであろう、イムヤが顔を曇らせるのを、イクとゴーヤが明るく励ました。

 どうやら潜水艦隊はもう大丈夫のようだと確信し、再び磯風に目を向ける。

 

「そして私達がこのように編成する事を提督が望んでいるのだとするなら、貴女達十七駆が残った事もまた必然、提督が望んだ事……という事です」

「それは一体、何の為に……い、いや。それはこちらで考えろという事だったな。了解した」

「うちらは指示があるまで部屋で待機じゃ。磯風、ちゃんとわかっちょるけぇ?」

「あぁ。司令の左腕たるこの磯風の名に賭けて、答えが出るまでおとなしく待機する事を誓おう」

 

 ドヤ顔で胸を叩いてそう言った磯風であったが、浜風と谷風からは疑いの視線を向けられていた。

 磯風の抗議から始まった一連の流れに業を煮やしていたのだろう、話がまとまったタイミングを見計らって、川内がぱんぱんと手を叩きながら声を上げる。

 

「大淀。それで、今回の出撃の目的は? 連合艦隊、しかも三艦隊って……只事じゃあないでしょ」

「……はい。提督はそう仰りませんでしたが……完全に私の落ち度です。申し訳ありません……」

 

 大淀は自身の見通しの甘さを悔いながら、自戒するかのように言葉を続けた。

 

「現在、私がA島方面へ向かわせた時雨、夕立、江風の三名と連絡が取れない状況です」

「時雨達と⁉ ちょ、ちょっとどういう事⁉」

 

 艦娘達に再びどよめきが湧き上がり、川内が動揺と共に大淀に問いかける。

 神通と那珂も目を見開き、大淀を見つめた。

 

「私は完全に制海権を取り戻したと判断し、最小限の資材消費で敵の資源集積地から資源を輸送する事を目的とし、念には念を入れて先遣隊を向かわせました」

「しかし……私の考えは甘すぎました」

「あれだけ大規模な資源集積地です。それは先日の戦艦棲姫率いる艦隊だけのためのものではなく、その後の深海勢力が本土へ侵攻するための足掛かりとなる事を見越してのものだとは理解していました」

「故に、それを防ぐために早急な対処をしたつもりでしたが……予想以上に敵の動きが速かった……」

「まさか翌日の夜――つまり提督の歓迎会を行い、勝利を祝っていた昨夜には敵がそこまで到達している可能性があるとは思いもしなかったのです……!」

 

 唇を噛み締め、肩を震わせながら自身の失態を語らざるを得ない大淀の悔しさは、その場の全員が理解できていた。

 何より、横須賀鎮守府の頭脳と称される大淀でさえ思いもよらなかった事を、他の誰が気付けたというのか――。

 勝って兜の何とやら――最高の提督の着任を祝い、勝利の美酒に酔いしれていたあの時を思えば思う程、その言葉が空しくなる。

 決して他人事では無い。誰一人として、そんな可能性など頭にかすりもしなかったのだから――。

 那智は自分自身への苛立ちからか、不愉快そうに大淀に訊ねた。

 

「……奴は知っていたというのか? その神眼とやらで」

「いいえ。流石に提督でも、そこまで知る事はできないかと……しかし、提督はご自分の歓迎会の最中だというのに、真剣に今後の備蓄について考えておられました……。そして、密かに天龍と龍田さんを夜間哨戒に向かわせていました。それは昨夜の内に近海の様子を確認したかったため、そして天龍の観察力を見込んでの事でしょう。警戒していたのは明らかです」

「フン……それで、異常は掴めていたのか?」

 

 那智の問いに、龍田が申し訳なさそうに眉を下げながら答える。

 

「私は全くわからなかったわ~……でも、実は天龍ちゃんは敵の様子がおかしい事には気付いていたみたいなんだけど~……大破してて報告するのを忘れてたのよねぇ……」

「チッ、その目を見込まれて哨戒に向かった意味が無いな。話にならん」

「ぐっ……わ、悪ィと思ってるよ」

 

 那智に睨まれ、天龍も自分のミスを認めて、言いたい言葉を飲み込んだようであった。

 天龍が帰投した時には、まだ先遣隊は出発していなかった。

 故に、しっかり報告が出来ていれば対策が練れていたかもしれないという事は否定できない。

 天龍の観察力を見込んで夜間哨戒に向かわせたというのに、肝心の報告を忘れていたでは、話にならないと言われてしまっても仕方が無い事であった。

 居心地が悪そうに目を逸らしている天龍を一瞥してから、大淀は言葉を続ける。

 

「いえ、私が()いていたのです。何故、提督が昨夜のうちに夜間哨戒を行ったのか……ちゃんと考えてから先遣隊を出撃させるべきでした。申し訳ありません……」

「提督は先ほど、私の立案した計画を一目見て……一目見ただけで、先遣隊の力量が適切であったかと疑問を抱いていました」

「お優しい御方です……提督は、自らの過ちに気付けなかった私を一言さえも責める事なく、ただただ(ねぎら)って下さって――」

 

 悔しさのあまり涙が出そうになるのを必死に堪える大淀に、香取が優しく声をかける。

 

「大淀さん。提督はあの時、鹿島と私にも問いかけましたが……わかっていなかったのは私達も同じです。お気持ちはわかりますが、そう自分を責めないであげて下さい」

「香取姉の言う通りです。私も自信満々に答えたのに……提督さんの領域、遠すぎます……」

 

 鹿島も自信を無くしてしまったかのように、しょんぼりと肩を落としながら呟いた。

 唇を噛み締める大淀の耳に、長門の力強く、しかし優しく大らかな声が届く。

 

「大淀、提督の領域に最も近いお前ですら予測できなかった事だ。鹿島達だけではなく我々も同じ事……お前を責める者など誰もいないよ」

「長門さん……」

「そしてその気持ちは提督だって同じはずさ。深く眠っていた提督の代わりに作戦を仕切ったお前に、提督も心から感謝しているだろう。だからお前を責めたりなどしないし――我らの失態をそのままにするつもりも無い。今回の出撃はそういう事だろう?」

 

 長門の言葉に、大淀は目元をぐしぐしと袖で拭い、気持ちを切り替えるように、俯きがちだった顔を上げた。

 そう――落ち込んでいる暇など無い。

 こう話している今もまだ、時雨達の安否は確認できていないのだ。

 彼女達の事が特に気にかかっているのであろう、川内が落ち着かない様子で口を開く。

 

「それより大淀、こんな悠長に喋ってる暇なんて無いんじゃないの? 早くしないと時雨達が――」

「あっ、申し訳ありません……気持ちを切り替えます。それと、実は先ほど、鳳翔さんが提督からの伝言を伝えに来て下さりまして……出撃時刻はヒトナナマルマルと」

「ヒトナナマルマルか……結構余裕あるね。提督が言うんなら文句は無いけど、随分とのんびりしてるね。手遅れになったらどうすんのさ」

 

 いつも朗らかな川内が珍しく、少し苛立ったようにそう言った。

 その気持ちは、今回の一件において責任がある大淀にもよく理解できている。

 一刻も早く出撃したいという気持ちはあるが、提督命令である以上は仕方が無い。

 川内の後ろに並んでいた神通が、窘めるように声をかける。

 

「川内姉さん、あのお優しい提督が悠長に構えていると思いますか。時雨さん達の安否が知れないこの状況を……」

「わかってるよ! でも時雨達の事を考えたら……!」

 

 焦りと苛立ちを抑えきれないのだろう、川内さんが苦々しげにそう言った。

 それを聞いて、大淀は少し躊躇してから、川内達に声をかける。

 

「実は……提督は、今回の出撃について、時雨さん達の事を諦める覚悟をしているようでした」

「えっ……⁉ う、嘘でしょ、あの提督が……⁉」

「はい、私に今回の出撃について一通り指示した後で、提督はこう仰りました。『無理を言っているのはわかる。もしも無理だというのなら、私も諦めるしかない』と……。あの心優しい提督に、私達を失う事を何よりも悲しむ提督に、そこまで覚悟させてしまったのは、私の責任です……申し訳ありません……」

 

 大淀が頭を下げると、黙って話を聞いていた足柄がゆっくりと口を開く。

 

「あの提督が時雨達を失う覚悟までして、そこまで言うなんて……つまり今回の出撃は相当厳しい戦いになると予想しているという事ね……」

「あぁ。そうなると、奴も悠長に構えてはいないだろう。おそらくは出撃時刻までのこの時間さえ、奴の考えた最善手に関わっているのだろうな」

 

 那智と足柄の会話を聞いて、神通はその拳を固く握りしめ、声を震わせた。

 

「……川内姉さん、私、悔しいです。自分自身の弱さが……」

「え?」

「だって、そうじゃありませんか。なんとなく、私にはわかります……おそらく時雨さん達を危険に晒すこの時間も、その他にも、提督は様々な手を打っています。それは、時雨さん達のためではなく……私達の弱さを補うためにです。私達がもっと強ければ、私達がもっと頼りになれば、提督はそんな手を打つ事もなく、すぐにでも出撃させる事ができたでしょう。私達が弱いから、頼りにならないから、提督が想定している敵に対して力不足だからこそ、提督は時雨さん達を失う覚悟までして……私達のために、様々な手を打っているのです……!」

「この時間は、私達のために……? 時雨達を危険に晒してまで……⁉ そ、そんな……」

 

 川内は言葉を失ってしまった。

 何をのんびりしているのだ、そんな暇は無い――無駄な時間だと考えていたそれこそが、他ならぬ自分達の弱さを補うためのもの。

 自分達がもっと強かったならば、頼りになったならば、川内が望む通りに、すぐにでも出撃できたのだ。

 誰よりも何よりも、時雨達の事を気にかけているであろう優しい提督に、時雨達を諦める覚悟をさせてしまったのは、他ならぬ自分達――。

 時雨達を危険に晒す時間を増やしているのは、自分達の弱さ故に――。

 その推測は、今までの提督の行動や発言と矛盾していないという事に、艦娘達も気が付いたようであった。

 川内は顔を上げて、大淀に問いかけた。

 

「……大淀。提督が急に改二実装艦の観察を始めた事も……それと関係あるって事?」

「はい、おそらくは……。あの時も、提督は何か焦っているような様子でした。つまり、すぐに出撃するよりも先に、一刻も早く優先しなければならなかった事であると考えてもいいでしょう」

「提督は否定してたけど、文月に改二が実装されたのは、あれ絶対提督の力だよね……なんか皐月まで実装されちゃったし。って事は――」

 

 川内が言葉を続ける前に、大淀は頷いて言葉を返した。

 

「はい。やはり今回の戦いは、今の私達の力を持ってしても、相当厳しいものであると推測できます。故に、私達自身の更なる改装を戦力強化の一つの手段として考えたのだと思われます。長門さん達が提督への信頼を深めたら、更に強くなれるか、なんて的外れな事も仰っていましたし……」

「すでにこれ以上ないくらい信頼しているとは思ってもいなかったとはな……つ、つまりこの長門の力は期待外れだったという事かッ⁉ 私は先ほど、全力を見せたつもりだぞっ⁉」

「ですから、私達はまだまだ弱いんですよ……提督の求める領域には至っていないという事です」

 

 神通の言葉に、長門は肩を落としてしまった。

 強者揃いの横須賀鎮守府と呼ばれており、その自負が無かったと言えば嘘になる。

 横須賀鎮守府の艦娘達の自信や自負は、提督の領域という圧倒的な格の違いの前に砕け散ってしまったのだった。

 肩を震わせながら落ち込む長門に構わず、川内は首を傾げながら言葉を続ける。

 

「でも、結局何もしなかったね。文月で何かを掴んだのは明らかだし、それなら他の艦にも提督パワーとやらを与えて回ったりするかと思ったんだけど、提督パワーの存在すら否定してたし。明らかに嘘っぽかったけど……」

「それを頼りにされすぎても困ると考えたのかもしれません。検証した以上は、提督なりに何か考えがあるとは思うのですが……」

 

 大淀ですら、まだ提督が何を考えているのか推測できていないようであった。

 ならば、私達がこれ以上考えても仕方が無い。

 川内を始めとした他の艦娘達もその結論に至ったようで、彼女達はそれ以上、その事について考える事を止めた。

 一人で納得がいったような顔をして頷いている利根が、大淀に問いかける。

 

「ふむ。火急の事態だというのに装備の片付けを優先させたのも、それが必要だったからというわけじゃな」

「はい。もっとも、提督が倉庫の整理を命じられたのは私の計画書を見る前の事でしたから、装備の整理については今回の事態は関係なく、当たり前に行っておくべき事だったのですが……」

 

 もしも提督があの時、倉庫の整理を命じていなかったら。

 整理整頓を習慣づける事を説いていなかったら。

 今もまだ出撃の準備は完了していなかったかもしれない――大淀はそれを考えて恐ろしくなってしまった。

 日頃の行いが良かったから、とはこういう事を言うのだろう。

 提督が日頃から心がけていた事によって、出撃の準備を手早く整える事が出来た。

 これは決して幸運などでは無い。提督の日頃の行いが引き寄せた必然なのだ――大淀はそのように考えていた。

 

「主力艦隊の装備ですが、一部の艦については提督から指定がありました。ただ、最近使っていなかったものや、その……把握できていなかったものもあり、全ての装備を一度確認する必要があったのです」

「なるほどのぅ……なんじゃ? そんな難しそうな顔をして」

「い、いえ。何でもありません。それでは、各艦の装備を読み上げていきますので――」

 

 提督から指示があったメモを読み上げながら、大淀は不意に、夕張と目が合った。

 夕張もまた、疑問と諦めが混ざったような、何とも言えない微妙な表情で小さく首を傾げたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 全ての艦に装備の振り分けが終わったところで倉庫に入ってきたのは、鳳翔、間宮、伊良湖――そして提督であった。

 艦娘達は瞬時に隊列を整え、提督に数々の疑問を投げかけたい気持ちを堪えながら、真剣な表情で口を噤む。

 先ほどのイムヤの轟沈騒ぎであそこまで取り乱した提督である。

 時雨達の事を考えれば、落ち着いていられるはずもない。

 提督は普段と変わらず凛々しさの溢れる表情であったが、その奥には今にも爆発しそうな衝動と感情が必死に抑え込まれている事が、艦娘達にも何となく理解できていた。

 

 鳳翔、間宮、伊良湖はその手にお盆を持っており、その上には見慣れた戦闘糧食の包みが載せられている。

 鳳翔は艦娘達に向けて小さく微笑み、落ち着いた声で話し出した。

 

「明日の夜明けまでの戦いになりそうだという事で、戦闘糧食を用意しました。ふふっ、今回は提督も手伝ってくれたんですよ」

「何……⁉」

 

 その言葉を聞いて、艦娘達の表情がこわばった。

 おそらくは多くの者が表情を緩め、わあっと歓喜の声を上げたい気持ちだったであろう。

 しかし、今も安否不明な時雨達、それを思う提督の心中を察すれば、そのような顔が出来るはずもない。

 故に艦娘達は、提督の前で不謹慎な態度を出さないように、何とか真剣な表情を保ったのだった。

 しかし、艦娘達のその鋭い瞳は、戦闘糧食の包みに僅かな違いが無いかと凝視しているように見えた。

 提督が手ずから握った握り飯――慈愛に満ちた提督の真心が、愛情がたっぷりと込められている事は明白であったし、あの提督が握った握り飯はどのようなものなのか、単純に興味もあったのだろう。

 

 長門が鳳翔達の持つお盆の上に並べられた包みを見比べながら、小さく尋ねる。

 

「……参考までに訊ねるが、提督の握ったものはどれだ……?」

「ふふっ、秘密です。皆、平等にいきましょう」

「……やむを得んか……」

 

 長門と鳳翔のやり取りを見て、提督が何かを堪えているような表情で小刻みに震えていた。

 取り乱す事のないように必死に取り繕っているようであったが、やはり時雨達の事で頭がいっぱいなのであろう――。

 提督から、より一層悲痛な雰囲気を感じ取り、艦娘達の決意と気合もより引き締まる。

 重苦しい雰囲気の中で、提督は大淀に歩み寄り、三つの手提げ袋を手渡した。

 大淀が中を覗き見ると、戦闘糧食の包みが三つずつ、それぞれの袋に入っていた。

 

「これはまだ出撃中の時雨達の分だ。お前達は、まずは周囲を捜索して、見つけたら渡してやってくれ」

「はっ。三つあるのは……各連合艦隊でひとつずつ持っていくという事ですね」

「うむ。お前の計画通りならA島方面だとは思うが、まぁ念には念を入れてな。入れ違いで帰って来られては困るからな……」

「? どういう……意味でしょうか……?」

 

 時雨達の安否確認は、提督が誰よりも何よりも気掛かりであるはず。

 たとえ連合艦隊と入れ違いになろうとも、無事に帰って来られたのならばそれに越した事は無い、と考えるのは普通であろう。

 だが、安心するでもなく、困るとは――?

 大淀は提督の言葉の意味がわからず、ほぼ反射的に疑問を口にしてしまった。

 その数瞬後には、考える事もなく疑問を投げかけてしまった事に気付き、提督を激怒させてしまうのではないかと思い、顔を青ざめさせてしまったが――提督は怒る事もなく、大淀の問いに答えたのだった。

 

「うむ、時雨達なのだが……合流できたらまず体調を確認してやってくれ。そして、もう戦えないようだったら帰投させて構わない。だが、本人達がまだ戦えると言うのであれば、お前達と一緒に行動させて翌朝帰投してほしいのだ。だが、決して無理はさせないでほしい」

「は、はっ。了解しました。……ちなみに、こちらは提督が?」

「あ、あぁ。一応な。元々は時雨達の分だけ握ろうと思っていたのだが、間宮達が皆の分も握るというから、そちらもいくつか手伝う事になってな……いや、私は断ったのだが、間宮と鳳翔さんが」

 

 元々説明する予定だったのか、提督を怒らせる事が無かったので胸を撫で下ろした大淀であったが、気が抜けたせいか妙な事を訊いてしまった。

 確実に提督の握り飯を食べられる時雨達に若干の羨ましさを感じつつも、そもそも食べられる状態にあるのか、いや、まず無事であるのかさえ判明していない事に気付き、緩んでしまった頭に活を入れる。

 そこに、赤城が真剣な表情で右手を挙げ、提督に問いかけた。

 

「提督。時雨さん達と合流しなかった艦隊は、その分余る事になってしまいますが、いかがいたしましょう」

「え? そ、そうだな。食べ物を粗末にするのは良くない。できれば誰かに食べてほしいのだが……そこは皆で決めてくれ。……なるべく喧嘩しないようにな」

「了解しました。穏便にですね」

 

 真顔でそう言った赤城に、提督は若干動揺しているようであったが、気を取り直すように咳払いをして艦娘達を見渡した。

 

「あ、明石は工廠で待機しておいてほしい。もしも大破して帰投してきた艦がいた時には、対応してもらいたい」

「はいっ」

「鳳翔、間宮、伊良湖も基本的には明石と同様、何かあった時のために甘味処で待機。明石もだが、今夜は指示があるまで絶対に持ち場から離れないように」

「はい。しかし提督、晩御飯は……まさかまたご無理をなさるつもりでは……」

「も、勿論、今から食べるつもりだぞ。無理もしない。今夜は長くなりそうだからな……精のつくものを頼もうか。昼と同じくらいな」

「は、はいっ! お任せ下さいっ!」

 

 張り切った様子で答えた間宮に、提督も満足気に小さく頷く。

 そして再び艦娘達を見回し――朝潮、大潮の後ろに並ぶ満潮に視線を合わせると、歩み寄って膝を折った。

 

「満潮。しっかり身体は休めたか? 無理はしていないか?」

「……おかげさまで。それより、私を編成したのは、妙な気を遣ったんじゃないでしょうね」

 

 それは満潮が立ち直った証であるとも言えるが、相変わらず捻くれたような物言いに、朝潮は慌てて振り向いた。

 確かに今までにない連合艦隊であったが、提督自らが考えた編成にケチをつけるような言葉だったからである。

 だが、提督はまるで手慣れたものであるかのように、満潮と視線を合わせながら淡々と答えた。

 

「いいや。私が必要だと思ったからだ。今夜の編成には、お前の存在が必要不可欠だとも言える……嫌か?」

 

 満潮はぐっと言葉に詰まってしまったが、すぐに提督の目を睨み返しながら吐き捨てるように言葉を返した。

 

「っ……! そこまで言われたのなら……私が出なきゃ話にならないじゃない!」

「うむ。気負い過ぎないようにな。今のお前ならきっと大丈夫だ」

「ふ、ふんっ! どうかしらね! ……でも、力は尽くすわ」

 

 そう呟いた満潮に、提督はどこか安心したかのように「よし」と呟き、頭にぽんと手を置いた。

 そうして立ち上がろうとした提督であったが、そこに山雲が気の抜けたような声をかけてくる。

 

「ねーねー、司令さ~ん? ちょっといいかしら~?」

「なんだ?」

「あ、あの、司令? 自分で言うのもなんだけど、私と山雲は皆と比べてちょっと練度低いんだけど……大丈夫かな?」

「私と朝雲姉は~、艦娘として現れるのが遅かったのよー。ねー?」

 

 現在、艦娘として現れている朝潮型の中で、朝雲と山雲は最も発見が遅かった。

 他の者達はこの戦いが始まった初期から見つかり、数々の戦場を潜り抜けてきた強者揃いであり、その練度の差は小さなものではない。

 特にこの一年間、前提督の指揮下では出撃の機会など皆無であったのだから、猶更である。

 今は提督への信頼によって練度が底上げされているとはいえ、艦娘としての戦闘経験自体が他の朝潮型の面子と比べて少なかった。

 そんな朝雲、山雲が連合艦隊に参加するというのは、やはり不安だったのであろう。

 提督は少し考え込んだ後で、二人の肩にぽんと手を置いて言ったのだった。

 

「そうだな……だが、不安はあるとは思うが、今夜はあえてお前達にも出てもらいたいんだ。たとえ練度が低くても、今夜はお前達の力が必要なんだ」

「フッ、心配するな。お前達の連合艦隊旗艦はこの長門だ……文字通り大船に乗ったつもりでいればいいさ。お前達には傷一つつけさせやしないよ」

 

 すでに改二を発動した状態の長門が、提督の背後から朝雲達に声をかけた。

 その自信に満ち溢れた言葉に、提督は振り返る事なく言葉を続ける。

 

「う、うむ。そういう事だ。長門がついていればまず大丈夫だろう」

「フフフ……返せと言われても返さないぞ」

「頼もしいのと同じくらい、なんか不安なんだけど……」

「ねー?」

 

 腕組みをしながら満足気に頷く長門を、朝雲は若干引いたような目で見ていた。

 何とか納得してくれた様子の二人に、提督は立ち上がって再び艦娘達の前に戻ろうと踵を返す。

 口を半開きにしてガクガクと震えている朝潮とすれ違った辺りで、提督を呼び止めたのは龍田であった。

 怪訝そうに眉をひそめながら、提督は手招きする龍田のもとへと歩み寄る。

 龍田は背伸びをして、提督に耳打ちするようにこう囁いた。

 

「うふふ……提督パワーって本当にあるのかしら~? もしもあるのなら、天龍ちゃんにもお願いしたいんだけれど~……」

 

 それを聞いて、提督は目を丸くして龍田を見下ろした後、呆れたように溜め息をついた。

 そしてきょろきょろと辺りを見回し、皐月を見つけると指を差して声を上げる。

 

「こらっ、皐月! さては言いふらして回ったな、こいつめ!」

「ボ、ボクは知らないよぉ~?」

 

 白々しく視線を逸らしながら誤魔化す皐月に、提督も困ったように頭を掻いて大淀に目を向ける。

 

「まったく……大淀!」

「はっ。虚偽の情報の流布に対する懲罰についてですね」

「違う、そうじゃない! お前の方から改めて周知しておいてくれ。そんなものは存在しない、とな」

「りょ、了解しました……」

 

 提督と息が合わなかった故にか、微妙に恥ずかしそうに肩を落とす大淀を尻目に、提督は龍田へと向き直った。

 

「しかし、龍田ともあろうものがどうしたんだ……いつものお前なら逆にお触り禁止とか言うところだろう」

「提督の言う通りだぜ。龍田お前、なに馬鹿な事言ってんだよ」

 

 提督と天龍に呆れた視線を向けられて、龍田はどこか寂しそうに答える。

 

「……だって、強くなるに越した事は無いじゃない? 天龍ちゃんも、もっと強くなりたいでしょう?」

「ったく、わかってねぇな……オレは強くなりてぇなんて思った事は一度もねぇよ。フフフ……何故なら元々強いからだ」

 

 自信満々にそう言い切った天龍に、那智を始めとした艦娘達からひんやりとした視線が集中した。

 龍田も諦めたように、悲しげに視線を落とす。

 しかし、その中で唯一、提督だけは天龍に対して、否定や哀れみの視線を向けずに、当然と言った風に言ったのだった。

 

「うむ。その通りだ。天龍はすでに強いからな」

「おっ! 何だよ提督、わかってんじゃねぇか! 世界水準軽く超えてるからなぁ~! へへっ、今回も旗艦に選んでくれてありがとな!」

「あぁ、旗艦のお前が六駆の皆を守ってやってくれよ。特に暁は怖がっていたようだったから……」

「し、司令官っ! しーっ!」

 

 慌てて口元に指を立てる暁の頭を撫でながら、提督は再び龍田に目を向けて、言葉を続けた。

 

「まぁ、天龍は二日連続で大破したからな……お前が心配する気持ちもわかるよ。皐月の言ったでたらめに縋るほどだものな……」

「……」

「だが、龍田。これは、その……あくまでも私の考えなのだが、欲し、望まない限り人は成長しない。何かを成す際に、モチベーションというのはとても大切なんだ。話を聞く限り、天龍は自分の強さにすでに満足しているだろう? 満ち足りているのにそれ以上を求める必要は無いし、求める事は出来ない……と、私は思っている。天龍が自分の強さに満足しているのなら、これ以上強くなる必要は無いんだ」

「……でも、それじゃあ」

「なるほどっ! 強くなるにも『欲望』が必要という事ですねっ⁉」

 

 二人の会話に割って入ったのは、興奮したように鼻息を荒くしている鹿島であった。

 先ほど教えられた事に繋がる何かを掴んだ故にであろうか、提督を見上げてキラキラとその目を輝かせる。

 対する提督はどこか困ったように顔を引きつらせていたが、気を取り直すように口を開いた。

 

「う、うむ。鹿島達には先ほど教えたな。そういう事だ。よく理解できているな」

「えへへっ、はいっ!」

「まぁ、龍田。つまり、天龍本人が満足しているのなら、お前がいくら急かしても意味が無いんだ。逆に天龍自ら、更に力を欲し、望んだのであれば、その時自然に成長するはずだと思う……焦らなくてもいいんじゃないか?」

「……そうねぇ……ふふ、ごめんなさいね~、変な事を言ってしまって」

 

 提督の言葉にどこか思うところがあったのか、龍田はいつもの調子で小さく笑みを浮かべた。

 そんな龍田に、天龍は腕組みをしながら自信満々に言ったのだった。

 

「へへっ、オレの事を気にする前に、自分の事を気にしろよな! まぁ、オレと龍田は今んとこ互角だから、お前も最強なわけだが」

「……そうね~……」

 

 龍田は物憂げにそう答えて、視線を逸らしたのだった。

 大淀の隣へと戻った提督は艦娘達に向き直り、時計に目を向けて口を開く。

 

「そろそろ時間だな……大淀、出撃準備は万全か」

「はっ」

「良し。では予定通り頼む。いいか、確認するが、大破した場合などの例外を除き、帰投するのは明日の朝だ」

「はい」

 

 提督は艦娘達に向けて言葉を続ける。

 

「出撃しない艦は持ち場、もしくは自室に待機。提督命令だ。必要時には私が指示をする。これに背いた場合は……あとで大淀に報告する」

「えっ? あ、はい。了解しました」

 

 心優しい提督の事だ。適当な懲罰を考えるのは苦手なのであろう。

 それに、そんな事を考えさせる時間が勿体ない――大淀はそのように理解した。

 提督は艦娘達の隅に控える金剛に目を向けて、僅かに躊躇した後で、口を開く。

 

「そ、それと……コ、コン、金剛は、日が沈んだら、執務室に来て下さい」

「ハァイっ! 了解デースっ!」

 

 何故か提督が敬語だったのが気になるが、やはりこの後に想定されている戦いは只事では無い故にであろう、と艦娘達は考えた。

 本当は提督も狼狽えているのだ。だが出撃する自分達にそれを見せないように、必死に押し隠しておられる……。

 出撃時刻が遅れてしまったのも、自分達の力不足を補うために手を打った結果だ――時雨達の身を案じている提督としては、気が気でないのが当然だ。

 

 ほんの一瞬漏れてしまった提督の動揺、本音に、艦娘達の心は強く引き締められた。

 この悔しさは忘れない――自分達の弱さ故に、提督に最善手を打たせる事が出来なかった、この悔しさは。

 

 大淀が第二艦隊旗艦の位置に整列し、提督に向かい合う。

 提督は目を瞑って大きく深呼吸し、それを数回繰り返した後にカッと目を見開き、凛とした声を発したのだった。

 

「出撃だッ‼ 基本的には陣形を保ち、戦況に応じて高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に! 連合艦隊という形にこだわらなくても良い! 何でもいいから、明朝までに鎮守府近海の深海棲艦を全て撃滅するつもりで戦えッ! だが大破した者は無理せず帰投だ! いいなっ!」

「了解ッ‼」

 

 ――ヒトナナマルマル。

 横須賀鎮守府主力連合艦隊――抜錨。

 まだ明るい空には、薄く満月が浮かんでいた。

 それはまるで、これから始まるであろう一部始終を見守るべく、席に陣どっている観衆のようだった。

 結末は――艦娘も、提督も、満月さえも、未だ誰にもわからない。

 水平線を朝日が照らす、その瞬間(とき)まで――。




大変お待たせ致しました。
前書きにも書きましたが、色々と考えがありまして、第五章の艦娘視点は三人称での執筆に挑戦してみたいと思います。
慣れないもので、筆力や語彙力の不足によりクオリティが落ちると思われますが、ご容赦頂けますと幸いです。

春イベの堀りが思った以上に厳しい事もあり、なかなか執筆の時間が取れませんでした。
あとフレッチャー、アイオワ、ガングート、朝風を掘らねばならないというのに燃料が十万を切りかけ、我が弱小鎮守府は現在備蓄にシフトしております。
ちょっと今回のドロップ率厳しすぎるような気がしますが、提督の皆さん最後まで頑張りましょう。

ちなみに第五章は提督視点がほとんど無い予定です。
予定通り終わらせる事ができるように頑張りますので、次回の更新も気長にお待ち頂けますと幸いです。


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059.『最善手』【提督視点】

「あら、提督……! うふふ、どうされたのですか? まだお夕飯には早いと思うのですが」

 

 結婚したい。

 甘味処間宮に再び姿を現した俺の姿を見るやいなや、嬉しそうに駆け寄ってきた間宮さんに、俺は心の中で鼻の下を伸ばした。

 いや、今夜は金剛との一大決戦が待っているのだ。

 今だけは横須賀十傑衆第一席間宮さんよりも、第二席の金剛に俺の持てる全力を注がねば。

 順序の問題だ。まずは金剛による筆下ろし。大人の階段を昇る事……それが最優先だ。

 モテる男がモテるという、モテスパイラルなる法則があるらしいが、つまり男として自信をつけるという事はとても大事なのである。

 童貞を捨て、男として自信をつけた俺は、いずれは間宮さんとも……そして他の艦娘達の心も掴み、艦娘ハーレムを高速建造する……!

 その為の一手として、俺は再びここに足を運んだのだ。

 

「いや、夕飯を食べに来たのではない。実は、今から皆に出撃してもらうんだ。明日の朝までの予定だから、皆に戦闘糧食を準備してほしい」

「出撃ですか……了解しました。急いでご用意します」

「うむ。それで、まだ時雨、夕立、江風が出撃しているのだが、三人にもそのまま継続して戦ってもらうつもりでな。三人の分は私が握る」

 

 そう、大淀が俺の童貞喪失計画を許可してくれた時点ですっかり浮かれていた俺であったが、そこでひとつの穴に気が付いた。

 大淀の指示によりすでに出撃しており、まだ帰投していない時雨達の存在である。

 このままでは、他の艦娘達を出撃させたとしても入れ違いで戻ってきてしまう。

 出撃して疲れているのだ、ゆっくり休んでくれればいいのだが……オータムクラウド先生によれば、川内は夜になると騒がしくなる習性を持つ事で有名らしいが、時雨、夕立、江風の三人もそれによく絡んでいるらしい。

 あの雰囲気が犬みたいな三人組……特に、時雨は昔おばあちゃん家で飼っていたシベリアンハスキーのグレイに、夕立はゴールデンレトリバーのダッチに雰囲気がよく似ている。

 ダッチの方はたまに夜になると遠吠えしていたからな……。あれはうるさかった。

 

 想像してみろ。もしも俺と金剛がいいムードになり、いざ、事に及ぼうとした時に――。

 

「ぽーい! 夜っぽーい! ぽっぽーい! ぽーい!」

「そろそろ夜戦の時間か……騒がしくなるね」

「きひひっ、よーし夜戦突入だ! 魚雷戦用意! 突撃だ! 続けェェエエ‼」

「ぽーい! ぽっぽーい! ぽいぽいぽーい!」

 

 ムードがぶち壊しではないか。特に夕立の夜鳴きが致命的すぎる。

 まさに早漏者(ソロモン)に悪夢、見せてあげるってやかましいわ。

 こうなると恐らく、「今夜はそんな雰囲気じゃ……」という流れになり、また次の機会にとなるであろう。

 だが、策に策を重ねて得られた千載一遇のこの機会……もはや今夜を逃しては二度と訪れないと言っても過言では無いだろう。

 素敵な童貞喪失(パーティ)など夢のまた夢。

 念には念を入れて、何としても奴らを帰投させるわけにはいかん……!

 危ないところであった。オータムクラウド先生本当にありがとうございます。

 

 しかし、艦娘はその気になれば数日寝なくても大丈夫だとは聞いているが、俺の都合で一日中出撃させるのも悪い。

 時雨達に俺自ら戦闘糧食を握ろうというのは、俺なりの謝罪の印であった。

 特に夕立だが、あいつらは結構俺に対して友好的だったからな……。

 間宮さん達に用意してもらったものを手渡すだけというのは味気ないが、俺自ら心を込めて握った戦闘糧食で餌付けした方が、心証がいいような気がする。

 まぁ、心といっても下心満載の握り飯になってしまいそうだが……。

 無論、そんな事は時雨達には内緒である。

 股間の刃に下心ありと書いて忍び。時雨ェ! 俺は大人になるってばよ! 早く夜戦~!

 

 俺の言葉を聞いて、間宮さんは僅かに驚いたように目を丸くしたが、すぐに顔の前で手を合わせて笑顔を浮かべる。

 

「それはいいですね! 時雨さん達もきっと喜ぶと思いますよ」

「そ、そうか? そうだと嬉しいのだが……」

「それではすぐに皆さんの分もご用意しないとですね。鳳翔さん、伊良湖ちゃん!」

 

 俺達の会話を聞いていた鳳翔さんと伊良湖も、こくりと頷いて手際よく準備を始めたのだった。

 途中で、鳳翔さんに大淀への伝言を頼む。

 戦闘糧食を握る時間を考慮して、出撃時刻をヒトナナマルマルに設定したのだ。

 その後、少し目を離した隙にいつの間にか大量の米が炊けていた。

 どういう事なのか間宮さんに訊ねたが、立てた人差し指を唇に当て、ウインクしながら「ふふっ、給糧艦ですから」としか答えてくれなかった。結婚したい。

 

 丹念に、下心を込めて戦闘糧食を握る。

 妹達の弁当を作っていた頃を思い出す。俺は結局、どんなに練習しても上手く三角に握る事ができなかったので俵型である。

 まぁこれも綺麗だとは言えないが……。

 一人に二個ずつ、つまり六個握って終わりにするつもりであったが、万が一のことを考えて更に十二個握った。

 A島方面の艦隊に持たせればいいかと思っていたが、必ず出会えるとは限らないからである。

 ルートによってはぐるっと回ってB島、C島方面から帰って来ることもあるかもしれない。

 そうなると、せっかく握ったのに渡す事ができず、飯抜きで一晩戦わねばならなくなるからだ。

 それは流石に可哀そうなので、どこで出会っても大丈夫なように、全ての艦隊に時雨達への戦闘糧食を持たせる事にしたのである。

 

 なんとか自分の仕事は終わり、間宮さん達の方に目を向けると、間宮さんと鳳翔さんが何故かいたずらっぽい視線で俺を見ていた。

 

「時雨さん達の分は終わったのですね。こちらはもう少し時間がかかりそうで……よろしければ手伝って頂けませんか?」

 

 鳳翔さんの言葉に、俺は反射的に断りの言葉を口にしていた。

 

「い、いやいや。時雨達はともかく、私が握ったとなると皆に悪い」

「まぁ、そんな……」

 

 鳳翔さんと間宮さんは揃って首を傾げていた。

 一体何を考えてそんな事を提案したのかはわからないが、鳳翔さん達三人が握ったものを見れば、俺のものとは比べ物にならないほど綺麗に握られている。

 まるで機械で握ったかのように大きさも揃っており、形も綺麗な三角形だ。

 それでいて、不思議と人が握ったという素朴な温かさのようなものが見るだけで伝わってくるほどだ。

 俺の握ったものは、三人が握ったものに比べれば大きさも不揃いで、形も(いびつ)だ。

 いや、俺のものも一般的には普通レベルだとは思うので、比較対象のレベルが高すぎるだけなのかもしれないが……。

 ともかく、鳳翔さん達が愛情を込めた握り飯に、俺が劣情を込めた握り飯を並べるなど恥ずかしすぎるし、それを食べる艦娘達にとってもロシアンルーレットのようなものではないか。

 完全に俺のものはハズレである。英気を養うどころか削ぎ落としてしまう可能性もある。

 それはあまりにも申し訳無さすぎる。

 

「大丈夫ですよ! ちょっとしたサプライズです。私達が握ったものよりも喜んでくれるかもしれないですよ?」

 

 結婚したい。

 俺に好意的なのはありがたいが、ひょっとして間宮さんは他の艦娘達の俺に対する評価を理解していないのではないだろうか?

 そりゃあ大天使間宮さんは俺なんぞが握った戦闘糧食でも笑顔で食べてくれるかもしれないが……。

 艦娘達にとっては悪い方向のサプライズにしかならないと思う。

 鳳翔さんも何を考えているんだ。あえて俺に恥をかかせるような真似を……。

 

「い、いや、三人の握ったものと一緒に並べるのは流石に恥ずかしい……」

「ふふっ、十分綺麗に握られてるじゃありませんか。それに、皆そんな事は気にしないですよ。特に赤城さんは何でも美味しそうに食べてくれますから」

 

 俺の下心満載の握り飯でもだろうか……そりゃあ、あの赤鬼を餌付けできるならそれに越した事は無いが……。

 着任初日もそうだったが、鳳翔さん俺に対して結構厳しいからな……。

 俺の評判の悪さを理解していなさそうな間宮さんはともかく、スパルタな鳳翔さんまでもがそう言うのであれば、何か理由があるのかも……。

 それこそ、時雨達だけではなく、他の艦娘も餌付けしろという事か……?

 最初からそれなりに友好的だった夕立達はともかく、俺がおむすび握っただけで喜ぶような、そんなに単純な者は多くないと思うのだが……。

 あの鬼畜艦隊がそんな単細胞生物みたいな奴らであれば、俺だって苦労はしない。

 しかし赤城や加賀ですら恐れるという鳳翔さんにこれ以上逆らうのもまずい。

 

「……わ、わかった。口にする皆には申し訳ないが、手伝わせてもらう事にするよ」

「うふふ、はい。よろしくお願いしますね」

 

 間宮さんと伊良湖の給糧艦の力とやらを使えば一瞬で準備できるような気もするが……間宮さんはニコニコと俺を見て、それ以上握ろうとしていない。

 伊良湖も間宮さんの顔色を(うかが)って、俺に申し訳なさそうに手を止めている。

 どうしても俺に握らせたいという力が働いているようだ……。

 こうなってしまっては仕方が無い。もはや俺にできるのは、文句を言わなそうな面子に配られる事を祈る事だけであった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 下心を混ぜ込んだ握り飯も何とか作り終え、鳳翔さん達と共に倉庫に向かう。

 倉庫の中では、すでに大淀が準備を整えていてくれたようで、艦娘達が綺麗に整列していた。

 何人かの艦娘は俺の顔を見るなり何か言いたいのを堪えているような様子であったが、気付かない振りをして平静を装う。

 そんな事より早く金剛とヤリたい。早く大人になりたい。男として一皮剥けたい。

 今にも爆発しそうな衝動と感情を必死に抑え込む。

 

 鳳翔さんは艦娘達に向けて小さく微笑みながら、落ち着いた声で口を開いた。

 

「明日の夜明けまでの戦いになりそうだという事で、戦闘糧食を用意しました。ふふっ、今回は提督も手伝ってくれたんですよ」

「何……⁉」

 

 瞬間、艦娘達の表情が一瞬にしてこわばった。

 驚きや困惑など様々な感情が入り混じったものを何とか押しとどめているような、そんな印象を受ける。

 しかしほとんどの艦娘達はまるで獲物を狙うかのような鋭い瞳に変わり、鳳翔さん達がお盆の上に載せている戦闘糧食の包みを睨みつけている。

 旗艦として隊列の一番先頭にいたゴッさんが、鳳翔さんに小声で訊ねた。

 

「……参考までに訊ねるが、提督の握ったものはどれだ……?」

「ふふっ、秘密です。皆、平等にいきましょう」

「……やむを得んか……」

 

 凹む。

 そりゃあ俺の握ったものは食いたくないのだろうが、ここまで露骨に避けようとするとは……。

 しかも鳳翔さん、アンタ皆平等にって……やっぱりロシアンルーレット状態ではないか。

 話が違う。皆が喜ぶとは一体……!

 俺はあまりの悲しみに涙がこみあげてくるのを堪えるのに必死であった。

 なんとか小刻みに震える程度に留めた。

 

 いや、こんな事で凹んでいる場合ではない。

 気持ちを切り替えて、俺は大淀に歩み寄り、三つの手提げ袋を手渡した。

 

「これはまだ出撃中の時雨達の分だ。お前達は、まずは周囲を捜索して、見つけたら渡してやってくれ」

「はっ。三つあるのは……各連合艦隊でひとつずつ持っていくという事ですね」

「うむ。お前の計画通りならA島方面だとは思うが、まぁ念には念を入れてな。入れ違いで帰って来られては困るからな……」

「? どういう……意味でしょうか……?」

 

 珍しく、大淀も俺の意図を読み取れていないようであった。

 まぁ、夕立の夜鳴きによるムード破壊の可能性については、俺でなきゃ見逃しちゃうレベルに盲点だったからな……。

 オータムクラウド先生の情報が無ければ本当に危なかった。ダンケ。

 鎮守府近海は時雨達三人でも十分すぎるほど弱い敵しかいないはずなのだから、イムヤや満潮のような不測の事態が無い限りはおそらく危ない目にはあっていないだろう。

 連合艦隊と合流できれば、十分に戦い抜く事ができるはずだ。

 

「うむ、時雨達なのだが……合流できたらまず体調を確認してやってくれ。そして、もう戦えないようだったら帰投させて構わない。だが、本人達がまだ戦えると言うのであれば、お前達と一緒に行動させて翌朝帰投してほしいのだ。だが、決して無理はさせないでほしい」

「は、はっ。了解しました。……ちなみに、こちらは提督が?」

「あ、あぁ。一応な。元々は時雨達の分だけ握ろうと思っていたのだが、間宮達が皆の分も握るというから、そちらもいくつか手伝う事になってな……いや、私は断ったのだが、間宮と鳳翔さんが」

 

 俺の言い訳に大淀は興味も無さそうであったが、やはり俺が握ったという事は気になるのであろう。

 手渡された手提げ袋を、何とも言えない複雑な表情で見つめていた。

 ロシアンルーレットではなく俺の握り飯が確定している時雨達に、可哀そうに……とでも思っているのかもしれない。凹む。

 鳳翔さんが「鳳翔です」とでも言いたげな視線を俺に向けてきた。すみません、まだ呼び捨てに慣れなくて……。

 俺達の会話を聞いていたのであろう、赤城が真顔で手を挙げて、俺に向けて問いかけた。

 

「提督。時雨さん達と合流しなかった艦隊は、その分余る事になってしまいますが、いかがいたしましょう」

「え?」

 

 な、何だ……? 真顔すぎてなんかヤバい雰囲気を纏っている。

 そうか、時雨達と合流しなかった艦隊に持たせた分は余ってしまうな。

 普通に食べてもらいたいところだが、艦娘達にとっては罰ゲームだな……。

 つーか鳳翔さん、アンタ赤城は何でも美味しそうに食べるって言ってたのに……!

 率先して処分の方法を検討してんじゃねーか……!

 ともかく、食べ物を粗末にするのは駄目だ。押し付け合いになってしまうかもしれないが、誰かに食べてもらう事にしよう。

 

「そ、そうだな。食べ物を粗末にするのは良くない。できれば誰かに食べてほしいのだが……そこは皆で決めてくれ。……なるべく喧嘩しないようにな」

「了解しました。穏便にですね」

 

 赤城は真顔のままであった。何を考えているんだコイツは……!

 本当に穏便に決める気があるのであろうか……。

 後輩に無理やり押し付けるようなパワハラを働かない事を祈ろう。主に被害担当艦ことラブリーマイパンツ翔鶴姉とかに。

 相変わらず隙の無い赤城に空恐ろしさを感じつつ、俺は気を取り直して艦娘達を見渡した。

 

「あ、明石は工廠で待機しておいてほしい。もしも大破して帰投してきた艦がいた時には、対応してもらいたい」

「はいっ」

「鳳翔、間宮、伊良湖も基本的には明石と同様、何かあった時のために甘味処で待機。明石もだが、今夜は指示があるまで絶対に持ち場から離れないように」

 

 俺は間宮さん達に念を押すようにそう言った。

 着任当日、艦娘達に歓迎会への参加を拒否されて一人寂しく凹んでいた俺なんかの事を気にかけてくれた三人である。ダンケ。

 しかし、今夜だけは駄目だ。たとえ間宮さんといえども駄目だ。

 金剛と致しているところに鉢合わせでもしてしまえば、最悪の場合金剛とも間宮さんとも気まずくなってしまうかもしれん。

 鳳翔さんに見られたらただでは済まないだろう。

 

「はい。しかし提督、晩御飯は……まさかまたご無理をなさるつもりでは……」

「も、勿論、今から食べるつもりだぞ。無理もしない。今夜は長くなりそうだからな……精のつくものを頼もうか。昼と同じくらいな」

「は、はいっ! お任せ下さいっ!」

 

 間宮さんは嬉しそうにそう答えた。結婚したい。

 今夜は上手くいけば金剛型四姉妹を全員相手にする可能性があるのだ。

 まだ昼の精力料理の効果は十分に残ってはいるが、二重、いや三重にムラ付けしておく必要があるだろう。

 それに、一説によれば、緊張しすぎて本番で立たなくなり、それで気まずくなってしまう場合もあるという。

 せっかく時間も場所もムードもタイミングも整えたところで、立ち上がってくれなければ致せないのだ。

 常に荒ぶっている俺の長10cm砲ちゃんであるが、実戦となると今夜が初めてだ。

 意外と内弁慶かもしれんからな……打てる手は全て打っておくべきであろう。

 

 俺は艦娘達を見渡し、不安げに視線を落としている満潮の姿を見つけ出した。

 流石にあんな事があったばかりなのだ。少し気にかかってはいたのである。

 満潮のもとへと歩み寄り、膝を折って視線の高さを合わせる。

 

「満潮。しっかり身体は休めたか? 無理はしていないか?」

「……おかげさまで。それより、私を編成したのは、妙な気を遣ったんじゃないでしょうね」

 

 まるで妹の美智子ちゃんを思わせるような物言いであった。

 倉庫の中ではしおらしくなってしまっていたが、どうやらなんとか立ち直ってくれたようである。

 朝潮、大潮、荒潮などの姉妹達が力になってくれたのであろう。

 

 満潮は妙な勘ぐりをしているようであったが、あんな事があったばかりだというのに、また満潮を編成した理由はひとつしかない。

 ゴッさんが朝潮型を所望しているからである。

 いや、勿論それだけではない。智将たる俺にはちゃんと考えがあるのだ。

 まず、ここで満潮を気遣って、あえて満潮だけを編成から外したとすると、初日の失敗の二の舞だ。

 せっかく立ち直ってくれたというのに、またしても塞ぎこんでしまう可能性がある。

 

 それに、満潮がいないとなると、長門が満足してくれるかわからない。

 現在横須賀鎮守府に所属する朝潮型を全員編成したとなれば、長門は文句の言いようが無いであろう。

 だが、もしも長門が満潮とも仲良くしたいと思っていたとすれば、俺の編成に不満が残る……それでは意味が無い。

 

 先ほどは失態を犯してしまった満潮であるが、今度は連合艦隊で人数も多い。

 メンバーのほとんどは朝潮型の姉妹艦。

 出撃するのは、基本的には雑魚しかおらず、駆逐艦だけでも十分な鎮守府近海。

 引率者には横須賀鎮守府の頭脳大淀、横須賀のゴリスマ長門、俺の青春巡洋艦夕張、あとカメラマンの青葉だ。

 もはやピクニックではないか。戦闘になったとしても、危険な要素が思いつかない。

 長門は言うに及ばず、明石(いわ)く大淀も腕っぷしは強いらしいからな……。

 装備はグレムリンに言われるがままに積ませたが、それでも何とかなるだろう。

 満潮が汚名返上し、自信を取り戻すにはいいリハビリになるはずだ。

 

「いいや。私が必要だと思ったからだ。今夜の編成には、お前の存在が必要不可欠だとも言える……嫌か?」

「っ……! そこまで言われたのなら……私が出なきゃ話にならないじゃない!」

「うむ。気負い過ぎないようにな。今のお前ならきっと大丈夫だ」

「ふ、ふんっ! どうかしらね! ……でも、力は尽くすわ」

 

 うむ、いい感じだ。これならきっと大丈夫であろう。

 満潮の頭をぽんと軽く撫でて立ち上がろうとすると、隣の第二艦隊の方から間の抜けた声がかけられる。

 

「ねーねー、司令さ~ん? ちょっといいかしら~?」

「なんだ?」

 

 こいつは確か……山雲だ。

 常に朝雲にべったりしていて、一見穏やかな感じだが、朝雲に対しての愛が深すぎてちょっと闇が深そうな印象を受ける。

 朝潮型のこの独特な癖の強さはなんなんだ……。

 山雲の前に並んでいた朝雲が、おずおずと言葉を続けた。

 

「あ、あの、司令? 自分で言うのもなんだけど、私と山雲は皆と比べてちょっと練度低いんだけど……大丈夫かな?」

「私と朝雲姉は~、艦娘として現れるのが遅かったのよー。ねー?」

 

 ふむ。そう言えば確かに、『艦娘型録』によれば、この二人だけは他の朝潮型の面子と比べて練度が低かったな……。

 高い順で言えば朝潮、大潮、荒潮、霞。それより僅かに劣っていたのが満潮と霰。朝雲と山雲は一回りくらい低かった。

 艦娘として戦う経験がまだ浅いというのであれば、不安が大きいのも理解はできる。

 だが、この二人も貴重な朝潮型のメンバー。長門のご機嫌を取るためには一人たりとも欠ける事は許されないのだ。

 幸いにも今回の出撃は心強い引率者の方々と一緒のピクニック程度のものだ。

 気楽に実戦経験を積み、今後の糧として頂きたい。

 俺は二人の肩にぽんと手を置いて、励ましの言葉をかける。

 

「そうだな……だが、不安はあるとは思うが、今夜はあえてお前達にも出てもらいたいんだ。たとえ練度が低くても、今夜はお前達の力が必要なんだ」

「フッ、心配するな。お前達の連合艦隊旗艦はこの長門だ……文字通り大船に乗ったつもりでいればいいさ。お前達には傷一つつけさせやしないよ」

 

 俺の背後から、自信満々な長門の声が届く。

 なんかちょっといつもよりテンション高めだな……何故かすでに改二の格好してたし。相変わらず格好良すぎてムカつく。

 作戦通りとはいえ朝潮達は大丈夫だろうか。今更ながらゴリラの生贄に捧げた事が不安になってきた。

 まぁ、ゴリラは子供には優しいはずだから……きっと大丈夫であろう。

 

「う、うむ。そういう事だ。長門がついていればまず大丈夫だろう」

「フフフ……返せと言われても返さないぞ」

「頼もしいのと同じくらい、なんか不安なんだけど……」

「ねー?」

 

 朝雲がちょっと引いたような視線を長門に向けていた。

 すでに警戒されてんじゃねぇか。テンション上がるのはわかるが少し落ち着け。

 俺だって今夜の事を思えばテンションアゲアゲなのだが、何とか表には出さないようにしてるんだぞ。

 朝雲達も納得してくれたようなので、俺は立ち上がって元の位置へと戻ろうと踵を返した。

 俺達のやり取りを見ていたらしい朝潮が、瞳孔開きっぱなしの目で俺を見上げながら口を半開きにしてガクガクと痙攣している。

 俺は満潮や朝雲達よりもお前が一番心配だ。

 

「提督~、ちょっと、ちょっと」

 

 今度はたっちゃん……いや、龍田に呼び止められた。

 な、何だ……? あの龍田がわざわざ俺に声をかけるとは。

 まさか俺の今夜の作戦について感づいたのだろうか。

 昨晩調子に乗って天乳を堪能しようとして危うく切り落とされそうになったのを思い出す。警戒せねば……。

 怪しみながら歩み寄ると、龍田は背伸びをして俺に耳打ちをするように囁いたのだった。

 

「うふふ……提督パワーって本当にあるのかしら~? もしもあるのなら、天龍ちゃんにもお願いしたいんだけれど~……」

 

 それを聞いて俺は驚き、次いで呆れと安堵の入り混じった溜め息を吐いた。

 警戒して損した、とは言わないが、それでもまさか、龍田がこんな事を言い出すと思わなかった。

 というよりも、なんで龍田が提督パワーなんて謎の言葉を知っているんだ。

 あの場ではそんなものは無いとはっきり否定したはずだが……考えられるのはひとつ。

 俺は辺りを見渡して皐月の姿を見つけると、指を差して叱りつけた。

 

「こらっ、皐月! さては言いふらして回ったな、こいつめ!」

「ボ、ボクは知らないよぉ~?」

 

 皐月は目を泳がせながら白々しく否定した。

 まぁ、文月と揃って俺のようなダメダメ司令官のために強くなろうと思ってくれた奴だから、悪い奴ではないのだが、やはり見た目通りの子供だ。

 困った奴め……仕方が無い。大淀さんに頼んで、改めて提督パワーなんてものは無いと周知してもらうか。

 

「まったく……大淀!」

「はっ。虚偽の情報の流布に対する懲罰についてですね」

「違う、そうじゃない!」

 

 発想が怖ェよ!

 まだ子供だよ⁉ なんで虚偽の情報の流布とか懲罰なんて単語が出るんだ! 大袈裟すぎるわ!

 お仕置きというレベルではない。この黒幕、平常運転なのだろうが顔色ひとつ変えずに何を考えているんだ。

 

「お前の方から改めて周知しておいてくれ。そんなものは存在しない、とな」

「りょ、了解しました……」

 

 俺の言葉に、大淀は少し気恥ずかしそうにそう言った。

 うん、俺はそこまで罰とかに厳しさを求めていないから、できれば俺のレベルに合わせてもらえると助かります。

 皐月が調子に乗ったことで無茶して危ない目にあったりしたら、その時は流石に俺も叱るから……。

 懲罰のレベルはお尻ペンペンくらいにしてやって下さい。

 俺は改めて龍田に向き直る。

 

「しかし、龍田ともあろうものがどうしたんだ……いつものお前なら逆にお触り禁止とか言うところだろう」

「提督の言う通りだぜ。龍田お前、なに馬鹿な事言ってんだよ」

 

 天龍も呆れたように俺に続いた。

 天龍は理解しているのかどうかはわからないが、皐月はおそらくハグをして提督パワーとやらを充填した事で改二に目覚めたと吹聴して回ったはずだ。

 そうなると、龍田は俺と天龍がハグをする事を許可したも同然である。

 ちょっと天乳ちゃんの感触を楽しんでいただけで刃を俺に向ける龍田が、気安くそんな事を許可するだろうか……。

 天龍の言葉に、龍田は少し寂しそうに視線を伏せた。

 

「……だって、強くなるに越した事は無いじゃない? 天龍ちゃんも、もっと強くなりたいでしょう?」

「ったく、わかってねぇな……オレは強くなりてぇなんて思った事は一度もねぇよ。フフフ……何故なら元々強いからだ」

 

 天龍は自信満々に不敵な笑みを浮かべた。

 世界水準を軽く超えていると自負するだけの事はある。その自信も自らの強さによるものであろう。

 まぁ俺が着任してからは毎日大破しているような気もするが……それはおそらく、天龍の戦闘スタイルというか、そういう姿勢によるところが大きいような気がする。

 初日に俺が大破した天龍を背負いながら話した時も、大破した事は全く気にしておらず、ただ純粋に戦いそのものを楽しんでいるような感想を述べていた。

 世界水準を軽く超える性能と強さを持つものの、被弾を恐れない戦闘スタイル故に大破が多い、とかそういう事であろう。

 

「うむ。その通りだ。天龍はすでに強いからな」

「おっ! 何だよ提督、わかってんじゃねぇか! 世界水準軽く超えてるからなぁ~! へへっ、今回も旗艦に選んでくれてありがとな!」

「あぁ、旗艦のお前が六駆の皆を守ってやってくれよ。特に暁は怖がっていたようだったから……」

「し、司令官っ! しーっ!」

 

 天龍は嬉しそうに「へへっ、まぁオレに任せとけって!」と歯を見せて笑った。

 見るからにお子様な六駆の四人であるが、この鎮守府の中では練度はトップクラス。あの磯風よりも高いくらいだ。

 それに加えて、天龍と龍田が引率してくれれば、この鎮守府近海では大丈夫であろう。

 俺に頭を撫でられた暁がぷんすかぷんすか言っていたが、俺は構わず龍田に向けて言葉を続ける。

 

「まぁ、天龍は二日連続で大破したからな……お前が心配する気持ちもわかるよ。皐月の言ったでたらめに縋るほどだものな……」

「……」

 

 龍田は珍しくしおらしい様子で、俺の言葉を聞いていた。

 よくよく考えてみれば、これは龍田だけに限った話では無い。

 つい先ほども、俺が艦娘の性能を計る事ができるという大淀さんの誤魔化しを真に受けて、千歳お姉や瑞鶴が相談に来たではないか。

 龍田だって一応年頃の女の子だ。たとえ子供の戯言でも、提督パワーなるジンクスに縋りつきたくなる気持ちはわからんでもない。

 きっと龍田は、普段は許さない俺のお触りを許可してもいいと思うくらいには、天龍のことを大切に思っているのだから。

 

「だが、龍田。これは、その……あくまでも私の考えなのだが、欲し、望まない限り人は成長しない。何かを成す際に、モチベーションというのはとても大切なんだ。話を聞く限り、天龍は自分の強さにすでに満足しているだろう? 満ち足りているのにそれ以上を求める必要は無いし、求める事は出来ない……と、私は思っている。天龍が自分の強さに満足しているのなら、これ以上強くなる必要は無いんだ」

 

 これはまぁ、当たり前の事だと思う。

 モチベーション、いわゆるやる気が無ければ何事も続かないし、変わる事も無い。

 俺だってヤル気が出たからこそ、こんな大胆な作戦を発動したのだ。

 オ〇ニーだけで満足していたならば、リスクを負ってまでこんな作戦を行う必要など無い。

 知識をつけたいと欲するから机に向かう事ができる。力をつけたいと望むから辛いトレーニングを続けられるのだ。

 だが勉強する必要が無い環境にある人は無理やり机に向かう必要など無いし、アスリートのようになりたいと望んでいない人ならば無理して辛いトレーニングに励む必要は無い。

 それと同じで、天龍がすでに現状に満足しているのであれば、それ以上成長する必要も無いのだと思う。

 

「……でも、それじゃあ」

「なるほどっ! 強くなるにも『欲望』が必要という事ですねっ⁉」

 

 龍田が何か言いかけたところで、まるで食いつくかのような勢いで俺達の間に鹿島が割って入ってきた。

 欲望絡みの話題だからといって反応するな。目を輝かせるな。

 一応、先ほど鹿島達に話したことにも通じる事ではあるが……鹿島も性欲という欲望によってテクニックを磨き上げたのだろう。

 これ以上成長するのはやめて頂きたい。

 

「う、うむ。鹿島達には先ほど教えたな。そういう事だ。よく理解できているな」

「えへへっ、はいっ!」

「まぁ、龍田。つまり、天龍本人が満足しているのなら、お前がいくら急かしても意味が無いんだ。逆に天龍自ら、更に力を欲し、望んだのであれば、その時自然に成長するはずだと思う……焦らなくてもいいんじゃないか?」

 

 ここのところ大破が多かった天龍を心配するあまり、天龍に更に力を求めた龍田であったが、あいにく提督パワーなんてものは無い。

 更に、いくら言ったとしても、天龍が現状に満足している限り、これ以上成長する事は無いだろう。

 気を取り直してそう言うと、龍田も納得してくれたのか小さく笑う。

 

「……そうねぇ……ふふ、ごめんなさいね~、変な事を言ってしまって」

「へへっ、オレの事を気にする前に、自分の事を気にしろよな! まぁ、オレと龍田は今んとこ互角だから、お前も最強なわけだが」

「……そうね~……」

 

 ドヤ顔の天龍の言葉を、龍田はさらりと流していた。

 しかし天龍も龍田も強いには強いのだろうが、ここの軽巡には未だ実力の底知れぬヨド様と(スーパー)サイヤ神通がいるからな……。

 二人とも大人しそうな顔して、多分天龍より強いんじゃないかな。

 特にヨド様は普段は柔らかな言葉しか使わないが、心の中で天龍に「……あまり強い言葉を遣うなよ。弱く見えるぞ」とか思っていそうな凄みがある。フフフ。怖い。

 

 龍田との話が終わったことで、鹿島も機嫌よく元の位置へと戻って行った。

 そういえばアイツは誰を引率して……朝霜、早霜、清霜だと?

 あのドスケベサキュバス、俺の股間みたいな名前の奴らだけで周りを固めてやがる……!

 あれではもはや4Pではないか。いや、三本のシモと女三人分の(かしま)で、むしろバランスは取れているのか……⁉

 そして今から夜の演習に繰り出すわけか……卑猥な意味にしか聞こえない。

 見なかった事にして、元の位置に戻る。

 大淀の隣に立った俺は、改めて艦娘達に向き直る。

 

「そろそろ時間だな……大淀、出撃準備は万全か」

「はっ」

「良し。では予定通り頼む。いいか、確認するが、大破した場合などの例外を除き、帰投するのは明日の朝だ」

「はい」

 

 大淀にしっかりと念を押し、俺は艦娘達に向けて言葉を続ける。

 

「出撃しない艦は持ち場、もしくは自室に待機。提督命令だ。必要時には私が指示をする。これに背いた場合は……あとで大淀に報告する」

「えっ? あ、はい。了解しました」

 

 大淀に言いつけられるとなれば、居残り組も好き放題動くことはできないだろう。

 まぁ見た所、大淀も大体は俺が考えた通りに編成してくれているようだ。

 これなら今夜金剛型以外で鎮守府に残るのは、イムヤ・イク・ゴーヤの潜水艦隊に、鳳翔さん・間宮さん・伊良湖、それに明石の七人だけになる。

 大淀さんを恐れず大人しくしないようなフリーダムな奴はいないはずだ。

 

 俺は艦娘達の隅の方に控えている金剛に目を向けて、小さく深呼吸した。

 よ、よし、言うぞ。勇気を振り絞って……!

 

「そ、それと……コ、コン、金剛は、日が沈んだら、執務室に来て下さい」

 

 この上なくキモくなった。凹む。なんで敬語……!

 しかし金剛はまったく気にしない様子で「ハァイっ! 了解デースっ!」と明るく了承してくれた。合体したい。

 

 つ、ついに言ってしまった……! もう後戻りはできない……!

 心臓がバクバクしてきたので、俺は目を瞑って深呼吸を繰り返し、息を整える。

 連合艦隊、鹿島達、時雨達の存在も忘れずに対処した……。

 間宮さん達に精力料理も用意してもらって、股間が不調になる可能性も減らした……!

 俺に考え得る限りの最善手を打ち、時間と場所、ムードとタイミング! 全ての準備は整えた!

 そうか……それなら……ヤルしかないわね!

 覚悟は完了してる! あとは……イクだけ! ヤルわ!

 

 俺はカッと目を見開いて、無駄にいい声で限りなく抽象的な指示を発したのだった。

 

「出撃だッ‼ 基本的には陣形を保ち、戦況に応じて高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に! 連合艦隊という形にこだわらなくても良い! 何でもいいから、明朝までに鎮守府近海の深海棲艦を全て撃滅するつもりで戦えッ! だが大破した者は無理せず帰投だ! いいなっ!」

「了解ッ‼」

 

 毎度のことだが返事だけはいいなお前達!

 倉庫から出て行き、各々の配置につきはじめた艦娘達の背を眺めながら、俺は湧き上がる笑みを抑え込むのに必死だった。

 準備は万端……いよいよ今夜は、フフフ……〇ックス!

 いい感じの流れになればその妹達ともくんずほぐれつ、フフフ……シュルツ!

 よっしゃあああッ! もう辛抱たまらん!

 俺の理性の石垣、決壊!

 股間の海防艦八丈ならぬ快棒感発情! いざ抜錨――!

