色欲の花嫁(番外編) (スカイリィ)
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プロローグ

※注意:この作品は花嫁シリーズ第一作「色彩の花嫁」と第二作「青空の花嫁」の番外編にあたる作品です。未読の方は先にその二作品をお読みください。

 またR18作品としていますが、作者は官能小説を書くのは初めてなので過度な期待はしないでください。


 息子の部屋の違和感に気が付いたのは、彼が中学に上がったばかりのころだっただろうか。

 

 部屋の隅から漂う、栗の花に似た臭気。ゴミ箱の中に丸められたティッシュの塊。私はそれを目にして、とうとうこの日が来てしまったか、と掃除機を片手に小さくため息をついたのを覚えている。

 

 オナニー。自慰。マスターベーション。

 自身の性欲を自身の手で発散する行為。

 

 息子がその行為を覚えたことに対して私の中に嫌悪感が芽生えなかったと言えば嘘になる。今まで純粋だった息子が性欲という獣を胸の内に宿してしまった。それを考えると、少し憂鬱になってしまう。

 

 けれど、思春期の子供。それも男の子がそれを覚えるのは当たり前のことだ。私の中では、嫌悪よりも息子の成長の方が喜ばしく思えた。あの子は子供から、大人の男になろうとしているのだ。我が子の成長を祝福せずして親を語れるわけがない。彼の成長を否定するつもりはこれっぽっちもなかった。

 

 私はその時、とりあえず気づかないふりをしてゴミを捨てた。これは思春期の彼にとってデリケートな問題だ。母親である私が下手に刺激するのは良くない。そう判断してのことだった。

 

 それからというもの、息子の部屋のゴミ箱には毎日とはいかなくても、丸められたティッシュがよく入っていた。少し知恵をつけたのかお菓子の袋でくるみ、独特の臭気を封じ込めるようにしていたけれど、直感的にそれらの存在は分かった。

 

 息子のベッドの下に女性の裸が写された雑誌が隠されるようになったのもそれくらいからだった。恐らく学校の先輩から譲り受けたのか、それらの雑誌はいささか劣化していた。発行日を見ると七年も前のものだった。

 

 なるほどこうやって代々受け継がれていくのかと、それを見た私は妙に感心したものだ。大学の定期テストにおける過去問題が先輩から後輩へ受け継がれていくのと似ている。ちなみにその雑誌は立香が中学校を卒業する直前には無くなっていたので、恐らく後輩の誰かに譲られたのだろう。

 

 世の中には子供がアダルト雑誌を隠し持っていたら反省文を書かせるという親もいるそうだが、私はそんなことはしなかった。むしろそんなことをして女性に対する興味をなくしてしまう方が大問題だ。息子が見せる性への目覚めの兆候は、健全な成長の証だった。

 

 中学三年にもなると、ゴミ箱のティッシュの量は増大していた。毎日のようにティッシュが入っているし、一回や二回分ではない量がゴミ箱に突っ込まれていた。息子の性欲はすさまじく旺盛だったのだ。それでいて疲れた様子もなく平然とした顔をしているのだから末恐ろしい。この子のお嫁さんになる人は大変だろうなと思ったものだ。

 

 彼の身長が私のそれを抜き去りつつあったそのころ、私は息子にやんわりと性教育をしてあげた。直接的なものではない。どちらかと言えば思い出話に近い。

 

 私が妊娠した時の話、お腹の中から胎児の息子に蹴られた話、息子が産まれた時の話。私はそれらの思い出をたびたびするようになった。さりげなく、ふとした時にその話を息子に振ってやった。

 

 性行為については学校の保健体育でするだろう。妊娠・出産のメカニズムも教えてもらうだろう。でも、妊娠した女性の苦労までは教えてもらえないかもしれないし、教えてもらっても息子には実感が湧かないかもしれない。だから身近な、私と彼自身のエピソードを伝えることでそれを理解してもらおうと私は努めたのだ。

 

 三千百六十グラム。この数値を忘れたことは一度もない。産まれた時の、あの子の体重だ。三キロちょっとしかないその小さな身体、その重みを両腕で感じた時のあの喜びを、私はそれを聞く息子の頭を撫でながら伝えてやった。

 

 自分の産まれた時の話を、息子は照れ恥ずかしそうにしながらも耳を傾けてくれた。初めての育児でてんてこまいになってしまったこと。夜泣きをする彼を抱っこして夜の景色を見せながら「ほら、みんな寝てるよ」と言い聞かせてあげたこと。

 

 大変なことが多くあったけれど、私はそれらの思い出を笑顔で伝えてやった。オムツを替える時にオシッコをひっかけられた話をした時の彼の表情などは写真に残したいくらいの面白さがあった。

 

 賢くて心優しい息子は照れながらも「ありがとう、母さん」と己を育て上げた私を労ってくれた。その一言だけで嬉しくて泣きそうになってしまった。泣きながら抱きしめても良かったのだけれど、私はそれをこらえて「だからこそ、恋人や奥さんを大切にしなさい」と息子に言い聞かせた。

 

 セックスはポルノとは違う。神聖というほどのものではないけれど、相手を思いやる気持ちがあって初めて成り立つ繊細な行為だ。人生において、セックスを楽しむ権利は誰にでもある。息子自身が望むのであれば大いにそれを楽しむべきだろう。でも、それは相手を苦しめるものではあってはならない。

 

 セックスする時は相手を大切にすること。妊娠を目的としていない時は避妊すること。もし妊娠させたら、必ずその人を支え続けてあげること。この三つを息子に約束させた。両親が自身を育て上げた時の苦労を聞いていた息子は、それを素直に了承した。

 

 母親である自分が言うのもあれだが、息子はなかなかにハンサムだ。性格もとても優しい。彼が行動しなくても女性の方から言い寄ってくるだろう。

 

 いつになるのかはわからないが、そのうちセックスをして、場合によっては相手を妊娠させるかもしれない。その時になって、相手の女性が苦しい思いをするのは好ましくない。立香を受け入れてくれる女性なのだから、大切にするのが道理というものだ。いつか来るその時のために、私は息子に伝えるものを伝えてあげた。

 

 最初の行為は不器用なものになるかもしれない。けれども相手を思いやることこそが何よりも大切なのだ。テクニックなど二の次にすぎない。ここまで伝えれば、優しい息子はきっと相手を思いやってくれるだろう。

 

 

 そして息子は高校卒業と同時に海外へ旅立ち、運命の女性と出会った。マシュ・キリエライト。それが息子と愛し合う関係になった少女の名前だ。

 

 最初は外国人ということで少し戸惑ったけれど、会ってみると素晴らしい女性であることがわかった。料理はできるし、スタイルは良いし、顔も可愛らしい。そしてなにより、とても優しい女の子だった。

 

 奥手な息子が選んだ大切な女の子。気が付けば私もまた彼女の性格に惹かれていた。

 

 子供時代を無菌室で暮らすという辛い過去を背負っていても、彼女は誰も恨まず、絶望もしなかった。それどころか他人を思いやり、その命を尊重する慈悲深さを持ち続けていた。

 

 すべての命は必ず終わる。だからこそ、精いっぱい生きる命は美しい。彼女はそれを他人からの受け売りなどではなく自分の言葉で述べてみせた。

 

 この人生の結論を知っている人は多くいるけれど、それを実感している人はどれだけいるか。

 

 当たり前の日々こそ何よりも美しいと感じ、生きている一瞬一秒に感謝する人間なんて、本当に数えるほどしかいないだろう。彼女はそれをごく普通に思っている稀有な娘だった。

 

 私は彼女を美しいと思った。なんと鮮やかな命なのだろうと感動すら覚えた。そして息子と同じくらい、好きだと感じた。こんな娘が息子を愛し、そして私を『お母さん』と呼んでくれるのが嬉しくてたまらなかった。

 

 そんな彼女だからこそ、立香と幸せになってほしいと思えた。

 

 でも、ちょっと不安なところもあった。主に性の分野で。

 

 彼女はまだ十七歳と年若く、妊娠するには早すぎる。息子もまだ二十歳前で父親になるには早い。

 

 しかも少し前までは童貞と処女だった。そんな二人がセックスで「無茶」をしていないか、私には不安だった。

 

 マシュは純粋ではあるのだけれど、それゆえの世間知らずなところがある。もし息子に異常な性行為をされたとしても、彼女にはそれを通常のそれと判断することが難しい。

 

 息子がそういうことをするのは考えにくいけれど、彼だって男の子だ。徐々に過激な行為をしたくなるのが普通だろう。

 

 そういうわけで、私は彼らの性生活とやらが気になっていた。別にデバガメしたいわけではない。二人がちゃんとした性生活を営んでいるのかどうか、それだけが心残りなだけだ。

 

 性生活に正解などない。だけどせめて、二人のそれは苦痛が少なく、喜びが多いものであるべきだろう。

 

 人生は一度きり。若い頃も一度きり。性の喜びを味わえる時間も一度きり。それが間違った知識や欲望で歪められてしまうのは、悲しいことだ。

 

 せっかくこの世に産まれてきたのだ。二人のその限られた時間は、どうか優しさと喜びに満ちた、暖かいものであってほしい。

 

 母親として私が願えるのは、そのくらいのものだった。

 

 

 

 

 

「そういえば、立香に告白されたのって、いつなの?」

「告白、ですか?」

「『好き』って言われたんでしょ?」

 

 フォウくんの散歩からの帰り道、マシュと共に適当なカフェに入って紅茶を飲みながら私はそう尋ねた。

 本当に、ふと思ったことを訊いたのだ。女子学生同士がファストフード店で恋バナを振るのと同じような感覚だ。

 ちなみにフォウくんは私のカバンの中で爆睡している。きっと遊び疲れたのだろう。小柄なのも相まって店にバレることなく持ち込めた。この辺の店でペット同伴可能な店舗は少ないのだ。

 

「立香があなたに愛の告白をしたってのが、ちょっと驚きなの。優しいけど、恋愛になると奥手で不器用だから、あの子」

 

 息子は本当に心優しく、それでいて芯の強い男の子に育ってくれた。それは母である私にとって本当に喜ばしいことだ。しかし同時に年相応の不器用さも併せ持っていることを私は知っていた。

 そんな息子が、好きな女の子に告白したとなればかなりの一大決心であったに違いない。きっと下手な戦いよりも覚悟を決めていたことだろう。

 

 マシュはその質問を受けて、飲んでいた紅茶のカップをソーサーの上に置いた。

 

「最後の戦い──ゲーティアとの戦闘が終結して、先輩と一緒に外へ出て青空を見た時です」それから少し顔を赤らめて、もじもじしながら口を開く。「私が青空に見とれていたら、急に抱きしめられて、その」

「……なんて言われたの?」

「……『マシュ、好きだ。俺の恋人になってください』と」

 

 おお、これ以上ない直球ストレート。私はその言葉を口にした際の息子の顔が手に取るように想像できた。覚悟を決めた顔で、それでいて耳まで肌を赤くして、震えそうになる声を必死に抑えている彼の顔を。

 

 よく頑張った。私は心の中で息子を褒めたたえた。

 

 世界を救ったことも、一人の女の子のために戦い抜いたことも、母である私にとって誇らしいことではある。けれど、言葉を濁さず、大切な人に自分の気持ちを真っ直ぐ伝えてみせた彼の勇気もまた同じくらい嬉しく思えた。

