二人の死の王 (深きもの)
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第一話:別離

 光を飲み干したような黒曜石の円卓に、二人の男が座っていた。

 一人は漆黒のローブを身に纏った大柄な骸骨。空虚な眼窩には生命への憎悪を宿した赤い光が灯り、諸所が人間とは違った骨格がローブを内側から盛り上げている。

 もう一人は同じく黒い不定形の塊。どろどろと流動する粘体はまさしくスライムと呼ぶに相応しく、その悍ましい外見は見る者に不快感を与える。

 死の支配者(オーバーロード)古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)と呼ばれる種族だ。どちらもDMMO-RPG「YGGDRASIL(ユグドラシル)」プレイヤーが選択できる異形種の中でも最上位に位置する種族だ。強力な魔法を使う死の支配者、武具防具を劣化させる古き漆黒の粘体は最高位難易度ダンジョンで見かけられるモンスターだが、この二人はAIで動くモンスターではなくプレイヤーだ。

 粘体はその不定形の肉体を人間のような仕草で動かしながら呟く。

 

「いやー、本当大変ですよ。時間の感覚ももう曖昧ですが、日に日にブラックっぷりが増してます」

 

「このご時世、転職もままなりませんからねえ……せめて給料でも上がればいいんですが」

 

「ないですないです。そこそこ務めてますけど、ボーナスなんて片手の指で数えられますし、昇給なんて一度もないですよ」

 

 化け物二体の会話は現実世界での愚痴話だ。両者ともに社会人だからだというのもあるが、粘体は長らく愚痴を溢せる環境にはいなかったようで、流れるように、とめどなく自らの黒い日々を語る。

 骸骨も初めは愚痴り合いに参加していたのだが、この粘体、想像以上に自由のない生活を送ってきたようだ。話の内容に軽く引きながら、いつしか聞き手に回っていた。

 と、その時。粘体の首――――と思われる部分――――がぐわんと揺れ、彼の愚痴が止まった。そしてそのまま俯いてしまう。

 

「あれ? ヘロヘロさーん?」

 

 死の支配者が粘体、ヘロヘロに呼びかける。しかし彼は答えず、少しして寝息のような息遣いが聞こえ始めた。

 寝落ちだ。

 

「あちゃー……本当に疲れていたんだな。申し訳ないことしちゃったかな」

 

 骸骨、モモンガは小さく詫びると、自身の席から立ち上げり、背後の壁に飾られている金色の杖を見やる。

 七匹の蛇が絡まり合うその形状はヘルメス神の杖(ケーリュケイオン)をモチーフに作られており、蛇たちの口には色違いの宝石がそれぞれに銜えられている。握りには青白い光を薄っすらと放つ宝石が三つ埋め込まれており、杖全体から尋常ならざる力を感じる。

 ギルド〈アインズ・ウール・ゴウン〉の全盛期の象徴。ユグドラシル廃人を自負するモモンガをして「最高の武器」と呼ぶギルド武器。

 

「――――スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン」

 

 かつてのギルドメンバー四十一人全員が一つになって作り上げた、これ以上はないと言える逸品だ。その秘められし力、能力は全てギルド長であるモモンガが振るうことを念頭に置かれて製作されている。

 だが、ギルド武器とはまさしくギルドそのものを表すものであり、この武器の破壊はギルドの崩壊を意味する。万が一が恐ろしくて、結局一度も使われたことのない武器だ。それに、アインズ・ウール・ゴウンは多数決により方針を定める。自分専用とも言える武器とはいえ、今まで使う気にはなれなかった。

 その時、息を吸うような小さな音が聞こえた。視線をスタッフからヘロヘロに戻すと、彼の姿は消えていた。ギルド内チャットには《ヘロヘロ さんが自動ログアウト しました》というシステムメッセージが残されている。

 DMMO—RPGは脳内のナノマシンを媒介に仮想世界を現実の様に体験できるゲームだ。だが現実世界の利用者に何かしらの異変――――排泄であったり空腹であったり――――などが起きると、警告文が表示され、一定時間経過後強制的にログアウトされる仕様になっている。これは法律で定められており、ユグドラシルも当然システムに盛り込んでいる。

 ヘロヘロの場合は深い睡眠状態に陥った為であろう。かなり疲労していたのは間違いないようだ。

 

「お疲れ様でした、ヘロヘロさん。楽しかったです」

 

 いなくなった友人に別れを告げ、モモンガはスタッフを見つめる。

 

(そうだ……楽しかったんだ、本当に…………俺にはもう、この世界だけでいいって、思えるぐらい)

 

 ユグドラシルはゲーム史に燦然と輝く名作の一つだ。

 基本職だけでも二〇〇〇を超える職業の数々。多種多様な亜人種、異形種。自分だけのキャラクターを生み出せ、クリエイトツールを用いることで武具防具やアイテム、服装の外装を自ら製作でき、ギルド拠点を始めとした住居拡張機能。一つ探索するだけでも数年はかかると言われた九つの世界。異常なまでに高い自由度は、日本を中心としたユーザーを虜にし、爆発的な人気を誇った。

 だが、それも発売から十二年も経てば廃れるものだ。次々とより美しく、より広大で、より爽快感のあるタイトルが続々と登場した。ユグドラシルはその中にあっても輝きを失わない作品ではあったが、その輝きに陰りが生じたのは否定できない事実だ。

 一人、また一人とユーザーの数は減っていった。アインズ・ウール・ゴウンも例外ではない。元々社会人ギルドなのだ。現実(リアル)を優先する者が出てくるのは当たり前だし、中には自らの夢を叶え、大成したメンバーもいる。

 だが、モモンガは現実に希望を見出せなかった。両親の献身によって小学校までは卒業できたおかげで一般的な企業に就職できたが、それでも生活は苦しかった。モモンガは常に搾取される側の人間であり、家族も友人もいなかった彼にとって、現実に生き甲斐を見つけることは難しかったのだ。

 だから仮想世界にのめりこんだし、だからそこで得られた友人を大切にした。育んできた友情を大事にした。ネットの関係だろうと、モモンガにとってそれは何よりも尊いものだったのだ。