 

「提督、すぐにお夕飯をご用意いたしますね。たんと元気をつけてもらいますよ! ふふっ、さ、早くこちらへ!」

「ウム」

 

 いかんいかん、抜錨するのはまだ早い。

 危うく無意識に股間に手が伸びてしむしゅしゅしゅしてしまうところだった。いつもの癖で。

 笑顔の間宮さんに促され、俺は今夜の夜戦に向けて更なるムラ付けを行うべく、甘味処間宮へ向かったのだった。

 




お待たせ致しました。
丁堀りでE-4に出撃すること101回、うち大破撤退9回、A勝利4回、S勝利88回目でようやくフレッチャーをお迎えする事ができました。
なんとか新艦を全てお迎えする事ができ、少し余裕ができたので執筆の時間が確保できました。
あとアイオワ、ガングート、朝風をお迎えしたいところですが、何やら次に改二が実装されるのは海風か山風の可能性が高そうとの事で、ついでに海風もお迎えできれば嬉しいです。

春イベも残り十日となりました。
提督の皆さんはお互いに頑張りましょう。

次回の更新も気長にお待ち頂けますと幸いです。


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060.『手加減』【艦娘視点】

『提督……井手田(いでた)提督』

 

 およそ一年以上前の事だろうか――。

 その日は朝から小雨が降り続いていた。

 閉じられた扉に向けた時雨の言葉に、入室するよう返事が返ってくる。

 時雨が扉を開けると、一人の老人が穏やかな表情で迎え入れてくれた。

 

 井手田提督――神堂提督の前任、葛野(くずの)提督の更に前任の提督である。

 歴代の横須賀鎮守府提督の中でも、佐藤提督――現在の佐藤元帥と並んで優しく大らかで、艦娘達から好かれていた人物であった。

 また、歴代で最も高齢の提督で、先の大戦を少年時代に経験していたという事もあり、艦娘達が実際に『艦』であった時代を知る唯一の提督でもあった。

 そういう事情もあって艦娘達を敬う姿勢も強く、艦娘達からも特に慕われていた。

 一部の艦などはまるで祖父のように慕っており、時雨もまた、彼の事を特別に信頼していたのだった。

 

 ――そんな井手田提督が、今まさに横須賀鎮守府を去ってしまう。

 

『もう、荷物はまとめ終えたの?』

『あぁ。元々そんなに私物は持ち込んでなかったからね』

『そう……』

 

 高齢であるが故に、これ以上前線で指揮を執る事が難しくなってきた事が原因であると、艦娘達には本人から説明が成された。

 加齢に伴う身体機能や認識能力の低下。それを理由に出されてしまっては、艦娘達もそれ以上引き留める事が出来ず、惜しみながら退役を受け入れたのだった。

 それにも関わらず時雨がたった一人でここに来たのは、井手田提督が何かを隠していると思ったからであった。

 

 『引き留めるつもりはないんだけど……僕にだけ、正直に教えてほしいんだ。絶対に誰にも口外しない。提督は、本当に老いが原因で退役するの?』

 

 時雨のまっすぐな瞳を見据えて、井手田提督はしばらく沈黙した後、自嘲気味に小さく笑った。

 

『……正直に、か。正直に言えば、老いが原因なのは半分事実だ。寄る年波には勝てない……皆が色々と手伝ってはくれたが、やはり提督の仕事は激務だからね』

『うん。たくさんの書類を処理するのも大変だったと思う……。でも、提督自身はまだ出来ると思っている……そんな気がするんだ』

 

 時雨の言葉に、笑みを浮かべていた井手田提督の細い目が、僅かに丸くなった。

 少しばかり迷うように口を噤んだ後、ゆっくりと言葉を続ける。

 

『そうだなぁ……それも正直に言えば、時雨の言う通り、私は頑張れると思っているよ。目や耳は少し悪くなってしまったが、頭と体力はまだまだ若い者には負けん、とね』

『だったら――!』

『だがね、時雨。老いによる衰えというものは、本人には自覚しにくいものなんだ。時には自分の感覚よりも、周囲の言葉に従った方が良い場合もある……着任する前から、娘に自動車免許を返納するように口うるさく言われていたしね。フッフッフ……』

『ご家族に、言われたの……?』

『ん……』

 

 井手田提督は歯切れの悪い返事をして、それ以上答えなかった。

 家族だけではないのかと時雨は直感的に悟ったが、だからといって自分に出来る事など何もないという事もよく理解できていた。

 井手田提督は窓際へと歩み寄り、小雨の降る窓の外に目を向ける。

 時雨もそれに並んで、日が差さず薄暗い曇り空を眺めた。

 

『孫がね……孫がいるんだ。一番若い子は、ちょうど時雨と同い年くらいかな……』

 

 窓の外に目を向けたまま、井手田提督はそう言った。

 お孫さんに言われたのだろうか、と時雨は一瞬考える。

 

『目に入れても痛くない、私の大切な娘の子……私の大切な孫だ。絶対に、守らなきゃあならない……』

 

 井手田提督が何を言いたいのか、時雨にはよくわからなかった。

 何から守らなければならないのか。この国に迫る脅威と言えば深海棲艦だが、そうであるならば退役する事と矛盾する。

 いや、老いにより自らが気付かない内に衰えているかもしれないからこそ、大事なものを守れないかもしれない。

 だから次の提督に託す、という意味なのだろうか――時雨はそのように解釈した。

 

 井手田提督の口調がどこか悔しそうだった事に、その時の時雨は気が付かなかった。

 老いが原因で退役するのは()()事実だと答えられたことすらも、すっかり失念してしまっていた。

 

 不意に、井手田提督は床に膝をつき、時雨の両肩を強く掴む。

 

『……時雨。すまん、本当にすまん……! 私もな、本当は、お前達を残して去る事は……』

『提督……』

『でもな、私は、お前の味方だ。鎮守府を去っても、お前達の味方だから……いつだって、お前達と一緒に戦っているから……!』

 

 しわがれた井手田提督の声と涙に、時雨はそれ以上何も言えなかった。

 窓を叩く雨音が強くなる。

 これは井手田提督と自分の涙雨だろうか――時雨はなんとなくそんな事を思った。

 

 やがて迎えが来て、井手田提督が時雨の目の前から消えてしまっても、雨はまだ降り続いていた。

 ――しばらく止む気配は無いようだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「――時雨、時雨っ!」

 

 背後からの夕立の呼びかけに、時雨はハッと顔を上げて振り向いた。

 何を考えていたのか、何を思い出していたのかすら曖昧な頭で、頬を膨らませた夕立の顔を見る。

 

「あぁ、なんだい?」

「聞いてなかったっぽい⁉」

「おいおい、任務中にボーッとしてンなよ……時雨の姉貴が、提督と距離を置いてんのは何でかってさ!」

 

 夕立の後ろを航行する江風から呆れた目を向けられ、時雨は慌てて謝った。

 これは完全に自分の落ち度だ。改めて気を引き締め直して周囲を警戒するも、夕立がすぐ背後にぴったりとくっついており、恨めしそうな視線を感じる。

 時雨は小さく溜息をついて、振り向かないままに口を開く。

 

「距離を置いてるつもりはないよ。葛野提督とだってそうだったじゃない」

「提督さんと前の提督は違うっぽい! 全然違うっぽい! 時雨だって井手田提督の時は尻尾ぶんぶん振って懐いてたっぽい!」

「し、尻尾なんて振ってないよ! そもそも生えてないし……」

 

 ものの例えだという事は分かっていたが妙な返答をしてしまったのは、動揺しているからだろうか。

 時雨の答えに納得がいかなかったのだろう夕立と、呆れたような表情のままの江風が、時雨の両隣に移動してくる。

 勝手に陣形を単横陣に変えるなと注意をしようかとも思ったが、妹達は容易に引き下がりはしないだろう事は、時雨にもわかっていた。

 

「まぁ、夕立の姉貴の言い分にも一理あると思うね。そりゃあ、葛野提督は仲良くしようって気にはならなかったよ? でもさ、今の提督は良い人じゃンか」

「別に反抗的な態度を取るつもりは無いよ。任務に支障が出なければそれでいいじゃない」

「本当にそう思ってンなら江風は何も言わねぇけどさ……時雨の姉貴、明らかに無理してるだろ」

「理由を教えてほしいっぽい!」

 

 夕立だけならばともかく、珍しく江風までもが食い下がってくる。

 このままだと鎮守府に帰ってからも問い詰められかねない。

 それならば、他に誰もいない今のうちに納得させた方がいいだろうか――時雨は敵がいないか周囲を警戒してから、根負けして再び溜め息を吐いた。

 

「夕立、江風。君達は、井手田提督が退役した時、どう思った?」

「どうって……そりゃあ、寂しかったよ。良い人だったからな」

「おじいちゃんっぽくて好きだったから、あの時は泣いちゃったっぽい……」

 

「じゃあ、葛野提督がいなくなった時は? 寂しかったとか少しでも思ったかい?」

「い、いや……正直、開放されたというか、スッとしたというか、ホッとしたというか……」

「嬉しかったっぽーい……」

 

 時雨も同感だった。

 井手田提督が去った時は、苦しくて苦しくてどうしようも無かったが、葛野提督が去った時は何も感じないどころか、安堵や喜びすら感じたのだった。

 それはあまりに当たり前の事で、悩む事すらくだらない事なのかもしれない。

 だが、時雨は本気でそれについて悩み、自分なりの結論を出したのだった。

 時雨が口を開く前に、答えを察したらしい江風が先に呆れたように口を開く。

 

「……おいおい。つまり、あんまり仲良くなると別れる時に辛くなるから、今度の提督とは最初っから距離を置こうって事か?」

「そうだよ。好意と、別れの辛さ、悲しみは比例する……僕はもう、あんな思いはしたくないんだ。今なら、まだ間に合うから……」

「ふーん……ま、そうしたいンなら江風はこれ以上何も言わないよ。確かに時雨の姉貴の言い分にも一理あるしな」

 

 江風は案外あっさりと引き下がった。

 自分はそうするつもりはなくとも、時雨の気持ちも理解は出来たという事であろう。

 そんな江風に、時雨は逆に問いかけた。

 

「江風は……怖くないの?」

「うーん、江風はそこまで難しく考えた事はないな。気が合うンなら仲良くしたいし、そうじゃないンならそうでもないだろうし……ただ――」

「ただ?」

 

 ぼりぼりと頭を掻いて、江風は言葉を探しながら続ける。

 

(ふね)はさ、気が合おうが合わなかろうが、誰が舵を取ろうが同じだろ? むしろ、そうじゃなきゃあいけない。だからさ、別れの辛さとかは別にしても、そういう意味では時雨の姉貴の言い分が本当は正しいのかもしれないな」

「……」

「でもさ、今の江風達は艦娘で、よくわかんねーけど、信頼とか想いとか……そういうのが力をくれる。時雨の姉貴だって、井手田提督の指揮下だった時と、葛野提督の時とで全然違っただろ? 今度の提督も」

「……まぁね」

「だから、なんつーか……(ふね)としては間違ってンのかもしんねーけど、艦娘が深海棲艦に立ち向かうためにはさ、そういう力が必要なンじゃないか、って思ったりはするよ。いつか来る別れが辛くなってもさ……。ま、よくわかんねーけど! きっひひ~」

 

 そう言って笑顔を浮かべる江風の言葉に、時雨もまた一理あると思った。

 確かに、提督への信頼が力をくれるというのは周知の事実だ。

 その力こそが深海棲艦を打倒するために必要だとするならば、今自分がしている事は一体何なのだろうか。

 信頼はしても距離を置けば良いのか? そんな器用な事ができるだろうか。

 事実、今の提督を信頼はしている。だが、距離を置きたがっている。

 今の自分は、最大のパフォーマンスを発揮できているのだろうか……。

 

 そこまで考えたところで、いつも騒がしい夕立が先ほどからおとなしい事に気付き、時雨はそちらに目を向けた。

 夕立は腕組みをして、う~んと唸っては首を傾げている。

 どうやら、時雨の問いかけでずっと悩んでいたらしい。

 夕立の意見も聞いてみようかと思ったが――視界の端に映ったそれに、時雨は瞬時に頭を切り替えた。

 

「夕立、江風。この話は終わりだ。敵艦隊発見――行くよ」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――何故、僕達は気付けなかったのか。

 目の前に現れた敵艦隊を問題無く撃破し、その後も下級の艦隊との交戦を幾度かこなしつつも、確実にA島へと向かっていたはずだった。

 三百六十度が水平線に囲まれていたとしても、方角を見失うほど素人ではないはずだった。

 それが、何故――目の前にB島が現れたのか。

 

 時雨達がそれに気が付いた瞬間。

 青く美しい海原が、B島を中心に紅く染まっていく。

 傷一つなく光沢を放つ鋼鉄が、やがて錆にまみれていくように。

 新雪の絨毯に血だまりをぶちまけたかのように。

 血と錆を象徴するかのごとき鉄血の紅。変色海域――それが意味するものは。

 

 強大な力を持つ深海棲艦の存在――鬼級、姫級が鎮座する棲地。

 

「江風。退避……はできそうもないよね」

「あぁ。いつの間にか囲まれてる。ハハ……冗談キツいぜ……」

 

 辺りを見回すと、複数の敵艦隊の存在が確認できる。

 それも艦影を見るに、雑魚だけではなく、本来この海域にはいないはずの軽巡や重巡……退路は固く閉ざされていた。

 念のために無線も確認してみたが、当然のごとく妨害されている。

 

「えっ……えっ……? どういう、事っぽい……?」

「おそらく、上級の深海棲艦達が持つ能力……結界だ。複数の深海棲艦が基点となって結界を張る事で、その範囲内では方向感覚が狂い、特定の場所に辿り着けなくなる……」

 

 大規模侵攻においては、そう珍しくない現象だ。

 結界が張られている状況ではいつまで経っても敵主力艦隊へと辿り着けないため、まずは結界の基点となる敵艦隊を撃破し、結界を解除する必要がある……。

 

 時雨は現在自分達が置かれている絶望的状況について推測する。

 A島へと向かっていた時雨達は気付かぬままに結界内へと足を踏み入れ、徐々に感覚を狂わされてB島へと向かわされた。

 周囲を囲む深海棲艦は、おそらくA島とC島に配備されていたものであろう。

 B島がこの通り占拠されているのであれば、同様に深海棲艦の資源集積地となっていたA島、C島がそうであったとしてもおかしくはない。

 時雨達が目の前の格下に気を引かれているうちに、気付かれぬように左右、後方から回り込んできたのだ。

 遠い昔には釣り野伏という戦法が存在したらしいが、それに近いだろうか――。

 

「なんで……⁉ だって、ついこの間、敵は完全に倒したっぽい……!」

 

 夕立は愕然とした表情で、ぽつりと漏らした。

 

「今回の作戦自体、島に残された資源が敵の侵攻の足掛かりとなる事を防ぐためのものだった……つまり」

「敵の動きが想像以上に早かった……っつー事か」

 

 時雨と背中合わせになった江風が、周囲の敵艦隊の動きを警戒しながら苦々しく言った。

 

「上級の深海棲艦が複数いるってのも信じたくねぇけど……それが事実だとすると、辿り着けなかったA島に敵本隊があるって事か。何とかして皆に伝えねぇと……」

「いや、江風。それは違う」

「え?」

「ここが……B島が敵の本隊だ」

 

 時雨は確信していた。

 それは、今自分達が置かれている状況に、あまりにも悪意を感じるからだ。

 目的地がすでに敵に占領されている事も知らずに侵入してきた駆逐艦三人を葬る事など容易いはず。

 このように奥地まで誘い込む理由など存在しない。

 あるとすれば、それは――。

 

『……コノ盗ッ人共ガ……! 我ラガ集メタ物資ニ手ェツケヤガルトハナ……‼』

 

 低く、唸るような呟き。

 だがそれは周囲の空間に反響するかのように、はっきりと時雨達の鼓膜を震わせた。

 B島正面の浜辺は深海棲艦の瘴気に侵されたせいか黒く無機質に変容しており、その中央に声の主が鎮座しているのが確認できる。

 ヘッドホンと眼鏡のような頭部装備。黒く巨大な手甲。

 蛇のように全身に巻かれた三つ編みの先には鉄球のような艤装が繋がっており、それに腰を下ろしている。

 

「……集積地棲姫……!」

 

 目にするのは初めてだが、話に聞いた事がある特徴的な風貌。間違いは無いだろう。

 深海側の資源集積地そのものを司る、化け物じみた強大な力を持つ深海棲艦。

 輸送艦だけではなく小鬼系などの希少で強力な艦艇を従え、自ら戦う陸上基地。

 A島、B島、C島の資源集積地に物資を輸送していたのは輸送艦だったのだろうが、それら全てを統括していたのはこの集積地棲姫であったのだろう。

 奴にとっては、時雨達の存在はまさに盗っ人。

 ひと思いに沈めてしまってはつまらない。何より気が済まない――そう考えて、本拠地である自らの目の前にわざわざ誘い込んだとしても、おかしくはない。

 理にかなわない、非合理的な判断。

 機械のように常に最適解を実行するのではなく、まるで人間のように復讐心や憤怒、憎悪に呑まれ、正常な判断を下せなくなるという節が、上位の深海棲艦には見られる。

 先日はその隙をついて辛くも勝利できたが――。

 

『私ハ、マダ手ヲ出サナイ……一瞬デ終ワッテシマウカラナ……。楽ニ沈メルト思ウナヨ……! ジワジワト(ナブ)リ殺シテヤル……! 絶望ト苦痛ト後悔ニ(マミ)レテ……詫ビナガラ海ノ藻屑トナレェーーッ!』

 

 集積地棲姫の叫びと共に、周囲の敵艦隊から砲撃が開始された。

 こちらの射程外からの攻撃――こちらの砲撃は届かない。一方的な蹂躙。

 時雨は動けない。考えても考えても、生き残る道筋など存在しないからであった。

 見苦しく、もがいても足掻いても、結局意味が無いのならば、いっそ潔く結末を受け入れた方が――。

 

「――時雨ッ!」

 

 夕立に手を引かれ、間一髪のところで時雨は砲弾を回避する。

 周囲に次々に着弾する砲撃の雨の中で、夕立は時雨の頬を強く張った。

 

「時雨の馬鹿ッ! なんですぐに諦めるの⁉ 時間を稼げば、きっと誰かが異変に気付いてくれる! 助けに来てくれるかもしれないっぽい!」

「夕立……その、可能性は……」

「可能性が低いから何⁉ ゼロだから諦めるの⁉ 時雨も夕立も江風も、まだ生きてる! ――あぁッ⁉」

 

 夕立の背中に被弾した。

 幸いにも艤装に命中したとはいえ、ダメージは無視できるものではないはずだが、夕立はそれに構わぬように、またしても時雨の頬を張った。

 

「時雨の言った事、ずっと考えてた……! いつか必ず別れが来るから、仲良くしないって……やっぱり納得できないっぽい! いつか別れが来るからこそ! 限られた時間が大切になるんでしょう⁉」

「――! それは……」

 

 瞬間、目の前に迫り来る砲撃。

 時雨は反射的に身を伏せてそれを回避する。

 ――何故、避けた?

 もう諦めたんじゃなかったのか。

 僕はまだ、生きたがっているのか?

 こんな事をしたって無駄だ。

 見苦しく、もがいて、足掻いて、集積地棲姫を楽しませてしまうだけだ。

 ならばやはり潔く、奴の思い通りにならないように、あっけなく――。

 

 それでも身体が勝手に動く。

 絶え間なく周囲に目を配り、出来る限り被弾を防ぎ、時には夕立と江風の身体を引いて回避させる。

 僕は――。

 

「……時雨の姉貴は難しく考えすぎなンだよ。いつか必ず死ぬから生きる意味は無いのかなンて、考えたって無意味だろ? もっと単純にさ、自分の気持ちに嘘をつかずに……正直に生きなよ」

 

 無駄に長く苦しむだけかもしれない。

 何の意味も無いかもしれない。

 絶望と苦痛と後悔に塗れるだけだとしても。

 それでも僕は――まだ、沈みたくないのか。

 

 夕立達と背を合わせながら、時雨は項垂れながら口を開いた。

 

「夕立、江風……ごめん。僕が、間違っていたよ……僕もまだ、生きていたい……」

「時雨……!」

「どんなに苦しくても、辛くても……足掻こう。たとえ助けが来なくても……最後の一秒まで、全力で――」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――腫れ上がった瞼を僅かに開けると、いつの間にか、日が傾いている。

 海原に仰向けに倒れ伏して、見上げた空が深い藍色に染まりつつある。

 

「……ゆ、夕立……か、江、風……」

 

 左右には夕立、江風が同じような姿勢で浮いており、声をかけても返事は無い。

 すでに、気を失ってしまっているようだった。

 その顔面は、見る影もないほどに腫れ上がってしまっている。

 

 足掻く覚悟を固めた時雨達を待っていたのは、あまりにも長く、永く、丁寧で凄惨な、拷問にも近しい仕打ちだった。

 絶え間なく降り注ぐ砲撃の雨に、やがて疲労も積み重なり、健闘も空しく三人は被弾から逃れられず、やがて大破まで追い込まれた。

 それでも集積地棲姫はまだ満足しなかった。

 時雨達は人型の重巡や雷巡に囲まれ、無理やり力ずくで艤装を剥がされ、もはや生身同然の状態にされてしまい――そして、敵もまた艤装は使わず、ただひたすらに殴る蹴るの暴行を加えたのだった。

 顔面を殴る。腹を蹴る。それはもはや、艦隊戦とは言えなかった。

 馬乗りになって一方的に。

 大破した駆逐艦相手に、重巡の腕力で圧倒的に。

 うっかり沈めてしまう事が無いように、徹底的に。

 手加減に手加減を重ねて、注意深く、時間をかけて、集積地棲姫は三人を蹂躙し続けた。

 

 砲撃や雷撃、爆撃とはまた違う苦痛が、ひたすらに長く続く。

 艦としての身体にではなく、人としての身体に深くダメージが刻まれたような感覚を時雨は抱いた。

 

 やがて満足したのか、飽きたのか――集積地棲姫の命令で、時雨達を痛めつけていた敵艦は元の配置へと戻っていく。

 ひと時の静寂、波の音だけが、時雨達を包み込んでいた。

 

『フフ……手加減スルノモ限界ダロウ……コレ以上は沈ンデシマウダロウカラナ……最後ハ私ノ手デ(チリ)ニシテヤル……二度ト浮上デキナイヨウニナァッ‼』

 

 集積地棲姫の声が響き渡り、時雨はただ無表情で目の前に広がる空を見上げていた。

 あぁ――やっと終わるのか。

 長かった。あれから何時間経っただろうか。

 流石にここまで帰りが遅れては、鎮守府でも異常に気付いているところだろう。

 僕達が犠牲になる事で異常に気付けたのであれば、少しでも(いしずえ)になれたのだろうか。

 そう思えば、この身に刻まれた苦痛も傷も、決して無駄なんかではなかったと思える。

 結局助けは来なかったが、期待しないでおいて良かった。

 もしも期待していれば、裏切られただなんて思ってしまいかねない。

 

 不意に、提督の顔が思い浮かぶ。

 またしても横須賀鎮守府の危機だが、あの提督ならば、この後も何とかしてくれるかもしれない。

 優しそうな提督だけれど、僕は夕立ほど親交を深めなかったから、僕が沈んだとしてもそこまで悲しまないだろう。

 あぁ、距離を置いていて良かった――。

 

「――あ、あれ……?」

 

 目尻に熱いものが伝う。

 気が付けば、満足気な時雨の意思とは裏腹にはらはらと落涙していた。

 

「なん……で……?」

 

 あぁ、もっと仲良くしておけば良かった――。

 なんで、僕は後悔している?

 後悔しないために距離を置いたのに……。

 

 今更になって気が付いた。

 やった後悔よりも、やらなかった後悔の方が強い、とは聞いた事があるけれど、まさかこういう事だったとは。

 別れが辛くなるから仲良くしなければ良かった、と思うよりも、仲良くしておけば良かった、と思う後悔の方が、こんなにも、こんなにも大きいなんて――。

 

 僕は馬鹿だ。夕立に言われた通りの大馬鹿だった。

 別れを怖がって逃げ出して、自分自身に嘘をついて、後悔しか残らないなんて。

 

「……いやだ……嫌だぁ……っ……!」

 

 まだ沈みたくない。沈みたくない!

 満身創痍で指一本動かせないままに、時雨は掠れた声を上げた。

 それは気丈な時雨が、決して妹達の前では見せた事のない姿だった。

 

「……提督……白露っ……! だれか、だれか助けて……!」

 

「僕は、僕には……まだ……」

 

「……ていとく……提督っ……!」

 

 時雨の情けない涙声に、集積地棲姫は満足げに愉快そうな声を上げた。

 

『ハハ! 聞キタカッタノハソレダ! 泣ケ! (ワメ)ケ! ……ソシテ絶望ノ淵デ……藻屑ト消エロッ‼』

 

 集積地棲姫の周囲に、複数の砲台小鬼とPT小鬼群が出現し、配置に着く。

 さらに、集積地棲姫から次々に爆撃機が発艦されていった。

 最大火力を以て、文字通り自分達を塵にするつもりなのだろう。

 僅かな抵抗も悪あがきも、出来る余力などあるはずがなかった。

 

『キャハッ! キャハハッ‼』

『シャーッ‼』

 

 PT小鬼群から放たれた無数の魚雷。

 轟音と共に放物線を描く砲台小鬼の砲火。

 不気味な唸り声を上げて迫り来る爆撃機。

 

 気付くのがあまりにも遅すぎた――。

 願いも、懇願も、無意味。

 糸が切れたかのように時雨は身を投げ出し、絶望の中で静かに瞼を閉じ、心中で一人、呟いた。

 

 

 

 ――僕も……ここまでか……

 

 

 ――提督……皆……

 

 

 …………

 

 

 ――さよなら……

 

 

 

 瞬間、耳を(つんざ)く轟音。

 海を割るほどの爆風と衝撃。

 天を焼く爆炎と、肌を燻る黒煙。

 

 それら全てを雑に混ぜ込んだ嵐の中に、時雨達は飲み込まれた――。

 

 

 

 ――――

 

 

 

 ――

 

 

 

 ――おかしい。

 無念のままに轟沈の時を待つ時雨の脳内に疑問が湧いた。

 前方から放たれた無数の砲弾、爆弾、魚雷。

 それは確かに着弾、命中し、それに伴う衝撃、爆風、爆音、おおきなうねりを帯びた波しぶきが全身を叩く。

 だというのに、何故、まだ僕は生きている?

 

 いや、僕に命中していない。

 まるで、目の前に壁があるかのような。

 爆音はまだ続いている――何に、着弾している?

 ――まさか、夕立、江風が。

 僕を、守るために。

 

 うっすらと瞼を開ける。

 右、左に眼球を動かす――時雨の悪い予想とは異なり、夕立と江風は時雨と同様に、海面に倒れていた。

 一瞬の安堵。なお鳴りやまぬ爆音で即座に現実に引き戻される。

 ならば、一体?

 全身の力を振り絞って上体を起こし、前方に目をやって――時雨はその目を疑った。

 

「――うぉぉおおおおオオオォォォーーッ‼」

 

 轟音の中に響く咆哮。

 自分自身への防御など考えておらず、時雨達を庇う事だけを考えているように指の先まで目一杯大きく広げられた両腕と巨大な艤装。

 数えるほどしか見た事が無い改二装束の黒衣の裾が、爆風で絶え間なく舞い上がる。

 爆炎のせいか、それとも彼女が纏うオーラの類なのか――その広い背中は銀色に強く輝いて見えた。

 時雨達に襲い来る無数の砲弾と爆弾、魚雷をその身ひとつで受けていたのは、かつて日本の誇りと称された超弩級戦艦――長門であった。

 

 何故ここに?

 単身で助けに来てくれたのか?

 そんな疑問が次々に浮かんだが、時雨は助かったとは微塵も思っていなかった。

 むしろ、その逆。

 時雨は口内が切れてしまった痛みすらも忘れて、思わず声を発した。

 

「だっ……駄目だ、長門……! いくら君でも――」

 

 耐えきれるはずが無い。

 何故ならば、艦の装甲には限界があり、艦隊戦においては回避こそが大前提であるからだ。

 砲撃もさることながら、特に雷撃だけはまともに受けてはならない。

 圧倒的な戦闘力を持つ超弩級戦艦ですら、駆逐艦の魚雷がまともに命中すれば無事では済まない。

 今までの戦いにおいても、強大な鬼級、姫級の深海棲艦を撃沈する決め手となったのが、魚雷を満載した駆逐艦が放った雷撃であった事は珍しくない。

 そしてそれは、艦娘側も同様だ。

 

 魚雷艇、PT小鬼群。

 奴らの驚異的な回避性能――いくら超弩級戦艦の火力であろうとも当たらなければ意味が無い。

 そして魚雷艇ゆえの恐るべき雷撃能力の前では、戦艦が一撃で大破に追い込まれる事も珍しくは無い。

 まさに、戦艦の天敵。

 ゆえに、奴らを水上戦だけで相手にする際には駆逐艦の存在が必要不可欠だ。

 警戒陣を展開し、駆逐艦が相手の攻撃を引き付け、回避しながら、幸いにも装甲は薄い小鬼群を的確に撃ち抜いていく。

 航空戦力が無い場合には、それしか方法が無いのだ。

 夜戦におけるPT小鬼群の存在は、脅威としか言いようが無い。

 

 その魚雷艇の放つ雷撃を、目の前の超弩級戦艦は全て喰らっている。

 回避などできるはずが無い。

 もしも回避した攻撃が一発でも時雨達に命中してしまったら、その瞬間が轟沈を意味するからだ。

 ゆえに、長門は自分自身への防御は捨て、大きく手足と艤装を広げ、砲弾、爆弾と魚雷の一発たりとも後方へ逸らす事が無いように、その身ひとつを盾にして受け止めていた。

 その艤装に、腕に、足に、胴体に、顔面に――着弾するたびに爆発が起き、海面は激しく揺れる。

 後方で庇われている時雨達ですら、その衝撃で痺れてしまうほどだというのに――。

 

 沈んでしまう。自分達だけではなく、この国の誇りが。

 大和に続き、長門までもが――。

 

『キャハッ! キャハハァーーッ‼』

『シャアーーッ‼』

 

 これで終わりだ、と言わんばかりの声と共に、砲台小鬼とPT小鬼群から一際勢いの強い砲撃、雷撃が一斉に放たれた。

 複数の雷跡は、導かれるように長門一人のもとへと集い、そして――辺り一面は巨大な爆炎に包まれた。

 

「長門ォーーーーッ‼」

 

 あまりの轟音と衝撃に、時雨は目を開けている事すら出来なかった。

 爆風によって数メートル吹き飛ばされ、時雨は海面にその身を叩きつけられる。

 身体に鞭を打って体勢を立て直し、夕立と江風の無事を確認する。

 

「う……あ、あれ……? ゆ、夕立、まだ生きてるっぽい……?」

「ぐっ……がはッ、ゲホッ……! し、時雨の姉貴……こりゃあ、一体……⁉」

 

 気を失っていた二人が、衝撃が気付けとなって意識を取り戻したようだった。

 だが、大切な姉妹の無事よりも、時雨は目の前に立ち上る黒煙の塊から目を逸らす事が出来なかった。

 敵の攻撃は一旦止んだ――それもそのはずだ。

 あれだけの集中攻撃を浴びて、まだ浮いていられる艦などあるはずが無いのだから。

 そう、それが深海棲艦にとっても、時雨達艦娘にとっても、いや、それまでの世界においての常識だ。

 

 ――常識だった。

 

 海風に吹かれて、徐々に黒煙が晴れていく。

 その中心に、ひとつの人影。

 威風堂々と背筋を伸ばし、その二本の足でしっかりと海面を踏みしめたまま動かない黒衣の超弩級戦艦の背中を見て、時雨の脳内には立ち往生という言葉が浮かんだ。

 一秒、二秒――長門は力強く、ゆっくりと動き出す。

 その右腕で乱暴に顔を拭い、首だけで背後に目をやった。

 呆気に取られている時雨達の無事を確認すると――強者ぞろいの横須賀鎮守府の艦娘達を束ねるリーダー的存在は、頼もしく小さく微笑んで、言ったのだった。

 

「フッ……効かぬわ。長門型の装甲は伊達ではないよ」

 

 それが虚勢でも何でもない事が十分すぎるほどに理解でき、だからこそ時雨はこの状況が理解できなかった。

 かつて長門は、かの大戦の後、とある実験に標的艦として参加させられ――それが原因で沈んでいる。

 母国の敗北を決定づけた破滅の光。彼女はその身に二発も浴びながら、なおも中破で踏みとどまり、四日間も海上にあり続けたという。

 その記録が示す通り、彼女の装甲が伊達では無い事は理解できるが、だが、それにしても、あれだけの集中攻撃を受けて、何故小破程度で済んでいるのか。

 時雨達も、そして集中攻撃を叩き込み続けた深海棲艦達も、理解できていなかっただろう。

 

 時雨達は、深海棲艦達は知らなかった。

 長門が海に出る前に、鎮守府で何があったのか。

 イムヤの轟沈騒ぎと、それに伴う提督の涙。

 目の当たりにしてしまった、提督の弱さ――全てを敵に回しても、彼と共に戦うという覚悟を決めた事。

 昨晩とは比べ物にならないほどの忠義。

 揺らぐ事なき信頼は性能を限界まで向上させ――時雨達や深海棲艦、そして世界にとっての今までの常識さえも、容易く覆してみせた。

 

「――時雨ッ! 夕立、江風ッ! 大丈夫⁉」

 

 不意に、耳に届いた声。

 仁王立ちする長門に目を奪われていた時雨達の周りに、気付けば幾人もの艦娘達が集結していた。

 悲鳴のような声をかけてきたのは満潮だった。

 大淀、夕張、青葉。そして、朝潮型の八人が、時雨達を護るように周囲に壁を作る。

 

「酷い……三人とも、こんなに顔が腫れ上がって……」

 

 朝雲と山雲が、涙目になりながら体を支えてくれた。

 自分達の有り様を見た艦娘達の表情を見て、時雨は鏡を見たくないなと場違いに呑気な事を思う。

 気付けば、自分達の退路を()っていた深海棲艦達の姿が無い。

 長門の存在と、あまりの爆音で気が付かなかったが、どうやら長門以外の皆が相手をしていたらしい。

 とっさの判断で、自分達を確実に守るために長門だけが先行したのだろう、と時雨は理解した。

 どうやら救援に来てくれたらしい。だが……。

 疑問が湧き上がりすぎて何から問えばいいのかすらわからない。

 それはどうやら表情に出ていたようで、大淀は時雨達の無事を確認しながら、心から安堵したかのように口を開く。

 

「間一髪……間に合ったようですね。酷い目にあったようですが、命だけは無事で、本当によかった……。申し訳ありません、私の考えが至らずに危険に晒してしまって……」

「いや……助かったよ。でも、どうして……?」

「簡潔に言うと、提督がこの状況を予測し、出撃指示が出ました」

「提督が……?」

「グスッ、て、提督さん……! 提督さぁん……!」

「……きひひ、やるじゃンか、提督……」

 

 時雨達は驚きに目を丸くしたが、同時にあの只者ではない提督ならばおかしくはない、と納得がいった。

 夕立はそれを聞いて安堵したのか目を潤ませてしまい、江風も痛みに顔を引きつらせながら笑みを浮かべる。

 大淀は表面だけボロボロになった長門に目を向けた。

 

「長門さんも大丈夫でしたか? 流石にあれだけの集中攻撃を全て受け止めては……」

「あぁ、問題ない。腹筋もちゃんと本気で締めていたからな」

「そ、そうですか……まぁ、計算通りです。特に心配はしていませんでしたが」

「大淀……だからなんで最近、私に対してそんなに辛辣なんだ」

「辛辣ではなく、これは信頼というのです。信じてましたし、頼りにしてます」

「フッ……それは光栄だな」

 

 横須賀鎮守府の知恵と力のツートップ、大淀と長門の掛け合いに、時雨達は不思議なほどの安堵を感じていた。

 未だにここは敵棲地のど真ん中――変色海域にあるというのに。

 この安心感は、一体。

 驚いていたのは勿論時雨達だけではなく――まるで周囲にスピーカーでも配置されているかのように、集積地棲姫の声が辺りに響き渡る。

 

『馬鹿ナ……⁉ 結界ガコンナニ早ク破ラレルハズガ……⁉ ソンナ情報ハ入ッテイナイ……‼』

 

 集積地棲姫の声を聞いて、大淀は眼鏡の位置をクイと直し、冷静に言葉を返す。

 

「えぇ、通常の手順ならばそうだったでしょう……姫級の深海棲艦が持つと言われる特殊能力――結界。それがある限り、決して本隊には辿り着けない」

「結界はある一連の手順を踏まねば解除できない事から、艦隊司令部ではギミックとも呼ばれています」

「結界の基点となる特定の位置に展開された艦隊の撃滅……結界を解除してからの本隊への進軍……偵察、敵編成の確認も含め、通常ならば複数回の出撃が必要不可欠です」

 

「――通常、ならば」

 

「我らの提督は今回、三つの連合艦隊を編成し、同時に出撃命令を出しました。それはつまり、ギミックの解除と本隊への進軍の同時進行のため……! 時雨達の危機を救うためにはどうしても時間が足りなかったためです」

「し、司令官……か、感服、感服……!」

 

 大淀の解説を聞いて何故かガクガクと痙攣している朝潮に続き、時雨達を庇うようにその前に立つ長門が言葉を続けた。

 

「少しばかり足踏みしてしまったがな……しばらく待ったら妖精が進むようにと教えてくれたよ。どうやら仲間達がやってくれたようだ」

『ナッ……何ダト……ッ⁉ ソンナ、偵察スラシテイナイナラ、場所モ編成モ確定シテイナインダゾ……⁉ 何故ソンナ真似ガ……⁉』

 

 集積地棲姫の驚きはもっともだ。

 だが、その疑問の答えは、時雨には何となく理解できていた。

 先日の出撃においても、提督はまるで最初から目的地も敵編成も見通せているかのように命令を下した。

 そして場所についても、提督が各艦隊の旗艦に預けた謎の妖精による道案内によって、最善の航路を進む事が出来ていた。

 今回は、結界が張られている状態ではそれ以上進まず、他の艦隊によって解除されてから一直線にここへ向かったという事だろう。

 提督の着任と共に現れた、羅針盤を携えた謎の妖精の導きで――。

 驚きを隠せず震えている様子の集積地棲姫を、大淀はキメ顔と共にビシリと指差した。

 

「理解できないというのなら教えてあげましょう。この戦場の全ては、提督の掌の――いえ、まだ気が早いですね。これは最後にとっておきましょう」

「大淀、もしかしてそれ自分のキメ台詞にしようとしてない? 気に入ったの?」

 

 夕張に呆れたような視線を向けられ、大淀はコホンと咳払いをした。

 時雨は思う。何だろう、本人は真剣なつもりなのだろうが、大淀が何故か若干残念な感じになっている。

 だというのに、今朝、自分達が出撃する前よりも、確実に、何段階も強く、頼もしくなっているのがわかる。

 いや、大淀だけではない。

 長門も夕張も満潮も、それ以外の皆もだ――まるで蛹から蝶へと羽化したかのごとく、変わっている。

 まるで、魔法にでもかけられてしまったかのように。

 一体、何があったというのだ――。

 

『チッ……マァイイ……! 結界ハタダノ時間稼ギダ……オ前ラガ終ワル事ニハ変ワリナイ……! ハハッ! 沈ムノガ早マッタダケナンダヨォッ!』

 

 集積地棲姫がそう叫んだ瞬間、時雨の背筋に強烈な悪寒が走った。

 瞬間、目の前の島――集積地棲姫に占領されたその島影から、次々にPT小鬼群が現れる。

 更に、集積地棲姫の周りに複数の砲台小鬼が出現した。

 

『キャハッ! キャハハッ……!』

『キィッ……! シャアァーッ!』

『フフ……ヤッテシマエ! 返リ討チダッ!』

 

 まだ、数がいたのか――集積地棲姫が引き連れてきたのだろう。

 他の艦種は見えなかったが、時間稼ぎという言葉から推測するに、これから続々と到着すると考えておかしくはない。

 駆逐や軽巡、いや、雷巡や重巡、戦艦、空母も当然来ると考えていいだろう。

 ただでさえ夜戦では脅威となるPT小鬼群に、戦艦にも匹敵する装甲、火力を持ち、陸上型ゆえに雷撃が通用しない砲台小鬼。

 しかもこちらは、自分も含めて大破艦が三人。

 十二人が救援に来てくれたとはいえ、数の上では未だに圧倒的不利。

 

 ――相手が悪すぎる。

 

 だというのに、一体なんだ、この安心感は……⁉

 

 自らの感情に戸惑う時雨の前で、長門が小さく息を吸い、堂々と声を放つ。

 

「――集積地棲姫。戦いを始める前に、お前に言っておきたい事が三つある」

『ハァ……!? フフ! ナンダ、聞イテヤルカラ言ッテミロヨォ‼』

 

 長門は時雨達を改めて振り向き、傷だらけになった凄惨な姿に僅かに表情を歪ませ、拳を握りしめながら集積地棲姫に鋭い眼光を向けた。

 

「ひとつ。時雨、夕立、江風……我らの大切な仲間を、提督の宝を、よくもここまでいたぶってくれたな……お前だけは、絶対に許さん……!」

『ハハハッ! ダカラ、ナンダッテ言ウンダヨォッ! スグニ壊レナイヨウニ手加減スルノモ苦労シタンダゼェッ⁉』

 

 並の深海棲艦であるならば縮こまってしまいそうなほどの迫力を帯びた長門の言葉を、集積地棲姫は挑発するように軽く嘲笑う。

 集積地棲姫もまた、姫級――相当の強者である証だ。

 だが、それにも動じず、長門は真剣な表情で言葉を続けた。

 

「ふたつ。今の私達は相当強い。お前が思っている以上……いや、戦艦棲姫と戦った時以上にな。奴のようになりたくなければ、驕りは捨ててかかってこい」

『戦艦棲姫……⁉ ソウカヨ……戦艦棲姫(アイツ)ヲヤッタノハテメェカァァッ‼』

 

 集積地棲姫の表情と声色が明らかに変わった。

 格下への余裕と慢心からくる嘲笑、それが憎悪に塗りつぶされる。

 先日の戦いは、戦艦棲姫の慢心があったからこそ勝利できた。

 だというのに、何故わざわざ敵に塩を送るような事を言うのか――。

 少なくとも長門のそれは余裕や油断や慢心からではなく、ただ彼女の持つ不器用さ、実直さからくるものだという事は、それを聞いていた艦娘達にも理解できていたようであった。

 そしてそんな短所があったとしても、自分達のリーダーは長門ただ一人。その気持ちは、この場にいない者も含めて決して揺らぐことは無い。

 

『絶対に許サネェダト……⁉ コッチノ台詞ナンダヨォッ‼ 許サネェッ! (ユル)サネェッ‼ テメェラッ! 無事ニ帰レルト思ウナッ‼ 一人残ラズダッ‼』

 

 感情のままに叫ばれたその言葉に偽りは無いという事が、艦娘達には本能的に理解できた。

 どす黒い憎悪の感情と殺気を叩きつけられ、駆逐艦達だけでなく夕張や大淀まで、思わず潜在的な恐怖を感じてしまう。

 だが、その中でただ一人――超弩級戦艦・長門だけが、その凛とした表情を僅かにも崩さず、堂々とした佇まいのままに、集積地棲姫を睨みつけていた。

 長門は、集積地棲姫の憤怒の叫びに一切物怖じする事なく、真剣な眼差しと共に大きく息を吸い――。

 

「そして三つ。出来るという事は前々から自覚していたが、実のところ、このような戦い方をするのは今回が初めてでな……お前は時雨達に手加減してくれたようだが――悪いが今の私には、手加減の仕方などわからんぞッ‼」

 

 そう叫んだ瞬間、特二式内火艇が一隻と、八九式中戦車と陸戦隊を積んだ大発動艇が二隻、長門の周囲の海上に展開されたのだった。




大変お待たせ致しました。
春イベのアイオワ堀りで精魂尽き果てたり、夏イベのジャービス堀りで精魂尽き果てたり、秋刀魚&鰯漁で精魂尽き果てたりしていますが私は元気です。

最近執筆の時間がますます取り辛い生活環境になりまして、遅筆が加速して申し訳ありません。そんな中で最近知り合いの紳士が衝動的に春風の限定グラを切望する短編を書いたりしてたのは内緒です。

おまけにシリアス展開を書くのがかなり苦手で、どうしても筆が重くなってしまいました。
早く提督視点が書きたいのですが、もうちょっと艦娘視点が続きそうです。
なるべく戦闘シーンは手早く終わらせるつもりですが、単調に感じられたら申し訳ありません。

次回も艦娘視点になりますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。


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061.『覚醒』【艦娘視点】

 長門が具現化した二隻の大発動艇の上では、三八式歩兵銃や九七式手榴弾で武装した陸戦妖精達が、出撃の時を今か今かと待ちわびているようだった。

 特二式内火艇の上にも乗組員妖精が姿を現し、長門の指示を待っている様子だ。

 

「さぁ、私もぶっつけ本番だが……妖精達よ、準備はいいかッ!」

 

 長門の呼びかけに、陸戦妖精達は一糸乱れずにザッと敬礼を返す。

 それを見て、長門は満足気に微笑んだ。

 

「フッ、やはり声は聞こえぬが……この長門にはわかるぞ! いい返事だ、胸が熱いな!」

 

 長門は集積地棲姫に向けてバッと手の平を向け――良く通る凛とした声で号令を発した。

 

「目標、B島補給物資集積地っ! 砲台小鬼及び集積地棲姫を粉砕せよ! 征けぇーーッ‼」

 

 長門の檄と同時に、三隻の対地兵器は唸りを上げ、猛スピードで島へと突き進み始める。

 始動したその姿を目視して――ただでさえ蒼白な顔色から更に血の気が引いた様子の集積地棲姫は、まるで半狂乱になりながら叫んだのだった。

 

『アッ……アァァッ……⁉ アッ、アレヲ沈メローーッ‼ ココマデ辿リ着カセルナァーーッ‼』

『ミミッ……⁉ ミィィーーッ!』

『シャアァーーッ‼』

 

 集積地棲姫の叫び――指揮に反応し、砲台小鬼とPT小鬼群、更には遠巻きに艦娘達を包囲していた敵艦隊までもが、一斉に対地兵器に群がり、攻撃を開始した。

 下級の深海棲艦は高い知性を持たず、その為、上級の深海棲艦の指揮によって初めて組織的な行動が可能になる。

 先ほどまでの態度がまるで嘘だったかのように、指揮下の深海棲艦を総動員してまで排除しようとするほどに恐れを成しているのは何故か。

 その理由が艦娘達には理解できなかったが――やがてすぐに、その目で理解した。

 

 B島へ攻撃を開始した三隻のうち、二隻は敵の攻撃が直撃する寸前で行動を解除し、光となって長門の艤装へと戻ってきた。

 残りの一隻――陸戦隊は敵の攻撃に進路を遮られながらも上手く回避し、ついには射程圏内まで到達して攻撃を開始する。

 八九式中戦車による砲撃に加えて、陸戦妖精達が銃撃や手榴弾を投げつけたりしているのか、そこまでは流石に艦娘達の距離から目視できなかったが――。

 

『キィィーーッ‼』

 

 甲高い断末魔の叫びと共に、まるで地鳴りのような爆発音が空気を揺らし、照明弾が要らない程の巨大な爆炎が天を焼き、宵闇に染まった周囲を照らした。

 同時に、攻撃を終えた陸戦隊も光となって長門の元へと戻って来る。

 どうやら砲台小鬼を一匹仕留めたようだ、という事は理解でき、集積地棲姫が恐れていたものの正体も同時に理解する。

 だが――。

 

「……何、あれ……あんな威力、見た事無いんだけど……」

 

 兵装のスペシャリストを自称する夕張が、思わず声を漏らした。

 それを横で聞きながら、同様の感想を抱いていた大淀が生唾を飲み込む。

 他の艦が装備した際のそれとは、あまりにも威力、内包するエネルギー量が異なるためだ。

 その要因は何か――。

 

 例えるなら、運動量は物体の質量と速度に左右される。

 厳密には異なるが、単純に考えれば『運動量=質量×速度』と表すことができるであろう。

 時速十キロで走行する自動車と、アクセルを踏み込んで時速二百キロで爆走する自動車では、どちらが破壊力を持つかは言うに及ばない。

 また、速度が同じだとしても、時速十キロで走行する自動車とダンプカーでは、これもまた言うに及ばない。

 ましてや、時速十キロの自動車と、時速二百キロのダンプカーでは、比べ物にもならないだろう。

 

 艦娘の装備にも、多かれ少なかれこのような性質を持つものがある。

 質量に当たるものが艦娘自身の持つ火力。

 そして速度に当たる物が、装備自体の強化――つまり、艦娘の中で明石のみが持つ特殊能力、装備改修だ。

 つまり、ここでは『装備の威力=艦娘自身の火力×改修率』とでも例えられるだろうか。

 現在、長門が装備している特二式内火艇と大発動艇一隻については、過去に明石の手によってすでに限界まで改修が成されている。

 それに加えて、長門自身の超弩級火力――通常、対地兵装を装備する艦とは比較にもならない。

 更に、限界まで深まった提督への信頼が乗算され、その威力はもはや想像もつかない域へと突入した。

 

『アァーーッ⁉ ヤメロヨ‼ セッカク集メタノニ燃エテシマウ‼ ヤメロォーーッ‼』

 

 砲台小鬼を襲った爆炎が物資に引火でもしたのか、火消しに奔走している集積地棲姫の悲痛な叫びが響き渡る。

 司令塔が錯乱しているせいか、他の深海棲艦達もどう動けばよいのかオロオロと狼狽えているようにも見えた。

 一見、こちらが優勢にも思えるが――。

 

「しかし……敵の猛攻撃で二隻は目標に到達できず、ですか。あの威力でも届かなければ意味が無い……やはり二隻では到達が困難、三隻は必要であると予測していた……そういう事でしょうか」

「そういう、事よね……そうでなきゃ、どう考えてもおかしいもの。私と明石が二人とも把握していないなんて」

 

 大淀と夕張が話しているのは、明石による改修が施されていない陸戦隊の事だ。

 ここのところ出番が無かったため、装備の山に埋もれていた対地装備であったが、忙殺されていたとはいえ夕張も明石も数を把握できていないはずが無かった。

 横須賀鎮守府が現在所有しているのは、最大まで改修を施した特二式内火艇が一隻と、陸戦隊付きの大発動艇が一隻――それだけのはずだった。

 対地装備は貴重なので、必要に応じて各地の鎮守府に配備される。

 それ以外の対地装備は、現在は大湊警備府と佐世保鎮守府が所有している――夕張も明石も、それだけはちゃんと把握していたのだ。

 

 だが、提督が長門に積む装備として指示したのは、艦隊司令部施設と特二式内火艇一隻、陸戦隊付き大発動艇が二隻であった。

 提督の説明に色々と衝撃を受けてしまったため、大淀はその時は何も思わなかったが――まるでそこにあるのが当然であるかのごとく、いるはずのない陸戦妖精がそこにはいたのだ。

 そもそも艦隊司令部施設妖精についても、三艦隊分も存在していなかった事は明らかであった。

 

「提督が……連れてきたって事かしら」

「連れてきたというより、寄ってくるのでは……妖精は清き心身を持つ者の前に現れると言いますし……実際に妖精達に祀られているところも見てしまいましたしね。あの提督ならばおかしくはありません」

「そ、それでは私達、朝潮型全員に配備されたこの熟練見張員さん達も……⁉」

 

 夕張との会話を聞いていたのであろう朝潮が、大淀を見上げて訊ねる。

 その両肩には双眼鏡を携えた二人組の妖精が腰かけており、周囲をきょろきょろと警戒している。

 大淀も夕張も把握していたが、熟練見張員もせいぜい二、三人分であり、八人分もいなかった事は明白だ。

 これもまた提督の説明に合わせて、提督の肩や頭の陰から、にゅっと姿を現していた。

 

 ――『熟練見張員』。

 

 驚異的な回避性能を持つPT小鬼群への対策にはいくつかの方法がある。

 その基本とも言えるものが、小回りの利く駆逐艦による攻撃だ。

 回避性能は高いが装甲の薄いPT小鬼群には、威力は低くとも確実に当てる攻撃の方が有効だからである。

 航空隊による避ける隙間が無いほどの高密度広範囲攻撃も効果的だが、夜戦では逆に空母はいい的になってしまうため、昼夜問わず対策できる駆逐艦の方が向いている。

 そして、駆逐艦の攻撃でもなお回避する事の少なくないPT小鬼群への命中率を更に高める方法。

 それが、小口径主砲、機銃など取り回しの良い装備による攻撃と――『熟練見張員』の搭載だ。

 

 熟練見張員妖精の持つ能力は、その鍛え抜かれた肉眼視力による偵察力、索敵力の強化。

 艦娘に代わって常に周囲を警戒する事で、迫る脅威にいち早く気付く事が可能となる――回避性能の向上。

 そして、火力を強化する性能は無いが、砲撃時の僅かな誤差などを精密に修正し、確実に敵に攻撃を当てる事に特化した――命中性能の強化である。

 

 現在、朝潮型の八人は小口径主砲を二つと、熟練見張員をそれぞれ装備している。

 火力と命中率を両立できる組み合わせだ。

 集積地棲姫の前方の海域には大量のPT小鬼群がひしめいており、対地攻撃を届かせる事すらも困難であろう。

 だが、対策済みの駆逐艦が八人もいるならば、あるいは――。

 

 ――て、提督、流石です……!

 そしてこの大淀は我らが提督の……――右腕!

 

「――えぇ。貴女達の役割は、長門さんの対地攻撃が確実に届くようにPT小鬼群を排除する事。一撃を当てる事さえできれば、練度の低い朝雲、山雲でも対等以上に戦えるはずです」

 

 提督の神眼に内心打ち震えつつ、平静を装いながら大淀が答えると、朝潮は目を見開いて踵を返し、鎮守府の方角を向いて敬礼した。

 

「し、司令官! これなら戦えます! この朝潮、全身全霊を賭け、全力で司令官の期待に応える覚悟です! か、感服、感服……!」

 

 涙ながらに敬礼しながらガクガクと痙攣している朝潮の背中を見て、大淀は大真面目に、この娘は大丈夫だろうかと思った。

 夕張が何か言いたそうな呆れた目で大淀を見ていたが、どうやら気付いていないようだった。

 大淀の説明を聞いていた長門が、腕組みをしながら納得のいった様子で大きく頷く。

 

「なるほどな……よし、大淀! これより、この連合艦隊の指揮はお前に一任する。指示を出してくれ!」

「えっ⁉ い、いいんですか⁉」

「臨機応変に、だろう? やはり提督の領域に最も近いのはお前だ。それに、私も初めての対地戦闘と、皆を護るので余裕が無くなるだろうからな。私もお前を信頼してるんだよ」

「な、長門さん……りょ、了解しました!」

 

 長門の信頼に応えるべく、大淀は数瞬でその明晰な頭脳をフル回転させ、算盤(そろばん)を弾くかのように高速で思考した。

 敵の状況――長門さんの対地攻撃の桁外れの威力を目の当たりにして、司令塔が混乱している。

 B島には岸を埋め尽くさんほど大量の砲台小鬼。周囲には同じく大量のPT小鬼群。

 それ以外にも駆逐や軽巡、重巡などからなる敵艦隊が私達を包囲している。

 日が落ちたから空母はB島に帰らせたのだろうか。

 しかし、明朝まで戦えという提督の言葉から考えるに、おそらくこれから続々と増援が襲来するだろう。

 しかも集積地棲姫によって物資を補給され、万全の状態となって襲い来るはず。

 そうなれば敵にも余裕ができ、不利になるのはこちら。

 この僅かな時間で、一刻も早く態勢を整えねばならない。

 

 そしてこちらの状況は――。

 

 私達が成すべき事は――。

 

 提督の領域に最も近い私がやらねばならない事は――。

 

「――長門さんはB島への対地攻撃を絶え間なく継続して下さい! B島に到達できればそのまま攻撃! いっそのこと資源ごと燃やして構いません! 到達できずとも敵を混乱に陥れ、攻撃を誘う囮にもなるはずですっ!」

「了解だッ! 征くぞッ! てーーっ‼」

 

 長門の号令で再び特二式内火艇らが姿を現し、集積地棲姫目掛けて突貫すると、敵艦隊はまたもや激しい攻撃をそれらに向けて放ち始める。

 あれに当たれば一撃で終わる――集積地棲姫が明らかに恐れを抱いているのは明白であった。

 奴にとって、B島に迫り来る対地攻撃の排除は何よりも優先しなければならない事のはず。

 ならば、その隙に――。

 

「連合艦隊から通常艦隊へ隊列変更! 朝潮、大潮、満潮、荒潮は左舷! 朝雲、山雲、霞ちゃん、霰は右舷から回り込んで敵魚雷艇群を掃討! 敵は内火艇らに気を取られているとは思いますが、周囲の水上艦への警戒も忘れずに!」

「はっ! 了解しました! 行きますよ、皆! 朝潮型駆逐艦、出撃ッ!」

 

 朝潮の合図で、朝潮型駆逐艦達は見事に統率の取れた動きで隊列を組みなおし、対地兵器に注意を引き付けられているPT小鬼群に向かって突撃していく。

 

「夕張は私と長門さんと一緒に、時雨達の護衛を! 絶対に被弾させないように!」

「私達の装備を試すのは、この後って事ね……了解っ!」

「長門さんには対地攻撃してもらいつつ、しばしの間、盾にもなってもらいます!」

「あぁ、任せろ! この長門の背後には、徹甲弾さえ通さんよ!」

 

 B島に向かって正面に長門、そして左右を夕張と大淀が囲み、時雨達に攻撃が届かないように輪形陣を作る。

 一人、最後まで残されて不安そうな表情を浮かべる青葉に、大淀は目を向けて言葉を続けた。

 

「青葉がある意味一番重要な役目です。繋がるかわかりませんが、無線にて各艦隊、そして鎮守府へ、時雨達を保護した旨の状況報告を! 無線が通じなかった際には、鎮守府方面には発光信号でお願いします!」

「りょ、了解! でも、流石に鎮守府までは届かないんじゃ……」

 

 青葉の不安はもっともだった。

 距離的に、鎮守府まで発光信号は届かない。

 だが、こんな事もあろうかと――大淀はすでに手を打っていた。

 

『それと、千歳、千代田、香取、鹿島にもそれぞれ駆逐艦を率いて鎮守府近海の警戒に当たってほしい。必要とあらば連合艦隊に合流してもいいが、これらは夜間演習の一環とでも考えてもらっていい。』

 

 提督の言葉――連合艦隊の戦況に応じて合流する事を視野に入れるのならば、常に連合艦隊からの指示が受け取る事ができる位置にいなければならないという事。

 そして、イムヤ達の救援要請が鎮守府の艦娘に届かなかった事を考えると、野良を装った深海棲艦が無線妨害の為に鎮守府近海を徘徊している可能性が考えられる。

 万が一、無線が通じなくなる可能性を考慮すると、頼れるのは発光信号だ。

 故に、大淀は四つの演習艦隊にこのような指示を出していた。

 無線妨害をしている深海棲艦が潜んでいる可能性があるため、目に映った深海棲艦はなるべく全て確実に撃沈する事。

 そして、常に連合艦隊からの発光信号を見逃さぬような距離を保ちつつ行動する事――。

 

 つまり、四つの演習艦隊の内のいずれかは、この連合艦隊からの発光信号を視認できる位置に存在するはずなのだ。

 

「先に演習艦隊の行動海域は確認済みです。四艦隊のどれかに届きさえすれば、そこから鎮守府まで中継してもらいます!」

「な、なるほど! それならいけそうですね! それで、報告が終わったら……」

「その後は戦況に応じて高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変にお願いします」

「なんか青葉だけふわっとしすぎじゃないですか⁉ えぇい、了解です! えーと、ワレアオバ……」

 

 納得がいかない様子の声を上げた青葉であったが、即座に無線と発光信号の準備を始める。

 あらかた指示を出し終え、大淀は残った三人――息も絶え絶えの様子で海面に腰を下ろしている時雨達に目を向け、言ったのだった。

 

「お待たせしました。本来ならば危険なこの状況、すぐにでも護衛退避させたいところですが……その前に、私の話を聞いて下さい」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――そして、大淀が語ったのは、時雨達が出撃してから現在に至るまでの間に、鎮守府で起こった騒動についてだった。

 

 完全に抜き打ちで、佐藤元帥自らが視察に訪れた事。

 そこで判明した、提督の秘密。

 提督が、かつては艦隊司令部で類稀なる手腕を発揮しており、不治の病を患い、退役した事。

 療養していたにも関わらず、横須賀鎮守府に着任してほしいという佐藤元帥の頼みに、二つ返事で了承した事。

 やんごとなき家系の長男、現当主であり、本来はこんな危険な場所に配属されてはならぬ存在であるという事。

 横須賀鎮守府の艦娘達の立場を良くするために、自ら勲章を辞退し、艦娘達の功績を称えて欲しいと佐藤元帥に直訴した事。

 本物の勲章よりも、暁に貰った折り紙の勲章が何よりの宝物だと言っていた事。

 着任してからすでに二回ほど不治の病による発作に襲われており、艦娘達に知られないがために下手な嘘をつき、身を隠していた事。

 横須賀よりも条件の良い舞鶴への異動を断り、横須賀鎮守府に骨を埋める覚悟だと、佐藤元帥に何度も頭を下げて懇願してくれた事。

 盗み聞きという愚行を犯した艦娘達を、土下座も厭わず半ば無理やりかばってくれた事。

 轟沈寸前だったイムヤを応急修理要員で救ってくれた事。

 提督のために無理をしたイムヤを本気で叱った事。

 大破進軍は決して許さない、たとえ目的が果たせずとも必ず全員で帰還しろ、もう二度と沈むなと、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら提督命令を発した事――。

 

「うっ……うぐっ……、ひぐっ……提督……!」

「提督さん、ひっく、提督ざぁん……!」

「へっ、へへっ……参ったね、くそっ、涙が止まンねェよ……!」

 

 時雨達はそれを聞き、胸が熱くなり、こみ上げてくるもので言葉に詰まり、やがて溢れ出る涙を止める事が出来なかった。

 こんなタイミングで出撃させた大淀に恨み節のひとつでも言ってやりたいくらいだった。

 他の艦娘達があれほどまでに強化されているのにも納得がいった。

 奇跡の光景、癒しの桜――その場にいて、提督に忠誠を誓えなかった者などいるのだろうか。

 こうやって話を聞かされるだけで、身体は震え、胸に火が灯ったように熱を帯びているというのに――。

 

 時雨は今までの自分を恥じた。

 文字通り命を削りながら横須賀鎮守府に着任した提督が、どんな思いで艦娘達に接していたのか。

 残された僅かな時間を全て自分達に捧げる覚悟をしてくれた提督から、臆病なあまりに距離を置いた自分自身が許せなかった。

 いつか来る別れを恐れ、自分が傷つきたくないがために、提督が差し出してくれた手を取らなかったも同然だ。

 

 もしも提督が、近いうちに亡くなるのだからと、自分のようにこれ以上の出会いを、自分達と出会うのを拒んでいたならば――自分達は二日前の時点で沈んでいる。

 

 出会いは怖い。出会いは悲しい。

 出会ってしまったその瞬間には、すでに別れまでのカウントダウンが強制的に始まっているからだ。

 だが。だから。だからこそ――先ほど夕立に叱られてしまった通り、それまでの残された時間を大切にしなければならないのだ。

 その時間は別れをより辛いものに育ててしまうが――それ以上に大切なものを育ててくれる。

 残された者に、かけがえのないものを遺してくれるのだから。

 

 大淀は携えていた手提げ袋から、時雨達にひとつずつ包みを手渡した。

 よく見慣れた、戦闘糧食の包みだった。

 

「これは、提督が貴女達のために握って下さった戦闘糧食です」

「提督が……⁉」

 

 包みを解くと、確かにそこには、いつも見慣れた三角ではなく俵型のおむすびが二つ包まれていた。

 間宮達が作るものに比べて、大きさも不揃いで、ちょっと不格好で――しかし、心を込めて一生懸命握っている提督の姿が、三人の目に映る。

 口の中が切れて痛かったが、それでも一刻も早く食べたかった。

 恐る恐るかぶりつくと、冷えた米の甘味と、まぶされた塩気が、まるで舌の上で爆発したかと思うほどの衝撃となって全身に広がり、瞬く間に口内に唾液が湧き出した。

 

「……うっ、うっ……美味ひい……! 美味しいよぉ……っ‼」

 

 ぽろぽろと涙を流しながら、夕立は口いっぱいに頬張った米を咀嚼しながら呟いた。

 つい先ほど、死に瀕したからかもしれない。

 ただの補給でしかなかった戦闘糧食をこんなにも美味しいと感じたのは初めての事だった。

 ますます溢れ出す涙と口内の痛みも忘れて、三人は一心不乱に戦闘糧食にかぶりつき、添えてあった沢庵まであっという間に平らげてしまう。

 満腹感よりも、それ以上の何かで満たされたような感覚を、三人は感じた。

 

 ――瞬間、夕張と長門が叫ぶ。

 

「大淀っ! いつの間にか敵の増援が合流してる! こっちにも向かってきてるわ! 背後にも回り込んで……包囲するつもりみたい!」

「くっ……大淀! 増援によって対地攻撃が届かなくなってきている! この状況では、三隻でも突破は難しいか……!」

 

『アノ盗ッ人共……‼ 生カシテ帰スナ……! 沈メッ! 沈メェーーッ‼』

 

 同時に響き渡る、集積地棲姫の怒りの咆哮。

 見れば、PT小鬼群に軽巡、駆逐からなる水雷戦隊が数隊合流している。

 朝潮達が沈めた数隻の穴を即座に埋め、むしろそれ以上に守りを固めており、対地攻撃がB島に到達するまでにほぼ妨害する事が可能になったようだ。

 それにより集積地棲姫に少し余裕が出来たのか、守りに必要ないと判断された敵の一部が、こちらに狙いを定めて向かってきていた。

 狙われているのは、瀕死の時雨達三人。

 目視できるだけでも、駆逐イ・ロ・ハ・ニ級、軽巡ホ・ヘ・ト級、雷巡チ級、重巡リ級、輸送ワ級……。

 空母の姿が見えないのは日が落ちたからだとして、戦艦がいない事は救いだが、種類も数も多い――しかも数隻、elite級、fragship級も存在している様子だ。

 

「くっ……予想以上に早い……!」

 

 大淀の頬に一筋の汗が伝う。

 このまま交戦した場合、確実に時雨達は守り切れない。

 更に、時雨達を護るために自由に航行できない自分達まで重傷を負う危険性が高い。

 時間が無い……!

 

「大淀さんっ! 交戦中のためか、各連合艦隊には無線通じました! 演習艦隊は無線が妨害されている模様、発光信号にて応答確認! あちらで連携して鎮守府への中継を行うとの事! 報告完了です!」

「了解! 青葉も敵艦隊の牽制に加わって下さい! 夕張、長門さんもお願いします!」

 

 指示を出しながら、大淀も自ら敵艦隊へ砲撃を開始する。

 そして時雨達に背を向けながら、言葉を続けた。

 

「提督は、この戦闘糧食を貴女達に渡すように私に命じ……そしてこう仰りました」

「合流できたら、まず体調を確認してやってくれ。そして、もう戦えないようだったら帰投させて構わない」

「だが、時雨達がまだ戦えると言うのであれば、私達と一緒に行動させて翌朝帰投してほしい」

「しかし、決して無理はさせるな、と……」

 

 大淀の言葉に、時雨達は忘れていた疑問を思い出す。

 長門は護衛退避用の艦隊司令部施設を装備しているというのに、何故、大破した自分達をすぐに帰投させなかったのか、という事だ。

 大淀に聞いた話では、大破艦が出た場合は作戦を中止して即座に帰投、全員が無事に帰る事というのが提督命令であった。

 だが、大淀はこの危険地帯で時間を割いてまで時雨達に提督の事を話し、伝えた。

 提督命令とは早速矛盾しているようだ――と考えたが、そのような指示が出ていたのであれば納得だ。

 

 しかし、提督は一体何を考えているのか――。

 いや、大淀も何を考えて――。

 無用な思考を始めた時雨を制するように、大淀が言葉を続けた。

 

「従って下さい。私にではなく、提督にでもなく、理性にでもなく――貴女達の欲し、望む事……貴女達の『欲望』に‼」

 

 ――僕達の、欲し、望む事……?

