幼女戦記 〜旗を高く掲げよ〜 (まよ)
しおりを挟む
第一話
西暦1939年11月。
中央ヨーロッパ、ポーランド総督領クラクフにて。
「装填! 構え!」
太陽の光が眩しいほど差し込める広場で、そんなのどかな陽気とは相容れぬ光景が広がっている。
壁際に横一列に並べられ、目隠しをされた人々。その前に保安警察の一部隊が取り囲むように立ち指揮官の号令によって弾丸を装填すると一斉に射撃体勢へと入った。
あの目隠しをされた哀れな人々はいったいどのような気持ちであそこに立っているのだろうか。
恨み、絶望、諦め、屈辱、復讐、憐れみ、屈服、反発、反抗、さてどれが当てはまるのだろうか。
いや、もしくはそのすべてか。だとするならば、そこには混濁とした理解しがたい感情があるだけだ。
理解ができないのであれば、考えるだけ無駄である。無駄であるならば、存在する必要さえ無い虚無と言ってもいいだろう。
そもそも、こんな穏やかな昼下がり、欧州稀に見る快晴で、二階建てのテラスにあるお洒落なカフェにて、コーヒーを嗜みながら、新聞を開き世の見聞を広めているもっとも充実しているひと時に、もっとも人間らしいひと時に、外を眺めれば人間が撃ち殺されているという、狂気染みた光景を見なければならないのか。
これが狂気と正気が混じり合う混沌とした時代ということか。あぁ、鳥のさえずりと、眩しいばかりの木漏れ日に忘れてしまいそうであったが。そうかそうか、これは戦争であったか。
だが、それでもコーヒーを嗜む時間ぐらいはあってもいいのではないだろうか。
おっと、これは失礼しました。長々と愚痴に付き合わせる形になり、誠に申し訳ない限りです。しかしながら、どうか皆様にもご理解いただきたいのです。共感いただきたいのです。人間のもち合わせる道徳というものが、人道というものが、いかに虚栄で無力なものなのかということを。
あぁ、申し遅れました。皆様、改めまして御機嫌よう、ターニャ・デグレチャフと申します。第三帝国にて、偉大であり崇高であらせられる総統閣下の親衛隊にて、中隊指導者を拝命しております。
「まさにラインハルトの悪夢だな」
まったく。荒廃したワルシャワに飛ばされなかっただけマシだと思っていたが、こんな事ならばそちらの方が良かったと思えてくるな。
日常と非日常の境がないことほど薄気味悪いものはない。
「これは、デグレチャフ中尉ではないかね」
アプフェルシュトゥルーデルに舌鼓を打っていると、フィールドグレーの陸軍型制服に身を包んだ親衛隊将校がこちらに声をかけてきた。
はて、どこかで会ったことがあっただろうか。ベルヒテスガーデンでの会食だろうか。
軍服から察するに戦闘を専門にする親衛隊特務部隊の所属だろう。警察活動などの内政業務を担う一般親衛隊に所属している私とは部署違いである。
私は目立つ。自分で言うのは何だが、有名人と言っても過言ではないだろう。何しろ11歳にして軍服に身を包んでいるのが一番の原因だ。そのため、組織の大抵の人間は私を知っている。しかし、私はそういう訳にもいかないため、ほとんどの場合は覚えているふりをして誤魔化している。
「これは……、大佐。お久しぶりです」
「おぉ、覚えていてくれたとは光栄だ。国家保安本部で会って以来だったが。それよりもなぜ貴官がポーランドに?」
「ヒムラー長官からの辞令がありまして」
「それはご苦労なことだ。そういえば、ベルリンはどうだね? まだ、防諜の件で軍とのいざこざが続いていてはかなわんのだが」
「シェレンベルク中佐のとりもちで何とか事態は収拾がついたかと。まぁ、ハイドリヒ親衛隊中将とカナリス中将殿の仲は依然として荒れてはいますがね」
突然だが私は転生者である。理由は……、それは後々語るとしようじゃないか。まぁ、たっぷりと時間はあるさ。現在は西暦1939年11月の冬だ。何せドイツが負けるまで約5年と6ヶ月もあんだ、はっはっはー。