 

 ――――だからこそ、モモンガはユグドラシルのサービス最終日でも、こうしてログインし続けた。

 

 いつかきっと戻ってきてくれる。ひょっとしたら戻ってきてくれるかもしれない。戻ってこなくても、このアインズ・ウール・ゴウン(思い出)だけは消したくない。

 毎日、ログインしては単独でも効率的に狩れる場所で資金を集め、ギルドを維持した。ギルド拠点〈ナザリック地下大墳墓〉は都市型のギルド拠点とは違い自給自足ができない。強固な防衛力を持つ弊害と言える。

 モモンガはもう数年間、ギルドを生かし続けるだけの歯車のような行為を繰り返していた。

 

「でも、それも今日で終わりか…………最後に顔を見せてくれた人がいただけ、マシか。それだけでもここを、ナザリックを守ってきた甲斐があったというものかな?」

 

 ぽつりと呟きながら、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンに手を伸ばす。死者の怨念が具現化したようなおどろおどろしい外装効果(ヴィジュアルエフェクト)が現れ、使い手であるモモンガを歓迎するかのように握りしめた骨の手に纏わりつき、霧散する。

 作り込んででるなあ、と感嘆しながら、外装担当だったメンバーを思い出す。見た目だけならモモンガと非常に似通っていたアンデッドの異形種プレイヤーだ。残ってくれたメンバーの中でも比較的ログイン率が高く、月に一度くらいは顔を出してくれていた。そのメンバーが、スタッフの外装製作に携わっていたはずだ。

 

「確かエフェクトの担当だったかな――――」

 

「――――ばんはーっす。遅れてすいません……って、モモンガさんだけか」

 

 そこで、新たな人物が円卓の席に現れる。擦り切れた襤褸のような黒のローブ。そこから覗ける顔と手は骨。頭蓋骨はモモンガのような諸所が尖っていたり、妙に細長かったりはしない。外套から分かる体格――――骨格? ――――も、肩幅が大きかったり、肋骨が巨大だったりもしない。一言で例えるなら、「普通の白骨死体」である。勿論、人間のだ。

 眼窩には蒼褪めた光が灯され、その存在しない『眼』がモモンガを見やる。

 

「お久しぶりです、チェルノボグさん。てっきり、今日は来れないものかと」

 

 ギルドメンバー、チェルノボグ。死神系の種族の最上位である死の具現(タナトス)まで取得したアンデッドのプレイヤーである。

 主に嫌がらせと即死、首切り(ヴォーパル)やクリティカルを主眼に置いたロマン型ビルドのプレイヤーで、死霊魔法を始めとした魔法詠唱者として突き進んだモモンガとは似て非なる死霊使い(ネクロマンサー)だ。

 

「お久しぶりです。いやー、確かに色々ごたついたんですが、流石に最終日はここで迎えたかったんで…………それで、誰か来ました?」

 

「さっきまでヘロヘロさんがいましたよ。だいぶお疲れだったみたいで、寝落ちしてそのままアウトしちゃいましたが」

 

 あちゃー、と顔に手を当てがって仰け反る仕草をするチェルノボグ。AI担当のヘロヘロと彼はよく談笑していた仲だ。挨拶ぐらいはしたかったのだろうとモモンガは思った。

 モモンガは久しぶりに見た仲間の姿を眺める。本体は人間ベースの骸骨だが、身長はモモンガより高い。大きい身体を持つプレイヤーには体力、攻撃力、防御力や各種範囲攻撃にボーナスがかかる。代わりに当たり判定も大きくなる為、巨大な体格にしているプレイヤーはあまりいなかった。親和性が高かった神話生物(モンストロルム)戦巨人(フォモール)などのプレイヤーなどは十メートル以上にまで巨大化していたが。

 身に纏う襤褸は、見た目に反して防御能力に特化しており、種族特性も相まって物理攻撃に対して完全耐性に迫るほど優れた性能を発揮している。その十指に嵌められている指輪は一つを除いてチェルノボグの戦闘スタイルを支える神器級(ゴッズ)アイテムであり、彼だけの為の装備だ。

 手足に絡むように靡く帯は彼の攻撃力を大きく引き上げ、小さな頭蓋骨の眼窩に宝石がはめ込まれたネックレスには弱点への耐性と自身に掛かる強化(バフ)効果の増幅が、デリーという高位鉱石で作られた冠には強力な足止め系の能力の数々が込められており、今は持っていない武器も全てが一級品。モモンガと同じく、全身を神器級アイテムで整えた立派な一流(廃人)プレイヤーだ。

 チェルノボグのそれはモモンガと同じくロールプレイを重視したビルド構成を補う為、専用とも言えるほどピーキーな装備だが、その効果は強力の一言に尽きる。

 

「あれ? スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンじゃないですか! とうとう持ち出すんですね!」

 

 チェルノボグは嬉々とした声音でモモンガの持つ杖を見ている。やはり自分が作ったアイテムが使われているのは嬉しいのだろうか、モモンガの知る彼よりも今日は幾分上機嫌だ。

 モモンガは照れたように頭を掻きながら、誤魔化すように笑う。

 

「いやあ、ははは……今までは中々踏ん切りがつかなかったんですけど、最後なのだから、とね…………や、やっぱり、駄目ですかね? 皆で作ったものを私一人だけで持ち出すのは…………」

 

「そんなことはないでしょう。それはモモンガさんの為だけに作られた象徴です。むしろ私はいつ手に取ってくれるのかとずっと思ってましたよ」

 

「それは……申し訳ないです。どうしても、自分一人の為に使うのは後ろめたくて」

 

 まあそれがモモンガさんらしいや、と言ってチェルノボグも立ち上がる。そしてその手と背後に一本の大剣と三本の大鎌を取り出すと、少し気取ったように言った。

 

「それじゃ、玉座へ行きましょうか。我らが死の王よ」

 

 

 

******

 

 

 

「なるほど、ヘロヘロさんも苦労してるなあ。というか一度も昇給したことないってマジか…………」

 

「医者にかかる一歩手前だって言ってましたけど、多分無理してるんじゃないかと思います。正規の病院はかなり高額ですし」

 

