煤に塗れて見たもの (副隊長)
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1部 受け継がれたもの
1.猫と鉄パイプ


 煤に塗れていた。嘗て人間だったそれ、一組の親子が全身に纏い黒く薄汚れている。裏路地を、父が血の流れる手で子を引き走り抜ける。ノイズ。人類の天敵。触れるだけで人々を炭化させると言う規格外の怪物。複数に追われている。袋小路に追い込まれていた。

 

 「男だ、ユキ。怖かろうとも、如何なる時でも恐怖に飲まれてはならん。守りたいものを忘れるな。活路は必ずそこにある」

 

 父は子を背に静かに語る。右手には鉄パイプ。左腕は火災にでも巻き込まれたのか、酷く焼け爛れている。一部の傷は塞がり切れていないのか、裂傷から血が滴り落ちる。幼い少年でも、一目で使い物にならないと解る程の怪我である。一度、父が子の頭を血濡れた手で撫で穏やかに笑った。

 

「生かさせて貰うぞ。我らが刃は、その為にある」

 

 少年は只見つめていた。父の背中。焼き爛れた腕。零れる血液。地をなぞる金属の擦れる音。遠ざかる。風が、煤を巻き上げた。

 

 

 

 

 

 

 暗い路地裏を歩く。カツカツと靴がアスファルトを叩く音が、響く。近道。幅員の狭く人気のない路地ではあるが、遥かに早く目的の場所に付けるのだ。日が暮れれば治安の悪化に一役買いそうな狭い路ではあるが、そもそも自分の様な男を襲う者はあまり居ないだろう。通り魔などが居れば狙われるかもしれないが、そうそう居るものでもない。

 手に持つのは、小売店で買った簡単な食品と飲料。要するにコンビニの焼き鳥と茶である。実家などでは工夫を凝らしたものを食べさせられる事が多いが、自分で用意する時はついつい簡単な物で済ませてしまう。手の凝らされた料理も好きではあるのだが、自分は食えれば良いと言う質である。一度、塩でも振ってあれば問題ないと言うと心底呆れられたのを思い出す。そんな事を考えつつ、二本買った焼き鳥の一つを口に含む。

 

「旨い」

 

 我ながら簡潔な感想だと思う。とは言え、別に詩人でもないので旨いものは旨いで良い。ゆっくり味わいながら歩を進める。相も変わらず路地は静かである。それはそうだろう。

 

「おや」

 

 不意に、なーっと鳴き声が聞こえた。黒猫。崩れた壁に押し潰されかけている。経年劣化だろうか。猫の前で屈みこむ。見捨てても良いのだが、寝覚めも悪い。取り敢えずは助け出す為瓦礫をどける。尤も、猫に対する医術の心得などある訳もないので、怪我の具合によっては獣医を探さねばいけないが。

 

「なんだ。思ったより元気そうだ」

 

 串を咥えたまま瓦礫を除けると、猫は少し動いた後、こちらを見つめてきた。助けはしたが懐かれる訳はない。野良なのだ。人には慣れているだろうが、どちらかと言うとこれは。

 

「猫に食べさせて良いのか。まぁ、少しぐらい良いか」

 

 半分程食べた焼き鳥を串事猫の前に置く。自分も、もう一本取り出しその場で頬張る。猫と食べるのも、まぁ、悪くは無い。食べ終わった串を取り敢えず咥え、猫を拾い上げた。逃げなかった。存外人懐っこい。捨て猫か? そんな事を思う。猫が鳴き声を上げた。威嚇。自分ではなく、正面。発光している蛭。目の前にいた。

 ぺっと、串を飛ばす。すり抜ける。蛭。既に飛んでいた。上体。地面にぶつかる様に転がる。猫。着地の衝撃に驚き、逃げだした。

 

「……俺も逃げるか」

 

 そのまま勢いを殺さぬように態勢をなおし、走る。ノイズ。人類の天敵。追いかけてはこない。どうだって良かった。触れれば炭化する。立ち向かわねばならぬ時もあるだろうが、逃げられるのならそれで済ませても良いだろう。触れれば炭化するだけならばまだしも、こちらからの干渉を殆ど無効化する特性を持つ。簡単に言えば、相手が触れるぞと思った時にしか触れられない。勿論そんな簡単な物ではないのだが、そういう認識で十分だ。

 そして、そんな特性を持つモノは相手にしないで済むならばそれに越した事は無い。幸いノイズは出現しても、それほど長い時を待たず自壊する特性を持つ。逃げ回れば勝手に消えるという事だ。

 

「なんだ、逃げてはいなかったか」

 

 路地を抜けた先。先ほどの猫が居た。待っていたのか。背後を見る。煤が風に流れていた。追っては来ていない。拾い上げた。お前のおかげで死にかけた。そんな思いで強めに撫でる。にゃあと鳴いた。

 目を細める。煤、風に舞っている。ノイズ。まだまだ居るのだろう。煤が舞うという事は、近くで犠牲者が出たと言う可能性が高い。ならば留まるのは良策とは言えないだろう。

 

「お前は、疫病神だな」

 

 猫を拾ったところで、付近に居た複数のノイズが近付いてきているのに気付いた。腕の中で暢気にまるまる黒いのに、苦笑交じりの悪態を吐く。仕方ない。駆けてきた路地の入口付近に落ちていた鉄パイプを拾う。少しばかり長いが、これ位ならば取り廻せないとは感じない。

 右手に鉄パイプ。左手に猫。随分締まらない構図だが仕方が無い。周囲を一瞥する。二体。一番ノイズの少ない方向に向かって駆けた。二つのうち片割れ、足を狙うように跳ねた。低い。駆けながらノイズと離れるように飛ぶ。右足から着地。硬直。狙いすましたようにノイズが迫る。迫る恐怖に笑った。左手の猫を強く抱えた。落ちると死ぬぞ。声に出さず伝えた。右足に負荷が掛かる。

 

「Killiter――」

 

 ぎりぎりの所。跳躍。半ば錐もみ回転。鉄パイプがノイズを撫でる。歌声。跳躍の直前届いていた。

 直後に凄まじい轟音。両手が無事ならば耳を塞ぐのだが、生憎、もれなく使用中だった。思わず目を細める。辺りを覆うような粉塵が舞い上がった。猫の熱だけが、温かい。即座に動いた。

 

「ばっ!?」

 

 眼前。女の子。衝突する直前、ギリギリ進路を変えた。

 

「死にてぇのか!?」

 

 立ち止まったところでそんな言葉が届いた。振り返る。一瞬馳せ違っただけだが、確かに女の子だった。赤いボディスーツに武器を携えた銀髪の少女。両手に持つ巨大な重火器からは煙が上がっているが、舞い上がった粉塵は随分少なくなっていた。銃弾の影響だろう。至近距離にいたノイズはもとより、付近に居たモノは全て吹き飛ばされていた。自分の躱したノイズも、幾つもの筋になっている。

 

「ノイズを相手に正面から向かうとか……ッ!?」

 

 女の子が武器を捨てる。怒声と共にいきなり胸ぐらを掴まれた。叫びを続けようとしたところで、痛みをこらえるように目を見開く。血の匂いが鼻腔に届いた。

 

「ちく、しょう……」

「……怪我か?」

 

 殴り掛からんばかりの勢いのまま、少女が意識を失った。どう言う状況なのか。流石に自分も混乱していた。ただ、解る事もある。

 

「恐らくシンフォギア、なんだろうな」

 

 唯一存在する、対ノイズ兵装。その名だけは知っていた。古馴染み。同時に、時折思い出すだけだったその姿が鮮明に甦る。

 

「一匹の筈だったが、思わないほど大きな猫を拾ったようだ」

 

 流石に放置するわけにもいかないし、出来るはずもない。確かに助けられていた。それも年端も行かない少女に。それは、大きな借りだろう。いつの間にか左手から飛び降りた黒猫を見つつ、いきなり倒れた白猫を見つめた。取り敢えず運ぶしかないか。何やら少女の方も事情がありそうだ。古馴染みに連絡を取るのは、話を聞いてからでも遅くは無いだろう。猫を二匹、家に連れ帰る事にした。

 

 

 

 

 

 

 結局逃げようとしなかった黒猫を胸元に入れ、白猫、もとい銀髪の少女を背負い場所を移動していた。不幸中の幸いと言うべきか、ノイズの出現により警戒警報が発令されていた。耳障りなサイレン。幾らか前に発生したソレにより、見咎められる事もなく目的地に辿り着いた。朽ち果てた集合住宅。一見、既に破棄されているようにしか見えないそこの一室を開く。ガチャリと扉が開くと、猫が飛び降り歩を進める。直ぐに寝室に向かった。

 部屋の明かりをつけ、寝台に少女を寝かせる。服を脱がし、血の匂いの下を一瞥した。深いものは無い。ただ、無数の浅手を追っていた。一つ一つ、処置していく。幸い生傷の処理には手馴れていた。とは言え、自分は医師では無い為、大した事はできないが。

 簡単な処置を済ませると、少女に浴衣を着せる。男物ではあるが、それぐらいしか着せられるものが無かったからだ。血と煤と粉塵で随分な事になっている洋服は取り敢えずは洗濯する事にした。流石に下着を脱がせるのは良心が咎めるので、そのままにしている。あらかたの血は拭い、血臭も殆どしない為問題も無さそうだ。一段落吐く。

 そこでふと、今日の目的であったものを捨ててしまったのを思い出す。ノイズに襲われたのだ。惣菜と飲み物など、捨ててしまっても仕方が無いだろう。冷蔵庫を漁るも、碌なものは無い。取り敢えずは茶を沸かし一考した。

 

「どうせ混乱が収まらないだろうし、明日で良いか」

 

 結局そういう結論に落ち着いた。黒猫を抱き、ぼんやりとしていた。幾らか静かな音を立てていた呼吸音が変わった。抱いていた猫が寝台によじ登る。放って置くことにした。

 

「……ん、あ、たしは……」

「にゃあ」

「へ……、ふみゅあ!!」

 

 目が覚めたのだろう。少女が起きようとしたところで、猫が飛んだ。思いっきり顔に飛びかかられて、奇妙な悲鳴を上げる。

 

「な、なんだ、猫!? こら、やめろ、やめろっつってんだろ!!」

 

 数秒の格闘。何とか猫を掴み上げたのか、少女がぜいぜいと荒い呼吸を宥めながら睨んでいる。黒猫対白猫は、白猫の勝利で終わりになったようだ。記念すべき初めての戦いに敗北した黒猫は、そんな事は気にしたようでもない鳴き声を上げる。

 

「はっ、このあたしに喧嘩を売ったんだ。そんな鳴き声ぐらいじゃ許してやんねーよ」

「じゃれているだけだと思うぞ、それは」

 

 猫相手に勝ち誇る少女に、一言入れ寝かせた。

 

「あ?」

 

 そのまま、予想外の状況に一瞬固まった少女から、猫を掬い上げる。そのまま足元に落とすと、くるりと回り着地した。にゃあと鳴き、直ぐに離れた。

 

「お前はあの時の……っ!?」

「とりあえず、飲め」

 

 緑茶を碗に二つ入れ、一つを少女に押し付けた。かなりの発汗をしていた。少しくらいは水分を取らせたほうが良いように思う。先に自分の物を飲み、同じ急須から出たものに何もない事を証明する。すると、取り敢えずはと言った形で飲み干した。

 

「聞いても良いだろうか?」 

「……何だよ?」

 

 無言でもう一杯注いだ。間を外した為、黙って少女は茶を受けた。そのまま両手で包むように持ち、ゆっくりと二口程含んだ。温かな茶は心を落ち着ける。

 

「君は、シンフォギア装者で間違いないか?」

「……っ。何もんだ、てめぇ」

「元政府機関の狗。と言っても、追い出されたのだがな」

 

 首元に手をやった少女に、聖遺物らしき首飾りを投げ渡す。シンフォギア。彼女が身に纏っていたものはそれだろうと見当がついていた。少し話してみたいと思い、それだけは外してあったのだ。投げたそれを危なげない動作で受け取った少女は、余計に解らないと言った様子でこちらを睨む。

 

「どう言うつもりだよ。シンフォギアを知っていると思えば、躊躇なく返したり。ノイズに正面から突っ込んだ事と言い、意味わかんねーよ」

「別に大して意味など無いさ。小娘が倒れたから放置すれば寝覚めが悪かった。助けられた事もあるしな」

「……そんな言葉、信用できるかよ」

「別に君の信用など必要ではない。俺がやりたい様にしただけの事」

 

 かつて、特異災害対策機動部と言う政府機関に所属していた。機動部はノイズ関連に対する政府機関である為、ノイズ関連の事件では何度も出動をした事がある。実際に交戦したことも一再ではない。

 紆余曲折あり、今は気ままにやっていた。どれだけ能力があろうとも、死にたがっている者を送り出す訳にはいかない。かつて、上司にそんな言葉をかけられたのを思い出す。言い返す事もせず職を辞した。ある意味で、その言葉は間違いでは無いからだ。死を恐れてはいない。馴染みの様なものだろう。嘗て見た父の背を思い出す。

 

「兎に角、あたしは直ぐに出ていく」

「それは困るな」

「んでだよ」

「服を置いて行かれても困る。女物の服を着る趣味は無い」

 

 既に洗濯を行い始めている。部屋の外から、僅かに音が聞こえる。まだ暫くは終わりそうにない。

 

「は……?」

 

 少女が一瞬、てめぇは何を言ってんだ。っと言わんばかりの目で見た。そして凄まじい速さで上体を起こす。存外動けるようだ。ならば、傷と言うよりは体力の低下で倒れたのだろうか。茶を啜っていると、少女の顔が一瞬で茹で上がった。

 

「な、な、な……なんでだよ!?」

「血を流していたら普通処置をするだろう。悪いが脱がせたぞ」

「だからって、おまっ! み、見たのか?」

「見ないと処置ができない。別に見られたところで減るものでもないだろう?」

「減るに決まってんだろ!?」

 

 自分が着せられた浴衣に触れ、内側を確認すると半分泣きそうになりながら叫ぶ。こちらとしては血だらけの人間をそのまま寝かせる訳にはいかない。仕方が無いだろうと諭す。とは言え、見るからに年頃の女の子と言える。まぁ、こう言う反応にはなるだろう。

 

「なんで、何でこんな事に」

「こちらが聞きたいな」

「お前は少し黙ってろ!?」

 

 林檎の様になりながら涙目で叫ぶ。言葉通り、少しだけ口を噤んだ。幾何かの静寂。少女の荒くなった呼吸音だけが響く。いや、猫が歩く気配も伝わってきた。猫がもう一度少女の寝台へよじ登った。

 

「にゃあ」

「何だよ……」

 

 一鳴き。猫に不機嫌そうに聞く。

 

「っ!?」

 

 一瞬、気が緩んだのだろうか。静寂の中、ぐぅーっと、随分可愛らしい音が響いた。

 

「簡単な物でも用意するか」

 

 これ幸いと、猫に少女を任せ立ち上がる。現状、あまり良いものは無いが、全く何も無いと言うほどでもない。

 何か言い募ろうとする怪我人に、まぁ遊んでおけと宥めた。

 握り飯と卵焼き。時間だけを重視した即席料理である。手早く作り終え、中々使う事の無い小さなテーブルに置く。

 

「まぁ、食べてからでも良いだろう」

 

 凄まじく微妙な顔をしている少女に、とりあえず食えば良いと促す。自分の分も作っていた。握り飯を適当に手に取り、口に入れた。そうしたことで漸く少女も手に取る。おずおずと口に含んだ。

 

「すっぱい……」

「中身が梅だからな。他に昆布と鮭が幾つか。まぁ、気に入るかは解らんが、食べられるなら好きに食べると良い」

 

 海苔と具だけの簡単な物。二つほど食べたところで、茶を啜った。見ると、少女は結構な勢いで食事を続けていた。残ったらあとで自分が食べれば良いかと思って居たが、その心配も無さそうだ。少女のお茶を注ぐ。勢いよく食べていたため丁度飲み物が欲しくなったのか、茶に手を伸ばした。

 

「美味かった……あ」

「それなら良かった。普段から手の込んだ調理はしなくてな。とても他人に出すものなど無理で、簡単な物しかできない」

「……がと」

 

 再びばつの悪そうに呟いた様子に、少し笑みが零れる。口は悪いが、存外素直な子なのかもしれない。先ほどまであった怒りの雰囲気も幾らか薄まり、これで手打ちだと言った感じだった。

 とは言え、何となく予想がついた。最初は特異災害対策機動部の者と言う可能性も考えたが、その考えは大分弱くなっていた。怪我を負っていたり、必要以上に消耗していた。無理に現状から離脱しようとする様子もない。憶測でしか無いが、いきなり倒れた事といい、もう少しややこしい事情があるのかもしれない。

 

「とりあえず、服が乾くまではここで休んで行けばどうだ?」

「……良いのか?」

「服を置いて行かれても困ってしまう。元々倒れたから助けた。ある程度回復するまでは、寛いでもらっても構わんよ」

 

 警戒と遠慮。その二つが入り乱れた不安定な表情が浮かんでいた。考え込むあたり、他に行く場所に心当たりがないのかもしれない。

 

「……クリス」

「それが君の名か?」

「ああ、雪音クリスって言う。世話になったんだ。名前ぐらいは名乗らせてもらう」

 

 それが彼女の名である様だ。それだけ告げ、寝台に横たわった。つまりはそう言う事だろう。

 

「俺は上泉(こういずみ)之景(ゆきかげ)と言う。古風な名でな、良くユキと呼ばれるよ」

 

 僅かな間ではあるができた同居人。こちらに背を向けるように横たわったクリスに、自身の名を告げた。

 

 

 

 




今回は長編予定。短編とは特に関連性はありません。
感想返しは更新時に行っています。


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2.痛みと鎮痛剤

 疲れていたのだろう。クリスが寝静まったところで、一度集合住宅を後にする。大丈夫そうに振舞ってはいるが、眠りに落ちた姿はあまり大丈夫そうだとは言えない。医師に診てもらうかと尋ねるが、必要ないの一点張りだ。事情があるのだろう。あまり深く踏み込む気もないので、それ以上は勧めるのをやめる。

 

「とりあえずは鎮痛剤、か」

 

 少し出るという置手紙と猫に後は任せ、必要な物を贖いに向かう。日は落ちかけているが、閉まると言うほどではない。裏路地を駆け抜け、少しばかり遠くに足を延ばす。既に自宅付近の混乱は沈静化されているが、流石に店は開いていないからだ。

 市販の鎮痛薬と言うのは意外に強力なもので、それだけで十分に効果はある。尤も、だからと言って多用は厳禁ではあるのだが。誰だって、副作用に苦しみたくはないだろう。

 必要な分だけ用意し、購入する。後は簡単な食品を手に入れ帰路に着く。

 

「あれ……? 上泉さんではないですか?」

「おや、緒川じゃないか。いつ以来か」

 

 大型量販店から出たところで、聞きなれた声が届いた。振り返る。其処には見知った顔が居た。

 緒川慎次。かつての同期であり、現代に実在する忍び。特異災害対策機動部所属であり、司令の右腕の一人である。懐かしいなと呟く。機動部を去ってからは、その仕事の忙しさもあいまり少し疎遠気味になっていた。とは言え、所属していた時にはそれなりに懇意にしていたので、他の人員に比べれば今でも繋がりが深いと言える。現代の忍びである。俺の様な人脈を維持しているのもある程度は頷ける。

 

「機動部の主柱の一人がこんな所でどうした?」

「今はプライベートですよ。僕がこの辺りの店を贔屓にしているのは知っているでしょう?」

「ああ、たまに買い出しに出ていたからな」

 

 折角だからと車に乗せてくれたので途中まで送って貰う事にし、懐かしい話に昔を思い出す。四年ほど前までは、確かに機動部に在籍していたからだ。シンフォギア装者である風鳴の子も居た。強く成りたかったのだろう。機動部の腕自慢達にも様々な事を学ぼうとしていた姿を思い出す。自分も何度か対峙した事はある。年端も行かない少女と思わないでもないが、思いは本物だった。

 

「緒川は相変わらずノイズ対策か?」

「ええ。最近では装者が増えましてね。やる事も大きくなっていますよ」

「ほう。風鳴の子以外にも増えたのか」

「元気な子ですよ」

 

 緒川の言葉に頷く。何となく、クリスでは無い気がした。これで装者は三人。自分が知っている頃とは様変わりしているだろう。今から二年程前には、かつての装者である天羽奏が死亡している。幾らか代変わりしているという事だろうか。仕方が無い事だとは言え、少しばかりやるせない。

 

「懐かしいな。風鳴の子は成長したのだろう?」

「はい。日々成長していますよ。歌姫としても、防人としても」

 

 優しげな緒川の言葉に頷く。表向きはアイドル風鳴翼のマネージャーである。長い間接しているうちに、妹分の様になっていったのだろう。兄と言うに相応しい。

 

「時折、今の実力で上泉の剣と交わってみたいと零されますよ」

「止めてくれ。シンフォギア装者とやり合う理由が無い」

 

 数回立ち合いを重ねた。それで実力は把握している。かつてでも十分な力を持っていた。更に練磨されたと言うのならば、刃を交わす必要は無いだろう。

 

「後輩が出来たわけです。身も入っているんだと思いますよ。それに、負け続けていましたし」

「シンフォギア装者とは言え、中学生には負けんよ」

「それはそうですね」

 

 何年前の話だ。尤もな発言に、緒川も頷く。

 ひた向きに剣を磨いた青髪の少女。今でも街頭などで見かける姿よりも、記憶の中のソレは幾分か幼い。

 

「まぁ、俺は息災だよ」

「ええ。ノイズとさえやり合わなければ貴方に限って万が一は無いと思います」

「別に……死にたがりではないのだがね」

 

 苦笑する。かつての上司であり、機動部の司令でもある風鳴弦十郎と同じ事を言う気だろうか。むしろ、自分では諦めが悪い方だと思っている。

 

「知っていますよ。無謀であるが最善である。つまりは、そう言う事でしょうね。だから……」

「良いでは無いか。もう、俺は機動部の人間ではないよ。無理な事などしてはいない」

「本当にそうなら、司令も無理にでも止めたりしませんよ」

「それほど無茶をしていただろうか。司令の方が遥かに破天荒だったと思うが」

「まぁ、確かに」

 

 思い出話に花を咲かせるのも程々にする。死にたがりと言われたが、司令は司令で、アスファルトを足で剥がしたり、瓦礫を吹き飛ばしたりしていた。並の人間では、そのような事は出来ないだろう。最後には二人して苦笑が浮かぶ。

 

「先ほども言ったが俺は何も変わりない。元気にやっているさ」

「ええ。確かに相変わらずの様ですね」

「そう言う忍びは大変だな」

「なら、武門にも少しぐらい手伝ってもらいたいのですが」

「そう言う事は、惣領に言ってくれ。大体、俺は追い出された身だ」

「ええ、解っていますよ。僕なりの冗談ですよ」

 

 やはり、人員不足は顕著なのだろう。涼しい顔をしているが、本音では俺のような者の手を借りたいという事か。同期であり、同僚だった。そのあたりの勝手は解る。

 

「最近はノイズの出現も頻繁です。気を付けてくださいね」

「警報は聞いている。気を付けるよ」

「貴方の場合は、寧ろ警報を聞いてからが心配なんですよ。っと、この辺りで良いですか?」

「ああ。助かった」

「また、連絡しますよ」

 

 礼を告げ、停車した車を降りる。機動部は相変わらずの様だ。久々に見た同期の姿に何となく安堵した。

 そのまま別れた。そして部屋にまで戻る。クリスの様子をチラリと確認する。寝息がしていた。眠っているのだろう。そのまま寝かせておく。

 結局、緒川にはもう一人の装者の事を話さなかった。それがどう転ぶのだろうか。何もなければ良いなと思い、壁を背に目を閉じた。浅い眠りは、直ぐに訪れる。

 

 

 

 

 

「イチイバルの反応が現れた地点。ノイズの出現範囲と上泉さんの活動範囲が大きく重なっている」

 

 緒川は之景を送った後、車の中で思考を纏めていた。上泉之景。機動部での通称はユキ。かつて特異災害対策機動部に所属していた、同期である。緒川はどちらかと言えば裏方の方面の仕事が多いが、ユキは実際に現場に出張る事が多かった。基本的に装者以外はノイズに対処する手段が殆ど無いと言っていい。その為に、現場の仕事と言うのは、ノイズをできる限り民間人のいない場所に誘導すると言うのが基本となる。敵を誘導し、市民の被害を最小限に抑えつつ、装者の到着を待つ。この流れだと言えるだろう。

 その中でも異端であったのが、上泉之景と言う人物である。

 あろう事か、ユキは前に出るのだ。勿論必要が無ければ突出する事など無いが、必要があれば何の躊躇も無くやってのける。例えば逃げ遅れた人間が居れば、あっさりと前に出る。それで助かる人間も居るには居た。十度に一度程であるが。殆どは、ただ命を死線に晒すだけに終わる事が多い。それを、司令である風鳴弦十郎は危ぶんだ。毎回死の淵を飛び越え帰還してくる。だが、それがいつまで続くと言うのか。ユキは装者ではない。一度でもノイズに触れれば、それで終わりだ。

 

 十年以上前にユキはノイズによって父を目の前で失っていた。武門、上泉の剣士。政府機関全体で見ても、名が知られた者である。

 そんなユキの父親は、あろう事か、鉄パイプで位相差障壁を持つノイズを斬り捨てていた。どのようにしてそのような事を成し遂げたのかは未だに解明されていない。ただ、ユキが証言するには、すれ違い様に斬り裂いた。それだけである。

 位相差障壁。物理法則下にあるエネルギー干渉をコントロールする障壁。現世での存在濃度を調整し、実像と虚像を使い分ける力。実体化している時でしか、その身に有効打を与える事などできはしない。つまり、ノイズに有効打を与えるには、害を与えようと実体化する攻撃の瞬間を見切、攻撃を行う必要がある。もし一瞬で倒そうと言うのなら、攻撃を見切回避しつつ、ノイズが存在の濃度を変更する前に消滅させるほどのエネルギーを与える必要がある。それを、鉄パイプで成し遂げたと言うのか。仮に事実だとしたら、いったい何度斬ったと言うのか。誰も、そのような話は信じてはいなかった。最後の一体だけは、ユキの父が我が身を晒し炭化して倒したと言う事だけがはっきりしている。

 

 そんな最期を見た所為であろうか、ユキは何処か死を軽視している。死のうとして居るのではないかと思えるほど、無茶な行動をしでかすのだ。至近距離でノイズを突破するなど日常茶飯事だった。いつ死んでも不思議はない。死のうとしているとしか思えない。それほどの働きをする人間を、しかし弦十郎は認める訳にはいかなかった。

 死者を出さない事などできはしない。だが、死ななくて良い者を留める事はできる。そんな判断だった。それ故、ユキは特異災害対策機動部を辞する事になる。意外にも、何ら異議を挟むことなく姿を消している。

 

 しかし、職務ですらその様な事を成していた。行動範囲内にノイズが現れれば、寧ろノイズに向かったとしても不思議ではない。ノイズとイチイバルの反応。それが、気になった。今日緒川がユキに出会ったこと自体は偶然でしかないのだが、どうしても結びついてしまう。

 

「ノイズを斬り裂く事など翼さんぐらいしかできませんが……。彼ならば或いは」

 

 それは、緒川の正直な感想だった。四年前の話ではあるが、あの風鳴翼が、数度対峙しながら一度たりとも斬り込む事が出来なかった剣士。上泉の血縁。彼ならば或いは。

 何かあった訳ではない。だが、この先何かあるかもしれない。緒川は一応ユキに出会ったことを司令に報告する事にした。

 

 

 

 

 

 

「これを返しておこうか」

 

 日が昇り幾らか経った時、クリスが寝室から出てきた。既に彼女の服の洗濯は終えてある。服を手渡し、鎮痛剤と乾パンを一つ手渡す。昨日の時点で直ぐにでも出て行こうとしていた。どうせ服を返せば直ぐその気になるだろう。餞別ぐらいは渡しておいても罰は当たらないだろう。

 

「……礼は言わねーからな」

「別にいらんよ。鎮痛剤と乾パンもある。少しぐらいは役に立つだろう持っていくと良い」

 

 手渡すと、横を向きそんな事を続けた。直ぐに部屋を出た。着替えに向かったのだろう。その間に朝食を用意して行く。とは言え、料理はあまりしない。大した物は用意できない。定番の和食ぐらいだろう。白米に味噌汁、卵に焼き鮭。自分にしては、頑張った方だ。味はまぁ、食べられはするだろう。

 

「にゃあ」

「……世話になったな」

 

 猫を抱えたクリスが戻ってくる。昨日もそうだが、何だかんだで仲が良いのが少し面白い。

 それじゃ、世話になったと、殊勝にも頭を下げた白猫に、とりあえずこれだけ食って行けと促す。一人で食べるには、流石に多くなりすぎる。

 

「……いただきます」

 

 猫の話とノイズの話。その二つだけをして、食事を進めた。他に共通した話題が無いからだ。無理に話しても良いのだが、あまり気の利いた話は得意ではない。結局会話が途切れ、食事だけが進む。

 

「なぁ、一つ聞いても良いか?」

「なにか?」

 

 そんな中、珍しくクリスが口を開いた。手を止め促す。一度クリスが目を閉じ、間をおいて口を開いた。

 

「お前、昨日のノイズに何をした?」

 

 じっとこちらを見据え聞いてきた。目を閉じ考える。それは、彼女に助けられる直前の話だろう。

 

「なにか、とは?」

「昨日のノイズだよ。お前の近くにいたやつ。アレは、あたしのイチイバルで付けた傷以外のものがあった」

 

 目に浮かんでいるのは、若干の警戒。ああ、そういう事かと合点がいく。つまり、疑われているようだ。

 

「斬った」

「あん?」

 

 だから、隠しもせずに答えた。無理な跳躍で馳せ違い様に斬った。それだけだった。それしかできる事は無く、それ以外の説明は行いようがない。会話が途切れた。食事を終えたクリスが、茶を飲みほした。

 

「すれ違い様に、斬ったと言った」

「そーかよ」

 

 素っ気なく返される。はぐらかされたとでも思ったのだろう。それは何時もの反応だった。かつて、父がノイズを斬ったと言っても信じてもらえなかった。だから、自分で斬れるようになった。

 どことなく嫌な沈黙が流れた。

 

「世話になったよ。朝食、美味かった」

「そうか。行くのか?」

「ああ、もう行かせてもらう」

「達者でな」

 

 そう言い、クリスが立ち上がった。見送る。

 ノイズと戦っていた小さな背中が遠ざかる。そして、見えなくなった。黒猫が、にゃあっと鳴いた。

 どことなく、部屋が静かになった気がした。

 

「お前は出て行かないのか?」

 

 こちらの方に近寄ってきた黒猫を抱え上げる。にゃあっと一鳴きする。

 それが何処か慰められているように感じて、苦笑いが浮かぶ。猫にまで気を使われるとは。

 

「っと、お前の食事がまだだったか」

 

 自分たちの食事は終わったが、黒猫に餌を上げていない事に気付いた。一応買っておいた猫缶を一つ開ける。

 皿に移し、床に置いた。猫が飛びつく。床に幾らか零れた。苦笑い。やる事が増えてしまった。何も見えていない感じで餌に食いつく猫を撫でた。いくらか和んだ気がする。

 

 

 

 

 

 ――

 

 

 

 

 

 そんな時、いきなりサイレンが鳴り響いた。緊急警報。けたたましく響く。

 

「ノイズ、か」

 

 呟く。思い出すのは昨日の事。そして、何処となく不機嫌そうに出て行ったクリスの横顔だった。

 

「少し、行ってくる」

 

 猫の頭を撫でた。にゃあ。一言返事が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っああああ! イライラするんだよ!!」

 

 叫び声を上げながらクリスは手にした重火器を解き放った。ノイズの警戒警報。それが一帯に響き渡った時、即座に動く事を決めていた。ユキに渡された鎮痛剤。悩んだ末に飲んだソレのおかげか、いくらか楽に動けるようになっていた。その事実が、クリスをまたイラつかせる。

 彼女はフィーネと言う女性に従い、様々な事を行ってきた。その中にはとても人には言えないような行いもある。それでも、争いを無くすため。その思いで従ってきた。それが、裏切られていた。彼女自身の手で、貴方はいらないと告げられ、ノイズを使って命を狙われていた。最後に信じた大人に、裏切られたのである。

 

「どうせあいつも、何か下心があるに決まってる! シンフォギアを知る者が、善意だけであたしを助ける訳がねぇ!!」

 

 そんな時に、助けられた。ノイズに襲われていた所を見つけ助けた。しかし、その時に負っていた傷や疲労の所為で倒れてしまった。そこを助けられた。誰かに助けられたのは、二回目だった。

 起きた時には有無を言わさず寝かされた。どんな手品を使ったのか、手で押さえられているうちは全く動けなかった。

 そのまま、あれよあれよという間にペースを乱され、食事まで準備された。勢いに押されて食べた。手の込んだものでは無かったが、空腹の身には普段以上に沁みた。ほんの少し込み上げた涙を隠すように食べる。

 そして、また寝かされていた。正直なところ、屋根があるだけでもありがたい。治療の際に裸を見られると言う事態もあったが、感謝はしていた。

 ぐっすりと睡眠をとり、明け方に目が覚めた時に気になる事が思い浮かんだ。あの時、自分以外にノイズを倒したものが居る。ノイズを倒せたという結果だけ考えれば、些細な事かもしれないが、どうしても気になった。だから、聞いた。

 そしてはぐらかされた。

 何をつまらない事を聞いているのだ、っと言わんばかりに斬ったとだけ言われた。

 シンフォギアを纏っているのなら兎も角、生身でそれは余りにも荒唐無稽である。そんな事、出来る訳がない。

 はぐらかされただけだとは思った。だけど、何故かそれが引っ掛かった。フィーネに捨てられた事が頭に過った。理解してくれたと思っていた人からですら、道具の様に捨てられた。大人は話を聞いてくれなかった。そんな記憶ばかりが思い起こされる。

 どうせこいつも、あたしの話を聞いてくれないんだ。隙を見せたら上手く利用だけして、捨てられるんだ。

 そんな事を思った。気付けば、きちんとした礼も言う事すらできず逃げ出していた。

 体が痛んだ。暫くは我慢していたが、結局鎮痛剤を飲んだ。暫くして痛みが引く。楽になった。その事実が、余計にイライラを加速させる。

 

「今のあたしはむしゃくしゃしてんだよ! ぶっ潰してやるよ、クズども!!」

 

 そんな時にノイズが現れた。八つ当たりするにはもってこいの相手だった。何の遠慮もなく感情をぶっ放せる。その一心でシンフォギアを纏い戦い始めていた。そして、ある程度の敵を打ち砕いた時、それは現れた。

 

「加勢するよ、クリスちゃん!」

「……」

 

 オレンジ色のシンフォギアを纏う少女。特異災害対策機動部所属の装者の一人、ガングニールを纏う者、立花響である。戦っていたクリスの背後を庇うように、もう一人のシンフォギア使いが現れていた。

 そんな響とは対照的に、どこか様子のおかしいクリスを少し警戒して距離を取りつつ、青きシンフォギアが舞い降りる。天羽々斬の装者、風鳴翼だった。二人はノイズ出現の反応を感知、命令を受け急行した。そこで、先にクリスが戦っていたと言う訳だった。クリスは二人の目の前でフィーネに捨てられていた。今は彼女にとっても、戦わなければいけない理由は無い。その事実をわかっているのか、それとも何も考えていないのか、響は何の迷いもなく援護に入った。

 

「っどいつもこいつもバカにして!? お前ら、消えてなくなれ!!」

 

 それが、今のクリスには更に癇に障る。ただでさえイライラが爆発していた。その上、つい先日まで敵対していた者たちに助けられようとしている。今のクリスにその屈辱は耐えられるはずが無かった。怒りに任せ全ての武装を展開し、砲撃の態勢にはいる。近くに居るもの全てに狙いを定め、解き放った。

 

「立花!」

「え……?」

 

 もちろん近くにいた響も例外ではない。捕捉されて放たれた銃弾が雨霰の様に吹き荒れる。咄嗟に後退するも、無数の誘導弾が回避しきれない。ぶつかる。その直前、無数の刃が響を遮った。風鳴翼の呼び出した刃の群れ。

それが、何とか響を救っていた。

 

「っ、全部、全部ぶっ潰してやるよ!!」

 

 人すら狙った事に自分でも少し怯むも、イラつきがそれを埋め尽くす。重火器の掃射。叫び声と共に放った。

 

「クリスちゃん、やめて! 私たちが戦う理由は無いよ!」

「お前たちに無くても、あたしにはあるんだよ。むしゃくしゃが止まんねーんだ!」

「これでは話にならない……。立花、一旦取り押さえるぞ!」

「は、はい!!」

 

 二手に分かれ、まずはクリスを取り押さえにかかる。

 しかし重火器を始め、誘導弾や弓撃、両手拳銃など様々な形状に変化する銃撃に翻弄され中々に近づけない。その上、後方にいた倒し切れていないノイズも戦闘に交じり始め乱戦の様相を呈し始める。

 

「これで、終わりだ!!」

 

 感情が溢れ、力を解き放つ。足を止めての、全弾発射。凄まじい勢いで放たれたそれが、響や翼を含めた全ての敵に襲い掛かった。

 

「くぅぅ!?」

「翼さん!? 何とかしなきゃ……って、クリスちゃん!?」

 

 再びの掃射に翼が巨大な羽々斬を落とす事で受け止めるも、周囲に着弾する爆炎までは完全に防げない。受ける傷に、声を上げる。守られている響がどうにかしないと、っと思った瞬間、クリスの後方が光った。鳥型のノイズ。形状を刃のように鋭く変え、クリスに向けて飛来する。

 

「なっ!?」

 

 イラつきに任せ過ぎていた。全弾発射の硬直が解けきれず、今からでは避け切れない。思わず目を閉じかける。響の声が届く。なんでお前はこんな事したあたしの心配をしてんだよ。そんな事が頭に過った。あまちゃんが。吐き捨てる。不思議と嫌な気分では無かった。

 

「え……?」

 

 ぶつかる。その刹那不思議な事が起こった。直進するノイズ、いきなり何かに弾かれる様に吹き飛んだ。目を見開く。意味が解らない。響と翼も驚き一瞬動きが止まった。

 

「遠当て。と言う」

 

 声が聞こえた。朝食の際に聞いた声だ。向き直る。遥か離れたところに上泉之景は居た。手に持つ物は鉄パイプ。まるで突きを放ったかのように、深い踏込から伸ばされていた。吹き飛ばされたノイズの一部が炭化するも、完全に沈黙した訳では無かった。再び動き出し、形状を変え始めた。止まっていた時も再び動く。

 

「上泉先生……?」

「先生と言われるほど、俺は何かを教えてはいない筈だぞ、風鳴の」

 

 翼が驚き零した言葉に、ユキは行き成りどうしたと言わんばかりの様子である。二人は古馴染みであった。今よりも随分未熟であった頃に僅かだが師事したことがある相手。翼がまだ中学時代の話だ。秘かに先生と呼んでいたのが出てしまっていた。

 

「おい、クリス」

「な、なんでお前が……」

「借りは返したが、また貸して欲しい」

 

 そんな事を続けるユキに、クリスは一瞬何とも言えない気分に襲われた。返事ができないでいると、場が動いた。ユキ目掛けて数体残っていた飛行型ノイズが形状を変え槍の様に飛び掛かる。

 声を上げる事もせず、正面に飛んだ。着地。弾丸の様に飛来する。ユキの影を追うように、代わる代わる間断なく攻め立てる。跳躍。疾走。回転。再び跳躍。地を転がり、駆け飛びながらノイズを翻弄する。時折、右手に持たれた鉄パイプがあり得ない音を鳴らす。正面を取り飛来するノイズを見極める。異常なまでの加速。すれ違う刹那、あり得ない音が流れた。何かを高速で何度も削るような音だ。

 

「来て早々だが、死にかねんな」

 

 殆ど吐き捨てるように飛んだ。三人の装者も予想だにしていなかった光景に硬直していたが、慌てて戦闘を再開した。生身の人間が目の前にいる。それだけで、先ほどのような状態とは打って変わっていた。

 

「だから、なんで、こんなとこに居るんだよ!! お前は!!」

 

 感情のままに叫び声をあげ、誘導弾を解き放つ。ただそれは、空中や後方にいたノイズだけを撃ち落とし、ユキの周りだけを綺麗に通過し敵を消していく。

 

「信じていないようなので、見せに来た」

「んな!?」

 

 あまりの言葉にクリスは二の句を失った。実際の所クリスが心配だったという面も大きいのだが、ユキはそのような事を言う人間ではない。

 

「斬るぞ」

 

 そう言い、ユキはその場で振り返った。一体だけ打ち漏らしたノイズ。飛来する。前方に駆けだす。ぎりぎり迄引き付け跳躍。馳せ違った。両手持ち。鉄パイプが異様な音を奏でる。

 

「マジか……」

 

 ノイズの表層が凄まじい勢いで削られ、全体が炭化した。

 

「一体であればだが、斬れる」

 

 着地した態勢のまま、ユキは告げた。次の瞬間には、また駆け出している。当たれば死ぬしかない。それも当然だ。装者ならば触れても問題の無いノイズだが、ただの人間には問答無用で炭化させられる天敵である。そんなモノと自分の意思で接近戦でやり合うなど尋常な事ではない。どれだけの見切りと技量、何よりも胆力があるというのだ。ノイズを凌ぎながら笑みすら浮かんでいる相手に、クリスは言葉にできないものを感じた。

 

「とは言え、囲まれればどうしようもないが」

「上泉さん」

 

 背後を守る様に、風鳴翼が降り立つ。方や鉄パイプを手にする男。方やシンフォギアの刀を持つ女。

 

「悪いな。久方振りだというのに、迷惑をかけてしまっている」

「いえ。それよりも敵を殲滅します。出来る限り離れないでください。立花、この人は私がカバーする。前線を押し上げるんだ!」

「任せてください!」

 

 翼がフォローに入ったことで、一気にユキへの攻撃が止んだ。全て翼が斬り裂いているからだ。ユキは人間である。ノイズからすれば、シンフォギア装者よりも遥かに与しやすい相手だろう。一番初めに狙う敵として、攻撃が集中した。それが、逆に殲滅を行いやすくしている。

 

「おい! 討ち漏らすんじゃねーぞ!」

「誰に向かって言っている」

「はっ、なら直ぐに終わらせてやるよ!!」

 

 クリスが、翼に叫んだ。ユキと位置を入れ代わり立ち代わりしつつ、翼は笑う。

 

「あの風鳴のが。随分と立派になった」

「上泉さんが居なくなった後も、皆に助けていただきました。この身の剣を、鍛え上げてもらいました」

「良い刀、だな」

「ありがとうございます」

 

 背中合わせで笑い合う。既にユキのやる事など無くなっている。対ノイズ能力では、天と地ほどに差がある。それも当たり前だろう。半ば語り合いながら、動く。遠当て。時折、尋常ではない剣より放たれる剣圧が、遠くのノイズを牽制する。

 

「これで!」

 

 響が腕部ユニットを開放する。高速機動。一瞬でノイズの懐を駆け抜け、多くの敵が煤と変わる。

 

「アレが君の後輩か。凄いものだな」

「ええ。頼もしい後輩ですよ」

 

 装者となってそれほど日が経つわけでもないのに、堂々とした戦いぶりに感嘆の声が零れた。

 

「終わりだ!!」

 

 散発している討ち漏らしたノイズを相手に、クリスが一斉掃射をかける。粉塵が舞い上がる。それで周辺のノイズは一掃していた。

 

 

 

 

 

 

 

「凄いな君は」

「何でこんなとこに来てんだよ!! 死ぬ気か!!」

「早々、死にはしない。装者が居るとは思って居たしな」

「そう言う事じゃねーよ!!」

 

 戦いが終わったこともあり、クリスに声をかけた。何をしてんだよと、怒り狂う。まぁ、それも仕方が無いだろう。一応戦えない事は無いが、彼女らに比べれば遥かに危険が大きい。自分とて、必要が無ければ逃げる。

 

「クリスちゃん! それに……えーと?」

「上泉之景。ユキと良く呼ばれているよ」

「立花響です! 十五歳! よろしくお願いします!」

「ああ、よろしく。元特異災害機動部所属だ。風鳴のとも、見知りだよ」

 

 風鳴の後輩の子が声をかけて来る。確か、立花響と言う名だと風鳴のが教えてくれた。

 一応は聞いていたが、まさかの自己紹介に笑ってしまう。

 

「ちっ。おい、続きをやろうぜ」

「お前はまだそんな事を……」

 

 一段落がつく。そんな時、クリスが立花に向かって重火器を突き付けた。立花が目を見開く。割り込む様に、風鳴のが前に出る。

 

「いい加減、決着を付けなきゃいけねーんだよ。気持ちわりぃし、そうすれば清々する」

「そんな、折角戦いが終わったんだよ。もう戦う必要なんてないよ」

「うるせえ! 何だったら二対一でも構わねーぜ!!」

「この分からず屋め」

 

 風鳴のが剣を抜いた。立花はダメだよと二人を止めに入る。二対一。クリスはどうしてもやる気の様だ。

 二人を見定める目は本物である。既に自分など、蚊帳の外の様だ。

 

「なら、俺はこちらに付こうか」

「はぁ!?」

「上泉さん?」

「え、ええ!?」

 

 意地っ張りの横に立ち鉄パイプを前に出した。クリスが素っ頓狂な声を上げ、風鳴のが何を考えていると僅かに眉をひそめた。立花は驚きに目を丸めている。

 

「一度、思いっきりやってしまえば良い」

「相変わらず、何を考えてんだよ!」

「君に言われたくないな。取り敢えず、立花の方は俺が何とかしよう。一対一の方がやりやすいだろう?」

「はっ、勝手にしな! 怪我だけはするんじゃねーぞ……」

 

 視線も交わさず、それだけ告げた。クリスがいら立ったように吐き捨てるが、元々一人でやるつもりだったのだろう。何も言わなかった。どうせシンフォギア装者が相手なので長くは持たないとでも思って居るのだろう。

 

「……」

 

 風鳴のが此方を見ていた。目が合う。思いっきりやってしまえと伝えた。頷き、クリスに刀を向けた。二人の間に、機が満ち始める。

 

「あ、あの!」

 

 立花が声をかけた瞬間に、二人が動いた。踏み込みと後退。彼我の距離を変える事無く、装者が舞った。

 

「さて、こちらもやろうか?」

「本気で戦う気なんですか? こんなの、意味がありませんよ」

「君は戦うのが嫌なのか?」

「はい。戦わないで済むのなら、その方が絶対に良いです。だから、私は上泉さんともお話がしたいです!」

 

 赤と青がぶつかり合う。それを気にしながらも、立花は俺に言葉を向ける。戦いなんてしない方が良い。そんな切実な願いが届く。それだけで優しい子だなと感じた。

 

「なら、やめるか」

「え……?」

「とりあえず、座るか。俺も君たちと戦う理由は無い」

「ええ!?」

 

 だから、刃を下ろした。そんな様子に言った本人が一番驚いていた。

 その様がおかしく笑った。立花を何とかしようと言った。だが、別に戦うとは言っていない。

 不必要な争いなど、無い方が良いに決まっている。年下の、それも戦う意思のない子に向ける刃は持っていない。鉄パイプを抱え、座り込む。おずおずと立花も腰を下ろした。赤と青はアームドギアを用いぶつかり合う。

 装者同士のぶつかり合い。感情が爆発しているのならば、誰かが受け止めてやれば良い。そんな事を思いながら、眺める事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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3.斬撃と銃弾

「本当に、何のつもりなんだ! あいつは!?」

 

 両手に持つ重火器をぶっ放しながらクリスが叫んでいる。十中八九、自分の事だろう。苛立ちに塗れた声を聴きながら見物に徹する。立花が何とも言えない表情で隣に座り、こちらをチラチラと見つめてくる。座らないならぶつかり合うしか無いなと告げると、戦うぐらいならと腰を下ろしたと言う訳だ。

 

「少なくとも、お前よりは考えがあるのだと思う」

 

 迎え撃つのは、機動部の装者の一人、風鳴翼だ。自分が知る少しあどけない頃の剣とは違い、その剣技は卓越していると言える。重火器から繰り出される銃弾を、必要に応じて斬撃と立ち回りで往なしている。斬撃と跳躍。機動と攻撃を使い分け、銃撃を振り回す事で体力の消耗を待っていると言う所だろうか。大技を使う事は極力控え、斬撃の合間に短刀を打ち込む小技等を挟みながら、機先を制している。

 

「えっと、クリスちゃんと上泉さんはどういう関係なんですか?」

「……家主と居候。と言うのが一番分かり易いだろうか。まぁ、昨夜だけなのだがね」

 

 ぶつかり合う赤と青を見つめながら、立花の質問に答えた。前を向いたままなのは、そちらを見ている必要があるからだ。けしかけたのは自分である。見届ける責任はあるだろう。

 

「居候、ですか?」

「ノイズが出現した際に、猫を拾ってな。その時にクリスも拾った」

「拾ったんですか!?」

「ああ。最初はノイズから助けられたのだが、かなり消耗していたのだと思う。その場で倒れた為、放っては置けなかったわけだよ」

 

 立花の質問に、少し声を落とし答えた。クリスの耳に入ればまた怒り狂う気がするからだ。

 重火器では埒が明かないと、イチイバルを両手拳銃に持ち替え、放つ。青は踏み込みの深さに緩急をつける。踏み込みからの反転。跳躍。斬撃。

 銃弾を掻い潜り放たれたそれを、クリスは片手の銃で受け止める。

 

「貰った!」

「この程度」

 

 切り返しの銃撃。銃を支点に一瞬で力を掛け、反動で弾き飛ぶことで往なした。装者同士であるからできた事だろう。自分にはできそうにない妙技に感嘆が零れた。着地からの踏み込み。必殺を外したクリスを、容赦なく蹴り飛ばしている。凄まじい勢いで吹き飛んでいく。

 

「クリスちゃん!?」

「おや、随分と豪快に飛んで行ったな」

 

 思わず立花が立ち上がった。走り出そうとしたところで手を取り止める。

 

「ちっ!?」

 

 風鳴のが舌打ちをしながら飛び退り、羽々斬を振るった。火花が十数発散った。風鳴の蹴り。その接触に足で合わせ、自身も蹴る事で反発したのだろう。後退しながら銃撃を霰の様にまき散らす様は年不相応で、空恐ろしいものを感じざる得ない。装者と言う事もあるが、雪音クリス自身の才も大きいのだろう。青と赤の示す天賦と言っても良い様な才に、柄にもなく熱いものを感じる。

 即座に風鳴が動いた。姿勢を低く保ち疾走する。クリスの銃口から着弾を予測しているのだろうか、太刀で必要最低限の弾を弾き駆け抜ける。

 

「二人とも凄い……」

「君もそう負けてはいないと思うが」

「え……?」

「機動力と突破力。先ほど見た限りだが、凄まじい物だった」

 

 碗部ユニットを使った加速。あれは怖いだろう。仮に自分が使われたとしたら、予測で迎え撃つしかない。あの突破力は二人にはないだろう。

 

「まぁ、見ていて大丈夫だろう。風鳴のは怪我をさせる気は無いだろうしな」

「解るんですか?」

「あの子が今回のような戦いで怪我をさせようとするとは思わないよ。下手を打ったら解らないが」

「翼さんです。その辺りはきっと大丈夫だと思います」

 

 頷く。銃声と斬撃音が響く。至近距離でぶつかり合いながら、有効打が互いに出ないでいる。実力が拮抗しているように見える。見えるだけだが。

 

「しゃらくせぇ!」

 

 しびれを切らしたクリスが、誘導弾を解き放つ。

 

「此処だ」

 

 その瞬間、無数の刃が振り乱れた。凄まじい射出量。解き放たれたばかりの誘導弾が、連鎖爆発を起こす。

 後退。半ば吹き飛ばされる形で後退した。両の手を交差され、視覚を庇いながら下がっている。

 地を転がり、何とかと言った具合に立ち上がる。シンフォギアの防御性能があるだろうが、消耗が激しそうに見える。

 

「この戦いに意味はあるんですか?」

「あの子は何か抱えているのだろう。それを受け止められるのは同じ装者だけではないかな」

「クリスちゃんが抱えている物。上泉さんは何か心当たりが……?」

「知らんよ。大して親しい訳でもない」

「ええー!? 此処まで話しておいて、何でそんなに素っ気ないんですか!!」

「それが事実だからな。放って置けないところはあるが、具体的な事だと俺は何も知らん」

 

 何となく、鬱屈とした雰囲気と放って置けない危うさを感じるだけだ。それを解消するのは、どちらかと言えばこの立花や風鳴の気がする。年が近いうえ、同じシンフォギア装者だ。それに比べれば、自分には接点も多くない。できる事は、精々悩んだ時に方向を示す事や背中を押せれば良い方だろう。それすらできないかもしれないが。

 

「解っているのは、傷を負っていた。それでも誰かを守る為に戦った。良い子じゃないか。それ位だろうな」

「クリスちゃん……」

「一人では抱えきれない思いがあるのだろう。それを風鳴が受け止めている。不器用同士だ。一度では終わらないかもしれないが、ぶつかる事は悪い事では無いだろう。誰にだって吐き出したい時はある。意味は後からついてくる」

 

 息が完全に上がっている。それでもクリスの闘志が揺らぐ事は無い様だ。何が其処までさせるのかは解らない。ただ、まだ倒れる気配はない。

 

「上泉さんは、どうしてここに来たんですか?」

「……また、話が変わるな」

「まだ何も聞いていませんからね!」

「まぁ、良いか。別れた時に、何か不機嫌そうだった。それが気になったから来た」

「それだけで、ノイズが居る場所まで?」

「そうなるな」

 

 立花の質問に答える。すると不思議そうに言われた。頷く。大した理由など無い。気になった。気に入らな方ともいえるか。別れ方が、何となく気に触れたという事だ。

 

「上泉さんは、良い人ですね」

「いや、君には負ける。出来れば変わらないでやって欲しいな」

「はい!」

 

 どちらかと言えば、それは目の前にいる女の子の方が当てはまるだろう。一部始終を見ただけだが、どれだけ無碍にされても相手の事を思いやっているように感じられた。ぶつかり合っている時ですら、クリスから本気の敵意までは感じ取れなかった。多分、何度もぶつかり合って今があるのだろう。真っすぐなこの子の瞳を見ると、何か眩しい物を見ているような気がしてくる。俺も年を取ったのか。そんな事を思わず考えてしまう程に眩しい。

 

「そろそろ、立ち合いは終わるようだ」

「え……?」

 

 戦いの様相が変わり始めている。鉄パイプを手に立ち上がる。決着。見ている限り、そう長くは続きそうにない。何度目かのぶつかり合い。赤と青が互いのアームドギアを用いて交錯する。銃声と斬撃。互いのギアが吹き飛ぶ。

 

「いい加減に決めさせてもらう!」

 

 クリスが前に出た。跳躍。同時に誘導弾が解き放たれる。機動からの奇策に、風鳴の反応が僅かに遅れる。刃が舞い降りる。誘導弾を叩き潰すように着弾した。一気に粉塵が舞う。黒煙と粉塵の中で赤と青が交錯した。

 斬撃。掻い潜る。

 銃撃。軸をずらし。

 薙ぎ払い。跳躍。

 接射。鍔。弾いた。

 石突。両手銃で受け止めた。吹き飛ばす。

 

「かはっ!?」

 

 クリスが受け止めきれず怯んだ。膝を突く。

 

「これで終わり」

「まだ、だ……ぁ?」

 

 風鳴が羽々斬を振りかぶった。一撃。沈める気で放たれる。

 無理やり前に出て往なす。反射的な判断。間合いを詰める事で斬撃を狂わせる。頽れた足を無理やり動かし、足腰が砕けた。クリスは体の痛みをごまかして戦っていた。その負荷が、無理やり動いたことで限界を迎えた。体制が大きく崩れ、刃に向かい倒れた。

 

「な……!?」

「クリスちゃん!」

 

 風鳴の手元が狂った。と言うよりも、クリスが行き成り刃に向かい倒れ込んだ。刃から、一瞬意識が外れる。

 踏み込み。赤を追い抜いた。

 

「先――」

 

 左手。振り下ろされる柄を持つ。右手。振り下ろされる刃に添える。目を見開いた風鳴の手元がぐるりと動く。

 振り下ろされる勢いを流し、そのまま羽々斬を手にした。無刀取り。人が頽れる音。背中で聞いた。

 

「クリスちゃん!?」

「ふぅ……」

 

 クリスを斬りかねない勢いであった為、割って入っていた。風鳴のとて、斬ろうとした訳ではない。ただ、加減できるほどの相手では無かった。故に本気で迎え撃った。そして渾身の一撃であったが故に、想定外の動きを見せたクリスに挙動が追いつけなかったという事だ。あまりの事に、羽々斬から風鳴の意識がそれていた。だから、刀を奪う事で逸らしたと言う訳だった。渾身であればある程、虚を突かれたときは対応ができない物だ。刀身を握った手を払う。赤い物が散った。虚を突いてはいたが、流し切れていない。やはりその剣は凄まじい物なのだろう。

 

「申し訳ありません」

「いや、それだけ二人が本気だったという事だろう。本気でぶつかり合い、風鳴のが力を見せた。そう言う事だろう」

 

 反射的に突き付けた羽々斬を返す。無手で剣を奪う事など、虚を突く事でしかできはしない。剣を突き付けるのは、その一連の流れが出てしまっていた。同じく反射的に後退しようと重心をずらしていた風鳴に、刃を返した。

 

「っぁぁ……」

 

 ふらつき倒れたクリスに立花が駆け寄る。本調子ではない。無理が祟ったという事だった。

 苦しそうに呻くも、数瞬後には目を開けた。

 

「な、んで……」

「負けたから倒れているな」

 

 呆然としているクリスに、ただ教えた。全力を賭して敗北した。不調と言う要因は確かにあるが、それでも真正面から挑んでの敗北だった。

 

「まだ、あたしは負けてない。まだ、やれる……」

「そんな……、もう十分だよ!」

「その様では無理だな」

「勝手に決めんな! あたしは負ける訳にはいかねーんだよ」

 

 まだやろうとするクリスを押し留めた。

 

「ならば、立ち上がってみろ」

「何だと……!? ふざけんな、あたしはまだ負けてねぇ!!」

 

 喚くが、立ち上がる事は出来ない。そう言う風に押さえ付けているから当然と言えば当然なのだが、それだけ弱っているという事だった。装者が万全ならば振り払い無理やり立ち上がる事もできるだろうが、今のクリスには無理だった。やがて変身が解かれる。それを見て、風鳴のも解除する。

 

「負けたよ。認めろ。刃の方に倒れたのは君の不明だ」

「っ……」

 

 今にも泣きそうに表情が歪んだ。そのまま手を伸ばし、何も手にする事が出来ず地に落ちた。

 

「あたしは、勝たなきゃいけねーんだよ。勝たなきゃ今までやってきたことに意味が……」

「ならば、今負けた事によって意味が無くなったのか」

 

 ぽつりと零した。それ以上何かを言う事もなく項垂れる。全力で戦い負けた。それがどう言う風に作用するのか。それは解らない。ただ、装者同士でぶつかる事には意味があったと信じたい。

 

「さて……風鳴の」

「なんでしょうか?」

「悪いが突破させて貰うぞ」

 

 咄嗟に捨てていた鉄パイプを拾い上げるなり、言った。一応はクリスの味方である。何の手助けもしていないが、彼女が負けた以上は、離脱する必要がある。何がしたいんだと言ってしまえば終わりだが、抱きかかえた。そのまま脇を一気にかける。

 

「ちょ、上泉さん!?」

 

 驚き慌てている立花の声が届いた。立ち止まらず、その場から離れた。

 

 

 

 

 

 

「イチイバルの反応、離脱しました」

「そうか」

 

 特異災害対策機動部本部。戦いがモニタリングされていた。ノイズを討つために集ったシンフォギア装者たちがぶつかり合う。何度目かのそれが行われていた。雪音クリスと、風鳴翼のぶつかり合い。幾度かのぶつかり合いはあったが、初めて明確な決着がついた。

 

「しかし、意外な人物が居ましたね」

「ああ。上泉。まさかユキのやつが……な」

「相変わらず、無茶が過ぎるようで。ノイズや装者相手に立ち回るなんて、司令を除けば彼ぐらいですかね」

 

 その際に、想定されていなかった人物がいた。上泉之景。元機動部所属の男である。

 少し懐かしい事を思い出すように、藤尭は続ける。司令である風鳴弦十郎が自らの手で解任していた。今の主要メンバーの中では、特に同期である緒川と親しくしていたが、藤尭とも親交はあった。かつてを懐かしむ様に呟く。

 

「変わらんな。奴は。無茶をする事と言い、言葉が足りん事と言い」

「もしかして指令、後悔されておられましたか?」

「少しは、な。俺は、読み違えていたのかもしれない。ずっとそんな事を考えていたよ。久しぶりに見たあいつは、それを確信に変えてくれたようだ」

 

 藤尭の問いに、弦十郎は苦笑が零れる。モニターの前で何度も行われてきた無謀な行動。死線を平然と超えていたが、理由は一つだけだったのだろう。それを当時は読み切れなかったが故に解任していた。

 

「引き込みますか?」

「いや、良い。こちらの都合で解任したのだ、早々都合の良い事は言えんよ」

 

 本音を言えば、あれだけ動ける人材は喉から手が出るほど欲しい。自分が出ていければと、歯噛みしたのは一再ではないからだ。ユキが居れば、現場をある程度安心してみていられる。それほどの物になっていた。月日の流れが、若者を更に大きくしたのか。

 久方振りに見た剣は、かつてを遥かに凌駕していた。ノイズを斬るなど、当時は一度たりとも行っていない。出来るようになったと言う事なのだろう。上泉の剣。弦十郎も耳にした事はあった。

 

「すこし、出てくる」

 

 やる事は沢山ある。それが、一つ増えていた。今起こっているシンフォギアに関連した事件。その全貌が少しずつ見えてきていた。それに対して、打てる手が増えたという事だった。機動部の中に居ない。それは、大きな事なのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

「お前は、何がしたいんだよ……」

 

 弱弱しく呟いた。昨日と同じようにクリスを連れ帰り寝かせていた。悪態こそついているが、気力は感じられない。黒猫が、寝台の傍に寝そべっていた。金色の目だけを少し開きぼんやりとしている。

 濡らした布を額に置く。頭は冷えたかと言外に尋ねた。

 

「癇癪をぶつける先を用意した。と言ったところか。白黒つければ、一段落はついただろう」

「意味わかんねーよ」

「やりたい様にやらせて貰っただけだ」

「なんだよ、それ……。やっぱり意味わかんねー」

「それはそうだろう」

 

 解らないとクリスは続ける。それはそうだろう。彼女が言うように、俺もクリスの事など解らない。だが、それは仕方が無いのだろう。解り合おうともしなかった。それでは解る訳がない。

 

「お前は、何がしてーんだよ!」

 

 先程よりも強く叫んだ。ならば言ってやろう。

 

「お前と同じことだよ」

「なんだと……?」

 

 視線が鋭くなった。だが、それだけである。

 

「俺の事が解らんと言ったな。それは俺も同じだ。お前の事など解りはしない」

「あたしが、てめぇみたいのと同じだと……?」

「同じ事だよ。相手に解ってもらう努力をせず、自分の意思をただ押し付ける。違うか?」

 

 自分は元来あまり説明をする質ではない。だが、今回の件については、あえてそうしていた。

 目の前にいる小娘はただ、癇癪をおこしていた。何があったのかも教えてくれなければ、他の者はどうしようもない。無論、自分が聞かなかったと言うのも大きくはある。が、棚上げする。

 だから見せてやった。自分が無意識にやっている事を教えたのだ。意味が解らない。つまりは、そういう事だ。

 

「違う!」

「……気分の良い物では無いだろうな。勝手に決めつけ押し付ける。従わなければ無理やりにでも押さえ付ける。俺はそう言う事を君にしたよ」

「……っ!?」

 

 叫ぶクリスを無視して続ける。まだ戦えると泣いた彼女の言葉など考慮せず、押し通した。どう言う思いがあったのか、知りもしない。そして、踏み躙った。それで良かったのだろう。俺が敵意を持たれようと、この子には手を差し伸べてくれる人が他にも居るのだ。大きな問題にはならない。

 

「立花はあの戦いに意味が無いと言っていたな。実にそうだ」

「……」

「戦いたくないと言う立花の代わりに、風鳴がお前を受け止めた。話を聞かずにただ自分の意志を押し通した。なぁ、君は俺とどこが違う?」

「そ、れは……」

「あの子が戦いたくないと言ったのは、今回が初めてなのか?」

 

 クリスは黙り込んだ。思い出すように目を閉じている。その様子に、これ以上は必要ないだろうと思った。

 

「すこし、意地悪が過ぎたか」

 

 黒猫を抱き寄せる。にゃぁっと一鳴き。眠そうに金眼が開く。それを、クリスに向かい放り投げた。

 

「うわっ!? て、てめぇ、いきなり何しやがる!!」

「何、あまり殊勝なのもらしく思えなくてな。……そろそろ風呂が沸くだろう。入ると良い」

 

 あまりふさぎ込みすぎても良くは無い。猫には悪いが気付け薬になってもらう。ちなみに風呂は、寝かせる前に沸かし始めていた。

 

「何でいきなり風呂なんだよ」

「手痛く負けて、泣かされた。酷い顔を綺麗にして来いと言っている」

「て、てめぇ。いつか泣かしてやるからな」

「解ったから、さっさと可愛らしくなってこい」

「なっ!? もう良い! 風呂に行く」

 

 一瞬で赤くなったクリスに、昨夜とは違う浴衣を投げ渡す。ひったくる様に手に取ると、大股で風呂に向かった。所在なさげにしている猫が寝台から降りた。抱き上げ、悪かったなと頭を撫でる。もう一度にゃあと鳴いた。先ほどよりも少し鳴き声の間隔が長いように思った。下手なやつだ。何となくそう言われた気がする。苦笑する。自分でそう思ってしまう程度には、下手だろう。

 痛みを教えるために、痛みを刻む。やったのはそんな事だろう。自分がもっと上手く話せるのならば、必要以上に傷付ける事は無かっただろうか。ない物ねだりは仕方が無いか。

 

「さて、悩んでも仕方が無い。食事でも作るか……む」

 

 思考を切り替える。猫に気持ちを落ち着けてもらったところで、立ち上がろうとした。その時に端末の着信音が響く。手に取る。それは、懐かしい名前だった。風鳴弦十郎。呼び出しに答える。

 

「では、今夜」

 

 用件を聞き、待ち合わせる場所を決めた。近いうちに接触があるだろうとは考えていた。思っていたよりもずっと早い。どうした物かと考える。

 

「とりあえず、作るか」

 

 考えて名案が出れば苦労はしない。クリスが上がるまでに、食事の用意だけは終えるかと手を動かす事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




短編では甘々だったので、こちらではあんまり優しくなかったり


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4.雨と大人

「やたらと肉が多いな……」

 

 用意された夕食を見たクリスがぽつりと呟いた。眼前に置かれている料理は、白米に味噌汁、野菜炒め、そして大皿に盛られた牛肉である。取り敢えずなにもかけずタレと塩、胡椒が置いてあった。ちなみに自分の好みは塩である。と言うか、基本的には食べられれば十分と言う質なので、料理が得意でもない自分が作る時はそれほど拘ってもしかたがない。

 

「まぁ、そう言うな。食べられるうちに食べて置け。下手をすればお前に何か振舞ってやれるのはこれが最後かもしれん」

「……? 何かあったのかよ」

 

 そう言うと何処か素直に小首を傾げた。風呂に入ったことで心機を一転したのだろうか。どことなく穏やかな様子で問いかける。頷いた。

 

「……特異災害対策機動部の司令官殿から呼び出しがかかった。まぁ、あれだけ大立ち回りをした。それはそうだろうな。元上司だ。特に行方を晦ませた訳でも無いので、当然、大体の居場所は把握されているだろうな」

「つまり、ここも安全かはわからねーって事か」

「そうなるな。あくまで君にとっては、だが」

 

 先程、風鳴弦十郎司令から連絡があった事を告げる。別に隠す事でもない。と言うよりは、当事者である。最悪、この場も押し入られたりするかもしれない。そういう可能性も含めて彼女には伝えて置く。子供とは言え、シンフォギア装者だ。心構えさえ出来ていれば、自分の事は自分で何とかするだろう。流石に機動部が本気になったとすれば、庇い切れはしないだろう。

 あの司令の事である、俺は拘束されたとしてもそれ程酷い目には遭わないだろう。何だかんだで情に脆い。いや、見た目通りか。時に笑い、時に叱ってくれた姿を思い出す。

 

「……あたしの所為か?」

「いや、自分の蒔いた種だ。それにまだ何かあると決まった訳では無いよ」

 

 気にするなと告げ食事を促す。共に食べるのはこれが最後かもしれない。しっかり食べなければまた倒れるぞと言うと、顔を赤くしながらも悪態を吐き食べ始めた。重要な事ではないのだが、この子が食べ始めると結構散らかる。零すわ、口元にタレが付いているわで、食事中は幼子を相手にしているように思える。それを指摘するとまた恥ずかしげに怒るので、ついつい笑ってしまう。

 

「お前も食べるか?」

 

 ジーっと黒猫が見つめていた。猫缶とは別に肉を何枚かのせる。直ぐに食べ始めた。

 

「さてと……」

 

 ある程度食事を終えたところで、一息つきクリスに封筒を手渡す。あまりこういう事はしたくは無いのだが、あまり時間が残されてはいない。司令に会えば最悪拘束される可能性もある。だから、借りは返しておきたい。尤も、出来ればこういう形にはしたくなかったと思うが。

 

「これは……?」

「三万入っている。それで暫くは凌げるだろう」

「何でこんなもんを」

「助けられただろう。お前や立花、そして風鳴のにもな」

 

 驚いたように目を丸めるクリスに、それだけ言った。目の前の少女が気になったと言う理由はあるが、自分からノイズの群れに向かっていた。それを確かに助けられていた。その礼が確実にできるのは今だけだろう。直接金を渡すと言うのが何となく嫌な気分になるが仕方が無い。

 

「今夜、司令に会う」

「なっ!?」

 

 まさか今夜だとは思っていなかったのだろう。驚いている。

 

「心配するな。別にここに招く訳では無い。相手は秘密組織だけあってな、そういう場所には事欠かない。こちらから出向くさ」

「……何の話をするんだ?」

「具体的には解らんが、まぁ、君やノイズの事だろうな。最悪拘束されるかもしれないな。俺が戻らない場合は、気にせず出て行ってくれ。この部屋は使っても良いが、所在はばれて居るからな」

 

 伝えるべき事は伝える。少なくとも、ここまで伝えれば寝ている時に行き成り拘束されると言う事は無いだろう。擦れている様で、繊細な物を持っているのは解っていた。話す時があるのなら、きちんと話すべきだろう。そうすれば、先ほどの様に泣かす事は無いように思える。

 

「おい、それって大丈夫なのかよ」

「まぁ、何とかなる。司令とは古馴染みだ。其処まで悪いようにはされんと思う」

「そんなの……、解んねーじゃねーかよ! 大人はみんな信用ならねーんだよ」

「……、俺もその大人の一人だよ。だからどうとでもなる」

 

 心配されているのか。それが少し意外だった。つい先ほど怒らせたばかりだ。嫌われる事こそすれ、心配されるとは思っていなかった。予想もしていなかったその発言に、少し笑った。

 

「なんだよ」

「いや、心配されるとは思っていなかったのでな」

「っ~!? べ、別に心配なんかしてねーよ!」

「ああ、それで良い。自分の事は自分で何とかする。君は君の事を考えていれば良い」

 

 別に心配してないと怒るクリスに頷く。

 

「では、そろそろ行くかな。大人は待ち合わせにも遅れないものだ」

「何だよソレ……」

「心構えの話だよ。相手が誰であろうと誠実である。それが大事なのではないかな」

「……」

 

 最後にクリスにそんな事を伝えた。先ほどの言葉の通り、この子は大人を信用してはいないのだろう。これまで話していて、何となく言葉の端々からそういう感じがする。自分にそれを解消できるなどとは思わない。だから、せめてこの子には真っすぐ相対していようと思うだけだ。

 

「あたしの事について、話すんだよな」

「それもあるだろうな。が、それだけでもあるまいよ」

「……解った。あたしも行く」

「何……?」

 

 予想もしていなかった事に、思わず問い返した。

 

「あたしの事を話しに行くんだろ。なら、本人が行った方が話ははえーよ」

「機動部の司令が相手だぞ。解っているのか?」

「よーく知ってるよ。会った事もあるからな。それに、あたしが本気になれば、逃げるのも造作ない」

 

 不敵に笑う姿を見ると、説得は無駄なんだろうと思う。やはり、なんだかんだ言って根は良い子なのか。責任を感じているのが何となくわかる。

 

「なら、行くか」

「ああ」

 

 頷くと、クリスは小さく笑った。そう言えば、この子が笑ったのは初めて見たかもしれない。それは、年相応の可愛らしい笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 パシャパシャと水音を響かせながら、路地を幾つも抜ける。雨が降り始めていた。傍らを歩くクリスができるだけ濡れないように大きめの傘をさしながら歩く。家を出る時にはすでに雨は降り始めていた。元々一人で居たので傘など何本も持っていない。それ故二人で一本をさし歩く。

 

「あんたも機動部の一員だったんだよな?」

「そうだが、行き成りどうした」

「いや、これだけ世話になっておきながら何にも知らなかったと思ったんだよ」

 

 そっぽを向きながら呟く。少しは歩み寄る気になったのか。何となく感じる変化に、良い事だろうと頷く。

 

「四年ほど前だったかな。司令に言われたよ。死にたがりを送り出す訳にはいかないって」

「……、そんなに前から今みたいだったのか?」

「いや、流石にノイズを斬ったりは出来なかった。あれができるようになったのは、辞してからだな。鍛えなおした」

「……そりゃまぁ、凄いこって」

 

 歩きながら昔の事を語る。実際にノイズを斬ったところをクリスは見ていた。呆れたようにため息を零す。

 

「当時は風鳴のともう一人女の子がいたよ」

「もう一人……?」

「死んだよ。二年前に。一般人を庇って歌ったと聞いている」

「そう、なのか……」

 

 当時存在していたもう一人の装者、天羽奏。快活な子だったのを覚えている。ノイズに復讐してやるのだと、力を手にしていた。だけど、それだけの女の子でもなかった。あの風鳴のが懐いていたのだ。優しく、強いものも持ち合わせていたのだろう。自身もノイズに父を殺されていた。どこか、共通するところがあった。

 

「あいつとは何かあったのか?」

「あいつ、と言うと風鳴の子か?」

「そうだよ。あの剣さんだよ」

 

 クリスが話題を変えた。死者の話は余りしたくは無いのだろう。どうしても湿っぽくなる。それは仕方が無い。

 

「何度か立ち合いをしたな」

「へぇ……。それでどうなったんだ?」

「剣を持って向かい合った。それだけだよ」

「……? どういう事だ?」

「剣には剣のやり方があるという事だよ。斬り合うだけが鍛錬とは言えない」

 

 風鳴のとは直接刃を交えた事は無い。ただ向き合い見据えた。それで充分だった。手を抜いたと言う意味ではない。当時は確かに未熟ではあったが、だからこそ本気で相手をしていた。

 

「良く解んねーけど、そんなもんなのか?」

「ああ。あれは剣だからな。そういうやり方もある。他に忍者とかもいるぞ」

「はぁ!? 忍者って、あの忍者?」

「ああ。あの忍者。現代の密偵だな。忍法も使う」

「そ、そうか……。機動部って言うのは色々いるんだな」

 

 剣に忍者に無手の達人と様々な人間が居た。お前が言うなと言われるかもしれないが、現実離れしている。

 本当に人間なのかよと乾いた笑いを浮かべるクリスに、言い返す事は出来なかった。実際、司令などはノイズの特性さえなければ、装者よりも強いかもしれない。

 

「まぁ、そんなところだ」 

「あんたも色々あったんだな……」

 

 話を聞いたクリスはしみじみと頷く。まぁ、確かにいろいろな人間は居た。藤尭辺りならば、まだ常人の範疇には入るだろう。それでも能力は高いが。風鳴のや、緒川、司令が酷いだけだろう。

懐かしい話をしていた。時折、雨音に耳を傾けつつ進む。やがて、目的地に辿り着いた。自分が家として用いている場所に似たような廃れた集合住宅。その中の一室に入っていく。既に車は停車されていた。恐らく、既に待っているのだろう。もう待っているだろうと、クリスに一言告げた。ああ、っと頷きが返ってくる。

 

「お久しぶりです」

「ああ、久しいな。しかし、予想外な人物もいる様だ」

 

 部屋に入り向かい合い、挨拶をした。風鳴弦十郎。特異災害対策機動部司令。久方振りにあった司令は、記憶の中とは変わらない偉丈夫だった。

 

 

 

 

 

 

「面倒な駆け引きは止そうぜ。話はシンプルな方が分かり易い」

 

 口火を切ったのはクリスだった。不敵な笑みを浮かべ一歩前に出ようとする。それを手で制した。

 横やりを入れられたことにぶすっとするも、それ以上何か言う事もない。

 

「本人が来るとは思っていなかったが……。雪音クリス。音楽家の両親を持つ、音楽界のサラブレッド。両親が難民救済のNGO活動中に戦渦に巻き込まれ死亡する」

「ふん、良く調べてるじゃねーか」

 

 語り出した司令の言葉に、クリスは吐き捨てる。目を閉じ語られる言葉に耳を傾ける。それは、雪音クリスが歩む事になった道のり。戦渦による両親の死、現地の組織で奴隷の様に扱われたこと。結局国連の介入により保護される事になった事。シンフォギアの適合者候補として政府が保護に乗り出した事。しかし、帰国直後に行方不明になった事。捜索するも、関係者が次々に死亡、行方不明になり捜査が打ち切られたこと。

 そんな一連の流れを、一つ一つ丁寧に思い出しながら語っていく。声音に、感情が乗っている。本気で心配し、探していたと言う事なのだろう。話を遮る事もなくただ聞いている。

 

「だから何だって言うんだよ……。一体何が言いたいんだよ!」

「俺が言いたい事は、君を救い出したいという事さ」

 

 司令の言葉に、クリスが目を見開く。僅かに揺れ、だが強く食いしばった。

 

「一度引き受けた仕事は必ずやり遂げる。それは大人の務めだからな」

「大人……だと? 大人の務めときたもんか」

 

 クリスが俯き吐き捨てた。

 

「大人が何をしてくれた! 余計なこと以外はしてくれない。最後に信じた人だって、あたしを物のように扱った。誰も見てくれなかった。誰も聞いてくれなかった。あたしを置いて死んでしまったパパもママも嫌いだ! あたしの話を聞いてくれなかった大人たちが何を偉そうに!」

「ユキが傍に居たはずだ!」

 

 叫びだし逃げかけたクリスに司令は叫ぶ。

 

「だから、君はこの場に付いてきたのでは無かったのか? ユキは、君に何もしてくれなかったのに、この場に来たと言うのか?」

「……っ」

「俺はユキに君の事を話す為に呼び出した。君の事を知り、守って貰う為にだ。呼び出しと言う形にはなってしまった。それを心配して来たのではないのか?」

「うるさい! あたしは、大人の事なんて信用していない。誰も、信用してなんかいない!!」

 

 司令の言葉を頭を振る事でかき消し、クリスは叫んだ。大人は信用できない。その言葉だけが胸を打つ。

 

「Killiter――」

「大人は信用ならない。それが君の抱えていたものか」

「っ!?」

 

 クリスが俺を見た。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ酷く表情が歪んだ。取り返しのつかない過ちを犯した。まるでそんな風に怯えた表情にも見えたが、ほんの僅かな間だった。聖詠が耳に届く。クリスが赤を纏う。

 

「……ん」

 

 最後にあるか無いかの音が耳に届いた。窓ガラスを突き破り、クリスは部屋から飛び出していた。雨はまだ、降り続いている。

 

 

 

 

 

 

「どうやら、失敗してしまったようだ」

「そうとも限りませんよ。言葉は確かに届いている。真心は、届いているはずです」

「そうであれば良いのだが」

 

 割れた窓に駆け寄り呟いた司令に言った。確かに司令の言葉はクリスを傷つけた。だが、その言葉は胸に届いたはずだ。でなければ。彼女の嫌う大人にごめん等と言う筈がない。感情が先走った。だが、心の何処かでは受け止めているはずだ。そう思う。そう信じたい。

 

「あの子は、ごめんと呟きましたよ。擦れていますが、根は素直な子なんですよ。何時か、わかってくれます」

「ユキは、あの子と上手くやれていたのか?」

「どうでしょうね。俺は、自分のやりたい事をやっただけです。共に食べ、語った。それ位ですよ」

「そうだな。お前は言葉が足りない事はあっても弄言は無い。あの子はそんなところに少しだけ歩み寄ったのかもしれないな」

 

 届くだろう。そんな思いを込めて答えた。司令も頷く。

 

「それでは本題に入りましょうか」

「相変わらずだな、お前は。仮にも仲間が居なくなったと言うのに、平然としている」

「やる事は全て終わっていますからね。最悪拘束される可能性も考えて、あの子にはできる事をしました。それ以上は、なる様にしかならないでしょう」

「全く。その割り切りの良さも相変わらずか」

 

 司令は呆れたように、だが懐かしそうに零す。自分は今、機動部には所属していない。

 だが、それに関して含む事がある訳では無い。命を軽視していると言われた。それは、事実ではあるのだ。

 何よりも、害そうとして言われたのでは無い。だから、遺恨は無かった。

 

「あの子ではないが、単刀直入に言わせてもらおう。近々、力を借りたい事態になるかもしれない」

「……機動部の力だけでは足りない事が有り得ると?」

「そう言う事だ。今起こっているノイズの多発現象。近々大きく動く事になると想定している」

 

 ノイズの多発。司令の言葉通り、最近のノイズの発生率は異常の一言だ。特異災害対策機動部の成す事で最も優先すべきは、現状の脱出だろう。本来ノイズとの遭遇率と言うのは、生涯で通り魔に遭遇する確率を下回ると言われている。そう考えれば、クリスと出会った僅かな期間だけでも二度の遭遇である。異常事態だと言えるだろう。それ以外でも頻繁に出現し、警戒警報が頻繁になっていると言う事態がおかしいと言える。

 

「何かを掴んだと……?」

「そんなところだ。その時に、外部に動ける者がいると良い」

 

 司令が端末を投げ寄こした。特注品。見れば分かった。それは普段特異災害対策機動部が用いるものとも違う。

 

「お前ならば見ればわかると思うが、その端末は特別性だ。特定の端末同士でしか通信できないが、その分使用が敵にバレにくい。連絡は俺の持つ物に直接届く事になる」

「成程……」

 

 頷く。端末同士でしか通信ができない。つまりそれは、あまり聞かれたくない事が有るという事なのだろう。憶測でしか無いが、敵は身近な場所にいるという事なのだろうか。仮にそうだとすれば、それに対する備えとしてならば自分は適当だろう。既に外部の人間だ。他の機動部の人間に比べれば動きは遥かに掴み辛い。

 

「随分勝手な言い分と理解はしているが、協力してもらえるだろうか」

「解りました。上泉の剣が必要だというのならば、力を貸しましょう」

「そうか。助かる」

 

 司令が手を差し出す。その手を握った。それで終わりである。

 やると決めたからには、それで充分だった。

 

「一つだけ伝えて置く。もし大事が起き、俺とも連絡が取れなくなる。そんな時には国立博物館に向かえ。そこで――」

 

 最後にもしもの時の話を聞いた。そんな大それたことが許されるのか。思わずそう聞き返してしまったが、司令は心配するなと笑った。受けた指示は、俺が予想もしていないような内容だった。

 

「シンフォギアは特異災害対策機動部二課の保有する対ノイズにおける最大の切り札だ。だが、手札はそれ以外にも存在する」

「組織の頭と言うのは、考えている以上に無理を言う」

「今回の件はそれ位しなければならんという事だ。無論、ユキの出番が無いに越した事は無いが、心構えだけはしておいてくれ」

 

 頷く。無駄な準備で終わればいいのだが、予感もしている。あの風鳴弦十郎が、わざわざ外部戦力を自らの足で用意している。それだけ深刻なのだろう。ならば、必ず何か起こる。そんな気がした。

 

「司令、一つお願いしてもよろしいか?」

「ああ、どうした?」

「もしあの子が歩み寄る事が有ったのならば、その時は良くしてあげて欲しい」

「……ああ。心配するな。言われなくてもそのつもりだ」

 

 一度だけ伝えて置く。司令は快諾してくれた。頷く。これでもう、話す事も無くなった。

 一礼し、司令と別れた。遠ざかったところで、未だに自分が司令と呼んでいる事に気付き、思わず噴き出した。遺恨は無かった。だが、愛着は健在である。それが解っただけでも、大きな収穫だった。

 

 

 

 

 

 

 

 雨が降り続いている。行きの時とは違い、一人で差すそれは随分と広々と感じた。

 車で送ろうという司令の厚意をあえて断り、徒歩で帰路に着いていた。

 傘が雨を弾く音がうるさい位に耳に届く。薄闇の中を歩いた。途中、余りにも雨に濡れるので、温かい飲み物を買った。微糖の珈琲。特別寒いという季節では無いが、缶を介して伝わる暖かさは心地良かった。

 

「泣いているだろうか」

 

 呟く。雨の中に飛び込んだ少女。雪音クリス。大人が嫌いだと叫んでいた。その理由の一端を、司令との話から知る事が出来た。ある程度予想はしていたが、凄惨な道を歩んで来ていた。

 一口珈琲を含む。温かな甘さが広がる。足早に、帰途を急いだ。

 自室のある集合住宅に着く頃には、雨足はさらに強くなり、豪雨と言っても良いほどになっている。体のあちこちが濡れていた。不意に、視線の先で何かが動いた。

 

「あ……」

「帰っていたのか」

「……うん」

 

 現れたのは、先ほど姿を消した雪音クリスだった。

 全身ずぶぬれになり、震えていた。掛ける言葉など、大して考える事もなく出てきた。

 

「とりあえず、部屋に向かうぞ」

 

 ずぶ濡れの手に飲みかけの珈琲を持たせた。取り敢えず体を温めるためには風呂か。

 そんな事を思いながら、家に戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




時間軸的には無印9話ぐらいです


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5.和解と暗躍

 雪音クリスは浴槽に深く浸かった。そのまま口元まで湯船に埋めるとぶくぶくと息を吐いた。

 何故戻ってしまったのか。大人は信用なんかできはしない。敵である風鳴弦十郎にそう明確に言い放っていた。

 感情に任せて叫んだ直後、シンフォギアを纏っていた。その場に居たくは無かった。勝手な事を言う大人の言葉など、聞きたくは無い。あたしを残して死んだパパとママを思い起こすような優しさに触れたくは無かった。

 そんな衝動に身を任せた時に、その場に共に来た男は一言呟いた。

 

 ――それが君の抱えていたものか

 

 胸を一突きにされたかと思った。

 風鳴弦十郎は、雪音クリスの事を知り手を尽くして探したと言っていた。傍に居たユキは、何も知らずにクリスの面倒を見ていた。助けられた。ただそれだけを理由に、向かい合う事になった。

 言葉を交わし傷跡を抉られた。他者と交わる事をせずに意見だけを押し付ける。そう断言されていた。否定しようとして思い至った。自分が行おうとしている、戦争を起こそうとする者と力を持つ物を片っ端からぶっ潰す。その考えはまさしく言葉通りではないか。

 同時に立花響の言葉が思いだされる。人間同士で戦うなんて止めようよ。こんな戦いには意味が無いよ。クリスちゃんと仲良くなりたいんだ。ユキに出会うよりも遥かに前に言われた言葉。差し伸べられていた手。その全てを振り払い、戦えと強要した。

 そして、もう一人の装者がクリスの前に立ち塞がった。一度思いっきり戦えば良い。そう言ってユキは響に向かい合った。クリスと風鳴翼がぶつかり合う中、二人は座り込み話し始めた。戦いの最中何をしているんだと思ったが、あれは、折り合いを付けたと言う事だったのかもしれない。大人らしいずるい手だと思う。だけど、クリスの要望を聞きつつ、響の思いもある程度満たす。上手いやり方だった。

 そして無理やり戦いを終わらせ、その横暴をクリス自身の口から否定させた。お前は同じ事をしているのだよ。そう突き付けられた時、何も言い返せなくなってしまった。いや、言われなかったが解る。もっと酷い事をしていたのだ。力を持つから問答無用で潰すというのは、それほどの理不尽であると言える。

 正直に言うと、イライラが満たされた。だけど、どこか嬉しかった。自分の話を正面から聞き、それは違うと道を示してくれた。少なくとも、クリスの言い分を聞いた上で真剣に相手をしてくれた。それが、少しだけ嬉しかった。

 

「……だけど、今更信じられねーよ」

 

 そんな胸中の思いを否定するように零す。今更大人を信じても良いのか。何度言っても酷い事を止めてくれなかった大人を許して良いのか。馬鹿な夢を追い、自分を置いて勝手に死んでしまったパパとママを許してしまっていいのか。そう考えると答えは出ず、もやもやとしたものだけが残ってしまう。

 クリスを迎えたユキは、ただ入れとだけ言った。少しぬるくなった珈琲をくれただけで、何も聞かなかったし、言う事も無かった。それが、嬉しいと同時に物足りなくも感じた。

 

「信じても良いのかな……?」

 

 優しい言葉など殆どかけてはくれない。むしろ酷い時もある。だけど、何処か心地良かった。

 もう一度ブクブクと湯船で息を吐く。考えがまとまる事は無い。

 

 

 

 

 

 

 

「決めたよ」

 

 夜が明けていた。簡単な朝食の準備をしている時、身支度を終えたクリスは何処か吹っ切れたように伝えてくる。手を止め、どうかしたのかと促す。

 

「あたしは、決着を付けなきゃいけない相手がいるんだ。そいつにもう一度会いに行ってこようと思う」

「決着?」

「ああ。名をフィーネってんだ。あたしが最後に信じて、捨てられた相手……。もう一度だけ、会いに行こうと思う」

「そうか」

 

 短く頷く。俺を軽く見上げながら言うクリスの言葉に、意思のようなものを感じた。昨日の一件もあり、彼女なりに考える事が有ったのだろう。具体的な事は解らないが、その意志だけは強く感じられた。止めるべきではない。それだけは解る。

 

「すこし、手伝ってもらおうか」

「へ?」

「朝食を食べてから行くだろ。なら、少しぐらい手伝ってから食べても良いだろう」

「……ああ、分かったよ」

 

 朝食の準備を手伝ってもらう事にする。とは言え、大したものではない。精々卵を焼くぐらいだ。

 大した手間もかからず、直ぐに終えた。黄色く焼きあがる卵が、少し焦げ気味になっている。あまり上出来と言う訳では無いが、自分も大した腕では無いのでこれでも十分美味しく頂けるだろう。微妙にへこんでいるクリスを促し、朝食を取る。

 もう一人の居候である黒猫には猫缶を開けた。野良ではあったのだが、最早なじみ始めている。まぁ、こんな同居人も良いかと笑う。こちらをチラリと一瞥し、またガツガツと喰らい始めた。

 

 やがて食事も終える。それほど多く語る事も無かった。全ての準備が終えた時、クリスが此方を見た。

 

「本当に世話になったな」

「別に気にする必要もない。二度命を助けられている。借りすぎなくらいだよ」

「それでも、だ。助かったのは事実だよ。だから、その、ありがとう……」

 

 最後の方は消え入りそうな声で何とか絞り出した。その様に、らしいなと笑った。

 ひねていて意地っ張りだが、根元のところは素直だと言える。そんな姿が年相応で可愛らしい。

 

「構わないよ。全部終わったら、どんな終わりになったか聞きたいものだ」

「……また来ても良いのか?」

「ああ。嫌では無いのなら、また来てくれると嬉しい」

「わかった。必ず来させてもらう」

 

 また来ても良い。ただそう言ったのだが、意外そうにした後にどことなく嬉しそうに頷いた。

 

「頑張れ」

 

 部屋を後にする。その際に背中にそう投げかけた。一度歩みが止まり、数瞬してまた動いた。返事はせずに片手を軽く上げる。彼女らしい返事だった。

 

 クリスが出て行ったところで、家探しを始めた。風鳴司令は近々進展があり、大きな事件が起きる可能性を示唆していた。ならば、必要な物を準備しておく必要がある。左手用のプロテクター。早い話が小手だ。ノイズが相手では何の意味もなさないが、人間が相手ならば銃弾にも数発耐えられる。

 司令は俺の力を借りたいと言っていた。それはつまり、ノイズ以外が相手の可能性が大きいという事だ。ノイズが相手だというのならば、それこそシンフォギアが相手をすべきである。更に、機動部の面々には知られたくないと言わんばかりに通信機を渡されている。となれば、機動部の、それも司令が居る二課の面々に聞かれたくは無いという事だろう。敵は内部に居るという事なのか。

 思考に耽るも、事実は今暫く分かる事は無いだろう。一度小手を身に付け、軽く動かす。問題は無さそうだ。手の甲から腕の半ば程までの小さな防具。それが自分の持っている唯一だ。剣など持ってはいない。機動部に所属していた時ならば兎も角、民間人としては使う局面など殆ど無いからだ。何よりも、剣と同じ重さで長さならば同じように使う。そう言う事はやり続けていた。難しい事ではない。

 

「二人になってしまったな」

 

 黒猫を抱き上げ軽く零す。昨日もそうであったが、クリス一人いないだけで随分と静かになった気はする。

 準備と言ってもそれほど多い訳では無い。直ぐに終わったので、猫相手に無聊を慰める。

 

「さて、司令は何を考えているのか。シンフォギア以外の手札とはね。国立博物館、か……」

 

 猫相手にそんな事を話す。無論猫に解るはずもない。時折にゃあと鳴き声を上げる黒猫を相手にしていると、不意に気付いた。そう言えば猫の名を決めていない。

 

「クリスが来た時に決めるか」

 

 思えばこの猫を拾った時、クリスにも出会った。縁は深いと言える。なら、あの子と共に決めるのも悪くは無いだろう。お前の名はもう少し我慢してくれ。そう呟き、猫を下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 雪音クリスはかつての隠れ家に来ていた。彼女の信じた相手。自分の事を理解してくれていたと思っていた人。フィーネにもう一度会うためだ。

 親を早くに亡くしたクリスにとっては、親代わりと言えなくもない。結局彼女は、聖遺物の起動や聖遺物と人間の融合症例である立花響を確保するために良いように使われるだけであった。

 時にはノイズすらも使い響や翼とぶつかり合いもした。結局課せられた仕事を果たす事も出来ず、上位互換と言っても良い様な響の登場により、クリスの存在意義は薄れていく。

 そして、嫌いだと自分に言い聞かせていた歌をも用いて戦うも、響の確保に失敗した事により、フィーネに失望され決別していた。命を狙われてですら、クリスはフィーネを憎み切れなかった。

 最後に信じた。解ってくれたと思っていた。その人に、モノのように使い捨てられた。その事実を認めたくなかったのだ。何処かで何かの間違いだったと言ってくれる事を期待していた。

 

「なんだよこれ……」

 

 だからこそ、今目の前に広がっている光景が理解できなかった。割られた窓。壊された大型端末。血に塗れ倒れ伏す数多の遺体。それは戦闘の後だと言えた。兵士らしき人間だけが倒れている。クリスが辿り着いた時には既に、この惨状は出来上がっていたと言える。血の匂いがクリスの鼻腔にまで届く。

 不意に背後から足音が聞こえてくる。振り返る。風鳴弦十郎が立っていた。

 

「……っ、違う。あたしじゃない!」

 

 直ぐに複数の足音が響き、銃を持つ二課の黒服がその場に集まってくる。

 目を見開いて後退したクリスを無視し、黒服達は辺りの調査を始めた。

 

「誰もお前の仕業とは思っていない」

「すべては、君や俺たちの傍に居た彼女の仕業だ」

 

 呆然としているクリスの頭に、弦十郎の手が置かれた。驚き弦十郎を見上げたクリスの目には、弦十郎がどこか寂し気に映る。誰が何をしたのか解っている。それが余計にやるせないという事だ。その目が、クリスの心に何かを印象付ける。

 遠くから司令と呼ぶ声がした。弦十郎の手が離れ、直ぐに声の方へ進み始めた。クリスは慌ててその背を追う。

 死体の胸に紙が張り付けられていた。それに触れた時、爆発が辺りを包み込んだ。

 

「無事か……?」

 

 爆発。傍らにいたクリスを庇うように抱きしめ、発勁で爆発の衝撃をいなした。

 装者でもない弦十郎に助けられた事が信じられず、どうなってんだとクリスは零した。続けて、何故ギアも纏っていない人間があたしを庇っているんだと叫ぶ。

 

「ユキと同じだよ。お前より少しばかり大人だからだ」

「また、大人かよ……。あたしは大人が大っ嫌いだ。あたしを捨てたフィーネも、あたしを置いて死んだパパもママも!!」

 

 答えた弦十郎に、クリスは髪を振り乱しながら吠える。大人。それを信じられないクリスは、涙を浮かべ否定する。

 

「良い大人が叶わない夢ばかり見てんじゃねーよ。戦地で難民救済? 歌で世界を平和にする? そんな事が出来る訳がない!!」

 

 そこまで叫んだところで、言葉に詰まった。力で押さえ付ける。その方法は自ら否定してしまっていた。

 ならばどうすれば良いのか。次の言葉が出てこない。

 

「ならばどうすれば平和になる? お前の両親の夢はどう叶える?」

「そ、れは……」

 

 弦十郎の静かな問いに、クリスは言葉が出ない。

 

「良い大人が夢ばかり見てるんじゃないと言ったな。そうじゃない。大人だからこそ、夢を追うんだ」

 

 答えられなかったクリスの代わりに、弦十郎は続ける。

 

「大人になれば出来る事は大きくなる。力も強くなる。夢を叶えるためにどうすれば良いのか、解るようになる。手が届かないと思った事にも手が届くようになる」

 

 人は子供から大人になる間に力が強くなる。出来る事が大きくなる。何をすれば良いのか解るようになる。

 だからこそ夢を見るんだとクリスに伝える。

 

「お前の両親はただ夢を見ていただけなのか? 違うな。歌で世界を平和にするという夢を叶える為、誰もが不可能だと思える事を成しに行ったのではないか?」

「なんで、だよ……。なんでそんな事を……」

「お前に見せたかったんだろう。夢は叶えられるという事を。不可能だと思える事でも、為せるという事を。それがどれだけ危険だろうと手を伸ばせば叶うという事を。歌で平和を掴み取り、お前に伝えたかったんだろう」

「っ……!?」

「お前は親が嫌いだと吐き捨てたが、お前の両親はきっとお前の事を大切に思っていたんだろうな。そうでなければ、そのような事できはしない」

 

 両親が為そうとしていた事。それを弦十郎の口を通して伝えられていた。大人が信用できなかった。それは、両親が自分ではなく、夢を大事にしたと思い込んでいたのが大きい。それが、そんな事は無かった。そう思えた途端、抑えきれない程の衝動が胸から溢れた。弦十郎がクリスを抱き寄せる。そこが限界だった。

 

「う、ぁ、ぁ、うわあああああああああああああ」

 

 とめどなく溢れ出す涙を止める術はなかった。子が親に縋る様にクリスは涙を流し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 警戒警報が鳴ったという情報が届いた。それ自体は自分のいる場からは幾らか遠い。まだ慌てるような状態ではない。左手。軍用と同じ程の耐久力のあるそれを身に着けていた。取り敢えずは鉄パイプを手にする。さらに追加の情報が届く。空を超大型のノイズが移動中という事だ。既に大きな道は逃げる人々で大混乱に陥っているようだ。

 

「来たようだ」

 

 部屋の中で暢気に丸まっている猫に、独り言を零した。クリスが居なければ話し相手は猫だけだ。癖になっているなと内心で思う。別に悪いとは思わない。

 

『ユキか?』

 

 鳴り響いた特注の通信機に応答する。随分と久方振りに聞いた鋭い司令の声に、短く答えた。

 状況と目的。その二つだけを端的に問う。

 

『想定通り敵は動いた。こちらは陽動に対応している。お前は以前の指示通り国立博物館に向かえ。そこに、回収するべきものがある。既に信頼できる者を数人入れてある』

『了解』

 

 細かな指示は追って伝える。風鳴司令は最後にそう締めくくった。陽動。つまり、相手の本命はまだ出ていないという事なのだろう。状況に応じて、新たな指示が飛ぶという事だろう。

 そこまで考えたところで、思考を止めた。あまり憶測はするべきではない。根拠のない判断は思わぬ失敗を呼ぶ事もあるからだ。

 

「上泉さん」

「緒川か」

 

 出るか。そう思ったところで、緒川が車で滑り込んできた。此処から徒歩では、目的の場所までは時間がかかりすぎる。絶妙な時を見計らったかのような助力に、片手を上げる。

 

「乗って下さい。直ぐに出ます」

「ああ、頼む」

 

 手早く助手席に乗る。鉄パイプを抱えた。

 

「状況は?」

「敵はスカイタワーに戦力を集中。大規模な攻勢をかけているというところですね。現在シンフォギアの装者が総力を以て、迎撃にあたっています。その為、かつてない規模の戦いが予想されます」

「……成程。ならばこそ、混乱に乗じる隙があるという事か」

「はい。司令の読みでは恐らく陽動。万が一本命であればそれはそれで良しと言ったところです」

 

 緒川に現状を手短に尋ねる。シンフォギアが総力を結集して防衛にあたっている。それでなお守り切れないとすれば、二課の、機動部の敗北を意味する。陽動でありながら本命でもある。こちらからすれば随分とリスクがある方法だ。二人の装者で果たしてそれが成せるのか。

 

「ある筋から、情報が得られました。カ・ディンギル。塔を意味する言葉です。それが今回の事件の大きな鍵となっています」

「塔、か。それがスカイタワーだと? 確かに塔と言えば塔だが。それ程捻りがない物なのか。……いや、だからこそ陽動という事か」

「そう言う事です。秘密裏に動いているというのなら、誰にもバレない場所に作るのが定石でしょう。恐らくは……」

「地下か」

 

 緒川の言葉と司令とのやり取りから答えを導きだす。特異災害対策機動部二課。そこに辿り着くには、リディアン音楽学院の地下にある長大なエレベータを使う必要がある。つまりは、そこなのだろう。そこが塔だというのならば、敵と言うのは。

 

「敵の名は、まだ出さないでおきましょう。確定してからでも遅くはありません」

「ああ」

 

 思い当たるのは、知っている名だった。だが、それは一時棚上げする事にする。迷いは曇らせるだけだからだ。

 

「カ・ディンギルの情報は、三人目の装者が教えてくれたのですよ」

「三人目。……そういう事か?」

「はい。司令が説得を行ったようです」

 

 意地っ張りの顔が思い出される。一人で抱えていたものを、おろす事が出来たのか。

 詳しくは解らない。だが、好転したのだろう。ならばそれで良い。

 戦いの前に気になっていた事が一つ解消されていた。素直に喜ばしく思う。

 

「そろそろです」

「ああ。大凡の事は解った。此処までで良い。緒川には緒川のやる事が有るのだろう」

「ええ。後は任せます。二課所属と名乗ってもらえれば、それで通じます」

「それは……」

「司令が合言葉を決めた。つまりはそう言う事ですよ。必ず、生きて会いましょう」

「ああ、必ずだ。こちらは任せろ」

 

 いくらか遠くで、爆撃音のような物が聞こえ始めた。始まったのだろう。音だけで誰が戦っているのかは解る。あの子にも仲間が出来たのだ。そう思うと、ただ嬉しく思う。

 あの子は戦っているのだ。ならば、焚きつけた自分も下手な事は出来ないだろう。鉄パイプを手に、国立博物館に向かう。今はまだ、決戦の時ではない。

 

 

 

 

 

「二課の上泉之景だ」

「上泉さん!」

 

 五人程の職員が入り口で待っていた。既に、他の客や職員は逃げているのだろう。彼らだけが不自然に留まっている。つまり、彼らがそうだと言う事だ。声をかけた。そのうちの一人は、顔を知っていた。後輩にあたる人間だった。

 

「直ぐに向かいたい」

「はい、案内させていただきます」

 

 背を追う。勝手知ったる物なのだろう。迷い無く博物館の中を進む。

 人の気配は感じられない。だが、何処か違和感を覚えた。何か嫌な感じがする。そう感じるのは、大事の中で暗躍しているからなのか。それとも、人のいない博物館がそんな雰囲気を持つのか。左手を握る。力は十全である。だが、予感が拭い切れない。

 

「しかし、国宝とはな……」

「有名過ぎたんです。アレがそうだと気付いた時には、存在を知る者が多すぎたと言う事です。ですから、ノイズの襲撃に乗じて、消失した事にすると言うのが、上の考えですね」

「良くもまぁ、悪知恵が働くものだ」

「こういう時ぐらい、良い働きをして貰わなくては、現場が命を懸ける甲斐がありませんよ」

 

 焦燥を拭うように、後輩と語りながら進む。

 上泉の剣。何度か教えてくれと言われていた。何故か、今それを思い出す。

 国宝。それを回収するために、自分はこの場に赴いていた。回収するだけならば、他の者でも構わない。熟達した剣士である必要がある。そのまま担い手になれ。そう言う事だった。聖遺物に似て非なる物。そう聞いていた。その存在は、剣士ならば誰でも知っている。それほどの物だ。

 

「こちらです。既に監視システムはダウン。これで、証拠は残りません」

 

 そして目的の物の眼前に辿り着いた。二課の者が荷物を手渡してきた。鞄を開く。そこには、日本刀の、それも大刀の拵え(こしらえ)(外装)が用意されていた。触れる。それは、普通では考えられない程の逸品だった。それでも、目の前に存在している刀身にはかなわない。武具としての格が違う。存在が力を放っていると、硝子越しですら感じた。開かれるまでの間、ただ見とれていた。

 

「手袋」

 

 零した。直ぐに一人が渡してくれる。自分などが本当にこれに触れて良いのか。考えるのはそんな事だった。

 

「開きました」

 

 答えるのも忘れた。ごくりと喉の音が耳に届く。

 触れた。瞬間、ぞくりと全身が震えた。その震えを何とか収めつつ、拵えを取り付けていく。

 刃渡り二尺六寸五分。太刀。磨き上げられた刀身が怪しい光を放つ。

 それは、数々の名を持ち、様々な伝承を持つ刀。

 数多の英雄がその力を振るい、鬼すらも斬り倒してきた名刀。

 かの源氏嫡流の英雄も携えていたと伝わる程の歴史のある逸品。

 天下五剣の筆頭と呼ばれ、あの酒呑童子の首を刎ねたと伝わる、日ノ本に現存する最高峰の刀。

 

「――これが、童子切安綱」

 

 童子切。それは、剣士ならば誰もが知る太刀であった。

 かの剣豪将軍が死に際まで振るった刀の一振りであり、血を吸い続けた歴史の体現物と言える。

 中世の聖遺物。あえてその名が付けられた。

 異端技術(ブラックアート)に追いつくために研鑽された、職人による異端技術。

 装者の歌以外。血と戦の音で起動する聖遺物と認定されていた。

 今、その最高の剣であり、決戦兵装がこの手にあった。

 

「任務の第一段階はこれで完了した。すぐ……な、に……?」

 

 刀身を鞘に納め振り返ったところで、目を見開いた。

 

「何が、起きた……?」

 

 眼前で起きている事が理解できなかった。

 

「へぇ……。それが、中世の聖遺物ですかぁ。眉唾物だったけど確かに不思議な力を感じるですねぇ。これは、わざわざ調整と収集の合間に見に来たのは正解かしら」

 

 何故、他の者が皆倒れている。

 

「さて、本格的に起動すればどれ程の力を持つのか……。見せてもらうぞ、当代の剣士」

 

 何故、木乃伊の様に干からびている。 

 

「……」

 

 何故、俺以外のものが殺されている。

 

「お前たちは……、なんだ?」

 

 理解できなかった。だが、本能が悟った。これは、敵だ。

 人ではない。上泉の血が、痛いほどそれを伝えてきた。

 人ならば、対峙した時に解る。目の前に居るコレ等にはそれがない。

 

「ガリィ達は自動人形(オートスコアラー)と申しますの。以後お見知りおきを☆」

 

 青。黄色。そして黒金。三体の人型が芝居がかったような動作で一礼し、名乗った。

 人形。何処か不自然な動きに、そんな言葉が思い浮かぶ。

 

「その刃がどれほどの物か、確かめさせてもらうぞ。派手にな」

 

 黄色が硬貨を両手に持ち、構えた。

 

「……」

 

 そして、黒き体と金色の目を持つ人形が、豹のように地に這いつくばった。他の者とは違い話せないのか、無機質な目で見つめて来る。

 ぞくりと、背筋に悪感が走った。

 童子切。気付けば、その柄に手が吸い込まれていた。

 ノイズでは無い敵。俺たちを笑うかのように姿を現していた。

 

『司令、問題が起こった』

 

 通信機に呟き捨てた。返事など期待してはいない。聞く間もない。

 悪感は未だ続いている。

 

 

 

 

 

 

 




ハードモード突入。
次回、剣士と自動人形


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6.剣士と自動人形

「聞いても良いか?」

「はい。良いですよぉ。解らない事が有るのなら、ガリィ先生が教えてあげまーす☆」

 

 通信機を捨て、鉄パイプを手に取る。左手には童子切。右手には鉄パイプ。

 青。ガリィと名乗った人形が俺の姿を見て小馬鹿にしたような嘲りを浮かべる。

 

「お前たちは、敵か……?」

 

 答えの解り切った問。ただ、確認の為に尋ねた。呼吸を落ち着ける。あまりに予想外な展開に、ほんの少しだけ意識が乱れていた。後輩。朽ちてしまっている。干からびたその横顔が、何かを訴えているような気がした。ノイズでは無い脅威。それは目の前の三体の人形なのか。

 

「はぁーい、正解でーす。ガリィとレイアちゃん。そして、ソコの劣化品がその剣を起こしに来たのよ」

「片手間で悪いが、確かめさせて貰おうか」

「そう……かッ!」

 

 右手。振り抜いた。遠当て。くるりと回りながら答えるガリィに向け放った。

 

「あら、ざぁんねん」

 

 一礼。頭部に向け放った剣圧を危なげ無くかわし、ガリィは口角を持ち上げる。

 跳躍。咄嗟に動いていた。

 

「ふ、人間離れした技を使う」

 

 黄色。レイアと呼ばれた人形が、金色に輝く物を打ち出した。照明を反射しているのか、数十を超える光が射出されているのが解る。射角に垂直になる様に飛んでいた。

 

「……!」

 

 着地。斬撃。右足に掛かった負荷を逃す事もせず屈んだ。ミシミシと床に亀裂が走る。

 黒金。肉食獣や猛禽類のような鋭い爪が待ち構えている。一撃をやり過ごした。切り返しの二撃目。右方向より振り抜かれた腕に向け、石突で迎え撃つ。

 

「ちぃっ」

「……!?」

 

 関節。爪が届くよりも先に穿った。反動を殺し切れず弾き飛ばされる。上段。無理やり踏み込む黒金に合わせ、後退しながら振り下ろす。

 

「あらら、脇が甘いわね」

「押し通すのみ」

 

 床を滑るような奇妙に、だが早すぎる機動でガリィが強襲する。その手には氷の刃。超常現象。驚きを浮かべる暇など無い。思考を飛ばす。振り抜いた。

 

「わぁ☆ 力で押し切るなんて凄いですねぇ。お前本当に人間かよ?」

 

 氷を折り、黒金を叩き落とした。だが、無理押しをした反動だろう。振り抜いた鉄パイプは、衝撃の起点から圧し折れたかのように宙を舞った。間合いに踏み込んできたガリィが少し意外そうに吐き捨てた。

 宙を舞う鉄パイプ。俺とガリィを阻む様に回っている。二撃目。即座に形成された氷の刃が迫る。刮目。上体を逸らしながら突いた。鉄屑。手に持つソレと打点が合わさり、一振りの棒のようになり青を強襲する。

 頬に熱が走った。血液。氷の刃で僅かに斬られた。無視して飛んだ。

 

「お前も中々派手なようだ。だが、私はその上を行かせて貰うぞ」

 

 着地。凄まじい速さで駆けながら、レイアが光を解き放った。咄嗟に転がる。地に金色がめり込む。硬貨。数十を超えていた物は、硬貨であった。牽制。鉄屑をレイアに向け投擲した。直撃するはずのソレが、衝突音を響かせ弾かれる。金色の旋棍。瞬時に硬貨が一つに纏まり、無造作に打ち払った。

 その僅かな隙を使い態勢を立て直した。駆ける。黒金。先ほど打倒した人形が再び迫っていた。

 

「ちっ、此処までか」

「……っ」

 

 踏み込んだ。迎え撃つ。童子切。渾身の一撃を突き入れた。両手に凄まじい感触が伝わるも、刀身は元より、鞘すら破損した気配は無い。黒金が鞘ごと振り抜いた童子切に穿たれる。裂帛の気合と共に、吹き飛ばした。

 

「わぁお。劣化とは言え、自動人形を吹き飛ばしちゃってるわ」

「流石に当代の担い手は並ではない。派手に行く為、リズムを上げるぞ」

 

 青が楽しげな声を上げた。構う暇は無い。旋棍。風を切る音が耳に届く。黒金を吹き飛ばした反動。それを加速に用いた。

 

「ほう……」

 

 抜刀。レイアの旋棍と太刀が一瞬ぶつかり合った。金属音。そのまま膠着させる事などせず、刃を流す。切り返し。レイアは旋棍を交差しつつ、後退した。踏み込み。追撃をかける。

 

「ここで、ガリィちゃんでーす☆」

 

 前進を行った間隙。唐突に眼前に現れた水から氷が突き出してくる。反射。理屈では無く感覚で動いた。左腕。掠めていた。幾らか深い傷が刻まれる。

 

「厄介な……」

「そう言いながら地味に今のを避ける貴様に言われる謂れはない」

 

 熱が左腕を通して広がる。斬撃。ガリィと入れ替わる様に再び迫るレイアを迎え撃つ。

 線と点。時折交錯するそれが、戦場である博物館の中に響く。握った腕から僅かに血が噴き出た。

 

「……」

「そうそう。劣化品は劣化品らしく、さっさと行けよ」

 

 黒金。ガリィがけしかける様に叫ぶ。同時に氷の刃。飛来する。

 レイアを蹴り飛ばし後退。態勢が崩れたまま、黒金を迎え撃つ。斬撃。踏み込もうとしたそれ以上の速さで剣を振るい、返す刃で氷を斬り落とす。

 

「いいね、いいね。興が乗ってきた」

「音色が響き始めたか……」

 

 左腕。小手の付いた手で展示台を叩き割った。巨大な硝子片。剣圧と共に飛ばす。

 レイアが硬貨を弾いた。粉々になる。ガリィは楽しげな声を上げる。

 黒金。爪撃を掻い潜り首を掴んだ。青に向かい投げる。

 

「ちっ、邪魔だ劣化品……」

「まぁ、そう言ってやるな。我武者羅に挑むのがあれの役割だ」

 

 黒金を払い落とし、ガリィは吐き捨てる。呼吸が上がっている。時折、視界が白くなる。

 

「此方から行くぞ」

 

 それでも死ぬ事は無い。体力の限界。それに達した時、更なる限界が現れる。この程度で頽れる事などありはしない。

 遠当て。短い踏み込みから放った。青と黄が二手に分かれた。そのまま疾走し、レイアと馳せ違う。斬撃。旋棍で凌がれる。二の太刀三の太刀。刃を流しながら加速する。

 

「レイアちゃんばっかり構ってて良いのかしら?」

 

 背後から届く声に、立ち位置を入れ替え後退。一太刀。斬撃をガリィに向ける。跳躍。遠当ての剣圧に追いつき、ガリィに童子切を振り抜いた。

 

「残念でした」

 

 水。思った時には、青の体が地に吸い込まれた。水の背後に居た黒金。爪を振り被っている。

 左腕。咄嗟にぶつけた。みしみしと軋みを上げる。小手。幾らかの膠着の末、亀裂が走り砕けた。腕から血が吹き上がった。だが、まだ浅い。腕を柄に戻す。血液が落ちるより早く黒金を斬った。右腕。黒きソレが宙を舞った。呼吸が上がる。視界が明滅する。だが、動きは更に早くなる。

 

「くふふ! 来た、来たみたい」

「戦場の音が鳴り響き、刃は血を求める。マスターの言葉通りか」

 

 黒金の腕が飛び、二体の自動人形が笑った。童子切。その刃が血に染まっている。血液。それほど流してはいない筈だが、血に染まっていった。血吸。童子切の呼び名の一つを思い出す。

 

「もっと、もっと見せなよ」

 

 水の弾丸。ガリィが飛ばす。黒金を蹴り飛ばし刃を振るった。童子切が震える。血刃が更にその身を赤く染める。斬れる。確信して振るった。直撃。水を打ち消していた。

 

「派手に行くぞ」

 

 レイアが数百を超えそうな数をばら撒いた。その瞬間、手で足で凄まじい回転を起こしながら、光を放つ。

 

「童子切は本来実在しないものすら斬る……。斬れない道理はない」

 

 所詮は硬貨。血刃がその全てを斬り落とす。赤に染まった刀身。それに触れた物が悉く打ち消える。斬撃。金属音だけを鳴らせ、戦場を彩る。玉切れ。僅かな間に、童子切で左手を引き裂いた。熱が走る。血が、血刃を超えた。踏み込む。死刃。その名だけが浮かんだ。

 

「劣化品!」

「……」

 

 ガリィが鋭く叫んだ。黒金。二人を庇うように前に出る。金眼。僅かに目が合った。左腕。斬り落とす。胴体。後退する体を跳ね飛ばすように斬り裂いた。死の刃。赤に戻っていた。

 ガンっと黒金が地に落ち、大きな音を鳴らす。ギチギチと軋むような音が聞こえるが、まだ動きはする様だ。止めを刺そうにも、まだ二体いる。それも難しい。

 

「これが童子切ですか。いやいや、凄いわねレイアちゃん。劣化品がゴミのようだわ」

「斬られると解っていた者が良く言う」

 

 その筈なのだが、二体が不意に手を止める。息を吐く。狭まり駆けていた視界が、幾らかましになった。それでも、呼吸は荒いままだ。

 

「何のつもりだ?」

 

 先程まで斬り合っていたのが気の所為だと言わんばかりに、二人が刃を下ろした。ガリィなど、黒金に駆け寄り足で蹴りながら何かを話している。

 

「ええー? 何のつもりと言うとぉ?」

 

 小馬鹿にしたようにガリィが嗤う。戦っている時にも感じたが、随分と口数が多い。

 

「……目的は達成したという事だ」

「それで、こちらが逃がすとでも?」

 

 人の悪い笑みを崩さないガリィの代わりに、レイアが答えた。目的。彼女等にはこちらと同じように、為すべき事が有ったという事だ。強敵との接敵。そして乱戦。三体の人形を相手に死線を掻い潜っていた。気付けば、随分と時間が経過してしまっている。現状はどうなっている。

 皮肉にも、敵が矛を収めた事で漸く思い至った。

 だが、眼前に在るのは敵である。それも破格の。みすみす逃し憂いを残す訳にもいかない。

 心を決める。刃を握りなおした。左手からは、まだ血が流れている。

 此処で斬る。見据えた。

 

「きゃ~。ガリィちゃんこわーい☆」

「……続けるのならそれはそれで構わないが、他の場所でも派手に動いているようだ」

 

 さらに煽るガリィを捕捉するようにレイアが呟いた。他の場所でも戦っている。カ・ディンギル。そして決戦。そんな言葉が頭に過る。

 

「……斬ってからでも遅くはあるまい。彼女らは、それ程弱くは無い」

 

 三人の装者を思い浮かべた。子供ではあるが、確かに戦士だった。あの子らであれば、戦い抜く事は出来るだろう。

 

「へー。信じてるって訳なんだぁ。……なら現実を見せてあげる」

 

 そう言って、ガリィが何か結晶のような物を壁際に投げた。砕ける。光が浮かんだ。そこに映っているのは。

 

『これこそが、地に屹立し、天をも穿つ光を放つ過電粒子砲。カ・ディンギル!』

『カ・ディンギル……。コイツでバラバラになった世界が一つになると?』

『ああ。待ちわびたよ。今宵の月を穿つことによってな!』

 

 天に伸びた異形の塔。それを前に陶酔したかのように言葉を続ける、金色の鎧を身に纏った女。

 三人の装者が、女を囲み問答を続けている。カ・ディンギル。敵の切り札が起動したという事なのだろう。

 クリスが腕を振り叫ぶ。女が鼻で笑う。ああ、この女がそうなのか。

 

「あらあら。マスターの予想通り、フィーネが姿を現しちゃったようね」

「時は近いという事か……。良いのか? 我らに構っていると取り返しの付かない事になるぞ?」

 

 右手に持つ刃。下ろした。落ちている鞘を拾い納刀する。童子切。決戦の為の刃。それは未だ蚊帳の外に在る。目的を見失ってはいけない。眼前に居る敵を目の前に、歯を食いしばる。だが、どうすれば良い。

 

「お前たちは、何を考えている?」

「お人形はお人形らしく、持ち主の為に動いているわけですよぉ」

「こちらとしても事情があってな。あまりフィーネに好き放題される訳にはいかないという事だ」

 

 カ・ディンギルの起動。緒川との話が現実として起こっているとすれば、彼女らが戦っているのはリディアン音楽院近辺である。現在地から向かおうにも、どれだけの時間がかかると言うのだ。辿り着いたその時、全てが終わっているという事すらあり得る。此処で戦うべきなのか。どれだけ急いだとしても、俺が間に合う事は無い。   

 

「あらら。こんな所でもたもたしているうちに、話が動いちゃいそうね」

 

 映像を見ていたガリィが嗤う。三人の装者たちが、協力して戦っていた。フィーネ。クリスが決着をつけると言っていた相手。それに、かつては争っていた三人が協力して向かっている。映し出されるクリスの横顔。気のせいか、穏やかな気がした。決めたんだ。そう語っていた。敵の前と言う事も忘れ、ただ映し出される映像に視線が外せない。

 

『本命は、こっちだ!!』

『させるか!!』

 

 大型のミサイルを解き放つ。二つの誘導弾のうち、一つがカ・ディンギルに向かう。フィーネが鞭で落とした。

 もう一撃。まるで空に向かうように、上がっていく。

 嫌な感じがした。過電粒子砲。その力が放出されようとしているのか、映像越しにすら圧力が伝わる。

 

『クリスちゃん……?』

『雪音、何のつもりだ!』

 

 立花と風鳴の叫びが届く。童子切。強く握りしめた。歌が、聞こえた。

 

『――』

 

 青が何かを吐き捨てている。それが、聞こえない。射角に入った。飛び降りる。クリスの歌う、絶唱だけが届く。

 過電粒子砲。力が収束していく。

 

「アレが、カ・ディンギル……」

 

 クリスの両手に持つ銃。結合し強大な力が収束された。淡い光が長大な銃に宿った。

 そして、カ・ディンギルが放たれる。迎え撃った。拮抗。

 

『ずっとあたしはパパとママが大好きだった。二人の夢はあたしが守って見せる。叶えて見せる。あたしの歌はその為に……』

 

 そして、赤の放った光は過電粒子砲に塗り潰された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ。良い感じに戦ったのは認めるけど」

 

 過電粒子砲。月に直撃したソレが、月の一部を抉り取っていた。衝撃が此処まで伝わってきたように感じる。そんなはずはない。それでも、何かが欠けたように感じる。

 見詰めていた。童子切を握り締める。何故俺はここに居る。その言葉を、斬り裂いた。

 共に見詰めていた自動人形であるガリィが零した。

 

『自分を犠牲にして阻む事を選んだか。自分が見た夢すら叶えられないとは無様だな』

「……押し通る。阻むと言うのならば、斬るぞ」

 

 その言葉に、感情が動いた。それすらも斬り倒す。

 今は目の前のガラクタに構っている暇は無い。斬らなければならない者を見つけていた。

 まだ信じていた。そんな少女を踏み躙り嘲笑った。理由など、それで充分である。

 無駄を行う暇は無い。太刀があった。思いがあった。自分が成すべき事ができた。

 博物館の壁を斬り裂いた。泥のように崩れた。

 

「どけ」

「無理に止めれば斬られかねんな」

「仕方ないわね。マスターにも指示を受けているから、手を貸してあげようかしら」

 

 そう言って、結晶らしき物を取り出す。そして、にやりと笑った。

 

「これを使えば、あなたの行きたい場所まで転送できる。どう? 必要なんじゃない?」

「尤も、転移に失敗する可能性も僅かにあるが」

 

 そんな言葉を告げ、投げ渡してくる。結晶。その中には、何か液体のような物が入っている。

 

「信じるとでも?」

「あなたが信じようが信じまいが、こちらとしてはどっちでも良いんだけどね。ただし、今から辿り着く迄にどれだけ犠牲が増えるのかしら」

『それが、夢ごと命を握り潰した奴が言う事かあああああ!!』

「あらららら」

 

 咆哮が響いた。慟哭。涙を流している。はっきりと分かった。まだ起こると言うのか。

 目を閉じる。自分を斬り倒した。童子切。手にしている。

 

「……使い方は?」

「テレポートジェム。それを足元で割れば良い」

 

 レイアが答えた。是非を問う事はやめる。この場では、こうするしかないのだ。

 足元に向かい、投げ捨てた。何か陣のような物が浮かび上がる。

 

「錬金術。それは不可能を可能にする。精々頑張ると良い。期待しているぞ」

 

 視界が動く。その刹那、聞き覚えの無い声を聞いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「此処は……」

 

 目を開く。手には童子切。太刀を手にしている。辺りを見つめた。カ・ディンギル。未だその砲身は天を屹立するように存在している。辺りには木々が広がっていた。塔が見えるが、それ程遠いと言う事は無い。リディアンの敷地なのか。確かに近くまで辿り着いていた。

 

「あれは……」

 

 そして、倒れている人影を見つけた。赤色のシンフォギア。かつて見たそれは、力尽きたのだろうか、解除されている。傍らに膝を突いた。ほんの僅かに動いている気がした。

 不意に、強大な剣が聳え立った。あれは。そう思う間もなく、塔に向かい倒れるように沈んでいく。そして、炎が舞い上がった。鞭が追い打ちをかける。数度ぶつかり合い、炎が力尽きた。落ちていく。

 

「戦っているのだな。まだ、あの子らは」

 

 地に落ちる。そう思った瞬間、青い炎が舞い上がった。不死鳥。青き炎に包まれたソレが、塔にぶつかった。

 そして、カ・ディンギルが強い光を上げ、崩れ落ちはじめた。何が起こっているのかは解らない。だが、戦っている。それだけは解る。

 

「行ってくる。少しだけ、待っていて欲しい」

 

 少女の頬に触れ告げた。確かに塔は壊れていた。だが、未だ敵は存在している。フィーネ。それが居る限り、本当に終わる事は無いのだろう。斬らなければならない。この剣は、存在しない物を斬る為にこそ有るのだから。

 息を深く吸った。乱れていた呼吸が落ち着く。

 地を蹴った。駆け抜ける。木々が加速し、やがて線に変わる。童子切。力が溢れている。そして、辿り着いた。

 

「だからって……」

「是非を問うだと? 恋心も知らぬお前が!!」

 

 フィーネが立花を掴み上げ、投げ飛ばした。

 

「皆もういない……。翼さんもクリスちゃんも、リディアンの皆も……。私は、私は何のために戦って……」

「だから、もう立てないと。膝を屈すると。そう言う事か?」

「……え?」

 

 吹き飛ばされて微動だにしない立花の傍に駆け寄る。この子はまだ死んでいない。まだ、やられた訳では無い。

 

「上泉、さん?」

「遅れた。どうにも俺は間に合わない宿運のようだ」

 

 ぼんやりと呟く立花を見ずに呟く。太刀を抜いた。刃は赤く染まっている。

 それでも、血が足りない。童子切が伝えて来る。あれを斬るにはまだ足りない。

 

「上泉か。風鳴弦十郎に何か指図を受けていたようだが、随分と遅れたようだな」

「櫻井了子。フィーネと呼ぶべきか? 久方振りに会った顔だと言うのに、今は斬りたくてたまらないよ」

「日ノ本の剣の一振り。上泉か。だが、貴様に何ができる? 装者は全て手折った。確かに貴様は強い。だが、ただの人間であり剣でしかない貴様如きが、完全聖遺物を纏った私を相手に何ができると言うのだ?」

 

 かつて見た顔。二課の技術面の殆どを担う天才だった。それが敵だったという事なのだろう。

 笑う。随分と間抜けな話である。それが今はありがたい。

 

「そうだな……例えば、貴女を斬れる」

 

 左腕を斬り裂いた。血潮が刃を迸る。痛みは無い。童子切。血を吸い怪しく輝いている。 

 血に赤く染まった刃。突き付けた。鞘を捨てる。

 それが、戦場の音色だった。

 

 

 

 

 

 



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7.恋路と矜持

「私を斬る、だと……?」

 

 断言した。その言葉を聞いたフィーネは、意表を突かれたと言わんばかりに目を丸めた。

 瞬きする程の僅かな時間、静謐が辺りを満たした。俯く。口角が深く歪んだ。

 

「くくく、ははは、くははははははは!」

 

 血濡れた太刀を突き付けた。その先でフィーネは可笑しくて仕方が無いと言わんばかりに哄笑を撒き散らす。

 腹が捩れると言わんばかりの笑い方である。眼尻に涙すら浮かべているのが見える。

 

「お前は自分が何を言っているのか解っているのか?」

 

 嘲りを通り越して、切実な疑問だと言わんばかりの言葉。完全聖遺物。聖遺物の原形の殆どを留めている、神代の遺産とでも言わんばかりの代物である。その性能は絶大の一言であり、一基あるだけでこの世の物とすら思えない現象を起こす。彼女の持つネフシュタンの鎧。情報だけは知っていた。無限の回復能力。それを持つ。そんな鎧であった。

 完全聖遺物の力を誇示するかのように、フィーネの纏う黄金がその存在を主張する。童子切が震えた。それだけでも、どれだけ強大な力なのかは想像に難くない。

 

「……」

 

 フィーネが鼻で笑う。それを無視した。どれだけ聖遺物の力が強かろうと関係は無い。斬ると既に決めていた。

 月の破壊。それによって起こる現象は、装者とフィーネのぶつかり合いを見た時に聞いていた。惑星規模の天変地異。そのような事起こさせる訳にはいかない。例えカ・ディンギルが崩落しようとも、まだ敵には他の方策があるかもしれない。未だに余裕の崩れないフィーネの姿に、嫌な物が感じられる。

 それは、第六感だった。感覚で解るのだ、これは今ここで倒すべきである。手にする太刀も、その予感を後押しするように熱を放ち震える。

 何よりも、誰かの為にノイズに立ち向かった少女たちを撃ち落とし嘲笑っていた。

 防人である事。その事に誇りを持ち、同時に歌う夢を持った少女。その身の刃を以て塔を打ち砕いた。

 大人を嫌っていた。しかし、両親の思いを知り夢を継いだ少女。地の崩壊を食い止めた。

 誰かを守りたい。そんな優しい思いを持った少女。二人の仲間を失っていた。

 ノイズの脅威。それに立ち向かわせる事しかできず、死を賭してすら頽れる。

 そのような事が有って良いのか。それが、正しいと認めてしまうのか。

 

 ――そのような事、認められる訳がない。

 

「聞こえなかったのか……?」

「言いたい事は、それで終わりか……?」

 

 ――男だ、ユキ

 かつて、父が残した言葉を思い出す。

 恐れるな。守るべきものを見失うな。そこに活路がある。我らの刃は生かす為に有る。

 死の間際に伝えられた言葉。今ならば、その意味が少しだけだが理解できる。

 例え、死を賭す事になろうとも、守るべき物を見つけていた。

 父の言葉は自身の矜持であった。男が命を以てしてでも守るべき物。

 それが何か、今、此処で理解する。 

 後進が命がけで繋いできた未来。先達として閉ざす訳にはいかない。

 目の前の女の語る戯言を、認める事などできる訳がない。

 

「我らが刃、生かす為に有る」

「だから刃向かうと。ノイズが相手では為す術無く逃げ惑う事しかできない人間如きが!」

「ならば、やってみると良い」

「だ、だめ。あれはノイズを操るソロモンの杖」

 

 フィーネが杖を取り出した。立花が怯えたような悲鳴を上げた。

 嘲笑うと言うのならば笑うが良い。

 夢を手折ると言うのならば、全力を尽くすと良い。

 その全てを斬り捨てよう。その力。確かにこの身は受け継いでいるのだから。

 

「ノイズと共に煤と消えるが良い」

 

 左腕。振るった。血潮が散る。

 右手。童子切。振り抜いた。

 遠当て。数十の血の弾丸が黄金を穿つ。

 

「煤など、何度も身に纏ってきた」

「何だと……!?」

 

 ソロモンの杖。腕ごと吹き飛ばしていた。

 金色を、血が穿つ。フィーネが目を見開いた。

 

「斬らせて貰うぞ」

「この力……」

 

 踏み込んだ。頬。ネフシュタンの鎧が持つ二振りの鞭。掠める。

 左腕。刀傷により、血に染まっている。知った事ではない。一撃。顎を打ち抜いた。

 

「ちぃ!?」

 

 血刃。その身に突き入れた。蹴り抜く。目を見開き、後退った。

 踏み込み。風を追い抜いた。喉を裂き、返す刃で撫で斬る。血刃。その刀身が赤く震える。

 呆気なくフィーネは倒れ伏す。喉と胴に深い傷を負っている

 

「それで、終わりなのか?」

 

 童子切が震えている。まだ足りない。これを切り伏せるには、この程度の刃ではできはしない。そう告げていた。童子切を握り直す。左手を添え、低く構えた。この程度で終わりと言うのならば、彼女らが負ける道理は無い。

 

「少々驚いた。その動き、風鳴弦十郎と同じく人間業では無い」

「司令とやり合ったのか?」

 

 切断面を逆再生するかのように塞ぎながらフィーネは笑う。

 風鳴弦十郎。司令が戦ってなお、この場に居るという事は。

 

「ああ。やり合ったよ。完全聖遺物を纏っていて尚、この身に牙を突き立ててきた」

「お前があの人に勝ったというのか?」

「ああ。勝ったよ。私の事をまだ、了子君と呼んだ。だから、思いのほか簡単だったよ。心の隙を突かねば仕損じていたかもしれないがな」

 

 風鳴弦十郎。あの司令がやられたと言うのか。そんな言葉を飲み込んだ。

 フィーネは心の隙を突いたと言っていた。つまり、司令の弱点を突いたという事だった。

 風鳴弦十郎は優しすぎるのだ。敵と相対してなお、思いやってしまった。そう言う事なのだろう

 

「安心したよ」

「なんだと?」

「司令がお前のような女に実力で負けたという事が無くて、嬉しいのだよ」

 

 だからこそ、その言葉に安堵する。あの風鳴弦十郎である。

 卑劣な手を用いて下したという事なのだろう。対峙する女に、司令が負けた等と思わないで済む。

 斬る理由が、また一つ増えた。

 血が零れる。

 

「はっ! 弱いから敗れた。それは実力が無いと言う事では無いか」

 

 体を再生させたフィーネが嘲り、鞭がしなる。

 跳躍。振り抜かれたソレを掻い潜り迫る。薙ぎ払い。斬り落とした。

 

「違うな」

「何が違うと言うのだ!」

 

 左腕に鞭が巻き付いた。フィーネが凶悪な笑みを浮かべる。鞭を引き絞った。

 肉が削げる。その前に、間合いに踏み込んだ。跳躍。馳せ違う。

 

「そんな事も解らないから、お前は斬られるのだ」

「貴様……」

 

 鞭ごと一閃。すれ違い様に斬り落とす。

 フィーネの刃には、人としての矜持が感じられない。守るべきもの。それが見えないのだ。

 例えどれだけ汚い手を用いても目的が達成できれば良い。そんな意思だけが感じられる。

 そんな者には負ける訳にはいかない。迫る悪意が解っているのならば、武門に属する者として、日ノ本の剣の一人として負ける訳にはいかない。

 凶刃に倒れた司令の為にも、敗れる訳にはいかないのだ。

 

「お前はただ勝てれば良いと言うのか? 目的が達成されたと言うのならば、感じるものは何も無いと言うのか?」

「その為に長き時を一人で生きて来たのだ。心の底から誰かを愛した事の無い貴様のような者の言葉に、どれだけの重さがある」

 

 刃を振るい、問いかける。斬ると決めていた。だが、聞きたくもあったのだ。

 立花響が泣いていた。櫻井了子が黒幕だったと知り、心に迷いを抱いていた。

 風鳴弦十郎がぶつかり合った。敵だと知りながら、共に過ごした時間を信じ、倒れた。

 

「愛したと言うのならば、何をしても許されると言うのか。共に歩んだ者たちを踏み躙り、嘲る事が許されると言うのか」

「人類は統一言語を失い相互理解を失った。それを甦らせ、あの方に胸の思いを届かせる。その目的の為ならば、私はどんな事でもできる。それが、私があの方を愛した証だからだ」

 

 鮮血を纏い、馳せ違う。太刀と鞭。その二つが互いに力を流し合いながら、軌跡を描く。

 敵と分かりながら、そう思いたく無かった。そんな思いが痛いほど良く解る。

 そしてぶつかり合い、倒れ伏した。敵とは言え、共に過ごした時間が俺などよりも遥かに多い。

 だからこそ信じたく思い、だからこそ裏切られた。

 

「あなたは誰かを愛したと言ったな。ならば、何故あなたは同じ思いを踏み躙る。何故あの子を捨てたばかりか、その夢すらも嘲笑った。誰かを愛する事を知っていると言うのなら、何故他人に愛されているという事を理解しなかった」

 

 だからこそ、問う。二人が櫻井了子を信じたように、クリスもまたフィーネを心の奥底では信じていたのだと思う。だからこそ、俺に決着を着けると語ったのだろう。また会いに行くと、そう教えてくれたのだ。親を失ったクリスにとっては、親に近い者であったのではないのか。

 誰かを愛した事が有ると言うのならば、何故あの子を踏み躙る事が出来た。

 思いが届かない辛さを知りながら、何故、同じ思いを抱かせる事が出来る。

 

「巫女でしかない私が、創造主を愛してしまった。この胸の思いをあの方に届けるには、統一言語の復活以外ありえない。だから私は全てを利用する。全てを踏み躙る。人間は解り合えなどしない。ただ殺し合うだけだった。何も知らぬお前如きが、私を人の尺度で語るな!」

 

 人ではないものを愛した。故に、人を踏み躙っても良い。それが答えだった。

 呼吸が上がる。視界が酷く狭くなる。時折、白一色に染まる。

 

「それが、あなたの答えか」 

「そうだよ偽善者」

 

 フィーネが地に向かい鞭を突き入れた。反射的に飛ぶ。足元。だが、俺の付近に鞭が出る事は無い。失策。ほんの僅かな合間でそれに気付いた。

 

「そこまでするのか」

「ああ。お前が問いかけてくれたお陰で、どうすれば良いのか分かったよ。お前は確かに強い。だが、所詮は良心に縛られている」

 

 血を失い続けていた。消耗が早い。既に呼吸は上がっている。

 

「ぐ……」

「あ、ああ……」

 

 だからこそ、まだ動ける。立花響。鞭はこの場でただ一人動く事が出来ず、座り込んでいた少女に向かう。それは地より現れた。割り込む。鋭く伸ばされた鞭が左肩を貫いた。鮮血が、立花の顔に降り注ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ああ……」

 

 響の眼前には、ネフシュタンの鎧より伸ばされた鞭の先端が停止していた。あと数センチ。それだけ進めば、響の顔を貫いていた。ギリギリのところで、凶刃の切っ先は止まっている。

 背中。血に染まった左腕。鞭を握りしめている。上泉之景。生身でフィーネと対峙し押していた。ぶつかり合いの最中、一瞬の隙を突き響に狙いを定めたという事だった。

 呆然としていた。翼とクリスを失った響は、目の前でぶつかり合いが行われていようと、立ち上がる事が出来なかったのだ。誰かの為に戦ってきた。皆の為に戦ってきた。その、皆が居なくなってしまった。十を幾つか超えた程度の少女に、その絶望は受け止めきれなかったからだ。

 

「偽善者……か。だから何だと言うのだ」

「綺麗事を吐き捨てるからこそ、勝機を失うと言うのだよ。その剣、確かに何か妙な力を持っているようだ。斬り裂かれる度に、僅かに力が減衰していた。時が経てば持ち直す程度ではあるが、私を斬り続ける事が出来たなのならば、或いは追い込めたのかもしれないな。だと言うのに小娘一人見捨てられないから、全てを失う事になる」

 

 だからこそ、フィーネに狙われた。ユキにとっては響もまた、守るべき者の一人だった。彼女を始めとする三人の装者。年端も行かない少女が未来を拓くために戦っていた。それを失わせることなど、出来る訳がなかったからだ。

 

「……綺麗事で大いに結構。自らの力では為せない事を相手にも無理だと決めつけ、自身の不明の言い訳を作る。そのような逃げる為の言葉で遊びたいと言うのなら、何とでも呼べばいい。自身の矜持により、俺は動いた。それだけだ。恥じ入る事などありはしない」

「それが偽善だと言うのだよ。お前は負けたのだ。戦いは勝たなければ意味がない」

「あなたには解らないのだろうな。だからこそ、負けられない」

 

 そんなユキを、フィーネは嘲笑う。それに対して、ユキは笑みで返した。

 自身で決めた事である。それに対しては、何も恥じ入る事は無いのだ。つまらない言葉遊びでは、矜持によって決められた事を揺るがせはしない。

 

「はっ、知ったような事を言い笑わせてくれる。所詮は負け犬の遠吠えか」

「それはこちらの台詞だ。何故俺が負けると決めつける。肩が貫かれただけでは無いか」

 

 貫いた鞭がみしみしと軋みを上げる。フィーネが引き抜こうとしても、僅かしか動かない。肩から突き出た先端が幾らか戻っただけである。それでも、血が吹き上がる。

 童子切。右手に持つソレで、ネフシュタンの鞭を斬り裂いた。フィーネが一瞬たたらを踏み、即座に後退した。

 ユキが僅かに呻きを零す。突き立ったネフシュタンの先端を、斬り飛ばす。

 

「な、なんで私なんかを……?」

 

 シンフォギアすら纏えずにフィーネとぶつかり合うユキに、思わず響は問うていた。既に皆いなくなり、強大な敵だけが眼前に存在している。どうしてこの人は戦っているのか。それが、気になってしまう。

 

「……君と同じだよ」

 

 その言葉に対して、ユキは何を言っているのだと意外そうに笑った。

 

「守りたいものがある。失いたくない思いがある。父親より受け継いだ矜持がある。だから、戦える」

「私と同じ……?」

 

 返された答えに、今度は響が驚いた。自分と同じ。どこが同じだと言うのだろう。

 生身で血を流し、戦っている。それが不思議で仕方が無い。

 

「まだ君が居る。俺は君たちの頑張りを守りたいと思ったと言う事だ。ノイズ相手に戦わせ続けてきた。今対峙するのは、ノイズでは無い。ならば、偶には守らせて欲しい」

「私……?」

 

 頷き、ユキは立ち上がる。時折鞭が飛ばされるも、響にまで届く事は無い。

 

「くくく。格好をつけるのは良いが、どうすると言うのだ? すでに息も絶え絶えではないか」

「そうだな。今すぐ倒れてしまいたい。だがな、まだ動ける」

 

 右腕。貫かれた左腕はそれほど上手く動かせないのだろう。片腕で構え踏み込んだ。響はその姿をただ見つめているしかできない。だが、何とか目で追えた。

 

「まだ速くなるか」

「言ったはずだ。我が刃は生かす為にあると知れ」

 

 目で追える速度であるはずなのだが、フィーネは驚きの声を上げる。

 ユキの踏み込み。それを確かに響は目で追えている。速すぎる。だが、追えていた。

 

「だめ……。こんなの、死んじゃうよ……」

 

 血を流し刀を振るう姿に、涙が零れた。天羽奏。かつて響を庇い、散って逝った装者が思い起こされる。

 皆、命を懸けて戦っている。奏も戦っていた。翼も、クリスも。辛くとも皆戦っていた。

 

「死にぞこないがああああ!!」

「煤に塗れて生かされたこの命、お前のような者を送れると言うのならば、生きた甲斐もある」

 

 童子切。深紅に染まった刃がフィーネの鎧を切り刻んで行く。深紅が金色にぶつかり火花を上げていると言うのに、まるで切れ味を増すかのように斬撃が加速する。ユキの右腕。ネフシュタンの鞭と、フィーネによる体術の応戦により、血が噴き出している。

 

「かは……」

「こんな所で、終われないのだ!!」

 

 あと少しで削ぎ落とす。それ程にまで極まった斬撃が、不意に緩んだ。童子切の刀身。鮮血の様だった赤が、薄黒くなり始めている。失血。人間の限界を超え死線に踏み込み動いていたユキではあるが、ついにその力が完全に死線を越えてしまっていた。

 速すぎた斬撃は、やがて動きを止める。

 フィーネは荒い息を吐きながら、ユキの首を掴み持ち上げた。右手の童子切。握り締められているが、動く事は無い。二人が小さく言葉を交わしている。その音が響の耳に届く事は無い。

 だが、別の音が届いていた

 

 

 

 

 

 

「私の……勝ちだ」

「……どうやら、そのようだな」

 

 俺の首を持ち、フィーネが荒い呼吸を整える事もせずに吐き捨てた。

 負けられない戦いの筈だった。それが今、無様に敗北を喫していた。血を流しすぎた。そう言う事であった。

 

「所詮は綺麗事だという事だ。お前では、私を止められん」

「そうだな。どうやら俺では止められんようだ」

 

 遠くから何かが聞こえてくる気がした。意識を繋ぎとめる。まだ、終わりではない。此処で終わりなどでは、無い筈だ。

 

「だが、貴様は良く戦ったよ。その力は驚異的だったと言っていい」

「負けは……負けだ……」

「その潔さは認めてやろう。私に忠節を誓うと言うのならば、これまでの無礼を忘れ、生かしてやっても良い」

 

 命乞いをしろと言うのか。笑う。俺が何と答えるかなど、先ほどの会話から分かりそうな物だろう。

 

「あなたに降る等、矜持が許さない。我が刃は生かすものと知れ」

「それが返事か」

 

 俺の言葉に、フィーネは失望したと言わんばかりの笑みを浮かべた。

 

「俺からも一つ言わせてもらおうか」

「何だ?」

 

 今際の際に言葉ぐらい聞いてやろうと言う事なのだろうか。言ってみろと目で促された。

 

「参考程度に教えてやる。男と言うのはな、良い女にこそ惚れるのだ」

「何を言っている……?」

「あなたの為してきた事は、誇れたのかと聞いている。少なくとも俺には、誰かの為にと立ち塞がったあの子らの方が魅力的に映るぞ」

「……そうまでして死にたいのか。なら、これで終わりにしてやる」

 

 だからこそ、教えてやった。

 自分の為では無く、誰かの為。その思いで戦う彼女らの方が、魅力的であるのだと。

 フィーネを蔑んだのではない。思いを告げると言う女に、男として教えただけの事だ。

 負け犬にも、これ位の遠吠えは許されるだろう。

 

「……っ!? 何だこの耳障りな歌は……。歌だと!?」

 

 笑う。歌が聞こえていた。聞く者に勇気を持たせる。それでいて優しい音色。どこからか、響き渡る。

 一点だけを見た。立花響。座り込んでいた彼女が、地に手を突き立ち上がり始めた。温かなものが満たされる。

 

「何だこれは、何が起きている。どこから聞こえていると言うのだ」

「良かった……。私が守りたかった皆は、まだ生きている。こんな私を支えてくれている。私が戦うのは、そう言うことだったんだ……」

「どうやら、奇跡は起こるようだ」

 

 音色が響き渡る。視界が酷い。だが、満たされる優しげな音は耳に届いている。

 目を閉じる。歌声は更にはっきり届く。呟いた。

 

「だから、頑張れる。まだ、歌える。私はまだ、立ち上がれる!」

「まだ戦えると言うのか。仲間を手折り、心を砕いたはず。お前が身に纏うその力は、何だと言うのだ?」

 

 立花を見据えたフィーネが呆然と呟く。彼女が何故立ち上がれるのか。

 その理由が解らない。解る筈がない。

 

「それが解らないと言うのなら、あなたはあの子らに勝てはしない」

「貴様!」

「言ったでは無いか。誰かの為に戦う彼女らの方が、魅力的であるのだと」

 

 首を握るフィーネに、血濡れた左腕を無理やり動かし教えてやった。

 負けられない理由がある。託されたものがある。守りたい夢がある。

 自分以外。他のものを思いやれる彼女等であるからこそ、力を貸す者達も居るのだろう。

 

「負けたよ。俺はあなたに負けた。だが、あなたは彼女らに負ける」

「ふざけるな!?」

 

 自分にできるのはもう、この位であろう。

 最後の時間稼ぎ。フィーネを見据え、激昂させる。

 完全聖遺物の出力。その力を十全に使うのが解った。

 

「後は任せる……」

 

 呟き。届いたのか。

 凄まじい圧力を感じる。全力で投げられたのだろう。

 咄嗟に右腕を振るう。カ・ディンギルの砲塔。崩壊したソレに力任せに投げ落とされる際、空に昇る三条の光を見た気がした。

 

 

 

 

 

 



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8.奇跡と受け継いだもの

 三人のシンフォギア装者が、天空へ舞い上がった。

 身に纏うシンフォギアの輝きが普段の物とは大きく違っている。

 純白。各々を象徴する橙や青、赤は残しながらも、曇り一つない白色のシンフォギアを纏っていた。

 光り輝く翼を得た三人の少女が、フィーネと対峙する。

 高レベルのフォニックゲイン。リディアン音楽院の生き残った生徒たちが、心を込めて歌っていた。自分たちを守ってくれていた人たちと共に戦いたい。そんな、優しい思いが三人の装者に力を与えていた。

 雪音クリス。月を穿つ過電粒子砲を迎え撃っていた。しかし押し負ける。そのギリギリのところで、カ・ディンギルの射線を逸らす事に方法を変えていた。

 風鳴翼。発射直前のカ・ディンギルに向かい、その身を炎に変え崩壊へと導いていた。死を賭して阻んでいた。頽れる体を、何かが引き留めた。ギリギリのところで、踏みとどまった。

 立花響。二人の仲間を失い、守りたい人達も皆居なくなってしまったと絶望に飲まれた。心を折り、頽れた。

 そんな時、守られた。フィーネに生身で立ち向かった男。上泉之景。文字通り血を流して、響を、尊い思いを守り切った。彼が稼いだ時間により、彼女らが守ってきた人たちが思いを込め歌う。

 皆が共に戦っていた。その思いが届いた装者に、奇跡が舞い降りる。

 エクスドライブ。シンフォギアに搭載された数多のロックが外れた限定解除形態。

 彼女らが纏うギアは、決戦仕様と言うべき力を備えていた。

 

「そうだな……。確かに侮る訳にはいかない様だ」

 

 だからこそ、フィーネは最後の手段を取る事にする。ユキの言葉通り、このままでは万が一が起こりかねない。

 そんな思いを抱いたフィーネは、ソロモンの杖を天に向け翳した。

 ノイズ。万すらも超える圧倒的すぎる物量。それを呼び出していた。

 決戦。誰もがそれを疑わない。奇跡は起きようとしている。

 

 

 

 

 

 

「ほい! よっと!」

 

 地上では決戦が行われようとしている。そんな時、破壊されたカ・ディンギルの中で、行われようとしている戦いの空気からは程遠い声が響き渡る。

 それは自動人形。ユキが決戦兵装を手にする時に対峙していた人形の一体、ガリィは、力を失った砲塔の中を飛んでいた。テレポートジェムによる転移。それを行ってまで、その場に向かっていた。

 

「あ~やっと来た。待ちわびちゃったじゃない」

 

 遥か上層より金属音が響く。壁にぶつかり跳ね落ちる童子切。そして、それを追うように、墜落するユキである。カ・ディンギルへの衝突。それこそ最後の力を振り絞り壁を繰り刻む事で、ギリギリのところで凌いでいた。だが、そこまでである。守るために死線の先まで踏み込み出した力。その時点で尽き果てていた。内壁への衝突。それで、童子切が零れ落ちた。左腕、自らの手で引裂いた裂傷は言わずもがな、ネフシュタンの鞭の先端が肉を穿っている。右腕。自身が傷を負う事も厭わず、斬り続けていた。既に全身が傷だらけであったと言える。動ける訳がなかった。これまで動いていたことが不思議な位である。

 

「最低限の仕事はしてくれたみたいね。ガリィちゃんが褒めてあげるわ☆」  

 

 既に意識がないユキを見据えたガリィは、危なげ無く受け止める。そして童子切。水を用い回収していた。

 自身の成すべき事をすべて終えたユキは、ただ静かに目を閉じている。僅かに胸が上下しているが、その鼓動は悲しくなる程弱弱しい。限界を超えた戦いの先にある、死。それを迎えようとしていた。

 

「目的の何割かは達成と言う所か。効果があるのは確認できた。例え完全聖遺物が有ろうとも、消す事は可能だろう。とは言え、目的は仕留め損ねているか」

「あ、マスター。なら、今のうちにさくっと殺しますか? 動き回れるようになってからだと、滅茶苦茶すると思いますよぉ?」

 

 ガリィが最下層に舞い降りた時、一人の少女が口を開いた。黒色の帽子を目深く被り、青色のローブを身に纏った金髪の少女。ガリィの主が佇んでいた。自身を作り出した錬金術師の下に行き、抱えたものを下ろした。今ならば何の苦労もなく殺せるぞと青き自動人形は囁く。

 

「いや。まだ死なす訳にはいかないな。童子切を戦いの中で呼び覚ます程の剣技。職人のソレが異端技術に追いついた様に、極限まで昇華された技は異端技能にすら匹敵する。それ程の担い手が同じ時代に早々見つかるはずもあるまい」

「でも、あれだけ原形の保った聖遺物なら、一度起動してしまえば」

「聖遺物に似て非なる物だ。中世の聖遺物とはよく言ったものだな。そもそもの規格が違う。用いる為にはその都度血を流し、起動をかける必要がある」

「ふーん。なら、どうするんですかぁ?」

「……未だ利用価値がある。と言うよりは、捨てる事が出来ないと言うべきか。少なくともフィーネが消えたと確信できるまでは、な」

 

 少女は只、殺すのかと言う問いかけに首を振る。

 目の前に居るのは、童子切と言う聖遺物に匹敵する異端技能こそ有していたが、それ以外は只の人間でフィーネに食らいつく程の使い手だった。ユキの言葉。童子切は見えない物を斬る事ができる。むしろ、それが本領だとすらいえる。

 少女の目的を達成するための障害。それを排除する為に、ユキはまだ必要だと言えた。

 熟練された剣技と血液による戦場の音楽とでも言うべき音での、聖遺物起動。それを行えるほどの剣士など、そうは居ないと言う事だ。極めた技は、それ自体が現在では再現不可能な異端技術にも匹敵する。武門上泉の剣士であるユキもまた、その領域に居ると言える。同レベルの剣士など、世界中を探してもそうは見つからない。太刀の使い手と限定したのならば、更に減るだろう。簡単に替えれるものでは無かった。

 

「……ネフシュタンの先端が蝕んでいるようだ」

「あらら。放っておけば、食われちゃうって事ですか」

「そう言う事になる。仕方あるまい。死なせる訳にはいかない。だが、限りなく殺せなくなるのも厄介だ」

 

 ガリィと会話を続けながら少女は、ユキの上着を脱がし始めた。赤黒くなった服を引きちぎり、患部に視線を向ける。随分と酷い。小さく呟いた。

 

「わぁマスター。こんな所で脱がしに掛かるなんて、随分と大胆ですね☆」

「……つまらん事を言っている暇があれば水を出せ」

 

 無造作に始められた処置に、ガリィが面白そうに表情を輝かせ、下世話な言葉を投げかける。

 とは言え、少女はガリィの創造主である。下らない事を言い始めたガリィに眉一つ動かしはせず、手伝えと呟く。

 

「幾らかは錬金術で傷を塞ぐ」

「全部塞ぐ訳では無いんですかぁ?」

「そこまでやってやる義理もない。死なない程度に直すだけだ。あれだけの大立ち回りだ。あまり直しすぎても怪しまれるだろう」

 

 傷を拭い、錬金術を用いてある程度の回復を促す。

 少女は、既にユキの左腕は使い物にならないと見ていた。自ら太刀で斬り裂き、その腕で大立ち回りを演じている。それも仕方が無い事だろう。現代医学で対応した場合は、だが。

 左肩のネフシュタンがユキの体に融合しかけていた。そのある程度を錬金術で分離、幾らかの肉ごと削ぐ事で摘出する。出力の媒体となる物が失われたネフシュタンの先端は、やがて僅かに残っていた力をも使い果たし基底状態に陥る。ネフシュタンの欠片。不可抗力ではあるが、それが出来ていた。

 

「これは持っていきます?」

「不要だな。今更こんな物を持っていても役には立つまい。これは、この男の戦果だ」

「マスター、なんか優しくないですか?」

「ふん。そういう時もある」

 

 やがて、傷口の処置が終わる。血も幾らか作っていた。此処までして失血死などされては、笑えないからである。にやにやと人のように笑うガリィの言葉を鼻で笑いながら、不意に少女は手を上空に向け翳した。

 

「時間をかけすぎたか」

 

 空いた手で帽子を目深に被った。幾重にも重なった魔法陣が浮かぶ。障壁。直後に、血で出来た粘土の様なドロドロとした物が零れ落ちて来る。

 フィーネの最後の手段。大量のノイズを吸収する事による強大な存在への昇華。それを行い始めたという事だった。完全聖遺物、デュランダル。カ・ディンギルの動力源とされているソレを、その身に取り込もうとしていた。

 展開された障壁の中で、ガリィがわぁっと、声を上げた。

 

「奇跡。それに父より受け継いだもの……か。ふん。良い父親を持ったことに感謝するのだな」

 

 障壁を展開しながら、少女は更に錬金術を用いた。テレポートジェム。先の戦いの折、ユキがリディアン近郊に辿り着くために使った道具。障壁の中で展開された。三人が存在した空間が歪み、消える。直後に障壁が消滅した。カ・ディンギルの最下層。泥に押し潰された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……此処は」

 

 何処からかかけられた声により目が覚めた。視線の先には、薄暗い天井。此処は何処なのだろうか。

 そんな疑問と共に立ち上がろとして、両の手に痛みが走った。固定されているようだ。無理押しすれば何とかなりそうではあるが、そうでないのならばとても動かせそうにはない。

 首だけを動かし視線を向ける。両手には包帯だろうか。白い物が巻かれている。特に、左腕の方は酷い物だったのだろうか、少し動かそうとするだけでも傷に響く。取り敢えずは右腕の動きそうな部分を確かめる。指。激しい動きでないのならば、問題なく動く。右腕の方は、左に比べれば随分とましに思える。

 自らの腕を斬り裂いていた。その腕で殴り飛ばしもした。最悪腕が動かなくなっても不思議では無かったが、何となく大丈夫な気がする。左手に届く寝台の感覚にそんな事を思う。

 自分の様子を何となくでは把握したらどこからか微睡が近付いてくる。体が休息を欲しているのだろう。限界を超え、新たな限界に入る。それを繰り返しフィーネに挑んだ。蓄積されたものが大きい。抗わず、目を閉じる。

 

「よし」

 

 再び目が開いた。勿論治った訳では無いが、右腕ならば何とかなりそうである。左腕は動かそうとすれば痛みと熱を発する。暫くの間、安静が必要なのだろう。

 動く手で看護師を呼び出し細かな話を聞いた。幸いな事に、両腕共におかしな傷は負っていない様だ。それに違和感を覚えた。右腕はまだしも、左腕は明らかに無理を押し通した。穿たれ、それでもなお動かした。それが、かなり塞がっているのだ。身体能力にはそれなりに自信があるが、だからと言ってこれ程の回復力を持っている訳では無い。あり得るとすれば、童子切の力だろうか。とは言え、考えても解りはしない。取り敢えずは、棚上げする。

 起き上がる。傷が痛みで響きはするが、出来ない事は無かった。安静にしろとは言われていた。だが、動けとも言われた。医師も交え細かな処置が全て終わったところで立ってみる。下半身は問題が無さそうだ。左腕を吊りながら病室を出た。特にやる事は無い。部屋とラウンジを交互にぶらつく。血が足りないのだろう。ある程度歩くとふらついた。あれだけ流したのだ。それも仕方が無いか。

 

「無事だったか」

「風鳴司令」

 

 寝台に腰かけていると、人が訪ってきた。特異災害対策機動部二課の司令だった。

 見舞いに来たのだろう。果物と見舞金を持参し、そんな言葉をかけて来る。

 

「終わったよ。全てな。了子君の目論見はあの子らが阻み、地上を守った」

「そうですか」

 

 そうして事の顛末を教えてもらった。まず自分は、リディアンの敷地から幾らか離れたところで見つかったようだ。フィーネに、櫻井了子に投げられた時にカ・ディンギルの外壁を斬り裂いた事までは記憶にある。だが、そこまでだった。無意識に内壁も斬り裂き通り抜けたと言うのか。現実感が無いが、それ位しか思い当たあたらない。

 すべての戦いが終わった後、緒川を代表とする二課の者達が現地を調査した時に発見されたのだとか。童子切もその際に回収されたのだとか。その点では安堵する。童子切。あれほどの剣は失われるべきではない。

 ちなみに童子切の処遇に関しては、二課が保管する事になりそうなようだ。消失扱いにはなるようだが、一応は国宝である。保管は二課であるが、使用を始めとする様々な権限は、さらに上にあるようだ。シンフォギアやその他の聖遺物の直接的な保管も行っていた部署である。処遇は順当であるように思えた。

 

 そして、フィーネと装者のぶつかり合い。シンフォギアの限定解除形態。それを身に纏った装者たちが、二つの完全聖遺物を用いるフィーネと衝突。二つのうちの一つ、無限のエネルギーを生み出すデュランダルを奪取。無尽蔵の再生を繰り返すネフシュタンの鎧と一体化したフィーネにぶつける事で、二つの特性を相殺すると言う形で撃ち破ったようであった。矛盾。そんな言葉を思い出す。何でも貫く矛と、何でも弾く盾の故事だ。

 聖遺物の力は、超常現象と言っても問題は無いほどである。対立する力をぶつければ文字通り矛盾したという事なのだろうか。その辺りは、研究者でもない自分には良く解らないが、二つの聖遺物が失われたという事に関しては解った。

 

 そして最後に月の欠片。フィーネが今際の際、全霊を用いて軌道を変えた。無限を生きる自分は今死のうとも、これで邪魔ものは砕けると笑った。それにより月の欠片が地球に直撃する。そんな最悪の事態が迫る事になった。司令は遠い目で語る。

 それに対して、立花は言ったそうだ。人々は言葉を超えて解り合える。何度も甦るのならば、自分に代わってそれを伝えて行って欲しいと。それは、長い時を生きる櫻井了子にしかできないと。だから、その為にも今を守る必要があると笑い、歌ったようだ。その思いは了子の心すらも動かした。そんな言葉を続け、司令は寂しげに笑う。

 月の欠片は三人の絶唱により、打ち砕かれていた。限定解除の施されたシンフォギア。その出力もまた、計り知れないという事だった。

 

「そして作戦行動中行方不明と言う事になる」

 

 最後に司令はそう締め括った。あのフィーネですら、あの子たちは動かしたと言うのだろう。最後の瞬間、櫻井了子は立花に、胸の歌を信じなさいと伝え、露と消えたと言う。

 

「そうですか。結局俺は守れなかったのか」

 

 締めくくった司令の言葉にそんな言葉だけが零れた。瞑目する。

 誰かの為にと戦う少女たちが居た。人類の天敵であるノイズ。それを操り暗躍していたフィーネ。統一言語の復活。その目的の為、世界に甚大な破壊を起こす事も厭わなかった。

 あの子たちは、そのフィーネに打ち勝ち、思い留める事すら成し遂げていた。司令は言う。最後の瞬間に、彼女は優し気な微笑みを浮かべていたのだと。立花に言葉を託し、消えて行った。

 最期を見届けたクリスは、ただ涙を零したと言う。乗り越えたという事なのだろうか。それはあの子にしか分からない。だが、良い方に向かったのだろう。

 だからこそ、何処か遣る瀬無さが募る。結局、手にした刃は何も守れなかったという事だ。

 年端の行かない少女たちを犠牲にした。そんな思いが胸に残る。

 あの場で唯一生き残ったと思っていた立花に、たまには守られろと伝えたはずだった。それが、蓋を開けて見れば結局守られている。不甲斐ない。何を言うでもなく、そんな思いだけが募る。

 

 やりたい事もあっただろう。抱いた夢もあっただろう。託された思いがあったのだろう。

 その全てを押し殺させ、あの子らに最期まで戦わせたと言うのならば、それは俺たち先達全ての不明では無いのか。

 例えシンフォギアと言う対処法しか無かったのだとしても、そんな事を思わずにはいられない。

 右手を強く握った。傷口が開いたのか、赤く染まった。

 

「落ち着けユキ」

「落ち着いては居ます。ですが、やる瀬無いのですよ。何もしてやる事が出来なかった」

 

 司令が立ち上がり、肩を掴んだ。昂った訳では無い。ただ、感傷的になってしまっただけだった。

 力を抜く。何をやっているのだと言い聞かせた。自分をいじめたところで意味など無い。

 

「あー、それなんだがな、ユキ」

 

 司令が珍しく言い淀んだ。不思議に思い問い返す。

 

「そんな事ありませんよ、ユキさん!」

「な、に……?」

 

 いきなり扉が開いた。聞き覚えのある声が耳に届く。

 それは最後の瞬間に立ち上がった少女。フィーネが与えた絶望に正面から立ち向かう姿を見せてくれた女の子だった。立花響。絶唱で月の欠片を破壊したと聞いていた。それ程の力を発揮していながら、生きていたという事なのか。

 

「私はユキさんに助けてもらいました。皆が居なくなったと思って訳が判らなくなった時、ユキさんが庇ってくれました……。シンフォギアも纏えず、ただ茫然と座り込んでいた私を沢山の血を流しながら守ってくれました。だから、何も出来て無いなんて事、全然ありません!」

 

 立花が赤く染まった右手を取り、そんな言葉を零した。こんな酷い怪我までして守ってくれましたと、涙を浮かべながら伝えてくれる。目を見開いた。何も出来なかったと思っていた。それを、目の前の少女は否定する。 

 

「……そうか。受け継いだ刃は、何かを守れたか」

「そのような姿になるまで先生が戦ってくだされました。だからこそ私たちは、エクスドライブに至れたのだと思います」

 

 足音が聞こえた。風鳴翼。司令の姪であり、剣を持つシンフォギア装者だった。

 かつての面影を残しながらも、大きく成長している。以前共にノイズを相手に立ち回ったが、落ち着いてみるとその成長を実感する。強く、そして綺麗になったようだ。

 そんな後進がありがとうございましたと深く頭を下げた。目を閉じる。

 礼を言いたいのはこちらだった。

 

「ったく、おっさんに言われて来てみれば、なんて様だよ」

「自分の不甲斐無さを悔やむばかりだよ」

 

 そして最後に声をかけてきたのが、約束を交わし別れた少女だった。

 目を開き視線を重ねた。涙。最初に見えたのはそれだった。

 

「大怪我してんじゃねーよ! 折角決着が着いたのに、あんたが死んでたらその事をあたしは誰に報告したら良いんだよ……」

「すまなかったな」

 

 一喝されていた。そして、直ぐに表情が涙に歪んだ。不器用な彼女の事だ。彼女なりに心配してくれているのだろう。すまなかったと、二度頭に右手で触れた。

 

「く、クリスちゃん! ほ、ほら、ユキさんだって怪我してるんだから無理させたら駄目だよ!」

「あ……、そ、そうだな。わりぃ、このバカに聞いたけど、あたしたちの為に頑張ってくれたんだよな」

「君たちが守ろうとしたものを俺も守りたいと思った。それだけだよ」

「それでも、だ。ありがと……」

 

 立花が泣きかけたクリスを引きはがしてくれる。本人も少し近すぎると気付いたのか、少し恥ずかし気に呟いた。言葉から察すると、風鳴のとクリスには立花があの時の事を語ったのだろう。フィーネとのぶつかり合いを間近で見ていたのは、立花だけだ。その様子も納得できる。 

 誰かの為にと全力を尽くした。それを守りたかった。だからこそ刃を取ったのだと伝える。やりたかったからやっただけなのだ。

 それでもありがとうと、クリスははにかんで零した。笑顔。屈託の消えたそれが見れただけでも十分だった。

 

「とまぁ、こう言う訳だユキ」

「……なんと言うべきか、まぁ」

 

 そこまで黙っていた司令がそう締めくくる。どう返すべきか悩むが、結局良い言葉が思い当たらない。

 司令と目が合った。どこか、優し気な笑みを浮かべた。

 

「正式に二課に戻らないか?」

 

 そう切り出された。緒川が言っていた事を思い出す。

 司令が決められた。つまりはそう言う事ですよ。

 認められたという事なのだろう。

 

「師匠! ユキさんが二課に来てくれるんですか!?」

「落ち着くんだ響君。今、勧誘しているところだ」

 

 最初に反応したのは立花だった。それが少し意外に思うが、立花である。この子の持つ雰囲気ならば、仲間が増えると言うのは嬉しくて仕方が無いのだろう。そんな様子に、まだ返事も貰っていないと司令は苦笑を零す。

 

「上泉さんが戻られると言うのならば、是非立ち会っていただきたいものです。かつて弱かった私が、どれだけ変われたのかを見て欲しく思います。防人として、武門上泉の剣は見上げているばかりのものでした」

 

 風鳴のが是非来てほしいと言ってくれる。かつて何度か立ち会っただけであるが。どうやら、目標の一つと定められていたようだ。自分の技が後進の目標と言うのならば、それは喜ばしく思う。

 

「……あんたが戻って来るってんなら、歓迎してやらない事もない事は無い。色々世話にもなってたからな」

 

 クリスがそっぽを向き言った。先ほど笑顔を見せたのが、今更恥ずかしくなったのかもしれない。

 

「死にたがりを送り出すわけにはいかなかったのでは?」

「本当に死にたがりであったのなら、あれだけの大立ち回りを行うものかよ。それに、これほどに心配されているんだ。簡単には死ねないだろう?」

「全く、風鳴司令には皮肉は通じないようだ。相変わらず度量が広い」

「問題児を動かすにはそれ位の度量も要るという事だな」

 

 にやりと司令が笑った。相変わらず度量が広い。

 意見の相違があった事もあるが、それも解消されているようだ。

 

「刃は使う場所がなければ錆びてしまいます。それは、俺の望むところでもありません」

「そうか。ならば、これから頼むぞ」

 

 差し出された手を握った。がしりと、力が入る。

 

「って、お前ら何やってんだ。ち、血出てるぞおっさん!!」

「む……」

「しまった!」

 

 出血。司令の握力が強く、景気よく滲みだした。珍しく司令の焦った声が響く。

 油断していたが、あの風鳴弦十郎の握力である。負傷している身では受け止められる訳がなかった。

 

「ちょ、師匠。けが人には優しくしなきゃいけませんよ!!」

「とりあえず……、ナースコールを押しましょうか」

 

 クリスが焦ったように声を上げ、立花も加わり混乱が大きくなった。

 風鳴の冷静な言葉が、心強く聞こえた。

 

「あああ、凄く血が出てますよー!!」

「大丈夫だ、問題ない」

「失血が倒れた原因の一つなのに、んな訳あるか―!!」

 

 結局、ナースコールによって呼び出された医師と看護師にこっぴどく怒られる事になった。

 あれだけ腰の低い風鳴司令が見れたのは珍しかったと記憶しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




1部完結となります。
司令だってたまには失敗するさ。


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番外1.武門と忍者と防人と

 治療を受け幾らかの時が経っていた。既に退院はしている。決して軽い傷では無いのだが、重病人と言う訳では無いからだ。

 腕の傷は既に縫合されており、化膿等の心配も無さそうだという事だった。傷口が開くような事が有ればまた来いという事である。傷の直りが異様に早い。医師がそんな事を呟いていたのを思い出せる。

 

「久方振りだな、緒川と対峙するのは」

「僕とはしてはまだ安静にして頂きたいのですが」

「見舞いに等に来たお前が悪い。寝ているだけでは腕が鈍ると言うものだ。英気を養うにも限度がある」

「せめて糸が切れてからでも良いでしょうに」

 

 自宅で静養している時に緒川が訪ねて来た。その腕では何分不自由だろうと、様々な生活必需品などを届けに来たと言う訳だった。

 猫の餌。クリス辺りから聞いたのだろう。そんなものまで用意してあるのは意外を通り越し、少しばかり呆れた。

 黒猫。自室に戻ると、部屋の片隅に丸まっていた。数日は餌をやっていない筈なのだが、少し意外であった。部屋の窓は少し開けてあった為、出入りする事は可能だが、誰もいないこの場所に戻る程度に愛着が出来たという事なのだろうか。俺が入ると、片目だけ開け見詰め一言にゃあとだけ鳴いたのを思い出す。

 そんな事もあり、緒川が都合良く訪ねて来た事もあり、立ち合いを頼んだという事だった。流石に渋った様子であったが、けがなど起こり得まいと言うと緒川も苦笑して了承した。

 

「久々に見てやると言っている。今でも裏方が多いのだろう。偶には使わねば錆びつくぞ」

「そうですね。とは言え、忍が武門を相手に正面から立ち向かう事は無いと思いますよ」

 

 かつては、よく共に腕を磨いた。武門と忍びである。分かり易く言えば武士と忍者。土俵からして、戦いの場が違う。だからこそ、切磋琢磨する事が出来た。斬る技術に対して、歩行の技術。気を用いた武技に対して、忍び特有の忍術。違う体系の技術であるからこそ、良い刺激であったと言える。

 

「だろうな。だが、剣技を蔑ろにする理由もあるまい」

「尤もです。まぁ、あなたに無策で正面から挑むような事になれば、先ず逃げますが」

「逃げるのにも腕がいる。命の縁を拾える程度の腕がな」

 

 緒川が苦笑を漏らす。正面から戦えば勝てはしないと宣言していた。

 それはそうだろう。緒川は忍の一族である。密偵として、術技を学んだと言える。暗躍こそが奴の本領発揮と言えるだろう。勿論正面からの武技も並み以上の使い手ではあるが、流石に正面から戦う為に武技を磨いてきた武門に勝てる道理は無いのだ。その言葉は謙遜などでは無く、ただ事実を認識しているという事である。

 そもそも緒川が、本気で俺と戦う場面があるとすれば、まず立体的な機動が出来かつ、剣が振るい辛い路地に誘い込む。更には罠をかけ、術や道具で幻惑し、相手に姿を捉えられない様に事を進めるはずだ。

 それ故、今のように正面から対峙していると言う時点で、緒川にとっては土俵に引き摺り込まれているという事になる。そうなる事自体が負けだと言えるだろう。

 

「相変わらず鉄パイプを持つのですね。警棒ぐらいならば手配できますよ」

「いや、良い。アレは軽く短い為使い辛い。ある程度の間合いと重さがなければ、馴染まない」

「と言いつつ、渡せば小太刀の様に使いこなすのでしょう」

「俺にも得手不得手はある。刃であれば大抵の物を使えはするが、武具を選ばない等とはまだ言えないさ」

 

 片手に持つ鉄パイプを見て、緒川が零す。童子切は既に回収されており、太刀など所持している訳でも無かった。緒川も俺が持つ物と似たような大きさの鉄棒を両手で低く構えている。間合いの外、佇んでいるとじわじわと横に動きながら、機を見つめている。

 右手の鉄パイプ。地に擦れるように手にしていた。構えなどは特に必要なかった。来る事が有るならば、それに合わせて動くだけだからだ。

 武器と言うのは、得手な物を使えない事が意外と多い。比較的調達しやすい物に慣れておくと言うのも、武門の考えの一つだった。今の時代、刃を携行するのも骨が折れる。ならば、鉄パイプや木の棒など、ある程度身近な長物を得物と見なす方が色々な場面で生きる事が多い。だからこそ、鉄パイプの扱いには習熟していた。

 勿論、剣を持てるのが一番ではあるが、それはなかなか難しいのだ。まず、剣が一般的ではない。

 

「……」 

「……」

 

 僅かに右手を低く構えた。緒川が一歩踏み込む。睨み合い。数瞬続く。

 新たな踏み込み。もう一歩進んだところで、上段に切り替わっていた。

 睨み合う。ほんの僅かな呼吸が耳に届く。あと一歩。その一歩には決して入ってこようとしない。

 汗が零れ落ちた。

 

「はぁ……」

 

 一歩下がり緒川がため息を零した。そのまま鉄パイプを離し両手を上げる。

 金属の落ちる音。右手を先ほどのように低く置いた。

 

「相変わらず、踏み込めはするのですが。やはり打ち込めはしませんね」

「……鈍っていたと言う訳では無い様だ。剣だけで此処まで肌がひりつくのならば、忍びの剣技としては十分すぎるだろう」

 

 外していた眼鏡を付け直した緒川にそんな言葉を贈る。斬る。その心算で武器を手にしていた。

 緒川も同じで、その流れてくる気配から気迫の強さが感じ取れた。櫻井了子と対峙した時とは異質だが、それでも十分な肌のざらつきに頷く。本職は忍びであるにも拘らずこの武技であった。相変わらず涼しい顔の下に、鋭い刃を隠している物だと感心する。

 

「お二人ともお疲れ様です」

 

 そんな声が耳に届く。立ち合いの最中、この場に来ていた事には気付いていた。

 

「風鳴のか」

「はい。不躾だとは思いましたが、訪問させていただきました。立花と雪音の二人も来る予定ではあるのですが、二人で買い物によるとの事で、私だけ先に訪った次第です」

「……ああ、まぁ、翼さんですからね」

「ちょっと、緒川さん。どういう意味ですか!?」

 

 リディアン音楽院の制服。頭頂で結われた青髪。学業の帰りだろうか、その手には鞄が持たれている。

 緒川との対峙が終わるのを何も言わずに待っている辺り、あの二人とは違いある程度の理解がある。流石に両手で剣を握れば何かを言うだろうが、右手だけならば黙認されていた。

 これが響やクリスであったのならば、問答無用で止められる姿が容易に想像できる。余談だが、響の呼称が立花から響へと変わった。櫻井了子のカ・ディンギルを用いた月の破壊作戦。通称ルナアタック。その一件の後、クリスちゃんみたいに名前で呼んでくださいと頼まれたのだ。妙に懐かれたようだ。風鳴司令を師匠と呼ぶ事といい、何処か人懐っこい印象を感じさせる。猫ならば半ば飼っているが、子犬のようだなっと若干失礼な事を思う事が有った。

 あの二人も来ると言う風鳴のの言葉に頷く。既に学業にも復学しているのだとか。クリスに至っては、編入と言う形で高等部に通っているようだ。響よりも一つ年上の為、二年なのだとか。風鳴は三年な為、短い間ではあるが装者全員で学業に励めるようだ。

 クリス一人では少しばかり心配な面もあるが、学年が違うとはいえ、二人と同じ学院に通うと言うのは喜ばしい事だ。司令の味な計らいに度量の大きさを感じる。一度良かったなと告げると赤くなったのを思い出す。口は悪いが人が嫌いな訳では無いのだ。友達も増やして行ければより良いだろう。

 そんな事を考えていると、緒川の言葉に風鳴のが反応した。確かに抗議を起こしたくなるのは仕方が無い面も否定できないが、あの風鳴である。今回は緒川の言葉に同意してしまうのも仕方が無い。

 

「大方、買い物に行くとなると邪魔なので体よく先触れに出されたのだろうな」

「先生まで……」

「まぁ、この手の話に関して言えば翼さんは前科が多いですからね」

 

 緒川と二人して笑みを零すと風鳴のは恥ずかしそうに赤面する。片付けが出来ない事を筆頭に、家事全般に関して技能が壊滅しているという事だった。緒川に聞いた話ではあるのだが、年頃の風鳴の部屋を緒川が掃除している時点で色々と駄目なのだろう。

 人は何でも出来るなどと言う気は無いが、何事もそつなくこなしそうな風鳴にしては意外な欠点である。まぁ、自分も家事能力に関しては高い訳では無いのであまり言及しないが、大変そうではある。

 先達が二人して笑った所為か、風鳴のが少しむくれた。今は後輩二人もいない。ほんの少しだけではあるが、気を抜いてくれたのだろうか。

 

「私だってその気になれば家事ぐらいできます」

「そうなのか?」

「あはは。なら、何時もその気になって貰えれば良いのですが」

「だそうだよ」

 

 風鳴の何処か可愛らしい反撃に緒川が手痛く返した。まぁ、その気になって直るのならば、緒川が長年面倒を見る事も無いのだろう。この手の話に関しては何を言っても駄目だと理解したのか、風鳴のはそれ以上言い返せずに更に頬を染める。

 

「く……、まさかこのような形で辱めを受ける事になろうとは」

「まぁ、そう言うな。相手をするので、機嫌を直して欲しいな」

 

 そう言い、緒川の手放した鉄パイプを手渡す。一瞬きょとんとした顔を見せる。そんな隙を晒して大丈夫なのかと、苦笑が零れるのも仕方が無いだろう。

 

「見て貰えるのでしょうか」

「そう言っている。それとも、やめておくか?」

「やります」

 

 鉄パイプを手にした風鳴のが、威勢の良い返事を返した。

 自身も鉄を右手に持ち、地に付けるように持つ。正眼。こちらを見据えた風鳴のが構えを見せた。

 緒川が黙り込む。風の音が柔らかい。隅の方で見ている猫が身動ぎをするのを感じた。風鳴。ただ一人静寂を裂くように横に動いた。目を閉じる。二歩三歩。その程度ならば、見なくとも解る。

 じりじりと間合いを計っている気配を感じた。右腕に少し力を籠める。それで風は止んだ。来い。意思を飛ばす。風が動いた。上段。構え一歩踏み込んでくる。

 

「一歩。数年磨き上げた剣であった筈が、たったの一歩か……」

 

 その言葉と共に風鳴の気が霧散した。目を開く。全身から汗を浮かばせた風鳴のが、肩で息をしながらそんな言葉を零す。かつて立ち会った事があった。当時の彼女の剣では、間合いに踏み込んでくる事が出来なかったのだが、今は確かに内側に居る。斬られたとしても斬る。そんな気迫を感じた。

 シンフォギアを纏ってこその装者である。それを纏いもせず、内側に入り込ませた。鍛錬の立ち合いであるからこそ打ち込んでくる思い切りを見せなかったが、仮に戦いの場であったのならば必ず打ち込んで来るだろう。風鳴のがまだ中学の時代の話ではあるが、かつては踏み込めなかった少女が今は内側に居る。一歩である。だが、剣士とするならばそれは大きすぎる一歩なのだ。

 

「踏み込ませてしまったか」

「凄いじゃないですか翼さん!」

 

 肩で息をする風鳴のに緒川が称賛の声を上げた。内側に入られた。

 それは彼女が十分に斬り合うに足る相手だという事だ。シンフォギアを温存して尚それなのだ、空恐ろしい物だろう。

 

「ですが、一歩です」

「ユキと同じ間合いで剣気を押し返した。それが重要なんですよ。ぶつかり合えるという事ですよ」

「あの上泉と、私が……」

 

 緒川がユキと呼んだ。それだけ驚いていると言う事だろう。今よりも若かった頃は名で呼び合っていたが、職を辞した辺りから互いに名で呼び合う事は無くなっていた。久方振りに聞いた友の言葉に、懐かしいものを思い出す。

 

「おい、風鳴の」

 

 両の手で鉄パイプを構え言った。弾かれたように凄まじい速度で風鳴のが正眼に構える。上段。見据えた。

 風鳴。静まった気配の中、それだけが存在する。それを見つめていた。

 

「にゃあ」

「はぁはぁ……」

 

 猫が一鳴きした。刃を下ろす。満ちていた気が霧散する。左腕。少し熱を持っている。

 気当て。全力で風鳴のにぶつけていた。それでもなお踏み止まった。呼吸を乱しているが、こちらを見る目だけは乱れていない。本当に強くなったものだと実感する。これでシンフォギアを纏えばどれ程なのか。見るのではなく、実感すると言う意味で興味はあった。

 

「こんな所か」

「こんな所か、じゃねーよ!」

「そうですよ! 三人で何してるんですかー!」

 

 呟きに、抗議が届いた。視線を移す。クリスと響が怒っていますと言わんばかりに眉を吊り上げ睨んでいた。

 

「どうやら怖い子らが帰ってきたようだ」

「あんたらが鉄パイプ手に睨み合ってるからわりぃんじゃねーか!」

「そうですよ。緒川さんと翼さんがいながら、何でユキさんが武器構えてるんですか!」

 

 お前ら三人で何つー事してんだよとクリスが声を荒げる。響もまた同意し、少し怒ったように詰め寄って来る。

 一応は療養中の身である。そう言われれば強く出れない。武門としてはある程度傷が塞がれば剣を持つ事など大した問題では無いのだが、その理屈は風鳴のと緒川にしか通用しないようだ。

 

「すまない。先生が立ち合ってくれると言う事で、少しばかり舞い上がってしまったようだ」

「上泉の剣ですからね。翼さんからすれば憧れなんですよ」

 

 少し落ち込んだように二人に謝る風鳴と、それをフォローするように緒川が付け足した。憧れと言われると少しばかり面映ゆく感じる。

 

「前から思ってたんだけどよ。その上泉の剣ってなんだ? 鉄パイプ殺法となんか違うのかよ?」

「雪音……、いくら白兵戦に造詣が浅いからとは言え、鉄パイプ殺法と一緒にするな!」

「お、おう。わりぃ……」

 

 そんなクリスの疑問に風鳴のは少し怒ったように声を荒げる。その剣幕に少しばかり勢いを削がれたのか、クリスは素直に謝った。存外押しには弱いのだろう。

 

「あ、でも確かに了子さんも上泉の剣って言ってましたね」

「……大したものでもないよ。上泉の家に、血に伝わる剣術。それだけだよ」

 

 二人の疑問に簡潔に答えた。

 武門上泉。遡れば数百年の歴史を持つ武門だった。自分はその一門と言う事になる。

 長い歴史を持つ上泉の中には、剣聖と呼ばれる類の人間が何度か出現していた。風鳴の家が国防を司り防人を名乗るのと似たようなもので、生かすための剣を長い歴史の中で研鑽してきたのが、上泉と言う家であった。

 その上泉の中でも当代最高峰と言われたのが自分の父にあたり、名の知れた剣士であったと言う。その名に恥じないように研鑽はしてきた心算であるが、まだまだ追いつけている気はしない。

 剣を極め、戦う術を追求した武門。それが上泉と言う家であり、その剣技が上泉の剣と言う訳であった。

 

「ほえー。ユキさんって、そんなに凄いとこの人だったんですか」

「凄くは無いよ。個人的には司令が何故あれほど強いのかが気になる訳だが。風鳴という事を差し引いてもあれは何か違う」

「叔父様は特別ですから……」

 

 風鳴のが遠い目で呟いた。何でも、巨大化させた天羽々斬を拳圧で止めたとか。

 流石にそのような事は出来る気がしない。できたとしても刃に乗るぐらいだろうか。

 

「いや、あんたも大概だろ。すれ違い様にノイズを削り落とすとか、どんな鍛え方をすれば出来んだよ」

「あ、それは私も気になってました。ユキさんって、普段どういう鍛え方しているのかなって」

 

 クリスの言葉に、師匠はご飯食べて映画見て寝る。それで充分って言ってましたけど、他の人はどうなのかなってと響が続ける。

 

「武門の鍛錬は飯食って歴史小説読んで寝る。それで充分だ」

「ええ!? ユキさんもですか!?」

 

 頷くと、響はお前もかと言わんばかりに驚きの声を上げた。クリスも変な物を見るような目で見ている。

 

「そこで変に司令をリスペクトしなくて良いですよ」

「冗談だ。走る。何をするにも基礎体力だな。常に動けなくては話にならん。良く食べて走る。たまに絶食などもするが、基本はそれだ。動ける体を組み上げる。それが重要だと思う」

 

 苦笑いを浮かべる緒川に真面目に答える。司令のあれは本当にそれで強くなったようであるから困ったものだ。

 剣の技なども大事ではあるが、まずは身体であった。動けなければ話にならない。動けるならば、存外気力で何とかなる物だ。

 

「まぁ、おっさんの言葉よりはまともだな」

「良く食べて走る。あれ? 何かあんまり今と変わらないような気も」

 

 まだわかると頷くクリスと、大きな変化は無いのではと首を捻る響。その辺りの呼吸は、同じ剣士でもあり、黙って頷く風鳴のが一番良く解っているのだろう。

 鍛えれば動くようになり、動ければ限界を超える。その繰り返しだと言えた。

 

「まぁ、鍛錬あるのみだという事だよ」

「なるほどー」

 

 そう締めくくると、とりあえずはと言った感じに響は頷いた。が、

 

「だからって、剣持って良いなんて訳じゃないからな」

「まぁ、そうなるか」

「仕方ありません。先生も静養中なのですから、無理はなさらないでください」

「尤もな話ではあるが、一緒に振り回してたやつが言う台詞じゃないだろ!」

 

 雪音クリスは見逃がしてくれない様だ。

 結局、暫く怒り続けるも許してくれた。

 そしてその日は、皆で飯作るから怪我人はゆっくりしとけ。と言い渡されたのだった。

 

 

 

 




G編入る前の小話回。
前回から地味に友好度が上がっている響ちゃん。


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番外2.ユキと雪音と黒猫と

「あー。実家にいるような安心感。やっぱり良いな此処は。静かだ」

「……人の部屋に押しかけて来たと思ったら、行き成りどうした」

 

 黒猫を抱き上げ、温かさを堪能していたところで対面に座る少女が疲れたように零した。

 雪音クリス。かつて助けた少女が、自分の部屋に押しかけてきていた。

 先の事件で負った傷も、かなりの部分が癒えて来ていた。既に縫合されていた糸も抜かれ、ある程度自由に動かす事が可能となっていた。その為、自分の生活に必要な事も殆ど行う事が出来るようになってはいたのだが、本日は目の前で安心したように座る少女が手伝いに来たと言う訳だった。

 時折緒川と藤尭、風鳴司令が土産を持参して親交を深めに来る。もとい酒を飲みに来る以外に、響が意外と良く訪ってくれる。腕を怪我したのは自分の所為だと気にしているようだからだろう。時折顔を出す際は、小日向と言う友達を連れて来る事も多い。初対面の時は流石にぎこちない応対になっていたのだが、その辺りは女の子。猫を見ると目を輝かせた。その辺りで会話を広げた事で、幾分か気を許してはもらえていた。今では響と共に会話に交じってくるようになっていた。

 

「あー、とっきぶつに所属したら部屋を用意して貰えただろ。あの部屋がなぁ……」

「何か問題でも?」

 

 机に寝そべる様にクリスが続けるので促す。それ程大事な事では無いが、仮にも女子がだらしない姿を見せても良いのだろうか。気を許してくれているとも取れるが、微妙なところだった。クリス自身、大雑把なところと繊細なところがある。指摘すると赤面するだろうから言いはしないが、言葉通りだとしても、少し気を抜きすぎでは無いだろうか。仮にも男の部屋である事を忘れているのだろうか。今更ではあるが。

 

「そーなんだよ。問題も問題。大問題があってだな。うるさいんだよ」

「何がだ?」

「あいつ等だよ。あのバカを筆頭に、何故か仲間を連れてあたしの部屋をたまり場にしやがるんだよ。その所為で、おちおちだらけてもいられねぇ」

 

 二課が用意したクリスの部屋。どうやらその部屋が仲間内の溜まり場と化しているようだ。

 それはそうかと合点がいく。響は元より、クリスもリディアン音楽院に編入した事により学生として生活を送っていた。となれば、友人の一人や二人できるだろう。彼女ぐらいの年齢ならば、一人暮らしをしていると知ればたまり場にされるのも頷ける。多感な時期だ。自分たちだけの暮らしなどに憧れるのだろう。

 

「……口ぶりの割には、随分嬉しそうだな」

 

 だから迷惑してるんだぜ。そんな感じに話を締めくくるが、口許の緩みが見て取れる。本人は隠しているつもりなのかもしれないが、机に突っ伏しながらも緩んでいる横顔を見るに、嫌がっているとはとても思えなかった。

 

「う、嬉しい訳ねーだろ! なんでか合鍵持っている奴は多いし、プライバシーはガタガタだし、遊びに来たとか言って女子会開こうとするし、隙があれば泊って行こうなんてザラだし、その所為であたしが他の奴の分まで料理作らなきゃいけなくなるし、風呂入ろうとすると乱入してくるわ、仕方なく泊めてやると恋バナとか始めやがるし……。だ、大体好きなやつなんてそんな簡単に……」

「……そ、そうか。それは大変だったな」

「そーなんだよ。あんた位だよ、あたしに静かな時間をくれるのは」

 

 捲し立てるようにクリスが続ける。その言葉には苦笑だけが零れる。あたしは迷惑しているんだよと拳を握り力説しているが、どう聞いても楽しかった思い出を力説しているようにしか思えないからだ。それは言わぬが花と言う奴なので言う気は無いが、随分とこの子は変わったようだ。妙に感慨深く思う。

 決して特定の名前を言おうとはしないが、響や小日向、風鳴のを始め学院でも友人が出来たという事なのだろう。出会った時を思い出す。ノイズから助けようとしてくれこそしたが、倒れたこの子を運び意識を取り戻した時は、酷く懐疑的であった。何故助けたのか。何か目的があるのではないか。恐らくそのような事が頭に浮かんでいたのだろう。敵を見るような目で警戒されていた事を思い出す。

 あの頃に比べれば、随分と穏やかになったものだ。尤も、俺自体も、あまり友好的に接した訳では無いから仕方ない側面もある。そう言えば治療の際に服を脱がした。年頃だ。あれも大きかったのだろう。

 あのバカが出かけようとか言って仕方なく外に行くこともあるんだよと続けるクリスの言葉に耳を傾けながら思う。思っていた以上に青春を満喫しているでは無いか。

 

「……何笑ってんだよ」

「いや、あの雪音クリスがと思ってな」

「マテ、どういう意味だ」

「そのままの意味だよ。初めて会った時を思い出していた」

 

 ちょっと待てとクリスがこちらに視線を向ける。続けると顔が一気に羞恥に染まった。

 

「おま、おま! 忘れろ、わーすーれーろ!!」

「別に恥ずかしがる事でも無いだろう」

「恥ずかしいにきまってんだろ! あんたにはあたしの……その……」

「ああ、そっちか」

 

 わーわーと声を荒げるクリスに一瞬そこまで気にする事かとも思うが、どうやら思い違いをしていたようだ。自分の態度では無く、裸を見られた事を気にしているようだ。まぁ、あれは仕方が無かった。諦めてもらうしかないだろう。

 

「忘れろよ」

「善処しよう」

「ったく。変な事を思い出させんじゃねーよ。なぁ?」

 

 抱き上げていた猫を下ろした際、さっとクリスの方へ向かった。それを受け止めたクリスが、同じように抱き上げ猫に話しかける。にゃあと鳴くだけではあるが、同意を受けたような気持ちになったのか、ふふんと得意げな顔になる。

 猫が居なくなった事により少しばかり手持ち無沙汰になった。片隅にある本棚から一冊本を取り出し視線を落とす。

 

「……おい」

「どうした?」

 

 読み始めるなり早々、不機嫌そうな声が届いた。視線を本に向けたまま答える。

 

「あたしが居るのに本を読みだすとはどういう了見だよ?」

「静かな時間が欲しかったのだろう? あまり話しかけるのも煩わしいかと思ってな」

「確かにそうは言ったけどな」

 

 読み進めていると、不意にクリスが隣に腰を下ろした。再び猫が此方に乗り移る。非常に読み辛い。結局本を置く。視線。感じた方を向くと、クリスがしてやったりと小さく笑っていた。別にムキになって怒るような事でも無いのだが、子供のような笑みを向けられるとどうにも調子が狂う。本当に黙るんじゃねーよと言う言葉に、子供かと零しながら猫を抱える。ふと、思い至った。

 

「そう言えばな、この子に名を付けていないのだった」

 

 クリスが来た時に名を決めようかと思っていた。何度かこの場に来てはいたのだが、他の面子もいて騒々しかった事もあり、後回しになっていた訳である。幸いな事に、今はクリスが傍に居るだけで、話題にするのも丁度よかった。

 

「そりゃまた、ヒデー飼い主な事で」

「まぁ、否定はしない。思いがけず飼う事になってしまったのではあるが、名ぐらいは付けるべきだろうか」

 

 抱き上げている猫が、にゃあと一鳴き。ほらコイツにも言われてるぞと、傍らの少女も笑う。

 

「そりゃそーだろ。こんだけ居座っているって事は、もう家族みてーなもんだろ」

「同じ日に転がり込んできたもう一匹は独り立ちしたようだしな。こちらは大切にしなければな」

「……その節はどーも。あれだ、どうしてもって言うのなら、偶には来てやっても良いぜ」

 

 クリスの軽口に、軽口で応じた。黒猫と一緒に拾った、大きな白猫。それが雪音クリスだった。

 あの頃は食事にも難儀していたようで、その頃に比べれば住む場所もあり二課から手当等も出ており、何不自由なく生活が出来ているようだ。

 

「暇な時にでも来ると良い。この子も懐いている様だからな。顔を見せれば喜ぶだろう」

「そっか。ふふ、まぁ、そう言うなら来てやるよ」

 

 頷く。自分自身、この意地っ張りな女の子が嫌いではない。それに、何となく放っておけない感じもある。

 様子を見せに来てくれると言うのならば、断る理由もなかった。年の離れた妹。そんな言葉が一番しっくりと来るだろうか。

 

「さーて、どんな名前が良いものか!」

「まぁ、普通な感じで頼むよ。黒猫だからその辺りで攻めれば良いか」

 

 名前である。あまりに変な物を付けてしまうと色々可哀そうだろう。猫ではあるが、笑われるような名は避けたい。自分の名はどちらかと言うと古風な為、昔の話だが何となく近寄りがたいと言われた事があった。無論猫には関係のない話ではあるが、そう言う経緯もあり、あまり変な名を付けるのも憚られる。それこそ、クロで良い気はする。

 

「にゃんこ先生」

「どうしてそうなった」

 

 ティンと来たぜっと声を上げたクリスに思わず問い返した。色々とあるが、何がどう先生なのか。

 

「いや、考えて見たらこの猫にあたしは色々と助けられた気がするからなぁ。自爆しそうな時とか、辛い時に色々台無しにされた記憶がある。あと、指導者の如くふてぶてしい」

「まぁ、物怖じしない猫ではあるが。先生は名前では無いだろう。あと、響辺りに由来を聞かれたとき、君は後悔するのではないかな?」

「……よし、やめよう」

 

 最初に上がった候補は却下となった。そもそも半分程度は名前ではないのではないだろうか。

 

「ならな……、ルーキーとか?」

「うちの新入りだからか?」

「良いじゃんシンプルで」

「なら、君の事も元居候的な呼び方にしないとな。宿無しでも良いか」

「それは何か情けないので却下。ホームレスとか呼んだら殴るからな?」

 

 第二案、あえなく撃沈。

 

「そうだな……、鳴き声がにゃあだからにゃーちゃんとかどうよ?」

「いきなり随分と可愛らしくなったな」

「だろ? 案外良い線いってるんじゃね?」

「だが却下」

「なんでだよ。納得行くような理由を出せ!」

 

 第三案。前回二つと同様却下の判断を下す。

 これならどうだと言わんばかりの白猫の意見を悉く潰していた。

 考えてくれているのは理解できるのだが、何と言うか色物感が凄い。

 

「俺がにゃーちゃんと言う場面を想像してみてくれ」

「……ぶふっ!? おま、何だよソレ卑怯だぞ!」

「そこまで露骨に噴き出すな」

「だって、あんたがにゃーちゃん。何の冗談だよってなるにきまってんだろ!」

「いや、君の口から出るのも大概なのだが」

 

 盛大に噴き出したクリスに、君もそこまで変わらないじゃないのかと返す。一度可愛らしく言わせてみようか。何故だろうか、ある意味凄まじく似合う気もする。

 とりあえず、単純に自分としてはにゃーちゃんなどと呼ぶのは柄では無い。呼べない訳では無いが、呼びたくは無い。

 

「っても、どうすんだよ。否定ばかりじゃ決まんねーよ」

「黒猫だからクロ。それで良いさ」

 

 結局、最初の方から考えていた案を出す。

 

「いくら何でも安直じゃね? そりゃ、シンプルなのは分かり易くて良いけどよ」

「解っているよ。だから、字で書くと玄と言う名にしようと思う」

「玄、ねぇ。何か意味でもあるのかよ」

 

 この子の言う通り、安直である。であるから、字は少しばかり変わったものにしようかと思ったわけだ。

 幸い自分の名は古風な物だ。之景と玄。それほど違和感はない気がする。

 

「玄は、黒い糸を成り立ちとしている字の様でな。綺麗な毛並みに似合うだろうと思った。字の意味としても、黒以外に静か、優れていると言ったものがある。安直ではあるが、それ程悪くは無いと思うのだが」

 

 他にも、自身の之と言う字には踏み出す、行くと言った意味がある。之が玄を伴うのは、相性が良いように思えなくもない。勿論、験担ぎの様なものでしか無いが、それでも十分な気はする。

 

「……、なんだ、そこまで調べてるなら、最初から決まってたようなもんじゃねーかよ」

「まぁ、そうなのだがな。一応君には聞いておきたかったんだよ」

「そりゃまた、どーしてだよ」

 

 決まってたなら最初から言えば良いじゃんと苦笑を零す白猫に、聞いておきたかったのだと返した。こればかりは、一人で決めたくは無かったのだ。少なくとも、同意は欲しい。

 

「まぁ、あの日二人を拾った訳だからな。短い間ではあったが、俺にとっては思わぬ場所で出来た家族みたいなものだった。たった数日ではあるが、それは大切なものにしておきたい。だから、あの場に居た君の意見も聞いておきたかった」

「……、やめろよ。湿っぽい事言うんじゃねーよバカ」

 

 だから聞いておきたかったんだと伝えると、白猫はそっぽを向いた。涙脆いのだろうなと思い至った。笑う。これで意地っ張りでもあるので可愛いらしいものだ。

 短い間ではあったが、クリスも含めて三人の同居人であった。その事実は大切にしておきたい。この意外と泣き虫な癖に意地っ張りな少女に、頼れる仲間が増えた事は喜ばしく思える。しかし同時に、同居人が減った事に関して、少しばかり寂寥も感じない訳でも無い。黒猫の名に何となくではあるが、繋がりを求めたのはもの寂しさを感じた所為なのかもしれない。

 

「まぁ、そんな感じな訳だよ」

「いーんじゃねーの。クロ。黒猫だから玄。シンプルで分かり易い」

 

 悪くねーじゃんと頷いたクリスの言葉を聞き、決める事にした。玄。何か、曖昧だった枠が明確になった気がした。妙な感じではあるが、嫌な物では無かった。

 

「そうだな。お前は今日からこの家のクロだ。よろしく頼む」

「にゃあ」

 

 抱き上げ金眼に目を合わせて告げた。手の中にいる温かな熱が短く答えた。

 意味など解っているはずは無いが、よろしくと返された気がした。

 それが何となく嬉しく思い、頭を数回撫でる。

 

「……」

 

 不意に視線を感じた。隣に座っているクリスが、何とも言えない視線をクロと自分に向けている。

 

「どうかしたのか?」

「あたしは……、いや、その、何でもない……」

 

 見るから遠慮がちに何かを言いかけ、言葉が潰えた。

 クロの方は未だ同居人ではあるが、白い方は既に独り立ちしている。

 自身がどことなく寂しさを感じたように、クリスの方もまた似たような思いを抱いたのかもしれない。

 群れを離れ独り立ちした。そんな心境なのだろうか。何となく解らない事もない。

 

「実家の様な安心感があるのだろう?」

「……え?」

「なら、偶には戻って来ると良い。先ほども言ったが、歓迎位はさせて貰うぞ」

 

 だからこそ、そんな言葉を贈る。奇妙な繋がりだった。その繋がりを大切にも思う。

 雪音クリスも同じように感じてくれているのならば、その気持ちは嬉しく思う。

 

「……うん」

 

 だから、その言葉と零れた笑顔を見た時には何処か安堵していた。

 近くにいる事は無くなった。それでも繋がりが完全に消えたわけではない。

 そんな事を実感したからだ。そういう意味でも、クロの名を決めて良かったと思う。

 

「っと、そうだった」

「……? どうかしたのかよ」

 

 ついでだからもう少しやるべき事をやっておこうかと思う。クロに付ける首輪。それも必要だと思っていた。

 

「いや、このまま君にも付き合ってほしいと思ってな」

「はぁ!? な、な、なにを言いだしてんだよ!!」

 

 だから告げたのだが、クリスの方はと言うと随分と話し込んでいた為飲み物に口をつけようとしていたところで、一瞬で赤面した。行き成りどうしたのだと思いつつ、考える。ああ、そう言う事かと思い至った。

 

「ん……。ああ、言い方が悪いな。この後、首輪を買うのに付き合ってほしい」

「首輪!? い、一体どんな事を強要する気なんだよ!?」

「いや、猫の首輪だ。飼い猫の証明。買うと決めたなら、あった方が良いと思う」

 

 言い直して尚、勘違いが加速する。最初は兎も角、今のは話の流れから理解できそうなものだが、更に真っ赤になりあわあわと狼狽えている。妹分相手にそんな気など毛頭ないのだが、随分と明後日の方向に思考が飛んだようだ。口が悪い割に初心な様だ。意外な様であり、同時に違和感もない慌て様に苦笑が零れた。自分は武門の一員である。強い子を残すと言うのは一門の使命の一つとしてあるにはあるが、そう言う対象としてこの子を見たくは無かった。血が受け継ぐ技の研鑽。それは簡単な事では無い。

 流石にこれ以上誤解を増やすのもアレな為、分かり易く端的に伝えた。此処まで言えば、間違えようがない。

 

「……ああ、もう、吃驚させんな!」

「最初は兎も角、二度目は君が暴走しただけではないか?」

「ちげーよ! 全部紛らわしい言い方したあんたがわりぃんだよ! 付き合えとか……首輪買いに行くって……なんだよ。変な趣味でもあんのかと」

「流石にそれは無いから安心しろ」

 

 確かに言い方が悪かったところが有るのを認めるが、そもそも俺の事を何だと思っているのだろうか。そんな疑問が浮かばないではない。それについて問いただすと、機嫌が一気に悪くなるのが予想できる為実行に移しはしないが。

 

「まったく。変な言い方すんなよな」

「さて、行くか」

 

 まだ怒っているクリスを尻目に立ち上がる。これ以上話していても同じ事を繰り返すだけだろう。

 

「ちょ、置いてくなよ!」

「では行ってくる」

 

 慌てて駆け寄って来る。その姿を認め、家を出た。猫がにゃあと返事を返した。

 クリスが隣にまで来ると抗議の声を上げる。それを宥めつつ歩いた。

 結局、この日は赤色の首輪を一つ買い部屋に戻るのだった。

 

 

 

 

 




クリスちゃん回。微糖風味。


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番外3.剣と拳と鉄板焼きと

「もうこの難易度も相手にならねーな。物足りなくてあくびが出る」

 

 どこかの誰かが零した不用意な一言。その為に呼び出されたのが今いる開けた空間だった。

 新造されていた次世代型潜水艦。その中に特異災害対策機動部二課の本部が仮設されていた。

 その大型潜水艦の中にある装者専用の訓練施設。通称トレーニングルームに呼び出されたと言う訳であった。

 既に模擬専用の殺傷能力が限りなく潰された武器が何本も用意されていた。刃の潰された刀剣。何本も用意されている。装者ならば武器の用意など必要ないのだが、生憎自分は只の人間でしかない。用意されているソレは素直にありがたいと思う。武器を選ばない程度には研鑽してきた心算ではあるが、馴染みのある物の方が取り回しが容易と言うのは考えるまでもなかった。弘法は筆を選ばぬと言うが、まだその境地には至っていない。棒よりも鉄。鉄よりも剣。武器を選ぶのは未だ先を目指す自分としては当然と言える。

 何本もの刀を選び、一振り一振り振るい感触を確かめる。以前携えた童子切とは比べるべくもないが、少なくとも普段手にしている鉄パイプよりは遥かに馴染むと言えた。特殊な金属で加工された刀。十数本選び出し、一振り以外は鞘を抜いた。大量生産品である為大きな違いは無いが、それでも些細な差はあった。一番手に馴染む物を取り、軽く振るった。悪くは無い。納刀。試しを終え、一振り携える。

 

『上泉さん、準備の程はどうでしょうか?』

「問題ありませんよ。直ぐにでも行けます」

 

 既にモニタリングを始める準備は万端なのか、オペレーターの友里さんが声をかけて来る。問題ないと伝えた。抜いた太刀全てを振り確かめていた。今持つもの以外でも自由自在に扱う事は出来るだろう。

 今回仕事として受けたのは、二課で行う訓練シミュレーターの強化に伴う雑用と言ったところだった。戦闘データを計測。それを参考に、装者たちが行う訓練の難易度の追加を行う作業が行われる予定だそうだ。

 先の言葉が示す通り、今ある難易度では物足りないと言う訳であった。その為、武門である自分に声が掛かったという事だった。特に装者の一人である風鳴翼は剣士である。同じ剣士である自分の戦闘データは色々な方向で参考になるという事の様だ。他にも白兵戦主体の響は元より、クリスであっても近距離での立ち回りについて向上が期待できるのだとか。先達として、後進の壁となれるのならば悪い気はしない。

 その為のデータ測定が今回の模擬戦の目的であった。

 

「壊す気で戦っても大丈夫でしたか?」

『ええ。ユキが本気で戦っても問題なしだ。元々装者たちが全力を出す事を想定しているので、並みの攻撃ではビクともしないのは勿論司令が全力で動いても耐えきれる。筈だ』

「成程。ならば、何も気にしなくても良いと言う事だな」

 

 質問に藤尭が答えた。笑う。あの司令が全力を出したとしても壊れないと言うのならば、大抵の事は行っても大丈夫だろうという事だ。装者たちが壁と感じる程度の戦いを成さねばならなかった。ただでさえ求められる物が大きかった。周囲を気にしながら行ったのでは、さらに難しくなるだろう。それが無いだけまだましという事だった。

 

「ならば、やらせてもらうよ。好きにな」

 

 そんな言葉を伝え、数本の刃を地に突き立てる。更に続け様に壁や天井に投擲し突き立てた。適当な間隔で剣を撒き、場を整えていく。

 

『……トレーニングルームってどんな素材で出来てたっけ?』

『確か装者が全力で殴っても傷がつかない程度の強度はあったはず』

『刺さる物なのかしら?』

『まぁ、ユキだし。緒川さんと同じ扱いで良いよ』

 

 太刀を抜く。手加減などできる相手ではない。もとよりその心算もない。例え模擬だとしても、戦場に立ったと言うのならば、全力を尽くすだけであった。準備はとうにできている。藤尭と友里さんがモニタリングの準備は終えているのか、雑談に興じていた。

 

「上泉の之景。日ノ本の武門の最高峰の一つ。風鳴としても、手を抜く訳にはいかないよな。何よりも、立場を忘れ滾ってしまう」

「司令は無手でよろしいので?」

「知っているだろ? 俺の流儀は(がちんこ)だ」

 

 武を競う相手が姿を見せる。特異災害対策機動部二課率いる司令官。防人風鳴の一族が誇る傑物の一人。素手で完全聖遺物を纏うフィーネを追いつめたと言う怪物。風鳴弦十郎。

 

「辞した時、己を見直し鍛え直しました。我が刃、かつてと同じとは思われませぬよう」

「良く解っているつもりだ。響君の代わりに了子君とぶつかり合った。その姿は皆が見ていたのだからな。あの頃と同じとは思っていない」

「刃は血に継がれ、技は甦る。それが、上泉の剣。上泉之景。全力で向かわせていただきます」

「ああ。特異災害対策機動部二課司令、風鳴弦十郎。全力で迎え撃とう」

 

 刃の潰された太刀。手にしていた。笑う。迎え撃つは、おそらく考え得る限り最大の実力者。此度の立ち合いは後進の為の測定ではある。が、そんな物はどうだって良くなってきていた。武門であり、男である。強き相手と鎬を削れると言うのならば、滾らない道理は無かった。

 対峙する敵も同じような物なのだろう。両の拳を握り悠然と構えた司令の口元には微かな笑みが浮かんでいた。味方同士である。だが、それ以前に男同士だった。ぶつかり合う機会がある。ならば、全力を尽くすだけだ。

 

『お二人とも準備は良いようですね。それでは模擬戦を開始します!』

 

 藤尭の声が響く。開始の合図。右から左に抜けていく。そんな物はどうだって良かった。合図などする意味が無いからだ。それよりずっと早く。言葉を交わしている時点からすでに立ち合いは始まっている。司令とぶつかり合う。そんな話を聞いた時点で、そう決めていた。司令もまた、こちらの期待通りの意気を示してくれていた。外野が何か言っている。雑音が心地よかった。

 

「来ないのならば、こちらから行くぞ」

 

 拳。声が耳に届いた時には視界一面に迫っていた。下段。刃を流し、倒れ込みながらの一刃。

 

「甘いな」

 

 拳の軌道を変え、地に手を突くように腕力だけでの跳躍。気に留めず、振り抜いた勢いのまま飛んだ。壁面。一振り。壁に足を突いたまま抜き、跳躍。天井。軌道を変え見据える。

 

「行かせてもらう」

 

 加速。斬撃。両の手を振り抜く。後退。司令は間合いを見切る様に下がると、刃が上着を掠めるほどの距離で往なした。両腕。既に拳が握られている。

 

「返すぞ!!」

「っ!」

 

 両の手より放たれた剛撃。二振りの刃で迎え撃つ。衝突、拮抗。戦車砲が直撃したような衝撃が訓練室を駆け抜ける。両腕。凄まじい豪撃に、幾らか痺れた。力を流して尚折れた両刃。司令の腕の内側で回転している。

 

「こちらの台詞だ!」

 

 刺突斬撃。二振りの刃に打点を合わせ打ち抜く。刺突。首を逸らす事でかわす。斬撃、打ち出された飛刃を拳を持って打ち砕いた。化け物め。笑みが零れる。前進。ついで放たれる拳撃を立ち位置を入れ代える事により凌ぐ。

 

「ちっ!」

 

 司令の舌打ち。両の刃を捨てていた。疾走、跳躍。地、壁と突き立つ太刀を抜く。視線。一瞬離れた時には、既に司令が迫る。石突。振りかぶられた拳に合わせた。支点。壁面に半ば衝突するように着地していた足を無理やり蹴り加速する。

 

「斬らせてもらう」

 

 司令の剛撃の威力を流しぐるりと回った。支点として用いた左腕がみしみしと軋みを上げる。その甲斐あって、空中ですれ違う。右腕。思惑に逆らわず振り抜く。

 

『な、何事ですか!?』

 

 斬撃反発。晒された背。それに向け繰り出した斬撃。目的を見失い壁に打ち込まれた拳。斬撃の打ち込まれる僅かな隙を用い、発勁で壁に流していた。着地。地に衝撃が駆け抜ける。響の声が届く。三人の装者のうち、彼女だけがまだ残って居たようだ。二人のオペレーターのどちらかの通信機から、少し遠い声が聞こえる。

 

「相変わらず、斬撃が通らない」

「そちらこそ、相変わらず紙一重で捉えきれない。流石はノイズを斬るだけあり、凄まじい見切りだ」

 

 仕切り直し。発勁で往なされた刃。既に折られていた。右手の物を捨て両の手で構える。中段よりも少し高め、刃を流しながら見据える。自然と称え合う。紙一重の攻防だった。背筋が震える。それが、心地よくてたまらない。

 

『な、何で師匠とユキさんが戦ってるんですか!?』

『ああ、クリスちゃんが訓練にならないってボヤいていただろ。だから、新しい難易度と言うか、隠しボスを作成中なんだ』

『え……、隠しボスって……。え、アレと戦うんですか……?』

『そうなるね。データの収集が完了次第、新しい難易度を20段階ぐらいに分けて作るつもりだから、頑張ってね』

『ええ!?』

 

 雑音。それが流れたのを契機に再び踏み込む。拳。掠める。刃。胴に流す。片手、手の甲で弾き落とす。刃が極端に逸れ、空隙を抜かれた。それだけで流れは止めない。

 

「此処」

「ふん!」

 

 跳躍反転。加速を無理やり止め、反転。凄まじい衝撃が半身に蓄積する。地が陥没し、視界が狭まる。上体、肩が床に擦れるほど低く飛んだ。斬り抜け。潰れた刃を以て打ち抜く。あろう事か、腹筋で刃を折られた。凄まじい衝撃が両の手に宿り、それを無視した。急制動からの急加速。その勢いを一切殺さず跳躍。突き立つ刃。勢いのまま手にした。壁。一気に距離が狭まる。片足。負荷が抜けきれないソレを以て、壁に無理やり着地。即座に蹴る。

 

『あの、トレーニングルームの床、砕けてません?』

『そうだねー。でも、戦っているのがあの二人だから仕方ないね。クリスちゃんの爆撃でも耐えられるはずなんだけど気にしちゃだめだよ。新しいシミュレーターでは頑張ってね』

『うぇぇ!?』

「遅いぞユキ!」

 

 紙一重。拳圧が頬を掠めた。着地跳躍。空中で体勢を立て直し地に落ちる。一気に間合いを詰めた。剣閃。勢いを削ぐ事をせず踏み込んだ。

 

「追いつかれたと言うのならば、更に加速するのみ」

 

 二の太刀三の太刀。刃を流しつつ速度を上げる。斬撃の壁。ソレを両手の裏拳で打ち軌道を逸らす事で司令は凌ぐ。相変わらず出鱈目である。放たれる斬撃を裏拳で合わせるなど人間業では無いだろう。笑みが零れる。凌ぎ合うのが楽しくて仕方が無い。体が悲鳴を上げる。視界が白くなる。だからこそ、さらに加速する。

 

「これは堪らん」

 

 そんな言葉と共に司令が後退する。仕切り直しなどさせる暇は与える心算など無い。追撃。前進しながら突き立つ刀を手にする。二刀。更に斬撃を加速していく。銀閃。軌跡が赤を追う。

 

「うおおおおお!!」

 

 不意に衝撃が体を襲った。咆哮。気当て。司令の内に秘められた闘気が雄叫びと共に解放される。達人の気迫。僅かに押されかける。丹田に蓄積されている気。ぶつけ相殺する。ぞわりと悪感が背筋を走り抜けた。地が砕ける。瓦礫、無数に浮かび上がっていた。見据える。浮かび上がっている瓦礫は酷く緩慢としている。

 

『だから、何で砕けてるんですかー!』

『司令ですから』

『司令だからね。アレは、補修に思ったより時間がかかりそうだなぁ』

 

 渾身の拳圧。もはや風だけで礫が飛んだ。後退。刃を振るいながら飛び退り、広範囲に及び猛威を振るう礫を弾き飛ばす。視線。跳躍した司令と交わる。強烈な気配。踵で着地。無理に軌道を変えた。上体から飛び込む。衝撃。拳が地を窪ませる。転がり、跳ね、距離を取る。視界が明滅し、呼吸が乱れる。片方の剣、回避の際に捨てていた。両手持ち。踏み込む。

 

「っ!?」

「良くもまぁ、今のを避ける」

『ユキさん師匠の足に乗ってますよ』

『そうだね。最早どこから突っ込むべきか。あのタイミングで足に飛び乗るユキなのか、人ひとり載せて微動だにしない司令の方か』

『……計測値は。うん。人間の出して良い数値じゃありませんね』

 

 視界の先に、靴が迫る。制動跳躍。ギリギリのところで、足に飛び乗る。突き出された剛脚から衝撃波が抜けていく。後方の壁が僅かに窪んだ音が届いた。跳躍。彼我の距離が近すぎる。斬る前に打たれるのが目に見えていた。天井。即座に突き立った刃を取る。同時に手にしていた一振り、衝撃を往なし切れずに折られたソレを投擲した。司令が軸をずらして躱す。折れた刃が突き立つ。既に天井を蹴っていた。僅かに崩れた隙を突き、一気に攻めかかる。剛撃を至近距離で往なし、太刀を振るう。袈裟に裏拳。剛撃、軸ずらし。凪、足で腕を止められる。腕を引き戻す瞬間、司令の足が地を踏み抜く。

 

「これならどう凌ぐ」

 

 回し蹴り。軸足で踏み抜いてからの旋風。飛んだ。同時に片足を剛脚に添わせ蹴る。後退。と言うよりは吹き飛ばされながら下がる。遠当て。吹き飛ばされながら放った。司令は屈む事で往なす。髪がふわりと風で揺らいだ。一瞬の機先を制した。着地。壁に付けた両足が凄まじい負荷に悲鳴を上げる。壁面の幾らかが砕けた。硬直。既に司令が迫っていた。笑う。拳。見据えた。音が加速する。反発。凄まじい衝撃を壁に逃がし切り、反動で飛んだ。一閃。鈍い音が響いた。