さて、自虐はここまでにしておこう。本気で虚しくなった。
真面目に話すならば、私は神、いや神というのも虫唾が走る存在Xの八つ当たりによって現代日本から、この世界へと転生させられてしまった哀れなサラリーマンである。
物心ついたのは、私がまだ1歳に満たない赤子の頃である。私は孤児院で育てられたが、8歳からはレーベンスボルンという親衛隊の施設に預けられることとなった。ここはアーリア人の条件を満たすとされた子供を育成する機関である。私も、もとは孤児だったそうだ。父親、母親ともに詳細は不明である。
子供の脳というのは柔軟なもので、すぐにドイツ語を習得することができた。子供はその気になれば誰もが天才になれるのではないかと、我ながら驚愕したものである。大人たちの会話から、この世界が1920年代後半のドイツであることは理解できた。なんとも言いようがない絶望感に襲われたのを今でもはっきりと思い出す。なにせ、このまま何もせずに呑気に暮らしていたら数年後にはパンツァーファウスト片手にみんな仲良くソ連軍に突撃しなければならないのだから。最良の道は軍へと入隊し、功績を上げつつ安全な後方勤務につき、敗戦と同時に軍の機密を手土産げにアメリカへ亡命というものであるが、いくら戦争だからといっても子供が軍に入ることなど不可能であった。軍士官学校の最低年齢にも引っかかれないとは、これほどリアルを嘆いたことはない。そんな私の唯一の救いとなったのが、親衛隊の存在であった。もともと、中級階級からなる親衛隊は貴族やブルジョワなどの上級階級に抵抗する革命勢力であったため、能力さえあれば家柄や年齢を問わずに出世が可能な気質ではあったが、それに合わせてオカルトチックな面を持っていた親衛隊は、子供でありながら大人顔負けの知能を持つ私を特例として士官学校へと引抜いたのである。それに加え、金髪碧眼である私の容姿が彼が掲げるアーリア人という人種イデオロギーにマッチしていたのも救いだったと思う。親衛隊の施設で育ったこともあり、目を付けてもらうのに然程時間はかからなかった。
このお陰か私は親衛隊長官であるヒムラーに可愛がられ、士官学校卒業を機に異例の速さで、中尉にまで昇格することができた。まさに、血と汗の結晶である。
ここまでは、まさに完璧とも言える出世街道を歩んできたわけだが、依然として不安は私に重くのしかかり常にキリキリと胃を締め付けてくる。
この歳で胃痛持ちとは、まったくもってお笑いである。このままでは年端もいかずに胃ガンで死んでしまいそうだ。
現段階で、この世界が私が生きていた未来と通じているのかは分からない。もしかしたら、極めてよく似た平行世界なのかもしれない。
しかしだ、国際情勢を考えてみれば昔、中高生の頃に習った歴史そのままであるのが私を落胆させている。私の知る歴史通り、先のドイツ帝国は一次大戦で敗れ、後にヒトラー率いるナチスドイツが台頭し、新生ドイツ軍によるポーランド侵攻が開始、これに勝利した。
そして私は親衛隊員としてポーランドの地を踏んでいる。
そう、何が最も絶望的なのかをあえて言おう。それは、かの悪名高き親衛隊に私が所属しているということである。史実通りにいけば、5年6ヶ月後の1945年5月に連合国の圧倒的物量の前にドイツは敗戦し、ナチスは崩壊を迎える。そうなれば、私はニュンベルクの空の下、首を吊るされる羽目になるのだ。親衛隊の悪行など子供でも知っているというのに。
正直言って最悪だ。未来に待ち受けるものを知りながら、それに甘んじなければならないとは。
今すぐにでも逃げたい。だが、しかしだ。ナチスは、特にこの親衛隊という組織は裏切り者や臆病者に容赦をしない。今更逃げ出す算段などしてバレようものなら死の列車でアウシュビッツへgoである。いや、その場で銃殺になるだろうな。
