ドラゴンクエストⅪ 復讐を誓った勇者 (ナタタク)
しおりを挟む

序章 エルバの戦い

-神殿内部-

「…駄目だ、こいつも。もう死んでる」

緑色の服を着た青髪の青年は目を開いたまま息絶えた兵士の瞼を閉じさせる。

ランタンを使い、周囲を見渡すと、彼だけでなく、10人単位で兵士の死体が転がっている。

いずれも鉤爪によって引き裂かれており、それが致命傷となっている。

そんな彼らの遺体を気にかけることなく、茶色いサラサラなセミロングの髪で紫色の服を着た男は先へ進んでいく。

そこには傷を負っているが、まだ息をしている兵士がいた。

その兵士の前で膝を曲げ、顔を近づける。

「何があった…?」

「魔物が…レッド、オーブを奪いに…。早く、グレイグ、将軍…ホメロス…軍師…デルカダール王に…」

「レッドオーブ…デクの話は本当みたいだな…カミュ」

追いついた青髪の男に茶髪の男は目を向けることなく話す。

「ああ…。あいつは盗みの腕はからっきしだが、商売と情報集めに関してはかなりだしな…エルバ」

茶髪の男、エルバが言っていたデクという男はカミュの相棒だった男だ。

2人は彼から受け取った情報をもとに、この神殿、デスカダール神殿までやってきていた。

そこに保管されているレッドオーブを手に入れるために。

「治療できるか?こいつ…」

既に内臓をえぐられていることから、助からないことは分かっているカミュだが、念のためにエルバに尋ねる。

エルバはホイミを覚えているため、傷の治療は可能だ。

しかし、これほどの傷を受けてしまってはベホイムやベホマのような上級の回復呪文を使わなければ難しい。

しかもそれも怪我をしてまだ時間が経っていない場合での話で、仮にそのまま放置して破傷風を起こしたり、壊死したりしてしまうともはやザオラル、ザオリクといった呪文を使わなければ手の施しようがない。

エルバは何も言わず、背中に差している鋼の大剣を手にする。

それが何を意味するのか理解した兵士は目を閉じる。

次の瞬間、鋼の大剣が彼の肉体を貫き、兵士の人生を終わらせた。

剣を振り、付いた血を払ったエルバは剣を握ったままカミュと共に前へ進む。

「あいつ、魔物がレッドオーブを奪いに来たと言っていたな。急いだほうがいいな」

「ああ…。そのためにも、目の前の奴らが邪魔だ」

開けた場所に出ると、そこには集団で行動し、弓矢で攻撃を放つ小さな怪人型モンスターであるリリパットや呪文以外の攻撃を受け付けない煙でできた実体のないスモーク、捨てられたランタンに魔物の魂が宿ったランタン小僧や魔力を利用したビームを発射できる2本の触角をもった小悪魔のインプなどの魔物たちがいた。

魔物自体はこの神殿の中でも住み着いているが、それでもそこにいる魔物は多すぎる。

「くそっ…この神殿はほとんど一本道だ。こいつらを倒さねえと、先へ進めないか!」

「だったら倒すだけだ。俺は…まだ死ねない。勇者の真実を知り、俺から故郷を…愛する人たちを奪った奴らに復讐するまでは…」

鋼の大剣を握るエルバの手に力が入る。

復讐という言葉を聞き、わずかに表情を曇らせたカミュだが、気持ちを切り替えて、ここに入る前にキャンプで作った2本の聖なるナイフを手にする。

「行くぞ…!」

エルバとカミュは魔物たちに向けて突っ込んでいった。




序章、ということで今回はこの程度の長さで。
ドラクエ11をプレイして面白かったので、速攻で書きたいと思い、見切り発車で書いてしまいました。
タイトルでもあるように、主人公エルバ(スウェーデン語で11を意味します)の目的は真実を突き止めることと復讐になっています。
そんな彼がどのようにして成長していくのかがポイントになるかもしれません。
あと、プレイして思ったことは声優がつかなくてよかったなって思ったところですね。
声優がつくと、どうしてもその声でイメージが固まってしまいますので…。
ちなみに、今回登場したエルバとカミュの声優さんを妄想してみると…。

エルバ:うえだゆうじ
カミュ:岡本信彦

異論は…受け付けます!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話 神の岩

朝日が差し、スズメ達が夜明けを喜ぶように鳴き、リスが草むらを駆けまわる。

木の上から、オレンジ色のスカーフを手にしたエルバは上空に浮かぶ巨大な木をじっと見ていた。

高く浮かんでいて、おまけに雲でわずかに隠れているせいか、とてもその木が幻想的に見える。

あの木はこの世界、ロトゼタシアの命の源と言われている命の大樹。

命はその木の葉から生まれ、そして死ぬとその木へと還っていき、そして再び生まれ変わる。

ロトゼタシア各地で伝わる命の大樹のシステムだ。

「命の大樹…か…」

エルバにはなぜかこの命の大樹が懐かしいと思えた。

すべての命の源であり、故郷だからなのか?

だが、その木を見るたびになぜか左手の痣のうずきを感じる。

三日月と剣を組み合わせたかのような、あまりにも整ったこの痣は生まれてからずっとあったという。

厳密にいえば、拾われてからと言ったほうが正しい。

エルバは16年前、ゆりかごと共に流されていたところを冒険家であった老人、テオに拾われた。

それから、彼の孫として、彼の娘であるペルラの息子として、イシの村で生きてきた。

イシの村はデルカダール王国南部に位置する小さな村で、外界との接触があまりないことから、自給自足の生活を送っている。

数年前にテオが病でこの世を去ってからは、エルバが生活を支えるようになった。

馬の世話や羊の毛刈り、牛の乳しぼりから畑仕事まで数多くの野良仕事をこなしてきた。

また、村の周りに時折現れる魔物退治に大人たちと一緒に参加したこともあり、その中で剣の使い方を学んだ。

背中に差している大剣、イシの大剣はある程度剣の使い方を学んだあとでプレゼントされたものだ。

重量のある剣を好んでいることもあってか、すっかり手になじんだ。

イシの村付近にある鉱脈から獲れた鉱石で作ったもので、つくりとしてはシンプルそのものだ。

命の大樹を見つめるエルバに呼びかけるように、木の下から1匹の犬が吠える。

「ルキ…?」

鳴き声が聞こえた方向に目を向けると、そこには茶色い大型の雌犬がいて、その隣には青いドレスとオレンジの前掛けを着た金髪の少女の姿があった。

「エルバー!私のスカーフ、見つかったー!?」

「ああ、エマ。今渡す!」

木から飛び降り、エマの目の前で着地したエルバは彼女にスカーフを渡す。

スカーフを受け取ったエマはすぐにそれを頭に巻く。

「大切な儀式の前にスカーフが風で飛ばされちゃうなんて、私ってばホントにドジだよね」

「いつも通りで安心したよ」

「いつも通りって、私がいつもドジしてるってこと!?」

「だってそうだろう?この前作ってくれたパン、結構焦げが多かったし…」

3日前にお弁当代わりに持ってきてくれたパンのことを思い出しながら、エルバは苦笑する。

自分が拾われたのと同じ日に生まれ、ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染の彼女が作ってくれたのはうれしかったが、料理についてはまだまだ勉強中だったがゆえに焦げが多く、味も微妙だった。

言い返せないのか、エマはムッとした表情を見せ、そんな彼女を励まそうとしているのか、ルキが飛びついてエマの頬を舐める。

ルキは子犬だったころ、魔物に襲われていたところを2人に助けられ、それからはエマの飼い犬となった。

恩を感じているのか、2人にすっかり懐いており、エルバにとっては2人目の幼馴染と言ってもいい存在だ。

「ハハッ、くすぐったいわよ、ルキ!けど、ありがとう」

励ましてくれたルキに感謝しながら頭を撫で、彼女を落ち着かせるとエマは立ち上がる。

そして、2人は目の前に見える大きな一枚岩を見る。

イシの村では神の岩と呼ばれているその岩は16歳になると、その一番上まで登ることになっており、そうすることで初めて大人として認められることになる。

ただし、だからといって酒を飲めるようになるかというとそれはまた別の話であり、それについては18歳からということになっている。

「改めてみると、大きいわね…。本当に登れるのかしら…?」

「ペルラ母さんや村長だって、この儀式をやったんだ。登れるさ」

「エルバ…」

エルバとエマの2人の前に出たルキが1回吠えた後で、先へと走っていく。

「うふふ、ルキが私たちを案内してくれるみたい。さ、行こう。エルバ!」

「ああ…」

ルキについていくように、2人は走っていく。

石造りの階段を上り、神の岩へと続く洞窟の近くにある石碑に差し掛かると、そこには見送りのためか、住民や神父が来ていた。

その中にはオレンジ色のドレスを着た、オレンジ色の髪で恰幅の良い体をした中年の女性と薄緑の上着と帽子、そして黒い服を着た老人の姿もある。

女性の方はエルバの母親であるペルラで、老人の方はエマの祖父であり、イシの村の村長であるダンだ。

エマの両親は幼少のころに事故で他界しており、それからはずっとダンのもとで生活してきた。

2人とも、エルバとエマが無事にこの成人の儀式を行うことができることをとても喜んでいる。

「おじいちゃん!」

ダンの姿を見たエマが彼の元へ駆け寄る。

これから儀式を迎える孫娘の明るい表情を見たダンは嬉しそうにうなずくと、2人に目を向ける。

「よいか、これからおぬしたちは神の岩で成人の儀式を果たし、一人前の大人にならなければならん。神の岩の頂上で祈りをささげ、何が見えたのかをワシに伝えるのじゃ。そこまでが成人の儀式じゃ」

「エルバ…自慢の息子がここまで大きく育ってくれて…母さん、本当にうれしいよ」

「…母さんの子、だからな」

エルバは幼いころに、ペルラとテオが血のつながった家族ではないことは聞いている。

しかし、自分を拾い、育ててくれたのはほかの何者でもない、彼らであることから、そのことを気にすることはなかった。

本当の両親のことが気にかかるのは事実ではあるが…。

「うれしいことを言ってくれるねぇ。でも、そういうセリフは成人の儀式が終わるまで取っておきな」

「ああ…そうだな…」

「それから、もうちょっと口数を多くしないといけないわねぇ」

幼少のころから、あまりしゃべるのが好きではないのか、エルバは基本的に自分から話をしようとしない性格であり、話したとしても、あまり多くしゃべったりしなかった。

例外としたら、ルキなどの動物たち、そして幼馴染のエマで、彼らに対しては相対的にではあるが、多く話すことがある。

「生まれつきさ、どうにもならないよ」

「どうにかしようと努力なさい」

「わかった。じゃあ…行ってくるよ」

ルキが先行する形で、エルバとエマの2人は神の岩への洞窟へと進んでいく。

イシの村ができる以前から、自然に生まれたこの洞窟の中にはわずかながら魔物が住み着いている。

比較的おとなしい分類の魔物ばかりだが、それでも人を襲う魔物もいる。

そうした魔物を倒して、先へ進む。

それも大人になるための試練の1つだ。

「明かりをつけるね」

エマが洞窟の壁にかかっている松明の炎を持ってきたランタンに移す。

ランタンのおかげで周囲が明るくなり、天井に隠れていた蝙蝠たちが逃げ出していく。

「ウウーーーワンワンワン!!」

「魔物か!?」

ルキが警戒するように吠えたのを見たエルバはイシの大剣を抜く。

エマはエルバの後ろにある岩場に隠れ、様子をうかがう。

水の流れる音が聞こえる中、魔物たちが飛び出してくる。

覆面から綿毛を出していて、手に持っている針で獲物を串刺しにするモコッキーととがった頭で体当たりするスライムが数匹現れる。

「やるぞ…ルキ」

「ワン!」

エルバがイシの大剣を手にして前へ出て、体当たりを仕掛けるスライムをイシの大剣で受け止める。

大剣の強固な守りでひるんだ隙をつくように、ルキがそのスライムに食らいつき、ガケに向けて投げつける。

一度バウンドした後で、そのスライムはガケから真っ逆さまに落ち、水に落ちる音が聞こえた。

仲間が倒され、動揺するスライムをエルバが大剣で真っ二つに切り裂く。

真っ二つになったスライムははじけ飛び、水となって消滅した。

しかし、スライムを倒したエルバに向けて、真上からモコッキーが飛び降りてくる。

手に持っている針でエルバの頭を串刺しにするつもりなのだろう。

だが、大剣を手放したエルバに頭をつかまれる。

手足が短いためか、いくら振っても針はエルバの頭に届かない。

「寝てろ…!」

その一言と共に、エルバはモコッキーの頭を地面にたたきつけた。

ピクリと動いた後で、モコッキーは動かなくなった。

同時に、崖の上から3匹のモコッキーが飛び降りてくる。

先ほどの仲間と同じ過ちを繰り返さないためか、それとも彼らを相手に奇襲をしても無意味だと判断したのか、エルバを囲むように着地する。

「エルバ、後ろのモコッキーは任せて!!」

エマは指で印を切ると、呪文を唱え始める。

戦闘はあまり得意ではないエマだが、料理のことを考えて、メラだけは使えるように勉強はしていた。

彼女が放ったメラによってエルバの背後にいたモコッキーは焼き尽くされ、残り2匹はそれぞれエルバとルキによって切り裂かれる、もしくは噛みづかれて絶命する。

腰にさしているサバイバルナイフを抜いたエルバはモコッキーから綿をはぎ取る。

イシの村では綿花のほかに、モコッキーからはぎ取った綿も利用して服を作っている。

また、綿の中に薬草を隠し持っていることが多いため、薬草がない時にはモコッキーを倒して綿の中から探すという手段もある。

「ふぅ…」

今回はぎ取った綿の中には薬草はなかった。

綿を袋に入れたあとで、エルバは左胸に右拳を当て、倒したモンスターたちに対して冥福を祈る。

魔物(一部を除く)もまた、動物と同じく自然と共存する存在であり、ほかの生物と同じく命の大樹から生まれた存在とされている。

そのためか、イシの村ではこうして倒した魔物に対して冥福を祈り、自然に還すためにその死骸からは必要以上にはぎ取ることを禁止されている。

いつからそのような教えが根付いたのかはわからないが、エルバもエマも自然にその教えが身に沁みついていた。

「それにしても、最近魔物の数が増えているわね…」

先日のことを思い出しながら、エマは心配そうに言う。

儀式の1週間前のことで、海岸から物々交換で手に入れた魚や塩を運ぶ荷馬車が村まであと少しというところで、魔物たちによる攻撃で破壊されるという事件が起こった。

運んでいた村人は重傷を負い、現在も寝込んでいる。

証言によると、魔物は徒党を組んで襲ってきたとのことで、しかもそれは異なる種類の魔物による混成だったとのことだ。

エルバを含む村の男性たちによってどうにか撃退したものの、このような形で魔物が徒党を組むのは極めてレアなケースであり、村人たちにとっても初めての出来事だった。

「わかっていたけど、こんなふうに神の岩でも魔物が現れるなんて…。ちょっと不安だけど、勇気を出していかないと。頼りにしてるよ、エルバ」

「それはお互いさまだろう。前は任せて、エマ」

大剣を抜いたまま、エルバはルキと共に慎重に先へ進む。

彼の言葉がうれしかったのか、エマは笑みを浮かべ、彼の後へ続いた。




神の岩
イシの村が生まれる以前から存在する一枚岩で、村人からは大地の精霊が宿っているということから信仰の対象となっている。
そのため、16歳の誕生日を迎えたらこの神の岩を上り、そこで大地の精霊に祈りをささげるという儀式が行われる。
実を言うと、それにはもう一つの目的があり、そのためか儀式のときに見たものを子供たちに話してはならないという不文律が存在する。

