その引き金は平穏の為に (野鳥)
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春とは出会いの季節

 季節はまだ春になり日が浅い頃。

 俺はその日、数少ない趣味の一つである読書をしに、市内で最も大きい図書館にやって来ていた。

 別に読書は家にいても出来るのだが、図書館中に香る大量の本の香りと、決して少なくない人がいながらも煩く感じず読書に集中できる独特の空間。この二つを求めて俺は頻繁にここへと足を運んでいる。

 

「あら、こんにちは。今日も来てくれてありがとうね」

 

 週に二、三回は必ず訪れるので最早受付の女性とも顔見知りだ。今のように会ったら軽く微笑みながら挨拶してくれる程には顔を覚えられている。

 

「いえ、家にいても暇ですから。

 それとこれの返却をお願いします」

 

 持ってきた本を受付の女性に手渡し、それを受け取った彼女が作業を始める。

 彼方の作業は手際よく進められ、程なくして全ての工程を終了した事が俺に伝えられた。

 

「それじゃあゆっくりしていってね」

 

 軽く会釈で返答し、後ろにある本棚の方へと歩く。

 そして歩きながら数多の本を観回していき、今日読む物を考えていく。

 

「おっ」

 

 すると本棚の中から一冊の本が目に入り、少し背伸びをしてそれを手にした。それからすぐに軽く表紙や目次を読んで内容を推察し、面白そうだと感じた俺はこれを今日読む一冊に決めた。

 こうして本を手にしたら、進行方向を変えて手近な椅子に座る。そこから後は時間の許す限りその一冊を読み進めていく。これが俺がこの図書館で行う一連の行動だ。

 

 ここに来る度変わらずこうして過ごしているのだが、

それはこうやって図書館で過ごす時間が俺は好きだから、というのもあるが、それとは別に俺にとって時間を潰すのに最も適した行動であるからだ。

 

 先程受付の人にも言ったが、俺は家にいても暇。というかあまりいても意味がない。

 俺の両親は二人で店を経営している。

 その店の経営で両人共々忙しく、頻繁に顔は合わせても家族で過ごせる時間が非常に短い。物心ついてから一緒に遊びに行くといった思い出は数える程しかなく、二人は家にいる時間よりも店に出ている時間の方が圧倒的に多かった。

 寂しさや孤独感を感じてはいないが、家にいても殆ど一人で、尚且つ遊びにもいかない様では二人に余計な心配をさせてしまう。

 

 ここで他の同年代の子供なら友達と遊ぶという選択肢が浮かぶのだろうが………俺はそれができない。

 何せ生憎と、俺はそこまで親しい付き合いの友達が存在しないからだ。

 別に仲が悪いとか、虐められているという理由ではない。クラスメイトとは普通に話しはするし、休み時間などで一緒に遊ぶ事もある。

 ただ一つ理由があるとすれば、俺が彼等に馴染めていない、と言うのが的を射ていると思う。

 他の子供と違って俺は余りにも落ち着いていると、大人しいと担任の教師に言われた事がある。言われてみれば心当たりはあるもので、確かに他のクラスメイトが面白いと思う出来事があっても俺だけ何が面白いのか理解できなかったり、遊んでいる時も俺だけ皆とテンションが違うという自覚があった。

 他にも数えればきりがない程にクラスメイトと俺との違いがあり………恐らくこういった点が先生にそのような感想を抱かせるに至ったのだろう。

 彼等ともっと仲良くなるには、極論を言えば彼方に合わせるのが一番だ。しかしそんな真似が出来るのならとっくにしているというもの。

 

 こんな俺に残された外での時間潰しは、図書館での読書だけだった。

 元々本自体は好きだった。

 小説に、絵本、歴史、自伝、資料本、etc………。本には様々な種類があり、そこには自分の知らない世界や事実が大量に書き連ねられている。クラスメイトの中には本を読むなんて面倒だ、と言う奴もいたが俺はそうは思わない。

 例えば物語ならその情景を思い浮かべ、数々の展開に一喜一憂し、この後にどうなるのかと心躍らせながら次のページを読み進めていく。こういった楽しみ方ができるし、他のジャンルではまた別の楽しみ方があるだろう。

 本を読んでいる間は家の事を忘れ、没頭する事ができる。本を読んでいればいつの間にやら夕方、なんて事も珍しくはない。趣味も兼ねて時間も潰せる。まさにうってつけだと言えた。

 

 ………ただこれはこれで問題を引き起こしている。

 結局この状況を両親に心配させてしまっている、という事だ。

 二人も読書自体が問題視していない。心配させている要因は俺が出掛ける時は学校以外では図書館しかない状況にある。

 彼方としても友達と遊ばずに図書館に入り浸ってばかりなのが心配なのだろう。もしかしたら学校に馴染めていないのではと。

 俺としてもあまり二人に心労を重ねてもらいたくはない。けどもやはり彼等のテンションには付いていけず、結果として現状を抜け出せないでいる。

 

 ───名前を呼べば友達だ、か。

 

 そう言った奴がいたが、やっぱり当てにならないな。あのアドバイス。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本を全て読み切ったところで、ふと窓の外へと目を向ける。

 外は既に赤みがかっており、沈みかかった太陽の陽射しが館内を照らし出していた。

 

「帰るか……」

 

 これ以上長居すれば完全に日が沈み夜になってしまう。

 この年で夜に出歩くのは無用心という他なく、ここから家まではそれなりに距離があるので、そろそろ帰った方がいいだろう。

 

 席を立ち、本を元あった棚へと戻す為に歩き出す。

 大きな、とはいっても勝手知ったる場所だ。本があったコーナーは覚えているし、特に時間もかけず辿り着く事ができた。

 

「んっ……しょ」

 

 だが、そこで思いがけないものを見つける事となった。

 

 俺が取った本を置いていた棚の近くで、一生懸命上へと手を伸ばしている女の子が目に入ったのだ。

 棚から取ろうとしている本は、見た限りではそう必死にならずとも彼女の身長で届きそうな位置にあった。それを声が漏れる程に手こずっているのは、彼女がそもそも立ち上がっていない。いや、立ち上がれないからだ。

 

「………」

 

 女の子は車椅子に乗っていた。

 何か大怪我でも負っているのか。それとも元々足が悪いのかは判別がつかないが、少なくとも“歩けない”というのは察せられた。

 

 少しの間、俺は立ち止まっていたが───そこからすぐに女の子の方へと歩み寄った。

 

 理由はなんて事ない。

 ただ早く帰るのに超したことはないが、そこまで急ぐ必要もない。あれ位の手助けならそう時間も掛からない筈だと思っただけ。

 それに───見ているだけ、というのは後で気分が悪くなる。

 後で心がむず痒くなるような真似は御免だ。

 だから性に合わないが、ここで放っておく選択をする事が俺には出来なかった。

 

「えっ………」

 

 俺は女の子が取ろうとしていた本に手を伸ばし掴んだ後、流れるようにそれを女の子へと手渡した。

 対して件の少女は自分が取ろうとしていた本へと伸ばされた手に驚いたのか、体が硬直してしまっている。俺に本を手渡されても、どうやら呆然として何が何やら判っていないようだった。

 

 だがやっと意識が回復したらしい。本を手渡された事に気付き、慌てて会釈込みのお礼を述べてきた。

 

「あ、ありがとうございます」

「別に礼を言われるような事でもない。たまたま見かけただけだから」

 

 女の子にそう返すと、俺はすぐに自分が持っている分を棚に戻す為に踵を返そうとして─────しかし、彼女が急に面食らったような顔を見せ、困ったように頬を掻き始めるのを目端で見かけてしまった。

 

 何故、彼女はそんな困った様子を見せているのだろうか?

 どうやら反応を見るに、俺の発言に原因があるのようだが………はて。今の返しのどこに問題があったか俺には判別がつかない。

 

「あの……」

 

 俺が今の返しについて思考を巡らせていると、不意に少女から声が上がる。恐らくこの空気に耐えかねて何か言おうとしているのだろう。

 

「? どうした」

「いや、何やお礼を言われるような事やないって言うたけど、そんな謙遜されるとこっちが困るわ………」

「………別に謙遜じゃない。

 俺としては気が向いたから本を取っただけだ。だからそっちはたまたま助かった程度に考えればいい」

「むー………」

 

 だから気にしなくていいと、そういった意味を込めて言ったのだが、少女は依然納得のいかないと訴えかけるように不満な顔をするばかりだ。

 

 今の会話で少女が何故か俺が感謝の言葉を拒んでいるのが納得いっていない、というのは分かった。。

 ………だが、俺としてはお礼をもらいたくてやった訳じゃないのだから、なのでそこまで気にしてほしくもない。

 

「それに、何でそこに拘るんだ。俺は偶然通りかかったたけで、もう一度会うかも分からない奴だそ。

 そんな奴にお礼を言えなかった事を一々気にする必要もないだろうに」

 

 なので、いっそ思っている事を全て言い切ってみた。

 ここで引いてくれるなら良し。何か言ってくるなら、そこから更に彼方が何を思ってここまで食い下がるのが判るかもしれないから。

 

「……だって、わたしには何も返せへんし───」

「何も返せない……?」

 

 そして予想通り、少し間を置いて少女は自身の胸の内を話し始めた。

 けれどもそれはあまりに抽象的で、俺は彼女の言った事をすぐには理解出来ない。

 

 ────何も返せない。

 

 これは一体どういう意味なのか、どういう意図を含んでのものなのか。これについて頭を巡らせて、その言葉に込めれらた意味にやっと気付いた。

 そして同時に彼女の顔を見て確信した。

 

 俺は彼女自身の言いたくない部分を言わせてしまっているのだと。

 

「わたし、昔から歩けへんのよ。

 せやからこんな体だと、人に迷惑しかかけられんくて、いつも色んな人にお世話になってばかりなんや。

 なのに返せるものってお礼を言う事しかなくて……。だから何か助けてくれた人には“ありがとう”って絶対言う事にしとるから………」

 

 自身の想いを告げる彼女の表情は一見明るいモノのように見える。

 だがそこには少し悲しみのような、暗いナニカが滲んでいて、物理的ではない重く苦しいモノを背負っているような、そんな印象をもたらした。

 

 ………ああ、やっぱりそういう事か。

 

 彼女の思いは多分“歩けない”という点が背景にある。

 あくまで想像にしかならないが、自分で歩けないというのは様々な面を誰かに手伝ってもらう必要があるのだろう。でなければ日常生活をまともに送るのは難しい筈だ。

 

 そこから生まれ出たのは感謝なのか、はたまた申し訳なさなのか。

 これは当人にしか分からないが、彼女の中には、今まで助けてくれた人へ恩を返したいという思いが生まれたんだろう。

 でも、今の彼女の体では相手を助ける処か助けられる事しかできない。

 それでお礼を言う事にここまで拘ったんだ。

 これが自分が抱えている気持ちを伝えられる唯一の方法だから。

 

 なのに俺ときたら、知らなかったとはいえ彼女の感謝の言葉を撥ね除ける真似をしてしまったんだ。加えて彼女自身の口から言わせるという始末。

 

 余りにも配慮が足りなさ過ぎた。

 気付ける要素など幾らでもあった筈だ。だというのにこの体たらくとは………情けない。

 

「……そうか、なら素直に受け取っておくよ」

 

 そう言って、すかさず頭を下げる。

 

「あと悪かった。その話あんまり言いたくなかっただろう?」

「えっ、ちょ、そんな謝らんといてぇな。助けられたんはこっちなんやから」

 

 彼女はまた俺の行動に困っている様子だ。

 度々困らせてしまうというのは如何なものかと自分でも思うが………これが今俺に出来る唯一誠意を示せる行為だ。ここでやらなくていつやるというのか。

 

「もう、そんな湿っぽいのは無しやって。一々気にせんでええよ」

 

 ………そこまで言われては続ける訳にもいかず、渋々頭を上げる。

 そこで見えるのは、何も問題はないといった様で振る舞っている少女の姿だ。

 本当に平気なのか。本当に傷付けてはいないか疑わしく感じるのだが、これ以上問い詰めると先の焼き直しになる。

 ならここで此方が引いておいた方がいいか────って

 

「………どうした?」

 

 何故か少女は俺の事をまじまじと見詰めている。

 様子からして此方に興味津々といった風に感じられるのだが………どうして俺に?

 

「ああ、ごめんな。ただ珍しい思うてな」

「珍しい?」

「うん。図書館に来る男の子ってあんまり見た事無かったからなぁ、ついジロジロ見てしもうて……。

 それに、それ外国の小説やろ? わたしと同じ位の年でそんなん読めるやなんて、凄いなって」

 

 言われて、そういえば未だに本を手にしていたのを思い出した。

 俺の腕から見え隠れしている表紙から言い当てたのだろうが、確かにこれは外国産の推理小説だ。内容も子供向けとは言い難く、小学生でこれを読む奴は少なくともうちの小学校では俺以外にいない。

 まあ彼女からすれば俺を珍しく思うのは無理もない。

 でも、それは俺からしても言える事だ。

 

「日本語に訳されてるからな。ルビも振ってあるから読むのに苦労はしない。

 けどな、そっちの本だって子供が読む内容じゃないだろ。第一この本が外国の物だと判る時点で其方も大概だ」

「ありゃ、これは1本とられたなぁ」

 

 くつくつと笑う少女の膝には、先程俺が手渡した本がある。

 表紙に書かれてある題名は日本で有名な小説家の作品だ。それもまず小学生が興味を持つような内容ではない。

 ………まさか、俺みたいな希少な奴がこんな近場にいたとはな。

 

「でも、それってそんなに面白いん? 推理小説ってあんまり読んだ事ないから分からんのよ」

「面白いぞ。

 途中で散りばめられたヒントを元に犯人を予想したり、又はそのまま読み進めていって最後に犯人が分かった時の驚きを楽しむ、とか色々楽しみ方があるからな」

「へぇ~。なら、わたしも楽しめるかな?」

「ああ、何だったら借りればいい」

 

 喋りつつ、俺は手に持っている本を差し出す。

 

「てっ、ええの?」

「今日読み終えたから問題ない。それに俺が返さなくていいから丁度いいし」

「……………何やちゃっかりしとんなぁ。

 でも、ええよ。わたしもちょっと興味沸いとったところやし」

 

 俺から本を受け取った少女は、口ではそう言いながらも大分嬉しそうに見える。というより初対面の人間から貰った物でここまで喜べるのは、俺には少々不思議に思えた。

 俺は同年代の女子とはそこまで会話した経験はないが、少なくとも初対面の男子にここまで動じず、且つ友好的に接せられる子なんて見た事がなかった。

 

 もしかしたら、先程と同じようになる可能性もあるが、気になっているのは事実。

 他人の事情に踏み込み過ぎるのは褒められた行為ではないけども、既に余計な事を尋ねてしまっている以上今更な話だと思い、もう少し踏み込んで尋ねる事にした。

 

「随分と楽しそうだな」

「えっ、そう?」

「俺にはそう見えたが」

「なら、そうかな……。

 わたし、同年代の子と話した事、あんまりないから。多分それが理由やろうね……」

「…………」

 

 ────同年代の子と話した事がない、か。

 

 最も可能性として考えられるのは、学校の中で孤立しているという場合だ。

 

 少女の歩けないという点を面白がる。又は関わり合いたくないといった理由で話さなかったり、苛めるような連中がいるというパターンは、残念ながら起こり得る。

 けど、そうなると彼女が友好的過ぎる説明がつかない。孤立している状態ならここまで気軽に人と話せるようにはならないと思うし、それを裏付けるように初対面の俺とここまで話せるのだ。

 であるから、この可能性は低いと見るべきだろう。なら一体どういう理由で、という話になるのだが……

 

「あっ、ごめんな! 暗い話してもーて……」

「いや、大丈夫だ。元々聞いたのは俺からだしな」

 

 少女に返答した時、ふと、本棚の先にある時計が目に入った。

 時刻は夕暮れから夜に変わる瀬戸際に差し迫っていた。さすがにこれ以上の長居は厳しい。

 

「さて、俺は帰らせてもらうよ。そろそろ日も沈むからな」

「あっ、ほんまや。………そうかぁ。もうそんな時間か」

 

 ここで帰る事に少し迷いを覚えたが、元々ただ手助けをするつもりでしかなかったのもあり、さすがにここは自分の事情を優先する事にした。

 なので帰る為に少女に断りをいれて今度こそ立ち去ろうとしたが──────途端に彼女の顔は、この子の過去を聞いてしまった時以上の陰りを浮かべていた。

 

「────」

「それじゃあ時間も時間やし、帰り気ぃつけてな。

 ………あと、ホンマにありがとう。お陰で助かりました」

 

 少女は笑顔で別れを告げるが、やはり表情には変わらず陰りが浮かんでいる。

 

 どうも彼女の態度には“同年代の子と話した事がない”というだけでは説明できない部分がある。

 

 そもそも友達がいないというだけで、彼女にも親や親類などの同居人がいる筈だ。なら友達はいなくても、決して孤独ではない筈。

 なのに彼女はどこか孤独を感じているような、人との繋がりに飢えている節があった。

 それは彼女の態度からして顕著だ。

 あまりに友好的なのもそうだが、今この子の顔に表れている陰りは彼女の心から滲み出た悲しみが表面化しているものなのだとはっきり分かる。

 普通今会ったばかりで、少し会話をしただけの人間との別れでこんな表情を浮かべるだろうか?

 

 ………まず、有り得ない。

 先程の可能性も除外するのなら、あと考えられる原因は彼女を取り巻く家庭環境などだろうか。

 

 ────ここで終わらせていいのか。本当に

 

 これは根の深い問題だ。赤の他人が関われる範疇を超えていると云える。

 けれどこの子に話し掛けた時と同じく、ここでそのまま帰ってしまえばきっとそれが後に心に痼を生み出すと。ずっと引きずる羽目になると俺は確信していた。

 

 ───なんだ。なら、答えは決まってるな。

 

 そこまで把握できてるなら、迷いを振り切って決断するなど早いものだ。

 

「ああ、またな」

 

 だから少女にそう告げ、その場を離れる。

 対して件の少女はというと、少しの間何の反応も示さなかったのだが───

 

「えっ───?」

 

 俺が告げた言葉を脳がようやく理解したらしく、ぽつりと驚きの声を上げていた。

 

 ………何か反応は示してくると思っていたが、そこまで驚くとは。

 だがその方が好都合であるのは事実。さっさと話を切り出そう。

 

「何でそこで「えっ」なんだ。そっちもここにはよく来るんだろ?」

「う、うん」

「なら、また会えるだろ。俺もここにはよく来るしな」

 

 それは、これからも少女に関わっていくという意思表示。

 本来、こんな真似は性に合わない事この上ない。

 しかしそもそも既にこの子の事情について、俺は余りにも土足で踏み込み過ぎた。ここで知らぬ振りをして終わらせるにはもう遅く、引き返せない所まで来てしまった。

 

「だからそっちが良ければ、話し相手くらいにはなるぞ」

 

 だから彼方次第ではあるが、俺は関わっていく心積もりである。あとはこの子の反応次第なのだが………

 

「えっと、ええの…………? そんなん迷惑になったりせん?」

「それはない。それこそ話し相手ができてラッキーだ、位に思っとけ」

 

 俺の言葉を聞いた少女は、まだ少し迷っている様子だ。

 対して俺は少し離れた位置に居続けていた。帰る素振りを見せたが、俺は彼女が答えを出すまで待つつもりでいたから。

 

 そして少しの間うんうんと唸りながら考え続けて、やっと彼女は答えを出した。

 

 彼女に先程までの陰りはない。

 話したのは1時間にも満たない時間だが、その表情多分その中でも一番嬉しかったんだと判る、満面の笑みだった。

 

「───うん。なら、お願いしようかな。これからよろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 これが俺と彼女の最初の出会い。

 この先長い付き合いになる「八神はやて」との最初の出会いだった。

 

 

 

 



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名前を覚えるのは割と重要

 車椅子の少女と出会い、それなりに時間が経過したある日の事。

 既に幾度か話し相手を務めていて、今日も本を返すついでに彼女との世間話に興じる為、図書館へと足を運んでいた。

 

「今日もよろしく」

 

 会う度に思うが、この少女はいつも楽しそうに笑っている。

 楽しそうな理由はまあ察しがつく。だが

 

 

「ああ。

 それと、毎回ごめんな。こんなコソコソと……」

「ええよ、もう気にせんで。わたしやってOKしたんやし」

 

 出会い頭にこんな事を言うのは、そもそも図書館は読書の妨げにならないよう静かにするのが暗黙のルールだからだ。

 なのにそんな中で俺達がやる事は明らかなマナー違反であり、咎められても文句の言えない行為なのである。

 なら別の場所を使えば、とまず思いつくだろうが、生憎その選択肢は最初からない。

 何故ならこの辺りに無料で利用できて尚且つ雑談しても咎められない場所は無いからだ。

 “雑談しても咎められない”という点を満たしている場ならファミレスやファーストフード店などが存在するものの、“無料で利用できる”という点を満たしているのは図書館だけだ。

 それに、俺から言い出した以上反故にする訳にもいかない。よって周りにできるだけ人がいない箇所で、且つ図書館に響かない声量で話す、という条件で俺達の意見は纏まったのだ。

 

「もう……。君ってホンマに謝ってばっかやねぇ」

「………お前だって最初は気にしてただろうに」

 

 俺から見るにこいつはルール違反を気にするタイプだ。

 実際初めは気にした様子を見せていたのに、今ではすっかりこの状況に慣れきってしまった様である。

 

「それはそうやけども、今はもう気にせん事にしたんや。

 せっかく楽しいお喋りタイムやのに、そんな辛気くさい顔してたら楽しめるもんも楽しめんやん」

 

 ………俺にはこの子は無理をしているように思える。

 この少女は他人に迷惑をかける事を普段から気にしている。そんな子がこんな決して褒められない行動をすんなり容認できるのかと、どうしても疑ってしまうのだ。

 けれど確証は無い。

 それはもしかしたら俺が何時までも吹っ切れないからそう見えるのかもしれないし、今日の彼女は少し様子が変に見えるからかもしれないからだ。

 ただ確かなのは、彼女が俺との世間話を望んでいるという事。

 

 ………まあ、ずっと辛気臭くいる訳にもいかないか。さっさと気分を切り替えていこう。

 

「……それもそうだな。

 だけどな、そっちもあの時は謝ってただろうよ」

「今日は謝ってへんもん。それに回数は君の方が多いし」

「どや顔で言う事かそれは………」

 

 自信有り気に放たれる屁理屈に、思わず少し笑ってしまう。

 会話の際は大抵このように主導権を握られている。けれど、毎回不思議と悪い気はしなかった。

 

「ええやんか。人間ちょっぴり胸を張りたい時やってあるって」

「………いやいやいや、絶対違う。自慢できる事じゃないからな、それ」

「まぁそうなんやけど、会った時からわたし達、頻繁に謝まってばっかりやん。

 もうどっちがより少ないか勝負できる位回数も増えてきとるし、こうなったらいっその事競ってみるんもええかなぁって」

「勝っても特に嬉しくねぇよ………」

「えぇ~。こういう一見何の意味もない事を全力で楽しむのもええと思うんやけどなぁ」

「今回のは本当に意味がないだろ……」

 

 いつもこんな中身の無いぐだぐだな話だったり趣味の話をしていて、そうやって話し込んでいるとあっという間に時間は過ぎていく。

 そんな世間話。又は談笑を毎回俺達は繰り広げていた。

 

 だけど、今回はいつもと少し違った一日になる。

 俺達の関係を少し変えさせる出来事が、その日起こったんだ。

 

 それは少女の体調の変化から始まった。

 

「んっ、ふあぁ───」

 

 不意に、少女が欠伸をし出したのだ。それも余程眠気があるのか、大分深い感じの声を発しながら。

 

「なんだ。眠いのか」

「いや、昨日あんまり眠れとらんのよ。ちょっと……寝付けんくて」

 

 ………成る程。だから今日は目元がおかしく見えた訳だ。

 顔を注意深く観察してみると、目の下に隈ができていて、眼球も少し充血している。改めて観てみると明らかに眠いのが丸分かりな状態だった。

 

「すぅ……すぅ……」

「……おーい」

「…………はっ! だ、大丈夫。起きれる、起きれるから!」

 

 ………うん。無理だろこれは。

 既に限界が近いのか、ついさっきと同じようにもう目を瞑り掛けている。必死に起きようとはしているが、このまま寝落ちしてしまうのも時間の問題だろう。

 

 しかし、そもそも何故こんな状態になっているのだろうか?

 この子について詳しく知っている訳じゃないが、あまり夜更かしを好んでするタイプには見えないのだが………何かあったのか?

 

「寝付けないって、今までそんな事無かったじゃないか。何で今日に限ってそんな風に?」

「………いやぁ、昨日は夜遅うまで本読み耽っとってなぁ。しかもまだ読み掛けで終わっとるから続きが気になってしもうて──」

「で、興奮し過ぎて寝付けなかったと」

「仰る通りです……」

 

 ……聞いてみたら完璧にこいつの過失だった。それも割と知らなくてもいい理由だった。

 感想としてはただただ呆れかえるしかないのだが、問題なのはここからどうするかだ。

 

 何せこいつはもう限界だ。

 まず目の前で眠たそうな姿を晒している訳で、このまま話を続けたところでまず寝落ちするのは明らか。

 少なくとも放置する気は無いのだが……こいつをどうするかで浮かんだ選択肢がどうにも納得してくれそうにないものばかりだった。

 

 その浮かんだ選択肢というのは“家に帰らせて寝させる”か“ここで寝させる”の二択。

 どちらもこいつを寝させるモノであり、必死に起き続けようとするこいつの様子からして、まず却下するのが目に見えていたのだ。

 

「どうしたものか……」

「ん? どないしたん?」

「いや、お前を寝させるにしてもどっちにしようかなって───」

 

 ─────あっ

 

「………いやいやいや、寝ぇへんよ。何言っとるん!」

 

 拙い。つい口に出して言ってしまった………。

 ………仕方ない。もう言ってしまった以上そのまま寝させた方がいいか。これ以上うつらうつらと眠気に耐えてる姿は見てられない。

 

「そう言わず寝とこう。もう起きるのも辛いんだろ?」

「えぇ~。でも……」

 

 少女はやはり、寝るのを拒否してきた。

 けれど此方とて譲る気はない。

 

「意識が朦朧としてるのに何言ってんだ。そんな鈍った頭じゃまともな会話もできないだろ。

 それに話す機会は今日だけって訳じゃないし、今回は素直に寝た方がいい」

「む~~」

 

 俺の物言いに腹を立てて、リスみたいに頬を膨らませている。完全にご立腹のようだ。

 だが起きていたいのなら、そもそも早く寝ればよかったんだ。わざわざ俺に難癖付けるのはお門違いもいいとこだ。

 そして結局のところ、彼女もそれを理解していたのだろう。渋々ではあるものの、ここで仮眠をとるのを了承してくれた。

 

「なら、今日はそうしとく。……おやすみ」

 

 腕を枕代わりに、彼女は机に伏して寝る態勢に入った。そこからすぐに意識が飛んだらしく、腕と顔の隙間から小さな寝息が聞こえてくる。

 

「全く、無理しやがって……」

 

 こうしてすぐに寝てしまう辺り、相当眠気を堪えていたに違いない。

 特に時間は指定してないので、別に絶対今日ここに来る必要は無かった筈。なのに無理して来たというのは────己惚れでなければ、俺と話す時間をそれだけ楽しみにしていたという事なのだろう。

 

 ……………よくよく考えれば、親以外の誰かとこんな風に話したのはこいつが初めてか。

 学校では親しく話せる友達はいない。

 それは完全に孤立してはいないが、どこか壁がある関係性だからだ。話す時はあるがそう頻繁ではないし、入学してからこのかた誰かの家に遊びにいった事もない。たまにサッカーなどの多人数競技で助っ人として呼ばれる時はあるんだが………まあ、大体がその程度の付き合いである。

 

 それと比べてこいつとはそういった壁は無く話せている。

 まるで、あいつが───高町なのはが言っていたような“友達”のように。

 

「まあ、だから何だという話だが」

 

 少女が寝た事により暇になったので、ここ本来の用途に沿って本を読む事にする。

 寝ているといってもそこまで長くは寝ないだろうから、一時的な暇潰しだ。多分読み終わる前に自然と起きるだろう。

 

 

 

 

 ─────と、この時は思ったんだがな。

 

 

 

 

「おい。────おい、目ぇ覚ませって」

「むぅ………ん?」

 

 それからしばらく時間が経って肩を何度も揺さぶり少女を起こす。

 

「あっ、おはよぉ……。えっと、今何時なん?」

 

 しかし寝起きというのもあって、未だはっきりと覚醒していないようだった。眼も半開きで、放っておいたら二度寝するんじゃないかと思う程に意識が朦朧としている。

 だが、それでは困る。やっと起きたんだ、いい加減夢見心地から現実に戻ってもらおう。

 

「閉館時間ぎりぎりだ」

「…………………………えっ」

 

 現状を認識させるため時刻を伝えたところ、少女驚いた様子でそのまま固まってしまった。

 多分、突然舞い込んだ情報に頭の処理が追い着いてないんだろう。

 で、ようやく理解した途端、それはもう勢いで車椅子から落ちるんじゃないかって位に慌てふためきだした。

 

「ちょ、何でそんな時間まで!?」

「何回も起こしたよ。けどお前、余程疲れてたのか知らないが全然目を覚まさなくてな………。

 だから受付の人に待ってもらって、ぎりぎりまで粘ってた」

 

 最初は俺が起こすまでもなく、勝手に自分で起きるだろうと思っていた。

 けど夕方になっても起きる気配がないので、一度起こそうとしたのだが全く反応がない。その後も何度か起こそうとしたのだが結果はこの通りである。

 最終的に係の人に頭を下げてここまで待ってもらったのだが………起きてくれて助かった。さすがにこれ以上はあっちも待ってくれなかっただろうから。

 

「そ、そのごめん! こんなんなるなんて……」

「謝らなくていい。

 とにかく早く出るぞ。あっちも待ってくれてるし」

「う、うん……」

 

 自分がやった事を認識して落ち込んでいる少女を無理矢理宥めて、図書館の外へ出る。もう空は日も沈み暗闇に覆われていて、子供が出歩いていい時間などとうに過ぎ去った事が嫌でも判る状態だった。

 

「うわっ、もう真っ暗や……」

 

 少女は夜空を見上げて呆然としていた。

 俺はこの中を帰る事に不安を抱いてるんだろうか、などと勝手に思っていたのだが、その予想は少女からの質問で覆される事となる。

 

「あの、帰り大丈夫なん?」

「………あのなぁ、俺の心配より自分の心配をしておけよ。

 女の子が夜道を一人で帰るんだぞ。少しは不安に思わないのか」

「いやぁ、私は慣れとるし心配せんでも大丈夫やよ。

 ………………でも、どないしょーかなぁ」

 

 慣れてるって………こんな夜道を一人で帰る事を?

 ここは普通、親に連絡して迎えに来てもらうという方法があるだろう。俺の親はまだ仕事中で迎えには来れないだろうが、こいつの親はそこまで忙しいのだろうか? はたまた迎えに来ない程家族関係に罅が入ってるのか?

 

「あの」

 

 俺が答えの出ない問題で頭を悩ませていると、少女は此方へと顔を向けて話し掛けてきた。

 

「んっ?」

 

 そういえば何か悩んでいるようだったが、それで何か言う事があるんだろうか?

 俺は気になって話に耳をかたむけるのだが、こいつの口から飛び出した内容はまず思いもよらないモノだった。

 

「もし良かったら家に来んへん? それやったら一人で帰らんで済むし………あと、今日のお詫びもしたいし」

 

 ───────えっ?

 それって、家に泊まらないかって事か? 今までクラスメイトの家にいった試しがない俺が、こいつの家に?

 

 確かにもう夜も遅い。

 家まではすぐ戻れる距離じゃないし、ここから一人で帰る危険性を鑑みると二人目で纏まって行動した方がいいのは確実だ。

 ただ他人の家に行った経験の少ない俺としては、誰かの家に泊まるという行為が途轍もなく敷居の高いモノに感じてしまう。

 

 ………けれど、それは俺が怖じ気づいているだけの話。

 そもそもこいつをこんな夜中に一人で帰らせる事をすんなり受け入れられるのかと訊かれたら、まず無理だと俺は答える。ならばここで乗らない選択肢はないな。

 

 ただし、その前にやっておくべき事はあるが。

 

「………なら、お邪魔させてもらおうかな。

 でもちょっと待ってくれ。先に親に連絡する」

 

 何せこんな時間まで連絡せずにいたんだ。勝手に行く訳にもいかない。

 

 という訳で少女に断りを入れてから携帯電話を取り出して、親の番号にかける。

 まだ仕事中の場合があるので話せる確率は半々だったが、実際はそう時間も掛からず電話は繋がった。

 

「もしもし、父さん」

『もしもし………って春樹か!