だが、全てが史実と一致しているわけではない。ドイツがポーランドへ侵攻したにもかかわらず、イギリスとフランスが宣戦布告を行っていないのである。そう、未来はまだ不確定である可能性も大いにあるのだ。私は私の知り得る知識を使いこの世界を生き延びてみせる。
だからこそ、私は親衛隊という国家の中核を担う組織の中で出世をしなければならないのだ。地位さえ手に入れれば、前線に送られることもなく、ある程度自由に動けるばかりか、周りへの影響力を持つことができるのだ。
その為にも、上司からの命令は完璧に遂行しなければならない。ここでしくじれば未来などありはしないのだから。
「では中尉、私はこれで失礼させてもらうぞ」
おっと、少し考え過ぎてしまっていたようだ。
大佐の声で我に帰ると、彼はすでに軍帽を被り手袋をはめながら、帰り支度をしていた。
去っていく大佐を私はナチ式の敬礼で送り出す。
さて、そろそろ私も行くとしよう。楽しい楽しいお仕事の時間である。
私は横の椅子の淵にかけていた軍帽を手に取るとテーブルに代金を置いて店を出た。
幼女戦記×ナチス……。
ついに書いてしまった。
ちなみに親衛隊特務部隊は後に武装親衛隊へと発展した部隊です。
誤字脱字などがあれば、よろしくお願いします。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
第二話
いじめは悪いことですか? と問えば、悪いことだと答える。
いじめは仕方ないことですか? と問えば、そんなことはないと答える。
いじめを正当化することはできますか? と問えば、絶対にできないと答える。
いじめを正当化する人をどう思いますか? と問えば、理解不能だと答える。
では、なぜいじめは無くならないと思いますか?
ーーーーーー。
唐突な質問から始まり誠に申し訳ない限りです。
しかし、許していただきたい。窓の外で、ユダヤ人のヒゲを笑いながら切り落とすゲシュタポの姿を見て、くだらぬ感傷に浸らざるおえなくなった哀れな少女なのですから。
まぁ、私も彼らのお仲間ですが。
こんにちはターニャ・デグレチャフ親衛隊中尉であります。
誠に恐縮ではありますが、皆様には少々、私の回想録にお付き合いいただきたく思います。
小中学生の頃、道徳の時間というくだらないものが存在したことを皆様は覚えているでしょうか。
私も昔、初老の教師からありがたいお話をご教授いただいた経験があります。
いじめは悪いことです。差別はしてはいけません。皆、平等なのです。と言ってはいたが、これと言って感銘を受けることはなかった。そして、これと言って反感も抱かなかった。いじめや差別がいけないことなのは知ってもいるし、当たり前だという万人共通の意識もあった。だが、実感は持てなかったし、別段どうでもいいとすら思っていた。
幸い私のクラスは平穏だったが、ある事件をきっかけにそれは崩れた。
とある女子生徒が親に買ってもらったであろうブランド品を自慢げに見せびらかしたのだ。
それは、数万円としないちょっとしたネックレスであり、私は特に気にもとめていなかったのを覚えている。
そもそも、男であった私にはそれを身につけるという行為に意味を見出せなかった。そもそもなぜ女という生き物は、自分を着飾ることにばかり気を使うのだろうか、とさえ考えていた。
大人になってみて理解できた。理解したというようも受け入れたのだ。男と女は違うのだと。そうしたいからそうしているのだ。その逆もまた然り。それに気づくのに、だいぶ時間を要したのはまだまだ私が未熟だということなのだろうか。できる男は、それを分かった上で付き合っているのだろう。
まぁ、幼女となった私には今となってはどうでもいい話である。
ああ、これは失礼。くだらない話をしてしまいましたね。
では、話を戻して。
買ってもらったものを自慢したい。子供なのだから尚更、それは理解できるのだが。世の中には自分以上の存在に対し妬みや嫉妬を持つ者がいる。まさに欲深く陰湿な人間の闇だ。