イメージCV
エマ:豊口めぐみ
ペルラ:斉藤貴美子
ダン:長克巳


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 成人の儀式

「あ、ああ…うわああああ!!!」

洞窟を抜けると同時に、子供の叫び声が聞こえる。

エルバとエマの視界を真っ白な霧が包み込んでいて、前方がよく見えない。

「こんなに霧が…霧…??」

霧という言葉から、エルバはテオが話してくれた旅先で出会った魔物のことを思い出す。

真っ白な煙のような姿をしており、剣も槍といった物理攻撃が一切通用せず、煙に取り込んだ生物を煙のように分解して自らの栄養に変える魔物のことを。

その魔物の名前は…。

「まずい、スモークだ!!」

「助けてーーー!!」

「この声…マノロよ!」

「急がないと、取り込まれる…!」

煙に変わってしまうと、もう回復呪文で助けることができなくなる。

2人と1匹は急いで声が聞こえた方向に向けて走っていく。

そこにはエルバに言う通り、スモークの姿があった。

「エルバ兄ちゃん、エマ姉ちゃん!!」

スモークにおびえ、その場に座り込んでいる茶色いおかっぱ頭の少年が2人の姿を見つけ、這いずるように彼らの元へ急ぐ。

ルキは追いかけようとするスモークを威嚇するように何度も吠えた。

だが、通常攻撃が通用しないスモークはあざ笑うかのように子供をゆっくりと追いかける。

まるでハンターが獲物をゆっくり狩って楽しむかのように。

だが、スモークにはある誤算があった。

「メラ!!」

エルバがメラを唱え、火球がスモークに襲い掛かる。

通常攻撃が通用しないスモークだが、ヒャドで凍結させる、もしくはルカニで実体化させる、もしくはこのように呪文もしくはそれの力を受けた攻撃をするといったやり方しだいによって倒す方法はいくらでもある。

メラを受けたスモークは叫び声をあげながら消滅していく。

「ふぅ…。村長から呪文を少し教わっておいて、助かった…」

現在、イシの村で呪文を教えることができるのは村長のダンだけで、エルバは大人たちと一緒に近辺の魔物を退治しに出かけることもあって、彼から最低限の呪文を教わっていた。

使えるのはメラとホイミだけだが、儀式が終わったらもっと教えると約束してもらえた。

「エ、エルバ!!あれ!!」

左手でエルバの袖を引っ張ったエマは洞窟の入り口に指をさし、その方向に向けてルキが吠えている。

周囲を包んでいた霧が一か所に集まっていて、それがスモークの姿へと変わっていく。

「スモークは2匹いたってことか…」

メラを放ったエルバが危険だと判断したのか、スモークは魔物に目もくれず、エルバを取り込もうと直進する。

エルバはメラを放つが、当たる直前に煙を分散させ、ダメージを最低限に抑える。

そして、彼の背後で再び元の姿に戻り、背後から取り込もうとする。

「危ない!!メラ!!」

エルバのピンチに驚きながら、エマはメラを放つ。

彼女もメラが使えることに気付いていなかったスモークにメラが直撃し、先ほどの仲間と同じような悲鳴を上げながら消滅していった。

「ハアハア…」

持ってきていた魔法の小瓶を手に取り、エマはゆっくりとその中にある透明な液体を口に含む。

魔力がこもった水がその小瓶には入っており、少量ではあるが魔力を回復させることができる。

メラ2発で魔力が尽きてしまうエマにとってはそれで十分だ。

「もう、エルバ!魔物に背中を見せるなんて…!」

魔力を回復させたエマは怒った表情を見せながらエルバに顔を近づける。

「エマならメラでスモークを倒せるって信じてたから…っていっても、駄目か?」

「駄・目!」

信頼されていることは素直にうれしいが、それでも先ほどのエルバの状況は一歩間違えば彼が取り込まれてしまう恐れがあった。

それについては彼も分かっているようで、そこは素直にゴメンと謝罪した。

「エルバ兄ちゃん、エマ姉ちゃん!!」

マノロが2人に駆け寄ってくる。

「マノロ…どうして神の岩に…」

「2人をびっくりさせようと思って、ここまで来たんだ。そうしたら、魔物が…」

「おかしいわね…スモークは神の岩にはいないはずなのに…」

スモークはイシの村の西にあるナプガーナ密林という迷えば二度と出ることができないと言われている場所で真夜中に遭遇することが多いモンスターだ。

一説によると、迷い込んだまま命を落とした人々の魂がその無念の思いから変貌したものらしい。

しかし、スモークが神の岩に生息しているのを確認した例はこれまで存在しない。

出るとしても、洞窟の中で倒したスライムやモコッキーくらいだ。

「それはそうと、ダメよ!こんな危ないことをしたら!!さ、ルキと一緒に村へ帰りなさい!」

「う、うん…わかった。ごめんなさい…」

2人に謝罪したマノロはルキに先導され、来た道を戻っていく。

襲ってきた魔物は何匹か倒しており、ルキもこの程度の魔物を倒すのは造作もないこと。

無事に戻ることだろうと安心したエマは神の岩に目を向ける。

今の場所は神の岩の中間地点に当たる場所で、ここからは先ほどのような洞窟はない。

頑丈なツルや段差をよじ登り、細い足場を使って頂上まで進まなければならない。

「あと半分だね…」

「ああ…もうすぐだ。スカーフをひっかけるなよ?」

「そんなヘマしないわよ…って…」

ポタリと足元に雨のしずくが落ちる。

それを合図にしたかのように雨が降りはじめ、その勢いはだんだん強くなっていく。

「雨か…」

「やだ…。エルバ、急ぎましょう」

雨になると、手や足を滑られてしまうことが多くなる。

過去に、不運にも雨の日に儀式を受けることになった人はそのせいで途中で転落してしまい、大けがをしてしまったことがある。

そのこともあり、大雨が降った場合は儀式が延期されることがある。

エルバは上にある足場の木から垂れているツルを引っ張り、強度を確かめる。

「これなら登れる…。ついてきて、エマ」

「う、うん!」

エルバの後に続くように、エマはゆっくりとツルを上っていく。

イシの村のような田舎の村では、子供の遊びとしたら川遊びや木登り、かけっこなど、できることは限られている。

2人もそうした遊びをよくしており、この程度のことは多少の雨でも造作もなく行うことができる。

「足元、気を付けて」

細い足場に差し掛かり、エルバは岩に背中を張り付け、ゆっくりと横歩きで進んでいく。

「ねえ、エルバ…」

「何…?」

「私、うれしい…。あなたと一緒に成人の儀式を受けることができて…」

「どうした?いきなり…」

エマの急な言葉に苦笑し、エルバは先に開けた場所まで到着する。

そこから先は段差をよじ登って進むことになる。

「だって、普通は1人で行くことになるでしょ?だけど、同じ誕生日で一緒に育ってきたエルバと一緒に儀式を受けることができた…。きっと、私1人だとくじけてた…」

「エマ…」

「だって、私…なんだかエルバに…キャア!!」

しゃべっていたせいか、足を滑らせてしまったエマは足場から落ちてしまう。

このまま落ちてしまうと思い、目を閉じたエマだが、彼女の右手をエルバがつかんでいた。

「ハアハア…大丈夫…?」

「う、うん…ごめんなさい…」

エルバに引っ張られ、無事に引き上げられていく。

引き上げられていく中、エマはエルバの腕力を感じ、安心することができた。

それと同時に、どこか寂しさも感じられた。

(なんだろう…エルバ、こんなに近くにいるのに、あなたがどこか遠い所へ行っちゃう感じがする…)

 

雨が降り続ける中、エルバとエマは神の岩の頂上に到着した。

しかし、天気が天気なので、そこから見える景色は霧でおおわれており、何も見えない。

「雨が強くなってる…。きっと絶景が見れたかもしれないのに、残念だなぁ。早く、お祈りを済ませましょう!」

「ああ…」

ここまで来た目的は絶景を見るためではなく、儀式を行うため。

2人はひざまずき、神の岩に宿る大地の精霊に祈りをささげようとする。

遠くから雷の音が聞こえてくる。

「え…!?」

雷の音の中に、鳥の鳴き声のような音が聞こえてくる。

次の瞬間、霧の中から大きな鳥の影が見えてきた。

「危ない、エマ!!」

エマを抱き寄せ、後ろへ下がると霧を突き破り、紫色のコンドルの姿をしたモンスターが襲い掛かってくる。

光るものに目がなく、見つけては巣へ持ち帰ろうとする性質を持つモンスターだ。

しかし、その魔物をエルバもエマも見たことがない。

「くそっ!!儀式の邪魔をするな!」

イシの大剣を手にし、振り回すが空中で動き回るヘルコンドルには当たらない。

メラを使うにしても、雨のせいで当たる前に消えてしまう。

「だったら…!」

エルバは近くに転がっている石を拾い、それをヘルコンドルに向けて投げつける。

石は右目に命中し、一瞬ひるみはしたが、すぐにベホイミを唱えて負傷した目を回復させる。

そして、自分に攻撃してきたエルバをにらみつけると鉤爪で捕まえようと突撃してくる。

これはヘルコンドルの攻撃手段の1つであり、獲物をわしづかみして上空から叩き落すことで仕留めるという鳥型の魔物の常とう手段でもある。

(ここで避けたら、エマが…!)

エマがそばにいることから、避けるにも避けられない。

やむなくエルバはヘルコンドルの自身への接近を許す。

「エルバ!!」

このままではエルバが捕まってしまうと思い、声を上げるエマ。

しかし、エルバが待っていたのはこのタイミングだ。

捕まるギリギリのところで、エルバは至近距離からメラを放つ。

しかし、メラを受けたヘルコンドルはびくともせず、そのままエルバを捕まえてしまう。

「メラが効かない…!?」

「そんな…どうしたら…!?」

雨は勢いを増す一方で、メラを使うにも先ほどエルバがやったように、至近距離から放たなければ意味がなくなってしまう。

なすすべもなく捕まった獲物を早く地面に落としたいのか、ヘルコンドルが高度を上げていく。

そんな中、エルバの左手の痣が光り始める。

それに反応するかのように、上空には痣と同じ形の大きな魔法陣が展開され、それから雷がヘルコンドルに向けて落ちていく。

上への警戒を怠っていたヘルコンドルの頭に雷が直撃する。

「うわああ!!」

頭が黒焦げになったヘルコンドルと共に、エルバは地面に落ちる。

「エルバ!!」

慌てて駆け寄ったエマを見たエルバは心配させないよう右手で制止させながら立ち上がる。

雷を受けたことで即死したのか、ヘルコンドルはピクリとも動かない。

「何だったんだ…さっきのは…?」

「エルバ、痣が光ってる!」

「え…?」

エマに指摘され、初めてエルバは自分の痣の異変に気付く。

痣の光はだんだん弱まっていき、数秒で元の状態に戻ってしまった。

「もしかして、痣があの雷を…?」

ヘルコンドルから羽と少量の肉、骨をはぎ取りながら、エルバは左手の痣に疑問を抱く。

小さいころ、ペルラやテオにこの痣について尋ねたことがあるが、2人とも何も知らないと答え、村長やほかの大人たちに聞いても結果は同じだった。

命の大樹を見ているときにうずくだけで日常生活に影響を与えることがなく、成長するにつれて、それに対する疑問は薄らいでいった。

しかし、この雷が左手の痣がただの痣ではないということを示したように思えた。

「エルバ…私をかばってくれたのね。ありがとう…」

「別に…幼馴染として当然のことをしただけさ」

照れ隠しか、残ったヘルコンドルの死体を隅にどかしながらエルバは言う。

そんな彼がかわいいと思ったのか、エマはクスリと笑ってしまう。

邪魔をするものは雨以外なく、あとは大地の精霊に祈りをささげるだけだ。

「ほら、早く祈って、神の岩から降りよう」

「うん!」

2人は横並びになってひざまずき、目を閉じて祈り始める。

「われら、イシの民。大地の精霊と共にあり…」

前日にダンから教わった祈りの言葉をエマが最初に口にする。

そして、間髪入れることなくエルバが続ける。

「ロトゼタシアの大地の恵みをもたらす精霊たちよ。日頃の糧を与えてくださり、感謝します」

その言葉を口にしながら、エルバはダンや神父の言葉を思い出す。

魔物もまた、自然に一部であり、彼らから得た毛皮や肉、骨、羽などはいずれも大地の精霊からの贈り物だと。

だが、さすがに今回のヘルコンドルはとても贈り物とは思えなかった。

これが贈り物だとしたら、精霊はとてもへそ曲がりな皮肉屋に思えてしまう。

「どうか、その大いなる御心で…」

「悠久の大地に生きる我らを、これからもお守りください」

祈りの言葉を終えると同時に、雨が弱まっていく。

雨雲がはれていき、太陽の光が神の岩の頂上を照らし始める。

「すごい…エルバ、見てみて!!」

エマに服を引っ張られたエルバは目を開く。

そこからは山や森、大きな海など、イシの村の中では見ることのない広い世界が広がっていた。

渓谷の中にあるイシの村では、神の岩のような高所でなければ外の世界を見ることができないのだ。

初めて見る景色にエマは目を輝かせる。

「きれいな景色…」

「そうだな。虹もある…」

「世界って、こんなに広かったんだ。この儀式を考えた人たちって、きっとこの景色を見せたかったのかな…?」

嬉しそうに景色を眺めるエマの横顔をエルバは見る。

あの景色を見たこと、そして太陽の光に照らされているせいか、それとも成人の儀式をしたせいなのか、今のエマがいつも以上にきれいに感じられた。

「それじゃあ、儀式が終わったことをおじいちゃんに教えてあげましょ!」

エルバに目を向けたエマはにっこりと笑顔を見せる。

一瞬見とれてしまったエルバはそれを隠すためにも、しゃべることなく首を縦に振った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 動く運命

神の岩を降り、イシの村へと戻っていく2人。

村の南側出入り口にはダンやペルラ、マノロ達村人が集まっていて、彼らの帰りを今か今かと待っていた。

「ワン、ワン!!」

マノロの近くにいたルキが嬉しそうに吠えると、エマの元へ駆け寄ってくる。

「ルキ!マノロをちゃんと連れて行ってくれたんだね、ありがとう」

エマに撫でられたルキが嬉しそうに見えたエルバはダンの前に立つ。

「ただいま…帰りました」

「おお、エルバ。エマと一緒に無事に帰って着れくれて何よりじゃ。雨が降ったうえに雷まで落ちたから、けがをしていないか心配しておったのじゃ。何が起こったのじゃ?」

(信じてもらえないかもしれないが…)

エルバは頂上でヘルコンドルに襲われたこと、そして襲われた際に落ちてきた雷によって救われたことを話した。

その証拠として、ヘルコンドルからはぎ取った羽と黒こげになった羽を見せた。

痣についてはダンも知らないらしいため、話すことはなかった。

エルバとダンが話しているのを見たエマはルキにここで待つように言った後で、彼の前へ走ってくる。

「ふむ…。そのようなことが起こったのか。これは奇跡としか言いようがない。きっと、大地の精霊様のご加護じゃな…。ところで、エマよ。頂上からは何が見えた?」

ダンにとって、成人の儀式の本題はそれだ。

エマはそこで見た景色を思い出しながら話し始める。

「ええ、見渡す限りの海が見えたわ!お日様に照らされて、キラキラしてた!あんな景色、初めて見たわ!」

「うむ。この世界、ロトゼタシアがいかに広大かをイシの村しか知らないおぬしらも分かったようじゃな。おぬしらはまだまだ若い。もしかしたら、この村を出て、羽ばたくときが来るかもしれぬ。このロトゼタシアの広大さをワシは儀式を通じて二人に伝えたかったのじゃ…」

(村を出る…か…)