 

 

 

 

 

 

「此処までのようだな」

「ですね。刃を何本折られたのか」

 

 馳せ違い、どちらともなく動きを止める。刃は半ばから折られていた。だが、司令の上着も斬り裂かれている。

拳撃で斬撃を折られていた。咄嗟に軌跡を変え、刃を流した。胴体。折れた刃で斬り抜く。先と同じく、斬撃は腹筋と発勁により弾かれていた。頃合いであった。今の立ち合いで、何本もの刃を折られていた。致命打となる物こそ貰ってはいないが、勝敗を決めるとなれば七割は負けたと言ったところだろうか。刃を次々と折られた。剣士としては、名折れも良いところだろう。だが、悪い気分では無かった。全力を尽くしぶつかり合った。衝突している最中、ある種の快感すら感じていた。純粋な武技のぶつかり合い。久方振りに、楽しいと感じていた。

 

「これ以上は艦への被害も出かねないので分けとしておこうか」

「異議はありません。良い立ち合いを行っていただき、感謝いたします」

 

 司令の言葉に一礼する。順当な落としどころだった。振り返る。遮二無二戦ったに過ぎないが、これ位でよかったのだろうか。参考にならなかったなどと言われたらいたたまれない。

 

『お二人ともお疲れさまでした。一先ず、データの収集はここで終了とさせていただきます。良い戦闘データが計測できました』

「それは良い。久しぶりに暴れた甲斐がある。装者の訓練に役立ててくれ」

『それはもう。これだけのデータがあれば装者三人が音を上げる物を作れますよ。数値がおかしいですし』

 

 どうやらその心配は必要が無さそうだ。体の負荷も考えずに走り回った甲斐があった。そんな事を思いながら折れた刃を片付けると、司令と共に訓練室を後にする。流石に陥没した床や壁、天井などは直しようがない。少しばかり心苦しいが、専門の方たちに任せるしかないだろう。

 

「師匠はシンフォギアでも傷付かない壁にひび入れるし、ユキさんは壁だろうと天井だろうと飛び回ってちょっと良く解らない動きしてる。……あれ? もしかして、ノイズ以外が相手だったら、私必要ないんじゃない?」

 

 模擬戦を途中から見学していた響が、どこか遠い目をしていた。武器を手に、風鳴司令とまともにやり合っていた。その反応も解らないでもない。

 

「それは無いな。誰かの力になりたいと頑張る子が不要などと言う事はあり得ない。これでも先達だぞ。技術的なものでは劣る訳にはいかないさ」

「そうだぞ響君。特にユキの剣は上泉が辿った数百年の歴史がある。一代で追いつこうと言う方が土台間違っていると言える」

「なら、何で師匠は追いついてるんですか?」

「風鳴だからな。武門と防人。言葉こそ違うが武に属すると言う意味では、大きな違いは無いだろう」

 

 自信が無くなった。そんな感じの姿に苦笑が零れた。壁となる為に今回の戦いは行っていた。そういう意味では、少なくとも響相手には十分な効果があったと言える。上泉に生まれた自分は戦う為に磨かれた血筋の一人だと言える。その血肉には戦いと研鑽の歴史が刻まれていると言える。いくら装者とは言え、単純な技術では負ける訳にはいかない。何よりも、自分はノイズ相手には有効な手立ては何もない。斬る事こそ出来はするが、それだけだった。彼の者達の相手は、響をはじめとする装者に頼らざる得ない状況だ。適材適所。自分の場所で出来る事をすればいいのだ。何もかも行う。誰にでも手を差し伸べるような女の子であるからこそ、今の自分と理想の間で悩むのだろうか。何もかもできる訳は無い。自分とて戦いの技があるだけだった。無理はするな。そんな事を司令と共に響に語る。

 

「そもそも他がどれだけ強かろうと、君にとっては関係ないのではないかな?」

「え……?」

「誰かの力になりたいのだろう。力が強いに越した事は無いだろうが、力ばかりに拘るのはのは君の望みから離れるのでは無いだろうか」

 

 誰かの力になりたいのか。それとも、強い力を得たいだけなのか。目的と手段が入れ替わる。そんな事にでもなれば目も当てられない。求めるのは構わない。だが、急ぎすぎるのも良くは無いと言える。何を以て刃を振るうのか。それが大事だと思う。目的の定まらない付け焼刃など、身を滅ぼすだけだ。自分に適した成長をして行けば良い。仮に力が足りない事があると言うのならば、それは先達が補えば良い話だ。司令は元より、風鳴のやクリス、二課の面々もいるのだ。それだけいれば、大抵の事は何とかできるだろう。それでも足りなければ、全力でぶつかり失敗して思いっきり泣いてしまえば良い。生きる中で、出来ない事もあるだろう。だが、それにも何か意味はあるはずだ。

 

「他がどれだけ強くとも、関係ない……」

「ふ、参ったな。師匠がする役を取られてしまった」

 

 呟く響きに、司令が苦笑を浮かべる。柄にもなく、多くを語ってしまった。示したそれは自分の考え方に過ぎないが、何かの参考にでもなればそれで良い。

 

「解るような……気もします」

「なら、少しずつ進めば良い。まだ成長期だろう。心配せずとも十分に伸びる余地はある」

「はい!」

 

 元気の良い返事。向けられる邪気の無い笑みに幾らか毒気を抜かれた。素直な子だ。そんな事を思う。何処かの意地っ張りとは大きな違いだった。

 

「うーん。成長期。そう考えると何かお腹が減ってきたなぁ」

「こっちは解析があるのでまだ随分と終わるには時間がかかりそうですけど、食事には良い時間ですからね」

「そうだ師匠、ユキさん! ごはん食べに行きましょうよ、ごはん! 美味しいお好み焼き屋、知ってるんですよ」

 

 不意に響が良い事を思いついたと声を上げた。司令と二人、困ったように笑う。

 

「申し出はありがたいのだがな。俺はもう少しやる事がある」

「えぇー。行きましょうよ」

「残っている仕事を放り出す訳にはいかんよ。だからユキでも連れて行くと良い。こっちの仕事はもう終わっているからな」

 

 司令の言葉に少し驚く。よく考えて見れば既に目的も達成していた。自分は技術屋では無い為これ以上は為すべき事も無かった。行こうと思えば行けない事もない。

 

「なら、ユキさんだけでも行きましょうよ」

「……まぁ、予定も無いから構わないか」

「やった!!」

 

 流れで外食に向かう事になる。響とは静養中に何度か食事をした事があった。二課の一同に挨拶を告げ陸地に戻る。道すがら、響が小日向に連絡を入れていた。他愛のない話を続けつつ、目的地に向かう。看板。ふらわーと書かれた文字。先のルナアタックによるノイズ襲撃の爪痕か、少しばかり街並みには活気が無く思えるが、目的地のお好み焼き屋は営業しているようだ。既に店の近くに小日向は居た。響が足早に近寄る。躓くなよと一声かけると、大丈夫ですよと笑った。そして、小日向の下に向かい。

 

「みくー!」

「あ、響。それに上泉さんも」

「ごめんね。またせ――わひゃぁ!?」

 

 かなりの速度で向かっていた。そして案の定と言うかなんと言うべきか、盛大に躓いていた。近場に居れば助けられたのだが、生憎遥か後方にいる。どうしようもなかった。小日向を思いっきり巻き込みこけた。駆け寄る。女子高生がもつれあう様に倒れていた。

 

「言わんことが無い」

「あいたたた……」

「あうぅ……。酷いよ響」

 

 目を回す二人。取り敢えずは立たせた。軽く見た限り、怪我などは無さそうだ。響にはもう少し落ち着くようにと小言を一言告げ、小日向には災難だったなとねぎらいを入れる。

 

「ま、まぁ気を取り直して入りましょう!」

 

 そんな響の声を聞きつつ、暖簾をくぐる。人の良さそうな女性が迎えてくれた。女将さん。促され、テーブル席に腰を下ろす。対面には響と小日向。取り敢えず二人のおすすめを聞く。定番ではあるが豚玉。ついで焼きそば等を注文していく。

 

「今回は出させてもらおうか」

「良いんですか!?」

「そんな、悪いですよ……」

 

 思えば二人と外食するのは初めてだった。響には先輩風を吹かせたところだった。この位の事はしても良いだろう。二人が対照的な反応を返した。素直に喜ぶ響と申し訳なさそうにする小日向。どちらもらしい姿なので、少し面白い。奢って貰えるのを喜んでいる響の説得を始めようとする小日向に、気にするなと告げた。呼び出した学生に金を出させるのも気が引けると言うのもある。

 

「すみません」

「気にしなくて良い。響には先達を頼れと話したところだ。これ位は、な」

 

 しっかりしているのだろう。しきりにすまなさそうにする小日向を宥める。響ぐらい喜んでくれて問題ないのだが、恐縮してしまっていた。対照的な二人を相手にしていると、女将さんが料理を運んできた。

 

「何時も女の子達だけで来てるのに珍しいね」

「そうなんですよ。……先輩にあたる人なんですよ!」

 

 女将さんの言葉に、響が少し考え込み言った。嘘では無いなと変なところで感心していた。

 

「後輩たちがお世話になっている様で」

「いえいえ。こちらこそ、若い子たちに元気を貰ってますよ」

 

 短い挨拶を交わした。ゆっくりして行って良いからねとの言葉をいただき、食事に移る。

 粉物。そう言えば最近は食べていなかったなと思い口に含む。鉄板料理特有の厚さがあるが、確かに旨かった。

 

「おいしー! やっぱりふらわーのお好み焼きは絶品だね」

「はいはい。おばちゃんのお好み焼きは何時も美味しいよ。口元にソースついてるからじっとして」

 

 響が満面の笑みを浮かべ、笑う。言葉通り、心の底から美味しいと思っているのが一目で解った。そんな響を小日向が何時もの事という様にナプキンを取り出し頬を拭った。仲が良いものだと横目に、少しずつ箸を進める。他愛のない話を続けながら、料理を突いていた。

 

「そう言えばユキさん。前から気になっていた事を聞いても良いですか?」

「なにか?」

 

 茶を啜ったところで、響が意を決したという風に言葉を発した。あの立花響である。そんな雰囲気が珍しいので、佇まいを正した。口元についているソースが気になるが、話の腰を折る為指摘は後にする。多分、小日向が拭くだろう。

 

「ユキさんとクリスちゃんって、仲が良いですよね?」

「まぁ、悪くは無いと思うよ。と言っても、君と出会ったのも大差ないが」

 

 響の言葉に頷く。少なくとも、ある種の安心感は抱いてくれているように思えた。とは言え、出会って日が長いと言う訳では無い。響と出会ったのも、クリスを拾った翌日だった。時間的な差など無いと言っていい。

 

「そう言えば、初めて会った時もそんな事言ってましたね」

「あの時点で初対面から一夜明けただけだからな」

 

 考えて見ればクリスと出会い、殆ど日が経つことなく二課の面々に出会った。ある意味感慨深い。

 

「それでですね……。その、ユキさんはクリスちゃんとどう言う関係なのかなって。良く話にも出てきますし」

「あ、それは私も気になります。クリスが話題にする男の人って、大体弦十郎さんか上泉さんですし」

 

 響に小日向も興味がありますと話題に入る。

 

「……改めて聞かれると中々説明に困るな」

「じゃあ、その、突っ込んだ事聞いちゃいますけど、お付き合いとかしてるんですか……?」

 

 さてどう答えたものかと考えた時、響が更に聞いてきた。思わず吹き出しそうになる。最初に浮かんだのは、何故そんな結論が出たのかと言う所だった。あの子に同じ事を聞いたらキレるぞと笑う。それ程見当違いだからだ。

 

「それは無い。そういう類の話として言うのならば、精々放っておけなかった女の子と言う所だな。二課に所属した事により、心配する事も随分と少なくはなったが」

「え……!? そうなんですか?」

「ああ、そうだよ。しかし、どうして付き合っていると思ったのか聞いても良いかな?」

 

 答えると響が意外と言わんばかりに目を丸めた。時折人恋しくなるのか尋ねてくる事はあるが、彼女が思うような事実は存在していない。むしろ、こちらが何故そう思ったのか聞いてみたかった。

 

「だって、了子さんとぶつかったとき。ユキさんはクリスちゃんの事で怒ってましたよ」

「ああ、そう言う事か」

 

 それはルナアタックの折、フィーネとぶつかり合った時の話だった。この子は全て見ていた。だから、俺がクリスの事を引き合いに出したのも知っていた。

 

「子供が泣いていた。その子が漸く夢を見つけ戦っていた。それを踏み躙る事をしたのが許せなかったんだよ。知っている子であるのならば尚更だろう?」

「それだけで、了子さんに立ち向かったんですか?」

「ああ、そうなる。俺はね、かつて父に生かされた。だから自分も誰かを生かせる人になりたかった。守るべき矜持があり、守りたい思いがあった。あの場に立った理由などそれで充分だよ」

 

 何も雪音クリスだけの為に立ったわけではない。装者たちは戦っていた。二課の者達も戦っていた。共に歩んだものを嘲笑い踏み躙った。あの時はそう思ったからこそ、童子切を以て挑んだ。そして敗れ、響に後を託していた。その後の戦いについては何もわからないが、フィーネに心境の変化が訪れたという事だった。

 

「ユキさんは、私たちの為にも戦ってくれたんですね」

「何よりも、俺自身が気に入らなかった。そう言う事なのだと思うよ」

 

 そう言われてしまうとどこか照れ臭い。自分の為でもあったと付け加える。

 

「それに、誰かの為に戦ったというのなら小日向もそうだな。リディアン音楽院の皆も装者を助けようと戦った」

「私……ですか?」

「ああ。君たちが歌ったからこそ、あの奇跡は起きたのだろう。充分に戦ったと言える」

 

 小日向もまた、音楽院の仲間たちと共に戦ったのだろう。あの時、あの場、歌が聞こえたのは彼女らが戦った証である。それは自分にはとてもできない戦いだった。

 強いな君たちはと締めくくる。慌てて謙遜を始めた小日向を遮り伝えた。皆で戦った。それで良いのだろう。

 

「やっぱり、ユキさんは良い人です」

「君には負ける。誰かの為にと思える。それは大きな事だと思う」

 

 響の方が遥かに優しいと思えた。少なくとも、自分であったのならフィーネを斬る事しかできず、あの子の胸に深い傷を刻む事しかできなかっただろう。だからこそ、素直にそう思うのだ。

 

「よぉーし! 私、もっと頑張りますね!!」

 

 話が途切れたところで響は元気良くそんな事を宣言した。小日向が少し驚くも、直ぐに笑みが溢れた様だ。子供だとは思っていたが、それでも大きく変わる時がある。立花響はこれからも大きくなるだろう。そんな予感のようなものを感じた。

 

 

 

 

 

 余談ではあるが、後日模擬戦を参考に作られた新難易度BUMONに装者たちは挑み、半泣きにされたと聞いた。




次回からはGに入ります。
模擬戦では戦ってた二人がタッグを組んで向かってくる。装者は泣いても仕方ない。


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2部 英雄と呼ばれた者達
1.煤塗れの刃


『第七十一チェックポイントの通過を確認。岩国の米軍基地までもう間もなく。ですが……』

『狙い打たれたか。何者か、或いはどこかの組織の人間がソロモンの杖奪還を画策していたのだろう』

 

 付けられた小型通信機から司令の言葉が聞こえた。抱えていた剣を持つ。数打ち。銘など無い。量産された太刀の一振りだった。以前に模擬戦に用いた物と同じ刃を抱えている。違う所があるとすれば刃が潰れていない事だろうか。一度目にした白刃は、未だ何も斬り裂いていない輝きを放っていた。

 接近戦。自分は太刀を用いるそれを得意としていた。護衛の装者や同行する友里さんが持つ通信機とは違い、戦闘中でも用いれ、かつ早々壊れないように加工された特別製であった。普段は共通回線を用いているが、ルナアタックの際に用いた特殊通信機のように仮本部と直結で通信できる機能を併せ持つ物だった。

 

 自動人形。かの大事件の最中、暗躍している存在に出会っていた。装者たちが居ない場で司令には報告済みである。上泉之景個人だけを狙っていたのか、それとも二課全体を利用しようとしたのかは定かでは無い。が、フィーネに好き放題させる訳にはいかないと言っていた言葉を思い出す。幸い、童子切を用いてだが、人の手で対応可能な相手であった。報告後の方針として、装者たちには知らせず対応すると言う事になっていた。

 自分は現場で三人の装者と共同戦線を張る事が多い人間だと言える。二課の中でも、単純な戦力としてならば上位に位置していた。自動人形関連の特務が発生した場合、装者たちに知られず指示が下るという事だった。特殊回線。使われない方が良いものではあるが、必要な物でもあった。

 

 何故装者には情報を開示しないのか。それは単純な理由だった。彼女らがまだ子供だからである。シンフォギアを纏って戦う彼女らは、対ノイズ以外の戦力として見ても破格の物を持っている。が、それでも子供であることは変わらない。戦場では人の死を見る事も多くなる。現時点でノイズに対抗できる有効な戦力と言うと、彼女等しかいない。だからこそ、ノイズ関連の事件では装者の力を借りざる得ないが、それ以外ではできる限り戦わせたくないと言うのが司令の本音だと言える。二課の皆も、彼女等の人となりを良くしる者が多い。皆もでき得るならば戦わせたくは無いと言う意見だった。司令の判断は二課全体で見ても異議を挟む余地が無かった。そう言う理由から、少なくともシンフォギアが必要とならない限りは、彼女等にはその辺りの情報は伝えないと言う事だった。戦わせなくて済むのなら、それに越した事は無い。

 

「上泉さん!」 

「随分と騒々しい様だな。出番だろうか」

 

 振動が伝わる。乗るは軍用鉄道車両。ルナアタックの際に用いられた聖遺物ソロモンの杖。その輸送が行われていた。護送には二人の装者。響とクリス。その二人を主力とし、二課の友里さんや自分が召集されていた。高速機動中の車両内である。実質的な戦力は装者二人だと言える。今回の自分に課せられた目標は、殲滅では無く対象の防衛だった。ソロモンの杖。その防衛である。

 後方より振動が伝わる。ソロモンの杖を研究するために受け取りに来たウェル博士。彼が杖を所持していると聞いていた。全体の中ほどに居る為、向かっている途中だった。扉が開く。丁度友里さんがウェル博士を連れ前方車両に移動して来ていた。合流する。

 

「これは剣士さん」

「無事のようですね」

「何とかは、と言ったところですが」

 

 ソロモンの杖が収納されている輸送用鞄を抱えて、ウェル博士が答えた。技術屋である為襲撃には慣れていないのだろう、額には冷や汗が浮いている。

 

「あなたは確か、この世界には英雄が必要だと言っていましたね」

「……それがどうかしましたか?」

 

 不意にウェル博士と話した世間話を思い出す。少しばかり先行して、彼とは話す機会があった。ルナアタックの英雄。その時に、装者たちの話もしていた。人類の天敵であるノイズの脅威がはびこる世界。そんな世の中であるからこそ、誰もが信奉する英雄が必要である。そんな事を言っていた。それが、何か引っかかった。

 

「英雄と呼ばれた子らが来ます、よ」

「うわあああ」

 

 太刀を抜く。一閃。ウェル博士が尻餅をついた。天井。煩わしい音が響いていた。ノイズ。車両を貫くために実体化して貫いてきていた敵を削ぎ落す。煤が舞う。黒いものが頬に付く。

 

「ノイズを、斬った……?」

「でき得る事ならば、英雄などとは呼びたくないのですがね。ノイズさえいなければ、戦場など知らず、ただの子供であれた」

 

 呆然と呟く博士に手を差し伸べる。彼の言う通り世界が英雄を欲しているとすれば、彼女らの名が真っ先に上がる事になるのだろう。それが、どこか良く思えない。子供を戦わせ英雄に祭り上げる。それが先を進む者たちのやるべき事なのか。そんな事を考えてしまうからだ。彼女らは強い。だが、その事実とは関係ないところで思ってしまう事もある。

 

「ですが、世界は英雄を求めていますよ」

「人は弱いですからね。強き者を求めるのは仕方が無いのかもしれません。ですが、思うのですよ。弱いからこそ、自らを研鑽し血を流すべきではないのかと。誰かでは無く、先ず自らが立つ。そうして切り開いた道を英雄が通る。それが英雄と呼ばれた彼女らにしてやれる事ではありませんか?」

「……尤もですね。装者と言えども子供にすぎません。なればこそ、真の――」

「煩わしいな」

 

 轟音が車両を襲い、爪痕が刻まれる。衝撃にたたらを踏むウェル博士を屈ませる。目を閉じ、飛来する敵が貫く音を聞き分け刃を振るう。友里さんが銃を抜く。煤が舞う。数はそれほど多くは無い。だがそれも時間の問題だ。本部からの情報ではすでに囲まれ始めている。今は対応できているが、このままではそれも直ぐに限界を迎えるだろう。

 せめて童子切があればと思うが、輸送任務程度では許可が下りなかったと司令が言っていたのを思い出す。存在しない物を斬れる刃。それは、ノイズが相手でも変わらない。シンフォギアには遥かに及ばないまでも、血を吸わせれば一定時間ならば斬り合える。

 

「無事ですか!」

「あなた達は」

 

 声が響く。立花響。そして雪音クリス。二人の少女が合流して来ていた。シンフォギア装者。戦うために来ていた。二人が合流するのは当たり前だと言える。ウェル博士と話していたせいか、どうにも素直に喜べない。英雄。後進に大局を任せざる得ない事が、少しだけ歯痒かった。能力がある事は解っている。だが、まだ幼いと言う気持ちが先に立ってしまう。

 

「既に包囲が完成しつつあるみたいだ。連中、明らかにこっちに狙いを定めてやがる。まるで、何かを狙っているかのように」

「狙うべきものと言えば、一つしかあるまいよ」

 

 クリスの言葉に頷く。ソロモンの杖。目の前の少女とは所縁の深いモノであった。ノイズを呼び出し制御する聖遺物。それを起動させた者こそが雪音クリスであるのだ。杖に関する思いは誰よりも強い。

 

「アークセプター。ルナアタックの際にカギとなった聖遺物の一つ。ソロモンの杖。これを解析して、人の天敵であるノイズに対抗できる可能性。それを模索事が出来るかもしれません」

「ソロモンの杖。そいつは、簡単に扱って良いものじゃねぇよ。その杖の所為で罪も無い人たちが多く亡くなった。あたしのように、家族を失う事になった人たちが増えちまった。考えられないくらいに……」

「クリスちゃん……」

 

 ウェル博士の言葉に、クリスが辛そうに頷く。フィーネに利用されていたとは言え、自らの意思でソロモンの杖を起動させたことには変わりがなかった。ノイズの力で、人類の天敵を操る力で問答無用に争いの火種を無くす。とても褒められた方法とは言えないが、それでも戦争により親を失い涙を零し続けた少女が見出した一つの決断だった。一概に責める事も出来ない。何よりも、クリス自身が一番責を感じている。今の表情を見ただけでも、泣き出しそうになっている。傷口に塩を塗り込むような事はしようと思わない。装者として二課に協力している。その事実で充分では無いか。彼女を思い止まらせた司令の手腕には、今考えても感嘆が零れる。自分にはできなかった事だろう。響などには優しいと言われるが、それは自分にこそ欠けている物だった。

 

「これは奪われちゃいけねぇんだ。絶対に、何があっても……」

「大丈夫だよ、クリスちゃん!」

 

 不意に響がクリスの手を両手で包んだ。不意打ちにクリスの表情が驚きが浮かび、頬が朱に染まる。

 

「おま、こ、こんな時に何を……」

「大丈夫だよ。きっと守るから」

「……ッ。こんな、もう、ほんとバカ……」

 

 響がクリスと目を合わせ頷いた。絶対に守るよと笑う響に、クリスは恥ずかしそうに頷いた。自分のやりたい事を友達が助けてくれている。そんな事実に、意地っ張りは素直に喜ぶこともできず、だけど邪険になどできる訳がない為頬を染め俯くだけであった。クリスちゃんを助けたいんだと言う純粋な思いがありありと滲み出ている。相変わらずだなと軽く笑みが零れた。戦場であるにもかかわらず、少しだけ和んでいた。友里さんと目が合う。小さく、良い子ですよねと呟きが届いた。

 

「行って来い。君たちが後ろを気にせず戦える程度の事はして見せる」

「ユキさん」

 

 煤に塗れた刃を振るう。何度目かのノイズの衝突。その身を削ぎ落とす。告げた言葉に響が目を見て頷く。任せてください。そんな言葉が聞こえてきそうな程真っすぐな視線だった。

 

「……行ってくるよ。ソロモンの杖はあんたに任せたからな」

「任せておけ。二課が全力で防衛にあたるのだ、防げぬはずがあるまい」

「あんたの強さはあのふざけた難易度でおっさんの強さと共に実感済みだからな。その点は心配してねーよ。けど、無理はすんなよな。人である以上、ノイズに触れる事は出来ないんだからな。どうしても無理な時は、あたしを……あたしとあのバカを呼べよ」

 

 迎え撃つと決めたクリスに、後の事は気にするなと伝えた。むしろ、あんたたちの方が心配なんだよと頬を染め、直ぐにそっぽを向いた。苦笑が零れる。心配して言った言葉を心配してるんだと返されるとは思わなかったからだ。友里さんが仲が良いですねと笑う。響がクリスに人の悪い笑みを浮かべ突っかかる。随分と余裕なものだ。とは言え、思い悩んでいるクリスが響によって解されている。それは悪い事ではない。弄られて恥ずかしくなったのか、別に心配してねーしと怒り出す。

 

「そちらも任せる」

 

 言葉を発した時には、既に天井を破り車外に飛び出ていた。対ノイズ兵装であるシンフォギア。その身に纏っていた。自分の知る物と幾らか装飾が変わっている。直接見たのは、ルナアタックの際三人がフィーネとぶつかり合った時の映像である。あの頃と比べると、白色を基調としたものになっているようだ。特にクリスのシンフォギアの色が変わっていた。壁を一つ越えたと気う事なのだろうか。響と共に外に出る際に見た表情は、真剣ではあるが何処か余裕のある物のように思えた。

 

「あれが、ルナアタックの英雄ですか」

「そうですね。地を守った子達ですよ」

 

 ウェル博士の呟きに答えた。英雄。どうにも自分は彼女らをそう呼びたくない様だ。それも仕方が無いだろう。まだ年端も行かなない。恐らく二課の者達もそう思うのでは無いだろうか。少なくとも、司令や緒川辺りは英雄などとは決して呼ばないだろう。どれだけ強かろうと、ノイズの脅威に対抗できる存在であろうとも、子供は子供だと言うに違いない。まだ成人すらしていない。年齢だけで言うのならば彼女らは守られてしかるべきなのだ。

 

「あなたのその剣技。あなたもまた、彼の事件で力を振るったのですか?」

「……そうですね。刃を抜き、迎え撃った。大切な時にこそ間に合わない、どうしようもない刃ではありましたが」

「そうですか。その剣。興味深いものですね」

「煤に塗れただけの刃ですよ」

 

 太刀を軽く振るい鞘に納める。高速で走り続ける車両の上部から、けたたましい音が聞こえる。クリスの重火器。ガトリングや誘導弾が猛威を退けているのだろう。車両単体への被弾はほぼ無しと言える状況まで持ち直していた。とは言え油断できる訳でも無い。少しでも距離を取るため、友里さんと共にウェル博士を誘導していく。

 

『敵対反応減少。トンネルを抜ければ目的地へは間もなくです。このまま逃げ切って下さい』 

『了解した』

『トンネル? なら……』

 

 先頭車両に辿り着く。付けられた通信機から、藤尭の声が届く。響が何かを思いついた様に返している。座り込み太刀を抱える。目を閉じた。今自分がやれることは殆ど無い。高速移動中である。外に出て戦うなど論外だ。周囲の音だけに気を配り、気配のみを探る。隧道。極度の閉鎖空間である。内部でならば攻め手は限られるが、同時に外に出てからが狙い目といえる。流石のノイズも位相差障壁で隧道を通過しながら攻撃には移れない。であればこそ、逃げ切ったと気が緩む突破時が最も油断できないと言えるだろう。不意に、車両全体に衝撃が走った。とは言え、車体の動きに違和感となる物は覚えない。響が含む事を言っていた。何かをする気なのだろう。幾らか逸れていた意識を戻す。彼女らに任せたのだ。ならば何も心配する事は無い。

 

『閉鎖空間を追撃する為物理干渉を無効化。その利を生かし最短で向かってくる敵が遮蔽物を超えてきた瞬間を狙って……』

 

 呟きが届いた。ほぼ同時に衝撃音。大型のノイズを撃ち砕いたのだろう。爆発が起きたような衝撃が車体に響いた。まだ姿勢を低くするように告げる。友里さんがウェル博士を庇う様に伏せさせた。衝撃の中ではあるが、音は届いていた。床に倒れ込むように軽く地を蹴る。瞬間。自身に向け飛行型ノイズが壁を抜き迫った。既にその場に体は存在していない。

 

「え……!?」

 

 抜き打ち。ウェル博士の呆然とした声。当たり前だ。終わっただろうと気を抜いたところに伏兵が居たようなものだ。床を転がる様に切り伏せ、何十もの切り傷により煤になったのを確かめる。納刀。金属がぶつかる感触だけが手に広がる。手と鞘が黒く汚れていた。辺りを包む気配も、気付けばなくなっている。

 

「二人とも無事でしょうか?」

「ええ、なんとか。とは言え、一番危なかったのは上泉さんですが。そちらは大丈夫ですか?」

「はい。怪我はありませんよ。あの子らが戦っていたので、こちらだけを警戒していられました。何十もいれば別ですが、一体程度であればどうとでもなります」

 

 友里さんの声に立ち上がる。ノイズが炭化した煤に汚れただけだった。

 

「……」

「ウェル博士?」

「ああ、いえ、情報として二課の方の身体能力は知ってはいましたが、いざ実際に見て見ると信じられないものだと思いましてね。日本にはNINJAやSAMURAIがいると教えられてはいたのですが」

 

 どこかぼんやりとしているウェル博士に友里さんが声をかけた。彷徨っていた視線が定まると、立ち上がり問題ないと答えた。少しだけ声が弾んでいる。気が昂っているのだろう。殆ど装者が相手をしたのだが、かなり大規模な攻勢だった。無事に切り抜けられた事で高揚するのも解る気はする。たしか忍びはどーも忍者ですと言い現れたり、襲われた相手はアイエエエエ!っと叫ぶんですよねなどと言っているが、少なくとも緒川がそんな現れ方をしたり相手に叫びをあげさせているところは見たことが無かった。博士は外国の方である。何か思い違いをしているのだろうなと内心思いつつも、あまり追求しないでおく。

 冷静に考えてみるとペンを手裏剣代わりに用いたり、複数のペンと紐を用いて即席の鉤爪となる物を作ったり、一度林にでも入れば即席の薬を作ったり、果てには分身したりと、方向性は違うが現実離れしていると言う点ではあまり変わらない。確か名刺で何かを斬るなんて小技も持っている。司令とは違う意味で頼りになる同期だった。

 

「いや、そんな現実離れしてんのはこの人だけだからな。あくまで他の人間は普通だよ」

「それはまぁ、随分な言い草だな」

「事実じゃねーか。あたしはあんたみたいなの、おっさんぐらいしか知らねーよ」

 

 戻って来るなりの言い草に苦笑いが浮かぶ。とは言え口ぶりの割には、こちらを気にしているのかチラチラと視線を向けても来る。憎まれ口はクリスなりの他人との触れ合い方だった。

 

「まぁ、ユキさんは師匠とやり合ってましたからね。あはは……、もうBUMONには挑みたくないんですが……。まだ第1関門なのにまるで突破できる気がしない……。頼みの連携だって、使う間がある訳も無く」

「おいバカ。いやな事思い出させんなよ。思い出したら良いようにやられた事に腹が立ってくるだろ」

「まぁ最初とか、クリスちゃんが速攻で落とされて崩れちゃったしね。それから何度挑んでも太刀打ちできなくて半泣きに――」 

「だあああああ!! い、いい加減な事言ってんじゃねーよ!! 訓練如きで泣く訳ねーだろ!!」

「え? でも半泣きにされたのはふみゅおッ!? ……痛いよクリスちゃん」

 

 出てきた言葉から模擬戦が思い浮かんだのだろう。響が遠い目で呟いた。クリスも嫌そうにしながらも同意する。響が翼さんですら音を上げそうになってたもんねと、思い出しながら語っていたところでクリスが詰め寄った。何言ってんだてめぇと言わんばかりに眉が逆立つ。真偽は兎も角として、司令との戦いは役に立っているようだ。

 

「随分と愉快な方たちの様ですね」

「年相応という事ですよ。いくら英雄と言われようとも、女の子には変わりませんよ」

 

 毒気を抜かれたといった感じのウェル博士に同意する。強くはあるが、まだまだ子供だと言う点は否定しきれない。英雄と言う名の重圧を背負うにはまだ早すぎるのではないか。そんな事を思う。

 

「……兎に角、彼女らにソロモンの杖は守って貰ったのです。僕が必ず役立てて見せますよ。人類の為にも、ね」

「……何か研究に進展がある事を期待していますよ」

 

 やがて目的地に辿り着く。あとは、車両から降り輸送物の受け渡し地点である米軍基地の敷地内で任務を完了するだけであった。ウェル博士の言葉に頷く。ソロモンの杖を起動したクリスにとって、これは災厄でしかなかったが、その力が良い方向に使われると言うのならば、喜ぶべき事だろう。杖の研究が進む事でノイズに対する研究がさらに進む事を期待していた。

 

「ふつつかな杖ですがよろしくお願いします」

「ソロモンの杖を頼んだぞ。それは簡単に大切なものを奪ってしまう。本当に簡単に」

 

 響とクリスが念を押すように言った。

 不意に、片手に熱を感じる。握られたようだ。ソロモンの杖。それは雪音クリスにとって因縁の深い聖遺物である。亡くなった両親の事やフィーネの事が思い起こされたのだろう。繋がれた手にほんの少しだけ力を籠める。大丈夫だ。そう伝えていた。

 

「ええ、約束します。この杖は大切に扱わせてもらいますよ」

 

 博士が笑みを向け言ったその言葉に安心したのか、握られた手が少しだけ緩んだ。やがて手が離れる。

 

「これで、今回の搬送任務は完了ですね」

「よぉーし。これなら翼さんのコンサートにも間に合いそうだよ!」

「さぁって、招待されたからには応援してやらないとな」

 

 友里さんの言葉に二人が頷く。ソロモンの杖搬送。それが終わったところだった。

 三人の装者のうち、風鳴のだけがこの場に居ないのは、かなり大きなコンサートがあり、そちらが優先されたからだと聞いていた。任務が終わった二人はその応援に向かうようである。ルナアタックを始め、その後の生活が彼女らの繋がりを深めたのだろう。あのクリスの口から素直に応援に行くかと聞けたのは感慨深い。そんな様子をみたからか、友里さんが帰りはヘリを出して貰えると朗報を伝える。

 

「マジっすか?」

 

 響が尋ね返した。頷く。確かにそんな連絡は来ていた。歓声。クリスに抱きつきながら喜びを表す。そんな響にどうして良いのか解らないのか、クリスはあたふたしていた。その瞬間、

 

「マジっすか……!?」

「大マジだな!」

 

 基地の敷地から爆音が響いた。警報が響き渡る。装者が動いた。動き出そうとしたところで、司令からの連絡が届いた。

 

『ユキ、聞こえるか?』

『何か?』

『気を付けろ。装者が完全に離れたこのタイミング、何かおかしい』

『了解。警戒しつつ対応します』

『頼むぞ』

 

 特殊回線で届いた。つまりは、何かがあるかもしれないと言う事だった。一度目の襲撃は凌ぎ切り、二度目は受け渡しが完了して離れた直後である。まるで、見られているかのような違和感。太刀を持つ。何かが起ころうとしている。襲い来ると言うのならば、斬るだけであった。両手。煤に塗れている。風が、黒いものを運んできていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




G編開始
まだ綺麗なウェル博士、武門に出会う。

それはそうと、誤字報告と感想ありがとうございます。
感想返しは更新時に行っております


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2.英雄の邂逅

「なんとか殲滅できましたね」

 

 装者たちが米軍基地に襲い来たノイズ達を撃ち果たしたところで、友里さんが言った。頷く。何体かは斬り裂いていたが、殆ど出番など無いまま戦いは終わっていた。

 煤が刃に巻き付いている。相手が人であったのならば血であるが、ノイズであった。ある意味で煤と言うのは、自分にとってはノイズの血と言えるものであるのだろうか。軽く振るう。ただの煤である。大体の物はそれで振り払えた。とは言え、戦場である。今すぐとなると、それ位の手入れしかできなかった。

 

「被害状況を確認したのですが、行方不明者の中にはウェル博士の名も挙がっているようです。そしてソロモンの杖もまた所在不明となっていますね」

「……どうやらしてやられたようだ」

「そうですね。装者たちが守る輸送隊を襲った上で奪取に失敗。基地に搬送を終え、任務が完了したと私たちが油断したところで本命と言う訳ですか」

 

 友里さんの言葉に頷く。言葉の通り二段構えだった。全てが終わった。その安堵の瞬間こそ、最も大きな隙が生まれると言う事だった。まさか、二課が搬送を終え目と鼻の先に存在していると言う状態で仕掛けて来るとは、大胆不敵である。そして米軍を巻き込んだ乱戦の中でソロモンの杖を奪還したという事だった。

 装者が向かった時点で、即座にウェル博士の所在を探した。ソロモンの杖を持っていたのは彼だからだ。基地が攻撃されていようと、最優先の目標であると言えた。元より対ノイズ能力では装者には及ぶべくもない。適材適所。気持ちの上での葛藤などは割り切り、動いていた。飛行型ノイズ。十程が緩急を織り交ぜ向かって来ていた。こちらは一度でも触れれば命は無い。可能な限りの殲滅速度を以て相対していたが、それで時間を取られすぎた。自身こそ無事ではあるが、見事に出し抜かれていた。ウェル博士が行方不明になり、ソロモンの杖の所在も知れない。二課と米軍、双方の敗北と言える。

 

「くそッ! やっぱりソロモンの杖は手の届き辛い場所に置いちゃいけなかったんだ」

「クリスちゃん……」

 

 ソロモンの杖に最も執着を持つのはクリスである。イラつきと焦燥、そして不安がない交ぜになったような悪態を零す。響が傍らにより手を掴んだ。だが、それ以上かける言葉は無い。彼女もまた出し抜かれたからだ。二人の活躍で、基地の損耗は大幅に軽減されていると言えるが、それでも犠牲は出ているうえに最も大切な聖遺物も奪われている。いくら響とは言え、今回ばかりは前向きな言葉も出てこない。

 

『ユキ、聞こえているな』

『良好ですよ』

『ソロモンの杖の探索。一度装者たちは帰投させるが、もう少し頼めるか』

『了解』

 

 司令の言葉に頷く。戦闘中に、一度通信を入れていた。奇妙な物を見つけたからである。それは炭化した死体、以外の死体であった。髪の色素は薄く、酷く年老いた軍人。ノイズと交戦している時に三人分見つけていた。機動で攪乱しながらの交戦中であった。ノイズの突撃をいなしていた際、乱戦の中で気付けば煤に変わっていた。暗躍と隠滅。そんな言葉が思い至る。ノイズの人に対する殺害方法も充分に奇妙なのだが、それは別の方向で奇妙だと言える。何よりも、自動人形に襲われた者たちの死に方と酷似していた。当然の疑惑が浮かぶ。所在不明。暗躍。隠蔽。こじつけとも取れるが、手掛かりとも言える。

 司令の判断は索敵と言う事だった。太刀を握る。此処からは、彼女らの援護は期待できない。風鳴のがコンサートで席を外している今、二課にはソロモンの杖奪取による不測の事態が起きた場合に即応できる装者が居ない。帰投命令も順当だろう。上泉之景の代わりは居ても、装者の代わりは居ないという事だ。

 自身の事を軽視をしている訳では無いのだが、対ノイズ兵装を纏えると言うのはそれだけ大きいと言う事だ。

 

「君たちには帰投命令が出た様だ。気持ちを切り替えておけよ」

「君たちってどういう事だよ」

「居残り組が必要だと判断された訳だ」

 

 米軍には直ぐに協力を要請すると言う事だった。既に通達は行っている様で、直ぐに兵士たちがやって来る。

 

「あんたが補習なら、あたしも付き合うが。戻るのはコイツだけでも大丈夫だろうし」

「問題ないさ。基地をぐるりと案内してもらうだけだ。深追いはできないだろう」

「でも……」

「ソロモンの杖が奪取された。となれば、更なる不測の事態が起きる可能性もある。君はそれに備えろ。此方は俺が担当する」

「確かに。今頃翼さんもライブの準備をしている筈ですしね。そんな時に何かあったら。あわわ……」

 

 自分も残ると言いだしたクリスに言い聞かせる。少なくとも、現時点で装者が必要になる可能性は高くない。二段構えのソロモンの杖奪取作戦から考えて、これ以上の大規模攻撃は考え辛い。米軍基地制圧が目的ならば、それこそ装者が完全に居なくなってからでも良い筈だ。態々目と鼻の先にいる状態で行う理由も解らないが、何らかの急ぐ理由があったのかもしれない。拙速。事を起こすならば速ければ速いほど良い。そんな思惑が浮かぶ。奪取を優先したと言うのならば、既に離脱を始めているだろう。これ以上の大きな攻勢は無いとみるのが妥当では無いだろうか。あえて攻勢に移ると言う手も無いでは無いが、それなりに周到な奪取作戦後に行う理由も思い浮かばない。

 

「仕方ねぇってわけかよ。あたし達が居ないからって勝手に死ぬんじゃねーぞ」

「そう簡単には死なんよ」

 

 自分の意見を退けられた事で若干むくれる白猫に、心配させてすまないなと告げる。無言でそっぽを向いた。相変わらず、他人を心配しているなどと思われるのが恥ずかしい様だ。態度こそそんな感じではあるが、耳が赤くなっている。照れているのが解った。

 

「響。むくれている様なので、この子を頼むよ」

「だ、誰がむくれてるってんだよ」

「そりゃぁ、クリスちゃんですよねー!」

「うひゃぁ!? ちょ、てめぇ、ふざけてんじゃねーぞ!!」

「あはは。隙だらけのクリスちゃんが悪いんだよ。って痛い、ちょ、ホントに痛いって。グーはダメだよ!」

 

 そっぽを向いている間にクリスに忍び寄った響が、耳に吐息をかけた。背筋に何とも言えない感覚が走ったのか、うひゃぁと滅多に聞けない悲鳴を上げた。直後に噴火。両手を握りしめ、割と本気で逆襲に出ていた。痛い痛いと響が逃げる。こんな所だろう。二人のやり取りで、随分と気が抜けたようである。何かあるかもしれない。そんな状態であるからこそ、ある程度気を緩める必要もあるのだ。張り詰めてばかりでは刃は折れかねない。

 この子らは大丈夫だろう。問題があるとすれば、むしろ自分の方か。対ノイズ戦力を欠いた状態での調査だ。気は抜けない。数体であれば対処できるが、群れとなるとどうなるかは解らないからだ。

 

「では、行ってきます」

「はい。二人は任せてください」

 

 まだ鬼ごっこを二人が行っているうちに離れた。手持ちを確かめながら、米軍の案内を受け持つ事になった兵士の下へ行く。太刀が一振り。他には伸縮式の警棒と防具である小手だった。後は簡単な応急処置の薬が幾つかと、携帯食が少量だった。別に、山岳地に行き遭遇戦をやるような状況では無いので、それで充分だった。

 基地の中を案内されながら進む。幾つかの施設を回り、おかしなところが無いか確かめる。既にノイズ被害で発生する煤の除去作業もある程度進んでいた。それなりに綺麗にされ始めた施設を見て回っているが、特段目立つものは無かった。ぐるりと回る。

 

『特段変わったものはありませんね』

『となれば、勘は外れたと言う所か』

 

 司令に報告しながら最後の場所に進む。施設ではなく、路地の一角だった。幾らか進んだ先に、少し開けた空間がある。その場で、飛行ノイズに襲われていた。先には小さな建物がある。聞いてみたところ、ウェル博士が個人で使っていた倉庫であるとか。扉を開こうとしようにも、鍵はウェル博士が持っているだけであるらしい。その時点で違和感が強くなる。

 

『司令。当たりかもしれません』

『そうか。引き続き頼むぞ』

 

 司令に軽い報告を出しながら、案内人に扉を開ける許可を取って貰う。数瞬の問答の末、許可が下りたと言ってくれた。しかし、C4やマスターキーも無いのにどうするのかと尋ねられた。持ってこようとする兵士を止める。随分と時間が経っている。その時間も煩わしかった。太刀を抜く。軽く振るう。上段。構え見据えた。ごくりと兵士が唾を呑み下す音が鳴った。斬撃。扉が崩れ落ちた。瞬間、

 

自動――(オート――)

「なん、だと……?」

 

 扉が落ちる轟音と共に電子音声が響き渡った。何と流れたのかは理解できなかった。と言うよりも、それどころではない。咄嗟に兵士を吹き飛ばし飛び退る。

 

『どうしたユキ!』

 

 司令の声が届く。それどころではない。倒れながら刃を振るった。ノイズ。着地を諦めそのまま仰向けに倒れる。紙一重でかわし、振るった刃にぶつかる。切っ先が削り取られた。反射的に転がり衝撃を流す。地に着いた腕の力だけで跳ね起き、飛んだ。僅差。自身がいた場に飛行型ノイズが突き刺さる。足にかかる負荷を無視し、壁を蹴りながら鞘を抜く。着地。飛来する敵を見据えた。鞘。機動を予測し、打ち抜いた。

 

「……流石に寿命が縮んだ」

 

 思わず零す。まさか部屋の中からノイズが現れるとは思わなかったからだ。それも飛行型が一体だけ。咄嗟に回避に回ったが、ギリギリのところであった。死んでいても不思議ではない。呼吸を整える。紙一重の攻防だった。

 

『ユキ、無事か?』

『何とか。ノイズが一体。それに、地下へと続く経路らしきものが見えます』

 

 部屋に入り、直ぐにそれは目に入った。壁が開いている。そして、隠し部屋になるような形で地下への通路が存在していた。司令に報告を入れる。不意に通路が閉まった。そうすると、完全に只の壁でしかない。触れる。充分に壁だった。目で見ていなければ、壁としか思えない。つまり、この通路は一定時間が経てば封鎖されるという事だった。つまりこれは

 

『逃走経路と言う所か』

 

 報告を行ったところで司令が呟いた。切っ先を失った太刀を振るう。壁を切り崩した。部屋。追撃の指示が下った。流石に司令も渋ったようだが、押し通した。ソロモンの杖が所在不明となっている。でき得る事ならば、何か手掛かりでも欲しかった。そうでなければ無茶をしかねない者がいる。

 ここから先は案内など無い。単独で進めと言う事だった。幸い、光は点けられている。それなりに広い通路。少なくとも、大人一人分ならば充分に移動できる幅員だった。このような経路をどうやって作ったのか。そんな思いが過りつつも、進む。不意に扉が現れた。先ほどの事もあるので警戒しつつ開く。視界が開ける。通路の先。基地外に出た様だった。

 

「おや、あなたは……」

「ウェル博士」

 

 そして、探していた人物を見つけた。博士も幾らか驚いた表情を見せる。ノイズに襲われた時点で想定はしていたが、その予想はどうやら外れる事は無かったようだ。ソロモンの杖。博士の手に持たれているそれを見て取ると、そんな事を思う。

 

「もしかしてとは思ったのですが、まさか本当に来るとは。待ってみた甲斐がある物ですよ」

 

 ウェル博士はにこやかな笑みを浮かべた。分の悪い賭けにを行ってみて勝負に勝利した。そんな嬉しそうだと思えるような笑みである。何がそれ程嬉しいのか。そんな言葉が出かかる。

 

「あなたが、犯人だったのですか」

「はい、そうですよ」

 

 一番聞きたかった事を尋ねる。ソロモンの杖奪取。二課から直接受け渡された人物こそが、その犯人であったと言う訳である。天を仰ぐ。言葉が出ないとはこの事だろう。司令も苦虫を噛んだような表情をしているのでは無いだろうか。

 

「何故、と聞いても?」 

「それは、何故僕がこんな事をしたのかと言う問いですか? それとも、僕がこんな所で悠長にしている理由ですか?」

「両方だな」

「ははは。随分と欲張りですねぇ。この状況、明確な敵である僕が答えるとでも思ってるんですか? ……まぁ良いですよ。隠すような事でも無いので教えてあげます」

 

 博士に問う。すると、小馬鹿にするように肩を震わせ口角を歪めた。

 

「あなたには話したでしょう? 英雄、ですよ。僕はね、英雄になりたいんですよ」 

「それが何だと言うのだ」

「人類の天敵となるノイズを自由に使役する完全聖遺物。ソロモンの杖。その力があれば、大きな事が出来ると思いませんか? そう、お伽話で語られる英雄のように」

 

 杖を大きく掲げ、天に向かって力を解き放った。ノイズ。飛行型のソレが数体現れる。更には地に蛭型が数体。右手の太刀を低く構えた。ノイズ達は博士に制御されているのか、大きく動くそぶりは見せない。

 

「だから、ソロモンの杖を奪取したと」

「まぁ、そんなところですよ。邪魔するものを蹂躙する為の力。尤も、目的がそれだけの訳がありませんがね。そこまであなたに教えてあげる義理はありませんが」

 

 彼の目の前で、何度かノイズを斬り裂いていた。あの時の驚きは、思っていたものと幾らか違ったようである。殺せる確信があって尚殺せなかった。予測を超えていた。つまりはそう言う事なのだろう。その所為もあり、博士の呼び出したノイズの数は人一人を殺すにはあまりに多い数だと言える。周りは木々が多い。戦場としてはむしろ、やり易かった。多対一だ。起伏の無い平地と比べれば遥かに良い。

 

「ならば、なぜこんな所で待っていた?」

「英雄には、乗り越えるべき壁が必要でしょう?」

 

 二つ目の問い。何故目的を達成しながらこのような場所で態々待ち構えていたのか。博士が捕捉されている事も無かった。どう考えても離脱する方が正しいのにも拘らず、あえて危険を承知でその場に留まっている。此方の思いもよらない何か別の目的があるのか。

 そんな疑問に、博士は楽しくて仕方が無いと言った様子で言葉を続ける。えも知れぬ異質な間隔。何なのだこの男は。個体として強い訳では無い。それは見ただけでも解るが、底知れぬ不気味さを持つ。妄執とでも言えば良いのか。ある種の狂気を感じる。

 

「壁、だと……?」

「そうですよ。壁ですよ、壁。試練と言い換えても良い。英雄。人々に飽くなき夢を与える存在。語られる彼らの伝説には、必ず超えるべき壁と言う物があるんですよ。親しきものの死を乗り越える。国を追放される。体の一部を失う。築き上げてきたものを失う。化け物と雌雄を決する。形の差こそあれ、英雄には壁となる物が付き物だと言う訳ですよ!」

「馬鹿な。ならばあなたは、乗り越えるべき壁を見極めるために待っていたとでも言うのか?」

 

 思わず目を見開く。揺さぶる為に言っているのではないのか。そんな疑いを持ってしまう程、ウェル博士の言葉は常識の外にあったと言える。英雄が乗り越えるべき壁を見定める。言ってしまえば、そう言う事だった。何を馬鹿な事をと言わざる得ない。そんな事の為に、優位を捨て去ったと言うのか。そして何よりその言葉から

 

「あなたは、自分が英雄だとでも言うのか」

 

 見極めると語っていた。その姿は自分が英雄である事を疑っていない。さも当然の如く、こちらの問いに大きく頷いた。

 

「そうですよ。あんたの言う通り未成熟なルナアタックの英雄たちとは違い、僕は真の英雄となるべき男ですからね。その為の力として、ソロモンの杖を手に入れた。そんな折、シンフォギアすら纏わずノイズを斬る人間が現れた。びびっと来たよ。人類の天敵を操るソロモンの杖を持つ僕の前に現れた、生身でノイズを斬れる男! 英雄と成るべき者に訪れると言う試練。それがあんただってな!!」

「本気で……言っているのか?」

「いやですねぇ、本気も本気ですよ? そうでなければこんなにも語りませんよ。何せ長年の夢でしたからね。それを叶えられると言うのならば、多少は危険な賭けにも出ると言う訳ですよ。まぁ、何にせよ……」

 

 ウェル博士の言葉の端々から、執念の様な物を感じ取った。本気で言っている。根拠は無いが、確信していた。英雄になる為にソロモンの杖を用いる。本気でそんな事を考えているのだ。蹂躙する力。人の天敵たるノイズを使役できるその力は、確かに圧倒的だと言える。だからこそ、奪われてはならない物だった。だからこそあの子は簡単に扱ってはいけないと言い、博士を信じ預けた。そして、その気持ちを踏み躙った。深く息を吐く。太刀を握る。それは許して良い事なのか。

 

「此処で死んでくださいよ!!」

「それが、答えか……」

 

 答えなど考えるまでも無い。ソロモンの杖の起動。ノイズによる被害。その二つに大きな負い目を感じていた子供を知っていた。そして今、再び杖が悪用されようとしている。そのような事、許容できるわけがない。ノイズが飛来する。後退。地が陥没する。樹木、飛来するノイズへの簡易な盾として利用しながら駆け回る。弧を描いた。ノイズの群れが僅かに軌跡を開いた。踏み込む。

 

「斬らせてもらうぞ」

「っ!? ひぃぃ!!」

 

 一足飛びで間合いを詰めた。太刀の距離。切っ先こそ無くなっているが、十分な距離だと言えた。振り抜く。目を見開いた博士は杖を盾に悲鳴を上げる。獲った。

 

「かはっ……。なん、だと……?」

 

 その直前、あり得ない物を見た。何もない空間。腕だけが突き出されている。黒き腕。巨大な爪を持つ右腕らしきものが、めり込む。骨が軋んだ。可能な限り力に逆らわずに吹き飛ぶ。

 

自動錬金(オートアルケミー)

「……まったく、遅いですよ」

 

 電子音声が鳴り響く。姿を現したソレが行ったのは、完全に予想の外にある一撃だった。唐突に表れた事もそうだが、何の気配も感じられなかった。それも現れた姿を見て納得する。人ではない。それ以前に生物では無かった。生き物の気配などある訳がない。

 

「ガラクタか……」

「おや、僕の協力者を知っているんですか」

「ふん、以前に少しな」

 

 衝突の瞬間、反射的に体が動いていた。左腕が熱を持つ。無意識に盾としていた。小手、かつてと同じように砕け腕に突き刺さっている。軽症とは言い難いが、重症でも無かった。傷を把握する時間など無い。

 

「まぁ良いですよ。僕は此処等で撤収させてもらいます。先ほどの強襲の様に、この場に居ては万が一があり兼ねませんからね。命は大切に、と言う作戦です。後の事は頼みますよ」

「逃げるのか?」

「逃げる? 大局を見てから行ってくださいよ。僕は優雅に撤収するだけですよ。目的を達成していますからね。惨めに逃げるとしたら、それは貴方の方ですからね」

 

 ウェル博士は背を向けにやりとした笑みを浮かべた。此処で逃がすのか。ソロモンの杖を前にしながら、みすみす取り逃すしかないのか。邪魔者を見据える。黒金。かつて戦った人形。無機質な金眼で見据えている。

 

『ユキ、ここは退け』

『了解』

 

 戦いの目的を見失うな。此度の成果はソロモンの杖を誰が保持しているか特定できた。それで充分なのだ。歯を食いしばる。口から血が零れた。

 

「やってくれる。勝負は預ける」

「ええ、そうやって惨めに生き恥を晒してください。よくよく考えてみると簡単に死んでもらっては試練とすら言えませんからね。それでは僕に箔がつかないじゃないですか。あなたには色々頑張ってもらってから退場して貰わないと。そう言う事で精々頑張って逃げてくださいよ。日ノ本の剣士さん」

 

 傷は深い訳では無い。だが、浅くも無かった。それでも充分に動ける。ならばまだやれる。飛来するノイズを往なした。斬り抜ける。煤が舞う。黒金。着地の隙を狙っていた。無理に飛ぶ。爪撃。浅い。僅かに斬られたが。すれ違い様に幾らか斬った。

 

『脱出経路を割り出す。それまでは、何とか距離を取る事に専念するんだ』

 

 博士の姿は既に視界から消えている。残るのは数体のノイズと黒金だった。太刀を強く握る。血が滴り落ちる。手にしているのは、童子切では無い。戦いはまだ続いている。離脱。それを第一に考える。煤が風に流れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ウェル博士、英雄を目指す!
武門との戦いは試練の例の『化け物と雌雄を決する』に該当します。


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3.銷魂の刃

 獣道を駆ける。木々の隙間を潜り抜け、太刀を片手に駆け抜ける。突き出た枝。一振りで落としながら道を作り出す。位相差障壁。存在の濃度を変え縦横無尽に動き回るノイズではあるが、無制限に動き回れると言う訳では無かった。限りなく濃度を無に近づければどんな障害物であろうとも遮蔽物になり得ないのだが、攻撃に移る際には存在の濃度を上げ物理干渉下に実体を置かざる得ない。その状態ならば、木々とは言え充分に遮蔽物たり得るのだ。吹き抜ける風の音に意識を割き、生物の放つ気配と言うよりは、何かが動く事で発生する音に注意を向ける。

 自動人形。かつて対峙した三体の一つ。黒金の自動人形が攻め手に加わっていた。寸前まで、姿を消し音すら発生させる事なく待ち伏せされていた。直撃の寸前に動いた音。気付くよりも早く体が動いた為に幾らか被害を軽減していた。それでも左腕で剣を動かすのは可能な限り控えた方が良い様に思える。血の流れる筋が大きく線を引いていた。古傷、と言うには新しい傷が幾らか開いたようだ。振るおうと思えば十全に振るう事はできるだろうが、此処で無理を押し通し後の憂いを残す事は避けたい。使わざる得ないと判断すれば躊躇無く用いるが、その判断は最後まで保留しておく。

 勢いに任せ跳躍。足元にノイズが飛来する。大樹。逞しい生命力を感じるそれを足場に反転。既に狙いを定めていたノイズの幾らか下を通り振り抜いた。煤。斬り抜けた敵から出た血をその身に纏う。黒。全身に纏った。着地。太刀を手にしたまま拳を振り上げた。黒金。振りかぶられた右腕が襲い掛かる前に殴り飛ばす。後退。咄嗟に飛びずさったのだろう。予想よりずっと後方に飛んでいく自動人形に向け姿勢を低く駆け抜け距離を詰める。跳躍。態勢が崩れ吹き飛ぶ黒金に追いすがり飛んだ。無防備に晒されている腹。斬撃の間合い。振るいかけた刃を無理やり止めやり過ごし、黒金を足場にする。着地、跳躍。黒金を足場に更に飛ぶ。ノイズ。既に地を這う小型の蛭が狙っていた。目的を変更。幾らか大きな樹木へ向け飛んだ。枝を斬り落とし道を開ける。着地反発。軌道を修正し地に降り立つと、そのまま勢いを殺さず地を這う用に駆ける。黒金。一番厄介な敵を置き去りにする。

 

『そのまま直進するんだ。数分で回収用の車両が到着する。道路が見えたら北へ走り抜けろ』

『……無茶を言ってくれるッ』

 

 司令の指示を頭の中で理解する。吐き捨てたくもなるだろう。一般道の封鎖。ノイズ襲撃よりも前、搬送の時点から行われていた。米軍基地付近のみではあるが、一般車両の通行は無いと言える。走る分には問題が無かった。だが、そう言う指示がくだるという事は。

 

『お前ならばできるだろう?』

『走り抜ける車両に正面から飛び乗れと。無茶を言ってくれる』

『無理無茶無謀は今はお前の役目だからな。すまん、これ以外では被害が増えかねん』

 

 ノイズが存在している。ソレに迫られれば車両では躱しようがない。そう言う事であった。背後を確認する。飛行型。地上型は捨て置き、飛び回るのは後二体である。黒金の姿は見えない。逃げたか。或いは姿を消しただけなのか。どちらにせよ二度同じ手に掛かるつもりはない。

 

「ならば、厄介なやつだけは落とす」

 

 反転。勢いを片足に収束させ急制動。好機と言わんばかりに狙いを定めるノイズ。見定めた。襲撃。ソロモンの杖の効果範囲から離れているのだろう。随分と単調になってきていた攻め手を逆手に取る。遠当て。一つに数弾の斬撃をぶつけ弾き飛ばす。同時に跳躍。自身に向け襲来する鳥を削ぎ落す。煤が舞う。死が襲撃を繰り返す。笑う。命が、昂ぶりが全身を駆け抜ける。死線が心地良くて仕方が無い。震える。だが、恐怖は無い。上体。倒した。頭部を狙うノイズ。それで往なした。頽れ様に振るう。削ぎ落とした。地に触れ転がり跳ね起きる。邪魔な敵の姿は消えた。後方。地を這いながら幾つかが追いすがる。しかし距離は取れていた。腕に土と木の葉がこびり付いている。随分とやられてしまっていた。これはあの子らに知られれば何を言われるか分かったものではない。

 そんな事を考えたところで苦笑が浮かぶ。存外、己は余裕を持っているでは無いか。

 

「随分と派手に立ち回ってくれているようですわね。私と少し手合わせして戴けません?」

「……何者だ。と言うだけ無駄なのだろうな」

 

 不意に聞き覚えの無い声が聞こえる。意識、ノイズに割きながらも視線を向ける。剣を持つ端正な女。

 

「ええ。自動人形。劣化品を寄せ付けない程の剣士であるあなたも敬意を表しファラと名乗りましょうか。日ノ本の剣。あなたの刃、手折らせて貰いに来ましたわ」

「ふん。人形が良く言う」

 

 右腕。太刀をぐるりと回す。切っ先が削ぎ落とされた太刀。問題なく振るえる。離脱。それが目的であった。だが、目の前の人形は黒金と同じかそれ以上だろう。黒金は話す事が出来ず、また劣化品と呼ばれていた。目の前の女は、どちらかと言えばガリィやレイアと同じように思える。剣を突き付け、独特な足の運びをする。他二体の自動人形とは違う動きではあるが、何処かに通じるものがあった。一度はぶつかり突破をかけなければいけないだろう。

 

「ふふ。威勢が良い様で。ですが、少しお持ちになって下さいね。先ずは邪魔な物を消しますから」

 

 ファラと名乗った自動人形は、剣を一閃した。顔を顰める。突風が巻き起こる。自分、ではなく後方に牙を剝いた。何のつもりだと言う言葉は出さず、刀を突き付ける。追手であるノイズが駆逐されていた。何がしたいのだろうか。目の前にいる自動人形は黒金の仲間である。それでありながら、ウェル博士の呼び出したノイズを消し去ってしまっていた。協力者と博士は言っていた。だが、一枚岩ではないのか。

 

「あなたの剣を見せて欲しいのよ。私も剣士の端くれで、その剣には興味があるの」

「成程。敵に語る気は無いと」

「そう言う事ですわ」

 

 考えても解らない事は棚に上げる。解る事は、敵が剣を構えたという事だった。目を閉じる。乱れていた呼吸を正す。刃を振るった。

 

「へぇ……。見えていない筈なのに受け止めるなんて」

「ふん。その程度で当たる筈がなかろう」

 

 剣が風を裂く。その音が刃の軌跡を示している。隠す気のない刃など見ている必要はない。随分と侮られたものである。斬撃を流し、弾いた。返しの刃。ぐるりと手首が戻る。ファラの剣が弾いた。片腕。渾身の力を以て振り下ろす。踏み込み。地を砕き押し通した。

 

「あら、噂に聞く馬鹿力」

「……個体としての腕力ならば、お前達の方が上だろう」

 

 あら凄いと飛び退ったファラに言い返す。直接剣を合わせたからこそ手に取るようにわかる。単純な力では、黒金を含めた自動人形に軍配が上がる。

 

「では、何故?」

「技だよ。斬る為に研鑽されてきた技。お前の剣にはそれが足りんよ」

 

 心外だとばかりに笑う人形を蹴り飛ばす。後退した間合い。即座に踏み込む。斬撃。片腕で振るう。

 

「成程、研鑽されてきた技ですか。確かにあなたに比べれば私の剣にそれは無いものね」

「それが無い刃では幾ら個体として強くとも、足りない物がある」

 

 身体能力と言う物では凄まじいものだろう。自分とて瞬間的な力ならばそれ程劣るとは言えないが、総合的に見れば体力と言う限界がある為彼女等には及ばないだろう。だが、それを補い得る技があった。血に刻まれ引き継がれてきた技がある。人形たちにはない物だろう。

 

「……ッ。これは確かに三対一でも押し切れなかったのも頷ける」

「押し通るぞ」

 

 残光。剣と剣がぶつかり合い、数多の銀閃が姿を消していく。踏み込みからの一撃。手首を回転させると言う人には不可能な動きを駆使し迎え撃つ。だが、遅い。片腕で尚、加速する。

 

「日ノ本の剣。確かにこれ程ならば、無双と言えるかもしれませんわ」

「お前は、何を言っている」

 

 迎え撃つ剣を弾き飛ばした。回転する刃。太刀では無く、拳で打ち払った。人外の剣。無理やりこじ開ける。笑み。目を見開いたファラが口角を曲げる。違和感。既に振り下ろす為に上げた手に咄嗟に左手を添えた。

 

「そうだったとしても、あなたでは私に勝てませんわ。だって私が持つ刃は、剣殺し(ソードブレイカー)だから」

「……ッ」

 

 刃が再びぶつかった。人形が凄絶な笑みを浮かべる。緑の人形が持つ剣が光を帯びる。ぞくりと背筋に悪感が走った。死線。一気に踏み込んだ感覚。これは、使わせてはいけない。直感した。太刀。全霊を込めた。

 

「手折らせてもらいますわ」

「……斬るまでだ」

 

 ファラが宣言した。一閃。刃が宙を舞った。刀身。半ばから折れ、回転している。瞬間、刃が砕けた。

 

「まさか、そんな方法で剣殺しから逃げるなんてね。呆れを通り越して感心してしまったわ」

「……刃が砕けた? 剣殺し。その名の通り、刃を殺すものなのか?」

「そう言う事ね。だから剣士であるあなたでは、私に勝てない」

 

 斬鉄。第六感に従い、ぶつかり合った刃を斬り落としていた。剣殺し。手にした太刀ではとても切れると思えない。ならば、手にした太刀を斬るだけだった。刹那の判断。斬り離した刃が砕け散る。あと数瞬遅ければ、刃を全て手折られたという事だった。刃を殺す超常。そう言う事なのだろう。どう言う理屈で動いているのかは解らないが、それは対剣士武装だと言える。

 

「くくく、ははは……」

「何を笑っているのかしら?」

「いや、これがおかしくてな。研鑽してきた技が容易く破られた。そう言うのだろう。それが痛快でたまらない」

 

 対峙するのは自動人形。手にするは剣殺し。ならば、剣士である俺には勝てる訳が無い。それは、道理であると言えるだろう。だからこそ、愉快で堪らない。

 

「あら、ショックのあまり気が触れてしまったのかしら?」

「そう見えるか?」

 

 自動人形をただ見据えた。刃。手にした太刀は既に手折られている。血に継がれた技も折られた。だから、為す術がない。

 

「ええ」

「たわけが。だから人形の剣には技が無いと言っている」

 

 そんな風に考えているのなら、可笑しすぎて笑いが止まらない。折れた剣。剣殺しの剣。人外の動き。その程度がどうしたと言うのか。この身は武門である。戦うために研鑽された武人だった。刃が折れた程度、些事に過ぎない。折れた太刀に両手を添え踏み込んだ。自動人形。剣を阻む為、剣殺しで迎え撃つ。

 

「笑わせるなよ人形。ただ強い武器を持っただけで勝ったつもりか? 例え刃を手折ろうと、武人は折れぬと心得よ」

「これは……」

 

 刃を流す。剣殺しが触れた剣を殺すと言うのならば、触れなければ良いだけであった。自動人形。ファラの動きは人外そのものである。力は強く動きは速い。一度攻勢に出られればそれだけで厄介極まりないだろう。ならば、全てを斬り裂けばいい。何もさせなければ良かった。剣を手折り機を潰すと言うのなら。ぶつかる事で剣を殺すと言うのならば、これ以上殺させなければ良いだけの話だった。阻む為に出される刃。その全てを流し、人形だけを削ぎ落す。

 

「技だよ。血に継がれし、血脈が磨き上げてきた技だ」

 

 折れた刃。遠当て。自動人形の持つ剣殺し事腕を斬り飛ばした。

 

「これは参りましたね。まさか剣殺しを正攻法で破るなんて」

「ふん。俺の剣を手折るのではなかったのか?」

 

 人形が笑みを浮かべる。腕を斬り飛ばされた事など些事だと言わんばかりである。とは言え、平然と動く人形だった。これを作ったものからすれば、本当に些事なのかもしれない。

 

「まぁ良いですわ。その刃、確かに剣聖と呼ばれる者が出ても不思議は無いもの。それを見せて貰えただけで今日の所は十分といたします」

「逃げれるとでも?」

「ええ、逃げ切れますわ。今頃、ライブ会場の方ではノイズが暴れ回ってる頃ですし」

「……ウェル博士は逃げたばかりだぞ。この地から会場まで輸送機を用いたとしても辿り着ける訳がない」

「あはは。あなたは知ってるじゃありませんか。便利な移動手段」

「……テレポートジェムと言ったか」

 

 その言葉で思い至った。望む場所に行けると言う道具。一度、人形たちに渡されていた。用いるのは彼女等である。博士と協力関係にあると言うのならば、渡しても不思議はない。

 

「失敗する事もあると聞いたが?」

 

 その言葉にファラは只笑みを深めた。それならそれで構わないと言う事なのだろうか。もしくは、何か言う必要がない事実があるのか。どちらにせよ、答えは聞けそうにない。

 

「これも回収できたことですし、帰還させて貰いましょうか。あなたも早くルナアタックの英雄たちの下へ行ってあげなくても良いのかしら?」

 

 砕けた剣の欠片を拾い、人形は胸元に入れる。そんな物が何に使えると言うのか。

 

「必要ないな」

 

 踏み込んだ。折れた刃。最初から折れていると解れば、いくらでも使いようはある。自動人形。健在な腕で剣殺しを回収し、後退した。間合い。小太刀よりも短いそれは、彼女らの身体能力からすれば往なすのは難しい事では無いのだろう。それでもなお追う。躱せると言うのならば、躱せなくなるまで加速するだけだった。

 剣殺しにぶつけた。即座に流す。剣の力が発動する前に撃ち切るつもりだった。

 

「……ッ!?」

 

 不意にファラの動きがぶれた。ぶれたと思えるほどの加速だった。頭部に放たれた斬撃、首を逸らす事で往なす。返しの刃。反射的に止める。同時に跳躍。至近距離にいるファラを蹴り飛ばす事で後退する。即座に刃を振るった。飛来物。弾丸の如きそれを弾く。金色。地に弾いたそれは硬貨だった。凄まじい量が打ち出されている。場を見る。大樹。即座に盾にする。

 重火器の様な掃射。土煙が舞った。風の音が遠のく。それで終わりと言う事だった

 

「では、ごきげんよう」

 

 最後にファラのそんな言葉だけが聞こえた。

 

 

 

 

 

 

「何とか無事だったようだな」

「ええ。尤も、不可解な事も多くありましたが」

 

 二課の仮本部。医務室で司令と向き合い言葉を交わす。左腕。医療班の仮設処置台に置かれている。開いた傷の処置が行われていた。大まかなものが終わり、縫合をするだけと言う状態だった。医師が針を手に取る。内に異物が入る熱い感覚が伝わる。

 

「ウェル博士。ついで現れた自動人形。そして、謎の武装組織フィーネ」

「ソロモンの杖奪取。その影響が出たと言う所でしょうか。拙速と言うにも荒すぎる気がしますが」

「それを為せるアドバンテージがあったという事だろう。テレポートジェム。お前の報告にあった異端技術に類する道具だな。それを以て、岩国からの距離と言う問題を吹き飛ばした」

「先手を仕掛けると言うのなら、迂を以て直と為すのが上策だとしても思い切ったものです」

 

 自分が自動人形とぶつかり合う中で、ソロモンの杖は、ウェル博士は東京に現れたと聞いていた。QUEENS of MUSIC。風鳴翼とマリア・カデンツァヴナ・イヴ。二人の歌姫が主役を飾る音楽の祭典が開かれていた。その場に、ノイズと共に現れたという事だった。余談だが、風鳴のが歌姫であると言う事は知っていたが、まさか日ノ本を代表する実力者だとは初めて知った。縁があるので歌自体は聞いていたが、その辺りの事情には疎い為、響に教えられた時は一瞬思考が停止したのを覚えている。

 閑話休題。襲撃の際にウェル博士自体は姿を現してはいない様だが、数多のノイズが会場を占拠するために呼び出されていた。そのような事が出来るのは杖の力だけだろう。状況が示していた。

 更には、会場で風鳴のと組む事になった歌姫。マリア・カデンツァヴナ・イヴ。その人がシンフォギアを纏い、更には二人の装者を引き連れ風鳴のに襲い掛かったと聞いていた。それ自体は、帰投の流れでそのまま現場に急行した二人が加勢し、武装組織を退ける形になったが、彼女らが残した影響は大きなものだった。人の意思によるノイズの脅威。明確に知らしめられていた。

 武装組織の先制。各国に声明を出し、名を知らしめていた。先制と言うだけならば、鮮やかな位に取られたと言える。一両日の国土割譲の要求。出来るはずのない要求が各国に出されていた。そのような事、出来るはずが無いと誰でも解るだろう。ならば、別の狙いがあるはずだ。隠れ蓑。そんな言葉が浮かぶ

 

「自動人形。ウェル博士に協力を行っていた。そうでありながら、ノイズを打ち払ってもいます」

「武装組織と博士が何処までつながっているのか。自動人形は博士の協力者と言いながら、有利を崩すような事も行っている。彼女らの目的は何なのか。そして、武装組織の本当の狙いは何なのか。探るべき事はいくらでもある」

 

 一番解っている事は、知らなければならない事ばかりだという事だ。こればかりは、時間をかけて情報を手繰るしかない。ならば思考を少しばかりずらす。ファラは言っていた。砕けた太刀の欠片。それの回収が目的、或いは目的の一つだった。ならば、自動人形の直接の目的は、武装組織とは違うのか。利害の一致。そう言う繋がりである為、不可解な動きをしたと見るべきだろうか。

 少なくとも、英雄になりたいと語った博士の目的と一時的に重なる事はあっても、着地点が同じと言う事は無いだろう。博士と自動人形では、意思と言うべきものが違う様に思える。根拠と言うには薄いが、あれだけの力を持つ自動人形がライブ会場に現れなかった事にも違和感を覚えた。

 

「自動人形はどちらかと言えば俺が狙いなのかもしれませんね。そうでなければ、態々助けた上で仕掛けてくる意味が解りません」

「かも知れんな。断定はできないが、ルナアタックの際の奇妙な接触と言い、何かを狙ってはいるだろう」

「一先ずは、彼女らの相手は自分が受け持ちたいと思います。幸い、ノイズを用いる事は今の所無いようですので、装者三人は従来通りノイズ対策、武装組織に専念させるべきでしょうね」

「ああ。ただでさえ彼女等には負担を掛けすぎている。お前の負担が増えるのは申し訳なく思うが、そうして貰えると助かる」

「構いませんよ。戦いの場で刃を振るう。それが武門の存在意義です」

「俺が自由に動ければいいのだが」

「全体の指揮がありますよ。動じず俯瞰して戦況を見据える目が必要です。司令が動けないが故に、俺が動く。そう言う役割分担の筈です。……ですが、そうですね、司令の性格上納得できないでしょう。そのうち緒川や藤尭を誘い男同士で酒でも飲みましょうか。それで、手打ちです」

 

 自動人形への対策は、基本的に自分が受け持つことにする。三人の装者を筆頭に、ノイズを率いる武装組織。それだけでも十分すぎる相手であるのに、更には自動人形まで相手どれと言うのは、いくら彼女らとは言え荷が勝ちすぎるだろう。

 どれだけ人知の外に居ようとも、自動人形は武技の通じる相手だった。ならば、戦う為に研鑽してきた武門こそが相手どるべきだろう。強大な敵ではあるが、相手にとって不足は無かった。酒を飲もう。そんな約束を交わす。

 

「武装組織側と言えば、博士には個人的な因縁を付けられたようです」

「それは通信機から聞こえて来た。随分と変わった奴に目を付けられたようだな」

「あれだけの妄執、中々出会いませんよ」

「自動人形とは違う意味でお前に頼みたい類だな」

 

 司令の言葉に頷く。自分ですら狂気を感じた。まだ幼い部分の残る響などを筆頭に、出来る限り接触させない方が良いように思える。博士がソロモンの杖を持つ以上、そのような事が出来るはずは無いのだが、そんな事を思う。司令も似たような心境なのだろう。特に装者の精神面のバックアップを重点的に行うと言った。いまする話が、それである程度終わっていた。

 

「ところでユキ」

「何か?」

「今更だが、傷の治療を行いながらでなくても良かったと思うぞ」

「性分なのですよ。ただ臥するだけと言うのが、どうにもしまりが悪い。傷が幾らか開いただけと言うのでは特にね」

 

 司令の言葉に目を移す。左腕、医師が針を以て肉を貫き縫合を施していた。簡易式治療台から血液が零れている。痛みが無いとは言わないが、自身の手で斬り裂く事や、引裂かれた腕で殴る事に比べれば、大した痛みでは無い。司令と話しながらでも何の問題も無かった。そんな事を伝えると、麻酔ぐらい打てと呆れたように笑った。そのような事を言いながら、司令自身も平然としていた。上司として忠告こそするが、同じ穴の狢だろう。

 司令と和やかに話していると、やがて医師が終わりましたと控えめに告げて来た。幾らか痛むが、縫合は完了したようだ。礼を告げる。最後に血を拭うとすべてが終わったので医務室を出た。

 

「……ユキさん、師匠」

 

 すると響が待っていたのか直ぐに声をかけて来た。何かあったのだろうか。いつもは元気な響きの表情は暗い。司令を見る。装者とのぶつかり合いの時にな。話を聞いてやってくれ。そんな事を耳打ちされる。何故、師ではなく自分なのかと言う疑問もあるが、とりあえずは艦内にある小さな休憩スペースに向かった。響の分の飲み物を買い、対面に座る。

 

「とりあえず飲むと良い」

「……ありがとうございます」

 

 響が両手でジュースを手に取りゆっくりと飲み始めた。暫くして涙が浮かぶ。口が開くのを待つ。

 

「……ユキさん。私がやっている事って、偽善なんでしょうか?」 

「何があった?」

 

 質問を質問で返した。あの優しい少女の瞳から涙が零れ落ちている。何かがあったのは明白だった。だが、自分はその場にいた訳ではない。聞かなければ何も答えようがなかった。

 

「今日初めて会ったあの子達に、偽善者だって言われちゃいました……。痛みを知らない私なんかに、誰かの為になんて言って欲しくないって、そんな事を言われちゃいました」

 

 ゆっくりと響が言葉を続ける。その間も止めどなく涙が零れ続けている。今日初めて会った私たちが戦う理由なんてないよ。話を聞かせて欲しい。手を取って欲しいんだと伝えたと語る。

 

「私だって胸が苦しくなる事だって知っているのに……、偽善だって」

「……そうか」

「違うって言いたかったのに、何も言い返せなくて。ただ、あの子の言葉だけが頭にぐるぐるって何度も思い浮かんできて……。私、訳が判らなくなって」

 

 偽善者。誰かの為になりたいと言っていた響が真正面から言われた言葉。たった一言の敵意が、この優しい女の子を深く抉ったという事なのだろう。何かに縋るような瞳と、そこから流れる涙を見ればそんな事は容易に想像できた。フィーネ。かつて対峙した敵を思い出す。

 

「そんな時、ユキさんが了子さんに同じ事を言われた事を急に思い出して……、それで……」

「聞いて欲しくなった訳だな」

 

 頷く。何故司令が自分に話を聞いてくれと言ったのか、それで漸く思い至った。響の目の前で同じ事を言われていた。偽善者。少女一人見捨てられないからすべてを失うのだと断言されていた。あの時自分は即座に言い返した。自分で決めた事。それには恥じ入る必要がない。そんな言葉である。

 

「……はい」

「そうか。君は素直なのだろうな。素直だから、相手の言葉を真正面から受け止め過ぎてしまう」

 

 泣いている響にもしっかりと聞こえるように、ゆっくりと語る。偽善者。立花響の成す事を別の視点から見れば、そう見える事は確かにある。だが、一面でしかない。それも、事実だった。

 

「君は、自分で決めた事を恥じ入る事はあるか?」

「……どういう意味ですか?」

「この場合だと、君は誰かの助けになりたいと思った事を後悔した事があるかと聞いている」

「そんなの……ある訳ありません」

 

 問いに響は涙声で、だが、しっかりと答えた。その答えに笑みが浮かぶ。答えなど、出ているでは無いか。

 

「難しく考えるな。偽善でも良いのだよ。物事は様々な見方がある。相手からはそう見えただけの事だ」

「……あの子から?」

「ああ。君の思う事はな、普通の事では無いのだよ。人は弱い。簡単に他人を思いやれない者が多い。だからこそ、君の言う誰かの為にと言う言葉は人によっては嘘に聞こえる」

「そんな事、ありません……」

「そうだな。命を懸けて戦った。俺はそれを知っている。だけど、相手は知らない。だから、信用できない」

 

 言葉を続ける。優しすぎ、素直すぎるのだろう。だから、今回の様に強い衝撃を受けた時、時折拠り所を見失ってしまうのかもしれない。

 

「偽善じゃ……ないです。ないって信じたいです」

「苦中の苦を受けざれば、人の上の人たること難し。と言う言葉がある。簡単に言えば、苦しみの中の苦しみを体験した者でなければ、人の上には立てないと言う意味だよ」

「なんでそんな言葉……、私は別に、人の上に立ちたいなんて……」

 

 一つの言葉を引き合いに出す。偉人が残した言葉。不意にそれが頭に浮かんだからだ。

 

「君の思いと言うのはそれ程の物だという事だよ。その思いはとても尊い。同時に、嘘のように頼りなく思えてしまうものなんだ。残念な事にな。だからこそ、その思いを信じてもらうには並みの苦難では足りない。人の上に立ったとしても不思議でない痛みを知る事を強いられる」

「だから、信用されない……?」

「そう言う事だ。目に見える理由が必要なのだと思うよ。だけど、その相手は君の事を良く知らなかった。だから、響の言葉が届かなかった。そう言う事だろう」

 

 響の流れていた涙がやがて止まる。

 

「だけどな、それは君の言葉が信じて貰えなかっただけに過ぎない。それで君の言葉が、思いが嘘であると言う事にはならないのではないか?」

「……あ」

「君は自分で決めた事に恥じ入る事は無いのだろう。ならば、後は君の事を知って貰えば良い。信じて貰えば良い。信じて貰えないのならば、信じて貰えるまでぶつかってみると良い」

「……はい!」

 

 柄にも無く多くを語ってしまった。だが、その甲斐もあったのか響の瞳に光が戻った。誰かの為にと頑張る少女。この子には、暗い顔よりも笑顔が似合うと知っていた。それが戻った。慣れない事をして良かったと思う。

 

「やっぱり、ユキさんは優しいですよ」

「君には負けると言った筈だが」

 

 響の笑顔を見たので立ち上がる。これ以上の言葉は必要が無かった。

 

「あの頃のクリスちゃんがユキさんに心を開いたのも解る気がします」

「これでも先達だ。優秀な後進が見ている。少しぐらいは格好をつけさせて欲しい。ただでさえ君たちは辛いところに立っている。偶には前を行く者に寄りかかると良い。それ位の度量はあるつもりだ」

「二回も守って貰いました……。凄く、助けてもらいました」

 

 だから、ありがとうございます。そう言った響に背を向け右手を上げる。この子はもう大丈夫だろう。そう思い、その場を後にした。 

 

 

 

 

 

 




銷魂(しょうこん)
 驚きや悲しみのために気力が失せること。

武門、剣殺しに遭遇する。しかし、次々に刀を折る司令の腹筋には及ばず。
響、調にメンタルを叩っ斬られる。
あと、書いてはいないですが、マリアさんはウェル博士の到着が遅れていたのでライブ中、時間稼ぎをしながら内心プルプルしていた筈。


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4.気の抜ける場所

 鉄パイプに両手を添える。低く刃を構え、それからゆっくりと持ち上げていく。中段に差し掛かり上段。再び中段まで下ろし、下段へと戻る。呼吸を短く吸う。逆袈裟。切り上げからの振り下ろし。そのまま刃の勢いを殺さずに突に移行。踏み込み。刺突。軸足を起点に後退。背後への振り下ろし。勢いを殺さずに刃を流し、宙を薙ぐ。上段。一呼吸。一刃。風が吹き抜ける。

 両手を刃から離す。左腕。開いた傷口はそれほど深くは無かったようで、既に糸は抜かれていた。試し。それを行っていた最中であった。流石に完治とは言い難いが、ある程度の加減ならば充分に剣は振るえるようだ。剣を振るった折に少しばかり熱を放つが、この程度ならば十分に許容範囲の内である。

 

「ふぁぁ……。翼さんに聞いてはいましたが、何と言うか凄いです。上手く言えませんが、ただの鉄パイプの筈なのに、違うって言うのか」

 

 傍らで見ていた響が声を上げた。心の底からそう思っている様な称賛だった。ぐるりと右手を回す。右手に持つ鉄に気を浸透させる。一撃。片腕で振り下ろした。手にした鉄を起点に衝撃が伝わる。片腕。渾身を以て放っていた。斬鉄。地を幾らか裂き、右腕に圧力がかかる。刀身。刃を両断するかのように鉄パイプが二つに割けていた。

 

「思うんですけど、ユキさんもシンフォギアみたいなの持ってるんですか?」

「いや、人の身だよ。しいて言うなら人間単位で戦う為の研鑽はされてきたが、それ以外は鍛錬の賜物だろうな」

 

 なんで生身で地面が斬れるんですかとため息を零す響に答える。司令とやり合った際、友里さんに一度本当に人間なのか検査しましょうと言われたため各種検査をされていた。それによれば、純正の人間と言う事になっていた。一緒に調べられた司令もである。友里さんと藤尭の、嘘だろと言わんばかりの視線を思い出すと苦笑が浮かぶ。そう言う訳で、響の期待には答えられない。自分の持つ物は技だけであった。あえて言うなら、戦いの為に人為的に研鑽された肉体だろうか。

 

「いや、私シンフォギアを纏えますけど、そんな事できませんよ」

「力としての系統が違うのだろう。俺の持つ物を鍛冶師の作った刀だとすれば、君の持つシンフォギアはさしずめ大きな鉄だろう」

「鉄、ですか?」

「ああ。俺の力は、言わば人と言う鉄の中で打たれた剣だ。それに対して君の持つ力と言うのは、巨大な鉄と言う事になる。その鉄を以て名工が鍛え上げれば強大な刃となり得る。無論、鍛えなければただ重いだけの鉄塊という事にもなる。つまり、君の力は鍛え上げれば俺と似たような事、あるいはそれ以上の事が出来るようになる。今は鍛え始めが違う為、それの為せる事が特別に見えるだけだ」

 

 響きの持つ力と、己が持つ技術に関して鉄と刀を例えに語って行く。俺の持つ技術を太刀とするならば、響の持つシンフォギアは大太刀すらも超えていく可能性を持つ。行きつける先が人と言う限界を持つ自分と違い、シンフォギアにはそれだけの可能性があるという事だった。今自分が響を驚かせてはいるようだが、それも長くは続かないだろう。先ずその事実を語る。

 

「それでも、私はユキさんには勝てない気がします」

「まぁ、力が強くなるだけでは負けはせぬと思うよ」

「はい。それに、ユキさんと戦うのは、何か嫌ですし」

 

 何度も助けてもらっているのに戦うなんて嫌ですよと響が笑った。その横顔に、相変わらず優しい子だと思う。思っていた話の流れにならなかった為、もう一つ伝えなければいけない話をどう持っていくかと思考を回す。

 

「仮にだ。仮に俺と本気で戦う事になったらどうする?」

「うーん。そう言うのは考えたくありませんけど、たぶん皆で止めると思います」

「そうだな。それが良い。逆に此方から仕掛けるとすれば各個撃破を狙う。例えシンフォギアを纏っていようとも、勝つ気で仕掛けるだろうな」

「……ユキさんなら、本当に押し切ってきそうです」

 

 嫌な想像させないで下さいと苦笑い。此方としても三人の装者相手に生身で挑むと言うのは、あまり考えたくは無い。特に、イチイバル相手であれば先に捕捉しなければとても勝負にならないだろう。先に捕捉できれば、どうとでもなりそうではあるが、後手はそのまま敗北と言う事になる。誘導弾の相手など、童子切でも無ければ流石にできそうにない。

 

「まぁ、シンフォギアを纏おうと、全てが人を超える訳では無いだろうからな。例えば、刃を体に打ち込めばそのまま無力化できるだろう」

「ユキさんに斬られる……。それは、嫌だなぁ」

「まぁ、本当に斬りはしない。だが、その気さえあれば斬れない事も無いだろう。君の刀は確かに大きいが、無力化するのに同質の刃は必要としない。これは覚えていて欲しい。シンフォギアを纏おうと、時には人の力に、或いは悪意に膝を折る事もあり得る。人を斬るだけならば、包丁だろうと太刀だろうと可能なのだから。だからこそ、振るう刃は勿論の事、自分が受ける刃の事も念頭に置く事だ。それがなければ、命取りになりかねない」

 

 右手に持つ鉄パイプを響に向ける。一閃。風が響の髪を薙いだ。遅れて、えっ、と間が抜けた声が耳に届く。驚きに目を丸めていた。

 

「風?」

「今、君を斬ったのだよ」

「あの、ぜんっぜん見えなかったんですけど」

「そうか。ならばまだ暫くは先達として胡坐をかいていられそうだ」

 

 今なにしたんですかー。っと詰め寄って来る響が面白く、からからと笑う。司令が弟子として取ったのも何となくわかる気がした。驚くほど素直なのだ。そして懸命でもある。その姿を見ると、つい背中を押してやりたくなるという事だった。できる事なら、先の事件の時の様な泣き崩れた表情はさせたくない。

 

「いえ、ユキさんにはとても勝てる気がしないのですが」

「ならば、試してみるか?」

「ええ……!?」

 

 とはいえ悪意や敵意を警戒しろと言ったところで、それ自体、簡単に経験できるものではない。ならば、せめて経験を積ませること位はしておくべきだろう。幸い、彼女も白兵戦を主体としていた。刀の間合いは風鳴のである程度理解できているだろうが、一つの剣を知るより、二つを知る方が経験としては大きい。誤差の範囲ではあるが、自分にしてやれる事はそれぐらいだった。武装組織とのぶつかり合い。それは当然、相手側の装者とのぶつかり合いも想定している。シンフォギアを纏えない身ではあるが、生身同士の鍛錬もまた、経験になるという事だった。

 

「まぁ、嫌ならやめておくが」

「……いえ、やらせてください」

 

 返事に頷く。既に互いの立ち位置は良い間合いであった。右手の鉄パイプ。構えもせず、響を見据えた。意思を込める。

 

「……え?」

 

 声が零れ落ちた。汗が浮き出し始める。構えを取った響の肩が、強張っているのが見て取れる。ただ、それを眺めていた。右手の意思。ただ斬ると言う気概だけを維持する。呼吸。響の荒い息だけが耳に届く。

 

「なに、これ……」

「来ないのか?」

 

 呆然と零す響に、一言だけ尋ねた。目が合う。瞳が見開かれた。震え。目に見える。笑う。来い。言葉では無く、今度は手にした剣の意思で伝えた。

 

「これが、本物のユキさん……。翼さんが、憧れたって言う剣」

「俺は剣では無いよ。剣士だ。日ノ本の剣の一振りなどと言われる事もあるがね」

 

 ぺたりと座り込んだ響に手を差し伸べる。既に右手に持っていた鉄パイプに意思を込める事はやめていた。今は左手にしている。

 風鳴のと行う立ち合いと同じ気概で迎え撃った。響も、風鳴のやクリス、時には司令と鍛錬を行っているようだが、本気の刃に触れるのは初めてであったようだ。風鳴のやクリスは兎も角として、司令は響相手に全力を出す事はまだ無いだろう。あの達人の気迫に一度でも触れた事があるのなら、これほどの驚きは示すはずがない。

 

「あ、すみません」

「いや、良い。初めてなのだろう。あれ程立って居られただけでも十分だ。初めて相手をした風鳴のは、気絶したからな」

「あの翼さんが?」

「まぁ、あの頃は今ほどの意思を持っていなかったようだからな。奏が逝ってから、劇的に変わったのかもしれないな」

「奏さんが……」

 

 天羽奏。二年前に逝った装者だった。自身が二課を離脱したのが四年前であり、奏が二課に来たのが大凡五年ほど前であり、それほど長い時を共有した訳では無いが、風鳴のと共に相手をした事はあった。剣気を気合で押し返そうとしていたのを思い出す。不屈。そんな印象を持つ女の子だった。あの頃の風鳴のは、奏と比べれば気概では負けていただろう。今だからこそ言える事だが、当時は強さを求める理由が奏と呉べれば希薄だったからだろうか。

 

「やっぱり、ユキさんは凄いです」

「それはそうだ。君とは研鑽してきた年季が違う。生身であるならば、尚更だよ」

「ですよね。……あの、偶にで良いので、また相手をして貰えますか?」

「ああ、構わない。司令にも前衛二人組はできるなら鍛えておけと言われている。無理のない範囲で訪ってくれれば良いさ」

 

 風鳴のはもとより、響の方も可能なら相手をしてやってくれと頼まれていた。司令のように直接拳に関して教える事は無いが、至近距離での立ち回りについてならばある程度教える事もできる。その段階になるまではもう暫くかかりそうではあるが、そんな公算はあった。

 

「おい、また剣を振ってやがんのかよ」

「クリスちゃん!?」

「……このバカまで懐柔してやがるし、静養するって言葉を知らねーのかよ」

 

 先程から見ていた人物が声をかけて来る。雪音クリス。気まぐれな白猫だった。ウェル博士の追跡。その時に自動人形相手に交戦、良い一撃を貰っていた。隠す事などできはしないし、そもそも隠す気も無かった。あんたは何してんだよと詰め寄られたのは何時だったか。

 

「仕方あるまい。武装組織の台頭により、何時戦いになるかも解らん。仕上がりを確かめる必要もあるからな」

「別に、あんたが戦わなくてもあたしたちが何とかする」

「そうだな。そうして貰えると助かる」

 

 だからあんたはゆっくりしてろと吐き捨てる白猫の言葉に頷く。口は悪いが心配してくれているのは解っていた。怪我をしてからと言う物、小まめに様子を見に訪ってくる。そこまでされれば、嫌でも心配されていると気付くだろう。特にクリスからすれば、自分は見ていないところでは大体怪我をして戻って来る人間である。小言の一つでも言いたくなるようだ。それほど大きな怪我では無いと説明はするのだが、そうすると機嫌が悪くなり睨みつけて来るので今は好きにさせていた。何も、面倒事を自ら引き受けなくても良いだろうと思うが、それも口には出さない。藪蛇だろう。

 

「たくっ、どいつもこいつも勝手ばかりして」

「……君に言われると重みが違うな。勝手ばかりしていたものに言われると反省しなくてはいけないと思える」

「おい、喧嘩売ってんのか?」

「いや、あれだけ敵意をむき出しにしていた子が変わったものだと感慨深いだけだ」

「やめろ。もう良いからその話は蒸し返すな!」

「クリスちゃんが押し負けた!?」

 

 出会った頃を思い出す。そうすると、クリスは頬を染めそれ以上言うんじゃねぇと詰め寄る。あの頃のクリスは他者に敵意を剥き出しにしていた。今でこそ随分と丸くなってはいるが、だからこそあの頃の行動は今思い出すといたたまれないのだろう。響など、俺が知るよりも更に尖っていた頃のクリスを知っていた。話題にはしたくないという気持ちはありありと感じられる。

 

「それで、君はどうしたのか」

「ふん。暫くはあんたを監視するって伝えただろ。今日も来ただけだ。あと、世間話」

「……こう言うのなんて言うんだっけ? ああ、そうだ。通い妻だ!」

「ちげぇーよ!!」

「どちらかと言うと妹とか姪だろうか」

 

 響のああ、あれだあれ。っと言わんばかりの言葉に苦笑が浮かぶ。白猫の視線が響の方へ向かう。げっと言わんばかりの表情を浮かべた。助け船を出しても良いのだが、今回は見守る事にする。何だかんだ言うが、クリスが響に心を許しているのは見ただけで解る。年相応の言い合いなどはしておくべきだろう。

 

「あたしは、おっさんの指示とは言えコイツが怪我したのはノイズと装者なしでやり合う事になったから気にしているだけであって、それ以外の意図はねえ!」

「とか何とか言っちゃってるけど、それって心配なだけだよねー」

「ちげぇっていってんだろ!」

「ちょ、だから痛いって。ふにゅう。……クリスちゃん、図星だからって直ぐに叩かないでよー」

「成程、シングルよりもダブルの方がいー様だな。腕が鳴る」

「ひいい。何でもありません!」

「遠慮すんな。もってけ全部のせだ!」

「何で増えてるのクリスちゃん!!」

 

 やいやいやっているところを眺める。手が出る分クリスの方が強さは上のようだ。年齢が上という事もある。最初の頃は手が出るのは止めるべきかと思ったのだが、良く見ていると必ず手加減をしている。不器用な子である。素直な思いを出すのが苦手だった。それを、響が半分道化を演じる事で距離を詰めているという事だった。もう半分は、天然でやっているようだが。そこはあまり気にしても仕方が無いだろう。友達。二人を見ているとそんな当たり前な言葉が思い浮かぶ。気付けば笑っていた。この子らは日々成長している。自分が心配する事など、あまりないのでは無いだろうか。

 

「俺など、必要がなくなる日も近いか?」

 

 気付けば傍らで丸まっていた黒猫を抱える。金眼。眠そうに此方を一瞥。知るかと言わんばかりに一鳴き。それはそうかと頷く。日々成長しているが、だからと言って劇的に変わる訳でも無い。先達としては、せめて彼女らが成人するまでは情けないところを見せられないだろう。クロの熱を感じる。体温が心地良い。

 

「ユキさんが必要なくなるって、またまた御冗談を」

「ノイズの相手はあたしたちがするが、だからって怠けさせてやる訳じゃねーぞ」

「いや、そう言う意味では無いのだが。まぁ、良いか」

 

 とは言え、力の強弱は兎も角として、未だ彼女らに脆いところはあるのも事実だった。自分がどれほどの事をしてやれるのかは解らないが、今暫くは腑抜けられないだろう。精神の研鑽。こればかりは、直ぐにできるものではない。人の気持ちに触れ、自分の気持ちに触れる。心を強くするには、それ位しか方法は無かった。これから想定される戦いは、人と人とのぶつかり合いである。彼女らが心折れる場面も出るかもしれない。その時があるのなら、それが先達としての為すべき事だろう。

 

「さて、少し出るかな」

「ん、何か用事でもあんのかよ」

「まぁ、少しな。用事と言うよりは私事だな。そのうち司令達と飲もうかと話していた。その準備だ」

 

 司令達と飲み交わす約束をしていた。司令と緒川、そして藤尭だった。気心が知れた者達で飲む。大人だからできる醍醐味だった。

 

「……お酒ですか?」

「まぁ、そんなところだ。月を肴に夜を明かす。そう言うのも趣があるが、藤尭などもいるのでな。食べられる肴が必要という事だ」

「ちっ、しゃーねーけど付き合ってやるよ。その腕じゃ荷物を持つのも辛いだろ?」

「なら、私も付いて行っても良いですか?」

 

 酒とかあたし達にはまだはえーけどなっと言いながら手を貸すと白猫が見上げて来る。既に腕の傷は問題ない程度まで回復しているのだが、それは言わない事にする。素直にありがとうと頷くと、自分の発言に照れたのかそっぽを向いた。何か奢れよなとぼそりと付け加えられた言葉に、ああっと了承する。一連のやり取りを見ていた響も、私も暇だからついて行っていいですかと手を上げる。断る理由が無い。二つ返事で了承。取り敢えずは鉄パイプを片付け、クロを部屋の中に連れて戻る。尤も、窓を開けているのでまた出てくるかもしれないが。

 

「では行くかな」

 

 そして、三人で歩く事にする。さて、どれぐらい必要か。そんな事を考えつつ、響とクリスの話し声に耳を傾けた。

 

 

 

 

 

 

「しかし、酒とはね……。あんた達も少しばかり気が抜けてんじゃねーのか?」

「と言うと?」

 

 日本酒を数本、そして発泡酒の缶を幾らか購入し、肴を買い揃えたところで帰宅していた。荷物を見たクリスが思い出したように吐き捨てた。ちなみに酒を女の子に持たせるのは構図的に好きでは無い為、殆どは背負って帰った。彼女等には主に肴を持って貰った。内容としては、量販店で売っている干し肉や干物など定番の肴に加え、梅や漬物、豆腐や煎餅など取り揃えていた。ちなみに自分は日本酒を味噌や漬物を肴に飲むのが好きである。もっとも、大量に飲む事はしない。男の失敗で大きいのが酒と権力と女である。溺れない程度に嗜むのが武門の飲み方だった。

 

 

「あいつにも言われたんだけどな、学園祭に参加したらどうだってって言われてんだよ」

「あークリスちゃんが逃げ回ってるみたいって翼さん言ってたしなぁ」

 

 どうやらクリスは武装組織の台頭に気を向けているらしく、とても学園祭の準備など楽しめないと言った雰囲気である。言動に似合わず、真面目だった。捻くれてはいるが、自身の両親を慕っていたりもする。言動と姿勢が正反対な子ではあるが、それ自体は好ましく思える。

 

「当たり前だろ。うちのクラスのやつら、どんな手を使ってもあたしに給仕をさせたいらしい」

「そう言えばクリスちゃんのとこ何をやるの?」

「……模擬店」

「具体的には?」

「……メイド喫茶」

「ぶほぉ!? ま、マジですか。あのクリスちゃんがメイドだと」

 

 響が何故嫌なのか詳しく聞き出していく。模擬店での給仕。それがしたくない様だ。まぁ、確かにらしくは無いが。致命的に似合わないという事も無いだろう。

 

「だぁー! 笑うな! つーか、出ねぇっつてんだろ! 猫耳なんて付けてられるか!」

「猫耳までつけるの! いやいや、絶対出るべきだよクリスちゃん。クリスちゃんの猫耳とか絶対おもしろ……可愛いに決まってるからね!」

「おま、今面白いって言ったか?」

 

 面白半分と言った響に、クリスはしゃーっと食って掛かる。まぁ、面白半分ではあるが、もう半分は学院に馴染めるようにと言う思いも感じ取れなくはない。

 

「ユキさんも参加した方が良いと思いますよね?」

「ん、まぁ、容姿は良いのだ、何を着ても問題あるまい」

「な、ななな、いきなり何を言いやがる!」

 

 響の言葉に頷く。言動は兎も角として、クリスは黙っていれば器量は良い。良いと言うか、良すぎる。そんな子がいるのなら、模擬店と言う出し物の都合、出てくれと言われるのも頷ける。性格からして嫌がるのも解るが、出ておけば後の思い出になるのでは無いだろうか。折角可愛らしいのだから出てはどうかと告げると、案の定赤くなった。何時もの事なので放っておく。それに、殊勝なクリスと言うのも見て見たいものではある。

 

「ですよねー。クリスちゃん、可愛いもん」

「このバカ、可愛いって言うな!」

「まぁ、事実だからな」

「あんたも便乗すんじゃねー!! はぁはぁ、なんでこんなに気が抜けてんだよ。武装組織の連中が何か狙ってんだぞ!」

 

 響の言葉に同意すると、ついに白猫は怒りを爆発させた。それをまぁ落ち着けと宥める。ふーふーと呼吸を荒くしながら、詰め寄られた。取り敢えずは、買い物に付き合わせた礼として買った串団子を取り出す。押し付けた。微妙な表情ではあるが、少し勢いが収まる。

 

「常在戦場じゃねーのかよ」

「ほう、そんな言葉を知っているのか」

「よく、あの剣さんが言ってるからな」

「なら、今回はこんな言葉を覚えていけ。弓張って弛めざるが如し」

 

 クリスの口からは少し意外な言葉が出て来た。言葉自体は知っていても不思議では無いのだが、この言葉は風鳴のが良く言っている。影響を受けたのだろうか。悪い事だとは思わないが、拘り過ぎているようにも思えた。響とは方向性が違うが、この子も素直なのだろう。真面目が過ぎるぞ。かつて風鳴のが天羽奏に言われていた言葉が思い出される。後進は先達に似るのか。風鳴のと言い、クリスと言い、響と言い、似た者同士に思えた。

 

「何だよソレ」

「弓は張らねば使えないが、張り詰めたままでも使えなくなると言う事だよ。人も同じでどれだけ頑張ろうと、何処かで気を抜かねば使い物にならなくなる」

「……あたしは大丈夫だよ」

「気を抜かずに大丈夫な人間など存在しない」

 

 自覚はあるのか、憮然とした感じに零す言葉を否定する。疲れない人間など存在しない。

 

「それでも、あたしは楽しむ資格なんてないんだ。色々な物を奪ってしまったあたしに、今を楽しむなんて事できはしない。しちゃいけないんだ」

「そんな事ないよ。クリスちゃんは間違っちゃったかもしれないけど、その分頑張ってきた。それを私は知っているもん。だから言える。クリスちゃんが今を楽しんじゃいけないって事は無いよ。ううん。苦しんだからこそ、楽しまないといけないんだ」

「……っ、おま、急に何を……」

 

 自分は楽しんではいけないんだと頑なに拒もうとするクリスの手を、響が取った。手が繋がれる。楽しんでも良いんだよと笑う響に、白猫は何かを言い返そうとして結局言葉が出なかった。

 

「逸は労より出で、楽は憂より生ず。と言う事か。全くこの子は、直ぐに成長してしまう」

 

 響の言葉に思わず頷く。楽しみと言うのは、苦労や憂慮の先にある物であり、クリスに楽しむ資格が無いと言う事などあり得ないと断言していた。これでは言うことが無くなってしまったと苦笑が零れる。素直な分、成長が早いという事なのだろうか。

 

「君には、良い友がいるではないか」

「あんたも、いきなり何言ってるんだよ」

「え? 私、ユキさんに褒められた?」

「ああ。事実だからな。クリス、この子は大事にしなければいけないぞ」

「そりゃ……、友達だってんなら……、その、大切には……」

 

 白猫は赤くなり縮こまった。対する響は良く解らないけど褒められた―っところころと笑う。団子を一つ手に取る。口に含んだ。甘い。だが、嫌な甘さでは無く、後を引かない上品な甘さだった。自然と頬が緩む場所。この子らにとって、仲間と言う関係はそんな心地の良い物なのだろう。自分に倣って二人も口をつけた。和菓子。付き合わせた礼に、幾らか買ってあった。おいしーよぉっと締まりのない言葉が届く。確かに美味いと更にもう一つ手に取った子も居る。先の事件が嘘のように穏やかな時間だった。この子らには、この時間が続けばいい。茶を啜りながら、和菓子に頬を緩める少女らを見ると、そんな事を思うのだった。

 

 

 

 

 




響、武門に教えを受ける。
クリス、メイド喫茶に挑戦する、かも。


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5.因縁の策動

 煤が舞い上がる。都心から離れた人気のない路地の一角。数十人の人間だった物の慣れの果てが、風に乗り辺りを吹き荒れる。ノイズによる炭素転換。既に、数多の犠牲者が出ていた。

 

「こんな物かしら?」

 

 煤が風に乗り広がる中、一体の人形が呟いた。青の自動人形。ガリィ・トゥーマーン。人の思い出を採取可能な人形が、煤の中を優雅に舞い踊る。人間の想い出の採取と分配。青の自動人形のみに与えられた役目を果たす為、ノイズと共に動いていた。

 

「しかし、こんな欠片でどれだけの物が出来るのか」

 

 白銀の欠片の一つ。それを手に、ガリィはくるくると回る。緑の自動人形。ファラの持ち帰った欠片の一粒。砕けた刀身の一欠けらだった。人が炭素と砕けた路地の中、青は一人で揺れ動く。

 

「ドヴェルグ=ダインの遺産。何れソレを与えると言うのなら、その対策にも刃を用いる訳ね。マスターが言うには研鑽され、異端技術に匹敵する程までに昇華された技術。血脈に宿る刃(ブラッドスレイヴ)。人間程度がどれだけ強くなろうとも、マスターどころか、自動人形が本気になれば充分だと言うのに、心配性な事ですねぇ」

 

 指で欠片を弄ぶ。宙に打ち上げた。右手。落ちる白銀を掴み取る。

 

「英雄の剣。試作にも満たない仮初の力を得た英雄志望の愚か者。どれだけ踊ってくれるのか。幕外でお手並み拝見させて貰おうかしら」

 

 思い出の採取。ソロモンの杖により召喚されたノイズ。それを譲り受け、錬金術で加工していた。その実験の為に譲り受けた大量のノイズの一部を利用し、思い出の収集による犠牲を武装組織の仕業に隠蔽していた。炭素転換による犠牲者。想い出の採取により犠牲となった人間を、更に煤と変える事で、彼女らの敵となる組織の目を欺く事に利用しているという事だった。ウェル博士と自動人形の協力関係。博士以外の武装組織の構成員が知らないところでも、暗躍が行われていた。

 

「抜剣か。剣を抜くのは果たして誰なのか。暇潰しにはもってこいね。……ちっ」

 

 開かれる右手。彼女が握った白銀の欠片は、自動人形の手を穿っていた。水。浮かび上がったそれが弾け、消える。その時にはもう、ガリィの姿は消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「直ぐに目的地に向かいます。乗って下さい」

 

 風鳴のが叫んだ。東京の要所に作られた、二課の仮設支部。その一つで風鳴のと立ち合っていたところで、通信機がけたたましい音を上げた。ノイズの発生反応。それを感知したと言う事だった。同時に二か所。工場の密集地帯と、住宅街。二か所に同時発生していた。戦力を二つに分ける。丁度風鳴のと共に居たため、工場地帯側に駆り出されたという事だった。現在地からの距離も近く、またノイズの発生数も工場地帯に比べればそれほど多くない。住宅街の方には響とクリスが向かうという事だった。

 

「ノイズは私が引き受けます。先生は、避難が遅れている方たちの対処をお願いします」

「ああ、了解した。風鳴のも油断が無いようにな」

「ええ。恥ずかしい姿はお見せしません」

 

 一言二言の申し合わせ。それで充分だった。目的地までは、それなりの距離がある。負荷を無視すれば追いつけない事も無いのだが、無駄な消耗は避ける為に風鳴のの自動二輪の後方に付く事になった。

 

「ひゃう!?」

「……妙な声を上げるな防人」

「い、いえ。流石に殿方に密着されるとなると、思っていた以上に驚いてしまいまして。それに良く考えて見ると、立ち合いの途中だった為、汗が……」

 

 言いたい事は解らないでも無いが、今は非常時だった。普段は凛としているが、隙が出る事もあるのだと思いつつも、斬って捨てる。ならば走ろうかと尋ねた時点で、防人の思考が切り替わった。風鳴のは問題ないですと短く頷いた。今回は太刀は所持していない。仮設本部には存在しているが、仮支部全てにある物では無かったからだ。基本的に自分しか使うものは居ない為、それも仕方が無いだろう。警棒を二振り。それが武装だった。工業地帯である。長物など、その辺りで収集できる。

 封鎖された道路を駆け抜ける。風が首を撫でる。煤が掠めた。

 

『正面の大きな工場。そこを中心にノイズが点在している。翼は対処に当たれ。ユキはそこから東、幾らか離れた場所に生体反応がある。直ぐに救助に向かえ』

「了解」

「では、また会おう」

「先生も気を付けて」

 

 指示を聞き、散開した。やるべき事は決まっている。それで充分だった。防人。シンフォギアを纏う風鳴翼は、生身の自分が心配する必要などない。彼女が強いのは良く知っていたからだ。自分の事だけを考えていればよかった。走り出す。

 

『そのまま直進、二百――』

 

 目的地に向かう中、不意に通信が乱れた。速度を落とさずに駆ける。警棒、引き抜く。目についた鉄の棒。半ばから折れているソレを斬り落とす。長物、手にしていた。呼吸にして、三つか四つ。幾らか広い場に出た。銀色。煤が舞う中に、男が待って居た。

 

「やはり、あなたか」

「おや、今回は驚かないのですね」

「何度も驚いて貰えると思うな」

 

 ウェル博士。ソロモンの杖の所持者にして、台頭した武装組織の主犯の一人だった。子供を一人、抱きかかえている。人質。見ただけで思い至った。ノイズ。飛行型を博士は数体呼び出す。分断に分断を重ねていた。ノイズが現れる事自体が博士の仕業であるし、更に通信を妨害、更なる分断するとなれば容易に想像できた。

 

「た、たすけて……」

 

 子供が今にも泣きそうな顔でこちらを見る。右手には折れた鉄の棒、左手には警棒だった。鉄の棒を肩の高さまで上げる。

 

「人質という事か?」

「人質? 人聞きが悪いですね。この子には少し協力して貰ってるだけですよ」

 

 博士が口を開いた。抱えている手に力を込めたのだろう、少年は苦しげに呻いた。通信妨害。雑音だけが耳に届く。煩わしい。向こうに聞こえているかは解らないが、一言告げ消した。

 

「ノイズを呼び出し、子供を盾に取り囲む。これを人質と言わずに何と言う?」

「気になる事がありましてね。できたと言っても良い。ふとした疑問なのですが、こういった場面であなたはどういう手段に出るのか見て見たくなったのですよ」

「と言うと?」

「こういう事ですよ。ほら、行って良いですよ。あの人が、君を助けてくれる」

 

 間合いにして三十歩ほどだろうか。何の前触れも無く、博士は子供を開放した。まだノイズは存在しているが、動く気配は無い。少年が恐る恐る此方に踏み出した。

 

「それにしても、みすぼらしい武器ですね。ソロモンの杖とは大違いだ」

「形だけ立派でも意味は無いからな。使いこなせないモノなど、持っているだけ恥を晒すだけだ」

 

 子供が意を決して駆けて来る。下手に動けなかった。態々ノイズを呼び出した上で、人質を解放している。次に出る手など、考えるまでも無い。

 

「男だ、少年」

「……え?」

 

 地を砕いた。踏み込み。此方に駆けていた少年を追い抜く。飛行型。一つが少年に向かっていた。それを鉄棒で削ぎ落す。煤を纏う。ノイズがさらに増える。蛭型。既に十を超えている。博士、凄絶な笑みを浮かべる。右足、着地の負荷を無理やり押し留めた。反転反発。直前に警棒を博士に向かい投擲する。飛び掛かろうとしている蛭型が阻んだ。飛行型。既に飛来している。低く飛ぶ。

 

「良いのですか? 態々あなたがソロモンの杖を奪えるように出向いてあげたのですよ? 見ず知らずの子供一人見捨てれば、この杖をあなたなら奪えるでしょうに!」

 

 声が耳に届いた。飛来する弾丸。ギリギリのところで削ぎ落とす。少年。立ち竦んでいるその子を、左手で抱えた。路地。活路に続く道へと、全力で駆け抜ける。不意に、蛭型が出現し阻んだ。短く跳躍。地にした足、一気に負荷をかけた。蛭型、その硬直を狙っていた。

 

「パパ、ママ、助けて……」

「泣くな。必ず助ける」

 

 傍らの熱。震える声で呟き、強くしがみ付いて来た。強襲。押し留めた負荷を解き放つ。回転。放たれた突進を、射角を見定め横に錐もみ回転。往なした。子供。嗚咽だけが響く。

 

「それがあなたの答えと言う訳ですか! 眼前の一人を見捨てれず、大衆を救うのを諦める! その子を殺せば僕を捕らえられるかもしれないと言うのに、その判断が出来ていない。それではとても、英雄にはなれない!!」

 

 着地。即座に横躍。死が飛来する。ウェル博士がやはりあなたはその程度なんですよと叫んだ。腕の中の熱が震える。その子を殺せば。その言葉に反応したのだろう。震える身体から、恐怖が感じ取れた。

 

「子供を見捨ててお前如きを捕らえて何になる」

「だから、あなたには何も救えないと言うのですよ。本当に大切なものを考えられない。だから、大局を見失う。一を救い、百を殺す!」

 

 反転。馳せ違い様に、削ぎ落とす。博士がこれが事実だと突き付ける。煩わしい。考えたのはそんな事だけだった。

 

「笑わせるな。最初から逃げきれる手を打っている臆病者が良くほざく。大局が見れぬと戯言を吐くのなら、せめて俺に勝ちの目を与えてから言うが良い。何よりも、奪う者が奪われる者を語るな」

 

 遠当て。何かに弾かれる。煤が舞っていた。博士の陣取る後方。そこだけが煤が一度たりとも通過していなかった。自動人形。黒金が先の力を用いて待機している。深く考えずとも、その程度は見て取れていた。仮に子供を見捨てたとしても、博士を撃てる公算など殆ど無い。仮に可能性があったとしても見捨てる気は無いが、そもそも不可能に近かった。

 

「おや、バレてしまいましたか」

「ぬけぬけと言う。良い性格をしているものだ」

「嫌ですねぇ。褒めても生かして返しませんよ?」

「お前如きに殺される程弱くは無いよ」

 

 何が大切かなど、間違える訳にはいかなかった。己が命だけでなく、子供の命も抱えている。手放す事などできはしない。 

 

「今此処で、ソロモンの杖を奪い返せないのならば多くの人が死ぬでしょう。それは、あなたの罪だ」

「ならばそれを強いるあなたは大罪人だな。俺をこき下ろす為に殺しを楽しみ、踏み躙る。その咎すらも、他人に押し付ける訳だ。厚顔無恥も甚だしい。その程度の器で英雄などと、笑わせてくれる。あなたも男だと言うのなら、死を背負ってみろ」

 

 悪意が忍び寄る。その程度、どうと言う事は無かった。戦えなくする。それが目的なのだろう。その様な弄言に付き合う義理は無い。何よりも、彼の言は大切なものが欠けている。人が守るべき矜持が見えない。百を救い一を殺す事自体は否定できないが、それは最後の手段だと言えた。少なくとも、最善を尽くし切れていない場面でその様な事を言われても納得できるわけがない。安易な妥協は、逃げでしかないのだ。失う事への肯定は、最後の最後まで為すべきではない。生かす事を諦めるなど、あってはならない。

 

「ふふ、思っていた以上に強靭な物を持っているようだ。動きも人一人抱えて尚、人間業では無い。それでこそ英雄(ぼく)が選んだ人間ではある」

「敵の言う事を一々真に受けていられるか」

「もっともですね。その点は僕もあんたと同意見ですよ。天才と同じ意見とは良かったですね」

「馬鹿と何とやらは紙一重と言うがな」

 

 不意に攻撃が止んだ。黒金。姿を現す。子供、震えが弱くなっていた。ノイズ、博士の下へ集まる。やがて、地に沈む様に消え去った。自動人形。無機質な目が、こちらを見ている。

 

「さて、そちらの装者がこちらに向かってきそうなので、切り上げさせて貰いますよ」

「……次、俺の前に立った時は覚悟していると良い。その眼鏡を叩き割ってやる」

「それは怖いですね。精々割られないように気を付けさせてもらいますよ」

 

 黒金と共に博士の姿が掻き消える。今回の移動は転移では無い様だ。不可視の領域。目に見えない衣の様な物を持っているのか。正しいものは解らないが、簡単に追える相手では無かった。

 

「お、終わったの?」

「ああ、終わったよ。良く、頑張ったな」

 

 少年が青い顔で呟いた。抱えていたとは言え、無理な機動で動き回った。体調を崩したのだろう。すまなかったなと頭を撫でる。気丈に笑みを浮かべた。

 

「結局、泣かなかったな。偉いぞ」

「だって、助けてくれるって言ったから」

「――先生!!」

 

 俺だって男だからと呟く少年を、もう一度撫でた。声が聞こえてくる。博士の言う通り、向こうの方も終わったという事だった。此方に走ってくる青色に、手を上げ答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『町の直ぐ外れ。こんな所にあの子達が潜んでいるなんて』

『夜の闇が深い。廃施設内ならば尚更だろう。警戒して進むぞ』

『夜陰に紛れ隠れられるってわけだな。それなら、こっちから出向いてやるまでだ』

 

 新型潜水艦、仮設本部内指令室。その場で届く音声に耳を傾けていた。響の住む町の沿岸部の孤島にある廃病院。その施設内に武装組織の者達が潜伏していると言う情報が集まっていた。それに対し、装者たち三人が現場に出向いたと言う訳であった。ウェル博士との二度の交戦。同時に自動人形との接触。博士に個人的にではあるが、自分は二度の襲撃をされていた。狙われている。そう言う判断がされていると言う事だった。

 今回向かう場所は沿岸部に突き出た孤島にある病院であり、廃施設内でもあった。ノイズに襲われればシンフォギアを纏う事の出来ない自分は格好の得物である。例え凌ぎ切り施設から出たとしても、周りは殆どが海である。追いつめられる可能性が非常に高かった。

 

『どうやら、出迎えの様だぞ』

 

 目を閉じ太刀を持つ。今回、自分が為すべき事は今の所存在していない。場所が悪い上、やれることも多くは無い。待機の判断は妥当だった。少しだけ歯痒く思う。対ノイズ戦では、彼女らを頼らざる得ないからだ。この身の刃は雑音を斬る事も可能ではあるが、失敗した際に対価となる代償が大きすぎる。後進だけに戦わせる事は、気分の良いものでは無かった。何よりも、ノイズがいるという事はウェル博士が待ち受けているという事だ。戦いと言う局面以外にも、気になる事はあった。風鳴のはまだしも、他の二人は自分から見ても揺さぶる余地がある。

 

『体が重い……』

『攻撃が通りにくい。なんでこんなに手間取るんだよ……』

『ギアの適合係数が低下している、のか?』

 

 不意に、耳に届く戦況が動き始めた。ノイズに対する攻撃が通り辛くなっており、動きが鈍り始めた。戦い始めにも拘らず、だ。

 

『装者たちの適合係数低下しています』

『翼、何か異常は無いか?』

『視界が悪く、明確には解りませんが、何か噴き出すような音が』

『何らかの方法で狙い撃ちがされている。先ずは屋外に出るんだ』

 

 司令が風鳴のに現場の状況を伝えさせる。応答に対し、即座に現地に異常が無いか測定を始める。広範囲に渡る正体不明の反応が有り。藤尭の言葉に、司令は鋭く指示を飛ばす。異常が感知されているのは室内だけである。外に出れば、幾らかは軽減される可能性があるという事だった。少なくとも、その場に留まるよりは良い。

 

『突破する。立花、雪音。最短距離で向かうぞ!』

『いやいや、そう言わずにもう少しゆっくりして行けばどうです?』

『はい。って、何コイツ!? 二人とも気を付けて』

『立花、代われ!』

 

 聞き覚えのある声が届く。次いで鬼気迫る鋭い叫び。ただ耳に届く。高速で装者に向かい襲い掛かる、ノイズ以外の未確認反応。風鳴のと響が迎え撃つ。装者たちの持つ武器、アームドギアで迎え撃つも、押し返すだけに留まった様だ。

 

『ウェル博士』

『本当に武装組織に……』

『先日はどうも。僕が操るノイズから、僕を守っていただきありがとうございます。おかげで、ソロモンの杖が何処まで使えるのか、存分にテストをさせて貰えましたよ。その甲斐あって、僕がソロモンの杖の主としてできる事を良く把握できたという事です。これで、僕こそがソロモンの杖の所有者として相応しくなれたと思いませんか?』

『思う訳ねーだろ!!』

 

 装者を前に、博士は余裕を持って言葉を紡いでいく。モニターに表示されるノイズ以外の反応。博士の傍らで止まった。狙いは何処にあるのか。今の所、三人を挑発しているようにしか聞こえない。ノイズの反応が増加。クリスの吠える声が届いてくる。ソロモンの杖。彼女にとっては、拘りの強すぎる物だった。それが目の前にあり、悪用されている。冷静でいろと言う方が、土台無理な話だった。誘導弾。適合係数の低下も無視し、大技が放たれる

 

『うああああ!!』

 

 直後に、悲鳴が届いた。適合係数の低下にも関わらずシンフォギアによる大技使用の反動。怒りに任せてはなった攻撃は、諸刃の剣となり、雪音クリス自身をも切り刻む。敵対反応の消失。だが、クリスが満身創痍にまで追い込まれていた。

 

「ユキ」

「何時でも」

 

 短く問う指令に、頷く。ノイズの数は随分と減っている。ソロモンの杖で呼び出される危険は充分にあるが、想定の内だった。これ以上悪化するのならば、加勢に向かう。その準備など、とうにできている。不意に、未確認の反応が遠のき始めた。

 

『あれって……。さっきのやつが運ばれている?』

『立花は雪音とウェル博士の確保を頼む』

 

 風鳴のが駆け始めた。未確認反応、飛行型ノイズに運ばれているのか、洋上に向かい移動を始める。そしてこれまでの暗躍での立ち回りが嘘のように、ウェル博士は響に拘束された。違和感。何時もなら連れている筈の黒金を使い逃れようとする筈である。まだ何かあるのか。司令に耳打ちする。風鳴のが何時もほどの速さは出せてはいないが追走をしていた。司令が本部浮上の指示を下す。

 

『そのまま飛べ、翼!』

『どんな時でも、あなたなら』

 

 司令と緒川が風鳴のに言った。青が空に向かい舞い上がる。

 

『仮設本部、急速浮上。行け、翼!!』

 

 海面に向かい、一気に浮き上がる感覚。着地、跳躍。風鳴のが本部を足場に更に飛びあがった。一閃。ノイズを斬り、海面に向かい落ちる反応に手を伸ばす。

 

『うぁ!?』

『翼さん!?』

『あいつは……』

『時間通りですよ。まったく、素晴らしいタイミングです』

 

 不意にそれは舞い降りた。海面に突き刺さるが如く落ちた黒き烈槍。ガングニールを足場に立つ黒きシンフォギアを纏う装者。

 

『マリア・カデンツァヴナ、イヴだと!?』

 

 何の前触れも無く舞い降りた歌姫に、司令が驚きの声を上げた。二課の索敵に掠る事すらなく、本当に唐突に出現していた。その驚きも仕方が無いだろう。風鳴のが海面に落ちる。未確認反応は、マリアの傍らに存在していた。奪取の失敗。それを悠然と告げて来る。

 

『期待通りですよ、フィーネ』

『フィーネ……だと?』

 

 博士があり得ない事を言い放った。装者と、二課全体に衝撃が走った。

 

『終わりを意味する名は、私たち組織の象徴であると同時に、彼女の二つ名でもあるのですよ。彼女こそが新たに再誕した始まりの巫女、フィーネです』

『そんな、了子さんは確かにあの時……』

 

 動いた。太刀を左手に抜き放つ。司令。その一言だけ言い、動いた。

 

『甘く見ないで貰おうか!!』

『甘く等見るものか。故に、こうして私が全霊を以て挑んでいる!!』

 

 艦に衝撃が走った。着弾。通信機越しに声が届く。被害状況の報告。マリアを振り払えと言う指示が飛ぶ。

 

『勝機』

『そのような物、ありはしない!』

 

 刃が打ち合う音色。衝突音。装者同士が艦体を蹴り、鎬を削る。

 

『翼さん!?』

 

 響の叫びが聞こえた。

 

『クリスちゃん!?』

『かはっ……』

 

 更なる装者の襲撃。敵が出揃ったという事だった。入口が開く。鞘。あえて音が鳴り響くように投げ放った。

 

 

 

 

 

 

「……鞘?」

 

 唐突に響き渡った衝突音に思わずマリアは視線を動かした。刀を納める鞘。それが、宙を舞っている。その場にいるすべての人間が、それを見上げていた。

 

「風鳴の、代わるぞ」

「先生!?」

 

 声が届いた。対峙している風鳴翼の驚いた声。それが届くより先に、銀閃がマリアを襲う。

 

「な!?」

 

 黒き装者は目を見開いた。生身の人間。既に眼前に到達している。馬鹿な。早すぎる。入口は遥か後方にあったはずだ。そんな驚愕に襲われながらも、咄嗟に纏う外套で自身を包み込んだ。刃を弾いた。そのまま反射的に打ち返す。動いてから、駄目だと自らの内で悲鳴を上げる。生身の人間に、ギアを用いて全力で攻撃していた。

 

「――しまっ!?」

「削ぎ落とさせて貰おうか」

 

 あり得ない音が響いた。一太刀。一撃にしか見えないソレが、次いで数十の刃が襲い掛かるが如き音色を轟かせる。黒の外套。瞬く間に、引裂かれた。後退。斬りかかったユキは、頽れた翼を抱え飛び退る。

 

「……その力、あなたは何者なの?」

「……それは本気で言っているのか?」

 

 マリアの問いに、ユキは眉を顰めた。何のつもりなのか。僅かに動いたその表情が、そんな内心をマリアに伝えていた。太刀。右手が動いた。

 

「くぅ……」

 

 咄嗟に烈槍を水平に構えた。衝撃。鉄塊で殴られたような感触が両手に響き渡る。押し寄せる剣圧を、押しのける様に槍を振るった。眼前、既に太刀は振りかぶられている。反射。引き戻した槍。間に合う事は無い。烈槍。二つに開いた。砲撃。その反動を持って後退する。

 

「……存外やるようだ」

「はぁはぁ。もう一度聞くわ。あなたは、何者なの?」

 

 刹那の攻防。かつて見たことが無い剣の冴えに、シンフォギアを纏って尚、マリアの額には脂汗が噴き出る。ルナアタックの英雄と戦う覚悟を決めていた。だが、こんな存在は想定していない。

 

「日ノ本の剣だ。数か月前に戦った相手も覚えていないのか?」

 

 その一言に、マリアは内心の衝撃を隠すのが精一杯だった。何とか笑みを浮かべる。相手が想定外の物だとしても、まだ自分にはガングニールがあり、頼もしい仲間もいる。そう言い聞かせた。

 

「まぁ良い。一度寝かせる。起きてから話は聞かせて貰うぞ」

「ただの人間如きが、私に勝てる心算か?」

 

 敵は強い。だが、自分もそれ以上に戦える。そんな気迫を持って言い返した言葉。対峙するユキは目を丸めた。その後、予想外だと言わんばかりに小さく噴き出した。

 

「……何を笑っている」

「まさか同じ相手に、同じような事を言われるとは思ってなかったのでな」

 

 馬鹿にされているのか。そんなイラつきと共に出されたマリアの問いに、ユキもまた不思議そうに返す。どうしてそんな事を聞くのか。それが解らないと言う口ぶりだった。ユキはかつてフィーネと刃を交えている。その差が現状の違和感を出してしまっていた。

 

「行かせて貰うぞ」

「これは……!?」

 

 踏み込み。艦体が僅かに揺れる。シンフォギア装者を以てして、神速と思えるそれがマリアに迫る。目が見開かれた。外套。二度目でありながら、咄嗟の反応で迎撃するのがやっとだった。

 

「仕方ありませんね」

「え……?」

 

 ぶつかり合う。その瞬間に、二人の装者に救い出されたウェル博士の声が届いた。視界からユキが消える。否、消えたと誤認するほどの勢いで横躍していた。

 

「――先生?」

 

 戦いを見詰めていた風鳴翼も困惑した声を上げる。刃同士がぶつかる鈍い音色が響いていた。再び全員が視線を向ける。斬りかかろうとしていたユキが突然何もない空間に刃を振るい始めた。何が起こっているのだ。当事者のマリアをしてそんな事を思う。ただ、一つだけはっきりしていた。剣士が刃を振るう度に、火花が散った。不可視の何かと刃を交えている。

 

「さぁマリア、今のうちに早く離脱に掛かりましょう」

 

 その何かはウェルの差し金という事だけだった。何にせよ開かれた血路。九死に一生を得た思いで、マリアはその場を離れる事にした。

 

 

 

 




ガリィちゃん。ウェル博士の協力のもと、関係の無いF.I.S.に濡れ衣を被せる。
ウェル博士、順調にフラグを立てる。
武門、眼鏡を割る決意をする。

テンション高いところとかヘタレる所とかも好きですが、序盤のウザ格好良いウェル博士も好きです。この人出てくると色々捗る。


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6.彼女の帰る場所

「正義では守れないものを守る。ユキさんはどう思いますか?」

 

 仮司令部にある休憩室。響に呼ばれ席に着いた時、そんな事を聞かれた。武装組織とのぶつかり合い。自分がマリア・カデンツァヴナ・イヴと刃を交わした時、響もまた、相手の装者とぶつかり合っていた。艦上に出た際に、一瞬だけ確認しただけではあるが、彼女らの方に居た装者は緑と桃色のシンフォギアを纏う二人だった。響が相手をしたのは桃色の方。その子と戦闘中に語ったと言う事だろう。

 

「また、難しい事を聞いてくるな」

「調ちゃんに言われたんです。私達じゃ、二課じゃ守れない物の為に戦っているって」

「具体的には?」

「今回そこまでは聞けませんでした。ただ、あなた達では守れないってだけ」

 

 少し落ち込んだように零す。相変わらず素直が過ぎる。優しいのは良い事なのだが、相手の言葉に揺さぶられすぎるのはこの子の弱点だと言える。

 

「良かったのではないかな」

「え……?」

「少しではあるが、理由は聞けた。ならば、次に出会った時にはもう少し細かな話が聞けるかもしれない。違うか?」

「……あ、確かに。以前は取り付く島もないって感じでしたし。そう考えて見ると、前よりは進んでるかもしれません」

 

 気付いていない様なので先ずは指摘する事にした。相手の目的を少しではあるが話して貰えているのだ。響の言葉が信用できないと心の底から思うのであるならば、対話自体が不可能である。だが、ほんの少しではあるが進展があった。可能性は無いと言う訳では無いのだ。少し沈んでいた響の瞳に、輝きが幾らか戻る。本当に素直な子だ。揺れ動きやすい子に、苦笑が零れる。長所は時に弱点にもなり得るからだ。ウェル博士など、その弱点を的確に突いてきそうである。そんな心配はあるが、今回は話の流れを手折ってしまう為、別の機会に話す事にする。

 

「さて、話を戻そうか。正義には守れない物、か」

「はい。あの子達はそれを守るために戦うんだって」

「……正義に守れるものなど存在しないな」

「そう、なんですか?」

「勘違いしないで欲しい。別に悪に守れる物も無いぞ」

「んん? つまりどう言う事なんです?」

「それぞれに思いがあり意志がある。だからこそ、人は何かを守ろうとするのだろう。そしてぶつかり合う。正義や悪などと、そんな簡単な言葉で断じる事は出来ないのではないかな。それでもあえて言うなら、人ならば全てを守る事が出来るかもしれない。何かを決めるのは人だ。正義だから成すのではなく、悪だから為すのでもない。人であるからこそ、選ぶのだろう。だから片方の立場が守れる物では無く、両方を選ぶと言う人間が居ても良いとは思う。それが実現できるのかは解らないがな」

 

 響が求める問と言うのは簡単な事では無かった。正義に守れる物があり、守れない物もある。悪に守れる物があり、守れない物がある。しかし、どちらにせよ裏と表が存在するのだ。そう考えれば、守れない物はあると言える。しかし、それは答えとしてどこか悲しい。生きる事は選択である。どうしようもない事は存在するが、選び取るのは人だと言えた。ならば、正義でも悪でも無く、人であるのならばどうだろうか。主義主張は存在するが、動くのは人である。人であれば正義も悪も、全てを守る選択を選ぶ事は出来るはずだ。実際にそんな事が出来るのかは解らない。だが、人と言う枠であれば、ソレを選ぶ事だけはできる。その選択がどれ程の道程なのかは解らないが、選べない訳では無いだろう。そんな事を伝えていた。

 

「人であるのならば?」

「そうだな。何を選ぶかは、君次第という事になる。ならば、夢物語を選ぶ人間が居ても良いとは思う」

「私次第か……。難しいですね。けど、ありがとうございます。ユキさんの意見が聞けて、どこかホッとしました」

 

 今回の問いは、流石に簡単に答えの出る物では無かった。響は暫く考え込むと、不意に笑みを浮かべた。答えは出ていない。だけど、考える事を諦めた訳では無いという事だった。

 

「話はこれで終わりだろうか?」

「あ、もう一つあります!」

 

 この話題は此処で終わりだろうかと思い聞いてみると、気持ちを切り替えたのか急に元気になり手を上げる。悩んだり落ち込んだり、元気になったりと忙しい子である。本当に自分に素直なのだと、その様子を見て実感する。

 

「うちの学校で文化祭をやるんですよね。ほら、この間クリスちゃんと話してたやつ」

「ああ。あの子は模擬店をやるのだったか」

「はい。翼さんがクリスちゃんも参加する覚悟を決めたって言ってました。それでですね、ユキさんにはいつもお世話になっていますので、なんとこちらを進呈させてもらいまーす!」

 

 わーぱちぱちと自分で言っている子に苦笑が浮かぶ。泣いた子供が何とやら。とは言え、響は沈んでいるよりも、笑っている方がらしくはあるが。

 

「実はですね、それはクリスちゃんから貰った物なんですよ」

「それはまた、どうして君が?」

「いやー。クリスちゃんって照れ屋じゃないですか。いざ渡そうと思ったら恥ずかしくて渡せなくて、結局今の今まで先送りにした挙句、自分じゃ無理だからって私に無理やり押し付けた訳ですよぉ。あ、それとは別にこっちの招待状は私からです」

 

 何故か二枚の招待状を渡された。響に細かな説明を受けたのだが、一枚あれば学園祭に寄る事自体は何の問題も無かった。しかし、二枚ある。素直であり、律儀でもあった。言葉通り、日頃の感謝の意味を兼ねているのだろう。二枚渡されても扱いに困るだけなのだが、それは言わないでおく。

 招待状を眺める。配布用なのだろう。紙や文字は同じなのだが、添え書きの様な物は手書きであった。響の方には『是非来てください!』と簡単な絵と共に書いてあり、クリスの方は、『来ても良いけど見には来んな!』と何度も消したような感じで書かれていた。招待状を送って置いてくるなとはどういう了見なのか。どうしてそうなったのかは容易に想像ができるが、そんな感想を抱かずにはいられない。

 

「翼さんからもあったんですが、招待状が三枚になると流石に困るだろうからと、是非来てくださいと一緒に伝えて欲しいって言われてます」

「ああ、確かに伝言は受け取った。ありがとう」

 

 二枚貰ってもどうすれば良いのかと言う自分の内心を察するかのように、風鳴のは是非来てくださいと言う言葉だけを送られていた。自分の事を先生と呼んで憚らなくなっただけあり、一番性格を熟知されているのかもしれない。風鳴のは、緒川あたりに紹介状を出したのだろうか。父親に出すという可能性も考えないでは無いが、司令に聞く限り難しい様に思える。風鳴の家系も武門と同じで、常人には解らないしがらみが存在している。何度か話した事がある堅物の顔を思い出す。

 はっきり言うと自分はと言うか、上泉と言う武門は風鳴に嫌われていたりする。正確に言うと先代に、だが。上泉は一度、風鳴の顔に泥を塗った事があるからだ。それはもう全力で。風鳴本家から提案された婚姻を一顧だにせず蹴り飛ばせば、それはそうなろう。風鳴の当代も、先代と他家との間で頭を痛めた様だ。自分が直接何かをした訳では無いのだが、武門と防人の間で面子を潰すやり合いがあったという事だった。10年以上も昔の話である様だが、上泉を名乗る自分が、風鳴機関を前進に持つ二課に一時的にとは言え所属していたのは、その辺りの攻防も関係していたりする。そして、風鳴司令直々に解任されている。司令個人の思惑とは関係ないが、ある意味均衡は取れているという事だった。

 

「司令でも誘うか」

「師匠ですか?」

 

 二枚ある招待状を無駄にする理由も無い。司令を誘えば付いて来るだろうかと言う公算を立てる。ルナアタック事変の際、クリスを二課側に引き寄せたのは、司令が説得を行った事が大きい。言動は兎も角として、クリス自身も司令を良く思っているだろう。同時に司令もノラ猫の様だったクリスが学園に馴染めているのか気にはなっているだろう。父と娘の様な繋がりだった。それは、自分とあの子にはない物である。それなりに信用はされているだろうが、あの二人の絆には敵わないだろう。自分が一人で行くよりは、喜んで貰える気はした。藤尭と言う案も無いでは無いが、クリスの人間関係を鑑みると、やはり指令だろう。

 

「ああ。司令自身は多忙だろうが、装者の為だと言えば二課全体で司令の穴を埋めるだろう。恐らく出られるはずだ」

「確かに師匠とも仲良いですしね。そう言えば、ユキさんと師匠ならどっちがクリスちゃんと仲が良いんですか?」

「司令だな。あの子の心を動かしたのは、風鳴司令だよ。俺とは比べるべくもない」

 

 司令はあの子の事を調べ、探していた。そして、その両親の夢を伝え理解させていた。それに対し、自分は宿を貸したぐらいだ。話し相手にはなったが、司令とクリスの関係に比べれば、それ程特別な関係とは言えないだろう。装者三人の絆とも比べるべくもない。想定した事の無かった響の問いに少し考え込むが、答えは直ぐに出ていた。

 

「……あれ? でも、ユキさんってクリスちゃんと仲が良かったですよね」

「ああ。それなりに良くはしているよ」

「でも……ユキさんは、了子さんとの戦いで血を流してまで……。って、そう言えばユキさん、あの時の事ってクリスちゃんと翼さんって知ってるんですか。もしくは記録とか残ってるんですか?」

「あれを直接見ていた装者と言うのは、君ぐらいじゃないだろうか? かつての本部が崩壊した際に、一時的にリディアンの施設が使われたと聞いてはいる。生きている設備を使って司令などは映像こそ見てはいたようだが、映像記録などは何も残って居ないと聞いているぞ」

「……もしかして、クリスちゃんって、ユキさんがどんな戦いをしていたのか、詳しくは知らないんじゃ?」

「まぁ、大まかにしか知らんだろうな。別段吹聴する事でもあるまいし。童子切もあの日以来使う機会がない。手入れこそ時折行ってはいるが、手にする事もそうそうない」

 

 あれっと小首を傾げる響の言葉に頷く。確かにフィーネとやり合ってはいた。クリスが撃墜され、風鳴のが自身の身を犠牲に戦い抜いたのだと当時は本気で思っていた。そして響をも手に掛けようとしたところで、割り込んだのがあの戦いだった。シンフォギアの決戦兵装の開放が行われた際は、ほぼ同時にカディンギルに向かい投げられていた。そのまま戦いが終わるまで、彼女らの姿は目にしていない。日常でこそ、装者と語る事もあったが、戦いの場では肩を並べる事は殆ど無かった。マリアと刃を交わした時が、初めてなのでは無いだろうか。とは言え、あの時もクリスは適合係数の低下による反動に加え、相手側の装者の強襲により満身創痍で響に支えられていた。意識を失ってこそいないが、朦朧としていたと聞いている。まともに肩を並べたのは、一番最初のノイズを斬った頃ぐらいだと思えた。むしろ、戦いを見ているのは響の方が多いのでは無いだろうか。

 

「あの時の話ってしますか?」

「特にする事は無いな。見舞いに来てくれた時以来、話題に出た事も無い。フィーネはあの子にとっては親代わりだったとも言える。その傷を抉るような事はしたくないからな」

「……そう言われると、そうですね」

 

 特段語るような事でも無かった。刃を抜いたのは、あの時のフィーネの在り方が許容できなかっただけである。夢ごと撃ち落とされた子らに何かをしてあげたいと思った。その思いも既に遂げていた。掘り返す理由の方が無い。

 

「そっか。ユキさんがどう言う思いで戦っていたのか、クリスちゃんは知らないんだ……。あれだけ痛い思いをしたはずなのに。それを知って貰ってすらいないんだ。私だったら絶対動けないって思う位だったのに」

「それは君が気に病む事でも無いよ。戦ったのは自分の意思によるからな」

「だからこそ気になるんです。ユキさんは、ずるいですよ……。今更そんな事を教えてくれるなんて。クリスちゃんもずるいよ。名前で呼んで貰えるだけで充分だったのに……」

 

 不意に響の瞳が潤んだ。かつての戦いを目の前で見ていた。流れた血と失ったものを思い出したのだろう。同時に得たものも。彼女もまた、櫻井了子とぶつかり、和解もしていた。そう考えると、再誕したフィーネと言うのはやはりおかしい。死の間際に和解したはずが、再誕するなり敵対するだろうか。何よりも、自分の事を覚えていないようだった。確かに長い時の中で見れば取るに足らない存在かもしれないが、あれだけ激戦を繰り広げている。何の印象も無いとは思えない。何よりも、刃を重ねたからこそ解る。かつてのフィーネの刃とは違いすぎるのだ。人を害する事自体に躊躇があり、振るわれる刃は揺れ動いていた。あれ程違うのは、記憶がどうのと言うよりは、人が違うと考える方が自然に思えた。とは言え、刃を交えた以外には何の根拠もない。司令にだけはその違和感を話していた。

 

「よし、ユキさん!」

「いきなりどうした」

「学園祭で、未来と師匠の四人でデートしましょう!」

「……どうしてそうなった?」

「内緒です!!」

 

 響はそんな事を言い始めた。どうしてそうなったと心底思うも、学園祭に招待されていた。訪った時に彼女らが共に回ってくれると言うのならば、特に断る理由は無い。リディアンは女子高である。男だけで動くよりは、良く思える。結局司令も響に押し切られ、学園祭を二人で訪う事になるのだった。

 

 

 

 

 

「しかし、異物感しかしないなユキ」

「全くです。大の大人が女子高に二人。招待状を持っていなければ通報されかねませんね」

「流石にもう職質をされたくは無いな。仮にも公安所属だったわけであるし。クリス君に頼まれて仏壇を買いに行った際、七回されたのを思い出す」

 

 学園祭当日。校門で招待状を見せ入場、響と小日向が迎えに来ると言う事で待ち合わせの場所を決め、司令と話していた。武装組織の台頭より、二課関連の話ばかりを行う事が多かった為、ある種の新鮮さがあった。しかし流石は司令である。詳しい話を聞くと、剥き出しのまま仏壇を背負い運んだとか。いくら大柄だとは言え、普通は背負って持って帰らない。それは職務質問をされるのも仕方が無いだろう。ちなみに自分も身長は高い方である。司令には負けるが、六尺(180cm)を幾らか超えている。

 

「しかし、俺が来ても良かったのか?」

「と言うと?」

「クリス君と響君に招待状を貰ったのだろう。ならば、二つともユキが使うのが筋だ」

「二枚ありましたからね。それにあの子の事だ、司令にも渡し辛かっただけでしょう。俺相手ですら直接渡せないのだから、心を開かせた司令の相手など余計でしょう」

「……ううむ。今回の事はそれとこれとは違うと思うのだが。ユキがそう言うなら、これ以上は言うまいよ」

 

 クリスにとっては、今は司令が父親代わりであった。あの子の事だ、面と向かって来てくれなどと言えるとは思えない。自分は不要だと言う指令に、そんな事はありませんよと引き留める。

 

「あ、ユキさん、師匠!!」

「上泉さん、弦十郎さん、おはようございます」

 

 幾つかのやり取りをしていると、待ち人が現れる。響と小日向だった。手を繋ぎながら手を振って駆けて来る様は、仲の良さを感じさせる。司令と二人、招いてくれた事の感謝を告げる。

 

「では、早速行きましょー!!」

「ちょ、響、何か今日は強引じゃない!?」

 

 いきなり響が手を取り進み始めた。どうしたのだと思いながら軽く司令の方を見る。何故か無言で頷かれた。そのまま幾つか四人で露店を回る。たこ焼きや焼きそばなど定番のものから、本格和菓子など、学生で作れる物なのか判断の付かないものまであった。流石は元々二課と繋がっていた学院である。妙なところで感心していた。

 

「それで、あの子の店と言うのは?」

「あ、二年生の模擬店ですね。きちんと情報収集は出来てますよ。クリスちゃんの出番を聞いたら全然教えてくれなかったので、クリスちゃんと仲が良さそうな感じの眼鏡の先輩に聞いてきました。午前の後半がクリスちゃんの出番らしいです!」

「成程。もう少し時間があるのか。しかし、あの子の友達か……」

「あれれ、ユキさん気になっちゃいますか?」

「いや、そう言う訳では無いよ。あの捨て猫みたいだった子に友達が出来たと言うのが、少し嬉しくてな」

 

 響きの言葉に軽く首を振る。あの子に友達が出来たと言うのが感慨深いだけで、気になると言う程では無かった。司令と目が合う。微笑が見て取れる。二人してあの頃の雪音クリスを知っていた。感慨深いと言う物だ。

 

「では、お化け屋敷とか行ってみましょうか!」

「流石に、俺が入るのは興覚めだろう。外で待っているか」

「た、確かに師匠が一緒だと怖くもなんともなさそう」

「まぁ、弦十郎さん大きいですからね。お化け役は女子だけですし」

 

 お化け屋敷に引き込まれる。薄暗くはあるが、幾つか人の気配は感じられた。両手にしがみ付く女子を半ば引き摺りながら歩いた。普通の女の子である小日向は兎も角、響もこう言う物が苦手なのだろうか。まぁ、得意では無さそうであるが。いくつか幽霊役の子を見る。随分楽しそうに笑っていた。薄暗い為正確には解らなかったが、知り合いに似た顔があった気はする。故人であるし、流石に他人の空似だろうか。

 

「お、思っていたより怖かった……」

「……」

 

 順路を終え、出口に辿り着く。両手に抱える女子を見て、司令が盛大に噴き出していた。自分もこんな状態になるとは思っていなかった為、苦笑いを浮かべるしかない。涙目の響と目が半分ほど死んでいる小日向の為、休憩がてらに目的地に向かう。良い頃合いになっていた。

 

「い、いらっしゃいませー」

 

 上ずった声が届く。それだけで、誰の声なのかが見ずとも理解が出来た。雪音クリス。招待状を送ってくれたもう一人が、接客を行っているようだ。慣れていないのだろう。忙しそうに動き回りながら、給仕をこなしていた。

 何人かいる店員に席に案内される。どうやら気付いてはいない様だ。

 

「存外馴染んでいますね」

「ああ。翼や響君が居るからそこまで心配はしていなかったが、自分の目で見ると安心できるな」

「全くです」

 

 その様子に、クリスが学院生活に馴染めているのがうかがえる為、二人で安堵のため息を零す。不意に響が立ち上がる。此方の対応をしに来た学生が軽く驚いていた。

 

「クリスちゃーん」

「へ……? て、てめぇら何で来てんだよ!?」

「ユキさんと師匠も連れて来ちゃった!」

「あははは……」

 

 全く予想はしていなかったのだろう。響を認めたクリスが、接客の時とは違う素の反応を返していた。猫耳給仕服尻尾付を身に纏い、響に詰め寄る。正直なところ、あまりにも普段とかけ離れた絵面に司令と二人吹きそうになったのを堪えた。可愛らしい事は確かなのだが、その服装で普段のやり取りを始めるから、笑いを誘う。小日向だけが、困ったような苦笑いを浮かべている。

 

「って、何でおっさんとコイツがいるんだよ!」

「コイツじゃないよクリスちゃん。ユキさんだよ。名前で呼ばないと」

「……っ、な、いきなりなんだよ。あたしとこの人は、いつもこんな感じだよ」

「うーん。まぁ、クリスちゃんがそれで良いって言うならそれでも良いか」

 

 響が笑みを浮かべた。確かに言う通りではあるのだが、名前で呼ばれないのは今更である。

 

「雪音さん、お知り合い?」

「ま、まぁ、そんなところだ」

「なら、このテーブルは雪音さんに任せようかな」

 

 ちょ、待て! と級友を止めるが遅かったようで、クリスはその場を任せられる。がくりと肩を落とし、こちらに向き直った。

 

「何しに来たんだよ」

「招待状を二枚貰ったのでな。司令と二人、君が馴染めているか見に来たわけだ」

「その心配は無かったようだがな。とても似合っているぞ、クリス君」

 

 司令が白猫給仕を穏やかに笑いながら褒める。クリスの姿は俗にいうメイド服を纏っており、更には白い猫耳と白い尻尾までついている。たまに白猫みたいだと思う事はあるが、今回は本当に白猫だと言えた。褒められた事で恥ずかしくなったのだろう。頬が赤く染まった。

 

「ば、いきなり何言って……」

「ほら、ユキさんも。女の子は褒めてもらいたいものなんですよ?」

「ん。そうだな。元が良いと思っていたが、予想以上だった。素直に可愛らしく思うな」

 

 響が早く感想を言えと催促をするので口を開いた。元々可愛らしい子だとは思っていたので、それ程抵抗も無く本心からの言葉を零していた。自分と彼女等では一回り近く年齢が違う。特に恥ずかしがる事も無い。すんなりと可愛らしいと言い切った自分に、響は思っていた反応と違ったのか、もっと恥ずかしそうに言ってくださいよと文句を言いだす始末である。何を期待していたのだと言いたくなる。

 

「あ、いや、その……ご、ご注文はお決まりでしょうか!?」

「クリスちゃーん。まだメニュー貰ってないよ?」

「知るか。さっさと決めろ!!」

「ふにゃあ! 私だけまさかの激怒!?」

 

 しかし、クリスの方は響の求めている反応だったのだろう。これ以上ない位赤くなり、胸元でトレーを抱きしめたまま、言葉にならない言葉を零しながら硬直していたクリスを響が小突いた。白猫給仕はそれで再起動したのか、いきなり注文を取り始めた。満面の笑みで、響が白猫に指摘する。色々な意味で追いつめられていたのだろう。ついに雪音クリスは爆発した。トレーの一撃が降った。一応手加減はしているようだ。

 

「こちらをどうぞ」

「ああ、ありがとうございます」

 

 一連の流れを見ていたのだろう。級友の子が苦笑を浮かべながら注文表を持ってくる。飲み物と軽食。学園祭らしい、喫茶店の様な内容だった。響とじゃれているクリスを眺めながら、小日向と司令の三人で選ぶ。

 

「雪音さんの知り合いの様ですから、こちらの特別メニューもどうぞ。一組お一人様だけになりますので、ご相談の上で注文してくださいね」

 

 そんな言葉と共に、手書きの注文票を渡された。読む。白猫メイドさんの愛情セットと書かれていた。ちなみに、愛情と書いてラブラブと読むらしい。司令と目が合う。自分の目は余程面白い色をしていたのだろうか。書かれていた内容を覗き、盛大に噴き出した。小日向にも見せる。苦笑しか出ない様だ。級友には知り合いだと知られている。的外れな勘違いをされたのだろう。自分たちは今回限りであるが、クリスの方は卒業まで弄られる事になるだろう。学生とは恐ろしいものだ。

 

「どうだユキ、これを頼むか?」

「折角裏メニューをもらったんですから、注文してみたらどうですか?」

「……俺が注文するのだろうか」

「それはそうだ。流石に親子ほど年が違う俺が注文するわけにもいくまいよ」

 

 司令と小日向。二人して注文をしてはどうかとけしかける。戦いの場においては思い切りが良いと自負しているが、流石にこのような思い切りは出す気にならない。

 

「裏メニューですか? 何々、白猫メイドさんの愛情(ラブラブ)セット!? ちょ、ナニコレ、反則じゃないですか!?」

「はぁ!? ちょ、ちょっとまて、そんなメニュー聞いてねーぞ!!」

「そりゃ、裏メニューですから!」

「知るかそんなもん! 良いか、絶対頼むなよ。絶対に絶対だからな! 頼んだら、三日ぐらいお前の家に居座って嫌がらせしてやるからな!!」

「さして重要では無いのだが、注文するのは俺でなければいけないのだろうか?」

 

 良いか、絶対の絶対だからな。っとクリスが詰め寄ってくる。響は大笑いで、司令もそれにつられている。小日向は相も変わらず苦笑い。何故か自分は詰め寄られていた。結局、クリスを宥めているうちに、響が注文を完了してしまっていた。死んだ魚のような目になり白猫が帰っていく。そんなクリスとは対照的に響は満面の笑みを湛えている。で、誰が食べるのかと話を振ると、三人に指を差された。多数決で採決されてしまった。内容としてはホットケーキと飲み物らしい。個人的に好みを言えば、洋菓子よりも和菓子派なのだが、流石に学園祭の模擬店に求めるのは酷である。先ほど露店にはあったが。

 

「……お待たせしました」

 

 人数分の料理を持ってきた白猫が一つ一つ置いていく。響、小日向、司令と続き、最後に自分の前に洋菓子が置かれた。ホットケーキ。クリスの手には糖液だろうか。琥珀色の蜜が入った容器が持たれている。

 

「笑うなよ。絶対に笑うなよ……?」

「振りは良いからやっちゃおうよクリスちゃん!!」

「このバカ、後で絶対殴るからな!!」

 

 白猫が響を威嚇する。それでも楽しくて仕方が無いのか、響の笑みは崩れる事は無かった。

 

「あなたの為に愛情注いじゃうニャン!」

「ぶふぉ!? ずるい、クリスちゃんそれはずるい!! 面白すぎるぅ!」

「だから、やりたくなかったんじゃねーか!!」

 

 響は元より、これには小日向と司令も盛大に噴き出した。しゃーっと威嚇するクリスには悪いが、級友には感謝していた。本当に溶け込めているのか心配していたのだが、このような悪ふざけを受け止められるほどに馴染んでいる事が解った。それは、この子の事を気にしていた自分の懸念を拭い去ってくれたからだ。

 

「さてと……、か、覚悟しろよ!?」

「なに?」

「あ、あーん」

 

 これには流石に驚いた。そこまでするのかと思うと同時に、何故かクリスの級友や、他の客も興味津々と言った感じに眺めている。これだけ騒げばそれはそうなのだろうが、白猫だけは全く気付いていない様だ。司令、響、小日向。三人と目を合わせた。全員無言で頷く。早く行けという事だった。ある意味、フィーネ戦以上の覚悟を決める。

 

「……旨いな」

「……そ、そうか。それは良かった。もう一口、行くか?」

 

 白猫の手により次弾が装填される。どうやら逃げ場は無い様だ。異常に優し気な空間に放り出されていた。ため息が零れる。明日からこの子は大変だろうなと思い、結局全部食べさせられる。最後の一口が終わると、クリスは穏やかな笑みを浮かべた。そして全てが終わり、全員に見られている現状にようやく気付いた白猫は、これ以上ないほど赤くなり半泣きになりながら逃げ帰って行った。

 

 

 

 

 

 

 

「終わった……。絶対に終わった……」

「まぁ、なんだ。元気を出してくれ」

「あんたが原因なんだよ!?」

 

 模擬店の訪問が終わり、白猫の仕事も終わったと言う事で、クリスの方も丁度解放されたと言う所だった。折角なので知り合いと話して来いと級友に言われたのか、クリスも合流していた。何故かそのままの衣装で。あたしの着替えはと叫んだ白猫に、級友たちは親指を立てる事で見送った。響曰く、可愛いから終わるまでそのままでいろという事らしかった。

 

「すまなかったな。折角来たのだから、級友の気遣いを無碍には出来なかった」

「それはそうだろうけどよ。その、幾らなんでもアレは恥ずかしすぎるだろ。あんなの見られたらあたしはどうすれば……」

 

 膝を抱えて座り込んだクリスの傍らに座る。何故か三人は席を外している。まぁ、クリスからしたら合わせる顔は無いだろうが。自分もそうなのだが、同じ痛みを負ったもの同士だった。

 

「この後は予定があるのか?」

「予定……か。あ……」

 

 話を変える。流石に、先ほどの事を蒸し返す気にはならない。

 

「何かあるのか?」

「うん……。その、クラスの奴等に歌の勝ち抜き戦に出て欲しいって言われてるんだ」

「歌、か。悩んでいるのか?」 

「……別に、そんな訳じゃ。あたしは歌なんて」

「君は、歌わないつもりなのか?」

 

 歌の勝ち抜き戦。音楽院らしく、歌に自信がある者達が講堂で歌い競い合うと言う事らしかった。クリスは装者である為、歌が上手い事は知っていた。出て見れば良いと思う。

 

「あたしは……」

「時折、家に来たとき歌っていたな」

「聞いてたのかよ……」

「俺は君の歌は好きだよ。君は、歌が嫌いなのか?」

「あたしは……、あたしも歌は好き、だ」

「そうか」

 

 だが、それ以上にクリスの歌が好きであった。自分には歌の良し悪しはそこまで解らないが、時折口遊んでいたこの子の歌が心地の良い音色だという事は知っていた。様子を見に来た時、世話を焼きに来た時、遊びに来た時、買い物帰り、食事を作る時、色々な場面で耳にした事があったのだ。意識してなのか無意識なのかは解らない。だが、自分は雪音クリスの口遊む歌は好きだと感じていた。悩んでいるのなら、歌ってみれば良いと背中を押す。

 

「歌う予定というのは?」

「確か、最後の方だったと思う」

「なら、皆で見に行くよ」

「あ……」

「楽しみにしている」

 

 だから、少し強引ではあるがそんな言葉を告げていた。白猫は恥ずかし気に頷いた。

 

 準備があるからとクリスと別れ、三人と落ち合う。そこに、風鳴のも合流していた。時間。響の友達も参加していると聞いた為、一組ずつ歌に耳を傾ける。そして、クリスの番が来た。登壇。今にも爆発しそうな白猫。司令を含めた五人で見守る。曲が流れた。一瞬怯むも、クリスは舞台袖に視線を移し、口遊み始めた。そこからは、一気に場が動いた。目を閉じる。聞き惚れていたと言っても良かった。

 

「良い歌じゃないか」

「本当にな。あれほど楽し気に歌っている。ご両親も喜んでいるだろう」

 

 隣で零す司令の声が、少しだけ涙ぐんでいた。夢は間違いなく受け継がれている。そんな事を思う。綺麗な、そして純粋な音色だった。やがて歌い終える。会場が拍手に見舞われる。

 

「勝ち抜きステージ。新チャンピオンが誕生です!」

「え、ええ? あ、あの……」

 

 そして、雪音クリスの歌は、会場の皆に認められたのだった。白猫メイド服のチャンピオン爆誕。そんな司会者の言葉に、白猫メイドは真っ赤になり壇上で俯いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 




クリスちゃん回
響、考えが少し変わる
武門、かつて無い戦いに挑む
司令、クリスの歌を聞く
クリス、猫耳メイド服で歌わされる
切調 装者3人+武門&司令。冷静に考えると逃げ切れるのか

さて、次回は原作5話相当。
スーパー英雄(はかせ)タイムになりそうです


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7.英雄の剣

今回は覚悟して読んで欲しいです。


「逃げないのか?」

 

 声が届く。リディアン音楽院の校門前。五人の人間に取り囲まれた暁切歌と月読調は、冷や汗を流していた。勝ち抜き大会の王者となった雪音クリスに挑む形で、二人は壇上に立っていた。シンフォギアのペンダントの入手。この大会で優勝すれば、何でも願いが叶えられると勘違いした二人が、装者の持つソレを奪い取ろうと参加していた。紆余曲折在り、結局は失敗しそしてそのまま捕捉され、取り囲まれたと言うのが現状だった。

 何の感情も浮かばない瞳に睨め付けられ、一切の行動が取れずにいた。シンフォギア装者三人だけなら何とかなると思うが、これは無理だと第六感が警鐘を上鳴らす。化け物が二つ。シンフォギア装者よりも、この場では二人の人間が厄介だと言えた。一人は風鳴弦十郎。特異災害対策機動部司令。もう一人は、同じく特異災害対策機動部所属、上泉之景だった。シンフォギアを予め纏っている状況ならばいざ知らず、生身で対峙してしまっていた。聖詠。今の距離ならば、歌よりも拳の方が早い。そんな事を理解する前に、二人を圧倒するように充満している剣気が動きを止めていた。手刀。例え武器を手にしていなくとも、剣士は剣を抜けるのだ。上泉之景は、ただ逃げないのかと問う。動ける訳がない。二人にとって生身で対峙してはいけない敵に遭遇するのは初めてだった。

 

「動け……ない?」

「何ですか、このトンデモは……!?」

 

 彼女らの筆頭格であるマリアがユキと対峙した事があるので顔は知っていた。ウェル博士にも、規格外の一人である為、覚えておくと良いですよと忠告されていたのを思い出す。あの時は一応は心に留めたつもりではあったが、実際に体験してみると、冗談と笑い飛ばす事が出来ない重圧に、動く事も出来ず悪態が零れる。ウェル博士はコレと対峙して尚、何時もの態度を崩さなかったと言う。二人は博士の事を信用していない、だが、ほんの少しだけ、百万分の一程度ならば見直しても良いと本気で思ってしまう程であった。博士の日ごろの行いの賜物である。

 武装組織フィーネの、元米国政府聖遺物機関F.I.S.に所属していた関係者の集まりである彼女等にとって、先の戦いで戦場に出たネフィリムは計画の要である為回収に向かった際、マリアが一度対峙していた。ウェルは兎も角、マリアの言う事はもっと真剣に聞いておけば良かったと後悔するが、今となっては遅い。

 

「F.I.S.所属の装者だな。悪いが拘束させて貰うぞ。抵抗はしないで貰いたい。この距離ならば聖詠が終わるよりも拘束する方が早い」

「くっ……」

「私たちは、まだ捕まる訳には行かないデス」

 

 風鳴弦十郎が出来る限り穏やかな声音で言うも、二人は抵抗の意思を見せる。だが、虚勢でしかない。剣気の中で震える姿を見れば、逃げる事などできはしないと三人の装者は確信していた。自分たちもいるのではあるが、もうこの二人だけで良いのではないかと思ってしまう程である。

 

『――自動錬金(オートアルケミー)

 

 不意に、風が動いた。ユキと司令の二人が凄まじい勢いで振り返った。えっと、五人の装者の表情が驚きに染まるも、彼女らの疑問に言葉が返されるよりも先に、何もない空間からそれは聞こえて来た。

 

『全く、子供と言うのは大人の気も知らず好き勝手やってくれます。下手を打った挙句、捕らえられたと言うのでは笑い話にもならない』

「ドクター?」

「ええ。僕ですよ。尤も、音声だけですがね。今は手が離せないので、手短に相手をさせてもらいます」

 

 切歌と調は唐突に表れた不可視の闖入者に目を見開く。

 

「ちっ……。黒金か」

『そう言う事ですよ。理解が早くて助かります。不可視の殺戮者。そんな物語の様な物を解き放ちたくは無いでしょう?』

 

 突如響いたウェルの声にユキは即座に理解する。不可視の敵。何度か相手をしていた。近距離で動き回れば音や振動で存在を察知できるが、人が多いほど感知が遅くなっていた。学園祭で人の出入りが多すぎる。気付くのが遅れたという事だった。そもそも気付けること自体がおかしいのだが、卓越した武門や防人ならば関節が奏でる異質な振動等で、察知可能だった。既に人間業では無い。

 

『しかしまぁ、それではあなた達の気が済まないでしょう。後日装者同士で決着を着けるとしませんか?』

「断れば、学院の者を殺すと言う訳か。相変わらず、やる事が下劣な人だ」

「待つデス! 幾らドクターでも、この場に居もしないでそんな事できる訳無いデス。それにマリアがそんな事許す訳が……」

「……本気で言っているの?」

 

 二人の装者が慌てて問い返す。自分たちもギアを纏えるならばその手の脅しを行おうと思っていたが、眼前にいる規格外の前ではその隙が見つけられない。本当にそんな事が出来るのかと思う反面、ドクターならばやりかねないと焦りが生まれる。ウェルはそれ程容赦がない人間だからだ。

 

『そうしなければ、計画が破綻するでしょう? 仕方ないじゃありませんか!』

「仕方が無い。その為に殺されろと言うのだな。まるで贄では無いか」

 

 切歌と調の問いに、ウェルは感情を乱さずに答える。ウェルのやり方を知っているからこそ、ユキは食って掛かる。以前は守りきれた。だが、今回も同じとは限らない。そのやり方が気に入らない。

 

『目的の為には必要な礎と言ってください。それに、あなた方が提案を受けさえすればこちらとしても幼気な学生たちを手に掛けずに済みますよ?』

「礎とは自らの意志でなる物だ。父が子にしてやるようにな。他者が強いるものではない」

『何とでも言うが良いですよ。どちらにせよ、あなた方は首を縦に振らざる得ないのだから』

「ユキ」

「解っていますよ」

 

 相手の挑発に乗るんじゃないと司令が肩に手を置く。そんな事は解っている。だが、人には許してはいけない事もある。その姿勢だけは示しておかなければ気が済まない。学生を盾とされれば相手の言いなりにならざる得ないが、それでも示しておかなければならないのだ。人として、それは譲れない。

 

『ほらね。どれ程粋がろうと、最後には折れざる得ない。あなた方は、その程度ですよ』

「例え一時的に膝を屈しようと、本質は折れぬよ。お前にはな」

『ははは、精々吠えると良いですよ。弱い犬とはそう言う物ですからね』

「姿を現す事すらできぬ腰抜けに、弱いと言われるとはな」

『こちらを見つけられないあんた達が愚かなのですよ。自分たちの出来の悪さを天才の所為にしないで欲しいですね。何でもかんでも人の所為にして恥ずかしくないんですか?』

「他者に求めるばかりのお前には言われたくない。偶には自分で血を流したらどうだ?」

 

 ユキからすれば自分で血を流さないウェルは卑怯者でしかなく、ウェルからすれば自らの血を流すユキは愚か者でしかない。

 

『嫌ですね。僕は裏方担当なんですよ。適材適所と言うでしょう』

「そうか。ならば裏方らしく、支援に徹すれば良いでは無いか」

『本当に愚かですねぇ。それでは僕が英雄的な軌跡を歩めないではないですか』

「本当に腐っているな。これが英雄になると言うのだから世も末だ」

 

 応酬が続く。周りで聞いていた者達は、この二人が解り合う事は無いだろうと確信していた。二課所属の者達は勿論、敵対者の切歌や調さえも思う。良くこの博士を相手に此処まで返せるものだと。好敵手。そんな言葉が浮かぶ。二人の在り方が違いすぎるからこそ反発するが如くぶつかり合っていた。敵対する立場でありながら、思わず二人はユキを応援したくなる。少なくとも言葉だけを見れば、ユキの方が信頼に足るからだ。尤も、彼女たちにとってはウェルが味方な訳だが。

 

「調、何かあたし恥ずかしくなってきたデス」

「……奇遇だね切ちゃん。私もいたたまれなくなってきたよ」

「何でこんなのが味方なんデスか」

「仕方ないよ。ドクターは、能力だけはあるから。例え悪いと思っていても、やらなきゃいけない事があるから」

 

 やがて言い合いが終わった時、そんな言葉が零れるのも仕方が無い。味方となる人が逆ならばどれだけ良かったかと夢想してしまうのも仕方が無い。計画の為とは言え無辜の学生を人質に取る者と、その学生らを守ろうとするもの。心情としてはどちらに付きたくなるか。考えるまでも無いだろう。

 

「私達だけで決着を着けたい」

「そうデス。必ず決着をつけてやるデス!」

 

 せめて、自分達だけでも誠意を持ちたいと思い、二人の少女はそう言い放った。決着は自分たちの手で着ける。そんな覚悟を決める。卑怯な手で逃げようとしている。せめて、戦う時は正々堂々と向かい合いたかったからだ。

 

「望むところだ」

「それが、最も妥当なやり方という事か。叔父様、それで構いませんか?」

「ああ。学院で被害など出す訳にはいかないからな」

 

 クリスと翼が決闘に応じる。一人、響だけが頷かない。それでも、決闘が行われる事だけは決まっていた。

 

『全く、誰も彼も僕を悪者扱いしてくれて嫌になりますよ。困っているからと思って、折角血路を開いてあげたと言うのに』

「別に頼んでないデス」

「もう少しましなやり方もあったと思う」

『……これだから子供は。遊び感覚でいるからたちが悪い。まぁ、良いでしょう。では、彼女らの事は見逃して貰いますよ。決闘の時はこちらから知らせますので』

 

 切歌と調は開かれた道を通りその場を後にする。二課の五人だけがその場に残った。不可視の敵に備える。口約束通り、黒金は撤収したようだ。異質な気配は消えている。全員がその事実に張り詰めていた気を少しだけ弛めた。

 

「調ちゃん、例え悪いと解っていてもやらなきゃいけないって言ってました」

「ああ、そうだな」

「なら、私は止めて見せます。あの子達も悪い事だって思っているんです。だから、誰かが止めてあげないといけません。だから、私は戦えます」

 

 響がユキに向かい静かに宣言した。頷く。一言。そんな響に、無理だけはするなと告げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 東京番外地・特別指定封鎖区域。かつて、旧市立リディアン音楽院が存在していた場所。その地にノイズの反応が検知されていた。武装組織フィーネ。米国連邦聖遺物研究機関、通称F.I.S.を離脱した者から構成されていた。風鳴弦十郎率いる二課も、前進となるその機関から名を取り、F.I.S.と呼ぶ事に決まっていた。そのF.I.S.との決闘の約束が交わされており、決闘開始の合図がノイズ出現という事であった。

 大型輸送機がまるで狼煙の様に出現したノイズの反応に向かい、装者を連れて移動する。立花響、風鳴翼、雪音クリス。二課に所属する装者全員が召集されていた。決戦。そんな言葉が思い起こされる。不測の事態に対応する為に現場待機を命じられたユキもまた、その輸送機に同乗していた。

 

「ノイズが出現したという事は、あの男もまた存在しているという事だろう。気を抜かないようにな」

 

 三人の装者。全員の準備ができたところで、ユキはその一言だけ告げた。三人が頷く。先のやり取りで、敵対する相手の中でもウェル博士にだけは警戒しておくべきだと理解していた。計画の為になら、どんな非道な手でも取れる類の人間だった。ユキからすれば、彼の相手だけは自分が行いたい訳だが、大量のノイズの出現も予想される。人でしかないユキもまた、待機の命令が下ったという事だった。

 

「大丈夫です。必ず勝って、あの子達を止めて見せます!」

「ああ。決闘を申し込まれました。防人として、無様な姿は晒せません」

「あたし達なら問題ねーよ。直ぐに帰って来る。またあんたを戦わせて怪我でもされたら夢見が悪いからな」

 

 三者三様の答えを返す。響は必ず止めて来ると笑い、翼は挑まれれば下手な事は出来ないと闘志を燃やし、クリスは安心して待っていろと告げそっぽを向いた。特に、クリスからすれば、ユキは知らないところで戦いの場に向かい、大抵怪我をして戻ってくる人間である。強いのは身に染みているが、戦いに向かう事自体が心配だという事だった。そんな三人に、ユキは武運を祈ると短く告げ見送る。

 通信機はついており、輸送機にも簡易ディスプレイが搭載され、戦場の様子を見る事が出来る物だった。荷物は多くあるが、その一角に陣取りユキは只見守っていた。右手には太刀を一振り。見詰めていた。三人に実力がある事は知っている。だが、相手にはあのウェルも存在している。搦め手。それが何よりも気掛かりだった。戦えるとは言え、まだ未熟な面も多い。妄執とも言えるウェルの願望の一端を知る身からすれば、どれだけ強かったとしても、安心できる要素にはならなかった。

 

「お前……!」

「ウェル博士?」

 

 指定された場所。かつてフィーネが打ち立てたカディンギルが屹立していた直ぐ傍。そこにウェル博士がノイズを従え待ち受けていた。装者たちが即座に聖詠を唱える。光が瞬き、シンフォギアをその身に纏った。ノイズが動き出す。三人は各々の武器を構え、戦場へ踏み込んだ。赤が重火器を撒き散らし、青が剣を振るい薙ぎ払う。そして橙がその拳を以て、ノイズを煤へと変える。三者の前では数だけが多いノイズは敵になり得る事も無く、多くを打ち払いウェルと対峙する。

 

「切歌ちゃんと調ちゃんは!?」

 

 問いかけ。響にとっては、あの二人を止める為に赴いた戦いだった。だが、この場に居るのはウェル博士だけである。その疑問は当然だった。そんな様子を見たウェルは口元を皮肉気に歪ませ笑みを浮かべる。それが響の何かを刺激する。

 

「あの子達は謹慎中ですよ。当たり前じゃないですか。組織に在りながら、目的への妨げになる行為を行うばかりか、いらない手間を掛けさせてくれたんですよ。子供なら、少しぐらいお仕置きされるのも仕方が無いでしょう?」

「決闘じゃなかったのかよ!?」

「馬鹿な子達ですねぇ。我らがその様な約束、何故守らなければいけないのですか?」

「……先生が嫌う訳だ。あなたには人としての矜持が無い様だな!」

 

 約束はどうしたんだと憤るクリスに、ウェルは何を馬鹿な事をと哄笑を向ける。ソロモンの杖。雪音クリスを挑発するかのように掲げ、ノイズを更に召喚する。風鳴翼が前に出る。一閃。ノイズを斬り裂き、怒りを闘志に変え叫ぶ。先の対峙の際、あの上泉之景が敵意を露にしていた。その理由も現状を見れば容易く理解できた。ウェルにとっては敵との約束などと言う物は何の意味も無く、無駄意外の何物でも無かった。目的を達成する為ならば、敵の事など一考に値しない。それは、非常に合理的ではあるが、人として守るべき物すらも捨ててしまっていた。外道。そんな言葉が思い浮かぶ。

 

「なら、何であんな約束を?」

「だから馬鹿だと言っているんですよ。約束? 目的を達成する為に、そんなものを守る必要が何処にあると言うんですか。むしろ、敵である僕の言葉を信じるあなた達こそが、非常識なだけです」

「切歌ちゃんと調ちゃんは、決着をつけたいと言いました!」

「だから何だと言うのですか。お友達感覚で計画遂行を妨げるられてはたまったものではありませんよ。その様な事実、一顧だにする必要はない!!」

「あなたは、人を何だと思っているんですか?」

「そうですね。英雄が守るべき者であると同時に、役に立つものと立たないもの、ですかね?」

 

 ならばなぜ約束などしたのかと問う響を、ウェルは一笑に付す。何故敵の言葉を簡単に信用できるのか。それがどれ程ふざけた事なのか、何故解らない。悪意だけが満ちた笑みを浮かべ、言葉の刃で響を切り刻む。

 

「っ!? この腐れ外道がっ!! お前のような奴がソロモンの杖を使うんじゃねぇ!!」

「嫌ですね。僕意外にこの杖に相応しい者など存在していませんよ。目的の為になら、どんな非常な決断もできる。人を殺す為だけの力。まさに僕が振るう為に有るじゃないですか!」

「っ、あたしが間違ったばかりに……お前みたいなやつに!!」

 

 雪音クリスが激昂した。ソロモンの杖。かつてクリスが起動させてしまった、完全聖遺物。それが、ウェルのような男に利用されている。この男は殺す事に躊躇など無い。それが痛いほど伝わるからこそ、焦燥と共に怒りが抑えきれないところまで来ていた。後悔と義憤の間で生じる感情を制御できないまま叫ぶクリスに、ウェルは小馬鹿にするような態度で迎え撃つ。更にノイズが呼び出される。重火器の一斉掃射。次々と増えるノイズを煤と変える。息が上がる。不必要な爆撃に、体力が持っていかれる。

 

「立花、雪音。言葉に惑わされるな!」

 

 そんな二人の様子に、翼が鋭い叫びをあげる。だが、激昂しているクリスは勿論、言葉の悪意に怯む響にも大した効果が出ているように思えない。さらに増え続けるノイズ。駆けながら切り裂いていく。それでも敵の数は減らない。舌打ち。風鳴翼を以てしても、悪い流れに傾きかけていた。

 

『司令、出るぞ』

『待て』

『しかし』

『待てと言っている!』

 

 武門と司令の身近なやり取りが届く。未だ現場には大量のノイズが存在しており、幾らユキとは言えまともに戦えるわけがなかった。そんな状態では、博士と因縁が深いユキが狙い撃ちされるのは目に見えていた。感情を押し殺した司令の言葉が、武門を押し留めている。

 

『例え味方だとしてもこれはあんまりデス』

『っ、これが、私たちの歩む道なの……?』

 

 装者と博士の戦いを見るF.I.S.の装者もまた、交わされるやり取りに言葉を失う。守る物の為に悪を成す事を決めていた。だが、これは余りにも。唇を噛む。血が流れた。

 

「そうだ……。調ちゃんは言っていた。目的の為には悪い事だと解っていても、為さなければいけない。あなた達は、何を目的にしているんですか!?」

 

 悪意に切り刻まれながらも、響は問いかける。切歌と調は、何を成そうとしているのか。それを知る事だけを頼りに、ウェルに問いかける。

 

「私たちの目的ですか? ならば教えてあげましょうか。我々の目的は、人類の救済! 月の落下によって生じる無辜の民を可能な限り救済する事ですよ!!」

 

 凄絶な笑みを浮かべ、月に向かい指を差した。カディンギルにより破壊された月の軌道。大きく変わったそれが地球に目掛け落ちて来る。ルナアタックが起こした弊害ですよと、皮肉気に笑う。

 

「月が!?」

 

 余りに予想外の一言に、響の動きが止まる。

 

「馬鹿な。そのような事実があるのなら、各国が公表しない筈が――」

「公表するなど、ある筈がないですよ!」

 

 それが事実ならば、各国が黙っている訳がない。そう続けようとした翼の言葉に、ウェルは被せるように続ける。

 

「対処法の見つからない極大災厄。それによって引き起こされる甚大な被害。どれ程だと思います? そして、それから逃れられる人間には数に限りがある。それも人類全体から見たら、ほんの僅かな数です。その事実が公表された時、どんな事が起きると思いますか!?」

「そ、れは……」

 

 その言葉が事実だとすれば、簡単に思い当たる。真実を知る事による混乱、逃げられない事による絶望、そして僅かに作られた生を掴む為の争いだった。

 

「不都合な真実を公表する理由など、何も無いのです。ならば、何があっても隠し通すと思いませんか? 何せ、生き延びられる数には限りがあるのですからね! 知らなければ何も起こらずに、時が来て見知らぬ誰かが消えるだけなのですから!!」

「まさか、この事実を知る連中ってのは、大勢を見捨てて自分達だけが助かろうと……?」

 

 もし事実なのだとしたら。だが、事実であるからこそ、F.I.S.は立ち上がったのだろう。そうでなければ、世界を相手に宣戦布告までする意味が解らなかった。それ程の覚悟を以て挑んだと、嫌でも思い当たる。

 

「だとすればどうすると言うのですか? ルナアタックの英雄たち。あなた達ならば、どうやって世界を救いますか?」

「……っ!?」

 

 ウェルの問い。世界は存亡の危機に瀕している。それに向け、どうやって立ち向かうのか。英雄と呼ばれた少女たちに、博士は問いかける。返す言葉などありはしない。シンフォギアの決戦兵装を用い絶唱を歌って尚、月の欠片を砕いただけであった。エクスドライブすら使えず、使えたとしても迎え撃つ公算がある訳でも無い彼女らに、打てる手など何も無かった。大きすぎる災厄と、無力すぎる自分たちの力に、戦場に立つ足が揺らぐ。

 

「それがあなた達の答えですか。良く解りましたよ。代わりに我らが提示するのは、ネフィリム!!」

 

 何一つ言い返す事が出来ない装者を満足げに見回すと、ウェルは代わりに自分たちが示すのですよと高らかに宣言する。大地が揺れた。クリスの足元。隆起。

 

「くぁ!?」

 

 突如現れた化け物に吹き飛ばされ、雪音クリスが地に落ちる。化け物。かつて廃病院で見た影が、さらに大きくなった存在が肉食獣の如く、口許から涎を垂らす。低いうなり声、辺りに響く。

 

「クリスちゃん!?」

「雪音!?」

 

 奇襲を受けたクリスに、風鳴翼が救援に向かう。抱き上げた。

 

『――自動錬金』

 

 不意に電子音声が響く。翼が目を見開いた。眼前。突如現れた黒金。既に大爪を振り被っていた。クリスを抱き抱えた為、翼は丸腰である。これ以上ない瞬間に牙を剝いた。

 

「くぁ!?」

 

 自動人形の一撃。それをもろに受けた翼は、クリス事吹き飛ばされる。咄嗟に赤を強く抱きしめるが、次いで受ける強すぎる衝撃を殺し切れず、意識が飛びかける。

 

「翼さん!?」

 

 その直前届いた悲痛な声。それが、風鳴翼の意識をギリギリ現実へと留まらせた。

 

「うぁ……」

 

 衝撃で気が付いたのか、雪音クリスもうめき声をあげ薄く目を開く。朦朧としない。二人の装者に、ノイズが粘液を吹きかけ、絡め捕った。

 

『司令!』

『あと15秒待て!』

『これは……、許可が?』

『下りるものかよ! 責任は俺が取る。司令とはそう言う物だ!!』

 

 三人の装者のうち、二人が戦闘不能に追い込まれていた。黒金。ノイズの傍らで歩を止め姿を消す。響は只一人、化け物と対峙する。完全聖遺物ネフィリム。他の聖遺物を食らう事で成長する自律稼動するエネルギー増殖炉。化け物の形をした完全聖遺物が、響に襲い掛かる。通信。耳に届くが、内容が入ってこない。構える。響だけで、二人をネフィリムから守らなければいけない。踏み込み。司令との鍛錬を思い出す。負けられない。その意気を以て、挑んでいた。

 

「人を束ね、組織を編み、国を守護する。少数を殺し、大勢を生かす。ネフィリムはそれを為したる英雄の力!」

 

 掌打。打ち上げ。大きく開いた胴体への回し蹴り。熊以上に巨体なネフィリムの体を打ち上げ、吹き飛ばす。遠くからウェルの言葉が聞こえる。ネフィリムの息遣い。荒々しいそれが、涎と共に吹き飛んでいく。

 

「ルナアタックの英雄よ。その拳で何を成す!」

「わたしは……」

 

 ネフィリム。立ち上がる。一気に間合いを詰める為駆け抜ける。ウェルの言葉に、響は短く呟いた。咆哮。腰部推進装置を起動、見据える。拳を握った。飛ぶ。ノイズ。ネフィリムと響の間に割り込ませた。

 

「そうやって、君は誰かを守りたいという拳で人々を守る力を打倒す!」

 

 ネフィリムに向かう響にウェルは言葉の刃を投げかける。ノイズは盾となり煤となる。だが、言葉の刃は少女を斬りつける。ネフィリムの眼前。左腕を握りしめた。

 

「何かを守りたいと言いながら、もっと多くの人間をぶっ殺す訳だ!!」

 

 ――それこそが偽善。

 

 凶刃が胸を穿つ。守りたいと言いながら、多くを殺す。その言葉の刃が、誰かを守りたいと願い戦う少女を貫いた。脳裏に、月読調に言われた言葉が過る。偽善者。短いが、確かに響を撃ち砕いた言葉だった。

 

「私は……英雄なんかじゃない! 少数を見捨て、多くを救うのが英雄だと言うのなら、私は英雄なんて呼ばれたくない。私は目の前で血を流す誰かを見捨てたくないんだ! 誰かを殺す事でしか多くを救えなかったとしても、目の前の人を救った上で、皆を生かす事を諦めない!!」

 

 ――難しく考えるな。偽善でも良いのだよ。

 

 だけど、響はある種の答えを得ていた。ルナアタックの英雄。響はそう呼ばれていた。だが、自分は英雄などでは無い。心の底からそう思っていた。立花響にとっての英雄は、立花響である筈が無いのだ。考えて見れば、当たり前の理由だった。かつての事件の際、全てを失ったと思い何も考えられなくなっていた。何もわからなく、ただフィーネに痛めつけられた。その時に守ってくれた人。自分と同じ痛みを負って尚、シンフォギアすらなく生身で血を流しながら戦い続けた人。あの時の恩人に、上泉之景に道を示して貰っていた。偽善でも良い。自分の気持ちに嘘が無いのならば、見え方の違いに他ならない。そう教えてもらっていた。そう信じて貰っていた。だから、響は揺らがない。

 腕を食らう様に開かれた大口。咄嗟に軸足を回転させ、腕を引き戻す事で往なした。突き出されたネフィリムの首。渾身の右手を打ち込む事で吹き飛ばす。私はクリスちゃんと翼さんを守らなきゃいけない。そんな意思を胸に抱き、完全聖遺物を見据える。

 

「成程。何があろうと諦めず、全ての人を救う。どんなに少数でも見捨てない。実に素晴らしい覚悟だ。その覚悟だけは、おとぎ話に出て来る英雄達と同格と言っても良いでしょう。だからこそ、反吐が出る」

 

ネフィリムは幾らかふらつくが、いまだ健在である。他の聖遺物を食らう完全聖遺物にとっては、シンフォギアも食料に他ならない。涎を垂らし、喰らう事を夢想している。負けられない。ウェル博士の言葉に惑わされるわけにはいかなかった。

 

「……私は、英雄なんかじゃありません。私なんかが、英雄な筈がないんです」

 

 英雄だと言う言葉を否定する。響にとって、自分の想いは特別なものでは無かった。困っている人を助けたい。その尊い想いも、彼女からすれば当たり前の想いだったから。何よりも、立花響は自分にとっての英雄(ヒーロー)を知っていた。だから、迷う事は無い。

 

「そうですね。ルナアタックの英雄などと呼ばれようと、あなた達は本当の英雄ではない。ごく少数の犠牲すらも許容できず、ありもしない希望に縋り、結局は何も救えずに終わる。ただの、優しい女の子でしかありませんよ。無力で愚かな、ね」

 

 哄笑。響の言葉には穴がある。諦めない。だが、現実として何の可能性も提示できていなかった。それでは、ただの小娘の絵空事に過ぎない。何一つ守る事が出来ず、全てを失うだけの、弱い人間の言葉だった。

 

「そうだったとしても、私は生きる事を諦めない。生かす事を諦めない!」

「それがあなたの覚悟と言う訳ですね。その想いだけは汲んであげますよ。だから、良い事を教えてあげましょう」

 

 ネフィリム。響に向かい拳を振るう。それを往なし、流し、隙を晒した胴と頭部に打ち込む。撃槍たる両腕。想いを込めて振るい続ける。守りたいものがある。失いたくないものがある。だから私は戦える!

 

英雄(ぼく)が認めた人間は言いましたよ。人は弱い。だからこそ英雄と呼ばれる者を欲する。そして弱者は英雄が進む為、研鑽し血を流す必要があると。だから、あなた達弱い人間には英雄の為に血を流して貰う事にします。ネフィリム!!」

「……っ!? 翼さん、クリスちゃん!?」

 

 ウェルの鋭い声が轟いた。響に向かっていたネフィリムが、不意に進行方向を変更した。翼とクリス。絡め捕られた装者二人にネフィリムが向かう。対話をしていた為、ほんの一瞬虚を突かれた。ウェルは高笑いを浮かべる。懐に手を入れた。あるものを取り出す。

 

「ネフィリムは聖遺物を食らい力を増幅する。それはシンフォギアも例外ではない! そして、それは奏者が纏おうが、捕食には何の影響も与えない!! 英雄と呼ばれた弱き人間を喰らえ、ネフィリム!!」

「っ、二人が食べられる……? させない! 絶対にそんな事はさせない!!」

 

 どこか鈍足であったネフィリムが、驚くほどの速さを見せている。それに違和感を抱く暇を響は与えて貰えなかった。大切な友達が食われる。そんな事、絶対にさせる訳にはいかなかった。走る。だが、ネフィリムには追い付けない。腰部推進装置、両手の腕部ユニットを展開。ネフィリムを遥かに超える加速を以て、二人の前に立つ。

 

「絶対にやらせない。二人をこんな化け物に食べさせるなんて、絶対に絶対やらせるもんか!!」

「……立花」

「……このバカが」

 

 襲い来るネフィリムの正面に割り込んだ。拳。既に限界まで高められた力が、唸りを上げている。守るんだ。絶対に絶対。私が守って貰ったように。想いを込め、拳を振るう。

 

「ええ。食べませんよ。最初から狙いは、後ろの二人ではありませんから」

「え……?」

 

 必死だった。友達を死なせてなる物か。それ程必死であったからこそ、気付けなかった。少女の想いを踏み躙るかのような声が届いた。最初から、狙いは別だった。悪感。凄まじいそれが背筋を駆け抜けた。かつて、似たようなものを味わた事がある。上泉之景と対峙した時に感じた感覚。今感じている物から、殺意を抜けばより近いものだった。時には人の力に、或いは悪意に膝を折る事もあり得る。走馬灯のように言葉が思い起こされた。身を以て教えてくれていた。それを生かせなかった。渾身の一撃。既に放たれた後である。

 

『――自動錬金』

 

 ネフィリムの正面。不可視の障壁が響の拳を阻んでいた。低く屈んだ自動人形。腕を翳している。一瞬、何が起こっているか理解できなかった。目の前の事実が、認識できない。

 

「だから、あなたには何も守れないと言ったのですよ。ルナアタックの英雄! 試作型英雄の剣(プロト・ソードギア)、抜剣!!」

 

 ――血脈に宿る刃(ブラッドスレイヴ)

 

 電子音。眼前でネフィリムが光に包まれる。それは、見た事のある光だった。シンフォギアを纏う際に発する光。それに酷似していた。目が見開かれる。ウェル博士の発する言葉が理解できない。だけど、記憶の中にある感覚が教えてくれていた。今すぐに体勢を立て直さなければいけない。

 

「英雄の為に、血を流してください」

「……ユキさん?」

 

 何処かで見た銀閃が奔った。腕を引く。引いて違和感を覚えた。引いたはずの腕が帰って来ない。眼前で、何かが宙を舞っている。シンフォギア。それを纏う腕。立花響の両腕が空を舞っていた。

 

「立花!!」

「なっ、おい!?」

「え……?」

 

 下がる。そして、力なくへたり込んだ。何が起こているのか、響には理解できない。理解が追いつかない。解る事は、両腕が落ちている事である。そして、ネフィリムが迫っていた。両腕が長大な剣と化している。

 

「あ、え、な……んで?」

 

 ネフィリムが腕に向かう。そのまま大口を開け、食らいついた。体から何かが抜けていくように、急激に冷たいものが流れる。解らない。今行われている事が、何かわからない。ただ、怖くて仕方が無かった。

 

「言ったでしょ? あなたは英雄なんかじゃない」

 

 ウェル博士が諭すように告げた。慈愛に満ちた笑み。それが、怖くて仕方が無い。悪意。それも響が感じた事の無い、戦場のソレだった。

 

「あ、あ、あ、ああああああああああああああああああ!!!!」

 

 両腕から血が噴き出る。噴き出している事に、今気づいた。抑えようとして、両腕が付いていない事に気付く。体の奥底から込み上げる恐怖。まだ子供である彼女に、抑える事などできる訳がなかった。

 

「くくく、ふふふ、はははっはははっははは!! これが、英雄の剣。僕が手にした力だ!!」

 

 少女の慟哭。それをかき消す英雄の咆哮が発せられる。

 響の英雄は、まだ来る事は無い。




 書いていて 殴りたくなる この博士


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8.狂乱の撃槍

「くくく、ふひひ、はははははは!! 斬ったぁ!! あの、シンフォギアを! 僕の剣を持つネフィリムがぁ! 叩っ斬ったぁ!!」

 

 響の両腕を斬り落としたネフィリムがその腕を喰らう。ネフィリム。自立稼働する増幅炉である。他の聖遺物を捕食する事で、更なる出力を可能とする。両腕に纏われたシンフォギア。それを糧に、成長を図る。体が鈍い光を帯びる。暴食。その力を以て、更なる段階に進もうとしていた。

 

「ひはははは! 英雄の剣を纏うネフィリム! それは、剣聖の血脈に宿りし絶技を分析、再現しているのだ! ネフィリムにより出力されるエネルギーを両手の剣に変換、剣聖の剣撃を顕現させる!! 例えシンフォギアを纏おうと、本当の戦いを知らない子供如きにそれは防げるものではない!! 英雄の剣。英雄の象徴たる、僕の剣だぁ!!」

 

 宿敵を切り刻み、少女の腕ごと捕食を進めるネフィリムの姿に、ウェルは高揚が止まらない。試作型英雄の剣(プロト・ソードギア)。ウェルが協力者に技術提供を受け、シンフォギアのアームドギア展開技術を参考に独自のアプローチをかけて作られた外部兵装だった。とは言え、試作型である。ネフィリムによって生成されるエネルギー。その膨大な力を核に据える事で、本来生成不可能な剣を無理やり生成可能としていた。自立稼働する増幅炉であるからこそなせる力業の追加兵装。それが、試作型英雄剣であった。F.I.S.の切り札であるネフィリムの為に調整された武装。英雄ウェルの剣であった。高揚が抑えきれない。滾って仕方が無い。誰に語るでもなく、ウェルは子供が新しい玩具を自慢するかの如く、声を上げる。

 

「そして聖遺物を捕食したネフィリムはぁ、更なる高みへと昇るのです! さぁ、始まるぞ。覚醒の鼓動が! この力が、僕の剣を纏うネフィリムがぁ、人類を滅亡の淵から救うのだぁ!! ふははは、ふひはっはひは!!」

「あ、あ、ああ……。血に宿る、剣?」

「そうですとも、剣聖の力! 英雄の象徴たる剣を極めたる力。それが僕の得た力だ! ネフィリム・アークソードだ!!」

「血に……あ、ああ、ああああ、ああああああああああ!!」

 

 ウェルの言葉に響は僅かに反応を零した。気が昂って仕方が無いウェルは、響を斬り裂いた剣が自分の物である事を主張する。その言葉を聞き、だけど響は心の底から安堵してしまった。自分を斬り裂いた剣。それが、ネフィリムの物だったから。その刃は、かつて見たソレに何処か似ていた。自分を斬り裂いたのがソレでは無かった。その事実が、響から意識を奪った。遠のく意識の中、胸が熱く鼓動を打つ。何かが自分の中に満たされていく。その感覚に、響は抗う事が出来なかった。

 咆哮。意識を失った響の口から、手負いの獣の放つ怒気が沸き上がる。響の体が黒を纏った。瞳。理性が完全に吹き飛んでいる。暴走。聖遺物と人間の融合症例である立花響は、生命力の低下と意識の消失により、シンフォギアの暴走を引き起こしてしまっていた。

 

「……、こ、これは……。暴走か?」

 

 不意に発せられた不穏な気配。強烈な敵意。昂っていた気持ちが、背に氷柱を突き入れられたかの如く、急速に冷えはじめた。フィーネの観測記録にもあった立花響の暴走状態。知識として知っていたものが、今目の前で実物が顕現する。あまりに強烈な存在感に、額から汗が零れ落ちる。

 

「まさか、腕を作り出している……? ギアのエネルギーを腕の形に固定。まるでアームドギアを生成するかのように、腕を復元させて……」

「あいつの腕は、腕はどうなったんだよ!? 斬られてんのに、生えてくんのかよ!? そんな事が、あり得んのかよ!?」

「解るわけがない……」

「ああっ。なんでだよ。なんであのバカの腕が!!」

 

 眼前で展開される光景に、翼が呆然と呟く。斬り落とされた腕の再生成。理性が吹き飛び暴走状態の響きが行ったのは、腕の復元であった。そのあまりに異常な光景に、クリスは腕はどうなるのかと叫びをあげる。答えなど、誰も返す事が出来はしない。

 

「く、くくく。だが、暴走程度がどうしたと言うのですか!? 今のネフィリムはシンフォギアを喰らい、新たな高みに到達している。剣聖の前に、理性なき力が何の役に立つ!!」

「うぅぅ、ああああああああああ!!」

 

 ネフィリム・アークソード。二回りほど体が大きくなったそれが、黒に迫る。剣聖の技を宿した両手。突き出される大剣に、黒は低く唸りを上げる。やれ、ネフィリム。ウェルの一声により、ネフィリムは地を蹴った。突進。両の手の剣を以て襲い掛かる。

 

「あああああああああ!!」

 

 黒の両腕。咆哮と共に刃が形成される。漆黒の槍。撃槍たるガングニールの真の姿とでも言わんばかりに、両の腕に更に槍を生成する。赤く染まった瞳。ネフィリムを睨みつけた。博士が息を呑む。爆発。地を粉砕するほどの脚力を以て、ネフィリムに肉薄する。

 

「は、速い!? だが、強化されたネフィリムならば!!」

 

 獣の咆哮。どちらが上げているのか解らないそれが響き合い、巨大な剣と槍がぶつかり合った。斬撃。槍と剣の二つが幾度となく重なり、唸りを上げる。鋭撃と剛撃が何度となく戦場の音を奏でる。シンフォギアの力は歌を歌う事で飛躍的に上昇する。その高まりを遥かに超える動きを以て、黒はネフィリムに襲い掛かる。

 

「ネフィリム、もう一度切り刻むんだ! 血に継がれし残影を再び放つんだ!!」

 

 ぶつかり合う二つに、ウェルは叫ぶ。暴走状態の出力。想像していたよりも遥かに高い。響の胸が鈍く光を上げる。その度に、動きが鋭く重く進化していく。剣撃が槍撃に追いつかない。眼前のぶつかり合いに、博士は声を上げる。英雄の剣を持たせてある。負ける事などあり得ないのだ。ネフィリム。全身が淡い光に包まれる。受け継がれてきた斬撃。模倣が放たれる。

 

「あああああああああ!!」

「いけ、行くんだネフィリムぅ!! その黒くて速い死にぞこないを、ぶっ殺すんだ!!」

 

 閃光。一振りで十に届くかの斬撃が襲い掛かる。黒き槍。瞬く間に削ぎ落とす。だが、削り切れはしない。一撃では威力が足りなかった。二の太刀。それが届くよりも早く到達した。半分ほど削ぎ落とした槍。その様な些事は知った事かと言わんばかりでネフィリムに襲い掛かる。一撃。ネフィリムの胴体に突き刺さる。二撃。右腕の剣を半ばから圧し折った。三撃。左腕の刃を叩き折る。

 

「斬れ、斬れ、斬れ! 斬れ! 斬れ……ない? 何故だ。何故だ! 英雄の剣を以てなお、何故押し負けるんだネフィリムううう!!」

 

 緑色の体液が飛ぶ。ネフィリムの血液にあたるそれが、黒に降りかかる。英雄の剣が圧し折られていく。あまりの光景に、博士は半狂乱になり叫ぶ。何故負けるのか。不意にその光景に気付いた。

 

「ま、まさか、成長したから? 英雄の剣は、成長する前の段階のネフィリムに合わせて生成されている。規格が合わなくなった? ネフィリムが強くなりすぎたから、強大になりすぎたから、生成される剣の大きさに強度が追いつかなくなってしまったのかぁ!?」

 

 天才故に即座に答えに行きついてしまう。ネフィリムがシンフォギアを暴食していた。それによる急速な成長。二回りは小柄だったネフィリムに合わせて調整された英雄の剣では、大きくなりすぎた剣に上手く力を使わせる事が出来なかった。小兵と大兵では武器の選択や取り回しが違う様に、ネフィリムの力で生成される英雄の剣もまた、ネフィリムに合わせた調整が必要だったのだ。ウェルは科学者であって、戦士では無い。戦いの機微に関しては、響たち装者以上に鈍感であった。研鑽されるべき力を一括りにしていた。それでは、どれほど強い武器を持とうとも、上手く使えるはずがなかった。

 

「そ、そうだ人形。ネフィリムの援護に回れ!!」

 

 黒金の自動人形。自身が奇襲と護衛の為にともなったそれに向け、咄嗟に指示を出す。不可視の人形。風の衣を纏ったまま、黒に襲い掛かる。

 

「うぅあ、あああああああ!!」

 

 爪撃。背後からの奇襲をもろに受けた黒は、更に怒りの咆哮を上げた。折れた槍でネフィリムを殴り飛ばし、自動人形に襲い掛かる。不可視。だが、圧倒的なまでの暴力を以て放たれる斬撃の前では見えない事などあまり意味をなさなかった。広範囲に及ぶ乱撃。狙う気など毛ほども感じられない乱舞が自動人形を削ぎ落す。

 

「なんだ、何が起こっているんだ。英雄の剣はどうしたんだ!?」

 

 血を流すネフィリムに、ウェルは声を荒げる。荒い息。ネフィリムは再び剣を生成した。よ、よし、もう一度行くんだ。そんな言葉をネフィリムにかけ送り出す。自動人形。不可視の衣を無理やり引き剥がされていた。ネフィリムが斬りかかる。

 

「ああああああ!! うぁうあああああああ!!」

 

 一撃。それ以上入れる事が叶わない。黒金を吹き飛ばし、振り返った響は折れた槍を捨てるかのように再び腕だけを生成。ネフィリムの剣を掴み取った。

 

「な、なにを……? まさか、そんな、まさか!?」

「あああああああああああああ!!!!」

 

 驚愕に染まる声。そんなウェルの様子など一顧だにせず、掴んだ手で握りつぶした。巨大な剣の半ば程。無惨に砕かれる。ネフィリムが叫びをあげる。叫びに何の意味も無く、次の瞬間には半ばから砕き折られた。再び生まれる撃槍。ネフィリムの両腕を斬り飛ばした。緑色の体液が、響であったものに降り注いだ。あまりの暴虐に、ウェルの口から小さな悲鳴が零れ落ちる。

 

「ひぃ! や、やめろ、やめるんだ!! ネフィリムの力はこれからの世界の為には必要不可欠なものだ! 英雄の軌跡を歩む為にも、絶対に無くせないものなんだ!! それを、それをこんな所で!! 失う訳には!!」

 

 四肢を切断し、頭部に槍を突き立てる。それでも満足する事は無く、滅多刺しにしていく。虫の息。ネフィリムがいつ死んでもおかしく無いほど痛めつけられて尚、その手は止まることが無い。黒金再び殴り掛かる。三度打ちかかり、四度目で腕ごと断ち切られた。金眼が瞬いた。後退。ウェルが何の指示も出していないにも関わらず、遠ざかり姿を消す。荒い息を整えもせず、動く事すらできないネフィリムに飛び掛かった。断末魔。背中から突き入れられた腕に、ネフィリムは絶叫を上げた。右腕。体の中を引裂きながら、それを掴み取った。ネフィリムの心臓。体組織を引きちぎりながら、引き摺りだした。衝撃が駆け抜ける。点在していたノイズすら、その余波で吹き飛ばしていた。体液。全身に降り掛かる。心臓。無造作に引きずり出されたそれは、地に捨てられる。

 

「ネフィリムが、英雄の力が、軌跡がぁぁぁ!?」

 

 あまりの光景に、ウェルは狂乱を隠す事も出来ずに喚き散らす。圧倒的優位でありながら、英雄の剣は手折られ、人形は砕け、ネフィリムは葬られていた。その反応も仕方が無いだろう。だが、それがいけなかった。立花響であったものは、未だ何の満足感も得られていない。満たされない破壊衝動。それの次の矛先が決まった。

 

「ひ、ひいいい!? ば、ばけ、ばばば、ばけ、ばけ……」

「うぅぅ、ああああああああ!!」

 

 目が合う。とても人のして良い目では無かった。敵意と憎悪に染まり切った瞳。ウェルの目には、赤く染まった目がそうにしか見えなかった。腰を抜かし、後退る。じりじりと黒が迫った。

 

「あああああああ!!」

「ば、ば、ば、……」

「やめろ、立花!! やめるんだ!!」

「この……バカ!! お前の手は、誰かと繋ぐ為にあるんじゃねーのかよ! 人を殺す為に使って良いわけねーだろ!?」

 

 踏み込み。ウェルの瞳には唐突に現れたとしか思えないほどの速さで迫っていた。右腕。悪意を向けてきた人間を、文字通り手折る為に振りかぶられていた。恐怖の余り、上手く言葉が出ない。拘束から解かれた装者の声。二人に届くが、間に合わない。自動人形に負わされた傷は、浅いものでは無かった。響が振り上げた手を止める事が出来なかった。

 

「ばるす!!」

 

 腕がぶつかる刹那、ウェル博士の姿が消えた。消えたと二人の装者が錯覚するほどの速度で吹き飛んでいた。顔に眼鏡がめり込んでいる。腕が空を切った。地を吹き飛び、段差を転がり落ち、大小さまざまな石でその身を傷付けながらも死地を脱する。

 

「間に合わなかったか」

「目がぁぁぁ、目がぁぁぁ……!?」

 

 吹き飛んだ博士を一瞥し、呟かれた一言。響の幾らか後方。武門上泉の剣士。上泉之景が、太刀を突き出した形で止まっていた。遠当て。斬るのではなく、吹き飛ばす為に放ったそれで、響の手でウェルが手折られるのを阻止していた。

 

「煩い。男ならその程度で喚くな。顔が幾らか陥没しただけだろうが、死にはしない」

 

 じたばたとのた打ち回るウェルにそれだけ言い放つ。童子切。日ノ本でも最高峰の一振りで放たれたソレを受けて、なお原型を保っていられるのは温情以外何物でも無かった。響に殺しをさせない為だけに放たれた一撃だった。

 

「あ、あんたは……」

「先生!?」

 

 クリスと翼は驚きの声を上げた。もう駄目だと思った。それが、ギリギリのところで繋ぎとめられる。依然として油断はできないが、一筋の光は見えていた。

 

「あああああああ!?」

「お、おい!?」

「立花!?」

 

 その瞬間に、響は二人の装者に襲い掛かる。ウェルからは幾らか離されていた。背後には新たなる敵がいる。先ずは、隙を晒した二人。その様な獣の判断だったのだろう。虚を突かれた二人は驚きを零すしかできない。

 

「これ以上、遅れはしない。後は任せろ」

 

 獣の踏み込みすらも上回る加速。本当の神速を以てして、武の体現者は黒を阻んだ。童子切とその鞘。片手ずつに持たれた武具で、瞬間で形成された撃槍の力を流すように受け止めていた。両の手が震える。だが、獣はそれ以上押し通る事が出来ない。ウェルの呻き声。二人の装者には遠くに聞こえる。背中。彼女等には先達のそれだけが見えていた。

 武門上泉。剣聖と呼ばれた者の末裔が、血を流す少女の前に、漸く現れたのだった。

 

 

 

 

 

 

「暴走か……」

 

 立花響の暴走。ルナアタック事変の折、何度か今と同じ状態になる事があったと情報だけは知っていた。完全聖遺物デュランダルの起動や、クリス撃墜、フィーネとの決戦、契機となる出来事が起こる時、幾度となく黒き力を纏って戦っていたと聞いている。眼前に居るのは、強すぎる力にのみ込まれた少女だった。見据える。理性が吹き飛んだ瞳からは、何かを感じ取れる事は無い。

 

「ああああああああ!!」

「喝っ!」

「――!?」

 

 気当て。丹田に蓄えられる気。それを至近距離からぶつけていた。理性が吹き飛ぼうと、生物である以上は気の流れと言うのは存在する。機先を制した。両腕の黒槍。動かそうとした意識の先を行き弾き飛ばす。至近距離。剣の間合いすらも越え、踏み込んでいた。

 

「君は誰かを助ける為にその手を振るうのでは無かったのか?」

 

 振るわれる腕。速いが遅すぎる。どれだけ速かろうと、その拳には何も宿る事は無い。理性なき暴。他者を顧みる事の無いその力は、武では無い。牙ですらも無かった。どれほど力が強かろうと、それはただ強いだけだった。巨大な鉄の塊。今の響は、かつて語ったそれその物だった。幾ら巨大であろうとも、所詮は鈍である。躱し続ける事など大して難しい事ではない。駄々をこねる子供をあしらうのと変わりはしない。避けながら語りかける。

 

「立花、止めろ。もう良いんだ!!」

「お前に黒いのは似合わねーんだよ!! 良いから戻ってきやがれ!!」

「うぅぅぅぅ、あぁあああああああ!!」

 

 傷付いた装者が言葉を投げかける。幾らか効果があるようだが、それを振り切る様に叫び続ける。振り続けられる拳。童子切。鞘を捨て、刃を返し峰で迎え撃つ。往なし、躱し、弾き、受け止める。両の手。一撃止めるだけで響とは思えないほどの負荷が掛かる。大した問題では無い。童子切。刃に左手を添え、両手で受け止めた事で幾らか血が流れる。熱。血を刃が吸う。気にせず、響を見詰め続ける。多くの言葉は必要としない。振り抜かれる拳が、何よりも悠然と語り続けてくれるからだ。意志。刃を通して、それが伝わる。不意に、視界にあるものが映る。

 

「大丈夫だ。必ず、助ける」

 

 童子切は目に見えぬものを斬る事が出来る太刀である。血を吸わせていた。その本領が発揮される。かつて見た事のある少女。黒に飲み込まれた響に、何かを語りかけているのが薄っすらとだが見える。天羽奏。死して尚、誰かを生かす為に戦っているのか。ただ僅かに見えるだけで言葉は聞こえないし故に交わせない。だが、その必死な表情を見れば、この子を助けたく思っているのが良く見えた。拳を往なし、立ち位置を入れ替えながら、奏に聞こえるように呟いた。目が見開かれる。笑った。風鳴のに視線を移す。君の相棒は例え姿を無くそうと、傍に居てくれているようだ。伝わる筈がなく、伝える気も特にない言葉が胸によぎる。響の為に死者ですら戦おうとしている。ならば、余計に無様な姿は見せられないだろう。自分はこの場にいる少女たち全ての先達である。例え彼女らが英雄と呼ばれようと、その事実は揺らがない。傷付き倒れかけていると言うのならば、その時にこそ人の矜持を示す時だった。

 

「戻ってこい。これ以上君を傷付ける者はいない。いるのは君を守ろうとしている者だけだ」

「頼む立花、奏から受け継いだガングニールを、そのような事に使わないでくれ……」

「どうしようもなかったこんなあたしと手を繋いでくれた。その手を誰かの血に染めるのはやめろ! やめてくれよ……」

 

 放たれる拳。掴み取る。体術。剣術ほどに精通してはいないが、武門として恥ずかしくない程度には使える。武芸十八般。武門に必要な技術は、どれもそれなりの物は持っていた。剣術。それが突出しているだけであり、それ以外が使えない訳では無い。敢えて迎え撃つ。響を、恐れに飲み込まれた少女を斬る刃は持ち合わせていない。それが武門であり、それが上泉之景だと言いきれる。童子切、地に突き立てる。奏の姿が消えた。だが、まだ声をかけて続けいるだろう。見なくても解るのだ。両腕を掴み取り、力を流し、暴れる子供を押さえ付ける。

 

「うあああああああああ!!」

「――」

 

 黒槍の生成。掴んだ手が引裂かれる。僅かに走る痛みに顔を顰める。だが、大した痛みでは無い。押し返そうとする槍を握りしめて無理やり止める。両手から血液が滴り落ちる。すまないな。血で汚れる。呟いた。僅かに響が揺れた。だが、咆哮を上げ全身を振るう。

 

「先生!!」

「やめろ、手が切れるぞ!?」

「それがどうした」

 

 手を離せと叫ぶ二人の言葉を無視する。斬らないのか。響に問うた。返事など返す事ができず、ただ全身を使い暴れ回る。刃を手にしていないが、心の刃を交えていた。それで、ある程度の事は予想がついた。

 

「そうか、自分では戻ってこれないのか。ならば、任せろ。泣きわめく子を宥めるのも、大人の仕事だ」

 

 手を離す。童子切。構えた。掌から滲む血が滴り落ちる。左手。血を刀身に吸わせた。童子切が震える。斬るぞ。響を見据えて告げる。充分だ。太刀は震える事で答えていた。心強いな、お前は。童子切に伝える。笑った。できない事など、ありはしない。斬るものを見据えた。奏が響に声をかけている。童子切。手にしている。泣きわめく小娘を一人止める事など、大して難しい事では無かった。

 

「まさか……斬る気なのですか!?」

「バカ! 斬るんじゃねぇ! アイツはただ、暴れているだけなんだ……。あたしたちが止めてやらなきゃいけないんだ!!」

 

 血刃。刃を低く寝かせた。風鳴のとクリス。自分の意図を察したのか、慌てたように声を荒げる。だが、その予想は少しばかり的外れである。説明するほどの時間は無い。二人を無視する。恐怖に怯える響。荒い息を吐き続けている。生成した黒槍。血が滴っていた。

 

「来い。怖いと言うのなら、それを斬り裂いてやる」

「うぅぅぅ、うわああああああああああああ!!」

 

 手負いの獣の絶叫。辺り一帯に響いた。視界の端に、ウェル博士が逃げていく姿が見えた。今は相手をしている暇はない。猛然と迫る黒を見詰めていた。獣の踏み込み。見定める。

 

「立花!」

「止めろおおおおおおおお!!」

 

 撃槍。踏み込みからの渾身の一撃。刺突。軸足。基点に半身を逸らす。やり過ごした。二の腕から胸にかけて幾ら引裂かれている。動くのには問題が無かった。鮮血が立花を鮮やかに染める。ただ見ていた。悪いな、呟く。先程よりも遥かに鮮明になった奏が何かを叫んでいる。恐らくあの言葉であろう。天羽奏から託されたと言う、立花響が受け継いだ言葉。

 

「響、生きる事を諦めるな。俺は、生かす事を諦めない」

 

 だから、伝えていた。奏が叫んでいる。こんな所で負けるなと叫んでいるのだろう。声など聞こえない。だが、見れば分かった。童子切。震える。力を貸せ。意志だけを伝えた。斬るべきもの。それは、立花響が抱いた、恐れその物だった。

 

「――」

 

 一閃。血に塗れた響を、斬り裂いた。至近距離。頽れる少女を受け止める。黒が霞と消える。両腕。通信機から聞こえていた会話の様子から、喪失していたはずのそれは、しっかりと繋がっていた。だが、今はどうだって良かった。

 

「ユキ、さん……?」

「ああ、そうだよ」

 

 童子切。地に突き立てている。腕の中で、響が薄く目を開けた。奏。今は姿が見えないが、何となく居る事は感じられた。死線に踏み込んでいる。その所為かも知れない。失血により、少しばかり視界が揺らぐ。だが、悠長に寝てもいられなかった。

 

「わたし、また……?」

「今は何も気にするな。ゆっくりと、眠ると良い」

 

 何かを話そうとする響を諭した。悪意と殺意により、死の淵まで追い込まれていた。心身ともに、消耗が激しい筈だった。今は安心して寝ていろ。そう告げると、素直に頷き瞼を下ろした。ゆっくりとその場に下ろす。呼吸は弱いが、今すぐにどうにかなると言った感じでは無かった。

 

「お、おい、大丈夫なのかよ!?」

「ああ、もう大丈夫だろう」

 

 何とか傍らまで来たクリスに響を委ねる。座り込みたかった。だが、そう言う訳にもいかない。

 

「先生は、何をしたのですか?」

「斬ったのだよ。この子が捕らわれていた恐れを」

 

 風鳴のの問い。短く答えた。童子切は、目に見えない物を斬る事で真価を発揮する。その刃が斬るのは目に見えるものだけでは無い。恐れや怯え、幽霊や現象、物理的に存在しない物を斬る事が出来る刀であった。そして、斬れるが故に、見る事もできると言う訳である。例え不可視であろうとも。

 

「たわけが。同じ手で何度もつまらぬ横やりは出来ぬと知れ!」

「……え?」

『――自動錬金』

 

 風鳴のに背を向け、童子切を振るった。黒金。一時的に姿を消していた人形が、不可視の衣を纏って忍び寄ってきていた。漸く響が元に戻る事が出来たのだ。つまらぬ事で水を差したくは無かった。一撃。それを以て、残って居た腕を斬り飛ばした。小さな爆発が起こる。後退。今度こそ本当に撤退する為に背後を向く。

 

「追いはしない。だが、次は無い」

 

 背中に向けて投げかけた。返事など何もなかった。

 

「良かった。本当に、良かった……」

 

 響を抱えるクリスの下に風鳴のと共に向かう。光るもの。普段捻くれているクリスが、恥も外聞も無く、安堵により泣き崩れていた。

 

「時期に救援が来るだろう。皆で帰るか」

「はい。それまでに、応急処置を施します」

「ああ、頼むよ」

 

 クリスの隣に座り込んだ。響は穏やかな表情で眠っていた。二人にもう大丈夫だと告げる。白猫は、泣きながらただ頷いていた。風鳴のが応急処置を始める。撃槍での一撃。失血が激しかった。だが、それだけであった。死ぬような傷では無い。されるがままで空を見上げる。輸送機が近付いてきていた。白猫。気付けば手を握られていた。煤が風に流される。ただ、見詰めていた。

 

 

 




ウェル博士、顔を打ち抜かれムスカる。(1回目)


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9.先達の在り方

「傷の調子はどうですか?」

「問題があると思うか?」

「腕から胸にかけて斬られれば、普通は起き上がれないと思うのですが。……まぁ、武門ですからね。戦う為に人為的に研ぎ澄まされた人間。傷の治りが早いとはいえ、無理はしない方は良いですよ」

 

 見舞いに来ていた緒川の言葉に頷く。武門上泉。戦う為に、人間を選んで少しずつ昇華された血統だった。少しでも強い人間を作る。その為だけに磨き上げられている一族だと言える。剣聖。ウェル博士の言葉を思い出す。強すぎた人間。その血を更に昇華、後世に残していくのが武門の役目だと言えた。何百年もの間で築き上げられた身体はこの程度では死にはしない。包帯を見る。少女一人止める為に負った傷。大したものではない。身の程はわきまえていると緒川に告げる。寝言は寝てから言ってくださいと笑顔で返された。

 

「あの子らは?」

「響さんは個室に移されましたよ。未だ意識は戻らない状況ですが、峠は越えています。両腕の経過も良い様で、問題は無さそうとのことです」

「そうか。それならば良かった。二人は?」

「翼さんは司令との話が終わった後、剣を振っていますね。不甲斐ない。そんな言葉が背中から見えますよ」

「まぁ、あの子は防人だからな。良いようにやられ、後進が殺されかけた。そう思うのも無理は無かろうて」

 

 響は未だに意識は不明である様だが、峠は越えたようである。要経過観察ではあるが、後は良くなるだけの見込みと言えるだろう。一先ずは安堵する。なんの遠慮も無く斬り裂いていた。その感触が僅かに残っている。影響がないと解ってはいたが、改めて確認されると一心地着けた。

 

「思い詰めているようだな。一つ、斬ってこようか」

「ええ、そうしてください。流石にあの様子では体に影響が出かねません。こと剣に置いて、今の翼さんが素直に言う事を聞くとすれば貴方だけでしょうから」

「随分と買ってくれるものだな。風鳴のには必要以上に厳しく接してきたと言うのに」

「やはり、名前で呼んであげないのですね」

「上泉としてのけじめであるからな」

 

 風鳴翼。自身が武門であるように、防人の一族であった。他の装者二人とは違い、武に属する者である。響やクリスとは違い、意図的に素っ気なく接して来ていた。

 

「元許嫁候補としては、複雑な心境ですか?」

「笑わせるな。なってもいないだろう。大体、本人も知らぬ話では無いか。風鳴の先代が持ち掛け、上泉の惣領に一笑に付された。我が父ながら、忌憚ない物言いであったと聞く。……普通、獅子の子を狗の子にやれるか等と言うだろうか?」

「ま、まぁ、吹聴できる話ではありませんね」

「おかげで個人としては兎も角として、風鳴の屋敷などにはとても近付けんからな。必要も無いが。風鳴の現当主殿とは似たような心労を負わされている」

 

 許嫁などと言い笑うが、自身が幼き頃の話だと言う。下手をしたら、相手は生まれたての子供である。風鳴の血とは言え、どれだけの物かは全く未知数だろう。惣領の判断は正しいと言える。物言い以外は。尤も、現状を顧みるに、武門上泉と言う視点から見れば、宝を取りこぼしたと言えるが、個人としての之景の意見を言えば、それで良かった。風鳴翼は優しい子である。ただでさえ防人と言う責務がある。そのうえで武門などを背負う事になっていたら、どうなっていた事か。

 風鳴翼を個人として見なければ、その能力自体は武門としては欲しいだろう。俺個人としての意見は、武門などに入れる訳にはいかないが。武門の女と言うのは、人並みの幸せなどは求められないからだ。子と離れ離れになる等、日常茶飯事である。子が生まれれば傍流に預け、徹底的に苛め抜く。自分も経験のあるやり方だった。愛が無かったわけではない。むしろ人並み以上に愛されはしただろう。だが、自身の子を抱く事も許されない。それが武門の女の在り方の一端である。父は技を受け継がせるために触れあう。だが、母とは滅多に会えなかった。それでも父と母は仲睦まじかったと聞いている。父の死を追うように自死を選んだと聞いた時、幼心ながらにほっとした事を覚えている。それだけ父が愛されていたと解ったからだ。つがいを失った武門の女と言うのは、ただ優秀な女という事になる。若ければ一門の中で子を作る事を強いられる。拒否すれば、子だけを奪われ出奔させられる。それを別の方法で拒否したという事だった。一人残されはした。だが、残されたと言うよりも、父を母が心底愛したと言う事実が実感できたのが大きかった。少なくとも、自分は望まれた子であったのだ。そう実感できたのが、悲しみよりも大きかったのを覚えている。涙など、流れた事は無い。

 

「まぁ、風鳴の方はそのうち様子を見るとしようか。クリスは?」

「ある意味一番心配ですね。響さんが個室に変わってから、ずっと傍に居ます。寝ていないのかもしれませんね」

「……、目に見えるほど狼狽していたからな。下手を打った上、目の前で響の腕が落とされた。ソロモンの杖の事もある。消耗しているのだろう。……さて、行くかな」

「止めはしませんが、あまり無理はしないようにしてください」

「ああ、上手くやるさ」

 

 緒川から幾つか響の話を聞き、分かれる。一応自分も寝ておけと言われているが、動き回る分には問題が無かった。教えられた響の病室に向かう。特に問題も無く辿り着く。戸を何度か軽く叩く。聞き覚えのある声が耳に届いた。許可が出たので入室。見知った白猫が響の手を握り項垂れていた。

 

「随分と沈んでいるな」

「っ!? あ、あんたか」

 

 一声かけた。弾かれたようにクリスはこちらを見る。直ぐに表情が歪んだ。存外涙脆いのかと思いつつ、傍らに座る。幾らか体が震えていた。

 

「酷い顔だ。寝ていないのか?」

「悠長に寝てられる訳ないだろ。あたしが下手を打ったからこのバカはあんな事に……」

「だから、更に下手を打つと」

「なんだと!?」

「病室では静かにしようか」

「あぅっ!?」

 

 あたしが悪いんだ。このバカが怪我をしたのも、ソロモンの杖が奪われたままなのも、F.I.S.が蜂起したことも全部あたしがソロモンの杖を起動したのが始まりだったんだ。そんな言葉を吐き出し始めた。確かに思う所は無いとは言わない。だが、そんな事よりもまず一撃打ち込んだ。額。包帯の巻かれた手。躊躇なく二本指で小突く。それなりに強く入れた。零れた小さな悲鳴と、額を抑え軽く寝台に蹲るクリスの頭に軽く触れる。

 

「そうだな。君がソロモンの杖を起動しなければ何も始まらなかった。それは事実だ」

「……当たり前だよな。あたしが起動しちまったから、ノイズの被害は……」

「俺も、父をノイズに殺されたよ」

 

 今にも崩れ落ちそうなクリスに語り始める。懐かしい。思うのはそんな事だけだった。父の背中。舞い上がる煤。風が吹いていた。父は、鉄の棒を手に自分を守り死んでいった。その姿は、風としか思えなかった。憧れ。多分、今の自分の中にある最も大きい感情は、それだったと思う。大切なものを生かす為に命を懸けた。守られた。その父に、心底憧れた。悲しみはあった。だが、確かに残されたものもある。男だ、ユキ。そう言って笑った父の顔は今でも思い出せる。大切なものを、確かに残してくれていた。守り生かす背中に、男であることに憧れた。あのように笑える生き方に、憧れたのだ。

 

「……ッ!? じゃあ、あんたのパパもあたしが? あたしはあんたになんて詫びれば……。あぅぅ!?」

「たわけ。話は最後まで聞け。父が死んだのは十年以上前だ」

「……え?」

「君がソロモンの杖を起動するよりも昔。ノイズと聞けば何でもかんでも自分の所為だと己惚れるなよ?」

 

 更に自己嫌悪に陥りかけたクリスにもう一撃入れる。かなり手加減をしはいるが、クリスの目には涙が浮かぶ。一撃の所為と言うよりは、自分を追い込みすぎているのだろう。頭を押さえる白猫を今度は数回撫でる。見上げて来た。軽く笑う。背負い込みすぎだと伝えていた。

 

「じゃあ、あんたのパパが死んだって言うのは?」

「偶然だな。ソロモンの杖など何の関係も無い。まだ起動していない頃の話だろう。それでもノイズは現れたよ。父は俺の前で煤と消えたよ。だけどな、風でもあった。ただの人間でありながら、ノイズを吹き飛ばす風でもあった」 

 

 思い起こす。父はただの人の身でありながら、ノイズを斬り捨てていた。剣聖と言われるのならば、先ず父であろう。自分を守らなければ、死ぬ事は無かったのだから。

 

「君に罪があるとしたのならば、ソロモンの杖を起動した事だ。起動してしまった事が間違いである。だけど、そこまでだ。杖が使われたのは、君が一人で背負うべきものでは無いよ」

「……何が違うって言うんだよ。あたしが杖を起動しなければ、他の人たちだって」

「ソロモンの杖も太刀も本質は変わらん。武器だ。人を殺し得る力だ。誰がどんな意思を以て、何に使われるのか。大切なのはそこなのだよ。使い手が何を思うか。それこそが、最も重要な事だ」

 

 あたしが全部悪いんだと自棄に陥る少女に語り続ける。武器を起動させたのが悪いと言うのならば、武器を持つだけで悪いという事になる。ならば、襲い来る相手には無抵抗で死ななければいけないのか。生きる事を諦めろと言うのか。そんな馬鹿な話は無い。武器がある事だけで悪いと言うのならば、そんなものを作り出した人類全体が悪いという事になる。確かに武器は殺す為の力である。だが、それだけでは無いのだ。ソロモンの杖だけが、例外だと言う事は無い。その気になれば人など、素手でも殺せるのだから。

 

「使い手の意志……?」

「ソロモンの杖を起動させた。それは太刀を鞘から抜いたという事と変わらんよ」

「そんな簡単な事な訳がねーだろ! ソロモンの杖だぞ。人を殺す、人だけを殺す力なんだぞ!?」

「聞け、と言っている。抜身の刃。それは、振るえば人を簡単に殺める力を持つ。人以外の動物でもだ。ソロモンの杖が使われるのは、街中で抜身の太刀が振るわれるのと同じだ。それが特別だと言う訳では無い。むしろ、人以外も殺せる分、質が悪いか」

 

 ソロモンの杖も他の武器も本質は変わらない。例外なく、殺し得る力なのだ。杖も、人だけを殺す事以外は同じだった。

 

「だから何だって言うんだよ」

「俺の刃は、人を殺すだけにしか使えていないだろうか? 血から受け継いだ技は、何一つ守れていないだろうか?」

 

 だからこそ、問う。武器は殺す事しかできないのか。生かす事は出来ないのか。ソロモンの杖があると言うだけで悪いと言うのならば、同じ力を振るう自分もまた存在しない方が良いという事になる。人を生かす刃。そんな物は本当に無いのか。戦いを見ていた女の子に、ただ尋ねる。

 

「そんな事はない。あんたの剣は、あたしたちを守ってくれた。あのバカを、元に戻してくれた」

「だが、武器でしかない。ソロモンの杖と同じ、人を殺す為の力だよ」

「違う!? あんたの持つものは、あのバカと同じものだ。人を生かす力だ!」

「ならば、ソロモンの杖も同じだよ。使い手により、力はその在り方を変える。杖があるだけですべてが悪くなると言う事は無い。違うか? 武器だけで何かが出来る事は無い。使い手がいて初めて、何かが為される。武器があり使い手がいるのではない。使う者がいるからこそ、武器はあるのだ」

 

 クリスはあんたの剣は違うと零す。本質は同じだった。剣術は殺す為の力だ。だが、殺さない事もできる。ソロモンの杖も同じなのだ。ただ、人を殺す事がもっとも見えやすいと言うだけに過ぎない。ノイズ操れる。それには使い道がある筈だろう。

 

「あんたの剣は、誰かを守る」

「父が死んだとき、ソロモンの杖があれば誰も死ななかった。死なずにすんだよ」

「……え?」

「ノイズを操れる杖なのだ。何かの拍子で出て来たノイズに、人を襲わせない事だってできる。違うか?」

 

 結局、これが言いたかった。ノイズの脅威と言う物自体は、有史以前から存在している。近年の被害はソロモンの杖がフィーネによって用いられていたから多いだけであり、無いと言う訳では無かった。自身が偶然で襲われたのと同じように、何の前触れも無く襲われる事だって十分にあり得た。その時にノイズを操れる杖が存在すれば、悲劇は防げたかもしれない。そんな、限りなくあり得ない可能性を語る。杖があれば、生かせたのだ。決して、殺す為だけにあるのではない。使い手次第では、生かす力になり得るのだと伝えたかった。

 

「そ、れは……」

「これからも、だ。杖があれば、ノイズの脅威を抑えられるかもしれない。武器はな、使い手次第なのだ。それその物には、良いも悪も無い。ただ、あるだけの物なんだ」

「違う、ソロモンの杖は……」

「違わんよ。ソロモンの杖が悪いとすれば、その罪を負うべきは使い手だ。武器を使う者が意志を以て殺す為に力を振るう。だから、人は死ぬのだ。杖があるだけでは、誰一人として死ぬ理由がない。そして、杖など無くとも人は死ぬのだよ」

 

 使い手がいなければ、杖が誰かを殺す事はあり得ない。ソロモンの杖を起動させた。それに罪があるとしたら、悪意を持つものに手ごろな力を提示してしまった。そう言う事になる。だが、それだけだった。使う意思の無い者達の手に渡れば、なんの価値もない杖でしかなかった。雪音クリスが背負うべき罪はある。だが、ソロモンの杖の全てを背負う必要は無かった。

 

「それでも、杖は使われて多くの人は死んだ!」

「それは、君一人が背負うべき事なのか? 目の前に、ウェル博士にみすみす杖を奪われ取り返せなかった人間も居るが、それでも雪音クリスが全てを負わなければいけないのか?」

「……っ!?」

「だから、たわけと言っているのだよ。君に背負うべきものはあるだろう。だがな、それ以上に、君の仲間も背負うべきものがあるのだ。ソロモンの杖を奪われたのは、二課なのだ。雪音クリス一人では無い。君の仲間が負けたのだ。それを、一人で背負い込もうとするな。皆が背負ってくれる。それとも、君の知る仲間と言うのは、それ程薄情なのか?」

「……あたしの周りには、バカしかいねーじゃねーかよ」

「たわけ者の仲間は馬鹿。良いでは無いか。皆で同じ荷を背負い、いつの日かそれを皆で下ろす。背負えるのだ、下ろせない訳がない」

 

 目を閉じ、軽く笑う。隣から、熱が伝わってくる。力が抜けていた。寄りかかって来ていた。意地を張るから疲れるのだ。そんな事を小声で話す。うるせーよと手を持たれた。傷口をなぞるように触れる。

 

「ごめんなさい」

 

 随分と殊勝な言葉が聞けた。思わず吹き出す。予想だにしていなかった。何だよとクリスが眉を顰める。あの雪音クリスが、随分と可愛らしくなったものだと言った。うるせーよとそっぽを向いた。耳が赤かった。

 

「……あれ、此処は?」

「お前! 気が付いたのか!?」

 

 空気が幾らか軽くなった時、不意に響が目を覚ました。クリスが思わず詰め寄る。随分と言い潮合で目覚めたものだと、まず最初に関心が来てしまった。両手を掴み詰め寄る白猫に、響は困惑の色を零す。目覚めたばかりだ、状況が把握できていないのだろう。その様を少しだけ眺めていた。先ずは、心配性な意地っ張りに好きな様にさせるべきだろう。

 

「大丈夫か? ちゃんと手は動くか? どこかおかしいところはないか?」

「ちょ、クリスちゃんどうしたの!?」

「お前が斬られて、それで、それで……」

「少し落ち着け」

 

 そう思ったのだが、感極まって言葉になっていない。クリスの少し後方から声をかける。響が此方に視線を向けた。目が合う、あっと小さな声を零した。

 

「……ユキさん」

「ああ、俺だよ。体の調子はどうだろうか?」

「えっと……、大丈夫だと思います。腕も、きちんと動きますし」

 

 目に涙を浮かべる白猫を取り敢えず剥がし聞く。響は軽く両手を動かした後、困ったような笑みを浮かべ大丈夫そうだと教えてくれた。何度か開いて握るのを繰り返す。見た感じ、問題は無さそうだった。

 

「あの……、またユキさんが助けてくれたんですよね?」

「まぁ、そう言う形にはなるか」

「また怪我してます……。助けてくれてありがとうございます。それと、ごめんなさい」

 

 此方の両手を見た響が悲し気に頭を下げる。手の傷は大したものでは無かった、どちらかと言えば胸の方が酷いが、それは言わない事にする。この子は心身ともに疲弊している。余計な心配を与えるのは酷だった。両手を軽く動かし、大して問題は無いと教える。不意に、響に手を取られた。

 

「大丈夫じゃないですよ。またこんな怪我までして守って貰いました。ユキさんに、助けてもらいました」

「それが先達の役目だからな。後進が苦戦している。先を行く者としては、座して見ていられない。それに、礼ならば俺の方が言わなければいけない」

「え……、私に?」

 

 また助けてもらいましたと泣きそうな顔で礼を告げる響を軽く小突いた。こちらもクリスと同じで抱え込んでいるのが容易に想像できる。先手を打つことにする。

 

「結局俺は大切な時には間に合っていない。先達などと言いながら、必要な時には傍に居ない。不明を恥じいるばかりだよ」

「そんな事ありません! 私が意識を失っていたのに、助けてくれました。守ってくれました」

「そうか。そうあれれば良いな。だけど、君も守ったでは無いか」

「え?」 

 

 何もできなかった私を、ユキさんは守ってくれましたと言う響に、教える。確かに自分はこの子を呼び戻した。だが、それより前からこの子は一人で守っていたのだ。それが解っていないのだろう。守られただけだと思い込んでいる響に語る。

 

「お前はあのバケモノから、あたしたちを守ってくれたよ」

「クリスちゃん……?」

「そうだな。二人を守ろうと戦っていた。あのウェル博士を相手に、たった一人踏み止まった。俺が遅れているなか、たった一人でネフィリムから、英雄の剣とやらから二人を守ってくれた。君がいてくれたから、二人は死なずに済んだ。だから、ありがとう」

 

 あの時、響は懸命に守ろうと戦っていた。ウェル博士。英雄への妄執を隠す事の無い相手。尋常の敵とは言えなかった。それをノイズと言う理由があったとはいえ、少女だけで戦わせてしまった。決闘であった。だが、白紙に戻した時点で、駆け付けねばならなかったのだと思う。相手のやり方は知っていた。悪意に晒される事が解っていて尚、彼女等だけに任せたのは判断の誤りだったのだろう。全てが終わった後だからこそ言える言葉だが、そう思う。ウェル博士の悪意と自動人形、そしてネフィリム。全て予想が出来る要素だった。それが、装者たちを切り刻んだのだ。信頼していないのではない。相手が強すぎた。それがあの戦いの結末であり、響が両腕を落とされる原因だった。

 

「そんな……、結局、私はまた暴走しちゃって、訳も解らなくなって、皆にだってきっと……」

「死の危機に晒されるまで二人を守ろうとしたのだ。懸命に自分で出来る事を成し、悪意に切り刻まれ、それでもなお守ろうとした。そこまでできた。だから、そう自分を卑下するな」

「ごめんな……。あたしが下手を打たなければ、あんな事には……」

 

 クリスは響の両腕が落とされたのを見ている。泣きだしそうな表情で頭を下げた。それに慌てた響が大丈夫だよと告げるも、クリスは大丈夫な訳あるかと涙を零す。流石にこれに責任を感じるなとは言えなかった。肩を震わすクリスをただ宥める。

 

「君は、風鳴のとクリスを守った。それで良いではないか。ただ、相手が強く少しばかりやり過ぎてしまった。そう言う事だよ」

「そんな……、ユキさんだって怪我をして」

「あまり武門を甘く見るなよ。その気になれば剣を振るえるぞ」

 

 こちらが怪我をしている事に目に見えて落ち込む響に笑う。大した怪我では無かった。動こうと思えば動けない事は無い。その程度だ。

 

「ええ!?」

「振らせねーからな!?」

 

 驚きの声が上がる。そろそろ武門がどう言う物かは理解してほしいと思いつつも、無理だろうと苦笑が零れる。

 

「その程度の怪我だという事だよ。あまり気にするな、後進が少しばかり癇癪をおこした。その程度なら、何度でも止めてやる。そのぐらいの度量はあるつもりだ」

「私、暴走してたんだと思うんだけどなぁ……」

「あの程度、子供が暴れていただけだ。些事にすぎんよ。あまり先達を舐めてくれるな」

「ユキさんを舐めるなんて、一生できそうにないんですが……」

 

 全く勝てる未来が見えませんと響は零す。シンフォギアを使いこなせれば何時かは越えられるだろう。その何時かをすぐに来させる気は無いが。

 

「そうか、それなら良いのだがな。兎も角、君は良く戦った。仲間を守ってくれた。だから、ありがとう、だ」

「……やっぱり、ユキさんは優しいですよ。私の……」

 

 響きが言葉を止めた。そこまで言われては気になるので促すも、少しだけクリスを見詰めた後に、内緒ですと笑い教えてはくれなかった。言いたくないのならば仕方が無いとそれ以上は問い詰める事もせず、話を終える。響は穏やかな笑みを浮かべているが、怪我人には変わりがなかった。そろそろ帰ると伝えると、少し残念そうにしながらも頷いた。

 

「それではまた来る」

「はい! クリスちゃんも来てねー!」

「うっ!? あーもう、また来るから覚悟しとけよ!?」

 

 笑顔の響にクリスは真っ赤になって答えた。先程、響の眼前で涙を零していた。今更になって恥ずかしくなったのだろう。漸く、何時もの調子が戻り始めていた。

 

「あんたはどうするんだよ?」

「退院する」

「いや、はえーよ」

 

 これからどうするのだと言う問いに、短く答えた。緒川と話していた時に、既に決めてあった。響を訪っているうちに準備はできているだろう。それ程辛い傷でも無かった。放っておいても治るだろう。大体、怪我をしていても戦わねばならぬ事がある。その為に研鑽して来てもいた。寝ているのは性に合わない。

 

「ったく、仕方ねーな。どうせ言っても聞かねーんだろ?」

「そうだな。既に司令の許可も取ってある」

「前から思ってたんだけど、おっさんの奴、あんたが関わると常識が吹っ飛ぶよな?」

「武門は常識では計れないのだよ」

「いや、計れよ! ああ、もう、こうなったら何時もの手段だ!」

 

 自分がいた部屋に戻り、直ぐに退院の準備が終わる。傍らの白猫と話しながらだが、大した準備も必要なくすべてが終わっていた。直ぐに病院を出る。二課の影響下にある病院である。その辺りの流れは直ぐに完了した。

 

「今日は泊っていくからな!?」

「また、随分と大胆なのだな」

「ななな、そういう意味じゃねーよ! 一応自分が怪我人って事をだな……」

「冗談だ。気を使ってくれているのだろう。クロも喜ぶ、ゆっくりして行け」

「……うん」

 

 相変わらず、素直にならない白猫を相手に笑う。家に住む黒猫。クロの方もクリスに会いたがっているだろう。奇妙な繋がりだった。それは、大切にしたいと思う。既にこの子は何度か泊めている。泊まるなと言うのも今更だった。部屋に入る。猫が気だるげにしていた。餌の用意だけする。不意に、よしっとクリスが声を上げた。

 

「今晩の飯は任せろ」

「……まぁ、そう言うのならば。それなりに期待しておくかな」

 

 両手を怪我していた。使う分には問題が無いが、実際に使おうとすると安静にしていろと威嚇してくるので大人しくしておく。黒猫を相手に無聊を慰める。抱き上げ、金眼と目を合わせた。にゃあっと一鳴き。何だよと言われた感じだった。特に深い意味も無く、撫でる。赤い首輪が軽く揺れる。手を放し、寝転がった。目を閉じると、軽く意識が飛ぶ。

 

「おーい、できたぞー」

 

 そんな声で目が覚めた。直ぐ傍らでクロが丸まっていた。起こさないように起き上がる。

 

「これはまた意外に。いや、随分と練習したようで」

「ふふん。普段からたまり場にされてるからな、それなりに練習はしたのさ。あたし様が本気を出せばこんなもんだ」

 

 並んでいるのは和食だった。良くもまぁ、買い置きされていたものだけで作れたものだと感心する。鮭の焼き魚に、里芋の煮物、きんぴらごぼうに味噌汁白米と、お手本のような和食であった。

 正直なところ、かつての振る舞いからそれほど期待はしていなかったのだが、随分と見違えたものだった。確かにあれから数か月経っているが、成長が早い。響のそれとは違う意味での成長に、思わず呆けてしまった。実は装者三人の中で、一番女の子なのでは無いだろうか。そんな事を思う程度には感心していた。まぁ、食べる時は相変わらず散らかすようだが。

 

「美味いか?」

「ああ。自分で作るよりも遥かに、な」

「そ、そうか、ならいいんだ」

 

 これ位の腕ならば毎日食べても飽きないだろうなと思いつつ、流石にそれは口に出さない。向かい合ってゆっくりと食事を進める。直ぐに終わらせても良いのだが、何となく話したそうだったため、世間話に耳を傾ける。文化祭の事で未だに揶揄われているとか、勝ち抜きコンテストで一位になった為一躍有名人になってしまった事、級友たちと時折遊んでいる事、皆と歌を歌うのが楽しくなってきている事。そんな、とりとめのない話を教えてくれた。目を閉じる。敵意ばかりを向けていた少女が、今は新たな居場所を作りつつある。友や仲間と言える人たちに囲まれている。そう思うと、もう自分が必要以上に構う理由がなくなってきているように思えた。クリスには響や風鳴のを始めとし、沢山の繋がりが出来ている。それを知ると、ただ安心していた。

 

「そろそろ寝るよ。流石に疲れたのでな」

「ん、そうだな。寝るか」

「ああ、おやすみ」

 

 互いに風呂も済ませ、夜もそれなりに更けてきたところで言った。自分は寝室に向かうだけだが、クリスは客間に向かい寝具の準備を始めた。それを手伝い、全てが終わったあとで別れる。明かりを消し、寝台に横たわった。目を閉じる。浅い眠りに揺られていると、不意に気配を感じた。目を閉じたまま、様子を伺う。とは言え、考えるまでも無かった

 

「……」

 

 遠慮がちに近付いてくるのが解った。起きようかと思ったが、止めた。あまりに色々な事があったのだ。装者とは言え、子供である。時折、怖くなることもあるのだろう。響が泣き喚いた様に、白猫もまた、怖い事があるのかもしれない。手に熱が触れた。息遣い。直ぐ近くに感じた

 

「……今日だけだぞ」

「……っ!? うん」

 

 それだけ告げ、軽く背を向け意識を離した。見知らぬ他人ならば難しいが、雪音クリスが相手ならば警戒は必要なかった。自分もまた疲れてはいた。追い返す事も、受け止める事もせず、ただやりたい様にやらせた。背中、軽い震えと熱を感じた。直ぐに、眠りは訪れる。

 

 

 

 

 

 

 

 




 クリスちゃんのメンタルが一話で持ち直すと思うな!