陰口から始まり少しづつ得体の知れないそれはクラスを蝕み始めた。
ゆっくりと侵食し一人また一人と生徒を取り込む。目には見えず感じることもできない不気味な存在。
そして、ついに女子生徒へのいじめが始まったのだ。はじめはただのからかい半分の冗談だったのだろう、誰かが女子生徒……仮にAさんとしよう。
他クラスの生徒がAさんを遊びに誘うために話しかけたときだった。
それに対してある生徒が、Aさんを指さしてこう言ったのだ。「こいつお嬢様だから、庶民の俺らとは遊べないんだってさ」と。その場では、そう発言した生徒の仲間が笑っているだけで、周りの子供はあまり関心を持っていないようだった。そのはずだった。
次の日、クラスの生徒たち、特に女子生徒がAさんを避けるようになった。ある者は嫌味を言い、ある者は無視をし、ある者は陰口を叩く。それは、次第にエスカレートしていきついにはAさんはクラス中からの嫌われ者となったのだった。Aさんと親しかった者たちは自分たちに火の粉が降りかかるのを恐れ距離を置いた。中には積極的にいじめに加担する者も現れた。誰もそれを止める者はいなかった。
「Aはお嬢様でわがままだから、クラスのことに何も協力しない」
「Aがコンクールで優勝できたのは親のコネだ」
「Aは大人から贔屓されている」
「Aは自分たちの疫病神だ」
根も葉もない噂がクラス中に蔓延していた。
そして、Aさんはついに学校へ来なくなってしまった。
ここまでならよくあるいじめの構図であるが、私が一番興味深いと感じた事は、あれ程までにAさんのことで、グループの況してや男女の垣根を超えて盛り上がっていたクラスが、一瞬にして普段通りのよくある一般的な中学生の一クラスへと元に戻ったのである。いじめという行為が生徒たちの一貫した意識となり、団結を生んでいたのだろう。
実行者がいれば傍観者も現れる。人の不幸は蜜の味というが、その傍観者たちも、その状況を楽しんでいるのは確かだった。
いじめに積極的に参加していなかった傍観者たちも含め確かに彼らは一つの目的のもと団結したのだ。もしかしたら、傍観者の中には助けようとした者もいたのかも知れない。しかし、クラスには、自分たちは正しいことをしているとまではいかないが、間違っていないといった雰囲気があった。その雰囲気に楯突ける勇者はいなかったのだろう。分からなくもない。そんな空気の中でいじめは悪いことであると正論を述べでもすれば、次の敵は自分になってしまうのだから。それが外部から切り離された閉鎖的なところであれば尚更だ。利口な人間ほど場の空気に流されるものである。
集団心理というものは、個々の人間の感情を麻痺させる。自分たちが作った雰囲気に自分たちが飲まれ、戻れなくなってしまうとは、とんだ皮肉である。道徳の概念が歪められ改変されてしまったら最後、その概念を自己で修復する事は不可能である。
数日後、Aさんの両親によっていじめの存在が暴露されることとなり、指摘を受けた学校側の調査によっていじめを主導した主犯格の生徒たちだけに罰が下されて、めでたしめでたし。
公平や平等なんてものは、仲間だと認められたことを前提に与えられるものであり、その前提すらない者は虐げられてしまう。
不道徳だとされることが、美化されあまつさえ道徳的であるとまでされる世界。国によって道徳の概念が作り変えれ、弱い者を排斥することに名誉さえ与えられる場所。それが、我がドイツ第三帝国なのである。
私の知る史実によれば、そんないじめっ子クラスドイツを糾弾したのがアメリカ先生を筆頭とする連合軍教師陣というわけだ。
だがしかし、現段階で私はドイツ人でありドイツの正義の担い手として振舞わなくてはならない。なぜなら、そうしなければ、この国では生きていくことができないのだから。
総統こそが我々の正義なのだ。