 お前こんな時間までどうした? 母さんも心配してたぞ』

 

 電話から聞こえてくる父さんの声はかなり慌てているように聞こえた。それに、父さんの声以外にも別の誰かの声が耳に入ってくる。

 これはまず間違いなく店の常連客の声だろう。少し小さめに聞こえてくる事から、多分店の外にでも出て俺と話しているに違いない。

 

 ………まだ営業中にも関わらずこうして電話に出てくれた事に、申し訳なさとよく分からないむず痒さを覚えたが、今はそれに浸る暇はない。早々に要件を伝えて許しをもらわなければならないのだから。

 

「ごめん、ちょっと用事でさ。特に何も無かったから安心して。

 あと………」

『あと?』

 

 だが少女の家に泊まる事を言おうとして、一体どう説明するべきか言葉に詰まった。

 

 知り合いの家は………駄目だ。こいつについては二人に話してないから理由として弱い。

 

 ならば別の誰かの名前を出すか………それも駄目だ。後でボロが出る可能性があるし、そもそも後ろめたい事でもないんだ。嘘をつく必要自体無い。

 

『どした。急に黙って』

 

 不思議に思ったのか父さんは何故急に黙り込んだのか尋ねてきた。

 

 拙い。まず考え込む時間などないんだ。早急に返答しないと。

 けれども、ならどういった理由を付けようかと頭を巡らせて───一つ、ある案が思いついた。

 これはもし彼女に聞こえた場合どう思うか、という問題があるものの、これなら説得する事が出来るかもしれない。

 

「───今日、もう夜も遅いから家に泊まらないかって友達に誘われたんだけど、泊まっていい?」

『─────』

 

 という訳で実行に移したのだが、急に父さんは何も言わなくなり、無言の間が訪れる。

 

「父さん?」

『…………お、おう。分かった。気をつけてな』

「ありがとう。それじゃあもう切るから。また明日」

『了解。……楽しんでこいよ』

 

 彼方からの返答を最後に通話を切った。結果は良好、泊まって大丈夫らしい。

 ただ……解せない。あの間が解せない。

 俺に友達がいるのはそこまで驚く事なのか、父さん………。

 

 ………まぁいい。釈然としないが、それよりも結果をあいつに伝えないと。

 

「えっと。どうやった?」

「ああ。大丈夫だってさ」

「そっか、良かった……。

 ほなら行こう。あんまりのんびりしとられんし」

 

 少女はそう言うと自らの手で車輪を回し車椅子を動かして行く。

 そしてやはりというか何というか、そんな光景を黙って見ているのは気分が悪いので、少しばかり手伝う事にした。

 という訳で、彼女の後ろに回って車椅子の取っ手を握る。

 

「んっ? ……あぁ、ありがとう」

「どう致しまして」

 

 それから俺が車椅子を押す形で、二人で少女の家まで歩いていく。

 道中少女が寝過ごした事をまた謝ってきたり、俺がそれを宥めたり。そこから今日出来なかった分を取り戻すとばかりに色んな話をしていた。

 

「そういえばな」

「ん?」

 

 そして歩き続いてそれなりに経過した頃、話題の切れ目に少女は此方に顔を向けて、とある事について俺に尋ねてきた。

 

「電話、聞こえてしもうたんやけど。なんや私の事“友達”って言うとったやん」

 

 それは先の電話でのあの発言の事だった。

 ………電話の内容は聞かれていたらしい。どうやらこいつは、俺が友達と言ったのを気にしていたようだ。

 

「ああ。確かに言ったな」

「それって………私たち、友達って事でええの?」

 

 ────友達、か。

 

 正直、俺は今までこいつの事を友達とは認識してなかった。ただの話し相手で、俺はこいつの暇潰しの相手なのだと思っていた。

 

 でも、本当にそれが俺の本心か?

 

 こいつが求めているのは現状じゃなくて、俺がどう思っているか。少女を“友達”だと思っているかだ。

 認識してなかったのは事実だが、それだけで済ませられない部分が心の中にある。

 

 そもそも俺が図書館に行っていたのは本を読むためだった。俺から言い出したとはいえ、こいつとの話を優先させれば本を読む時間はとれなくなる。数少ない俺の趣味の時間が奪われる結果になるんだ。

 なのにこいつと話している間、その事について考える事もストレスを感じる事も無かった。

 

 それはきっとそれを忘れる位集中していた。こいつとの会話を、時間を楽しんでいたから。

 

 果たしてただの話し相手と認識している人間に、こんな感情を抱くものだろうか? 自分の事ながらとてもそうだとは思えなかった。

 だからこれは………きっとそういう事だ。

 

「そうだな……。俺は今まで、お前を友達とは見てなかった」

「………うん」

「けど──」

「けど?」

「────お前と友達になりたいとは思ってる」

 

 これが俺の本心。

 今どういう関係とかじゃなく、俺がこいつとどうありたいかという想いだ。

 こんな事言うのは柄じゃないんだが、今これ以外に俺の心の内を的確に表せる言葉は考えつかなかった。

 

 だがこれはあくまで俺がどうしたいかという意思だ。こいつがどう思っているかは判らないし、どう答えるかも判らない。

 

「で、そっちはどうなんだ。お前は俺と友達でいいのか?」

 

 だから………まず思い通りにならない場合もあると頭に入れておくべきだろう。

 それでもこ今のは訊いておくべき事だ。今以上の関係を望むなら、たとえ拒絶されるとしても一歩踏み込んでいかなきゃいけないから。

 

「わたしも……うん。わたし達、友達やったらええのになぁってずっと思ってた」

 

 訊いた結果は良好。少女も俺と同じような想いを抱いていたらしい。

 なら答えは一つしかない。

 

「じゃあ今から友達って事だ。お互い気持ちは同じなら、もうなったも同然だろ?」

「────」

 

 少女は何故かいきなり面食らった顔になった。

 あれ、俺の言った事はそこまでおかしかったろうか?

 

「……そっか。友達、かぁ」

 

 と思いきや急に嬉しそうに笑みを浮かべ出した。それも出会ったあの日と同じか、それ以上に感情が溢れた笑みを。

 そしてその微笑みが問いへの答えに等しかった。

 

 まあ俺も何だか気分が良い事から、嬉しく思っているんだろう。何せ人生初のちゃんとした友達だ。感じ入るものがあってもそう不思議ではない。

 

 こうして二人とも友人ができた事で感慨に耽っていたのだが、暫くすると少女の方が何かに気付いたように「あっ」と声を漏らした。

 

「………そういえば、わたし達まだ名前教えとらんやん」

「……あぁー。確かに」

 

 確かに俺達はまだ名前を教えていない。今の今まで“お前”や“君”で呼んでいたからな。

 

「あれ、何でこんな大事な事忘れとったんやろ? 自己紹介もせんと今まで過ごすなんて……」

「……確かにそうだが、初めて会った日はまた会おうって別れて、そこから図書館で会う時は二人共、話にかまけて忘れてただろ」

「あぁー……」

 

 これには少女も苦笑いである。

 俺も同意見だが、別に今まで教えてこなかったのは然したる問題じゃない。

 

「何、今から教え合えばいい」

 

 そう。これからは正式に赤の他人ではない“繋がり”ができる訳だ。

 たった一回切りの付き合いじゃなくて、これから何度も会うと確信が持てる関係。それに俺達はなった。

 だからお互い知らない事があっても、両方教えたいと思うなら教え合えばいい。

 

「──うん。それもそっか

それなら、君の名前を教えて」

「分かった。

 俺は『相馬春樹』。呼び捨てで呼んでくれていい」

「私は『八神はやて』言います。こっちも気軽に名前で呼んでくれてええよ」

 

 ────『八神はやて』か。確かに覚えた。

 

 相手の名前を呼ぶ事。相手と名前を呼び合う事。

 相変わらず名前を呼んだだけで友達とはならないと思ってるが、確かにこれも友達である為に必要な要素なんだと、今実感できた。

 

 だからこそ言っておくべきだろう。この先も長い付き合いであれるように。友達として良好な関係であれるように、願いを込めて俺は言った。

 

「これからよろしく。はやて」

「こっちこそ。これからよろしく、春樹くん」

 

 




 正直はやての口調を再現できてるか怪しいところです。何せA’sを見たのが数年前ですからね。割と忘れてる部分があってもおかしくないので。
 こんな感じでかなり適当な拙作ですが、次もまた読んで頂ければ幸いです。

 ではまたの機会に。


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八神家での夜 前編

 今回ははやて視点。


 ※追記
 編集して三人称部分の入れ替え等を行いました。


 八神はやては孤独だった。

 

 両親は彼女が幼い頃に事故で亡くなっている。親戚もおらず、引き取り手がいなかった彼女はそれからというもの、父の友人に家族の遺産を管理して貰いながら生まれ育った家にて一人で暮らしてきたのだ。

 この時点で彼女は不幸に見廻れたと言っても過言ではない。そして現在もこれは尾を引いている。

 だが、彼女に降り掛かる不幸はこれだけでは終わらなかった。

 

 何故ならはやての足は原因不明の病に侵されているのだから。

 この病気のせいで彼女は歩けず車椅子での生活を余儀なくされ、加えて通う事が困難とされたが為に学校を休学さぜるをえなくなっている。

 

 子供にとって学校とは同年代の子と触れ合える絶好の場所。

 なのに学校に行けないという現状は、歩けず自分の力だけで行ける範囲が少ないはやてにとって、交友関係を自然と狭めていく結果に繋がっていった。

 

 故に彼女は孤独なのだ。

 

 家族はおらず友達もいない。

 それでも彼女は平気だと。大丈夫だと懸命に過ごしてきたが、やはりどこか空虚さを感じてしまう。胸に巣くう寂しさを拭う事は出来ずにいた。

 

 ────きっと、何も変わらへんままなんやろうなぁ……。

 

 そしてそんな生活を長年続けていた為か、彼女の心には諦観が生まれていた。

 病気を治す事も。友達をつくる事も。

 彼女は堪えていない振りをしながら、心の奥底で諦めていたのだ。もうどうしようもないと。自分はずっとこのままなのだと………そう思っていた。

 

 しかし、そんなはやての日常にある変化が訪れた。

 

 ───ずっと望んでいた。けれど出来る訳がないと諦めていた友達ができたのだ。

 

「お邪魔します」

 

 さらにその友達が自分の家にやってきた。それも泊まりに。

 この現実にはやての心は踊っていた。踊らぬ筈がなかった。

 

「うん、いらっしゃい」

 

 共に玄関を括る友人───相馬春樹に、はやては笑顔でそう告げる。

 だが当の少年は反応を示さず、玄関から廊下の先まで家の中を隅々まで観ている最中だった。

 

「どしたん? 家の中見回して」

「ん、いや。もしかして家全体がバリアフリーになってるのか。結構便利なんだな」

「そうやね。わたし一人でもちゃんと生活できてるし、不便なところは少ないなぁ」

 

 はやてとしては春樹の返答に何気なく答えた一言だったが、彼にとっては予想だにしないものだったようだ。

 

「……………はい?」

 

 彼は一瞬沈黙した後、素っ頓狂な声を上げた。

 

「お前、まさか一人暮らしか」

「うん。そうやけど……」

 

 そんな反応を見せたかと思うと、今度は何かを考えるように押し黙ってしまう。

 それが今、彼の疑問に何気なく答えた自分の返答にあると、はやてはすぐに気付けた。

 

 彼はあの時もそうだったと彼女は思い返す。

 彼は最初に出会った時、自分の話をすると今のように何か考え込んでいたのだ。

 

 そして、彼女はそれをずっと気にしていた。

 初めて出会った日から今日まで、気にする事ではないと心を誤魔化しながら、ずっと。

 

 ───訊いてみよう、かな。

 

 だが、それも我慢の限界だった。

 

 今までは怖くて訊けないでいた。

 けれど、“友達”になった今なら答えてくれるのではないかとはやては思い至り、ずっと知りたかった答えを訊く為に春樹へ話し掛けた。

 

「なあ、春樹くん」

「……何だ?」

 

 不穏な空気が流れる。

 同様に喜びに満ちていた自身の心も、この空気に充てられたかのように暗くなっていくのを彼女は自覚していた。

 

 ────怖じ気づいたらあかん。

 ────これからも友達でいたいなら、絶対ここは訊いとかな。

 

「………春樹くんに訊きたい事があるんよ」

「訊きたい事? まあ俺が答えられる事なら構わないが……」

 

 それでも、はやては口を閉じなかった。

 この疑問は彼女にとって重要な事で────ここで答えを訊けなければこれから先、相馬春樹との間に蟠りを残してしまうと確信しているのだから。

 

「──春樹くんって、わたしの事どう思とったん?」

 

 はやての質問に、春樹はよく理解できなかったのか首を傾げる。

 

「どうとは?」

「………例えば初めて会った時とか。あの時は何で本を取るんを手伝ってくれたんかなって」

 

 この意を決して口にした疑問は、はやての中にある彼への疑惑に由来する。

 

 ───彼は何故自分と話し相手になってくれたのか。

 

 これを出会った日から今日まで様々な憶測を彼女なりに立てていたのだが、どれもしっくりせず頭を悩ませる日々。

 自分で考えて分からないのなら直接本人に訊けばいいと考えた事もあった。だが、そこでいつも訊く事に恐怖心を抱いてしまい、いつも訊けず仕舞いで終わっていた。

 

 では、何故はやてはこの疑問を訊く事に恐怖心を抱いていたのか?

 

 それはもし、彼が話し相手になってくれた理由が“同情”に拠るものだとしたら───自分は彼と上手く付き合っていけないだろうと感じていたからだ。

 

 はやては今まで、“歩けない”事が原因で色んな人から同情の目を向けられてきた。

 

『可哀想に。歩けないのねぇ……』

 

 見ず知らずの人が、自分を見てそう言っていたのを覚えている。

 

『困ってるなら手伝おうか?』

 

 歩けないだけで何か困っていると思われて、そう言われた時もあった。

 

 そしてそういう人は必ず同情しつつも───自分よりも弱い立場としてしか彼女を見ていない。

 だから、そんな風に見られるのがはやてはたまらなく嫌だった。

 

 確かに彼女は歩けない分、人より出来る事が少ない。

 けれど、だからといって足が悪いというだけで『他人より劣っている』と評価を下されて、すんなり受け入れられる筈もない。

 なのに彼等は自分の気持ちなど考えてもくれない。

 同情してくる人はみんな、勝手な思い込みと親切を履き違えて、自分の心を傷つけてくる人達ばかりだった。

 

 この事から彼もそうなんじゃないか。自分に同情したから手伝ってくれたんじゃないのかという想いが彼女の中に芽生えていた。

 だが、それだけならば彼と友達になろうとは思っていないだろう。

 同時にそうじゃないという想いも存在していたからこそ、今の彼女があるのだ。

 

 今までの人達はその場限りで、それ以降はやてと積極的に関わろうとはしてこなかった。

 でも彼は違った。

 春樹は出会った後も話し相手として自分と関わり続けた。

 彼は基本聞き専門だったが、いつも自分の話をきちんと聞いてくれて、それを嫌がる素振りは一切無かった。

 それに読書という共通の趣味がある同士、自然と本の話で盛り上がる事もあった。

 

 そんな彼との時間は自分にとって新鮮で、温かくて、何より楽しかった。

 そして彼が『友達になりたい』と言った時は───とても嬉しく感じた。

 

 そう思ったから、思うからこそはやては信じたいのだ。春樹はそんな人ではないと。きっとこれからも友達でいられる人だと。

 

「出来る事なら教えてほしい。……どうやろ?」

 

 そうしてはやては一言添えつつ、静かに彼の返事を待つ。

 

「ふぅ……」

 

 すると春樹は深い溜息を漏らした。

 それが如何なる意味を持つのかは分からなかったが、彼の表情を見て悟った。

 

 ───春樹は、自分の疑問に答えてくれるのだと。

 

「────あの時は日が暮れるまで時間があったからやっただけだ。

 ………それと、別に同情して手伝った訳じゃない」

「───!」

 

 彼の答えに含まれた一言は、はやての心を驚愕の色に染め上げた。

 

 ────何で、そこまで分かるん。

 ────わたし、そんなん一言も言ってないのに……。

 

 だが、彼がどうやって自分の内心を察したかは今重要ではないと、はやては自身の心を無理矢理落ち着かせる。

 

「じゃあ何で? どう思ったから手伝ってくれたん?」

「後で思い出すだろうと考えたからだ」

 

 そしてもう少し踏み込んで尋ねたが、その返答を彼女は理解できなかった。

 

「彼所で手伝わなかったら、俺はきっと後で思い返してた。あの時放っておいて良かったのかって。そうなるとな、小骨が引っ掛かった時みたいに鬱陶しくって仕方なくなるんだよ。

 だからあの時手伝ったのは俺の為だ。俺が気分良く日々をおくる為に手を貸した。それだけだ」

 

 しかし続きを聞いて、やっとはやては納得できた。

 

 彼の動機は何とも自分本意な考え方だ。

 要は『部屋が汚くて邪魔くさいから、片付けよう』と似た心理である。まず心に引っ掛かったから手伝ったのであり、どうでもよければそもそも助けなかったと彼女は言われたも同然なのだから。

 

「じゃあ、わたしの話し相手になってくれたんは?」

「今言ったのと同じ理由だ。………で、他に訊きたい事はあるか?」

「───ううん、もう大丈夫。答えてくれてありがとう」

 

 けれど、全てを聞き終えたはやての心は晴れやかだった。

 確かに彼の動機は善意とは呼べない自分本意なものだ。しかしそれで彼女が救われたのは事実であり、又今までの行為が同情に拠るものではないと知れた時点で、はやては内心安堵していたのだから。

 

 ───それに、助けてくれたって事は悪い人やないやろし。

 

 そして何よりも、春樹は彼女が一生懸命本を取ろうとする姿を見て()()()()()()と言ったのだ。

 彼の返答から推察するに、それは困っている人を見て心に引っ掛かるものがあるという事。

 これは彼が動機からして善人とは呼べなくとも、決して悪人ではないという証明になるとはやては確信したのである。

 

「いいさこれ位。

 さて、そろそろ晩御飯にしたいんだが、作れるのか。料理」

 

 ときに春樹と云えば、はやての反応からもう大丈夫とでも思ったのか、彼女へ晩御飯を催促し始めた。

 

「そりゃもちろん! 腕によりをかけて作るからお楽しみに」

 

 それにはやては自身たっぷりに応える。

 心が晴れた事により、最初彼女の心にあった喜びも先程とおなじ。いやそれ以上の高鳴りを取り戻していた。

 

「えらく自信満々だな。そう言うからには期待させてもらうぞ」

「言うたな~。

 ほんなら、ほっぺた落ちる位美味しいモン作るから、テレビでも点けて待っといてな」

「はいよ。それじゃあ楽しみに待ってるよ」

 

 ───楽しい夜になりそうやなぁ……。

 

 そして同時にはやてはやる気に満ち溢れていた。

 

 友達と一緒に食べる食事。

 

 それはきっと、自分が想像している以上の楽しい思い出になるだろうと彼女は胸を高鳴らせている。

 よってそれを実現する為にも生半可な料理は作っていられないと気合を入れながら、はやてはキッチンへと向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻はあと数時間で日が変わろうという深夜。

 住民達が寝静まった事で灯りは消え、海鳴市の住宅街は完全な闇夜に包まれている。

 しかしそんな暗闇の中を、とある一匹の灰色の猫が決して動かずある一点だけを見詰め続けていた。

 

 その視線の先にはとある一軒家がある。

 一軒家を座して見詰める猫の姿は、まるでその家全体を監視しているかのようだ。

 

 だが、もしこの光景を見た人がいても決してそのようには捉えまい。猫にそこまでの知能はないと常識で考え、「猫がそんな人のような真似をする筈がない」と一蹴するだけだろう。

 

「何なの、あの子供は……」

 

 ────ただし、この猫が常識で収まる存在であったならばの話だが。

 

 この猫は人の言葉を話した。それは本来有り得ない光景であり、この生物は地球の常識では図れない生物なのだという事を示している。

 

「アリア。交代に来たよ」

 

 そしてそこに、もう一匹の猫が現れる。

 その猫は人語を解す猫と瓜二つの容姿をしており、何より灰色の猫と同じく人語を使っていた。

 

 このような世の常識を逸脱した存在が、様々な人が暮らす街でたった一つの家を注視する。

 この時点で、その一軒家には二匹が気を向けねばならない“何か”があるのだと察せられる光景であった。

 

「ロッテ」

 

 最初にいた猫は片方をロッテと呼び、後から来た猫は片方をアリアと呼ぶ。どうやらそれが二匹の名であるらしい。

 

「なんか浮かない顔してるわね。そりゃ闇の書が目覚めるまでずっと気の休まる時なんてないけどさ、そんな顔してちゃこの先やってけないわよ?」

 

 ロッテはおちゃらけた態度でアリアへ語り掛ける。猫──いや彼女の神妙な雰囲気を考慮しない振る舞いであったのだが、ロッテへの信頼に拠るものか。またはロッテが元々そういう気質だからなのかは定かではないが、当のアリアに機嫌を損ねる気配は見られなかった。

 

「気楽でいいわね、ロッテは」

「にゃにおう! あんたが辛気くさい顔してるから言ってんのにさー」

「辛気くさくもなるわよ。まさかの事態に見舞われたんだから」

 

 その代わり呆れてはいたようだ。だがそれで少し気が楽になったのだろう。アリアは先程より気を持ち直してロッテの発言を適当に応対しながら、その後真剣な声色で自身が見た光景。本来あってはならないアクシデントの発生を告げた。

 

「あの子に友人ができたわ。それも今家に泊まってる」

「………それ、ホント?」

 

 アリアから告げられた内容に、ロッテは先までの軽薄さを嘘のように落ち着いた雰囲気へと変貌させる。そしてアリアの告げた事が信じられないといった風に彼女へ詳細を聞き返した。

 

「ホントよ。しかも会話の内容を聞く限り、認識阻害が効いてなかった。本当なら何にも思わない筈なのに、あの子の生活環境に不信感を抱いてたわ」

「そんな、アリアの魔法がただの子供に破られるなんておかしいわよ!

 ………もしかしてその子、魔導師なんじゃない?」

「いいえ、恐らく違うわ。八神はやてと一緒の間はずっと監視してたけど、魔法を使う素振りは一切無かったもの。それに元々この辺りに住んでる現地人みたいよ」

「嘘でしょ……」

 

 “魔法”“魔導師”。

 二匹の猫が語る内容はおよそ現実にあるとは思えない非科学的な単語が飛び交っている。

 だがそれを“喋る猫”という現実離れした存在が語っていて、尚且つ二匹の醸し出す空気は、それらが虚構ではなく真実なのだと否が応でも認識させるものだった。

 

 確かに魔法は実在する。

 その証拠として実際に彼女達こそが魔法を扱える者──『魔導師』であり、加えてその魔導師の中でも高い実力を持つ存在なのだ。

 だが、そんな二匹の片割れ『リーゼアリア』の魔法の影響を受けない子供が現れた。

 加えて事もあろうに、自分達が監視していた少女『八神はやて』と親交を深めている。

 

 ロッテとしては俄には信じられない事態である。

 彼女達は己惚れではなく自他共に認める事実として、自分達を高い技量を持つ実力派の魔導師だと自負していた。

 それは長い年月を鍛錬と実戦に捧げた事で裏打ちされた経験に拠るものであり、この長年培ってきた経験があるからこそ自分達はここまでこれたのだという確固たる自信に繋がっていた。

 何より、彼女はアリアと共に長年過ごしてきた相棒だ。

 だからこそ知っている。アリアの技量なら余程目聡い魔導師でもない限り、違和感を持てないレベルの認識阻害魔法を構築できる事を。

 

 だがそれを魔導師でもないただの子供が何の影響も受けずにいる。さらに、よりによってに八神はやてと接触しているというこの状況。

 この事実に、彼女は件の子供に対して言い知れぬ不気味さを感じていた。

 相棒の魔法がただの少年に破られたという話を未だ心の何処かで信じられていないというのも要因の一つだろう。

 だがそれだけではなく、その子供が現れたのが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だというのが彼女の心を大きく占めていた。

 

 ロッテとアリアが進めている計画はおよそ11年の歳月を掛け準備を進めてきた代物だ。

 自らが所属する組織にも内密に進め、悲願を実現する為莫大な時間と資金を投資している。その甲斐あってか今まで計画に支障は無く、監視対象も此方の想定内に人との関わりの少ない人生をおくってきた。

 このままいけば、今年中にも計画は達成される。今まで『闇の書』に苦しめられてきた全ての人が報われる───その筈だったのに、ここにきて小さく、けれど確かな綻びが生まれてしまったのだ。

 

 未だ計画には何の支障もない。

 

 しかし───この計画は確実に達成させなければいけない。

 

 その想いを強く抱くからこそ、もうすぐ終わるという時に計画を掻き乱すかのように現れた事を、故意ではなく偶然だと。些細な存在だと気に留めぬ事などできなかった。

 

「……それってマズいでしょ。聞いた感じだと闇の書には気付かないでしょうけど、お父様の意向とは逸れる事になるわよ」

 

 そして彼女は、暗にその子供を八神はやてから排除すべきではないかという意図を込めつつアリアへと語りかけた。

 

「確かにね………。

 でもまだ計画に支障が出ていない以上、行動を起こすべきではないと思うわ」

 

 だが当のアリアから飛び出したのは、自らその子供の異常性を語っておきながら、監視対象の下から排除する事に否定的な物言いだった。

 

「でも、アリア!」

「落ち着きなさい。そもそもあの子がどういう存在であれ、近い内に闇の書は起動する。それにもし私たちの障害と成り得る存在だったとしても、その時は二人で対処すればいい。そうでしょ?」

「………そりゃあ、そうだけどさ」

 

 消極的なアリアに語気が荒くなるロッテだが、その後の彼女から出た言葉を聞いて、それ以上の追求を飲み込まざるをえなくなった。

 

 ───二人で対処すればいい。

 

 この言葉が決め手となったのだ。

 ロッテは自身とアリアの魔導師としての技能に自信を持っているが故に、二人でならたとえその子供が自分達と敵対しうる存在だったとしても、負ける事は有り得ないと踏んだのである。

 

「………けどどうすんのさ。さすがにそのまま放っておく訳にもいかないでしょ?」

「分かってる。とりあえずあっちに戻った時お父様には報告しておかなきゃね。それとあいつにも……言う必要があるかしら」

 

 彼女はロッテの扱い方をよく心得ていたという事だろう。今の言動でロッテの中にあった警戒心は幾らか和らぎ、彼女の方針に従おうという気になったのだから。

 ただし、その後の言動でロッテに溜息を尽かせてしまったが。

 

「あのねぇ。言っておいた方がいいに決まってるじゃない。今造ってるデバイスの資金繰りも手伝ってくれたんだしさ、もう完全にこの計画の協力者でしょ。あいつは」

「……そうよね。いい加減認めるべきか」

 

 アリアの態度に辟易しながらも、これで二人の意見は一致した。アリアは自分達の主の待つ拠点まで。ロッテは彼女と交代ではやてを監視する為に、またそれぞれ別れる事となった。

 

「それじゃあくれぐれも手を出さないようにね」

「了解。ちゃんと監視に徹するわよ」

 

 アリアは屋根から飛び降り、暗闇へその姿を消す。対してロッテは先程までの彼女と同じくその場に座り込み、八神はやての暮らす家の監視を開始した。

 

「さて、じゃあ見てみようかしら。その子供がどんな子なのか」

 

 はやても。知らぬ間に二人の話題の中心となった春樹も、この事実を未だ知る由は無い。

 これからも自分達の未来は明るいものだと疑わず、密かに彼らの先は暗雲に満ちていると気付く事なく───今はただ夜を抜け、時間が過ぎ去ってゆくのみである。

 

 

 




 多分あと数話したら無印編に突入するので何とぞよろしく。
 尚、はやてを監視する二人の会話に出てきたキャラに関しては、ストーリーが進めばいずれ登場します。
 そして順調に物語が進んでいけば、数人程オリキャラが出てくるのでそこはご了承ください。


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八神家での夜 後編

 今回もはやて視点となります。


 時刻は9時を回った。

 御飯を食べるには遅いタイミングだが、家に辿り着くのが遅かった二人からすればこの時間はまだ早い方のように感じられた。

 そして特に春樹の方は、時間の事など気にする余地は無い様子だ。

 

 何故なら彼の目の前には、はやて作の晩御飯がずらりと並んでいるからである。

 品目は主食に御飯。副菜にみそ汁とポテトサラダを置き、主菜にハンバーグというラインナップ。

 

 料理としては一般家庭によく見られる品物。特に珍しくもなく、目新しさは無い。

 しかしよく見られる品目だからこそ、これらの料理は作り手の技量を表す物差しに成り得る。

 

「………上手そうだな」

 

 そしてはやての料理に対する彼の第一印象は、好評価なものだった。

 

「そやろ。これが料理歴3年の腕前や!」

「成る程ね。通りで……」

 

 一方で口では自身に溢れた口調のはやてであったが、その実内心安堵していた。

 彼女としては今回時間も遅く、そこまで凝った料理を作れなかったと感じていた為に、春樹の感想は内にあった不安をほんの少し軽減させてくれるものだったからだ。

 

「じゃあさっさと食べようぜ」

「うん。それじゃあ……」

 

 

「「いただきます」」

 

 それから二人は同時にこれを合図とし、食事を始めた。

 

 ────うん、やっぱりおかしなところはないなぁ。

 

 調理中に味見をした結果、はやては問題ないという評価を下した。それは出来上がりを食べた今も変わらない。

 

 だが、それで彼女の不安は無くなりはしないのだ。

 

 先程春樹が下した料理の見た目に対する評価で幾らか安らぎはしたものの、彼女が真に問題視しているのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()についてなのだから。

 

 はやては今の家にずっと一人で暮らしてきた。家族はもちろんのこと友達もいない中一人でだ。故に彼女は実のところ、人に料理を振る舞った経験が殆ど無いのである。

 はやて本人は先程春樹に答えた辺り、自分の料理に自信は持っている。だが、それはあくまで自己評価でしかない。そのため、いざ実際に人へ。それも友達に振る舞うとなると不安が募ってしまうのだ。

 

 そしてはやては手を止め、正面の春樹を見る。

 彼は今まさに彼女の料理を口に運ぼうとしており、口に合うかどうか気になって仕方ない彼女にとっては目の離せない瞬間である。

 

「………どう?」

「うん、美味い」

 

 そうして返ってきたのは、彼女が最も聞きたかった感想であった。

 

「よかった~~」

 

 はやてはほっと胸をなで下ろす。

 そんな彼女の反応を不思議がり、春樹は料理を取る手を止めた。

 

「おいおい。さっきまで見せてた自信はどこいった」

「そんなん言うたって、実際に食べてもらう時は不安になるよ。味はどうやろーとか。味付け合わへんかったらどうしようとか」

「……まあ、それもそうだな。けどその点はやての料理はどれも美味いんだし問題ない」

「えへへ、ありがとう」

 

 安心すると、自分の料理を称賛された経験がなかった為にはやてはこそばゆい感覚を覚え、誤魔化すように頬をかく。だがその感覚は決して居心地悪いものではなく、むしろ心地良いと彼女は感じていた。

 

 ────こんなに嬉しいなるんやなぁ。作った料理を褒めてもらえるって

 

 そしてそれが“美味しい”と言ってもらえたのが嬉しいからだと彼女は気付けていた。

 

「随分と楽しそうだな」

「ん、そう?」

「ああ。今のお前、楽しそうに見えるよ」

 

 春樹にそう言われ、はやては思い出す。そういえば初めて会ったあの日も同じような言葉を投げかけられたのを。

 

「そうやね……うん。わたし、今すっごく楽しい」

 

 それを思い出したはやては満面の笑みで答えた。それも初めて会った時以上の満面の笑みで。

 

「今までなかったから。こうやって友達とご飯食べたり、一緒にお喋りしたりするんて」

 

 ────それは本来なら、誰もが享受出来て然るべきの、ごく平凡な日常風景。

 

 けれど彼女にとってはそうではない。彼女は自身の境遇故にそんな日常を今まで味わう事ができなかった。

 何せ家族も友人もいない家で、ずっと独りで暮らしてきたのだから。

 

 例えばはやては料理が好きだ。今でこそ美味しく料理を作れるようになったが、最初は慣れておらず作るのにいつも四苦八苦していた。

 だがそれでも何度も作っていく中に上達して、どんどん色んな料理を作れるようになった。

 そして味もより美味しく作れるようになった頃には、もっと色んな料理を美味しく作れるようになりたいと思うようになった。料理を作る事がはやては好きになっていたのだ。

 

 けれど毎日料理を作っていく内で、彼女は何か物足りないという思いを抱くようになっていた。

 その思いはどれだけ見栄え良く作れようと、どれだけ美味しく作れようと、消える事は決して無かった。

 だがそれは当たり前の話。

 足りないものに料理の良し悪しは関係ない。

 そしてその答えに行き着いた時点で、はやてにとって食事への楽しみは無いに等しいものになってしまった。

 

 その答えは料理を一緒に食べてくれる人。一緒にいてくれる隣人だったのだから。

 

 はやては心のどこかで感じていたのだ。この料理を誰かに食べてもらいたい。一緒にご飯を食べたいと。

 しかしどれだけ美味しく作ったところで喜んでくれる人も、褒めてくれる人もいない。一人で作って一人で食べる。そんな人の温かみの無い閑々とした食事風景があるだけ。

 だから食事に何も思わなくなった。

 求めたところで叶う訳ないと諦めて、これ以上寂しく感じないようにその事を考えないようにした。

 ただ、それで寂しいと思わなくなったが、代わりに空虚感を抱くようになってしまう。

 美味しいと思ってもそれを肯定してくれる存在がいないが故の虚しさと、独りきりで食べる食事への空しさは残り続けたのである。

 

「料理作ってもわたしだけやと何や味気なかったからなぁ。せやから今日春樹くんをうちに誘ってほんま良かったぁって思って」

 

 でも今は違う。

 一緒にご飯を食べてくれて、笑い合って話せる人がいる。

 それだけで。たったそれだけで今まで何も感じなかった食事が、温かくて愛おしいものに変わった。ずっと何も感じなかった食事を楽しいと思えたのだ。

 

「………別に俺は話の弾む方じゃないし、どちらかと言えば人の話を聞く側だぞ」

「そんなん関係ないよ。ここはわたしが良かったって思っとるってだけなんやから。

 それに、わたしは春樹くんとおるんは楽しいよ。春樹くんは……楽しいない?」

「それは………まあ、悪くないとは思ってるよ。でなきゃ友達になってない」

「うん。なら何の問題もないな」

 

 コクコクと頷きながらはやては一人納得する。

 そんな彼女に溜息を吐きながらもほんの少し笑みがこぼれる春樹の姿を目にして、彼女は微笑みつつ言葉を紡いだ。

 

「じゃあ早く食べてしまおっ。はよせんと、せっかくの料理が冷めてまうし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後食事中、彼女は終始笑顔だった。食事が終わった後も、ずっと笑顔を絶やさずにいた。

 それは春樹との時間を本当に楽しく感じていたから。この幸せな時間を尊く感じていたからだ。

 