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10.剣の守るもの

 雨が降り続いていた。手にしたものを見詰めながら、物思いに耽る。

 ネフシュタンの欠片が加工された小さな腕飾り。クリスから手渡されたものだった。フィーネがルナアタックで残した忘れ形見。既に本体が消滅した事で基底状態にあり、装者たちの歌でも起動させる事が出来なかったものである。回収された自分の直ぐ傍らにあるのが発見され、様々な調査の結果、利用する事は不可能と判断されたものだ。その為、フィーネとは一時的とはいえ家族に近い関係にあったクリスに返却されたという事だった。恐らく、司令が手を回したのだろう。文字通り形見の品。最後の瞬間、櫻井了子と和解した響にと言う話もあったようだが、自分には胸の歌があるからと辞退したため、クリスに渡ったものであった。

 

「あたしにはイチイバルがある。これはあんたに持っていて欲しいんだ」

「良いのか? これは形見みたいなものだろう」

「験担ぎだよ。ネフシュタンが司るのは無限の再生能力。力は使えないけど、毎回怪我して帰るあんたにはピッタリだろ? 死んだ人間よりも、生きている人間の事を考える。きっと、分かってくれる。それに、あんたには世話になり過ぎてるから、気持ちを形にしたいんだよ」

 

 だから貰ってくれと押し付けられていた。フィーネは彼女にとっての親代わりでもあった。それを貰う訳にはと思うも、どうしてもと押し切られた。大切にしてくれよなと笑う白猫に、困った子だと苦笑するしかなかった。どうにも彼女からすれば、自身はいつ死んでも不思議ではなく見える様だ。武門である。父の生き様に憧れた事もあり、戦いで傷を負う事は厭っていないが、だからそう見えるのだろう。かつて、司令にもそう見られていた。死にはしないと語っても、譲る気は無いようだった。その為受け取ったと言う訳である。眺める。欠片は僅かに紫色の輝きを放っている。

 

「直向きに生きているだけである筈なのに、遣る瀬無いな」

 

 クロと欠片に向け呟く。黒猫、傍らで何時もの様に丸まっていた。軽くこちらを見る。

 思い出すのは、クリスと共に聞いた響の容態だった。風鳴のと共に説明された内容は、予想だにしていなかったものである。響は、かつて負った傷により、身体の内にあるガングニールの欠片を以てシンフォギアを纏っていた。聖遺物と人間の融合症例。それが立花響であった。シンフォギアを纏う度、響は少しずつ強さを増していたと言う。司令に師事した事による成長。その成果が出ていると判断されていたが、それだけでは無かった。先のシンフォギアの暴走。その後の検査により、今まで知られていなかった事実が明るみに出ていた。響の中にある聖遺物の欠片。それが、彼女の体を侵食していると言う。このまま浸食が進めば、確実に命に係わる。そう教えられていた。傍で聞いていたクリスは元より、風鳴のですら衝撃を受けていた。涙。二人の少女から、それが零れていた。何とかならねぇのかよ。そんな悲痛な叫びに、司令は口惜し気に首を振るだけであった。立花響にはこれ以上シンフォギアを纏わせる訳にはいかない。そんな結論が出ていた。新たに露見した事実。二人の少女に衝撃を与えるのには十分だった。

 

「……ままならんものよな。誰かの為にと伸ばす手が、文字通り自分の身を削り伸ばされていた」

 

 皮肉にもウェル博士との戦いによる響の暴走により、それが露見していた。戦わせてはならなかった子に、最も無理な戦いを強いた事でそれが解ったと言う事だった。幾らか持ち直したクリスの精神状態も、また不安定になり始めていた。装者と司令との協議の結果、クリスが出来る限り響の傍に居り、戦闘行動は一切行わせないという事で決着が着いていた。方法は彼女らに一任する事となった。自身は学生である彼女等の生活にまでは口を出せない。だが、危ういものを感じた。響には知らせない。そう言う決定が下されたからだった。反対。方法について一任するのは構わないが、その一点だけは反対し続けた。だが、結局装者二人に押し切られていた。これ以上戦わせるわけにはいきません。風鳴のが呟いた言葉に、不穏なものを感じさせられる。

 クリスとできる限り語るのは元より、風鳴のとも何度か訓練を通じて刃を交えていた。真面目が過ぎる。かつて奏が良く零していた言葉を思いだす。風鳴翼と言う人間は優しい子であり、真面目で不器用な女の子だった。良い方向に動いている時は何も心配が無いのだが、一度悪い方向に流れればそのまま突っ走ってしまうきらいがある。刃を交えていた事と涙を見た事により、風鳴のが響を失う事を恐れているのは感じられた。今回ばかりは持ち直すのに風鳴のとは言え、少しばかり時間がかかりそうだ。自身は元より、風鳴のも軽く無い傷を負っていた。無理なぶつかり合いは避けていた。心を治す前に、体を悪化させてしまう可能性があったからだ。少しずつ刃を交え、語り合っていた。それ以上、出来なかったともいえる。

 天候と同じで、何か嫌なものを感じさせる。

 

 ――

 

 不意に、個人携帯が音を立てた。送り主は雪音クリス。文章による連絡が来ていた。要件が短く書いてある。あのバカを知らないか? それだけであった。今日は見ていない。それだけ返信する。何かあったのか。そんな事を思う。晴れているならば夕暮れ時である。その時間帯でクリスが合流していないと言うのは珍しかった。何かあったのか。そんな事を思う。不意に、呼び鈴が鳴った。

 

「……ユキさん」

「随分と酷い姿だな。取り敢えず入ると良い」

 

 扉の前には件の少女がいた。傘も差さずに訪ってきたのか、全身が雨に濡れていた。何処かで見た光景だなと一瞬頭に思い浮かぶが、脇に置く。あの子と響とでは、また違うのだ。同じだと思って対応する訳にはいかなかった。玄関で立ち竦む響に手拭きを幾つかを投げ渡す。後で掃除するから気にするなと言い上がらせ脱衣所に案内し、かつて白猫に着せた浴衣を用意する。同時に、白猫に連絡を入れておく。電話には出る気配がない。自分の下にいるため緊急性は無いが、文章で連絡を入れておけばそのうち来るだろう。ずぶ濡れで拾った為、服は何とかするので下着だけ用意して欲しいと伝えた。そんな事を行っていると、響の着替えが終わったのか、雨水だけを拭い脱衣所から出て来た。

 

「ごめんなさい。気付いたら、来てしまって」

「構わんよ。その様子で、何かがあった事は容易に分かった。話を聞けばいいのだろうか?」

「聞いて、貰えますか……?」

「此処までして追い出す訳にはいかんだろう。甘いものでも用意する。それを食べながら話すか」

 

 目に見えて何かありましたと語る響に、とりあえず座っていろと促す。買い置きの和菓子。団子を二つほど出し、温かい茶と共に響の前に置いた。暫く見詰めていた響だが、こちらが口を付けたことで漸く手を伸ばした。みたらし。口の中で甘さが広がる。心ここに在らずと言った具合なのか、ぼんやりと咀嚼している。茶をゆっくり啜った。一拍。

 

「っ!? ……ぁ、ぅぅ、……っ……っ……ぅぅ……」

 

 大粒の瞳から涙を零し泣き出し始めた。流石に予想外であった為、傍らに向かい背をさする。部屋に響く嗚咽。少女はただ涙を零し続けた。

 

「ごめ、ごめんなさい……。ごめんなさい……」

「大丈夫だ。だから、ゆっくり話して欲しい」

 

 背を軽く撫でながら静かに涙を零す子に言い含める。空いている手。強く握られていた。それに応えるように軽く握り返す。嗚咽がしばらく続くが、やがて落ち着きを見せ始めた。背を撫で、ただ待ち続ける。せかす意味が無いからだ。クロ。気付けば響を慰めるように体をこすり付け始めた。

 

「ごめんね……。君にまで心配させちゃって……」

 

 慰めようとするクロに手をやり、響が小さく泣き笑いを浮かべた。

 

「ユキさんも、ごめんなさい」

「構わんと言ったよ。何があった?」

「……いらないって言われちゃいました。強い敵を前に暴走してしまうような未熟者の私は、二課には必要ないって、翼さんに……」

 

 響の言葉に思い至った。そう言う事か。小さく呟く。どうやら、悪い予感は良く当たるようである。不器用にも程があるぞ。怒りを通り越して、呆れが先ずは湧き上がる。戦わせたくない。その意志を明確に言葉にしたという事だった。敢えて遠ざける。全てを知る自分からすれば、そう言う事だと容易に理解が出来る。が、当の響からすれば、地が崩れるほどの衝撃だったのだろう。涙を零し泣き笑いを浮かべる姿を見ると思わずにはいられない。下策にもほどがあるぞ。だから反対したのだと愚痴の一つも零したくなるのも仕方が無いだろう。それだけ、響の心に鋭い一撃を入れてしまっていた。腕を斬り落とされ、暴走してしまった女の子である。元気に振舞ってはいたが、元気な訳がなかった。あの子らは何をやっているんだと内心で頭を抱える。

 

「そうか」

「……ユキさんも。ユキさんもそう考えているんですか? 私が未熟だからって……。翼さんと同じように……」

 

 縋るような目で見つめられた。軽く目を閉じる。それだけで、響の手が震える。少しだけその手を強く握った。今にも逃げ出しそうであったからだ。追いつめ過ぎである。考えを言葉にだす。

 

「未熟ではあるが、君は必要な子だ。不要な訳があるまい」 

「……本当、ですか?」

「当たり前だ。二課にだって、君は必要だろう」

「でも、翼さんは……」

 

 信じられませんと悲し気に首を振る響に、ゆっくりと言い聞かせる為に言葉を紡いでいく。時間をかけて、沁み込ませるように。それを意識して、言葉を選ぶ。

 

「君の知る風鳴のはどういう人間だった?」

「翼さんですか?」

「ああ」

「誰かの為、涙を零しながらも一人きりで戦い続けていた人です。とても、優しい人でした」

 

 思い出を読み返すような声音で響は話す。既に答えは出ているのだが、与えられた衝撃でそれに気付けないのだろう。ゆっくりと続ける。

 

「なら、誰かを傷付ける事を簡単に言う人間だっただろうか?」

「そんな事ありません! 翼さんは、皆を守ろうと必死で戦ってきた人です。私だって、何度も助けてもらいました」

 

 響の否定する言葉に頷く。そんなこと翼さんがするはずありませんと続ける。

 

「ルナアタックの際、君が暴走した時に風鳴のが止めたと聞いている。それは本当なのか?」

「止めて貰いました。訳が判らなくなった私を、翼さんは命を懸けて止めてくれました」

 

 かつての事件の折、自分が向かうまでの間に、響は一度暴走していると聞いていた。それを身を挺して止めたのが風鳴のだと聞いている。それが事実だったのかと本人に問う。こちらの目を見て頷いた。感謝してもしきれませんと頷いた。

 

「なら、最後に聞こうか。もし理由があるのなら、風鳴のは誰かを傷付ける事を言うだろうか。たとえ相手が傷付いたとしても、自分が嫌われたとしてもやらなければいけない事があるとしたら、だ」

「……翼さんなら、多分やると思います……。嫌われたとしても、相手の為になるのならって考える人です」

「つまり、そう言う事だよ」

「え……? あ……!」

 

 最後の質問をして、答えた響にそれが答えだと続ける。素直過ぎるにもほどがあると、響にも言いたくなる。それが良い所なのではあるが、少しばかり心配だった。このところ、装者全員が不安定のように感じる。やはり、力があるとは言え子供である。脆いところはあると言う事だった。その上で、相手は人間である。それも、ウェル博士の様な尋常では無い思想の者もいる。悪意を以て付け入られるのではないかという危惧が浮かぶ。

 

「翼さんは、私の為に?」

「そうだよ。この際言っておくが、俺たちは君に隠している事がある。それに関しては言う事が出来ないが、君を害そうとしている訳では無い事は信じて欲しい」

「翼さんも、ユキさんも?」

「ああ。とは言え、あの子は不器用が過ぎる。だから反対したのだがな」

 

 漸く泣き止んだ響に、君が不要などという事はあり得ないと続ける。ネフィリムから二人の装者を命がけで守った人間を、暴走したとは言え、簡単に斬り捨てる事などできるはずがない。風鳴の自身がかつて響を守った事を鑑みれば分かりそうな事だが、それだけ衝撃を受けたという事だったのだろう。

 三人は、あの事件を共に切り抜けた仲間だった。特別な絆。それを持っていたのだろう。だからこそ、例え悪意が無かったとしても、響の心に致命傷になりかねない一撃を加える事になったと言う訳だった。先程も思ったが、不器用にも程がある。心底安心したと言わんばかりに救われたような表情を浮かべる響を見ると、一つ覚悟が出来た。

 

「なぁ、響。少し留守を頼んでも良いかな?」

「え?」

「すまないな。先程クリスに連絡を入れたから来てくれると思う。そろそろ風呂も沸くだろうし、あの子が来たら入ると良い。俺は、すこしやる事が出来た」

 

 今の状態は芳しくない。無理のない範囲でと考えていたのだが、少しばかり荒療治が必要に思えた。あの立花響である。誰かの為にと戦う少女だ。小細工はするべきでは無かったのだろう。その為に、先ずは周りを固める必要があった。そんな事を思っていると、呼び鈴が鳴った。来たか。そう思って扉に向かうと、白猫がかなり息を切らせて立っていた。

 

「あのバカは?」

「いるぞ。クリス、響を風呂に入れてやってくれ。俺はやる事が出来たよ」

「……ん? いまいち話が見えないんだが」

「丁度訓練の予定もある。風鳴のを斬って来る」

「……はぁ? い、いきなり何言ってんだよ」

「まぁ、頼んだ。それと、あの子は泣いていたぞ」

「っ!?」

 

 防人という事で、信頼しすぎたのかもしれない。彼女もまだ子供であった。至らないところはあるのだろう。真面目が過ぎるぞ。奏の口癖が吐いてでた。

 響をクリスに任せ、風鳴のに連絡を入れる。元々本日は訓練の予定をしていた。特に変更も無く、仮支部の一つで行う事になった。向かう。さてどうしようか。そんな事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に司令に連絡を入れていた。仮支部にある訓練所。装者が戦っても問題ない広さがある空間だった。用意された刀を全て確認し、一振りずつ抜き放つ。数十に及ぶ刀剣。一振りだけ携え、待ち続ける。

 

「お待たせしました」

「風鳴の、今日はシンフォギアを纏え」

 

 聞こえた言葉に軽く頷き、言っていた。普段の立ち合いでは互いの技のみで対峙していた。少しばかり意表を突かれたようにこちらを見る。

 

「よろしいのでしょうか?」

「構わんよ。十全の君と、一度思うが儘に対峙してみたいと思っていた」

「解りました。Imyuteus――」

 

 本気で来い。その言葉に頷き、風鳴のは聖詠を唱え始める。刀剣。無造作に地に突き立て、壁に刺し、天井に投擲する。訓練所に無数の刃を突き立てる。幾千の刃が突き立てられた戦場。風鳴の持つ天羽々斬の特性を考えると、この後そうなる事が予想できた。面白い。笑みが零れた。剣士としては、絶刀と戦える事が楽しみでたまらなかった。

 

「先生……?」

「君は剣として己を鍛え上げて来たのだったな」

「はい。不詳の身なれど、迫りくる危機より皆を守れるようにと。迫る脅威を打ち払える剣とあれるように研鑽してきた心算です」

「そうか。では、身を以て試させて貰うぞ。防人の剣を」

「お相手仕ります」

 

見据えた。風鳴の。絶刀を構える。剣気が交わり合う。背が震えた。向かい合う剣気が心地良い。視線が交わる。来い。言葉ではなく、右手の意志で伝えた。静寂。

 

「行きます」

「これが君の刃か?」

「……な!?」

 

 声が届いた時には既に刃が迫る。斬撃。左腕で刀身に触れ逸らし往なす。二の太刀。返す刃で放たれた凪を、石突で刀身に合わせる事で払う。引き戻しからの、刺突。軸をずらし、伸びきった両手に向け石突を落とす。乾いた音が鳴り響いた。絶刀。刃を交えずに叩き落していた。先ずは一度目。内心で呟く。風鳴のに驚愕に満ちた表情が浮かぶ。隙ありだ。言い放ち、蹴り飛ばした。

 

「く……、まさか此処まで差があるとは」

「話している暇は無いぞ」

「まだまだ!」

 

 踏み込み。刃を低く流し飛ぶ。斬撃。合わせてきた絶刀にぶつからせた。衝撃。斬鉄の意志を以て吹き飛ばす。反発。耐えきれずに後退した剣士に、風を送る。遠当て。無造作に放った。十を超える飛刃。羽々斬の落涙を以て迎え撃つ。跳躍。刃の中に飛び込んだ。

 

「先生!?」

「遠慮は不要だ。この程度の刃なら、例え万でも当たりはしない」

 

 斬撃。自身の最大速を以て振り抜いた。千の落涙が霧雨へと変わる。斬撃の壁。形成し、雨の中を駆け抜ける。左腕、突き立つ刃を抜いた。

 

「見せて見ろ、君の刃を」

「――行きます」

 

 右手で壁を形成。風鳴。シンフォギアを歌で加速させながら迫る。低く踏み込んだ。左。太刀に意思をぶつけ、振り抜く。

 

「響は、泣いていたよ」

「――な!?」

 

 斬鉄。羽々斬を叩き折る。シンフォギアの力は装者の状態が大きく影響している。今の風鳴翼の刃を折る事など、大して難しい事では無かった。刃をぶつけた。心の迷いが見える。響を心配しながら、己の不甲斐無さに涙を零しながら剣を振るっていた。その様な刃では、自分の剣には及ぶ筈がない。後退しながらの再生成。追いつき、更に衝突。羽々斬と太刀が折れる。構わず飛んだ。加速。崩れた風鳴のを蹴り飛ばす。

 

「どうした。刃が乱れているぞ?」

「まだまだ、やれます」

 

 大きく吹き飛ばしたところで、立ち上がるのを待つ。羽々斬を杖に立ち上がった。もう一振りの太刀を横に構える。相手は絶刀である。剣としての強さは相手の方が遥かに上だった。だが、そこに心身が追いついていない。躱す刃に、そんな事を思う。真面目が過ぎるぞ。そのうえで、不器用が過ぎる。困った後進の在り方に苦笑が浮かぶ。自分で成した事に、自分で斬られている。何をしているのだこの娘は。

 

「ならば来い」

「言われなくとも!」

 

 踏み込み。上段からの振り下ろし。見える石突を、全力で蹴り飛ばした。天井に羽々斬が突き刺さる。風を超える。笑った。首に左腕を伸ばす。体術。驚きに固まる風鳴のを崩し、そのまま投げ倒した。

 

「かは――」

「二度死んだぞ」

 

 受け身も取れずに息を吐きだした少女の首元に刃を添える。瞳。意志が萎えるどころか、更に強い意志が宿る。不屈。そんな言葉が感じ取れる。蹴り飛ばす。吹き飛びながら態勢を整え、羽々斬を生成する。踏み込み。刃をぶつける。

 

「そう簡単に、何度もやられると――」

「いいや、簡単だな。今のお前ならば、な」

 

 斬鉄。全霊の一撃を以て、絶刀を叩き折る。眼前。視線が交錯する。風鳴の驚きに染まる顔。互いに刃を流す。至近距離。刀の間合い。何とか逃れようとする風鳴のに付き添うように位置取りを維持し、苦し紛れに生成される羽々斬を手折り続ける。十の斬撃。こちらの太刀が折れる。

 

「好機」

「武門をなめるなよ」

 

 鞘で打ち合った。好機などありはしない。刀身の腹に鞘をぶつけ、一気に間合いを縮めた。掌打。太刀を捨てた右手で打ち込む。浮き上がった体に鞘で一閃。吹き飛ぶ。追撃を選ばず、太刀を一振り抜いた。立ち上がった風鳴の、態勢が整うまでただ見据えた。

 

「これが防人の剣なのか? こんなものがお前の言う剣の姿なのか? それであるのならば、奏は報われんな。生き残った相棒がこれでは、死んでも死に切れんだろう」

 

 風鳴のの触れてはならぬもの。それに敢えて触れていた。剣気。周囲に広める。一角、翼以外に僅かに違和感を感じる。そこに居るのか。確信とも言えぬ思いと共に心中で謝る。

 

「幾ら先生とは言え、言われて許せぬ事があります」

「ならば刃で語れ。お前は剣なのだろう?」

「……行きます」

 

 踏み込みが加速する。先程よりも遥かに早い。だが、遅い。風鳴翼の気質は静の剣である。感情のまま振るわれる刃は、風鳴のの気質には合わない物だった。感情を乗せる刃と制する刃。この子には後者の方が力を発揮するはずである。

 

「何かを守る為に鍛え上げたのだろう。その結果がこの刃か?」

「奏が死した時、己の無力さを思い知らされた。誰も死なせないほど強く、そう願った!」

「だから全てを斬り裂くと。人であることを捨て、刃を研ぎ澄ますと」

「防人の剣には人である事など不要。迫り来る脅威をただ斬る為、私は剣となったのです!」

 

 風鳴のの剣を受け止める。結局、この娘は失う事が怖いから強くなったという事なのだろう。だからこそ刃を研ぎ澄まし、どれだけの脅威が迫ろうと、切り伏せられる力を求めた。だからこそ、これ程の刃に届いたのだ。

 

「だから、味方をも斬り裂くと。身体を生かす為ならば、心は殺しても構わないと?」

「立花が死んでしまうぐらいならば……!」

 

 斬鉄。羽々斬を叩き折った。太刀の刃もまた、折られている。無手。見据える。風鳴の。歌い、涙を零しながら折れた羽々斬を以て迫った。心を殺す。風鳴の刃は自身の心を殺し、響の心をも殺しかねないものだった。切れ味が過ぎる。

 

「たわけが!!」

「――!?」

 

 気当て。シンフォギアの奏でる音が一瞬掻き消える。それ程の声量と気迫を以て風鳴のを迎え撃っていた。加速していたシンフォギアが急速に速度を落とす。歌の中断。気迫と衝撃だけで行わせていた。それでも降り抜かれる刃。触れるよりも早く石突を手刀で突き、零した刃を奪いとる。無刀取り。折れた羽々斬を突き付ける。

 

「お前は剣である前に、人なのだ。人である事からは変われないのだ。先ずはそれを認めろ」

「私は剣です。皆を守る為の剣であると、そう誓ったのです」

「だから、たわけだと言っている。剣が涙を流すか馬鹿者」

「……涙? え、なんで……」

「死者を貶され涙を零すのか。友の命が危ういと涙を零すのか。人では無い剣が、涙を流すのか」

 

 剣を振るい、感情を振るっていた。剣を振るうのは人である。剣と思い定めるのはそれでも構わない。だが、本当に剣である事など、人にはできはしないのだ。胸の内にある思いを抑え込み、ただ守ろうとするから刃は揺れるのである。身体に心がついてきていないから、風鳴の剣は鈍と化していた。

 

「私は、皆を守る剣に能わないという事なのですか。私では守れないと」

「真面目な上に不器用が過ぎる。お前以外の誰が守ると言うのだ。あの子らは、君の後進では無いか」

「ならば、私はどうすれば」

「君の剣は守る為に有るのだろう? ならば、守れば良い。心も、身体もだ」

「私に……守れるでしょうか?」

「その為に鍛え上げてきた剣であろう。守れぬわけがあるまい」

 

 静かに涙を零す風鳴の問いに、頷く。自分でも鈍っている事が解っていたからこそ、更に刃を研ぎ澄まそうとしていたのだろう。本当に真面目が過ぎる。奏が死して尚離れられない理由も容易に分かると言う物だ。

 

「あの子は泣いていたぞ。風鳴のに必要が無いと言われたと」

「私は、立花を死なせたくなかったのです。例え己が嫌われたとしても」

 

 それでも、立花を守りたかったのですと風鳴のは続けた。

 

「ならば、胸の想いを吐き出せばいいのだよ。小細工を考えるから、ややこしくなる」

「……今更、許して貰えるでしょうか」

「立花響とは、君にとってはどういう人間だ?」

 

 今更合わせる顔がありませんと呟く風鳴のに響にした問と同じ事を聞く。クリスにも似たような事を尋ねていた。

 

「誰よりも優しい人物です。戦う事など向いていないのにも拘らず、誰かの為にと手を伸ばす、誰よりも優しい人です」

「皆が皆、相手を優しい人だと言っていた。思っていた。それでなお拗れるのだ。良く話すと良い。お前たちは皆同じ思いを抱いている。だから、大丈夫だ」

 

 答えなど改めて聞く必要も無かった。皆が皆、相手の事を思いやっている。守りたいと思っている。ならば、腹を割って話せばいいのだろう。響に戦わせたくないと言おうとも、あの子は戦うだろう。ならば、己が身に迫る危険を正しく理解させ、なお選ばせる。それが最も良い方法に思えた。響には奏の言葉がある。生きる事を諦めるな。その言葉がある限り、ギリギリのところで死から踏み止まるだろう。そう思っていた。

 

「もう一度、立花と話し合ってみようと思います」

「ああ、それが良い」

 

 暫く考え込み、風鳴のはそう締めくくった。頷く。自分からは何の異論もない。後はなるようになるか。そんな事を思う。三人で話すと言うのならば、それ以上首を突っ込むのは野暮と言われるだけである。さてっと呟き、刀を抜いた。訓練場に突き立った刃は、まだまだ余っている。このすべてを壊しても良いと司令には言われている。良い機会だ。笑う。剣は折れようとも鍛え直せる。それを風鳴のに教えようと思う。

 

「あの、先生? 何故剣を……?」

「今夜は風鳴のを返さなくても良いと司令には言われているのでね。立派な防人(おんな)にしてやってくれとも頼まれた。そこまで言われてしまえばやらぬわけにはいかない。簡単には折れない剣。その様に鍛え直す心算だ」

「え……?」

「心に引っかかっていたものもほどけたのだろう。存分にやり合おうか。なに、シンフォギアもある。一晩戦ったところで死にはしない。俺に遠慮はいらんぞ」

 

 刃を低く構える。呆けたように風鳴が此方を見る。先程までの揺らぎが嘘のようである。鈍が漸く研ぎ澄まされた。武門として、その実力には素直に興味がある。何せあの風鳴弦十郎と同じ血筋である。あの時と同じで、血が滾っていた。笑みを浮かべる。風鳴のが引きつった笑いを浮かべた。人の顔を見てそんな表情を浮かべるとは、存外失礼な娘である。

 

「いや、流石に一晩は先生にも負担がかかるのでは……?」

「不眠不休で数日駆ける事もある。半日斬り合う程度、軽いものだ。さぁ、斬り合おうか(楽しもうか)

「先生は怪我をしておられる筈です」

「その程度、些事にすぎん。それに言った筈だぞ。思うが儘に対峙してみたかったと」

「……まさか先生、怒っておられますか?」

「……先ずは一手参ろうか」

 

 問いに答えず、踏み込んだ。刃、羽々斬がぶつかる。折れようと、代わりは何本もある。後進の為でもある。存分に楽しむ事にした。

 

 

 

 

 

 

 半日後、足腰立たぬ程に可愛がられた風鳴翼は叔父に背負われて帰宅するのだった。剣とは、折れる事と見つけたり。そんな切実な呟きを聞いたと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




風鳴翼、武門と一夜(斬り合い)を過ごす
天羽々斬、剣殺し(ぶもん)に遭遇し戦慄する
この世界の剣殺しは、異端技術と武門と腹筋の三種が存在します。


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11.武門の務め

「童子切であれば、斬れるだろうか?」

 

 夕刻。風鳴のとの立ち合いも随分と前に終わり、彼女らが語り合っている頃、司令と共に語り合っていた。酒を酌み交わし、言葉を交わす。珍しく差しで飲んでいる最中であった。

 童子切。それは目に見えぬものを斬る力。本来ある筈の無いものを斬り裂く事が出来る剣であった。司令の問いに瞑目する。童子切。その力を十全に発揮する為には、血液が必要だった。力には代償を伴う。斬るものに対して童子切の求める血を与える事で、初めて斬る事が可能となった。司令の問い。難しい問題である。響の中にある聖遺物の欠片。それによる浸食症状。その全てを斬り裂けるのかという事だった。童子切、手にする。心中で問いかける。明確な返事は無い。だが、足りぬと言われたのが解った。

 

「できない事はありません。ですが――」

「問題があるのか?」

「一言死んでくれと言われれば、死ぬ覚悟はできておりますよ」

 

 それでも無理やり切ろうと思えば斬れない事は無かった。だが、その代償は全ての血と言う事になる。斬った時点で死を迎える。そう言う事なのだろう。更には無理やり力を引き出した代償も与えると言う。言葉は無い。だが、沁み込むように理解させられていた。中世の聖遺物。不可思議な力を持っている。魔剣妖刀の類という事だった。

 

「――それはできるとは言わん。お前が響君の代わりに死ぬと言うのなら、状況が悪化するだけという事だ」

「解っておりますよ。最後の時が来るのなら、そう言う事もできると言っておきたかっただけです」

 

 呆れたように呟く司令に、冗談だと返す。言葉通り、最期の時があるのならばとる手段だった。自身は二課に所属している。その職責は戦いの中にあると言って良い。死ぬ気などは毛頭ないが、万が一と言う事が無いとは言いきれない。不覚を取り、致命傷を負う事だって十分に考えられた。そう言う時があるのならば、斬る。そんな事を伝えておきたかっただけだ。

 

「全くお前と言う男は。俺だけしか居ないから構わんが、間違ってもあの子らの前ではそう言う事は言うんじゃないぞ」

「心得ていますよ。風鳴司令であるからこそ、武門として本心を語れるのです。あの子らには、味方の為の死などまだ背負わせたくはありません」

「ならば良いのだが。漸く翼と事を構えてくれたと思ったら、死んでいた等となっては笑い話にもならん。生き急いでくれるなよ。まだまだ働いて貰わねばならんのだからな」

「解っていますよ。実家の方からも早いところつがいを決め、跡取りを作れと催促が来ます。死んでも良いが血を残せと煩いのです。そんな事情もありますし、早々死んではいられませんよ」

 

 司令の言葉に苦笑を浮かべる。以前の様に死にたがりと思われてはいない様だが、未だ死にかねないとは思われているようだ。武門である。死は古馴染みだった。死のうと思う事は無いが、厭う訳でも無い。本来自分は父と共に死ぬはずの人間だった。死に対しては、常人よりは幾らか考え方が違うのかもしれない。生きる事よりも、生かす事に比重を置いている自覚はある。

 

「まぁ、武門であるからな。直系ともなればそうだろう。さっさと嫁でも取ればどうだ?」

「……その言葉、司令にこそ必要だと思いますが。良い方の一人や二人居られないのですか?」

「今はいないな。お前の方こそどうなんだ?」

「三十路を越えれば本家が良い方を見繕うでしょう。それで充分ですよ。愛した人を娶るのではありません。娶った者を此方が愛するのです。武門はその方が良い」

 

 明確に好きな人物がいる訳では無いし、これから先作るつもりもない。そう司令に告げると、少し寂しげに笑った。武門の事情は防人だけあって理解して貰えている。この手の話題の機微は察してくれていた。

 

「ご母堂か。夫に殉じたと聞いた。確かに、死に近い武門はその方が良いのかもしれないな」

「愛がまた、人を殺す事もあります。深く愛し合ったが故に、母は死したのです。自分の中で整理はついておりますが、できる事ならそのような事はしたくないのですよ」

「お前が死ななければ良いだけだ」

「また、随分と難しい事を言われる」

「性分だ。無理無茶無謀は俺たちの専売だろう?」

「たしかに」

 

 二人して、酒を呷る。夕暮れ時。風だけが流れている。愛されてはいた。だが、自分は母と同じ道を辿るかもしれない事を強いる事が出来るのか。難しい問題だった。自分が愛される必要はない。子が愛されさえすればそれで良かった。それが解っていたから、自分は生きてこれたと言って良いだろう。残された想いはある。自分で抱いた思いもある。だが、どこか寂しかったと言う点も否定する事は出来ない。家族となる相手に同じ思いはさせたくは無い。武門である。死は馴染みの深いものだ。その様な事は無理に近いのだが、そんな無理を夢想せずにはいられない。笑う。存外に弱い。酒にあてられているのか。

 

「どうした、ユキ?」

「いえ。男ですからね。弱い姿は中々見せられない物だと思いましてね」

「先達は辛いな。お前が屹立していてくれているから、彼女らは弱さを見せる事が出来るのだろう」

「何れ寄りかかる事もあるかもしれません。ですが、それは今ではない。男の意地でもありますよ」

「お前は意地を張り通すだろうな。あの子らが例えどれだけ成長しようとも、弱さを見せる姿が想像できん。男だ。理由などそれで充分だろう」

「己を晒せない弱い男ですよ。不明を恥じいるばかりです」

「充分に強いさ。強すぎると言っても良い」

 

 胡瓜の味噌漬けを肴に、日本酒を呷った。自分の事ならば、例え死が相手でも何の問題も無かった。だが、自分以外のものとなると、どうしても同じと言う訳にはいかなかった。強き子を作るのもまた武門の務めである。せめて自分は生まれて来る子を愛すべきだろう。愛される事までは望むべきではない。両親の歩んだ道を見ると、どうしてもそんな事を思ってしまう。憧れであり、大切なものだった。同時に、物寂しくもある。

 

「酒が沁みますよ」

「本当にな。男同士で飲むのもまた、一興だ」

 

 一口呷る。強い酒では無い。だが、男同士で語っていた。それが、心地良かった。時の流れが酷く遅く感じた。未だF.I.S.の足取りは掴めぬままであり、事件は何の解決の兆しも見せてはいない。装者達の精神面にも気を配っていた。その上で、ノイズの出現にも対処している。休まる時が無かった。それが、嘘であったかのようにゆったりとした時間である。

 

「疲れているのか?」

「まさか。一息吐いただけですよ」

 

 首を振る。疲れを感じている訳ではなかった。ただ、少しばかり懐かしい事を思い出し、物思いに耽っていただけである。父と母は仲睦まじかった。殆どは伝聞でしか無いが、それでも、その事実が誇らしく感じる。

 

「男だ、ユキ」

 

 呟く。残された言葉があった。焼き付いた姿がある。そして駆け抜けた風を知っていた。自分も同じようになれるだろうか。それだけが、自身の中にある願いだった。笑う。考えても仕方が無い事だ。生き様は、生き切った時にだけ解るものだ。悩んだところで、意味など無い。生かす為に刃を研鑽してきていた。それを用いるだけなのだ。

 

「良きご尊父だったのだな。お前ほどの男の胸に、刻み付けたものを持っている」

「あの両親を持ったことは、俺の誇りですよ」

 

 父の言葉があり、母の生き方があった。僅かな寂しさもあったが、それが己を強くしてくれた。

 男の中の男と酒を酌み交わす。それでも生き続けた先にある、僅かな喜びだった。身に、心に染みる。それが、心地よい。外を見る。気付けば、夜の帳は降りていた。

 

「ふ、飲むか」

「ええ、どうぞ」

 

 司令の盃に手酌で注ぐ。次いで自身の物にも注いだ。飲み過ぎだろうか。一瞬そう思うも、偶には悪くないかと思い直した。肴に手を付け酒を呷る。それだけである。それだけであるが、悪くは無い時間だった。

 

 

 

 

 

 

 仮設支部、訓練所。童子切を手にしていた。他の太刀とは遥かに違うものを感じる。文字通り格が違う。手にした一振りの刀は、されど千の刃にも匹敵するように感じられた。唯一無二、無双の一振りだと言える。血を吸い、斬れぬものを斬る剣。それが童子切の真髄であった。刃が震える。今は何かを斬ろうとしているのでは無かった。ただ、童子切を感じているだけである。立花響の中にある聖遺物の欠片。それを斬る事が出来るのか。考え続けている。既に無数に広がっているものである。一つ二つならばいざ知らず、全身に癌のように広がった症状は、ただ斬り捨てるのとは違っていた。何よりも、心臓と一体化していると言う。欠片を斬り裂きながら、心臓には傷一つ付けない。神業とすら言える技量が必要とされるだろう。できる。斬るだけならば、寸分の狂いもなく斬れると童子切が示していた。自信など存在しない。斬れて当たり前だからだ。できて当然のことに、態々自信などがある訳がない。最大の問題は、しくじれば死ぬ。その条件の中で、それでも自分を信じられるのかという事だった。

 装者暴走の可能性が示されていた。童子切の使用許可。司令が既に取ってあるという事だった。潜水艦の仮本部では無く、リディアン音楽院に一番近い仮設支部の倉庫に現在童子切は保管されていた。手入れをしながら、具合を確かめる。太刀と一つになる。その感覚だけは、何度も試している事だ。童子切であろうと、その辺りの木の棒であろうと同じ事が出来る。戦いに身を置く武門には必要な事と言えた。

 

「こちらに居られましたか」

「おや、風鳴のか?」

「はい。一手御指南お願いしたいと思いまして」

 

 童子切を手にしていた時、風鳴のから声をかけられた。僅かに気配を感じる。童子切を手にしている。今は血を吸わせていないが、別の気配を少しだけ感じ取れていた。天羽奏。恐らくは、翼の傍に居るという事なのだろう。

 

「良いだろう」

 

 頷き、刃を下に向ける。下段と言う程の構えではない。童子切を手に、ただ風鳴のを見据える。手にした剣。風鳴のは上段に構えた。剣気が広がる。

 

「く……!?」

 

 ただ受け止めていた。風鳴のの表情が幾らか辛そうに歪む。全身から汗が噴き出す。膠着。やがて、間合いの内側で一歩二歩と動いた。三歩。その途中で力尽きたのか、その場で膝を突いた。呼吸が荒く乱れている。童子切に乗せていた意志を下ろす。

 

「内側で三歩。未だに目標には及ばず……か」

 

 風鳴のが荒くなった呼吸を整えながら零した。童子切の剣気。それを受けて尚、以前よりも歩を進めた。一晩の斬り合い。手折れようが、倒れようが蹴り飛ばし斬り合い続けた。女子には厳しすぎる責めではあったが、シンフォギアを纏った装者であり防人である。手加減の必要など無かった。羽々斬を用いた戦いである為、思わぬ技を繰り出す事もあったが、紙一重の所で全て手折っていた。一種の特訓。それの成果が出たという事だった。

 

「童子切なのだがな」

「……はっ!?」

 

 思わず零した呟きに、風鳴のは疲れも吹き飛んだのか飛び起き直ぐ傍らまで迫る。存外元気では無いかと思い、では次回はもう少し強く剣気を纏わせてみようかと思いつつ、見た事が無いような輝きを放つ瞳に、押される。

 

「これが、童子切安綱」

「天下五剣だな」

「はい! 童子切安綱。天下五剣の一振り。様々な鬼を斬ったと言う伝承から、かの剣豪将軍も用いたと言われる大業物。これが、歴史にすら名を刻んだ太刀……」

 

 触れても構いませんかと恐る恐る尋ねて来る風鳴のに、構わんよと渡す。一瞬大げさなと思ったが、初見では自分も触れて良いものかは判断がつかなかった。今でこそ普通の太刀と同じように使うが、風鳴のの反応こそが正しいのだと思う。慣れとは怖いものだ。

 

「……はぁ」

 

 太刀の魅力に取り付かれたかのような艶のある溜息を零す。気持ちは解らないでも無いが、女子として、そして歌女として、この反応は良いのだろうかと思わないでもない。すぐ傍で、恋する乙女のように太刀を見る少女の姿に、先日とは違う心配が浮かぶ。行き遅れなければ良いな。そんな失礼極まりない事を考えていた。それだけ、武門の自分から見ても奇妙な光景だったと言える。

 

「手入れを行ってみるか?」

「良いのですか!?」

 

 試しに聞いてみると、予想以上の反応に押される。まぁ、構わんよと促す。場所を変えるか。

 

 ――

 

「何事ですか?」

『ノイズの反応が出現。場所は、リディアン音楽院近郊』

 

 そんな事を考えた時、通信機が鳴った。司令の鋭い声が届く。幸い、自分たちはリディアンの近くにいる。童子切、風鳴の手から受け取る。装者暴走の可能性。そんな言葉で隠されてはいるが、要するに響を戦わせない為に下された許可であった。今回童子切を携えるのは戦う為ではない。万が一の為だ。目に見えぬものを斬る。その真価が試される。

 

「先生も共に居ます。急行します」

『頼んだぞ。付近にはクリス君もいる様だ。つまり、響君がいる可能性も高い。身体の説明は終わっているが、それでも戦いかねん』

「了解しました。童子切。既に準備もできております」

 

 短く通信を終える。風鳴の自動二輪。直ぐにも用意された。乗って下さい。促され摑まる。後で手入れをさせてくださいね。小声で言われた。そこまで童子切を弄りたいのかと疑問が浮かぶが、話している時間もあまりなかった。摑まる。

 

「きゃ……」

「防人」

「……さぁ、行きましょうか」

 

 以前にも似たようなやり取りがあったのを思い出す。短く声を出すと、それだけで声に鋭さが戻った。不意に女を出すのはやめて置け。そんな小言を零しつつ、風に身を任せる。司令からの情報が耳を通り過ぎる。ノイズが一定範囲に現れながら移動している。つまり、呼び出されていると言う事だった。司令の言葉から、頭の中で移動範囲を思い浮かべる。随分と近くに来ていた。路地。狭いそれが目に入る。風鳴に自動二輪を止めさせた。降りる。

 

「長距離ならば兎も角、立体を想定した短距離ならば足の方が速い」

「解りました。私はノイズを殲滅しつつ、雪音との合流を目指します」

 

 短く告げ、分かれる。自動二輪や車は速い。だが、道がなければ移動が出来なかった。その為、場所によっては最短距離を移動する事が出来ない。大きく回らねばならない事もある。狭い路地に、点在する集合住宅や高層建築物。縦の経路が存在していた。壁を蹴る。足に衝撃、反発。壁から壁へと蹴り続け反発、加速していく。瞬間的な速度ならば、シンフォギアにすら負けない自信はある。その跳躍を繰り返し、縦横無尽に裏路地を機動で抜ける。

 

『久々に見た。立体機動。本職の緒川さんには負けるけど、かなりのもんだ。武門って言うのはどうなっているのか』

 

 藤尭の声が通信機から零れる。そのうち教えようかと告げると、ユキや緒川さんと一緒にしないで欲しいと苦笑いが届く。本人は無理だと言うが、藤尭ならば鍛錬を積めばできそうな気はする。頭脳派なんだよと軽口が届いた。

 

『この反応はガングニールだと!?』

 

 通信機から司令の声が届いた。ぞわりと背中に悪感が走る。童子切。左の掌を僅かに斬らせた。血を吸わせる。

 

『クリスちゃんは、皆の避難をお願い!!』

『だけど、お前……。そんな身体で戦わせる訳には!』

『今の私じゃ、皆を守り切れない。だから、私の代わりに皆を守って』

『クソッ! 直ぐ戻って来る。絶対まともに戦うんじゃねーぞ。あたしの知らない場所で怪我したらただじゃ置かねーからな!!』

『大丈夫。このぐらい、へいき、へっちゃらだよ。だから、早く戻って来てね』

 

 イチイバルによるノイズへの攻撃。通信内容からして、民間人を庇っているのだろう。加速。童子切の力を起動させる事により、視界が広がる。不意に、何かが届いた。赤髪。天羽奏。こちらを呼ぶように手を振り、大声を出すようなしぐさをしている。考えず飛ぶ。反発、加速。童子切によって研ぎ澄まされた感覚を頼りに、揺れる視界のまま、飛び続ける。

 

『守るんだ。私は。皆が死ななくて良いように、絶対に守るんだ』

 ――

『調ちゃん、切歌ちゃん!?』

 

 奏が道を示す。声は聞こえない。だが、こっちだ。そんな言葉が聞こえてくる様である。加速。見えて来る。視線の先。響が胸を押さえ蹲っている。熱が吹き荒れる。まだいくらか距離があるにも関わらず、異常を感じた。

 

「リンカーの連続投与? でも、そんな事をしたらギアからのバックファイアが……」

「ふざけんな!なんであたしたちがあんたなんかを助ける為にそんな事を!」

「やるデスよ。あなた達はやらざる得ない。解ってるんですよ。あなた達が僕をお仲間だと思って救出に来るなどあり得ない事は! 僕を助けなければならない事が出来た。差し詰めあのおばはんが倒れたとかそんな感じでしょうよ?」

 

 声が届く。三人の装者。響とF.I.S.の二人。そして、その二人に守られるようにウェル博士が何かを叫んでいる。視線が歪む。強烈な圧力、全身に掛かっていた。着地。

 

「やろう切ちゃん。私たちのやるべき事は、ドクターをマムの下に連れていくこと。それが、マリアの為なんだ」

「絶唱、ですか? ……こうなったら、死なばもろともデス! 調、一緒なら怖くないデス」

「さぁ、女神ザババの絶唱二段構え。今この場において出せる、最強の布陣。できると言うのなら、止めて見せるデスよ英雄よ!?」

『Gatrandis babel ziggurat edenal――』

 

 衝撃、反発。そして跳躍。地が陥没。その勢いを殺さずに飛んでいた。二人の装者の声が遠く聞こえた。風。ただそれを感じる。音が追い駆けて来る。構わずに突っ込んだ。

 

「さあ! さあ! さあ! あべしッ!!」

 

 拳を全力で叩き込んでいた。沸騰していた熱が一気に覚める。右手にしていた童子切を接触直前に持ち替え、右手で顔に撃ち込んだ。博士のメガネが衝撃で吹き飛ぶ。全力で拳を叩き込んでいた。錐もみ回転を起こし、吹き飛んでいく。

 

「おごごごご……、鼻がぁぁぁ……鼻がぁぁぁ……」

「ドクター!?」

 

 F.I.S.の二人の装者が予想していなかった乱入に振り返る。その一瞬の隙を突き、童子切に血を吸わせる。多くは必要なかった。左腕を少しだけ斬り、血を吸わせる。失血。だが、暴走の時に比べれば遥かにましだった。

 

「……ユキさん!?」

「話はあとだ」

 

 殴り飛ばした博士を意識から排除する。今はあれを相手にする状況では無かった。F.I.S.の装者二人による絶唱。強襲した時に、既に耳に届いていた。切歌と調と呼ばれる二人の装者から、凄まじい力が感じ取れた。

 

「私のシュルシャガナと」

「あたしのイガリマ」

『二人の絶唱ならば!!』

 

 場に力が充満していた。絶唱。装者における必殺であり、諸刃の一撃を放つ心算である。刃を回した。

 

「く……!? こうなったらS2CAで! Gatrandis babel ziggurat edenal――」

 

 響も迎え撃つ様に絶唱を唱える。S2CA。響たちが組み上げて来た連携技。他者と手を繋ぐ絶唱特性を利用し、威力を増幅発射させる連携だった。その力はただの絶唱を飛躍的に増幅させるが、代償としてその反動が全て響に向かうと言う物がある。浸食症状。それがかなり進んでいる響に、そんな大技を使わせる訳にはいかなかった。

 

「使えば死ぬと解っている物を、使わせるものか!」

「……え? な、なにが……」

「っ!?」

 

 絶唱による出力の高まり。それが起こりうる前に、響の歌を斬り裂いていた。血刃。童子切の刃が赤く輝く。叫んだ言葉に、相手の二人が驚きで息を呑む。司令には何があっても響を戦わせるなと言われている。自分自身の意志でも、戦わせる訳にはいかなかった。絶唱が中断され、何が起こっているか解らず驚く響を無視し、反転。

 二人の装者。既に限界近くまで出力が高まりかけている。だが、まだ間に合う。血を吸わせた。見据える。踏み込み。反転の圧力を使い一気に飛んだ。

 

「それでも、此処で!!」

「必ず倒すんデス!!」

 

 叫び声。絶唱が放たれる。直前。二つを叩っ斬っていた。最大まで高められた出力。大きくなり、斬ってくれと言わんばかりだったそれに向け、全力で斬り裂いていた。童子切は目に見えぬものを斬る。高められたシンフォギアの力もまた、斬れる対象だった。技として放たれたものを斬るのは多くの血を要する。だが、まだ形として形成されていない力だった。それであれば、多くの血を必要としない。童子切がそう教えてくれていた。

 

「君は、あの子達の代わりに死ぬ気だったのか。相手を助けて、自分の命を捨てる気だったのか?」

「……」

 

 響に短く問う。返答は無い。死ぬ気などは無かっただろう。だが、死期を早める覚悟ぐらいはあっただろう。響の容態が深刻な事は知っていた。強く言ってしまうのは仕方が無い。

 

「どうしてこうも、馬鹿者が多いのか」

「……え? ユキさんっ!?」

 

 響を抱き寄せ、抱き上げる。当たり前だが驚きの声が上がる。無視した。装者達は、無理をしようとする者が多すぎる。ぼやきたくもなる。響に持てと童子切を渡す。絶唱を強制解除された驚きから、相手の二人が立ち直る前に、跳躍。反発を用い一気に加速した。距離を離す。 

 

「ええ!?」

「響、シンフォギアを解除しろ」

「で、でも」

「本気で怒るぞ」

 

 声を落とし言うと、響は指示に従いただ俯いた。腕の中、少女を一人抱え飛ぶ。震えていた。

 

『立花響を確保。ウェル博士に遭遇するも接触を放棄しました』

『良くやってくれた。そのまますぐに離脱してくれ!』

 

 着地。相手の二人が追って来ていないことを確認すると、速度を下ろした。やがて止まる。こちらを見詰めている目と視線が交わる。

 

「ユキさん、どうして?」

「先達として、後進を死なせるわけにはいかない。どうしても死にたいのなら、俺が死んだ後にしてくれ。そうであれば、邪魔はしない」

 

 響の問いに思わず辛辣になってしまうのは仕方が無いだろう。自ら死のうとして居た者を此方側に引き戻したと思ったら、何故止めたと問われたのだ。度し難い。死に向かい進みかける者を、見送れとでも言うのか。そんな事を考えてもいないだろうが、この子の言う事はそう言う事だった。

 

「……ユキさん」

「助けない方が良かったのか?」

「……ごめんなさい」

 

 今にも泣きそうになりながら響は頭を下げた。溜飲が一気に下がる。

 

「いやいい。すまんな、きつく言ってしまった」

 

 上げられる事の無い頭に片手を置く。二度触れた。怒っては無いと伝える。

 渡していた童子切を受け取る。奏の姿が浮かび上がる。良かった。そう言わんばかりの笑みを浮かべていた。助かった。ほんの少しだけ笑みを浮かべる事で答えた。

 

「でも、どうして私の所まで」

「ああ、古馴染みが教えてくれたんだよ」

 

 響の問いにそう答えた。事実である。だが、童子切を扱えない彼女には、奏の姿を見る事は出来ないのだろう。それ以上の説明は止める。未だ戦闘は継続中である。自分たちはそのまま後退の命令が下ったが、戦い自体はまだ続いている。

 

「また、新しい怪我しています」

「仕方あるまいよ。童子切を使うには、血を吸わせる必要がある」

 

 左手を取った響が悲しげに呟く。生傷が絶えないのは事実だった。問題ないと言っても納得はしないだろう。

 

「また私の所為で……」

「なら、治療をして貰おうか。今回のは浅いからな」

「え……? はい!」

 

 だから、応急処置を頼む事にした。とは言え、先ずは二課に合流しなければならない。響の手を取る。放って置いたら、また戦いかねないからだ。行くか。そう言うと、少し恥ずかしそうに頷いた。通信機から戦いの状況が流れて来る。直ぐに終わりそうな様子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ウェル博士、眼鏡を割られる(二回目)
切調、響が命がけで救おうとした事を知る
響、戦闘限界時間が延びる
武門、実家からさっさと嫁取れと言われる。


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12.陽の陰る時

「で、また怪我したわけだな」

 

 自宅の一室。寝台に座していたところで、目の前には白猫が仁王立ちしていた。少し前では響が正座させられている。童子切で斬り裂いた左腕の治療。それを二課の施設で行ったのち、帰宅していた。響も一緒なのは、その怪我だと食事の準備も大変だろうから、今日の所は用意しますと言われたためだ。今回は浅手であるが、響の前では何度も怪我をしていた。優しい子ではある。責任を感じている様だった。武門が怪我をするなど日常茶飯事な為、気にしなくとも良いのだが、そう言う訳にもいかないのだろう。実際助かる面もあるので、好きにさせる事にしたわけであった。そして帰宅。ゆっくりしていてくださいと言う響の言に押し切られ、就寝用の浴衣を纏い楽にしていた。気の充実を図った訳である。暫くの間の瞑想。不意に扉が開き、どたばたと騒がしい音が響き渡った。そして現状に至る訳である。

 

「浅手だよ。幾らか童子切で腕を斬っただけだ」

「……どこから突っ込めば良いんだよ。毎回怪我するところか、自分で腕斬るところか、あたしの気持ちを無視したところか!?」

「あの……、クリスちゃんの気持ちって?」

「……怪我が多いから自重しろって事だよ!? お前も死ぬかもしれないってのに戦おうとするし、バカはしなねーと直んないのか!?」

「ひぃぃ!」

 

 響の問いに、怒りが心頭中の少女はうるせぇっと一喝。びくりと震える響。省みると白猫が怒り狂うのも理解できないでもない。と言うか、思い当たる事が多すぎた。特に、ネフシュタンの腕輪を送れらたばかりである。あんたは直ぐに死にそうだからなと非常に反応に困る事を言われていた。怪我をしないようにと願懸けたものを渡して、直ぐに怪我をしていた。それも自分で斬っている。今の怒りは尤もだろう。左腕など、F.I.S.に関わり始めて怪我が無くなったためしがない。武門としては傷など塞がり動けば完治なのだが、一般的ではない様だ。

 

「斬らねばいけなかったからな」

「何でもかんでも斬るって言えば良いと思うなよ!」

「事実なのだから仕方あるまいて」

「だからって、毎回毎回怪我してくんなよ! 吃驚させられるあたしの事も考えろ!!」

 

 睨みつけてくる白猫。目の端に光るものが浮かんでいる。響の事もそうなのだが、自分の事でもこの子に心配をかけてしまっていた。剣幕に押され、すまないと一言謝る。ふーふーっと息を荒げる。

 

「にゃあ」

「……お前も心配したのか?」

 

 部屋の隅で丸まっていたクロが、不意に寝台に飛び乗り一鳴き。そのまま胡坐をかいている足に飛び乗ると、体を擦り付けてくる。どうやら心配させてしまったようだ。クロにもすまんと呟き撫でる。

 

「おい」

「どうした?」

「今日の晩飯は、このバカに任せてあるんだろ?」

「……あんまり否定できないけど、そんなにバカバカ言うのは酷いよ!」

「自分の命を粗末にするやつは、バカで充分だ!」

 

 控えめに響が反撃。あっさりと怒れるクリスに撃ち返される。何か言う度に二言目で、ひぃっと怯えるならば黙っていれば良いものを、何故か言い返す。性分なのだろう。苦笑と共に、二人の少女のやり取りを眺める。どう見ても友達だった。それを指摘すればクリスは全力で否定するだろうが、百聞は一見に如かずと言うやつである。

 

「話を戻すか。あたしも一緒に作るぞ」

「ええ!? クリスちゃんって料理できるの?」

「あん……ッ?」

「ひぃぃ! だ、だってぇ、クリスちゃん普段お弁当とか作らないって言うじゃん!」

 

 響の疑問に、白猫は眼光を放つ。正直なところ、響の気持ちは解らないでもない。クリスには悪いが普段の言動や、食事風景からはとても料理ができるように思えないからだ。実際手料理を振舞われたことがある自分でもそう思うのだ。響の疑問も仕方が無いだろう。

 

「それが、不思議な事に上手なのだよ。何度か振舞って貰った事があるが、どれも旨かったよ」

「……別に褒めても何もでねーからな」

「作って貰えるだけでも十分すぎるよ。自分で作るとどうしても味気ないからな。何か変わった隠し味でも入っているのかと思うぐらいだよ」

「そんな事を言いながら、クリスちゃん口許がにやけてますよー」

「おま、勝手な事言うな!」

 

 赤くなりそっぽを向く白猫。彼女の料理が上手い事は何度か振舞われたことで知っていた。将来良い嫁になれるなと思いつつも、流石に口には出さない。余計な事を言って藪から蛇でも出たらいたたまれないからだ。クリス、と言うか装者全員に男っ気が無いなと不意に思う。戦わせてばかりで言うのも勝手な話なのだが、良い人の一人や二人いないのだろうか。リディアンは女子高である。そう言う出会いは難しいのかもしれない。好きな相手でもできれば、無茶をする事も減ってくれるだろうかと思いつつ、難しいとも思えた。

 

「別に変ったものは何も入ってねーよ。レシピ通りに作ってるだけだ」

「とか何とか言って、隠し味に愛情とか入ってるんじゃないの? 前の模擬店では入れていたし」

「ば!? あ、あの時の事を蒸し返すんじゃねー!!」

「無理無理。あの時のクリスちゃん、滅茶苦茶おも……可愛かったからね!!」

「よし殴る。お玉で殴る!!」

「何でお玉!?」

 

 やいやいと目の前で騒がしいやり取りが展開される。こうしているだけならば、ただの子供でしかない。響もクリスも二課に所属する装者である。戦う為の力を持ち、実際に用い戦っていた。今だけを見ていたらとてもそうは見えない。戦わせてしまっている。そんな事を考えずにはいられない。子供が子供であれる。そうなれる日は何時になれば訪れるのか。

 

「ユキさん?」

「……ボーっとしてどうしたんだよ。傷でも痛むのか?」

 

 物思いに耽っていると、こちらに視線が向いていた。心配していますと言う気持ちがありありと伝わてくる。苦笑が零れた。少しばかり気を抜いてしまったようだ。後進に心配をかけるようでは、先達としてまだまだ甘いか。先日の司令との会話もあり、そんな事を思う。だが、悪い気分では無かった。

 

「いや、考え事をな。装者達の中で一番最初に彼氏を作るのは誰かと思っただけだよ」

「え、ええ!?」

「ちょ、おま、何考えてんだよ!?」

「いや、大事な事ではあるぞ。まだまだ若いが、最近では行き遅れる事もあり得ると聞くぞ。学生のうちに、当ては見繕っておくと良い」

 

 慌てたような二人の反応に、からからと笑う。足で寝転ぶクロを抱えた。なぁっと同意を求めるように尋ねる。一鳴き。賛同の声が上がった。猫にも心配されているぞと告げると、二人の少女は何とも言えない表情で固まった。ため息。響が深く零した。

 

「……夕飯の買い出しでも行くか?」

「そうだねクリスちゃん。折角だから未来も呼ぼうかな。ユキさんの為に、豪勢な料理を作らなきゃいけないしね」 

 

 二人して立ち上がる。そのまま待っていてくださいねと響に言われたので黙って見送る事にする。感情の揺れ。僅かに感じた。これ以上は触れない事にする。

 

「俺は守れるかな?」

 

 二人が去った部屋。クロに呟いた。子供を戦わせている。胸の内に在るのはそんな思いだった。ノイズとの戦い、F.I.S.の装者とウェル博士。自動人形の暗躍。そして立花響の暴走。事態は常に揺れ動いている。戦いと言う面では自分がいれば守る心算ではある。だが、全ての戦場で肩を並べられる訳では無い。

 

「そうだな。なる様にしかならんな」

 

 クロが一声にゃあと鳴いた。知るか。そう言われたように思える。当たり前である。未来の事などどうなるかは解らないのだ。だからこそ技を磨き、万全に整える。人事を尽くしてこそ天命は得られるのだろう。自分の中の意志を確かめる。武器を取るのは人であり、人が戦うのは己の意志の為である。自身の想いは何処にあるのか。それさえ見失わなければ、武人が折れる事はあり得ない。

 部屋は再び静寂に包まれていた。クロの温もりが離れる。瞑目。騒がしい子らが戻ってくるまで、自分の内に思いを巡らせる。戦いの時は、それ程待ってはくれない。それでも僅かに訪れた穏やかな時に、一時身を委ねるのは悪くは無い。

 

 その日の夕食は結局、何故か呼ばれた小日向も加わり料理を作り過ぎたと言う事で、急遽、緒川や風鳴の、藤尭や司令まで呼ばれ、軽い宴会状態になってしまった。女三人寄れば姦しいと言うが、男も含めればそれ以上の人数である。月を肴に酒を飲む。などさせて貰えるわけもなく、賑やかな空気に囲まれたのだった。その心算は無かったのだが、どうやら白猫が誤って酒を飲んでしまったようで、途中から膝を占領されていた。寝るならば客間にとも思ったが離れようとしない。無理に解こうとすると威嚇される。本物の猫かと言いたくなった。

 結局、その日はそのままにして皆が力尽きるまで手酌で飲み続け、静かになったところで緒川と共に装者と小日向を客間に押し込め、自分たちも別の場所で寝る事にした。流石は忍である。司令ですら潰れたのに、平然としていた。この辺りは武門としても見習いたいところであった。仮眠。自室で目覚めた時、何故か黒猫と白猫が居たので、起こすべきかどうしたものかと考え込んだ。結局解散したのは昼前である。休日であるから良かったが、随分爛れた過ごし方に思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何で前に出れないんだ?」

 

 風鳴のと対峙している中、そんな言葉が訓練所に響いた。放っていた剣気。それによって興が削がれた為、抑え込んだ。何度目かの立ち合い。以前よりも幾らか成長しているのだろう。風鳴のも少しばかり息を乱してはいるが、膝を突く事などは無かった。一礼し、クリスの方を見る。雪音クリスは重火器を用いる後衛である。剣気と言う物が理解できないのだろう。小首を傾げる様に、そんな事を思う。

 

「どう説明したものか。強い相手と対峙すると、気配で圧倒される」

「気配でねぇ。そんな物なのかよ」

「剣士同士となれば尚更だな。斬る。その意志を刃で伝えるのだよ」

「だから、簡単に動けなくなる。気迫で以て押し込まれている。ある意味先生に抱かれているようなものか」

「抱き!?」

「包んでいると言えばそうだが、もう少し真面な例えは無いのか」

 

 風鳴のの言葉にクリスが赤面する。初心な物であるが、一体どう言う想像をしているのか。そんな事を思いつつ、風鳴のに一言言う。流石に抱かれているは例えが酷い。剣の技を磨き上げて来た武門と防人ではある為それでも通じるが、クリスにはイマイチ理解が出来ないだろう。説明するよりも、実際にやらせる方が早い。訓練用の太刀を持たせる。構え。流石に馴れていないのか、少しばかり不格好に構えていた。右手。低めに刃を寝かせる。

 

「来ないのか?」

「え?」

 

 意思を伝えた。呆けたような言葉が届く。ぺたりとへたり込んでいた。剣気。風鳴にぶつけたのと同じものをクリスにも放っていた。何が起こったのか。そんな表情で目を白黒させているのがおかしくて、少し噴き出す。

 

「まぁ、こういう訳だよ」

「雪音にはまだ早かったようだな。シンフォギアがあれば別だが、生身で先生の気は早々受け止められないという事だな」

 

 座り込んだクリスに手を差し出す。風鳴のがうんうんと頷いている。何故か自分が為した事のように誇らしげである。普段行っている対峙が後進にどう言う物かを知って貰えたことが嬉しいのだろうか。存外可愛らしいところがあると思いつつ、クリスを立たせる。

 

 

 ――

 

『翼です』

『スカイタワー周辺にノイズの反応が多数出現。行けるか?』

『了解。丁度雪音と先生も仮支部に居ます』

『ヘリの手配は終わっている。直ぐに現場に急行してくれ』

 

 風鳴のが通信に答えている。訓練用の太刀を納め片付ける。童子切。今いる仮設支部には置かれていない。使用許可は出ているが、取りに行く時間も惜しい。一振り太刀を用意する。輸送機。けたたましい音が鳴り、仮支部に到着する。既に二人の装者は準備が出来ている様である。直ぐに合流し乗り込んだ。目を閉じる。輸送機の動きで発生する揺れに意識を割く。翼とクリスが小さく話している。スカイタワー。そこには響と小日向が遊びに出ているようだった。それが二人には気になるのだろう。意識の外に斬り捨てる。状況が解らない以上、余計な考えは余り良い事では無かった。

 

「また、ソロモンの杖が使われている。ノイズを操る力が悪用されている」

「クリス」

「……なんだよ」

「殲滅は任せる。俺は杖を探す」

「何を……」

「あまり思いつめるな」

 

 目的地が近くなる。風鳴のは落ち着いているが、白猫はそわそわと落ち着かない様子であった。室内をうろうろとして隣に座ったところで頭に手を置く。二度ほど軽く動かし直ぐに離した。杖は何とかするので、暴れてこい。そう伝えていた。

 

「解った。けど、あんたの方が無理すんなよな。ノイズが相手なんだ。逃げたって誰にも文句は言わせねーよ。あんたが、誰かが居なくなる方があたしは……」

「無理はしない。そちらは任せるぞ」

「ああ!」

 

 ほんの少しだけ持ち直したクリスの様子を確かめる。風鳴のと目が合った。頼むぞと無言で伝える。一度しっかりと頷いた。風鳴のはクリスからすれば先達の刃である。響の事は勿論だが、クリスの事も気にしていた。ソロモンの杖。その完全聖遺物が絡むとどうしても不安定になってしまう。クリスが起動させてしまった力である。それも仕方が無い。責任を感じるなと言う方が無理な話だ。それに捕らわれるのも困ったものだが、その思い自体は好ましいものだ。良い子に育っている。会った事も無い雪音クリスの両親にそんな事を言いたくなる。

 

「行ってくる」

「武運を祈るよ」

「先生もご武運を」

 

 二人の装者が飛び降りる。シンフォギア。それを空中で纏う。ノイズを撃ち落としながら戦場へと舞っていた。幾らか静かになった室内、輸送機に取り付けられた小型モニターに映されるノイズ出現反応を見詰める。現れては消えるのが何度も繰り返される。装者が暴れている。不意に、スカイタワーが揺れた。爆発。火を上げて爆風が舞う。幾らかの驚きと共に視線を向けた時、あるものが視線に映った。目を疑う。

 

『司令。ソロモンの杖捜索を放棄します』

『何かあったのか?』

『黒き装者。ガングニールの持ち主。マリア・カデンツァヴナ・イヴ』

『なんだと!?』

『当初の予定を放棄。追討に向かいます』

『垂直降下、行けるか?』

 

 司令の言葉に即座に用意する。流石に現状は高すぎる為場所を移さざるを得ない。ヘリの上からマリアを捕捉する。二人人を抱えている。ガングニールは持たず、建物から建物に飛び移る。高層ビル。その一角で止まる。扉をけ破り中に侵入した。高度、丁度目的の建物に入るには都合が良かった。藤尭から指示が飛び、ヘリが位置に着いた。飛ぶ。

 

『可能なら拘束。だが、無理はするな』

『了解』

 

 短く答えた。下降機が軋みを上げる。着地。背負った太刀を抜き放つ。そのまま装備を断ち切り駆ける。聴覚に意識を集中させる。風が音を届けた。その音を頼りに窓を割る。七階。下を確認。対面。同じく高層ビルがある。飛んだ。壁を足場に反発。五階まで落ちる。窓、突き破った。着地。扉、音が聞こえた。斬撃。

 

「な!?」

「小日向、だと?」

「またあなたですか!? 本当に何時も何時も邪魔をしてくれる! 人形!」

 

 F.I.S.の装者、マリア・カデンツヴァナ・イヴ、ウェル博士、見知らぬ女性、そして響の友人である小日向が居た。目を見開く。風が鳴った。反射的に刃を振るう。

 

「さぁ、あの男を防ぐんだディにも殴られた事がないのにッ!?」

『――自動錬金』

「また貴様か」

 

 爪撃を剣撃で合わせる。反発。咄嗟に放った遠当て。ウェル博士の足を取った。逃げる勢いが殺せずに足をもつらせ壁にぶつかっていた。何か叫んでいるが聞いている暇は無い。マリア達が小日向を連れ逃げていく。ウェル博士も何とか立ち上がり続く。火花。両手で振り抜かれる大爪に太刀をあわせ宙を舞う。刃を流し加速する。斬撃。跳躍と反発を繰り返し、削ぎ落としていく。

 

『――自動錬金』

「なに……?」

 

 通路。狭い一角で、人形が両腕を翳した。斬撃。目に見えぬ壁に阻まれる。咄嗟に刃を動く方向へ流す。加速。数多の斬撃を以て挑む。だが、機械音声が定期的に更新される。壁を貼り直しているのか、削ぎ落とす事が出来ない。

 

「響に、無事だって伝えてください!!」

 

 声が聞こえた。歯噛みする。ソロモンの杖も、F.I.S.の装者も、響の友人である小日向ですらも手が届かないのか。黒金の無機質な瞳。煩わしかった。押し通る。その意志を右手に込める。不可視の障壁。知った事では無い。

 

「壁など、斬り落とすだけだ」

 

 両手持ち。刃を高く持ち上げる。気迫を込め振り下ろす。障壁。ぶつかる瞬間に、黒金が後退った。地を蹴りそのまま窓を突き破り突破される。五階である。追撃できない事は無いが、逃げた装者達を追う方が先決だった。風の音を頼りに駆ける。

 

「ちっ。逃がしたか」

 

 広間の床が抜けていた。一気に飛び降りたのだろう。穴の開いた床を蹴りながら降り立つ。既に壁は抜かれ、走り去った後である。そしてノイズの置き土産と来たものだ。三体の空中型。壁に向かって走る。跳躍。壁に向かい飛び、蹴り、天井を更に蹴り一閃。一つ。反発を用い横躍。迫る二体を往なす。反転。疾走。身体を低く倒しながら斬り込む。煤、全身に振り掛かる。最後の一体。正面から向かって来ていた。軽く跳躍。躱し際に一撃。それで終わりだった。そして、目標も完全に喪失している。良い様にやられていた。

 通信を入れるも、うまく機能しない。スカイタワーには、二課の用いる電子機器の電波を統括する親機と言える物が備わっていた。無論電波周りはそれだけでは無いのだが、近場であるせいか通信機がうまく機能していない。

 聞こえていた爆発音も消えている。大凡の戦闘は終わったという事だった。不可視の自動人形の例もある。警戒を解く事はせず走った。やがて、二課の所有する輸送機や輸送車両等が見えて来る。

 

「上泉さん!」

 

 現場に来ていたのか、友里さんが驚いたように声をかけて来る。軽く挨拶を交わし、通信が乱れて連絡が取れなかった事を詫びる。

 

「先生!」

「無事だったのか!? 良かった、あんたまでなんかあったらって思うと」

 

 声を聞きつけたのか、風鳴のとクリスが駆け寄って来る。衝撃。予想していなかったそれが胸に響いた。白猫。半泣きで抱き着かれている。

 

「何かあったのか?」

「立花が……。いえ、立花自身は無事なのですが」

 

 嗚咽。しがみ付き離れない少女を手で宥めながら問う。風鳴のが沈痛な表情を浮かべて答えた。一瞬響に何かあったのかと嫌な予感が過るがそうではない様だ。では何があったのか。そう考えた時、小日向の姿が思い浮かんだ。

 

「小日向か?」

「……その通りです。立花と遊びに来ていたようですが、立花と離れ離れになりそのまま」

「そう言う事か。だからこの子も不安定な訳か」

「はい。ですが、これ程の被害の後に発見できないという事は……」

 

 響は何度か小日向を連れて来た事はあるが、俺個人としてはそこまで交友が深かったわけではない。ただ、響の話や、クリスの話の中ではよく出る名であった。響の親友であるらしく、その頻度も頷ける。大切な友達。それを失ったと思っているのだろうか。F.I.S.の装者と共にいた。小日向だけでも助けられていればと思わずにはいられない。

 

「小日向は死んでいないぞ」

「え……?」

「何故そのような事が?」

「先ほどF.I.S.の装者たちと遭遇。人形に行く手を阻まれてしまったが、生存は確認できている」

 

 クリスを宥めながら、先ほどの出来事を説明していた。クリスの様子は言わずもがな、風鳴のですら沈痛な表情であった。親友の響の衝撃は計り知れないだろう。あやすように一度だけ強く抱くと、クリスを振り解いた。目を合わせ、少し響にあって来ると伝えると。涙を拭い、直ぐに行ってやってくれと言われた。白猫の事も気になるが、今は響である。居場所を聞き、直ぐに向かった。黒塗りの車の中、女の子が温かい飲み物を持ったまま俯いていた。

 

「無事だったか?」

「ユキさん……」

 

 声をかける。驚き上げられる視線。直ぐに涙が浮かぶ。思えば自分はこの子の涙ばかり見ている気がする。すまないな。心の中で詫びる。小日向を助ける事さえ出来ていれば、このような姿は直ぐになくす事が出来たはずだ。全霊を尽くして尚、無理な事は存在する。それでも、思わずにはいられない。

 

「私の一番暖かいものが。暖かい場所が、無くなってしまいました。未来が居なくなって……」

 

 瞳から流れる涙を拭いもせずに、響が手を伸ばす。一番暖かい場所。この子にとって小日向未来と言うのは、それほど大きな存在であったようだ。内心ですまないと一言呟く。伸ばされた手、ゆっくりと握った。

 

「小日向は言っていた。響に無事だって伝えてくださいと」

「え……?」

 

 そして、F.I.S.に逃げられた時のことを話す。自動人形に阻まれていた。その時、確かにあの子の叫ぶ声が届いた。自分が拘束されているのにも拘らず、響の事を案じていた。伝言を託されていた。伝えない訳にはいかない。

 

「俺は君に謝らなければいけない。マリア・カデンツァヴナ・イヴと遭遇時、小日向を見つけた」

「未来に……未来に出会ったんですか?」

「ああ。結局助け出す事は出来なかった。すまない」

 

 目の前に居ながら、助け出す事が出来なかった。響にただ詫びる事しかできない。それ以上の言葉を持たなかった。

 

「未来が……生きている?」

「恐らくは、だ。あの状況で態々助けたのだ。まさか殺しはしまい」

 

 零された問いに答えた。あのような状況でなお見捨てなかった。ならば、落ち着いたところで殺されはしないだろう。他の可能性は無いとは言えないが、響には言わず胸の内に納める。これ以上追いつめたくは無かった。

 

「ユキさん」

「なんだ?」

「ありがとうございます!!」

 

 いきなり響が立ち上がり大きく頭を下げた。思わず目を見開く。怒りや悲しみをぶつけられても仕方が無いと思っていた。負の感情を受け止めるつもりでいたのにも拘らず、全く逆の言葉を返されたのには面食らってしまう。

 

「何故礼を言われたのだろうか?」

「だって、未来が生きているって教えてくれました。私が一番欲しかった言葉を、持ってきてくれました」

 

 だからありがとうです。涙を拭い、笑顔でそう返されてしまう。言われた意味は解る。だが、その言葉を言えるのが驚きであった。この子は思っていた以上に強いのか。驚きと共に、そんな事を思う。

 

「俺は、あの子を助けられなかったぞ」

「私は、未来がもう死んじゃったんだって思ってました。でも、そうじゃないってユキさんが自分で探してきてくれました。だから、私はへいき、へっちゃらです」

 

 未来の事は心配で仕方が無いですけどね、っと悲し気に、だけど笑顔で答えた。

 

「君は、強いな……」

「何度も助けてもらいました。今回もまた、助けてもらいました。ユキさんは私が泣きそうな時、涙が止まらない時、何時も欲しかった言葉をくれます……。道を示してくれます」

 

 少女だと思っていた子が、少しずつ強くなり始めていた。守れなかった自分に、見つけてくれたんですよと笑った。思わず、こちらも笑みを浮かべる。後進が強さを見せたのだ。先達がだらしない姿を見せる訳にはいかない。

 

「未来は必ず助け出します」

「ああ。絶対に絶対、か?」

「はい!!」

 

 塞いでいたのが嘘のように元気になった響の返事に頷く。次に出会った時は必ず助けよう。そう胸に刻みつけたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




クリスちゃん、場酔いする。飲んですらいません。
ウェル博士(三回目)


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13.友愛の神獣鏡

「なぁ、あんたは何で戦っているんだ?」

「行き成りどうした。藪から棒に」

 

 対面に座っているクリスが聞いて来た。茶を出し、向かい合うように座る。夜中、何時ものように突然現れた白猫は、何の脈絡もなく聞いてきていた。

 

「気になったんだよ」

「いくつか理由はあるな。一つは父に生かされた。自分も誰かを生かす事が出来るようになりたかった。だから戦っている」

「他にもあるのか?」

「まぁ、大した理由では無いがね」

 

 目を閉じ思い出す。煤が舞っていた。それを吹き飛ばした風。父の背中。そんな物が思い浮かべた。憧れ。強く印象付けられたそれが大きな理由の一つであった。この子が揺れ動いていた時に一度語っていた。今回も揺れているように思える。だから、弄言は無く本心を語る。

 

「剣の技を磨いてきた。武門だからな。それを使う場が欲しかったと言うのもある」

「まぁ、確かにあんたの剣技はすげーよ」

「父はその上を行っていたぞ」

「マジかよ。あんたおっさんともまともにやり合ってたんだろ? 武門こえーよ。ちょっと意味わかんないんだが」

 

 装者の訓練用のシミュレーターを思い出したのか、クリスは遠い目をしている。そんなに強いのなら、あんたのパパにも一度会ってみたかったなと零す。怖いもの見たさと言う訳だ。猛獣扱いに苦笑が零れる。

 

「戦える力があるのならば、活かすのが人の道だと思ったから。子供でありながら、ノイズと戦う者達が居るから。近しいものが少しでも守れるなら。最近で言えば、ウェル博士のような人間を野放しにしておくわけにはいかないから。単純にあの思想が気に入らんから等、まぁ、挙げればきりがないな」

「立派な理由から、個人的なものまでなんでもござれだな。気に入らないから阻むって言うのがまた意外だけどよ」

「そんな物だろう。戦う理由など、大したものでは無いよ。考えれば後から幾らでも付いて来る。その時の自分が何をしたいのかと言う意思に従っている。それを言葉で表す。理由と言うのはその程度の物で良いのではないかな。考えすぎても碌な事は無いぞ」

 

 良いのかよそれでと半眼で見るクリスに、その程度で良いのだと笑う。戦う理由。そんな事を聞いて来たのは、おそらくソロモンの杖が使われたからだろう。杖が使われれば人が死ぬ。それは、幾ら装者がいようとも防ぐことはできない現実だった。目の前で助けられなかった人たちがいたのかもしれない。ただ煤を纏い感傷的になったのかもしれない。細かな事を聞くつもりは無いが、クリスが聞きたいという事については全て答える心算だった。

 

「別に、考えすぎちゃいねーよ」

「ならば良いのだがな。また泣きそうになられては敵わんよ」

「泣いてねーよ!」

「ならば良いのだが。君に泣かれると流石に困るからな」

 

 言い合っているうちに傍らまで来て、むきになって怒る白猫をあしらう。考えすぎるきらいがある。響の親友である小日向が攫われたのも自分の責任と感じているのだろう。目の前で取り逃してしまった俺の事など思いもよらず、自分を責めて辛く感じているのが解った。風鳴のと言い、この子と言い、不器用が過ぎる。額を指で小突く。

 

「……何すんだよ!」

「考えすぎるなと言っている。辛い時は言え、力になる」

「……ふん」

 

 額を抑えこちらを睨む白猫にそれだけ伝えていた。赤くなりそっぽを向く。その仕草だけは、何時もの雪音クリスだった。

 

「……泊って行く気か?」

「そのつもり」

 

 話は終わったのでそろそろ帰るのかと思ったが動く気配は無い。聞くと、半ば予想通りの反応が返って来る。それで良いのか女子高生と思いつつ、寝る場所の用意をする。訪ねて来るなり、風呂は入ってきたと聞いていた。予想だけはしていた。困った子だと苦笑する。確かに好きな時に帰って来ると良いと言ったが、ここ最近は随分と頻繁な気がした。ソロモンの杖。それがこの子に圧し掛かってきているのは、大して考えずともわかる。その程度の付き合いではあった。やはり杖は取り返さなければいけない。目の前にいる少女の為にも思い定める。クリスは、自分にとっては年の離れた妹の様なものだった。苦しんでいるのならば、何とかしてやりたいと思うのは当然である。寝具の準備が終わる。一声かけた

 

「あんたの傍はやっぱり安心できるよ」

「また、殊勝な事を。どうした今日は」

「別に、なんでもねーよ」

 

 用意をしているうちに着替えたのだろう。自前の寝具用の白い浴衣を着て、小さく笑った。以前言われたことを思い出す。意地っ張りにしては、随分と殊勝な言葉だった。夜も更けている。そろそろ寝るかと寝室へ向かう。去り際。

 

「何時もありがと……。出会ったのがあんたで良かった」

 

 そんな言葉を聞いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 左手に童子切。右手に太刀を構えていた。二刀。切っ先を地に向け、呼吸を落ち着ける。

 前を見据えていた。童子切。目に見えない物を斬る力。無い物を斬る事が出来る刀であった。その力を用いるには血を吸わせる必要がある。今は血を吸わせてはいない。その力は本領と比べれば微々たるものである。その力を感じていた。同時に、右手の太刀に意思を集中させる。童子切と同じ意志。それを右手に宿す。剣気。高める気が無くても否が応にでも高まっていく。抑えた。剣気が欲しいのではない。童子切で使う意志が欲しいのだ。

 

「やはり、難しいな。まるで掴めん」

「それはそうですよ。方向性は違うと言っても異端技術なのですよ」

「剣で出来るのだ。技で出来ぬ訳はあるまい」

「剣技。そう言いますからね。とは言え流石に剣にできる事が人にできない訳が無いと言うのは、意見の飛躍では?」

「異端技術とは言え、人が作ったものだ。ならば、人に習得出来ぬ訳はあるまい」

 

 天井から声が聞こえた。緒川慎次。風鳴に仕える忍びの末裔であった。同期。昔は良く鍛錬を行った物である。

 先ずは起動していない状態を模倣しようと思ったのだが、それすらも上手くいかなかった。剣に意思を纏わせる。気を纏わせる。その二つとはどうにも要領が違う様であった。元々公算があった訳では無い。頭打ちか。直ぐにそんな事を思う。

 

「響さんたちは、今頃司令と特訓している頃でしょうね」

「ああ、小日向がF.I.S.に拘束されている。その救出の為にも調整しているのだろう」

「良かったのですか? あなたも彼女らの事は気にしている筈でしょうに?」

 

 響や風鳴の、そしてクリスは司令と特訓と称して鍛えに出ていた。自分はそれには参加せず、ただ仮支部の訓練所の一角を借り、剣を振るっていた。一緒に加わらなくても良かったのかと問われる。確かに気にはなる。

 

「俺が参加して訓練になるのか?」

「ああ……。武門の訓練。翼さんでも耐えられるか解りませんね」

「走り切り合うだけだがな。反対にこちらが合わせる場合も、それはそれで困る」

「常時倒立で移動とかどうですか?」

 

 緒川の案を却下する。できない事は無いが、ただ効率が悪いだけの結果に終わりそうだからだ。だからと言って、自分を基準にしたら後衛のクリス辺りは付いていけないのでは無いだろうか。普段から走り込みなどはそこまでしていないだろう。

 

「一朝一夕で出来る事でも無いか」

「そうですね。ユキならばやり兼ねませんが、それでも思いついて即日と言うのは流石に虫が良すぎますよ」

「思い詰めても仕方が無いな。技と言うのは、練りに練り、突如思い浮かぶこともある」

「武門が言うと重みが違いますね。それでは、久方振りに一手やりますか?」

 

 緒川の言葉に頷く。忍びとの鍛錬。少しばかり普段とは違う刺激が入るものだった。童子切。鞘に納め太刀を手にする。右手。ゆらりと構えた。緒川。動きが加速する。前後左右天井と縦横無尽に動き始める。16人。やがて残像を残しながら緒川がそれだけの数に増える。両手。訓練用の銃を持っている。着色弾。当たったとしてもそれなりに痛いだけであるが、如何せん遠慮なく放って来る。それが訓練になるのだが。久方振りに見たそれは、随分と数が増えている。ぐるりと太刀を回す。来い。合図であった。

 

『行きますよ』

 

 16人の緒川が言葉を発する。瞬間、四方八方から銃弾が放たれる。斬撃。その全てを剣気の中に入れ、叩き落していく。凄まじい数の射撃。壁で阻み削ぎ落とす。緒川。前後左右、いたる所から打ち続ける。ただ打ち落とすだけではこの鍛錬はあっさりと終わってしまう。射撃の中には影縫いも混ざっている。影を縫われてしまえば動けなくなるため滅多打ちにされるのは火を見るよりも明らかだった。笑う。全て斬り裂いていた。

 

「あなたを驚かせられる程度には腕を上げたつもりだったのですが」

「充分に驚いてはいるさ。同じく俺も腕を上げただけにすぎんよ。流石に16人とは思わなかった。随分と腕が上がっている」

「あの状況で人数を数えられるあなたには負けますよ」

 

 懐かしい鍛錬であった。ただの分身では無い。全てが実体を持っているかのような分身である。単純な話16人分の動きをしたという事になる。実際にそう言う事では無いのだろうが、忍術と言うのは奥が深い。まるで理屈が解らないからだ。以前似たような事を言うと、あなたの剣術も似たようなものですよと苦笑されたのを思い出す。隣の芝は青いという事である。

 

「彼女等も頑張っている。鍛錬でも無様な事は出来んよ」

「では、久々にいろいろ試してみましょうか。連携なども含めてね」

「武刃縫いか。そのうち風鳴のにでも披露しようか」

「司令には通用しませんでしたが、翼さんには通用するはずですからね」

「先達の技量を知ってもらうにも良い訓練になるか」

 

 跳躍と反発を繰り返し、地上に降りずに斬り合う訓練。放たれる銃弾を近距離で弾き飛ばす訓練。手裏剣を遠当てで射貫き続ける訓練など、以前は良く行っていた訓練を一通りこなす。連携技を風鳴のに披露してみようかと思い当たる。少しばかり趣の違う技もまた、良い刺激になるだろう。そんな事を先達二人で考えていた。

 

「何か凄まじい寒気がしたのだが」

 

 訓練中、響がそんな風鳴のの呟きを聞いたと後に聞いた。第六感は順調に育っているようだ。

 

 

 

 

 

 

「ノイズの反応を検知。米軍の哨戒艦隊より、援軍の要請」

「ノイズ。つまりF.I.S.と言う事か。この海域から近い。急行するぞ」

 

 通信士の友里がノイズの反応を検知すると同時に、米軍からの援護要請が届いた。潜水艦にある二課仮設本部。その中でけたたましいやり取りが交わされる。米軍艦隊へのノイズ襲撃。その要請は即座に二課は動いていた。

 

「応援の準備に当たります。行けるな、雪音」

「誰に言ってんだよ。何時でも行ける」

 

 装者の二人が迫る戦いに意識を向ける。

 

「私も出られます」

「バカ。何言ってんだよ! 死ぬ気なのかよ。お前は留守番をしてなきゃいけねーだろ。誰があの子を迎えるんだ。お前は、お前まで居なくなったらいけねーんだよ」

「でも……」

「良いから任せとけよ。あたし達で何とかするから」

 

 自分も出られると意志を示す響に、クリスは剣幕を強める。響の体は聖遺物の浸食によって侵されている。戦う為にギアを用いればその深度は進んでしまい、命に関わる程の問題であった。雪音クリスにとって、立花響は大切な友達である。何も信じられなかった自分に手を差し伸べてくれた存在だった。何よりも無くしたくない人の一人だと言えた。その思いが通じたのか、響は戦う意思を納める。

 

「此処に居ろよ。此処がお前の居場所なんだから、な」

「クリスちゃん……」

「頼んだからな」

 

 そのままクリスは響の肩を両手で軽く叩き、頼むように呟く。そして、先に準備に向かった翼を追い扉に向かう。

 

「響、言い返してやれ」

 

 クリスと響のやり取りを目を閉じ聞いていたユキは、一言呟く。右手には太刀。左手には小手。戦う為の準備だけは完了している。目を閉じ、心を落ち着けたままの呟き。指令室に響いていた。

 

「此処はクリスちゃんの居場所でもあるんだよ! クリスちゃんが、帰って来るべき場所でもあるんだよ!」

「……ッ」

 

 一度クリスの背が震える。解ってるよ。そう答える時間も惜しいのか、立ち止まった足を再び動かす。扉の閉まる音だけが広がる。

 

「クリスちゃん。思い詰めてました。きっと、私なんかじゃ思いもよらないくらい」

「だろうな。米軍艦隊。戦う為の軍人とは言え、一方的な戦いになる。考えただけでも辛いのだろう」

「クリスちゃん……」

 

 響の言葉にユキはただ頷く。ユキとて人間である。海上での戦いでは行える事に限界がある。その上大量のノイズの出現である。水中で狙い撃ちにされればひとたまりも無いだろう。状況が動くまでは待機の命令が下るのも当然だと言えた。ユキは必要がなければ自分からはあまり話しかけない質である。心配そうな響の言葉に一度目を開くも、再び瞑目し、壁に背を預ける。できる事が無い。それで揺れる心を静めていた。反応に近付く。やがて、艦が揺れた。装者が乗り込んだ格納弾が放たれる。想定の出現地点。F.I.S.のイガリマの反応が出ていた。装者接敵します。藤尭の言葉だけが指令室に木霊する。

 

『くぅ……調! あたしたちの邪魔をするなデス!』

『早いが、遅いぞ!』

 

 風鳴のがイガリマの装者である暁切歌に襲い掛かった。大鎌での一撃を往なし、刃を突き付け動きを封殺する。切歌の動きが悪い訳では無い。むしろ良いとすら言える。それでも届かないのは、風鳴翼の剣の冴えがそれ以上であったからだ。翼は武門と刃を競っていた。その成果が出ていた。

 

『おい、ウェルの奴は一緒じゃないのか。ソロモンの杖を悪用するあの男は、何処に居やがる』

『あう……』

『答えろ。あの男は何処にいるんだ』

 

 クリスはその場にいたもう一人の装者、月読調を拘束し問い詰める。

 調はF.I.S.の方針を無視し米軍の援護に回った為、救援を装った切歌により連れ戻す為にギアの適合係数を抑制する薬物、アンチリンカーを打たれていた。月読調は生身では一般人と変わらない。武門や忍者とは違い、シンフォギアを纏った装者にとっては拘束するのに大した手間はかからなかった。羽交い絞めをしながら問い詰めるクリスに苦し気な吐息を零す。

 

『僕ならばここに居ますよ』

『……ッ! 上か!?』

 

 戦場に嘲るような声が響き渡る。装者達が舞い降りた戦艦のはるか上空。F.I.S.の所有する大型輸送機が姿を現していた。扉が開き、ウェルが挑発するかのように姿を現す。戦場。英雄を名乗る男の声が木霊する。

 

『どうやら、形勢が大きく傾いてしまったようですね。ならば、それは修正しなければならない。できるだけ劇的に。できるだけ、ロマンティックに!!』

 

 ウェル博士の笑い声。宣言と共に響き渡った。輸送機から、紫の輝きが舞い降りる。全員がその輝きに目を奪われていた。

 

「まさか、あれは……」

「嘘、だろ……?」

 

 それはシンフォギアの放つ輝き。二課の者達が見慣れた輝きであり、決してある筈の無い輝きであった。二人の装者の呆然とした声。通信機から、指令室に居る人間へと届く。拡大される映像。殆どの人間が息を呑んだ。

 

「未、来……?」

 

 掠れた声。立花響の口から零れ落ちる。小日向未来。立花響の親友が、全身にギアを纏い戦艦の上へと舞い降りて来ていた。響は元より、クリスや翼とも未来は親交がある。彼女は戦える人間では無い事を知っていた。ましてや、シンフォギアの適合などできない筈の人間だった。それが今、ギアを纏って戦場に現れていた。全員の驚きは仕方が無いものである。

 

「司令、童子切の許可は?」

「まだだ」

 

 眉一つ動かさない者と、驚きを現しつつも冷静に対処するもの。二人の人間の声が指令室内に響く。ユキが童子切の使用について尋ねていた。まだ許可は下りていない。遠征先での使用には、また別の許可が必要だった。思うに任せない状況ではあるが、ユキは事実にただ頷く。すぐ傍には感情を乱しに乱している後進がいる。先達であるユキは揺らぐ姿など見せる訳にはいかなかった。

 

『行方不明となっていた小日向未来の無事を確認。ですが、あれは……』

『無事だと……? あの姿を見て、無事だと言うのか? 戦う事なんて出来そうになかったあの子が、あんな姿にされているのを見ながら、無事だと言うのか!?』

『私とて本心から言っている訳では無い!』

『解ってるよ! 解ってるけどよ……。だったらあたしはあいつにどんな顔をしたら良いんだよ。なんて言えば良いんだよ。あの子はあいつの親友なんだぞ!』

 

 戦場でその姿を間近に見た二人の装者は感情を荒げさせる。友達だった。翼からすれば響と共に学生らしい生活を教えてくれた人であり、クリスからすれば先の事件でボロボロになった時助けてくれた人である。二人とも響の親友と、浅くは無い接点を持っていた。その為、その衝撃も仕方が無いと言えた。

 

「ユキさん……」

 

 響きがユキの袖を握る。ユキはただ映し出されている映像を見詰めている。瞳。感情の揺れは見れない。

 

『何処かの間抜けが見捨てた女の子がいました。伸ばした手を掴んでもらえなかった可哀そうな女の子ですよ。その子にはどうしても叶えたい願いがあった。友達がこれ以上戦わなくても良い世界を作りたい。そんな尊い想い。叶えるための手助けを少しだけ行いました。神獣鏡のシンフォギアに適合させてあげる事でね! そして、その為に力を貸してくれる事になったのですよ!』

 

 ウェル博士は、戦場に立つ装者達に聞こえるように音声を拡散させる。挑発。目に見えるほど露骨なそれを以て、言葉の刃を解き放つ。小日向未来の守りたいもの。彼女を知るものからすれば、それは考えるまでも無く思い当たる。立花響。その身を聖遺物に侵された少女だった。響が戦わなくて良い世界を作る為。そんな言葉に動かされてしまったという事だった。誰よりも親友思いである小日向未来の気持ち。少女の純粋な願いを、博士によっていびつな形で利用されてしまっていた。愛。小日向未来の持つソレを、尋常ではない使われ方をしていた。

 

「間抜けか。確かにそうだ」

「違います! ユキさんは」

「大丈夫だ。折れはせぬよ。ただ、不甲斐無い己を戒めるだけだ」

 

 違うと否定する響の言葉を、ユキは遮る。対峙した時に確保する事が出来れば小日向未来が装者となる事は無かった。それだけは、揺るがせない事実であった。庇おうとする響に問題ないとユキは伝える。戦場である。どれだけ非道な行いをされようと、ユキが揺らぐ事は無い。だが、何も感じない訳でも無い。ただ、蓄積されるだけである。思いは積み重なる。ただ、現実だけを見据えていた。

 

『その子の手さえ取れていれば、あなた方と相対する事は無かったはずですよ』

『ふざけんな! お前たちが行った事を誰かの所為にしてるんじゃねーよ!』

 

 あなた達がしっかりしていれば防げた問題ですよと嗤う博士にクリスは激昂する。未来を連れ去りそそのかし、無理矢理装者へと変貌させた。彼女等からすればそうでしかないし、実際にその通りである。その怒りも仕方が無いだろう。だからこそ、博士は煽る様に笑う。言い返すクリスは元より、翼や響、通信士である藤尭や友里すら怒りに拳を握る。

 

『女の子に言い返させて、自分は引きこもっている。あの男は出てこないのですか?』

『貴様の相手程度、私達だけで充分と言う事だ』

『成程。いや、凄いですねぇ。女の子を命がけで戦わせておいて、自分は引きこもっている。随分いい身分ではありませんか』

『てめえにだけは言われたくねーよ。何時も何時も後ろで見ているだけじゃねーか!』

『僕は良いのですよ。裏方担当ですからね』

 

 出てこい。そんな思惑が透けて見えるほどの挑発。翼とクリスは怒りのままに言い返す。何時も守ってくれていた先達を馬鹿にされ、二人の言葉には力が籠る。よりにもよって、博士に此処まで馬鹿にされていた。挑発と分かっていて尚、許す事は出来そうにない。

 

「出て行ったらだめですよ」

「解っている。つまらない挑発だよ。――さて、どうしてやろうか」

 

 小さく笑うユキの手を響が取る。出て行きかねないと思い、繋ぎとめる気であった。その筈なのだが、平然としている。それが、少しだけ不思議であった。

 

『うあああああああああ!!』

 

 小日向未来が咆哮を上げる。神獣鏡のシンフォギアがその力を稼働させ始める。浮き上がり、艦体を滑るように走り始めた。

 

『なんであの子があんなのを纏ってるんだよ』

『あの装者は、リンカーによって無理やり仕立てられた消耗品。私たち以上に急ごしらえで作られてる分、壊れやすい。戦わせたらいけない。取り返しの付かない事になる』

『なっ!? そんなことやらせる訳にはいかねーだろ。だったらあたしが!』

 

 調の話を聞いたクリスは、調を手放しイチイバルを構えた。小日向未来を迎え撃つ。胸に走る痛みを見ないふりをして、アームドギアを形成する。ガトリング。両手に形成し、未来に狙いを定めた。発砲。重火器が唸りを上げる。

 

「緒川、行けるか」

「はい。人命救助ですね」

 

 司令が緒川に短く指示を出す。米軍の兵士たちの救援は元より、生身のまま放り出されている月読調の確保も含まれている。忍びは即座に姿を消す。場が動いていた。

 

『やり辛れぇ。例え助けるためとはいえ、あの子に銃を向けるなんて……』

「クリスちゃん、未来……。ごめん、ごめんね」 

 

 クリスの口から洩れる呟きに、響は涙を浮かべる。大切な友達が、大切な友達を止める為に力を振るう。ぶつかり合わなくて良い二人がぶつかり合い、それを自分は見ているしかできない。少女が抱える辛さは傍に居る者達には痛いほどわかった。発する言葉も無く、ただ映し出される映像を見詰めていた。魔弓が弾丸をばら撒き、神獣鏡が海上を駆け抜ける。二人の装者がぶつかり合う。本物の力を持つクリスと、偽りの力を埋め込まれギアに搭載された行動パターンで迎え撃つ未来。彼我の実力差は明確だった。魔弓が圧倒する。弾丸が小日向未来を引き飛ばした。無力化した未来にクリスは駆け寄る。

 

「未来……」

 

 潜水艦が浮上する。響の不安そうな言葉が指令室に響く。司令が響の頭に触れる。心配するな。伝わる手の熱が、響を少しだけ落ち着ける。

 

『女の子は大切に扱ってくださいね。無理やり引き剥がせば、接続された端末が脳を傷付けかねませんよ』

『なッ!?』

『驚かないでくださいよ。あなた達だって、折角確保した友人が廃人となったら嫌だろうから教えてあげたのですよ』

『……ッ! お前は何処までッ!』

 

 ギアに触れようとしたクリスの腕が止まる。電子音声。ウェル博士の笑いが聞こえて来る。唇を噛む。手を出すに出せなかった。意識が未来から逸れる。武器。手にした扇の様なアームドギアが大きく開く。咄嗟に飛んだ。

 

『避けろ雪音!』

『んな。まだそんなちょせぇの!!』

 

 反射。戦いで研ぎ澄まされた感覚が強襲に反応していた。飛び退る。着地。月読調のすぐ前に追い込まれていた。神獣鏡。未来の周りに展開され、高められる力が唸りを上げる。発光。淡い紫色の光を放ち、力が収束する。

月読調、動く事が出来ない。

 

『だったら、リフレクターで!!』

 

 迎え撃つクリスは、リフレクターを展開する。イチイバルに搭載されたリフレクター。それは、カディンギルの一撃すら逸らす事が出来るものだった。動けない調を守る為、クリスは守りの一手を取る。歌が響き渡る。響をこれ以上戦わせたくないと纏った神獣鏡が奏でさせる、友愛の歌。神獣鏡の力が最高峰まで高まる。静寂。放出される本流が無を打ち抜いた。紫が赤に直撃する。

 

『くぅぅッ!』

 

 奔流が赤に襲い掛かる。イチイバルのリフレクター。神獣鏡から放たれる星の奔流を二つに割く。リフレクター、輝きを増す。行ける。クリスが放たれる力を計りそんな事を思う。

 

『調、直ぐにそこから動くんデス! 消し去られる前に!!』

『なに……。どう言う事だ!?』

『神獣鏡のシンフォギア。その本質は魔を退ける輝く光の奔流。飲み込むすべてを消し去ってしまう』

 

 切歌が叫ぶ。神獣鏡から放たれる光。その力は、聖遺物の力を消滅させる。イチイバルのリフレクターとは言え、長時間の衝突を行えば持つはずがない。聖遺物の力そのものを消す光だった。

 

『押されてる……? 何でだよ、分解されていく……?』

 

 長時間のぶつかり合い。少しずつイチイバルのリフレクターが削り取られていく。それでもクリスは動く事が出来ない。そのすぐ背後には、動けない調が座り込んでいる。一つ、また一つとリフレクターが消滅していく。歯を食いしばる。ただ耐え続けた。

 

『私の剣は、守る為に磨き上げた!!』

 

 天空より剣が舞い降りる。巨大化させた天羽々斬。逆鱗。雪音クリスと光の奔流を遮るように舞い降りる。閃光。青が赤と少女を担ぎ上げ、凄まじい速さで離脱する。光が逆鱗を抜く。剣が舞い降りる。駆け抜ける翼を追うように、光の奔流は全てを消し去っていく。

 

『此処まで来てどん詰まりッ!?』

『口を開くな、舌を噛む!!』

 

 遮るように舞い降りた巨大な剣。正面に降り立った。機動。その刃に乗る事で勢いを殺さず宙に抜けた。風。光が駆け抜けた。流星。全てを貫き、吹き飛ばした。

 

『切ちゃん! ドクターのやり方では弱い人を救えない』

 

 再び地に降りた翼の手から離れ、調は切歌に言葉を投げかける。ウェルのやり方では、本当に救いたかったものを救う事が出来ない。調は切歌に胸の思いを打ち明ける。

 

『そうですね。確かにそうかもしれません。迫る脅威に対して僕たちの持つ力は余りにも無力!』

 

 その言葉に答えたのは、ウェル博士本人であった。輸送機の入口に立ち、ソロモンの杖を掲げ、言葉を放つ。

 

『頼みの綱であるシンフォギアや聖遺物に関する研究データもこちらの専有物ではありませんからね。アドバンテージがあるとするならば、蹂躙する為の力。人が人を殺す為に作られた力。このソロモンの杖以外ありませんからね!!』

『……ッ!? 人が人を殺す為だけの力……』

 

 博士の笑いと共に、ソロモンの杖より大量のノイズが出現する。人を殺す為だけの力。その言葉が、クリスの胸を深く穿つ。それを呼び覚ましてしまったのは自分である。用いるのは博士だったとしても、その力を与えてしまったのは雪音クリスの咎であった。少女の胸を、言葉の悪意だけが切り刻む。涙が零れ落ちる。ソロモンの杖は、取り返さなければいけない。どんな手を使っても。何があったとしても。そんな決意が胸に宿る。ソロモンの杖を解き放ってしまった少女が、思い詰めてしまうのは仕方が無いと言えた。仲間はいた。だが、戦場では一人だった。

 

『ノイズの殲滅はクリス君に任せろ!』

 

 司令の指示が飛ぶ。再び切歌と翼は刃を交えた。動けない調は確保しなければならない。振り切れはするが、動く訳にはいかない翼は切歌を抑える為に向かいうつ。不意に海面が沸き上がった。緒川慎次。海面より現れる。

 

『人命救助は僕たちが行います。翼さんは未来さんを止めてください!』

『緒川さん……。頼みます』

 

 動けない調を確保し、緒川は海面を走り離脱する。憂慮する事が消えた。翼が自由を得る。切歌が立ち塞がる。

 

『お前は何を望む!』

『あたしが居なくなったとしても、調には、調だけにはあたしが生きた事を忘れて欲しくないのデス!』

 

 二人がぶつかり合う。守るべきものがあり、譲れない物があった。それが二人に刃を向けさせる。

 

『神獣鏡。未来ちゃんの纏うギアには、聖遺物由来の力を分解する特性が見られます!』

 

 藤尭の声が届く。神獣鏡の力、聖遺物由来の力を分解する能力を有していた。

 

「……師匠!」

「どうした?」

「未来の助け方が解りました」

 

 聖遺物由来の力を分解する。その言葉が、響の中である結論を導いていた。師に向かい、弟子は言葉を重ねる。

 

「神獣鏡の力が聖遺物の力を消し去ると言うのなら、それにぶつかれば良いんです!」

「神獣鏡の力を利用する、だと!?」

「クリスちゃんも翼さんも動けません。私がやります。やって見せます」

「だが、君の体は聖遺物に侵されている!」

 

 響の言葉に、司令は難色を示す。幾らか余裕はあるとは言え、シンフォギアの使用は響の寿命を確実に縮める。これまで戦わせてきた。そんな少女が死ぬ事など、認める訳にはいかない。

 

「未来は私を助ける為にあんな姿にされたんです。私が助けなければいけないんです。死んでも助けます!」

「死ぬのは許さん」

「なら、死んでも生きて帰ってきます。それは、絶対に絶対なんです。未来だけは、私が助けるんです!」

「ぬう……」

 

 弟子の剣幕に師は押される。守りたいんだ。そんな意思が響の瞳から感じられるからだ。これは動かす事が出来ない。目を見れば否でも解ってしまう。

 

「これまでの観測記録と現在の浸食震度から割り出した響ちゃんの戦闘可能限界は五分です」

「例え微力だとしても、私たちも響ちゃんを支えます。それならばきっと未来ちゃんも……」

「君が君のまま戦える時間は限られている。勝算はあるのか?」

「思い付きを数字で語れるかよ!!」

 

 響の言葉に面食らった。それは、かつてデュランダルが輸送された際に風鳴弦十郎自らが言い放った言葉だった。師の言葉を覚えていた弟子に言い負かされる。

 

「くく、これは司令の負けですよ」

 

 それまで黙り込んでいたユキが不意に笑った。あの風鳴弦十郎を言い負かしていた。それが痛快でたまらないのだ。親友を守りたい。そんな思いもまた、ユキには心地良く思えた。響と視線が交錯する。

 

「ユキさんも反対ですか?」

「俺は子供が戦う事にはすべて反対だよ。だが、存分にやると良い。小日向を救い出すものがいるとすれば、君以外にはいないだろう」

「……ユキさん」

「親友なのだろう? ならば、必ず助けだせ。生かす事を諦めるな」

「はい!!」

 

 先達はただ背を押す。強く成長し続ける後進を止める事などする気にならなかった。

 

「ユキさんはやっぱり……」

 

 私の一番言って欲しい言葉をくれる。そんな言葉を胸の内だけで零す。覚悟は決まった。仲間たちはみんな応援してくれている。できない事なんか何もない。そんな強い意志が胸に宿っていた。

 

『未来』

『響」

 

 艦体に降り立った響は未来が来るのを待ち続けた。やがて、響を捕捉した未来が近付いてくる。声をかけた。親友である。友を呼ぶ、少女の優しい声音だった。

 

『一緒に帰ろう』

『帰れないよ』

 

 手を伸ばす響に未来は小さく首を振る。まだ帰る訳にはいかない。自分に逸らなければいけない事がある。それが、小日向未来を戦場に留まらせる。

 

『このギアが放つ輝きはね。新しい世界を照らし出すんだって。その世界では、皆が笑って居られて、誰も戦わなくても良いの。響が辛い思いをしなくて良いんだよ』

『誰も戦わなくて良い世界。未来は私の為に……』

『響はこのままだと死んじゃうんだよ。私は響を戦わせたくないの』

『でも未来。こんな方法で作った世界は温かいのかな。私の一番暖かい世界は、未来が居てくれる世界だよ』

『それでも、私は響を失いたくないの。大好きな響に死んでほしくないの』

『そっか。ありがとう。私も未来の事が大好きだよ。でも、未来にはこんな事して欲しくないの。誰かを犠牲にしてまで、助けてもらいたくない。だから、私は戦うよ』

 

 二人の少女が胸の内を吐露する。思い合っている。だからこそ、ぶつかり合わねばならない。親友が無理やり戦わせられている。例え自分の意志が介在していようとも、そんな事を認められる訳がなかった。

 

『Balwisyall――』

 

 聖詠を口遊む。光。響を優しく包み込んだ。生きる事を諦めるな。受け継いだ言葉を思い出す。私は絶対に死なない。そんな意思が瞳に宿る。生かす事を諦めない。未来を必ず助け出す。そんな意思が胸に宿る。負けられない。この戦いだけは、負ける訳にはいかない。少女の胸に、瞳に、強い意志が宿っていた。撃槍。その身に願い叶える力を纏う。シンフォギア。それが立花響の持つ希望だった。戦いたい訳では無い。だけど、戦わなければ取り戻せない陽だまりだった。思いを、願いを拳に込め、響は未来と向かい合う。

 

『絶対に助ける。これは、絶対に絶対。私がやらなきゃいけない事なんだ!!』

 

 仕掛けたのは響であった。静かに見つめ返す未来の下へ一気に飛ぶ。彼我の距離が埋まる。拳が振り抜かれた。

 

『響ちゃんの活動限界時間、測定開始』

『クリスちゃん、翼さん共にノイズと応戦中。横槍が入る事はあり得ません。響ちゃん、思いっきりやって良いからね』

 

 藤尭の声が通信機より零れる。友里が周囲の状況を伝えてくれる。皆が支えてくれている。だから私は未来を助けるんだ。振るわれる拳には少女の想いが宿る。大切な陽だまりだった。立花響にとって最も暖かな存在。それが小日向未来である。助け出さないという選択肢は、あり得ない。響は歌う。友愛の歌を。シンフォギアの持つ力は歌により引き出される。親友を思う心に、ギアが答えてくれている。撃槍が神獣鏡にぶつかり合う。圧倒。繰り出される手数の前に、未来は何とかアームドギアを用いて合わせる事しかできない。加速。推進装置を用い、放たれる閃光を躱し、響は攻め続ける。未来にこんな事を行わせているのはいったい誰なんだ! そんな強い思いが胸に宿る。

 

『胸に抱える爆弾は本物だ。作戦時間の超過は確実な死である事を忘れるな!』

『私は死にません! 未来を助け出して、絶対に一緒に生きて帰るんです!!』

 

 死を警告する言葉。それを胸に刻みつけて尚、響は未来を救い出すために加速する。拳を打ち、閃光を躱し、想いを伝え、未来に向かう。神獣鏡が展開される。複数の閃光が乱れ撃たれる。光の渦。辺りを埋め尽くすほどの勢いを以て、立花響を迎え撃つ。加速、反発。全身に掛かる圧力を力に変え、響は何処までも強くなることを止めない。

 

『残り時間三分半。これならば!』

『私は、未来を助けるんだ!!』

 

 警告の言葉が飛ぶ。それでもなお、響は加速を止めない。放たれる紫の閃光。己を橙色の閃光と化し、その全てを掻い潜り肉薄する。

 

『未来ー!!』

 

 手を伸ばし、叫んだ。小日向未来の瞳が見開かれる。手が届く。

 

『残念ながら、そう簡単にはいかないのですよ』

 

 その瞬間、博士の言葉が戦場を駆け抜けた。

 

試作型英雄の剣Ⅱ(プロトソードギア)。抜剣!!』

 

 ――血脈に宿る刃(ブラッドスレイヴ)

 

『な……!?』

 

 銀閃。それが最短で、真っすぐに、一直線で未来へと手を伸ばした少女を叩き斬った。神獣鏡のシンフォギア。かつて見た光を放っている。右腕から胸へと一閃。斬られていた。

 

『なんで……?』

『ふふふ、くくく、ふははっはっははは!! 英雄と呼ばれる者は、遅れてやってくるのですよ!! 化け物じみたあんたの力をこの僕が忘れると思っていたんですか? あれだけの恥をかかされたんです。ただ仕返しするだけでは気が収まらない。これ以上ない切実な時、これ以上ないほどの絶望を与えてやる。そう思っていたのですよ!!』

『未、来……』

『響!? いや、いやあああああああああ!!』

 

 少女の体から血が流れ落ちる。小日向未来が、その手により形成された剣で以て、親友を斬り裂いていた。気付けば、数本の剣が宙に展開されている。動く身体。知らない武装。ほんの僅かに体が動く事に抗う事しか、未来にできる事など無かった。そのおかげで、響は二つに両断される事は無かった。だが、決して負った傷は浅いとは言えない。傷口を両手で押さえる。苦し気な響の表情。未来の絶叫が戦場に響き渡る。

 

『ひひひ、ふははっははははあ!! これが英雄の剣の力だ!! 例え刃を手折ろうと、英雄の剣は再び強く、進化を遂げて舞い戻る!! これぞ剣聖の剣!! そしてそれをシンフォギアに接続し、無理やり形成させる僕のリンカーも最高だぁ!! 友を救いたい。その一念でギアを纏った少女ならば、不可能を可能とする。天才の見立てには、間違いなどありはしないのだ!!』

『あ、ああ……。私が、私が響を……』

 

 未来の瞳から涙が零れ落ちた。血涙。何よりも守りたかった友達を斬らされた。その事実に、心が折れそうになる。

 

『だ、いじょうぶ。私は、大丈夫だから……』

 

 体から血を流し、それでも響は未来に笑いかける。あの人は何時も血を流し助けてくれた。自分も大切な人を助ける為ならば、血を流したぐらいでは止まれない。諦める事なんかできる訳がない。意志の力で繋ぎ止める。だが、

 

『あ、ぐ、ぎ、駄目、私は未来を、助けるんだ……』

 

 傷口を中心に黒が浸食を開始する。右腕。そして胸。じわじわと黒いものが響を侵食している。飲まれてはいけない。強く思い続ける。今暴走したら未来を助けられない。自分も死んでしまう。それが何よりも怖かった。

 

『さぁ、英雄と呼ばれた少女の最期の時ですよ!! せめてもの情けです。偽りの英雄を、級友の腕の中で眠らせてあげましょう!!』

 

 博士の言葉だけが響き渡る。悪意が全てを斬り裂いていた。

 

「こんなものが、英雄の剣だと? これが、あの男の言う、英雄の在り方なのか。こんな剣が、こんなものが剣聖の剣だと言うのか?」

 

 ただ一つだけ斬り裂いてはいけないものを斬っていた。剣聖の剣。その言葉は、武門に属する者の斬ってはならぬ線を何の躊躇も無く引き裂いていた。

 

「……司令、手を借りたい。やるべき事が出来た」

 

 指令室で静かな声が響き渡る。少女が涙を流しながら振るう剣。そんな物が剣聖の剣である筈がない。あってはならない。

 

「何をする気だ?」

「盆暗の剣を叩き折る」

 

 静と動の気が交じり合っている。剣聖と呼ばれた者の血脈。それを色濃く受け継いだ男は、静かな怒りを湛えていた。剣聖の剣を、剣聖と呼ばれた者の末裔が見据えていた。響の活動限界まで、残り三分。

 

 

 

 




クリスちゃん、フラグを立てる
忍者、本気を出す
未来、響を斬り裂く
ウェル博士、英雄の剣を開放する(二回目)
武門、盆暗の剣を叩き折る事を決める


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14.相愛の撃槍

「駄目、このままじゃ……」

 

 響の胸の傷を黒が覆い隠す。鋭すぎるほど発していた体の熱が、それで幾らか収まるが響は悪感を感じていた。自分が自分でなくなっていく感覚。それが、少女の胸を襲う。怖い。怖くて仕方が無い。必死で気持ちを強く持つ。負けちゃ駄目だ。此処で負けたら、自分も未来も死んでしまう。この恐怖に飲み込まれてはいけない。強く、強く言い聞かせる。

 

「ひびき! ひびきぃ!」

 

 飛翔剣が放たれる。親友の声が耳に届く。血涙を流し、ギアを纏う少女。小日向未来。響を助けたいと願い、ギアにまで適応した少女が涙を零し叫びをあげる。大切な人だった。その大切な人が泣き崩れている。響の胸に、恐怖以外の感情が沸き上がる。どうして未来が泣いているんだ。なんであんなに優しい子が泣かなければいけないんだ。そんな疑問が胸中に渦巻く。誰が、誰の所為で未来は泣いているんだ。視線。笑っている人間が目に入る。ウェル博士。輸送機の上から、狂ったような笑いを上げている。お前か。そんな言葉が胸に宿る。ぞわりと悪感。右手に黒き槍が浮かんでいた。その姿に、一瞬で理性が冷え込む。唇を強く噛んだ。あの人と、必ず未来を助け出すと約束していた。こんな思いに負ける訳にはいかない。吹き飛びそうな悪感に耐え続ける。

 

「負けちゃ駄目だ。負けたら、未来を失う……。飲み込まれたら、全部終わっちゃう」

「抑えるな。怒りは解き放て」

 

 暴走してしまえばそれで終わりだ。響が自分に強く言い聞かせている時、予想だにしない言葉が飛び込んでくる。普段の落ち着いた声音とは違う、鋭すぎる声。目を見開いた。潜水艦の入口。吹き飛ぶように開いた。人間。上泉之景と風鳴弦十郎が現れる。ユキさん。斬られ落ちる響は思いもよらぬ声を聞いた。撃槍により与えられた推進装置。再び起動する。加速。落ちるのを無理やり立て直す。閃光。そして響を追うように飛翔する剣。響を狙うように舞い踊る。未来の絶叫。それがどこか遠い。死角から放たれる剣。往なしていた。体が勝手に動いていく感覚。気付けば、体の半分近くが黒く染まっている。それでも、気にせず言葉に耳を傾ける。

 

「でも、これに飲み込まれたら未来を……」

「ならばお前は怒らないと言うのか。親友を攫われ、侵され、無理やり戦う人形に仕立てられて尚、何の怒りも沸かないと言うのか。友を奪われ汚されておきながら、何も感じないとでも言うのか!!」

 

 戦場全体を貫くような圧力。ユキの双眸から放たれる怒りの色は、矛先が向いている訳では無い響をして、背筋に別の悪感が走る程だ。この瞳に本気で射竦められる。その恐怖に比べれば、暴走する恐怖など響にとっては大したものに思えなかった。それでもなお、響は怖いと思わなかった。怒っている。あの上泉之景が本気で怒っている。自分と未来(わたしたち)の為に本気で怒りを露にしてくれている。怖いなどと思う筈がない。それどころか、胸に暖かな気持ちが生まれるほどである。ユキさん、怒ってくれている。その事実が、響にとってはただただ嬉しくて仕方が無い。胸の内にあった恐れ、気付けば薄れている。

 

「でも、暴走してしまったら……」

「怒りは武器を鈍らせる事もある。だがな、怒りは人を強くもする。君は、何を思う。ウェル博士が君の友に下した所業を笑って許せると言うのか?」

「未来にした事……。そうだ。未来は泣いてた。響って、何度も名前を呼んでた!」

「君の友は、自らの手で君を斬り裂いた事に涙を流していた。血の涙を流していた。それを、許せると言うのか」

 

 ユキはただ響に問う。親友が良いように使われ、侵され、消耗品の様に捨てられようとしている。それを許して良いのか。ただ見ていると言うのか。

 

「未来を泣かした。私の陽だまりに、雨が降り続いてる……」

「怒る事を恐れるな。確かに怒りは心を乱し隙を生む。それでもなお、人には怒らねばならぬ時がある。許してはならぬ事がある。汚してはならぬ思いがある。守るべき、矜持がある筈だ!!」

 

 悪意の刃で斬られた響の心に言葉が入り込む。纏う黒が熱を放つ。熱い。だけど、先ほどの様な怖さは無い。怒り。響の胸に生じたもう一つの想い。未来を泣かせた相手を許せない。許したくない。そんな強い衝動だった。抑えなければいけない。そう思い無理やり握りつぶそうとした。その衝動を、信頼する人から抑えなくて良いと伝えられていた。気持ちがふっと楽になる。

 

「その怒りは槍だ。君の願いを実現するための力だ。君が受け継いだ、撃槍だ。恐れるな。君は暴れなどしない。君の受け継いだ力は撃槍であり、君の想いは友を取り戻したいという願いなのだから」

「私は……未来を救うんだ!!」

 

 黒く塗り潰された右腕。それを見詰め、小日向未来を見つめる。涙。血の色をしたそれを流し、響の名を叫んでいる。両手。神獣鏡から生成された英雄の剣。そして、未来を守る様に展開される六本の飛翔剣。胸の内に思いが生まれる。未来をあんな姿にしたのは何だ。優しかった私の陽だまりに雨を降らしたのはなんだ! その思いに身を委ねる。恐怖。ネフィリムに斬られた事が脳裏を過る。ほんの一瞬、竦んでしまう。

 

「恐れるな。君は負けはしない。それでも怖いと言うのならばこう言おう。君が暴れようと何度でも止めてやる。だから、胸の内の思いを恐れるな。友を救うための怒りを、解き放て」

「ユキさん」

 

 ユキはただ響の背を押した。暴れ回るようなら自分が何とかしてやる。その言葉に、響は自分を覆っていた恐怖がなくなるのを感じた。ユキは何度も自分に手を貸してくれた。守ってくれた。血を流してまで、止めてくれた。言葉があり、流された血があった。この人は、いつも私に手を差し伸べてくれる。涙が一筋零れた。

 

「行け響。友を救え。道は俺が切り拓く」

「私は……負けない。こんな所で絶対に死なない! 未来を絶対に助けて見せる!!」

 

 声が胸に届いた。響はただ、胸の内に湧き上がる衝動に身を委ねる。全身が黒を纏う。だけど、何も怖くなかった。思うのは未来を泣かせた人が許せないという事であり、それ以上に未来を絶対に助け出すんだという強い願いだった。右手の槍が、黒に染まった力が、逆に頼もしく思える。これも私なんだ。そんな事に気付く。なら、力を貸して欲しい。未来を救うための力を。

 

「全く相変わらず煩い人ですね。あなた如きに何ができるというのですか。剣聖になれない半端者」

「そうだな。その鈍を圧し折ってやれるぞ。英雄志望の愚か者」

「何で天才の僕がこんな目に!」

 

 太刀が風を斬る。輸送機の入口に立っている眼鏡。同時に放たれた三つの遠当てに、顔面、胸、股間を打ち抜かれる。吹き飛び壁面に衝突しのた打ち回る。煩わしいのが黙り込んだ。ユキは呟く。太刀を回した。二人の装者を見据える。笑った。黒く染まっていた槍が、白い輝きを見せている。黒と白二つの色を持つ、撃槍だった。

 

「司令!!」

「任された!!」

 

 鋭い声。響を見ていたユキは風鳴弦十郎に声をかける。加速。響ですら追えない速さで低く飛んだ。

 

「なんとぉ、人間砲弾!!」

 

 風鳴弦十郎。その速さを見据え、膝立ちになり両手を組み足場を作る。瞬発、跳躍。風鳴弦十郎の力を借りて、上泉之景は空を飛ぶ。その速さは、神速と言うに相応しい。両手に構えた太刀。未来を見据え構える。

 

「おごごごご! こ、殺せ! その男を殺すんだ!!」

 

 股間を抑えたウェルが叫ぶ。飛翔剣。空を貫くように飛ぶ人間に向け放たれる。

 

「たわけが。付け焼刃では武人を斬れぬと心得よ」

「なぁ!? け、剣が僕の剣が!!」

 

 六本の剣。その全てがユキに触れる瞬間あり得ない音を響かせ砕け散る。一太刀で放たれる斬撃。その数は数十を超えている。数十を超える斬鉄の嵐。一振りで羽々斬すらも手折るその一撃を数十発叩き込まれていた。試作型の剣などが耐えられる威力では無い。空を駆る背中。響はただその背を追っていた。何時も前に出てくれる。守ってくれる。二度斬られていた剣が相手でも、何も怖くは無かった。だって、切り開いてくれる人は私にとっての英雄(ヒーロー)なんだから。

 

「っ!?」

「すまんな、来るのが遅れた」

 

 未来とユキの視線が交錯する。自動制御により放たれる刃。シンフォギアにより強化された未来ですら視認する事も出来ない速さで振るわれた剣聖の斬撃。無造作に振るわれる太刀に阻まれていた。偽りの意志で振るわれる刃など、武門の技には届きはしない。ましてや、小日向未来の意志など何も刃には宿っていない。英雄の剣など、上泉にとっては鈍以外の何物でも無かった。二の太刀。両手に生成された刃。それだけが綺麗に斬り裂かれる。三の太刀。神獣鏡のシンフォギアのペンダントとは違う物が未来の首に下げられていた。銀色の欠片。斬り落とす。宙を舞うソレを掴み取った。未来の纏っていた剣が消える。道が開いた。遅れてすまない。そう呟きユキは未来の視界から落ちる事で消える。ぐるりと身体を回した。黒を克服し、白と黒を纏った撃槍が既に迫っていた。

 

『残り三十秒!』

 

 藤尭の鋭い声が通信機から届く。

 

「まだだ。まだこんな所で終わらない!!」

 

 博士の叫び。未来のシンフォギアが加速する。後退。凄まじい速度で下がりながら、神獣鏡の持つ武装を展開、未来への負担も無視して閃光が放たれる。神獣鏡の力を宿した聖遺物殺しの光。無数の流星となり、響に向かい放たれる。既に未来の意志など関係ない。だが、それまでに高められていたフォニックゲインで充分な出力を有していた。輝きが響を狙う。F.I.S.の輸送機からシャトルマーカーが射出され、反射された閃光が死角からも追い詰める。全方位からの攻撃が響を狙っていた

 

「行け」

「私が、助けるんだ!!」

 

 落ちながら放たれた言葉。少女の背中を強く押す。黒白の撃槍。神獣鏡の光を浴びて尚、融解させながらも道を切り開く。あの人が道を切り開いてくれた。そんな思いが響の中で強い想いを生む。加速。浸食すらも加速する。響の体から聖遺物の欠片が浮かび上がる。短く声が零れる。それを、抑え込んだ。未来。目の前にいる。あと一歩。胸を聖遺物の欠片が内側から貫いた。

 

「ひびき!!」

「あ……ぅ……」

 

 余りの痛みに響の意識が吹き飛びかける。未来の叫び。それが、ギリギリのところで響の意識を繋ぎとめる。まだ終われない。だけど動けない。あと少しなんだ。だれか。そんな思いが過った時、何かに胸を打ち貫かれた。 

 

「全く無理をしてくれますね!」

「無理無茶無謀は俺たちの役目だ」

 

 海面から緒川が飛び出し、落ちるユキをもう一度吹き飛ばしていた。確信を持ち放たれる斬撃。思い返せば聖遺物など、ネフシュタンで飽きるほど斬り裂いていた。神獣鏡の光も間近で見ている。その時の感覚を甦らせ、響の胸の結晶を斬り裂いていた。胸の痛みが消える。呼吸が戻るより早く突っ込んでいた。

 

「この光が聖遺物を消し去ってしまうと言うのなら!!」

 

 加速が止まらない。拡散していた閃光が一つに収束されていた。まるで何かに導かれるように収束された光。巨大なそれに向かい響は飛び続ける。強大な光の奔流。眼前に迫った。

 

「こんなの脱いじゃえ!!」

 

 聖遺物の力を殺す閃光。その中に二人の装者は飲み込まれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やっぱり、あんたは凄いな」

 

 響たちとは幾らか離れた場所、大量に発生させられたノイズを相手をしていたクリスは収束する光に突っ込んでいった響と未来を見詰め呟いた。彼女の仲間を助ける為に、ユキは生身で空すらも飛んで見せた。響とぶつかり合っていた未来の纏う神獣鏡。それも英雄の剣を展開されたシンフォギアを前に稲妻のように撃ち砕き、響の為の道を切り開いていた。その姿を見ていたクリスは安堵と、幾らかの羨望を胸に抱きながらただ見つめている。

 

「あんたが居てくれれば、あたしが居なくても大丈夫だよな。皆を導いてくれる。守ってくれる……」

 

 戦場で拾った首飾りを見詰め、ぽつりぽつりと呟く。見た事も無かった家族が映っており、笑顔で写真が撮られてれていた。煤塗れの首飾り。ウェル博士の用いたソロモンの杖による犠牲者が身に着けていたものだった。何人もの人間がソロモンの杖の犠牲になっていた。一人で背負う事は無い。そう言って貰っていたが、それでも、実際に殺される人たちを何人も目にしてしまう。少女に耐えられる重さでは無かった。何よりも、拠り所にしていた人が、自分以上に大切にしている人を知ってしまった。

 立花響。何度となくユキは命を懸けて響を守って来ていた。クリス自身も何となくそうなんじゃないかと思っていたが、今日見た戦いで確信に変わる。響と未来を救い出す為、躊躇なく英雄の剣に挑み、海へと投げ出されていた。ユキはクリスの為にそこまでしてくれるだろうか。多分してくれない。そんな自問が胸に過った時、鋭い痛みと共に踏ん切りがついてしまっていた。何処か羨ましいと思う気持ちを見ない事にして決めてしまっていた。自分の代わりに仲間を守ってくれる人が居る。なら、自分はソロモンの杖を奪い返す事に集中すれば良い。温かな場所は自分の居場所では無い。そんな思いと、ほんの僅かな寂しさを胸に抱き目的のものを探す。

 

「動きが鈍いぞ。リンカーの持続時間も残りわずかな様だな。悪いが拘束させて貰うぞ」

「く……まだ、摑まる訳にはいかないんデス! あたしはまだ何も残せていない。何も出来て無いデス!!」

 

 風鳴翼と暁切歌がぶつかっていた。ノイズの殲滅。その最中、戦いながら移動していたと言う訳である。二人ともクリスの存在に気付いていない。丁度良い。呟く。ごめん。内心でそう告げていた。発砲。

 

「な、に……?」

「え……!?」

 

 撃ち抜かれながら振り向いた翼は予想もしなかった姿にその目を見開く。雪音クリスが自分を撃つはずがない。実際に撃ち抜かれた今でも、信じられないという表情で見つめる。

 

「雪、音……?」

「……さよならだ」

 

 さらに銃声。それが、翼から意識を奪っていた。静寂。対峙していた暁切歌ですら、このような事態になるとは想定できていない。何が起こってるんデスかと内心で混乱しながらも、イガリマを構える。敵の敵は味方。そう単純な話でもない。むしろ、雪音クリスは敵対組織に所属していたので。その反応は至極当然だと言える。

 

「何のつもりデスか?」

「見ての通りだよ。あたしの目的を達成するのには、そっちの陣営の方が都合がいい」

「味方を裏切り、あたしたちに付くつもりですか?」

 

 切歌の問いに、クリスは小さく頷く。裏切り。その言葉に、胸の痛みが増す。怒るだろうなぁ、あいつら。そんな事が容易に想像できる。そして、連れ戻そうとする。一つ一つ、その光景が頭に思い浮かべられる。内心で笑う。未練たらたらじゃねーか。暖かかった。あたしのいた場所は、信じられない位恵まれたところだったのだと、捨てて初めて自覚する。だが、もう戻る事は出来なかった。既に起こしてしまった事である。

 

「これだけじゃ証明にはならねーか?」

「……確かに十分すぎるデスが。どう言う心算なんデスか」

「あたしの目的は、これ以上戦火を広げない事だ。無駄に潰える命は少ない方が良い。その為なら、強い方に付くのが一番早い」

「……」

 

 切歌の問いに答える。それは、かつて雪音クリスが本気で思っていた事。争いを止める為には、より強い力で押さえ付ければいい。相手が強ければ誰も逆らいはしない。だから、戦争は根絶される。そんな暴論だった。またあの頃に戻っている。折角仲間たちが手を差し伸べてくれたというのに、結局あたしはこの道を進んでしまっている。そんな事を思う。あの頃に比べれば随分と丸くなっちまった。自分を救ってくれた人たちの事を思うと、申し訳ない気持ちが沸き上がる。だが、その気持ちも無視する。どんな手段を使ってでも、ソロモンの杖だけはこの世界から無くさねばいけない。そんな意思が強く宿っていた。黙り込んだクリスを切歌は値踏みするように見つめる。

 

「ギアを解除して欲しいデス。あたしが、直接連れて行くデス」

「解った」

 

 切歌の言葉に頷き、纏っていたギアを解除する。海面から浮上する物を見詰める。フロンティア。F.I.S.が計画の最終段階に移る為に起動させた遺跡であった。あまりに強大なそれを見詰め、ただ雪音クリスは楽しかった記憶を思い起していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「未来!」

「響!?」

 

 響が小日向の病室に駆けこんで行く。風鳴のと三人、助けだした小日向の見舞いに来ていた。正直なところ、自分はそれ程小日向と親しい訳では無い為、最初は遠慮しようと思っていたのだが響に押し切られる形で訪う事になっていた。響曰、未来もユキさんにお礼を言いたいだろうし、ユキさんと二人よりは自分もいた方が話しやすいだろうとの事。確かに的を得ているため響の言に従ったと言う訳であった。結果として小日向が無事と言うのは聞いていたが、こうして目で見て確かめられたのは素直に良かったと思う。

 

「響、怪我してる……。私の所為だよね」

「うん。未来のおかげだよ。未来が私を助けてくれた」

「え? 私が響を?」

 

 怪我をしている響の姿を見て、小日向は悲し気に視線を落とす。即座に響が手を取り感謝を告げた。小日向が目を丸める。神獣鏡の聖遺物を分解する能力。それでもって、響の体を蝕んでいた聖遺物の欠片を全て消し飛ばしていた。同時にぶつかった神獣鏡のシンフォギアも消滅してしまっていたが、死の眼前に居た響の命も救う事に成功してたと言う訳であった。

 

「小日向の容態は?」

「リンカーの洗浄も完了。ギアの強制装着の後遺症も見られないと聞いている。ついでに言うと、誤算もある」

「誤算、ですか?」

 

 風鳴のの言葉に頷く。説明するべきかどうか悩んだが、本人の意思に任せる事にする。響の力になりたいと言うのが、小日向の願いだった。その強い思いがある種の奇跡を起こしたのが、今回の適合である。シンフォギアの。そして、英雄の剣の。

 

「小日向、これが解るか?」

「これは……?」

 

 白銀の欠片を、装者のペンダントのように加工されたものを見せる。彼女が身に着けていたのを斬り落としたものだった。

 

「英雄の剣だよ。ウェル博士が君に纏わせた物。神獣鏡の聖遺物と半ば融合しかけていた物なのだが、どうにも副産物を残してくれたようだ」

 

 神獣鏡によって生成されていた英雄の剣。響を助けたいという思いが、強いフォニックゲインを生成、英雄の剣に十分すぎる力を宿させていた。小日向の思いを宿した剣。それが、今自分の持つ剣であった。

 

「副産物、ですか?」

「そう。速い話が、君専用のシンフォギアみたいなものだよ。君のフォニックゲインが起こした奇跡とでも言うのか。無論、装者のものと比べれば遥かに性能は落ちるし、そもそもシンフォギアでは無い外部兵装に過ぎない。問題ばかりなのだがね」

 

 小日向に剣の説明をしていく。響を救いたいと言う一心が、神獣鏡から力をもぎ取っていた。

 

「これを用いて戦えなどと言う心算は無い。だが、これは君以外には使えない力だ。装者がシンフォギアを纏うように、君の思いに反応する。だから、君に渡しておく」

「私の剣」

 

 どちらにせよ小日向にしか使えない。ならば小日向に託すのが最も良いだろうという結論は出ていた。幸い、小日向は二課の民間協力者と言う実績もあった。司令の責任の下、渡す事は決まっていた。

 

「ああ。とは言え、英雄の剣などと呼びたくは無いな。あの男を思い出す」

「ウェル博士、ですね」

「ああ。盆暗の剣だよ。あの男が使うのではね」

 

 風鳴のの言葉に頷く。どれだけの名刀であろうと、意志の宿らない刃など何ほどのものでは無かった。剣は人が用いてこその技なのである。英雄を渇望する男は、戦いに大切なものが解っていなかった。だから、簡単に手折られたのである。

 

「響にとって小日向と言うのはどういう子かな?」

「そりゃ、私にとっての未来は陽だまりですよ!」

「では決まりだな。陽だまりの剣。小日向に渡しておく」

 

 白銀の首飾りを小日向に差し出す。遠慮気味にではあるが、意を決して受け取ってくれた。

 

「使えるんでしょうか?」

「ああ。君の意志があれば、だが」

「お願い、力を貸して」

 

 小日向が首飾りを持ち呟く。六本の剣が浮かび上がる。身に着けるものも白色の外套の様な物が形成されている。陽だまりの剣に適合した、小日向未来の力だった。

 

「本当に出ました」

「とは言え、シンフォギアには遥かに劣る。その剣自体が対ノイズ兵装でもあるが、君自身何の訓練も受けていない。戦う事は許可されていないからな」

 

 陽だまりの剣の力が生成されるも、小日向が戦う事は許可されている訳では無かった。先ずは正式に二課に所属になり、訓練を経て参戦と言う流れになるだろう。非常事態であるが、小日向は素人である。戦わせるという選択肢は無い。

 

「これが、私の力……。陽だまりの剣」

「凄いよ未来! てことは、これからは一緒に人助けができるって事だね!」

「私が響と?」

 

 予想もしてなかった言葉に小日向は目を丸くする。響はただ屈託なく笑っていた。

 

「君は撃槍を失ったばかりだろう。戦う事だけが仕事では無いが、あまり無茶はしてくれるなよ」

「無理無茶無謀に関しては、ユキさんにだけは言われたくないです!」

 

 そもそも本人の意志も確認していないのだが、既に響の中で小日向は二課に参加するようである。まぁ、この二人である。シンフォギアを失ったとは言え、響は残留を希望するようなので小日向もそうするのだろう。丁度二人の立場が入れ替わる形になるのかもしれない。どのような形になるのかはまだ分からないが、それ自体は良い事の様に思えた。

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、未来」

「何、響」

 

 ユキと翼が退出した後、病室には響と未来だけが残された。二人だけで話したい事もあるだろう。そんな気遣いであった。その中で何を話そうかと未来が悩んでいた時に、響が未来に意を決したように口を開いた。

 

「未来に相談したい事があるんだけど、良いかな?」

「響が私に相談したい事?」

「うん。未来と再会出来たら、相談に乗って貰おうと思ってたんだ。大好きで一番信頼しているから相談できること」

 

 小首を傾げる未来に、響は少しだけ照れたように頬を染める。その様子に、今日の響は何時もより可愛いなっと笑顔が零れる。

 

「私ね。好きな人が出来たんだ」

「へぇー。好きな人が出来たんだ」

「うん」

 

 聞き返す未来の言葉に、響は素直に頷いた。数瞬の沈黙。

 

「って、好きな人!?」

 

 再会するなり行われたまさかの発言に、未来は思わず詰め寄るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




武門、実戦の最中聖遺物殺しを編み出す。童子切の力とは異なる
響、覚醒し暴走を手懐ける
未来、陽だまりの剣を手に入れる。響のカミングアウトに驚愕
司令、南斗人間砲弾を習得
ウェル博士、英雄の剣と自分の剣を折られる
英雄の剣、特に活躍も無く盆暗の剣にジョブチェンジ
クリスちゃん、勘違いの上ソロモンの杖の事もあり家出を強行


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15.伸ばしたその手の掴むもの

「傷はどうだ?」

「問題ありません。急所は外れていましたので、ギアが殆ど衝撃を逃してくれています」

 

 響と小日向の二人と別れた後、風鳴のに尋ねた。小日向の見舞いに行っていた為話に出せなかったが、風鳴のが負った傷は雪音クリスの離脱によって負わされた傷であった。F.I.S.の装者、暁切歌とぶつかり合っている最中、背後から撃たれたと言うのが負傷の原因だった。

 

「雪音はどうして……」

「ソロモンの杖だろうな。それ以外に原因が思い浮かばん」

 

 以前、クリスに話をした事があった。ソロモンの杖は人を殺す力である。尤も見え易い面について気にしていた。起動させた本人である。責任を感じていたと言う事だろう。それ以外でも思い当たる所があった。ソロモンの杖が悪用された事に激昂していた。取り返す事に執着を見せていた。小日向を救う為に戦いに出て行く際、響の事を何時も以上に心配していた。腕が落とされた時もそうだ。始まりはソロモンの杖だと。全て自分の責任だと背負い込んでいた。響の問題は命に直結する為優先していたが、今になって思えば警鐘には随分と以前から気が付いていた。あの子は大丈夫だと先送りしたのは下策だった。

 

「あの子は気にしていたよ。響の腕が落とされた時など、信じられない位響に付きっ切りだった」

「言われてみれば。先生は気付いて居られたのですか?」

「まぁ、そんなところだよ。何度も話して来た。それだけでは足りなかったのだろうな。見通しの甘さを恥じいるばかりだよ」

 

 何度も手を伸ばしてきていた。それを掴んだ心算だった。だが、それでは足りなかったのだ。抱き寄せ繋ぎ止めるぐらいでなければ、あの子の抱えるものを共に背負ってやることはできなかったのだろう。苦笑。先達だと言いながら、肝心なところを見ていなかった自分の不明を笑うしかできない。

 

「いえ、先生は充分に見ていたと思います。私こそが、雪音も立花も見てやるべきだったのです」

「君は守るべき剣を研ぎあげて来たでは無いか。それを使えば良い」

「先生に打ち直して貰った物です。私一人では、立花を余計に傷付けただけだったと思います」

「そうだとしても、なるようにはなったさ」

「それに比べて、先生は私を含めて三人の装者全てに目を配っておられました。感謝するとともに、私こそ己が不明を恥じいるばかりです。先達の背中は遠いと」

 

 自分こそが不甲斐無かったのですと風鳴は呟く。風鳴のは充分にやってきたと思うが、あえてその言葉は出さない。自分も似たような心境である。慰めが欲しい訳では無かった。

 

「そうか。不甲斐ない者同士、家出娘を連れ戻しに行かねばならんかな」

「はい。思惑がある筈です。それを叶え、必ず取り戻します」

 

 風鳴の瞳に力が戻る。守る為に研ぎ直した剣であった。防人の剣。この娘は、自分が居なくとも大丈夫そうである。信頼するに足る意思を示してくれていた。上泉之景が風鳴翼を心配する必要は無さそうだ。

 

「何事!?」

 

 不意に艦全体が衝撃に揺れた。思わず体勢を崩す風鳴のを受けとめ、直ぐに振動に備えさせた。

 

『翼、ユキ。無事か!?』

『二人とも無事です。問題ありません』

 

 風鳴のが通信機の返事を返す。艦の揺れ、続いてはいるが振動自体は随分と緩いものになっていた。返答をしつつ、指令室に急ぐ。

 

「フロンティアが浮上した」

「一体何があったのですか?」

「フロンティアから発生した超高密度エネルギー。それが原因だろうな。やってくれる。月が随分と近くに来てしまっているぞ」

「な……ッ!? 月が!?」

 

 説明をしながら、外の状況が移される。映し出される映像からは、随分と大きく見える月が顔を覗かせていた。全く予想だにしていなかった状況の為、流石に風鳴のが面食らう。それを感じながら、頭では別の事を考えていた。これがお前の言う人類の救済なのか。ウェル博士の言葉を思い出す。少数を斬り捨て、大勢を救う。そんな事を言っていた。英雄。今起こっている現実が、あの男の言う救済なのか。

 

「状況が一気に切迫して来ている。翼、行けるか?」

「問題ありません」

 

 司令の言葉に風鳴のは静かに頷く。童子切。未だ使用許可は下りていない。だが、そんな事を言っている暇は無い。既に使用の許可は司令から出されていた。童子切と太刀をもう一振り持つ。恐らく戻る暇など無いだろう。二刀。準備はしていた。

 

「先ずは先行し大まかなノイズを駆逐します。先生は後詰をお願いします」

「ああ。先陣は任せるぞ」

「委細お任せください。防人の剣は、その為に鍛え直していただいたのですから」

「成程。俺もまた、防人の剣にとって守るべき対象という事か」

「はい。まだまだ先達の背は遠いですが、ことノイズからだけは守らせて貰います。それ位の器量は、私にもあります」

「全く言ってくれる。随分と良い防人(おんな)になってきたものだ。思わず惚れてしまうぞ」

「ええ、存分に惚れてください。先生程の殿方を骨抜きにできるのなら、自信になります」

 

 意表を突かれた。まさか後進に守る等と言われるとは思わなかったからだ。それはこちらの台詞なのだがなと内心で苦笑しながらも頷く。偶には守られるのも悪くは無い。肩を並べるに足るまで成長をしてきているという事なのか。軽口にも涼しい顔をして応じる後進に、色々な意味で頼もしいなと再び笑う。

 

「全く、後進の成長が眩しいよ」

「僕たちもうかうかしてられませんね」

 

 しみじみと零した言葉に、緒川も頷く。予想以上に速い成長に、ならば自分たちも奮起せねばならないと自分に言い聞かせた。

 

「つ、翼さん!」

「ん、どうした立花?」

「え、あ、その、頑張ってください!」

「ん? まぁ、頑張る心算ではあるが。ああ、そう言う事か。心配してくれるな。一人で戦場に立つことも守る事にも馴れた身だ。下手を打ちはしない」

 

 響の何処かおかしな様子に風鳴のは小首を傾げるが、直ぐに思い当たった。心配はするなと笑う。響は撃槍を失っており、小日向もとても戦える状態では無い。装者はたった一人だった。心配するのも仕方が無いという事である。

 

「響、翼さんは大丈夫だよ。軽口を言えるぐらいだから」

「そ、そうだよね。翼さんは、大丈夫」

「ああ。心配せずに待っていてくれ。ノイズを討ち、F.I.S.の目的も阻止して見せる」

 

 任せておけと言い、風鳴のが自動二輪に跨り聖詠を歌う。光を纏い、シンフォギアを生成する。そのまま、速度を上げ、フロンティアを駆け抜ける。その姿はさながら現代の騎馬である。羽々斬を片手に、ノイズを斬り飛ばしながら数を減らしていく。二振り。腰に太刀を差した。準備に入ろうかと呟く。艦に備え付けられている二輪。それに乗るつもりだった。あまり好きでは無いのだが、ことこの状況に至っては好き嫌いは言っていられない。

 

「ユキさんって、バイク乗れるんですか?」

「一応はな。個人的には馬の方が好きなのだが、まぁ馬などそうそう居る筈もない」

「え、馬ですか!?」

「武門だからな。実家に戻った時、祭りなどがあれば流鏑馬などもする事があるぞ」

「ユキさんって、偶にサラッともの凄い事言いますよね」

 

 騎射等お手の物だと告げると、響は目を丸めた。武門である。元を辿れば武士の家系と言える。そう言う伝統が残っているのは仕方が無いだろう。今度見て見たいですと言う響に、機会があればなと締めくくる。未来も行こうねっと小日向に告げている辺り、本当に来る気なのかと一瞬考え込む。そんなやり取りをしていると、随分とノイズの反応が減っていた。そろそろか。そんな言葉と共に司令に出ると告げる。行って来い。背を押されていた。

 

「では、行くとするか」

 

 皆と簡単な別れを告げ、自動二輪に跨る。太刀。二振り準備がされている。開かれる格納庫。陽の光の中に飛び出した。通信機から声が聞こえる。それを聞き流しながら、目的の場所に向かう。

 

『自分のやりたい事をやって欲しい。調ちゃんは、調ちゃんの意志に従ってくれたらそれで良いよ』

『皆を守る為なら、戦っても良い。だけど、敵だった私を信じてくれるの?』

『敵とか味方とかじゃ無くてな、こういう時に子供のやりたい事をやらせてやれない大人なんて、格好悪くてかなわないんだよ』

 

 流し聞きをしていたのだが、どうやら捕虜となっていた月読調の心を動かす事に成功したようだ。援軍が一人。そんな事を思う。不意に、視線を感じた。二輪の速度を落とさないまま姿勢を低くする。

 

「Zeios――」

 

 聖詠。歌が聞こえていた。視線。舞い上がる装者にあわせる。

 

「止まるデス!!」

 

 大鎌を構えていた。暁切歌。彼女の大鎌は遠距離武器としても使える。狙い打たれてはたまったものではない。言葉に従い二輪を止め、対峙する事に切り替える。

 

「君は、F.I.S.の暁切歌だったかな? 俺は上泉之景と言う」 

「戦場で名乗るとは、どう言う心算ですか?」

「名乗りと言うのは、本来戦場で行うものだぞ。あなたを倒すのはこう言う人間です。このような理由があるからあなたと戦います。そんな事を相手に伝えるものだ」

「そうだったデスか!?」

 

 何を馬鹿な事をと言い放つ暁に、言い返す。戦場で名乗って何が悪いと言うのだ。どこの誰ともわからぬ相手に、意味も解らぬまま討たれても良いのなら名乗らないが。敵味方入り乱れる大乱戦ならばそんな余裕はないが、一対一の対峙である。その程度の余裕はある。無論、戦いの為に名乗ったのでは無いが、妙な問いについ言い返していた。

 

「まぁ良い。戦いの前の余興だ。月読調はこちら側についたようなので、君が何故戦うのか聞きたい」

「そう、デスか……」

「今こちらに向かっている。どうせ対峙する事になるのだろう。君たちが戦う前に聞かせて欲しい。何か理由があるのだろう? それを聞かせて欲しい」

 

 こちらの言葉に揺れる暁に、何故戦うのかと問う。あの二人は常に一組で動いていた装者である。それが割れていた。何か理由があるのだろう。そこに活路があるように思える。暁切歌を斬り裂くだけならば容易い。だが、それでは叩き伏せるだけでしかなかった。月読調はこちらに手を貸してくれる人間になっていた。できる事なら、その友であった暁も、力で従わせるような事はしたくない。

 

「確かに理由はあるデス。だけど、それはあなたには解りっこないデス!」

「順番が逆だ。語らねば解る筈もない。話してくれなければ、人は何もわからんよ」

「問答無用デス! あたしは、あたしでいられる前に結果を出さなきゃ行けないんデス!!」

 

 聞かせてくれと言う問いに、暁は言っても解る筈が無いと(かぶり)を振る。大鎌。その手に構えて、こちらに迫る。間合い。一足飛びで詰めて来る。ただ見据える。刃。振り抜かれる瞬間に、一気に飛ぶ。刃の内側に入り込み、大鎌の柄を掴む。

 

「君が君でいられる間に何をしなければいけない?」

「な……ッ!?」

 

 放たれる刃を受け止めていた。驚きに染まる暁にただ問いかける。この子もまた、雪音クリスと似ているのだろう。自分の中で解決できない程の何かを持っているのかもしれない。仲間と割れている。暁とクリスの状況は、何処か共通点があった。放っておけない。装者の力で振り抜こうとする鎌を、それ以上の力で阻止する。話してくれなければ、解る筈がない。人は、見ただけでは何もわからないのだ。ぶつからねば、何も知る事が出来ない。

 

「君が君でいられるうちに、何を成さねばならないのか?」

「あたしがあたしで居られるうちに……、世界を守らないといけないんデス! 調の為にも!!」

 

 問いに短く答えながら、暁はギアの肩武装を展開する。四本の刃。手にした大鎌を含め、五つの武器で襲い掛かる。手にした大鎌。力で無理やり押し上げその隙間を飛ぶ。斬撃。四本のそれが追い打ちをかける。

 

「月読調の為?」

「そうです。例えあたしが居なくなったとしても、あたしが居たって事は残さなきゃいけないんです!」

 

 下がり、往なし、逸らし、ずらす。勢いのまま放たれる斬撃を見切りながら、暁の言葉を反芻する。細かな理由までは解らない。だが、誰かの、月読調の為に戦っていると言うのは何となく理解できた。そして、その月読から否定された事で冷静さを欠いているのだろう。感情のままに振り抜かれる刃は、鋭いが何処か雑でもあった。それでは貫ける訳がない。躱しながら言葉を続ける。

 

「君は何故刃を振るう。月読の事が大事だと言うのならば、彼女が離脱してからもF.I.S.でなぜ刃を振るう?」

「時間が無いんデス。あたしにはもう、ドクターの方法でしか何かを成す時間が足りないんデス!!」

「だから、ウェル博士のやり方を認めると言うのか。一方的に犠牲を払うやり方を強いると言うのか?」

「……ッ!? 知った事を! あんたみたいな人間に何が解るデスか!! あたしとマリアが、調がどんな思いで悪を成したのかを知りもしない、あんたみたいな人間が!!」

 

 大振りで振り抜かれる鎌。太刀を鞘に納めたまま受け止める。ギリギリと競り合う。怒り。暁の瞳にはそれだけが宿っている。自分は彼女等との接点は殆ど無い。敵対していた事ぐらいだろう。その為、言葉は届かず、ただ、傷口を抉るだけの効果しかない様だ。それでも、言葉を止める事はしない。

 

「確かに何も知りはしない。だが、それは君たちが教えてくれなかったからでは無いか」 

「知った事を言うなと言った筈デス!! 」 

「本当の事を知って欲しいと言うのなら、本心を語れ。人は言わねば、解る筈がない。知って欲しいと言うのなら、知ってもらう努力から逃げるな」

「綺麗事ばかりで、何が守れるんデスか!!」

「守る為ならば他者の血で手を染めたとしても、君はそれで満足できると言うのか?」

 

 競り合い。そうして刃を止めていると、四本の刃が唸りを上げた。自身を貫くよりも早く、暁を吹き飛ばす。後退。着地。一気に大鎌を振るった。刃が分かれる。二振りの飛刃。離れた距離を詰めるかのように放たれる。仕方ない。太刀を抜くために右手を添えた。

 

「盾か?」

「なんと丸鋸」

 

 眼前に黒と桃色の円が立ち塞がった。丸鋸。月読調のシンフォギアが、暁切歌の刃を弾き飛ばしていた。会話に集中しすぎていたようである。月読調の接近に気付く事が遅れていた。武門の名折れだな。そんな事を思う。

 

「君は味方で良いのか?」

「うん。あなたは切ちゃんを相手に、話を聞いてくれたのね」

「そんなところだ。とは言え、無駄に傷付けただけなのかもしれないがな」

「大丈夫。切ちゃんなら解ってくれる。あなたは、あの人と同じで、私たちの言葉を聞いてくれようとしている」

 

 暁の攻撃を防ぎながら、月読と言葉を交わす。童子切。携えるそれが、納刀したままでありながら違和感を放つ。何かを伝えようとしているのか。

 

「切ちゃんの相手は私がする。あなたはあなたの為すべき事をして。あの人も、自分のすべき事をしている」

「君が暁と? 戦えるのか」

 

 彼女等は仲間である。それも、言葉に乗せられる意志から、響と小日向のようなものであるのは容易に想像できる。この子らを戦わせて良いものかと一瞬判断に迷う。

 

「ええ。私は大丈夫。だから、此処は任せて。それとも、あなたはまた宿運とか言う言葉で間に合わない心算なのかしら?」

「お前――」

 

 胸を突かれた。目を見開く。それ程の衝撃を受けた。童子切。これを伝えたかったのか。月読は、左手に嵌められたネフシュタンの欠片に一瞬触れ、あり得ない事を言い放った。その言葉を聞いていたのは、響とフィーネだけである。そして、月読調はフィーネが自身の魂を受け入れる為に用意しておいた、レセプターチルドレンである。リインカーネーション。遺伝子にフィーネの刻印を持つ者を魂の器とする輪廻転生法だと聞いていた。つまりは、そう言う事なのか。

 

「行きなさい。ここは私が引き受ける。あなたには、私の大切なものを守って貰わなければいけない」

「……しばらく会わない間に、随分と良い女になったものだ」

「知らなかったのかしら? 女の子は本気になれば変わるものなのよ?」

 

 かつて刃を交わした敵。思わぬ場所で再開していた。そして、月読調が消えた訳でも無い。ほんの一瞬あの女が表に出てきていると言う事なのか。正しい事は解らない。だが、かつての敵意を感じない。それで充分だった。背を向ける。

 

「此処は任せる」

「任された。あの子を頼むわよ」

 

 立花響は、あの女を、フィーネを変えたという事だったのだろう。そして、あの子を頼むと託されていた。ならば、答えない訳にはいかない。死した者が、大切なものを案じている。その気持ちに嘘は無いだろう。

 

「家出などしている場合では無いぞ、馬鹿娘」

 

 納刀。呟いた。雪音クリス。あのフィーネですら、心配しているという事だった。笑う。あの子は確かに愛されていた。それが分かっただけでも、充分である。

 

「逃がすもんかデス」

「やらせないよ」

「何故デスか調。そいつはマリア達の邪魔をしようと」

「それでもあの人たちは私の、私たちの言葉を聞こうとしてくれる。弱い人を守ろうとしてくれてる。そんな生き方が羨ましくて眩しいから。だから私は守るんだ」

 

 自動二輪に跨る。月読と暁がぶつかり合い始めていた。その声だけが僅かに聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ来る頃だと思っていたぞ、雪音」

「そーかよ」

 

 風鳴翼と雪音クリスは対峙していた。黙って銃口を向けるクリスに、翼は不意に笑みを浮かべた。その翼の様子に、クリスは一瞬怯む。それでも両手銃に生成したイチイバルの撃鉄を引く。銃弾。発砲と同時に、翼は羽々斬を振るう。斬り、弾き、躱す。銃弾の射線をシンフォギアで強化された反応速度を以て見切りながら距離を詰める。一閃。刃がクリスに迫る。拳銃。銃身で受け止める。

 

「何故弓を引く?」

「あたしはあたしの目的の為にこっちに付いたんだ。どうでも良いだろそんな事は」

 

 刀身を弾き飛ばし、距離を取りながら銃弾を撒き散らす。その全てを躱しながら、翼はただ問い続ける。それは、かつての自分に似ていたから。胸の思いを上手く吐き出せず、後進である響を傷付けてしまった時の自分と酷似していたから、あの時先を行く人が行ってくれたように、自身もまた振るわれる銃弾を受け止め続ける。

 

「何を求めて手を伸ばす。お前は、何を背負ってその手を伸ばしているのだ?」

 

 後進の放つ攻撃。そのどれもが決め手に欠ける。鈍。先達に言われた言葉の意味が、受け止める側になって初めて解る。これでは勝てる訳がない。身を以て教えこまれた事実だった。心身の伴わない刃では、どれだけやっても容易く手折られていた。今のクリスは、あの時の翼と同じだった。だから、翼にクリスの一撃が届く事は無い。

 

「素っ首に犬の首輪をはめられて尚、何を求めている?」

「汚れ仕事は、居場所のない奴がやるもんだよ。あたしみたいな、な!」

 

 雪音クリスの首には、翼の見たことが無い首輪が嵌められていた。定期的に赤く点滅する首輪。見るからに不吉な印象を与える。そんな物を付けられてまで、為したい事がある。目的など、考えるまでも無かった。雪音クリスを最も近くで見ていた者から聞いていた言葉が確信へと変わる。

 

「だからソロモンの杖を奪取すると?」

「……なッ!?」

 

 だからこそ言い放った。クリスは自分が為そうとしていた事を言い当てられ、思わず銃を下ろす。

 

「おやおや。裏切った理由がバレバレでは無いですか。全く恥ずかしい子ですねぇ」

 

 二人が鎬を削っていた広場から幾らか離れた丘の上、ソロモンの杖を手にしたウェル博士が見物をしながら人の悪い笑みを浮かべる。これだけの事をしでかしておきながら、両陣営に本心が筒抜けになっている少女に、博士は嘲りを向ける。

 

「ウェル博士!」

 

 二人のやり取りを見ていた博士が姿を現した事に翼が驚きの表情を浮かべる。翼の言葉にクリスが浮かべた表情は肯定と同じである。ソロモンの杖の奪還。雪音クリスの目的がそれであると知りながら、あえてその身を晒していた。あまりに迂闊な行動に、一瞬翼の意識がクリスから逸れる。何故か人外のものに成っている腕の事も気になるが、何よりもウェル博士の行動に驚いていた。

 

「汚れ仕事は、居場所のない奴の仕事だって相場が決まってるだろうが!!」

「くぅ、それがお前の本心なのか? 本気で居場所が無いとでも思っているのか?」

「あたしの居場所は、もう無いんだよ。一番欲しかった場所は、もう無くなっちまったんだ!」

「そんな無駄な会話をしていても良いんですか? 首のギアスがもうすぐ爆ぜますよ?」

 

 涙を零しながらクリスはイチイバルを放つ。ソロモンの杖を奪うしかもうやる事が無いんだ。そんな言葉を喚きながら、翼に向かい銃を放ち続ける。至近距離。その銃撃を全て見切りながら、翼は言葉を投げかける。アームドギアがぶつかる音と、ウェル博士の笑いだけが二人の間に響く。

 

「お前の居場所は無くなってなどいない。皆が雪音を待っている!」

「無くなったよ。解ったんだよ。あたしの入る場所なんかないって。だから――」

「だから首輪に爆弾を付けられて尚、盆暗に従うと」

 

 涙を零し、もう杖を取り返す事しか自分に望みは無いんだと喚く少女に向け、鋭い声が飛ぶ。上泉之景。二人の装者の先達が、漸く辿り着いていた。 

 

「涙を零し刃を振るうと言うのか?」

「先生!」

 

 聞こえた先達の言葉に、翼は少しだけ驚きを示す。思っていたよりもずっと早い。駆け付けた先達の姿に頼もしさを覚える。

 

「な、んで……?」

「随分つまらない事を聞く。思い悩んだ子供を見ておくのも、大人の仕事では無いか」

 

 来てくれると思ってなど居なかった。本心では来て欲しいと思いながらも、自分以外の相手の傍に居ると思っていた相手が目の前にいる事に、雪音クリスは呆然と零す。銃を手にしていた手が下りる。

 

「漸く登場ですか。あなたは相変わらず計ったように現れますね。狙ってるんですか?」

「そちらこそ、毎度毎度誰かが涙を零す場所には何時も現れるな。趣味が悪い事だ」

「英雄ですからね」

「それのどこが英雄だと言うのだ盆暗が」

 

 応酬。面を合わせればぶつかり合うしかない二人が、言葉を以て打ち合っていた。

 

「そんなだから、この杖を奪われたのですよ」

「そんなだから、その杖を奪取される事になるのだ」

 

 見せつける様に掲げたソロモンの杖。遠当てで吹き飛ばしていた。童子切。その場にいる誰もが視認できない程の速さで抜かれた逸品。寸分の狂いなく杖を吹き飛ばした。雪音クリスが凄まじい速度で飛びつく。杖の奪還。それが完了していた。

 

「ッ!? 全く何時も何時も僕を痛めつけてくれますね。いい加減、僕もやり返したいと思っていた所なんですよ」

「自業自得では無いか。お前が人の道に外れる事を為すから痛い目を見る」

「これだから脳まで筋肉で出来ている人間はいやですね。直ぐに暴力で訴える」

「たわけが。頭しか使わないから、毎度痛い目を見るのが解らんのか」

 

 クリスの首の光が点滅を続ける。それを見ているウェルは、余裕の笑みを浮かべていた。まだ彼には自動人形と言う手札がある。だからこそ、装者や部門を前にしても平静を保っていた。それに違和感を感じる。自動人形とは言え、二人を同時に相手をできるほどの戦力では無い。ユキは言葉を交わしながら、一挙手一投足に意識を向ける。

 

「全く、僕がその首輪に起爆装置を付けていると思わなかったのですか?」

 

 見せつける様に起爆装置を取り出すウェル。

 

「ッ!? 予想通りの反応ありがとうございます。まったく見事に壊してくれましたね。かなり痛いんですよ!」

 

 瞬間、再び放たれる遠当て。雪音クリスの付けられた首輪の起爆装置が壊れる。更に一つ手札を失った。それでなお、ウェルは余裕を崩さない。全ては計画通りだと言わんばかりの様子である。黒金が姿を現す。自動人形。ウェルの直ぐ傍らに佇んでいる。

 

「後は、首輪を壊しさえすれば」

「だそうですが、あなたはどうするつもりなんですか?」

 

 クリスの首に付けられた首輪を壊しさえすればそれで全てが終わる。そんな確信を持った翼の言葉に、ウェルは悪意に満ちた笑みを浮かべた。未来を救い出そうとした響を斬り裂いた時に浮かべた笑み。それと同種の笑みを浮かべている。

 

「あたしの事はもう良いんだ。逃げてくれ」

「何を……?」

 

 思いもよらなかったクリスの言葉に、翼は目を見開く。一瞬、クリスが言っている言葉の意味が理解できなかった。

 

「後は首輪を何とかすれば」

「無理なんだよ。この首輪は外せないんだ。壊せないんだよ!」 

 

 クリスの叫び。反射的に翼は踏み込んでいた。

 

『――自動錬金』

 

 刃は止り、不可視の壁に阻まれる。斬撃を阻む結界。それがクリスを包む様に展開される。反発。羽々斬の一撃を、苦も無く阻んでいた。翼の瞳が見開かれる。刃が通らない。どう打ち込んでも、刃が通らなかった。全力の斬撃。ユキの斬鉄ですら、その障壁は弾き飛ばしていた。雪音クリスの首輪に脅威が迫る時、それは展開されていた。

 

「くくく、ははははは!! その首輪は特別品ですよ!! あなた方の刃では、どうやっても壊せない逸品だ。例え絶唱だったとしても防ぎきる硬度! それを破る手がぁ、あんた達には無い!!」

「もう良いんだ。逃げてくれよ。この首輪は、半径十数メートルを吹き飛ばすと聞いている。あたしが杖を連れて逝くから、あんたたちは逃げてくれよ」

「逃げられる訳が無いだろう!」

「逃げて、くれよ。頼むよ……」

 

 逃げられるかと叫ぶ翼に、クリスはソロモンの杖を抱きしめ泣き笑いを浮かべる。あたしがこの杖を連れて逝くから後は頼むよ。そんな言葉を笑顔で語る。大粒の涙を浮かべながら。

 

「逃げんよ。それよりも君の願いを聞かせて欲しい」

「あたしの願いは、あんた達が生きてくれる事だよ! あたしが居た事を、覚えてくれる事だよ。だから――」

 

 ユキが零した問いに、クリスは涙を零しながら答える。そして、意を決し杖を地に突き刺した。アームドギアを構える。

 

「Gatrandis babel ziggurat edenal――」

「絶唱だと!?」

 

 雪音クリスはユキと翼に向けて絶唱を歌う。アームドギア。超遠距離用の銃身が生成される。光、ゆっくりと収束していた。悲しくなるほどゆっくりとした力の収束が二人に逃げてくれと伝えていた。

 

「それが君の本心なのか。それが、君の望みなのか?」

「そうだよ。これがあたしの望みだ。生きてくれよ。あたしが大好きだった場所で、大好きな人に生きていて欲しいんだよ!!」

 

 ソロモンの杖は自分が連れて逝くから逃げてくれ。それが雪音クリスの願いだった。

 

 

 

 

 

 

「解った」 

 

 クリスの願いを聞き、童子切を構えた。馬鹿者が。声に出さずに呟く。涙をぼろぼろと流しながら逃げてくれと懇願されていた。置いて行ってくれと懇願されていた。死と喪失の恐怖に濡れた顔で泣き笑いを浮かべていた。その様な子供を置いて逃げる事などできる訳がない。童子切。構えた。震える。好きなだけくれてやると呟く。左腕、躊躇なく斬り裂いた。鮮血が吹き上がる。

 

「な、何してんだよ!?」

「お前が此処で死にたいと言うのが本心ならば、俺もここで死んでやる」

「ッ!?」

 

 クリスが息を呑む。血刃。その身を深紅に染めている。痛みなど無かった。ただ、目の前の少女をここまで追いつめてしまった事だけが辛く思えた。踏み込む。

 

「だからもう一度聞く、それが君の願いか? 君の本心なのか?」

 

 絶唱を斬っていた。遅すぎる力の収束。それは斬って下さいと言わんばかりの力だった。絶唱が斬られた事で、生成されていたイチイバルの銃身が元に戻る。クリスがへたり込む。涙が零れていた。

 

「なんで、なんでだよ! 何でそこまでしてくれるんだよ!! あたしはあんた達に、酷い事をしたんだぞ!!」

「たわけが。泣いているお前に手を差し伸べるのに、今更何の理由がいるのだ。あまり俺を見くびるなよ。お前の抱える程度のもの、何時でも背負ってやる」

「――ッ!?」

 

 言い放った。今更何を言ているのだ。そんな言葉しか出てこない。雪音クリスは上泉之景にとって、ずっと内側に居た女の子だった。今更構うなと言う方が無理なのだ。助けない選択など、ありはしない。

 

「……けて」

 

 クリスが小さく声を零した。だが、聞こえない。言え。右手の意志で伝えていた。

 

「助けて。あたしを助けて! 居なくなりたくない。死にたく、ない……。もっと一緒に、居たいよ……!!」

 

 漸く聞けた雪音クリスの本心だった。小さく笑う。その言葉が聞きたかった。あの雪音クリスに懇願されていた。ならば、為さない訳にはいかない。先達として、後進の叫びは無視などできる筈がない。

 

「と言う訳だ、風鳴の」

「漸く言ってくれたな、雪音。必ず救う。私の刃はその為にある」

「せん、ぱい」

 

 風鳴のが刃を構えた。隣に立つ。童子切。血を存分に吸わせていた。斬れぬものなど何もない。

 

「そうですか。それがあなた達の決断ですか! ならばこちらも切り札を切るまで!! 英雄の剣は、一振りでは無いのですよ!! 試作型英雄の剣Ⅲ(プロト・ソードギア)抜剣!!」

 

 ――血脈に宿る刃(ブラッドスレイヴ)

 

 黒金の姿が淡き輝きに包まれる。純白。黒き体に白い外套を纏った人形が舞い降りる。敵。小日向が纏ったそれと酷似する飛翔剣を持つ。英雄の剣を抜き放っていた。笑った。その程度で止められると思っているのか。呟く。血が流れている。雪音クリスを救う為の戦いだった。隣には頼もしい後進もいる。負けろと言われる方が難しい。血など何度でも流してやる。

 

「少しだけ待っていろ。直ぐ、終わらせる」

「うん……」

「クリス、生きる事を諦めるな。俺は、生かす事を諦めない。お前は誰からも愛されている。居場所が無いと言うのなら、作ってやる。だから、もう泣くな」

 

 白猫が頷く。それが、戦いの合図だった。




先を行く者の思いは、後を行く者に継がれていく。
次回、掴んだその手の守るもの


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16.掴んだその手の守るもの

「皆が戦っている。私だけが止まっていられない!!」

 

 立花響は走っていた。月読調が戦場に出る際、共にフロンティアに降り立ちマリア・カデンツァヴナ・イヴに会う為、胸の内にある思いに従い駆け続けた。自分の思いに正直にある。そうであるならば、恥ずべきことは何もない。そう教えられていた。背中。調と別れる際、見知ったその背中が目に入った。傍に駆け寄りたく思い、その思いを抑え込んだ。今はクリスちゃんの所に行ってもらわなきゃいけない。響にとってはクリスは大切な友達である。一番の強敵になるかもしれないと思って尚、今は何よりも早くクリスの下へ行って貰わなければいけないと思ったからだ。

 

「ユキさん、クリスちゃんをお願いします。私も、胸の歌がある限り!!」

 

 生きる事を諦めない。生かす事を諦めない。響は二人の先達に言われた言葉を思い出す。天羽奏が死の間際、響に託した思い。上泉之景が響を庇いながら伝えた思い。その二つが胸に宿り、響の背中を押す。翼が、クリスが、調が、切歌が戦っている。師や二課の大人が支えてくれている。未来が信じてくれ、ユキが示してくれた。今の響に、怖いものなど何もない。フロンティアの指令室に当たる場所。そこにマリアが居る。確信を持って走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「うああああああ!!」

 

 暁切歌は大鎌を手に疾走する。月読調。切歌にとって最も大切な人であり、守りたい人間だった。そんな相手に心を鬼にして斬りかかる。切歌には時間がない。そう思っていたから。

 かつて、切歌と調がF.I.S.暗躍をしていた頃、ある出来事が起こった。リンカーの過剰投与を行われた後、暫くシンフォギアを纏わないようにした時期がある。絶唱を口にした負荷。それ自体はユキの童子切によって斬り裂かれ、大した負荷を掛けられたわけでは無かったが、リンカーの過剰投与による体の負担は無視できるものではない。そんな理由から、食料の買い出しに出ていた事があった。

 その折に二人で買い物に出かけた時、それは起きてしまった。調の体調不良。買い物帰りに調子の悪そうな調を見かね、切歌は近くにあった人のいない工事現場で休憩を行った事があった。その際に積まれた建材が二人に向かい崩れ落ちた。あまりに急な事であった為、ギアを纏う暇も無かった。二人とも潰される。そう思った時、調を庇うように動いていた。突き出した手。光の障壁が生まれた。レセプターチルドレン。フィーネの力を受け止める為の器。フィーネの力が自分の中に芽生えているのではないかと言う、懸念が生まれた。そして博士から暴露されたマリアとナスターシャの狂言芝居。マリアはフィーネなどでは無かった。その事実が、切歌を自分がフィーネの器なのだと確信させた。光の障壁を張る力が顕現した。それは、フィーネが再誕する予兆では無いのか。再誕すれば、器である自分はどうなってしまうのか。調やマリア達と過ごした自分は消えてなくなってしまうのではないか。そんな思いが胸を満たした。怖い。自分が自分でなくなってしまうのが怖く、そんな自分が調に忘れられてしまうのが何よりも恐ろしかった。自分が自分で居られるうちに、何かを為さなければいけない。調が自分を忘れないで居てくれるほどの何かを。暁切歌が思い詰めるのも仕方が無いと言えた。

 F.I.S.は少しでも多くの人を守ると言う大義の為に立ち上がった。悪を為してでもできるだけ多くを救う。そんな重圧の中、更には自分が自分でなくなるかもしれないと言う恐怖が加わる。母変わりであるナスターシャに相談できるはずがなく、マリアや調には切り出す事が出来なかった。ウェル博士になど、相談すると言う選択肢自体が無い。寄りかかる相手が誰もいなく、一人で耐えるしかなかった。そうして迎えたのが、今と言う時だった。

 ユキと刃を交わした時、自分のやっている事が、他者に犠牲を強いるやり方が正しいのかと問われた。正しい訳がない。そんな事は痛いほど良く解っていた。なんで今更こんな事を言う。どうしてもっと早く来てくれなかった。そんなイラつきと共にぶつかり合い、調が来てしまった。刃を抜こうとしなかったユキを庇うように前に出、今刃を交わしている。守りたい。忘れないで欲しい。心の底からそう思う調と刃を交えていた。

 

「しらべ!!」

「きりちゃん!!」

 

 大鎌と丸鋸がぶつかり合う。調は地を疾走し、切歌は駆け抜ける。シュルシャガナとイガリマ。女神ザババの振るった二つの刃。姉妹とも言える二つのギアを纏う二人は、互いを知り尽くしていながら尚ぶつかり合う。切歌は例え悪い事だと解っていても何かを残したく思い、調は何も知らない人々に犠牲を強いるやり方では何も守れない。守られたとしても、笑って生きて等いける訳がない。互いを知り尽くしている二人だからこそ、譲れない思いがあった。刃を交わし、撃ち合い、互いの思いをぶつける。大好きなんだ。そんな言葉と共に、二人はアームドギアをぶつけあう。そして決着はつかず、互いに飛びずさった。

 

「切ちゃん。どうしても戦うしかないの?」

「もうこれしか無いのデス。あたしがあたしで居られるうちに、何かを為すには! どうしてもやめて欲しいと言うのなら、力尽くで止めると良いデスよ。儘ならない思いは、力尽くで押し通すしか無いじゃ無いデスか」

 

 切歌は調にリンカーを投げ渡し、己に投与する。適合係数が跳ね上がる。絶唱。装者の持つ切り札を切ろうとしていた。薬を打ち込む。調も自分の体にリンカーを打ち込んでいた。例えどんな手段を使ったとしても守りたい。犠牲の上で守られても笑えない。二人の思いがぶつかり合う。

 

『Gatrandis babel ziggurat edenal――』

 

 声が重なる。二人の絶唱。思い合う二人の歌が重なり、その力を増していく。切歌は地にイガリマを突きさしその強大な力を解き放つ。調は両手両足にギアを展開、強大な鋸を以て迎え撃つ。

 

「分からず屋の調から、ほんの少しだけ負けん気を削り取れば……ッ!」

「分からず屋はどっち。私の望む世界には切ちゃんもいないとダメなの。寂しさを押し付ける世界なんて、求めて無いよ」

「それでもあたしが調を、皆を守るんです。例えあたしがフィーネの魂に塗りつぶされたとしても!」

「ドクターのやり方で助かったとしても、大切なものを失っちゃうんだよ。そんな世界じゃ、笑えないよ……」

 

 互いのギアがぶつかり合う。切歌の叫びに、調は悲し気に涙を零す。守ろうとしてくれているのは痛いほど良く解った。それでも、その方法は認める訳にはいかない。

 

「それでも、もうこの方法しか無いのデス。ドクターのやり方でしか、残せるものは何もないのデス! 例え、あたしが調に嫌われたとしても!!」

 

 絶唱がぶつかり合う。調のギアが崩れた。

 

「もう戦わないで切ちゃん。私から切ちゃんを、大好きな切ちゃんを奪わないで!!」

 

 イガリマの一撃。シュルシャガナの両腕を砕き、調に迫る。殺すのではない。イガリマは魂を刈り取れる刃。ほんの少しだけ、意志を切り取れば。戦いはこれで終わる。涙を零す調にイガリマを振りかぶった。

 

「え――?」

 

 一撃。光の障壁がイガリマを阻んだ。切歌の手からイガリマがはじけ飛ぶ。呆然とただ見つめていた。何故それが目の前にある。どうして自分では無く調の腕から出ている。切歌の中で自分が行ってきたことが思い起こされる。フィーネの魂に自分が塗り潰される。逃げられないその恐怖に負けない為に動いていた。そのフィーネの力が目の前に自分を阻む様に展開されていた。

 

「なに……これ?」

 

 己が発生させた壁に調は困惑する。障壁。確かに調を守る様にイガリマを阻んでいた。

 

「まさか……フィーネの器は調だったのデスか?」

「切……ちゃん?」

「あたしじゃなくて、調だったんデスか。調に悲しい思いをさせたくなかったのに、あたしのした事は……」

 

 切歌は理解する。全てが違っていた。全てを失うのは己では無く調であり、自分はそんな調を無理やり戦わせただけだった。聖遺物に接すれば接するほどフィーネの再誕は速くなると、マリアがフィーネを演じていた時より聞いている。つまり、自分は調の残された時間すら無駄に使わせたことになる。涙が零れた。イガリマを手元に呼ぶ。

 

「あたし、本当に嫌な子だったね……。調の前から消えて無くなっちゃいたいデス……」

 

 重圧に晒されていた。只でさえ崩れそうな心が、その事実によって完膚なきまでに打ち崩された。切歌は瞳から大粒の涙を流し調を見詰めた。

 

「駄目! 切ちゃん!!」

 

 悪感。いやな事が起きる。やらせたらいけない。咄嗟に切歌を庇うように調は飛んだ。

 

「――ッ!?」

「しらべ……?」

 

 受け止める気が無かったイガリマ。全てを斬り裂くように回りながら戻ってきたその刃は、月読調の背を斬り裂いていた。切歌は目を見開いた。何が起こっている。それが、一瞬理解できない。血が調の背から流れ落ちる。

 

「しらべーッ!!」

 

 絶叫。零れる赤色を目にした切歌の口から、慟哭が零れる。大切な人。誰よりも守りたかった調を己が手で斬り裂いてしまっていた。涙が零れて止まらない。

 

「起きて、起きてください。調、目を開けて!」 

 

 切歌が調に触れる。調は答えたいが声が出せない。熱だけが、ゆっくりと身体から失われる。

 体が沈んでいく。意識が深いところに沈んでいく。切ちゃんが泣いているのに、何も言ってあげられない。視線を感じた。切ちゃんじゃない。そんな事を思う。

 

 それじゃあ、あなたが。

 誰だって良いじゃない。そんなこと。

 良くない。私の友達が泣いている。

 そうね。このまま誰の魂も塗り潰す気は無かったのだけど、そう言う訳にもいかないか。魂を両断する一撃を受けて、あまり長くは持ちそうにない。

 なら、どうして?