「忠誠こそ我が名誉、か」
「中尉?」
「ああ、いや。何でもない。少しばかり考え事をしていただけだ。何、つまらぬ自問自答さ。気にすることはない」
「さて、軍曹」
「はい」
「例の命令書は届いているかね?」
「はっ。ヒムラー長官からです。直筆のサインも添えられています」
「それはありがたい。長官には、あとでお礼申し上げねばならないな」
相変わらず、仕事が早くて助かる。勤勉さはドイツ人の美徳の一つだな。
私は、副官から手渡された命令書と、同封されていたファイルに不備がないかを念のために確認する。
「あの、中尉」
「何だ?」
「いえ……」
「だから何だね? 安心しろ、この書類を見て感じた程度の疑問を述べたところで銃殺などされんよ」
「そのリストはいったい?」
「希望だよ」
「……希望でありますか?」
そう、希望だ。
リストにはずらりと技術者、研究者の名前が載っている。皆、我々ナチスの手を逃れるためにポーランドへと亡命した者たちだ。
もちろん、亡命者と言うのだからユダヤ人がその大半である。彼らの頭脳は非常に優秀である。それ故に絶対に逃すわけにはいかないのだ。何としてでもアメリカへ逃れる前に何とかせねばならない。
「今に分かるさ。さてと、仕事に取り掛かるとしようじゃないか。何せ2週間後にはベルリンへ戻らねばならないからな」
私が唐突にコーヒーカップをテーブルへ置くのと同時に、副官は慌てたようにコートを私の肩に羽織らせた。
司令部へと出向いた私は長官からの命令書を持参しているということもあり、ほとんど待たせられることもなく司令部の執務室へと通された。
自分の背丈よりも遥かに高い扉の前に立ち、少しばかり息を吸って気を取り直す。
「失礼します」
紫煙をくゆらせている司令官がこちらに目を向けた。
「ハイル・ヒトラー!」
右腕を突き出し軍靴の踵で音を鳴らして敬礼をすると、司令官も同様の敬礼でそれに応える。と言っても、右腕を軽く上に振り上げた程度の簡単なものだ。兵士や下士官がいれば別だが、ここには彼と私しかいないので、そこまで格式張ったことをする意味はないのだろう。
「ハイル・ヒトラー。中尉、ご苦労だったな」
「いえ。司令官へ長官からの命令書をお持ちしました。こちらを」
司令官は差し出した命令書をタバコを咥えたまま受け取ると、ところどころ朗読しながら内容を目で追っている。
命令書の内容はこうだ。
東親衛隊及び警察高級指導者司令部へ。ポーランド国内において在住または潜伏中の全ユダヤ人科学者及び技術者及び数学者を逮捕せよ。
上記の目的達成の為ならば、如何なる手段を講じることも許可する。
「ーー親衛隊全国指導者及び全ドイツ警察長官ハインリヒ・ヒムラー。ふむ、確かに長官、直々のお達しのようだ。しかし、連絡将校でない貴官が来たと言うことは」
「はっ。長官から命令の実行指揮を、と仰せつかっております」
「……よろしい。では、ただいまより貴官を指揮官として任命しよう。義務以上の働きを期待しているぞ」
しれっと時間外労働を強要してくるのはどうかと思うが、残念なことに労基は存在しないのだ。
まぁ、あったとしても戦時下できちんと機能するとは思えないが。
「謹んで拝命致します」
「手の空いている人員をそちらに回す。編成は自由にしたまえ」
「はっ。捕らえたユダヤ人の身柄は随時、本国へと移送することになります」
「優先的に中尉の命令が通るようにしておこう」
「ありがとうございます。では、私はこれで」
司令部から出た私の顔を冷たい風が撫ぜる。
11月、すでに秋は終わりを告げ、街は初冬の様相を呈している。澄んだ空気に私の白息が滲み、風に掻き消される。ああ、世界は醜い戦争を繰り広げているというのに。と、余計な考えを振り切って歩き出す。
せいぜい前線へ送られることがないように、給料以上の働きをするとしよう。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