 

 真剣な恋であるほど、その告白を躊躇してしまうものだ。マシュに対する立香の気持ちを考えれば、それがどれほど勇気のいることだったろうか。私はそれを想い、笑みを浮かべた。

 

「でも、私、その時は……」

 

 少し目を逸らすマシュ。恥ずかしさとはまた違う、後ろめたさのような感情がその顔からは読み取れた。私はその原因に心当たりがあった。

 

「その『好き』って感情が分からなかったのね」

「はい。……先輩に『好き』と言われて、胸の奥が熱くなっていくのは感じたのですが、それが恋による感情だとは理解しきれなかったのです」

 

 同世代に比べて人生の経験が圧倒的に不足していたマシュは、立香に好意を伝えられてもそれに対応する感情を見つけることができなかったのだ。

 

 彼のことは好ましく思っていても、それが親愛なのか、男女愛なのか、あるいは友情なのかもわからない。恐らく彼女は応えに窮してしまったことだろう。

 

 マシュは自身の心臓の上に手を置いて、その時のことを教えてくれた。

 

 

 

 立香に抱きしめられて愛の告白を受けたマシュは顔を赤くしながらも、彼の腕の中で首を横に振った。

 

『ごめんなさい。先輩』

『マシュ?』

 

 戸惑うように立香は彼女の身体を一旦離してその顔を覗き込んだ。

 

『先輩。私は先輩の言う「好き」がうまく理解できません。理解できていないのに「私も好き」と返してしまっては、嘘になってしまいます』

 

 心優しいマシュは、だからこそ立香の告白にそう返事をした。嘘をついたところでその場しのぎにしかならず、いつか立香を傷つけてしまうかもしれない。愛や恋が分からなくても、それだけはしたくなかったのだ。立香を傷つけることだけは。

 

『先輩に嘘はつきたくありません。ですから今はその気持ちに応えられません。ごめんなさい』

 

 答えを受け取った立香は自身の気持ちを受け入れてもらえなかったにも関わらず、その顔に笑顔を浮かべていた。

 

『そっか』

 

 確かに立香の想いは受け入れてもらえなかったかもしれない。けれども彼はそれを悲しいと思いつつ、彼女の素直さを好ましく感じていたのだ。この自分に嘘をつきたくないという、彼女のいじらしさを。

 

『わかった。なら今は──』

 

 手を引こうとする彼の腕を、彼女の両手がつかんだ。間髪入れずに、マシュは立香に詰め寄った。

 

『ですから、教えていただけないでしょうか』

 

 キョトンとする彼の目を真っ直ぐに見つめながらマシュは告げた。

 

『私はまだ「恋」を知りません。でも先輩が教えてくれたなら、理解できるようになると思います。この空と同じように』

 

 そう言ってマシュは自分たちの頭上に広がる青空へ視線を向ける。

 

 かつて少女は空の青さを知らなかった。いつだって空は、灰の色だと思っていた。

 

 しかし一人の男の子が、たった今それを教えてくれたのだ。そして理解した。空の青さを。その美しさを。実際に目の当たりにしなければ絶対に理解できないであろう、その感動を。彼女は心に刻むことができたのだ。

 

『恋というものがどれほど素晴らしいものなのか、どれだけ鮮やかなのか。先輩に、教えてほしいんです』

 

 彼に教えてもらえたなら「恋」という概念もまた、同じように理解できるはずだ。マシュはそう考えた。実際に体験しなければわからない、その感情を。

 

『私がそれを理解するにはとても時間がかかるかもしれません。けれど、私、ずっとあなたについていきますから』

 

 だからお願いします。マシュは立香の手を引いて、告げる。

 

 

 私に「恋」を教えてください、先輩。

 

 

 

 ことのあらましを聞いた私は、いつの間にか自分が口元を両の手で押さえていたことに気づいてハッとする。年甲斐もなく自身の頬がほんのりと熱く上気しているのが分かった。

 

 なんという殺し文句だろうか。私はゆっくりと息を吐いて心を落ち着かせた。

 

 私に「恋」を教えてください、だなんて、聞いていたこちらの方もドキドキしてしまうような、あまりにもピュアすぎる返答ではないか。

 

 それを受けた立香の心境たるや、それはもうすごかっただろう。告白したのは自分の方であるはずなのに、むしろ逆ではないかと思えるほどだ。

 

「そこから、立香の『わかるようになるまで待っている』につながるのね」

 

 熱くなった顔を悟らせないように私はそう訊いた。するとマシュは「えへへ」と照れたようにはにかむ。

 

「はい。先輩は優しいですから」

「でも、キスくらいはしたんでしょう?」

 

 恋を教えるというのであれば、そのくらいはしていてもいいはずだ。からかうように私が訊くと、マシュはとたんに顔を朱色に染めて首を横に振った。

 

「その、私の、いわゆるファーストキスというものは、あの夜に」

 

 あの夜? 私は一瞬なんのことだか分らなかったが、すぐ答えにたどり着く。

 

「大丈夫だったの?」苦笑いをしながら私。「お互いに酔っぱらっちゃって、立香にひどいことされたんでしょ」

「ひどいことというか、すごいことというか」

 

 胸の前で合わせた両の手をもじもじさせながらマシュはうつむいてしまう。頬を染めているのが可愛らしい。

 

 あらあらうふふ、とその様子を見ていた私は思わず笑みを浮かべていた。若い子の恋愛模様というのは見ていて楽しいものだ。ましてや自分の息子とその恋人のそれとなれば、ニヤニヤとした笑みが漏れるのも当然と言えた。

 

 この様子だと、悪くない初体験であったようだ。それは喜ばしいことだ。

 

 しかしそうしてマシュを観察していると、何か思い出したかのようにもじもじするのをやめて、こちらを真っ直ぐな目で見てきた。私はその視線の中になにやら不安そうな感情を見出すことができた。

 

「どうしたの?」

「その、大変お恥ずかしいのですが、ご相談したいことを思い出しまして」

 

 そう言ってわずかに目線を逸らすマシュ。同時に私は察する。恐らく、立香との性の営みで何か悩み事があるのだろう。話の流れと彼女の態度からしてそれが一番可能性がある。他人に話すことがためらわれるそれを、マシュはこの自分に話したいと考えているのだ。

 

「いいわよ別に。こんなおばさんでも力になれるのなら、どんなことでも訊いてごらんなさい」

 

 私はそれを受け入れることにした。後は老いるだけのこの身だけれども、彼ら若い世代の幸せに少しでも貢献できるというのであれば、そのくらいは引き受けて当然だ。

 

「えーと、では、その」マシュはわずかに口ごもったが、はっきりとした言葉で私に相談した。「私の身体で、先輩が満足できているのかどうか、不安なんです」

 

 あれま、と私は目を丸くする。セックスで女性が満足できないというのは良く聞く話だけれども、男性が満足できているか、という話は少ない。

 

 男性の場合、絶頂すれば射精という目に見える現象が発生するから、満足できているか一目でわかるからだ。しかもある程度はムードを無視しても性的快楽を得ることができる。要は美しい女の裸と物理刺激さえあれば男は感じるのだ。

 

 一方女性は、ある程度のムードが必要になってくる。女は心で感じるのだ。だから男性が雑に性行為をしようとしたり、手早く済ませようとすれば女性は満足しない。感じようと思わなければ女は気持ちよくないのだ。だから性の不一致という現象がたくさんのカップルで発生する。

 

 ところがマシュの場合は立香が満足できているか不安だという。これはなかなか珍しい。女の私から見てもマシュの容貌はとても美しいと思えるし、性格も優しくて献身的だ。そんな彼女と行為に及んだ立香が満足しないというのは考えにくい。どういうことなのだろうか。

 

 しかし、亀の甲より年の功。彼らの倍以上の年齢を積み重ねた私の手にかかれば、そのくらいの問題は解決できるはずだ。私はマシュの続く言葉に耳を傾け──

 

 

「私が一晩で二十回絶頂する間に、先輩は十回くらいしか射精しないんです」

 

 あ、これ手に負えないやつだ。

 

 そんな悟りを得て、私の脳は自己防衛のために思考を停止した。

 



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第一話 愛欲の褥

 

 立香に連れられて初めて彼の実家を訪ねた時。その二日目にしてマシュはデンジャラスビーストと化していた。

 

「せんぱい。早く子作りしましょう」

 

 ベッドに腰掛け、脚をパタパタさせながらマシュはほろ酔い気分の声色で立香を呼ぶ。視線の先にいる彼は部屋の窓に鍵がかかっていることを確認して、それからきっちりとカーテンを閉めていた。

 

「んー、えへへ、私、せんぱいとの赤ちゃん、産んじゃうんですね。何人くらいが良いでしょうか」

 

 そう言って自身の下腹部を撫でるマシュ。普段の彼女なら絶対に口にしないであろう言葉の羅列が、アルコールの力によってその口から流れていく。

 

「せんぱいとぉ、子作りぃ。せんぱいのぉ、赤ちゃん。うふふ、早く欲し──きゃ!」

 

 謡うように卑猥な言葉を並べていたマシュの身体が立香によってベッドに押し倒される。肩を掴まれ、枕ではなく捲られた布団の方に倒されたマシュの背中が柔らかな布団に包まれる。

 

「あの、せんぱい……?」

「令呪を持ってマシュ・キリエライトに命じる。俺とセックスしている間だけは、筋力を普通の女の子と同じ力にダウンさせて」

 

 立香の右手の甲が輝くと、マシュの身体からわずかに力が抜ける。デミサーヴァントである彼女は成人男性を軽々と持ち上げるほどの力を持つが、それが抜けて彼女本来の筋力にまでダウンしたのだ。

 

「これで、もう逃げられないよ」

 

 ニヤリ、と立香は笑顔を浮かべる。いやらしい笑みにも見える彼の表情だけれども、その頬は真っ赤になっていて、今にも火を噴きそうなほどだった。それゆえ、いやらしいというよりも、いじらしい表情に近いものになっていた。

 

 その顔を見て、マネをするかのようにマシュも笑みを浮かべた。お互いの顔が近くて、相手の吐息すら感じ取れるほどだった。当然逃げるつもりなど毛頭ない彼女は、身体の力を抜いて彼に身を任せようとした。

 

 その時、不意に彼の顔から笑みが消えた。その変化を不思議に思うマシュだったが、次に起きた事象でそんな戸惑いなど無くなってしまった。

 

 彼の唇が自分の唇に触れる。柔らかくて、どこか暖かい感触。それから甘いチョコレートの味と香りが口内に広がった。

 

 それがマシュのファーストキスだった。

 

 ほんの数秒の出来事で、彼女は目を閉じることもできなかった。初めての感覚に目をぱちくりさせるマシュ。一拍置いてから、彼にキスされたのだと気づいた。

 

「チョコ味でおいしいよ、マシュの唇」

 

 ペロリ、と自身の唇を舐める立香。先ほどまで食べていたチョコレートの風味が互いの口に残っていたのだ。マシュも唇を舐めてその味を確かめる。立香の唇から移された甘い風味が口に広がった。ほろにがくて、とろけるように甘い。

 

「……せんぱいの唇も、おいしいですよ」

「そう?」

「もっと、いただけますか?」

 

 肯定の返事の代わりに再びのキスが唇に落とされた。今度はちゃんと目を閉じてそれを味うことができた。

 