ロトゼタシアの広い世界を見たエルバだが、自分がこの村を出るというのは考え難いことだった。

ずっと、この村で野良仕事をし、村の脅威となる魔物を追い払い、誰かと結婚して、子供を授かって死んでいくという人生しか頭に浮かばない。

百歩譲って、村を出ることになるとしても、それはまだまだ先のことのように思えた。

「さぁ、外で過ごすのもなんだし、家へ帰ってご飯を食べましょう。エマちゃんも、よかったら来て?おいしいシチューができてるわよ?」

「はい!!ごちそうになります、ペルラおばさま!!」

「シチューか…」

ペルラが作るシチューはエルバの大好物だ。

村でとれた野菜と牛乳で作ったそれは甘くてとろける感じがする。

それに今回手に入れたヘルコンドルの肉を入れたら、きっとおいしいかもしれないと思いながら、エルバはエマとペルラと共に村の北部にある家へ戻っていった。

 

「うん…これで良し!ほら、できたわよ」

味見をしたペルラはできたばかりのシチューを盛り付ける。

エマが家から持ってきたパンをエルバがナイフで切って、3人の皿の上へ置いていく。

少しやわらかめのパンにつけて食べるのがイシの村でのシチューの食べ方だ。

シチューだけでなく、サラダやレッドベリーのジュースもある。

「「いただきます」」

3人は日々の糧を与えてくれた大地の精霊に感謝した後で、シチューを食べ始める。

いつもとは違い、ヘルコンドルの肉が入っているが、かなりシチューと合っているためか、とてもおいしく感じられた。

脂身の少ない硬めの肉で、食べることでようやく素直に大地の精霊からの贈り物だと認識できた。

「うーん、おいしい!!」

「よかったわ。ありがとうね、エマちゃんも手伝ってくれて」

「エヘヘ…料理を早く上手になれっておじいちゃんが…」

裁縫が得意なエマだが、料理についてはまだまだで、たまにペルラの手伝いをしているエルバの方が上手だ。

エマの家ではダンが料理をしていて、彼は何を考えているのか、最近は料理の勉強をするように言っているとのこと。

そのため、エマはペルラの元で勉強をし、少なくともシチューを作れるくらいにはなっている。

「エマちゃん、うちのエルバが足手まといにならなかったかい?」

「ぜんぜん。むしろ、いっぱい守ってもらっちゃって…」

「そうかいそうかい。ま、女の子1人守れるくらいにならなきゃ男が廃るって、死んだおじいちゃんも言っていたからねえ…」

「うん、そうだな…」

エルバは数年前に亡くなったテオのことを思い出す。

冒険家であった彼から何度もそう言われ、そのことから強くなりたいと思うようになり、小さいころから剣の修行をしてもらった。

彼の死後は村の大人たちから特訓を受け、そのおかげで成人の儀式でエマを守れるくらいには強くなった。

「ねえ、ペルラおばさま!エルバってすごいのよ!神の岩の頂上でヘルコンドルに襲われたとき、痣が光って雷が魔物に直撃したの!まるで、エルバが雷を呼んだみたいで…」

痣が光ったという言葉を聞いたペルラの食べる手が止まる。

そして、彼女の目線がエマからエルバへと移っていく。

「エルバ、その話は本当かい?」

いつもとは違う、真剣な表情を見せながらペルラは尋ねる。

エルバは肯定するように首を縦に振ると、ペルラは席を立ち、そばにある棚からヒスイでできたペンダントを出し、それをエルバに見せる。

ペンダントには痣を逆さにしたのと似た形の紋章が刻まれていた。

「…考えないようにしていたけれど、おじいちゃんが言っていた通り、運命には逆らえないのかねえ…」

寂しげにペンダントとエルバの痣を見つめ、ため息をつく。

なぜそんな表情を見せるのかわからない2人はじっとペルラを見ていた。

決心がついたペルラはじっとエルバに目を向ける。

「大人たちだけの秘密にしていたけれど、ついに話す時が来たみたいだね…?」

「秘密…?ペルラ母さんとテオじいちゃんが本当の親じゃないってことはもう…」

「そうじゃない、それよりも大きなことさ…エルバ」

ペルラはペンダントをエルバに手渡す。

そして、彼の両肩に手を置いた。

「エルバ…あんたは勇者の生まれ変わりなんだよ」

「勇者…?」

その言葉を聞いた瞬間、心臓が一瞬大きく高鳴ったのを感じた。

同時に何か頭の中でバラバラになったジグゾーパズルがあるきっかけで次々と埋まっていくような感じがした。

「勇者…?ペルラおばさま、勇者って…?」

意味が分からず、困惑するエマが尋ねる。

エマも勇者という言葉を聞いたことがないためだ。

大人たちだけの秘密と言っていたので、多分マノロをはじめとした子供たちも知らないことなのだろう。

「勇者が何なのかはわからないけれど、あんたは大きな運命を背負っているって、おじいちゃんはずっと言っていたわ。成人の儀式が終わったら、デルカダールという北の大国へ向かわせてほしい。そして、王様にこのペンダントを見せたとき、すべてが明らかになるだろうって…」

「ペルラおばさま…それって、もしかして…」

その言葉の意味を理解できたエマだが、どうしても納得できなかった。

それはペルラも同じようで、寂しげな表情をまたエルバに見せてしまう。

「だからね…あんたは勇者の使命を果たすために、この村を出てデルカダールへ向かわなければならない」

「そんな…」

「デルカダール…」

デルカダールという国の名前は何度か聞いたことがある。

5つある王国の中で最も栄えている大国であり、更に現国王はもっとも聡明で王の素質をすべて持った稀代の帝王とまで評価されているほどの名君。

そこへ行けば、きっと勇者について真実を知ることができるかもしれない。

「ペルラ母さん、俺は…」

「あんたはもう16なんだ。成人の儀式を済ませた以上、いつまでも母さんに甘えてたら、笑われちゃうよ?」

笑みを浮かべたペルラはエルバの肩を叩く。

無理に作り笑いをしていることくらい、エルバにはわかっていた。

彼女もエルバと別れるのがつらいのだ。

「…」

そんなエルバとペルラを見たエマは急に立ち上がり、家を飛び出してしまう。

ドアを開けっぱなしにし、走って行ってしまう。

「エマ…!!」

急に出ていったエマのことが心配になったエルバは追いかけるように出ていく。

彼の後姿を見たペルラはドアを閉めると、椅子に座って天井を見つめる。

(これで、よかったのかねえ…おじいちゃん…)

 

「エマ…」

馬小屋の近くにある木を見つめているエマを見つけたエルバは彼女に声をかける。

その木はほかの木とは違い、何か模様が刻まれた太いツタが巻き付けられており、それを見たエルバは幼いころのことを思い出す。

「この木は、たしか…」

「うん。5年前だっけ…スカーフをひっかけちゃって…」

「ああ。その時、君は大泣きしてたね。家からも聞こえるくらい…」

「もう、そんなところは覚えてるわけ!?」

変なところを思い出したエルバに振り向いたエマは怒った表情を見せる。

だが、それもほんのわずかの間で、寂しげな表情に変わるまでそんなに時間はかからなかった。

「それで、エルバは村中を駆けまわってなんとかしようとしてくれた…」

「放って…おけなかったから…」

「優しいね、そういうところはずっと変わらない。だから…」

エマは何かを言おうとしたが、言ってはいけないと思ったのか、首を横に振る。

「ふふ。今日も同じことがあったっけ…?私、子供のころからちっとも変わってない…。でも、エルバは変わっていく…」

「エマ…俺は…」

「私、ずっとこの村でみんなと一緒に穏やかに暮らしていくんだろうなって思ってた。だから、勇者の生まれ変わりだってペルラおばさまが言ったとき、びっくりしちゃって…」

びっくりしたというのはエルバも同じだ。

痣があること以外何もほかの人と変わりないと思っていた自分が突然勇者だって言われても、どうしても疑ってしまう。

だが、疑うのと同時にあの鼓動の高鳴りが真実だと伝えていた。

今まで止まっていた時計の針が動き始めるような感覚だった。

エルバの隣に駆け寄ったエマは夜空を見る。

エルバも一緒に眺めると、雲一つない、星の海の中に1つだけ紫色の光る星が見えた。

「おじいちゃんから聞いたことがあるの…。遠い昔、世界中が魔物に襲われて大変だったとき、どこからともなく勇者が現れて、世界を救ったって…」

世界中が魔物に襲われるという言葉、そして今日の成人の儀式で現れたスモークやヘルコンドル。

なぜかその時と今の状況が重なって見えてしまう。

「それで…勇者は星になって、今もこの世界を見守っているらしいの…」

「エマ…」

彼女が言わんとしていることがエルバも理解できた。

エマはエルバが自分の手に届かない遠い存在になってしまうことを恐れている。

星になるということは、もう2度とイシの村へ帰ることができない。

ペルラやエマ、ルキ達と過ごすことができない。

勇者の生まれ変わりと言われたエルバにはその話が本当のように聞こえてしまう。

「エマ…俺は、星になんかならない。必ず、帰ってくる…。帰らなくちゃ、いけないんだ」

だが、エルバにとって帰る場所はイシの村以外どこにもない。

自分に暗示をかけるように、静かに、そして強く願いながら言う。

眼を拭いたエマは作り笑いをエルバに見せる。

「だったら、ちゃんと帰ってくるように毎日教会にお祈りしないと!エルバも教会とか女神像を見かけたら、帰れるようにお祈りしてね!」

「エマ…」

「じゃあ、私はそろそろ家に帰らないと…。ペルラおばさまには謝っておいてね?」

エマはエルバを通り過ぎるように走り、ある程度距離を置くと、足を止める。

「じゃあね…エルバ…」

必死に泣くのを我慢しながらそうつぶやいたエマは家へ走っていく。

彼女を呼び止めることができなかったエルバはただ彼女の後姿を見ていることしかできなかった。

(エマ…。俺は何も変わらないよ。5年前からずっと…今だって…)

 

翌日の朝、イシの村の北側の出入り口には村人たちが集まっていた。

その集まりの中心にはエルバの姿があり、イシの大剣を背中にさし、紫色の丈夫な麻生地でできた旅人の服を着ていた。

「うう…すっかり立派になって…。おじいちゃんにも、見せてあげたかったわ…」

「ああ。でも、サイズがあっていたなんて…」

この旅人の服はテオが晩年仕立てたもののようで、話によるといつか旅に出るエルバのためにと用意してくれていたらしい。

5年前と体格が違うのに、なぜこんなにもサイズが合っているのか疑問に思ったが、別の疑問によってそれが消えてしまう。

「エマは…来てないんですね…」

「帰ってからずっと部屋に引きこもっておる…。よっぽどショックだったようじゃな…。それから、すまなかったのぉ…ずっと隠していて…」

「いや…感謝してます。勇者だからって特別扱いされるよりもずっといいですから…」

「エルバ、この先何が起きても、あんただったら乗り越えられるって、お母さん、信じてるから。だから、頑張ってくるんだよ」

ペルラの言葉に首を縦に振るエルバの元へ、1頭の白い馬が少女に手綱を引かれてやってくる。

クラにはテントや荷物入れなどもあり、旅をするために必要な荷物が入っていた。

「フランベルグ…」

数年前に生まれたその馬の名前をエルバは口にする。

生まれたときには呼吸をしておらず、死産かと思われたが、エルバが撫でたときに呼吸をし始めた不思議な馬で、今ではこの村でも一番の名馬と言われるほどに成長している。

「この馬をおぬしにやろう。大事にするんじゃぞ」

「ありがとうございます…」

「勇者とは伝説の英雄…。その昔、大いなる闇を払って世界を救ったという。そんな大それた人物の生まれ変わりだとは信じられぬが…テオが言っていたのなら、きっと真実なのじゃろう。それから…デルカダール王に会ったら、この村のことをよろしく伝えておいてくれ」

最後の部分は耳打ちをするように、いたずらをする子供のような笑みを浮かべながらダンは言う。

きっと、勇者を育てたことへの報酬を期待しているのかもしれない。

デルカダールへ行って、直に王に会うことはできると思えないが、口約束ということで深く考えないことにした。

エルバはフランベルグの背に乗り、そっと撫でる。

「よろしくな、フランベルグ…。じゃあ、ペルラ母さん、村長、みんな…元気で…」

馬に乗ったエルバを見たペルラは我慢できなくなったのか、涙を流しはじめ、ハンカチで涙を拭く。

「エルバ、あんたは自慢の息子だよ。つらいことがあっても、くじけずに頑張っていくんだよ」

「ああ…」

「エルバ!!」

ペルラと別れのあいさつを交わしたエルバの元へ、エマとルキが走ってくる。

もう来ないものだと思っていた村人たちが驚く中、エルバはフランベルグから降りてエマに目を向ける。

「エマ…」

「エルバ、これを受け取って!帰ってから、急いで作ったの!」

エマから青い小さな手作りのお守り袋が渡される。

首にかけることができるように紐もついており、エルバはすぐにそのお守りを首にかけ、服の中に入れる。

「ありがとう、エマ…」

「エルバ、どんな使命が待っているかわからないけど…けど、どこへいても、この村のことを忘れないで!そして、元気で帰ってきて!」

「わかってる…必ず、帰るから」

お守りのある位置に手を当て、決心をすると、エルバはエマを抱きしめる。

突然のことにびっくりするエマの耳元で小さな声で「行ってくる」とだけ言うと、再びフランベルグの背に乗る。

そして、切通を通って村を出ていった。

エマは抱きしめられた時に感じた彼のぬくもりを心に刻み、じっと彼が通った切通を見つめていた。

「エマちゃん…」

「大丈夫です、ペルラおばさま。エルバは必ず帰ってきます!だって、エルバが帰る場所は…ここだけなんですから!」

曇りない笑顔を見せながら、エマは言った。




イシの村
デルカダールの南方にある渓谷にある小さな農村。
大地の精霊を信仰しており、ペルラやエマといった穏やかな性格の人々が多い。
村の外からの情報は東にある漁村との交易によって仕入れており、今のところはイシの村の存在をデルカダール王国は認知していない様子。
村長であるダンは村のこれからの発展のことを考えており、今回旅に出たエルバが使命を果たして帰ってきたとき、勇者にちなんだイベントを作ろうとたくらんでいる模様。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 デルカダール

「いやー、どうだろうねえ。16年前に娘さんをなくしてから、すっかり仕事一辺倒になったって聞いてるよ。おかげで貴族ですら謁見がなかなか難しいとか…。たまには休んでほしいけどなぁー」

「そうですか…ありがとうございます」

宿屋の主人に宿代を支払い、エルバは荷物を持って外へ出る。

目玉焼きと食パン、トマトサラダの朝食付きの宿屋で、どれもおいしかったが、どうしても家のご飯と比較してしまう。

(旅立って4日でホームシックか…)

イシの村を離れて4日、そしてデルカダールには昨日着いたばかり。

道中魔物と戦い、キャンプで野宿をしつつようやくたどり着くことができた。

宿屋はキャンプとは違いお金がかかるものの、ふかふかのベッドがあるため、かなりのんびりと休むことができる。

キャンプだと火を見ていないといけないため、あんまり長く休むことができない。

(さてっと、どうやって王様と会うか…)

デルカダールについて、国営の馬小屋にフランベルグを預けたときにはもう夜更けになっており、その日は会いに行くには時間が遅すぎた。

(今日は会うことができるか…?)