「うわー有り得るなそれ。大事にしてほしいですね」

 

 玉座に向かう間、二人の骨はすれ違いになったドロドロ、もといボロボロ、あるいはヘロヘロのことや、現実での取り留めもない話題に花を咲かせていた。

 モモンガはチェルノボグの職業を聞いたことはないのだが、意外と裕福なのだろうというあたりは付けていた。彼からはヘロヘロのような仕事の愚痴を聞いたことがないからだ。どちらかといえばそういった話題にはあまり参加していなかったような気もする。

 少し気になったが、ここで聞くのは野暮だと思い留まる。それに、玉座はもう目の前だ。

 

「あれ? アルべドのアレ…………」

 

 チェルノボグが思わずといった風に、玉座の側に控える純白のドレスを着た悪魔を指さす。モモンガも彼女をじっと眺めて観察する。角の生えた頭、絶世と呼ぶに相応しい美貌、白皙の肌、豊かな双丘にしばらく目を奪われ、その手に握る杖のような黒いアイテムを見て————

 

「――――真なる無(ギンヌンガガプ)…………あの錬金術師め、いつの間に持たせたのやら」

 

「あれ、モモンガさん知らないの? 勝手に持ち出すたぁふてえ野郎だな博士」

 

 アインズ・ウール・ゴウンが十一個所有する世界級(ワールド)アイテムの一つが、たかだかNPCに持たされていることにモモンガは不快感を抱いた。世界級アイテムは名前の通り世界を変えるほどに強力な力を秘めるため、宝物殿に厳重に保管されているはずだ。

 それがこうして持ち出されている事実。それはつまり、メンバーの何某かが持ち出したということ。わざわざ守護者統括のNPC、アルべドに持たせるのはその製作者しかいないだろう。

 

「タブラさん、今度会う機会があったら問い詰めてやる…………」

 

 モモンガはふんっと息を吐き、玉座に近づく。一瞬その手がアルべドの持つ至高の逸品に伸ばされるが、これを持たせた人物の想いを汲んだのか、はたまた「最後だから」とギルドの象徴を持ち出した引け目を感じたのか、その手はすぐに戻される。

 

「待機」

 

 チェルノボグが、連れてきたセバス・チャンと戦闘メイド(プレアデス)たちを玉座からすぐ見下ろせるように停止させ、続いて「平伏せよ」と言うと、NPCたちが片膝をついて(こうべ)を垂れる。

 NPCへの命令コマンドをまだ覚えていることに驚きながらも、モモンガもアルべドに平れ伏すよう命じる。そしてそのまま玉座に魔王ロールの時のように優雅に足を組んで座る。

 唯一残った仲間はアルべドとは逆の位置、モモンガから見て左手側に静かに立ち、敬意のポーズを取るNPCたちを眺めている。その目は特にメイドたちに注がれているようだ。

 

(そういえば、プレアデスたちのメイド服はホワイトブリムさんと共同製作だっけ)

 

 自身が携わったNPCたちも今日で会えなくなるのだ。たかがゲームとはいえ、どのNPCもメンバーそれぞれが情熱と愛情と拘りとを注いで生み出したはずだ。別離に思いを馳せるのも当然であろう。

 モモンガも宝物殿にいるであろう自らが製作したNPCを思い出す。アレはどんどん引退していくギルドメンバーを思い出す為だけに作った。彼はモモンガの心を慰めることを目的に作られているのだが、今はこうして仲間が隣にいてくれる。たった二人ばかりだが、それでもアインズ・ウール・ゴウンはここにあるのだと心の中で嬉しく思う。

 モモンガは座したまま、壁に掛けられているメンバーそれぞれを表す紋章を順に指さしていく。これを作るときは紋章学に詳しいメンバーと神話関係の知識が豊富なタブラ・スマラグディナが主に監修した記憶がある。

 

「俺、たっち・みー、死獣天朱雀、餡ころもっちもち、ヘロヘロ、ペロロンチーノ、ぶくぶく茶釜、タブラ・スマラグディナ、武人建御雷、ばりあぶる・たりすまん、源次郎――――」

 

 淀みなく仲間たちの名を呼ぶモモンガ。その声はどことなく震えているような、しかししっかりとした重みのあるもので、諦観と哀愁と、そして大きな誇りをもって読み上げていっているようだった。

 チェルノボグはそんなギルドマスターをじっと見つめて、万感の思いを込めてその最後の雄姿を目に焼き付ける。

 

「あまのひとつ、ウィッシュⅢ、ウルベルト・アレイン・オードル、エンシェント・ワン、ガーネット、ク・ドゥ・グラース――――」

 

 チェルノボグは比較的古参のメンバーだが、モモンガのアインズ・ウール・ゴウンに対する執着心や依存に危うさを感じていた。その性格からギルド長として癖の強いメンバーのまとめ役になってからも、かなりの苦労をしてきただろう。

 それに、メンバーが次々と辞めていく中、「待ってくれ」とも「いかないでくれ」とも言わず、静かに、寂しそうに仲間を送る彼の後ろ姿が、あまりにも哀しかったから。だから、せめて自分だけはと、時間を見つけてはユグドラシルをプレイした。

 

「獣王メコン川、スーラータン、チグリス・ユーフラテス、テンパランス、弐式炎雷、ぬーぼー、音改――――」

 

 彼はいつも独りだった。細々とギルドの維持費を稼いではログアウトするだけの為に、毎日、毎日、毎日、独りで。

 見ていてあまりにも辛かったから、自分がログインできた日はせめて、資金集めではなく別のことをするよう提案した。ナザリックの設備を見て回ったり、空きスペースに思い思いのトラップやギミックを追加して遊んでみたり、たった二人だけで高難易度ダンジョンに挑んでみたり。

 

「ぷにっと萌え、フラットフット、ブルー・プラネット、ベルリバー、ホワイトブリム、やまいこ、るし★ふぁー――――」

 

 自分はモモンガの……孤独な墳墓の王の仲間として、彼の心を癒せただろうか。

 私はこの独りぼっちの死の支配者の、良き友として正しく在れただろうか。

 