 そんな中、彼女の中で新たに叶って欲しい望みが一つ増えていた。

 欲張りかもしれない。もうこれだけの願いが叶っていてこんな事を願うのは───そう思いながらも、彼女は願わずにはいられなかった。

 それはこの友達との時間がこれからも続いていく事。この掛け替えのない時間をずっと過ごしていたいと、そう思ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 湯船に体を沈め、深く溜息をつく。

 自分の体を覆う湯船のお湯は妙な心地良さがあって、今日一日の疲れが癒やされていくような気がしてくる。

 

「それにしても、まさかな……」

 

 背中を預けながら考えるのは、この家の家主であるはやての事。

 元々会った時から家に何かしらの問題があるとは勘繰っていた。想像していたのは家族とのそりが合わないとか、最悪親から冷遇又はそれ以下の扱いを受けているのではないか、という位だが。

 それがまさか………そもそも家族がいなかったなんて誰が思うだろうか。

 事実を知ってみれば、あいつの境遇は此方が想像していた以上に重いものだった。

 

 ───なのに何故、あいつは何とも思っていないように笑おうとするのだろう。

 

 それが無性に気になり、同時に苛立っていた。

 自分の不幸に酔ったりしないのはいい。けど、だからって笑顔を貼り付けているのは違う。そんな無理して取り繕った笑顔を向けられたって見ている側は痛々しく感じるだけなんだから。

 それなら最初から辛いなら辛いと言えばいいと、俺は思うのだ。

 

 俺は知っている。

 はやては最初に出会った日、初対面の俺との別れ際に寂しげな表情を見せていたのを。

 あいつは笑っているように見せようとそれらしい表情を作っていたが、俺からすればそんなものすぐに看破できる代物だった。

 少し話をした初対面の人間と別れる事にさえ寂しさを感じるというのに、辛くないなんて明らかな嘘だ。

 

「これ……高町に似てる、な」

 

 ────“辛いのに平気なように振る舞う”

 

 そう、似ているのだ。

 この点は此方から距離を置いているあいつ。高町家の末っ子に。

 …………通りで気になる筈だ。

 よりによって、俺が最も苦手とする人物と内面が似ているなど、なんて嫌な偶然だ。

 だが、それに気付いたからといって今更付き合いを改める気はない。

 

 ───『わたしは春樹とおるんは楽しいよ』

 

 つい先刻見せていたあいつの表情を思い出す。

 それは取り繕ったものじゃなく、真に心から表れたもの。とても楽しそうで、一緒に晩ご飯を食べる一時を本当に愛おしく思っているのだと伝わってくる和やかなもの。

 それは図書館で一緒に話している時も同じだった。表情を作っている素振りは見受けられず、終始和やかに笑っていたのだ。

 

 ───『わたしも……うん。わたし達、友達やったらええのになぁってずっと思ってた』

 

 それにあいつはこう言っていた。

 自惚れでなければ。その言葉に嘘偽りがなければ、はやては俺といる時間を楽しんでいたという証拠になる。

 それは俺も同じで。だったら例えあの高町と似ている部分があっても、それがはやての心を曇らせる結果になるのなら、縁を切るなんて選択をする気は無い。

 

 しかしそれとは別としてあの取り繕った笑顔がはやての中から消え去った訳ではない。やはり今後とも付き合っていくにあたって、その部分はどうしても看過できないのだ。

 ただどうすれば消す事ができるのか、それは分からない。

 原因は多分このあいつを取り巻く環境に隠されているとは勘繰ってはいる。けれどそれを特定しようにも───そもそも俺は、はやての事をまだ何も知らないのだと思い知らされる。

 趣味趣向もほんの一部分だけ。過去を初めとしたあいつが今の性格になった根幹については何も知らないのだ。

 ……どうしたものかと思う。やはり、本人に聞いてみるしかないのか────

 

『春樹くん。着替え、置いとくよ~~』

 

 そうして湯船に浸かり物思いに耽ていると、思考を遮るように扉の向こうからはやての声が耳に入る。

 

「ああ、頼む」

 

 どうやら着替えを持ってきてくれたらしく、それにOKの返事を出してまた思考に耽ろうと扉から視線を外す。

 

 だが、はやてはまだ何か用があるらしい。それで会話を終わらせずにまたもや此方へ話し掛けてきたのだ。

 

『───なぁ、一つ聞いてええ?』

「? どうした?」

『棚の上に置いてある宝石って春樹くんの?』

 

 ………ああ。確か棚の上に置いたな、あれ。

 

「それはいつも身に付けてるやつだ。父さんから縁起が良さそうだから持ってろって言われて持たされてるんだよ」

『へぇ、じゃあこれ御守りなんや。綺麗で確かに縁起がよさそうやし、なんか持っとってええことあったんやない?』

 

 『良い事があったんじゃないか』───そう言われ思い返してみるが、はやてが言うような出来事が起こった試しはなかった。まずそもそもの話、あの宝石は御守りという分類は当て嵌まらない。

 だってあの宝石は────物語の世界に出てくるような『本物の願いを叶える石』なのだから。

 

「いや、今までそんな事は特に。

 強いて挙げるなら………友達ができた事くらいか」

 

 けれどそれを馬鹿正直に言える筈もなく、ならばと最近あった良い事を言って煙に巻いてみる。

 と言ってもはやてと友達になれたのに、あの宝石は全く関係がないのだが。

 

「………」

 

 如何したのだろうか。

 話を振ってきたのは彼方だというのに、何故か何の反応も見せず急に黙ってしまった。

 

「………どうした?」

『ん、なんや急にそないな事言うから驚いて……。

 ………でも、そんならやっぱりこれって幸運の御守りなんやない?』

「いや、でもやっぱりそれにそんな効能はないだろう」

 

 ────何せ“願いを叶える”といっても、それを自発的に行えた試しなんてないのだから。

 気付いたのは1年程前の事で、それも全て突発的な出来事。命の危険が伴う極限状態の中でしか願いは叶わなかったのだ。それ以降はどう念じても何をしてもうんともすんとも言わないただの石ころでしかなかった。

 

 そんな物にどんな効能があるというのか。

 考えたところで何も変わらない、何も分からないなら、結局どこにでもあるただの石ころとして扱った方がマシだろう。

 

「それよりそろそろ上がるから、外に出ててくれないか?」

 

 会話を切る目的に加え、そろそろ風呂に入ってから時間も経つので上がろうとはやてに話し掛ける。

 

『あっ……うん! わかったわ、外出とくな!』

 

 すると何故か慌てているかのように素っ頓狂な声で反応して、すぐさま洗面所から出て行ってしまった。

 

 ……はて、何でそんな反応を見せたのか。

 そりゃ着替える必要があるから出て行ってくれるのは助かるが、どうにもあの反応は腑に落ちない。風呂から上がるって事前に伝えたんだからそう慌てる事もないと思うし……

 

「………まあ、聞いてみればいいか」

 

 これもはやての事を知る一環にはなるだろう。

 いきなりあいつの過去について根掘り葉掘り尋ねるのはさすがに無作法過ぎるし、まずはちょっとずつ。あいつが普段どういう事を考えているか、とかそういう部分から知っていくのがベストだと思う。

 

 という訳でさっさとはやてのいる場所まで行こうと、湯船から洗面所まで出てきたのだが───

 

「………?」

 

 それはすぐに目についた。

 宝石を置いていた棚の上。そこに風呂に入る前は無かった二種類の物体が置かれている。

 近付いて見てみるとそれは、小さいのと大きいのとで分かれたタオル。それと……明らかに男物じゃないファンシーなパジャマだった。

 

 そしてその上には一枚の紙切れ。

 手にとってみると、紙面にはこう書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  『ごめん! 好きなほうえらんで

                はやてより』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────────」

 

 文面を理解するのにしばらく時間を要した。いや、正確には頭がこれを理解するのを拒んだと言っていいだろう。

 そこからやっと思考が再開した時、俺の口から出たのはたった一言だった。

 

「…………………………なんだこれ」

 

 ……………いや、えっ? まさかこの二つが……今日のパジャマ?

 えっと、片方が女子物のパジャマ。で、もう一方が長さの違うタオル。多分これはアレか。腰布と体を覆う用のタオル───

 

「いや、何でそうなる」

 

 いくら何でもおかしいだろ。普通そこは男物のパジャマをだな………

 

「あっ」

 

 そうだった、あいつ家族がいないんだ……。

 一人暮らしなら女子一人で暮らしている事になり、必然的に男物の服。それも同年代の男子の服なんてある筈もなかったんだ………!

 

 そうかそうか、成る程ね。

 ………それならこの状況も納得がいく。ある意味仕方ない事ではあるな。

 

 ────だが、それを許すか許さないかは全く別の問題である。

 

 今日着ていた服は既に洗濯機の中。

 なのでもうタオルか女子物パジャマか。このどちらかを着るしか選択肢は無いのだ。

 片方は夜には寒すぎる上に下手すれば風邪をひく。もう片方は女子の服を着るという男にとって羞恥以外の何物でもない事態に見舞われねばならなかった。

 

 ………後から思えば、この時の俺は完全に頭がハイになっていた。あまりの出来事に我を忘れ、正常な判断力を失っていたのだ。

 たとえ仕方ない事だとしても、これはないと。さすがにこの扱いを水に流すのは無理があると考えたのである。

 ならどうするか。

 選んだのは、はやてを糾弾する事だった。

 

 しかし、それを実行するにあたりはやての下に行くには、どちらにせよ二つの内どちらか一方を着なければいけない。

 

 ────もうこうなりゃヤケだ。あいつ覚えてろよ………。

 

 そうして俺が選んだのは─────




 春樹がどちらを選んだかは想像にお任せします


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春の二幕

 今回は主人公と原作キャラの視点。なんか色々と詰め込んでます


 八神家のリビングにて、重厚な音楽と打撃音をBGMにカチカチと部品と部品の擦れ合う音が鳴り響いていた。

 

 

「あっー! アイテム取られた!」

「よし、今度こそっ──」

 

 その音源は俺とはやてが絶賛プレイ中のゲームからである。

 

 何故ゲームをしているかというと、事の発端は数時間前に遡る。

 泊まらせてもらった日から数日が経ち、俺は再度はやての家に遊びに来ていた。

 来てから最初は世間話やらテレビを見たりで時間を潰していたのだが、唐突にはやてが「そうや、ゲームせえへん?」と件のやりたいゲームのケースを見せつつ話を切り出してきたのだ。

 

 そうしてはやてが見せてきたのは『大乱闘スマッシュブラザーズDX』

 

 ……それを見た瞬間、このゲームはプレイするのは無理だと感じた。

 何故ならこのゲームを俺はやった試しがないのである。

 頭にある情報は、せいぜいクラスメイトが話しているのを又聞きした程度のものしかなく、辛うじて対戦ゲームと知っていた俺は、十中八九一緒に対戦するのを望んでいるであろうはやての期待には答えられそうにないと思い、その旨を伝えて一度は断ろうとした。

 だが、どうやら俺の心配は杞憂だったらしい。はやて自身も最近このゲームを購入したらしく、遊んでそう月日は経っていないようだった。

 その事実を主軸に説得されてしまった俺は、練習の為にアドベンチャーパートで一通りの遊ばせてもらい、現在対戦している訳である。

 因みにはやてはピーチ。俺はマリオを使用。

 戦況としては両者共に残りライフ1個で、あと1回墜とされれば勝敗が決まる瀬戸際まできていた。

 

「よっし、そこっ!」

 

 そして勝利を掴み取ろうと、はやてはピーチを操作して俺の操作するマリオへ攻撃を放とうとする。

 そこを跳んで躱しながら距離をとり、お返しにすかさず接近して蹴りを放つ。そしてそのまま追撃を行い、ピーチをステージから叩き出す事に成功した。

 

「まだや、まだ終わってへん!」

 

 しかしダメージの蓄積量が足りなかったのか、完全に場外には出てくれず、はやてはそうなる前に何とか持ち直して復帰させようとしていた。

 

「いい加減沈め」

 

 だがそれを見逃す筈がない。

 後ろに落ちていたアイテム『レーザーガン』を拾い上げ、即座に連射する。銃から放たれる光は軌跡を描き全てがピーチ姫に向かって突き進んでいった。

 

「むっ……」

 

 少なくとも動きの阻害にはなると踏んでいたのだが、その予想は呆気なく覆される。

 はやては咄嗟に空中での緊急回避を成功させ、レーザーを全て避けきったのだ。

 お陰で此方の作戦は崩れた。まだ弾数は残っているもののそう威力は高くはない為、また今のを使われればただの無駄撃ちに終わるだろう。

 

 ただし、このまま撃ち続ければの話だが。

 

 即座にレーザーガンを投げ捨て、ピーチが着地するであろう地点までマリオを走らせる。そしてそのままキックを浴びせ、ピーチと共にステージ外へ。

 

「ふぇ!? あ、あかん──」

 

 此方の狙いを察知したのだろう。急いで上昇し、マリオの射程圏外に逃れようとするピーチ。

 だがそうはさせじとファイアボールを投げつけ彼方の動きを阻害。対してはやてはまたもや緊急回避を使ってきたが、その隙を突いてピーチに飛びつく事に成功する。

 そしてそこからステージ下に降下。さらに落ちきる前にピーチを踏み台にしてステージ端までのジャンプを決行した。

 

「あぁ………負けた~~」

 

 作戦は見事成功。ピーチのライフを削りきり『You WIN』の表示が画面に出現する。そしてそれを見た同時に、はやてはがっくりと肩を落とした。声からも活気が抜けきっていて、余程悔しかったのだとすぐに察せる状態だった。

 

「なんや、春樹くんゲーム強うない? 全然対戦ゲームはやったことないって言うとったのに……」

「大袈裟に言い過ぎだろ。だいいち勝った数はお前の方が多いじゃないか」

 

 事実、先程のも合わせると10回対戦した事になり、勝率は俺が4勝。はやてが6勝となる。

 ………これでそこまで悔しがるなんて、勝率で負けてる俺の前でよくやれたもんだ。

 

「えぇ、納得いかんわ。今のは負けてしもうたし、このままで終われんて!

 という訳でもっかいやろ」

「いや、いい加減終わらせてくれ。さすがに10連戦は疲れる……」

 

 言葉にした通り、ずっとゲームをし続けたせいか目の疲れと肩凝り。おまけに長時間コントローラーのスティックを動かし続けたので手まで痛みを覚えていた。特に親指は腫れたような鈍い痛みを感じる。だからもうこれ以上は勘弁願いたいのだ。

 

 その旨を言葉と如何にも疲れましたと言わんばかりの屈伸で伝えると、あっちも意図を察して時計に目を向けた。

 時計の針は対戦を開始してからもうすぐ1時間半を過ぎようとしている。時間も

 

「あー、そっか。そういえば始めて結構経っとるなぁ……。

 ………しゃあない、今回はここで止めとこ。でも次は負けへんから」

「……次もそっちが勝つと思うんだけどな」

 

 次回の対戦に向けて闘志を燃やす友人を尻目に、俺は一人溜息混じりの独り言をもらした。

 

 ………本当に。負けているのは此方だというのに、そうムキになられては悔しがれるものも悔しがれない。

 けど、こいつは元々一緒にゲームを楽しみたくて今回俺を誘ったんだろう。それならこの反応も、こいつはちゃんとゲームを楽しめた証なんだと好意的に見れなくもないか。

 

「で、この後何する」

「そんならお菓子食べへん? さっき春樹くんがお土産に買ってきてくれたんがあるやん」

「ああ、あれね。りょーかいりょーかい」

 

 今回来るにあたって一緒に食べようかと思い買ってきたお菓子の数々。冷蔵庫に入れたそれを取り出して、俺とはやては会話混じりにおやつタイムを迎える事となった。

 

「~~♪、おいしい~~!」

 

 はやてはお菓子の中からロールケーキを選び取り口に入れた瞬間、余程美味かったのかにっこりと。それも何とも恍惚とした表情を浮かべていた。

 

「───美味い」

 

 友人の様子を見ながら此方もケーキを口にするが、やっぱりあの店のお菓子は良いものだと再認識させられる。

 ケーキの味はそれはもう絶品という他ないだろう。しっとりとしたクリームの甘みを、ふんわり仕立てのスポンジケーキの柔らかさで包み込む事によって何ともいえない食感と味わい深さを作り出しているのだ。

 

 はやての反応も頷けるし同感である。俺も時間があればあそこでスイーツを買って帰るくらいにはあの店の味は気に入っているからな。

 

「なあなあ春樹くん、このスイーツってどこで買ってきたん? こんなに美味しいお菓子売っとるとこなんて、わたし知らなんだんやけど」

 

 こうして俺もロールケーキを堪能していると、はやてがお菓子を取る手を止めて疑問を投げかけてきた。

 特に応じない理由もないので、俺は別のお菓子を取りつつ質問に答えた。

 

「『喫茶翠屋』っていう喫茶店だよ。そこの店主の娘さんと縁があって知り合いでな、たまに買いにいってるんだ」

「へぇ~。そんなお店があるなんて知らなんだわ。その翠屋ってどこいら辺にあるん? 一人でいけそうなら行ってみたいんやけど」

「場所か? ここからだと結構遠いぞ。多分一人で行くのは結構大変なんじゃないか?」

「あー、そっか。そうなんや………あかんかぁ」

 

 はっきりと言葉には出さないが、暗に『お前の足だと一人で行くのは大変だぞ』と伝えると、はやては落ち込んでしまったらしく小さな溜息をついていた。

 

 ………まずい。やってしまったか。

 

 どうやら反応からして、余程翠屋の味が気に入ったらしい。だが此方から言った通り、ここから翠屋までは車椅子で行くには遠く、かなり重労働な道のりだ。とてもではないがお勧めできない。

 ならば俺が買ってくるという方法もあるにはあるが、所詮は子供のお小遣い。そう頻繁にお菓子を買っていたらすぐに底をつく程度の金額しか持ち合わせていない上に、さすがに俺だって買いたい物もあったりするので却下である。

 しかし、こっちから話しておいてお前は行けない、などという結果に終わらせるのは後味が悪い。

 

「じゃあ、今度一緒に行くか」

 

 となれば道は一つしかなかった。一人で行くのが無理なら二人で行けばいいのである。

 

「えっ、………ええの? わざわざ着いて来てもらって」

「別にいいさ。友達とお菓子買いに行くだけなんだし」

 

 はやては最初俺が着いてくる事に遠慮した態度をとっていたが、此方の意思を伝えるとどうするか悩んでいるらしく頭を唸らせていた。

 それが何時まで続いたか。それなりに時間を要した後、真っ直ぐ此方を見据えたはやては先程とは打って変わった笑顔を見せてくれた。

 

「………うん、ありがとう。あっ、じゃあいつ行くか決めんと。あとお土産はいるかな?」

「今週の土日なら問題ない。それと、お土産については必要ないと思うぞ。帰りにお菓子買って店の売り上げに貢献すれば十分だろ」

「言い方がえらいアレやな……。………うん。でも確かにそれがええんかも」

 

 最後は俺の言動に難色を示したものの、実際に翠屋に行けるとなってはやては嬉しそうである。

 

 嬉しそうなのは大変宜しいのだが……ここでふと、ある事実に気付いてしまった。

 それは………土日だと多分あいつと鉢合わせる可能性が高いという事だ。翠屋の店主『高町士郎』さんの末っ子であるあいつに。

 今までは鉢合わせないよう平日に行ったり、翠屋での世間話の中からあいつが来れない日を確認していたのだが、今回はそうはいかない。

 何せ今週の土日はあいつに出掛ける予定があるかは確認出来ていないのだ。現在は春休み中であるため鉢合わせのリスクが高くなっている上に、奴の行動パターンからして週末は翠屋に顔を出す可能性も高い。おそらくこのままいけば十中八九会ってしまう事だろう。

 

「───」

 

 ……けれど、それは俺個人の問題だ。

 今週いっぱいは休みが続くので日にちの変更は可能だが、はやてには関係のない理由である。

 加えて奴とこいつを会わせるのは悪い事態どころか寧ろ良い結果をもたらすと予測できたのだから。

 

 だったら、もう俺のやる事は決まっている。

 ………本心としてはあまり会いたくないが、はやてと引き会わせた方が良い結果になると感じてしまったのだ。この際仕方ない。

 

 こいつの性格面で唯一気に入らないと感じる『平気な振りをして笑顔を取り繕う癖』。

 そんな癖が形成された原因はまだ正確につかみきれてはいないが、現時点である程度の予想は立てられている。

 それははやてに“家族がいない事”、“親しい人がいなかった事”にあると思うのだ。

 そのためこれを解消したいなら、この二つに何かしらの補填を効かせねばならないと考えたが………さすがに既にいない家族の問題は何もできる事がない。

 

 ならば親しい人だが、これは俺がいる。

 ………けれど、恐らくこれは俺一人いるだけでは解決できない問題だ。

 その点をどうするか今まで考えていたが……高町家の末っ子は、この問題に新たな進展を見込める申し分ない存在だった。

 要は俺以外の友人。親しい人を新たなに作っていくのだ。交友関係が広がれば、その分はやての心にあるであろう穴も埋まっていく。今まで感じてきたであろう寂しさも感じる事は無くなっていく筈だ。

 

 そうなれば笑顔を取り繕う必要も無くなるだろうと………そう考えついたのだ。

 

「あと、多分土日なら店主の娘さんがいるから、友達作りに丁度良いんじゃないか」

 

 故に打ち明けた。

 ………今の今まで忌避していたあいつの存在を。

 

「ああ、そういえばさっきお店の娘さんと知り合いや言っとったなぁ。

 ………あれ? その口振りやと、もしかして………わたしと、歳が近いん?」

「ああ、二人いるんだかな。片方が高校生で、もう一人が小学校3年生。俺たちと同い年だよ」

「同い年! それホンマ!?」

 

 予想通り、はやては此方の発言に食いついてきた。

 なのでここからもっと興味を持ってもらうべく、俺はもっと詳しい情報を語る。するとやはり“同い年の女の子”という点に異様な反応を見せてきた。

 そして俺の話から此方の言いたい事を察したのだろう。既に今週の土日が待ちきれないという様子だったはやての顔は先程以上に活力に溢れ、瞳は爛々とした輝きに溢れていた。

 

「そうかぁ、同い年かぁ。なんやますます楽しみになってきたわ。一体どんな子なんやろ。

 ……そうや! 春樹くんってその子と会ったことあるんやろ? どんな子なんか教えてくれへん?」

 

 その子がどういった人物か気になったらしく、仔細な情報を求めてくる。

 

 しかし……さて、どういった説明をすればいいのやら。

 正直あまり詳しくとなると、俺の場合文句ばかりになる可能性がある。

 となればここは………できる限り簡潔に述べよう。

 

「………そうだな。一言で言い表すなら“良い奴だが頑固者”って所か」

「良い奴で───頑固者?」

「ああ。もっと詳しく言えば、あいつは性格は明るい方で人当たりも良い。そして誰かを思い遣れる優しさを持った世間一般でいう“良い子”ってのが当てはまる奴だ」

「……ん? 聞いとる限り、それってめっちゃええ子ってやん。どこに頑固者要素があるん?」

 

 “良い奴”という点に関しては嘘なくはっきりと述べたが、はやてはそれが“頑固者”とどう繋がるのか分からなかったようで小首を傾げていた。

 

「………確かにそうだな。ただし、度が過ぎてなければだが」

「度が過ぎるって、ルールに厳しいとか?」

「それは違う。まあ、何て言えばいいのか───」

 

 ………言おうと思ったが、これ以上はあいつに感じている此方の不満をぶちまける結果となるだろう。

 さすがにこれから友達になるかもしれない奴の悪評を伝えるのは意地が悪いにも程がある。なら、ここは適当に誤魔化すのが最適か。

 

「───やっぱり自分で確かめてくれ」

「ええっ!? そないなとこで切らんと教えてぇな。ここまで話しといてそれはないやろ……」

「悪いが、俺から言うのもどうかと思ったんでな。だからそんなに気になるなら、実際に会って見つけてほしい」

 

 ……まあ、あいつの“頑固者”要素は長く付き合っていけば誰でも判るだろう。それに二人の相性は良い上に問題点も似ている。それぞれお互いで自覚しあってくれれば御の字である。

 

 そう思いはやての方を見遣れば、どうにも釈然としない様子ながらも、小さく溜息をついて口を開きだした。

 

「……はあ、ほんならそっちの言う通りにしとくわ。これ以上何も言う気がないみたいやし。

 でもあの時みたいな大ポカは嫌やし、その子の名前くらいは教えてくれへん?」

 

 俺から聞き出すのを諦めてくれたのにほっとしたのも束の間、代わりにはやてはあいつの名前を教えるよう頼んでくる。

 

 ………あの時とは俺たちが友達になったあの日の事か。さすがに此方から言い出さなくてもあっちから自己紹介くらいしてもらえると思うんだが……。

 

 だがこんな事を拒む必要もない。俺はそんな想いをおくびに出さず、極めて平静にはやての要求に応じる事にした。

 

「そいつの名前は高町なのは。喫茶翠屋を経営してる高町さんとこの三人兄妹。その末っ子だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────次元空間。

 様々な生態系。様々な文化体系を有する異世界間に広がるこの空間は、俗に『次元世界』と呼ばれる世界群にて暮らす人々にとって海路や空路に並ぶ第三の物流ルートとして扱われている。

 次元空間は様々な世界に繋がる異空間なだけあり、その面積は未だ誰も果てを知らぬ程の広大さを誇る。故にもしここで遭難。果ては沈没してしまってはまず助かる保証はないだろう。

 

 そんな中で不幸な事に、ある一隻の次元輸送船にトラブルが発生していた。それも下手をすれば沈没しかねない位の大きな問題が。

 

「大変だ………」

 

 その次元輸送船の中で、とある一人の少年が巨大な穴を空けた輸送庫を見詰めながらそう呟く。

 

 彼の名はユーノ・スクライア。次元世界にて古代文明の遺跡発掘を生業とするスクライア一族の一人であり、今回自らが発掘したとある物を、次元世界の犯罪を取り締まる組織───時空管理局へ送り届ける為に輸送船に乗り込んでいた。

 

 そんな彼が現在輸送庫の前で立ち尽くしているのには訳がある。

 それはほんの数十分前、突如謎の轟音と共に船体が大きく揺れ動き非常用のベルが船内全域に鳴り響き始めた時まで遡る。

 

 その中で彼は見たのだ。

 輸送船の外壁の向こう側へ、幾つもの輝きを放つ何かが次元の狭間に消えていくのを。

 そしてその輝きを見送る中で、ユーノは何か引っ掛かりを覚えた。

 何処かで見た事があるような気がして、非常ベルを鳴らし今にも沈みそうな程に揺れる船体の中、その情報を頭から引き出そうと考えに考え……思い出した。

 

 ───正確には数えられなかったけど………あれってジュエルシードと同じ数だったような……

 

 その推察に行き着いた瞬間、ユーノは輸送庫まで駆けだしていた。

 乗組員が右往左往する中を必死に駆け抜ける彼の頭の中は、考え至ってしまった最悪の予想がどうかはずれている事だけを願っていた。

 

 ───あれが本当にジュエルシードなら今頃何処かの世界に落ちて……大変な事になる!

 だから、どうか……間違いであってくれっ!!

 

 しかし現実は非常だった。

 輸送庫の壁には入り口の地点で次元空間が見える程の黒く焼け焦げた穴がぽっかりと空いており、何かが爆発したのだろうか。多種多様の破片を飛び散らせた貨物の残骸が大量に散乱していた。

 

 そしてユーノは散乱する貨物の中から一つのケースを発見した。

 

 それは彼が今回輸送船に積み込ませてもらっていた21個のとある宝石───『ジュエルシード』が収納されていた物だった。

 だがそれは最早、微かに残った元の名残からようやく自分の物だと認識できる程度にしか原形をとどめていない。

 加えてケースの中に仕舞ってあった筈のジュエルシードはその全てが何処かに消え去っていた。

 

 ───最悪の予想は、現実となって目の前に広がっていたのだ。

 

「おい、そこの君。そんな所で何してる! 早く避難しなさい!!」

 

 目の前の現実にただ呆然とする他なかったユーノは、後ろから響く声で我を取り戻す。

 声のした方へ振り返ると後ろから、慌てた様子で此方に走ってくる乗組員の姿が彼の目に飛び込んだ。

 乗組員はユーノの前まで辿り着くとその顔を見詰め、焦りながらも厳格は忘れず、早口で彼に捲したてる。

 

「……もうこの船は沈むまでそう時間がない。乗組員も徐々に避難を始めている最中だ。君も早く避難船に乗る準備を」

「そ、そんな。一体何があったんですか!?」

 

 船に何か異常が発生しているとは認識していたが、まさか沈む寸前になる程重大なものとは思っていなかった為に、驚いたユーノは乗組員へ事の詳細を尋ねた。

 

「……それが、さっきの大きな揺れに重なるように計器が全てイカれてしまって、もう修復が不可能なまでに故障してしまったんだ。原因は分からないという有様だ」

「そんな……」

「既に管理局支部に救援信号を送った。船が修復不可能な以上、もう避難する他にない。

 ……さあ、君も早く避難船へ」

 

 乗組員の言葉を耳に入れながらも、ユーノはそれに待ったをかける。

 彼には事態を知る者として、これだけはどうしても伝えておく必要があったから。

 

「待ってください! 実はこの船に乗せていたロストロギアが……ジュエルシードが次元空間に落ちてしまったんです! もしかしたら何処かの世界に落ちてしまった可能性も……」

 

 彼の告げた情報は乗組員も予期していなかった事だったのだろう。驚きのあまり目を見開いている。

 

 ────ロストロギア

 

 それは、管理局が定める過去に滅んだ古代文明が保有していた異常に発達した魔法や技術体系の遺産。その総称である。

 中には国、星、果ては幾つもの次元世界を滅ぼせる物まで存在するため、管理局はロストロギアの確保。私的利用されないよう管理する事を任務の一つとして上げている。

 そしてユーノの言うジュエルシードもまた、そのロストロギアとして認定された代物だった。

 件の宝石に秘められた危険性を詳しく知る者はこの船において少年以外には存在しないが、少なくともそんな危険物を積み込む以上、乗組員全員にどういった物かの概要は知らされている。

 

 なのでユーノとしては、この情報を速やかに管理局に伝え、被害が出る前に全て回収してもらわなければならないと考えていた。故にまずは乗組員にこの事を伝えて、早急に管理局に連絡できる手段を確保してもらおうと発言したのだが………その後乗組員が口にしたのは、彼にとって又しても最悪の事態だった。

 

「……分かった。避難船に通信機がある。それで一度避難した後に再度管理局へ通報しよう。

 しかし……通報しても、そんなにすぐには駆けつけられないかもしれない」

「そ、そんな! 早く回収しないと現地の人たちに被害が──」

「だが、この辺りにある世界は全て管理外世界ばかりだ。

 ロストロギアとなればすぐに回収に動いてくれるだろうが、さすがにこんな辺境じゃあどんなに速い航空艦でも到着するまでに時間が掛かる。

 ……どう足掻いても、早く回収するというのは無理があるんだよ」

 

 乗組員の意見はぐうの音も出ない事実だ。

 確かにこの地域に存在するのは基本的に管理局の捜査範囲外である管理外世界が殆どだ。距離的にも管理局本局がある地域からここまではかなりの時間を要す程に離れており、すぐに回収するのは不可能であるのは明白だった。

 

「大丈夫、ここは管理局を信じよう。まずは先に、私たちも避難を───」

 

 しかし、だからといって大人しく待てる程彼の精神は成熟していない。

 加えてユーノ・スクライアは幼い頃より遺跡探索を行い培ってきた知識と経験。それに今回ジュエルシードを運ぶにあたって発見者としての強い責任感を持っている。

 それらが混ざり合い、そして生来より育んできた良心がユーノをある行動に掻き立てた。

 

「───おい、君!」

「すいません、あなたは避難船に乗ってください! 僕はジュエルシードを追います!」

 

 乗組員の静止を振り払い走り始めたユーノ。彼が向かう先は船内に設置された転送ポートだ。

 これはわざわざ次元世界に入らずとも次元空間から積荷を届けられるよう設置されたワープ装置である。これをこの状況で使おうとする理由はただ一つ。ユーノは転送ポートからジュエルシードが落ちたであろう世界まで転移するつもりなのである。

 

「転送ポートは──あった!」

 

 走り続けて数分。ユーノは転送ポートが備え付けられた部屋に到着した。

 

 ───あの人は機器は全て故障したって言ってたけど、多分これなら………!