 暖かくて、優しくて、甘い口づけ。なんて心地よいのだろう。マシュはその感覚に身を委ねつつ、肩を抑えている彼の手に指を添えた。

 

 手が触れると、彼はすぐに自身の指を絡ませてくれた。互いに指を絡ませて、優しく握る。

 

 唇も優しいが、彼の手もまた優しかった。その温もりが自分の手に伝わるだけで、心臓の鼓動が跳ね上がる。唇が離されてもその高鳴りは続いていた。彼の唇との間に唾液の橋が繋がって、数瞬間ののちに切れて消えた。

 

 呼吸が浅く、早くなるのをマシュは感じた。自分と彼の、両方の。苦しいのだけれど、嫌ではないその感覚が思考を鈍らせ、マシュに欲望のまま彼の唇を奪うよう仕向けさせた。今度は口を開けて、彼の唇をついばむようにふさぐ。

 

 ぬるりと湿ったものが自分の口に侵入してくるのをマシュは感じた。立香の舌だった。マシュも自身の舌をそれに合わせて突き出すように彼の口に入れる。

 

「ん……んう」

 

 舌と舌が絡み合い、唾液まで混ざり合う。舌の触れる角度が変わるたびにゾクリとする感覚が背中を走った。

 

「服、脱がすよ」

 

 唇を離した彼は身を起こしてそう告げる。けれどもその時間すら惜しいと感じていたマシュは、彼に合わせて身を起こし、その唇にキスを落とす。

 

「……自分で脱ぎますから、もっと、してください」

 

 立香はそれに頷いて、自身の服を脱ぎ始める。マシュも手早く服を脱いでいく。眼鏡をはずし、靴下を脱ぎ棄て、シャツもスカートも手早く畳んで、羞恥さえも忘れて下着を外す。胸と下腹部が冷めた外気に触れたことで、完全な裸になってしまったことを実感する。

 

 脱いでいる間中、ずっと立香の視線を感じていたせいで、鼓動はさらに早くなっている。お返しとばかりにマシュは立香の身体を見て──そそり立つ『ソレ』に息を飲んだ。

 

 海水浴をした時の水着姿で、彼の身体が同年代と比べてもたくましいのは知っていた。しかし水着によって隠されていたソレを見るのは、マシュの人生で初めての経験だった。

 

「せんぱいの、おっきいです」

 

 あれが、男性の性器。医学書などを読んで知識としては理解していても、本物を見るのは初めてだ。とても大きくて、びくびくと脈打っている。マシュはそれに目が釘付けになってしまう。

 

 あれが、私の中に入るのだろうか。下腹部が熱くなるを感じながらマシュは戸惑った。一番太いところなど自分の手首くらいあるではないか。

 

「マシュの身体、綺麗だよ」

 

 立香がキスをしようと顔を近づけてきたので、マシュも目をつむって唇を重ねる。だが彼は唇だけでなく彼女の胸にも関心を抱いていたようで、両の手でそれを包み込むように触れてきていた。

 

 マシュにとって、自分以外の誰かが直に胸へ触れてくるのは初めてだった。優しく撫でるように触れてくる彼の手を嫌でも意識させられる。乳首に手が触れるたびに小さく声が出るのだが、その声は彼の唇で塞がれているため響くことはない。

 

 マシュの手も彼の胸に添えられていた。だがそれは彼へ刺激を与えるためではなく、その逞しさに惹かれたことによるものだった。

 

 なんて逞しくて、鍛えられた身体なのだろう。マシュはその感触にうっとりしてしまう。硬くて、がっしりしていて、とても男性的だ。自分の身体にはない格好良さに満ちている。

 

 胸の真ん中あたりに手を押し付けてみると、彼の心臓の鼓動が感じ取れた。普段よりずっと早いのが分かる。立香がこの自分の身体で興奮しているのだとマシュは考えて、心が暖かくなるのを感じた。

 

 魅力的な女性とたくさん知り合っているのに、それでもなお彼はこの自分を選んでくれている。それが、たまらなく嬉しい。

 

 嬉しさを伝えるように、マシュは口内へ侵入してきていた彼の舌を軽く吸った。するとお返しに彼の舌が彼女の舌を探しあて、優しくなで回す。

 

 数分間に渡って互いの口内を掻き乱した後、酸素を求めるように二人は唇を離した。酸欠と、それから興奮による荒い息が二人の間をしばらく満たした。

 

「吸っても、いいかな」

 

 呼吸を整えた立香がマシュの胸に目を向ける。その視線の先にはふっくらと大きくなった乳首があった。彼が触れる前より固く、その存在を誇示するように勃っている。

 

 どうぞ、とマシュが了承すると彼の唇がその胸に触れた。

 

 ついばむように乳首を口に含む立香。乳飲み子のように時折強く吸い付いてきて、そのたびに塞ぐものの無くなった口から声が漏れそうになるをマシュは必死にこらえた。

 

「あ、んう……。せんぱい、赤ちゃん、みたいですね」

 

 そう笑いかけると、立香は片手を空いている方の胸に這わせてその乳首をつまんできた。不意打ちのようなそれに、ひゃう、とマシュの口から声があふれ出た。

 

 くすぐったいのとはまた違う、神経を喜びで満たすようなその感覚にマシュは身体を震わせる。これが、性の快楽というやつなのだろうかと漠然とした思考が頭をよぎった。

 

「マシュのおっぱい、大きくて、きれいで、美味しいよ」

「あ、あんまり引っ張らないでください……」

 

 引っ張らないで、と言うと立香は乳首をつまむのを止めて、再び手のひらで胸を撫でまわし始める。彼の手のひらが乳首とこすれ、その快感からマシュは身体をよじった。

 

 胸を撫でまわされながら再び唇にキスをされ、そのまま布団に倒される。たくましい彼の身体が密着し、マシュの心臓が跳ねた。彼の体温が直接伝わってくる。

 

「せんぱい、キス、して」

 

 我慢できなくなったマシュは立香の背中に腕を回して抱きしめ、彼の唇を強引に奪った。それから互いについばむようなキスを繰り返す。舌を絡ませ唾液を混ぜ、激しく優しく求めあう。

 

 そのうちマシュは下腹部に違和感を感じた。硬くて棒状のものが自分と彼の間に挟まっている。それが彼の張りつめた性器であることに気づいたのは数瞬間経ってからだった。

 

 彼のモノだけではない。自分の股間にも違和感がある。粗相をしたわけでもないのに、股全体が濡れているのだ。

 

 先ほどまで座っていたためにわからなかったが、今は押し倒されて股が外気に触れてひんやりとしているのが感じとれる。脚をわずかに動かすと、ニチャリという水音が聞こえてきた。

 

 医学書からの知識でそれの正体は知っている。膣分泌液。俗に愛液とも言われるそれは、性的に興奮した際などに顕著に分泌され性交時の潤滑剤の役割を果たすものだ。

 

 それが身体から出ているということは、すなわち自分の身体は彼を受け入れようとしているのだ。マシュはその事実に嬉しさを覚えた。身も心も、彼に捧げようとしているのが、とても喜ばしい。

 

「胸しか触ってないのに、もう濡れてるね」立香もそれに気が付いて、マシュの股間に手を這わせていた。手の動きと共に水音が響く。「マシュはエッチだね」

 

 違います、と反論しようとしたマシュの口を立香が自身の口でふさぐ。けれど彼のキスはとても優しくて、ただそれだけでマシュの心を刺激した。チョコレートの残り香が薄くなってきているのがわかるが、それでも甘くて、心地よい。

 

 キスしながらも立香の這わせた手がマシュの秘所を優しくなぞり、彼女の身体がびくりと跳ねた。

 

「痛い?」

「いいえ、続けてください」

 

 はあはあ、と荒い息が続く。キスによる興奮だけでなく、淫らな思考が彼女の呼気を乱す。

 

 胸は服の上から触られたことが何度かあるけれども、「そこ」だけは自分しか触ったことのない、文字通りの秘所だ。

 

 少女が絶対に隠さなければいけない大切なところ。そこに彼の手指が重ねられている。それを考えただけでマシュの顔は耳まで赤くなってしまう。

 

「マシュの大事なところ、もっと良く見せて」

「きゃあ……!」

 

 胸から離れた彼の両手が、マシュの太ももを内側から掴んで広げた。両脚が開かれて、彼の身体がその内側に滑り込む。

 

 とんでもなく恥ずかしい出来事が急に起きてしまって、マシュは小さく悲鳴をあげた。

 

「あ、うう、せんぱい」

「恥ずかしい?」

「いいえ、せんぱいに見られてるって思ったら、私、わたし……」

 

 自分の女性器が、彼の眼前にさらけ出されている。それを実感したマシュは震えながら顔を手で覆った。

 

 恥ずかしいのは確かなのだけれど、自分ですらまともに見たことのない場所を彼に好き放題されるという淫猥な想像が神経を高ぶらせてしまう。

 

「マシュのここ、きれいだね」立香はマシュの秘所、そのすぐそばの脚の付け根にキスをしていく。小さめのリップ音が響くたび、少しずつキスが移動していく。「まだ成長途中って感じ」

 

 さっきまで秘所に触れて刺激を与えてくれたというのに、とたんに彼は性器ではなくその周囲を触るようになってしまった。

 

 脚の付け根も触られるたびに気持ち良い感覚があるのだけれど、物足りない。もっと彼にめちゃくちゃにしてほしい。

 

 それがいわゆる「焦らし」であるとマシュが気づくには今の蒸発した理性では足りなかった。

 

「せんぱい、さわってください」

「……どこのことかな?」

「わたしの、いちばんエッチなところです」

 

 とぼけるような立香に痺れを切らしたマシュは、両手で自分の秘所を広げ、立香に示した。思い切り開いたせいでわずかに痛みが走るが、その感覚は羞恥と興奮で掻き消されてしまう。

 

「ここを、お願いします。せんぱい」

「どんなふうに、触ってほしい?」

「キス、してください」なおもとぼける立香に、マシュは思い切って言ってやった。「せんぱいのしたいように、してください。舌も、指も入れて、めちゃくちゃに、してください」

 

 わかったよ、という立香の声とほぼ同時に、マシュの脊髄を快楽が走った。とっさにベッドシーツを掴んで声を抑えるも、打ち寄せる波のように快感が登り詰めてくる。

 

 立香はマシュの秘所へ優しい口付けを繰り返す。口先を秘裂に割り込ませ、そっと上下に動かす。くすぐるようなその動作だけで、マシュの身体はびくりとはねる。

 

 彼の手つきは優しすぎるのだ。優しすぎて、余計に感覚が鋭敏になってしまう。

 

「せんぱい、もっと」

「痛かったら、言ってね」

 

 そう言いつつも、彼の舌はマシュの性器を刺激しはじめていた。最も敏感な陰核──クリトリスを舐められた途端にマシュの身体から力が抜けてしまう。淫らに性器を拡げていた両手も今や弱々しく彼の頭に添えられるだけになった。

 

「あ、う……うう……、せん、ぱい」

「ここが、気持ち良いんだ?」

「はい、そこが──あんっ」

「だいぶ濡れてきたね。すごくエッチだ」

 

 立香の唇が陰核から少しずつ動いて、とうとうマシュの胎(なか)へ続く道に舌が触れる。

 

「ああ、あああ……!」

 

 彼の舌が中へと入っていく感覚にマシュは目を見開いて声をあげる。

 