 あの子に伝えて欲しいのよ。私は今更正義の味方にはなれはしない。何時か未来に人が繋がれるなんてことは、亡霊が語る事では無いわ。人が繋がれるのは、何時かの未来、何処かの場所なんかじゃない。

 

 会話が途絶える。調の視線の先で、光が零れていく。不意に、視界が開けた。金髪。大好きだった相手の髪の毛が見える。手を伸ばした。

 

「起きてるよ切ちゃん」

「しら、べ……? どうして?」

「多分フィーネが助けてくれたんだと思う。皆が私に力を貸してくれている。だから、切ちゃんにも力を貸して欲しい。一緒にマリアを助けに行こう」

「……うん。もう間違えないデス。一緒に、マリアを助けに行くデス」

 

 切歌と調は手を取り合う。ぶつかり合った二人。だからこそ、二人は更に分かり合う事が出来た。心が一つになる。助けに行こう。調の零した言葉に切歌は強く頷いた。自分たちは笑う事が出来た。だけど、まだマリアが泣いている。それを見捨てるなんてできる訳がなかった。二人は再び聖詠を歌う。シンフォギアを纏った。手を繋ぐ。握られたその手が離れる事は無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

「行くぞ風鳴の」

「参ります!」

 

 ユキは鋭く叫ぶと同時に斬り込んでいた。踏み込み。風を追い抜き黒金に迫る。青、風の背を追い羽々斬を手に翼を広げる。銀閃と青。二つの色が黒金に向かい刃を奔らせる。展開された六本の飛翔剣。半数ずつが二人に襲い掛かる。速度を落とさず斬撃。刃を弾き風鳴翼は道を行く。跳躍。踏み込みからの反発。ユキを狙う飛翔剣の反応速度を軽く凌駕する速さを以てユキは一気に距離を詰める。速すぎる機動。飛翔剣では追いつけない。黒金。大爪を振りかぶる。

 

「あぶない!」

 

 見ている事しかできないクリスが叫ぶ。笑った。ユキは迫る爪撃を、地に触れるほど低く飛ぶ事で躱す。すれ違い様の一閃。黒金は腕に剣を生成する事で凌ぐも、一撃を以て手折られる。童子切。ユキが持っている剣は普段用いるものでは無い。その切れ味は、英雄の剣ですら膾切りにしていた。細切れにされた刃が赤き気体へと変わる。人形の刃など、武門の技の前では無いに等しい。

 

「まったく。忌々しいぐらいの動きですね。人間を止めたらどうです?」

「俺は人だよ。一人の人間だ」

 

 再生成された黒金の刃を逸らし、弾き、飛翔剣を往なし、斬り返しながら言い返す。斬撃と遠当てを駆使し、飛翔剣を捌きながら自動人形を相手にして尚、ユキには博士の相手をする余裕があった。一撃。クリスを泣かせた元凶に向け、刃を奔らせる。

 

「おおう!」

「何?」

「あまり英雄を舐めないで貰いたいものですね。何度も同じ手にはかからないのですよ!」

 

 眼鏡に向かい放たれた遠当て。博士の眼鏡から展開された障壁に阻まれる。英雄の剣。それを生成するノウハウを眼鏡にも用いていた。ネフィリムの細胞を投与し、フロンティアと一体化する事が出来る今のウェル博士であるからできる芸当だった。眼鏡から障壁が展開される。博士が死なないようにある程度加減された一撃では、顔面に眼鏡を叩きつけるだけに終わる。やせ我慢しながら博士は笑う。英雄である。何度も同じ手は食わない。刃が煌めく。数十発の斬撃がウェルに放たれる。

 

「おごごごご!」

 

 斬撃は防げても、衝撃は防げない。凄まじい衝撃を眼鏡に受けた博士は吹き飛んでいく。少しはやるでは無いか。そんな事をユキは呟きながら、視線を黒金に戻す。翼が飛翔剣を振り切り斬りかかっていた。斬撃からの刺突。流れる様に刃を加速させ始める。

 

『――自動錬金』

「ちぃ!?」

 

 刃を防ぎ翼を吹き飛ばし一瞬の隙を突き、黒金が姿を消す。舌打ち。不可視の敵。飛翔剣だけは姿を晒しているが、厄介極まりない。風の音だけを頼りに刃を躱す。背筋に冷たいものが奔る。ギリギリであった。先達はこんな物を相手にしていたのかと戦慄が走る。その背は未だ遠い。

 

「それはもう見飽きた」

 

 何の躊躇も無く放たれる斬撃。不可視の刃が受け止め火花を散らす。一撃。打ち合ったユキの傍には飛翔剣が飛来する。衝撃。不可視の壁に阻まれる。斬撃の結界。ユキの放つ斬撃の壁に飛翔剣が阻まれる。

 

「煩わしいな」

 

 呟きと共に放たれた一撃。斬鉄の意志を以て英雄の剣を撃ち砕く。赤い気体が更に舞う。一瞬眉を顰める。薬か何かか。そんな事を思うも、体には何も異常は無い。不意に通信機がけたたましく音を上げた。

 

『ギアの適合係数が少しずつ低下しています!』

「くぅぅ、くくく、アンチリンカーは忘れたころにやって来るのですよ!!」

「風鳴の、下がれ」

 

 ウェルの言葉と同時にユキは指示を出す。アンチリンカー。適合者の適合係数を引き下げる事により、最終的には装者を無力化できるほどの薬だった。翼と言う戦力はこの後も戦わねばならない。できる限り消耗させる訳にはいかない。ユキは既に腕を斬り裂いていた。人である以上失血がある為、長時間は戦えない。戦場の判断だった。

 

「しかし」

「大丈夫だ。お前の出番は必ず来る。合図を送る。真打の準備をしておけ。道は必ず切り拓く」

 

 自分はまだ戦えると言う翼にユキは鋭く返す。黒金の邪魔がある以上。ユキとは言え、まともにクリスと向き合うのは難しい。どれだけの障害があろうとも、その刃を届かせる自信はあるが、流石に何の準備も無く放てるものでは無かった。斬り合い、血を吸わせながら童子切の力を呼び覚ます。刃と刃がぶつかり、戦場の武骨な音色を轟かせる。必ずお前の力が必要になる。そんな言葉を聞いた風鳴翼は、静かに心を落ち着かせる。先達と共に、後輩を助ける為に戦っていた。涙を零す後輩の為にも、無様な姿は見せられない。昂る心身を修め、最高の状態へと昇華して行く。

 

「良いのですか? そんなに悠長に構えて。もう時間は一分ほどしかありませんよ?」

「それだけあれば充分だ。風鳴の、後進に最高の一撃を見せてやれ」

「我が刃に誓って」

 

 後進の姿に先達は笑みを浮かべた。背中。敵を前にして翼はそれを晒している。俺はそこまで信用できるか。そんな言葉をユキは胸中で零しながらさらに加速する。飛翔剣。無防備な風鳴翼を狙う事が出来ない。上泉之景の、剣聖の血筋を継し者の刃が余りにも苛烈すぎる為、他の者などにリソースを裂く事が出来ないのだ。

 

「何をしている、殺せ!」 

「まだ、死なんよ。あの子を助けるまでは死ねん」

 

 刃を砕き、爪を掻い潜り肉薄する。飛翔剣。跳躍。躱し一閃。すれ違い様に砕け散る。反発。地を砕き加速する。童子切。血を喰らい、刃を血液が循環する。斬撃。二の太刀三の太刀で砕く。残り三本。右腕。後方から飛来する剣にあえて斬らせた。血が舞う。

 

「いまだ、その男を殺すんだ!」

「――よけろ!」

 

 博士とクリスの声が飛ぶ。それでも武門の口元の笑みは消える事は無い。斬られたのではない。斬らせてやったのだ。血を吸い続ける童子切を振るった。死角から飛ぶ飛翔剣を地に落とす。人形の刃など、武門に届きはしない。

 

「く、残り三十秒だ!!」

 

 ウェルが揺さぶるように声を荒げる。クリスは血を流す姿を見詰め、ただ胸に両手を添えた。必ず助けてくれる。死の恐怖に崩れ落ちそうになる自分を叱咤する。目の前で、大切な人が血を流しながらも戦っている。戦ってくれている。自分の為に流される血を一滴たりとも見落とさないように、瞳に焼き付ける。戦ってくれた。守ろうとしてくれた。そんな人が自分にもいる。涙が零れるほど、嬉しかった。

 

「私もいるのだがな。先生に全てを取られそうだ」

「……風鳴先輩」

「……ふふ、そうか先輩か。あの雪音に先輩と呼ばれては下手は打てんな。前を見ていろ雪音。俯くと怪我をする」

「うん……」

「良い返事だ。ならば、私も先生に倣わんとな。雪音、生きる事を諦めるなよ。私も生かす事を諦めない」

 

 翼の言葉がクリスを包み込む。ああ、あたしはこんなにも大切に思われていたんだ。伝えられる言葉に、また泣きそうになる。それを必死に我慢して前を見ていた。歌が聞こえる。

 

『Gatrandis babel ziggurat edenal――』

「絶唱?」

「そうだ。お前は、必ず私が助ける。それが為せてこそ、私が剣であると決めた甲斐もある」

 

 絶唱。風鳴翼が天羽々斬に全ての力を注ぎこむ。先達に最高の一撃を見せろと言われていた。殲滅する為では無く、ただ一振りを放つためだけに絶唱を羽々斬に押し込める。口から血が零れた。だが、その程度どうと言う事は無い。後輩を救う為ならば、多少の傷は痛みの内に入りはしない。

 

「残り、十五秒!」

 

 ウェルの叫び。加速。ユキの速さが行きつく所まで達する。残っていた二振りが砕け散る。自動人形の視界からユキが消えた。消えたと判断してしまう程、低い位置に飛び込んでいたのだ。

 

「風鳴!」

 

 叫び。同時に左の拳が黒金に向け放たれる。打ち上げ。左腕から血が噴き出す。右手。童子切。振り抜かれた。黒金が両腕で防ぐように受け止めるも。あまりの圧力に生成した刃を圧し折られながら吹き飛ぶ。軸足を支点に一気に回る。吹き上げる血液。遠当て。凄まじい量の血刃が放たれる。

 

「――ッ!?」

 

 鮮血が舞った。クリスを守る様に発生される障壁。楔を打ち込むが如く血の弾丸が罅を入れる。線。展開される障壁に、一刃の軌跡が浮かび上がった。童子切。それは目に見えないものを斬る力。錬金術で展開される力もまた、斬り裂ける対象だった。血刃より開かれた血路。その中に一気に翼は踏み込む。

 

「私の後輩は、返して貰うぞ!!」

 

 風鳴翼の真打。たった一撃の刃が放たれる。凄まじいまでの衝突音。羽々斬と壁が粉々に砕けた。喀血。翼の口から零れ落ちる。

 

「先輩!!」

「問題ない。必ず助ける」

 

 痛みに体が上げる悲鳴を無視し翼は踏み込んだ。折れた羽々斬で果たして斬れるのか。そんな思いが浮かぶがやるしかない。先達は言葉通り切り拓いてくれた。ならば、今度は自分が何とかしなければいけない。

 

「残り、五秒!!」

「翼!!」

「――!」

 

 名前を呼ばれた。思わず目を見開く。反射的に手が動いた。血刃。手にしていた。童子切安綱。自分が憧れた剣士の手にしていた逸品。それが己の手に在り、託されていた。その事実に涙が零れそうになる。認められた。羽々斬を消す。それ以上の何かを思うよりも早く、両腕を振るっていた。

 

『――自動錬金』

「我らが刃に斬れぬものは無い」

 

 血刃が首輪を斬り裂く。風鳴翼の声だけが響いた。雪音クリスの首に付けられた首輪が、崩れ落ちる。

 

「――爆発は、爆発はどうしたああああああ!?」

 

 ウェル博士の声が響く。

 

「斬り裂いたよ。俺の後進がやってくれた」

 

 ユキは後進に背を向けたまま対峙する黒金の腕を受け止め呟いた。クリスはただへたり込む。翼が駆け寄り抱きしめた。涙が零れ落ちる。童子切に付いた血が、クリスのギアを幾らか汚した。

 

「く、人形!」

 

 ユキに散々に斬り裂かれた人形を博士は呼ぶ。右腕。渾身の爪撃を受け止められた黒金は、腕を半ばから断ち切られていた。手刀。武門の刃によって斬り裂かれたのである。凄まじい速度で博士と黒金は合流する。ユキはそれに視線を向ける事も無く、斬り裂いた腕を捨てる。

 

「……っ!? まぁ、良いでしょう。あなた達は良くやりましたよ。今回は退かせて貰いますよ」

 

 黒金に回収された事で余裕を持ち直したのか、ウェル博士は何時もの笑みを浮かべる。

 

「逃がすと思っているのか?」

「片方は斬り裂かれたとはいえ絶唱を放った二人の装者と、大量失血をしている人間が僕を捕まえられるとでも?」

「まだ、やれる」

 

 何とか立ち上がった二人はウェルを見詰めた。クリスはまだ戦えるが、翼は絶唱を放った負荷が大きく、まともにアームドギアを形成する事も出来ず、童子切を構えていた。満身創痍。相手も手負いとは言え、見るからに勝てそうにない。立っているのもやっとと言う具合だった。

 

「良い、行かせてやれ」

「しかし、このまま逃してしまうと」

「良いと言った。立っているのもやっとだろう? 命を粗末にするな。君たちにはまだやって貰わなければならない事がある」

 

 ユキの言葉に二人はしぶしぶ見送る。博士が姿を消す。ただ、上泉之景は空を見上げていた。

 

「何とか、杖も雪音も取り戻せたな」

「一人で飛び出してごめんなさい……」

「気にするな。何よりも、こんな殊勝な雪音の姿が見れたのは僥倖だ」

 

 二人して座り込む。敵の姿が見えなくなった為、気が抜けたという事だった。二人で肩を並べ笑い合う。守れてよかった。翼の表情にはそんな安堵が浮かんでいる。その気持ちが嬉しくて、クリスは涙を零す。翼の手から零れ落ちた童子切。いつの間にか拾われている。気付けばユキが傍に来ており、そのまま前を通り抜けた。童子切に付いた血を払う。ただ、空を見上げている。

 

「先生もお疲れさまでした」

「ああ、良く戦った。流石にこれ以上は無理だろうな」

 

 そのまま言葉を続ける。血塗れの後ろ姿。見詰めていた二人は胸を打たれた。なんとか立ち上がる。血を流してまで助けてくれた先達に、感謝を示したかった。正面に来る。

 

「ユキさ、え……?」

「先生!?」

 

 そして見てしまった。腹部を貫かれた先達の姿を。クリスは名前を呼ぼうとして固まる。無手。黒金の自動人形相手に、素手で立ち向かっていた。幾ら武門とは言え、無傷とはいかなかった。ゆっくりと血が流れている。一目で致命傷だと解った。目が合う。先達はにやりと笑った。

 

 

 

 

 

 

「どうした?」

 

 固まった二人に問いかける。黒金の爪に穿たれていた。笑う。幾ら敵が盆暗とは言え、素手で立ち向かうのは荷が重かったようである。腕こそ持って行ったが、自分は腹部を抜かれていた。声を出すと響く痛みに僅かに顔を顰めるも、別段気になる程では無かった。守れた。そんな思いがあるだけである。

 

「どうして?」

「なにがだ?」

「なんで、そんな怪我して……」

「ふん。相手を見誤っただけだな。良いのを貰った」

 

 白猫の問いに答える。血が流れている。敵の実力を読み違えるなど、武門の名折れだった。苦笑しか出てこない。咄嗟だった。だが、それに対応できてこその武門なのだ。そう言う意味では情けない限りだと笑う。

 

「あたしの所為だ……」

「違うな。俺の望んだ結果だ」

「違わねーよ! あたしがこんな事しでかさなきゃ……」

「まったく、懲りない娘だ」

 

 涙を浮かべたクリスを抱き寄せる。血で汚れる事を一言詫び続ける。

 

「泣くな。お前を守りたいと思ったから守っただけだ。それに責を感じる必要は無い。俺にとってお前は大切であるからこそ命を懸けた。そう言う事だよ」

「――」

 

 少しばかり背筋が寒くなってきている。抱き寄せた子の熱が心地良い。目を閉じ、言い聞かせるように伝える。フィーネに守ってくれと言われていた。だが、そうでなくとも守っていただろう。それだけ身近な人間だった。自分にとってこの子は手のかかる妹のようなものだった。泣いていたら、手を差し伸べない理由は無い。居場所が無いと言っていた。お前の居場所は此処だと囁く。声も出なくなり始めていた。涙を零し続けるクリスをただ撫でる。大丈夫だ。言い聞かせた。ゆっくりと身体を離す。

 

「行け」

「でも……」

「君たちにはやって貰わなければいけない事がある。博士を止めて欲しい」

 

 伝えていた。まだウェル博士を止めなければならない。少数を犠牲に大勢を救う。子を人質に取り、そんな事を語っていた男の姿が思い起こされる。野放しにはできない人間だった。

 

「流石に俺は疲れたよ」

「せめておっさんたちが来るまでは……」

 

 傍に居ると言い聞きそうにない白猫に苦笑が零れる。必要ないと伝える。翼を見詰めた。行けと伝える。頷く。笑った。後は任せた。

 

「必要ない」

「でもこの傷じゃ……」

「武門を舐めるなよ? この程度どうと言う事は無い。流石に戦えはしないが、手当ぐらいならば自分で行える。それとも俺は信用ならんか?」

「でも……でも……」

 

 ずるい言い方をしている自覚はある。今のクリスにこの言い方は何よりも効果があるだろうと解って言う。

 

「俺は死なんよ。まだ(・・)、死なない」

「絶対だからな。絶対に絶対だからな!」

「ああ、解ったよ。だから、行け。後は任せるぞ。皆の居場所は君が守るんだ」

「うん」

 

 漸く腰を上げたクリスを見送る。風が流れていた。煤が舞っている。膝を突いた。いい加減立っているのも辛い。

 

「即死しなかっただけ褒められるか」

 

 呟く。負った傷は間違いなく致命傷だろう。良くて傷。悪いと欠損と言ったところか。童子切を地に突き刺した。支えのようにしてもたれかかる。呟く。悪いな。お前をこのような使い方にしている。力が入らなかった。

 

『馬鹿、諦めるな。あんたが死んだら、誰があいつらを守るんだよ!!』

 

 不意に懐かしい声が聞こえた。視線だけを移す。天羽奏。かつて仲間だった子が叫んでいる。童子切でも声は聞こえなかったはずだが、今は聞こえていた。それだけ死に近いという事なのか。

 

「これは無理だな。解るよ。助からん」

『諦めんなよ。あいつらにアレだけ言っておいて、あんたが生きる事を諦めてどうするんだよ!!』

 

 奏が叫び声を上げる。それに笑った。この子はかつて響を守る為に歌ったと聞いている。ならば解ると思うのだが、あえて言う事にする。

 

「違うぞ奏。それは違う。俺は諦めたのではないよ」

『何が違うって言うんだよ!』

「俺は生き切ったのだよ。諦めたのではない。自分の意志が求めるままに生き切ったんだよ」

 

 口から血が零れた。喀血。視界が狭く、定まらない。何か大切なものが抜けていく感じだけが続いている。それでも、守れた。守れたことに満足していた。

 

『煩い! あんたが居なくなれば、誰があいつらを守るんだよ!!』

「もう、守る必要などないさ。子は成長するものだ。思いは託せた。受け継いだものは託せた。三人の人間が繋いでくれている。それで、充分だよ」

 

 生き切っていた。かつて託された想いを、今度は託す事が出来ていた。我らが刃、生かす為に有る。父より受け継いだ想いは、後進に受け継がれたのを確かに見ていた。煤に塗れて死ぬだけだった男が此処まで出来た。それで良いのだ。もう、彼女等は俺が守らねばならないほど弱くは無い筈だ。

 

 奏が何か言い返そうとして、姿が消えた。どうしたと言おうとして気付く。童子切から手が離れていた。いつの間にか体が倒れ伏している。歪な形で倒れている体を、ほんの少し動かせた。仰向け。空を見上げた、煤が舞っている。風。父は、恐れを吹き飛ばす風であった。その背に憧れ、その生き方に憧れた。

 

「父上。俺は、上手く出来たでしょうか……?」

 

 呟き。風が煤を巻き上げる。返事などありはしない。童子切を以てしても、父の姿は俺の傍にはなかった。それが答えである。自分は、父が心配するような駄目な在り方では無かったという事だ。笑う。ただ、父のようで在りたかった。

 

「俺は、貴方のように笑えたでしょうか……? 何かを遺せたでしょうか……?」

 

 一陣の風が吹き抜けた。それが嬉しくて口元を緩ませる。風の音。煤が舞っている。やがて全てが遠くなった。

 

 

 

 

 




立花響、未来を救い出し、マリアも助ける為走る
風鳴翼、雪音クリスの首輪を斬り裂き、後輩を守り切る
雪音クリス、ソロモンの杖を奪還、失くした己の居場所に戻る
翼&クリス、楽曲BAYONET CHARGE習得
切歌&調、仲直りし、マリア救出の為手を取り合う 

かつて煤に塗れた少年が受け継いだ想いは、やがて後を行く者に受け継がれていく。
上泉之景、死亡


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17.覚醒の鼓動

「あらら? どうやら死んじゃったようね」

 

 黒金の視界から移される映像を見たガリィは口元を歪め呟いた。

 

「人の身であれだけ派手に立ち回った。本気の自動人形を相手に素手で挑み、剣を手折ったのならば十分すぎるだろう」

 

 感情の無い目で見据えていたレイアはユキの戦いぶりに僅かな称賛を零す。

 

「剣殺しにすら正面から立ち向かった剣。本物の技が見れないのは惜しいけど、国宝の欠片が手に入ったので良しとしましょうか?」

 

 剣聖の残した技が無くなるのは些か残念ですがとファラは小さく笑う。童子切の欠片。黒金が手にしたのは、あるか無きかの刃毀れだが、確かに当代の使い手の持つ童子切を手にしていた。

 

「始まりの巫女は消滅し、予定とは些か違ったが、斬れぬものを斬る剣士も死に絶えた。計画は順調と言える……」

 

 錬金術師はただ呟く。童子切安綱の使い手。極限まで研ぎ澄まされた技を持つ者が担い手となった時、目に見えぬものすらも切ってしまう剣だった。万象黙示録の完成の為、世界の分解を最終目的と定める少女にとって、最大の障害となるのがフィーネであった。胸の内の思いを届ける為。他者が聞けば何を馬鹿なと思わずにはいられない事だが、フィーネはその為だけに統一言語を復活させ、世界を支配しようとしていた。その世界の分解を行おうと言うのである。邪魔をしない筈がない。そんな思惑から、上泉之景にフィーネを斬らせようと言うのが少女の目的だった。錬金術師の少女にとってF.I.S.がフィーネの再誕を嘯いたのは渡りに船と言う訳であった。F.I.S.は世界に挑んだ敵である。上手くいけば、フィーネの魂を斬らせる事が出来る。当初表明していたマリア・カデンツァヴナ・イヴが器では無かった為、思惑自体は大きく外れた事となったが、結果としてフィーネは両断され消え去ったという事だった。そして、不要となった剣聖の血脈も黒金が仕留める事に成功していた。童子切の欠片と言う、大きすぎる置き土産も残してくれている。血刃。その身に何度も刃を受けた黒金の自動人形には、確かに剣聖の技が刻み付けられていた。予想だにしていない大きな手札が手に入った。それは少女にとって僥倖と言える。

 

「ミカの起動まであとどのぐらいだ?」

「あと少しってところですねー。ミカちゃんは大喰らいなので、F.I.S.の混乱に乗じても必要な想い出にはなかなか到達しないんですよぉ」

「そうか。それでも、予定よりも随分と速い」

「しかし、このままでは月が落ちてくるかもしれませんねぇ。どうするんですか、マスター?」

 

 ガリィが主人に向け尋ねる。上空には、博士がフロンティアを浮上させた折に、随分と近くに引き寄せてしまった月が輝いている。幾らかは存在していた月の衝突までの猶予が殆ど無くなってきている。カディンギルによって幾らか砕かれているとは言え、未だその質量は膨大である。何らかの手段で砕く事が出来たとしても、月がぶつかった時の衝撃は計り知れないだろう。どうするのだと主に問うた。

 

「別に。世界が滅ぶと言うのならそれでも構わない……」

「へぇ……。随分とラスボスらしい事を言うんですね!」

「茶化すな。世界を知るだけならば、滅んでいようとあまり変わりはしない。パパを殺した人間たちが全滅すると言うのなら、それはそれで一興と言うものじゃないか。計画は随分と修正が必要になるだろうが、邪魔者も居なくなるのならゆっくり進めればいいだけだ」

 

 月を見上げる少女がどうでも良いと答えた。今から月を壊す事は流石の少女とは言えできる訳がない。しかし、逃げるだけであるならば幾らでも方法はあった。本当に問題があるのならば、所属する組織が何とかするだろうと他人事のように投げやりに考えていた。少女にとっては、どうせ壊すものである。どちらもでもよかったと言う訳だ。今あるものを壊そうと、滅んだものを壊そうと、どちらでも良い。知る事が目的なのだから。

 

「父のようで在れたか……、か」

 

 上泉之景の最期の台詞を思い出す。あの傷では、数分も持たないだろうと言う判断の下、ウェル博士は撤退していた。人の身でノイズはおろか、自動人形すら退けた人間。それも人間相手に手加減をしていない、本気の自動人形をだ。

 

「一度ぐらいならば、語ってみても良かったのかもしれないな」

 

 不可能を押し通して来た男だった。その男もまた、父に託された想いを胸に戦って来ていた。恐らく少女とは相容れないだろう。だが、目的などとは完全に違う所で、一度接触していれば良かったと僅かな後悔が生まれていた。父親の姿に憧れ、その言葉を胸に抱き血を流し続けた人間であった。ウェル博士の言葉が思い起こされる。英雄。そんな人間が存在すると言うのならばそれは。

 

「奇跡が起こると言うのなら、精々見せてもらうとしようか」

 

 考えても詮無きことである。生き残ったのは、英雄志望の偽りの剣を持つ男だった。煤に塗れ、血を流し続けた人間は力尽きたのだ。それがほんの少しだけ惜しいと思うが、頭を振り打消した。残るは余興だけである。ルナアタックの英雄と呼ばれた少女たちは、迫る災厄にどう対処するのか。それだけが気になる事だった。

 

「その奇跡すらも食い破る為に、な」

 

 少女は玉座に向かい背を預ける。英雄は去った。少女たちだけで何処まで出来るのかが、興味の対象だった。

 

 

 

 

 

 

 

「殺した。僕がかつて憧れた理想(えいゆう)を殺した!!」

 

 ウェルは自動人形に連れてこられ、フロンティアの中を一人歩いていた。黒金の自動人形。装者と上泉之景とのぶつかり合いの後、その姿を消していた。ソロモンの杖も奪還されている。それでも尚、ウェル博士の昂ぶりは収まる事が無かった。大きすぎる高揚の為、涙すらも零れ落ちる。

 

「人類の天敵であるノイズすらも斬り裂ける人間。シンフォギアと言う選ばれし武装をすらも無く、ただ人間の技だけで屹立していた英雄を、僕が倒したんだ!」

 

 ネフィリムの細胞を用いたリンカーを投与した左腕。聖遺物を制御する事が出来る腕で、最期の英雄の剣に触れながらフロンティアを制御する。英雄の剣を展開する膨大なエネルギー。シンフォギアやネフィリムを介さずにそれを行うには、膨大な力が必要だった。そして、その力はウェルの目の前に存在していた。どこに居ようとフロンティアを制御できる力。それを以て英雄の剣に力を注ぎ続ける。

 ウェル自身が見た剣聖の力。あり得ない程の動きであった。ノイズを置き去りにし、自動人形や英雄の剣すらも退けていた。あれ程の力が欲しい。何ものにも負けず、撃ち破れるほどの力だった。ソロモンの杖奪取の時に遭遇し、一目で魅せられた。殺す気で嗾けたノイズ。何の成果も無く目の前で斬り裂かれていた。シンフォギアを纏うルナアタックの英雄にもその時に遭遇したが、ウェルにとっては既にどうでも良い存在となっていた。少なくとも、その力だけは本物だった。英雄にある種の憧れを持つウェルにとって、上泉之景と言う男は、かつて見た理想の体現者であったのだ。だから気になった。計画に関係ない場所で何度も接触を行った。近付けば斬られると言う危険を冒して尚、知りたかったのだ。彼が本当に本物であるのかを。

 

「あなたは確かに英雄でしたよ。この僕が認めてあげます。誰かを守る為に血を流す事も厭わない在り方。死の恐怖ですらあっさりと乗り越えてしまう意志。そして何者をも寄せ付けない技。確かにあなたはかつて憧れた理想(えいゆう)でした」

 

 だからこそ、ウェルはユキを目の敵にした。何故今更英雄が現れるのか。全てを救うに足る力を持つ者が、何故今になって目の前に現れたのか。只許せなかった。世界を敵に回し、悪を為すと決めた矢先に、かつて抱いた理想の体現者が目の前に現れたと言う理不尽に嫌悪すら感じた。この世界におとぎ話の様な本当の英雄など居ない。居る筈がない。世界を知ったウェルが抱いた結論はそれだった。居ないと言うのなら自分こそが英雄となるしかない。そう思い定めた時に、理想が目の前に現れた。これ程の皮肉はありはしない。憧れと憎悪と言う複雑な感情をウェルはユキに抱いたのだった。だから、ウェルはユキの事を壁と呼んだ。本物の英雄を超え、自分こそが最後の英雄として屹立する。そんな狂おしい程の欲求が沸き上がった。認めたくない。今更現れた理想などに邪魔をされてなるものか。出会う度に言葉を交わし、ユキと言う人間を見定めた。子を守る為に刃を振るい、人の道に外れる行いには正面から挑み撃ち砕いて行った。暴走した立花響をあしらう姿など、逃げるしかなかったウェルにとって、理不尽以外の何物でも無く、同時に憧れの対象だった。だから超える為に、何度も挑み、試行錯誤を重ねた。

 

「それでも、僕が勝った。僕の持つ英雄の剣が、英雄の身に刃を突き立てた!! 先を行く者は倒れ、後を行く者にその道を示す。あなたは、僕にとっても最高であり同時に最悪の英雄でしたよ」

 

 そして、遂にかつて見た理想を、幼き頃に見た幻影を撃ち砕いた。英雄の身に、英雄の剣を纏うも者が深く爪を突き立てた。存在することそのものが理不尽であった、上泉之景と言う男に、己が剣を以て引導を渡す事に成功していた。生化学者であるウェルには直ぐ分かった。あの傷では助かりようがない。外傷ならば兎も角として、内部から破壊されれば英雄と言えども耐えられる訳がない。それでも尚、守るべき者たちの為に屹立し続けたユキの姿に、憎悪よりも敬意が勝った。英雄は、最後の最期の時まで英雄であり続けた。そんな気持ちを抱き、自身の手では決して倒せなかった事に苦い思いを飲まされもした。手にする英雄の剣を強く握る。充分にフロンティアから力を得ていた。だが、まだ足りない。最強の剣を生成し、最強の技を発生させる剣。それにはまだ、力が足りなかった。

 

「英雄と呼ばれる男は倒れ、世は新たな英雄を求める。人は力を持つ者を、僕と言う新たな存在を求めるんだ」

 

 フロンティアの力を限界まで充填された、最後の英雄の剣は光を帯びる。それは、シンフォギアの光すらも越える、英雄の輝きであった。涙が零れる。かつて抱いた理想を撃ち破った事に、ウェルは感極まり狂喜を抑えきれない。英雄の剣は怪しい光を放ち、ただウェルの手の中に納まっている。昇降機を起動させる。後は、ただ待つだけであった。英雄が戦う最高の舞台が整うその時まで。

 

 

 

 

 

 

「切ちゃん、ちょっと待って」

「どうしたデスか、調?」

 

 暁切歌と月読調が駆けていた時、不意に調が鋭い声を上げた。切歌は驚き視線を前から移す。調。何かを見つけたのか、呆然と目を見開いている。

 

「切ちゃん……あれ……」

「どうした……え?」

 

 切歌は調の視線の先を見る。何を驚いているのか、そんな疑問が湧き、それを見た瞬間に同じように目を見開いた。突き立った血塗れの刀。直ぐには地面に吸い込み切れない程の血液。倒れ伏す人間。先程切歌を止めようとして刃を受け止め続けた人間の姿だった。

 

「な……にが?」

 

 目の前にあるものが何かが理解できなく、切歌の口からは言葉にならない言葉が零れる。調と和解し、頭が冷えていた。上泉之景。対峙していた人間は、ただ切歌の話を聞き止めようとしてくれていた人間だった。何度も対峙した立花響と同じく、二人の話を聞いた上でを止めようとしてくれた人であった。その人が倒れ伏している。動きはしない。熱すら少しずつ失い始めている。死。そんな言葉が切歌の頭に過る。

 

「そう……あなたは、あなたの守りたいものの為に戦ったんだね……」

 

 調がユキの手を取り、呟く。左腕。付けられている小さな腕輪に触れた。目を閉じ調は小さく呟く。

 

「あたし、まだ何も謝れてないデス。止めようとしてくれた人に刃を振るうだけ振るって、まだごめんなさいって言えてすらいないデス!!」

「切ちゃん……」

 

 切歌の瞳から涙が零れた。二人はユキと特別関わりがあったわけではない。だが、何度もその姿は目撃していた。二人が謹慎を言い渡された時、博士が二課とぶつかり合い、非道を以て響の腕を斬り裂きネフィリムに喰らわせた。そして暴走した響を正面から止めている。二人で絶唱を放とうとした時、絶唱ごと斬られ止められていた。小日向未来が無理やり装者と仕立てられた時、怒りを露にし生身で空すらも飛んで見せた。人が怒るべき時に怒り、刃を抜かなくても良い時は必要以上に振りかざさなかった。味方を己の血を流しながら、守り続けた人だった。問答無用で襲い掛かった切歌ですら、止めようとしてくれた大人である。調と共にマリアを助けに行く事を決めた切歌にとっては、何れきちんと謝らなければいけない相手だった。それが、血を流し、だが穏やかな笑みを浮かべ事切れている。涙が零れた。

 

「ごめんなさい……ごめんなさいデス……」

 

 そんな言葉しか出ない。傍で膝から崩れ落ちた切歌に、調は声をかける。

 

「切ちゃん。今はいかなきゃ……」

「解ってる、デス……」

 

 それでも戦わなければいけなかった。まだマリアは泣いている。そのマリアに早く駆け付けてあげなければいけないから、二人は立ち上がる。歌。歌いながらシンフォギアの速度を上げていく。戦場に、少女たちの歌が響き渡る。左手に付けられた腕輪、薄紫の欠片が光を映している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 マリア・カデンツァヴナ・イヴはギアを纏い、たった一人で歌を歌っていた。月の落下。それを防ぐ最後の手段を用いる為に、歌が必要だったからだ。歌からはフォニックゲインが生成される。かつてルナアタックの英雄である三人の装者が、リディアン音楽院の生徒たちの歌から発せられる高レベルのフォニックゲインを身に纏い、エクスドライブに至ったように、歌には奇跡を起こす力があった。フロンティアより世界に中継されるマリアの歌。それに共鳴するように全世界の人間のフォニックゲインを集約させる事が出来れば、それを照射し、かつてバラルの呪詛を発生させるために作られた月の遺跡を再起動させる事が出来る。F.I.S.の聖遺物に関する第一人者であるナスターシャ博士がフロンティアを探し回りついに見つけた、世界を救う可能性だった。

 マリア達F.I.S.は世界を救うために立ち上がり、悪を為してでも多くを救う為に戦って来ていた。世界に挑み、フィーネを語り、英雄と呼ばれる少女たちに刃を向けて迄歩んだ道。その重さに耐えきれず、フィーネである事すらも成し切れなかったマリアではあるが、最後に見つけた希望。それに縋る様に歌を歌い続ける。全てを偽り、世界を敵に回したマリアであったが、世界を守りたいと言う思いだけは本物だった。どうか皆、力を貸して欲しい。そんな意思を歌に宿し、胸の思いを歌い続ける。フォニックゲインが少しずつ高まり始める。だが。

 

『月の遺跡は……以前沈黙したままです』

 

 母であるナスターシャの言葉だけが響く。世界を救いたい。そんなマリアの気持ちを込めた歌ではあるが、それでも月の遺跡を再起動させる程のフォニックゲインの高まりには届かない。

 

『もう一度、月の遺跡の再起動を試みましょう』

「無理よ、マム。私の歌では何も救えない……。私では、誰も救えない……」

『マリア、これが最後の希望なのですよ。あなたの歌だけが、世界を救えるのです』

 

 自分の歌では世界に響はしない。そんな事実を突き付けられ、マリアの心は完全に圧し折られた。ナスターシャの言葉が胸に届くも、マリアは立つ事が出来ない。世界の命運に立ち向かう事が出来ないでいた。それでも何とか立ち上がる。

 

「あまり勝手な事はしないで欲しいですね!!」

「あう……ッ!」

 

 再び歌わなければいけない。そんな事を考えていたマリアを、制御室に辿り着いたウェルが殴り飛ばした。ギアを纏ったマリアが吹き飛ばされる。殴り飛ばされた頬に手を添え、呆然と見つめた。

 

「月が落ちてくれなければ、僕が英雄として力を振るえないじゃないですか! 漸く英雄の力を振るう時が来ていると言うのに、邪魔をしないで欲しいですね!!」

『マリア!』

「ちっ、やっぱりおばはんの仕業か」

『お聞きなさい、ドクターウェル。フロンティアの力を用いて束ねられたフォニックゲインを収束し照射すれば、月の遺跡は再起動し、月は元の軌道に戻せるのです。今が、最後のチャンスなのですよ』

 

 マリアが歌で世界を救おうとするのを邪魔しようと現れたウェルを、ナスターシャは何とか説得しようと試みる。ここで、月の再起動に失敗すれば、どれほどの犠牲が出るのか。そんな事を考えると、絶対に止めなければならない。

 

「そんなに月の遺跡を動かしたいと言うのならば、あんたが行ってくればいいだろう!!」

 

 ナスターシャの言葉を無視し、ウェルはネフィリムの左腕を以てフロンティアを制御する。振動がフロンティア全体に響いた。凄まじい音が響き渡る。ナスターシャが居るフロンティアのエネルギー制御室が月に向かって射出された音であった。轟音が届き、マリアが目を見開いた。母が、月に向かい打ち出されていた。ウェルの笑いが響き渡る。

 

「よくもマムを!!」

「僕に手をかける心算か? 人類全体を殺す事と同じだぞ?」

「殺す!!」

 

 母を殺された。高らかに笑うウェルを、マリアは生成したアームドギアで襲い掛かった。ウェルは左手こそネフィリムの力を宿しているが、その体はまだ人間のものである。シンフォギアを纏うマリアにとっては、命を奪おうと思えばそれほど難しい事では無かった。

 

「ふはははは、流石の僕も殺されるのは御免被りますよ!!」

「な……!?」

 

 ウェルに突き付けた烈槍。光の壁に阻まれていた。障壁。黒金の持つソレに近い者が生成されている。ウェルの首元に掛けられたペンダント。銀色の輝きを淡く発している。まさか。マリアはすさまじい悪感に襲われた。

 

「英雄と呼ばれた者は去り、真の英雄の力は呼び起こされる。聞かせてあげますよ、覚醒の鼓動を! これが僕の手にした本当の力ですよ!! 英雄の剣(ソードギア)、抜剣!!」

 

 ――血脈に宿る刃(ブラッドスレイヴ)

 

 ウェルの体がシンフォギアに近い、それ以上の輝きに覆われる。完全聖遺物ネフィリムによって増幅されるフロンティアのエネルギー。それを限界まで英雄の剣に注ぎ込んでいた。その強さはシンフォギアをも凌駕する。天才であるウェル博士が、何度も英雄に挑み導きだした、人に扱えるギリギリまで力を高められた外部兵装。白き輝きを放つ外套。羽のように展開された十二本の飛翔剣。そして、両手に生成される英雄の剣。改良に改良を重ねた、ウェル博士の為に作られた最後の英雄の剣だった。その輝きは、ルナアタックの英雄たちの纏ったエクスドライブにすら匹敵しかねない。漲る力が、ウェルの全身を迸った。

 

「これが英雄の剣。これが、英雄に与えられた力……! くくく、ふふふ、はっはははははっははは!!」

 

 自身の両手に生成された二振りの剣。背を守る様に展開される剣の翼。全身を覆う気力の外套。その全てが、英雄となった男に力を与えていた。

 

「ウェル!!」

 

 予想だにしていなかった展開に、マリアは一瞬怯むも、母を失った怒りがその程度で萎える事は無かった。両手で裂槍を強く握り直し。ウェルに向かい斬りかかる。

 

「フィーネを語りし偽りの装者。世界を守る大義の為に悪を為すと決めたのでしたね、マリア?」

「な!?」

 

 全力の一撃。それを、ウェルは視線を移す事もせずに受け止めていた。掲げられた左腕。聖遺物を操れるネフィリムの腕を以て生成された、最も出力の高い剣で受け止められていた。硬直。何だこれはとマリアは思う。戦いなどした事の無いウェルを全力で打って尚、一歩たりとも動かす事が出来なかった。

 

「僕が認めた男は身を以て示してくれましたよ。意志の宿った一撃は、何者にも阻めはしないと! それに比べれば、お前の槍は軽すぎる!! そんな覚悟で世界を背負おうとしていたなんて、笑わせないでくださいよ!!」

 

 無造作に降り抜かれた一撃。銀閃。剣聖の力で吹き飛んだマリアに、十二本の飛翔剣が追撃をかける。

 

「かは……!!」

 

 マリアの持つ烈槍を撃ち砕き、黒き外套をずたずたに引き裂いた。たった一度の交錯。それだけで、英雄の力を得たウェルに、マリアは完膚なきまでに撃ち破られていた。

 

「ふはははは!! 強い、強すぎるぅ!! 僕の剣は圧倒的じゃ無いですか!! まるでシンフォギアがゴミのようだぁ!! この力があれば、僕はこの世界最後の英雄だ!! やったあああああああ!!!!」

 

 為す術もなく吹き飛ばされ倒れ伏すマリアに、ウェルは興奮が収まり切れず高らかに笑った。英雄の剣は今解き放たれる。それは、真の英雄の誕生だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『愛は奇跡を起こす、か』

 

 風と煤だけが吹き荒れる場所で、呟きが響き渡った。

 

『魂を斬られただ消えるだけの私が、何の因果か今ここに在る』

 

 始まりの巫女はただソレを見据え言葉を紡ぐ。

 

『少女の歌は奇跡を起こしたわ。互いを思い合う友愛の歌が。支え合う親愛の歌が。寄り添う相愛の歌が。世界を守りたいと言う慈愛の歌が。それが今、私をこの世に繋ぎ止めている』

 

 上泉之景の身に着けていたネフシュタンの腕輪。フィーネの器である月読調が触れた時、その力は既に起動していた。消えかけていたフィーネの魂の一部がそれに乗り移っていた。元々フィーネと一体化していたネフシュタンの欠片である。器となるには何の不都合も無かった。

 立花響が小日向未来を救う為に歌った歌。暁切歌と月読調が互いを想い歌った絶唱。風鳴翼と雪音クリスが守りたいものの為に歌った絶唱。そしてマリア・カデンツァヴナ・イヴが世界を守りたいと願い歌っていた。その全てが、弱弱しく起動していたネフシュタンの力を力強く脈打たせる。

 

『全く、この男は人に愛されている事を知れと言っておきながら、自分がまるで解ってないじゃない』

 

 フィーネは駄目な子供に言い聞かせるように呟く。ネフシュタンの腕輪。それに僅かに宿ったフィーネの意志により腕輪は制御されていた。それは、今のフロンティアに高レベルなフォニックゲインが収束されているからこそできる芸当だった。歌に引き起こされた奇跡。確かに起こっていた。

 

『あなたは確かに守ってくれたけど、あの子の体だけ守っても仕方が無いじゃない。あそこまで言ったのなら、責任取って心も守り切ってもらわないと。だから、自分がどれだけ思われているか自覚しなさい。あなたが認めようと此処で死ぬなんて、あの子の母親変わり(わたし)が許さない』

 

 心臓は止り、体の機能は停止している。だが、その魂は未だ消えてはいない。身体は欠片が維持している。

 

『始まりの歌は、ただの風であった。歌によって起こされる奇跡の始まりもまた、風でなければならない』

 

 実体のないフィーネが、上泉之景に触れる。

 

『あの子らは先に奇跡を起こして見せた。ならば、あなたはまだ寝てはいけない。風は、奇跡の通り道を吹き抜けなければならないのだから』

 

 フォニックゲインの高まり。それが、ネフシュタンの力を十全に用いるのに十分な高さまで極まる。

 

『後を行く者が奇跡を起こして見せたのよ。あなたはもう一度立ち上がって見せなさい』

 

 衝撃が駆け抜けた。

 

「どうやら……、おちおち寝かせても貰えない様だ」

 

 一陣の風が吹き抜ける。

 

『あら? 助けない方が良かったかしら?』

「まさか。夢を見ていたよ。剣聖を名乗る愚か者に、一手指南して来いと言われた」

 

 剣聖は笑みを浮かべる。覚醒の鼓動。確かに脈打っていた。

 

 

 

 

 

 

 




マリア、世界に向け歌を歌う
ウェル博士、壁を打ち破り真の英雄へと至る
フィーネ、フィーネフシュタンとして再誕

英雄の試練内容を更新
・大切なものを守る為、命を落とす
・死して尚、再び立ち上がる


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18.無双の一振り

「私には、何も救えない……」

 

 身に纏うギアをずたずたに引き裂かれ、烈槍すらも砕かれたマリアはへたり込み呟いた。瞳から力が消えうせる。世界を守る事が出来ず、母を殺した相手を殺す事も出来ず、手にした槍も無様に手折られてしまっていた。唯一彼女を突き動かした憎いと言う想いも、覚醒した英雄に無惨に引き裂かれ、生きる意味すら失った。心の底からの絶望。ガングニールを纏った少女にそれが舞い降りる。

 

「世界を守れず、マムの仇も取れはしない。私は、何の為に生きれば良いの? 私は、一体これまで何のために……?」

「世界は一度壊れますよ。人間と言う種は限りなく少なくなる。唯一生き残った人間を増やす為に、女として生きる為じゃないですか?」

「……ッ! 私は私はそんな事の為に悪を為したんじゃ……」

「そうですね。ですが、あなたは何一つとして自分で決める事が出来なかった。背負う事が出来なかった。そんな弱すぎる女にできる事なんて、子供を産む以外に何があるって言うんですか!」

 

 生きる希望を失った少女に、英雄は哄笑を浴びせながら答えた。更なる絶望が襲う。ウェルにはもう、世界を救う気など無くなっていた。月の衝突によって起こる大破壊。それをフロンティアでやり過ごした後、楽園を作る心算でいた。幸い、このフロンティアには僅かにだが人間は存在している。ウェルには今や英雄の剣があり、装者を手折る事など何の障害にもなりはしない。装者達は見目は良い。ウェルにとって大して重要な事では無いが、再び人を増やしていく器には最適だったと言う訳だ。殺さずにいたのは、ただそれだけであった。女を集めるのが面倒だ。それだけの為だけに、マリアは生かされたという事だった。

 為したかった理想に撃ち砕かれ、大切なものを失い、生きる希望すら失っていた。マリアの瞳から涙が零れる。全てを踏み躙られた挙句、慰み者にされなければいけないのか。自分が生きたのは、そんな事の為だったのか。既に折れていた少女に、耐える事などできる筈がなかった。恥も外聞もなく泣き崩れる。

 

「ははははは。そうなると可愛いものですよ。フィーネを語った事でも思い出して、自分がいかに駄目な女であったか思い出してみると良いですよ。それ位は、許してあげますから」

 

 ウェルの笑い声だけが響き渡る。涙だけが零れた。誰か助けて。呟く。返事など来るはずがない。母は月に飛ばされ、友である調は離反し、切歌はその調とぶつかり合っていた。彼女が頼れるものなど、既に何処にも無くなっていた。唯一あったガングニールすら、何の抵抗をする事も出来ず粉々に砕かれている。何一つ打つ手がなかった。砕けたガングニールが視線に入る。

 

「僕は人の庭を駆け回るノラ猫を駆除しなければなりません。充分に噛み締める時は上げますよ。英雄は優しいんですよ。英雄の剣はシンフォギアを遥かに上回る性能を出している! 主人自ら出る必要など既にないという事ですよ。だから、ネフィリムでも操りながら時間を潰させて貰いますよ!!」

 

 両手でフロンティアを制御し、完全聖遺物であるネフィリムをフロンティアの力で生成する。残っている装者を手折る為、ギアの反応を観測、最適な位置に出現させていた。ウェルの意識は制御に集中していた。最早、マリアに何もできない事を確信している。そしてそれは事実だった。マリアにはウェルをどうこうする力は無かった。しかし、槍を持つ事だけは出来た。チャンスは今しかない。

 

「ごめんなさい。マム。調。切歌。セレナ……。私には、何も出来なかった。何も、守れなかった……。こんな私には生きる価値も、意味も、何もない……」

 

 涙が零れ落ちる。このまま自分の胸を一突きにすれば楽になれる。全てを砕かれた少女にとって、それは酷く魅力的な誘惑だった。目を閉じる。手が震えた。自分を信じてくれた人たちの姿が脳裏に浮かびあがる。時に厳しく、時に優しく自分を導いてくれた母。本物の親では無いが、マリアにとっては母親であったナスターシャ。何時も自分の傍に居た二人の親友。調と切歌。そして、自分たちを守る為に、遥か昔に死んでいった最愛の妹。マリアの歩んだ軌跡が、死を選んだ今、魂に刻み付ける様に思い浮かんだ。

 

「私に生きる意味なんて、何もなくなった」

 

 烈槍を強く握った。怖い。手にした槍が情けない程震える。唯一取れる、自死と言う手段すら怖くて仕方が無い。だが、もうマリアに残されているものはそれしか無かった。何一つ守れず、全てを失った少女にとって、最後に取れる手段は、せめて尊厳を守る事だけであった。好きでも何でもない人間の子を産むなど、許容できる訳がない。恐怖に揺れる心を奮い立たせるため、両手で烈槍に力を入れる。涙と共に、絶望が零れ落ちた。

 

「意味なんか、後で考えれば良いじゃないですか。だから、生きる事を諦めないで!!」

 

 不意に声が聞こえた。それだけで、マリアの手は止ってしまう。怖くて怖くて仕方が無かった。それでも無そうとした選択は、たった一言だけで覆されてしまっている。マリアはウェルに意志が弱いと烈槍を手折られる事で身を以て知らされていた。確かにそうだと自覚する。聞こえた言葉に、ただただ安堵していたからだ。

 

「おやおや、誰かと思えばあなたですか。ははははは。シンフォギアを失った偽りの英雄が何故こんな所まで?」

 

 フロンティアの制御に集中していたウェルは、小馬鹿にした笑みを浮かべる。そんなウェルを一瞥するも、響はマリアに駆け寄り烈槍を手にするマリアの手に触れた。今はウェル博士などに構っている時間は無い。尋常では無いマリアの様子に、響はそう理解していた。

 

「無視ですか。まぁ、良いでしょう。あんたにも散々煮え湯を飲まされはしましたが、今となってはただの女の子に過ぎない。僕は抗わない人間には寛大なのですよ! 英雄になった男ですからね! 偽りの英雄だった少女の無礼にも、慈愛をもって許してあげますよ!!」

 

 自分の得た力に酔いしれるウェルは、響の行動を目の前に居ながら容認していた。手折られた装者と、纏う者が無くなった偽りの英雄。ウェルにとっては、立花響も今やただの少女でしかなかった。マリアに駆け寄った響を見詰め、女は多い方が良いかと呟く。人類を増やすには、雌は多いほど良い。その程度の認識だった。世界が滅んでしまえば、力を持たない少女たちはフロンティアに居る以外に選択肢がない。今の彼女らにできる反抗など、英雄は揺るぎはしないのだからと余裕を持って接していた。

 

「あなたは……」

「私は立花響、16歳。最近恋をした私が、マリアさんとお話をしたくて此処まで来ました!」

 

 自分には何もない。生きる意味すらも失っていたマリアにとって、最早響の言葉だけが生にしがみ付けていた。ぽつりと呟く。響はにこりと笑った。生きていれば意味は後から付いて来る。あの人に初めて会った時に言われた言葉。響にとって今は大切な友達が、まだ手を繋いでくれる人間を探していた頃。その時出会った先達が教えてくれた言葉だった。今度は私が伝える番だ。そんな思いを乗せて響はマリアに語る。

 

「なにを……。私にはもう何もないのよ……」

「調ちゃんに頼まれたんです。マリアさんと手を繋いで欲しいって。泣いてたら、慰めてあげて欲しいって。必ず迎えに行くって伝えて欲しいって、頼まれたんです」

 

 例え今は何もわからなくても、後から分かる時が来る。何も無いなんて事、ありはしない。響はマリアに真っ直ぐに伝えていた。調が想ってくれている。そんな言葉に、マリアの胸の中の何かが打たれる。

 

「だから、マリアさんはこんな所で死んじゃダメです。絶対にダメです!」

「でも、どうすれば……。私にはもう何もする力は……」

 

 響の言葉に暗闇の中に一筋の光が差し込んだ。思わず顔を上げる。だが、英雄の剣が目に入った。あの力には自分は敵わない。たった一度の敗北で嫌と言うほど思い知らされていた。絶望に抗う強さが今のマリアには湧き出てこない。立ち上がる気力が何もなかった。

 

「なら、私が代わりに戦います。マリアさんを守ります!」

「何を……」

 

 どうしようもないと涙を零すマリアに、響は小さく笑った。あの人は何度も自分を助けてくれた。守ってくれた。その背中に憧れた。その姿を恋しく思った。自分もそんな人と同じ事が出来るようになるんだ。そうでなければ隣に立つ資格は無い。自分の為に、そして泣いているマリアの為にもまだ終わる訳にはいかないんだ。そんな意思を瞳に宿しマリアを見詰めた。

 

「あなたが代わりに戦う? シンフォギアすら失くしたあなたが? 英雄であるこの僕と? くくく、ふはははははは!! おかしすぎて腹が痛い!! くははははは!!」

「笑いたければ笑ってくれても良いですよ。この思いは、絶対に絶対ですから」

 

 ただの少女でしかない響が、英雄である自分に挑むと言うのか。その発言の荒唐無稽さにウェルは腹を抱え笑い転げた。そんな哄笑にも響は揺らがない。先を行く人は何時も無理だと思える事を為していた。そのほんの少しでも、同じ事を為すんだ。

 

「止めなさい。シンフォギアすら失ったあなたでは……」

「そうですね。私にはもうガングニールは無い。だけど、ガングニールはここに在ります」

「え……?」

 

 響はマリアのガングニールにゆっくりと触れる。そして小さく笑った。大丈夫。必ず守ります。私はそうして貰いました。だから私も守るんです。そんな事をマリアに囁く。響の言う事がマリアには良く解らなかった。だけど、目の前の少女の強さに圧倒された。恋する女の子の言葉に、圧倒されていた。

 

「だから、少しだけ借りますね? Balwisyall――」

 

 確固たる意志の下に歌われる聖詠。思わず目を見開いた。何が起こっているのか解らない。だが、目の前では奇跡が起きようとしていた。マリアのギアが解除され、響が光に包まれる。立ち上がった。歌が響き渡る。涙が零れる。

 

「これは……、あなたの歌?」

「違いますよ。これは、私のじゃありません。私たちの歌です」

 

 マリアの呟きに響は首を振る。一人のガングニールでは無い。響にとってガングニールには奏がいてマリアもいた。だからたった一人のものでは無い。皆のガングニールだった。

 

「バカな……」

 

 目の前で行われている事実が信じられなくてウェルは呆然と零す。強さでは無い。あり得ない現実の姿に圧倒されていた。力を失った偽りの英雄が、再び奇跡を纏う。

 

「これが私たちのガングニールだあああああああああ!!!!」

 

 ウェルに向かい響は吠える。守ってくれと言われた人間が、涙を零しただ泣き崩れていた。かつて泣いていた未来の姿に重なる。絶対に守るんだ。たとえ相手が英雄の剣であったとしても、響には退けない理由が出来ていた。何度も苦汁をなめさせられた剣である。それでも失った奇跡を再び纏い英雄の剣と対峙する。

 

「マリアさんは、私が守ります」

 

 そして響は小さく笑う。マリアと響では背負っているものが違った。託されているものが違った。マリアが背負っているものも全てを背負う為に響は奇跡を起こして見せていた。マリアは勝てないと悟る。小さく笑う姿が、泣いてしまう程頼もしかった。

 

「あなた如きが僕に勝てるとでも?」

「やってみなければ解りません!!」

 

 拳を握りウェルを見据える響に、落ち着きを取り戻したウェルは静かに尋ねる。確かに奇跡は起こっていた。だが、所詮は撃ち砕いたガングニールに過ぎない。その力は英雄の剣には遥かに及ばない。それでも尚挑むつもりなのか。響は迷い無く言い切っていた。その瞳には負けないと言う意志だけが宿っている。面白い。英雄は笑みを浮かべる。ウェルにとって響もまた、何度となく自分を邪魔してくれた存在だった。折角生き延びさせようと慈悲を掛けたのにも拘らず、明確に反抗の意志を示していた。撃ち砕くのに、十分な理由が出来たと言える。飛翔剣を展開した。十二の剣が舞い上がる。剣の翼。響を迎え撃つ様に展開される。

 

「私は生かす事を諦めない。だからマリアさん。生きる事を諦めないで!!」

「私は……」

「ははははは!! 何処かで聞いた言葉では無いですか!! それがあんたの遺志だと言う訳だ!! 消えて尚僕の前に立ち塞がると言う事ですか!! 流石は英雄の言葉だ。偽りの英雄にすらも戦う意思を持たせる。だからこそ、僕の好敵手として相応しい!!」

 

 凄まじい速度で両手に剣が生成される。同時に飛翔剣が空を舞う。踏み込み。その全てを置き去りにして響は飛んだ。一撃。

 

「軽い。軽いですよ偽りの英雄よ!!」

 

 両手の英雄の剣に阻まれる。拳を流した。勢いを殺さないままの二撃目。両の手を用い撃ちかかる。連撃。流れる様に叩き込む。拳をぶつけ、肘を打ち、懐に入り込む。

 

「押し切る!!」

「その程度で何が出来るのです!!」

 

 一気に叩きつけた拳が飛翔剣に阻まれる。斬撃。十二のソレが響に向かい時間差で襲い掛かる。飛び、打ち、蹴り、加速し、響は凌ぎながら速度を上げる。眼前。ウェルが笑う。

 

「おおおおおお!!」

「その程度では英雄には遥かに届きませんよ!!」

 

 一気に詰めた距離。銀閃。左腕の撃槍で止める。二の太刀。右腕で受け止める。飛翔剣。両腕が既に塞がり受け止める事は出来ない。哄笑。ウェルの口からそれが零れる。風が吹き抜ける。跳躍。響はぐるりと飛んだ。受け止められなければ受けなければ良い。そんな至極当然の結論に達し飛んだ。跳躍からの踵落とし。

 

「これなら!」

「好い線は行っています。だが!」

 

 飛翔剣が撃槍を阻む。剣の速さは元となった剣の強さから導き出されている。並大抵の一撃では、飛翔剣を超える事はできはしない。足。更に剣を支点とし響は舞う。連打。蹴りと拳。それを防ぐ飛翔剣の接触を更に基点とし、連打を打ちながら舞い踊る。

 

「こ、これは……」

「私は、守るんだ。博士になんて負けられない!!」

 

 宙を舞う撃槍に思わず英雄は目を見開く。それ程に響の技が研ぎ澄まされ、鋭く速くなる。焦り、それが浮かぶ。押し切るんだ。打ち込みながら、加速する。着地反発。推進装置を用い一気に飛び込む。

 

「まさかそんな!」

「これでえええええ!!」

 

 渾身の一撃。飛翔剣を置き去りにし、右腕を振りかぶった。

 

「なんてな!!」

「な……ッ!!」

 

 打ち込んだ一撃。英雄の剣を交差させ正面から受け止めたウェルは、再び嘲笑うような笑みを浮かべる。飛翔剣が加速する。それを推進装置と腕部ユニットを展開、超加速する事で凌ぎ切る。速い。否、響のシンフォギアで相手にするのには速過ぎる剣撃が襲い掛かる。瞬間速度であれば響の方が上である。だが、細かな機動が出来なかった。十二の剣に追いつめられ、徐々に切り傷を付けられていく。

 

「立花響!!」

「大丈夫。このくらい、へいき、へっちゃらです!!」

 

 思わずマリアが声を上げる。それを安心させる為、響は笑う。斬撃。荒れ狂うその只中に在りながら、響は生かす事を諦めない。生きる事を諦めない。自分で言った言葉をその身を以て体現していた。強く拳が握られる。

 

「私は、なんて無力なの……」

 

 ギアすらも失ったマリアには、割って入る事などできはしない。己を助けようとする少女が、斬られる姿を見ている事しかできない。泣き止みかけた瞳に、再び涙が零れ落ちる。

 

「諦めちゃ駄目です! 私がマリアさんを守ります。だから、諦めないで!!」

 

 響の言葉だけがその場に広がる。剣の嵐の中、少女が諦めるなと声をかけ続ける。

 

「健気ですねぇ。これも英雄の残した遺志と言う訳ですか。ですが、その意志を折る方法を僕は知っているんですよ!!」

 

 そんな姿を見たウェルは、深く深く笑った。悪意。英雄の剣の他、言葉の刃を抜き放つ。いい加減に煩わしい。英雄の予想をはるかに上回る粘りを見せる響に、英雄は本気になり始めていた。

 

「私は折れない!!」

「いいえ折れますね。あなた如きに、英雄の真似事は無理なんですよ」

「私は英雄なんかじゃない! だけど、あの人がやってくれた事ぐらいは!!」

 

 響は何度も守って貰っていた。それと同じ事を自分も成したい。そう思っている事は、ウェルの目には一目瞭然だった。上泉之景の言った言葉と似通う事が多く、立花響自身が何度もユキに助けられているのを、敵対者であるウェルが一番よく知っていた。少女の心を折る事など、天才のウェルにとっては大して難しい事では無い。口元が歪む。楽しくて仕方が無かった。

 

「その上泉之景は、僕が殺しましたよ!! この僕が、英雄を殺した!!」

「……え?」

 

 隙を見て一気に包囲を抜けた響にウェルは言い放つ。敢えて晒した隙。少女は何の迷いもなく、餌に飛びついたと言う訳だった。これ以上ないタイミング。これ以上ない距離でウェルは事実を暴露する。響の支えとする人間の死。ウェルが己が手で引導を下していた。正確に言えば黒金の自動人形が行った事なのだが、英雄の剣を用いた出来事は全てウェルの為した事であった。そう思い定めていた。

 

「腹部を貫き、内臓を深く抉りましたよ!! それでも尚あの男は自分の守りたいものを守る為、武器すらも後進に託しましたよ!! 素晴らしい覚悟じゃありませんか!! 敵の眼前で、弱きものを守る為、自ら丸腰になったのですよ!! 殺してくれと言わんばかりじゃないですか!!」

「う、そ……」

「本当ですよ!! この僕が、英雄を殺したんだ!! ふはははははははは!!」

 

 予想だにしていなかった言葉に、響の拳が鈍る。その隙を見逃す英雄では無かった。両手の剣を以て、響を吹き飛ばした。飛翔剣。追撃の為、展開される。

 

「ですから、お前の倒し方も熟知しているのですよ!! こうすればあんた達は、動かずにはいられない!!」

「ッ! マリアさん!!」

「え……?」

 

 響にではなく、マリアに向け剣が放たれる。ギアを纏わぬ生身の人間。英雄の剣が駆け抜ける。呆然と見つめていた。避ける事などできはしない。響はマリアの為に戦っていたのだ。目を逸らす事などできはしない。そんな人の意志をあざ笑うかのように、飛翔剣はマリアに向かう。加速。響は飛んだ。

 

「あぅぅ……ッ!!」

「立花響ッ!?」

 

 飛翔剣の中を超加速で突っ切り、マリアを庇うように飛ぶ。斬撃。いくつものそれが響を切り刻む。痛みを無視し、響はそれでも加速を止めない。跳躍と反発。ユキが用いるように無理やりの加速を続け、剣を振り切る。それでも、その身にいくつもの斬撃を受けていた。深い傷は無い。だが、能力の低下は否めない。

 

「なんで……?」

「守るって言いました。だから、必ず守るんです」

 

 呆然と零すマリアの言葉に、響は小さく笑う。この位の傷、あの人に比べればと小さく呟く。だけど、死んだと言われていた。涙が零れそうになる。たとえそれが事実だとしても、響には信じられなかった。ユキさんがウェル博士なんかに負けるはずがない。動揺する自分に何度も言い聞かせる。

 

「健気ですねぇ。守る為に自分を犠牲にする。あの男とそっくりです。愚かすぎて反吐が出る」

「ユキさんを馬鹿にするな!!」

「馬鹿を馬鹿と呼んで何が悪いのですか? 馬鹿だからこそ、あなたはそんな傷を負うのですよ」

 

 大切な人を馬鹿にされた事で、響は声を荒げる。それを見て、ウェルはちょろいものだとほくそ笑む。激昂させれば更に倒すのが容易になる。再び飛翔剣を展開する。

 

「私は、守るんだ」

「もう良い。もう逃げて……」

「守れば良いじゃないですか。本当に死ぬその時まで、ね」

 

 迫り来る剣に尚も迎え撃とうとする響だが、不意に崩れ落ちる。守る。その意志はあるが、体がついて行かない。気持ちが、心が付いて行かない。斬られた事で恐怖が蘇ってきていた。そんな響の様子に、マリアはもう良いと涙を零す。自分が居なければこの子はこれ以上戦わなくて済む。思うのはそんな事だけだった。既に満身創痍。二人の様子にそう結論付けたウェルは、最後の一撃を放つため、飛翔剣を解き放った。

 

「……ユキさん」

 

 躱せないと悟った響は、せめてその身の盾となる為マリアを強く抱きしめる。呟き。傷付いた少女の口から零れ落ちる。

 どうしてこの子は其処までするのか。何故これほど強く在れるのか。マリアには解らなかった。だけど、此処で終わりだという事だけは解った。神様。せめてこの子だけは助けてください。一度としてマリアに笑いかける事は無かったそれに、最後にもう一度だけ目を閉じ祈りを捧げる。どうかこの優しい少女を守って下さい。心の底からの願いだった。そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一陣の風は駆け抜ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「呼んだか?」

 

 マリアはあり得ない光景を見ていた。男が立っている。斬撃。飛び交う飛翔剣が凄まじいを音を鳴らし砕け散る。無造作に振るわれる太刀に飛翔剣が触れる度、凄まじい斬撃音を轟かし、その全てを阻んでいく。

 

「ユキ、さん?」

「ああ、俺だよ。よく頑張ったな響。後は任せろ」

 

 痛みが来ない事と、あり得ない音が響き渡った事に恐る恐る振り返った少女は、その姿を見て涙を零す。死んだと言われていた。信じられる訳がなかった。だけど、やはりどこかで本当では無いのかとも思っていた。それを否定するように姿を見せた背中。心の底からの安堵と、やっぱりこの人は私を守ってくれると言う事実に響の瞳から涙が零れ落ちた。

 

「お前は! 何故だ。確かに殺したはずだ!! そのお前が何故こんなところに居る!?」

「死んでいたさ。だがな、追い返されたよ。お前は剣聖の血脈を相手に、あろう事か剣聖を騙った。おかげで先代たちに大目玉を喰らった」

 

 驚愕に染まるウェルに、剣聖は口元を僅かに歪め笑う。その身は血と煤塗れである。だが、致命傷を負っている様にはとても見えなかった。何が起こっているのか。天才のウェルであっても解らない。だが、確かな事実があった。剣聖が、ウェルが英雄と認めた人間が再びウェルの前に立ったという事である。

 

「まぁ良いでしょう。あなたが再びこの世に舞い戻ったと言うのなら、今度こそ僕の手で引導を渡すだけの事ですよ!」

「お前が引導を渡す、か?」

 

 ウェルの言葉に、剣聖はやってみろと言わんばかりの笑みを零す。

 

「ええ。真の英雄である僕が忠告してあげますよ。僕をもう以前の僕と思わない事ですね! 英雄の剣を手にした僕の強さは最早絶対! その強さを心して受け止めると良い!!」

「言いたい事はそれだけか? ならば剣を持て。教えてやる。お前に強さと言うものをな」

 

 左手に納刀した童子切を構え、剣聖は英雄を見詰める。その姿にウェルは自身の胸がこれ以上ないほど昂るのを感じた。

 

「抜刀術と言う訳ですか! ならばその速さを、英雄の剣を以て打ち砕いてあげましょう!!」

 

 抜刀術。自身が英雄と認めた男が、ウェルを迎え撃つ為に最速の構えを取ったのだ。

 

「一手指南してやる。来い」

「何時も何時も上から目線で言ってくれますね。くくく、だが、それも此処までだあああああ!!」

 

 英雄の剣の力を十全に用い、瞬間的に加速する。踏み込み。一気にウェルは剣聖の間合いに踏み込んでいった。

 

「ユキさん!?」

「だめ……」

 

 響はその速すぎる加速に悲鳴を上げる。マリアはこれから行われる惨殺を予想し、目を背けた。これ以上誰かが死ぬ姿など見たくは無かった。英雄の剣が振り被られる。銀閃。

 

「え……?」

 

 それは誰の呟きなのか。鮮血が舞っていた。眼前の光景が信じられず、乾いた声が零れ落ちる。

 

「たわけが。お前如きに抜刀術など必要なものか」

 

 視界が反転する。地に叩き落されたウェルの視界が天井を見ていた。宙を舞う砕けた眼鏡。拳。迫る銀閃をあっさりと追い抜いた剣聖は、拳を以て英雄を地に落としていた。何が起こった。誰もがそんな事を思う。剣聖が立っている。それだけが事実だった。

 

「だがな、仮にもお前は剣聖を騙ったのだ。ならば、俺が血脈を代表して見せてやる。数多の英雄が何代にも渡って研鑽してきた剣をな」

 

 言葉と共に童子切が抜き放たれた。再生成されていた飛翔剣。その全てが一瞬で消し飛ぶ。斬撃。唯一無二のそれが、真の英雄に向け突き付けられた。

 

「立て、英雄を名乗った愚か者よ。お前に戦うと言うのがどんな事なのかを教えてやろう」

 

 童子切安綱。数多の戦場を潜り抜けた無双の一振り。それが、英雄に付きつけられる。剣に宿された意志がこれ以上ない程明確に告げていた。戦いはまだ始まったばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




マリア、メンタルブレイクされる
響、颯爽と登場し、再び奇跡を纏う
ウェル博士、スーパー博士タイム
武門、主人公は遅れてやって来る




実は、書いてて最初響が博士を倒してしまったと言う。


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19.始まりの歌

 剣が振るわれる。その度に飛来する飛翔剣は灰が崩れ落ちる様に塵と化す。英雄の剣。フロンティアの力を人間が意のままに操れる限界の力が宿ったそれを、何の感慨も無く撃ち砕いていく。ガングニールを纏う響を追いつめた決戦兵装。それが一振りの刀に為す術もなく破壊されては再び生まれ砕かれる。剣聖。眼前で展開される戦いに、マリアはそんな事をぼんやりと思う。

 突然現れたユキは、その場に立ったまま童子切を振るう。飛翔剣が舞い、ウェルが剣を手に打ち掛かる。太刀が振るわれる度に、銀閃が弧を描く。一太刀にしか見えない斬撃。それが剣とぶつかった時、あり得ない衝突音を響き渡らせる。一体あの一撃で何度の斬撃が放たれているのか。シンフォギアを纏っていないただのマリアにはとても見当がつかない。ただ、その武骨なだけの音色に何処か引き付けられる。戦場で奏でられる鉄の演奏に、音楽家としての何かが惹かれていた。背中。煤と血に塗れたそれだけが胸を打つ。この人は自分を守ってくれるのか。立花響がそうしてくれたように、剣聖は自分に手を差し伸べてくれるのかと言う淡い希望が灯る。

 

「やっぱりユキさんは……私を守ってくれる。苦しい時、来てくれる……」

「あなたもしかして……?」

「言っちゃダメですよ。絶対にダメですからね」

 

 響が小さく零した。互いに抱き合う様に倒れていた少女の目が合う。響が小さくはにかんだ。出会うなり最近恋をしましたとカミングアウトされていた。正直言って、あの時のマリアには戦場で何を馬鹿な事をと思ったものだが、今の響の表情を見るとそれも仕方が無いと納得してしまった。確かにあれはずるい。自分たちが為す術もなく撃ち破られた力を圧倒していた。だが、そう言う意味では無い。マリアを命がけで守ろうとした響を守り、力を振るい傲慢の限りを尽くしていた博士を地に叩き落していた。その姿から見られたのは人としての怒り。守るべき技で守るべき子らを傷付けた事への明確な敵意だった。そうでありながら、戦い抜いた響に、一言よく頑張ったと告げていた。それだけである筈なのだが、だからこそ胸を打つものがある。ただ、言葉ではなく行動で語ったと言うだけの事である。剣聖の剣は相手を打倒する技である。だが、その技を以て二人は守られていた。かけられる言葉は殆ど無かったが、そんなものなど必要ないと言う事は、響の様子から痛いほど良く解ってしまう。

 

「たった一撃入れただけで良い気にならないで欲しいですね!! 最強の英雄を舐めるな!!」

「……最強の英雄、か。お前の強さとは何だ?」

 

 初めて受けた明確な一撃に額から血を流しながら英雄は激昂する。そんな姿を見て、剣聖はただ童子切を緩やかに流す。やや下段。刃を止める。

 

「それを今から見せてやると言っているのですよ!!」

 

 砕かれた飛翔剣を再生成。十二のソレをユキの全方位に展開する。そのまま己も最高速度に達し、一気に斬り込んだ。斬撃が駆け抜ける。

 

「――喝ッ!」

「――ッ!!」

 

 剣聖の腕がぶれる。斬撃の結界が駆け抜ける斬撃を全て弾き飛ばした。刃を振りかぶり笑みを浮かべた英雄。剣聖の気迫を正面から浴びる事になり笑みが凍り付く。それは風鳴翼ですら浴びた事の無いものである。上泉之景の剣気と意志、そして斬り捨てても構わないと言う気迫だった。剣聖の気当て。英雄の剣を振りかぶった英雄は、未だかつて浴びせられた事の無い剣気に刃が揺らぐ。一閃。童子切が振るわれていた。英雄の剣が砕け落ちる。何が起こった。ウェルがそう思った時には既に剣聖は一歩踏み出し、ウェルとはすれ違うようにして立っている。英雄の剣により全てを強化されているウェルにして、何が為されたのかまるで理解が出来ていない。ただ斬り裂かれていた。

 

「お前の強さと言うのは何だ? 武器か、技か、それともおまえ自身か?」

「なぁ……ッ!? くぅ……、そうですか、あなたもまた随分と優れた刃を持っているようだ。それは認めましょう。その剣は僕の剣に匹敵するものを秘めている」

「成程。剣が強いと言う訳か」

 

 苦し紛れに零された英雄の言葉。剣聖は口許を緩める。お前の強さは剣か。そんな呟きだけがマリアと響に届いていた。

 

「では、指南を続けようか」

「ユキさん……?」

「な……!? あの男は何を考えているのッ!?」

 

 

 直後、剣聖はあり得ない行動に出る。二人は思わず絶句する。あろう事か剣聖は童子切を捨てたのである。鞘に納め地に突き刺す。床に鋭い亀裂が走り、童子切は突き立った。それはそれで常識から遥かに離れた光景ではあるのだが、今の二人にはそんな事はどうでもよかった。英雄の剣を前に、武器を捨てたのである。何を考えているのだと思うのも仕方が無いだろう。

 

「童子切は捨てた。これは二課で支給されるただの警棒だ。武器が良いなどとは言わせんぞ?」

 

 先程と比べれば随分と見すぼらしくなった武器を手に、剣聖は英雄を手招きする。右手。警棒が一振り握られている。悠然と佇み、ただ笑う。剣の意志が英雄に来いと伝え続けている。どこから見ても冗談としか思えないその行動は、本気の意志を以て示されているのだとその場にいる全員が気付く。何かが切れていた。剣聖は、英雄の斬ってはならない線をあっさりと斬り裂く。

 

「ふざけて居るのか上泉之景ッ!!」

「ふざけてなどおらんよ。言った筈だ。お前には強さと言うものを、戦いを教えてやると」

「何時も何時も何時も何時も!! お前は力を振り翳し、したり顔でものを言う!!」

「当たり前では無いか。武を研鑽してきた武門が、科学者に武を説いて何が悪い」

 

 御託は良いから来いと手招きするユキに、遂にウェルは切れた。上泉之景にとってウェルは英雄などでは無い。ましてや武に属する者ですらない。どれだけ強い武器を持とうとも、武においては門弟にも満たない程度の扱いでしかないのだ。力の使い方を知らぬ者に、使い方を身を以て教えてやると言うだけの事だった。もっとも、教えたとしても使わせる気は無いのだが。

 

「気に入らないんだよ!!」

 

 襲い掛かる飛翔剣。何度目かの再生成されたそれを見詰め、剣聖はゆるりと動く。飛翔剣がその動きに誘われるように軌跡を逸らした。目標への修正。機械的に制御される英雄の剣は、標的へと向かい狙いを定める。

 

「動けば隙が出来る。であるからこそ、最小限の動きで相手を大きく動かす事で主導権を握る。基本にして深奥だ。自動制御されている刃など、剣技に非ず」

「ふざけるな!!」

 

 瞬間、剣聖が動いていた。動いたと認識する時には、既に刃は全て手折られている。警棒。童子切が放ったそれと同じ音を響かせ、飛翔剣を粉々に打ち砕く。あまりの光景に英雄は目を見開いた。なんだ。一体何が起こっているんだ。つい先ほどまで英雄の剣を振りかざし、その力に酔いしれていた張本人であるからこそ、眼前の光景がいまだに信じられない。咆哮。既に剣聖は眼前に存在していた。呼吸が止まる。静寂が包み込む。暗転。何が起こったのか解らないまま、ウェルは地に伏せられる。

 

「ふざけてなどおらんよ。お前が剣聖の力などと嘯くから試しているのではないか。本当に剣聖足り得るのかを」

 

 何を言っているのだとユキはウェルを見詰める。本当に剣聖の力だと言うのならば、ユキですら凌駕出来るはずなのである。立てとユキは英雄に背を向け告げた。間合い。仕切り直すように取られていた。歯を食いしばり再び立ち上がったウェルに、ユキはただ笑う。やるでは無いか。その気概だけは認めてやる。そんな事を呟く。警棒を捨てた。

 

「では、一手参ろうか?」

「そんなに死にたいと言うのなら、殺してやる!! 英雄を、なめるなああああああ!!!!」

 

 すでに何度も手折られた飛翔剣。それを生成する事もせず、全ての力を英雄の剣に注ぎ込む。真打。自分の持つ剣の中で最も優れているソレを手繰り寄せる為、ウェルは全ての力を解き放つ。一振りの剣。真の英雄の剣が生成されていた。剣聖はただ見つめた。潮合に到達する。ウェルが全霊を込めて踏み込んだ。斬撃。風が駆け抜ける。

 

「お前では俺を殺せんよ」

「馬鹿な……ッ」

 

 交錯。先手を取らせたユキはぶつかり合う瞬間踏み込んだ。手刀。英雄の剣を根元から圧し折っていた。柄。ウェルの持つ手と僅かに開いた隙間に斬撃を打ち込み、剣を殺していた。刃が回り、地に突き立つ。使い手から離れた事で、英雄の剣はその姿を消していた。

 先程から行われる、あまりにも常識から外れた立ち合いに当事者であるウェルは膝を突き呆然と呟いた。

 

「無手で相手をした。次はどうして欲しい? 何を捨てればいい?」

「嘘だ……。僕は英雄になったんだ。こんな事、ある筈がない……」

 

 次はどのように加減をすれば良いと問う剣聖に、英雄は膝を突く。作り上げた力が撃ち砕かれる。こんな理不尽な事が現実な訳がない。呆然と呟く英雄に剣聖は告げた。

 

「剣を持っただけで英雄になれるか馬鹿者。お前など、剣の使い方も知らぬ科学者では無いか。少し強い武器を持っただけでのぼせ上がるな」

 

 武に属する者、ただ戦う為に研ぎ澄まされてきた末裔の言葉は、英雄の胸を深く抉ったのだった。ぎりぎりと、深く歯を噛んだ。馬鹿にしているのか。そんな思いだけが英雄の胸に渦巻く。

 

「剣で勝てないとしても、まだ僕にはフロンティアがある!!」

「ふん。結局お前の剣など、その程度という事か」

 

 示される力を前に、剣を交わす事を諦めた英雄を剣聖は静かに見据えた。上泉の剣は、数多の英霊たちが戦う為だけに磨き上げたものである。中にはユキ以上の天才もいた。そんな化け物たちが只戦う為だけに生涯を捧げた技が一朝一夕で越えられる訳がない。英雄の剣が武門の前に敗れ去るのは当然の帰結だと言えた。英雄は剣聖では無く、剣聖と呼ばれた者達全てに挑んだのだから。英雄の剣を手折られたウェルは、だが、瞳には折れぬ意志を宿したまま左腕を掲げた。

 

『良い。このままやらせなさい』

 

 童子切を手にして動こうとした剣聖に、ユキだけが聞こえる声が囁いた。ネフシュタンの腕輪に宿る意思。フィーネの言葉だった。ほんの少しだけ考え、ユキは動くのを止める。今のフィーネに世界を如何こうする意思が無いのは知っていた。敵ではあったが、今は雪音クリスの母親代わりにその行く末を見守る存在だった。その言葉には、警戒すべき事は無かった。

 

『今此処で奴を倒しても、問題は解決しない。更なる歌が必要になる。月を動かすほどの歌が、ね。何かしたいと言うのなら、全て出し尽くさせた上で手折るのがあなたの役目よ』

『全く、好き放題言ってくれる』

『あの子らの歌で生かされたのだから、あの子らの為に戦うのが道理じゃないかしら』

 

 ユキはフィーネの言葉に頷く。止めようと思えば止められた。だが、今のままでは歌が足りなかった。フォニックゲイン。それが極まるまでは、問題を解決する事が出来ないとフィーネは囁く。英雄を倒したとしても、月が落ちては何の意味も無いからだ。何よりも、ユキとしてはウェルを此処で折っておきたい。あの妄執は、並みの敗北では消せないだろう。全てを出し尽くさせた上で折る事で、初めて終わらせる事が出来る類の人間だった。

 

「英雄の剣が折れようと、僕にはまだフロンティアがある!! ネフィリムの力で、お前たちを消し飛ばしてやる!!」

「……結局お前は何かに頼るのだな」

 

 剣を用いた戦いでは剣聖には勝てなかった。だが、それでもまだフロンティアが存在していた。フロンティアと一体化したネフィリムの力がまだ残っている。先程生成したネフィリムに更なる力を送ると同時に、自身は退路を作り出しその中に滑り込む。撤退。フロンティアの心臓部に向け、最後の手段を取る為に向かう心算だった。

 

「最後に勝つのはこの僕だ!!」

「無理だな。お前では勝てはしないよ」

 

 姿を消すウェルをあえて見送り、ユキは言っていた。完全聖遺物ネフィリム。その力を解き放とうとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユキさん!」

 

 童子切を手にし、博士が居なくなった為、倒れていた二人の無事を確認しようと振り向いたところで、響が飛び込んできていた。

 

「生きてた。やっぱり生きてました!!」

「一度死んだがね。まさかフィーネに叩き起こされるとは思わなかったが」

「ええッ!? それに了子さんにですか!?」

 

 奇跡を纏う少女を受け止める。只でさえ今の自分は血と煤だらけであり、ウェルによって死んだとも伝えられていたようだ。この優しい子が感極まるのも仕方が無いだろう。自らの腕を落とし、親友を好き放題していた英雄の剣にただ一人で挑んでいた。強いとは言えまだ子供だった。怖かったのだろうと容易に思い当たる。ねぎらう様に背を撫でた。とは言え悠長にしている時間は無い。名残惜しそうな響を言い聞かせ離れる。フィーネに助けられたと教えると、驚いたように目を丸め、その後嬉しそうに笑った。大輪の花が咲く。その姿は響らしいとつられて笑った。

 

「ユキさん。ネフィリムは私に、私達に任せてください。ユキさんは、ウェル博士を」

「……そうだな。任せる。あの男とは決着を付けねばならないからな」

「はい! 任されました!」

 

ネフィリムと言えば、響の目の前で腕を喰らったと言う化け物である。自分が直接見たのは既に事切れた姿ではあったが、それでも響から見れば腕を喰らわれた存在だった。そんな相手にもう一度挑むと迷い無く言い切っていた。強くなったと内心で思う。月の落下を防ぐには歌が必要だとフィーネは言っていた。ならば、此処は響に任せるべきだろう。笑った。自分の後進は、気付かないうちに随分と成長しているようだ。

 

「ユキさん。この戦いが終わったら、またみんなで会いましょうね。約束ですよ!」

「ああ、約束だ」

 

 唐突に響が拳を出し言った。それに自分の拳を軽くぶつけ約束を交わす。それだけでころころと笑う姿に、負けは許されないなと思い定める。

 

「ちょっと行ってきます!」

「ああ、そちらは任せるよ」

「はい! マリアさんも、待っていてくださいね!!」

 

 元気に手を振る響を見送る。フロンティアを止めるには、フロンティアと一体化したネフィリムを倒せば良いとマリアに教えられていた。

 

『……ああ、そう言う事か。まぁ、仕方が無いか……』

『どうした?』

『いや、母親代わりとしては娘の前途が多難だと思ってね。あの子は良い味方であり、ライバルにもなり得るなと』

『まぁ、響だからな。あの二人が切磋琢磨すれば良い関係だと思うぞ』

『……そう。本当に良い仲間に恵まれたようね』

 

 何かに気付いた様にフィーネは呟く。見ているのは響であった。何度挫けても最後には立ち上がる。時折立てそうにない事もあるが、その時は差し伸べられる手を掴み、立ち上がってきた子だった。クリスから見れば頼れる仲間であると同時に、競い合う関係でもあったという事だ。その意見には頷く。意地っ張りである。訓練の際なども突っかかっていくのだろうと容易に想像できる。

 

「皆戦っている……。それに比べて、私には何もできはしない……」

 

 フィーネと内心で語っていると、不意に声が聞こえた。視線を移す。俯き、座り込んだ少女が居た。その姿は、一人で戦おうとしていた馬鹿娘に何処か重なる。博士を追う必要はある。だが、猶予がない訳では無かった。膝立ちになり、視線を合わせた。

 

「だから、座っていると……?」

「あなたは……」

 

 戦えなどと言う心算は無かった。ただ、悲し気に虚空を見詰めている姿が気に入らない。マリア・カデンツァヴナ・イヴがこの有様では、代わりに戦う者達が余りに報われなかった。

 

「あなたはどうしてあれほど強いの? あの子はどうして、あんなに強く在れたの?」

「戦う理由が、意志があったからだろう。守りたいものがあり、守りたい想いがあった。だから、挫けたとしても折れる事は無い。胸の内に想いがあるからこそ、人は強く在れるのだと思うよ。自分の内にある想いに従うからこそ、挫けようと立ち上がれるのではないかな」

「守りたい想い……。私には、何もない……。一体私は何を支えに生きていけば……」

 

 問われた事に答えていた。言葉の意味を噛み締めたマリアは、今にも泣きそうな瞳でこちらを見る。縋られていた。

 

「知らんよ。あなたの胸の内は、あなたにしか分かりはしない」

「そんな……なら、私は何を信じたら……」

 

 だからこそ、あえて突き放す。その言葉を理解したマリア・カデンツァヴナ・イヴは、親に置き去りにされた子供の様な表情を浮かべる。少しだけ良心が痛むが仕方が無い。それは、誰かが教える事では無い。少なくとも、昨日今日出会った俺が言う事では無いのだ。そんな浅い繋がりに生きる意味など求めてはいけない。自分の胸の内は、自分で確かめなければいけない。その程度の強さは誰であろうと持ち合わせている筈なのだから。

 

「甘えるなよ、マリア・カデンツァヴナ・イヴ。あなたはまだ生きている。ならば、自分の胸の内にある想いぐらい、自分で見定めろ」

「私に生きる意味なんて……」

「本当に無いのか? あなたには為したい事が、本当に何もないのか?」

 

 それでも踏み出せないと言うのならば、手を差し伸べてくれる人が居る事を教えるしか無いだろう。童子切。少しだけ左手を斬り、血を吸わせる。一度死んだ所為か、確かに見えていたからだ。目の前の少女に寄り添うように声をかけ続ける女の子の姿が。必死に気付いて貰おうとする、少女に何処か似た女の子の姿が。

 童子切は目に見えないものを斬る事が出来る。ならば斬り捨ててやろうと思う。俺がこの少女にしてやれる事など、それ位しか無かった。血刃。刃を赤く染めた。

 

『力を貸せ、フィーネ』

『全く。この私を良いように使った人間なんて、あなたぐらいよ』

 

 ネフシュタンから血液が生成される。斬り捨てるものは、生半可なものでは無かったからだ。笑う。既に少女らの歌によって奇跡は起こされていた。ならば、自分も奇跡ぐらいは起こさねばならない。故に斬る。

 

「セ、レナ……?」

 

 見えないと言うのならば、見えないと言う事実を斬れば良い。斬撃である。所詮は斬るだけで何れはその切り口は塞がるだろう。一時的な邂逅である。だが、それで充分なのだろう。マリア・カデンツァヴナ・イヴが何を見て、何を話しているのかは分かりはしない。だが、その瞳に生気が戻っていくのを感じた。

 

「私は、セレナの歌を……、セレナの死を、セレナの守ったものを無駄な事にしたくない……」

 

 少女は胸の内の想いを少しずつ見定めていく。笑う。思った通り、俺の言葉など必要では無かった。胸の内には、己の意志が確かに息吹いているのだから。

 

「妹が歌で守ってくれた。だから私は、世界を歌で救いたい。月の衝突から起こる災厄から、皆を守りたい……」

 

 大切な妹が残した想いを消したくない。今を生きている人を守りたい。マリア・カデンツァヴナ・イヴの願いとは、そんな優しさに満ちたものだった。俺と響を強いと言ったが、彼女だって十分に強いではないか。

 

「――」

 

 歌が響き渡る。マリアの歌だけがその場を満たしていく。目を閉じただ聞いていた。落ち着いた、ゆっくりとした旋律。まるで二人で歌う様に、少女が歌を重ねている。自分には見えるだけである。だが、それで充分だった。

 

『良い歌だな』

『全くね。これが愛よ。あなたも覚えておきなさい』

 

 心中でフィーネと語る。無粋な言葉など必要なかった。良い歌だ。そんな事を聞きながら思う。ほんの僅かな間だが、歌が何かを呼び覚ましているのが分かった。フォニックゲイン。それが高まっているのだろう。

 

『マリア、マリア』

「マム……?」

 

 優し気な歌に耳を傾けていると、フロンティアの設備から声が聞こえた。マリアの母変わりである、ナスターシャ教授の声である。歌っていた二人は言葉を止める。

 

『あなたの歌に、世界中が共鳴しています。これ程のフォニックゲインが高まれば月の遺跡を再起動させるには十分です。月は私が責任をもって止めます』

「マムッ!!」

『もう何もあなたを縛るものはありません。いきなさい、マリア。行って私に、あなたの歌を聞かせなさい』

「解ったわ、マム。世界最高のステージの幕を上げましょう!」

 

 母が子に言葉を託していた。目の前の少女にとって、いま語られる言葉が、自分にとっての父の言葉だったのだろう。マリアが顔を上げ宣言する。母との別れだった。

 

「生きなさい、か。良い御母堂ではないか。生きる意味まで託してくれたのだから」

「ッ……!? マム」

 

 ぽつりとつぶやいた言葉。その真意を理解したマリアの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。傍に居た少女も涙を零している。母は娘に、ただ生きろと伝えていた。そして全てを失ったと思っていた少女に、今を生きる意味を確かに伝えていた。その姿にもうこの少女は大丈夫だと確信する。目が合う。既に見えなくなったのだろうか。妹だけが頭を下げた。何もしていない。だから気にするなと伝えていた。童子切に血を吸わせ、博士が逃げた場所に向かう。床。血刃で斬り裂いていた。道が途絶えたと言う事実だけを斬って捨てる。

 

「あなたは、何をするつもりなの?」

「俺か? 俺は、英雄に憧れる馬鹿を追う。それが、俺のやるべき事だよ。英雄などと言う理想を現実に見せてしまったようなのでな。その現実を斬って捨てねばならん」

 

 聞かれたから答える。博士は元々英雄に固執していたが、英雄の剣などを作り上げたのは血脈に継がれてきた刃を見せてしまったからだろう。ならばこそ、博士は上泉之景が止めねばならない。それが自身が蘇った理由なのだから。

 

「さて、そろそろ行かせて貰う」

「待って! せめてあなたの口から名前を教えて……」

 

 マリアに名を聞かれていた。別に知って得する名でもなかろうにと思うが、フィーネに教えてやれと一喝された。

 

「上泉之景。煤に塗れて尚、父のように見事に死にきれなかった男だよ」 

 

 だから名乗っていた。返事を聞く前に斬り裂いた道へと飛ぶ。斬り裂いた道は、長くは維持できないからだ。一瞬だけ目が合う。笑った。良いものを見せて貰った。そんな呟きと共に、意識を戦いに戻した。

 

 

 

 




博士、武門に挑む。
響、ネフィリム戦へ
マリア、歌で奇跡を起こす
マム、月の再起動へ尽力し、同時にマリアに生きる意味を与える
武門、事実を斬る



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20.七十億の絶唱

「これはまた、斬り甲斐のありそうなのが出てきたものだ」

 

 後輩を背に天羽々斬を構えた風鳴翼は敵を見据える。ウェル博士の切り札である、フロンティアの力を充分に喰らわせた完全聖遺物であるネフィリム。立花響の腕を喰らい、暴虐の限りを尽くした暴食の怪物が再び装者達の前に現れたところであった。

 

「……丁度いい。コイツには落とし前を付けさせてやりたいと思っていたところだ。閻魔様に泣きついて地獄から舞い戻ったってんなら、閻魔様が許そうと、あたし様がもう一回引導を渡してやる」

「奇遇だな雪音。私もこの敵には煮え湯を飲まされたと思っていた。雪辱を晴らす機会を態々設けてくれた事に感謝している程だ」

「なら、やる事は一つだな」

「ああ」

 

 しかし、青と赤の装者が浮かべたのは静かな闘志と、口許に湛えられたのは笑みであった。ネフィリム。それは翼とクリスにとって、友である立花響を痛めつけ、恐怖のどん底に突き落とした相手であった。二人が捕えられてしまったからこそ、響はただ一人でネフィリムに挑む事になり、ウェル博士の悪意の刃に切り刻まれ腕を失っていた。二人にしたら響は肩を並べる仲間であると共に、守るべき後輩であった。自分たちの不甲斐無さの為、後輩が払わなくても良い代償を払わされることになっていた。特に最初に奇襲を受けてしまったクリスは、強すぎる罪悪感を抱いていたのである。結局暴走の副産物により腕自体は何とかなったのだが、聖遺物との融合が加速したと言う結果になった。それは、ソロモンの杖と同じく雪音クリスの胸を深く抉る出来事だったのである。

 

「ぶっ潰す!!」

「叩っ斬る!!」

 

 だからこそ、ネフィリムが再び現れた事に風鳴翼と雪音クリスが最初に思った事は、やり場の無かったイラつきをぶつける相手が出来たという事だった。彼女等からすれば、大切な人が痛めつけられた相手が態々出て来てくれたのである。雪辱を晴らすには絶好の機会である。闘志を燃やすなと言う方が無理な相談であった。

 何よりも、二人には今意識を向ける相手が必要だったのである。先を行く者が血に塗れ倒れていた。先達は行けと背を押してくれていたが、負った傷は余りに深かったのである。クリスは純粋に心配で気が気で無く、翼は先達の言葉の真意を汲み取り、心が揺れてしまっていた。あの上泉之景が、翼を名で呼んだのである。翼自身は詳しく知らないが、ユキは翼を決して名で呼ぼうとはしなかった。奏は名で呼ぶのに、翼はどれだけ経とうと風鳴のと呼ばれていた。結局理由は教えて貰えなかったのだが、そのユキが最後の瞬間、確かに風鳴翼と呼んでいた。傷の深さもあり、死すらも覚悟しているのが何となく解ってしまったのだ。目が合った時、先達はにやりと笑った。命の灯が消えかけている中、武門は笑みを浮かべたのだ。その笑いに、風鳴翼は胸を打たれていた。人は死の淵を前に、笑みを浮かべられる物なのか。天羽奏の姿が重なる。確かに後を託されていた。あの時は泣く事しかできなかった。だが、今は違う。泣くクリスを宥めながら翼を見た瞳に圧倒されていた。だが、自分の為すべき事を正しく理解していた。自分はもうあの時とは違うのだ。自分たちを守ってくれた先を行く者に、情けない姿など見せる訳にはいかなかったと言える。心は揺れている。だが、それで刃が曇る事は無い。風鳴翼の刃は、その程度では折れぬように鍛え直されているのだから。

 

「行くぞ雪音。援護は任せる」

「任せてくださいよ。特大のをお見舞いしてやる!!」

 

 鋭く叫び、青は死線に踏み込む。斬撃。立ちはだかる巨体に向け、一撃を放った。鈍い手応え。幾らかネフィリムの体表を斬り裂くが、その表皮の堅さと筋肉の張に阻まれる。一瞬の驚き。だが、その程度で翼の歩みは止らない。羽々斬がネフィリムとぶつかる点を支点とし、ギアの力を総動員して宙に舞い上がる。中空からの斬撃の嵐。回転と斬撃からの跳躍を繰り返す。千ノ落涙。幾らか傷付けたネフィリムの体表の傷をこじ開ける為、千の刃が舞い降りる。咆哮。傷をこじ開けられ、怒り狂うネフィリムが炎を生成する。翼に向かい放つ。

 

「遅い」

 

 それを舞うような斬撃で往なしながら、更に切り刻んで行く。大きな傷では無い。だが、確かにネフィリムの体に負荷を蓄積させていく。炎と、巨体から放たれる殴打。その全てを斬り抜けながら、翼は叫ぶ。後輩が、今か今かとその言葉を待っているからだ。

 

「行け、雪音!」

「待ってましたよ! 喰らいやがれ、全部載せだ!!」

 

 先輩の言葉に、クリスは満面の笑みを浮かべた。ギアの出力を引き上げつつ放出を抑える。臨界まで溜められたその力は、並みの一撃とは一線を画す威力を秘めていた。かつて雪音クリスが、立花響と風鳴翼に守られて放った一撃。ルナアタック事変の折、クリスが二人を仲間だと思えた時に用いた戦い方であった。信頼できる仲間が敵を止めてくれている。だからこそ、自分は敵を前にして無防備を晒す事が出来る。仲間に信頼を置いたからこそできる、雪音クリスの戦い方であった。何があっても先輩ならば上手く捌いてくれる。無垢なまでの信頼だった。

 先輩が作ってくれた時間。それを無駄にしない為、雪音クリスはその身に宿す重火器を全て解き放つ。大型誘導弾。両手に持つ機関銃。腰部ユニットに装填された小型誘導弾。その全てを解き放っていた。ネフィリムを蹴り、翼が離脱した直後にその全てが楔を打ち込まれたネフィリムに直撃する。凄まじいまでの炸裂音。爆炎が舞い上がる。煙と砂塵が辺りを覆い隠す。

 

「やったか!?」

「いや、先輩その台詞は……」

 

 直撃を受けたネフィリムを見据え翼が声を上げる。その様子に、クリスは何とも言えない気分に包まれる。天然でやっているのかと思うも、この先輩の事だと妙なところで納得する。風が吹き抜ける。劫火。先程よりも遥かに大きな炎が解き放たれる。

 

「ちぃ!」

「ッ! ちょ、先輩!?」

「話すな、舌を噛むぞ!」

 

 大きすぎる炎に、翼は舌打ちを零しながら加速する。傍らに来ていたクリスの下へ、一気に加速する。直撃すれば、ギアを纏っていても甚大な被害は免れない。一瞬の判断を下し、翼は駆け抜ける。羽々斬が舞い降りる。何時ぞや神獣鏡の砲撃を凌いだ時のように、その刀身を駆け抜ける事で炎を凌いでいた。

 

「……何とか躱したか」

「……せ、せんぱい。おろして……」

 

 間一髪のところで凌いだ翼に、か細い声がかけれらた。雪音クリス。両手で抱き上げられた事にやり場のない羞恥心が込み上げて来たのか、視線を逸らし赤くなる。後輩の予想外に可愛らしい反応に、防人は思わず吹き出す。あのへそ曲がりが随分と殊勝なものだとその姿を見て思う。少しは頼られているのか。そう感じられると、翼は何処か嬉しくなる。とはいえ、そんな事を何時までも考えている余裕がある訳でも無い。

 

「さて、どうしたものか」

「まさか、アレを受けてピンピンしているとはな。赤っ恥をかかされた気分だ」

 

 依然としてネフィリムは健在である。幾らか傷を負わせてはいるが、刃も銃も決定打になりはしない。どうしたものか、対峙する二人が頭を悩ませかけた時、閃光が駆け抜けた。

 

「それならイガリマと」

「シュルシャガナも共に加勢します」

 

 緑と桃色の斬撃。赤と青を見据える巨体に、死角から斬りかかっていた。大鎌と丸鋸。二つの刃が、ネフィリムを斬り裂く。深く刺さった刃により体液が飛び、咆哮が響く。

 

「お前らは……」

 

 予想外な増援に、クリスは思わず声を上げる。翼は調が仲間になっていることを知っていたが、離脱したクリスはまさか仲間になって戦場に出てきているとは思わなかった為、驚きに目を丸める。

 

「助けに来たデス」

「私と切ちゃんも加勢します。漸くやりたい事が解りました。マムが一人で戦っている。私達もマリアを助けたいんです」

 

 月から届くナスターシャの通信。それはF.I.S.の装者には聞こえていた。母が、姉を助ける為に戦っている。自分たちだけが只見ている事なんて出来る訳がない。ぶつかり合った二人が今、同じ想いを抱いていた。意志の宿った瞳を見て、赤と青は二人を受け入れる。

 

「助かる。二人の強さは身を以て知っている。背中は任せるぞ」

「散々煮え湯を飲まされたからな。だから味方になるなら期待してやる」

 

 敵は強大である。戦える仲間は多いほど良い。なにより、家族の為に戦う二人の想いは、クリスと翼には届いていた。誰かの為に。それを受け入れるのは難しい事では無かった。

 

「ありがとうデス。こんな事であたしたちがした事が許されると思っていないデスけど」

「手を取って貰えました。だから、まだ戦える。手を差し伸べてくれた人の為にも、こんな所で終われない」

「失ってしまったものは取り戻せないデス。だけど、」

「私たちは亡くなった人の為にも戦わなきゃいけない」

 

 二人は悲しげに笑う。翼とクリスの仲間が事切れているのを見ていた。彼らがどの程度の関係なのかは知らないが、それでも大切な仲間が息絶えていたのだろう。自分たちが手を下した訳では無いが、発端である事は間違いない。そう考えると、涙がこみ上げる。特に、直接刃を交えた切歌の瞳からは耐えきれなくなったのか、涙が零れだす。合わせる顔が無かった。

 

「ど、どうしたんだよ」

「あたしは、お二人になんて謝れば良いか」

「なにを……言っている?」

 

 尋常ではない様子に、戦いながらも二人は問う。零れ落ちる涙を拭いもせず、切歌は伝えていた。

 

「あなた達の仲間が死んでしまったデス。穏やかに笑って、死んでいたのデス!」

「……悔いは無い。まるでそう言っているみたいでした」

 

 辛そうに調も続ける。仲間の死。それを伝えていた。戦いの最中である。伝えるべきではない。それでも、二人には黙っている事が出来なかった。自分たちは仲間を死なせた原因である。それを黙って居ながら背中を預けようとする二人に、申し訳なさだけが募った。そう言う訳だった。

 

「……!?」

 

 翼はぎりっと奥歯を噛み締める。解っていた。あの傷で助かる筈が無いと、解ってはいたのだ。それでも先達は行けと笑い。後を託されていた。その想いを無駄にすることなどできはしない。それでも、受けた衝撃はかつて奏が死んだときのものに匹敵する。道を示してくれた人だった。その恩は、憧れは、失った事を簡単に埋める事などできはしない。刃が揺らぐ。だが、踏みとどまる。

 

「え……?」

 

 そして、赤は呆然と零していた。解ってはいた。解ってはいたのである。あの傷は、助かる見込みのあるものでは無いと。それでも、ユキは、雪音クリスにとって大切な人は約束してくれていた。まだ死なないと、確かにクリスを見て言っていた。そして気付く。確かに、あの場では死んでいなかった。クリスが目の前にいる間だけは、確かに生きていたのだ。皆の生きる場所を守れと言われ、居場所は此処に在ると教えられていた。言ってくれていた。生きる意味を、確かに教えてくれていた人が、死んだ。涙が零れ落ちる。それは、雪音クリスにとって耐えられるものでは無かった。それだけの事を、ユキはクリスにしてきたと言う事だった。イチイバルを取りこぼす。ネフィリムの巨体が迫った。

 

「雪音!」

「あ……」

 

 ネフィリムの拳が視界一杯に広がる。完全に虚を突かれていた。今からでは避ける事などできはしない。只見つめている。これは罰なんだと頭の何処かで思う。独りぼっちが仲間を、大切な者を求めたのがいけなかったんだ。大好きだと思える人が出来た。だから、失う事になる。独りぼっちは、独りぼっちでなければいけないから。何処か安堵する。ここであたしが死ねば、まだ生きている大好きな人たちは死ななくても済む。そう考えてしまうと、此処で終わるのもそれはそれで良い気がした。大切な人を失っていた。胸に、大きな空洞が開いている。こんなものを抱えて生きて行くぐらいならば、此処で終わる方が魅力的に思えた。目を閉じる。怒られるかな。呟いた。大切な人に生きる事を諦めるなと言われていた。今自分がしようとしている事は、その真逆な事だ。それでも、誘惑には自分で抗う事が出来なかった。自分にとってどれだけ大切であったのかという事を気付いた時、既にそれを失った後だった。失くしてから気付くなんて、あたしは本当に馬鹿だと自嘲が零れる。風。あの時と同じように、風が吹き抜けている。

 

「クリスちゃんはやらせない!!」

 

 叫びが届いた。目を見開く。背中。良く知るそれが己の前に出て、ネフィリムの拳に己の拳をぶつけていた。拮抗。気合と共に、ネフィリムの拳を退ける。立花響。ギアを失った筈のクリスの友達が、彼女を守る様に前に出ていた。涙が零れ落ちる。このバカは、こんなあたしにまた手を差し伸べてくれるのか。そんな想いが胸から溢れだす。

 

「何で、おまえ、ギアを……」

「話はあとだよクリスちゃん! ユキさんが博士を追ってくれている。私たちは、ネフィリムを止めないと!!」

「え……?」

 

 思わず零した言葉の返答に、それこそ胸を揺さぶられた。このバカは今何と言った。そんな言葉が胸を過る。だけど、上手く言葉にならない。ただ涙が零れ落ちている。響が振り向き、そして笑った。

 

「あ! クリスちゃん、ソロモンの杖を取り返したんだね! 良かったよぉ。絶対取り返してくるって信じてたんだからね!!」

「……ああ、たりめぇじゃねーか!」

「なら、こんな所で終われないよね。さっさと倒してしまわないと!」

 

 響はクリスがソロモンの杖を奪還の為に動いている事に、何の疑問も持っていなかった。クリスの事を誰よりも知る人が言っていたからだ。そんな響の様子に、クリスはまた涙腺が熱くなるのを感じた。このバカは、本当にあたしに手を差し伸べてくれる。大切な事を教えてくれる。大事な友達だった。恥ずかしすぎて言葉にする事は出来ないが、そう思ってしまう。雪音クリスは前を見据える。予想外な事に大きく揺れてしまったが、その揺らぎも今は無くなっていた。あたしはまだ戦える。大切な人達が、守ってくれている。自分にそう言い聞かせた。

 

「皆が手を貸してくれているんだな」

「そうだよ。了子さんだって、手を貸してくれている。ユキさんがそう言ってたんだ」

「フィーネが!? 一体、何が起こっているんだよ」

「それは私も解らないけど……」

 

 まさかの名前に、クリスは驚きを隠せない。最後の時は命を懸けて対峙した母親代わりだった。その人が今、手を貸してくれている。どういう状況なのかまるで理解はできなかった。そうではあるが、解る事もあった。戦わなければいけないという事である。

 

「まぁ、とりあえずこのデカブツを倒してから考えるか」

「ああ、憂う事も無くなった。これで存分に戦える。立花も行けるな?」

「はい! もう後れを取りません。皆で戦いましょう!」

 

 三人の装者が再び一つになる。漸く全員の想いが一つになった瞬間だった。

 

「ごめんなさいデス。あたしたちが、あんな事を言うから」

「気にしてねーよ。大切な事を教えてくれただけだ。だから、お前らも気にすんな」

 

 大きな隙を生んでしまった事を切歌が詫びようとすると、気にするなとクリスは笑った。大きく揺さぶられたが、終わってみれば大切な事を知っただけだった。切歌が謝る理由は何もない。他の皆も異存はないようで、そんな様子に切歌はどう反応すれば良いのか解らず、困った笑みを浮かべた。

 

「とは言え、敵は強大。勝つにはこれだけ装者がいても、骨が折れそうだよ」

 

 調の呟きに全員がネフィリムを見据える。確かに敵は強大だった。

 

「だけど、歌がある!」

 

 彼女らの背後から鋭い声が届く。マリア・カデンツァヴナ・イヴ。何度も挫け、心折れた少女が敵を見据えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「出来損ないどもが集まったところで、こちらの優位は揺るがない! あなたもそうは思いませんか?」

 

 フロンティアの心臓部。英雄の剣を纏いフロンティアの動力に接続、ネフィリムの左腕を以てフロンティアの制御を行っていたウェルは対峙する相手に尋ねていた。上泉之景。ウェルを追い、この場に辿り着いた剣聖だった。童子切を手に、ウェルが作り出したフロンティアの様子を映し出すモニターを静かに見据えながら佇んでいる。この場からは遥かに遠い場所で行われている戦いだった。流石のユキと言えども、その戦いに干渉する事は出来はしない。ウェルと向かい合う様に、ただ画面を見詰めている。

 

「出来損ない、か」

「そうですよ。ネフィリムに挑むのは、偽りの英雄たちと己で決めた事を貫く事も出来ない半端者。出来損ないと言って何が悪いのですか!」

 

 

 ユキの言葉にウェルは答える。出来損ない。半端な力しか持たないものがネフィリムに挑んでいた。眼前に佇む剣聖が相手ならばいざ知らず、小娘たちがフロンティアのほぼ全てを注ぎ込んだネフィリムに勝てる道理はない。彼我の戦力差を正確に測る事が出来るからこその、英雄の言葉だった。今のネフィリムの力は、英雄の剣をも遥かに凌駕する。小娘が六人集まった程度では勝てるはずがない。

 

「良いのですかあなたはこんな所に居ても? か弱い少女たちを助けに行かないと、後悔する事になりますよ!?」

 

 英雄は剣聖に哄笑を浴びせる。どれだけ痛めつけられようと、ウェルの意志が折れる事は無い。人類を存続させる英雄になる為、幼き頃に抱いた夢を叶える為、自身の理想を遂げる為、その歩みを止める事を知らないからだ。フロンティアに接続された英雄の剣が、英雄の想いに共鳴するように強く震える。英雄は決して諦めない。どれ程の困難な壁が立ちはだかろうと、撃ち破る意思を失くしはしないのである。ウェルは高らかに笑う。例え剣技では勝てなかったとしても、フロンティアの力が負けた訳では無いのである。そして、ネフィリムの力に立ちはだかる少女たちは蹂躙されるだろう。その事実に剣聖の表情が怒りに染まる。そんな未来を考えると、自分を撃ち破った者に同じ屈辱を与えられることが、雪辱を果たせる事に胸が躍って仕方が無い。

 

「……一つ聞きたいのだが」

「何ですか? あなた如きの言葉は聞く理由も無いのですが、今は気分が良いですからね。答えてあげますよ」

 

 ただ佇み、画面の様子だけを見詰めている剣聖が零した呟きに、ウェルは気分良く答える。今から起こる未来を予想し、この男はどんな言葉を上げてくれるのかと考えると、楽しくて仕方が無いのだ。感情の揺らぎが見えないからこそ、それが強く動くのが見たいという事だった。

 

「あの子らに、俺の助けが必要なのか?」

「はぁ……!?」

 

 心底不思議で仕方ないと言う様子で尋ねられた呟きに、ウェルは思わず声を荒げた。この男は何を言っているのだと、思わず喚き立てそうになる。それを何とか抑え込んだ。英雄は、簡単には揺らがないのである。

 

「必要に決まっているじゃないですか! たかだか六人の少女が、フロンティアの力を収束したネフィリムに勝てるわけがない! あなたが助けに行かなければ、全員仲良くお陀仏ってやつですよ!!」

「そうか」 

 

 英雄の言葉に、剣聖はただ頷いた。その反応の薄さに、ウェルは己が苛立つのを抑える事が出来なくなり始めている。

 

『俺の助けは必要か?』

『今更いる訳ないでしょ、そんなもの。子は育つものよ。特に女の子はね、大人が思うよりも遥かに成長しているのよ。心も、身体もね』

 

 剣聖は同じ事を内心で問いかける。始まりの巫女は、含みのある笑みを零すように返していた。彼女等は、既にユキの助けが必要なほど弱くはない。少なくとも、目の前にいる英雄に敗れるほど弱くはなかった。

 

「ああ、良いですよ! あなたがそう言う心算なら、現実を見せてあげますよ!」

「そうだな。では、見せて貰おうか。お前の言う現実と言うものを」

「後悔すると良いですよ! 偽りの英雄が、真の英雄に挑み無惨にも散って逝く事になるのですから!! 偽りの英雄を撃ち砕け、ネフィリム!!」

 

 博士の叫びがその場に木霊する。ネフィリムが劫火を放つ。六人の装者を飲み込んだ。ただ、剣聖は成り行きを見守っている。

 

『Seilien coffin――』

「ふはははっはははははは!! ……はあ!?」

 

 聖詠が響き渡った。何度も挫け、偽りに縋った少女。マリア・カデンツァヴナ・イヴ。歌で皆を守った妹が持っていたシンフォギア。それが今、世界中の歌と共鳴し、奇跡を纏っていた。白銀が光を発する。六人の少女は、ただ歌を歌う。装着時のエネルギーをバリアフィールドに展開。ネフィリムの一撃を吹き飛ばしていた。

 

「皆が居るならばこの位の奇跡、安いもの!!」

 

 前を見た少女は力強く言い放った。奇跡。確かにそれが目の前で展開されている。

 

「惹かれ合う音色に、理由なんていらない」

 

 風鳴翼が手を差し出し、月読調はその手を握った。

 

「全く、つける薬がないな。勝手に暴走して、勝手に暴れ回っちまった」

「それはお互い様デスよ。今だから言えますが、一人で抱え込んでも碌なことが無いデス」

 

 雪音クリスが手を差し伸べ、暁切歌はその手を取る。

 

「調ちゃん、切歌ちゃん!」

「……あなたのやっている事が偽善じゃないって信じたい。信じたくなった。だから、近くで私に見せて。あなたのやっている事を……。あなたの言う人助けを」

 

 そして立花響が切歌と調の手を取る。繋ぎ束ねるその手が、確かに絆を握っていた。

 

「例え奇跡を起こそうと、絶唱六人分。たった六人で防げるわけがない!!」

 

 英雄は更なる力をネフィリムに注ぎ込む。閃光。収束された力が、装者達を撃ち破る為に解き放たれる。六人は受け止める。繋いだ手だけが紡ぐもの。確かにそれが、ネフィリムの力を受け止めていた。光が広がっていく。英雄は、ただネフィリムに力だけを注ぐ。

 

「六人じゃない……私が束ねるこの歌は……」

 

 ネフィリムの一撃が、装者達の纏うギアを融解させていく。受け止める力に、ぶつかる力が大きすぎる。勝った。英雄は口角を深く歪めた。力が高まっていく。

 

「七十億の絶唱だああああああああ!!」

 

 そして奇跡は舞い降りる。ガングニールが、シュルシャガナが、天羽々斬が、イガリマが、イチイバルが、そして妹に託されたアガートラームが奇跡を起こしていた。纏うのは純白の奇跡。起こしたのは六人の装者達。少女たちの歌に共鳴したフォニックゲインが、彼女たちの纏うシンフォギアを決戦仕様へと押し上げていた。六人の力が収束し一つとなる。

 

「響き合う皆がくれた、このシンフォギアで!!」

 

 そして、ネフィリムは紡がれた奇跡によって打ち砕かれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿な……」

 

 その光景を見ていたウェル博士は、呆然と呟いた。

 ネフィリムの持つ力は、フロンティアの有する力の大部分であった。シンフォギア如きではどうあがいても抗う事の出来ない力である。それが舞い降りた奇跡によって、風が煤を吹き飛ばすが如く吹き飛ばされていった。英雄は膝を突く。刃は折れ、切り札も失った。英雄の用意していた手札は、全て出し切ったという事であった。

 

「まだ、やるのか?」

「英雄が負けた……? この僕が、負けただと……?」

 

 剣聖の問いに、英雄はただ茫然と映し出される映像を見詰めていた。視線が虚空をさまよう。そして、剣聖を見定める。徐々に瞳に力が戻る。そして、英雄は咆哮を上げた。

 

「例え誰に負けようと、お前だけには負けられない。かつて見た理想などに、負けられる物かあああああああ!!」

 

 ネフィリムと融合した左腕。ウェルはそれを以て、フロンティアに命令を下す。ネフィリムの心臓を切り離せ。それは、ネフィリムにフロンティアを暴食させると言う決断だった。

 

「奇跡が一生懸命の報酬だと言うのならば、僕にこそ!!」

 

 そして、ウェルは英雄の剣を抜き放つ。抜剣。血涙を流し、英雄はその身に奇跡を纏う。その色は純白。皮肉にも、少女が起こした奇跡と同じ色を英雄は纏って見せる。

 

「人の扱える力では勝てないと言うのなら、人を超える力で挑めば!! 英雄よ!! 例え何に負けようと、僕はお前にだけは負けたくない!!」

 

 人間が扱える限界以上の力。それがウェルの扱った英雄の剣だった。それを今、フロンティアに接続、左手のネフィリムの力によって無理やり制御、エネルギーの充填を行っていた。人が扱える力で勝てないと言うのならば、人が扱えない力で挑めばいい。単純でありながら、同時にだからこそ容易に取れない選択だった。英雄の剣。その力は既に人知を超えていた。シンフォギアのエクスドライブをも越える出力。それを纏い、強すぎる力に悲鳴を上げる剣を掲げながら、ウェルは決戦兵装によって舞い上がる。フロンティアの心臓部。ネフィリムによって暴食され、臨界に近付き始める中枢で、真の英雄はその姿を現し、剣聖に剣を突き付ける。

 

「フロンティアはネフィリムによって暴食され、糧として暴走を開始する。そこから放たれるエネルギーは一兆度だ!! 例え世界が壊れようと、僕が英雄になれない世界など無くなってしまえば良い!! 万一、阻止されたとしても、この高さから落ちればお前は死ぬしかない!!」

 

 フロンティアをネフィリムに喰らわせながらウェルは叫びをあげる。フロンティアの高度は浮上してより少しずつその高さを上げ、今では最早生身の人間が落ちて助かる手段は無いほどである。英雄の剣で空を飛ぶ事が出来るウェルはまだしも、生身でしかない上泉之景には為す術が無いと言える。英雄は例え負けようと、確実に剣聖を殺す手段を提示し、その表情を恐怖に歪めようと、その運命を突き付ける

 

「怯えろ、泣きわめけ!! お前はもう、死ぬしかないんだ!! せめてその最後の時、死の恐怖に震える姿を僕に見せてくれ!!」

 

 ネフィリムの心臓が、フロンティアにその触手を伸ばし喰らっていく。天井が揺れ、少しずつ崩れ始める。六人の装者達が戦っている映像が途絶える。崩壊を止める手立ては無かった。

 

「お前は何も分かっていないのだな。戦う事も、強さの意味も」

 

 にも拘らず、剣聖は只笑みを浮かべた。怯えや嘆きを渇望している英雄にとって、その笑みは心の底から気に入らないものだった。

 

「そうやってお前は何時も余裕を崩さなかった。死を前にしてすら、僕を笑って見せる! 気に入らない。気に入らないぞ英雄よ!!」

「死の何が怖いのだ。お前が居るのは戦場だ。戦いに於いて、死など馴染みでは無いか。何を恐れる事がある。死を振りかざしながら、死如きを恐れるからお前は弱いままなのだよ」

 

 英雄の剣を突き付けるウェルに、ユキは童子切を突き付け言い放つ。ウェルは戦いに出ていながら、死の恐怖に怯えていた。だから、最後の最後まで戦わなかったのだと言い放つ。英雄を名乗るのであれば自らの血を流し、己が力で未来を切り開いてみろ。英雄である事を望む男に、英雄を知っていた男は語る。父は確かに英雄であったよ。上泉之景にとって、その父は何人にも劣らぬ英雄であったのだ。故に、上泉之景はウェル博士を、ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスを英雄などとは認めない。その在り方を父と同列に並べるなど、あり得はしない。突き付けられた刃にウェルは怒りを示す。認められない。それは、ウェルも同じだったからだ。今更現れたかつて見た理想。そんなものに負ける訳にはいかなかった。

 英雄の剣。そしてすべての飛翔剣に命令を告げる。上泉之景を、英雄を殺す為に。踏み込み、風を超え駆け抜ける。

 

「かはっ!?」

 

 そして、剣聖の拳を以て再び地に叩き伏せられた。地が揺れている。何かを喋ろうとして、肺に唐突に入り込んだ空気が邪魔をして言葉を出せない。

 

「言った筈だ。お前はただ強い武器を手にしただけに過ぎない。どれ程武器が強くなろうとも、使い手が弱いままならば何の意味もない。英雄の剣は、お前には過ぎた玩具であったよ」

「まだ、まけられない。例え何に負けようと、此処で死ぬとしても、お前だけには!!」

 

 それでも英雄は血を流しながら立ち上がる。それを、剣聖はただ見つめ笑った。

 

「ふん。やればできるでは無いか。ならば、その意志に免じてお前に見せてやる。これが武人の戦いだ」

『っ!? この男、私に相談もせずに勝手な事を……。これだから男ってやつは!』

 

 剣聖は己が腕を引裂き童子切に血を吸わせる。ネフシュタンの欠片により、フィーネに制御された奇跡。血液が童子切に潤沢に供給される。血刃が、色鮮やかな真紅を映し出す。右手にする刃、振り翳し剣聖はただ笑う。

 

「さぁ、始めようか、英雄に憧れた男よ。お前の望む、最後の戦いだ」

 

 そして、あろう事かフロンティアを叩っ斬っていた。剣聖の速すぎる斬撃。四方八方に放たれる血刃の斬撃は、フロンティアの心臓部を膾斬りにして崩壊させていた。英雄が何とか立っていた足場が崩れる。剣聖の立つ足場も崩れた。英雄の表情が驚愕に染まる。剣聖はただ笑っている。

 

「自ら死に飛び込んだ、だと!?」

 

 英雄の剣の力を用い、何とか浮かび上がったウェルを見据え、剣聖はただ刃を向けている。細切れにされ崩れるフロンティア。それを足場とし飛んでいた。

 

「戦いをお前に教えてやる」

 

 剣聖はただ一振りの剣を以て宙を舞う。ネフィリムに喰らわれ崩れ落ちるフロンティアの中、最後の戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




装者6人、奇跡を纏いネフィリム・ノヴァ戦
英雄と剣聖、地に向かい崩れ落ちるフロンティアの残骸の中で決戦
次回2部本編最終話予定。


本編関係ないけど、XDでピックアップを完全無視して単発で出て来たイグナイトクリスちゃんは出番増やせって事だろうか


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21.英雄の在り方

 フロンティアの一部が切り崩され、残骸が崩れ落ちて行く。同時に、ウェルが暴走させたネフィリムが、健在なフロンティアの船体を喰らいその力を暴食、増幅させていく。六人の装者達はその様子に息を呑みこむ。距離を置いて尚、その力は容易に感じる事が出来るほどである。心臓から伸ばされる触手、全てを喰らい一つに纏まる。赤色の発光体。膨大なエネルギーを内包した化け物が出現していた。

 

「あんなのが地球に落ちたら……」

 

 誰とも無しに呟く。二課の通信により、暴走したネフィリムの熱量は一兆度を超えると言う情報を受け取っていた。そんな物がもし地球に向かえばどうなるのか。想像するのはそれほど難しい事では無かった。

 

「行くデスよ、調!!」

「解ってる、切ちゃん!!」

 

 最初に動いたのは緑と桃色の装者であった。エクスドライブの出力により、機能拡張されたアームドギアを用い二人はネフィリムにぶつかる。調はアームドギアを展開し生成された巨人を操り、切歌は魂を刈り取る鎌を巨大化、その威力を飛躍的に上昇させた大鎌で引裂いていた。

 

「うあああああ!?」

「くぅぅぅぅぅ!?」

 

 衝突の瞬間、ネフィリムの体が赤く発光する。刃が食い込んだ時、暴食の能力を持つネフィリム・ノヴァはそのエネルギーごと喰らったという事だった。たった一度の交錯で、二人のアームドギアには罅が入る。ネフィリムによって出力を奪われ、同時に攻撃も受けていた。衝撃に吹き飛ばされる。

 

 ネフィリムが二人に腕を伸ばす。それを翼と響が受け止め離脱する事によって何とか凌いでいた。だが、振られた腕は当然戻す事もできる。やり過ごして安堵した一瞬の隙を突かれ、返しの拳が迫った。

 

「まだだ、返しの一撃がある!!」

「避けろ!!」

 

 マリアとクリスが叫びをあげる。相手は触れるだけでエネルギーを奪う規格外の敵であった。動くに動けない。二人は危機を叫ぶ。それでも遅い。

 

「これは……!」

 

 瞬間、紅が迸った。血刃。見た事も無いほどの大きさで放たれたそれが、一矢の矢となり駆け抜けた。人数人分の大きさのソレ。ネフィリムの腕を貫き幾らかを打ち消すと同時に蒸発する。童子切の血刃。それは、ネフィリムが喰らうよりも早くその力を打ち消していた。臨界まで高められた熱を打ち消し、ネフィリムを生成するエネルギーを打ち消し、ネフィリムの特性が発動するよりも速く暴食すらも打ち消していた。一陣の風。化け物の腕を一時的に削ぎ落とす。響と翼は咄嗟に開かれた道を潜り抜ける。

 

「血刃」

「ユキさんだよ!」

 

 ぽつりと零したクリスの言葉に、響は嬉しそうに頷いた。装者達は空高く、最早地球の外で戦っている。それでも尚、刃は不可能を押し通し先達が見ている事を知らしめていた。この敵とは自分たちが戦うしかない。だけど、気にしてくれている。そう思うと、響もクリスも胸の内に暖かなものが宿る。そうだ。自分たちは任せられたんだ。そんな言葉と共に、ネフィリムを見据えた。

 

「あいつが全てを焼き尽くすと言うのなら!!」

 

 雪音クリスは思い出す。何時も自分を気に掛けてくれた人は確かに言っていた。ソロモンの杖は人を殺す力ではある。だが、それ以外の使い道はあるのだ。ノイズを呼び出すのは、ソロモンの杖の最も基本的な使い方に過ぎない。ノイズを呼び出し、意のままに操る事が出来る杖だった。呼び出す事が出来る。それは、現実とノイズが格納されているバビロニアの宝物庫を繋げる事が出来るという事だった。奇跡によって呼び起こされた力を振るう。エクスドライブの出力にものを言わせた機能拡張。奇跡を以て杖を制御していく。

 

「お前は人を殺すだけじゃないって事を見せて見ろよ、ソロモン!!」

 

 殺す為の力は、だけど殺す以外にも使えるのである。先達は確かに示していた。剣は殺す力である。だけど、確かにその力で後進達を守っていたのだ。その姿は目に焼き付いている。あの人と同じ事が出来なければ、隣に立つ資格は無い。そんな意思を込め、与えられた奇跡で杖を振るった。

 

「あれは……バビロニアの宝物庫? そうか! あそこなら、相手がどんなものだったとしても!」

 

 ネフィリムの進行方向に向け、扉が開かれる。ノイズ。数える事を放棄するほど大量に格納されたそれが視界に入る。だが、出てくる事は無い。ネフィリムが出ようとするそれ等を喰らい、更に出力を増しているからだ。雪音クリスによって切り拓かれる扉、されど扉を閉じる為に腕を振るうものがいた。ネフィリム・ノヴァ。再びその腕を振るった。

 

「うわああああ!!」

「クリスちゃん!?」

 

 ネフィリムの一撃を受けたクリスは杖を取りこぼし吹き飛ばされる。それを響が推進装置を使い一気に追いつく事で受け止める。ソロモンの杖。銀色が掴み取る。

 

「皆が教えてくれている。マムが、セレナが、新たにできた仲間たちが!! 私は、明日を守るんだ!!」

 

 マリアが更に杖に出力を重ね、一気に門を開ききる。それに向かいネフィリムが落ちていく。苦し紛れに伸ばされた腕。何とか避けるも、指先から伸びた触手がマリアに絡みつく。

 

「マリア!?」

「くぅ……、格納後、私が内部より扉を閉じる。だから、お前たちはここから離れろ!!」

「そんな……自分を犠牲にするつもりデスか!?」

「させないよ。そんな事、絶対にさせない。マリアだけに押し付けるのはもう嫌なの!!」

 

 引きずり込まれるマリアは、それでも自分が内部よりネフィリムを封印すると叫んだ。自分たちはこれまで多くの人を欺き、多くの人を死なせてしまっている。その罪がこの程度で償えるとは思えないが、それでも守る為ならば命を賭す事に何の躊躇も無かった。

 

「こんな事で、私の罪が償えるはずがない。だけど、今を生きる全ての命は私が守って見せる……。マムも、セレナも守っていった……。私だって……」

「なら、私たちはマリアさんの命を守りますね。だから、生きるのを諦めないで。私も、生かすのを諦めない」

 

 死の覚悟を決めて零された呟き。そんなマリアを励ますように、響は傍に寄り添い告げていた。目が見開かれる。マリアの傍には、五人の少女が集まって来ていた。それは、大切な者を守りたいと言う、同じ想いから生まれた奇跡を纏った仲間だった。

 

「一人で良い恰好なんてさせないデスよ。あたしが一番ダメダメだったんデス。マリアにだけ良い格好はさせられないデスよ」

「マリアが苦しんでいるのに気付いてあげられなかった。今また、辛い選択を一人でしようとしている。もう、マリアを一人になんてしないよ」

 

 切歌と調はマリアを見詰め、穏やかな笑みを浮かべる。

 

「漸く分かり合えたのだ。ここで終わりと言うのは承服しかねる。マリアとは同じ歌女として、語りたいと思っている。友を失うのは、一度だけで良い」

「元はと言えば、あたしとフィーネが蒔いた種だ。後から出てきたお前らに全部押し付けたりできる訳がない。そんな事をしたら、パパとママに会わす顔がなくなっちまう」

 

 翼とクリスは失ったものを思い起しつつ、バビロニアの宝物庫を見詰める。

 

「英雄じゃない私には世界なんか守れやしない。だけど、託された想いは守る事が出来る。私たちは、一人じゃないんだから」

 

 眼前に広がるネフィリムとノイズの群れ。それを見据え、響は囁いた。自分たちは英雄ではない。だけど、これまで出会った人たちに様々なものを託されていた。その想いがある限り、一人で戦っているのではないのだ。宝物庫への門を潜る。扉が閉じられる。世界の脅威は、今隔絶された。

 

 

 

 

 

 

 

「お前は、何を考えて!!」

 

 崩れ落ちる足場を蹴り斬りかかる剣聖に、飛翔剣をぶつける事で凌いだ英雄は問いかける。剣聖は迫る死を自ら引き寄せていた。その事実がウェルには信じられないからだ。一撃で破壊され、されどそれを基点に宙を飛ぶ剣聖の絶技に驚愕を晒しながらも刃を交える。飛翔剣。半ば暴走している英雄の剣の出力を喰らい瞬く間に再構成されていく。

 

「決戦だよ。お前は英雄になりたかったのだろう? 今この瞬間は、おあつらえ向きでは無いか。崩れ落ちる遺跡。人類を呑み込む程の脅威。愚か者が抱いた大それた夢。その全てを撃ち砕いてやると言っている」

 

 英雄の剣と崩れ落ちる足場を用い宙を舞う剣聖は、上昇しようとする英雄を叩き落す事で地に向かい戦いを続ける。崩壊する遺跡。迫る脅威。定められた死。その全てが、英雄の戦いを彩るのに相応しいでは無いかと笑みを浮かべている。その口から紡がれる言葉は、確かにウェルが憧れた物語であった。

 

「死が恐ろしくないのか!?」

「死など怖くはないさ。既に二度死んだ身だ。それが何の因果か生かされている。今更失くしたところで、大した問題もあるまいよ」

 

 刃を交わし言葉を交わす。ぶつかり合った二人の英雄は、最後の時まで力と意志を交え合う。斬撃。剣と太刀がぶつかり合い火花を散らす。加速。英雄の剣の推進力を用いて飛ぶウェルと、技と見切で足場を作り速度を合わすユキ。落ちながらぶつかり合う。

 

「お前こそ、逃げればそれで勝てるぞ。この高さから落ちれば、俺は死ぬしかないのだろう?」

「それこそふざけるな! ここでお前に引導を渡さなければ、僕はお前に勝てはしない!! ぼくは、お前にだけは負けない!! 逃げはしない!!」

 

 十二の飛翔剣が舞い踊る。その全てを打ち消し飛びあがりながら剣聖は刃を交わす。英雄は吼える。その全てを剣聖は手折っていく。剣の嵐。刃の結界が全てを阻む。笑み。剣聖の口許には、ただそれが浮かぶ。

 

「お前は何時もそうだ。戦いの場で余裕を崩さず、笑みすら浮かべて見せる。気に入らなかった。英雄を体現したように笑う存在そのものが!!」

「奇遇だな。俺もお前が気に入らなかったよ英雄よ。遥かに優れたものを持ちながら、自分の持つ力を見ようとしない愚か者」

 

 二人の男はぶつかり合う。剣聖と英雄は分かり合えない宿命であった。だが、何処かで二人は認めあっていたとも言えるだろう。英雄は剣聖の力に憧れ、剣聖は英雄の叡智に煮え湯を飲まされている。何かの歯車が違っていれば、手を取り合う事があったのかもしれない。そんな事を本能的に分かるからこそ、譲れないのだ。相手の在り方が気に入らない。ぶつかり合う男にとって、それだけで充分なのである。互いの刃が加速する。消滅と生成がぶつかり合う。加速。己が技で戦う剣聖と、己が作り上げた剣で戦う英雄は鎬を削る。

 

「今更何故現れた! 理想を捨ててから、何故現れたんだ!!」

「知らんよ。そう言う巡り合わせだったのだ。意志を折ったのはお前の選択だ。悪を為したのは、お前の選んだ道だろう」

「だからこそ、負ける訳にはいかない。僕は僕の道を歩む為、お前だけは認めない!!」

 

 言い放つ。飛翔剣。その全てが加速する。それでも尚、英雄の剣は剣聖には届かない。研鑽された技には勝てはしない。

 

「ッ!? ほう……」

 

 だが、足場を崩す事には成功する。剣聖の口許が僅かな驚きにつり上がる。英雄の剣では剣聖の刃に勝てはしない。それは、天才である英雄が最も分かっていた事である。だからこそ、ほんの僅かでも乱れたその隙を見逃しはしない。落ちる瓦礫を蹴り、全霊を以て加速する。

 

「自らの手で決着を望むか」

「当たり前だ! お前だけは、僕が倒す!!」

 

 離脱すれば勝ちを拾える。そんな局面に来て尚、英雄は戦って勝つことを選んでいた。剣聖と出会って最も影響された人間は、味方である立花響でも雪音クリスでも風鳴翼でもない。敵であるジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスであった。だからこそ英雄は剣聖に何度も接触し、その在り方を見極め、打ち勝つために英雄の剣を手に入れたのである。あっさりと死を賭けられた決戦。その剣聖の在り方に、英雄も気付かないうちに影響されたという事だった。

 

「お前を見誤っていたようだ。本気で相手をしよう」

「今更そんな負け惜しみを!!」

 

 一閃。振り抜かれた英雄の剣は、童子切によって手折られる。ぐるぐると刃が回転し落ちていく。次の瞬間には、その刃も生成されている。刃を手折られようと、英雄は折れはしないのだ。その姿を見て、剣聖は凄絶な笑みを浮かべる。格下を相手にしていた。その認識を改める。

 

「力を貸せ、フィーネ!」

『今更そんな事言わないでも貸すわよ、この男は!!』

 

 笑みと共に上げられた言葉。左腕のネフシュタンの欠片が強い輝きを放つ。少女たちの起こした奇跡により、全世界のフォニックゲインが収束されていた。その全ては月を公転軌道に戻す為に用いられているが、ネフシュタンを活性化させるには、そこに在るだけで充分だった。少女たちの起こした奇跡が剣聖に僅かに力を貸す。後進に手を借りる事になるとはな。剣聖は内心で呟いた。

 

『私が此処までしてあげているのよ。負けは許さない』

『誰に向かって言っている』

 

 ネフシュタンの腕輪から、紫色の鎖が生成される。ネフシュタンの鞭。それが鎖へと姿を変え、英雄を絡め捕る。

 

「な!?」

 

 そのまま腕の力で一気に引き寄せると、己はその力を利用し一瞬滞空、落ちてくる瓦礫を足場に飛んだ。斬撃。交錯の瞬間、全てを防御に回した英雄の剣を撃ち砕く。

 

「まだだ、まだ負けられない!!」

 

 英雄は吼える。崩れ落ちる瓦礫を足場に反転した剣聖はその姿を見詰めていた。紫紺の鎖。英雄を離したソレが凄まじい速さで展開される。瓦礫を打ち貫き、宙を踊り二人の男を取り囲むように線を張り巡らせる。

 

「これは……」

「お前に受けられるか? 研鑽された技を」

 

 剣聖は張られた結界を足場に反発と跳躍を繰り返し加速していく。飛翔剣。その全てが剣聖を討つために打ち出されるが、交錯する瞬間に全てが砕かれ落ちて行く。再生成を何度も繰り返していた。徐々にその速度が落ちて行く。人を超えた力は限りを見せ始めたと言う事だった。 

 

「こんな所で!!」

「ならば抗え。俺に勝って見せろ」

 

 血刃が全てを撃ち砕いていく。英雄の剣に宿ったフロンティアの力。それが削ぎ落とされていた。童子切。目に見えないものを斬る刀だった。その力は、剣聖が持って初めて真価を発揮する。加速と斬撃は止る事を知らない。剣聖は風を超える。

 

「僕の夢は、まだ終わらない!!」

「いいや、夢は此処で終わる。抱いた理想は、此処で終わりだ」

「まさか、止めろ……」

 

 ぶつかり合った。正面。全ての飛翔剣が撃ち砕かれ、生成が追いつかない。英雄の剣。手にした英雄は呆然と見つめていた。何を狙っているのか理解が出来たのだろう。英雄の剣の本体は、シンフォギアの様な首飾りで出来ている。剣聖は笑った。ネフシュタンの鎖を蹴り加速する。その技が頂きを超えた。

 

「お前は英雄などになれはしない」

「止めろおおおおおおお!!」

 

 一陣の風が駆け抜ける。斬撃。血刃により消し飛ばされた英雄の剣は、淡い光と化し、その姿を夢へと還していく。英雄の見た夢。それが、あるべき姿へと消えて行く。

 

「嘘だ……僕の剣が……、夢が……。消えて行く……。跡形もなく……」

 

 それは、ウェルの持つ剣が、夢へと消えた瞬間であった。

 そして、歌もまた終わりを迎える。英雄が倒されるとほぼ同時に、月の遺跡は再起動、装者達はバビロニアの宝物庫に姿を消したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 月読調はマリアを拘束する触手を斬る事に専念していた。バビロニアの内部。数えるのも馬鹿らしいほどの数のノイズが点在している。戦い続けるなどできる訳がない。マリアの開放が最初に為すべき事であった。

 

「調、まだデスか!?」

「もう少し、でぇ!!」

 

 調を討とうと迫り来るノイズを斬り裂きながら切歌は叫んだ。火花が散る。アームドギアが崩れ落ちるも、同時にマリアを拘束から解放する事に成功していた。炎の色を放つ触手を振り解いた歌姫は、それでも辛そうな表情を崩す事が出来ない。自分の為に、彼女等を死の運命に付き合わせていた。優しいマリアは罪悪感に押し潰されそうになる。

 

「一振りの杖では、これ程の数は制御が追いつかない……」

「マリアさんはもう一度、扉を開ける事に集中してください!!」

 

 どうすれば良いのかまるで解らない。そんなどうしようもない状況に声が届く。立花響。マリアに手を差し伸べた時と同じように、強い意志を瞳に宿している。そして、どうすれば良いのかを示し笑った。アームドギア。純白の槍を用い、敵を撃ち砕き道を作る。

 

「杖を……?」

「外から開けるならば、中から開ける事も出来るはずだ!!」

「そいつは鍵なんだよ! ソロモンの杖は、殺す為だけの力じゃない!! 力の意味は持ち主の意志が決めるんだ!!」

 

 杖を見詰めたマリアに、翼とクリスは語りかける。周りは敵だらけである。青は二刀を以て切り伏せ、赤は決戦仕様で展開された大型ユニットを十全に用い、敵を殲滅していく。

 古くからの友に助けられ、新しく出来た友に道を示されていた。母が託してくれた想いが胸に在り、妹が守ってくれた命がマリアを生かしている。杖を強く握る。自分が出来るのかは解らない。だけど、一人では無かった。仲間がいて、母が居た。そして、死して尚妹はきっと寄り添ってくれる。姿は見えない。だけど、きっと力を貸してくれている。

 

「セレナああああ!!」

 

 だからこそ、マリアは妹に力を貸して欲しいと言う想いを込め杖を振るう。バビロニアの扉が開き、外へと道を切り開く。風。それが、少女たちの下へ駆け抜ける。希望の光が見えていた。六人の胸に炎が灯る。こんな所で終わりじゃない。絶対に生きて帰るんだ。再び想いが一つになる。全員が手を繋いだ。

 

「マリア」

「マリアさん」

 

 傍に立つ響が手を出した。マリアがその手を握る。ネフィリム・ノヴァ。少女たちの道を阻む様に存在していた。迂回していては、ネフィリムが先に出てしまう。そうなったら、世界は為す術もなく破壊されてしまう。通る道は、一つしかなかった。

 

「この手、簡単には離さない!!」

 

 強く握られた絆がその輝きを強くする。纏うシンフォギアが必要最低限の装備を残し、一つの姿を形成する。黄金と白銀の拳。

 

『最速で、最短で、真っ直ぐに! 一直線に!!』

 

 響とマリアを中心に、六人の力が収束されたそれがネフィリムに向かって突き進む。回転。放たれる触手を弾き飛ばし、繋いだ手はネフィリムを撃ち貫いた。凄まじい衝撃が装者達を襲う。殆どのエネルギーを奪われていた。だが、ネフィリムもまた、七十億の奇跡により与えられた力を受け止めきる事が出来はしなかった。その容量が臨界に達し、爆発の兆候である光を発する。脱出は成功していた。

 

「くぅぅ……、杖が……直ぐに扉を閉めなければ……」

 

 だが、ネフィリムの爆発が起こる前に扉を閉めなければならない。だけど、少女たちは立ち上がる事が出来ない。奇跡によって与えられた力は使い果たし、その身も多くの傷を負っていた。地に手を突き、崩れ落ちる。ここで終わりなの。マリアの脳裏にそんな言葉が過る。

 

「まだだ……。まだ、終わらない……」

「そうだ、まだ心強い味方が私達にはいる……」

「なかま……?」

 

 クリスと翼が何とか前を見て呟く。

 

「私の親友だよ」

 

 マリアの呟きに答える様に響が言った。遠くから駆ける姿が見える。光が辺りを包み込んだ。少女たちを何度も斬り裂いて来た英雄の剣。小日向未来と少女たちが起こした奇跡により、陽だまりの剣へと姿を変えたそれを纏った響の陽だまりは、低空を一気に駆け抜け杖を抜いた。

 

「本当に大切なものは力じゃない。想いなんだって、響が教えてくれた! 私だって、守りたいんだ!!」

 

 ソロモンの杖。英雄の剣によって強化された力で全霊を以て投げ放つ。

 

「お願い、閉じてええええええ!!」

 

 親友は何時も涙を隠しながら戦っていた。例え力を失ってからも、諦めずに戦い続けた。親友だけでなく、その仲間たちもである。そんな優しい少女たちが、これ以上戦わなくて良い世界を作りたい。その一心だけをソロモンの杖に託していた。ネフィリムの爆発の予兆が広がる。杖が門の中に消える。風が駆け抜けた。爆発の直前、扉は閉まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「どうすると言うのです……?」

 

 ウェル博士がそんな事を聞いて来る。既に英雄の剣は消滅し、眼前に迫る死だけを待つと言う状況だった。命を懸けて戦っていた。今更死が怖いなどと言う心算は無いようである。

 

「お前ならばどうする?」

「質問を質問で返さないで欲しいですね。ですが、今この場に至っては何も打てる手はありませんよ。僕はあなたには勝てなかった。だけど、あなたが此処で死ぬと言うのなら、それはそれで構いませんよ。英雄を殺した男になれるのですから」

 

 何処か覇気がなく、しかし、こちらに向ける敵意だけは無くさないまま博士は笑う。確かにこの高さから落ちれば為す術は無いだろう。既に歌は消えている。ネフシュタンの力も、今は残っているが直ぐになくなるだろう。フィーネの助けも期待できなかった。

 

「そうだな。お前は此処までやって尚、完全に折れてはいない様だ」

「当たり前ですよ。あなたにだけは、負けたくないのですからね」

 

 返って来る減らず口に思わず笑う。勝つことは諦めても、負けない事は諦めない。そう言う事なのだろう。相容れない相手だった。だが、何処か認めてもいる。決着を付けなければいけない相手だった。このままではどちらも死ぬだろう。黙考する。大して考えるまでも無い。二人死ぬぐらいならば、こんな男でも生き残る方が良い。少なくとも、英雄を殺した男などと満足させてやるつもりはなかった。

 

「ならば仕方があるまい。お前は俺にかつて見た英雄の姿を重ねたのだったな」

「……それが何か?」

「英雄になってやると言っている。お前の理想通りにな」

 

 呟き。ウェルはその言葉の意味を理解したのか、小さく噴き出した。できる訳がない。そう言う事なのだろう。

 

「あなたはこの期に及んで何を言っているのですか。何の英雄になる心算ですか?」

「この高さから落ちて尚、哀れな男を生き延びさせた英雄だよ。喜べ、ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクス。お前を生き延びさせてやる。英雄に助けられた、哀れな男としてな」

 

 にやりと笑う。少なくともこの男は最後の瞬間、確かに意志を押し通してきていた。その在り方とは相いれないし、為した事を許す心算はない。だが、それでも男として意志を通して来た。弱いだけであった人間が、最後の最後で死を賭して挑んできたのである。その想いをほんの少しだけ汲んでしまっていた。我ながら度し難い。こんな男を生かそうとしている。我らが刃、生かす為に有る。父は業の深い言葉を残したものである。決めるべきではないことを決めてしまっていた。こんな男ですら、生かそうとした。後進達に、そんな見栄を張りたかったのかもしれない。どちらにしろ死ぬのだ。格好位付けても良いだろう。

 

「何を馬鹿な……」

「信じられないと言うのなら、それでも構わんよ。俺は、この剣を以て奇跡でも起こしてやる。お前を、英雄に守られたただの人間にしてやる」

 

 言い放っていた。力の失せていた博士の目に意思が宿る。

 

「ふざけるな。僕はお前にだけは救われない!」

「ふん。お前の意思など関係ない。救われた後、無様に恥を晒せ」

 

 喚く博士を腕の力で黙らせる。落下。未だ遥か遠いが、漸く地が見え始めてきている。笑った。これを斬れれば、剣聖と名乗る事も許されるだろう。童子切。中天で血を吸わせる。ここで最後だ。伝えていた。震える。別れだった。左腕にウェルを抱え、上体を大きく振るい回転する。血刃。それを以て落下の衝撃を斬り殺す心算だった。とは言え、本当に殺せるわけではない。奇跡は既に終えていた。衝撃を全て受け止めるという事だった。

 

『あなたの死は、あの子の母親代わり(わたし)が許さないと言った!!』

 

 残っていたネフシュタンの力が天に向かい放たれる。公転軌道に戻り始めた月。それに突き刺す心算なのか。笑う。それだけの力など、既に残されてはいない筈だ。回転を加速する。童子切が輝きを増す。

 

『もう良いのだよ。お前には十分助けられたよ。後は頼む』

『嫌よ。漸く私のやるべき事が出来たのだから、こんな所で諦めない。私は、生かす事を諦めない』

『まさか、あなたにその言葉を言われるとはな。生きると言うのは不思議な事だ』

 

 内心でフィーネと語る。必死であった。その気持ちが少しだけ嬉しく思う。だが、最早結末は決まっていた。今更どうにもできない事だった。二人死ぬぐらいならば、一人の方が良いと言い聞かせる。それでも、始まりの巫女は譲る気がない様だ。言葉を発するのを止める。地を見据えた。最後に大きなものを斬るぞ。童子切にただ伝えていた。風。駆け抜ける風を感じる。加速。血刃が、車輪と変わる。

 

「上泉さん!!」

 

 聞こえた声に思わず目を見開く。地。歌が聞こえた。ネフシュタンの力が起動する。紫紺の輝きが強い光を放つ。回転の中、それを見つけた。飛翔剣。英雄の剣では無く、陽だまりの剣だった。童子切を鞘に納める。ネフシュタンが月に突き刺さったのか、回転が一気に緩まる。右手。飛翔剣を掴む。一気に推進装置が起動する。月に刺さったネフシュタンの鎖も動いているのか、両腕に凄まじい負荷が掛かった。ネフシュタンが千切れそうになる腕を無理やり維持する。気付けば飛翔剣がその腹で体を支える様に動いていた。減速。急激に速度が緩む。それでも尚、速い。

 

「響も皆も助けてもらった! 今度は私だって!!」

 

 小日向。陽だまりの剣を纏った少女が剣を操っている。思わず見入った。まさか、小日向に此処までされるとは思っていなかったからだ。笑う。どうやらまだ諦めてはならない様だ

 

「ユキさん!!」

「死ぬなんて絶対許さねーぞ!!」

 

 仲間たちに力を与えられたからなのか、二人の少女が再び翼を輝かせた。傷だらけである。だが、その輝きは力強かった。

 

「父上。どうやら俺は、まだ死なせては貰えないらしいよ」

 

 天を仰ぎただ呟いた。体に衝撃が走る。歌が聞こえていた。ネフシュタンと陽だまりの剣が減速し、二人の少女が仲間の力を借り受け止めてくれたようである。奇跡を纏った響とクリスはそのままかなり大きく勢いを殺すように飛び、やがて地に舞い降りた。それでも勢いが殺し切れずウェル博士を手放してしまい、そのまま地を転がる。

 

「助かった、か」

「ユキさん!!」

 

 やがて勢いが止まったところで、抱き着いていた響が声を上げる。笑み。心底良かったと言わんばかりのそれを浮かべている。

 

「やっぱり私の親友は、助けて欲しいところで助けてくれる!」

 

 響が呟いた。小日向の持つ陽だまりの剣に救われたという事だった。起き上がった響から視線を外し、もう一人の方を見る。

 

「助かったよ」

「ユキ……カゲさんには何度も助けられてる。あたしだって、偶にはユキカゲさんを助ける事もある」

「……驚いた。まさか名前で呼ばれるとは」

「……ッ。別に良いじゃねーか。あんたもあたしの事呼び捨てにしてるだろ?」

 

 まさか雪音クリスに名前を呼ばれるとは思っていなかったため驚く。予想外にも程があった。恐らく、この事件の中で最も驚いたのでは無いだろうか。

 

「……それとも、あたしに呼ばれるのは嫌なのか?」

「そんな事は無い。ようやく認められたのか」

 

 嫌なのかと言う問いに首を振る。すると安堵したのか嬉しそうに笑い、自分が思いっきり抱き着いている事に気付き、赤面した。その様子は何時もの白猫である。しかし、照れ隠しで胸に顔を埋めるのは逆効果では無いのだろうか。そんな事を想いながら、クリスを宥めつつ立ち上がる。再会を喜びたいのだが、それ以上に為すべき事があった。奇跡が起こっているからこそ、今此処で斬らねばならない。次は無いかもしれないからだ。童子切、再び抜く。

 

『ちょっ、待ちなさい!』

『知った事か』

 

 慌てたような声が届くが遅い。歌による奇跡。確かにまだ続いていた。童子切。それを纏い、血刃を以て斬り裂いた。不思議そうにしていたクリスの表情に驚きが浮かぶ。斬っていた。クリスにフィーネが見えないと言う事実を。

 

「フィーネ……?」

「……ッ!?」

 

 母親代わりは娘を見て背を向ける。合わせる言葉がない。そう言う事なのだろう。だが、その想いを汲んでやる事などしない。今会えなければ、もう会える機会は無いかもしれないのだ。呆然とするクリスに行けと囁く。暫くの逡巡。後は二人で話せば良いと離れる。

 

「之景さんも一緒が良い……」

 

 その瞬間に手を取られていた。思いもよらぬ言葉に一瞬だけ驚くも切り替える。一人では心細いという事なのだろう。黙って隣に立った。話す気は無いが、傍に居る事ぐらいならばできる。

 

「あの……」

「私は、あなたに会わせる顔がないわ……」

 

 クリスの呟きにフィーネは震える声で返していた。白猫が涙を零す。それ以上の言葉は続かなかった。涙。恐らく母子揃って泣いているのだろう。例え血の繋がりは無かろうと、フィーネは確かに雪音クリスのもう一人の母であったのだ。空を見上げる。一陣の風が吹き抜けた。それは、母子の再開を祝福するかのようであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 潜水艦内の医務室。自分で自分を斬り裂いた傷の処置が施されていた。とは言え、検査の意味合いが強い。傷自体はネフシュタンの腕輪が修復していたからだ。フィーネによって制御された力。それでも聖遺物との融合は避ける事が出来ない問題だった。

 

「ごめんなさい。あたしが一人で暴走したから……」

「別に気にしていない。どちらにせよ死ぬところだった。それがいま生きている」

「それでもあたしの所為だよ」

「全く、相変わらずだな君は」

 

 病室に置かれたディスプレイに映されている映像を見詰め、クリスは悲しげに俯く。死ぬはずだった人間が生きていた。それで充分とは考えられない様だ。仕方あるまいと、用意されているものを手に取る。童子切。左腕。ネフシュタンの腕輪を外す。

 

「何を?」

「お前の悩みなど、大した問題にはならんよ」

 

 血を吸わせ、左腕を斬り裂いた。童子切。その力は目に見えないものを斬る。既に溶け込んで血肉と化しているネフシュタンの欠片を斬り裂いていた。現在進行形で写されている映像。それが聖遺物の融合状態から、正常なものに戻る。響のように心臓などでは無く、自分自身の腕でもあった。溶け込んだ異物を、目に見えない力だけを斬るのはそれほど難しい事では無かった。あまりの光景に白猫は唖然としている。

 

「俺はネフシュタンに救われたよ。死ぬはずだったところを、フィーネに助けられたんだ。それはつまり、クリスに生かされたのと同じだ」

「……あたしに? なんでだよ」

「ああ。君がフィーネと出会い、ソロモンの杖を起動させたからその繋がりは始まった。君がフィーネと繋がりを持っていたからこそ、俺はネフシュタンの欠片を手にする事が出来た。だから今、此処で生きている」

 

 今にも泣きだしそうな娘をあやしながら言葉を続ける。既にフィーネはネフシュタンの中で静かに眠っている。だが、クリスとの和解は出来ていた。話す事は出来ないが、母子は繋がっていると言えるだろう。後は一つだけ斬っておきたかった。

 

「ソロモンの杖の起動は多くの被害を生んだ。それは事実だ。だが、それがあったからこそ俺は生かされた。一度だけ言っておく。こんな言葉、本来は言ってはいけないのだが、敢えて言おうと思う」

 

 そこで一度言葉を止める。

 

「君がソロモンの杖を起動したからこそ、俺は死なずにすんだよ。だから、ありがとう、だ」

「ッ!?」

 

 その言葉に、こちらを見詰めていたクリスの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。恐らく、この子は何時まで経ってもソロモンの杖を起動した事に関して悩む事になるだろう。それでも、その事によって生きる事が出来た人間も存在する。それを伝えておきたかった。未だに背負う荷を降ろせる時は来ていないだろう。だが、この言葉が少しでもこの子を楽にしてあげられれば良い。そんな事を思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて二部本編完結となります。
二部は響でもクリスでも無く、主人公とウェル博士の物語と言う意識が強かったり。女の子そっちのけで決戦するのは書いてて楽しかったデス。フロンティアを斬るラスボスに逃げずに全力で挑む姿はきっと英雄の一つの姿です。
さて、本編が完結したのでIFシナリオである、奇跡が起こらず剣聖が全てをぶった切っていく一刃の風ルートを一話だけ書いて、番外の日常回を何回か書いたら三部GXに入る予定です。長すぎた序章もようやく終わり。作者の中では三部からが本編になります。






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IF 一刃の風

IFシナリオ。17.覚醒の鼓動の途中から分岐です。剣聖が起きるのが早すぎて、奇跡である七十億の絶唱が起こらないルートです。一話に納めているので、駆け足気味デス。後味があまり良くないルートなので、読まなくても本編読む分には問題ないデス。


「胸の歌がある限り!!」

 

 立花響は走っていた。ギアを纏う事が出来ず、シンフォギアに頼る事は出来ない。フロンティアの制御室に至る道。マリアに会う為にただその足を動かす。マリアを助けて欲しい。調にはそう頼まれていた。ギアは友に消し去って貰っていた。どれだけ苦しくとも、全身を犯していた苦しみに比べれば何ほどのものでも無かった。

 

「響か」

「ユキさん!?」

 

 不意に響は聞こえた声に立ち止まる。上泉之景。身体を半ば血に染めながらも、その場に存在していた。息を呑む。何があったのかは解らないが、またこの先達は血を流していた事に胸が締め付けられる。

 

「この先にマリア・カデンツァヴナ・イヴが?」

「はい。だからこうやって」

「そうか。ならば話はあとだ、一気に行くぞ」

「へ……? わきゃ!?」

 

 身近な質問に答えた響は、次いで行われた事に軽いパニックを起こす。一気に抱き上げられ、風を追い抜いていたからだ。跳躍と加速。それを一気に繰り返し、人を遥かに超える速度で以て駆け上がる。頂上。その間近に来るまで、響はただぼんやりと先達の顔を見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

『フォニックゲイン。未だ目標値には遠く及びません』

「私には無理よ、マム。私には何も救えない……」

 

 世界を救う為に歌っていた。だが想いは届かない。世界に向けて届けられた歌ではあったが、月の遺跡を再起動するには遥かに及ばない。ガングニール。黒きシンフォギアを纏った少女の歌では、人々の想いを束ねきれなかった。

 

「あまり勝手な事はしないで欲しいのですがね!!」

「あうぅッ!?」

 

 まだ終わる訳にはいかない。一度で無理でも、もう一度歌わなければいけない。何とか心を奮い立たせたマリアを阻む者がいた。ウェル博士である。首元に英雄の剣を身に着け、マリアを打倒していた。唐突に現れた人間に、マリアは為す術もなく吹き飛ばされていた。

 

『マリア!』

「全く、やっぱりおばはんの仕業か」

『お聞きなさい、ドクターウェル。フロンティアの力を用いて束ねられたフォニックゲインを収束し照射すれば、月の遺跡は再起動し、月は元の軌道に戻せるのです。今が、最後のチャンスなのですよ』

「月が落ちなければ、英雄の力が振るえないじゃないですか」

 

 世界の救済を阻止しようとするウェル博士をナスターシャは説得しようと言葉を交わす。しかし、英雄になる事を望むウェルにとって、その言葉は煩わしいだけに過ぎない。ネフィリムの細胞から作成したリンカーを投与した左手をフロンティアの制御装置に翳す。

 

「そんなに月の遺跡を動かしたいと言うのなら、あんブレラ!?」

 

 そのままナスターシャのいるエネルギー制御室を切り離そうとしたところで、吹き飛んでいた。拳。すでに何度か叩き込まれた事のあるそれが、博士の眼鏡を襲う。障壁。そんな物は知った事でも無いと言わんばかりに振り抜かれた血刃により相殺される。一撃。それを以て、眼鏡を粉々にし、博士を吹き飛ばしていた。上泉之景。一陣の風と共にマリアを追い抜き英雄と対峙する。

 

「な、にが……」

「マリアさんを助けに来ました。だから、諦めないでください」

 

 呆然と零す問いに、追いついた響が笑った。見るものを安心させるような温かな笑み。それを、諦めかけていた歌姫に向ける。

 

「会いたかったぞ盆暗」

「お前は!? 何故だ、何故おまえが生きている!?」

「死んでいたよ。だが、追い返された。死ぬ前に、一仕事しなければいけない様だ」

 

 驚愕を示す英雄に、剣聖は笑みを以て答える。確かに殺した相手。それが今目の前に存在している。その驚きも仕方が無いだろう。

 

「ふざけるなよ! 何時も何時も、何時も何時も何時も!! お前は肝心な時に現れる!!」

 

 英雄の体が光に包まれる。外部兵装である英雄の剣。それを抜剣していた。十二の飛翔剣。そして両手に持つ剣。シンフォギア以上の輝きを以て、英雄は此処に現れいずる。風が駆け抜ける。

 

「だがしかし、今の僕にとってはお前と言えども抗う事はできはしない!! この英雄の剣は」

「口上が長い」

「……なに?」

 

 一陣の風と共に血刃が駆け抜ける。斬撃。ウェルの言葉の一切を無視して放たれたそれは、英雄の認識速度を遥かに超える速さで以て駆け抜けていた。何かが砕ける音が鳴り響く。英雄は胸元を見詰めた。剣。その刀身だけが見事に消え去っていた。輝きに包まれていた全身が、再び淡い光に包まれる。既に英雄の剣は手折られたあとであった。

 

「お前の遊びに付き合っている時間は無い」

「馬鹿な……。英雄の剣が、僕の夢が……?」

 

 纏っていた白が消え去り呆然と呟いた言葉に、剣聖は静かに、だが鋭く告げていた。振り翳す為に作り上げた力。それを、あろう事か剣聖は使わせる事すら許さずに斬り裂いていた。英雄はへたり込む。彼が作り上げてきた武器は、剣聖の前では何の意味も成さなかった。

 

「立てるか?」

「……そうだ。私は、歌わなければいけない……」

 

 早すぎる展開についていけないマリアに剣聖は声をかける。そして我に返ったマリアは再び立ち上がる。ガングニールを纏い孤独の中で戦っていた少女に、二つの手が伸ばされる。まだ歌わなければいけない。マリアは、心の底から世界を救いたいと言う願いを込めて再び詠う。

 

「……どうして!? 私では、私の歌では何も救えないと言うの!?」

 

 それでも尚、歌では世界を救えない。月の遺跡を再起動させる程のフォニックゲインには遥かに届かない。マリアの歌では、世界の運命を変えるほどの奇跡は起こる事は無かった。

 

『月遺跡、未だ沈黙』

「当たり前ですよ……。今まで散々他人を欺いて来たお前の歌に、誰が耳を貸すと言うのですか?」

「そうだとしても、私は世界を救う為に……」

「悪を為した。そう言うんでしょうね。だが、誰がそれを理解してくれる!!」

 

 ただ優しいだけの少女に、英雄の言葉が牙を剝く。涙が零れ落ちた。確かに英雄の言うとおりである。例え世界を守りたいと言う想いがあろうとも、それが伝わらなければ何の意味も無いのである。そして、マリア達はその目的の為にあえて悪を為していた。いきなり全ては世界を救う為でしたなどと言われて、信じる人間はそう多くはない。思うに任せないフォニックゲインの高まりがそれを如実に示していた。

 

「ならば、お前ならば世界を救えるのか?」

「そうですよ。僕は人類を救済する為だけにフロンティアを浮上させた。少なくともそれで、僕とこの場にいる人間だけは生き残る!! 例え月がぶつかり地が崩壊しようと、人類は滅亡などする事は無い! それが英雄の提唱する、人類唯一の救済方法だ!!」

「たわけが。お前は最初に言った小を犠牲に大を救うと言う目的すらも忘れているでは無いか」

「なぐひゃ!?」

 

 剣聖の問いに答えた英雄は、そのあまりのふざけた答えの報いを受ける。拳。もう一度叩き込まれていた。英雄はそれで沈黙する。上泉之景は怒っていた。気に入らない人間である。だが、その能力だけは一目置いていたところもある。それが、このようなふざけた事を本気で言っている。気に入る訳がない。

 

「私では何も救えない……。私では妹のように、セレナのように……。こんな私では生きる意味がない……」

「意味なんて後で考えれば良いじゃないですか。だから、生きる事を諦めないで!!」

「これは……あなたの歌?」

「違いますよ。これは、私のじゃありません。私たちの歌です」

 

 何とか手にしていた烈槍を取りこぼし呆然と呟いたマリアに、槍を拾い上げた響は笑う。聖詠を歌っていた。ガングニール。生きる事を諦めかけていた主に変わり、生きる意志を示す新たな主の下へその力を届ける。光が二人の少女を中心に広がり、やがて響の下へ収束した。

 

「これが私たちのガングニールだあああああああああ!!!!」

 

 再び少女は希望を纏う。撃槍ガングニール。失った筈の響の力が再び現れていた。胸の内にある想いを伝える様に叫びを上げる。その咆哮がマリアの胸を打った。

 

「なんだと……。だが、まだネフィリムが居る。僕を捕らえようと、フロンティアの力を喰らったネフィリムがまだ存在している」

「ふん。そんな物大した障害にはならんよ。斬って捨てるだけだ」

 

 目を見開くウェルの言葉に、剣聖は小さく笑った。武門である。その刃は本来、敵を討つために研鑽されてきたものである。化け物が阻むと言うのならば、その真髄を振るうに相応しい戦いだと言うだけであった。手にした童子切。血刃が喜びを表すように強く震える。鬼を斬ったと言う逸話すらある太刀であった。ネフィリムなど、斬り甲斐のある獲物に過ぎない。咆哮が轟く。ネフィリムの叫びであった。

 

「ネフィリムを斬る、だと?」

「そうだよ盆暗。お前は少数の犠牲で大勢を救うと語ったな。ならば俺はお前がかつて提唱したやり方で、お前以上の結果を残してやろう」

「何を馬鹿な事を……」

 

 剣聖は英雄を担ぎ上げる。こんな場所に一人で置いておくことなどしない。月の落下の問題もあるが、先ず打つべきはネフィリムであった。響が二課本部と通信を繋げる。直ぐにネフィリムの現在位置が伝えられた。剣聖と響は目を見合わせ小さく笑った。翼とクリスが迎え撃っている。ならば、直ぐに向かわなければいけない。

 

「お願い……戦う資格の無い私に変わって、世界を守って……」

 

 そんな二人の様子を悲し気にマリアは見詰め伝えた。既にガングニールも失い、戦える力を失っていた。想いを込めた歌すらも否定され、少女は立つ事すらできなかった。

 

「あなたには戦う資格がないのか?」

「そうよ。全てを欺いて来た私には、今更共に戦う資格なんて……」

「弱いなお前は。戦う事に資格など無い。あるのはやるかやらないか。己の意志だけだ」

 

 そんなマリアの言葉を聞き、剣聖は童子切を振るった。既に一度死んだ上泉之景には見えているのである。マリアの妹が、必死に姉に語り掛けているのを。胸元に付けられている妹の形見。それに気付かせようと、必死に声をかけている。

 

「セレナ……?」

 

 妹の姿を認めたマリアは、呆然とその姿を見つめる。気付いて貰えた。姉が自分を見てくれる事に気付いたセレナは、マリアにだけ聞こえる言葉で想いを託す。

 

「俺たちは行くかな」

「はい!」

 

 共に行く後進に向けて放たれた言葉に、響は素直に頷く。何をやっているのかは分からなかった。だけど、先達は目の前で泣き崩れていたマリアに手を差し伸べたのだろうと言う事は何となく解っていた。響自身が何度も助けられている。流された血と共に培われてきた信頼だった。

 

「待って! こんな私だけど……、世界を守りたい。あなた達と一緒に、戦いたい!!」

「そうか。なら行くか」

 

 妹との会話が終わったマリアが声を上げる。剣聖は一瞥し、短く答えていた。戦えるかなど聞きはしない。その瞳が何よりも悠然と語っていたからだ。共に来たいのならば、好きにすると良い。そんな事を無言で伝えていた。

 

「Seilien coffin――」

 

 マリアは歌を口遊む。聖詠。マリア・カデンツァヴナ・イヴの持つ本当のそれを歌っていた。光に包まれる。銀色のシンフォギア。妹によって背を押され、アガートラームを纏ったのだった。剣聖と響を見詰め、マリアはただ頷く。まだ戦える。自分の歌では世界を救えないかもしれないが、それでも諦めた訳では無かった。

 

「行くぞ」

 

 剣聖はウェルを担ぎ上げ、そのまま走り出す。そして、飛んでいた。地を、壁を、木々を足場として加速する。響とマリアはその背を見失わないように追いかける。シンフォギアすらも纏っていないにも関わらず、その速さには付いて行くのが精一杯だった。その事実にマリアは驚きを示しつつも、同時に心強さを感じた。多くを語った訳では無い。だけど、この人が味方にいると思うと、折れかけていた心がふっと軽くなる。

 

「ユキさんは渡しませんよ?」

「……は? え、いや、あなた何を言っているの?」

 

 唐突に隣から駆けられた言葉に、思わずマリアは視線を移す。突拍子もない言葉に驚いてしまったからである。そんなマリアの様子に、響はころころと楽しそうに笑った後に静かに告げた。

 

「冗談ですよ。でも、あの人が私の好きな人です。何度も守ってくれた、私の英雄(ヒーロー)ですよ。だから、取ったら嫌ですよ」

「そう……。あの人が、あなたの大切な人なのね」

 

 先を行く男の背を見詰め、その背を追う女は静かに言葉を交わす。血を流し、それでも恐れずに刃を振るうその姿は、確かに英雄だった。その後ろ姿が心強く、だけどどこか物悲しい。待たされる未来の気持ちはこんな感じだったにかなと、響は小さく笑う。

 

「ぶっ潰す!!」

「叩っ斬る!!」

 

 やがて、赤と青が戦っている姿が目に入る。翼が剣を手に舞い踊り、クリスはその力を全霊を以て高めていく。場が動いた。全力の砲撃が辺りに轟音を響かせる。

 

「やったか!?」

「いや、先輩その台詞は……」

 

 翼の台詞をあざ笑うかのように劫火が放たれる。先を行く風が刃を振るった。血刃。響ですら見た事の無い程強大なそれが放たれる。斬撃。童子切によって打ち出された打ち消す力は、二人に襲い掛かった炎を消し飛ばす。

 

「先生!?」

「ユキ、カゲさん?」

「すまんな、遅れた」

 

 有り得る筈のないものを見た二人は驚きに目を見開く。そんな後進の様子に、遅れたと剣聖は詫びる。赤が動いていた。戦場にも拘らず、全力で抱き着いていた。心の奥底では、もう会えないと思っていたその姿に感極まっていたのである。その様子に困った娘だと剣聖は呟くも、振り解く事はしない。ネフィリムを見据えつつ、その背を宥める様に軽く叩く。童子切。刃に付いた血刃を振るいながら、ネフィリムの劫火をあっさりと斬り裂いていた。

 

「シュルシャガナと」

「イガリマ到着デス!!」

 

 そんな隙だらけのネフィリムを二つの刃が斬り裂く。桃色と緑の装者。月読調と暁切歌であった。深く化け物を斬り裂いた二人は、そのままネフィリムの傍を突っ切り合流を果たす。

 

「ネフィリム! 奴らを倒すんだ!!」

 

 拘束された英雄は、それでも何とか声を上げる。制御権は未だ英雄の下にある。その言葉にネフィリムは反応するという事だった。劫火が迫る。剣聖、白猫をゆっくりと引き剥がして前に出る。

 

「あなたばかりにいい格好はさせられないわ!!」

 

 マリアが身に纏うアガートラームの力を振るう。幾らか高まっているフォニックゲインをにより高められた出力。それを以て、強大な盾を展開する。銀色が皆を守っていた。

 

「これがあなたの力か」

「私だけの力じゃないわ。私と背を押してくれた妹の力よ」

「良い家族を持ったのだな」

 

 ネフィリムの一撃を凌いだ歌姫に、剣聖は短い言葉をかける。

 

「生きていたのね」

「ああ、君の中に居た魂に助けられたようだ」

「何言っているか解らないデスけど、良かったデス!! もう死んでいるとばかり……」

「実際死んでいたよ。まぁ、話はあとだな。あれを斬る」

 

 童子切。剣聖は自らの腕を斬り裂いていた。F.I.S.の三人の装者が驚愕に目を見開く。調と切歌は一度見た事があったが、その時とは切る深さが遥かに違っていたからだ。腕に付けられたネフシュタンの腕輪。紫紺の輝きを淡く発する。歌に呼び起された最初の奇跡。月遺跡を起動させるには遥かに及んでいないが、剣聖を生き永らえさせる事が出来る程度には、高められていた。

 

「腕を斬り裂いた……」

「大した問題ではない。直ぐ治るからな」

「何を……」

 

 自らを斬った事に呆然と零すマリアに、剣聖は笑う。痛みが怖くないのかという問いに、剣聖は平然と頷く。それだけでも、この男には勝てないのでは無いだろうかと脳裏に過る。響が英雄と呼んだ意味の一端を、その光景を以て理解する。自身が傷付く事に対して、何の恐れも抱いていないのである。どんな言葉よりも、行動がそれを示している。

 

「少し斬って来る」

 

 少し出掛けて来ると言わんばかりの軽さで剣聖は告げていた。童子切。血刃が輝きを増す。速く斬らせろ。その姿は、そんな事を持ち主に告げている様ですらある。

 

「先生が相手では、ネフィリムも運がない」

「まぁ、ユキさんだしなぁ。あれが相手でも、あっさり倒しちゃうんじゃ」

「……もう怪我するななんて言わない。だけど、ちゃんと帰って来いよ」

 

 三人の後進は各々言葉を零す。戦いに関しては、誰にも劣らぬ信頼があった。そして風は駆け抜ける。血刃。一刃と共に放たれる。ネフィリムの打ち出した劫火。あっさりと斬り裂き、そのまま腕を斬り飛ばす。絶叫。ネフィリムの悲鳴が上がる。跳躍。既に剣聖は、ネフィリムを間合いに納めている。斬撃。瞬く間に紅の刃が足を切り刻み、その巨体を揺るがせる。片足を失ったネフィリムは頽れ、剣聖に向け倒れ込む。血刃。放たれる特大の飛刃が半ば抉り取る様に上体を削ぎ落とす。斬痕。開けたそれに向け跳躍。胴と腕の間を反発を繰り返し飛ぶ。鮮血とネフィリムの体液が舞う。斬撃の壁。ソレを以てネフィリムが切り刻まれていく。

 

「嘘だ……こんな事、ある訳がない」

 

 たった一人の人間に切り刻まれていくネフィリムの姿に呆然と英雄は言葉を零す。鮮血。ネフシュタンによって生成される無限とも言える血によって、童子切はその力を惜しむ事なく見せつける。歴史にその名を刻むほどの無双の一振り。剣聖と言う使い手を得たそれは、確かに唯一無二の剣であった。おとぎ話の中の英雄。そんなものを思い起す。

 

「私は英雄なんかじゃありません。だって、英雄は此処に居るから」

 

 かつてウェル博士が響に言った言葉。ルナアタックの英雄。それを否定するように、響はその姿を目に呟くのだった。ネフィリムの巨体が崩れ落ちる。暴食の名を冠する化け物は、たった一人の人間に敗北を喫したのだった。

 

 

 

 

 

「……確かにネフィリムは倒した。その力だけは英雄だと言っても良い。だが、それでどうすると言うのですか!? 月は未だに健在で在り、人類滅亡の脅威が迫る事は何も変わらない。何も守れはしない!!」

 

 ネフィリムが倒された事にしばし呆然としていたウェルではあったが、そんな言葉を吐き出した。確かに負けていた。だが、自分を倒しただけで、何の解決にもなっていない。このまま進めば、直ぐにでも地は生き物が住めない程の被害を受けるだろう。それに対してどうする心算なのかと英雄は問う。辺りが静寂に包まれる。その当然の問いに答えられる者は一人しかいない。少数を犠牲に大勢を救う。確かに剣聖は英雄にそう告げていた。

 

「少数を犠牲に、大勢を救う。それしか取れる手はない。童子切であれば、それを為せる」

 

 剣聖は英雄の言葉に静かに応える。確かに救えると言い切っていた。ただし、その言葉には何処か悲しみが付き纏っている。

 

「君たちに頼みがある。限界を斬り捨てた絶唱を歌う事を、死ぬ事を許容してくれるだろうか?」

 

 剣聖は静かに六人の少女を見る。短く。だが、確かに死を許容してくれと頼んでいた。誰の口からともなく、息が零れる。剣聖の目を見れば、本気である事は嫌でも理解できた。

 

「ただ死ぬ事を受け入れてくれと言う心算は無い。全てが終わってから逝くよ」

「皆まで言うなよ」

「解ってます。英雄でない私達じゃ、何の代償もなく世界を救うなんて事できはしない」

 

 死ぬ事を許容してくれるかという言葉を遮る様に響とクリスが腕を掴んでいた。死ぬ事なんて怖くない。傍に居てくれるのなら、私たちは大丈夫だと小さく笑う。悲愴な、だが綺麗な笑みを二人は浮かべる。

 

「先生が死を迎える事などありません。私たちを守ってくれた人たちを、今度は私たちが守る。それだけなのですから。先生は生きてください」

 

 一歩引いていた風鳴翼は、穏やかな笑みを浮かべて告げる。月の遺跡の再起動が望めない今、絶唱を使うしかなかった。この場に居るのは六人の装者であり、立花響の絶唱は全てを繋ぎ束ねる。六人の絶唱は六人だけでは無いのである。

 

「こんなの見せつけられたら、散々皆を苦しませたあたしたちが逃げる訳にはいかないデスね」

「うん。皆戦っているよ。私たちもそれに加わるだけ。切ちゃんとマリアが一緒なら怖くない」

 

 切歌と調はお互い見つめ合うと手を繋ぐ。元々世界を救う為に活動してきた。死ぬ覚悟だって当然してきていたのである。本音を言うと今すぐに逃げ出してしまいたいほど怖い。だけど、大切な皆が覚悟を決めている。そう思うと、不思議と怖さが無くなって来ていた。親友が居て、姉がいる。母が生きてくれている。だから、二人も怖くはない。

 

「ごめんなさい。私がもっと上手く出来ていれば……。皆が命を懸けなくても良い方法があったかもしれないのに」

「違いますよ、マリアさん。マリアさんが頑張ってくれたから、私たちだけの犠牲で済むかもしれないんです。だから、泣かないでください」

 

 自分がもっと上手く出来ていれば。そんな思いに押し潰されそうになっているマリアに、響は違いますよと温かな笑みを浮かべた。マリアさんがいっぱい辛い思いをしてきたからこそ、これだけで済むんだと、言い聞かせるように伝えていた。傍に居る仲間たちも穏やかな笑みを浮かべる。涙が零れた。どうしてこれほどこの子達は強いのだろう。そんな疑問が胸を過る。だけど、その答えを知る事は無いのだろう。それが少し悲しいと同時に、誇らしくもある。自分も、この子達の仲間なのだから。マリアの瞳に強い意志が宿る。

 

「斬るぞ。君たちの持つ限界を断ち斬る」

 

 少女たちが語り合う中、剣聖は己が身を貫き童子切に血を吸わせていた。ネフシュタンが強い輝きを放つ。それはまるで、今から始まる事を止めようとしている様な強い光であった。六人の少女は静かに頷く。迫る月。見詰める。自分たちが見る最期の光景に、ほんの少しだけ決心が鈍りそうになる。誰とも言わず、剣聖を促していた。鮮血が舞う。血刃が振り抜かれる。刃が風を追い抜いていく。一人、また一人と童子切に斬り裂かれていく。己の限界を斬り、人の限界を斬り、聖遺物の限界を斬り、歌の限界を斬り、絶唱の限界を斬り、示される決意を阻むもの全てを斬り裂いて行く。血が舞い、風が煤を吹き飛ばしていく。皆が黙って手を繋ぐ。やがて、全てが斬られた。それが、装者達には解った。

 

『Gatrandis babel ziggurat edenal――』

 

 少女たちの歌が響き渡る。立花響がS2CAによってその全てを繋ぎ束ねる。六人の少女の限界を超えた力。それが、アガートラームによって制御再配置されていく。超遠距離に存在する月への砲撃。それが為せるのは、六人の中でもたった一人しかいない。僅かな間とは言え、月を穿つ一撃ですら押し留めて見せた雪音クリスの絶唱である。六人分の力を展開されるイチイバルに一つに束ね、形とする。

 

「六人の中で、超遠距離を撃てるのはあなただけ」

「繋ぐ力を全てクリスちゃんに託すよ。だからお願い!」

「あんたは何時もあたしを助けてくれた。守ってくれた。だから今度はあたしが守るんだ!!」

 

 そして絶唱は放たれる。

 

 

 

 

 

 己の限界を斬り、人の限界を斬り、童子切とネフシュタンの限界を斬り、シンフォギアの限界を斬り、絶唱の限界を斬り、彼女らに訪れる筈の死を斬り裂いていた。その斬り捨てたものに対して、ネフシュタンが全力を以てその力を稼働させる。

 

『止めなさい! あなた、こんな使い方をすれば制御が追いつかない』

『だろうな。それが狙いだ』

 

 内心に響き渡る始まりの巫女の言葉。それにただ頷き笑う。ネフシュタンの欠片の限界を斬り裂いていた。無限の再生を司る。その力は、使用者を喰らってですら再生を行うという。欠片が光を放つ。内側が熱い。だが、それが心地良い。

 

「見ておけ英雄に憧れた人間よ。これが、少数を犠牲に大勢を救うやり方だ」

 

 ウェル博士に言葉を告げる。お膳立ては全て整ったという事だった。血が沸騰する。内側から、食らいつくされる。

 

「世界が滅ぶのが運命だと言うのなら……」

 

 笑う。絶唱が放たれる。命を賭してでも、全てを守りたいという後進達の、大切な者達の願いだった。それを聞き届けられないなどと、そんな先達である訳にはいかない。あってはならない。

 ――男だ、ユキ。父の言葉が胸を過る。笑う。父のように、只成りたかった。

 一陣の風が吹き抜ける。

 

「運命よ其処を退け。少女たちの願い(きせき)が通り抜ける」

 

 血刃。大切な少女の放った絶唱に重ねる様に、最期の刃を撃ち放つ。ただ光を見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな……」

 

 月に絶唱がぶつかる。表面を幾らか穿ち、やがてその力は露と消えた。誰とも無しに呆然とした呟きが零れた。当たり前である。幾ら増幅しようとも、たった六人の力では月を押し返すなどできる訳がない。奇跡を起こしエクスドライブを纏ったとしてもできる筈がない。ましてや、決戦仕様ですらなかった。そんな一撃で如何こうできるほど、迫る災厄は軽いものでは無かったのである。六人の少女が膝を突き、呆然と月を見詰めていた。

 

「月はまだ健在……。でも、もう為す術がない」

「一生懸命なだけでは、奇跡は起こらないんデスか?」

 

 調と切歌は涙を零す。死を前にすら泣かなかった二人も、守れなかった事に涙を零す。

 

「やはり、私では守れないの?」

「この刃、守る為に磨き上げて来た。それが、この結果だと言うのか……」

 

 マリアと翼は己の無力さに拳を握り地を殴る。変えられぬ運命に、己の不甲斐無さに涙が浮かぶ。

 

「ユキさんが信じてくれたのに、守れなかった。結局私じゃ、何も出来なかった……」

「あたしの歌じゃ守れないのか……? 悲劇を始めてしまったあたしの歌じゃ、何も変わらないのか?」

 

 そして、響とクリスもその心を折ってしまう。何も変えられない現実に、起こる事が無かった奇跡に、只少女らは涙を流す。死が訪れる筈の少女らが、涙を流していた。

 

「いいや。守れたよ。君たちは、世界を守る事が出来る」

 

 ただ一人。剣聖だけが屹立し、月を仰いでいる。風が吹いている。少女らは顔を上げた。童子切。全ての力を用いたのか、血刃は白刃に戻っていた。剣聖は穏やかな笑みを浮かべる。何かが変わっていた。その何かが、少女らには解らない。

 

「あたしは、何も守れなかった……。あんたみたいに守れなかった」

「月を押し戻せませんでした。守れませんでした……」

 

 ただ、二人の少女の胸を突き動かした想いがある。クリスと響は、静かに佇むユキの下へ向かう。完膚なきまでに撃ち破られていた。苦しくて、それ以上に悲しい。ただ、ぬくもりが欲しかった。

 

「大丈夫だ。運命は斬り拓かれたよ」

 

 二人の少女をゆっくりと抱きしめると、宥める様に一度だけ頭を撫でた。見上げる。ただ、剣聖は笑みを浮かべるだけである。ほんの僅かな間慈しむ様に抱きしめると、ゆっくりと振り解く。そしてただ歩を進めた。へたり込む少女らを追い越し、只歩みを進める。月。見上げている。不意に、カランと言う乾いた音が響き渡った。全員の視線が音の方へ向く。あの上泉之景が、童子切を落としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一陣の風は吹き抜ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「後は任せるぞ、フィーネ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開いた時、何か大切なものが吹き抜けていった。風が吹き、煤が舞っている。目を開いた装者達が最初に見たのは、ひとりの女性だった。俯き肩を震わせる、金髪の女である。

 

「始まりの歌、それは只の風であった。運命すらも斬って捨てたお前は、確かに一刃の風であったよ」

 

 悲しみに染まった音が響く。誰も言葉を発する事が出来ない。ただ一つだけ理解する。上泉之景は、嘘を言っていたという事である。六人の誰一人として死んでいない。それどころか、怪我一つない。守られた。親が子を守る様に、確かに守られていた。 

 

「奇跡の通り道には、先ず風が通り抜ける。確かに奇跡は起こった」

 

 始まりの巫女は、ただ月を仰ぐ。剣聖は確かに斬り拓いたのである。己の限界を斬り裂き、先ず人間と言うものの限界を超える。それから童子切の限界を斬り、ありとあらゆるものを斬る公算をつける。更にネフシュタンの限界を斬り裂き、必要な血液の生成とネフシュタンの再生、つまりフィーネの再誕を手繰り寄せる。同時に、装者達の絶唱を斬り、血液の生成を以てネフシュタンの再生を加速させ、死に至るという結末すらも斬って捨てる。六人の少女たちの絶唱は、月を動かす為に用いられたのではない。ネフシュタンを最大限に稼働させる為に用いられたのである。あの上泉之景が守るべき子らに死を押し付ける事がある筈が無い。月がぶつかると言う運命を変え得る可能性を手繰り寄せる為だけに歌わせたものだった。剣聖は確かに言っている。死を許容してくれるかと。それは、少女たちではなく、自分が死ぬ事を許してくれるかと言う問いであった事に、一つとなっていたフィーネには痛いほど良く解った。

 

「たとえ私が再誕したとしても、お前が消えては何の意味もないではないか!!」

 

 だからこそ、怒りが収まらない。そんな物は詭弁でしかない。例え世界が守れたとしても、守った世界には英雄の姿は無い。奇跡は起こされたとしても、守った少女らの胸には深い傷跡を残す事になるのだ。だけど、その怒りは最早どうする事もできはしない。既に、英雄はこの世を去り消えてしまったのだから。

 

「これが、世界の救い方だと言うのか? こんなものが?」

 

 全てを見ていたウェルは呆然と零した。少数を犠牲に大勢を救う。そう上泉之景は言っていた。自分が死に、現状を変えられる可能性を持つ存在を確かに呼び覚ましていた。

 

「立て、英雄に憧れた男よ」

「うぁ!?」

 

 呆然と呟くウェルを掴み上げフィーネは声を荒げる。後は頼むと死を賭して託されていた。はらわたが煮えくり返る程怒りが渦巻いているが、その想いを汲まなければならないからだ。一体化しているネフシュタンの鎧を生成し、上泉之景の体を喰らって再誕した肉体を以て童子切を手にする。

 

「全てのお膳立ては出来ている。お前を世界を守った英雄にしてやる」

 

 始まりの巫女は英雄に憧れた男に吐き捨てる。

 そしてあっけなく世界は救われる。その中に、英雄と呼ばれた人間の姿だけが存在しない。血塗れの英雄は、守るべきものを守り、全てを置き去りにしたのだった。

 

 

 

 




こうして世界は救われる。
フィーネがネフシュタンの鞭をフロンティアの心臓に突き刺しエネルギーを食わせる事で無限増殖し、力が規定量に達したら上泉之景の肉体から作り出された身体で童子切を振るってネフィリムから切り離す。そして、博士とフィーネが月をどっこいしょして公転軌道をから無理やり遠のける訳です。月が地球にぶつかると言う運命が剣聖に斬り裂かれているからこそ、事がうまく運びます。月はぶつからないのではなく、ぶつかれなくなったのです。月がぶつかれないと言う結果を作ってから、どっこいしょした訳になります。
世界は救われF.I.S.は目的を達成し、ナスターシャ教授も生き残り、博士も救世の英雄となり、フィーネは再誕する。ただしソロモンの杖は残り、武門は死ぬ。大団円に近いバッドエンド。IFシナリオですので色々省いてますが、初期案はこんな感じだったり。しかし没になりました。流石に救いが無いのと、響とクリスちゃんとかメンタルブレイクで済まないと思うので。

さて、IFは今回のみです。ただしこのIF、読まなくても問題ないですが、三部やるにあたって読んでおいた方が楽しめるかもしれません。
では次回からは二部本編終了後になります。刑務所入り直前のfisの面々とか、装者達のシリアスではないお話になります。








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番外1.戦いの後

 雪音クリスは潜水艦にある医務室の前で時間を潰していた。ユキが自分の腕を斬り裂いた事で、処置が必要となった為医師に退出を命じられたからである。母の形見でもあるネフシュタンの腕輪を預けられ、病室の前でぼんやりと座り込んでいる。やる事も無いので、小さく歌を口遊む。不意に、自分の内側で声が聞こえた。

 

『聞こえるかしら?』

『フィーネ!? でも、どうして?』

 

 唐突に聞こえたフィーネの言葉に思わず驚く。その様子に、言葉だけではあるが母親代わりが笑ったのが、何となく解った。頬が赤くなるのを自覚する。何が、と言う訳では無いが、自分の内で羞恥心が沸き上がる。誰かの為に歌っている歌を聞かれていた。それが気恥ずかしくて仕方が無かった。

 

『いや、あの場では話せなかった事が一つだけあったから、ね。何時か機会があれば話そうと少しだけ力を残しておいたのだけど、思ったより早く機会が訪れたわけよ』

『話せなかった事?』

 

 それに、少しだけどフォニックゲインも高められたからと意地悪く告げられる言葉に俯く。歌は想いである。誰かの為に歌われた歌は、より高レベルなフォニックゲインを生むと言う事であった。眠っているネフシュタンの欠片が起動しても問題ないとフィーネが判断するようなフォニックゲインが雪音クリスの歌からは生成されているという事だった。そんな事を言われてしまうと、クリスは何も言えなくなる。ただただ顔が赤くなり、涙が浮かんでくるだけだ。その様子に、ネフシュタンから見ているフィーネをして、何だこの可愛い生き物はと言った感想を抱かせる。何とか白猫はもう一人の母を促す。

 

『まぁ、余計なお世話かも知れないけど、言っておかなきゃいけない気がしてね。胸の内にある想いとは、きちんと向き合っておきなさいよ?』

『……ッ!? い、いきなりなんだよ』

 

 母の言葉に、思わず心臓が鷲掴みにされたようにびくりと震える。そんなクリスの様子に、始まりの巫女はおかしそうに続ける。

 

『まぁ、皆まで言わないわ。だけど、大切な人と言うのは何時までも傍に居てくれるものではないわ。ふとした瞬間に失う事もある。離れて行く事もある』

『それは……今回の件で実感した……』

『なればこそ、自分の中の想いに正直になるのが大事なのよ。傍に居たいと思える存在になるしかない。随分と強いライバルもいるようだしね』

『ライバル?』

 

 白猫は母の言葉に小首を傾げる。

 

『まぁ……、あれだけの男はそうはいないわよ。数千年生きた私が断言するのだから間違いないわ』

『……何の話をしてんだよッ!?』

『あなたの為に二度も死ぬ思いをしてくれる人間なんて、そうそう居ないって事よ』

『だからッ!? ん……二度?』

 

 母の口から語られる言葉に赤くなりながらも反論しようとして、ふとした違和感に気付く。二度とはどういう事だと疑問が浮かんだ。

 

『完全聖遺物を纏った私に正面から挑んできたのは、あなたの為よ』

『え……?』

『あの時あなたの事を踏み躙ってしまった私に本気で怒りをぶつけて来たわ。ソロモンの杖と、ネフシュタンを手にした私によ? シンフォギアも無しに、平然と死線を越えて来ていた。私は、愛を知っているならばなぜ愛されていた事を理解しなかったと一喝されてしまったのだから』

 

 最も、英雄と言えども恋する乙女には勝てなかったけどねと、始まりの巫女は続ける。

 

『でも、あの人はおっさんに頼まれて来たはずだ』

『そりゃ、弦十郎君の頼みはあっただろうけど、実際に刃を交えた私が感じたのはあなたへの対応に関する怒りだったわ。先ずはそれ。その後に他の想いは付いてきていた。滅多にいないわよ。それだけ大切にしてくれて、実際に世界の脅威に立ち向かい血を流す人なんて』

『あたしの……為?』

『勿論。もう一度断言してもいいわ。あれだけの男は早々居ない。繋ぎ止めておかないと、後悔するかもしれないわよ? 何せ男と言うのは、良い女に惹かれるものだと本人が言っていたのだから』

 

 何せ、その背を見ていたのは一人では無いのだからと母は楽し気に笑う。本人の言葉を、意図とはまるで違う方向に良いように引用しているが、そこは気にしては負けである。そしてその言葉が効いたのか、自分の内側を見透かされている様で白猫は恥ずかしさが更に募っていく。

 

『別に、あたしの気持ちは恋とかそんなんじゃねーし!』

『あら? 別に私はあなたの気持ちが恋だなんて思ってないわよ?』

『~~ッッ!?』

 

 母の、私はそんな事一言も言ってないわよと続けた言葉に、白猫は涙目でネフシュタンを睨みつける。思わず投げそうになるが、それは流石にできなかった。大切な人の命を繋ぎ止めてくれたのは、その母であるからだ。複雑な感情は勿論ある。だけど、感謝もしていた。何よりも、本当に失いたくなかったあたしの居場所を守ってくれたと言う想いが強い。そう言う気持ちも相まって、白猫はうぅ……っとうなる事しかできない。乙女心は複雑なものなのである。

 

『まぁ、良いわ。そんなあなたは私から見ても可愛すぎるのだから』

『だから、なんか勘違いしてるだろ!?』

『ムキになるのもまた良きかな』

 

 久々に出会ったもう一人の母は、性格が変わったのではないかと思う程奔放としている。クリスは完全に翻弄されていた。実際にフィーネとしては楽しくて仕方が無い。その為櫻井了子としての一面が強く出てしまっていた。女としては、他人の恋模様と言うのは何歳になっても興味が惹かれるのである。自身が初恋の為に世界を壊そうとした程の人間だからこそ、他人の恋を見るのも楽しくて仕方が無いと言った訳である。恋する乙女は最強なのだ。その力は英雄すらも打ち倒す。

 

『あははは。まぁ、今はそれでいいわ。とは言え、あんまり悩んでいたら足元を掬われるかもしれないわよ?』

『……どう言う事だよ?』

 

 ムキになって母の言葉を否定しようとするが、思わせぶりな事を言われれば、白猫はつい言葉に耳を傾けてしまう。そう言う擦れているようで素直なところまで、母にとっては可愛くて仕方が無い。

 

『最高の仲間は、最高の敵かも知れないって事よ』

『……仲間が、敵?』

『まぁ、恋する乙女って言うのは英雄すらも打ち倒す。それは、あなただけの特権では無いという事よ。頑張りなさいな。色々な意味でね』

『あ、おい!?』

 

 そこまで言うと、ネフシュタンは一度だけ淡い光を発した。白猫は自分の内から気配が消えた事を感じる。思わず声を荒げるが既に遅い。自分の声は、自分の内側に響いただけである。

 

「まったく、なんなんだよ」

 

 真っ赤になったままで白猫は吐き捨てる。なんだか恥ずかしくて仕方が無く、悪態でも付かないとやってられなかった。だけど、不思議と嫌な気分では無かった。その口元には、小さな笑みが浮かんでいる。

 

 

 

 

 

 

 

「どうぞ」

 

 扉が叩かれた事で、上泉之景は入室を促した。左腕。既に処置は完了しており、包帯が巻かれている。思えば、この人はずっと怪我をしているなとクリスは何となく思いながら、入ってきた人物を視界に納める。

 

「怪我をしたと聞いたのだけど、大丈夫、かしら?」

「マリア・カデンツァヴナ・イヴか」

 

 控えめなノックと共に入ってきたのはマリアである。クリスとしてはさわりだけ聞いたが、マリアとはユキも出会っていた。既に拘束される事は確定しているが、共に戦っていた。一度ぐらいは挨拶がしたいと言う事なのだろうと納得する。自分がマリアの立場であったとしてもそうだろう。何せ、この戦いの中で一番の深手を負ったのがユキである。傷自体はネフシュタンが治してくれてはいるが、そう言う問題でもない。

 

「マリアだけじゃないよ」

「調とあたしも一緒に居るデース」

「月読調と、暁切歌だったかな」

 

 マリアの後を追うように、調と切歌も入って来る。名は合っていたかなと問うユキの言葉に、二人は頷く。F.I.S.の中で生き残った者達が一堂に会していた。流石にあれだけの事を為したウェル博士は完全に拘束されており、この場にはいない為、彼を除いた全員という事であった。

 

「あたしは、席を外した方が良いか?」

「そうね……。少しだけ私達だけで話させて貰ってもいいかしら?」

「解った」

 

 今回の件で話しておきたい事があるのだろうと大凡の事を察したクリスは、マリアに聞いていた。彼女等としてはクリスが傍に居ても問題は無いのだが、ユキだけである方が話し易くはあった。クリスにも仲間意識はあるのだが、だからこそF.I.S.の事を話す際に傍に居れば気恥ずかしいという事だった。すまないと一言詫びを入れ、クリスの提案を受け入れる。気にしてねーよと小さく笑う雪音クリスが退出したのを確認した後に、三人はゆっくりと向き直る。眼前には、上泉之景が静かに視線を向けてきている。思わず息を呑む。相手は、今回の事件で命を落として尚、再び立ち上がった人間だった。話を聞いただけだが、改めて対峙するとそんな前情報もあり、少しだけ気圧されてしまう。

 

「マリア?」

「大丈夫デス。あたしたちも一緒デス」

 

 そんな姉の様子を敏感に察したのか、二人の妹がその手を握り励ます。思わず吹き出しそうになる。マリアとしてはほんの少しぐらい強くなったつもりだったが、どうやらまだまだの様だ。心強い家族の暖かさにに安心している事が、何処か嬉しかった。二人に大丈夫だと答える代わりに、少しだけ強く手を握る。

 

「先ずは……ごめんなさい」

「迷惑をかけて、ごめんなさい」

「襲い掛かってごめんなさいデス」

 

 三人は最初に頭を下げた。目の前に居るのは、マリア達F.I.S.の暴走を文字通り身を挺して止めてくれた人達の一人だった。響やクリス、翼などとは最後の時に共に戦い心が通じ合っていた。だけど、最も血を流し、一度は命すら潰えた人とはそれ程深い関わりは無かった。だから、三人とも真っ先に頭を下げると決めていた。

 

「行き成りどうした」

 

 そんな三人の様に、ユキは少しだけ意外そうな顔をする。この男がそんな表情を浮かべる事こそが、三人にとっては意外でしかない。拍子抜けするほど穏やかな響きで零された言葉に三人が思わず頭を上げる。視線が交わる。その瞳には戦場とは違い、ただ穏やかな色が宿るだけである。

 

「私たちは、あの子達も含めてあなたにも大きな迷惑をかけてしまったわ」

「ただ止めようとしてくれた。それなのにあたしは、あろう事か話も聞こうとせずに刃を振り翳し、問答無用で襲い掛かった。今考えて見ても、謝るだけじゃ済まされないデス」

「他にも、響さんが酷い怪我を負ったり、その友達が博士によって無理やり戦わされたのも、全部私たちの所為です」

「だから、何よりもまず謝らないといけない。許して欲しいなんて言う気はないわ。だけど、そんな私達をあなたには、あなた達には信じられないほど助けてもらった。だから、ごめんなさい」

 

 何度も酷い事を行い、それでも尚命を懸けて助けられていた。その罪は、謝罪の言葉ではすまされないだろう。それを理解して尚、三人は謝っておきたかったのである。共に戦った三人の装者とも、その様子から仲が良好なのは容易に想像できた。クリスなどその死を告げられた時は、調と切歌の前で涙を抑える事が出来なかった。マリアは、響に恋をしたとカミングアウトされている。そんな経緯もあり、ユキが一度は死を迎えた事に強い罪悪感を覚えていたのである。何とか生きてはいたが、そんな事で気持ちが軽くなる筈もない。心底良かったとは思うが、それとこれとは全く別の問題である。だからこそ、三人は誠意を込めて謝ったのだ。

 

「別に謝らんで良いよ」

 

 そんな三人の言葉に、ユキは静かに首を振る。武門から見れば、彼女等には謝る必要など無いのである。

 

「しかし」

「必要ない。戦場だ。譲れない想いがあったからこそ、命のやり取りを行ったのだろう。その結果に今がある。やり方は間違いだったかもしれない。だが、その想いに嘘はない筈だ。考え、苦しみ、そして君たちは我らと刃を交わした。違うか?」

 

 それでも食い下がろうとするマリアに、ユキは目を閉じ、戦いを思い出しながら続ける。

 月読調は大切な味方から離脱してでも、誤った道を行く仲間を助けて欲しいと願った。暁切歌は自身が消え逝く運命にある為、大切な親友や家族の為に何かを遺したいと想い、刃を振るった。マリア・カデンツァヴナ・イヴは、全てを偽ってでも世界の為に、誰かの為にと悪を為し続けていた。

 その方法は決して褒められたものではないだろう。だが、その想いは本物だった。誰かを護りたいと言う尊い想いは本物だったのだと、刃を重ねたからこそ理解していた。戦わなければ示せない想いがあるのを上泉之景は誰よりも知っている。だから、自分の胸の想いに従い戦場でぶつかり合った事に関してユキから何かを言う気は無かった。何よりも、強い親の想いを示されていた。三人は母によって守られていた。自身も父によって、親によって守られたユキからすれば、似た者同士でもある。だからこそ、彼女等を否定しようとは思わなかった。

 

「それでも私たちがした事は許される事ではないわ。特に、あなたは本当に死ぬところだった」

「戦場だぞ。死ぬ事ぐらい日常茶飯事だろう。大した問題ではあるまいよ。君たちとて、それ位の覚悟はしてきていただろう?」

「それは、そうだけど」

「何より、俺は武門だ。死など古馴染みのようなものだ。すぐ傍に寄り添っているものであり、怖いものでもないよ。刃を振るい何かの為に戦えたのならば、それはそれで良い。その為に刃を磨き上げてきたのだからな」

 

 ユキからすれば、戦場で示された想いはどんな言葉よりも重い。刃を交わす事になったとは言え、その想い自体には否定するべきものが見つからない。気付けば涙すら浮かべている子らに、これ以上追い討ちをかける刃を持っていないのである。そんな物は武門の刃ではない。

 

「結果的にあなたは生きていた。だけど、死んでいたかもしれない」

「構わんと言った。が、それでは君たちは納得できないのだろうな」

「ええ。それは守ってくれたあなた達だから言える言葉よ。例えあなた達が良くても、私たちが自分を許せない」

 

 それでも、自分たちは許されるべきでは無いと言葉を続けるマリア達を見据え、ユキは苦笑を浮かべる。思い込んだら一直線なところは、うちの三人娘と変わらないでは無いかと少しだけ呆れてしまったからだ。不器用な子らだと思いつつも、その誠実さは好ましく思う。

 

「君は母の言葉を覚えているか?」

 

 だからこそ、ユキも言葉を続ける。不器用だが、真っ直ぐな子達に伝えたい事があるからだ。

 

「……生きなさいと。私達を縛るものは何も無いのだと」

「……マム」

「……ッ」

 

 マリアが母であるナスターシャの言葉を思い出しながら呟く。調と切歌の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。二人も、通信から母の言葉を聞いていた。だけど、その真意を知っていたのはマリアだけだろう。生きなさい。その言葉の意味に辿り着けたのは、誰かを生かす事を託された人間が傍に居たからこそである。母の真意を悟った二人に涙を抑える事などできる筈がなかった。

 

「君たちはその言葉を忘れなければ良い。その言葉を胸に、どれだけ辛かろうと母の願いを叶え続ける。それさえ成してくれれば、俺はそれで構わんよ。何も言う事は無い」

 

 二人をあやそうとするマリアも、あの時の母の事を思い出したのか、涙だけを流している。そんな三人に、ユキは彼女等に成して欲しい事を伝えていた。自分が許せないと言うのならば、それを許せるまで拠り所とできるものを与えればいい。罪に対して、罰と言う形でユキはそれを与える。三人が涙が止まらない目でユキを見た。その姿に、これ以上は俺でも斬れはしないぞと笑う。

 

「……そんな事で、良いんデスか?」

「……もっと難しい事でも受け入れる心算です。それだけの事をしてしまったから」

「罰を与えると言うのなら、甘んじて受け入れる心算よ。あなたになら、何を言われても仕方が無いと思っている」

「それは俺の仕事ではないな。君たちを裁くのは、他の者達が為すだろう」

 

 そんな事で良いのかと言う三人に、ユキは小さく笑う。そして、これは君たちが思う以上に難しい事だとも続ける。武門である。そんな上泉之景が、簡単な事を言う筈はない。

 

「君たちを責めるのは他の誰かが為すだろう。裁かれる事もあるだろう。例え再び自由を得たとしても、真実を知らぬ者達からは石を投げられ、言葉の悪意に晒される事も少なくはないだろう。背負った物が辛く、投げ出したくなる事もあるだろう。それでも尚、言わせて貰うぞ。母の言葉を忘れるな。最後の最後まで、生きる事を諦めるな。それが生かされた者が、想いを託された者が為すべき事だよ」

 

 煤になった父の姿を思い出しながら、ユキは三人に伝える。彼女等は、母であるナスターシャに、救われた世界で生きる事を託されたのである。これから彼女等には辛い未来が待ち受けているだろうと容易に想像がつく。それは、上泉之景ではどうしてやる事もできない問題だった。彼女らが立ち向かわねばならない現実だった。だからこそ、今此処でユキが何かを言う必要はないのである。今言わずとも、直ぐに嫌と言う程思い知らされるはずなのだから。

 だからこそ、ユキは伝えておきたかった。それでも尚、生きて欲しいと願った親が居た事を。子を想う親の願いは、何よりも尊いものであるのだと言う事を忘れて欲しくは無かったのである。自身も父に生かされ、託されたものがあったからこそ、同じような生かされ方をした三人にはその想いを決して忘れて欲しくは無かったのである。それを罪に対する罰と言う、彼女らが受け入れやすい形で伝えていた。どれだけ辛くとも生きる事を諦めない。そう約束させる。

 

「解ったわ。私たちは、マムの言葉を忘れない。どれだけ辛くとも、生きる事を諦めない」

「そう言って貰えると安心できる。尤も、俺の言葉は後進の受け売りなのだがね」 

 

 泣く妹の代わりに何とかユキを見据え言い切ったマリアに、傷だらけの英雄は只笑みを向ける。これ以上、上泉之景には何か言わなければいけないことは無かった。目を閉じ、彼女らが泣き止むまで待つ心算であった。

 

「あなたは強いわね。身体も心も」

「君らよりは幾らか先に生まれ、歩いているからな。後を行く者に無様な姿は晒せんよ」

 

 歌姫が呟いた言葉に当たり前だと頷く。勝てない訳だ。そんな事をマリアは思う。すぐ傍に居る英雄と呼ばれた男にとっては、マリアや調と切歌も後を行く者に過ぎないからだ。人間としての在り方に、圧倒されていた。自分もこんな風に強い人間になれるだろうかと、妹を宥めながら思う。三人にとって、それだけ出会った事の無い種類の人間が、上泉之景と言う男だった。

 

「あの子にも伝えたけど……、私達はあなたに出会えて良かった」

 

 だからこそ、マリアは泣いている二人の分も代表してそんな言葉を贈る。立花響にも送った言葉。それとはほんの少しだけ、異なる響を持つその言葉を伝えていた。

 

「ああ。俺もあなた方に出会えて良かった。大切な想いを、もう一度見せて貰えた」

 

 そんなマリアに、ユキは目を閉じ軽く笑う。誰かを護りたいと想い戦う者が居た。大切な親友に何かを遺したいと戦う者がいた。誤った道を行く家族を止める為に戦った者がいた。娘を守る為に命を懸けた母が居た。そんな文字通り命懸けの決意を示されていた。それは、ユキ自身の内にある想いと同種のものなのである。ユキと彼女らの差はあるが、大切な想いである事は間違いなかった。その想いを、違えずに抱いて行きたいと思う。

 

「そうだ。あなたの事を名前で呼んでもいいかしら?」

「構わんよ。好きに呼んでくれて問題ない」

「そう。之景。あなたもマリアと呼んでくれて良いから」

「ではそうさせて貰うよ、マリア」

 

 言葉が途切れる。ほんの僅かに浮かんだ空白にマリアが名前で呼んでも良いかと聞いた。特に問題がない為ユキは了承する。名で呼ぶ。ただそれだけの事だった。呼び合った事で、少しだけ満足したように頷く。

 

「私たちは行くわ」

「ありがとうございました」

「絶対に忘れないデス!」

「そうか」

 

 そして、漸く泣き止んだ二人と手を繋ぎマリアはユキに向け小さく笑う。大切な想いを再確認させて貰えていた。マリアは、調は、切歌は、母の想いを受け継いだ少女たちは、これからも悩み苦しむ事はあるだろう。だけど、諦める事は無い。母の想いと言う強い拠り所を得たのだから。その姿を見たユキには心配する事も無くなっていた。ただ見送るだけである。それ以上の言葉はいらなかった。

 

「また、逢ってくれるかしら?」

 

 だからこそ、最後に聞かれたマリアの言葉に幾らか意外そうな表情を浮かべた。歌姫はただ笑う。最早会う事は無いだろう。だからこそ、そんな言葉を言っておきたかったのだ。

 

「ああ。いつかまた、な」

「ええ。いつかまた、ね」

 

 自分に会うのに大した障害など無いぞと言いかけて、言葉を呑み込む。そんな野暮な言葉は必要なかったからだ。いつかまた会う日まで。そんな言葉だけを告げ、ただ笑った。それだけで良いのだ。

 そして三人が扉へと向かう。長い話になる為かけられていたロックが外れた医務室の扉が、静かに開かれた。

 

「おわぁ!?」

「ちょ、クリスちゃん!?」

「え……?」

 

 そして、二人の少女が部屋に雪崩れ込む。雪音クリスと立花響。聞き耳を立てていた二人は、開かれた扉の所為で思いっきり中に流れ込んでいた。マリアの瞳が見開かれる。完全に予想していなかった事態である。

 

「……聞き耳を立てるのは褒められた事では無いと止めたのだがな。聞き入れて貰えなかった為、監視していた」

「……翼、あなたもッ!?」

 

 そして、一人涼しい顔をして立っている風鳴翼にマリアは頭を抱える。全て聞かれていたようである。そう考えると、一気に顔が熱くなる。そう言えば自分は何を話していた。そんな事を考えると、恥ずかしくて目も当てられない。

 

「あ、あなた達は!!」

「い、いや、ちちち、違うんですよマリアさん!! ユキさん、女の子だけだけど大丈夫かなって思って!!」

「そ、そうだ。あたしたちは、あの人が変な気を持たないかと心配してッ!!」

 

 余りの恥ずかしさと幾らかの怒りでマリアは声を荒げる。そんな様子を見た響とクリスは、その剣幕に押される。思いっきり聞き耳を立てていたのだから、言い返せないのも仕方が無かった。恋する乙女だから仕方が無いのである。

 

「俺は随分と信用されてない様だな」

 

 そんな少女らの様子にユキは苦笑を浮かべる。

 

「いや、先生が過ちを起こすなどとは万が一にも思っていませんよ」

 

 そんなユキの呟きに翼はさらりと答えた。その様子がおかしくてユキは噴き出す。

 

「どうやら、俺を信じてくれる人間は翼しか居ない様だな」

「はい。漸く名で呼んで貰えるようになりました。その信頼には応えたいと思っております」

「全く良い防人(おんな)になってしまったものだ」

「先生に一晩斬り合い(あいて)をして貰いました。言わば、あなたにそうして貰ったのですよ」

 

 防人と武門は軽口を交わす。確かに翼はユキと一晩斬り合い、自分の中の葛藤を完膚なきまでに斬られていた。今の風鳴翼があるのは、ユキのお陰と言えない事も無かった。

 

「ええ!? ちょっとその話詳しく教えてください!!」

「おま、おま、おま、先輩相手に何してんだよ!!」

「翼が一晩相手をして貰った……?」

 

 とは言え、そんな事実を知らない響とクリスはマリアの事などお構いなしと言わんばかりに詰め寄る。マリアは行き成り明かされた衝撃の事実に顔を赤く染めパクパクと言葉にならない言葉を零す。

 

「意外と進んでた?」

「デデデ、デース!! これはまさかの事実が発覚したデス!!」

 

 調と切歌も驚きを示す。特に、ませている切歌は露骨な反応を示す。とは言え、先の二人ほどではない。

 

「どうしたんだ皆して? 私が先生を慕う事がそんなにおかしい事だろうか?」

 

 そんな皆の様子に、風鳴翼は不思議そうに尋ねた。当たり前である。翼からすればただ刃を重ねただけであり、漸く名前を呼んで貰えるまで認められただけであるのだから。防人と武門の在り方に、恥ずべきところなど何もなかった。

 

「これが……防人ッ!?」

 

 そんな翼の様子に更に勘違いが増したマリアに戦慄が走る。

 

「先生。皆はどうしたのでしょうか?」

「いや。君はそのままが良いと皆が思っているだけだな」

「そうでしょうか。とてもそうは思えないのですが」

 

 そして、一人だけ意図が理解できない防人は武門に尋ねた。笑う。些か心配ではあるが、風鳴翼は今のままで良いとユキは笑ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




クリスちゃん、母に色々吹き込まれる
マリアさん、白猫が三十話かけた事を数話で達成
調&切歌、武門と対峙。泣かされる
響、盛大な勘違いをする
防人、天然であの切れ味
武門、残された者の在り方の一つを語る

シリアスさんは二部本編が終わった為奇跡への礎となりました


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番外2.武門の歩む道

 都内に仮設された支部の一つ。大規模な演習場が唯一建設されているその地で、特異災害対策機動部一課二課が合同で訓練を行っていた。走る。ひたすらに走る。訓練が開始され、既に二時間近くが経過していた。

 

「篩にかけるのはこんな物でしょうか」

「ふむ……。もう少し選別すべきかと思うが?」

「あなたの様な武門基準で言えばそうでしょうが、今ですら並みの戦闘部隊を遥かに超える速さですよ。装者ですら翼さんしか付いてこられていませんし」

「まぁ、鍛えているとは言え本分は女子高生だからな。災害救助やノイズとの戦闘を前提として鍛えている本職にはシンフォギアを纏わねば敵わんよ」

 

 先頭を走り緒川と共に言葉を交わす。流石に忍びだけあって、汗一つなく涼しい顔をして付いて来る。幾らか後方に翼が、更に後方に機動部の構成員と響とクリスが何とか付いてきていると言うのが現状だった。後衛のクリスは言わずもがな、響も数えるのが面倒な程度には周回遅れにしている。翼も何度か抜いているため、同じ速度で走っているのは緒川と意地で喰らいついて来る数人の機動部隊員だけだろうか。

 先のフロンティアに関連する事件が全世界に報道されていた。言うならば空を駆る島である。隠し通す事など土台無理な話であったからだ。ルナアタックを含め、二度に渡る聖遺物の力による世界規模の超常災害が起こっていた。そして、日本の、二課の持つシンフォギアの力もまた世界規模で知れ渡ったという事になる。当然のようにその力を危険視した各国が監視下に置くため、名目上、国連直轄の超常災害対策機動部タスクフォースとして再編すると言う話が来ていると聞いている。国際規模の話である。当然様々な思惑があるだろうが、表面上はこれまで日本国内だけが行動範囲だった二課が世界規模で活動する事になるのだとか。当然組織として大きくなる。その為の基礎となる人員を、特異災害対策機動部全体で選別するというのが今行っている訓練だった。司令に本気でやる様にと言われている。一切手を抜く事はしない。これに付いてこられれば、取り敢えずは武門の門下になれる程度には鍛え上げる心算である。でき得るのならば上州(現在の群馬)辺りの山間部で駆け回りたいのだが、流石にそう言う訳にもいかない為、都内の仮支部の施設で我慢している。山の中で数日絶飲食で動き回る事が出来れば一人前と言えるし、良い経験になるとも思うのだが、儘ならないものである。そんな事を考えながら、緒川と更に速度を上げる。

 

「司令には手心を加えるなと言われているよ。そろそろ一息吐く心算ではあるが、最後にもう少しだけ速度を上げようと思う」

「……何と言うべきか相変わらずですね。人選を間違っていると思いつつも、ある意味最高の人選でもあるのかもしれませんね。機動部全体は確かに向上しそうですし。耐えきれれば、ですが」

「こんなもの基礎にもならんぞ。忍びの訓練として考えてもそうだろう?」

「まぁ、確かにそうではあるのですが。翼さんですら遅れている辺り、かなり厳しいと思いますよ」

「数日で慣れる。障害は乗り越えてこそ、だ。それに自分たちで志願したのだ。音を上げる者も少なかろうて」

 

 これで終わりだという事もあり、更に速度を上げる。疾走。反発での加速の要領で最高速に達する。

 

「なんであんなに早いんですか……」

「あいつら本当に人間かよ……」

 

 追い抜き様、後方から声が届く。答えている暇は無い。武門と忍びとの戦いの最中である。風を切り、音を超え加速の極みに立つ。数分緒川と共に走り続けた。終了の合図を出した後も、駆け回り続ける。何度かどよめきの声が上がる。一対一で駆けていたからだ。

 

「あれが、フロンティア事変の際、博士に英雄と呼ばれた人間……」

「あの人緒川さんと同じ速度で走ってるぞ……。さては忍者か?」

「何だ知らんのか? 上泉之景。かつて、二課に居た侍だよ」

「忍者だけでは飽き足らず、侍も現存するのか。日本パネェ」

 

 結局決着が着く気配が見えない為、二人して速度を落とした。続けても構わないのだが、自分達だけで入っていても時間の無駄である。小休止の時間潰しも兼ねていた為、いい具合に全員休息が取れたという事だろう。給水が終わったのか倒れ伏している人間も居るが、一人二人と集まって来る。

 

「こんなものかな?」

「まぁ、いい塩梅ではありますね」

 

 そんな様子を見詰め、隣で相変わらず涼しい顔をしている同期と言葉を交わす。準備運動はこれで終わりと言う所だった。

 

「ゆ、ユキさん、これで終わりでしょうか?」

「ああ、終わりだな。準備運動は」

「――ッ」

 

 息を切らした響がそんな事を聞いて来た。笑みを以て答える。響の笑顔が固まる。喋る事も出来ない様子の白猫は、文字通り表情が引き攣っている。翼は二人の様子に乾いた笑みを零す。

 

「装者の方々は、シンフォギアを纏っても構いませんよ」

「マジですか!?」

「はい」

 

 緒川の言葉に響は笑顔を取り戻す。機動部隊員はシンフォギアなど纏えないが、装者達は違う。シンフォギアを纏えば、その恩恵を受ける事が出来る為、生身よりも遥かに高い運動能力が発揮できると言う事だった。翼を含めた三人が聖詠を歌い、シンフォギアを纏う。それを見詰めている隊員たちに緒川が、離れていてくださいと声をかける。空間が広く開けられる。その間に、戦闘訓練もある為用意されていた訓練用の太刀を二振り手にする。シンフォギアを纏う英雄と呼ばれた子らの戦いを先ずは見せると言う訳であった。

 

「これが、シンフォギア……」

 

 中には直接シンフォギアを見た事がない隊員もいるようで、その姿に感嘆を零している。対ノイズ兵装の最高峰である。その反応も仕方が無いだろう。刃の潰された太刀を抜き放つ。緒川が訓練用の銃を既に用意している。準備は整ったと言う事だった。

 

「それで、今度は何をするんだよ? シンフォギアを纏って良いのなら、よっぽどの事じゃなきゃ訓練にならないぞ?」

「クリスちゃん、それフラグだよ」

 

 赤の言葉に黄色が乾いた笑みを零す。青は剣をしっかりと握り直した。見られている。無様な事だけはできないと言う意気込みが見て取れる。笑う。この様子ならば、全員何の問題も無いだろう。

 

「では、戦おうか」

「へ……?」

 

 三人の装者に刃を突き付け告げる。白猫が面白い様に目を丸めた。

 

「模擬戦と言う奴だ。訓練では随分と戦っているのだろう? 本物と一戦交えて見ようと言う事だよ」

「うそぉ!?」

「いやいやいや。それは流石にどうなんだよ!?」

 

 響とクリスが困惑を隠さず、感情のままに驚きを露にする。

 

「問題ない。三対一。後進が相手ならば、それぐらいの手心は加えよう」

「いや、そう言う意味じゃねーよ!!」

「そうですよ。幾らユキさんとは言え、流石に三対一は」

「三対一ではないよ。緒川の援護射撃も付いて来る」

「そう言う事です。牽制は任せてください」

 

 いくら何でも無理なのではないかと言う二人に問題ないと笑う。緒川の援護もある。充分に訓練になるだろう。いや、そう言う問題じゃねーんだよと続ける二人に百聞は一見に如かずと言う事を知らしめる為、やる気満々である剣の方へ視線を移した。今か今かと疼いているのだろうか、傍に在るだけで剣気が伝わって来ていた。

 

「風鳴翼、参ります」

「ああ、一手参ろうか」

 

 踏み込み。来いと剣気で伝えると、翼が一気に飛んだ。刃を交わす。斬撃。抜き打ち様に放たれた一閃を、太刀でなぞる様にぶつける。火花。凌ぎ合った刀身が光を散らす。

 

「先輩!?」

「……こうなったら、私達も行こうクリスちゃん!」

「ああ、もう。どうなってもしらねーからな!?」

 

 全体が動いた。拳が駆け抜け、銃弾が硝煙を上げる。すれ違った剣が勢いを反動に変え舞い戻る。二刀を握り直し、動いた。跳躍。真正面から突っ込んできていた響とすれ違い笑う。

 

「はや――ッ」

「雪音!」

 

 着地、反発。響を置き去りにし、間を制する。地面すれすれの低姿勢から一気に距離を詰め、クリスにまずは矛先を向ける。あまりにあっさりと突破された前衛に、思わず目を丸めている様は才能はあるがまだまだ素直過ぎると内心で付け足す。一撃。刃を返した剣で、咄嗟に交差し翳した両手拳銃を弾き飛ばす。防御ががら空きになる。飛んだ。

 

「わきゃ!?」

「くぅ……ッ!」

 

 クリスを蹴り飛ばすと同時にその一撃を以て反発。後方から距離を詰めてきている翼と刃を交わす。交錯。斬撃音が鳴り響く。確かに感じた手応えのみで後方を確認する事もせず、同じく追って来ていた響に向かう。

 

「他人を心配している場合ではないぞ」

「だけど、この距離なら!」

 

 一気に間合いを越えて来ていた。一瞬驚きに染まる響だが、一瞬で判断を切り替え強く拳を握りしめる。推進装置の起動。こちらが反発によって加速したように、響もまた一気に速度を上げる。太刀の間合いを一気に飛び越す。拳の間合い。超至近距離まで来ていた。口元が緩む。思っていたよりもずっと判断が早い。

 

「これでぇ!」

「まだ貰ってはやれんよ」

 

 放たれる撃槍。石突で握った拳を弾いた。剣を手にしたまま拳を握る。模擬戦である。模擬ではあるが、戦いであるのだ。加減など必要はない。驚きに染まる響の表情。笑みが浮かぶ。先ずは一撃。

 

「ちッ」

「え……?」

 

 そう思ったところで無理やり跳躍。機動をずらした。刃を振るう。金属音。同時に銃声が響く。

 

「僕を忘れないでいただきたいものですね」

「緒川さん」

 

 緒川による銃撃の援護である。絶好の機を潰す形で放たれていた。そういう風に立ち回っているのだから当たり前ではあるのだが、やり辛い上この上ない。

 

「好機」

「なめるなよ防人」

 

 声が届くよりも早く軸足に負荷をかける。回転。一気に掛かる負荷を開放するように一閃。硬直の隙を活用する為に踏み込んで来た羽々斬を弾き飛ばした。衝撃。利き足をつき一気に動きを止める。

 

「そっちがその気なら、こっちもくれてやる!! 爆発はさせねーけど、当たるといてーぞ!!」

 

 雪音クリス。誘導弾を解き放った。イチイバルの爆撃。己の意志で有無を決められるのか、躊躇なく解き放つ。跳躍。一瞬で最高速に達し置き去りにするも、弾道を変え追尾する。

 

「これならッ!!」

「どうだッ!!」

 

 正面からは立花響。後方からは誘導弾。笑った。両手。刃を強く握りしめる。跳躍。響の下へ、躊躇なく踏み込んでいた。

 

「いけええええええ!! え? ええッ!?」

「んなッ!?」

 

 突き出される拳に蹴りを打ち込み、衝撃を逃がしながら拳を基点に反転。誘導弾を見据える。何処に動いても捕捉できるように大きく広がっていた。中心にこそ活路はある。こちらを見ているクリスと目が合う。引き攣った笑みが浮かんでいる。逃した衝撃に自身の蹴りも加え一気に加速する。跳躍。信管を斬り落とし、誘導弾を置き去りにし一気にこちらを見る白猫との距離を縮めた。一閃。

 

「緒川さんの援護がある乱戦ならば!!」

「先輩!!」

 

 割り込んで来た翼が刃を阻む。再び鎬を削る。手の届く距離に居たクリスが、それで一気に離れた。競り合い。二刀を以て一気に翼を弾き飛ばすと刃を流す。舞い降りる剣の落涙を弾きながら、斬り合いを続ける。噴射。推進装置の起動が聞こえる。斬り合いを中断。飛び退る。目と鼻の先。黄色が駆け抜けていく。銃声。クリスと緒川の放つ銃撃が掠める。仕切り直し。踏み込もうとする翼を遠当てで機先を制する。とは言え、間断なく攻めの手は加速していく。

 

「行くぞ!!」

「勝つのは!!」

「私達だ!!」

 

 クリスの牽制で動きを制し、翼と響が挟み込む形で迫った。息の合った上手い連携である。先程から何度も凌いでいるが、これが続くとなると厄介な事だろう。緒川の援護射撃もあいまり、やり辛い。その上で言う。彼女等は思い違いをしている。

 

「緒川の援護か」

 

 笑った。分身。何人にも分かれた緒川が畳みかける様に銃撃を放った。銃弾を見切、刃を流した。笑う。しとめる為に来ていた。

 

「一体何時から緒川が君たちだけの援護だと勘違いしていた?」

 

 跳躍。一気に正面に飛んだ。無数の銃弾。その全てを弾きながら、僅かに残るそれを手繰り寄せる。三発。確かに放たれていたそれを刃で弾き飛ばす。銃声だけが響き渡り、砂塵が舞い上がった。

 

「え!?」

「これは……?」

「動けない、だと!?」

 

 風が頬を撫でた。銃撃で舞った砂埃がやがてその姿を消す。そこには、影縫いで縫い付けられた三人の装者達が存在していた。

 

「武刃縫いと言う。武門と忍びの合わせ技だ」

「とは言え、無数の銃弾の中から影縫いだけを見極め斬り返すような芸当、ユキぐらいでなければできませんがね」

 

 刃を振るい、鞘に納める。戦いの決着は、武刃縫いによって決まっていた。緒川慎次の援護射撃。それは装者三人にとっての援護であると同時に、自分にとっても援護であったのだ。どちらの味方かを明言しなかったのはその為である。両陣営にとっての援護。それが緒川が為した事である。それだけ絶妙な行動ができる人材は、二課を探しても緒川位のものだろう。司令の懐刀と言われるほどである。その技量は武門から見ても驚嘆するばかりである。

 

「これは、言い訳の余地がねーよな」

「ああ。意図に気付かなかったとはいえ、それでも三対一だったのだから」

「あぅぅ。負けちゃいました」

 

 三人の動きを止めていた銃弾を影から外す。それで、自由に動けるようになった三人は座り込んだ。いきなり始めた模擬戦ではあったが、全力を尽くしていたのが見てわかる。精も根も尽き果てたと言う感じではあるが、悔しそうにしている。先達としてはまだまだ負ける訳にはいかないが、自分を越えて行く日もそう遠くはない様に思える。

 

『うおおおおおおおおおお!!!!』

 

 こんな所かと思った時、歓声が上がった。思わず視線を向ける。

 

「わわ、なになに!?」

「うお……びっくりした」

「歓声、の様だ」

 

 彼女等も同じような物なのだろう。唐突に上がった歓声に驚きの表情を浮かべ目を白黒させている。

 

『これが機動部の最高峰か!!』

『きつい訓練が始まるんだろうけど、こんなの見せつけられたら一丁やる気を出すしかないよな』

『ウェル博士に英雄って呼ばれていた人は中継通りの動きだし、装者達は可愛らしい上に強い。私達も並ぶとまでは言わなくとも、機動部の名に恥じないような強さを手に入れないと』

『子供がアレだけ頑張れるんだ。俺達だって!!』

『ほかに比べれば目立たないけど、やっぱり緒川さんも良い動きをしている。工夫次第で私達だって』

 

 機動部の隊員たちが、先ほどの戦いを見て興奮に熱を上げる。装者達のような子供でもアレだけできるのだ。自分たちも頑張らないとと意気を上げる者。シンフォギアなど無くとも充分に戦える事にやる気を出すもの。磨き上げた技に感化されるもの。内容は様々だが、いい影響を与えられたようである。この場に居る者達は志願者も多い。元々やる気がある者達が、模擬戦で更にやる気に火を付けたという事だった。特に三人の装者たちの下へ人が集まる。

 

『是非、一緒に訓練してください!!』

「ええ!? 私がですか!?」

「いやいや、あたしたちは人に教えるなんて事」

「いや、一緒に成す事で解る事もあるだろう。良い経験になる」

 

 響やクリスは訓練を見てくれと請われた事に驚きを示すが、翼だけはやる気を持って頷いていた。

 

「おや。思っていたよりも随分効果があったようですね」 

「悪い事ではないだろう。意欲に火が付いたと言うのなら、それだけどん欲になると言う事だ」

 

 そんな様子を緒川と共に眺める。何とか逃げようとしているようだが、結局熱意に押され一緒に訓練を始めた。とは言え、シンフォギア装者である。全てが同じとはいかないだろうが、いい経験にはなるだろう。

 

「この分だと楽が出来そうか?」

「いや、そんな事は無いでしょうね」

「是非御指南をお願いします」

 

 思わず零れた言葉に緒川はやんわりとした笑みを浮かべ後ろを指さす。何人もの人間が、剣を指南して欲しいと集まって来ていた。緒川の方も似たようなもので、忍術や立ち回りを教えて欲しいと人が集まって来ていた。

 

「私は一課所属の新米ですので直接の面識はありませんでしたが、あの中継であなたに何かを教えられた気がします。是非、指南して戴けたらと」

「ああ。とは言え、先ずは基礎からだろう。しっかりとした体を作った後に剣を教えよう」 

「本当ですか!? ありがとうございます」

 

 その中の一人が代表して声を上げる。フロンティア事変の折、博士との対決は中継されていたと聞いている。事実として知ってはいたが、此処まで身近に言われたのは初めてだった。少しだけ面映ゆく感じるが、自分が彼らに何かを示せたと言うのならば、それは良い事であるように思えた。嬉しそうに笑う姿に、何となく幼き頃の自分を見たような気がする。少しぐらいは父に近付けただろうか。そんな事を思い、直ぐに続きを始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つ、疲れたぁ……」

 

 訓練が終わり帰路に着く中、響が盛大な溜息と共に零した。身体的なものも勿論あるのだが、今回ばかりは心労もあるようだった。今回は初回の為彼女等も参加してはいたが、基本的には自分たちが担当する事になる。それでも、普段しない様な訓練は疲労がたまったという事だった。

 

「あんた、何時もあんな感じなのか?」

「まぁ、そんなところだよ」

「……知ってはいたけど、凄いな」

 

 白猫の感心したような言葉に、褒めても何もないぞと笑うと、別にそんなつもりはねーよとそっぽを向いた。一瞬、へそを曲げたかと思うがそうでもない様だ。歩幅だけは、変わらずすぐ隣に在る。

 

「武門ですからね。訓練などは日常茶飯事ですよ」

「いや、緒川さんの技前も並大抵のものではありません。防人として、お二人とも仰ぎ見るばかりです」

「そうですよね。ユキさんが目立ってしまいますけど、緒川さんだって分身しながら援護してくれてたし、充分すごいですよ」

 

 緒川さんも凄いですよと続ける翼と響に、当の本人は謙遜しながら頷く。その様子に、翼は先達はまだまだ遠いなと己の手を見詰める。

 

「久々に行くか?」

「おや、珍しい」

 

 帰路に着いていた。このまま解散しても何の問題も無いのだが、少しばかり懐かしい事を思い出していた。昔は偶にやった事なのだが、今では随分と久しく行っていない。最初に何を言っているのか察しがついたのか、緒川が久々に行きますかと同意を示す。

 

「どうしたんだよ?」

「いやな、甘味処にでも寄ろうかと思ってな」

「……ああ。昔、奏と共に訓練をした折にも、何度か行った事がありますね」

 

 翼の言葉に頷く。言葉通り、訓練の後に甘い物を食べた事が何度かあった。それ自体は数えるほどしかないのだが、幼い頃は鍛錬の後に食べる団子が好きだった事を誰かを見ているうちに思い出したのである。昔は父や祖父に剣を指導され、終わった後に出されるそれが何よりも楽しみだった。四苦八苦する後進達を見ると、自分が未熟だったころを思い出したと言う訳である。現在地からは馴染みの甘味処が近い。彼女等も頑張っていた。少しぐらいならば、楽しみがあっても良いだろう。

 

「甘いものでも食べて帰ろうかと思うが、都合が悪い者はいるかな?」

「異議なし!!」

「まぁ、あたしも文句はないな」

「少しならば」

 

 三人とも意義は無いようである。緒川も異論はない様で、何も言わずについて来る。

 

「あ、兄ちゃん!!」

「おや、君は」

 

 目的地に向かっていた時に、不意に元気の良い声が届いた。視線を向ける。そこに居たのは一人の少年だった。思い出す。ウェル博士と対峙した時に人質に取られていた少年である。ノイズに襲われて尚、泣く事は無かった男の子だった。