 

 彼は辿り着いてすぐさま転送ポートの上にしゃがみ込み、その中心に手をついた。

 そしてユーノの手から現れたのは淡い緑の光を放つ魔法陣。それはこの少年が魔導師である証であり、彼が今まさに魔法を使おうとしている証拠だった。

 

 彼の魔法陣からは大量の魔力が放たれており、その魔力光は全て転送ポートに注ぎ込まれている。

 これは現在機器が動かず使えない転送ポートを動かす為に彼が考えついた方法。動力源となる魔力を注ぎ込み、転移魔法を無理矢理起動させようという魂胆なのである。

 

 こんな無茶な方法は普段の彼ならば実行しようとはしなかった。そもそも乗組員の言葉に従い、素直に避難していただろう。

 だが今回こうして行動に移しているのは、無茶でもやらねばならないとユーノは意気込んでいるからだ。

 

 彼は自身が輸送していた物の危険性を、発掘した張本人であるからこそ誰よりもよく理解している。

 故に管理局がすぐに来られないという現状は、確実に犠牲者を生んでしまうと確信しているのだ。

 

 そんな事は断じて見過ごせない。ジュエルシードを発掘した者として決して。

 

 その思いが通じたのか、転送ポートが起動段階に入る。座標も窓から見えた光景から割り出している為、もう間もなく転送が開始され、ユーノはジュエルシードが落ちたであろう世界に旅立てるだろう。

 

 ───絶対にジュエルシードを集めきってみせる。これは僕がやらなきゃいけない事なんだから。

 

 心の中で決意を固めたところで、魔法陣は彼を異世界へと送り出した。

 光が消えた転送ポートは何も残らず、ただ非常ベルの喧騒が部屋を満たすのみである。

 

 




 多分ユーノ視点は後々直すでしょう。文章が物足りない感じがするので。


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喫茶翠屋での一幕

 今回の投稿にあたりまして、はやての口調を一部修正。3話と4話の構成を一部変更など色々と修正しました事をお伝えいたします。


 学生や社会人、赤ん坊連れの親子に老人と様々な人が行き交う街中。

 そんな中で特に賑わいを見せる1件の店の前に俺たちはやって来ていた。

 

「へぇ、ここが翠屋かぁ~~」

 

 ついに土曜となったので、俺とはやては件の喫茶店翠屋へ足を運んだのである。

 やはり休日なのも相まって、店の中も外もお店のスイーツ目当てにたくさんの人が来店している様が見てとれた。

 

「人気なお店なんやね。まあ、あの味なら納得や」

「それはいいが早く入った方がいいぞ。空きが無くなる」

「それもそうやね。……そんならお菓子を食べにレッツラゴー!」

 

 楽しみにしていただけあり、はやてはわくわくを抑えられないといった様子だ。

 しかし……俺としては今回ここに来るのは不安だった。

 何せ今日はあいつ───高町なのはと顔を合わせなければならないからだ。

 正直あいつの前でいつもの調子でいられるかどうかという懸念材料はあるんだが……こいつは折角楽しみにしてきたんだ。たとえ不安だとしても、それを壊す事態にならないよう気を引き締めなければいけない。

 

「こんにちはー」

 

 入って第一声に挨拶。すると店頭のレジに佇んでいる、もう何度も顔を会わせた一人の女性が俺たちに応対してくれた。

 

「いらっしゃいませ……って、あら。 春樹くん?

 珍しいわね、土曜に来るなんて。それにお友達と一緒?」

 

 高町桃子さん。喫茶店翠屋の店長高町士郎さんの奥さんで、男一人・女二人構成の三児の母でもある女性だ。

 その容姿は未だ二十代と言われても信じてしまう程に若々しく、尚且つ子供の俺でも、美人とか。可愛いと思える綺麗な人である。

 

「ええ。お土産にここのお菓子を渡したら、実際に来てみたいって言うので一緒に」

「で、そのお友達の八神はやてです。美味しかったので連れてきてもらいました」

 

 はやてが味の感想と共に挨拶すると、桃子さんはそれはそれは和やかな笑顔を浮かべて嬉しそうに反応していた。

 

「あら、そう言ってもらえると嬉しいわ~。なら、はりきって作っちゃうからどしどし注文してね!」

 

 ………どしどし注文と言われても、やっぱり子供なんでお財布事情はそう潤しくない。あまり多くは頼めないし……………うん。

 

「……それじゃあシュークリームで」

「わたしはロールケーキでお願いします」

「はーい。じゃあ席に座って待っててね」

 

 あまり悠長にしていると後ろが痞えるので、結局前回買った時と同じものを注文して、促されるまま空いている座席を探しにその場を動こうとした。

 けれどはやてはふと何やら思い出したらしく、車椅子を動かそうとした俺へ急に話しかけてきた。

 

「あっ、そうや春樹。あの子の事聞かなあかんわ」

 

 ………ああ。そういえばそうだった。

 

「すいません。あいつって今日は来てますか?」

「なのはの事? なのはならあっちでお店のお手伝いをしてくれてるわ。

 あっ、丁度いいところに。なのは~~」

 

 桃子さんに尋ねてみると、どうやらもうここにいたらしい。呼ばれる声に反応して此方にトテトテと歩み寄ってくる足音が耳に届く。

 

「はーい。お母さん、なにーー?

 ───って、えっ? ……春樹くん?」

 

 ───そして眼前に姿を現したのは、栗色の髪の毛をツインテールに纏め上げた一人の少女。今回はやてとここにやってきた最大の要因『高町なのは』であった。

 

「………よう」

「えっと……うん。久しぶり、春樹くん」

 

 ………やっぱり顔を合わせた瞬間に苛立ちが沸き起こって、どうにも固い挨拶を交わしてしまった。

 翠屋に入る前は“今日は波風立てないようにしよう”と心に決めていた筈なのに、いざ会うとあの時の事を思い出してしまう。

 

「珍しいね、土曜に来るなんて」

「まあ、今回はこいつがちょっと用があってな。付き添いで来たんだよ」

「………その子って、もしかして」

 

 俺の物言いではやてとどういった関係かを察したのか、高町は驚愕しているのが丸分かりな態度を見せる。

 

「友達だが、それがどうかしたか」

 

 そして俺の返事を聞いた途端に、ますます驚きを見せてそのまま黙り込んでしまった。

 

 ………俺に友人ができたってだけでそこまで驚く事はないだろうに。

 それに、そんな反応をされてどう対応しろというのか。

 

「ちょっと二人共どうしたの? 何だか変な空気になっちゃって……」

「そうやそうや。折角来たのに辛気くさいんはナシやで」

 

 クールダウンも虚しく、結局淀んだ空気を作り出してしまったのだが、すぐ傍にいるから嫌でも察したようだ。はやてと桃子さんは俺達二人の会話に割って入り、この空気をどうにかしようとし始めた。

 

「そんなら自己紹介せなね。わたしは八神はやて言います。どうぞよろしく!」

「えっと、うん、よろしくね。

 私、高町なのはって言います。友達からはなのはって呼ばれてるから、気軽に名前で呼んでくれていいよ。えーと、はやてちゃん……でいいかな?」

「ええよええよ、どんどん呼んでくれて。こっちも名前で呼んでくれた方がうれしいし」

「うん、じゃあそうするね!」

 

 そして続けざまに自己紹介を始めたはやて。どちらも人の良さ故に波長が合ったのだろうか。自己紹介だけで淀んだ空気を払拭し、二人の間には早くも和やかな雰囲気が形成されている。

 

 ……何をやってるんだろうか、俺は。

 

 二人の様子を見ていると、ますますそう思う。

 確か俺は高町なのはという人間に対して苦手意識を持っている。気が合わないのだ、こいつとは致命的に。

 けどそれはあくまで俺個人の事情であり、加えて此方が一方的に距離を置いているだけに過ぎない。

 第一今日ははやてもいる。あまり感情を諸に出すと、下手をすればこいつへの印象も悪くしかねない。

 

 だから、今はあの時の事は忘れる。

 それがこいつの為にも俺がすべき事で、高町へは棘の無い平坦な対応を心掛けるべきだ。

 

 自身の心にそう言い聞かせていたが……すんなり目的は果たされると思っていたというのに、気付けば二人の会話は意外な方向に転がっているのが目についた。

 

「そういえば、はやてちゃんはわたしに用事があるんだっけ?」

「うん、そうそう。春樹から翠屋にわたしと同い年の女の子がおるって聞いてな、会ってお話してみたいなー思うて来たんよ」

「うん、私でよければ喜んで!

 あっ、でも……ごめん! まだお店のお手伝いがあるんだった……」

 

 はやてからのお誘いを最初は快諾しようとした高町であったが、まだ翠屋の手伝いが終わっていないのを思い出し、口から漏れる言葉がどんどん尻窄まりになっていく。

 高町にしてみれば申し訳ないという気持ちが先立つのだろうが、それは暗に断わっているのと同じ意味があった。

 

「そうなんや。なら、しゃあないかな……」

 

 はやては無理強いする訳にはいかないと引き下がろうとする。

 その表情は一見してそこまで落ち込んでいないように思えるものだったが、俺には違うと判別できた。

 

 ………また無理して平気そうに取り繕っている。

 全く。そんな顔をされると苛立って仕方ない上に、ただ黙って見ていられる性分でもない。

 

「………」

 

 二人から目線を外し、桃子さんの顔を窺う。

 

 確かに高町は現在翠屋の仕事を手伝いにここにいる訳だし、勝手に仕事を放りだしてお喋りとはいかないだろう。

 けどそれはあくまで手伝いで仕事ではない。仕事程の拘束性がない以上、保護者である桃子さんが許すなら、時間をとる事も可能なのではないか。そう思い彼方に気付かれるようわざと視線を注ぐ。

 

「………?」

 

 彼方は俺の視線に気付いてくれたようだ。

 これ幸いと、二人には気付かれないよう気配を消しつつ桃子さんに近づき、小声で話しかける。

 

「(あの、後でもいいんですが。高町と話せる時間をとる事って出来ませんか?)」

「(……それってはやてちゃんのため?)」

 

 ……女の勘だろうか。俺が何故こんな事を話したのか桃子さんはかなり近い部分まで当ててきた。

 とはいえ完全な正解ではないのだが、今特に否定する理由もない。彼方の顔を見ながら頷いて肯定する。

 

 対して彼方の応答は無かったが、代わりに和やかに微笑んでいた事が此方の要望への答えだった。

 

「大丈夫よ、なのは。

 今日は早い時間から頑張ってくれてたし、二人の分を運んでくれたら休憩してもらって構わないわ」

「えっ、………いいの?」

「問題ないわ。

 士郎さんもいるし、何より折角二人がなのはに会いに来てくれたんだから……ね?」

 

 彼女の言葉に高町は表情を明るくする。そしてはやてへと顔を向け、にこやかに話し掛けた。

 

「それじゃあはやてちゃん。後でご注文のスイーツ、持っていくから!」

「うん! 二人で待っとるよ」

 

 対してはやても、先程までの明るさを取り戻し元気に応答している。

 その光景を見て、頼んでみて良かったと思う。そして同時にこうも感じた。

 

 やはり、こいつらに辛気くさい顔は似合わないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~~、ほんま美味しいわぁここのスイーツ」

「うん、ありがとう。お母さんもきっと喜ぶよ」

 

 レジカウンターでの立ち話から十数分が経過し、今は高町も加えてスイーツを交えつつ三人でお喋りの真っ最中である。

 とはいっても、俺は先程場の空気を淀ませた前科があるのでこの際あまり喋らないようにしている。だから三人と言うよりは比率的に二人+αといった具合なのである。

 

「その……春樹くんは、どうかな?」

 

 ……ただし、このように彼方から話を振られなければの話だが。

 

「美味いよ」

 

 一言だけ伝えて、後は黙々とスイーツを堪能する。

 

「いやいやいや、もうちょい何かあるやろ? 春樹くん、さっきから口数少なすぎるて」

 

 けれどその態度がお気に召さなかったらしい。はやてに咎められて、渋々手を止めて対応した。

 

「他に何を言えってんだ。味の感想しか聞かれてないんだから、それ以外に答える事なんてないだろ?」

「そういう事やなくて………もっと会話に参加せえへんって言うとんよ」

「………じゃあ、何か共通の話題ってあるか?」

 

 さっきの出来事も要因の一つだが、話題の無さもまた黙っている理由の何割かを占めている。

 

 だって考えてもみろ。男子一人に対し女子二人というこの状況を。

 はやてと二人で喋っている時は全く気にする必要がなかったが、今回はそうはいかない。二人は所謂ガールズトークに花を咲かせているのだ。

 出てくる話題も此方があまり話さなかったからだろうが、女子が興味を抱くものが多くなり、俺でなくとも男には入り込み辛い空間を形成していたのだから。

 

「んー、じゃあこれならどうやろ? 春樹くんとなのはちゃんは何日か前の流星群って見いひんかった?」

 

 すると俺の問いかけを受けて、はやては数秒考えた後にこんな話題を投げかけてきた。

 

      “何日か前の流星群”

 

 その持ち出された話を俺はニュースを通して知っていた。

 これは今騒がれている数日前に報道されていた現象の事だろう。

 

 その内容は数日前の晩、海鳴市の夜空に突如として流星群が観測されたというもの。どうやら何の前触れもなく現れたようで、確認された流星は21個だったらしい。

 ニュースでは専門家があまりにも唐突過ぎると熱弁し、街中では実際に見れたと自慢する姿や、又は不吉の象徴だという人などで溢れかえっているらしい。聞いたところによれば、ここ数日間海鳴市はこの話題で持ち切りのようなのだ。

 

「それって、ニュースで言ってた?」

「そうそう、それそれ!

 実はわたし、その日流星群をバッチリ見れてなぁ。二人はどうなんやろって思うとったんよ」

 

 流星群の事は三人全員知っていたようだ。

 

 しかし如何したものか。せっかく話を振ってくれて何だが、この話題についても俺が語れる事などろくにないのだが……。

 

「私はその日もう寝ちゃってて、知ったのは朝のニュースでなんだ」

 

 その時、高町が何気なく自分は見ていないとはやてに告げる。此方にしてみればそれは丁度良いタイミングで出てきたのもあり、俺も便乗してその旨を伝える事にした。

 

「高町と同じだ。その日は寝る前に本を読み耽ってて全く気付かなかった」

「あちゃー、わたし一人だけやったかぁ。話題選び間違えたなぁ……」

「そうとも限らないだろ。

 流星群、というより流れ星なら有名な話があるだろ?」

「……もしかして3回願い事を言えばそれが叶うっていう?」

「ああ。で、21個もの流星群だったんだ。何かしら願ったりはしてないのか?」

「うん。ぎりぎり3回言えたんが一つあるよ」

 

 代わりとばかりに願い事の話をすれば、運良くはやては流星群に何かを願っていた。

 

「なら丁度良い。はやて、お前は何を願ったんだ」

 

 実際に普段そう大層な願いを口にした事のないこいつが一体何を願ったのか俺は気になっていた。高町の方も純粋に気になっているようで、まじまじとはやてを見つめている。

 そんなはやてといえば、俺達に見つめられているからか、はたまた願い事を言う事に対してかは判別できないが、恥ずかしげに少し顔を赤らめていた。

 

「ええ、そんなん恥ずかしいて言えんよー」

「別に、笑ったりなんかしないさ。高町もそうだろ」

「うん。それに、はやてちゃんがそんなに嫌なら聞かないよ。

 けど、もしよければ聞かせてほしいかな。はやてちゃんがどんなお願い事したのか」

「うーーん………そやね。じゃあ言おうか」

 

 高町の言葉が決めてになったのか、はやてをその気にさせる事に成功した。

 

 さて、どんな事を願ったか聞かせてもらおう───

 

「あの時流星群に願ったんよ。

 『幸せな毎日がずっと続きますように』って───」

 

 ───そんな、何気ない好奇心で尋ねただけだったのに。

 その口から飛び出してきたのは、本当に心の底から欲したであろう。とても重く、切実な………八神はやての純粋な願いだった。

 

「へぇ、素敵なお願いだね」

「そ、そうやろか」

「………そうだろ。

 良い願いじゃないか。それ」

 

 ああ、何もおかしな事なんてない。

 この願いはこいつの最も欲してきたもの。願って止まなかったものなんだ。

 

 ……それを貶す事なんて、できる訳がない。

 

「そっかー。そないに言ってもらえるんはうれしいなぁ」

 

 俺と高町。二人に自分の願いを肯定され、嬉しそうに微笑むはやての姿がとても印象的に見えた。

 

 そしてその後もしばらく三人での会話は続いた。

 だがその間、この光景は頭から消える事なかった。警鐘を鳴らすかのようにずっと頭の中を占有し─────ずっと、心の片隅に残り続けていた。

 

 

 

 



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魔法少女リリカルなのは編
目覚め


 明けましておめでとうございます。

 まず小説説明変更。さらにタグを追加致しました。タグにある『とらいあんぐるハート』要素は、追々出していく予定ですが、何せ私の更新速度が遅いので日の目を見るのは大分先かと思われます。ですので気長にお待ちください。

 こんな拙作ですが、よければ今年もよろしくお願い致します。


 時刻としてはもう食卓を囲む家庭も出てきているだろう頃合い。

 日は沈み、海鳴の住宅街を包む暗闇をぽつぽつと灯る家々の明かりが照らし出している。

 街は数々の装飾や店が彩り衰える事のない喧騒を見せる中で、ここは暗く静かな、けれど居心地の悪くない、何処か落ち着きのあるゆったりとした趣きがあった。

 

 そんな夜道を歩く少年が一人。

 

 ────結構遅い時間になったな。

 

 少年こと相馬春樹は翠屋からはやてをバス停まで送り、帰路につく途中だった。

 

 ────それにしても、あいつは何だってあんな事を………

 

 歩みは止めず、心中で誰かに対して一人毒つく。

 その相手とは相も変わらずただ一人だけ。彼の友人の八神はやてである。

 

 しかし、事あるごとに彼女の態度へ不満を抱く彼であるが、今回彼女の何に対して毒ついているのか? その理由は数時間前にはやてへと尋ねた、流星群に何を願ったかという問いにある。

 

 ────「あの時流星群に願ったんよ。

 『幸せな毎日がずっと続きますように』って───」

 

 その答えは彼女の純粋な願い。

 ほんの一瞬で過ぎ去ってしまう流星群へ迷う事なく願える程に、それは彼女が真に望んでいるものなのだと春樹は気付いている。

 しかし、理解できたにも関わらず、彼は彼女の願いに不満を持っていた。

 

 ────今が幸せだと? 本気で言ってるのか、あいつは

 

 はやてに家族がいない事、友達がいなかった事を彼は知っている。

 

 以前と比べれば、八神はやての日常は変化していると言えるのだろう。

 彼女は相馬春樹という友を得た。

 それは毎日を孤独に過ごしていた時間に変化をもたらし、その証拠に今日は新たに高町なのはと友人となった。

 恐らく以前の彼女は今のような日々がやってくるなどと考えていなかったのではないだろうか。

 だから自身を取り囲む環境が着々と変わっていく、良い方向に転じている事はきっと彼女にとっても嬉しい事だったのだろう。願いの中で現在を『幸せ』と称したのも、はやての心が満たされてきている証だと彼は感じていた。

 

 だが故にこそ、春樹は彼女の願いにある種の怒りに似た感情を抱いているのだ。

 

 少年からしてみれば、はやてはまだ幸せと呼ぶには足りないものが多すぎる。

 人が何に幸福を感じるか。どこまでいけば満たされるかは人によって様々で、それは他人が決めれる事ではない。

 彼とてそこは理解している。しかし………心が納得できるかはまた別だった。

 

 ────友達ができたって、四六時中一緒にいれる訳じゃない

 ────家ではずっと独りのままで、それに歩けないから、自分から友達に会いに行くのも難しいってのに……

 

 なのに、はやては現在が『幸せ』だと宣ったのだ。

 此方から見れば、どう考えても今の彼女は幸せと思えないのに、当の本人はそう思わない。()()()()()()()()()()()()()

 それが春樹には看過できない事だった。

 

 ────もっと求めていいだろう。もっと欲張っていいだろう。

 ────お前が幸せになる事を認めない奴なんているもんか。誰も文句なんか言わないし、言う資格だってない。

 ────なのに何でたった二人友達ができた所で満足する? 何で………これで幸せだなんて言えるんだ?

 

 納得できなかった。

 納得できないからこそ、八神はやての現状を変えたかった。

 

 はやてを取り囲む環境に残る問題は、大きく分類するなら『学校に通えない事』と『家族がいない事』。

 これらを解決する事などまだ9歳の身では到底無理な話だ。

 どれだけ考え抜こうとも所詮は子供。

 できる事は限られていて、これらをどうにかできる可能性は()()()()1%も存在しなかっただろう。

 

 本当にただの子供だったならの話だが。

 

 少年は所持しているのだ。そんな無理難題を解決できるかもしれない代物を。どんな願いでも叶えられる不思議な宝石を。

 

「………」

 

 春樹は立ち止まり、首に掛けていた宝石を取り出して天に掲げる。

 

 ────どうすれば使えるようになるんだろうな、これ。

 

 今日までは自発的に使えないからと、ただの石ころとして扱ってきた。

 だが、今の彼は違う。

 春樹は宝石の願いを叶える力を、過去何度も試そうとした時よりも強く、確固とした想いの下に欲していた。

 

 ────こいつを使えるようになれば、あいつが学校に通えるようにできるだろうに。

 ────もしかしたら、あいつの家族の事だって……。

 

 これ程にこの力を求めたのは今回が初めてだった。

 いや、そもそもの話。彼が明確に叶えたいと思う願いを抱いた経験は他にないのだ。

 “自発的に扱えない”とはいっても、『心から渇望する願い』というモノとは無縁の人生をおくってきた。

 

 そんな人生の中で見つけた初めての願い。だからこそ叶えたいと少年は求める。

 そうして強く刻み込まれた想いを現実にしようと、宝石の力を扱う方法を模索するのに没頭し──────故に彼は気付くのが遅れた。

 

「んっ………?」

 

 不意に、違和感を覚えた。

 空気が清んだものから淀んだものに変化したような、

気味の悪い感覚。春樹は急に感じた謎の感覚を不思議に思い、試しに周囲を見回して確認してみる。

 

 ─────何も無い………よな?

 

 辺りに不審な物は見当たらない。瞳に何もおかしな物は映っていない。けれど、依然として気味の悪い感覚は感じ続けている。

 じわりじわりと、身体中を纏わり付かれているかのように。

 

 それを途轍もなく不快で、怖気を身に感じた彼は早足でその場から立ち去る。

 ずっと歩いていればこの感覚も消えるだろうと判断しての行動だったが────身に受ける不快感も、怖気も、一向に消えてくれる気配はない。それどころか着々とその強さを増していく。

 

 ─────いつまで続くんだ。これは……

 

 早足はどんどん速度を速め、それでも消えてくれない感覚に痺れを切らしたのか、終いに彼は走り出していた。長く続く不快感は次第に不安へとすり替わっていき、一刻も早く安心感を得ようと家路を急いだのである。

 

 しかし、逃げるのを許さんとばかりに、少年の行く手を阻む存在が一匹。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■───!!」

 

 突如として周囲に響き渡る絶叫。その音量は鼓膜を越えて脳をも揺さぶる程で、春樹は耐えきれず、反射的に両手で耳を塞いだ。

 

「何だよ、この声は……!?」

 

 脳まで響いた影響か目眩を覚えその場に立ち止まる。そうして目眩が収まるのを待って数秒後。彼は今響いた絶叫について思い返す。

 

 ──────あれって、遠吠えか何かか?

 ──────こんな住宅地に? 声量も動物にしては大きすぎるし………

 ──────それに、あの感じは………

 

 周辺に響いた絶叫を聞いた際に抱いた感覚。それに彼は同時に既知感を覚えた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思えたのだ。似ているどころではなく、完全に同一のものとして。

 

 ──────まさか、さっきからこの感覚が消えないのは………

 

 全く同一の感覚。それで何かに気付いた春樹であるが……彼に行動を起こす時間は存在しなかった。

 

「■■■■………」

 

 目の前に件の存在が現れたからである。

 少年の眼には、上空から地表に着地する四本足の獣の姿がありありと映し出されていた。

 

「なっ……………」

 

 あまりに突然の出来事。

 本来なら狼狽えるところだろうが、先程から不快な感覚から逃げる為に走り続け、そして遠吠えらしき絶叫を聞いた彼は狼狽よりも今まで解らなかった謎への合点を強く抱いていた。

 

 ────ああ、やっぱりそうだ。

 ────変な感じも、あの絶叫も、全部こいつが原因か!

 

 一見するとその生物の外見は狼などの類にも見えるものだ。

 しかし、彼はそれを“違う”と感じた。

 春樹は動物について詳しい訳ではないが────彼の頭は、目の前の存在が一般的な動物である事を断固として否定していた。

 

 ────動物? ………いや、

 ────こいつは……そんな生易しいものじゃない。

 

 何故ならこの生物は()()()()()()()()()()()()()

 目の前の生物は目測で軽く二メートルを優に超える体格を持ち合わせている。

 加えてその生物の瞳は五つだった。本来二つでなければならない瞳が()()もある。

 

 明らかに異常だ。

 子供でもそう理解できる程にその存在は奇怪だった。姿は異様で動物とはとても呼べない。

 不気味さと禍禍しさを混ぜ合わせ、恐怖を煽るその姿を的確に言い表す言葉として選ぶなら、きっと───『怪物』と呼ぶのが相応しい。

 

「………………」

 

 春樹は言い知れぬ不安を覚えた。

 どうして、怪物は自分の前に現れたのか? こんな人里にこんな生物が存在しているのもそうだが、やはりそこが理解できない。

 

 ─────違う。

 当に理解(わか)っている。ただ、現実だと思いたくないだけだ。

 

 怪物の目は全てが彼を見詰めていた。

 舐めるように、じっとりと。彼の下から上、隅から隅まで観察している。

 

 ─────品定めだ。

 ─────こいつは俺を品定めしてるんだ。

 

 そして五つの視線はただ一点に集中した。それと同時に怪物は先程とは違い低く喉を唸らせる。

 

 この二つの行為を春樹はありありと見詰めている。けれど、正確には“目が離せない”というのが正しいだろう。

 怪物が現れた時点から頭に浮かぶ嫌な予感。それが気のせいであってほしいと内心現実になるのを恐れているから、彼の身体は動きを鈍らせ固まったように動かない。

 

 だが、それも確かな現実として認識できれば変わってくる。動けないが故に彼の目は捉えたのだ─────怪物の口角が吊り上がる瞬間を。

 

 ─────逃げろ…………逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ!

 

 『怪物が笑っている』。目の当たりにした印象はそんな本来動物に有り得ないものであったが、そう連想した事で春樹は確信する。

 

 ─────逃げなきゃ、喰われる!!

 

 果たして、それは正しかった。

 彼が身体の凝固から抜け出して走り始めるのと、怪物が彼に向かって走り出したのはほぼ同時だった。

 

 春樹は怪物が向かってくるのをすぐに察知し、瞬く間に追い着かれると予測して横に跳び込む。

 対する怪物はまさか横に跳び込むなど考えなかったのか、勢いを付け過ぎたのか。そのまま走り出しの初速を維持し、彼を通り過ぎて、その距離をどんどん開けていった。

 

 ─────あぁ、やっぱりそうなのかよ!

 

 頭がどうにかなりそうな状況だった。

 非日常的な現象に見舞われた事はあったが、彼の記憶にあるそれは自分と同じ人間に拠る事件だった。

 だが今回相対したのは、見た事も無い人とは違う『怪物』。人間からの殺意とは違うベクトルのそれに、春樹は生きてきた中で一番の恐怖を抱く。

 

「■■■■■■■!!!」

 

 しかし、恐怖に震える暇は無い。除速を終えた怪物は方向転換して、また春樹を狙い走り出しているからだ。

 

 彼は当然逃げる為に、起き上がってまた走り出し始めた。

 そのまま逃げ切れればいいのだが、残念な事に距離は大分離れているものの、縮まるのにそう時間はかからない。そこから僅か十数秒後には、数秒前に走り抜けた場所を怪物は己の前脚に生えた鉤爪を使い襲いかかっていた。

 後ろから轟音が響く。それは彼の両耳にしっかりと届いて、少なくとも怪物が跳びかかった地面が無事ではない事をはっきりと知らせていた。

 

 ─────後ろは、どうなった……?

 

 『怪物が跳びかかっただけで、周囲に響く程の破壊音を撒き散らした』

 

 これを認識してしまった為だろう。音の発生源は一体どうなったのかと、彼は一刻も早く逃げ切らねばならぬ中、後方を気にしてしまう。

 そうして結果。春樹は見たところで恐怖を助長するとは解っていたが、果たして“怪物に襲われて自分は無事でいられるか”────どちらになるにせよ、そこに目で見た実証が欲しいという欲に駆られ、足を止める事なく顔だけを後ろに向けた。

 

 ─────嘘、だろ………。

 

 そして目にしたのは、より残酷な現実を突きつける光景。

 

 異形の被害を受けた箇所は大きな引っ掻き傷のような

痕が刻み込まれている。

 だだしそれは、凡そ生物がやったとは思えない程の傷の深さである。爪痕を中心として地面に亀裂が入り、頑強な筈のコンクリートを易々と粉砕していた。

 最早そこは原型を留めていない。

 異形が放った一撃は“傷をつけた”と言うよりも、“地面毎抉り取った”というのが相応しい破壊力を備えていたのだ。

 

 あれを受けたら、きっと体は原形なんて残らない。跡形もなく肉片となり、一瞬で死を迎える──────そんな己の死しかない1本道の情景を、春樹は明確に想像してしまった。

 

「────ちくしょう!」

 

 恐怖に駆り立てられ、足に今まで以上に力を込めて脇目も振らず走る。

 できるだけ遠くへ、怪物のいない場所を目指して。

 

 それをみすみす見逃す筈がなく、怪物もすぐさま少年を追って、駆け出した。

 距離はそう遠くない。

 怪物の移動速度からして、恐らく彼の足の速さではほんの数秒で追い着かれ、腹の足しにされるのが関の山という程。

 

 無論その事実を正しく認識して尚、春樹は逃げる道を選んだ。

 逃げれる勝算がある。そう踏んだからこその選択なのだ。

 

「…………あった!」

 

 前方に曲がり角を捉える。

 目に捉えた曲がり角を春樹は一直線に目指す事に決めた。あれに入れれば、時間を稼げると直感して。

 ただし時間は無い。地面から伝わってくる、怪物が地を駆ける震動が着々と強まるのを感じながら、さらに精一杯足を動かして目標まで突っ走る。

 走って、走って、走って─────ついに曲がり角の目と鼻の先まで距離を詰める。

 

 その時、地面を蹴る音が耳に届く。

 後方に気配を感じたのは、それから一秒にも満たない刹那だった。

 

「こ……のっ!!」

 

 身をよじり、曲がり角へ飛び込む。

 何かを裂く音。何かを砕く音を耳にしながらも、彼は曲がり角へ勢いよく倒れ込んだ。

 

「ぐっ……」

 

 倒れ込む際に肩を強く打ちつけた為、鈍い痛みに春樹は悶える。

 そして肩だけではなく打ち所が悪かったのか、身体の節々に違和感を覚えていた。

 少しでも動かそうとすれば全身に痛みが走る。動けない訳ではないものの、苦悶に歪むその表情が彼の感じている苦しみを如実に物語っていた。

 

「!」

 

 後方で又もや轟音が鳴り響く。

 態勢を立て直した怪物が、少年を狙って曲がり角の先を目指そうとしているのだ。

 だが怪物は獲物を目前にしながら、前へ進む事が出来ずにいた。

 何故なら、曲がり角の先はブロック塀同士の僅かに空いたスペース。その幅は道とは呼べぬ程の狭さ。大人が通るのは難しく、子供のサイズなら通れる位のものしかない。

 春樹はこれを見越して曲がり角の中に飛び込んだ。

 怪物の図体は敵う相手を限定させる脅威的な大きさを誇っている。したがって、その大きさが完全に徒となる状況に春樹は持ってこさせたのだ。

 

 しかし、それも長くは続かないだろう。

 先程目にした道路の惨状。あれを考えれば、この怪物は塀を破壊して進む事も可能であろうから。

 もしかしたら今にも塀を粉砕し、此方を喰らいに来るかもしれない───

 

 その可能性が頭を過ぎり、春樹は軋む身体に鞭打ちながら立ち上がる。

 

 ──────ぐっ、痛ぇ………

 

 そこから一歩進む度に痛みが全身を駆け巡るが、今も尚、怪物の突進に止む気配は無い。

 

 ──────でも、早く……逃げない、と

 

 逃げなければ怪物が自分を喰い殺す。その未来に辿り着きたくないと、彼は身体中に起こる鈍痛を耐えながら、その場から走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全身に走る痛みに耐えながら、春樹は怪物から逃れるべく隙間より抜け出て凡そ5分。その間足を止める事なく走り続けた。痛みは全く引く気配を見せないが、少しでも離れて逃げ切る為のせめてもの行動であった。

 

 しかし、走り続けてふと気付く。全く襲いかかられない事に。

 

 てっきり怪物はまた回り道をしてでも襲撃してくると予想していた春樹にとって、これは想定外の事態だった。

 もしや此方を見失ったかと考えるが、すぐに彼はその考えを一掃する。

 道路を破壊する瞬間、一瞬で此方との距離を詰め襲いかかられた瞬間を思い出すと、絶対に安全だと言える位距離を離さなければ気を抜けなかった。

 そう考える彼の足取りは、危なげながらも全く緩まる事はない。

 

 ………何でこうも静かなんだ? あんな怪物が暴れまわってるってのに、誰も出てこない

 

 一方で春樹は住宅街の様子を不振に感じていた。

 怪物の暴れた後は凄惨極まりない惨状となっている。それだけの被害を出して何の物音もしない筈はなく、あれは辺り一帯の住民全員が気付いてもおかしくない騒音だったと彼は記憶していた。

 にもかかわらず誰も出てくる気配はない。

 家の中から光は灯っている。人は確かにいる筈なのに、この事態に全く気付いた気配………いや、そもそも何一つ物音がしないのだ。

 

 ────この辺りの住民は全て出払っているのか?