 自慰すらまともにしたことのない彼女の膣に、初めて外部からの侵入が行われて、今まで体験したことのない感覚が彼女の神経へ流れ込んだ。

 

 舌が入っているのはほんの数センチ程度だというのに、痛みや快楽などの感覚がごちゃまぜになって身体を震わせる。

 

「せんぱい、せんぱい、そこ、やあ、ああああ……」

「舐めても舐めてもきりがないね。そんなに俺としたいんだ」

「ん、んうう」喘ぎ声をこらえながらコクコクと頷くマシュ。「うう……だって、せんぱい、優しいですから」

「……やらしいからじゃなくて、優しい?」

 

 視線を感じたマシュが自身の下腹部あたりを見ると、立香が秘所に唇をあてがいながら彼女の顔を見上げていた。

 

「俺はマシュのエッチなところ、好き放題にしているだけなんだけど」

「だって、せんぱいの手つき、エッチですけど、すごく優しいですから」マシュの右手が太腿に添えられた立香の手に触れる。「暖かくて、優しくて、ドキドキします」

「……そっか」

 

 返事はそっけないものに思えたけれど、彼は添えた右手の甲にキスをしてくれた。小さなリップ音が聞こえ、マシュは微笑んだ。

 

「わたし、うれしいです」笑みを浮かべながらマシュは彼の手を撫でた。「せんぱいと、こんなことできて。ドキドキします」

「俺も嬉しいよ。マシュとセックスできるなんて」

「はやく、こづくりしたいです」

「うん。でもちゃんと慣らさないと痛いから」

「せんぱい、いじわるです。──ああああ……!」

 

 立香の指がクリトリスを刺激し始め、マシュは強い快感に身をよじった。包皮の隙間から覗くクリトリス本体が、彼の指によってグリグリといじくられる。

 

「やあっ、ううう、やだぁ……!」

 

 上下にしごくような単調な動き。しかしそれがさらに快感を増加させた。変則的な動きより規則的で連続した刺激の方が彼女の喘ぎ声が強くなるのだと立香が気づいたからだ。

 

「あっ、あっ、んう、あっ……!」

 

 意味のある単語を発する余裕もなくなり、マシュの口からは嗚咽にも似た短い喘ぎ声が響く。

 

 力を込めているわけでもないのに、自然と下腹部の筋肉が疼いてしまう。身体の奥底から快感の波がすごい勢いで押し寄せ、思考をあっという間に蹂躙していく。

 

「あっ、あっ、やぁ、あぁ……!」

 

 マシュは直感的に理解した。何かが「来る」のだと。今まで感じたことのない「それ」が、身体の中を駆け巡ってめちゃくちゃにしてしまうのだと。

 

「せん、ぱい……!」

 

 頭の中が真っ白になった状態でも、その言葉だけは口にできた。その言葉以外、なにも意識できない。そして彼のことを考えたとたんに意識が一気に遠退いていく。

 

「あ、あ、……せんぱい、せんぱい……」

 

 空を飛んでいるような、ふわふわとした感覚がマシュの全身に広がる。意識が遠退いたまま、何も考えられないまま、マシュはうわ言のように彼を呼んだ。

 

 意識がはっきりし始めた時には、マシュは彼の腕に抱き締められていた。

 

「大丈夫?」彼は優しい声色で囁き、頭を撫でてきた。「痛くなかった?」

 

「……へいき、です」マシュはすりすりと彼に頭を寄せた。「きゅうに身体がふわっとして、なにも考えられなくなって……」

 

「俺もこういうことするの初めてだったから、ちょっと不安だったんだ」

「……その割には、慣れていましたけど」

 

「男はそういう本、たくさん読んでるから」子供っぽい笑顔を見せる立香。「イクときのマシュ、すごいエロかった」

「せんぱいのせいです」

 

 えい、と彼の顎に軽い頭突きを入れるマシュ。うぐっ、と立香は呻いたものの、優しく彼女を抱き締めた。

 

 ああ、自分は性的絶頂を迎えたのだ、とマシュは彼の言葉でその事実に気がついた。

 

 あれが、オーガズム。彼が「イク」と表現した快楽の最高潮。気持ち良くておかしくなってしまいそうだった。彼にあの絶頂へ導かれたのだと思うと、ゾクゾクする。彼の手でもう一度あれを体験したい。

 

「でも、私ばかり気持ちよくなってしまって……」マシュは恐る恐る立香の下腹部に手を伸ばすと、太くて熱くて固い異物が触れた。そこには大きく膨れ上がったままの彼の性器が鎮座していた。「せんぱいにも、気持ちよくなってほしいです」

 

 すると立香は身を起こして、再びマシュの股に下半身を滑り込ませた。とても大きくて、狂暴にも思える彼のイチモツがそそりたっているのが見えた。

 

「じゃあ、いいかな?」

 

 期待感と、それから不安がないまぜになった顔で立香が尋ねる。それに対しマシュは笑顔で返答してやった。

 

「わたし、せんぱいとひとつになりたいです」

 

 マシュの両手が、自身の性器を広げる。膣内から愛液が溢れ出しているのが彼女自身にもわかった。

 

 彼と、ひとつになれる。その期待感がマシュの心と身体を淫らな女性へと変えていく。

 

「どうぞ。せんぱいの、ください」

「痛かったら、ごめんね」

 

 マシュの胎内、その入り口に立香の性器があてがわれる。とても熱くて固くなっているそれが、愛液と肉をかき分けて入ってくる。

 

 これで、彼とひとつになる。マシュの心臓がこれまで以上に高鳴った。

 

 その時だった。マシュの下腹部に強い痛みが走ったのは。



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第二話 快楽の園

 

「う、うう、うう……!」

 

 マシュの顔が痛みに歪められた。

 

 膣はもともと外部からの異物、すなわち男性器を受け入れる形状にはなっている。しかしそれまで自慰すらしたことのない彼女の膣にとって、たとえ十分に愛液が滴っていたとしても、いきなり男性器を受け入れたところで苦痛が大きいのは道理だった。

 

 そしてマシュの未発達な性器と比べて、立香の性器は大きすぎたのだ。

 

「マシュの中、きついっ……!」

 

 ぎちぎちに引き締められる立香の性器。本当に彼のサイズは通るギリギリだった。腰に力を込めるがなかなか奥まで進まない。

 それでも少しずつ進んでいき、とうとう最奥まで到達したところで、マシュの両目から涙がこぼれ始めた。

 

「いたい、いたい……いたい」

 

 泣きじゃくるマシュ。彼を受け入れたいのに、痛覚がその邪魔をしようとする。こんなに優しい彼なのに、どうして私の身体は痛みの警報をあげているのだろう。

 

「ごめん、マシュ。今抜くから」

「だめ、です。ぬかないで」

 

 腰を引こうとする彼の腕を掴んで、ぐいと引き寄せる。立香はバランスを崩してマシュに体重を預ける形になった。

 

「マシュ?」

「せんぱいの、ぬいちゃイヤです」

「でも、痛いんでしょ?」

「痛くてもいいです」自身にのしかかる立香を抱き締めるマシュ。「私はせんぱいが欲しいんです。このくらい、平気ですから」

 

 せんぱいの動きたいように動いてください。そう言うマシュに立香は戸惑うような表情を見せたが、数秒経つといつもの優しげな顔に戻った。

 

「わかった。でも、優しくするから」

 

 本当に彼は優しい。マシュはそう思いながら彼への返答としてキスを送った。ついでに痛みをこらえながら微笑みを向ける。

 

「じゃあ行くよ」

 

 宣言と共に立香の腰が動く。最初はゆっくりと、それから少しずつ早くなっていく。膣壁が彼の男性器を強く締め付ける。

 

 マシュは肉を裂くような痛みを必死に耐える。膣の痛みだけでなく、腹の内臓を押し退けられるような感触に身体が震える。気持ち良い気持ち悪いの問題ではない。マシュは未知の感覚に恐怖した。シーツを握る手に力がこもる。

 

 腰を動かしはじめてから一分も経たずに立香の息が荒くなり、わずかに喘ぐ声が混じり始める。

 

 それに気づいたマシュは痛みに耐えながら喜んだ。彼が、感じてくれているのだ。この自分の身体で。

 

 しかしその喜びもつかの間、動き始めてから数分でマシュは再び泣きはじめてしまった。外側からの痛みならともかく、身体の内側からの痛みを我慢する術を彼女は知らなかった。彼女が嬉しさを覚えていたとしても、身体は痛みに対して防衛反応をしてしまう。

 

 涙をこらえようとすると、今度は声が漏れてしまう。喘ぎ声ではなく、苦痛を訴える泣き声だ。マシュは声をあげて泣いてしまう自分を制御できなかった。

 

 しばらくそうしていると、立香が腰の動きを止めていた。

 

「ごめん、マシュ」

「やぁ」彼の謝罪を拒絶と受け取ったマシュが首を横にふる。「抜かないで、せんぱい」

「抜かないよ」苦笑しつつ、自身の右手の甲を示す立香。「代わりに、これを使ってもいいかな」

 

「……令呪?」

「これ使えば、痛いのはどうにかなると思うんだ」

 

 立香はそう言って、マシュの頬に手を添えた。

 

 サーヴァントへの命令権、令呪。本来はサーヴァントを強制的に自害させることすら可能なほど強力だが、立香の持つそれは彼の優しい性格を表すかのように、絶対的な強制力を持たない。

 

 だがそれ自体が巨大な魔力を込められた術式だ。サーヴァントへ命令を送り、ある程度を実行させるだけの力はある。

 

 マシュは彼が、令呪を鎮痛剤として用いようとしているのだと判断した。それくらいのことは令呪ならば可能だ。

 

「でも、一晩に二角も使うなんて」

「あと何時間かすれば日付が変わって一角補充されるよ」

 

 だから良いんだよ、と彼はマシュの頬に口付けをした。それから彼女の耳元に口を寄せて、囁く。

 

「それに、俺はマシュの痛がる顔を見て興奮するような男じゃないから。それよりマシュのエッチな顔が見たい」

「……せんぱいさいていです」

 

 そう言いつつ、マシュは彼の頬にキスをしていた。頬、それから首筋と耳にも軽いリップ音を立てて唇で触れていく。それからお返しのように彼の耳元で返答した。

 

「……どんな命令をしても、いいですよ」

 

 痛みをこらえつつ、いたずらっ子のように言ってやった。すると立香は顔を赤くして目を見開いていた。それを見てマシュは笑いそうになるのだけど、腹筋が動くと痛いので我慢した。

 

「わかった。じゃあ使うよ」

 

 隠蔽の魔術を通り抜けて、赤い光が手の甲に現れる。三角限りの令呪。そのうち一つが使われ、残りは二角。

 

 自身が強力な対魔力スキルを保持しているマシュは、身体の力を抜いて、彼から流れ込む魔力に抵抗せず、下される命令に身を任せようとしていた。

 

「令呪をもってマシュ・キリエライトに命じる。今夜だけでいい。俺とのセックスで充分な快楽を得るんだ。──それと俺と一回キスするごとに、一回絶頂して」

 

 え? とマシュが己の耳を疑った時には既に令呪の効果が身体に浸透しているのがわかった。今、彼はなんと言った? 前者はわかる。だが、後半の命令はなんだ?