第三話
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。
私は共産主義者ではなかったから。
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。
私は社会民主主義ではなかったから。
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。
私は労働組合員ではなかったから。
彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった。
私はユダヤ人ではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。
マルティン・ニーメラー
ポーランド総督領某所。
「進行状況はどうだ?」
「現在リストに記載されていた人物の半数以上は拘束しました。しかし……」
「何だ?」
「我々の制止を聞かず逃亡した者はやむなく射殺したとのことです」
「そうか。彼らの知識が敵国に渡らずに済んでよかったな」
「…………」
「何だ?」
「いえ、報告は以上です中尉」
「ご苦労」
列車から立ち上る蒸気が顔をかすめて消えていく。
ゲットーへと移送されるユダヤ人たちが、冬の寒さに首をすくめながら、貨物車へと歩みを進めている。
彼らが、下を向き歩く理由はこの寒さだけが原因ではないだろう。そう、彼らは知っているのだ。自分たちがどうなるのかを。どのような扱いを受け、どのような最期を迎えるのかを。想像ができてしまうのだ。周りを取り囲む、兵士たちの表情から、前へと歩みを進める同胞たちの表情から、詰め込まれる明かりもない貨物車の暗闇から、この場を包み込む異様な空気から。必然的に感じ取ってしまうのだ。
人間は頭が良い。いや、学力的に見れば優劣がつくのは当たり前である。天才もいれば文字すら書けない者もいる。これは生物学的なことだ。人間は地球上に存在する生物の中で、随一の知能を持っている。だからこそ、ほんの少しの雰囲気を感じ取り、容易に想像してしまう。
あぁ、本当に神は残酷なことをする。このような運命にある者たちにまで、優れた知能を持たせるとは。
本当に神が人を救いたもう存在ならば、今すぐにでもこの人々を救うべきなのではないだろうか。
願わくば彼らに安らかな最期があらんことを祈ろう。
これはまごうことなき人間の罪なのだ。
しかし、よくよく考えてみれば。
神が人を創ったと仮定しよう。
つまり神は人間という製品の製造主ということになる。神が人間を完璧に創ったとするならば、人間は罪を犯すことはない。
人間が罪を犯すということは、人間という製品に不具合があるということだ。不具合があるということは、人間という製品に欠陥があるということである。
では、そんな欠陥製品を製造した責任者は誰か。
もちろん製造主の神にあると言える。
しかし、神が責任を取ることはないのだろう。人間ですら、製造責任というものを負うというのに。いよいよもって神という存在に嫌気がさす。そんな無能であるならば、さっさとその役職から退いていただきたいものだ。
これが会社であれば、役員会議やら株主総会やらで即刻クビを言いわたすことができるのだが。僭越ながら、神界にも会社制度の導入を提案させていただきたい。
しっかりと会社制度を整えることができれば無能な神などすぐにでもリストラしてやる。
責任者はもちろん私だ。格式張った大会議室で部屋いっぱいに広げた円卓の上座から、カビの生えるような下座に、座らせることもなくポツンと立たせた神に私自ら引導を渡すなど、なんと心地の良いことだろうか。考えただけでも、心が晴れやかに澄み渡り清々しい。
ああ、いい! 実にいい!