「――――チェルノボグ」

 

 モモンガが、もう一人の死の王を見る。変わらない彼の表情が、今だけは安堵に包まれているような気がした。

 大きく息を吐いたモモンガはそのまま居住まいを正すと、チェルノボグに頭を下げた。

 

「ありがとうございました、チェルノボグさん。貴方のおかげで、良い終わりを迎えられます」

 

「いやいや、私なんか大したことはしてません。あんまり顔出せませんでしたしね。こればっかりは運だったので…………」

 

「充分です。充分すぎるほど……救われました」

 

 そこで両者ともに口を閉じ、静かな時が流れる。もうユグドラシルの終わりも間近だ。今頃各ワールドの主要都市や全体チャットは大賑わいだろう。

 だが、二人ともこの静寂を噛み締めていた。これまでの冒険が、仲間たちとの思い出がありありと浮かぶ。

 世界級アイテムを初めて入手した時は皆で毎日のように祝った。それが奪われた時は泣いて悔しがった。

 NPC製作の権利獲得のために色々なゲームで決着を着けた。カードゲーム、麻雀、腕相撲、TRPG、PvP…………。

 今日はどこに行こうか、何を倒そうか、どんなことをしようか。

 

「楽しかった。嗚呼、本当に楽しかった」

 

「ええ、最高の日々でした。もう、これ以上はないほど、素晴らしい日々でした」

 

 ユグドラシル終了までもう一分を切った。幾ばくかの寂寥感と、深い満足感。そしてじんわりと湧き出る達成感に浸っていたモモンガに、チェルノボグが見せびらかすようにその手首を見せる。

 どうしたのか、と見やるモモンガは、ここ数年で最も驚愕した。

 

永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)…………!!」

 

 そう。それは世界級アイテムの中でも使い切りの超強力な「二十」と呼ばれるものの一つ。超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉の強化版。いかなる願いであっても聞き届けられる運営お願いタイプの極致。かつてアインズ・ウール・ゴウンのDQN行為への最終手段として用いられた、苦い思い出のあるアイテムだ。

 しばらくその所在が不明であったが、まさかチェルノボグが密かに持っていたのかと驚嘆する。「二十」は一度使用されると、再び入手する為のクエストや条件などをこなす必要がある。どうやってそれを知ったのだろうか。

 

「ええ、確かに永劫の蛇の腕輪ですが……抜け殻です、これ」

 

「は?」

 

 思わず間の抜けた声を出してしまうモモンガ。確かによく見ると、手首に巻き付き自らの尾を銜えた蛇は、色褪せており力が感じられない。確かに抜け殻と言えよう。

 

「昔使った時、そのまま残ってたんですよ。何の効果もない装飾品ですけどね」

 

 びっくりさせようと、サプライズです。

 そう言って朗らかに笑うチェルノボグに、ぷっと笑い出してしまうモモンガ。

 真面目な性格だと思っていたが、茶目っ気というか悪戯心というか、新しい一面を見れた気がした。

 

「ふふふっ…………いつ使ったんですか? それ」

 

「ギルド加入の少し前かな? 多分誰も知らなかったと思いますよ」

 

「でしょうね、世界級アイテムの抜け殻なんて……ふふ、誰も想像しませんよ」

 

 ひとしきり笑うと、もうサーバー停止まで三十秒を切っていた。

 慌ててモモンガは、最後の挨拶をする。

 

「チェルノボグさん。今まで、本当にありがとうございました」

 

「こちらこそ。長い間、お疲れ様でした」

 

 互いにぺこりと頭を下げる。悍ましい骸骨二体が頭を下げ合う姿はシュールであった。

 23:59:45、46、47…………

 

「モモンガさん――――――――」

 

「はい?」

 

23:59:51、52、53…………

 

「――――現実(向こう)でも、息災でいてください」

 

「それは、どういう――――」

 

23:59:59…………

 

 

 

 

 《ユグドラシルのサービスを終了します》




 骸骨の兵士(スケルトンソルジャー)、死神(グリムリッパー)、死の具現(タナトス)と成長していきます。
 ごちゃまぜ神話知識だけど許してください。

 永劫の蛇の腕輪使用した後、この抜け殻を入手したプレイヤーはチェルノボグだけです。


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第二話:深紅

 ユグドラシルの終わり。その瞬間をもって、このチェルノボグは消失する。

 一瞬視界がホワイトアウトし、自らを構成する何か(・・)が次々と消えていくのを感じる。足先から徐々に感覚がなくなっていき、意識も眠りにつこうとするかのように微睡みに堕ちていく。

 寂しい。なんとなくそう感じた。妙に長い終末の時間は走馬燈を連想させた。

 睡魔が押し寄せてくる。肉体の感覚は最早なく、霞がかった頭では何も考えられない。

 

「――――哀しそうだったな」

 

 玉座の間に集められたアルべド、セバス、ユリ、ルプスレギナ、ナーベラル、シズ、ソリュシャン、エントマ。モモンガとの会話で何かを察したのか、どことなく暗いように感じた。言葉も交わしたこともないのに、そう見えたのは感傷によるものか。

 自分はNPCを作らなかった。そんな気持ちになれなかったのもあるが、もし自分の手で生み出した存在が、あんな辛そうな顔をしてしまうならば、やはり生み出さなくて良かったと思う。

 ああ、もう眠い。抗うのも面倒だ。

 このまま、この安らぎに身を委ねようとし…………。

 

「――――ん?」

 

 瞬間、白に包まれた視界が開けた。

 代わりに、新たに現れたのは巨大な木々と、そこかしこに生い茂る大小様々な草花だった。

 見上げれば巨木の頭頂は高く、そしてそこから傘を開くように広がった枝には青々とした葉が生え、木漏れ日が目に刺さる。

 ぐるりと周りを見渡しても、木と花と草に、大地を隆起させる根ばかりがあった。

 どうやら、どこかの森の中にいるようだ。

 

(サーバーダウンの延期と、それに伴うバグか何かかな?)