 

「せんぱい、今のは──」

 

 尋ねようと開いた唇が立香のキスで塞がれる。とたんにマシュの頭の中が真っ白になった。不意討ちのような絶頂に身体が震える。

 

「あぅうううう!」

 

 無意識のうちに飛び出した快楽の絶叫は立香の唇に塞がれてしまう。くぐもった叫びが響く。痛みに強ばっていた全身の筋肉が弛緩していくのをマシュは感じた。

 

 立香の唇が静かに離され、そしてもう一度キスしてきた。余韻に酔いしれる間もなく再びの絶頂がマシュを襲った。

 

「んあ、ああ……!」

 

 オーガズムからくる身体の浮遊感に、とっさに立香の身体に縋りつくマシュ。身体の内側から快感が押し寄せ、下腹部の痛みなど掻き消されてしまう。それどころかそれまで痛みとして認識していた刺激が、徐々に快感へと代わっていく。

 

「う、ああ、……せんぱい、これ……」

「痛くない?」

 

 立香が頬にキスをしながら訊いてくる。マシュは乱れた息を整えようとするのだけれど、二連続のオーガズムが彼女の心臓を加速させ、全く呼吸が落ち着かない。

 

 返答代わりに彼の頬へキスを送る。すると立香はニヤリと笑う。

 

「これでマシュのエロい顔、たくさん見れるね」

 

 その笑顔を見て、マシュは自らに待ち受ける運命に慄き──同時に歓喜した。

 

「せんぱい……!」

 

 立香の後頭部に腕を回して、自分からキスをする。その瞬間に強烈な快楽が身体を駆け巡る。両脚が強ばり、ベッドシーツに皺が寄る。

 

「はぁ、はぁ、ああ……!」脱力しながら立香を呼ぶマシュ。「せんぱい、せんぱい……!」

 

 抗いがたい立香の魅力と快楽に侵されたマシュの頭に、もはやまともな判断力は残されていなかった。

 

 世界で一番素敵な彼とひとつになって、たくさんキスをされて、たくさんイって、たくさん抱き締められる。なんて魅力的なのだろう。

 

「どうぞ、せんぱい」

 

 腰をわずかに揺らして、彼の動きを促す。クチャ、クチャと先ほどまでよりも大きな水音が聞こえた。さらにあれほど下腹部を貫いていた痛みはほとんど感じなくなっていた。

 

 痛みがなくなったことで、マシュは彼のイチモツの形までもはっきりとわかるようになっていた。彼の鼓動に合わせて脈動しているのまで感じ取れる。入れる前に見たあの大きさのモノが自分の中に納まっているというのが不思議に思えた。

 

 膣を目一杯占有している彼の性器。その存在を意識して、マシュは身体が熱くなるのを感じた。

 

「ん……動くからね、マシュ」

「はい、いっぱい気持ち良くなって──ひゃあん!」

 

 彼の腰が一気に動き、マシュは甘い悲鳴をあげた。入り口近くまで引き抜かれたあと、すぐに奥まで突き上げてくる彼の性器。その感触に強い快感を得たのだ。

 

 先ほどまで痛みしか感じなかったはずなのに、一転してこの気持ち良さ。令呪の効力は確かだった。

 

「あっ、あっ、あっ、うう、ああぁん!」

 

 マシュは目を閉じて彼を抱き締めて、流れてくる快感に身を任せる。すごい。すごい。こんなに気持ちいいなんて。指や舌の刺激なんて目じゃない。彼がほんのわずかに動くだけで背筋に甘い電流が走る。引き抜かれるたびに、突き上げられるたびに制御不能なほど声が出てしまう。

 

「ああっ、うん、はぁっ、せんぱい……!」

 

 彼と繋がっている場所は焼けるように熱い。それでいてとろけてしまいそうなほど気持ちいい。それ以外の場所も汗が噴き出して彼から滴る汗と混ざり合い、肌を濡らしていく。

 

 彼が自分にのしかかって、自分が彼を抱きしめて、互いの身体に夢中になって、ひとつになる快感の、なんて素晴らしいことか。これが、セックス。

 

「マシュの中、最高だよ……!」

「あん、あっ、あん。……せんぱい、せんぱい、キスして、ください」

 

 言われた通り、立香は腰を動かしながらキスをする。マシュはもう何度目かわからない絶頂を迎えた。

 びくびくと震えるマシュの耳元で熱い吐息と共に立香が囁く。

 

「イクたびに、すごい、締まって、気持ちいいよ……」

「ああ……ああ、ううう、もっと、気持ちよくなって、ください、せんぱい……!」

 

 マシュは立香の首筋にキスをして、そこから彼の耳に至るまで細かく唇で触れていく。その刺激があるたびに彼がビクリと反応するのがわかった。少しずつ腰を動かすペースが上がっていく。

 

「うあ、マシュ、それだめ」耳元への刺激に身もだえる立香。「ダメだって、俺、もう、イキそう……!」

「どうぞ。せんぱい。いっぱいイって、ください。──あんっ!」

 

 一番奥まで突き入れられてから、彼の動きが止まる。

 どくんどくん、と彼の性器が脈を打ち、奥に何かが当たっていくのがわかった。マシュは自身の胎に温かいものが流れ込んでくるを感じた。

 

「あ、ああ、ああ……」

 

 暖かい何かが注ぎ込まれる感覚にマシュはゾクリと震える。彼にキスされているわけでもないのに、下腹部がびくびくと痙攣した。これは、なんだろう? 気持ちいい。もっと欲しい。

 

「うう、ふう、……中に、出しちゃった……」

 

 立香が荒い息のまま笑みを浮かべ、マシュの髪を撫でた。

 

「なか、に?」

「うん。今のが射精。俺がイって、精子を、マシュの中に出したんだ」

「射精、せんぱいの、精子……」

 

 マシュは自身の下腹部を片手でさすった。先ほどの温かい感覚がじわりと広がっていく。これが、精子なのだろうか。

 

 射精。男性が性的刺激によりオーガズムを迎えた際に、性器から精液を放出する現象だ。医学書で得た知識で理解はしている。

 

「せんぱいの、暖かくて、気持ちよかったです」

 

 彼が膣へ射精したということは、すなわちこの自分の身体でオーガズムを迎えたということだ。マシュはそれを喜び、立香の耳にキスをした。

 

「でも、妊娠しちゃうかしれないよ」

「せんぱいの赤ちゃんなら、喜んで産みますよ」

 

 膣へ放出された精子は子宮へと向かい、そこに排卵された卵子がいれば、受精する。そしてうまく子宮へ着床すれば、妊娠して新しい命が育ち始める。

 

 マシュはそれに不安を覚えてはいなかった。彼の子供を産めるというのなら、それは自分にとって喜ばしいことだ。きっと彼にとってもそれは同じだろう。

 

 もとより彼の子を産むつもりではあったが、実際に子を成すための行為をしてみると、また違った実感がある。

 

 彼とのセックスがこんなにも心地よいものだというのなら、何人でも彼の子を産んであげたいという気持ちになってくる。彼と、子を成したいという感情がさらに強くなってくる。彼と、もっと交わりたいと思ってしまう。それを実感し、マシュの心も身体も疼いた。

 

「そっか、じゃあ、もう一度良いかな」マシュの額にキスをする立香。「マシュの中が良すぎて、全然収まらないんだ」

 

 医学書では、一度射精すると男性の性器は勃起を維持することが難しいと書かれていたのだが、立香の性器は未だに膣内で存在を主張し続けていた。

 

 彼とまたセックスできる。それを意識したとたんにまた身体が熱くなる。そして今度は下腹部が特に強く疼くことにマシュは気がつく。

 

 そこには膣があり、そして子宮がある。彼の精液で刺激されたのか、あるいは淫らな思考に反応したのかはマシュにはわからなかったが、これからさらに気持ち良くなれるということは理解できた。

 

 彼と、もっと、交わりたい。マシュはとうとう、それだけしか考えられなくなった。

 

「どうぞ、せんぱい。好きなだけしてください」

 

 そう言ってマシュは立香の唇にキスをして、絶頂と共に彼を抱き締めた。

 

 



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第三話 恋の話

「……それを、ひたすら、六時間以上?」

「はい……先輩と夢中になってシていたら、その、六時間ほどで二人とも気絶してしまいまして」

 

 恥ずかし気にモジモジしながらマシュが言う。それに対し私の顔はあいまいな表情をとることしかできなかった。

 

 立香が普段のセックスで十回しか射精しないことを相談してきた彼女は、どういうわけか以前来た時のデンジャラスビースト事件の顛末を話してきた。

 

 冷静な説明口調でありながら、猛烈な快楽に身悶えた彼女の体験は凄まじくエロティックだった。私を顔をひきつらせながらその説明を黙って聞いていた。

 

「もう何回イったのか、予測するしかないのですけれど、たぶん私は五十回、先輩の方は二十回くらいかと」

「おお、神よ」

 

 私は片手で顔を覆いつつ呟いた。神道の神も聖書の神も特に信仰しているわけではないけれど、そう呟かずにはいられなかった。

 

 私がかつて危惧していた予想は見事に的中した。立香はまさしく絶倫と呼ぶにふさわしい性豪だったのだ。

 

 連続二十回という凄まじい数字を聞くと、はたして息子が人間なのか怪しんでしまう。「英雄、色を好む」という言葉があるが、世界を救った英雄とていくらなんでも限度があろう。

 

 立香が二角目の令呪でアレな命令をしていたというのは知っていたが、まさかそんな事態になっていたとは予想外だった。二人ともあの夜には完全なセックス狂と化していたのである。

 

「あなたの方は、大丈夫だったの?」

「私はデミサーヴァントなので、心肺機能も人間より頑丈ですから。──それに」

「それに?」

「先輩が、すごく優しかったので」

 

 頬を染めながら答えたマシュの言葉に「なんとまあ」と私は驚きつつ感心した。立香はそれだけの時間を優しくし続けることができたようだ。疲れて動きが乱暴になることもなく、ずっとマシュを労り続けたのだ。

 

「でも、いくら優しくても避妊しなかったのは減点ね」

「それは、私のせいですから」

「避妊は男女両方の責任よ。誘惑されたからといって、避妊しなくて良いわけじゃないんだから」

「……今は、ちゃんとしてます」

「よろしい。……一応訊くけど『当たった』わけではないんでしょう?」

「はい。カルデアでの検査でも反応無しでしたから」

 

 二十回も膣内射精されたというのに彼女が妊娠していないということは、すなわち受精しなかったか、受精しても子宮に着床しなかったかのどちらかである。

 

 精子は射精から80時間ほど受精能力を保持できるが、卵子は排卵されて約12時間を過ぎると受精能力を失ってしまう、というのを産婦人科の医者から聞いた覚えがある。だからその双方のタイミングが合わなければ受精できない。

 

 また排卵日の前に射精された場合の受精確率は80%にも達するが、そのうち着床して安定期に入るのは30%程度なのだ。合わせておよそ24%。当たる時は当たるし、当たらない時は全然当たらないのである。

 

 彼らの場合、二つのうちのどちらかが原因で妊娠しなかったのである。はたして安心すべきなのか、それとも惜しむべきなのかはわからない。

 

「で、それが原因でなにかあったの?」少しぬるくなった紅茶を一口含んでから私。「そのためにあの時の、かっとんだ初夜を話したんでしょう?」

「かっとんだ、って……」

 