 

 そんな突飛な発想が浮かび上がる程に、住宅街は静寂に包まれている。

 けれど、それ以外にこの“自分以外怪物に気付いていない”という状況をどう説明できるのか。

 

 彼は今すぐにでも助けを呼びたかった。

 だがこの状況で誰も気付かないが故に、呼びかけても無駄になるのではないのかという疑念。加えて少しでも立ち止まっていればまた襲われるかもしれないという恐怖が今にも飛び出しそうな叫びを呑み込ませる。

 

 この異常な事態は彼の心を確実に蝕んでいた。

 

 幾度目かの曲がり角を抜けて視線を横にやる。その先に市街へ出る為の大通りが視界に入った。

 

 死の恐怖に呑まれていた心の中に、光が差し始める。

 助けを呼べるかもしれない。生きて家に帰れるかもしれないという可能性が沸いてきた事で、彼の顔に笑みが浮かぶ。

 春樹はすぐさま大通りを目指した。

 今の彼の心は“やっと終われる”という解放感に満たされている。その足取りは長い時間走り続けた為に勢いはないが、どこか逃げている時よりも軽やかなものだ。

 一歩、また一歩と大通りへ近づいていく。

 そうしてあと一歩。足を前に踏み出せば大通りに出れるという位置。帰れるかもしれないという希望を抱いてきたというのに─────そこまで辿り着いておきながら、春樹は何故か前に進まず立ち尽くしてしまう。

 

「な、何でだ……。何で進めない!」

 

 それは進まないのではなく()()()()からだった。

 目の前に行く手を遮る物は何もない。ない筈なのに、前へ進もうとすると、どうしてか見えない何かにぶつかってそれ以上先に進む事ができないのだ。

 

 春樹は理解できなかった。瞳に映る景色には障害物はないというのに、大通りへ出る事ができないというこの状況が。

 まるで“壁でもあるかのようだ”と彼は思う。

 行く手を阻む何かはとても硬く、いくら叩こうともびくともしない。

 それでも壁の向こう側へ行きたくて何度も叩いた。何度も殴った。何度も蹴りつけた。

 けれど、幾ら足掻こうとも壁はびくともせず、自分ではどうしようもないという結論に至るのにそう時間は掛からなかった。

 

「……………別の道を、探すしかない……のか」

 

 やっと見つけたと思った道は前に進めない行き止まりだった。

 この現実は逃げてくる際に蓄積していった疲労を何倍にも増させ、加えて精神的な疲労をも蓄積させる。

 

 そんな彼がこれに反応できたのは、疲労を感じていても危機感だけは忘れなかった為だろう。

 

「…………っ!」

 

 背筋に悪寒が走る。

 この悪寒に嫌な予感を覚えた春樹は咄嗟にその場から飛び退く。

 そうしてすれ違うように、今自分がいた場所に大きな影が跳びかかってくる。

 彼が立っていた地点を爆心地の如く粉砕し現れたのは、自分を追っていた件の怪物であった。

 

 ────なっ、追い着いてたのか!

 

 春樹は地面へ仰向けに倒れ込んでしまう。

 打ちつけた痛みを感じながらも怪物が来た以上ここにはいられないと、すぐに逃げようとするが無駄だった。

 距離はすぐ目と鼻の先。故に先刻のように数秒のタイムラグもある筈がなく、怪物は少年が倒れている方角へ方向転換。即座にその強靭な前足で彼の体を動けぬよう固定してしまった。

 

「ぐ………ぁがあァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 アスファルトを粉々にする程の剛力。それを一身に受ければどうなるか?

 答えは明白だった。春樹の体は上から掛かる圧力に耐えきれず、全身に堪えようのない痛みを伝えていた。

 

「ぐぶっ……」

 

 体の中から硬いモノが折れる音がする。それを端にして口から血が溢れ始めた。

 徐々に前脚に込められる力は増してきている。それに応じて口から漏れ出る血液の量も増幅していくばかりだ。

 

 ────死ぬ、のか。俺……

 

 抜け出すような力は残っていない。血が抜け出ていくのに相乗して、手も。足も。指先も動かせなくなっていく。

 少年は理解せざるを得なかった。

 自分は死ぬと。

 最早自分は手遅れなのだという現実を。

 

 ────いき、なり、訳の分からない……怪物に、襲いかかられて……

 ────喰われるのが、死に様なんて………な

 

 死を悟ったからだろうか。ついには意識さえも朦朧となっていく。そんな中で彼の頭に浮かんだのはこの理解不能な状況とそれに巻き込まれた自身の様。

 

 ────ごめ、ん………父、さん。母さ、ん………

 ────おれ、かえれそうに……ない………

 

 自身の帰りを待つ両親の姿。

 

 ────あぁ、そういえば………おれが、いなく、なったら………

 ────はやて……は、どう………おもう……かな

 

 そしてつい1時間程前に別れた友人。八神はやての姿だった。

 

 ────ニュースには、なるかも……しれないし、おれがいなくなった………のは、わかるか。

 

 そこまで考えて、襲われるのが今日で良かったのかもしれない、と春樹は考える。

 高町なのは。彼女が友人になったのだから、少なくとも自分がいなくなってもはやてがまた独りに戻る事はないと。

 

「………■■■■■」

 

 春樹は死を悟る中で最期に思いを巡らせていく。

 だが、少年がそんな事を考えているなど怪物に判る筈もない。

 故に怪物は彼の思考を最期まで待つ事もなく、我存ぜぬとばかりにその大きな口を開いた。

 

 言うまでもなく、これは口を開いたのは捕食の為に他ならない。

 この行為の意味は最早虫の息である春樹にも解せた。

 ただ、と彼は思う。本来ならもっと恐怖を抱きそうな光景だと。だというのに心の中にそんな感情は微塵もない。

 やはり怪物に喰われるという現状があまりにも現実離れしているからか、どこか映画でも観ているかのような気分になっている。もう死にかけなのも相まって、彼の中で恐怖に怯えるよりも想いを巡らせる方が勝っていたのだ。

 

 ─────だい、じょうぶ……か……。でも………

 

 それも長くは続かぬだろうが。

 春樹の意識はもう途切れようとしていた。

 

 ─────すこ、しは………かな………し………むか……な………………

 

 そこに怪物の牙が迫る。

 少年の頭蓋目掛けて未だ残る命という名の灯火を刈り取る為に。

 それを春樹は虚ろな眼で見詰める。死に際だからか。時間の流れが遅いような錯覚に襲われながらも静かに。

 既に力の残っていない彼は怪物に拠る捕食を受け入れるしかないのだから。

 

 ──────まてよ……

 

 けれど、その過程で何を思い浮かべるかは人それぞれ。

 彼の場合は、自身がいなくなった後の彼女らの姿を思い浮かべた。

 

 ──────おれ、は……………そんな顔……………あの人達にさせたい訳じゃない!

 

 たったそれだけの事。然れどもそれは、彼の意識を再浮上させるに足る情景だった。

 消えかかっていた灯火は元の輝きと同等の燃え上がりを見せていた。

 傷が治った訳ではなく、春樹は死に体である事実に変わりはない。本来ならこのまま捕食されるか燃え尽きるかの二択だったのを、彼は強い想いを糧に戻してみせたのだ。

 

 彼の想起した情景は“両親。そして八神はやての悲しむ姿”────これを想起した事で生まれたモノ。

 そんな顔をさせたくない。そんな顔をさせる未来が認められない────そう感じたからこそ彼の中で“生きる”という意志が再燃した。

 

 そこから彼はまた足掻き始めた。

 ここまで来れば恐怖心など消え失せる。過程で新たに血が噴き出し、新たに体から折れる音が耳に届いて、身体中に激痛が響いて………それで、再度抜け出せないという当然の現実に直面しながら尚も諦めようとしない。

 生きる為に。生きて帰りを待つ者達の下へ帰る為に彼は足掻く。

 

 しかし意識が戻ろうとも、どう足掻こうとも、そんな彼の行為を嘲うかの如く怪物の牙は迫る。

 

 ──────ふざけるな………

 

 抜け出す事も出来ず首から上を持っていかれるだけの1本道。

 少年の行動は全て無為になる。巨大な顎は春樹の頭蓋を喰らい、その意思は報われる事なく消えていく。

 

 ────絶対、生きて帰るんだよ!

 ────こんな所で………死んで、たまるかァァァァァ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───────その筈だった。

 

「■■■■■!!!」

 

 突如、閃光が迸る。

 光は発生と同時に脅威的な突風を伴い、巨躯である怪物を後方に吹き飛ばす。

 予期せぬ事態に怪物は対応できない。そのまま為されるがまま真後ろの塀を越え、まるで爆発音のような轟音を起こしながら家屋を突き破りその姿を消した。

 

「えっ……?」

 

 春樹は目を疑った。どれだけ力を込めようとびくともしなかった、コンクリートを安々と破壊する力を持った怪物が吹き飛んだのだ。

 つい先程まで喰われかけていたという事実よりも、彼にとってそれは現実離れだと思うに余りある光景だった。

 

 さらに驚くべき事はもう一つ。

 突風は未だ続いている。だというのに、春樹は吹き飛ばされるどころか風の影響を一切受け付けていなかった。

 風を起こした閃光が彼を守っているのだ。光が彼を包み込み、突風により起こる被害から保護する役割を果たしている。

 さらに光の効能はそれだけではない。最早死まで秒読みの域に追い込んでいた少年の傷をあっさりと治してみせる。

 

 気付けば春樹は、血も殆ど抜け落ちた死ぬ寸前の重体から、傷一つ無い健常な身体に戻っていた。

 

 ─────これって……まさか!?

 

 胸元から宝石を取り出す。

 この不思議な現象。特に重傷を瞬く間に治してみせる所業に心当たりを覚えて────その予感は的中する。

 

 宝石は光り輝いていた。目が眩みそうになる強烈な発光を纏い、鼓動のように明滅を繰り返している。そして宝石を取り出した途端に呼応するが如く彼を覆う光もまた強まっていった。

 その様を目の当たりにして春樹は確信する。

 

「こいつが、助けてくれたのか………」

 

 相変わらず発動条件は不明。けれど自身の窮地を救ってくれた事に少年は感謝を覚えながら、その場から起き上がる。

 それは怪物がまた襲ってくると思い至ったからだ。

 あの程度で倒れてくれるなどとは思えない。きっとまた起き上がってくると確信しているが為に一刻も早くこの場から離れようとした。

 

 ────然れど、事態は相馬春樹から『逃げる』という選択肢を選ばせない。

 

 自身を覆っていた光。それが何の前触れもなく彼の右腕に収束していく。

 

「! 何が………」

 

 光はやがて明確な形を創り上げる。

 『腕輪』────そう形容できる物体。それは機械的な造形で、まるでSFに登場するアイテムのようだった。

 

 春樹は右腕に装着されたそれに、今日何度目か判らぬ驚きを見せる。これは一体何なんだと腕輪を眺めていると、今度はどこからか声が聞こえてくる。

 

『Are you all right?』

 

 音声アナウンスの如き無機質な声。その発生源は身に付けている彼にはすぐ察せられた。

 

「こいつが‥‥‥喋った、のか?」

That's right(その通りです)

 

 腕輪は淡々と肯定する。

 

Well, in this situation,(さて、この状況ですが、) there are things I have to ask you.(訊いておかねばならない事があります)

 

 そして直後に何事かを語り掛けられる。何の言語かは判らなかったが、何故か頭に意味が浮かび、それが腕輪からの問いであると彼は判別できた。

 

 ─────答える必要は、ないよな……

 

 自身の生存を第一に考えるなら、答えは一つだ。怪物から逃れるべく、問いよりもこの場から離れる事を優先するべきである。

 

「………何だよ。それって」

 

 そう、優先すべきなのだ。

 だというのに春樹は動かない。後者よりも前者、腕輪の問いに耳をかたむけたのだ。

 

 間を置かずに連続で起こり続ける異常事態に、気がおかしくなったのかもしれない。

 それでも、その選択に抵抗を覚えなかった。

 確証はない。ただ彼は腕輪が『宝石の光から出現した』というこの目で目にした事象から、ある一つの期待を抱いたから。

 

 ─────もしかしたら、こいつは宝石の使い方を識っているかもしれない。

 

 それに少なくとも、何の意味もなく現れた代物ではあるまいという確信はある。

 過去発現した時がそうだったように、宝石が起こす現象には何らかの意味がある。であるからこそ彼はまず腕輪の話を聞いてみる事にしたのだ。

 

Let's ask.(では、尋ねましょう)

 

 ………しかし、そう都合良く話が進むとは限らない。

 腕輪の問いかけは、春樹の意表を突く内容だったのである。

 

『─────You are my master, are not you ?(貴方が私のマスターで間違いありませんね?)

「………………は?」

 

 言葉を聞いて、意味を理解し、彼の口から漏れたのは…………何とも間の抜けた声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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魔銃は甦る

 文字制限に引っ掛かったりと、英文翻訳が難航したので一部を除いてデバイスの音声は日本語のままにする事にしました。面倒ですしね、時間も掛かりますし。


「俺が……マスター?」

 

 腕輪の問いに春樹は戸惑いを見せる。

 この質問を頭に浮かんだ意味通りに捉えるなら、自分が腕輪の主人かどうかを問うているのだろう。

 だが、彼にこの腕輪の主人になった自覚など全くない。またそもそも腕輪がここに在るのに自分の意思は介在しておらず、そんな有様で肯定する事ができる訳がなかった。

 

『違う、と言うのですか?』

「………いきなりそんな事言われても訳分かるか。そもそも俺はお前が何かも判らないってのに」

『問い尋ねたのは、あくまで確認の為です。貴方が我がマスターであるのは確定した事実ですよ。

 私をその『レイジングハート』で呼び出した。それが何よりの証拠なのですから』

 

 自身の心情を伝えた結果、返ってきたのはこちらの意思は関係という自身のみで完結した肯定。

 普段であれば、この煮え切らない答えに苛立ちを覚えたことだろう。

 

 が、腕輪の言葉にはそれよりも気に掛かる発言に混じっていた。

 

「レイジング、ハート……?」

 

 聞き慣れない名前。一体何の事かと考えて、『私を呼び出した』という部分から、彼はその名が一体何を指しているのかに気付いた。

 

「そうか………これの事か!」

『それすらも知らなかったのですね。

 ………いえ、寧ろ当然ではあるのですが』

 

 レイジングハート─────それが、自分の持つ宝石の名前。

 そして名前とこの宝石が自身を呼び出したのだと知っているのなら、腕輪は宝石の使い方を識っていると思い至る。そう考えたが故に彼はすぐさまレイジングハートの使い方を聞きだそうとした。

 

「なあ、教えてくれ。これの使い方を! どうすればこいつを自由に使えるんだ?」

『それより、前方に手を翳しなさい。でなければ死にますよ』

「……えっ?」

 

 けれどそのような時間はない。

 彼は興奮のあまり忘れていたのだ。

 自分が何故ここにいるのかを、自分が何に襲われていたのかを。

 

 ────瓦礫をその巨躯で吹き飛ばしながら、此方へ猛追する影が見えた。

 

『早く!』

 

 猛追を避けようと咄嗟に横へ跳びだそうとしたが、それを腕輪は阻むように叫んだ。

 頭に響く剣幕に思わず跳び出すのを戸惑ってしまう。すると気付けばもう接触まで時間はなく、再度同じ行動をとる真似は出来ない段階になってしまった。

 腕輪の声を無視していればと後悔してももう遅い。

 

 こうなってしまえば最早言われた通りに手を翳すしかやれる事などなかった。

 

『Protection』

 

 又もや自身の死を予感した。けれど死に絶えるよりも先に、翳した手から何かがごっそりと抜け出る感覚を覚えた。その原因が腕輪であろう事を春樹は直感的に見抜く。

 

 一体何をする気だ───そんな言葉をかけようとして、気付けば抜け出た何かは春樹を中心として包み込むように円形状のフィールドを形成していた。

 そしてそれは突撃してくる影───怪物の突進を自身の身体に一切の衝撃も伝えず、安々と防いでみせたのだ。

 

「マジかよ………」

 

 春樹は眼前で繰り広げられた光景に、信じられないと言葉を漏らす。

 彼は怪物がどれ程の暴威を備えていて、如何に危険な存在であるのか、その身を以て体験したばかりだ。故にその攻撃をいとも容易く防いでみせたエネルギー帯の存在と、それが()()()()()()()()()()()()事に驚かずにはいられなかったのだ。

 

 眼前では怪物が幾度となく猛攻を与え続けて、しかしびくともせず自身を守る円形状のエネルギーという状況が繰り広げられている。

 この状況が何時まで続くか分からない。しかし目下のところ死ぬ危険は薄まったが為に少しばかり心の猶予が生まれ、現状が何時まで保つかも含めて、このエネルギーは一体何なのか腕輪へ問いかけようとして

 

「おい……」

『あまり長くは保ちませんので、結論から申します。貴方には目の前の生物と戦ってもらいます》』

 

 だが、腕輪はそれに被さる形で彼に語りかけた。そしてその内容は余りにも急で現実性も無く、今の春樹が色好い返答をする筈もない事であった。

 

「こいつと……!? 冗談言うな、無理に決まってる!」

 

 追い掛けまわされ、骨を砕かれ、喰われかけ………短期間の内にこれだけの死の淵に立たされ続けた。これで『真っ向から立ち向かう』という選択肢が生まれる筈もない。

 

『この生物を退けなければ、貴方は生きて帰れません。この防御魔法が保つのも、多く見積もって一分というところでしょうから。

 それに、どうやらここ一帯は結界魔法に囲まれているようです。魔力の流れからして、起点はこの生物でしょう』

 

 しかし、そんな春樹の意思は聞く耳を持たれなかった。それどころか腕輪は逃げる選択肢を与えないつもりか、彼が新たに喋らぬ内に聞き捨てならない情報を投げ掛けてくる。

 

 ────1分しか保たないって? それに、結界の起点……?

 

 怪物の脅威を防げるのはたった1分。それを過ぎればまた先と同じように死に瀕する事実に驚愕を覚える中、その話の中に引っ掛かりを覚える単語が混ざっているのを春樹は聞き逃さなかった。

 

「結界ってまさか、俺が彼処から出られなかったのは……」

『ええ、この生物の仕業と見て間違いありません』

 

 問いはあっさりと肯定された。それはつまり、例えこの事態を乗り越えても怪物の脅威から逃れられず、これを退ける為の選択肢は一つしかないと示している。

 

『ならば判る筈だ。相手は話の通じない生物、それも貴方の命を狙う敵だ。それを相手に生きて帰るには────』

 

 本当だという保証はない。然れど嘘だという確証もない為に、もし本当に事実ならあと少しで数分前と同じ状況に叩き込まれる事となるのだ。さらに怪物を倒さねばここから出られないとなれば、どんなに鈍感でもこの話の重要性は解る。

 

「………こいつを、倒すしかない」

 

 幾ら怪物との対峙を恐れようとも、生きて帰る為には─────戦う以外の道はないのだと。

 

 だが、それでも提示された選択肢に春樹は即答する事が出来ずにいた。

 

 理由としては心の中から恐怖が消えてくれない事もあるが………やはり、腕輪の目的が一欠片も見えない事が要因の大部分を占めている。

 何しろ彼からすれば、この腕輪とは出会ってまだ数分の関係。そんな相手に戦うよう促されても、すんなり頷ける筈もない。

 

『安心してください』

 

 そんな春樹の心情を読み取ったのか、腕輪は諭すかのように、今までの無機質なものとは違った何処か暖かみを感じる声色で語り掛ける。

 

『私は貴方が生きて帰る為に呼び出された武器なのです。私には目の前の脅威を排除する力があり、この身を使えば貴方は助かるという確証があるからこそ、私は貴方の目の前にいる》』

 

 腕輪の語りは自信に満ちていた。それが事実であると、心の底から信じて疑わない絶対的な確信が言葉の一つ一つから感じられる。

 この腕輪がどういった物なのか。一体何を目的としているかは未だ分からない。

 けれど、言葉から滲み出る自信はこの局面を生き残れる算段がある証であり、自分を説得しようとしているのは腕輪自身もこの局面を切り抜けたい証拠だと彼は感じ取った。

 

 春樹は生きて平穏な日常に戻る為に。

 

 腕輪はこの局面を切り抜ける為に。

 

 両方の目的は同じ方向を向いている。

 恐怖が消えた訳ではなく、腕輪について何も知らないのも又同じ。しかし────同じ目的を共有できるのなら、命を賭けねばならない状況下。自身の命運を預けるに足る存在だと判断し、決断した。

 

「…………判った。お前の使い方を教えてくれ」

 

 恐れを呑み込んで、怪物と戦う決意を。

 

『了解しました。

 では、私を使うという意思を持ってこう唱えてください。『セットアップ』と』

 

「………セット、アップ」

 

 腕輪に促されるまま言葉を紡いだ瞬間、腕輪は突如として光り輝き、今までとは違った新たな形を形成していく。

 

「これは……」

 

 変化は一瞬だった。腕輪であった筈の光は気付けば彼の手に収まる銃へと変貌する。

 そう、銃である。

 配色は黒を基調としている。外観は自動拳銃にマガジンを装填する突起物の付いた無骨さを感じさせる形状でありながら、腕輪の時と同様のSFさも備えていた。しかしそんな玩具染みた外観を持ちながらも、手にした腕に掛かるのは、玩具のような偽物には無いずっしりとした重みだ。

 今日何度目かと判らない異常な状況だが、やはり驚きは覚えてしまうもの。春樹は銃の外観と感触を肌身で確認し、そこから現状の確認に考えが及ぶのに数秒の時を要した。

 

「もしかして……あの腕輪か?」

『その通りです』

 

 やっと確認してみれば、銃から腕輪であった物の音声が聞こえてくる。

 

「………?」

 

 と、その時だ。何かに罅が入る音を鼓膜が拾い上げたのは。

 音は目の前の魔法陣から響いていた。目を向ければ、魔法陣に一点の穴が空き、そこから徐々に罅割れが起こっている。

 穴を空けているのは怪物の爪である。見れば狙いをただ一点に絞って何度もエネルギー帯へ攻撃を仕掛けているようだ。その結果、腕輪の言う『防御魔法』は怪物に突き破られ始め────

 

『どうやら時間切れのようです。

 なので、手短に言いましょう。あと5秒で魔法陣を解きます。貴方にはその瞬間敵性体に向かって私の引き金を引いてもらいたい』

 

 この急変した状況に、腕輪改め銃は正気とは思えぬ判断を下した。

 

『5』

 

 声を荒げる間は無かった。けれど言ったところでどうにもならないだろう。どうやらこの銃は本気で実行する気のようで、何をどう言おうが意志は変わらないと容易に予想できる。

 

『4』

 

 ならばもう失敗しないよう構えておく他ない。

 自ら腕輪の選択に同調した以上、今更投げ出す真似はしたくないから。

 

『3』

 

 故に、心から余計な恐怖(不純物)を排していく。手元を狂わせず、手際良く最短で事を為す為に。

 

『2』

 

 つい先程まで恐れに呑まれ、戦う事を忌避していたのだ。そう上手くいく筈もないが、やらないよりはましだろう────そういった足掻き程度に考えていたのだが、その心はスイッチを入れたようにカチリと、機械の如く一斉に静まっていった。

 

『1』

 

 不思議な気分だった。あれだけ不安定な心が何事もなかったかのように、波の無い平坦な有り様へ変化したのである。

 けれどそれは彼にとって喜ぶべき状態だ。もう迷っている暇もないからなのか。はたまた覚悟が決まったからなのか。どちらにせよこの局面で都合が良いのに変わりは無いのだから。

 一つ深呼吸。そしてゼロカウントが告げられる間に銃身を怪物に向け─────魔法陣が消えると同時に、その引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Shoot Barrett(シュートバレット)

 

 銃身から発声する音声と共に、銃口から朱色の光弾が発射される。

 鼻先との距離は1メートルもない至近距離。そしてフィールドが消失した時点で怪物は春樹目掛けて跳び込んでいた。故に避けられる筈もなく、コンクリートを易々と破壊できる勢いのまま怪物は、自ら光弾へ当たりにいく形となった。

 

「■■■■■■■────!!!!!」

 

 光弾は額中央の目玉に直撃する。痛み故か、怪物は大きく仰け反り、堪えきれぬとばかりの絶叫を辺りに響かせた。

 その隙は余りに大きい。攻撃してくれと言っているようなもので、この僥倖を逃さずに春樹は更なる銃撃を敵に浴びせていく。

 脚、胴体、喉、顔────見える限りの急所へ狙いを定めた射撃は全弾命中。怪物は次々と与えられる衝撃に耐えきれず、その身をひねらせ場から駆け出していった。

 

「……ホントに効いた、な」

 

 彼方はまだ動きを鈍らせる様子は無く、活力も殺傷力も未だ健在だ。だが此方に襲い掛かるのを止めて駆け出したのは、このままでは此方を喰う事はできないと判断したからである。それは光弾が怪物にとって脅威となり得るという事であり、銃のついた宣言が真実味を帯びた発言だという証明になる。

 

 戦闘時故か起伏は控えめながらどこか感慨に浸る春樹と反対に、武器たる銃は怪物の逃避を冷静に分析していた。

 春樹の銃撃は確かに効果があったがしかし、彼方の動きを抑制する、又は気絶させるだけの効果は見出せていなかった。銃の予想よりも光弾の威力が低かったのである。

 獣の心情など測りかねないが、戦場の心理で語るなら自らを殺せぬ兵器など何の障害にもならない。その点怪物は少年を殺せる力を有していた。ここから最悪の想定として、彼方に高い知能が備わっていると仮定した場合、この状況で逃走したのは攻撃態勢を整える時間を作る腹積もりであろうと推測する。

 怪物は此方に対応できぬ程の脚力と膂力を持って対応すれば確実に勝ちを拾える。主である少年は怪物のポテンシャルに対抗できる身体能力を備えていない為に、この対処をされれば確実に仕留められてしまうからだ。

 

『追撃を。態勢を立て直される前に倒すのが最善です』

「了解」

 

 主を殺されるのは銃にとって最も避けるべき事態である。

 よって逃亡を阻止する為、銃は以下の助言を春樹に伝える。戦闘に於いて素人である彼は、その威力の程を実感したのもあって素直に応じ、この助言はタイムラグ無く即座に実行された。

 

「■■■■!?」

 

 発射された光弾が脚に被弾し、呻き声を上げて怪物は春樹のいる方角へ向き直る。相も変わらずその動きに衰えは見えないが、此方を向き直ったという事は、彼方は逃げるよりもひたすらに攻撃を続ける敵対者を潰す方針にしたらしい。

 逃亡は阻止できた。だが、好ましい状況とは言えない。疲労もさせずして正面対決となれば、不利なのは春樹達の方なのだから。

 

 怪物が再度此方に突進を仕掛けてくる。瞬間、春樹も又相手に向けて光弾を放った。銃口より飛び出す軌跡は全てが敵への着弾ラインをなぞっていたが………相対する怪物はこれを重心を低くし、外壁に飛び付く事で回避してしまう。

 そうして飛び付いた後降りる事無く、怪物は春樹への接近を再開する。

 その方法は“落ちる前に前足を出して前進する”というもの。実現できると思えない非常識な方法だが、風を思わせる速さを引き出す脚力とコンクリートを一撃で粉砕する膂力を保ってすれば、かの獣にとっては造作もない現実でしかない。

 

 ────どうする? どうすればあいつを倒せる……

 

 彼の銃弾は確実に急所を狙ったものばかりだった。だというのにこの始末では、素人であっても解ってしまう。怯んだのであるから痛み自体は感じているだろうが………今まで撃った光弾は、敵を仕留めるだけの力は有していないと。

 だが、少なくとも此方の光弾が全く通じていない訳ではない筈。それなら今頃光弾が身体に直撃したところで痛がる素振りも見せずに接近されお陀仏となっているだろうから。とはいえこれで仕留められそうにないのに変わりはない。

 だったらどうにかして確実にトドメをさせる殺傷力を持った物を調達する他ないが……………そこまで考えた末、道路に存在するある物が彼の目にとまった。

 

「だったら────」

 

 その物体を視認して、彼は瞬時に怪物への対処法を考えついた。それを実行する為にはまず怪物の足止めを行わなければならない。

 彼方との距離はそう長くなくなっている。煉瓦の外壁を踏み荒らし、深々と罅を刻みながらの猛進は、怪物と春樹との距離を10秒と掛からぬ間に僅か5メートルとない地点まで迫らせていた。

 

 最早一刻の猶予もない。彼は即座に銃口を向け引き金を引いた。──────ただし怪物ではなく、彼方が疾走している外壁へと。

 放たれた光弾は怪物が踏み出した脚の直前に着弾する。これにより生じた突然の衝撃とそれによって飛び散った煉瓦の欠片は、見事怪物の視界を遮り動きを硬直させる事に成功した。

 これにより生まれる一瞬の空白。

 それは怪物にとっては手間を増やす些細なものに過ぎないが、彼等にとってはこの窮地を覆すのに足る一筋の光明だった。

 

Shoot Barrett(シュートバレット)

 

 生まれた光明の間に再度引き金が引かれる。撃ち出される光弾は怪物に当たらずに丁度真上を掠め、目標の遙か向こう側へと向かっていってしまう。

 だが、この弾はミスショットではない。怪物を確実に葬る為の布石。彼が考えついた作戦の第一段階に過ぎないのだ。

 

「■■■■■■■■■────!!!」

 

 次に第二段階として怪物をその場へ押し止めるべく、一発目から間を置かずに光弾を撃ち込んでいく。

 受ける怪物はやっと硬直が溶けた直後であったので避ける間はない。さらに叩き込まれる衝撃と走りを阻まれ急激に速さを失ったが為、遂には外壁から落ちてしまう。

 

 呆気なく怪物は春樹の手玉に取られ始めた。だがそれもその筈。彼は意図せずに怪物の唯一の弱点を突いていたのである。

 それはこの怪物は痛みに対する耐性が非常に少ないという点だ。

 先に見せたようにやろうと思えば此方の弾を怪物は避ける事など容易い。だというに一度は逃げ、今はこうして無抵抗に銃撃を喰らい続けている。さらに春樹が考えたように、攻撃を耐えて突撃でも仕掛ければこの戦いを速攻で終わらせて彼を捕食する事が出来る。それをしなかった。否、出来なかった事こそが驚異的な身体能力を誇りながらも、耐久性というただ一つの面において脆弱だという証明になってしまう。

 事実、怪物は光弾によるダメージに悲鳴を上げていた。避けたくとも間髪を入れずに撃ち込まれる痛みに四肢は蝕まれ、避ける事も抗う事も出来ずに呻き声を上げるばかりだ。

 

 最初と打って変わり、一方的な蹂躙劇に変化した両者の構図。それでも決定打は与えられず、いつ終わるかと分からない戦闘は…………ミシリと、何かの折れる音が終わりを告げた。

 

 音の根源は怪物より後方から。そこに位置する一本の電信柱が今まさに折れようとしているのだ。

 原因はついさっき怪物を掠めた光弾にある。怪物を過ぎ去った光弾が電信柱を突き破り、長く聳え立っていた柱を折る結果となったのである。

 折れた電信柱は丁度怪物のいる方角へと倒れていく。倒れる電柱の姿を確認しつつ、状態を見て怪物は今すぐには動けないと判断したが故に彼は作戦の第三段階。最後の大詰めに取り掛かる。

 

 銃を倒れてくる電信柱へ向け、流れるように狙いを定めて発砲。直後に横へと走り出しつつ、敵の姿と共に光弾の行く末を確認する。

 肝心の光弾は見事標的へ着弾していた。真っ直ぐに上空へ飛んだ弾は電柱から伸びる電線を撃ち抜き、辛うじてあった支えをも失った電柱は急速に速度を付け、怪物目掛けて倒れていく。

 真下にいる怪物も倒れてくる電柱には気付いている筈だ。しかし、動きたくとも動けない。痛みへの耐性が無いばかりに、容赦なく撃ち込まれていた光弾のダメージがあっという間に蓄積していって、既に満身創痍と呼べる状態に追いやられているのだから。

 そして為す術無く────電柱とそれに繋がる()()()()()()が怪物へと倒れ込んだ。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!』

 

 電線から漏れた電流が外毛に触れた箇所から怪物の全身を駆け巡る。電線に流れる電流は人が耐えうる事が可能な最大電流値を優に超える値だ。いくら強靭な図体を誇る生物でも、直接高圧電流を流し込まれてはひとたまりもない。

 その証拠として、巨躯の喉から今までの比ではない苦痛に塗れた絶叫が周囲一帯に木霊した。

 

『お見事です。これを狙っていたのですか、貴方は』

「……………」

 

 銃は春樹がこれを狙って引き起こしたと気付き、これを賞賛すべく心からの賛辞を贈った。

 だが、肝心の彼はそれに注意を向ける事が出来なかった。怪物が引き摺り出している絶叫から意識を背けなかったのだ。

 

 絶叫に込められているのは、刻一刻と削られていく命が絞り出した悲鳴だ。

 痛い、苦しい、助けてくれ─────ごちゃ混ぜになった想いを声を上げて訴えている。誰にも届かないとしても叫ばずにはいられない。だって、そうでもしなければ気が狂いそうでならないから。

 

 意思を共有出来ずとも種族が違えども伝わる想いはある。

 あの化け物はつい先程までは自分の命を狙い、そして危うく奪われかけた理解不能な敵対者でしかなかった。だとしても彼は自らの手であの獣の身を傷つけ、今はその命を奪う為の引き金を引いた。

 理解はしていた。否、そのつもりでしかなかった。

 いざ現実として目にすれば様々な感情が込み上げてくる。これを自分が引き起こしたという事実が重くのし掛かり、心に乱れが生じてしまっていた。

 

『……マスター、気をしっかり保って下さい。これは貴方が生き残る為に必要な事だった。それを否定する事は誰にも出来ない。

 そして貴方自身も、決して否定してはならないのです』

 

 彼の姿から心情を察したのだろう。銃は自らの主へ心を律する言葉を贈る。

 

「……分かってる。これをやったのは俺自身の意志だ。それで都合良く後悔なんて、する気はない」

 

 否定してはならない─────その言葉で春樹は気を持ち直した。

 これは自らの意志でやったのだ。だというにそれを悔いるなど以ての外。あの怪物からしてみれば、自分に致命傷を与えた相手に殺そうとした事を悔いられるなど『ふざけるな』と憤慨して当然の行為であるのだから。

 

 ならば自分に出来るのは目を逸らさず、全てを見届ける事のみだ。

 

「■■……■…………」

 

 残る力を振り絞った叫びも次第に薄れ霞んでいく。意識を保つ事さえ難しくなったか、その双瞳も冴えを失い、見る見るうちに翳りに覆われた漆黒へ変貌していった。

 やがては微かな身動きもとらなくなり、叫びは一声も聞こえなくなる。

 だが、魂の火が消えるほんの僅かな一時、既に光を失ったその眼が春樹の顔を見据えた。

 

「……………………」

 

 言葉は分からない。けれど、やはり何を思っているかは想像がつく。

 此方に対する怒り。…………自身を殺した相手への黒く澱んだ恨みが自分に向けられているのだと、春樹には感じられた。

 

 それを最期に辛うじて残っていた怪物の生気が失せる。彼の命を脅かした謎の生命体は、獲物であった筈の少年の手によって息を引き取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ?」

 