 

 何かしらの問題がサービス終了間際に起こり、急遽サーバーダウンを中止。その影響で、ナザリックにいたはずの自分が、どこかのワールドのどこかの森に転移してしまったのではないか。

 チェルノボグはそう推測し、運営から何か情報が届いていないかを調べようと、すっと骨の指先で目の前の何もない空間を叩く。アイテムの使用や魔法の発動などを行うコンソールの起動を行うジェスチャーだ。コンソールのメニューには運営とのアクセスや通知文を受信する欄がある為、それを利用しようとしたのだが…………。

 

(あれ? コンソールが開かない?)

 

 いつもならば表示されるメニューバーや、自身の体力(HP)魔力(MP)にステータス欄、マップや今いるワールドの名前も現れない。

 コンソールの異常。これもサーバーダウンの影響かと、次はGMコールの使用を試みる。これはユグドラシルのシステムとはまた別のものであり、この手のナノマシンを利用したゲームには必ず搭載される非常事態用の連絡手段だ。ゲーム内でどんなバグが発生しようと、このシステムに影響が出ることはない。

 しかし。

 

(…………通じない、どころかそもそもGMコールが使用できない)

 

 その後もチャット機能や音声による強制ログアウトも試したが、どれも発動した気配すらない。

 どういうことだ。汗をかけない骸骨の姿だが、チェルノボグは冷や汗をかいたような焦燥感に苛まれ――――しかし、ふっと唐突に冷静になる。

 いっそ不気味なほど落ち着きを取り戻した自分に驚き、先ほどの、まるで無理矢理精神を平坦にされたかのような心の動きに戸惑う。

 だが慌てずに思考できるのは良いことだ。現状の整理をするべきだと判断し、一つ一つ確認する。

 

(通常ならばユグドラシルはサーバーを停止し、強制的にプレイヤーはシャットアウトされるはず。しかしこうして今ユグドラシルは稼働している……運営との連絡、ないしログアウト手段の一つであるコンソールは使用できない。チャット機能も動いていない。これはバグの可能性が大。ではユグドラシルのシステムに依らない方法であるGMコール、及び強制ログアウトが作動しない理由は何か?)

 

 サーバーがハッキングでもされたのか。ユグドラシルプレイヤーを閉じ込め、身代金でも頂こうというテロリストの仕業か。

 チェルノボグはすぐにその考えを否定する。運営会社と警察の二重管理下にあるゲームだ。異常が発生したと分かればすぐに警察機構が動くし、ネットに閉じ込めたところで人質にはならない。仮想空間を乗っ取ったところで、プレイヤーそれぞれの脳内ナノマシンを掌握しない限りネットを介しての電殺などできはしない。ただ一時的にプレイヤーを現実空間から引き剥がすだけだ。

 もしくは、可能性は低いがサーバーダウンと同時に「ユグドラシルの続編」ないし「緊急アップデート」などのサプライズ。GMコールなどが通じない理由にはならないし、そもそも犯罪スレスレの危険な行為だ。これもないとは言い切れないが、可能性は限りなく低いだろう。

 

(何が起こっている? 誰か説明してくれよ)

 

 まるで体一つで異世界に迷い込んだような気持ちだ。というか最後の時を共に過ごしたモモンガはどこに行ったのだ。バラバラに転移してしまったのか? ここはどのワールドなんだ? ナザリックはどこだ?

 

「そうだ……ナザリック。あの指輪なら」

 

 ギルドメンバーに渡されている指輪、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。広大なナザリック地下大墳墓の移動を利便化させ、また転移を用いた罠に引っかからないようにする為のもの。ある意味ではメンバーのあかしとも言えよう。

 指輪に込められている力は一つだけ。ナザリック限定の制限なし転移だ。これを利用すればあそこへ移動できるはず。

 この指輪も普段はコンソールで使用していた為どう使えばいいのか分からないが、試行錯誤してみる価値はある。すぐに利用できるように「指輪を擦る」なんてショートカットを組み込んでいたメンバーもいたが、チェルノボグはそういった短縮法は組み込んでいない。

 右の小指に嵌めている赤紫に近い色合いの宝石の指輪を見る。そこには見慣れたアインズ・ウール・ゴウンのギルドサインが――――

 

「――――なに?」

 

 ギルドサインは、曇っていた。何か靄のようなものが宝石の輝きを妨げているようだ。

 こんなことは初めてだった。指輪に意識を向けてみたり、口頭でナザリックへの転移を命じてみても反応はない。

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは現状使用できないとみていいだろう。

 では、他の手段ならばどうだ? 魔法の〈転移門〉やアイテム〈ロック鳥の羽根〉などであれば…………。

 

 

 

******

 

 

 

 ――――ナザリックへの転移。結果は、失敗だった。

 アイテムを用いた手段。これはアイテムボックスを意識しながら手を動かすと、何もない空間に裂け目ができて、そこから所有するアイテムを自由に取り出せるということが分かった。だが、幾つかの転移系アイテムを使用しようとしても、発動する気配はなかった。

 次に、魔法〈転移門〉による転移。これはそもそも転移門が開かなかった。移動距離無限、失敗率〇%の魔法が発動しないということは即ち、「チェルノボグはナザリック地下大墳墓に行ったことがない、ないし見たことがない」と判断されているということ。視界内の木の一本に目印をつけて〈転移門〉を発動した際は問題なく魔法が仕えた為、魔法が使えなくなっているわけではないようだ。

 そしてなによりも驚愕の事実は、コンソールを使わずに魔法が行使できたということ。そう念じるだけで自分が扱える魔法の効果や範囲、再使用時間、消費MP、MPの自動回復。さらには現在HP・MPも感じ取ることができた。

 ユグドラシルというゲームにはこんな機能は搭載されていない。もしかしたら最新のゲームにでは実装されているのかもしれないが、これは今までの魔法の使い方とは大きく異なる。慣れるのに時間がかかりそうだ。

 |特殊技術〈スキル〉に関しても概ね魔法と同様の感覚で扱えることが分かった。残念ながら長距離転移系のスキルは持っていないが、あったとしてもきっとナザリックへは戻れなかっただろう。

 チェルノボグは自身の基本的なスキルや特殊能力を大雑把に思い出す。よく使うものや強力なもの以外は覚えているか自信がないが、大体を把握していれば何とかなると楽観的に考えるとする。