この世界へ飛ばされ、苦節11年。今までろくな思考もすることがなかったが、今回ばかりは馬鹿げた妄想だとしても本当に愉快だ。
「あの、中尉?」
「……どうした?」
「いえ、ご気分でも? お身体が優れないようならすぐに車を回しますが」
自分がどういう表情だったのかなど、覚えているわけもなく。部下に心配をされるなど、上官として不甲斐ない極みである。
「軍曹」
「はい」
「リストから射殺またはその他の理由によって死亡した者を削除しておくように。報告書に不備があることだけは避けろ」
「はっ」
「残りの者については、捜索に全力を尽くしたまえ」
「承知しました。しかしながら、残りの者については有力な情報もなく。すでに捕らえられたユダヤ人の中に紛れている可能性が高いかと」
もちろんのことながら、命令書に該当する者ならば名乗り出るようにということは、この場にいるユダヤ人たちには、監視塔に立て付けられたスピーカーで伝えられているはずだ。
敵へ協力するくらいならば、といったところだろうか。もしもそうだとするならば、無意味な抵抗であると言える。
「……全員、妻子持ちか?」
「は?」
「だから、残りの者たちに家族はいるのかと聞いている」
「そのようですが、それが何か?」
「では、貨車に向かう列の右横に張り紙を立てろ。内容は、そうだな。該当する者は、家族とともに右へ、だ。分かったか?」
ほら、気高き無力な抵抗者諸君。君たちに優しい私からの、心ばかりのプレゼントだ。
貨車へと詰められるユダヤ人たちに、人権というものは存在しない。物として扱われるのだ。一台の貨車に乗せられる人数など、どれほど詰め込んだところでたかが知れている。
効率化を図るためには、規定量を迅速に積む必要があるわけで、そうなればいちいち家族などという概念に囚われている場合ではない。
一台の貨車に規定量を積み終われば、例え先に子供を乗せてしまったとしても親を同じ貨車に乗せる必要などないのである。
例えば、家畜の豚を輸送するときに、可哀想だからと、つがいをわざわざ同じトラックに乗せはしないだろう。
それを、正直に申し出た者には家族と引き剥がさないと保証するのだ。己の信念と家族と、どちらを取るのかは彼ら次第であるが、該当者を手っ取り早く選別するのにはそれなりに有効な手段ではないだろうか。
「はっ」
「偽って申告をした者については、現場責任者の判断によって処理するように」
偽った者たちがどうなるのかは、皆さんのご想像にお任せするとしよう。
あくまでも彼らが総統のご意向を忖度したに過ぎない。
「いいか。くれぐれも取りこぼしがないようにしろよ。……もし、不明者が出たとして、それ相応の理由を報告書にまとめて提出するように」
もとより全員の身柄を確保できるとは考えていない。一定程度の人数を捉えることができればいいのだ。敵国に流れさえしなければ後はゲットーや収容所に送られようが、のたれ死んでいようが関係ない。
すでにリストの最重要人物はこちらの手の中にある。他のおまけのような連中を数人取り逃がしたところで、それらしい報告書を提出すればどうにでもなるのだ。
作戦は概ね完了、それではベルリンへと戻るとしよう。
1939年、私の知り得る歴史ではすでに第二次世界大戦が勃発していなければならない年度である。
ドイツのポーランド侵攻後、直ちに英仏が宣戦を布告し、第二次世界大戦が開始されているはずである。
ただし開戦初期は英仏ともに積極的な派兵はせず、ヒトラーも次の作戦準備に移ったために数ヶ月間陸上戦闘がほとんど皆無という不可思議な状態であった。
ちなみに、フランスでは奇妙な戦争、イギリスではたそがれ戦争、そして我がドイツでは座り込み戦争と呼ばれていた。
だが今はどうだ。この世界線において、英仏はドイツへ対し戦線の布告を行なっておらず、ドイツと交戦状態にある国は現段階で存在しない。
しかし、このまま列強がドイツを見逃すとは思えないし、ヒトラーがここで侵略を止めるとも思えない。今、世界にくすぶっている火種は必ず大戦へと発展するに違いはない。それが少しの間、先延ばしにされたに過ぎないのだ。戦争となればまず短期終結は不可能である。フランスを破ることはできるだろうが、その後に待ち構えるのはイギリス、ソ連、アメリカといった大国ばかり。海軍力で劣るドイツがドーバーを超えイギリスへ兵を進めることなどできるわけがない。イギリスにすら勝てない我々がソ連、ましてやアメリカに勝てるはずがないだろう。