今は午前9時ごろで、城ではもう仕事が始まっている。

10時か11時くらいに城へ行けば、もしかしたら会えるかもしれない。

エルバはそれまでどのようにして時間をつぶそうかと考え始めた。

大通りにある噴水の近くで考えていると、後ろから歩いてきた人がぶつかってくる。

「おっと、ごめんよ!」

ぶつかった町人は軽く謝るとそのまま走っていく。

不審に思ったエルバは腰のベルトに手を当てる。

しかし、そこにいつもかけている麻袋の財布が消えていた。

「まさか…待て!!」

スリだということが分かったエルバは走る彼を追いかけ始める。

あの麻袋にはペルラが用意してくれたお金とヒスイのペンダントが入っている。

必ず取り返さないといけないもので、エルバは必死に走った。

西の住宅街の細い道に入り、スリの男が息切れをし始める。

田舎育ちで体力のあるエルバはその隙を見逃さず、彼に思いっきりタックルを仕掛ける。

タックルされたスリの男はエルバともども路上に倒れ、彼の手からエルバの財布が零れ落ちる。

「イシの村では、こんなことなかったのに…」

財布を手に取ったエルバは中身を見て、無事であることを確認した後でスリの男をにらみつける。

「な、なんだよ!?お前がうっかりしていたのが悪いんだろ?財布もこの通り、返したから…」

罪悪感を見せることなく、スリの男は被害者であるエルバを責めるような言動を見せる。

デスカダール王との謁見のことを考えていて、スリの男とこれ以上かかわりたくないと思ったエルバは背中にさしているイシの大剣をわずかに抜き、その刀身を男にちらつかせる。

幸い、この道路には2人以外に歩行している人はいない。

「す、す、すまねえ!!魔が…ちょっと魔がさしただけなんだ!!勘弁してくれー!!」

刃を見たことで、すっかり顔を青くした男は一目散にその場を走り去っていく。

デルカダールに入る前に、正門を警備している兵士からスリなどの犯罪に注意するように言われていた。

イシの村ではほとんどの人と顔見知りで、このような犯罪はあり得ない。

人が多く、知らない人の数が圧倒的に多いデルカダールのような都市だからこそ、起こるのかもしれない。

「いちかばちか…やってみようか…」

ペンダントを見ながら、エルバは決意する。

考えてばかりで、手をこまねくよりもはるかにましだと思えた。

何より、テオの言葉を信じたかった。

 

「ハハハハ!!お前が、勇者の生まれ変わり!?」

「バカか!?もしかして、頭でもイカれたのか!?」

デルカダール城入り口前で、エルバを見た2人の兵士が腹を抱えて笑っている。

エルバは彼らに自分が勇者の生まれ変わりで、その使命を知るためにも王に合わせてほしいと直談判した。

左手に刻まれている痣を証拠として見せたが、当然のことながら2人とも信じるはずがなく、大爆笑するだけだ。

(まぁ、当然の反応だろうな…)

イシの村で自分が勇者の生まれ変わりだと最初に行ってのはテオだ。

彼はダンの友人であり、おまけに村人からの信頼も厚かったことから、信じてもらえた。

しかし、ここはイシの村ではなく、デルカダール。

そして、話しているのはダンではなく、エルバ本人。

デルカダールでは、今のエルバは昨日来たばかりの田舎者でしかない。

そんな彼の言葉を信じる人の方が稀だろう。

エルバは麻袋からヒスイのペンダントを出し、兵士に見せる。

「はぁ…?なんだ、そのペンダントは?」

「これを王様に見せれば、勇者についてすべてがわかると聞きました」

ペンダントを見た瞬間、兵士たちの様子が一変し、コソコソ話した後でそのうちの1人が確認のために城へ入っていく。

エルバにはこのペンダントが何なのかはいまだにわからない。

しかし、ここで見せたことで効果があったことだけは理解できた。

数分経過すると、確認しに行った兵士が走って戻ってくる。

そして、残っていた兵士に耳打ちをしたあとで、2人仲良くエルバに目を向ける。

「「先ほどは大変失礼いたしました、勇者様!!どうぞ、お通りください!!」」

2人そろって敬礼し、エルバに道を通す。

急な態度の変化に戸惑うエルバだが、彼らに礼を言った後で城へと進んでいった。

 

「すごい…」

城の中に入ったエルバの第一声がそれだった。

赤い絨毯に高い天井、黄金でできた双頭の鷲。

この鷲はデルカダールのシンボルであり、国旗にも使われている。

2つの頭にはそれぞれ、武勇と知略を象徴しており、文武両道を意味しているとのこと。

城下町で聞いた話では、この国には武勇のグレイグと知略のホメロスという2人の将軍がいて、彼らはこの双頭の鷲の生き写しだという人が多い。

実際、グレイグは無敗を誇る武人であり、ホメロスも知略によって戦況を一変させることのできる軍師だという。

イシの村で暮らしていたエルバはそういう有能な将軍の存在は聞いていたが、名前やその中身までは聞いたことがなかった。

だが、ここへ来たのは観光のためではなく、勇者の使命を知るため。

気持ちを切り替えたエルバは階段を上る。

「まったく、これはどういうことだ!?」

2階の廊下を歩いていると、小太りの貴族が兵士の1人に文句を言っていて、兵士は必死に彼を落ち着かせようとしていた。

「1週間謁見を待たせた上に、ワシよりも先に田舎者の謁見を優先させるじゃと!?ふざけるな!!ワシが先に約束したんじゃぞ!!」

幸い、貴族は目の前の兵士に夢中になっていて、近くを通るエルバを気にかけていない。

そのことに感謝しつつ、勇者ということだけでこのような融通が利くことに驚きながら、前へ進んでいく。

一番奥にある王の間の扉を開くと、そこには警備のためなのか、十数人の兵士がいて、更には王座を守るように2人の男性が立っていた。

1人は紫色のロングヘアーであごひげがあり、双頭の鷲が胸部に描かれた黒い重装な鎧を着ている。

もう1人は190近い身長の彼と比較すると10センチ程度低いものの、胸部に同じ模様がある白い鎧を着用していて、金髪な上にかなり整った顔立ちをしている。

彼らに左右を守られ、王座に座っているのは白髪で激務のためか皺の多い老人だ。

しかし、長く整った白いひげを生やしており、その眼光はやはりどこにでもいる老人とは大違いであることを示唆している。

彼がデルカダール王で、歴代最高の王として国民から強い支持を得ている男だ。

入った来たエルバを見た王は彼が持つヒスイのペンダントを見る。

「ユグノアのペンダントか…」

「ユグノア…?このペンダントについて、何か知っているんですか?」

ユグノアという名前は宿屋で過ごしていたときに小耳にはさんだが、なんでも16年前に滅びた国とのこと。

ここから北東にあった国であり、その時はデルカダールと砂漠の国のサマディー、年中冬の国のクレイモラン王国による4か国会議、通称サミットが行われており、各国の国王が招かれていた。

ロトゼタシアでは古くから5つの大国でサミットが開催されており、かつてはユグノアの隣国であるバンデルフォン王国も加わっていた。

しかし、30年前に魔物による攻撃で滅亡してからは4か国で行われることになった。

その時のサミットではどのようなことが話し合われていたのかはわからず、それが終盤に差し掛かったころに突然魔物の大軍から襲撃を受けたという。

王族はすべて殺され、多くの兵士や国民が命を落としたという。

犠牲者の中にはデルカダール王の一人娘もいた。

ただし、これはあくまで一緒の宿に泊まっている旅人の話を偶然耳にしただけで、詳細についてはエルバも分からない。

しばらく目を閉じた王はじっとエルバに目を向ける。

「よくぞ来た、旅の物よ。ワシがデルカダール王である」

「エルバです。今日はお時間をいただけたこと、感謝します」

一国の王である彼に失礼がないように、胸に手を置いて頭を下げる。

「こうして、そなたがここに来ることを長年待っておった。このペンダントを持っているということは、自分の素性をある程度知っているということじゃな?」

「はい…俺が勇者の生まれ変わり、みたいです」

左手の痣を王に見せながら、エルバは少し自信なさげに言う。

デルカダール王が放つプレッシャーのせいか、断定するように言うことができなかった。

しかし、痣を見た周囲の兵士たちはざわつき始める。

「この痣は…」

「まさか、本当にあの少年が…」

「静まれ、陛下の御前であるぞ」

白い鎧を着た男の言葉で、兵士たちが一瞬のうちに静かになる。

兵士たちを静めた男にうなずくと、王は立ち上がる。

「そうか…そなたがあの時の…。皆、喜べ!今日は記念すべき日!ついに伝説の勇者が現れたのじゃ!」

王の言葉を聞き、兵士たちが歓声を上げる。

まるで、勇者がこの国に来るのを今か今かと待ち続けていたかのように。

ここまで自分が来たのを喜ばれたことがなかったエルバは驚くも、あまり悪い気分ではなかった。

「して、勇者よ。そなたはどこから来たのだ?そなたを育てた者に礼を言わねば…」

「イシの村の人たちが俺を育ててくれました。ここから南にある渓谷にある小さな村です」

「そのような村があったとは、初耳じゃが、おそらく真実なのだろうな。ホメロス」

「はっ…」

王に向けて敬礼した白い鎧の男、ホメロスは王の間にいる兵士の半数を引き連れて出ていく。

そして、黒い鎧の男、グレイグはエルバの目の前に立ち、睨むように彼を見下ろす。

「俺が…何か?」

「まさか1人で乗り込んできたとは…。何を企んでいるかは知らぬが、貴様の思い通りにはさせんぞ!勇者め!!」

「何!?」

何を言っているのかわからないエルバを突然、先ほどまで歓声を上げていたはずの兵士たちが取り囲み、剣を向ける。

逃げ場所を失い、少しでも抵抗すればのどの剣が刺さってしまう。

「これは…一体どういうことですか!?」

王に目を向けたエルバは抗議するように尋ねる。

立ち上がった王はじっとエルバをにらみつける。

「災いを呼ぶものを牢屋へ連れていけ!」

「災いを呼ぶもの…それは俺だって言うのか!?」

テオと村人たちは勇者を世界を救う存在だと言った。

それとは正反対の発言をする彼の言葉が信じられなかった。

「皆の者も知っていよう!勇者こそがこの大地にあだなす存在!勇者こそが邪悪なる魂を復活させる者!勇者と魔王は表裏一体なのじゃ!」

「違う!俺を育ててくれた人は言っていました!勇者は世界を…」

「黙れ」

背中にさしている剣を抜いたグレイグが剣先をエルバの目と目の間に突き付ける。

あと数ミリ前へ出せば、グサリと刺さってしまう位置だ。

「我が王はあのように聡明なお方。勇者が何者であるかわかっておられたのだ。お前には、不運だったな…」

(どういうことだ…どっちが、どっちが真実なんだ…?)

エルバにはわからなくなった。

勇者とは世界を救う存在なのか、それとも王が言う通りロトゼタシアにあだなす存在なのか。

勇者についてよくわからないエルバには反論することができない。

「よし、この者を捕らえろ!!」

拘束されたエルバはそのまま王の間から連れ出される。

扉が閉まる直前、エルバの眼には憎悪に満ちた表情を浮かべる王の姿が映った。

 

デルカダール城の地下牢には他の国とは例外なく、犯罪者たちが入っている。

荷物を奪われたエルバはボディチェックをされたうえで、最深部の地下牢へと連行される。

そこは殺人などの重大な犯罪を犯した人々が収監される場所であり、ここに入るということは終身刑か死刑を意味する。

エマからもらったお守りだけは持ち込みが許されたエルバを牢屋に入れ、扉は厳重に施錠される。

そのあとで遅れてやってきたグレイグはエルバをじっと見る。

「イシの村か…お前の言ったことが真実かは3日もすればわかることだろう。探索に出てきたホメロスが戻ってきたその時が悪魔の子よ、貴様の最後だ…」

「お前…イシの村をどうするつもりだ!?答えろ!!」

鉄格子をつかみ、必死に揺らしながらエルバは叫ぶ。

その質問に答えることなく、グレイグはその場を後にした。

「待て!俺の質問に答えろ!!村をどうするつもりだ!?勇者が悪魔の子っていうのはどういうことだ!!答えろーーーー!!!」

「ギャーギャーうるせえな。少し落ち着けって」

聞き覚えのない若い男性の声が聞こえ、エルバはその方向に目を向ける。

向かい側の牢屋に入っている、フードがついた緑色のチュニック姿の男が壁にもたれて座っている。

終身刑か死刑が確定しているこの地下牢でどうしてここまで落ち着いているのか、エルバにはわからない。

「落ち着けるか…。勇者が悪魔の子だって?俺が聞いた話と全然違うじゃないか…」

「うん…勇者?お前、勇者なのか?」

「そうらしい…」

エルバはその場に座り込み、左手の痣をその囚人に見せる。

壁に掛けられている松明の明かりのおかげで、囚人にもその痣がよく見えた。

「この痣…おいおいマジかよ。勇者様と同じ牢で過ごすなんてな…。…おっと!」

何かに気付いた囚人は元の位置に戻り、沈黙する。

「勇者について知っているのか!?答えてくれ、勇者ってのは、なんなんだ!?」

「うるさいぞ、悪魔の子め!!」

階段から降りてきた兵士が持っている鎮圧用の棒で鉄格子を叩いた後で、囚人のいる牢屋の前へ行く。

彼の手には粗末な木の器が握られており、中には豆のスープが入っていた。

「お待ちかねの…最後の昼飯だぞ。この世との別れの挨拶は済んだか?死刑囚」

扉の下にある少し大きめの隙間から牢屋の中に木の器が入れられる。

囚人は兵士の言葉に応えることなく、ただ座ったまま沈黙していた。

「ハッ、いまさらお祈りをしているつもりか?それで罪が軽くなったら法律なんていらないさ」

後ろへ振り返ったのとほぼ同時に囚人は立ち上がり、兵士の真後ろに立つ。

そして、彼の首に親指を押し当てた。

兵士は何かが刺さったと思い、振り返ると同時に意識を失った。

意識を失った兵士の体を左手で支えた囚人は腰のベルトにぶら下がっている鍵束を奪い取る。

そして、自分の牢屋の鍵を開けて外へ出た。

「あんた、気づいていたのか…?牢屋番が来るのを…」

「まあな。職業柄さ」

意識を失った兵士を入っていた牢屋の中に隠すと、囚人はエルバの牢屋の鍵を開ける。

彼の手には兵士から奪った兵士の剣が握られており、エルバはゆっくりと後ろへ下がる。

「まさか、本当に勇者が俺の前に現れるとはな…」

「俺を…殺すつもりか?」

丸腰のエルバには剣を持っている囚人を止める手立てがない。

距離が短いため、メラを唱えるために印を切っている間に刺されて、終わりだ。

このような真似をしたため、脱獄を考えていることはエルバにもわかる。

そうなると、目撃者であるエルバが邪魔になる。

「すべては…あの預言通りだったってワケか。来な」

「何…?」

「いいから来な、ここで死にたくねえだろ?」

兵士の剣を自分がいた牢屋に投げ入れた囚人はエルバの腕をつかみ、そこへ連れていく。

そして、床の一部を隠している莚を取ろうとした。

その莚はエルバがいた牢屋にもあり、囚人たちのベッドとして使用されている。

だが、何かが聞こえたのか囚人は手を止め、懐に左手を突っ込む。

「ちょっと待ってな」

牢屋を出ると、囚人は懐から木でできた手作りの吹き矢を出し、それから針を発射する。

その数秒後に物音が聞こえ、囚人はその方向へと走っていく。

そして、戻ってきたときの彼の手には大きな袋と短剣が入った鞘が2つ握られていた。

「吹き矢…どうして?」

「この中で作ったのさ。この荷物、お前のだろ?」

大きな袋を手渡されたエルバは中身を確認する。

この袋の中で囚人たちの没収物が管理されていたようで、中にはエルバの財布や宿屋に置いてきたはずの荷物が入っていた。

逮捕された後ですぐに泊まっていた宿にも調査のメスが入ったのだろう。

あまりにも手際が良すぎるように感じられたが…。

イシの大剣は別の袋に入っているようで、この中には入っていない。

「さて、脱獄だ…」

改めて、囚人は莚をどかす。

そこには人ひとり入れるくらいの大きなの穴が隠されていた。

「これは…」

「ここに入ってから、ずっと掘ってたのさ。今日脱獄しようと思っていたが、まさかそんな日にお前と会えるなんてな…。どうやら、あの預言の通り…エルバ、お前を助ける運命にあるらしいな」

「なんで、俺の名前を知っている?それも、その預言なのか?」

「それは…おっと、ここで説明している時間はないな」

足音が聞こえた囚人は持っている2本の短剣を腰に差す。

「先に行きな!悪いが、大きい荷物は持っていけないぞ」

「そうみたいだな…」

エルバの耳にも、兵士の足音が聞こえてくる。

剣を取り戻す時間がないことはそれで分かったエルバは囚人が投げ入れた兵士の剣を手にする。

大剣とは違い、軽くてエルバにとっては頼りない雰囲気があるが、それでもないよりはましだ。

そして、袋から財布を含めて持っていける分だけ荷物を取り戻すと、穴に入っていった。

(エマ…ペルラ母さん…みんな、今行く…!)