 亜人種や異形種が規定の種族レベルに到達した際に得られる種族特殊能力。死の具現(タナトス)にまで育てているチェルノボグが持つそれらは、通常武器無効、浮遊、上位アンデッド創造/一日四体、中位アンデッド創造/一日十二体、下位アンデッド創造/一日二十体、上位眷属創造/一日四体、中位眷属創造/一日十二体、下位眷属創造/一日二十体、死の接触、瘴気のオーラⅤ、不浄のオーラⅤ、生命殺し、不死の祝福、魂の簒奪者、斬撃武器耐性Ⅴ、刺突武器耐性Ⅴ、上位神聖属性耐性Ⅴ、上位退散耐性Ⅳ、上位物理耐性Ⅴ、上位魔法耐性Ⅳ、属性攻撃耐性Ⅳ、魔法攻撃吸収、生命感知、不可知看破、不滅、冷気・酸・電気属性攻撃無効化、死霊魔法無効化、刈り取る者、死神。

 これに職業レベルによる特殊能力など。即死魔法強化、不死のオーラ、眷属強化、アンデッド強化、回避力上昇、幻影の刃、キャパシティ、弱体効果付与成功率上昇、弱体耐性強化、下位アンデッド作成、中位アンデッド作成、同種族強化、能力値強化、上位支配、MP攻撃、領域拡大、上位即死確率強化、魂喰い。

 そしてアンデッドの基本的な特殊能力。クリティカルヒット無効、精神作用無効、飲食不要、酸素不要、毒・病気・睡眠、発狂・恐怖・即死無効、死霊魔法耐性Ⅳ、肉体ペナルティ無効、能力値ダメージ無効、エナジードレイン無効、負エネルギー回復、暗視。

 ついでに、種族的な弱点として、殴打武器脆弱Ⅲ、光属性脆弱Ⅴ、正属性エリアでの能力値ペナルティⅤ、祝福武器脆弱Ⅲ。

 他にもまだまだあったような気もするが、ざっと思いつく限りはこの程度だった。それにこれだけ覚えていれば自分の戦闘力を十全に発揮できるだろう。

 それに現状に混乱しているのは他のプレイヤーも同じのはず。まさかこんな異常事態に陥っても「異形種だ! 殺せ!」とヒャッハーしてくる輩はいないだろう。いざとなれば眷属に足止めさせて逃げれば良いのだし。

 チェルノボグはそこで現在位置を把握しようと、ボックスから九枚の大きな地図と、先端に水晶のついた鎖を取り出す。地図は九つのワールドの地図だ。まだ未踏破の箇所もあるが、大体が異形種お断りの場所だったり死神系の種族が居着くには辛い場所だったりする空白個所なので問題はない。

 鎖は〈迷わずの鎖(サポーター・チェーン)〉というアイテムで、自分がいるワールドの地図に水晶を垂らせば、現在位置を教えてくれるというものだ。鎖単体では使い物にならない微妙アイテムだが、情報系や探知系魔法に引っかからないのでいらぬトラブルを回避できるのが利点といえば利点か。

 

「さて、どれから調べようか」

 

 周りの環境から察するにミズガルズやアースガルズだろうか。まさかムスペルヘイムなんてことはあるまい。あそこは炎ばかりの世界だ。こんな大森林は存在しない。とりあえずミズガルズとアースガルズから調べてみることにする。

 反応は、無し。鎖はピクリとも動かず、そよ風に靡くのみだ。

 次にヴァナヘイム、アルフヘイム。反応無し。

 

「…………おかしいな、人間主体のワールドじゃないのか?」

 

 次に亜人種が主に住んでいたワールド、ニダヴェリール、ヨトゥンヘイム。

 反応、無し。

 

「おい………おい、嘘だろう?」

 

 最後に、異形種がメインとなって過ごしていた地獄めいた世界、ニヴルヘイム、ヘルヘイム――――ムスペルヘイム。

 反応は、無し。

 

「――――――――」

 

 どかり、とその場に座り込む。

 アイテムや魔法は正常に機能していた。使用方法に差異はあれど、問題なく発動していた。

 この鎖も、どこかに異常があるわけではない。どこかが壊れているわけでも、間違ったアイテムを使用しているわけでもない。

 

 では、何故、俺の居場所を示さない?

 

 チェルノボグはしばらく呆然自失となったまま、現状に絶望していた。それは自分がどことも知れぬ場所にいるということ、友がいるかもしれないナザリックへ帰れないこと、もしかしたら、もう誰とも会えなくなるかもしれないこと。

 そういった考えが次々と浮かんでくる。考えたくないのに、後から後から湧いて出てくる。

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「…………他のプレイヤーを探そう」

 

 どれほど悲嘆していたのか。チェルノボグはそう呟いて、ゆらりと頼りなさげに立ち上がった。

 擦り切れた襤褸が風に揺られる。ふわりと浮遊した彼は、取り出したアイテム〈北向きの針〉を頼りにゆらゆらと宙を進んでいく。

 項垂れたように俯きながら浮遊し進む姿は、まさに死神のそれであった。

 

 

 

******

 

 

 

 人類の護り手を自負するスレイン法国には六つの特殊部隊がある。部隊ごとに役割が異なるが、どの部隊の隊員も人間の中でも最高峰の力量を持つ英雄たちであり、日々人間の世界を守る為に人知れず活動している。

 六色聖典の一つ、火滅聖典は暗殺、ゲリラ戦、カウンターテロを得意とする裏方の部隊で、直接戦闘能力こそ殲滅に特化した陽光聖典や、切り札たる漆黒聖典に劣るが、陰に潜み罠や奇襲、夜襲、兵糧攻め、毒殺、爆殺、内乱誘発など、その多岐に渡る裏工作の手腕はバハルス帝国東北部や都市国家連合に根を張るイジャニーヤをも超えると法国上層部から目されている実力ある部隊だ。

 本来は他国からの諜報部隊を警戒して国内から出ることは、それ即ち法国が戦争を始めることと同義とまで囁かれているのだが、現在、彼らは密命を受けて法国の南方にあるエイヴァ―シャー大森林に――――もっと言えば、そこを領地としているエルフ王国に潜入しようとしていた。