 

 僕が今、欲しているもの、望んでいるもの……。

 

 体中が痛い……艤装も力ずくで剥がされてボロボロだ。

 今すぐにでも帰投したい。

 入渠したい。広い、温かいお風呂で、足を伸ばして、肩まで浸かりたい。

 あったかいご飯が食べたい。鳳翔さん達の手料理を口いっぱいに頬張りたい。

 布団に入りたい。肩まで毛布を被って、泥のように眠りたい――。

 

 …………

 

 ――何故だろうか。どれもこれも魅力的なのに、そんな事より、何よりも。

 

「――戦いたい」

 

 夕立が漏らした言葉に、時雨は我に返って目を向ける。

 ぼろぼろと涙を零しながら、夕立は嗚咽と共に言葉を続けた。

 

「戦いたいっ……! 提督さんのために、もっともっと戦いたいよぉ……!」

「……きひひっ、江風も……不思議だねぇ……! こんなんじゃ役に立てねぇってわかってンのに……あんなに痛ェ目に遭ったばかりだってのに……提督の顔を思い出すと、何かさ……! 無性に戦いてェよ……!」

 

 もはや自力では立ち上がれないほどに疲弊、負傷しているというのに、江風も悔しそうにそう言った。

 夕立と江風の言葉を聞き――時雨は気付く。

 

 あぁ、そうか。

 僕も、そうなのだ。

 

 理性が無理だと叫んでいる。

 だけどそれをかき消すように、抑え込んでいた僕の本能が、欲望が、胸の中で吠えた。

 お風呂も、ご飯も、お布団も、全部全部、どうだっていい。

 

 僕達だけが帰投しても意味が無い。

 提督は、それを望んでいる。

 気を遣ったわけじゃない。

 僕達は、本気でそれを望んでいるのだ。

 

 徐々に敵艦の放った砲撃が着弾する距離が近づいて来る。

 長門と夕張、青葉、大淀が四方を牽制しているが、やはり手が足りなすぎる。

 ここで時雨達が護衛退避してしまったら、護衛艦も合わせて六人が戦線を離脱する事になる。

 そうなれば、もはや戦況は覆せない。数に押されて蹂躙されるだけだ。

 

 それをわかっているのだ。

 夕立も江風も、そして時雨も、自分自身の不甲斐なさに泣いていた。

 

 お風呂やご飯やお布団よりも、この状況を何とかしたい。

 皆を救いたい。

 提督を悲しませたくない。

 強くなりたい。

 

 それが、息も絶え絶えで死に瀕した、轟沈寸前の時雨達が最も求めた欲望だった。

 

 ――提督。提督。

 

「……僕も……っ」

 

 ――貴方の力になりたい。

 

「……僕は……!」

 

 ――貴方が求める結果を出せるような力が欲しい。

 

「僕は……っ! 戦いたい! この戦いに……勝ちたいっ! そのための力が欲しい……! 提督の力になれる……提督が求める未来を築ける力が!」

 

 時雨がそう叫んだ瞬間の事だった。

 光が――暖かな光が、三人の胸の奥に灯った。

 それはやがて体中に広がっていき、その身体全てを覆い尽くす。

 脈に合わせて全身を軋ませていた疼痛が治まっていき、立ち上がる事さえ出来なかった三人は、ゆっくりと重かった腰を上げた。

 

「こ……これって……⁉」

「……提督さん……っぽい……?」

 

 江風と夕立、そして時雨は目を丸くしながら、発光する自分の腕を見つめた。

 夕立が漏らしたその言葉には何の根拠も信憑性も無かったが、時雨は確信していた。

 提督がどんな思いで、戦闘糧食を握ったのか。

 どんな思いを、戦闘糧食に込めたのか。

 この胸に灯った熱い光はなんなのか――。

 

 僕達は与えられていた。

 僕達は受け取っていた。

 一粒残さず、平らげてしまった。

 胸の奥まで、沁み込んでいた。

 

「あぁ……僕にはわかる。提督がおむすびに込めてくれた思いが……心が、真心が――愛情が! 僕達に力をくれた……!」

 

 全身を包んでいた痛みと疲労が薄れていき、やがては完全に消え去ってしまう。

 胸の奥からまるで泉が湧き出しているかのように、全身に力が漲っていく。

 だんだんと光は強くなっていき――それに伴って抑えきれなくなった、溢れ出す感情のままに、時雨達は口々に叫んだ。

 

「きっひひ、ありがたいね。さぁ、張り切って行くよ! やったるぜぇっ! 改白露型駆逐艦――『江風』!」

「提督さん……提督さんっ! 提督さんのためなら、夕立、どんどん強くなれるっぽい! ――『夕立』っ!」

「提督――ありがとう。少し、強くなれたみたいだ……――『時雨』……」

 

「――『改二』ッ‼」

 

 瞬間、強烈な閃光と爆風が放たれ、長門達は思わず振り向いてしまった。

 

「なっ……⁉ 何……だと……っ⁉」

 

 光と風の中心地――そこには傷一つなく全快し、その両足でしっかりと立つ三人の姿。

 共通するのは、三人とも外見が少し成長して見える事と、まるで獣の耳のように跳ねた髪の毛。

 夕立の瞳は澄んだ緑から赤へ、江風の瞳は水色から金色へと変わっており、身に纏う装束も艤装も大きく変わっている。

 改二実装。

 一段階上の力を手にした三人は互いの姿を見つめ合い、高揚する士気が漏れ出したかのように、三者三様の好戦的な笑みを浮かべた。

 

 求めよ、さらば与えられん――。

 手を伸ばさなければ、何も手に入らない。

 強くなりたいと求めた僕達に、提督が与えてくれた力。

 絶望的な状況を打破するための力。

 

 時雨は胸に拳を当てて、自分自身に誓った。

 

 ――この力、今こそ提督のために。

 

 …………

 

 あぁ、駄目だ。願いが叶ったばかりだというのに、満たされたばかりだというのに、まるで(たが)が外れたかのように、欲望が次から次に溢れ出して止まらない。

 僕はこんなにも欲深かったのか……?

 

 …………

 

 とりあえず、提督。

 勝手な奴だと呆れてしまうかも知れないけれど。

 

 ――(そば)に行ってもいいかな。

 

 今までの分を取り戻したい。

 僕の方から遠ざかっていた距離を埋めたい。

 提督の側にいたい。

 

 ――今は無性に、提督(あなた)を強く抱き締めたいよ――。

 

 溢れ出す思いを胸に秘め、時雨は自分達を守り切ってくれた長門らを見回し、静かに口を開く。

 

「……長門、大淀、夕張、青葉……横須賀鎮守府の皆。僕達を助けてくれて、守ってくれてありがとう……今度は、僕達の番だ。夕立、江風――行くよ!」

「夕立、突撃するっぽい! ソロモンの悪夢――見せてあげるッ!」

「フフン、いいねいいね! やっぱ駆逐艦の本懐は戦闘だよなー! いっくぜェーーッ‼」

 

 提督の想い、愛情の実感、力への渇望、欲望の自覚――それに伴う覚醒。

 死に瀕していた子犬は、瞬く間に鍛え上げられた歴戦の猟犬へと姿を変えて――時雨達は三方に散開し、それぞれ単艦で敵艦の群れの中へと突撃したのだった。




大変お待たせいたしました。

リアルでは私は隠れオタクなのですが、職場の昼休憩時間にスマホで遠征処理を行っていたところ、うっかり油断してしまい背後から同僚に秘書艦のハロウィングレカーレちゃんを目撃されてしまい、精魂尽き果てたりしていますが私は元気です。

原作の方では夕立に素晴らしいハロウィングラが実装されましたね。
春風にも鰯団子グラとか欲しいところです。

このお話でようやく時雨達に改二が実装されました。
連載を始めた時にはこんなに時間がかかる予定ではなかったのですが、思い通りにいかないものです。
原作での改二や新艦の状況によって、高度の柔軟性を保ちつつ臨機応変に当初のプロットを変えたりしているからだと思いますが、このお話はノリと勢いとライブ感で執筆しているのでご容赦下さい。

次回も艦娘視点になりますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。


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062.『覚醒』【艦娘視点②】

「ンなろ~……! よくも今まで好き放題やってくれたなぁ……! 全部まとめてお返ししたるぜ!」

 

 長いマフラーをなびかせ、江風は深海棲艦の一団に向かって距離を詰める。

 その先には(シャチ)に匹敵するほど巨大な生ける鉄塊――駆逐イ級、ロ級、ハ級、ニ級。

 まるでオタマジャクシに手足が生えるかのように、砲塔を携えた黒塊から腕のようなものが生えた軽巡ホ級、ヘ級、ト級。

 灰色と漆黒からなる異形の水雷戦隊。

 

 いきなり息を吹き返した江風達に深海棲艦も僅かに困惑したのか一瞬怯んでいたようにも見えたが、下級のそれは元々知能が低い。

 何故、などと余計な事は思考しない。思考できない。

 ただ目の前に迫る脅威を排除せよと本能が叫ぶのみ――敵水雷戦隊は江風に向かって一斉に砲撃と魚雷を放った。

 たった一隻の標的に向けるには過剰なほどの雷跡と砲火。

 深海の砲弾が海面を叩き、複数の水柱が上がり、それらがスコールのように猛烈な勢いで降り注ぎ――。

 

 ――標的の姿が無い、と軽巡ホ級が気付いたのと、自分自身が爆散したのはほとんど同時の事であった。

 

「ンっ、いいねいいねー! やっぱ新しい装備は(はかど)るね!」

 

 標的の声、背後、いつの間に――そこまで思考する知能があったのかは定かではないが――江風の声に軽巡ト級が反転し、同時に複数の雷跡を視認する。

 その終点は自分自身。軽巡ト級もまた、江風の姿を見る間もなく爆炎に包まれて沈んでいく。

 

 喧騒(けんそう)にして隠密。疾風にして暴風。漆黒の旋風(つむじかぜ)――縦横無尽。

 それはまるで、闇の中を吹き抜ける夜風のようだった。

 深海棲艦の間隙を縫って瞬く間に駆け抜け、気が付けばひとつ、またひとつと爆炎が上がる。

 その光に目を奪われている僅かな隙に、江風はまた闇に潜み、獲物へ向けて音も無く駆けて行く。

 もしも江風がいちいち甲高い声を上げていなければ、深海棲艦達は自身が轟沈した事にすら気付けないかもしれない。

 

 その忍者のような戦闘スタイルは、通称、夜戦バカ――横須賀鎮守府で最も夜戦に長けた軽巡洋艦、川内を彷彿とさせた。

 夜戦を愛するあまりに昼でも夜戦演習を決行し、目隠しをしてでも戦えるほどの夜戦バカ――そんな彼女のライフワークとも言える夜戦演習に、江風は常に付き合っていた。

 夜戦となるとテンションが上がり、常に騒々しい川内であるが、対照的にその動きは一切の無駄がなく、月明かりひとつ無い漆黒の中でも確実に敵の姿を捉え、音も無く仕留める。

 艤装として魚雷発射管を装備しているにも関わらず、魚雷を苦無(クナイ)のように握りしめ、すれ違いざまに直接投げつける技は、他でもない川内の技だ。

 江風もそれを会得したのか、砲を装備した右手とは逆の左手に、常に魚雷を握りしめている。

 

 宵闇を駆け抜ける江風の姿を捉える事が出来ず、気が付けば周辺の敵水雷戦隊は駆逐ニ級ただ一隻。

 直前に爆散した軽巡ヘ級から立ち上る炎を背にして、江風がようやく立ち止まり――駆逐ニ級はそこでようやく、改二が実装された江風の姿を間近で目視した。

 闇に同化するような黒を基調とした制服に、黒のハイソックス、黒の艤装。

 高級な猫のような金色の双眸に映るのは、次の標的の姿。

 ニ級の巨大な緑の瞳――のような何かを前に、江風は右腕の砲塔を向けながら自慢げに笑みを浮かべる。

 

「そうさ。改白露型だよ? バランスいい身体だろう? なっ!」

 

 答える間もなく砲弾が叩き込まれ、駆逐ニ級は断末魔の叫びを上げながら沈んでいく。

 全てが下級で編成されていたとは言え、敵艦隊ひとつを単艦で殲滅するほどの力を得た事に、江風は自身も意外に思うほど、驚いてはいなかった。

 むしろ、ようやく身体が追い付いたような感覚――これが本来、艦娘の持っていた力だったのかもしれない。

 

 それを発揮できずに轟沈していたら――海風の姉貴、山風の姉貴はきっと号泣してたンだろうな。

 また姉不孝をせずに済んで、本当に良かった。

 ひゅう、と頬を撫でる海風の涼しさを肌で感じながら、江風は小さく笑った。

 

「……こンだけ強くなりゃあ、海風の姉貴の心配性も少しはマシになってくれっかな。まったく、提督様様(さまさま)だねぇ」

 

 敵水雷戦隊を一掃した江風はきょろきょろと周囲を見回し――闇の中に次の獲物の姿を見つけ、歯を見せて笑った。

 海風の姉貴には危険だと止められるかもしれないけれど、今だけはほんの少しの無茶も見逃してほしい。

 提督から与えられたのは、川内さんから教えられたのは――この絶望の夜を最後まで戦い抜き、大切な仲間を護るための力なのだから。

 

「ンっ、敵艦隊発見! きひひっ、よぉし、一気に畳みかけるぜ! 突撃だ! 行っくぜぇーーッ‼」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、ト……わぁっ、()り取り見取りっぽい?」

 

 眼前に迫る船団を見て、夕立は呑気な声を上げた。

 多勢に無勢――そんな事など考えてもいないかのように、いや、それどころか夕立の緋色の瞳は爛々と輝いており――。

 例えるなら、おもちゃ屋を訪れた子供のような、そんな無垢な瞳であった。

 

「――まず何から撃とうかしら?」

 

 ニィッ、と犬歯をむき出しにして笑みを浮かべた夕立の左手から、赤い光を帯びた魚雷が具現化される。

 先端には見るからに凶悪そうな、子供の落書きのような顔がついており、それはまるで夕立が秘める無邪気な狂暴さを象徴しているかのようだった。

 ぽちゃん、ぽちゃんと、それらは海面に落ち――数秒後、火のついた花火のような急激な加速と共に敵艦隊に迫って行った。

 それと同時に、夕立もまた敵艦隊へ向けて猛烈な勢いで突撃していく。

 

 迎撃しようと敵艦隊から放たれる砲弾の雨にも怯まず、恐れず、夕立の赤い瞳は的確に砲弾を捉え、被弾するものだけを最小限の動きで回避する。

 ――捕まったら最後、まるで子供に捕らえられた虫のように、無邪気に死ぬまで遊ばれる。

 そんな恐るべき殺気を纏った夕立の存在感。

 深海棲艦達の本能は、夕立こそがその場における最大限の脅威であると判断した。

 ――すぐ目の前に迫り来る魚雷の存在など、忘れてしまうほどに。

 

 目の前から迫っていたはずなのに、それはまるで死角からの不意打ちであった。

 いきなり三隻の深海棲艦が理由もわからぬままに爆散し、業火に包まれながら沈んでいく。

 深海棲艦達がそれに気を取られたほんの一瞬で――赤い目の獣が牙を剥いた。

 

「さぁ! 最っ高に素敵なパーティしましょ?」

 

 複数の砲撃音。空気を揺らす爆音、闇を焦がす爆炎、響き渡る断末魔の悲鳴。

 幸運にも今回は標的から外された駆逐ロ級が、更に同胞が三隻轟沈した事に気が付いた時には、夕立は再び距離を取り、反転して向かい直る。

 

 まるで遊ぶように、踊るように、歌うように。

 戦場に似合わぬ楽観的な声を上げて戦うその姿は、自称・艦隊のアイドル――那珂に重なって見える。

 彼女は出撃をお仕事、ライブやコンサートのようなものと例え、深海棲艦を観客やファンに見立て、笑顔を絶やさず戦うという変わり者だ。

 だがその実力は折り紙付き。本人は可愛くないからとその名で呼ばれるのを嫌っているが、人呼んで横鎮の切り込み隊長。

 満面の笑みで彼女は敵艦に攻撃を叩き込み、断末魔の悲鳴を聞いては、それを自身に向ける声援のように受け止めて手を振り返す。

 時にはアイドルのように踊りながら戦う那珂の姿は、人に言わせれば無駄な動きなのかもしれない。

 だが、無駄に洗練された無駄のない無駄な動きを支えるのは、歴戦の経験により鍛え上げられ、研ぎ澄まされた、敵の攻撃を的確に見極める眼力。

 自分のやりたいスタイルで心から戦いを楽しむ姿。それを可能にする確かな眼力――好きに戦うには力がいる。

 夕立は彼女からそれを学んでいたのかもしれない。

 

 瞬間、何かに気付いた夕立は回避行動を取り、僅かに遅れて幾多もの砲弾が辺りに着弾した。

 別の敵艦隊――駆逐艦や軽巡よりも、より人型に近づいた異形が編成されている。

 上半身はかろうじて人の形を取っているものの、下半身は未だ鉄の塊である雷巡、チ級。

 ついに全身が人の形となっており、両腕には小型化した駆逐イ級のような砲を装備している重巡、リ級。

 その砲撃と雷撃の威力は、敵駆逐艦のそれとは比較にならない。

 射程外からの砲雷撃を、夕立は息をつく間もなく回避する。

 

 一見、窮地に追い込まれたように見えた。

 本来ならば駆逐艦には荷の重い艦種。

 しかし夕立の目に恐れの色は無い。

 ただただ、無慈悲なほどの赤。それ一色に染まっていた。

 そしてまた、好戦的な笑みを浮かべる。

 新しいおもちゃを見つけた――子供のような、獣のような、ただひたすらに無邪気な笑みだった。

 

「ふーん……何それ? 新しい遊びっぽい?」

 

 再び魚雷を具現化する。二本、三本――それらは意思を持つかのように、敵艦隊へと向かっていく。

 それと同時に突撃する夕立に、雷巡チ級と重巡リ級は狼狽える事なく迎撃の姿勢を取った。

 

 深海棲艦はその形が人に近づくほどに知能を獲得し、鬼級や姫級のように個の理性は未だに無くとも、駆逐や軽巡に比べれば考える力を持つ。

 雷巡チ級と重巡リ級は夕立の殺気に目を奪われて魚雷の事を忘れるほど知性は低くなく、また、艦種による有利も理解していた。

 

 先ほど瞬く間に沈められた下級の艦は頭が悪い。

 駆逐艦を相手取る際に脅威なのは、砲撃よりも雷撃。

 つまり、猛烈な勢いで突撃してくるあの駆逐艦は囮。

 警戒すべきは魚雷――雷撃だけは、まともに受けてしまっては無事ではいられない。

 だが、駆逐艦程度の砲撃ならば、一撃喰らった程度では沈まないだろう。

 まずは魚雷を回避し、射程圏内まで接近してきた相手の砲撃の隙を見て、カウンターの砲撃を叩き込む。

 艦種の差が大きく影響する砲撃戦ならば、こちらは耐えられるが相手は大きな損傷を避けられないだろう。

 肉を切らせて骨を断つ――こちらの勝ちだ。

 

 ――そんな事を考えていたのかもしれない。

 

「ぽーいッ!」

 

 夕立から放たれた砲撃はたった一撃で重巡リ級、雷巡チ級の装甲を粉砕し、爆炎に包み込む。

 もはや駆逐艦の火力では無い――としか形容できないその火力。

 駆逐艦や軽巡に比べれば高い程度の知能では理解もできず、何がいけなかったのか、訳もわからぬままに、重巡リ級と雷巡チ級は海の底へと沈んでいった。

 魚雷が命中した随伴艦により更に数本の黒煙が上がり――夕立は再び距離を取って向かい直る。

 

 夕立――夏の午後から夕方にかけ、多くは雷を伴う激しいにわか雨。

 

 まるでその名が現す通りに猛烈な強襲。

 ひとたび赤い目の獣が襲い来れば、爆炎の嵐が巻き起こる。

 深海棲艦にとっては、まさに悪夢。

 しかも、本当に恐ろしいのは、その爪と牙には憎悪など一切含まれていない事。

 夕立は残った深海棲艦を指で差しながら数え、まだこんなにも獲物がいるという事を喜ぶようにニィと笑った。

 ――猟犬が獲物を発見し、追い立て、捕らえて戻り、尻尾をぶんぶんと振りながら頭を撫でられる事を期待しているかのように。

 

「ひぃふぅみぃ、たくさんっ! いっぱい頑張って、提督さんに褒めてもらうっぽいっ! ぽーいっ!」

 

 そしてまたにわか雨に打たれるように――赤い目の獣による狩りが始まった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「――皆に、迷惑をかけてしまったな……この分は、きっと取り返すから……」

 

 時雨が攻撃態勢に入ると共に、一見バックパックのような背中の艤装が即座に変形を始めた。

 実は背負われておらず腰の辺りで固定されており、変形後には二門の砲塔を両手に装備できるような形となる。

 それはさながら、二刀流といったところだろうか。

 しかし目の前には二本の刀でも足りぬほどの船団。

 人の形をした影もいくつか確認できる。

 

 右手と左手の砲塔は、それぞれ異なる標的を見据え――放たれた砲弾は弧を描き、ほぼ同時に二隻の敵艦に命中した。

 駆逐イ級が二隻。一撃で確実に沈められるものに狙いをつけたようだった。

 重巡リ級が何やら指揮のような声を上げ、一斉に砲撃が開始される。

 数は力。質よりも量。たった一人で攻め込んできた時雨にそう示すかのように、深海棲艦達は圧倒的な物量によって押し潰さんと猛進し、砲弾の雨を降らせた。

 避ける隙間さえ与えない高密度の砲撃による集中豪雨。

 時雨は即座にその場を離脱し、距離を取りながら回避に専念し始めた。

 

 敵駆逐艦の射程外まで離れても、それよりも射程の長い軽巡や雷巡、重巡の攻撃は時雨まで届く。

 そしてその状態では、時雨の砲撃は届かない。

 射程(リーチ)と数でアドバンテージを握られ、時雨は僅かに逡巡したが――。

 

「提督までの帰り道、提督が望む未来……ここは譲れない――通してもらう!」

 

 そう言って、時雨は海面から高く跳ねた。

 両脚の太腿に装備された魚雷発射管が変形し、次々に魚雷が射出される。

 特筆すべきは、海を割らんばかりに突き進む異様に猛烈な推進力。

 駆逐艦の放つ雷撃には、稀に通常のものとは威力が桁違いのものが放たれる時がある。

 その艦の体調によるものだとか、気分によるものだとか、はたまた運によるものだとか、未だに原理は不明であるが――その会心の一発、渾身の一撃は、時には鬼級、姫級の装甲をもぶち抜くほどの破壊力を誇る。

 時雨の放った雷撃、四連装酸素魚雷両脚で八発分の雷跡は、その全てがそれに匹敵するほどの――文字通り桁違いの勢いで敵艦隊へと迫って行った。

 予測していたよりも遥かに速いそれを、密集していた敵艦隊は避け切る事が出来ず、命中した敵艦から複数の爆炎が上がる。

 

 予想外の一撃に、一瞬生じた隙。

 それを突いて、時雨は敵艦隊へと一気に突撃する。

 迎撃するべく敵艦隊が時雨に再び砲撃の雨を浴びせんとした瞬間、猛烈な雷撃の第二陣が再び敵艦隊を襲った。

 それにより生じた爆煙や水柱に紛れて、時雨は二門の砲で次々に敵艦を沈めつつ、混乱する敵艦隊のど真ん中に到達する。

 袋の鼠――では無かった。

 時雨はその場でフィギュアスケーターのごとく回転し、それと同時に魚雷が放たれる。

 四方八方へ広がる雷跡――思わぬ方角から魚雷を喰らい、爆散する深海棲艦。

 辺り一帯を黒煙に包まれ、もはや編成など完全に崩れてしまった混乱の渦の中――。

 

「――見つけたよ」

 

 時雨ただ一人だけが、静かに、冷静に、淡々と切り捨てるかのように、目の前の敵艦を砲撃していた。

 

 乱戦の中で敵を一刀両断する侍のごときその姿。

 江風が川内、夕立が那珂の影響を強く受けているとするならば、残る時雨に重なるのは――。

 華の二水戦旗艦。一部の駆逐艦から鬼と恐れられている、現在の横須賀鎮守府最強の軽巡洋艦――神通。

 

 その性能もさることながら、真に恐るべきはその性能に驕る事の無い、自他共に向けられる厳しさ。

 一言で表すならば、真剣。日常では物腰柔らかだが、戦場では文字通り真剣を携えているかのごとき鋭さとなる。

 敵が誰でも真剣勝負。

 獅子が兎を狩る時にも全力を尽くすように、神通はどんな敵にも慢心しない。

 常に勝利へ向けて最善、最適の行動に全力で取り組むのだ。

 

 姉の川内、妹の那珂とは対照的に、無駄な声は出さない、無駄な動きはしない。

 その分、体力を温存でき、多くの敵と戦えるから。

 無駄撃ちはせず、一太刀で切り捨てる――その方が、多くの敵を沈められるから。

 たとえ鬼と呼ばれても過酷な演習を行うのは――生きて帰ってほしいから。

 

 神通の想いを、時雨は十分すぎるほどに受け取っていた。

 戦わなければ生き残れない。

 強くなければ帰れない。

 それで鬼だと恐れられるなら――それなら僕は鬼でいい。

 そんな僕でも、きっと提督は抱き留めてくれるから。

 

 右手と左手の砲門で、一隻、また一隻と確実に沈めていく。

 狙うは射程圏内の、確実に一撃で仕留められる敵。

 自分に出来る最善の行動をひとつずつ積み重ねていく。

 大顎を開けて、噛み砕こうと飛び掛かってきた駆逐イ級の口内に砲弾を叩き込む。

 砲撃音と爆音、断末魔はだんだんと少なくなっていき――。

 

「……雨は、いつか止むさ」

 

 時雨がそう呟いていた時には、あれだけ降り注いでいた砲弾の雨は止んでいた。

 辺りを見回している時雨目掛けて、黒煙の奥から砲弾が放たれる。

 しかし、時雨はそれを即座に回避し、攻撃が放たれた方向へと向かい直った。

 爆煙が晴れると、そこには怒りに表情を歪める重巡リ級が息を荒くして時雨に砲塔を向けている。

 その纏うオーラの色は、敵が通常の深海棲艦ではなく、姿を同じくして数段階上の強さを持つ存在である事を示していた。

 

「elite……いや、flagship級か……」

 

 重巡リ級flagship。

 重巡の域を超えて戦艦にすら匹敵するその性能は、本来ならば駆逐艦が一対一で向かい合うような存在ではない。

 おそらく時雨が全滅させた艦隊の旗艦だったのであろう。

 時雨を決して許さぬという怒りと憎しみ、そしてflagship級の重巡である自分が駆逐艦に負けるはずが無いという確固たる自信が、全身から満ち溢れていた。

 

 まるで西部劇のワンシーンのように、時雨と重巡リ級flagshipは向かい合う。

 時雨が背を向けて逃げるのを待っていたのかもしれない。

 そうなれば、重巡リ級は確実に無防備な背中を狙い撃てる。

 だが、目の前の憎き駆逐艦は、重巡、それもelite級よりも格上のflagship級である自分に全く臆せず、怯む事なく、平常心を保ったままこちらを見据えている。

 時雨から放たれる底知れぬ圧に、遥か格上の重巡リ級は呑まれてしまっているのかもしれなかった。

 

 数の上では互角。ならば残るは純粋な力のみ!

 戦艦に匹敵する火力と装甲、一対一ならば駆逐艦に負ける道理は無い!

 痺れを切らした重巡リ級flagshipの砲口から恐るべき威力の砲弾が放たれた。

 

 ――駆逐艦の持ち味のひとつは回避性能。

 当たれば一撃で大破してしまう攻撃も、当たらなければ意味が無い。

 臆することなく敵の一挙手一投足まで観察していた時雨は、敵の砲口から砲撃の軌道とタイミングを読み、紙一重でそれを回避する。

 同時にカウンター気味に放たれた魚雷は、猛烈な速度で敵艦目掛けて水中を突き進む。

 

 駆逐艦の持ち味――雷撃火力。

 その威力たるや、先に述べた通り、当たり所が悪ければ鬼級、姫級の戦艦の装甲ですら耐え切れないほどだ。

 ましてや、その全てが通常の駆逐艦が放つ会心の一発に匹敵するほどの、現在の時雨の雷撃ならば、並の戦艦に()()()()()()では到底耐えられるはずも無く――。

 

 敵艦が攻撃した直後の僅かな隙を狙って反撃を叩き込む――()(せん)

 神通が夜戦の場において探照灯を用いて敵の攻撃を一身に引き付けるのは、決して自己犠牲精神などではなく。

 仲間の援護をしつつ、自身が狙われる事により能動的に敵艦の隙を生み出す為。

 自身の攻撃により生じる隙は与えない――何故なら一撃で仕留めるから。

 後手にして必勝、一刀両断。

 一対一の状況下において神通が得意とする戦法を、時雨もまた、身体で学んでいた。

 

 爆炎に包まれながら沈んでいく重巡リ級を見据えながら、時雨は胸元に手を当て、名刀を手にした侍のごとき凛とした表情のままに言ったのだった。

 

「量で駄目でも質なら、って思ったのかもしれないけれど……――提督から貰ったこの力。質なら尚更、君達に負けるはずが無い。残念だったね」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……あれは本当に駆逐艦なんですかね」

「う、うぅん、例えはアレかもしれないけど、駆逐ナ級後期型flagshipみたいなものだと思えば、まぁ……」

 

 青葉と夕張が、何とも言えない茫然とした表情でそう言った。

 時雨達三人が周囲を包囲していた敵艦隊に単身突撃し、一騎当千の勢いで駆逐していったため、こちらに向けられる砲撃はいつの間にか止んでいる。

 長門は時雨達の姿を見て、安心したように息をついた。

 

「これが提督の作戦か……まさか、この土壇場で改二に目覚めさせる事で傷を癒し、逆に戦力に加えるとはな」

「えぇ。念の為、提督への信頼を深める為に語る時間を頂きましたが……まさに薄氷の上を渡るような策でした」

 

 大淀はようやく肩の荷が下りた心地で、安堵の息を漏らす。

 そう、提督は時雨達の救出だけに目を奪われていたのではない。

 時雨達を救出できたとしても、今夜、資材集積地をそのままにしてしまっては、今目の前に広がる光景のように続々と増援が現れ、二日前とは比較にならぬほどの大軍勢が横須賀鎮守府を襲う事が予測された。

 私達、横須賀鎮守府、ひいては目と鼻の先にある我が国の首都さえ陥落してしまう。

 提督の神眼は、時雨達の救出、その先にある私達の救出、我が国の死守――そのためにどうすれば良いか、そこまで見通していたのだ。

 

 だからこそ、あの優しい提督が時雨達を諦める覚悟さえ決めたのだ。

 それよりも鎮守府や我が国を護る事の方が優先だからだ――あの御方にとっては血涙を流すほどの苦渋の決断であっただろう。

 時雨達の救出が間に合わなかったとしても、何とか私達の被害は最小限に、この国を死守する二の矢、三の矢はすでに考えていたはずだ。

 

 改二実装艦への聞き取り、文月と皐月の明らかに不自然なタイミングでの改二実装、出撃を遅らせてまで提督自ら握った戦闘糧食。

 話の流れから、大淀は最初、千歳のためだけに改二実装のヒントを得ようとしていたのかと考えたが――。

 

『――あぁ。そのおかげで中破した艤装も、燃料も弾薬も全て回復してな。命からがら窮地を脱する事ができたというわけだ』

『ほう。改二を発動すると損傷や資源も回復するのか?』

『いや、常時ではなく、最初の一回だけだった。奇跡のようなものだったのかもしれない……』

 

 何気ない会話の流れとしか捉えていなかったあの瞬間、おそらく最悪の結末から逃れるべく足掻いていた提督は、一本の蜘蛛の糸が降りてきたような心地であっただろう。

 たとえ死に瀕していたとしても、轟沈さえしていなければ、そして改二に至る素質さえあれば、何かの『気付き』さえあれば、改二が実装されれば――たった一度だけ、全快できる。

 顔色ひとつ変えずに、他の艦娘との会話を続けながら、あの時提督は、たった一度きりの奇跡を作戦に組み込んでいた。

 

 時雨、夕立、江風の三人は、元々その戦闘センスを見込まれて横須賀鎮守府に配属となった経歴を持つ。

 いつ改二に目覚めてもおかしくはないポテンシャルの持ち主であり、提督もそれは把握できていたのだろう。

 

 神通、金剛型、長門は予定外の様子だったが、那智による遠慮無しの爆風をあえて間近で観察しようとしたのは、何らかのヒントを掴むためだろう。

 そしてその甲斐あってか、提督は何かを掴み――おそらく改二に至る素質を見抜いていたのであろう文月を指名し、それを実践した。

 神の恵み――提督が何らかの力を与えていたのは明らかであったが、自分にも、とせがんだ皐月のような者が現れるのを懸念し、その力の存在は公には無かった事にされてしまったが――。

 

 提督は、自身の手の届かない場所にいる時雨達にそれを与えるべく、戦闘糧食を握ったのだ。

 のんびりしている場合ではないと川内が焦り、(いら)ついていたその時間。

 提督はひとつひとつの戦闘糧食に神の恵み、皐月曰く提督パワーを込めたのだろう。

 時雨達に与えるものだけは全て提督が握ったという事がそれを証明している。

 ただの補給目的であれば、間宮や鳳翔が握ったとしても問題は無いからだ。

 

 そして三つの連合艦隊の同時運用。

 もしもこれが本来の流れであるならば、偵察、ギミックの視認、基点の捜索、敵編成の確認、対策、反復出撃、撃破、ギミック解除、敵本隊との交戦までに――膨大な時間と資源を必要としただろう。

 だが、たった一度の出撃で済むのならば、必要な時間も資源も大幅に削減できる。

 現在、どちらにも余裕の無い横須賀鎮守府が真っ向から戦うには、これしかなかったのだ。

 

 だが、通常はそんな真似など出来るはずが無い。

 偵察もしていないというのに、最適な経路で敵艦隊へとまっすぐに導いてくれる羅針盤の妖精。

 そして敵艦隊と戦えるだけの編成と装備の指示。

 神のごとき提督の謎の眼力がなければ、到底不可能な芸当だ。

 

 今、大淀の中で全ての点が繋がって線となり、線が繋がり絵図となる。

 死に瀕していた救出対象を逆に強大な戦力として捉える発想。

 救出に向かった私達こそが、今まさに彼女達に助けられている。

 大海原のごとき広すぎる視野と、深すぎる思考能力。

 一度でいいから、提督の頭の中を覗いてみたい――底知れぬ提督の領域に、大淀は改めて畏敬の念に身体を震わせた。

 

 まるで駆逐版川内三姉妹――三者三様のスタイルで縦横無尽に暴れまわる三人。

 褒められるべきは香取の目であろうと、大淀はこの場にいない功労者を心中で労った。

 初めは香取と鹿島の元で演習に励んでいた三人であったが、彼女達には実戦で学ぶ方が合っているとの香取の言葉により、川内三姉妹が推薦され、担当する事になったのだ。

 他の駆逐艦達が恐れをなす川内三姉妹との実戦形式演習であったが、時雨達だけは嬉々として付き従い、教わるよりも目で見て、身体で学んだ。

 現在の彼女達の、川内型の戦闘スタイルが重なる動きは、その鍛錬の賜物であろう。

 

「さて、これで防戦に徹する必要は無くなったな。大淀、私達はどう動く」

「長門さんは今までと変わらず、集積地棲姫への対地攻撃を絶え間なく続けて下さい。そしてその間、手が空くと思いますので……霞ちゃんの艦隊へ合流。練度の低い朝雲、山雲に特に注意を。盾になりつつ、周囲の重巡以上の敵艦を優先して砲撃。主砲を装備していないとはいえ、今の長門さんならば艤装の素の火力だけで脅威的なはずです」

「待ちに待った共闘か。胸が熱いな……」

 

 大淀に指揮を仰ぎ、長門は前方へと突撃していく。その先には霞が率いる四人編成の艦隊。

 上陸用船艇型の対地装備の利点は、艦娘の意思で操縦する必要が無く、妖精が状況を判断し、操縦してくれる事。

 つまり長門が別の敵艦と交戦しながら、別に自立して的確に対地攻撃を実行してくれるのだ。

 PT小鬼群と乱入してきた敵水雷戦隊に悪戦苦闘する朝潮型駆逐艦――朝雲を視界の外から狙う砲口。

 放たれた砲弾が朝雲へと到達する寸前――。

 

「ハァァアアーーーーッ! ――フンッ‼」

 

 低速であるはずの速力からは想像もつかぬほどの爆速で長門は距離を詰め、迫り来る砲弾を左の裏拳で弾く。

 間近での爆発に、朝雲は目を丸くして振り返り、いつの間にか背後に接近していた長門を見て驚愕した。

 

「な、長門さん⁉」

「フッ、言っただろう。お前達には傷ひとつつけさせやしないとな。全主砲斉射! てーーッ‼」

 

 長門の艤装から放たれた砲撃は一瞬にして朝雲を狙っていた敵艦を貫き、爆炎を上げる。

 装備としての主砲を下ろし、対地特化にすることで火力が落ちてなお、この射程、この威力。

 並の深海棲艦にとっては恐るべき脅威である事に変わりは無かった。

 

「背後は任せろ。この長門がここにいる。不安に思う事なく、安心して戦うがいい」

「あ、ありがとうございます!」

「フフフ……ついに訪れた、提督が与えてくれたこの好機。堪能せねば……いや、お前達にいい所を見せねばな」

「物凄く頼もしいはずなのに、やっぱりなんか不安なんですけど……」

「ねー?」

 

 背後を超弩級戦艦に守られているというこの上なく安心できる状況のはずだが、朝雲達は何故か落ち着かない表情であった。

 

「大淀、私達は?」

「最優先事項、時雨達の救出は完了……本来の作戦に入ります」

「了解ッ! 早く試してみたくてうずうずしてたんだから!」

 

 瞬間、夕張と大淀の艤装に追加の武装が具現化される。

WG42(ヴルフゲレート42)』――対地対艦攻撃用、艦載ロケットランチャー。

 大淀と夕張は主砲を二つとWG42を二つずつ装備しており、対地攻撃力と対艦火力を両立できる積み方であった。

 通常、軽巡が装備を積めるのは三つまで。それを四つ積める数少ない軽巡洋艦――横須賀鎮守府では大淀と夕張にしか出来ない積み方でもあった。

 提督が自分達の個性を活かしてくれる装備の積み方を指示してくれた事が、夕張には嬉しかった。

 

 集積地棲姫、そして砲台小鬼にも有効な装備であり――横須賀鎮守府には二つしか保管されていなかったはずの代物である。

 足りなかった残りの二つはわざわざドイツからついてきたのだろうか……。

 そう言えば、と。着任する提督を出迎えたあの日、提督はドイツ語の本を読んでいた事を大淀は思い出した。

 明石に聞いた話では、着任初日、お茶を淹れた明石に一回だけ「ダンケ(ありがとう)」と何故かドイツ語で礼を言った事もあるらしい。

 おそらく無意識に出てしまったものだろう。

 ドイツを訪れた事があるのか? WG42の妖精がついてきたのはその時?

 留学、それとも私用、あるいは旅行? 一体何の為に。

 随分真剣に読んでいたようだったが、あれは一体、何の本だったのだろうか――。

 妖精はバームクーヘンをもぐもぐと咀嚼するだけで答えてはくれなかった。

 

 ともかく、これも提督が与えてくれた力。

 長門から放たれる三隻の対地装備だけでも脅威的であったのに、そこに更に空からの対地攻撃が加わればどうなるか――。

 

「この装備ならば集積地棲姫、砲台小鬼のどちらにも有効、かつ上陸用舟艇型の対地攻撃と異なり敵の妨害を受けません。最優先で狙うのは陸上にある敵の物資と補給艦。積極的に燃やしていきましょう」

 

 眼鏡の位置を直しつつ冷徹にそう言った大淀に、夕張は引きつった笑みを浮かべる。

 

「……私、大淀だけは敵に回さなくて良かったと思ってるよ……」

「何を言っているんですか。現在の敵の増援は一部を除いて下級……おそらくその辺りの野良の深海棲艦に指揮を出しているに過ぎません。これから続々と本命の、上級の増援が現れる事が予測されますが……補給さえできなければ万全の状態で戦えません。数の上では圧倒的に不利な私達が対等に戦う為には、二日前と同じく敵の補給を断つ事が必須となるでしょう。それこそが、私と貴女が提督から与えられた役割です」

「いや、わかってるんだけど、なんか大淀怖い」

「失礼な事を……さぁ、早速いきますよ! よーく狙って。てーっ!」

「あっ、ちょっと待ってぇ! お、置いてかないでよぉ!」

 

 大淀の号令に合わせて、大淀と夕張の艤装から複数のロケット弾が次々と発射された。

 長門の大発動艇に気を取られていた集積地棲姫達の死角、今までノーマークであった上空から襲い来る対地攻撃。

 着弾と共にB島に複数の火柱が上がった。

 

「よしっ! どーお? この攻撃はっ! 後で感想聞かせてねっ!」

 

 夕張の言葉に返答したわけではないだろうが、混乱する砲台小鬼と集積地棲姫の悲痛な声が辺りに響き渡る。

 

『オアアアァーーッ⁉ ロケットダト⁉ アアッ、アッチニモ火ノ手ガッ⁉ 燃ヤスノハ止メテ! セッカク集メタノニ! 物資ガ、補給ガ……止メロォーッ‼』

『キィィーーッ⁉』

『アーーッ⁉ 戦車ニ上陸サレテルッ!? ワ、私ノ側ニ近寄ルナァァーーッ‼ 小鬼共ッ‼ 盾ニナレッ! フッ、防ゲェーッ‼』

『ギャアアーーッ‼』

 

 長門の対地攻撃が成功したのか、またしても巨大な爆炎が上がった。

 未だに辺りに響き渡る悲痛な罵声から集積地棲姫はまだ仕留められていないらしい。

 

「……案外すぐに感想聞かせてくれたわね。どうやら私達の攻撃、効果は抜群みたい」

「――計算通りです」

「なんか大淀怖い」

 

 夕張に構わず、大淀は再びキメ顔で集積地棲姫をビシリと指差した。

 

「フフフ。まさにこの戦場の全ては、提督の掌の――い、いえ。まだ早いですね。最後までまだまだ油断はできません」

「…………」

 

 もはや夕張も大淀には構わず、次の攻撃態勢を整え始める。

 そこに、周囲の状況を探っていた青葉が大淀に指示を求めて声をかけた。

 

「大淀さん、青葉は何かありますか?」

「そうですね……まずはA島、C島方面の艦隊に、時雨達が窮地を脱した事を伝えて下さい。特に川内さんが心配していたので、救助しただけではないとわかれば安心して戦えると思います」

「了解です! いやぁ、まさか司令官の握った戦闘糧食に提督パワーが込められていて改二が実装されたなんて聞いたらビックリするかもですねぇ。それで、その後は……」

「その後は戦況に応じて高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処して下さい」

「だからなんか青葉だけふわっとしすぎじゃないですか⁉ えぇい、了解です! 索敵も砲撃も雷撃も、青葉にお任せ!」




大変お待たせ致しました。

ついに秋イベの時期が発表されましたね。
新艦は勿論、そろそろ伊14ちゃんをお迎えしたいところです。

戦闘描写の資料として、特に艦これアーケードを参考にしておりますが、本当によく出来ていますよね。
時雨改二の砲撃、雷撃、共に動きが凝っていて見入ってしまいます。
艤装に足を組みながら座った状態で航行し、本気を出す時にだけ立ち上がるウォー様が斬新で面白いです。

提督への信頼と改二実装により、二代目夜戦バカ江風、砲撃全てクリティカル夕立、雷撃全てカットイン時雨という狂犬が誕生しました。
大淀と夕張も対地攻撃に加わり、集積地棲姫の受難はまだまだ続きそうです。
しかしこれから続々と敵増援が参戦する見込みであり、果たして艦娘達は勝利を掴む事が出来るのでしょうか。

次回も艦娘視点となりますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。


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063.『覚醒』【艦娘視点③】

「一発必中っ! この海域から出て行け!」

『ミィィーーッ!』

 

 朝潮の放った砲撃がPT小鬼群の一匹を正確に射抜き、小さな爆炎が上がる。

 宣言通りの一発必中。朝潮はふんすと自慢げに鼻息を吐き、小さく拳を握った。

 

 PT小鬼群は深海棲艦の中でも珍しく群体のような性質を持ち、常に三匹一組で行動する。

 三匹で一匹と言うべきだろうか。

 蝶のように舞い、蜂のように刺すとばかりに――回避性能が非常に高く、小型で数が多い。通常であれば非常に厄介な敵。

 だが、対策さえしていれば恐れるに足らず。

 ある意味で戦況を左右するとも言える重要な役目を与えられた事が、朝潮は誇らしかった。

 

 着任当日から続く出撃頻度の高さと任務の重要性から考えるに、どうやら提督は我らが八駆の事を高く評価してくれている。

 この出撃前に磯風が上げた不満の声によりそれを自覚した朝潮は、今も感激のあまり肩の震えを止められなかった。

 提督が搭載してくれた熟練見張員がいなければ、震えのあまり一発必中もままならなかったであろう。

 

「こんなに正確に……司令官! この朝潮、感服しました!」

 

 自らの未熟さを補完してくれる事に改めて提督に感謝し、ますます全身を震わせる朝潮の身体のブレを制御するためだろうか。

 他の者に比べて朝潮に搭載された熟練見張員だけが、まるで暴れ馬をなんとか乗りこなそうとしているかのごとく頭をバシバシと叩いていた。

 そんな事には気付かないままに、朝潮は振り返り、姉妹達に向けて凛とした声を放つ。

 

「荒潮、気を付けてください! 満潮もよそ見は駄目です! 大潮、アゲアゲばかりでは駄目です! 下も、水面下もちゃんと警戒です!」

「よ、よそ見なんてしてないわよ! 警戒してたの!」

「勿論、水面下への警戒もアゲアゲです!」

「あらあらぁ。朝潮ちゃん、ちょぉっと張り切りすぎじゃないのぉ?」

 

 くすくすと荒潮に笑われるが、朝潮は真面目な表情を崩さずに言葉を続ける。

 

「司令官から私達に託された大切な役目……私達にしか出来ない任務です! 今、張り切らずにいつ張り切るというのですか!」

「まぁ、それもそうねぇ。うふふふふっ――そこね?」

『ミィィーーッ⁉』

 

 不意に荒潮が放った砲撃は、闇の中に潜んでいたPT小鬼群に吸い込まれるかのように着弾する。

 本人の目だけではなく、常に周囲を警戒してくれる熟練見張員の能力。

 熟練見張員が敵艦を発見したという情報は瞬時に艦娘へ届き、射撃体勢の正確な微修正まで自動的に行ってくれる。

 対PT小鬼群に特化した装備、最も信頼できる仲間と司令官。

 朝潮はまるで、背中に羽が生えたような気分だった。

 

 少しばかり心配であった満潮にも問題は見られない。

 数日塞ぎ込んでもおかしくは無いほどの失態を犯してしまった満潮をほんの僅かな時間で立ち直らせた提督の手腕を思い、朝潮は更に肩を震わせ、熟練見張員に頭をバシバシと叩かれた。

 

「朝潮姉さん! 前方に敵影発見しました!」

 

 大潮の声に応じて前方に目を凝らしてみると、PT小鬼群の一団が確認できる。

 都合よく、周囲に敵の水上艦は確認できない。

 提督パワーのお陰で息を吹き返した時雨達三人が単騎で大部分を食い止めてくれているとはいえ、未だ続々と増援が現れ続けている。

 それらが更に合流すれば、PT小鬼群の殲滅も難しくなるであろう。

 提督の期待に応えるには、時間との勝負――なるべく急がなければならない。

 

「第八駆逐隊、突撃! 肉薄するわ! 皆、続いてください! 今こそ、必中距離へ!」

 

 朝潮の号令により、四人は速度を上げてPT小鬼群へと距離を詰めた。

 しかし敵の一団もやられるのをただ待ちはしない――タイミングを合わせて一斉に放たれる魚雷。

 搭載された熟練見張員により、朝潮達はその雷跡から軌道を正確に予測し、どのように回避するべきかを瞬時に判断する。

 導かれた答えは直進。あの魚雷は目くらまし――左右を通り抜け、直撃しない。

 

「単縦陣を維持して! このまま真っ直ぐ突っ込みます!」

 

 導かれた結論通りに、PT小鬼群から放たれた魚雷は四人の左右を次々に通り抜けていく。

 瞬間――朝潮を襲う違和感。

 何故ここまで当たらない? 焦りから?

 いや、左右を通り抜けていく魚雷の雷跡は異様に正確だ。

 正確に、自分達の左右に次々と放たれている。

 わざと外している?

 まるで道を作るかのように。まるで壁を作るかのように――私達が真っ直ぐにしか進めないよう、制限するかのように。

 

 不意に――先頭を行く朝潮の目に飛び込んできた光。

 PT小鬼群の前方、自分達の前方、その水面下を揺蕩(たゆた)う不気味な紫。

 あの発光色は――!

 回避は――右、左、迫る雷跡、直撃する――不可能!

 

「皆っ! 止まってぇっ‼」

「えっ――?」

 

 叫びと同時に航行を止めた朝潮の背に大潮が、そして満潮、荒潮と次々に衝突する。

 訳の分からぬ三人だったが、その答えは問うまでもなく、飛沫を上げて自ら海中から姿を見せた。

 大口を開けた巨大な球形――駆逐ナ級。

 現在確認されている深海棲艦の中で、鬼級、姫級を除き()()()の駆逐艦。

 大顎の奥には更に顎、その奥に更に顎。喉から伸びる単装砲が超至近距離で八駆へと向けられ――。

 妹達を庇って両腕を広げた朝潮の腹部に、放たれた砲弾が直撃し、鼓膜が破れんばかりの轟音と共に爆炎が上がった。

 

「朝潮姉さんっ!」

「朝潮ーーっ!」

「朝潮ちゃあん!」

 

 大潮、満潮、荒潮が同時に叫び、意識を失った朝潮を抱き留める。

 一目で大破していると理解できるほどの損傷。

 罠。八駆がPT小鬼群を優先して狙っている事に気付いてか、それを餌として利用した。

 更に魚雷で逃げ場を塞ぎ、水面下に潜んでいた駆逐ナ級がその重巡や戦艦にさえ匹敵する性能を持って奇襲する――。

 結果、混乱、隊列の崩壊、旗艦大破――無情にも、駆逐ナ級は間髪を入れずに二撃目を叩き込むべく再び大顎を開けた。

 

「うぉぉおーーっ‼」

 

 大潮の砲撃が駆逐ナ級の口内に叩き込まれる。

 不意を突かれたのか急所だったのか、駆逐ナ級は口を閉じ、僅かに怯んだ様子であった。

 

「退避しますっ! 満潮は朝潮姉さんを支えて長門さんに合流して! 荒潮は満潮の護衛! 殿(しんがり)は大潮が引き受けますっ!」

「了解!」

 

 大破した朝潮に代わり、即座に次女の大潮が指揮を執る。

 その指揮は迅速かつ堅実、そして最善のものだった。

 提督の出した指示。大破した艦がいれば即座に撤退。

 それでも艦隊が戦い続けるために、各連合艦隊旗艦に搭載された艦隊司令部施設――護衛退避。

 大破した朝潮は長門に合流、護衛一名と共に鎮守府へ送還。

 しかし長門と合流するまでに被弾、轟沈しては意味がない。大破した朝潮を支える役目とは別に、護衛が必要。

 人数と役割を考えれば、大潮一人が殿(しんがり)を務めるしかない。

 

 だが――それがどれだけ困難な事か。

 

 その理由として、艦娘の足部艤装は前方にしか航行できない事が挙げられる。

 面舵(おもかじ)取舵(とりかじ)によって左右に旋回する事は可能だが、バック走のような後方への航行は不可能だ。

 つまり、背後から迫る敵艦を牽制しながら撤退するという事に向いていないのである。

 戦艦や重巡に見られる腰に固定するタイプの艤装も、基本的には前方から真横への攻撃を前提としており、背後は攻撃における死角となっている。

 余程の実力差があるならまだしも、全力を出してまともに戦うならば、文字通り真っ向から立ち向かう必要がある。

 一か月前の大規模侵攻。大和がたった一人で数十隻からなる敵艦隊に立ち塞がったように――。

 

 では、今の状況は――。

 

 満潮と荒潮は振り向かなかった。

 大潮がついてこられるはずがないと理解していたからだ。

 駆逐ナ級、更にはPT小鬼群、他にも水上艦が合流してもおかしくはない。

 大丈夫か、などと大潮に確かめる時間さえも惜しかった。

 

「てぇーっ!」

 

 爆音に混じって遥か後方から甲高い声が届く。

 大潮は撤退していない。

 全力で生き残るために、真っ向から戦っているのだ。

 背中を見せながら戦う余裕などあるはずがない。

 しかしたとえ真正面に相対したとしても、それだけで互角に戦える相手ではない。

 

 大潮の短い叫び声が満潮の耳に届いた。

 おそらくは被弾したのだろう。

 

「大潮っ⁉」

 

 反射的に振り向いてしまった満潮に、大潮は振り返って安心させるように笑顔を作り、腕を上げた。

 

「前を向いて! 大潮、まだ……大丈夫だから! なんとか生還してみせます!」

 

 その声色とは裏腹に、損傷の程度を見るに、大潮は中破まで追い込まれていた。

 だが大潮はいつものようにニカッと笑い、再び敵艦隊に相対して叫んだのだった。

 

「皆……大潮がついてるからね! うぉおーーっ‼」

 

 満潮はそれ以上見ていられず、前方に向き直る。

 一刻も早く長門と合流し、朝潮を退避させ、助けに戻る。残された道はそれしかないのだ。

 瞬間、砲撃音――敵艦から放たれた砲弾が満潮に支えられている朝潮に迫る。

 朝潮を支えている状態では、満潮は攻撃に参加できない――!

 回避も――間に合わない!

 

「きゃあっ!」

「荒潮っ⁉」

 

 荒潮が満潮達を庇うべく砲弾の前に飛び込み、被弾する。

 艤装を盾にしたとは言え、その損傷は大きい。

 

「あらあらぁ、痛いじゃない。もう……ひどい格好ね」

「あ、荒潮……」

「ふふ、これくらい大丈夫よ満潮ちゃん。ごめんなさいね、私が沈め損ねたから……さぁ、行きましょ?」

 

 いつも通りの笑みと共にボロボロの主砲で敵艦に砲撃を放つ荒潮を見て、満潮は震えを止める事ができなかった。

 満潮には何となくわかるのだ――今の荒潮の笑みと態度が虚勢である事が。

 自分に心配をかけるまいと強がっている事が。

 朝潮が大破し、大潮と荒潮が中破。

 朝潮を支えるためとはいえ、自分一人だけが無傷。

 大潮は実力以上の敵艦隊にたった一人で挑んでおり、荒潮も自分達の盾となる事を最優先としている。

 このままでは。このままでは、また――。

 

 複数の砲撃音。

 見れば、駆逐、軽巡からなる僅か二、三隻の艦隊ではあるが、荒潮一人で牽制するには手が足りない。

 最も弱っている朝潮を確実に仕留めに来ているのだろう。

 放たれた砲弾は回避するか、被弾覚悟で耐えるかしかない。

 朝潮を支えている状態では回避は困難。必然的に打てる手は――。

 

「あらあら大変……仕方ないわねぇ」

「荒潮ーーっ!」

 

 荒潮は再び満潮達の前に立ち、艤装を盾に防御を固めた。

 しかし、それはほんの気休め程度だ。

 戦艦である長門とは違い、駆逐艦は被弾を前提としていない。

 あれだけの砲弾を耐えられは――。

 

「――ふんはぁっ! ぐぉぉーーッ⁉」

 

 間一髪のところで荒潮の前に滑り込み、盾となって被弾したのは青葉であった。

 数発の砲弾が青葉の前面に命中し、炸裂して黒煙が上がる。

 しかし、重巡としての耐久力があってか、なんとか損傷は小破程度に留まっているようだ。

 

「あ、青葉さん⁉」

「ぜぇぜぇ……痛たた……さ、流石に長門さんのようにはいきませんね……。お怪我はありませんか⁉」

「お陰様で。ありがとうございます。助かったわぁ……」

 

 荒潮の様子を見て、満潮はホッと胸を撫で下ろす。

 

「荒潮、良かった……青葉さん、どうしてここに」

「戦況に応じて高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処せよとの事だったので……各艦隊の戦況をつぶさに観察していたんです。間に合って良かった」

「助かりました……あ、青葉さんこそ大丈夫ですか⁉」

「心配は無用です。これでもソロモンの狼、不沈重巡・不死身の青葉と呼ばれていましたからね! この程度の傷なんて、なんのその!」

 

 青葉は笑顔でドンと胸を叩き、瞬時に表情を引き締めて言葉を続ける。

 

「状況は大体わかっています。長門さん達にもすでに伝達済みで――」

「朝潮ーーっ‼ ウォォォォオオオ‼‼」

 

 青葉の言葉をかき消す勢いと共に、長門が霞と霰、朝雲と山雲を両脇に抱えて猛スピードで迫ってきていた。

 満潮達と合流するやいなや、長門は彼女達をその背に隠し、敵艦隊からの砲撃の盾となる。

 

「朝潮っ! 朝潮っ! しっかりしなさいっ!」

 

 霞の声に答えない朝潮の姿を見て、長門は歯をぎりりと食いしばり、こちらを狙っている敵水雷戦隊を睨みつけた。

 

「くっ、朝潮をよくも……! 青葉よ、この長門に続け! 全主砲斉射ッ! てーーッ‼」

「えぇっ⁉ て、てぇーーっ!」

 

 長門と青葉から放たれた砲撃は次々に敵艦隊に叩き込まれ、数隻をまとめて爆散させた。

 

「良し。よくやったぞ青葉。陸奥ほどではないが上出来だ」

「きょ、恐縮です……。では長門さん、護衛退避の発動、よろしくお願いします。青葉は大潮さんの救援に向かいます!」

「あぁ、頼む! それと、霞と霰! 二人も青葉に随伴してくれ! 終わり次第、私もすぐに向かおう!」

「了解!」

「良し! 艦隊司令部施設妖精達よ、準備はいいかッ!」

 

 長門の呼びかけに、艦隊司令部施設妖精達は一糸乱れずにザッと敬礼を返す。

 それを見て、長門は満足気に微笑んだ。

 

「いい返事だ、胸が熱いな! さぁ、護衛退避を発動するぞ。付き添うのは……損傷の多い荒潮がいいな」

「ま、待って……! 待って、ください……!」

「朝潮っ⁉」

 

 霞の声で目を覚ましたのか、意識を失っていた朝潮の瞼が、か細い声と共にゆっくりと開く。

 その瞳が頼りなくきょろきょろと動き、満潮を捉えると、朝潮は震えながら手を伸ばす。

 

「ごめん……ごめんなさい……! 偉そうな事を言っておきながら……私の警戒が……!」

「そんな事どうでもいいから! 早く退避を――」

 

 満潮が言葉を続けるのを遮るように、朝潮は力なく満潮の腕を掴み、ふるふると小さく首を振った。

 

「痛い……でもまだ、まだ戦闘も、救援も可能です……! ぐぅぅっ……!」

「下手な嘘つかないで! 大破したら即座に帰還って司令官が言ってたでしょ⁉」

「満潮……満潮を置いて帰るわけには……!」

「な、何言ってんのよ……! そんな事言ってる場合じゃ……」

「満潮を、一人にするわけには……!」

 

 うわ言のようにそう繰り返しながら、朝潮の瞳から、ぽろぽろと涙が零れる。

 それはまるで、外見通りの年相応のワガママだった。

 長女らしく、いつも真面目でしっかり者で――そんな朝潮が、自分のために子供じみたワガママを言っている。

 その姿を見て、説得を試みて。満潮は初めて、自分がこだわっていた事の小ささに気が付いた。

 

 こんなにも、小さな事だったのか。

 私はこんな小さな事にこだわって、皆に迷惑をかけたのか。

 一人になりたくないからと嘘をついて出撃した私と、一人にしたくないからと嘘をついて退避を拒んでいる今の朝潮は同じだ。

 まるで、鏡を見ているように――。

 

 あぁ、ようやく、皆の気持ちがわかった。

 朝潮は、大潮は、荒潮は。拗ねていじけて塞ぎこむ私に、ずっとこう思っていたんだ。

 

「一人じゃない……!」

 

 朝潮を抱きしめながら、溢れる涙と共に満潮は言葉を続ける。

 

「もう……うぅん、ずっと一人じゃなかったんだ……一緒に戦えなくったって、肩を並べていなくたって、私達は一人じゃない……! そうでしょう……⁉」

「み、満潮……」

「満潮ちゃん……」

「いつも心配ばかりかけてごめん……でも、もう大丈夫。一人じゃないから……皆が、司令官が……いつだって、一緒に戦ってくれるから!」

 

 瞬間――満潮の胸の奥に光が灯る。

 熱を帯びたそれはだんだんと広がっていき――。

 

「……満潮……?」

「満潮ちゃん、それって……まさか――」

 

 全身が光に包まれる。

 それが何を意味するのかは瞬時に理解できた。

 自身に訪れた変化に、満潮は意外なほど驚きはしなかった。

 皐月が言いふらして回っていた、信じることさえ馬鹿らしい力。

 時雨や夕立、江風が、提督の想いを受け取って強くなれたのならば――自分もまた倉庫の中で、とっくの昔に受け取っていたからかもしれない。

 

 朝潮と荒潮を安心させるように、満潮は小さく笑った。

 それは自嘲や作り笑いなどではなく、確固たる自信と決意からくるものだった。

 

「行ってくる。大潮を助けに。二人は鎮守府で待ってて」

 

 返事を待たずに、満潮は戦場へと駆けた。

 視界の先では、傷ついた大潮と共に、青葉、霞、霰が懸命に戦っている。

 

「あーもう! さっさと沈みなさい!」

「外側の装甲が……厚い……」

「くぅっ! 火力が……火力がちょこっと足りないのかしら……」

 

 霞や霰、青葉の砲撃も意に介さず、駆逐ナ級が大顎を開き、噛み砕かんとばかりに大潮に飛び掛かった。

 大潮も迎撃態勢を整えてはいるが、中破しており仕留められない可能性が大きい。

 

 満潮の意思に従い、身体は更に加速する。

 イムヤ達の救援に向かった時が嘘のようだ。

 体中を包み込む光がより一層強まり、熱を帯びる。

 

 汚名を返上するつもりはない。

 名誉を挽回するつもりもない。

 過去は決して変えられない。

 身体に刻まれた傷は恥じゃない。

 過去の失敗は貴重な(かて)となり、やがて未来を切り開く(いしずえ)となるのだから。

 

 泣いていじけて、塞ぎこんでいた大嫌いな自分と――私は共に進む!

 

 先ほどの失敗を通して得られた貴重な糧。

 駆逐ナ級の弱点。狙うは急所――顎の中。

 失敗を悔やんでいる暇なんてない!

 その気になれば、すぐにこうして活かせるのだから!