胸に宿る大きな不安を必死に振り払うように、エルバは穴の奥へと進んでいった。




デルカダール王国

イシの村の北部にあるロトゼタシア最大の王国。
軍事力・経済力は4か国の中で最も大きく、それ故にサミットでは首長国の立ち位置にある。
城下では放棄された堀の中に違法建造されてできたスラム街があることから、貧富の差に問題が生じているものの、それでも大多数の国民は平和と繁栄の中で過ごしている。
16年前のユグノア王国滅亡の際に王は一人娘を失っており、高齢になったことから後継者問題が発生しており、現在では王の比較的血縁の深い貴族の子を養子として相続させることが検討されているという噂がある。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 脱獄

「よし、こっちだ…!」

地下水路で、囚人は物陰から警備兵の様子を確認しながら、エルバを誘導する。

穴を通った先にあったのはこの地下水路で、井戸や水飲み場へ供給される水が通っていることもあり、毒を入れられるなどすると危険であるため、このように警備兵がいるのは当然のことだろう。

「ん…ちょっと待て」

エルバがそばまで来ると、囚人は彼を制止する。

同時に上の階から3人の兵士が下りてきた。

「警戒を厳にしろ!!死刑囚が2人逃げた!」

「何!?牢屋番は何をしていた!?」

「それが…2人とも意識を失っていた。おまけに…眠り薬が塗られた針が刺さっていたらしい…」

「針だって!?くそ…お前ら、探せー!!」

兵士たちが散らばり、エルバ達を探し始める。

「ちっ…ちょっとマズくなってきたぞ」

死刑囚の内の1人が勇者だということもあり、これから考えられるのは兵士の増加だ。

今増えた3人だけであれば、まだ対処できる。

しかし、ここから徐々に人数が増えると、見つかるのは時間の問題だ。

「気づかれていないうちに急ぐぞ…!」

「あ、ああ…!」

囚人のあとに続くように、エルバも走る。

エルバには、目の前の青年がどうしても死刑囚になるほどの罪を犯した人物のようには思えなかった。

走るペースをエルバに合わせるだけでなく、地下牢で兵士を2人倒した時も、吹き矢で眠らせただけで不要な殺生を避けている。

そんな彼がどうしてあの場所にいたのか…?

だが、今はそれを考えている場合ではない。

一刻も早くデルカダールを出て、イシの村へ戻らなければならない。

「見つけたぞ、あそこだ!!」

「くそっ!やっぱり見つかったか!」

兵士の1人がエルバ達を見つける。

来た道にはすでに兵士が来ており、声が聞こえたのか、エルバ達のいる方向へ走ってきている。

逃げ道があるとしたら、近くにある橋だ。

囚人とエルバは橋を渡ろうとするが、その先には3人の兵士がおり、剣を抜いていた。

「囲まれた!?」

「2、3人くらいなら一度に相手をしても問題ないがよぉ…」

短剣に触れた囚人は周囲を見渡す。

見える範囲だけで今、兵士は6人から8人。

エルバにどれだけの力があるのかはわからないが、この人数を突破するのは難しいと考えていいだろう。

(こうなったら、加減はできねえか…うん?)

ボコッと橋から変な音が聞こえる。

兵士たちがエルバ達を捕まえようと橋を上ると同時に橋がガラガラと崩れていく。

「うわあああ、マジかぁぁ!?!?」

エルバ達は端にいる兵士もろとも、真下に流れる水の中へ落ちていく。

異変に気付いた残りの兵士たちが橋が崩れた場所を調べに来た時には、そこにはだれもいなかった。

 

「おい…しっかりしろ、おい!!」

ペチペチと誰かに頬を叩かれる感触がし、エルバはゆっくりと目を開く。

そこには例の囚人の姿があった。

目の前には水路があり、どうやらエルバは囚人の手によって水の中から引き揚げられ、この場所で眠っていたのだろう。

お互いに服がかなり濡れており、それほど時間はたっていないようだ。

ハッと、何かに気付いたエルバは服の中に手を入れて何かを確かめる。

首にかけてあるお守りは少し濡れてしまっているが、流されておらず、ちゃんとかかっていたため、エルバはふぅと一安心する。

「首にかけてるそれ、大事なものらしいな…」

「ああ…大事なものだ」

「水に落ちたおかげで、どうにか撒けたみたいだ…。だが、ここはどこだ…?」

地図を持っていない囚人にはどこまで流されたのか検討がつかなかった。

デルカダールの中にいることは間違いないと思うが、問題はどこの位置にいるかだ。

それを確かめるには進むしかないが、選べる道はエルバの背後に広がる大きな通路だけだ。

立ち上がり、水路を見たエルバの眼が大きく開く。

「どうした?エルバ…」

「あれは…」

エルバが指さした方向には兵士2人が浮かんでいた。

ピクリとも動いておらず、念のために囚人は水に入り、その2人の脈を測る。

「俺たちはラッキーだったぜ…。こいつらと違って身軽だった。うん…?」

兵士の死体のそばに、ボウガンが浮かんでいる。

片手で撃てるタイプのもので、威力は低いものの、小型の野生動物やモンスターを狩ったり、不意を突いて攻撃をするのに向いているうえに取り回しもいい。

死体を調べると、それを使うためのボルトが何本か入った革袋ある。

それらを手にした囚人はボウガンとボルトをエルバに渡す。

「こいつはお前が持っておけ。いざというときに役に立つ」

「…」

生まれて初めてこういう形の人間の死体を見てショックを受けているのか、エルバは何もしゃべることができず、動きも止まっている。

囚人はエルバの胸ぐらをつかむ。

「今はこんなのを気にしてる場合じゃねえだろうが…!お前には、もっと気にしなきゃいけねえことがあるだろう!」

囚人の言葉を聞き、エルバはやらなければいけないことを思い出す。

一刻も早くイシの村へ戻り、襲ってくるかもしれないデルカダールの軍隊から助ける。

どうやって助けるかはまだ考えることができていないが、それは道中で考えればいい。

そのためにも、今は先へ進むしかない。

「目が覚めたようだな。こいつなら、やろうと思えば兵士を殺さずに足止めできる。あいつらはけが人が出たら、そいつらのカバーを優先するからな」

エルバは腰に革袋とボウガンを取り付ける。

泥棒をした感じがして、よい気分ではなかったが、囚人の言う通り、今はそのようなことを気にしている場合ではない。

エルバと囚人は先へと進んでいく。

 

暗闇の中を、足場や壁などを手で触れながら進んでいく。

水にぬれたせいで今はエルバのランタンは使えず、壁には松明がかけられていない。

松明置き場もないため、おそらくこの洞窟は人工の物ではないだろう。

「となると…魔物がいるかもな」

「随分と旅慣れしてるんだな」

「訳あって、5年近く旅してるからな。…!動くな」

後ろからついてくるエルバを囚人が左腕を出して制止させる。

足を止めると、エルバの耳に聞いたことのないいびきが聞こえた。

暗いせいで前はよく見えないが、この先に何か大きな魔物がいるのは間違いないだろう。

エルバが今まで見た中で一番大きい魔物はヘルコンドルだが、地面を揺らすような低いいびき声をそのモンスターが出すはずがない。

だが、ここまで歩いても別の道はなく、一本道しかない。

2人は身をかがめ、足音を立てないように気を付けながらゆっくりと前へ進んでいく。

いびき声を出しているということは、おそらく眠っており、気づかれないように気を付けて歩けば、気づかれずに済むかもしれない。

前へ進むたびにいびき声が大きくなり、あまり聞いていい気分の物ではなく、エルバは左手で頭を抱える。

旅慣れした囚人はそういうものには慣れているのか、全く気にせずに進んでいる。

「これは…」

「静かにしろ」

しばらく歩き、エルバの目に8メートルを超える巨大な黒いドラゴン、ブラックドラゴンが飛び込んでくる。

さすがの囚人もそのような魔物をめったに見ないためか、冷や汗をかいている。

同時に、デルカダールの地下にそのようなモンスターがなぜいるのかが気になった。

(デルカダールにはモンスターが入ってきていないはずだろう…?)

小さい魔物が忍び込んで住処にしている程度ならばわかるが、このような巨大なモンスターが入ってくるのを兵士たちが見逃すはずがない。

しかも、侵入ルートとしてはあの水路しかなく、そこを入ってここまで来るとなると当然人々の目に入るのは間違いない。

奇妙に思いつつ、囚人はエルバを誘導し、先へ先へと進んでいく。

ブラックドラゴンの頭の先に出口へ続くと思われる道がある。

2人がブラックドラゴンの首の部分まで差し掛かった瞬間、ゴトリと石が落ちる音がする。

天井となっている石の一つが落下し、ブラックドラゴンの頭に当たる。

その衝撃でブラックドラゴンの眼が開く。

「やば…!!」

目を覚まし、ブラックドラゴンの視界に囚人とエルバが入ってしまう。

自らのなわばりに入られるのを嫌う習性をもつブラックドラゴンが2人に向けて激しく咆哮する。

すんでのところで耳をふさいだ2人だが、あまりのうるささで身動きが取れない。

耳をふさぐタイミングが少しでもずれていたら、両耳の鼓膜が破れていただろう。

ブラックドラゴンの左手がエルバに向けて振り下ろされる。

「あ…ぶねえ、エルバ!!」

このような魔物と初めて出会い、しかもみられてしまったことで、エルバは恐怖で足をすくめてしまう。

囚人が腕をつかみ、思いっきり引っ張ったことで、その手はエルバをつぶすことなく地面をたたきつけた。

「止まったら死ぬぞ!!死にたくなかったら走れ!!」

囚人もあのブラックドラゴンと正面から戦おうとするほど馬鹿ではない。

エルバの腕を引っ張り、出口へ続くと思われる道を走る。

ブラックドラゴンは住処に入ってきた野蛮な人間2人を血祭りにあげようと追いかける。

隠れるように暮らしていたスライムや大ガラス、モコッキーやランタン小僧が巻き込まれるのを恐れて我先にと小さい穴に入ったりして身を隠したり、逃げ出したりする。

「もっと早く走れ!!踏みつぶされるぞ!!」

「くぅ…あああ!!」

囚人に引っ張られ無理にでも走ったことで、恐怖よりも生きたいという生存本能が上回ったのか、エルバも必死になって走る。

しかし、2人に待ち受けていたのは出口ではなく、崖だった。

人工的に作られた洞窟でないため、当然のことながらはしごなんてあるはずがない。

「くっ…!!」

囚人とエルバはがけ下を見る。

飛び降りても、死にはしない程度の高さではあるものの、若干の水たまりがある程度の硬い石の足場であり、着地や受け身に失敗すると、骨折があり得る。

しかし、ブラックドラゴンが迫る中、生き残る道はこれだけだ。

「飛び降りるぞ!!」

「わ…わかった!」

他に選択肢のないエルバは囚人共々崖から飛び降りる。

飛び降りた2人に驚いたのか、ブラックドラゴンは足を止める。

囚人は着地の際に前転をし、体から衝撃を逃がして無傷で着地する。

エルバも木の上から飛び降りたときの経験を生かして、着地と同時に全身を使って衝撃を逃がした。

ただ、地面と石の上では感覚が違うのか、若干体に痛みを感じた。

「ハハ…やるじゃねえか。さっきまで足をすくませてたくせに…」

「死にたくないって思っただけだ。あんた、こういうことばっかりしているのか?」

「まあな。こういうのは数えきれないくらい経け…」

後ろを向いた囚人がしゃべるのを辞める。

なぜ急にしゃべらなくなったのか気になったエルバだが、嫌な予感がして後ろを振り向いた。

ブラックドラゴンが飛び降りる姿が見え、2人の目の前で着地した。

どうやら、今回のブラックドラゴンはかなり短気なうえに執念深い個体のようだ。

「マ、マジか!?!?」

「本当に逃げ切れるのか…!?」

再びブラックドラゴンと人間2人による追いかけっこが始まり、エルバの脳裏に2人ともつかまって食われるビジョンが構築されていく。

勇者の真実を確かめるために旅立って1週間足らずで、そんなあっけない結末はごめんだとエルバは必死になって走る。

しかし、いくら走っても外の光が2人を包むことはなく、ただいたずらに体力だけを奪い取っていく。

「おい、エルバ!!あそこだ!!」

息切れしつつあった囚人は先にある分岐点に指をさす。

そこから右へ曲がった道の両端は落石でふさがれており、その間には人間1人通れるくらいのスペースがある。

あそこを通れば、ブラックドラゴンを巻くことができるかもしれない。

「よし…!!」

エルバと囚人は右へ曲がり、そのスペースの中へ飛び込んでいく。

囚人が先に入り、後から入ってきたエルバを引っ張って入れると同時にブラックドラゴンが到着し、岩の隙間から2人を見る。

こうなれば、捕まえるのは不可能であり、ブラックドラゴンは悔しさを表現したいのか、強く咆哮する。

「長居は無用だ…逃げるぜ!」

「ああ…でも、ここから先へ行けば出られるのか?」

「そこは運を天に任せるしかねえだろ…!」

言い出しっぺの囚人も、この道が出口へ続いているのかわからない。

だだ、ブラックドラゴンに追いかけられ続けるよりはマシだと思うしかなかった。

先ほどと同じ一本道を2人は歩き続けた。

しかし、10分後には一本道とは違う景色が見えてきた。

「くそ…!戻ってきちまったか…」

それは例の地下水路であり、エルバ達はそこへ戻ってきてしまっていた。

違いがあるとすれば、本来行くはずだった橋の向こう側まで来たというだけだ。

「おい、ここにいたか!?」

「見つかりません!流されてしまった兵士も!」

「くそ…悪魔の子め、運を味方につけやがって!!」

なかなか見つからないことに腹を立てた兵士が壁に拳をたたきつける。

脱獄が確認されてからすでに2時間以上経過している。

このことが王に知られたら最後、よくて謹慎、悪くて免職があり得る。

そうなると家族を路頭に迷わせることになってしまう。

そんな最悪の未来をイメージしながら、兵士たちはエルバ達を探す。

「…!!見つけたぞ、悪魔の子だ!!」

「やっべえ、逃げるぞ!!」

「くそ…!」

先ほどまでブラックドラゴンに追いかけられ、必死に逃げていたこともあり、2人とも体力を大幅に消耗している。

先ほどの一本道を歩いている間に回復できた体力は雀の涙程度。

それでも、捕まらないように必死に走る。

「見えた…出口だ!!」

走っていると、外の光が見えてきて、前までは当たり前だった光を今日のエルバはとてもありがたく感じていた。

囚人も久しぶりにこれほど明るい光を見たのか、目が少し慣れておらず、フードと手で目を隠している。

2人は出口を出る。

しかし、少し走ったところで2人は立ち止まってしまう。

「ハハハハ!!バカめ!!ここは行き止まりだぁ!」

追いかけてきた兵士の1人が高笑いしながら言う。

彼の言う通り、そこは崖になっており、すぐそばには滝がある。

高さは30メートル以上あり、用意もなしに飛んだら大けがをするか、死んでしまう。

兵士たちは剣を抜き、ジリジリと近づいてくる。

エルバは奪った兵士の剣を抜いて、構えようとするが、囚人が彼の肩に手を置き、制止する。

「やめろ、ここで戦っても、死ぬのは目に見えている」

「でも、捕まったら、それこそ終わりだろう!」

ここから飛び降りると死ぬ可能性が高いことを考えると、エルバの考えは妥当かもしれない。

だが、今ここに来ている兵士は5人で、聞こえてくる足音を考えると、更に5人以上来る可能性が高い。

それだけの兵士と戦って、勝てる見込みは薄い。

「ああ…。だから」

「ということは、お前…まさか…!!」

囚人がこれからやろうとしていることに気付いたエルバの目が大きく開く。

すると、彼はフードを取り、隠れていた青いツンツン頭が外の空気にさらされる。

「俺は信じてるぜ…勇者の起こす奇跡というやつを」

「お前…」

囚人の眼を見たエルバは口を閉ざす。

彼の眼は本気でエルバを信じているのか、まぶしく見えた。

出会ってからそんなに時間が立っていないにもかかわらず、ここまで自分を助けてくれて、しかも本気で信じてくれている。

そんなありえないようなことが、今自分の目の前で起こっていた。

そうなると、もうできることは1つしかない。

「…知らないぞ」

「カミュ」

「え…?」

「俺の名前だ。覚えておいてくれよな…」

「…わかった」

2人はうなずき合い、兵士たちに背中を向ける。

「な…き、貴様ら、まさか!?」

何をしようとしているのか理解した兵士は2人が狂ったかのように見えた。

ここから飛び降りるのは明らかに自殺行為で、死期を速めるだけに彼の眼には映っていた。

「行くぜ!!」

「うおおおおおおお!!」

エルバも腹をくくり、囚人であるカミュと共に走る。

走っている間、エルバは胸にあるエマのお守りに触れ、そしてカミュと共に崖から飛び降りた。

兵士たちが何か叫んでいるが、今のエルバの耳には届かない。

(エマ…!)