 不謹慎なのだろう。それでもようやく終わったのだと、怪物の死と共に心の何処かで考えていた。

 けれど怪物が死んで間もなく、地に横たわるその巨体が突如として目が眩む程の閃光を放出し始めた。

 春樹はあまりの眩しさにとっさに目を庇ってその場に立ち尽くした。やがて光を感じなくなり、閃光が止んだと判断した為に目を開けてみれば、そこにあったのは───

 

「何だよ、これ………」

 

 怪物、ではない。あれだけの巨体でおぞましかった異形は何所にもあらず、地面に横たわっていたのは遠目で身長が春樹の膝くらいしかない、怪物どころか彼を傷付ける事も出来なさそうな小動物だった。

 何の冗談だと思った。あれだけ自分を苦しめていた怪物が犬猫と変わらないような小動物に変わった? 目の前の光景に信憑性を疑ったが、そもそもこの数十分でそんな摩訶不思議な出来事に遭いまくっているのだ。それを思い起こせば、この現象もしっかりと現実として捉える他ない。

 

『何かの魔法でしょうか? 自身の姿を変質させる術がありますから、それの可能性はありますが……』

「魔法? これが魔法だっていうのか?」

『そういえば魔法についても説明がまだでしたね。それについては後々させていただきますが………それよりも。どうやら原因はあれにありそうです』

 

 銃が指し示す物。それが何なのかと春樹はもう一度先程まで怪物であった小動物の姿を観察する。

 すると、地に倒れ伏す亡骸のすぐ傍に夜闇でも妖しく光る蒼い宝石を発見した。手に取り確認したいところだが、未だ切れた電線が近くにある為容易には近付けない。なので彼はもう一度銃の狙いを定めて、宝石が落ちている箇所の近場を狙い撃った。

 

「よっと」

 

 光弾により地面が抉れる衝撃で蒼い宝石は吹き飛ばされ宙を飛ぶ。彼はそれを感電しない程度に近付いて難なくキャッチし、手にした宝石の全容をまじまじと見詰めた。

 

『これは……』

 

 手に取った瞬間、何故かよく分からない不思議な感覚を春樹は味わった。

 この小さな宝石に、得体の知れない大きな力が宿っていると感覚的に察する事ができた。そしてこれが怪物を小動物に………いや、先の現象はどちらかといえば()()()姿()()()()()という風に彼には見えた。つまりは小動物から怪物に変異した原因があるとも春樹と銃の両者は判断した。

 だが、春樹にはこれが原因だとは判別できても、これが何なのかを正確に理解する知識がない。なので必然的に

 

「何だ、これ………」

 

 そう述べる以外に表現のしようがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが相馬春樹と彼が手にしたデバイスの最初の戦いである。

 彼はこの時、こんな戦いがこれからも続いていくとは露程も考えていなかった。

 しかし、それは違った。

 彼はこの夜を生き残ってしまったが為に、必然的に手にした蒼い宝石───『ジュエルシード』を巡った争奪戦に巻き込まれていく事となる。

 

 怪物に殺されかけた事も、命懸けで怪物と戦った事も、これから起こる全てを思えばほんの始まりでしかなかったと知るのは、まだ少し時が必要だった。

 

 

 

 

 

 



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それは命を賭けるに値するか 前編

 怪物との戦いから一夜が明けた今日。俺は、はやての家に足を運んでいた。

 あいつとは昨日会って、帰りにあんな目にもあったばかりだ。本来なら、今日は当初の予定では会いに来る気はなかった。だが現実として、予定を変更しはやてに会いに来ている。その理由は腕輪からの要望があった為だ。

 発端は腕輪から聞いた『魔法』の知識にある。

 

 何でもこの世は『次元世界』と呼ばれる、次元の違う様々な世界に分かれているらしい。その中には地球では空想上のものとして扱われている『魔法』が存在する世界もあると聞いた。

 腕輪はその魔法を使う為の媒体『デバイス』という兵器。俺が持っていた赤い宝石───レイジングハートも、どうやらその内のようだった。

 ………“兵器”と称する辺り、次元世界で扱われる魔法は空想で描かれる夢と希望のある類ではない。その使われ方は主に戦いが主力。人を癒したりする類もある。が、そもそも魔法を使える人間自体が希少で、その系統が使える人間はさらに稀だという話らしい。

 

 これをもっと詳しくした話を一通り聞いて、俺はどうにも腑に落ちない点があった。それはレイジングハートの件である。

 俺が見てきたレイジングハートの力は、思い返してみれば話にあるデバイスの範疇から出ないものではあった。

 確たる実証はない。しかし自分の所感として、この赤い宝石の在り方は”兵器”とは違ったところにあるのだという風に思えてならなかったのだ。

 

 果たしてそれは間違いではなかった。続いて聞かされた話によると、どうやらレイジングハートはこの腕輪や世に出回ってるデバイスとは一線を画する存在らしい。

 

 レイジングハートは分類として『祈願実現型』というデバイスだ。術者の魔力を糧に、その者の願いを叶える事が出来るという、まさに万能の願望器と呼ぶべき代物。

 そしてどうやら、レイジングハートに叶えられない願いはない。この宝石の基準の下、願いに見合った魔力か。又は代価を支払えばどんな願いでも叶うのだと言う。

 ただ、これを使用するには魔法を扱う資質と共に、独自の適正なるものも必要なようだ。加えて願いに必要な魔力もその規模によってどんどん膨れ上がる。少なくとも現実に於いて不可能とされる事象は、個人レベルの魔力で叶える事は無理なようだ。

 

 その事実は散々不可思議な現象を体験した身でも驚きを覚えさせた。ただし、それはこの宝石の正体ではなく、その叶えられる願いの規模にだ。

 

 “どんな願いも叶える事が出来る”なんて物を今まで所持していたなんて、驚かない筈がない。過去に宝石の力を使えた事はあったが、まさかあの時はそれ程とんでもない代物だとは思いもしなかったのだから。

 

 ………ああ、そうだ。これはとんでもない代物だ。何せどんな願いも叶えるという事は、使い手が念じた願い如何では手の施しようのない大惨事を引き起こせる。使う為の適正なるものが必要とは言われた。が、逆に言えばその基準を満たせば誰でも使えるという事にもなる。

 どう考えても、本来安易に扱っていい代物でもなければ、個人で扱っていい範疇も超えている。

 こんな物を何故俺は持っていたのだろうか? 地球には魔法なんて技術は普及していない。だというのに、この星の人間が。ましてや一般人の子供でしかない俺がこんな危険物を所持しているなど、本来あっていい事態ではないのに。

 

 ─────けど、これは見方を変えれば途轍もない幸運ではあった。秘められた力に末恐ろしさを感じはするものの、この宝石さえあれば、あいつの抱える問題など簡単に解決出来るのだから。

 だから俺は腕輪に尋ねた─────『歩けない人間の足を動かせるようにするのは可能か?』と。

 返答は”可能”であったのだが、何故かこいつは聞いたその場で試そうとした俺を諫めて、明日本人の元へ連れていくよう頼んできたのだ。

 

 理由を尋ねても、『その子の現状を把握せず、願いを叶えられるかどうかは判別出来ない』と返された。

 その主張は理解できるものではあるが、やはり心は納得できないままである。

 何せ俺の元には何でも願いの叶う宝石があって、だというのに今すぐにでも叶えたい望みがある。なのにそれを叶えられないまま焦らされるのだ。こんな状況に何の苛立ちも覚えずいるなど、余程忍耐の強い奴しか無理だろう。

 けど、今回ばかりは耐える他ない。さすがにレイジングハートでも治せない状態である筈もなく、なら腕輪もすぐに問題なしと判断して願いを叶える方法を教えてくれるに違いないから。

 

 だから、今日は腕輪にはやてを診断してもらうだけ。たったそれだけの事だと考えていたのだが─────事はそれだけでは済んでくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の発端は時刻は昼を少し回った頃。今回もはやてにご随伴になる事となり、あいつが昼食を作る間少しの時間が空いた時。腕輪が唐突に指定した部屋に行くよう指示してきた事から始まった。

 理由を尋ねたが明かされる事はなく、ただ行けば分かるの一点張り。さすがにこうも秘密主義なのにはいただけない。が、俺は未だ魔法について知ったばかり。こいつを頼れなければ魔法を使う事も情報を得る事も出来ない身なのだ。ならば必然的に指示される内容にも従う他に道はなかった。

 

『(この中に入ってください)』

 

 促され、扉の内側に踏み込む。

 部屋の内部はどうやら寝室のようだった。内部の様相は地味過ぎず派手過ぎもしない、落ち着いた印象を与えるもの。特に目を引く所といえば移動せず本が読めるよう、高さ低めの本棚がベッドの真横にある点くらいだ。

 その他は一見何の変哲もない普通の部屋……………と言いたかったのだが、この家で寝室となればそう容易く流す訳にもいかない事態となる。何しろこの家の住人はたった一人。そこで寝室ともなれば、ここが誰の部屋かは嫌でも気づく。

 

「(おい、この部屋ってあいつの………)」

『(はい。間違いなくあの少女の部屋でしょうね。間違いなく)』

 

 腕輪はあっさりと肯定した。なんの悪びれも無く、まるで他人事のような軽々しさで。

 

「(……何考えてるんだお前は。本人の許可も無く、それも女の子の部屋に不法侵入する事に何の意味があるって言うんだ)」

『(お叱りなら後で受け付けましょう。それよりも、あの鎖で巻かれた本を)』

「(何────?)」

 

 鎖で巻かれた本。そんな物が本当にこの部屋にあるのかと思ったが、こんな場面で嘘をついても腕輪には何の得にもならない。なので半信半疑ながら、一旦怒りを落ち着け部屋を見回してみる。すると机の本棚。その中に仕舞われている一冊の本が目に留まった。

 近づいてみると、それは辞書並みに分厚い本のようだった。それだけなら本好きのあいつなら持っていそうだとも思えるのだがしかし、本の表紙は腕輪の言う通り銀に輝く鎖が巻かれていて、決して開けぬよう固い封が施されていた。

 これは明らかにおかしい。見た目もさることながら、読めなくなっている本なんて最早本の意味さえない。そんな物をどうしてあいつが持っているのかと疑問が沸いた。

 

「(………すまん。ちょっと手に取らせてもらうぞ)」

 

 心の中で今頃台所で料理中のはやてに謝りつつ、試しにその本を手に取ってみる。

 

 ─────瞬間。本を起点に悍ましい感覚が身体中を駆け巡った。

 

 感じたのは強大な魔力。けれどその質は蒼い宝石よりも濃い上に、あれには無いどす黒い感覚を肌身で覚えた。

 その感覚から、明らかに蒼い宝石と同じ。否、下手をすればあれ以上の曰くつきだどは判別できる。しかし何故こんな物が、よりにもよってはやての部屋にあるのか。本の正体と並行してその点についても疑問が生まれていた。

 

『(やはりですか。それもここまで曰くつきの代物とは……)』

 

 腕輪もこの本を計測していたらしい。しかも、どうやらこれの正体に見当がついているようだった。

 

「(おい、一人で納得してないでちゃんと説明しろ。これは何だ?)」

『(………一言で言うなら、あの少女が歩けない原因ですね)』

 

 至った見解について開示を促して、返ってきた答えに驚く。此方の感情を読み取ったか、腕輪は間髪入れずに手にした本の情報を語りだした。

 

 闇の書────それはロストロギアと呼ばれる、次元世界で優れた技術を有していた古代文明が遺した科学技術や魔法を用いた遺産の一つ。これを持つ者は他の魔導師とは比べ物にならない莫大な力を手にできるとされ、それを為す機能が他人から魔力の源たるリンカーコアを奪い記録する『蒐集』という機能。そして、蒐集したリンカーコアを解析し、元の持ち主が使用していた魔法を魔導書の主が自由に行使できる機能だ。

 

 ………これは、持つ者によってはまさに破格の代物だろう。

 リンカーコアは魔力を扱う為に必要な資質である。『資質』というからにはつまり、各個人が保有するリンカーコアの質にもまた強弱が存在するのだろう。魔法をどの程度の強さで放つ事が出来るか。どんな魔法を使えるか。そういった才能と呼ぶべき秤が。

 であるから当然いる筈だ────自身のリンカーコアが求める水準に達していない。その為に泣きを見てきた者も。

 そういった魔導師にとって、闇の書の機能はまさに求めてもやまない物だろう。リンカーコアを蒐集し、闇の書に記録していく。それだけで今まで自分が使えなかった魔法。より強力な威力の魔法。それらが自在に扱えるようになるのだ。主としての認証も闇の書を求める人間からすれば些細な事に違いない。

 

 問題は蒐集という行為にある。

 リンカーコアは臓器と同じ扱いとも聞いている。なら、それは臓器を抜き出すのと同じ事で、抜き出された魔導師にどんな影響が出るか分からない。さらに動力源が消えた以上、今後魔法を扱えなくなる危険もあるのだ。抜き出す側は喜んでも、抜き出される側からすればたまったものじゃない。

 しかし、肝心な部分はまだ他にあった。

 何故なら、未だはやての足に関しての情報は語られていないのだ。それはきっとこの先語られる部分に隠されており、その部分を聞くまで印象を決定づけるのは早計だといえる。だからあまり口は出さず、此方は提示される情報を黙って整理するに留めていた。

 

『(───ですが、今まで記録にある限りその機能を扱えた者はいません。何故なら闇の書は完成した時点で所有者を取り込みただ破壊だけを行う怪物と成り果て、最終的にその所有者を吞み込み殺してしまうのですから)』

 

 ただし俺の態度も、その部分が予想もできない規模のものだと知るまでの話だったが。

 

「………………は?」

『(何故そうなるのかは私にも分かりません。

 ただ、今申し上げた完成後の状態になれば誰も手が付けられなくなり星一つが滅ぶ、といったケースも珍しくなく、それによる犠牲者も数多く存在しています。さらに───)』

「(………ちょっと待て)」

 

 いきなりの話のスケールアップに頭の整理が追い付かない。先程までは精々人間同士の恨みつらみに収まりそうな規模の能力だった。それが突然世界の滅亡に繋がる規模にまで飛躍するなど誰が想像出来るというのだ。

 

 多分、俺が見るからに狼狽しているのは把握できていただろう。けれど腕輪は我関せずと、まるで此方の言葉に気付いていないかのように説明を続行した。

 

『(闇の書は単独で次元を渡る力を有しています。ですから先に申しました基準を満たす人間がいるのなら、闇の書はどこの世界だろうと関係なく現れ寄生する事が可能なのです。

 そして歩けない理由については半ば推測になりますが………恐らくは長らく蒐集を行っていない為に少女のリンカーコアが浸食され、身体に悪影響を及ぼしているのでしょう)』

「(リンカーコアの汚染?)」

『(ええ、まず最初一目見た時よりあの少女からは異常な魔力反応を検知していました。健常なリンカーコアからは発生し得ない禍々しい反応を。そしてその魔力反応はリンカーコアを中心に彼女の身体全体へ広がっていて、特に脚は完全に覆われている状態になっています)』

「(………その魔力がはやての脚に支障をきたしていて、発生源が闇の書だと)」

『(その通りです。

 闇の書は見る限りまだ蒐集が出来る状態まで覚醒していません。ですので、恐らく少しでも魔力を得る為にあの少女のリンカーコアを浸食して、魔力を搾取しているのだと思われます)』

 

 まるでこの腕輪は闇の書の問題を解決不可能な案件として語っている。

 なるほど確かに通常の方法では処理できない問題だろう。だが、それを解決できる代物を、今俺は手にしている。

 

「(だったら、今すぐにでもレイジングハートを使えばいいだろう。これで契約を切ってしまえばそれで解決だ)」

 

 自信を持った提案だった。

 何せ、はやての身に起きている問題は闇の書と契約しているからこそのもの。なら、元から両者の繋がりを断ち切れば済む訳だ。話の流れからして今まで成功した試しのない方法なんだろうが、レイジングハートの力を以てすれば可能だ。そういうデバイスだと聞いたし、こいつもすぐ頷くに違いないと……そう思っていた。

 

『────』

 

 なのに腕輪は肯定の意を示さない。

 その態度を訝しげに見詰める。すると、やっと口を開いたかと思うと腕輪は『その方法では解決できない』と、明確な否定の言葉が告げてきた。

 

 レイジングハートに叶えられない願いはないと言われた筈だった。なのに解決できないとはどういう事なのか。

 反射的にどうしてだ、何故だと問う俺に、腕輪は只々機械的に理由を述べ始める。

 

『(それは、闇の書が外部からの干渉を受けた場合でも所有者を吞み込んでしまうからですよ。ですから、たとえレイジングハートで闇の書をどうにかできても、同時にあの少女も呑まれてしまう結果にしかならないでしょう)』

「何だよ、それ………。

 …………こいつは、どれだけ自分の主を殺したいんだよ」

 

 物言わぬ魔導書に、思わず悪態をついてしまう。答えなんて返ってこないけども、文句の一つでも言ってやりたい気分だった。

 

 レイジングハートに願いを込める行為そのものがはやてを死に至らしめる。そう言われた以上、最早俺に打てる手はなかった。

 魔法に精通していない地球に、闇の書とあいつを切り離す技術があるとは思えない。そして、この魔導書に主として認められた者はいない。それはつまり、出所である次元世界にも闇の書を制御する技術は存在しないという事だ。

 誰にも助けは求められない。乞うたところで無意味なのだ。俺も含めて、誰もはやてを………助けられない事実を嫌でも認めざるを得ない。

 

 本当に嫌気がさした。

 手にする忌々しい魔導書にも。乗り越えられない壁をぶつけてくる現実にも。…………宝石の力に付け上がって、結局何も出来ない自分にも。

 

 だけど、この魔導書を覚醒さえさせなければ、はやては死なない。それだけが不幸中の幸いだと、そう思ったのに。───話は、それで終わってなどくれなかった。

 

『(第一、闇の書をどうにもできない以上無意味な問題です。─────だって、あの少女はもうすぐ死にますから)』

「………はやてが、死ぬ───?」

 

 打ちひしがれている俺に、腕輪はそう何でもない事のように告げた。

 

『(闇の書の浸食は状態を見るに数年以上前から始まっています。今は闇の書が覚醒していないので脚だけで済んでいるようですが………闇の書が蒐集できる状態になればそうも言ってられなくなる。

 少女のリンカーコアを見るに、もう魔法行使を行うに十分なレベルまで育ったとみなして、闇の書が覚醒するのも時間の問題でしょう。そうなれば自動的にあの子も魔法の存在を知る事となるでしょうが。

 ………………マスター。あの子は魔法の事を知ったとして、自ら蒐集を行うでしょうか?)』

 

 時をおかず与えられる新たな情報に、狼狽える間も無く尋ねられた問い。

 答えないという選択もできる。けど、ここまで聞かされた以上その先を知らずに終わる事も出来ない。俺は動揺する頭を何とか働かせ、今日まで見てきたはやてを鑑みた冷静な回答を試みた。

 

「(やらない、だろうな。あいつは他人を傷つけてまで力を求める人間じゃない………)」

『(やはり……。そうなると浸食は悪化の一途を辿ります。進行が進めば他の臓器の機能までもその活動を阻害され、やがては死に至る。

 私としましては闇の書が目覚めてからそうなるまで、多く見積もっても半年あるかないかという見立てですね)』

「(………闇の書を起動させない方法は、ないのか………?)」

 『(ありません。私も万能ではありませんので。

 それに、もし仮に救う方法があった所で、どうしようもありませんよ。何せこの家には監視がついているようですから)』)』

「(監視──?)」

 

 そんなのがいるなんて初耳だった。だが、初めてここに来たこいつがそれを知れるタイミングは自ずと勘ぐれた。

 

『(ええ、この家の玄関先で。

 どうやらここは一種の認識を阻害する魔法が掛けられています。それも気付かれないよう巧妙に細工された物が。大方今言った監視が付けたのでしょうが、どうやらかなり優れた魔導師らしい。余程感知に優れていなければ、気付くのは不可能でしょう)』

「(その監視は……闇の書を見張っているのか?)」

『(その通りです。

 闇の書はその性質上多大な被害を生み、尚且つ犯罪者の手に渡った事も数知れず。故に恨みを買う事もまた多い為にいるんですよ、無駄と知らず、復讐しようと画策する者が。そういった者達は大抵現在の主も復讐の対象に入れますから、彼女を救おうとすれば必然的に戦う羽目になるでしょう)』

 

 腕輪はそこで話を切った。それはつまり闇の書の情報。現在はやてが置かれている状況の説明は終わったという事。

 途中で打ち切らずに俺は全てを聞いていた。もしや話の中に状況を打開するヒントがあるかもと、淡い期待を寄せて。でもやっぱり、その中にあいつを助けられるヒントはなくて………まさに八方塞がりと言う他なかった。

 このままなら彼女は死なないという前提も崩れ去った。全てを聞いて知れたのは、もうあいつに残された時間は少ない。さらにそれだけでは飽き足らず、無関係な復讐の餌食になるという残酷な真実だけ。

 

「ふざけんな………」

 

 俺に何もできないのは変わらない。

 

「何か、方法は無いのか? あいつが死ななくても済む方法が………」

 

 けれど……だからって心が納得できるかはまた別だった。

 

 何で、あいつが死ななきゃならない。何で、あいつが殺されなきゃならない。

 今までずっと独りきりで生きていかなきゃいけなかった。歩けないから自由に出かけるのも難しく、友達もつくる事が出来なかった。

 そんなあいつが今が幸せだと宣ったのは記憶に新しい。俺個人としては未だ不満に思う言葉だけど………それでも、はやては本当にそう感じて、あの時心の底から笑えていたんだ。

 

 そんなささやかな幸せをあいつから奪おうとする全てに、沸々と怒りが込み上げる。たとえ助ける方法がないとしても…………それだけで諦め切れるものじゃない。

 

『(………一つ、聞いてもよろしいですか?)』

「(何だ)」

 

 この期に及んで、一体何を聞こうというのか。吐き出す言葉に怒気が混じっているのが自覚できた。

 

『(何故、貴方は彼女を救おうとするのです。それだけ情が生まれる程に長い付き合いなのですか?)』

 

 飛び出したのは、俺とはやての関係性を問う言葉。

 この沈み込んだ空気の中でこの問いだ。何かの含みがあるのは確実で………その言葉に含まれた真意は容易に汲み取る事が出来た。

 

「(一か月前に知り合ったばかりだ。

 ………それの、何が悪い。付き合いが短いからと、助けてはいけない道理なんて無いだろう)」

『(それが理解できないのです。彼女と過ごした期間を聞いて、尚更にそう感じますよ)』

 

 応じる口振りにもその真意は表れている。匂わせる処か前面に押し出された俺の想いに否定的な言動。腕輪が俺がはやてを助けられないかと悩む事を無駄だと断じ、早急に諦めさせようとしているのは一目瞭然だった。

 

『(貴方は昨夜、怪物に襲われ死にかけている。あの時感じた恐怖は今も貴方の心に根付いている筈。それに敵が貴方の命を奪わない保証もどこにもない。

 だというのに貴方は他人の為に。それも│たかが≪・・・≫出会って間もない少女を救う為に身体を張り、命を賭けようとしている。それはあまりに勝算のない賭けで、あまりに無謀な愚行だ。そのような自殺行為を黙って見過ごす程、私とて薄情ではありませんよ)』

 

 ………その言動に大いに腹が立った。

 俺の想いを軽んじられた事、にではない。

 

「(たかが、と言ったな。お前…………)」

 

 あいつの存在を軽々しく見た事に腹が立った。あいつは生きる価値がないと、助けるに値しないと言われているように聞こえたのだ。そう論じられた事を見過ごせる訳がない。あいつの友人としても。俺自身の心情としても。

 

『(たかがですよ。私からすれば、貴方の理由は命を賭けるにはあまりに弱い。

 では聞きますが、貴方は何故そこまであの少女に執着するのです? まさかあの少女の存在は貴方の心の中で異様に大きな存在だとでも?)』

 

 そうした怒りを込めて言い放った言葉に返されたのは、又もやあいつとの関係性についての問い。

 ただ違う点は、俺にとって八神はやてはどういった存在か。俺自身の感情を問うたものである事だ。

 

 ………それに答えようとして、一瞬言葉に詰まる。友情や愛に時間は関係ないなんて台詞はどこかで聞いた事はあるが─────果たして、俺にとってあいつは何なのだろうか?

 八神はやては俺にとって命を賭ける程大切な存在か? ────違う。それはない。何故なら俺の中で、あいつの優先度はそう高くはないのだ。やはり一番優先するのは自分の命で、大切な存在という意味でなら父さん母さんが圧倒的に上だ。

 情の感じられない冷徹な態度に腹が立って、怒りに任せて答えていた。けれども、冷静になれば腕輪の問いかけてきた事は実に的を得ていると言える。

 そこまで大切でもない存在の為に命を賭ける────そんな真似、実に馬鹿馬鹿しいと思う。命は一つしかないのだ。人生はどれだけやりたい事があっても、会いたい人がいても、死ねばそこで終わり。替えは効かないしやり直せない。昨日の一件もあってこの事は重々理解できていた。

 

『(マスター?)』

「(………さあな。俺にとっては、あいつは友達以上でもそれ以下でもないよ)」

 

 だからはやての優先度も所詮はここまででしかない。両親の命と秤にかけられれば、迷わず両親をとる程度だ。

 

『(それではますます解りませんね。なら所詮は他人の命と自分の命。どちらをとるべきかなんて簡単に判断できるでしょうに)』

「(確かに、そうだな)」

 

 腕輪の言う事は正しい。この二択を迫られれば、どちらをとるかなど考えるまでもない。

 

「(けどな、それとこれとは別だ。これは俺の問題だ。なにせ、そのまま放っておくのが気に食わないだけだからな)」

 

 ────それでもやはり、決して納得はできない。自力で魔法を使えなくとも、それを承諾する事はできないのだ。

 確かに俺は、はやてへそう特別な感情を抱いていてはいない。けれど、あいつの境遇────闇の書の問題を放置して見捨てるという選択をとれば、その後の人生にしこりが残る。見捨ててよかったのか。助けなくてよかったのか────と。

 それは俺が最も避けたい状態だ。俺はあいつを見捨ててのうのうと暮らせる程図太い性格ではない。これからの人生に影を落として暮らしていくなど真っ平御免で…………だからこそ、俺はあいつを助ける。手段が無いと言われようが、必ず見つけ出す。あいつの為ではなく、徹頭徹尾自分の為に。

 

『(……本当にそんな理由ですか? それでは彼女を助ける事に、貴方が得をする面が何一つない。)』

「(それの何が悪い。誰かの為じゃなく自分の気を晴らす為に戦う。完全に自分本位な理由だろう?

 これで駄目なら、どう言えば納得するっていうんだよ?)」

 

 それでも腕輪に此方の意思を聞き入れる気配はない。自分の為だと宣っても、それを一切信用していないようだった。

 

『(決まっています。貴方があの少女に執着する理由。それを教えていただきたい)』

「(………それはさっき話しただろ?)」

 

 此方の返事を腕輪は淡々と否定する。

 

『(いいえ、あれは全てではない。気付いていないだけである筈なのです。貴方が彼女へ執着している理由が。

 ……でなければ説明がつかないのですよ。方法は無いと聞かされながらまだ諦めようとしないその姿勢も。邪魔者として命を狙われるかもしれないのに、彼女を救おうとするその意志も)』

「………」

『(ですからはっきりと答えてほしい。何故あの少女にそこまで拘るのか。曖昧にせず、言語化された明確な理由を)』

 

 二人の間に停滞が訪れる。俺も腕輪も内も喋らず、両者睨み合いを始めたのだ。片や説得する方策を考えて。片やその答えを待って。

 けれど俺の口から先の言葉が出る事はない。必死に頭を巡らせてもはやてへの執着とやらに心当たりがない以上、やはり問いに答える事は出来ない。

 それでもどうにかして説得する他ない。情けない話であるが……いくら俺が諦めなくとも、腕輪の協力なくして現状を打破するのは不可能なのだから。

 だが、腕輪は自身の問いに答える事がない限り納得する事はないだろう。これを明確に言わぬ限り、こいつは絶対に手を貸してくれないのは目に見えていた。

 

 その理由とやらを自分なりに考えて、それでも何の取っ掛りも見えずにただ時間だけが過ぎていく。結局何も考えつかないと賽を投げたくなった時、あいつの声が響いてきた。

 

「春樹くーーーん、ご飯出来たよーーー」

 

 部屋まで届いた冷え切った空気に似つかわしくない朗らかな声。はやての呼び声が此方にまで届いたのだ。

 

「………………」

 

 毒気を抜かれるとはこの事だろうか。

 声色からして察せる、はやてのうきうきとした晴れやかな様は、この均衡状態を現状を維持する気力を損なわせていく。

 そしてそれは腕輪も同じだったのだろうか。両者共々、一時休戦を選ぶのに然したる時間は掛からなかった。

 

『(………この話は、また後にいたしましょう)』

「(………だな)」

 

 煮え切らない引っ掛かりを残しながら、この話は一旦お流れとなった。

 

 俺としては早急に答えを出したいところだ。けれど、その為の理由は未だ見えなくて。………腕輪の言う、はやてへの執着とやらについて。リビングに向かう間もその事ばかりが頭を巡っていた。

 

 



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それは命を賭けるに値するか 後編

 書く意欲が溜まり、ようやく再スタートです。

 皆さん大変お待たせしました。
 こんな拙作ですが、また見てくださると幸いです<m(__)m>


 春休みも終わりを迎え、小学生はまた学校に通う運びとなった。

 

 例に洩れず俺もまた学校に通い始め、今は学校の教室で一人自分の席に座って過ごしていた。

 給食も食べ終えてクラスメイト達はグラウンドに行ったり友達と話したりとこの時間をめいいっぱい楽しむ為動いている。

 周りに共通しているのはまた学校で友達と過ごしたり、学年が上がる事で始まる新しい日々に心躍らせている連中ばっかりだという事だ。

 

 けれど俺はそういった気分にはなれない。

 元から学校には友達もいなくて、周りに馴染まないのもあるが、

 

 

「あいつへの執着……か」

 

 

 どうにもあいつの。未だ名前を語らない俺のデバイスの言葉が頭から離れないからだ。

 

 ……結局あの日から今日まで、あいつを納得させられるだけの理由は見つからず、はやてを助けるのに協力させる事は出来なかった。

 

 その間にできた事と言えば……

 

 

 ポケットから例の蒼い宝石を取り出す。

 宝石は窓から入る日差しに照らされ、妖しい輝きを放っていた。

 

 ただの人には綺麗な宝石にしか見えないそれは、本当は人が持つべきではない特級の危険物。

 俺ができたのは、あの事件で手に入れたこの宝石──『ジュエルシード』の特性を知る事だけだ。

 

 まだ魔法に入門しただけの俺でも感じる、中に封じられた膨大な魔力の波動。

 俺の予測とデバイスからの情報を合わせるとこいつにも願いを叶える力はあるが、それは必ず捻じ曲がったものに置き換わる。

 

 ただ、こいつは俺に足りない"魔力"を補うタンクとして扱えば使い道はありそうだった。

 一つだけで俺一人分が石ころに思える程の魔力量。

 ナンバリングされていた事から複数個あるのは確定で、こいつを使えばレイジングハートの力を全て引き出す事も可能になるだろう。

 

 ……そこでまた"デバイスの協力が得られない"という問題が出てくるんだが。

 レイジングハートをもう一度使えばいいとも考えたが、そもそもこいつを使ったのは数回程度。

 さらに俺は魔法について知識がない上、魔力量もそう多くないらしい。そんな状態でレイジングハートを使ったところでデバイスの代替品になるような力を手にできる筈もない。

 

 そうなるとやはり、こいつの協力を取り付ける他ないだろう。

 

 今の奴はジュエルシードといった魔法の情報を与える気はあっても、俺を戦いに行かせる気は一切ない。

 奴の態度は頑なだ。どんな理由を考えようとあいつを納得させられるとは思えず、それがさらに頭を悩ませるのに一役買っていた。

 

 ──どうしたもんかな……

 

 今のまま悩んでいても答えは出ないと知りながら、相談できる相手もいない以上自力で答えを見つけるしかない。

 そうして物思いにふけっていると…

 

 

「どした? なにか困ってんのか?」

 

 ひょっこりと机の向こう側から顔を出して、クラスメイトが声をかけてきた。

 

「……別に何でもねぇよ。誰かに言う事でもない」

 

 

 よりによってこいつが来たのか……。

 

 俺は煙たがる内心を隠し切る事ができなかった。

 

 目の前のクラスメイトの名は通称「サル」こと佐竹慶太郎。

 1年の頃から同級生のクラスメイトだが、距離をとっている他のクラスメイトと違って、何かと俺に構ってくる唯一の例外だ。

 性格ははっきり言って猪突猛進な暴走機関車と言っていい位の明るさだが、クラスメイトと分け隔てなく仲の良く、壁というものを感じさせない。

 俺とは真逆を行く男。所謂愛されキャラやムードメーカーという奴だろうか?

 

 そんな奴がどうして自分から壁を作ってる俺に構ってくるやら不思議でならないが、一向に態度を変えないので毎度適当にあしらっているのが毎日だ。

 今回はどうやら、悩んでいた俺を見つけてやってきたらしい。

 

 

「ほんと素っ気ないなぁ相馬ー。唯一の話し相手にその言い草はなしだぞー」

「それこそ頼んだ覚えはねぇよ。俺が自分から誰かと一緒にいたがる事なんて──」

 

 適当にあしらって追い払おうとしたが、

 

 

「………」

 

 そこで、はやての事を思い出し言葉が詰まる。

 "誰かと一緒にいたがる事なんてない"──言葉にすれば簡単なこれを、はやてと友達になって、あいつを助けようと考えている今言うのにどこか抵抗を覚えてしまった。

 

 

「…黙っちまってホントにどうしたんだよ? いつもはまた俺とのあつーい関係を否定するとこじゃん」

「変な言い方してんじゃねぇ! 男同士なんて寒気が走るわ!! …ったく」

 

 

 お前とは仲良くなった覚えなんてない!