 大顎を開けた砲撃直前の駆逐ナ級――危険の真正面に飛び込み、演習通り冷静に主砲を構え――満潮は何かを振り払うかのごとく、強く叫んだ。

 

「ウザイのよっ! 蹴散らせ! 『満潮』――『改二』っ‼」

 

 目も眩まんばかりの激しい閃光と共に放たれた強力な砲撃は駆逐ナ級の口内へと叩き込まれ――内部から爆散する。

 光と風を纏い、やがて姿を現したのは、まるで数年分の時を経たかのように成長した満潮であった。

 制服の作りや本人の外見も、例えるならば小学生から中学生へと成長したかのようだった。

 かつて左手に装備されていた魚雷発射管は両太腿に装備されており、雷装は単純に考えて倍に強化されている。

 自分よりも成長してしまったように見える妹の姿に、大潮は目を丸くした。

 青葉と霞、霰も同様の表情を見せている。

 

「み、満潮! その姿は……」

「……大潮、一人で食い止めてくれてありがとう。後は引き受けるから、ちょっと下がって長門さんに合流して休んでて」

「でも……」

「大丈夫。時雨達ほどじゃないけど強くなれた自覚はあるし……私は一人じゃないってわかったから」

 

 それだけ言うと、満潮は敵艦隊へと単身突入した。

 最奥にはPT小鬼群。罠にかかった朝潮達を嘲笑うかのように歓声を上げている。

 満潮は艤装の一部として左胸の辺りに装備されている探照灯の光を照射した。

 瞬間、満潮の行く手を阻むように、水面下から次々と深海棲艦が現れる。

 どうやら深海棲艦は水上艦でも僅かな時間ならばシャチやイルカのように、水面下に身を隠す事ができるらしい。

 ただし、駆逐ナ級の動き等から考えるに、その状態だと攻撃は出来ない様子だ。

 また、この戦法はどうやら人型から遠い水上艦にしかできないらしく、現れたのは駆逐ナ級を除けば下級のものばかりだった。

 闇に紛れて水面下から接近し、不意をつく作戦だったのだろう。

 

「面白い事してくれたじゃない……! 倍返しよ!」

 

 同時に現れた複数の敵艦隊――しかし、満潮は迷わない。不意を突かれても怯まない。

 攻撃、回避、迷いを振り切った全ての行動は迅速かつ正確。

 だが、判断そのものが間違っていた、と行動の後に気付く事もあった。

 回避すべきところをせずに被弾した。

 好機だったのに攻撃できなかった。

 しかし満潮は後悔しなかった。自信を持って行動し、間違っていたならばその場で反省する。

 

「抜けてみせるわ! ふんっ!」

 

 最善ではなくとも、迷いなく大胆な動きに、不思議と深海棲艦達は圧倒されていた。

 改二実装による性能の強化――それよりも何よりも、迷いを断ち切った満潮こそが、深海棲艦にとっての脅威であった事であろう。

 

『ミィッ⁉ ミ、ミミィーーッ‼』

 

 いつしか周囲全ての水上艦を撃沈し、PT小鬼群の一団へと辿り着く。

 一斉に放たれた魚雷は、今度はしっかりと自分を目掛けて正確に向かってくる。

 故に、小回りの利く駆逐艦にとっては回避も容易。旋回し、雷撃の隙間を縫い、砲撃体勢を整え、一切の迷い無く一撃、二撃、三撃。

 熟練見張員の補正もあり、全ての砲弾は的確に敵の姿を捉え、つい先ほどまで嬌声を上げていたPT小鬼群は爆炎を上げて沈んでいく。

 

「ふんっ! 手ごたえのない子!」

 

 姉妹達を笑われた(かたき)を討った満潮は、ふと夜空を照らす満月を見上げ――あの司令官でも知らない事があるのだな、と思った。

 たった一晩で生まれ変われるような魔法など存在しないと司令官は語ったが――。

 

 その魔法をかけてくれた魔法使いの存在を、満潮は確かに知っているからだった。

 

 その魔法使いは、太陽のようでもあり、月のようでもある。

 姿を見せれば、誰にでも平等に暖かな光を与えてくれる。

 夜になり、たとえその姿が見えなくなっても、その光は静かに私達を照らしてくれる。

 闇の中でも、行くべき道を示してくれる。

 

 もう立ち止まらない。

 もう二度と迷わない。

 

 月の引力に手を引かれ、潮が満ちるように――少女も、今。

 

「潮が満ちるには時間がかかる、か……。何それ、意味わかんない」

 

 月を見上げ、一人で憎まれ口を叩きながら、満潮は今さら提督の言葉に込められていた意味に気付き、小さく笑ったのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「満潮ちゃん、凄い……」

 

 満潮の戦いぶりを朝潮、大潮と共に見守っていた荒潮が、ぽつりと声を漏らした。

 時雨達ほどではない、とは本人の弁であったが、そうだとしても『改』より数段階上の性能を発揮している。

 それが改装によるものだけではなく、提督への信頼による性能強化が影響している事は明らかであった。

 安堵の息を吐き、荒潮は朝潮に微笑む。

 

「あれなら、満潮ちゃんは大丈夫ね。朝潮ちゃんも安心して退避でき――」

「……駄目です……!」

「え?」

 

 朝潮は歯を食いしばり、荒潮に支えられていた状態から無理やり自分の足で立とうとする。

 しかしやはり相当の無理をしているようで、生まれたての小鹿のようにガクガクと膝が震え、ふらついたところを大潮に支えられた。

 

「朝潮姉さんっ! めっ、ですよ! 司令官も大破した者は無理せず帰投って言ってましたよ! このままじゃいつ轟沈してもおかしくないです!」

「まだ……沈まない……! あの約束を果たす、までは……! 朝潮……沈むものか!」

 

 朝潮のあまりの剣幕に、大潮と荒潮もそれ以上声をかける事ができず、縋るようにちらりと長門の顔を見上げた。

 無言でこくりと頷き、長門は朝潮の前で片膝をついて、目線の高さを合わせながら語り掛ける。

 

「朝潮……大破した者は退避させろというのが提督命令だ。そしてこの長門にはその為の艦隊司令部施設が搭載されている。悪いが、強制的にでも退避させるぞ」

「待って、待ってください……」

「駄目だ。護衛には大潮か荒潮か、どちらも中破しているが……」

「チャンスを下さい……! 私にはまだ、これがあります……!」

 

 そう言って朝潮は戦闘糧食の包みを取り出し、包みを解くやいなや「司令官、いただきます!」と叫んでそれにかぶりついた。

 しかし腹部に超至近距離から砲撃を受けており、おそらく嚥下するとともに激痛が走るのであろう、苦悶の表情を浮かべる。

 それでも朝潮は、泣きながら必死の形相で戦闘糧食に食らいつく。

 それが何を意味しているのかは、この場の全員に理解できていた。

 時雨達に起こった奇跡を願っているのだ。

 痛みに耐えてまで奇跡に縋りつく、ある種の哀れささえも湧き上がらせられる朝潮の姿に、長門も思わず口を開いた。

 

「なぜ、そこまで……」

「PT小鬼群の殲滅……それが私達に、もぐっ、与えられた任務です……! せめてそれを遂行せねば……!」

「それを提督が望まない事くらい理解できているだろう? お前はイムヤの二の舞となるつもりか」

「ですので、最後のチャンスを……! う、うぐぅっ……! 食べ終わるまで、少々お待ちを……!」

「……わかった。わかったから落ち着いて食べてくれ。その間、この長門が全力でお前達を護ろう」

「ありがとう、ございます……! ごくん……それと」

 

 せめて出来るだけの事はさせて、納得させてから帰投させた方が、悔いが無いだろう。

 長門はそう判断し、朝潮達を自らの懐に隠すように身体を大きく広げた。

 朝潮は二つ目の戦闘糧食にかぶりつきながら言葉を続ける。

 

「約束を……はむっ、司令官と、約束したんです……!」

 

 

『――わかった。満潮を一人にしないようにな。頼むぞ』

『はっ……はいっ! 司令官との大切な約束……この朝潮、いつまでもいつまでも守り通す覚悟です!』

 

 

 提督はそこまで考えていなかったかもしれない。

 ただ、今だけ。失態を犯して落ち込んでいる満潮の側にいろというだけの意味だったのかもしれない。

 だがその言葉は、朝潮にとってはその時だけではなく――これからもずっと守り抜く価値があるほどのある言葉だった。

 

「満潮を一人にするなと……はぐっ、そしてそれは……っ、司令官との約束の前に! 私自身への誓いです!」

 

 朝潮は叫び、涙でしょっぱくなってしまった戦闘糧食を痛みと共に飲み込んだ。

 ――そっ、と。

 朝潮の側に、荒潮と大潮が寄り添った。

 よく見れば、二人とも戦闘糧食の包みを解いている。

 荒潮は行儀よく、口に含んだ戦闘糧食をよく噛んで飲み込み、一息ついてから口を開いた。

 

「朝潮ちゃん。それは……私自身、じゃなくて私達、でしょう?」

「満潮をもう二度と一人にしない、そう思ってるのは朝潮姉さんだけじゃありませんよ! 司令官、いただきます! はむっ!」

「……荒潮、大潮……二人とも……!」

 

 かつて、彼女達がまだ艦だった頃。

 満潮が入渠中に、朝潮、大潮、荒潮が相次いで戦没してしまい、彼女一人だけを残してしまった事。

 その後の経験から、満潮は少しばかり捻くれた性格になってしまったようだが――。

 その事がトラウマとなっているのは、残された彼女だけではなかった。

 朝潮も、大潮も、荒潮も――満潮をもう二度と一人にはするまいという覚悟と共に、艦娘として水上に立っている。

 

 昨晩の歓迎会にて、川内が満潮にかけた言葉――。

 

『――だから、私達は強くならなきゃならないんだ。大切な仲間と共に強くならなきゃ、その内、隣に立つ事も出来なくなる……。大切な仲間が危険に晒されている時に、何も出来ないって事にもなるんだ』

 

 それは決して他人事などではなかった。

 満潮が改二にまで至った今、万が一、彼女が危機に陥った時、今の私達の力で助けられるのか。

 救援対象よりも弱い有り様で、助けになど向かえるのか。

 答えは否。

 救援に行くのなら、せめて同等の力を身につけなければならない。

 今までは、満潮が自分達よりも少し後をついて来ていた。

 だが、改二が実装されて一気に追い抜かれてしまった今。

 今度は必死に駆けて、私達が追い付かなければならない。

 

「……司令官! この朝潮に、いえ、私達に……力を下さい! 約束を守り抜く力……もう二度と、満潮を一人にしないための力を‼」

 

 ――ぽう、と。

 朝潮が虚空へと放った叫びに応えるかのように、胸の中に火が灯った。

 続いて大潮、更に荒潮と、次々に光が包み込む。

 

「……なんと……まさか本当に……!」

 

 長門は思わず息を漏らす。

 その陰に隠れながら周囲の艦を牽制していた朝雲と山雲も、光に包まれた三人に目を奪われた。

 

「はぁうぅ~っ! 強化ってぽかぽかしますねぇ~!」

「うふふふふっ、強化は大好き~……」

「司令官……! 本当に、私達に……下さるというのですか……⁉ 今ならわかる……皐月さんが言っていた……この胸に灯る熱……戦闘糧食から伝わった確かな温もり……! これが、これが噂の提督パワー!」

 

 暖かな光に包まれ、大潮は身体の痛みも忘れて無邪気な声を上げた。

 荒潮も両頬に手を当てて、うっとりと恍惚の表情を浮かべている。

 一撃で大破するほどの腹部の痛みさえも消え去り、朝潮はしっかりと自らの二本の足で立つ。

 溢れ出る涙は先ほどまでの悔し涙や痛みからくるものではなく、感涙だ。

 膝だけではなくガクガクと全身を震わせていたが、それは満身創痍の影響では無いようであった。

 熟練見張員が朝潮の頭をバシバシと叩いている。

 今も戦っている青葉、霞、霰の更に奥で、一人奮闘している満潮の姿を確認し、光に包まれたままの朝潮は長門を見上げた。

 

「長門さん! この朝潮のワガママを聞いていただき、ありがとうございました!」

「あ、あぁ……もはや止める必要は無いようだな。私も霞達と合流するとしよう」

「はっ! それでは駆逐艦朝潮、出撃します! 大潮、荒潮! 続いてください!」

 

 深々と頭を下げた後、朝潮は大潮、荒潮を引き連れて全速力で満潮の場所まで駆けつける。

 青葉達を追い抜きざまに礼を言う。

 光を纏った三人を見て、またしても呆気に取られていたように見えた。

 時雨達と同じように、満潮はたった一人で先行し、複数の敵艦隊を食い止めている。

 その戦闘スタイルからか、少しずつ被弾し、(やすり)で削られるように損傷が重なっている様子だ。

 朝潮達は言葉に出さずとも、まるで以心伝心しているがごとく散開し、満潮を囲む敵艦それぞれに狙いをつけ――三者三様に声を放った。

 

「司令官に感謝します! 一発必中っ! 『朝潮』!」

「いっきまっすよぉ~っ! 『大潮』っ!」

「うふふふふっ……暴れまくるわよぉ~……『荒潮』――」

 

「――『改二』っ!」

 

 三つの閃光と共に三隻の敵艦が爆散し、目の前の戦闘に集中していた満潮はそこでようやくその存在に気が付いた。

 光の塊は満潮の前に集結し、徐々にその光は収まって行く。

 満潮の目に飛び込んできたものは――。

 

「み、皆……⁉」

「おぉ~っ! 色々とバージョンがアップしましたよ!」

「あらあらぁ、素敵な事するのねぇ……うふふっ、好きよ……?」

「し、司令官……! 駆逐艦としては、かなりいい仕上がりです! この朝潮、今まで以上に艦隊のお役に立てるよう、頑張る覚悟です! か、感服、感服……!」

 

 胸元のリボンの有無であったり、荒潮だけがなぜかスカートにフリルがついていたりと、細かい違いはあるものの、お揃いの制服に身をつつみ、満潮と同様に外見が少し成長したように見える三人。

 無邪気に喜んでいる大潮はともかく、荒潮は何故か頬を朱に染めて恍惚の表情を浮かべており、虚空を見つめている朝潮は独り言と共に感涙を流しながらガクガクと痙攣し、熟練見張員に頭をバシバシと叩かれている。

 朝潮、大潮、荒潮の三人もまた改二に至った事を理解し、満潮は呆気に取られて茫然としてしまった。

 

「ど、どうしてここに……」

 

 大破状態から全快した朝潮が一歩前に出て、満潮に向けて口を開く。

 

「司令官のおかげで、何とか追い付く事が出来ました。待たせてしまって、ごめんなさい」

「な、何言ってんのよ! それは……それは私の台詞で……皆を、ずっと、待たせてて……」

 

 朝潮の言葉を聞いてこみ上げてきた涙を乱暴に袖で拭い、気持ちを切り替えるように深く息をして――満潮は抑えきれない微笑みと共に、言葉を続けた。

 

「……皆、お待たせ!」

「あらあらぁ、そぉんなに待ってないわぁ」

 

 満潮の意図に合わせるように、荒潮がウインクしながら答えた。

 朝潮は横須賀鎮守府の方角に向き直り、ビシリと敬礼して腹の底から声を発する。

 聞こえるはずがないと理解していながらも、見ていてくれているはずだという確信があったからかもしれない。

 

「司令官! 改装八駆、全艦集合しました!」

「これでアゲアゲです!」

 

 大潮が両手の拳を天に掲げて高らかに声を上げた。

 だが、喜び合う四人を嘲笑うかのように――。

 

『キャハッ、キャハハッ!』

 

 邪悪な嗤笑と共に、闇の奥に敵影を確認する。

 どうやら更に増援が到着し、PT小鬼群は余裕を見せているようだ。

 下級の深海棲艦だけではなく、先ほどの駆逐ナ級や軽巡ツ級のような上級の深海棲艦の姿もいくつか確認できる。

 つい先ほどまでであれば、迷わず撤退するしかないほどの相手だったが――。

 

「……ふぅん。今の私達に立ち向かおうっていうのね」

 

 満潮に恐れは無かった。

 朝潮はキッと敵艦隊を睨みつけ、大潮は全身から気合を漲らせ、荒潮は色気のある微笑みと共にぺろりと舌なめずりをした。

 一人だけでは、時雨達のような芸当は出来ないだろう。

 だが、四人揃った今ならば――今だけは、一人ひとりの性能は時雨達にも決して負けないつもりだ。

 加えて、提督への信頼による性能強化。

 怖いものなど何も無い。

 

 たとえ重巡や戦艦に匹敵する性能を持つ駆逐艦が相手だろうが。

 たとえこれからも限りなく敵の増援が訪れようが。

 たとえ三人が食べた戦闘糧食の内、朝潮のものだけが綺麗な三角形に握られていようが。

 

 そんな事は、四人全員が改二実装済の精鋭、新編第八駆逐隊揃い踏みの前では、ほんの些末な事だった。

 満潮は敵艦隊に向けて主砲を構え、一切の迷いの無い表情で敵艦隊へと言葉を放ったのであった。

 

「馬鹿ね。その先にあるのは――本当の地獄よ!」




明けましておめでとうございます。
大変お待たせ致しました。

お正月に秋イベというのも違和感がありますが、我が弱小鎮守府も何とか攻略完了しました。
掘りの方はヒューストン、デ・ロイテルちゃんに加え、ついに念願の天城とサラトガをお迎えする事ができました。
何度大型建造しても出会えなかったサラトガが特に嬉しいです。
副産物として天霧、浜波、親潮もお迎えする事ができましたが、秋霜と平戸は検討の結果、今後のドロに期待する方向で行こうと思います。

作中ではようやく第八駆逐隊に改二が実装されました。
実はこのお話が連載開始された時にはまだ満潮に改二は実装されていなかったため、当初予定されていなかった展開になりますが、ようやく書けて嬉しいです。

今月中に夕張改二、また加賀改二や比叡改二丙なども実装が予告されていますが、このお話ではどうなるのでしょうか。
高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処したいと思います。

そろそろ提督視点を書きたいと禁断症状が出てきていますが、次回の更新も気長にお待ち頂きますと幸いです。


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064.『覚醒』【提督視点】

 執務室から窓の外に目を向けて、俺は腕組みをしながら背後のグレムリンに問いかける。

 お前達、童貞って醜くないか?

 

『なんで自分を傷つけるんですか』

『自虐はやめて下さい』

 

 自虐じゃない。

 今になって俺は心からそう思う。

 最低最悪の魔王、自慰王(ジイオウ)になるしかないと思われていた俺の未来も、今や遠い過去の話。

 着任してから瞬間瞬間を必死に生きてきた結果、ついに大淀さんの許しを得て手に入れた、千載一遇の好機。

 神堂貞男、ついに覚醒の時。艦娘ハーレムへの偉大なる第一歩。

 古き時代はエンディングを迎え、今、新たな時代が幕を開ける……。

 祝え! 今夜で俺は女性経験ゼロワン!(予定)

 童貞歴(お前)を止められるのはただ一人……俺だ!

 

 間宮さん渾身の精力料理、超力招来担々麺(チャオリーザァオライダヌダヌミェヌ)も完食してムラ付けも万全。

 曰く、食べたら死人も走り出すほど元気が出る一品との事で、鼻血が噴出したりしばらく勃起が止まらなくなったりした(勃起は気付かれなかった)が、全身に力が漲っている。

 どうやって作ったんですかと尋ねたら、「ふふっ、給糧艦ですから」との事だった。結婚したい。

 おかげで現在の俺の股間のコンディション値は100%……いや、1000%……。

 性欲ムラ(ムラ)雨だけではなく股間(チン〇ン)イラ伊良(イラ)湖までもが高速建造されてしまった。

 それはともかく朝から執拗に痛打されてきた股間のダメージも、間宮さんのおかげで完全回復!

 金剛との情事に一切の支障無し! 何回戦でもいけそうである。

 重なる二つの身体! 交わる二つの局部! 溶け合う二つの快感!

 ふわぁ~、生きてるって感じ!(最低)

 

 時間も場所もOK。

 検討した結果、場所はここ執務室――に隣接している仮眠室に決めた。

 布団も常備してあるし、執務室の扉には鍵もかけられる。

 一応待機を命じているから邪魔が入る事は無いだろうが、不測の事態が生じた際にも俺がここで待機していたという事で誤魔化せる。

 金剛には秘書艦の代理をしてもらっていたという事で話を合わせてもらえば大丈夫だろう。

 艦娘達に出撃を命じている以上、提督が自室で休んでいるというのは不信感を生じる可能性がある。

 パンチングコング長門に知られたらロケットパンチが飛んできて俺は爆散不可避。

 ムードという点では自室の方が良いのだが、お宝(薄い本)の詰まったダンボール箱もあるからな……。

 金剛に見つかったらおそらくお宝の方が爆散不可避。ムードも台無しになり、それで全てがおじゃんになる可能性もある。

 様々な要因を検討した結果、仮眠室が最も適しているという結論に至ったのだった。

 

 ムードとタイミングについても、まぁ及第点といったところだろう。

 可能な限り人払いしたし、よっぽどじゃない限り時雨達にも継戦するように伝えてある。

 残っている艦娘にも基本は自室か持ち場待機を命じているし、邪魔が入る可能性は低いはず……。

 

『さっさと本題に入って下さい』

『前置きが長いです』

『サダオは本当に馬鹿だなー』

 

 フフフ。こいつは失敬。

 そして今日から俺は脱童帝(ロストエンペラー)パココ・ヤリティンコ。親しみを込めてパコさんと呼ぶが良い。

 グレムリンの無礼な発言に対してもこの余裕。

 童貞では無くなるというだけで、これほどまでに大人になれるものなのか……。

 我ながら驚くべき変化だな。

 

「うおッ⁉」

 

 俺は振り向くと同時に、思わず変な声を出した。

 目の前には執務室の床をびっしりと埋め尽くすほどの、俺が思っていた以上の数のグレムリンがわらわらと(うごめ)いていたからである。

 純粋に気持ち悪い。

 

『サダオクラスタとお呼び下さい』

『サダオハーレムでもいいですよ』

「何がハーレムだ。バッタの大群かと思ったわ」

『あー、こいつ失礼な事を言ってますよ』

『もう帰っちゃおうかなー』

『ちらっ、ちらっ』

「あ、いや、すまん。自分で頼んでおいてなんだが、まさかこんなにいるとは……」

『そりゃあ、サダオが困ってるんだもの』

『いつでもどこでも飛んで来るに決まってるじゃないですか』

 

 ダ、ダンケ……。今回ばかりは普通にありがたいな。

 嬉しい事を言ってくれるではないか。ミッションをこなした暁には褒めて遣わそう。

 

「つーか、結構な数を出撃させたはずなんだが……鎮守府内にまだこんなに居たのか」

『パコさんの様子から只事ではないと思ったので、鎮守府の外にも声をかけてきましたよ』

『頑張ってかき集めてきました』

『皆さん(こころよ)く集まってくれましたよ』

『こんばんはー。その辺から来ました』

『お噂はかねがね伺っています』

『舞鶴から来ました』

『大湊から』

『佐世保ー』

Hello(はろー)

Guten Tag(ぐーてんたーく)

Bonjour(ぼんじゅーる)

Nice to meet you(ないすとぅーみーちゅー)

Здравствуйте(ずどらーすとう゛ぃちぇ)

Buon giorno(ぼんじょーるの)

Hoi(ほい)!』

 

 どこまで声かけたのお前ら?

 明らかに日本人じゃないのが交じってるよね?

 いや、グレムリン自体がそもそも名前からして日本産じゃないからな……。

 果たして意思の疎通ができるのだろうか。

 格好からして外国産のグレムリンがぴょんぴょんと飛び跳ねる。

 

Enchantee(初めまして)! Comment allez-vous(ご機嫌いかがですか)? Mon amiral(私の提督さん)

 

 う、うんうん。モナミはーん。わかるわかる~。やっば~い。

 いやギャル化してる場合ではない。

 何言ってんのかさっぱりわからんぞ……。

 俺には海外のエロサイトで検索するのに不自由が無いくらいの英語力はあるはずだが……。

 I love big tits. bob is GOD、いや、Boobs is GOD.

 このグレムリンの言語は、どうやら英語ではないようだ。

 まぁ身振り手振りを交えながら適当に挨拶してればなんとかなるだろう。

 とにかく提督の威厳を損なわぬようにしなければ……。

 

「う、うむ。私の名前は神堂貞男です」

『うわっ。こいつ知ったかぶってますよ』

『こんなのが提督で大丈夫なんですか』

「日本語喋れるんじゃねーか! 日本に来たなら日本語で通せや!」

『わぷぷ』

 

 俺は外国産グレムリンの頬をぷにぷにと摘み上げた。

 いやイカン、心の余裕。大人の余裕を持たねば。

 それに、もはや一刻の猶予も無い――。

 俺は咳払いをして姿勢を正し、改めてグレムリンの群れに目を向ける。

 

「整列!」

 

 俺の号令に一瞬で隊列を作ったグレムリン達に、俺は真剣な表情で言葉を続ける。

 

「急な召集にもかかわらず、こんなに集まってくれてありがとう。本当に感謝する……」

『水臭いですよ、パコさん』

『私達とサダオの仲じゃないですか』

『もっと頼ってくれてもいいんですよ』

『なんでも言ってくれていいんですから』

 

「うむ、ありがとう。それに、はるばる遠いところから来てくれた者も……」

『いえいえ。お気になさらず』

『噂を聞いて興味がありましたので』

『どうやら本物の馬鹿だとか』

『いい歳して童貞だとか』

 

 何を噂してんだ!

 いやイカン、心の余裕。大人の余裕を持たねば。

 コイツらに怒る時間さえも勿体ないような緊急事態であるし、何よりコイツらの力を借りねばどうにもならん。

 それに童貞煽りが出来るのもあと数時間。フハハハ、せいぜい今のうちに煽るが良いわ。

 

「んんっ! とにかく本題に入る。横須賀の外から集まった者にもわかるよう、改めて説明させてもらう」

「今夜、俺は一世一代の大勝負に打って出た」

「金剛との夜戦……場合によってはその妹達とも連戦になるであろう、俺の艦娘ハーレム計画において記念すべき、そして重要な大規模作戦だ」

「大淀の許可も下り、万全を期して時間と場所、ムード及びタイミングについても完璧な策を練った」

「まもなく日が沈む……俺が指示した通り、まもなく金剛がここ執務室を訪れるという状況だ」

「だが、ここにきて――気付いてしまったんだ。俺の完璧な作戦に唯一、穴がある事に」

 

 智将を自負する俺であったが、すでに作戦が始まってしまい、金剛との夜戦を目の前にしたこのタイミングで気付いてしまった。

 999%完璧だった作戦に存在していた、たった1%の穴。

 綿密に練られた、そして大規模な作戦だからこそ、ほんの僅かなひずみが全てを崩す可能性がある。

 まるでドミノ倒しのように。たったひとつの油断で失敗する――それはあまりにも小さく、そしてあまりにも重大なミスだった。

 悔やんでも悔やみきれない。何故、俺は今の今までこんな事に気付かなかったのだろうか。

 俺の悲痛な表情を見てか、グレムリン達が次々に心配するような声を上げる。

 

『パコさん……』

『私達に任せて下さい』

『サダオのためなら何だってしますよ』

『それで、何をすればいいんですか』

「ありがとう。お前達の言葉に甘えて、頼らせてもらう。実は、その……」

 

 俺は腕組みをして、真剣に言葉を続けた。

 

「……ゴムが……無いんだ……」

『……』

「ゴムが……無いんだ……」

『聞こえてます』

 

 そう、夜戦となればもはや必須とも言える装備――男の主砲から放たれる砲撃から女性を守る極薄のバルジ、通称コンドームである。

 大誤算であった。彼女いない歴イコール年齢でそんなものを持ち歩く必要などなかった俺である。

 というか二十六年間の人生で一度も購入した事すらない。

 だがしかしゴムの有無、これにより致すまでのハードルは大きく上下する事は明白。

 女性にとっては生というのは望まぬタイミングでの妊娠に繋がる……その後の人生にも大きく関わるのだから、それは当然の事であろう。

 結婚した女性との間に子供が欲しい、という時以外は避妊をするというのは、もはや男性側のマナーであるとも言えよう。

 男が好奇心と性欲に負けて女性の意思を(ないがし)ろにし、快楽だけを追い求めて無理やり避妊せずに致すというのはもはやクズの所業である。

 ゴムの手持ちが無い、ただそれだけで今夜は止めておこうとなる理由としては十分すぎるのだ。

 

「というわけで、諸君にはなんとかゴムを手に入れてきてほしいのだが……」

『わぁぁー、こいつ最低です』

『本当に最低ですよ』

『最低の駄目男です』

『略してサダオです』

『噂には聞いていましたが……』

『噂以上の馬鹿です』

『本物の馬鹿です』

『いるんですね、こんな人が』

『こんな事のために欧州から呼び出されるなんて』

『うわぁぁん、うわぁぁん』

『よりによってサダオハーレムの私達に、他の女性と致すためのものを買いに走らせようだなんて』

『すでにクズの所業です』

『ひどいです』

『あんまりです』

『うわぁぁん、うわぁぁん』

 

「お願いします! 無理を言ってるのは承知ですが今夜しかチャンスが無いんです! オナシャス! オナシャス!」

 

 阿鼻叫喚の地獄と化した執務室の中で、俺は一斉に騒ぎ出したグレムリンの群れに向けて土下座して懇願した。

 提督の威厳の欠片も無い姿であったが、横須賀十傑衆第二席の金剛と致せるこの好機は、おそらく今夜を逃してはしばらく訪れない。

 大淀さんの気が変わったら二度と訪れない事は明白だ。

 精力料理のおかげで股間がイラ伊良湖しているこの状態で我慢など不可能。

 だが無理に致すのは俺の本意では無い。

 妄想の中では好き勝手している俺であるが、やはり現実となると話は別だ。

 もしも金剛が生で致すのを少しでも躊躇したのなら、俺はそれ以上強く押す事は出来ん……!

 

 いや、もしも喜んで了承してくれたとしても、俺はまだ父親になる覚悟は無い。

 給料もなるべく家族のために使いたいから、俺にはまだ自分の家庭を持つ余裕など無いのだ。

 千鶴ちゃんは高校卒業してすぐに就職してくれたが、まだ明乃ちゃんと美智子ちゃんと澄香ちゃんが学生だし、進学を希望するかもしれん。

 せめて一番下の妹の澄香ちゃんが一人前になるまでは結婚する気にはならない。

 成人するまであと五年。

 高校卒業と共に就職してくれたとしてもあと三年。

 四年制大学まで進学したなら卒業する頃は二十二歳。あと七年もある。

 間宮さんに事あるごとに結婚したいと感じている俺であるが、実際のところ俺にとって結婚などまだまだ先の話なのだった。

 

 そういうわけで、俺は金剛と生で致す事はどちらにせよ無理なのである。

 致すためにはゴムは必須……!

 ゴムを装備しても100%避妊できるわけでは無いらしいが、そこはもう祈るしかない……!

 俺の股間の防空巡、今夜ばかりは()タラント!

 Are you okey? I love big tits.

 そもそも金剛が今日は致すに適した日なのかという問題も浮上したが、それはもう考えてもどうしようも無いので頭から除外する。

 

 俺が今から鎮守府の外に出て買いに走るというのは現実的ではない。

 だがグレムリンならば数も多いし、外にも飛んでいける。

 頼れるのはもはやコイツらしかいないのだ。

 たとえ提督としての威厳を捨ててでも、ここは頼るしかない……!

 

『いくらパコさんの頼みでもこれは……』

『私達も女の子なんですよ』

『あんまりです』

『うわぁぁん、うわぁぁん』

『こうなればヤケです』

『艦隊司令部をひっちゃかめっちゃかにしてやります』

「待って下さい! マジでやめて下さい! 何するつもりかわかんねーけどマジでやめて下さい!」

 

 俺は土下座しながら手の平を上に向けた。

 もはや完全降伏である。

 俺に出来る事はもはや見苦しく懇願する事しかない……!

 渋るグレムリンの中で、一匹がぐずりながら手を挙げる。

 

『ひっくひっく、わかりました。探してきます』

『えー、甘やかしちゃ駄目だよー』

『調子に乗ってしまいます』

『ひっくひっく、でも、私がついてなきゃサダオもっと駄目になっちゃう』

『あー』

『あぁぁー』

『わかるわかる』

『しょうがないねー』

『ねー』

 

 クソが……! 何ダメンズに尽くす可哀そうな彼女ぶってんだコイツは……!

 いやしかしここで反論するわけには……!

 ひたすら下手(したて)に出なければ……!

 

「ありがとうございます! ありがとうございます! マジで助かります!」

『まったく、サダオってば、まったく』

『サダオは世話が焼けるなー』

『あっ、見つかりました』

『執務机の引き出しの中に』

 

 何っ! マジか⁉ 何故そんなところに⁉

 ま、まさか前任の提督が常備して――⁉

 執務机の中にあるという事は常日頃からそんな事を⁉

 だ、誰だ……⁉ まさか香取姉⁉

 若干の寝取られの気配にメンタルを傷つけられながら、急いで執務机の引き出しを開ける。

 

「って輪ゴムじゃねーか!」

『ゴムって言うから……』

「ゴムはゴムでも形状が違うんだよ! こう、風船みたいな感じで、いや俺も現物を見た事は無いんだけど」

『輪ゴムで根元を縛り上げたらどうですか』

「身体に悪そうだろ! 駄目だよ! くそっ、でも寝取られじゃなくてちょっとホッとした」

 

『サダオ、鹿島さんの部屋を見てきました』

「そ、そうか! 奴なら数箱単位で常備していてもおかしくはないな! でかした!」

『見当たりませんでした』

「そうか……奴なら基本的にナマ派だとしてもおかしくはない……! なんて奴だ……」

 

『サダオー、酒保にありましたよ』

「おぉっ、でかした!」

『何味がいいですか』

「それはゴムじゃなくてガムだよ! 返してこい!」

『パコさん、灯台下暗しというやつです』

「な、何っ。何処だ」

『そこのゴミ箱の中に……』

「ゴムじゃなくてゴミだろ!」

『間宮さんのところから借りてきました』

「それは胡麻(ゴマ)だよ!」

 

 くそっ、馬鹿にしてんのかコイツら……!

 誰が大喜利を開催しろと言った……!

 全然笑えねェ……!

 

『大喜利と言えばサダオじゃないですか』

『お手本を見せて下さい』

『面白ければやる気が出るんだけどなー』

『ちらっ、ちらっ』

 

 無茶振りすんなや! 俺はコメディアンじゃねーんだぞ……よし、整いました。

 えー、今夜の俺と掛けまして、大淀の立てた作戦、と解く。

 その心は? どちらも性交(成功)以外あり得ません。

 おあとがよろしいようで……。

 

『……』

「なんか言えよ!」

『いまいち』

「うるせェよ!」

 

 クソが……! 付き合った俺が馬鹿だった……!

 豆大福程度の脳みそしかなさそうなコイツらではコンドームを用意するなど荷が重かったか……⁉

 いや、まだ諦めてはイカン……!

 執務室内にうじゃうじゃひしめいているグレムリン共を何とかその気にさせれば、一匹くらいは本物を持ってくる可能性がある……!

 

 俺が頭を抱えている間に、コンコンと扉がノックされた。

 

「提督、失礼します。先ほど妖精さんが胡麻を持っていったのですが……きゃっ、何ですかこれは」

 

 ウォォォォオオーーッ⁉

 胡麻を追って間宮さんが来てしまった⁉

 グレムリンで埋め尽くされている執務室に足を踏み入れられず、呆気に取られている。

 見れば鳳翔さんとイラ伊良湖までついてきているではないか。アカン。

 グレムリン達をじっと観察した鳳翔さんが、俺に問いかける。

 

「見かけない妖精さんが結構いますね……どうやら海外艦の装備妖精さんまで。一体どうしたんですか」

「い、いや。ちょ、ちょっと探したいものがあってな、手が足りなかったから召集したんだ」

「探し物ですか? 私達もお手伝いいたしますが……」

「アイヤイヤイヤ! その必要は無い!」

 

 焦りすぎて変な声が出た。

 鳳翔さんにコンドーム探して下さいなんて言えるわけがねェ……!

 いや、「実戦ですか、致し方ありませんね。いつまでも演習(オ〇ニー)ってわけにもいきません」と言って協力してくれる可能性が万に一つ……あるわけねーだろ!

 何を血迷ってんだ俺は……!

 探し物とか正直に言わなくて良かっただろうが……!

 バレたら鳳翔さん自らの折檻だけでなく、赤城と加賀に殺されかねん。

 特に赤城は出撃前にヤバい顔してたからな……あれは完全に獲物を狙っている飢えた狩人の顔だ。

 

 ともかく、日が沈む。そろそろ金剛が訪れる時間だ。

 ここは誤魔化しつつ手早く退散して貰わねば。

 

「そ、それより三人とも。持ち場に待機を命じていただろう。」

「あっ、申し訳ありません。先ほど提督にお出しした料理には麺に練り込んだ黒胡麻やセサミオイルなど、胡麻をたっぷり使っていたので、もしかしてまだ足りなかったのかと思いまして……」

「い、いやいや。十分すぎるほどに元気が出たぞ。妖精が胡麻を持って来てしまったのは、何かの間違いだ。ほらっ、間宮に返しなさい」

 

 俺の言葉に、胡麻を持ってきたアホのグレムリンが間宮さんの掌に飛んでいく。羨ましい。

 グレムリンの群れと俺の様子をじっと見つめていた鳳翔さんであったが、やがて静かに俺に目を向けて口を開いた。

 

「提督。もしかして今回の出撃の裏で、別に何か考えがあるのではないですか? 私達に言えないような……」

「エッ⁉ アイヤー」

 

 馬鹿みたいな声が出た。どこの中国人だ。

 イカン。鳳翔さんが疑いのジト目を向けている……!

 くっ、時間が無い! もう俺の十八番(おはこ)の職権乱用を発動するしかねェ!

 

「よ、余計な詮索はするな! 鳳翔、間宮、伊良湖、今夜お前達に命じたのは持ち場待機だ。これは提督命令だぞ。これに背いた場合は大淀に報告すると言っただろう!」

「……申し訳ありません。出過ぎた真似を……いかなる懲罰もお命じ下さい……」

「い、いや、今回までは特別に許そう。手伝いを申し出てくれた気持ちだけありがたく受け取っておく。とにかく、時間が無いんだ。早急に持ち場に戻るんだ、いいな!」

「……了解しました」

 

 やはり提督命令には鳳翔さんも逆らえないらしい。

 それとも大淀への報告が効いているのだろうか……?

 その可能性が濃厚だ。脅すような事を言ってしまって罪悪感に心が痛む。

 間宮さんとイラ伊良湖も申し訳なさそうに視線を伏せてしまったので、俺は去りゆく三人を呼び止めて言ったのだった。

 

「そ、それと夕飯美味しかったぞ! ありがとう! おかげで一晩中寝ずに頑張れそうだ」

「寝ずに……?」

「あ、ありがとうございます! でも、ちゃんと身体を休めて下さいね」

 

 俺の失言で鳳翔さんがまた(いぶか)し気な表情を浮かべたが、間宮さんはぱっと表情を輝かせて言葉を返してくれたのだった。結婚したい。

 三人を見送り、窓の外を見ると、ついに日が沈んだ。

 まもなく金剛がここを訪れるだろう。

 もはや時間が無い――俺はグレムリン共を見下ろして、もはやヤケクソで口を開く。

 

「いいかお前ら……! 俺は信じてるからな……! お前らが必ずコンドームを手に入れて帰ってくると……!」

『しかしパコさん』

『私達の時代にはそんなもの一般的では無かったので、よくわからないんです』

 

 え? もしかしてお前ら、先の大戦の時代程度の知識しか無いの?

 艦娘達が順応してるからてっきりお前達も現代に順応してるのかと……。

 そうか、それならコンドームと言ってもよくわからんのか……。

 馬鹿にされてるとしか思えなかったが、ちょっと無理を言ってしまったか……。

 

『ゴムと言ったら海賊王のアレしか知らないです』

「しっかり現代に順応してんじゃねーか! ジャンプ読んでんじゃねーよ! いいか、コンドームってのはアレだ。避妊や、性病を防ぐために発明されたものだ。主砲を包み込む形状のゴム風船みたいな感じで……」

 

 俺が身振り手振りも交えながら説明すると、グレムリン共は納得がいったようにぽんと手を打ったり頷いたりした。

 

『あー』

『あぁぁー』

『なるほどー』

『そういう事ですね』

『イメージは出来ました』

『大体わかった』

『最初からそう言って下さいよ』

『ヒントが無いから皆わからなかったんですよ』

「そ、そうか。説明が足りなくてすまんかった」

 

 なんとか理解してくれたようだ。

 つーかさっきまでゴムが何なのかよく理解できてる感じだったが、もう考えている時間も勿体ない。

 これで俺の股間もゴムゴムの(ピストル)となり、俺と金剛はひとつなぎの大秘宝(ワンピース)と化す事が出来るだろう。

 俺の名はシン・D・サダオ! 低俗王に俺はなる!

 

「とにかくもう時間が無いんだ。見つけてくるまで俺が何とか時間を稼ぐ……! 頼むぞ……!」

『ウホッ』

 

 万国共通語かな?

 一糸乱れぬゴリラ語で返事をしたグレムリン達は一斉に外へと飛び去って行く。

 なんか蝗害の風景みたいでマジで気持ち悪い。

 

 ――グレムリン達が出払ってようやく静かになった執務室。

 コツコツと廊下を歩く足音が俺の耳に届く。

 執務室の扉の前で止まり、続いてコンコンとノックの音が響く。

 

「……テ、テートクゥ、金剛デース……」

 

 ヒャーッ! キヤガッタカァ!

 俺は両手を掲げてダバダバと駆けて行きたい衝動に駆られたが、何とか堪えた。

 しかし、いつもの金剛であれば「ヘーイ! テートクゥーッ!」って感じで返事も待たずに入室してきそうなものだが、何だか声色的に、金剛もちょっと緊張しているような……。

 そこが逆にエ・ロイテル! わかるわかる~。やっば~い。

 いやギャル化してる場合ではない。

 ムラ付けは万全とはいえ、まだ夜戦に突入する準備が出来ていないのだ。

 何とかゴムが手に入るまで、うまく時間を稼がねば……!

 

 しかし、ムラ付けの影響で俺の方も長くは持ちそうもない。

 文月も出撃してしまった今、もはや暴発を止める事が誰にもできん。

 心火を燃やして自制する……!

 ちょっとでも油断したが最後、俺の股間からホワイトゼリーが潰れる! 流れる! 溢れ出る!

 貞男イン金剛! ブラァァァ!

 いやドン引きされて貞男イン金剛できなくなってしまう可能性大。

 艦娘ハーレム(パーフェクトキングダム)の夢も露と消えるだろう。

 

 グレムリンがゴムを持ってくるのが先か、俺の我慢が限界を迎えるのが先か……。

 限界ギリギリの戦いになるな……。

 

 ともかく、焦りが伝わると童貞臭いし、金剛に警戒されてしまう。

 事を急ぐあまり気持ち悪い感じにならないように、落ち着いた雰囲気を作らねば。

 俺は二、三回咳払いをして、喉の調子を確かめる。

 よし、問題無い。いい感じに落ち着いた低い声が出そうだ。

 バクバクと鼓動が高鳴る。ゆっくり深呼吸をして、息を整え、そして――。

 

「ドウゾ」

 

 俺はウグイスのように裏返った甲高い声で、金剛に入室を促したのだった。




大変お待たせ致しました。
本来は艦娘視点の予定でしたが、提督視点を書きたいという禁断症状でついに発作が出たので、予定を急遽変更して久しぶりの提督視点になりました。

次回の更新はまた戦場側の艦娘視点になると思いますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。


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065.『覚醒』【艦娘視点④】

「第一、第二主砲、斉射――始めます!」

「う、撃ち方、始めて下さーいっ!」

「姉さんも頑張ってるかな……撃ちます!」

 

 C島方面連合艦隊。妙高、羽黒、筑摩が一斉に放った砲撃が深海棲艦を射抜く。

 連合艦隊――と言っても、次々に投入される敵の増援に対応するため、B島方面で大淀が指示を出したように、こちらももはやその体を成していなかった。

 現在は妙高、羽黒、筑摩、大鷹による第一艦隊と、天龍、暁、ヴェールヌイ、そして龍田、雷、電による小規模の水雷戦隊に別れて戦闘している。

 

 提督の指示によって向かったC島を占拠している深海棲艦の一団との交戦時には、赤城、翔鶴、大鷹の三人により制空権を確保し、手早く勝利を成し遂げる事ができた。

 敵増援が合流する直前というギリギリのタイミングも功を奏したのだろう。

 敵艦隊を仕切っていたのは港湾基地型深海棲艦・港湾棲姫。

 このような鎮守府近海での遭遇など前代未聞であったが、今回の戦いが相当厳しいものになると予想されていた事。

 そして妙高、羽黒、筑摩の三人に三式弾の装備が指定されていた事により、陸上型深海棲艦の存在を想定していた事から艦隊の動揺も少なく、有利に戦闘を進める事ができたのだった。

 

 イムヤの一件により提督への信頼が最大限まで高まった艦娘達の勢いもさることながら、最も気迫に溢れていたのは妙高であった。

 足柄のカレーを食べられなかった件で提督を疑ってしまった事による自責の念を抱いていた妙高だったが、それにもかかわらず連合艦隊旗艦を任されるという評価。

 元々は香取と共に秘書艦の役目も任されようとしていた事が示す通り、提督は自身を高く評価してくれているという自覚。

 提督からの信頼に応えるべく全力で戦う横須賀鎮守府最強の重巡洋艦・妙高の気迫に引っ張られて、艦隊全体も鼓舞される。

 また、第二艦隊旗艦を任された天龍の檄により、艦隊の勢いはますます増した。

 

 C島を奪還後、すぐに日没してしまい、艦載機を発艦できなくなった赤城と翔鶴は海上にいるより安全だろうという事でC島に上陸し、避難。

 夜に恐怖心を感じている大鷹も避難させるかと妙高はしばし悩んだが、他ならぬ大鷹本人が戦闘の継続を志願。

 つい先日提督により発見された夜戦攻撃の特性――ここで活かさなければ意味が無いのだと。

 そうは言ったものの、羽黒が振り返って最後尾の大鷹を見れば、やはり落ち着かぬ様子で顔色も悪く見える。

 

「あの、大鷹さん。大丈夫ですか、怖くは無いですか」

「そ、そうですね……やっぱり夜、夜は……怖いですね。海が、黒くて怖い……」

「やっぱり赤城さん達と陸に上がっていた方が……」

 

 羽黒の気遣う言葉に、大鷹は無理やり身体の震えを抑えるかのようにぎゅっと自身の肩を抱いて言葉を返す。

 

「い、いえ! 怖いのは確かですが、今は私も貴重な戦力の一人のはずです。少なくとも、提督はそう思っているはず……それならば私は戦いたいと、そう思っているんです」

「大鷹さん……」

「怖くても戦えます……! 提督が見つけてくれたこの力で、私は戦います! 大鷹航空隊、発艦始め!」

 

 大鷹から発艦した攻撃機は、深海棲艦の群れに上空から攻撃を開始する。

 たちまち数隻が撃沈され、必然的に深海棲艦はそれを無視できず、どうしても意識を頭上に向けてしまう。

 それがどれだけ私達にとって有利な事か――。

 妙高と筑摩の砲撃が敵艦を射抜き、数瞬遅れて放った羽黒の攻撃も無事に着弾した。

 水上艦による砲撃に再び気を取られた隙に、大鷹の艦爆は上空から急降下し無慈悲な一撃を放つ。

 

 それは文字通り、鷹のように。地上を走る獲物を容易く(さら)う猛禽類のように。

 海上という平面でしか戦えない艦にとって、三次元の攻撃を強いられる飛行機という存在はやはり恐ろしい。

 たった一隻空母が存在するだけでこんなにも戦場がかき回されるとは。

 軽空母への改装を隠していた千代田さんに対して千歳さんがあんなにも怒ったのにも理解できる……。

 

 恐怖を乗り越えて夜戦に挑んだ大鷹さんのお陰で、私達は助けられている。

 それは司令官さんを支えることにも繋がっている。

 大鷹さんは強い――私と違って。私以外の皆と同じように。

 

『私が強い理由? 守りたい人がいるからよ。ふふっ』

 

 羽黒と同じ重巡洋艦で、羽黒の姉達と同じくらい強い姉を持つ妹。利根型二番艦、筑摩。

 かつて問うた羽黒の言葉に、筑摩は考える素振りも見せずにそう答えた。

 適当な答えなのではなく、それしか答えが無い故なのだろう。

 守りたい人とは一体誰なのか。艦娘の皆、この国に暮らす人々……おそらくはそういう事なのだろうが、九割は姉の利根が占めているような気がした。

 筑摩に礼を言うも、羽黒はやはりその時も答えを見出す事が出来なかった。

 

 皆、何故こんなにも強いのか。

 何故あんなにも強くなれるのか。

 

 姉妹の中で自分だけ未だに改二に至れていない。

 B島方面の青葉からの無線により、時雨達三人、更には八駆の四人にも改二が実装された事を知り、ますます悩む。

 提督自ら握った戦闘糧食に込められた提督パワーのおかげだという事だったので、一縷(いちる)の望みを賭けて自分のものを覗いてみれば、綺麗な三角形に握られていた。

 提督のものは俵型でしたとの情報から、藁をも掴む思いであった羽黒は肩を落として包みを戻す。

 赤城はすでに食べてしまったようだが、まだ補給するには早い時間帯だ。

 

 強くなりたい。そう思っているのに改二に至れないのは、きっと私が心のどこかで戦いたくないと思っているからなのかもしれない。

 羽黒は何となくそのような答えに辿り着きそうになった。

 戦うことは苦手だ、嫌いだ。

 ひとつの戦いが終わるたびに、羽黒は安堵の息をついてこう思う。

 このまま、全ての戦いが終わってしまえばいいのに――。

 

 それでも深海棲艦は待ってくれない。

 戦わなければ守れない。

 戦わざるを得ない。守る為には仕方なく――。

 

『羽黒は鹿島の仕事ぶりと自分を比べてしまっていたが……そんな事よりも、むしろ別のところを見習ってほしいな』

『あぁ。鹿島の欲望に忠実なところをな』

『欲望とは『欲』し、『望』む事……確かにあまり良い意味では使われないが、それ自体に良いも悪いも無い。むしろ生きるためには必要不可欠なものなのだぞ』

『つまり、羽黒。私はお前に秘書艦を務めてほしいと思っている。それは本心だ。だが、お前の『欲望』……本当にしたい事、やりたい事があるなら、それを優先してほしいという事なんだ。お前の『欲望』が『秘書艦を辞めたい』というのなら、それでいい』

 

 司令官さんは私にそう言った。

 また、龍田さんにも諭すようにこう言っていた。

 

『あくまでも私の考えなのだが、欲し、望まない限り人は成長しない。何かを成す際に、モチベーションというのはとても大切なんだ。話を聞く限り、天龍は自分の強さにすでに満足しているだろう? 満ち足りているのにそれ以上を求める必要は無いし、求める事は出来ない……と、私は思っている。天龍が自分の強さに満足しているのなら、これ以上強くなる必要は無いんだ』

『つまり、天龍本人が満足しているのなら、お前がいくら急かしても意味が無いんだ。逆に天龍自ら、更に力を欲し、望んだのであれば、その時自然に成長するはずだと思う……』

 

 それが事実なのであれば、私は一生強くなんてなれないのではないか。

 本当は戦いたくなんてないのに、嫌々、渋々、仕方なく戦場に立っているのだから。

 そんな私に、司令官さんの秘書艦を務める資格なんて無い。

 務めたところで、何も変われない――。

 

「一人でなんて無茶よ! 遠慮せずに私に頼ってくれていいのよ!」

「いくら龍田さんでも危険なのです!」

 

 雷と電の声に気付いて顔を向ければ、いつの間にか二人を引き連れた龍田が妙高と何かを話している。

 羽黒は前を進む筑摩におどおどと小さく声をかけた。

 

「ご、ごめんなさい。何があったんですか」

「龍田さんのソナーに潜水艦の一団の反応があったらしくて。それで、龍田さんが一人で食い止めに行くと……」

「ほんの二、三隻だから大丈夫よ~。こっちに合流される前に食い止めないと大変な事になるわ~」

「でも、一人だなんて」

「きっと、提督もそう考えているわよ~? 私にこんなものを積ませたんだもの~」

 

 龍田はいつもの笑顔でそう言うが、この闇の中で二、三隻の潜水艦を相手取るという事がどれだけ恐ろしい事か。

 確かに龍田は提督の指示によって四式水中探信儀、三式爆雷投射機に加えて二式爆雷まで装備している。

 重巡の自分達では当然無力。龍田以外に潜水艦を食い止められる者はいない。

 しかし、雷、電姉妹が主張する通り、一人ではあまりにも危険すぎる。

 ましてや――。

 

「おいおい、無理すんなよ龍田。お前、潜水艦だけが鬼門だろ」

 

 事態を察してか合流してきた天龍が龍田に声をかける。

 そう、羽黒も風の便りで聞いた事があった。

 怖いものなど何も無さそうな龍田が、唯一苦手とするもの――それが潜水艦。

 同じようなトラウマを持つ艦娘は多い事から、特段目立った弱点というわけではないが、そんな龍田がたった一人で夜の潜水艦に挑むという事。

 その恐怖は計り知れない。

 だというのに、何故この人は恐怖などおくびにも出さずに、いつもと変わらぬ笑みを浮かべていられるのだろうか――。

 

「……大丈夫よ~。そういうわけだから、雷ちゃん、電ちゃんは天龍ちゃんに合流して頂戴?」

「でも、龍田さん」

「――わかりました。旗艦・妙高が命じます。龍田さんは単身、潜水艦隊を! 天龍さんは雷、電の両名を編成に加えて下さい!」

「妙高さん⁉」

「対潜装備を整えているのは龍田さんのみ……! そしてこちらにもまだまだ敵の増援……これ以上数は()けません……! そうですね、龍田さん⁉」

 

 絞り出すような妙高の言葉に、龍田は静かに微笑んだ。

 

「ありがとう、妙高さん。それじゃ、行ってくるわね~」

「た、龍田さんっ!」

 

 羽黒は思わず龍田を呼び止めた。

 迷惑だとは思ったが、どうしても訊ねたいと思ったからだ。

 

「龍田さんは、どうしてそんなに強いんですか。怖いはずなのに、怖くないはずが無いのに、何で……」

 

 龍田はきょとんと目を丸くしたが、やがて意図を理解したのか、小さく笑みを浮かべて口を開いた。

 

「龍田が強い理由か……フフフ。それはオレと同じく元々強いからだ」

「天龍ちゃんには聞いてないわ~」

 

 天龍に目もくれずに羽黒に歩を進めた龍田は、そっと両手の平で羽黒の頬を挟み込む。

 予想だにしない行動に、羽黒は瞬く間に赤面した。

 

「ふぇぇぇっ⁉」

「ありがと。でも、私から見れば羽黒ちゃんは私よりもずっとずっと強いのよ?」

「そ、そんな事ないです! 私は、本当は戦いたくなくて、だから強くなれなくて、改二にも」

「……羽黒ちゃんは、提督の事を弱い人だと思うかしら~?」

「えっ?」

 

 唐突な龍田の問いに、羽黒は言葉に詰まった。

 

 司令官さんは弱い人なのか。

 答えは迷う事なくイエスだ。

 長門さんが佐藤元帥に訴えた、神堂提督は弱い御方だという言葉。

 本来は戦いなど決して望まない慈愛に満ちた御方。

 軍人と言うにはあまりにも弱い心の持ち主だ。

 

 しかし、それでも。

 

「司令官さんは、強い御人です」

「どうして?」

「それは、それは……あんなにも優しいから。私達のために、この国を護るために、自分の事は二の次で」

「くす……羽黒ちゃんも同じよ? 提督と羽黒ちゃんね、とてもよく似てる……」

「わ、私が……?」

「いつも謙虚で、遠慮がちで、いつも人の事を優先してる。そんな優しい羽黒ちゃんだからこそ、本当に貫きたい意志は何よりも固くなる……強くなるには、『欲望』が大切なんだって、提督は言ったわ。謙虚で優しい羽黒ちゃんは、いきなりそう言われても難しいと思うから、こう思ってみたらどうかしら~?」

 

 狼狽(うろた)える羽黒の目を優しく見据えて、龍田はゆっくりと言葉を続けた。

 

「羽黒ちゃんの『欲望』は、提督の『欲望』と同じもの。羽黒ちゃんはそれを恥ずかしいと、声を大にして叫べないと思うかしら……?」

 

 龍田の言葉に、羽黒の目がはっと見開く。

 それを見て、龍田は羽黒の頬から手の平を離し、踵を返した。

 

「提督曰く、握れば拳、開けば(たなごころ)。『欲望』と同じで、『力』も使い方次第……大丈夫。羽黒ちゃんの力は、きっと誰よりも優しい力……恥ずかしくなんかない。その力で、皆を護ってあげてね?」

 

 闇に向けて遠ざかっていく龍田の背に、天龍が声をかける。

 

「龍田! 本当に無理すんなよな!」

「天龍ちゃんこそ、私が戻るまでに怪我しないようにね~」

 

 小さく手を振って、やがて龍田の姿は闇の中に消えた。

 

 お礼を言うのも忘れてしまっていた。

 結局、龍田さんが強い理由は聞けなかった。

 それでもよかった。

 本当に知りたかった事を知る事が出来たような気がしたからだ。

 

「妙高さん! 羽黒さん、大鷹さん! 強力な敵艦を確認! あれは……重巡ネ級です!」

「ネ級ですって……⁉」

「他にも、ル級、ナ級、タ級まで……恐ろしい編成です」

 

 横須賀鎮守府の目を自称する利根型姉妹の片割れ、筑摩の索敵能力に間違いは無い。

 脅威が今まさに眼前に迫ってきていた。

 胸に手を当てる。高鳴る鼓動。荒れる呼吸。

 心の中で迎撃準備を整えながら、羽黒は掴みかけた何かを離さぬよう必死に考える。

 

 私と司令官さんの『欲望』が同じ……?

 司令官さんが大切にしているもの。

 第一にこの国の平和。第二に私達艦娘の事。

 そう、もっとも大切な欲望は、欲しているものは、望んでいるものは、この国の平和だ。

 守りたいものがある。()()()()という欲望がある。

 それは戦いたくないという欲望よりも、ずっとずっと強いはずだ。

 あんなにも優しい人が、不治の病に苦しみ、一度は退役した司令官さんが再び最前線に戻ってきたのは、きっとそういう事なのだ。

 横須賀鎮守府に骨を埋める覚悟というのは、きっとそこからきているのだ。

 

 本質を見失っていた。

 仕方なく戦わなければならない、という義務や責務ではない。

 守りたいという欲望こそが、私が今ここに立っている原動力だった。

 

 私は強くなるきっかけを掴むために秘書艦に推薦され、僅かな時間ではあるがそれを務めて、迷惑をかけるあまり辞めたいと思った。

 平和のために。守りたい。強くなりたい。

 その欲望よりも、秘書艦を辞めたい、迷惑をかけたくないという欲望の方が強いなんて事があるだろうか。

 いや、あるはずがない!

 

 守りたい! 護りたい! (まも)りたい!

 

 不思議な気持ちだ。

 私の欲望が、私の願いが司令官さんと同じだと思うだけで、恥ずかしくなんてなくなってしまう。

 司令官さんが私に勇気を与えてくれる。

 声を大にして叫びたくなる。

 

 司令官さん。司令官さん。

 私も同じです。私も同じ気持ちです。

 美しいこの国を守りたい。

 日々を暮らす人々の平和を守りたい。

 

 それはきっと、大鷹さんも、筑摩さんも、龍田さんも同じなのだ。

 私達艦娘の根底に流れる欲望は、きっとそれなのだ。

 どれだけ恐ろしくても、震える身体で闇に立ち向かえる勇気を(ふる)えるのは、その欲望が原動力なのだ。

 足りない勇気は司令官さんが与えてくれる。

 後ろから肩に手を置いて、励ましてくれる。

 

 欲望が溢れて止まらない。

 貴方を支えたい。支えられるくらい強くなりたい。

 戦えない貴方のために、戦場に立てない貴方のために、私が代わりに戦いたい。

 戦いたくないと思っていたのに、貴方を思えば、そうしたくて堪らない。

 

 私が望む、私の強さ。

 私が願う、私の力。

 

 司令官さん。司令官さん。

 私は――翼が欲しい。

 寄り添って眠れば温かな安らぎを与えられる柔らかな羽毛。

 貴方という木に実った果実を咥えて、どこまでも遠くへ運ぶ黒い羽。

 司令官さん。司令官さん!

 私は――力が欲しい。

 仲間や護るべきものの盾となる優しい力。

 

「羽黒、決して油断しないで。準備はいい?……――⁉ 羽黒、貴女……!」

 

 妙高姉さんが振り返り、私を見て口元を抑えた。

 胸が熱い。体中が熱い。いや、温かい。

 全身が光を帯びる。前方には凶悪な編成の深海棲艦の群れ。

 数にして二倍、三倍、いや五倍。

 たとえそれでも。なんとしてでも。

 

 私が守る。守りたい!

 

 私が求める強さの形。私が求める願いの形。

 たとえ時代が移り変わっても、たとえ姿が変わっても、生まれ変わっても。

 いつまでもいつまでも大切なものを守ることができますように。

 新たな時代への願いと祈りを込めた――羽黒の護り。

 

 優柔不断。優しくて柔らかくて、何も断てない。

 そんな彼女だから、そんな彼女だからこそ――絶対に、本当に譲れない思いは誰のそれよりも固くなる。

 時には大切なものを傷つける脅威を貫く最強の矛に。

 時には大切なものを傷つける脅威を弾く最強の盾に。

 

 そして今、彼女の意志は何よりも固く、硬く、堅く――彼女の力として具現化した。

 

「司令官さん、司令官さんっ! 今度こそ……五倍の相手だって、支えてみせますっ! 『羽黒』……っ! 『改二』っ‼」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「あ、赤城さん! 羽黒さんに改二が実装されましたよ!」

「えぇ。いつ実装されてもおかしくはない素質は持っていると思っていましたが……凄い火力ですね。砲撃火力は姉妹随一なのではないでしょうか」

 

 戦艦タ級に連撃を浴びせ、瞬く間に轟沈させた羽黒の砲撃火力に、翔鶴はごくりと息を吞む。

 月光を浴びながら戦う羽黒の表情、姿勢――心と身体に、一本の筋が入ったように見える。

 いや、あの芯の強さ自体は羽黒が本来持っていたもので、それを自覚したと言うべきだろうか。

 艦娘となった事で弱気で謙虚な性格が表に出てしまい、なかなか戦果が挙げられなかったが、かつて彼女は日本重巡の中でも随一の武勲を誇る、歴戦の武勲艦だったのだ。

 

 例えるなら翼を得た虎、眠れる獅子の覚醒。

 今まで彼女が改二に目覚める事ができなかったのは、きっとその爪と牙を恐れたからだ。

 しかし今、羽黒の凛とした表情を見ると、自信に満ち溢れている。

 改二に至るには何らかの『気付き』が必要だと言われている……きっと、大切な何かに気付く事ができたのだろう。

 羽黒さんがその名を叫んでいたように、きっと提督のおかげで――。

 

 うっかり流れ弾に被弾などしないように周囲を警戒しながら、翔鶴はちらりと隣に立つ赤城に目を向ける。

 C島に向かう道中、港湾棲姫の一団との交戦中、いや、出撃が決まったその瞬間から現在に至るまで――この隙の無さ。

 脱力した自然体に見えて一分の隙も無い……警戒と緊張で体中がこわばっている自分との歴然とした差を改めて目の当たりにして、翔鶴は提督の言葉を思い出す。

 

『スカートの下にジャージの着用の許可を……』

『駄目に決まってるだろ! 何を言っているんだ!』

 

『赤城の隙の無さを思い出してみろ』

『意識や所作であるならば、克服できるはずだ。それは翔鶴自身の成長にも繋がる……私は、問題を解決するにしても楽で安易な方法に頼って欲しくは無いのだ』

 

 私は何故、自分が成長しようなどと思いもせずに、ジャージを履いて解決しようと思ったのだろう、と翔鶴は自らの意識の低さを恥じた。

 もしもあの時ジャージを履く事を選んでいたら、私は一生成長できなかっただろう。

 先日の戦いでは、加賀さんが慢心故に失態を犯し、赤城さんは私が最後まで最も気を緩めていなかったと褒めて下さったが、だからと言って赤城さんや加賀さんを超えたなどと思えるほど浅はかではない。

 私達五航戦は、まだまだ戦闘における技量や精神面において、一航戦の先輩方には遠く及ばないのだ。

 私の隙の多さが強さの先に至れない原因だったとするならば、赤城さんはこの上ない手本となる。

 また、本来は誰よりも起伏の激しい感情を持ちながら、それを完全に抑え込む加賀さんの冷静沈着な点は、時には提督に失礼な事を言ってしまうほど激しい感情を抑えられない瑞鶴の未熟な精神面にも見習ってほしい部分だ。

 今回の連合艦隊において、あえて一航戦と五航戦を別々に編成し、赤城さんと私、加賀さんと瑞鶴を組み合わせたのも、きっと私達五航戦の成長に不可欠なものなのだろう――。

 

 時雨達の救出という土壇場においてさえ我々艦娘達の成長を考えている提督の意識の高さ。

 間近で赤城を観察できるこの機会を大切にせねば、と翔鶴は提督への感謝の念と共に、再度意識を引き締めた。

 陸の上において直立不動の姿勢でもこの隙の無さ……赤城さんの一挙手一投足には学ぶことしかない。

 ついに羽黒さんも改二に目覚めた。

 ならば、次は提督にここまでお膳立てされた私の番だ。

 

『翔鶴。私はな、空母の中ではお前に一番期待しているんだ。あの赤城よりもだ』

『お前の弱点はその僅かな隙の多さだけだろうと思っている。だが、それを克服した時、お前はきっと赤城にも匹敵できると、私は信じているんだ』

『だが全てはお前の頑張り次第だ。ここで安易な方法に頼ってしまってはその可能性さえも失われかねない……』

 

 あまりにも光栄で、恐縮してしまうほど勿体ない御言葉……。

 これで成長する事ができなければ、提督に合わせる顔が無い。

 ただでさえはしたない姿ばかり見せてしまって合わせる顔が無いというのに、ますます顔を合わせられなくなってしまう。

 もう二度と加賀さんにいやら姉妹なんて言われないように成長せねば瑞鶴にも申し訳ない。

 

「改二と言えば、時雨さん達が無事で本当に良かったですね」

「えぇ。改二が実装された事で損傷も資源も全快したとか……流石は提督です」

 

 時雨達の無事を知らせる青葉からの無線が届いた際には、常に凛としていた赤城も思わず表情を綻ばせていた。

 ずっとその言葉を待ちわびていたのだろう、と翔鶴も赤城の心中を理解する。

 赤城は時雨達用にと預けられた戦闘糧食の入った手提げ袋を胸に抱き、どこかうきうきとした調子で言葉を続けた。

 

「ふふ、私の予想は当たりました」

「えっ。まさか提督のこの策を」

「いえ、流石に策の中身までは。私が予想していたのは、おそらく本命はB島方面であろうと言う事です。あまりにも独特な編成でしたしね。私達に持たされたのは万が一の保険なのでしょう」

「なるほど……流石は赤城さんです。だから余った時の事を質問していたんですね」

「そ、そうですね。せっかく提督自ら握って下さったのに痛ませてしまうのも勿体ないですからね。早めに誰かが食べた方がいいと思いまして、はい」

 

 まったくそこまで考えが及んでいなかった。

 策の中身まではわからなかったと言いはしたが、つまりあの瞬間には、赤城さんは今回の出撃における大体の全体像が見えていたという事だ。

 まだまだ遠く及ばない――いや、それでも何とかついていかねば。

 

「しかし、実際のところどうしましょうか。六つも余っていますよ。なるべく喧嘩しないようにしなくては」

 

 赤城の問いに、翔鶴はしばし考える。

 遥か高みにいる赤城の視点と同様に、広い視点から俯瞰(ふかん)する。

 どうするのが最善なのか。提督の領域に至る前に、まずは赤城さんの領域に至るのだ。

 考えて考えて――翔鶴は赤城ならばこう考えるであろうと確信した答えを導き、口を開く。

 

「そうですね……夜戦できない私達を除くのは当然として……今も奮闘してくれている駆逐艦や大鷹さんなどで分けてもらうのはどうでしょうか」

「え?」

 

 瞬間、赤城の表情が固まった。

 な、何か……何かおかしかっただろうか……?

 内心狼狽(うろた)える翔鶴に構わぬように、愕然とした表情の赤城からだんだんと生気が抜けていく。

 

「……そう……ですね……翔鶴さんの仰るとおりです。それしかありませんね。それが最善だと私も思います」

「あ、あの! 何か間違っていたなら私は……」

「いえ、いいんです。これは私の力不足です。私の日々の精進が足りませんでした……私にも……私にも大鷹さんのように夜間戦闘が出来る能力があれば……っ!」

 

 赤城はぎゅうと力強く拳を握り、歯を食いしばって肩を震わせている。

 今にも悔し涙を流してしまいそうな迫力だ。

 え? 何故この流れでそんな結論に……。

 答えが見いだせない翔鶴であったが――瞬間、赤城を中心に強烈な閃光と爆風が巻き起こる。

 

「きゃああっ⁉」

 

 不意を突かれて翔鶴は尻もちをついた。

 攻撃⁉ どこから⁉ でも、熱も痛みも感じない……。

 爆風で激しくまくれ上がったスカートにも気付かず、慌てて顔を上げるも、闇の中でいきなり閃光を喰らった事で目が慣れるのにしばしの時間を要した。

 そしてようやく目が慣れて――予想だにしない赤城の変化に目を丸くする。

 

 全体的に雰囲気が暗くなっている――纏っているオーラまで。

 それはまるで闇に溶け込む事を前提にしているように。

 ソックスの色も白から黒へ。

 和弓も剥き出しの木色から黒塗りに。

 飛行甲板さえも鈍色(にびいろ)に。

 今まで背負っていた矢筒に加えて、軍刀を左腰に差している。

 闇に潜む獣のように、ただその双眸だけが異質なほどに爛々と輝いていた。

 

 まさか、まさか……改、二……?

 いや、ただの改二では無い……?

 この全体的に暗色のオーラ――見覚えがある。

 以前、この目で見る機会があった。佐世保鎮守府の正規空母サラトガさんの持つ特別な能力。

 私達にとっての改二と同じ強化。

 夜間作戦用航空母艦としての能力を有する『Mk.Ⅱ』。

 そして装甲空母としての能力を有する『Mk.Ⅱ Mod.2』。

 今の赤城さんの纏うそれは、サラトガさんの『Mk.Ⅱ』によく似ている。

 

 赤城さんの求めた力――夜間戦闘能力⁉

 

 翔鶴が改めて赤城の顔に目をやると、何故か赤面した状態で固まってしまっていた。

 改二の実装を喜ぶでもなく、口をぽかんと半開きにして、まるで恥ずかしいところを見せてしまったかのように。

 え? そのリアクションは一体……。

 いや、そもそも赤城さんが夜戦能力を求めた話の流れから推測するに、まさか……。

 

 翔鶴は恐る恐る、固まったままの赤城に訊ねた。

 

「……そんなに、食べたかったんですか?」

「⁉」

 

 赤城はぐりんと勢いよく翔鶴に顔を向け、がしりと両肩を掴んで詰め寄り、赤面しながら縋るように早口でまくし立てる。

 

「な、何を言うんですか、何を! それじゃ私がとんだ食いしん坊みたいじゃないですか!」

「そ、そうですよね! 失礼な事を言ってすみません! でも、それでは一体何故……」

「こ、これは……これはですね……その……そう! これが提督パワーです」

「えぇっ⁉」

「文月さん達、時雨さん達、朝潮さん達に改二が実装されたのも、そして羽黒さんと私に改二が実装されたのも、全部提督のおかげじゃないですか……って、頭の中で何かが……」

「た、確かに!」

 

 提督に心配されていた通り、翔鶴はかなりチョロかった。

 赤城の推測は間違っていない。いや、むしろそれしかないようにすら思えていた。

 たしかに赤城さんは出撃後などに砂場で子供が作る砂山のような量のカレーを笑顔で平らげていたりするが、きっと出撃後でお腹が空いているからだ。

 決して食いしん坊だとか食い意地が張っているというわけではない。

 提督の握った戦闘糧食を食べたいがあまり夜戦能力を得たいと本気で願うだなんて、流石に有り得ないだろう。

 一体どれだけの食い意地が張っていればそのような発想に至るというのだ。

 私はなんて失礼な事を言ってしまったのだろう。

 赤城さんが珍しく動転した様子で詰め寄ってきたのも当然だ。

 

 赤城さんが改二に至れた要因はただひとつ。

 これほどの隙の無さと実力を有しながら、目の前の戦闘に参戦できていない自らの力不足を悔いた事。

 提督に負けぬほどの、なんという意識の高さ……これが一航戦の誇り……!

 誇り高き、私達の先輩の姿……!

 あ、赤城さん……! か、感服、感服……!