 

「知り合いか?」

「ああ。強い子だよ。ウェル博士に攫われても泣かなかった」

「マジかよ」

「へへ! 男だから!!」

 

 どう言う関係だよと聞いて来たクリスに、ウェル博士との対峙の事を軽く話す。攫われ、ノイズに取り囲まれると言う辛い体験をしていたが、あの時と同じように少年は笑った。

 

「そう言えば兄ちゃん、何て名前なんだ? あの時は聞けなかったからさ、教えて欲しい」

「ああ。ゆっくり話す時間も無かったからな。上泉之景と言う。よく、ユキと呼ばれているよ」

「じゃあユキ兄ちゃんだな!! 俺は遠西始(とおにしはじめ)って言うんだ。仲いい奴らからは、トニーってあだ名で呼ばれてるんだ。兄ちゃんもトニーって呼んでくれよな」

「ああ、解ったよトニー」

「へへ!」

 

 トニー少年の言葉に頷く。あの時守ると言う決断を下したからこそ、目の前のこの子は笑っているのだ。博士を取り逃した事で起こった悲劇はある。だが、守れたものもあった。いたずらっ子のように笑うトニーを見ると、何処か気持ちが軽くなったような気はする。

 

「ところでユキ兄ちゃん」

「どうした?」

「その綺麗な姉ちゃんは兄ちゃんの彼女?」

「ぶふぉッ!? おま、おま、いきなり何言ってんだ!!」

 

 トニーの言葉に白猫は盛大に噴き出す。慌て過ぎだと思いつつ、間違いを正す。

 

「いや、妹分だな。手のかかる子だよ」

「いや、誰が手のかかる子だ!!」

「君だな」

「まぁ、姉ちゃん見た感じヘタレそうだからなぁ」

「なんであたしは初対面のガキに言いたい放題言われなきゃいけねーんだよ!!」

 

 初対面にも拘らず追いかけっこを始める白猫といたずら小僧。クリスには悪いが、その光景がおかしくて仕方が無い。

 

「ユキさんは、色々な人を守ったんですね」

「俺だけじゃないよ。君たちも守った」

「ああ。紆余曲折あったが、マリアやナスターシャ教授を始めとするF.I.S.の者たちと力を合わせたから、今がある」

「響さん達が頑張ったからこそ。手を繋ぐことを諦めずにその手を伸ばし続けたからこそ、今があるんですよ」

 

 守ってくれましたと囁く子にそれは違うと首を振るう。翼と緒川が言う様に、皆が諦めなかったからこそ今この時間は続いているのである。それは、誰かのお陰などでは無いのだろう。敢えて言うならば、皆のお陰という事だろうか。世界中の人々が歌を歌ったから、奇跡は起こったのである。だから、皆で守ったのだと笑う。

 

「兄ちゃん助けてー」

「おっと」

「はぁはぁ、漸く追い詰めたぞ! さぁ、そのガキをこっちに寄こせ」

 

 衝撃。トニー少年がぶつかって来る。息を切らせながら、クリスはいたずら小僧をよこせと剣幕を強めた。随分と仲良くなったものだと思いながら、少年の頭を撫で笑う。存外、クリスは子供相手の仕事などが似合っているのでは無いだろうか。

 

「あはは。クリスちゃん、悪役みたい」

「ああ!?」

 

 そんな二人の様子を見て響も噴き出す。翼と緒川もつられて笑みを零していた。

 

「私は英雄なんかじゃない、か。うん。やっぱり、私は英雄なんかじゃない。だって、大切な日常を守ってくれた英雄(ヒーロー)は、私たちの中に居るんですから」

 

 そして、響はクリスの下に向かう。

 

「勝負だよ、クリスちゃん!!」

「はぁ!? 一体何の勝負だよ!」

「それは内緒!」

「いや、意味が分かんねーよ!」

 

 そして、二人の少女はじゃれあう様にぶつかった。クリスは困惑し、響は楽しげに笑う。

 

「青春ですね」

「青春、ですか?」

「ええ。翼さんも、女の子らしい楽しみを見つけなければいけませんね」

 

 緒川と翼の呟きだけが耳に届く。甘味処に行けるのはもう少し先の様である。

 

 

 

 

 

 

 

 




装者三人、武刃縫いを受ける
忍者、地味に活躍
武門、弟子が増える

始まりの男が登場。忘れてそうな少年は、二部5話にて登場してます。
響ちゃん遂にクリスちゃんに宣戦布告

機動部内と助けた相手な為友好的な反応ですが、当然否定的な反応もあります。ただ、書いてて気が滅入るだけなのでカット。
ところで武門が頑張る程、響パパのハードルとクリスちゃんイグナイト化のハードルが上がる気がします。

次回は武門が実家に帰る話(予定


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番外3.在りし日の想い

「剣を教えて欲しい?」

「はい。翼さんにも聞いてみたのですけど、剣って言うとやっぱり上泉さんだって教えてもらいまして」

 

 特異災害対策機動部二課仮設本部にある、装者用の訓練室にて三人の訓練を眺めているところで、陽だまりの剣を持つ小日向にそんな事を頼まれた。外部兵装である英雄の剣が、神獣鏡の力の一部を取り込んで出来たのが陽だまりの剣と言える。小日向未来だけが使える力だった。その力は、シンフォギアに近い物を持っている。ソロモンの杖の脅威が去り、ノイズとの戦いは一旦は幕を引いたと言えるが、だからと言って遊ばせておくほど戦力に余裕があるという訳では無かった。子供たちに力を借りるというのは少しだけ気にかかるが、災害やノイズ以外の聖遺物等の超常災害への対策の為、響やクリス、翼は未だ装者として二課に所属しているという訳であった。

 小日向は響の親友である。神獣鏡を纏ったのも、元を辿れば響を助けたいという一心から来たものだった。隣に立てるほどの力を得た彼女が、響の隣に立ち支えになりたいというのも仕方が無い事だと言える。

 

「君は、やはり響と共に戦いたいのか?」

「はい。響はこれからも戦うと思います。人助けが、響の最もやりたい事だと思いますから。その時に、きっと今回の事みたいな辛い事もあると思います。私は、そんな時に響の隣に居てあげたいんです」

「戦いは勝つだけとは限らない。負ける時もあるだろう。命を落とす事もあるかもしれない。それでも尚、そう思うのか? 君はあの子の帰る場所だ。それでは駄目だろうか?」

 

 小日向の想いは、二人の関係を見ていれば良く解る。だからこそ聞いておきたい。この子も響たちと同じで、年端も行かない子供である。本音を言えば、戦いなど知って欲しくは無いのだ。ノイズと言う目先の脅威は随分と減ったが、完全になくせた訳では無いのである。己が襲われたように、何かの拍子で戦いは起こる可能性はある。シンフォギアが存在するように、何か聖遺物関連で戦わなければいけない事もある。それは、命に関わる問題となるだろう。

 

「確かに、響なら待っていて欲しいって言うと思います。だけど、私が嫌なんです。響は誰かに英雄と呼ばれる事もありましたけど、それは痛くて辛いのを隠して誰も見えないところで泣いて居ただけなんです。そんな響の隣に立って、少しでも支えてあげたいんですッ!」

「君が怪我をすればあの子は悲しむだろう。万が一命に関わる事があれば、立ち直れないかもしれない」

「それを言うのなら、私も同じです。もし、私の知らないところで響に何かあったら、きっと後悔だけじゃすみません。響の為に、そして何より自分の為に私は戦いたいんですッ! それが操られていたとしても、親友を斬ってしまった私が、為したい事なんです」

 

 それでも、戦っている親友の隣に居たいんだと小日向は静かに、されど強い意志を示す。守りたいと思いながら、その想いを利用され、大切な親友に剣を向けた事があるからこそ、響の隣に立ちたいと告げる小日向の意志はとても揺らぎそうではない。恐らく、響ですらその意志は動かせないだろう。強いな。親友の為に戦いたいと言う少女の姿に、そんな事を思う。

 

「……その想いは、俺の言葉などでは変えられないのだろうな。断れば、最悪勝手に戦いかねない。ならば、手元に置くのが上策という事か」

「……ならッ?」

「ああ。君に戦い方を教えようか。響の隣に立てるようにしよう。」

「ありがとうございますッ!」

 

 例え断ったとしても、他の者に教えを乞うだけだろう。最悪の場合、我流で研鑽し、戦いに出かねなかった。それならば、自分の手元に置き磨き上げる方が幾らかはマシだと言えるだろう。子供が戦うという事自体は反対なのだが、それならば装者三人はどうなのだと言われてしまうのは目に見えていた。何よりも、ある意味小日向は原石である。戦いに於いて才能というのは大きな要素ではあるのだが、絶対ではない。時には意志が才を覆す事もある。そういう意味では、ある意味小日向は先の三人以上の逸材とも言えるのだ。

 なにせ、響を救いたいという一心だけでシンフォギアに適応すらしてみせたのである。想いの力は最も強いかもしれない。真っ直ぐに伸ばした時、それがどれ程のものに成るのかというのには、不謹慎ながら興味があった。もしかすると、装者三人組を超えるかもしれない。陽だまりの剣を小日向が用いた時、それだけの可能性は見えてくるかもしれない。武門としての直感だった。

 結局、小日向の熱意に押され、剣を教えようと頷いた。戦える程強くなりたい。その想い自体は自分も強すぎるほど強く抱いた事のあるものだった。彼女の気持ちも解ってしまうのだ。感極まったように頭を下げる小日向に、教えるからには厳しく行くぞと伝える。

 

「ふぅー。終わった終わった」

「うー負けちゃった。撃破数でクリスちゃんに勝つなんて無理だよぉ!」

 

 小日向との話が終わったところで、訓練を行っていた響たちが戻って来る。条件を決め、競い合っていたのだろう。それ自体は良い事である。有利不利は当然あるが、一定の条件を付ける事で条件下で自分はどうすべきかとより考えるようになるのだ。

 

「戦い方だな立花。確かに雪音のイチイバルは広域殲滅に適してはいるが、手も足も出ない訳では無い。極端な話、雪音が撃つ前に捕捉した敵を倒してしまえば勝てない事は無い」

「そりゃそうですけど、そんな事が出来るのは翼さんぐらいですって!」

「まぁ、あたしの方が先輩な訳だからな! そう簡単に負けられっかよ」

 

 要はやりようだと続ける翼に、響はまだ無理ですよと困ったように笑った。そんな後輩の様子に白猫は胸を張り勝ち誇る。以前の気の無い素振りを知る自分から見れば、大きく変わったものだと感慨が深い。

 

「あ、未来! 今訓練終わったよー」

「響。こっちもお話が終わったところだよ」

「お話?」

「うん。上泉さんにお願いがあって」

 

 小日向を見つけた響が駆け寄って来る。訓練直後だが、疲れた様子も見せずに半ば抱き着くように掛けて来る。親友だけあって、仲が良いものだった。

 

「小日向に剣を教える事になったよ」

「へぇー。ユキさんが未来に剣を。それはそれは、はいぃ!?」

 

 小日向に剣を教える事になったと言うと、響は面白い様に驚きを示す。

 

「うん。陽だまりの剣。この力があれば、私も戦えると思うから」

「でも、危ないよ」

「危ないのは響も同じだよ。なら、私は響の隣に居たいの」

 

 危険だと言う響に、小日向は解っていると笑う。予想通り、響でも決意は変えられないようである。幾らかの問答の末、響は諦めたように頷く。小日向は嬉しそうに笑った。

 

「それじゃ、ユキさんは何時から未来に教えるんですか」

「つい先ほど決まった訳だからな。細かな事は決めていない。取り敢えず、年明けからだろうか」

「あれ? 結構先なんですね」

 

 何時から開始するのだと言う響に、まだ決めていないと頷く。少しばかりやる事があったからだ。月日が経つのは速いもので、フロンティア事変より既に幾らかの月が経っている。十二月。雪こそ降っていないが、年が変わるのもそう遠い時期では無かった。

 

「まぁ、暫く都心に居ないからな。実家の方が帰って来いと煩いのだよ。その為、丁度故郷に帰ろうと算段していたところだ」

 

 上州の実家に戻る予定だった。司令には以前より申請を行い、暇を貰っていた。ゆっくり休んで来いと言われていた。温泉でも浸かり、疲れを取るのも悪くは無いだろう。傷自体は塞がっているが、蓄積されたものも多いだろうというのが司令の意見だった。

 

「お、おい!? 実家に帰るってどういう事だよ!?」

 

 少し離れたところで翼と話していた白猫が割り込んでくる。

 

「ん? ああ、年が明けるまで里帰りと言ったところだ。帰って来ない訳ではないから、あまり心配してくれるな。報告を兼ねた正月の帰省だよ」

 

 別に心配しなくとも帰って来ると続ける。一段落は付いたが、今自分のいるべき場所は二課であった。帰省し、少しのんびりしてくるだけだと心配性の娘にそう教えたのだった。 

 

 

 

 

 

 

 

「此処が、未開の地群馬かッ!」

「藪から棒にどうした」

「いや、この地で武門が生まれたとか言われれば、人類にはまだ早いのかと思って」

「君は武門を何だと思っているのか」

「超人集団……?」

 

 随分と失礼な事を言い放った白猫に呆れたように言い返すと、高揚したようにクリスは零した。電車の旅を終え、迎えが来る筈である。連れの相手をしながら待つことにする。

 

「あはは。まぁ、旅行なんて久しぶりですからね。クリスちゃんだったら、初めてなんじゃないかな」

「仕方ねーだろ。温泉だぞ温泉! そんなのこの人だけ行くとかずるいだろ?」

「帰省するだけなのだがね。見ても面白いものなど無いと思うぞ」

「あんたの実家ってだけで面白いと思う」

「あ、それは私も」

 

 付いて来てしまったクリスと響に仕方が無い子らだと思いながら、相手をする。なんでも、実家に帰る事を教えた後、司令を相手で駄々をこねたと聞いている。そして、今回は随分と頑張って貰ったから俺からのご褒美だとか言って、二つ返事で旅費を出して貰えたのだとか。相変わらずの豪快さだとでも言えば良いのだろうか。

 とは言え、上泉の屋敷など来ても面白いものは無いと思うのだが、彼女等からすればそうでも無い様で、許可を出した事で幾らかはしゃいだ様子を見せている。特に女の子である為か、温泉に入れるという事で非常に盛り上がっている。

 武門には怪我が付き物である。湯治用の温泉を旅館規模で経営していたりするのだ。本家筋から始まり、傍流が幾つも増えている為、様々なところに上泉の者と言うのは存在している。本拠である上州ならば、その力は顕著と言えるだろう。存在意義は血に受け継がれる技の研鑽と伝承であるが、全ての人間がそういう訳では無い。一門を存続させるための力、商いなどに精を出す者達も多く居り、彼らが居るからこそ本家の人間というのは武だけに傾倒できるのである。そういう意味で、武門は多くの人間に支えられていると言える。戦うというのは、力があるだけでは行えないのである。彼らが居るからこそ、自分は研鑽する事が出来るのだから。

 

「お久しぶりです、ユキ様」

「おや、迎えが来たようだ」

 

 懐かしい声が届く、初老の男性が此方を見ている。記憶の中の姿と重なる。自分の世話役の一人だった。二人の同行者に手にしていたケージを渡す。今回は長い時間を留守にする為、クロも連れて来ていた。数日であれば隣人に預けるという方法も取れるが、今回はそれなりに長い間の滞在である。連れてきたという訳だった。

 ちなみにクリスは一人暮らしである為問題は無く、響も親の許可を取り同行しているのだとか。天涯孤独であるが親代わりのフィーネが共にあるクリスは兎も角とし、響は良いのかと思ったが、二課での関わりは半ば保護者の様な物だった。フロンティア事変の弊害と言えば良いのか、二課の人間としてあいさつに出向いた事もあり、案外簡単に許可が下りたのだとか。真偽は兎も角として、親が許可してしまったのならば、それ以上は言う事も無かった。自分から見れば響もクリスも子供でしかない。引率みたいなものだった。響が来るため、小日向も来たがってはいたようだがそちらは説得できなかったようで留守番となったと響に聞いた。翼は上泉に来るなど論外である為、クリスが誘ってはみたが、悲し気に首を振っただけらしい。そんなわけで、二人を伴う事になっていた。

 

「しかし、ユキ様が女子をお連れだとは」

「一応言っておくが、武門に入れる訳では無いぞ。まだ子供だ。旅行の引率みたいなものだよ。頑張ったご褒美という奴だな」

 

 先に釘を刺しておく。実家からは嫁を取れと催促も来ている。見合いの話なども増えている様で、上泉で篩にはかけられているが、送られてくる話が幾らか増えていた。悩みの種の一つである。馴染みの男と軽い話をしつつ、案内された車に乗り込む。

 

「ユキさんって、もしかして良い所の人なんですか?」

「古いだけだよ。旧家という奴か」

 

 古くからの名家でございますと言い直す迎えに苦笑が零れる。それ程大したものではない。尤も、事実でもあるのだが。車内には、響とクリスの話し声だけが聞こえる。やれ、どんな家なのだろうか。どういう人が住んでいるのだろうか。やっぱり武門だから道場があるのだろうか等々。それを、車を運転しながら男は丁寧に答えて行く。実家の事である。何となく、自分で答え辛い内容だった。話に耳を傾けるだけだ。やがて、街道を抜け郊外に向かう。雪で白く染まった山沿いに幾らか近付いたところで見えて来た。

 

「もう直ぐ着く」

「へえー。ってアレか!?」

「……凄く、大きいです」

 

 響とクリスが目を丸めている。山もいくつか持っている為、敷地だけは広い。門下の者も多い為、広さだけはある。いわゆる武家屋敷と道場があり、それを外壁で囲んでいる作りである。正確な広さまでは知らないが、その気になれば数百人で籠城できる位はあると現当主である祖父が昔に言っていた。勿論たとえ話ではあるが。

 

「さて、入る訳だが、少し待っててくれ」

「ん? 解った」

 

 門が開くが、少し離れていろと伝える。わざわざ帰って来ると連絡を入れ、迎えまで寄こしてきていた。武門である。何もない訳がない。そして敷居を越える。

 

「之景ッ!」

 

 裂帛の気合が飛ぶ。雷刀。上泉の(くらい)(型)を以て打ち掛かって来ていた。右手。想定の内にあったそれに向け、相手の踏み込みを越える速度で内に入り込む。手刀。放たれる斬撃を、打ち切らせる前に止めた。みしみしと右手に圧力が掛かる。叔父上。惣領(次期棟梁)である、上泉義景の姿があった。即座に飛び退るとにやりと笑う。

 

「どうやら、腕は落ちていない様だな。むしろ、いくらか磨きがかかっている」

「お戯れを。何時如何なる時であろうと、その技を振るえる。それが上泉の剣」

「いやいや。剣聖の剣を相手にしたなどと報告を受けた時は何を馬鹿な事をと思ったが、お前が腑抜けたようでないなら構わんよ」

 

 手心を加えられた一撃を受け止め、互いに笑い合う。叔父である。壮年を幾らか超えてはいるが、未だ惣領は心身ともに健在のようだ。手心を加えておりながら、記憶の中の剣よりも更に鋭くなっている。

 

「えっと、何が?」

「武門なりの挨拶だよ」

「いや、あぶねーよ。やっぱり武門こえーよ」

 

 困惑している様子の響に答える。戦う為の一族である。何時襲われても対応できるようにしておくのは務めと言える。久方振りに会えば挨拶を交わすのは不思議な事ではなかった。武門とは何なのかと白猫は呟いている。見ての通りである。

 

「さて、積もる話はあるだろうが、先ずは棟梁に挨拶に向かって貰いたい」

「承知いたしました。衣装は改めましょうか?」

「そうだな。そちらの方が好まれるだろう」

 

 叔父上の言葉に頷く。二人の同行者には少し待っていて欲しいと告げ、着替えに向かう。藍色の長着を着、灰色の袴を履き、黒の羽織を身に着ける。自分が着るものはこれと決まっていた。父が身に着けていたものが、これと同じなのだとか。衣装を正すと、再び二人と合流する。

 

「……」

「こうみると、なんか凄いな」

「あまり褒めてくれるな。何も出ないぞ」

 

 言葉を失っている響と、何とかそれだけ言ったクリスに苦笑が浮かぶ。馬子にも衣装という奴だ。二課に居る時は制服であるし、日常では洋服か着流しである。しっかりした作りのものは着る事など早々ないのでそれも仕方が無いだろう。礼装の一種である為、その反応も当然だった。

 

「では参ろうか」

「はい叔父上」

 

 義景叔父上に先導され着いて行く。同行者二人は客人である為、楽にして良いと伝えはしたが、かなり緊張しているのが見て取れた。武家屋敷である為、それも仕方が無いのだろう。少なくとも慣れてはいないだろう。

 

「之景が到着しました」

「そうか。入れ」

「失礼致します」

 

 叔父上が棟梁と短く言葉を交わす。襖が開かれる。黒衣の男が端座していた。上泉の棟梁であり、祖父でもある上泉義綱であった。一礼して、入室、席に着く。ガチガチに固まっている二人には後ろで座って居れば良いと伝えた。素直に頷き、姿勢を正す。

 

「その二人は?」

「客人です。ルナアタック及び、フロンティア事変での功労者。武門としても繋がりを持っておくべきかと判断した次第です」

「そうか」

 

 棟梁は二人を一瞥し、頷く。英雄と呼ばれた事もある二人だが、今はただの少女にしか見えない。

 

「之景よ。二度脅威を迎え撃ったと聞く。我らが知らぬ現世の猛者たちは、どうであった。上泉の剣は、どうであった?」

「世の理を越える者が多く在りました。されど、研鑽された刃が届かないという事はありませんでした。世は広い。されど、磨き上げた技もまたその一つで在れたと思います」

 

 棟梁の問いにただ答える。ノイズを始め、フィーネや自動人形、ネフィリムや英雄の剣と言ったものと刃を交えていた。様々な力であり、中には常識の枠を遥かに越えるものもあったが、上泉の剣もまたその中の一つと言える。強き者達はいた。だが、己もまた強く在れたと思う。それを棟梁に伝えた。瞑目。言葉を聞いていた棟梁は深く頷く。

 

「世界の命運を決める程の大きな戦いであったと聞く。気付かなくとも、心身ともに疲弊している事だろう。客人もいる事である。詳しい話は、酒を酌み交わしながら聞くとしようか。無事に戻って来れた事、今はただ嬉しく思おうぞ。束の間ではあると思うが、ゆるりとしていくと良い」

「ありがとうございます」

 

 棟梁の言葉に一礼する。慌てて背後の二人も頭を下げた。そのまま退席を促される。客人もいる。堅苦しい話は続ける気はないという棟梁なりの気遣いという訳であった。退出する。そのまま客間に通される。少し待てという事だった。

 

「……緊張しました」

「確かにな。あの迫力は……、あんたの家を束ねている事はある」

 

 深い息を吐くと共に、響とクリスはそんな言葉を零す。惣領の時も驚いていたようではあるが、棟梁の場合はそれ以上の様だ。苦笑が浮かぶ。まぁ、そうだろう。初見ならばその反応も致し方ない。

 

「さて、この後はどうしようか」

「わわっ!? 何の音?」

 

 一先ずは祖父との面会も終えたので何から手を付けるかと思ったところで、凄まじい音が聞こえてくる。思わず響が辺りを見回すが、特に何もない。ああ、やはりかと思う。客人が居るから静かにしているかと思ったが、そんな事は無い様だ。ずだだだだだと走る勢いのまま、客間の前で足音が止まると、勢い良く閉じられた襖が開いた。

 

「之景ェ! 儂が何度も手紙を送ったのに今更帰って来るとはどういう心算じゃ!」

「爺様。早々帰れるものではありません」

「知らん! 儂は早く嫁の顔が見たいんじゃ。曾孫の顔が見たいんじゃ。儂がおぬしの年の頃には嫁の一人や二人、子の五人や六人は居ったもんじゃ」

「爺様の頃とは時代が違います。あのような物ばかり送られてもどうしようもありません」

「なんと。儂の選んだ女子では満足ならんと申すか!! 強き子を残すに適した女子である筈じゃ」

 

 怒涛の勢いで祖父が乱入してくる。相変わらずである。事ある事に孫の顔を見せろと催促されていた。武門の棟梁という立場上、子供たちには辛い現実を課す事になる。だからこそなのか、子煩悩であり孫煩悩である人だった。引き攣った笑みが浮かぶ。解っていた事ではあるのだが、棟梁として聞く事を聞いてしまえば、この変貌ぶりであった。武門の棟梁だけあって佇まいには隙の一つも見つからないのだが、色々な意味で台無しである。

 

「え、ええ!?」

「何だこの爺さんは」

 

 二人も目を丸めている。至極まっとうな反応だろう。初見ならば自分でもそうなる。それが武門の棟梁と言う男だった。

 

「おっと、そうじゃった。之景が女子を連れて来たのだった。それも二人も。……やればできるでは無いか」

「爺様。この子らは武門に入れる為に連れて来たのではありませんよ」

「なんと! 折角曾孫の顔が見れると思ったものを……。ならば儂が一つ」

「この年で叔父叔母が更に増えるのは御免被りたいのですが」

 

 齢七十を超えて尚これである。心身共に壮健なのは当然として、夜の方も未だ旺盛だと聞いた時には流石に頭を抱えたくなったものだ。客人に手を出すなどとは流石に冗談ではあると思うが、一応釘は差しておく。

 

「ユキさんのお爺さんですよね?」 

「ああ。そうじゃ。上泉義綱。之景の爺様じゃよ」

「な、何でこんな人から、この人に繋がるんだ……」

「父は誠実な人であったよ」

「それではまるで儂が不誠実な様に聞こえるのだが?」

 

 祖父も基本的には悪人では無いのだが、如何せん女好きが過ぎるのだ。英雄色を好むを地で行く人間だった。自身は兄弟はいないが、父の兄弟、つまり武門に属する叔父叔母に当たる人間は両手の数では足りなかったりする。強い子を残し、血に宿る技を伝えて行くのが武門の役目ではあるが、祖父は何かタガでも外れているのかと思う。

 

「まぁ良いわ。折角之景が女子を連れて来たんじゃ。それはめでたい。武門一門、総出で歓迎させて貰う」

「え、えっと……ありがとうございます?」

「……大丈夫なのかよ」

 

 響とクリスを見て意味深に祖父は笑みを深める。響は困惑したように頭を下げ、クリスは傍に寄りそんな事を耳打ってくる。

 

「大丈夫だとは思うが、夜は警戒しておくと良い」

「……孫の癖に其処まで言うのかよ」

「あ、あははは……」

 

 客人である。流石に何もない筈だが、一応は油断するなと伝える。二人とも乾いた笑いを零す。

 

「寝る時はあんたの傍で寝る事にする……」 

「ええ!? な、なら、私も……」

「爺様が脅かすからこんな事を言っているのですが」

「それはすまんかったのう。はっはっは」

 

 結局、この後食事を終え温泉に入って就寝するのだが、二人とも自室に招く事になった。流石に同衾する訳にはいかない為二人には寝具を譲り、自身は縁側にでる。流石にその場で寝る心算は無いが、月と雪を肴に手酌で軽く飲む。疲れているのだろうか、直ぐに寝息がほんの僅かに聞こえて来た。膝元に暖かな感触が触れる。連れて来たクロが丸くなっていた。金色の眼がこちらを見詰め、一言にゃあと鳴く。

 

「明日は、墓参りに行くよ。父上と母上にも会いに行かなければいけない」

 

 丸くなったクロに触れ、呟く。雪が降っている。季節の割には少ないが、それでも降っていた。墓。武門のそれは、敷地内に作られている。今は少し降っているが、幸い積もる程では無さそうだ。やる事があったから遅れたが、明日は行く心算だとクロ相手に語っていた。何を話そうか。そんな事を考えながら、夜が明けて行く。

 

 

 

 

 

「すこし、墓参りに行ってくる」

 

 朝食も終え、一息ついたところでユキは二人に告げた。

 

「そっか……」

「実家ですもんね……」

「ほう……。では、お嬢ちゃん方は儂とお茶でもしようかのう」

「……、ではお願いしようかな」

 

 二人が如何しようかと考え込んだ時、ユキの祖父はそんな事を言い出す。渡りに船である。二人が答える前に、ユキは祖父に頼むと続けた。そのまま、準備に移る。そこには武門の棟梁と二人の装者が残される。

 

「何勝手に話を進めて」

「いやいや、すまんのう。おぬしら二人は、このおいぼれとの話に付き合って貰えると有り難い」

「それは、構いませんが」

 

 ユキの祖父である義綱は付いて来いと手招きをして歩き出す。仕方なく従う二人。茶室へと案内されていた。そして武門の棟梁は、作法など気にせず楽にしてくれと言い座るように促す。

 

「ユキさんは、お墓参りに?」

「ああ。あの子が唯一気を抜ける時じゃからなぁ。一緒に行かせる訳にはいかなかった。こればっかりは仕方が無いのだよ」

「どういう事だ?」

「お主らには、あの子はどんな風に映る?」

 

 クリスの問いに答えず、義綱は尋ねる。

 

「ユキさんですか? 何度も助けてもらいました。血を流してまで戦っていた人です。正直、死んじゃうんじゃないかって思った事もあります」

「あたしも似たようなもんだ。命懸けで、守って貰ったよ」

「そうか。やはり、死を恐れぬのか」

 

 二人の少女の言葉に、武門の棟梁はただ頷く。事実を確認するように呟く言葉は、初めて見た時と同じく何処か迫力がある。そのまま無言で茶を点て、二人に差し出す。受け取った二人ではあるが、作法など解る筈もない。まごまごしていると、老人はおかしそうに笑い、飲み方に等拘らず好きに飲むと良いと告げる。二人は頷き一口飲む。

 

「之景の親は見事であったよ。見事に生き、見事に死んだ。両親ともに、だ」

「え?」

「……」

 

 初めて聞く言葉に響は思わず呟きを零し、少しだけ話を聞いた事があるクリスはただ黙って話を促す。

 

「父はその生き様を子の心に刻み、母はその愛を子に刻み付けた。之景にとって、あの子にとっては、大切な、そして偉大な親であったよ。……偉大過ぎたのだな」

「偉大過ぎた……?」

「どういう事だよ」

 

 老人の呟きに二人の少女は聞き返す。凄い親だった。それがまるで不幸であると言わんばかりの言い草であったからだ。

 

「それがあの子の不幸だ。父は死を恐れず、母もまた愛に殉じた。之景の中ではな、驚く程死が軽いのだよ。武門という在り方の為仕方が無い部分ではあるのだが、両親が見事に生き過ぎた。見事に生きて、見事に死んだ。それが、上泉之景にとっての不幸だ」

 

 祖父はそう明言する。両親が見事に生きたからこそ、それが不幸であったと。

 

「親に一人残されながら、生かされた。命懸けで守られたからこそ、鮮烈に刻まれてしまったのだよ。見事に生き、見事に死んだ生き様が。我ら一門は、皆で愛した心算ではある。だが、親が与えるべきものを十分に与えてやる事は出来なかった。生きてこそ喜ばれるという事を。人としての在り方を教え、愛の尊さを知る事は出来た。だが、見事に生き、見事に死ぬ。そんな生き様への憧れまでは消してやれなかったのだ」

「見事に……死ぬ?」

「そうだ。之景の中には、常に親の在り方が焼き付いて居る。見事に生き、見事に死んだその生き様が。だから之景は生かす事を諦めないと同時に、死ぬ事を否定もしない。親が見事に死ぬ事で、その愛によって生かされたのだから。上泉之景は、武門の中でも頭一つ抜けている。であるからこそ、武門でなければ良かったと思う事もある。前に出る事を恐れず、戦う事を恐れず、死ぬ事すらも恐れない」

 

 武門の棟梁は語る。その在り方は確かに上泉之景の在り方と言ってよかった。死ぬ事すらも恐れない。その言葉に二人は大きすぎる実感があった。先達は血を流し戦い続けている。同じ事が自分でもできるのかと考えると、心の内に寒いものが沸き上がる。

 

「だから、儂は之景の子が見たいんじゃ」

「何でそうなるんだよ!」

「親に与えられる物がなかった。ならば、自分が親になればその尊さが分かる時が来る。そう信じているからじゃな」

「……武門だからあんなこと言ってたわけじゃねーのかよ」

「当然だろう。時代に繋いで行く事も大事であるし、立場上武門の在り方は変えられん。だが、そんな物とは別に孫を可愛く思って何が悪い。親になってくれさえすれば、生き様への憧れが無くなってくれると、そう思っているのだよ」

 

 祖父はそう言い切り締めくくる。武門の棟梁の在り方は一日にも満たない間に様々なものを見せつけられていたが、やはりこの人はユキの祖父なのだなと二人は感じる。自分の意志に従い生きているのだろう。その在り方が、祖父と孫に共通しているからだった。

 

「という訳でお前さん方、どっちでも良いから頑張ってくれ。武門からのお願いじゃ。儂は曾孫の顔が早く見たい」

 

 そして最後に棟梁は爆弾を落とす。既に老人の性格は掴んでいた心算であったが、予想を遥かに越える言葉に、二人して赤面するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅くなってしまった」

 

 うっすらと雪が積もり、白くなった墓石に向かい言葉をかける。煤となった父と、その父を追った母が眠る場所。ただ一人、会いに来ていた。

 

「何処から話すべきか。大きな戦いがあったよ。月は砕け、衝突の危機に瀕した」

 

 両親に向け、今まであった事を語る。黒猫と白猫を拾った事。ノイズを斬り裂いた事。装者同士がぶつかり合った事。自動人形と刃を重ねた事。童子切の使い手となった事。始まりの巫女とぶつかり合った事。後進達が奇跡を起こした事。F.I.S.が蜂起した事。英雄に憧れた男と出会った事。月が衝突の危機にあった事。剣聖の名を騙る武器を砕いた事。家族を守った事。一度死んだこと。それでも、もう一度手を差し伸べられた事。奇跡が起こった事。その全てを一つ一つ丁寧に語る。

 

「俺は強く在れたかな。父上のように、生きる事が出来ているかな」

 

 煤と消えた父の姿を思い浮かべながら話す。墓に死した者達はいない。それが解っているが、それでも言葉が止まる事は無い。話しながら、気持ちを整理している。まだまだ弱いなと内心で笑う。

 

「一度死んだよ。それでも尚、見事に死ぬ事は出来なかった」

 

 確かに自分は一度死んでいた。自動人形に身体を貫かれ、守るべきものを守り切り事切れた筈だった。思うのは父のようで在れたか。それだけだった。そして、声が聞こえた。まだ死ぬ事は許さないと言われ、再び立ち上がる事が出来た。始まりの巫女フィーネ。まさか、敵だった者に助けられるとは思ってもいなかった。

 

「俺はまだ死ぬ事は許されない様だよ。だけど、大切なものができた。守りたいものが、できたよ」

 

 西風。墓の前に父が好きだったという酒を注ぐ。既に酒を飲める年になっていた。父と酌み交わせない事が少しだけ残念ではあるが、それは飲みこむ。守られたから今がある。それを寂しく思う訳にはいかない。

 

「父上のようになれると良いな」

 

 呟いた。笑う。父は父であり、自分は自分でしかない。それでも、あのように笑える男に成りたかった。守りたいものを、守り切れる大人になりたかった。一陣の風が吹き抜ける。もう行くよ。そんな言葉と共に立ち上がる。

 

「其処に、お前の父親が眠っているのか?」

 

 不意にそんな言葉が耳に届いた。振り返る。視線だけは少し前から感じていた。敵意も悪意も感じないため放っておいたが、少女が一人此方を見ている。青色の外套を纏い、黒色の帽子を深くかぶっている。雪が少し服装についている。視線が交わる。

 

「異国の方か?」

「ああ。すまないな。少しばかり道に迷ったようだ。おかしいとは思ったのだが、そのまま進んだ結果、こんな所に出てしまった」

「そうか。ここは墓だよ。俺の親が眠る地だ」

 

 何故か言葉を交わしていた。問われたというのもある、だが、どこか懐かしい感じがしたからだ。何処かで出会った事があるのだろうか。考えるも、心当たりはない。それが、何処か引っかかる。

 

「オレも昔、父親を亡くしたよ。大切なパパを……」

 

 少女が辛そうに零す。涙が一筋零れ落ちた。

 

「お前の父親は、どんな存在だった。お前にとって、何を遺した?」

 

 涙を拭う事なく少女は問う。名も知らぬ相手だった。だが、何かを聞かれている気がする。質問の答えでは無く、もっと別の何かを。

 

「大切なものを遺してくれたよ。父が生かしてくれたからこそ、今の俺はある。大切な事を、身を以て教えてくれた。俺にとっては、何よりも大切なものを遺してくれたよ。誰よりも何よりも尊敬する人、だろうか」

「そうか、やはりお前も……」

 

 風が吹き抜ける。雪が、煤のように舞い上がる。質問に答えた俺に、少女はただ無言で視線だけを寄せて来る。ほんの僅かな間、ただ、見つめ合っていた。

 

「この地では手を合わせるのが一般的だと聞く。此処で出会ったのも何かの縁だ。オレも手を合わせても良いだろうか?」

「ああ、構わないよ。父上ならば、喜んでくれるだろう」

「そうか」

 

 こちらの言葉に少女は短く頷くと、墓の前で小さく手を合わせた。そして数瞬祈りを捧げると、こちらに向き直った。

 

「邪魔をしてしまってすまなかったな」

「いや、構わない。話したい事は全て終わっていた」

「そうか。良い父親だったのだろうな。いきなり現れたオレのような者でも、受け入れてくれた」

 

 少女は小さく笑う。

 

「道に迷ったと言ったな。今から帰る、送ろうか?」

「いや、構わない。折角異国の地に来たのだ、もう少しだけこの辺りを見てみる心算だ。街の方角だけ教えてくれればそれで大丈夫だ」

 

 方角だけ教えてくれれば大丈夫だと言う少女の言葉に頷き、教える。何処か不思議な雰囲気を持つ相手だった。このような場所で出会った事に違和感を感じる筈なのだが、それ以上に敵意も悪意も感じない。むしろ、悲しみのような物を強く感じた。一人にしておくべきかと思ってしまう。

 

「そうか。では、俺は行くよ。話せて良かった」

 

 手荷物を持ち、少女に一声かける。頷きだけが返ってきた。それを見て踵を返す。静寂の中、雪だけが舞っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オレも話せて良かったよ」

 

 雪が風で舞う中、少女は呟いた。墓石の前でただ佇む。

 英雄が抱く父への想い。それを本人の口から聞き出していた。

 聞けて良かったと思う反面、聞かなければ良かったとも。

 

「あれが英雄……。オレが倒すべき敵。同じ想いを持つもの」

 

 空を見上げる。雪が頬にかかる。

 それが、熱に溶けまるで涙のように零れ落ちる。

 少女にとって、英雄は敵であるのだ。

 

「それでもオレは、世界を壊すよ」

 

 父を愛したが故に世界を守ったもの。

 父を愛したが故に世界を壊すと誓ったもの。

 英雄と錬金術師。

 極めて近く、限りなく遠い二人が邂逅したのだった。

 

 

 




武門、実家に帰る
皆のメインヒロイン錬金術師ちゃん登場


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番外4.休息の終わり

「師範代が久々に来ているのだ、皆、気合を入れるぞ!!」

 

 応! っと、道場に咆哮が響き渡る。武門上泉が運営している剣術道場。道着を纏い、竹刀を手にしているところで気迫が漲る。久々に実家に帰って来ていた。門下の稽古をつけてやってくれと棟梁及び惣領より命じられた為、道場に佇む。竹刀を持った人間が三十名ほど。各々が道着に竹刀のみを手に対峙する。

 

「防具は付けねーのかよ?」

「はっはっは! 我らが教えるのは剣道に非ず、あくまで剣術じゃ。戦うにあたって何時も防具を身に付けられる訳ではあるまい。何時如何なる時でも戦える。そう言う心構えがこの鍛錬じゃよ」

「でも、怪我するかもしれませんよ?」

「それは使い手が悪いからじゃよ。卓越した腕を持つものならば、間違いなど起こる筈がない。何よりも剣術の本質は殺す技になる。それを修める過程で怪我などが怖いと言うのならば、そもそも剣術など志すものでは無いのじゃよ」

 

 見学に来た同行者二人が防具は無いのかと聞く。そんなものは無いと頷く。我らが用いる剣は研鑽する内にどちらかと言えば素肌剣術寄りに変化していた。介者剣術寄りのものもあるが、主要なものは素肌剣術であると言える。自分のように小手を用いる事もあるが、道場などで行うのは竹刀だけでの斬り合いだった。当たる寸前に腕を絞る。それで、刃を寸止めすれば良いだけの話であるからだ。それができると判断するまではひたすら剣の扱いを覚える為の基礎を励む事になるのだが、今この場に居る者達はそれが終わった門下生と言う訳であった。

 

「始め!」

 

 惣領が短く合図を出す。場が動き始める。ゆらりと動いた。

 

「一手御指南願う!!」

 

 即座に打ち込みが来る。男。見極めた剣線を剣先で逸らす事で往なし、軽く刃に重ね打ち落とす。

 

「無暗に打たず、機を見る事だ」

「はい!」

 

 竹刀を落とした男が返事を上げ、他の者へと向かう。ぐるりと回る。背後、隙を見つけたと斬りかかろうとして居た者に刃を突き付ける。

 

「く……」

「隙を突くならば、剣気を隠さない事だ。この稽古は乱戦のようなものだろう。隠せば目立つ」

「打つ事すらできないとは……。次こそは!」

 

 相手が頷くと、剣をゆるりと上げる。両手持ち。惣領が用いた雷刀と呼ばれる(くらい)(型)。

 

「行きます!!」

 

 踏み込み。半身立ちからの踏み込み。一刀の下に振り下ろす。衝突。拮抗など許さず叩き落す。

 

「雷刀に踏み込むのならば、恐れぬ事だ。思い切りが足りなければ、斬り落とされる」

「は、はい! 指南ありがとうございます!!」  

 

 阻む様に重ねた刃を弾き飛ばし、そのまま両断する気迫を以て寸止めする。見た感じ最年少の少年が腰を落としていた。手を取り立たせた後、悪くは無かったと告げ軽く肩を叩く。少年は嬉しそうに笑った。

 

「ちっ!」

「思い切りや良し。されど、気が急き過ぎている」

 

 再び剣を取り直した直後に後退。斬撃を逸らし、剣を向け対峙する。上段。即座に雷刀に構えた。刃を低く寝かせ、待ち受ける。剣の意志。来いと伝える。踏み込み。

 

「おおおお!!」

 

 裂帛。咆哮と共に放たれる雷刀。一歩踏み込む。

 

「ぐぅッ!」

 

 

 振り下ろされる腕。石突で打ち、竹刀を取りこぼさせる。そのまま刃を捨て、襟を持つ。相手の怯みと、こちらの勢いを活かしたまま投げ飛ばす。

 

「渾身は外せば大きな隙となる。力の入れ処を見極めるのが肝要だ」

「……はいッ!!」

「よし、次」

 

 離した竹刀を再び取る。皆が見ている。次々と新手が現れる。惣領。ちらりと見ると、豪快に笑っていた。全員を相手にしろ。そう言う事であった。握り直す。笑みが零れる。剣気が心地良くて堪らない。良いだろう。全員相手をしてやる。剣気を以て返答が来る。再び高く刃を掲げる。雷霆の気迫を以て迎え撃つ。そして刃が加速する。

 

「何でアレで息一つ切らせてねーんだよ」

「……一人ずつ掛かっている筈なのに、複数人同時に相手しているようにしか見えないんだけど。これが、本物の難易度BUMON」

「まぁ、上泉の者ならば、この程度は容易いものじゃよ。体を温める準備運動じゃな」

「解ってたけど、武門こえーよ。知ってたけど!」

「剣って、三方向に同時に振れるんだね。凄いや」

 

 クリスと響の言葉に棟梁が満足そうに頷いている。一人、また一人相手にしながら、女子相手だから饒舌であるのだなと思うのだった。

 

 

 

 

 

 

「本日の稽古は終わりじゃ、なら、さっさと風呂に入ってこい」

 

 そんな言葉で棟梁に露天へと向かわされる。昼も半ば程から道場に顔を出していたので、今は良い感じに暮れていた。露天。屋敷より少しばかり離れた場所にある、実家が管理する湯治用の露天で汗を流す。露天とは言え、流石に野晒ではない。囲いと小さな屋根の中、浴場が用意されている。湯で体を洗い、湯船に浸かる。ぼんやりと空を見上げる。茜色から、夜空への変り時。薄暗い中、星と月が姿を現している。

 

「月見には丁度良いか」

 

 普段生活している都心部とは違い、空の色は遥かに澄んでいる。一緒に持って行けと渡された父が好きだった酒、西風を注ぐ。そのまま、湯に浸かりつつ一口含む。入浴中の酒は回りが早い為、一杯だけにする。

 

「ゆるりとするのも、随分久しぶりだな……」

 

 酒を呷り、一言呟く。様々な事があった。ルナアタック事変があり、フロンティア事変があった。響やクリス、翼を始めとした装者に出会い、司令や緒川、藤尭や友里さんの居る二課に復帰となった。童子切の使い手となり、フィーネとのぶつかり合い。自動人形(オートスコアラー)やF.I.S.との出会い。英雄に拘る男との対峙。様々な事が短い間に凝縮されていた。そんな事を言ってしまうのも仕方が無いだろう。それ位、様々な事があった。

 

「お酒って、お風呂の中で飲むと拙いんじゃないんでしたっけ?」

「だから一口だけにしたんだよ」

 

 不意に声が届く。何をしているんだと思うが、まあ良いかと流した。どうせ、棟梁の差し金である。なんでこんな所に居るのだと思うが、子供が二人紛れていても別に構わなかった。

 

「……」

「ほら、クリスちゃんも入ったら?」

「いや、何でそんなに平然と入ってんだよッ!」

 

 響が失礼しまーすと元気良く声を上げながら入って来る。当たり前だがバスタオル着用である。あまり行儀が良いものでは無いのだが、それも仕方ないだろう。星空に向けていた視線を移す。目が合う。流石に恥ずかしくなったのか、響は困ったように笑った。

 

「まぁ、風邪を引いても困るだろう。温まると良い」

「あんたも何でそんなに普通なんだよッ!」

 

 林檎の様に真っ赤になった白猫が魂の叫びをあげる。苦笑が零れる。恥ずかしいのなら来なければ良いでは無いかと思いながら答える。

 

「別に、子供と風呂に入るぐらい大したものではあるまいよ。と言うか、躊躇するのならば来なければ良いだろうに」

「そりゃ……そうだけどよ……。このバカが、その、一緒に行こうとか言うから……」

「今更、君の肌を見たところで、大した問題も無かろうよ」

「う、ぐ……。たしかに、見られたけど……」

 

 思い返して見れば、初対面の時に怪我をしていた為服を脱がし処置を施している。下着までは脱がさなかったが、恥ずかしがるとしても今更だった。まぁ、この年頃ならばそんな物だろうと思うも、ならば来なければ良いでは無いかと苦笑が零れる。結局、白猫も傍に寄ってきて肩まで湯船に浸かる。そして、黙り込んだ。何しに来たんだと思う反面、まぁ、こうなって当然だとも普段の様子から直ぐに思い至る。

 

「なん、だと……」

「ん?」

「ユキさん、クリスちゃんの裸見たって本当ですか!?」

「うん、ああ、見たな」

 

 凄まじい衝撃を受けましたと言わんばかりの響が聞いて来る。その勢いに少し押されるが、素直に頷く。裸を見たのかと言われれば、見てはいる。

 

「ちょ! その言い方は語弊があるじゃねーか。あくまで治療だ、治療!!」

「どっちでも良いです!! 見たんですね、見ちゃったんですね!!」

「今の俺と君たちも裸に分類されると思うのだが」

 

 響の剣幕に苦笑が零れる。言ってしまえば、現在進行形でも見てはいる。別に気にするほどのものでもない。成長期だけあって、二人とも育つところは育っているが、月見酒を越える程重要かと言うとそうでもない。

 少しだけ残った酒を飲み干すと、ふと、翼の発育があんまりなのでは無いかと二人と比べ失礼な事を思う。彼女等より年長であり、もう直ぐ卒業を控えている。今以上の成長は期待できないだろうか。乙女心は解らんが、後輩二人と見比べた後、時折吐いている溜息から察するに、気にはしているのだろう。

 

「今は良いんです。日頃からお世話になっているお礼を兼ねて背中を流しに来たんですから。ね、クリスちゃん!」

「あたしは、その、爺さんが男はこういうので喜ぶって言うから……その……」

「また、子供に変な事を教えて」

 

 案の定、棟梁の目論見であったようでそんな言葉が吐き出される。それは棟梁自身が好きな事である。

 

「と言う訳でユキさん、背中流しますね」

「……、仕方あるまい」

 

 取り敢えず立つぞと二人に伝え数秒待つ。そんなに見たいのかと告げると、意味を察して二人して背を向ける。そのまま、浴槽から出る。そのまま、備え付けられている桶と入浴具を取る。そのまま体を洗う。

 

「はっ! 洗います!」

「ああ、頼むよ」

 

 そして、少し慌てたように響が此方に来て背中を洗い出した。手拭いで背中が擦られる。少しくすぐったい。

 

「どんな感じですか?」

「もう少し強めだと良いかな」

「これ位で?」

「ああ、気持ち良いな」

 

 少しくすぐったかった感覚がなくなる。丁度良い感じであった。

 

「あぅ……」

 

 響が恥ずかしそうに呟く。

 

「か、代わるぞ!」

 

 不意に感覚が変わる。白猫。どうやら、交代をする様だ。背中に手拭いの当たる感覚が強くなる。良い感じであった。暫く成すがままになる。

 

「あんたの背中、大きいな。それに、傷も幾つかある。特に左腕」

「まぁ、武門だからな。斬った張ったは馴染みだよ。中には捌き切れなかったものもある」

「最近のものも?」

「あるな。自分で斬ったものもある」

 

 クリスの問いに答える。童子切で斬り裂いた左腕の傷。ネフシュタンの腕輪を身に着ける前の傷は、傷跡として残っている。それに白い手が触れる。傷跡をゆっくりとなぞる。

 

「もう十分だ」

「ごめん」

「何を謝っている」

 

 そんな言葉と共に背中を流して貰う事にする。桶に汲まれた湯。それが背中に流される。数回繰り返され、終わった。そして、再び浴槽に戻る。肩まで浸かり、ぼんやりと空を見上げる。子が二人、傍らにいる。無言。言葉は無いが、空気が悪いと言う事でも無かった。話す事が無い。それだけであった。

 

「さて、百数えたら出ようか?」

 

 だからこそ、そんな事を提案する。小さな頃、父と良くやった事である。百を数えるだけではあるが、それが楽しかったのを覚えている。武の研鑽を行っていた武門であるからこそ、そんな些細な事が嬉しかったのだろう。今だからこそ解る事だった。

 

「はい」

「うん」

 

 結局三人で百を数えた後、バスタオルを持つクリスと響が先に出て行く。そのまま彼女等の身支度が終え、出ても良いとの合図が出るまで湯船に浸かっているのであった。食事時、絡んできた爺様が、武門の精神力は玉鋼(たまはがね)と馬鹿笑いと共に叫んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「未来ぅぅぅ!!」

 

 群馬への旅行を終えた響は、待ち合わせをしていた未来に出会うなり情けない叫びをあげて抱き着いた。

 

「わ! ど、どうしたの響!?」

 

 そんな何時振りかに会った響の様子に、未来は少しの驚きと共に表情を緩める。ユキの里帰りに旅行と称して付いて行った為、響に会うのは久しぶりであったからだ。久しぶりに響分を補充しなくちゃと抱きしめ返しながらも、未来は何かあったのかと未来は尋ねる。

 

「わたし、わたしね、女じゃなかったの!」

「え、ええ!?」

 

 そして響から発せられた言葉に思わず声を荒げる。半泣きになりながら告げる響に、本気で意味が分からなくなり、何、ナニか付いちゃったの!? っと、あまりにアレな事を言ってしまうのは仕方ないだろう。未来としても、女の子としても、大事な事である。

 

「うぅぅ……」

「ほら響、落ち着いて。ね、ナニがあったの?」

 

 悲し気に言葉を噤んだ響に、未来は出来るだけ優しく問いかける。本人は冷静な心算ではあるが、何となくイントネーションがおかしいところから、落ち着けていない事が見て取れる。そんな未来の様子に気付く事もなく、響は意を決し未来に話の続きを語り出す。

 

「うん。私ね、ユキさんにとってがきんちょだったの。女性じゃ無かったの。女の『子』でしか無かったの!! ぐふ……」

 

 言い切ったところで響は自分の言葉に自分でダメージを受ける。がきんちょだった。子供でしか無かったと、心此処にあらずといった様子で呟く響に、未来は一瞬変な扉を開きかけるが慌てて閉じる。それは開けてはいけないものだろうと、突貫工事で埋め立てながら話の続きを促す。

 

「ユキさんとね、一緒に旅行に行ったよね」

「うん。好きな人だもんね。頑張ってみるって、響は言ってた。何かあったの?」

「うん。色々案内してもらってね、ユキさんのお爺さんにもあったんだ。ユキさんの家の一番偉い人。凄く、歓迎して貰った」

「ええ!? なら良かったじゃない」

 

 未来は響から、好きな人の事について良く相談されている。今回の里帰りの件に旅行という形で同行する事になったのも、未来の入れ知恵だったりする。正直なところ、響に好きな人が出来たと相談された時には、ちょっと如何してやろうかとも考えたが、詳しい話を聞く程そんな気持ちも随分と薄れていった。親友の未来には、響が本当に恋をしているんだなっと解ってしまったからだ。

 ルナアタック事変で出会った時から始まり、クリスとぶつかった事。守って貰った事。心が挫けそうになった時何度も手を差し伸べて貰った事。暴走した時に止めて貰った事。翼に遠ざけられて訳が判らなくなった時、真正面から話をしてくれた事。命を懸けて絶唱を使おうとした時、止めて叱ってくれた事。未来が攫われた時、生存を確認してくれた事で希望が持てた事。未来の救出の時、大切な事を教えて貰った事。英雄の剣に負けかけた時、よく頑張ったと言って貰えた事。

 その一つ一つが大切な宝物であるかのように、嬉しさと恥ずかしさがない交ぜになったような様子で語る響を見ると、未来でなくても解ってしまうだろう。ああ、この子は恋をしているんだなぁっと。その様子は何かを言うのも馬鹿らしくなるほどである。

 仕方ないなぁ。そんな言葉と共に、未来が響に協力しようと思うのは当然の結末であったと言える。未来にとって響は、大切な友達であると同時に、大好きな相手でもあるのだ。そんな響が恋をしたと言うのなら、未来には応援をしないという選択肢はない。

 

「うん。それでね、頑張ってみたの。恥ずかしかったけど、頑張って頑張って、それ以上に頑張ったんだ」

「……それで、何をしたの?」

 

 だからこそ、響の今の様子が良く解らない。一体何があったのかとごくりと喉を鳴らす。まさか、親友は一足先に大人の階段を上ってしまったのか。その上で、何か酷い出来事があったのか。もしそうだとすれば、私はどうすれば良いのか。取り敢えず、今夜はなぐさめてあげれば良いのかと、ちょっとハイになっている未来の思考は加速していく。

 

「一緒にね、お風呂に入ったの。ユキさんのお爺さんは、本人が嫌がらなかったら何やっても良いって言うから、それで、クリスちゃんと一緒になって」

「……って、何でクリスも?」

「あぅぅ……だって、幾ら私でも、一人で混浴とか恥ずかしくて死んじゃうよ!! とてもじゃないけど、誘惑作戦とかできないよ!」

 

 思わず出た未来の問いに響は恥ずかしそうに言い返す。いざその場に行ってしまえば思った以上に自然に振舞えていたのだが、そこに至るまでが大変であったのだ。とてもでは無いが一人では入れない。だからと言って、チャンスが早々にある筈がない。そこに居たのが、恋敵だと勝手に思っているクリスである。

 響に取れる手段はこれ以外なかった。あの素直じゃないクリスが、現在最も傍に居る相手である。フロンティア事変が終わってからは、その様子は随分と顕著になっている。恋敵である響をして、押しかけ女房なのでは無いかと危機感を抱く程である。

 尤も、響自身はクリスの事も大切に思っている。恋ではライバルだと思っているが、同時に大切な友達だった。そんな複雑な想いから、恋敵でありながら、正々堂々と想いを伝え合いたいと思っていた。大切な友達と好きな人が被っていると思うからこそ、その友達も大切にしたいと言うのが立花響という子だった。

 

「でも、だからってクリスと一緒にやらなくても」

「だってぇ……。未来もいなかったし、クリスちゃんしかそんな事できる人が居なかったんだよぉ」

「もう……。恋敵と一緒にアタックするなんて、私は響位しか知らないよ」

「あはは。常に最先端なんです」

「……恋は誰かに遠慮なんてしてたら叶わないかもしれないよ」

「それは、嫌だなぁ……。こんな気持ちになったの、初めてなんだよ?」

 

 あははと屈託なく笑う響に、未来はもうっと小さな溜息を零す。恋をしたとしても、響は響なのである。何処かで誰かの事を考えてしまっている。それ自体は凄く良い事だと思うのだが、だからこそ未来は心配してしまう。親友は未来から見ても良い子である。その子が失恋する様など見たくは無い。

 

「だけど、クリスかぁ。あの子もユキさんの事が?」

「うん。きっとそうだよ。クリスちゃん本人に聞いた訳じゃないけど、きっとそうだと思う」

「そっかぁ。まぁ、あのクリスだしね。嫌いな人の所になんて行かないだろうし、だからって、好きな人なんて絶対に教えてくれないだろうなぁ」

「確かに。でも、一緒にお風呂に入っても良いって思うぐらいなんだから、きっとそうだよね」

「うん。クリスがそこまで出来るって事は、そう言う事なんだろうなぁ」

 

 雪音クリスの普段の行動から見て、二人はそうなのだと結論付ける。あの雪音クリスである。女の子同士の触れ合いですら、見ているだけで恥ずかしくなって真っ赤になる程初々しい女の子であった。別にそんな気持ちがなくとも、クリスの反応を見ているだけで、つい、悪い事をしているのではないかと思ってしまう程である。

 その雪音クリスが、だ。幾ら世話になっている相手とはいえ、一緒に風呂に入るだろうか。どう考えても入らないだろう。それでも来た。つまりはそういう事だと結論付ける。しかし、結局は少しだけ背中を流しただけである。普段は威勢が良いが、そういう方面の話では随分とヘタレな様だ。

 

「でも、不思議だね」

「え? 何が?」

「だって、女の子が一緒にお風呂にまで入ってるんだよ。幾らなんでも、少しぐらい気付いてくれても良いと思うんだけどなぁ」

「うー。だから話が最初に戻っちゃうんだよぉ。ユキさんにとって私たちはがきんちょだったんだよ! 女じゃなくて、子供だったの! 射程外だったの! アウトオブ眼中だったの! へいき、へっちゃら。じゃないよ! 私って呪われてるのかな!?」

 

 未来の疑問に、ユキの反応を見せつけられた響は切実に叫ぶ。大げさなと思わないでも無いが、相手は好きな人である。ついつい熱く語ってしまうのも仕方が無かった。一緒にお風呂に入っても、特段恥ずかしがるわけでもなく平然としていた。あの反応はもう我慢しているとかそういったものでは無い。最初から興味がないとしか思えない程だった。そして、ユキは何度も響を相手に子供と言って来ていた。それで気付いてしまう。そもそも、ユキにとって響とクリスは女では無いのだという事を。

 

「どうどう。少し抑えて響、あんまり大声出されると恥ずかしいよ」

「あ、ごめんごめん」

「もう……」

 

 そんな響を未来は宥める。流石に街中で強い剣幕で話していれば、視線が集まって来るのも仕方が無い。周りが見えていない響に呆れつつ、まぁ、そんなところも可愛いんだけどねと笑みが零れた。親友には頑張って欲しい。クリスには悪いが、やっぱり未来としては響に一番幸せになって貰いたいからだ。

 だから、未来はユキに剣の師事を仰いだのだ。未来が翼では無くユキに剣の師事を仰いだ最大の理由は、未来が剣の教えを請えば響がユキに会う口実になり易いと思ったからである。勿論、実際に有り得ない程の剣の腕を見たというのもあり強くなりたいと言う想いもあるが、未来にとってはどうしても響の事というのが一番になってしまうのだ。

 

「うぅ……拳じゃ何ともならない、最強の敵だよぉ……。女として自信が無くなっちゃうよぉ……」

「だけど、本当に上泉さんは気付いていないのかなぁ」

 

 浮かび上がる一つの疑問。幾らなんでも、少しぐらい気付いてくれても良いのでは無いだろうか。武門の精神力は玉鋼と嘆く響を宥めながら、未来の疑問は消えて行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちゅ」

 

 そんな言葉と共に、青が赤に向け口付けを交わす。

 

「あ、あ……。はぁぅ……」

 

 想い出が青から赤へと移り行く。戦闘特化型の自動人形。ミカの起動が完了していた。

 

「漸く、自動人形が全て起動したか……」

「あぅぅ……」

「どうした、ミカ?」

「お腹がすいて、動けないゾ」

 

 起動したのは良いが、ミカにはまだ十全に動けるほどの想い出は蓄積されていない。力なく肩を落とす姿は、万全とは程遠いだろう。ぐったりと呟くミカに、少女はガリィに視線を向け、あるものを投げ渡す。

 

「おやおや。遂に完成したんですかぁ?」

「そういう事だ。起動実験も兼ねて、一仕事して来ると良い」

「ガリィちゃんに最初に回してくれるなんて、誰が頑張り屋かマスターは解ってますね」

「ふん。お前の役割が最も大きいからだ。理由など、それで充分だろう」

 

 嫌らしい笑みを浮かべる青に、錬金術師は憮然として答える。

 

「くひひ。英雄にご執心なマスターの為に、頑張ってきますね」

「働くならばそれで良い。如何とでも言っていろ」

「はいはーい。ガリィちゃん、頑張りまーす☆」

 

 そして青は主の下を離れる。

 

「全く可愛らしいマスターですねぇ。ずっと見ていて泣いちゃう位ご執心で、殺し合いたい癖にそんな素振りは見せないと来たもんだ」

 

 思い出の収集。それが、青の自動人形に課せられた目的だった。

 

「英雄を相手にするのに最早制約は何もない。サクッと殺してこようかしら」

 

 先の戦いの様に、英雄を殺さないように戦うという枷は既に無かった。自動人形には大切な目的がある。接待のような戦いでは無く、何の憂いもなく全力で戦えるのは、英雄を相手にする時だけであった。

 

「これまでの手抜きのような戦いでは無く、本気の自動人形を見せてあげる。再び相見えるのが楽しみね、人間の英雄よ」

 

 だから、ガリィは英雄を殺す事に決める。主の目的の為に最大の障害になるのは、英雄と呼ばれた人間である。故に、一切の手心を加える必要はない。笑みが浮かぶ。英雄の首を持ってくれば、主は一体どんな表情を浮かべるだろうか。それが、楽しみで仕方が無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




装者の中で武門の線引きの外に居るのは、実はマリアさんだけだったり。翼も含めて、後は皆子供。
さて、そろそろ三部開始します
二部では武門が死線に踏み入らなかった為、三部からは久々に全霊で戦ったり。
何にせよ、漸く本編が始まります。

取り敢えず、アクセスって格好良いよね




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3部
1.終末の四騎士


「これならッ!」

 

 飛翔剣が舞い踊る。漸く聞き馴れ始めた鋭い声に目を細める。陽だまりの剣。特異災害対策機動部二課の保有する支部の一つ。装者達が訓練する事が出来るほどの広さと強度を持つ訓練室の中で、剣が舞っている。小日向未来。剣の使い方を教えて欲しいと言った少女が、己が剣を以て対峙する敵に向け刃を放つ。

 

「ちょ、わっ、はやっ!! 未来って、確か最近まで、戦った事なかった、よねッ!!」

 

 六振りの飛翔剣が、シンフォギアを纏った響を囲む様に宙を駆る。それに対応するように響は推進装置を用いた瞬間加速を駆使するも、纏わりつく様に絡みつかれる。

 

「響の事なら、何でもわかるからねッ!」

「いや、そりゃ解ってくれるのは嬉しいけど、こんな状況で言われると怖いんですけどッ!!」

 

 ならば、一気に加速してぶつかるだけだと言わんばかりに響は小日向に向かうも、渾身の一撃は、両手に生成された一振りの剣によって阻まれる。刀。最初は西洋剣であった陽だまりの剣であるが、剣を教えるうちに刃が最適化されていった結果、小日向自身が持つ剣は一振りの刀であった。自分や、自分が不在の時には翼に教えを乞うている所為であろう。シンフォギアのアームドギアも本人の性質に大きく影響されると聞く。神獣鏡の流れも汲む陽だまりの剣は、そう言う特性も引き継いでいるのだろう。武門や防人に影響され、小日向の剣もまた、刀の形を取ったという事であった。

 その刃を以て、小日向は響の一撃を銀閃で弾く。英雄の剣に刻まれた剣。それを、小日向自身の意志で制御、撃ち放つ事でやり過ごす。戦闘経験自体は遥かに響の方が上である。それでも尚互角に戦えているのは、小日向が響を知り尽くしているからだと言えるだろう。小日向の対響への想いの強さは充分過ぎるほど知っている。経験の差を補う程のものが、確かに小日向の剣には宿っているのである。

 

「響の訓練は小日向を絡めればうまく回るか? 響を読み切る小日向と誰かを組ませれば、それだけで脅威だ」

「本当ですか……? それならもっと響と一緒に居られる。力になれる」

「ちょっとユキさん! 私の訓練だけ難易度が上がってませんか?」

「有望な後進だからな。少しぐらい、厳しくしたい」

「嬉しいけど、嬉しくないんですけど!!」

 

 訓練相手とはいえ、響と一緒に居られる事に無邪気に喜ぶ小日向と、自分の訓練が更にきつくなると嘆く響。その様子を見つつ、太刀を取る。響が加速し飛翔剣の包囲から何とか抜け出す。だが、即座に回り込まれた。一瞬であれば抜け出せるが、直ぐに追い立てられていた。

 

「うぅぅ、やりにくいよぉ」

「なら、少しばかり加勢してみようか」

「ふぇ……?」

 

 音を上げる響に追い越し様に一声をかけた。六の剣。一つ一つが時間差をかけて襲い来る。だが、その動作の種類事態はそう多く無い。正面から来る剣が二つ。左右から来る剣が二つ。そして、死角からが二つ。扱え切れない技など隙以外の何物でもない。自由自在に扱えるようになるまでは、飛翔剣ではそれ以外の動作はするなと教えていた。教えには忠実な様であり、小日向は自分の技として何とか昇華できているようだ。彼女には戦闘経験も基礎も殆ど無い。あまり複雑な動きなどすれば返って隙を生むという事であった。六本をある程度制御するという時点で複雑だろうが、それは武器の特性上仕方が無い。ウェル博士が全自動で行っていた事を、半自動で行う。それで、陽だまりの剣には小日向の意思が宿る。ゆくゆくは全て己の意志で操る様になれれば良いが、どれだけの月日が掛かる事かは自分にも解らない。先はまだ見えないが、陽だまりの剣には、大きな伸びしろがあると言える。

 その刃を全て弾き飛ばす。安全な空間。それを響の傍に作り出す。切り返し。驚きに目を見開く二人。隙を晒すなと言った。弾かれたように響が動いた。小日向は、唐突の乱入に幾らか心を乱した。飛翔剣の狙いが狂う。機動方向の選定。それだけを小日向が行い、機動自体は自動で行っている。心が乱れれば動きが狂うのが、今の小日向の最大の欠点であった。

 

「隙あり!」

「あう……」

 

 響が小日向の前で拳を寸止めする。当たると思った小日向は咄嗟に両眼を瞑っていた。悪い癖である。戦いの際に強く眼を瞑るのは、余程特殊な状況でない限り不利にしかならない。これまでの生活の中で、手が出る類の喧嘩なども殆どやった事は無かったのだろう。危険が迫るとつい目を閉じてしまうのも、小日向の課題だった。

 とは言え、こればかりは直ぐには治らないだろう。当たり前だが、戦いなど知らない少女だ。響やクリスでもやってしまう事を、いきなり無くす事などできる筈が無い。少しずつ減らして良ければ良い方だろう。伸びしろと同時に、課題もいくつか存在していた。尤も、克服できればそれは伸びしろに変わるのだが。

 

「小日向は咄嗟の判断が悪い。不慣れな為だろう、想定外が起こると直ぐに操作が狂う。挙動が素直な分、直ぐに動きに出るな」

「はい……」

 

 課題の一部を弟子に教える。いきなり全てを言っても克服できる訳がない。場合によっては途方に暮れるだろう。先ずは、比較的分かり易い部分を教える。要するに、驚いても直ぐに呼吸を整えろと言う事である。これが抑えられれば、幾らか違った動きが出来るだろう。

 

「とは言え、短期間で六の飛翔剣をある程度使えるようになったのは誇って良いだろう。響もやり辛そうにしていた」

「本当ですか?」

「うん。私の事を見透かしてるみたいだったし、あのまま続けたら不味かったかも」

 

 少し沈んだような小日向に良かった点についても告げる。課題はある。だが、見るべき点もあるからだ。響の補足もあり、小日向の表情は幾らか和らぐ。

 

「もう少し頑張ります。響、もう一手お願い」

「わかった。けど、何か未来がユキさんみたいな言い回しになってるよ」

「翼さんにも教えて貰ったり、時には一緒に先生に扱かれてるしうつったのかも……」

 

 おかしそうに笑う響に、小日向も困ったように笑う。小日向には、翼に倣ったのか先生と呼ばれるようになっていた。和やかに話す二人の様子を見て、気持ちも落ち着いてきたようだと判断する。

 

「では、一手参ろうか」

『――え!?』

 

 刃を構え二人に告げる。固まったようにこちらを見詰めてきた。笑う。後進がやる気を出しているのだ。先達が胸を貸さない訳にはいかないだろう。引き攣った表情でこちらを見る二人に向かって告げる。

 

「なに、加減はする」

「絶対嘘だぁ!!」

「今日、歩いて帰れるかなぁ……」

 

 愕然と叫ぶ響と、悲し気に零す小日向。笑う。後進に、少しばかり稽古をつける事にした。

 

 

 

 

 

 

 

「ナスターシャ教授の帰って来るシャトルが!?」

「ああ。帰還途上にシステムトラブルが発生。今暫くの猶予はあるが、何もしなければこのまま墜落と言う事になる」

 

 響の驚きの声に司令は頷いた。上層部より二課に通達された情報。フロンティア事変の立役者であるナスターシャ教授。その遺体と異端技術の回収の為、回収用のシャトルが打ち上げられていた。それが目的を達成、帰還の途上でトラブルが発生したと言う訳であった。装者達が召集されている。それはつまり、シンフォギアを用い何とかすると言う事だった。そうでなければ、彼女らを呼ぶ意味がない。

 

「世界をナスターシャ教授が守ってくれたんですよ! 何とかならないんですか?」

「その為に君たちを呼んだ。やってくれるか?」

「成程。つまり、あたしたちの出番ってわけかッ!」

 

 響の言葉にクリスは拳をぶつけ意気を上げる。自分たちは守られたのである、少しでも何かを為したいと言う訳であった。

 

「人の尊厳は守られなければいけません。まだ手があると言うのならば、どのような事でも命じてください」

 

 翼もまた、静かに遺志を示す。彼女もまた、大切なものを失った事がある。ナスターシャ教授を失った者達を翼は知っている。その遺体だけでも無事に届けてやりたいと思うのは、何の不思議もなかった。

 

「今回ばかりは何もできない、か」 

「仕方あるまい。俺たちの力はそういう類では無い。適材適所だ」

「解ってはいますよ。ですが、歯痒いものです」

 

 司令の言葉に頷く。斬る事は出来る。だが、流石に斬って止められる類の事では無かった。そもそも対象はまだ遥か彼方である。今の自分ではこの件に限ってはできる事が無い

 

「留守は頼むぞ。大事の中に、何かが起こる事もある」

「了解」

 

 留守居を言い渡される。三人の装者を中心とする作戦行動は、国外で行われる事になる。本部不在の間、何かが起こる事が無いとは言い切れない。戦力の多くが動く事になるのだ。戦えるもので、今回の作戦には不要なものが宛がわれるのは当然の流れだと言える。

 

「ユキさん、私たちに任せてください!」

「先生には何度も助けてもらいました。偶には、私達も良い所を見せたいのです」

「あたし達だって守られるばかりじゃねーよ。偶には、見ててくれよな」

 

 三人の少女が此方を見て告げる。随分と立派になったものだと笑みが零れる。これでは、先達の存在意義が余りない。それを少し寂しいと思う反面、嬉しくも思う。フロンティア事変は、確かにこの子らを成長させたのだから。自分が守る必要はもう無くなっているのだろう。見違えるほど強く育っていた。

 

「今回は任せる。頼むぞ」

「ああ、頼まれた」

 

 此方の言葉に白猫は満足げに頷く。翼は静かに目を細める。

 

「怪我だけは気を付けてね」

「解ってるよ未来。少し頑張って来るから、待っててね!」

 

 小日向の言葉に、響は花が咲いたような笑みを浮かべる。目が合う、嬉しそうに手を振られた。そして、別れる。直ぐ様移動という事であった。

 

「さて、留守居だ」

「戦えるようになったつもりでした。だけど、まだ隣には立てませんね」

「仕方あるまい。響と君だけでも、力を手にした期間が違う。直ぐに同じ事が出来る訳がない。焦るな。君は必ず強くなれる。それに、留守居とて何もない訳ではあるまいよ」

 

 共に見送る小日向が零した呟き。無理はするなとだけ伝えていた。はい。っと小さく小日向は頷いた。

 

「先生は強いですね」

「君よりは、な。それに存外弱いぞ、俺は。ただ、意地を人並み以上に持っているだけだよ」

 

 仮支部の指令室に移る。本部の施設に比べれば見劣りはするが、災害や異端技術の反応を検知するにはこの場が最も有効だからだ。

 

「そうなんですか?」

「ああ。明確に弟子にしたから教えるが、実は甘い物が好きだったりする」

「ええ!? いや、確かに不思議では無いんですけど、イメージと違うと言いますか」

「良く言われるよ。まぁ、子供の頃鍛錬の後に食べた団子が好きだっただけなのだがね」

 

 甘いものと言うか、団子が好きだった。和菓子全般もそれなりに食べる。幼い頃から祖父には茶を飲まされてきた。敢えて飲み辛くしたものなども幼子に飲ませて反応をみて楽しんでいたのだろう。あの溺愛ぶりだ。反応が一々楽しかったに違いない。渋い顔をしていても、最後に出される和菓子で機嫌を直していたので、我ながら単純な子ではあった。そんな事もあり、和菓子は好きだったりする。今でも、時折食べる。

 

「良い事聞いちゃいました」

「ほう?」

「響ともどもお世話になってますからね! 今度お礼に何か作ってみます。勿論響と一緒にです」

「おや、それは楽しみが増えてしまった」

 

 子供の頃を思い出しながら語ると、今度響と一緒に何か作りますと小日向は言ってくれた。そこまでしなくても良いと思うが、せっかく作ってくれると言うのである。無碍にする理由も無かった。素直に受ける事にする。特に何事もなく、談笑を続けながら待機していた。不意に鋭い声が届く。

 

「未確認反応が出現! これは……、二課医療施設、総合病院付近になります!」

 

 未確認反応。ノイズでも、現在判明している聖遺物とも違う反応であるらしい。一つだけ心当たりがあった。黒金の自動人形。フロンティア事変の折に何度も対峙したソレ。遭遇自体は、フロンティア事変以前になる。ルナアタックの際に童子切を手にした時、初めて遭遇したのはその時であった。自動人形。幾つかのそれと、遭遇していた。二課の多くの戦力が離れた今、確かに何かが動いていた。決めつける訳にはいかないが、現状最も大きな可能性であった。

 

「上泉さん、行けますか?」

「ああ、その為に待機していた」

 

 通信士が、支部責任者と短く言葉を交わし声をかけて来る。既に本部にも連絡を入れ、指示を仰いだようだ。あちらも大きな作戦の中である。幾つかの条件を与えられ、現場での指揮を一任されたようだ。用意していた太刀を取る。幸い現場までそう遠くは無い。他の準備も既にできている。指示に直ぐ頷く。

 

「あの、私も行きます」

「小日向も、か?」

「はい。私はまだ響と肩を並べられません。だけど、響と同じように誰かの為に戦える力は手にしました」

 

 小日向の言葉に考える。もし自分の悪い予想が当たれば、自動人形と刃を交わす事になるだろう。ただし、何の確証も無い。ただの見回りで終わる可能性もある。

 

「嫌だと言えば?」

「勝手について行きます」

 

 試しに聞いた問。間髪言わず、小日向は笑った。そう言う所だけは、響にそっくりの様だ。選択肢が一つしかなかった。勝手に動かれるぐらいならば、傍に居てくれる方が良い。

 

「仕方ない、行くか」

「はい!」

 

 話が決まったので場所を変え、支部に用意されている二輪に跨る。小日向が後ろに跨った。あまり時間が無いので急ぐぞと告げる。短いがしっかりとした返事が届いた。そのまま目的地に駆け抜ける。総合病院。自分も入院した事がある其処に、辿り着いていた。元々二課関係の施設である。反応が検知された時点で、避難が開始されていた。屋外に関係者こそいるが、殆ど無人で合った。二輪を止め、入り口付近で待機している二課と一課混成の部隊に声をかける。何時ぞやの再編の件。それで選別された精鋭部隊だった。

 

「上泉さんですか」

「ああ。シンフォギア装者は別件で全て出払っていてな。居残りが来た」

「充分過ぎます! そちらの方は? 見た限り学生位の子にしか見えませんが」

「ああ、秘密兵器だ。一応、俺の弟子という事にもなる」

 

 陽だまりの剣の説明は難しい為省略する。ある意味、シンフォギア以上に機密なのだ。日本の持つシンフォギアと言う力は全世界に知れてしまったが、陽だまりの剣はそう言う訳では無い。ただでさえ、シンフォギアは近い内に国連直轄下に置かれる事になる。それ以外の戦力は隠しておきたいと言うのが日本側の本音のようだ。

 そう言う諸々の事情からこんな説明ではあるが、俺の弟子と言う言葉は思った以上に効果があったのか、小日向にも頑張って下さいと言う声援が上がる。

 

「ええ!? ハードル上げないでください……」

「まぁ、追い込みすぎるのも可哀そうだ。直ぐに向かう。何も無いかも知れないが、何かあっても困る。残っている方たちの退避を出来る限り早く行って欲しい」

「了解しました。ご武運を」

「ああ、行ってくる」

 

 機動部精鋭部隊の人間と言葉を交わし、病院に踏み入る。静寂。普段は人の気配が強い昼の病院ではあるが、まるで夜の病院の様に音の無い世界が広がっている。

 

「小日向、剣を纏っておけ」

「はい」

 

 何かある可能性も存在する。小日向には陽だまりの剣を纏わせる事にする。

 

抜剣(アクセス)ッ!」

 

 小日向が小さく宣言する。六の剣と白き外套が形成される。陽だまりの剣。小日向未来の力だった。

 

「そう言えば、響と掛け声を決めていたのだったか」

「はい。聖詠みたいなのがあれば切り替えやすいって言われましたから。駄目ですか?」

「いや、構わんよ。気持ちの切り替えは大切だ。君なりのやり方で、やると良い」

 

 剣を纏った小日向と一度頷き合う。一つ一つ時間をかけて部屋を確認していく。自分一人であればそれ程用心はしないのだが、今は小日向もいる。あまり迂闊な事をしようとは思えなかった。エントランスを越え、受付を通過し、病棟へと続き通路を進む。やがて、階層を移動する大型エレベーターが存在する広い空間に辿り着く。上下以外にも、来た道を含め五叉路の様に通路が存在する。見知った場所、見知った施設。違和感には直ぐに気付いた。エレベーター。無人の筈が、動いている。通信機を使う。何かに邪魔をされているのか、酷く反応が悪い。

 

「先生、これ」

「小日向、警戒しておけ。ただし、自衛以外で武器は使うな」

「はい」

 

 やがて、エレベーターが一階へと到達する。扉が開いた。無人。何の反応もない。太刀を握る。居るのが分かった。足音。自分たちの背にある一つ以外から、響き渡る。童子切。使用許可など降りてはいない。それでも尚、無い物をねだった。

 

「くひひ。また会ったわね、異端殺しの英雄」

「死して尚再び立ち上がる。その派手な振る舞い、流石の私も見入ってしまった」

「剣殺しをも退けた剣の冴え、是非また見せて貰いたいものですわ」

「おお、お前が皆の言う英雄か。あたしは、強いゾ」

 

 剣を抜き放つ。刃を低く寝かせた。背後で息遣いが聞こえる。

 

「先生……。彼女たちは……?」 

「小日向。敵の動きから目を離すな。相手は格上だ」

 

 短く指示を出す。どうやら相手は予想通りであった様だ。その上で、予想の上を行っている。知らない顔もあるが、まさか知った顔が全機出て来るとは思ってもいなかった。行動が即、死に繋がりかねない。

 

「四対二。いや……お前達が居るという事は」

「五対一よ。偽りの剣しか持たない未熟者なんて、数の内にも入りはしない」

 

 ――血脈に宿る刃(ブラッドスレイヴ)

 

 そして、正面のエレベーター乗り場より、黒金の自動人形が現れる。以前斬り飛ばした右腕。大爪では無く、漆黒の腕に金色の宝玉が付いた右腕をしていた。小手。新たな腕は、そんな印象を受ける。

 

「お前たちは、何者だ?」

「そうね。終末の四騎士(ナイトクォーターズ)が全員そろったのは初めてかしら」

 

 ガリィと呼ばれた青色が、此方の問いに笑みを深める。深く、深く。嘲るように口角を歪める。

 

「折角だから、英雄と呼ばれたあんたに免じて名乗ってあげようかしら。水を司る自動人形(オートスコアラー)、ガリィ・トゥーマーン」

「おお! なんか楽しそうだゾッ! ならあたしは、火を司る自動人形、ミカ・ジャウカーンだゾ!」

「あらあら。皆浮かれちゃって。なら、私も便乗させて貰おうかしら。風を司る自動人形、ファラ・スユーフですわ」

「ふ、良くこれだけ派手好きな者が集まった。ならば、私も地味に名乗る訳にはいかんな。土を司る自動人形、レイア・ダラーヒム」

 

 青が氷を生み出し、赤が炎を上げ、緑が風を起こし、黄が地を操る。四機の自動人形が、各々が特徴的な動きを見せながら此方を見据える。リズム。四機が四機とも、異なりながら、何処か似ている呼吸で動きを止める。

 

「そしてソイツが五機目の自動人形。劣化品改め、員数外(イレギュラーナンバー)。まぁ、名前なんて無いから、黒いしクロとでも呼んでおけばいいんじゃねーの? 馴染みの名なんだろ、英雄さん? あはははは。良かったな劣化品、英雄様のペットと同じ名だ!!」

 

 ガリィが高らかに笑みを浮かべる。きゃははははと、耳障りで煩わしい。

 

「同じ人形だというのに、随分な言い草なのだな」 

「同じ? まぁ、人間のあんたには同じように見えるんだろうね……。ふざけんなよ人間ッ、こんなものと一緒にするなッ!」

「あらあら、ガリィったら怒っちゃって。何だかんだ言って、マスターに作られた事を一番誇っているから」

「知らず知らずに虎の尾を踏む事になる。地味に進める事は難しい様だ。ならば、派手に始めようか」

「いい加減、御託は飽きたんだゾッ! 強いのなら、あたしが最初に頂いちゃうゾ」

 

 四機の自動人形は戦意を高める。

 

「小日向」

「はい」

「此処で敵は止める。お前は退け」

 

 そして、五機目が抜き放った刃を展開する。

 

「私も……」

「邪魔だ。お守りをしながら相手にできる敵では無い」

「ッ!?」

 

 戦うと言おうとした小日向に言い切った。解るのだ。一度対峙した事があるからこそ、小日向では相手にならないと。それが五機である。勝負になる訳がない。

 

「もし俺が止めきれなければ、君が外にいる人たちを守るんだ。俺が抜かれれば、もう君しかいない。良いな」

「はい……」

 

 小日向が背を向け、一気に加速する。陽だまりの剣。その力は、身体能力を向上させ、それだけでなく一定時間ではあるが飛行を可能とする。離脱するだけならば、難しい事では無い。小日向未来を死なせるわけにはいかない。後進の親友を、こんな所で無くす訳にはいかなかった。

 

「あらら、随分おめでたい頭をしているわね。あたし達から逃げられる心算なの?」

「ふん、随分楽観的なのだな。お前たちこそ、追える心算なのか?」

 

 敵は五機。内の一機は、自分を殺した敵が相手だった。笑う。襲い来る飛翔剣。遅すぎる。弾き飛ばした。

 

「一つだけ聞いておく。何が目的だ?」

「目的? 簡単な話だよ。あたしたちは、おまえを殺したい」

 

 打ち返した刃を腕で払い落しながら青は笑う。視線が交錯した。

 

「殺してやるよ、英雄」

「殺してみせろ、自動人形」

 

 そして五色の閃光が襲い来る。異端技術。それを、血脈の剣を以て迎え撃つ。刃が重なる。両の手に負荷が掛かる。援軍が来る事は、無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




シリアスさんが復活。
VS加減無しスコアラー4機+1
装者達は海の彼方なので援軍は来ない。初っ端から、ハードモードです

XDの和装イベントで、ムラマサの欠片探しとかやってて、更にウェル博士が暗躍してて、これは英雄の剣的な物を作る流れかと楽しみにしてます。武者ノイズを武門ノイズとか読み間違えて吹いたりと、和装イベントはワクワクが止まりません




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2.動き出す思惑

 斬撃が飛ぶ。飛翔剣。先駆けとして間をずらせて放たれる。遠当て。機先を制する為に放たれた剣を、剣聖は本来の動きを為させる前に叩き落す。短く息を吸う。刃を低く流す。飛び退る。後退。五叉路の合流地点にユキは佇んでいる。五機いる人形は全てが強大な力を秘めている。位置取り一つをとっても、安易な判断を下せるものでは無い。

 銀閃。太刀が三方向に同時に翻る。斬撃音。硬貨。氷弾。炎柱。剣聖の移動とほぼ同時に放たれた異端の殺意。飛んだ足が地に着くほんの僅かな間に、駆け抜ける。着地、反発。三種の弾丸を弾き飛ばしながら剣聖は地を蹴る。壁。反発を利用しながら、天井、床、壁と、立体を起動しながら下がり続ける。通路。幾らか下がり、襲撃の方向を一方だけへと限定する。手摺。二課の医療施設である為、通常のものとは遥かに強度が違うソレを太刀で斬り落とす。軽合金の棒。左手で掴む。正面。三体の自動人形が距離を詰める。反転、一気に鉄棒を振り抜く。

 

「あら、残念。奇襲をかけたつもりなのだけど、この程度では英雄には届かないようね」

 

 火花が散る。緑。剣殺し(ソードブレイカー)。かつて見た異能の刃。剣を殺す事だけに特化した武器であった。その刃は、他の剣を問答無用で殺す武器である。刃を重ねる訳にはいかなかった。故に、左の鉄棒で弾き飛ばす。低姿勢からの跳躍。一気にファラの間合いを越える。腹。狙いを定め蹴り飛ばす。打点を基点に宙で反転、凄まじい衝撃が足を駆け抜ける。加速。風を越え、飛ぶ。

 

「おお!! ファラが吹き飛んで言ったゾ! なら、あたしが相手だゾ!」

 

 赤の自動人形が炎柱を片手に迎え撃つ。薙ぎ払い。速度を上げるユキを撃ち落とす為、柱を振るい、大爪を構える。緑の自動人形。赤は仲間が吹き飛ばされた事に目を輝かせながら笑う。

 

「およ?」

 

 一刃。刃が炎柱に重なり、剣聖は腕の力だけで飛び上がる。空隙。ほんの一瞬、ミカの動きが硬直する。渾身からの決め手。二撃必殺の心算であったのだが、人の身で成すにはありえない機動に反応が遅れる。天井。一気に飛びあがった剣聖は、赤を置き去りにする。

 

「呆けるなミカ。それが異能殺しの英雄だ!」

「痛いゾ、ガリィ!」

 

 青が氷柱を放ち、一気に加速する。遠当て。青が赤を蹴り飛ばし、駆け抜ける斬撃の軌道から逸らすと同時に、その勢いを反発に用い剣聖を追う。刃。空中で、両の手に構える。 

 

「残念だが、そう簡単にはいかない」

『――自動錬金』

 

 斬撃。突如空中に現れた黒金が、その小手から障壁を展開。剣聖の刃を受け止める。舌打ち。打点を基点に更に剣聖は宙を舞う。壁。着地と同時に、金色が飛来する。斬撃が加速する。呼吸が上がる。ほぼすべての金弾を弾き飛ばす。飛翔剣。既に間合いの内に飛んでいる。黒金。再び姿を消す。

 

「地味に良い援護だ」

 

 代わりに現れるのは金色。地の自動人形、レイア。既に近距離戦の間合いまで距離を詰めている。金の旋棍。硬貨で出来たそれが、剣聖に向かい唸りを上げる。壁に亀裂が走る。加速。剣聖は更に速度を上げる。一閃。すれ違い様に斬り抜ける。金属音が鳴り響き、無数の斬撃に硬貨で作られた旋棍は弾き飛ばされる。着地。青。既にガリィが凄絶な笑みを浮かべ、氷剣を振りかぶる。機動。着地の衝撃を殺す間もなく、剣聖は無理に加速を続ける。

 

「ざぁんねん。ガリィちゃんはそんなふざけた機動は許してあげないのよ」

 

 瞬間、足元が氷に覆われる。流石の剣聖も、これには足を取られ、致命的に態勢を崩す。連携からの搦め手。清濁併せ持つ自動人形の攻めに、剣聖が動きを止める。好機。ガリィは笑みを深め、刃を振るう。斬撃。咄嗟に剣聖は、崩れた態勢を意図的に加速させる事で氷剣をやり過ごす。頬を掠める氷剣。それこそが、機動の起点。刃を右手の太刀で重ね反発。左手の鉄棒で床を抉り、それを打点に更に跳ね飛び距離を取る。

 

「コイツ、本当に人間かよッ!」

 

 好機を逃したガリィが舌打ちを零す。同時に飛翔剣が飛ぶ。斬撃。剣聖を穿つ為、不可視の黒金が刃を操る。斬り、弾き、逸らし、叩き落す。剣聖は両の手に持つ刃を振るう。剣撃。金属と金属が、戦を楽しむかのように歓声を上げる。金弾。飛翔剣の合間を縫うように光が駆ける。剣聖の剣が更に早くなる。

 

「わたくしが居る事を忘れて貰っては困ります。あまりにぞんざいな扱いだと、嫉妬してしまいますわよ?」

 

 側面からの強襲。黒金と同じく不可視となったファラが、剣聖の意識の外から忍び寄る。斬撃。声とほぼ同時に刃がファラへと向かう。鉄棒。剣殺しに殺されはしないが、それでも武器としては不足にもほどがある。打ち合う度に、罅が増える。飛翔剣。剣聖とファラの打ち合いの合間を縫う。炎柱。一瞬乱れた間を抉る様に、強大なそれが放たれる。跳躍。負荷が掛かり続ける。やり過ごした剣聖の前に、黒金が右手を引く。拳。打ち込む様に力を収束している。金の宝玉。高められた力が、輝きを放つ。悪感。剣聖の背筋にうすら寒い物が駆け抜ける。電子音声が届いた。

 

抜剣(アクセス)

 

 ――血脈に宿る刃(ブラッドスレイヴ)

 

 赤き閃光が駆け抜ける。血刃。咄嗟に首を逸らした剣聖の頬を、血の刃が駆け抜ける。着地。疾走。それでも剣聖は動き続ける。呼吸が上がり、視界が白くなる。話す暇など与えられない。だが、更に動きは早くなる。

 

「凄い、凄いゾ! 確かにこれなら英雄って呼ばれるわけだゾッ!」

「たく、このバカは。漸く本気になったみたいね。さっさと行くぞッ」

「解ってるゾ。腕が鳴るんだゾ!」

 

 赤と青が合流。水と炎を生成。相反する力を、全く同じ力で合わせ収束する。反発するもの同士が無理やり圧縮され、凄まじい出力を発生させる。炎と水の同配分による消滅の力。二対の自動人形は、その矛先を剣聖に向ける。悪魔の微笑み。剣聖と呼ばれた人間を殺す為に、死を呼ぶ一撃が狙いを定める。

 

「随分と派手な一撃を放つ様だ。ファラ、行くぞ」

「ええ。炎と水の合わせ技。触れれば全てを消し飛ばす必殺の一撃」

 

 気付けば、各受付の大広間まで誘い出されている。大人数が様々な用件で赴くため、広く取られた空間である。戦うのには丁度良く。それはつまり、剣聖にとっては敵の戦力が十全に発揮されるという事に他ならない。レイアが地と壁を縦横無尽に駆け抜けながら金弾を放ち、ファラと黒金は姿を消し不可視の一撃を狙う。同時に飛翔剣は舞い踊り、その全てに対応せなばならない剣聖の死角より襲い掛かる。目に見えない二つの強敵を探知しつつ、縦横無尽に遠距離攻撃を仕掛け、時には超接近戦を挑んで来るレイアを往なしつつ、飛翔剣を捌き続ける。幾ら剣聖とは言え、多勢に無勢である。打てる手が少なすぎる上、戦いの条件が最悪と来ていた。せめて童子切があればと思うのも致し方が無い事である。やがて、左手に持つ鉄の棒が圧し折れる。一瞬の硬直。それを見逃す青では無い。

 

「死ね、英雄と呼ばれた人間」

 

 収束された閃光が放たれる。赤と青。二体の自動人形によって生成された分解の一撃が迫る。剣聖の視線が明滅する。回転。高速機動を繰り返し、迫り来る死を掻い潜り続けていた。その反動が、一瞬の停止を契機に解き放たれる。地が陥没するほどの衝撃。ソレを、更に抑え込み力に変える。斬撃。刹那の間に床を切り刻んだ剣聖は地下に向かい落ちて行く。病院は二課の掌握する施設である。構造はユキも把握していた。大広間の真下。二課関連。特に装者達など、重要度が遥かに高い存在への医療設備等も存在する階層であった。九死に一生を得る。落ちながら剣聖は、強烈な悪感が一切消えていない事に笑みを深める。敵は強大である。だが、戦えている。その事実が楽しくて仕方が無い。落ちながら、柱の一つに刃を打ち込む。斬撃。落下をそれで止め、その接触点から再び力を入れて跳ね返る。跳躍。柱を蹴り、壁を蹴り落ちた階層へと舞い戻る。

 金弾。そして飛翔剣。剣聖の帰りを今か今かと待っていた弾丸と剣は、獲物を見つけた事で、まるで歓喜を浮かべるかの様に風を切り、音色を奏でる。着地。その全てを弾き飛ばし、剣聖は再び刃を流す。

 

「ほぉぉー!! 生きてる、生きてるゾ、ガリィ!!」

「んなこった、解ってるっつーの!! いいからさっさと行くぞッ」

「あれ、本当に人間なのか? 自動人形の全力に、生身で喰らいつくヤツなんて、初めてだゾ」

「チッ。英雄様をほめんじゃねーよ。腹が立つ」

「く、くふふ。それは無理なんだゾ。楽しくて仕方が無いんだゾッ!」

 

 再び舞い戻った剣聖に、赤は満面の笑みを浮かべ炎柱を両手に生成する。その様子に、舌打ちを零しながらガリィは剣聖を見据えた。笑っている。戦闘狂共が。敵と味方の有様に、思わず舌打ちが零れる。だが、それもすべてはガリィの想定内である。英雄は強い。そんな事、ガリィは百も承知である。

 主と共にずっと見ていたのである。その強さも、弱点も理解している。どれだけ強くとも、英雄は人間の枠を逸脱している訳では無い。確かに強さは化け物染みているが、急所を穿てば死に至る。それもまた、英雄の限界であった。五対一ですら、完全に押し切れてはいない。だが、そんな事実はどうだって良かった。

 

「どうした? 殺さないのか、人形」

 

 囲まれ、押し込まれ、追い立てられている状況にも関わらず、剣聖は笑っている。そんな様子に、赤は興奮が収まらないのか、更に出力を上げる。飛翔剣が舞い踊り、炎柱が唸りを上げる。風が吹き荒れ、無数の光が辺りを埋め尽くす。それでも尚、英雄を仕留め切れない。圧倒的優勢である。にも拘らず、攻め切れなかった。これが仮に戦うのが装者達ならば、既に終わっているだろう。そんな状況にも関わらず、依然として英雄は屹立しており、殺し切れていない。異常な光景だった。異常ではあるが、想定の内でもある。

 

「はッ、言ってくれるな英雄さん」

「人形が随分と威勢の良い事を言ったのでな。言い返したくもなるだろう」

 

 剣聖と青の視線が交錯する。言葉が途切れる。戦いが終わった訳では無い。否、更に加速する。刃が流れ、軌跡は加速する。低い跳躍からの疾走。加速を行い、低姿勢を維持したまま剣聖は両手に刃を握る。赤。ミカに向かい刃を振るう。斬撃。一太刀の中に、数十の斬撃が音色を響かせる。炎柱が軋みを上げる。だが、それでも折れる事は無い。至近距離。赤はにんまりと笑う。

 

「一振りなのに、何十発も撃たれる剣。だけど、あたしを討つには足りないんだゾ!」

「知った事か」

 

 そんな赤に、剣聖は気迫を以て刃を手にした。両の手に静と動の気が満ちる。相反する二つの気を反発させ合いながら振り下ろす。斬鉄。研鑽の果てにある、一つの境地。断ち分かつ一撃。炎柱を一刀の下に切り伏せる。赤が驚愕を浮かべる。同時に踏み込み。引き戻した刃が、必殺の意志を持つ。斬鉄の勢いをそのまま殺すことなく踏み込み。赤は技の冴えに笑っている。

 

「ざんねん。それは水なのよね」

「剣殺しは、忘れたところでやってきますの」

 

 必殺の一撃。水に赤の姿が崩れ去る。剣殺し。太刀の放たれた先に、哲学の牙はその意を振るう。刃が砕け散る。剣聖は目を見開く。

 

「貰ったんだゾ」

「好機。取らせて貰う」

 

 そのまま切り抜けたファラを追うように赤と黄が狙いを定める。炎を纏う爪。そして、金色の旋棍。同時に牙を剝く。

 

「これで終わりだゾッ! へぶッ!!」

「ミカ!! ッ! これは、柄? 地味に反撃だと」

 

 驚愕により現れる、一瞬の隙。そんなものは武門には存在しない。例え予測の外にある一撃であったとしても、研鑽された武が揺らぐ理由たり得ない。驚きと同時に動いた身体は、ミカの顔を思い切り蹴り飛ばし、その反動でレイアに向かい柄を投擲する。

 

「例え刃を手折ろうと、武人は折れぬと心得よ。そう、教えた筈だが?」

 

 一瞬の機先を制し抜いた警棒。その一撃を以て、レイアと切り結ぶ。斬撃。飛翔剣が舞い、氷弾が間隙を縫う。黒金が不可視の一撃を放っては離脱し、剣聖を追いつめる。再び合流したファラが英雄の剣を掴み取り、二刀を以て襲い掛かるも、剣聖は更にもう一振りの警棒を抜き、二刀を以て応戦する。無数の斬撃。例え剣殺しを持っていようと、剣技の冴えは剣聖に及ばない。剣では無い警棒でのぶつかり合いであったのならば、剣聖が負ける道理は無い。太刀を折られた意趣返しに剣殺しを殺し、ファラを全力で蹴り飛ばす。反発。同時に背後から向かって来ていたミカと刃を重ねる。膠着。間合いを取る為に放った蹴りに、赤は自分の足を重なる事で受け流し距離を取る。剣聖は血を流し、呼吸は乱れ、武器も主要なものは壊されていた。それでも尚、自動人形たちの前に立ち塞がる。ぶつかり合いの余波で砕けた壁や窓から風が吹き抜ける。剣聖は、ただ笑みを浮かべている。

 

「うぅぅ。本気でやり合いたいんだゾッ!」

 どれだけやっても倒れない剣聖の姿に、赤は不満そうに青に視線を向ける。戦闘特化型の自動人形であるミカには、決戦機能が搭載されている。自動人形や錬金術の力となる想い出の焼却。その効率を最大限まで高め、戦闘力に転換する機能であった。その力は絶大だが、諸刃の剣でもあった。それを使いたいと、ミカはガリィに訴える。

 

「あん? ったく、いきなり何を言いだしてるのかしら、この戦闘バカは」

「だって、コイツ、凄く強いんだゾ。今を逃したらもう、本気で戦えないかもしれないんだゾ」

「知らないわよ。確実に追い込み殺すのがあたしたちの役目よ」

「うぅぅ、戦いたい、戦いたいんだゾ!!」

「チッ! 二十秒だけだからな。それ以上は、マスターから許可が貰えていないわ」

「ほぁぁー!! ありがとうなんだゾッ!!」

 

 青が許可を出した事で、赤は己の決戦機能を開放する。バーニングハート・メカニクス。ミカの着ている耐衝撃スーツが焼き切れる。炎が吹き荒れ、全身が熱を放つ。笑う。両手に炎を纏い炎柱を作り出し、剣聖を見据えた。地を陥没させ、加速する。その瞬間、ミカは吹き飛んだ。遠当て。一瞬で十を越える斬撃の弾丸が、機先を制し赤を吹き飛ばしていた。次の瞬間、既にミカは立ち上がり、剣聖の間合いの内に入り込んでいた。炎柱。高速で間合いに入った赤は振り抜き打ち合う。瞬く間に数十合。決戦仕様の自動人形と剣聖の刃。互いが互いを討つために得物を交わす。そして、剣聖は赤を蹴り飛ばした。二十秒。それが経過し、ミカのバーニングハート・メカニクスが解除されたからであった。

 

「あぅぅ! もう少し時間が欲しかったんだ、ゾ」

 

 一気に力を燃やし尽くしたミカは、疲れ果てたように零した。

 

「ああ、やめだやめ。今はまだ殺せないみたいだ」

 

 その様を見たガリィは、やってられるかと言わんばかりに声を荒げた。

 

「逃げるのか?」  

「逃げる? 何かを勘違いしているようね。既にあたしたちは目的を完了している。言わば今は、消化試合よ。でき得る事なら此処で殺してしまいたかったのだけど、想定通り難しいみたい。だから、あんたを殺すのは本来の場面で殺す事にしただけよ」

「負け惜しみにしか聞こえないのだが?」

「ふん。何とでも言えば良いわ。何れ思い知る事になるのだから。あんたを殺すのはあたし達だけど、あんたを殺したいと思っているのは、あたしたちだけじゃないのだから」

 

 逃げるのかという問いに、ガリィはさも可笑しいと言わんばかりの笑みを浮かべる。殺せこそしなかったが、戦いは終始自動人形の優勢であったからだ。押し切れこそしなかったが、剣聖もまた、勝てた訳では無い。そして、そんな剣聖に、青は哄笑を浮かべる。今回の戦いなど、余興のような物なのである。今の剣聖がどれだけの強さを持っているのか、それを実際に確かめた程度の意味しかない。ここで殺せればいいが、殺せなかったとしても大きな問題にはならなかった。

 

「では、また会いましょうか。次に会う時は、殺してあげるわ」

 

 そして、自動人形たちはテレポートジェムを用い姿を消す。そこには砕かれた病院と、剣聖だけが残されていた。

 

 

 

 

 

 

「で、おめおめと逃げ帰ってきたわけか?」

 

 戻って来た五機の自動人形を、玉座の上から頬杖を付き眺めながら錬金術師は呟いた。自動人形の瞳から送られる映像。その全てを見ていた少女は気だるげに、だが、ほんの少しだけ感情が乗った声で尋ねる。

 

「面目ないんだゾ」

「嫌ですねぇ。確かに殺せはしませんでしたが、あの日、あの時、大暴れしたのに意味があるんじゃないですか」

 

 錬金術師の言葉に大きく力を使いったミカは項垂れたように答える。それに口付けを交わし力を補充しつつ、ガリィは主の言葉にやんわりと頭を振る。確かに五対一でありながら仕留め切れていない。結局、与えられた力を使う事もせずに帰還した、性根が腐っている自動人形に違和感を感じつつ更に問う。

 

「意味、と言うと?」

「あら? マスター、それ、本気で言ってます?」

「面倒だから煽るな。幾らオレの思考パターンを元にしているとは言え、考える事全てが即座に解る訳が無いだろう」

「つまり、戦力の分断と言う訳ですわ」

「戦いに於いて、敵を各個撃破していくのは基本です。特に、今は二課が再編される直前。つまりは、そんな状態で日本国内で謎の異端技術が大暴れする事に意味があるのです。既にシンフォギアは世界に知れ渡っており、保持する国である日本は国連の直轄下に置かざる得ない状況です。そんな時に、我らが現れた」

「そう言う事ですよぉ。国連直下のタスクフォース。それは確かに様々な国への介入が可能となり物事に即応できます。ですが、そこに全ての戦力を注ぐ馬鹿はいない。他国に介入中に、自国が襲われたなんて笑い話にもなりませんから。謎の敵対組織が居るのが分かれば尚更でしょう? 戦力は温存しておきたい。しかし、シンフォギアは出さなければいけない。そんな状況なら、マスターはどんな手を打ちますか?」

「成程な。異端技術に匹敵するとは言え、英雄はただの一振りの刀で戦って見せる。装者に比べれば、異端では無いという事か。物事を見た目で判断する衆愚を突くという訳か。性根の腐ったお前らしい策だよ」

 

 ガリィ、ファラ、レイアの説明を聞き、得心がいったと錬金術師は頷く。近い内に、特異災害対策機動部二課を基本とし、部隊が再編される事が決定している。その情報は、彼女の所属する組織から与えられていた。日本政府や各国機関。その何処にでも、情報を漏洩させる者達はいるのである。錬金術など使わなくとも、幾らかの金を積めば動く人間など必ずいる。汚い大人と言うのは、何処の国にも一定数存在する。オレのパパや、英雄達に比べればなんと浅ましい事か。死の直前でも決して逃げなかった父の姿を思い出しながら、錬金術師は思いを馳せる。

 

「嫌ですねぇ。マスターがそういう風に作ったんですよ? にしても、直ぐに思い当たらないあたり、マスターは御執心のようですね。さっきも不機嫌そうに振舞いながら、何処か嬉しそうでしたし。英雄が死ななかった事がそんなに嬉しかったんですか?」

「別に。ただ、お前達五体掛かりで手に負えないと言うのなら、この手で引導を渡すしかないと思っていただけだよ」

「くひひ。ソレこそ、する必要のない心配ですよ。必ず英雄は殺します。その為に、態々病院なんて襲った訳でもあるんですから」

 

 主の言葉ににやにやと笑みを浮かべながら、ガリィは手に入れたものを見せつける。手にするのは小さな情報媒体。病院を襲ったのは、これを手に入れる為でもあった。

 

「それは?」

「二課所属の病院。英雄や装者達もそこには入った事がある訳ですよぉ。つまり、身体能力の詳しい情報もまた、計測されている」

「お前……」

「にひひひひ。そんな目で見ないでくださいよぉ。戦うからには勝たなきゃいけないじゃないですか。目的の達成は何においても優先される。今はまだ、小娘たちを殺す事は出来ない。だけど、英雄は例外。向かってくるのなら、どんな手を使っても殺して見せますよぉ? 自動人形が揃っているうちに、ね」

 

 主の言葉に、ガリィは意地の悪い笑みを深める。戦いは勝てば良い。だが、勝たなければいけない。英雄を殺す事に関してはどうにも乗り気になれない主人の様子に、青は仕方ないですねぇっと溜息を零す。確かに在り方は似ている。死を平然と超える英雄の姿に何か惹かれるのも、理解できない訳では無い。だが、だからこそ、主の最大の障害になるとガリィは理解している。何せ、ずっと主人と共に英雄を見てきている。その中で培った拘りも、小さなものでは無い。何度も奇跡を起こし、不可能を押し通して来た。死んで尚、再び立ち上がっている。そんなものは、敵対者にとっては脅威以外の何物でもない。

 

「どうあっても殺すと言うのなら、細かな方策は任せる。あの男を殺すのには、どうにも興が乗らない」

「乙女ですねぇ。だとしても、目的は達成しますよ」

「ああ。それで良い。殺せると言うのなら、是非そうしてみてくれ。それで、心の内に蟠るしこりのようなものは幾らか消えるだろう」

 

 青の言葉を聞いた錬金術師は瞑目する。

 

「うぅぅ。難しい話、入っていけないんだゾ」

「チッ。あんたは、飯食って戦ってれば良いんだよッ!」

「おお。ソレなら簡単だゾ。やっぱりガリィは優しいゾッ」

 

 そして黙って居た赤が口を開く。単純に話についていけて無かったから、様子を見ていたと言う訳だった。あんまりなミカの様子に、ガリィは舌打ちを零す。

 

「なんだかんだ言って、一番頑張り屋で心配性ですからね」

「隠すのが地味に下手だからな」

 

 ファラとレイアは静かに笑う。敵対者には情け容赦ない上、味方をも小馬鹿にした発言が目立つガリィではあるが、何処か憎めないところもあるという事だった。

 

「まぁ、良い。そろそろ計画を本格的に起動させる。お前達、目的を忘れるなよ」

 

 そんな人形の様子を眺めつつ、錬金術師は呟いた。

 

「お前は、何を見る?」

 

 ただ一機、話す事が出来ない自動人形。他の四機とは完全に別の目的に作られた黒金であった。クロ。そう言ってガリィが皮肉を英雄にぶつけていた。全く持って、皮肉である。主の言葉に、黒金は答える事は無い。話す機能など付いていないので、当然の結果だった。錬金術師の呟き、黒金の金眼に吸い込まれるように消えて行く。

 

 

 

 

 

 

「主だった人間は揃っているな」

 

 起動災害対策機動部二課仮設本部。潜水艦の中に作られた指令室に集まった人間を眺め、風鳴弦十郎は口を開いた。重大な話がある。そんな言葉と共に、装者達をはじめ主だった人間の殆どが召集されたと言う訳である。

 

「で、態々全員集めて、何の話だよ?」

「二課改め、国連直下の超常災害対策機動部、Squad of Nexus Guardians。通称S.O.N.G.に二課が再編される事が確定した。それに関する話だな。主に、誰が如何配置されるかという話になる。とは言っても、基本的には今の二課を踏襲される訳だが」

「以前の訓練での選別も、元々はその為でしたからね」

 

 クリスの問いに、弦十郎は頷く。国連直轄に置かれる為、当然人員の再配置も存在すると言う訳だった。

 

「……通信士、藤尭朔也。友里あおい。情報統括、緒川慎次」

 

 次々と名前と主立つ仕事が告げられていく。藤尭や友里、緒川など装者達が良く知る名も告げられていく。

 

「な、なんか緊張するね」

「う、うん。一応私達も、S.O.N.G.所属って事になるからね」

 

 自分の名が呼ばれるのが今か今かと気が気では無い響の言葉に未来も頷く。特段緊張する場面でも無いのだが、言うならばテストの返却に心情としては近い。形式だけとは言え、辞令が下りる。そんなのは二人にしては初めての経験だった。

 

「たくっ、あたしらは今と変わんねーよ。そんなにビクビクしなくても大丈夫だ。なぁ、先輩」

「ああ。多少名前が変わる事はあったとしても、やる事は変わらないだろう」

 

 そんな二人の様子に、クリスと翼は安心しろと笑う。

 

「シンフォギア装者、風鳴翼。雪音クリス。立花響。異端技術所持協力者、小日向未来」

 

 そして、四人の名前が呼ばれる。それに、四人は持ち前の元気の良さを以て返事を返した。簡潔にシンフォギア装者に命じると書かれた書類を受け取る。それで終わりだった。

 

「S.O.N.G.統括、風鳴弦十郎。……以上が二課よりS.O.N.G.に所属する者達になる。皆、現状と同じで、協力して事に当たって欲しい。これからも、頼むぞ」

 

 全ての人員の配置が告げられ、風鳴弦十郎は締めくくる。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!?」

「ああ、まだ名前を呼ばれていない奴が居るぞ!」

 

 そして、即座に二人の少女が声を上げる。立花響と雪音クリスである。そんな二人の様子に、弦十郎は困ったような笑みを浮かべた。何を言われるか既に理解している様子である。 

 

「ユキさんの名前が呼ばれてません」

「ああ。来た時は既にいるんだと思ってたけど、見回してみたけど何処にもいない。どう言う事なんだよ」

 

 何時も前に立ってくれていた先達の姿が見えない。上泉之景の姿が無い事に違和感を感じていた二人は、司令に聞いていた。これまで共に戦い、これからも共に在るものだと思っていた。だからこそ、その姿が見えないのが想定外だったと言える。

 

「あー、それなんだがな」

 

 風鳴弦十郎は、珍しく言い辛そうに言葉を止める。そして、ほんの僅かに逡巡した後、しっかりとした声音で告げた。

 

「上泉之景は、本日付けを以て、特異災害対策機動部二課より一課に転属となった」

「は……?」

「ええ!?」

 

 それは、少女らの予想の外にある出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




二課、S.O.N.G.へ再編
武門、思惑により一課へ転属

何時から武門がS.O.N.G.所属になると錯覚していた?
忘れてそうですが、童子切の保管は二課であるが、使用権限等はもっと上にあります(1部8)。
日本としては可能な限り異端技術は温存しておきたいはずなので、英雄と敵対組織を口実に童子切をS.O.N.G.から引き離す訳です。皆ガリィちゃんの掌で踊る。目的不明、所在不明の相手ってのはかなり強い。


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3.嵐の前の静けさ

「はぁッ!!」

 

 剣が風を鳴らす。鋭い踏み込みから、風鳴翼は刃を振り下ろす。一刀。連携に主眼の置かれた飛翔剣を逸らしつつ、一瞬進路が浮かび上がったところを防人は迷い無く踏み入る。

 

「くぅ……、速い」

 

 六本の飛翔剣。以前よりも扱い自体は様になっては来ているが、それでもまだまだ甘いと言わざる得ない。小日向では気付かない様な隙を突かれれば、そこから否応なく崩れていく事が多い。以前からの課題通り、咄嗟の対応の未熟さが目立つ。斬る事にかけては幾らか上達が見えるが、受けに回るとまだまだという事であった。

 慌てて翼を阻む様に飛翔剣が一斉に動きを変える。下手を打った。そんな事を思いつつ、後進の鍛錬を眺める。

 

「咄嗟の判断が甘い。攻めている時は安定しているが、転じて受けに回ると小日向は挙動が素直になり過ぎるな。とは言え、日々の研鑽による最適化が行われている途中だろう。日に日に動きのキレは良くなっている様に思える」

「……はい。ありがとうございます! 悔しいなぁ……。響が相手だったら、動きに予測がつくから何とか戦えるけど、翼さんやクリスには手も足も出ない」

「ふふ。まぁ、そうむくれてくれるな。私は元々戦う為に磨き上げてきた剣だ。幾ら、陽だまりの剣を手に入れたとはいえ、直ぐに追いつかれては沽券に関わる」

「はい。解ってはいるんですけど、つい、無い物をねだってしまうんです」

 

 結局、受けに回って崩れた小日向に翼が羽々斬を突き付け訓練は翼の勝利に終わる。順当であり、当然の結果だった。それに誇るでもなく、翼は刃を交えて気になった点を小日向に告げていく。小日向からすれば翼も随分先を行く先達である。指導点を聞き、神妙に頷き、陽だまりの剣を軽く振るう。

 

「小日向、構えてみろ」

「……! はい、先生」

 

 刃を交える二人の少女を眺めていたが、訓練用の太刀を取り構える。剣気。今回は打たせる為の対峙である為、意志を強く示す事は無い。それでも尚、小日向は深く息を吸い、陽だまりの剣を両手で構える。一振りの剣。整えた呼吸と共に、踏み込む。

 

「剣は武器だ。それその物が力という事になる。だがな、剣だけでは力足り得ない。必ず、剣を振るうものが居る」

 

 陽だまりの剣を受け止め、小日向に語り聞かせる。強い武器にただ頼るだけ。それでは、以前のウェル博士と同じになる。小日向がそうだという気は無いが、響の為にと急き過ぎている為に少しだけ言い聞かせる。

 

「どんな武器を持とうと、大切な事は使い手だ。どれだけ強い武器であろうと、使い手によっては鈍に変わる。磨き上げた腕を持とうとも、心持ち一つで錆び付いてしまう事もある」

「はい」

 

 翼もまた、響を傷付けてしまった折に鈍と化した事がある。自分の想いを曲げ、響の為とはいえ、胸中とは大きく違う事をしたからだった。翼ほどの腕を持っていても、そういう事はあるのだ。それ程、戦いにおいて意志というものは大きな比重を持つ。

 

「急くなとは言わない。だが、君は確実に強くなってはいる。君の想いは確実に力となり始めている。それは、認めると良い。翼にもクリスにも及ばない。本気でやれば響にも勝てないだろう。それでも、進んではいる」

「何とか、親友の隣に立ちたいんです」

「英雄の剣と神獣鏡の力を宿す陽だまりの剣でもな、上手く武器に意思を乗せれなければ、意志の宿った数打ちに劣る。どれだけ優れた武器であろうとも、使い手がついていかなければ意味がない」

 

 友達の為に強くなりたいのだと告げる小日向の持つ陽だまりの剣に向け意志を向ける。斬鉄。断ち切ると意志を乗せた数打ちを以て、一気に叩き折った。

 

「ッ!?」

「斬鉄、と言う」

 

 叩き折られた陽だまりの剣に小日向は目を見開く。その様子が少しおかしかった為、噴き出しながら教える。小日向の意志が弱いと言う訳では無い。ただ、意志の載せ方が分かっていないだけであった。

 

「これが、先生の言う意思の宿った剣……」

 

 陽だまりの剣を折られた事に、驚きを示す。

 

「まだ先の話ではあるが、この技を教えようと思う」

「……本当ですか!?」

 

 折れた剣を再生成させた小日向は、此方の言葉に目を輝かせる。

 

「……え?」

「どうした、翼」

 

 そして、予想外な人物も目を丸めている。小日向の鍛錬相手を務めていた翼である。信じられないものを見たと言わんばかりに、小日向と此方を交互に見る。

 

「私だって、技を教えて貰った事は無いのですが」

「それはそうだろう。お前は風鳴だぞ。上泉の剣など使えば問題だろうに」

「それは、そうですが……。姉弟子の立ち位置として、何か釈然としません」

「仕方あるまい。それに、翼には風鳴の剣と忍びの技もある。全てを修めきる前にいくつも手を出すものでは無いぞ」

「……はい」

 

 流石に風鳴翼に上泉の技を教える訳にはいかない。盗む分には構わないのだが、それは言わないでおく。早々盗めるものでもないし、何よりも自分で気付くべきだ。

 

「それにしても、早いものですね。先生が一課に転属となって、三週間ですか」

「すまないな。剣を教えると言っておきながら、あまり時間が取れていない。鍛錬も結局、翼にばかり押し付ける形になっている」

「いえ、私も小日向のような素直な後輩が出来てやり甲斐があります」

 

 話が一段落着いたところで小日向が零した。自動人形の襲来により、それに対する戦力として二課から割かれたのが自分という事であった。シンフォギアは国連所属となる事は避けられないが、自分は違っていた。言うならば、世界を守護する剣がS.O.N.G.であり、日ノ本を守護する剣が自分の所属する事となった一課という事である。二課が再編、解体された為、厳密には一課でも無いのだが、最早癖のような物で特異災害対策機動部は今でも通称一課と呼ばれている。二課の戦力がほぼ丸々S.O.N.G.に割かれる形となった為、対異端技術と言う点では一課の方にも補強が行われた。日ノ本各地にある武門からも何名か人が推挙されている。塚原や林崎など、名のある家からも人が送られてきていた。一課にある遊撃隊。今自分が居るのは、そう言う所であった。

 

「とは言え、翼にばかり頼ってもいられないか」

「そうですね。マリア達、F.I.S.組の復帰もあり、歌女としての活動も再び大きくなってきています。剣として己を磨ける時間も以前に比べれば短くなりました」

「それ自体は一概に悪い事でもあるまい」

「はい。世界に向かい歌うのは私の夢、でしたから」

 

 マリア・カデンツァヴナ・イヴを始めとするフロンティア事変の関係者。一時は米国の思惑により全員に死罪が求刑されていたのだが、F.I.S.の成り立ちから追及を開始した日本政府との駆け引きにより、結局は全員の罪自体が無くなるという結論に落ち着いていた。F.I.S.自体、米国に所属する聖遺物の研究機関であった為、その存在を認めてしまえば米国が非難に晒される事になり、F.I.S.自体の存在を頑なに認めず、ならば武装組織自体が存在せずテロ行為が起こせるはずが無いという、ある種の逆説が成立してしまった為、今のようなおかしな結論に至ったという事だった。それによりウェル博士の罪も消えてしまったが、F.I.S.の装者達は命を落とさずに済んでいた。裁かれるべき者が裁かれず、死ぬべきでは無い者が死なずに済んだ。国家間の複雑な思惑もあいまり、奇妙な形に結論が至ってはいたが、母の言葉を胸に抱いた少女たちが死なずに済んだこと自体は喜ばしく思う。

 そんな事情もあり、マリアは結局、救世の英雄として国連所属のエージェントに祭り上げられ、当面は歌姫として翼と共に歩む事となったと言う訳である。彼女の妹分に当たる月読調と暁切歌もまた、国連監視下、具体的にはS.O.N.G.の監視下ではあるが、学生として日々を送る事になったと聞いている。

 自身は二課から一課に転属となり、彼女らに直接会う事は無かったが、緒川や指令、そして白猫と響から様々な情報を聞かされていた。特に部署が代わり繋がりが薄くなっていた。クリスや響は時折顔を見せに来てくれ、色々な事を語ってくれた。雪音クリスが気ままに現れる白猫だとすれば、立花響は会えば構って欲しそうに寄って来る子犬だろうか。白猫と子犬。二人に懐かれていた。共に戦った戦友である。繋がれた絆は大切にしたいと思う。

 

「翼もまた立派の成ったものだ。あまり子供扱いもできないな」

「先生に比べれば、まだ子供です。打ち直して貰った事は決して忘れていません」

「気に入らなかっただけだ。友人想いの癖に、不器用な後進がな」

「はい」

 

 会話が途切れる。F.I.S.の三人。彼女等はどうしているだろうか。母の言葉を胸に抱いた少女らがどうなったのかは聞いていた。それでも、少なくない縁があった。気にはなってしまう。

 

「あ、そうだ先生。マリアさんに調ちゃんや切歌ちゃんとはまだ会ってないんですか?」

「ああ。聞いただけだな。春からはリディアンに通うと聞いている。響たちに様子を聞く事はあるが、実際にあった事は無いよ」

「なら、翼さんとマリアさんの送別会も兼ねて、皆で歓迎会をしませんか? 以前、響と一緒に甘い物を作って来るっていう話もありましたし、お団子パーティーとかどうですか?」

 

 名案があるんですがどうですかと言わんばかりに小日向が提案をして来る。何時ぞやの留守居の時にそんな話をしていた。少し考える。想い出を作っておくのには悪くないと思えた。頷く。

 

「……構わんよ。場所を貸せば良いのだろうか」

 

 気掛かりな事があった。自動人形の襲撃。それにより、自分は一課に転属となっていた。正体不明であり、具体的な目的不明の相手だった。たった一つ解っている事は、俺を殺す心算だという事だけである。日ノ本としては国連指揮下であるS.O.N.G.に戦力を割かざる得なかった。国を守護する刃を奪われた形になる。幸い敵は人形である為、異端技術に匹敵する童子切だけでも国内守護の力と留め置くために自分は一課に転属となったと言う訳であった。戦力を手元に残すと同時に、敵の目的を焙りだす為の囮。それが自分に宛がわれた役割だった。風鳴司令は何とかS.O.N.G.に残そうと手を尽くしてくれたようであるが、その想い自体を蹴る形で断っていた。

 はっきり言って相手は強大である。自分の命に狙いを定めるというのならば、少女たちの力は借りるべきではない。狙いが自分であるという事は、司令と緒川だけには話していた。正直にいうと、殺されても不思議はない。それ程の相手であった。刃を交えたからこそ、強く実感している。そんな相手とあの子らを戦わせたくは無い。今回ばかりは死ぬかもしれない。そう思うと、その前に出来るだけ何かを残しておきたい。ある種の予感があった。無論死ぬつもりは無いが、相手が相手だった。万が一は充分にあり得る。拠り所にされていた。それは解っているからこそ、失った時に立てるだけの意志を残しておきたい。

 

「はい。響とも近い内に何かやりたいねって話していたんですよ。先生が場所を貸してくれるのなら、何時でもできそうです」

「お団子パーティーか。想像すると、頬が緩んでしまう。先生も、マリア達と打ち解ける良い機会です」

「そうだな。君たちは、彼女等の入学と同時に門出でもある。皆が居るうちに、話しておくのも良い」

 

 私も小日向の意見に賛成ですと頷く翼を見ながら、笑う。少女たち相手に、そんな集まりに誘われる自分がおかしかったからだ。父の背をただ追っていた。そんな人間の筈だった。それが、何の因果か周りに人が集まって来てくれる。その気持ちが嬉しく思う。

 

「では、お団子パーティーという事なので、皆で用意しますね」

「ふむ。では、私も腕によりをかけて見るか」

「……まぁ、各自、無理のない程度で頑張ってくれ。こちらでも何か用意しておく」

 

 小日向がみんなで頑張ってきますねと笑顔で告げる。その言葉に、翼も神妙に頷いた。何か不穏な言葉が聞こえたが、気にしない事にする。どんなものが来ても、くつろげる準備を此方で行っておけば問題は無いだろう。飲み物と菓子。その辺りは一応用意しておく。場合によっては酒も少量あっても良い。子供らは兎も角、マリアは飲めても不思議ではない。

 

「じゃあ、詳しい事が決まったら連絡しますね!」

「ああ、待っているよ」

「皆で持ち寄り振舞うとは、女が試されるという事。腕が鳴る!」

 

 そして、鍛錬を終え、別れる。自宅に戻り、待っていたクロと戯れる。直ぐに連絡が届く、幸い彼女等は春季休業直前である。こちらの非番の日を教えればよかった。そして日程の連絡が来る。三日後であった。藤尭と緒川に連絡を入れる。後は準備を行い、その日が来るのを待てばよかった。

 

 

 

 

 

 

「未来ー!」

「わ、どうしたの、響?」

「うん。お団子作ったのは良いんだけど、なんか、その、緊張してきちゃって……」

 

 お団子パーティー当日。朝から早起きをして、響と未来は互いに協力を行いながら団子を作っていた。日頃の感謝を示すというのもあるが、何よりも響の応援の為と言うのが強かった。既に、翼やクリス、そしてF.I.S.の面々にも連絡を入れていた。勿論、お団子パーティーと言う名目である。翼やクリスが断る事などあるはずが無く、F.I.S.の三人組も一度ユキとはゆっくり話したいと思っていたようで、話自体は直ぐに纏まっていた。各々が団子を持参して持ち寄るという事で、話は纏まっていた。未来としては、色々な意味で本気であるのは響とクリス位ではあると思うが、よく考えて見れば物凄い状況だった。何せ、あの風鳴翼やマリア・カデンツァヴナ・イヴまで居るのである。それも、手作り団子持参の可能性もあった。感謝と言う意味では、皆、思い当たる理由は大きいが、客観的に見れば凄いの一言だろう。

 

「私たちはきな粉と餡子だね!」

「うん。流石にみんな同じだったら飽きちゃうから、クリスはみたらし、マリアさん達は栗とお芋だったっけ?」

「そうそう! と言うか、翼さんが黒蜜胡麻って大丈夫なのかなぁ……」

「……、直接見た事は無いけど、きっと、その、大丈夫なんじゃないかな」

「うう、違う意味で怖いなぁ」

 

 短い間ではあったが、二人で何度も試行錯誤して、美味しいと言える程のものを作っていた。響は好きな人の為に。未来は親友を応援する為と日頃の感謝を伝える為に。想いを込めて作っていた。流石に練習期間が短すぎる為、材料選びから行うなどと言う事は出来ない為、市販のセットを用いているが、まず間違いない出来であると言えた。足りない分は、恋する乙女の愛情でカバーすれば問題ないのである。

 

「喜んで、くれるかなぁ……」

「大丈夫だよ響。凄く、美味しかったから!」

「未来。うん。そうだよね! 愛情なら、だれにも負けて無いから」

 

 そして、恋する乙女は親友と一緒に出来立ての甘味を持つ。ある意味最大の戦いは始まろうとしている。響が一日笑顔で居られると良いな。そんな事を思いながら、未来は響と共に目的地に向かう。

 

 

 

「みたらしって、普通タレがかかっているよな」

 

 雪音クリスは、自分の作った団子の前で考え込んでいた。彼女が作っていたのはみたらしである。既に味見も終え、文句なしで美味いと言える程であった。そんな出来ではあるのだが、だからこそ、ある一つの点で生まれた疑問に思考が固まる。

 

「……直ぐに食べない場合。今かければ良いのか。それとも、直前にかけるべきなのか。どっちなんだ?」

 

 たれを何時かけるかと言う点だった。人によってはどちらでも良いでは無いかと言う問題ではあるが、そこは女の子である。どうせなら美味しいものを食べて欲しいという事だった。今回の集まりでは、雪音クリスにとって大切な人達が集まって来る。面と向かって告げた事は無いが、大切な友達である立花響。ぶつかった事もあったが、何度も共に戦い、時には頼り切る事もあった先輩である風鳴翼。そして。

 

「美味しいって言ってくれるかな?」

 

 一瞬胸に過った想いに頭を振る。新たにできた三人の仲間。親睦会。皆に美味しいものを食べて欲しいだけなんだと、言い聞かせた。

 

「そうか。どうせ数はあるんだし、両方持って行けばいいか。最悪、台所借りれば作り直しも聞くしな」

 

 そして、予めかけて行くのと、現地でタレをかける。二種類用意すれば良いだけだと気付く。大切な人達には、美味しいものを食べて欲しい。できれば美味いと言って欲しい。そんな思いがクリスの胸に広がる。

 

「そうと決まれば、さっさと行くか!」

 

 そして、手際の良い動きで準備を終えると家を後にする。大切な人達が待っている。これが、あたしたちが守った居場所なんだ。そう考えると、嬉しくて仕方が無い。雪音クリスは、小さく歌いながら目的地に向かう。

 

 

 

 

 

 

「お邪魔します」

「ああ、ゆっくりしていって欲しい」

 

 そんな一言と共に、三人の少女がユキに先導され入室する。マリア、調、切歌のF.I.S.組であった。男性の部屋に入るのは初めてである様で、少しばかり辺りを見回しながら進む。本棚には史書や経書、それから小説等が積まれており、そして何故か猫の餌が置かれている。何本か棒が壁に立てかけられており、只でさえ殺風景な部屋を更に武骨としている。やがて、居間に着く。既に他の者達は集まっているのか、響、未来、クリス、翼は寛いだ様子で座っている。

 

「あ、マリアさんに調ちゃん、切歌ちゃんも!」

 

 最初に気付いた響が声を上げる。

 

「ごきげんようデース!」

「皆でパーティーと聞いたので、三人で頑張って作って来ました」

「こんな形ではあるけど、改めてよろしくお願いするわね」

 

 三人の少女はそれぞれ挨拶を交わす。漸く全員が揃ったと言う訳であった。七人の少女がワイワイと話し始める。

 

「これで全員揃ったようだな。なら、早速出すか?」

「お、クリスちゃん、自信ありげですな!」

「そりゃ、あたしは自炊してるからな。良く溜まり場にもされてるし、料理に関してはそれなりだ」

「うちの調も負けてないデスよ。何せ、F.I.S.の厨房は、実質調が回していたといっても過言では無いデスから」

「調の料理の腕は、何処にお嫁に出しても恥ずかしくない程よ。むしろ、私たちが手伝わない方が良かったかもしれないのが悲しいところよ」

「皆の口に合うかは解らないけど、腕によりはかけてきたよ。栗とお芋のお団子」

「ふむ……。皆が皆、自信満々の様だ。ならば、私も緒川さんに指南いただいた自信作をお見せしようか」

 

 七人の少女達は、自分たちの持ってきたものこそが一番だと言葉を交わす。一組だけ一番頑張った人間こそ謙遜しているが、大した問題では無い。そんな様子を眺めつつ、家主は珍しく手間をかけ茶を入れる。皆が皆、和菓子を持参していた。武門らしく、茶を点てたと言う訳である。茶室でも無い為、各々の前に出すだけであるが、異国の生まれであるマリアは特に目を輝かせる。とは言え飲み方など解る訳がない。この面子で作法など気にする必要も無いと告げ、ユキは好きに飲んでくれと笑う。誰とも無しに一口含む。

 

「これはこれは、結構なお手前で」

「祖父には遥かに及ばんよ」

「と言うか、お前お茶の味とか解んねーだろ」

「あはは。バレちゃった?」

 

 屈託なく笑う子犬に白猫は鋭い突っ込みを入れる。響が笑いそれに釣られて笑みが広がる。

 

「じゃあ、ユキさんがお茶を点ててくれて雰囲気が出た事だし、先ずは私と未来からで! じゃじゃーん!! きな粉と餡子です!!」

「皆にはお世話になってるから、二人で頑張って作ったの。食べて貰えると嬉しいな」

 

 そんな事を言いながら、用意された大皿に取り出す。

 

「なら、次はあたしだな。定番のみたらし団子。味は保証させてもらうぞ」

「確かに、クリスの料理の腕は信用できる」

「お、おう。ありがと……」

 

 威勢よく出したみたらしを眺め、ユキが零した言葉に白猫は赤面する。自信満々に出したが、いざ褒められると照れてしまうと言う訳であった。威勢が良かったり急にしおらしくなったりと忙しいクリスにかわり、次は翼が持ってきたものを取り出す。

 

「私一人ではあまり上手く出来なかったので、緒川さんに手伝って貰ったのだが」

 

 そんな言葉と共に胡麻団子に黒蜜がかけられた一品をだす。予想外の出来栄えに、響とクリスは思わず翼を見る。実はほとんど緒川さんに作って貰ったようなものなのだと、翼は困ったように笑う。恐るべし忍者と、乙女たちは戦慄する。

 

「最後は私達ね」

「うちの調は凄いんデスよ!」

「あんまり褒めないで。恥ずかしいよ……」

 

 最後に出されたのは芋と栗をこして作った餡を乗せた団子が現れる。翼のものも予想外ではあったが、最後に出てきたものは文字通り物が違っていた。月読調が作った団子は、それだけ違っているように少女達には見えたからである。

 

「これはまた壮観な。どれも旨そうだ」

 

 茶を飲みながら眺めていたユキは、一通り眺めた後、そんな言葉を零す。七人が各々協力して作ってきている。単純に、数だけでも大量にあり壮観だった。一人一人が一種類ずつ食べたとしても、随分数が余る程だった。取り敢えずはと言った具合に、全員分取り分ける。そして、いただきますと号令をかけ、皆が思い思いに頬張った。

 

『美味しい!』

 

 食べる直前までは誰のものが一番かという事で小競り合いが起きてはいたが、一口食べてしまえばそれも終わりだった。少女たちは、一つ、また一つと甘味を味わう。

 

「くっ……、皆が作ったものがこれ程とは……」

「って翼、結構な勢いで食べてるわね」

「ああ。今、私は自分の不甲斐無さを噛み締めているところだ。私だけが、緒川さんに手伝って貰っている。剣士としても、女としても、格の違いを見せつけられてしまったようだ」

「そ、そう。って、本当に美味しい! く、こんな美味しいお団子がまだ、こんなに……。うぅ……、武装組織時代を思い出すと、なんて恵まれて……」

 

 マリアと翼は、あまりの美味しさについつい串が進む。

 

「あ、お芋も栗も美味しい!」

「こっちの餡子も絶品デス」

「黒蜜も美味しいね」

 

 未来は調たちが作った団子の味に頬を緩め、調と切歌も笑顔が零れる。

 

「……、いや、そこまで見られると食べ辛いのだが」

「仕方ねーじゃん。あたしたちが作ったんだし、感想が気になるんだよ」

「そうですよ! そう言う訳で、私と未来が作ったきな粉をいきましょう」

 

 そして、クリスと響はお互いの作ったものに頬を緩ませつつ、食べて食べてと持っていく。一つ一つ、ゆっくりと噛み締める。

 

「旨いな。どちらも、旨い」

「やったよ未来! ユキさん美味しいって!!」

「そっか……。良かった……。よし、まだまだ一杯あるから、幾らでも食べてくれ!!」

 

 短く呟かれた言葉に、二人の少女は嬉しそうにはにかむ。聞きたかった言葉が聞けたため、安堵の息が零れる。不意に、白猫と子犬は目が合った。二人して一瞬考え込む。

 

「それで、どっちが美味かった?」

「どっちと言うか、誰のが一番だったかは私も気になります!」

「また、随分と野暮な事を聞くものだ」

 

 真剣な目で問う二人の言葉にユキは苦笑を浮かべる。皆が持ち寄って楽しんでいる。其処で態々優劣をつける必要など無いからだ。少し考え込み、ユキは串を取る。持ち寄った団子は、予め串に刺さったものと、好きに組み合わせられるように団子だけのものが置かれていた。

 

「そうだな、この二種類かな」

 

 六種類の団子を串にさし、二つの団子を作り出す。皆が持ち寄って作った団子の組み合わせであった。

 

「……確かに、これが一番かもしれませんね」

「まぁ、全員に負けたって言うのなら仕方ないか」

「あまり野暮な事を聞くものじゃない。どれも美味しいで、良いじゃないか」

 

 困ったように顔を見合わせる二人にユキは小さく笑う。こういう場合は誰が一番等決めるのは無粋である。敢えて言うなら、どれも一番で良いのだ。競いに来たわけでは無いのだから。

 

「では、最後に俺からも出させて貰おうかな。尤も、手作りでは無いが」

 

 そして、最後にユキはそんな言葉と共に、七人分の和菓子を取り出した。紫芋と薩摩芋の二つの餡で作られた逸品であった。少女達は思わず息を呑む。調たちの作ったものもかなりの完成度を誇っていたが、これは一線を画している。名のある和菓子屋の物だと言われても納得してしまう。

 

『お、美味しい……』

 

 そして、意を決した少女たちが一口含み、そのあまりの出来に思わず艶やかな溜息を零す。ユキは、一番など居ないと笑ったが、どう考えても最後に出されたものが一番であった。

 

「これ、ユキさんが作った訳じゃないんですよね」 

「ああ、そうだよ」

「良かった……。流石にあんたに負けたとなれば、色々と自信を無くす。でも、なら誰が? 店売りのなのか?」

 

 想い人に料理の腕で負けた訳では無い事に安堵を零すも、では誰が作ったものなのかと疑問が浮かぶ。店売りなのかと言う言葉に、ユキはおかしそうに笑うも否定する。そして、誰が作ったかを教えた。

 

「藤尭だよ。S.O.N.G.所属の藤尭朔也。奴が作った」

「うそぉ!!」

「まじ、かよ……」

 

 ユキが出した名は、少女たちには思いもよらぬ名だった。

 この日、恋する乙女が挑んだ戦いは、彼女らの誰でも無く、藤尭朔也に敗北したのだった。

 

 

 

 

 




響、子犬にクラスチェンジ
翼、後輩に嫉妬(剣技的に)する
F.I.S.組、S.O.N.G.に合流
藤尭、S.O.N.G.最強の女子力を発揮


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4.奇跡の殺戮者

「お邪魔します」

 

 そんな言葉と共に入室してきた。招き入れたのは、マリア・カデンツァヴナ・イヴであった。夕暮れ時も過ぎ、夜の帳がおり始めている頃。突如なった呼び鈴に、少々意外に思いながらも促す。歌姫が、ただ一人で尋ねて来たからだった。

 

「突然来てしまってごめんなさい。すこし、話したい事があってね」

「珍しい事もあるものだ」

「……そうね。確かに、そうだ」

 

 マリアとの繋がりはそれほど深くは無い。フロンティア事変の折に、刃を交わし、言葉を交わした事はあるが、彼女らがS.O.N.G.の監視下に置かれて以来、自身が一課に移動となった事もあり直接関わる事は殆ど無くなってた。以前に集まりがあった時だけだろうか。その時もそれなりに人数が揃っていった為、落ち着いて話をした訳では無い。

 

「明日、日本を発つ事が決まったわ」

「ほう。という事は、再び表舞台に立つと」

 

 マリアはぽつぽつと零し始めた。司法取引。罪自体が無くなった為、厳密にそう呼ぶべきなのかは解らないが、世界に宣戦を布告したマリア達が監視下にあるとは言え、ある程度の自由が与えられたのはその取引によるところが多い。

 

「ええ。偶像として役割を演じる事を求められた。それで、私に付いて来てくれたあの子達の未来は守られる」

「辛いな、救世の英雄と呼ばれるのは」

「……胸が打ち貫かれたみたいよ。どの面を下げて、そんな呼び方をされないといけないのか。結局私は何も決められず、偽りに縋ったばかりだったというのに。救世の英雄。マムが呼ばれるべき名だわ」

 

 司法取引と情報操作の末、救世の英雄と仕立てられた少女。それが、マリア・カデンツァヴナ・イヴである。自分は英雄などでは無いと零す少女に、ただ頷く。それは、彼女が受け止めるべき痛みである。

 

「どのような軌跡を辿ったとしても、ナスターシャ教授が世界を守った。ならば、君はその名を背負うべきだな。例え辛くとも、それで、君の母の想いと名誉は守られる」

「……、本当に、あなたは私に優しくないわね」

「仕方あるまい。君は守られる立場に居ない。それに、守って欲しい訳でも無いだろう?」

「……、まったく、女の子にはもう少し優しくしないと嫌われても知らないから」

「歌姫に目の敵にされるのは怖いな。肝に銘じておく」

 

 当時の事を思い起す。ウェル博士の暴走を、フロンティアの機能を用いてどうにか食い止めた彼女等の母親が居た。辿った道程こそ悪と呼ばれても仕方がない道ではあったが、文字通り命を懸けて月の遺跡を再起動させる事に成功していた。その想いは、本物であったのだろう。救世の英雄と呼ばれるとしたら、ナスターシャ教授がそうなのだろう。だからこそ、マリアにはその名を背負えと告げていた。彼女がそう呼ばれる事で、彼女等の母が世界を守った事績は忘れ去られる事が無い。英雄になど成りたかったわけでは無いだろう。それでも、英雄であり続ければ、死した人間たちの想いが忘れられる事は無い。彼女等の母が為した事が忘れられる事は無いのである。死者にとって、今を生きる者に忘れられる事こそ、完全な終わりなのだと思う。寄り添い、共に戦った者達を忘れない為にも、忘れさせない為にもマリアは英雄の名を背負わなければいけないのである。

 そんな事を語ると、当のマリアは一瞬何とも言えないような表情を浮かべ、噴き出した。そして軽口を交わす。

 

「歌姫か。それも明日からだわ。今此処に居るのは、ただのマリアよ」

「そうか。何なら、一献やっていくか? 今のうちに、吐き出したいものがあるのならば聞いても良い。明日にはもう、君は一人で立っていなければいけない」

「翼もいるけど、常におんぶに抱っこと言う訳にはいかないからね。年下に寄り掛かりっぱなしと言うのも恥ずかしい。付き合って貰おうかしら」

 

 酒の用意をする。西風。父の好きだったものである。それほど強いものではなく、後に引かない潔い日本酒だった。女子でも飲みやすいだろう。

 

「ん……。飲みやすくて、良いお酒ね。油断すると、飲み過ぎてしまいそう」

「父の好きだったものだよ。しかし、飲みやすいとは言え程々にして欲しいものだ。前後不覚になられたら、流石に困るぞ」

「流石に男性とサシで飲んでいる状況で、そんな下手は踏まないわ」

「潰れたら放っておくからな」

 

 一口、二口含みながら言葉を交わす。

 

「あなたのパパと言うと?」

「何年も前に死んだよ。想いを託して、逝った」

 

 聞かれた質問に答える。まだ幼かった頃、父が居た事。剣を習った事。死の間際、想いを託された事。母が父を愛し、その後を追った事。両親が強く想い合っていた事。自分も、そのように強く在りたいと思った事。一つ一つの思い出を語って行く。

 

「そう。あなたも、私と同じなのね」

「同じ?」

「大切な人を失い、大切な想いを託された」

 

 マリアは悲し気に微笑む。笑った。少し違う。

 

「同じではないよ。君の抱く想いと俺の抱く想いは、似ている事はあっても同じではない」

「そう、かしら」

「ああ、違う。俺の想いは俺だけのものであり、君の想いは君だけのものだ。君には君の託されたものがあり、俺には俺の託されたものがある。似てはいても、それが同じという事は無い。君は生きる事を託され、俺は生かす事を託された。似てはいるよ。だが、違う」

 

 先を行ったものに託されたという意味では似ている。親を失ったという意味でも、近い物がある。だが、あくまでそれは近いだけなのだ。それぞれに託された想いがあり、考えるものがある。それが同じという事は決してない。重なるものが多いというだけだった。

 

「あなたは、強いのね。どうして、そんなに強いのかしら。私も、あなたの様に強く在りたい」

「何を言うかと思えば、君は充分に強いぞ」

 

 世界の為に歌われた歌を思い出す。マリアは、あれほどの事が為せるほど強い筈なのだ。

 

「いいえ。あなたは私と違い常に先を見ている。痛みを乗り越え、誰かを守っている。己の進む道を見据えている」

「それは違うぞ、マリア・カデンツァヴナ・イヴ。俺は先など見ていない。過去にばかり思いを馳せているよ。未来を見ているというのならば、君の方が遥かに前を見ている。誰かの為にと歌えた君の方が、遥かに強い」

「え……?」

 

 零された言葉を否定する。上泉之景は、未来など見ていない。過去の想いばかりを見ていると言える。

 

「過去にあった出来事を乗り越えるのが正しい事なのか?」

「解らないわ。だけど、失ったものは戻らない。私たちは生きている。だから、立ち止まるべきでは無いと思う」

「誰かの死を、過ぎ去った事だと前を向き歩いていく。それが本当に強いと言えるのか。悲しみを誤魔化し、振り返らない事が、立ち止まらない事が本当に正しいといえるのか。ずっと考えているよ。前を向き、歩めば歩むほど、かつて失ったものが遠くなる。俺は、それを忘れたくはない。託された想いを、過去のものとしたくはない」

 

 酒を含み、胸の内を語る。苦笑が浮かんだ。これでは、どちらが愚痴を聞いているのか解った物ではない。

 

「乗り越える事と、忘れる事は違うのではないかしら?」

「同じだよ。人は、立ち止まる事を忘れれば、やがて過去の事を思い起さなくなる。それは成長であると同時に、ある種の喪失だよ。死など怖くはない。だが、託された想いが消えるのは、誰かの死が遠くなるのは嫌だな」

「そう……。だから、あなたは強いのね。死に寄り添いながら、誰かの死を大切にしている。確固たる拠り所を持っている。だから揺るがない。揺れ動く未来では無く、絶対に揺るがない過ぎ去った想いを見ているから、あなたは強い」

「それほど大それたものではないよ。子が親を忘れたくない。そんな子供のような想いがあるだけだ」

 

 らしくない事を語っている。酒に当てられているのか。

 

「だけどそれは、悲しい強さよ。人は生きてこそ、よ」

「この手が生かした者達が、生きてくれる。それで充分だよ」

「……本当にどうしようもない男」

「男と言うのはな、馬鹿な意地を張りたがるものなのだよ」

「そうね……、確かにそうだ。……あなたは、親になるべきだわ」

「また、いきなり妙なことを言い出すのだな」

 

 いきなり出て来た突拍子の無い言葉に、思わずマリアと視線が重なる。此方を見て悪戯が成功したように笑っている。

 

「とは言え、いきなりパパになれというのは無理な話でしょうし、先ずは調と切歌の事を頼みたいのだけど?」

「話が見えないのだが」

「私は明日、日本を発つわ。自分が自分で立つ分には良いのだけど、残していく妹たちが気掛かりでね。あの子達にも頼んではいたけど、それでも気になってしまって。元々、それを頼みに来たのだけど、あたりに船ってやつね。あなたにも悪い事ではないと思うわ。少しばかり大きな娘が出来たと思って気にかけてもらえれば安心できる」

 

 名案を思い付いたとしたり顔で頷いている歌姫に噴き出す。色々とあるが、言葉も用法もおかしい。言いたい事は解るが、したり顔で気付かず言うあたり、随分可愛らしいものである。 

 

「渡りに船、か?」

「……ッ! こ、この男、やっぱり優しくないッ!!」

「まぁ、そうごねてくれるな」

 

 敢えて間違いを指摘した事に、歌姫は恥ずかしそうにそっぽを向く。笑った。酒を少し注ぐ。肴を取り出し、歌姫の機嫌を取る。

 

「良いな、君は。しっかりしている様で、適度に抜けている」

「まるで褒められている気がしないのだけど?」

「それはそうだ、褒めてはいないからな」

「こ、この男は……」

 

 軽口を交わす。飲み友達。気付けば、そんな印象をマリアに抱いていた。機会があれば、また飲んでみるのもいいかもしれない。そんな事を思った。

 

 

 

 

 

 

 

『第七区域に大規模な火災が発生。既に当番の一課遊撃隊も出動しておりますが、人が足りていないのが現状です。非番のところ申し訳ありませんが、直ぐに出張るようにお願いします!』

『了解。直ぐに現地に向かう。友軍との合流地点は?』

『こちらで直ぐ指定します』

 

 熱くなり始めた季節、翼とマリアが参加するという大規模なライブが行われる日、一課より緊急の呼び出しが入っていた。警棒を二振り、有事の際に所持が許されている太刀を一振り取り出し、一課の制服を纏う。自動人形の出現。異端技術に明確に命を狙われているが故に、それが許されていた。無論有事の際にしか使用はできないが、出動要請がかかっていた。即座に準備を終える。

 

『付近一帯の避難は完了しておりますが、火災の収まらない集合住宅が存在しております。既に二課……、S.O.N.G.には応援を要請済み。上泉隊長の隊は、隊員と合流次第、南の方角へ向ってください』

『集合住宅は?』

『シンフォギア装者が直接投入されるとのことです。南東及び、南と西の方角に被害は拡大中。南東は同じくシンフォギア装者が対応。一課は南と東に対応されたしとの事』

『解った。即座に行動に移る』

 

 一課の指令室からの通信を受け、即座に合流地点に到着。人員を待つ。一課遊撃隊二番隊隊長。それが今の自分の肩書であった。一番隊は武門である塚原隊長及び、林崎副隊長が率いる少数部隊である。風鳴からの要請を受け、発足された遊撃隊の一番隊であった。

 

「隊長!」

「来たか。既に通信は受けていると思うが、第七区域より南方に被害が拡大中。先ずは、原因に接触するぞ」

「ったく、一体何がどうなってるんでしょうかね! 遊撃隊って言っても、一番隊に比べれば二番隊に居る武門と言えば隊長と疋田と柳生位ですし……。いや、充分過ぎますかね。武門怖いし」

「すまんな。上泉と風鳴とは犬と猿の仲だ。繋がりのある武門を回して貰えただけでも充分だ」

「っと、無駄口が過ぎましたね! 疋田、柳生の両名は既に先行しております。自分も先に向かいます。隊長は残りの隊員が来てから、応援に来てください!!」

 

 二番隊の副隊長が笑い走って行く。それを見送り、太刀に手をかける。抜身の刃。遠くの炎が僅かに刃を照らす。嫌な予感が広がる。

 

「隊長!」

「これで全員か?」

 

 一番隊に比べ、二番隊は武門の数が少ない。自分を含め三名である。武門自体の数が少ない為、残りは身体能力の高い者で構成されており、一般の隊員6名の全9名で構成されている。一番隊は全員が武門であるが、二番隊は3名であった。発足自体、風鳴の意見が強い。当然、先代の思惑が大きく絡んでいるのだろう。二人でも回して貰えただけ、充分である。

 

「疋田と柳生、そして二番隊副隊長が先行している。直ぐに追いつくぞ」

「マジかよ。武門と一緒に先行とか、副隊長死ぬんじゃ?」

 

 思わず隊員の一人が零した言葉に苦笑が零れる。確かについていくのは辛いかも知れないが、死にはしないだろう。自動人形の事もある。火器及び刀剣を手にした人間が揃う。

 

「では、向かう。先行に追いつくぞ」

 

 刃を翻し走る。後方を隊員たちが付いて来る。進路に細かな指示が入る。道が幾らか壊れ始めていた。自動人形。そんな言葉が浮かび上がる。そして、其処に辿り着いた。

 

「これは……」

 

 そこに広がっていたのは、予想外な光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ったく、何だよコイツ等。英雄には及ばないまでも、こんな奴らが居るなんて聞いてないんだけど」

 

 左腕の落とされた青き自動人形、ガリィは悪態を零しながら対峙する敵を見据えた。巨体に剣を持つ男。そして、細身であり居合刀を構える人間だった。一課遊撃隊一番隊隊長と副隊長である。忌々しい物を見る様に、ガリィは人間を睨む。他に七人の人間が居たが、それは倒していた。だが、残る二人は曲者である。幾ら油断していたとは言え、自動人形の腕を斬り落としていた。その事実が、青の苛立ちを募らせる。

 

「これが、自動人形か。面妖な技を使う」

「されど、我らが刃は戦う為に鍛えられたもの。魔性化生の類程度で阻める道理も無し」

 

 二人の武門に既に油断は無い。対峙する青は、それだけの相手だと認めていた。武門塚原と、武門林崎。上泉とは別の剣聖と呼ばれる者の流れを汲む武門であった。ユキの持つ技とは全く違う流れを汲むものであるが、その力もまた異端技術に匹敵する。剣豪。二人の男が持つソレは、剣豪と言われるに相応しいものであると言える。

 

「おぉ!! ガリィの腕が落ちてる。随分手酷くやられたみたいだ。あたしも助太刀するゾ!」

「チッ、癪だけど手を借りるか。少しだけ、遊んどけ」

「りょーかいなんだゾ!」

 

 負傷したガリィの代わりにミカが前に出る。戦闘特化の自動人形。倒れ伏す武門をほぼ一機で平らげたのがミカであった。単純な戦闘能力ではガリィの遥か上を行く。立ち塞がる男たちの刃が握り直される。ミカの放つ人とは異なる気配に、武門は油断なく構えた。

 

「来ないならこっちから行くゾ!」

 

 そしてミカが跳ねる。疾走からの跳躍。空中で炎柱を幾つも発生させ、武門に襲い掛かる。銀閃。前に出た居合刀が熱ごと斬り飛ばす。一瞬の斬撃。弾き飛ばした炎柱を、二の太刀で全てを打ち返す。

 

「ほぉぉ!! コイツ等も、人間離れしている動きだゾ! JAPANは凄いんだゾ!!」

「楽しんでいるのは良いけど、真面目にやれ!!」

 

 己が手に炎の槍を生み出し、はじき返された炎柱を叩き落す。そんな様子を見詰めながら、ガリィは叫びをあげる。

 

「遊んでいるというのなら、それはそれで構わん。此処で壊れると良い」

「お、おお!? ガリィ、あたしの腕も取れたんだゾ!」

「だから言わんこっちゃない……」

 

 そして、あっさりと踏み込んできた武門に腕を斬り落とされる。予想だにしていなかった事態に、ミカは何故か嬉しそうに笑顔を零す。同じく腕を落とされたガリィは頭を抱えたくなる。予想外である。完全に、想定の外であった。だからこそ、有難い。

 

「仕方がない、使うか」

「ん? やっちゃう感じ?」

「ああ、英雄を殺す前の最後の試し。此処で終わらせておこうかしら」

 

 そして、二基の自動人形は笑みを深める。手負いの二機は、不利な状況でそれでも笑う。

 

「何か奥の手があるという事か」

「ならば、使わせる前に葬るのみ」

 

 居合刀が踏み込んだ。障壁に阻まれる。自動人形。敢えて使わなかった錬金術を発動させていた。刃が、不可視の障壁に阻まれる。目を見開いた武門。反射的に飛び退る。

 

「では、殺してやるよ」

「本気で相手してやるゾ。だから、頑張って欲しいゾ」

 

 そして、光が広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 眼前に広がるのは、血の池であった。其処に三人の人間が倒れ伏している。二番隊の副隊長。駆け寄る。まだわずかに肩が動いている。弱弱しいが、呼吸が続いていた。

 

「た、……ちょ……」

「いい、話すな」

 

 何かを話そうとする副隊長を止める。全身が傷だらけであり、血が流れていた。一つ一つは大きな怪我では無いが、傷の数が多すぎる。失血。血の気の無い顔にそんな言葉が思い浮かぶ。

 

『副隊長、柳生、疋田の三名、バイタルが低下中。これ以上の任務継続は不可能です』

 

 短く通信が入る。三名が戦闘不能に追い込まれていた。副隊長は兎も角とし、柳生と疋田は武門である。それも、それなりの腕を有した武門であった。それが、全身を切り刻まれ血の海に倒れ伏している。強敵と対峙したという事であった。多すぎる血が流れている。つまり、相手はそういう事なのだろう。

 

「三名の収容を開始。お前たちは直ぐに後退しろ」

「はい。隊長は?」

「少しばかり、この場に残る」

 

 一課指令室に連絡を入れ、隊員に後退の指示を出す。武門ですら敗れたのである、研鑽した武技を持たない人には荷が重い相手だった。即座に三名が回収され、交代していく。風が流れた。刃、抜き放つ。

 

「出てこい」

『――自動錬金』

 

 そして、姿を現したのは黒金の自動人形であった。右手に小手を、左手には刃を生成し、飛翔剣を展開していた。視線が交錯する。無感動に映された金眼には、どのような意思も宿っていないように思える。敵である。随分と長い間戦い続けて来た相手であった。右手で刃を取り突き付ける。

 

「お前とも、随分長い付き合いになったものだな」

 

 言葉をかける。他の自動人形と違い、言葉を交わす事は無い。飛翔剣が動き、左腕の刃が動く。踏み込み。一気に距離を詰め、刃を交わす。

 

「思えばルナアタックの時からお前たちは暗躍していた。お前たちは何を望み、何を成そうとしている?」

 

 英雄の剣と太刀がぶつかり合う。刃が火花を散らし、飛翔剣がその隙に舞い踊る。全てを叩き落す。離脱。一瞬の隙に逃げようとする黒金に追いつき、刃を振り抜いた。

 

『――自動錬金』

 

 姿が水に変わる。電子音声が鳴り響く。飛翔剣が舞い、不可視となり水の分身と入れ替わった黒金が忍び寄る。旋風。風を纏い、刃を加速させる。不可視の一撃を、全方位の斬撃で弾き飛ばす。

 

「お前たちは、誰の命で動いている? 何のために、刃を振るう」

 

 再び姿を現した黒金。その姿に刃を振り抜いた。障壁。壁に阻まれる。刃が止まる。黒金の左腕。英雄の剣が炎を纏う。斬鉄。煩わしい壁を、叩き崩した。二の太刀。炎剣と太刀が鎬を削る。一瞬の膠着。黒金を蹴り飛ばした。崩れた態勢。討ち果たす為に、一気に踏み込んだ。

 

「オレの為だよ」

「……ッ! 君は……」

 

 そして、突如現れた少女に刃を阻まれる。斬鉄の意志。それを以てして、障壁を斬り切れない。中空。斬り落とせないというのなら、壁として力を弾く。腕の力だけで飛び退った。

 

「また、逢ったな。英雄よ」

「そうか、君が……そうだったのか」

「ああ。そうだ。ずっと見ていた。ずっと見ていて、お前を殺すと決めたよ」

 

 突如現れた少女は、強く、だけどほんの少しだけ寂しげに語る。何か、懐かしい感じが吹き抜けていく。

 

「思えば、お前を生かすべきでは無かった。カディンギルの中で、死なせるべきだった」

「……、あの傷で俺が生きていたのは」

「ああ、そうだよ。死に逝く筈のお前をオレの都合を以て助けた。それが間違いであったよ。奇跡などを許し、風を解き放ってしまった。抱くべきでは無い物を、抱いてしまった」

 

 ルナアタックの折、フィーネと文字通り命のやり取りをしていた。あの戦いで、自分は死を避けられない程の傷を負っていたはずである。ずっと気にはなっていた。目の前の少女が、自分を助けたという事であった。それだけ聞けば荒唐無稽と思うだろう。だが、黒金の自動人形を助け、不可視の力で刃を受け止めていた。黒金が付き従っている。充分過ぎる程、充分な状況だった。

 

「お前は邪魔だ。上泉之景。キャロル・マールス・ディーンハイムが錬金術が世界を壊し、万象黙示録を完成させる」

「それが、君の目的なのか?」

「ああ、だから、それを阻み得る奇跡は殺さなければならない。例え、同じ想いを抱いていようとも」

 

 キャロルと名乗った少女が右手を飾る。空間に陣が刻まれる。錬金術。キャロルは、確かにそう言っていた。自動錬金。何度も聞いた機械音声が頭に浮かぶ。風。反射的に飛んだ瞬間、鋭い一撃が撃ち込まれる。

 

「奇跡は世界に巣くう病魔のような物だ。研鑽を一時の偶然へと変え、衆愚を極まらせる。風が奇跡の前に吹き抜けるというのならば、風は絶えねばならないッ!!」

 

 キャロルが叫びをあげる。黒金が、全ての飛翔剣を呼び戻した。

 

「君は、何を言っている」

「オレが、奇跡を殺すと言っているッ!!」

 

 少女が涙を零した。黒金の右腕が強い輝きを放つ。目を見開いた。血が流れる。英雄の剣から、赤が広がっていく。電子音声が響いた。

 

『――英雄の剣(ソードギア)第二抜剣(セカンドイグニッション)』 

 

 ――運命を斬り拓く刃(ブラッドスレイヴ)

 

 黒金が、漆黒の鎧を纏う。血の刃が生成される。金色の輝きが、全身から吹き荒れる。

 黒金の剣士。員数外(イレギュラーナンバー)と呼ばれた最後の一体。英雄の剣を解き放つ。

 

「それは、お前の歩んだ軌跡だよ。血を流し奇跡を手繰り寄せ続けた、英雄の力だ。抗ってみろ。利権を守る事しか考えない衆愚により、己が剣を持つ事すら許されぬ、英雄と呼ばれた人間よ」

 

 少女の声が届く。キャロル・マールス・ディーンハイムは悲し気な笑みを零し、姿を消した。

 真紅の飛翔剣が飛ぶ。黒金の剣士が、血刃を抜き放った。死が加速する。刃を交わした。

 一陣の風は駆け抜ける。刃が砕け、右腕が宙を舞った。

 

 




マリアさん、酒を飲む
武門、右腕が飛ぶ
作者、友情出演



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5.血刃

「一課より入電。一課遊撃隊第一部隊及び、第二部隊より救援要請入りました」

「一課から? それに遊撃隊と言えば、八紘兄貴が戦力低下の補填として当てた、多くが武門で構成された部隊の筈。二番隊に至っては、あのユキが率いているぞ」

 

 二課仮設本部潜水艦内、指令室。突如届いた救援要請に風鳴弦十郎は一瞬怪訝な表情を浮かべた。一番隊はあの風鳴訃堂が認めた名の知れた部門が率い、二番隊は対異端技術の為に一課に転属した上泉之景が率いていた。童子切使用の許可こそ出ていないが、あのユキである。並大抵の事は切り抜けると踏んでいるからこそ、その要請に違和感を感じていた。

 

『響君、未来君。応答できるか?』

『はい!』

『聞こえています』

 

 とは言え、何か起こったのは確実である。弦十郎は、即座に状況を判断、今動ける者に連絡を入れる。火災の発生した集合住宅の救援が完了したばかりの響と未来である。回線を開くと、即座に二人は返事をする。

 

『一課遊撃隊一番隊と二番隊より救援要請。西方には塚原隊長率いる一番隊。南方には上泉之景率いる二番隊が存在している。その二つに救援に向かって欲しい』 

『了解しました! でも、未来はまだ現場に慣れていないと思います』

『解っている。位置取りからしても、南ならば南投方面のクリス君の手が空けば援護も受けやすい。率いているのもユキな為、南方へは未来君。西方には、響君に向かって貰いたい』

『解りました』

 

 通信が終わり、響と未来は一度視線を交わす。そして、響が心配そうな表情を浮かべ、未来は困った用に笑った。未来がS.O.N.G.の協力者として活動を始めて、何度か共に出た事はあったが、未来一人で何かを為すというのは初めての経験だった。響が心配に思ってしまうのも仕方がない。

 

「大丈夫だよ響。無理はしないし、先生もいる」

「うん。ユキさんも居るって解ってるけど、あのユキさんが救援要請を送ってくるぐらいだから。何もなければ良いんだけど……。くれぐれも、無茶をしたら駄目だからね」

「解ってるよ。でも、響にだけは言われたくないかなぁ。前科は響の方がずっと多いんだからね」

「あはは……。確かに。でも、気を付けてね」

「うん」

 

 そして、二人の少女はお互いの無事を祈り別れる。自分たちの持つ力を開放し、助けを求めている人の下へと向かう。

 

「早く行かなきゃ。一課の人を助けて、それからユキさんの所に行かなきゃ!」

 

 響はシンフォギアを纏い街中を疾走する。既に避難は終え、辺りに人の姿は無かった。推進装置を起動させ、人を遥かに越える速度で駆け抜ける。地を蹴り宙を駆る。何度も繰り返し、最速で、最短で、一直線に走り続ける。

 

「通信だと、この辺りに……。え? なに、これ……」

 

 そして、発見する。血だらけになり倒れている第一部隊の隊員たちを。辺りには氷柱が生え、建物には炎が所狭しとその熱を広げている。氷と炎の入り乱れる矛盾した光景だった。むせ返る程の血の匂いが漂い、響は思わず口元を抑える。人がノイズにやられるところは見た事があった。だが、人が斬られ血を流す姿は見慣れていた訳では無かった。ユキは何度も怪我をしていた。だが、響が見たのは数えるほどでしかなく、酷い怪我もあったが、これ程の惨状では無かった。生きてこそいるようだが、皆、苦し気に呻いている。暫く呆然と見つめていたが、慌てて本部に連絡を入れる。直ぐに人員を手配すると司令から連絡が返って来る。しかし、全員怪我の症状が酷すぎる。戦う事は出来るが、怪我の対処など、学生レベルの処置しか分からない立花響には何もできる事が無かった。拳を握る事しかできない自分の無力さを噛み締めながらも、響は倒れている人間たちに声をかけ続ける。それ以外にできる事が無い。それだけでもしなければと、必死に声をあげ大人が来てくれるのを待つ。辛く、長い時間が立花響を襲う。私は、何も出来ていない。そんな想いがただ胸に募る。

 

「お待たせしました。直ぐに応急処置に取り掛かります。装者の方は、他にも怪我人が居ないか捜索してください」

「は、はい。あの、皆さんをお願いします!」

「解っています。私たちは、私たちにできる事を精一杯します。あなたは、あなたにできる事を為してください!」

 

 到着した二課医療班に、怪我で呻いている一課の人間を預ける。その姿に、心の底から安堵が浮かぶ。酷い怪我である。だけど、来てくれたのは医療のスペシャリストだった。きっと、大丈夫。きっと助けてくれる。そんな思いを胸に、響は再びシンフォギアを纏う。来てくれた大人に言われていた。他にも怪我人が居ないか探してくれと。それは、立花響にしかできない事だった。何かが起こっている。その何かは解らないが、シンフォギアの力が必要な事だけは解った。人助けができる力。自分にはそれを為す事が出来る。だから、まだ、頑張れる。

 

「あ……ッ!」

 

 あちこちに炎が燃え移る。誰かが火をかけているのかもしれない。そんな事を考えながら、響は生存者を探していた所で、あるものを見つけた。少女が一人、路上で炎を見詰めている。近付く。たった一人、闇の中で少女が燃え盛る建物を見詰め、ただ涙を流している。

 

「消えてしまえば良い想い出。オレはパパの為に……。もう、立ち上がるな……。此処で終わってくれ……」

「あの、こんな所に居たら危ないよ? パパとママとはぐれたのかな?」

「……ッ!?」

 

 そして二人の少女は出会う。

 

「黙れ」

「え? うわ!」

 

 声をかけた響に少女は短く声を発し、空間を指でなぞる。錬金術。浮かび上がった陣から風が吹き抜け、響を撃ち果たす為、その威を振るう。

 

『敵だ、敵の襲撃だ! そっちはどうなってる』

「敵、?」

 

 風の一撃を何とか避けた響は、その直後に聞こえた通信に声を零す。眼前に居るのは、異端を操る少女。敵。その言葉が頭を過る。

 

「奇跡を繋ぎ束ねる者。お前もまた、世界を壊す為に除くべき障害」

「世界を壊す為?」

「間も無く英雄は血の海に沈む。風は止み、奇跡は息絶える」

「英雄? それに風、奇跡……。何を……」

「このままいけば、大切なものが消えると言っているッ!!」

 

 風が吹き炎を強く燃え上がらせる中、キャロル・マールス・ディーンハイムと立花響は出会ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣聖の右腕が飛んでいた。黒金の自動人形。金色の輝きを撒き散らし、血刃を以て、剣聖の太刀は撃ち砕かれていた。無機質な瞳が剣聖を捉える。剣聖の眼が見開かれる。手加減などしていなかった。それが、刃を競り合わせる事すら許されず斬り落とされていた。右腕毎太刀が宙を舞っている。返しの刃。咄嗟に右腕を掴み取った剣聖の身体を大きく袈裟に引き裂いた。鋭すぎる閃光が刻まれる。鮮血が黒金の姿を赤く染め上げる。

 

「か、は……」

 

 剣聖の口から微かな音が零れ落ちる。血に染まった飛翔剣が追撃をかける。刃。血を吸い更に赤が色合いを鮮やかにしていく。凄まじい速度で放たれるソレが、剣聖の体を浅く、だが確実に切り刻んで行く。出血。ずたずたに切り刻まれた剣聖の体から、血が噴き出す。抑えきれず、口からも血液が零れる。だが、斬られながらも飛び退り、間合いを引き離していた。己が右腕を左手で打ち、右手が握り締めている刃を離す。地に向け落ちる刃を蹴り上げ、右腕を黒金に投擲する。血刃が、右腕を両断した。剣聖はそれを見て、ただ笑う。右腕が作り出した僅かな時間で、折れた太刀を手にする。左腕。再び剣を構える。

 

「ご、ふ、ぐ……」

 

 剣聖の口から血が咽びあがる。斬られた傷が幾らか深く入っている。血が流れ続ける。だが、止血などできる訳もない。黒金の剣士が眼前に存在している以上、戦わなければ生き残る道は無いのだから。荒れる呼吸を無理に整え、剣聖は左手だけになった刃を構える。

 

『――自動錬金(オートアルケミー)

 

 電子音声が鳴り響く。血に染まった飛翔剣がその姿を消す。同時に黒金は全身から金色の輝きを更に吹出し、出力を高める。風が音を斬る。剣聖は、ただ静かに呼吸を整え、刃を振るう。不可視の血刃。正面から切り結ぶのではなく、音だけを頼りに弾く事で逸らし凌ぐ。同時に、己が呼吸に一瞬だけ集中し、右腕の存在していた境界に意識を向ける。呼吸と筋力による血流の操作。右腕を半ばから丸々斬り落とされている。どれだけ血管を意識的に動かしたところで、止血などできる筈はない。だが、血が零れ落ちる速度を幾らかは遅らせられた。それで死に至るまでの時間を、一つか二つ遅らせられる。黒金が地を吹き飛ばし踏み込んだ。不可視の血刃が加速する。剣聖は、刃を握り直す。

 

「右腕を落とした程度で、勝った心算か人形ッ!」

 

 そして、凄絶な笑みを浮かべ黒金の血刃と切り結ぶ。凄まじい衝撃が辺りを襲い、轟音が駆け抜ける。跳躍。刃が鎬を削った瞬間、刃を打ち上げるように流し、剣聖はさらに踏み込む。飛翔剣が頬を掠める。だが、剣聖は笑みを深める。

 

『――自動、』

 

 自動音声が鳴り響く。その暇さえ与えず、剣聖は黒金を蹴り飛ばす。反発、跳躍。同時に自身はその衝撃で吹き飛ぶ事で、文字通り死角から襲い掛かる飛翔剣の一撃を往なした。着地、反発。即座に横躍し、軌跡から軸をずらす。黒金が体勢を立て直す。そのまま、刃を構えた血刃を前に疾走する。

 

「――」

 

 一陣の風が駆け抜ける。放たれる飛刃。血に染まる刃が宙を駆る。それを、首の動きだけで往なした剣聖は更に速度を上げ低く飛ぶ。

 

「嬉しいぞ、人形。お前が、腕を、斬り落としてくれた、おかげで、漸く解った。血の刃で、この身を、斬り裂いてくれた、おかげで、漸く、手が届いたッ」

 

 呼吸が上がる。全身から血が噴き出す。刃を持つ手が震える。視線が霞んでいく。まともに言葉を出す事すら困難になっていく。だが、剣聖の動きは更に加速する。不可視の飛翔剣が、阻む様に舞い踊る。その殆どを打ち払うも、僅かに剣閃を潜り抜けた血刃が、剣聖の身体を更に刻み、その身体を赤く染め上げる。死が、剣聖に寄り添う様に纏わりつく。だとしても、剣聖の刃は速く鋭く研ぎ澄まされていく。血に染まり、血刃に少しずつ切り刻まれているのにも拘らず、剣聖は深く笑う。

 

「何故武器に、できる事が、出来ないのか。それが、不思議であった。この身に、受けた事で、何かが、上手く、重なった」

 

 黒金が輝きを増す。更に速度を上げる。剣聖は血を流し、呼吸を荒げる。視界が白一色に染まり、音が途切れる。だが、刃は加速を止めない。血刃と白刃がぶつかり合う。火花を散らし、鎬を削る。

 

「が、はッ。ご、ぁ……」

 

 血だらけの身体が悲鳴を上げる。剣聖の口から、更に血が零れる。だが、その血が白刃を赤く染め上げる。血濡れの剣聖が、笑みを深める。一瞬にして、数十を超える斬撃がぶつかり合う。火花を散らし、金属が戦場の音色を奏でる。血液が舞い、地が軋みを上げる。斬撃が飛び、刃が互いを撃つ。

 

『――自動錬金』

 

 風が吹き荒れる。黒金が飛翔剣を消し、左腕に血刃を振りかぶる。雷霆。剣聖は、上段の一撃を以て黒金と馳せ違う。血刃が地を抉る。だが、剣聖は死を超える。跳躍。不可視の刃が空を切る。反転。剣聖はその勢いを力に変え、一気に間合いを飛び越える。黒金の右腕。自動音声を鳴り響かせ、その小手から炎を纏い加速する。鋭撃。

 

「どうした、人形」

 

 至近距離で放たれる拳。その炎を斬り落とし、至近距離で往なした剣聖はただ笑う。再び馳せ違った二人が向き合った。剣聖は血塗れで、大小様々な傷を負っている。それでも尚、動きは速く鋭く研ぎ澄まされていく。呼吸は上がり、視界は当てにならない。既に、剣聖は見ていない。にも拘らず、技は冴え、重さは増す。

 

「刃が、揺らいでいるぞ?」

 

 そして、一歩、二歩と歩みを進める。最初の一撃で確かに剣聖は斬り合う事すら許されなかった。それが今此処に至り、切り結び始めている。異様な光景であった。黒金の自動人形は、一度、飛翔剣を収めた。意味が無いからだ。この人間の隙はどう足掻いても突けない。そんな結論にでも至ったのか、飛翔剣に割いていた出力を全て己と血刃の力に回す。全身から、更に金色が吹き荒れる。

 

「か、ひ……」

 

 剣聖の口からは、言葉にならない音だけが零れる。誰がどう見ても限界であるにも拘らず、未だ屹立している。左腕は震えている。だが、更に強く剣は握られる。死に寄り添い、死、一歩手前で踏み止まり、笑っている。切り結べるはずの無い刃。切り結ばれる斬撃。この場、この時を以て、剣聖は至っていた。

 黒金の自動人形が、英雄の、上泉之景の辿った軌跡だというのならば、その力は拮抗している筈である。にも拘らず、黒金が緒戦を制していたのは、英雄には足りない物があったからだった。童子切安綱であり、血刃だった。その一点が剣聖には足りなかった。だから、最初のぶつかり合いで剣聖の腕は斬り落とされた。それは剣聖が、初めて己の身体で血刃を受けたという事でもある。

 腕は飛んでいた。だが、その一撃を以て、剣聖の中で足りなかったものが姿を現していた。二の太刀で、より深く体に刻まれた。目に見えぬものすら斬り、死者すらも見通す刃。極限まで死に近付き、己が身で血刃を受けた事で足りなかった最後の一つが、確かに手に入っていた。

 童子切ではない。だが、血刃には手が届いていた。技は剣聖にあり、出力は黒金にあった。用いるのは血刃である。それで、押されてはいるが力は競り合う事が出来る。英雄の剣(血刃)剣聖の剣(血刃)は到達したという事である。そして、圧倒されていないのならば、剣聖には意志を宿す刃がある。少しずつ、少しずつではあるが、剣聖の剣は英雄の剣に近付いていく。死の淵に居ながら、剣聖の刃は、技は更に研ぎ澄まされる。血と共に笑みが零れる。凄絶に、人ではない何かのように笑う。英雄は血を流し、命の炎を灯す。風は吹き抜け、灯を熱く燃え上がらせていく。

 

「負けられ、ない。まだ、死ねない」

 

 剣聖は呟く。胸の内にあるのは、そんな思いだけであった。死ぬのが怖いのではない。まだ死ぬわけにはいかなかった。敵はあまりに強大であった。今自分が死ねば、誰がこれ等を止め得ると言うのか。共に戦った少女らに、こんなものを任せて逝くと言うのか。そんな事が許される訳がない。今までに散って逝った者達の想いを受けた自分に、そんな無様は許されない。故に剣聖は命を燃やす。対峙するものが奇跡を殺すというならば、奇跡になど頼らず、己が手を伸ばすだけだった。剣聖の持つものは、その為に研鑽された技である。

 

「男だ、ユキ」

 

 剣聖は託された想いを自身に言い聞かせ、立ち上がる。受け継いだものがある。示された想いがある。歩んだ軌跡があった。共に戦った仲間が居り、世界を守る為散って逝った人々が居た。誰かに守られた命も知っている。何処かの誰かの為。そんな気高き想いを抱き守ってきた者達に報いる為にも、此処で倒れる訳にはいかない。世界を壊す事など、認める訳にはいかない。

 

「来い、人形。お前に、剣を教えてやる」

 

 黒金が出力を臨界まで高める。血刃に金色が重なる。黒金が左腕を水平に構えた。剣聖は、血刃を天に向かい掲げる。踏み込む。音を越え、一対が重なる。血刃。英雄の剣と剣聖の剣がぶつかり合った。

 

「これが、剣だ」

 

 二つの血刃が砕け散る。それでも尚、剣聖は屹立し続ける。黒金の持つ英雄の剣(血刃)。己が持つ剣聖の剣(血刃)を以て、撃ち砕いていた。風が吹き荒れ、砕けた血刃が煤の様に散っていく。血濡れの剣聖は、英雄の軌跡に向け砕け散った刃を突き付ける。剣を折られた黒金の剣士は、黄金を振りまきながらも飛び退った。金眼。無機質な瞳が、剣聖を見詰める。

 

『――自動錬金』

 

 そして、自動音声が鳴り響く。風が吹き抜ける。英雄の軌跡が放っていた圧倒的な存在感が嘘の様に掻き消えた。

 

「くく、生かす為に、鍛え上げた。その筈なのだが、この様か。無様、だな――」

 

 自動人形が姿を消したことを確認すると、剣聖は小さく笑みを零した。そして、人の限界を遥かに越えていた剣聖は、血を流し頽れる。命を燃やし戦い抜いた剣聖は地に倒れ伏し、血の海に沈む。辺りには、血濡れの英雄だけが残される。既に目もまともに見えておらず、呼吸もか細い。死が、英雄に寄り添っている。とても立ち上がれる状態では無かった。退けた。だが、勝った訳でも無い。血が足りず、腕も落とされている。それでも尚、負けてはいなかった。そして意識は途切れる。その直前、誰かの声を聞いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「何故動かない。シンフォギアを戦いに使おうとしない」

「戦うより、理由を教えてよ。私は、戦いたくないんだ」

「理由を教えれば受け入れるのか?」

「何も知らないまま、誰かと戦いたくない。あなたと争いたくない」

「お前と違い、戦ってでも欲しい真実がオレにはある。成し遂げたい想いが、この胸に託されているッ!」

 

 風の刃が吹き抜け、氷の刃が躍る。地が脈打ち、炎が燃え盛る。その全てを立花響はひたすら受け止める。抵抗をする事もなく、ただひたすら襲い来る暴威が収まるまで耐え続ける。

 

「お前にも成したい事があったはずだ。だから、月の欠片を砕いて見せた。暴走するフロンティアとネフィリムを討って見せた。その歌で、シンフォギアで、戦って見せた。想いを押し通して見せたッ!!」

「違うッ! 私は戦いたくなかった。そうするしかなかっただけで、戦いたかったわけじゃない。争いたかったわけじゃない……。シンフォギアで、誰かを守りたかったんだ」

 

 シンフォギア装者達の歩んだ軌跡を見ていたキャロルは、響に向け言葉を示す。守る為に戦った。想いを押し通す為に戦って見せた。だから、自分とも戦えと叫ぶ。シンフォギアを纏っているのならば、立ち向かって来いと意志を示す。

 

「たとえそれが真実なのだとしても。それでも、戦え」

「嫌だ、嫌だよ。だって、さっき、泣いてたよ。だったら、世界を壊したい訳を聞かなきゃ」

「……ッ!?」

 

 戦いたくないと零した響の言葉に、キャロルは強く歯を噛み締める。見られていた。警戒を怠った自分の不明とは言え、思いを馳せているところを見られてしまっていた。踏み込まれたくは無かったものに、土足で踏み込まれた事に少女は強い拒否反応を示す。

 

「めんどくさい奴ですねぇ」

「……ッ、ガリィか。見ていたのか。性根の腐ったお前らしい」

 

 キャロルが怒りに身を任せ力を振るおうとしたその直前、狙いすましたように青い自動人形が姿を現す。

 

「嫌ですねぇ。マスターがそういう様に作ったんですよ」

「ふん、標的の殲滅はどうなっている?」

 

 両手(・・)を広げ、わざとらしい仕草を交えながら、ガリィは主の言葉に答える。一課に新設された遊撃隊の殲滅。彼女らの計画の邪魔になりそうなものへの対処が、今回ガリィとミカに与えられた仕事だった。

 

「勿論、完全に制圧完了ですよ。あいつ等人間の枠から外れかけてましたけど、人である以上、その限界は越えられなかったって事ですね。捕まえたのを、自分の腕を落として離脱するなんて暴挙に出られて、隊長クラスには逃げられこそしましたが、これから先戦えはしませんねぇ。そういう物ですから」

「ふん、良くもまぁ、人の嫌がる事を思いつく」

「くひひ。そんなに褒めないでくださいよぉ。まだ物足りなかったようなので、ミカちゃんには特異災害対策機動部の医療施設の強襲にも行って貰ってまーす☆ これで、人の身で負った傷を処置する施設も減り、部隊の運用に亀裂が入りやすいって寸法ですよ」

 

 主の言葉に青は人の悪い笑みを浮かべ、口許を手で押さえ嘲笑う。一課強襲。英雄の殲滅こそ主に任せたが、概ね想定通りに事は進んでいる。ガリィは盤上が掌にある事に満足げな表情を浮かべる。

 

「ところでマスター。結局英雄は、生き延びたようですよ」

「……ッ!?」

 

 そして、何気なく続けた言葉に主の表情が歪むのを見て、青は満面の笑みを浮かべる。主は英雄を殺す気で、黒金をけしかけていた。抱くものを押し殺し、殺しに出向いた主が失敗した。その表情が、ガリィには可愛くて、愛おしくて仕方がない。

 

「つっても、とても無事って有様では無いですけどねぇ。思った通り、隠しているものを持ってましたよ。クロちゃんはお手柄ですねー。英雄に全霊以上を出させたんですから。死の淵からの覚醒ですよ。覚醒。そんな覚醒なんて、そう短期間で何度もできる事じゃない。これで、不確定要素はすべて排除される。知らなければ脅威だけど、知っていればただ強いだけです」

「あれでもまだ、立つと言うのか……」

「いやいや、倒れ伏していますよ。このまま降りてくれれば、あたし的には楽で良いんですが」

「……」

 

 目を閉じ、黙り込んだ主の様子に青は満足気に頷く。

 

「行くぞ」

「おやぁ? 良いんですか? まだアイツは余力を残していますが」

「構わん。戦う気が無いのなら、仕方がない」

「もう、乙女なんですから」

 

 興が削がれたと言わんばかりのキャロルの様子に、ならば仕方がないですねとガリィは姿を消す。

 

「次は戦え。でなければ、大切なものを失うぞ?」

 

 そして、響にそんな言葉を残し、キャロルもまた錬金術で姿を消す。

 

「一体、何が……」

 

 シンフォギアを纏って、ただ耐え続けていた響は、一連の出来事に理解が追いつかず呆然と零す。目の前に敵がいた。だけど、戦う事なんて出来なかった。泣いて居た。あの子は、泣いて居たんだ。そんな事が胸の内をぐるぐると回り続ける。

 

「私、どうしたら良いの? あの子と、戦わなきゃいけないの?」

 

 泣いて居た子と戦わなければいけないのか。少しだけ聞こえた言葉に、パパの為と言う言葉があった。大切な人の為に、あの子は戦っているのだと思い至る。そう思うと、余計にどうしたら良いのか解らなくなる。自分にできる事は何かと戦う事だけであり、拳を握る事しかできなかった。その事実に、へたり込んでしまう。

 

「解らない、解らないよ。誰か、助けて……。ユキさん……。会いたいよ……」

 

 どうすれば良いのか解らず途方に暮れる。そして、何時も前を行き大切な事を示してくれたくれていた想い人の名に縋りつく。会いたい。響の胸に湧き上がるのは、そんな純粋な想いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なに、これ……」

 

 目の前に存在する惨状に、小日向未来は呆然と零した。微かに届く血の匂いに、口許を強く抑える。濃厚な死の気配。それが辺り一面に漂っている。血溜まり。両断された腕。そして、血の中に倒れ伏す、自分が先生と呼んだ人間の姿。

 

『し、至急、医療班の方を……』

 

 右腕を失い倒れる上泉之景の姿に、未来は狼狽しながら何とかそれだけ告げる。既にある程度近くには二課の医療班も到着している。早く来てと、心の中で祈りを上げる。

 

「これ、響やクリスにどうやって……。翼さんにだってなんて説明すれば……」

 

 余りの光景に、そんな事を未来は思う。自分では何を成せば良いのか解らず、感情が乱れ過ぎて上手く動く事が出来ない。広がっている赤、斬り落とされた腕、まるで死んでいるように動かない身体。その全てが、つい最近まで学生だった少女には怖くて仕方がない。

 

「先生……。立って、立ってください……。また、剣を教えてください……」

 

 そして医療班が辿り着く。あわただしい気配が一気に広がる。鋭い声が響いている。車両が凄まじい速度で動きを止めた。ユキが載せられ、未来も付き添いを命じられる。

 

「死なないで、下さい……」

 

 未来が零した呟きに、先達は答える事は無い。ネフシュタンの腕輪。クリスが託したという、再生を司る聖遺物の腕輪に目を向ける。歌が届く事は無く、輝石が輝く事は無い。未来が辿り着いた瞬間、その時までたしかに立っていて、眼前で頽れた剣聖。その呼吸は小さく続いているだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




武門、血刃を習得
響、メンタルブレイク
未来、メンタルブレイク
キャロル、メンタルブレイク
ガリィちゃん、この程度は序の口

第二抜剣黒金は、イグナイトモジュールで例えるなら、デメリットが一切存在しないアルベド状態にあたります。


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6.黒鉄の右腕

「錬金術師の台頭、か。響君が無事だった事が不幸中の幸いという事か」

「錬金術師。あの……、一体どういう状況なんですか?」

「ああ。翼とクリス君が敵対存在と接触、交戦。同時にノイズの出現を感知。そのノイズを対処中に、シンフォギアが破壊されるという事態になった」

「え……? ノイズが!? それに、シンフォギアが壊された……?」

 

 S.O.N.G.本部に戻った響の様子を確認した風鳴弦十郎は、渋い表情を浮かべながら続けた。響が錬金術師と接触していたのと同じ時刻、別方向へ展開していた雪音クリス、海外でライブを終えた風鳴翼とマリア・カデンツァヴナ・イヴも敵性存在と接触していた。ルナアタックやフロンティア事変で時折その存在を表舞台に出していた自動人形。上泉之景が二課に所属していた時より存在自体は確認されていた敵であったが、ユキ以外の前に現れたのは今回が初めてであった。同時多発。見事にS.O.N.G.の混乱を誘発していた。

 黒金の自動人形だけは幾度となくその姿を確認できていたが、その目的自体は不明瞭のままであった。そして、直近に上泉之景の狙い撃ちを行い、日本政府の上層部を扇動、戦力の分断を成功させていた。その上での、同時多発襲撃である。完全に後手に回っていた。英雄と呼ばれた人間は、護国の刃として日本政府の指揮下にあり、シンフォギアに匹敵する異能である童子切もS.O.N.G.からは引き剥がされている。全てが終わってから見れば、一つに繋がる事ではあるが、物事が水面下で進行している時には、とてもでは無いが看破できなかった謀略であると言える。戦力の分断。対ノイズ能力を除けば、最大戦力と言える上泉之景がS.O.N.G.に居ないのが痛手である。

 

「ああ。翼、クリス君。両名のシンフォギアが展開不能にまで追い込まれた。マリア君がS.O.N.G.に転属という形で参加してくれてはいるが、新たなノイズ出現と言う以上事態も同時に発生している。戦力は到底足りているとはいえず、状況は極めて悪いと言えるだろう」

「そんな……」

「現在装者で動けるのは響君ただ一人。クリス君を助ける為、切歌君と調君がリンカーも無しに戦闘に介入、救出に成功こそしたが、二人は適合率の低さに加えバックファイアの問題から、そう簡単に戦力として投入する訳にもいかない」

「つまり……、戦えるのは私だけ」

 

 司令の言葉に響は胸の前で片腕を握り呟く。

 

「違うよ響。私もいる」

「未来……」

 

 接触した錬金術師。名前を聞く事も出来なかった少女が、それでも泣いて居た事が焼き付いて離れない。本当にあの子と戦わなければいけないのか。そんな不安に心が揺れ動いた時、親友の言葉が耳に届く。小日向未来。シンフォギアとは違う系列の力を手にしている。陽だまりの剣。かつて、英雄の剣と呼ばれたものと神獣鏡の流れを汲む異端技術だった。

 

「響だけじゃないよ。皆に比べれば、全然頼りにはならないかもしれないけど、私もいる」

「うん。そっか、そうだね」

 

 そんな未来の言葉に幾らか響の表情が和らぐが、それでも不安が消えたわけではない。親友が隣に居てくれるとしても、泣いている子が相手だというのなら、拳を振り上げたくなんかない。それが、立花響と言う女の子が抱く想いだった。

 

「そう言えば未来、ユキさん達はどうだったの?」

「――ッ、それは……」

 

 そして、今度は何気なく問いかけられた響の言葉に、未来が言葉を失う。同時刻、小日向未来がユキ率いる二番隊の救援に向かった筈である。そして、未来は無事に任務を終え帰還している。未来が見た惨状を知らない響からすれば、当然ユキに会ってきたと思うだろう。

 

「ユキなら、自動人形と交戦。酷い傷を負ってな。暫く、療養する事になった」

「……え?」

 

 そして、予想だにしていない言葉を聞かされる。あの上泉之景である。血を流す事は多く在ったが、それ以上に強さを示し続けて来た。響が追いつめられた英雄の剣すら容易く退けた先達である。幾ら敵が未知の存在だったとしても、簡単に信じられるものではない。何よりも、立花響は恋をしていた。その相手が怪我をしたと聞かされては、平常で居られる訳がない。先程までとは違う意味で心がざわつく。会いたかった。会えると思っていた。それが、今は無理だと知り、足元が揺らぐ。

 

「で、でも、大丈夫なんですよね」

「ああ。既に救出は成功しており、一課医療施設へ運び込まれた後だ。暫くは入院という事になるが、命に別状はない」

「そっか……。良かったぁ」

「……」

 

 弦十郎の言葉に、響は取り敢えずはといった感じで安堵のため息を零す。ただでさえ心が揺れている。そんな状態で、仲間であり、つい最近まで直ぐ近くに居た者が命の危機にある。そんな事を知らせる訳にはいかなかった。未来から報告を受けた弦十郎はそんな判断を下した為、特に近かった響とクリスにはそう教えていた。

 実際には、一課の医療施設は多くは相手に強襲され、被害が出ていた為、S.O.N.G.の医療施設で一時的に処置を施したところである。元々は一つの組織であった為、その程度の融通はきいた。

 とはいえ、ユキが負った傷は軽いものではない。大量の失血に加え、右腕は斬り落とされており、その腕も更に切り刻まれている。再接合など、とてもでは無いができる傷では無かった。義手。ユキが腕を望むのならば、それ以外の選択肢は無かった。

 元々聖遺物を中心に、異端技術を扱ってきたのがS.O.N.G.であり、日本の現特異災害対策機動部でもある。文字通り腕の様に動く義手であれば、用意できない事はない。流石に本人の希望を聞く必要もある為意識を戻すまでは実行に移れないが、義手を作成する方向で動いていた。ユキは武門である。腕が必要か否かで問えば、答えなど聞くまでも無い。其処までして戦わせなければいけないのかと弦十郎ですら思うが、あの男なら戦うと告げる事が、これまでの付き合いから分かってしまう。

 内容が内容である。既に見てしまった未来には隠しようが無いが、衝撃がこれ以上拡散するのを防ぐため、少しだけ時間を置くというのが大人たちの判断だった。

 

「あの、ユキさんに会いに行けませんか?」

「ああ。一課管轄という事になる。こればかりはな、俺にも直ぐには答えられない。分かり次第連絡をするので、暫くは待っていて欲しい」

「解り、ました……」

 

 そして、弦十郎は響の言葉に首を振る。何処に居るかは知っている。だからこそ、教える訳にはいかなかった。必要な事とは言え、嘘をついている事が心苦しく、弦十郎の表情は苦虫を噛み潰したように歪む。そして、ある程度の説明を終え、響と未来に身体を癒す為にも帰宅を促す。二人とも、様々な事を体験したため心身ともに消耗していた。素直に従い帰っていく。

 

「せめて、意識だけでも戻ってくれ。そうでなければ、あの子らは潰れかねん」

 

 そして、子供たちが帰ったところで、弦十郎は絞り出すように呟いた。目的不明、所在不明、戦力不明の相手だった。全てが解らなかった相手であり、後手に回ったのは仕方ないと言える。それでも尚、もう少しどうにかできたのではないかと思ってしまうのである。風鳴弦十郎といえど、万能ではない。守れないものはあり、悔いる事もあるのだ。子供の前では、その姿を見せないだけである。

 そして、大人の呟きは誰の耳にも届く事なく消えて行く。そして二日後、件のユキの意識が戻ったと弦十郎に連絡が届いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「ったく、またあの人は怪我したのかよ」

 

 錬金術師の強襲によりシンフォギアを破壊された雪音クリスは、ユキの家の鍵を開け、部屋の掃除をしていた。怪我の詳しい状況や何処に居るかまでは伝えられていない為、預けられた鍵を使い、家の状態と黒猫の様子を見に来たという事であった。破壊された為、S.O.N.G.に預けたギアのペンダントの代わりに首にかけた鍵を軽く触りながら、クリスは少しずつ掃除を進めていく。

 フロンティア事変の一件から、クリスの中でユキの存在は確固たるものとなっていると言える。部屋を訪う回数も、以前に比べれば頻繁となっていた為、ユキ本人から鍵を与えられたという事であった。ユキにとっても、クリスは内に居る存在であり、家族のような括りであった。余談ではあるが、大した躊躇も無く渡された鍵。その意味を考えた白猫が、暫くまともにユキの顔を見れなかったのは仕方がないだろう。

 そんな理由もあり渡された鍵を使い部屋に入り、掃除をしているという訳であった。ユキの部屋には書物や武器になりそうな長物は多いが、それ以外には多くのものは無い。それでも、時が経てばほこりなどは積もっていく。鼻歌を歌いながら、掃除機をかけていく。

 

「全く、あたしだから良いものを。これが先輩とかだったら、えらい事になってるぞ……」

 

 そんな事を時折零す。実物を見た訳では無いのだが、以前、響に翼の家事能力の無さを聞かされていた。響自身が見たのも病室であるのだが、その一室が足の踏み場もないと言うのですら生温い有様となっていた。初見では、敵の襲撃でもあったのかと勘違いしたほどである。何を大げさな事をと思っていたのだが、実際に翼を家に招いた時にその片鱗を見ていた。家事能力について、クリスが呟くのも仕方がないと言える。

 

「というか、留守の間に部屋に入って掃除するって、まんま、その、そういう関係みたいじゃねーか」

 

 暫く部屋の掃除を行い、ある程度の区切りがついたところで、ふと思い当たる。部屋の鍵を預かり、好きに出入りを許されている異性。渡した本人としては其処まで考えていた訳では無い筈ではあるが、これではまるで、以前響に言われた通い妻では無いか。頭の中でぐるぐると思考が回転する。そして、一気に赤面した。そのまま、手にしていた機材を投げ捨て悶える。

 

「うぅ……。なんであたしがこんな目に……。それもこれも、全部あのバカが変な事を言った所為だ!!」

 

 勝手に思い出して、勝手に悶えたのにも拘らず、白猫は子犬の所為だと声を上げる。そのまま、近くに居た黒猫を抱き上げると寝室に向かう。既に布団は敷いてある。今日は泊る心算であった。家の主は居なくとも、その場所の放つ空気が好きだった。もう一つの実家。そんな印象が、白猫の胸には刻まれている。

 抱き上げられたクロが、一瞬何事だと目を開くが、抱き上げたのがクリスだと気付き、何だ何時もの事かと言わんばかりに再び目を閉じる。黒猫にとっても、白猫は同居人の一人という事だった。姿を認めると、特に抵抗する事もなく、成すがままにされている。クリスはクロを抱きかかえたまま、布団に横になりゴロゴロと左右に行ったり来たりしながら悶える。

 

「だいたい、なんであの人はすぐに怪我をするんだよ。転属の話だって、結局教えてくれなかったし……。吃驚させられるあたしの身にもなれよッ! なぁ?」

 

 暫く転がった事で幾らか気分が持ち直したクリスは、転属の事もあり、最近あまり構って貰えなかった事に関する文句をクロに吐き出す。とは言え、猫に言葉が解る筈もない。何となく自分に問いかけられているのを察したのか、一言にゃあと鳴くと、クロはクリスの手元から抜け出す。

 

「へ……? うわ!? わ、こら、やめろ、やーめーろー!!」

 

 そして、そのままクリスの身体に飛び降りると、身体を駆けのぼり顔を舐めだした。思わぬ反撃にクリスは声を荒げる。嫌な訳では無いが、くすぐったい。ある意味、元気を出せと言わんばかりの黒猫の反撃に、白猫は怒ったように、だけど、何処となく嬉しそうに言葉を零す。

 

「ったく、酷い目に遭った」

 

 そしてしばらく猫とじゃれ合っていたクリスであるが、不意に黒猫が離れた事で体勢を治す。遊んでいるばかりでもいけない。元々は、掃除に来たのだから、やるべき事をやらなければと思う。そして、ふと寝台の方へ眼をやる。

 

「ベッドといえば……。やっぱ、アレがあるのかなぁ……?」

 

 そして、ふと、そんな事が思い浮かぶ。一応クリスが頻繁に来るとは言え、ユキは猫と一緒ではあるが一人暮らしである。やはり、男の一人暮らしというのは、そういう本があるのではないかと思い至る。クリスが混浴に入っても大して動揺しなかったとはいえ、ユキも男である。スケベ本の一つでもあるのではないかと考えると、そっち方面に考えが行ってしまう。そして、この場には自分以外居ない。主も絶対に帰って来ない。ならば、やる事は一つだった。

 

「別に、あたしはあの人がどんな女が好みだろうと、どうでもいーんだけどな。とは言え、もし、装者の中にあの人の好みの女が居たら、そいつに迷惑がかかる可能性もあるから参考がてらに探してみるだけだからな!」

 

 そして、誰もいない場所で、誰も聞いていない事を言い訳のように答えつつクリスは物色を始める。そして、暫く部屋と格闘を繰り広げる。

 

「一冊もない……、だと?」

 

 そして、何の成果も見つける事が出来ずに終わる。予想外の結果に呆然としつつ、ふと、自分は何をしているんだと冷静になり、乾いた笑いを零す。

 

「風呂でも、沸かすか」

 

 そしてぽつりと呟いた。自分がいないときは好きに使って良いと言われている。元々泊まる心算ではあったが、不意に温まりたくなったのである。クロはいる。だけど、その飼い主はいない。それが、寂しく思えてしまうのである。やがて風呂が沸く。手慣れた手つきで着替えを取り出し、入浴に向かう。

 

「ふぅ……」

 

 そして体を丁寧に洗い、お風呂に肩まで浸かったところでため息が零れる。お風呂は温かい。だけど、少しだけ寒かった。もっと温かくなりたい。そんな事を思ってしまう。そのまま、膝を抱え口元まで湯船に浸かり、ブクブクと息を零す。

 

「早く、戻ってこいよ。寂しい、だろ……。之景さんの、バカ。居場所を作ってくれるって言ったのに、嘘つき」

 

 そして、湯船に浸かりながら零した呟きは、会いたい人に届く事は無く消える。結局、クリスは自分で用意した布団では無く、普段ユキが使ってる寝台に潜り込み、その日は眠るのだった。 

 

 

 

 

 

 

 

「……嗚呼、そうだったか。落とされたのだった」

 

 目が覚め回り切らない頭で考えて、最初に思い出したのは血刃だった。黒金とぶつかり合った時、腕を斬り落とされていた。右腕。前腕の半ば辺りから綺麗に断ち斬られている。それを眺める。相手をしたのは血刃である。その力は誰よりも知っている。痛みは無かった。痛みすら、斬り落とされていた。

 

「さて、……」

 

 今回目が覚めたのが初めてと言う訳では無かった。浅い眠りを繰り返している。一度、その合間に司令と話をした。義手を作る。そんな感じの話だったと思うが、詳しい話は余り覚えていなかったりする。流石に、今回ばかりは消耗が激しい。浅い眠りを繰り返しつつ、何かを話し、生きる為に必要なものを採っている様な感じであった。戦っていた。命の限り戦い、全霊を以て敵を退けている。だが、勝った訳では無い。負けはしなかったが、相手は人形である。修理が効く分、受けた痛手はこちらが上だった。此方が負傷をしていようと、敵は待ってくれるわけがない。腕が無いのが、痛い。戦うのにあたって、これまでの動きが出来ないのは大きな枷である。どこか遠い頭で、考え続ける。

 

「起きたか、ユキ」

「おや、司令ですか。何時振りでしょうか?」

「ああ、昨日ぶりだ。義手を作るという件、協力者ができた。お前の身体の事だ。話しておこうと思ってな」

 

 義手。斬り落とされた腕の代わりを作るという話だった。軽く息を吸う。そして、血液を体全体に循環させる。覚醒。何処か微睡んでいた意識が目を覚ます。臥している体を起こした。

 

「無理はするな」

「いえ、大丈夫です。思った以上に痛みがない為、少し呆けていましたよ」

「そうか。ならば良いのだが。だが、これ以上無理をする必要はない。辛ければ言ってくれ」

「はい」

 

 司令の言葉に頷く。腕の傷は、痛くはない。違和感が激しいだけである。痛みで言うのならば、腕を引裂いた時や、胴を貫かれた時の方が酷かった。切り口が綺麗な分、まだマシという事だろう。薬が効いており、痛みにも馴れていた。何も感じない訳では無いが、耐えきれないものではない。

 

「それで、協力者、とは?」

「は、はい。あなたが上泉之景さん、ですか?」

 

 そして、一人の少女が司令の陰から現れる。

 

「君は、キャロル・マールス・ディーンハイム……に似ているが違うな。妹か何かかな?」

「はい。ボクは錬金術師キャロルに作られたホムンクルスの一体です。名前はエルフナインと言います。あなたが、キャロルの見ていた、異端殺しの英雄。当代の剣聖」

「そうか、あの子の。だから、協力者と言う訳か」

「ああ。状況は切迫している。シンフォギアが壊され、新たなノイズも出現している。っと、その辺りはおいおい話すとして、今は義手の話を進めようか」

 

 司令の言葉に頷く。錬金術師キャロル・マールス・ディーンハイム。実際に言葉を交わし、刃を交わしたからこそ、その名が沁み込む様に胸に刻まれる。対峙した敵であった。だが、同時に恩人でもあった。かつて言葉を交わしてもいた。父の墓。大切な父親を亡くしたと涙を零した姿が思い浮かぶ。それだけでも、自分と同じように父を大切に思っていた事は解った。その姿を見ており、戦場での出来事でもあった。自分の腕を斬り落とした相手の首魁ではあるはずなのだが、何故と言う気持ちの方が強い。何故自分を助け、何故殺す事にしたのか。考えても解る筈は無いだろう。だが、その答えを解るかもしれない相手が目の前にいた。エルフナインと名乗った、協力者の少女の言葉に耳を傾ける。

 

「先ず、結論だけ言いますね。あなたの腕ですが、これは如何しようもありません」

「だろうな。ただでさえ二つに分かたれたものを、囮に使った。更に切り刻まれたよ」

 

 エルフナインの言葉に頷く。落とされた以上、そんな物には拘れない。外れた時点で、腕は物であった。大切な両親から与えられた身体ではあるが、離れた時点で身体ではないのである。一瞬、古の英雄たちの様に喰らい血肉とするのも良いかと思ったが、流石に考え直す。

 

「……自分の腕を良く囮に使えましたね」

「まぁ、大したものでもない。離れれば、物でしかない。戦いは一瞬だ。命の危機が迫る中、落ちた腕には拘れんよ」

「……、そう、ですか。えっと、脱線してしまいましたね、すみません。それで腕ですが、義手であれば、S.O.N.G.の異端技術と錬金術の複合で何とかなると思います」

「以前のように動かせると?」

「はい。あくまで義手ですので、見た目は人間の腕と同じとはいきませんが、動作だけならば斬られる前とほぼ同じに行えると思います」

 

 右腕は既に無い。それが義手であるとは言え、動くというのであれば人間の腕でないというのは大した問題にならなかった。異端技術だけでも動かせるだろうが、どうしても劣化するとは聞いていた。それが良くなるというのなら、充分すぎると言える。

 

「では、君に義手を作って貰いたい」

「え?」

「どうかしたか?」

 

 口を出た言葉に、エルフナインが驚いた様に目を丸める。

 

「いえ、その、あんまりにも簡単に決められてしまったので、吃驚しちゃって。それに、ボクはキャロル側だった者ですよ。そんなにあっさり信用して良いのかって思って」

「ああ、そういう事か。どうせ失くしたものだ。それが手に入るというのならば、それ以上に望むものは無い。それに、君が信用できないのは君に実績が無いからだ。だからと言って、大した危険もないのに見返りは大きい事を試さない理由にはならない。君が騙していたり失敗したとしても、どうせ俺の腕は無いのだ。それならば、やらせてみれば良い。それで結果を出せば、君を認められる。俺も、君を見ている者達も、だ」

「確かにそうですけど、そんな簡単に、実際に行動に移せと言える物なんですか?」

「そんなものだよ。俺だって、腕が無いよりはある方が良い」

 

 左腕一つで剣は握れる。だが、右腕も使えるというのならば、それに越した事は無い。斬り落とされた事に関しては、自身が甘かったと言わざる得ない。虚を突かれ、相手の刃が強かったとはいえ、一刀の下に切り伏せられたのは己の不明だろう。弱かったから腕は落とされた。戦場である。そういう事なのだ。武門である。戦いが続けば、腕の一つや二つ落とす事も想定はしている。例え隻腕になったとしても、意志が揺らぐ事は無い。片手が無くなったぐらいでは、戦う為に研鑽した刃は揺らがないのである。その為に、鍛え上げて来たのだから。

 

「しかし、異端技術とは言え、早々上手くいく物なのか?」

「はい。あなた達ならばご存知だと思いますが、外部兵装である英雄の剣にも使われていた、いくつかの部品を流用します。ボクがキャロルの下から逃げてきた際、持ち出して来たものの中に必要なものは揃っています。シンフォギアや、英雄の剣の兵装生成能力。技術としての系統は違いますが、これを応用して腕を作成すれば、充分に義手としても転用が効きます。尤も常時展開する都合上、先の二つとは全く異なり、既存技術をベースにして、要所に異端技術を融合させた折衷品という事になります」

 

 エルフナインの話を聞き、頷いた。流石に異端技術関連の話までは分からないが、異端技術を組み込んだ義手が出来るという事だった。彼女が言う限り、特に危険性のようなものも見受けられないようである。実際に作った上で用いてみなければ解らないという事もあるが、その性能は充分過ぎる。異端技術を用いた義手である。自分の腕をほぼ変わらない重さでありながら、強度は生身の腕以上である。右腕だけではあるが、ノイズの分解耐性もあるようだ。剣を用いる為、大きな意味は無いが、義手となる事で以前より強くなると言えるだろう。

 

「そうか。充分過ぎるな。腕を失って尚、更に強くなる。逆に良いのか? とすら思える」

「腕を失ったんですよ? 充分過ぎる代償を払っていると思いますが」

「強くなるのはな、研鑽の果てに辿り着く道だよ。なにか、ずるをしている様な気がする」

 

 今は無い右手を握る。当たり前だが動きは無い。だが、もう一度握れるかもしれない。それでも充分過ぎる。

 

「では、腕を作る方向で話は勧めさせてもらう」

「はい、お願いします」

 

 最後に司令がそう締めくくる。話はそれで終わりであった。

 そして、現在S.O.N.G.や特異災害対策機動部の取り巻く状況の説明を聞いていく。

 錬金術師キャロルと彼女率いる自動人形。そして、新たに現れたシンフォギアすら分解する、錬金術で改造された新型のノイズ、アルカノイズ。従来のノイズと比べ、位相差障壁に用いられている力が減り防御性能は落ちているが、その分、シンフォギアすらも分解する能力が付与されていた。より攻撃特化になったと言えるだろう。とは言え、当たれば終わりのなのは変わらない。個人的な意見を言わせて貰うと、むしろ弱くなっている。アルカノイズに関しては、逆に倒し易くなっただけだった。そんな話をすると、エルフナインは面白いように表情を崩していた。その様がおかしくて笑うと、恥ずかしそうに俯いていた。そして、キャロルの目的が世界を壊す事であると改めて聞き、この日の話は終わった。そして幾らか日にちが流れる。

 

「突貫工事ですが、一先ずは完成しました!」

「これをどうぞ」

「随分早く出来たものだな」

 

 緒川と共に訪ったエルフナインの言葉に頷く。右腕には既に義手を填める端末が取り付けられている。本日持ち込まれたものこそ異端技術との複合品ではあるが、既存技術の義手も接続できるようにと付けられたものであった。持ち込まれた黒色の義手を眺めつつ、随分早いと零す。

 

「はい! あなたの義手が完成して認められれば、申請しているシンフォギアの強化改修も少しは通り易くなると思います。」

「そうか。それなら、早く完成させないといけないな」

 

 完成した事に嬉しそうに胸を張るエルフナインの言葉に聞きつつ応える。先ずは、俺の義手を完成させる事で実績を積むという事だった。一つや二つで変りはしないと思うが、無いよりは遥かに良いとも言える。言葉を素直に受け取るエルフナインに笑みと共に頷いていた

 

「あ、でも、之景さんの義手を手抜きするって事じゃありませんからね。あくまで、大まかに作っただけです。ここから微調整を重ねて、更に身体と義手が一体化して貰えれば漸く完成となります」

「付けて見ても良いだろうか」

「はい」

 

 一言告げ、義手を接続する。痛みと不快な感覚。それに暫く耐え、やがて、何時もの感覚だけが残る。腕。まだいくらか違和感があるが、それでも右腕の感覚はあった。動かす。手を開き閉じる。初めての装着である為調整不足は否めないが、充分過ぎる結果だった。

 

「どう、ですか?」

 

 エルフナインがおずおずと聞いて来る。笑う。まだまだ完璧とは言い難いが、それでも失くした物が帰ってきていた。

 

「ああ。悪くはない。黒鉄の腕と言うのは、存外武門に似合っているかもしれないな」

 

 強く握りしめる。生身の腕は失っていた。だが、そのおかげでより強固な腕は手にしていた。黒鉄の右腕。それが、斬り落とされて得た、新たな力だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




クリス、一人でお泊り
武門、エルフナイン製の右腕を手に入れる


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7.戦いの代償

「それにしても、あの之景が怪我をするとはね」

「……はい。でも、上泉先生は何時も怪我をしているって皆言います。思えば、私を助けてくれた時も無茶をしていました」

「……、確かに。風鳴司令と緒川の三人で連携技を披露していたわね。……今思い出してもアレは何だったのかしら。シンフォギアも纏わずに、空を飛んだようなものじゃない。本当に人間なのかしら」

 

 未来とマリアは病棟を歩いていた。S.O.N.G.の管轄下にある病院の一棟。そこは、超常脅威に立ち向かう者たちの為に作られた、最新鋭の医療施設であった。その中を、二人の少女は歩いている。ロンドンで世界を相手に講演を行っていたマリアではあったが、錬金術師の台頭により、再びS.O.N.G.に合流したと言う事であった。

 その折に司令である弦十郎から、一課に転属した上泉之景が怪我を負ったと聞かされていた。マリア自身、ユキとはフロンティア事変の時に大きな借りを作っている。その人物が怪我を負ったというのなら、見舞いに行く事ぐらいやぶさかでは無かった。響の友人である未来と二人で見舞いに行くというのに違和感を感じながらも、何処となく沈んでいる未来の様子に軽く言葉を交わしながら進んでいく。

 先ず、年長者であるマリアから会いに行って欲しいと弦十郎には言われていた。折を見て、響やクリス、翼には面会の許可を出す心算ではあるが、先ずはマリアに会って欲しいというのが大人達の意見であった。

 何故付き合いの長い三人娘を差し置いて自分が最初なのか。更には、今向かっている場所の事について口外しないよう強く言い渡されてもいる。それについて理由を問いただしてみると、会えば解る。会うまでは、誰にも言わないでくれと告げられていた。理由になってないと内心憤ったマリアではあったが、あの風鳴弦十郎が返答に窮している。一時は敵対していたからマリア自身もユキの戦い方を少しは知っていた。また深く斬り裂いたり、骨折でもしたのだろうかと予想を立てる。例えば今隣に居る未来を庇って負傷した。そんな事情だったとすれば、未来と二人で歩いているのも、何処か様子がおかしいのもすんなりと説明がつく。そんな考えを巡らせながらマリアは未来と昔話を交わす。思えば、この子にも酷い事をしている。一度、きちんと謝らなければいけないと語りつつ、マリアは思い定める。

 

「ッ!? 先生は、人です。どれだけ強くても、私達と同じ人間です。シンフォギアや、英雄の剣なんてものを持たない、ただの人間なんです。それでも誰よりも前に出て血を流して、痛いのも辛いのも全部呑み込んで戦っている。戦っていた、人なんです。間違ってもマリアさんは、S.O.N.G.の人はそんなこと言っちゃいけません」

「え、ええ。ごめんなさい。確かに彼は少し人間離れしたところはあるけど、人間ね。軽率だったわ。ごめんなさい。だけど、どうかしたのかしら?」

 

 かつての出来事を思い起して出た言葉。それに、未来は過剰なまでに反応していた。その様子に言われたマリアは勿論、言った未来も思わず目を見開く。言葉を荒げた未来にマリアは素直に謝罪を告げるも、彼女が動揺した理由がいまいち解らない。それも仕方がないだろう。マリアは、ユキの腕が斬り落とされ血の海に沈む姿を見てはいないのだ。幾らマリアの印象の中でユキが人間離れしていたとは言え、あの光景を見てしまった未来にとって、あまりに軽率な発言だったと言える。

 

「……はい。戦っていました。自動人形と戦って、それで……」

「いえ、話さなくて良いわ。私が自分の眼で見て、聞かせて貰うから」

 

 向けた問いに答えようとして、未来の表情が辛そうに歪んだのを見て、マリアは話さなくても良いと言い直した。その様子に、何か尋常では無い事が起きたのかと思い定める。

 

「はい。その、ごめんなさい」

「いえ、気にしなくてもいいわ。私が迂闊すぎるだけだもの。駄目ね、こんな感じではマムやセレナに怒られてしまう」

「そんな事、ありませんよ」

 

 そこで会話が止まる。二人して、言葉の無いまま歩き続ける。そして、目的の部屋の前に辿り着いた。未来が軽くノックを行う。室内から入室の許可が出る。大きくは無いが、しっかりと落ち着いた声音に、存外無事じゃないかと内心マリアは安堵する。そして、扉が開いた。 

 

「おや、小日向に続き、マリアか。久しぶりだな」

「ええ、久しぶり――えッ?」

 

 そして、病室の中で最初に見たのは背中だった。黒鉄の右腕を床に付き、片腕で倒立を行う上泉之景である。右腕の事もそうだが、何故入院している人間が片腕倒立を行っているのか理解できず、思考が固まる。

 

「――なにしてるんですか!?」

 

 そして、隣から放たれた鋭い声にマリアの思考が再起動を果たす。とは言え、それも仕方がないだろう。色々な意味で予想をしていなかったのだから。マリアが固まり、未来が声を荒げるのも無理な話だった。それだけ、武門と言うのは価値観が違うのである。

 

「調整だな。落とされた右腕だが、存外良く馴染むよ。まだ痛みはあるが、ある程度の無理は利く。エルフナインには幾ら感謝しても足りないようだ」

「調整って、まだ戦う心算なんですか?」

 

 態勢を治したユキは、未来に視線を合わせる。そのまま、右腕の感触を確かめるように何度も動かしながら言葉を続ける。あまりにあっけらかんとした様子に、未来はそれ以上の言葉が出ない。

 

「ああ」

 

 そして、武門は短く頷く。腕は落とされたが、黒鉄の腕は手に入れている。ならば、戦いを止める道理はない。武門と言うのは戦う為に存在しており、その為に研鑽してきた一族である。戦いの最中、身体の一部を失う事は、当然想定している。腕が無いなら無いなりの戦い方は存在しており、それだけでは武門が終わる理由たり得ないのである。

 

「マリアさん――」

「とりあえず、詳しい話を聞かせて貰ってもいいかしら?」

 

 何なんですかこの人はと言わんばかりの未来の言葉に、マリアも頭を抱えたくなる思いだった。そして、右腕を失ったユキに促され、備え付けられた長椅子に腰を下ろす。黒鉄の右腕。明らかに異質な物の筈だが、最初に見た光景が光景であった為、意外とすんなりと受け入れてしまっていた。

 

「とは言え、何処から語るべきか」

 

 そして、二人が席に着いたところでユキは考え込む。そして、自分の身に起こった事を語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「黒金の自動人形……。そんな敵が」

「ああ。あれは強いな。出力もそうだが、人形故に挙動が人を越えている。何よりも、血刃を備えていたよ。童子切は目に見えないものを斬り裂く。シンフォギアを纏おうと、その本質は変わらない。歌を斬り、フォニックゲインも斬られかねない」

「歌を……。確かに、あなたは切歌と調、立花響と雪音クリスの絶唱を斬り裂いている。敵の錬金術師キャロルの言葉を信じるならば、斬れても不思議じゃない」

「ああ。戦うとすれば、同じ刃が必要となる。血の刃と言う意味でならば、俺以外にはいないだろう」

 

 相対した自動人形の事を語ったユキは、最後に黒金の自動人形が出れば刃を交えるなと忠告を残す。相手はその気になれば、シンフォギアの力の源である歌すらも斬って捨てる事が出来る可能性がある。マリア自身は纏うギアが無いが、ギアを壊されていない切歌や調、響は対峙する可能性があった。実際に刃を交わし、右腕を落とされているからこそ、その言葉は重い。負ければこうなるぞと、右腕を軽く掲げるユキに二の句が出ない。冗談だと軽く笑う姿に、この男はっと、何とも言えない感情が胸に湧き上がる。腕を失った張本人よりも、自分や小日向未来、風鳴司令の方が遥かに揺さぶられていると思ってしまう。

 

「どうして、そんな風に言えるんですか?」

 

 そして、黙って話を聞いていた未来が口を開く

 

「どうして、とは?」

「だって、だって腕が無くなったんですよ!? あんな酷い怪我をして、血溜まりが広がって……、右腕なんて、切り刻まれて、それで、それで……」

 