 

 こうしていつものようにあいつのノリにツッコミをいれつつ、今度こそ佐竹を追い払おうと口を開く。

 

「もしかしていい出会いでもあったか?」

 

 が、どこから読み取ったというのだろう。

 佐竹は学校の連中に話していないはやてとの事に気付いたように、そう問いかけてきた。

 

「……なんでそう思う」

「だって俺との事じゃあ絶対そんな反応にはならないだろ? なら春休みの間に何かあったかって思ってよ」

「……ハァ、正解だよ」

「やっぱな! にしてもちょっと羨ましいなぁその相手。俺はこんなに嫌な顔されるってのによー」

「頼んでもないのに絡んでくるお前とは違うっつーの」

 

 そう告げつつも、内心妙な所で聡い奴だと感心する。

 

 とはいえ早く離れてほしいのに変わりはないが。

 横目で確認すると、佐竹は俺とはやての話が気になるのか期待した目で俺を見つめている。これは話さないと絶対に離れる気はないだろうな……。

 

「……ま、そんなに気になるなら話はする」

 

 仕方なく、お望み通りあいつの話をするとしよう。

 デバイスの説得についても行き詰ってた所だし少しは気分転換になる事を祈り、俺は佐竹へとあいつとの出会いから語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

     

                 ───◆◇◆───

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ~……」

 

 

 魔法の部分はばっさりカットした上で全てを語りつくした俺へ、佐竹は気味が悪い位に晴れやかな笑顔を向けて感嘆を溢した。

 

 ……自分から語っといてなんだが、嫌に気味の悪い反応だな。

 

「何だよ、妙にニヤニヤしやがって…」

「いや~、すっげー良い子だと思ってさ!」

 

 

 そう思い口に出して返ってきたのは、純粋なあいつへの誉め言葉だった。

 

 思わず気恥ずかしくなって頭を掻く。

 佐竹の反応を気味が悪いと思っていたから気まずいのもあるが、友達であるあいつが褒められるって事にまるで自分の事のように嬉しさを感じてしまう。

 

 今までだったらよぎりもしない気持ちだったろう。でもこんな気持ちになるのも……悪くないものだと思う。

 

 

「そうだな。俺にはもったいない位良い奴と出会えたよ」

「そうやってすぐ自分を悪く言うー」

「その子だってお前と友達になりたいって思ってなったんだから、そんな風にいうなよ?」

 

 俺みたいな奴とよく友達になってくれたものだと、あいつの事を称賛していると佐竹はブーと不満そうに口を膨らませる。

 不満なのは自分を下げた俺の言葉に対してだ。こいつからの評価が高くなるような事はしていない筈だが、そこがどうにも気に入らないらしい。

 

 

「"友達になりたい"……か」

 

 けど、佐竹の言ったその言葉が引っ掛かった。

 そうだ、はやてと友達になりたいと願ったのは……

 

 

「どした?」

 

 

 急に黙った俺を不思議がって佐竹は顔を覗き込んでくる。

 男に顔を見つめられる趣味はない。さっさと止めさせる為また喋り始める。

 

 

「いや、その通りだと……お前の言葉を聞いたらなんで悩んでたのかって思えてきただけだ」

「なんじゃそりゃ。まさかその子と友達になった事で悩んでたのか?」

「それこそまさかだ」

 

 

 今回ばかりは佐竹に感謝しなくちゃならない。

 実に簡単な事で、今思うと何故悩んでたのかってくらいのシンプルな答えだった。

 

 佐竹に向けた俺の顔は、きっとさっきまでとは違った曇りのないものになってると思う。

 そんな確信を以て、佐竹へこう返した。

 

 

「俺があいつと友達であるのに、一片の迷いもねぇよ」

 

 

 

 

 

 

                  ───◆◇◆───

 

 

 

 

 

 

『──それが貴方の答えですか』

 

 

 ──そして現在、放課後になり下校途中。

 誰の姿も見えない住宅街にて、俺はデバイスに改めて答えを伝えていた。

 

 

「そうだ。俺はあいつを……友達を助ける」

 

 

 以前と変わりのない答え。対するデバイスは相も変わらず冷静に俺の答えを評価する。

 

 

『言った筈ですよ。それで命を賭けるにはあまりに安すぎると』

『あの時死にかけたというのに…貴方は命が惜しくないのですか?』

 

 

 ……確かにその通りだろう。

 けれど、今度こそこちらも引き下がる気はない。

 

 

「死ぬのは御免だよ。だけど……」

「あいつは、俺にとって命を賭けるだけの価値がある」

「だからこそ俺は勝手な理由で、はやてとの日常を奪われたくないんだよ」

『ですが──』

 

 

 尚も平行線のままな俺達の問答。

 デバイスは今度も俺を黙らせるために語り掛けてこようとするが

 

 その時、普段は感じない奇妙な感覚を感じ取った。

 

 

「……この感じ」

 

 すぐに見渡せば住宅街はついさっきよりも人の気配を感じなくなっている。いや、人の気配どころか虫や動物の姿さえ見当たらなくなっている。

 

 そして体全体で感じ取れる奇妙な力の波動。

 

 間違いない。誰かが魔法を……それもすぐ近くで使ってやがる!

 

 

『待ちなさい、マスター!』

 

 

 デバイスの制止を無視して、魔力の根源へと走り出す。

 住宅街にある雑木林から波動を感じ、柵を飛び越え草木を分けながら感覚を頼りに目的地まで進んでいく。

 

 

「この反応、またジュエルシードの影響だろう?」

『……えぇ。だからこそ、貴方は踏み込んではいけない』

 

 

 俺の問いにデバイスは即答した。

 だがそれに続くのは、俺を止める為の説得だ。

 

 

『また魔法を十分理解し、己のものとしていない貴方では勝てる保証などない』

『たとえここで勝てたとしても、あれ程のロストロギア。狙ってくる魔導士がいてもおかしくありません』

『だというのに戦おうなどど、無謀にも程が…』

 

 

 やろうとしている事はバレていたようだ。

 確かに俺は戦うつもりだ。ジュエルシードが生み出した化け物とも、ジュエルシードを狙う魔導士がいるのなら、そいつらとも。

 けどそいつらと戦おうなんてデバイスの言う通り無茶が過ぎる事で、いくら時間をかけて魔法に慣れたとしても勝てるかどうか分からない連中ばかりだろう。

 

 確かにこいつの言う事は正しい。

 

 

「一つ言っておく」

 

 

 けど……それを鵜呑みにして従う気はない。

 走りながら、俺はデバイスの言葉を遮り伝える。

 

 

「俺はそんな忠告じゃあ意志を変える気はない。それで逃げるようなら、レイジングハートもさっさと捨ててる」

「たとえお前の援護が貰えなかろうと、やってやるさ」

 

 これが俺の意志。たとえどれだけ無謀な戦いでも、戦う前から諦める気なんざさらさらないんだ。

 

 

『魔法無しで戦う方法があるとでも……』

「無かろうと……やらなくちゃならないんだよ!」

 

 まだ続けようとするデバイスを遮り、声を張り上げる。

 何があろうともうこいつに引く気はない。

 

 

「今あいつを助けられる。助けようとしてる奴なんてどこにいる」

「いるのは”はやてを殺したがってる奴”だけだ」

 

 

 ……あいつは何も悪い事なんざしていない。

 だというのに、闇の書の事を知っていながらその監視者とやらはあいつを自分たちの復讐の巻き添えにしようとしてやがる。

 

 やっぱり許せたものじゃない。けれどそれは単なる正義感や情で片付けられるものでもない。

 

「……俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「本当にはやてを監視している奴らの目的が復讐なら、それこそふざけんじゃねぇ」

「あいつは闇の書に巻き込まれただけなんだ。だっていうのに俺の友達を、勝手な理由で殺そうなんて許す訳ねぇだろ?」

 

 

 はやては俺が初めて自分から友達になりたいと思えた相手だ。

 今まで好き好んで一人で居続けた俺が、やっと見つけた両親以外に心を許せる相手。

 

 相手に正当性があろうとなかろうと関係がない。

 俺が望んで俺の日常に引き込んだあいつを、誰かに奪われるなんてまっぴら御免なんだよ。

 これは俺にとって命を賭けるに値する想いだ。

 

 佐竹の言葉でやっと定まり、言葉にできたはやてを助けたい理由。

 その想いを伝えても、デバイスは変わらず俺へ協力しようとはしない。

 

 ただ分かってはいた事だ。

 このデバイスは俺を殺したくないらしい。会ってまだ間もないというのに、こいつは知識を与えてもはやてを救い出すのに決定打となる情報だけは寄こさない辺り、俺を戦いから遠ざけたいのは明白だった。

 

 だから、一か八かどうしても協力せざるを得ない状況に持っていく。

 

 草木を掻き分け、ついに目的の場所まで辿り着く。

 

 ───そこに広がっていたのは、あの夜とまた違った不定形のの化け物が血を滲ませながら倒れ伏す小動物を見下ろす光景。

 

 それを見た瞬間、俺は地面に落ちていた枝を拾い上げて怪物に投げつける。

 

『マスター、なにを!?』

 

 驚くデバイスが声を張り上げるがもう遅い。枝は怪物の傍へ落下して鈍い音を響かせる。

 その音を拾い上げ、怪物はこちらへゆっくりと顔を向けた。

 

 

「ほら、あいつも俺に気付いた。これでもう逃げられなくなった訳だ」

 

 

 怪物は喉を唸らせ歯を剥き出しにしたかと思えば、こちらに向け空高く跳び上がり襲い掛かってくる。

 

 

「……っと!!」

 

 

 予め来ると予想していた俺は怪物が跳び上がった瞬間にその場から走り出し、余裕を持って強襲を躱した。

 とはいえ相手はあの時と同じ化け物だ。こんな風に避ける芸当がいつまでもできる訳じゃない。

 

 追いかけてくる怪物を尻目に、走り続けながらデバイスへ向け話を持ち掛ける。

 

「どうする? ここでマスターが食われる様を特等席で見物してるか?

 啖呵を切った以上、お前を責めはしないよ。好きにするといい」

 

 

 自ら命の危機に飛び込んで、嫌でもデバイスに力を貸させる。

 こいつが俺を戦いから遠ざけようとしているといっても、この状況になって力を貸す保証はない。だが俺の予想通りなら、確実にこいつは俺へ手を貸さざるを得なくなるだろう。

 

 心臓が胸に手を当てなくとも感じ取れる程に、早く重く鼓動を響かせていく。

 無茶だとわかっていても実行したこの行動が実る事を祈り、デバイスの返答を待つ。

 

 返ってきたのは、重苦しい沈黙の後に続くデバイスの溜息だった。

 

 

『……貴方という人は、本当に…』

 

 

 呆れなのだろう。

 どこか責めるような、諦めたような声色で口を開いたデバイスは続けざまにこう告げた。

 

 

『ヒンメル』

「……ん?」

『私の名前と呼べるものです。以後はそうお呼びください』

 

 

 ……今まで聞いても教えられなかったデバイスの名。

 それを口にしたという事は、つまりは届いたのだろう。無茶をしてでも貫いた俺の願いが。

 

 俺は立ち止まり、迫りくる怪物へと目を向ける。

 

 

「OK、ヒンメル。これからよろしく頼むぞ」

 

『えぇ、不承不承ですが引き受けると致しましょう。

 ──あなたの彼女を救う為のサポートを』

 

 

 敵はすぐそこまで迫っている。

 悠長にしていればあの夜辿る筈だった凄惨な死を迎える事になるだろう。

 

 それを避ける為、腕に装着しているデバイスを胸の位置まで抱え準備を整える。

 

 

『さぁマスター叫んでください。あの時のように、己を変える呪文を!』

 

 

 そして促されるまま叫ぶ。

 あの時と同じように戦う為。俺の日常を護る為の一歩踏み出す為に──

 

 

「──セットアップ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして俺の戦いは本当の始まりを迎えた。

 ジュエルシードを集め、はやてを救い出す力を得る為に……俺は引き金を引いたんだ。

 

 

 



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真夜中の出会い

 夕暮れ刻の雑木林。

 中央を開く形で開かれた道を高町なのはは走っていた。

 

 

「はぁ…はぁ…はぁ…」

 

 

 ただひたすら走り続けて次第に息が上がり始める。

 そうまでして急ぐ訳は、彼女が感じ取った声にある。

 

『誰か…この声が聞こえている誰か。レイジングハートを……受け取っ…て』

 

 

 なのはは友達と下校中、この声が頭の中に響いた。

 

 それは弱々しく今にも消え入りそうな誰かの声。

 助けを呼ぶ訳でもなく、その声は何かを託そうと必死に訴えかけていた。

 

 幻覚かもしれない。本当だったとしても声の主を助けられる保障はない。

 

 だとしても、なのはに声を聞かなかったことする事などできなかった。

 声の主まで辿り着けばきっとできる事はある筈だと。友達に断りを入れ、声の聞こえた方角へ走り出したのだ。

 

 そうして走り続けどれ程経ったか。

 未だ続く並木道の先で彼女は見知った顔を目にする。

 

 

「……あれって!」

 

 

 それはなのはと不思議な縁を持つ少年、相馬春樹。

 佇む彼の足元には、倒れ伏し動かない紅い宝石を身に着けた小動物の姿もあった。

 

 

「春樹くん……その子、どうしたの!?」

 

 

 春樹の足元に倒れている小動物は血が滲み、素人目でも危険な状態だと判別できる位の大怪我を負っている。

 

 只事ではないと踏んでは来たものの、いざ目にすれば血の気が引いてしまう。それでも小動物を気に掛け、なのはは慌てて彼の傍に寄り小動物について問いかけた。

 そうした彼女の問いに春樹は表情を渋いものにしながら答える。

 

 

「高町か…。偶然通りかかったら見つけてな」

 

 

 答えつつ膝を下ろした春樹は小動物を傷つけないよう拾い上げる。

 さらに彼はなのはに顔を向け、真剣な表情で言葉を続けた。

 

 

「近くでやってる獣医とかは知らないか。このままにはできないだろ?」

「獣医さん? うーん、この近くだと……」

 

 

 助けようという意思を感じる彼の言葉に、なのはも同じ想いであったのですぐに答えようとする。

 だが即答する事は出来なかった。

 

 彼女の家族は飲食を扱う喫茶店を経営しているので、基本的に動物を飼う事はNGだ。

 なので獣医にお世話になる事がなく、まさかこんな事態になるとも考えた事もなかったので動物病院の場所など調べた事さえなかったのだ。

 

 しかし彼女に小動物の事を諦めるという選択肢はない。

 頭からは声の主の事はすっぽりと抜け落ち、傷ついた小動物を救おうとなのはは必死に頭を悩ませた。

 

 

「おーい、なのはー!」

 

 

 その時だ。彼女の耳に先ほど別れた友達の声が届く。

 

 

「アリサちゃん、すずかちゃん!」

 

 顔をそちらへ向けると、そこには彼女と同じく息を荒げながらこちらへ走ってくる二人の友達──アリサ・バニングスと月村すずかの姿があった。

 

 

「あんた急に急いでどうしたのよ! 訳も言わずに走り出しちゃって!!」

「あ、あはは……ゴメン」

「あの、隣の男の子は誰…?」

「えーと、この子は相馬春樹くんって言って…」

「俺の事より獣医の話はどうした?」

 

 声を荒げるアリサに冷や汗を掻きつつ謝り、すずかの質問に答えようとするなのは。

 だが当の春樹に釘を刺された事で現状を思い出し、急ぎ二人へ助けを求めた。

 

 

「二人とも、この近くで獣医さんを知らない!?」

「獣医さんって……どうしたのよそのフェレット、怪我してるじゃない!!」

「すぐにお医者さんに連れて行かないと……!」

 

 

 相談した結果、フェレットらしいこの小動物はすずかが家族に連絡し、近所の動物病院へ運び込み治療してもらう運びとなった。

 そのまま四人で向かう事となったのだが、ようやくここでなのはは声の事を思い出す。

 

 結局あの声は何だったんだろう?

 

 フェレット以外に傷ついた者は見当たらなかった。確かめようにもフェレットを放っておく訳にもいかない。

 さらに気になる点はもう一つある。

 

 ……春樹くんは偶然って言ってたけど、もしかして私みたいに声が聞こえてたのかな?

 

 彼の言葉を疑う訳ではない。

 けれど自身が声を聞かなければあの場には行かなかった事を考えると、どうしても引っ掛かりを覚えてしまう。

 動物病院までフェレットを運び命に危険はないと知った後でも、この二つの疑問が彼女の頭から離れる事はなかった。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ──◆◇◆◇──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なぁ、ヒンメル」

『なんでしょう。マスター』

「高町の様子は明らかに偶然通りかかったって感じじゃあない。

 まるであそこに何かあると知ってて来たような慌てぶりだった」

 

 

 真夜中の自分の部屋。

 俺は布団の上で寝転がりながら、ヒンメルの拡張機能で収納していた()()のジュエルシードを宙に浮かべヒンメルとある話をしていた。

 フェレットらしい動物を襲っていた怪物を辛くも倒し、俺は新たにジュエルシードを獲得していた。

 

 手放しで喜びたいところだったが、あのフェレットの件でさらなる問題が浮上し、それどころじゃあなくなってしまった。

 で、俺はその新たな問題点をヒンメルへ疑問という形でぶつけているという訳だ。

 

 

『……おそらく彼女の魔法の才能があるのでしょう。

 でなければ結界が張られ、様子を探れない筈のあの場に近付こうという考えにすら至らないですから』

 

 

 あの小動物が発するメッセージは俺にも届いていた。

 あれはヒンメルが俺に教えた念話と同じもので、明らかにただの動物なんかじゃないのは気付いてはいたが……。

 

 

『あのフェレットは使い魔か変身魔法を使った魔導士の類。でなければデバイスを持ち歩く筈もありません』

 

 使い魔や魔導士の類。それは俺も同感だったが、俺は一つ気になる点をそのフェレットに対して覚えていた。

 奴の持っていたデバイスは俺の持つレイジングハートと瓜二つ。それも名前まで同じと来た。

 

 持ち帰り調べようかとも考えたが、あのフェレットは微かながら意識を保っていたので顔も見られているし持っていくのもバレる。

 そこは断念するしかなく、ならばヒンメルはレイジングハートに詳しいようだし何か知っているかと尋ねてみるも、またこいつはダンマリを決め込んだ。

 

 曰く『気にするべき点は他にある』らしい。

 

 

『となればあの場に現れた時点で、フェレットも彼女の才に気付いているでしょう』

『自らが傷を負うほど追い詰められた以上、一人で戦わず彼女に協力を要請する確率は極めて高い』

 

 

 それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 実際あのフェレットは自分のデバイスを念話の届く誰かに託そうとしていた。あのデバイスの詳細は気になるが、本当にフェレットへ協力する人間が現れるならヒンメルの予測を重視するべきだろう。

 けれど……俄かには信じられない自分がいる。

 

 

「……有り得るのか? 全く関係のない現地人を魔導士にするなんて」

『次元世界にこの世界の常識は通用しませんよ。それは闇の書の件で知っている事でしょう?』

「……という事はあのフェレットに接触させたのは拙かったか。

 下手すりゃ高町もこの戦いに加わってくるかもしれないと」

 

 

 知る限り高町にジュエルシードを集めなきゃならない理由はない筈だが、あいつの事だ。善意や人助けであのフェレットに協力しそうではある。

 

 

「……って言っても、結局そうなりゃ戦うのに変わりはないな」

『よろしいので? 顔見知りなのでしょう?』

「別に傷つけるつもりはない。本当に敵になるんならできるだけ先にジュエルシードを集めきってしまえばいいだけの話だ」

『ですが、彼女の方から向かってきた場合は?』

 

 

 問題ないと答えて、ヒンメルは本当に戦えるのかと改めて問うてくる。

 だが、それは愚問だ。

 

 

「……その場合は戦うさ。

 フェレットの目的がなんであれ、そいつに協力するんなら俺の目的とは相いれないんだから」

 

 

 顔見知りと戦うのが嫌だと怖気づくんなら、そもそも戦う選択肢すら選んでいない。

 ジュエルシードは俺が十全にレイジングハートを使う為に手に入れなければならないものだ。

 

 闇の書に介入すればすぐさまはやては呑み込まれてしまう。

 そうなると闇の書が完成するタイミング辺りしか介入する余地はない訳だが、生半可な魔力では弾き返されるのは魔法初心者の俺でもわかる事。

 

だが……ジュエルシードの魔力を使えば成功率は上がる。

 どれ程集めれば闇の書の横槍を防げるかは魔法を知りながら調べるしかないが、集めるならより多く。できれば全部集めきるのが望ましいだろう。

 

 あちらもジュエルシードが目的なら全て集めきろうとする筈。

 そうなれば折り合いは付けられず、衝突は必須。

 そんな相手に高町が協力し、もし本当に傷つけなければならないのならば……俺も容赦はしない。

 

 自分の中で考えを纏め、さらにフェレットの件について話を詰めようと口を開こうとした時

 

 

「この感じ……またか」

 

 

 夕方と同じ魔力の波動。それも方角からして…例の動物病院か。

 一日に二度も暴れまわるジュエルシードの怪物共に辟易しながら、窓を開け動物病院の方角を見詰める。

 

 

『どうやらジュエルシードのようです。方角からして、例の動物病院かと』

「一日に二度もくるとはな。だがここからじゃ遠いぞ?」

 

 

 子供の俺じゃ早くても走っていく以外に移動手段はない。

 魔力の波動を感じている以上、もう怪物も暴れ始めているのだろう。走ったところで今から向かったのでは着いたら既に何処かに消えていた、なんて話も有り得る訳だ。

 

 その可能性を危惧していると、ヒンメルは簡単だとでもいう様に軽い声色で語り始める。

 

 

『ではそうですね。これを機に飛行魔法の訓練といきましょう』

「飛行魔法? そんなの使えたのか」

『戦わせる気がなかったので黙ってましたがね。とはいえ自由に飛ぶには訓練が必要ですので、病院まで移動するついでに慣れていきましょう』

「悠長に言いやがって…。間に合わなかったらどうする?」

『間に合わせますとも。少々スパルタでいくので…ご覚悟を』

 

 

 スパルタか。となれば初心者でも構わず間に合うようしごかれながら進む訳か。キツイもんだ……。

 

 いきなり本番の実践式訓練となり、思わず溜息を吐きつつ準備に入ろうとして……ふと足を止める。

 

 そういや高町も魔力の波動は感じてておかしくない。ならもしかして……来るのか?

 

 なら顔出しのままでは拙い。いくら戦う覚悟はあると言っても、知り合いとバレればすぐに居場所も突き止められる。

 時空管理局とやらも来ないとは言い切れないんだ。もしあのフェレットが管理局寄りの立場なら身バレは避けなきゃならない。でないと被害ははやてにまで及ぶだろうから。

 

 

「ヒンメル」

『どうしましたマスター、急がなくてよろしいので?』

「いや、その前にやる事あんだろ」

 

 首元にぶら下げているレイジングハートを握る。ヒンメルのボタンも操作し、中からジュエルシードも取り出しておく。

 そうして口を開き、ヒンメルに懇願する。思いついた身バレを防ぐ手段を実行する為に。

 

 

「飛行魔法の前に、早速ジュエルシードの制御方法を教えてくれ。

 ……まずは身バレを防がないといけないしな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 ──◆◇◆◇──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真夜中の海鳴市。

 その住宅街に建てられた動物病院の目と鼻の先で高町なのはとフェレットは怪物に猛威を振るわれている最中だった。

 

 

『Protection』

 

 

 電子的な音声が響き渡り、少女を護る為に魔法の障壁が生み出される。

 襲い来るは体毛で体を覆った球を思わせる怪物。弾丸の如く勢いよく繰り出される突進を、障壁は見事に防ぎ怪物をその場に押しとどめる。

 

 怪物に狙われ、デバイスの力を借り障壁で身を護るなのははこの現状に困惑を隠せずにいる。

 

 ここにやってきたのはフェレットを見つけた時と同じ誰かの助けを求める声を聞き届けたからだ。

 それに胸騒ぎを覚えて急ぎフェレットを預けた動物病院までやって来た。

 

 だが、目の前に広がってきたのは敷地がクレーターのように陥没し、病棟には大穴が広がり、中も瓦礫で治療用の器具や家具が散乱している──見るも無残な姿に変わり果てた動物病院。

 病院の中にフェレットは見当たらず、外を探せばそこには今目の前にいる怪物に襲われるフェレットの姿があった。

 

 何とか共に逃げ出すとフェレットは自分が例の声の主だと喋りだし、現状を簡潔に説明し始めた。

 

 ──曰く、彼は異世界から来た魔法を扱える魔導士という存在。

 この世界にやって来たのはこの世界に流れ着いたとてつもない魔力を秘めた危険な宝石──ジュエルシードを回収する為。

 しかし、宝石で生み出された怪物は想像以上に恐ろしい力を備えており、敗れて重傷を負った自分では全て回収しきれるかは分からない。

 

 

 だからこの場だけでもいい。力を貸してほしい、と魔法の杖──『レイジングハート』をなのはに託し、彼女は流れのまま目の前にいるジュエルシードの暴走体に立ち向かう事となってしまった。

 とはいえ彼女は戦う為の訓練など受けた事のない身。いざ怪物と戦ってみればどうすればいいのか判断も覚束ない。

 

 そんな彼女の定まらない集中力を、足元に控えるフェレット──変身魔法で変化しているユーノ・スクライアの声が引き上げていく。

 

 

「防ぐだけじゃいつかはやられる。こっちから仕掛けないと!」

 

 

 フェレットの注意でなのははユーノに目を向ける。

 しかし言われてもどうすればいいのかすら判らないのが現状で、彼女の口からは思わず悲鳴にも似た問いかけが飛び出る。

 

 

「し、仕掛けるってどうやって!?」

「ゴメン、僕が戦えたら君にこんな無茶はお願いしないけど…それでもあの怪物を鎮める為にはこれしかないんだ」

 

 動転しているなのはにフェレットは申し訳ないと表情を曇らせるも、すぐに気を引き締めて彼女の問いに答える。

 

 

「時間を稼ぐから、君は合図を出したら詠唱を唱えてくれ」

「時間を稼ぐって大丈夫なの? まだ傷も治ってないんでしょ!?」

「この状態で全力は出せそうにないけど、それくらいの事はできるよ。

 ……それに、あなたをこんな危険な目に合わせてしまっているんだ。せめてこれくらいはやらせてほしい」

 

 

 フェレットの目は真剣そのもの。そんな目をなのははよく知っている気がした。

 まるでやるべき事を定めた自分のようで──だから、彼女はユーノの想いを無下にしようとは思えない。

 

「……わかった。お願いするね」

 

 

 心配な気持ちを抑え、なのはは目の前の怪物に集中する。

 

 

 不安もある。

 恐怖もある。

 けれど彼の想いを聞き届けて、やる事もはっきりしている。

 

 なら迷わず進むだけだと、先ほどまでとは打って変わり彼女の眼には確固たる意志が宿っていた。

 

 決意に満ちた彼女の様を見届けたユーノも体中から魔力を発し、なのはが詠唱を行う時間を稼ぐ為魔法を行使する。

 

 

「チェーンバインド!」

 

 

 ユーノの足元から黄緑の魔方陣が発生し、そこから魔力で編まれた鎖が射出され怪物へと絡まっていく。

 暴走体は藻掻き、全身に力を込めているが鎖を引きちぎる事は叶わない。

 

 とはいえ今のユーノでは長時間暴走体を拘束できる程の体力は残されていない。

 しかしそれでも構わない。要はなのはが詠唱に回せる時間を稼げればいいのだから。

 

 

「なのは、レイジングハートを怪物へ向けて!そのまま僕に続いて詠唱を!!」

「うん!」

 

 

 怪物が動けない今こそがチャンスだと。ユーノは叫んでなのはを詠唱へ促す。

 彼が手本に唱え始め、なのはも言われるままレイジングハートを暴走体へ翳し、続いて詠唱により魔力を高めていく。

 

 

「妙たえなる響き、光となれ! 赦されざる者を、封印の輪に!」

「妙たえなる響き……光となれ。 赦されざる者を、封印の輪に」

 

 

 軋む音が聞こえる。見れば暴走体を縛っていた鎖は徐々に罅割れが入り始めていた。

 怪物の様になのはの瞳は揺れる。対してユーノの表情は変わらない。

 

 唱えなければならない詠唱はあと一節。ならば鎖が千切れるよりも彼女の準備が整う方が早い─

 

 

「「ジュエルシード、封印!」」

『Sealing』

 

 

 詠唱が終わり、レイジングハートは高まった魔力を一気に放出した。

 暴走体はなのはの魔力に呑まれ、呻き声を上げながらその体躯を縮めていく。

 

 唱えられていたのは封印の魔法。これにより怪物の中に潜むジュエルシードは活動を抑制され、封印状態に陥る。

 

 封印魔法を当てられた怪物の様を見て、ユーノは勝利を確信した。

 なのはも、弱っていく怪物をその目で見て、ようやく終わるのかと安堵する。

 

 しかし、彼女たちは気を緩めるべきではなかった。

 

 ──なにせ、暴走体はまだ生きているのだから。

 

 

「きゃあ!!」

 

 

 障壁が打ち砕かれ、なのはは正面から強い衝撃を受け後方に吹き飛ばされる。

 急いでユーノは投げ出されたなのはの下に駆け寄るが、彼の耳に尚も怪物の唸り声が響く。

 

 後ろを振り返れば暴走体は魔法を受ける前より体躯は縮み、所々体毛が溶け地面に散らばっている。

 だが弱っている分敵意は増しており、その身体からは先ほどまではなかった大量の触手を生やし唸らせていた。

 

 

「そんな、あの魔力を受けてまだ動けるなんて……!」

 

 

 恐らくなのはが受けた一撃はあの触手によるものだろう。

 弱らせた筈が逆に攻撃性を強めるなど予測できる筈もないが、ユーノはこの惨状に歯噛みするしかなかった。

 

 怪物の軌道性は失われ、ゆっくりと地を這い二人に近付いている。

 とはいえ距離はそう離れていない。なのはに逃げるよう促したとて、怪物の触手がもう一度彼女を襲う方が早いだろう。

 

 ユーノはなのはに視線を移せば、立ち上がろうとしているが動きは鈍い。

 

 レイジングハートを起動した際に編まれた防護服──バリアジャケットはこの程度の衝撃なら傷を負わない耐久性はあるが、彼女は元々一般人。

 慣れない痛みに耐える方法を知らず、見た目に変化がなくとも疲労は立ち上がる事すら時間を要する程に溜まっていた。

 

 このままでは二人とも暴走体にやられてしまう。

 そう判断したユーノはなのはの眼前に立ち、彼女を護る為さらに魔法を行使しようとする。

 

 

「待って、危ないよ!!」

「……このままじゃ二人ともやられてしまう。だから、君だけでも逃げるんだ」

「そんな! 置いてなんていけないよ!!」

「駄目だ!!」

 

 

 なのはの制止をユーノは一喝する。

 

 

「元々僕が巻き込んだだけで、あなたはここで平和に暮らしてた女の子なんだ。

 だから……巻き込んだ以上、僕はあなたを無事に送り返す義務がある」

「だけど、レイジングハートだけは持っておいてほしい。あなたが日常に帰ったとしても、彼女ならきっとあなたを護ってくれるから」

 

 

 ユーノが背中越しにかけた言葉はまるで別れの言葉のようで、なのはは声を上げようとする。

 けれど彼女が言葉を紡ごうとするのを時は待ってはくれなかった。

 怪物が体中からさらに触手を生やしていき、一斉に二人に向け弾丸の如き速さで伸ばしてきたのだ。

 

 接触は目前。ユーノは万全ではなくとも彼女を必ず逃がすと障壁を張り、なのはも自分だけ逃げられないともう一度封印の魔法を使おうとレイジングハートを掲げ──

 

 

『Barrage Rain』

 

 

 ──刹那、空から魔力弾の雨が暴走体を襲った。

 

 予期せぬ波状攻撃に暴走体の触手は次々と撃ち抜かれ、怪物も苦しそうに呻き声を上げながらその場に蹲る。 

 

 

「えっ?」

 

 

 思わず空を見上げる二人。

 

 ──すると視線の先には、月明かりを背景に空に浮かぶ人物──相馬春樹の姿があった。

 

 その容貌は手足を銀色の小手で武装し、黒衣のジャケットを羽織ったもの。

 ただし、顔は彼女たちには判別できない。

 彼は変装の為にどこか鳥の如き鋭さを感じさせる仮面を装着しており、黙して二人と暴走体を不気味に見下ろしていた。

 

 暴走体が己を害した存在を把握しようと身体を真上に逸らすと、彼は上空から急降下して踵落としを行う。

 

 その巨躯にめり込む春樹の脚。

 彼の脚は身体強化魔法が掛けられており、魔力で創られた暴走体であろうと苦しませる程の威力を叩き出せていた。

 

 そのまま彼は間髪入れず暴走体の真横に降り立ち、回し蹴りを喰らわせる。

 

 

『■■■■■……!!!』

 

 

 塀に激突し痛みに苦しむ暴走体。

 その様を見据えながら、彼は流れるようにデバイスを構えて引き金を引く。

 

 

『Barrage Rain』

 

 

 続けて再度魔弾の雨が放たれる。

 一時も暴走体が攻勢に転じる隙を与えず、銃弾は全て怪物の体躯を貫きさらなる傷を与えていく。

 

 先ほどまで自分を苦しめていた怪物の惨状に、思わず言葉を失うなのは。

 そんな彼女の事など知らぬとばかりに、春樹は銃弾の嵐を撃ち込みながら怪物の背に降り立つ。

 

 怪物は一矢報いようと震えながらも触手を発生させ、伸ばそうとするも

 

 

『Shoot Bullet』

 

 

 無慈悲にデバイスから発せられた電子音声と共に、一発の魔弾が暴走体の眉間を貫いた。

 

 溶けかけていた身体は再度溶解を始め、沈黙する暴走体。

 そんな溶解した暴走体の亡骸を掻き漁り、春樹はユーノの求めていたジュエルシードを拾い上げた。

 

 封印なんて生易しいものではない。明らかな殺傷行為になのはは血の気が引き、ユーノも警戒心を顕わに春樹を睨みつける。

 対する彼は手にしたジュエルシードを眺めた後、ゆっくりと二人へと顔を向けた。

 

 

『まさか、こんなところで魔導士と出くわすなんてな』

「君も魔導士だよね? 狙いは、その手に持つジュエルシード……」

『正解。という訳でそいつを仕留めたのは俺だ。こいつは貰っていくぞ』

 

 

 その声は男女の区別もつかぬ濁りきった声に変声されており、やはり正体の判別は付きそうにない。

 彼らにとって謎の魔導士という立場を貫いたまま、春樹はデバイスに回収したジュエルシードを収納し、その場から飛び去ろうとする。

 

 しかし、ユーノにとってそれは見過ごせない事だ。

 声を張り上げ、彼は春樹を制止しようと試みる。

 

 

「待ってくれ、それは危険なものなんだ! 全て回収して然るべきところへ届けないと──」

『そんな説得で止まるようなら、その危険物を集めていない』

 

 

 答えはユーノの制止を遮る形の拒絶。

 となれば後は力ずくでも止めるしかない訳だが、今のユーノの状態は言わずもがな。なのはも類稀なる才があろうと、まだ魔法について何も知らない初心者でしかない。

 目の前の魔導士は怪物を殺してみせた事から、明らかに非殺傷設定──デバイスを介して掛けられる魔法のリミッターを解除している相手だ。

 

 そんな相手に挑むにはこの二人では返り討ちに遭うだけだとユーノは拳を握りしめながらただ見送るだけしかできる事はなかった。

 ただ、なのはは違う想いを抱いていたようだ。 

 

 

「あ、あの……」

『ん?』

 

 

 おずおずと彼女は春樹へ声をかける。

 反応を示されたなのはから返ってきた返事は、春樹もユーノも予想だにしないものだった。

 

 

「……助けてくれて、ありがとう」

『……お前が戦ってた分を掠め取っただけだぞ。礼を言われる覚えはない』

「それでも、あなたのお陰で私もこの子も助かったから。どうしても言いたいの」

 

 

 彼女は目の前の魔導士が行った所業にショックは覚えたものの、ジュエルシードを回収しようとしている事にも、ユーノと敵対するかもしれない事にも不快感や敵意を覚えてはいなかった。

 寧ろ結果的にとはいえ助けてくれた相手で、例え相手がどう思おうと感謝の念しか抱いていなかったのだ。

 

 ただ、良い返事がもらえなかったとしても……お願いしたい事が一つだけ彼女の心の中に浮かんでいた。

 なのはは足元にいるユーノを一瞥した後、春樹に向き直りその願いを口にする。

 

 

「ねぇ、あなたもその……魔法?が使えるなら、この子の事を助けてあげられないかな?」

「私もまだよくわかってないけど、この子はすごく困ってる。

 私とあなたで一緒に助けてあげられるなら、きっと早くこの子が困ってることを解決してあげられると思うの」

「君は……」

 

 

 聞かなければならない事はある。

 

 今回だってもしかしたら命を落とすかもしれなかった。

 

 けれど、彼女にとってユーノは困っている誰かであり、命を賭して自分を逃がしてくれようとした存在。

 そんな相手の。ユーノの頼みを断るという選択肢は彼女の中になかった。

 

 唯一不安があるとするならば、今回のように二人だけでは太刀打ちできない相手が来るかもしれないという事。

 

 それも目の前の魔導士が手を貸してくれるならユーノの願いを遂げる事ができるのではないか?