 

 ガクガクと肩を震わせながら翔鶴が納得してくれたのを見て、赤城はほっと安堵の息を漏らす。

 それと同時に、いきなり上空から赤城の飛行甲板に艦載機が着艦してきたので、二人で驚いて目を見開いた。

 敵ではない。かと言って日が沈むまでの戦闘で自分が飛ばしたものでもない。

 

「これは……?」

「えっ、一体どこから。……⁉ あ、赤城さん、これは……これは『烈風改二戊型(ぼがた)』⁉」

「『戊型(ぼがた)』? 知らない子ですね……まさかこれは『IF(イフ)装備』ですか?」

「えぇ、私も聞いた事も、見た事もありません」

 

 艦娘は妖精と会話をする事が出来ないが、何故か装備の名称や性能は見ただけで理解できる。

 史実では存在しない装備――それが『IF(イフ)装備』。

 ごく稀に艦娘の改装に存在する『IF改装』と同じようなものだ。

 

 名機『零戦』の後継機として開発された最新鋭艦上戦闘機『烈風』。

 同機をベースにした高高度型局地戦闘機『烈風改』。

 それを更に熟成し、戦闘機戦闘及び艦戦としての完成度を高めた性能向上型『烈風改二』。

 『烈風改二戊型』は『烈風改二』を複座化し、機上電探装備を充実させた夜間戦闘機。

 IF(もしも)IF(もしも)を重ねた幻の翼。

 

「ま、まさか提督が? 提督の指示でここまで飛んできたんですか⁉」

 

 翔鶴の問いに、妖精は少しばかり考えるような素振りを見せた後に、こくりと頷いて機体ごと矢の姿となり、赤城の矢筒の中に納まった。

 見計らったようなタイミングで夜間戦闘機を向かわせるとは……。

 間違いない。赤城さんが今夜、夜間作戦用空母としての能力に目覚める事も、提督にはお見通しだったのだ。

 赤城もどこか挙動不審な様子ではあったが、ぱあっと表情を明るくして翔鶴に顔を向ける。

 

「ほ、ほら! 見て下さい! 私が改二に目覚めたのは提督のおかげなんです! 決しておにぎりが食べたかったからでは……!」

「もはや疑いようがありませんね……すみません、私ったら先輩に失礼な事を」

「い、いえいえ、いいんですよ。それよりも、気持ちを切り替えて私も戦場に向かわなければなりませんね」

 

 そう言うと、赤城は改二を解除して見慣れた姿に戻る。

 

「えっ、どうして」

「いえ、せっかくなのでもう一度やり直しておこうと思いまして。なんかちょっと気が引き締まらなくて」

 

 赤城はキッと表情を引き締め直し、深く息を吐いて全身から脱力する。

 その姿を見て、翔鶴は身震いした。

 不意に改二が実装され、自分の見当外れの言葉によって赤城は珍しく慌てふためいており、正直隙だらけの状態であったが――。

 即座にスイッチがオンになる。みるみる内に隙が霧散し、ついには一片も残さず消失する。

 

 私に改二が実装されるよりも先に、一気に差が広がってしまった。

 悔しい、不甲斐ない。提督のお墨付きを貰っても勝てる気がしない。

 いや、落ち込んでいる場合ではない。

 すぐに私も追いつくべく、偉大なる先輩を手本としなければ、赤城さんにも提督にも失礼だ――。

 翔鶴は誇り高き先輩の背中を、戦う姿を見逃さぬよう、瞬きさえも惜しんで視線を向け続ける。

 

 赤城は『烈風改二戊型』の矢を矢筒から抜き取り、見惚れるように目を向けて呟いた。

 

「提督が届けてくれた新たな力。これが新鋭の艦載機……綺麗な翼。この子達なら!」

 

 そして暗い海に向けて駆け出し、海面を滑りながら闇に向けて矢を弓に(つが)え――。

 闇を切り裂く幻の翼が閃光の速度で解き放たれた。

 

「改装された第一航空戦隊の力、お見せします! 『赤城改二』――『戊』!」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 龍田は嘘が嫌いだが、嘘をつくのは得意だ。

 普段から嘘ばかりついていたら誰にも信用されないから、ここぞという時に嘘をつく。

 そして嘘をつくのは、それが決してバレないと確信できた時だけだった。

 いつものように笑みを浮かべて、息を吐くように嘘をつく。

 だから、龍田のついた嘘は今まで誰にもバレた事はない。

 

 今夜、龍田がついた嘘は、決してバレないと確信できたわけではなかった。

 ただ、あぁでも言わなければ自分を心配して誰かがついてきてしまう。

 そうなれば、あちらの戦場もこちらもきっと共倒れになってしまった事だろう。

 

 敵の潜水艦は二、三隻ではなかった。

 ソナーの反応はうんざりするほど多くて、面倒だったので龍田は数を把握するのをやめた。

 ――群狼戦術、に近いだろうか。

 さながら自分は狼の縄張りに足を踏み入れた兎か。

 龍田が自嘲気味に微笑むと、闇の向こう、おぞましい複数の気配の中でひときわ大きいそれから、不気味な甲高い声が響き渡る。

 

『ヒヒッ……ヒヒヒヒッ! 何人迷イ込ンデクルカト思ッタラ、タッタノ一人カヨッ……!』

 

 潜水新棲姫。

 子供のような見た目でありながら、ある意味で最も艦隊司令部から警戒されている姫級深海棲艦。

 様々な海域でその姿は確認されており、遭遇したが最後、撃沈させるのはそれほど難しくは無いものの、引き換えに手痛い損傷を強いられ、撤退を余儀なくされる事も珍しくは無い。

 艦隊司令部ではシンプルに『クソガキ』と呼ぶ品の無い者も存在するという噂があるほどだ。

 それほどまでに厄介な存在。

 ましてや夜戦では、脅威以外の何者でもない。

 

 唯一の救いはと言うと、すでにC島を奪還しており、深海棲艦達は頼みの綱であった補給ができない状態であるという事だ。

 B島は集積地棲姫が鎮座しており、敵の増援部隊もしっかり補給ができるので、B島の戦闘はより激しいものになっているはず。

 それを思えば、C島、そしてA島方面は燃料、弾薬の不足している状態の敵増援を迎え撃てばよく、こちらは島に残された敵の資源で補給ができる。

 つまり敵の潜水艦隊は万全ではない。雷装も回避性能も弱体化しているはずだ。

 それだけのアドバンテージがあってなお、夜の潜水艦を相手取るには不足している。

 

『コノ魚雷ヲ……食ベロォッ!』

 

 食らえ、という意味であろうか。

 潜水新棲姫の不気味な叫びと共に、一斉に魚雷が放たれる。

 群狼戦術――数の暴力。攻撃間隔を僅かにずらし、回避した先を仕留める波状攻撃。

 幸運な事に今夜は満月。龍田は僅かな光で敵の位置と雷跡を視認し、決して高くない性能を補って余りあるセンスと経験、技量によって瞬時に回避する道筋を導き出す。

 まるで魔法のように全ての魚雷を回避され、海面に顔を半分だけ出した潜水新棲姫は大きく舌打ちした。

 

『チッ! 運ノ良イ奴……! 邪魔ナ光ダ……! マァイイ……! 空ヲ見テミロヨ……!』

 

 龍田が夜空を見上げれば、月の周囲に雲が流れている。

 風向きを見るに、あと少し時間が経てば月の光を覆い隠し、やがて周囲は完全な闇に閉ざされるだろう。

 そうなれば雷跡を追うのも、敵の位置を把握するのも困難になる。

 

『次ニ月ガ完全ニ隠レタ時……! ソノ時ガオ前の運ノ尽キダ……! ナァンテナァ! ヒヒヒヒャアッ!』

「上手いこと、言ってくれるわねぇ……全然笑えないわ~」

『ヒヒヒヒヒッ!』

 

 潜水新棲姫は愉快そうにおぞましい笑い声を上げ、黒い海の中に沈んでいく。

 恐いほどの静寂。否。比喩ではなく本当に恐ろしい。

 龍田は思う。

 あの人はどこまで見通しているのだろう。

 実は私が本当に潜水艦に恐怖を感じていて、今にも泣いてしまいたいほどだという事も知っているのだろうか。

 そうだというのに、私に対潜装備を満載させて、潜水艦の相手をさせようとしているのか。

 

「本当に……ひどい提督だわ~」

 

 恐怖を押しつぶすようにぎゅっと薙刀のような艤装の柄を握りしめ、龍田は小さく呟いた。

 もしも私が思っている通りなら。

 ここで私に戦えと言っているならば。

 大破するな、轟沈するなと泣いて命令するのなら――。

 嘘を自らバラしてまでも、そうしたいと思ってしまっているのだから。

 

「私も天龍ちゃんの事笑えないくらい、結構単純なのかもしれないわねぇ……」

「龍田さんっ! 大丈夫ですかっ?」

 

 龍田が苦笑していると、闇の向こうから呼ぶ声がする。

 僅かに驚いて目を向ければ、息を切らせた大鷹が向かってきていた。

 

「大鷹ちゃん、どうしたの? 大鷹ちゃんがいなくなったらあっちが大変じゃない」

「いえ、はぁっ、はぁ……その、赤城さんが。赤城さんが提督のお陰で夜間戦闘能力に目覚めまして、それで、航空攻撃に余裕が出来たので、あと、羽黒さんにも改二が実装されて、それで、妙高さんが」

「赤城さんが……羽黒ちゃんも。そういう事ね~。妙高さんったら、優しいんだから……」

 

 大鷹はよっぽど急いできたのか、大きく肩で息をしている。

 焦りのためか言葉にもまとまりがなかったが、龍田が状況を理解するには十分だった。

 大鷹は対潜が得意な空母だ。龍田以外の面子では、一番援軍として適任であろう。

 だが、妙高と大鷹には悪いが、龍田は色んな意味でそれを素直に喜べなかった。

 

「大鷹ちゃん、本当に大丈夫? 夜の潜水艦よ~?」

「うっ、い、いえ。はい、夜の潜水艦は、怖いですね……でも、提督がついてくれています。それなら、今の私には、怖いものなんてありません!」

「そう……大鷹ちゃんは本当に強いのね~」

 

 龍田には大鷹の恐怖がよく理解できていた。

 だからこそ、たとえ対潜戦闘に適性を持っていたとしても、この場に援軍には来てほしくなかったのだ。

 トラウマを呼び起こされる辛さ、トラウマに立ち向かわねばならない恐怖。

 たとえ対潜装備を満載されても、そう簡単に拭い去れるものなどでは無いからだ。

 

『ヒャヒャヒャヒャアッ! 来タ! 獲物ガモウ一匹迷イ込ンデ来タァ! ヒヒヒヒッ!』

「ひいぃっ⁉ ……たっ、龍田さんっ⁉ この感じ……二、三隻どころか……っ! えっ、嘘っ、鬼、いえ、姫級……?」

「ごめんね~。上手に隠れていたみたいで、罠にかけられちゃったのよ~」

 

 潜水新棲姫の声に怯える大鷹に、龍田はさらりと嘘をついた。

 自分が自己犠牲の精神から、これだけの敵艦に単騎で立ち向かおうとしていたなどと誤解されたくはないからだった。

 そんな綺麗なものでは決してない。

 自分はそんな綺麗なものでは決してないのだ。

 

 しかし自分のついた嘘のせいで、大鷹を驚かせてしまった。

 おそらくは、二、三隻程度なら、という希望に縋って、勇気を奮い立たせて助けに来てくれたのだろう。

 それが今、現実を見て心が折れかけている。

 二、三隻どころか十数隻。しかも一隻は姫級の潜水艦。

 大鷹は愕然とした表情で小さく震え、みるみるうちに顔から色が引いていった。

 怖いものなんてないという自らの啖呵を前言撤回しているのかもしれない。

 

 龍田は震える大鷹に、優しく耳打ちする。

 

「大鷹ちゃん、もうすぐ月が隠れるわ。そうしたら敵が一斉に攻撃してくる」

「えぇっ……! そ、そんな。一体どうやって回避すれば……それじゃあ敵の位置もわかりません……!」

「落ち着いて。夜の潜水艦は確かに怖いし、無敵と言ってもいいわ。でもね、決して魔法を使っているわけではないのよ?」

「ま、魔法?」

「そう。闇に紛れて見つけるのが極端に困難になるだけ……敵の本体も魚雷も見えなくなるだけで、確かにそこに存在する。爆雷が当たれば沈むし、避ければ魚雷は当たらない」

「そ、それはそうですが……!」

 

 大鷹は龍田の言葉の意味が理解はできたが、まったく理解できなかった。

 それはあくまでも理屈の話だ。理論上可能というだけで、実現できるかはまた別の問題だ。

 たとえ理論上可能であっても、実行不可能であればそれは理論上不可能なのと同じではないのか。

 敵艦を視認できない闇の中で爆雷は決して当たらないし、魚雷は決して避けられない。

 故に夜の潜水艦は無敵だと称されているのだ。

 励まされているのか。諦めろと現実を突きつけられているのか。

 大鷹にはわからなかった。

 

「大鷹ちゃんは回避に専念して。大丈夫、私の後ろにぴったりついてくればいいから」

 

 龍田さんは一体何を言っているのだろうか。

 大鷹はもう訳がわからなかった。

 気休めだろうか。空を見上げる。

 あぁ、もう時間が無い。もうすぐ月が完全に隠れてしまう。

 完全な闇が訪れる。完全な静寂が訪れる。

 

 龍田は月を見上げて場違いなほどに小さな溜め息を吐いた。

 

「……本当に、ひどい提督。まぁ、千代田ちゃんの件もあるし、そろそろ潮時だったのかもしれないわねぇ……」

「えぇっ、た、龍田さん! 潮時って、や、やっぱり諦めて……?」

『ヒヒッ! ヒヒヒヒッ! 言イ残ス事ガアレバ聞イテヤルヨォッ! 冥土ノ土産ニナァッ!』

 

 潜水新棲姫の甲高い声が辺りに響く。

 大鷹は恐怖のあまり涙目で龍田の背中に縋りついた。

 

「あら、優しいのね……。それじゃあ御言葉に甘えて、ひとつだけ聞いてもらってもいいかしら……?」

 

 潜水新棲姫は知らなかった。

 群狼の狩場に迷い込んできたのは兎なんて可愛いものでは決してなく。

 横須賀鎮守府の伏龍――昼行燈と称される軽巡洋艦であった事を。

 昼間ではなく、闇の中でこそ、強く輝く光である事を。

 

 潜水新棲姫は知らなかった。

 たった一人で迎え撃とうとしたのは、戦力が足りないからではなく。

 その方が彼女にとって都合が良かったという事。

 その姿が誰にも見られないように。

 万が一にでも、見られる事が無いように。

 完全な闇が訪れるのを待っていたのは龍田の方だった事。

 その姿が誰にも見られないように。

 万が一にでも、見られる事が無いように。

 

 潜水新棲姫は知らなかった。

 龍田の鬼門である潜水艦。

 なるべくなら、可能な限り戦いたくはない相手。

 鬼門である相手にこそ真価を発揮するような能力を彼女がすでに秘めていた事。

 そんな彼女に、ひどい提督が意地悪な事に、対潜装備を満載させてくれていた事。

 必ず生きて帰れという、大切なものを守れというメッセージ。

 それを受け取った龍田がすでに、今までの嘘がバレてもいいという気持ちになってしまっていた事。

 

 潜水新棲姫は、そして大鷹は知らなかった。

 彼女のその姿を見た者は、今まで一隻残らず、念入りに沈められていた事。

 その姿を見た相手は絶対に沈む。絶対に沈める――まるで呪いのような姿を龍田が秘めていたという事。

 彼女が本人にしか理解し得ないようなとても小さな事にこだわって、その姿を隠していた事。

 彼女がかつて沈めた相手の中に、別の個体の潜水新棲姫が存在した事。

 

 月が完全に雲に覆われる。

 龍田の艤装に灯る淡い光――それさえも消えて。

 墨汁をぶちまけたような、一寸先も見えない完全な闇と静寂の中。

 

 普段通りの鈴を転がすような龍田の優しい声色だけが――静かに奏でられたのだった。

 

「天龍ちゃんには内緒にしてね……? あの子すぐに()ねちゃうから……――『龍田改二』」




大変お待たせ致しました。

活動報告にも書きましたが、激務と噂される部署への異動がありまして、ますます遅筆に拍車がかかりそうです。
今のところは異動したばかりという事で残業も少なめですが、仕事中に遠征処理すらしにくくなってしまいました。
菱餅イベで削られた鉄とボーキが未だに回復しなくて辛いです。

世間はコロナで色々と大変な状況ですが、このお話が室内で過ごす中での暇つぶしの一助となれれば嬉しいです。

次回も艦娘視点になりますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。


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066.『覚醒』【艦娘視点⑤】

「右舷に敵艦隊を発見したわ!」

「よし、でかした暁!」

「ハラショー。やはり暁の索敵能力は信頼できる」

「と、当然よ!」

 

 天龍とヴェールヌイの誉め言葉に、暁は自慢げに無い胸を張る。

 暁の索敵能力は、もはや提督のお墨付きだ。

 一人前のレディに結びつくかはともかくとして、その能力の高さは疑いようもない。

 

「はわわ……暁ちゃん凄いのです」

「月に雲がかかって全然見えないわ。お子様なのにやるじゃない」

「お子様言うな! ぷんすか!」

 

 頬を膨らます暁に構わずに、天龍は闇の奥へと目を凝らしながら指示を出す。

 

「暁、探照灯だ」

「えっ。いいけど、位置がバレちゃうわよ。ちょ、ちょっと怖いかも……」

「敵の姿がちらっと見えりゃいい。確認したらすぐに消して構わねえよ」

 

 暁の改二状態の艤装には、神通改二や荒潮改二などと同様に探照灯が存在する。

 そのため、スロットをひとつ使わずとも常に探照灯を装備している状態なのである。

 しかし、探照灯を照射するという事は夜戦において的となる事と同義であり、暁は少しばかり萎縮してしまっていた。

 そんな暁に、(いかずち)がやれやれと肩をすくめながら呆れたような声をかける。

 

「暁もまだまだお子様ねぇ。探照灯といえば神通さんをお手本に戦えばいいじゃない」

「む、無理に決まってるでしょ! 神通さんは一人前のレディとかそんなんじゃないんだから! あれはもう(スーパー)……」

「暁ちゃんそれ以上は駄目なのです!」

「お前らちょっと黙れ。とりあえず暁はそれ絶対に神通の前で言うなよ。いいから早く照らせ!」

「りょ、了解!」

 

 暁が闇に向けて探照灯の光を照射すると、ほんの僅かに敵艦隊らしき姿が確認できる。

 瞬時に、敵艦隊もこちらに向けて砲撃を開始するが、どうやら射程外のようだ。

 ヴェールヌイは目を凝らしてその形状、オーラの色や濃淡を観察した。

 迫っているのは二艦隊。

 だが探照灯の光に反射的に反応し、射程外であるにもかかわらず反射的に砲撃を開始したことから、どうやら知性は高くない。

 敵影から推測するに、駆逐、軽巡級、それに加えて巨大な顎から直接人型の手足が生えている特徴的なシルエット。

 ほとんど人型の空母ヲ級の未成熟個体と言ったような風貌――軽母ヌ級が数隻。

 耐久も低く対潜攻撃も出来ない最下級の空母で、鎮守府近海でも見かけるのは珍しくはない。

 どうやらこれは敵本隊の増援ではなく、近海の深海棲艦を上級の敵艦がけしかけただけのようだ。

 そうでなければ、この時間帯に軽母ヌ級が活動しているのは有り得ない。

 

「よし、もう消していいぞ」

「ほっ……」

 

 暁は胸を撫で下ろしながら明かりを消したが、その安堵には敵艦隊が強力なものではなかったという事も含まれているのだろう。

 これくらいなら十分余裕で対処できるという自信が(いかずち)(いなづま)にも広がっていた。

 だが、天龍一人だけが何かを考え込みながら口を開かない。

 普段ならば我先にと突っ込んでいくところだ。

 それを疑問に思ったヴェールヌイは、航行を止めてその場に制止した天龍に声をかける。

 

「天龍、ちょっといいかい」

「あぁん? どうした響」

「……今の私はヴェールヌイだ。信頼できるという意味の名なんだ」

「春日丸もだけどいちいち名前変わんの面倒なんだよ。どっちでもいいだろ」

「信頼の名は伊達じゃないんだ」

「わかったわかった。ちゃっちゃと本題に入れ」

「ん……何か、気になる事でもあるのかい」

 

 ヴェールヌイの問いに、天龍は頭をぽりぽりと掻きながら答える。

 

「あー、何か妙だな。何かはわかんねぇが、妙な感じがする。暁はどうだ」

「そ、そう言われれば、嫌な感じがする、かも……?」

「ふむ……どちらの艦隊だい」

「この距離じゃはっきりしねぇな……」

 

 司令官のお墨付きを貰っている二人の勘だ。

 根拠は無くとも、それだけで十分に信頼できる――ヴェールヌイはそう思った。

 妙高率いる艦隊は、戦艦を含むような強力な敵艦隊を引き受けてくれている。

 これ以上こちらに手は()けないだろう。

 龍田、大鷹の帰りが遅いのも気にかかるが、都合よく帰ってきてくれる事は期待しない方がいい。

 そうなると、どう考えてもこの五人だけで対処しなければならない……。

 

 敵は二艦隊。

 一方は軽巡、駆逐が数隻の水雷戦隊。

 もう一方は駆逐に軽母ヌ級数隻。

 こちらも二手に分かれるとなると、数の上ではこちらが不利。

 だが、性能や質ではこちらが断然有利であろう。

 司令官への信頼が高まり、普段よりも力が漲るのを感じている。

 天龍と暁が予感している何かを除けば、余裕で対処可能。

 何より夜の軽母ヌ級はただの案山子(かかし)だ。

 見た目の数に惑わされてはならない。

 

 二手に別れるならば、やはり改二実装済の自分と暁、そして天龍、雷、電とするのが、一番バランスがいいだろう。

 それに雷の世話焼きなところは天龍と相性がいいし、攻撃の出来ない軽母相手なら、流石の天龍でも被弾しようがない。

 

 このまま待っていても時間は経つ。

 いずれ交戦するのは必然。

 ならば、次の増援が続々到着する前に対処する方が良いだろう。

 

「天龍。このままじゃ(らち)が明かない。ここは二手に別れよう。私と暁が水雷戦隊を、天龍は雷と電を率いて空母側を担当するのが最善だと思う」

 

 ヴェールヌイがそう進言したのは、決して天龍が弱いからだとか、頼りないからだとか、(あなど)っているからではない。

 他の駆逐艦の例に漏れず、ヴェールヌイも天龍の事が好きだった。

 龍田は羽黒の事を提督と似ていると評したが、ヴェールヌイは天龍もそうだと思っていた。

 もちろん、提督のあの常人離れした知性の事ではない。

 提督の弱さ。しかしそれでも、どうにも放っておけないところ。

 しょうがないなぁ、仕方ないなぁと言いながら、何とかしてやりたいと思うのだ。

 (いかずち)ほどではないが、ヴェールヌイもまたどうしようもなく天龍を補佐したいと思っていた。

 暁がリーダーで異論は無いが、第六駆逐隊のクールな参謀的ポジションは間違い無く自分だという自負も密かに持っている。

 クールに冷静に、時には冷徹に、最善の判断を下す事ができるのはこの場では自分しかいない。

 それは天龍もよく理解してくれているはずだ。

 

「ちっ……仕方ねぇな。虎穴に()らずんば何とやらって奴だな」

「そんな言葉を知っていたのか。ハラショー」

「天龍さん、凄いのです!」

「フフフ、まぁな……ってナメてんのかお前ら」

 

 方針は決定した。

 作戦通り二手に別れ、ヴェールヌイは暁と共に水雷戦隊の進行方向へと先回る。

 やがて再び月明かりが周囲を照らし、闇の中に敵影がくっきりと浮かび上がった。

 それはつまり、敵からもこちらの姿が見えているという事だ。

 

「暁、油断せずに行こう」

「わかってるわよ! やぁっ!」

「さて、やりますか。ウラー!」

 

 こちらの攻撃からワンテンポ遅れて、敵艦の砲撃が開始される。

 判断の遅さ、不正確さ――やはりどれも低級のそれだ。

 まさか懸念していた不安材料は天龍達の方に……? しかし最後まで油断はならない。

 敵艦隊にこちらの砲撃が着弾し、爆炎が上がる――瞬間、暁が探照灯を海面に向けて照射した。

 

「響っ! 何かいるっ⁉」

「――無駄だね」

 

 以心伝心。閃光の速度。

 暁が探照灯を照射したその瞬間には、ヴェールヌイはその先へと向けて砲撃を放っていた。

 水面をうねらせ飛沫を上げて飛び出してきたのは駆逐ナ級。

 低級の駆逐艦に気を取られている隙を狙って接近し、仕留めようという魂胆だったのであろう。

 油断していた口内に一撃を入れられたのは逆にナ級の方であったが、一撃で仕留めきれてはいない。

 策が失敗に終わった事で激昂したのか、駆逐ナ級は顎を固く閉じたままヴェールヌイに迫り来る。

 即座に追撃を叩き込むが、堅い装甲に弾かれてその勢いは衰えない。

 

「外側は硬いな……それならこれだ」

 

 ヴェールヌイは両脇の魚雷発射管を全てナ級に向け――引き付ける。

 他の敵艦を相手取っている暁の顔が青くなるくらいの距離まで引き付けたところで、駆逐ナ級は砲弾を撃ち込むべく大口を開け、口内から伸びる砲口をヴェールヌイに向けた。

 しかし、それこそが好機。

 

「――遅いよ」

 

 攻撃時には口内をさらけ出さなければならないナ級の弱点を瞬時に判断し、ヴェールヌイは即座に八発の魚雷を口内に発射した。

 数瞬遅れて、駆逐ナ級は口内から爆炎を上げ、甲高い叫びと共に海中へと崩れ落ちていく。

 ふぅ、と小さく息をつき、ずれた帽子の位置を直し、ヴェールヌイは怯えたような目でナ級の残骸を見つめている暁に目を向けた。

 

「他の敵艦は?」

「あ、暁が全部倒したけど……一人であんなの倒しちゃうなんて、なんか響の方が凄い感じ……全然落ち着いてるし」

「いや、暁のおかげだ。海中に潜む脅威にいち早く気付いた。私はそれに追随しただけ……流石は暁。実にハラショーだ」

「そ、そう? えへへ」

 

 その言葉はお世辞などでは無かった。

 暁が気付かなければ漆黒の海中に潜む駆逐ナ級に自分では気付かなかったし、言葉で伝えるよりも先に探照灯で正確に位置を示した判断が特に素晴らしいと思った。

 それと今の私はヴェールヌイだ、と言いたいところだったが、そんな時間も惜しい。

 天龍と暁が懸念していた脅威がこの場違いな駆逐ナ級であったなら一安心だが――。

 

「……! そう甘くはない……か」

「えっ、どういう事? この辺りに嫌な感じはもう無いけど……」

「脅威はどちらの艦隊にも潜んでいた、という事らしい。しかも……かなり最悪だ」

 

 その言葉を聞いて、暁の背筋にぞくりと悪寒が走る。

 消えてなんかいない――嫌な感じ。

 恐る恐るヴェールヌイの視線の先を追った暁の目に――必死の形相でこちらに向かってくる雷と電の姿が飛び込んできたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 現在、姿が確認されている軽巡艦娘の中で最も弱い者はと問えば、十中八九が天龍と答えるだろう。

 残りの一、二割はおそらく天龍の存在を知らないだけだと言ってもいい。

 性能面で見るならば間違いなく最底辺。

 

 旧式であるが故に仕方の無い面もあるのだが、ほぼ同性能である姉妹艦の龍田はその性能の低さを驚異的な戦闘センスで補っているという事を、知っている者は知っている。

 それとは逆に、羽黒はその性格が足を引っ張り、本来の高い性能を十分に引き出す事が出来ていなかった。

 艦娘とは単に艦であった頃の性能だけではなく、それ以外の要素も強さを左右するという対称的な事例だ。

 

 一方で天龍はと言うと、悲しいことに戦闘センスも皆無に等しい。

 そこまで言うと失礼だと思うかもしれないが、事実、彼女の戦闘スタイルを例えるならば子供の遊びだ。

 真剣を携え、技を磨き上げた侍のごとき神通に比べれば、気分のままに刀を振り回すチャンバラ。

 そこに技術は一切無い――子供の遊び。

 ただひたすらに。本能のままに、我武者羅(がむしゃら)に。

 単純で一本気な気質を現すとおり、吶喊(とっかん)と共に前へ出る。

 そして大概、返り討ちに遭う。

 

 だというのに、天龍は自分の事を強いと信じて疑わない。

 論破しようと考える大人げないものはいなかった。

 艦娘の性格は十人十色。全員が軍人肌かと言えばそうではない。

 横須賀鎮守府で言えば羽黒や潮、佐世保鎮守府で言えばガンビア・ベイのような、一見して戦闘に向かないような気弱な性格の艦娘は多く存在する。

 彼女達にもっと軍人らしくしろと叱咤(しった)しても、何の意味も無いのと同じように。

 天龍は「自分の事を強いと思い込んでいる」――それ以外に理由は無いのだ。

 

 それでもまだ夢や理想に真摯に向かい合っていればまだマシだ。

 この海に平和を取り戻すために! と。

 弱い自分が悔しい! と涙を流していればまだ艦娘としておかしくはない。

 

 天龍は違う。

 もちろん、平和のために戦っている事に疑いようはない。

 しかし、天龍にとってそれは二の次であり、戦いそのものの方を重要視しているのだ。

 川内や那珂のように、戦いを楽しんでいる艦娘は少なくないが、それでも彼女達は任務や作戦の成功ありきだ。

 それが大前提。

 

 だが、天龍は「いい戦いが出来るかどうか」しか見えていない。

 故に、自身の大破により作戦が失敗してもあまり気にしない。

 大破したという結果よりも、その過程。

 勝とうが負けようが、その戦闘自体が楽しめたかどうかの方が、彼女にとっては重要なのだ。

 勝つに越した事はないが、積極的に勝ちたいとも思っていないから成長もしない。

 

 最弱の戦闘狂という笑えない冗談のような個性。

 故に、天龍は艦隊司令部の一部の者から艦娘失格、不良品のレッテルを貼られている。

 

 そんな天龍は、何故か駆逐艦達からの人望は厚い。

 第六駆逐隊はもとより、全くタイプが違う朝潮や夕雲などにも慕われている。

 そして何故か、駆逐艦を率いた時の戦績は悪くない。

 天龍自身は大体が中大破しており、駆逐艦よりも使えないとすら罵られることも珍しくは無いのだが。

 本人の戦闘スタイルも含め、ガキ大将タイプと例えるのが最も適当かもしれない。

 適材適所。最終的には龍田と共に駆逐艦を率いて遠征部隊として出撃するのが最適だという事になり、他の鎮守府とのバランスなども考慮された結果、最弱軽巡との評価にもかかわらず精鋭揃いの横須賀鎮守府に未だに在籍しているのであった。

 

 単純そのものといった天龍だが、そんな彼女を真の意味で理解できている者はただの一人も存在しない。

 姉妹艦の龍田でさえ、そして本人でさえ、彼女の単純(シンプル)で複雑な思考回路は理解できていないのだ。

 

(いかずち)様の攻撃よ! てぇーっ!」

「なのです!」

 

 互いの射程まで接近し、砲撃戦が開始される。

 敵艦隊には駆逐ロ級が僅か一隻。残りは全て軽母ヌ級だ。

 昼戦ならば脅威となりかねない編成だが、夜戦においてはただの的だ。

 駆逐艦さえ沈めてしまえば完全に無力化できる。

 

 だが――嫌な予感は接近すればするほどに実感に変わっていく。

 そして駆逐ロ級が爆散し、天龍がその正体に気付き、()()が動き出したのはほとんど同時だった。

 

「――くそッ! 小賢しい真似しやがってっ!」

「て、天龍さん? 何を――」

 

 雷の言葉が途中で止まったのは、その答えが目に見えて理解できたからだ。

 まるで大樹に留まっていた小鳥の群れが瞬く間に羽ばたいていくように。

 軽母ヌ級数隻の中の一隻から、単眼の鳥のような艦載機が一斉に放たれ、闇に同化して消える。

 よく見れば、よく目を凝らせば、ただ一隻だけが明らかに異様な雰囲気を纏っていた。

 

「嘘でしょ……軽母ヌ級flagshipだなんて」

「それならまだマシだ! あれは多分、軽母ヌ級()flagship……ヌ級系統で最強の奴だ!」

「えぇっ⁉ そんなの……報告書でしか見た事がないわ!」

 

 軽母ヌ級改flagship。

 鎮守府近海に存在する軽母ヌ級とほとんど同じ姿をしていながら、全く似て非なる存在。

 その耐久性能はなんと()()ル級flagshipさえ凌駕し、空母ならではの高火力に加えて()()射程。

 更には対潜性能も高く、夜間攻撃能力すら兼ね備えているという馬鹿げた()()()だ。

 鬼級でも姫級でもないのにこの性能――もしもコイツを設計した神のような存在がいるならば、そいつはちょっと頭がおかしい。ヌカス死ね。

 そう艦隊司令部の誰かが愚痴をこぼした事すらあるという。

 

「はわわ! 対空戦闘用意なのです! 急いで輪形陣を……あっ!」

 

 電は自分達の現状に気付き、口元を押さえた。

 対空戦闘において有効な陣形――輪形陣。

 しかし輪形陣は最低でも五人いなければその効果を十分に発揮できない。

 たった三人では陣形など何の意味も無いのだ。

 つまり、こちらが二手に別れて迎撃することすらも、陣形を展開できなくするための敵の罠。

 長超射程を誇るにもかかわらずここまで接近したのは、射程外への逃走の可能性を確実に潰すため。

 木を隠すなら森の中――最下級の軽母ヌ級に紛れ、オーラを周到に隠してまで。

 二重、三重に張り巡らされた、あまりにも用意周到な策――改flagshipとはいえ知能の低いヌ級に立案できるものでは到底無い。

 そこから先は考える暇など無かった。

 

「ちっ……お前ら全力で離脱して暁たちに合流しろ! その後は四人で妙高たちに合流! 後は妙高の指示に従え!」

「えぇっ⁉ て、天龍さんは」

 

 雷の言葉に、天龍は刀を模した艤装を鞘から抜き、背を向けたまま答える。

 

「オレはこっから先は好きに戦わせてもらうぜ」

「そんな、そんなの駄目なのです! 電たちを逃がすために……」

「あぁ? 勘違いしてんじゃねーよ。犠牲だとか時間稼ぎだとか、そんな難しい事オレが考えられるとでも思ってんのか?」

 

 涙ぐむ電に構わず、ニィと歯を見せて、天龍はいつものように好戦的な笑みを敵艦隊に向けた。

 

「オレはいつだって自分がそうしたいように戦ってきた。今までも、そして今もな。死ぬまで戦えりゃあそれでいい。ヒリヒリしてきたぜ……! この感じ、たまんねぇよなぁ!」

「天龍さん……!」

「行けぇ‼」

 

 返事も待たずに、天龍は全速で敵艦隊へと駆け出した。

 天龍の言葉に嘘は無かった。

 戦闘のその先にある勝利と敗北、生存と轟沈という結果にほとんど興味は無い。

 犠牲になるつもりはないし、雷たちが逃げ切るまでの時間稼ぎをするつもりも無い。

 結果的にそうなるかもしれないが、そんな事は天龍には知った事ではなかった。

 今、目の前にある戦い。それだけが全て。勝ち筋を論理的に探る事のできない刹那的な思考――それこそが天龍の弱さのひとつだった。

 だが、天性の勘と眼力による無意識の判断力――それこそが天龍の強さのひとつでもあった。

 

「オラオラオラァ! 天龍様のお通りだぁーーッ‼」

 

 天龍はまるで自分の位置を伝えるかのように叫びながら、一直線に敵艦隊への距離を詰め、砲撃を続ける。

 軽母ヌ級改flagshipは確かに脅威だ。だが、その周囲の軽母ヌ級は攻撃のできない案山子(かかし)である事に疑いようはない。

 盾の役目も果たしているのであろうが、天龍の連撃が命中すれば容易く撃沈する事が可能だ。

 

 逃げる雷と電の背を上空から見下ろしていた敵艦載機が、一斉に向きを変えて天龍に迫る。

 嘴の代わりに人間のような歯を揃えた単眼の鷹。異形の艦載機は上空から次々に天龍に爆撃を開始する。

 この場で最も優先して片付けなければならない相手が天龍であると判断したからであった。

 

「はっはぁーっ! 怖くて声も出ねぇかぁ⁉ オラオラ!」

 

 天龍は敵艦載機に見向きもせずに、目の前の敵艦隊に突っ込みながら砲撃を続ける。

 時に右、時に左、あるいは一直線に進路を変えながら進み、それは不思議と敵艦載機の攻撃を紙一重で回避していた。

 天龍の側頭部に浮いている角のような艤装と関係があるのかはわからない。

 ただ、天龍自身は単純に、勘で進路を変えているに過ぎなかった。

 だが、物量の暴力――敵艦載機が天龍の進行方向全てを潰すように攻撃をしたならば。

 

「ぐわぁぁーーっ⁉」

 

 天龍を巻き込んで爆炎が上がる。

 当たり所が悪ければ戦艦さえも一撃で大破まで追い込まれる事も珍しくはない攻撃を受けて。

 幸運な事に、非常に幸運な事に、天龍はギリギリ大破寸前の中破状態で踏みとどまっていた。

 二門の砲塔がひとつ潰れてしまい、火力は半減。

 刀を杖代わりにしようとしたが、ぽっきりと折れて半分ぐらいの長さになってしまっている。

 仕方なく二本の足でフラフラと立ち上がり、まだ航行できる事を確認してニッと笑う。

 

「へ、へへへ……このオレがここまで剥かれるとはな……いい腕じゃねーか、褒めてやるよ」

 

 追い込まれたとは思っていなかった。まだ動けるからだ。

 万全ではないが、自分のやりたい事はまだやれるからだ。

 天龍は愚直に、それしか見えていないかのように前へ進む。

 次々に降り注ぐ爆撃の雨を潜り抜け、吶喊(とっかん)と共に砲撃を続け、砲弾を追いかけるように前へ、前へ。

 木を隠す森――軽母ヌ級の盾を全て沈めた頃には、軽母ヌ級改flagshipは目と鼻の先にまで接近しており――。

 

「うっしゃあッ!」

 

 速力に体重を乗せ、折れた刀で軽母ヌ級改flagshipを切りつけた。

 しかし、効かない。まるで分厚いタイヤを切りつけたような手ごたえ。

 重巡や戦艦の砲撃でさえも上手く当てなければなかなか沈められない装甲を持つのだから当然だが――。

 

「へへ……お前さては、オレ以上の馬鹿か……? せっかく長ぇ射程持ってんのによぉー、わざわざあそこまで近づけてくれるなんてよぉ……! おかげで沈む前にここまで接近できたぜ!」

 

 軽母ヌ級改flagshipはボロボロの天龍を攻撃しようともせず、全速力で後退する。

 だが、天龍はすでに動いていた――敵に両腕を回してしがみつき、密着する。

 背中の艤装から伸びる残った一門の砲塔が、がちりと敵艦の頭部に向けられた。

 

「この距離なら自慢の艦載機も使えねぇよなぁ! 喰らいやがれぇーーっ‼」

 

 まるで扉を叩くような零距離から一撃、二撃、三撃――身体に残った砲弾を全て打ち尽くす勢いで絶え間なく叩き込む。

 空母が最も苦手とするのが超接近戦。砲や魚雷の射程以上に接近し、目と鼻の先に迫った際の戦いだ。

 深海棲艦は下級のものならばその大顎で噛みついたり、人型のものであれば格闘戦に持ち込む事も可能だ。

 長門も資源が尽きた際の最後の手段として敵艦と殴り合ったりしているが、艦娘も深海棲艦も、その攻撃手段を艦載機に頼っている空母はそれが非常に不得手なのだ。

 そこまで天龍は考えていなかったが、感覚的にそれが最善だと判断した。

 

 先ほどまで脅威であった敵艦載機は天龍を攻撃できずに上空を旋回している。

 ここまで接近されてしまうと、もはや艦載機による攻撃は自分も巻き込んでしまうからだ。

 軽母ヌ級改flagshipは全ての艦載機をその頭部に着艦させ、目の前の天龍を振り払う事に全ての力を使う。

 すでに中破まで追い込んでいる。振り払うのは容易なはず。

 艦娘がそうであるように、深海棲艦も全てが女性型しかいないと推測されているが、それにしては武骨な太い腕を天龍の脇腹に何度も叩き込む。

 

「ガハッ! グッ……グゥっ……! へっ、効かねぇな! 腰が入ってねぇんだよ腰がよぉ! オラオラオラァッ!」

 

 零距離まで密着されている事、空母の格闘戦の不得手さによるものか、効いてはいるが有効打とはなっていない。

 だが絶え間なく撃ち込まれる天龍の砲撃も、中破しており火力が落ちているため決定打にはならない。

 しかし正直に言えば、天龍の言葉は痩せ我慢であった。

 本音を言うならば、殴られるたびに肋骨に激痛が走る。今すぐにでも掴みかかる腕を解いてのたうち回りたいくらいだ。

 そして戦艦以上の耐久力を持つ軽母ヌ級改flagshipの装甲の前には、今の自分が何十発、何百発の砲撃を叩き込んでも中破まで追い込む事は不可能であろう。

 ――そう判断した天龍の判断は早かった。

 

「これなら……どうだぁーーッ‼」

 

 軽母ヌ級改flagshipの頭部かつ胴体は大顎のような形状をしており、その中から艦載機を発艦させる。

 つまり、その口腔内が格納庫になっているはず。

 だからこそ、この大顎で噛みつきにこない。

 何故ならその奥には――!

 

 天龍は敵の大顎をこじ開けて砲塔を奥へと無理やり押し込み、再び砲撃を再開した。

 同時に、明らかに軽母ヌ級改flagshipは動揺し、なりふり構わず暴れまわるように天龍に拳を叩き込み始めた。

 その度に脇腹から全身の骨を砕かれるような激痛が走り回り、喉の奥から血ヘドが湧き上がる。

 

「うぐっ! ガハッ‼ へ……離してほしいか……? 別にいいぜ……テメェの艦載機全部ブッ潰したらなぁ! オラオラオラァーーッ‼」

 

 格納庫の中の艦載機そのものを超至近距離から攻撃されるという初めての経験。

 敵の逃亡を防ぐために近距離まで誘い込んだ事が原因だとはいえ。

 想定していない戦い方。馬鹿にしかできない戦い方。

 このまま潰されてしまうよりは。

 軽母ヌ級改flagshipは格納庫から一機の艦載機を発艦させ、そして――。

 

「なっ――⁉」

 

 瞬間、天龍のすぐ背後で爆発が起こる。

 熱。轟音。爆風。焼ける背面。水柱、飛沫。

 この至近距離で自分ごと爆撃――⁉

 艤装はさらに損傷し、唯一残っていた最後の砲塔も折れてしまう。

 大破――身体が言う事を聞かず、ついに天龍は敵艦から腕を離してしまった。

 

 軽母ヌ級改flagshipも衝撃に巻き込まれたとはいえ、皮肉にも密着していた天龍が盾になってしまった。

 更には戦艦の砲撃さえも耐える装甲も兼ね備えており、いかに至近距離での爆撃とはいえ、致命傷にはほど遠い。

 駆逐ナ級と同様に口腔内が弱点だったのか、天龍の砲撃すら小破程度にまでは削れていたが、艦載機の発艦には支障が無い。

 その戦闘力は未だ脅威。

 天龍は全身の力を振り絞って立ち上がろうとしたが、仰向けに倒れてそのまま動けなくなってしまった。

 

 軽母ヌ級改flagshipはどんどん距離を離していく。

 不用意に天龍を近づけてしまったせいで痛い目を見た事を反省したのか、その超長射程を活かせる距離まで離れるつもりだろう。

 

「へっ……肉を切らせて骨を断つってか……オレより頭悪いくせに……気合入ってんじゃねぇか……へへへ……」

 

 夜空を見上げて、天龍はいつものように笑い、思う。

 もう指一本動かせねぇ。

 砲は二門とも根元からブチ折れてしまったし、刀も折れて、肋骨も折れて、多分両足も折れている。

 折れてねぇのは心だけだ。

 

「ちっ……これじゃあ前にも後にも進めねぇな……龍田、悪ぃ……先に、逝くぜ……」

 

 目を瞑り、大きく息をつく。

 アイツが十分に距離を取ったら、後は艦載機が飛んできてお陀仏か。

 でも、まぁ……満足だ。

 最高の戦いだった。いい戦いだった。

 ギリギリの攻防。アイツに覚悟が無ければ全ての艦載機をブッ潰して無力化できていただろうが、そうはならなかった。

 ありゃあ明らかにまともなヌ級じゃねえ……気になる事はあるが、考える時間もねぇし……。

 とにかく負けちまったが、最高に楽しい戦いだった――。

 

『――旗艦のお前が六駆の皆を守ってやってくれよ。特に暁は怖がっていたようだったから……』

 

 ……提督との約束も、まぁ守れただろう。

 まぁ、守ろうとしたわけでもなく、結果的にそうなっただけだが……。

 妙高たちに合流できれば、軽母ヌ級改flagshipも敵じゃないはずだ。

 一人でも大破したら撤退って事だったが、轟沈しちまったらもう帰投する意味もねぇもんな。

 オレ一人いなくなっても、アイツらだけなら十分戦えるだろう。

 

『――天龍……本当にありがとうな』

『いや、こんなにボロボロになってまで戦ってくれたお前を背負っていたら、何だかな……申し訳なくてな。自分が情けなくなる』

『お前がそれでいいなら何も言わんが、頼むから轟沈だけはしないでくれよ。できればこんなにボロボロな姿も見たくは無いのだ』

 

 あぁ、そういやそんな事も言ってたっけ。

 着任した初日、大破したオレを背負いながら……。

 この約束は守れなかったが……まぁ、こればかりはオレには無理な相談だった。

 提督には悪いけど……。

 

 イムヤの時みてーに、また泣いてしまうんだろうか。

 オレなんかのために……。

 オレは別に後悔も思い残すことも無いけど……それはなんか嫌だな。

 悪い事しちまったな……でもまぁ、今のところ六駆だけは守れたはずだからよ、そこだけは……褒めてくれよな……。

 

「天龍さん!」

「天龍さぁんっ!」

 

「あ……?」

 

 ぽたり、と天龍の頬に熱い水滴が落ちる。

 瞼を開けば、涙目の雷たち四人が天龍を囲んで見下ろしている。

 天龍は思わず身体の痛みも忘れて目を見開き、声を張り上げた。

 

「お前ら……っ⁉ 馬鹿っ! こんなとこで何やってんだっ!」

「だって天龍さんがぁ……」

「早く逃げろっ! もう艦載機がこっちに向かってるっ!」

「天龍さんを置いていけないのです……!」

「馬鹿っ! 言うこと聞けよ! 暁っ! オレは旗艦だぞ!」

「嫌、いやぁ……! 天龍さん、死んじゃいやぁ……やだぁ……!」

「響っ! 何お前も一緒になって……!」

「……妙高には報告してる……合流できれば護衛退避が出来る……!」

 

 天龍の言葉も意思も無視して、雷たちはべそをかきながら天龍を抱え始める。

 指一本動かせないが、天龍は頭を抱えて掻きむしりたくなった。

 このクソガキ共……! 最悪だ。なんで旗艦のオレの言う事を聞かないんだ。

 もう艦載機がこっちに向かってきている。

 超長距離射程圏内からの離脱はもう間に合わないだろう。

 このままじゃ一網打尽。五人纏めて轟沈だ。

 せっかく、このオレがせっかく……!

 マジで最悪だ。もう心残りは無くなったってのに……!

 提督との約束を守れたと思っていたのに‼

 

「くそっ……どいつもこいつも……!」

 

 オレ自身はどうなってもいい。

 でもコイツらは駄目だ。コイツらが沈むのはオレが嫌だ。

 オレが旗艦になった以上は、絶対に守らなきゃあならない。

 

 あぁ、くそっ。提督よ。

 認めるよ、認めてやる。

 オレの性分的に大破するなってのは無理な相談だったが、それでも悪くなかった。

 お前に背負われるのは悪くないと思った。

 心配されるのは、泣かれるのは悪くないと思ったんだ。

 生きて帰るっていいなって思ったんだ――。

 

 旗艦に任命してくれて嬉しかった。

 コイツらだけは守りたかった。

 お前との約束も守りたかったんだ。

 

『ったく、わかってねぇな……オレは強くなりてぇなんて思った事は一度もねぇよ。フフフ……何故なら元々強いからだ』

 

 ――あぁ、そうだ。

 オレは強い。十分に強い。

 今の強さに満足していた。

 オレ一人が戦いを楽しむ分には、これ以上の力はいらないと思っていた。

 今まではそれだけで十分だと思っていたんだ。

 オレはそれだけで満足だったんだ。

 だが、コイツらを守るためには。

 お前を泣かせないためには。

 今の強さじゃ足りないっていうのか。

 

『――欲し、望まない限り人は成長しない。何かを成す際に、モチベーションというのはとても大切なんだ。話を聞く限り、天龍は自分の強さにすでに満足しているだろう? 満ち足りているのにそれ以上を求める必要は無いし、求める事は出来ない……と、私は思っている。天龍が自分の強さに満足しているのなら、これ以上強くなる必要は無いんだ』

 

『――つまり、天龍本人が満足しているのなら、お前がいくら急かしても意味が無いんだ。逆に天龍自ら、更に力を欲し、望んだのであれば、その時自然に成長するはずだと思う……焦らなくてもいいんじゃないか?』

 

 この天龍様が初めて願う。

 ヤベぇんだよ、このままじゃ駄目なんだよ。

 今のオレの強さじゃ駄目なんだよ。

 ――もっと強くなりてぇ。

 

 だから提督、提督よ。

 お前を泣かせないように頑張ってやるから。

 お前の望み通り駆逐共を守ってやるから。

 お前が言うなら、なんだってやってやるから。

 だから提督。頼む、頼むよ。力をくれ――。

 

 あのクソッタレの装甲をぶち破る砲はいらない。

 どんな相手でもぶった切る刀もいらない。

 矛はいらない。盾が欲しい。

 最強の盾じゃなくていい。最低限使い物になればいい。

 オレ一人が戦いを楽しむための力じゃない。

 万能じゃなくてもいい。

 これからも役に立つ力じゃなくてもいい。

 どんな場面でも使える力じゃなくてもいい。

 これからオレが使い物にならなくなってもいい。

 弱いと蔑まれてもいい、笑いものになってもいい。

 今だけでいい。今を乗り切れればそれでいい。

 今この場面、この瞬間、この窮地、上空から迫り来る脅威を排除する力。

 自分の事は二の次でオレを助けに来やがった、命令違反のクソガキ共を守るための力を‼

 

「敵の艦載機が頭上に!」

「対空射撃っ!」

「くっ……駄目だ、仕留めきれない……!」

「いやぁーーっ!」

 

 漆黒の夜空から次々に急降下してくる敵艦載機。

 その足には命を破壊し尽くす爆炎の種が握られて――。

 

 

 ――――

 

 

 ――

 

 

 軽母ヌ級改flagshipは爆炎によって赤く染まる夜空を遥かな距離から見つめていた。

 数秒遅れて爆発音が届き、そして違和感に気付く。

 想定よりも多くの艦載機が破壊されている――?

 絶え間ない対空砲火と空を割く掃射音。

 あの攻撃で仕留められていない――?

 命中する軌道のものだけ撃ち落とされた?

 いや、あれは――奴は。

 

「――遠いし暗いしよく見えねえけどよぉー……」

 

 対空砲火が止んだ。

 破壊された艦載機から上がる爆煙。

 奴らの周囲への爆撃が起こした水飛沫。

 そして奴自身の艤装が纏う硝煙。

 何故――?

 爆撃が命中する寸前のあの閃光は、あの爆風は、一体なんだ――?

 一体、何が起きた――?

 

「『何が起きた?』……いや、『何だお前は?』って顔してんだろ。どこが顔だかわかんねーが、オレにはわかるぜ――教えてやるよ」

 

 確かにへし折ってやったはずだ。

 二門の砲塔も、その刀も、両足も、肋骨も。

 服も何もかもボロきれのようになっていたはずだ。

 その肩に担いでいる太刀は何だ。

 傷一つない制服は何だ。

 銀色に光る八門の高角砲は何だ。

 さらに肉付きの良くなったその身体は何だ。

 何だ――()()()()()――?

 

 四人の駆逐艦の視線を浴びながら、その中央で威風堂々と立つその姿。

 刀身が伸びて太刀のようになった艤装を右肩に担ぎ。

 彼女は普段通りの不敵な笑みを浮かべ――自信満々に言葉を続けたのだった。

 

「オレの名は天龍……『天龍改二』――フフフ……怖いか?」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「て、天龍さんが改二に……!」

「ハラショー……」

 

 見惚れる第六駆逐隊の四人をじろりと見降ろして、天龍はその太刀の背で頭をゴンゴンと叩く。

 

「あうっ⁉」

「ひゃっ⁉」

「はにゃっ!」

ボーリナ(痛い)……」

「この馬鹿共がっ! 死んだらどうすんだっ! 次に命令違反したらただじゃおかねーぞ!」

「ごめんなさーい……」

「くそっ、ちゃっちゃと涙拭けっ! そんなんじゃ対空射撃どころじゃねーだろ。まだ全然危機から切り抜けてねーんだからよ」

「それなら格好つけてる余裕もなかったんじゃないのかい」

「うるせーよ。あぁいうのは気持ち的に大事なんだよ。皆やってる」

 

 ヴェールヌイの帽子を押さえつけながら見上げれば、五人の上空には敵艦載機が攻撃の機会を窺っている様子だ。

 漆黒の機体が夜空に同化し、その位置はほとんど目視できない。

 すぐに攻撃に移らないのは、軽母ヌ級改flagshipが天龍の変貌を警戒しているからか。

 

「天龍さんどうするの? 改二になってもこの雷を頼っていいのよ?」

「たりめーだろ。せっかく五人揃ったんだからな……輪形陣っ! 対空戦闘用意っ!」

「了解っ!」

 

 天龍を中心に輪形陣を展開したと同時に、上空の敵艦載機が攻撃態勢に移る。

 急降下してくる艦載機の気配――天龍には何故か、それがわかるような気がした。

 改二と共に掴んだ新たな力――対空能力。

 敵艦本体を貫く力ではない。

 手の届かない空から迫り来る脅威を穿(うが)ち、艦隊を守るための力。

 彼女が望んだのは、陣形を組んでこそ本領を発揮できる力。

 自分一人では活かせない力。

 

「オラオラオラオラァーー! 撃ち落とされたい奴からかかってこいやーーっ!」

 

 八門の高角砲から絶え間なく放たれる対空掃射。

 それは弾幕の壁となり、敵艦載機の逃げ場を塞ぐ。

 闇夜の中でまるで花火のように、次々に爆発が轟いた。

 

「ハッハッハーっ! これこれ! こういうの欲しかったんだよ! 提督よ、オレをこんなに強化しちゃって大丈夫かぁ?」

「す、凄い……あれ? なんかこっちに……」

「き、来てる来てるっ!」

「結構普通に撃ち漏らしてるのです!」

 

 悲しいかな、それでも天龍の対空能力は元々の低い戦闘センスや性能(スペック)もあり、最上級とは言えるものではなかった。

 子供のチャンバラは未だ健在――敵艦載機の位置や軌道はその能力で大まかに把握できていたが、精密な狙いはつけずにひたすら撃ちまくる。

 提督への信頼による底上げがあってなお、防空駆逐艦・秋月型や、海外の防空巡洋艦のそれに比べれば見劣りのするものとしか言えないだろう。

 しかし、それでも――。

 

「ちまちま狙いつけてる暇はねぇんだよォーーっ! 響ッ‼」

ハラショー(了解)

 

 天龍の撃ち漏らした敵艦載機を、ヴェールヌイが冷静に撃ち落とす。

 ほぇー、と間抜けに息を吐いた暁たちに構わず、独り言のように口を開く。

 

「ふむ。下手な鉄砲も何とやら……実に強力な対空射撃だが、まだ補佐する余地はあるらしい。天龍の対空射撃はほとんど狙いをつけない分、反応の速さと弾幕の広さ、厚さでカバーしている。撃ち漏らした分は私達で撃ち落とせばいい。そういう事でいいかい?」

「下手な鉄砲ってのが気になるが……フハハ! そうこなくっちゃなぁ! オラオラオラァ!」

「なるほどなのです!」

「つまり雷を頼ってくれてるのね!」

「一人前のレディの得意分野よ!」

 

 その瞬間、歯車ががちりと噛み合ったかのように、五人からなる水雷戦隊の防空性能は倍増した。

 天龍の持つ鼓舞能力により、第六駆逐隊の士気はこれ以上ない程に湧き上がる。

 天龍改二の対空能力――提督への信頼により、それもまた空間把握能力、威力、精度ともに向上しており、下手な鉄砲にもかかわらずほとんどの艦載機を撃墜していた。

 それでも撃ち漏らしたものは、輪形陣を組み、四方を固める駆逐艦が確実に撃ち落とす。

 敵が軽母ヌ級改flagship一隻のみであり、対空戦闘にのみ専念できるからこそ可能な戦法であったが、敵艦載機の数は確実に削られていた。

 

「――しまった……! 敵機直上っ!」

 

 天龍が撃ち漏らした一機をヴェールヌイが更に撃ち漏らす。

 当たったはず、いや、挙動がおかしい――撃墜寸前まで追い込まれて、自分もろとも特攻する気か。

 猛烈な勢いで頭上から急降下してくる敵機、どうする、駄目だ、間に合わ――

 

「――オラァッ!」

 

 横薙ぎ一閃。天龍の太刀が敵機を一刀両断し、弾かれてそのまま爆散する。

 対空射撃をしながら器用な芸当。

 そう、天龍は片目に眼帯をつけているにもかかわらず、意外と視野が広い。

 眼力というよりも、もはや肌で感じているのかもしれない。

 対空に秀でた改二が実装された事と、あの司令官に与えられた力の賜物か。

 司令官への信頼が今までの常識を覆すような力をもたらしてくれる事はもはや周知の事実だ。

 

「スパシーバ」

「おう!」

 

 捨て身の特攻も失敗。

 ――厄介だ。これ以上相手をするのは、あまりにもメリットが無さすぎる。

 今までの奴らならともかく、防空性能だけに全てを賭けたような姿となった天龍を相手に、空母が単騎で挑む必要も無い。

 こちらの装甲を穿つような火力は、あの艦隊は持ち合わせていないようだ。

 だが、このままでは全ての艦載機を撃墜され、自分は攻撃手段を失ってしまう。

 負けはしないが、勝ちもしない。

 ここは一度退いて、対空能力に長けていない別の獲物を狙った方が良いだろう。

 

 軽母ヌ級改flagshipがそう判断したのか、動きを見せた瞬間――。

 

「これ以上……やらせません!」

 

 一撃、二撃――予想だにしない方角からの砲撃。

 攻撃の主は羽黒。

 気が付けば、天龍たちに気を取られている内に接近を許してしまっていたらしい。

 自慢の装甲に亀裂が入り、その火力に驚愕する。

 これが――重巡の火力なのか?

 天龍といい、お前といい、一体どうなっているんだ、この艦隊は――。

 

「羽黒、筑摩さん! 三艦一斉射撃! 撃ちます! てーっ!」

 

 妙高の声に合わせて、羽黒、筑摩の砲撃が次々に叩き込まれる。

 中破、そして大破まで追い込むも、それでもまだ沈まない。

 

「流石の耐久性能……致し方ありません。なるべく鬼級以上にしか使いたくないのですが……」

 

 妙高はその太腿に装備された四連装酸素魚雷の発射管を軽母ヌ級改flagshipに向ける。

 羽黒の持ち味がその砲撃火力ならば、妙高の奥の手はその雷撃火力。

 今までの大規模侵攻において、何隻もの鬼級、姫級の深海棲艦を沈めてきた切り札。

 勢いよく放たれた八発の魚雷は海を割らんばかりの爆速で進み、そして――直撃した軽母ヌ級改flagshipはついに爆散し、海の中へと崩れ落ちる。

 同時に、本体を失った敵艦載機もコントロールを失い、爆散して次々に墜ちていった。

 

「や、やったぁーーっ!」

「助かったのです!」

 

 両手を上げて喜ぶ六駆の三人に、ヴェールヌイだけが帽子の位置を直しながら「ハラショー」とクールに呟く。

 それを見やりながら、天龍は大きく息を吐いてまんざらでもなさそうに笑みを浮かべた。

 

「ったく、やれやれだぜ。何とか切り抜けたか」

「天龍ちゃん……!」

「あ?」

 

 声のした方向に振り向くと、龍田が泣きそうな笑顔で向かってきていた。

 潜水艦を片付けて、急いで戻ってきたのだろう。

 龍田が息を切らせている姿なんて、滅多に見られるものではない。

 

「天龍ちゃん……! その姿……!」

「おう! オレにもついに改二が実装だ! 提督のおかげだぜ! へへっ」

「提督の……そう、そうなの……! 良かった、待ってた、本当に……!」

「ん? それより龍田、お前こそ、その姿……」

「あっ。こ、これは、そのね? 実は……」

 

 龍田もまた、天龍と対になるような装束に身を包んでいた。

 天龍の艤装が白銀の意匠であるのと対称的に、龍田の艤装は黄金の意匠で飾られている。

 天龍の刀と同様に、龍田の薙刀のような艤装も長く大振りになっており、身体の肉付きも天龍と同じく肉感的になっているような印象を受けた。

 何故か、何かを言いよどんでいる龍田であったが、天龍は目を輝かせ、がしりとその両肩を掴んで言葉を続ける。

 

「おいおい、まさかお前にも改二が実装されたのかよ! なんだよ、お前も提督のおかげかぁ~?」

「ハ、ハラショー!」

「えっ」

 

 龍田が周囲を見回すと、天龍や第六駆逐隊だけではなく、いつの間にか妙高たちも合流していた。

 天龍と六駆の目は何かを期待しているかのようにキラキラと輝いており、一瞬龍田の表情は固まってしまったが、すぐにいつもの朗らかな笑顔に戻る。

 

「えぇ、そうよ~。提督のおかげよ~」

「やっぱりそうかよ! フフフ、やはり提督は只者じゃねぇな」

「ハ、ハラショー!」

「流石は司令官だわ!」

「司令官さん凄いのです!」

「龍田さんをますますレディにしちゃうなんて!」

「司令官さん……!」

「そうですか。羽黒さんに天龍さん、龍田さんも提督のおかげで改二に……そう、そしてこの私も……」

 

 天龍と龍田の姿を見て、羽黒は拝むように手を合わせながら瞳を潤ませていた。

 誰もいない空間に向かって謎のアピールをしている赤城に妙高は首を傾げたが、大鷹の姿を見つけて声をかける。

 龍田の救援の為とはいえ、本来であれば苦手な夜の潜水艦相手の援軍に向かわせて心配だったからだ。

 

「大鷹さん、お疲れ様でした。危険な役目をお願いしてしまいましたね」

「ハイ」

 

 大鷹は真っ白に燃え尽きており、その目は死んでいた。

 よほど恐ろしい目を見たのだろうか……妙高は少しばかり胸が痛んだ。

 

「あ、あの。無事に帰ってこられて何よりですが、夜の潜水艦、やはり恐ろしかったですか」

「ハイ。夜の潜水艦というより、あ、いえ、大丈夫です。私は何も見ていません」

「何を見たんですか⁉」

 

 大鷹の背後から、その両肩にそっと手が乗せられる。

 ビクーン! と可哀そうになるくらい大鷹は跳ねあがり、息を荒くしてガクガクと震えていた。

 大鷹を励ますように背後から手を添えた龍田は、大鷹の代わりを務めるようにいつもの笑顔で口を開く。

 

「実は敵の罠で、思っていたよりも潜水艦が多かったのよ~。姫級もいて大変だったわ~。そうよね大鷹ちゃん」

「ハイ」

「えぇっ⁉ ひ、姫級⁉ な、何で無事だったんですか⁉」

「提督のおかげで土壇場で改二が実装されて、それがちょうど対潜向けの能力だったのよ~。九死に一生を得たわ~。そうよね大鷹ちゃん」

「ハイ」

「おっ! 龍田もか! オレもいい感じに対空向けの能力だったからなぁ。流石は提督だぜ!」

「ハ、ハラショー!」

「えぇ。私もちょうど欲しかった夜間戦闘能力が目覚めました。そう、提督のおかげで……」

 

 大鷹のリアクションと龍田の説明に僅かに疑問を抱きはしたものの、天龍と赤城は提督のおかげだと信じている様子だ。

 羽黒も『気付き』によって改二に目覚めたが、羽黒自身も提督のおかげだと主張している。

 自分の病を隠してまで最前線の横須賀鎮守府に着任した神堂提督。

 大切に思っている艦娘を失った時、壊れそうになるほど脆く優しい心を持ちながら、その恐怖から逃げずに着任してくれた心の強さ。

 龍田さんの言葉によって、提督と自分を重ね合わせた事で改二が実装されたのだと羽黒は語る。

 それは狭義では艦娘本人の『気付き』によるものだと思うが、広義では提督のおかげといっても過言ではないかもしれない。

 まだ誰も提督製の戦闘糧食を食べてはいないから、提督パワーとやらのおかげかはわからないが……。

 

「ま、まぁ、とにかく全員無事で良かったです。しかし、提督パワーというよりは皆さん従来通り『気付き』を得たという方が適切かもしれませんね。まさかハグはしていないでしょうし……」

「そういえば、天龍ちゃんは大破して提督に背負われたらしいし、昨日の歓迎会では肩を貸してたし、今日もヘッドロックを仕掛けてたわよね~」

「おぉ! あの時か! なるほどなぁ~!」

「いや提督に何してるんですか⁉」

 

 妙高も思わず突っ込んでしまったが、背負われる、肩を貸す、ヘッドロックのどれも、密着するという意味では、ある意味ハグと同じようなものではないだろうか。

 そう考えれば、天龍さんに改二が実装されたのは提督パワーのおかげというのも少しはあるのかもしれない……。

 龍田に続いて、赤城がハッと何かに気付いたような真剣な表情で口を開く。

 

「そ、そういえば……私は今日、提督を張り倒しています。まさか、その時に……」

「そんな一瞬で提督パワー伝わるんですか⁉」

 

 妙高はわからなくなった。

 赤城さんのあの表情……冗談のつもりなのか本気なのか全く読み取れない……!

 皐月さんが提督の掌を頭に押し当てても変化が無かったからハグが必要だと思っていたが、実は普通に接触するだけでも効果があるのだろうか……。

 そもそも何故提督の頬を張っているのだろうか……那智の姉である私が言えた事ではないかもしれないが……。

 妙高はちらりと羽黒を見る。

 

「まさか羽黒も……」

「わわわっ、私は司令官さんにっ! 指一本触れてませんっ! は、はぅぅぅ……」

「そ、そうよね。ごめんなさい。龍田さんは……」

「私も指一本触れてないわよ~。でもね」

 

 龍田は耳の先まで真っ赤にしている羽黒に目を向けて、言葉を続ける。

 

「きっと、大切なものは心で伝わるのよ。羽黒ちゃんや私がそうだったように……そうよね大鷹ちゃん」

「ハイ」

「龍田さん……!」

 

 何故、大鷹さんに同意を求めたのかわからないが、羽黒が納得しているようだし……もうこれ以上掘り下げなくてもいいだろう。

 妙高は改めて、ひとりひとり、艦隊の面子に目を向ける。

 

 姉をも凌ぐ火力に目覚めた羽黒。

 横須賀鎮守府の索敵の要・筑摩。

 ついに夜間戦闘能力さえ手にしてしまった横須賀鎮守府最強の空母・赤城。

 演習だけで改二に目覚めた天才軽空母・大鷹。

 改二実装により対空、対潜性能が格段に向上した天龍、龍田。

 横須賀鎮守府でも最上級の練度を誇る第六駆逐隊。

 C島の浜辺で膝を抱えて座っている五航戦・翔鶴。

 

 この僅かな時間で、羽黒、赤城、天龍、龍田に改二が実装された。

 これもまた提督の作戦なのだろうか。

 それとも、彼女達が提督の想いに応えただけなのか。

 どちらにせよ、士気は最高潮――負ける気がしない。

 

「――敵の増援です! まだまだ終わりそうにないですね……」

 

 筑摩の声と同時に、敵艦隊からの砲撃が開始される。

 長い戦いになるだろう。しかしそれでも、この面子ならば夜明けまで戦い抜けるという確信がある。

 第一艦隊旗艦・妙高は、第二艦隊旗艦の天龍と目を合わせ、こくりと頷く。

 

 特に、天龍さんが大きく成長した。

 もはや何も考えずに突撃を繰り返す今までのあの人じゃない。

 立派に旗艦を任せられる、一人前の強者の目だ――。

 隊列を組みなおし、妙高は士気を高めるべく大きく鬨の声を上げた。

 

「さぁ皆さん。しばしの休息はここまでのようです。最後まで戦い抜きましょう!」

「よーし! この天龍様の突撃を見せる時だなぁ! よっしゃあーーっ――ぐわぁぁあーーッ⁉」

「はわわ! 天龍さんに流れ弾が!」

「……」

 

 妙高は何も見なかったふりをして、敵艦隊を迎え撃つべく無言で速力を上げたのだった。




大変お待たせ致しました。

ようやく天龍ちゃんに改二が実装されました。
劇場版でもカッコいいところを見せてくれた天龍ちゃんでしたが、あれはちょっとイケメンすぎだと思います。

このお話では天龍ちゃんは固有魔法・三次元空間把握や獣の呼吸漆ノ型・空間識覚みたいな謎能力に目覚めていましたが、長門の装甲が異様に硬くなったのと同じく、おそらく提督への信頼によるものだと思われます。
龍田が夜の潜水艦相手に無傷で生還できたのは何故なんでしょう。きっと提督への信頼によるものだと思われます。ハイ。

次回は金剛視点になると思いますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。


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067.『秘密兵器』【艦娘視点】

 日が沈んだら執務室に来るように、との提督からの指示に従い、金剛は自室を出て廊下を歩む。

 自分だけが指名された事による特別感、提督と二人きりになれる嬉しさ。

 待機中も妄想という名の自分の世界に浸り、「駄目だよテートクゥ、私は食後のデザートデース」などと奇声を発しては身体をくねらせ喜んでいた金剛であったが、廊下を歩む今は無言で緊張している面持ちだ。

 自分から迫る分には問題ないが、相手から迫られると急に生娘(きむすめ)のようになってしまうところが金剛にはあった。

 そもそも、そのような目的で呼び出されているわけではない事は金剛にもよく理解できてはいたのだが、それでもやはり年頃の娘として、提督のような魅力的な男性と二人きりというシチュエーション自体に期待をしてしまう。

 艦隊の頭脳・霧島による分析と推測、考察を聞いてなお、金剛の頭は完全に艦ではなく娘側に傾いていた。

 

 すぐに駆けていきたいような、それでいて辿り着きたくないような。

 複雑な思いと共に静かに歩みを進めていた金剛であったが、ついに執務室の扉の前に辿り着いてしまう。

 扉を開ければ、真実が明らかになる。

 きっと霧島が説明してくれたように、今夜の戦いに関する重要な任務説明か何かが始まるに決まっている。

 時雨たちの窮地だというのに提督と二人きりになれる事にときめいてしまう私は、提督に呆れられてしまうだろうか。

 金剛は何度も大きく深呼吸をして、それでも気持ちを切り替えられなかったので、諦めてそのまま扉を叩く。

 

「……テ、テートクゥ、金剛デース……」

「ドウゾ」

 

 何故か提督の声が裏返っていたのが気になったが、緊張の表れだろうか。

 つまり、それくらい今夜の戦いは厳しいものになる……。

 そう、提督はあの表情の起伏に乏しい鉄仮面の下で必死に足掻いているという事は、イムヤの件でよく理解できていた。

 人並み外れた知力と神に等しい特別な能力を持つ事は事実だろうが、それを駆使してなお死に物狂いで足掻いているのだ。

 私達を誰一人失わず、かつ我が国も完璧に護る――その夢を現実とするためだけに、提督は動いている。

 いけない、気を引き締めねば。

 

 金剛が扉を開くと、何故か執務室内の照明は消されていた。

 薄暗い室内。執務机の背後にある窓のカーテンは全開になっており、月の光だけが室内を照らしている。

 思ってもみなかった雰囲気の良さに、気を引き締めたはずの金剛の心は再びドキリとときめいてしまった。

 提督は窓の目の前に立っており、暗くて表情は読めないが、自身に向けて声をかける。

 

「よ、よく来てくれたな」

「ハ、ハイ……」

 

 何故かはわからないが、照明が落とされていて良かった。

 おそらく、今の私の顔は初心(うぶ)生娘(きむすめ)のように朱に染まっているだろう。

 金剛は恐る恐る、提督の隣へと歩を進める。

 ムードが良いからといって何を緊張しているのだ、作戦の説明があるだけだというのに……。

 そう自省していた金剛であったが、提督の顔を見上げると、まるで照れてしまったかのようにふいっと窓の外へと顔を逸らしてしまった。

 まるで恋する不器用な男性のような反応。

 

 バ、バーニング・ラァァァァブッ‼

 思わぬ提督の反応に胸を撃ち抜かれ、思わず叫び出しそうになった金剛であったが、自分も人の事は言えない。

 金剛もそそくさと窓の方へと身体ごと向け、二人並んで外を眺める。

 

 満月と星の光が照らす夜の海。

 静寂の中で波音のみが響き、心地よい沈黙と共に肩を並べる二人。

 これはまるで逢引、いわゆるデ、デート……いや、密会のようでは……?