 静かに問い返すユキに、未来の感情が揺さぶられる。小日向未来は見てしまっている。身体を切り刻まれ、倒れ伏す人間の姿を。ノイズの脅威は知っていた。人が煤と変わる事も知っている。だけど、あんな血塗れの戦いは見た事が無かった。言葉を荒げた折に、記憶が鮮明に浮かび上がる。思わず、意識が遠くなるも、隣に座っていたマリアに支えられ何とか意識を繋ぎ止める。

 

「それが戦いだ。小日向。君たちが行おうとしているのも、そういう事だ」

「それは……」

「武門と言うのはな、戦う為に存在している。それはな、戦いなど行いたくない者が殆どだからだ。事実、奪い、奪い合う事など無い方が良い」

「それならッ――」

「ならば、君たちはただ奪われるだけでも良いのか。理不尽に訪れる脅威を野放しにするのか。ある日突然現れた存在に、為す術もなく奪われ壊されても良いのか。戦うと決めた相手は待ってなどくれない。大切なものが、君で言うならば響たちと共に過ごす日常。それが壊されても良いのか? 殺されても、良いと言えるのか?」

「良く、無いです」

「つまりは、そういう事だよ。それを守る為、奪わせない為に武門は刃を研ぎすます。戦えない者達から、奪わせないために存在している。我らが刃は、生かす為に在る」

 

 小日向未来が言ったのは、血に濡れて倒れ伏す者を慮っての言葉である。優しい子だと思いつつ、だからこそユキとしては戦いなど知って欲しくは無かった。血を流し倒れ伏す。未来の言葉に、それが自分で良かったのだと続ける。戦えない者たちの為、痛みを引き受けるのが武門の在り方であり本懐である。そう在るために鍛え続けてきた。ユキにとっては、それだけの事だった。

 何よりも、彼女は見ていた。まだ、見ている側であれたのだ。小日向未来も、S.O.N.G.に所属しており戦う側に居る。そうではあるが、今回は彼女単体で見れば大きな怪我もなく終わっていた。だが、次もそうであるとは言い切れない。戦いの場に立てば、何れ自動人形とまみえる事もあるだろう。その時には、自分と同じようになるかもしれない。否、研鑽し続けて来た武門ですら腕を落とされる。未来が、他の装者達であったとしても血を流し地に切り伏せられる可能性は大きいと言える。そうさせない為にも、上泉之景は前に立ち続けなければならない。

 

「響にも以前言ったがな、俺は子供が戦うのには全て反対だよ。シンフォギアや英雄の剣と言うものがあるから麻痺しているかもしれないが、本来ノイズには触れれば終わりだ。無条件で死が訪れる。そんな場に、力があるとは言え、子供に立って欲しくはない」

「それを言えば、あなたも同じよ。いえ、シンフォギアが無いからこそ、あなたは戦うべきではない」

「逆だよ、それは。武器があり戦いがあるのではない。戦う者が居るからこそ、武器は必要とされる。故に、使い手が成熟してからこそ、戦うべきなんだ。それとも君は、暁や月読が戦い切り刻まれても良いと言うのか?」

「そんな訳ないッ! だけど、あの子達は戦うわよ。私たちの想いだけで止まれるなら、最初から戦場になんて立ちはしない」

「だろうな。だから、俺は反対だと言っているだけだ。戦って欲しくは無いが、手の届かない場所で勝手に戦われるぐらいならば、誰かの下で共に戦ってくれる方が良い。戦いに疲れ追いつめられた時、降りる事が出来る様に戦って欲しくは無いと言い続ける。無理を押し通し、腕を失うなんて事はあの子らに経験して欲しくはない」

 

 子供に戦って欲しくないと告げるユキに、マリアは子供はただ見ているだけじゃないと言葉を返す。それはユキにも解っているからこそ、認めてはいる。だとしても、妥協しているだけなのだ。力もある。守りたいと言う想いもある。大きな戦いも経験している。そうだとしても、大きな痛みに耐えられる強さを持っている訳では無い。各々の弱いところは良く知っている。だからこそ、奪い、奪われるような事はして欲しくない。

 一度、立花響は腕を落とされ暴走した事がある。幸い腕自体は、暴走の恩恵を受け再生したがそれが無ければユキと同じ境遇になっていたと言えるだろう。あの時は傍に居たからこそ止める事が出来た。あの時はそうであったが、次も傍に居れるとは限らない。今は近いとは言え別の組織だ。似たような事が起こったとしても、現場に居合わせる事すらできない可能性が大きかった。

 雪音クリスも同じである。戦いの才や生まれた境遇から強いものを持っている。だが、些細なすれ違いから思い悩み、一人でソロモンの杖を奪取に向かった事もある。強いところと弱いところを持っていた。力はあるが、武門の様に幼い頃から戦う為に研ぎ澄まされてきたわけでは無いのである。戦いが、当たり前のものと接していた訳では無い。あの子らは武門の様に、戦う覚悟をせずに戦えるという境地に至っている訳では無かった。武門が戦うのは存在意義とすら言える。人が覚悟をして食事をする事など無い様に、武門が覚悟を行い戦う事は無い。そんなものは、とうの昔に過ぎ去っているからだ。武門が覚悟をする事があるとすれば、親しい人間を斬る折など、通常の戦いの想定とは外にある条件がつく場合だけだった。例えば雪音クリスや立花響を斬れと言われれば、流石に覚悟を決めなければならない。だが、そういった特異な状態でもない限り、武門にとって戦う事は大した問題では無かった。その為の存在なのだから。

 

「勝手な男ね。あの子達には、あの子達の想いがある。この子には、この子の想いがある。だから戦おうとしている。それは、あなたにも私にも止める事は出来ないわ。それに、あなたの言葉には自分の事が含まれていない」

「そうだな。だとしても、それが胸の内にある想いだよ。ならば、俺は何度でも言おうか。子供には戦って欲しくない。奪い、奪われる事など、大人がするべきだ。そんな想いだけは知っていて欲しい」

「まったく、あなたって男は」

「仕方あるまい、二十余年こういう風に生きて来た。今更変えられんよ。変わる必要も感じない」

 

 (ユキ)(マリア)は視線を交わす。どちらが正しいという訳では無く、ただ、在り方の違いというだけの事だった。ユキは守るべき相手に戦って欲しくないと思うだけであり、マリアは自分たちの意志で決めた事は例え危険が伴ったとしても尊重すべきだという意見なだけであった。

 

「何にせよ、俺は戦うよ。腕を落とされようと、止まる理由たり得ない。幸い新しい腕も生えて来た事なのでな」

「ええ、勝手にしてくださいな。どうせ言っても聞かないのでしょう。勝手な男だからね」

 

 そんな言葉と共に話を締めくくる。ユキもマリアも解っているのだ。相手を害したいから言っているのではない。守りたいから言っているのだと。だから、表面上は言葉の応酬であるが、そこに悪い感情が乗っている訳では無い。ユキに至っては、己の腕を斬り落とされて尚、自分が戦うと言っている。誰の目にも見える痛みがあるからこそ、その言葉には、只の言葉以上の重さが宿っている。意見がぶつかるからと言って、互いにいがみ合うと言う訳では無いのだ。

 

「大人って、何なんだろう――」

 

 意見をぶつけ合いながらも、何処か認めあっている二人の様子に、未来は思わず呟いた。きっかけは未来の言葉だった筈なのに、気付けばユキとマリアの議論になっていた。どちらが正しいなんて未来にはまだ判断できはしないが、二人の在り方が嫌だとは思わなかった。そして、話は義手の機能に移り、エルフナインの錬金術の応用で、血液を微量に消費して動かしていると教えられた。異端技術の事は解らないけど、本当に先生は自分の血ばかり使うんだなっと思ってしまう。そして、語り合う大人の様子に、未来は響をもっとフォローしなければと決意を改めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「っと、随分な出迎えだ」

 

 手袋を付けた右腕で扉を開き、家の中に入る。自室のある古びた集合住宅。退院して自分の部屋に戻るなり、黒猫と視線が合った。そのままこちらに向け走り飛び込んでくる。一瞬どうしたのかと思うが、次いで頬を舐め始めたのでどうしたものかと苦笑いが浮かぶ。

 

「お前にも心配をかけたのかな」

 

 クロを抱えたまま寝室に向かう。そのまま寝台に腰を下ろすと、クロを膝の上に座らせる。じっとこちらを見ている。今回ばかりは幾らか時間を空けてしまっていた。部屋を見渡す限り手入れが行き届いているようだ、クリスには合鍵を渡してある。怪我をしたという連絡は届いている筈な為、クロの餌やりも含め、あの子がやっていてくれたのだろう。実家みたいなもんだしと言っていた事を思い出す。実際、フィーネの魂が宿るネフシュタンの腕輪も自身が所持している訳で、ある意味実家と言えなくもないだろう。

 

「エルフナインと言う子が、新たな腕を作ってくれたよ」

 

 膝元のクロを撫でながら続ける。右腕。黒鉄の腕ではあるが、確かに腕として機能していた。微調整を何度か繰り返し、随分と上手く動くようにはなって来ているが、まだ少し調整が必要だった。呼吸にして、四分の一ほど動作がずれる。その違和感が消えれば、今以上に良くなるだろう。錬金術と言うのは凄いものだなと猫相手に語る。無論言葉が解る筈もなく、時折にゃあと相槌を返すように鳴き声を上げる。

 

「右腕が作られたよ。片腕でも戦う心算であったから、大きな力を得たと言える。これでまだ、戦える」

 

 右腕でクロに触れる。金属の感触があまり好きではないのか、左腕の方にすり寄る。思わずどうしたと声をかける。今日は随分と甘えて来る。普段は眠そうに此方を見ているだけなのだが、会わなかった期間が長いせいか、随分と可愛らしい反応を見せてくれていた。そのまま寝台の上に倒れる。黒猫は、胸の上からじっとこちらを見ている。

 不意に、扉が開く音がした。直後に、忙しない足音が聞こえる。室内を走っているのだろう。だだだだだっと音が響き、寝室に突撃してきた。上体を起こし、侵入者へと視線を向ける。

 

「帰って、来ていたのかよ」

「ああ、今し方、な」

 

 雪音クリス。息を切らしながら此方を見詰める子に視線を合わせた。じわりと目元に光るものが見える。次の瞬間、ドンっと衝撃が響いた。予想はしていたが、思っていたよりもずっと強い衝撃にそのまま押し倒されてしまう。

 

「これでも怪我人なのだが」

「知るか馬鹿。あたしに何時も何時も心配ばかりさせやがって!! 何日、留守にしてるんだよ。あんたが居ない間、あたしがどんな気持ちで……ッ」

「ああ、悪かった。また、君を泣かせているな」

 

 しがみ付き震える白猫を右腕で軽く抱き、気持ちが落ち着くまで背を好きなようにさせる。嗚咽が届く。暫く、泣き声に耳を傾ける。泣かせたことに関しては、言い返す言葉もない。

 

「何で、連絡してくれないんだよ」

「すまないな。流石に、傷が大き過ぎたよ。落ち着くまで、連絡する気が無かった」

 

 一通り、一人で動いてみてから連絡は入れるつもりだったが、まさか帰ってきてその日のうちに会う事になるとは思っても見なかった。漸く放してくれたクリスに、すまなかったと詫びながら言葉を続ける。

 

「傷?」

「ああ。右腕を落とされた。この通り、今は作りものだよ」

「――ッ!?」

 

 右腕に付けている手袋を外し、夏だというのに着ている長袖をまくる。黒鉄の右腕。流石に目立ちすぎる為、普段は服と手袋で隠していた。会ってしまったのなら隠す訳にはいかない。驚きに目を見開く白猫に、ゆっくりと説明していく。

 

「なんで、だよ」

「戦ったからだな。敵が強かったから、腕を落とされた」

「違う、そうじゃねーよッ! なんで、あんたがそんな怪我して……」

 

 すぐ傍に座っているクリスの頭に右腕を置く。解っていた反応ではある。小日向ですら、取り乱していた。付き合いが長いクリスならば尚の事だろう。

 

「それが武門だよ。戦うという事だ。勝ち続けるだけとはいくまいて」

「あたしか? あたしが悪いのか? 独りぼっちが、誰かと一緒に居たいと思ったから、それが奪われるのか?」

「オレの腕が落とされた事に君が関係あるものか」

「あうッ!?」

 

 何時ぞやの様に、負の感情が沸き上がった妹分の頭に一撃。つい普段の要領で入れてしまったが、考えて見れば右腕は義手である。此方が思っているよりも大きな衝撃だったのだろう。クリスは両手で頭を抱え蹲った。

 

「お、おおお」

「……いや、すまない。強く入れ過ぎた」

「あ、頭が割れる……」

 

 先程とは違う意味でしがみ付いて来る白猫に、乾いた笑いしか出ない。震えるクリスに、言葉をかける。

 

「動かす分には問題がない。見ての通り、充分に動かせる」

「……それは解ったけど、そういう事じゃねーよ」

 

 クリスの前で腕を動かして見せる。涙目で睨みつけてきた。論点はそこじゃねーんだよと御立腹だった。

 

「また、あたしのいないところで怪我してる。腕を失くしてる」

「武門だからな。その想定はして戦っていた。問題は無いよ。まだ、戦える」

「問題ない訳ねーだろ!! それに、まだ戦う心算なのかよ」

 

 小日向と同じ問だなと内心で思いつつ、答える。

 

「ああ。奪われたくないものがあるからな。守りたいものがある。そして、明確な敵が現れた。ならば、戦いを止める訳にはいかない」

「守りたいもの。なんだよ、それ」

「その一つが、君だろうな」

「――ッ」

 

 白猫が絶句する。

 

「一度死んでまで助けた。その子を簡単に失くしたくはないよ。フィーネにも頼まれている」

「いや、あの、いきなり何言ってんだよ!?」

「これからも戦うと言っている。どちらにせよ狙われている。相手にしない訳にはいかない」

「でも……、うぅ……ッ!」

 

 そして白猫は言葉にならない言葉を上げる。その様は本当に猫が威嚇しているように見えるので、少し面白い。

 

「た、確か、あんたは一課に所属だったよな?」

「ああ、そうだよ。とは言え、この有様だからな。暫くは出張れと言われない様だ」

 

 一課自体、大きな傷を受けたと言える。暫くは立て直しで精一杯だろう。遊撃隊と言う意味では、第一部隊は壊滅。第二部隊も隊長各が全員負傷と言う事態である。一時的に、一般部隊に再編されるという事で話は落ち着いている。第一部隊の人間に至っては、未だ誰も目を覚まさないと聞いている。それも仕方がないだろう。

 

「なら、あたしが一課に行く!」

「また、突拍子の無い事を言ってくれる。早々移れるものではないだろう」

「でも、あんたはまた一人で戦う心算だろ」

「そうなるかもしれんな。しかし、仮に君が来たとしても、埒も無い事だぞ」

 

 そして、クリスが無理な事を言い出す。心配してくれているのは解るのだが、土台無理な話だった。第一、今のクリスがどうやって戦う気なのか。意味が無いと告げると、拗ねたように頬を膨らませた。

 

「どうしてだよ」

「ギアが無いだろう」

「あ」

 

 イチイバルも、天羽々斬も破壊されたと聞いている。エルフナインには改修の当てがあるようだが、許可が下りない事には始まらなかった。

 

「まぁ、当面無理はしない。義手の様子も見なければいけないからな」

「信用ならねぇ」

 

 何とか言いくるめる事には成功したが、それでも不審感が拭えないと言わんばかりに睨んでくる。苦笑いしか浮かばない。随分と信用されていない事だ。

 

「どうせ、そう言って目を離したらやりたい様にやるんだろう」

「かも知れないな」

「いや、認めんなよ!! はぁ、もう良い。好き勝手するなら、そうできないように監視するだけだ」

「……何時もの手段か?」

 

 どうやら、本気でご立腹のようである。

 

「あんただって、世話してくれる人間がいる方が良いだろう」

「まぁ、そうだな。腕がこうなって日が浅い。手を貸して貰えるのなら、借りたいと思うよ」

「なら、決まりだな」

 

 そして、暫く白猫が手伝いに来てくれるようになった。いよいよもって、大きな妹が出来てしまった気分である。照れたように声を荒げながら宣言するクリスを見ていると、それでも良いかと思ってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ、あの時逃がしたシンフォギアを壊しに行こうかと思いまーす」

「そうか。人員が必要ならば、すきに連れて行くと良い」

 

 錬金術師の本拠地で、ガリィは主であるキャロルに向けてそんな事を言い放つ。玉座に腰かけたまま、キャロルは視線を向けると、思うままにやると良いと言った感じに許可を出した。

 

「人員はあたしだけで充分ですけど」

「ほう、何か心配事でもあるのか?」

 

 実働部隊は自分だけで充分だと胸を張る青に、キャロルは少し怪訝そうな表情を浮かべる。何時もと少し違う様子の自動人形に、主である錬金術師は何か問題でも出たのかと問いかける。

 

「いやですねぇ、ガリィちゃんがいない間に、マスターがいらない事をしでかさないか心配なんですよぉ。この間も、随分熱心にエルフナイン越しに見ていたようですしね。腕を落とした事を後悔するなら、最初からやらなきゃいいのにって思いまして。ブレっブレなご主人様の様子が心配なんですよぉ。ガリィちゃん達が頑張ってるのに、お膳立てを台無しにされたら目も当てられませんから」

「それは私も地味に気になっていました。すこし、気にし過ぎかと」

「まぁ、半ば不意打ちのようなものだったと聞きました。マスターが気に病むのも仕方がないのかもしれませんわ」

「あれこれ考えず、真正面から戦って倒せば後腐れが無くて良いと思うんだゾ」

 

 青の言葉に、各々は同意を示す。黒金だけが、何も言わず虚空を見詰めている。

 

「んな!?」

 

 悠然と腰かけ頬杖を付いていた表情が、面白いように歪む。それを見た青は、うんうんと満足気に頷いた。青が周囲を見渡すと、他の自動人形も一様に頷いている。主人だけが、心の中にある揺らぎを気付かれていないと思っていた訳である。あんまりと言えばあんまりな言い草に、思わず錬金術師は感情を乱す。

 

「おまえたち、ふざけているのか?」

「いやいや。あたしは何時もマスターの為に一生懸命ですよ。大願を果たすには障害がつきものってやつですよ。だから、万全を期すためにも下手な事をしないで欲しいだけでーす」

「……ああ、万象黙示録を完成させる事こそが託された命題だ。目的は何においても優先される。そんな事、解っているさ」

「はい。それなら良いんです。マスターは、クロちゃんを見習って黙ってると良いと思いますよ。英雄の軌跡を能力に落とし込んだクロちゃんにとっては、英雄は言わば親のようなものですよ。それと戦わせようとするんですから、マスターも意地が悪いですね」

「……そうか、たしかに、そうなるのか」

 

 黒金の自動人形に一瞬視線を向け、キャロルはガリィを見詰める。青はにっこりと満面の笑みを浮かべた。その姿に、相変わらず人を良く見て、その上で態々痛いところを突いて来ると悪態を吐きたくなる。そんな事をしたところで目の前の人形が喜ぶだけなので平静を装うも、見透かされているように思えるのがどこか悔しくて、相変わらず性根が腐っていると呟く。

 

「無駄話はここまでだ。目的を達成して来い」

「はいはーい! マスタは、くれぐれも大人しくしておいてくださいね。盤面を狂わされでもしたら、困っちゃいますから」

「良いから早く行け!!」

 

 子供に念を押すように告げる青に、錬金術師は少し怒ったように言い放つ。そして、ただ一機騒がしくしていた人形が姿を消す。辺りが静寂に包まれる。

 

「オレは後悔などしない。する訳が、ない」

 

 少女の胸に、青の言葉が過る。吐き捨てる。それでも尚、生まれた不快な感覚がなくなる事は無い。数瞬の瞑目。錬金術師は玉座から立ち上がったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




武門、多少痛くても動けば完治、慢性的に血が足りない
未来、戦いについて考える
クリス、お手伝いさんになる
ガリィちゃん、マスターがいらない事するフラグを立てる
キャロル、いらない事をする為に立ち上がる



正直、ガリィちゃんは異様に動かしやすいのデス


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8.信じて、裏切られて

「アガートラームを?」

「ええ。私の持つシンフォギア。シンフォギアであったアガートラームだけは、他の娘達の持つものとは扱いが違うわ。一度完全に壊れてしまった、F.I.S.のシンフォギア。私が個人的に持っている、お守りよ。S.O.N.G.に登録されていない、ただ一つのシンフォギアと言えるわ」

 

 S.O.N.G.本部にある研究室の一角。マリアがユキの義手を作り終えたエルフナインと対面していた。シンフォギアの強化改修。エルフナインの立案、申請中の計画を聞きつけたマリアは、抜け道があると言わんばかりに一つのギアを取り出していた。かつて、フロンティア事変の折にマリア・カデンツァヴナ・イヴが纏った白銀のギア。既に完全に壊れ、S.O.N.G.には登録されなかった聖遺物の欠片をエルフナインに手渡す。

 

「でも、どうしてこれを?」

「S.O.N.G.のギアは二つが壊され、切歌と調、そして私もリンカーを用いない無理な戦いを行い実質動けるシンフォギア装者はあの子だけになっているわ。そして、私が纏う事が出来たガングニールも、本来は立花響の力と言える。今は動けない。だけど、次に何かあった時には動けるようにしておきたいの」

 

 自動人形の襲撃。それが行われていた。クリス、翼に続き、今度は立花響が襲撃されていた。幸い近くに居たマリアが救援に向かい、響の手元から離れたギアを咄嗟に纏う事で自動人形の襲撃は何とか退ける形で収まっていた。その時に、マリアは歌う事が出来なくなってしまった響に、力を持つ責任から逃げるなと伝えていた。泣いて居る相手と戦って良いのかと、響はキャロルと接触した際に話していた。迷い。大きく揺れる響に、かつてユキが言い聞かせたように、マリアなりのやり方で語ったと言う訳であった。

 

「マリアさん……」

「あの子には、力を持つ責任から逃げるななんて、知ったような事を言ってしまったからね。私は口だけの女になりたくない。だから、その為にも私だけの力が欲しい。それは、たった一人で錬金術師たちの追ってから逃げ、此処まで来たあなたに頼みたい。英雄の右腕を作り上げた、あなたにだから頼みたいの」

「解りました」

「風鳴司令には既に話を付けてあるわ。たとえ失敗しても、最初から無かったものが無くなるだけ。黒鉄の右腕の実績も予想外に高く評価されている。申請が通るのも時間の問題という事で、個人の所有物を改修する事には言質こそないけど、暗黙の了解がされたわ」

 

 そして、ただ一人ギアを持たないマリアは、己だけの力を得る為にエルフナインに妹の形見を託す。自分は装者の中では年長者でもある。右腕を失くして尚、例え義手が無くとも戦うと言い切った男に触発もされてしまっていた。その男の右腕を見事に作り上げたエルフナインだからこそ、託したいと思い渡す。

 

「はい。直ぐに取り掛かりますね。必ず、完成させます」

「ええ。期待しているわよ」

 

 そして、マリアは白銀のギアを仲間に託す。本当の強さ。それを知る為にも、戦える力が必要だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ふおおお!! にーちゃん何だそれ。超カッケー!!」

「……、そうか、そうだな。男の子だものな。そういう反応になるか」

 

 都市の中にある公園の一角。街中を歩いている途中、トニー少年と出会った為、少しばかり時間を取っていた。その時に、右腕の手袋について聞かれた為、腕を落とされた事を語っていた。内部的には異端技術も用いられている為極秘ではあるが、相手は子供である。義手であるという事だけならば、隠す必要も無かった。黒鉄の右腕を表に出し、少年に見せると、目を輝かせ食いついていた。やんちゃ盛りな年ごろである。機械などにも興味津々と言った年齢だった。格好良い。大抵はこの腕を見ると悲痛な表情を浮かべるので、このトニー少年の素直な反応は、何処か新鮮で嬉しく感じる。失ったものは元には戻らない。とは言え、あまり腫れ物に触るように接せられても息苦しさがあるという事だった。そういう意味では、格好良いと遠慮なく触るトニー少年の反応は小気味が良いとすら感じる。

 

「なぁ、なぁ、ロケットパンチとかできねーの!?」

「流石に無理だな。加速装置ならついているぞ」

「そっちだったか!」

 

 必殺技とか無いのと言わんばかりに聞いてい来る少年に、笑いながら冗談めかして答えた。実際の所、流石に射出機能は付いていないが、血液を意図的に消費、一瞬だけ加速する錬金術ならば行使できると言うのがエルフナインの言である。何故そんな機能を付けたのかと聞いたが、格好良いからです! と真顔で答えられて反応に窮したのを思い出す。

 とは言え、本当に使えるようで一度だけ試した事がある。効果自体は凄まじいが、数秒以上の使用は意識もまた飛びそうになる。とても戦闘中に使える類の物では無かった。錬金術である為、エルフナイン同伴でS.O.N.G.訓練所で試しを行った直後に、まるで見計らったように現れたアルカノイズの反応があったが、自身は最悪の状態であった為、介入する事は出来なかった。それ自体は悔いが残る結果となったが、実感した事もある。エルフナイン曰く、血液の消耗は錬金術としてそれなりの代償であるらしく、確かに効果は大きかった。その分反動も大きい諸刃の剣であるが。血刃との併用はとてもできるものではなく、それこそネフシュタンが安定して起動でもしない限りは使える時が無さそうだ。ちなみに、使用するには拳を強く握り自動錬金(オートアルケミー)と告げれば発動する。黒鉄の右腕となった事と言い、いよいよ以て、黒金の自動人形に近付いてきた気がしないでもない。

 

「しかし、君は俺が怖くは無いのかな」

「怖い? なんで?」

「俺は君よりも遥かに年上であるし、出会いもあんな感じだった」

 

 トニー少年との会話の途中、ふと思い至ったので聞いてみる。ウェル博士に取られた人質。それが、この子との初めての出会いだった。気丈に涙こそ零さなかったが、良い思い出では無いだろう。

 

「ああ、そういう事か。そりゃ、あの時は正直怖かったけど、兄ちゃんが助けてくれた」

「あの状況ではな。助けるなと言う方が難しい」

「だよな。ノイズも一杯居た。けど、兄ちゃんは、必ず助けてくれるって言ってくれて、本当に助けてくれた。俺にとっては、兄ちゃんはヒーローなんだよ。怖い訳ないじゃんッ!」

「……そうか。ヒーローか」

 

 その言葉に少しだけ虚を突かれていた。場所や状況は違えども、自身は父と同じ事をしていたという事なのだろう。ヒーロー。そんな少年の言葉が、面映ゆい。照れ隠しの代わりに、少年の頭を強めに撫でる。黒鉄の右腕で触れると、嬉しそうに頬をかく。

 

「兄ちゃん、特異災害対策なんちゃらの剣士なんだよな」

「ああ。特異災害対策機動部。ノイズを始め、色々な災害に対応するのが仕事だよ」

「すっげーなぁ。俺も、大人になったら、兄ちゃんみたいに誰かを守るような仕事に就きたい!」

「簡単な道ではないぞ。体を鍛えなければいけない」

 

 無邪気な少年の言葉。だからこそ、真剣に応える。何処かの誰かの為に命を懸ける。それは、簡単な事ではない。自分は研鑽の果てに居る。それは、楽な道では無かった。戦いなど、しなくて済むならば、しない方が良いだろう。

 

「俺だって、男だぜ。助けられたんだから、次は誰かを助けたい。その気持ちは、兄ちゃんが教えてくれたッ!」

「そうか、そうだったな。俺が言ったのだったな」

 

 トニー少年がにやりと笑う。これは一本取られたなと、苦笑が零れた。自分が、この少年の中に火を付けてしまったのである。そうであるならば、自分の言葉を撤回させる訳にはいかない。

 

「だからさ、兄ちゃんが暇な時だけでも良いからさ。色々教えてくれよ。身体の鍛え方とか、兄ちゃんみたいな剣の使い方とかさ」 

「……簡単な道ではないぞ。本当に強くなりたいというのならば、身体を鍛えるだけではいけない。男は、強さと同時に己の意思も持たねばならない。何のために強くなるのか。力をどのように使うのか。考える事もまた、強くなるのには必要な事だ」

「んー、難しい事はまだ解んないけどさ、兄ちゃんなら、きっと俺にも教えてくれると思うから言ってるんだ。兄ちゃんみたいになりたい。兄ちゃんにはなれないけど、兄ちゃんみたいに格好良くなりたいんだ」

 

 誰かを守れるようになりたい。生かせるようになりたい。そんな想いは、自分も痛いほど良く知っていた。少年の言葉に、どこか懐かしい想いが顔を見せる。この子は俺と同じ道を歩もうとしているのか。そんな事を一瞬思うが、それは違うと思い定める。近いだけなのだ。自分には自分の想いがある様に、トニー少年には少年なりの想いがあった。それが同じという事は無い。だけど、重なる所もまた確かに存在する。その想いが、何処か眩しく思えた。

 

「解った。君に、色々な事を教えようか」

「ほんとか!?」

「ああ。男同士の約束だ」

「ッ! 約束する!!」

 

 左腕の拳を握り突き出す。トニー少年もまた、己の右腕を握りそれにぶつけた。男同士の約束。確かにそれを結んでいた。顔を見合わせる。少年が嬉しそうに笑う。つられて、軽く笑った。

 

「意外な姿を見た。子供が、好きなのか……?」

「君は……」

 

 そして、予想外な言葉がかけられる。視線、即座に向ける。其処には、青色の外套に黒い大きな帽子。そして、零れ落ちる金髪。錬金術師、キャロル・マールス・ディーンハイムが存在していた。

 

「そう、睨んでくれるな。子供もいる。今日は戦いに来たわけではない」

「この子は、君たちとの争いに関係ない」

「解っているさ。オレも、若き命を無駄に散らせようなどとは思っていない。今は、な」

 

 少年を背後に隠すように前に出る。臨戦態勢。右腕の調整はまだ完全とまではいかないが、十二分に戦える程度には仕上がっていると言える。相手は敵の首魁であるが、撃破では無く、撃退に重きを置く。子供が傍に居る。優先すべき事を間違えてはならなかった。

 

「その子は、家にでも帰すと良い。お前もそうでなければ、警戒を消せないだろう?」

「何の心算だ?」

「言葉通りの意味だ。今日は戦いに来たわけではない」

 

 そう警戒してくれるなと、キャロルは小さく笑った。思わず眉を寄せる。状況が、いまいち読み切れなかった。とは言え、相手からは戦う意思が感じられない。ならば、やる事は一つだった。

 

「トニー。君は直ぐに帰ると良い。俺は、この女とする事ができたよ」

「解った……。兄ちゃん、気を付けてくれよな。兄ちゃんと会えなくなるなんて、俺、嫌だからな!」

 

 背後から少年の声が届いた。それに、右腕を上げる事で答える。相手は錬金術師である。何処からか、自動人形も様子を伺っているかもしれない。視線を逸らす事など、出来なかった。そして、トニー少年の気配が遠くなり、やがて知覚できなくなる。無事、離脱する事が出来た。そういう事だろう。

 

「さて、邪魔者は居なくなったな。とりあえず」

 

 そして、漸く本題に入れると言った具合にキャロルは視線を此方に向ける。これまでの遭遇では、落ち着いて観察する時間は余りなかったが、確かにエルフナインに瓜二つである。とは言え、エルフナインはキャロルを大本としたクローンの様なものであると言っていた。ホムンクルス。確か、そんな名前だったか。エルフナインが、キャロルに似ていると称するべきだろうか。一挙手一投足に注意を向ける。

 

「傷の具合はどうだ?」

 

 そして錬金術師は、予想だにしていなかった事を尋ねてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と皮肉の効いた事を聞いてくれる」

 

 キャロルの言葉を聞いたユキが零したのは、そんな言葉であった。意図の見えない問に思わず眉を顰めつつも、斬り落とされた右腕をぐるりと動かす。そのまま手を開き握るのを繰り返し、問題なく動く事を行動で示す。

 

「エルフナインは、随分と良い腕を作ってくれたよ。これ程であれば、アルカノイズを斬れなくもない」

「そうか。そうだろうな……。お前ならば、例え腕が落とされていようとも、生きていれば立ち上がると思っていた」

 

 返される皮肉にキャロルの表情がほんの僅かに歪むが、次の瞬間には何時もの落ち着いたものに変わる。そのまま、右腕を失ったユキに数歩近付き、お前であればこうなるのは仕方がなかったのだろうと零す。

 

「やはり不便か?」

「……、以前に比べれば、な」

 

 一体何の思惑があるのかと思いつつも、ユキは錬金術師の問いに応じる。相手はキャロル一人ではあるが、自動人形が控えている可能性は否定できない。テレポートジェムと言う空間転移を可能とする異端技術も存在している上、少なくとも二機の自動人形は不可視になれる事を確認している。迂闊に手を出す事も出来ない。アルカノイズでも呼び出されれば、ユキ本人は勿論の事、近隣の住民にも被害が出かねない。故に、今はキャロルの出方を見るのがユキの取った方針であった。まさか無策で赴いた訳では無い。これまでに周到な準備を行い、S.O.N.G.や一課を翻弄してきた錬金術師が相手だからこそ採った方策だった。そのまさかの行動をとったのが、今のキャロルであるのだが、そこまでは流石のユキも読み切れてはいない。

 

「そうか……」

 

 そんなユキの返答に、キャロルの表情が僅かに歪む。キャロル・マールス・ディーンハイムは、フィーネを童子切を以て斬って捨てる為にユキの事をずっと見て来ていた。ユキはキャロルにとって、自分と同じく父に生かされ残された言葉を胸に抱き、その在り方を大きく影響された人間だった。二人は、自分たちにとって偉大な父を持ち、そんな父親の生き方に誇りを持ち、死して尚、その存在を大切に想っている点が共通していた。オレと極めて近い想いを持つ者。父親を大切に想う姿を見て、そんな印象を錬金術師は英雄に見出していたと言える。

 一度は計画の為、確実に殺す決意を固め、黒金の自動人形をぶつけていた。手に入れた童子切の欠片から生成した、決戦兵装。第二抜剣(セカンドイグニッション)。それを以て、片腕を斬り落としていた。此処で、逝ってくれ。立ち上がらないでくれ。そんな、ある種の祈りとも言える少女の願いを、英雄は己の限界を超える事で不可能を押し通し斬り裂いていた。キャロルも知る、運命を斬り拓き続けた剣。それを以て、己の刻んだ軌跡すらも乗り越え、英雄は自動人形を退けたと言える。戦い自体は、人間と言う枷もあり、黒金の自動人形が勝利を収めたように見えるが、キャロルからすればいっそ痛快と思えるほどの敗北だった。一方的に対策を立て、相手の技を奪い、自動人形という人間を遥かに越えるスペックを持つ決戦兵装を作り上げて尚、痛み分けに持ち込まれたのである。胸に抱いた想いを押し殺し、必殺の決意を以て挑んだのにも拘らず、殺し切れなかった。

 そして、その事実に、心の何処かで安堵していた。そんな、一見して矛盾している感情が、少女の中で渦巻いていた故に、本人も気付かないうちに、キャロルの表情は揺れ動いてしまう。

 

「童子切は、お前だけしか使いこなせはしないだろう。それでも尚、その手にする事は出来ないのか?」

「そういう物だ。使用権限は俺に無く、所持権限も無い」

「如何にも、組織と言うものの弱さが出ているな。体面をばかりに気を取られ、優れた道具を腐らせる。研鑽の果てに届くものを分かりはしない。故に、強大な力を持ちながら、その唯一の使い手の傍にすら異端技術は存在しない。全く、馬鹿げた話だ。その真価を理解しない者が、その価値を決める。童子切は、上泉之景が持ってこその異端技術であるというのに、それを解ろうとはしない。衆愚の極みだと言える」

 

 キャロルは、ユキに視線を向けると、全身をゆっくりと見定める。童子切。英雄が辿った軌跡の中で、その剣が振るわれた回数はそれほど多くは無い。しかし、その存在は、上泉之景を語る上で無視できないものだと言える。その剣を手にしていない事に。自分以外の要因により手にする事が出来ない事実に、敵でありながら錬金術師は、まるで己が身に起きた事の様に不満そうに吐き捨てる。研鑽して辿り着いた力の本来の在り方を歪められている姿を見て、少女は父の事を思い出す。敵であるキャロルからすれば、上泉之景の敵は、本当は所属する組織では無いのかと思わずにはいられない。童子切があれば、腕を落とされる事も無かっただろう。けしかけた張本人でありながらも、そんな事を思ってしまう。ユキと、自分の境遇。そして最愛の父が重なってしまうのである。

 

「全ての物事が思惑通りに行くものではあるまいよ。故に、人は己を磨き、存在を鍛え上げる。確かに強い武器はそれその物が力だと言える。だが、使い手が見合わなければ意味は無い。不自由な身は、己を鍛える好機だ」

「ふん、模範的な回答だな。だが、文字通り血を流し研鑽を続けたお前が言うのであれば、素直に認める事もできる。皆が皆お前の様に、足りない物は己を研ぎ澄ませ届かせるように在れたのならば、パパだって死ぬ事は無かった……。私の傍に居てくれた……」

 

 そして、ユキの返答に、お前ならば逆境も己を磨き上げる好機と見るだろうなと小さく笑う。英雄の在り方を、上泉之景の人としての在り方をずっと見ていた。ある時は敵として自動人形を通して。ある時は、同じホムンクルスである、エルフナインを通して見詰めていた。その在り方を見て思ってしまうのだ。

 パパは疫病に苦しむ人たちを研鑽してきた錬金術を以てして助けたのにも拘らず、研鑽を奇跡と貶められ、資格無き奇跡の代行者として焚刑に殉じた。もし、あの時、傍らにユキのような人間が居たらと。或いは大衆の一部にでも良いから、異を唱えてくれる人達が居たらと。研鑽を認めてくれる人間がいてくれたら、パパは死なずに死んだのではないかと思わずにはいられない。それ程に、英雄の在り方には惹かれるものがあった。

 

「君は、昔、父親を失ったと言っていたな。それが、君の戦う理由なのか?」

 

 ユキは、そんなキャロルの表情を見ると、そんな事を聞く。両親の眠る場所。其処で、初めてキャロルと出会っていた。今にして思えば、あれは、キャロルが接触してきたのだろうと容易に思い当たる。だからこそ、そんな言葉が口をつく。静かに流れ落ちた錬金術師の涙。大切な父親を亡くしたと語った事を思い出す。

 

「そうだ。オレのパパは、あの日多くの人々を救ったのにも拘らず、研鑽の果てに辿り着いた錬金術を奇跡という病魔にも似た何の意味もない言葉にすり替えられ、焚刑の煤と消えた。ただ、疫病に苦しむ人たちを救いたかったというパパの想いが、人々を救ったのにも拘らず、だ。何故だ。何故わたしのパパは、イザーク・マールス・ディーンハイムは殺されねばならなかった。何故助けた者達にすら石を投げられ、殺されなければいけなかったッ!?」

 

 少女の慟哭が響き渡る。英雄は、ただその言葉を事実として受け止める。

 疫病に苦しむ村人。資格無き奇跡の代行者。焚刑の煤に消えた。そんな言葉から思い至るのは、現代の光景では無い。エルフナインに聞いた言葉を思い出す。キャロルは、経験、記憶をホムンクルス躯体に転写する事で、常人よりも遥かに長い時を生きていると言っていた。それは彼女がまだ、本当に少女であった時に起こった出来事なのだろう。だからこそ、鮮烈すぎる程鮮烈に記憶に刻まれてしまっていた。キャロルの感情が昂り、当時の言葉遣いが僅かに顔を見せる。

 

「君の父親は誰かの為に、誰かを生かす為に研鑽した錬金術を用いたのか?」

「そうだよ。疫病に苦しむ人々の運命を変えたいと、誰かを生かしたいと言う思いで力を振るった。だというのに、衆愚に貶められ、焚刑の煤と消えたよ」

「煤と消えた……か」

 

 キャロルの言葉をユキはただ眼を閉じ噛み締めるように呟く。

 父の死に様。その姿形、辿った道程や、境遇は違いすぎるほど違っている。それでも、父親は誰かを生かす為にその力を振るい、誰かを助けていた。確かに似ている。ユキの父親がユキを命を懸けて救ったように、キャロルの父親もまた、誰かを命がけで救ったという事だった。その在り方は違う所もあるだろう。だが、確かに重なる所も存在している。その点が、父を失った少女にとって、何よりも鮮明に映ってしまう。

 

「ああ。最後の時、パパはオレに世界を知れと言い残し、死んでいった……。故にパパの死に誓ったのだ。万象に存在する摂理と術理。それらを隠す覆いを外し、チフォージュ・シャトーに記すことこそがオレの使命。即ち、万象黙示録の完成」

「それが、君の目的の到達点、か」

「ああ。だからオレは、世界を壊す。世界を分解し、万象の全てを理解し、誰かを生かす為の研鑽を奇跡に変えたような衆愚を消し去り、パパの無念を晴らすッ!!」

 

 キャロルはユキに強く意志を示す。父に託された想いを何より大切にしており、父と同じように誰かを生かす事を諦めなかった人間に、少女は訴えかける様に言葉を発する。

 

「そうか……。君は、父親を大切に想っていたのだな。君にとって、父親が大き過ぎたからこそ、そのような想いを抱いてしまった。父を愛していたからこそ、父の死を受け止めきれなかった」

 

 ユキは閉じていた眼を開き、言葉を紡ぐ。少女の慟哭。それは確かにユキの胸にまで届いていた。それは、父を大切に想ったからこそ沸き上がった慟哭であったから。

 

「それを俺に語って、君は如何しようというんだ?」

「……ッ」

 

 そして、キャロルの眼を見詰め問われた言葉に、思わずキャロルは思考が停止する。何かを行おうと思っていた訳では無い。ただ、己が作った自動人形の言葉が切欠となり、感情が揺れ動いた果ての行動だった。そこに、錬金術師らしい緻密に計算された計画など存在しない。ただ、感情のままに近い想いを持つ者に、話を聞いて欲しかったのだと気付いてしまう。

 

「オレは……」

「君は、俺にどうしろと言うんだ?」

 

 ただ静かに問われる言葉。少女の、キャロルの胸に澄み入るように入り込む。何故か、心が激しくざわついた。

 

「オレの傍に居て欲しい。オレと同じ想いを持つお前に、ただ傍で見ていて欲しい。オレが万象黙示録を完成させられるのかを……。パパの想いを、受け継いだものを成し遂げる事が出来るのかを……」

 

 そして、自分の胸に湧き上がった想いを錬金術師は英雄に告げる。乙女ですね。キャロルは、何度も青き自動人形に言われていた言葉を思い出す。確かに、そう言われても仕方がない発言をしていると自覚する。羞恥心で、一気に頬が染まった。

 

「……それは、俺に君の手伝いをしろという事か?」

「……ッ」

 

 聞き返された言葉に、ただ静かに頷く。頷く事しかできなかった。そのまますぐに俯く。何だこれは。何か自分は物凄く恥ずかしい事をしているのではないかと思考が逸れる。一度、キャロルはユキの顔を覗き見る。先程のように目を閉じ、まるで一考するように黙り込んでいた。何故か胸が高鳴ってしまう。あり得ない言葉が聞けるのではないかと、心の何処かが期待する。

 

「一つだけ、聞きたい」

「何をだ?」

 

 瞑目したまま零された言葉。それが快諾の意でない事に錬金術師は僅かな落胆を覚えるも、即座に聞き返す。

 

「君の父親は君を愛していたか?」

「どういう意味だ?」

「君の父親は最期の瞬間、君の事を案じていたのかと聞いている」

 

 それは静かに、だが何よりも強い意志を以て問われた質問だった。問われたキャロルもまた。瞑目する。自分の父親が死ぬ直前。そんな禁忌とも言える記憶を想い出すのはキャロルにとっては傷跡に塩を塗られるに等しい行為であるが、それでもこの男の言葉ならばと、何処かで想ってしまう。想えてしまった。そして、明確の答えを己の記憶から得て、刮目する。

 

「オレのパパは、オレの事を愛してくれていたよ。だから、世界を知れと命題を残してくれた。オレに生きる意味を残してくれた。死の間際ですら、誰かを生かす為に戦っていた」

 

 そして、ユキの問いに一切の迷い無く答えていた。パパはオレを愛してくれていた。例え死の間際だとしても、オレの事を想ってくれていた。そう、胸を張って言う事が出来る。

 

「そうか――」

 

 そんなキャロルの言葉に、ユキはただ静かに笑い、頷いた。気持ちが通じた。何故か、キャロルはその笑顔にそんな事を想う。とくんっと、胸がまた激しく脈打つ。心の内が、大きくざわめいた。

 

「では、俺は君の手を取る訳にはいかない。君の父親の為にも、君に世界を壊させる訳にはいかない」

「な……ッ!?」

 

 だからこそ、続けられた英雄の言葉に錬金術師は目を見開いた。言葉の刃が、キャロルの胸を鋭く抉っていた。少女の想いは打ち貫かれる。

 

「何故だッ!?」

「何故、だと? 逆に問おう。何故、君は世界を知る為に、世界を壊す」

「そうするしかないからだ。世界の全てを知るには、世界をバラバラにして知る以外に方法は無い」

 

 思わず出た問いに、英雄は逆に問い返す。世界を知るには、世界を壊して調べる以外に方法は無い。それは、キャロルが出した結論だった。

 

「君の父親は、世界を知れと言い残したのだったな」

「ああ、そうだ。だからオレは」

「世界を壊せと言い残した訳ではあるまい」

 

 それを、英雄は正面から否定する。何を言っているのだこの男はと、キャロルは呆けてしまう。

 

「この方法以外、世界の全てを知る術は無い」

「何かあるかもしれない。君が見つけられていないだけで、何か存在するはずだ」

「では、どうすれば良いというんだッ」

「知らんよ。俺は錬金術師では無い。だから、可能性を提示する事しかできない」

 

 何か方法がある筈だと英雄は告げる。そんな物があるのなら、こんな大それた方法など取りはしないとキャロルは否定する。

 

「オレは数百年探し求め、この方法しか見つけられなかった!」

「君がそう言うのならば、そうなのだろうな。だが、明日見つかるかもしれない」

「馬鹿な。本気で、言っているのか?」

「本気だよ。俺には錬金術の事など解りはしない。だがな、一つだけ解る事がある」

「何が解るというんだッ」

 

 まるで、子供に言い聞かせるように告げるユキの言葉に、キャロルは思わず強く問いかける。ユキはただ、キャロルに視線を合わせ告げる。

 

「君の父親は、世界を壊すという方法は認めない。君の父親が世界を知る為に何かを行ったとしても、絶対に世界を壊すという方法はとらないという事だけだ」

 

 ユキがキャロルに言い聞かせた言葉は、キャロルの胸に深く突き刺さる。

 

「何故、そんな事を言い切れる」

「解るからだよ。俺は生かす事を託された。君の父親が誰かを生かす為に己の全てを賭けたと言うのなら、その胸の内を少しは理解ができる」

「……ッ!? なら、パパは私に何をさせようとしたの? 世界を知れと言ったのは、何を伝えたかったの!?」

 

 父親の気持ちが少しは解ると告げたユキにキャロルは詰め寄る。父の出した命題の答え。パパは自分たちに何を伝えたかったのか。解る訳がない。幾ら似た想いを持つ者とは言え、その答えが解る筈は無いのだ。だけど、それでもこの男ならばと思ってしまう。

 

「知らんよ。君の父親の想いは君の父親だけのものだ。俺如きに、解る筈がない。だけどな、それでも少しだけ解る事がある。断言してやる。君の父親は世界を壊す事など望んではいない。それどころか、君がその様な事をしようとすれば、全力で止めるだろう」

「パパの想いが解らないというのなら、何故そのような事が言い切れる。何故パパならばオレを止めると言い切れるッ!!」

 

 ユキの言葉に、キャロルは感情のまま悲痛な叫びをあげる。世界を壊す事を望んでいない。そんな事、キャロルが一番良く解っている。だとしても、それ以外の方法がキャロルには解らなかった。そして、その唯一を否定された事が、キャロルにとって予想だにしない程の痛みとなって心を斬り裂いていく。

 

「……本当に解らないのか?」

「解らないから、問うている!」

「ならば、君の父親は報われないな。娘を大切に想い、死の間際ですらその生を願い言葉を残した。その想いを、実の娘が解ってくれない。これ程辛い事は無いだろう」

 

 何故そんな事が言い切れると感情をむき出しにする少女に、ユキは少しだけ意外そうに目を見張る。そして、本当に分かっていない事に気付いた時、悲し気に呟いた。その言葉が、更にキャロルの心を深く斬りつける。

 

「……ッ。お前に、パパの何が解る」

「解らんよ。君の父親が残したものは、君だけのものだ。俺に解る筈がない。俺に解る事があるとすれば――」

 

 キャロルの父が、彼女に残したものなどユキに解る筈がない。それを認めた上で、解る事もあるとユキは告げる。

 

「君が、大切な父を失った重さに耐えきれず、託された想いを見失ってしまった馬鹿娘だという事だよ」

 

 そして、最後にそう締めくくり、キャロルの胸を深く斬り裂いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お前なら解ってくれると思っていた。同じ想いを受け継いだお前ならば、オレの気持ちに寄り添ってくれると、そう思っていた……」

 

 少女は酷く表情を歪ませ、そんな言葉を吐き捨てる。信じていた。同じ想いを抱いていると信じていたからこそ、今、示された意志を信じる事が出来ず震える声で吐き捨てる。

 

「同じ訳があるまい。似ている事はあるかもしれない。重なる事はあるかもしれない。だとしても、俺の父が残した想いと、君の父が君の為に残した想い。それが同じなど、あり得ない。君の父親が残したものは、君だけのものだ」

 

 そんな少女の言葉をユキは静かに、だが確実に否定する。ユキの父親が、ユキを想っていた残したものと、キャロルの父親がキャロルの事を想って残したものが同じなどある訳がないのである。重なる所は存在する。だが、相手を大切に想うからこそ、それが同じなどあり得ないとユキは示す。

 

「オレは、世界を壊す……」

「そうか。ならば、俺は君を止めなければいけない。君の父親の為にも、そんな事をさせる訳にはいかない」

「……ッ、まだ、言うか……」

「何度でも言うぞ、馬鹿娘。君の話を聞いて、君を止める理由が出来た。君の父親の為にも、負ける訳にはいかない」

 

 裏切られた。そんな想いだけがキャロルの胸を渦巻く。世界を壊すと告げた言葉。ユキはそんな事をさせる訳にはいかないと言い返す。突如として起こった二人の会合。それは、見事に対極の位置に別れてしまっていた。父に生かされ、生きる事を託された少女。父に生かされ、生かす事を託された少年。似てはいる。だが、その二人の託された想いが、二人の道を明確に違えさせる。

 

「解ってくれると、想っていた……」

 

 キャロルはもう一度だけ、心の底から絞り出すように呟いた。少女は、正論が欲しかったのではない。ただ、よく頑張ったと寄り添ってくれる相手が欲しかった。解ってくれる相手が欲しかっただけなのだ。

 

「……」

 

 それに対して、ユキは言葉を返す事はしない。託された想いの意味は、安易に教えられるものでは無い。自分で考え、至らなければ意味が無いのだと信じているからこそ、その手を取る事をせず、伸ばされた手を振り払うような言葉を告げていた。

 

「オレは、お前を殺す……ッ」

 

 今にも泣き出しそうなほど表情を歪め、キャロルは宣言する。抱いた想いを殺し、決別する宣言だった。

 

「ならば、俺はお前を止めてやる」

 

 その言葉を聞いたユキは、ただキャロルの視線を受け止め、告げる。キャロルに譲れない想いがある様に、ユキにも譲れないものがあった。父親の想いを汲む事が出来ない馬鹿娘の暴走は誰かが止めなければいけない。同じ想いなど存在しない。だが、それでも自分と同じ想いを抱いていると思わせたのならば、その責は取らなければいけなかった。

 

「パパの為、世界を壊すよ」

 

 そして、キャロルは最後にそう言い残すと、テレポートジェムを落とした。魔法陣が浮かび上がる。淡い光と共に、キャロル・マールス・ディーンハイムはその姿を消した。辺りを覆っていた、異質な気配が霧散する。ユキ以外に何物も存在しなくなったという事だった。

 

「世界を壊す、か……」

 

 キャロルが去った後もその場に佇み、ユキは静かに呟く。瞑目。キャロルの話は、確かにユキの戦う理由に成り得ていた。

 

「父が死の間際、己では無く子の事を案じていたというならば。それ程愛していたというのならば。その子との想い出の残る地を、その子が今を生きる世界を壊したいなどと思う筈があるまい」

 

 ユキには負けられない理由が生まれていた。キャロル・マールス・ディーンハイムが、自分と同じように父親を大切にしているというのは痛いほど理解できたからこそ、世界を壊すなどという事、認める訳にはいかなかった。

 

「そんな事も解らないからこそ、馬鹿娘だというのだ」

 

 キャロルが父を愛したからこそ、その在り方を誇りに思っているからこそ、簡単な事を見落としていると気付かせねばならなかった。

 父を愛したが故に壊すもの。父を愛したが故に生かすもの。二つの道は違えられたまま進み続ける。

 

 

 




武門、加速装置とメンタルブレイカーを手に入れる
キャロル、考えなしに会いに行って、メンタルブレイクされる


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9.胸の想い

「キャロルに会ったんですか!?」

「ああ、いきなりの遭遇であったよ。共に戦わないかと誘われた」

 

 何度目かの義手の調整。その為に、S.O.N.G.本部にあてがわれているエルフナイン用の研究室に訪れていた。錬金術師キャロルとの邂逅。三度目のそれを、キャロルを止める為にS.O.N.G.を頼ってきた少女に語っていた。目の前にいるこの子もキャロルの記憶の一部を引き継いでいる。言わば、同じ親を持つ子と言えなくもない。敵対する馬鹿娘(キャロル)と区別する為にも、姉妹の様なものかと思っていた。

 

「そ、それで何と答えたんですか?」

「共に戦う事は出来ないと、そう答えたよ」

「そう、ですか。良かった。万が一にでもあなたが敵になるとしたら、色々と大変でしょうから一安心です」

「また、随分と買ってくれるのだな」

 

 心の底から良かったという様に深く息を吸うエルフナインの言葉に、少しばかり不思議に思う。見ていた。キャロルがそんな事を言っていたのを思い出す。

 

「あなたの強さの一端は、ボクも見ていましたから。幾ら童子切を持っているとはいえ、異端技術の力そのものを斬って捨てる存在なんて、ちょっと考えられませんから」

「童子切とは、そういう物だよ」

「それでも、です。だから、万が一にでも敵に回らなかった事に安心しているんです。でも、どうしてキャロルの手を取らなかったんですか?」

 

 童子切は目に見えないものを斬る事が出来る剣である。その力そのものが脅威であるというのなら、馬鹿娘が態々出向いた事も理解できないでは無い。脅威と言うのは強ければ強い程、反転した時に大きな力となり得る。仲間に引き入れる事が出来れたならば、相手は弱体化し、自身の率いる戦力は拡充されるという事だった。そう考えれば、本人が出向いた理由も解らないでは無い。とは言え、流石に今回の件は随分と雑だったと言わざる得ないが。

 

「またおかしなことを聞くな。あの子の目的は世界を壊さねば達成できないのだろう? 俺は別に世界を壊したい訳でも、今に絶望している訳でもないよ。確かに、キャロルの気持ちを汲んでいるところもある。が、だからと言って、世界と天秤にかけれる訳がない」

「あ……」

「考えるまでも無いだろう。俺には世界を壊す理由がない。むしろ、守るべき理由がある。頷ける訳がない」

「それは、そうですね」

 

 エルフナインが、盲点だったとばかりに頷く。その姿が少し面白い。自分は生かす事を託されたのだ。世界を壊す事は、その正反対だろう。全てを殺す事に成り兼ねない。その時点で、託されたものを真っ向から否定してしまう。頷ける理由の方が無いのだ。

 

「君もそうだが、あの馬鹿娘も少しばかり足元が見えていないのかもしれないな。遠くばかりを見過ぎているから、足元が揺らぐ。単純な事を見落とす」

「う……、返す言葉もないです」

 

 指摘にエルフナインは恥ずかしそうに俯いた。それが、少しいじめている様に思えてしまう。純粋無垢。言葉一つ一つに素直な反応を見せる少女には、そんな言葉が良く似合う。

 

「別に怒っている訳では無いよ。ただ、考えるのを止めない事だ。君にもまたキャロルと同じで、父親に託された想いが宿っているのだろう?」

「はい。だからボクはキャロルを止めようと、世界を壊させないようにしようと思ったんです。ボク達のパパは、そんな事を望んでいません。望んでいない事を、ボクはキャロルにさせたくないんです」

「その想いを大切にする事だ。託された言葉の意味には自分で至らなければいけない。あの子は俺にそれを問うてきたが、俺などが答えて良い問いでは無いのだよ。君たちの父の言葉は、君たち以外に解る訳がないのだから」

 

 去り際の今にも泣き出しそうな表情を思い出す。語った言葉に後悔など無い。それでも、酷く傷つけてしまったのは理解できた。信じていた。そんな言葉を言われていた。だからこそ、止めなければいけないと思う。父の想いに気付くまでに、最後の一線を越えさせるわけにはいかなかった。

 

「あなたは、強いですね。皆さんがいう様に、凄く強いです」

「強い、か。俺は、強くなどないよ。ただ、自分にとって大切なものを見失わないだけだ。確かに、戦闘力と言う意味でならば強いかも知れない。だが、強さとはそんなものでは無いよ。力だけが強さでは無い。それを振るうべき場所を見極められなければ、力など無い方がマシだ。意志の宿らない力など、理不尽でしかない」

「意志、ですか」

「ああ。故に、自分の想いを読み切れないまま振るわれる力は、只の暴でしかない。そうならない様に、何故力を振るうのかという事をただ見つめているだけだよ。そういう意味では、キャロル・マールス・ディーンハイムは、父を失った重さに耐えきれず、己に託されたものを見失ってしまったのかもしれないな。だからこそ、目的を前にしながら不用意な行動を起こしたのか」

 

 エルフナインと話しているうちに、そんな結論に思い至る。殺すと言いながら、刃を振るい切れない点。態々自動人形が狙い撃ちにしてくる点。かと思えば、説得に来たと言わんばかりに言葉を交わしもしている。一貫性が無いというより、今現在において尚、揺れているという印象が強い。

 

「あなたがそう言うのならば、そうなのかもしれません。ですが、それでも、あなたは強いです。キャロルが英雄と認める程度には、強いんです」

「そうか……。英雄などと言われる人間では無いのだがな」

「少なくとも、響さんやクリスさんにとってはヒーローだと思いますよ。そんなあなただからこそ、頼みたいんです。キャロルを、止めてください。ボクには、彼女を止めるだけの力がありません」

 

 エルフナインがゆっくりと頭を下げる。キャロルを止めて欲しい。本心からそう思っているのが解った。その気持ちには、答えたいと思う。自分から見れば、エルフナインはキャロルの姉妹の様なものである。彼女等の父親の為にも、戦わねばならない。そして、妹、或いは姉からも頼まれていた。理由がまた一つ積み上がる。笑った。一つだけ、エルフナインを否定しておかなければいけない。

 

「その想い、受け止めたよ。何とか力になってみようと思う。だが、一つだけ言わせて貰うぞ」

「何でしょうか?」

「君に力が無いという事は無い。少なくとも、俺の右腕を作り上げたのは君だ。黒鉄の右腕があるからこそ、以前と同じように戦える。それに、君は単身、自動人形の追撃を振り切り助けを求めて来た。今を生きる誰かの為に、そしてキャロルと父親の為に行動を起こした。君は、弱くなどないよ。俺は、そう思う」

 

 エルフナインに調整された腕を動かしながら告げる。少なくとも、錬金術と既存技術の複合品であるこの右腕は、エルフナインがいなければ無かったものだ。それを作り上げたのがエルフナインであり、彼女がいなければ存在しなかっただろう。戦う力は無いかもしれない。だが、別の強さは持っていた。それは、大切にすべきである。己の持つものをしっかりと理解する。人には、それも必要な事であった。そうでなければ、英雄を目指した男の様に、何かを見失いかねない。エルフナインに限ってそんな事は起こりえないだろうが、言葉として残しておく。君は強い。そう、教えておきたかった。

 

「はい……ッ!」

 

 そして、エルフナインは困ったように、だがとても嬉しそうに笑ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何で片腕だけなのに、こんなに強いんデスか!」

「私達、リンカーが無くともシンフォギアを纏っている筈なんだけど」

 

 S.O.N.G.本部にいた暁切歌と月読調。以前のリンカーを用いない無理な戦闘から、検査入院を行っていた二人であったが、漸く様子見の期間も終わり、短時間であるがギアを纏って訓練を行う許可が出ていた。適合率が低い二人がギアを纏う為には、リンカーの投与が不可欠と言える。ほんの僅かな時間ならば問題ないが、ギアからの反動が大きい為、長時間の稼働には体の負担が大きすぎるからだ。しかし、適合率の上昇が全く見込めない訳では無い。シンフォギアの使用に関する習熟度以外にも、心身共に成長する事から繋がる自信など、精神的な面が大きく作用しているという。負担がかからない程度の短期間の稼働による訓練。それ自体は認められていた。故に、丁度、S.O.N.G.本部に来ていた二人に簡単な手合わせを頼んでいた。無手による組手。義手の調整を行う為に、対峙したと言う訳であった。

 暁、月読共に、F.I.S.時代からリンカーを用いた装者同士の訓練は行っており、S.O.N.G.所属となった今では、二課の三人娘とも短期間ながら適合率上昇の為組手程度は行っていたようで、今回は珍しく装者以外が相手だという事だった。自身には義手の調整という意味で有意義であり、彼女等も普段と違う相手との経験は貴重である為、利害が一致したと言う訳だった。その為、右腕一本で組手を行っていた。司令ほど、体術の造詣が深い訳では無いが、武門である。恥ずかしくない程度の研鑽は積んでいる。幾らシンフォギアを纏うとはいえ、十半ばの少女に後れを取る道理は無かった。司令と直接ぶつかり合った時と比べれば、余裕を持って相手をできる。打ち込みを往なし、時折放り投げながら、義手の感触を確かめる。少しばかり反応が追いついていないが、小手や手刀等、細かな動きを必要としない場合ならば生身の腕以上と言える。

 

「まぁ、子供にはまだ負けられないよ」

「子供扱いしないで欲しいデスよ! 胸だって立派に成長してるんデスからね!」

「切ちゃん、今日晩御飯なしね」

「何故デスか調!?」

 

 何気ない言葉に反骨心を持ったのか暁が抗議を起こすように叫んだ。子供扱いと言うか、事実なのだから仕方がない。彼女等だけでなく、自分の中では装者は翼までが子供だった。とは言え、訓練については反骨心があるぐらいがちょど良いので敢えて補足はせずに迎え撃とうとした時、思ってもいなかったところから声が飛ぶ。暁が、悲痛な声を上げる。月読が、自身の胸元に手を当てていた。そう言う事かと思い当たるも、敢えて察していない様に振舞う。今回の事は、暁に非があると言える。

 

「戦いにおいて言葉で揺さぶって来る者たちもいるが、味方の言葉に揺るがされてどうする」

「なぐひゃっ!?」

 

 打ち掛かりながら意識を逸らした暁をしたたかに打ち付ける。妙な悲鳴を上げながら飛んでいく。そのまま地に落ちると、月読が暁の傍に立ち告げた。

 

「切ちゃん、格好悪い。それに、天然であの言葉は傷付く」

「な、何の話デスか」

「こっちの話だよ。切ちゃんはずるい」

「よ、良く解らないけど許して欲しいデス!?」

 

 そして、暁と月読が言葉を交わす。内容は兎も角、区切りとしてはいい具合であった。あまり長い間行うと、二人の負担も大きくなりすぎる。

 

「この辺りで終わりにしようか」

「あ、解りました。お相手ありがとうございます。ほら、切ちゃんも訓練の相手をしてくれたお礼言わないとダメだよ」

「何か、釈然としないものを感じるデス! けど、ありがとうございました」

「いや、此方こそ十分な試しが出来た。感謝している」

 

 二人の装者と組手を終える。纏っていたギアを解き、制服姿に戻った。

 

「お疲れ様。調ちゃん。切歌ちゃん」

「あ、響さん」

「こんにちはデース! 響さんもS.O.N.G.に用が?」

「え? あはは。そんなところかな。ユキさんが来ているって聞いて、見に来たんだ」

 

 そして、見学に来ていた響が二人と合流する。口振りからして、自分に用があるのだろう。二人と話している間に響の様子を見詰めた。少し元気がない様に思える。何かあったのか。これまでの経験からそんな事を想う。響の場合、表情に良く出る為分かり易い。

 

「――、行こう切ちゃん」

「え? 調、急にどうしたデスか? わわ、ちょっと強引過ぎるデス!?」

 

 月読は響の様子を見て察したのか、暁の手を引き姿を消す。

 

「……ごめんね。それとありがと、調ちゃん」

 

 二人の様子を見送り、響と向き直る。何時ぞやの様に、困ったように笑った。その姿に確信を持つ。相変わらず、決めてしまえば一直線だが、決まるまでには年相応の脆いところがある。そんな事を想う。

 

「場所を変えるか?」

「はい……。できれば、ユキさんのお家が良いです」

 

 何処となく不安げな様子の響にそんな言葉を告げた。

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

 帰宅するなり飛び込んで来たクロを受け止めながら告げる。片腕が義手となってから、クロはクロなりに何かを察したのか、妙に甘えてくるようになっていた。右腕が文字通り代わっている。触れた感触などで、嫌でも解るのだろう。

 

「わ、私やクリスちゃんの時と全然違う。クロちゃんも、ユキさんが好きなんですね」

「一応家主だからな。幾ら女の子とは言え、ないがしろにされては敵わんよ」

 

 傍らを歩く間、何処か沈んだ様子だった響が、目を丸める。腕の中に居る黒猫が、肩までよじ登り頬を舐める。困った奴だと呟く。

 

「あはは。クロちゃんは、良いなぁ。喋れない分、素直な行動で示せる」

「とりあえず、上がってくれ」

「はい。お邪魔します」

 

 黒猫を腕に抱え、居間に通す。響にゆるりとしてくれと告げ、茶を用意する。随分と良い様にやられた為、軽く顔を洗い流し、響と向かい合う。取り敢えずの飲めと茶と甘い物を差し出し、自身は白湯を口に含んだ。

 

「クリスちゃんやマリアさん、未来から聞きました。右腕の調子はどうですか?」

「ああ。この通りだ。それ程不自由はしていないよ」

「そう、ですか……」

 

 手袋を身に着けた右腕に視線をやり、響が聞いて来る。黒金に切り伏せられてから、響とは直接会う事が無かった。腕を斬り落とされた知り合いとは暫く合わせない方が良いという判断だったのだろう。随分久々に会ったように思える立花響は、初見で解る程度には憔悴している。差し出した右腕に軽く触れ、悲し気に呟く。黒鉄の右腕。エルフナインに作られた腕であった。この腕があった事も手伝い、シンフォギアの強化改修の許可が思ったより早く下りたと聞いている。S.O.N.G.というより、もっと上層部で意外なほど評価されたと聞いている。可能な限り用い、データを取れと一課からすらも言われていた。

 

「腕は確かに落とされた。だが、大きな問題は無い。先ずは、君の方に何かあったか聞こうか」

 

 此方の腕の事は大した問題では無かった。調整はまだ完全と言う訳では無いが、随分と良くなってきている。ただ日常的に動かすだけであれば、不都合になる事も無かった。多少血を消耗するが、通常の義手よりも遥かに動きは良く、また、水中であろうと着脱の必要はなく、自由自在に動かす事が出来るものだった。

 

「問題が無いなんて、そんなわけありませんッ!!」

 

 であるからこそ、本題に入ろうとした時、響が声を荒げた。膝元に座り込んだクロが軽く身動ぎをする。少し意外であった。響がこのように声を荒げた事を見た事が無かった為、思わず見詰める。声を荒げた響自身、驚きに目を見開いている。意図的にやった訳では無い様だ。

 

「あ……。その、ごめんなんさい」

「いや、構わんよ。ただ、心配をしてくれただけなのだろう」

 

 重なった視線を慌てたように響が逸らす。そのまま、視線が右往左往し、そして、此方を伺う様に見詰めてくる。どうやら、感情の制御があまり利かないようだ。フロンティア事変の折も不安定になっていた時期がある。あの頃と似たような状況なのかもしれない。あの馬鹿娘と遭遇したとも聞いていた。響は優しすぎる。恐らく、言葉を交わし、何か衝撃を受けたのだろう。そんな事を去り際のキャロルの姿から思浮かべる。響ならば、そうなってもおかしくは無い。月読に言われた言葉を気にしたり、翼に言われた事で涙を流していた。今回もそう言う事があっても不思議ではない。先ずは右腕の話を終わらせてから、話を聞く事に決める。この子の場合は、一つ一つ終わらせなければいけないだろう。

 

「右腕はこの通りだよ」

「……はい」

 

 手袋を取り、黒鉄の腕を見せた上でゆっくりと動かして見せる。

 

「腕を斬り落とされたよ。血が流れ、今回ばかりはどうしようもなかった」

「……、やっぱり、ユキさんだけに任せたから」

「泣くな。というのは無理なのかな。確かに、君たちとは違う場所で戦っていた。それでも、最終的には自分で決めた事だよ。故に、腕を落とされた事に後悔は無いよ。間違っても、君たちが居てくれたらと恨み言を言う気は無いよ」

 

 もう一度右腕に触れて来る響に伝える。一時期は共に戦っていた。自分たちが傍に居れば、こんな有様にはならなかったかもしれないと、この子ならば思っても不思議ではない。

 

「でも、腕が無いんですよ?」

「戦うとは、そういう事だよ。小日向にも言ったが、俺達が、そして君たちがしているのはそう言う事だ。奪い、奪われる事もある」

「……ッ!?」

 

 戦うという事は、当然負傷する事もある。取り返しの付かない事もある。そんな事を、今更ながら響に教えて行く。今にも泣き出しそうに表情を歪める。

 

「私のやっている事は、私たちがやっている事は、誰かと奪い合う事でしか無いんですか? それに気付いたから、私は歌えなくなったんですか?」

 

 響が辛そうに零す。できる事ならば戦いたくない。響と初めて会った時も、戦いでは無く対話を選んでいた。彼女が出て来たのは戦場である。その認識は、甘いと言わざる得ない。

 

「だが、それだけでもあるまいよ。確かに戦場では命を奪い合うのが最も行われる事だ。が、何もそれだけと言う訳では無るまい。戦場で、話してはいけないという決まりなど存在しない。相手が応じない。それだけだな」

 

 だからこそ、響に言葉を投げかける。

 

「戦場は、戦いの行われる場だ。それは変わらん。だが、人には想いがあり、意志がある。想いを通す為に刃を振るう様に、想いを守る為の刃もまた存在する。力自体に善も悪も無い。あると言えば、振るう者の意志だけだ。故に、奪い奪われるだけでは無い。それ以外の道もある」

「使う者の、意志?」

 

 戦う者として、立花響ははっきり言って甘い。だが、非情なのは良い事なのか。優しさを失うのが良い事なのか。戦うという点だけで見れば、確かにそれは良い事だろう。だが、人は戦うだけでは無い。時に非情な決断を下さなければいけない事はある。奪い、奪われる瞬間は存在する。だが、その全ては優しさを失くして良い理由にはなりはしない。戦場で甘さを持つというのならば、その甘さによって失う物を、失わない程の存在に成れば良いだけだった。そんな事を響にゆっくりと伝える。戦場で甘さは命とりである。だが、命を失わないというのであれば、持っていても良い。それは、ただ戦うよりも遥かに難しい事だろう。だが、ある意味で、最も王道と言える。全てを失わない。そんな夢物語の様な事が実現できると言うのならば、それが最も良い事ではある。

 戦いは奪い奪い合う事が尤も見え易い。だが、それ故、安易な手段に出るべきではない。

 

「君は、戦いたくないのか?」

「はい……。怖いんです。キャロルちゃん、泣いていました。泣いている子と、戦いたくないんです。泣いている理由があるのなら、先ずはそれを聞きたいんです。このまま戦ったら、泣いている人を誰かを守る力で泣かせてしまうと思うと、怖くて仕方がないんです」

「君は、甘いな」

「だめ、でしょうか?」

「いや、それが君の胸の内から湧き出た想いであるのならば、無理に抑えるべきではないよ。確かに甘い。だが、それは優しいという事でもある。安易に戦い、力による結論を望まない。その想いは、失くすべきではないよ」

 

 結局、この子は優しいのである。戦う力を持っていながら、相手の涙を見れば戦う意思が揺らぐ。それは戦う上での弱さであると同時に、人としての強さでもある。

 

「でも、それは力を持つ責任から逃げているって、マリアさんに……」

「そうだな。そういう見方もできる。だが、戦えないのなら話は別だ。そもそも、俺は君に戦って欲しくは無い」

 

 その言葉に頷く。確かに、戦えるならば戦わなければいけない。それも一つの道理だ。だが、全ての人間がそれで納得できるほど、人というものは強くは無い。だからこそ(つわもの)は存在し、武門と言う存在は研ぎ澄まされてきたのだ。マリアの結論は正しくもあり、間違いでもある。あの娘自身は自分を弱いと思っているようだが、その結論に至れることが強いと言える。少なくとも、誰もが至れる結論では無い。

 

「え……?」

「君だけでは無いな。暁や月読、小日向やクリスにも戦って欲しくは無いよ。武門と言うのは、戦えない者達の代わりに戦う為に居る。確かに力を持つ責任はある。だが、それ以前に君は守られるべきでもある」

 

 子は守られてしかるべきなのである。シンフォギアと言う力を持っていようと、その精神性まで極端に磨き上げられる訳では無い。響は二つの戦いを通して、確かに強くなっている。だが、年相応に思い悩む事もある。翼の様に、戦う為に長く鍛えたと言う訳でも無い。折れたというのならば、それ以上無理をさせるべきではない。

 

「戦うのが怖いというのならば、戦わなくて良い。俺は、その為に居る。この手は、生かす為に在る。誰かを守る為に在るのだよ。君が居なくなるのは、戦力と言う点で見れば確かに痛いだろうが、無理押しすべきでは無いと俺は思うよ。内にある想いが戦いたくないというのならば、刃を持つべきではない。意志の違えた刃では、何かを守る事もできはしない。戦いたくないというのならば、その想いを偽るべきではない」

「私は……戦いたく、ありません。この手が、誰かを傷付けてしまうというのなら、戦いたくありません」

「そうだな。胸の内が戦いたくないというのならば、戦うべきではないよ。力は意思が宿ってこそだ。今の君は戦うべきではない。ならば君が守れない分は、俺が代わりに戦おう。武門と言うのは、その為に存在している」

 

 気付けば涙を流していた響の頭に軽く触れる。優しすぎたという事なのだろう。この子には、戦いなど向いてはいない。

 

「良く、考えて見ると良い。自分の胸の意志は、自分だけが見据えられる。君の意志は、君だけのものなのだから」

「はい……」

 

 響は困ったように笑った。完全に解決した訳では無い。伝えるべき事は伝えていた。後は、立花響が決める事だった。

 

「ユキさんは、まだ戦う心算なんですか?」

「ああ、俺はその為に居るよ。キャロル・マールス。ディーンハイムが世界を壊すというのならば、それは止めなければいけない」

 

 思い悩む少女の問いに答える。

 

「でも、腕が斬られて」

「何時か斬られる事があるかもしれないと思っていたよ。元々隻腕でも戦う心算だった。それが、義手とは言え両手が揃っている。歩みを止める理由に成りはしない」

 

 傍らで心配そうに此方を見る響に、問題ないと笑った。

 

「君はこれまで頑張って来た。戦いたくないというのならば、守られるべきだ」

「ユキさん……」

 

 この手は誰かを生かす為に在る。それは君も同じだと言い笑う。それで、話は終わりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「意志の違えた刃では何も守れない、か……」

 

 響は、ユキとの対話を終え、一人帰宅している途中で呟いた。先日、自動人形に襲撃されて以来、胸に聖詠が浮かばなくなっていた。今、まともに戦闘行動が行える装者は響だけであった。切歌や調もシンフォギアは健在だが、適合率の問題により、リンカーが無ければとても戦える状況では無い。そんな状況でありながら、歌が歌えなくなっていた。何とか戦えるようにならなければいけない。そう思っていたところで、戦わなくても良いと言われていた。胸の内の想いと違えるのならば、戦うべきではない。そう、響に道を示してくれた人は伝えてくれた。

 

「私が戦わなきゃって思えないのなら、無理に戦うべきではない。逆を言うと、戦わなければいけないって思えば、戦えるって事なのかな?」

 

 ガングニールを握りしめ、呟く。胸に聖詠は浮かばない。だけど、戦えない時は無理に戦うべきではない。そんな言葉が、ほんの少しだけ胸を軽くしてくれる。守ってくれる。そんな言葉を思い出すと、顔が真っ赤になりそうになる。

 

「ユキさんは、私の言って欲しい言葉を言ってくれる……」

 

 帰り道。夕暮れを見上げながらぽつりと呟く。未だ戦える兆しは無い。だけど、何処か気分は持ち直してきていた。

 

「お父さんみたいに居なくなったりしないで、私を守ってくれる……」

 

 ぽつりと呟いた。立花響の父親。それは、今は神獣鏡により浄化された、ガングニールが埋め込まれる事となった事件。当時、ツヴァイウイングのライブ会場で起こったノイズ襲撃による惨劇。その生き残りである、立花一家は、心無い人間たちから生き残った事が悪であるかのような扱いを受け続けていた。それは、同じ現場に居合わせながら大切なものを失った人間の妬みだったのかもしれない。自分たちの大切なものは失ったのに、何故おまえは生き残ったのだという、遺恨だったのかもしれない。或いは、ただ視界に入り手の届く距離に居たから晒された八つ当たりだったのかもしれない。結局のところ響には原因など思いもよらないが、今でも思い出したくない類の嫌がらせを受けていた。そして、一家の大黒柱であった立花響の父親は、その心無い悪意に踏み止まる事が出来ず逃げ出してしまったという事だった。父親の事を思い出すと、胸に鋭い痛みが走る。だけど、今は守ってくれる大切な人が居る。そう思うと、耐えられない痛みでは無かった。

 

「大丈夫。へいき、へっちゃらだよ……」

 

 辛い事と嬉しい事。その両方の感情が沸き上がった事で、何とも言えない心境になるが、響は自分の口癖を言う事で乗り切る。それは、気付けば口癖になっていた言葉。辛い時、その言葉を呟き自分に言い聞かせる事で何度も乗り越えて来ていた。辛い時、自分を助けてくれる魔法の言葉だった。

 

「ユキさんは、私を守ってくれる。だから、へいき、へっちゃら。あれ……」

 

 そこまで呟いた事で、不意にある事に気付いた。確かに響は、へいき、へっちゃらである。辛い事はある。だけど、大切な人が守ってくれる。そう考えると、不謹慎だけど嬉しくすら思える。だから、その言葉通りへいき、へっちゃらだった。

 

「確かにユキさんは皆を守ってくれる――」

 

 そして、魔法の言葉を呟いた時にその言葉が気付かせてくれた。上泉之景はこの手は守る為に有ると言っていた。実際、響は何度も守って貰っている。血を流して示された想いがあり、無上の信頼があった。だからこそ、ある意味で盲点であった事。ユキさんは、誰かの為に戦っている。それは自分の為であるのかもしれない。生きる事を諦めるなと奏さんの言葉を言われた事がある。お父さんから託されたという、生かす事を諦めないと言われた事もある。

 

「じゃあ、誰がユキさんを守るの?」

 

 だが、立花響は上泉之景が、生きる事を諦めないと言ったところを見た事が無かった。ウェル博士の言葉を思い出す。

 

『健気ですねぇ。守る為に自分を犠牲にする。あの男とそっくりです。愚かすぎて反吐が出る』

 

 それは、戦いの最中ウェル博士の吐き捨てた言葉だった。あの時は必死過ぎて、その言葉の本当の意味に辿り着けなかった。だけど、改めて考えて見るとある事実を明白に突き付ける。

 

『親に一人残されながら、生かされた。命懸けで守られたからこそ、鮮烈に刻まれてしまったのだよ。見事に生き、見事に死んだ生き様が。我ら一門は、皆で愛した心算ではある。だが、親が与えるべきものを十分に与えてやる事は出来なかった。生きてこそ喜ばれるという事を。人としての在り方を教え、愛の尊さを知る事は出来た。だが、見事に生き、見事に死ぬ。そんな生き様への憧れまでは消してやれなかったのだ』

 

 ユキさんのお爺さんも言っていたと、里帰りについていった時の事を思い出す。最後の爆弾発言に全て持っていかれてしまったが、あの話は全て事実だった。男達が行きついた結論に、立花響も辿り着く。何気なく呟いた魔法の言葉。確かに、それが教えてくれていた。

 

「そっか、ユキさんは戦う事が怖くない。死ぬ事が怖くない。誰かの為に戦って、戦って、戦って、戦い抜いて……最後にはきっと燃え尽きる。私がユキさんを好きなだけじゃ、それはきっと変わらない。ユキさんは好きになったらいけない人だったんだ」

 

 戦って死ぬ事を肯定している。つまり、それは想いを告げたとしても在り方が変わる事は無いという事である。その事実に気付いた響の口から、言葉が零れ落ちる。ユキさんには恋をしてはいけなかったんだという結論に至った。どれだけ好きになったとしても、それが生きる理由に成り得ない。そんな現実に辿り着いてしまったから。だから、響は覚悟を決める。恋する乙女を止める覚悟を。

 

「ユキさんには、恋をして貰わなきゃいけなかったんだ」

 

 だから、立花響は自分の思い違いを正す。響がユキを好きなだけでは、例え想いが届いたとしても、戦いの中でその命を散らす事を肯定するだろう。ならば、ユキが響に恋をしてしまえば良い。自分が恋をするのだけではなく、相手にも自分と同じ想いを抱いて貰う。それが、響の出した結論だった。

 

「ユキさんは私を守ってくれる。それは凄く嬉しい。だけど、それだけじゃダメ。恋をして貰わなきゃ、幸せになれない。どうしようもないぐらいに好きになって貰わないと、生きる事を諦めないでくれない」

 

 無理に戦わなくて良いと言ってくれ。守ってくれるとも言ってくれていた。ユキさんは何時も私の言って欲しい言葉を言ってくれる。そう心の底から思う。だけど、それではダメなのである。

 

「私が今のままだと、ユキさんにとって私は『みんな』になっちゃう。それは、嫌だなぁ……」

 

 自分の中に新しく出来た想いに向き合い、響は困ったように呟く。結論は出ていた。だけど、その方法が良く解らない。あの上泉之景を引き付ける。どんな風になれば出来るのか。見当もつかなかった。未だに胸の内に歌は浮かばない。だけど、立花響の中で何かが変わっていた。

 

「うぅ……。わかんないよぉ。わかんないけど、それで立ち止まったらダメッ!」

 

 相変わらず八方塞がりである。だけど、響は何処か楽しそうに笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




エルフナイン、キャロルを止めて欲しいと想いを託す
響、心境が変わる



エルフナインが評価されたのは、間違っても義手の出来が良かったと言う理由では無いのデス


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10.抱きしめた想い

「で、傷心の末引きこもってる訳ね。我らのマスターは何やってんのか」

「まぁ、そう言ってくれるな。ある意味で、やり易くなったと言える」

「全くですけど、つまり、悩み揺らいでいたマスターのお墨付きが漸く頂けたという事になるわ」

 

 錬金術師一党の本拠。主のいない玉座の間。三機の自動人形たちは顔を突き合わせ、言葉を交わす。ガリィが計画の為留守にしていた間に、主が動き、酷く傷つけられた様子で帰還して来ていた。出迎えたファラとレイアが聞いた言葉は、暫く寝る。の一言だった。人では無い自動人形にして、不貞寝だなっと察する程度には表情が歪んでいた。後に護衛として控えていた黒金が帰還すると、一部始終が収められていた映像を確認する。人形たちがうわぁと言いたくなる程度に切り刻まれていた少女の内心を慮ると、あの反応も仕方がないと納得してしまう。

 

「全く乙女ですねぇ。そんな事でほんとに大丈夫なのかよ」

「ふふ。そう言いながら、一番気にしてるのよね」

「地味に忠誠度が高いからな。普段の言動で誤魔化しているようだが、解る者には解る」

「うっせ」

 

 まるでほほえましいと言わんばかりの雰囲気を醸し出す二機に、青は憮然と吐き捨てる。会話の内容を聞きながら、随分良い様にやられたものだと思考を巡らせていく。英雄の言葉は、主であるキャロルを真っ向から迎え撃つものだった。傍に控える自動人形ですら感じられる、同族への親しみ。それが、反転し敵意に変わっていた。その事自体は、主の悲願を叶える上では非常に良い傾向だと言える。その点に関して、ガリィは英雄の在り方に称賛をあげたくなるほどだ。

 

「しかし、マスターも人の子って事ね。面と向かって想いを告げて、一刀両断に切り伏せられた。そう思ってる(・・・・・・)

「おや、流石に気付くか」

「当たり前。あたしらには、英雄に対してマスターと同種の思い入れなんてものは無い。マスターに比べれば、俯瞰して物事を見れる」

「わたしとしては、マスターを応援して差し上げたいところですが、そう言う訳にもいきませんか。英雄は別に、マスターの想いに関しては、一切否定していない事を教えてあげたいところですが」

「むしろ、マスターの父上に敬意すら抱いていたように思える」

 

 ファラとレイア、そしてガリィは英雄に関して、特別な想いを抱いている訳では無い。であるからこそ、感情に左右されず言葉の意味を受け止める事が出来る。自動人形から見れば、英雄は確かにキャロルの父、イザーク・マールス・ディーンハイムに敬意と哀悼の意を持っている。でなければ、敵の父の為にも戦うなどと言えるはずが無い。その発言こそ、イザークの死を悼む感情の表れだと言える。

 君の父親の為にも負ける訳にはいかない。それは英雄が、イザークを蔑ろにすべきでは無い存在だと思い定めたという事だった。主は、そんな簡単な事にも気付く事は無い。自身の想いを拒否された事が、それだけ深く突き刺さったという事だった。まったく、乙女なんだからと吐き捨ててしまいたくなる。

 

「余計な事するんじゃねーよ。今のままの方が都合が良い」

「そうですわね。世界を壊すという目的さえなければ共に歩めたかもしれない。だけど、運命は残酷なもの。共に歩む道は無い」

「有り得たかもしれない未来など、考えるべきではない。我らは、マスターを支えるだけだ。地味にも、派手にもな」 

 

 自動人形たちは、最大の障害になり得る英雄に、複雑な印象を抱く。或いは、主の目的が少しでも方向性が違っていれば、隣に立っていた可能性も充分に考えられた。それでも、世界を壊すと選択したのはキャロルの本懐であり、託された命題の為でもある。ならば、彼女に作られた自動人形たちは、その為に働くだけであった。目的は全てに於いて優先される。そんな錬金術師の言葉を思い出す。

 

「さて、あたしはミカちゃんのお手伝いでも行こうかしら」

「あら? 相変わらず頑張り屋ね」

 

 また出掛けて来ると告げる青に、緑は少し意外そうにする。

 

「漸く唯一の懸念が消えたのよ。英雄を殺す為の最大の障害。マスターの心変わりだけが、読み切れない要素だった。その心配が無くなった今、さっさとクライマックスまで進めたい訳よ。自動人形が、本気で相手をする事が許されるなら装者など物の数に入らないわ。だから、楽しみで仕方がないのよ。唯一本気で相手にできる英雄を手折れる事が」

「ふ、素直にマスターを阻む者を許せないと言えば良いものを」

「……。英雄を殺すのに、英雄と同じ力は必要ない。人間なんて、やりようによっては簡単に殺せるわ」

「そう言う事にしておきましょうか」

 

 ファラとレイアの言葉を背に受け、ガリィは再び拠点を後にする。この場にはいない自動人形であるミカの行おうとしている、ガングニール強襲。それを円滑に進める為に、青は暗躍を続ける。シンフォギアの破壊。先ずは目先の目標を達成する事に集中する。

 

「英雄は強い。だけど、人は強くは無い。だからこそ、その枠を超えた何かが英雄と呼ばれる事になる。そして、英雄は弱き者の為、矢面に立ち、その命を燃やし力尽きる。その時に、英雄に手を差し伸べるものは無い。だって、人は弱いから。英雄のいる場所には英雄しか辿り着けない。だから、誰も英雄を救う事は無い。孤高だよ、あんたは。最期には見捨てられるのが英雄の運命だ。だからせめて、あたしたちが殺してやる。大衆に切り捨てられる前に、殺してやる」

 

 主にできない事を為す為に作られた。だからする。そんなガリィの呟きは、風に乗り消えて行った。

 

 

 

 

 

「やっぱり、まだ歌うのが怖いの?」 

「うん……。誰かを傷付けちゃうかと思うと、ね……。涙が、あの時泣いてたキャロルちゃんの顔を思い出すと、戦いたくないってそう思っちゃうんだ」

 

 雨が降り続いている。授業が終わり、学生たちが羽を伸ばす放課後。一つの傘を一組の女子生徒が用い下校していた。立花響と小日向未来。同じ学園に通い、同じ組織に所属する事となった親友同士は、雨音に耳を傾け濡れないようにゆっくりと歩きながら言葉を交わす。

 

「響は、初めて歌った時の事を、シンフォギアを纏った時の事を覚えている?」

「え? ……どうだったかな。無我夢中だったし」

 

 未来の事を聞いて、響は軽く物思いに耽る。あの頃は、シンフォギアの存在など知る由もなく、突如現れたノイズから、傍に居た子供を守る為に必死に逃げていた。情景としては覚えている。忘れる訳がない。だけど、多分未来が聞いている事はそう言う事じゃないと響は思う。あの時の気持ちの事かなっと考えるも、どう言う想いで戦ったのかと考えると、直ぐに答えが出てこない。

 

「その時の響はさ。どう言う想いで歌ったのかな。誰かを傷付けたいと思って歌ったのかな?」

「……」

 

 考える。無我夢中だった。逃げなければ殺される。だから、まだ幼い子供の手を引き必死に逃げた。少しずつ追い詰められていき、最後には逃げ場を完全に失った。それでも生きる事を諦めきれなかったのを思い出す。

 

「戦いたかったわけじゃないんだ。だけど、そうする事しかできなかった」

「うん」

 

 響の独白を未来はただ頷いて聞く。

 

「一緒に逃げていた女の子の為にも何とかしなきゃって思って、必死に頑張って」

「そうだよね。それが、響だよね」

「え……?」

 

 上手く言葉にならない言葉。だとしても、小日向未来には立花響の言いたい事が解る。解ってしまう。未来は響と長い付き合いであり、響の事を一番近くで見てきた人間だった。誰よりも響を理解していると言えた。

 

「上泉先生は、響に戦わないで良いって言ったんだよね」

「え? うん。私の代わりに戦ってくれるって。これまでずっと頑張ってきたんだから、守られても良いって。そう言ってくれたの……」

 

 話を聞いていた未来が、今度は響に問う。自分の好きな人が自分を守ってくれるって言ってくれた。その言葉自体は凄く嬉しくて頬が熱くなるのを実感する。だけど、何処か冷静な部分がそれでは駄目だという様に気持ちを引っかからせる。

 

「そう言って貰えたのは、嬉しかった?」

「ええ!? あの、その……うん。不謹慎だけど、その、嬉しかった」

 

 未来の真っ直ぐな問いに思わず俯き、そしてゆっくりと頷く。こんな体たらくじゃいけないと思いつつも、言われた言葉を思い出すと心が揺さぶられてしまう。これが、恋なんだなっと思うと、嬉しい様な恥ずかしい様な、だけどちょっぴり情けない気持ちになってしまう。嬉しい。だけど、何かが引っ掛かっている。

 

「だと思った」

「あう……」

 

 呆れたような未来の言葉に、響はなんだか情けない気持ちにされてしまう。恋しているんだから仕方ないじゃんと言いたくなるのを必死にこらえる。

 

「あのね、響。よく聞いてね」

「……? うん」

 

 雨の中、未来が立ち止まったので響も向き直る。普段の困ったような微笑みでは無く、真剣な表情で見つめている。思わずごくりと息を呑む。普段は温厚な未来だからこそ、真剣になった時にはいつも圧倒されていた。こういう時の未来は、何時も大切な事を言ってくれる。言われたその時は理解できなかったとしても、必ず大切な事だと解る時が来る。そんな想いと経験が響にはあった。

 

「響が歌えないのは多分ね、上泉先生の所為でもあるよ」

「え……?」

 

 だからこそ、思いもよらなかった言葉に響は素っ頓狂な声を零す。

 

「響のやりたかった事。一番似合う事が人助けって事を私は知っているよ」

「うん」

 

 自分の好きな人の事を言われて思わず何か言い返しそうになるが、未来の雰囲気に押され結局聞き手に回る。未来の言葉には、響をずっと見て来たからこその重さがある。今の響では、未来の圧力には抗えなかった。

 

「誰かの為に自分の時間を削ってまで色々していたのを覚えているよ。リディアンに入った頃なんかは、木から降りられなくなった猫を助けて、授業に遅れた事もあったよね」

「あ、あははは、そんな事もあったね」

「その頃にはもう、響らしい事って言うのは人助けだったよ」

「そう、なのかもしれないね。いじめられた事もあったからさ、誰かの役に立てるのが、嬉しかったんだ……。私なんかが何かをして、誰かが喜んでくれるのが嬉しかった。笑ってくれるのが、嬉しかったんだ」

 

 まだシンフォギアと言う超常の力を得る前の事を思い起す。考えて見れば、響にとってシンフォギアを纏う事は絶対では無かった。今ではシンフォギアと言うものが大きくなりすぎているから直ぐにギアを纏って戦う事を考えてしまうが、立花響と言う女の子は本来ギアと言う力は持っていなかったはずである。

 

「先生は響の代わりに戦ってくれるんだよね」

「うん。ユキさんは、私が戦わなくて良い様に守ってくれるって……」

「だけど、それは響のやりたい事をそのまま先生に押し付けるって事だよ」

「そう、なの?」

「うん。だって、先生は痛みが怖くない人だから。誰かの重さや痛みを背負えて当然って思っている様な、普通の人とは何かが違うから、響の代わりにあっさり戦っちゃうと思う」

 

 響が至った結論に良く似た思いを未来もまた抱いていた。血の海に沈み腕を失いながらも、誰かの為に戦うのが武門だと言っていた事を思い出す。その姿を見た未来には解ってしまうのだ。響と未来は見てきたものは違う。だけど、上泉之景が戦いを止めないという事だけは解ってしまう。明確な惨状を見た分、未来の方がより明確に理解しているのかもしれない。響のような人助けをする為。そんな優しい理由ならば、躊躇なく背負ってしまうと解るからこそ、未来は響にそれで良いのかと問いかける。ただでさえ、相手は戦う事を止める気は無い。その上で、更に戦う理由を押し付けてしまうのかと聞く。響にそんなつもりが無いからこそ、親友である未来が、結果的にそうなってしまうと教える必要があった。

 

「多分先生は私達が居ても居なくても戦う人だよ。だからこそ、響が負担になっちゃっても良いの? 好きな人を支えるんじゃなくて、重荷になってしまっても良いの?」

「わたし、そんなつもりじゃ……」

「うん。解ってる。そんなつもりじゃないって解ってるから、私が言ったの。響が恋しているって、誰よりも知っているからこそ私が言うべきだって思ったから」

「恋をしているって知ってるから?」

「うん。恋は悪い事なんかじゃない。響を見ていたら良く解るよ。先生を、響のユキさんを信じているって事も良く知ってる。だからこそ言うね。信じる事と、考えない事は違うよ。好きだから信じる。そう言えば聞こえはいいけど、信じる事ときちんと考える事は別だよ」

 

 立花響は恋をしている。だからこそ、響はユキの言葉を妄信しているとも言える。だからこそ気付かなければいけない。確かにユキは響が言って欲しい事を言っている。だけど、根本的に上泉之景は子供たちに戦って欲しくは無い。以前のユキの話と言うのは、響を通して未来も聞かされていたが、響を立ち直らせる為のものでは無い。響が戦わなくて良い様にするものだった。誰よりも響に戦って欲しくなかった未来だからこそ、その事に簡単に気付けた。そして、誰よりも信じているからこそ、響は気付かなかった。先の助言は、響の事を想っての助言ではあるが、だからこそ響を立ち直らせる為の助言では無い。立花響が戦わなくて良い様にと言われた言葉だった。だから、響は嬉しく思うが、何処か引っかかるものがあったと言う訳である。

 

「響は、響の想いを大切にしないとダメだよ。先生は、私達を大切に想ってくれているからこそ、遠ざける人だもの。辛くて苦しい時だからこそ、優しさに甘えるだけじゃだめだと思う。心地良さに浸るだけじゃ、きっと駄目になる。考える事を止めちゃ駄目だと思う」

「考える事を止めない……」

「私は知っているよ。確かに響は戦う力も持っている。だけど、それは戦いたいから用いる力じゃないって事を」

 

  そして、小日向未来は今の立花響にとって一番必要なものが何かを気付かせる為に言葉を続ける。上泉先生は、子供たちを大切に想っているからこそ、戦えなくなったことを相談するべきでは無かったのだ。なら戦わなくて良い。代わりに守る。そう言うに決まっている。

 

「響が戦いたくないのなら、それはきちんと向き合わなきゃいけない。響の意志は、想いは、響自身が見詰めなきゃいけないの」

「私の意志。私の想い」

「そう。響の想い。響は先生が響の代わりに戦って、それでもし力尽きたらどうするの?」

「――ッ!? 嫌だ」

 

 そして、未来は最も辛い可能性を提示する。確かにユキは強い。だが、絶対は存在しない。右腕が落とされたように、次は命を落とす可能性もある。それでも、守って貰うだけで良いのかと響に問う。響の瞳に大粒の涙が浮かぶ。その姿に、私嫌な事言ってるなぁっと思うが、響の為だと心を強く持つ。誰かが言うべき事であり、だからこそ未来が言いたい事でもあった。響の恋を応援している。だけど、人は恋だけに生きてはならない。響に助けられた親友だからこそ、それに気付いて欲しかった。

 

「先生は一人でも戦うよ。ううん。きっと、一人でばかり戦っているよ。それでも、響は守って貰うの?」

「私は……」

 

 戦いたくない。だけど、代わりに戦って貰うという事は、戦っている人の後ろに居るという事である。勝てればいい。だけど、もし負けた時、助けに行けない事もある。誰かを傷付けると思うと怖いけど、大切な人が傷付いた時、傍に居られないと考えるとそれも怖くなる。

 

「怖がらないで響。響の歌は、戦う為のものじゃない。響の歌は――」

 

 そして、未来は響の歌について自分の想いを真っ直ぐ伝える。

 

「漸く見つけた。君の歌を聞きに来たんだゾッ!」 

 

 その直前、赤の自動人形がその姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 

「キャロルちゃんの仲間、だよね?」

「そうなんだゾ。他の仲間の歌は聞かせて貰ったから、君の歌を聞かせて欲しいんだゾ」

「私の歌を……?」

 

 目の前に現れたミカの台詞を聞き、響はガングニールに手を伸ばす。だけど、それでも胸の歌が浮かぶ事は無い。

 

「――」

 

 何とか聖詠を紡ごうとするも、声が言葉となりはしない。戦うのが怖い。そんな意識が響の中に存在する限り、ガングニールが応える事は無い。

 

「ん?」

「歌え……ない」

 

 そして、響の様子にミカは小首を傾げる。先の戦いで、仲間から歌えない装者がいるとは聞いていた。それがこの装者なのかと思いを巡らせる。暫くの沈黙。そして、ミカは大量の結晶を取り出す。アルカノイズ。錬金術師たちによって作られた、シンフォギアすらも分解する新型のノイズの閉じ込められた結晶だった。

 

「歌えないのなら、歌えるようにするしかないんだゾ。君が歌わないのなら街を、それで駄目なら人を、それでも無理なら大切な友達を、分解なんだゾ!」

 

 アルカノイズを呼び出しながら、ミカは響に告げる。シンフォギアを纏えないのならば、少しずつ惨劇を見せるぞと。いやでも、戦わなければいけない状況に追い込む。それが、自動人形が採った作戦だった。

 

「ッ!? ッ――ッッ――!?」

「うーん。本気にしてくれないのなら、本当にやっちゃうんだゾ」

 

 余りの発言に、何とか歌おうとするも言葉が形とならず消えて行く。これでもまだ歌わないというのならば、歌えるようになるまで追いつめるだけだった。

 

「大丈夫」

「え?」

 

 本気だ。何とかしなきゃと思った時、すぐ傍で聞き馴れた声が耳に届いた。視線を向ける。未来が、微笑んでいた。大丈夫。誰かを傷付ける事に怯える響に言い聞かせるように優しい笑みを浮かべ、未来は告げる。

 

「響が戦えないのなら、私が響の代わりに守るんだ。――抜剣(アクセス)ッ!」

 

 未来は己の剣を抜き放つ。陽だまりの剣。響が戦わなくて良い世界を作ると言う想いにより適合した、英雄の剣と神獣鏡の流れを汲む剣。小日向未来の持つ力だった。六本の飛翔剣が舞い、純白の輝きを纏う。

 

「な、んで……」

「ずっとね、響に守って貰っていた。だから、今度は私が守るんだ。響の想いは、私が守る」

「……君の持つ剣には興味が無いんだけど、君を分解したら歌う気になるかもしれない、か。なら、頑張って欲しいんだゾ!」

 

 陽だまりの剣を抜いた未来の姿を見たミカは、アルカノイズをけしかける事を選択する。できるだけゆっくり、装者が歌えるようになれば良いと言わんばかりに、緩やかにノイズを攻め懸けさせる。

 

「大丈夫だよ、響。今の響は、少しだけ見失っているだけ。握った拳が生む痛みに、大切なものを見失っているだけだよ」

  

 飛翔剣が舞い、アルカノイズを迎え撃つ。一斉に攻め寄せるのではなく、包囲したノイズが少しずつ攻め立てる。未来は飛翔剣をノイズを阻む様に展開し、斬り落としていく。

 

「けど……!?」

 

 それでも多勢に無勢。少しずつ攻め手の数が増えて行き、未来の反応が追いつかなくなり始める。押されている状況に、響は声を荒げる。

 

「響の歌は、確かに誰かを傷付けるかもしれない。だけど、それは傷付けるだけじゃないって知っている。私だから知っているのッ!」

 

 やがて舞っていた飛翔剣がアルカノイズに分解される。それでも、剣の力を振り絞り再び刀身を再生成していく。シンフォギアの力が歌によるフォニックゲインの高まりに寄る様に、陽だまりの剣は、使い手の意志の強さによってその力を増幅させる。英雄の剣と言う異端技術の基本性能に更に未来の意志が宿り、その切れ味を増していく。小日向未来は教えられている。意志の宿った刃は、何よりも強い武器になり得ると。元来戦う事など向いていない少女ではあるが、友達の為と思った時、その意志は何よりも強いものと昇華する。響を守る。そう言い聞かせた。

 

「ほぉぉ! 歌を聞くつもりだったけど、思いもよらないものが見れたんだゾ!」

 

 鋭く、早くなる刃を見詰め、ミカは思わず嬉しそうな声を上げる。練度も精度も遥かに違う。だけど、それは確かに見た事のある武器であった。意志の宿った刃。天と地ほどの差はあれど、未来の持つ陽だまりの剣は、未来の想いに応える様にその力を輝かせる。

 

「だけど、その程度じゃ、何も変えられないんだゾ!」

「くぅ!?」

「未来ッ!?」

 

 だとしても、赤の自動人形の強さには遥かに届かない。ミカの生み出した炎の槍に、陽だまりの剣は手折られる。幾らか外装を傷付けられるが、未来自体に傷は無い。だけど、たった一撃で相手は遥かに強い事を思い知らされる。戦いの経験など殆ど無いにもかかわらず、格上の人外が相手である。先生はこんなのを一人で相手にしていたんだと思うと、有無を言わず逃げろと言われたのにも納得してしまう。まるで勝てる気がしない。響の声が耳に届く。ミカが笑う。

 

「もう良いよ。逃げて、未来!!」

「もっと見せて欲しいんだゾ。君が頑張れば頑張る程、あの子が歌いやすくなるんだゾ」

「私は守るんだッ! 響はきっと、自分が戦えないうちに目の前で犠牲が出たらそれこそ深い傷を負う。響が戦えない間は、私が守るんだッ!」

 

 だとしても、それは未来が響を置いて逃げる理由になりはしない。砕かれた飛翔剣に、更なる強い意志を宿し剣を生成する。極度の消耗。守る為、未来は自動人形を相手に踏み止まる。

 

「その想いは認めてあげてもいいかもだけど、君は戦い慣れていないのがまるわかりなんだゾ! 能力と経験の差は、生半可な想いだけでは覆せないんだゾ!」

 

 飛翔剣がアルカノイズを貫き、陽だまりの剣が炎剣を受け止める。火花が散り、陽だまりの剣にひびが入る。二の太刀。再度ぶつかり合った剣同士が衝撃を重ねる。未来は衝撃を殺し切れず、吹き飛ばされていた。

 

「あぅぅ……」

「未来!?」

「頑張ったけど、偽りの剣ではこれ位が妥当なんだゾ」

 

 未来を打倒したミカは、深く一撃を入れ未来の意識を一瞬吹き飛ばす。陽だまりの剣が解除されると、倒れ伏した未来を軽く突き覚醒させる。

 

「ひ、びき」

「んー、友達分解を試してみるとするんだゾ」

「未来ッ!? 歌わなきゃ、今、私が歌わなきゃ――」

 

 ミカが未来を持ち上げ、アルカノイズの方に視線を向ける。にやりと深く笑みを浮かべた。ガングニールを手から血が流れるほど強く握りしめるが、それでも歌は歌えない。

 

「私は、知っているよ……。響の歌は、誰かを、傷付けるものじゃないって……。伸ばしたその手は、誰かを守る為に伸ばされたものだって、私は、知っている。だから、怖がらないで……。その手を伸ばすのは、誰かを傷付ける為じゃない。例え拳を握る事しかできなかったとしても、誰かを助ける為に握られた拳だって……」

 

 そんな姿を掠れる目で見た未来は、伝えたかった想いを響に届ける。その手が拳を握るのは、誰かを傷付ける為じゃないと。守る為に握られているのだと。響に助けられた小日向未来だからこそ、その想いは誰よりも強い。

 

「言い残す事は、これで終わりなのかな? なら、バイナラー!」

 

 一生懸命だからこそ、その言葉には大きな想いが宿る。それが解っているからこそ、ミカは未来に言いたい事を言わせると、少女をアルカノイズに向け高く投げ放った。抵抗などできはしない。既に、陽だまりの剣を抜く気力すらも失っていた。

 

「怖がらないで……。私の大好きな響の歌を、みんなの為に歌って……」

 

 落ちて行く。未来が死ぬ。ノイズに触れれば死ぬ。嫌という程知っている現実だった。嫌だ。嫌だ。そう強く胸が騒めく。瞳から光るものが溢れ出す。胸の内の想いが弾けた。

 

「――喪失までのカウントダウン(Balwisyall Nescell gungnir tron)

 

 胸の内に想いの灯が宿り、風が吹き抜ける。大好きな親友を、こんな私に大切な事を思い出させてくれた親友を失いたくはない。強すぎる意志が胸の中に熱く燃え上がる。響の身体が光を纏い、胸の歌が奇跡を起こす。親友が再び思い出させてくれた想い。誰かを守る為。大切な人を守る為、再びシンフォギアを身に纏っていた。

 閃光が駆け抜ける。未来が落ちる地点に存在していたアルカノイズが、一瞬にして消し飛ばされる。そして、落ちる未来を優しく受け止めた。途切れかけていた意識が覚醒する。未来の瞳が映したのは、大好きな親友の笑顔だった。

 

「ごめんね。私、大切なものを見失っていた。力を振るう痛みから逃げ出してた。だけど、もう無くさないよ。大切なものを守る為、歌ってみせる。だから、聞いて。私の歌を」

 

 そして、響は抱き留めた未来をゆっくりと地に下ろす。そのまま、未来を背に赤の自動人形を見据えた。

 

「行ってくる」

「待っている」

 

 二人の少女は短く言葉を交わす。その様子に、ミカは嬉しそうに笑みを浮かべる。響は短く息を吸う。そして、拳を握り、戦うべき相手を見据えた。歌が紡がれる。一陣の風が吹き抜けた。大切な想いを見失わない様にしっかりと抱きしめる。親友の想いに報いる為にも、響は飛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――英雄の剣(ソードギア)抜剣(アクセス)

「ざんねんだけど、茶番は此処までよ」

 

 そして、電子音声が鳴り響く。青が、吐き捨てるように言い放った。 

 

「――ッ!?」

 

 踏み込み、ぶつかり合う直前。響の胸を鋭い衝撃が駆け抜ける。不可視の斬撃。完全に予想の外から放たれた一撃。大切なものを見つけた少女を、一刀の下に切り伏せる。風が吹き抜けた。

 

「――え?」

 

 余りに理不尽な一撃に、響の思考が一瞬停止する。不可視の飛翔剣が、響を切り刻む。身に纏った奇跡が崩れ落ちる。ガングニールのシンフォギア。確かに奇跡は英雄の剣に斬り裂かれていた。

 

「ひびき、ひびきいいいいいいい!?」

 

 あっけなく、立花響は崩れ去る。何の前触れもなく現れた青と黒金の自動人形。その闖入者によって、少女の想いは踏み躙られるのだった。

 

 

 

 

 

 

 




未来、親友に大切な事を思い出させる
響、覚醒
ガリィちゃん、空気を読まない
ミカ、不完全燃焼


主人公不在回なので、ビッキーが完全に主人公でした


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11.Exterminate

『ノイズの反応多数。発電所周辺に、自動人形の存在も確認されております。S.O.N.G.の救援要請と、ほぼ同時に複数個所が襲撃されております』

 

 通信士の指示を聞きながら駆け抜ける。赤色の煤が舞う。招集がかかっていた。

 相手にするのは、新型のアルカノイズ。世界を破壊する為、錬金術師が完成させたという新たなノイズが複数個所に現れていた。左手に一振り、腰に一振りの太刀を持ち襲撃地点に向かっていた。跳躍。飛行型のノイズが、人を分解する為にその威を振るう。すれ違い様に一閃。飛んだ勢いを殺さぬまま、地を滑る様に低く疾走する。眼前。剣士の様に鋭い刃を持つノイズが立ち塞がる。

 

「ある意味、腕を失くした甲斐があるか」

 

 交錯。黒鉄の右腕が、僅かな血を用い稼働する。義手から、赤色の粒子が零れ落ちる。錬金術。異端技術と既存技術の折衷品である、右腕がノイズの刃を断ち切る。右腕だけが対ノイズ兵装として加工されていた。使い道など限定されると思っていたが、やろうと思えば存外使いようはあった。手刀。間合いが狂えば即、死に繋がりかねないが、ノイズに触れられるというのは大きな武器だと言える。幸いな事に、ノイズは自動人形と違い大した速さでは無い。相手以上の速さを出し続け、動きを見極め続ければ、太刀以上の武器と成り得ている。剣士ノイズの一撃を見切、反発する右腕で剣を斬り落とす。すれ違い様に触れようとするノイズを太刀で一閃。赤色の煤が舞い上がる。

 

「エルフナインには感謝しても足りないな。動くだけではなく、新たな力まで与えられている」

 

 右腕が稼働する。隙を突く様に飛来した飛行型ノイズを、黒鉄の義手で掴み取り、別のノイズに向け投げ返す。ノイズ同士が弾丸の様にぶつかり、互いを煤へと変える。実体化。この腕で掴んだノイズは僅かな間だが、位相が調整されると言っていた。ほんの僅かだが血液の消耗がある為、あまり多用すべきでは無いというのがエルフナインの言葉ではあるが、抗い難い力だと言える。ノイズが相手の場合、必ず受けに回らねばならなかった。それが、攻めに転じられるのだ。代償に比べても、充分過ぎる力だと言える。英雄の剣の外装展開能力。それに用いられるエネルギー転換を義手周辺に発生させているのだとか。使用されている部品が僅かしかない為、義手のみの加工しかできない様だが、その能力は十分以上に実感できていた。

 

『上泉隊長、敵性存在との交戦を確認するも既に敵性反応消滅。バイタル尚も安定。義手のデータも計測できています。S.O.N.G.の協力者というのは、凄まじい技術を持ち込んでくれたようです』

『ああ。態々、あの風鳴本家から指示が飛ぶぐらいだ。蔑ろにするわけにはいかんな』

『武門の確執については聞いております。ですが、一課の、国の為です。今回は従って頂くように』

『解っている』

 

 通信士の言葉に頷く。可能な限り、義手のデータを計測しろと言う指示がが一課上層部から、風鳴本家筋から通達されていた。実践の中でその有用性を示し、異端技術を既存技術にまで引きずり降ろせるように尽力しろと明確に指示されていた。異端技術のデータ採取。それ自体は拒否する理由もない。一課に存在する以上、指示に従うのは当然と言えた。幸い、戦場で状況を判断する権限は与えられている。戦い方さえ任せて貰えるのならば、その程度ならば幾らでも協力できる。風鳴本家という事で何か企みがあるのだろうと勘ぐってしまうが、現時点では警戒する情報も無かった。無駄に死なない事だけを念頭に置き、力を十全に用いる。

 

『――ッ!? 周辺に強大な反応を感知』

『――自動錬金』

 

 周囲を警戒してくださいという言葉が聞こえる前に、雷光が駆け抜けた。反射的に飛ぶ。身に着けていた通信機。放たれた遠当てに打ち砕かれるが、無事である。視線を相手に向ける。見慣れた人形が其処には立っていた。

 

「お前か」

 

 黒金の自動人形。何度となくぶつかり合い、刃を重ねた存在だった。漆黒の義手を輝かせ、自動錬金で生成した刃を以て血脈の剣を放っていた。エルフナイン曰く、黒金の自動人形は、俺が用いた剣の経験を解析、再現している。技が盗まれたという事だった。

 

「ある意味では、お前もまた弟子と言う訳か」

 

 それ自体は、別に大した問題では無かった。腕を落とされようと、技を盗まれようと、戦いとはそういう物である。むしろ、相手に其処までさせた受け継いだ技に、誇りすら感じられる。剣とは、技とは、研鑽の中で培う物である。師の技を盗むなど、自身も通ってきた道である。盗んだ技を自分の中で更に昇華させる。それが出来てこその武門だった。黒金の自動人形の剣も、ある意味武門に近いと言える。盗んだ技を自分の物としていた。奇妙な因縁である。敵であった。敵ではあるが、それ以外にも言葉にするのが難しい何かを感じている。

 

「――」

 

 黒金はただこちらを見据えている。それが、何かを言っているように感じられるのが不思議だった。

 

「お前は言葉を話せぬのだったな。ならば構わん。刃で語り合おうか」

 

 左手の太刀を低く構える。黒金は、小手から金色の粒子を迸らせる。奇妙である。だが、この人形が何処か嫌いになりきれなかった。笑う。戦うのは嫌いでは無い。刃。爪と義手が同じ色を輝かせ、風が吹き抜ける。

 

「見せて貰うぞ、お前の力を」

 

 踏み込む。黒鉄の右腕と、黒金の右腕がぶつかり合った。衝撃が駆け抜ける。赤色の煤が吹き抜けていく。

 

 

 

 

 

 

 

「確かにシンフォギアすら分解してしまう能力は厄介だけど……」

「当たらなければ!!」

 

 上泉之景が戦っているのと同じころ、S.O.N.G.仮設本部の存在する潜水艦を格納する設備の存在する基地が強襲されていた。シンフォギア改修と本部メンテナンスの為の寄港。補給と改修も兼ねた帰投を狙われたという事だった。壊されたシンフォギアの改修。それが行われている途中、基地施設の発電所が自動人形に攻撃されていた。本部には自動人形に手酷くやられた立花響の治療も行われている。シンフォギアの改修完了までの時間稼ぎの為、仲間の命を守る為、調と切歌はシンフォギアを纏って迎え撃つ。翼やクリスのギアは壊され、響と未来も軽くは無い傷を負っている。S.O.N.G.の戦闘部隊や一課の戦闘部隊の人間は、シンフォギアなど無くとも迎撃に向かっている。半人前だからといって、二人はただ戦いを眺めているだけではいられなかった。少しでも誰かが死なないで済む様に。仲間の為以外にも、誰かの為に力を振るう。

 

『お前達、何をしているか解っているのかッ!』

『勿論ですともッ!』

『今のうちに、強化型シンフォギアの改修をお願いします』

 

 予定にない二人の出撃に弦十郎が声を荒げるが、二人は意に介さない。確かに二人は半人前であり、適合係数を上昇させるリンカーが無ければ、まともに戦えるほどの実力は無い。だけど、リンカーがあるのならば話は別である。S.O.N.G.には、F.I.S.が用いていたウェル博士の作ったリンカーはなくとも、かつて天羽奏が用いたリンカーは存在していた。想いの強さが起こす、時限式の奇跡。奏様に調整されたリンカーは、二人の身体に完全に合う訳では無い。だとしても、二人は守る為にリンカーを己に打ち込んでいた。シンフォギアが起こす反動を、薬によって抑制する。二人がメディカルルームより用だした秘策は、確かに二人を装者として戦わせていた。

 

『調ちゃん、切歌ちゃんのバイタル安定。ギアからのバックファイアが低く抑えられています』

『そう言う事か……』

『まさか、奏のモデルKを……ッ?』

『ああ。あいつ等、メディカルルームから、リンカーを持ち出しやがった』

 

 二人と通信を行っていた指令室側でも、何故戦闘が継続できているかに思い当たる。二人が出撃する直前、警報が鳴っていた。自動人形襲撃のごたごたで、事態の解明が後手に回っていたが、戦いに出た二人の姿に犯人が何者であったのか容易に辿り着く。

 

『各所より電力供給率が低下』

『く、このままでは、本部の維持もままならないか。調君、切歌君。交戦の許可は出すが、無理はしてくれるな!』

 

 藤尭の報告が届き、風鳴弦十郎は苦渋の決断を下す。リンカーの未使用によるバックファイアに比べれば、痛みはマシかも知れない。だが、それは表面に影響が現れないだけなのだ。調整不足の薬物による影響がないとは言い切れない。それでも、ノイズに対して有効的な対処が採り切れない以上、二人の出撃を許可するしかなかった。少なくとも、それでノイズの犠牲となる隊員は大幅に減る事になる。

 

『了解デス』

『解っています。無理はしません』

 

 弦十郎の言葉に、二人はほんの少し頬を緩める。戦う側としても、反対されている状態で戦うより、戦えと言って貰える方が戦いやすい。

 

「私達が戦線を支えるデス」

「だから、今のうちに態勢を立て直してください」

「く、直ぐに援護を行います。それまで、持ちこたえてください」

 

 迎撃に出ているS.O.N.G.の隊員たちに二人は告げる。アルカノイズ。シンフォギアすらも分解する力を持つ敵に、それでも果敢に立ち向かう姿に隊員たちも速やかに行動を開始する。少女達だけに良い格好をさせる訳にはいかない。そんな大人の意地を胸に、速やかに部隊を立て直していく。

 

「分解能力は脅威だけど」

「距離と敵の数を見誤らなければッ!」

 

 調と切歌はアルカノイズに近付き過ぎる事を警戒しながらその刃を振るう。大鎌を展開し飛刃がノイズを斬り裂き赤き煤と変える。無数の丸鋸がその刃を唸らせ、煤を舞い上がらせる。確かに分解能力は脅威である。だけど、S.O.N.G.に所属する者達は生身でノイズに挑む人間を知っている。触れれば、即死に至る相手と切り結ぶ姿を知っていた。その脅威は、アルカノイズもただのノイズも変わりはしない。その戦い方に比べれば、シンフォギアを纏える自分たちは、戦い方を工夫すればどうとでもなる筈であった。剣だけを手に戦場を駆る後ろ姿に比べれば、恵まれているとすら言えた。二人の歌が加速する。対となるシンフォギアより奏でられる歌。それが共鳴し、より強いフォニックゲインが生成される。

 

「おーりゃあッ!」

 

 善戦を続ける二人に突如間の抜けた声が降り注ぐ。赤き自動人形であるミカ。目の前の敵に集中していた二人に、炎柱を以て打ち掛かった。反射。殺意に反応し、咄嗟に翳したイガリマで切歌は一撃を何とか受け止める。それでも地が陥没し凄まじい負荷が掛かる。

 

「くぅ……」

「切ちゃんッ!?」

「かはッ」

 

 奇襲を受けた切歌に調は慌てたように声を荒げ援護に向かうも、二の太刀で吹き飛ばされた切歌に巻き込まれもつれあう形で吹き飛ばされる。

 

「このまま見ていられるかッ」

「待て。今の私達に何ができる」

「だからって、このまま咥えてろってか!?」

 

 自動人形の出現によって劣勢に陥った二人の姿に、思わずクリスが飛び出しかけるが翼がその手を掴み止めた。

 

「私たちは弱い。ギアが無ければ、死にに行くのと同じだ」

「だけど、あの人は……ッ」

「私達と先生は違う。雪音、遠き背に手を伸ばすなとは言わない。だが、己にできる事を見誤るな」

「……クソッ」

 

 何故止めると声を荒げるクリスに、翼は努めて冷静な声音で告げる。クリスを助けに、先達は生身で自動人形と交戦した事もあった。翼やユキに守られてばかりいた自分も、今は先輩と言う立場に立っている。そんな焦りにも似た感情がクリスを突き動かすも、何もできないからこそ、動けるようになるまで絶えねばならないという翼の言葉を振り切る事が出来ない。結局、今の自分では何もできないという結論に辿り着き、どうにもならない感情を悪態と言う形で吐き出す。

 

「辛いのは、私も同じだ」

「解ったよ、先輩……」

 

 翼が一度クリスの頭を撫でる。その温かさに、幾らか冷静さを取り戻したクリスはそっぽを向き吐き捨てる。先輩にも、まだまだ及ばない。そんな事実を何とか受け止めつつ、再びモニターされている戦況を見詰める。

 

「強い……」

「だけど、まだいけるデス!」

 

 吹き飛ばされた二人は、それでも全身に力を滾らせ立ち上がる。誰かを守る為に、大切な人達を守る為に立ち上がった。自分達よりも強い者が相手であったとしても、揺らぐ道理は無い。格上との戦いなど、F.I.S.で暴走してしまった時に身を以て知っている。大鎌が刃を煌めかせ、鋸が威を誇る。女神ザババの二振りの刃がミカを襲う。炎柱を捨てる。ミカはあろう事か、素手でイガリマとシュルシャガナの攻撃を掴み取り、投げ返す。

 

「あたしは強いゾ。この程度じゃ、戦いにもならないんだゾ」

「なぁ!?」

「うぁぁ!?」

 

 吹き飛ばされた二人は呻き声を上げる。強いというのは知っていた。フロンティア事変の英雄の右腕を飛ばしたのは自動人形である。それと同じ存在だった。弱いはずが無い。知っていた。知っていたが、それでも予想の遥か上の強さであった。ミカは為す術もなく吹き飛んだ二人を一瞥すると、子供が玩具に興味を失ったように、再び炎柱を作り出し、両手で弄ぶ。相手にもならない。それが、二人の歌を聞いた自動人形の感想だった。

 

「子供だと馬鹿にして……だけど、格上なのも事実」

「はいデス。これは、形振り構っていられないデスね」

「うん。このままじゃ、また何も守れない。そうなったら、今戦っている人たちも、改修中のギアも、怪我を負った響さんもどうなるか解らない」

「そんなの嫌デス。だから」

「うん。二人なら怖くないよ」

 

 彼我の戦力差に、その溝を埋める為の一手を講じる。手にするは、追加のリンカー。薬物の過剰投与。その効力は、彼女等のリンカーを作り上げたウェル博士すらも認めている。調整されたものでは無い。だけど、居間よりも強くなる事だけは解っていた。恐怖がない訳では無い。その証拠に手が震えていた。視線が重なる。大好きな親友が、互いを不安そうに見ていた。だけど、二人ならば怖くは無い。

 

『これ以上は……』

『やらせてあげてください。これは、あの日道を見失った、臆病者たちの償いなんです』

『償い、だと?』

『はい。誰かを信じる勇気が無かったばかりに、取り返しの付かない暴走をしてしまった私達。だから、エルフナインがシンフォギアを治してくれると信じて戦うのが私たちの償いなんです』

 

 更なる投与を行う覚悟を決めた二人に、弦十郎が撤退の指示を出そうとするが、それを二人の保護者であるマリアが止める。彼女たちがフロンティア事変で行った過ち。それが、常に心の奥底で燻り続けている。止めようとしてくれた相手に刃を向け、何度もぶつかり合った。どれだけの犠牲を出してしまったのかも正確な数は解らない。その過ちを、少しでも雪ぐ為にも誰かの為に何かを為したかった。それが、彼女たちなりに出した償いの方法だった。結局、弦十郎は彼女等の意志に押され、許可を下した。自分は弱くなったと思い、直後に、子供たちが成長したのだと言い聞かせた。リンカーを投与する。適合係数が跳ね上がり、その代償として鼻から赤い筋が流れ落ちた

 

「……オーバードーズ」

「鼻血がなんぼのもんかデス! あの時見た姿に比べれば!」

 

 リンカーの過剰投与による、副作用。二人の身体から血が流れ落ちるが、それは二人が追逸れる理由たり得ない。かつてフロンティア事変で見た姿。身体を貫かれ、血の海に倒れ伏すあの姿に比べれば、自分たちはまだまだ戦える。誰かを信じる為にも、かつての罪を償う為にも、鼻血が出たぐらいでは二人が揺らぐ事は無い。

 

「行こう切ちゃん。一緒に」

「切り刻むデス」

 

 再び歌が鳴り響く。大鎌の複刃を展開し、巨大な丸鋸を稼働させる。切歌が駆けだし背の推進装置を起動させ加速、距離を詰める。直前、調が小型の丸鋸を大量に打ち込み、ミカを牽制する。同時に飛びあがり、一撃必殺の機会を見定める。踏み込み。切歌は一気にミカを間合いに入れ、大鎌を振り抜いた。

 

「おお……!?」

 

 二人の歌が共鳴する。周囲に発せられるフォニックゲインが高まりシンフォギアの出力を上昇させる。一撃。受け止めた斬撃が、ミカの生み出した炎柱に少しずつ罅を入れる。ミカの表情が歓喜に染まる。炎を撃ち砕いての一閃。至近距離で往なしたミカは、称賛の声を上げる。

 

「これで!」

 

 イガリマを往なしてからの反撃。それに移ろうとしたミカの僅かな隙を突き、シュルシャガナがその刃を撃ち放つ。丸鋸が回転する音だけを聞き、飛来する方向を確認する事もせず切歌は離脱する。二人は互いの事を知り尽くしている。どんな状況で、どのような攻撃を行うかは手に取るようにわかった。息の合った連携を以て、格上の自動人形に食らいつく。

 

『更なる適合係数の上昇で、ギアのバックファイアも抑えられています』

『だが、この輝きは時限式だ』

『それでも、二人なら降り掛かる茨を切り開いてくれます』

 

 二人の攻勢が続く。それでも、ミカには致命打を与える事が出来ない。藤尭の状況報告が続き、弦十郎は難しい表情で戦況を見ていた。マリアは戦う力の無い自分の不甲斐無さに、唇を強く噛む。それでも、自分が信じてあげないで誰があの子達を信じるのかと強く言い聞かせる。

 

「強くなりたい――」

 

 二人の歌とマリアの想いが重なる。調と切歌が同時に踏み込み、ミカを相手に刃を重ねる。炎柱が砕け散る。好機と見た二人は、歌を更に高めつつ高く飛びあがった。ミカが、炎剣を生成する。

 

「子供でも時間を掛ければそれなりのフォニックゲイン。出力の高い方だけでも充分かもゾ」

 

 少女たちは、空中で手を取り互いのギアを展開する。イガリマとシュルシャガナの刃。それを脚部から展開し、共鳴する歌と共にミカに狙いを定めた。風が吹き抜ける。炎が強く燃え上がる。

 

「どっかーん!」

「――!?」

 

 とどめの一撃。その心算で放った大技を、炎剣は真正面から燃やし尽くす。炎を纏った斬撃。それが女神ザババの刃とぶつかり合い、双刃を叩き折る。

 

「うぁ……」

 

 一撃の余りの強さに、全身に鋭い痛みが走る。それでも何とか切歌と調は立ち上がるが、膝を突いてしまう。

 

「まぁまぁだったゾ。だけど、此処までなんだゾ」

「こんなに頑張っているのに、何も変わらないデスか……ッ!?」

「このままじゃ、何も守れない。私は、響さんに謝っても居ないのに……ッ!?」

 

 満身創痍になり、立ち上がる事もままならない現実に二人の少女は涙を浮かべる。誰かを守る為に戦場に立った。その筈なのに、結局何も出来ていない。それが、悲しくて、辛くて、何よりもそんな自分たちが不甲斐無くて涙が零れ落ちてしまう。マリア、マム。そんな言葉が出そうになるのを必死でこらえる。

 

『セレナ、マム。二人を守って……』

 

 戦況を見詰めているマリアも、今は亡き家族に、今を生きる家族を守ってくれと悲痛な祈りを捧げる。

 

「この間はあの子に邪魔をされちゃったけど、今回はきっちり壊させて貰うんだゾ。じゃあ、バイバーイ!」 

「……ッ!?」

 

 ミカが一気に踏み込んでくる。先程の戦いなど遊びだったと言わんばかりの早すぎる加速。シンフォギアを纏いリンカーの過剰投与を行って尚、追いきれない速さ。間合いに斬り込まれ、一撃を以てシンフォギアのペンダントを穿たれる。衝撃。切歌の胸に痛みが走り、気が付けば吹き飛ばされていた。

 

「切ちゃん!?」

 

 調の悲鳴が上がる。だけど、切歌は立つ事が出来ず、身に纏うシンフォギアも光と化す。

 

「よそ見をしていると後ろから狙い撃ちだゾ」

「く、邪魔をするな!!」

 

 ギアを壊された切歌の救援に向かおうとするも、ミカの横やりが入り向かう事が出来ない。ミカの一撃を何とか捌くが徐々に追い詰められていく。同時にアルカノイズが呼び出され、ミカの攻撃の合間に、アルカノイズの分解器官がシンフォギアを少しずつ削ぎ落としていく。

 

「バラバラ分解ショーの始まりだゾ!」

「しらべ……逃げるデス」

「切ちゃんを置いて逃げるなんて、出来ない! 私は切ちゃんが居てくれたからこそ救われたんだ。だから、私だけが逃げるなんて事、絶対に嫌だ!」

 

 ただ一人ギアが健在な調は、何とかアルカノイズを引き付け切歌が襲われないように立ち回る。だけど、これまでの消耗に、間断の無い自動人形の攻勢に、追い込まれていく。既にシンフォギアを壊された切歌には、調のギアが壊されていく姿を見ている事しかできず、自分の事を置いて行ってくれと懇願するが、その言葉がさらに調を戦わせる。煤が舞う。風が、赤色を巻き上げる。何とかノイズを打倒していくが、それもやがて力尽きる。アルカノイズの分解器官がシンフォギアのペンダントに触れ、本体を損傷させる。

 

「誰か…あたしの友達を助けて欲しいデス。誰か……大切な調を……」

「うぁ……」

 

 傷付いたギアがついにその限界を迎える。同時に、リンカーの過剰投与による体への負担もギアが解除された事を契機に襲い掛かる。シンフォギアが完全に壊れた事により、調は生まれたままの姿で投げ出される。そして、調を分解する為に集まって来ていたノイズに取り囲まれてしまう。何とか立ち上がろうとして、だけど既に限界を超えていた事により、動く事も出来なかった。

 

「切ちゃん……」

「誰か――!?」

 

 アルカノイズの分解器官が迫る。それでも、大切な親友を守る事が出来なくて。切歌の悲痛な叫びが上がった。死の恐怖に調の目が強く閉じられる。風が吹き抜けた。

 

「誰かなんて、つれない事言ってくれるな」

 

 そして、再び開いた視界を赤色が駆け抜けていく。聞き馴れた声が聞い声、かつて何度も見た刃が目に入った。

 

「剣?」

「ああ、風の鳴る剣だ」

 

 ぎりぎり改修の間に会ったシンフォギア。新たな力を纏った風鳴翼と雪音クリスが戦場に舞い降りる。

 

「せん、ぱい……」

 

 絶望的な状況。必死に堪えていた感情が溢れ出す。恐怖。強烈過ぎる死の恐怖に晒されていた調と切歌の瞳から、とめどなく涙が零れ落ちる。

 

「良く、頑張ったな」

「後は、任せろ」

 

 青と赤は後輩に身に纏うものを投げ渡す。そのままねぎらいの言葉をかけ、離脱するように指示を出すと、ミカに向き直る。

 

「さて、どうしてくれる先輩?」

「反撃程度では生温いな。逆襲するぞ」

 

 大切な後輩たちを痛めつけてくれた事に、翼とクリスは静かに怒りを滾らせる。エルフナインが何とか作り上げた新たなシンフォギア。細かな調整も何も行っていないぶっつけ本番の戦い。だけど、目の前で後輩の奮闘を見せつけらていた。これで滾らなければ、先に行くものとして失格である。自分たちが見て来た先達の姿に、同じく先を行くものとなった二人は、こんな気持ちだったのだろうかと思いを馳せる。

 ミカがアルカノイズを追加で呼び出す。増えた敵に、丁度良いと言わんばかりにアームドギアを握り直した。

 

「丁度いい。慣らし代わりに駆け抜けるぞ」

「ああ。後輩を痛めつけられた借り、きっちりのしを付けて返してやる!」

 

 点在するアルカノイズを見据え、強化型のシンフォギアを稼働させる。風鳴翼が踏み込みノイズを斬り、雪音クリスは翼に向かおうとする後続を、近寄る間も無く打ち貫いていく。刃の落涙が降り注ぎ、銃弾の嵐が吹き荒れる。誘導弾を展開し、青の一閃が大量のノイズを煤へと変えていく。アルカノイズの分解器官。強化型シンフォギアの、再調整された防御フィールドによって分解を阻む。その様を見て、再び戦える。そんな自信が、二人の胸の奥で強く燃え上がる。

 

『これなら』

『はい。クリスちゃんと翼さんなら、きっと何とかしてくれます』

 

 展開される戦いを見たマリアの声に力が戻る。それに同意するように、仲間が戦っているのを察したのか、何とか目覚めた響が同意する。強化型シンフォギアは、アルカノイズ相手にも、充分過ぎる戦闘能力を示していた。

 

『あの子達は、こんなにも強い……』

 

 見詰めているマリアは小さく呟いた。歌を紡ぎ、誰かの為にその力を高めていく。自分の求める強さ。マリア自身も、この子達のように強くなりたいと、その姿を見て強く願ってしまう。風が吹き抜け、煤を吹き飛ばす。かつて、先達の背中を見ていた少女たちの背を、今、新たにできた仲間が見詰めている。たしかに、想いは受け継がれていた。誰かの為に戦う。そんな強さを、少女たちの後ろ姿は確かに示していた。

 

『マリアさん、これを』

『これは、アガートラーム?』

『はい。改修自体は何とか終わりました。とは言え、リンカーの使用許可がありません。出撃は出来ませんが、マリアさんに持っていて欲しいんです』

『……ありがとう、エルフナイン』

 

 何処か辛そうに見つめていたマリアに、エルフナインは改修が完了したアガートラームを手渡す。今はまだ戦う許可が下りていない。だけど、確かに修復された力に、マリアはほんの少しだけ表情を緩める。そして、先程よりは幾らか落ち着いた様子で、再び戦況を見詰める。翼とクリスが、ノイズを一掃し、ミカに向けアームドギアを構えたところだった。

 

「これでッ!」

「どうだッ!」

 

 交錯させた青の一閃が駆け抜け、展開した大型の誘導弾がとどめとばかりに衝撃を巻き起こす。必殺の一撃に、二人は気迫のこもった咆哮を上げる。砂塵が上がり、やがて風が砂煙を晴らす。

 

「ちょせぇ」

「いや、まだだ」

 

 クリスが勝利を確信するが、翼は砂塵の中で展開されている光を見つけ、警戒を促す。

 

「面目ないんだゾ」

「いや。手ずから試して良くわかった。此処はオレの出番だ」

 

 錬金術。自動人形の主人であり、黒幕の錬金術師であるキャロル・マールス・ディーンハイムが、強化型シンフォギアで放たれた一撃を凌いでいた。他の自動人形たちが張る障壁よりも遥かに強固な錬金術に、必殺の一撃を以てして尚、傷一つ付ける事はかなわないでいた。

 

「ラスボスのお出ましとはな」

「どうして、お前達には……」

 

 錬金術師の少女は、気だるげに二人の装者を見詰める。暗い瞳が少女たちを映すと、二人に聞こえないほどの小さな声で、何かを吐き捨てた。

 

「全てに於いて優先されるのは計画の遂行。お前はお前の為すべき事を為せ。此処はオレが引き受ける」

「解ったゾ!」

 

 そして、ミカは主の指示に従いテレポートジェムを用い姿を消す。その場には、キャロルと二人の装者だけが残される。

 

『撤退、だと……?』

 

 対峙するキャロルに、翼とクリスは警戒を強める。その様子を見ていた弦十郎は僅かな違和感を感じる。敵の首領が戦場に出ておきながら、尖兵が撤退を行う。殲滅するだけならば、同時に戦う方が遥かに効率が良い筈である。何か別の目的があるのか。そんな事を思考の片隅で考える。同時進行すべき何かがあるから、自動人形は撤退した。そう考えるのが自然である。だが、その何かが解る程の材料がない。

 

「一人で戦えるつもりかよ?」

「案ずるな、この身一つでお前たちの相手など事足りる」

「その風体でぬけぬけと吼える」

「成程、形を理由に本気で戦えなかったなど言い訳される訳にはいかないからな。ならば、刮目せよ」

 

 何か釈然としない違和感。シンフォギア改修の妨害が目的だったとしたら、既にシンフォギアが出て来た事でその目論見は潰えてたと言える。ならば、戦力を集中し撃破するのが自然だろう。S.O.N.G.には投入できる戦力が多くはない。今ならば各個撃破も狙える。何故それを行わない。言い知れぬ不快感に思考を巡らせているうちに、対峙する三人の中で戦いの機が高まっていく。そして、キャロルが紫色の竪琴を出現させた。

 

『アウフヴァッヘン!?』

 

 指令室で観測された波形パターンに思わず声を荒げるが、違う。聖遺物の起動に非常に良く似た波形だった。

 

『ダウルダブラのファウストローブ……』

 

 エルフナインの呟きが響く。まるでシンフォギアを纏うかのように、キャロルはダウルダブラのファウストローブを纏っていた。異端技術の行使により、キャロルの姿が成人女性ほどの姿に変わる。敵対する異端技術は、姿形すらも変えてしまう程のものだった。

 

「これくらいあれば不足は無かろう?」

 

 成長した身体を見せつける様にキャロルは笑う。装者と錬金術師の戦いが、今、幕を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 刃が駆け抜ける。右腕同士がぶつかり合い、太刀と刃が火花を散らす。風が吹き抜け、赤色の煤が吹き抜けていく。黒金の自動人形。何度も戦った相手と、鎬を削る。

 

「遅いぞ人形」

 

 黒鉄の右腕が赤き輝きを発し、黒金の右腕が金色の輝きを発する。錬金術で動かされている腕。異端技術同士がぶつかり合う。

 

英雄の剣(ソードギア)抜剣(アクセス)

 

 此方の踏み込みを往なした黒金は、一瞬の隙を突き英雄の剣を抜き放つ。同時に展開される飛翔剣。風を追い抜き、放たれる前に撃ち落とす。刃同士がぶつかり合い、金属の音色を奏で響かせる。笑う。強くなったな。黒金を相手に、そんな思いを抱いてしまう。

 

「抜かないのか、血刃を?」

『――自動錬金』

 

 問いを、まるで肯定するように黒金は姿を消す。不可視の斬撃。だが、存在が消えた訳では無い。身体が風を切る動きを頼りに刃を受け止める。右腕、黒金を殴り飛ばした。

 

「不思議であったよ。何故、お前が血刃を使えるのか」

 

 仕切り直した間合いに、黒金に語り掛ける。感情の無い金眼が、此方をただ見つめて居る。

 

「血刃は、己の血を用いなければならない。自分の身体から、生成されたものでなければならない。それは、この身が血刃に到達し解った事だ。錬金術で、無から生み出した血では、血刃には届かない。にも拘らず、何故、お前はその境地に辿り着いたのか」

 

 それは、自分が血刃に到達したからこその疑問であった。ネフシュタンの様に、自身の身体の機能から血液を生成したのならば使える。だが、自動人形には血液を生成する機能など無い。そもそも生き物ですらないはずだ。ならば、血刃に至れるわけはない。一つの疑問だった。

 

「お前は、本当に人形なのか?」

 

 到達した疑問が口を吐くが、答えなど帰って来る筈が無い。黒金には言葉を話す機能など無いと言っていた。

 

『――自動錬金』

 

 その代わり、答えを返すように右腕を天に翳す。金色の宝玉。強き輝きを以て何かを示す。

 

「へえ……。まさかその事実に到達するとはね。流石は英雄様と言ったところか」

 

 飛んでいた。錬成陣が浮かび上がる。氷の刃が飛来する。地を滑る様に、突如現れたガリィが強襲する。

 

「にひひ。漸く、この時が来たんだゾ。以前は不完全燃焼に終わっちゃったけど、今回は最期まで戦える」

 

 すれ違い様に刃を重ねる。伸びきった身体。それを狙い打つかのように錬成陣が浮かび上がり、ミカが飛び出してくる。既に生み出されていた炎剣を義手で殴り飛ばす。

 

「今はマスターが派手に立ち回っている。最大戦力を眼前に、それを無視できる将など存在しない」

 

 悪感が走る。躊躇なく飛んだ。着地反発、旋棍の一撃から、硬貨の射出へと動きを変えたレイアが襲い掛かる。錬成陣。其処から現れたのだろう、その役目を終えたとばかり消え去る。

 

「私としては、殺すまではしたくないのですが、仕方ないわね。マスターは傷付くでしょうけど、引導を渡させて貰おうかしら」

 

 そして、既に出現していたのだろう、不可視のまま放たれた一撃を受け止めると同時に太刀が砕け散る。剣殺し。ファラもまた、この場に姿を現したという事だった。砕けた太刀を捨てる。もう一振りを引き抜いた。周りを見る。五機の自動人形が勢ぞろいしている。

 

「お前達か」

 

 敵対者に視線を向け、呟いた。黒金との戦いで、現在地は最初に比べれば大きくそれていた。発電所がある工業地帯の一角。通路に誘い込まれたという事だった。まるで、襲撃の合図の様に示された黒金の輝き。全ての自動人形をこの場に集めていた。通信機は既に破壊されており、状況自体も大分混乱しているようである。自動人形たちの掌の上という事なのだろうか。

 

「また会ったな英雄。約束通り、殺してやるよ」

 

 ガリィが代表してこちらに踏み出し笑みを浮かべる。その表情には歓喜の笑みが浮かんでおり、この状況を心の底から待っていたと言わんばかりである。

 

「断言してやるよ。助けは来ない。アンタは此処で終わりだ」

 

 風が吹き抜けていく。四機の自動人形が強大な錬成陣を発生させる。空気が変わっていた。風が吹き抜けていく。煤が舞う。何か、強烈に嫌な感覚が纏わりつく。何かがおかしくなった。その何かが、解らない。

 

「だから見せてよ、英雄の終わり方をッ!」

 

 そして、自動人形たちは一斉に動きだす。それが、血戦の始まりだった。

 

 

 

 




切歌&調、シンフォギアを破壊される
翼&クリス 強化型シンフォギアで出撃
響、目覚める
マリア、アガートラーム改修完了
キャロル、出陣
自動人形、英雄の殲滅へ


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12.抜き放たれる剣

「はは。また、申請が飛んできている。何度もご苦労な事で」

 

 防衛省の一室。情報端末より申請の出された案件を見詰め、職員は皮肉気に口角を歪める。

 

「幾ら申請を飛ばそうと、偉いさんまでは通りませんよっと」

 

 手慣れた手付きで申請の出された案件を見据えると、本来必要な上官の許可も待たずに否認の返答を下す。

 

「楽なもんだよ」

 

 そして、情報官の一人である職員は人の悪い笑みを浮かべる。ある筋からの依頼で、決められた時、決められた場所で独断を為すというものであった。報酬は、数人が一生かかっても使えきれない位の金銭であった。たった一度の独断。何時も否認されている案件を、ただ指示を仰がず否認するだけだった。

 

「さてと、どうしたもんか」

 

 返答は下された。申請が出されたというのは、担当が連絡しなければ意外に知られないものである。後は辞職でもしてバックレるだけかと内心で呟く。

 

「しかしまぁ、英雄さんね。目立つから、杭は撃たれるんだよ。可哀そうに」

 

 依頼主は政府上層部の役員である。仮に露呈したとしても、内々の事、もみ消されるのが落ちであった。そもそも問題に取り上げられる可能性の方が低い。特異災害対策機動部。旧風鳴機関に反発を持つ政府役員の数は少なくない。精々、職務中の怠慢で済まされるだろう。引っ張れる足は引っ張ってしまうというのが、S.O.N.G.や特異災害対策起動部を、風鳴が力を持ちすぎるのを快く思わない者達の考えだった。国が組織を編んでいる。思惑など幾らでもある。一枚岩など存在しない様に、国の為、人の為などと考えない者も多く存在していた。利権を守りたい上役の特命を受けた職員は、只つまらないものを見る様に呟いた。

 

「申請の否認。まさか、身内の権力争いで否認されているとは思わないだろうな」

 

 童子切使用許可の申請。それは、守るものの守護とは完全に切り離された理由から、否認されているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 右腕を浅く斬り裂いた。義手ではなく生身の上腕。幾らか斬り裂き、太刀に血を吸わせる。

 

「最初から、全開で行かせて貰うから」

「んん。初手から、大きいのいっちゃうんだゾ」

 

 赤と青の自動人形が、両の手から力を展開していく。炎と水の力。完全に同じ出力を維持し、力を収束させる。打ち消し合う二つの高まりが圧縮するのは、消滅の力。絡み合う二種の力が収束し、放たれる。

 

「チッ!」

「ふぉおおおおッ!!」

 

 万物を消滅させる力。それの大本である錬金術の奔流を斬り落とし、剣聖は力そのものを霧散させる。童子切の領域に剣聖そのものが至っていた。消耗がない訳では無いが、力そのものを斬り落としてしまい凌ぐ事はそう難しい事では無かった。力を己のものとしていた。それは、道具の力を使うよりも遥かに馴染むと言える。童子切を用いていた時よりも遥かに少ない血液で、異端技術を斬って捨てる。

 

「解ってはいたが、随分人間離れをしている」

「あれが剣士の最高峰ですわ。一剣士のお人形としては、どれだけ通用するのかを試してみたいものですが」

「手段を選んでいる相手では無いという事か。ならば、派手に立ち回らせてもらう」

「ええ。援護させて貰います」

 

 ファラがレイアの硬貨全てに不可視を付与する。己は剣殺しを用い、間合いへと踏み込む。不可視の硬貨が剣聖に襲い掛かり、飛翔剣が迎え撃つ剣聖を牽制するために舞い続ける。黒鉄の右腕が稼働する。赤い輝きを零れ落とす。太刀が、虚空を無造作に撫でる。火花が散り、弾丸が地と壁を刻む。既に目に見えない事など、剣聖にとっては些事にしかない。駆けながら一気に跳躍する。壁。通路を立体的に機動しながら飛翔剣を剣聖は振り切り、黄色に斬りかかる。

 

「ざんねん」

 

 一刀の下に切り伏せたレイアが即座に水に切り替わる。跳躍。踏み込んだ力を逃がす事なく反発する動力に転じ、剣聖は更に動きを加速させる。錬金術師出陣の大事件の中で行われている策謀。天の時は相手にあった。だが、地の利は剣聖にある。工業地帯の一角であるが、戦闘になるような場所には大体の心当たりがついている。その為に訓練を行うのが武門であり、特異災害対策機動部の存在意義でもあった。機動を行い、一撃離脱を繰り返しながらも、戦場を少しずつ動かしていく。時折自動人形が一か所に集まり、即座に連携を組み直す。風が流れ、呼吸が上がる。だが、倒すべき敵と対峙した剣聖の刃は何処までも研ぎ澄まされる。

 

「やはり、乱戦になると厄介なのは飛翔剣か」

 

 各自動人形にある僅かな隙。攻撃に移る際や防御に足を止めた所で僅かに目に映るそれを、黒金の自動人形が操る飛翔剣が実に嫌らしく横槍を入れることで潰していく。黒金自体は不可視となり、隙を窺っているのか姿が見えないだけだが、風を切る飛翔剣がその存在を明確に印象付ける。刃を握り直す。剣聖は、人の限界を遥かに超えた動きを繰り返している。呼吸が上がり、視界が明滅を繰り返す。氷の刃が飛び、炎の槍が投擲される。金色の弾丸が不可視となり壁に跳弾を繰り返し襲い掛かる。同時に、ファラが剣殺しを前面に押し出し距離を詰め、レイアが不可視の旋棍を振りかぶる。ガリィとミカが弾幕を更に展開し、並行作業で再び消滅の一撃を生成していく。

 

「まったく、どういう性能をしているのかしら」

「手加減をしていない筈なのだが、何故自動人形の攻撃を此処まで凌げるのか」

 

 自動人形に前後を挟まれているのにも拘らず、剣殺しと不可視の旋棍は一撃として剣聖に到達する事は無い。その全てが往なされ、逸らされ、紙一重と言わんばかりの差で凌がれる。ほんの僅かなもの。そのほんの僅かが、何処までも遠い道の様に自動人形には感じられてしまう。思わず二機の自動人形の口許に苦笑が浮かぶ。想定外であるにも程があるだろう。これでまだ、本来の強さでは無いというのである。最大の牙である童子切を封じ、輝石であるネフシュタンも起動状態に無い。それでも、自動人形が全機揃っていて押し切れないでいた。仕切り直す為、ファラが剣殺しに風を纏う。風刃。強大な竜巻の刃を発生させる。

 

「貰うぞ」

 

 血刃が駆け抜ける。遠当て。風の刃を正面から撃ち砕き、血刃が剣殺しを弾き飛ばす。消滅と剣殺し。その二つの異能がぶつかり合い、互いを食い合いただの衝撃へと変換させる。剣聖は更に腕を斬り、血を吸わせる。踏み込み。ファラの眼が見開かれた。斬鉄の意志を以て刃を振り下ろす。

 

「ファラちゃんッ!?」

 

 その光景に、思わずガリィは声を荒げる。剣聖は、あろう事か、剣殺しの異能を血刃で相殺し、刃がぶつかり合う剣の戦いを以て叩き折っていた。剣殺しを剣撃で折る。異端殺しと呼んだ本領を発揮するかのように、剣聖は凄絶な笑みを浮かべる。ファラは咄嗟に半身を逸らせる事で直撃を免れるが、剣殺しを手にしていた腕ごと斬って落とされる。

 

「まさか、此処までとはね……」

「私が受け持つ。ファラは建て直せ。ミカとガリィは派手に打ち込め」

 

 地に落ちる腕を見据えたレイアは、全員に短く指示を出す。その言葉と共に再び場が動く。跳躍。踏み込んだレイアの音にファラを完全に無力化させる事に見切りをつけると、剣聖はファラを鋭く蹴り飛ばす事でその身を基点に反転、反発からの加速を以てレイアを迎え撃つ。血刃が剣殺しの相殺で崩れ落ちている。銀閃を以て不可視の一撃を全て弾き飛ばす。数十を超え、百に匹敵しかねない程の斬撃の壁。見えない事など無意味と言外に告げ、レイアをも弾き飛ばす。追撃の遠当て。炎と氷の槍が凄まじい勢いで投擲され、飛刃を打ち消す。そのまま、二種の刃が生成され続ける。それを相手に、剣聖は斬撃と機動を以て距離を縮めて行く。氷の刃が頬を掠め、黒鉄の右腕に零れ落ちる。頬を幾らか斬り裂き零れた血を、太刀を持ち替え、義手の指先で拭った。その僅かな間で再び生成され、番えられた矢が放たれる。全てを打ち消す強弓。血濡れた義手で迎え撃つ。

 

「この、トンチキが。何処まで人間を止めてやがるんだッ!」

「あたしとガリィの必殺技が、一回も決まらないんだゾ」

 

 手刀による血刃で消滅の矢は斬り落とされる。錬金術と言う本来実体を持たない力では、剣聖に届く前に斬り落とされていた。他の敵ならば必殺になり得る協力技だが、こと剣聖を相手にするには打ち消された後には何も実態が残らない為、悪手となっている事に二人は辿り着く。幾ら剣聖とは言え、血液の量に限りはある。斬るべき攻撃だけを斬り落とし、迎え撃つ攻撃は厳選している。ならば、放つのに時間がかかり、尚撃ち落とされるだけの大技を放つよりは、手数を稼ぐ方向に戦術をシフトさせる。 

 

「人間を止めている、か。存外斬られたのかもしれないな」

 

 剣聖は小さく笑う。血刃。それを以て、剣聖は斬られている。それで、何かが斬り落とされたのかもしれないと冗談を交える。

 

「まったく、クロちゃんは厄介な事してくれたものね」

「そう言いながらも、認めたのでは無くて?」

「べっつに。ただ、漸く使える様になったとは思うけどね」

 

 負傷したファラが後退し、ミカが前衛に切り替わる。剣聖は地を駆り、黄色と赤は迎え撃つ。青が氷の刃を生成し、緑が、それの幾つかに不可視を付与する。目に見える刃と見えない刃。その中に更に飛翔剣が入り乱れ、刃を振るう。立体機動による回避に加え、急加速による強襲。受け止めた刃を基点とした変則機動。シンフォギア装者よりも遥かに人間の枠から離れた剣聖の戦い方は加速していく。血が流れ呼吸は乱れ切っている。だが、剣聖の鼓動は強く脈打ち、命の灯を強く燃え上がらせる。

 

「小細工、か」

「漸く、最後の刃も手折れましたわ」

 

 立体、変則機動からの強襲を繰り返していた剣聖に、何度となく打ち込んだ一撃がようやくその刃を届かせる。不可視の刃。数十単位で放たれる剣の群れに、不可視の剣殺しを交える事で漸く剣聖の刃を撃ち砕いていた。手にした太刀が半ばから砕け散る。それでも尚、剣聖は笑みを崩さない。

 

「刃を手折ったか」

「これで漸く無手という事か。いや、手刀がまだ存在しているか」

 

 一堂に会した四機の自動人形が、取り囲む様に剣聖を見据えた。剣聖は半ばから折れた太刀を手に、それでも戦意を無くす事は無い。むしろ、戦い始めよりも遥かに強い意志を示している。

 

「此処は工業地帯だったな」

「ああ? それが如何したのよ」

 

 不意に剣聖が零した言葉にガリィが問い返す。風が吹き抜けている。剣聖は、折れた剣で入り口を作り出し、工場の中に入り込む。舌打ち。剣聖が何を考えているか即座に理解したガリィは後を追う。銀閃が煌めいた。上階の方で凄まじい音が響き渡る。工場の中には鉄筋や鉄パイプが多く収められている。その場所を知っていたという事だった。そして、鳴り響いたその音は、その全てを斬り落としたという事である。

 

「剣士が使えるのが、剣だけだと思うなよ」

 

 余りの質量の落下に粉塵が舞い上がる。無数の鉄が地に突き立った。その一振りを手にした剣聖が笑みを深める。追い込んでいた。だが、自動人形もまた追い込まれたという事であった。血は流れ、風は吹き抜ける。戦いは、佳境を迎える。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁッ!!」

 

 糸が駆け抜ける。キャロル・マールス・ディーンハイムが身に纏ったファウストローブ。シンフォギアと似て非なる異端技術によって生成されたソレより、琴線が放たれる。地を走る糸は、全てのものを切り刻み、斬撃となり翼とクリスに襲い掛かる。

 

「大きくなったところでッ!!」

「張り合うのは、望むところだッ!!」

 

 指先から放たれる琴線の強襲を凌ぎ切った二人は、各々のアームドギアを展開し、キャロルを迎え撃つ為に地を蹴る。重火器が火を噴き、青き斬撃が宙を駆る。放たれる琴線がその全てを叩き落し、二の太刀で放たれる糸が、二人に襲い掛かる。跳躍。拮抗する事なく弾き飛ばされた攻撃に一瞬驚きの表情を浮かべるが、それで完全に停止してしまう程戦い慣れていない訳では無い。反射的に飛ぶ事で危機を脱すると、誘導弾が放たれる。

 

「ふ――」

 

 放たれた弾薬を撃ち落とす為に、キャロルは糸を広範囲に回転させる事で迎え撃つ。落涙。その直前、千の刃が舞い降りる事で、誘導弾を起爆させる。煙幕が広がり、錬金術師の視界を覆いつくす。

 

「先輩!」

 

 雪音クリスの鋭い声が上がる。返事をすれば、折角奪った視界の意味が半減してしまう。即座に上空に飛びあがり、天羽々斬を巨大化させる事で翼は答える。仲間を傷付けられ、怒りに燃えているのは何も雪音クリスだけでは無い。風鳴翼もまた、静かに怒りを滾らせていた。翼の逆鱗に触れたキャロルに向け、巨大に展開した天羽々斬。天ノ逆鱗を放つ事で、風鳴翼の意志を示す。

 

「早々好き勝手出来ると思わないで貰おうかッ!」

「ついでにでっけぇのも持ってきなッ!」

 

 先輩の放つ刃を見たクリスは、己を叱咤するように大型の誘導弾を展開する。強大な斬撃が突き刺さり、大切な仲間が離脱した一瞬の間を見極め、大技で追撃を放つ。爆撃音が鳴り響き、凄まじい衝撃が駆け抜ける。

 

「ほう……。思いの外、良い戦い方をしてくれる」

 

 風が吹き抜ける。四大元素のひとつ、風の力を用い爆発と衝撃を逸らしたキャロルは小さく笑う。対峙する相手が、英雄に助けられるだけのか弱き少女達でなかった事が嬉しくて仕方がないのである。そうでなければ、自分が戦う意味がない。そう言い聞かせ、キャロルは両手に炎と水の力を生成する。

 

「ならば、此方も少々強い力を見せてやろう」

 

 自動人形にできる事を、錬金術師が出来ないはずが無い。即座に両手の中で打ち消し合う二つの力を生成、ダウルダブラのファウストローブの機能で増幅させ、琴線を用い弓の様に展開する。深い笑みを浮かべる。

 

「なら、正面から受けて立ってやる」

 

 雪音クリスがリフレクターを展開する。魔弓イチイバルのリフレクターは、月をも穿つカディンギルの一撃すら逸らせる性能を持っていた。それを貫くのは、間を払う神獣鏡の光位のものである。凄まじい力を誇示するようなキャロルに対抗する為、雪音クリスは迎え撃つ構えを見せる。

 

「正面から迎え撃つ気か。良かろう。それ程死にたいというのなら、お前の歌は惜しいが終わらせてやろう」

 

 そして、光の弓は放たれる。ぞわりと凄まじい悪感が翼の背中を駆け抜ける。神獣鏡の光を見た時以上の、強烈な感覚。ぶつかり合った二つの力の結末を見る事無く、凄まじい速度で加速する。一瞬の硬直。錬金術師から放たれた、全てを打消す光はリフレクターをあっさりと呑み込み消滅させた。射撃自体はそれほど大きなものでは無い。ギリギリのところで翼がクリスを弾き飛ばし、死地を逃れる。

 

「チッ。随分と勘が良い様だ。だがッ!」

 

 暗い感情に任せて放たれた一撃。それを何とか凌ぎ切った装者に、僅かに称賛の笑みを浮かべるが、キャロルは追撃の手を緩めない。計画の為にも此処で簡単に死なせる訳にはいかないのだが、少々やり過ぎてしまっていた。暴走しかねない己を戒めながら、キャロルは翼とクリスを追いつめて行く。糸で追いつめ、錬金術で地を歪め、風の力で押さえ付け、炎と氷の刃で二人を切り刻む。

 

「くぅぅ!!」

「うああああ!!」

「こんな物なのか? お前たちの力と言うのは」

 

 倒れ伏す二人を糸で手繰り寄せると、痛みに悶える二人に酷く優しい声音で問いかける。そのまま、上手く返事ができない事を確認すると、興味が無くなったように投げ捨てる。錬金術師の力は、強化型のシンフォギアを遥かに凌駕していた。

 

「くそったれがッ。ここまで力の差があるなんてな」

「手酷くやられたようだ。無事か、雪音」

「なんとか、な」

 

 無造作に捨てられたところで、漸く動けるようになった二人は、満身創痍であるが立ち上がる。僅かに刃を交えただけに過ぎないが、圧倒的すぎるキャロルの力に為す術がない。

 

「ぶっつけ本番だが、アレを使うしかないみてーだな」

「ああ。だが、一人で危険な橋など渡らせはしない。私も共に在る」

 

 二人は顔を見合わせ頷く。改修されただけのシンフォギアではとても適わない。だから、新たに加えられた力を開放する事を選択する。エルフナインが持ち出した、魔剣ダインスレイフの欠片。それを用いる事で作り出した、シンフォギアの新たな決戦兵装だった。首元に下げられたシンフォギアのペンダントに触れる。その力を実際に試した事は無い。暴走を制御して力に変える。エルフナインはそう言っていった。正直にいえば恐怖がない訳では無い。だけど、大切な仲間がすぐ傍に居てくれる。魔剣を抜けない程では無かった。

 

「隠し玉があるようだな。ならば使うが良い。オレは、お前達の全ての希望をぶち砕いてやる」

 

 その様子を見たキャロルは、暗い笑みを零す。魔剣ダインスレイフの欠片は元々キャロルが所持していた者である。その力がどの程度のものかは理解している。使いたければ使うが良いと、ただ笑みを深める。

 

『イグナイトモジュール、抜剣!!』

 

 そして、刃は抜き放たれる。少女の心を魔剣の刃が深く切り伏せる。魔剣の刃を抜くためには、その刃をその身に受けなければならない。ダインスレイフは、魔剣と呼ばれるだけあり呪いを宿している。その力は、誰もが心の中に抱える闇を増幅し、人為的に暴走状態を引き起こす。だが、暴走を制御できれば。かつて、立花響が小日向未来を救う為、ガングニールの暴走を受け止めたように暴走を制する事が出来れば、大きな力になる筈である。あの時の暴走は、敵の悪意によって生じた危機であった。だが、今回のものは自分達から引き金を引いたものである。すぐ傍まで来ていた死の危険にさらされた訳では無いだけ、まだマシだと言える。

 

「がああああああああ!!」

「ぐああああああああ!!」

 

 刃が心を斬り裂いた痛みに、少女の抱えるものが悲鳴を上げる。刃が貫いた痛みは確かにある。だが、増幅された心の闇が、少女の心を深く切り刻んで行く。

 

『ここは……。ステージ……。そうだ、私はもう一度この場所で大好きな歌を歌うんだ』

 

 風鳴翼の心の中で己の夢が現れる。大好きな歌を、誰かに聞いて貰う。それが風鳴翼の夢だと言える。だが、その客席に移るのは、ノイズだけであった。戦いの歌。風鳴翼が今歌っているのは、ノイズと戦う為の歌であった。そして、畳みかけるような声が聞こえる。お前など娘なものか。何処までも穢れた風鳴の道具にすぎん。そんな言葉が、随分と長い間聞いていなかった声で言い放つ。

 

『……お父様』 

 

 風鳴翼の瞳から涙が零れ落ちる。直接言われた訳では無い。だけど、風鳴翼は、風鳴翼の父である八紘の血を引いていないと聞かされた事があった。それを裏付ける様に厳しく当たられた事もある。今でも、まともに話す事すらできていない。父は歌を聞いてくれた事もある。そんな大切な思い出があるからこそ、疎まれている現実が風鳴翼の心を深く斬り裂いていく。

 

『剣では、何も抱きしめられない……』

 

 それでも父に認められたくて、翼は強くなることを選んでいた。剣となる事を選んでいた。そして、剣は夢を見るべきではない。そんな感情が翼の胸を黒く染めて行く。そして、最後に天羽奏がその姿を現す。失ってしまった風鳴翼の拠り所。懐かしい、大好きだった奏の笑顔が翼の目の前に現れる。心の闇に散々に撃ち破られた翼に、その笑顔に飛び込むなと言う方が無理な相談だった。そして、翼が抱き着いた天羽奏は崩れ落ちる。自分は剣である。そう言い聞かせて来た。剣に抱きしめられるものなどあるはずが無かった。大切な親友が、自分の腕の中でバラバラに変わる。

 

『うあああああああ!!』

 

 そして、風鳴翼の中で想いが抑えきれなくなり、溢れ出す。

 

 

 

 

『教室?』

 

 不意に、雪音クリスの眼前には教室の姿が映る。雪音クリスが欲しかったもの。自分が居ても良い場所。両親と言う大切な居場所を失った事があるクリスだからこそ、居場所の大切さを良く知っていた。

 クラスメイトの少女と目が合う。こんな自分にも声をかけてくれる、優しい女の子達だった。自分を見てくれる人が居るのが嬉しくて。だけど、少しだけ恥ずかしいくて目を逸らしてしまう。

 

『あたしが居ても良い所。ずっと欲しかった居場所なのに、今でも違和感を感じてしまう……』

 

 授業が進んでいく。そして、時が流れていた。今年の春からは、こんな自分にも後輩が出来ている。月読調と暁切歌。雪音クリスが先輩たちに守られたように、クリスもまた彼女等を守る立場に立ったという事だった。あの人たちのように自分もできるだろうかと不安が募る。

 

『それなのに、あたしが不甲斐無いばかりに、あいつらが危ない目に遭ってしまっている』

 

 そして、その不安が的中するかのように、自動人形の強襲に為す術もなくやられていた。不甲斐ないのが情けなくて、悲しくて、何よりも自分が許せなくて雪音クリスは涙を零す。

 気付けば、辺りは荒廃とした廃墟に変わっている。そして、大切な友達が、仲間が、後輩が煤に塗れ倒れ伏している。

 

『独りぼっちが、先輩とか後輩とか求めちゃいけなかったんだ……』

 

 そして、そんな思考が胸を埋め尽くす。大切な居場所を知っているからこそ、雪音クリスにとって、それを崩される事が何よりも耐えきれなかった。

 

「うああああああ!!」

 

 少女の慟哭が響き渡る。雪音クリスは、その場に泣き崩れた。

 

 

 

 

 

 

「人である事からは変われはしない」

 

 後輩の声が聞こえた。だからこそ、かつて言われた言葉を思い出す。人は人である事から逃げられはしない。先達はそんな事を語り、風鳴翼を叩き伏せていた。あの時に、確かに風鳴翼の中で何かが変わっていた。心の中に宿した闇は打ち勝てない程に強い。だけど、無様に負ける事だけは出来なかった。それでは、憎まれ役を買ってまで、自分を撃ち直してくれた先達に合わせる顔が無い。父親に認められていないのは辛い。だけど、風鳴翼はそれだけの為に刃を鍛え上げた訳では無かった。

 

「せん、ぱい?」

「すまないな。雪音の手でも握って居なければ、あの夢に負けてしまいそうでな。そんな体たらくでは、また先生に怒られてしまう」

 

 魔剣の見せる幻想に、二人が呑み込まれかけた時、翼がクリスの手を握った事で意識を繋ぎ止める。その言葉を聞き、クリスもまた思い出す。

 

「あたしの居場所は作ってくれるって言ってた。こんなあたしに、そう言ってくれた……」

 

 お前は誰からも愛されている。居場所が無いと言うのなら、作ってやる。だから、もう泣くな。そんな事を文字通り命を賭して言われていた。その言葉通り、一度は本当に死んで尚、居場所を作ってくれた。守ってくれた。世界は大切なものを奪っていく。だけど、自分を守ってくれるものも存在している。少なくとも、雪音クリスには、上泉之景が居なくなることが想像できなかった。

 大切な先輩に傍に居る事を教えて貰い、大切な言葉を思い出していた。今考えても、強烈過ぎるその言葉に満身創痍ながら頬が赤く染まってしまう。戦闘中だというのに、クリスの思考は数秒ショートする。だけど、握られた翼の手の熱が、雪音クリスを冷静に戻してく。

 

「不発、か?」

 

 そして、魔剣によって引き出されていた暴走の力が沈静化する。意識こそ失わずに済んだ。だが、激しすぎる消耗をしてしまっていた。

 

「尽きたのか。それとも折れたのか。その体たらくでは、お前たちを守ってきた英雄が報われないな。まぁ良い。いずれにせよ、立ち上がる力位はオレがくれてやる」

 

 抜剣に失敗した二人を見据えたキャロルは、アルカノイズの集団を召喚する。大型の飛行型ノイズ。その中から、大量のアルカノイズが投下されていく。このままでは、アルカノイズの被害者が増えてしまう。それが解っててなお、立ち上がる事が出来ない。

 

「ならば、分解される者どもの悲鳴を聞けッ!!」

 

 そして、キャロルは動けない装者を一瞥すると、アルカノイズに指示を出す。本当にこれで立ち上がれないというのならば、報われない。二度、死して尚立ち上がっている英雄に比べれば、少女たちは脆すぎると言えた。そんなイラつきにも似た感情のまま、キャロルは動き出したノイズを不機嫌に見つめる。

 

「うおおおおおおおおお!!」

 

 咆哮が響き渡る。S.O.N.G.本部より、誘導弾が放たれていた。その上には、一人の姿がある。立花響。改修されたシンフォギアを、傷付いた身体で身に纏い、倒れ伏す仲間たちの下へ駆けつける。

 

「漸く揃ったか……」

 

 その姿を見据えたキャロルが一瞥する。立花響。この少女もまた、奇跡を纏うものであった。奇跡によって研鑽をすり替えられたキャロルにとっては、倒すべき敵である。

 

「すまない。おかげで助かった……」

「とんだ醜態を見せちまったけどな……」

 

 現れた仲間の姿に、二人の瞳には戦意が宿る。それは、立花響が誰よりも頼りになる仲間だという事であった。

 

「イグナイトモジュール。もう一度やってみましょう」

 

 そして、舞い降りた響は、翼とクリスに意志の宿った瞳で告げる。起動に失敗した魔剣。それをもう一度抜く事を提案する。

 

「未来が教えてくれたんです。シンフォギアに救われたって。確かにシンフォギアは誰かを傷付ける力でもあるけど、誰かを救う事もできる力なんだって。だから、シンフォギアが誰かを救う為の力なら、私達も救ってくれるはずです。だから強く信じるんです」

 

 戦う事を悩んでいた立花響は、彼女に救われた小日向未来に力の意味を教えられていた。力そのものに良し悪しは無い。使う者によって、その性質は変わるのである。ユキさんは、意志の違えた刃では、何かを守る事もできはしないと言っていた。確かにその通りだと思う。未来にはああ言われてしまったけど、今ならば、結局自分の為になる言葉も残していてくれたのが解ってしまう。倒すのではなく、守る力。それが、響がシンフォギアに見つけた答えだった。迷っている時は何も出来なかった。だけど、目的を見つけてしまえば、立花響は最短で真っ直ぐに一直線で動くだけであった。それは、立花響が一つ成長したという事でもある。

 

「魔剣の呪いに打ち勝つのは、何時も一緒だった天羽々斬」

「あたしを変えてくれたイチイバル」

「そして、ガングニール」

 

 三人の少女は目を合わせる。三人で頷いた。幾つもの戦いを乗り越えてきた絆がある。三人揃えば怖いものなど何も無かった。

 

「強く信じよう、胸の歌を。シンフォギアを」

「このバカに乗せられたようで格好がつかないな」

「ああ。だからこそ、今度は面目を立たせて見せようか」

 

 そして、三人の装者はもう一度、胸元の魔剣に触れる。覚悟は決まった。ならばもう、怖いものは無かった。

 

「イグナイトモジュール、抜剣!!」

 

 ――ダインスレイフ

 

 三人の少女が宣言を下す。電子音声が鳴り響く。魔剣が胸を貫き、胸の傷を深く抉り抜く。

 

『このままでは先程の様に失敗してしまいます』

 

 少女たちの悲鳴がある。通信士の友里の声がどこか遠く届く。魔剣の闇が少女を侵食していく。

 

『呪いなど斬り裂けッ!!』

『撃ち抜くんですッ!!』

『恐れずに砕けばきっとッ!!』

 

 少女たちに仲間の声が届く。本部にて待機命令が出ているマリア。戦っていたが撤退してきた切歌と調。大切な仲間の声援が耳に届いた。負けられない。こんな呪いなんかに、二度も負ける訳にはいかない。そんな強い想いが胸に宿る。宿った灯が熱く燃え上がる。

 

「未来が教えてくれたんだ。力の意味を、背負う覚悟を。だからこの衝動に、負けてなるものかッ!!」

 

 そして、風は吹き抜ける。熱く燃え上がった灯は、やがて、その呪いを退け戦う為の力を身に纏う。三人のシンフォギアが黒く変色し、より禍々しい気配を放つ。だが、その力は少女たちの制御化に置かれていた。暴走の制御。イグナイトモジュールによって示された可能性は、今此処に現実のものとなって舞い降りる。

 

「始まる歌」

「始まる鼓動」

「響け鳴り渡れ希望の音」

 

 イグナイトモジュールが起動する。少女たちの生きる事を諦めないと言う意思を代弁するように、その力を強く示し続ける。胸に宿る想いに嘘はない。皆で掴んだ新たな力。新たな奇跡。この力で止めて見せる。そんな意思を以て、三人はキャロル・マールス・ディーンハイムの前に立ち塞がる。音が鳴り響く。戦いは最高潮を迎える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソッがぁ……」

 

 腕が飛んでいた。辺りには、斬り落とされた腕や足が転がっている。数十を遥かに越える量の異能の剣が無惨に突き立っており、辺りの壁や床はいくつもの大穴が穿たれている。腕を斬り落とされたガリィが、吐き捨てる様に悪態を吐く。

 

「自動人形が四人がかりでこの様とは、な」

「いっそ、清々しくて笑えて来ますわね」

「本気でやったけど、勝てなかったんだゾ」

 

 腕や足を斬りととされ、戦闘能力を削ぎ落とされた人形たちは、ただ一人屹立する人間を見据える。人の身でありながら、異端技術の領域に踏み込んできた人間だった。それでも、この光景は予想外であると言える。刃を軽く振るい、剣聖は倒れ伏す人形を見据えた。

 

「どうやら、殺せなかったようだな」

 

 隙を突く用に飛来した飛翔剣を鉄パイプで弾き飛ばしながら剣聖は笑みを浮かべる。強い相手だった。だが、此処まですれば勝敗は決している。そんな事実をただ見つめている。

 

「ああ。ったく、本当に化け物だよアンタは。英雄。そう呼ばれるのもある意味納得できる」

 

 忌々し気にガリィは呟いた。それに、剣聖は視線を向ける。

 

「そんな大したものでは無い」

「いいや、あんたは英雄だよ。ただの人の身で、本気の自動人形を相手に勝利した。それも、多対一でだ。化け物の範疇だよ、あんたは。人の中の化け物を、人は英雄と呼ぶ」

 

 ガリィの言葉を剣聖はただ聞いている。両腕を落とした自動人形には、出来る事は多くない。油断しなければ、負ける要素が無かった。

 

「だからこそ、あんたは負ける。英雄に人は救えても、人に英雄は救えないわ。そして、英雄を倒すのには英雄と同じ力は必要ない」

 

 そして、ガリィは笑みを浮かべた。深く、深く、凄絶な笑みを浮かべている。その姿に、感じている強烈な違和感が酷くなる。激戦を繰り広げていた。呼吸が酷く乱れ、視界は揺れる事もある。失血も軽いものでは無い。だが、普段よりは幾らかましだった。だから、迫っていた異変に気付けなかった。

 

「な、に……?」

 

 不意に剣聖は頽れる。地に片腕を突き、口から咽びあがった怖気を吐き出した。広がる赤いもの。喀血。突如となく、全身を不快な感覚が襲い掛かる。文字通り、内側から喰らいつくしていく。

 

「やっとか……。遅すぎるわね」

「そうですわね。普通の人間なら、ゆうに死んでいてもおかしくはないのに、漸く効き始めたのだから驚異的ですわ」

「まさか、此方が全滅するまで動き続けるとは思わなかった。地味に感心する」

「だけど、これで終わりだゾ。個人的には、もっと戦いたかったけど、仕方いないんだゾ」

 

 頽れる自動人形がそんな言葉を零すも、剣聖はそんな言葉を聞いている余裕はなかった。口から血が零れ、目や鼻、耳などからも血が零れ落ちる。

 

「毒だよ」

 

 座り込んだガリィは、剣聖に聞こえる様に告げる。用いたのは剣聖を確実に殺す為の手段。その為に病院などを襲い、剣聖の身体の情報などを奪った。その為に、黒金の自動人形と斬り合わせ、血液を奪った。確実に剣聖を殺す為だけに、動いて来た。それが、今起こっている剣聖の異変だった。

 

「あんたの体に合わせた、あんただけを殺す毒と言う名の錬金術。ある錬金術の到達点が生み出したという、神すらも殺す毒の極地。それを、あんたに少しずつ吸わせた」

 

 戦いのなか、四機が態々合流を行っていたのは周囲に毒を錬成する為である。それを、ファラが風に乗せ到達させる。ガリィの水の中に含ませ、全身に浴びせる。そんな方法で、少しづつ蓄積させていった。

 

「何分デリケートなものだからね。大抵は届く前に死に絶える。だから、仕込むのに時間がかかり過ぎた。それほど苦労した甲斐あって、効果は絶大よ。何せ、その毒は無くならないから。だから、あんたは絶対に死ぬ。例え奇跡が起こったとしても、だ」

 

 そして座り込んでいたガリィはおもむろに立ち上がる。

 

「さて、向こうではイグナイトモジュールが使われたようだし、こっちも仕上げと行こうかしら」

 

 吐き出すものを吐き出した剣聖が、揺れる視界の先で声のした方を見詰める。青き自動人形が、満面の笑みを浮かべていた。

 

「それだけでも直ぐに死ぬけど、念には念を入れるのが自動人形なのよ。誇りなさい。終末の四騎士(ナイトクォーターズ)に剣を抜かせたのだから」

「剣、だと……?」

 

 青の言葉に、剣聖は息も絶え絶えに問う。その姿に最高に気分が高まり、ガリィは宣言する。

 

「あらあら? クロちゃんが剣を抜けるのに、あたしたちが抜けないとでも思っていたのかしら?」

 

 青はさも愉快だと言わんばかりに笑う。

 

「そうね、敢えてイグナイトにちなんでこう呼ぼうかしら。四騎士の剣(ソードモジュール)抜剣(アクセス)

 

 ――血脈に宿る刃(ブラッドスレイヴ)

 

 四機の自動人形が輝きに包まれる。血に塗れた剣聖の眼が見開かれる。それは、黒金の自動人形が何度も纏い、小日向未来の持つ陽だまりの剣と同種の輝きを放っている。純白の外装が展開される。赤、青、黄、緑、各々を象徴する色に白が加わり、斬り落とされた身体が、シンフォギアを生成するように再生する。

 

「もう一度言うわよ英雄様。あんたは此処で終わりだ。その身が毒で殺し尽くされる前に、あたしたちが殺してやるよ」

「かはッ――」

 

 そして、自動人形の剣が抜き放たれる。その姿を見た剣聖は何かを言おうとして、自らが零した血の海に沈む。立たないのではない。立つ事が出来ないのだ。

 

「英雄の物語は、此処で幕を下ろす」

 

 風が吹き抜けていく。赤き煤が舞っている。英雄は強い。故に、英雄を助けられる者はいない。四騎士の剣は抜き放たれ、毒に塗れた英雄は終わりを迎える。

 

 

 

 

 

 




ゲスの極み系自動人形、ガリィちゃんの本領発揮
武門、歌ってないけど絶唱顔を披露する
キャロルVSイグナイト装者
武門(猛毒&麻痺&出血)VS抜剣自動人形




作者も風邪で大変な事になっているので、次は少し更新が遅れるかもしれません


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13.剣聖

『検知されたアルカノイズの反応、約三千ッ』

「高々三千ッ!!」

 

 通信が飛ぶ。キャロルが発破をかける為呼び出した大量のアルカノイズ。千を遥かに越える数の敵を前に、通信機越しに動揺の声が聞こえるが、立花響は斬って捨てる。どれだけ数が居ようと関係は無かった。この身は未来に、そしてエルフナインから託された想いを纏っている。例えどれだけの数が居ようとも、頼もしい戦友が二人いた。新たな奇跡も起こっている。だから、響は強く言い切る。推進装置を起動させ、腕部兵装を展開する。両腕に出力を収束し、アルカノイズの大軍に突っ込んでいく。

 

「立花にばかり良い格好をさせて居ては、面子が潰されてしまうな。続くぞ雪音ッ!!」

 

 その後ろ姿を認めた翼は、己も新たな刃を抜き放ち、刃に雷光を纏う。一度は失敗した抜剣。それを響の協力によって成功させていた。完全に良い所持っていかれていた。後輩の後ろ姿を頼もしいと思うと同時に、自分も負けていられないと奮起する。雷刃が駆け抜ける。青き刃が風を越え、点在するノイズを討ち滅ぼす。

 

「広範囲殲滅こそ、イチイバルの本領発揮だッ!!」

 

 近場のノイズを先輩と後輩が打ち倒すのを認めたクリスは、二人の間合いの外を見詰める。大型の飛行ノイズ。それが居る限り、敵の補充は際限なく続いてしまう。ならば、先ずは大本を潰すのが最良だと言える。友達に手を握られ得た新たな力。その力を十全に用い、全ての砲門を展開する。大型小型の誘導弾に加え、両手に重火器を生成すると、単騎で群体を殲滅する為にその火力を開放する。凄まじい爆発が起こり、遠くを飛んでいるノイズの煤がすぐ傍にまで流れて来る。

 圧倒的物量を誇っていたアルカノイズは、イグナイトモジュールを開放したシンフォギアを前に、凄まじい速度でその姿を消して行く。

 

「ほう……」

 

 その姿を見詰めていたキャロルは、にやりと口許を歪める。漸くその力を開放したか。そんな事を呟きながら、右腕をダウルダブラの弦を収束させる。

 

「気に入らなかったが、漸くか。失望させてくれるなッ!!」

 

 そして、最も近くにいた響に向け、弦を放つ。地を引裂き、衝撃が対峙していたノイズごと引き裂く。赤色の煤が舞う。広範囲に向けられた斬撃を往なした響は、キャロルへと向き直り、躱した勢いを反発力へと変え跳躍する。

 

「キャロルちゃん!」

 

 響が拳を握り、キャロルに向かい叫びをあげる。

 

「辞めよう。こんな戦い、行っちゃいけないんだ!!」

「まだ言うか。お前の言葉は、オレには響かない。ただむずかゆいッ!!」

 

 相手が戦う心算であったとしても、響はそう言わずにはいられない。ガングニールは誰かを倒す力では無い。守る力であるからこそ、キャロルに留まって欲しい。最後通告と言わんばかりのその言葉を、キャロルは斬って捨てる。そんな言葉で止まる程度の想いならば、最初から世界を壊そうなどとするわけがない。ましてや、キャロルは響にたいしてそれほど強い思い入れも無い。拒絶と言う名の先制攻撃は当然だと言えた。

 

「くぅぅ!?」

「お前は、まだ戦えないと言うのかッ!? その弱さは、大切なものを殺す事になるぞツ!」

 

 そんな響の様子が只苛立たしくて、キャロルは響に想いをぶつける。弦が響を取り囲み、その威力を見せつける。

 

「そうそう何度もやられる訳にはいかない」

「そう言うこったッ! ぶっとべツ!!」

 

 猛威を振るう無数の斬撃を、風の鳴る剣が弾き逸らす。翼がこじ開けた道筋。それを全方位からクリスの砲撃が威を誇る。爆炎が上がる。大型の誘導弾。即座に翼が飛び乗った。そして上空に向け打ち込む。同時にキャロルに向け、重火器を開放する。弾幕が、音を遮る。舞い上がった爆炎が晴れる。弦を回転させ、銃弾を打ち払うキャロルの姿が現れる。

 

「この程度か?」

「まだまだ」

「これからだ」

 

 短い気迫が戦場を飛ぶ。上空から千の落涙が降り注ぎ、正面からは誘導弾が刃の弾幕を掻い潜り肉薄する。凄まじい爆炎が舞い上がり、再び錬金術師の姿を覆い隠す。弦による斬撃が飛ぶ。それを躱し、響は再び踏み込んだ。

 

「戦えッ!!」

「止めるんだッ!!」

 

 近距離で撃槍と弦がぶつかり合う。互いに譲れないものがあり、大切なものがあった。だからこそ、手をつ取り合う事が出来ない。そう、言葉以外に行動で示すキャロルに、そんなのは嫌だと響は叫びをあげる。ぶつからなければいけない事は解っている。だけど、それでも、誰かに手を伸ばす事を止めたら、それこそ駄目になってしまう。だからこそ、振るわれる刃を撃ち落とす為に撃槍は振るわれる。

 

「おおおおお!!」

「――ッ!?」

 

 倒す為じゃく、止める為に力を振るうんだ。そんな意思を以て、響は弦を掴み取る。一瞬の拮抗。だが、単純な力では、立花響とガングニールに分がある。全力を以て、キャロルを引き寄せる。飛刃が飛び、銃弾が駆け抜ける。咄嗟に放たれた弦による一撃は、仲間たちの一撃によって凌がれる。

 

「稲妻をすり潰すようにッ!!」

 

 そして一気にキャロルの体が宙を舞う。渾身の力で以て、放たれた弦から本体を引き寄せていた。キャロルの表情が驚愕に染まる。確かに錬金術は強大ではある。だけど、響たちもまた多くの戦いを経験していた。戦いの呼吸は、良く知っている。好機。そんな思いと共に、師匠である風鳴弦十郎の言葉を思い出す。渾身の一撃。立花響はその身に炎を纏い、錬金術師に向かって必殺の一撃を打ち込んだ。

 

「ぐ、は――」

 

 そして、錬金術師の身体に、魔剣に染められた歌が刻み付けられる。全霊の一撃の直撃を受け、キャロルの纏っていたファウストローブが解除される。戦いは、終わりを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「良い様ね。一応聞いておくけど、マスターに降る気はないかしら?」

 

 血を吐き頽れる剣聖に、ガリィはせめてもの情けと言わんばかりに尋ねていた。返答など聞かなくとも解っている。だが、聞いたという事実を作っておかなければ、主がまた揺れてしまう可能性がある。人間はめんどくさい生き物ですねと内心でため息を吐きつつ、青は問う。

 

「……ない」

 

 吐き出せるものを吐き出したのか、何とか視線をガリィに向けた剣聖はたった一言吐き捨てる様に告げる。右腕。半ばから斬り落とされ、義手となったソレが赤色の輝きを放つ。血刃。手刀を以て、剣聖は血の刃を生成する。その身は毒と言う名の錬金術に蝕まれている。それでも尚戦意を失わない剣聖の眼に、自動人形の口許が大きく吊り上がる。

 

「なら、見せて見なよ。英雄の意地をさッ!!」

 

 ガリィは新しい玩具を見つけた子供のような笑みを浮かべ、青き飛翔剣を展開する。かつて、ウェル博士が用いた完成型の英雄の剣と同じ十二の飛翔剣。それが、氷の力を纏い氷刃と化し宙を削る。

 

「ならば、見せて、やる」

 

 口許に着いた血を拭った剣聖は、血刃を以て毒を斬って捨てる。血など、使いきれない程吐き出していた。その血全てを血刃へと変える。剣聖にとって喀血など、腕を斬り裂く手間が省けた程度でしかない。ガリィの言葉通りならば、毒は全身に回り始めている。だが、回り切る前に毒その物を斬って捨てれば、それで解決する問題だった。飛翔剣が血刃と切り結ぶ。氷が散り、異端の刃が無に帰す。四騎士の剣を血刃は凌駕する。

 

「くくく。そうよね。あんたならそうすると思ってたよッ!!」

 

 毒など斬って捨てる。そんな非現実的な事が出来てしまうのが血刃である。少なくとも、剣聖はそう判断していた。事実として、剣聖の身体を蝕んでいた毒は斬って捨てられている。剣聖の動きが再び加速する。それを見て、だが、ガリィは楽しくて仕方がないと人の悪い笑みを深める。剣聖ならばこの位の窮地越えて来る。奇跡を起こしてでも追いすがって来る。そんな無上の信頼にも似た、予測があった。

 

「苦境に追い込まれ、掌を変えるぐらいならば……、最初から、立ち塞がりなどしない」

「いいね、いいねッ!」

 

 剣聖の血刃が青を掠める。紙一重で躱した青は、纏う四騎士の剣に鋭い傷を刻まれながらも狂喜を浮かべる。端的に言って、ガリィは英雄が好きである。無論、恋愛感情などでは無く、その在り方には好感が持てると言える。絶体絶命の状況にありながら、それでも命を振り絞り、何かを為そうとする在り方に、主の父親を彷彿させるからだ。自動人形の思考の大本には錬金術師キャロルの思考が用いられている。父を心から愛する心があるからこそ、親を敬愛し、その在り方を体現するかのように血を流しながらも立ち上がる剣聖の姿に、キャロルの父、イザーク・マールス・ディーンハイムを死に追いやった有象無象達と比べ、一線を画してしまう。

 剣聖は、自身と主の持つ想いは違うと言っていたが、少なくとも親に想いを託され、ある意味で死者に縛られているという点では、二人は同じ在り方だと言えた。であるからこそ、立場や目的等、そう言った物を超越したところで、自動人形は剣聖の事が好きだと言える。

 

「我らが居る事を忘れないで貰いたいものだ」

「斬り合わせて貰いますわ」

 

 地の剣が走り、風の剣が舞い踊る。レイアが黄色の飛翔剣を操りながら、ファラにより付与された剣殺しの弾丸を乱れ撃つ。あり得ない物量に、跳弾を交え剣聖の剣を殺しにかかる。

 同時に、ファラは己の飛翔剣の出力を凝縮、四本にまで数を減らし、人外の稼働が行える自動人形の利点を最大限に生かし、四本の刃を持ち替えながら肉薄する。刃が重なる度に即座に剣を変え、同時に飛翔剣の制御を行い間隙を突く事で、息を吐く暇すら与えない。

 剣殺しの刃を付与された金色の弾丸が、剣聖の血刃を削ぎ落とし、只の刃にまで劣化させる。同時に、強化された出力と人外の稼働を以て、剣聖の剣技に対抗する。剣聖の持つ武器は、手刀である黒鉄の義手と鉄パイプ。剣殺しの嵐により、血刃を事実上無効化し、四騎士の剣を以て追いつめる。

 

「……」

 

 剣聖は歯を食いしばる。毒は殺していた。だが、血を流しすぎている。喀血を零したという事は、内臓に傷を負っている可能性が最も高いという事でもある。毒という名の錬金術とガリィは言っていた。剣聖が気付かないうちに致命傷を負っていたとしても不思議ではない。吐き出す血こそ止まりはしたが、依然として不快な感覚は途絶えていない。むしろ、悪化していくだけの状況だった。対して、敵は万全の自動人形が四体。飛翔剣は入り乱れ、剣殺しの弾丸が嵐の様に舞っている。その全てを弾き落としながら、剣聖は鉄を握りしめる。

 

「どっかーんッ!!」

 

 そして、二体が剣聖の足を止めている間に、ミカが大技を展開する。上階。工場内であったからこそ、それなりに安定した足場から放たれる広範囲爆撃。ミカは味方諸共強大な炎を撃ち放った。

 

「諸共か……」

「んな訳ねーだろ。ミカちゃんの炎とあたしの水。全く同レベルで扱える存在が居るんだ。そんな無様は侵すわけないでしょ」

 

 放たれる紅。迫る熱量に目を見開いた剣聖に、青は小馬鹿にするように吐き捨てる。ガリィの錬金術が三体を包み込む。放たれる炎と全く同じ強さの水の力。自動人形の傍だけを炎が削り取られ、剣聖に劫火が迫る。舌打ち。その程度の連携、自動人形ならば造作もない。だが、剣聖は自力で掻い潜らなければならなかった。剣聖の強さは規格外である。だが、それは技が規格外なだけであり、存在そのものは人の範疇にある。相応のフォニックゲインが存在し、ネフシュタンが完全に起動すれば人の枠を越えられるが、それが為せる奇跡が起こらなければ、肉体としては人間の枠を越えはしない。劫火の中、自動人形が止まる事は無い。ガリィの錬金術により、実質なんの負荷もなく動き回れる故に、攻め手を緩める意味が無いからだ。流石に青は錬金術を制御しなければならない為、足を止め二機の補助に専念するが、凄まじい脅威だと言える。

 

「――自動錬金」

 

 血刃は剣殺しにより削ぎ落とされる。だが、使わねばならなかった。ならばと、剣聖は一瞬だけ黒鉄の義手を起動させる。右腕が赤き輝きを放つ。凄まじい喪失感に襲われる。左腕から熱を感じる。ネフシュタン。剣聖の異常を感知したフィーネが、腕輪を無理やり起動させる。失った血の補充の為、弱弱しくその力を輝かせ始める。構わず剣聖は加速する。血刃。剣殺しの嵐を遥かに越える速度で打ち放つ。迫る攻撃全てを無視して、血刃を放っていた。流石の剣聖も、間隙を突くために放たれていた斬撃を、幾つか受けてしまう。英雄の身体から更に血が流れる。

 

「あははははッ! 斬って捨てやがった」

「ううー。今度こそ決まると思ったのに、悔しいんだゾッ!」

 

 広範囲爆撃を斬り裂いた剣聖の姿に、青は心の底から愉快だと言わんばかりに笑う。今度こそ必殺の心算で放ったミカは、目論見が外れた事に項垂れる。まぁ、元気出せよとガリィが青の剣を一本投げ渡すと、ミカの持つ剣を一振り奪う。炎と水。二振りの剣。二機が携える。援護を完全にレイアに任せ、近距離で斬り合うファラの加勢に向かう。

 

「触れると」

「消し飛ぶんだゾッ!」

 

 一瞬刃を重ねると、互いの剣が反発し合い、僅かな間、消滅の刃を作り出す。切り結ぼうとして、咄嗟に刃を流す。鉄パイプが抉り取られていた。腕を手刀で打ち、剣その物を弾く事で凌ぐが、追撃の飛翔剣と剣殺しの弾丸を前に剣聖は防戦から攻勢に移る事は出来ない。手数が違いすぎ、躱さねばならない攻撃も多すぎる。出血が止まらず、動き続けなければならない。ネフシュタンの腕輪が、貯蔵していた力を使い血の生成を続けるが、それよりも失われるものの方が多い。呼吸が荒くなり、視界が明滅を始める。依然とし、不快な感覚は付き纏い、裂傷により身体は悲鳴を上げる。不完全の起動を果たしたネフシュタンではあるが、その力は十全では無い。傷の修復にまでは力が追いつかず、ネフシュタンに貯蔵されていた力もまたすり減り続ける。常人では耐えられぬ痛みを、剣聖は意思の力だけで斬って捨てる。

 

「流石は英雄。奇跡を起こし、人の限界を超え食らいつく。悲しいわね。その在り方、まさしく英雄だよ」

 

 常人であれば、既に動く事はおろか、生きている事が不思議なほどの傷を負いながらも刃を振るう剣聖の姿に、ガリィは呟く。

 

「やっぱり凄いんだゾ。だからこそ、残念なんだゾ。あんたは、戦いの果てで死ぬべき人間なのに……、そうしてやれない事が悲しいんだゾ」

 

 二属性の剣を持ち、剣聖に消滅の力を振るい続けるミカは言う。これだけ強いなら、何度だって戦いたかったと。戦闘特化の自動人形だからこそ解る。四騎士の剣を抜き放った四機すべてが、ミカの決戦兵装を解き放った時以上の出力を持っている。それでも尚、手負いの剣聖を討ちきれないでいる。人の理を越えたような剣聖の強さに、子供のように憧れてしまう。だからこそ、悲しくて仕方がない。自分たちの実力だけで倒してやれない事が、戦いに特化しているミカだからこそ、そんな想いを抱いてしまう。

 

「剣士でありながら、剣殺しを正面から撃ち破り続けた。その技は、最早、異端技術の領域ですわね。よくぞ、此処まで届いたものです。人の可能性の極み、確かに見せて戴きましたわ」

 

 剣殺しを用い、真正面から斬り合ったファラだからこそ、その剣技の凄まじさを理解する。技で哲学兵装を正面から凌駕した。それは、積み重ねた歴史に、研鑽された意志が打ち勝ったという事だった。常識を覆すほどの極地であるからこそ、その研鑽に敬意を示す。剣士として、ファラは剣聖に勝てないと認めていた。

 

「ただの人の身でありながら、自動人形を越えていた。その在り方に、心の底から敬意を表す」

 

 そして、戦場全体を俯瞰していたレイアは最後にそう告げる。剣殺しの弾丸。哲学兵装の付与などという理不尽をやってのけて尚、凌ぎ切られていた。今此処で、剣聖が生きていることそのものが奇跡だと言える。何度となく奇跡を起こし、剣聖はその度に強く命を輝かせて来ていた。その輝きに、心の底から敬意を表したと言える。

 

「かは――」

 

 だからこそ、このような幕切れになるのが残念で仕方がなかった。再び、剣聖は頽れる。四騎士の剣を抜き放った自動人形を前に、瀕死で尚食らいついて来た剣聖の意志の強さに敬意を払う。

 

「あんたに仕込んだのはな、終わらない蛇の毒(イオルムンガンドル)。決して駆逐できない完結した毒だよ。その毒は、たとえ殺してもあんたの身体を媒介に再び廻り始める。」

 

 頽れた剣聖の胸元を掴み、ガリィは剣聖を立たせる。再び全身を回り出した毒は、剣聖を内側から喰らいつくしていく。文字通り、全身を喰らい増殖していく毒という名の錬金術。それを解除するには、世界を分解するように、体そのものを分解し、毒だけを取り除くしかなかった。剣聖の技は目に見えないものを斬ってしまえる、一種の異端技術の極地である。それとは完全に別方向の極地であった。血刃を以てしても、一時的に無効化する事は出来ても、消し去る事までは出来なかった。或いは、フロンティア事変の様な奇跡を以て限界を越えれば消し去る事も可能であったかもしれないが、それ程の奇跡、早々起こるものでは無かった。一度斬り裂かれた毒は、再び牙を剝く。英雄の負っている痛みは、例えるならば内側から解かされていくようなものであった。

 そのような手段を用いてしか倒す事が出来なかった事に、自動人形は言葉にならない想いを抱く。

 

「そして、最後にはあんたが生きた証一つ残さないよ。それでもあんたは、抗うの?」

「――」

 

 至近距離で問いかけられた問いに、剣聖は口を動かすが言葉にはならない。だが、その目が何よりも雄弁に語っていた。まだ、負けてはいない。まだ、戦いは終わりでは無い。そんな事を告げている。その在り方に、その様に、ガリィは可哀そうなものを見るように表情を歪めて。

 

「なら、立って見せなよ。異端殺しの英雄さん」

 

 吐き捨てるように呟いた。剣聖の身体が大きく揺れる。四騎士の剣(ソードモジュール)。英雄を殺す為だけに作り上げられた決戦兵装。その刃が、剣聖の心臓を貫いた。青き剣が、剣聖の身体を貫通する。胸を貫き、背中からその刃が姿を現す。そして、剣聖の身体から刃が引き抜かれた。胸から血が流れだす。立つ事すらできず、剣聖は仰向けに倒れる。風が吹き抜けている。赤色の煤が舞っていた。剣聖の瞳から、意志の光が失われていく。

 

 ――

 

「あんたは頑張ったよ。戦って戦って、戦い抜いた」

 

 たった一人で、四機の自動人形を相手にしていた剣聖の姿を、自動人形はまるで褒め称えるように囁く。

 

 ――

 

「だというのに、最後の時は誰も助けに来てくれはしない。奇跡は一生懸命の報酬などでは無いわ。そんな崇高なものじゃない。だからこそ、こんな世界、壊れてしまえば良いのよ」

 

 そして、そんな剣聖を一瞥しガリィは吐き捨てる。それは、自動人形の本音だった。一生懸命頑張ったにも関わらず、誰も助けに来る事は無い。その命を燃やし切った挙句、燃え尽きる。剣聖を殺す為に動いていた自動人形だからこそ、そんな終わりが酷く気に入らなかった。

 

 ――

 

「さようなら、英雄と呼ばれた人間」

 

 目的を達成したのに、達成感など欠片も無い。そんな表情を、ガリィは浮かべる。それが、剣聖が最後に見た光景だった。意識が途切れて行く。自動人形たちが何かを言っている。言葉を聞き分ける事も出来なくなっていた。

 

 ――

 

 そして、最後に何かを聞いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして世界を壊そうなんて……」

 

 錬金術師を打倒した響は、悲し気に問いかける。世界を壊すなどという事が目的でなければ、何か手を取り合えたはずだという想いが、その言葉からあふれ出ている。

 

「忘れたよ、理由なんて。想い出を燃やし、力と変えた時に……」

 

 差し出された響の手を、キャロルは払いのける。そして、その瞳に暗い光を宿したまま、笑みを浮かべる。既に目的は達成していた。だから、錬金術師にとって、今の有様は、何の悔いも無いと言える。胸から血を流し、ただ錬金術師は静かに笑う。

 

「その呪われた旋律で、誰かを救えるなどと思い上がるな。お前の力は、歌は、所詮誰かを痛めつけるだけの力だ……。守る事など、出来はしない」

 

 イグナイトモジュール。呪われた魔剣によって生まれた、呪われた歌。それをその身に受ける事こそが、キャロル・マールス・ディーンハイムの目的であったと言える。既に必要な譜面は描かれ、目的への道は切り拓かれた。故に、今のキャロルは、装者の心にただ傷を付ける為に言葉を発している。そして、彼女たちの胸に消して消えない傷を刻み込む為、その命を終わらせる。それが最初から決められた計画であった。そして、言いたい事を全て伝えたキャロルは一度強く装者達を見詰め、暗い笑みを浮かべる。そして、一切の迷い無く、自害を行う為に錬金術を発動させた。燃え尽き煤と還る。それが、キャロルが己に定めた運命であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英雄の剣(ソードギア)第二抜剣(セカンドイグニッション)

 

 ――運命を斬り拓く刃(ブラッドスレイヴ)

 

 

 故に、その運命は斬って捨てられる。電子音声が鳴り響き、深紅の刃が振り抜かれる。風が駆け抜けた。血刃が、錬金術を斬って捨てる。

 

「な、――」

 

 錬金術師の表情が驚愕に染まる。

 

「何故、お前が此処にいる――?」

 

 それは、本来有り得ない出来事。あってはならない展開。錬金術師は、そんな命令を下してはいない。にも拘らず、黒金の自動人形はこの場に現れていた。黒金は英雄の軌跡である。であるならば、英雄が、仲間の死を許すはずが無い。血刃が、まるで錬金術師を守る様に装者に付きつけられる。何度も少女たちを守ってきた力。それが、今、少女たちに向け牙を剝く。

 

『アレは、駄目だ……』

 

 通信機越しに、弦十郎の声が届く。装者達にはそれどころでは無かった。対峙するから解ってしまう。あの力は、戦ってはいけないものである。

 

『く、俺が出るッ!! 緒川が先行、何とか俺が着くまで持ちこたえさせろッ!! 藤尭、指揮は任せるッ!!』

 

 指令室では慌ただしく怒声が飛ぶ。現れた敵は、それだけ規格外だと言えた。

 

『司令!!』

『なんだ藤尭ッ!?』

『突如高レベルの反応が出現。この波形パターンは……、フォニックゲインです!!』

 

 弦十郎が出撃する。その直前、藤尭の言葉が飛んだ。それどころでは無いが、あまりに必死な声音に半ば怒鳴る様に弦十郎は問い返した。

 

『フォニックゲイン、だとぉッ!?』

 

 そして、予想もしない言葉を聞かされ呆然と零す。波形パターンが検出されたのは、少女たちが戦う場所とは随分と離れたところにあった。

 

『これは、アガートラームが反応している?』

 

 そして、マリアの呟きが届く。フォニックゲインに呼応するようにアガートラームが反応を示している。まるで、何かに気付いて欲しいと言わんばかりの輝きだった。

 

『一体、何が起こっているんだ……』

 

 装者達の現在地はすべて把握している。その上で、近辺の住民の避難も完了している。故に、高レベルのフォニックゲインが検出されるはずが無い。理解不能な事が起こっていた。ただ一つ言える事は。

 

『――自動錬金(オートアルケミー)

 

 少女たちを守ってきた力が、少女たちに振るわれるという事だけである。黒金の全身から、金色の輝きが吹き荒れる。それは、まるで命の輝きであった。英雄の軌跡が今、黒金の英雄と到達し、運命を斬って捨てる。煤が舞っている。風はただ、吹き抜けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




武門、討死(三回目)
四騎士、武門討伐
キャロル、自動人形に守られる
黒金、第二抜剣 VSイグナイト戦
弦十郎&緒川 出撃


この小説、偶に誰が主人公だっけってなります。
戦線離脱からの強襲してきた黒金ちゃんは、人形なので武門以上に滅茶苦茶します


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14.英雄の軌跡

「藤尭、自動人形の現在地はッ!?」

 

 予想だにしなかった事態。予想だにしていなかった出来事。それが起こった時、弦十郎の中で何かがぴたりと重なっていた。錬金術師だけがただ一人戦っていた。その姿にかつての戦いが思い起こされる。最大戦力が目立つ戦いを繰り広げている。にも拘らず、自動人形の援護が入らない。その違和感に、思い当たる事があった。ルナアタックの際に行った、シンフォギアを用いた陽動。己が採った采配が思い起こされる。

 

「自動人形の現在地観測できません。ですが、依然フォニックゲインは高まっています!」

 

 最初に自動人形が狙ってきたものは何か。最初に遭遇したのは誰か。S.O.N.G.発足直前に仕掛けて来た行動は何の為だったのか。シンフォギアが狙われ始め、次々と装者の持つペンダントが壊されていった。ユキに狙いを定めた事こそが陽動だと思っていた。だが、そうでないとしたら。最初から、この時を狙っていたのだとすれば。

 

「どうやら、俺は戦場から離れ随分と勘が鈍っていたようだ。緒川ッ!! 命令を変更。お前はフォニックゲインの高まった地点へと向かえ。俺は、装者の援護に向かう」

「了解」

 

 弦十郎が指示を出し直す。最大戦力を用いた陽動。同時展開される陰謀。見事に掌の上で転がされていた事に嘆くのは後にし、S.O.N.G.司令は指示を出していく。

 

「私も出撃させてください」

「マリア君が?」

「アガートラームが反応を示しています。私はいかないといけない。そんな気がするんです」

 

 マリアの言葉を聞いた弦十郎は僅かに思考を巡らせる。後手後手に回っていた。打てる手は多いに越した事は無い。

 

「メディカルルームにリンカーがある。君用に調整されたものでは無いが、無いよりは良いだろう」

 

 そして、弦十郎は出撃の許可を出した。

 

「緒川、マリア君を頼むぞ」

 

 そして、各々は自分の行くべき場所へと向かう。手遅れになる前に。そんな思いを胸に、走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コイツは……ッ!?」

「黒金の……自動人形ッ」

 

 抜き放たれた血刃を認めたクリスと翼は、その強すぎる圧力に思わず息を呑む。フロンティア事変の折、何度も煮え湯を飲まされた相手であった。彼女らが黒金と初めて遭遇したのは、東京番外地・特別指定封鎖区域である。装者同士の果し合い。それが行われるという事で、呼び出しに応じた戦いだった。その折にウェル博士の姦計によって、装者同士の戦い自体が行われず、黒金の自動人形とネフィリムによって響の腕は落とされる事になった。それだけでも、黒金の自動人形と三人は因縁が深いと言える。

 特に、クリスと翼は身動きの取れない状態で仲間が痛めつけられていた。当時の口惜しさは、筆舌に尽くし難い。更には、フロンティア浮上後の戦いで一度は上泉之景に致命傷を負わせていた。文字通り、一度殺している。そんな因縁もあり、自然とアームドギアを握る手に力が入る。

 

「……ッ!? あなたは、キャロルちゃんを……」

 

 突如現れた黒金の姿に、一瞬響は怯んでしまうが、己を叱咤し言葉を交わす。キャロルが何かをしようとしていた。それを、黒金が血刃を以て阻止したのは何となく解ってしまった。その姿が、あまりにも自分の知る姿に酷似していたから。ユキさんが、絶唱を斬り裂いた時の姿に余りにも似ていたから。そう、響は思ってしまったから、話し合えるのではないかと思い声をかけていた。

 

『――自動錬金』

「――え?」

 

 そして、電子音声が鳴り響く。立花響の拳は解かれていた。故に、最初に動いたのは黒金だった。黒金の小手が金色の輝きを撒き散らす。その輝きの持つ力は、英雄の持つ黒鉄の右腕の能力を遥かに凌駕する。異端技術である、童子切の欠片より作られた英雄の剣。シンフォギアが歌を力と変えるように、戦いその物を出力と変え、錬金術を発動させる。高速機動。イグナイトを用いて尚、視認する事が出来ない程の速さで黒金は迫る。黒金の右腕。響の身体に叩き込まれた。

 

「うああああッ!?」

「立花ッ!?」

 

 信じられない速さで吹き飛んでいく響の姿に、思わず翼は声を荒げる。金色の粒子が舞い踊る。錬金術師が、ただ茫然と見つめている。その姿だけで、現状が錬金術師の掌の上に無い事は理解できる。だが、それが解ったところで事態が好転する事は無い。手にした天羽々斬。握り締め黒金を倒すべき敵と見定める。

 

「ッ!? 馬鹿な……、速すぎる」

 

 それでは遅すぎた。響を殴り飛ばしたはずの黒金は、すでに血刃を手に間合いの内側に入り込んでいる。現実に怒っている出来事が正確に理解できず、翼の瞳は見開かれる。

 それでも、鍛え上げて来た防人としての力は反射的に行動を起こす。眼前に現れた明確な脅威。己の憧れた相手の持つものと同じ力。その強さを嫌というほど知っている身体が、理屈ではなく反応で動き出す。動かねば死ぬ。羽々斬が血刃とぶつかり合った。ほんの僅かな膠着。次の瞬間には、アームドギアが斬り落とされる。アームドギアを構成する力が斬り落とされていた。それでは、斬り合えるはずが無かった。それでも、ほんの一瞬生まれた時間。刹那とも言える時を身体が見出し、刃その物を辛うじて往なす。

 

「先輩――ッ!?」

 

 死線を潜り抜けた翼の姿に、クリスは声を荒げるが翼はそれどころでは無い。斬撃は、一撃だけでは終わらない。返しの刃が存在する。叫んだ時には、既に二撃目が飛んでいた。

 

「まだだッ!?」

 

 それを対し、翼は前に飛ぶ事を選択する。至近距離である。反射的な動きであったが、刃が届くよりも蹴りが刺さる方が早い。剣聖が多用するように、翼は相手を蹴り飛ばすと同時にその衝撃を反発する力と用いる事で死地を脱する。同時に、天羽々斬を再び生成する。

 

「コイツでどうだッ!」

 

 その間にクリスは誘導弾を展開、翼が離脱と共に作り出した隙目掛けて全弾打ち込む。小型の誘導弾数十発が、黒金目掛けて駆け抜けていく。着地。態勢を立て直した黒金、誘導弾を見据える。跳躍。飛び退る事で誘導弾から幾らかの時間を作り出す。左腕の甲から生成されている血刃。深紅を鮮やかに煌めかせる。踏み込み。

 

「んなッ!?」

 

 風が吹き抜ける。放たれた誘導弾は全て斬って落とされ、光と消える。数十程度の弾幕では、剣聖の剣には届かない。血刃は目に見えないもの全てを斬って捨てる。力そのものが斬られていた。

 

『――自動錬金』

「来るぞ雪音ッ!」

「解ってるけどッ!?」

 

 再び自動音声が鳴る。黒金の腕から輝きが吹き荒れる。高速機動。展開された黒き外装。黒金の無機質な金眼を覆い隠す。光が弾けた。

 

「おおおおおおッ!!」

 

 その直後、閃光が駆け抜ける。吹き飛ばされていた立花響。腕部と腰部の推進装置を全力で起動させ、一直線に黒金に立ち向かう。話し合う余地があるとは今でも思っている。だけど、友達の命が狙われている。そんな状況でもなお対話を選ぶ余裕が響にはなかった。打ち込まれた拳を通して解ってしまったのだ。黒金は既に決めてしまっている。その意思は変わらない。だから、響は黒金が誰かを殺してしまわないように拳を振るう。

 

「続くぞ!」

「ああ。大きいのは任せろ!」

 

 響の渾身の一撃からの、流れるような連携。僅かに虚を突かれた形になった黒金に二人は狙いを定める。翼が羽々斬を以て響と連携を取り、その間にクリスが大技を放つ為出力を更に収束する。すでにイグナイトを発動させてから幾らか時間が流れていた。魔剣の抜剣にはそれ相応の代償がある。心の闇を増幅させる副作用がある為、長時間の抜剣は装者に悪い影響を与えてしまう。そのため、イグナイトには稼働時間が決められていた。999カウントから始まり、すでに半分を切ってしまっている。時間が過ぎれば、シンフォギアは強制的に解除されてしまう。それまでに、戦いを終わらせなければいけなかった。

 

「あなたが何を目的にしているのか解らない。だけど、その剣が誰かに向けられるのならッ!」

 

 響は叫ぶ。誰かを倒す為に戦うのは嫌である。だけど、誰かを守る為ならば拳を握るのを厭う事は無かった。単純だけど、だからこそ大切な想い。親友が思い出させてくれた想いを握りしめ、刃を振るう黒金を無力化する為に打ち掛かる。外装に覆われた瞳と視線が交錯する。金眼は、ただ対峙する相手を見据えていた。至近距離。黒金は、響の一撃を首を逸らす事で往なすと、その腕を掴み取る。

 

「うあッ!?」

 

 そのまま即座に、空いている腕で響の頭部を打つと翼に向かい投げ飛ばす。思わず翼は追撃の手を止め響を受け止める。その時には黒金が迫っていた。

 

「かはッ!」

 

 その隙を充分過ぎるほど突かれていた。鋭い蹴りが翼に突き刺さる。手にしていた羽々斬が零れ落ちる。そのまま響ごと吹き飛んでいく。

 

「喰らいやがれ!!」

 

 叫び声が届いていた。視線を向けた黒金の瞳に、強大な誘導弾が迫っていた。大型のミサイル。二人が吹き飛ばされたのが幸いと、クリスは必殺の一撃を放つ。

 

『――自動錬金』

 

 それに対して、黒金はあろう事か右腕を強く握り直した。そのまま何の躊躇も無く誘導弾に向かい跳躍した。拳。黒金の右腕は金色の輝きを迸らせながら誘導弾に突き刺さった。爆撃。凄まじい衝撃が駆け抜け。爆炎が舞い上がる。

 

「直撃!?」

 

 思わずクリスが目を見開く。倒す為に放った一撃であるが、まさか殴り掛かって来るとは思っていなかった。あり得ない行動を前に、爆炎を呆然と見つめる。血刃。凄まじい速度で駆け抜けていく。爆撃が黒金に到達する前に斬って捨てられる。砂塵が風に流れ、やがて黒金はその姿を現す。

 

「無傷、だと……?」 

 

 呆然と呟いた。黒金は誘導弾を自ら殴り飛ばして尚、何の損害も受けていない。単純な話であった。大型の誘導弾を捌くのが面倒だった黒金は、自ら起爆させる事で邪魔な誘導弾を止め、その爆撃が己が身を蝕むより早く血刃を以て斬って捨てただけであった。人であるならば絶対に行わないであろう戦い方に、思わずクリスは息を呑む。人外の身体能力と耐久力、そして血刃の力が合わされば常識で測れない戦闘能力を発揮していた。先達はこんなものをたった一人で相手にしていたのかと思うと、シンフォギア装者であったとしても戦慄が禁じ得ない。

 

「こんな相手、どうすれば……」

「抜剣をして尚、これ程まで押されるとはな」

 

 何とか立ち上がった響と翼ではあるが、思わずそんな言葉を零す。

 

「だけど、相手が強いからって、それだけじゃ諦める理由にはならない」

「ああ。強い相手と戦ってきた。それは、何も今回ばかりだけでは無い」

「なら、こんな所で負けてられねぇよな」

 

 それでも、三人が諦める理由にはなり得ない。確かに対峙する黒金の自動人形は強い。だけど、強い相手とは何度も戦って来ていた。それだけでは、少女たちが諦める理由にはなり得ない。どんな時でも、私たちは一人で戦っている訳じゃない。三人は手を繋ぎ、歌を灯す。立花響の絶唱特性。他者と手を繋ぎ合う事で、その力をより強く増幅させる事が出来る。三人には共に戦ってきた信頼があり、想いがあった。起こして来た奇跡があり、守ってきた軌跡があった。その全てを無駄にしない為、大切なものを守る為、歌を歌う。

 

「信じよう。胸の歌を。託された想いを。S2CAトライバースト!!」

 

 そして、響が二人を一瞥すると黒金を見据え宣言した。

 

『Gatrandis babel ziggurat edenal――』

 

 三人の絶唱が詠われる。周囲のフォニックゲインが高まり、少女たちに力を与えて行く。信じ合い、響き合う音色が未来を守る為、立ち塞がる強敵を打ち払う為、少女たちの意志を代弁するように強く輝きを増していく。

 

「フォニックゲインを力と変えて!!」

 

 繋ぎ束ねられた力。大切なものを守る為に歌われた歌。少女たちのフォニックゲイン。その高まりが最高潮に達した時、響のガングニールの装甲が稼働展開する。虹色の輝きを響は纏う。風が吹き抜けていく。倒すべき敵を見据えた。黒金はただ、血刃を手に装者達を見詰めている。

 

「これが私たちの、絶唱だ!!」

 

 繋ぎ束ねた想いの力。それは少女たちの想いが紡ぎ上げた一つの奇跡。

 

「――え?」

 

 故に、奇跡は斬って捨てられる。繋ぎ束ねた想いの力。目に見えない想いの力。そんなものは、血刃にとっては斬って捨てられる程度のものでしかない。集められた繋がりは、その全てを斬って捨てられる。一つ一つは小さな力。それを束ねるのが立花響の特性であり、強みであった。

 

「な、んで……?」

 

 ならば、束ねられる前に散らしてしまえば良い。強みは一転して弱みに成り兼ねない。目に見えないものを斬る事こそ、童子切の、血刃の本領である。どれだけ他者と繋がり力を束ねる事が出来ようと、その繋がりを斬られてしまっては戦いようがなかった。

 

「ギアが……重い……?」

「なんだよ、これ……」

 

 シンフォギアは歌によって高められたフォニックゲインに呼応するようにその出力を高める事が出来る。逆を言えば、フォニックゲインが無ければ本来の性能を出し切れないという事でもある。想いは斬って捨てられ、歌は斬って捨てられる。相手が悪いなどという生易しいものでは無い。シンフォギアで制限の無い血刃の使い手を相手にするのは不可能に近いと言える。

 

「あ……ッ!?」

「ギアが解除された」

「嘘、だろ」

 

 フォニックゲインが急激に下げられた事により、イグナイトはおろか通常のシンフォギアを展開する出力すら得られずギアが解除される。黒金の自動人形を前に、三人の装者は抵抗する術を奪われていた。

 

『――自動錬金』

 

 そして宣告は下される。生身で放り出された少女らを見据えると、黒金は自動音声を鳴らし血刃を翳す。

 

「あ――」

 

 振り上げられた剣を響は呆然と見詰めていた。斬られる。漠然とそんな想いが胸に過る。不思議と、怖いという気持ちは抱かなかった。ただ、未来に大切な事を教えて貰ったのに、結局何にもできなかったという気持ちが沸き上がる。ごめんね未来と心の中で呟く。

 

「このバカ!?」

 

 その直後、響は軽い衝撃を受けていた。クリスが響を庇う様に前にでていたからだ。目が見開かれる。振り上げられた刃が酷くゆっくりのように感じられた。自分が斬られるときにはそれ程恐怖感が湧かなかった。だけど、友達が斬られる状況になった途端、凄まじい悪感に襲われる。

 

「雪音!?」

「クリスちゃん――」

 

 響と翼が焦ったように声を荒げる。だけど、咄嗟に動いたクリスの身体は血刃を躱す事は出来ない。クリスは強く目を閉じる。気が付けば体が動いていた。立花響と風鳴翼は大切な友達である。クリスにとってはどうしようもなかった自分に手を差し伸べてくれた大切な人達である。何よりも守りたい存在であると言えた。死にたい訳では無い。だけど、コイツ等のうちどっちかが死ぬぐらいならばと思った時、身体は動いた後であった。血の刃が迫る。その姿に、結局何も出来なかったという想いが胸に過り、最期にもう一度逢いたかったと言う想いが沸き上がる。涙が浮かんでいた。

 

「独りぼっちが、大切なものを求めちゃいけなかったんだ。それでもあたしは……。あたしの居場所を……」

 

 胸の内に過った言葉が零れ落ちる。守りたかった。だけど、そうするには自分だけではどうしようもなくて。それが悔しくて涙を零す。そして直ぐに来るである痛みに、身を強張らせた。