すでにヒトラーは北欧侵略の準備を完了させつつあると聞く。そうなれば今度こそ英仏は黙っていないだろう。一度、戦火が開かれれば後は芋づる式に大国が参戦するはずだ。すでにドイツの敗北は既定路線だ。だが、私はそんな行き先地獄の特急列車になど乗るつもりはない。
まだ可能性はある。確かに世界情勢は私の知る歴史と酷似しているが、時系列に若干であるがズレがある。その小さなズレをうまく利用できれば、私が生き残る可能性は皆無ではないのだ。
そうだ。その為に私はーーーー。
「中尉、到着しました」
「……ご苦労」
やれやれ、また考え過ぎてしまったようだ。考えてみれば、ゆっくり睡眠をとったのはいつのことだろうか。
こんな生活が数年も続くのかと思うと頭が痛くなる一方だ。
車のドアを開け、軍帽を被り直す。車を横付けした建物の扉を開くと広いエントランスの手前に受付が設置されている。
「親衛隊のデグレチャフ中尉だ。局長にお会いしたいのだが」
「身分証を拝見します。……少しお待ちを」
警備兵が私の身分証を確認すると、電話を手に取りダイヤルを回した。
「どうぞデグレチャフ中尉。奥へお進みください」
身分証を胸ポケットに押し込み、指示された通り奥へと向かうと、突き当たりにある執務室のドアが開かれた。
「失礼します」
「中尉か。ポーランドの件はご苦労だったな」
「ありがとうございます」
「長官も大変感心されていたよ。あぁ、そこにかけてくれ。楽にしてくれていい」
「はっ」
「中尉はコーヒーでいいかね?」
「はい」
そう告げると給仕が私の前にコーヒーを持って現れた。
ここは親衛隊本部、兵器局である。親衛隊特務部隊の兵器の調達や兵站を担っている部局である。
「中尉、君の論文を読ませてもらったよ。新兵器による戦術及び戦略ドクトリンの変容、そして使用兵器の最適化。実に興味深いものだ。よく書けている」
「過分な評価を頂きありがとうございます」
「中尉、君はこれが今後の戦争の体系だと思うのか?」
「はい。戦争は常に変化し続けてきました。マスケット銃を使用した戦列歩兵、機関銃の使用による塹壕戦、それを打ち破るための戦車を使用した機動戦。このことからも、戦争は新たな兵器の登場によって変化したと理解できるでしょう。そして勝利はその新たな力を手に入れられるかどうかにかかっているのです。むろんその変化はこれからも変わらずに起こり続ける。世界はすでに動き出しています。我がドイツはその変化に乗り遅れるわけにはいかないのです」
「核分裂を利用した新型爆弾か。……確か、陸軍ではすでに科学者の招集を検討していると聞くが」
「陸軍内部では、いえ軍隊という組織の性質上、前例を踏襲するという特性があります。故に新兵器の導入には我が国を問わず懐疑的になる傾向が強い。そうなれば開発は大幅に遅れるはずです。そうなる前に親衛隊が主導権を握るべきです。我々が新兵器研究の全般を担うことができれば必ず戦局を有利に動かすことができる」
出されたコーヒーが冷めるのも気にせずに私は局長へと訴えかけた。国力で劣るドイツが生き残るためにはこれしかないのだ、と理解してもらうことができれば活路が見えてくる。
兵器研究に関わることができれば、情報と引き換えに私は生き残ることができるはずだ。その為には何としても諦めるわけにはいかないのだ。
「ふむ。中尉は本部が近々再編されることを知っているか?」
「いえ。初耳であります」
「そのときに研究部門の新設を進言してみるとしよう」
そうだ。それでいい。まさに私が期待していた答えである。
自分の頰が釣りあがっていくのが分かる。これは、果てしない絶望の中で、かすかに見えた希望の光なのだから。
「ありがとうございます!」
あぁ、今日はゆっくりと眠れそうだ。
こちらの投稿を再開しようか検討しております。
ナチ系で、コアに書くか、ミリオタ以外の皆様にも楽しんでいただけるライトな方針で行くか悩みどころです…
目次 感想へのリンク しおりを挟む