 私の表現に戸惑いの表情を見せるマシュ。

 

 お前さんは先ほどのアレをかっとんでないと言うつもりなのか、と言いそうになったがこらえた。初夜で六時間ぶっ通しのゴム無しセックスするカップルがそうそういてたまるか。

 

 令呪のせい? その令呪に喜んでいたのはどこの娘さんでしょうかねぇ。

 

「あの一晩で私、イキやすくなるクセ、のようなものがついてしまって」赤くなった両頬を手で押さえながらマシュ。「先輩としていると、すぐに……」

「令呪の効果?」

「……いいえ、もう解呪されていますから、私の身体が……」

 

 令呪の効果か、とも思ったがそれは違うようだ。マシュはいつぞやのように俯いてしまった。すでに耳まで赤い。

 

「先輩が優しすぎるのがいけないんです。いつも優しくて、暖かくて、素敵で、たくましくて、格好良くて……。そんな先輩に抱かれたら、私、もう」

「そんなに優しいんだ、立香は」

 

 自覚していないらしいマシュのノロケをとりあえず流す私。

 

「でも、あなたが気持ち良いならそれで良いじゃない」

「先輩には、もっと気持ち良くなって欲しいんです」

「……十回も二十回もしておいて、まだ上を目指すの?」

 

 そうじゃないんです。とマシュは少し後ろめたそうに答えた。「私がイクと身体がこわばって、先輩に強くしがみついてしまって、どうしても先輩の動作が中断されてしまうんです」

 

「そうやって中断されちゃうエッチで立香が満足できているか不安、ってこと?」

「……はい」

 

 なるほど、そういう方向の心配なのかと私は納得した。なぜ初夜の説明までしたのかもこれで答えが出た。

 

 始め、体力的な問題で立香が十回しか射精できないことを悩んでいるのかと思ったが、意外とまともな悩みであった。私はそれにホッとしつつ思案した。

 

 マシュは立香に性経験を教えてもらうまで達したことはない。つまり、まだ絶頂の強い刺激に慣れてないのだ。思わず立香にしがみついてしまうのも理解できる。

 

 かなり珍しいケースであることに変わりはないが、これもまた性の不一致──正確にはそれを危惧する悩みだ。

 

「そんな程度のことで立香はあなたを捨てたりはしないわよ」

「でも、先輩が我慢していることには変わりないです」私の言葉に反論するマシュ。「私のせいで先輩が我慢することになるのは、あまり好ましくないです」

 

 本当にこの娘は健気だなぁ、と私は嬉しく思いつつ悩む。立香を想ってくれるのはとても嬉しいのだけれど、こういう話では相手のことばかり考えるのも良くないのだ。

 

「立香が本当に不満なら、雑なエッチであなたをイカせなければいいだけの話よ。あなたのことを愛しているなら、そのくらい我慢に入らない」ニコリと微笑みを向けてやる私。「むしろ楽しんでいるかもしれないわよ」

 

「我慢しているのに、ですか?」

「ある種の征服欲、もしくは達成感みたいなものね。男性は自分の手で女性が気持ちよくなっているのを見ると『この女を俺のモノにしたぞ』って感じるのよ」

「そうなのですか?」

 

 キョトンとしてしまうマシュ。温和な彼女に男性の征服欲を納得させるのは難しいだろう。

 

「女からすると理解しがたいけどね。少なくとも、身も心も開かなければ女は達しないわけだから間違いじゃないんだけど」私は肩をすくめ、苦笑いを浮かべながら続けた。「立香も、同じようにあなたを『自分のモノにしたい女性』って考えているのよ」

 

「私を、先輩のモノに……」

「一番しっくりくる表現は『独占欲』ね。立香が他の女性と話しているのを見て、あなたは心がモヤモヤするでしょう。それが、独占欲」

 

 マシュがカルデアから飛び出してきた理由がそれなのだ。嫌でも彼女はそれを理解しているはずだろう。男性のそれとは少し質が違うのだけれど、女性にも独占欲は存在する。

 

「立香があなたに愛の告白をしたのは、あなたを他の男のモノにしたくない、自分の女にしたい。そういう感情が働いていたんでしょうね」

「私はすでに先輩のサーヴァントなのですが」

 

「それとこれとは違うわよ」小さく鼻で笑う私。「立香はあなたに『好き』を伝えたってことは、あなたを自分の女にしたい、あなただけの男になりたいってことなのよ。だからあなたに優しくしているし、あなたをたくさん気持ちよくさせたい」

 

「だから、心配する必要はない、と?」

「そうね。立香にとってみれば、あなたが夢中になってくれる方が嬉しいんじゃないかしら」

 

 頬を桜色に染めつつ目を逸らしてしまうマシュ。きっと初夜のことを思い出しているのだろう。過激な初体験だったかもしれないけれど、彼女にとっては自身の世界を広げる素晴らしい体験だったのだ。

 

「そんなに悩まなくても、大丈夫よ。心地よいエッチをしてあげたい、と思うあなたの優しさは、立香もわかってるはずだから」

「……はい。お母さん」

 

 少し戸惑いつつマシュは頷いた。その了承は「納得」というよりも「信頼」によるものだと私にはわかった。この娘は立香と私を信じてくれたのだ。

 

「若い今のうちにたくさん楽しんでおきなさい。性の喜びも人生の楽しみの一つなんだから」

「えへへ」

 

 照れたように笑うマシュ。本当に彼女は可愛らしかった。この少女はこれからも立香に導かれ、あるいは彼女自身が切り開くことで新しい世界を目の当たりにするだろう。

 

 良いことも悪いこともあるかもしれないが、それは全てこの娘の人生を飾る色彩になるはずだ。

 

 そんな風に思っていると、隣に置いたカバンがもぞもぞと動くのがわかった。フォウくんが起きてしまったのだ。

 

「──もうこんな時間。そろそろ帰りましょう」

「そうですね。──フォウさん、ちょっとだけ我慢していてくださいね」

 

 店の壁にかけられた時計を見れば、もう四時になろうとしていた。私たちは会計を済ませると帰途についた。フォウくんの存在はうまいことバレずにすんだ。

 

 

 

 

 

「でも、不思議です」

「んー?」

 

 カフェからの帰り道、フォウのモフモフを堪能しながら歩いているとマシュから話を振られた。歩きスマホならぬ歩きモフモフだったが私は欲望に逆らえなかったのだ

 

 私はフォウの柔らかな腹部から顔を離して彼女を見やった。仕返しのつもりかフォウが前足で私の顔をペシペシと叩いてくる。肉球の感触が最高だ。

 

「私が先輩に抱いている感情です。先輩のことを想うと胸が苦しいのに、考えることを止められないんです」照れたようにはにかむマシュ。「彼とずっと一緒にいたいし、彼を独り占めしたいと思うし、彼のためならなんでもしてあげたいって考えてしまうんです」

 

 私は一拍置いて彼女が言わんとしていることに気が付いた。それはこの娘の胸中に新しい感情が生まれたことを指し示すものだった。立香との熱い夜を過ごしたことで、彼女は新しい感情を自覚することができるようになったのだ。

 

「それが『恋』よ」

「これが、『恋』」感慨深そうに呟くマシュ。「……とても不思議です。こんなに苦しいのに、ちっとも嫌じゃない」

「相手を思うと胸がキュンと苦しくなる。相手と一緒にいたい。相手を独り占めしたい。相手のためならどんな犠牲でもいとわない。これが恋愛感情」

 

 何かの本で読んだのだけれど「相手と一緒にいたい」「独占欲」「自己犠牲」確かこの三つが「愛」の基本要素だったはずだ。「恋」となるとそこに性愛が加わる。それによって心がキュンとしたりする。

 

 マシュはようやく、立香への恋心を言葉にできるようになったのだ。時間が経てば自然とそれを理解できるようになったであろうが、立香が告白し、立香と性の喜びを体験したことで彼女は急速にそれを自覚したのだ。愛だけならともかく、恋と性は切り離せない関係だからだ。

 

「少なくとも私から見た限り、あなたが立香に抱いているのは恋愛感情よ」

「とても、不思議な感情ですね」

「でも、悪くないでしょう」

「はい」

 

 私は心の中で喜んだ。マシュが立香を愛してくれるのもそうだけれども、なにより彼女の成長が喜ばしかった。性の喜びを得るのもまた成長だ。立香ともども、この子たちは現在進行形で少しずつ成長している。

 

 私は彼女の実母ではないけれど、その成長を祝福してやりたいと思っていたし、実際心の底から祝福している。子供の成長を実感する喜びの、なんと大きなことか。私はフォウを抱っこしながらその喜びに浸る。

 

「私、マシュさんのこと大好きよ」

「私も、お母さんのこと大好きです」

 

 そうお互いに言って、えへへと笑い合う。

 

 恐らく立香への恋心を理解する前までは、こんなことを言われても彼女は答えに窮してしまっただろう。向けられている感情が恋なのか親愛なのか判断できないだろうからだ。

 

 しかし今は恋愛感情をキチンと理解し、自身に向けられる好意の種類を区別できるようになっている。だからこそのこの返答だ。彼女の世界はまた広がったのだ。

 

 そして彼女の成長を促したのもまた、立香だ。マシュがそれに気づいているのかはわからないが、立香は着実に彼女の世界を広げ、その色彩を堪能させている。

 

 なんて美しい二人だろう。しかもその二人とも私のことを「母」として慕っているというのが、本当に嬉しい。私は二人を応援し、見守ってやることぐらいしかできないけど、彼らの成長を目の当たりにできることが、何よりも喜ばしかった。

 

 

 

「え、エクスキューズミー」

 

 そうやってマシュと微笑んでいると、突然背後からたどたどしい英語で声をかけられた。

 マシュと一緒に振り向いてみると、そこには二名の女性警官が立っていた。そのそばには乗っていたであろう自転車が立てられている。

 

「はい、なんでしょうか?」

「あ、日本語通じるんだ」

 

 マシュの返答に婦警二名はホッと息をついた。

 

「ちょっとお聞きしたいことがあるのですが、まずパスポートを見せていただけますか?」

「はい、どうぞ」

 

 マシュがカバンからパスポートを取り出して彼女たちに渡す。日本のそれは菊花紋章のみのシンプルなデザインだが、イギリスのパスポートは獅子とユニコーンが描かれた豪奢な代物だ。

 

「えーと、ま、マシュ……」

「マシュ・キリエライトです」

 

 婦警たちが英文の表記を苦労して読もうとしているのをマシュが手助けする。そういえばマシュの英文での綴りを私は知らない。意外と読みにくいのかもしれない。

 

「ありがとう──マシュ・キリエライトさん、イギリス国籍、歳は十七。……ふむ」

「あの、なにか問題でも?」

「実はこの前、警察に通報がありましてね」

 

 ギクリ、とその言葉に私は身を固くした。やましいことが無ければ警察官を警戒する必要はないのだけれど、今現在においてはやましいことがあるのだ。

 

 実はマシュを家に泊め置いている現状は、違法なのだ。

 

 家出した未成年を保護者の同意なく家に泊め置くことは、たとえ本人の同意があったとしても法に触れる。未成年者略取及び誘拐罪という罪だ。三か月以上七年以下の懲役刑に処せられる。

 

 カルデアから家出してきたマシュが我が家を頼ってきた以上、泊める以外になかったのだけれど、それはマシュの親、あるいは保護者からの同意がないことに他ならない。つまり、違法だ。