 

「そんな悲しい事を言ってくれるな」

「な、んで……?」

 

 そして、来るはずの痛みが来ない事にゆっくりと目を開くとそこには見慣れた背中があった。雪音クリスを始めて守った大人。孤児となり帰国したクリスが行方不明になった時、最期まで探し続けた人間。S.O.N.G.を統括する男。風鳴弦十郎が血刃を掴んでいた。

 

「言った筈だぞ。子供を守るのは大人の務めだ。後は任せろ」

「うん……」

 

 そして弦十郎は父親のような笑みを浮かべる。その圧倒的な存在感に、思わずクリスはへたり込む。助かった。そんな想いが胸を突く。浮かんでいた涙が零れ落ちる。

 

「さて、うちの者達が随分良い様にやられたようだな。借りは返させて貰うぞ」

 

 黒金が後退する。刃を引かれれば、流石の弦十郎と言えども腕を斬られかねない。掴んでいた刃を放すと拳を握った。黒金は静かに体勢を立て直す。両者の間で、無言のやり取りが交わされる。英雄の軌跡である黒金の自動人形を以てして尚、風鳴弦十郎は容易な相手では無い。そして、それは弦十郎からしても同じだった。簡単に動ける相手では無いからこそ、両者は互いを計り合う。風が吹き抜ける。不意に黒金が笑った。やがて、両者が動きだす。拳と黒金の小手がぶつかり合う。斬撃が飛び、拳が唸りを上げる。超至近距離にも拘らず、剛撃と剣閃が入り乱れる。それでも、互いに一撃たりとも届かせる事が出来ない。数瞬のぶつかり合い。瞬く間に交わされる剣と拳の応酬に、装者達はただ見ている事しかできない。そして、再び両者が一度距離を取る。

 

「何故だ」

 

 そんなせめぎ合いの中、呆然と眼前で行われているぶつかり合いを見ていた錬金術師が零した。その視線はただ、黒金の自動人形だけを見詰めている。

 

「何故今更になって現れる……」

 

 少女は、黒金の後ろ姿に、確かに英雄の姿を見ていた。黒金は少女の英雄では無い。だが、英雄の軌跡であるのだ。それが、今更になって少女の前に現れた理由が理解できない。何よりも、何故今になって現れたのかと思うと胸の中で様々な葛藤が沸き上がる。

 

「何故英雄(おまえ)はオレの前に現れた! オレを守るとでも言う心算なのか! 答えろ英雄!!」

 

 キャロルにとって、守って欲しかった時期などとうの昔に通り過ぎている。英雄が傍に居て欲しかった時期など、遥か昔に終わっているのである。にも拘らず、今更になって少女を守る様に現れた英雄の軌跡の行動に心が大きく揺さぶられてしまう。黒金が話せない事など自身が一番理解しているのにも拘らず、そんな事を叫んでしまう。

 

「何を……」

 

 唐突に上がった激昂に、ほんの僅かに弦十郎の注意が逸れる。

 

『――自動錬金』

 

 それとほぼ同時に黒金が高速機動を開始する。キャロルを回収し、弦十郎から距離を取った。深手を負い上手く動けないキャロルは、黒金に大切なものを抱くように抱き上げられながらも、その姿を睨みつける。

 

「何故だ!! 何故おまえは今更オレを助ける!! 何故オレの一番傍に居て欲しかった時に傍に居てくれなかったはずなのに。オレの手伝いは出来ないと、オレを否定しながらなんで今更……ッ」

 

 そこまで叫んだところで不意にキャロルは気付いた。別に英雄はキャロルの想いを否定した訳では無いと。その方法だけを否定していたのだと。少なくとも、父親を大切にしていた事だけは認めていてくれた。そうでなければ、英雄の軌跡が錬金術師を守ろうとなどしない筈だ。そう結論付けた時、極限まで高まっていた感情が急速に静まっていくのを感じた。キャロルは力なく笑みを浮かべる。自動人形たちの言うとおりである。自分は英雄の事となると、冷静に周りが見えなくなる事があるのかもしれないと思い直す。

 

「退くぞ……」

 

 そして、キャロルは黒金に吐き捨てるように呟いた。自動人形は静かに頷く。そして機械音声を辺りに響かせると、姿を消したのだった。 

 

 

 

 

 

『これは――』

 

 フィーネは焦っていた。上泉之景が受けた毒。それは、ある種の到達点である。死して尚対象を媒体として蘇る完結した毒である。その本質は毒というよりも、対象の体内で構成される錬金術である。それは、対象が生きている限り生き続ける毒であると言える。それが既に全身に回っている。幾ら剣聖が血刃の使い手とは言え、全く同じタイミングで自身の全身を斬り裂く事などできはしない。血刃が斬撃である以上、僅かな時間差は存在する。それがある限り、毒を駆逐し尽す事は不可能であると言える。

 

『ッ。こうなったら』

 

 無理やり起動させたネフシュタンの力。それは、心臓を打ち貫かれた剣聖の身体機能を仮に維持するのが精一杯である。ネフシュタンが司るものは無限の再生である。終わらない蛇の毒とは性質が似通っている。完全聖遺物のネフシュタンであったのならばまだしも、欠片でしかないネフシュタンの腕輪では再生が追いつかない。蘇る傍から殺されていると言える。そして、腕輪は完全では無い為、やがて蓄えられている力は尽きるという事であった。つまり、その時こそが剣聖の終わりであると言える。心臓は貫かれている。ネフシュタンの生命維持が途絶えればそれこそ本当に死んでしまう。そんな事、自身の娘の為にも許す訳にはいかない。とは言えフィーネに取れる手段はそれほど多くは無い。腕輪に剣聖の身体を喰らわせる事を選択する。力が足りないと言うのならば、何かで補うしかない。それが、その手段だと言えた。

 

『この男――』

 

 ネフシュタンの浸食が始まる。フロンティア事変の時とは比べ物にならない浸食を行って尚、毒を正面からぶつかり合い、せめぎ合う程度の出力しか得られない。ネフシュタンとの融合の深度が加速する。剣聖と始まりの巫女の意識が混ざり合う。そして、始まりの巫女は知る。剣聖の持つ力。血脈の剣。それには、まだ先がある。

 

 ――Gatrandis babel ziggurat edenal Emustolronzen fine el baral zizzl Gatrandis babel ziggurat edenal Emustolronzen fine el zizzl

 

 そこまで見たところで、不意にネフシュタンの力が加速度的に上昇する。思わず辺りに視線を向ける。歌が聞こえていた。その姿を認め、フィーネは思わず息を呑む。剣聖を助けに来るものは存在しない。強すぎるから。ただの人では英雄の傍らに立てないように、シンフォギアという力を持つ少女達ですら、その傍らにいる事は出来はしない。

 だけど、そうだとしても、見ているものは確かに存在する。剣聖の歩んだ軌跡。死者の言葉を抱きしめ、誰かの死を大切に守って来ていた。今を生きる者達が剣聖の傍に立つほどの力が無かったとしても、それでも剣聖の戦いを見ていた者達は確かに存在していた。

 

『天羽奏。それに、あの子は確かF.I.S.の』

 

 誰かの死に寄り添い、死者を見ていた剣聖だからこそその領域に到達していた。死者を見据える力。それは、童子切の特性では無かった。目に見えないものを斬る童子切を手にした剣聖だからこそ届いた力である。剣聖と融合が進むフィーネであるからこそ見え、聞こえる。歌が鳴り響く。剣聖がこれまで歩んだ軌跡の中で出会った死者。互いが誰かの為にと絶唱を詠った少女だった。今を生きる人たちが剣聖に寄り添う事が出来ないとしても、剣聖が死に寄り添う様に、死して尚死に切れなかった人間たちがその背を押している。まだ、死んではならないと。まだ、立ち上がれると。死して尚。否、誰かの為に死んだからこそ、自分たちの想いを汲んでくれた剣聖の在り方に強烈過ぎるほど惹かれていた。

 

『まだ、あんたはこちら側に来るべきじゃない。来ちゃ、いけないッ!!』

 

 天羽奏は風鳴翼を心配し死に切れずにいた。だが、その翼は剣聖によって打ち直されていた。悩む事はあるだろう。立ち止まる事もあるだろう。だけど、それでも翼は前に進んで行けると確信を持ったからこそ、奏の中で翼への未練は無くなってしまっていた。それで消えるまでの間に見てしまった。剣聖の在り方を。英雄の進む道を。死者の言葉を抱きしめ、誰かの為にと命を燃やすその生き様を。本当に何の躊躇も無く死線に踏み入るからこそ、放っておけなかった。この男は放っておけば近い内に確実に死ぬ。親友の恩人にそんな確信が芽生えたからこそ、奏は消える事を良しとできなかった。

 

『あなたは姉さんに大切な事を教えてくれました。マムの真意を一言で解ってくれました。マリア姉さんは、調は、切歌は、母の真意を教えてくれたあなたに生かして貰ったんです。私の大切なものを守ってくれたあなたに、私はまだ何も返せてない。なにも、出来ていない。そんなのは嫌ッ』

 

 マリア・カデンツァヴナ・イヴの妹であるセレナ・カデンツァヴナ・イヴ。フロンティア事変の折、揺れ動くF.I.S.の面々をずっと傍で見ていた。弱い人を守る為、そんな尊い想いを持ちながら悪い方向に揺れ動いていく大切な人々を見ている事しかできなかった。姉に伝えたい事がある。だけど、既に自分は死んでいる。だから、何一つとして伝える事が出来ずに、ただ見ている事しかできなかった。そして、マリアは世界に向け歌を歌い、未来を切り拓けずに泣き崩れた。傍に居ながら、何一つ助ける事が出来なかった。そんな折、英雄は現れた。マリアに死者を見る事が出来ないという摂理を切って捨て、死者の言葉を届かせていた。そして、セレナは大切な事をマリアに伝え、姉をもう一度立たせる事が出来ていた。その時に、セレナにとって、マリアはもう心配しなくて良い存在になっていたと言える。そのまま消えるまでの間、姉たちの傍に居て今を生きる人たちの在り方を見ていた。そして、マリアとユキの話を一人傍らで聞いていた。剣聖の、英雄の在り方にどうしようもならない程の危うさを感じた。この人は、きっと誰かの為に戦い、誰かの為に死ぬ。何よりも、自分がそうしてしまったからこそ、セレナもまた強くそう感じ取っていた。大切な姉を助けてくれ、自分の、そして母の想いを汲んでくれた相手だった。でき得る事なら死んでほしくない。そう、セレナが強く思うのも無理はなかった。

 

『お前達』

『英雄を助けに来る者はいない。誰がそんな事を決めたんだよ』

『頑張った人は報われるべきです。この人は、死した私たちの想いすら、拾い上げてくれた。なら、誰も助けに来れないと言うのなら、誰かが来れるようになるまでは私達が背中を押すんです』

 

 始まりの巫女と、二人の歌姫は似て非なる存在である。だとしても、英雄の行きついた力は、目に見えないものを見る力は、死者の言葉を、今を生きる者の言葉へと到達させる。歌は歌う者が居て、聞くものが居てこそその真価を発揮する。誰にも聞こえない死者の歌は、死者の声を聞ける存在が在り始めて今を生きる歌に到達する。死した歌姫が奏でる旋律が、英雄にまだ終わっては駄目だと切実に訴えかける。

 

『これならば――』

 

 急速にフォニックゲインが高まっていく。なにせ、歌うのは命を燃やし尽くし奏でられる歌。二人の絶唱によって高められる歌は七十億の奇跡には届きはしない。だとしても、死の淵に踏み入った剣聖を引き戻す位の奇跡にならば到達する。ネフシュタンの力が急速に稼働する。毒に殺される身体を再生成し、穿たれた心臓を再び強く脈打たせる。

 どくん。っと、穿たれた心臓が強く鼓動を叩いていく。フィーネが歌姫を見る。奏が親指を立て、セレナが小さく笑い手を振っていた。今を生きる者達では英雄の隣に立てはしない。剣聖は強すぎた。だから、それは事実なのかも知れない。だとしても。それでも見ている者はいる。まだ倒れては駄目だと声援が届く。例え英雄が立てなかったとしても、他の何でも無く、英雄の歩んだ軌跡が奇跡を手繰り寄せる。

 

「あん?」

 

 不意に、自動人形が声を上げた。倒れ伏す剣聖。その様子が何処かおかしい。同時に、高まっていく力に漸く気付く。歌姫による高められたフォニックゲイン。何の前触れもなく、唐突に発生していた。少なくとも、死者の見えない自動人形にはそう感じられた。

 

「チッ。流石は英雄といったところね。だけど、何かをする時間は上げないわ。ミカちゃん」

「解ったんだゾ! 必殺の!」

 

 ガリィとミカは剣聖の身体に触れる。いくら英雄が奇跡を起こすとは言え、跡形もなく消し飛んでしまえばそれで終わりだった。互いの力を収束させる。反発消滅の力。それが剣聖の身体を消し飛ばす。

 

「触れるな、下郎が」

 

 その直前、声が届いていた。

 

「な、に……ッ!?」

 

 紫色の障壁が二人を弾き飛ばしていた。風が吹き抜ける。ゆらりと剣聖の身体が立ち上がる。閉じられていた瞳が再び開く。金眼。剣聖の瞳とは違っていた。

 

「英雄は少し寝ているのでな。それまでは始まりの巫女(わたし)が相手をしてやる」

 

 左腕が振るわれる。起動したネフシュタンの腕輪。その紫鞭が阻む脅威を打ち払うが如く唸りを上げる。左腕のネフシュタンが淡く輝き、黒鉄の義手が赤き輝きを放つ。

 

「始まりの巫女、だと……?」

 

 目の前で起こっている事が信じられず、自動人形は敵を見詰めた。

 

「英雄様に感謝する事だな人形共。誰かを生かす為の剣しか使わない。私は、上泉之景のように優しくはない」

 

 そして始まりの巫女は告げる。上泉之景の剣技は誰かを生かす為のものである。だが、剣術とは元来敵を殺す為の術であり、武門とは、元々そちらに本質がある。故に、上泉之景の剣を活人剣と言うのならば、その先もまた存在していた。誰かを生かす事を託されている。故に、上泉之景は殺人剣を使わない。そして、その在り方は敵を殺す技術とは真っ向から反発しあっていた。それはつまり、

 

「タガの外れた英雄は、私が動かして尚、先程よりも遥かに強いぞ」

 

 普段の剣聖の剣は、戦いという観点ではさらに上が存在するという事になる。剣聖は全力で戦っていた。だが、誰かを生かす事を託されていた。故に、殺人剣を使う訳にはいかなかった。誰の為にでも無く、己の意志の為に使われる事は無かった剣。それが今、抜き放たれる。

 

 

 

 

 

 

 




装者、歌を斬られる
黒金、初笑顔。強敵を前に武門スマイルを覚える
キャロル、気持ちに一段落着く
奏、セレナ 絶唱
武門、憑依合体
自動人形、武門INフィーネ戦

この小説においては、奏さんとセレナが翼とマリアの傍に居ないのは、大体武門の所為。誰かの為の英雄も、女の子から見たら直ぐに死にそうな駄目な男なのデス


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15.剣聖の剣

「くくく……」

 

 始まりの巫女は笑みを浮かべた。ネフシュタンが稼働する。剣聖の身体を毒が侵していく。二つの力がせめぎ合い、人の耐えられる限界を超えた痛みが全身を駆け抜ける。その全てを血刃で斬り落とし、始まりの巫女はただ笑みを浮かべる。ネフシュタンは欠片でしかない。だが、剣聖の身体と言うある種の到達点を無限の再生能力で維持すると同時に、聖遺物の浸食によってその身体能力を人間という枠から外に逸脱させる。更には血刃と言う規格外の能力に加え、剣聖の血脈と言う戦う為だけに研鑽された技術まで存在していた。その力は最早、複数の哲学兵装による複合された意志の力と言うべきものであり、ある意味で、完全聖遺物であるネフシュタンの鎧をまとった時以上の高揚感に襲われる。

 剣聖の右手が、転がっている鉄パイプを拾い上げる。剣聖が吐き出した、ネフシュタンにより生成された血を纏った鉄の棒切れは、それだけで至高の武器へとその姿を変える。態々己の身を切らずとも、大量の血は存在していた。その血に浸すように鉄パイプに血を絡めさせ、血刃を発動させる。血が沸騰する。その全てを、死した歌姫の絶唱により高められたフォニックゲインがネフシュタンの欠片の出力を押し上げ、その性能を加速させる。たった一つの動作であるのだが、それだけで始まりの巫女の知る、肉体と言うものの概念を撃ち砕いてしまう程の性能を感じる。この身体があり、この技術がある。ならば、剣聖と言う言葉もあながち大げさでは無いと、フィーネをして思ってしまう。それだけ、剣聖の持つものは規格外だと言えた。

 上泉之景は、さも当然の如く不可能を押し通す。ネフシュタンから見ていた時は何度も驚かされたものだが、実感として理解できてしまう。これほどまでの高みに居たのならば、確かに並みの不可能ならば斬って捨てられる。

 

「チッ。とんちきが。理由を付ければ何をしても良いってものじゃないんだけど?」

 

 そんな剣聖の姿を見詰め、青は吐き捨てる。想定外の事が起こっていた。始まりの巫女が手を貸すのは当然のように想定していた。剣聖がネフシュタンの欠片を持っている事など、最初から分かっていた事であった。故に、無限の再生を行うだろうことは解っていた。欠片に蓄積されているフォニックゲインは有限である。英雄が立ち上がったとしても、それは時限式の奇跡である。どれだけ規格外の性能を持とうとも、完全聖遺物でない以上は出力の供給が必要となる。シンフォギアが、装者達の歌を動力源とするように、ネフシュタンの欠片もまたフォニックゲインを必要とする。それは、変わらない事実であった。

 

「これは参りましたね。この奇跡は、想定を超えている」

「ああ。運命は変わらない。だが、変えられかねないものもある」

 

 奇跡が起ころうが起こるまいが、それでも描いたシナリオが変わる事は無い。剣聖は死に絶える。その核心は眼前の光景を見て尚揺るがないが、一つ問題が発生していた。自動人形はまだ壊される訳にはいかない。だが、眼前の存在は想定を超えてしまっている。このまま戦いを続けて誰一人欠けずに戦いを終えられるのかという事であった。何もない場所から発生する超高密度のフォニックゲイン。剣聖が何か奇跡を手繰り寄せたのは解る。というよりも、自動人形からすればそれ以外に説明がつかないのだ。まさか、死者が歌を奏でているなどとは、流石の錬金術の結晶と言えども感知できるはずが無い。

 

「まだ高まる力ッ!! 英雄は、死して尚立ち上がる。何かを守る為、意志の力で蘇る。話は本当だったんだゾッ!!」

 

 ただ一人、戦闘に特化したミカだけが嬉しそうに笑う。四騎士の剣の出力を更に上げる。童子切の欠片を媒体に生成されている四騎士の剣は、剣聖そのものの力でもある。剣聖がその強さを示せば示すほど、その意思を宿した童子切の欠片もまた、剣聖の意志に共鳴するようにその力を昇華させる。四騎士の剣が輝きを増し、ミカの持つ炎剣が唸りを上げる。赤き自動人形はただ嬉しかった。自分が全力を出して尚、倒れない敵。子供のような感情を向ける。他の自動人形と違い、ミカ個人で言えば剣聖とずっと戦って居たいと思ってしまう。ミカは戦闘に特化して作られている。他の自動人形と比べても、その戦闘力は追随を許さない。だからこそ、己が全力で戦える相手には好意に似た感情を抱いてしまう。早い話が、楽しくて仕方がないのだ。炎剣を構え、赤は飛び掛かる。敵は強い。そんなものは、人が立ち上がれない状況で立ち上がった事実だけで充分以上に理解していた。

 

「チッ。こっちも勝手な事をして」

「そう言ってやるな。戦闘特化型でありながら、全力で戦えない筋書きだったのだ。それが、このような形ではあるが戦える。嬉しくて仕方がないのだろう」

 

 赤の様子に青が頭を抱えるが、黄色が眼を瞑ってやれと小さく笑う。はっきり言って自動人形にとって窮地である。窮地ではあるが、何故か嬉しくて仕方がないのだ。英雄を殺す為に動いていた。だが、同時に英雄の在り方に惹かれてもいた。英雄を殺すのは何時だって想定のされない力である。考えて見れば、毒による謀殺などその最たるものであると言える。これ以外の方法は英雄が強過ぎるが故に実行できない。その為、必殺の意志を以て挑んだのではあるが、同時にこうも思ってしまっていたのだ。このような手段で英雄を殺してしまって良いのだろうかと。結局、時限式の奇跡とは言え、英雄が自動人形の想定を超えて来た事が嬉しくて仕方がない。それでこそ英雄だ。レイアは、始まりの巫女が操る英雄の身体を見据え、囁くように言い放つ。

 

「剣聖が潰える時。それはやはり、剣が折れ、意志は尽き果て、身体は限界を迎え倒れなければいけない。結局は、こうするべきだったのかもね」

 

 紫鞭が舞い、金弾が落とされる。剣殺しの哲学を無理やり付与した金弾も、ネフシュタンの前では何の効力も発揮しない。それを十分すぎるほど理解しているからこそ、力の無駄遣いを抑える為ファラは己の剣のみに剣殺しを作り上げる。敵は人間の最高峰であり、始まりの巫女であり、奇跡の体現者であり、最早ネフシュタンの聖遺物との融合症例であった。人の身体だけであれば、とうに食い殺されている。それはつまり、ネフシュタンの欠片が剣聖と一つになったという事に他ならない。立花響の、聖遺物との融合症例。それと極めて近い状態に近付いているという事だろう。始まりの巫女の意識が表に出てきているのがその憶測を確信へと変える。終わらない蛇の毒は、駆逐された訳では無い。それどころか、未だ剣聖の身体を蝕んでいるだろう。故に、ただ殺戮を抑え込み、奇跡を押し通しているだけに過ぎない。だからこそ、その姿が尊く思えてしまう。剣聖の身体は死と再生を繰り返している。それは、揺らぐ事の無い事実である。その姿に敬意を表し、最大限の剣殺しをファラは作り上げ、剣聖の意志へと刃を躍らせる。

 

「ふん。皆、英雄様に充てられてるようね。……仕方がない、正面から潰してやるよッ」

 

 そして、結局最後には青も己の持つ剣の出力を限界まで高める。解ってはいたのである。英雄は、このような手段で殺してはいけない。何よりも、流行り病から村を救った英雄を父親に持つキャロルの思考パターンを元にしているからこそ、心の奥底ではそんな想いを抱いていた。それでも計画の実行の障害へとなる物を取り除くのが自動人形の役目であり、ガリィの存在意義の一つだと言える。はっきり言って、英雄の事は好きだが、それが主人の目的を妨げると言うのならば、戦うのには何の躊躇も無かった。主であるキャロルが出来ないと思うからこそ、自動人形が為さねばならないからだ。

 

「健気なものだな。勝てぬと解って尚、剣を抜き放つ」

 

 そんな四機の姿を一瞥すると、迫る金弾をネフシュタンの紫鞭で弾き飛ばしながら、炎剣と剣殺しの刃を掻い潜り、青も加わり遠近入り乱れた四機の連携を前に、始まりの巫女は笑みを深める。

 

「ハッ。勝手に決めてくれんなよッ!」

「確かに血の剣は強いかもだけど、万能じゃないんだゾッ!!」

 

 ほんの一瞬の交錯。二機が何度目かの消滅の力を纏う。始まりの巫女の、剣聖の口許が大きく吊り上がった。金眼が、刃を睨め付ける。ありとあらゆるものを消滅させる刃。本当にそんな物があるのならば、持つ事すらできない筈である。つまり、刀身だけがその力を宿していると言える。

 

「強い力を持つと、それに頼りたくなるものだよ」

「ぞなもしッ!」

 

 振り上げられた二機の手の中で、障壁が展開される。自動人形が目を見開く。四騎士の剣が、突如生まれた圧力に弾き飛ばされる。障壁は防御だけに使われる訳では無い。機転を利かせれば、攻撃の起点にも充分なり得る。何せ、始まりの巫女の意志で発生させられるのだ。その汎用性は随分と高いと言える。

 

「お相手願いましょうか」

「ふん」

 

 剣を弾き飛ばされた隙を突き、紫鞭が二機を弾き飛ばす。同時に踏み込んで来たファラを、始まりの巫女は血刃を以て迎え撃つ。剣殺しと言えども、鉄パイプ相手には本領を発揮できない。血刃を無効化できてはいるが、刃その物は剣聖の身体が弾き飛ばす。始まりの巫女に剣術の覚えはない。だが、依り代となっている剣聖の身体は規格外の剣術を持っていると言える。フィーネが操って尚、体に染みついた経験が迫り来る刃を叩き落す。近接戦での反応自体は、剣聖の足元にも及ばない。だが、解き放った殺人剣の境地は、剣術を極める為に作り上げられた武門と、その歴史によって紡ぎ上げられたある種の呪いと、これ以上ないほどの相性の良さだと言える。活人剣の時では届かなかった高みに、殺人剣の境地は達していると言える。

 血刃は唯一無二である。だが、極めつけられた刃があれば、それは不要であった。何せ、今斬るべき相手は目に見えないものでは無い。目に見え、眼前に存在する人形である。そこに在るものを斬るのならば、血刃の様な小細工は必要では無かった。ただ斬るだけであるのならば、武門が作り上げた剣聖の斬撃に勝るものは無い。普段の剣聖の剣は、人を生かす為の剣しか使わない。誤って不必要な殺生をしないように、手心が加えられていると言える。だが、今の剣聖の剣は違う。本来剣聖の剣は、活殺自在なのである。光が差せば影が差すように、人を生かす剣があるならば、人を殺す剣もまた確かに存在する。その両面を認めた始まりの巫女が操る剣聖の剣は、上泉之景に何段も劣りながらも、本来の剣を凌駕するものを持っていた。否、今のフィーネの操る剣こそが、本来の武門が操るべき剣だと言える。

 

「くぅ……」

 

 故に、剣殺しが剣を殺す前に、活殺自在の剣が使い手を切り伏せる。腕が飛ぶ。剣殺しが宙を舞い、咄嗟にファラが後退する。斬撃を、二機の自動人形が阻んだ。青と赤。互いの刃を重ね、自在の剣を受け止める。

 

「好機」

 

 レイアが受け止められた刃を認め加速する。地の力を宿した剣。旋棍を得物とするレイアの剣は、間合いよりも手数を重視する異色の剣だと言える。拳を突き出せばそのまま斬撃となるジャマハダルのような形状に剣の形状を固定し、必殺の一撃を狙い定める。

 

「――自動錬金」

 

 赤が吹き抜ける。目が見開かれた。黒鉄の右腕が稼働している。代償となる血液は、ネフシュタンが供給している。剣聖が一瞬しか用いる事が出来なかった超加速を、始まりの巫女は存分に使い切り抜ける。加速された活殺自在の斬撃が、レイアの両腕を飛ばした。同時に、その身体を蹴り飛ばし反転する。ぐるりとまわりながらの斬撃。隙を突こうと踏み出していた二機の自動人形の隙を、逆撃する事で圧倒する。

 

「くくく、ははははは!! 」

 

 剣聖は高らかに嗤う。始まりの巫女が操る剣聖の戦い方は、剣聖本人に比べれば何段にも劣る。にも拘らず、一切の容赦を排除した剣聖の動きは、全ての動きが絶大な効果を持っていると言えた。変わったのは心持ち一つである。それだけで、意志の力を宿した刃は遥か高みに到達したと言える。そのあまりの力に、始まりの巫女は笑う。何の事は無い。ただ、気分が良いのだ。極められた身体で、極めた技を振るう。できない事は何もなく、強敵であった者達が容易く撃ち砕かれていく。それは、ある種の悦楽である。強すぎる力を振るい相手を蹂躙する。それは、何物にも代えられない、原初の娯楽だと言える。強き者が弱き者を蹂躙する。それが、英雄の持つ力だと言えた。

 リインカーネイションにより、悠久の時の中を生きたフィーネであるが、今、自分が感じている高揚は、かつて感じた事の無い物だった。人の到達点と言える程の身体能力に加え、剣聖と言われるほどの技量。その力を振るうのが、楽しくて仕方がないのだ。

 

「――ッ!? そうか、だからあの男は」

 

 口元から零れた血に、そこまで昂っていた気が幾らか萎える。そうして、何故剣聖が殺人剣を用いる事を良しとしなかったのか。その本来の意味に辿り着いた。確かに殺人剣は強い。武門もまた、戦う術を研鑽して生きた一族である。その血は呪われていると言える。それも、ただの人間の呪いでは無い。剣聖と呼ばれるほどの者達が何代にも渡り積み上げて来た研鑽の呪いである。その特性は最早、戦う為の哲学兵装に近いと言える。武門と言う生き方そのものが、哲学の刃と化しているのである。だからこそ、その力を振るえば何物をも蹂躙する力となり得る。何よりも、己自身の研鑽によって高められた力を振るうのは、どんな快楽にも勝ってしまう。剣聖の力を用い、自動人形を蹂躙する時、始まりの巫女は確かに快感に打ち震えていた。壊すのが楽しかった。戦いに生きるのが、楽しくて仕方がなかった。だから、解ってしまう。心が、肉体に引き摺られてしまうのだ。ほんの僅かな間、全力で戦っただけで、何千年も生きたフィーネですら肉体に影響されていた。これがあるから、剣聖は殺人剣を使う事を良しとしなかったのだと解ってしまう。使い続ければ、戦いだけに飲まれてしまう。それが解っているから、剣聖は、殺人剣を抜きはしないのだ。

 

「だから、死を恐れないのか」

 

 そして、もう一つの事実に到達する。剣聖が死を恐れない理由。父の死が鮮烈に刻まれ、託された想いが胸に刻まれている。それが最大の理由だと思っていた。だが、そこにもう一つの理由が加えられる。上泉之景は、強すぎるほど強く、武門の特性を受け継いでいると言える。何せ、フィーネの意識が引っ張られるほどの在り方である。その呪いとも言える在り方に、生まれた時から晒され続けて来ていた。大切なものに託された想いと、それを叶えるべき研鑽が強靭な精神力を育むと同時に、武門と言う在り方も強く育て上げてしまっていた。戦って生き、戦いの果てに死ぬのがその本質である。身体が、心が、存在そのものがそれを理解してしまっているのだ。何せ、繋いできた想いであると同時に刷り込まれてきた呪いでもある。考えでは無く、既にそういうものと化しているのだ。だからこそ、そんな有様で尚、在り方に飲まれず活人剣を振るう強固な意志が、己こそが最大の殺人剣である事を許せるわけもなく、戦いの果てに何かを守って死ねるのならば、それはそれで良い事なのだと考えている事が強く理解できてしまう。実際、少し動いたフィーネですら己が戦いに飲まれかけ、戦いの中に生きようとしている事を感じられた。

 

「まったく、どうしようもない男」

 

 だからこそ、始まりの巫女は少し悲しげに呟いた。果たして、これは愛で何とかなるものなのか。

 以前から、それこそ、初めて対峙した時からフィーネには不思議ではあった。何故この男は、これ程強固な意志を保っていられるのか。誰かの為。それだけの理由で、死に相対する事が出来るのか。それが、理解できなかった。永遠を生きるフィーネならば、長き時を生きる間に少しずつ強いものが作り上げられたと理解できる。だが、上泉之景が生きた時間は、フィーネからすれば儚い閃光の様なものでしかない。にも拘らず、あっさりと、本当にあっさりと死線を越え戦って来ている。フィーネが知る限り、手を貸さなければ既に二回死んでいる。敵である錬金術師の言葉を信じれば、三度死んでいる。それでも尚、戦う事に何の迷いもなく、疑いもない。英雄で在れてしまう。その理由が漸く解った。ユキは、生かされている。故に、自死は選ぶ事が出来ない。だが、己その物が大きな爆弾の様なものである。戦いに飲まれ戦いに生きる修羅の道が常に過っている。それでも、託された想いを違えたくはない。だからこそ、誰かを守る戦いの果てに誰かに殺される事を無意識に望んでいるのではないかとフィーネは結論付ける。

 

「好き放題言ってくれるな」

『……ッ!?』

 

 そこで、不意に己では無い意志が口を開いた。既にネフシュタンによる穿たれた心臓の再生は完了していた。ほんの僅かな間眠っていた剣聖が、その意思を取り戻す。倒れ伏す自動人形を見据え、己の手にある鉄パイプを持つ手の感触から、状況を察する。

 

「抜かせてしまった、か。無様、だな」

 

 呟く。それは、己の腕が落とされた時に呟いた言葉。生かす為に鍛え上げたにもかかわらず、結局殺人剣に頼らねばならなかった己の在り方に、失笑を零す。

 

『ごめんなさい』

 

 不意に届いた胸の内からの言葉に、剣聖は思わず目を丸める。嘆いたのは、己の不甲斐無さだけである。自身が死の淵に立ったからこそ、死者に無理を押し通させ、フィーネに自分が戻るまでの間、戦わせる事になった。確かに殺人剣は使いたくはなかった。だが、使わせてしまったのこそ己自身の不明である。そうでなければ、自動人形を相手どれなかったという事なのだろう。上泉之景は、己が立つまでの間を繋げてくれた始まりの巫女に感謝こそすれども、謝られる理由など無かった。

 

「剣術は力だ。誰かを殺す事にこそ、その本質はある。それを認められていなかったのは、俺の方か。あの子には、力は使い方だと言っておきながら、己こそが恐れていた。穴があるのならば、入りたいものだ」

 

 振るわれる殺人剣を、上泉之景は確かに感じていた。故に、剣聖は理解する。力はそれその物に良いも悪いもない。そんな事をクリスに語って置きながら、自分こそがそれを認められていなかったのだと。故に、抜かせたくはなかった刃を、よりにもよって、他者に抜かせる事となった。この力は、己の内に在るものである。故に、己こそが責任を持たねばならないものだ。殺人剣で誰かを生かせないと言うのならば、殺人剣で誰かを生かせないという事実こそ切って捨てるべきである。それが、涙を流して助けを求めていた少女に、一つの道を示してしまった己が為さなければならない事である。剣聖は再び刃を握りしめる。ネフシュタンが起動し、毒を押し留めている。故に身体は万全と同じように動かせる。だが、そう言う事では無かった。心持が変わっていた。力は、使い手があってこそ初めて何かを為すのである。殺人剣が何かを殺す力だと言うのならば、殺人剣の在り方こそを殺してしまえば良い。

 

「お前たちは、俺の事を英雄と言ったな?」

「ああ、言ったわね」

「この手が持つ力が英雄の力だと言うのなら。強き力であると言うのならば、その力で何かを守ってみせるよ。イザーク・マールス・ディーンハイムが、馬鹿娘の父親が村を守ったように、な」

 

 そして、剣聖は再び己が足で立ち、血に塗れた刃を突き付ける。強靭な意思が示している。強き力があるのならば、それは何かを守る為にこそ使われるべきであると。己が大切なものに守られたからこそ、誰かの為に生きた死者にすら背中を押されたからこそ、そんな想いを強く胸に灯す。自動人形は、誰かを生かす剣を振るう自身の事を英雄と呼び続けて来た。それは恐らく、敵対する錬金術師の父親がそんな生き様を見せつけたからだろうと、剣聖は結論付ける。ならば、だからこそ負ける訳にはいかない。キャロルの父親が誰かの為に生きたと言うのならば、そんな英雄であったと言うのならば、何よりも実の娘に父親の在り方を否定させないために、再び立ち上がる。

 

「く、くくく。あははははッ!!」

 

 その言葉を聞いたガリィは思わず、大きく笑ってしまった。いう事をかいて、主の父親の為。剣聖はそう言い切っていた。何を馬鹿な事をと思うと同時に、誰に言われても響く事は無いが、この男にならばと思わせる力を持っている言葉であった。何の迷いもなく言い切られた言葉に、いっそ、痛快な気分にすらなってしまう。

 

「まさか、マスターの父親の為に戦うと言い切るとはね。流石は英雄様。驚かしてくれる」

「とは言え、驚くほどに耳障りの良い言葉です」

「このまま味方になってくれるのなら、我らとしても地味にありがたいのだが。そう言う訳にもいかないだろうな」

「マスターが聞けば、喜ぶと思うんだゾ」

 

 四機の自動人形が再び立ち上がり、四騎士の剣を再展開する。斬り落とされた腕が光に包まれ、再びその腕で刃を構える。四騎士の剣が、剣聖の剣に向けられる。風が流れている。

 

「さて、どれ位戦えるのか」

『どれだけでも。それこそ、あなたが望むだけ戦わせてあげるわ』

「それは有難いな。礼を言うぞ、フィーネ」

 

 ぽつりと零された呟きに、始まりの巫女は答えていた。その言葉に礼を言うユキの言葉に、フィーネは胸を打たれていた。戦いを前にした男の言葉には真実が宿っている。その言葉は、本心から始まりの巫女に感謝を述べているのだと、痛いほど解ってしまうからこそ胸を衝く。どれだけでも戦えると言えば、本当にどれだけでも戦って見せるつもりなのだろう。その想いが、もの悲しくて仕方がない。

 

「――自動錬金」

 

 剣聖は、託された想いの宿った腕を稼働させる。エルフナインは、キャロルを止めて欲しいと言っていた。キャロルは、父親は何故殺されねばならなかったのかと涙を零していた。自動人形たちは、『英雄』と呼ばれる存在に固執していた。それは、守りたい、或いは無くしたくない大切なものがあったという事なのだろう。ならば、負ける訳にはいかなかった。想いを託され、相手の気持ちも解ってしまうからこそ、こんな所で死ぬわけにはいかない。助けてくれる『英雄』を望んだ者達が居る限り、仮にもそう呼ばれた自分は此処で倒れる訳にはいかなかった。

 

「エルフナインは言っていたよ。キャロルを止めて欲しいとな。世界を壊すなんて間違っていると」

 

 右腕が命の輝きを放つ。英雄は、誰かの想いを受け止める限り何度でも立ち上がる。笑みを浮かべた。活殺自在の剣。己が少女に教えた事を偽りとしない為、忌避していたものを抜き放つ。力とは、使い手の在り方次第である。己に、そう言い聞かせた。

 

『たくッ。あんたは直ぐに死にかけるんだから、ある意味翼以上に心配だよ。文字通り、おちおち死んでもいられない。見てるこっちの身にもなってくれ』

『ずっと、お礼を言いたかったんです。私の大切なものを守ってくれてありがとうって』

 

 死者たちがそんな剣聖の姿を見詰め、声を送っていた。死して尚、誰かの為に戦っている。その尊い想いを受け止め力と変える。少女たちは、誰かの為に命を燃やし尽くしていた。だからこそ、剣聖の在り方が良く解ってしまう。誰かの為にと戦う姿に、死んでほしくないと思ってしまう。

 

「託されたものがある。それがある限り、俺はまだ戦える。まだ、立ち上がれる」

 

 そして、前を見据えた。自動人形の傍らに、一人の男の姿が見える。その姿に、剣聖はああ、そうかと思い当たった。男はただ、ユキの方を黙って見詰めると、一度頭を下げた。それで、上泉之景には充分であった。

 剣聖の剣と四騎士の剣がぶつかり合う。先程までを遥かに越えた意志を宿し、剣聖は刃を振るい笑みを浮かべた。負けられない理由が増えている。ならば、負ける訳にはいかない。

 

「なら、戦って見せてよッ!」

 

 そして自動人形は迎え撃つ。剣聖の剣は再び命を灯し、戦場を駆け抜ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この辺りか」

「はい。本部からの送られる反応はこの辺りから出ています。突如観測された絶唱クラスのフォニックゲイン。一体、何が起こって……」

 

 本部より観測された高密度のフォニックゲインの観測地点。その近くに辿り着いた緒川とマリアは、お互いの顔を見合わせる。不測の状況が続いていた。黒金の自動人形襲来と同時期に起こった唐突な現象。そして、アガートラームがそのフォニックゲインに反応を示していた。何かがある。それだけは解った。緒川が周囲の安全を確保しながら、少しづつ目的の場所に近付いていく。マリアはリンカーを手にしている。だが、そのリンカーも、天羽奏ように作られたものであり、マリア用に調整されたものでは無かった。迂闊な使用は、体に悪影響を及ばしかねない為、ギリギリの所まで温存していたと言う訳であった。

 

「この音は」

「斬撃音です。つまり……ッ」

 

 不意に金属同士のぶつかり合う音が耳に届く。その時には既に緒川が動いていた。一瞬で、周囲の安全を確保すると、一気にマリアを連れて移動。即座に、戦いが行われている場所に辿り着く。眼前では、四機の自動人形と、剣聖の戦いが繰り広げられている。数える事を放棄してしまうような飛翔剣の嵐。純白の外装を纏い、各々の属性に対応した色を持つ剣を持つ自動人形。その全ての攻撃を往なし、圧倒的攻勢の中に身を置きながら、何故か自動人形を圧倒している剣聖の姿があった。

 

「一体なにがッ。けど、援護しなければ」

 

 余りの光景にマリアは一瞬息を呑むが、たった一人で戦いを続ける剣聖の姿に手にしたリンカーを己に打ち込む。そして、聖詠を唱えた。

 

「――Seilien coffin airget-lamh tron」

 

 高められていたフォニックゲインが、マリアの歌に共鳴するようにその力を輝かせる。歌の力が全身を覆い、銀色の外装を纏わせる。フロンティア事変の最期に纏ったシンフォギア。妹のセレナが残してくれ、母であるナスターシャに託され、新た仲間であるエルフナインが作り上げた新しいマリアの力だった。銀色の輝きを纏い、マリアは戦場に降り立つ。そして、加勢する為にアームドギアを作り出す。

 

「チッ。外れ装者が着たかッ!」

 

 そして、交戦中の自動人形たちがその姿に気付いた。響を襲った時、邪魔をされたガリィが吐き捨てるように呟いた。だが、迎え撃つ剣聖に意識が集中していた為、隙を突くには十分だった。アガートラームの武器である蛇腹剣を構えたところで、マリアはすさまじい衝撃で吹き飛ばされた。

 

「――うあああ!?」

「マリアさんッ!」

 

 踏み込もうとしたところで、吹き飛ばされたマリアに緒川が何とか追い付き受け止める。一体何がと、受け止まられたマリアは自分を弾き飛ばしたものへと視線を向ける。

 

「来るなッ!」

 

 マリアは弾き飛ばしたのは、あろう事か剣聖の刃であった。遠距離に飛ばす事の出来る斬撃。遠当て。それを一切の遠慮なく用い、マリアを吹き飛ばしていた。一瞬状況が理解できずにいると、聞いた事もない剣聖の叫びが届いた。

 

「毒ッ!!」

 

 その一言で、マリアが理解する前に緒川が動く。風の流れを読み、同時に己とマリアに布を取り出し押し当てながら風上に移動を始めた。

 

「ああ、そう言う事。心配しなくても、こんな毒はあんたにしか使わないわよ。英雄を殺す為にしか、こんな力は必要ないの。それに、これはあんた以外は殺せない。そもそも、あんたを殺す為だけに調整したものだから、あんた以外には効かないもの」

「敵の言う事を信じろと?」

「別に、あたし的にはどっちでも良いんですけどね~。とは言え、此方の動きに気付いたという事は、潮時か」

 

 交戦を行っていた自動人形たちが、動きを止める。それに対峙するような形で、剣聖は刃を止めた。辿り着いた緒川とマリアの姿を認め、ガリィは深い笑みを浮かべた。

 

「良かったわね、外れ装者。英雄様は、あんたが毒にやられないように気遣ってくれたのよ」

「毒、ですって!?」

「そうよ。錬金術の一つの到達点。終わらない蛇の毒。覚えておくと良いわよ。エルフナインならば、それがどういうものかきちんと説明してくれるだろうから」

 

 自動人形たちは、戦いはもう終わりだという様に四騎士の剣を解除する。そして、近付きたくても近付く事が出来ない二人にそんな言葉を届ける。

 

「英雄を殺す為に作り上げた、英雄だけしか殺せない毒よ。だから、そこに居る英雄様以外には感染する事などありえないわ」

 

 そして、各々が懐からテレポートジェムを取り出すと、戦っていた英雄を見詰める。

 

「残念だけど、此処で終わりね。英雄は確かに奇跡を起こして見せた。それは素直に称賛させてもらうわ」

 

 結晶が地で割れ、その姿を覆う。

 

「じゃあ、奇跡が続いていたらまた会いましょう。英雄さん」

 

 そして自動人形はあっさりと姿を消した。存在感が消え、自動人形のエネルギーの反応も途絶える。本当に何の躊躇も無く、人形たちは撤退していた。

 

「――」

 

 その姿を見詰めていた剣聖は静かに天を仰ぐ。戦いは終わっていた。だが、異様な空気が流れていた。

 

「なにが……?」

「終わったよ。戦いは、終わったんだ」

 

 何とか出されたマリアの問い。それに、ユキはただ静かに笑った。その口許から、赤いものが一筋流れ落ちた。

 




フィーネ、暴れる。その途中で、武門の本質を理解する
武門、活殺自在の境地に到達
自動人形、撤退
マリア、武門と合流

奇跡により再び立ち上がり、自動人形を撃退。
ただし、奇跡が起こせたのは自動人形の撃退のみ

次回ぐらいに久々のクリスちゃん回が


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16.終わらない蛇の毒

「……記憶の再インストールを行う」

 

 錬金術師の拠点。黒金に抱かれその場に辿り着いたキャロルは、その場に集結していた自動人形たちに告げた。計画に則り行動し、大部分の記憶は焼け落ちていた。それでも血刃によって錬金術と、記憶が燃やされる炎が斬り落とされ、記憶の全てが消えた訳では無いが戦力としては随分と劣化したと言わざる得なかった。錬金術師の元々の計画からは幾らかずれてしまってはいたが、修正できない程では無い。抱きかかえさせていた黒金に己の身を降ろさせると、四機の自動人形に負った傷の再生の為に錬金術を用いさせた。毒というのは薬と紙一重である。特定の対象を殺すような毒を作るのに比べれば、万人の治癒能力を促進させる薬を作る事はそれほど難しいものでは無かった。傷付いた身体と、記憶の修復。本来ならば身体ごと破棄する予定だったそれを、残り少ない予備躯体の温存が出来たのだと良い方向に考える。想定外な事態こそ起こりはしたが、錬金術師にとって不利な事は起こっていないと言える。ならば、焦るような段階では無い。ただ、少しだけ気になってしまう。

 

「お前は、何を考えている?」

「――」

 

 己を抱きかかえさせていた黒金に向き直ると、キャロルはそんな言葉を投げかける。その言葉に、黒金の自動人形はただじっと見つめる事で答えた。会話などできはしない。だが、黒金は言葉の意味は理解している。己の中で考えることを禁じてはいない。だから、動いたという事なのだろう。

 キャロルが黒金に与えている命令は一つだけである。主である錬金術師である自分と、四機の自動人形。黒金から見たら、上位存在に当たる者からの命令の完遂だった。だから、黒金はフロンティア事変の折にはウェル博士の命令を聞いたのである。博士に接触を図った際、ウェル博士を一時的に上位存在の中に組み入れたからだった。とは言えそれは一時的な例外である。本来は、錬金術師の周りの存在の命令を聞く事が、黒金に出されている指示であった。故に、黒金は指示を出された事を忠実に実行するが、指示されていない事はしない筈だった。何せ、黒金にはキャロルに従う義務はあるが義理は無い。その筈だった。英雄の軌跡である黒金にとって、ある意味キャロルは自分の育ての親と戦わせている仇敵の様なものでもある。だからこそ、何故黒金が動いたのか正確な理由は解らない。ただ、英雄の軌跡が動かしたのだという事だけは解った。

 

「英雄は、毒に塗れましたよ」

「そうか」

 

 ガリィの報告にただ頷く。終わらない蛇の毒。用いられたのは、錬金術の到達点の一つだった。神すらも殺したという毒の模倣。かつて存在した偉大な錬金術師が辿り着いた研鑽の果て。錬金術師のキャロルをして、本当に神を殺す事が出来たのかまでは解らないが、一つだけ解る事があった。その毒に侵されたら最後、生き物であれば、絶対に死に至るという事だった。瞑目する。こんな終わらせ方で本当に良かったのかという想いだけが過った。思えば、英雄はキャロルを否定したのでは無かった。その歩む道程を否定しただけであった。まだ止まれると、そう告げていたのである。それが、ほんの少しだけ胸の中を燻る。

 英雄の軌跡である黒金が、まるで英雄であるかの如く奇跡を手繰り寄せていた。キャロルだからこそ解ってしまう。黒金は、別に装者を殺そうとしたのではない。血路を斬り拓くためだけに、その刃を振るっていた。その気になればイグナイトごと切り伏せられるのである。錬金術師の目的の事もある。その為か、まるで、剣聖のように手心を加えていた。

 

「……」

「マスター、どうかしました?」

「いや、何でもない」

 

 錬金術師は右手を軽く握る。キャロルならば兎も角、エルフナインには毒を癒す術はない。英雄の軌跡に、ただ守られてしまっていた。二つの事実が、胸の内にしこりのように残っていた。

 

「オレは暫く眠る事になる。計画の進行しておけ」

「はぁーい。一番乗り目指して、頑張りまーす☆」

 

 頭を振るい、錬金術師は自動人形に命令を下す。そして、自身は傷を癒しつつ、記憶の転写を行う為、拠点の中にある大型の装置の中に入り、姿を消した。

 

「……、想定外に次ぐ想定外。これも英雄の軌跡ってやつなのかしら、ね」

 

 そして、主が姿を消した事でガリィは黒金に向き直る。黒金は自動人形である。だけど、ガリィを含めた四機と違い、生粋の自動人形と言う訳でも無い。

 

「――」

「だんまりか。まぁ、そりゃそうよね。クロちゃんは、猫みたいに気ままに立ち振る舞う事が許されている」

 

 言葉を交わす事なない金眼に、青はワザとらしくため息を吐く。返事など最初から期待していない。

 

「まぁ、良いわ。マスターを守った事だけは、評価してあげる」

 

 そして、ガリィはそんな事を呟いた。主が死ぬ事で計画の一区切りがつく予定だった。その主の運命が、斬って落とされていた。想定外である。想定外であるが、自動人形としては好ましい想定外であったと言える。幾ら計画の一環とは言え、主が死ぬ事など望んではいない。その為、その一点についてだけは、ガリィは黒金を認めてやっても良いと思った。死ななくて済むならば、死なない方が良い。

 

「しかしまぁ、英雄の剣って言うのは何でもありね。まさか、本来の工程を斬り飛ばしちゃうなんてね」

 

 そして、青は黒金の小手に触れる。第二抜剣。血刃の力。その身に本物の血刃を受けた黒金だからこそ到達できた力だった。青は、じっと黒金を見詰める。黒金も、ただ青を見ていた。

 

「精々頑張って貰うわよ。あたしたちは、もう直ぐ退場するからね」

 

 そして、ふっと青は笑う。青が黒を認めた。ただ、それだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「毒って、大丈夫なのかよ!?」

 

 S.O.N.G.の保有する医療施設。その一室で、雪音クリスの声が響いていた。室内にはクリスを始め、響、マリア、弦十郎、エルフナインの五人が集まっていた。少女らとも関係が深い、ユキが自動人形に狙い撃たれたからである。

 翼と未来、切歌、調の四名は司令である弦十郎が席を外している事もあり、有事に備え本部で待機を行っていた。敵の首魁である錬金術師は撤退に追い込んでた。だが、自動人形はいまだ健在である。むしろ、結局はその掌の上で踊らされたという面が強い。翼もユキとは軽く無い繋がりを持っているが、響やクリスの動揺ぶりを見て、このような時であるから自分まで浮足立つわけにはいかないと、精神の均衡を保つ意味も込め、訓練室で訓練を行っている。ユキを発見したのはマリアである為、マリアが様子を見に赴き、マリアの妹分である切歌と調は翼と共に、本部待機を行う事にしたという事だった。エルフナインは病院に籠りっぱなしである。同時並行で壊された二つのシンフォギアの修復も行っているが、今回ばかりはエルフナインでなければ判断の下し様がなかった。

 毒とは言え、異端技術である錬金術である。同じ錬金術師でなければ、対処のしようもなかった。そして、それができるのは、S.O.N.G.と一課を見渡してみても、エルフナイン以外にあり得ない。

 

「楽とは言えないが、大きな問題はないよ」

「無理しないでください……」

 

 妹分の言葉に、横になっていたユキは上体を起こす。流れ落ちる血液は止っている。だが、その顔色はお世辞にも良いとは言えない。それでも、当然のようにユキは問題ないと告げる。その姿に、言葉を掛けられたクリスは勿論、じっと見ていた響も無理したら駄目ですと、窘めるように見つめる。

 

「正直言うと、あまり良い状況とは言えません」

 

 そんな二人の様子を見詰め、エルフナインは心苦しそうに言葉を発する。

 

「之景さんの受けた毒は、之景さんそのものを用いて行われる錬金術と言えます。今はネフシュタンの腕輪による再生能力で拮抗している為どうにかなっていますが、その均衡が失われてしまうとどうなるか分かりません」

「何とか、治せないのかよ」

「すみません。ボクの持つ錬金知識では、今すぐに対処する事は難しいです」

「そんな……」

 

 ユキの状態ははっきり言って良くない。終わらない蛇の毒による破壊を、ネフシュタンの欠片が再生させる事で均衡を得ている状態である。そして、本質が錬金術である為、通常の医学では有効的な対処を行う事が出来ず、かといって、エルフナインが与えられた錬金術の知識でもどうしようもなかった。

 

「とは言えそれも、今のままで、ならだ」

「え……?」

 

 そんな少女たちの様子を見詰めていた弦十郎は、言葉を続ける。ユキがいる場所は異端技術が扱われる場の最先端である。蓄積された情報は膨大であり、その中には錬金術に関わるものもない訳では無かった。S.O.N.G.の人間も総動員する心算であると、弦十郎は告げる。

 

「S.O.N.G.の医療スタッフとて無能ではない。響君の時も、そうだっただろう?」

「あ……ッ。はい。私も、良くしてもらいました」

「融合症例第一号、か。確かに、あなたもフロンティア事変の時に……」

 

 響もまた、聖遺物に蝕まれた事があった。その時も、当時二課だった医療スタッフが全力を尽くし原因究明に当たった。今回も同じ事を行い、必ず対処法を見つけて見せると、弦十郎は不安げな二人の少女の頭を軽く撫でる。

 

「なに、そう簡単にやられはしないよ。根本的な解決にはならないが、いざとなれば、斬って捨てるだけだ」

「斬って?」

「ああ。一時的にならば、血刃で無効化する事は出来る。とは言え、斬り落としても再び蘇るらしくてな。難儀なものを嗾けられたものだよ」

 

 その言葉にマリアは得心がいく。マリアが見たユキは、毒に侵されながらも平然と戦闘を続行していた。その理由が解った事で、ある程度は状況の整理が出来たと言う訳である。とは言え、毒を斬って捨てると言うのは、何とも非常識なものだとも思ってしまう。それでも、この人ならばやってのけても不思議はないと同時に思う。何せ、マリアはフロンティア事変の際、セレナの姿を見ていた。あの時も血刃を振るっている。常識を覆す、強さを目の当たりにしていた。だからこそ、あり得ないと思いつつも、本当に成してしまえても不思議はないと思ってしまう。

 

「今は無理でも、何時かならば治せるかもしれないだろう?」

「それは……。でも」

「大丈夫だ。S.O.N.G.を、仲間を信じると良い。今の君が無理だとしても、明日の君ならばできるかもしれない。仲間たちが助けてくれる。ならば、俺はその明日が来るまで生き延びれば良いだけだ。大して難しい事でも無い」

 

 そして、今すぐには直せなかったとしても、出来る限り早く方法を見つけてくれればいいとユキは笑う。

 

「あたしからも頼むよ。この人を治せるのは、お前だけなんだ」

「私からもお願い。ユキさんは何度も私を、私達を助けてくれた。守ってくれた。私にできる事だったら、何でも手伝うから、お願いエルフナインちゃん。誰かを生かす事を諦めないで」

 

 そして、二人の少女はエルフナインに頭を下げる。錬金術が原因だと言うのなら、響にもクリスにもできる事は無い。だとしても、何かをしたいのである。その何かを見つけられるとしたら、エルフナイン以外にあり得ない。

 

「……歌を、歌ってあげてください」

 

 そして、その熱意に押され、エルフナインも覚悟を決める。はっきり言って、エルフナインには無理である。それは何より、自分自身が一番よく知っている。そうだとしても、死なせたくはない。そう思ってしまう。

 ユキに、英雄に毒を盛ったのは自動人形である。言うならば、その主であるキャロルが行ったと言える。そして、その原因は、エルフナインがS.O.N.G.に助けを求めたからだ。そして、その想いを受け止め、キャロルを止める為に戦っていた。そこまでしてくれている人たちに、自分も何かをしてあげたい。こんな形で死んでほしくない。エルフナインがそう思うのは当然の事であった。

 

「歌を……?」

「はい。ネフシュタンの欠片は、何らかの理由により発生したフォニックゲインにより、今は強く稼働しています。それがあるから、之景さんは比較的良好な状態なんです。つまり」

「あたしたちの歌が、フォニックゲインを高められると、それだけこの人が楽になるって事だな?」

「はい」

「それなら、お安い御用だよ」

 

 歌によりフォニックゲインは高められる。ならば、出来る限りフォニックゲインが高められれば、それだけネフシュタンの力が勝るという事である。今すぐ有効な対策を取る事は出来は無しない。だけど、自分達にもできる事がある。その事実に、クリスと響の表情が幾らか明るくなる。

 

「できる限り、気持ちを込めて歌ってあげてください。それが一番のお薬です」

「気持ちを込めて……」

「あれ? クリスちゃん、もしかして恥ずかしいの」

「んなッ。ば、いきなり何言ってんだよ!」

 

 気持ちを込めて歌う。エルフナインから言われた言葉に、クリスが少しばかり考え込む。その様子を見て、響が意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「でも、どうしてあの時フォニックゲインが?」

「ああ、それはだな。歌が聞こえからだよ」

「歌が? でも、あの場に歌える人間なんて」

 

 ユキの言葉に、マリアが不思議そうに頭を捻る。その姿にそれはそうかとユキは笑う。あの時は、あるはずが無い事が起こっていた。それこそ、奇跡だと言える。

 

「君の妹は何という名前だったか?」

「え? セレナ。セレナ・カデンツァヴナ・イヴよ」

「その、セレナが歌ってくれたよ。そしてもう一人、翼の親友であった天羽奏もな」

「そんな事が……」

「信じられないか? 死者は見てくれている、そういう事なのだろう」

 

 驚きに染まるマリアに、ユキはただ笑う。死ねば終わりである。だけど、死者は見てくれている。そう思えるならば、その方が良い。

 

「いや、信じるわ。あなたは、一度私とセレナを引き合わせてくれている」

「そうか」

 

 目を見て告げるマリアの言葉に、ユキはただ頷く。それから、幾らか持ち直した響とクリスを見詰めていた。

 

「どうぞ」

 

 不意に扉がノックされる。その音に、全員が視線を向けた。ユキが、どうぞと入室を促す。

 

「失礼する」

「八紘兄貴ッ!?」

 

 そして、思いもよらない人物が現れた事に風鳴弦十郎が目を見開く。その姿に、マリアを含めた四人の少女はこの人がと、名前だけは聞いた事があった人物をじっと見つめる。

 

「随分と久しぶりだ」

「これは風鳴の現当主殿。お久しぶりです。このような姿で迎えることをお許しいただきたい」

「ああ。此方こそ急に訪ってしまった。最後にあったのは何時だったか」

 

 唐突の訪問者に幾らか意外そうな顔をしつつも、ユキは応じる。馴染みではある。風鳴と上泉の関係が悪化する前までは、何度かあった事があったからだ。上泉は剣聖の血筋である。その力には、風鳴の本家筋も一目を置いてはいたのである。家同士はどうであれ、八紘の事はそれ程嫌っていない。ユキの父親も、八紘の事は嫌っていなかったからだ。不器用同士、通じるものがあるのかもしれない。

 

「上泉の剣が異端技術に侵されたと聞いてな。此方にも原因の一端はあるようだ。申請の件、直接伝えに来た」 

「……ッ。そう言う事か」

 

 八紘の言葉に、弦十郎は思い至る。ユキはS.O.N.G.所属では無い。だが、今回の件はS.O.N.G.でなければ、エルフナインでなければ対処できない問題だった。その為、弦十郎から一課に直接打診をかけたと言う訳である。

 

「鎌倉を通じて一課より、上泉之景に辞令が下った。本日付けを以て、一課よりS.O.N.G.へ転属とし、今起こっている錬金術師が原因の超常災害への対策を命じる。また、S.O.N.G.及び、一課の持つ異端技術を、本件に限り、無期限の使用許可が下りる事も決定している。使用した異端技術の観測データを、一課にも提供するという条件は付くが」

「なん……だと……ッ!?」

 

 続けられた言葉に、弦十郎が思わず声を発する。ユキはその言葉を聞き、ただ瞳を閉じる。

 

「それって!?」

「つまり、どう言う事なんですか?」

「之景がS.O.N.G.に戻ってくるってことよ」

「本当ですかッ!?」

 

 その言葉の意味にクリスが驚きに表情を変え、響がマリアに尋ねる。そして、その言葉の意味を分かり易くかみ砕いて教えると、響は嬉しそうに表情を綻ばせる。

 

「本気なのか?」

「ああ。そういう事になる。敵の陽動に乗せられ、後手に回り続けている。自動人形という強敵を抱える以上、シンフォギアとて万全とはいくまい。協議の結果、実を取る事にしたという事になる」

 

 弦十郎の問いに、八紘は頷く。歌を斬って捨てる英雄の剣と言うものがある以上、シンフォギアでは対処しきれないだろう。ならば、一時的にでも対処できる存在を回さざる得ないという事だった。

 

「なら、これからは前みたいに一緒に居られるんですね?」

「そういう事になる」

「……良かった」

 

 響の言葉に頷く八紘の姿に、クリスは小さく胸を降ろす。心配事は絶えない。だけど、依然と同じ距離感に戻れると思うと、心の底からホッとしていた。

 

「うう……未来や、翼さんにも早く教えてあげたいよぉ」

「仕方ないだろ、後にしろ」

「……」

「いや、話す事はまだあるが、此処からは大人の話になる。響君だけ返すと言うのもアレだからな、クリス君も一緒に行くと良い。聞いて楽しい話でもないからな」

 

 そわそわした響の様子に、クリスが呆れたようにため息を吐く。その姿に弦十郎は軽く笑みを浮かべ、気持ちが他に向いている二人に行っても良いぞと促す。結局二人は視線を合わせると、病室を一度出る。

 

「行ったか……」

 

 弦十郎がその姿を見届けると、呟いた。エルフナインは錬金術師であり、マリアはユキの発見者という事で、もう少し話を聞きたいという形で残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、弦十郎はいきなり八紘の襟首に掴みかかる。

 

「本気で言っているのかッ!?」

「風鳴司令!?」

 

 そんな弦十郎の行動に、思わずマリアが止めに入る。 

 

「いや、良い。弦が憤るのも無理はないのだ」

 

 その行動を、掴みかかられている張本人が制した。二人は兄弟である。どういう行動に出るかは、わかっていたのだ。故に、二人は理解しているのである。風鳴は何を言いたくて、それを聞いた弦十郎が何故このような行動に出たのか、互いに解っている。

 

「俺はそんな申請をしていない。鎌倉には上泉之景の現状を正しく報告し、とても戦える状態では無いと伝えた。同時に無期限の療養を申請したはずだッ!! それが何故、最前線に送られるッ!! 何故、これ程血を流した人間が、このように扱われるッ!?」 

 

 弦十郎は静かに、だが、胸を突き動かす衝動を兄に向かいぶつける。傍に居るマリアをして、びりびりとした圧力を感じるが、それでも八紘は静かに弦十郎を見詰めた。

 

「風鳴は、上泉之景本人は高く評価している」

「ならば」

「ならばこそ、その命を無駄にしたくないのだ。そう、考えられている」

 

 弦十郎の言葉に、八紘は鎌倉の、風鳴の意向を続ける。武門上泉との対立は兎も角とし、上泉之景の示し続けて来た武は高く評価されていた。異端技術を、研鑽で凌駕するその力。打ち払う脅威を正面から薙ぎ払う武門の技は、風鳴から見ても破格だった。そして、弱き者を守る為にその力は振るわれている。国を守護する力として、その在り方は模範であると言える。しがらみを全て除けば、上泉之景の示してきた力は、ある意味風鳴の理想であると言える。鍛え上げられた技だけで、異端技術すら凌駕しているのである。それも当然だと言える。

 

「だから戦えと。異端技術を使い尽くせと、そう言うのか? それが、人の言う事なのか? 特異災害から何度も守ってきた人間に、守られた人間は、そんな言葉を投げかけるのか?」

 

 それに対し、弦十郎は怒りを露にする事しかできない。ユキを心配する少女達には言う事が出来なかった事。ユキの受けた毒は、異端技術である。今は痛みを斬り落としているからユキは平然としてるに過ぎない。その身体の中では、死と再生が繰り返されている。例えるならそれは、体内から溶かされている。或いは、身体を常時引き千切られている様なものである。その苦痛は、武門であっても容易に耐えきれるものでは無い。その為、血刃で痛みその物を斬り落とし、強制的に沈痛しているに過ぎない。ネフシュタンの再生能力があるとは言え、その身体はとても万全とは言い難い。あの上泉之景が、沈痛の為に血刃を用いている。それだけで、どれほどの苦痛なのか弦十郎には察する事が出来てしまう。常人には耐えられないものだろう。

 

「臥して往生するのは武門の望むところでは無いだろう。全霊で戦える場を用意してやる事こそ手向けなのだ。そう、言われた」

「確かに」

 

 絞り出すように告げられた言葉に、他の誰でも無く、上泉之景は目を閉じたまま小さく頷く。つまり、風鳴本家はこう言っているのである。

 

「ユキ!?」

「俺は武門ですよ司令。戦いに生き、戦いに終わる。それが武門なのです。全力で戦える場を用意してくれると言うのならば、それ以上に欲しいものはありません。この手は何かを守る為に鍛え上げました。戦いの果てに潰えるのなら、それ以上の終わりはない。示したものを、誰かが活かしてくれるのならば、それ以上は無い」

 

 どうせ治らぬ病に侵されたと言うのならば。治せる見込みがないと言うのならば。

 何処かの誰かを守る為に、英雄と呼ばれるほどの高みに辿り着いてしまったのならば。

 その手に持つ技を。その手にした異端技術を。その身に宿す全ての意志を。

 戦って戦って戦い抜いて、全てを守る為に捧げた果てに。

 英雄として見事に死ね。そう言っているのである。

 その全てを理解し、英雄と呼ばれた人間は小さく笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「歌ってくれるのか?」

「うん。あんただから聞いて欲しい」

 

 S.O.N.G.への転属の処理も終わり、ユキは自室に戻っていた。その身は毒に侵されている。だが、今はまだネフシュタンに残された力が多い為、動けない事は無かった。そして、医務室に居ても何かを為せる事は無い。何よりも、本人の希望で自室に戻っていた。留守番をしていた黒猫を抱き、寝台に座る。黒猫が、何かを察したのか、どこか悲し気に金色の瞳を向けて来る。その身体を撫でながら、ユキは付き添いに来たクリスの言葉に返事をする。

 

「あたしの話を聞いてくれた。あたしと対等に接してくれた。あたしの居場所を作ってくれるって、そう言ってくれたあんただから聞いて欲しいんだ」

 

 クリスはユキの瞳を見詰め、ゆっくりと胸の内にある想いを吐き出していく。

 

「思えば、あんたがソイツを拾って、あたしを助けてくれたのが始まりだったな」

 

 ユキが抱く黒猫を見詰め、クリスは懐かしそうに目を細める。出会いは偶然だった。だけど、その出会いが、雪音クリスを変えたのだと、クリスは告げる。

 

「あたしには夢がある。パパとママから受け継いだ、歌で世界を平和にしたいっていう夢が。だけど、その方法が解らなかった。ううん。今もまだわからない。だけど、だけどな」

 

 他人を信じられなくなり、差し伸べられた手を取る事が出来なかった。そんな時に出会い、その言葉と姿に大切なものを教えて貰った気がする。大切な友達が出来、大切な想いを受け継いでいた。夢。クリスには夢があった。パパとママから受け継いだ、世界を歌で平和にすると言う途方もない夢がある。

 

「あたしにも、叶えたい夢が解ったんだ。歌で世界を平和にしたい。それは、あたしが受け継いだものだけど、その中であたしだけの夢も出来た。大切な人に、歌で気持ちを届けたい。素直な気持ちを、届けられるようになりたい」

 

 それは雪音クリスが、大切な者達の中で生きるうちに抱く事が出来た、自分だけの夢。友達は大切な事を教えてくれた。間違えたとしても、人は手を繋げると教えてくれた。大人を信じられなくなった自分を、大人は誠実な言葉で大切な事を教えてくれた。両親は、自分を愛していたからこそ、夢は叶うと示そうとしていたと教えてくれた。大切な人は教えてくれた。居場所が無いなんてことはないと、無ければ作ってくれると、抱きしめてくれた。過ちを犯した手でも、守れる物があると教えてくれた。

 

「あの馬鹿や、先輩。後輩たちやおっさん。そして、あんたが教えてくれた。大切な事を、教えてくれた」

 

 だから雪音クリスは歌を歌う。己の言葉で素直な気持ちを表すのは、未だにできそうにはない。だけど、歌ならば。パパとママから受け継いだ、歌であるならば素直な気持ちを伝えられるような気がしたから。だから、雪音クリスは大切なものの為に歌を歌う。

 

「だからね、あんたには一番最初に聞いて欲しいんだ。何処かの誰かの為に歌う前に、ずっと守ってくれたあんたに聞いて欲しい」

 

 そして、雪音クリスはゆっくりと歌を口遊む。心を込めて、想いを込めて。誰かの為に歌われる歌。それは、強い想いが宿っている。強いフォニックゲインが宿る。そう信じて歌を歌う。

 出会いの歌を歌う。初めて出会った時の事が思い起こされる。信じる事が出来ず、素直になどなれる訳がなかった。

 喜びの歌を歌う。一人だった自分に、大切な友達が出来ていた。大切な仲間が出来ていた。少しずつ、周りに人が増えて行き、素直にはなれなかったけど、心の底から嬉しかったのを覚えている。

 悲哀の歌を歌う。自分は罪を犯していた。幸せだからこそ、その罪の重さに耐えきれなくなり、一人先走り暴走してしまっていた。それでも、助けてくれていた。守ってくれていた。

 親愛の歌を歌う。何時も気に掛けてくれていた。共に戦える事は少なかったけど、それでも見てくれていた。思えば、それが嬉しくも恥ずかしかった。だから、素直になれなかったのだと思う。

 

「いい歌、だな」

「そっか……」

 

 ただ歌声に耳を傾けていたユキは、目を閉じたままぽつりと呟く。たった一言。だけど、クリスにはその一言だけが宝物のように大切なものに思えてしまう。何故か、目頭が熱くなる。

 

「できるかな。歌で世界を平和にできるかな。誰かに、素直な気持ちを届けられる歌が歌えるかな?」

 

 だから、そんな気持ちを隠すように雪音クリスは問う。

 

「難しいな。難しい筈だが、出来るような気はする。それ位、俺にとっては良い歌だった」

「――ッ!?」

 

 閉じていた瞳が開かれ、クリスを見詰めそんな言葉が伝えられる。嬉しくて、恥ずかしくて、それ以上にそんな言葉が愛おしくて、頬が赤く染まるのが自覚できてしまう。

 

「眠るよ。良い歌を歌って貰えた。良く、眠れそうだ」

「うん。家の事はあたしがやっておくから、ゆっくりしてくれ」

 

 そして、ユキはそのまま眠りにつく。その姿に、身体の調子は良くないのだといやでも解ってしまう。電灯を消し、寝室を後にする。そのまま夕食の後片付けなどを行ない、必要な事を済ませてからお風呂に入る。自分の身体を綺麗にすると、一息ついた。気付けば、時間は随分と経っていた。既に寝静まっているんだろうなと思いを馳せる。そのまま家の戸締りを終えると電気を消す。

 

「――」

 

 そのままゆっくりと寝室に向かうと、静かな息遣いが耳に届く。静かだが、少し荒い呼吸に耳を澄ませる。

 

「……解ってるんだからな。あたしたちに、本当の事は教えてくれないって」

 

 そして、豆電球だけを付けユキの傍に座る。クリスは解っているのだ。ユキはどれだけ辛くても、自分には弱いところを見せようとはしない。例え本当に死ぬほどの怪我を負ったとしても、安心させる為に笑って見せる。フロンティア事変の折に、痛いほど切実に突き付けていた。だから、クリスはユキの事を信用しない。他の事では全幅の信頼を置いているが、少なくとも弱みになり得る事については信用しない事にしている。

 

「あんたが無理をしてるって、解ってるんだからなッ」

 

 だって、上泉之景は雪音クリスを助ける為に文字通り致命傷を負ったから。あの時は、ネフシュタンがあったからどうにかなったけど、次も同じとは限らない。だから、こういう事に限ってはユキの言葉など信じない事にしている。大切だからこそ、守られて裏切られるのは嫌だった。だから、クリスは自分の目で見た事しか信用しない。そして、クリスの見たエルフナインの顔は今にも泣きそうだった。ユキは嘘を吐き通すかもしれないが、エルフナインには無理である。

 

「辛いなら、辛いって言ってくれよ。少しぐらい、頼ってくれた方が嬉しいよ」

 

 そして、クリスはユキの傍で泣きそうな声で呟く。眠ってすら、ユキは表情を歪めはしない。だけど、汗が浮き出してきている。血刃で斬れるものは一時的なものである。故に、暫く眠ると効果がきれると言う訳であった。それでも、表情に出さないのはすさまじい意志の力だと言える。そして、そんな大切な人の在り方が少しだけ気に入らなくて、少女は言葉にならない想いを抱える。

 

「馬鹿。大人はやっぱり、信用ならないよ……」

 

 そして、悲し気に呟き。歌を歌う。一つだけ、本人が起きている時に歌えなかった歌。大切な人に、伝えたいけど伝えるのが恥ずかしくて未だに踏み切れなかった想い。

 雪音クリスは、初恋の歌を歌う。大切な人は何度も自分を守ってくれた。傍に居てくれていた。優しい時も厳しい時もあったけど、それでも、大切な人に惹かれてしまっていた。自覚した自分の想いを、伝えたいけど伝えられない想いを歌に乗せ、少女は思いを届ける。

 

「死んじゃ嫌だよ。死なないでよ。折角、あたしの居場所を見つけたのに、もう無くしたくないよ……」

 

 そして、想いを歌い終わったクリスは少しだけよくなった呼吸に胸を撫で下ろすも、直ぐに心配が胸に過る。このまま大切な人が居なくなると思うと、胸の奥が苦しくて堪らない。起こさないようにしつつ、寝台の中に潜り込む。そして、そっと寄り添う。それでも震えは止らない。怖かった。怖くて仕方がなかった。居なくなる。そう思うと、気持ちが抑えきれなかった。

 

「……血の味がする。……、あたし、最低だ」

 

 そして、胸の内に湧き上がった衝動のまま、雪音クリスは大切な人に短い口付けを交わす。舌先に感じた予想のしていなかった味に、一気に冷静さが顔を出す。それでも、傍を離れる事が出来なかった。

 

「助けてよ。フィーネ、この人を助けて……」

 

 少女の呟きに応えるものは無い。それでも夜は更けていく。白猫は、大切な人の傍で束の間の眠りにつく。

 

 

 




ガリィちゃん、黒金を認める
武門、S.O.N.G.に転属
風鳴、武門は後進に全てを託し戦いの果てに死ね
クリス、想いを伝える為に歌を歌う&ついやり過ぎちゃう



奏&セレナ、わーきゃー言いながらガン見


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17.研ぎ澄ませてきたもの





「海デスよ、海!」

 

 景色が流れていた。車内に元気な声が響き渡る。暁切歌。マリアの運転する車の中で、姦しい声が耳に届く。

 

「エルフナインは海に行った事あるの?」

「……傍を移動した事はありますが、今回のように落ち着いた時間を取って来た事はありませんね」

「なら、夏らしく海水浴がおすすめデスよ!!」

「うん。暑いから、冷たい海の水は気持ち良いよ。塩水だから、後が少し大変だけど」

 

 暁の声に合わせるように月読がエルフナインに問いかける。その言葉に、エルフナインは少しだけ考えるように間を開けると、殆どありませんねと首を振る。なら、目一杯楽しまなきゃいけないデスねっと、暁は泳ごうと誘いをかけ始めた。それに月読が賛同するように続ける。そんな二人の様子に、エルフナインは困ったような笑みを浮かべる。

 

「二人とも、一応は改修の終わったシンフォギアのテストと、自動人形との再戦に向けた特訓を兼ねているのだから、あんまり羽目を外しすぎないようにね」

「はーいデス」

 

 そんな三人の様子に、マリアが少し釘を刺すように言った。とは言え、彼女自身、夏だと言うのに二人を満足に遊びに連れて行けていない事に負い目を感じているのか、それ程しつこく言い募る気は無さそうだ。一応はと言った感じで告げると、助手席に座るこちらに一瞬視線を向ける。

 

「でも、あなたが此方の車に乗るとは少し予想外だったわね。響とクリス(あの二人)に誘われたのに、あっさり断るなんて思わなかったから」

「まぁ、そういう時もあるよ。あの子らとの付き合いは長いが、少々姦しいからな。偶には、親睦を深めるのも良いだろう?」

 

 マリアの言葉に一度頷く。一行は筑波にある異端技術研究機構に向かっていた。そこで調査結果の受領任務があるのだが、その折に簡単な慰安旅行も兼ねて、付近にある政府保有のビーチが解放されるという事だった。司令自身は特訓の為と言っていたが、何時も急な出動を課している為、機会があれば普段遊べない分を目一杯過ごして欲しいという想いもあるようだった。

 その移動の際、自分が敢えてマリアの運転する車に乗った事を少しだけ不思議に思っているのか、そんな事を聞いて来ていた。ちなみにもう一台は緒川が運転する車であり、響、翼、クリス、小日向が同乗していた。他にも藤尭などが先行している為、受領任務自体は勝手に進んで行く事だろうから、一行は直接海に向かっていた。

 

「それは確かに一理あるわね。だけど、その理由は方便でしょ?」

「と言うと?」

「あなたは無頓着に見えて、意外と人を見ているからね。五人乗りの車。そのうちの一人が緒川。その横には翼。逆に此方の運転手は私。なら、調と切歌が此方に乗るのも自然の流れ。そこまで決まれば、向こうの三人娘が一纏まりになるのも自然であり、そうすると、空きが一つ」

「響と小日向が一緒の方が自然であるからな。それに、俺としてもエルフナインが傍に居る方が都合が良いと言うのもあるよ。……どうにも、俺はあの子らの近くにい過ぎた気がしてな。君たちにだからこそ、話しておきたい事もある」

 

 此方に乗ったのには何か理由があるのだろうと問いかけるマリアに苦笑が浮かぶ。確かにあるが、それほど重要な事でも無かった。何だかんだ言って、暁や月読と接する機会が少なかった、というのも確かに理由の一つではある。軽く息を吐き、目を閉じる。抱きかかえているクロの熱を感じながら、言葉を続ける。

 

「言っておきたい事?」

「ああ。あの子らは強くなったよ。三対一とは言え、敵の首魁であるキャロル・マールス・ディーンハイムを圧倒するほどの強さだ。俺が思っているよりもずっと強い」

 

 自分が四機の自動人形と戦いを繰り広げていた間に、あの子らは一度キャロルを下していた。それは、彼女等もずっと強くなっているという事なのだろう。自らの意志で魔剣の呪縛を破り更なる強さを手に入れ、遂には錬金術師を下している。キャロルとは直接戦っていない為、四機の自動人形の強さとは比べる事は出来ないが、あの子らも最早自分が守らずとも言い程になっているという事だった。その事実が嬉しく思う反面、少しだけ寂しく思ってしまう。後を行く者達はやがて、前を行く者を越え更に先に進んでいくという事だった。

 

「確かにあの子達は強いわ。私なんかよりもずっと強い」

「そうでもない。君もまた、あの子らとは別種の強さを持ち合わせているよ」

「そんな事は……」

 

 あの子達は強いと告げると、マリアも同意し、自分などより遥かに強いと続ける。その言葉にこの娘はと少しだけ呆れてしまうが、仕方がない事だろうと思い直す。自分の事と言うのは意外に見えないものである。世界を守りたいと願い歌で世界を繋げた人間が弱いはずが無いのだが、それは自分がそう思えなければ意味の無い事でもあった。悩んでいるように言ったマリアに、それ以上いう事はせず、話を進める。

 

「とは言え、黒金の自動人形は別だ。アレはシンフォギアでは相手にできない。俺が戦わなければいけない相手だろう」

「血刃、ね」

「ああ」

 

 頷く。自身が血刃の使い手であるからこそ解ってしまう。シンフォギアでは自動人形の用いる血刃に勝つ事は不可能に近い。

 

「たしか、あたしと調が響さんと戦っていた時に乱入して使った技デスよね?」

「S2CAで束ねたフォニックゲインを斬り捨てた。博士に酷い事されたのもあの時だから、よく覚えてます。あの時はそれどころじゃなかったですけど、今考えて見ても、何が起こったのか良く解らない」

 

 血刃を以て、絶唱の力を斬り捨てた事もあった。フロンティア事変の際に起こった対峙であったが、その時に二人の目の前でも斬り裂いていた。

 

「血刃は目に見えない力を斬る事が出来る。フォニックゲインなどは、まさに斬る為に在るように思えるよ」

「目に見えないものを斬る……?」

「そんな事が出来るんデスか?」

 

 二人の驚きに、ただ頷く。事実は事実として、出来るとだけ告げれば十分だろう。確かに常識では考えられない事だが、そもそもシンフォギアが異端技術の代名詞である為、大きな問題にはならない。むしろ、黒金に斬られた事で、その領域に行きつけた自分の方がおかしいのかも知れないと一瞬思うが、今は重要な問題でも無いので棚上げする。

 

「シンフォギアで血刃を相手にするには、黒金に一度たりとも斬撃を放たせない以外に方法は無いだろう。そして、一度でも打たせればフォニックゲインが斬り捨てられ、解除に追い込まれる。君たちは生身でアレと戦い勝つ自信はあるか?」

「……。無理でしょうね。一度生身でファラと対峙した事があるけど、あの時の言動から今考えて見れても手を抜かれていたのが解るわ。シンフォギアなしで挑めば赤子の腕を捻るように容易く敗れると思うわ」

「だからシンフォギアで相手どるのは現実的では無い。単純な剣術の腕ならば、翼の方が上ではあるのだが、自動人形である以上、基本的な能力が人間とは違いすぎる」

「ちょ、ちょっと待って?」

 

 話を進めていると、唐突にマリアが声を上げる。それでも運転を誤らないのは流石である。

 

「黒金と翼では、翼の方が剣の腕は上なの?」 

「ああ。俺の見立てだがな。身体能力と武器が強すぎるから圧倒しているように見えるが、単純な技量では翼の方が遥かに上だろう。極端な話だが、黒金が血刃を使わなかったとすれば、翼の方が厄介な相手だろう」

「でも、キャロルが撤退するまでの間、圧倒されていましたよ?」

 

 こちらの言葉に、エルフナインがおずおずと問いかける。その言葉も映像を見ていたからこその疑問なのだろうが、直接刃を交わす戦闘の経験が少ないエルフナインでは、戦いの呼吸を上手く理解できていないのだろう。

 

「剣術だけならば翼が上と言うだけの話だよ。黒金の強さは剣術だけでは無い。アレの強さは自動人形の出力に物を言わせた人外の機動であり、人形故の変則的な剣筋であり、何よりも痛みを無視した思い切りの良さだよ。人間であるのならば、誘導弾を殴るなど考える事はあるかもしれないが実行はしない」

「それは、そうですが……」

「だが、あれにはそれが出来てしまう。己が為すべき事を理解しており、必要があれば押し通す事が出来てしまう。自分の為したい事が明確であり、破格の能力も持ち合わせている。だからこそ、迷いがなく強い」

 

 黒鉄の戦い方は映像として確認していた。自動制御されている飛翔剣に加え、血刃を人外の機動と稼働を以て実戦に組み入れている。確かに剣術だけを見れば翼の方が上であるが、戦いとはそれだけに決まる訳では無い。黒金の扱う剣は素直である。エルフナインが言うには血脈の剣を奪ったようであり、実際に相対してみても本物であると実感できる。だが、それだけである。剣士の用いる技。その域にまでは達していない。黒金の意志が僅かしか介在していないのも、手に取るようにわかった。文字通り何度も刃を重ねている。剣から技を見るのはそれほど難しくはない。だからこそ、断言できる。黒金は剣士としてはそれ程でもない。

 

「アレはまだ未熟者だよ」

「あの強さでデスか!?」

「流石にそれは、言い過ぎだと思いますけど」

 

 俺の言葉に暁が驚きを示し、月読は過小評価し過ぎなのでは無いかと問いかける。それに一度頷く。

 

「とは言え、あくまで剣術だけを見て言えば、だ。剣士としては二流でも、総合的な能力は戦士として一流の範疇に居る。強くなっているよ。アレは初めて会った時に比べれば、驚くほどの速さで成長している。それこそ、あの子らのように、ね」

 

 この場にいない三人娘の事を思い描きながら続ける。キャロルが言うには、そしてエルフナインが知る限りの情報になるが、黒金は英雄の軌跡であるらしい。自身が示してきた剣を元に強化が重ねられているのだとか。初めて対峙した時は、剣すら持ってはいなかった。それが、模倣とは言え、今は血脈の技を用いるまでに成長していた。その伸び幅は素直に驚嘆する。

 

「技とは、ただ同じように動けばいい訳では無いよ。マリアは俺が動き方を丁寧に教えれば、俺と同じ事が出来るか?」

「無理ね。少なくとも、私には鉄パイプで地面を斬るなんて芸当は出来ないわ。それも生身でなんて」

「だろうな。研鑽の果てに技は存在する。同じ動き、同じ力の入れ方をするだけでは、習得したとは言えんよ」

 

 即答したマリアに頷く。剣に限った話では無いが、技と言うのはただ同じ動きをすれば良いものでは無い。使い手が違えば技もまた幾らか変わる。動きに意思が加わり、それを己の中で昇華して初めて『技』は成るのである。故に、模倣だけが完成した黒金の技は、未だに『技』にはなり得ていない。黒金の意志が、乗り切れていない事が良く解る。

 

「とは言え、人形でありながら意志を示す。自動人形とは不思議なものだ。このまま経験を積み、己を乗せる事が出来るようになれば、果たして装者で止め得るのか」

 

 逆に言えば、意志さえ乗せれる様になれば黒金の技は完成するという事にもなり得る。黒金に足りない一番大きなものは、戦いその物である。動きは出来ている。つまり、意志が追いついていない。心技体の内、心が追いついていない。人形に心など存在するのかという疑問も浮かぶが、五機の自動人形を実際に相手にしてみると、人間以上に人間らしい瞬間すらあるのではないかと思えるほどだ。

 

「歌は斬って捨てられ、奇跡もまた斬られる」

「そんな事が……」

「できない、なんて楽観できないのも事実デスね」

 

 呟きに、月読と暁が考え込む。脅す気は無かったのだが、そうなっているのかもしれない。

 

「血刃にはソレが出来てしまう。他の誰でも無い、私たちの前で奇跡を起こして見せたあなただからこそ、その言葉は重たいわね……」

 

 マリアもまた、運転しながらではあるが神妙に呟いた。

 

「まぁ、あまり心配してくれるな。その為に俺がいる。黒金を相手にどうすれば良いのか、そしてキャロル・マールス・ディーンハイムを相手にどうすれば良いのかは考えているよ」

 

 少しばかり沈んだ空気にそんな事を告げていた。考えている。それこそ、以前言葉を交わした時から考えてはいた。

 

「勝算があるという事ですか?」

「ああ、鳥の鳴き声は哀しい、という事だよ」

「なんデスかそれ?」

「謎掛け、だな。答えを教えるだけでは芸が無いだろう?」

「……全く見当がつきません」

 

 エルフナインの問いに答えると、月読と暁が何ですかそれと頭を捻る。助手席であるため、バックミラーで見えた考え込む二人の様子に小さく笑う。エルフナインも考え込み始めた。流石のエルフナインも、今の言葉だけではどうするべきなのかと言うのは思い当たらないようだ。

 皆の様子に、それほど難しい事は考えていないよと笑った。自身は武門である。ならば、為すべき事はそれ程多い訳では無い。

 

「見えて来たわね」

「さて、特訓だったか。基本的には君たちに任せるが、俺の方でも少しだけ指定させて貰うかもしれない」

「解っているわ。でも不思議ね。あり得ない動き、あり得ない剣閃。そして思いきりの良さ。黒金の自動人形の話をしている筈なのに、聞けば聞く程あなたを彷彿させる。まるで、親子か何かみたいだわ」

「そうか。随分と大きな子供を持ってしまったのかもしれないな」

 

 マリアの言葉に思わず吹き出す。確かに血脈の技を使えるようにはなっていた。未だに『技』には到達していないが、黒金の動きを思い描いている時は、確かに子供の技を見詰める親のような心境だったのかもしれないと不意に思った。

 

 

 

 

 

 

「揺れてるな」

「ああ、そうだな。揺らいでいるよ」

 

 政府保有の海水浴場。和気藹々とした声が届く。眼前には少女らがビーチバレーに興じている。

 筑波の異端技術研究機構で、ナスターシャ教授が残した研究成果の解析が行われていた。その受領任務も無事終わり、藤尭が合流して来ていた。一泊する予定な為、緒川の方は同じく政府が保有する宿泊施設に一足先に向かい、部屋の準備をしてから再び合流するという事で今は二人少女たちの試合を観戦していた。しみじみとした藤尭の呟き。頷く。確かに揺らいでいた。

 

「これまで前に立って来た。あとどれくらい前に立てるのか、そんな事を考えるとどうしても、な」

 

 藤尭の言葉に答える。その間に、エルフナインが空振りを行う。上手く打てないと困ったように呟いたエルフナインに、マリアがアドバイスを行っている。弱くても良い。自分らしく打つのが大切なのだと教えている。

 

「唐突なシリアスをありがとう。いや、確か大事な話なんだけど、振った本人としてはそんな意図はなかったんだ」

「ん? ああ、そう言う事か」

 

 藤尭の言葉に、自分の考え違いに思い当たる。確かに揺れてはいる。マリアがエルフナインに手本を見せるようにバレーボールを打ったところで思い当たった。一度試合が止まったので仕切り直しのようにクリスがボールに反応する。打ち返した。そしてまた揺れている。

 

「好きだな、お前も」

「そりゃ、男ですから。てか、前から思っていたんだけど、ユキは女の子に興味がないのか?」

 

 意図に気付き、藤尭の言わんとしている事を理解する。相手は子供だぞと告げると、マリアさんはセーフなのではと返って来る。確かにと頷く。そして、そんなこちらの様子に気を良くしたのか、藤尭が思い切ったという感じに聞いて来た。少しばかり考える。

 

「まぁ、武門だからな。隠さず言えば贖える」

「……いや、まぁ、確かにそうだけど。こう、愛が欲しいと思わないのか?」

「……愛、か。愛される事があると言うのならばそれは喜ぶべき事だが、欲しいとは思わんよ」

 

 自分とて男である。一切そう言う欲求が無いかと言えば、そんな事はあり得ない。むしろ、毒を盛られた事により、身体自体は渇望しているのかもしれない。だが、幼き頃の経験からか、愛は無理して求めるべきものでは無いと感じてしまう。

 

「相変わらず変に冷めてると言うか」

「仕方がない。そう言う風に育ってしまったんだよ」

「うーん。その気になればより取り見取りだと思うけど」

「それはまぁ、随分と評価してくれる」

 

 あんまりと言えばあんまりな藤尭の言い草に苦笑が零れる。ある意味当たってはいる。上泉の方には、まだ腕を落とされた事は報告していない。爺様の事である、面倒な事になるのは目に見えている。

 

「でも、実家から催促が来るんだろ? さっさと結婚しろって」

「まぁ、な。武門としては血が欲しいのだろう。一度里帰りした時に話した。本腰を入れている訳では無いだろうが、そう言う話はよくあがる。暇を見ては送られてくるよ。見合いの話なら、倍以上に増えている」

「いや、確かにそう言う反応を期待して話を振ったんだけどさ、予想以上だった」

 

 向こうから話が転がって来るなんて羨ましいと藤尭が冗談めかして嘆く。本当に羨んでいる部分もあるだろうが、それだけと言う事でも無い。

 

「興味本位で聞くけど、あの子達の中でなら誰が好みなんだ?」

「また、答え辛い事を聞く」

「難しく考えなくて良いよ。単なる好みの話だし」

 

 藤尭が笑みを深める。馬鹿な話をしている様で、人を良く見ている男でもある。そうでなければ、風鳴司令がS.O.N.G.の主要人員に置く筈はない。さて、どんな意図があるのかと思いつつ、答える。

 

「小日向、次点で月読だろうか」

 

 単純な好みで言えば、最も小日向が近いだろうか。大した理由は無い。響以外には控えめで奥ゆかしい為、和服が似合うだろうなと思う。そう言う意味では月読も良い線を行くが少しばかり幼すぎる。せめてあと三年だろうか。それでも子供ではあるのだが、少しばかり真面目に藤尭の問いに考え込む。

 

「意外だな。よく一緒にいるクリスちゃんとか響ちゃんって言うかと思ってたんだけど」

「まぁ、ただの好みの問題だろう? 好みに近いのと、好きなのとはまた違うだろう。どれだけ好みだろうと、相容れないものもあるさ。逆もまた然り」

 

 そんな言葉で話を区切る。最初の話では無いが揺れている。少しばかり、刃を握りたかった。

 

「さて、少し斬って来る」

「斬るってまた、いきなり何を?」

「暫くは暇だからな。海でも斬ってみようかと思う」

 

 やる事は既に決めていた。後は、為せなかった時の事を考えるだけであった。直ぐ傍らにあった刃を手に取る。童子切安綱。斬れるかと言葉ではなく、心で問う。斬ってみるか? そんな意思が返って来る。笑った。

 

「いや、海を斬るって何だよ」

「まぁ、出来るか試してみるだけさ」

 

 少女らは、本腰を入れる前の慣らしを興じている。今暫くは、自分の剣を振るうのも良いかと思い、海を前にした。柄に触れる。

 

「いやいやいや。海って斬れるもんだっけッ!?」

「存外、出来るものだな」

 

 そして一瞬、海が割れた。藤尭の驚いた声が、少し笑えた。

 

 

 

 

 

 

「誰だよ、途中から本気になった奴は……」

 

 息を切らせ倒れ伏したクリスが零した。海を相手に刃を振るっていると、少女等の方も特訓に切り替わっていたのか、慣れない砂浜に体力を取られたのか各々がだらしなく倒れている。女子としてどうなのかと思う態勢で倒れている者もいる為、どうしたものかと一瞬考える。

 

「一区切りついたようだな」

 

 結局、一番余力のある翼に声をかける。

 

「ええ、良い鍛錬になりました。普段は行わないように遊戯から気付けば鍛錬に発展しているのは、私では行えない鍛錬の在り方の一つと言えます。それだけでも、良い経験になりました」

「それ、本気で言ってるのかよ先輩」

 

 一仕事終えたと言った感じの翼の言葉に、クリスが口を挟む。少しだけ視線を移す。何かに気付いたのか、クリスは凄い勢いで佇まいを治した。

 

「あ、あんまりマジマジ視んなッ!」

「見られて困るものでもあるまい」

「そりゃ海だけど……、そう言う問題じゃないんだッ!」

 

 ふしゃーっと威嚇を始めた白猫から視線を戻す。あの雪音クリスが海で友たちと一緒にいる姿にある種の感慨を覚えるが、あまり浸ってばかりでも居られない。

 

「とは言え、君はまだ動けるか?」

「はい。これ位ならば、問題ありません」

「では、翼を借りて行こうかな」

 

 まだ動けるかという問いに、翼は当然ですと頷いた。マリアや響ですら疲れ座り込んでいる中、流石に防人は余力があるようだ。

 

「それと小日向。君は動けるか?」

「私、ですか?」

 

 こちらの問いに予想がついていなかったのだろう。小日向が少し驚いた様に聞き返す。小日向の持つ陽だまりの剣にはイグナイトモジュールは搭載されていない。技術の系統が違うため当然ではあるが、小日向は小日向で鍛錬を行っていた。とは言え、まだまだ基礎が足りていない為、他の者と比べれば幾らか簡単なものであった。だからか、まだ余裕がある様に見える。

 

「剣を教えると言いながら、あまり時間が取れていなかったからな。少し、教えようかと思ってな。翼もいる。良い機会だと思うが、どうする?」

 

 視線を交わし聞いていた。数瞬の逡巡。小日向は頷き立ち上がる。

 

「未来がやるなら私も」

「今回は剣術の指南になる。それでもやるか?」

 

 剣の鍛錬だぞと告げると、響は困ったように笑った。剣術と響とでは、重なるものが少ない。

 

「翼さんも一緒だし大丈夫だよ。だから、響はご飯の用意でもして待ってて」

「大丈夫?」

「うん」

 

 そして、小日向の言葉に響は頷いた。じゃあ、みんなで美味しいご飯作ってるねと告げると一同は移動していく。そして、その場には翼と小日向が残った。

 

 

 

 

 

 

「先ずは、翼から行おうか。シンフォギアを纏って構わないぞ。遠慮は不要だ。特訓という事だ、此方も少しばかり荒っぽくいく」

「解りました。では、Imyuteus――」

 

 剣を交えやすい様に場所を変え、先ずは武門と防人が対峙する。童子切を抜き放ったユキは、それを翼に突きつけ戦う用意を促す。それに短く頷き、翼は天羽々斬を身に纏う。その姿を見た未来は、己も陽だまりの剣を身に纏った。黒猫が、未来の傍らで丸くなる。ユキの姿を見つけ、近付いて来ていた。未来の視線の先には、夏であるのに長袖を纏い殆ど汗をかいていない上泉之景と、天羽々斬を纏った翼が対峙している。一瞬だけ、ユキが未来に視線を移す。その瞳に、ただ見ておけと言われたような気分に陥る。小さく未来は頷いた。

 

「行きます」

 

 準備が整った翼が、短く宣言する。羽々斬を構えていた。

 

「――ッ!?」 

「反応が遅い。準備ができている事など、対峙すれば解っている」

 

 そして踏み込むと思い定めた時には、白刃が煌めいていた。咄嗟に羽々斬を翻す。鈍い音が鳴り響く。翼の口から驚きに満ちた呻きが零れる。既に武門は戦闘態勢に入っている。二の太刀。斬撃が加速する。

 

「つぁっ!?」

 

 斬撃を受け止めきれず崩れた翼に向け、ユキは石突を以て翼を打ち伏せる。防人が地に沈み、即座に跳ね起き、立ち上がり様に一閃を放つ。

 風が吹き抜ける。放たれた斬撃。武門は先ほどと同じく、石突で打ち払う。羽々斬。柄に刃が食い込む直前に、手首の力で動かされた剣に力を逸らされ、はじき返される。踏み込む。至近距離で弾き飛ばした翼に向け飛び込む。

 

「――かはッ」

 

 苦し紛れで放った斬撃では武門に通じはしない。翼の反応速度を超える速さで放たれた蹴撃に、無防備な隙を突かれ吹き飛んでいく。

 

「翼さん!?」

 

 唐突に始まった一方的な展開に思わず未来は声を荒げる。

 

「遠慮は不要と言った筈だ」

 

 吹き飛んだ翼に、ユキは短く言い放つ。瞬間、返事をするように千の落涙が降り注ぐ。

 

「先生!?」

 

 放たれた技は、翼がノイズを一掃する際に用いられるものである。一人を相手に其処までするのかという驚きの染まった叫びだけが響く。斬撃。千の刃が、武門に届く直前に雨が体に当たるかのように霧散する。千の落涙に対して放たれる、千の銀閃。一振りたりとも武門に青色の刃が届く事は無い。そんな事、翼は以前の手合わせで嫌という程見せつけられていた。一振り。無数の斬撃の中で、一振りの真打を紛れ込ませる。

 

「相変わらず、私の自信を完膚なきまでに撃ち砕いてくれる。だがッ」

 

 同時に羽々斬を強く握りしめ、翼もまた落涙の中に自ら飛び込む。幾ら武門とは言え、落涙の中では翼の刃を弾かずにはいられない。落涙自体は武門に通用しないとはいえ、その無数の刃を無視する事もまたできはしない。上泉之景は生身である。雨を穿つ一撃では無く、動きを制限する為の楔としてならば使いようがあった。雨の中とは言え、自ら生成した物である。刃の中を自在に駆け抜け、翼は武門に挑みかかる。

 

「考えたものだ」

「私とあなたでは力量が違う。ならば、先ずはそれを認めた上で対策を立てるのが防人です」

 

 落涙の中で翼は羽々斬を振るう。降り注ぐ雨の中、降り立った真打を掴み取り、二刀を手に翼は斬撃を加速していく。武門の刃と防人の刃では、正面からぶつかれば覆し難い差が存在している。だが、上泉之景とて全能では無い。斬撃を放たなければ、斬る事は出来ない。無数の刃で封殺しつつ、必殺の一撃をねじ込む。それが以前武門と対峙した折に考え出した、翼の結論だった。何かが一つでも狂えば己をも傷付けかねない戦い方に、だが武門は笑みを浮かべる。ユキは翼を相手に怪我をするなどと言う心算は無い。戦いの場に立っているのである。訓練とは言え、実戦と同じ意志の下に行われる事が武門にとっては心地良かった。内心で、強くなったなと呟く。

 

「とは言え、想定が甘い」

「ッ。相変わらず、叔父様と同じで無茶苦茶なっ!?」

 

 両の手にしていた童子切を、左腕一つで振るい、黒金の義手で二振りの羽々斬を迎え撃つ。鈍い音が鳴り響く。既存技術と異端技術の折衷品である黒鉄は、羽々斬の刃を流し、返す刃で翼の脇を浅く斬る。皮一枚斬り裂かれた。翼は思わず吐き捨てる。自分のできる中で、武門に届き得る可能性のあった組み合わせをあっさりと抜かれた事が驚きを表に出してしまう。

 

「くぅあッ!?」

 

 馳せ違う。落涙を抜ける。反転。翼が振り向いた時には、既に武門の一撃が突き刺さった。

 

「まだ、まだッ!?」

 

 弾き飛ばされた翼が即座に立ち上がり、羽々斬を構えた。眼前で行われるぶつかり合い。自分では到底届かない立ち合いを目の当たりにし、未来は思わず唾を飲み込む。容赦なく打ち据えられている。だけど、それでも立ち上がる翼の気概に圧倒されていた。そして何より、そんな翼を見詰めるユキの眼光に押された。

 

「強くなったな。あの時と比べれば、随分と強くなった」

「あの時の私ではありません。未だ届きはしないでしょう。ですが、簡単に折れない程度の実力は付けたつもりです」

「そうだな。刃を交わしたのが、随分と昔のように感じるよ」

「折られました。何度も折られ、その度に鍛え直されました。黒金の自動人形の様な強大な敵が現れた時、皆を守れる刃で在りたいと、その度に強く想いました」

 

 少しでも強くなりたかった。そんな気持ちを吐露する翼に、ユキはただ小さく笑った。確かに翼は強くなっていた。未だ武門の刃には届きはしない。だが、背中を任せても良いと思える位には強くなっていた。やはり翼か。そんな事をユキは思う。

 

「そうだな。だが、君は黒金とは戦うな」

「なッ――」

 

 だからこそ、ユキは童子切を突き付け翼に告げる。予想だにしていないかった言葉に、翼は目を見開く。そんな翼の様子を見据え、ユキは言葉を続ける。

 

「シンフォギアではアレには勝てない。どれだけ君が強くなろうと、君の刃は届きはしない」

 

 それが翼と刃を重ねたユキの結論だった。確かに翼は強くなっている。恐らく、接近戦では装者の中で最も強いだろう。だが、問題はそう言う事では無い。

 

「何故ですかッ!? 私の刃は、誰かを守るのには能わないと。友を守るには能わないと言われるのですかッ!?」

 

 その言葉に、翼は言い募る様に言葉を荒げる。黒金と戦うとすれば、先ずはユキだろうと翼も思ってはいた。だが、有無を言わさず戦うなと言われるとは思っていなかったからだ。強くなるために、誰かを守る為に刃を研ぎすませてきた。先達に打ち伏せられはしたが、強くなる努力は惜しんでこなかった。その全てを否定されたように思え、思わず声を荒げてしまう。

 

「強くなった。そう言った筈だぞ」

「ならば何故ですか。強くなったと言うのなら、何故戦うな等と……。それでは、剣の意味がありません。先生も道具にすらなれないと言われるのですか」

 

 告げられた短い言葉に、何故か翼は心がざわめく。守る為に強くなった。その筈なのに戦うなと言われた。戦いにおいて、剣において最も信頼する先達に言われた言葉は、翼の胸に引っかかっていたものを強く刺激する。

 

「……ならば、試してみるか」

 

 翼の言葉を聞いたユキは、小さく呟く。そして、腕を深く斬り裂いた。

 

「先生!?」

「ッ!?」

「血刃を相手にするという事がどういう事か教えよう」

 

 童子切が血をその身で喰らう。刀身が真紅に染まり、武門の腕からは鮮血が零れ落ちる。対峙していた翼は勿論、成り行きを見守っていた未来も声を荒げる。話には聞いていた。だが、自ら腕を斬る所を間近で見るのは初めてだった。血刃が生成される。黒金の自動人形。それが用いていたものよりも、更に鮮やかな色をした無双の一振りを武門は防人に突きつける。腕の傷。ネフシュタンが見る間に塞いでいく。傷など直ぐに塞がる。ユキは二人にそう告げた。その言葉が、二人にはどうしようもなく悲しく思える。

 

「君は強くなったよ」

 

 踏み込み。かつてはまともに反応する事も出来なかった速さに、ギリギリの所ではあるが翼は対応する。血刃。その刃とはシンフォギアでは斬り合う事が出来ない事を、黒金の自動人形に嫌というほど味わわされている。だが、ユキの方が翼よりも遥かに速い。刃が重なる。羽々斬が、何の手応えもなく斬り落とされた。だが、歌が斬られた訳ではない。揺れ動く心を落ち着かせる暇もなく、武門は更に早くなる。

 

「初めて出会った頃に比べれば、遥かに強い。痛みを知り、悲しみを知り、それ以上の優しさを知ったのだろう。誰かの為にと、友の為にと言えた。そう言い立ち上がれた。それほど強くなっているよ」

 

 翼が再び羽々斬を生成する。振り抜かれる斬撃。その刃を、柄で打ち上げる事で跳ね上げ、逸れた羽々斬を血刃が断ち切る。涙が零れる。お前の刃は友を守るに足らない。撃ち破られる度に、翼は言葉ではなく現実でそう告げられている気がしてしまう。風鳴の道具にも馴れなければ、友を守る刃にも成れない半端者。そんな言葉が思い浮かぶ。

 

「不器用な上に真面目が過ぎる。奏も、そう言っていたはずだぞ?」

 

 蹴り飛ばされ、それでも即座に翼は立ち上がる。刃を振るう先達の言葉に、大切な親友の笑顔が思い起こされる。真面目が過ぎるぞ。想い出の中の奏が、苦笑を浮かべながら告げる。

 

「だからこそ、私は強くなりたいと願ったのです。かつて守れなかったものがあり、故に今大切なものを守れる様になりたかった。私の刃は、その為に研ぎ澄ませたのです。ですが、私は風鳴の道具にもなり切れず、されど大切なものを守る刃にもなりきれない。それでは私は如何すれば」

 

 ユキは一度刃を止める。翼の荒い呼吸の音だけが静寂の中を響いた。羽々斬。何度斬られようと、腕の中で再生を果たす。

 

「人は刃になれはしない。思い定める事は出来る。だが、本当に人である事からは変われはしない」

「だからこそ、強くなりたいと。先生の様になりたいと」

 

 構えた。羽々斬、感情のままに振り抜かれる。イグナイトモジュール。装者達に組み込まれた新たな力は、心の闇を増幅する代償が存在していた。膨れ上がった想いのまま、翼は刃を振るう。

 

「無理だよ。君は俺になれはしない。同じように、俺も君にはなれはしない」

 

 そして、血刃が羽々斬を手折る。何度となくぶつかり、その度に剣聖の刃に防人の刃は断ち斬られた。

 

「ならば私は如何すれば良いのですか。友を守る剣である為には、私は如何すれば」

「答えなど、出ているでは無いか。友を守る為に刃を研ぎ澄ませたのだろう。ならば、その刃を振るえば良い。人は道具に等成れはしない。君が君のまま、強く在れば良い」

 

 対峙する。示さなければいけなかった。上泉之景が万が一にも敗れる事があれば、少女たちの中でその後を任せられる人間は風鳴翼に他ならない。

 

「ですがッ!?」

「君は、また俺に奏を悪く言わせる心算か?」

「ッ!?」

 

 ユキは刃を収め、未だ言い募ろうとする翼に言い聞かせるように続ける。天羽奏。その名を出されてしまっては、翼も勢いを削がれてしまう。依然先達は敢えて翼の心の傷に触れていた。もう一度同じ事をさせる心算かと窘められると、当時の事を思いだし何も言えなくなる。

 

「君は強く成ったよ。それは、俺が保証する。それこそ、背を任せても良いと思えるほどだ」

「ならば――」

「急くな。思い込むと一直線なのは、君たち全員の悪い癖だぞ」

 

 背を任せても良い。再び予想もしていなかった言葉に、尚更何故と言う思いが芽生えてしまう。そんな翼を、ユキは少し落ち着けと窘める。

 

「言った筈だ。シンフォギアでは黒金に勝てないと」

「シンフォギアでは?」

「ああ、君だから戦うなと言う訳じゃない。シンフォギアを纏う者は、黒金と戦うなと言うのだよ。キャロルやほかの自動人形であったのならば、戦うなとまでは言わない。だが、黒金は別だ。君であろうが、クリスであろうが、響であろうが、俺は戦うなと言うよ。刃を重ねたから解るだろう、羽々斬を斬る以外にも、その気になればフォニックゲインを斬って捨てられる」

 

 翼の思い違いを正すように言葉を続ける。ユキは、イグナイトを発動させた装者達に、以前は感じなかった脆さを感じていた。明確な内容が解っていた訳では無い。だが、似たような事が一度合った翼とは刃を交わす間に、剣に込められた想いから感じ取れるものがあったと言う訳であった。敵の首魁であるキャロルは撃破していた。そして、その後に現れた黒金には為す術もなく敗北を喫している。状況からあたりを付けたという事だった。全てでは無い。だが、風鳴翼の持つ弱さの幾らかを引きずり出す事に成功していた。それを鍛え直したという訳だった。今のユキにできるのは、そこまでであるともいえる。

 

「黒金とは俺がやり合うよ。だが、万が一もあり得る」

「それほど、ですか?」

「まともに戦えば負けんよ。だが、逃げに徹されると辛いな。倒し切れないのは、今の俺にとっては敗北と同じだからな」

 

 その言葉に、翼はユキの懸念の意味を悟る。時間切れがある。つまりはそう言う事であった。だからこそ、風鳴翼を打ち直す為に血刃を抜いた。其処までする必要があると判断したという事だった。

 

「あと五年もあれば、君に任せられたと思う。シンフォギアでは無く、ただの剣士としての風鳴翼が、シンフォギアの出力に追いついていれば、何も言わずに任せられたよ。剣士としては、君は信頼に足るものを持っている」

 

 黒金の自動人形との交戦記録を見て、ただ一人正面から凌ぎ合えたのが翼だった。響やクリスも交戦しているが、真正面から立ち合えたのは翼だけだと言える。だから、その実力は信頼に足ると言葉として告げる。風鳴翼が生身でシンフォギアと同じ動きが出来るのならば、任せられたと。

 

「そこまで買って貰えていたのですか?」

「言う心算は無かったのだがな。とは言え、無い物ねだりは出来ない。俺が倒す心算ではある。だが、俺が無理だった時は、司令が戦うのが一番だろうな」

「しかし叔父様は」

「ああ、全体の指揮がある。そして自動人形たちは神出鬼没な為、交戦できるとも限らない」

「ならば、やはり私が。例え勝算が限りなく低いと言えども、心得のある者が戦うのが最も良いのでは」

 

 最も良いのは司令が戦う事だが、立場上前線に出るのは難しい。仮に出れたとしても、以前のように間に合うかは解らない。ならば、司令以外に戦える者で対策を立てておくのが現実的である。皆同じ条件であるのならば、自分がやるべきだと翼は告げる

 

「どうしようもないのならば、な。だが、一つだけ選択肢がある。あくまで、君たちを戦わせるよりは、だがな」

「選択肢?」

「ああ」

 

 聞き返す翼に、ユキは短く答えた。そして、話に入るには入れなかった小日向未来を見据える。

 

「英雄の剣。そして神獣鏡の力を継いでいる陽だまりの剣。それを持つ小日向が、小日向だけが、黒金の自動人形に対抗し得るよ」

「私、ですか?」

 

 そして、ユキの口から出された言葉は、翼にも未来にも予想だにしていないものだった。

 

 

 

 




切調、謎掛けを受ける
武門、気掛かりな事を一つずつ片付けにかかる
藤尭、誰も聞けなかった事を聞く
響、予想外の伏兵
翼、再び打ち直される
未来、予想外の展開についていけない

セレナ、奏に以前どんな事があったのか教えて貰い、目を輝かせる
天羽々斬、武門の雑過ぎる扱いが一周回って癖になり始める

久々の投稿できました。
以前ほどの頻度では更新できそうにありませんが、更新する心算はあるので気長に待って貰えると嬉しいデス。一度止まると、再起動が中々できないのが悩みデス


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18.陽だまりの剣

「私が先生の代わりに戦う……?」

「ああ。俺が勝てなかった場合。或いは、俺がいない時に装者達が黒金に遭遇したとすれば、対抗し得るのは小日向だけだろう」

 

 話を聞き、思わず未来が零した言葉にユキは小さく頷いた。それは上泉之景が黒金の自動人形に勝てなかった時、或いは、交戦できない場合の想定で語られた話であった。

 

「だけど、私は皆と比べれば戦う事なんて全然……」

「そうだな。君はあの子達の中では誰よりも未熟だよ。正直に言うとな、君にこんな選択肢を提示する事を苦々しく思う」

「では、どうして小日向を指名されたのでしょうか?」

「翼も理解してはいるだろうが、シンフォギアの最大の欠点は歌わねばならない事だ」

 

 未来と翼の問いにユキは小さく頷き言葉を繋いで行く。

 シンフォギアでは黒金には勝てない。装者達は聖詠を用いて周囲のフォニックゲインを高めギアを纏う。逆を言うと、聖詠を詠わねばギアは纏えない。聖詠を口ずさむ事自体はそれほど長くは無いのだが、それでも英雄の力を模倣された自動人形を相手にするには、余りにも大き過ぎる隙であると言える。黒金の速さは、単純な速度であればユキの踏み込みと同程度の速さである。捕捉されてなければまだギアを纏う事が出来るかもしれないが、視認されていればギアを纏う暇もなく斬られるという事になりかねない。斬られる事を凌ぐ事が出来たとしても、歌を歌うと言う明確な初動がある以上、ギアの展開と同時に血刃を展開されてはフォニックゲインを斬られ、結局はギアの解除に追い込まれるだろう。魔剣ダインスレイフの聖遺物の欠片を用い作成されたイグナイトモジュール解放時ですら抵抗らしい抵抗もできず解除されていた。通常のギアならば、以前以上の速さで解除に追い込まれたとしても不思議ではない。ユキ自身がやろうと思えば装者たち相手にそのような戦い方を仕掛ける事が出来る。黒金も全く同じ事が出来ると言えるだろう。だからこそ、自分が戦うならという想定の下、ユキは未来と翼に語り聞かせる。

 翼には戦うべきではない理由を。未来には、未来だけが対抗でき得る理由を語る。

 

「ですが、それは小日向の持つ英雄の剣も同じなのでは?」

「そうだな。俺が錬金術を斬る事が出来る以上、黒金もまた血刃を用いれば斬れるだろう。俺は自動人形たちに異端殺しと呼ばれたよ。それはシンフォギアにも当て嵌る。ある意味で、あれは君たちにとって最強の敵という事になる」

 

 自動人形たちはユキの事を異端殺しの英雄と呼んでいる。事実として、今の童子切とネフシュタンが揃ったユキならば、その力を全力で用いれば自動人形を動かす力そのものすらも斬って捨てる事が出来ると童子切は意思を以て知らせてきている。同時に、それを行なえばユキ自身もただでは済まないとも解ってしまう。絶大な力を持つ自動人形の宿す力全てを斬り飛ばすのである。それ相応の血液が必要となる。その間ネフシュタンの力は全て造血に回される事になり、毒がユキに引導を渡すという事だった。命と引き換えにならば、同じ技術を持つ黒金を除く自動人形を一機だけ道連れにする事が可能だった。つまり、ユキが出来ると言う事は、黒金がその気になれば、多くの力を消費するだろうが、装者を文字通り斬り捨てるのも難しい事では無い。違いはフォニックゲインか錬金術かでしかないのだから。

 その全てを語る事はせず、ユキの中で言葉を選びながら語っていく。

 

「では、小日向が戦っても同じ結果になるのでは?」

 

 そんなユキの言葉に翼が更に問う。翼からすれば、自分が外されたと言う事もあるが、なによりも友の一人である小日向未来だけに、上泉之景ですら倒し切れないかもしれない黒金の自動人形を任せきる等早々頷けるものでは無い。同じように戦う事すらも困難ならば、自分がと思うのも当然だろう。

 

「シンフォギアと小日向の持つ陽だまりの剣。その最大の違いは何だと思う?」

「シンフォギアと陽だまりの剣、ですか?」

「ああ。この場合は、自動人形の用いた英雄の剣との違いと言っても良い」

 

 特殊な外装を纏うと言う事は共通しているが、シンフォギアと陽だまりの剣は根本的には別技術である。では、血刃の持ち主から見た場合、黒金とユキから見た場合では、シンフォギアと陽だまりの剣ではどんな差が出るのか。そんな事を二人に問う。

 

「――解りません」

 

 とは言え、幾らなんでも二人に解る筈がない。暫く考え込んだ後に降参を示した未来と翼にユキは答える。

 

「血刃は目に見えないものを斬るのが本領だ。シンフォギアであれば歌を斬り、陽だまりの剣であるのならば、その意思を斬る。英雄の剣は、シンフォギアがフォニックゲインの高まりに反応を示すように、使い手の意志に呼応しその力を鋭く研ぎ澄ます」

「意志、ですか」

「ああ。君が以前、響の為にと神獣鏡を纏った事があった。自動人形を相手に踏み止まった事もあった。君の意志の強さに、大切なものを守りたいという想いの強さに陽だまりの剣は反応を示しているよ」

 

 小日向未来は響の為にと思った時、その意思の強さは凄まじいものに成る。愛の力で神獣鏡に適合し、僅かとは言え、自動人形を相手に踏み止まって見せた。その時に観測された陽だまりの剣の出力も、普段の訓練などと比べて遥かに高い値を示している。シンフォギアが装者の歌う歌の高まりに反応するように、陽だまりの剣は未来の想いの強さに直結していると言える。

 

「君には大切なものがあるのだろう」

「それは……、はい……」

 

 ユキの問いに未来は少し考える素振りを見せ、直ぐに頷いた。別に親友として響が大切である為恥ずかしがるような事でも無いのだが、改めて正面から指摘されると少しばかり気恥ずかしくなる。

 

「それを守りたいと思う意志の強さが、そのまま陽だまりの剣の力となる。そして、陽だまりの剣を戦う術と見た時、シンフォギアとの大きな違いはそこに存在する」

 

 未来が頷いたのを確認すると、そのまま続ける。

 

「シンフォギアは一度解除されれてしまえば、黒金を相手に二度目は無いだろう。歌わせて貰えないのだから、そうなる。だが、陽だまりの剣は違う。小日向には、歌うという工程が必要ない。それどころか、言葉を口にする必要すらもない。想いの強さがそのまま力に変わると言う事は、小日向の意志がそのまま陽だまりの剣に反映されるという事だ。小日向自身が無事であれば、斬られている途中から剣を再生成する事も可能だろう」

 

 シンフォギアとの最大の違い。それは、担い手の意志を用いて出力が増すという点にある。以前にユキが響の恐れを斬って捨てたように、血刃には意志や感情なども斬って捨てる事が出来てしまう。だが、それは一時的に斬り裂かれているに過ぎないとも言える。目に見えないものである以上、完全になくすこともできはしない。一度恐怖を斬って捨てても、また別の時、別の恐怖が沸き上がる様に、恐怖という感情その物を完全に無くすには、対象を物理的に斬り捨てる以外に方法は無かった。

 意思を斬られてしまえば気持ちが萎えるだろう。だが、血刃は斬るものが強ければ強い程、代償もまた大きくなる。斬る対象の意志が強ければ強いほど斬るのが難しくなり、反対に斬られる側からすれば、斬られた意志が強ければ強い程、再び強く思えた時にはより強固な意志となる。

 血刃を相手にするという事は、小日向未来にとってはこれまでに考えた事が無い程辛い事になるだろう。それでも、一度斬り捨てられた力が再起できる可能性があるのは、担い手の意志の強さが直接反映される陽だまりの剣だけであると言えた。

 

「私の持つ陽だまりの剣が?」

「ああ、響を守ろうと適応した神獣鏡の力も受け継いでいる君だけの剣。俺を除けば、異端技術で血刃に対抗できるのは君だけだろう」

「私だけが……」

 

 ユキの言葉に、未来は神妙に頷くと噛み締めるように呟いた。確かに、陽だまりの剣を纏う時こそ、抜剣(アクセス)ッ。っと合い言葉を口にするが、砕かれた飛翔剣を再生成する時には言葉は必要なかった。そう考えると、どちらかと言えば言葉は未来の気持ちの切り替えにこそ使われているのである。初めて纏った時に、剣に力を貸してと念じていた。確かに、意志の強さが重要であると実感できてしまう。

 

「つまり、解除される前に纏い直すという事でしょうか?」

「そう言う事だな。小日向の持つ技術だけが、意志の強さが大きく関わって来る陽だまりの剣であるからこそ、黒金と戦い得る」

「……でも、私にできるんでしょうか?」

 

 自分にそんな事が出来るのかと未来は思わず尋ねる。その言葉に、ユキは目を閉じると答えた。

 

「できる。というよりは、君だけが戦場に立つ事が出来ると言うべきか」

「私だけが戦場に?」

「ああ。辛いぞ。俺の代わりに黒金と戦うと言う事は、おそらく君が考えている以上に辛いと思う。武門が繋いできた技はそれ位はあると自負しているよ。その上で言うよ、黒金と戦う事だけは、君以外には無理だ」

 

 そして、ユキは未来以外には無理だと言い切る。その言葉を聞き、未来は少し考え込み頷いた。

 

「解りました。私が響の、みんなの役に立てる役に立てるのなら、やってみたいと思います」

「そうか、やってくれるか。ならば、俺は君に剣術、と言うよりは血刃との立ち回り方を教えなければいけない事になる」

 

 やってみますと言った未来に、ユキは静かに告げる。血刃との立ち回り、黒金と戦うにおいて、絶対に学ばなければいけない事であるだろう。

 

「私はシンフォギアと言う力を持っていますが、今ほど、陽だまりの剣のようなものがあればと思った事はありません」

「その気持ちは解らないでもないが、無い袖は振れんよ」

「解っております。ですが、小日向は立花だけではなく私にとっても友なのです。その友に、あのような強敵をたった一人で押し付ける事になるかもしれない。そう思うと、心がざわついてしまうのです」

「真面目が過ぎるな。だが、その気持ちは悪い事では無い。優しさは、人が無くすべきでは無い物だよ」

「はい」

 

 未来と同じく話を聞いていた翼が口惜しそうに零した。そんな後進の様子に、ユキは急くなと少しだけ宥める。それだけで、翼は軽く息を吐くと素直に頷いた。未来の目の前で叩きのめされていた。だからこそ、無い物はねだっても仕方がないと冷静に自分に言い聞かせる事が可能だった。

 

「小日向」

「はい?」

 

 翼との言葉が途切れ、ユキは再び未来の名を呼ぶ。

 

「俺の代わりに戦うと言うのは辛いぞ。相手は黒金だ。何時戦う事になるかも解らず、それは明日来るかもしれない。だから、これまでの様に順を追って教える事は出来ない。かなり手荒になる。それでもやるか?」

「……あの先生が辛いだろうって言いました。覚悟はできているつもりです」

 

 そして、聞かれた問いに覚悟はできていると未来は告げる。

 

「そうか。だが、あえて今言っておく。怖いと思ったら投げ出して良い。勝てないと思ったら逃げて良い。命の危険を感じたら何時でも降りて良い」

「……はい」

 

 それでも、ユキは何時でも逃げて良いと未来を見据え告げた。その意思に僅かに気圧されるが、未来もまた強い意志を持ち直すと、頷き返した。

 

「解った。では、君に黒金の自動人形との戦いを教えよう。先に言っておくぞ。君は武門や防人では無い。剣術では絶対に勝てはしない。君は君の武器を手にしなければいけない」

「私の武器、ですか?」

「ああ。君が見つけるべき、君だけの刃だ。君は翼とは違う。だからこそ、先ずは自分の刃を手にしなければならない。君の強さを掴まなければいけない」

 

 言葉が胸に沁み込んで行く。未来はただ頷く。本当の意味は解っていない。だけど、その言葉にはしっかりと考えなければいけないと思える意志が宿っていた。纏っている陽だまりの剣に視線を向け、手にした剣を握り直した。

 

「君は翼とは違う。準備が出来たら言うと良い。そこから、始める事にする」

「解りました」

 

 翼を相手にしていた時、ユキは問答無用で襲い掛かった。互いに武に属する者であった為、それでも良かったが小日向未来は違う。だから、そんな言葉を言ってくれた。気持ちを落ち着ける。そして、準備ができたとユキに告げた。

 

「――自動錬金」

「――え?」

 

 そして、そんな考えが甘かったのだとその言葉を聞き未来は理解した。気圧されていた。戦う前から気圧されていたのだから、気付くべきであった。

 言葉と同時にユキは左手に童子切を走らせ血刃を抜き放った。同時に、黒鉄の右腕が赤色の輝きを解き放つ。黒と赤の軌跡が駆け抜けていく。

 

「小日向ッ!!」

「あうッ!?」

 

 視界が吹き飛ばされていた。大きな衝撃は無い。英雄の剣が勢いを削ぎ、ユキもまた直撃の瞬間に力を流していた。だが、未来は翼が戦っていた時よりも遥かに速い速度で吹き飛ばされていく。そして地を転がり、勢いが弱まると何とか立ち上がった。

 

「では、お前に黒金との戦いを、俺の代わりに戦うという事を教えよう。手加減など、期待するなよ」

 

 血刃が未来に突き付けられている。それをただ見つめていた。痛みは無かった。敵意や殺意も感じない。だけど、何かが纏わりついて来る。その何かが、不意に分かった。ただ、怖かった。

 

「え、あ……」

 

 上泉之景が、本気で未来と戦おうとしている。訓練の時とは違い、文字通り全力で向かってくるのが解ってしまう。敵意や殺意の様なものは一切感じなくとも、同じ戦場に立ったというだけで恐怖していた。自分一人で、これと戦わないといけないという事に気圧されていた。左手から血が零れている(・・・・・・・)。右腕からは赤色の輝きが流れて行く。剣聖の本気である。戦いの経験が多くない未来に受け止められるものでは無い。

 

「剣を抜け。君の持てる全てで挑まないと、勝負にすらならないぞ?」

 

 初めて包み込まれた剣聖の剣気の前に未来は飛翔剣を展開するのも忘れ呆然と立ち竦む。そんな姿を確認したユキは、今できる全てで踏み止まれと短く告げる。その言葉で漸く未来は剣を構えた。陽だまりの剣。カタカタと震えている。剣を向けた事で、尚更解ってしまう。自分ではどう足掻いても手も足も出ないと。血の刃がゆらりと揺れる。殆ど反射的に飛翔剣を放った。風が頬を撫でる。電子音声が聞こえた気すらする。吹き飛んでいた。放った飛翔剣が血刃に消し飛ばされ、錬金術で強化された剣聖の踏み込みに反応する事すら許されず打ち上げられ、吹き飛ばされる。

 

「うぁ――」

「小日向ッ!? 先生、幾らなんでもこれはッ!!」

 

 立ち上がる傍から視界が吹き飛ばされる。手にした剣が何度も零れ落ちる。その度に剣聖は動きを止め、未来に剣を握る暇を与える。立ち上がり剣を握る度に、訳も解らず斬り飛ばされ、殴り飛ばされていた。不思議と痛みは無い。陽だまりの剣の防護機能と剣聖の異常の数倍をいく見切により、力だけが流されれていたからだ。だが、未来にはそんな事を認識する余裕はない。一方的である。どれだけ強く想おうと、拮抗する事すらできずに陽だまりの剣は打ち砕かれて消えて行く。何度生成しようとも、その度に無惨に砕け露へと消えて行く。食いしばる。その時には既に身体が吹き飛んでいる。黒色と赤色の軌跡だけが視界を抜けて行く。翼の叫び声が聞こえる。それをユキは聞こえていないかのように未来に向け刃を振るう。

 

「反応が遅い。黒金は俺の様に待ってはくれないぞ。斬られている途中から生成するぐらいでなければ、とても間に合わない」

「だけど、どうすれば……」

 

 血刃が陽だまりの剣を斬り落とす。未来は懸命に抗おうとするも、意志は斬って捨てられる。太刀打ちできると言う気がまるでしない。痛みが無い事が、その気になればもっと強くなると言われているようで、逆に心に重くのしかかる。

 

「怖いなら辞めても構わないぞ。アレとやり合うのは、俺とやり合うのとそう変わりはしない」

「――ッ」

 

 そして、未来が立ち上がり何度目かの刃を作ろうとした時にユキは最初に言った言葉をもう一度告げた。その言葉に、どうしようもない魅力を感じてしまう。直接刃を交えてようやく理解していた。黒金の自動人形と一人で戦うと言う事は並大抵の事では無い。響や翼、クリスがイグナイトモジュールを発動させて尚手も足も出なかったのである。戦いの経験もなければ、優れた戦いの才能も持たない未来がたった一人で相手にできる訳が無いと思えてしまう。ほんの僅かにぶつかり合っただけで抱いた恐怖心に、心が萎えて行くのがはっきりとわかる。戦っている相手は破格である。だけど、これから戦いを続けると言うのなら黒金と遭遇しないという保証はない。むしろその時の為にやっているのである。

 未来が負けるしかないと思う程の実力差を示したところで、ユキは一度刃を止める。

 

「なぁ、小日向。君は弱いよ。響の様な爆発力を持ってはいない。翼の様な鍛え上げた剣術もない。クリスの様な戦いの才能と殲滅力もない。マリアの様な遠近高水準に纏まった力もなければ、暁や月読の様な互いの呼吸を合わせた変則的な動きにも対応できる連携力もない。君にあるのは、想いの強さがそのまま力に直結する陽だまりの剣だけだ。俺から見れば、今の君は幾らか早く武器を抜けると言ったところか」

「私は弱い……。なら、どうすれば……」

 

 仲間たち一人一人と比べられ、自分は弱いと断言される。ただでさえ手も足も出ない状況での追い討ちに、未来の心は更に打ちのめされる。そもそも参戦自体が他の者と比べて随分と遅いので冷静に考えれば仕方がない事ではあるのだが、黒金とたった一人で戦わなければいけないという重圧が、そしてユキの示す尋常では無い強さが未来に焦りを生まれさせる。幼き頃から武を学び、一族全体が人間を研鑽してきた武門に、つい最近まで喧嘩すらまともにした事の無かった少女が勝てるはずなど無いのだが、恐怖と焦りが未来を包み込む。あの上泉之景が、未来以外には無理だと言い切っていた。それ程の強さを持ち、未来にとっても恩人に当たりその戦いを見た事があるからこそ、その言葉は重いと言える。

 そんな様子の未来をユキはただ見据え、問いかけを続ける。

 

「陽だまりの剣は、自動人形の遣う英雄の剣と同じだよ。だが、君は弱い。何故だと思う?」

「そんな……。一緒な訳がありません。赤い自動人形。ミカと戦った時言われました。偽りの剣では自動人形には届かないって……」

「偽りの剣、か。その剣が偽りなものか」

 

 ミカに言われた言葉を思い出す。偽りの剣では何も変えられないと。黒金の自動人形の持つ英雄の剣は、童子切の欠片が使われているとエルフナインに聞いていた。血刃を扱う無双の一振りの力が使われているのだ。それに比べれば、何の力も宿らないただの剣の欠片から作られている陽だまりの剣は偽りと言われても仕方がない様に思える。

 

「自動人形の持つ英雄の剣と私の持つものは違います。先生の持つ童子切の様な力は」

「それが思い違いだと言っている。童子切は優れた剣であり、無二だと言える。だが、それは関係ないよ」

「そんな事……ッ」

 

 未来の言葉をユキは否定する。英雄の剣に童子切の欠片が使われている事と、陽だまりの剣に数打ちが使われている事に関しては、差は無いのである。その言葉が信じられず、思わず未来は問い返す。そんな様子に、ユキは苦笑を浮かべる。確かに二種の剣の差と言われれば、そこが一番目に付くだろう。だが、本質はそこでは無い。

 

「ならば聞くぞ。陽だまりの剣には童子切が使われていない。それで、英雄の剣と何が違う?」

「それは……。先生の用いる血刃だと思います」

 

 改めて出される問いに、未来は考え応える。血刃を使える童子切と、ただの太刀でしかない数打ちの欠片では、やはり刃とすればそこが違うのではないかと未来は答える。

 

「同じだよ。陽だまりの剣に童子切の欠片を用いたところで、大した変化はありはしないよ」

「そんなことは」

「ない」

 

 未来が自分なりに考えて出した答えが否定される。ならば、何が違うのか解らなくなる。

 

「小日向。飛翔剣を一振り出して貰えるか?」

「……はい」

 

 童子切を収め、生成された飛翔剣を受け取ると、ユキは己の左手から流れている血を吸わせる。

 

「これは……ッ」

「血刃だよ。陽だまりの剣には血刃が使われていないと言うのなら、今此処で血刃を組み入れよう」

「そんな事が……」

「小日向、飛翔剣」

 

 ユキは一振りの飛翔剣を握り血刃を生成、その力を同じ飛翔剣を相手に振るう。童子切とぶつかった時と同じように、未来の作り出した飛翔剣が露と消えた。その光景に思わず見入ってしまう。確かに、陽だまりの剣で血刃が振るわれていた。

 

「これで陽だまりの剣で血刃が使われていなと言う事は無いだろう。血刃を組み入れた事で、何か変わった事があったか?」

「それは、何もないと思います」

「だろうな。童子切は優れた剣ではある。だが、剣だけでは意味がない。君に血刃は使えないよ。だけど、陽だまりの剣には使う事が出来る。だから、血刃の有無では無い。血の刃は、君に必要なものでは無いよ。君が適合したのは元々何だった?」

 

 今陽だまりの剣で血刃が振るわれていた。童子切の欠片には血刃が使われたから強い力があると言うのならば、陽だまりの剣本体を以て血刃が振るわれれば、それは更に強い力を与えるという事になる。だが、そんな事は無い。血刃は、陽だまりの剣と英雄の剣を隔てる大きな差では無い。

 

「それは、神獣鏡です」

「そうだ。聖遺物の力を消滅させる神獣鏡の力。それを陽だまりの剣は受け継いでいる。君に扱えるとすれば、そこだろう。黒金の血刃に血刃で挑もうとすれば相手に一日の長がある。戦う者としても格上だ。君は、君の力を手繰り寄せないと勝機は無いぞ」

 

 未来にとっては、己の手で響を斬りつけてしまった失くしてしまいたい記憶と言える。それでも、その時の出来事があったから、今陽だまりの剣は未来の手許にあった。そして未来は己の思い違いを知る。偽りの剣。それはある意味的を得た言葉であった。陽だまりの剣も、英雄の剣も、剣の欠片から生成されている。だから、絶大な力を持つ童子切の欠片の有無にばかり気を取られていた。だけど、陽だまりの剣は英雄の剣から変質した剣であるのだ。二種の剣の中で最大の違いと言えば、神獣鏡の影響を受けているかと言う点であった。英雄の剣は錬金術を用いられた異端技術である。ユキが血刃で剣殺しと渡り合ったように、聖遺物殺しであるのならば、血刃に渡り合えると言うのがユキの読みであった。確証はない。だが、他の何でも無く、童子切が並大抵の事では斬れないと示していた。それはつまり、神獣鏡の特性を持つ剣ならば血刃に対抗し得るという事である。血刃と血刃のぶつかり合いならば、未来に勝ち目など無い。だが、神獣鏡に適合した小日向未来が振るう聖遺物殺しならば、可能性はあるという事だった。

 

「神獣鏡が……」

「己の持つ武器を正しく把握する。戦うに於いては重要な事だ。手にするのが普通の武器出ないと言うのならば尚更だよ」

「はいッ」

 

 叩きのめされ、心を追いつめられ、漸く己の武器に至る道に辿り着いた。小日向未来はもう一度想いを灯す。守りたいものがあり、一度はその為に力を手にしていた。そしてその想いを利用されたとはいえ、一番守りたかったものを斬り裂いてしまった。その時の事を思い出すと、鋭い痛みと苦い思いが蘇る。だけど、その想いがあるからこそ、より強く想う事が出来る。今度は間違えない。他の誰でも無い響を、そして自分を助けてくれた人たちを守りたい。傷付き、傷付いた記憶があったからこそ、より強く想う事が出来た。過去に抱いた想いは、他でもない今を守る為の力となる。そして、その想いが、守りたいものを守る力を手繰り寄せる。

 

「お願い神獣鏡、力を貸して。陽だまりの剣(ソードギア)抜剣(アクセス)ッ!!」

 

 ――想いを守る刃(ブラッドスレイヴ)

 

 そして、黒金の刃が血刃に到達したように、小日向未来の持つ陽だまりの剣も己の守りたいものを守る為、傷付けてしまった者達を守る為、新たな段階に到達する。願いを、そして想いを守る刃。大切な友達が痛みをこらえて戦わなくても良い様に、傷付いた時共に寄り添えるように。そんな強さを持つ想いの剣。それが小日向未来の辿り着いた剣だった。

 

「やったな小日向」

「はい、翼さん」

「神獣鏡の力を受け継いだ陽だまりの剣。これが、小日向の持つ剣の本当の輝き」

 

 手繰り寄せた剣に見入っていると、固唾を飲んで見守っていた翼が声をかけて来る。その言葉に笑顔で応じる。ユキと対峙していた時は怖くて仕方がなかった。だけど、大切な人を守る力に手が届いていた。陽だまりの剣が放つ輝きは、どこか神獣鏡の放つ光と似た趣があり、刀身全体が淡く輝いているように見える。聖遺物を打消す破邪の輝き。神獣鏡の特性もあいまり、そんな風に思える。

 

「これで、黒金の自動人形にも対抗できるかもしれない」

「はい!」

 

 そして、翼の言葉に本当に嬉しそうに未来は頷く。ずっと守られていた。戦う力を手にしてからも、その立ち位置は殆ど変わる事は無かったと言える。だけどようやく、漸くここに来て誰かを守る事もできるようになる。そう考えると、気持ちが逸ってしまうのも仕方がないと言える。

 

「何を言っている」

「――え?」

 

 そして、そんな少女たちの喜びに水を差す一言が突き刺さる。ユキである。先達は喜びに口元を綻ばせる少女に童子切を突き付ける。

 

「漸く出発点に立ったばかりだ。今の陽だまりの剣など、まだまだ血刃を相手にするには不足だよ。ここからが、本当の訓練だ」

「――えッ」

「翼も幾らか回復してきたようだな。丁度良い。同時に相手をしてみようか。試し切りは必要だろう」

「――えッ」

 

 そして、無情にも告げられる言葉に、二人の少女の表情が引きつる。剣聖は良い笑みを浮かべていた。その様子にあっと思い至る。こういう笑顔を浮かべる時の上泉之景は、楽しくて仕方がないという事である。斬り合うのが。

 

「小日向、覚悟を決めるぞ」

「ええッ!?」

「こういう時の先生は無敵だ。何、精々足腰が立たなくなるまでいじめられるだけだ」

 

 そして、以前徹底的に切り伏せられた事を思い出しながら、遠い目で語る。理屈では無い、武門の前で新しい力に等至れば、そうなるに決まっている。

 

「私、今日歩いて帰れるかなぁ……」

 

 想いを守る刃に到達していた。だけど、改めて見ると眼前に居る人間に通じる気はしない。笑っている。凄くいい笑顔で笑っていた。

 

「先生も、存外負けず嫌いなのかもしれない」

 

 不意に零した翼の言葉、それが戦いの合図となった。そして小日向未来の陽だまりの剣は何度となく撃ち砕かれ、その度に半泣きになりながらより強い想いに手を伸ばしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんなものか」

 

 漸くユキの動きが止まる。眼前には、何度となく叩き伏せられ、ぼろ雑巾の様に地に転がる少女が二人存在していた。

 

「立てるか?」

「な、なんとか」

 

 そしてかけられた言葉に何とか翼は立ち上がり応じる。とは言え、翼ですら満身創痍である。未来に至っては荒い呼吸のまま倒れたままであった。その様子に、此処までで終わっておくかとユキは呟く。それで、訓練は終わりだった。

 

「小日向、生きているか?」

「は、はは、剣撃って何十発も撃てるんですね」

「いや、そんな事が出来るのは先生だけだから参考にしない方が良い」

 

 倒れたまま乾いた笑みを浮かべる未来に、翼も自分も以前叩きのめされた時はあんな感じだったのかと思いを馳せる。担いで帰ろうかと言うユキに、もう少し休んでから戻りますと翼は答え、先達には先に帰って貰う事にする。勝てない事など解っている。だけど、訓練を付けて貰って後片付けまでされてしまっては流石に情けないと想い、自分たちも後で戻ると伝えていた。そう言う事なら先に戻ると背中を向けたユキを見送り、翼はもう一度寝転がる。どうしようもないほど叩きのめされていた。此処まで来ると笑いぐらいしか出てこない。

 

「強いな、先生は」

「そうですね、まるで歯が立ちませんでした。一歩進んだ陽だまりの剣なら、少しぐらい追いすがれるとか思ったんですけど、全然でしたし」

 

 翼の呟きに未来は答える。強かった。どうしようもなく強い。そして、そんな人が自分なんかを頼りにしている。それが、訓練をしている時には不思議だった。その答えが漸く見つかった。

 

「きっと、私たちの為に無理してくれたんですよ」

「小日向?」

 

 寝転がりながら零された言葉に、翼は疑問を抱く。

 

「血が、止まっていませんでした。先生は、私の訓練をつけ始めてからは、ネフシュタンで治る筈の血が止まっていませんでした」

「……ッ」

「ずるいですよね。そこまでしてくれたのに、言葉では絶対に教えてくれないんですから。きっと、先生はどれだけ辛くとも平気な顔をしているんだと思いますよ」

 

 ユキとぶつかり合っていた時の事を思い出す。笑みを浮かべていた。凄まじい動きで、錬金術を多用もしている。だが、ユキの持つ黒鉄の右腕は本来多くの血を用い錬金術を発動させる。ネフシュタンの腕輪が無ければ、多用などできないのだ。それを敢えて用いていた。つまり、それだけ黒金の対策に本腰を入れているという事だ。未来にとって上泉之景は恩人であり、親友の初恋の相手だった。元々響の恋に協力する為に剣を教えて貰う事にしたという側面もある、訓練に全力を尽くしながらも、注意深く観察していた。

 

「遠いな。以前一晩相手をして貰い、私も少しはいい防人(おんな)にして貰えたと思ってはいたのだが、先生の背中は遠いよ」

 

 翼がしみじみと零した言葉に未来も同意する。

 

「帰りましょうか」

「ああ、皆が食事を用意してくれているだろうしな」

 

 二人して寝転がっていたが、少しばかり回復してきたので立ち上がる。

 

「っと、わわ」

「む、少し急かし過ぎたか? では、背中を貸そう」

 

 そして、疲れからかふらついた未来を翼が受け止める。防人でも息も絶え絶えになるほど絞られていた。戦い慣れしていない未来では、直ぐに動くのは難しいかと思い至る。

 

「ええ!? そんな、悪いですよ」

「なに、気にする事は無い。こんな私でも、小日向にとっては先達だろう。先生程ではないにしろ、少しぐらいは頼られたく思うのだ」

「翼さん。じゃ、じゃあ、お願いしますね」

「ああ。任された」

 

 未来自身、歩くのはまだ辛かった為、結局言葉に甘える事にする。翼の背に身体を預ける。翼さんって良い匂いがするなっと暢気に考えていると、ふと気になった事を尋ねて見る事にした。ユキもユキだが、翼も翼で物言いが独特である。以前にも面白い事態になったと響に聞いた事があったから、聞いてみたいとは思っていた。

 

「そういえば翼さんって、先生の事が好きなんですか?」

「ん? そうだな。暇を見ては剣の指南をして貰い、時に厳しく、時に温かく道を示して貰っている。慕うなと言う方が変な話では無いか?」

「うーん。まぁ、翼さんだしなぁ」

 

 響の為でもあるからと自分に言い聞かせ、意を決して切り出した問いに、翼はさらりと答える。帰り道である。二人しかいない為、翼は鼻歌交じりに歩きながら答えた。その様子には恥じらいや焦りなどは見られない。ごく普通に好きだぞと答える翼の姿に、まぁ、翼さんだしなぁっと失礼な安心感すら生まれる。

 

「――む? 私が先生を慕うのがそんなにおかしい事なのか?」

「いえ、そんな事は無いですよ。ただ、翼さんって物言いが独特な時があるじゃないですか」

「自分ではそんなつもりはないのだが。いや、雪音にも偶に何言っているか解らないって言われる事があるし、そうなのかもしれない」

 

 ふむっと考え込む翼に、流石に未来もこれは教えてあげないと可哀そうだと思えて来る。

 

「いえ、翼さんが先生を慕っている事自体は良いんですけど。その、言い方がですね」

「何かおかしいだろうか?」

「はい。普通の人が男の人に一晩相手をして貰っていい女にして貰ったなんて言うとですね――」

 

 少しぐらいなら、古風な話し方でも問題は無いのだけど、翼のソレは色々な意味で物凄い事を言っている時が有ったりする。普通、年頃の女子が男に一晩相手をして貰い、良い女にして貰ったなどと言えば男女の関係を先ず思い浮かべるだろう。翼を良く知り、以前あった出来事の話を響から聞いていたからこそ未来は誤解しないが、何も知らない人間が聞けば誤解は加速する事だろう。風鳴翼は歌手でもある。本人が無頓着であり過ぎては色々と困る事もあるだろうと思い、翼の言動を普通の人がどう解釈するかを耳打ちしていく。

 

「――えッ?」

 

 そして未来の説明を聞き終えた翼の表情は、ピシリとを凍り付く。それはそうだろうなと未来は苦笑が浮かぶ。これまでの翼の言動は、例えるなら人前で公然と愛を囁き、時にそれ以上の事を言っている様に勘違いされかねない。特に響などは、翼にそんな気が無かったと解ってはいても気が気でなかったはずである。そして自分の言動を思い返していた翼が暫く考え込み、パクパクと口を動かすと、一気に赤く染まった。

 

「え、え? あれ? ええッ!? ――ちが、違うの。確かに先生の事は慕っているし、好きだけど、私は別にそんな心算はなかったのッ!? 男性とその、一夜を共にしたなんて事一度も……ッ!?」

 

 そのまま、漸く自分の発言の意味に気が付いたのか、慌てて未来に弁解するように言葉を探すも上手い言葉が見当たらない。あうあうと、普段の防人語も忘れ、羞恥に耳まで赤く染める。普段の凛とした様子からは程遠く、必死に弁解しようとする少女の姿に、幾ら小日向未来とは言えども嗜虐心が擽られてしまう。

 

「じゃあ、翼さんは何の気も無い男性にあんな事言っていたんですね。酷いなぁ」

「待ってッ!違うの。私は自分の言葉にそんな意味があったなんて考えもしてなくて。それに、先生は強くて優しい人だとは思うけど、私には歌女としての仕事もあってそう言うのはまだ早くて……ッ」

 

 少しだけ弄ってみると、面白い様に狼狽が加速する。響一筋の未来ですら、何これ可愛いって思ってしまう程真っ赤になって慌てている。

 

「ふふ、冗談ですよ翼さん。ごめんなさい、解ってて言いました」 

「え……?」

 

 とは言え、流石にこれ以上弄るのは可哀そうだと思い、止める事にする。その言葉に、翼はまた呆けたような声を零した。格好いい翼さんだったり、泣きそうな翼さんだったり、恥ずかしがる翼さんだったりと、今日は色んな翼さんを見ているなっと思いながら、口を開く。

 

「大丈夫ですよ。翼さんがそんな気が無いって言うのは皆分かってますよ。当事者の先生なんて、面白がっている節がありますしね」

「じゃ、じゃあ何でさっきみたいな事を……?」

「それは、慌てる翼さんが可愛くて、つい……」

 

 未来がちゃんと解ってますよと翼に告げると、ならどうしてさっきみたいな事を言ったのと聞かれた。その問いには、だってねえっと、響が居れば同意を求めたくなる。

 

「~~ッ!?」

 

 そして返された答えに、翼は声にならない声を上げる。そしてしばらく黙り込み、乱れた呼吸が落ち着いて来ると一言ぽつりと零した。

 

「今日の小日向はいじわるだ……」

 

 そっぽを向き、絞り出すように零れた言葉に、今日の翼さんが可愛いのが悪いんですと言い返したくなるのを未来は必死で抑えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




武門、未来と翼をいじめる
未来、陽だまりの剣を漸く使いこなせるようになる
翼、未来に弄られ赤面


過去に抱いた想いは、今を守る力となる


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19.黒金

 歌が聞こえていた。目を閉じて、宿泊施設に備え付けられている安楽椅子にもたれ掛かる。膝の上に熱を感じる。クロ。気付けば、此方の上で丸くなっているようだ。微風が吹き抜けるように、歌が流れていく。その音色に耳を澄ませる。歌。雪音クリスが直ぐ傍らで歌っている。

 翼と小日向の鍛錬を終えた後、少女らと緒川、藤尭などが協力して腕を振るった夕食に舌鼓を打った後であった。食欲はそれ程旺盛では無いが、食べられる分だけ食事を採ると男衆は風呂に叩き込まれた。その後に女性陣が入るというのが流れだった。その為、先に風呂をいただいた後に休息していると言う訳であった。ちなみに何故クリスが傍らにいるかと言うと、覗きに行く者が居るかもしれないという事で見張りを買って出たという事だった。

 

「――」

 

 歌が流れていく。誰かに気持ちを伝えたいと言う少女が歌う歌だった。自身には歌の良し悪しを語れるほどの知識など無い。だが、この子の歌う歌は心地良いと感じる。特に、今のような状態では、その音色を聞いていると、幾らか気持ちが楽になる。思わず、ずっと聞いていたいなどと考えてしまう程だ。とは言え、流石にそう言う訳にも行かない。雪音クリスの歌は、自分が独占すべきものでは無いからだ。今は歌う必要があるから自分の為に歌って貰っているが、この子の歌がもっと大勢に聞いて貰えたらいい事だろうと考えてしまう。

 素直な気持ちを伝えられるようになりたいと語っていた事を思い出す。最初に歌ってくれたのが自分のような男である事は素直に嬉しく思う。思えば長い縁で繋がっていた。捨て猫の様な気性だったこの子が、誰かの為に歌を歌うようになってくれた事は、クリスには悪いが自分の子供が良い方向に向かってくれたように思えて感慨深い。一人きりで立っていた。その子の傍には信頼のおける友達が何人もいる。気掛かりな事はあるが、俺が心配する必要はもうない様に思える。脆いところは確かにある。だが、それは、友たちと成長していく過程で強く成っていくだろう。既に、土台となる強さは持ち合わせているのは知っている。だからこれ程優し気な歌が歌えるのだろうと思う。戦いなど行わず、誰かの為にだけ歌ってくれたらと思ってしまう。

 

「お前も好きか?」

 

 膝の上で、クロが小さく鳴き声を鳴らす。口遊まれる旋律に、黒猫もまた、静かに耳を傾けている。答えなど期待していない。だが、もう一度クロは小さく鳴く。それが肯定のように聞こえる。その間も、少女の歌は止る事なく続いていく。

 シンフォギア装者達は戦いの中で歌を歌う。その歌にこそ、気掛かりな事があった。今のクリスが歌う歌の様な、優しさが、戦いの歌には誰かを想う余裕が見られないからだ。かつて聞いた話によれば、彼女等の歌にはその心証が色濃く反映されるという。文字通り、歌には想いがのせられているという事だろう。だからこそ、戦場での歌には注意していた。戦いは辛いものである。それに関しては、誰よりも知っているつもりだった。

 例えば翼であるのならば、剣である事を歌っている。所詮はケモノと変わらぬのかと。クリスであれば、何処か自分の罪を責めるような歌を歌っている。ひとりぼっちでも良いと歌っていた。無意識なのかもしれない。だが、その歌には優しさ以上に悲しみを感じる。

 それに比べれば、響については心配する事が無い様に思える。だからこそ、二人以上に気を付けてもいた。立花響は、二人よりも強いものと弱いものを持っている。それが漠然とだが解ってしまう。誰かを守る為、傷付く事を恐れないと歌っている。この手は誰かの為にあると歌っている。英雄(ヒーロー)では無い、限界なんて無いと歌っている。そして、絶対離さないと歌っていた。

 それは立花響の強さなのだろう。痛みを知り、優しさを知る響らしい心証の様に思える。だからこそ、危ういのである。響の理想は限りなく困難な道である。何か一つ崩れた時、それが致命的な一撃となるだろう。強く気高い想いであるほど、崩れ落ちた時の脆さも大きいのである。他の何でもない、誰かの為にこの手はあると歌う響の想いだからこそ解ってしまう。それは、自分の中にあるものと近い物だ。自分がキャロルに『英雄』と呼ばれたのなら、響も『英雄』と呼ばれるものを持っている。だからこそ、そのような道には行って欲しくないと思ってしまう。何故ならば、今此処で自分が倒れれば、次に祭り上げられるのは近い想いと力を持つものだろうからだ。

 繋ぎ束ねる『英雄』。ルナアタックを防ぎ、フロンティア事変ではネフィリムを撃ち破っていた。想いも実績も申し分が無い。だからこそ、危ういのである。戦いは綺麗なだけではいられない。謀略を仕掛け、姦計によって追いつめる。時に、味方である者達によって討たれる事もある。ガリィは言っていた。お前を殺したいと思うものは、自分達だけでは無いと。その言葉通り、分断され清濁併せて攻められていたと言える。確証はない。だが、内部に敵がいても不思議ではない。人は強く在れるが、全ての人間が強く在れるわけではないからだ。だからこそ、武門は存在しているのである。自分自身の生き方がそれを証明していた。だからこそ、戦場に立ち続けている。

 

「――、寝たのか?」

「いや、起きているよ」

 

 気付けば、クリスが此方を見ていた。その言葉に、落ちていた思考の海から浮かび上がる。

 目の前にいるクリスも含め、戦って欲しい訳では無い。それは今も変わらない。だが、同時にもう、自分が傍で見ている必要がないぐらいには強くなったとも思えてしまう。気掛かりな事はある。だが、自分の力で何とかしてしまうのだろうなという予感もあった。何となく解ってしまうのだ。脆いところはある。だが、強いところもまた存在していた。

 

「俺は、君の歌は好きだよ」

「ッ。い、いきなり何言ってるんだよ」

 

 不意打ちに、クリスの頬が赤く染まる。相変わらず、素直に褒められるのには耐性が無い様だ。そんな姿を可愛らしく思いつつ、言葉を続ける。

 

「夢があると言っていた。それは、人前で歌わなければいけない事だろう?」

「それは……多分」

「君の歌を好きな人間が一人でもいた。それを知っていれば、君の自信に繋がると思ってな。歌に関しては、俺には思った事を伝える事ぐらいしかできないから」

「ッ~~。この、バカ!! 恥ずかしい事言ってんじゃねーよッ!!」

 

 雪音クリスの夢を聞いていた。歌で世界を平和にするという両親から継いだ夢と、大切な人達に素直な想いを伝えられる歌を歌う。誰かの為に歌うというのが、クリスの夢であった。その夢に関して自分がしてやれる事は多くない。一つ二つ言葉を伝えて置く事ぐらいだった。応援している。そんな事を伝えていく。

 

「誰かの為に歌う前に、俺の為に歌ってくれた。素直に感謝を表しておきたかった」

「……ヤメロッ!! それ以上恥ずかしいの禁止だッ!!」

 

 すると、白猫はいっぱいいっぱいと言った様子で声を荒げた。その姿が面白く、小さく笑った。

 

「じー」

「どうかしたデスか?」

 

 先程から人の気配が近付いて来ていた。先ずは暁と月読が風呂から上がった様だ。他の面々はまだ入浴中の様で、一足先に戻ってきたというところだろうか。

 

「な、なんでもねーよ」

「怪しい」

「確かにすっごく怪しいデース」

「怪しくない! それより、戻って来たって事はもう見張りは良いよなッ! あたしは風呂に入って来る!!」

 

 先程の流れから未だに恥ずかしがっているのか、クリスは捲し立てるように言うと浴場に向かう。

 

「あ、逃げたよ切ちゃん」

「待つデース。追うデスよ調!!」

「だーッ。なんでもねーって言ってるだろ!!」

 

 三人が言い合う声が遠くなっていく。その様子に、白猫は後輩ともそれなりに上手くやっているのが見て取れて、それがどこか嬉しくて笑みが零れる。

 

「行ったな」

「気付いてましたか」

 

 そして、呟くと同時に緒川が直ぐ近くに現れる。シンフォギアで歌いなれてるとは言え、誰かの為に歌うのを見られるのはまだ慣れていないクリスの様子に席を立っていた緒川が戻って来る。

 

「良い雰囲気でしたね」

「茶化してくれるな」

 

 緒川の言葉に苦笑が浮かぶ。否定はしない。クロの毛並みを撫でながら、言葉を選ぶ。

 

「俺があの子の歌を好きなのは事実だよ」

「確かに良い歌でしたね」

 

 結局率直に思っている事を語る。今はクリス達も居ない。話しておくには丁度良い。

 

「風鳴翼の付き人としての緒川の意見を聞きたい」

「またいきなりですね」

 

 こちらの問いに、緒川は少し意外そうに目を丸める。まぁ、その反応も仕方が無いだろう。自分でもらしくない事を聞いている自覚はある。元来芸能にそれ程興味があった訳では無い。

 

「あの子には夢があると言っていたよ。両親から受け継いだ歌で世界を平和にすること。素直な想いを届けられる歌を歌う事。その二つだと、教えてくれたよ。その為には、大勢の前で歌必要があるだろう」

「そう言う事ですか。ですが、合点は行きましたよ」

 

 人の夢を語るのはあまり良い事では無いだろう。それも勝手にするのは良くは無いと思う。だが、聞いておきたかった。あの歌姫風鳴翼を押し出している人間である。その言葉は、自分などよりも遥かに重い。

 

「正直に言います。シンフォギアを纏って戦っている時から、翼さんと組ませてみたいと思った事があります」

「俺に歌の是非は解らんが、それ程か」

「ええ。ですが、思い違いでした」

「どういう事だ?」

「一人でも充分にやっていけると思いますよ。勿論、二人を組ませてみたいというのもありますが。戦いの歌では無く、誰かの為に想いを伝える歌ならば、ツヴァイウイングが相手であったとしても引けを取らないと思います。尤も、明確に優劣が付けられるものではありませんが」

 

 あの緒川慎次がツヴァイウイングにも引けを取らないとまで言うとは思わなかった。多少の忖度はあるかもしれないが、翼と奏二人を引き合いに出して尚、引けを取らないというのだ。その言葉は信用に足ると思う。笑う。あの子の夢に関して、俺が心配するような余地はないようだ。それがただ、嬉しかった。

 

「そうか。あの子がもし、そういう道に進むのなら気に掛けてやって欲しい」

「それは勿論。むしろ、良い事を聞きましたよ。近い内にそれとなく話してみようと思います。ですが、何故?」

 

 その問いには苦笑が浮かぶ。穏やかな面の奥底に、鋭いものが見え隠れしている。

 

「気掛かりな事は出来る限り失くしておきたい」

「それは……」

 

 目を見て告げるこちらの言葉に、緒川は口籠ってしまう。つまり、どういうことか理解しているという事である。

 

「この際はっきり言っておくよ。恐らく俺は、この戦いで最後まで立ってはいない。何となく、解ってしまうのだよ」

「そんな事は」

 

 ずっと考えていた事を緒川に伝える。戦いの果てに腕を落とされ、今は毒を盛られている。それも既存の技術では無い。錬金術を用いた物だ。ネフシュタンが身体を生き永らえさせている。少女たちが歌を歌ってくれている。繋がれた奇跡が、寄り添ってくれているからこそ、今自分は生きているといえるだろう。

 

「ない、などと言えるものか。エルフナインの、あの子達の目的はキャロルを止める事だろう。ならばこの戦い、俺は如何すれば勝てる?」

「キャロルを捕らえ、世界を壊す事を止めさせれば」

「あの子の想いは強いよ。それこそ、並大抵の事では止められないと思う程。阻止するだけならばできるかもしれない。討つ事であるならば、出来るかもしれない。だが、それは力で抑え込む事でしか不可能だろう。ならば、あの子の内にあるものを鎮め、共に歩む為にはどれだけの時間が必要だろうか。力で抑え込む事で、望む結末を得る事が出来るだろうか」

 

 問いかけに緒川は押し黙った。嫌な言い方をしていることを自覚し、苦笑が零れた。

 

「力で討つ事は出来るかもしれない。だが、それは望まない。それでは意味がない。ならば、どうすれば勝つ事が出来る。如何すれば、託された想いを果たす事が出来る。すまんな。性分なのだよ。自身が死んだ時の事をまず考える。勝った時では無く、負け、残されるものを考えるとどうしても、な」 

 

 死は恐れるものでは無い。だが、死にたい訳でも無い。戦いの果てにある結末は、自分の意志と異なる結果を生む可能性も容易に存在する。だとしても、戦いを止める訳にはいかない。託されたものがあり、ぶつかるべき理由もあるのだから。

 

「死ぬ心算は無い。だが、今回ばかりはどう転ぶか解らん。だからこそ、出来る事はやっておきたい」

「それが武門であり、男に生まれたという事ですからね」

「ああ。それに、成せる事はあるよ。あの子が『英雄』に拘っている事は自動人形とのぶつかり合いが確信させてくれた。俺の様な者の事を『英雄』と呼んでくれるのならば、あの子を止める術はある」

 

 キャロルは、そして自動人形は自分の様な者の事を『英雄』と呼んだ。だからこそ、其処に一つの可能性が存在する。自分は英雄などでは無い。誰かの為に戦える力を磨き上げて来た。だが、それは、ただ強い力でしかない。『英雄』は、ただ強い者の事を言うのではない。それでも俺の様な者が『英雄』と呼ばれるのなら、それは不幸な事でしかないだろう。それでも、『英雄』と呼んでくれるのならば、考えがあった。

 

「鳥の鳴き声は哀しいよ」

「――ッ。それが、あなたの選択ですか」

 

 暁と月読に出した謎掛け。忍びには即座に理解が出来た様だ。

 

「泣いていたよ、あの子は。思えば、あの時キャロルは手を伸ばしてきていたのだろう。大好きな父を誰も助けてはくれなかった。父を亡くした悲しみに誰も寄り添ってはくれなかったと。その手を俺は、払いのけてしまった。多分、そう言う事なのだと思う。ならば、止めねばならない。自分の為した事に、責は取らねばならない」

「だから、死を予感しながらも立ち続けると」

「あの子は最後に俺を選んでくれたのなら。『英雄』の娘に『英雄』と呼ばれたのならば。俺はあの子の言う『英雄』に届かねばならない。そうでなければ、想いは届かない」

 

 だからこそ、一つずつ気掛かりな事を解消していた。『英雄』の結末など、考えなくとも解ってしまう。全ての事を完全に解消してしまう事はできはしない。だが、少しでも良い方に向かうように動いていた心算ではある。自分が居なくなれば、多分泣いてくれるのだろうなとは思う。その程度には慕われていると自覚している。だからこそ、拠り所を作って置く。先を行くものは、何れ道を譲らなければならない。

 

「何故貴方がそこまで」

「解るからだよ。俺にキャロルの負った痛みは解らない。あの娘の歩んだ道がどれほどの物だったのかも解らない。だけどな、それでも解る事があるよ。父に守られた事の痛みだけは知っている。それでも生きて欲しかったという悲しみだけは、共有する事が出来る」

 

 だからこそ止めなければいけない。痛みを知るからこそ、人は強くならなければいけない。そうでなければ、守られた意味すらなくなってしまう。

 

「どれだけの困難な道であろうと、必ず生きて帰って来るのも『英雄』と呼ばれる者ですよ」

「……随分と難しい事を言ってくれる」

「誰も泣かせないのもまた、『英雄』の一つの在り方ですよ」

 

 友は死ぬなと言っているのだろう。約束などできるはずが無い。だが、笑みが零れた。そう言われてしまうと、頷かざる得ない。『英雄』に届かなければ想いは届かないと自分で言ったばかりだったからだ。

 

「良いな、此処は。暖かい。だからこそ、守りたいと思うよ」

 

 目を閉じ安楽椅子に身体を預ける。膝から感じるクロの熱が心地良く思えた。 

 

 

 

 

 

 

 

「アルカノイズの反応を検知ッ!!」

 

 夜が明けていた。装者達は骨休みを兼ねえた鍛錬に海の方へ出ていた。ネフシュタンの腕輪と黒鉄の右腕の調整。その二つを行っていた時に、藤尭の声が届いた。

 

「状況は?」

「響ちゃんとクリスちゃん、マリアさんがアルカノイズ及び自動人形と交戦中」

 

 左手で童子切を手にしながら問う。三人が交戦を行っている様で、他の者は少し離れた所にいるようだった。

 

「小日向、行けるか?」

「――はい」

 

 一人残っていた小日向に聞く。調整が終わり次第、血刃との戦い方を更に詰める心算であった。だから、小日向だけは残っていたと言う訳である。シンフォギアと英雄の剣は似て非なる物だ。今回は、装者は装者同士で固め、小日向は自分が受け持つという形になっていた。尤も、此方の鍛錬は基準が自分になる為、それ程長時間は行えない為、短期集中という形になる筈だった。

 

「できる限り、右腕の機能は使わないでください」

「解っているよ」

 

 戦場に出る直前、エルフナインがそんな言葉を掛けて来る。右腕の稼働には血液が使われる。ネフシュタンの力をできる限り温存しろという事だろう。頷く。必要ならば使うが、不要ならば用いない。それだけであった。

 

「行ってくるよ」

「気を付けてください」

 

 心配そうに見つめて来るエルフナインに軽く腕を上げ答える。視界の片隅にクロの姿が映る。金眼が、此方をじっと見ていた。心配するな。そんな言葉を内心で呟く。

 

「小日向、ノイズは任せても良いか?」

「任せて、貰えるんですか?」

 

 陽だまりの剣を抜き放ち、淡い輝きを放つ剣を手にした小日向が驚いた様に此方を見た。その言葉に、ただ頷く。エルフナインでは無いが、でき得る限り消耗は避けたかった。戦い全てに全力を出す訳にはいかない。戦わないものを決める事こそが、今必要な事である。

 

「漸く剣が抜けた。最低限作り上げるべきものは作り上げられた。あとは、君自身が磨き上げるしかあるまいよ」

「私自身が……」

「難しく考えなくて良い。陽だまりの剣は、想いを強さに変える。ならば、君が君の想いを見落とさなければ剣が応えてくれる」

 

 少しだけ心配そうな小日向の様子に、人形が出てくれば自分が前に出ると教える。風が流れている。遠くで、戦いの音色が聞こえてくる。白猫が大暴れしているのだろう。爆撃音にそんな事を思う。

 

「私が先生の代わりに……」

「怖いか、俺の代わりは」

「……はい。私なんかが先生の様に」

「翼にも言ったが、君は俺に成れはしないよ。君は君のまま戦うしかない。すまんな、重圧を君に押し付けてしまっている」

「……ッ」

 

 突貫工事で鍛え上げた。だが、小日向自身は戦いなど苦手な類だろう。それが、対黒金だけとは言え自身が立っている位置に立たねばならないかもしれない。怖いと思うのも仕方が無いだろう。拠り所が無い。それが、小日向が立たされるかもしれない場所である。

 

「……、驚いたな」

『――自動錬金』

 

 移動しながら語っていた。不意に、風の流れが変わる。童子切。既に手中にあった。黒金の自動人形。何の前触れもなく現れる。通常形態。血刃を抜く事もなければ、英雄の剣すらも抜かず唐突に姿を現した。

 

「――ッ。黒金の、自動人形……」

 

 小日向がごくりと息を呑んだ。傍らにいる。対峙する敵に、恐れを抱いているのが解る。一歩前に出た。

 

「噂をすればと言う奴か……。お前の目的は、足止めか?」

 

 小日向の代わりに前に出る。答えなど期待していない。童子切を抜きながら、挙動を見詰める。

 

『――』

 

 黒金がゆっくり首を振った。言葉では無い。短いが、ただそれだけの行動であった。それでも、あの黒金が意思表示を行った事に幾らかの驚きを覚える。金色の瞳が此方を見詰めている。不意に、外装が展開される。

 

『――英雄の剣(ソードギア)抜剣(アクセス)

「先生ッ!」

「いや、良い」

 

 風が吹き抜けていく。黒金の身体を金色の輝きが包み込んだ。小日向が声を上げる。それを、制した。違和感を感じた。剣が抜かれてはいない。黒金の外装が展開される。漆黒の正装が纏われる。そして、黒金が少女の様な笑みを浮かべた。状況が読み切れなかった。ただ、この人形が戦いに来た訳では無い事だけが理解できたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




武門、クリスちゃんの夢を緒川に伝える
クリス、武門が何時もより優しい事に気付かない
未来、対黒金の重圧を少しずつ実感し始める

黒金、剣を抜かず抜剣(哲学)





4月1日用に嘘予告書いてたら、本編の更新が間に合わなかった。
嘘予告はギャラルホルンが見せるパラレルワールドのAXZ編になるので、興味がある方は活動報告をご覧ください。別名、ビッキーガチ泣きルートデス。


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20.心の闇

「特訓用リンカーが効いている。これなら――」

 

 アガートラームを纏い、銀の剣を手にしたマリアは感触を確かめるように握り直すと呟いた。蛇腹剣。幾つかに形態変化が可能である銀の剣を大きく展開し、海辺に展開されたノイズを殲滅する為に刃を振るう。銀色の閃光が加速する。マリア、クリス、響の三人を分断するように呼び出されたノイズの一角を打ち貫き、赤色の煤へと変える。

 

「これが、新しいアガートラーム。マリアさん、凄い……」

 

 疾風の如く打ち出されたアガートラームの刃を見た響が思わず零す。銀色の閃光。その太刀筋の冴えに、感嘆が零れていた。マリアは適合率こそ低いが、F.I.S.時代から戦闘訓練を受けている為、幼い頃から防人として鍛えていた翼に次ぐ技量を持っていると言える。フロンティア事変の折、マリアと直接矛を交える事が無かった響は、リンカーを打ち込み万全の状態のマリアの戦いを見るのはこれが初めてといえた。一度、ガリィが強襲してきたことがあったのだが、その時はマリアがリンカーを用いずにガングニールを纏い戦闘を行うも、適合率の低さから短期間で戦闘不能に陥った事もあり、実力を明確に感じたのは今が初めてという事であった。

 ギアの適合率では響の方が上だが、単純な技量ではとても敵いそうにないと思えるほどの技の鋭さである。その強さに、響は頼もしさを覚えつつも右腕を握り直す。

 

「だけど、私だって負けてられないッ」

 

 推進装置を展開、急加速しアルカノイズの群れに突っ込んでいく。右腕で一撃を打ち込み、打点を基点に力を流し、その反発力を更なる速度に変え加速を続ける。攻撃を機動力に転換する。大切な人の戦い方を参考にし、フロンティア事変の時に編み出した戦い方を自分なりに調整し、より良く磨き上げ己のモノとしていた。

 響の強みは突破力であり、瞬発力である。最高速度は翼に劣るが、一瞬の爆発力ならば誰よりも強い。そんな事を大切な人に教えられていた。戦いにおいては誰よりも先に行く者であり、大切な人でもあった。教えられた自分の長所を伸ばそうするのも響にとっては自然な流れであった。

 拳を打ち込みノイズを討ちながら加速を行い、更なるノイズに目標を定め宙を舞うように機動する。拳を打ち込み力を流し、態勢を修正しながら宙を回り目標を捕捉。流した力に逆らわずに踵を打ち込み更にそれを基点に加速する。響の編み出した戦い方は、攻守を同時に行える戦い方であった。

 

「あぅぅ。目、目が回る――」

 

 難点があるとすれば、強引過ぎる機動になってしまう為、加速が行き過ぎると響の認識能力が追い付かなくなってしまう事だ。本人は至って真面目であるのだが、参考にした人物が特殊過ぎる為、自由自在に戦えるようになるまでには、まだまだ練度が足りていない。それでもこの戦い方が実戦で使えるのは、信頼する仲間がいるからに他ならない。

 

「ったくッ。このバカッ!! 調子に乗ってんじゃねーよ」

「クリスちゃんッ!!」

 

 一瞬ふら付いた響の隙を狙い飛び込んで来たアルカノイズを、これでもかと言わんばかりに放たれた誘導弾が迎え撃つ。衝撃が吹き抜けていく。赤色が辺り一面を覆う。大切な友達の一人が必ず隙を補ってくれる。そんな信頼があるからこそ、響は恐れず前に出る事が出来ていた。

 

「響が前衛。クリスが後方から援護しつつ、殲滅。そして、私がその間を繋ぐッ」

「はいッ」

「即興の連携だが、悪くないッ!!」

 

 遠近中。それぞれが得意とする間合いで互いに補い合いながらノイズを殲滅していく。響が乱し、マリアが広げ、クリスが殲滅する。

 

「ふーん。外れ装者も、少しぐらいはマシになったってわけね」

 

 アルカノイズを呼び出した青の自動人形はノイズと交戦する装者を見定めながら笑みを浮かべる。一度、響のガングニールを破壊する為に強襲した事があったのだが、マリアの介入で失敗に終わっていた。その時に、ガリィはマリアの歌を奪いとると決めていた。以前相対した時にはまともに戦う事も出来ない有様だったが、今回は前回の様に途中で戦えなくなるという事は無さそうである。

 

「ガリィッ!! これで、残るはお前だけよ。覚悟は良いかしら?」

「あらあら。ギアが新しくなったからって、随分強気な事で」

「数の上ではこっちが優勢だ。負けるかよ」

「だそうよ?」

 

 即席の連携であるが、ノイズの殲滅を行うとただ奏者たちを見詰めていたガリィにマリアが視線を向け、アガートラームを突き付ける。ガリィがけらけらと意地の悪い笑みを向けると、クリスが吐き捨てるように言った。

 

「どっかーん!」

「んな!?」

「ええッ!!」

「ちぃッ」

 

 風が動いていた。不意に装者達の上空から声が届く。赤色の自動人形。ミカ。何の前触れもなく姿を現した自動人形が、殆ど予備動作も無く巨大な炎弾を展開する。

 唐突に現れた事に加え、今の今までガリィだけだと思っていた三人は間隙を突かれていた。咄嗟に炎弾をマリアが受け止める。アガートラームを盾の様に三人の前に展開し、熱を阻む。

 

「良い反応ね。だけど、がら空きよ」

「かはっ」

 

 炎が三人の周囲を取り囲む。何とか受け止めきれた為、ほんの一瞬マリアが安堵したのをあざ笑うように青が現れる。ミカの炎と全く同レベルの水を操り、炎の中を潜り抜けて来ていた。以前邪魔をされた意趣返しと言わんばかりに、マリアに拳を叩き込む。幾らマリアと言えども、錬金術による攻撃の中を進んで来る事は想定していない。完全に隙を突かれた形で吹き飛ばされていく。

 

「マリアさんッ!?」

 

 同じく完全に想定の上を行かれた響も声を荒げる。その隙を突くように、更に赤色が強襲する。

 

「バカッ。まだ敵が――」

「前の時は不完全燃焼だったから、今回は思う存分戦いたいんだゾ」

「――くぅあッ!?」

「クリスちゃんッ!?」

 

 他人を気にしている余裕はないんじゃないかと言わんばかりに、ミカが二人に炎柱を打ち込む。咄嗟にクリスが響を突き飛ばし、空いた手で重火器を生成し受け止めるも、ミカの出力に抵抗する事が出来ずに弾き飛ばされる。渾身の一撃で、クリスはマリアと反対方向に弾き飛ばされていく。反射的に響は推進装置を機動する。吹き飛ばされたクリスに追いつき何とか受け止めるも、勢いを止めきれず二人して吹き飛ぶ。

 

「じゃあ、そっちの二人は頼むわよ」

「任されたんだゾ。ガリィと一緒に戦えるのもあと少しだし、精一杯楽しむんだゾ」

「ったく、仕方ないわね」

 

 援護に来たミカに向け、ガリィは氷剣を一振り投げ渡す。その力には、面倒そうに言う青の様子とは裏腹に、充分過ぎる意志が込められている。思う存分戦え。まるでそう言ってくれている様な青の力に、赤は満面の笑みを浮かべる。ミカは氷剣と炎剣を手に、響とクリスを見詰める。

 

「今日のあたしは本当に強いんだゾ。触れると消し飛ぶ、錬金術の境地。楽しんで欲しいだゾ」

「あれは――」

 

 何とか体勢を立て直したクリスがミカの姿をみとめる。炎と氷が反発している。その言葉と光景に、キャロルが用いた消滅の力を思い出す。絶対に触れるなと響に耳打つと、距離を取る。赤が加速する。響とクリスは何とか迎え撃つも、戦闘に特化した自動人形を相手に有効な手を打つ事が出来ない。

 

「さて、漸く一対一ね。それじゃあ外れ装者、楽しみましょうか?」

「言ってくれるわね。外れかどうか、確かめてもらおうかしら」

 

 存分に戦える事に歓喜を見せるミカに二人の装者を任せ、ガリィはマリアを見据える。奇襲により鋭い一撃が入っていたが、マリア自身は充分に戦闘可能である。ガリィとミカがやり取りをしている間に態勢を立て直し、再び剣を構え迎え撃つ姿勢を見せる。銃声と気迫のこもった声が耳に届く。自分などよりあの子達は強い。二人は大丈夫だ。己にそう言い聞かせ、青を見据える。

 

「行かせて貰うッ」

 

 踏み込み。銀剣を左手にマリアが斬り込む。青が笑みを深めながら軸を逸らす。

 

「どうぞー」

 

 返しの刃。くるりと踊る様にステップを刻みながらガリィは挑発するように追撃を往なしていく。蛇腹剣。近距離で振り抜き展開。銀剣が無数に別れ、その全てがガリィを穿つ為加速する。

 

「その余裕。崩させて貰うッ!!」

 

 直撃。点では無く面での制圧。無数の刃が青に突き立つ。追撃の為一気に踏み込んだ。

 

「そう簡単に行かないのが自動人形なのよ」

「ッ!? 分身!?」

 

 瞬間、ガリィの姿が水に溶けるように消え去る。一瞬虚を突かれたマリアの背後に青がその姿を現す。振り返ろうとしたマリアを、既に腕に纏っていた氷柱で打ち据える。

 

「うぁぁ!?」

「この程度かしら?」

 

 吹き飛んでいくマリアを見据え、ガリィは意地の悪い笑みを浮かべ挑発を続ける。その言葉に、マリアは吹き飛ばされながらも狙いを定める。

 

「くぅ! これならッ」

「苦し紛れが通用するほど、あたしたちは甘い相手では無いわよ」

 

 一振りの銀剣を投擲する。それを、ガリィは払い落すと失笑と共に返す。態勢を立て直す為の牽制。そんな詰まらない手は態々見なくとも往なす事が出来る。

 

「解っている。だからこそ」

「仕切り直しなんてさせないわよ?」

「なッ!?」

 

 当然、次のマリアが採ろうとしている手など青には見通せている。氷結。マリアの着地点を正確に凍り付かせその機動力を奪う。着地の瞬間の凍結。予想だにしていなかった感触に、完全に足を取られていた。踏み止まり、一気に距離を取る算段が変則的な攻めにより打ち砕かれる。目を見開いたマリアの眼前でガリィは笑みを深める。視線が交錯する。

 

「『英雄』は一人でも戦って見せた。だから、あんたも戦って見せてよ。救世の英雄さんッ!!」

「くぅぅ、うあああッ!!」

 

 再びガリィの腕に展開された氷で頬を打たれ、怯んだところで腹部に腕を添えられる。そのまま接触点から突き出される。凄まじい勢いで打ち出される氷柱に弾き飛ばされる形でマリアは地に落ちる。

 

「……はぁ。少しは期待してたんだけどね。やはり強化型とは言え通常形態ではこの程度か」 

 

 何とか立ち上がろうとするマリアを見据え、ガリィは失望しましたと言わんばかりに溜息を零す。マリアの纏うアガートラームが強化型のシンフォギアとは言え、その出力はイグナイトモジュールを使わなければ自動人形を相手にするには程遠い。だが、そんな測定値とは別に戦力差を覆し続けた存在をガリィは知っていた。マリアもまた、『英雄』と呼ばれた男の姿を見ていた者のひとりである。上泉之景と同等といわないまでも、それに準ずる意志を見せてくれるかもしれないとほんの少しだけ期待していた。だが、英雄の様に限界を超えるような戦い方は示してくれそうにない。それはそうだと青は自分に言い聞かせる。あのような人の中の化け物が早々存在する訳はない。そう自分に言い聞かせながらも、幾らかの失望を覚えた自分に少しだけ驚きつつ、ガリィはマリアを見据える。もし、通常のシンフォギアで自分を追いつめるような事があるのならば、四騎士の剣を抜く事も考えていたが、その必要は無さそうである。当初の想定通り、決戦兵装は抜かない方向で計画を進めていく。

 

「やはり『英雄』は孤高ね」

 

 誰にも聞こえない程の声音で青は呟く。『英雄』の友であり、その背を見ていたはずの者達ですら、その強さには及びもしない。並ぶ事も出来ていない。歩みが早過ぎる。戦場に立ち続ける姿に、そんな印象を抱く。仲間の一人であるマリアと刃を重ねると、よりその想いが強くなる。ガリィの口許に、ほんの僅かに苦笑が浮かぶ。

 

「強い。だけど、負ける訳にはいかないッ」

「へぇ……」

 

 敢えて追撃を行わなかったマリアがイグナイトモジュールに手をかける。その光景に、青は笑みを深める。

 

「この力で、強くなって見せるッ!!」

 

 そして、再び立ち上がったマリアを見据えた。

 

「イグナイトモジュール、抜剣ッ!!」

 

 そして、魔剣の力を開放する。ギアのペンダントから刃が生成され、マリアを撃ち貫いた。魔剣ダインスレイフの欠片が、マリアの中にある心の闇を増幅させる。意図的に引き起こされる暴走。それを制御下に置く事で戦闘能力を飛躍的に上昇させる機能がイグナイトであると言える。

 

「うああああああッ!! ……ッ、弱い、自分を、殺す……ッ!!」

 

 マリア・カデンツァヴナ・イヴの心の闇は『強さ』である。フロンティア事変の折、何も決めきれないまま世界に宣戦布告を行い、多くの犠牲を出してしまっていた。世界を守るという大義を掲げながら、最後の最後まで何も決められず、マリアは偽りの強さに縋る事しかできなかった。

 妹にただ守られた事から始まり、最後は母に守られる形で終わっていた。その結末に至るまでに様々な道があり、選択があった。その全てに目を向けられなかった自分の弱さが、偽りの強さに縋る事しかできなかったという事実が、マリアと言う少女の心の奥底に燻っていたと言える。

 フロンティ事変自体は、幸いにも月の落下を未然に防ぐという最高の結末に終わったが、その結末に行きつくまでには自分などよりも遥かに強い者達に手を差し伸べられていた。そして、母の犠牲の果てに辿り着いたのが救世の英雄と呼ばれる今であったと言える。強くなりたい。そんな願いが、マリアの心の闇だといえた。

 

「……あらら。獣と墜ちやがった」

 

 そして、抜き放った魔剣はそんなマリアの心の闇を増幅させる。仲間たちは強く、自分の傍に居た者達もまた強かった。自分だけが弱い。そんな魔剣に増幅された想いに打ち克つだけの答えが見つけられていないマリアは、魔剣の力に抗うも、意識が押し流されてしまう。

 そんな対峙する相手の様子を見定めると、青は小さく吐き捨てた。『英雄』の傍でその姿を見続けていた者が、魔剣程度の力に打ち克てなかった。その事実が、ガリィを少しだけ苛立たせる。ガリィにはマリアの心の闇が何なのかは解らない。だが、魔剣を抜き放った直後に零された言葉からある程度の事は予想がつく。

 

「あああああああッ!!」

「弱い自分を殺す、か。誰よりも強い者がすぐ傍に居たのに、そんな言葉を吐くとわね……」

 

 黒い力に飲み込まれたマリアの突進を往なしながらガリィは吐き捨てる。気に入らなかった。『英雄』の傍でその姿を見ながら、それでも魔剣に抗えない弱さが気に入らなかった。

 

「『英雄』の守りたかったものがそんな為体じゃ、報われないわよ」

 

 獣の踏み込みのまま突き進んできたマリアの首元を掴むと、地に叩きつけるように制圧する。それでも暴走したまま何とか立ち上がろうとするマリアを蹴り飛ばし、胸元に掛けられたペンダントに触れる。シンフォギアのペンダントの様に取り付けられた決戦兵装。英雄の剣。青の自動人形用に加工されたそれに触れる。

 

「仕方がないから見本を見せてあげる。覚えておきなさい。これが、力の使い方よ。四騎士の剣(ソードモジュール)抜剣(アクセス)ッ」

 

 ――血脈に宿る刃(ブラッドスレイヴ)

 

 純白の外装が展開される。ガリィを象徴するように青の装飾が入った外装を身に纏いながら、黒に飲まれた装者を見据える。氷剣を抜き放ち、獣に視線を定める。そして

 

「外れ装者にはがっかりだ。新たな武器を手にしただけで強くなれるなどと思い上がるな」

 

 一撃のもとにマリアを討ち果たしていた。まともに氷剣で切り伏せられたマリアは、何とかシンフォギアの持つ性能が衝撃を逃すも、ギアの解除に追い込まれる。打ち伏せられ、気を失ってしまったマリアをガリィはただ見つめ吐き捨てる。

 

「さてどうしたものかしら……って、この反応クロちゃん……?」

 

 マリア・カデンツァヴナ・イヴがイグナイトモジュールの起動に失敗するなど想定していなかった為、どう軌道修正を行おうかと思考をずらそうとしたところで、不意に気付いた。本来居る筈の無い反応が存在している。それも、『英雄』のすぐ傍で。

 

「まぁ、良いわ。クロちゃんはクロちゃんでやりたい事があるわけだし」

 

 黒金の自動人形には何の指示も下していない。故に、自分の為したい事を為しているという事なのだろう。ガリィであってもその思考は読み切れないが、既に黒金を仲間と認めていた。主の邪魔をしないというのであれば、好きにさせようというのがガリィの本心だった。

 

「英雄の軌跡を受け継いだものはどんな行動をとるのかしら?」

 

 黒金の自動人形の反応は、剣聖を止める為に展開したアルカノイズの方面に向かっていた。ガリィにも読み切れないところはあるのだが、元より主の命令である計画の遂行を邪魔する行動はとれはしない。信じると決めた存在が何を成そうとしているのか、それを見極めながら予定を修正する事に決め、ガリィはその場から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……一体どうなってるの?」

 

 小日向未来は困惑していた。眼前の光景が信じられず、ただ前を行く背中を追っていくのが精一杯である。突然姿を現した黒金の自動人形。当然のように戦闘が開始されるのだと思っていた未来は、今目の前で起こっている状況が呑み込めない。

 

「先生、大丈夫なんでしょうか?」

「解らんな。ただ、アレはこちらに刃を向ける気が無い様に思える」

 

 だから、当事者に尋ねて見るも自分と同じ結論に至った事だけが返される。

 黒金の自動人形は英雄の剣を展開すると、まるで子供が親に見て貰いたがっているかのように屈託のない笑みを浮かべた。以前イグナイトモジュールを纏った三人の装者と交戦した折にも、風鳴弦十郎を相手に笑みを浮かべた事があったようだが、その笑顔とは随分と趣が異なる様に思える。後者が武門の笑いならば、前者は子供が親に向ける類の笑みである様に思える。無垢な信頼。大凡これまでの黒金とのぶつかり合いからは想像できない類の感情が読み取れてしまう。未来は元より、流石のユキもこれには判断がつきかねていた。そして、黒金の自動人形がユキの手を取った。そのまま、親を何処かに連れて行こうとする子供の様に歩き出す。歩みは早くない。だが、何かをしようとしているのは解った。今ならば、黒金の隙を突けるかもしれない。

 

「やめておけ」

 

 そんな事を考えたのを見透かされたようにユキが未来に呟く。その言葉に思わず両肩がびくりと震えるが、素直に頷く。ユキが仕掛けないのに未来が仕掛けたところで上手くいくとも思えない。ただ、手を引かれるままについていく上泉之景に未来もまた付き添うように歩を進める。余りにも異様な光景だった。自分たちは眼前に居る黒金の自動人形と戦う為に準備をしてきていた。それが、いざ相対すると手を引かれ先導されている。未来でなくとも不思議に思う状況である。

 

「ノイズ、か」

「先生ッ」

 

 そして、幾らか進んだ先にアルカノイズが姿を現す。十どころか、百に達するほどの数である。無害を装い、罠に嵌めようとしたのか。そんな考えに至り声を出した時、更に想定のしていない出来事が起こる。

 

『――自動錬金(オートアルケミー)

 

 自動音声が響き渡る。風がノイズの合間を吹き抜けていく。未来が反応するより早く生成された飛翔剣が、ノイズの群れに打ち込まれていく。生成された六本の飛翔剣が、次々とノイズを撃ち抜いていく。黒金の自動人形の右腕に付けられた、黒金の小手の宝玉から輝きが零れる。

 そして、ユキの手を放すと己の右腕に刃を生成する。飛翔剣が舞っている。ノイズを刃が赤色の煤に変えていく。まるで見ていてと言うかのように、黒金が一度ユキに視線を向ける。

 

「……やってみろ」

 

 そして、ユキの言葉と同時に黒金が動いた。凄まじい速度でノイズの群れに斬り込んで行く。風が吹き抜ける。未来の髪の毛がふわりと揺れた。血刃。まるで、ユキの使う血脈の技の様な冴えで次々とノイズを切り伏せていく。

 

「凄い……」

「小日向。見ておくと良い。どう言う心算かは読み切れないが、黒金は今の全力を見せてくれている」

 

 飛翔剣が舞い踊り、血風が駆け抜けていく。瞬く間に、ノイズの群れが駆逐されていく。やがて黒金が飛翔剣を消滅させ、最後の一体を切り伏せたところで再びユキの手を取りに戻って来る。

 

「……狙いが読めない」

「はい」

 

 ぽつりと零されたユキの言葉に未来もただ同意するしかできない。未来に解る事は、今、黒金の自動人形は戦う気が無いという事だけである。

 

「が、剣に関してはまだ未熟だな。斬り方が素直過ぎる」

「って、今ので未熟なんですか?」

 

 そして、何とも無しに呟かれたユキの言葉に思わず未来は反応する。踏み込みから刃が振るわれるまで、殆ど未来には視認が出来なかった。それ程の剣ですらまだ未熟だと言われる。未来からすれば、ちょっと意味が解らない。あまりに理解が出来ない状態が続き、未来もかえって肝が据わって来ていた。

 

「ああ。速度は申し分ないのだが、捻りが無い。先ほども言ったが、素直過ぎる」

 

 そして、未来の相槌にユキもまた短く答える。そんな言葉を聞き、反応を示したものが居た。黒金の自動人形である。一度ユキの方を見ると、何かしゅんっとした感じで頭を垂れている。その光景に思わず、ショックを受けたのかなって未来は思ってしまう。そんなはずがないとは思うのだが、そうとしか思えない反応だった。何と言うか、子供が親にダメ出しをされているような光景に見えてしまう。

 

「……まさか、な」

 

 そして、何度かのノイズとの交戦が行われていた。その度に黒金の自動人形が前に出て、全てを切り伏せていく。数度それを繰り返し、目的の三人が居る場所に近付いた時、不意に黒金がユキの手を放した。そして、暫く名残惜しそうに見つめると、英雄の剣を解除し姿を消す。そんな光景に、しばらく無言でいたユキがぽつりと零した。

 

「一体何だったんでしょうか?」

 

 未来には黒金の自動人形が何をしに来たのかとてもじゃないが解らない。ユキの、何か思い当たったような言葉に相槌を打つ。

 

「自分の剣を俺に見せるように戦っていたよ。その剣は、未熟ではあったが確かに上泉の剣であったよ。まるで、長時間戦えない俺の代わりに戦いに来たと言わんばかりの剣だった」

「え……?」

 

 そしてユキの抱いた感想は、そんな突拍子もないものであった。

 

 

 

 

 

 




マリア、抜剣できず
ガリィ、予定にない抜剣
未来、斜め上の状況についていけない


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21.強いということ

 右腕を見詰めていた。黒金に手を取られていた黒鉄の右腕。エルフナインによって作り出された新たな手である。その手を引き、黒金はノイズの下へと自分と小日向を誘った。罠だとは思わなかった。これまでの黒金とのぶつかり合いからとは想像し辛いほどの信を向けられていたから。何故と思いはした。だが、その感覚は確信へと変わった。まるで見て欲しいと言わんばかりの剣。まだまだ未熟としか言えない程の剣ではあったが、たしかに上泉の剣であると言えたからだ。

 自動人形である黒金が、意志の宿した剣を振るったのである。何かが変わったと明確に感じた。その何かの説明はできないが、黒金の中で何かが変わったという事なのだろうか。刃を交わした訳では無い。だが、見ているだけでも感じる事が出来るほどの、意志を示していた。

 戦いにおいて意志は大きな比重を持つ。シンフォギア装者の歌が心象に反映されるように、戦う者の心もまた大きく戦いに影響を与える。力を振るう事に迷う者と、目的を定めその為に力を振るう者とでは大きな差があるからだ。黒金に初めて出会った時には意志など殆ど感じなかった。フロンティア事変の際暗躍していた時ですらも、命令に従っていただけに思える。ならば、現状起こっている事件が黒金を変えたという事なのだろうか。確証はない。だが、手を取り笑みを浮かべた黒金の姿に、恐らくそうなのだろうと思えてしまう。黒金の自動人形は血刃を用いる事が出来、自身もまた血刃を受けた事もあり感じる物があった。

 

「ぶつかり合う事で変わるものがあり、変わらぬものもある。俺が斬られたように、俺もまた何かを切ってしまったのか」

 

 血刃は目に見えぬものを斬る事が出来る力だ。その力は、異端技術を切り落とす事が本領では無い。異端技術を打消す事が出来る事は一端である。力に飲み込まれた響の中の恐れを斬り落とした時の様に、暁と月読の絶唱を斬り裂いた時、天羽奏が未知を示してくれたように、マリアに呼びかける妹を認識させたときの様に、力だけではなく感情や現象すらにも干渉する事が出来るのが血刃であり、童子切であった。その力を語る時、常識という枠をまず最初に壊す必要がある。思えば、自身が血刃に至ったのもまた、黒金の血刃に斬られたからだ。様々な切欠はあった。だが、明確な分岐点はそれであったのだろうと思う。果たして自分は、身体を斬られただけなのだろうか。

 

「強くなったな。あの子らが強くなったと思うのと同じぐらい。或いはそれ以上の速さで、あの子もまた強くなっている」

 

 自動人形と人間。基本的な性能の差はあるが、それを差し引いても黒金と装者達の伸び方は目を見張るものがある。後を行く者達は強くなった。それと同じぐらい、刃を交わした者もまた強くなったという事だった。

 特に意識をせずに零した言葉に苦笑が零れる。響やクリス、翼を始め、マリアや暁、月読の皆は成長していると感じる。それと同じように強くなった黒金にも、後進に感じる感慨に近い物を抱いていたからだ。何度も刃を重ね、その度に打ち払って来ていた。黒金との因縁と拘り、ある意味で繋がりは装者達よりも深いのかもしれない。『英雄の軌跡』。エルフナインが言うには、キャロルは黒金の事をそんな風に呼ぶ事もあるという。そのキャロルに、黒金はお前の歩んだ軌跡だと言われていた。『英雄』。それは、ただ強い者をいうのではない。キャロルには英雄と呼ばれたが、その言葉に自分は届きはしない。上泉之景が強くなったのは、『英雄』に成りたかった訳では無い。それどころか、誰かの為ですらないからだ。

 

  ――我らが刃生かす為に在る。

 

 父が遺した言葉。それを長い時の中でずっと見定めていた。だからこそ自分は強くなりたいと願い、だからこそ誰かを守れるほどの強さに手が届いた。そんな強さは、英雄と呼ばれるものでは無い。

 意志とは言い換えれば己である。自らの歩んだ道の中で考え、育んできたものだ。だからこそ、人形である黒金の刃に明確な意思が宿っていた事に少なくない衝撃を受けたのか。刃の中で黒金の意志を感じ取れた。それは即ち、黒金もまた己の歩む道の中で考え育んでいるという事だろう。

 

「時が欲しいな――」

 

 自動人形は人形である。強化はされても変化はない。そう思っていた。だが、それが違ったという事なのか。ならば、黒金の中の想いとは何か。意志が感じられるという事は、考えがあり望みもあるという事だ。それを見定める時間は、恐らくありはしないだろう。思わず言葉が零れる。

 悩ましいところであった。ここに来て、黒金の変化である。それだけならばまだしも、不可解なほどに無垢な信頼を向けられていた。子供が親に向ける類の感情。そんな物を感じ取れた気がするのである。

 黒鉄を倒す気でいた。それが、今少しだけ揺れてしまっている。

 

 

 

 

 

「一先ず、マリアさんの方は大丈夫です」

 

 その黒金との遭遇も終わり、自動人形に敗れ傷付き倒れたというマリアを医務室に運び退出したところで考えを整理していた。運ぶまでは良いが流石に処置の時に部屋にいる訳にはいかない為、一人席を外していた。少女らは、処置の終わったマリアに付き添っているという所だろうか。一人部屋を出て来たエルフナインが、今できる事は終わりましたと教えに来てくれた。

 

「そうか。怪我の具合は?」

「多少の傷はありますが、大きな外傷は見当たりませんでした。意識を失ったのは、ガリィの攻撃というよりも、イグナイトモジュールの起動の失敗が大きいと思います」

「暴走、か」

「はい」

 

 自動人形との攻撃では無く、決戦兵装の展開の失敗が大きな要因であったとエルフナインは言葉を続ける。イグナイトモジュールの起動。それは核となる魔剣の聖遺物の欠片を用い心の闇を増幅、シンフォギアの暴走を意図的に引き起こし、その力を異端技術と理性で以て制しより強大な力を手繰り寄せるものであると聞いていた。

 

「なぁ、エルフナイン。俺が今更聞く事では無いし、意味もない。だが聞いておきたい事がある」

「え? はい。何か気になる事がありましたら、ボクに応えられる事があればお答えします」

「魔剣の力で本来の強さを越えるイグナイトモジュール。本当に、必要なものなのか?」

 

 魔剣妖刀、古来よりそのような名で呼ばれる武具は存在する。童子切もまた、妖刀に類される異名で呼ばれる事もある。天下五剣。その呼び名が最も有名だが、血吸いとも呼ばれるのである。自分に言わせれば、童子切に最も相応しい呼び名はそれだろう。文字通り、血を吸わせ斬り進んでいる。妖刀と言われれば、否定できる要素は無い。だからこそ、そのような武具を持つ自分であるからこそ、聞いておきたかった。自身の持つソレは痛みを伴う力だ。あの子らもまた、そんな物を用いねばならないのか。

 

 

「必要……だと思います。何の強化も用いていないシンフォギア。それだけで相手にするにはキャロルの力は余りに強大です」

「そうか。君がそう言うのならば、そうなのだろうな」

 

 こちらの問いに、エルフナインは暫く考え込むと、意見を纏めたのかゆっくりと語り出す。キャロルの力は強大である。直接刃を交えた事は殆ど無いが、何度となく行った自動人形とのぶつかり合いが否が応にでもその強さを実感させる。更には自動人形には英雄の剣も有る。まともにぶつかり合っては敗北も必至であると言える。

 

「だがな、俺が聞きたいのはそうではないよ。力に対し、更に力を求める必要があるのかと聞いている」

「え……?」

 

 だが、聞きたい事はそう言う事では無かった。キャロルを止める為に更なる力を望む。その考えが間違っているという気はない。だが、あの子らにとってそれが正しいと言えるのか。そう考えていた。

 

「響は、始まりの巫女であるフィーネに対し、最後の戦いで人は繋がれると語ったそうだよ。何処かの場所、何時かの時代、甦る度に伝えて欲しいと。世界を一つにする為には力なんて必要ないと。人が繋がり合う事に力なんて必要ないと。そう語ったと聞いているよ」

 

 それは嘗て、ルナアタックの折に響がフィーネに語ったという言葉。自身は始まりの巫女に敗れ、死ぬはずだった時に伝えられた言葉という。あの事件の全てが終わった後教えられ、フィーネにもまた教えて貰った事でもある。響の口から直接聞いた訳では無い。だが、そう在れるのであれば、それが最も良い。

 

「それが、誰かを止める為とは言え、更なる力を欲してる。俺には、それが良い傾向だとは思えない」

「それは――」

「力が無ければ、想いを守る事が出来はしない。だからこそ、魔剣などに頼るべきでは無いのではないのか? 強さは何かに頼るのではなく、己を磨き上げた果てに至れるものでなければならないのではないか? そんな事を思っているよ」

 

 マリアがイグナイトモジュールの起動に失敗したからそんな事を思うのか。人は力なんて必要ないと言い切った者が今、魔剣の力で戦力を増そうとしているからか。或いは、自分の力が届かず後進を犠牲にするしかなかったかつての負い目が言わせているのか。内心で苦いものが広がる。

 

「キャロルは世界を壊そうとしています。それは何時かでは無く、差し迫ってきているんです。世界の破壊は明日かも知れません。確かにイグナイトの力は真っ当なものではありません。だけどボクにはこれ以外の方法が見つけられませんでした。だからこそ、ボクは――」

「いや、すまない。解ってはいたんだよ。決めたのはあの子らであり、俺が口を出す事では無い。君が何の葛藤も無く、痛みを伴う術を選んだ訳でも無いと」

 

 こちらの言葉に辛そうに答えるエルフナインの言葉を遮る。今更異を挟むつもりはなかった。エルフナインとて、出来る事ならばこのような手段を用いたくは無かったのだろう。今にも泣きそうになっている表情を見ると、それがはっきりと解ってしまう。ただ、それ以外の道が見つけられなかっただけなのだ。それを責めると言うのは余りにも酷な事だ。

 

「ただな、魔剣と言う可能性を提示した君だから覚えていて欲しいんだ。あの子らは、本来力などに頼る性質では無いと。人は力など無くても繋がれると言えた、その想いにこそ真価があると、覚えていて欲しい」

 

 今力を欲するのは、想いを繋げる前に潰されかねないからだろう。だからこそ、錬金術に押し潰されない強さを望む。そう言う事なのだろう。だからこそ、本来は安易に力を求める者達では無いと心に留めておいて欲しい。人は歩む道の中で考え、変わっていくものだ。だが、変わらなくて良いものもある。人は、優しさを忘れるべきでは無い。

 

「俺には力が不要などと言えはしないよ。だが、そう言える者も居る。ならば、その想いは無くすべきでは無い。だから、戦場に立つものでは無く、戦う者を支える君にこそ覚えていて欲しいと思うよ。戦う力だけが強さでは無いと。あの子らがまた立ち止まる時があるのなら、見送る側になる君にこそ覚えていて欲しい。考え続けて欲しい。そう思っている」

「ボクにこそ、ですか?」

「ああ。俺の問いに真摯に悩み、考えてくれた君だから覚えていて欲しい。強さとは力だけでは無いと、人は優しさを無くすべきでは無いと、な」

「――はい」

 

 自分の様な者の言葉に考え込み、心苦しさに痛みを覚えられる優しさを持つからこそ覚えていて欲しかった。自分もまた武門である。戦場に立つという事は、何があるか解らないからだ。

 

「……それだけしか道を見つけられなかった者を責めるのは酷、か。穴があれば入りたいとはこの事だな」

 

 そして、エルフナインとの会話が一区切りが付き彼女と別れた時に気が付いた。それ以外に道を見つけられなかった。それは、あの子もそうであったのでは無いのか。それに対し、自分は如何切り返したか。

 

「弱いのは俺もまた同じ、か」

 

 かつての問答を思い出す。自分にはそれ以外の道を見つける事が出来なかった。キャロルは確かにそう言っていた。それに対して自分が返した言葉は、他に方法がある筈だという無責任なものだっただろう。その意見自体には間違いがあるとは思わない。ただ、もう少し別の言い方があったのではないかと思ってしまう。今だから解る。アレは、俺が意図的にキャロルを言葉で斬り裂いた。気に入らなかったから。どうしようもなく、気に入らなかった。オレと同じ想いを持つ。その一言が、どうしようもなく気に入らなかったのだ。

 

「俺と同じなものか――」

 

 父の死を思い出し、涙を零すキャロルの姿にそんな事を思う。似ているところは確かにある。だけど、どうしようもならない違いがあった。それに気付いていなかった事に、あの時は苛立ってしまったのだろう。だから、あんな言葉を返してしまったのか。

 心が揺れていた。このような状態で、あの子らの前に出る訳にはいかない。ざわついた心を落ち着かす為、海辺を歩く事にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたは――」

「マリアか」

 

 海を見ていた。気持ちを落ち着かせる為、波の音に耳を澄ませているとそんな言葉が届いた。マリア・カデンツァヴナ・イヴ。自動人形との戦いに敗れ、傷付いた装者だった。心持は既に落ち着いている。海を見詰めたまま応じる。

 

「怪我の調子は良いのか?」

「ええ。傷自体は大したものじゃないわ」

「そうか」

 

 隣に並ぶように立ったマリアに尋ねる。もう大丈夫だと返って来る。

 

「そうかって、全くあなたって人は。嘘でも良いから、もう少し女の子の事は心配したらどうかしら?」

「それだけ軽口が叩けるなら、先ずは安心だな」

「こ、この男は」

 

 何時も通りの反応に、怪我した時ぐらいは心配したらどうだと言われ、苦笑が浮かぶ。自分は武門であり、医師では無い。できる事が無い以上、出来る者に任せるしかない。元より、心配するほどのものでも無いのは解っていた。そんな事を告げると、半分冗談の様に言っていたマリアも幾らか不満そうにする。

 

「まぁ、後を引くようなものも無くて何より」

「そうね。一応お礼は言っておこうかしら。あなたが運んでくれたようだしね」

「なに、礼には及ばんよ。米俵を抱えるように担ぎ、医務室に放り投げただけだよ」

 

 マリアを運んだのは確かに自分だが、まぁ、順当な役回りだろう。幾ら翼や響が鍛えているとは言え、腕力は女子の範疇である。同時強襲してきたミカに痛手を負わされた事もあり、全てが終わった後に自分が運んだ訳であった。実際の所、抱きかかえて運んだわけだが、水着であった事もある為、冗談を交えておく。その際に響とクリスが無言で監視しており、やましい事は無いが非常にやり辛かった。

 

「んなッ!? い、幾らなんでも、女の子はもう少し丁寧に扱いなさい」

「ああ、肝に銘じておくよ」

「思うんだけど、あなたはもう少し私に優しくても良いんじゃないかしら?」

 

 反応を目に、喉を鳴らす。凛としている様で、意外と抜けていてころころと表情豊が変わるマリアの事は嫌いでは無い。少し沈んでいた分、気分転換に話すのは悪い選択では無いと思う。不満そうに口を尖らせるマリアには悪いが、切り替えには最適だった。

 

「負けたわ。私は、何に負けたのかな……」

 

 そのまま幾らか雑談を交わしていると、マリアが本題に入る。話したい事がある、と言うよりは聞いて欲しい事があったのだろう辺りを付ける。どこか、フロンティア事変の折の響や翼、クリスの様子に近い物があったからだ。

 

「イグナイト、か?」

「ええ。私は強くなりたかった。かつての過ち。フロンティア事変。何の覚悟も出来ず、選択すべき時に何も決められず、涙を流す事しかできなかった。弱い自分が嫌だった。そんな弱い自分を殺す為、変わる為に力を取ったつもりだったのだけど……。私は魔剣の奏でる呪いに打ち克つ事が出来なかった。」

 

 ぽつりぽつりと語り始めた言葉に耳を傾ける。強くなりたかった。どうすれば強くなれるのか。何度かマリアに似たような事を聞かれていた事もあり、その言葉には聞き覚えがあった。思う所はあるが、先ずはマリアの言葉を全て聞く事にする。

 

「翼とクリス。二人ではイグナイトの起動に失敗した。だけど、そこに響が加わり三人でなら、魔剣の呪いに打ち克つ事に成功したわ。私が勝てなかった呪いに。あの子達は、強いわね」

「一人一人では小さな力だが、あの子らはそれを繋ぎ合わせる事が出来る。そう言う事なのだろうな」

「ええ。育んだ絆があり強さがあった。だから、立ち上がれたのかもしれないわね。私とは違うわ」

 

 イグナイトを起動させる事に成功した三人娘に、一瞬だけマリアは思いを馳せる。自分にも暁と月読と言う絆があった。だけど、自分自身に立ち上がる力が無かったなどと考えているのだろう。表情を見ると、確信は無いが想像は出来る。

 

「あの子らは確かに強いな。だが、それは君とは異なる強さだよ。比べる事にあまり意味はない」

「そうね。だけど、事実としてあの子達はイグナイトを手繰り寄せ、私は膝を屈した。嫌でも、思い知らされるのよ」

 

 比べる事に意味は無いと伝えると、理性では解っていても気にしてしまうのだと零したマリアには悪いが笑う。悩む事は事態は悪い事では無い。迷い止まる事が停滞であり、迷いもがく事は停滞ではない。そして、仮に止まったとしても、それが絶対に悪という訳でも無い。商いならば利が全てだが、研鑽は結果以外にも、或いは過程こそが重要となる。悩み、思いをぶつける事が出来る。それは、恥ずべき事では無い。

 

「私はあの子達には及ばない。手を繋げる人はいても、自分一人で立つ力はない」

「だから、俺の下に来たと?」

 

 自分は一人で立つほどの強さを持ってはいない。そう悩むマリアに何を馬鹿な事をと言いかけ呑み込む。打ち砕かれ、倒れ伏したのだ。自信が無くなっている。そう言う事なのだ。それは、託されたものを見失った事に似ているのかもしれない。ならば、自分で届かねば意味はない。俺が言葉を尽くしたとしても、最後の所で響きはしない。

 

「ええ。あの子達は強いわ。だけど、一人で立つ力という意味では私が知るなかではあなたが最も強い」

「俺はそれほど強くはないよ。だが、今は弱くはない、とだけ言っておこうか」

 

 ただ一人で立っている強さでは、あなたはあの子達にも勝ると言ったマリアの言葉にただ頷く。

 

「一度聞いた事はあるけど、もう一度聞かせて欲しい。どうして貴方はそれほど強いの? 何故貴方は、たった一人でも立っていられるの?」

 

 それは以前にも聞いた事がある言葉だった。俺は強くなどない。以前はそう答えたが、その考えは今も変わる事は無い。イグナイトが発動できなかったとしても、マリア・カデンツァヴナ・イヴが弱いなどと思う事は無い。

 

「何を言うかと思えば、以前にも答えた筈だよ。君は弱くなどない」

 

 だから、以前と同じように君は弱くなどないと伝える。

 

「あなたにとってはそうなのかもしれない。だけど、事実として私はイグナイトを発動できなかった。呪いに打ち克つ事が出来なかった。弱い自分を、殺す事が出来なかった……ッ」

 

 あなたがそう言うのならばそうなのかもしれない。だけど、自分にはできなかった。そんな悲痛な言葉を零す。それは言葉通り、弱い自分が許せないという事なのだろう。妹に生かされ、母に生かされた女性である。二人の為、そして共に生きる仲間たちの為にも弱いままでいたくないと言うのが、マリアの本音なのかもしれない。

 そう思えることそのものが『強い』という事になるのだが、今はそれを理解できないのだろう。ならば、っと言葉を選ぶ。

 

「なぁ、マリア。俺は強いか?」

「え……?」

 

 短く問う。それに、一瞬マリアは質問の意図が解らないと言ったような表情を浮かべる。

 

「俺は強いかと聞いている?」

「え、ええ。あなたは強いわ。私の知る中で、最も強い」

 

 以前、マリアには悲しい強さだと言われていた。だとしても、俺などが最も強いと言うのか。そんな事を一瞬思うが、今は捨て置く。

 

「ならば、響は? 翼は? クリスは?」

「……あの子達も強いわ。私なんかに手を差し伸べてくれた。そして、世界中を一つに繋げてくれた」

「そうだな。フロンティアの力を経由したとは言え、あの時確かに人々は繋がった。ほんの束の間だが、確かに繋がれた」

 

 響の言葉を思い出す。確かに、人は繋がれた。ほんの僅かな時間ではあったが、繋がる事が出来たのだ。だからこそ、70億の絶唱は放たれ、だからこそ世界は守られた。

 

「では暁は? 月読は?」

「二人もまた、確かな強さを持っている。何も選ばなかった私とは違い、己の意志で過ちを認め手を取り合い、守る事を選択した。皆強いわ。私だけが選べなかった……」

 

 来てくれた二人の妹の姿を思い出し、悲しげに笑う。存外脆い。或いは、これがマリアと言う少女のありのままの姿なのかもしれない。

 

「では最後に問う。君を守った妹はどうだった? 君達に生きて欲しいと告げた、君たちの母はどうだった?」

「……ッ。そ、れは……」

「誰かの為に、命を捧げた。誰かを思う優しさがあり、或いは、避けられない死への諦めもあったかもしれない。それでも、強かった。そして、それだけの強さを持って欲しくはなかった。違うか?」

「なにも、違わないわ……」

 

 そして、最後の問い。マリアが失った者達について聞く。心の傷をなぞる事になるが、仕方がなかった。思い出すと訪れる悲しみに、マリアの瞳に涙が浮かぶ。泣き出す事は無いが、上手く声に出せない事は解った。だから、マリアが思うであろう言葉を繋ぐ。残される者の痛みならば、少しぐらいは自分にも解る。マリアは同意するように頷いた。

 

「なぁ、マリア。君は俺が強いと言ったな。だが、本当にそうか? 今挙げた強さの中で、俺が最も強いと、本当に思うのか?」

「そ、れは……」

「別に、俺の事は気にしなくても良いのだが、まぁ聞き方を変えようか」

 

 全ての例を出し終え、最後にマリア自身に尋ねた。押し黙る。それだけでも答えなど解るが、ならばと、少しでも応えやすい様に聞き方を変える。

 

「君の言う強さとは何だ? 君は誰のような強さを持ちたいんだ?」

「私は――」

 

 そして、其処まで口にすると押し黙った。目を閉じ、考え続けている。その姿に、少なくとも、マリアの目指す強さと、俺が手にしている強さは違うものだと結論付ける。弱いつもりはない。だが、俺の思う強さとマリアの思う強さが同じという事は無い。人の数だけ想いがあるのと同じで、人の数だけ強さもまた存在する。己は、己だけの強さを見つけるしかない。マリアの言う『強くなる』というのは、自分で辿り着くしかない。悩み、もがき、その上で立つしかないのだ。

 

「無理に今答えを出さなくても良い」

「――え?」

 

 そして無理に答えを出そうとするマリアを制する。答えなど、急ぐものでは無い。悩みもがいた数だけ、それは糧となり得る。ならば、もがくのもまた、一つの道だ。

 

「悩む事が出来る。それは悪い事では無い。迷う事が出来る。それは、悪い事では無いんだ。人は誰しも、そうやって強くなる。立ち止まったとしても、全てを投げ出しさえしなければそれは終わりでは無い」

「けど、私は強くならなければ」

「強くなった。少なくとも、仲間の強さを認めた。それは君が一つ経験したという事だろう。ほんの少しだが、変わったよ」

 

 自分は強くならなければいけないのだというマリアに急くなと続ける。

 

「悩め、悩め。悩み苦しんだものは、無駄では無い。己を支える血肉となる。自分の想いが何処に向いているのか、それを見定める事もまた、戦いだ」

 

 最後にそんな言葉をマリアに投げかけ、その場から離れる。揺さぶりは掛けた、後は、自分で積み上げるしか無いだろう。

 

「待って。あなたもそうやって強くなったの?」

 

 離れようとした時、マリアが問いかけていた。少しだけ幼い頃に思いを馳せる。自分には明確に強くなりたい理由があり、届きたい姿があった。だから、それほど多くを悩んだ事は無い。だからと言う訳では無いが、他人に少しぐらい助言してみるのも良いかと思う。

 

「悩みもがいたのは、随分と昔の事だよ。今は、それ程悩む事は無い。ただな、人は自分にしかなれはしない。己のまま、強くなるしかない」

 

 人は自分以外に成れはしない。だから、弱い自分を殺す事はやめておけ。強くなれる自分を、強くなりたいと願う自分を殺す事はやめておけ、と言外に伝えた心算だった。

 

 

 

 

 

 

「私の思う強さ――」

 

 ユキとの話を終えたマリアは海辺を歩きながら物思いに耽っていた。強くなりたいと思い続けていた。弱い自分に打ち克つ強さに焦がれていた。だからこそ、仲間たちが魔剣の呪いに打ち克つ事が出来た事が凄いと思い、正直羨ましくも思った。だからこそ、自分の知る最も強いものに助言を求めもした。

 

「強いとは、一体どういう事を言う?」

 

 確かに『武』という観点から見れば助言を求めた男は至上であり、遥か遠くに背中が見えるほどだ。だが、その強さはマリア自身が悲しい強さと否定していた。事実、お前はどのように成りたいんだと問われた時、貴方のようになりたいとは思考の片隅に過る事すらなかった。戦う為に磨き上げ血を流す姿を凄いと思う反面、強すぎるほどの在り方に幾らかの寂しさを感じてしまう。

 それに対して、自分に手を差し伸べてくれた少女たちの強さはどうだろう。確かに戦う事に関しては、上泉之景には遥かに及ばない。比ぶべくもない。だが、あの子達の示した強さは一人だけでの強さでは無かった。自分の様な者にも手を差し伸べてくれた。手を繋いでくれた。力では及ばずとも、確かな温かさを感じる。一人だけの強さでは無く、皆で力を合わせたいという、優しさを感じ取れる事が出来る。見習うべき強さがあるとすれば、やはりあの子達の方では無いかと思いを馳せる。

 

「セレナやマムは私達を守ってくれた。助けてくれた。だけど、それでも、生きて欲しかった……」

 

 妹や母が示した強さ。それは、誰よりも強いものだった。どうしようもなかった。手立てが手繰り寄せられなかった。他の方法が見つけられなかった。だからこそ、最後の強さを選択した。そう言う事なのだと思う。その事について、守られるしかなかった自分に何かを言う資格など無い。だとしても思わずにはいられない。生きて、共に生きて欲しかったのだと。恐らく自分も似たような状況に陥れば同じ選択を取るかもしれない。理性ではそう考えるが、残された自分の気持ちを顧みても、選んで欲しくない強さだと思わずにはいられない。

 

「あ、マリアさん」

「エルフナイン?」

 

 暫く海を見詰めながら歩いていると。気付けば宿泊している施設の傍にまで戻って来ていた。そこで、ビーチボールを手にしていたエルフナインと出くわした。

 

「ビーチボール」

「あ、はい。少し考え事をしていたのですが行き詰ってしまいまして。少し、身体を動かしてみようかと」

「そう……。色々な事を知っているエルフナインでも悩む事があるのね」

「ボクの知識の大本はキャロルの収集した知識が大半です。確かに知識量はあるかもしれませんが、手にするものをうまく使いこなす経験が足りない様に思えます。」

 

 言葉を交わすうちにエルフナインにはエルフナインなりの悩みがあるのだという当たり前の事に気付く。確かにエルフナインの知識は自分たちと比べるべくもない。だとしても、それだけであり、悩み苦しむ事は当然のように在るのだ。素直に悩んでますと伝えて来るエルフナイン姿に、この子もまた懸命にもがいているのだと親近感を持つ。

 

「この球技だってそうです。どう打てば良いか知識だけは持っているのですが……ッ」

 