 魔導士が何故ジュエルシードを集めているのかはまだ分からないが、話し合えば協力する事もできるのではないか……と、彼女は魔導士と戦わなくて済む道を諦めず、問いかけているのだ。

 

 

『……そりゃ無理な相談だ。聞いてただろ? 俺はそんな説得で止まる気はない』

「待って……!?」

 

 

 ──だが返ってきた答えは、拒絶と、己に向けられる銃口だった。

 

 

『一つ忠告しておこう』

 

 

 銃口を突きつけつつ、彼は告げる。

 

 

『このジュエルシードに纏わる事件。ひいては魔法には関わらない方がいい』

『ちょっとした人助け気分で踏み込めば……あっけなく死ぬぞ?』

 

 

 もう手は出すなと。暗にそう忠告し春樹は空へと舞い上がった。

 

 

「………」

 

 

 ──お話、ちゃんとできなかったな……

 ──でもあの人は、どうして私にあんな言葉をかけたんだろう?

 

 

 心の中で話し合えなかったことに悲しみを覚えながらも、彼の言葉に彼女は疑問を覚える。

 分かり合えないと、共にはいけないと手を振り払った相手にかける言葉にしては、まるでこちらの身を案じているようで……

 

 拭いようのない違和感が、見送るなのはの頭に響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 

 




           ~以下、春樹とヒンメルの帰宅中~


『良かったですねマスター。あの二人と戦わなくて』
「……」
『ハッタリかましてましたが、二人との魔力量は天と地の差。
 それにあなたも素人ですから、実際に戦えば負けるのはこちらでしたからね』
「……」
『魔力量を鍛える方法はあるのでそこは特訓としますが、なんでしたか。高町様に言った言葉』
『「ちょっとした人助け気分で踏み込めばあっけなく死ぬ」でしたっけ?
 1回死にかけた人が言うと説得力が違いますね?』
「……やめろっての」
『さらにその姿で言うと様になってましたよ』
「やめろ!?
 そもそもなんだこの格好? フードとかでいいのになんでヒーロー風味なんだよ!!?」
『いいじゃないですか。男の子なら悪くないでしょう、こういう特撮風の仮面も』
「ヒーローやりたい訳じゃないっての! それに封印魔法なんてのがあるなら言えよ!!
 あいつらの目を見たか? ヤバい奴を見る目だったぞ?」
『マスターのミソッカス魔力で使っても封印しきれませんよ。それにああいうのは息の根を止めた方が早いんです。
 嫌なら早く殺さなくても済むような技量を身につけましょうか』
「言ってくれるなお前は……。初っ端から不安だよ、お前とコンビ組むの」


 ……以降、家に帰るまでこの調子で言い合ってたとさ。









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とある日曜日の試合模様

今回は原作3話序盤に該当するお話。

書きたい内容が多かったので、何編かに分けてお送りします


 高町が魔導士となり、俺が仮面の魔導士として会合した夜から1週間以上が経過した。

 

 あれから海鳴市を捜索してみたが、その間に獲得できたジュエルシードはあの夜以外では1個のみ。

 ジュエルシードの波動を感じても現場に間に合わなかったことが何度もあったので、おそらくはいくつか高町とあのフェレットが回収していったのだろう。

 

 これはやはり、本場の魔導士が味方についている高町の方が集めやすいっていう証拠だ。

 となれば残念ながら、俺があいつらより早くジュエルシードを手に入れるためにできるのは情報集めなり、探索地域を広げるなり……地道な捜索しかない。

 そんな中、幸運──いや、不幸中の幸いというべきか。気になる情報が海鳴で出回るようになってきた。

 

 それは通称『吸血鬼事件』。ファンタジー染みた名前で最近広まっている海鳴市で起こる連続死傷事件の事だ。

 この事件は俺の周りでも話題になっている不可解で恐ろしい事件として出回っている。

 その内容は、死者はまだ出ておらず。しかし被害者は全て致死量寸前まで血が抜かれた状態で発見されており、だというのに目撃者は一人もいないというもの。

 

 この事件の犯人は非常に凶悪で吸血鬼と呼ぶに相応しく、目撃者がいないというのもまた恐怖を掻き立てるものだ。

 ただ、この事件で注目されている部分はこれだけではない。

 

 それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()点。

 さらに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()点だ。

 

 この不可解な点をニュースでは『噛み跡は犯人が警察を欺く為に付けたフェイク』とも、『こんなことが出来るのは本当の吸血鬼ではないか』と騒ぎ立てている。

 

 こうして煽られ、海鳴は今得体のしれない何かに襲われる恐怖に包まれている。

 以前までの俺なら何もわからず恐怖する側だったかもしれないが、魔法に出会った今なら吸血鬼の正体は簡単に予想がついた。

 こいつは十中八九ジュエルシードの怪物であり、そう見れば一連の不可解な点も全て説明がついてくる。

 

 だが、正体に察しがついてもまた別の問題が出てきた。

 

 それは怪物にはやてが襲われる可能性だ。

 俺が襲われた怪物は住宅街に現れていた。その例に洩れず吸血鬼とやらの被害区域は市街から住宅街まで海鳴市全域に及んでいる事から、はやての家がある地域も狙われる可能性は十分に考えられた。

 高町は魔導士になってサポートしてくれる味方もいる上、あの家族の素性を考えれば危機に陥る可能性は少ないだろう。

 だがはやては自衛手段はない上、監視している連中もヒンメルの予測でしか目的を図れぬ為護ってくれる保障はどこにもない。つまり襲われてしまえば他の被害者と同じ末路を辿る事になってしまうだろう。

 

 なので阻止する為にも、この吸血鬼とやらは一刻も早く見つけ出さねばならないのだが……

 

 

「おーい、早くチームのみんなのところ行こうぜー。相馬ー」

「なんでこうなったかなぁ……」

 

 

 空は快晴。青空に彩られる河川敷もまた川のせせらぎも相まって穏やかな時間をつくりだしていた。

 それに対し佐竹の呼ぶ声を耳にしつつ、俺は思わずため息をついてしまう。

 

 俺は現在、佐竹が所属している桜台JFCの数合わせとして今日の試合に出る事になってしまっていた。

 

 事の発端は『吸血鬼事件』だ。

 俺の学校でも同級生が吸血鬼の餌食になって、何人か入院している。

 最悪なのがその被害者の中には佐竹と同じチームに所属している奴らがいて、人数が足りなくなったチームは今日の試合に出れなくなるかもしれなかった事だ。

 そこで佐竹が試合を実現させる為人数集めに奔走し、助っ人に俺までお鉢が回ってきてしまった。

 断ったが佐竹も必死に頼み込んできて、何度断ろうと今回ばかりはと引く様子を見せない。

 

 結局あまりの圧に断り切れず、今回は翠屋のスイーツ1回奢りで妥協する事になり今に至る。

 

 

『(いいんじゃないですか? ちょっとした息抜きだと思えばいいんですよ)』

「(息抜きならはやての家に行きたかったんだが…)」

 

 

 翠屋のスイーツは俺達小学生にとっては安いものじゃないし、対価はもらってはいるものの、ヒンメルにはつい本音が出てしまう。

 いくら数合わせとはいえ俺は素人だ。佐竹に何度も付き合わされてサッカーはやったが、本格的に練習してる奴らに混ざりたいとは思えない。

 それに吸血鬼の事もあるし、護衛の意味も込めてはやてと過ごしたかったんだけどな…。

 

 そう心の中で愚痴っていたが、いい加減チームに挨拶しておこうと佐竹の下に向かおうとした。

 すると当のあいつは何故か途中で立ち止まっており、何かに視線が釘付けになっていた。

 

 

「……何してんだ佐竹」

 

 

 何故呼んだ張本人がまだそんなところにいるのか? 気になったので近づいて訊いてみる事にした。

 

 

「……おい、見ろよ。あっちのチームの応援席」

「応援席……?」

 

 

 促されるまま今日の対戦チームの応援席に視線を向ける。

 すると何やら四人の女の子が遠くでもわかるくらいに楽し気に話している姿が目に映った。

 

 

「天使だ。天使がいる……」

「……」

 

 

 ……理由はわかった。こいつの事はスルーしよう。

 にしても4人は見た事がある。あの栗色のツインテールと茶色のショートヘアーは見間違いようがない。

 

 というか何故いる?

 

 さすがに見て見ぬ振りもできなかったので、佐竹を放っておいて話しかけに行くことにした。

 後ろで驚く佐竹の声が響くが無視し、土手を降りて件のショートヘアーの女の子──ここにいる筈がないはやての隣にやってきた。

 

 

「おはようさん。朝っぱらから何やってんだ」

「えっ、その声って……春樹くん!?」

 

 

 驚いて声を上げるはやて。

 見れば同じく応援席にいたなのは。それにあのフェレットを見つけた時に出会ったなのはの友達二人も俺の存在に気付いたようだ。

 

 

「あんたユーノを見つけた時の……?」

「相馬春樹だ。……で、何やってんだ。はやて?」

 

 

 金髪の女の子に答えつつ説明を求めると、はやてはなのは達3人を見やりながら経緯を語り始めた。

 

 

「いやぁ、日曜暇してたらなのはちゃんが試合の応援に誘ってくれてなぁ」

「アリサちゃんと私も誘われてたし、なのはちゃんが最近できたお友達に会ってみたかったから良かったら一緒にって」

「けど、どうして春樹くんがここに……?」

「……その今日試合するチームの数合わせに呼ばれたんだよ。桜台JFCって名前だ」

「桜台JFCって、私たちが応援する翠屋JFCの試合相手なんだけど……」

「ええ!? 春樹くん…なんで言うてくれんかったん?」

 

 

 今日ここに来た理由を告げると、4人。特に高町は目に見えて驚きを見せる。

 特にはやては試合の事を伝えなかったのが余程不服らしく、「私怒ってます」という風に顔を膨らませている。

 

 ……そんな態度をとられると罪悪感を覚えるんだが。

 とはいえあくまで対価という形をとってやってるだけで、本気で試合に参加したいとも、活躍して誰かに見てもらいたいとも思っていないんだ。

 参加する以上はしっかりやるが、わざわざ見に来てもらう事でもない。

 

 

「見てもらいたかった訳じゃないからな。

 それにもう来ちまってるけど、お前を呼ぶとあいつが…」

「おーーーい、相馬ァァァァ!!!」

 

 

 さらにもう一つの理由も言おうとした時、俺達の耳に大音量のスピーカーでも使ってんのかって位の爆音が飛び込んでくる。

 思わず全員耳を抑えて、なんだなんだと俺の後方を見やれば、湯気でも立ち上っていそうなくらいにキレた様子の佐竹……俺がはやてを呼びたくなかったもう一つの理由が足音を踏み鳴らしながら歩いてきていた。

 

 

「……なんだ佐竹」

「なんだじゃねぇ!

 なぁぁんで超絶カワイイ子達に何の迷いもなく話してんのお前!!? お前はそっち側じゃねぇと思ってたのに……

 

 

 いや、普段俺をどう思ってんだお前は……?

 明らかに嫉妬の目線を向けてるし、理由も俺がこの4人に気軽に話してる事だろうが……そっち側ってなんだよ?

 

 判りたくもないが、相手をしない事には困惑してるはやて達を放っておく羽目になる。仕方ないので渋々説明しておく事にする。

 

 

「うち一人は友達だしな。お前にも話しただろ、こいつがあの時話した春休みにできた友達の…」

「えーと、ご紹介に預かった八神はやてです。よろしゅうなぁ」

 

 

 はやての説明に乗じた自己紹介を聞くと、今度は容量オーバーでも起こしたパソコンみたいに動かなくなる佐竹。

 なんだと思わず眉を顰めていると、佐竹はぎこちない動きで俺に向き直り、震えた手ではやてを指さした。

 

 

「……マァジ? お前の友達ってこんなカワイ子ちゃんな訳???」

「カワイイ子やなんて照れるなぁ…」

「いや照れてる場合か。それと嫉妬の視線を向けてくんなお前は」

「向けるわァ! 何か、春休みの間はこの子とキャッキャウフフしてたんですかコンチクショー!!!」

「ふぇぇぇ……ちょ、ちょっと落ち着こうよー!」

 

 

 照れるはやて。さらにキレる佐竹。慌てて止めに入る高町と場は大混乱に陥った。

 

 だから呼びたくなかったんだよな。はやては絶対佐竹が飛びついてくると思ったし……

 

 今言っても詮無き事でしかない。

 けれど恐れていた事態が予想の何倍以上にも膨れ上がったこの荒れ模様に、現実逃避して空を見上げた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………なに、この……なに?」

「うーん、面白い人たちなの…かな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   ──◇◆◇◆──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれからアリサが春樹の尻をひっ叩き、佐竹を連行させた事で事態は収束に向かっていった。

 現在は両チームウォーミングアップを終え、選手達がグラウンドに整列し始めているところだ。

 

 

「で、はやてはどっちを応援するの?」

 

 

 そんなもうすぐ試合目前という最中、アリサははやてにそう問い掛けていた。

 

 

「うーん、そこなんよなぁ…」

 

 

 腕を組みうんうんと彼女は唸る。

 

 

「なのはちゃん達と一緒のチームを応援したいところなんやけど…」

 

 

 最初はそのつもりであったのだが、友達である春樹が相手チームにいるとなれば話は変わってくる。

 彼女にとって春樹の優先順位は高い。なのはや新しく友達となったアリサとすずかも大事で優劣をつける気はないが、かといって彼を蔑ろにする気は微塵もない。

 

 それに本人は「見てほしい訳ではない」と言っていたものの、彼がサッカーをしている様子というのは興味がそそられるし、純粋に応援したい気持ちが強い。

 ただせっかく誘ってもらったのに、なのは達の応援するチームの対戦相手を応援するというのは気が引けて。かといって春樹が参加するチームが負けるのを望むのも気が引けて……と、はやてはどっちにも傾けない状況に頭を悩ませていた。

 

 

「……迷ってるのは、春樹くんがはやてちゃんの最初のお友達だからかな?」

「そうなの、はやてちゃん?」

 

 それを知ってか知らずか、なのはは彼女なりに予想したはやてが悩む訳を口にし、すずかは春樹とはやての関係は詳しくなかったのか釣られて疑問を投げかける。

 はやては言い憚る理由もないので、そういえば言ってなかったなという感覚で彼女たちの疑問に答えた。

 

 

「…そうやね。初めてできた友達やし、なのはちゃんとも引き合わせてくれた大恩人やなぁ」

「大恩人って、随分大きく言うわね」

 

 

 返ってきた答えにアリサは目を見開き驚きを顕わにする。

 

 

「大きくなんかないよ。ずっと一人きりやった毎日が春樹くんと出会ってから変わっていったんや。

 それになのはちゃんと会わせてくれへんかったら、今日ここでアリサちゃんやすずかちゃん達とも会えてへんもん」

 

 

 ただはやてからすれば、春樹を大恩人と呼ぶことに何の抵抗もない。

 彼女からすれば言葉の通り、彼に会わなければ今も一人で日々を過ごしていただろうから。

 

 

「はっきりと言うわね。そういうの恥ずかしいとか感じないタイプ?」

「うーん、さすがに本人に言うのは照れてしまうけど……アリサちゃんは、こういうの恥ずかしいと思うん?」

 

 

 彼女は今まで一人で過ごす時間が長かった。

 故に自分とは違い、色んな人に関わっている同年代の子の感覚がまだ掴めていない。

 

 もしかしたらこういう気持ちを素直に伝えるのは珍しい事なのだろうか……と、はやては不安になり恐る恐る訊ねてみる事にした。

 

 

「ぜーんぜん! むしろそういう気持ちを素直に言えるのって良いと思うわよ」

 

 

 しかし、その不安は杞憂に過ぎなかったようだ。

 アリサは寧ろそこまで言い切れるはやての在り方に好感を抱いており、茶目っ気のある明るい笑みで誉めてくれたのだから。

 

 

「……えへへ、ありがとうなぁ」

「……それにしても春樹って子、はやてには悪いけど結構気難しそうだと思ってたわ。

 けどそこまで言われるなんて案外いい奴なのね」

「あぁー……春樹くんは結構めんどくさがりなとこあるからなぁ…」

 

 

 たはは……と、そこはフォローできなかったので笑って誤魔化すしかないはやて。

 

 そんな様子を見守りながらなのはは何事か考えていたようだが、考えは纏まったようで折を見て口を開きだした。

 

 

「はやてちゃん、やっぱり私たちに遠慮せずに春樹くんの方を応援したらいいんじゃないかな?」

「なのはちゃん、ええの?」

「その分私たちがお父さんのチームを応援するから。春樹くんはそんなのいらないって言いそうだけど…」

「春樹くんって子、あんまりやりたくなさそうだったもんね…」

「でもはやてちゃんからの応援なら、春樹くんもやる気が出るかもしれないね」

「その代わりあの佐竹ってのも勝手に燃え上がりそうだけどねー」

「いいんじゃないかな? お父さんも両方のチームが盛り上がればいいなって言ってたから」

「それは責任重大やなぁ……。

 よーし、なら桜台JFCの。春樹くんの応援隊長、やったんでー」

 

 

 はやてはふんすとガッツポーズをとり、やる気を見せる。

 何の憂いもなしに春樹を応援できるようになり、彼女はなのは達に負けないように全力で声援を送ろうと心に決めた。

 

 

「頑張れー、桜台JFCー! 応援してるよー!!」

 

 

 お腹に力を籠め精一杯、グラウンド中央に集まりかけていた桜台JFCへ声援を送る。

 春樹にも届いたようで、彼はすぐに振り向き怪訝な表情を見せていた。

 

 それにはやては快活な笑顔で応え小さく手を振る。”頑張って”という想いも込めて。

 

 笑みに秘めた想いも彼はしっかりと汲み取ったようだ。めんどくさそうに頭を掻くも、ひらひらと軽く手を振ってはやての笑顔に応えていた。

 

 ──よーし、春樹くんも少しはノリ気になってきたみたいやし、どんどん応援していくでぇ!

 

 ただどうやら春樹以外にも彼女の声援に応える者がいたようだ。

 

 

「見ろよお前らー! 俺達にも応援してくれる天使が舞い降りたぞ!!」

「「「「おぉーーーーー!!!」」」」

「こいつは勝つしかないよなぁ!!!」

「「「「当然じゃあーーー!!!!!」」」」

 

 

 はやての思いとは裏腹に、佐竹を始めとした桜台JFCの全員が異常にやる気を見せていた。

 グラウンド中を割るかという大轟音を響かせたかと思えば、全員が目を血走らせながら今にも飛び掛かりそうな程興奮しつつ翠屋JFCへ相対している。

 

 なのは達3人はその異様な雰囲気に呑まれ思わず冷や汗を掻いてしまい、はやてもまさか自分の声援一つでここまで豹変するとは予想していなかったので、困惑の言葉をこぼすしかない。

 

 

「あ、あれ? なんやろこの空気……」

「……あいつだけじゃなくて皆ノリがいいみたいね。あのチーム」

「あはは、面白い人たちだね……?」

「うん……お父さん達も笑ってるし、いいのかな…?」

 

 

 苦笑いを浮かべ各々微妙な感想を溢しつつ試合は始まった。

 

 最初は翠屋JFCから攻め上がる。

 FWが中央を突破し、囲まれそうになれば即座に後ろへパスを回して……と、桜台を寄せ付けない戦法で確実に前へ前へと陣営を推し進めていく。

 

 何とかボールを奪おうとするも、翠屋JFCの選手達の進行を遅らせるのが手一杯で布陣を下がらせられる桜台JFC。

 はやてはヤキモキしながらその様を眺めていたが、ふとボールを持った選手が春樹の近くまで攻め上がってきているのが目に入る。

 

 

「春樹くーん、そっちに行ったよー!」

 

 

 選手は春樹の真横を通り過ぎていく。

 遅かったか……とはやては悔しさから声を漏らしそうになるも、ふと違和感を覚え目を凝らしてみる。

 

 すると慌てて翠屋JFCの選手は後ろを振り向くが、既に彼は味方へパスを回し終わった後だった。

 今のは抜かれただけではなく、抜かれる最中、逆にボールを抜き取っていたらしかった。

 

 ついにボールが回ってきた桜台JFCはすぐに駆け上がり始める。

 そこからは先のお返しとばかりに翠屋JFCの守備陣を突破。特に佐竹は誰も寄せ付けぬ気迫と突進力でボールを保ち続け、ついにはゴール付近まで陣営を推し進めていく。

 

 

「おぉ、獲っとったで!」

「へぇ、数合わせって自分で言ってた割にはやるじゃない」

「桜台のみんなすごい勢いで攻め上がってる。大丈夫かな、お父さんのチーム…」

 

 

 なのはの予感は当たり、桜台JFCはゴールまで駆け上がりついにシュートを打ち込む。

 しかし翠屋JFCのGKは打ち込まれたボールに反応し、危なげなくこれを止めてみせた。

 

 すぐに翠屋JFCのボールで試合が再開される中、桜台JFCが得点できなかった事ではやて達も一喜一憂していた。

 

 

「あぁ~、止められてしもうた~…」

「私にとってはうれしいけど……なんだが複雑だね」

「でも慣れへんとちゃんと応援できへんよ?

 私に言うてくれたみたいに、なのはちゃんやって遠慮なしで応援してええって」

「そうかな…。うん、ちょっと頑張ってみる」

 

 

 なのは達とはやて。それぞれ両チームの応援を精一杯やりながら時間は過ぎていく。

 戦況は0-0のまま後半に突入し、状況は動いていない。

 けれど桜台JFCは始まってすぐの反撃で勢いついたのか、最初とは打って変わって翠屋JFCの攻勢を防ぎ切り、次々とシュートを打ち込んでいた。

 対する翠屋JFCもGKが次々と打ち込まれるシュートを必死に止め切り、得点を許さずここまで持ち込む根気強さを見せていた。

 

 お互い一歩も譲らぬ状況の中、桜台JFCの二人はというと…

 

 

「相馬ー、力を貸してくれぇぇぇぇ……」

「あのなぁ、力貸してくれって言ったって俺は単なる数合わせだろ?」

「それでもよぉ。お前パスカットとか上手いじゃん? やる気出してくれればあっちが点を入れにくくなるじゃん?

 あんな仲良さげなの見せつけられちゃあ、負けたくねぇよ俺ェ……」

「動機が不純過ぎる……」

 

 

 佐竹が泣きつき春樹へ協力を求めていた。

 それも不純な動機であり、原因は翠屋JFCのGKとマネージャーである。

 

 この二人、遠目でもわかるくらいに仲がいいようで、佐竹はこの二人をカップルではないかと勘繰っているのだ。

 そして嫉妬を覚えたのかこの有様である。

 傍で宥める春樹や遠目で見ているはやて達も、これには思わず引きつった笑みを浮かべる他なかった。

 

 とはいえ試合も大詰め。

 話が終われば二人もポジションに戻り、勝つためにそれぞれグラウンドを駆け回っていく。

 

 そうしていく内にまたもや桜台JFCにチャンスが訪れる。

 

 

「あっ」

 

 

 翠屋JFCの選手を抜き去り、春樹がボールを奪い取ったのだ。

 そのまま守備が甘い空間を狙い、ボールを蹴り上げる──その先で待ち受けるのは佐竹だ。

 

 

「御膳立てしてやったんだ。さっさと決めてこい!」

「おうよ! 今度こそ喰らえやそこのキーパァーーー!!」

 

 

 春樹より回されたボールを胸で受け取り、佐竹はその勢いを利用しゴールへシュートを打ち込む。

 

 猛スピードでゴールの隅へ吸い込まれていくボール。観客席のはやて達もこれは決まったかと身構え出す。

 しかし、翠屋JFCのGKが一枚上手だったようだ。

 彼は全身全霊で真横にジャンプし、ゴールネットまであと一歩というところで見事ボールを掴んでせしめた。

 

 

「チックショーー……カップルには勝てないのか……!」

「落ち込んでる場合かっ!」

 

 

 佐竹は渾身のシュートが止められたのが余程悔しかったのか、膝と手を尽き項垂れてしまう。

 だが相手のGKがボールを握ったという事はまた翠屋JFCが攻勢に出るという事。

 

 春樹を始め他のメンバーも一目散に自陣へ駆け戻るも、GKからボールを託された翠屋JFCは試合序盤のように果敢に攻め上がっていった。

 はやては桜台JFCのみんなが追いつけるよう、声を張り上げ応援を届ける。

  

 勝ってほしい。頑張って──そんな思いを込めた声援に応えようとしたのか、足を速める者が一人。

 

 

「春樹くん、いっけー!」

 

 

 春樹は懸命に走り、追いすがろうとしていた。

 

 見てもらいたい訳じゃないとやる気を見せていなかった彼であるが、彼女の声援で心が動いたのだろうか?

 その光景に暖かいもの──きっと嬉しさを覚えて、はやての応援もどんどん熱を帯びていく。

 

 そしてついに、彼は翠屋JFCの選手へと追いついた。

 何としてでも得点させまいと、春樹は走る勢いのままスライディングでボールを奪おうとする。

 

 はやてもその一挙一動を見逃すまいと目を凝らす。ただ彼の勝利を祈り──

 

 

「試合終了!1-0で勝者、翠屋JFCー!!」

 

 

 残念ながら、それは叶う事なかった。

 

 スライディングは避けられ、ついに翠屋JFCが1点をもぎ取った。

 瞬間、終了を告げるホイッスルが鳴り響いて、桜台JFCの敗北が決定した。

 

 翠屋JFCは勝利に沸き、桜台JFCは敗北に悔しがったり落ち込んだり。

 各々様々な反応を見せつつ、はやて達も両方の健闘を称えて拍手を送って、試合は熱気を保ったまま幕引きと相成った。

 

 そうして両チーム引き上げの段になり、はやて達もこの後なのはの父が主催で翠屋JFCの祝勝会をするという話を聞き、自分たちも着いていこうという話になる。

 先に荷物を取りになのは達は席を離れたが、はやては特に鞄などといった類は持ってきていないので一人待つことにした。

 

 

「……悪い。負けちまった」

 

 

 するとそこへ、桜台JFCから引き上げてきた春樹がはやての前に姿を現す。

 彼はバツの悪そうな顔で彼女へ謝罪を入れた。

 

 きっと彼女の声援に応えられなかったと悔やんでいるのだろう。けれど、はやてからすれば決してそんな事はない。

 

 暗い顔の春樹へ、にっこりと今の気持ちを乗せてはやては微笑む。

 

 

「ううん、謝ることないよ」

「春樹くん大活躍やったやんか。

 負けてはしもうたけど、私は応援しとる間ずーっと楽しかったよ?」

 

 

 今の彼女に芽生えている気持ちは快晴晴れ模様というべきもの。

 

 翠屋JFCと桜台JFCの戦況に一喜一憂し、なのは達と楽しく話すこの時間。

 こうしてたくさんの人と楽しく過ごすのは、はやてにとって初めて体験するものだった。

 両親が生きていた頃も、独りきりで過ごしてきた間もこんなにも過ぎるのが惜しいと思える時はなかった。

 

 謝られる事なんてどこにもない。

 彼女の中に溢れているのは──

 

 両チームによる白熱した試合。

 

 この試合へ誘ってくれたなのは達への感謝。

 

 自分の声援に応えようとしてくれた春樹への嬉しさ。

 

 そして──こんなに素敵な時間をくれた皆へのありがとうという想いなのだから。

 

 

「はぁ……そんな晴れやかな笑顔で言われちゃ、これ以上は何も言えねぇな」

 

 

 そんな思いの籠った笑顔を向けられ、彼も察したのだろうか。

 少し呆れたような……けれど照れ臭そうに頬を掻き、ため息をついたのであった。

 

 けれどまだ、その表情には悔しさが滲んでいる。

 

 

 ──うーん、なんだかんだで熱中しとったんやろうなぁ…

 

 

 試合前はノリ気ではなかったが、自惚れでなければあの声援でやる気も出ていたのだろうか。

 負けた事に少し心残りができているようで、はやてとしてはこのまま曇った顔のまま彼に帰ってほしくはない。

 

 そこで少しうんうんと頭を悩ませると、一つの妙案がパッと浮かび上がった。

 

 

「どうした? はやて──」

「そうや!春樹くん、この後一緒に翠屋にけえへん?」

 

 

 妙案とは自分やなのは達と一緒にお喋りをして時間を使おうというもの。

 

 春樹は翠屋のスイーツを気に入っている。

 祝勝会の裏で自分達はお喋りに興じる予定であり、そこに翠屋のスイーツを食べながら春樹も参加すれば、少しは気も紛れるのではないかという狙いだ。

 

 単に春樹と一緒にこの後の時間を使いたいという想いも含まれているが、元気になってもらいたいというのは真実で、はやては強くこの案を彼に推していく。

 

 

「翠屋に? ……けどベンチの声からするに、これから祝勝会じゃないのか?」

「大丈夫やって。祝勝会は翠屋でやって、私たちは外で仲良く話でもしようってなっとるんよ。

 なんやったら佐竹くんも連れて来たらええし、私も一緒におるから心配いらへんよ」

「……まぁ、この後は時間あるからいいけどよ」

 

 

 やった!とはやては喜びを顕わにする。

 何やら困った様子で春樹ははやてを見詰めているが、彼女は嬉しさのあまり気付かない。

 

 なのは達と一緒というだけでも楽しみであったが、大切な友達も来るとなれば、さらにこの後のお喋り会が楽しみになったのである。

 

 そうしてはやてはなのは達にもこの事を伝えに行こうと、彼を催促して3人のいる翠屋JFCの集合場所まで向かおうとする。

 

 ただ変わらず春樹ははやてと対照的に浮かれる様子もない。

 さすがに彼女もどうしたのかと思ったが……やっぱりまだ試合の事が頭から離れないのだろうと思い至る。

 この様子を見れば自分だけ浮かれている事に反省しつつ、それでもみんなと話せばきっと元気になってくれると思いそれ以上考えたり、直接聞いてみる事はしないまま二人はなのは達の元へ向かった。

 

 しかし実のところ、彼女の予想は外れていて、彼の顔が浮かないのは別の理由があった。

 とはいえ彼女には気付く余地はなかっただろう。

 

 原因は彼は見ていて、彼女は見ていなかったとある物。

 

 ──翠屋JFCのGKがポケットから取り出していた蒼い宝石──ジュエルシードにあったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




やっぱり投稿期間が大きく空いたのもあるでしょうが、文章が読みにくいのもあって読者は付きませんね。

とはいえ自分ではどこを直せばいいか全ては気付きにくいもので……よろしければ批評などお待ちしております<(_ _)>


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