 

 そのためなるべく交番の前を通らないようにしてきたのだけれど、どこからか情報が漏れたのだろうか。

 

「どんな、通報で?」

 

 こわばりながら私が訊くと先輩らしき婦警が口を開いた。

 

「実は数か月前に大学生くらいの日本人男性が、外国人の少女を連れてラブホテルを利用していたとの目撃情報がありまして」

 

 その答えを聞いた瞬間、すべての事象が凍り付いたように感じられた。

 

「ファッ!?」と私。

「ええ!?」とマシュ。

「フォウッ!?」とフォウ。

 

 三者三様の驚き方をしてしまう私たち。特にマシュの慌てふためき方は尋常ではなかった。

 

 まさか、あれか。私にはそれに心当たりがあった。立香とマシュが初夜を迎えた次の日、私が小遣いを与えて街に送り出したことだ。

 てっきり映画館とかゲームセンターとか買い物とかしていると思っていたのだが、まさか。

 

「その外国人の少女の容姿が、あなたにそっくりだったもので」

「み、見間違いかもしれませんし」

「防犯カメラに写真が残っていましてね」苦笑いしつつ後輩らしき婦警。「身長160センチ前後、ピングブロンドのショートヘアーに、眼鏡の可愛い女の子でした」

 

 あなたそっくりでしたよ、と優し気に言われ「あわわわわ」と半ばパニックになるマシュ。いや、意外とそっくりさんがいるかもしれないですよ、と多少無理やりではあるけれども反論しようと頭を巡らせていると、先輩婦警が私の方を向いて口を開いた。

 

「お連れの男性も、顔つきがあなたによく似た男の子でした。身長170センチくらいの」

 

 その言葉で反論を完全に封じられてしまう私。この自分によく似た顔の男の子など一人しかいない。どう考えても私の息子です。本当にありがとうございました。

 

「お二人は、どういう関係で?」

「……嫁と姑の関係です。未来の」

「可愛いお嫁さんですね」

 

 微笑みを向けてくる婦警二人。しかし今はその笑みがとても痛かった。どうしてくれるんだこの空気。

 

「でもラブホテルの利用は十八歳未満の場合は違法ですよ」

「ごめんなさい、私、知らなくって」蚊の鳴くような声でマシュが答える。

「彼氏に誘われたの?」

「いいえ、デートで歩き疲れていたら『休憩』の文字が見えたので。『そういうこと』をするための施設だと思わなくて、私から……」

「『そういうこと』された?」

「……いいえ、少しお昼寝をしただけです」

 

 ふうん、とちょっと訝しみつつ、とりあえず納得した表情をする婦警。

 

「ラブホテルはフロントを通さずに部屋へ入るシステムも多いから、年齢確認しづらいところもあるししょうがないけどね。警察に怒られるのはホテル側なんだから、ああいうところは十八歳になってから使いなさい」

「は、はい」

「彼氏さんと仲良くね」

 

 そう言って婦警はパスポートを返すと、自転車に乗って去っていった。パトロールの最中に偶然見かけたから声をかけただけだったのだろう。

 

 しばらく立ち尽くしたのち、私はマシュを問いただす。

 

「で、実際のところどうなの?」

「……めちゃくちゃセックスしました」

「どっちから誘った?」

「……先輩に『そういうこと』のための施設だと教えてもらって、私から」

「何時間した?」

「……三時間ほど」

「避妊した?」

「……しませんでした」

「楽しかった?」

「……はい」

「そっか」

 

 私の口ぶりに安心したのか、ホッと安堵の息を漏らすマシュ。あいにくだったな、それはフェイクだ。

 

 私は抱っこしていたフォウを手早く自身の肩に乗せると、空いた両の手でマシュの頬をつねった。

 

「ふにゃあ!?」

「……親の金でラブホテルとはいい身分してるじゃない」

「いひゃいいぇす、おひゃあしゃん」

 

 マシュの両頬をぐいぐいと左右に引っ張る私。涙目になりつつ呂律がまわっていないマシュ。

 

「あなたたちはもう少し『節度』というものを学びなさい」

「みゃあああああ!」

 

 そうして私はしばらくマシュの頬をつねったり押したりこねくり回したりして弄んだ。

 

 しかしながら、私は本気で怒っているわけではなかった。息子とマシュが、性の喜びを堪能していることを知ったからだ。優しさと喜びに満ちた、暖かいひと時を二人は楽しんでいる。

 

 ただ節度を知らないというのは問題だ。そのあたりの常識も教えてやらねば。さてどう教えたものか。

 

 私は悩みつつ、マシュの頬の柔らかさを堪能した。幼いころの息子の頬を思わせる柔らかさだった。

 

 まったくもう。手間がかかる子供たちだ。

 



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エピローグ

 雲ひとつない空。ギラギラと照りつける太陽。荒涼たる岩の砂漠。そして大地に穿たれた無数の大穴。あちこちから上がる黒い煙。それから思い出したかのように巻き起こる大爆炎と砂嵐。

 

「次、来るぞ。トラックナンバー104。方位270。突入角40度。速度マッハ10!」

「はいはーい。じゃあお兄さん当てちゃうよー。『ハメシュ・アヴァニム(五つの石)』!」

 

 空の彼方から地表へ落下する巨大な岩塊。それを迎え撃つように地表から空へ立ち上る大威力の弾丸たち。

 

「直撃確認。対象は十個ほどの破片に分裂。破砕衝撃波、来るぞ!」

 

 ドン、と特大の太鼓を思い切り叩いたような重い音が響く。それから舞い上がった砂の壁が叩きつけられる。

 

「よし、いいぞ。落着を確認。対象の材質を確認せよ」

「続いてトラックナンバー105。大気圏突入。30秒後に迎撃範囲到達」

「今度は私が迎撃しよう。迎撃ミサイル発射、サルヴォー!」

 

 そして再びの光条が空から落ちてくる。再度地上からの迎撃が上がる。今度は弾丸ではなく緩やかな曲線を描くミサイル群。それらが超音速で空の彼方へと向かい、落下する光条と衝突して爆発する。

 

「ノルマまであと5トンじゃ。張り切っていくぞ!」

 

 爆破から降り注ぐ岩の破片。その中でも速度が早く危険と判断されたものには、三千発もの弾幕が迎撃にあたり粉々に粉砕する。

 

 

 どこの世紀末な戦場だ、と言いたくなるが、まさかこれが指輪作りの現場であるとは誰も思うまい。

 

 

 第五特異点のアメリカはネバダ砂漠。そこで現在進行している指輪作りは三つの段階に分けられる。

 

 一つ目、地球近傍を漂っている手ごろな小惑星を見つけ、ネバダの砂漠に向けて落とす。

 二つ目、落下してきた隕石を粉砕して、その破片を回収する。

 三つ目、鉄隕石と炭素質隕石に分別して、それぞれ加工する。

 

 正直な話、指輪を作るスケールの話ではない。しかしこれを大真面目にやっているのがこの特異点に急遽集められた英霊たちである。

 

 地球近傍の小惑星を探し出すのは楽だ。なにせこの特異点の年代は西暦1783年。現代から二百年ほど過去にあたる。現代で発見された小惑星がこの時代にどのあたりを漂っていたのかはカルデアのコンピュータを用いればすぐにシミュレートできる。

 

 あとはその小惑星にモリアーティ教授の宝具「終局的犯罪(ザ・ダイナミクス・オブ・アン・アステロイド)」を行使すればネバダ砂漠に落下してくる。

 

 現代への干渉を最小限にするため、落とす小惑星は固有の名前もない、小惑星番号がふられただけの小さなものに限定してある。

 

 小さいとはいえ、それらがそのまま落下してしまえば落下地帯は衝撃波でめちゃくちゃになってしまう。それゆえ迎撃して運動エネルギーを殺す必要が出てくる。

 

 迎撃もまた三つの段階で行われる。

 

 まずはエジソンが管制するレーダーシステムで隕石の位置を確認し、モリアーティ教授の保有するミサイルで迎撃する。

 

 それから撃ち漏らしたり砕けた大きめの破片はダビデ王の宝具「ハメシュ・アヴァニム(五つの石)」で破砕する。

 

 最後に、軌道を外れて味方へと飛んでいく破片を織田信長の宝具「三千世界(さんだんうち)」で迎撃。旧式の火縄銃とはいえ、三千発もの弾幕は迫り来る破片を粉砕するのに充分だった。

 

 これで隕石は完全に運動エネルギーを殺され、周辺へ衝撃波による被害を出さなくなる。

 

 この迎撃方法を提案したのはマスターたる藤丸立香だ。曰く「イージス艦をマネした」とのことだった。

 

 イージス艦もまたミサイル、砲弾、対空機銃、の三段階で迎撃するのだという。「神の盾」を参考にしただけあって効率的な迎撃方法であり、なおかつサーヴァントたちへの被害がほぼゼロで抑えられた。

 

 こうして砕けた破片は鉄隕石と炭素質隕石だけ回収される。

 

 炭素質の部分はオジマンディアスの従える神獣たちによって10キロメートル先に構えられた神殿に運ばれる。

 

 そこで高い圧力によってダイヤモンドにされるわけだが──あろうことかオジマンディアスはピラミッドを上下からぶつけるというとんでもない発想でそれを達成しようとしている。

 

 隕石を破砕している場所から視線をずらすと、10キロ彼方で二つのピラミッドが打ち合わされている非現実的な光景を見ることができる。

 

 力加減を間違えるとダイヤモンドの結晶が小さくなってしまうらしいので、オジマンディアスは何度も何度もダイヤモンドの合成を繰り返している。最初の頃よりは上手くいくようになったそうだ。

 

 

 指輪の原料であるプラチナは鉄隕石に含まれているため、回収された鉄隕石は茶々の管理する炉に集められる。

 

 茶々の宝具で大爆炎を起こし、鉄ごとプラチナ成分を融かすのである。細かい温度はスカサハがルーン魔術で調節し、融けた隕石からはジェロニモとメディアが魔術でプラチナを分離する。

 

 抽出されたプラチナは指輪として加工されるわけだが、これだけはマスター・藤丸立香の担当だった。プラチナが集まったら魔術のサポートを受けつつ指輪へ加工する。

 

 今は天幕の中でエジソン製のプレス機やら研磨機で婚約指輪をほぼ完成にまでこぎ着けたところだった。あとはオジマンディアスのダイヤモンドが届くだけだ。

 

 未だに隕鉄の確保を進めているのは、結婚指輪の分と、ティアラをはじめとする装身具の材料を集めるためだ。隕石由来のプラチナや金を手に入れられる機会などめったにないし、ついでに魔術的に貴重な隕鉄も手に入るので一石二鳥だった。

 

 

「マスター、これ飲んでー。甘くて美味しいから」

「ありがとう、茶々」

 

 妾(わらわ)は指輪の加工に苦労するマスターに冷えた飲み物を淹れてあげた。カルピスという酪(らく)を水で薄めたような飲料だ。炎天下の中これを冷やして飲むと最高に爽快だった。

 

「少し休むと良いと茶々は思うぞ。お主はずっと作業しっぱなしじゃ」

「うん。そうだね。じゃあ休憩するよ」

 