お守りに自分と村の人々の無事を願いながら、エルバは意識を手放した。

 

「ふうう…1人で掃除するのは疲れるわね」

木陰に隠れるようにぽつんと存在する小さな教会の中で、老いたシスターが箒を使ってゴミを集めていた。

この教会には彼女1人しかおらず、実質的に彼女の住処となっている。

外には畑があり、教会には機織り機が存在し、それによって彼女は自給自足の生活をしている。

また、城下町の外にあるにもかかわらず、ここにもお祈りに来る人々がおり、彼らから寄付や手伝いを受けることもあり、生活には不自由がない。

掃除を終えたシスターは洗濯を始めようかとしていたとき、馬の嘶きが聞こえてくる。

「何かしら…?もしかして、旅人の方かしら?」

シスターは掃除道具を片付けると、出入り口のドアを開く。

開くと、シスターは驚きに満ちた表情を見せ、口を両手でふさぐ。

そこには気を失ったエルバとカミュを背中に乗せたフランベルグの姿があった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 相棒

「ここは…どこだ…??」

黒い霧に包まれた空間の中に、エルバは立っている。

崖から飛び降りて、目を閉じるとなぜかここにいて、一緒に脱獄したカミュの姿もない。

よく見ると、武器やボウガンなどが手元になく、さらに服装もイシの村でいつも着ている服に変わっている。

どうなっているのかわからず、混乱するエルバの前にテオが現れる。

「テオじいちゃん…!?いったいどういうことなんだ!?王が言っていた…勇者は悪魔の子だって…。どういうことか教えてくれ!!」

目の前のテオに必死に訴えかけるが、彼は何も言わず、悲しげな眼を見せると背を向け、エルバから離れていく。

「おい…!なんで教えてくれないんだ!冒険の話を笑って教えてくれたように、教えてくれ!!」

走ったエルバはテオの肩に手を置くが、それと同時にテオが消滅してしまう。

いなくなってしまったテオに混乱するエルバだが、今度はペルラやダンなどの村人の姿も見えてくる。

「ペルラ母さん、村長、マノロ!!みんな!!」

彼らもまた、テオと同じようにエルバに背を向けて歩いていく。

「なんでだ…!?なんで、なんでみんな俺を置いていく!?俺が…俺が悪魔の子だからか…!?もし、そうだとしたら…なんで俺は生きているんだ!?」

霧の中へ消えていく彼らを追いかけるエルバの前に、見覚えのある少女の後ろ姿が見えてくる。

テオやペルラ達と違い、彼女は足を止めている。

出発前夜に見せたあの後ろ姿をエルバは確かに脳裏に焼き付けていた。

「エマ!!」

エマの元へ走るエルバ。

きっと、彼女であれば受け入れてくれる。

彼女であれば、笑顔で自分を励ましてくれるという、異性の幼馴染への甘えに似た信頼を抱いていた。

エルバはエマに触れようとする。

しかし、その前にエマの体がフラリと、エルバの目の前で倒れた。

「エ…マ…??」

何が起こったのかわからないエルバは倒れたエマを抱きかかえる。

そのエマの姿を見たエルバの目が大きく開き、目からは涙が出てくる。

彼女の腹部には深い刺し傷があり、エマは涙を流し、目を開いたまま息絶えていた。

近くにはルキも同じように傷を負って倒れている。

そして、エルバの目の前には紫色の服を着た、黒いフードで顔を隠す男の姿がある。

「お前が…お前がぁ…!!」

エマの瞼を閉じさせ、両手を胸に当てさせる形で彼女をあおむけに横たわらせたエルバは怒りに満ちた目でその男に目を向ける。

彼の手には兵士の剣が握られていて、刀身は血がべっとりとついている。

エルバはなぜかそばに現れたイシの大剣を手にし、その男に襲い掛かる。

「お前が…みんなを奪ったのか!?俺からみんなを…エマを!?」

あまりにも生々しい感覚に、エルバはこれが現実のように見えてしまう。

イシの大剣と兵士の剣が何度もぶつかり合う。

しかし、破壊力と耐久性が上回っていることがあってか、イシの大剣が何合目かで兵士の剣をたたき折る。

「返せよ…俺のすべてを…返せぇ!!」

大剣が男を切り裂き、男は口から血を吐いて倒れる。

エルバはこの憎むべき男の正体を確かめようと、彼のフードをとる。

「あ、ああ、ああああ…」

正体を見てしまったエルバはその場に座り込む。

信じられず、受け入れられず、彼の眼には涙があふれ出す。

エマとルキを殺し、その敵として殺した彼が…エルバ自身だったからだ。

エルバは両手を見ると、その手にはべっとりと血がついていて、さらにイシの大剣は彼が持っていた兵士の剣へと変わっていた。

「うわああああああ!!!!!」

 

「エルバ…エルバ!!」

カミュの声が聞こえると同時に、一気に景色が霧の中から小さな部屋へと変化する。

今、自分が寝ているベッドと本棚、机と椅子が一つずつあるだけの質素な空間で、カミュがじっとエルバの顔を見ている。

「カ…ミュ…?」

「覚えておいてくれたか…あんな状況で、うれしいぜ」

カミュは持っていたタオルをエルバに渡す。

(夢…だったのか…?)

体中に出てるべっとりとした汗を拭きながら、エルバは先ほどまでの光景をそう解釈する。

あまりにも生々しく、あの男を切り裂いたときは確かに現実のような手ごたえを感じたため、夢とは思えないところもあった。

「だいぶうなされていたな。何か悪い夢でも見たか?」

「…そんな、ところだ」

「詳しくは聞かないが、あんまり気にするなよ?夢はどうあっても夢、現実じゃあないんだぜ?」

 

シスターからもらった食事を食べ、2人は外へ出る。

夜更けとなっており、まだ脱獄してからそれほど時間がたっていないことが分かった。

「この子があなた方をここまで連れてきたんです。驚きましたが、放っておけませんでした…」

「フランベルグ…どうしてここへ…?」

外へ出たエルバは城下町に置いてきた相棒の頭を撫で、なぜここに彼がいるのかという疑問を抱く。

別れた時には確かに馬小屋に鍵をかけ、出られないようにされており、捕まった時には連行されていたはずだ。

百歩譲って脱出し、自分たちを見つけたとしても、見ず知らずの人間であるカミュまで助けるというのは考えられないことだ。

「それにしても、最近は物騒ですねぇ。魔物が活発化しただけではなく、今度は悪魔の子まで現れるなんて…。生きるのが難しい世の中になってきました…」

「ああ…そうだな…」

その悪魔の子であるエルバと行動を共にしているカミュが締まりなく答える。

おそらく、彼女は自分たちを旅人と思い、こうして助けてくれたのだろう。

また、エルバの顔を見ても何も反応しないということは、まだここには勇者の素性が伝わっていない。

しかし、ここはデルカダールの南西にあり、距離が近い。

伝わるのも時間の問題だ。

「助けてくれて、ありがとうございます。その、何かお礼を…」

「かまいません。助けを求める人がいれば、手を差し伸べるべしという教えに従ったまでのことです。ですが…よろしいのですか?出発するのであれば、朝にしたほうが…」

夜中は当然のことながら視界が悪く、ランタンで明かりをともさないと進むのが難しい。

また、ガストのようなエレメント系や腐った死体をはじめとしたゾンビ系などの夜行性のモンスターが活発に活動する時間帯だ。

そういうタイプの魔物は仲間を増やすために積極的に人を襲う習性があり、そのため夜中に呪文を使える人がいない状態で旅をするのは自殺行為だ。

しかし、ホメロスの部隊が3日でイシの村のある渓谷を調査し、城へ戻ってくるというグレイグの言葉を信じるとしたら、そして情報の伝達も考えると、長居をするわけにはいかない。

「俺ら、どうしても急がなきゃいけない事情があるんだ。それに、目的地はデルカダールで、馬もあるから、そんなに時間はかからねえさ」

「そう、ですか…。わかりました。ですが、危険だとわかったら、すぐにでも戻ってきてください。お二人に神のご加護があらんことを…」

シスターがロザリオを手に、2人の無事を祈った後で教会の中へ戻っていた。

エルバはフランベルグの背に乗ると、その後ろにカミュが乗る。

「おお、すげえな…。2人乗っても大丈夫かよ」

「じゃあ、ここからイシの村へ行くには…」

「ちょっと待ってくれ。その前にデルカダールへ行ってくれ」

「何…?」

エルバは先ほどの目的地がデルカダールだというカミュの発言をシスターに説得するための方便だと思っていた。

そのため、出発したなら、すぐにこのままイシの村へ戻るつもりでいた。

土地勘はないが、地図があるため、あとは方角に従って進めば、どうにかなる。

エルバ自身もそれが望みだった。

だからこそ、デルカダールへ行くというカミュの言葉が理解できなかった。

「あそこに大事なものを隠してるのさ。それを手に入れねえと…」

「急いでイシの村へ戻る必要があるんだ。それをしている暇は…」

「ここからそのイシの村ってところへ戻るにはナプガーナ密林を超える必要があるぞ。こんな準備不足な状態で行ったら、遭難してスモークの仲間入りになるのがオチだぞ」

カミュの正論にエルバは閉口する。

ナプガーナ密林が一度迷ったら出られないと言われているほど危険な密林だということはエルバ自身も理解している。

ここから東へ山越えするという手段については、その山が岩山であり、山道もトンネルもないため、取ることができない。

おまけに夜であることも考えると、ここはカミュの言う通りにせざるを得ない。

「…デルカダールに戻れば、準備ができるんだな?」

「ああ、そうだ」

「…わかった。頼む、フランベルグ」

2人を乗せたフランベルグが北の街道を進み始める。

西側にある開けた草原を見ると、そこには地獄の殺し屋という2つ名を持つ豹型のモンスターであるキラーパンサーがその子供であるベビーパンサーと共に眠っており、ランタン小僧がフワフワと飛んでいる。

光合成によって養分を蓄える切り株お化けはエネルギーの節約のためか、ぐっすりと眠っていた。

「で…大切なものっていうのは何なんだ?」

「ああ…人がいねえみたいだし、いいだろう…。レッドオーブだ」

「なんだ、それは…?」

「やっぱ、知らねえか…。デルカダールの国宝さ。それを盗んだってことで、1年前に捕まって死刑囚になっちまったのさ」

カミュの話を聞いたエルバは国宝を盗むことの重大さを感じた。

普通、死刑になるとしたら、国家転覆を企んだり殺人などの卑劣な犯罪を犯した場合など、重大な犯罪に限られている。

「で…それを盗んだ時に、殺しはしたのか?」

「しねえよ。俺は人殺しじゃない。まぁ…眠らせはしたがよ」

眠らせた、という言葉を聞き、どのようにしてやったのかの手段を知っているエルバはあぁ、と納得したようにうなずく。

その言葉が正しければ、彼はだれも殺しておらず、国宝であるレッドオーブを盗んだという、ただそれだけの理由で死刑囚になったことになる。

「で、その隠し場所はどこなんだよ?」

「ここの下層にあるスラム街さ」

 

真夜中になり、城下町では人々は家に戻り、家族と静かな時間を過ごしている。

しかし、堀の中で暮らしている人々はかがり火の周りで酒を飲み、踊り子の服を着た女性の踊りを見た男性が興奮した様子を見せる。

隅には飲み過ぎた男が酔いのせいで嘔吐を繰り返す、城下町とは対照的な汚い空間にエルバとカミュはやってくる。

堀の中にできたこのスラム街はデルカダール王国の暗部ともいえる空間であり、城下町の人々は一部を除いて出入りする人が少ない。

住民が自分の手で作ったと思われるボロボロや小屋や展望台、テントなどがあり、外で寝る人が多いのか、ボロボロの莚が両端に無造作に置かれている。

「相変わらず、下品な街だぜ」

嘔吐しているつぎはぎだらけの服の男を見たカミュはため息をつく。

「相変わらず…?」

「ああ。ここには1年と半年くらい前から住んでたのさ。例の物を手に入れるための段取りのためにな」

スラム街であっても、だれに聞かれるかわからないため、『例の物は』以降の言葉は耳打ちする形でしゃべる。

ここの住民は確かに貧しいものの、鼻の利く連中もいる。

些細な情報をもとに、どうやったのかわからないが、情報を集めて、それが犯罪者に関する情報であれば兵士に報告して、手間賃をもらうことがあるようだ。

金のにおいに敏感にならないと生き残れない、それがこのスラム街らしい。

「それで、『それ』はどこに置いてある?」

「ゴミ捨て場だ。手違いがあって、間違えてゴミに混ざっちまった」

2人はスラム街の中央にあるゴミ捨て場まで、オブラートに内容を包みながら話して歩く。

ゴミ捨て場に到着すると、強烈なごみの匂いが2人を出迎えた。

牛や羊、馬などの世話でにおいについては慣れているエルバでも、このにおいがきついようで、必死に鼻と口に腕を押し付けている。

「見張っててくれ、エルバ」

「ああ…言われなくても…!」

ゴミ捨て場に背中を向けたのを確認すると、カミュはごみをどかし、愛用のナイフを使って穴を掘り始める。

見張っている間、エルバはあの夢のことを考えていた。

(あまりに生々しかった…。俺の手で…エマを…)

夢の中で、エマを殺した人間は間違いなくエルバだった。

悪魔の子と呼ばれたせいで、頭が混乱したためか。

何度も頭を振り、この夢を忘れようとするが、あまりにも強烈だったせいで、その程度では記憶から消えない。

(早く…忘れないと…)