 ほとんどの艦娘が出撃して、二人きりの執務室で、禁断の――。

 駄目だよテートク、鎮守府にはまだ妹たちが……。

 

 い、いやいや、脳内に乙女をプラグインしている場合ではない。

 危うくまた自分の世界にトリップしてしまうところであった。

 英国淑女はこんな事では動じないのだ。

 あまりの雰囲気の良さに酔ってしまった金剛は、無理やり思考を戦闘モードに切り替える。

 

 作戦説明でもあるかと思ったが、よく考えたら提督は艦娘の思考力を鍛えようとしている人だ。

 こちらから質問してはならないという事は、大淀からも口を酸っぱくして言われている。

 そう、自分の頭で考えなければならないのだ。私は提督を怒らせたくない。

 水平線の向こうでは、今頃何が起きているのか――。

 出撃した者から未だに報告のひとつも無い事は、明らかにおかしい。

 時雨たちは、皆は無事なのだろうか。

 

 ちらりと提督に視線を向ければ、そわそわと落ち着かない様子だ。

 そしてただひたすらに、無言で水平線の向こうを見つめている。

 やはり、提督も心配なのだ……ときめいている場合ではない。

 それにしても、意図しての事ではないと思うが、なんでこんなにもムードがいいのだろう……。

 私が生娘のように落ち着かないのはきっと提督のせいだ。

 端正な横顔に見惚れてしまって、まともに頭が回らない。

 うぅ、何か話さないと間が持たない……。

 

 金剛は夜空を見上げ、その目に映った優しく輝く満月を見て口を開いた。

 

「月が……綺麗デスネ……」

「ヘアッ」

 

 提督が妙な声を出した。

 くしゃみでも我慢したのだろうか……。

 いや、戦闘中だと言うのにあまりにも呑気な発言に呆れてしまったのかもしれない……。

 テ、テートク、こんな私を嫌わないで下サイ……!

 提督は満月を見上げながらしばらく何かを考え込んでいる様子であったが、やがて口を開いた。

 

「……そうだな。私も、そう思うよ。今夜の月は、とても綺麗だ……」

「ハ、ハイ……」

「……だが、お前の方が綺麗だよ……」

「ヘアッ」

 

 くしゃみを我慢したわけではないが、変な声が出た。

 思わず提督の顔を見上げれば、あえてこちらから目を逸らすかのように、水平線の向こうを見つめ続けている。

 戦闘待機中にもかかわらず間の抜けた発言をした私への皮肉を込めたお返しであろう。

 しかしそれでも流石にキザすぎる発言だったと自覚しているのだろう、非常に気恥ずかしそうな表情だ。

 うぅーっ……テ、テートクゥ、からかうにしてもそれは反則デース……!

 

 金剛はもう限界だった。

 提督の発言に照れてしまうあまりもう何も言葉を発せず、提督の顔すら見上げられない。

 提督もまた、落ち着かない様子のまま無言で外を見つめ続ける。

 そのまま数十分もの間、金剛と提督は並んで水平線の向こうを眺め続けたのだった。

 

 動きがあったのは、ようやく金剛の紅潮した顔が元に戻りかけた時であった。

 水平線の向こう、闇の中から、星の瞬きとは違う光が金剛の目に飛び込んできたのだ。

 あれは……発光信号⁉

 光は不規則な間隔で瞬き続け、それは金剛の脳内で文字として変換される。

 

 要約すると……B島正面海域で時雨たちを無事に保護。

 しかし深海棲艦主力艦隊が元々敵の資材集積地であったB島を占領。

 早急に支援求む……。

 

 ハッ、と金剛は息を呑む。

 まさか、無線が使えなくなるような何かしらの妨害があり、発光信号を……⁉

 その可能性も提督は予測済み……。

 提督が照明を落としていたのは当然ムードのためなどではなく、水平線の向こうを黙って見つめ続けていたのも、発光信号を確実に受け取るため――⁉

 

「て、提督! B島の艦隊からデス! 時雨たちは無事に保護できたと……」

 

 金剛が顔を見上げると、提督はしばしの沈黙の後に、眉ひとつ動かさずに「うむ」と小さく呟いた。

 やはり提督にも発光信号は視認できていた。いや、当たり前だ。これが提督の目的だったのだから。

 私の間の抜けた発言に皮肉で返したのも当然だ。

 呑気に月に見惚れている場合ではなかったのだから。

 私の顔を見ようとしなかったのもそうだ。

 その隙に発光信号が届いていたら、元も子もない。

 てっきり私は、提督も私のように照れ臭くて、私の方を見られないのかもしれないと、そんなハッピーな勘違いを……!

 金剛は先ほどとは別の羞恥心で顔が紅潮してしまいそうだった。

 

 瞬間、提督の傍らからニュッと妖精さんが姿を現した。

 可愛い妹、比叡や霧島に似たこの妖精さんは……96式150cm探照灯の装備妖精さん!

 そうか、提督に私達の装備は使えない。

 戦艦の私をここに呼んだ理由のひとつは、これを使って応答するため……。

 

「提督! 私が返答しておきマスネー! 支援を向かわせるという事で大丈夫デスカ?」

「え? あ、あぁ。よろしく頼む」

 

 探照灯を装備し、艤装としてその場に具現化する。

 了解、すぐに支援を向かわせる。

 そのように発光信号を返すと、向こうからも了解と返事が届く。

 これで支援が向かうという情報も戦場に伝わるだろう。

 

「そうか、ともかく時雨たちと無事合流できたか……良かった……」

 

 提督の言葉と表情からは、安堵の気持ちが感じられた。

 時雨たちの事を心の底から心配していたのだろう。

 張り詰めていた糸が切れたような、そんな雰囲気が感じられる。

 しかし、まだたったひとつ障害を乗り越えただけだ。

 むしろ、ここからが本番――。

 

「こ、金剛!」

「えっ、は、ハイ!」

 

 提督の真意を理解し、気を引き締め直した金剛に、提督が意を決したように声をかけた。

 霧島が予測していた通り、ついに私達の出番だ。

 提督に向き直り、姿勢を正して指令が下されるのを待つ。

 そして「了解!」と答え、退室する――そこまで金剛が考えていた瞬間だった。

 何故か言葉を言いよどんでいた提督が、恐る恐るといった風に口を開いたのだった。

 

「その……だ、抱きしめても……いいだろうか」

「⁉」

 

 ふぉぉぉぉぉおおおおッ⁉

 せっかく引き締めた金剛の思考は再びどこかへ吹き飛び、目を白黒させながら頭の中には疑問符ばかりが浮かぶ。

 ななな、何⁉ なんで⁉ 何事⁉ 一体何が起きているのか⁉

 私は夢でも見ているのだろうか。

 何故このタイミングで――⁉

 時雨たちは⁉ 時雨たちの救援はいいのデスカ⁉

 早急な支援を求めてますよ⁉

 

 普段は自分から飛びついて、しまいには提督に叱られてしまうほどの抱き着き魔である金剛であったが、提督から求められるとなるとすっかりパニックに陥ってしまう。

 金剛にはそういうところがあった。

 そんな金剛を見て提督も気恥ずかしそうな表情を浮かべ、だが真剣に視線を向け続ける。

 

 そ、そんな目で見つめないで提督……。

 ドキドキしてしまって、まったく頭が働かない。

 ときめきすぎて、なんでこうなっているのかがわからない。

 嬉しすぎてどういう状況なのかがわからない。

 もうこのままムードに流されてしまってもいいとすら思っている。

 助けてシスターズ! 比叡! 駄目だ、可愛いけれど頭を使うのには向いていない。

 榛名! 駄目だ、可愛いけれど比叡以上に色々と大丈夫じゃない子だ。

 霧島! そう、可愛くて頭も切れる金剛型のブレイン、艦隊の頭脳!

 さっそく霧島に相談を――そんな空気じゃない!

 

「……ハ、ハイ……」

 

 もう訳が分からず、金剛は目を回しながら小さくそう答えるので精一杯だった。

 提督はごくりと喉を鳴らし、二、三回呼吸を整えてから腕を広げ、金剛の身体を優しく抱きしめた。

 

 そして気付いた――提督の腕が、身体が震えている事に。

 提督の鼓動が、ドキドキと高鳴る金剛のそれ以上に激しい音を奏でていた事に。

 もはや、命を削っているとすら思えるほどに――。

 

「こ、金剛……私は、私はな……」

 

 金剛を抱きしめながら、提督は震える声で弱弱しく言葉を続ける。

 

「……本当は、自信が無いんだ。不安なんだ。上手くできるかどうか……頭の中でどれだけイメージを積み重ねても、大丈夫だと思っても……お前達に幻滅されるんじゃないかと……上手くできないんじゃないか、失敗するんじゃないかと……そう思うと、怖くてな……」

 

 本心の吐露。

 鉄仮面の奥の奥。

 イムヤの一件で感じてはいたものの、提督が隠していた弱音を実際に聞かされて――。

 

 抱き着きたい、ではなく。

 抱きしめられたい、でもなく。

 金剛は初めて、提督を抱きしめてあげたいと思った。

 励ましてあげたいと思ったのだった。

 

 提督の言葉は、決して艦娘の前では言ってはならぬものだ。

 自信の無い作戦に出撃させるなど、あってはならない事だからだ。

 だから皆、そのような事を口にせずに、成功を信じて艦娘を送り出す。

 たとえ勝算の薄い戦いであってもだ。

 

 しかし提督は、それでも私に弱音を吐いた。

 本音を明かしてくれた。

 横須賀鎮守府の艦娘をまとめる長門でもなく、秘書艦統括の大淀でもなく、つい二日前に建造されたばかりの私にだ。

 この私だけに、特別に。

 こんな光栄な事があるだろうか――。

 

 金剛の頭の中のお花畑は、瞬く間にどこかへと吹き飛んだ。

 そして今まで混乱して見つけられなかった提督の意図にも、容易く辿り着く。

 

 そうか、突拍子もない発言と行動に思えた提督のハグも、提督パワーの充填のためと考えれば何らおかしくはない。

 むしろ、そうとしか考えられない。

 提督はその存在を否定したが、やはり間違いなく提督パワーはある。

 こうしている間にも、身体がぽかぽかして幸せな気分になるのは間違いなく提督パワーのせいだ。

 皆の前で否定したからこそ、こうやって私一人を執務室に呼んで、他の者に見られないように充填しているのだろう。

 

 提督は、本当は不安でたまらないのだ。

 だから、私が戦場に向かう前にこうして提督パワーを充填してくれる。

 提督がその存在を否定した理由も……考えたくはないが、大方の予想はつく。

 この鼓動の速さがそれを物語っている。

 生物が一生のうちに刻む鼓動の数はほとんど決まっていると言われているらしい。

 つまり、鼓動が速くなるというのは寿命を削っている事に他ならない。

 この尋常ではない鼓動の速さ……提督が女性慣れしていないだとか、そんな理由なわけがない。

 そんなレベルの動悸ではなかった。

 私の胸のときめきとは比べ物にならない。

 提督パワーは生命力に等しく、それを燃料や弾薬のように私達に捧げてくれているのだ――。

 

 ならば、今すぐにでもこの腕を振りほどいて提督から距離を取るのが正しいのではないか。

 できるわけがない。そんな事できるわけがない。

 何故なら提督は、すでに命を削ってここに着任しているからだ。

 骨を埋める覚悟で着任した提督と共に戦おうと、そう決めたのは私達だ。

 艦娘の為に命を削る提督と共にあろうと、共に生きようと、そう決めたのは私達ではないか。

 

 だから、私がするべき事はそれではない。

 私がしなければならない事は、提督を励ましてあげる事だ。

 

 金剛は提督の背に両手を回して抱きしめ返し、その右手で提督の後頭部を優しく撫でながら優しく語り掛けた。

 

「大丈夫、大丈夫デスよ提督……不安になるのは当然デス……でも、私達を信じて下サイ。もしも上手くできなくても、私がフォローしますから……」

「……ほ、本当か……?」

「えぇ。私の可愛い妹達……比叡、榛名、霧島も一緒デス」

「よ、四人でか……⁉ ほ、本当にいいのか……? 一緒で……」

「勿論デス……だから、提督は安心して、私達にお任せ下サイ」

 

 抱き寄せられ、頭を撫でられながらの金剛の言葉に、提督は「そうか……」と安堵したように息をついた。

 その声色には、どこか隠し切れない嬉しさのような感情が読み取れる。

 どうやら安心させる事が出来たようだ……。

 これが私の役目。長門にも大淀にも任せられない、私だけの役割――。

 

「ひっ、ひえぇ~~っ⁉ おおお、お姉様と司令がぁっ、ひっ、ひえぇ~~っ⁉」

 

 瞬間、甲高い叫び声が執務室内に響き渡る。

 抱きしめ合っていた腕をほどき、二人揃って慌ててそちらに目を向ければ、いつの間にか扉を開けていた比叡が腰を抜かしてへたり込んでいる。

 私の帰りが遅いから心配したのだろう。

 可愛い妹だが、いけない、絶対に勘違いしてしまっている。

 私としては勘違いでもないのだが、提督に迷惑をかけてはいけない。

 いや、そもそも私以外は指示があるまで自室待機を命じられている……叱られてしまうだろうか。

 金剛は提督を見上げて妹の行動を詫びた。

 

「提督、申し訳ありません。比叡は私を心配してくれたのデス……」

「う、うむ。いや、そうだな。今回は特別に許そう」

「ありがとうございマス……」

 

 妹への寛大な処遇に金剛が感謝していると、提督は比叡に目をやりながら何か考え込んでいる。

 そして、金剛の耳元に顔を近づけ、恐る恐る確かめるように囁いた。

 

「その……比叡も今、抱きしめたりしても、大丈夫なのだろうか……?」

「⁉」

 

 金剛は思わずその言葉の意味を理解できずに提督に顔ごと目を向け、それと同時に誤解に気付く。

 そ、そうだ。私と提督は別に愛し合ってハグしていたわけではない。

 幸せすぎて危うく勘違いしてしまうところだった。

 私的には完全にバーニング・ラブでハグしたりいちゃいちゃしたいのは山々なのだが、提督的にはあくまでも提督パワーを充填していただけ……。

 つまり、提督の言葉の意味は「比叡にも提督パワーを充填してもいいのか」という意味だ。

 本人ではなく私に確かめたのは、比叡が嫌がるのではないかというのがひとつ。

 そして何より、私自身が嫌がるのではないか、と配慮してくれたというのがひとつだろう。

 

 わずか二日あまりの付き合いだというのに、提督は私の事をよく理解してくれている……。

 私は「目を離しちゃNo! なんだからネ!」「Love letterは許さないからネ!」というタイプだ。

 正直に言えば、我ながらかなり嫉妬深い……。

 しかし、私の愛と提督の愛は違う。

 提督の愛は博愛、無償の愛――艦娘全員に平等に向けられたものだ。

 私に充填(ハグ)してくれたのも、比叡に充填(ハグ)しようとするのも、私達の事を心配するがゆえの事。

 それを理解していながら、正直ちょっと嫌だと思っている自分が悔しい……。

 

 金剛の視線に提督も物怖じしてしまったようで、「嫌ならいいんだが……」と言うが、金剛は首を横に振る。

 

「大丈夫デース……! 嫌だと言っても説得しマス。私にお任せ下サイ」

 

 そう言って、金剛は腰を抜かした比叡を引っ張って廊下へと連れ出した。

 そして提督に聞こえないように、小声で説得を開始する。

 

「比叡! 勘違いしてはいけマセン! あれは提督パワーの充填デース!」

「な、なぁんだ、そういう事ですか。いやぁ、わかっていてもびっくりしてしまいますよ」

 

 ほっと胸を撫で下ろした比叡に、金剛はひそひそと言葉を続ける。

 

「霧島の予想通り、ついに私達の出番デス。厳しい戦場に向かう私の事を心配して、提督は命を削って提督パワーを充填してくれたのデスヨ……!」

「えぇっ! い、命を削って……⁉」

「その辺りの詳しい説明は後デス。そして比叡、貴女にも充填しておきたいと提督が仰ってイマス……!」

「わっ、私もですかぁっ⁉ ひっ、ひえぇ~~っ!」

「恥ずかしがっている場合ではありマセン! 私的には身体がぽかぽかして幸せな気分でしたヨ!」

「そ、そうなんですね……お姉様とお揃いと考えれば……い、いやそれでも恥ずかしいですよぅ……」

「とにかく時間が無いんデス! 大淀たちが早急な支援を求めてるのデスヨ!」

「あぁっ、お姉様押さないで下さいぃっ! まだ心の準備がぁっ」

 

 比叡の背中をぐいぐい押しながら、金剛は再び執務室に足を踏み入れた。

 落ち着きが無い様子の提督の目の前にドンと比叡を突き放し、少し離れて二人を見守る。

 恨めしいような金剛の視線を見て覚悟を決めたのか、恥じらっている様子の比叡は勢いよく提督に向き直って声を張り上げた。

 

「わっ、わかりましたっ! 比叡っ! 気合っ、入れてっ、いきまぁすっ! 司令っ! どこからでもどうぞ! はいっ!」

「う、うむ」

 

 しばしの逡巡の後に、提督もまた比叡と同じく覚悟を決めたように、比叡の背中に腕を回して抱きしめた。

「ひぇぇぇ……」と思わず比叡も目を見開き、顔を真っ赤にして気の抜けた声を漏らす。

 理解はしている。理解はできているが、それでも金剛は愛する妹が妬ましくて仕方が無かった。

 そしてそんな自分を(かえり)みて自己嫌悪に陥る。

 

 改めて目を向ければ、比叡の両腕はだらりと下ろされ、緊張しているあまりかその指先はぴんと伸ばされ、手首が直角に曲がっているのが可愛らしかった。

 なんだかペンギンのようだと思いながらその表情を見れば、先ほどまでの羞恥に満ちた色は消えている。

 おそらく私のように、提督の鼓動からその異変に気付いたのだろう。

 何より、私と抱きしめ合っていた時よりも、明らかに提督の様子がおかしい。

 その息も荒く、直立する力さえも残っていないのか、前かがみになって腰も引けてしまっている。

 

「フーッ、フゥーッ……!」

「し、司令……?」

「ハァーッ、ホァァーッ……!」

 

 比叡が恥ずかしさも忘れてその顔を見上げ、心配してしまうほどだ。

 やがて提督は膝から崩れ落ち、がくりと床に片膝をついてしまう。

 

「テートクゥッ⁉」

「司令っ⁉」

 

 慌てて駆け寄った金剛と、提督の身体を支えようとする比叡に、提督は呼吸を乱しながら口を開く。

 

「ハァッ、ハァッ……! だ、大丈夫だ。比叡、お前は少し廊下に出ていてくれ」

「わ、わかりました……」

 

 比叡が席を外すと、提督は金剛に目を向けて、悔しそうに言葉を続ける。

 

「す、済まないな……私から言い出した事なのに……どうやら、今の私ではお前一人で限界だったようだ……」

「テートクゥ……」

「四人全員、いけると思っていたのだがな……ままならないものだ……この瞬間まで自分の力量も把握できずに……情けない提督を笑ってくれ」

 

 片膝をついたまま自嘲するようにそう言った提督を、金剛は再びその胸に抱きしめた。

 誰が笑えるものか。笑えるものがあるだろうか。

 

 比叡を抱きしめてからの、提督の異常な衰弱を見て気が付いた。

 おそらく、燃料や弾薬の補給量と同じように、駆逐艦と戦艦では必要な提督パワーの量が桁違いなのだ。

 駆逐艦の中でも燃費が良い方である睦月型の文月、皐月ならば、提督の負担にもならなかったのであろう。

 だが、戦艦の中では燃費が良い方とはいえ、金剛型も戦艦――駆逐艦数人分の提督パワーが必要なのだ。

 それでも提督は自らの限界も顧みず、我々の身を案じて提督パワーを分け与えようと……!

 

 私と、可愛い妹達全員の無事を祈り、命を削ってまで提督パワーを与えようとしてくれた提督(あなた)を。

 結局成し得なかったとはいえ、立つ事すら困難になるほど限界まで体力を振り絞ってくれた提督(あなた)を。

 この私が誰にだって笑わせるものか。

 

 もしも私の提督を見て、ただの一度でも笑った者がいたならば、名乗り出るがいい。

 私の41cm連装砲(バーニング・ラブ)で跡形も無く噴き飛ばしてみせる……!

 

「提督、十分デス。もう十分デスヨ……! 私が頑張りマス。比叡、榛名、霧島の分も私が頑張りマスから……!」

「……そう言って、くれるのか……」

「ハイ! おかげで提督パワーも満タンデース! この私に全てお任せ下サーイ!」

「そ、そうか……ありがとう……」

 

 安心した様子の提督を見て、名残惜しかったが金剛は提督を抱きしめていた腕をほどいて立ち上がった。

 いつまでもこうしている時間はない。

 こうしている今も、戦場では私達の助けを待っているのだ。

 提督も表情を引き締め直し、床に片膝をついたまま金剛を見上げて指示を出した。

 

「悪いが、少しだけ休ませてくれ……金剛。私の代わりに、比叡、榛名、霧島に出撃命令を。B島方面の連合艦隊に合流するように伝えてくれ」

「ハイッ!」

「私は隣の仮眠室で待っているから……終わったら、戻ってきてくれ」

 

 本当は提督自ら、私達に出撃命令を行う予定だったのだろう。

 しかし、予想以上の消耗で立ち上がる事すらままならない状態だ。

 致し方ない事であろう……。

 鳳翔の話によれば、先日は一晩中執務をこなしながら私達の帰りを待っていたとの事だが、提督の心身を蝕む不治の病の存在を知った今では、仮眠しながら少しでも身体を休めてほしい。

 

 前かがみでよろよろと仮眠室へと向かう提督の背を見つめてから、金剛は執務室を後にする。

 比叡を連れて、榛名たちと合流すべく自室へと向かっていると、何やら背後から駆けてくる足音が届く。

 振り返れば、提督であった。

 

「提督……一体どうしたんデース?」

 

 金剛の問いに、息を切らせた提督が押し付けるように何かを差し出してくる。

 その両手には、数人の妖精さんが握られていた。

 優しい提督にしては随分と手荒な持ち運び方で、妖精さん達も窮屈そうだ。

 

「ハァッ、ハァッ……金剛、ついでにこれらも出撃に付いて行かせてくれ」

「これは……? っ!」

 

 テートクゥ……!

 金剛は思わず涙ぐんでしまい、衝動のままに抱きつきたいのを何とか堪えた。

 歩くのもままならない状態で、必死に駆けてきて届けてくれた。

 自分の事をどれだけ大切に思っていてくれているのか――。

 

 一人は補強増設妖精さん。

 艦娘の艤装に、通常の装備スロットとは別に補強増設スロットを増設改修する事ができる貴重な妖精さんだ。

 これにより、装備スロットをひとつ潰さずに特定の装備を積む余裕ができるのだ。

 

 そして残りの数人は応急修理女神妖精さん。

 搭載した艦娘が轟沈した際に発動し、損傷を全回復して轟沈を防ぐだけではなく、燃料弾薬さえも完全に回復させる能力を持つ。

 イムヤに使用した応急修理要員よりも更に稀少で貴重な妖精さんだ。

 

 応急修理女神は補強増設スロットに搭載できる。

 これならば戦闘性能を削らずに、万が一の事があったとしても一度だけは確実に轟沈を免れる事ができるのだ。

 提督への信頼のおかげで練度が底上げされて改二にすら至った私であるが、基礎となる練度は鎮守府内で最も低い。

 そんな私を特別に心配して……!

 

 感動のあまり声を絞り出す事すらできない金剛に、提督はどこか弱弱しい様子で、確かめるように口を開く。

 

「金剛……その、すぐに戻ってきて、くれるよな……?」

 

 提督の表情を目にして、その言葉を聞いた瞬間。

 金剛はもう我慢ならずに、またしても提督を抱きしめてしまった。

 私は悪くない。提督が悪いのだ。

 戦いに向かう私を、そんな不安げな表情で送り出そうとするのだから。

 駄目だよテートクゥ、いくら私の前だからって、弱いところを見せすぎデース……。

 

「ハイ……ハイ……! 必ず……! 私は絶対に、すぐに戻ってきます……! 提督に待ちぼうけなんてさせマセン……! 約束します……」

 

 背の高い提督の頭を無理やり抱き寄せて、後頭部を優しく撫でる。

 金剛の言葉を聞いて、提督も安心したように「そうか……」と小さく呟いた。

 そして金剛の腕から離れ、気持ちを切り替えたように凛とした真剣な表情に変わった提督は比叡に向けて口を開く。

 

「比叡。こんな時間の出撃になってしまって悪いが、榛名、霧島と共に一日中出撃している時雨たちをサポートしてやってくれ。頼んだぞ」

「はっ、はいっ! 了解!」

 

 敬礼した比叡の頬が朱に染まっていたのは、先ほどの事を意識してしまっての事であろう。

 妹にそんな表情をさせる提督が、金剛は妬ましくも愛おしかった。

 提督は金剛に向けて「待っているからな」と言い残し、再び執務室へと戻っていく。

 金剛が提督からの思わぬ贈り物を両手に乗せて微笑んでいると、それを比叡が恨めしそうに見ている事に気付いた。

 

「あっ……私ばかりゴメンナサイ」

「いいえ。私が羨ましいのは司令の方です。お姉様にあんなに優しくしてもらって……」

「ふふっ、ヤキモチさんデスネ! 本当に可愛い妹デース!」

 

 比叡の頭を撫でながら歩を進め、榛名と霧島の待つ自室の扉を勢いよく開ける。

 

「榛名! 霧島! 出撃の時間デス! 四十秒で支度(したく)するデース!」

「はい、榛名は大丈夫です!」

「無論、装備確認からマイクの音量チェックまで完了しています」

 

 榛名と霧島も、待ってましたとばかりに立ち上がる。

 そもそも、ときめきながら執務室に向かった金剛とは違い、自分達に課せられた任務について正確に推測していたのは霧島だ。

 恋愛脳の自分、気合で何でも乗り切ろうとする次女、結構大丈夫じゃない三女と、頭脳労働に向いていない金剛型の中で唯一の頭脳派。

 優秀な妹を持って幸せ者だと、金剛は感慨深く思いに(ふけ)った。

 

「あっ、金剛お姉様。少しお待ち下さい」

 

 一刻も早く出撃するべく外へ出たところで、霧島から待ったの声がかかる。

 金剛は首を傾げ、霧島に訊ねた。

 

「What? 霧島、一体どうしたんデース?」

「金剛お姉様と比叡姉さんが出ていかれてから、提督の意図についてもう少し詰めてみたんです。あくまでも予測ですが、数分お待ち頂けないでしょうか」

「数分……わかりマシタ。霧島の言う事に従いマース!」

「えぇっ、お姉様、本当にいいんですか? すぐに向かった方がいいのでは」

「榛名は大丈夫です!」

「そりゃ榛名はそうだろうけど……霧島、まずは説明してよ」

「勿論です」

 

 霧島の説明に、金剛と比叡は納得の息を漏らして首を縦に振った。

 なるほど、筋が通っている。

 むしろ、そうとしか思えないほどだ。

 霧島による説明が終わった頃には数分が経っており、そして――。

 

「あっ、ほら。来ましたよ」

 

 霧島が指差した先には、自分達に向かって駆けてくる浦風、浜風、磯風、谷風――第十七駆逐隊の四人の姿があった。

 その登場を待っていた金剛たちとは違い、こちらの姿を確認した十七駆の四人は目を丸くしている。

 

「金剛姐さん⁉ それに、比叡姐さん、榛名姐さん、霧島の姐御(アネゴ)まで」

「ちょっとすみません。浦風、何で私だけアネゴなんでしょうか」

「こ、言葉のアヤじゃ。それよりこんなところで何をしとるんじゃ?」

 

 眼鏡を光らせながら問う霧島から視線を逸らしつつ、浦風が金剛に訊ねる。

 

「浦風たちを待っていたのデスヨ。提督から出撃命令があったのデスよね?」

「えっ⁉ なんで知っとるんじゃ」

「何やら話が噛み合ってないねぇ……磯風っ、てめぇ一体全体どういうこったいこんちくしょうっ!」

「わ、私に訊くな……」

 

 見れば、何やら磯風の様子がおかしい。

 いつもの大胆不敵、不遜な態度はどこへやら、申し訳なさそうに縮こまってしまっている。

 十七駆の四人も出撃する予定だったようだが、金剛たちの存在は知らなかったようだ。

 

「……ふむ。この霧島の見たところ、何やら少し予想と違いますね。浜風、説明して下さい」

「はい。まず、磯風が待機するのに痺れを切らして、提督のいる執務室に単身乗り込んだんです。私達もすぐに気付いて追いかけたのですが、間に合わず……」

「今まで磯風は好き勝手に動きすぎていたけぇ、仏の顔も三度まで、ついに提督の雷が落ちたんじゃ」

「Oh……」

 

 金剛が気の毒そうな声を漏らす。

 大淀にあれだけ言われていたというのに……。

 思考放棄は提督が最も嫌う事だ。

 提督を怒らせる事はあの加賀でさえ恐れているというのに……磯風は怖いもの知らずにも程がある。

 

「ありゃあ凄い剣幕だったねぇ……イムヤん時よりも更に本気でキレてたのは間違いねぇな。かぁ~っ!」

「まさかあの提督をあそこまで怒らせる者がいるとは思いませんでしたね」

「怒髪天を衝くとはあの事じゃ。あんなに優しい提督さんに大声を出させて、うちの方が申し訳ないくらいじゃったけぇ」

 

 浜風、浦風、谷風にジト目で睨まれて、磯風も所在なさげに視線を伏せる。

 

「こ、この磯風も今回ばかりは流石に悪いと思っているのだ、そう睨むな……」

「磯風が待機命令を破ったのは理解できましたが、それと貴女達に出撃命令が出た事に何か関係が?」

「端的に言えば、懲罰という事です。磯風と、その連帯責任で私達三人。B島方面の連合艦隊に合流し、以後は大淀の指示に従えと」

「ははぁ、なるほど……司令は本当に意地が悪いですね。いや、お優しいというべきか……」

 

 納得したように霧島が頷くと、浦風が金剛に逆に問いかける。

 

「そういう事じゃったけぇ、うちらは四人だけで出撃するつもりだったんじゃ。なんで姐さんらはうちらを待っていたんじゃ?」

「フフフ、大体わかりマシタ。霧島! 解説をお願いシマース!」

「はい、金剛お姉様」

 

 金剛がパチンと指を鳴らすと、霧島が眼鏡をクイと上げて言葉を続ける。

 

「まずですね。司令は我ら金剛型と貴女達第十七駆逐隊を、元々このタイミングで出撃させるつもりだったんですよ」

「えっ?」

「戦場からの報告を受け取り、敵主力艦隊の確認された戦場へと臨機応変に急行する……我ら高速戦艦の機動力を活かした編成と配置です」

「決戦支援艦隊……という事ですか!」

 

 浜風の言葉に、霧島も小さく頷く。

 

「この配置の肝はですね、決戦支援艦隊は必ず敵の主力艦隊と会敵できるという点なんですよ。そもそも、貴女達十七駆が待機する事になった原因は何でしたか?」

「そりゃあ、あれじゃろ? 連合艦隊は提督が指定してたけぇ。大淀姐さんが、夜間演習を兼ねた艦隊にはそれを必要とする艦を配置して、余りものがうちらじゃ」

「アッ! さては浦風、そう考えこんで拗ねちゃってたのデスカ? 可愛いデスネー!」

「うぎぎ……からかわんでえぇから、早く答えを教えて欲しいんじゃ!」

 

 金剛に頬をつんつんとつつかれて、浦風は不機嫌そうに歯を食いしばる。

 なるほど、そう思い込んでいれば答えは出ないはずだ。

 霧島は微笑ましいものを見るような笑みで言葉を続ける。

 

「大淀さんの流石の読み通り、司令はあえて練度の高い貴女達が待機になるように指示していたんです。決戦支援艦隊は必ず敵の主力艦隊を相手取る事になる……言うなれば、私達はこの夜戦において秘密兵器といったところですね」

「ひ、秘密兵器!」

「または切り札と言い換えてもいいかもしれません」

「切り札……!」

 

 十七駆の四人は納得がいったように声を漏らす。

 少し考え込んで、浜風が口を開いた。

 

「しかし、提督は一言もそのような事を説明しませんでしたが」

「フフフ。本当は、時間が来れば司令の方から貴女達に出撃命令が下されたと思いますが、磯風が乗り込んできた事で話が変わったのでしょう。何しろ、司令は今回の出撃前にあれだけ厳しく自室待機を命じていましたからね。磯風に罰を与えなければ他の者に示しがつきません。しかし、司令はあれだけお優しい御方ですから……本来予定されていた出撃を懲罰とする事で、磯風の命令違反を手打ちにしてくれたのでしょう」

「なるほど、それで私達に連帯責任だと、あそこまで厳しく……確かに、後でフォローして下さったとはいえ、提督にしては違和感がある指示でした」

「そうでなければ、司令の事を恨んでいましたか?」

「いいえ。この浜風、そして第十七駆逐隊。この程度の事で逆恨みするほど素人ではありません。もとより我らは一蓮托生、そのつもりです」

 

 浜風に続き、浦風が複雑な表情で言葉を続けた。

 

「むしろ、うちは提督の事見直したくらいじゃったけぇ。締めるところはビッと締めんと示しがつかん! まぁ結局は甘すぎる仕置きだったわけじゃけど……あ~あ、やっぱり提督さんは甘い甘いさくらんぼじゃ!」

「言葉の割にはまんざらでもなさそうに見えますが……」

「しっ、知らんわいっ!」

 

 実は浦風も少し怯えてしまっていたのか、怒り狂っていたように見えた提督がやはり変わらず甘すぎるほど優しいままだった事を知り、安堵した様子だ。

 落ち込んでいた様子の磯風も、霧島の説明を理解してようやくいつもの尊大な笑みを浮かべる。

 

「フ、フハハハ! まったく、司令というやつは、まったく! それならそうと早く言えばいいものを!」

「てめぇ反省してねぇな! かぁ~っ、こいつはふてぇ野郎だ! 浦風! 浜風! とっちめちまえ!」

「ま、待て待て! 落ち着け谷風! この磯風も、今回ばかりは流石に効いた……まさかお前達を巻き込む事になるとは考えてもみなかったんだ」

 

 その言葉に嘘はなさそうだった。

 普段の自信満々、大胆不敵な態度の中に、どこか自らの行いを省みている色が見て取れる。

 それを感じて、谷風、浜風、浦風も口を閉じ、磯風の言葉に耳を傾けた。

 

「浜風、我ら第十七駆逐隊は一蓮托生と言ってくれたな。この磯風も同じ気持ちだ。だが、司令の片腕にこだわるあまり、お前達の事を(ないがし)ろにしていたかもしれん……本当に済まなかった」

 

 そうして姿勢正しく頭を下げた磯風に、浦風たちは衝撃を受けた。

 あの磯風が私達に頭を下げるとは……!

 霧島によってネタばらしされてしまったとはいえ、提督に雷を落とされ、反省した気持ちまでも無かった事にはならない。

 もしや、あの優しい提督にしては異常な程に怒り狂った様子さえも演技で、私達を連帯責任にする事も含めて、磯風に反省させるためのある種のショック療法だったのではないか。

 優しさが根底にあるとはいえ、このような搦手(からめて)さえも使いこなす提督の手腕に、浜風は感銘を受けた。

 

 顔を上げた磯風は、浦風、浜風、谷風に目を向けて、曇りなき瞳で言葉を続けた。

 

「第十七駆逐隊あっての私だ。だから、これからも至らぬ事ばかりの、この磯風と共に戦ってほしい」

「磯風……!」

「そう、司令の片腕にして切り札、秘密兵器たるこの磯風と共に!」

「てめぇやっぱり全然反省してねぇじゃねぇか! とっちめちまえ!」

「何をさりげなく秘密兵器の称号を独り占めしてるんですか!」

「おどりゃクソ風ええ加減にせぇよ!」

「オゴゴゴ! お、おい浦風! 誰がクソ風だ! やめろ! 出撃前だぞ!」

 

 磯風を袋叩きにしている三人を、金剛がぱんぱんと両手を叩いて制止する。

 

「じゃれ合っている時間はありマセン。そろそろ出撃するデスネー!」

「お姉様、二つに分かれますか?」

「OK比叡! 私は榛名、それと浦風、谷風を率いるデース!」

「了解でぇすっ! それじゃあ霧島と磯風、浜風は私についてきて!」

 

 金剛と比叡の声に従い、編成を組んだ八人は夜の海に出る。

 B島方面に向かう航路で、金剛は霧島に笑顔を向けた。

 

「しかし、流石は霧島デース! 提督の意図を見事に理解できていましたネー!」

「ありがとうございます、金剛お姉様。大淀さんの影に隠れがちですが、不肖霧島、艦隊の頭脳としては後れを取っていない自負があります!」

「勿論デース! この推理力、点を線で繋げる考察力、大淀にも全然負けてマセン! お姉ちゃんも鼻が高いデース!」

 

 最愛の姉に褒められて満足気な霧島の後ろで、浜風と浦風が顔を寄せ合ってひそひそと話す。

 

「正直、頭脳はともかく大淀とは似ても似つかないと思うのですが……」

「大淀姐さんは司令部が似合っちょるけど、霧島の姐御は完全に修羅場専門じゃけんのう……」

「浜風、浦風。何か言いました?」

「い、いえ、何も」

 

 キラリと眼鏡を光らせる霧島に、浜風と浦風はさっと顔を伏せる。

 そんな様子を笑顔で眺めながら、金剛は振り返り、遠ざかる鎮守府の明かりに目をやった。

 提督が待ってくれている。私達の帰りを待ってくれている。

 出撃したばかりだというのに、もう帰りたくてたまらない。

 

「霧島。戦いが終わって、鎮守府に戻れるのは何時ごろになるデスカー?」

「そうですね……この霧島の計算によると、提督の指示が明朝までという事でしたから、最低でも夜が明けてからになると思います」

「あまり遅くなると、提督を心配させてしまいマス……」

「ふふっ、大丈夫ですよ。任務をおろそかにする事もできません。提督の指示通り敵艦を全て撃滅するとなると、ヒトマルマルマルまでに帰投できれば上々かと」

「了解デース! それじゃあそれを目標に頑張りマース!」

 

 夜空を見上げれば、満月が煌々と闇夜を照らしてくれている。

 今も提督は、一人で私達の帰りを待っているのだろう。

 あの鉄仮面の下で、私の前でだけ見せてくれた頼りない表情で。

 その腕を、身体を震わせて。

 誰も帰らない、最悪の結末を恐れながら。

 その恐怖を、誰にも言えずに押し隠したままで。

 私にだけ教えてくれた弱音を飲み込んで。

 

 大丈夫、大丈夫だよ提督。

 

 私が護り抜くよ。

 提督(あなた)を独りにはしない――。

 

「さぁ! いよいよ提督の秘密兵器、私達の出番ネ! Follow me! 皆さぁん、ついて来て下さいネー!」

「了解っ!」

 

 揺るぎない固い誓いと共に金剛は拳を天に掲げて声を上げ、少しでも提督を待たせぬよう、全速力で戦場へと駆けたのだった。




大変お待たせ致しました。

このお話は金剛四姉妹の歌う名曲「提督(あなた)との絆」をエンドレスリピートしながら執筆しました。
本当に泣ける名曲なので、もしも聴いた事の無い方がいらっしゃったら是非聞いて頂きたいです。
ちゃんと金剛四姉妹の声で歌い分けてる声優さんの技量も素晴らしいです。
金剛四姉妹の戦歴等について調べてから聴くと、さらに四人を好きになれるかもしれません。

艦これのアニメを金剛達の描写の参考にしたりしましたが、実は金剛の母性凄いですね。

勢いで一気に執筆したので、書き忘れた描写が見つかったら提督視点に合わせて後々本文を修正するかもしれません。
次回は提督視点になりますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。


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068.『秘密兵器』【提督視点①】

 緊張のあまり声が裏返り、いきなりスタートダッシュに失敗してしまった。

 落ち着け、落ち着くのだ……まだ挽回は十分可能だ。

 可能な限り人払いもしてムードも整っている。

 俺はあえて執務室の照明を落とし、カーテンと窓を全開にして金剛を出迎えていた。

 

 何故なら、今夜は満月。

 月明かりの照明が二人を照らし、窓から涼やかな風が頬を撫でる。

 BGMは波の音だけ――俺が整えた渾身のシチュエーション、名付けて『月夜海(つくよみ)』。

 天さえも俺に味方していると言っても過言では無い……。

 

 俺は今夜、童貞を捨てる。

 この空も、この海も、ずっと続く――。

 

 だから焦る必要は無い。緊張する必要は無い。

 俺は必ず童貞を捨てられるッ!

 時間も場所もムードもタイミングも整えた今、それは当たり前の事なのだ!

 空気を吸って吐くことのように!

 HBの鉛筆をベキッ! とへし折る事と同じようにッ!

 できて当然と思う事ですじゃ!

 大切なのは『認識』する事ですじゃ!

 女性を口説くという事はできて当然と思う精神力なんですぞッ!

 

 自己暗示を終えて冷静さを取り戻した俺は、気を取り直して金剛に声をかける。

 

「よ、よく来てくれたな」

「ハ、ハイ……」

 

 ん? なんかいつもに比べて元気が無いな……。

 いや、元気が無いとはちょっと違うか。緊張しているというか、期待しているというか。

 まるで、気になる人から呼び出されて体育館裏を訪れた少女のような雰囲気を醸し出している。

 俺はてっきりいつものように「ヘーイ、テートクゥーッ! バーニングッ・ラァーブッ!」と飛び掛かってくる事を想定していたのだが……。

 これではまるで英国淑女、いや大和撫子、いや、初心(うぶ)生娘(きむすめ)ではないか。

 

 俺の隣まで静かに歩を進めた金剛が、俺の顔を見上げた瞬間――俺は反射的に顔を逸らしてしまった。

 

 バ、バーニング・ラァァァァブッ‼

 思わぬ金剛の雰囲気に胸を撃ち抜かれ、思わず叫び出しそうになったが、何とか堪えた。

 いや、だって、可愛すぎないだろうか……?

 普段はあんなに元気いっぱいな感じなのに、今は頬を染めて、何かを期待するかのように口数少なく、上目遣いで瞳を潤ませて……。

 Be The One(貴女と合体したい). I love big tits.

 

 俺が顔だけではなく体ごと窓の外に向けたのに合わせて、金剛も同じように肩を並べて外を眺める。

 満月と星の光が照らす夜の海。

 静寂の中で波音のみが響き、心地よい沈黙と共に肩を並べる二人。

 完璧なムードだ……こんなロマンチックな雰囲気を童貞の俺が整えられるとは……。

 

 いや、ここで見栄を張ってもしょうがない。

 正直に言えば、薄い本の内容を参考にさせて頂いた。

 オータムクラウド先生の薄い本『ヤりました』(加賀本)にあったシチュエーションだ。

 前作の『一航戦の誇り……ここで失うわけには……』(赤城本)がちょっと無理やり系であったのとは対照的に、これはイチャラブ本なのである。

 故に本番に入る前に数ページに渡って丁寧にいい感じの雰囲気作りが成されていたのだ。

 

 本物の加賀(青鬼)を知ってからだと流石のオータムクラウド先生の作品とはいえ脚色が過ぎると思ってしまうが、加賀はツンデレならぬクールデレ、いわゆるクーデレという風に描かれている。

 他の艦娘の見ている中では素っ気ない態度なのだが、秘書艦を務めたある日、二人で残業し、休憩がてら満月を眺めている時に加賀が提督にこう言うのだ。

『月が綺麗ですね』――博識で空気が読める提督は、加賀の表情からそれが何を意味するのかを理解した。

 俗説であるが、何かどこかの偉い人が『I love you』をそのように訳したという逸話からの発言であったのだ。

 普段はクールな加賀が雰囲気に酔い、つい零してしまった遠回しな告白に、実は加賀に惹かれていた提督も応え、その後は濃厚な薄い本展開が繰り広げられる。

 

 そして朝になり、二人の姿を見るや何かを察した様子の赤城に、加賀がほんのりと朱が差したいつものクールな表情で、ほんの少しだけ微笑みながらこう言うのである。

 『やりました』。名作ではないか。まさかのタイトル回収に感動不可避。

 

 読んでて良かった、オータムクラウド先生の作品!

 色んな意味でいつもお世話になっております。

 しかしこんなロマンチックなシチュエーションを描けるオータムクラウド先生は、さぞやそちらの経験も豊富なのであろう。

 (ちまた)では、まるで生きているような艦娘の描写に比べて竿役のチ〇コにリアリティが無いだのと重箱の隅をつつき、作者は男性経験の無い女性だなどと(さげす)む馬鹿共もいるが、奴らの目は節穴だ。

 いつかオータムクラウド先生に出会えた際には是非とも師事したいものである。

 しかし青鬼にこの本の存在を知られたら俺だけでなくオータムクラウド先生の命も危ないかもしれんな……。

 絶対に隠し通さねば。

 

 俺がそんな事を考えながら目の前の景色を眺めていると、不意に、満月を見上げた金剛が口を開いた。

 

「月が……綺麗デスネ……」

「ヘアッ」

 

 変な声が出た。

 満月を見上げて思考をフル回転させる。

 え? え? 今、確かに言ったよね?

 俺は告白とかの大切な言葉に限って耳が遠くなる鈍感な難聴系主人公とは違う。

 確かに聞いた。『月が綺麗ですね』と!

 完全に告白ではないか。

 まさかこの完璧なシチュエーションで、単純に名月の感想を述べただけという事があるだろうか。いや無い!

 

 いかん。嬉しくて恥ずかしくて、金剛の顔が見られない。

 普段の金剛のキャラであれば『I love you!』以外の告白は有り得ないと思っていたが、まさかの遠回しな告白!

 こ、こいつ、何でカタコトの日本語喋って英国生まれを強調しているくせにこういうところは奥ゆかしい大和撫子っぽいんだ……!

 これがギャップ萌えというやつだろうか。可愛すぎる。

 

 と、とにかく返事をしなければ。

 俺もお前を愛しているよ。いやそんな平凡な言葉じゃ駄目だ。

 そもそも金剛はストレートに愛しているなんて言っていない。

 それに普通に返してしまうのはあまりにも野暮というもの。

 意外と奥ゆかしいところがあるのが判明した金剛に幻滅されてしまうかもしれん。

 俺の一言でムードがぶち壊しに……⁉

 それだけは回避せねば。考えろ、考えるのだ。

 胸が綺麗ですね(I love big tits)。いやそれはただのセクハラだ。

 

 そ、そうだ!薄い本で提督が返していた言葉ならば、それが正解なのでは――!

 オータムクラウド先生、無条件で信じます!

 

「……そうだな。私も、そう思うよ。今夜の月は、とても綺麗だ……」

「ハ、ハイ……」

「……だが、お前の方が綺麗だよ……」

「ヘアッ」

 

 金剛が何か変な声を出したが、俺は恥ずかしくて金剛の顔を見られないままであった。

 いや、オータムクラウド先生……これは少し、いやかなりキザなのではないだろうか……!

「何言ってんだコイツ」と笑われる可能性が高いようにさえ感じられる……!

 おそらく発言した俺の方が恥ずかしい。

 しかし金剛の様子を横目で見るに、どうやら最悪のルートは回避できているようだ。

 それどころかむしろ正解の返答であった様子である。

 オ、オータムクラウド先生……! か、感服、感服……!

 

 そこから数十分――俺と金剛は無言で夜景を眺め続けた。

 下手な事を口走っていい雰囲気を壊したくなかったというのもある。

 というか、おそらく押せばそのまま本番突入できる雰囲気ではあった。

 だが、気の利いた事が言えなかったのは置いておいて、俺が夜戦に突入できなかった理由はある。

 

 グレムリン共がゴムを持って帰ってこない事がひとつ。

 そして、時雨たちが帰投してこないか心配だった事がひとつだ。

 

 ゴムが無ければ本番どころでは無いし、そもそもそれを理由に断られる可能性は容易に想定できる。

 避妊具を用意するのは男性のマナー。まさか用意していないとは金剛も思っていないかもしれない。

 それに、もしゴムが到着したとしてもあの犬っぽい三人が帰投し、騒がれてはこの月夜海のシチュエーションもぶち壊しだ。

 

 しまったな……時雨たちと合流できたらすぐ鎮守府に報告するようにと命令しておけば良かった。

 これでは合流できたかどうかがわからず、俺はいつ帰ってくるかわからない犬娘(けんむす)の夜鳴きに怯えながら金剛と致す事になる……。

 

 その時、俺の被っている帽子の中からグレムリンが囁いた。

 

『サダオ、お待たせしました。例のブツを用意しましたよ』

 

 よし、でかした!

 見つけてきた奴には後で間宮さんのところで甘味を食べさせてやろう。

 

 どうする、時雨たちが帰ってくるかもしれないが、今のうちに夜戦突入するべきか……⁉

 俺が今後の作戦内容を再考していると、海の向こうで何かがキラリと光った。

 何だあれは……さっきまでは無かった光だ。

 チカチカしている。漁船か何かだろうか……。

 光を観察していると、今まで黙っていた金剛が俺を見上げて口を開いた。

 

「て、提督! B島の艦隊からデス! 時雨たちは無事に保護できたと……」

 

 え? なんで?

 ……あ! もしかしてあの光、いわゆる発光信号って奴だったのだろうか。

 聞いた事がある。たしか光を点けたり消したりする事でモールス信号みたいに言葉を伝える技術だ。

 つまり、あの光は艦娘の誰かで、俺が指示せずともちゃんと報告してきたわけだ。

 なんでわざわざ発光信号なんて使ったのかはわからんが、時雨たちと合流できたのを報告してくれたのは実にグッジョブだ。

 

 しかし、艦娘は当たり前のように発光信号を読み取れるんだな……。

 船だから当然なのだろうが、つい三日前まで一般人だった俺が発光信号など理解できるわけもない。

 提督の俺が発光信号を知らないなんて、幻滅される可能性大。

 知られたが最後、百年の恋も冷めかねん。

 佐藤さんからの指令も、提督の威厳を保つ事を重要視していたし……。

 よし、ここは知ったかぶろう。

 

 俺は表情を変えずに「うむ」と呟く。

 時雨たちが無事に艦隊と合流できた。つまり今夜は帰投してくる事は無い。

 それだけわかれば十分なのだ。

 

「提督! 私が返答しておきマスネー! 支援を向かわせるという事で大丈夫デスカ?」

「え? あ、あぁ。よろしく頼む」

 

 金剛の言葉によく考えずにそう答えた俺であったが、すぐに思考を巡らせる。

 返答なんて俺に出来るはずもないから金剛に任せたのはいい。

 だが、支援を向かわせると言ったな……もしかして、時雨たちと合流できたはいいが、少し手を焼いているのだろうか。

 あれだけ戦力を揃えたのだから、この鎮守府近海で苦戦するとも思えん。

 

 まぁ大人しそうな時雨と、意外と賢そうな江風はともかく、夕立のリードを握るのは大変そうだからな。

 俺の経験上、大型犬のダッチを散歩するのは一苦労だったし……。

 あちこち走り回って言う事聞いてくれなそうだ。

 

 いや、犬っぽいとはいえ、流石にそういう事ではないか。

 一日中出撃しているのだから、時雨たちも疲れているのだろう。

 三人を十分に休ませるためには、向かわせた面子だけでは足りなかったのだろうか……。

 

 それはともかく、支援に向かわせられる面子なんて残っていただろうか。

 金剛四姉妹を除けば、あとは鳳翔さん、間宮さん、伊良湖、明石、あとは潜水艦三人だけしかいないぞ。

 鳳翔さんは今は前線を退いているらしいし、間宮さんと伊良湖は非戦闘艦。

 明石のクレーンは俺の股間にしか特効無さそうだし……。

 夜の潜水艦は無敵らしいとはいえ、昼に危ない目にあったばかりのイムヤ達を出撃させるのはちょっと……。

 

 もしや、金剛は自分一人が俺の相手をすると思っているのでは……?

 いや普通はそうだろうが、俺は完全に四人全員相手するのを想定していた。

 しかし、今の俺の気分的にも金剛一人と結ばれれば十分に嬉しすぎる……。

 金剛姉妹丼が上々の結果だが、もしも金剛が妹達を支援に向かわせるつもりだと言うのなら俺はそれでも構わない。

 俺にとってはどちらも贅沢すぎる事には変わりはないからだ。

 

「そうか、ともかく時雨たちと無事合流できたか……良かった……」

 

 思考もほどほどに切り上げて、俺は息をついた。

 ここからだ。ここからが本番なのだ……!

 懸念していた事は全て解決。

 ゴムは手に入った。邪魔者も消えた。

 我、夜戦に突入す――!

 

「こ、金剛!」

「えっ、は、ハイ!」

 

 俺の言葉に、金剛は背筋を伸ばして応える。

 くっ……勇気が、勇気が出ない……!

 言えっ、言うんだ神堂貞男っ……!

 大丈夫だ、金剛なら大丈夫だ。

 きっとこんな俺でも受け入れてくれる――!

 

「その……だ、抱きしめても……いいだろうか」

 

 下心も忘れてようやく絞り出した俺の言葉に、金剛は見るからに狼狽えていた。

 今までの沈黙から一転、俺の言葉はさながら奇襲、先制攻撃に等しい爆弾発言であったからだろう。

 そんな金剛を、俺は気恥ずかしさを押さえながら見つめ続ける。

 駄目か⁉ 駄目だったのか⁉

 普段はあんなに積極的で自分から抱き着いてくるのに、何を迷う事があるんだ。

 正直めちゃくちゃ可愛いけど、やっぱり彼女できた事のない俺に女心はわからない……!

 

 助けてシスターズ! 千鶴ちゃん! 駄目だ、学生時代から現在勤める職場に至るまでかなりモテてるらしいのに何故か彼氏を作らない。

 明乃ちゃん! 駄目だ、先日クラスメイトに告られたと長々と自慢話を聞かされたが、結局振っていたから彼氏いた事がない。

 美智子ちゃん! 駄目だ、昔も今も陸上一筋で彼氏どころじゃない。

 澄香ちゃん! 駄目だ、昔いじめられてた影響で今は彼氏とか興味なさそうだ。

 異性との交際経験に関しては俺と同レベル……!

 妹たちよ……俺が言うのもなんだがさっさといい彼氏作って青春しろ! クソが! リア充爆発しろ!

 

「……ハ、ハイ……」

 

 ふぉぉぉぉぉおおおおッ⁉

 茫然と頬を染めながら小さくそう答えた金剛に、迷走しまくっていた俺の思考は一気にどこかへ吹き飛んだ。

 俺は夢でも見ているのだろうか。

 本当に、本当に、こんな俺を受け入れてくれて――。

 よっしゃぁぁーーッ! 股間の空母機動部隊に打電!

 トラトラトラァ(ワレ奇襲ニ成功セリ)! マラムラムラァ(ワレ金剛ト性交セリ)

 

 俺は思わずごくりと喉を鳴らし、深呼吸をして息の乱れを整える。

 そして覚悟を決めて、金剛の身体を抱きしめたのだった。

 金剛の髪からふわりと香る芳香が俺の鼻腔をくすぐる。

 えぇ匂いや……。

 なんで女の子ってこんないい匂いがするんだろう……。

 

 柔らかく、温かく、そして何より、自分から抱きしめてみて初めて金剛の華奢さに気が付いた。

 戦艦である事を忘れてしまうほどだ。

 人生最高潮に鼓動が高鳴り、自然と身体が震える。

 幻滅されないだろうか。馬鹿にされないだろうか。

 この歳まで女性経験がなくて、女性と付き合った事もなくて、おそらくお前をリードする事ができないこの俺に――。

 

「こ、金剛……私は、私はな……」

 

 そう思うと、俺は自然に口を開いていた。

 

「……本当は、自信が無いんだ。不安なんだ。上手くできるかどうか……頭の中でどれだけイメージを積み重ねても、大丈夫だと思っても……お前達に幻滅されるんじゃないかと……上手くできないんじゃないか、失敗するんじゃないかと……そう思うと、怖くてな……」

 

 薄い本やアダルトな動画を嗜み、知識だけはある俺だ。

 ただのデイリー任務(オ〇ニー)だけではなく、シャドーボクシングならぬシャドーセッ〇スだって何度も行っている。

 だが脳内で致す手順をいくらシミュレーションしても、本番は妄想のように上手くいかないかもしれない。

 もしも上手くできずに、それがバレてしまったら。

 

 すでに結婚して子供もいる同級生だって少なくない。

 この歳になって、こんな事に怯えている情けない俺を――金剛はそっと抱きしめ返した。

 そして俺の頭を優しく撫でながら、慈愛に満ちた微笑みと共にこう言ったのだった。

 

「大丈夫、大丈夫デスよ提督……不安になるのは当然デス……でも、私達を信じて下サイ。もしも上手くできなくても、私がフォローしますから……」

 

 馬鹿にしないというのか。

 俺が上手くリードできなくても、フォローしてくれるというのか――。

 

「……ほ、本当か……?」

「えぇ。私の可愛い妹達……比叡、榛名、霧島も一緒デス」

 

 一緒なの⁉

 いや、むしろ想定していた事だけど、一緒でいいの⁉

 姉妹丼マジで有りなの⁉

 榛名は大丈夫なの⁉ いや多分大丈夫そうだ……。

 金剛だけではなく四人全員で手取り足取りフォローしてくれるとは、まさに至れり尽くせり……。

 金剛姉妹に尽くされ、俺は絶頂に至れり……。

 予想外の金剛の言葉に、俺も動揺を隠せない。

 

「よ、四人でか……⁉ ほ、本当にいいのか……? 一緒で……」

「勿論デス……だから、提督は安心して、私達にお任せ下サイ」

 

 任せてもいいのか……!

 金剛の予想以上の包容力に安堵し、「そうか……」と声を漏らした俺の中に、New face(ニューフェイス)が登場したヨー!

 不知女(オナヌイ)です。ご指導ご鞭撻、よろしくです。

 いや新キャラを建造している場合ではない。

 ともかく俺の股間の不知女(オナヌイ)に多少の落ち度があったとしても受け入れてくれるのはありがたい。

 こんな情けない童貞ですが、ご指導ご鞭撻、よろしくです。

 

「ひっ、ひえぇ~~っ⁉ おおお、お姉様と司令がぁっ、ひっ、ひえぇ~~っ⁉」

 

 瞬間、甲高い叫び声がムード満点の執務室内に響き渡る。

 反射的に抱きしめ合っていた腕を解き、二人揃って慌てて声のした方に目を向ければ、いつの間にか扉を開けていた比叡が腰を抜かしてへたり込んでいた。

 い、いつの間に……金剛と抱きしめ合うのに夢中で全然気付かなかった……!

 金剛は申し訳なさそうな表情で俺を見上げる。

 

「提督、申し訳ありません。比叡は私を心配してくれたのデス……」

「う、うむ。いや、そうだな。今回は特別に許そう」

「ありがとうございマス……」

 

 比叡のリアクションでビビッてしまい、不味い所を見られてしまったかと思ったが、よくよく考えたら比叡もここに呼ぶつもりだったのだ。

 それにしても、金剛の話だと比叡も俺のフォローをしてくれるとの事だったが、本当に大丈夫なのだろうか……。

 実際かなりのシスコンだからこそ今のようなリアクションになるのだろうし、実は嫌だったりしないだろうか。

「私の金剛お姉様に手を出すなんて許さない!」となるか、「金剛お姉様と御一緒できるなんて光栄です!」となるか。

 シスコン艦には俺の想定だとこの二通りが考えられる。

 たとえば筑摩は絶対に後者だ。姉の初夜に嬉々として参加し、フォローする姿が目に浮かぶ。

 龍田は前者だろう。天龍ちゃんにちょっとお触りしただけで手を切り落とされそうになるのだから。

 千代田は前者であるにもかかわらず、最終的には何故か千歳お姉と御一緒する事になる感じがする。

 女心は複雑なのだ。やはりわからん……。

 

 ともかく、問答無用で比叡に手を出すよりも、まずは偵察が必要だろう。

 金剛に受け入れられた事で油断してはアカン。

 この勝利で慢心しては駄目。索敵や先制を大事にしないと、って頭の中で何かが……。

 俺は金剛の耳元に顔を近づけ、比叡に聞こえないように囁いた。

 

「その……比叡も今、抱きしめたりしても、大丈夫なのだろうか……?」

「⁉」

 

 瞬間、金剛が目を見開き、驚愕の形相で勢いよく顔を向けてきたので、俺は思わずビビッてしまった。

 い、いや、お前が妹たちも一緒って言うから……!

 くそっ、どっちなんだ。比叡たちを支援に向かわせたいのかと思えば、四人一緒にフォローするって言うし……。

 女心わからん……いや、むしろこういうものなのかもしれん。

 嫌よ嫌よも好きのうちとかいう訳の分からん言葉もある。

 明らかに俺の事が好きな金剛が、俺を独り占めしたいという気持ちと、最愛の妹たちと一緒に俺と結ばれたいという気持ち。

 そのどちらも金剛の本心だとしても、矛盾は無い。

 迷ってこそ、葛藤してこその人の心だ。

 俺だって一人に決め切れないからハーレムを目指しているクズなのである。

 

 気付けば何やら考え込んでいる様子の金剛に、俺は「嫌ならいいんだが……」と声をかけた。

 しかし、金剛は首を横に振り、自らに言い聞かせるような口調で言ったのだった。

 

「大丈夫デース……! 嫌だと言っても説得しマス。私にお任せ下サイ」

 

 そう言って、金剛は比叡を引っ張って廊下へと連れ出し、扉が閉じられる。

 どうやら姉妹たちも一緒の方向で結論が出たようだ。

 初体験が美人四姉妹との5Pという贅沢な男は俺くらいではないだろうか。

 そう考えただけで一気にテンションが(たかぶ)ってくる。

 

 いよっしゃぁぁぁーーッ‼‼

 目の前に広がる神々の山嶺(パイオツ)

 金剛山、比叡山、榛名山、霧島連山を一晩で縦走決定!

 何故登るのか? そこに山があるから!

 これは演習ではない(This is not drill)

 ニイタカヤマノボレ(戦闘行動を開始せよ)――!

 

 今後の展開を考えただけで(オー)(チン)(〇ン) BB(ビンビン)455(フォーティーファーイ)

 俺の股間のスモールセブン、シコロラド、出るわっ! ついてっ……きなさいっ!

 いやまだ出したらアカン……!

 ちょっと落ち着いてくれシココロちゃん。

 

 まずは山に挑む順番も検討せねば。

 登山は計画が最も大切。ここを(おろそ)かにすると痛い目を見る。

 ハーレム物の薄い本では「誰から相手するの?」という展開は日常茶飯事。

 選ばれる側としても、一番最初かどうかはちょっと気になる部分なのかもしれない。

 

 やはり俺にとって金剛は特別……ならば金剛山から攻略し、後は年功序列で比叡山、榛名山、霧島連山といくのが王道か。

 最後に辿り着く地が天孫降臨の地というのもいい感じだ。

 俺の股間の(あま)逆鉾(さかほこ)が霧島の高千穂峰(パイオツ)に突き立てられ、ハーレム神となった俺が現世に降臨するというストーリーである。

 

 しかしそれはある意味メインディッシュから手をつけるのと同義ではないだろうか。

 俺の気持ち的にも金剛と結ばれる時が最もテンションが上がるはず。

 ならば逆の年功序列で霧島、榛名、比叡、金剛と挑むか……。

 金剛にはそのように説明すればわかってくれるはず。

 待ちきれないという気持ちもあるが、その待つ時間こそが楽しいという事もある。

 妹達の乱れる姿を見ながら徐々に気持ちを盛り上げていき、そして最後に結ばれる。

 完璧ではないだろうか。

 

 まさか俺が童貞を捨てる相手が霧島になるとは……。

 いや、むしろ神話の始まりとしてはそれがベストなのかもしれない。

 霧島に天孫降臨して俺がハーレム神となり、ここからハーレム神話が始まる……。

 金剛が魅力的すぎて霞むだけで、霧島もめっちゃ美人で背が高くてモデルみたいにスタイル良くて巨乳だからな。

 末妹だし性格が俺の好みにドストライクかといえばアレだが、普段の俺には確実に縁の無い、勿体なさすぎるほどの相手だ。

 後に控えている金剛のためにも、俺の股間のマイクチェック、よろしくです。

 

「あぁっ、お姉様押さないでくださいぃっ! まだ心の準備がぁっ」

 

 登山計画があらかた固まったところで、金剛にぐいぐいと背中を押されながら比叡が入室してきた。

 そのままドンと背中を突き飛ばされ、比叡は俺の前でおろおろと狼狽える。可愛い。

 金剛に目を向けて覚悟を決めたのか、恥じらっていた様子の比叡は俺に向き直り、目をぎゅっと瞑っていつものように声を張り上げた。

 

「わっ、わかりましたっ! 比叡っ! 気合っ、入れてっ、いきまぁすっ! 司令っ! どこからでもどうぞ! はいっ!」

「う、うむ」

 

 どうやら「金剛お姉様と御一緒できるなんて光栄です!」とはならなかったようだ。

 だが、金剛に説得されて恥ずかしながらもご一緒する事になったという感じか。

 少し背徳感と罪悪感があって、逆に興奮する。そして恥じらっている比叡が可愛い。

 よ、よし。俺も覚悟を決めねば。

 

 そうして勢いのままに比叡を抱きしめると同時に、俺の鼓動は更に加速した。

 動悸! 脈拍! いずれもマッハ! 俺の心臓がデッドヒート!