 

「エルフ王は人類共存の手を差し伸ばした我々を騙し、穢した蛮族である。彼らを人類の護り手たる我が国に隣接させておくことは脅威となる。また、エルフ王は他種族の女を攫い、方々に混乱と諍いをまき散らし、しかし自国を真っ当に統治する能力に著しい欠陥を抱えている。これを放置しておくことは後々の法国に暗澹たる影を齎すことになるだろう。よって、火滅聖典隊長ユージ・コーラ・ミッケレス、貴公にエルフ王国への先行偵察、及び威力調査、そして可能であればかの蛮族の王の暗殺を命じる」

 

 これが風の神官長にして六色聖典のまとめ役、ドミニク・イーレ・パルトゥーシュからの通達であった。要は「人間と敵対関係にあったエルフ王国に潜入して軍隊の進軍経路やエルフたちの主力となる武装、部隊、戦法を把握し、あわよくば王を暗殺しろ」ということである。

 

 ――――暗殺は無理だな。

 

 火滅聖典の隊長、ユージ・コーラ・ミッケレスは通達を聞いた瞬間にそう判断した。かつての法国の切り札である戦乙女をも(おそらくは騙くらかしたのだろうが)下した男だ。当時の漆黒聖典によって乙女は救出されたが、それ以降裏工作部隊による暗殺への対策は何かしら用意しているはずだ。何せ漆黒聖典による救出劇を誘導・支援したのは火滅聖典だ。何もしていないはずがない。

 よって今回は、大森林を行軍することになる法国の軍隊をより安全で効率的に進軍させるための経路の目星と、エルフたちの軍事力の把握にのみ注力することになる。

 これは予め隊員たちに告げてある。万が一エルフ王の姿を確認しても、どれだけ無防備に見えても決して手を出すな、と。

 現在作戦に従事しているのはユージ含めて八人。途中までは四人一組(フォーマンセル)で進軍経路の作成を、王国付近でさらに分かれ、二人一組(ツーマンセル)で行動する手筈となっている。

 今回の作戦の完遂度如何によって、後の法国の為に戦う兵士の命が救われる。そう言っても過言ではない。隊員たちも皆それが分かっているのか、並々ならぬ熱意を感じさせる目をしていた。

 ユージたちの班は大森林を音も立てずに、落ち葉の一つも揺らさずに、しかし決して遅くはない速度で駆けている。火滅聖典一人一人に与えられる標準装備〈音消しのブーツ〉と〈風の歩み〉による恩恵だ。一定以上の速度で移動すればたちまち効果を失うアイテムだが、隊員たちはその効果が失われないギリギリの速さを見極め、維持し続けたまま移動しているのだ。並大抵の訓練では体得できない妙技と言える。

 さらには、同じく標準装備の一つである、着用者の姿を不可視の状態にする魔法の外套(マント)、〈密偵のマント〉を使用することで、よほど密偵(スカウト)野伏(レンジャー)暗殺者(アサシン)として大成したものか、優れた魔法的知覚を有するものでもない限り、彼ら火滅聖典の姿も、影すらも掴むことは叶わない。

 ユージは最早癖になりつつあるいつもの走法で森を駆け抜けながら、忙しなく目を動かしている。どこを移動すれば軍にとってより有利になるか、負担が減るか。どこならば野営地に改造するに向いているか。敵が襲ってくるならばどこからどう攻めてくるか。

 大森林に入ってから数時間。彼は長年の経験で、エルフたちの戦い方を見抜いていた。

 

 ――――エルフたちの主な戦術は、我らと同じか。

 

 即ち、ゲリラ戦。

 頭上にある枝の群れに、小さく、細い橋がかけられている。中には橋と呼べるかも怪しい綱同然のものもある。おそらくは偵察などに使われる隠し道だろう。身軽で野伏に向いているエルフたちならば、あんな自殺志願者しか使わなさそうな道も立派な戦術路となり得るだろう。

 それに、周りはどれも立派な大木だが、特に大きな樹木内部には少人数が入り込める秘密基地と思しきものは設置されていた。内部調査の結果、用意されていた装備は毒矢に臭いを消された糞尿、油に火炎瓶、毒虫の入った壺など、正規軍のそれとは大きく異なっていた。

 地面にも細工が施されており、典型的な落とし穴(底には糞尿に塗れた杭が上を向いていた)に始まり、毒の塗られたトラバサミ、第二位階魔法〈火槍(ファイア・ジャベリン)〉が込められた罠と連動しているワイヤートラップ、丸太を利用した振り子etcetc…………。

 

 ――――随分と用意がいいな。戦争を予見してのか? だとしたらエルフ王も先見の妙があるのか、それとも前線兵士が自分たちでやったのか…………。

 

 おそらくは後者だな、とユージは結論付けた。伝え聞くエルフ王は自国の民に興味を示さず、毎夜女を孕ませることしかしない淫蕩に耽った堕王だ。なまじ力があるから誰も反乱しないのだろうが、彼の悪行によって戦争に駆り出される羽目になるであろうエルフの民たちには憐憫の感情を禁じ得ない。人間とは近親種であり、かつては共に歩めることもあったのだ。愚王のせいでその機会は失われたが、もしも新たな王が賢しい者であったならば、法国の力となってもらいたい。ユージはそう考えた。

 といっても、今のような考えは法国では少数派だ。特にかつて手を差し伸べ、そしてその手を斬り落とされた老人たちは特に。

 仕方のないことだとは思う。人は自分が味わされた恨みは決して忘れない。斬られた痛みを決して癒さない。いられた傷をいつまでも根に持つ。そういう生き物だ。少なくとも、多くの人間がそうだ。それはこれまで様々な人間を見てきたユージが確信したことだ。