「おかしい…ない」

掘ったところを埋めて、ごみを元に戻したカミュがつぶやく。

「ない…だと?」

「ああ。確かにここに隠したはずだ…だとしたら、デクの野郎が…」

「デク…あんたの仲間か?」

「ああ。長い付き合いだ。まさかあいつが『あれ』を…」

カミュの苦い表情を見たエルバはそのデクという男がカミュにとって信頼できる仲間だったことを理解できた。

「とにかく、あいつを探す必要がある。この先にある宿へ行くぞ」

とにかく、彼に会って話をしなければわからないと思ったのか、切り替えたカミュは方針を固める、廃材で作られた2階建ての建物に指をさす。

廃材でできていることもあり、エルバが泊まった城下町の宿屋と比較するとかなり見劣りを感じた。

「そこへ行けば、何かわかるのか?」

「あの宿では段取りをするときに世話になったのさ。女将に聞けば、デグについて何かわかるかもしれねえ」

「…わかった。それで気が済むんならな」

2人はその宿屋へ向かう。

途中、犬に追いかけられている金髪の兵士がいたのだが、彼については無視して、宿屋の中に入る。

そこでは、ぞうきんでカウンターの裏側にある棚の掃除をしている赤髪の太った女性がいた。

スラム街とはいえ、宿屋を経営していることもあってか、服装は住人たちと比較するとかなり整ったものになっている。

掃除に集中しているせいか、2人が入ってきたことに気付いていない。

「女将、久しぶりだな」

「ん…その声、まさか…カミュちゃんかい!?」

カミュの声を聞いた女性は振り向き、驚いたように彼を見ていた。

彼がいるのが信じられないのか、彼女はカミュの顔を触ったり、髪の毛を引っ張ったりした。

さすがに髪を引っ張られたり、つねられたりしたときは痛みで目をつぶってしまう。

「確かに本物…。ということは、本当だったのね。勇者と死刑囚が脱獄したという話は…」

カミュとエルバを見て、彼女は城下で聞いた話が真実だと確信する。

彼女は宿屋の寝具などを仕入れるために、たびたび城下町へ行くことがある。

本来はスラム街と城下町は隔離されており、唯一の通路については兵士によって監視されている状態であり、治安を理由に普通は通ることが許されない。

しかし、ワイロやハニートラップなどで買収することで、通ることが可能らしい。

女将の話を聞いたエルバは警戒を始める。

話を聞いているということは、自分が悪魔の子であることも知っているということを意味する。

となると、彼女が自分の居場所を兵士に伝えることだってできる。

そのことをわかっているのか、女将のアハハハと笑う。

「心配いらないわ。カミュちゃんのお友達を売ったりしないわよ」

「心配するなよ、エルバ。女将は信用できる。で、女将。デクは知らないか…?」

エルバを安心させるため、彼に諭した後で、カミュは本題に入る。

デグ、という名前を聞いた女将は少し考えた後で、棚にしまってある1枚の手紙を出した。

スラム街ではありえない、整った新品の紙で書かれたその手紙を見たカミュは目を大きく開く。

「あいつ…城前広場に店を出しただと!?」

「確か、8カ月くらい前だったかしらね。この手紙が届いたのは」

「城前広場は…確か、セレブ街で、貴族くらいしか住居を持っていなかったはず…」

城へ向かう際、エルバは城前広場を通ったことを思い出す。

そこは身なりの整った貴族をはじめとした金持ちが集まっていて、一般の民衆とは一線を画すほど、経済的な差がある。

そこには大きな屋敷が立ち並んでおり、そんなところで店を出すとなると、相当な金が必要だ。

デクがどのようにしてその金を用意したのか。

答えはひとつしかない。

カミュは手紙を握りしめる。

「あの野郎…裏切りやがったか!!エルバ、あいつの店へ殴り込むぞ!!」

「おい、カミュ!!ちょっと待てよ!!」

手紙を投げ捨てたカミュはエルバを置いて宿屋を飛び出していく。

彼を追いかけるようにエルバも出ていくと、女将はクシャクシャになった手紙を拾う。

外へ出て、彼らが去っていった方向を見て、彼女はフゥとため息をついた。

 

「よし…ゆっくりだ。見つかってないから心配するなよ…」

深夜になり、人気のない城下町の教会の屋上からつながっているロープをエルバは慎重にわたっていく。

向かい側の城前広場の庭先では先にわたりきったカミュの姿があり、彼は衛兵が来ないか見張っている。

2人が城下町へ続く通路に到着したとき、幸運にも監視しているはずの兵士の姿がどこにもなく、すんなりと中へ入ることができた。

しかし、城前広場へと続く長い大階段は城に続いていることもあってか、兵士によって監視されており、脱獄囚である2人が通るのは自殺行為だ。

そこで、2人は隠し通路となっている屋上にかかったロープを利用して忍び込むことにした。

カミュは盗賊として、こうした不安定な足場を利用して進むことについては慣れているが、エルバは綱渡りなどやったことがない。

そのため、ロープをつかみ、ぶら下がる形で進んでいる。

教会は城を除くとデルカダールで一番高い建物であるため、落ちたら確実に死が待っている。

下を見ないように進んでいき、カミュに支えられながら城前広場にたどり着いた。

2人は兵士たちに警戒しつつ、大階段の東側に位置する店舗の前に立つ。

手紙の内容が正しければ、ここがデクの家だ。

鍵はかかっていないようで、ドアは簡単に開けることができた。

中に入ると、骨董品や武器、防具に宝石など、幅広い種類の商品が丁寧に陳列されており、カウンター前では黄色と緑の縦縞の服を着て、首には金のネックレスをかけた太った男性が白磁の壺の手入れをしていた。

足音で2人に気付いたのか、彼は壺を置くと2人に目を向ける。

「いらっしゃいませ、申し訳ありませんは既に閉て…」

ニコリと笑いながら、話しかけてきたその男はカミュの顔を見ると、ビックリしたように目を大きく開く。

「よぉ、繁盛しているみてーだな、デク…」

左拳を作り、思いっきり太った男、デクの頬に左ストレートをお見舞いしようとしたが、その前にデクはカミュを押し倒すように抱き着いた。

「兄貴ーーーー!!よかったーーー!!お化けじゃない!!無事に再会できてうれしいよーーー!!」

「な、なぁ!?」

号泣しながら抱き着いてきたデクのカミュは困惑する。

あまりにもこの彼のリアクションが1年前まで一緒に行動していた相棒と全く同じだったからだ。

とても、自分を裏切ったように思えない。

「どういうことだ?あんた、裏切ったんじゃなかったのか?」

「何を言ってるんだよー?ワタシがカミュの兄貴を裏切るはずがないよー!」

「な、なに言ってやがる…!お前、俺を裏切って…レッドオーブを売ってこの店を…??」

「そんなわけないよー!この店は兄貴を助けるために始めたんだよー!」

「と、とにかく…まずは離れろ!!話は…そこからだ…!」

むさくるしい抱擁を堪能したカミュがバンバンと降参したプロレスラーのようにデグの背中を叩く。

涙と鼻水でカミュの顔と服はすっかりビショビショになっていた。

 

「どうぞ、お疲れでしたよね?まずはこれを飲んで、落ち着いてください」

2階にある客室に案内されたエルバとカミュは青のシャツと赤の服を重ね着した、茶色いボブヘアーの女性からケーキと一緒に出された紅茶を飲む。

「おいしいよねー?ここの盆地でできたお茶なんだよー」

デルカダール地方はロトゼタシアで最大の領土を持っており、盆地となっている城下町周辺ではお茶や果樹園が盛んな一面がある。

特に紅茶は貴族からの評価も高く、これを飲むことが一種のステータスとなっている。

彼らがたしなんでいるということもあり、2人ともその紅茶がおいしく感じられた。

「あの、さっきの女の人は…?」

「ウチの奥さんのミランダだよー。この店は2人で作ったんだー」

「ミランダ…?ああ、彼女は…」

カミュは段取りをしていた時期に知り合った女性のことを思い出す。

その女性がミランダで、彼女は城下町や城で盗みを働いており、この国の裏道を知り尽くしていた。

彼女から情報を仕入れ、レッドオーブを盗むための計画を練っていた。

彼女とデクが交際をしていたことはカミュも知っていた。

ただ、当時の彼女はかなりガサツなところがあり、おまけに口調も男性的だったため、今の彼女があのミランダなのかと一瞬疑ってしまったが。

彼女は話の邪魔をしないために、既に客室を出ており、寝室で休んでいる。

「で、この店を作ったのは俺のためって言ってたのは、どういうことだよ?元盗賊にしては、随分立派じゃねーか」

「ワタシ、盗みの才能はなかったけど、商売の才能はあったみたいよー。アニキが捕まって、なんとか助けようと手を尽くしたんだよー。けど、まさか死刑囚になっていたのはビックリしたよー。お客さん達からちょっと話を盗み聞きしたけど、そんなことはあり得ないのに、って言ってたよー」

「ありえない…だと…?」

カミュは捕まって、最下層の牢屋に入るまでのことを思い出す。

捕まった後で行われた事情聴取はわずか1時間で終了し、翌日には裁判が行われた。

裁判はわずか半日で終了し、死刑が決定した。

判決を下したのは王で、判決を聞いた時は周囲の兵士たちや陪審員の貴族たちに動揺が走った。

「そうよー。いくら国宝とはいえ、盗んだとしても10年から20年くらい牢屋に入れられるけど、死刑になる場合は殺人みたいな凶悪な犯罪でもしないとあり得ないよー。ワタシ、法律も勉強したから、間違いないよー」

「そうだな…。殺しまではしねーし…」

カミュは不文律として、盗みはしても殺しや人質を取ると言った行為は徹底的に避けていた。

それは無駄な殺生をしたくなかったこと、そして最悪捕まったとしても死刑だけは回避できるようにするためにそう決めていた。

最も、地下水路で溺死した兵士については、不幸な事故であり、どうしようもなかったのだが、

ただ、国宝を盗むのはレッドオーブが初めてのことで、最初はデクに危険すぎると反対されるほどだった。

「この店はオーブを拾ったって嘘をついて、王様に返した時にもらった賞金で始めたのよー。稼いだ金は兵士へのワイロに使ったってわけ!」

「ワイロだと…!?妙に最下層にしては警備が甘くなってたわけか…」

カミュは半年くらい前からはじまった警備兵の動きの変化を思い出す。

かつては最低1人はそばまで来て監視していたが、そのころからはだれにも監視されない時間ができた。

その間にこっそりと隠し持っていた木の枝を使って即席の吹き矢を作り、更には地下水路へ続く穴を掘ることもできた。

そう考えると、見えないところで彼はデクに助けられたということになる。

「でしょ、でしょー!きっと、ワタシが渡したワイロが効いたってことだよー!」

ニコニコと笑いながら、デクはケーキを食べる。

ここまで話を聞いていると、つじつまが合う上にデクが裏切っていないということが真実だということがわかる。

相棒を疑っていた自分が馬鹿らしく思ったカミュは頭をかく。

「ああ、ああ!わかった、俺が悪かったよ。助けてくれて、ありがとうな、相棒」

「兄貴ー!わかってくれて、うれしいよー!」

「ただ、オーブは行方知れずか…」

オーブを返したということは、もうデクの手元にはないということになる。

おそらく、レッドオーブは城の保管庫とは別の場所に隠されることになるだろう。

しかも、厳重に情報統制を敷いたうえで。

これでは、レッドオーブを盗むためにまた年単位の段取りが必要になるかもしれない。

1年前までの苦労を考え、それ以上の苦労が要求されるのかとカミュは頭を抱える。

(こいつ…なんで、そんなにレッドオーブに執着するんだ?)

「それについては心配いらないよー。ワタシ、オーブのありか、知ってるよー!」

「何!?」

「ワイロを送った兵士から教えてもらったよー。南にあるデルカダール神殿にグレイグ将軍が厳重に保管したんだってー」

「デルカダール神殿…。エルバ、地図をくれ」

「ああ…」

机の上に地図が広げられ、カミュはデルカダール神殿の位置を調べる。

イシの村のある渓谷の東に位置しており、距離も馬を使えばそれほど遠くない。

場所が分かれば、後は簡単だ。

「よし、手間が省けてちょうどいい。デク、一緒に来るか?」

カミュの言葉に、デクは悩むように眉を顰め、顔を下に向ける。

1年前であれば、この提案を迷うことなく承諾したかもしれないが、店やミランダがいることで、それができなくなっていた。

「ごめん、兄貴…ワタシ…」

「ああ、悪い。そうだったな。昔から商売をやりたいって言っていたよな…。嫁さん、大事にしろよ?」

少し残念に思いながら、カミュは立ち上がる。

デクが相棒となってから、2年近く一緒に行動をしていた。

彼は確かに盗みの才能はなかったが、一緒にいて楽しかった。

その日々を思い出す。

「じゃあ、足がつかない間に出発するか。デク、達者でな」

「あ、そうだ!!ワタシは行けないけど、せめてこれだけは持って行ってよー!あと、出るんだったら…」

フフフと笑みを浮かべたデクは2人を自室へ案内する。

そこにある大きな本棚の中央にある緑色の表示の本を押すと、本棚は横へ動き、抜け道が出現した。

「まさか…」

「多分、ウチに来るかもって思って、道を作っておいたよー。足元に気を付けてー」

デクに先導され、2人は抜け道となっている階段を降りていく。

5分程度進むと、石造りの倉庫の中へ到着する。

そこには武器や防具などが置かれていた。

「いろいろ、持って行ってよー。多分、ここから先は大変だと思うから…」

「デク…すまねえ」

「じゃあ、遠慮なくこれをもらっていく」

エルバはすぐそばにある鋼の大剣と鋼の剣を手にする。

カミュも盾替わりにガントレッドを両腕に装備し、先に外へ出たデクが近くにある納屋から連れてきた馬に旅のために必要なテントや薬草、保存食を持たせる。

倉庫と納屋はエルバ達がスラム街へ向かうために使った街道の近くにあり、少し距離があるためか兵士たちの監視はない。

茶色い毛で、兵士へ売るために丁寧に手入れされた馬で、その馬の背にカミュは乗る。

幸い、フランベルグを隠しているのはその倉庫の近くだ。

なお、街道からスラム街へつながる洞窟は兵士によって封鎖されていた。

「デクがこの道を教えてくれなかったら、まずかったかもな…」

「兄貴、気を付けて。あと、連れの人も…兄貴のこと、よろしく」

「ああ…」

「ああ、1つ!これは絶対持って行ってほしいものがあったよー!」

何かを思い出したデクは倉庫へ戻っていき、そこから釜と金床がくっついたような青い道具とハンマーが持ってきて、カミュが乗っている馬の荷物入れに入れる。

その間に、エルバは近くの木の陰に隠していたフランベルグを連れてきた。

「こいつは…?」

「初めて、2人で盗んだ不思議な鍛冶セット!ワタシが持っているより、役に立つよー!」

「…すまねえ、何から何まで…」

「気にしないでよー」

「…じゃあな、デク。会えてよかった…。行くぜ、エルバ!!」

「ああ、急がないとな…!」

エルバとカミュ、2人を乗せた2頭の馬が南へ向けて走っていく。

2人の後姿をデクは手を振りながら見送ると、ばれないように内側から倉庫のドアを閉じた。




デルカダール(下層)
デルカダールで国防のために利用されていた堀にできたスラム街で、貧困層がここに集まっている。
城下町と比較すると治安が悪く、犯罪が起こっても取り締まられることは少ない(ただし、殺人については確実に取り締まられる)。
そのため、普段は城下町とスラム街の出入りは禁止となっている。
しかし、賄賂やハニートラップですんなりと通れることが多いため、裏取引の現場としては絶好の場所となっている。
住民たちは儲け話に目と耳を光らせており、バイタリティは群を抜いて高い。
スラム街ができたのは10数年前で、ちょうど勇者が生まれたころに近いが、関連性は不明。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 勇者の力

「よし…!」

密林の中で、エルバはボウガンを放ち、ビッグハットを仕留める。

魔法使いの帽子をかぶったウリボウというべき魔物であるそのモンスターの肉は豚とイノシシの中間というべき味で、塩漬けし燻製にすれば保存食となる。

「よぉ、エルバ。食料を確保できたか?」

キャンプのための薪を調達したカミュはビッグハットを解体するエルバに声をかける。

「ああ…。肉だけなら。野菜はデクからもらったもので足りるから、大丈夫だろう?」

「よし、ならキャンプへ戻り、メシを食って英気を養うぞ」

2人は今、この密林の中にある木こり小屋のそばでキャンプをしている。

ナプガーナ密林はデクの言う通り、一度迷うと二度と出られないというほど木や植物で満ち溢れている。

おまけにここも神の岩と同じく、魔物が活発化しているようで、彼らの妨害のせいで中々進むことができない。

夕方になると、夜中と勘違いするくらい暗くなることもあり、キャンプを張りながらゆっくりと進むことを余儀なくされた。

2人の馬はキャンプの近くに待機させている。

一刻も早く、イシの村へたどり着きたいエルバにとってはこの上なく酷なことだった。

ビッグハットの肉が入った袋を握る手の力が強くなる。

「…焦るなよ、エルバ。必ずイシの村へたどり着ける」

そんな彼の思いを察したカミュは目を向けることなく言う。

彼の焦りは密林での戦いを見て分かった。

早期に倒そうと毒キノコに魔物の魂が宿って生まれたというおばけキノコに接近し、鋼の大剣で切り裂いたまではいいものの、風向きを見落としていたため、死に際に放った毒の霧を浴びてしまった。