 そうしてマスターは休憩用の椅子に移動して腰を下ろした。天幕の中ではマスターと妾を含め、ジェロニモとスカサハとメディアが休んでいた。炉に鉄隕石の破片が一定量溜まるまでこうして休んでいるのだ。破片を運んでくるのはオジマンディアスの統括する神獣兵団だ。

 

「お主らもこれを飲むといーぞ」

「ああ、かたじけない」

「うむ。いただこう」

「ありがとう。いただくわ」

 

 妾は彼らにも冷えたカルピスを提供した。この天幕の中はルーン魔術によって冷房が効いているのだが、先ほどまで外の炎天下で炉を管理していた彼らには冷えた飲み物はありがたかったようだ。

 

 デミサーヴァントを除けばサーヴァントに食事も飲み物も必要ない。だが舌にも腹にも感じるものがないというのは堪えるのか、飲み食いするサーヴァントは多い。精神安定剤のようなものだ。

 

 彼らに淹れたあと、妾もカルピスをイッキ飲みした。生前には体験したことのない爽やかな甘味だった。太閤殿下や息子たちにも味合わせてやりたいほど美味しかった。

 

「──あとはダイヤモンドだけだな」カルピスを飲み干したスカサハが言う。「加工は任せよ。ゲイ・ボルクの刃であればカッティングなどたやすい」

 

「助かるよ。ダイヤのカットだけは無理そうだったから」

 

 そう言って笑みを向けるマスター。槍を振り回して小さな宝石をカッティングする、ということに突っ込まなくなった辺りはやはり人類最高のマスターである。これだけの英雄豪傑を従えるにあたって、もはや常識など通用しない。いっそ常識を捨てた方が適応できる。

 

 くつろぎながら、自身が鍛造したプラチナの指輪を眺める藤丸立香。まだダイヤモンドは埋め込まれていないが、それを見つめる眼差しには達成感のようなものが含まれていた。

 

「早くマシュに渡したいか、マスター」

 

 ジェロニモが尋ねる。普段から冷静沈着な戦士の顔にも、どこか陽気な感情が見てとれた。そんな彼につられてマスターもはにかむように微笑んでいた。

 

「うん。でも緊張しちゃってさ。完成するのがちょっと怖いくらいだよ」

 

「それはそうだろう。それが完成したら、きみは人生で最大の戦いに赴かなくてはならないのだからな」中身を飲み干したコップを立香に向けて掲げるジェロニモ。「本来、戦いというものは避けるべきものだが、きみのそれは違う。絶対に向き合わなくてはならないものだ。生きるか死ぬかの重大な戦いさ」

 

「そんなこと言われると余計に緊張するよ。まだゲーティアと戦う前の方が気楽だった。あの時みたいに助けてよ」

 

「今回は時間神殿と違って救援には行けないぞ。正真正銘、きみ一人の戦いだ。きみ一人でマシュと向かい合って成すべき戦いだ。それがプロポーズというものさ。泣き言を抜かしてはだめだぞ」

 

「茶々ー、ししょー、メディアさーん、ジェロニモがいじめるー」

「男なら当たって砕けろ、じゃぞ」と妾。

「男は度胸。泣き言を抜かすな」とスカサハ。

「軟弱な男は嫌いよ」とメディア。

「うへー」

 

 がっかりしたような声を出しつつも、マスターは笑顔を絶やすことはない。怖いとは思っていても、彼の心はその程度でへこたれるほどヤワではなかった。でなければ人理修復の大業など完遂できるものではない。ここにいる全員がそれを知っている。それゆえの返答だ。

 

 そのやり取りにマスターを含めた皆が微笑みを浮かべていると、なにか思い出したかのようにスカサハが口を開く。

 

「──ああ、だが、不思議なものだな」

「なにが?」

「一年も経たずして、ここまで成長したお主たちが、だ」

 

 感慨深そうにマスターを見つめながらスカサハは言う。

 

「最初に出会った時はマシュともども未熟な子供と思っていたものだが、それが今やゲーティアを倒し、人理修復を成し遂げ、そして人生の伴侶を得ようとしている。……本当にあっという間だ」

 

「そうね。首も据わっていなかった赤ん坊が、いつの間にかハイハイしはじめて、一年足らずで二本の脚で歩き始めた」スカサハに続くようにメディアが言う。「本当にそれぐらい早くて、びっくりするぐらいの成長よ、あなたたち」

 

「……そんなに、成長しているものなのかな」

 

 二人に言われてもマスターはその実感がないようだった。己の成長というものは自分だけではわからないものだ。

 

 それは妾も同意見だった。妾はそのゲーティアと戦った後にカルデアに召喚された英霊であったため、人理修復を始めたころのマスターやマシュのことは知らない。しかしその顔からは、彼らが経験してきたとても多くの経験が見て取れた。

 

 多くの生と死を見た。多様な平和と戦いを見た。数えきれないほどの救済と殺しを見た。そんな彼らの経験は間違いなく素晴らしい成長につながったことだろう。

 

 つい最近であった妾でさえそれを察することができたのだ。マスターの母親であれば間違いなくその成長を実感することだろう。

 

 マスターは手のひらの上に乗せられた一組の婚約指輪を照明にかざし、呟くように言う。

 

「母さんも言ってたよ。『すごく大人っぽくなっていた』って」

 

「それは、よかったな。きみの母親はさぞ嬉しかったのだろう」とジェロニモ。

 

「そんなものなの?」

 

「親とは、子の成長を喜ぶものじゃ」妾は言ってやった。「子の成長を喜べない親など、それはもう親とは呼べぬ」

 

 妾にもまた二人の息子がいた。一人は三歳で、もう一人は二十一歳で亡くなったが、あの子たちの成長していく様はこうしてサーヴァントになった今でも鮮明に覚えている。

 

 そしてその成長していく様が、なによりも喜ばしかったことも。

 

 胎の内側から蹴られた時のこと。産まれた日のこと、ハイハイできるようになった日のこと、二本の脚で歩いた瞬間のこと。

 

 妾や父である太閤殿下を呼べるようになった時のこと。家族で一緒に花見をした日のこと。元服した日のこと。嫁を迎えた日のこと。孫が産まれた日のこと。

 

 ──そして妾の目の前で冷たくなっていった時のこと。

 

 それらのすべては、四百年経った今でも忘れてはいない。最期は悲しかったが、あの子たちを産んだことに後悔は微塵もない。

 

 だからこそ妾は断言できた。その成長を喜ぶ感情こそ「親」の証なのだと。実子であろうとなかろうと、子が成長する様を見て誰よりも喜べたなら、その者は親と呼べる存在に他ならない。

 

「妾はマスターの親に会ったことはないし顔も知らぬ。じゃが、親だというのなら、お主の成長を誰よりも喜んだはずじゃ」

 

「──母さんは褒めてくれたよ」妾の言葉に一瞬キョトンとしていたマスターだったが、そのあとすぐに優しい笑みで返してきた。「『良く頑張ったね。母さん嬉しいよ』って、言ってくれた。頭を撫でてくれた」

 

 マスターの口調からは、その時の喜びや感動がありありと浮かぶようだった。妾は彼の母親の言葉とやらに深く頷いた。

 

「ならばお主の母上は良い母親なのじゃ。マスターのような息子とマシュのような娘を持てて、さぞ嬉しかろう。良く敬うと良い」

 

「……うん」

 

 マシュのことを「娘」と表現したことで、マスターは少し顔を赤らめていた。己の母の娘になるということは、親の養子になるか、あるいは己と結婚して家族になることを意味する。

 

 数々の戦いを共にくぐり抜け、強い絆を結んだ愛しい女と家族になる。彼はそれを意識したのだ。世界を救った者としては慎ましやかな幸せだが、彼らにはそれがとても似合っていた。

 

 それを想像して微笑ましく思っていると、他の三人が妾にポカンとした表情を向けていることに気づいた。

 

「なんじゃ、お主らのその顔は。妾が真面目な話するのがそんなにおかしいか」

「あー、いや。普段のイメージと大分違ったのでな」

「たわけもの。茶々はれっきとしたレディーじゃぞー!」

 

 妾はいつも通り子供っぽい顔で怒りを表現した。それを見てホッとする面々。まったく失礼なやつらだ。

 

 サーヴァントとして現界してから素の自分を見せたことがあるのはマスターだけだ。他の者は天真爛漫な妾しか知らない。

 

 そういう意味では少し後悔した。此度の現界で素の妾を見せるのはマスターと親類の織田信長、それからマシュまでにしておきたかった。

 

「それはそうとマスター。その口振りからすると、母親に人理修復の話をしちゃったのね?」

「あー、うん。おおざっぱにだけど」

 

 追及するようなメディアに言葉を濁すマスター。この焦った顔を見るにかなりの部分を話してしまったのだろう。

 

「魔術とは秘匿するものだと、あれほど口を酸っぱくして言ったのに」

「ごめん。でも母さんには、どうしても言っておきたかったんだ。母さんに隠し事なんてしたくないから」

 

 彼の言葉には母親への深い信頼が見てとれた。息子にこれほど慕われるのだから、さぞ良い母親なのだろう。

 

「母親に伝えたのなら、父親にも後できちんと伝えておくといい。一人だけ除け者はかわいそうだぞ」父親の立場を代表してジェロニモが言った。

 

「カルデアに行くのを反対された仕返しさ。大学行けってうるさかったんだ」いたずらっ子のような笑みを浮かべるマスター。「でも後で必ず伝えるから、大丈夫だよ」

 

「このさい、いっそセルフギアススクロールで口封じを……」

「人の親に何をするつもりだ」

 

 不穏なことを口にするメディアの頭をスカサハがゲイボルクの石突でコツンと叩く。

 

「マスターのことだ。母親の口が軽ければそもそも話したりはしない」

「まあ、そうでしょうけど。魔術に携わる者として、神秘の秘匿は義務でしょう」

「こやつは魔術師である以前に人の子だ。親に誉めてもらいたいと思うのは当然だ。それくらい許してやれ」

 

 母に誉められたいという欲は、正常な家庭で育った人間ならば誰にでもある。マスターもまたそうだったのだとスカサハは言った。

 

「らしいじゃないか。世界を救ったあと『ボク頑張ったよ』と母親に自慢する救世主なんて」

「──うふふ、可愛いマスターさんだことで」

「それ、誉めてるの。それともバカにしてるの?」

 

 スカサハとメディアのやり取りにマスターが突っ込む。

 

「どう考えても両方に決まっているさ」

 

 そこへ畳みかけるようにドヤ顔でジェロニモが言う。するとマスターは「うううう」と悔しそうにうなって、妾に縋るような視線を向けてきた。

 

「茶々-、三人がいじめるー」

「おー、よしよし。茶々が慰めてあげよーぞ」

 

 マスターが妾の高さに合わせて頭を下げてきたので、要望に応えて抱きしめるようにその頭を撫でてやった。

 

 妾は他の三人に聞こえないよう彼の耳元へささやいた。

 

「妾に甘えるのも良いが、きちんと母上にも甘えるのじゃぞ」

「……うん」

「うむ。良い子じゃなマスターは。あとで甘い汁粉を馳走しようぞ」

「わーい」

 

 妾はしばらく彼の頭を撫で続けた。

 

 優しく撫でた彼の髪からは、息子の頭を撫でてあげた時と同じ、爽やかな汗の匂いがした。

 

 小さくため息をついた妾は、思う。

 

 まったくもう、手間のかかる子供らなことで。

 



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