 それでも、エルフたちの金細工、木細工、そして優れた五感能力とそれからくる野伏としての素質は人間よりも潜在能力が高い。人類の新たな主力を期待され、手塩にかけて育てたリ・エスティーゼ王国は腐りきった貴族どもの巣窟となり、バハルス帝国は自国の強化に邁進してはいるが、その矛先は亜人でも異形でもなく同じ人間に向けられている。聖王国と都市国家連合は自国の守りで手いっぱいだし、竜王国に至っては正直何故あそこまで追い詰められて国としての体制を保っていられるのかが不思議だ。内乱も暴動も逃亡する民もおらず、ひたすらにビーストマンと抗っている。女王がよほど慕われているのか、それとも側近が優秀なのか…………。

 

 ――――この辺りでそろそろ、明るい話題が欲しい。エルフたちに初撃で決定的な差をつけ、早々に王都へ攻め入り、都市への被害を最小限に抑えつつ漆黒聖典をエルフ王にぶつけ、これを討ち取る。これが理想だ。

 

 そしてこの理想は、決して手の届かない夢物語ではない。今、こうして自分たちが従事している作戦こそ、その理想を手繰り寄せる最大の一手なのだ。

 無意識に、手を握りしめる。それは固い決意の表れだった。

 

「…………?」

 

 そこで、視界の端に、「深紅」を見た。

 隊員たちも気付いたようで、ふと、そちらを見る。

 瞬間。

 

「――――――――ッ!!」

 

 アイテムの効果を失わず、しかしその場から瞬時に近くの木々へ身を潜める。僅かに遅れて隊員たちが同様にユージに続いて隠れる。

 汗が止まらない。恐怖で歯が音を立てようとするのを鉄の心で抑えつける。

 ユージはゆっくりと顔を覗かせ、「深紅」を探る。まだ遠い。だが少しずつ近づいてくる。

 こちらに向かって、ではない。しかし、すぐ側を通りそうだと判断する。指を小さく動かし、「その場で待機。息を潜めよ。全力潜伏」と隊員たちに指示する。

 「深紅」はどんどん向かってくる。そしてその姿もはっきりと見えてきた。

 血に濡れたような全身鎧。これが深紅の正体であろう。全体的に重装だが、肩部と胸部は特に厚く頑丈であるように思えた。

 腰から下も深紅。しかし意外なことにスカート状になっており、靴先の鋭さを見るに下半身も同様の鎧をチュ悪用しているのだろう。

 女性らしさを見たからか、僅かに膨らみを感じさせる胸部装甲も女性用の鎧なのだと感じさせる。そしてそこから、肩、肩かた背中へ流されるように垂らされた白い鳥の翼に、枝葉から差し込む木漏れ日が透き通りまるで天使のそれのようだ。

 顔面以外を守るように頭を覆う兜もまた深紅。こちらにも翼の装飾が左右に装飾され、その全体像はまさしく鮮血の戦乙女の如し。

 そしてなによりもユージを驚かせたのは、その見事な鎧でも、漆黒聖典が用いる神々の残した武装に並ぶほどの力を感じる奇怪な形状の槍でも、薄暗い森の中で爛々と輝く朱い瞳でもない。

 兜から覗くその(かんばせ)。白皙とはこのことかと驚嘆するほど色を抜いた白い肌。神業の職人が魂を込めて作り上げたと言われても信じられる精巧にして細緻な整った顔立ち。パーツ一つ一つが王族の宝石よりも価値があり、流れる銀髪が陽光に煌めく姿は天女を思わせる。

 ユージはこれまで様々な人間を見てきた。その中には息を飲むほど美しい乙女もいた。かの王国に誕生した第三王女ラナーは、まだ年端もいかない少女でありながらその美貌は人間のものとは思えない程だった。

 だが、この深紅の乙女は。この戦乙女は。これまで見てきたどの女よりも可憐で、いっそ心臓が止まっても良いと思えるほどの美しさだった。

 

 ――――だが。

 

 しかし、ユージはそれに心を奪われなかった。だが、部下までそうであるかは分からない。隊員たちにジェスチャーで「視認不可」を伝え、そのまま監視を続ける。まだこちらに気付いた様子はない。

 乙女はきょろきょろと辺りを見渡しながら、あてもなく彷徨っているような歩みだ。ひょっとしたら、エイヴァーシャー大森林に迷い込んだのかもしれない。

 

 ――――いや、ここはもう森の奥深くだ。迷い込んだにしても、歩きでは森に入ってからまっ直ぐここに向かったとしても数日はかかる。見たところ探索系の能力などもなさそうだが、どうやってこの森で過ごしてきた?

 

 大森林には様々な魔獣が生息している。これまで法国がエルフの王国に大々的に攻め込めなかったのは、この強力な魔獣たちと、深い森による天然要塞によるものだ。

 例え英雄級の戦士であろうと、野伏などの職業に就いた経験のないものが一人で生きていけるような場所ではない。そんな過酷な場所なのだが………。

 少女の持つ武装。神々の武具と比べても遜色ない強大なオーラを感じさせるそれらを持っているならば。この森で単独で生き抜くことも可能であろう。

 

 ――――なんなんだ、この人外少女は。敵か? 少なくとも人間にお手てを振って笑いかけてくれるような存在ではなさそうだが。

 

 紅の少女は、すたすたとユージたちの隠れている木々のすぐ側を歩き、そして結局こちらに気付くことなく、段々とその背は小さくなっていった。

 充分に離れたと判断したユージは、隊員たちに小声で「警戒維持。任務中止」と伝え、別行動中の副隊長率いる第二班に連絡を取るべく、魔法のピアスを起動させた。

 

 ――――神官長たちの指示を仰がねば。あんな存在と事を構えたら法国が亡ぶ。

 

 なんでこんな近くにあんな天災めいた奴がいるんだ。そう内心で愚痴りながら、ユージは作戦の中止をせざるを得ないことに歯噛みした。

 

 彼は知らない。もしも、視界の端に深紅を見つけられなかったら。

 彼は知らない。もしも、隊員たちに少女を見ないよう指示しなければ。

 彼は知らない。もしも、彼女に見つかってしまっていたら――――。

 

 ――――自分たちの命がなかったことに………………。




色々捏造
アイテム多数
火滅聖典、ユージさん

ペタン血鬼ちゃんも単独転移。チェルノボグも近い場所にいます。そのうち出会うはず。


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