 そう言いながらエルフナインはビーチボールを軽く投げ、サーブを打つ。今回の特訓兼慰安の為に来たビーチで、初めに行ったビーチバレー。レクリエーション的な意味合いで行われたそれに、エルフナインも参加していた。知識としては知っていた。何故錬金術師のキャロルがバレーボールの知識までエルフナインに入れたのは定かでは無いが、持っていた知識を用い難度の高いサーブに挑戦し、失敗した。そして今また、飛び上がりサーブを行ってみる。何とかボールに手は当たるが、お世辞にもうまい具合に飛んだとは言えず、明後日の方向に軌道は向く。予想とは違う方向に飛ぶボールを慌てて追いかけ手に取ると、マリアの元まで戻ってきて恥ずかしそうに小さく笑う。

 

「実際にやってみるのとでは全然違います。御覧の通りなので、最初にマリアさんに教えて戴いた通り、ボクにもできる簡単な打ち方からマスターして行こうかなって思ってます。お恥ずかしいのですが、ボクは自分がこんなに動けないものなんだと最近初めて知りました」

 

 引きこもっているだけでは駄目ですねと、続ける。

 

「そんな事は……」

「イグナイトは正しいのかと考えもします。いきなり手の届かなかった力に手を伸ばした。ボクが提示した可能性は、そんな無理を強要するものだったのかと、悩んでいました」

「イグナイトは君が私たちの事を思って作り上げてくれたものだ。それが、間違っているなんて事はない」

「ありがとうございます。確かにボクは皆さんの役に立ちたいと思い、キャロルを止めて欲しいと思ってシンフォギアの改修、強化を施したのですが……、思いとは違う所で、道を違える事もあるのかもしれないって思ってしまって」

 

 悪意はない。ならば、それは必ず正しいのか。そんな事を考え出すと、考えがうまく纏まらない。だからこそ、考える事を止めちゃいけないんですと、エルフナインは締めくくる。

 そんなエルフナインの様子に、この子もまた強い子だと、自分とは違う強さを持ち得ているとマリアは思う。

 

「あなたも強いわね」

「そんな、ボクなんて……。皆さんに比べれば」

「ふふ。強さを比べる事に意味はない。らしいわよ。私も受け売りだけどね」

 

 素直に強いと伝えると、エルフナインは皆さんの方が強いですと慌てて否定された。その姿に思わず小さく噴き出してしまう。たしかに、強さなど比べても仕方がないのかもしれない。自分の思う強さと、他人の思う強さは同じとは限らないのだから。

 

「だけどあなたもやっぱり強いわ。たった一人でキャロルから逃げてきて、私達に助けを求めて来た。そして、今また悩みもがきながらも考え続けている。そんなあなたにだから聞いてみたくなったわ。強いとは、どういうことなのかしら?」

「解りません。万人が認める強さなんて、或いはないのかもしれません」

 

 エルフナインの出した答えにただ頷く。簡単に見つかるものでは無い。そう言う事なのだと、マリアは自分に言い聞かせる。

 

「ですけど、僕が強いと思うものは、マリアさんが教えてくれましたよ」

「……え?」

 

 だから、その後に続けられた言葉に、一瞬思考が固まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせ、外れ装者」

 

 不意に届いた声。エルフナインとの会話に集中していたマリアは、慌てて声の方向に意識を移す。

 いろいろな話をしていた。気付けば日も暮れ始めた海辺に、ガリィが水を操りその姿を現す。

 

「なッ。ガリィ!?」

「コンプレックスの払拭は済んだかしら? そろそろ歌って欲しいのだけどね」

 

 唐突に現れた青の姿に、咄嗟にマリアはエルフナインを自分の背に庇う。

 

「Seilien coffin――」

 

 意地の悪い笑みと共に、ガリィがアルカノイズを展開する。同時に、マリアが聖詠を詠う。銀色の輝きが少女の身体を包み、聖剣の姿を現す。マリアが妹から受け継いだギア。再び纏い、青と対峙する。

 

「はぁッ!」

 

 エルフナインとマリアに向け飛び掛かるアルカノイズに向け、銀色の剣が軌跡を描く。迫る敵を斬り裂き、刃を展開し、続けて飛び掛かろうとする者達に向け機先を制す。瞬く間に現れたノイズを斬り捨てると、ガリィに向かい駆ける。通信機から仲間たちが危険を察知した声が届く。自分は一人では無い。大丈夫だ。そう言い聞かせ、一度敗れた青に挑む。

 

「今度こそッ!」

「さて、試させて貰おうかしら」

 

 一度負けた恐れを振り払うように気勢を上げながらの踏み込み。渾身の一撃をガリイは腕に氷を展開し刃を滑らせる事で往なす。すれ違い際、水を残し前に飛ぶ。

 

「うぁッ!?」

「マリアさんッ!?」

 

 マリアがその水に触れた瞬間、水の体積が一気に膨らみ炸裂した。凄まじい水流に飲み込まれ、マリアは海辺の方まで弾き飛ばされる。そのまま倒れ伏すマリアに向け、ガリィは虚空から水を生成し、水流を叩き落す。咄嗟にアガートラームの盾を展開し受け止めるも、その凄まじい勢いに押し潰され動く事が出来ない。マリアを包む様に水が溜まる。思わずエルフナインが悲鳴を上げる。その姿を笑う様に、マリアを包む水流が凍り付く。

 

「強く、成らねば……。私は、強く……」

 

 何とか自身が氷結するのをアガートラームによって凌ぐが、彼我の実力差が開き過ぎており、まともに戦いを行う事すら許されない。強くなりたい。思わずマリアの口からそんな言葉が零れる。

 

「弱い、自分を、殺さねば……」

「弱いわね、あんたは。どうしようもなく、弱い」

 

 そんなマリアの様子に、やれやれと言った様子でガリィは追撃の手を緩める。その隙に何とかアガートラームの出力を増し、凍てついた水を押しのける事で何とか立ち上がるも、既に満身創痍といった具合に片膝を突く。弱い自分を殺し強くなる。そんな言葉を零すマリアに、ガリィは冷めた目で見つめながら続ける。

 

「ッ!? 私は弱い……。一体どうすれば強く」

「さぁね。あんたはあんたでしかない。それでも今より劇的に強くなりたいのだと言うのなら、何かを捨てるしかないんじゃないかしら?」

 

 思わず零した本音に、青は深く嗤いながら囁く。何の代償も無く、いきなり強くなれる事などありはしない。どうしてもそんな無理押しをしたいと言うのなら、何らかの代償を払うしかない。自分たちの主が記憶を燃やし、錬金術を行使するように、お前も何かを捨てれば良いと吹きこんで行く。そんな言葉に導かれる様に、マリアはイグナイトに手を伸ばす。

 

「マスターの認めた『英雄』は一人でも戦って見せたよ。だからあたしたちは、それを狙い撃ちにした。組織の弱さに付け込み、人の汚さに付け込み、孤立させ騙し討った。強すぎたから、そうせざる得なかった。それでも尚、殺してやることはできなかったよ。あんたはそんな『英雄』に並ぶ事が出来るのかしらね、救世の英雄さん?」

「……ッ。私は『英雄』ではない……。あれほど強く、成れはしない……」

 

 そして何の策も無くイグナイトを起動しようとしたところで、青の言葉がマリアを貫く。お前は弱い。ただ一人の力で立ち上がり、奇跡を押し通し続けた『英雄』の様な強さは持ち得ていない。並ぶ事も出来ていない。そう、事実を突き付ける。苦し紛れの抜剣。そんなものでは今を変えられはしない。他の誰でも無い、強くなれないマリア自身に、そんな結論を抱かせる。

 

「あら? 本当に立つ事が出来ないのかしら? それなら報われないわね。あんた達を守る為に『英雄』はまだ戦場に立ち続けている。その姿を見ている筈のあんた達がその為体じゃ、傷付き毒に侵された身体を癒す事すらできはしない。悲しいわね。その在り方は。その果てに在るものは、死以外にありはしないのに誰も助けてはくれない。追いついては、くれない」

「私は……弱いッ。一体どうすれば……?」

 

 青が重ねる言葉に、心の弱さが穿たれる。どうすれば良い。どうすれば、誰かを守るほどの強さが手に入る。それが、解らなかった。

 

「それは、マリアさんがボクに教えてくれましたッ!!」

「――ッ!? 私、が?」

「大切なのは自分らしく在る事ですッ。今の自分にできない事を否定するのではなく、今の自分にできる事を認め手の届く事を為す事です!!」

 

 そんな時、エルフナインの言葉が届いた。弱い自分は認めたくない。だが、それもまた自分なのである。ならばそれを否定してはいけない。弱い自分は弱いと認め、その上で強くならねばならない。

 

「そうだ……。私は弱い。『英雄』になど、及びもしない。セレナにもマムにも、あの子達とも比ぶべくも無い」

「へぇ――?」

 

 エルフナインの言葉を受け止めたマリアが小さく呟く。その声音の変化に、青は小さくほくそ笑む。漸く見せてくれるのかもしれない。そんな事を思う。

 

「だけど、強くなれない私にエルフナインが教えてくれた。弱くても良い。先ずは今の自分を認めることこそが強さ。ならば私は自分の弱さを肯定する」

「そう。だけど、あんたは『英雄』ではない。少し心持が変わった程度じゃ、何も変わらないわよ?」

 

 瞳に炎を灯した少女を見詰めガリィは更に言葉を重ねる。確かに心持は変わっている。だが、それだけで勝てる程自動人形は甘い相手では無い。

 

「そうだ。私は『英雄』じゃない。だけど、『英雄』と呼ばれた人たちは知っている」

「……」

 

 お前は英雄では無い。そんな言葉をマリアは肯定する。自分も英雄などと呼ばれた。だけど、それは万人が納得する理由作りの為であり、彼女自身が英雄足り得たからでは無い。

 

「その人たちがどんな軌跡を歩んだのか知っている。どんな選択をしたのか、嫌というほど突きつけられたッ!!」

 

 妹は自分たちを守る為に、生かす為に歌っていた。母は、世界を守る為に月の遺跡に殉じた。誰かが英雄になる度に、決して軽くはない傷を負う事になった。

 

「そしてまた私たちの知るものが『英雄』などと呼ばれている。だけど、私は『英雄』を知ってしまった。『英雄』が望まれる道を見てしまった……。」

 

 そして今、敵に、そして味方にすらも英雄である事を望まれるものが居る。敵に死を望まれ、味方にすらもその命を使い尽くせと告げられる。その意味を正しく理解して尚、あのように笑って見せたその姿が悲しくて仕方がない。

 

「守った者達にあんな言葉を投げかけられるのが『英雄』の行きつく果てだと言うのなら。『英雄』なんていらないんだッ。誰かの為にと手を伸ばし、その対価にあれだけの悲しみを背負う事が『英雄』と呼ばれる者たちなのだとすれば、『英雄』なんて欲しくはない。誰かが痛みを引き受けるだけなのならば、『英雄』と言う高みに誰かが立つ事を望んではならない!!」

 

 命を賭して守った者達にすらあんな言葉を投げかけられると言うのなら、人は『英雄』になど成ってはいけない。誰かを『英雄』になどに祀り上げてはいけないのである。そうでなければ、あまりにも報われない。誰かの為にと手を伸ばし、最後には死を望まれる。そんな結末は、あってはいけない。

 

「だから見ていて欲しいエルフナイン。君の想いに、そして『英雄』と呼ばれる者を無くす為に紡ぐ歌だ」

 

 だから、マリアはイグナイトモジュールを手にする。『英雄』は何時だって悲しみを背負っていた。そしてまた、『英雄』と呼ばれる者が命を燃やそうとしている。それをただ見ているだけで良いのか。良いわけがなかった。

 

「イグナイトモジュール、抜剣ッ!!」

 

  ――ダインスレイフ

 

「うぁぁッ!?」

 

 魔剣がマリアの胸に突き刺さる。あまりの痛みに、両の膝が再び地に落ちる。黒がマリアを侵食していき、その全身を包んでいく。

 

「そうだ、自分らしく在る事が強さだと言うのなら。誰かを『英雄』などと呼ばせる事はあってはならない!! だから私は私のまま、この呪いに叛逆して見せるッ!!」

 

 そして、膝を屈した時、地に拳を叩きつけ己を叱咤する。もう、誰かを失う想いなどしたくはなかった。あれ程の痛みに比べれば、魔剣の呪いなど何する物でも無い。そして

 

「マリアさんッ!」

 

 銀色の左腕に聖剣を携え、マリアは再び立ち上がる。自分の知る者たちは皆、英雄と呼ばれていた。そして、その果てにある悲しみを突き付けられていた。それしか道は無かった。だけど、そんな道に到達して欲しくはなかった。犠牲になって欲しくはなかった。そう思うも、自分にはなにもできなくて。だから、強くなりたいと願ったのだ。もう、誰も傷付けないで済む様にと。そして、その力は友が作り上げたイグナイトが示してくれている。ならば、自分はこの力で誰かが『英雄』と呼ばれずに済む様にしなくてはいけない。そうでなければ、自分を守ってくれた人たちに胸を張って生きる事が出来ない。左腕に剣と愛を宿し、マリアは青に向かい駆け抜ける。

 

「漸くのようね。聞かせて貰うわよ、あなたの歌をッ!!」

 

 イグナイトを発動させたマリアに向け、ガリィは狂喜を浮かべる。揺れ動く人間だった。だからこそ、決まってしまえば強力な歌を示してくれる。目論見通り、凄まじいフォニックゲインを発生させながら青を討つためにその刃を振るう。

 

「アルカノイズ如きじゃ、足止めにもなりはしない」

 

 迎え撃つと同時に再びアルカノイズを展開するも、手にした聖剣に一息の間に煤と変わる。隙を突くように背後や側面から水流を発生させるも、マリアに到達するより早く跳躍する事でやり過ごす。そのまま、勢いを殺さず反発し、剣を突き立てる為一撃を放つ。

 

「いいね、いいね!!」

 

 マリアの一撃はガリィを捕らえるも、即座に水の分身と入れ替わる事でやり過ごす。想定以上であるマリアの強さと、奏でられる歌の鮮烈さにガリィは嬉しくて仕方がない。外れなどと言って謝りたいくらいだと思いながら迎え撃つ。

 

「『英雄』は孤高だよ。何時だって一人で戦っていた」

「なら、これからは私達が並ぶだけだッ!! 『英雄』が孤高だと言うのなら、追いつき高みから引き摺り下ろして見せる!!」

 

 地に氷を発生させ、その上を滑りながらマリアの聖剣と打ち合い言葉を交わす。確かにガリィのぶつかり合った英雄は孤高であった。強すぎたが故に一人だった。ならば、これからは自分たちが追いつき、高みにいると言うのならば引き摺り下ろし人に戻って貰うだけだと、想いをぶつける。

 

「できる心算なの? あんた如きに、『英雄』を引き摺り下ろすなんていう暴挙が」

「できるできないでは無い。もうやると決めているッ!」

 

 氷剣と聖剣がぶつかり合い、ガリィとマリアの言葉が交わされる。

 

「ッ!?」

 

 そして、右手にした聖剣が氷剣を撃ち砕く。砕けた氷が、ガリィとマリアの間を舞っている。左腕。咄嗟に障壁を展開しようとした青の反応よりも早く突き刺さった。顎を打ち上げる事で、ガリィを打ち上げる。そのまま追撃をかけるように飛んでいた。左腕。腕部装甲に聖剣を繋ぐと同時に腰部にある推進装置を一気に展開噴射する。

 

「ああ、此処で終わり、か」

 

 左腕に繋がれた聖剣が己を両断する直前、ガリィの中でこれまでの戦いが思い起こされる。何度となくぶつかり合い、姦計を巡らせた。主の命題を遂げるためにどんな卑劣な事をする事も厭わなかった。仲間たちを利用し、末妹には何度も酷い言葉を投げかけた。だけど、なんだかんだ言って、楽しかったなぁっと思う。何よりも、自身の終わりが、主の為になる。それ以上に喜ぶべき事は無い、終わりがただ嬉しかった。

 

「あんたは強かったよ」

 

 マリアを見据え、内心でそんな言葉を紡ぐ。外れ装者と侮っていたが最後には強い力を示してくれた。それには素直に感心していた。その気になれば、此処からでも逆転できる。だが、その気は既に無かった。何故なら

 

「ありがとうマリア・カデンツァヴナ・イヴ。英雄に守られたもの(あんた達)が『英雄』を否定してくれて」

 

 どんな理由であれ、装者が『英雄』を否定してくれたのだ。それは、どんな歌よりも価値ある事だった。魔剣によって歪まされた旋律は、やがて最後の刃と変わる。笑みが零れる。空を見上げた。終わりが近付いてくる。そしてガリィはマリアの聖剣によって、一刀両断に斬り捨てられたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「マリアさん!」

「エルフナイン」

 

 青を撃ち破ったマリアの下にエルフナインが駆け寄る。何とか自動人形を退けたとはいえ、満身創痍である。心配そうなエルフナインの様子に、マリアは何とか無事だと示す。

 

『――英雄の剣(ソードギア)第二抜剣(セカンドイグニッション)

 

  ――運命を斬り拓く刃(ブラッドスレイヴ)

 

 直後、何の前触れもなく鳴り響いた音色にマリアの全身が総毛立った。本当に何の前触れもなく現れた黒金の自動人形。既に英雄の剣を抜き放っている。赤い刃がゆらりと伸び、マリアを、そしてエルフナインを間合いの内側に捉えている。

 

「――なッ!?」

 

 唐突な闖入者に一瞬絶句するも、その一瞬が命取りであった。咄嗟に傍に居るエルフナインを強く抱きしめる。何か成そうとした訳では無い。身体が咄嗟に動いていた。それ程の圧力を黒金の自動人形から感じたのだ。思わず来る攻撃に身構え目を閉じてしまう

 

「……?」

 

 そして、暫くしても何の衝撃もこない事に違和感を覚え。目を開けた。そして見た。片膝を突き、右腕を地に添え青だった残骸を見ている。何が起こっているのか解らなかった。だが、微動だにせず、黒金はその場にいる。否、少しだけ震えている。何が起こっている。そう思った時、再び自動音声が響いた。

 

『――自動錬金』

 

 聞いた事のある音声だった。だが、見た事の無い規模の錬金術が行使される。巨大な魔法陣が浮かび上がる。そして、黒金の右腕から金色の光が吹き荒れる。まるで、それは命の輝きだった。やがて、散らばっていた青であったものが分解され、右腕の小手に収束する。

 

『――英雄の剣(ソードギア)残された力(アドヴァンスドサード)』』

 

 青色の宝玉が右腕に生成されていた。黒金が立ち上がり、右腕を強く握る。金色の宝玉の傍で、青色の宝玉がその輝きを強くする。電子音声が鳴り響いた。

 

「なッ!? ガリィ、だと?」

「あら? これは驚いたわね。確かに死んだはずだったのだけど」

 

 直後にマリアは余りの事に言葉を失う。倒したはずのガリィが今目の前に現れていた。それも、通常時の姿では無く、自分が打ち据えられた英雄の剣を抜いた姿で。

 

「ふーん。まぁ、クロちゃんが何かをしたがっているのは解ってたけど、まさか此処までとはね。流石のあたしも、読み切れなかったわ」

「お前、生きていたのかッ!?」

 

 自分の身体をしげしげと見るガリィにマリアは問いかける。未だにイグナイトは維持されているとは言え、制限時間が気付けば半分を切っている。とても二体同時に相手をできる状態では無かった。

 

「いや、死んでるわよ。いうなれば今のあたしは泡沫の夢。英雄の軌跡が起こした、奇跡とでも言えば良いのか。あんたはあたしを殺した」

「ならば」

「それがクロちゃんには気に入らなかったようでね。死ぬのなら、全霊を尽くして死ねと怒ってるみたいなのよ」

 

 ガリィは黒金を見詰め小さく笑う。言うならば今のガリィは、自動人形に宿った記憶を集め英雄の剣で生成した急増品である。その力は一時的なものであり、自由に動く権限も無い。

 

「まぁ良いわ。マリア・カデンツァヴナ・イヴ。外れなんて言って悪かったわね」

「何をいまさら」

「敬意を表しているのよ。あんたがあたしに勝った。それは事実よ。だけど、クロちゃんはそれが気に入らない。だからもう一度戦えと言っている」

 

 黒金が本気で戦えと言っている。だから戦うだけだとガリィは笑う。

 

「イグナイトを維持できる時間はそれほど長くないでしょ? だから、それまであたしから逃げきって見せなさい。あんたは『英雄』なんていらないと言ったんだ。その『英雄』の力に見事抗って見せなさい」

 

 困惑するマリアにガリィは小さく笑う。解らないのは青も同じだった。ただ、最期ならば全霊を以て燃え尽きろと、決戦兵装を展開した英雄の剣が告げている。最後ならば無口な妹の願いを聞くのも悪くは無いか。そんな事を思いながら、ガリィは力を解き放つ。

 

「――なぁッ!?」

 

 海が割れ、海面が凄まじい高さまで達する。そして、海水が水の竜となりマリアに向け襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お久しぶりです。1年ぶりの更新ですが読んでくれた方、ありがとうございます。
一応あとざっくり10話ぐらいで完結できそうなので、頑張りたいなと思います


武門、以前やり過ぎた事を反省する
マリア、自分なりの強さを見定め抜剣
黒金、破壊されたガリィをほんの僅かな間再誕させる。








ガリィ、〇〇〇〇の歌を奪い取る


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22.夢と生きる道と

「マリアさんッ」

「――ッ!?」

 

 水竜がマリアに向けその咢を以て襲い掛かる。エルフナインの叫びに、思わず思考停止していた体が急速に事態を把握していく。思考が追いつく前に跳躍していた。衝撃。間一髪のところでエルフナインを抱きかかえたままマリアは窮地を脱する。

 

「イグナイトの制限時間も残り僅か。此方の制限時間も似たようなもの。悪いけど、出し惜しみはしないわよ?」

「な、まだ増えるか!?」

 

 水竜が二つ三つと増え、最期には五体の竜が生まれる。各々が触れるだけでシンフォギアの障壁ごと押し潰しかねない圧力を放っている。エルフナインを抱えながら後退したマリアの背に戦慄が走る。確かにガリィには一度勝利している。だが、眼前に広がり威を振るうこの力は何だと思う。自動人形は確かに強かった。だが、その比では無い。本気で戦えと言っている。黒金の言葉を代弁する様なガリィの言葉の意味を、目の前の光景が嫌というほど明確に告げている。自身はイグナイトを発動し、暴走すらも制御した力を纏っている。だが、目の前の敵の強さは何だ。

 

「うぁッ!?」

「ッ、すまないエルフナイン」

 

 無理な機動により、青の攻勢を何とか凌ぐも、別の問題が浮上する。シンフォギアの保護を持たないエルフナインである。常人を遥かに越えた機動力による、回避行動。何とか錬金術による身体の保護を行っているが、生身には強力すぎる機動が、エルフナインの口から苦悶の声を零させる。

 

「クロちゃん」

『――自動錬金』

 

 そんな様子を見ていたガリィが、黒金の自動人形に一言伝える。二つの自動人形は、英雄の剣を媒介に繋がっていた。何を望んでいるのか、それだけで言葉を尽くすより早く伝わる。黒金の自動人形が右腕を強く握る。命の輝きが、吹き荒れる。そして、水竜を避けながらも黒金にも意識を割いていたマリアの反応速度を超える。

 

「うぁッ!?」

「――ツ!?」

 

 瞬撃。何処に消えたと思うよりも早くマリアの胸に渾身の一撃が突き刺さる。拳。金色の輝きを放ち続ける右腕を以て、マリアを全力で打ち抜いていた。完全に認識速度を越えられていた一撃。その強烈過ぎる拳に、エルフナインを取りこぼしてしまう。しまった。マリアはそう思うも、視線すら動かす事が出来ない。直後に砂浜の上を吹き飛ばされるマリアが別の衝撃を感じた。

 

「うぁ……。エルフ、ナイン」

 

 受け身を取る事すらできず地を転がり、強すぎる慣性を何とか減衰させたところで膝を突き踏み止まる。たった一撃。黒金の拳を受けただけで膝が笑っている。膝だけでなく両手をつき何とか立ち上がったところで、地に感じた衝撃の事もありエルフナインの安否に意識がむく。しかし、エルフナインはおろか、先ほど確かに拳を叩き込んで来た黒金の姿すら見えない。

 

「まったく、クロちゃんには感謝しなさいよ。邪魔なエルフナインを態々安全圏まで捨てに行ってくれたんだから」

「なん、だと?」

「まぁ、あんたがエルフナインを気に掛けてると、全力を出せないからでしょうね。敵さん相手に何を馬鹿な事をと思わないでも無いけど、元となった英雄がアレだものね。仕方がないか」

 

 何処に行ったと焦燥を示すマリアの様子にやれやれと言わんばかりに青は肩を竦める。そのまま一度攻撃の手を止めるも、即座に海水を操り、二体の水竜だけを作り出し今度は戦場全体を覆いつくさんばかりに海水を高く高くと収束する。青の右腕。時間が無いという先の言葉を裏付ける様に全身に展開されていた純白の外装が少しずつ崩れ始める。イグナイト。既に起動からそれなりの時間が経っており、恐らく制限時間の7割程度は使い切っていた。エルフナインは黒金に連れ去られ、眼前には崩れ落ち始めたガリィがただ笑っている。どうすれば良い。そんな言葉が思い浮かぶ。

 

「きなさい。あなたの全てであたしに示して見せてよッ。『英雄』を引き摺り下ろす。それが、『英雄』を否定し強い意志を示したあんたの責任よ」

「――。人は『英雄』などに縋ってはならない。誰かが高みに立って守ってくれる。それは、守られる側からすれば心地良く、温かなものなのかもしれない。だとしても、それだけで終わってはいけない。戦う者は何時だって傷付いている。己の責任から目を背けてはならない。そんな為体では、今に繋いでくれた人たちに合わせる顔が無いッ!!」

 

 マリアのそんな内心を察したように青が全力を示せと笑う。その間にも海水は集い更に大きな力と成していく。海。戦場はガリィの力が最も活きる場所である。ただ、先ほどまでの戦いでは活かさなかっただけなのだ。思考の片隅で通信が飛ぶ。残りカウント200を切っている。左腕。覚悟を決める。握った拳に宿るのは、受け取り繋ぐと決めた想いと、仲間が気付かせてくれた本当の強さ。弱くても良い。平凡な拳でも良い。己の弱さを認め、それでも尚諦めずに立ち上がる事の強さを握りしめ心に歌を灯す。

 そんなマリアの姿に青は嬉しそうに口角を歪める。腕が、足が、身体が崩れていく。毒に塗れた『英雄』が自壊するかのようでありながら、それでも何の迷いもなく力だけを集め束ねる。その力に呼応するように水の竜は天に向かい伸びていく。

 左腕。高まる力の全てを収束させる。アガートラームの腕部装甲をガングニールの様に展開、聖剣を接続。銀色の剣を基点に高められた歌の力が一点に収束する。腰を深く落とし、力の放出に耐える為食いしばる。

 

「生き残ってみせなさい。そして『英雄』と呼ばれる者の強さを知れッ。その上で、もう一度『英雄』なんていらないんだと、吼えて見せてよッ!!」

「何度だって言ってやる。人は『英雄』などに縋ってはならない。守られるだけに終わり、あがき、もがき、そして最後に立てることを忘れてはならないッ!!」

 

 そして、閃光と激流がぶつかり合う。互いに高められた力。放たれるは、星の力である海を用い極限まで高められる命の一撃、。迎え撃つは、友に教えて貰った想いを握りしめた少女の歌によって高められたフォニックゲインの収束、一条の想いの閃光。左腕。マリアと一撃と、ガリイの一撃は互いの左腕を基点に放たれる。銀腕がぶつかり合う余りの出力に軋み悲鳴を上げる。青の左腕。崩れ落ちるそれが加速する。

 

「私は、負けない。この力で、託された想いで、強く成って見せるッ!!」

 

 歌が加速し、フォニックゲインの高まりが限界すらも越える。視界一面に広がった海の奔流。銀腕から放たれる想いの一撃を以て打消す。そして、海を越えた先に居る筈のガリィを穿つ。笑み。閃光に貫かれた青が笑っている。水竜。一対のソレは、貫かれるガリィを無視するようにマリアに向かいその牙を剝ける。

 

「――ッ!?」

「何を呆けているのかしら? 戦いで傷を負うのなど、特別な事ではないんじゃない?」

 

 一条の閃光に貫かれ弾き飛ばされたガリィは、即座に中空に錬金術を発動。即席の足場を作り出し、それを基点に一気に飛んだ。聖剣を手にした少女は目を見開く。身体は穿たれ自壊し、それでも自動人形は止らない。纏っていた純白の外套。風穴を開けて尚、力強く、その強さを示す。『英雄』は止らない。身体を穿った程度では、歩みを止める道理は無いと言わんばかりに力を掴み取る。二体一対の水竜。追いついてきたガリイがその二匹に崩れ落ちる両腕を翳す。そして、二振りの氷剣を掴み取った。至近距離。力を解き放った反動と迎え撃った力の輝きに、一瞬反応が遅れたマリアに向かい軌跡は煌めいた。

 

「良い事を教えてあげるわ。『英雄』とは己の意志でなれるものではない。誰かの中でこそ、なる者なの。英雄を必要とする者の中で、気付かぬうちに届いてしまっているものなの」

「だとしても、人は誰かでは無く、己が力で立っていなければいけない。誰かに任せるだけではいけないんだッ!!」

 

 左腕。聖剣と英雄の剣がぶつかり合う。互いの刃が砕け散る。重なり合う視線。右腕。聖剣を押し切った英雄の剣が、防御をこじ開けられた剣の乙女へとその刃を以て想いを押し通す。自壊する刃。だからこそ、最期の輝きを示すようにその力を誇る。

 

「――ッ」

 

 避けられない。早さと強さ。そして、示される力にマリアは歯を食いしばる。死。眼前に突き付けられたそれを前にして尚、逃げる事は選べなかった。ごめんなさい、みんな。そんな言葉が胸の内を過る。守りたかった。そして共に生きて行きたかった。そんな想いが、強く胸に生まれる。それでも、もう何かを為す力が無かった。

 

「――チッ。時間切れか。此処までのようね」

「――なん、だと?」

 

 刃が少女を一刀の下に切り伏せる。その直前、マリアのイグナイトが制限時間を越え強制解除される。強制的に生身に戻されたマリアの眼前で英雄の剣は停止する。至近距離にいるガリィ。マリアと視線が交わり、まぁ、仕方がないかと苦笑を浮かべた。

 

「おめでとう、強き人間。あんたは『英雄』の力に打ち克った。生き残った」

 

 突き付けられている刃が砕け散る。突き出されていた左腕。限界威を越えた力に耐えきれなかったと言わんばかりに崩れ落ちて行く。腕が砕け、足が砕け、胴が崩れていく。青の身体が、ぐらりと揺らぐ。

 

「あら? どう言う心算かしら?」

「――ッ。私は、勝ってなどいない」

 

 どうしてと思うよりも前に、咄嗟にマリアは受け止めていた。崩れ落ちる身体が、どうしようもなく悲しかった。自壊しながらも恐れすら見せず戦った姿がどんな言葉よりも雄弁に示しているのだ。死を恐れぬ強さ。そして悲しさを。『英雄』と呼ばれる者の行きつく果てを。

 

「それでもあんたは生き抜いたわ。例え撃ち破る事は叶わずとも、その想いを貫いて見せた。抗って見せた。そして『英雄』の力は、抗う術を失くした者を討つほど安くはないのよ」

「私は、強くなどな――」

 

 

 本気になった青の力に耐え凌いだマリアであるが、敗北感に襲われていた。自身が何とか立っているのは、ただ時間切れに追い込めただけに過ぎないからだ。最後の瞬間。それがあと数秒続けば確実に負けていただろうことが解ってしまう。故に、自分は結局託されたものを握りしめても強くなれなかったと悔しそうに零す。

 そんな勝利者の姿にやれやれと思いながら言葉を遮る。気付いていない様だが、本気になった自動人形を相手に、食らいつく事など、先程までのマリアでは考え付かない程の変化であった。これまでの様な手抜きの戦いでは無く、『英雄』が相手の時の様に殺す気で戦い、その上で殺し切れなかったのだ。殺さないのと殺せないのでは天と地ほどの差が存在していた。自身が『英雄』の力を前にギリギリではあるが踏み止まれている事に気付かず、強くなれていないと零すマリアの姿が、滑稽であった。だからこそ、強いのだとも思い苦笑が零れる。

 

「そう言える事こそが強いのよ。まぁ、今のあなたには解らないかもしれないけどね。精々、悩みもがきなさい――」

 

 そして一瞬の静寂。一陣の風が吹き抜けていく。最後にそんな言葉を残し、青は砕けて消え去ったのだった。

 

 

 

 

 

 

「小日向。エルフナインを頼む」

 

 傍に居た小日向に短く告げる。返事。待たずして意識を失っていたエルフナインを預ける。黒金。アルカノイズ出現の通信を受け傍らにいた小日向と共に現場へと向かっている途中だった。その最中。何度か凄まじい水流が海辺から立ち上り、それに向かっている時に現れた。

 黒金。エルフナインを抱え、一直線に此方に向かって来ていた。一瞬の判断。間合いに入る直前黒金が制止し、対峙する事になった。動く。そう感じた時、黒金はエルフナインを差し出すように歩みを進めた。金眼。既に抜かれている英雄の剣。外装越しに瞳が合った。人形故に感情が宿らない筈の瞳。何故か、揺れているのが解った。抜きかけた童子切を収め、エルフナインを受け取る。そして小日向にエルフナインを預けたのが今であった。

 

「……」

 

 無言で黒金と見つめ合う。血刃。それが既に抜かれている。だが、未だ刃が動く事は無い。何もせず、剣気を纏う事すらせず、ただ見ていた。やがて、黒金に変化が訪れる。かつて斬り落とした右腕。黒金の小手。金色の宝玉以外に、青き宝玉が増えているのに気付く。その宝玉が、不意に強く輝きを示した。海辺の方で、凄まじい水流が舞い上がり、数瞬後、それを貫くような閃光が駆け抜けていく。

 

『――』

 

 黒金が視線を水流と閃光が駆け抜けた方向に映した。隙。斬ろうと思えばいくらでも斬れる程のものを晒していた。それを、斬り捨てようとは思わなかった。ただ、揺らぐ刃を見つめ続ける。

 

『――英雄の剣(ソードギア)残された力(アドヴァンスドサード)

「ッ!? 先生!?」

 

 不意に、力が弾けるのを感じた。黒金の全身を、凄まじい力が吹き荒れる。金色の、命の輝き。それが叫び声を上げる様に、ただ強く吹き荒れる。小日向の鋭い声が飛ぶ。それに、ただ下がっていろとだけ告げる。黒金の周囲が、全てを凍てつかせようとするかのように姿を変える。その姿に、何となく解ってしまった。泣いているのだ。

 

「仲間を失うのは、初めての経験か?」

 

 一言、黒金に向け問いかける。視線。ゆっくりとこちらに向けられる。赤き刃。ただ、強く握りしめられている。氷嵐。慟哭を上げる様に、黒金の右腕を中心に吹き荒れ続ける。感情の揺らぎ。手にした血刃から、明確に感じた。ゆっくりと、童子切を抜き放つ。左腕。浅く斬り裂いた。

 

「言葉など不要か。来い。付き合ってやる」

『――』

 

 言葉の意味を理解したのか、黒金もまた血刃をゆらりと動かす。視線が交錯する。潮合が満ちていた。小日向がごくりと息を呑んだ。その音色が合図とするように黒金が低く跳躍した。見据える。その速さは、装者の誰と比べても尚、速い。

 

「刃が、随分と揺らいでいる」

 

 全霊の一閃。無造作に、だが、全霊を以て放たれた一撃を受け止め、その意思を明確に感じ取る。意志の載せられた刃。それは、どんな言葉より雄弁に想いを突き付けて来る。大切なものを失くした。失いたくなかったのに、そうするしかなかった。そんな子供の癇癪の様な慟哭を刃が痛いほどぶつけて来る。それを、ただ受け止め続ける。斬ろうと思えばいくらでも斬れる。だが、そうしようという気が起こらない。小日向の叫びが、どこか遠く聞こえる。血刃。例えそれに至ろうと、今の黒金の刃など何も恐れる事は無い。殆ど感情を表す事の無かった黒金が、言葉では無く刃だけで想いをぶつける。その刃を受け止め、ただ見据える。

 

「痛く、辛く、そして悲しい。仲間を失うというのは、大切な者を失うというのはそういう事だ。だからこそ人は亡くしたくは無いと想い、だからこそ人は喪わない術を探す」

 

 血刃を受け止め、逸らし、弾き飛ばす。黒金の右腕が更に強い輝きを放ち、全てを凍らせようとその威を振るう。逝ったのは、青か。その姿に、そんな事だけを思う。身体が凍てついていく。気に留めず、刃を受け止める。右腕を強く握りしめた。

 

『――自動錬金』

 

 黒金の動きが加速する。それを必要最低限の動きで往なす。どれだけ速くなろうとも、使い手が鈍である事に変わりはない。加速した血刃を、己が血刃を以て撃ち落とす。どうして。黒金のそんな言葉が聞こえるような気さえして来る。ただ、涙を流しながら振るわれる剣を見詰め続ける。

 

「人形に涙などありはしないか。泣けぬのは辛いな。だが、お前が戦場に立つというのならそれで良い。戦いの果てでの死を嘆く事などあってはならない。戦いの果てでの死を否定してはならない」

「――」

 

 至近距離で撃ち合いを続けていたが、これ以上は続ける意味もない。一閃。黒金を弾き飛ばし距離を取る。見据えた。強く、強く黒金は血刃を握っている。此方の刃、最後の一撃を終えた後、刃は白刃に戻っていた。敢えて、再び血刃を握る事を禁ずる。

 

「小日向」

「は、はい」

「見ておけ。血刃との戦い方を教えてやる」

 

 黒金が力を収束していく。次で終わり。気付けば消えていた氷の力に、そんな想いを感じ取る。俺達から距離を取り、エルフナインを庇っていた小日向に声をかける。血刃の持つ力は無双と言えるだろう。だが、全能では無い。血刃を破るのに、血刃を越えた力など必要では無かった。皆が皆、力を求めている。小日向も、装者達も、そして、馬鹿な娘も。それが、どうしようもなく危うく思えた。強いというのは、新たな力に至る事ではない。想いを押し通す為、より強い力を求める事などであって良い筈が無い。黒金の右腕に添えられた血刃を見詰め、此方は左腕で童子切を手にした。再び訪れる潮合。

 

「来い。先に斬らせてやる」

『――』

 

 踏み込み。予想を上回る速さで一気に跳躍していた。錬金術を用いる事なく行われたそれは、だからこそ、先ほど以上の高みへと至っていた。低い姿勢からの勢いを乗せた逆袈裟。笑みが零れる。錬金術を用いる事無く、更に強くなる黒金の姿が、何故か嬉しかった。右腕。黒金の右腕に、黒鉄の右腕をぶつけた。凄まじい衝撃が右腕に生じる。それを、流す事なく内に宿す。斬撃。血刃は無双の一振りではあるが、刃で斬らねば斬り落とす事は出来ない。放たれたそれを、刃では無く腕を打つ事で制する。武門。それは剣だけに非ず。戦いとは、水の流れの様にその時折で幾筋にも変わるものなのだ。

 二の太刀。弾かれた勢いを流しきり、再び放たれようとする斬撃。ほんの一瞬困惑を宿した金眼に向け、まだまだ未熟者だ、と吐き捨てる。

 

『――ッ』

 

 渾身。拳の間合いで尚、血刃に拘り刃を振り抜こうとした未熟者を拳を以て打ち上げる。黒金の腕から、血刃が零れ落ちた。無防備に晒された胴体。身体に宿った力を殺さず、そのまま勢いを乗せ蹴り飛ばす。

 

「血刃を、破った……?」

「言った筈だぞ小日向。血刃は無二ではある。だが、そこまでだ。それ以外の全てを超える訳では無い」

 

 小日向が驚きを隠さず零す。左手の童子切。使う事なく鞘に納める。確かに血刃は強い。黒鉄の自動人形は強大な敵である。だが、それだけで戦いは制する事が出来るものではない。戦う力が強ければ良いと言うものではない。強き力。時にそれは、思わぬ弱さを生む事も充分にあり得る。

 吹き飛ばした黒金。間合いの外で、ゆっくりと立ち上がる。金眼。再び目が合う。ただ、小さく笑った。

 

「手にしたものに拘り過ぎだ、馬鹿者。――少しは、気が紛れたか?」

『――』

 

 黒金が手放してしまった血刃を消滅させる。無手。互いに刃を収め、視線が交錯する。

 

「行け。これで貸し借りは無しだ」

『――自動錬金』

 

 そして、黒金に一言かける。機械音声。それが響き渡り姿を消す。

 

「先生は、なにを……?」

「上手くは言えない。言えないが、刃は確かに泣いていたよ。或いは、涙を流せぬから、刃を以て泣きに来たのかもしれないな」

 

 エルフナインを抱え黒金との戦いを見詰めていた小日向が零す。その言葉に、満足のいく答えを返す事が出来なかった。ただ、血刃は血刃を以て相対さなくても破り得るのだと、示す事は出来ていた。

 

 

 

 

 

 

「あんたは、大丈夫なのかよ?」

「問題ない。少しばかり、刃を重ねただけだ」

 

 エルフナインを抱え、小日向と共に宿泊施設へと戻って来ていた。その場には既に皆が集まっており、同じく幾らか傷を負い戻って来たマリアの治療を施していた。小日向にエルフナインを預け、自分は部屋を移す。安楽椅子に座り込み、深く息を吐いたところで視線を感じる。そのまま、気配が動き、言葉が投げかけられる。雪音クリス。マリアの治療とエルフナインの解放を他の者達に任せ、自分の様子を見に来たようだった。投げかけられた言葉に、とりあえずはと頷く。黒鉄の右腕の力も使わず、血刃もそれほど多くは用いなかった。無理という程の戦いを行ったつもりはない。少し疲れただけだよと、心配性な白猫に告げる。

 ふと、白猫以外の視線を感じた。低い位置。気付けば部屋の隅の方に、連れて来ていたクロが丸まりながら此方を見ている。数瞬、黒猫と見つめ合う。すっと猫は立ち上がり、真っ直ぐな足取りで此方の下に向かいすり寄って来た。そっと抱き上げる。にゃあっと一鳴きした。

 

「コイツも心配してるってよ」

「……。そのようだ。誰も彼も、心配性なものだよ。有難い事に、な」

 

 戦場にあるクリスは兎も角とし、クロの様な猫にまで心配されているとなると苦笑が零れる。無論、猫である為、此方がどのような生き方をしているのか理解はしていないだろうが、動物故に、感じる物があるのかもしれない。

 思えばこの子は、自分が一人であった時からずっと共に居る。多くの戦いがあった。

 装者に出会い、ノイズを相手に立ち回り、始まりの巫女とぶつかり合い、自動人形が暗躍し、英雄の剣が作り上げられ、今、錬金術師とそれに従う自動人形が世界を壊そうと画策している。そんな戦いの折、最も自分が言葉を投げかけたのは、或いは、玄だったのかもしれない。会話をしたという意味ではない。胸の奥底に在るものを投げかけたのは、話す事が出来ない、黒猫だったのかもしれないと思う。猫が相手であったから、ある意味自然体でいられたのか。一人の時でも、多くの時を共に在った。日常であり、家族であった。傷付き身体を癒す時も、繋ぎ続けられた技を研鑽する時も傍に居た。多くの時を共にしたのだと、ふとした折に感じる。両親の墓参りに戻った時も、言葉を投げかけた事を思い出す。何を話そうか、玄に話す事で、自分の中を整理していた。拾ってから多くの時を過ごした家族である。猫であり家族でもあった。多くを語るのに躊躇う事は無かった。

 

「無理、し過ぎなんだよ。あんたは」

「そんな心算はないのだがな」

 

 抱き上げ、膝の上に抱えたクロを撫でていると、白猫がすぐ傍に腰を下ろした。零した言葉が震えている。何時も想いを押し通して来た。その度に、白猫には複雑な想いを抱かせたのだろう。或いは、近付き過ぎたのかもしれない。不安を隠そうとしないクリスの様子にそんな事を思ってしまう。

 会話がそこで途切れる。数瞬の沈黙。音が零れていた。不意に、クリスが歌を口遊み始める。聞き覚えのある歌。確か、文化祭に訪れた時に聞いた歌だ。思い出す。宿泊施設の一室で歌っている為、伴奏は無い。だが、聞き覚えのある歌詞に、嗚呼、あの時の歌かと思い至る。司令と共に並び聴いた。最初の数節は、会場に飲まれ、歌い始める事が出来なかったのだと後に聞いたが、あの時の歌だった。瞳を閉じ、歌を聞く事に意識を移す。まだ見ぬ自分の事が判らなくて、戸惑っていた。だけど、手を差し伸べられ大丈夫だと言ってくれた。信じるってこと、大切なもの。やっと見つけられたと、そう歌っている。

 歌は想いである。或いは、歌の歌詞が雪音クリスに通じるものであるからこそなのかもしれないが、誰かが手を繋いでくれた強さと、それ以上の優しさを手にした事を歌が伝えてくれていた。笑っても良いかな。許して貰えるのかな。あるがままに歌っても良いのかなと、歌が問いかけて来る。言葉では無く、内心だけで頷く。帰る場所。確かに、それは在った。捨て猫の様でしかなかった荒んだ少女が、今、そんな優しさに触れた歌を唄ってくれていた。それが、ただ嬉しく思う。

 

「以前にも言ったが、俺は君の歌が好きな様だ」

「――ッ。そっか」

「だからこそ聞いておきたい。君にとって歌とは、なんだ?」

 

 だから聞いていた。歌が終わり、左腕に付けられたネフシュタンの力が少しだけ満ちたのが解った。身体の内を、温かなものが吹き抜けていく。だからこそ、今聞いておきたかった。

 

「あたしにとっての歌?」

「ああ。君にとっての歌だ。雪音クリスにとって、歌とはなんだ?」

 

 問いかけ。それ以上の言葉は発せず、ただクリスの言葉を待つ。随分難しい事を聞いているという自覚はある。だが、知っておきたかった。

 

「わかんないよ」

「そうか」

 

 しばらく考え続けて、ぽつりと零れ落ちたのはそんな言葉だった。

 

「あんたに出会った時、あたしは歌が嫌いだった。そう思っていた。だけどあいつらとぶつかり合い、おっさんに大切な事を教えて貰った。パパとママは歌で世界を平和にしようとした。あたしに夢は諦めなければ叶うんだって教えようとしてくれていた。そんな二人の歌が、大好きだった。その気持ちを思い出させて貰ったから、もう一度歌が好きだって言えるようになった」

 

 そして、解らないと零した言葉を皮切りに、一つ二つと言葉が紡がれ始める。

 

「リディアンに通うようになって、あたしなんかにも友達だって言えるような人たちも増えていった。色んな事が初めて過ぎて、上手く接する事が出来ない事もあったけど……、そんな時歌があたしを助けてくれたんだ。授業の時であったり、何の変哲もない会話の中であったり、学園祭の時の思い出であったり……」

 

 歌は色々な事を教えてくれた。与えてくれた。初めての学園生活でも、大好きだった歌が多くのものを繋いでくれた。繋がりを、手繰り寄せてくれたと続ける。一度は嫌いになった歌だけど、今は大切なものだと胸を張って言えると。そんな言葉を紡いでいく。

 

「歌は戦う為の力だって本気で思った時もあった。その力で戦争を起こすものをぶっ潰してやろうと本気で考えていた時もあったよ。だけど、それじゃダメだって教えてくれた人たちもいた。シンフォギアを纏う以上、歌は力だという側面もある。だとしても、それだけじゃない」

 

 歌は力である。そう認める一方で、それだけでも無いとクリスは続ける。シンフォギア。その力を振るう為には歌によるフォニックゲインが欠かせない。戦う為の力でもあるんだと少女は続け、だとしても、っと言葉を続ける。

 

「歌は戦う力じゃない。戦う為に用いる歌なんて、歌の本質から見ればほんの僅かなものでしかない。だって、パパとママの歌は、あんなに素敵だったんだから」

 

 自分の大好きだった歌は、戦いの為の歌なんかじゃなかった。人々を繋げ、世界を平和にしたいという願いだったのだと。誰かを想う、優しさが大好きだったと。

 

「だからね。あたしはパパとママの夢を繋ぎたいと思った。その夢はきっと、綺麗で守るべき優しさだから。だから夢を繋いで行きたい」

 

 だからこそ、夢は自分が繋ぐんだと。二人が大好きだったあたしが繋ぐんだと、小さく笑う。

 

「あたしにとって歌はね。多分『繋がり』何だと思う。手を差し伸べて繋がってくれた人が居る。大切な想いを残してくれて、繋いでくれた人が居る。こんなあたしの歌を、好きだと言って大切なものを繋いでくれた人が居る。うん。歌は、あたしにとって『繋がり』なんだと思う。今を生きて、夢へと進む為の繋がりなんだ……」

 

 最後に白猫は、歌とは自分にとっての『繋がり』なのかもしれないと結論付ける。その想いをただ聞いていた。少しだけ口許が綻ぶ。強くなったのだなっと、ただ思っていた。何処か危うく、頭の片隅で案じる事が多かった娘であるが、その必要はないのだろうと思えていた。まだまだ脆い。だけど、既に拠り所はあるようだ。それが、ただ嬉しく思う。

 

「夢へと進む為の繋がり、か。良いな、君の歌は」

「~~ッ。あ、改めて言うなッ!? その、恥ずかしい、だろ……」

 

 君にとっての歌とは良いものだなと伝えると、白猫は恥ずかしそうに赤くなる。その様子を相変わらず可愛らしいところがあると思いながら見つめる。クロが身動ぎをした。丸まっていた黒猫が、顔を上げ俺とクリスを交互に見やる。

 

「あ、あたしの事ばかり聞かれてると不公平だッ! あんたにも何かないのかよ。例えば、こう、夢とかッ!?」

「夢……、か。今の俺に夢などありはしないな」

 

 一瞬気が逸れた事で、クリスが無理やり会話の流れを変える。聞きたい事は聞けていた。まぁ、良いかと会話の流れを変えずに続ける。

 

「意外……、なわけでもないけど」

「まぁ、それなりに生きているとな、色々な事を考える事もある。自分の手にしているもの。自分に届き得るもの。夢もそのうちの一つだろうか」

 

 クリスの言葉に頷く。我ながら、己は夢の為に生きるなどと言い切る性分では無い。武門である。戦う術を磨き上げて来ていた。だからと言う訳では無いが、自分にはクリスの言うような大きな夢と言うものはありはしない。

 

「じゃあ、あんたにも昔は夢とかあったのか?」

「……そうだな。青臭い事を考えていた頃も無かったとは言わんよ」

「なら、それを教えてくれよ」

「……、まぁ、内緒だ」

 

 クリスの言うような、夢を抱いた事が無いとは言わない。だが、自分のそれは誰かに語るようなものでは無かった。少なくとも、雪音クリスの夢の様に、誰かの為に歌うという優しさに満ちたものとは違うだろう。何より、かつて見た夢など、早々語るものだとは思えない。既に自分の中では終わっている。語るような事には思えない。人の事は聞いておいて悪いとは思うが、話す気にはならなかった。

 

「ちょ、人の事は根掘り葉掘り聞いた癖にずりーぞッ!!」

「すまない。大人とはずるいものなんだ」

 

 あんまりと言えばあんまりな此方の言葉に、白猫は頬を膨らませてむくれる。怒っているようだが、響が相手の時の様に無理押ししようとする気はない様だ。

 

「そうだな。もし、君の夢が叶う時が来たならば。その時は教えようか」

「本当だなッ? 絶対に絶対だからなッ!」

「ああ、約束だ」

 

 流石にあまりにも意地悪が過ぎるかと思い、そんな事を約束していた。とは言え、半ば話さないと言っている様なものなのだが、白猫がむきになってゆびきりを行う。妙なところで幼くなるが、そんな姿がらしくて笑みが零れる。

 クリスの夢が叶うのには、どれほどの時が必要であり、どれだけの壁があるのか。夢を掴み取る高みに立った時、果たして傍には誰が残っているのか。左腕に暖かな想いが宿ってくれている。だからこそ、夢を掴んで欲しいなと、そんな事を思う。

 

「と言う訳だ緒川。この子を頼むぞ?」

「――は?」

 

 話が一区切りつく。その瞬間、一言部屋に響くように言い放った。クリスの素っ頓狂な声が届く。緒川慎次。超常災害対策機動部S.O.N.G.の司令風鳴弦十郎の懐刀であり、歌姫風鳴翼を世に送り出す主導者でもある。その手腕は、芸能に関して疑う余地はなく、人としても信用できる人物だった。いるのは解っていた。と言うか、元々は今回の件で出た被害について、緒川と情報共有をする為に場所を移したという理由もあったのだが、先にクリスが来てしまったという事だった。

 

「いや、この状況でネタばらしをしますか?」

「まぁ、そのうち話そうと思っていたのだろう? ならば、早い方が良い。色々と都合が、な」

「それはそうですが――」

 

 天井からトンっと降りて来る緒川の言葉に頷く。善は急げと言う訳では無いが、夢の内容が内容である。準備や学び始めるのは早い方が良い。風鳴翼の様に歌い踊る偶像としてとは少しだけ違う方向になるのかもしれないが、やらなければいけない事はそれ程変りはしないだろう。

 

「な、な、な――」

「……、クリスさんならば、まぁ、こうなりますよね」

 

 パクパクと口を開く白猫の頭に触れる。そのまま、子供を撫でる様にくしゃくしゃと撫でる。ほんの僅かな時間、そうしていた。沈黙。なにすんだよと、恨みがましそうに此方をみている。

 

「夢は、存外手が届く場所にあるのかもしれないぞ?」

「え――?」

 

 そんな白猫に一言告げた。呆けたようにこちらを見ている。

 

「クリスさん。歌で、表舞台に立って見る心算はありませんか? ゆくゆくは、翼さんやマリアさんと共に立つ事も視野に入れて」

 

 そして、緒川の一言で雪音クリスは衝撃を受けたように固まるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 月明かりの元、小さな炎がパチパチと音を鳴らし弾ける。夏の夜。蝋燭の火を囲み、各々が火を灯す。花火。手にしたそれが、夜の闇の中を閃光が駆ける様に広がっている。装者達はまだ学生も多い遊び盛りでもある。折角来た海。その最後の夜は、皆で花火を使い思い出を増やしていた。遠目から眺めている。傍らに緒川が座り、共に眺めている。

 玩具とは言え、火であるのだが、普段から火器を手にしているクリスは、器用に複数の花火を持ちながら体の一部の様に手慣れた動きで火をつけ、仲間達に渡していく。妙に洗礼された動きに、感心していると緒川が語り始めた。

 

「とりあえずは、考えさせてほしいという事で話が落ち着きましたよ」

「そうか。まぁ、あの子が即座に断らないという事は、時間の問題かな」

 

 緒川慎次の誘い。それを受ければ、あの子は今までの生活と一変する。そういう事も考えると、即座に返事は出せなかったのかもしれない。今回の件に関しては、自分は振れない様にしていた。自分の進む道である。最後の所は自分自身の答えを出さなければいけない。それを理解しているのか、クリス自身も誰かに相談するという事はしていないようだ。もしかすると翼やマリアに多少の話を聞いているのかもしれないが、実際にどんな生活になるのかの確認と言った意味合いが強いのだろう。

 

「まぁ、あの子の事はあの子が決めるだろう」

「そうですね。大切なものが沢山あるから迷っている。今はそういう事なんだとおもいます」

「それで、何があった?」

「フォトスフィアが奪われました」

 

 クリスの話は一端終えておく。後は、あの子がどういった道に進むのかが大切であるからだ。

 そして、今回の襲撃での被害について尋ねる。元々今回海辺に来ているのも、筑波の研究所での調査結果の受領任務があったからだ。そして、その成果が奪われたという事だった。錬金術。様々な場所で自動人形が現れていた。守りが手薄になった時、仕掛けてきたと言う事だった。

 フォトスフィア。ナスターシャ教授がフロンティアに残した忘れ形見。自分は物を見た訳では無いが、光の球体であるようだ。まだ暫く調査を続けなければ一体何のためのものなのかは見当もつかない様だが、一部の調査結果を受け取ったのが今回奪われたという事だった。大本の情報自体は未だ筑波の研究所に存在しているようだが、何らかの目的の為に錬金術師側が動いたという事だった。

 

「とは言え、目的が解らず相手の所在も不明。相も変わらず後手に回らざる得ない、か」

「はい。他には近くの神社が襲撃されたような痕跡がある事も解っています」

「神社、か。あまり、錬金術とは結び付かないが、元を辿れば神道も陰陽思想から来るものだったか。ある意味、大本は同じなのかもしれんな」

「たしかに。あらゆるものを陰と陽に区分けし森羅万象に結び付ける。偶然などでは無く、何か、錬金術とも関わりがあるのかもしれませんね」

 

 他には神社が襲撃された。そんな結果を聞き、ふっと思い当たる。キャロルは万象に存在する術理と摂理。それを解き明かす事こそが使命であると告げていた。錬金術と、神道陰陽思想などの繋がりがあるかまでは解りはしないが。共に古くからの思想であり、技術である。何らかの関係があっても不思議ではない。そういった方面でも調査をしてみますと、緒川は言葉を残し直ぐ様動き出す。その速さに仕事熱心な事だと感心していた。

 

「あのバカたちが買い出しに行ったから、あんたも、花火をしないか?」

「そうだな。偶には、良いかも知れない」

 

 緒川が去った事で声を掛け易くなったのか、クリスが再びこちらに来ていった。その言葉に頷く。流石に花火で喜ぶような年では無いが、偶には良いかと思い渡された物を掴む。線香花火。蝋燭の火に向け先端を翳し、炎を受け取る。やがて火が燃え移り、パチパチと音を鳴らし夜闇を照らし始める。

 

「火。貰うぞ?」

「ああ」

 

 クリスが短く尋ねて来る。それにこちらも短く頷く。白猫の手にした花火にやがて火が乗り移る。

 

「綺麗だな」

「うん」

 

 ぽつりと零した言葉。傍で花火を見ていたクリスがただ頷いた。言葉もなく、ただ火を見ている。

 

「あ――」

 

 そして、花火は全てを燃やし尽くし火玉が地に落ち消える。自分の持つソレが先に落ち、後で火をつけたクリスの物がその時間差だけ長く燃える。とは言え、それほど長く燃える訳では無く、やがてそちらも火が消え、一瞬暗闇に包まれる。

 

「また、来年も花火しような」

「そうだな。そうできると、良いな」

 

 暗闇の中、クリスがそんな言葉を零す。表情が見えない。ただ、少しだけ声が震えているのは解った。頷く。そう在れれば良い。そんな事を思いながら、月を見上げた。少しだけ離れたところで、他の者達が和気藹々と花火を点け談笑をしている。クリスの手を引き、仲間たちの下へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




マリア、英雄の力に喰らい付く。
黒金、刃を武門にぶつける。
武門、黒金の刃を受け止める
クリス、夢について語り、一つの道が見える。







やっと、ガリィちゃんを退場させられた。


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23.痛みと不協和音と

 硯に水差しから水を数滴垂らす。墨を手にして、水に溶かすように磨り始める。ゆるりゆるりと、時をかけ墨を動かす。書簡。自分が居を構える集合住宅の一室を整理していた折、幾つも溜まっていたそれを消化していた。殆どは実家から送られてくるそれである。直近では錬金術師の暗躍もあり、届けられた書簡をじっくりと読む機会が無かった為、少しばかり溜まったそれに改めて目を通している訳であった。届いたその日のうちに大まかな内容には目を通してはいたが、殆ど流し見で終わっていた。書簡と同時に、女性の写真も数点届けば内容は読まなくとも解るからだ。

 武門上泉の直系。今でこそ、惣領(次期党首)と言う立場は叔父に譲る事になったが、それでも受け継いだ血と技の濃さは本物である。より強い次代を残せというのが武門の務めでもある。要するに、見合い相手の斡旋であった。結婚して子供を残せというのが、武門としてやって欲しい事だと言う訳である。

 墨の香りが鼻腔に届く。昨今では滅多に出会う事の無い落ち着いた香りが、戦い続きである今を束の間だが忘れさせてくれる。ただ、墨をする音だけが自室に響く。

 書簡への返答を纏めて認める為、紙と墨を用意していた。現代であるならば墨で書かれた書簡などを見る事はほぼ無いだろうが、そこは武門である。棟梁の好みもあって、鉛筆での手書きや電子機器を用いての印刷では無く、筆と紙を用いる古き良き書簡でのやり取りをしていた。勿論、今回の様に重要ではあるがそれほど緊急性の無いような内容に限るが。

 

「全く読めねぇんだけど……」

「それはそうだろうな。馴れがいる」

 

 墨を磨る事で鳴り渡る静謐な音色とどこか懐かしい香りを楽しんでいると、そんな言葉が耳に届く。部屋の端の方で丸まっていたクロがピクリと動くが、発言したのが白猫だった事もあって直ぐに転寝を再開する。雪音クリス。心配性な妹分が、一纏めにした書簡の一つを手に取り、学者が古文書と格闘するように解読を行っていたがさっぱり解らんと匙を投げる。まあ、それはそうだろう。墨で書かれた書簡である。行書が崩れに崩れており、普段から読み慣れていなければ解る道理はない。読んでも良いかと聞かれていたので、読めるなら読んでみると良いと伝えると、こう見えても学校の成績は良いから後悔するなよと豪語していたクリスではあったが、予想通り、解読には失敗したようだ。当たり前である。行書という事もあるが、武門である。同族にしか分からない様な、書の書き方もあるからだ。要するに所々に暗号が用いられている。解る筈がない。もし万が一初見で解るなら、本来とは違う意味で嫁に欲しいぐらいである。

 

「結局この手紙の山は何が書いてあったんだよ」

「まぁ、大した事ではないよ。近況報告と、武門の務めについて」

 

 さっぱり解んねぇと零す白猫に苦笑が零れる。その間も、視線と意識は硯に向けたままだが、耳だけはクリスの言葉を聞く。緒川の話を聞いた後、何処となく寂しそうな顔をする事が増えている。気にはしているが、何かを話しに来る気配はまだない。悩んでいるのだろうなと見当を付けつつも、必要以上には構う事をせず見守るだけに留めていた。自分の想いを見詰める。それは人が生きて行く中で、大切な事であったからだ。

 

「これは……写真か。って、何だよこれッ! これも、これも、これもッ! 入っているの女の写真ばっかじゃねーかッ!」

 

 近くに纏めた写真の入った封筒を取り出し、白猫が小さな叫びをあげる。その声に一瞬硯に墨を磨る手を止め視線を向けるが、ああ、そういう事かと合点がいったので再開する。その間にも白猫は写真を見詰め御立腹のようだ。取り敢えずはと言った感じで、着物を着た若い女性の写真を手に取り、此方に疑問をぶつけて来る。

 

「見合いの写真だな。何時もの事だよ。さっさとつがいを見つけろと家が煩いのでね。隙あればそういったものが送られてくるよ。爺様の趣味の一つかな」

「――ッ!?」

 

 見合い話が送られてきているのだよと伝える。薄々は予想がついてたのではあるだろうが、本当にそういう類の書簡と写真である事に、クリスは素直に驚きを示す。そして、何の想像をしているのだろうか、暫く考え込んだ果てに一瞬で赤く染まった。らしいと言えばらしい反応なのだが、それが少し面白かった。

 

「その応答も兼ねて、書を認めている訳だよ」

「そ、それでなんて書く心算なんだよ。当然、あんたの中では答えが出ているから返信を書こうって思ったんだろ? もしかして……良い女がいたりしたのかッ!?」

「いや。いつも通り、今の所はそんな事は考えていないと認める心算だよ」

 

 クリスの言葉に頷く。婚姻を結ぶのなど、もう少し先で構わなかった。何時だったか司令に三十路に差し掛かれば、その辺りで決めるつもりだと言っていた。その時と同じように答える。

 

「そ、そっか。取り敢えず、直ぐ様結婚するとかそんな事を考えてるわけじゃないんだな?」

「ああ。そうだな。それに、今はそれどころでもない。目先の戦いを終わらせなければ、そんな事を考えている余裕もないよ」

「……、戦いが終わったら、そういう事も考えるのかよ?」

「まぁ、武門だからな。何れは次代を繋ぐ者を考えなければいけないよ。俺自身がそうだったからな」

 

 一先ず婚姻などは考えていないと伝えると、興味が幾らか逸れたのか先程の剣幕よりは幾らか落ち着く。その間に、墨を筆に絡ませ、紙に伝えるべき事を認め始める。気付けば傍らに来ていたクリスが、白の上に広がっていく黒色に感嘆した様な声を上げる。

 

「よ、読めねぇ……」

「まぁ、それほど上手い字ではないしな」

「いや、あんたの字が汚いとかそういう意味じゃなくて、書体が崩れ過ぎてるんだよッ! 来てる手紙も、送る手紙もッ!!」

 

 やっぱり読めないと零す白猫の言葉と様子が面白い為、汚くてすまないなと続けて見ると、いや、そうじゃねーんだよと否定する。

 

「それに、達筆過ぎて上手く読めねーけど、何と言うかこんな字が書けるのはその、凄いしちょっと格好良い……」

「ほう……。褒められたのか。珍しい事もある」

 

 そのまま、目の前の意地っ張りにしては珍しく素直な称賛の言葉に思わず手を止め見詰める。大凡、今までのクリスからは想像できない言葉に、少しばかり虚を突かれていた。

 

「いや、その、別に深い意味はねーし!!」

「そうだな。素直に褒められた事を喜んでおこうか」

 

 するとそんな此方の様子を察したのか、白猫は何時もの調子で慌てふためく。その姿が少しだけ可愛らしく思えるが、今回は書を認めている事もあり、そちらに意識を集中させる。書き記す内容は、近況報告、縁談の先送り、そして――

 

「なぁ、今度墨の磨り方を教えてくれよ」

「また、唐突にどうした。やり方ぐらいならば教えられるが、俺は武門であって書道家では無いぞ」

「解ってるよ。けど、こう、あんたが書いているの見たらやってみたくなったんだよ。それに剣は使えないけど、こういうのだったらあたしにもできそうだしなッ」

 

 全てを認め終え、確認も終えた時にクリスがそんな事を言う。剣などとてもじゃないけど無理だが書ならば、自分でも共にできるからと屈託なく笑った。その様子に、まあ良いかと頷く。長らく書見をする事はあっても、墨と筆を用いた書写をする事は無くなっていた。思えば、最近では黒金の対策もあり、小日向ばかりを気に掛けていた。この子との時間を取る事が随分と少なくなって来ていたように思える。実家の様な安心感がある。以前零していた言葉を思い出す。気のせいかも知れないが、心配以外にも寂しい想いをさせていたのかもしれない。

 

「そうだな。君に何かを教えるのも、良いかも知れない」

「ほんとか? 約束だからな」

 

 それほど長い時間は取れないが構わないかと告げると、嬉しそうに表情が綻ぶ。翼や小日向には剣を教えて来ていたが、クリスにはそういった時間を取った事はあまりなかった。訓練で相手を務める事はあるが、明確に教える目的で接する事は無かっただろう。響には、色々な在り方や生き方の話をした事もあるが、クリスにはそう言った話も少なかったように思える。上機嫌に鼻歌を口遊みだした様子を見ていると、そういう接し方もありかも知れないと思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒鉄の右腕は異端技術との複合品である。エルフナインがキャロルの本拠地から逃げる際、持ち出してきた異端技術のうちの一つに英雄の剣の一部が存在していた。その技術と、特異災害対策機動部時代から蓄積されていた異端技術を応用し造られたのが、自身の新たな右腕であった。その力は、既存技術と異端技術の折衷品である。つまり、それその物が特異災害対策機動部やそれから派生したS.O.N.G.にとって重要機密であると言える。重要な技術の集大成の一つであり、貴重な異端技術の情報収集源であると言えた。

 

「これが、黒金の右腕に関して収集、解析が完了した情報となります」

「ああ。確かに受領した。日頃の尽力の成果。有難く頂戴する」

 

 その為、計測された情報を解析共有する為に情報媒体の受け渡しに来ていた。エルフナインと共に特異災害対策機動部一課に訪れ、運んで来たものを受け渡す。風鳴八紘。風鳴弦十郎の兄であり、翼の父に当たる人がその受取人だった。本来ならば、内閣情報官である彼に直接情報端末を受け渡す事などあり得ない筈なのだが、そこは風鳴の家、そして武門と言う存在が関与していた。要するに風鳴の隠居、一応は現当主である風鳴訃堂が一枚噛んでいるという。

 ちなみに風鳴の現当主を隠居と呼び、正式な当主では無い風鳴八紘を現当主と敢えて呼ぶのは、武門である『上泉』が『風鳴訃堂』を蔑視しているという意思の表れであった。

 棟梁にして、『思想が理解できぬ訳では無い。が、人として護るべき矜持を捨て畜生に成り下がる事を是とするようでは、器が知れると言うもの。国の守護する者が人の道を違えた時、最早それは人の為の守護者に非ず。狗は狗の国でも守れば良い』と断じたのだとか。父と言い、祖父と言い、風鳴の隠居が随分と気に入らないようだ。尤も、上泉を経由して聞く噂話によれば、確かに問題の多い人物ではある。

 

「黒金の右腕。錬金術を用いる事が出来るそれその物を複製する事は不可能です」

「ああ。それは解っている。錬金術。それは、一朝一夕で手繰り寄せられる異端技術では無いのだろう。だが、異端技術との折衷品である義手としての力なら別だ。シンフォギアの防護障壁や、黒鉄の右腕の障壁を既存技術にまで落とし込む事さえできれば、人はノイズへの明確な対抗手段を手繰り寄せる事も可能だ。黒鉄の右腕のもたらす情報にはそれだけの価値がある」

「はい。英雄の剣が用いられている黒鉄の右腕とまではいかなくとも、既存技術で似た事が出来るようになるとすれば、それは革新的な変化と言えると思います」

 

 エルフナインが手渡した情報媒体を手に、風鳴の現当主殿がそんな言葉を続ける。怜悧な知性を持つが、同時に不器用な人間だった。シンフォギアが存在するとは言え、それとて常に最前線にいられる訳では無い。ノイズに対し対抗する術を持たない者達を戦場に送り出す事に関して、苦々しい想いをしていたのだろう。少しでも対抗できる術があるのなら、手繰り寄せたいのだと続ける。

 

「一課の遊撃隊の方は?」

「未だ目を覚まさないと聞いている。今すぐにどうにかなるという程では無いが、このまま意識が戻らなければもしももあり得る。彼らもまた武門だ。単純な傷ならば常人よりも直りは早い筈なのだが……。恐らく相対した自動人形が何かを行ったのかもしれない」

「……自動人形の錬金術。ボクならば力になれるかも知れません」

 

 黒鉄の義手を作られる原因となった敗戦。その時に重傷を負ったのは何も自分だけではない。一課遊撃隊の者達も壊滅していた。死傷者も当然居り、中でも隊長格が四肢の一部を失い意識不明だという。これまでは錬金術師の対策に追われていたエルフナインであったが、シンフォギアの改修も全て終わった為、他にも自分にできる事があるかもしれないと、そんな可能性を口にする。錬金術。確かにそれならば、人知の及ばない現象も起こす事が出来るはずだ。自身も、その毒に蝕まれている身だ。決して有り得ないなどと言えはしない。

 

「確かに君であれば何か解るかもしれない。一度様子を見に行って貰えるだろうか」

「ボクにできる事なら、直ぐにでも」

「そうか。では、上泉君。君は彼女の案内と護衛をお願いしたい」

「承知いたしました」

 

 風鳴情報官から直接指示が下る。その言はS.O.N.G.司令のものよりも重く、元より断る理由もない。病床の者に面会に行くぐらいでは危険は無いだろうが、エルフナイン目的の自動人形の襲撃も無いとは言い切れない。黒金だけはそのような手を用いてこないと確信できるが、他の人形は断言できる程ではない。自分の様な者には有事でも無ければ急ぎの仕事など早々ありはしない為、指令を受諾する。

 

「連続した付き添いになってしまって申し訳ありませんが、まだ暫くお願いしますね」

「構わんよ。辞令が下って一課から離れてしまったが、短期間とは言え隊を率いていた。そちらの方も気になっていたのだよ」

 

 急な事ですみませんと頭を下げるエルフナインに、気にしないで欲しいと伝える。遊撃隊の二つの部隊のうち、自分が率いていた方の近況も聞いていた。此方の方は隊長格の柳生と疋田も意識を取り戻し、鍛錬に打ち込んでいると聞いていた。だからこそ、未だ第一部隊の者が意識不明な事違和感を感じる。同僚たちには何れ訪いを入れようと思うが、先ずは意識不明の者を見に行くのが優先事項だった。話が纏まり、風鳴情報官に一礼し、エルフナインと共に辞去する。そのまま、一課の中で申請を行い、医療施設への移動手段を手配する。それ程待たされる事なく、迎えの車両が姿を現す。そのままエルフナインと共に自動車の後部座席に童子切を抱え腰を下ろす。普段は刀を持てるように少々工夫されたS.O.N.G.制服を纏っており、場所によっては腰に差したりもしているが、流石に車両内で腰に差したままと言う訳にはいかない為抱えていた。

 

「体の具合はどうですか?」

 

 目を閉じ視覚ではなく聴覚での警戒を行っていると、視線を感じた。エルフナイン。此方をじっと見ている。

 

「問題は無いよ」

「そうですか……。何時も誰かが歌を……?」

「ああ。クリスや響が中心だが、翼やマリア、月読暁も歌ってくれる。時折小日向も響に混じる事はあるな」

 

 歌はきちんと聞いていますかと、エルフナインが問う。それに、聞かせて貰っているよと頷く。居室で聞く事もあれば、装者の訓練に立ち会う事で耳にする事もあった。フォニックゲイン。それをでき得る限り受け取る事が大切だと言われていた。左腕に僅かだが暖かな流れを感じる。それが、ネフシュタンの腕輪を稼働させてくれていた。

 

「なぁ、エルフナイン。絶唱と通常の歌ではどれだけの差がある?」

「それは……。一概にどれ位と比べられるものではありません。ですが、」

「いや、止めておこう。すまないが、今の問いは忘れて欲しい。武門であるからかつい尋ねてしまったが、歌に強さなどを持ち込むのは野暮と言うものだ」

「はい――」

 

 何気なく頭に過った疑問。エルフナインが自分なりに答えを導きだし教えてくれようとしたところで遮る。歌に強さなど必要では無かった。歌を語る時に、比較など無くて良いのだ。ただ想いを込めて歌ってくれている。温かなものが、確かに宿っている。その結果だけで充分だった。

 互いの言葉が止まり、車両が揺れる音だけが耳に届く。目的の医療施設へは、未だ暫く道程は遠い。左腕。僅かな温かさが脈打っている。

 

 

 

 

 

 

 

「私、余計な事しちゃったかもしれない……」

「そんな事ないよ。私も未来のお陰で、向き合う決心がついたんだ。あの日、お父さんと出会った。それはきっと逃げちゃいけない事なんだって」

 

 リディアン音楽院。立花響と小日向未来が学ぶ教室の一角で二人は言葉を交わしていた。筑波で行われていた研究の受領任務の終わり間際。仲間達で花火を行っていた際、響と未来は買い出しに出ていた。その時に訪れたコンビニ。そこで、想いもよらなかった人物と再会していた。響の父親である立花洸。かつて響たちの前から姿を消した父親と再び出会ってしまっていた。

 かつて起こったツヴァイウイングのライブ会場での惨劇。その生き残りである響が何とか傷を癒し、家族の元に帰った時にはその状況は一変していた。隣人や、見ず知らずの者達からの嫌がらせ。地域や社会、立花家が直接関係する会社や学校の者達からも心無い言葉を浴びせられていた。

 一人だけ生き残った。お前も死ねばよかった。天羽奏を返せ。疫病神。税金泥棒。ノイズはお前だけは殺さなかった。お前の所為だ。響自身が知るだけでも胸が抉られるような言葉を浴びせられていた。直接言いに来る者ならばまだ良かった。だが、殆どの人間は己の姿を見せる事も無ければ言葉に何の責任も負わないよう、匿名の張り紙や加工音声を用い毎日の様に嫌がらせが行われていた。それは響だけでなく、立花家の人間も例外なく悪意に晒される事となった。

 その最も矢面に立たされたのが立たされたのが立花洸である。娘が生き残った事が悪の様に非難され、務める会社では嫌がらせが横行し、取引先には自分が事件の当事者の親であるというだけで手切りにされ、その責を負われる形で仕事すら失い、酒に溺れ家族に暴力を振るうようになってしまう。情状酌量の余地こそあるが、それでも最後は家族にすらも何も告げず、家を捨て行方を晦ますという最悪の選択を取った父親であった。

 そんな父親と偶然再会した時、響は思わず逃げてしまっていた。一緒にいた未来が、咄嗟に洸と連絡先を交換していたので再び現れた繋がりが断絶する事は無かったが、本当にこの選択が正しかったのか、未来にも解らない。

 

「響……」

「大丈夫。一度お父さんに会って、しっかりと話をするだけだよ。だから、心配しないで」

「うん。だけど、無理しちゃだめだよ」

「解ってる。これぐらい、へいき、へっちゃらだよ」

 

 そして未来が洸と響の間を取り持ち、二人がもう一度会う約束を交わしていた。響の様子は何時もと変わらない様に思えるが、だからこそ、未来には心配に思えた。いつもの笑顔が、何処か無理しているように見えるからだ。

 

「響には私がいる。私以外にも、翼さんやクリス。マリアさんや調ちゃん、切歌ちゃんだって。それに」

「ユキさんだって居てくれる――。だけど、これ以上心配はかけさせられないよ。だから、上手く話してくるね」

「うん。待ってるからね」

 

 そんな未来に、響は大丈夫だと言い切る。大切な友達が居て、好きな人も居てくれる。だけど好きな人は自分なんかよりも辛い状況に立たされていて。そんな大切な人にこれ以上余計な心配を掛けさせたくないから、詳しい事は結局話せなかった。それでもみんなが傍に居てくれるから自分は大丈夫だと響は笑顔を浮かべ、未来と別れる。

 そして、待ち合わせのファミリーレストランに向かう。学院からそれ程遠くない店舗。辿り着くと、幾らか早鐘を打つ胸を落ち着かせる為、響は深呼吸を行う。

 

「大丈夫。へいき、へっちゃら」

 

 短く魔法の言葉を呟き、覚悟を決めた。扉に手を掛け開くと、カランと来店の音が鳴り響く。辺りを一瞥すると、直ぐに居場所が分かった。父親。既に席を取り、注文を終えたのか軽食が並んでいた。

 

「お父さん……」

「響……」

 

 店員に一言断り、父親の座る席に向かう。お父さん。幼い記憶の父親よりも、幾らかやつれた様に思えるが、確かに己の父親が響の前に姿を現していた。胸の内に鋭い痛みが走る。ざわざわと、背筋に嫌な感じが走り続ける。怖い。大好きだったお父さんに、自分は見捨てられていた。そんな想いが胸を過る。それを内心で、へいき、へっちゃら。と呟く事で気付かなかった事にする。

 名前を呼ばれる。懐かしい声色に、涙が零れそうになるのを必死に耐える。嬉しさと痛さ。二つの相反する感情が響の中に渦巻いていく。まぁ、座ったらどうだと着席を促され、響はそれ以上の言葉を出す事も出来ずに席に着いた。

 

「少し前に、月が墜ちる墜ちないと騒動になった事があっただろ? あの一連の事件の報道で、お前に良く似た女の子が映って居たのを見て、それ以来ずっと気になっていたんだよ。それから、昔みたいにみんなで一緒に過ごせないだろうかと思ってな」

「みんなで一緒に?」

 

 少し考え込む様にして洸が口を開いた。その事件には響自身心当たりがある。フロンティア事変。その一部始終は、フロンティアにフォニックゲインを収束させる為に、全世界に中継されていたと聞いている。その時にお父さんも見たのだろうか。そんな事を思いながら、紡がれた言葉の意味を反芻する。みんなで一緒に。お父さんが居なくなってからも、帰ってきて欲しいと思う事は何度もあった。ずっと欲しかった言葉。その筈なのに、その言葉がどうしようもなく気に障る。なんで、どうしてと、そんな言葉ばかりが頭を過る。

 

「ああ。やり直せないかと思ているよ」

「やり直す……?」

 

 やり直したい。父親から発せられた言葉を、何とか呑み込む。父親は軽食を口にしながら、そんな言葉を続けていた。記憶の中の父親の姿が思い浮かぶ。お父さんは優しくて格好良かった。そんな記憶が真っ先に出て来る。だけど、目の前にいる父親は、そんな響の記憶の中の姿とは正反対であった。なんで。もう一度、そんな言葉が己の内で生まれる。浮かび上がる暗い感情を、何とか落ち着けようと歯を食いしばった。

 

「勝手なのは解ってる。だけど、あの環境で生きていくなんて俺には考えられなかったんだ」

 

 そんな娘の姿に何かを感じたのか、洸は言い訳をするように言葉を絞り出す。その言葉に大きく感情が揺さぶられた。なら、どうしてそんな環境に私達を置いて行ったの? 逃げるんだとしたら、どうして私達も一緒に連れて逃げてくれなかったの? そんな言葉が胸の内に生まれるが、言葉に成らず消えて行く。どうしようもない痛みと、それ以上の悲しさが響の中から溢れて言葉にならない。

 

「無理、だよ……。一番一緒にいて欲しい時に居なくなったのは、お父さんなんだよ……。私たちの元から消えたのは、お父さんの方からなんだよ」

「……ッ!? やっぱり無理か。いい加減に時間も経っているし、どうにかなるかもしれないって思ったんだけどなぁ」

 

 何とか絞り出した言葉。お父さんが行った事は、私達をどうしようもなく傷付けたんだよと伝えた心算だった。その言葉に一瞬怯むも、洸は苦笑を浮かべ無責任な言葉を並べる。時間が経てば傷は癒える。そうすれば、自分が行った選択は帳消しになる。傷付けた事は無かった事になる。そう言わんばかりの父親の言葉に、遂に響の中で何かが切れるのが解った。

 

「そうだ、覚えているか響。どうしようもならない時に何とかやり過ごす魔法の言葉。お父さんが昔教えただろう?」

 

 辛そうに俯いていた娘の様子に、洸は何とか話題を変えようと言葉を出した時、響は勢いよく立ち上がった。そのまま、何も言葉を告げずに席から離れて行く。

 

「待ってくれ響ッ!」

「――ッ!?」

 

 その瞬間。父親の切羽詰まった言葉が耳に届く。その声音に、燃え上がっていた感情が一瞬だけ平静を取り戻す。そして。

 

「持ち合わせが心許なくてな。すまんが、貸して置いてくれないか……?」

 

 続けられたどうしようもない言葉に、もうあの頃の格好良かったお父さんは居なくなってしまったんだと思い知らされる。差し出された伝票を力ずくで奪い取り、店員の下に向かい乱暴に清算する。悲しかった。どうしようもない痛みだけが響の中を埋め尽くしていく。もう見たくない。もう、こんなお父さんには会いたくない。思うのは、そんな事だけであった。

 店を出て全力で走り出す。どうしようもない感情だけが響の中に残されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

『アルカノイズの反応を検知した。場所は地下68メートル。共同溝内と思われる』

 

 暁切歌と月読調は、S.O.N.G.より支給された通信端末よりそんな情報がもたらされる。共同溝。電線を始めとする電気、水道ガスなどのライフラインを纏めて地下に埋設する地下設備に反応が現れたとの事であった。近場に居る装者は二人に加え響が連絡を受け向かっているところだった。他の者達も現場に向け急行しているところだが、目的地との距離が遠く、到着には暫くの時間が要する。近場に居る三人には現場に集合、後に先行する指示が下っていた。一足先に入口に辿り着いた切歌と調は響が到着するのを今か今かと待ちわびる。

 

「響さん、この前の花火の時位から何か様子がおかしかったんだけど……。今は大丈夫かな?」

「そうなんデスか?」

「うん。小日向先輩と買い出しに行った時、別々に帰って来てた」

「おおッ。言われてみれば確かにそんな気が。考えて見れば中々のレアケースデス」

 

 響が来るまでの間、調が少しだけ気にかかっていた事を切歌に話し出す。皆で海に訪れた最後の日。買い出しから帰って来た響の様子が少しだけおかしかった。その時は考え過ぎだろうかと考えもしたが、どうにも気になってしまう。取り敢えずはと言った具合に切歌にも情報を共有しておく。気のせいであったのならば、それはそれで構わなかった。自分が気にし過ぎなだけだと笑い話の種になるだけだからだ。

 

「でも、何があったのかな?」

「例えば、クリス先輩が思いの外頑張ってたから動揺したとかデスか?」

「……確かに頑張っていたけど、それだと時系列がおかしいよね。丁度あの時に出掛けていたわけだから、響さんは知らないだろうし」

「むむ。そうだったデス。地味にヘタレなところがあるクリス先輩にしては頑張ってたので、邪魔しちゃ悪いと思いながら観察していた所為か、その件の印象ばっかりあるんデスよ」

 

 何かあったのだろうかと二人は考えるもそれらしき理由は思い当たらない。あの時あった出来事と言えば、珍しくクリスがユキに積極的に向かって行ったのを二人で眺めていたぐらいである。それ自体も時間的に理由とするのはおかしいので、もっと別の何かがあったのかもしれないと会話が途切れる。それはそうと後輩の二人にして、じれったいなあの先輩はと思わずにはいられない。傍から見ていると好意があるのが良く解るにも拘らず、肝心なところで踏み出せないでいる。可愛らしいところがあるなと思いつつも、見ている分にはじれったいと感じるところも存在している。とは言え、それはクリス先輩だけではないんだけどと二人で頷き合う。

 

「――、――」

 

 そんな感じに待ち時間の間、任務以外の出来事についてああでも無い、こうでも無いと話し合っている間に待ち人である響の姿が近付いて来るのに気付いた。急いでいるのか走って向かって来ている。

 

「あ、来たデス。おーい、こっちデース」

 

 切歌が響の姿を認め、大手を振りこっちのほうに入口があると誘導する。

 

「へいき、へっちゃら。へいき、へっちゃら。へいき、へっちゃら。へいき、へっちゃら……」

「およ?」

「響さん……?」

 

 そのまま響は何度も自分を言い聞かせるように呟きながら二人の前を走り抜ける。まるで涙を拭う様にして通り抜けた響の様子に二人は隠す事が出来ていない違和感を感じ取る。

 

「どうかしたデスか?」

「何か、あったの……?」

「……何でもないよ」

 

 思わず聞いていた言葉に、響は二人に背中を向けたまま答える。心配してくれている二人に、直ぐに向き合う事が出来なかった。

 

「とてもそうは見えないデスよ」

「うん。何かあったのなら相談に――」

「二人には関係ない事だからッ!!」

 

 それでも心配を隠せない二人の言葉に、思わず強い口調で言葉を零してしまう。予想だにしていなかった語気の荒さに、切歌と調は一瞬怯んでしまった。その様子を目の当たりにした響も、自分自身の言葉に息を呑む。

 

「確かに、何も知らない私達じゃ力にはなれないのかもしれない。だけど、それでも誰かがそんな顔をしているのなら、何とかしてあげたい……」

「そうデス。あたしたちは響さんにも沢山お世話になっていきたのデス。だから、何かあった時ぐらいはあたし達だって……」

「――ッ。ごめんね。私、自分の事ばっかり考えてて……。どうかしてた……」

 

 そして悲しそうにしながらも力になりたいんだと伝えられた言葉に、自分は何をやっているんだと思い直す。ごめんねと二人に謝った事で、張り詰めていた空気が幾らか和らぐ。何かあったのなら何時でも相談に乗ると伝えて来る二人に、響はありがとうと小さく笑った。心配してくれた切歌と調に、そんな心算は無かったとはいえ酷く傷付けてしまっていた。拳を小さく握りしめる。拳でどうにかできる事なんて、実は大した事では無いのかもしれないと思ってしまう。格好悪いな私と、自分に言い聞かせる。苛立ちに任せて関係の無い二人に嫌な想いをさせてしまっていた。こんな事では、お父さんと何も変わらないと思い気持ちを何とか切り返る。

 

「行くよ二人とも。頼りにしてるからねッ」

 

 そして二人にこれ以上心配させない様にできる限り明るく声を掛け、聖詠を詠いシンフォギアを纏う。共同溝内を通信から届く指示に従い進んでいく。アルカノイズの反応に接近。そんな声が三人に伝えられる。拳を握り締める。アルカノイズ。普段は出てきて欲しくない敵の反応だったけど、今だけはその存在が在りがたく思えた。どうしようもない感情を思いっきりぶつける事が出来るから。

 

「おや、漸く来たな。だけど、今はお前たちの相手を――」

 

 やがて、視界の先にアルカノイズの群れが見えて来る。自動人形。錬金術師の手駒の一つであるミカが錬金術を発動させ、何かを行っていた。端末。辺りに密集している電気配線を束ねているそれに向け、腕を翳し魔法陣を発生させていた。見つけた。内心でそんな事を呟く。ミカが響たちに視線を向け口を開いた時、一気に飛んでいた。

 

「まだこっちの台詞は終わってないんだゾッ!」

「いきなりッ!?」

「まだ、周りにたくさんノイズがいるデスよッ!」

 

 一撃。思いも寄らなかった響の突出に、流石のミカも作業の手を止め応戦を開始する。アルカノイズを追加で呼び出すと、何処か投げやりな響に向け一撃を打ち込む事で距離を放す。

 

「くぅッ!? だけど、まだまだッ!!」

 

 何とか一撃を受け止めるも、響はミカから距離を放されアルカノイズに囲まれる形になる。拳に苛立ちを握りしめ、アルカノイズを見やる。飛び込んでくる敵。隙を突かれていた。だけど、それ程驚異的な動きでは無い。推進装置を全て稼働させ、加速する。跳躍し仕掛けて来たノイズが攻撃を仕掛けるよりも早く、機先を制する形で拳を振るった。迫るノイズを殴り飛ばし、蹴り上げ、弾き飛ばし、力任せにねじ伏せる。振るわれる暴力に対して、気持ちは萎えるどころか更に燃え上がる。どうしてあんな事が言えるんだ。今更姿を現して、無責任で都合の良い言葉と言い訳を並べ、格好の悪い姿だけを見せることができるんだ。

 

「泣いてる……?」

「やっぱり、様子がおかしいデス!」

 

 そんな感情に振り回されながら戦う響の姿を見詰め、切歌と調は思わず動きを止める。涙。響の瞳から、零れ落ちるそれを認め、このままではいけないと思い、互いに何とか響の下へフォローに入ろうと向かう。

 

「何でそんなに簡単にやり直したいなんて言えるんだッ。壊したのはお父さんの癖にッ!!」

 

 その間にも、響は我を忘れ拳を振るう。やり直したいと告げられていた。だけど、そう言った父親の姿は昔の記憶の格好良かった頃とは比べるべくもなくて。ただ、無責任で自分のした事が分かっていない様子が、ただただ響を苛立たせ、傷付ける。壊したのはお父さんの癖に。私を見捨て、家族の前から姿を消し、自分の行いが全てを壊したくせに、今更やり直したいなんて言うのはあんまりだった。感情に身を任せ、拳を振るい続ける。壊したのはお父さんの癖に。そんな言葉が、感情の昂ぶりに呼応するかのように口から零れ落ちた。そして、

 

「違う。壊されたのはお父さんも同じだ……」

 

 ノイズを壊している時に気付く。お父さんも今の自分と同じ辛さを味わったのだと。自分があの日ライブ会場になんて行ったから、それが原因で様々な悪意を受け止める事となった。響には何の落ち度もない。だけど、それは父親も同じだったのではないか。立花洸の選択を許す事は出来ないけど、お父さんがそんな選択をせざる得なくなったのは自分が原因だった。だとすれば、本当に悪いものとは何なのか。

 

「隙だらけなんだゾッ!!」

 

 一瞬そんな思いが過り、動きが硬直する。その隙を逃がす自動人形ではない。ミカの生み出した炎柱が寸分違わず響の胸を打ち抜いた。

 

「うぁぁッ!?」

 

 その質量から届く衝撃に、響は踏み止まる事が出来ず弾き飛ばされる。受け身も取れず地に叩きつけられ、衝撃を逸らす事まできずに床を吹き飛ばされ、地下坑道内の足場に叩きつけられる。あまりの衝撃の強さに響は呻き声を零し、意識を失う。

 

「言わんこっちゃないのデス。大丈夫デスか?」

 

 意識を失った響の下に切歌は駆け寄り、響を抱き起す。目は閉じられているが、上下している胸の動きに一先ずは生きていると胸を撫で下ろす。

 

「歌わないのか? 歌わないと言うのなら、みんな死んじゃうゾッ!!」

「ッ!?」

 

 ミカは切歌が響を助け起こした姿を見詰め、錬金術を発動させる。右手の指先に一つずつ火球を生み出し、力を極限まで圧縮。五指に凄まじい力を秘めた炎弾を生成し、拳を突き出す形で一気に射出する。その強力過ぎる力に、抱き起した直後でまともに動く事の出来ない切歌は息を呑む。死ぬ。その熱量に、そんな言葉が過る。

 

「くぅぅ。大丈夫……? 切ちゃん……」

 

 直撃。五指の炎弾を調のシュルシャガナの丸鋸を広範囲に展開、調自身が四肢を地に突き踏み止まり、簡易的な盾代わりにし劫火にぶつける事で何とか受け止める。とは言え、放たれた炎弾は通常よりも遥かに力が込められた劫火である。受け止め続けている丸鋸を徐々に浸食するように削り取り、その質量を以てじりじりと調を後退させる。

 

「……。大丈夫な訳……ないデス!!」

 

 そして調の背後で守られた切歌は、思わずそんな言葉を吐き出す。大切な親友が、自分を庇った為命の危機に瀕している。そんな現状が許せなくて、そんな言葉を零してしまう。また守られている。フロンティア事変の折にも守られ、今もまた調に命を懸けさせている。例えどうしようもない状況だったとしても、そんな状況が許せなかった。強くなれない自分が悔しかった。

 

「こうなったら、イグナイトで……」

「駄目ッ! 無茶をしようとするのは、私が足手纏いだから……?」

 

 そんな切歌の言葉を、調は悪い方向に解してしまう。切歌よりも弱い自分に助けられた事が気に入らない。だから、無理にイグナイトを発動してでも現状を変えようとするのかと、問う。確かにイグナイトは強い力かも知れない。だけど、発動に失敗すれば戦うどころの話では無かった。響も意識を失っている状況で、切歌まで動けなくなっては本当にどうしようもない。負けられず、逃げる事もできない状況が二人の間に入り込み、誤解を加速させる。

 

「……君たち一人だけの力じゃ到底無理なんだゾ。」

 

 そんな切歌と調の様子に築いたミカは、空いていた左腕を使い、更に錬金術を施し炎を纏う。収束した炎による砲撃。何とか劫火を受け止めていたシュルシャガナの盾をぶち破る心算で炎砲が撃ち放たれた。

 

「うぁぁぁ!?」

「くぅぅぅ!?」

 

 そして二種の炎が混ざり合い、一つの力となって盾を完全に打ち砕く。切歌と調はその衝撃で遥か後方まで吹き飛ばされ壁に叩きつけられる。意識を失っていた響は元より、切歌と調も再起不能にまで追い込まれていた。

 

「『英雄』ではない君達じゃ、協力しないと無理だゾ。あたし達にもやる事があるから今日の所は預けてやるけど、次はしっかり歌うんだゾッ!」

 

 そして、そんな言葉を残しテレポートジェムを地に叩きつける。そして魔法陣が浮かび上がると、ミカは装者達の前から姿を消すのだった。

 

 

 

 

 

 




クリス、習い事と称して一緒の時間を作り出す
エルフナイン、武門と共に一課医療施設へ
響、父親と再会するも、心に傷を負う
ビッキーパパ、や ら か す





似たような事を感じていた方も多いかも知れませんが、三部では基本的に武門下げでした。それが漸く終わるので、次回以降本気出しはじめる。筈。
本編関係ないけどXDのシナリオに武門ぶち込んだら、装者の何人かは容赦なく蹴り飛ばされそうだなって。話自体は好きなんだけど、上泉之景と言うキャラ的には相性が悪いかなって


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24.誰かの為のヒカリ

「そうか、ガリィが逝ったか……」

 

 錬金術師の居城。複合聖遺物であるチフォージュ・シャトー。その深奥。謁見の間とでも言わんばかりの作りの其処で錬金術師の声が響き渡る。想い出のインストール。身体に重傷を負っていた。その傷の修復を行いながら、燃やし尽くした記憶の復元を行っていた。文字通り、記憶の復元である。聖遺物や錬金術を極め、ホムンクルスと言う人造の躯体を作り出す程のものである。人間の記憶の複写もまた、キャロルの持つ力の一端であった。

 居城の中に迸る力と、室内に広がる青色の装飾。それを認めたキャロルは、ぽつりと呟く。青色の自動人形。ガリィがその役目を果たしたという事であった。呪われた旋律の収集。その一つを確かに終えたという事だった。

 

「少々の想定外はありましたが、派手に散りました」

「英雄の剣。まさか、撃破された記憶から力を継承するとは……」

 

 主の言葉にレイアとファラが応える。黒金の自動人形。錬金術で分解と解析。そして再構築。打ち砕かれたガリィの力を、英雄の剣を以て継承していた。黒金の右腕。金色の宝玉以外に、青色の輝きが追加されていた。一切の言葉を発しない人形を見詰め、錬金術師はただその瞳を見る。

 

「マスター。ガリィは精一杯やったんだ、ゾ」

「ああ。解っているよ。己にできる事をやり切ってくれた。そのおかげで、俺は俺の望むものを掴む事が出来る」

 

 どこか元気のない声にキャロルは視線を移す。ミカ。赤の自動人形は少しだけ沈んだ面持ちで主を見詰める。自動人形の思考の大本にはキャロルの思考の一部が参考にされている。人形でありながら、確かな感情を宿していると言える。その様子に、戦闘特化型のミカは想い出の収集に重きを置いたガリィと共同体であると言えた。力を燃やす事は出来ても、力を供給できないミカにとってガリィの死は、間接的にミカの終わりが確定したという事でもある。元々自動人形は撃破される事が役目である。とは言え、与えられた感情が様々な事を考えてしまうという事であった。

 

「そっか。マスターがそう思ってくれるのなら、あたし達にも生まれた意味があるんだって思えるんだゾ」

「……。ガリィとお前は最も近かったな」

「ふへへ。大丈夫なんだゾ。ちょっと悲しかったけど、自分の役割はきちんと理解しているんだゾ」

 

 笑みを浮かべた赤に、キャロルはもう行けと告げる。力の供給ができない以上、稼働しているだけで力が減っていく人形であるミカには一刻も早く目的を達して貰わなければいけなかったのだ。その気になれば想い出の収集だけを目的とした人形を作る事もできるが、今更それをする気にはならなかった。これまで戦わせ続けた人形を失くしたから代わりを作る。何となく、そんな行動に移りたくなかったからだ。影響されているのかもしれない。そんな事を自分の内心と、自動人形の言葉から思う。

 

「ん……?」

 

 不意にミカの声が零れた。気付けば黒金が直ぐ傍らに来ている。右腕で、ミカの持つ四騎士の剣に触れた。そして、ジッと赤を見詰める。右腕。宝玉が、僅かに輝きを放つ。

 

「使って欲しいって事なのかな?」

 

 暫く考え込み、ガリィの最期を想い出しミカは黒金に問う。反応。黒金の自動人形はこくりと頷いた。

 

「マスター」

「目的を逸脱しない範囲内であれば、許可する」

「嬉しいんだゾ。これで一番下の妹の願いを叶えてあげられるんだゾ」

 

 短い言葉に許可の言葉を渡す。計画の範囲内であれば、どんな方法でも良かった。イグナイトによって奏でられる装者達の旋律。それさえ手に入れれば、過程は各々の裁量に任せても良かった。何より、黒金の自動人形にはあの男と同じ、何か惹かれるものがあった。計画の邪魔をしないというのであれば、やりたい様にさせても構わなかった。要所で用いさえすれば、黒金は居なくとも問題ない。

 

「数百年来の大願。万象黙示録の完成。それが近付いてきている。奇跡が邪魔をするというのなら、この手で奇跡を皆殺す……。呪われた力は、その為にくれてやったのだからな」

 

 ミカが姿を消す。キャロルは拳を握り締め呟いた。黒金の金眼が、じっと錬金術師を見詰めている。世界を壊す時は少しずつ迫ってきている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらになります」

 

 一課医療施設職員に先導され入室する。特別観察治療室。名前は便宜上ではあるが、主に異端技術と接触した後に原因不明の症状が見受けられる負傷者が収容される部屋であった。自分も腕を落とされ負傷した直後はこの場に連れてこられていたのだとか。幸い、あの時は腕を落とされただけに留まっていたので、直ぐに通常の治療室に運ばれる事となった様だが、目を覚まさなかった場合は今もこの場に寝かされていた可能性も充分にあり得るのだとか。

 一歩間違えば自分もこの部屋で目を覚まさなかったのかもしれないと思いながら、歩を進める。寝台。この部屋には、二人の男が各々の寝台に寝かされている。腕と足。二人の武門が自ら斬り落としたそれが痛々しい。微かに寝息が耳まで届く。規則的とは言えないが、命の息吹が止まっていない事が、二人の男がまだ死んでいない事をはっきりと告げて来る。

 

「測定値はどうですか?」

「はい。常人と比べてもむしろ良いぐらいです。各種医療器具で計測しても、四肢の一部こそ失っていますが異常と思われる反応は見られず、正直全く見当がつかないと言うところです」

 

 エルフナインが職員に問いかける。その後詳しい説明を聞きながら、病床録の様な物を確認している。暫くの問答。その会話を思考の片隅に置きながら男たちを見る。武門塚原。武門林崎。共に、武門上泉に並び得る名門だった。

 

「四肢を無くしそれでも戦い抜いた。強い人たちだ」

 

 恐らく、自分と同じように幼き頃から戦いの為に研鑽を続けて来た者達だった。それでも尚倒れ伏し、目を覚ます事もない。戦いにおける敗北とは、残酷なものである。自身もまた、腕を落とされている。その事について悔いなど無い。だが、果たしてあの子らが同じ目に遭った時、どう思うのか。

 

「錬金術師として、解析に掛かります」

 

 エルフナインが武門に手を翳す。錬金術。自動人形やキャロルが用いた物に比べれば遥かに規模の小さなソレを作り出し、解析を始める。何処か暖かな光が広がっている。錬金術。戦いの為に用いられているそれしか見る事が無かったが、初めて別の方法で使われている姿をみる。エルフナインの用いる錬金術。それは、キャロルの様に記憶を燃やす程の代償は払わないものだと言う。言うならば、自分の腕に施されている血液を消費するものなどに近いのかもしれない。一度何を代償にしているのか問うてみたが、エルフナインは小さく笑うだけで答える事は無かった。はぐらかしたい。つまりは、それなりの代償を払っているという事なのだろう。錬金術に関して自分は語る程の何かを持ち得ていない。ただエルフナインの選択を見つめ続ける。

 

「やはり、異端技術に侵されていますね。終わらない蛇の毒とまではいきませんが、似た特製の毒が用いられているようです。恐らく、直接交戦した自動人形が、対象を相当の脅威と判定し、錬金術の試用も兼ねて搦め手で攻めたと言ったところだと思います」

 

 暫く黙って錬金術に集中していたエルフナインであったが、二人の男の解析を終え結論を語り出す。左手。政府関係施設内である為、腰に差していた童子切を外し手に持つ。

 

「君にならば、治す事は出来るか?」

「……すみません」

 

 短く聞いた問に、エルフナインは悲し気に首を振る。エルフナインの知識はキャロルから与えられているものだと言う。そして伝えられた錬金術の知識も、大本のキャロルのものと比べれば高度なものではないと語っていた。瞑目。少しだけ考える。

 

「エルフナイン。二人に用いられた毒の特性と言うのは解っているのか?」

「はい。終わらない蛇の毒の様に対象の持つ生命力を糧に循環するものです。とは言え、彼の毒の様に不死性は無く、ゆっくりと確実に衰弱させる類の物です。調べたところ毒はかなり進行していると言えます。初期ならばまだしも、既存技術では恐らく対処する術がないと……」

「解った」

 

 説明の途中で右腕を強く握る。黒鉄の右腕が淡い輝きを放つ。左腕。繋がれているネフシュタンから幾らか力が動くのを感じた。エルフナイン。驚きに目を見開く。何か言葉を発する前に、左腕で童子切を抜いていた。

 

「――自動錬金」

「なッ!?」

 

 銀閃。宣言と同時に刃が赤色の粒子を纏い血刃に変わる。二人の男を斬り裂いていた。一刃。確かに斬り捨てた感覚が残っている。納刀。童子切の刃を払い、鞘に納める。毒を斬り捨てていた。短く息を吐く。左腕から幾らか力が流れていた。エルフナインが息を呑む。

 

「何を、しているんですかッ!?」

「斬ったな。錬金術を」

 

 聞いた事の無い声色にただ頷く。錬金術。不死性が無いそれを、斬り捨てていた。血刃の本領は目に見えないものを斬り捨てる。錬金術によって作り出された毒。それを斬る事は、それほど難しい事では無かった。一度己が嗾けられたものも斬っている。思っていたよりも少ない消耗で終わっていた。右腕を握る。少し、気だるさが残っているが問題は無い。

 

「見れば解ります。ボクが言いたいのは――」

「君が見るべきは、倒れている者達だよ」

「ッ!?」

 

 珍しく怒気を露にしたエルフナインに、今見詰めるべきは自分では無いと教える。その言葉に、はっと視線を向けると錬金術を即座に発動させる。無言。暫くの解析。やがて口を開いた。

 

「錬金術の反応、無くなりました」

「そうか。それは良かった」

 

 何処か呆然と呟かれた言葉に、ただ頷く。そして、暫く様子を確かめる様に二人の間を行ったり来たりしていたが、エルフナインは一区切りをつける。完治とは言えない。だが、原因の毒は斬り落とされていた。ならば、何れ目を覚ますだろう。そう結論付ける。

 

「どうして、右腕を使ったんですか……。使わないで下さいと、確かに言った筈です」

「必要があったからだよ。使うなと言われていたのは覚えているよ」

「だったら……ッ」

 

 そして、先ほどの問いかけの続きが始まる。黒鉄の右腕。できる限り使うなと言われていた。簡単な話である。ネフシュタンの力が弱り、浸食が進むからだ。毒と聖遺物。二つの力がせめぎ合っていた。

 

「エルフナイン。力と言うのはな使い所だよ」

「使い所、ですか?」

 

 それが如何したんですかと、怒っていながらも律儀に問い返すエルフナインの様子が面白く少し笑みが零れる。そんな此方の様子に、流石のエルフナインも眉をへの字に曲げる。いや、すまないと一言謝りを入れ、言葉を繋いでいく。

 

「俺の持つ力は、何かを斬り捨てる力だよ。敵を斬り、脅威を斬り捨てる為に用いていると言っても過言では無いだろう」

「それは――」

 

 此方の説明に、そんな事は無いと言おうとして言葉が止まる。事実なのだ。別に恥じる事も無ければ、否定する事でも無かった。剣は斬り捨てる力だ。それは揺るがない。

 

「だが、俺の持つ技は幸い目に見えるもの以外にも斬り捨てる事が出来る力だよ。ならば、それを活かせる事があると言うのならば、出し惜しむ必要はない。ましてや、例え異端技術限定とはいえ剣で誰かを癒せるのだ。誰かを活かす剣。文字通りの活人剣が振るえると言うのならば、多少の代償など如何と言う事は無い」

 

 それを、人を活かす為に用いる事が出来ると言うのならば、それ以上の使い方は無かった。我らが刃生かす為に在る。父の言葉を、限定条件下とは言え文字通り為せると言うのならば、それ以上に望むものは無いと言える。

 

「ですが、……貴方の身体は何時限界に到達するか解らないんですよ? 今の一振りで、どれだけの時間が無くなってしまったのか。それはボクにだって正確に計測できません。何よりも、皆さんが歌ってくれているのは、あなたに生きて欲しいと思っているからです。死んでほしく無いと、願っているからです」

「……そうだな。その気持ちは嬉しく思うよ」

 

 伝えられる言葉にただ頷く。クリスや響を筆頭に、装者達や小日向まで歌を唄ってくれていた。その気持ちは素直に嬉しく思う。生きて欲しい。そんな気持ちが左腕のネフシュタンの腕輪を媒介に、熱として伝わって来る。

 

「だけどな、エルフナイン。人にとって生きる事が全てなのか? どんな状況においても、自分が生きる事を選択しなければいけないのか。助けられる者を見捨て、自分だけは生き残る事が正しいのか」

「え――?」

 

 問いかけ。その意図が解っていない様子のエルフナインに更に続ける。

 

「人には生きて来た道の中で手に入れたものがあり、考えたものがある。人の数だけ歩まれた道程があり、その過程で大切なものを得る。確かに命は大切だよ。だが、全ての人間にとってそれが至上となり得るのか。生きる事だけが、人が生きる目的なのか」

「それは……」

 

 確かに生きる事は大切な事である。多くの人間にとって至上であるかもしれない。だけど、人の生きる道と言うのは一つではない。皆が皆、同じ結論を抱くと言うものでは無いのである。人の数だけ考えがあり、人の数だけ大切なものがある。誰かにとって大切なものでも、他の者にとってはそれほどの価値が無い物もあるのだ。

 

「違うよ。少なくとも俺にとってソレは重要であっても至上ではない。故に力の使い所があり、己に成せる事があると言うのならば、何かを支払う事も厭う事ではないよ」

「ですが、あなたの言う大切なものの為に払う代償として、あまりに大きいです。生きること以上に大切な事。本当にそんなものがあるんですか?」

 

 本当にそんなものがあるのかというエルフナインの言葉にただ頷く。それこそ、己が歩んだ道が出す結論だった。確かにそれは存在する。だからこそ、俺は生かされた。選ばれた。

 

「ある。誇れる自分である事。自分の在りたい自分である事だよ」

「誇れる自分である事、ですか?」

「ああ。少なくとも、俺は自分が手を貸す事で誰かを生かす事が出来る道があるならば、その道を行きたい。命を惜しみ、助けられるものを見捨てる様な生き方はしたくはない。自分だけが良ければ他のものはどうなっても良いなどと言うような、弱さは持ちたくはないな」

 

 どんな道を行こうと、ただ自分が生きる事が出来れば良いなどと言った生き方はしたくなかった。人にとって生きる事は重要である。だが、それと同じくらい如何生きるかという事もまた重要なのだ。自分の在りたい自分である事。そう生きる事が出来るのが俺にとっては一番重要だった。

 

「何よりも、俺の様な者に生きて欲しいと想ってくれる者が居るよ。ならば、その想いに恥じない生き方で在りたいと。誰かに手を差し伸べられたのなら、同じように差し伸べられる人でありたいと、そう思っているよ」

 

 誰かが生きて欲しいと想ってくれている事で生かされていると言うのなら、その想いに恥じない生き方をしたかった。そして、そう考えた時、黒鉄の右腕の力を振るう事に躊躇など無かった。誇りや意地。そんなものの為に生きるのかと問われれば、生きると言い切れた。守るべき誇り。人はそれを持たなければ、時にどうしようもない所まで堕ちる事も充分にあるのだ。

 だからこそ、誇れる自分で在りたかった。託された想いに、そして共に歩む者達に誇れる自分で在りたかったのだ。

 

「誰かの想いに恥じない生き方……」

「託されたものがあり、今また共に在る者達が見ている。ならば、無様な姿は見せたくない。おかしなことを言っているかな、俺は」

「いえ。とても素敵な事だと思います。共に居たものと共に居るもの。その二つをとても大切にしているんだと、そう思えます」

 

 そう締めくくった言葉に、エルフナインは一度頷く。だけど、っと言葉をつづけた。

 

「だけど、やっぱりボクは大切な人達には皆揃っていて欲しい。誰一人欠ける事無く、皆一緒に、笑顔で会いたいです。だからボクは、誰にも死んで欲しくないんです……」

 

 やっぱり、失くすのは嫌ですっとエルフナインは小さく笑った。

 

「……。いや、これは、俺の負けか」

「――え?」

「なんでもない。君と話すのは良いな。何か、大切なものを思い出させてくれる」

 

 そんな言葉に思わず口にしていた。人は優しさを無くすべきではない。常々思い続けている事だった。エルフナインの持つ優しさは、その見本のような温かさを持つものだと言えた。託された想い。キャロルを止めて欲しい。その想いはこの優しさからくるものなのだろう。それを何とか叶えてやりたいと、改めて思う。

 

「戻ろうか」

「はい」

 

 そして、錬金術を斬り落とした事でここでやる事も終わってしまっていた。エルフナインを促し退出する。そのまま、必要な報告を一課の職員に行うのはエルフナインに任せ、自分は帰りの足を手配する事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アルカノイズの反応を検知ッ!』

 

 一課医療施設からの帰り、外出の為身に着けていた通信機にそんな言葉が走る。即座に通信端末を取り出す。敵対者の出現位置が送られてくる。見詰めた。現在地からは少しばかり遠い位置にあるが、それでも向かえない距離では無かった。

 

「緒川、後は頼む」

「行きますか?」

「アルカノイズ。そして自動人形。出ない道理は無い。ましてや、俺は戦う事を望まれているよ」

 

 抱えて居る童子切を掴み直し緒川に言った。エルフナインの迎えにやって来たのは緒川だった。武門である自分だけでなく、緒川も使われる当たり彼女の重要性が垣間見れる。武門と忍びが同時に警護している。S.O.N.G.としては、なくしたくはない者ということだった。

 

「あの……」

「解っているよ。できる限り、右腕は使わない」

 

 通信が飛んでいる。装者は誰もが遠い為、合流するまで少しばかり時間がかかるようだった。車を降りる時、エルフナインが声を掛けて来る。先程の話から、何が言いたいのかは直ぐに分かった。頷く。必要ならば用いるが、不要ならば使わないだけである。ただ、安易に用いないようにしようとは思う。

 左手に童子切を持ち、駆ける。既に辺り一帯の封鎖は行われており、少し遠くから喧噪が聞こえてくる程度で人の気配自体は遠い。通信機からくる指示に従い車の無い車道を駆け抜ける。跳躍。複数の建物を足場に飛びあがり高所に立つ。視界が開ける。赤色の自動人形。ミカが佇んでいるのが見えた。一気に距離を詰める為建物を足場に跳躍を重ねる。

 

「来たなッ」

「どうやら、一番乗りのようだ」

 

 着地。聖遺物の浸食によって強化されて身体能力を以て一気に彼我の距離を縮める。風を切り、視界が流れていく。眼前。自動人形の前に降り立つと、ミカが嬉しそうに声を上げた。

 

「今日はお前ひとりか?」

「そうなんだゾ。あんた達にやるべき事がある様に、あたし達もやるべき事の為に動いているんだゾ」

 

 一人で来たのかという問いに、ミカは一人だと頷く。尤も、アルカノイズと言う手駒がある時点で、本当の意味で一人では無いのかもしれない。刃を抜きながら言葉を交わす。

 

「お前たちの為すべき事。あの子の為に、か?」

「そうなんだゾ。あたしたちはマスターに作られた人形。その働きは全てマスターの為」

 

 自動人形は主の為に働くのだと赤は笑う。

 

「だから、確かめに来たんだゾ。四騎士の剣(ソードモジュール)抜剣(アクセス)

 

 ――血脈に宿る刃(ブラッドスレイヴ)

 

 そして、ミカが剣を抜き放つ。同時に、アルカノイズを大量に呼び出し取り囲む。飛行型に武士型。二種のノイズだけを呼び出し、赤は刃を構える。童子切。低く構える。大量のアルカノイズを感知。そんな通信が聞こえて来る。不意に、強烈なノイズが走った。反射的に通信機を外し投げ捨てる。直後、通信機が震え爆散した。錬金術。炎を操るそれが、絡みつくように全身に纏わりついているのを感じる。

 

「これで盗み聞きされる心配は無いんだゾ。だから、確かめさせて貰うゾッ!!」

 

 赤が指を差し指揮を執る。両手に刃を持つ、一度は天羽々斬を分解したという武士型ノイズと、小柄だが縦横に動き回る事が出来る飛行型ノイズが入り乱れる。同時にミカが姿勢を低くし、ノイズの一団からは迂回、此方を挟み込む様にかけ始めた。一瞬の判断。ノイズはすべて無視し、ミカの下へ駆ける。

 

「やっぱり、あたしを狙ってくると思っていたんだゾッ」

 

 跳躍。すれ違い様の一閃。童子切での一撃が、ミカの持つ炎剣に阻まれる。一瞬膠着。交わされた刃を支点に、自ら弾け飛ぶ事によって複数の飛行型ノイズの突撃を往なす。着地。既に間合いまで到着していた武士型ノイズの刺突を上体を倒すように交わしながら跳躍する。ミカ。既に体勢を立て直した赤の自動人形が向かって来ている。右腕。左手に炎剣を持ち、空いたその掌から炎柱を生成。打ち放つ。速射。自動人形にとって一撃一撃の威力はそれ程でも無いが、人の身に触れれば一撃で穿たれかねないソレを見据える。斬撃。全ての炎柱の先端を、切っ先で逸らす事で往なし、同時に刃と成す。アルカノイズ。通常のものより分解能力に優れる代わりに、ノイズの持つ障壁。位相差障壁の性能は激減していると聞いていた。それを差し引いても自動人形の力は異端技術である錬金術だ。力の方向だけを逸らしたミカの錬金術が、後方から自分を狙っていたアルカノイズの一団を穿つ。

 

「ほぉぉ!! 技の切れ、身体の反応、戦闘中の判断。その全てが、普通じゃ考えられないレベルで纏まっているんだゾ」

 

 そのままミカに向け童子切を振り抜く。炎剣が阻んだ。刃がぶつかり合うが、力任せに振り抜く。後退。ミカが力を流すように後退った。追うように飛ぶ。直後にノイズが風を切り突っ込んできていた。無視する。敵の数は数えるのも馬鹿らしくなるほどの量である。そのノイズ全てを相手にすれば囲まれジリ貧になるのは目に見えている。敵の司令塔だけに目を向ける。後を追うノイズなど、風の音と差すような気配が嫌という程存在を主張している。態々見なくとも、動きを把握するのに問題は無かった。

 

「へぶッ!?」

 

 後退するミカに追い付き刃を振り抜こうとし、その身体を足場に軌道を変えた。飛行型ノイズ。幾筋もの閃光となり、駆け抜けていく。斬撃。煩わしい線を落ちながら斬り落とす。跳躍、反発。着地と同時に迫る武士ノイズの一撃を逸らしながら黒鉄の右腕で殴り飛ばした。ほんの僅かに何かが無くなる感覚が走るが、錬金術の行使に比べれば無いような消耗だった。

 

「……、煩わしい」

「本当に、凄いんだゾ。戦闘特化のあたしが、決戦兵装を抜き放ち全力で相手をしてるのに、まるで歯が立たない」

 

 とは言え敵の数が多すぎる。此方が単騎であるのに対して、相手は最早軍勢である。自動人形に刃が届く瞬間はあれども、童子切を振り抜く程の暇もない。駆けながら思考する。ミカが、刃を手に走りながら此方を見ている。再接近。一気に距離を詰める。斬鉄。すれ違い様に、自動人形の右腕を刃ごと切り伏せる。二の太刀。振り抜く前に赤が反発する。蹴撃。腕の落とされたミカが放つ蹴りに此方の足を合わせ吹き飛ばされる事で後退。三度集まるノイズの輪から飛び出る。勢いを殺さず反発。吹き飛ぶ方向を変えやり過ごす。

 

「――ッ」

 

 風。ミカがまるで響がするように推進装置を起動、一直線に突っ込んできていた。左腕、低姿勢から心臓か頭部を穿つ為に放たれる。着地の隙。機動では無く、体勢を落とす様に倒れる。頬に爪が掠める。ミカの本当に嬉しそうな表情が視界に移った。落とした右腕、四騎士の剣を纏う時のような光を纏っている。反射的に童子切を振るった。衝撃。再び現れた腕が炎剣を手に打ちかかって来ていた。ギリギリにの所で防ぐ。完全に崩れた態勢。ノイズが飛来する。

 

「だけど、あの子に腕を落とされたように、強いけど絶対じゃないんだゾ!」

 

 ぶつかり合った刃。人の腕では無く人形の腕で在る事を活かし、手首からぐるりと動く。咄嗟に流れに逆らわず刃を回すように持ち替える。後退。飛行型ノイズが直ぐ傍らに着弾する。左右から挟み込む様に武士型ノイズが迫る。右腕、強く握りしめた。

 

「――自動錬金」

 

 呟きと共に動きが加速する。血刃。黒鉄の右腕から噴き出る赤色の粒子纏い血刃を生成。ノイズの刃が届く前にそれを切り伏せる。

 

「見せて貰うんだゾ」

 

 ミカ。目の前で笑っている。一撃。放たれるそれを受け止めていた。考えるよりも早く右腕を刃から離し、赤を殴り飛ばした。広がった視界。眼前に飛行型ノイズが迫っていた。

 

「……ッ!?」

 

 反射的に童子切を持つ左腕(・・)で殴り飛ばした。ノイズが軌道を変え弾き飛ばされ地面に着弾。その身体が衝撃に耐えきれず、その身体を赤色の煤へと変える。

 

「やっぱり……。そうなんだな」

 

 殴り飛ばした左腕に損傷が無い事を確認すると、そんな言葉が届く。左腕が、熱いほど強く力を感じていた。ネフシュタンの腕輪。それが、強く稼働しているのが解る。身体の奥で、何かが零れた。口元を手で押さえる。咳が零れた。赤色。それが広がっている。僅かに体が揺らいだ。

 

「あんたは強い。だけど、もうこれ以上戦ったらダメなんだゾ」

「なんの、心算だ?」

 

 致命的な隙。それを晒したのにも拘らず、ミカが下した判断はアルカノイズの撤収だった。纏っていた四騎士の剣も解除し、そんな言葉を投げかけて来る。

 

「あたしたちがやる事は基本的にマスターの為。あんたはこれまで戦い続けて来た。だから最後ぐらい、人として過ごして欲しいだゾ。確かにそれ程の強さがあれば、あたし達のうち一機を討つ事は出来るけど。だけど、ソコまで。それがあんたの終わりになる。人形を一つ壊して終わり。マスターが『英雄』と認めた人間に、そんな終わり方をして欲しくないんだゾ」

 

 先程まで戦いを楽しむ様な笑みを浮かべていた人形が悲しげに笑う。もう一度喉から血がせり上がるのを感じた。同時に、左腕の腕輪が強く稼働し、修復が開始されるのも。

 

「聖遺物との融合。アルカノイズの分解が殆ど機能しないまで進んでる。アルカノイズの分解対象に人間は含まれているけどネフシュタンは含まれていない。つまり、そういう事なんだゾ。命を惜しんで紡がれる歌では炎は燃え上がりなどしない。命の灯はそんなに軽くはないんだゾ」

 

 想いを込めて歌う程度では何の意味もない。そんな現実を突きつける様にミカは悲しげに笑い、もう戦うなと告げて来る。或いは、自分が戦いを止めろと言われたのは、これが初めてだったのかもしれない。一瞬、言葉に詰まっていた。刃を置いて欲しいと明確に言われていた。それも、味方では無く敵の自動人形に。咄嗟に返す言葉が見当たらない。

 

「残された時間を大切にして欲しいんだゾ。あんたが死ねば、きっとマスターは悲しむ。だから、大切にするんだゾ。何のために残った命を使うのか、それを考えていて欲しいんだゾ」

 

 そして赤は姿を消した。この戦いに何の意味があったのか、警告に来たのだとしか思えなかった。手にしていた童子切。纏わりついた煤を払う。遠くから、二輪の近付いてくる音が聞こえる。翼が駆け付けてきたようだ。手と口許に残った赤色を拭う。赤の残した言葉を頭の片隅に残しながら、仲間たちと合流した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁッ!」

 

 飛翔剣が舞い踊る。小日向の鋭い意志と共に、三対のソレが切歌の周りを舞い踊る。同時制御。以前のそれよりも幾分か攻め手が増えたそれを以て、獄鎌に向かい仕掛ける。

 

「以前よりも早くなってるデスッ。だけど――」

 

 対する暁はリンカーを用いていない為万全の状態には幾らか劣るが、その不足を補う様に声を上げる。肩部にある四つの刃。それを展開し、両手に持つ大鎌も駆使し迫る飛翔剣に対抗しながら一気に加速する。

 

「――此処」

 

 一撃。迫る飛翔剣を刃で叩き落としながら距離を詰めて来た暁に向け、小日向は両手で持つ一振りで受け止める。推進装置。響や暁のものには瞬間速度では劣るが長時間の飛行を可能とする地力を以て踏み止まる。暁の展開した刃は4本であり、小日向の持つ飛翔剣は3対6本。戦闘技術では未だ比べるべくも無いが、それでも小日向は以前よりも幾らか成長していると言える。イガリマを受け止める事で、暁の長所である機動力を奪う事に成功していた。飛翔剣が動きの止まった暁を狙い走る。

 

「くぅ……ッ」

「このまま押し切るッ」

 

 動きが止まった瞬間を狙われていた事に気付いた暁が無理やり小日向を弾き飛ばそうとするが、それを上手く往なしている。海での特訓の際、過剰なほどに打倒していた。その経験が、粘り強く刃を往なす事に繋がっている。何処か精彩を欠いた暁の刃を小日向が完全に止め、飛翔剣で取り囲んだ。暫くの沈黙。暁は負けましたと言わんばかりに両手を上げた。ふぅっと小さく息を吐き、小日向は飛翔剣を解除する。

 

「ま、負けちゃったデス」

「うーん。確かに勝てはしたんだけど……」

「精彩を欠いていたな。刃が普段よりも雑だった」

 

 負けた事に衝撃を隠せない暁に、小日向は苦笑交じりに続けた。刃が揺らいでいる。かつて見たあの子らに近い状態に、何かあったのだろうと結論付ける。立花響の負傷。幸い、大きな傷を負った訳では無かったが、自動人形との交戦という事もあり、S.O.N.G.本部にある医務室で検査を行っていると聞いていた。自動人形との交戦。自分が行ったそれよりも少しばかり前に行われていたようだ。

 

「調と少し喧嘩してるデスよ」

「ほう。喧嘩か」

「はい。でも、二人があんな風に言い合うなんて珍しいな」

 

 一区切りついた事で二人が力を解除する。そのまま、暁が口を開いた。思い出したのだろうか、少しばかりむくれている様で頬を膨らませている。その様子に、小日向が困ったように笑みを浮かべた。

 

「調が後先考えず、庇おうとするのが悪いんデス。そりゃ、無理に助けに向かったあたしも悪いところが無かったとは言わないデスけど……」

 

 突出し過ぎた響を助けに向かった時にミカに狙い撃たれていた。極大の一撃。それを、月読がギアを用いて何とか受け止めたのだとか。見た訳では無いが、聞く限り状況的に仕方がない動きであったのだろうと思える。その後も、暁にしては珍しく訥々と紡がれるその時の心情に耳を傾ける

 

「成程。無理してまで庇って欲しくなかったと言う訳か」

「そうデス。きっと調は、フロンティア事変の時にあたしに救われたってそう思っているんデス。あたしだって沢山助けてもらったのに、自分だけが救われたって……ッ。だから自分の事を顧みずに無理を押し通そうと」

 

 暁は月読が無茶をしてまで助けて欲しくは無いと。自分を助ける為に怪我をして欲しくは無いんだと続けた。

 

「君たちは、面白いな」

「先生!?」

 

 思わず零した言葉に小日向が驚いたように声を上げる。

 

「面白くなんて無いデスよ」

「いや、すまない。悪気はなかったんだ。ただな、話を聞く限り二人とも相手を想い合っている。それなのに、ぶつかり合い、すれ違う。何処かの3人娘も、以前そんな事があったと思ってな。似たような道を歩んでいる」

 

 不機嫌そうに此方を見た暁に一言謝る。言うならば、あの時俺が翼の刃を受け止めた様に、今回は小日向が刃を受け止めたという事なのだろうか。幸いあの時ほどに荒れてはいない様だが、小日向に負けた事で自分の動揺をより意識したのか、少し落ち込みながらも暁は静かに言葉に耳を傾けている。

 

「響さん達も?」

「ああ。融合症例云々の時に、な」

「あの時はクリスもクリスで響にべったりでしたしね」

 

 懐かしい事を思い出すように語る。響を戦わせない様にする為に下手を打った。そんな事もあった。あの頃は皆が皆、自分の想いを上手く見つめていられなかったのだ。とは言え、仕方がない程の理由もあったが。

 

「あ……。あの頃は、その、ごめんなさいデス」

「大丈夫。気にしてないよ……。ぶつかり合う事もあったけど、解り合う事が出来た。今はこうして手を取り合って話す事が出来てる。それが、嬉しいんだ。響だってそう言う筈だよ」

 

 絶唱を斬り捨てた時、暁とも遭遇していた。その少し後に小日向は攫われ装者と仕立て上げられた。例えその事に直接関与していなかったとはいえ、暁からしたら酷い事をしてしまっている。自然と謝罪の言葉が出ていた。それに、小日向は気にしていないと微笑む。かつてはぶつかり合った事もあるけど、今は手を繋いでいる。それで充分なんだよと暁に教える。

 

「……小日向に任せておいても大丈夫な様だ」

 

 さて、どんな話をしようかと考えていたが、此処は小日向に任せる事にする。ずっと以前より、強い想いを持っている女子だった。それが、響以外にも向くというのなら悪い事では無かった。暁と言葉を交わす様子に、そんな思いが過る。

 

「先生」

「ん?」

 

 ならばあとは任せるかと思ったところで、小日向が此方に向かい視線を向ける。その様子に、少しばかり佇まいを正す。

 

「響と話してあげてくれませんか?」

「響とか?」

 

 そして突然言われた言葉に聞き返していた。

 

「はい。響はお父さんと再会して、その事について悩んでいるんです」

「そうか、父親、か」

 

 父親に再開した。そんな事を教えられる。立花響の父親。自分が二課に復帰した際、書類上の情報としては教えられていた。立花家の謂れなき迫害。数年続いたそれに耐える事が出来なくなり、父親が失踪したという事だった。そんな父親に再開し、何かがあった。つまりは、そういう事なのだろう。そして、そんな響と話す事をその親友に望まれていた。

 

「解った。響を訪ねて見るよ」

「お願いします」

「あたしからも、お願いします。響さん、あの時泣きながら拳を振るっていたデス」

 

 そして、暁からも念を押すように頼まれる。誰も彼も、自分の事で忙しいのにも拘らず、相手の事を思っていた。良い所だと、そんな事を思う。

 

「偶には思いっきりぶつかる事も悪い事ではない。喧嘩などしないに越した事は無いが、胸の内に生じた釈然としないものがあるのなら、それを直接ぶつける事も一つの選択だ」

「本当にそうするかは兎も角として、肝に銘じておくデスッ!」

 

 最後にそんな言葉を残し、二人とは別れる事にする。父親。例えどんな軋轢が生じたのだとしても、向かう先がある事に少しだけ羨ましさを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 立花響は小さな溜息を零した。携帯を取り出し履歴を見詰める。立花洸。前回父親と再会する為に交わした連絡先から、何通もの通知が来ていた。自分の父親の名前を見る度に、あの時の嫌な気持ちが沸き上がる。苦しいなぁ。そんな言葉を声に出さず呟いた。なんで、どうしてと、ぐるぐると胸の中に思いが過り続ける。不意に、来客を知らせる音が鳴り響く。怪我人とは言え外傷らしきものも無い為、医務室には響ただ一人であった。立ち上がり扉のロックを外し応対に向かう。

 

「はいはーい! 今開けますよー」

 

 そのまま特に警戒もせずに扉を開けた。開けた扉の先。上泉之景が立っていた。ユキもS.O.N.G.所属となったため、場所的には訪ねてきても不思議は無いのだが思いもよらぬ来客に、一瞬響の思考は停止する。

 

「ゆ、ユキさん……?」

「小日向たちに負傷したと聞いてな。様子はどうかと見に来たよ」

 

 そして、思わず零した言葉に来訪者はそうだよと頷く。そのまま、響の姿を一瞥し、まぁ、無事そうだなと小さく呟いた。そんなユキの突然の来訪に動揺しつつも、ありがとう未来と内心だけでもお礼の言葉を発する。どんな理由だったとしても、好きな人が自分を心配して見舞いに来てくれた。その事実は嬉しいものなのである。

 

「とりあえず、入って下さい」

「では、失礼しようかな」

 

 とは言え、何時までも入り口でまごまごしている訳にはいかない。入室を促し、響が席の準備をしようとしたところで、怪我人は大人しくして居ろと寝台に座らされる。私、大した事ないんだけどなぁっと思うも、些細な気遣いがつい嬉しくて頬が緩むのを自覚する。父親の事で悩んでいた痛みが、好きな人が会いに来てくれた事で随分と気にならなくなる。

 

「痛みなどは残っていないか?」

「はい。エルフナインちゃんにも検査をして貰いましたけど、異常は無いって言ってました!」

 

 一応はと言った様子で聞かれた言葉に元気よく答える。まぁ、見た目通りだなと苦笑を交じりにユキは頷く。元々それ程問題も無かったところで、ある意味良薬が来てくれたのだ。元気過ぎてお腹減っちゃいましたと、冗談交じりに宣言する。心配してもらえたのは嬉しいけど、好きな人には自分は元気だと思って貰いたかった。そんな響の内心を知ってか知らずか、ユキは、ならそのうち思う存分なにか食べれるところに連れて行こうかと続ける。思いもよらない誘いに誘いに、響は二つ返事で飛びつく。暫くの間、そんな感じで他愛の無い会話が続く。

 不意に、響きの持つ端末が音を立てて鳴り響いた。着信。響は慌てて端末を持ち直し、表示された名前を認め、すっと自分の中で熱が冷めるのを感じた。立花洸。何度目かの着信に高鳴っていた胸のときめきが一気に覚まされる。暫くの沈黙。呼び出し音だけが、部屋の中を鳴り続ける。

 

「出ないのか?」

 

 しばらくの沈黙。電話の音だけが鳴り続ける中で、ユキが響に問う。その一言に、響の肩が大きく揺れる。気付けば対話を拒否するように閉じられている響の瞳を見て、想像していたよりもずっと重症なのかもしれないとユキは思う。返答がないまま、呼び出し音が更に鳴り続ける。

 

「良いんです……。もう終わった事ですから」

 

 暫くして、思い切って応答を拒否したのか音が鳴りやむ。そのまま、響は辛そうに絞り出す。その様子を見たユキとしては、何処が大丈夫なものかと思わずにはいられない。今にも泣きそうな顔で、終わったなどと言われても、信用できはしないのだ。

 

「誰から、と聞いても?」

「お父さん、です。もしかしてユキさん、未来から聞いて来てくれたんですか?」

「ああ、そうなる」

 

 そしてユキが電話の相手を尋ねた事で全てに合点がいったのか、響は辛そうな表情のまま聞き返す。隠すような事でも無いので頷く。それに、あははと響は苦笑いを浮かべた。折角隠してた心算だったんだけどなぁっと恥ずかしそうに続けた。暫くの沈黙。

 

「お父さんと再会したんです」

 

 訥々と、響は思い出す様に語り始めた。数年前のライブ会場での事件。まだシンフォギアの存在も知らなかった頃、ツヴァイウイングのライブを見に出かけた折にノイズの襲撃に巻き込まれた事。その際に重傷を負った事。何とか一命をとりとめ、過酷なリハビリを終え実家に戻った事。そして、その頃には家を取り巻く環境が一変していた事。地域からは迫害され、学校でもいじめにあった事。そんな、辛かった頃の記憶を一つ一つ辛そうに語って行く。そうして、そんな辛い状況の中で、誰よりも信じていた父親は、自分たちを見捨てて逃げてしまったのだと今にも泣きそうになりながら響は締めくくる。

 

「そんなお父さんと再会した時、凄く嫌な姿を見ちゃったんです。自分のした事が解っていない。無責任で格好悪い、そんな……」

 

 再開した時の父親は、どうしようもない姿を響に晒していた。自分から捨てておきながら、どうにもならない現状を変えようと娘に縋って来ていたのだと、いやでも解ってしまう。そんな格好悪い姿が、どうしようもなく嫌だったと響は続ける。

 

「響にとって、元々父親と言うのはどんな人だったんだ?」

「え――?」

 

 そんな響の言葉を瞑目して聞いていたユキは、そのまま問いかける。一瞬質問の意図が分からなくて聞き返してしまうが、繰り返される言葉に考え込む。私にとって、元々お父さんはどんな人であったのか。格好悪い姿ではなく、想い出の中にある格好良かった頃の父親を思い出す。胸に、鋭い痛みが走った。だけどっと、食いしばる。今問いかけてくれているのは、何時も護ってくれていた人だった。少しぐらいの痛み、築き上げてきた信頼と好意には我慢できない事では無かった。

 

「ずっと昔のお父さんは優しくて格好良かった……。色んなところに遊びに連れて行ってくれました。出掛けた時、迷子になって泣いている私を必死になって探してくれました。小学生の時、勉強が解らなかった私に付きっ切りで教えてくれました。卒業式の時、お母さんと一緒に来てくれて思いっきり泣いてる私を慰めてくれました。他にもたくさんの思い出があります……。記憶の中のお父さんは……、とても格好良かった……」

 

 思い出される響の記憶を耳にしながら、ユキはただ小さく頷く。格好良かったお父さん。優しかったお父さん。大好きだったお父さん。そんな言葉にならない言葉が聞こえてくる様である。ユキはそんな事を思いながら、響が言葉を出すのを黙ったまま待つ。

 

「だけど、そんなお父さんは壊れてしまったんです。格好良かったお父さんは、もういない……」

「壊れてしまった、か」

 

 最後に絞り出された言葉をユキは繰り返す。壊れてしまった。それは、響にとっては真実なのだろう。そう発した瞬間、響の瞳から涙が零れ落ちる。似たような話は未来やエルフナイン、切歌と調にもしていた。その時は涙を堪える事が出来たが、今は大好きで頼る事が出来る人と二人きりだった。傷付いた少女に、涙を我慢する事などできなかった。

 

「もう良いんです。壊れたものは元には戻らないんです。あの頃のお父さんは、もう居なくなってしまったんです……」

 

 そのまま涙を零しながらも、もう良いのだと響は続ける。あんなに格好悪い姿を晒し続けるぐらいなら、会いたくはなかった。知りたくは無かったと涙を零す。

 

「お父さんは居なくなってしまったけど、私には未来がいてくれます。翼さんが、クリスちゃんが。マリアさんと調ちゃんと切歌ちゃん。エルフナインちゃんや師匠。S.O.N.G.の皆だって……。だから強くて格好良かったお父さんがいなくたってへいき、へっちゃらです……」

 

 それでも自分には大切な友達が仲間がいる。繋いだ絆がこの手には握られている。だから、大丈夫なんだと響は無理して笑みを浮かべて見せる。

 

「何よりも、ユキさんが居てくれます。辛くて挫けそうな時、何度も助けて貰いました」

 

 最後に、あなたがお父さんの代わりに護ってくれました。辛く挫けそうな時、何度も助けて貰いましたと、響は想いを告げる。暫くの沈黙。不意に、言葉が紡がれた。

 

「なぁ、響。俺は強いか……?」

「え――?」

「俺は強いかと、そう聞いたんだよ」

 

 閉じられていた瞳が開き、ユキと響の視線が交錯する。何度も見て来た、大好きだった人の瞳。それが、見た事の無い色をしていた。怒りでも無ければ、悲しみでも無い。勿論喜びや楽しみでもない。咄嗟に、思いつかないけど何か心が揺さぶられる色をしていた。それが良く解らない。だけど、想いだけは溢れて来る。

 

「凄く強かったです。辛い時、苦しい時。悲しい時、どうにもならない時。どんな時だって、ユキさんは私に手を差し伸べてくれました。護ってくれました……」

 

 想いが言葉となって零れ落ちる。ルナアタックの時。フロンティア事変の時。そして今行われている戦いでも。ずっと護ってくれていた。ずっと手を差し伸べてくれていた。気付けば大好きになっていた。そんな想いが胸から溢れる。

 

「未来が私にとっての陽だまりで帰ってくる場所なのだとしたら。ユキさんは私にとって、暗闇に飲み込まれどうすれば良いのか解らなくなった時、道を指し示してくれる光でした。夜の闇を照らしてくれる、お月さまの光でした……ッ」

 

 そして、ずっと胸の内にあった想いを告げる。小日向未来が響にとっての日常であり、陽だまりなのだとすれば。上泉之景は、非日常の中でどうすれば解らなくなり真っ暗な闇の中に沈んでしまった時、何時も道を指し示してくれた光であった。月明かりであったのだと、胸の内に存在していた淡い想いと共に伝える。

 

「そうか……。俺はそれほど強いか……」

 

 そんな伝えられた響の想いにユキは少し驚いた様にしながらも頷く。

 

「はい。……え、あ、ええ!? ちが、違うんですッ!? 違わないけど、違うんですッ!? 私、急に何を……ッ」

 

 その様子に、響は自分が物凄い事を言っている事に気付き、一瞬で頬を染める。自分でも解る程の羞恥心による発熱に何を言っているのか解らなくなってくる。ただ慌てていた。自分が取り返しの付かない事をしてしまったような気がして、恥ずかしさと、不安と、僅かな期待で訳が判らなくなる。

 

「そうか。俺は、誰かの道を示す光で在れたのか……」

 

 呟かれた言葉。その言葉に宿っている感情が良く解らなくて、響は思わずユキを見詰める。あの上泉之景が笑みを浮かべていた。何時ものような何処か余裕のある物ではなく、子供が浮かべるような本当に嬉しそうな色に、思わず見とれてしまう。

 

「ユキさん……?」

 

 気付けば名前を呼んでしまっていた。思うのは、ユキさんでもあんな風に笑うんだという事だけである。

 

「どうした、響」

「え、あの、何でも……ないです……」

 

 そうして、咄嗟に名前を呼んでしまったことに対する反応に気の利いた答えを出す事も出来ず、何でもないと言ってしまっていた。そうかとまた小さく笑う。その笑みから目が離せなかった。

 

「護ってくれた……、か。ならば、俺は君に謝らなければいけない」

「え――?」

 

 だからか、紡がれた予想外な言葉に上手く反応する事が出来ず、呆けたような声が口から零れていた。そんな響に、ユキはどこか寂しそうに続ける。

 

「俺はもう。君を護ることはできないかもしれない」

「ッ!?」

 

 そして、紡がれた言葉に響は言葉にならない衝撃を受ける。なんで、どうしてっと、そんな言葉だけが胸を過る。響の内心を見透かしたように、ユキはただ苦笑を浮かべながら言葉を続ける。

 

「なぁ、響。人は強くなれるよ。だけどな、人は常に強く在れるわけではないんだ」

 

 そして、ゆっくりと響に言い聞かせるように語り始める。

 

「今の俺は、錬金術師に狙い撃ちにされているよ」

「それは……」

「この事件になってから腕を落とされ、今は毒を盛られている。正直に言うよ。今の俺には余裕がない。君たちにまで目を配るほどの余力が残ってはいないんだ」

 

 響と目を合わせ、己の考えを伝えていく。狙われている。フロンティア事変で力を示したからこそ、敵対者となる者達から清濁併せた攻めを行われていた。その一端は、響も嫌という程実感している。腕を切り落とされた。それ等は最たるものだ。自分が同じ立場であったのなら、果たして立っていられるだろうか。そんな事を考えると、怖さだけが募っていく。

 

「護りたくないのではないよ。護れないかもしれないと、そう言っている」

「護れない……?」

「ああ、君たちは強くなったよ。それと同じくらい、立ち塞がる敵もまた強大な力を持っている。そして真っ先に狙われたのが俺だったのだろう。戦いを振り返る時、そんな事を考えていたよ」

 

 S.O.N.G.再編前に日本に姿を現し、陽動に掛かる形で一課へと分断されていた。あの頃から既に狙われていたという事だった。それ程周到でありながら強力な力を宿した敵が相手である。幾ら上泉之景とは言え、余裕がある訳では無い。

 

「敵は強いよ。だから、狙われたというのならば迎え撃つ必要がある。全力で相対して尚、不覚を取る事が無いとは言い切れない」

「はい……」

 

 ユキの言葉に響も実感を持って頷く。強かった。自動人形も錬金術師も。勝てないかもしれないと思わせるほどに強かったのだ。その言葉には頷かざる得ない。

 

「君が、君たちのうちの誰かが命の危機に晒されていたとしても間に合わないかもしれない。全霊を賭して尚、すぐ傍にまで辿り着けないかもしれない。今の俺は万全とは言い難い。時が経てば、戦う事すらできなくなっているかもしれない。そんな事まで考えているとな、とても護ってやれるなどと言えはしないよ」

 

 全力で挑んで尚、間に合わない事も充分にあり得る。或いは、その時には戦う事すらできないかもしれない。ユキは響に視線を合わせたまま、静かに伝えていく。戦いの果てにあるのは、想いとは別の結末なのかもしれないと。そんな悲しい終わりも充分にあり得るのだと、事実を伝える。

 

「或いは、俺が君たちに手を差し伸べられる事すらも充分にあり得る。強くなったよ、君たちは。技術的なところでは負けはしない。だが、それとは違う所で充分な強さをもう手にしている。俺などが守らずとも、一人で立っていられる力は既に持っているよ。だから、すまない。俺にはもう君を守る事が出来ないかもしれない」

 

 そして、そう締めくくられた言葉に響はただ頷くしかできなかった。

 

「人は強くなれるよ。だから、俺は自らを鍛え上げた。誰かを生かせるほどの力を手繰り寄せる事が出来た。それでも、胸の内の想いとは別に、十全に力を振るう事が出来なくなり始めている。強いままでいられなくなって来ているよ」

「そんな事ありません。ユキさんは、誰よりも強かったです。強くて、格好良くて、優しかったです……」

 

 そんな何時だって一人で立ち続けていたユキらしからぬ言葉に、思わず響はそんな事はありませんと否定する。強かった。例え今がどれだけ苦境に立たされているとしても、ユキが弱くなるなんて信じられなかった。響の言葉に、ユキの表情に苦笑が浮かぶ。

 

「或いは、君の父親も今の俺と似たような心境だったのではないかな?」

「え――?」

 

 一度響の頭に手を乗せ、親が子供にするようにトントンと落ち着かせるように触れる。

 

「一人娘が惨劇から生還を果たし、それでも重傷を負っていた。いつ死んでも不思議ではない状態から、奇跡的に目を開ける事が出来た。君が話してくれた父親像通りの人ならば、それは何よりもうれしい事だったのだろう。だからこそ、その喜びが一転した。折角生き残った娘が、死ねばよかったのだと悪意に晒された。仕事を奪われ、社会からは迫害され、どうしようもない自分の弱さを突き付けられた……。それは、とても辛い事だったのではないかな」

「それは……。私もいじめられた事があります。辛くて、でもそれ以上に悲しかった。なんでって、何度も心の中で呟いて……」

 

 いじめられた記憶が頭を過り、その時の辛さが思い出される。ユキの手を握りしめる。振り解こうとしない温かさが、痛みを幾らか和らげてくれる。

 

「多分な、響。その痛みを君の父親は全て受け止めようとしたのではないかな。父親故に一番前に出て、家族を守ろうと踏み止まり、そして耐えきれなかった」

「そんな事……」

「無かったと言えるのか? 君の大好きだった父親は、格好良かった頃の父親は、自分を守ろうとはしてくれないと、君はそう思うのか?」

「……そんなこと、無いと思います」

 

 父親は守ろうとしてくれた。だけど、そこで踏み止まれなかったのだろうと続ける。

 

「辛いものだぞ響。自分の手に負えない事を、何とかする事を期待され続ける。どうしようもない現実を突き付けられ、それでもどうにかしてくれる筈だと信頼される。それは、とても辛い事だろう」

 

 少し寂しそうに語られる言葉に、響は言い返す言葉を失う。道が見つけられなかった者に、何故上手くやってくれなかったんだという事がどれだけ残酷な事なのか。そんな事を考えてしまうと、胸の内に蟠り続けていたものが、吐き出せなくなる。

 

「俺の様に身体的な損傷ならば時が癒してくれる事も充分にある。だけど、心の傷には何が効くのか解るものではない。目に見える回復が実感できないのなら、俺以上に辛かったのかもしれない。逃げだす事しかできなかったのかもしれないよ。全てが嫌になり、本当の意味で壊してしまう前に。そうせざる得なかったのかもしれない」

「逃げるしかなかった……」

 

 そう結論付けられた言葉を自分に言い聞かせて見る。お父さんのした事は許せるものではない。だけど、お父さんの立場からすればどういった心情だったのだろうか。そんな事にまで考えが及ぶ事は殆ど無かった。考え込んでしまう。

 

「君は、今の父親が嫌いか?」

「それは……、解りません」

 

 許せない。そう思う気持ちはある。だけど、もう一度会ってみようと思った事も事実で。率直に嫌いかと問われた時、即座に答える事が出来ない。

 

「壊れたものは直らない。確かにそうだよ」

 

 黙り込んだ響を見詰め、ユキは更に言葉を続ける。

 

「だけどな、人は持ち続けたものに愛着を感じるようになる。だからこそ、一度壊れてしまったものに未練を抱き、涙を流す」

 

 壊れてしまったものは元には戻らない。だからこそ、人は壊さない様に大切に扱うのである。それでも、壊してしまう事はある。自分たちのようなものは、そんな事ばかりだと呟く。

 

「折れた剣は元には戻らない。例え溶かして打ち直したとしても、それは同じものではない」

「なら、どうしてそんな事を……」

 

 武門など、何かを壊してばかりである。中には愛着のある物も壊していた。だからこそ作り直すのだと続ける。

 

「それでも情を捨てきれないからだよ。抱いた想いを消せはしないから、新しい形にしてしまうんだろう。壊れたものを元通りに直せはしないよ。だけどな、壊れたものを元として、新しい形に成す事は出来る。人はそうやって長い間、想いと折り合いを付けて来たのだから」

 

 壊してしまったものは元通りには直せない。だからこそ、それでも捨てきれない想いを重ね、新たな形を作り出して来たのだと響に教える。人の営みの中で過ちを犯さない者などありはしない。だからこそ、過ちを犯したと悟った時、どう立て直すかを考える事こそ重要なのである。

 

「解りませんよ……。どうすれば良いのか、私には解りません」

「考えれば良いよ。父親の在り方に痛みを感じ涙を流す事が出来る。それはまだ、君が家族の情を捨てきれていないという事なのだからな。捨てるのは簡単だ。ただな、想いをぶつける先が無いというのは辛いぞ。完全に手が届かなくなるというのは、今の君の辛さとはまた別の痛みになる」

 

 響がどういった選択をするのかまでは解らない。だけど、納得いくまで考え続けろとユキは言い聞かせる。

 

「父は俺にとって色々な事を教えてくれたよ。言葉だけではなく、その生き方でも」

「ユキさんの、お父さんですか?」

「ああ。人には守るべき誇りがあると。貫くべき想いがあると。大切な事を示してくれたよ。その感謝を伝える事も、出来はしないがな」

 

 大切だった人に想いを伝える事が出来ない。それは、辛い事だぞと続ける。

 

「ユキさんにとってお父さんと言うのは、どういう人だったんですか?」

「父上は強い人だったよ。強くて、気高くて、少しだけ優しくて……、そして怖い人だったな」

「怖い、ですか?」

 

 そんなユキの言葉を聞き、響もまた問い返していた。ユキの父親。ところどころで残した言葉を聞く事はあっても、本人の口から聞いた事は無かったのかもしれない。返される答えに、少しだけ不思議に思う。

 

「そうだよ。強かったなぁ、父上は。何度挑んでも勝てなかった。普段はそうでも無いのだが、鍛錬の折にはその強さが恐怖を通り越して腹立たしい位だった」

 

 思い出す様に零される言葉とは裏腹に、何処か嬉しそうに話す様子が不思議だった。

 

「君の父親は変わってしまっただけなのかもしれない。だけどな、今の俺と似たような状況であるのならば。傷付き、強く在れないのかもしれない。どうしようもない痛みに、苦しんでいるのかもしれない」

「……確かに、そうなのかもしれません」

 

 すべては想像の域でしか無い話である。だけど、立花洸は上泉之景のような常識の範囲を逸脱するほどの強さを持っていた訳では無い。響ですら心折れそうになった迫害に、一番辛いところで立ち向かい、踏み留まり切れずに折れて傷付いているのかもしれないと、そんな事を思う。暫く響は目を閉じ考え続ける。

 

「ユキさん」

「ん?」

 

 そして、瞳を開けユキの方を正面から見詰め言葉をつづけた。

 

「ありがとうございます! 少しだけですけど、気持ちが軽くなりました」 

「そうか」

 

 勢いよく下げられた頭を上げると、小さく笑う。

 

「確かにお父さんは傷付いているのかもしれません。だから、格好良かったあの頃のお父さんに今は戻れないのかもしれません。ユキさんみたいに、無理してきたのかもしれません」

 

 そして、父親も傷ついているのかもしれないと続ける。

 

「それでも、お父さんとユキさんは違います。同じ何かじゃありません。ユキさんは、私にもう護れないかもしれないと伝えてくれました。勝手に期待していた私の言葉を受け止め、逃げずに本心で向かって来てくれました。すまないって、ユキさんは何も悪くない筈なのに、私の心に寄り添ってくれました。私から逃げずに、もう無理かもしれないって、そう教えてくれましたッ!!」

 

 だけど、それでも逃げなかったユキと、家族から逃げ出した父親が同じとは思いたくなかった。ずっと護ってくれていた大好きな人に、同じなんかじゃありませんと、想いを伝える。

 

「私と向き合ってくれましたッ。逃げてしまったお父さんと同じなんかじゃないです。全然、違います……」

 

 人の想いが同じである事などあるはずが無い。上泉之景自身が示し続けた事である。似ているところはあるのかもしれない。だけど、やっぱり全然違うのだと響は思う。少なくとも、逃げずに今ここに居てくれている。それだけでも、比べようのない違いだった。

 

「何時だってユキさんは助けてくれました。だから、今ユキさんが強くなれないかもしれないのなら、私が支えます。傷付き、辛い想いをしているというのなら、私が手を繋ぎます。繋ぐこの手は、その為にあるんです。だから、ユキさんがまた立てるようになるまで、皆で護るんです」

 

 だからこそ響は手を繋ぐんですと言い切っていた。上泉之景の語った言葉は、ユキ自身の心情を反映しているものなのだとしか思えなかった。あの上泉之景が、例え本人にそんな心算は無かったとしても、弱みを見せてくれている。それが、どうしようもなく嬉しかった。大好きな人が自分を信じてくれていると、そう思えるから。

 

「お前……」

「私なんかじゃユキさんの代わりに立つ事なんて出来ないかもしれません。だけど、皆と一緒なら、ユキさんがまた立ち上がってくれるぐらいまでなら、きっと何とかできます」

 

 そうして告げられた想いに、ユキは目を見開く。話が、何やらおかしな方向に動き始めていた。

 

「まったく、そんな心算で語ったのでは無いのだがな……。忘れては貰えないか?」

「駄目ですッ! 折角ユキさんが教えてくれた事を聞かなかった事にするなんて、絶対嫌ですッ」

 

 苦笑交じりで忘れて貰えないかと言われた言葉に、響は満面の笑みで答えていた。初めて弱みを見せてくれたのである。はい解りましたと頷ける訳がなかった。視線が交わる。

 

「……誰も彼も気付かないうちに大きくなる」

「もしかして、私、褒められてます?」

「ああ。あの立花響が、随分と良い女になってしまったようだ」

 

 ぽつりと零される言葉。その言葉の意味に気付いた響は胸の内に暖かなものが広がるのを感じる。

 

「え、あの、あぅ……」

「知っていたよ。本当は君たちが強い事など、とうの昔に解っていた」

 

 思いもよらない言葉に、響の思考は一瞬で羞恥に染まる。褒められた事が恥ずかしくて仕方がない。半ばパニックに陥っている響に聞こえないように呟く。

 

「響」

「は、はいッ!」

 

 そして、慌てふためいている響にユキは声を掛ける。強く名前を呼ばれた事で、驚きに直立するように向き直った。

 

「俺は、ずっと君たちには戦って欲しく無いと言い続けて来たな」

「それは、はい」

 

 上泉之景は、ずっと子供らには戦って欲しく無いと言い続けて来ていた。その言葉に心当たりは多い為、響はただ頷く。

 

「今でもその想いは変わらない。だけど、その言葉を発するのは今日で終わりにするよ」

「え――?」

「強くなったよ君たちは。俺を護ると言い切るほどに強くなっている。それが嬉しく、誇らしく、少しだけ寂しく思う」

「ユキさん……」

 

 強くなったと告げられる言葉。認められていた。それが嬉しい筈なのに、何故だか悲しくなってくる。それが響には何故なのか解らない。

 

「嬉しいな。後を任せられる者が居てくれる。そう思えるのが、ただ嬉しいんだ」

 

 本当に嬉しそうにユキは零した。後を任せても良いと思えるほどに成長してくれた。そんな事を、言ってくれている。その言葉がどうしようもなく、悲しかった。なんでっと、響は自問する。

 

「何を泣いている」

 

 不意に問われていた。涙。何故だか解らないけど、ぽろぽろと零れている。

 

「え、なんで?」

「そんな風に泣かれてしまっては、寄り掛かる事などできはしないぞ」

 

 自分でもなぜ涙が零れるのか解らない響に、ユキは冗談交じりに告げていた。ポンポンと、あやす様に触れられた手の熱が恋しくなる。手を伸ばそうとした時、伸ばされた手は既に離されていた。あっ、と言葉が零れる。

 

「響、これからは頼りにさせて貰うよ。だから、まずは身体を休めてくれ」

「はい……」

 

 そして、先を生きるものは、後を行くものに頼りにしていると告げる。繋ごうと思って伸ばしたては、掴んで貰えたのか。それが、響には良く解らなかった。ただ、認めて貰えたことだけは解った。頼りにさせてもらう。確かに、そう言われていた。それが、嬉しい筈なのに、なんだか少しだけ寂しく思ってしまう。

 

「俺はもう行くよ」

「はい。あの、来てくれてありがとうございます」

 

 そして、そろそろ行くよと告げられた言葉に頷く事しかできなかった。そして上泉之景は医務室を後にする。なんで悲しかったのか。響はその意味を考え続けるけど、結局答えは出ない。ただ、その事とは別に一つだけ失敗したかもしれないと思い至った。

 

「ユキさん、私を認めてくれた……。頼りにしているって言ってくれた……。これって、告白するのに絶好のチャンスだったんじゃ……?」

 

 確かに上泉之景は立花響を認めてくれていた。それは、想いを告げるには申し分ないタイミングだったのではないだろうかと、そんな事を思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




キャロル、早起きする
エルフナイン、珍しく怒る
武門、ネフシュタンの侵食が進む
立花響、持ち直すも、告白のタイミングを逃す





どんどん一話あたりの文字数が増えてます。今回は二万五千近く。2、5話分に相当。


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25.支え合う強さ。何時か燃え尽きるとしても

「これならッ!」

 

 訓練室を桃色の閃光が駆け抜けていく。月読の十八番。広範囲殲滅攻撃。多数を斬り裂くために小型化された丸鋸が打ち出される。赤色。対峙する雪音クリスが飛来するそれを見据える。歌が紡がれていく。

 

「しゃらくせぇッ!」

 

 誘導弾が展開される。広範囲殲滅攻撃に対抗する広範囲殲滅砲撃。放たれた丸鋸全てに狙いを定め、撃ち放つ。轟音が轟く。その音に歌が一瞬かき消されるが、間を置かず歌の続きが流れていく。桃色の放つ斬撃と、赤の放つ砲撃がぶつかり合い、黒煙が辺りに広がっていく。両者の視界を覆い尽くしたそれは、やがて二人の姿も完全に覆い隠す。目を閉じ音だけに集中する。二人の歌がぶつかり合っている。地を蹴る音。射ち出される斬撃と銃撃。視界を覆い隠そうと、戦いの音色が二人のぶつかり合いが続行されている事を教えてくれる。刃が、銃弾が、装者達が動く風の音が、どのような戦いが行われているかを雄弁に教えてくれていた。離れては撃ち合い、近付いては機先の逸らし合いが行われている。遠距離ではクリス。近距離では月読に分があると言ったところだろう。

 訓練室の片隅で童子切を手にし、行われるぶつかり合いを見詰めていた。射手同士のぶつかり合いである為少々危険だが、高められる歌は腕輪に少しでも力を供給する為に必要だった。だから、少し離れた場所ではあるが直接その場で聞く事にしていた。その辺りは二人とも承知である為、本気でぶつかり合いつつも幾らかこちらに意識を割いているのがわかる。苦笑が浮かぶ。万全ならば、そのような下手を打ちはしないが、今はそれもあり得ると心配されているのだろう。流石にそこまででは無いのだが、今の自分の言葉には説得力が無いと言ったところだろうか。ぶつかり合い奏で合わせられる歌に、そんな事を思う。撃ち合いの激しさが増し、ぶつかり合いが最高潮を迎える。爆炎の広がる中、ぶつかり合っては消える赤と桃色が大技をぶつけ合う。

 

「先輩と違って時限式の私は時間をかけても追い詰められるだけ。ならッ」

 

 月読がアームドギアの形状を車輪の様に展開し、広範囲攻撃同士のぶつかり合いに紛れ一気に畳みかけに入る。加速。勝つための意思を込め駆け抜ける。

 

「なッ!?」

 

 一気に勝負を決めに来るのは予想外だったのか、クリスが驚きを示す。リンカーを用いない訓練を行っていた。適合係数の低い月読は短時間しかギアを纏えない為、ただぶつかり合うだけではジリ貧である。一か八かの賭けに出たという事だった。クリスは目を見開き、追撃の為に展開していた機関砲を本来の意図とは違う防衛に回す。

 

「これで決めるッ!」

 

 両手に展開した機関銃を交差させ、刃を受け止める態勢に入ったクリスに一気に月読は踏み込んでいく。笑み。一瞬、それが耳に届く。

 

「ッ!?」

「悪いな。虚を突かれたけど、そう簡単に大穴狙いはやらせねぇッ」

 

 誘導弾。咄嗟に制御を変更し幾つかを着弾させなかったのだろう。月読の一撃を何とか機関銃で受け止めたクリスが笑みを浮かべていた。虚実組み合わせた攻め。表に出してしまった驚きを、誘いに変えたという事だった。受け止められ、機動力の激減した月読に誘導弾が直撃する。爆発こそさせなかったが、良い具合に鋭いものが入っていた。短い悲鳴を上げ、月読が弾き飛ばされる。そして、何とか立とうとしたところでクリスが銃口を向けた。

 

「くッ……。まいりました」

「ふぅ……。ヒヤッとしたけど、こんなもんだな」

 

 勝負ありと言ったところだった。どうしようもない状況に陥た月読は小さく項垂れ、敗北を認めた。何とか勝利に持ち込んだクリスは、そんな月読の様子を見詰めると一度頷いた。敗因は、時間制限がある焦りと完全に後衛型であるクリスが相手であれば接近戦で押し切れると自信を持ちすぎた事だろうか。戦いは強ければ勝てると言うものではない。上手く往なされたというのが、今回のぶつかり合いだった。

 歌が止まり、二人で反省会が行われる。それを、少し離れた所から眺めていた。近接戦闘組であれば助言ができるが、遠距離同士の立ち回りの場合ではあまり参考になる事は言えないからだ。やがて、一通りの反省が終わったのか、月読がギアを解除しこちらに向かってくる。クリスはそのままギアを維持していた。入口から、翼とマリアの姿が見える。三人で訓練を続行するという事なのだろう。制限時間と言う目安があるとは言え、ギリギリまで訓練して良いという事ではない。一区切りが付いた為今日の鍛錬は終わりという事だった。

 

「思い切りは良かったが、焦り過ぎたな」

「はい……。後衛型の先輩が相手ならって、油断していたところが無かったとは言えません」

 

 すぐ傍に月読が来たことにより、口を開く。何処か沈んだように零される言葉に、頷く。自己分析は出来ているようだが、問題はそこでは無いのだろう。暁が月読と喧嘩したと言っていた。それが月読の方にもあまり良くない影響を出しているのだろうと、沈んだ様子に思う。

 

「まぁ、後衛のぶつかり合いについて俺から言える事は少ないな。対近接の立ち回りならば実演する事もできるが」

「……それは、またの機会にお願いします。やるなら、万全の状態で挑みたい」

「そうだな。暁と月読。二人揃えば、厄介な相手だろう」

「それは、私一人だけじゃ駄目で、切ちゃんが居ないと足手まといにしかならないって事?」

 

 月読と言葉を交わし始めるも流石に訓練室で話し込むわけにはいかない為、場所を変えながら続ける。二人の様子から、恐らくこの事なのだろうとあたりを付けて言葉を続けると、月読は面白い様に食いついて来る。考える事は二人とも似たようなものなのだろう。互いに何処かですれ違い、別の所を見てしまっている。本当に以前のあの子らに似ていると苦笑が零れる。

 

「そう聞こえたか?」

「うん」

「それはすまなかった。しかし、月読は足手纏いなのか?」

 

 苦笑いが別の意味に取られたのか、月読はぶすっとした感じで頷く。歯に衣着せぬ言い方に、先程とは違う意味で笑みが零れた。足手まとい。その言葉は果たして誰に最も相応しいのか。

 

「それは……、はい」

 

 そんな事を思いながら尋ねた言葉に、月読は一瞬言いあぐねる様に言葉に詰まるも、小さく頷いた。

 

「何故、と聞いても?」 

「……皆、私達を怒ります。マムやマリア。先輩達や司令。それに切ちゃんだって私が後先考えずにって……。それは私達が、私が弱くて足手纏いだからで……」

 

 理由を問うと、月読は悲しそうに語り出す。今は亡き母や姉。仲間達に何度も怒られ続けて来た。命令無視や独断を始め、危険な事を何度も行いその度に叱られて来ていた。悪い事だというのは理解している。だけど、それは考えた末での結論だった。その全てを否定されたようで、揺らいでいる。そういう事なのだろう。

 

「君は弱くなどないよ」

「あなたには解らないかもしれないね……。強くて、たった一人でも戦場に立ち続けて来たあなたには、弱い私の気持ちは」

 

 弱くなど無いと伝えても、その言葉に信頼など置けないという事なのだろう。小さく息を吐く。言葉は、ただ発すれば良いものではない。

 

「弱くて足手纏い、か……。馬鹿を言うな。俺はずっと君達が羨ましいと思っていたよ」

「え――?」

 

 ぽつりと零した言葉に月読が驚いた様に此方を見た。その表情に、自分はどういった風に思われているのか問いかけて見たくなるが、それは棚上げする。

 

「武門として戦う為に力を磨き上げて来た。ノイズを斬れるようになった。それでも、誰もがノイズに生身で挑むのは無謀だと言うよ。それは童子切を手にし、黒鉄の右腕を手に入れた今でも変わりはしない」

「だって、それはアルカノイズが触れた物を赤い煤へと変えるからで……」

 

 ノイズと生身で戦い続けて来た。シンフォギアと言う力を目にしても、それを変えようとは思わなかった。その行動は、我ながら常人からすれば異常の一言なのだろう。あの風鳴弦十郎ですら、ノイズとの戦いは装者に任せきりである。それでも、戦場に立ち続けて来た。そして、後を行く者達を見詰めて思うのは、シンフォギアと言う存在そのものである。纏うだけで人類の天敵であるノイズの炭素転換能力を無効化し得るものだった。聖遺物に適合するという条件が無ければ使えないものであるが、だからこそ、その力は絶大であると言えた。触れれば死ぬ。その制約が無くなるのである。有ると無いとでは、天と地ほども違う。ノイズがいるというだけで、思い通りに動く事もままならない。言うまでも無い事であった。だからこそ口にする事などしなかった事を、敢えて言う事にする。

 

「君たちはシンフォギアを纏う事が出来る。それだけで、戦ってくれと願われているのだよ。それを苦々しく思っていた。それが足手纏いだと言うのか?」

「それは……。たしかに、私はシンフォギアを纏えるけど……。だけどそれだけで私は強くなんか」

「それだけをできないものが殆どなのだよ。だから君たちは装者として在ることを望まれている。弱いなどという事はありはしない」

 

 自分は適合できただけなんだと続ける月読に、自分も含め適合できない者が殆どだから装者でいる事を望まれているのだと伝える。

 

「俺は強いよ。戦う力で言えば君たちなどよりも遥かに強い。だけど、それでもノイズを相手にするように望まれているのは君たちだよ」

「望まれて……?」

「俺が『武』という強さを持つ様に、君達は『歌』という強さを持っているよ。充分な強さは既に持ち得ている。その強さは俺とは違い、戦う為だけにあるのではない。それでも人は、存外己の持つものに目が向かないものなのかもしれないな。隣の芝生は青く見える。つまりはそういう事なのだと思うよ」

 

 強さは一つではない。武を修めた自分がいる様に、誰かの為に歌う者達も居た。その強さの向かう先は違う道なのだろう。だから、自分とは違う場所を行く者が特別に映る。それは何も、月読だけでは無かった。言わなかっただけで、シンフォギアのようなものがあればと思った事が無いとは言えはしない。

 

「それでも、私は貴方のように強くなれてない。足手纏いと思わなくなりたいんです」

「そうか……。その気持ちだけならば、解らないでもないな」

「え?」

 

 それでも弱いままではいたくないと意志を示す月読に頷く。そう思う事自体は悪い事ではない。ただ、決して弱い訳では無いと伝えておきたかった。そうでなければ、後進達に後を任せることなどできはしない。

 

「月読。俺に君の気持ちは解らないと言ったな。そうだよ。俺に君の気持など解りはしない」

「なにを……」

「ならば、君に俺の気持ちもまた解りはしない。人は向かい合うだけでは、解り合えはしないよ。だからこそ、知る為に言葉を、想いを交わすのだろう」

「……ッ。そうなのかも、しれません。私、酷い事を言ったのに、まだ謝ってもいない」

 

 月読は何かを思い出したのか、一瞬辛そうな表情を浮かべ頷く。酷い事。以前響が初対面の月読に偽善者と言われたと相談に来た事があった。或いは、その時の事を思い出しているのかもしれない。

 

「誰かに何かを伝えるには知らねばどうしようもない。それは、何かを為す事もまた同じだよ。足手纏いになりたくない。君がそう思うのならば、それはそれで悪い事ではない。」

「だけど、どうすれば変われるのか。私には……」

「自分に問い続ける事だな。変わると思って明日変われるものではない。自分に問いかけ続け、行きたい道を見極めたうえで、少しずつ進むしかない」

 

 どうすれば強くなれるのか、変われるのかという問いに、自分なりの結論を見つけるしか無いと答える。強くなる。それは、簡単な道では無く、たった一つと言う訳でも無い。絶対の正解などありはしない。故に、自分の望む道を行くしかないのである。助言をする事は出来るだろう。だが、最後の所で決めるのは己だけでの選択だと言える。

 

「月読。強くなりたいと、変わりたいと言ったな」

「はい……」

 

 結局のところ、自分の強さなど悩み選ぶしかないのである。近道などありはしない。だからこそ、一つだけ伝えておこうと思う。

 

「変わる事が全てでは無いぞ。変わらなくて良いものもまた、存在する」

 

 彼女等は、世界を一つに繋げる強さを既に持っていた。その強さこそ、大切にして欲しいと思う。武の行き着く果てなど、目指すべきでは無いのだから。そう思い、月読にもまた、自分の納得できるまで考え続けろと伝えて話を終わらせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「切ちゃん……。私に言いたい事、あるんでしょ?」

「それは、調の方デス。だからさっきからずっと……」

 

 暁切歌と月読調は無言で帰途についていたところで、沈黙に耐えきれなくなった調は口を開いた。二人は適合率の低さの問題から長時間の訓練は行う事が出来ない為、他の装者達よりも早くS.O.N.G.本部から離れていたところだった。

 

「私はただ……」

「黙って居たら、解らないデス」

 

 それを切欠に、一つ二つと言葉が交わされる。喧嘩をしていた。だからか、普段の中の良い二人の様子とはかけ離れ、何処かぎこちない会話が続けられる。何とか歩み寄りたい。そんな想いを互いに抱いているにも拘わらず、上手く話し出す事が出来ない。誰かと話すというのは、こんなにも難しい事だったのかと二人は思う。

 

「――ッ!?」

 

 そうして何とか会話を続けようとしたところで、不意に衝撃が駆け抜けた。爆音。突如上がったソレに、二人して視線を合わせる。神社。帰路の風景の中にあったそれが黒煙を上げ炎に焼かれていた。自動人形。その様子に、そんな言葉を連想する。

 

「くっ……ッ。これって!?」

「襲撃……。きっと、あたし達を焚きつける心算デスッ」

 

 遠くから人々の悲鳴が上がる。アルカノイズ。もしかしたらそれも現れているのかもしれない。ギアのペンダントを取り出しながら向かうべき相手を探す遠くの鳥居の上。以前敗れたミカが二人を見て笑みを浮かべていた。

 

「足手纏いと、軽く思っているのならッ」

「あたし達だけでも、やってみせるデスッ」

 

 先の敗北の事もあり、切歌と調は一瞬怯むも、己を奮い立たせ聖詠を歌う。光が二人を包む。イガリマとシュルシャガナ。女神ザババの持つ刃から作られたシンフォギア。二つの力を纏い、二人は自動人形と対峙する。

 

「今日は、存分に君たちの歌を聞かせて貰うんだゾッ」

 

 シュルシャガナが広範囲に刃を放ち、イガリマがミカを目掛け飛刃を飛ばす。迫る刃を見据え、ミカは満面の笑みを浮かべる。炎。両の手からソレを燃え上がらせ、迫る刃に向かい打ち放つ。劫火が刃を呑み込み、その形を消失させる。跳躍。鳥居から飛び降りたミカは空中で推進装置を起動、一気に間合いを詰める。

 

『直ぐに増援を送る。それまで持ち――』

 

 瞬く間に間合いを詰め、ミカが切歌に殴り掛かったところで通信機から言葉が届く。増援を送る。風鳴弦十郎がそう続けようとしたところで異変が起こった。二人には詳しい事は解らないが、通信機から聞こえる驚きに何かあった事が伺える。一撃を何とか切歌は往なす。反撃。切り返そうとしたところで、切歌の身体を蹴る事でミカは一気に軌道を変え、調に向かう。

 

「ッ!?」

「調ッ!!」

 

 放たれる渾身の一撃。反応が遅れた身体を、無理やり倒す。頬に、ミカの大爪が僅かに触れる。一瞬頬に熱が走り、何かが割れる感覚が届く。頬。少し斬られていたが、ギリギリのところで往なしていた。思わず切歌の叫びが上がる。なんとか、ミカから距離を取った。

 

「おおッ! 上手くかわした。中々やるんだゾ!!」

 

 そんな二人の様子を認めたミカは、何とか凌ぎ切った事に称賛の言葉を投げかける。

 

「このまま、押し切るデスッ」

「と言っても、前の方がまだ良い線いってたんだゾ」

「切ちゃんッ!?」

 

 賞賛とも挑発とも取れる言葉を耳にした切歌はイガリマを握り直し、一気に距離を詰める。その様を見詰めていたミカは、迫る獄鎌に拳を合わせる。衝撃。獄鎌の柄に拳を合わせ受け止め、そのまま手を開き巨大な指でイガリマを掴み取る。そのまま切歌ごと力任せに投げ飛ばした。

 

「うわあぁぁぁッ!?」

 

 調の叫びと共に切歌は吹き飛ばされ、進行方向にあった建物に直撃する。あまりの力の差に、一瞬何が起こったのか解らなかった切歌は受け身も取れずその場に倒れる。音が聞こえていた。ミカが巨大な劫火を錬金術で生成している。両の手に炎が集い、二つの火柱が生み出される。それを、両手を重ねる事で一つに圧縮。打ち放った。

 

「連携しないと、死んじゃうんだゾッ!!」

「ッ――!?」

 

 迫る極大閃熱砲撃。切歌はふら付く身体で何とか立ち上がるも、とても回避が間に合う状態では無かった。放たれる熱量に目を見開く。閃光が駆け抜けた。

 

「きり、ちゃん。だいじょう、ぶ?」

 

 思わず目を閉じてしまったところで、調の声が届いた。巨大な丸鋸。切歌が目にしたのは、シュルシャガナの力をその二つに収束し、何とか閃光を受け止める調の姿だった。切歌の無事に気付いた調は、迫る力を受け止めながらも、安堵の笑みが零れる。その姿に、切歌は自分の心が乱れるのを感じた。放たれる力が更に出力を増す。シュルシャガナの刃を、閃熱が融解させていく。昂った感情のまま、切歌は思いっきり動いていた。

 

「なッ!?」

「どうして、自分の身を顧みずに庇うんデスかッ!?」 

 

 動くに動けない調を思いっきり抱きしめ、一気にギアの推進装置を起動する。腕に調の熱と、頬に風を切る感触を感じながら切歌は死地を脱する。切歌に行き成り抱きしめられ吹き飛ばされるよう動く事になった調は思わず目を丸める。そのまま二人は何とか着地、体勢を立て直す。

 

「私は、切ちゃんに傷付いて欲しく無くて……」

 

 そして、何故無茶をするんだという言葉に調は一瞬口籠るも、話さなければ相手の気持ちは解る筈も無いと、何とか自分の気持ちを切歌に伝える。

 

「そんなの、あたしだってそう思ってるんデス。調だけがそう思ってるんじゃ、ないんデスッ!!」

 

 その言葉を聞いた切歌は、言い返す様に叫ぶと、一気にミカに向かい飛んでいた。伝えられた言葉の意味が解らず、調は返す言葉を失う。

 

「大好きな調だから、自分の事を蔑ろにしてまであたしの事を護ろうとするのが許せなかったんデス。あたしがそう思えるのは、調が何時もあたしを護ろうとしてくれたからデスッ!!」

 

 近距離でミカと撃ち合いながら切歌は胸の想いを吐き出す。調に庇われる度に嬉しく思った。だけど、それ以上に、自分の事を顧みない助け方に怖さも感じていた。調を失うかもしれない。そんな怖さである。事実として、一度調は切歌を庇い、イガリマをその身に受け瀕死に追い込まれていた。また、自分の所為であんな思いをさせるかも知れない。そう思うと、怖くて、それ以上にそんな事をさせる自分の弱さが許せなかった。強くなりたい。調だけではなく、切歌もまた強くそう想っていた。

 

「あたし達が足手纏いに成りたくないと想うのは、大切な人達にあんな悲しい想いをさせたくないから、どうしようもないあたし達を大切に想い受け入れてくれた優しい人たちに、涙を流させたくないって想うからデスッ!!」

「私達を大切に想ってくれる、優しい人達……」

 

 強くなりたいと想うのも、護られるだけの自分で在りたくないと想うのも、二人とも同じなのだと言葉を続ける。

 

「そっか……。私は、だから強くなりたかったんだ……」

 

 大切な人達を悲しませたくないから強くなりたかった。解ってしまえばそんな単純な事だったんだと、胸にすっと入り込んでくる。何のために強くなりたかったのか。それが、はっきりと胸の内に宿る。大切な親友が、教えてくれていた。

 

「その想いは悪くないけど……、勢いだけで勝てる相手じゃないゾッ!」

「くぅ……、ぐ、うぁぁッ!!」

 

 イガリマと炎柱での接近戦。切歌が近接型の装者とは言え、戦闘特化型の自動人形であるミカを押し切れる道理は無い。善戦していたのも束の間、膂力でも、手数でも勝るミカに押し切られ弾き飛ばされる。吹き飛ばされた切歌に調が追いつき受け止める。

 

「マムが遺してくれて……、皆が傍に居てくれるこの世界で格好悪いままで終わりたくない……」

「だったら、格好良くなるしかないデス」

 

 そして、大切な事を分かち合った二人は手を繋ぎ立ち上がる。強くなりたい理由を見つけ、成りたい自分に見つけていた。大切な人を泣かせる事の無い、強く格好良い自分になりたかった。

 

「だから、君達は戦うのかな? だけど、英雄ではない君たちは一人で出来る事は知れているんだゾッ」

 

 そんな二人に、ならばどうするとミカは問いかける。戦闘特化型自動人形であるとはいえ、自分一人にすらまともに戦う事が出来ていない現実がそこにはあった。英雄と呼ばれた者は、たった一人の強さで終末の四騎士と渡り合っていた。お前達も同じ事が出来るのかと、二人で立ち上がった少女たちに問いかける。

 

「そうだね。私達は弱い。一人で立てる程、強くなんて成れはしない」

「だけど、あたしたちはそれで良いんデス。一人じゃない。大切な仲間が、親友が傍に居てくれるんデス」

「だから、二人で強くなるんだッ!!」

「一人ではなく、支え合い、一緒に強くなるんデスッ!!」

 

 そんなミカの言葉を、調と切歌は認める。強くなんて成れていない。誰かが英雄と呼んだ人の足元にも及ばない。だけど、そんな事はどうだって良かった。自分たちは英雄とは違う種類の強さを手にしていた。一人では届かなくとも、支え合い、二人で立つ力を手にしている。それで充分だった。自分たちは、英雄になりたかったのではない。大切な人に、涙を流させない強さが欲しかったのだから。

 

「イグナイトモジュール、抜剣ッ!!」

「イグナイトモジュール、抜剣デスッ!!」 

 

  ――ダインスレイフ

 

 だから、二人は魔剣の力を手にする。魔剣の刃が二人の胸を穿つ。心の闇を、ダインスレイフの刃が何のために強くなりたかったのか解ってはいなかった少女たちの胸を穿つ。だけど、その答えは出ていた。大切な人達と共に在る為。そして、傷付けた事を謝る為にも、こんな所で負ける訳にはいかなかった。

 

「ごめんね……切ちゃん」

「良いですよ……。それよりも皆に……」

「そうだ。皆に謝らなきゃ……。その為にも、二人で強くなるんだッ!!」

 

 そして、刃が抜き放たれる。二人のギアを魔剣の呪いが力を暴走増幅、それを理性により制御化に置く。イグナイトモジュールの抜剣が成功していた。

 

「誰かと支え合う強さ……。一ではなく、複数で強く高まる力……ッ」

 

 刃を抜いた二人を見据え、ミカは嬉しそうに炎柱を構える。踏み込み。推進装置を起動させ、一気に踏み込んできていた切歌を弾き飛ばす。追撃。着地など許す間もなく襲い掛かろうとしたところで、眼前に円盤が浮いていた。刃が浮き出る。回転。一気にミカの頭部を削り取ろうと迫る。

 

「さっきまでとは段違いなんだゾッ!!」

 

 両の手で受け止め炎を以て刃を消滅させる。だが、掴み取った両手が幾らか刃に削り取られていた。その力の痕跡を見詰め、ミカの声は更に嬉しそうに弾み始める。炎。幾らか削れた両の手に纏う。

 

「今度はこっちから行くんだゾッ」

 

 右手の指の数だけ炎弾を圧縮生成、五指の爆炎弾を作り出す。そのまま、ミカ目掛けて斬りかかって来ていた切歌に迎え撃つ形で放った。圧縮された爆炎が切歌に向かう。

 

「それはもう、見せて貰ったデスッ」 

 

 切歌はイガリマを振りかぶる。そして、一気に飛刃を放った。刃と、刃による拘束具。鎖の様に対象に絡みつかせて用いるソレを、展開して放ち、密集した炎にぶつける事で起爆させる。爆炎が広がった。両者の視界を煙が覆い隠す。旋律。それが鳴り渡り、刃が地を駆ける音だけが駆け抜ける。

 

「視界を奪ったところでッ!!」

 

 車輪が駆け抜けていく。それを、全力で打ち飛ばした。左腕が纏っていた炎が、シュルシャガナの刃を融解させる。獲った。そう思った腕が掴んだのは、駆け抜けていた車輪だけであった。

 

「ッ!? なら、本命が……ッ」

 

 外した。ミカがそう思った時、上空から歌が聞こえていた。視線。定めた時には既に切歌と調は手を繋ぎ、刃を重ねていた。重ね合わされる歌が、二人の刃を強く輝かせる。そして、女神ザババの持つが一対の刃が一つと成り、ミカに狙いを定めていた。

 

「これでッ!!」

「決めるデスッ!!」

 

 歌が加速していく。重なり合う紅と碧の刃。響き渡る歌に後押しされる様に強く鋭く研ぎ澄まされていく。

 

「あ、が、ぁ……」

 

 そして、紅碧の刃が赤の自動人形を貫いた。ミカの眼が見開かれる。魔剣が奏でる刃が、確かに自動人形を穿ち閃光が駆け抜けていく。

 

四騎士の剣(ソードモジュール)抜剣(アクセス)ッ』

 

 ――血脈に宿る刃(ブラッドスレイヴ)

 

 

「なッ!?」

「そんなのありデスか!?」

 

 そして、刃が抜き放たれる。ザババの刃が穿ち、人形が爆ぜるその瞬間、電子音声が鳴り響く。四騎士の剣。それが展開され、ミカの穿たれた身体を修復するように決戦兵装が展開される。想定の外にある展開に、思わず二人が声を上げる。

 

「君たちは強かったんだゾ。だけど、まだ終わらない。この程度じゃ、あたしの身体にも響きはしない。機械の心すらも震わせる歌を、想いを聞かせて欲しいんだゾッ!!」

 

 純白の外装を身に纏い、炎剣を手にしたミカが再び二人に迫る。加速。推進装置を解き放ち、飛翔剣に使われる出力を機動力に回しミカは肉薄する。強い力を示していた。だけど、足りなかった。身体を穿たれ、死を迎える筈の一撃を受けた事で、自動人形の目的は既に達していた。だからこそ、その命を使い切る心算でミカは刃を交わす。

 

「支え合う強さ。確かにそれは一つの強さと言えるんだゾ」

「くぅ……ッ」

 

 振り抜かれる炎剣を、切歌はイガリマで受け止める。柄。炎剣と接する部位が黒煙を上げ始める。その様子を見ると、直感的に打ち合ってはならないと切歌は判断し、ミカを蹴り飛ばし距離を取る。

 

「だけど、それは一人で強くなる必要が無かったものの言葉なんだゾ!!」

 

 蹴り飛ばされたミカはその力に反発する事なく吹き飛ばされ着地と共に跳躍、一気に加速する。

 

「――調!!」

「ッ――!?」

 

 そして、切歌は自分の失策に気付き声を上げる。月読調。近接戦闘ではミカにとって、暁切歌よりも与しやすい相手だと言えた。変則機動による超加速を維持したまま、ミカは調に斬りかかった。

 

「くぅぅ……。うぁッ!!」

 

 炎剣が唸りを上げる。咄嗟に展開したシュルシャガナの刃が、炎剣を削る様に受け止めるが、その熱量によって刃が逆に融解させられていく。至近距離。刃を断ち斬られた調は、目の前にいるミカに全力で殴り飛ばされる。そのまま、吹き飛ばされているところに追いつかれ、浮いていた手を取られるとミカの下に引き寄せられ、再び殴り飛ばされる。執拗な攻撃を目に、切歌は推進装置を全力で稼働させ割って入ろうと飛び掛かる。だが、背後が見えている様に間合いに入った瞬間に振り向いたミカに蹴り飛ばされ地を転がる。

 

「二人で強くなる。君たちはその方法で強さを手にした。だけど、人は常に誰かと共に在れるわけではないんだゾ。一人で立たなければいけない事もあるんだゾ。その強さも一つの手段ではあるけど、だからと言って己だけの強さを蔑ろにしていい理由に成りはしないんだゾッ!!」

 

 切歌の強襲は失敗したとは言え、調へのミカの追撃が止まり何とか二人とも距離を取る。その様子を見据えると、ミカは炎剣を消し、両手に再び炎を纏う。出力。先程までよりも遥かに強いそれを以て、広範囲閃熱砲撃を放つ。そのあまりの熱量に二人は受け止めるのではなく避ける道を選択する。

 

「こんなの受け止めてたら命が何個あっても足りないデス!!」

「流石にこれは……ッ」

 

 放たれた力を前に戦慄のを隠す事も出来ず二人は呟く。イグナイトを発動させ、随分と時間が経っている気がする。いい加減に戦いを終わらせなければいけないと思うも、強すぎる人形の意からに勝機が見出せない。

 

「誰かが傍に居てくれる。誰も彼もが、そんな幸運を持ち得ている訳じゃない。一人で強くなったもの全てが、一人で強くなりたかったわけじゃない。誰かが共に居てくれる。それは当たり前なんかじゃないんだゾ」

 

 二人の装者を見詰め、ミカは小さく笑った。必要のない言葉を投げかけている。自分に課せられた目的は既に達成されている。ならば、この戦いは何の為なのか。一瞬そんな事を考えるけど、もう理由なんてどうだって良い事なのだと定める。妹が全力で戦えと示している。纏う決戦兵装が、繋がっている英雄の軌跡がそう教えてくれていた。更に出力を高める。青に与えられた記憶全ての焼却。バーニングハート・メカニクス。ミカだけに搭載された決戦機能。それを決戦兵装を展開した状態から解き放つ。炎剣が想いを糧に、熱く燃え上がる。その刃を、限界まで圧縮していく。凝縮された焔の剣。赤色の刃。決戦機能と決戦兵装の同時展開。一人で届き得る力をミカは出し惜しみ無しで解き放った。死を先送りにしている身体が、想い出の焼却により高められた力に耐えきれず、手にした赤き刃の熱に自らを糧とするかのように崩れていく。

 

「だから、見せて欲しんだぞ。君たちは本当に『英雄』を越えられるのか。支え合うだけで強くなれるのかを、あたしに示して欲しいんだゾッ」

 

 崩れ落ちる自らの身体を見詰め、ミカは深く笑みを浮かべた。ガリィもこんな気持ちだったのか。そんな事が思い浮かび消えて行く。踏み込み。推進装置を起動させ、爆撃でも起こったのかと言わんほどの衝撃と共に飛んでいた。

 

「はやッ」

 

 瞬間移動をしたと錯覚するほどの速さで、ミカは切歌に斬りかかった。殆ど反応する事も出来ず、ギリギリのところでイガリマが赤刃を受け止めるも。碧刃は赤刃の熱に断ち切られる。当たったら死ぬ。それ程の熱量を前に、身体が反射的に回避行動を起こす。赤色の軌跡。ギリギリのところで往なしたをれは、近くを通り過ぎただけで焼かれていると錯覚するほどの熱を発している。シンフォギアの防御機能の上からですら焼き尽くそうとする自動人形の力に、切歌の背中を悪感が走り抜ける。

 

「切ちゃんはやらせないッ」

 

 追撃をかけようとする赤の機先を制するように無数の刃が飛来する。シュルシャガナの丸鋸。逃げ場を完全に失くし封殺する心算で放たれた殲滅攻撃。間断なくミカに降り注ぐ。

 

「どっちが先でもあたしは構わないんだゾッ」

 

 それに対して、ミカは何の迷いもなく前に出る事を選択した。シュルシャガナの刃が直撃する瞬間、全身から焔が吹き荒れる。纏う劫火が、刃が体に届く前に消し去っていく。だが、ミカの身体もまた燃え落ちて行く。構わず刃を振るう。赤刃の熱が、刃と成り調に襲い掛かる。

 

「なんて、無茶苦茶なッ」

「自動人形って言うのは、ここまトンデモだったデスかッ」

 

 熱の刃を往なすも、それだけで一部が破損したギアを尻目に二人は思わず零す。決戦機能同士でのぶつかり合い。だが、単純な力比べでは歯が立ちそうにない。

 

「本気で来なきゃ届きはしないんだゾ。逃げ回ればあたしに負けはしない。だけど、それじゃ何も変わっていないんだゾ」

 

 赤刃を両の手に作り出し、ミカは二人に全力で来ないと何も変わらないと告げる。命を惜しんで歌われる歌に、何の価値があるのだと、言葉ではなく行動で示していた。身体が崩れていく。崩れた所から、熱に飲み込まれていく。それでも赤は笑みを絶やさない。自分の思うままに動く事が出来る。それが、ただ嬉しかった。

 

「こうなったら……」

「歌うしか、ないね……」

 

 逃げればそれで終わると告げる赤に、二人は立ち向かう事を選択する。此処で逃げれば何も変わらない。結局自分よりも強い相手からは逃げ惑う事しかできないのであれば、それは足手纏いであると思った時から何も変わっていないという事だった。手を繋ぎ、短く息を吸う。そして、二人で繋がり合い歌を重ねて行く。

 

『Gatrandis babel ziggurat edenal――』

 

 命を燃やし紡がれる旋律。それが、自壊する自動人形を前に紡がれていく。覚悟を決めた。そういう事であった。イガリマが絶唱発動の出力に呼応するように巨大化し、シュルシャガナが調の両手から展開され巨大な二つの刃を生成する。

 

「……命を燃やす歌。底知れず、天井知らずに高まる力ッ」

 

 二つの絶唱を見詰め、その力の高鳴りにミカは己が崩れ落ちる事も構わずその刃が完成するのを待ち続ける。やがて碧刃と紅刃がその力の頂に辿り着く。こぽりと、二人の口から血が零れた。

 

「強く、成るんだッ」

「誰にも悲しい想いを刺せない程、強くッ」

 

 そして、二つの刃が臨界を越えた時、絶唱は放たれる。無限軌道からの終わらない斬撃。魂を切り刻む程の不可逆の一撃。紅と碧の力を前に、ミカは両手の赤刃を強く燃え上がらせる。

 

「この力でッ!」

「勝つんデスッ!」

 

 二つの絶唱が自壊する自動人形に放たれる。支え合う強さと、一人で立つ力のぶつかり合い。ぶつかり合う力が、互いの譲れないものを押し通す様にその威を振るう。ぶつかり合う三種の刃。絶唱で高められた刃を、焔の剣は命を押し通す様に焼き尽くしていく。

 

「押し負けてる……ッ」

「有り得ない、デス。イガリマの力は、魂すらも両断して……ッ」

 

 シュルシャガナの刃で封殺し、防御不可能なイガリマの一閃で押し切る心算であった。それが、押し返されている。有り得る筈の無い展開に、二人に戦慄が走る。

 

「確かに二つの力は凄まじいかもだけどッ。防御不能の一撃とは言え、技として成立しなければただ強い力でしかないんだゾ」

 

 防御不可能な斬撃。だが、受け止めるのではなく、触れあった瞬間刃を殺す事で斬撃を破綻させていた。どれだけ強い力であろとも、完成する前に散らされてしまえば戦いようがなかった。赤刃に触れる度、消えて行く刃にどうすればと二人の中に焦りが生まれる。放つ斬撃。赤に往なされ、隙だらけになった切歌を調に向かい弾き飛ばした。

 

「切ちゃんッ!」

 

 思わず刃を止め受け止める。そして、それが最大の失敗だった。

 

「これで、終わりなんだゾ」

 

 態勢が崩れまともに動く事も出来なくなった二人に、両手に持つミカは焔を剣を振りかぶる。その熱量と迫る恐怖に思わず目を閉じてしまう。それで、終わりだった・

 

「あ、……」

 

 そんな声が二人の耳に届く。崩れていく。限界など遥かに越えていた力が、自動人形を壊していく。強すぎた力が、使い手その物を壊し切ってしまっていた。根元から両腕が崩れ落ち、刃は地に堕ちる。地を踏みしめた脚は砕け散り、先の無くなった膝が地に触れ倒れ伏す。

 

「此処で、終わりなんだゾッ……」

 

 そして、二人の眼前に赤は力尽きる。思わず動いていた。どうしようもなく強かった敵。それが、自壊した。戦う力が残っていないのは、見ただけでも直ぐに分かる。半ばから崩れ落ち残っていた身体も砕け続けている。その姿が、何故か悲しく思える。勝った筈なのに、達成感など何も存在しなかった。

 

「強かった、なぁ。最期に思いっきり戦えた。それが、嬉しんだゾ」

「手も足も出なかった……」

「あたしたちは、結局何も出来ていないデス」

 

 赤の呟きに、二人は何も出来なかったと言葉を零す。話す為に言った事では無かった。だけど、言葉は交わり想いは紡がれる。

 

「それでも君たちは立っている。それが強いって事なんだゾ」

 

 どんな結末に至ろうと、最後まで立っていたものが強いのだと告げられた言葉に、二人は解らないと頭を振るう。強かったのは自動人形である。あのまま続けていたら、倒れているのは自分たちの方だったと、そんな想いが強い。

 

「まぁ、良いんだゾ。君たちはあたしから逃げずに立ち向かってくれた。だから、こんな風に終われた」

 

 解らないというのならば、それもまた良かった。自分が満足できた。それが一番大切な事なのだから。

 

「お礼に教えてあげるんだゾ。もうこれ以上『英雄』を戦わせてはいけない。あたしたちの様に、命を振り絞らせちゃいけないんだゾ」

 

 そして、最後にそんな言葉を残す。主の目的の為には、むしろ燃え尽きて貰った方が都合が良かった。だけど、それでも、本当に燃え尽きたら悲しむんだろうなと想うからか、『英雄』の仲間である少女たちに忠告を残す。『英雄』はどれだけ追い詰められようと、自分の都合で止まる事は無いからこそ『英雄』足り得るのである。ならば、止められる可能性があるとすればそれは。

 

「楽しかったんだ、ゾ」

 

 そして、最後にもう一度楽しかったなぁと呟き、赤は砕けて消えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静謐な空間の中、カチャカチャと右腕を分解する音だけが響き渡る。黒鉄の義手。その整備をエルフナインに頼んでいた。定期的な調整。特段不便がある訳では無いのだが、保守の為の点検だった。作業机の上に置かれ、一つ一つ分解、手入れが行われるその様子を見詰める。時折、部品の一つを手に取り難しい顔でにらめっこをしている様は、普段の何処か柔らかな雰囲気とは違い、エルフナインが錬金術師である事を強く意識させる。S.O.N.G.本部にある既存・異端両技術に干渉する機材は全てエルフナインの研究室とも言える部屋に集められていた。その機材を用い、不備が見られた部品の修復なども行われている。

 

「聞きましたか? 調さんと切歌さんが、ミカを倒したようです」

「ああ。司令から聞いたよ」

 

 ふっと、エルフナインが言葉を零す。視線は作業の方を見たままだが、明確に投げかけられた言葉に一度頷いた。自動人形の撃破。それに成功したと聞いていた。抱えていたものを降ろす事が出来たのだろうか。そんな事を思う。その時にS.O.N.G.本部にいたのだが、敵の妨害と思われる行動により救援に行く事は出来なかった。巨大な人影が潜水艦である本部を掴んだのだとか。流石にどうしようもなかったと言える。だが、それが強い疑念を生じさせる。何故、本部を海底で破壊しないのか。口にしないだけで、どう考えてもおかしかった。壊せない理由がある。それ以外に理由など無いのだろう。それが何故か迄は読み切れないが、何かあるとだけ頭の片隅に置いていた。

 

「調さんと切歌さん、強いですね」

「そうだな。だけど、強い事は良い事なのだろうか」

 

 エルフナインが小さく笑みを浮かべたので、一度頷く。だが、本当にそれが強いと言って良いのかは解らない。皆が皆、イグナイトモジュールに手を伸ばしていた。呪いの魔剣を触媒に使われる力。そんな物が本当に必要なのか。そんな事は何時も胸に過る。えっと此方を見詰めたエルフナインに、何でも無いと笑った。力の是非を問う事は必要だが、そんな事は自分のようなものが考えて居れば良い事だった。

 

「右腕の方は如何かな?」

「はい。幾らか摩耗が進んでいるところもありましたが、修復の効く範囲内の為、保守は完了しています。……また、使いましたね?」

「すまない。命と天秤にはかけられなかった」

 

 右腕の様子を問うと問題は無いと教えてくれるが、少しむくれた様にまた使いましたねと見詰められる。それに素直に謝ると、もう良いですっと困ったように笑った。暫し沈黙が訪れる。再びエルフナインが右腕の調整に意識を戻す。暫くその様子を見詰めている。静かな時間だけが過ぎていく。

 

「完了しました!」

 

 そして、作業が終わったのか此方に視線を戻すと、右腕を差し出し笑顔を向いた。差し出された腕を手に取り、右腕の接続部と繋ぐ。一瞬の違和感。右腕の感覚が繋がるのを実感する。これが錬金術か、っと小さく呟く。確かに感覚が無かった右腕が、今は存在していた。使い慣れたものではあるが、改めてすごい力だと感じる。何度も手を動かして様子を見る。何の問題も無かった。

 

「大丈夫ですか?」 

「ああ。本物の腕のように使えるよ。ありがとう」

 

 此方の様子をじっと見つめていたエルフナインに礼を告げる。それに、それなら良かったですと柔らかな笑みを浮かべてくれる。これで、点検は終わりだった。此方の仕事も片付いている為、本当にやる事が無くなってしまっていた。

 

「エルフナインは時間があるかな?」

「え? あ、はい。今は急ぎの仕事も終わっていますので、大丈夫ですよ」

 

 何気なく尋ねた言葉に大丈夫ですと頷く。苦笑が浮かんだ。完全に働き過ぎの者が言う台詞だった。司令からは、エルフナインが働き過ぎな為、少しばかり休憩時間に当てられるようにと右腕の保守に当てられる時間を多く割いて貰っていた。休めと言っても休もうとしない頑張り屋に、別の角度から休息を取らせるというのも今回の自分に託された仕事と言えるのかもしれない。

 

「いやな、色々な話をしたが、君自身の事をあまり聞いていなかったと思ってな」

 

 どうかしましたかと小首を傾げるエルフナインに、世間話でもしようかと思ったんだと続ける。錬金術師や異端技術、そしてキャロルの目的などについては話していたが、エルフナインが如何思っているかなどはあまり聞いた事が無かった。その辺りを聞いておきたかった。

 

「ボクの事なんて聞いても面白くないと思いますよ」

「構わんよ。面白い話が聞きたくて話しているのでは無いからな」

 

 一つ二つと言葉を交わす。何が好きなのか。料理は得意なのか。歌を歌う事はあるのか。そんな他愛の無い事を尋ねていく。さして重要でも無い問いに、それでもエルフナインは一つ一つに丁寧に答えてくれる。パパやS.O.N.G.にきて新しくできた仲間が好きだと。キャロルから受け継いだ記憶の欠片から見ただけだけど、料理は得意な方であると。装者達に影響されているのか、ギアや設備の保守管理を一人で行っている時は、鼻歌を歌う事があると恥ずかしそうに教えてくれた。戦いが終われば何をしてみたいのか。世界にはまだまだ知らないものが沢山ある。色々な事を知りたいんですと、そんな事を教えてくれる。静かな、だけど落ち着いた時間だけが流れていく。

 

「君は、父親が好きなんだな」

「はい。ボクはパパが大好きです。そしてそれはきっと、同じ記憶を持つキャロルもそう思っている筈です」

 

 パパの事が大好きなんですと隠さず告げるエルフナインに、こうまで素直に好意を出せる事は凄い事だと思いながら頷く。

 

「パパは色々な事を教えてくれました。錬金術を始め、料理や薬となる薬草の見分け方。誰かを想う優しさや、大切な人と過ごす幸せな時間。不可能と思える事でも、諦めなければ道が開けるって事も……」

 

 パパは色々な事を教えてくれましたと締めくくるエルフナインをただ見つめていた。そして、一つ気になっていた事を尋ねて見る。

 

「君は、父親に怒られた事があるのかな?」

「え? それは……多分、無いと思います。軽く注意をされるぐらいはあったと思いますけど、本気で怒られた記憶はありません」

 

 ずっと気になっていた事にエルフナインは目を閉じ記憶を思い出す様にしながら答えを出す。優しくしかられる事はあったけど、怒鳴るような激しい怒られ方をした事は無いと結論付ける。その言葉に、だからか、っと思い至った。

 

「そうか。だからか」 

「ボクの答えに、おかしなところでもありましたか?」

 

 自分の納得がいったという呟きに、エルフナインは小首を傾げる。素直な様子に少しばかり笑みが零れてしまった。

 

「君の父親に一つだけ失敗があったかもしれないと思っただけだよ」

「そんな事あるわ……ッ。いえ、何か気付かれたんですよね。聞かせて貰っても良いですか?」

 

 一瞬エルフナインにしては珍しく声音が荒くなるも、直ぐ様一呼吸置き、続きをお願いしますとこちらをじっと見つめて来る。その姿に似ているなっと思いながら、言葉を続ける。

 

「君が、君達が父親の事を大好きだったように、父親もまた君たちが大切だったのだろうな。思い出話を聞くと、そんな情景が思い浮かぶようだよ」

「なら……、何を失敗したと……?」

 

 エルフナインが、そしてキャロルが父親を好きだったというのは充分過ぎる程想い出を語る姿から読み取る事は出来る。そして、それは彼女の語る父親像からもまた、充分に察する事が出来た。娘が可愛かったから、大切であったからこそ、色々な事を教え、様々な想い出を作る事ができた。そういう事なのだろう。

 

「大切であった。何にも代えがたい宝物であった。だから、本気で怒る事が出来なかったのではないかな」

「本気で怒る事が出来なかった……?」

 

 だからこそ、本当の意味で叱る事が出来なかった。悪い事をしてはいけないと、どんなに優しい人間でも、酷い事をしてしまえば怖い瞬間はあるものなのだと教える事が出来なかった。

 

「大切にし過ぎたのだろうな。だから、君が怯える程の怒りを示す事は出来なかった。父は優しいだけではなく、間違った時には怒る事もあり得ると教えてこなかった。だから、大切なものを押し通す為にならば、何をしても良いという極端な道を選ぶ事が出来たのだろうと、そんな事を思うよ」

 

 大切で可愛かったからこそ、叱りつける事が出来なかった。つまり、そういう事なのだと思う。だから、父親を大切に想いながら、父親との想い出の残る地を壊そうなどと思う事が出来る。そんな事をすれば、父親は本気で叱りに来ると、そんな事に思い至らない。だから、あれだけ父親に拘りながら、もし父親が生きていれば如何思うかという事に思考が及ばないと言う訳であった。

 

「君の父親は優しかったのだろうなぁ……。優しすぎたのだろう」

「それは、ボクもそう思います」

 

 呟いた言葉に、エルフナインもただ頷いた。会話が途切れる。聞いてばかりであった。少しぐらいは、此方からも話さなければ不公平だろうか。

 

「俺の父上は、怖かったよ」

「え――?」

 

 ぽつりと零した言葉。響に話した時も、同じような反応だった。それ程俺が、父を怖い人だったと想うのは意外なのだろうか。

 

「普段はそうでも無いのだがな、鍛錬の時は鬼のようだったな」

「え、ええ……。たしか、貴方が子供の時の話ですよね」

「ああ。十にも満たない子供を殴る蹴る等日常茶飯事だったよ。まぁ、武の鍛錬なのだ。それはそうなる」

 

 思い出すのは、幼き頃の鍛錬の様子。子供の頃から傍流に預けられ厳しく躾けられた。本家に戻り父に指導を受けるようになってからは、何度となく挑む事になった。

 

「当たり前だがな、父上は強いのだよ。手心を加えられているのが嫌という程良く解る」

「そんなにですか?」

「ああ。全力で蹴り飛ばされても痛みは殆ど無い。木刀で振り下ろされても、何故か衝撃が流れる」

「って事は、思いっきり物理的にやられてたって事ですね……」

 

 うわぁとエルフナインが引きつった笑みを零す。当たり前だろう。話を聞く限り、ただの虐待以外何物でもない。痛くないなどと言っても、実際に受けなければ理解できないだろう。

 

「そして、腹が立つ事に調子に乗せるのがまた上手いのだよ」

「調子に乗せるというと?」

「強くなっていると思わせるのが上手だったな。勝てると思わせる力の使い方が絶妙だった。そして、此方から本気で相手をしてくれと言った時だけ、文字通り本気で打ち据える」

 

 思い出の中で最も多いのは、父に挑み、為す術もなくやられた事だろう。血を流し倒れた事も一再ではない。此方から本気で相手をしてくれと言った時だけ、手心が無くなる。実際には死なない程度に痛みと言うものを教えてくれていたという事なのだと思うが、最早聞く事もできはしない。

 

「今思い出しても、理不尽以外何物でも無いな」

 

 そんな言葉で締めくくる。父は、色々と何かおかしい人でもあった。とは言え、あの祖父の子である。それもまた、らしいのかもしれない。

 

「あ、あはは……。あなたも、凄い幼少期を送ったんですね」

「そうだな。だけど、なんだかんだで良い思い出と言えるのかもしれない。当時は自分にも同じ事が出来るようになるとは思わなかったからな」

 

 装者達との訓練の折に、手心の技術は用いていた。あれは、自分がやられた事をそのまま続けてきたと言える。力を流し、衝撃だけを与える。その気になれば、真剣で斬りながら傷を付けない事も出来た。あの頃の父の様に、自分もまた強くなったという事だった。

 

「父は怖い人だったよ。だからこそその強さが、その気高さが、そして時折触れる優しさが嬉しかったのだろうな」

 

 或いは、世間では悪い父親とみられるのかもしれない。それでも、自分にとっては誰よりも強く、誰よりも尊敬できる人であった。その想いこそが、自分にとっては大切であると言える。

 

「父は怖い人だった……。たしかにそれは、ボクにはない気持ちかも知れません……」

 

 そう言ってエルフナインは小さく微笑む。

 

「君は未だ、キャロルを止めたいと思っているか?」

「はい」

 

 会話が途切れる。最後に聞いておくべき事を尋ねていた。キャロルを止めて欲しい。それがエルフナインの最初に抱いた願いだった。その想いに変わりは無いかと聞くと、しっかりと頷いた。そうか、っと頷く。

 

「君と二人だけの今だからこそ聞いておくよ。キャロルを殺す事で、その願いを果たす事は出来るか?」

「それは……」

 

 そして、ずっと考えていた事を尋ねる。そんな道を選びたくはない。だが、本当にどうしようもない時には、その道を選ぶ事も視野に入れていた。その方法で、君の願いを果たす事が出来るのか。それだけは、聞いておきたかった。

 

「無理だと……思います」

 

 そして、はっきりとその方法では無理だとエルフナインは続けた。

 

「キャロルは始まりの巫女とは違う方法で生を繋いできました。ホムンクルスに記憶を複製転写する事による延命。ボクには説明するほどの知識はありませんが、その力を用いれば、キャロルを討つ事ですら、世界の破壊を終わりにする事には繋がりません」

 

 キャロルもまた命という枠組みから離れたところに存在している。キャロルを討つ事で一時的な平穏は得られるかもしれないが、必ず蘇る為、キャロルの死を以てしてでも終わりにはなり得ない。そう教えてくれる。

 

「そうか。ありがとう」

「え――?」

 

 そして、話を聞いた後に告げた例にエルフナインは目を白黒させる。知りたかったのである。最後の最期で、あのバカな娘を斬り殺さなければいけないのかと。そんな結論を出さなければいけないのかと思っていたが、それですら終わらせる事が出来ないと明確に告げてくれていた。小さく笑みが零れる。

 

「それが解れば、充分だよ。最後の最期で、俺はあの子を殺さないという選択を取る事が出来る。それを選べることに、安堵しているんだよ」

「どうして……?」

「あの子を捕らえる事ならばできるだろう。だが、俺にできるのはそこまでだ。ならば、選ばなければならないとおもっていたよ。あの子を終わらせるか。人の悪意によって弄ばせるかを。だが、その前提が崩れるというのならばある意味僥倖だ。死ですら終わりではなく、再び蘇るというのならば、俺はあの子を捕らえる事はしなくて良い。事態が悪化するだけだ」

 

 キャロルを捕らえたその後、どうすれば良いのか。そこまで考えていた。記憶を燃やし力とする錬金術師を拘束する方法など、まともな手段ではありはしない。ならば、その先にあるのはそれほど多い結末では無いだろう。それでも拘束せねばならず、手段に制限は無い。超常を操るモノを拘束する方法など、人の尊厳を壊し、理性を崩壊させるぐらいしか思い浮かばなかった。そして、その後にすらも黄泉返るのだとすれば、事態は悪化するだけである。だから、自分はキャロルを殺す事も確保する事も選ばない事が出来るのだと続ける。

 

「話が聞けて、良かったよ……」

「待ってください。ならば、貴方はどうする心算で……」

 

 やるべき事は決まっていた。エルフナインの問いに、ただ小さく笑う。答える事無く、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『父上は私を庇い、戦われました。異形を、斬って捨てました』

『そうか……。景綱が……』

 

 それは、ただ一人生き残った時の会話であった。ノイズの襲撃から父に守られ、誰かを生かす事を託された後の出来事。警察など政府関係者をはじめとする大人に何度も話をし、その度に父はノイズを斬り裂いたと語ったが、誰も信じてはくれなかった。漸く一門に戻る事が出来、棟梁に呼び出された折、同じ事を語った。棟梁は、話を聞き、ただ瞑目していたのを覚えている。

 

『見事な、生き様であった……』

 

 子を失くした親の言葉。それだけであった。それだけであったのが、救いだった。棟梁は、人にノイズを斬る事などできはしないと、他の大人の様に斬り捨てはしなかった。それだけが、心に残っていた。

 

『父上は、あの人の生き様は如何でしたか? 父上は、貴方を護ってくれましたか?』

『護っていただきました。我らが刃は、生かす為に在ると。そう教えて貰いました』 

 

 それは、母に呼び出された時の言葉である。母は、父の死を聞いて尚、涙を流してはいなかった。ただ自分の目を見詰め、如何であったかと、そう尋ねられていた。護られたと。大切な想いを託されたと、そう答えていた。

 

『そうですか。貴方は、父上に選ばれたのです。だから、胸を張りなさい』

 

 そして、母はそんな言葉を残してくれた。それが、母と話した最後の言葉だった。誇りなさい。父上は自分を選んでくれたのだと、そう伝えてくれていた。そして、己は自死を選んだ。それもまた、選んだ。そういう事であった。自分の前で涙を流さなかった。だからこそ、自分もまた涙を流さない事が出来たのだろう。

 

「……ッ」

 

 夢を見ていた。随分と懐かしい夢である。エルフナインにあのような話をしたからこそ思い出してしまったのかだろうか。

 頭を振るう。全身に不快な感覚が全身を包んでいた。汗が浮き出ている。気付けば、クロが直ぐ傍らにまで来ていた。夜の闇の中で抱き上げる。熱が、胸の中で心地良かった。寝室の窓掛の隙間から僅かに月が姿を覗かせる。静かな夜であった。

 

「心配させてしまったか……?」

 

 こちらをじっと見つめるクロの様子に苦笑が零れる。不意に小さな風が通り抜けた。クロが抱いていた腕から飛び降りる。視線。それを感じた。

 

「……」

 

 瞑目する。月の中で息遣いだけが届いていた。誰が来たのか。それが手に取るようにわかった。視線を向ける。

 

「来て、しまったよ……」

「そうか」

 

 黒猫を抱き上げ、錬金術師が、キャロル・マールス・ディーンハイムが此方を見ていた。クロは、何かを感じ取ったのか、抵抗する素振りも見せず抱き上げられている。沈黙が、夜の寝室に束の間訪れる。

 

「計画は、順調に進んでいるよ」

 

 ぽつりとキャロルが零した。その言葉にただ耳を傾ける。

 

「ナスターシャ教授の残したレイラインマップは手に入り、共同溝や発電設備の破壊により、電気経路の割り出しは完了した。後は計画に必要なものを手に入れるだけという局面にまで進んでいるよ」

 

 キャロルの目的である世界の破壊まで、あと少しの所まで来ていると続ける。

 

「お前は、まだ戦う心算なのか?」

「君を止めてくれと、そう頼まれているよ。ならば、戦うしかあるまいよ」

 

 キャロルの問いに、目を合わせはっきりと告げる。エルフナインにキャロルを止めて欲しいと請われ、その想いが正しいものだと結論付けていた。ならば、答えに迷う事は無い。

 

「終わらない蛇の毒が進み、身体の聖遺物による侵食もまた限界に近い。このまま続ければ、お前は死ぬぞ?」

「死が怖くて、これまで俺が立っていたと思っているのか?」

 

 もう無理なんだと伝える言葉に、それが如何したと笑う。

 

「エルフナインではお前を治せはしない。そんな知識は与えていない」

「そんな事は最初から当てにしていないよ」

 

 エルフナインには無理だという言葉に、最初から知っていたと笑う。そうでなければ、あの自動人形達が放置するはずが無い。絶対に死に至る手を成功させたから、自分を狙うのはやめたのだと解っていた。視線が交錯する。暫し無言で睨み合った。

 

「仮に解毒できたとしても、ネフシュタンがお前を殺す。幾ら童子切を持つとはいえ、聖遺物が奪った身体を取り戻せはしない。お前は生きているのではない。死んでいないだけなんだ」

 

 もう無理なんだと呟く。例え何らかの方法で解毒できたとしても、ネフシュタンの侵食が進み過ぎていた。神獣鏡の光のようなものがあれば聖遺物の力だけを祓う事が出来たかもしれないが、童子切の力では似たような事は出来ても、同じ事をできはしない。フロンティア事変の時の奇跡のように完全に制御化に置かれたネフシュタンならばまだしも、無理やり起動させ暴走状態にあるネフシュタンで命を繋いでいるのが現状だった。生命活動に必要な臓器の幾らかも、既に聖遺物に侵されているとキャロルは続ける。つまり、童子切の力をもって聖遺物を基底状態にまで追い込めば、身体機能が停止するという事だった。錬金術師の説明にただ耳を傾ける。

 

「もう、無理なんだ。例え俺を討ち、世界の破壊を防いだとしても、お前に道は無い」

「君がそういうのならば、そうなのかもしれない」

 

 もう、どうしようもないんだと告げる言葉に頷く。相手は最高峰の錬金術師である。此方を騙す理由もあれば、必要もあった。それでも、真実を告げていると想えた。何度となく自動人形とぶつかり合って来ていた。特別に思われている事ぐらいは、理解している心算だった。

 

「オレの手を取れ……」

 

 不意に手が差し出される。その手をただ見詰めていた。

 

「オレならば、まだお前を助けてやれる。癒してやれる……」

 

 ただ事実を告げ差し出された手。思い違いでなければ、縋るような響きすらも込められている。

 

「その手を取れば、君は命題を諦めてくれるか?」

「ッ!? それは、できない……」

「ならば、俺はその手を掴む事などできはしないよ。託された想いを否定する事など、出来はしない」

 

 だから、問うていた。自分が手を取れば、諦めてくれるかと。答えなど、聞く必要もなかった。キャロルが短く息を呑む。再びの沈黙。不意に、風が流れるのを感じた。

 

「お前ならば、そう言うと思っていたよ。オレの前に立ちはだかると、解っていた。手を取る事は無いと、そう思っていた……」

 

 ぽつりと、キャロルは悲しげに呟いた。その言葉にどんな想いが宿っているのか。視線が再び合う。少女はただ、悲しげに笑った。

 

「次で終わりだ、上泉之景」

 

 そして、そのまま此方の瞳だけを見据え、名前を呼ぶ。

 

「オレは聖遺物の管理区である深淵の竜宮の場所を割り出した。そこに、命題の解明の核となるチフォージュシャトー完成に必要な最後のキーパーツを取りに向かう。ヤントラ・サルヴァスパ。その完全聖遺物が、オレの目的となる」

「深淵の竜宮。そして、完全聖遺物ヤントラ・サルヴァスパ」

「同時に、レイラインの解放の為要石と呼ばれる封を破壊する為自動人形も動かす」

 

 キャロルの言葉を反芻し、忘れぬように刻み付ける。呼ばれていた。明確に、決着を着けようという事だった。

 

「お前がオレの手を取らず、立ち塞がるというのならば来てみろ。そして、止めて見ると良い」

「ああ。止めさせてもらうよ。その為に、戦ってきたのだから」

 

 そして、止めて見ろというキャロルの言葉に笑みを以て答える。それで、充分だった。ゆっくりと、キャロルは抱えていたクロを降ろす。再び、俺の傍にクロが寄り添った。

 

「なぁ、キャロル。一つだけ教えてくれ」

「何?」

 

 そして、この場から去ろうとした錬金術師を呼び止めていた。どうしても聞きたい事があったからだ。目を閉じ、その言葉を探る。

 

「お前の目的は、本当に命題の答えを見つける事なのか?」

「なん、だと……?」

 

 本当に命題の答えが知りたいのかと問いかける。一瞬、キャロルが考え込むが、直ぐ様答えを出したのか口を開く。

 

「そうだよ。だからオレは、数百年間探し続けて来た。命題の答えを知る方法を。パパが何故世界を知れなんて言い残したのかを。どうしてオレに生きる目的を与えてしまったのかを。それが、知りたいんだよ」

「そうか……」

 

 そして、キャロルの答えにただ頷いた。錬金術が発動される。小さな風が吹き抜けていく。そして、光が広がる。僅かな発光。それが無くなった時、錬金術師はその姿を消していた。静寂だけが辺りを支配する。傍らに居てくれるクロ、抱き上げて思考の海に沈む。

 

「馬鹿が。お前の欲しい答えなど、もう出ているでは無いか……」

 

 どうしようもない馬鹿な娘を、父親の代わりに叱りつけなければならない。そんな事を思った。

 

 

 

 

 




切歌、調 ミカを撃破
エルフナイン 武門と自分や家族の話をする
キャロル、武門ともう一度言葉を交わす
武門、戦いに向け、想いを定める








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