 命が削られていく感じがヤバい。

 

 なんだこれは。比叡が、比叡が可愛い。

 俺の胸の中で固まりながら顔を真っ赤にして「ひぇぇぇ……」と声を漏らす比叡が可愛い。

 こんなにも……比叡はこんなにも可愛かったのか⁉

 あれ? 比叡可愛くね⁉

 俺の好みとは巨乳以外全然一致していないのに……!

 い、いや、これは青春巡洋艦夕張と同じタイプ……!

 学生時代の活発な同級生のような雰囲気、そして俺の胸に抱かれて見せるギャップ萌え……!

 

 い、いかん……!

 夕張がそうだったように、年上系、包容力、巨乳の三要素以外にも青春系というジャンルも俺に特効がある……!

 この青春系のオーラの持ち主は、何故かとにかく可愛く見えてしまうのだ。

 横須賀十傑衆に入っていようがいまいが、俺のハートにダイレクトアタックを仕掛けてくる。

 

 俺の動悸が激しくなっている理由はそれだけではない。

 気付いてしまった。思い知らされてしまったのだ。

 この場に及んで、己の力量を――。

 

 山に登るのは自由だ。俺は許可を出されたに過ぎない。

「金剛山、比叡山、榛名山、霧島連山を一晩で縦走? どうぞご自由に」という事だ。

 挑むのは自由。だが、どんなに計画を立てたとしても、それを実現できる力量が俺にはあるのか?

 

 俺は童貞やぞ!

 そもそも相手が一人であったとしても、満足させられるかさえもわからない。

 四連戦できる体力はあると自負しているが、それはあくまでも演習(オ〇ニー)の話だ。

 演習は独奏(ソロ)だが実戦は二重奏(デュオ)。消費する体力はまた別物。どうなるかはわからない。

 ましてや5Pともなれば五重奏(クインテット)だ。

 俺には四人を相手にして全員を満足させられる技術と体力があるのだろうか。

 自分だけが気持ちよくなるだけではオ〇ニーと変わらない。

 相手を満足させたいという男のプライドが俺にもある。

 ハーレム王になるとはそういう事なのだ。

 

 技術、体力、装備やその他の準備。

 それらを(おこた)った者が無謀な登山に挑めばどうなるか――言うに及ばない。

 比叡を抱きしめただけで興奮のあまりすでに暴発しそうになっている俺である。

 間違いない。霧島連山から挑めば、間違いなく金剛山まで辿り着けない。

 榛名山への登頂どころかアプローチさえ危うい。

 下手すれば霧島だけで満足し、賢者モードになりかねん。

 天孫降臨どころか天に召される。

 手厚くフォローされたあげく、金剛を抱けなかったとなれば、流石の金剛でも愛想を尽かすだろう。

 

 アカン。非常にアカン……!

 と、とにかく比叡の可愛さに興奮しまくり、今にも砲撃を開始しそうになっているシココロちゃんを落ち着かせなければ……!

 貴方の……貴方たちのために戦ってあげる。私がそうしたいの!

 いやその気持ちは嬉しいが、今はまだその時じゃない……!

 もうちょっと待って……!

 くそっ、比叡のパイオツの感触が……!

 455(フォーティーファーイ)

 

 呼吸を……呼吸を整えるのだ……!

 股間に意識を全集中……!

 猿の呼吸 壱ノ(かた)! 魚雷発射クマァーーッ‼

 いやだから発射したらアカン……!

 ここでぶっ放したら男としても社会的にも俺は死ぬ。

 耐えろ俺、生殺与奪の権を股間に握らせるな……!

 

「フーッ、フゥーッ……!」

「し、司令……?」

「ハァーッ、ホァァーッ……!」

 

 俺が股間の猿柱を必死に押し留めていると、呼吸の乱れに気付いた比叡が心配そうに見上げてくる。

 頼むから至近距離でその可愛い顔を向けないでくれ。全集中の呼吸が更に乱れる。

 俺の腕の中にすっぽりと包まれる華奢な体躯も、体に押し付けられる豊満な比叡山の感触も、全てが俺を興奮させる。

 だ、駄目だ……俺程度では到底無理な事だったのだ。

 このままでは俺の股間の延暦寺が焼き討ち不可避。

 

 俺は比叡を抱きしめていた腕を解き、その場に膝から崩れ落ちた。

 シコロラド艦隊、全力斉射! 各個、目標に砲撃開始! 一気に殲滅する! Fire!

 陸奥(ムッツ)リよ、この短門(みじかと)に続け! 第一戦隊突撃、主砲イッ斉射! てーーッ!

 短門、いい? イクわよ! 第一戦隊、イッ斉射! てーっ!

 あ、危ないところだった……!

 あとほんの僅かでも接触していたら俺の股間のスモールセブン共が徒党を組んで特殊砲撃をブッ放してしまうところだった……!

 

「テートクゥッ⁉」

「司令っ⁉」

 

 床に片膝をついた俺に、金剛が慌てて駆け寄ってくる。

 比叡も驚きながらも、俺の身体を支えようとしてくれる。優しい。

 だが今はお前からの接触はマジでやめてくれ。暴発の危険性がある。

 俺は猿の呼吸を整えながら口を開く。

 

「ハァッ、ハァッ……! だ、大丈夫だ。比叡、お前は少し廊下に出ていてくれ」

「わ、わかりました……」

 

 比叡に聞かれないように廊下に出てもらい、俺は心配そうな金剛に目を向けて言葉を続けた。

 

「す、済まないな……私から言い出した事なのに……どうやら、今の私ではお前一人で限界だったようだ……」

「テートクゥ……」

「四人全員、いけると思っていたのだがな……ままならないものだ……この瞬間まで自分の力量も把握できずに……情けない提督を笑ってくれ」

 

 童貞のくせに強欲すぎた。

 階段を上るように、一歩一歩経験を積み重ねるしかなかったのだ。

 今の俺では金剛一人で精一杯。

 何がいきなり5Pだ。何がハーレム王だ。浮かれていた自分を殴ってやりたい。

 こんな情けない姿を見せた時点で、やはり金剛も愛想を尽かしてしまうだろうか……。

 

 半分諦めていた俺であったが――そんな俺を、金剛は泣きそうな顔でその胸に抱きしめてくれたのだった。

 俺の顔が金剛の胸に押し付けられ、包まれる。

 だが俺は全くと言っていいほど不思議と欲情しなかった。

 比叡よりも明らかにドストライクなのに、一体何故……。

 むしろ、俺が感じたのは劣情ではなく安心感。

 あぁ、これは――覚えがある。

 昨日の歓迎会で、夕雲や浦風、雷に感じたものと同じだ。

 母性――俺の駄目なところを知りながらなお、それごと俺を受け入れてくれるという安心感。

 

「提督、十分デス。もう十分デスヨ……! 私が頑張りマス。比叡、榛名、霧島の分も私が頑張りマスから……!」

 

 妹たちの分も、金剛が頑張ってくれるというのか。

 俺が情けないところを見せても、それでも俺を見捨てたりはしないと……!

 俺の事を好きでいてくれるのだと……!

 

「……そう言って、くれるのか……」

「ハイ! おかげで提督パワーも満タンデース! この私に全てお任せ下サーイ!」

「そ、そうか……ありがとう……」

 

 提督パワーというのは、俺に気をつかって言ってくれたのだろう。

 皐月たちの言う謎パワーの事ではなく、俺の想いとか、愛情とか、そういったものの比喩かもしれない。

 ならば、そんなものは無いと否定する必要もない。

 俺も気持ちを切り替えて、金剛一人との夜戦に集中しなければ。

 

 そうなると比叡、榛名、霧島は、今回は自室で待機してもらうことになるな……。

 いや、先ほど金剛が支援を向かわせると言っていた事と、ちょうど都合が良い。

 三人には時雨たちのフォローに向かってもらおう。

 

 しかし、まだ俺は立ち上がれそうにない。

 股間のスモールセブン共が未だに立ち上がり、砲撃の時を今か今かと待ちわびているからだ。

 やむを得ん……金剛にメッセンジャーとなってもらおう。

 

「悪いが、少しだけ休ませてくれ……金剛。私の代わりに、比叡、榛名、霧島に出撃命令を。B島方面の連合艦隊に合流するように伝えてくれ」

「ハイッ!」

「私は隣の仮眠室で待っているから……終わったら、戻ってきてくれ」

 

 いい返事をしてくれた金剛に背を向け、俺は前かがみになりながら仮眠室に向かう。

 布団を敷いたり準備しなければならんからな……。

 俺が畳まれていた布団を広げると、中から数匹のグレムリンが『わぁぁー』と転げ落ちた。

 こんなところで何してんだ。

 ゴムはもう入手したらしいから休んでても構わないが、ムードが壊れるからさっさとどっか出て行ってくれ。

 

『えー』

『なんでサダオの言う事聞く必要があるんですか』

『今はそんな気分じゃないんですよね』

『出撃させてくれるなら話は別ですが』

『ちらっ、ちらっ』

 

 こ、こいつら……!

 まさかこの布団に居座るつもりか⁉

 

「出撃したい奴らは全員希望に応えてやっただろ! お前らさっき手を挙げなかったのか⁉」

『ほら、例えば授業中に答えがわかってるのに目立ちたくなくて挙手できない時ってあるじゃないですか』

『そんな感じです』

『私達、滅多に人前に現れないほど結構内気な方なので』

「クソが! ちょっと共感できる例えしやがって!」

 

 俺はグレムリン共を両手で掴み、急いで金剛の後を追う。

 今しかない。つーかこれがラストチャンスだ。

 今から夜戦に向かう比叡たち以外に出撃する者はもういない。

 このグレムリン共を出撃させなかったが最後、俺と金剛の雰囲気にかかわらず枕元で童貞音頭を踊り出す可能性がある。

 電動ドリルを持っているのは意味わからんが、なんか法被(はっぴ)着て頭にねじりハチマキつけてる奴もいるし……。

 童貞祭り開催する気満々ではないか。アカン。

 内気なんだったら表に出てくんなや!

 

 前かがみで廊下を駆け、なんとか金剛に追いついた。

 

「提督……一体どうしたんデース?」

「ハァッ、ハァッ……金剛、ついでにこれらも出撃に付いて行かせてくれ」

「これは……? っ!」

 

 金剛に半ば無理やり押し付けるようにグレムリン共を差し出した。

 受け取った金剛の表情を確認する余裕もなく、俺は両膝に手をついて息を吐く。

 前かがみとはいえ全速力で走ったせいで股間に刺激が……!

 少し休み、股間に余裕ができたので俺は顔を上げる。

 そして何故か目を潤ませている金剛の表情を見て、俺は思わず口にしてしまった。

 

「金剛……その、すぐに戻ってきて、くれるよな……?」

 

 いや、わかっている。

 シャワーを浴びたり、色々と準備があるのはわかっている。

 我慢できないのは童貞臭いというのもわかっている。

 待つ時間は楽しいものだが、正直もう辛抱たまりません……。

 今すぐこの廊下でもおっ始めたいくらい気持ちも股間も盛り上がっているのだ。

 俺的にはシャワーなんていらない。

 気持ち的には身体の隅々まで綺麗にしたいところだが、フェロモンが落ちるという説もある。

 布団を敷いたはいいが、次に金剛が執務室の扉を開けた瞬間に抱きしめたいくらい待ちきれないのだ。

 その気持ちを是非とも理解して頂きたい。

 

 そんな俺を、金剛は再び抱きしめてくれた。

 再び金剛の母性に包まれて、途端に俺の性欲は霧散する。

 やはり金剛もマンマ祭り四人衆に入れるべきか。

 よし、入れ替え制にするには誰のバブみも甲乙つけがたいし、枠を五人衆に増やそう。

 

「ハイ……ハイ……! 必ず……! 私は絶対に、すぐに戻ってきます……! 提督に待ちぼうけなんてさせマセン……! 約束します……」

 

 金剛は何故か泣きそうになりながらそう言ってくれた。

 俺が待ちきれないという事が、それだけ自分を求めてくれていると理解してくれたのだろうか。

 嬉しい。可愛い。Be The One。

 どうやら俺をなるべく待たせないように努力してくれるようだ。

 せっかちな奴だと呆れないで受け入れてくれた……ありがたい。

 お前が俺の最後の希望だ……。

 

 金剛の母性のお陰で俺の股間も冷静さを取り戻し、気持ちを切り替えられた。

 俺はキリッと表情を引き締め直して、比叡に向き直る。

 

「比叡。こんな時間の出撃になってしまって悪いが、榛名、霧島と共に一日中出撃している時雨たちをサポートしてやってくれ。頼んだぞ」

「はっ、はいっ! 了解!」

 

 比叡も姿勢よく敬礼を返してくれたが、その頬は赤く染まっている。可愛い。

 いやイカン、今夜は金剛に集中しなければ。

 比叡を抱くのはまた今度だ。

 経験を積み、男としての自信をつければいつかはきっと金剛四姉妹全員を同時に相手できるようになるだろう。

 焦る必要は無い。山は逃げないのだから。

 俺は金剛に「待っているからな」と伝え、再び執務室へと戻った。

 

 仮眠室には先ほどのグレムリンの姿は無い。

 どうやら出撃する誰かにくっつかせる事ができたようだ。

 比叡か榛名か霧島か……まぁ誰でも良い。

 これでようやく邪魔者は全て消えた。

 

 よし、それでは今のうちにシミュレーションしておこう。

 俺は布団の上に正座して目を閉じ、心静かに瞑想を開始する。

 

 作戦名、バブ海色(ミいろ)(サル)ト〇ックス!

 金剛と一緒に今宵も(サル)ーテ!

 よし、ラム酒を出そう!

 金剛で童貞卒業できるこの栄誉を、女王陛下(大淀)と……貴女に! cheers(乾杯)

 

 やったぁ! 待ちに待った夜戦だぁーっ!

 さぁ、私と夜戦しよ?

 まずはキス島攻略作戦! これが奇跡の作戦……キスカ! ワカバダ。

 続いてブインならぬボイン防衛作戦! えぇ装備じゃのう、(みな)も喜ぶけぇ。

 舞台はアンツィオ沖ならぬパンツィオ沖の最深部へ! ヒャーッ! キヤガッタカァッ!

 そしてなんやかんやでついに鉄棒(チ〇コ)の沈む海峡に突入!

 響き渡る金剛のアンアン(モト)ムサウンドを抜けて、激闘! 第一次早漏者(ソロモン)海戦!

 さぁ、最っ高に素敵なパーティしましょ?

 俺は最初からクライマックスだぜ!(限界)

 中に出すけどいいよね? 答えは聞いてない!(クズ)

 全砲門、Fire! バーニングッ・ラァァァーーブッ‼

 ウォォォーーッ‼ 金剛ッ! 那珂(ナカ)ちゃんに射精()すぞッ! Ah……。

 …………。

 これでフィニッシュ? な訳ないデショ! 私は食らいついたら離さないワ!

 主砲、一番、二番! 行くぞ! もう一撃だ! ()がさんぞ! シュゥッ!

 

 ……よし、大体こんな感じだろう。

 なんか勢い余って中に出してしまったが、ゴムを装備しているとはいえ本番では事故が起きぬよう気を付けなければ。

 

 それにしても、本当に俺の秘密兵器に実戦の機会があるとは……。

 五感を司る提督アイ、提督ノーズ、提督イヤー、提督スキン、提督タング。

 第六感を司る提督シックスセンス。

 提督七つ兵器のうち、これらは日常の中でも出番の機会は多い。

 

 だが最後のひとつ、股間を司る提督キャノンだけは実戦に運用された事がなかった。

 ついに訪れた実戦の機会。

 処女航海ならぬ童貞航海へ向けて、提督キャノンを搭載した俺の秘密兵器(リーサルウェポン)が動き出す。

 精通してから現在に至るまで十年以上、演習のみで己を磨き上げ、練度を鍛えてきた超弩級戦艦。

 その名も演習(オ〇ニー)番長、不戦艦・無挿(ムサシ)

 この無挿(ムサシ)の主砲、伊達ではないぜ?(小口径)

 イこうか、相棒……。

 

 期待で胸と股間を膨らませながら瞑想していると、廊下から駆けてくる足音が近づいてくるのが耳に届く。

 おぉっ、ついに来たか!

 こんなに早いとは、まさかシャワーも浴びてないな⁉

 比叡たちを送り出して、我慢できずに駆けてくるとは可愛い奴め!

 お望み通り、思う存分可愛がってやろうではないか!

 俺ももう辛抱たまらん!

 ご指導ご鞭撻、よろしくです。

 

 ムラ付けは万全、コンディション値100%!

 支援艦隊(比叡たち)も出撃済!

 あとは残された金剛を俺の主砲で落とすのみ!

 先ほどまでのような、手に汗握る恋の駆け引きはもういらない。

 勝利の約束されたウイニングラン。

 これが俺の――ラストダンスだ!

 

 不戦艦・無挿(ムサシ)! いざ、出撃するぞ! 抜錨!

 

 金剛を迎えるべく俺も執務室の扉へと駆けていき、勢いよく飛びついてくるであろう金剛を抱き留めるべく腕を広げて地を蹴ると――。

 

「司令! 磯風だ! 入るぞ!」

 

 ノックもせずに勢いよく扉が押し開けられ、思いっきり俺は顔面から衝突し、盛り上がっていた股間も釘を打つように扉に垂直に打ち付けられた。

 

「イ゛ェアアアアア‼‼」

 

 演習(オ〇ニー)番長無挿(ムサシ)、駆逐()級の奇襲により道中大破‼




大変お待たせ致しました。
提督視点が2万字を超えてもまだ終わる気配が無かったので分割します。
なぜ提督視点はこんなに長くなってしまうのか、私にもわかりません。

ゲームの方では、今月には夏イベが始まりますね。
何やら大規模イベになりそうとの事で、戦々恐々としております。
艦これを触れる時間の減少が一番の不安ですが、我が弱小鎮守府も丁作戦でもいいので完走したいものです。

次回の提督視点後半も気長にお待ち頂けますと幸いです。


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069.『秘密兵器』【提督視点②】

 提督キャノン改め提督パイルバンカーの一撃を急所に喰らい、俺はたまらず床に倒れ伏す。

 

 まだだ……! まだこの程度で、この無挿(ムサシ)は……沈まんぞ!

 そんな攻撃、蚊に刺されたようなものだ!

 た、たかが主砲(股間)魚雷管(股間)機関部(股間)がやられただけなんだから!

 アカン、強がって誤魔化せるレベルの痛みじゃねェ‼

 

「グォォォオオーーーーッ‼‼」

「し、司令⁉ 済まない! まさかすぐそこに立っているとは思わず……!」

 

 慌てて駆け寄る磯風に、俺は本能的に痛みを紛らわせるべく、四つん這いの状態で腹の底から叫び声を上げる。

 ノッキン! ダメージノッキン‼

 

「磯風ェェーーッ‼ 貴様ァーーッ‼ 待機命令はどうしたァァァーーッ‼‼」

「そ、それはわかっているが……」

「俺は待機しろと言ったァーーッ‼ (イッタ)ァァァアアアーーッ‼‼」

 

 頑張れサダオ頑張れ‼

 俺は今までよくやってきた‼

 俺はできる奴だ‼

 そして今日も‼ これからも‼ 股間が折れていても‼

 俺が(くじ)けることは絶対に無い‼

 応急修理要員(俺)、発動‼

 

「ハァ……ハァッ……!」

 

 ……よ、よし、叫びまくったおかげで何とか峠は越えた……!

 なんとか大破状態で食い止めた。

 童貞卒業(シャングリラ)に到達するまでは死んでも轟沈できん。

 もう演技する余裕すら残されていなかったが乗り切った自分を褒めてやりたい。

 

 己を鼓舞することで股間の猿柱(えんばしら)様が轟沈するのを防ぐ。

 この高等テクニックを痩せ我慢(ダメージコントロール)と言います。

 俺はもう本当にずっと我慢してた!

 明石にクレーンを叩きこまれた時も、金剛に朝立(あさだち)をへし折られた時も、すごい痛いのを我慢してた!

 俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった。

 

 四つん這いの状態で苦悶の表情を浮かべる俺を見下ろして、磯風が申し訳無さそうな表情で口を開く。

 

「し、司令、本当に済まなかった……しかし、何故扉の前に」

 

 それはこちらの台詞だ……!

 あまりの痛みで考える余裕もなかったが、磯風お前、こんなところで何をやっているんだ……!

 俺のプランではとっくに出撃しているはずではないか。

 ちょっと待て、最終的な編成は大淀に任せている。

 俺の意図を読んだ大淀さんなら邪魔者は全て出撃させてくれるはずだと思ったが……鎮守府の防衛に最低限の戦力を残すためとかだろうか。

 しまった、俺はそこまで考えていなかった……!

 

 いや、そうだとしても俺が先ほど無意識に叫んだ通り、直々に提督命令を出しているではないか。

 

『出撃しない艦は持ち場、もしくは自室に待機。提督命令だ。必要時には私が指示をする。これに背いた場合は……あとで大淀に報告する』

 

 これ以上の抑止力があるだろうか。

 あの赤鬼青鬼(一航戦)が恐れる鳳翔さんですら、大淀の名前を出したら引き下がってくれたんだぞ。

 俺は未だ回復していない状態で床に片膝をつき、痛みで震える声を磯風に向けた。

 

「ハァ、ハァ……先ほども言ったが、私が指示を出すまで待機しろと言っていただろうっ! 大淀に報告すると言ったのが聞こえなかったのかッ!」

 

 俺の言葉に、磯風は狼狽えながらも強がるように、腕組みをしながら堂々と答える。

 

「こ、この磯風を見くびるな……大淀が怖くて司令の片腕が務まるか」

 

 なんだコイツ、命令違反してるだけのくせに無駄にカッコいいぞ。

 しかし磯風、馬鹿だとは思っていたが、まさか大淀さんさえ恐れないとは……。

 まだレベルの違いに気付いていないのか。バ、バカの世界チャンピオンだ……。

 

 いや、待て。磯風だけが残っているというはずはない。

 まさか――。

 

「提督! 今の叫び声はなんですか⁉ って、あぁっ、提督っ⁉」

「おどりゃ磯風ぇッ‼ 提督に何さらしとんじゃあ!」

「こんにゃろォもう許さねぇ!」

 

 ドタドタと騒がしい足音が近づいてきたと思えば、執務室内を覗いた浦風たちの怒声が響き渡る。

 ウォォォオオアアアアーーーーッ‼

 脳内で絶叫し、錯乱した俺はもう白目を剥いた。

 浜風、浦風、谷風……やはりお前達まで……!

 モウ来ナクテイイノニ……何デ来ルノォォォ⁉

 (ハエ)ドモガ……ッ! シャングリラ……シャングリラァァア‼(混乱)

 反転(ハンテェン)! 反転(ハンテェン)! 反転シナヨォオ‼(混乱)

 雁首(がんくび)そろえて、いらっしゃいませ~!(混乱)

 

「くっ、もう感づかれたか……」

「その言い草はなんですか! トイレに行くだとか嘘を言って!」

「う、嘘では無い。途中で執務室に寄っただけだ」

「おどれのお陰でうちの組の面子(メンツ)が丸潰れじゃ! どうケジメつけるつもりじゃ、えぇ⁉」

「かぁ~っ! 御用だ御用だ! このすっとこどっこい、もう手足ふん縛っておくっきゃねぇぞ畜生め!」

 

 ガチ切れしている様子の浦風が磯風の胸倉を掴み上げてガクガクと揺さぶる。

 

 薄暗い執務室、月明かりの照明の下、心地よい静寂……。

 俺の作り上げた渾身のムードは、磯風、浦風、浜風、谷風という四人の塵旋風によって瞬く間に削がれてしまう。

 まるで台風、ツイスター、ハリケーン……全てを吹き飛ばし薙ぎ倒す、あまりにも無慈悲な天災。

 過ぎ去った後に残るのは無残な荒野。

 俺と金剛が先ほどまで抱きしめ合っていたロマンス空間が、主に浦風と谷風のせいで仁侠映画と時代劇の世界に塗り潰される。

 

 これではムードどころではない。

 こんな空間に金剛が帰ってきてみろ、夜戦どころではない。

「また別の機会に……」となり、そしてその機会は確実に近い内には訪れない。

 大淀さんからまた許可が出る保証も無いんだぞ。

 

 俺がこの一夜にどれだけの策を巡らせたと思っている。

 プライドを捨ててグレムリンに土下座までしたんだぞ……!

 俺の中に沸々と怒りが湧き上がり、股間に下りていた血が頭に上る。

 激痛と驚きのあまり忘れかけていたが、上官の股間に大ダメージを負わせた磯風の所業……許しがたい!

 明石や金剛からも深刻なダメージを負わされてはいるが、それは置いておく。

 俺の渾身のラストダンスに水を差してくれた罪はあまりにも重い。

 

 ――情状酌量の余地なし! 有罪(ギルティ)ーーッ!

 俺の股間の最低裁判所が判決を下した。異議なし!

 

 俺は智将だ。激しい怒りの中でも冷静さは失うな。

 俺がするべき事は何だ。

 まずは状況把握、そして迅速な十七駆の四人の排除。

 タイムリミットは金剛が戻って来るまでの間。

 俺の天才的頭脳が導き出した計算によれば、シャワーを浴びたり準備があるとなれば数十分、それさえしなければ残り数分。

 もはや一刻の猶予も無い。

 

 俺はゆっくりと立ち上がり、縛り上げようとする三人とそれに抵抗する磯風を睨みつけ、怒りを抑えつけながら静かに口を開く。

 (こうべ)を垂れて(つくば)え。平伏せよ。

 いやそれは流石にパワハラだな……。

 

「お前たち……少し黙れ」

 

 低く絞り出された俺の言葉に、もみ合いになっていた四人の動きがぴたりと止まる。

 そして俺の表情を見るや、さぁ、と血の気が引いたように表情が固まり、誰とも言わずに横並びとなって(うつむ)いた。

 抑えきれぬ俺の怒りを感じたのだろう。

 俺の九割は色欲で出来ているが、今は憤怒の方が大きいと言ってもいい。

 空気の読めない磯風でも流石にまずいと思ったのか、ばつの悪そうな表情で俺に向けて口を開いた。

 

「し、司令! 私は……」

「誰が喋って良いと言った」

「っ!」

 

 貴様共のくだらぬ意思で物を言うな。

 私に聞かれた事にのみ答えよ。

 いやそれは流石にパワハラだな……。

 あまりにも怒りすぎてついつい感情のままに言葉が出そうになる。

 我慢我慢。俺は大人で、こいつらはせいぜい中学生くらいの子供なのだから。

 いかに相手に非があったとしても感情的に怒鳴り散らしてはいかん。

 ちゃんとこいつらの話も聞かねば。

 一人で勝手な行動を取った磯風はイカン。

 怒りすぎて仁侠映画の(カシラ)になっている浦風もアカン。

 同じく時代劇の岡っ引きになっている谷風も駄目だ。

 俺は比較的まともそうな浜風に目を向けて言葉を続ける。

 

「浜風。お前たちは何故鎮守府に残っている?」

「えっ……そ、それは、それは……」

「大淀からそのように指示が出たのだろう」

「は、はっ」

「司令っ! この磯風はそれを確かめるためにここに来たのだっ! 教えてくれっ! 我ら第十七駆逐隊が何故居残りなのだっ! 連合艦隊に編成された六駆にも、七駆、八駆にも劣っていない自負がある! 何故なんだっ!」

「磯風っ! しっ!」

 

 思わず口を開いてしまった様子の磯風を、浦風が小声で(たしな)める。

 なぜ私がお前の指図で答えを教えねばならんのだ。

 (はなは)だ図々しい、身の程を(わきま)えろ。

 いやそれは流石にパワハラだな……。

 磯風が口を開くたびに俺の中の鬼さんがブチ切れそうになる。

 頼むからもう本当に黙っていてくれ。

 

 なるほど、やはり大淀の指示で居残りになったようだが、その理由が説明されていないと。

 それで、磯風は我慢ならずに俺に直訴しにきたわけか。

 この俺に大淀の領域がわかるわけが無いだろ……!

 俺に質問をするな……!

 磯風にダサすぎる逆切れをしたい気持ちを堪えて、俺は浜風に問いかける。

 

「今、鎮守府に残っている艦娘を全て答えてみろ」

「は、はい。我ら以外には、鳳翔、間宮、伊良湖、明石、伊168、伊19、伊58が待機しています」

 

 ふむ……こいつら以外は俺の想定していた面子と同じだな。

 何故、大淀はこいつらを残したのか。

 鎮守府に最低限の戦力を残すためと考えるのが自然だろうが、大淀が説明していないのが気にかかる。

 ここで自信満々に説明してそれが間違っていたとなればダサすぎる……。

 そもそも俺ごときでは大淀の領域には到底辿り着けん。

 しかしそれでも、大淀のやる事に対して俺は絶対の信頼をしているのだ。

 

 全ての決定権は大淀に有り、大淀の言うことは絶対である。

 俺たちに拒否する権利はない。

 大淀が“正しい”と言った事が“正しい”のだ。

 俺の中の鬼さんも半ギレ状態でそう言っている。

 

 だが、今回ばかりは大淀の意図と異なる事をしなければならん。

 大淀は何らかの意図があってこいつらを待機させたのだろうが、俺としては念には念を入れて出撃させたい。

 すでに執務室のムードをめちゃくちゃにしてくれた前科がある。

 これでは俺も安心して金剛との夜戦に挑めない。

 またいつ奇襲を受けるかわからんというのに致せるわけがないだろう。

 

 それに、磯風自身も他の駆逐隊が出撃しているのに待機するというのが納得できていないのだ。

 出撃させればおとなしくなるはず……。

 それにより俺が大淀に処せられる事が無いかという懸念もあるが……目の前の金剛との夜戦のためだ。

 俺にまだ利用価値があるならば、命までは取られる事は無いと信じよう。

 大淀も欲望に忠実にと言ってくれたし……ならば大淀の意図よりも欲望最優先で良いではないか。

 たとえ俺の指示で策が狂ったとしても、大淀ならば何とかしてくれるだろう。

 

 そうと決まれば、早速この四人を出撃させねば。

 たしか時雨たちと合流した事で、B島方面が支援を必要としてるっぽかったな……。

 比叡、榛名、霧島もそこに向かう事になったし、こいつらもそこで良さそうだ。

 しかし、どのように説明するか――。

 俺は脳内で策を練りながら時間を稼ぐべく言葉を続けた。

 

「一応聞いておくが、大淀の意図については考えてみたのだな」

「は、はっ。しかし、どうにも……」

「そうだっ、だが皆納得のいく答えを得られなかった! 故に司令の片腕たるこの磯風が皆を代表して――」

 

 ――ブツン。

 磯風がもはや何度目になるかもわからない勝手な声を上げた瞬間――頭の中で何かが切れた。

 思考も策も理性も全て吹き飛び、俺はほとんど反射的に怒鳴りつける。

 

「この大馬鹿者ッ! いい加減にしないかっ! 忠誠心があれば何をしても許されるというわけでは無いっ!」

「っ……!」

「誰が喋って良いと言った! 何度言ったらわかるんだお前はっ! 大淀が怖くないと言ったな、だが待機命令を出したのは誰だっ! 私だろうっ! お前にとって提督命令とはその程度の事なのかっ!」

「そ、それは……」

「大淀に報告するまでも無い。そんなに出撃したければ出撃させてやるっ! 今すぐだっ! さっさと行けっ!」

「し、司令……」

 

 感情的にそこまで怒鳴ってから、目的地を指示していなかった事に気が付いた。

 そんなくだらないミスに対しても、自らへの恥ずかしさで怒りが湧いてくる。

 ほとんど八つ当たりに近い感情で、俺は浜風に目を向けて再び声を上げた。

 

「浜風っ! 磯風を止められなかったお前たちにも責任がある! 連帯責任だっ! 浦風、谷風も共に出撃し、B島方面の連合艦隊に合流! 後は大淀の指示に従えっ!」

「は、はっ……!」

「し、司令っ! 悪かった、済まなかった! この磯風が悪かった! 私一人が悪いのだっ! どうか三人は許してやってくれっ……!」

 

 慌てて深く頭を下げる磯風を睨みつけ、怒鳴りつける。

 

「お前は懲罰の内容にまで異議を唱えるのかっ! お前は本当に提督命令を何だと思っているんだっ!」

「頼む! 頼む……! この磯風一人で出撃する! 罰は私一人で受ける! 皆は悪くないのだ、だから、どうか、どうか……!」

「黙れっ! 今すぐ出撃しろと言っただろうっ! 時間が無いんだ! 浜風、浦風、谷風っ! 磯風を引きずってでも連れて行けっ!」

「は、はいっ!」

 

 ついには土下座し、額を床に叩きつけて懇願する磯風を三人がかりで無理やり立ち上がらせる。

 うわ言のように謝罪と懇願の言葉を続ける磯風を肩で支えながら、浦風がうっすらと涙を浮かべた目で何度も頭を下げながら言った。

 

「うちがついていながら……提督、本当にごめんなさい」

「申し訳ありませんでした」

 

 浜風、そして谷風も真剣な表情で深く頭を下げる。

 そして磯風を引きずりながらとぼとぼと歩いていく三人の背中を見て、俺の頭に上った血が瞬く間に引いていく。

 俺は……今、何を。

 なんて事を言ってしまったんだ。

 なんとか出撃させようとは思っていた。そう画策していた。

 だが、そんな表情をさせるつもりは……!

 傷つけるつもりはなかったのだ。

 

「は、浜風! ちょっと来なさい」

「はっ」

 

 扉を開けて廊下に駆け出し、思わず声をかけてしまい、それに応じて浜風だけが俺のもとにきびきびと駆けてくる。

 ふと、俺は龍田の言葉を思い出した。

 つい数時間前。イムヤの轟沈に気が動転してしまい、轟沈するなと感情的に叫んでしまったのを謝罪した時の事だ。

 頭を下げた俺に対して、龍田はこう言ったのだ。

 

『今更、提督命令を取り下げるつもりかしら~? 聞いたのが私と優しい天龍ちゃんだったから良かったけれど、男の二言、朝令暮改だなんて、他の皆が聞いたら信用を無くしちゃうわよ~? 優しい天龍ちゃんはともかく、私はちょっぴり、残念だわ~♪』

 

 この言葉が事実だとすれば、下手に訂正はできない。

 感情的になって出撃させる上官なんて最悪だ。

 だが、その時の機嫌でころころ指示を変える上官もどうなのだろう。

 どちらにせよ龍田の言うように、信用を無くすであろう。

 せっかく俺に友好的な四人に対して、それは嫌だ……。

 そうなると、怒りに任せた命令ではあったものの、今更引っ込める事もできん……。

 できるのは最低限のフォローだけだ。

 俺は浜風に目を向けて、言葉を選びながら口を開く。

 

「その……感情的になってしまい、すまなかったな」

「は……? は、はっ。いえ、当然の事です」

「磯風に目を配り続けるのも大変だろう。損な役目を押し付けてしまい、お前達には苦労をかける。本当に助かっている」

「い、いえ、そんな事は……」

「浦風と谷風にもそれとなく伝えといてくれ」

「は、はい」

 

 俺の言葉に目を丸くし、そして目を伏せる浜風に、言葉を続ける。

 

「B島方面の艦隊は現在、支援を求めている。すでに比叡たちには指示しているが、お前達も力になってくれ」

「支援を……? はっ。無論です。汚名返上のためにも全力を尽くします」

「それと、大淀に後は任せたと伝えてほしい」

「はっ」

「いいか。言うまでも無い事だと思うが一応言っておく。大淀は私の事を最も理解できている。心を読まれていると思うほどにな。故に、大淀の言葉は私の言葉だと思え」

「は、はっ!」

「最悪、私には逆らってもいいが大淀には逆らうなよ」

「は……? は、はぁ」

 

 俺の計画を危うく滅茶苦茶にしてくれそうになったこいつらだが、俺ならともかく大淀の前でそんな事をしたらただでは済まない。

 もしも磯風がまた予想外の行動に出て大淀の考えている計画をぶち壊しにでもしてみろ。監督責任で俺の首も物理的に飛びかねん。

 心配なので浜風にしっかり釘を刺しておく。

 俺の言葉に怪訝な表情で小さく首を傾げた浜風の頭をくしゃりと乱暴に撫でて、俺は言葉を続けた。

 

「汚名返上と言うなら、四人全員無事で帰ってくるんだ。それで今回の件は全て(ゆる)す。浦風たちにもそう伝えておいてくれ。いいな」

「……」

「浜風?」

 

 何故か呆けたように口を半開きにしていた浜風だったが、はっと気が付いたように背筋を伸ばし、慌てて敬礼する。

 

「……はっ! りょ、了解しました」

「ちゃんと聞いていたか?」

「は、はっ。問題ありません。この浜風、この程度で浮かれるほど素人ではありません」

「……何がだ?」

「い、いえ、何でもありません。それでは第十七駆逐隊、浜風。出撃します」

 

 浜風は先に行ってしまった浦風たちの姿が見えない事を確認するかのように慌てて振り返り、何故か胸を撫で下ろしたように見えた。

 そして後を追って駆けて行く浜風の姿を見送った後、俺は仮眠室に敷いた布団に倒れこみ、枕に顔を埋めて悶絶する。

 自己嫌悪と罪悪感に圧し潰されそうだったからだ。

 

「グオオオオ……!」

 

 できる限りのフォローはしたつもりだったが、浜風の心ここにあらずと言ったあの感じ……心は沈んだままだろう。

 最悪だ俺は。着任当初から友好的だった浦風や谷風にまで感情的に怒声を浴びせて……。

 見た目と艦種的にまだ中学生くらいだぞ。子供相手になんて大人げない真似を……!

 磯風も悪い奴ではない。仲間を罰に巻き込んでしまったとなったら土下座までして許しを乞うくらいだ。

 待機命令を無視したり俺の股間を痛打したのは悪いが、大淀を恐れず俺の片腕に立候補してくれるくらいだし、結果的に炭の塊だったとは言えこのクソ提督に手料理を振る舞ってくれるくらいだ。

 四人ともめっちゃいい奴なのに、俺は童貞を捨てたい一心で焦り、酷い言葉を……!

 

 いや、自己嫌悪に陥るのは後にしよう。そんな余裕は無い。

 四人には後で何か穴埋めをすればいい。

 俺には俺の夜戦があるのだ。そちらに集中せねば。

 気持ちを切り替えてパンパンと手を叩き、周囲にいるはずのグレムリンに呼びかける。

 

「よし。お前達、例の物を」

『提督さんが呼んでるよー』

『皆ー、集まれー』

『おー』

『わー』

『わぁぁー』

『わぁい』

 

 俺の呼びかけに、グレムリン共がぞろぞろと四方八方から現れる。

 まるでまっくろくろすけのようだ。純粋に気持ち悪い。

 一番先頭に立つグレムリンが、俺を見上げて口を開く。

 

『その件なのですが、市販のものを購入することはできませんでした』

「な、何っ。どういう事だ」

『だって、私達の姿は普通の人には見えませんし』

「そ、そうか……ちょっと商品を拝借する事はできなかったのか」

『できますけど、それじゃ万引きじゃないですか』

『犯罪はよくないです』

「そ、それもそうだな……いやしかし用意できたと聞いていたぞ」

『もちろんです』

 

 先頭のグレムリンが合図をすると、群れの中から数匹が先頭へと移動してきた。

 頭にねじり鉢巻き、のこぎりを片手に携えている。

 大工さんみてーだ。

 

『彼女たちは特注家具職人さんです』

『買えないのなら作ってしまえばいいのです』

「特注家具職人……昼に聞いたな。たしか鎮守府の施設管理してるとか……え? ゴム作ったの⁉」

『そりゃあサダオが困ってるんだもの』

『無理してでも作るに決まってるじゃないですか』

 

 お、お前達……! 見直したぞ!

 俺は信じてた。皆、優秀な子たちですから。

 特注家具職人さん、なんて素晴らしい妖精さんなんだ。

 家具だけではなく避妊具まで作れるとは。

 応急修理要員、艦隊司令部施設に続いて俺の中での有能グレムリンとして覚えておこう。

 

「ダンケ……! 実にハラショーだ。お前達には特別に、特注ゴム職人の称号を与えよう」

『いらないです』

『本当にいらないです』

「フハハ、そう遠慮するな。そうだ、商品名を決めねば。薄雲とサ(ウス)ダコタ、どっちがいいだろうか」

『どうでもいいです』

 

 そ、そうか。じゃあ今回はサ(ウス)ダコタにしておこう。

 霧島! これを見てくれ!(ボロン)

 いや落ち着け。今回は霧島いないんだった。

 

「まぁいい、それでは例の物を見せてくれ」

『はい』

 

 特注ゴム職人が飛んできて、俺の掌に求めていた秘宝を置く。

 薄い本やアダルトな動画で見た事はあるが、実物を見るのは初めてだ。

 ゴム……そう、ゴムだ。袋に入ってないんだな。

 俺が説明したように、主砲に被せる事ができるような形状。

 しかし思っていたより材質が厚く、形もしっかりしている。

 俺が思っていたのは透明で薄っぺらいイメージだったが、これはまるで透けて見えない。

 材質的にゴム手袋に近い。

 滑りも悪い。むしろヌメヌメするくらいじゃないと、致した時に女性側が痛いのではないだろうか。

 これはむしろ滑り止めの役割を果たしそうな程に滑りが悪い。

 しかもなんかイラストが描いてある。

 狂気を孕んだような目がこちらを見ている。茶色と白。動物の顔面? 動物なのかこれは。

 

『カワウソです』

『女の子は可愛いものが好きなので』

『英国から来た妖精さんがデザインしてくれました』

『日英合作です』

『うちのウォースパイトさんにはきっと大ウケです』

 

 カワウソなのか……。何故カワウソ……。

 いやウォースパイトじゃなくて金剛にウケがいいのをお願いしたかったのだが……。

 英国艦にウケがいいなら帰国子女の金剛にもウケたりするのか?

 そもそもウケは狙ってない。普通のでいい。

 しかしそうして見れば、カワウソの指人形のように見えなくもない。

 人差し指に装備してみる。

 うん……働いてた時に慣れ親しんだこの感じ……。

 

「……これ指サックじゃない?」

『…………』

 

 特注ゴム職人たちはしばらく無言で俺を見上げた後、何やら円陣を組んでひそひそと会議を始めた。

 そして改めて俺を見上げて口を開く。

 

『あの、まだ機能の説明をしていないのですが』

「続けてくれ」

『指が乾いてうまく紙がめくれない時とかに役立ちます』

「指サックじゃねーか!」

 

 俺は布団を殴りつけた。

 いや、まだ可能性は残っている。

 あくまでも指が乾いてうまく紙がめくれない時とかに役立つ機能つきのコンドームかもしれん。

 僅かでも可能性が残っているというのなら、俺はそれに賭ける!

 

「……ちなみに、お前達が商品名をつけるとしたらどう名付ける?」

『アナタモカワウソ指サックですね』

「指サックじゃねーか‼」

 

 俺は布団の上に崩れ落ちた。

 クソが……! コイツらを信用した俺が馬鹿だった……!

 誰が事務用品を作れと言った……!

 

『でもサダオの主砲にはぴったりですし……』

「はっ倒すぞ! これ主砲改修前のサイズだろ! 俺の膨張率ナメんな!」

 

 そこまで言ったところで、俺に笑いの神、いや普通の神からの天啓が降りてきた。

 そうだ。逆転の発想だ。ゴムはゴム。指サックでもコンドームの代わりになるかもしれん。

 これが指サックかどうかは俺が決める事にするよ。

 このクソみたいなカワウソの顔は電気消せばよく見えなくなるだろう。

 普通は戦闘体勢に入ってから装備するものだが、この指サックのサイズでは俺の股間(ポケットモンスター)でもさすがに無理だ。

 ならば戦闘体勢に入る前のシコザルに装備し、その後キョダイマックスを発動すればよい。

 俺の海綿体の膨張力でゴムが伸びてくれるかもしれん。

 もう金剛が来るまで時間がない。急いで試さねば!

 兵装実験軽巡、俺! 抜錨!

 

『きゃー』

『きゃああー』

『こいつ本物の馬鹿です』

 

 事態を察したグレムリン共が我先にと逃げていく。

 よし、邪魔者はいなくなった。

 さぁ、実験を始めようか。霧島! これを見てくれ!(ボロン)

 さっそくシコザルにカワウソの化けの皮を被せて……くそっ、滑りが悪くてうまく入らん。

 よし、なんとか入った。シコザルの本気を見せよう! キョダイマックスタイム!

 金剛との夜戦を妄想する事により股間が反応し、シコザルがみるみる膨張していたたたたた痛タタタタタタ

 

「孫悟空かよ!」

 

 俺は無理やり引っこ抜いた指サックを床に叩きつけ、股間を押さえながら布団に倒れ込んだ。

 クソが! 伸びるどころか煩悩に反応して逆に締め付けてくるとは……!

 三蔵法師にお仕置きされる孫悟空の気持ちが理解できた。

 駄目だ。指サックがコンドームの代わりを務められるはずがねェ……!

 磯風のアホのせいで大破した股間に更なるダメージが……!

 ふと気配を感じて見上げれば、窓枠や棚の上からグレムリン共が痛みで痙攣している俺を無表情で見下ろしている。

 

『あれが私達の提督さんです』

『この国は本当に大丈夫なのですか』

『さぁ……』

「うるせぇよ! もう金剛が来るからとっとと出てけ!」

 

 グレムリン共を追い出し、ようやく静かになった部屋の中で俺は考える。

 どうする。金剛とは100%致せる。

 だがゴムが無い。無論、ゴムが無くても致すのは可能だ。

 しかしそれをする覚悟は俺には……!

 

 いや待てよ。そもそもの話だが、艦娘との間に子供はできるのだろうか。

 どこからどう見ても人間なのだから、できても不思議ではない。

 しかし、元は艦船なのだからできなくてもおかしくはない。

 オータムクラウド先生の作品の内容を思い返せば……着けてない!

 どれもゴムなんて装着してないぞ!

 どっちだ。一体どっちなんだ。

 そもそも前例が無いから艦娘たち本人にも、誰にもわからない事なのだろう。

 こればかりはオータムクラウド先生すら知らない事だ。

 賭けるか……⁉ 一か八か……! 万が一当たったら……。

 いや、そんな出来ちゃった、みたいな感じで子供を授かりたくない。

 そういうのはちゃんとしたい……!

 

 理性と本能がせめぎ合う。

 股間の声を聞けば、そんなに滅多に子供が出来る事はないからさっさとヤれと叫んでいる。

 わかってる……お前がヤれって言うのなら、お前が本当にヤリたい事なんだよな……。

 俺だってそうだ。童貞卒業は俺の悲願だ。

 しかし、一時の欲望に流されて望まれぬ子を授かってしまうのは駄目だ。

 

 ちょっと待てサダオ!

 まるで子供が出来ちゃったらバッドエンドみたいじゃないか!

 そんな事はない。物語の結末は、俺が決める!

 文豪にして性豪、股間の性棒(セイバー)が俺を(たぶら)かしにかかる。

 

 逆に考えるんだ。「出来ちゃってもいいさ」と考えるんだ。

 いや、むしろ欲しい! 俺は金剛との間に子供が欲しい!

 子供最高! 子供最高! イェイイェイ!

 俺の十八番、発想の転換だ。

 考えてみろ。金剛との間に子供を授かり、結婚する事になった場合、俺は不幸か?

 否! とんでもない幸せ者ではないか。

 艦娘ハーレムの夢は諦める他ないが、金剛のようなお嫁さんと家族を得られるなんて幸福以外の何物でもない。

 

 金銭の問題も、俺がもっと頑張ればいいじゃないか。

 妹達に使う分と、家族を養う分を稼げるようになればいいじゃないか。

 副業が認められるかは知らんが、寝る間を惜しんででも働けばいいじゃないか。

 仕事を辞めてから忘れかけていたが、今までだってそうやって生きてきたじゃないか。

 妹達と素敵な奥さんと子供のためなら俺は七十二時間寝ずに働ける。

 家族のためなら死んでもいい。

 

 それに恥ずかしい話だが、俺への好意を隠さない金剛の事を、少なからず俺も好いてしまっている。

 それこそ、もしも子供が出来てしまったのならば、ハーレムの夢を諦めてもいいと思ってしまうくらいには。

 たとえ間宮さんや他の皆と結ばれなくても、金剛とならきっと幸せになれるはずだから。

 いや、俺が必ず幸せにしてみせる。

 

 ヤリたいだけじゃない。

 ヤれる理由を探してるわけじゃない。マジで。

 

 俺の心の師、オータムクラウド先生もきっとこう言ってくれる。

 戦艦クラス……喰いたいなァ~!(結論)

 

 生殺与奪の権を完全に股間に握られた俺は覚悟を完了する。

 ゴムは無いがもうそんな事はどうでもいい。

 俺は金剛を抱く。俺の童貞の道程はここで終わる。

 それにしても金剛遅いな……。

 いや、我慢ができなくてがっついてしまうのは童貞臭い。

 ここは大人の余裕を見せねば。

 

 ――――

 

 ――

 

 気付けば金剛が出て行ってから三十分が経過した。

 う、うぅむ、遅い……。

 女の子ってこんなに時間かかるのか?

 いや、俺のために身体を隅々まで磨き上げているのかもしれない。

 俺もシャワー浴びるくらいした方が良かっただろうか。

 ちょっと様子を見に……いやイカンイカン、がっついちゃイカン。

 大人の余裕、大人の余裕。

 

 ――――

 

 ――

 

『第三次童貞祭り、始まるよー』

『皆ー、集まれー』

『おー』

『わー』

『わぁぁー』

『わぁい』

『はぁーよいしょ』

『それそれそれー』

 

 一時間が経過した。

 ちょっと遅すぎやしないだろうか。

 そわそわしすぎて廊下に出たり戻ったりを繰り返している隙に、いつの間にかグレムリン共が童貞音頭を踊っていた。

 クソみたいな指サックとはいえ一応俺のために作ってくれた功績を評価し、金剛が来たら即出て行くという条件で祭りの開催を許可した。

 まもなく俺は童貞を捨てるのだ。今のうちに好きに踊ればいい。

 所詮、妖精の戯言。俺の心には響かない。

 

 うぅむ、それにしても遅すぎる……。

 ふと、俺がまだ働いていた頃にナンパな陽キャの同僚が仲間に語っていた失敗談を思い出す。

 ナンパで引っ掛けた女性と呑み、そのままホテルに直行。

 先にシャワー浴びててと促され、浴び終えて戻ると彼女の姿は消えており、財布と携帯を盗まれてまんまと逃げられてしまったとか。

 あの時はざまぁ見ろとしか思えなかったが……。

 まさか金剛、俺の心を盗んだまま逃げてないよな……?

 いやいや、金剛のハートを掴んだのは私デース。そんな事は有り得ない。

 

 ――――

 

 ――

 

『お疲れ様でしたー』

『盛り上がりましたね』

『これがこの国のお祭りなのですね』

『噂には聞いていましたが』

『たしかにこれは本物でしたね』

『本物の馬鹿です』

『面白いものが見られました』

『欧州から来た甲斐がありました』

『今度はうちの鎮守府にも遊びに来て下さい』

『もうすぐ呉にも鎮守府ができるらしいですよ』

『わー、おめでとうございます』

 

 二時間が経過した。

 第三次童貞祭りとやらは無事終了し、満足気なグレムリン共が握手を交わしている。

 布団の上に鎮座して瞑想する俺の周りで童貞音頭を踊られて非常に不快であった。

 これから打ち上げにでも向かうのだろうか。

 花火のように夜空に打ち上がってそのまま消えて頂きたい。

 すると、どこから持ってきたのか俺の枕元に妖精サイズの酒瓶やらおつまみやらを広げ出した。

 

「おい、枕元に広げるな。そこは今から使う神聖な場所なんだ。酒を零して枕が濡れたらどうする」

『えー』

『どうせ使わないんだからいいじゃないですか』

「お前話聞いてなかったのか。金剛が来たら片付けるって約束だっただろ。そうだ、踊り終わって気が済んだんなら、ちょっと金剛の様子を見てきてくれよ」

『金剛さんならとっくの昔に出撃していきましたけど……』

「ウェ?」

 

 変な声が出た。

 え? 金剛が出撃?

 いやいやいや、それはありえん。

 あの流れで出撃なんて、そんな馬鹿な。

 俺一言も金剛には出撃しろなんて命令してないよ? それなのに勝手に出撃したらある意味命令違反じゃん。

 俺との夜戦から逃げるために命令違反を犯してまで本物の夜戦に向かうなんて、まるで俺との一夜が危険な戦場よりも嫌みたいじゃないか。ハハハ。

 ……――私の事、好きって言ったのに……!

 

 いや唐突に病んでる場合ではない。

 もしかして緊張のあまり布団に潜って、そのまま寝ちゃったとか。

 むしろ俺が夜這いに来るのを布団の中で今か今かと待ってるのかもしれない。

 そうか、待たせてたのは俺の方か!

 しまった、十分前行動を原則とする俺が二時間遅刻とはなんたる失態!

 

「金剛の部屋まで案内してくれ」

『はぁ』

 

 グレムリンに先導させて、金剛の部屋の前に辿り着く。

 金剛と比叡の二人部屋らしい。

 コンコンとノックする。返事は無い。

 静かに扉を開けて中に入る。人の気配は無い。

 恐る恐る二段ベッドを覗き込むが誰もいない。

 たまたまトイレに行っているのかもしれない。

 数分待ったが物音ひとつ聞こえない。

 

「……」

 

 言葉が見つからず、ふらふらとおぼつかぬ足で執務室へと戻る。

 窓から海を眺めても、もはや金剛の影も見えない。

 ただ、満月だけが変わらず夜の海を照らしていた。

 

 今夜 童貞を捨てるって

 この空も この海も ずっと続くって

 初めての時 私 そう思ってた

 だけど全ては消えてゆくのね

 それでも月は共にあるの――

 

 気付けばBGM付家具妖精さんとやらが蓄音機の上で無駄に壮大な曲を演奏していた。

 曲名は月夜海というらしい。

 ()しくも俺の作り上げた渾身のムードと重なる。

 今宵の海にぴったりの名曲ですとの事だ。

 なんか余計なフレーズが交ざってた気がするが、歌唱力凄いですね。

 

「…………」

 

『金剛……その、すぐに戻ってきて、くれるよな……?』

『ハイ……ハイ……! 必ず……! 私は絶対に、すぐに戻ってきます……! 提督に待ちぼうけなんてさせマセン……! 約束します……』

 

「…………」

 

「……」

 

 金剛が……いない……。

 

 たとえ世界の全てが海色(みいろ)に溶けても……。

 

 貴女の声が……しない……。

 

 童貞卒業(シャングリラ)? ……そうね、どこかしら……。

 

 俺の作戦は……鎮守府全体を巻き込んだ壮大な計画は……。

 失敗……したのか……?

 それじゃあ俺はなんのために……磯風たちを怒鳴りつけて……浦風を涙目にさせて……。

 股間を痛打して……。

 一生懸命、大量のおにぎりを握って……。

 グレムリン共に土下座までして……。

 股間にクソみたいなカワウソ指サックを装備して……。

 醜態を晒して……。

 俺は一体、なんのために……?

 

 ぽん、と俺の肩が叩かれた。

 見れば、いつの間にか肩の上にグレムリンが一匹座っており、そいつはワイングラス片手に鼻で笑いながらこう言ったのだった。

 

『ご苦労様』

 

 ウォォォオオオオァァアアアーーーーッ‼‼

 俺は水平線に向けて縋りつくように心で叫ぶ。

 

 金剛待て! 待ってくれ頼む‼

 俺の初めてを、童貞を貰ってくれお前が‼

 お前にしかできない!

 お前は俺に選ばれし者だというのがわからないのか‼

 お前ならなれる! 完璧な……究極の俺の嫁に‼

 金剛! 金剛行くな!

 私を置いて行くなアアアア‼

 僕を連れて進めエエエエ‼

 

 俺は糸が切れたように布団の上に倒れ込んで泣いた。

 枕に顔を押し付けて涙で濡らし、声を押し殺して泣いた。

 毛布を頭から被って丸くなり、巻き貝のようになりながら(むせ)び泣いた。

 まさに貞男(サダオ)貝に(改二)ってやかましいわ。凹む。

 

 ――――

 

 ――

 

 心の叫びなど水平線の向こうの金剛に届くはずもなく――

 そのうち神堂貞男は待つ事と考える事をやめた。




母港執務室BGM ♪「月夜海(つきよみ)」

大変お待たせ致しました。
投稿が遅れてしまった理由については後程活動報告にでもあげておこうと思います。
今後も投稿ペースが遅れると思います、申し訳ありません。

オータムクラウド先生まさかの改二実装おめでとうございます。
実装されてほしいと地味に願っていたので個人的にものすごく嬉しいです。
これで第十駆逐隊が全員改二になりますね。
我が弱小鎮守府では育成を後回しにしていたので、現在演習で全力レベリング中です。

次回はおそらく艦娘視点となる予定ですが、気長にお待ち頂けますと幸いです。


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070.『戦況・A島』【艦娘視点①】

駆逐艦(バックダンサー)の皆ーっ、那珂ちゃんにしっかりついてきてねっ! ステップ間違えたら死んじゃうぞぉーっ?」

「りょっ、了解っ! 多分っ!」

「軽く致死レベルの指示がキタコレ! 流石に無茶振り……うっくぅ~っ、もう何も言えねぇぇ~っ!」

「が、頑張ります……! ひゃっ、ひゃあぁ~っ⁉」

 

 闇の奥に潜む潜水艦隊から放たれた雷撃に怯む様子もなく突撃する那珂に、七駆の三人は必死に食らいつく。

 右手にはマイクの代わりなのか探照灯を握り、那珂はまるで歌うように指示を出す。

 暗い戦場に場違いな明るい声であったが、その内容に嘘は無い。

 勘か経験か、紙一重で雷撃の隙間を縫い、回避する那珂にぴったりとついていかねば魚雷の直撃は免れないだろう。

 恐怖のあまり泣き虫の潮はもちろんの事、漣までもがヤケクソで半泣き状態だった。

 

「握手や写真はいいけどぉ、贈り物(攻撃)は鎮守府を通してねっ? よぉし皆っ、敵艦(ファン)の声援に応えてあげてっ! いっくよーっ! どっかぁーんっ!」

 

 全ての魚雷を回避し、速度を緩めぬ那珂の合図に合わせて一斉に爆雷を投射する。

 七駆の三人にはまったく敵の姿など視認できておらず、那珂の指示に従っただけだったが――やがて海中から次々に断末魔の叫びが響き渡った。

 低級の潜水艦のそれだけではなく、潜水艦隊を率いていた潜水新棲姫の焦りと困惑が入り混じった叫びが届く。

 

『グォォオオーーッ⁉ ナッ、何故ダッ! 闇ノ中デッ、コノ状況デッ、コンナニ容易(タヤス)ク位置ガ……!』

「どんなに暗くても、どんなに遠くても、息を潜めて後方彼氏面をしていても! 那珂ちゃんには聞こえる……潜水艦(みんな)の声が! いつもありがとーっ!」

『イッ、意味ガワカラ――……ギャアアアーーッ‼‼』

 

 海面に向けて手を振る那珂の正確な追撃が直撃したのか、一際大きな叫びと爆音と共に海面がうねる。

 しばらくきょろきょろと周囲を見回していた那珂であったが、潜水艦隊を撃滅したのを確認し、くるりと背後の七駆を振り向いて大きく伸びをした。

 

「お仕事終了ーっ。お疲れ様っ」

「し、死ぬかと思った……生きてる……多分……」

「いつも以上に那珂さんマジパネェ……」

「これが……これが横鎮の切り込み隊長……」

「あっ、潮ちゃん! その呼び方可愛くないからやめてっ! 漣ちゃんもさん付け禁止ーっ!」

 

 夜戦において潜水艦の存在は脅威。

 C島方面で龍田と大鷹がそれを食い止めたように、A島周囲では那珂と七駆がそれを引き付け、戦場を荒らされる前に撃滅したのだった。

 提督の指示により、那珂には龍田と同じようにソナーと爆雷、爆雷投射機と対潜装備が積まれており、それはつまり提督がこのような状況を想定できていたという事を示していた。

 夜間戦闘において潜水艦を撃滅する――あまりにも無茶な提督の指示を、龍田は本人の申告によればギリギリで改二が実装された事により、そして那珂はいとも容易く達成してみせたのだ。

 大鷹や七駆のリアクションは決して大袈裟なものではない。それほどに、今までの常識を壊すほどの能力を示したのだから。

 確かに那珂は川内三姉妹の中で最も対潜性能に長けていたとはいえ、ここまでではなかった事を七駆の三人も知っていた。

 

「いつの間にこれほどの対潜性能を……」

「ふふーん、アイドルは人前で努力を見せないもの……って言いたいところだけどぉ、今回は提督のプロデュースのおかげかなっ」

「プロデュース……あぁ、確かに対潜三点セットを夜戦に向かう艦に積ませるとは、流石はご主人様ですぞ!」

 

 ぽんと手を打った漣の声に、那珂は立てた人差し指を頬に当てて言葉を返す。

 

「それもあるけどぉ、信頼できるプロデューサーの存在はアイドルの魅力(性能)を更に引き立ててくれるんだよねー! 潜水艦の位置がここまで手に取るように掴めたのは初めて! 那珂ちゃん、ますます可愛くパワーアーップ!」

「提督はプロデューサーではありませんけど、多分……」

「いいのいいの! 提督もプロデューサーもトレーナーも、本質的には似たようなものだって! 川内ちゃんの夜戦への情熱(パッション)に、神通ちゃんの冷静(クール)さ、そして那珂ちゃんの可愛(キュート)さ! ますます魅力的になっちゃったぁ、きゃはっ!」

「なんか神通さん、修羅とか呼ばれてましたけど……」

「はっ⁉ もしかして提督に新曲の作詞作曲までお願いしたら……那珂ちゃん世界進出も夢じゃないかも~⁉ 『華の二水戦』を超える名曲が生まれる予感が! 帰投したらさっそくお願いしなきゃ!」

 

 いつものようにスマイルと共に決めポーズを取りながら一人で喋り続ける那珂に、朧と漣はツッコミも諦めて苦笑いを浮かべるしかできなかった。

 那珂の芸能界的な例えはなかなか理解し難かったが、つまり提督への信頼により艦娘の性能が向上する事を言っているらしい。

 無論、それは七駆の三人にも当てはまる。

 それがなければ三人は身体能力が追い付かずに魚雷を回避しきれず、損傷を免れなかったかもしれない。

 しかし、それにしても――。

 

「……提督は、なんで私を編成したのでしょうか」

 

 ぽつり、と潮が呟いた。

 表情に自信の無さが表れている。

 その疑問自体は、実は朧も漣も口には出さなかったが、自分に対して胸に抱いていたものであった。

 実のところ、練度や経験を別にすれば自分達の性能は決して高いとは思っていないからである。

 

「やっぱり出撃したがってた磯風ちゃんと代わった方が良かったんじゃ……」

 

 俯く潮に、那珂は普段のように飄々と答える。

 それは特に気を遣った言葉でもなく、ただ思った事をそのまま素直に口にしたものだった。

 

「うーん、別におかしな事じゃないと那珂ちゃんは思うけどなぁ。『最初の五人』の漣ちゃんは当然、潮ちゃん達も艦娘としては結構な古株だし、それなりに練度も高いし。現に今だって、なんだかんだで全力の那珂ちゃんにしっかりついてこれたじゃない? それって凄い事だよ」

「でも、私より磯風ちゃんの方が」

「那珂ちゃんから見ればあんまり変わってないって。磯風ちゃんは自信に満ち溢れてるから気後れする気持ちもわかるけどぉ、提督の采配(プロデュース)だもん。磯風ちゃんを残したのにも、潮ちゃんを編成したのも、きっと何か海よりも深い理由とか狙いがあるんじゃないかな」

「そうでしょうか……」

「うんうんっ、ちなみに那珂ちゃんが思うに、磯風ちゃん含む十七駆は四人とも武人肌で、あんまりアイドル適性高くないから那珂ちゃんの随伴艦(バックダンサー)に向いてないと判断したんじゃないかなぁ、って。艦娘の個性と適材適所をよく理解してるプロデュースだよね!」

「そ、それは違うと思いますけど……」

 

 やんわりと否定する潮に構わず、那珂はぐいぐいと押し込むように言葉を続ける。

 

「それに那珂ちゃん、七駆の皆はアイドル適性高いと思ってるんだけど、特に潮ちゃんが一番筋が良いって思ってるんだよね~! どう? 今夜だけじゃなくて一緒にユニット組まない? 羽黒さんも誘ってるんだけどなかなかいい返事が貰えなくて」

 

 那珂が早口で言葉を続ける中で、朧と漣が同時に「あっ」と声を漏らした。

 瞬間、潮はぷるぷると震え出し、みるみるうちに目に涙が浮かんでいく。

 

「そ、そんな事ないんです、そんな事、私は、私は本当にダメダメで……」

「えっ、えぇぇ~っ? ご、ごめんね、那珂ちゃん何か悪い事言っちゃった⁉」

「那珂ちゃんさん、ちょっと」

 

 漣に袖を引かれ、那珂はこそこそと潮に背を向ける。

 朧が潮を慰めているのを背後に、漣は声を潜めながら言葉を続けた。

 

「すみません。実は、潮に『一番』みたいな褒め言葉は禁句なんです」

「えっ、どうして」

「その……そのですね。ぼのぼのが……曙が轟沈した、あの時の事なんですが……曙が、潮に最後に遺した言葉が……その」

「……そうだったんだ。ごめん、悲しい事思い出させちゃって」

「いえ、那珂ちゃんさんが謝る事では……すみません」

 

 漣は那珂に小さく頭を下げると、いつもの甲高い声で潮に大袈裟な声を上げる。

 

「こぉらっ! まだ戦闘中ですぞ! あんまり泣き止まないと、ぶっ飛ばすぞ☆ って那珂ちゃんさんが言ってますぞ」

「言ってないよ⁉ アイドルにそういうスキャンダル致命的なんだからやめてよ!」

「ひっ、ひっく、ご、ごめんなさい、私、また思い出しちゃって……も、もうぶたないで下さい」

「一回もぶった事ないよね⁉ たとえ失言しちゃっても、那珂ちゃんの事は嫌いにならないで下さい!」

 

「あの、那珂さん、皆。あれ……敵艦隊です、多分」

 

「もぉ~っ、ツッコミは那珂ちゃんの仕事じゃないのにぃ~っ!」と嘆く那珂に、朧が指差す先には、深海棲艦の一団が見える。

 水雷戦隊。敵本隊が鎮座するB島方面にほとんどの増援が集中しているのか、こちらはまだ今の戦力だけでもギリギリ何とかなりそうだ。

 だが、それはあくまでも欠員が出なければの話。

 もし一人でも大破した場合、提督命令に従って護衛退避を発動しなければならない。

 そうなると一気に二人の欠員が出てしまう。たった十二人しかいないこちらの戦力の六分の一が削られてしまうのだ。

 しかも今は夜間。戦闘能力を持たない空母の三人は海上にいてもただの案山子(かかし)も同然なので、奪還したA島に上陸させ避難している。

 日が昇っている内は頼れる戦力である加賀、瑞鶴、龍驤が現在は戦力外。

 つまり現在の戦力は僅か九人しかいないのだ。

 

「那智さん達は大丈夫でしょうか……こちらとは比にならない数を相手取っていますけど」

「大丈夫大丈夫! 五人とも那珂ちゃんよりずっと強いんだから! 普段はちょっとアレな利根さんですら、戦闘の時にはすっごく頼りになるんだよ!」

 

 心配そうに本隊が戦闘している方角を見つめる朧の言葉に、那珂がけらけらと笑いながら答える。

 そんな那珂ちゃんさんもまた、あの天才軍師・ご主人様の指揮下にある今は一騎当千、万夫不当の豪傑と呼ぶにふさわしい実力……。

 漣はそう言おうとしたが「その武将っぽい例えはアイドルっぽくないからやめて」と言われるのが見えていたので、口を開くのを止めた。

 

「それより人の心配してる暇なんてないよ! 三人とも、夜明けまで休まず歌って踊らなきゃいけないんだから! 気合入れていっくぞぉーっ! おーっ! ……ぜぇ、ぜぇ……」

「実は結構疲れてません⁉ 無駄な声出すの控えた方がよいのでは……」

「む、無駄な声⁉ 何言ってるの漣ちゃん! アイドルは常に笑顔で歌って踊って、ファン(敵艦)の皆に元気(攻撃)を届けるものなの! きゃはっ!」

「プロ意識が高すぎる……」

 

 無駄な声というのは失礼だったかもしれない。それが那珂の戦闘スタイルだからだ。

 その戦い方をしている時こそ那珂は最も輝き、最も強い。

 疲れているのはその戦闘スタイルも原因かもしれないが、この厳しい夜戦の中で七駆が大破しないよう集中力を割いているからかもしれない。

 七駆の三人も貴重な戦力。その重圧に、漣はごくりと唾を飲んだ。

 そんな漣の様子を見て、朧が力強く拳を握る。

 

「漣、大丈夫。皆は朧が、きっと守り抜けると思う。多分!」

「そこは絶対と言い切ってほしいのですが……」

「漣ちゃん、潮も頑張るから。できれば全員助けます! ……で、できれば」

「うっくぅ~、こいつらと磯風足して3で割りてぇ~……!」




大変お待たせ致しました。

活動報告の方にも書きましたが執筆の時間がかなり確保しづらくなっておりますので、普段はまとめて一話にしている艦娘視点を分割する事にしました。
一話が短くなってしまいますがご了承ください。

なんとか春イベも攻略し、幸運な事に宗谷も削り中にお迎えできました。
残念ながら涼波だけお迎えできませんでしたが、秋霜と共に今後の楽しみにしたいと思います。

次回も気長にお待ち頂けますと幸いです。


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071.『戦況・A島』【艦娘視点②】

 艦娘共の強襲により、港湾棲姫率いるA島守備隊壊滅せり――。

 貴様らはそのままA島に向かい、舐めた艦娘共に地獄を見せてやれ。

 前回、そして今回の横須賀鎮守府撃滅作戦を指揮する■■棲姫の指示に従い、戦艦タ級率いる艦隊は闇の中を進む。

 編成されているのは重巡ネ級、軽巡ツ級、駆逐ナ級など――本来鎮守府近海には見られない強力な深海棲艦。

 その性能だけでも脅威だというのに、それが十二隻――連合艦隊。

 長距離を航行し、本来はA島で補給する予定だったので燃料・弾薬等資源は万全では無いが、そんな事は些末な事。

 性能と物量で圧倒し、A島を奪還した事を後悔させてやる。

 我らの後にもまだ増援は控えているが、それを待つまでも無い。

 誰に言われるまでもなく、地獄を見せてやろう。

 

 そんな事を考えていたのかは誰にもわからない。

 戦艦タ級の視界に、突如閃光が飛び込んでくる。

 探照灯――⁉ こちらの位置が文字通り明るみに出た。

 しかしそれは諸刃の剣。少なくともその光の先に獲物がいる。

 鬼級未満に区分される深海棲艦は知性があまり高くないが、それ故に獣のごとき反応を見せる。

 もっとも、野生の獣はいきなり強力な閃光を浴びせられると硬直してしまうらしいが――深海棲艦達はほとんど反射に近い速度で砲を構え、闇を照らす光源に向けて次々に砲撃を放った。

 

「さぁ仕掛けるよ! よーいっ、てぇーっ!」

 

 何かが聞こえ――瞬間、右側面からの砲撃をもろに喰らった軽巡ツ級から爆炎が上がる。

 さらに、それに続いて左側方から声が上がった。

 

「今だ! 主砲一斉射ッ!」

「弾幕を張りなさいな! 撃て! 撃てーっ!」

「この時のために! カタパルトは整備したのじゃ!」

 

 次々に叩き込まれる砲弾の連撃。一隻、二隻。二撃目を耐える事すらできずに沈むものも少なくない。

 恐るべき火力――こちらが本命か。小癪な真似を。

 探照灯は囮。闇の中で光があれば、こちらは反射的にその存在を意識してしまう。

 そしてこちらの位置は正確に把握され、探照灯に気を取られている内に砲撃の的となる――。

 だが先ほどの砲撃から推測するに、艦娘側は右方向には軽巡一隻、本命の左方向には重巡三隻しかいない。

 囮の探照灯もせいぜい重巡以下が一隻であろう。

 苦肉の策だが、数の不利を覆すにはあまりにも脆弱な策と言わざるを得ない。

 

 旗艦・戦艦タ級の判断は早かった。

 残された深海棲艦の数は九隻。

 戦艦タ級、重巡ネ級三隻、軽巡ツ級二隻、駆逐ナ級三隻。

 本命の重巡三隻には重巡ネ級三隻と駆逐ナ級三隻を。

 闇に潜む軽巡一隻には軽巡ツ級二隻を。

 そして囮の探照灯を持つ艦娘は、戦艦タ級直々に沈める。

 そう指示を出そうとした瞬間――突如、重巡ネ級が爆散した。

 

『⁉』

 

 一撃⁉

 どこから、速い、いや、近い⁉

 着弾したのは、光の差す方向――?

 向かってきて、囮が、いや、囮じゃない――⁉

 先ほどの集中砲火をどうやって潜り抜けた⁉

 まさか――全て回避したのか⁉

 

 自らが放つ光でおぼろげにその姿が闇に浮かぶ。

 

「やはり、力が(みなぎ)る……これも、提督の御力(おちから)でしょうか……」

 

 そして鉢巻を強く締め直し、まるで海の底のごとく冷たい瞳で自らの敵を見据え、小さく唇を動かした。

 

「――神通、いきます」

 

 ……――‼

 先ほどまではまったく感じられなかったプレッシャー。

 息が詰まるほどに鬼気迫る威圧感。

 これは――()()()()()()

 

 探照灯の光と共に叩きつけられた殺気に、本命であろう重巡三隻の存在も忘れ、戦艦タ級は本能的に全ての戦力をその一隻に向けようとしたが――。

 

「夜戦!」

『⁉』

 

 無防備な背中に砲撃を受け、戦艦タ級は小破すると共に体勢を崩す。

 背後⁉ こいつも速い――!

 目を向けた時にはもうその姿は見えない。

 夜とはいえ今宵は満月。完全に姿を消すことなどできるはずがない。

 これではまるで影と、いや、闇と――いや、()()()()()と同化したかのような。

 闇夜の中にも確かに存在する影のような。

 放たれる光が強ければ強いほど影が色濃くなるような――。

 そうか、こいつは、こいつらは。

 どちらも囮で、どちらも本命なのだ。

 探照灯の光と共に、意識せざるを得ない強烈な殺気を放つ軽巡。

 音も無く闇を駆け、まったく殺気を感じさせずに意識の死角から確実に攻撃を繰り出す軽巡。

 どちらだ、どちらから――いや、どちらも、だ‼

 迷っている暇は――。

 

「我々を忘れてもらっては困るな……! 足柄、利根っ! この那智に続けッ!」

「みなぎってきたわ! 突撃よ! 突撃ー!」

「我が索敵機から逃げられるとでも思うたか!」

 

 二撃、四撃、六撃――降り注ぐ砲弾の雨が次々と叩き込まれ、戦艦タ級はその存在を思い出した。

 そうだ、この火力、本来はこいつらが本命だったはず……!

 僅か五隻。しかしその一人一人が脅威的な火力を有している。

 全員が主力。後回しにできる存在が一人もいない。

 何だ。一体何なんだこいつらは。

 いや、こいつらだけではない。

 A島が奪還された事も。その前の戦艦棲姫たちが負けた事も。

 横須賀の艦娘共に一体何が起きた⁉

 

 こんな、こんな戦い方など、こんな力など――有り得るはずが無い!

 

 ――三方向から放たれる砲撃。次々に爆煙を上げ、轟沈する僚艦。

 光に向けて放たれる砲撃は何故か紙一重で回避される。

 闇に向けて放っても、文字通り的外れ。

 たった五隻の艦娘に翻弄され――訳も分からぬままに探照灯の光の奥から無慈悲な連撃を叩き込まれた戦艦タ級も爆散した。

 地獄を見せてやろう。そう意気込んでいたが。

 ある意味で、艦娘たちの目の前に広がる地獄を見せられたのかもしれない。

 そんな事を考えていたのかは――誰にもわからない。

 

 

 

「なーっはっはっは! 吾輩は二隻仕留めたのじゃ! まだまだ筑摩の奴には負けんぞ! のぅ筑摩! あっ、筑摩おらんかった」

「私は二隻よ。那智姉さんは?」

「三隻だ。川内は二隻で神通が三隻だったな。全員油断するなよ。勝って兜のなんとやら、だ」

「あぁ~っ! 全っ然戦い足りないっ! 早く夜戦~!」

「川内姉さん、まだ夜は長いんですから。少し落ち着いて……」

 

 せわしなく足踏みする川内を、神通がいつものごとく(なだ)める。

 そんな神通に、足柄が苦笑しながら口を開いた。

 

「時雨達の安否がわかるまではそんな気分になれなかったのでしょうから、仕方ないわ。私もそうだったしね」

「フフフ、それだけじゃないじゃろ」

 

 自信ありげに腕組みをしながら、利根は言葉を続ける。

 

「横須賀鎮守府の目と称される吾輩の目は誤魔化せんぞ。川内お主、焦っていたとはいえ一瞬でも提督を疑ってしまった分、それに見合う戦果を挙げんと申し訳が立たんと思っとるじゃろ」

「うぐっ……い、いいじゃん別に。前に妙高も似たような事言ってたでしょ。提督を疑ってしまって合わせる顔が無いとか。こういうのは気持ちの問題なんだよ」

 

 図星だったようで、川内は気まずそうにガシガシと頭を掻きながら、誤魔化すような言葉を返す。

 結局は、神通が説明した通りだったのだ。

 提督が指定したタイミングでの出撃は、ギリギリではあったそうだが間一髪で時雨達の救援に間に合った。

 さらには、わざわざ提督が握ったという戦闘糧食に込められた提督パワーとやらのおかげで時雨達三人は改二に目覚め、損傷も全快して暴れまわっているのだとか。

 おまけに朝潮型の四人にもほぼ同時に改二が実装されたらしい。朝潮曰く提督パワーのおかげに違いない、感服の一言だと。

 C島方面では羽黒に赤城、龍田に加えてなんとあの天龍にまで改二が実装されたらしい。その四人が声を揃えて言うには、提督のおかげに違いない、と。

 その事実は川内達の士気も大いに高揚させ、まさに一騎当千の活躍を見せるほどに性能を高めてくれたのだった。

 それだけに、一瞬とはいえ提督の判断に文句をつけてしまった川内は自らの発言を気にしているのだろう。

 

「……まぁ、時雨達が横須賀に配属されてからは、ほとんどお前達が面倒を見ていたからな。取り乱す気持ちはこの那智も……わからんでもない」

「おや? お主にしては随分甘いのう。ま、提督を締め上げようとしたお主が責められる立場でも無いが」

「そんなに締め上げられたいのか貴様」

 

 じろりと那智に睨まれるも、利根は小さく肩をすくめて言葉を続けた。

 

「冗談じゃ。じゃが、那智がおとなしくしていた事が内心意外だったのも事実じゃぞ。救援に間に合わんのは……向かった方としても辛いものじゃからな。あの時のお主は見ていられ……おっ」

「……フン、どうやらくだらない話は終わりのようだな。増援か」

 

 ぴくりと利根が反応したのに気付いた那智がそう言うと、利根は一方向に視線を向ける。

 

「むぅ、次から次へとせわしないのう」

「あの……利根さん、大丈夫ですか?」

「なんじゃ神通。まさか吾輩の心配か?」

「いえ、利根さんではなく提督の戦闘糧食が大丈夫かと……」

 

 提督が時雨たちの為に手ずから握った戦闘糧食。

 三人はB島方面で発見されたのだから当然余っているのだが、それらを入れた手提げ袋は利根が預かっていた。

「大切な荷物は吾輩が責任を持って預かろう! 筑摩の奴がいなくともお姉さんじゃからな!」との事だった。

 神通の言葉に、利根は呆れたようにジト目を向ける。

 

「お主……意外と食い意地が張っておるんじゃのう」

「ち、違いますよ⁉ ただ、その戦闘糧食には提督の御力が込められているとの事でしたから、その、食べたら更に強くなれるのではないかという事に興味があるだけです!」

「お主はそれ以上強くなる気なのか……」

「と、当然です。提督の求める強さには、私達はまだまだ届いていない……限界を超えるためなら私は恥を忍んで何だってするつもりです」

 

 取り乱した事を恥じるように赤面したまま、神通は表情を引き締め直す。

 それに助け船を出すかのように、足柄が朗らかな声を上げた。

 

「確かに時雨たちだけじゃなくて朝潮たちも改二実装したようだし……強くなれると聞いてしまっては聞き捨てならないわね!」

「神通……それ言っちゃうと、誰だって譲れるわけないじゃん。誰一人、提督の領域には届いてないんだからさ」

「そ、そうですね。すみません……気が()いてしまって」

 

 先ほど自分がたしなめた川内にまで呆れた声をかけられ、神通は赤面しながらしゅんと肩を落とす。

 那智と共に一方向を警戒しながら、利根も口を開いた。

 

「ふぅむ。神通の言う事にも一理ある。しかし六個しかないしのう」

「提督に追加で握って貰ってはどうかしら」

「大淀さんの話では、提督はこういった形での強化はあまりよろしくないように思っていたようでした」

「あ、そうだったわね。文月はテストのため、皐月は予定外の事故みたいなものだったし……」

「そういえば、戦闘糧食も時雨たちの分だけ握るつもりだったって言ってたしね」

 

 今回はあくまでも時雨たちを救うための緊急的、例外的な措置。

 提督パワーなる謎の力を当てにしてしまう事は、艦娘自身の成長の妨げになる、と。

 そう考えているのなら、今後余程の事がない限りは提督パワーを手にする機会は訪れないだろう。

 鳳翔と間宮に促されて、時雨たちの分以外にも手ずから握ったという話だったが、それを引き当てる可能性は少ない。

 たまたま引き当てた朝潮たちは幸運だったのだろう。

 そうなると、時雨たちの為にと握った戦闘糧食が余っている今の状況は、確実に提督パワーを手に入れられる最後の機会なのかもしれない。

 そして食べるだけで良いのなら、おそらく正攻法なのであろう肉体的な接触、いわゆるハグをする必要もない。

 清楚で奥ゆかしい神通にとってはそれが何よりも重要なのかもしれないが――。

 

「よし、吾輩に名案があるぞ! 後腐れなく敵艦を沈めた数で決めるというのはどうじゃ」

『それは不公平ね』

「ぬわっ、お主聞いておったのか」

 

 不意に届いた加賀からの無線に、利根だけでなく全員が意表を突かれる。

 僅かに動揺した利根たちに構わず、淡々とした抑揚の声が続く。

 

『夜が明けるまで動けない空母が不利すぎます。頭にきました、と龍驤が言っているわ』

『いや言うてへんわ! それキミの口癖やないか!』

「う、うむ。強くなりたいのはお主らも同じじゃろうからな」

『ここは譲れません、と五航戦が言っているわ』

『いや言ってないよ⁉ それ加賀さんの口癖でしょ⁉』

「貴様ら、くだらない話は終わりだと言っただろう……! 龍驤らも気を抜くなッ! 来るぞ!」

 

 那智から飛んだ檄に全員の目つきが変わる。

 先ほどまでの朗らかな空気が一変し、即座に戦場の空気を纏った。

 敵艦隊はかろうじて目視できる程度の距離にあったが、歴戦の強者たちは()()を肌で感じていた。

 先ほどまでの戦艦タ級よりも小型でありながら、それ以上のプレッシャー。

 軽巡――いや、駆逐艦の鬼――いや、姫級のそれである事を。

 

 駆逐棲姫、防空棲姫、駆逐水姫、駆逐古姫――等、今まで複数の個体が確認されているが、そのどれもが強敵。

 いずれも駆逐艦というくくりで考える事が適当でない程の暴力的な性能を有し、それは時に並の戦艦をも凌駕する。

 故に艦種ではなく、鬼級、姫級というくくりで分類されているのだ。

 旗艦の姫級駆逐艦、その随伴艦が通常個体の戦艦や重巡である事も両者の力関係を証明しているかのようだった。

 

「……どうだ? 利根」

「満月の下とはいえ、吾輩の目をもってしてもこの暗さと距離では流石に細部まで確認はできんが……今まで戦ってきたどれとも違うように思うのう」

 

 那智の問いに、横須賀鎮守府の目と称される索敵性能を誇る利根は細めた目を凝らしながらそう言った。

 

「新しい個体かしら」

「だろうな。まぁ戦っているうちにわかるだろう」

 

 足柄の呟きに那智が答える。

 艦娘たちは何故か、戦っているうちに深海棲艦の名前を理解できた。

 あまりにも早く倒してしまい、わからないまま終わってしまう場合もあるが、鬼級、姫級であるならばまず戦っている内に理解できる。

 それは新しい事を知るというよりも、まるで今まで忘れていた事を思い出すかのような感覚だった。

 それが何故なのか――おそらくほとんどの艦娘は()()()()()()()()と思いつつも、きっと考えないようにしているのだろう。

 不自然なほどに、その事について誰も話題に上げないからだ。

 艦隊司令部に訊ねられた時も、「何故かわかる」と事実をあるがまま答えるだけだった。

 何故かわかる――それが答えであってほしいと願っているからかもしれない。

 

 やがて深海棲艦側の戦艦の射程に入り――静寂の海に再び砲撃音が鳴り響いた。

 攻撃を開始したのは随伴の戦艦ル級二隻のみ。重巡リ級や軽巡ツ級と共に、姫級駆逐艦も攻撃態勢を取ってはいない。

 姫級とはいえ駆逐艦。今まで戦ってきた姫級駆逐艦もほとんどは短射程。

 軽巡や重巡並みの中射程、長射程の個体も確認されてはいるが、ほんの一部の例外だ。

 深海棲艦の艦隊は陣形の並びを変更し、旗艦の姫級が後ろに下がり、戦艦二隻が前方に出た。

 姫級が攻撃できる射程に近づくまで守る盾とするためであろう。

 中射程か短射程か。いずれにせよ、こちらの射程に入るまでは敵戦艦の攻撃を避け続けなければならない。

 

「速度を保ったまま接近するッ! 戦艦の砲撃に注意しろッ!」

「了解!」

 

 瞬間、深海棲艦の重巡リ級、軽巡ツ級も砲撃を開始した。

 もう射程内に――? 那智はそう逡巡したが、指示を出す前にすぐ後ろの利根が口を開く。

 

「那智よ、案ずるな! あれはまだ届かん! 目くらましじゃ!」

 

 判断を一瞬でも遅らせて戦艦の砲撃を回避できなくする狙いか。

 もしくは釣られて無駄に弾薬を消費させるためか。

 深海棲艦の放った火の塊は流星のごとく放物線を描き、襲い来る。

 なるほど。よく見れば確かに、脅威となる砲火は先に届いた戦艦の砲撃音と一致する。

 それ以外の光の放物線はこちらに届く前に水面に叩きつけられていく。

 利根の目は横須賀鎮守府随一の本物である事――それを皆よく理解していたからこそ、判断の遅れを最小限に留められた。

 

「よし、利根は目となり回避の指示を出せ! それに従って距離を詰めよう」

「無論! 皆の者、吾輩の指示に従うが良いぞ!」

「ただし調子に乗りすぎるなよ。貴様の悪い癖だ。いつもは筑摩がいるから安心して目が離せるが――」

「赤子扱いするでない! 筑摩の奴より少しお姉さんなんじゃぞ!」

「どうする⁉ また私と神通が切り込もうか⁉」

 

 川内の提案に、那智はしばし思考を巡らせる。

 陣形を崩して川内と神通が囮となり、敵艦隊を包囲、翻弄するハイリスクな作戦。

 現在の提督への信頼のおかげで、川内も神通も一騎当千の強さを誇っているからこそできる無茶な戦法だった。

 前提条件として敵艦の攻撃を回避できているからこそ成り立つ作戦であり、単艦で行動するというのは非常に危険を伴う行動だ。

 集中して狙い撃ちをされた場合は、それこそ物理的に避ける事が不可能になる場合もある。

 そうなれば形勢は一気に不利に傾くだろう。

 

「いや、僚艦はそれほどでもなさそうだが、姫級は知能が高い。混乱する事なく捨て身でお前達に攻撃を集中させてくる可能性がある。今は得策ではない」

「了解。それじゃこのまま単縦陣で。射程に入り次第、取り巻きから仕留めていこうか!」

 

 川内がそう言った瞬間、再び敵艦隊が砲撃を開始した。

 戦艦と共にその他の中射程の艦からも砲撃音が上がる。

 利根の指示に従い、迫り来る炎の矢の軌道から戦艦の放ったそれだけを見極め、回避するよう舵を取る。

 残りの砲撃は目くらましで届かない。

 弾道を完璧に見切った事を証明するかのごとく、利根は迫り来る砲撃の前でびしりと指を差し、大見得(おおみえ)を切った。

 

「なーっはっはっは! 深海棲艦共よ、吾輩が利根である! 吾輩がいる以上、もう索敵の心配は――ぐおぉぉおーーッ⁉」

「利根ーーっ⁉」

 

 複数の砲撃が利根に叩き込まれ、利根は海面をごろごろと転がった。

 戦艦の砲撃と見誤ったか⁉

 思わず叫んだ那智が駆け寄ると、直撃したにも関わらず意外にも損傷は少ない。

 

「ぐぉぉぉ……! 馬鹿な、直撃だと……⁉」

「この馬鹿っ! 調子に乗りすぎるなと言っただろうがっ!」

「でも小破すらしてないわね。良かったわ」

 

 足柄はほっと胸を撫で下ろし、那智は利根の頭に拳骨(げんこつ)を振り下ろした。

 涙目で頭を押さえながら、利根は恨めしそうに敵艦隊を睨みつける。

 

「くっ、あの姫級駆逐艦め、小癪(こしゃく)な真似を……! 長射程、いやあの弾道、超長射程だと……⁉」

「届かない振りしてたってわけか。それにしても、姫級にしては火力が弱いね」

 

 川内の言葉に神通が続く。

 

「駆逐艦でありながら射程を伸ばす方に力を割いた分、火力が低下しているのでしょうか。それと、やはり鎮守府近海まで攻め込んできた分、万全では無いのでしょうね」

「本来はこのA島で補給する算段だったはずだしね。そう考えると危ないところだったか……提督への信頼で装甲が強化されてたのもあるだろうし、利根は運が良かったね」

「利根さんの目なら、調子に乗らなければ弾道の違和感にもしっかり気付けていたはずでしょう」

「ぬ、ぬぅ……面目ない」

「ところで利根さん、提督の戦闘糧食は大丈夫ですか?」

「えっ? ……あっ」

 

 神通の問いに、利根の表情から血の気が引いていく。

 利根の装甲ならば損傷は少なく済んだが、おにぎりはあくまでもただのおにぎりだ。

 そして姫級にしては低めの火力とはいえ砲撃は砲撃。

 探るまでもなく、利根が携えていた手提げ袋は砲弾の直撃を喰らい、海の藻屑と化して消えていた。

 

「…………」

「そ、そんな目で見るのはやめんか、これには訳があるんじゃ」

 

 那智、足柄、川内、そして神通。

 絶句する艦娘達の視線に突き刺され、利根は狼狽えながらなんとか言葉を紡ぐ。

 

「こ、これはじゃな、カタパルトが不調で」

「貴ッ様ァーーッ! カタパルトは整備したと言っていただろうッ! いやそもそもカタパルト関係ないだろうがッ! よくも貴重な戦闘糧食をっ!」

「ぐおぉぉーーッ⁉ 筑摩ーっ、ちくまぁーーっ⁉ あっ、筑摩おらんかった」

「な、那智姉さん落ち着いて! というより那智姉さんも食べたかったの⁉」

 

 利根の襟首を締め上げる那智を、筑摩の代わりに足柄が制止する。

 川内は呆れたように、神通は無表情で利根に視線を向けていた。

 その様子を見てか、姫級駆逐艦の愉快そうな声が辺りに響き渡った。

 

『アハハハハッ! 仲間割レ⁉ 何カ良クワカンナイケド、ザマァ見ロダッ!』

 

 ぴくり、と艦娘達の耳が動く。

 利根は涙ぐみながら、恥をかかされたと逆恨みと怒りの入り混じった様子で睨みつける。

 

「お、おのれ深海棲艦……! おかげで吾輩の面目丸つぶれじゃ! これは自らの手柄で面目躍如とするほか無し!」

「いや、奴はこの那智が引き受けよう。何故かわからんが奴の声を聞くと心が騒ぐ。何か因縁があるような気がする……!」

「因縁は今生まれたんじゃないかしら……まぁ食べ物の恨みはともかく、姫級を仕留めれば大戦果! これは誰にも譲れないわ!」

「いーやっ、夜戦と言えばこの私。今夜は特に戦果を挙げないといけないんだから」

 

 提督の戦闘糧食を吹き飛ばされてしまった事で、多かれ少なかれ思うところがあるのか。

 那智は射殺さんばかりの視線を姫級駆逐艦に向けていたが、川内と足柄は普段と同様に戦意の高揚を示すかのような明るい声を上げる。

 鉢巻を締め直すのは、神通が気合を入れ直す時のひとつの癖だ。

 無言のままに再度強く締め直す姿を背後から見て、利根が「ひっ」と声を漏らした。

 そんな神通を横目に見ながら、川内が利根をからかうように、こそっと囁く。

 

「あーあ、完全にキレてるよアレは。せっかくの提督パワーを無駄にしちゃったから……怒りの矛先はあの姫級に向けられるだろうけど、それでも鬱憤が晴れなかったらその次は利根だろうね」

「どどどどど、どうすればいいんじゃ。筑摩、ちくまぁ……あぁっ、なんでこんな時におらんのじゃ……姉の危機だというのに」

「知らないよ。あぁなったら姉の私の言葉ですら届かないんだから。筑摩に頼らず自分で何とかしなよ」

「よ、よし。今こそ吾輩の姉力を見せる時じゃな」

 

 しばし考え込んだ利根はごくりと唾を飲み込み、恐る恐る神通の背中に声をかける。

 

「じ、神通よ~。吾輩が言うのもなんじゃが、そう冷静さを欠くな。提督パワーの事なら気にするでない! 帰投したら提督に頼んで抱きしめてもらえばよかろう! お主、限界を超えるためなら恥を忍んで何でもすると言ったじゃろう? 言ったよな? 吾輩は確かに聞いておったぞ。なぁに、案ずるな! 提督にはこの吾輩自ら口添えしてやろう! 神通の奴を抱いてやれとな! 礼などいらぬぞ、それで万事解決じゃ、なっはっはっは――」

 

 瞬間、振り向かないままの神通から溢れ出す覇気が倍増し、ドンと音を立てて天が割れた。

 利根は脳内に疑問符を浮かべると共に口から泡を吹きながら白目を剥き、膝から崩れ落ちる。

 そんな利根の頭を川内がパシンと(はた)いた。

 

「馬鹿っ、なに煽ってんの⁉ それが恥ずかしくて出来ないからあの控えめな神通があれだけ戦闘糧食に執着してたんでしょ⁉」

「あ、煽ってなどおらぬぞ! 神通の奴は確かに、恥を忍んで何でもすると……」

「しかも抱くとか言ったら意味が……あぁもう、わかったからもう喋んない方がいいよ……このままじゃ冗談じゃなく姫級より先に利根に矛先が向きかねない」

 

 涙目の利根と、何故か照れたように頭を掻く川内にあえて構わぬように、神通は自らに冷静さを保つ事を強いるような声色で、静かに口を開く。

 

「……お名前を、教えていただけませんか?」

『ハァ?』

 

 訳がわからぬと小馬鹿にするような姫級駆逐艦の声に、神通は言葉を淡々と続ける。

 

「報告書に記載しなければならないんです。名前がわかる前に倒してしまうと、報告の際に提督にご迷惑をかけてしまうので。かと言って、私は手加減の仕方を知りませんから。今の私は、特に」

 

 要するに、瞬殺する――いや、()()()()()()()という宣言であった。

 自らを撃破した事を報告するために、名前を教えておけと。

 神通はただ今後予想される事態に対して効率的な対策を述べただけだったのであろうが、それは当然ながら最大級の侮辱であった。

 

『フ……フフフ……! アハハハハッ! ハハハハーーッ‼ ――……‼‼』

 

 闇夜に響き渡る姫級駆逐艦の笑い声。

 一笑に付されたわけもなく、明らかに怒りに震えている。

 挑発と取られても当然の言葉だ。無論、神通もそう捉えられることは想定済みであろう。

 しかし、貴重な提督パワーを海の藻屑とされ、(いか)っているのはこちらもまた同じであった。

 より正確に言うなれば、静かに怒り狂うたった一人を見て他の四人は冷静さを取り戻しているわけだが――。

 

「ったく……ちょっと神通、気持ちはわかるけど落ち着きなって。また二日前みたいに一人で突っ走るんじゃないよ」

「はい、川内姉さん」

「先ほども言ったが、陣形を崩すなよ。いいか、状況にもよるが独断専行は許さんからな」

「はい、那智さん」

「強敵だもの。普通に戦っていればそのうち名前もわかるわよ。……普通に戦えばね? わかってるわよね?」

「はい、足柄さん」

「よ、よし! 神通よ~、ここは吾輩が戦果を挙げて汚名返上といこうではないか! これで恨みっこ無し、実に名案! 筑摩もそう思わぬか? あっ、筑摩おらんかった」

「…………」

 

 穏やかな心を持ちながら、激しい怒りによって目覚めた歴戦の戦士。

 その目にはもはや標的の姿しか映らず、その耳には戦いに無用な雑音は届かない。

 

 神通は左腿に装備されている探照灯に触れる。

 それは提督への信頼のおかげなのか――新たな力の発現。

 探照灯を照射すると同時に、まるで何かのスイッチを入れたかのように、その体中に限界を超えて力が漲る事に神通は気付いていた。

 ひとたびスイッチを入れてしまえば、高まる火力。

 その副作用的に(たかぶ)る心。血()き肉(おど)り、身体は火照(ほて)る。

 

 垣間見える可能性――これでも(なお)道半(みちなか)ば。

 身体に満ちるこの力さえ片鱗に過ぎず。

 自分は(いま)だ頼りない(つぼみ)に過ぎない。

 私はまだまだ強くなれる――。

 

 いけない、冷静にならねば。

 目の前の戦闘に集中しすぎて視野が狭くなるのは私の悪い癖だ。

 私としてはただ最善を尽くしているだけのつもりなのだが、また皆さんに鬼だ修羅だとからかわれてしまう。

 このままでは提督に誤解を与えかねない。

 やすやすと敵艦の挑発に乗らないようにしなくては……。

 

 浅く息を吸い、深く吐く。

 限界まで研ぎ澄まされた性能と感覚。

 張り詰めた堪忍袋の緒を緩め、冷静さを取り戻しつつあった神通の耳に、怒り狂った姫級駆逐艦の叫びが響き渡る。

 

『……舐メヤガッテェッ! ウッザインダヨォッ! ソンナニ知リタキャア教エテヤンヨッ! 海ノ底デ……冥土ノ土産(ミヤゲ)ニネェッ! 好キナダケ報告スルトイイサ……! スグニ送ッテヤルヨ……()()()()()()()()()()()()()! アハハハ――』

 

 売り言葉に買い言葉、とはいえ――。

 その迂闊な一言は虎の尾を踏み(にじ)り、龍の逆鱗を逆撫でし、全力で彼女のスイッチを押し込むに等しい行為であった。

 

 ()()()()が耳に届き、脳へ伝わり、その意味を理解した僅か0.013秒後。

 電気信号の伝達すら遥かに凌駕する速度で照射される探照灯。

 その光はまっすぐに、ただまっすぐに、最短距離で標的への道を示す。

 文字通りの光速で示された道標。

 征く道を照らし、暗闇を切り拓き――誰よりも速く――(はし)る。

 

 刹那――闇夜に一輪の鬼百合(おにゆり)が咲いた。

 戦場に狂い咲き、深い闇夜を切り裂く狂奔(きょうほん)の華。

 一度覚悟を決めたなら、二度と彼女は迷わない。

 その覚悟は不退転。決して後ろには下がらない。

 大切なその全てを守るため――戦火を開き、飛び込み、駆け抜ける。

 

 彼女に与えられた名が持つ意味は、一説によれば『計り知れない超人的な力』。

 もしくは文字通り『神の通る道』――。

 

 いずれにしても、名が体を現しており。

 いずれにしても、名に恥じぬ働きを成す。

 冷静を超えて至極冷徹に。

 熾烈(しれつ)をも超えて更に苛烈(かれつ)に。

 

『華の二水戦』第二水雷戦隊旗艦・神通――突撃開始。




大変お待たせ致しました。

ご感想への返信が出来ず申し訳ありません。
本当に時間が無いため執筆の方に集中させていただいております。
皆様から頂けるご感想は本当に楽しみにしております。

また、普段は書き上げてから数日推敲した後に投稿しているのですが、時間が無いので推敲も最低限にしようと思います。
おかしな点や誤字が見つかるかもしれませんが、その際はお手数ですがご指摘頂ければ幸いです。

投稿時間も特に意味なく19時に固定していましたが、少しでも早く投稿するため今後は自由にします。

これからも評価、感想にて応援頂けますととても嬉しいです。
次回も気長にお待ち頂けますと幸いです。


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072.『戦況・A島』【艦娘視点③】

 那智たちの艦隊が姫級駆逐艦と接触する少し前のこと――。

 

「さっきから難しい顔をしているわね、龍驤。何か考え事かしら」

 

 A島の浜辺で待機中の空母三人。加賀の問いに、龍驤は表情を崩さぬままに答える。

 

「ん……いや、うちらA島方面とC島方面の編成について、ちょっとな……」

「あぁ、艦種のバランスなんかはほぼ同じだよね」

「せやな。しかし、なんちゅーか……中身がな」

「中身?」

 

 首を傾げた瑞鶴に、龍驤は言葉を続ける。

 

「C島の方は妙高、羽黒、筑摩、赤城、翔鶴、春日丸、天龍、龍田、そして第六駆逐隊の四人やん? 天龍はアレやけど、結構おとなしめというか、しっかり者が多いと思わへん?」

「うん。それが?」

「こっちはなんか、こう……艦種はほぼ同じなのに、全体的に騒がしい感じがせぇへん?」

「……どういう意味?」

「重巡級で言えば、あっちは妙高と羽黒と筑摩。こっちは那智と足柄と利根。どや?」

「あぁ、なんかわかるような……」

 

 戦闘時も落ち着きのある妙高、芯はあるが控えめな羽黒に対して毅然とした態度の那智、テンション高く戦う足柄。

 筑摩に対しての利根については言うまでも無いだろう。

 

「天龍と神通は例外として、確かに龍田も落ち着きがあるタイプで、川内と那珂はアレだもんね」

「夜戦馬鹿とアイドル馬鹿やからな。今も那珂の声ここまで聴こえてくるし……まぁ最近は司令官が絡むと神通も怪しいんやけど」

「六駆の四人は結構しっかり者だけど、七駆もそうでしょ?」

「しっかり者ではあるんやけど、天然ボケの(おぼろ)と、キャラの癖が凄い(さざなみ)と、天然ボケの(うしお)やぞ。しかもあの個性が渋滞起こしとる漣が唯一のツッコミやねんぞ」

「そ、そこはよくわからないけど……」

「漣だけじゃツッコミが足らへん魔境やで七駆は……昔はバランスが取れとったんやけどなぁ、っと、それは置いておいて」

 

 何やら失言を誤魔化すように、龍驤は首を振る。

 龍驤の言う()にはまだ艦娘として鎮守府に存在していなかった瑞鶴はそれを特に気にする事もなく、龍驤を見下ろしながら言葉を続けた。

 

「そしてあの春日丸に対して龍驤さんか……これはまぁ納得かな」

「春日丸は見た目も中身もどちらかと言えば鳳翔に近いからなぁ……ちゅーかキミも人の事は言えへんで」

「同感ね」

「瑞鶴の話になると急に入ってくるなキミ……」

 

 いきなり話に入ってきた加賀に対し、瑞鶴がいつもの調子で突っかかる。

 

「ちょっと! お(しと)やかな翔鶴姉に対して私がガサツだって言いたいの⁉」

「よくわかっているじゃない。私が思っていたより意外と利口だったのね。評価を改めてあげるわ」

「な、何ー⁉」

「話が進まへんから、そろそろ持ちネタやめてもらってえぇかな?」

「持ちネタって何⁉ そもそも龍驤さんがこの話題振ってきたんでしょ⁉」

 

 行き場のない鬱憤を晴らすように地団駄を踏む瑞鶴に、加賀がそんな事をするからガサツなのだ、とでも言いたげな視線を向ける。

 翔鶴がそんな真似をするかしら、とでも言えば少しは大人しくなるだろうか。

 そう考えはしたものの口にはせず、私は違うというような冷静な口調で龍驤に向けて口を開いた。

 

「それで、結局何が言いたいのかしら」

「んー、まぁ、騒がしいタイプとおとなしいタイプに分けたってのは偶然かもしれんけど、何らかの意図はありそうやなと」

「どう考えても私は騒がしくないわ。自他ともに認めると言ってもいい程に。私も例外でしょう」

「確かに普段はクールで沈着冷静やけど、キミらがコンビ組むと十分騒がしいねん。C島の赤城と翔鶴のコンビでも同じ事になってると思うか?」

 

 龍驤の問いに加賀と瑞鶴はしばし考え、そして口を開く。

 

「赤城さんなら五航戦と組もうともシリアスな展開以外有り得ないわね」

「ふん、翔鶴姉もきっとシリアスな展開を繰り広げているに決まってるよ」

「まぁええんやけど、キミらの相方への信頼厚すぎない?」

 

 加賀と瑞鶴は頷きながら、赤城と翔鶴二人の雄姿を想像する。

 加賀は自慢の相棒、瑞鶴は自慢の姉に想いを馳せて悦に浸っていたが、はっと気がついたように加賀が龍驤にジト目を向けた。

 

「話が逸れたわ。私がこちらにいる理由には納得しかねるけれど。要するに、提督の編成に不満があるという事かしら。大概にしてほしいものね」

「いやぁ、ウチは別に。どちらかと言えば赤城と組みたかったのはキミの方やろ。『五航戦の子なんかと一緒にしないで』って出撃前から顔に書いてあるで。帰投したら司令官に言うといたろ」

「……て、適当な事を言わないで頂戴。提督の編成に不満はないわ。そもそも、不満が出る要素が無いもの。そうよね五航戦。私達、ナカヨシ」

「カタコトやないか!」

 

 と加賀にツッコんだところで、龍驤は何か閃いたようでぽんと大袈裟に掌を打った。

 

「せや、それや! 別に一航戦と五航戦はそのままでえぇやん。川内三姉妹と天龍龍田は一緒やし。何でわざわざ同じ正規空母やのに赤城と加賀、翔鶴と瑞鶴を分けたんやろ」

「あー、それは……」

 

 何かを言いかけて口を(つぐ)んだ瑞鶴だったが、やはり都合よくそれを聞き逃してはくれなかった。

 加賀と龍驤に視線を向けられても、瑞鶴は素知らぬ顔で視線を逸らす。

 

「なんや、心当たりがあるんか? 気になるやん」

「な、何でもないってば。そんなに大したことでもないし」

「えぇやないか、万が一でも司令官の意図に繋がるとするならウチらの成長にも繋がるし、減るもんでもないやろ」

「うぅ……」

 

 瑞鶴はちらりと加賀に目を向けると、腕組みをしながらうーんと唸り声を漏らす。

 

「言いたくないなぁ……」

「何か含みのある言い方ね。いいから早く言ってごらんなさい」

「くっ……怒んないでよ? まぁ、その、昼間の事なんだけど。提督さんのところに、翔鶴姉が涙ながらに直訴しに行ったんだよね。スカートの下にジャージを履きたいって」

「なんでそんな馬鹿な真似をしたのかしら」

「いや加賀さんのせいでね? それで、結論から言うとそれは却下されたんだけど、その理由が翔鶴姉の成長のためだったんだよね」

 

 隙の多さが短所だと言うならば、その方法は何の解決にもならない。

 ジャージを履けば確かに下着は見えなくなるが、それでは隙の多さという根本的な問題は解決しない。

 意識と所作が重要なのであれば、それを克服する事は翔鶴自身の成長に繋がる。

 問題を解決するにしても、楽で安易な方法に頼って欲しくはない――。

 提督が語った事を瑞鶴から聞かされ、龍驤は苦笑いしながらも頷いた。

 

「アハハ……理由が情けないけど、司令官の言っとる事は疑いようが無いな。要するに、臭い物に蓋するだけじゃ何も解決せぇへん、原因を取り除けっちゅー事やね。ズボンやと見えへん事に安心して、結果としてますます隙が増える可能性もあるし。それにしてもアホくさい話を熱く語らされて、司令官も大変やな」

「うん。それで、翔鶴姉の隙の多さ、それを克服するって点で、特に赤城さんを引き合いに出してたんだよね。赤城さんの隙の無さを見て学べって感じで」

「流石は赤城さんね。まさに一航戦の誇り。百万石に値するわ」

「赤城の話になると急に早口になるなキミ……」

 

 龍驤と共に辟易した表情を浮かべつつ、瑞鶴は言葉を続ける。

 

「提督さんは、空母の中で一番翔鶴姉に期待しているんだって。あの赤城さんよりも」

「な、なんやて? 加賀よりも、赤城よりも⁉」

「うん」

「ウチよりも⁉」

「う、うん、多分……翔鶴姉の弱点は僅かな隙の多さ。それを克服した時、赤城さんにも匹敵できると信じているって。まぁ、おだてただけかもしれないけど……」

「……なるほど。確かに赤城さんに匹敵するというのは言い過ぎだけど、提督の意見には(おおむ)ね同意するわ」

「えっ⁉」

 

 加賀の一言に、瑞鶴と龍驤は同時に目を丸くした。

 それを聞き、加賀は不愉快そうに眉間に皺を寄せる。

 

「何かしら」

「い、いや……加賀さんの事だから、あの赤城さんを翔鶴姉が超えるみたいな事言われたら怒るんじゃないかと……だから加賀さんの前で言いたくなかったんだけど」

「私を何だと思っているのかしら。一応言っておくけれど、私は戦場での翔鶴の実力は認めているわ。二日前の出撃で犯した私の失態……それをフォローしてくれたのも赤城さんと翔鶴だもの」

「へぇ~、なんやキミ……知らん内に丸くなったなぁ!」

「痛い。やめなさい。頭にきました」

 

 機嫌良くバシバシと加賀の臀部を叩く龍驤に、加賀が不快そうな目を向ける。

 意外そうな目で見てくる瑞鶴に釘を刺すように、加賀はいつもの調子で口を開いた。

 

「まぁ、姉はともかく妹の方はまだまだなのだけれど。もっと精進なさい」

「むっ……ふ、ふんっ! 言っとくけど、私だってまだまだ伸びる余地があるって言われたからね! 全ては私の頑張り次第だけど、長所を伸ばしていけばきっといつかは加賀さんをも超えられるって」

「うん? なんや、キミも司令官に性能見てもらったんか?」

「あっ」

 

 むきになってうっかり口を滑らせてしまった瑞鶴が、失言に気付いて顔を赤らめる。

 瞬間、加賀の目がキラリと光った。

 狼狽(うろた)えたその一瞬の隙は、歴戦の強者の前ではあまりにも命取り。鎧袖一触。

 加賀は僅かに顎を上げて瑞鶴を見下す体勢を取り、言葉を続けた。

 

「まったく……大勢の前であれほど提督に恥をかかせておいて、いつの間にか自分の体はちゃっかり見てもらうなんてね」

「ちゃ、ちゃんと謝ったし! それに、体じゃなくて性能! 性能計るためなんだから仕方ないって話だったでしょ⁉」

「改二実装艦だけが執務室に呼ばれた時も不愉快そうな顔をしていたし、千歳たちの時にあれだけ激昂していたのはやっぱり……あら、あらあら」

「ちょ、ちょっと加賀さん! 違うからね⁉ 妙な事考えないでよね⁉」

「お可愛いこと」

「違うーッ! ちーがーうーッ‼」

「そろそろ持ちネタやめてもらってえぇかな?」

 

 加賀の両肩を掴んでガクガクと揺さぶる瑞鶴にもはや見向きもしないまま、龍驤がうんざりした顔で吐き捨てるように言った。

 情報共有のために繋いでいる無線に耳を澄ませば、いつの間にか那智たちの戦闘も危なげなく終了しているようで、何やら雑談している様子であった。

 

『お主……意外と食い意地が張っておるんじゃのう』

『ち、違いますよ⁉ ただ、その戦闘糧食には提督の御力が込められているとの事でしたから、その、食べたら更に強くなれるのではないかという事に興味があるだけです!』

 

 その話題に加賀がぴくりと反応したので、瑞鶴が怪訝そうに口を開く。

 

「皐月が言ってた提督パワーってやつ? 本当にあるのかなぁ。単に提督さんへの信頼がきっかけになったのとは違うのかな」

「うーん、執務室に呼ばれたウチらは実際に目撃しとるからなぁ……文月は明らかに司令官の任意のタイミングで改二実装されたし、抱き着いた皐月は意図してなかったみたいやし」

「実際に今夜のうちに、少なくとも駆逐艦六人は提督の戦闘糧食を食べた直後に改二実装されたらしいわ。食べた本人たちがそう言っているのだから、疑いの余地は無いでしょうね」

「特に時雨たちの改二実装は今夜の作戦の肝、起死回生の一手やからな。司令官自身がいくら否定しても状況証拠が揃いすぎとる。司令官は妙なところで誤魔化すのが下手というか、雑というか……」

 

 提督パワーなる未知の力の存在に懐疑的な様子の瑞鶴とは対照的に、加賀と龍驤は完全に信じ切った様子であった。

 二人だけではなく、神通たちが提督パワーの存在ありきで話しているのもまた然り。

 百聞は一見に()かず。

 いきなり呼びつけられた文月、その頭にそっと乗せられた提督の手。

 静かに瞼を閉じ、精神を統一するように深く息を吐き、やがて淡い光に包まれる文月の身体――。

 その幻想的な光景を目にしてしまったか否かによる信用度の違いは大きいのだろう。

 もはや議論するのも野暮だと思ったのか、瑞鶴はそれ以上追及する事もなく言葉を返す。

 

「そんなものがあるとするなら、提督さんが握った戦闘糧食はまさに棚からぼたもち、喉から手が出るほど欲しいってわけね。それであんなに揉めていると……まったく、いい大人が何やってんだか」

 

 神通たちの声を聴きながら瑞鶴が呆れたように言ったところで、利根のあっけらかんとした声が届く。

 

『よし、吾輩に名案があるぞ! 後腐れなく敵艦を沈めた数で決めるというのはどうじゃ』

「それは不公平ね」

「欲しいの⁉」

 

 いきなり無線で会話に参加した加賀に、瑞鶴も思わずツッコミと共に首を向けてしまう。

 それに構わず、加賀は淡々と利根たちに向けて言葉を続ける。

 

「夜が明けるまで動けない空母が不利すぎます。頭にきました、と龍驤が言っているわ」

「いや言うてへんわ! それキミの口癖やないか!」

『う、うむ。強くなりたいのはお主らも同じじゃろうからな』

「ここは譲れません、と五航戦が言っているわ」

「いや言ってないよ⁉ それ加賀さんの口癖でしょ⁉」

『貴様ら、くだらない話は終わりだと言っただろう……! 龍驤らも気を抜くなッ! 来るぞ!』

 

 どうやら再び敵艦隊との戦闘が開始されたようで、答えが出ないままに会話は一時中断される。

 闇夜に響き渡る砲撃音。

 無線の内容から察するに、敵艦隊の中に姫級が混ざっているらしい。

 緊迫する空気――その沈黙の中で瑞鶴・龍驤からの冷ややかな視線にいい加減耐え兼ねたのか、加賀は不愉快そうに口を開いた。

 

「私の顔に、何かついていて?」

「やかましいわ、何してくれてんねん」

「本気で強くなりたいと願っているのなら、その手段を求めて当然でしょう」

「いやウチらの名を(かた)った事を言うとるんやけど」

 

 冷めた龍驤の言葉に、加賀はしばしの沈黙の後に言葉を紡ぐ。

 

「……貴女たちの意思を代弁してあげたつもりだったのだけど、どうやら私とした事が見誤っていたらしいわね。今の力量で満足しているなんて、貴女たちの意識の低さには呆れ果てるわ」

「ほんまコイツ……! 口の減らん奴やな! 瑞鶴も何か言うたれや!」

「んー……いや、加賀さんさぁ、提督さんの戦闘糧食が欲しいのって――」

 

『――ぐおぉぉおーーッ⁉』

『利根ーーっ⁉』

 

 瞬間、耳に飛び込んでくる爆音と叫び声。

 被弾⁉ 利根ほどの猛者が、ついに――。

 一瞬にして張り詰める空気。

 会話の内容から、幸いにも利根の損傷は軽微なものだったようで、胸を撫で下ろす。

 

『ところで利根さん、提督の戦闘糧食は大丈夫ですか?』

『えっ? ……あっ』

 

 しかし、続いて届いた声に加賀がぴくりと反応した。

 どうやら利根は無事だったものの、提督の戦闘糧食を入れていた手提げ袋は無事では済まなかったらしい。

 怒り狂う那智が利根の襟首を締め上げている姿を声から幻視しながら、龍驤が顔に手を当てて呆れたように口を開く。

 

「あっちゃ~……利根の奴、何してくれてんねん……まぁ、棚からぼた餅。元々なかったようなものやし仕方ないか。なぁ、加賀――」

 

 龍驤が何気なく加賀に顔を向けた瞬間であった。

 唐突に、何の脈絡も無く――加賀から放たれる強烈な閃光と爆風。

 

「ぐぉぉおおーーッ⁉」

 

 あまりにもその勢いが強すぎて、まるで数時間前に提督が改二実装艦の観察をした時のように、龍驤は砂浜をごろごろと転がった。

 敵襲⁉ 反射的に艤装を展開するが、すぐに思い直す。

 いや、敵の攻撃とは違う、ならばこれは。

 身に覚えがあるこの風は、この光は、まさか――⁉

 目が慣れるまでの間に、龍驤はひとつの仮説を立てる。

 自分の腕を引き、肩を貸して立ち上がらせる誰か――瑞鶴だ。

 

「龍驤さん、だ、大丈夫……?」

「ぺっぺっ、口に砂入った……目がちょっちまだアカンけど、キミは平気なん?」

「私は直視してなかったから……それより、ちょっと、早く見てほしい。私はまだ、自分の目を疑ってる……」

 

 瑞鶴のその言葉で、十中八九の予測は立てられた。

 しかしそれでも、ようやく視界を取り戻した龍驤の目に飛び込んできたものは想像を絶していた。

 百聞は一見に如かず――。

 

 それは闇のドレスを纏っていた。

 まるで漆黒のベールで覆われているかのようにすら感じられた。

 艦載機発艦用の和弓も木色から艶のある黒に。

 全体的に鈍色(にびいろ)となった飛行甲板がところどころ点灯しているのは――闇の中で機体を誘導するためだろう。

 矢筒だけではなく、軍刀をその腰に携えて。

 比喩では無く、目の色が変わり――異様な輝きを放っている。

 

 たった一目で理解できた。

 加賀のその姿が、夜間戦闘能力を有しているという事に――。

 それはまさに、報告にあった赤城と同じ姿、能力。

 

 加賀本人も確かめるように自らのあちこちに目を向け、そして普段と変わらぬ冷静な態度のままに状況を飲み込んだようだった。

 

「……いい装備ね。流石に気分が高揚します」

 

 まるで、それが当然であるかのように呟いた加賀に、龍驤は声を漏らす。

 

「改二……いや、でも何でこのタイミングで……」

「……言ったでしょう。貴女たちと違って本気で強くなりたいと願っていたからよ。提督も龍田に言っていたわよね。欲し、望まない限り、人は成長しないと……そういう事よ」

 

 表情は相変わらずの冷淡なものであったが、僅かにドヤ顔のようにも見える。

 そんな加賀に龍驤がぐぬぬと言葉に詰まっていると、そのやり取りを聞いていた瑞鶴が口を挟んだ。

 

「いや、提督さんのおにぎり食べたかったからでしょ?」

「⁉」

 

 加賀はぐりんと勢いよく瑞鶴に顔を向け、すたすたと早足で距離を詰め、圧をかけるように早口で反論する。

 

「……何を言うの、何を。それでは私がとんだ食いしん坊みたいじゃないの」

「いやぁ、でも加賀さん、なんか提督パワーっていうより、単純に提督さんが握ったおにぎり食べたがってた感じがしたから……時雨たちが改二になったって報告が入る前からさりげなく自分の戦闘糧食確認してたし、三角形だったから提督さんのじゃなかったし。多分提督さんのおにぎり台無しにされた怒りで目覚めたんじゃないかなって」

「私が欲し、望んでいたのは力ではなくおにぎりだとでも言いたいのかしら。訂正しなさい。私は意識の低い貴女たちと違って――」

 

 表情には出さないものの珍しく熱くなっている様子の加賀に、龍驤が怪訝な目を向けていると――。

 突如、上空から二機の艦載機が現れる。

 それはそのまま、誘導灯に従って加賀の飛行甲板に正確に着艦した。

 コックピットから妖精が現れ、加賀に向かって敬礼する。

 

「……何これ、加賀さんによく似た妖精だね。可愛い」

「やめなさい。……夜間攻撃機ね」

「初めてみる機体やな。日本の……いや、海外の、どっちや?」

 

 三人の視線はそれに集中し、そしてその名を理解する。

 

『TBM-3W』と『TBM-3S』。

 それらをまとめて『TBM-3W+3S』が装備の名称。

 二機で一対の装備らしい。

 哨戒・探知特化のW型と、攻撃・対潜特化のS型。

 赤城のもとに馳せ参じた『烈風改二戊型』と同様に、これもまた汎用性を高めたIF(イフ)装備――。

 

「対潜哨戒機……? 性能は凄いみたいだけど、なんで妖精が加賀さん似なのかな。可愛いけど」

「やめなさい。……今は夜間攻撃機である事の方が重要よ。これは……良い機体です。優秀ね」

「……司令官が、ここまで飛ばしたんか?」

 

 龍驤の問いに、パイロットの妖精は少しばかり考えるような素振りを見せた後に、こくりと頷いて機体ごと矢の姿となり、加賀の矢筒の中に納まった。

 見計らったようなタイミングで夜間攻撃機を向かわせたという事実。

 つまり――。

 ふ、と加賀が小さく微笑みながら口を開く。

 

「私に改二実装される事もお見通しだった……という事ね。もしかすると、私が改二に目覚めたのも、提督パワーとやらのおかげなのかもしれないわね」

「いや、加賀さんの場合はおにぎり食べたかったからでしょ?」

「⁉」

 

 加賀は僅かにこわばった表情で瑞鶴に目を向ける。

 

「……文月から始まり駆逐艦たち、羽黒に龍田、天龍、そしてあの赤城さんに至るまで提督のおかげだと言っているのよ。私がそうだったとしてもおかしな話では無いでしょう。そう……これが提督パワーなのよ」

「あのねぇ、そんな言い訳じゃ翔鶴姉でも誤魔化されないよ。提督パワーとか言うなら、少なくとも加賀さんは提督さんに指一本触れてないだろうし」

「そ、それは……そう、きっと大切なものは心で伝わるのよ」

「だからそんな雑な言い訳じゃ誰も誤魔化せないって。言ってて恥ずかしくないの?」

「なんですって……⁉」

「はいはい、そこまで! 加賀、キミがこのタイミングで夜間戦闘できるようになったのには意味があるはずやろ。司令官の意図を無碍(むげ)にするんか?」

 

 ヒートアップする二人の間に割り込み、龍驤は加賀を制止する。

 龍驤の言葉を聞き、未だ溜飲が下がらない様子ではあったものの、加賀は一歩下がって瑞鶴に背を向ける。

 付き合いが長いだけの事はあり、龍驤は加賀の扱いに慣れている様子であった。

 

「……それもそうね。ついに姫級が現れたこの局面、提督は私に戦えと言っているのでしょう」

「せやな。それに、戦闘糧食ダメにされて怒っても、別に恥ずかしい事じゃないやろ。食べ物粗末にされて怒らない日本艦はおらんで。鳳翔でもぶちキレるわ」

「そうね。この怒りは矢に載せて叩き込む事にするわ」

「せやせや! 食べ物粗末に扱う(しつけ)のなってない子には、夜戦できないウチの分もビシッとお仕置きしたれ!」

「えぇ。絶対に許さないわ……利根」

「そっちは許したれや! 悪気ないんやから!」

 

 加賀は海に向かい歩を進め、振り向かぬままに言葉を続ける。

 

「五航戦……今回ばかりは本当に頭にきました。貴女もそう簡単に許してもらえると思わない事ね」

「ふんっ、本当の事を言ったまでよ」

「提督の編成とはいえ、やはり無理があったようね。やはり貴女とは()りが合いません。戦場で足を引っ張られても困るし、今後は五航戦と一緒に編成しないよう意見具申する事にするわ」

「……っ! こ、こっちの台詞よ! 私も翔鶴姉と一緒の方が戦いやすいしね! ふんっ!」

 

 一歩一歩遠ざかる加賀の背中を見送りながら、龍驤は大きな溜め息と共に呆れ顔を瑞鶴に向けた。

 

「キミねぇ……自分じゃなくて加賀の方が先に改二実装したのが悔しいからって、子供やないんやから……」

「べ、別にそういうわけじゃないし。加賀さんがおにぎり食べたがってたのは多分本当だし」

「まぁそれは置いておいて。そもそも、今は舞鶴鎮守府にいる二航戦の蒼龍と飛龍にも結構前に改二が実装されてるし……赤城と加賀がキミら五航戦より先に目覚めたとしても何らおかしな事では無いやろ?」

「それは、そうだけど……」

 

 龍驤の諭すような言葉に、瑞鶴はぎゅっと拳を握りしめる。

 改二が実装されていない状態でも、五航戦と一航戦の間には大きな力量差があると自覚できていた。

 それが、先に改二実装されてしまった今、ますます差が広がってしまった。

 これでは加賀さんと並び立って戦うことなどできるはずが無い。

 性格面での相性以前に力量の面でつり合うはずが無い――。

 

 もしもこれも提督パワーとやらのおかげなら、提督さんの想定内の事だとするならば、一体何故。

 いや、提督さんのせいにしてはいけない。

 艦娘がこう考えてしまうからこそ、提督は提督パワーなど存在しないと言ったのだから。

 ならば加賀さんの言うとおり、意識が低い故か。鍛錬不足か。それとも才能か。

 

 黒い気持ちがぐるぐる回る。

 自己嫌悪と悔しさが混ざり合って、油断したら涙が零れてしまいそうだ。

 より一層拳を強く握りしめ、爪を掌に食い込ませた。

 

「……キミの考えやと、翔鶴の成長のために赤城と組ませた、って事やったな」

「え?」

「それを聞いて色々繋がったわ。欠けていたピースが埋まったっちゅーか……ここからはウチの推察なんやけどな」

 

 瑞鶴には目を向けず、戦場へ向かい歩む加賀の背に目を向けたまま、龍驤は小さく息をつく。

 

「翔鶴の成長のために赤城と組ませた。だからそのあおりでキミと加賀が組む事になった……そう思ってるんなら、それは違うで」

「翔鶴と同じように、キミの成長のために加賀と組ませた」

「そして、今回の戦いの中でキミら五航戦が成長するために……キミら五航戦のために、先に一航戦に改二が実装される必要があったんやないかな」

「……どういう事?」

 

 瑞鶴の問いに、龍驤は言葉を続ける。

 

「ウチら空母は、基本的に夜は戦えへん。夜間作戦航空要員がおれば別やけどな」

「そして今回は夕方の出撃。司令官が想定している交戦時間はおそらく夜戦中心、遅くても明日の朝までってとこや」

「つまり、大半はウチら空母の出番なし。これじゃ成長も何も無いわな」

「しかし、や。今回赤城と加賀に夜間戦闘能力が実装された。これがどういう意味かわかるか?」

「……あっ」

 

 声を漏らした瑞鶴に、龍驤も小さく口角を上げた。

 

「司令官は翔鶴に、赤城の所作を参考にしろって言うてたんやろ? そう、これで夜間でも一航戦の戦いぶりを見れるんや。参考にできる、刺激を受けられる。いわゆる『見稽古』ってやつやな」

「きっと翔鶴はもうこの意図に気付いとる。いや、気付いてなくてもあの性格やし、司令官直々にそう言われたんや、赤城の戦闘を見逃すまいとしとるやろな」

「私達のために、一航戦に先に改二実装……⁉ そんな、それじゃあ、まるで提督さんの意思で改二のタイミングまで……そんな事できるわけが……」

「文月に時雨達……タイミングよく飛んできた夜間攻撃機……今夜だけでもすでに前例はいくつもある。これがすべて偶然なんて思えへんやろ」

「ホンマに……底の見えへん御人やで」

 

 ぶるり、と小さく身震いしながら、思わず引きつった笑みを浮かべた龍驤の頬に冷や汗が伝う。

 信じられない。有り得ない。

 だが、全てが偶然などと言う方が更に有り得ない。

 先の先の先まで読み切る人知を超えた戦術眼に加えて、今までの理屈と常識では語り得ない未知の力。

 全ては司令官の想定内――艦娘の改二実装すらも、その神がかり的な力をもってすれば。

 龍驤は血の滲むような鍛錬で改二実装されたからこそ、並大抵の努力ではその領域に到達できない事を痛感していた。

 そんな領域に、提督パワーさえあればいとも容易く到達できるというならば。

 司令官がその存在を否定したがるのも理解できる。

 

 昼に艦娘たちで司令官を象徴するシンボルがさくらんぼだというような考察をしたが――

 

 提督パワーなるものは、まるで禁断の果実のようではないか。

 

 実際のところ、戦闘糧食を巡って争う神通たちの事を馬鹿にできる者などいない。

 戦場に身を置いているのならば、更なる強さを求めるのは誰もが同じであるからだ。

 敵も味方も関係無く――。

 

 もしもそんなものがあると知れ渡れば。

 もしもそれが()()()()()()であるならば。

 

 もしも他の鎮守府に知れ渡れば。

 強さを求めているものの自分の限界の壁にぶつかっている歴戦の強者も多い。

 もしも海外艦に知れ渡れば。

 艦娘からすれば関係無いことなのだが、海外艦の運用には政治的なあれこれが絡んでいるらしく、下手をすれば国際問題にさえ発展しかねない。

 もしも深海棲艦に知られたら。

 きっと真っ先に狙われて、いや、それどころか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

「……アカン。これはちょっちアカンで……」

「え?」

「いやゴメン、考えすぎやな……それより、その涙で滲んだ目じゃ加賀の姿もよく見えへんで。強くなりたいんやろ? なら下手な意地張ってる暇なんて無いはずやん?」

 

 何かを誤魔化すような龍驤の言葉に、瑞鶴は腕でぐしぐしと両目を拭う。

 加賀さんが改二に目覚めたのは提督さんのおにぎりを食べたかったからだというのは確信しているが、提督さんの事を信じていないわけでもない。

 いや、提督さんの事は信じられなくて当然、というべきかもしれない。

 きっとこれから、私は数えきれないほど「信じられない」と口にする事だろう――。

 

 そんな事よりも、龍驤さんの言う通りだ。

 不要な意地を張っている場合ではない。

 私は提督パワーなんて信じない。

 そんなものを信じてしまったら、私が今から学ぶことも何もかも無駄になってしまうからだ。

 提督さんの匙加減ひとつで得られたものではないかと疑ってしまうからだ。

 それは心の怠惰を招く。

 提督さんが最も恐れている事はそれだろう。

 

 龍驤さんの推察が事実ならば。

 提督パワーとやらが本当にあったとしても、きっと私と翔鶴姉には与えられていない。

 赤城さんと加賀さんの戦う姿を見て、学んで、自力で改二に至れると信じているからだ。

 そうでなければ、こんな回りくどい事はしない。

 

 私はまだ自分自身を信じられていないけれど――。

 

『ふぅん、私達空母は中破したら艦載機の発着艦が出来なくなるから、確かに装甲は重要だけど……加賀さん並に搭載数増えたりしないかな』

『流石に加賀並は難しいかもな……しかし、瑞鶴にはまだまだ伸びる余地があると思うぞ。だが、全てはお前の頑張り次第だ』

 

『まぁ、空母は搭載数が全てじゃないしね。装甲が伸びるって事は継戦能力も上がるって事だし……総合的に加賀さんに勝てるかも?』

『勝ち負けでは無いと思うが……長所を伸ばしていけば、きっといつかは加賀をも超えられるさ。だが、全てはお前の頑張り次第だ』

 

『なんか、全ては私の頑張り次第ってところが気になるんだけど……』

『何の努力もせずに掴み取れる未来があると思うか?』

 

 そう言われてしまったのだから。

 すでに教えられていたのだから。

 信じられてしまったのだから。

 

 だから私は提督パワーなんて信じない。

 全ては私の頑張り次第なのだから――!

 

 涙を拭い鮮明になった視界。瑞鶴の視線はただ一点に集中される。

 波打ち際まで到達した加賀は矢筒から二本の矢を抜き取った。

 先ほど手にしたばかりの『TBM-3W』と『TBM-3S』。

 駆動する脚部艤装。海面を滑走しながら、二本の矢を弓に(つが)える。

 ただそれだけで理解できるほどの性能。

 自分自身の新たな姿。

 弓に(つが)えた新たな装備。

 月明かりだけを頼りに遠目に見ているのに、その姿はどこか高揚しているような雰囲気を醸し出しているように見えた。

 

「一航戦・『加賀改二戊』……出撃します」

 

 一切の無駄のない一挙手一投足。

 瑞鶴自身と同じ和弓形式の発艦。

 正射必中という言葉を具現化したのかとさえ思う揺るぎない姿勢。

 もはや戦闘に必要な情報しか見えていない。

 もはや戦闘に必要な情報しか聞こえていない。

 凛――と。

 限界まで研ぎ澄まされた集中力。

 例えるならば、あまりの静寂に恐ろしささえ感じるほどの(なぎ)

 だがその中に確かに感じる情熱、衝動、感情、蒼い炎。

 今まで戦闘中に、これほどまでにまじまじと見て学んだ事は――見学した事は無い。

 改めて感じる、歴然とした力と技量と経験の差。

 美しさなど微塵も意識していないはずの所作が、何よりも美しく。

 一刻一秒たりとも見逃せない――。

 瑞鶴は思わずごくりと唾を飲んだ。

 

「どや? えぇ手本になるやろ。ウチじゃ発艦形式が違うからそういう点では参考にならへんからな」

「うん、悔しいけど……」

「……後でちゃんと謝るんやで。なんか知らんけど加賀のやつ珍しく本気で怒っとったんやから」

「う、うん」

 

 瑞鶴の気まずそうな表情を見て、龍驤はぱんと両手を叩いた。

 

「さ! ウチらも時間を無駄にでけへんで! 今のうちに食事といこうやないか」

「え? このタイミングで?」

「利根のあのザマを見たやろ。ここは戦場。今食べようって時に食べられへんかも……きっと赤城のやつはそう考えてすでに完食しとるやろな」

「それはただの食いしん坊なんじゃ……まぁいいや、確かにそろそろいい時間だしね」

 

 別に否定する理由もない。

 それに、観戦しながら食べるにもおにぎりは都合がいい。

 瑞鶴は何の気なしに包みを開けて思わず声を漏らした。

 

「あ、俵型……これ提督さんのだ」

「おっ、大当たりやな! いやぁ、さすが幸運の女神がついてるって自称するだけの事はあるなぁ」

「べ、別にこれに関しては幸運とか思ってないし? 普通に食べるだけだし?」

 

 そう言いつつも、その声はどこか弾んでいるように龍驤には聞こえていた。

 龍驤の包みを開ければ綺麗な三角形。間宮か伊良湖か鳳翔か、流石に判別はつけられない。

 戦闘糧食を頬張ろうとした瑞鶴の耳に、不意に届いた無線――。

 

『ナカヨシ』

「欲しいの⁉」

「いや何でこっちの会話聞こえてんねん! 戦いに集中しろや!」




大変お待たせ致しました。
ホノルルの水着グラの超火力に衝撃を受けたりしていますが私はなんとか元気です。

早く展開を進めなければいけないのに、第5章は各艦娘ごとに書かなければならないシーンが多すぎてなかなか先に進めません。
なるべく戦闘シーンはカットするなど工夫したいと思います。

次回も艦娘視点になります。
遅筆に加えてストーリーも牛歩で進んでいますが、次回も気長にお待ち頂けますと幸いです。


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