おばけキノコの毒は元となった毒キノコのものを引き継いでいるのが特徴で、エルバが出した下痢や腹痛、嘔吐などの症状を見ると、カラハツタケが元になったと思われる。

毒消し草で治療できる毒であったため、大事には至らなかった。

彼を牢屋に入れたときのグレイグの話を聞かなかったわけではない。

しかし、焦りが再びその時のような事態を起こしてしまうことをカミュは理解していた。

「分かってる…わかってるさ…。俺が今、じたばたしたところで、あの状況を変えることができないってことくらい…」

キャンプにたどり着き、塩漬けの準備を始めたエルバはその場所の南にある崩れた木製の橋を見る。

この橋を渡れば、ナプガーナ密林を抜けてイシの村にたどり着くことができる。

しかし、エルバ達がここにたどり着いた時にはすでに崩れており、この橋の管理をしている人物が住んでいると思われる木こりの小屋にはだれもいなかった。

太い丸太を使って橋替わりにするという手段もあるが、エルバとカミュの2人だけでは無理な相談だ。

食糧調達のついでに別に道がないか探したが、見つけることができなかった。

「イシの村まで、あと少しだって言うのに…」

どうにもできないことへのストレスを少しでも和らげたいのか、エルバはキャンプに置いてある不思議な鍛冶セットの前に立つ。

そして、釜を開いてその中に道中で見つけた鉱脈から手に入れた銅の鉱石と澄んだ水を入れた。

ふたを閉じると同時にナイフのような形の熱した銅が金床に出てくる。

エルバは備え付けられている不思議なハンマーを手に取り、ナイフに向けて力いっぱい振り下ろした。

「ん…?何か、鳴き声が聞こえねーか?」

干し肉をナイフに刺して食べていたカミュは何かが聞こえたのか、口の動きを止める。

そして、聞こえないのか、それとも鍛冶に集中することで少しでもストレスを発散させたいのか、やみくもにハンマーを振るうエルバの右腕をつかむ。

大剣を獲物としているため、腕はカミュと比べると太くて力強いが、そんなカミュでも抑えることぐらいはできた。

 

カミュに連れられ、エルバは鳴き声が聞こえた場所へ足を運ぶ。

小屋の近くにある獣道を通り、邪魔になるツタを兵士の剣やナイフで狩りながら進んでいくと、そこには黒い子犬の姿があった。

「子犬…?母親犬はどうしたんだ??」

威嚇しないように、ナイフをしまったカミュは子犬の前で膝をつく。

どうして吠え続けているのかわからず、腹が減っているのかと勝手に判断した彼は懐に入れていた干し肉をナイフで切り、子犬の前に投げる。

それを見た子犬は切った干し肉ではなく、カミュの持っている本体の方に目を向け、飛びついた。

「あ、コラ!!」

油断していたカミュはあっさりと干し肉を取られ、子犬はよっぽどおなかがすいていたのか、バクバクと食べ始める。

「くっそぉ…盗賊が盗まれるなんて、シャレにならねえぜ…」

「何やってるんだ…」

カミュの不手際にため息をつくエルバは子犬がいた場所の隣にある金色の模様がついた木の根っこに目を向ける。

「これは…確か…」

エルバはイシの村にもあった根っこを思い出す。

それは今目の前にあるものとは違い、馬小屋の前の木に巻き付いていたもので、金色の不思議な模様がついていることから、彼の記憶に強く焼き付いていた。

小さいころ、エマと一緒にこの根っこが何なのかを調べたり、ダンに聞いたりしたが、命の大樹の根っこだということが分かったが、なぜ空に飛んでいる命の大樹の根っこがそこにあるのかはどうしてもわからなかった。

「あ…」

左手に何か疼きを感じたエルバは手袋を外す。

やはりというべきか、左手の痣が光っており、それに反応するかのように根っこの模様も淡く光っていた。

頭の中がざわざわした感覚がし、根っこから声が聞こえたように感じた。

「触れろ…って言うのか?」

「おい、エルバ!どうしたんだよ!?」

エルバはカミュの声を聞かず、根っこに触れる。

同時に模様と痣が強く光り始めた。

 

光が消えると、エルバとカミュの視界には木こりの小屋の前の光景が映し出される。

誰もいなかった小屋の中から緑色のフードと服を着た小さい中年の木こりが出てきた。

「ふあああーー…今日もええ天気だっぺ!今日も一日、頑張るっぺよー!」

ニコニコ笑い、パンを一口かじった木こりは伐採用の斧を手に取り、南に目を向けたが、同時に彼の手から斧がポロリと落ちる。

「な、な、なんでだっぺぇぇぇ!?!?」

彼の眼に映ったのは壊れた橋、ちょうどエルバとカミュがイシの村へ向かうために使おうとしていた橋だ。

「誰だっぺかぁ!?オラの橋を壊したのはー!?」

「キキーー!!面白かったぜー!次はどんないたずらをしてやろうか…キキー!!」

壊れた橋の前で、額部分に三角形の傷跡がある小さな紫色の悪魔が楽しそうに飛び跳ねていた。

洞窟や放置された遺跡の中で暮らすことの多いインプという小悪魔だと思われる。

「お、おめえか!?おめえが橋を壊したっぺかぁーーーー!!」

再び斧を手に取った木こりがインプの前まで走る。

ケラケラ笑うインプは指に青い魔力をためると、それを木こりに向けて発射する。

魔力を受けた木こりの姿が変わっていき、エルバ達が見たあの子犬の姿に変わってしまう。

子犬になってしまった木こりは動揺し、何かを言おうとしたが、キャンキャン吠えるだけで何も伝わらない。

「キキーーー!人間を犬に変える呪文、大成功だぜー!!さーって、次はここに来るかもしれない旅人にイタズラしちゃうぜー!」

インプは木こりの小屋に入り、その中にある箱を運び出す。

そして、小屋の裏側に隠すように置くと、自身はその中に入った。

そこまでの光景を見た後、再び光が発生し、エルバ達の視界を覆い隠した。

 

「い、今のは…!?」

光が消え、元の光景に戻るとカミュはエルバに目を向ける。

「わからない…。もしかしたら、痣とこの根っこが反応して…」

「ってことはつまり…この子犬は…」

干し肉を落とし、ワンワンと吠える子犬に目を向ける。

もしこの根っこから見えた光景が正しければ、この子犬の正体は木こりだということになる。

「そうなると、裏を調べれば…」

エルバ達は子犬と共に小屋まで戻っていく。

そして、小屋の裏側へ行くと、例の箱が置かれていた。

「あの中に魔物が隠れてるな…」

「あの呪文を使われたら厄介だ、メラで焼くか?」

「待てよ、そんなことしたら小屋に燃え移る。ここは…こいつの出番だ」

カミュは懐からひょうたん型の爆弾を取り出す。

「耳、ふさいでおけよ!!」

耳栓をした後で、カミュは爆弾を箱に向けて投げる。

箱の真上当たりで爆弾が破裂し、大きな音が鳴る。

「ギャーーーーー!?!?」

突然の音にびっくりしたインプが箱の中から飛び出し、頭を抱えて倒れこんだ。

耳栓をし、子犬の耳をふさいでいたエルバはカミュに目を向ける。

「一体、今のは…!?」

「音響爆弾さ。耳のいい魔物に使うと、気絶させることができる。ヘルコンドルやキメラの声帯と爆薬を組み合わせたのさ」

耳栓を外したカミュはインプを持ち上げる。

モロに聞いてしまったためか、目を回して気絶しており、口からは泡を吹いている。

「吹き矢といい、音響爆弾といい…かなり手先が器用なんだな」

「盗賊だからな。戦いに勝つための手段は武器や呪文だけじゃねえってことさ」

 

「うう、うーんうーん…」

「ようやく、目を覚ましたな」

1時間が経過し、インプが目を覚ます。

目覚めたインプは両腕を動かそうとするが、縄で縛られているせいで動けない。

正面にはエルバが見張るように座っており、その背後にはナイフを研いでいるカミュの姿があった。

「キキー!さっきの音を出したのって貴様らか!!よくも俺の…いたずらデビル様のいたずらの邪魔を!!卑怯だぞー!!」

「いたずらって…人間を動物に変えるとか橋を壊すとか、そんなのいくらなんでもやりすぎだろう?」

エルバの頭に浮かぶいたずらとしたら、落書きや驚かしなどの子供のやることだ。

しかし、目の前にインプ、いたずらデビルのやっていることは度を越している。

橋の破壊や人を動物に変えるとなると、もはや犯罪だ。

「キ…!?な、なんで俺様が橋を壊したことを!?」

「さあな。んじゃあ、まずはこの犬に変えられちまったおっさんを元に戻せ。話はそれからだ」

ナイフを研ぎ終えたカミュは子犬と共にいたずらデビルの前に出る。

しっかりと研いだおかげで、キラリと刀身が光っており、それを見たいたずらデビルは唾をのみ、何度も首を縦に振る。

「じゃ、じゃあ…今すぐ解除するから、手を…」

いたずらデビルは縛られた腕をカミュに見せて、解放を願う。

しかし、カミュは首を横に振る。

「なんでだキキーーー!!それだと、俺様魔法が使えな…」

「使えるだろう。インプは頭の触角からでも簡単な呪文が使えるんだ。知らねえとでも思ったか?」

「キキ…」

彼は縄をほどいてもらった後で、隙をついてエルバとカミュを子犬に変えて逃げようとたくらんでいた。

しかし、その呪文はまだ完成したばかりで、そのうえ使うとかなり魔力を消耗してしまう。

そのため、触覚から発動することができない。

ギリギリ発動できるとしたら、変化してしまった人を元に戻すくらいだ。

「キキ…くっそぉー!!」

観念したいたずらデビルは触覚から魔力を発射する。

魔力を受けた子犬は青い光に包まれ、元の木こりの姿へ戻っていく。

元に戻った木こりはびっくりしつつ、自分の顔や体に手を当てる。

「や、やった!!やったべ!!元に戻れたっぺー!!」

「キキ…元に戻したんだから、ここは見逃して…」

「待つんだ。今度は俺から提案がある」

「キ…?」

今まで沈黙を保っていたエルバが口を開き、ツーッと冷や汗を流したいたずらデビルは彼に目を向ける。

「壊した橋を直すんだ。自分のやったことの責任を取るために」

「いい提案だな、エルバ。そうだな…1日で直せねーか?」

「い、い、一日!?そんなの無理…いやいやいや、やりますやります!!ぜひ、やらせてくださいキキーー!」

カミュが首筋にナイフを当て、エルバは兵士の剣を抜いたのを見たいたずらデビルは顔を真っ青にしながら提案を受け入れる。

かなり危ない橋を渡ることになったが、それでも価値はあった。

向かい側の崖までの長さと崖の高さを考えると、橋を直すのにかなり時間がかかってしまう。

大工仕事に慣れている木こりでも最低でも4日かかり、それだと間に合わない。

「んじゃあ、さっそくやろうぜ。でも、妙な真似をしようとすんじゃねえぞ?そしたら、より強い音響爆弾を間近でさく裂させてやるからな?」

「ヒ、ヒィーーーー!!!!」

 

「そうそう!そうだべ!この部分をしっかり縄で結ぶんだべ!!ああ、そこのサラサラヘアーのあんちゃん!もう少し深く穴を掘るべ!それだと簡単に倒れるべ!!」」

鉋で木の表面を削りながら、木こりは2人と1匹に指示を出す。

さすがにいたずらデビルの加勢だけでは1日で橋を直すことができないため、エルバとカミュも加勢することになった。

木材に関しては山ほどあり、木こりも何度も橋を作ったり直したりしていたことから、手筈ははっきりとしていた。

木こりの指示に従って穴を掘ったエルバは木槌を使い、木材を深く穴に突き刺していく。

カミュは斧を借りて、木こりの代わりに伐採し、いたずらデビルは崖下へ縄を使って加工した木材を下す。

破壊されたとはいえ、まだまだ無事な部分も残っていること、そして4人がかりでやっていることから、カミュの言う通り、1日で直し終えることができそうだ。

「ふいー、久々の仕事で少し疲れたべ、少し休憩するだよー!」

ニコリと笑った木こりが大きな鍋を用意し、牛乳や野菜、キノコなどを家から持ってくる。

「お、もしかしてシチューか!」

「んだ!急いで作るべから、手伝うだよー!」

 

「どうだべ?エプラーナ密林の自然が詰まったこのシチューは!」

「うめえ…うめえぜ、おっさん!!お代わり、あるか!?」

「んだんだ、しっかり食ってしっかり働くべ!」

あっという間の一皿食べ終えたカミュは鍋へ向かい、お代わりのシチューを入れる。

木こりはこの密林で自給自足の暮らしをしているようで、野菜ときのこはすべて自分で栽培している。

肉はビックハットなどの魔物や動物の肉を使っており、塩と魚はさすがに手に入らないため、南東部にあるデルタコスタ地方へ行き、漁師との物々交換で調達している。

「いやー、助かったべ。まさかオラを元に戻してもらえるだけじゃなくて、こうして橋の修理まで手伝ってくれるべから」

「…俺たちも急ぐ理由がありますから」

シチューを口にしたエルバはペルラとエマのことを思い出す。

肉が入るのは珍しかったが、いつも山盛り作ってくれて、食べているときは嬉しそうに見ていた。

エマがペルラから教えてもらい、初めて作ってくれたシチューは具の大きさがまちまちで、おまけに焦げたりしている部分もあり、味付けも失敗していたためか、ペルラのそれと比較するとかなりまずかった。

しかし、彼女の手には包丁の切り傷や火傷の痕がたくさんあり、どれだけ頑張って作ってくれたのかは伝わった。

木こりはもう1つの空の皿にシチューを入れると、崖下を眺めながら座り込んでいるいたずらデビルの元へ向かう。

「ほら、おめえさんも食え」

「…お、俺様は…人間の作った食べ物なんか…」

顔を背け、強がりを言ういたずらデビルだが、体は正直で、おなかの音が鳴る。

「ほら、腹が減ったらなんもできんべ。大丈夫だ、毒なんて入れてねえべ」

「…」

木こりからシチューを受け取ったいたずらデビルがガツガツと急いで食べ始める。

口の中の具を咀嚼し、ごくりと飲み込む。

「…うま…い…」

口元を真っ白にしたいたずらデビルの眼に涙が浮かぶ。

食べれば食べるほど、涙の粒が大きくなり、やがて我慢できなくなったのか、大声で泣き始めた。

「大変だっただなぁ…」

「うる…さい!」

泣いているいたずらデビルだが、憎まれ口は相変わらずだった。

 

シチューを食べ終わり、食後のお茶を飲む中、輪に入ったいたずらデビルが木こりに頼まれ、身の上を話す。

「…1カ月くらい前まで、俺様は近くにある洞窟で暮らしてた。俺は…群れの中では落ちこぼれで、さっきみたいな人を何かに変える呪文だって、あいつらには簡単に使えた…。馬鹿にされることはあったけど、俺様…みんなと一緒にいるのが楽しかった。けど…」

インプは1か月前に起こった出来事を思い出す。

いつものように、修行を兼ねて旅人を脅かすために草原に出たのだが、その時のほかのインプたちの様子が違っていた。

旅人を探す眼はまるで獲物を求める肉食獣のようで、それが彼にとって恐ろしかった。

そして、荷馬車で移動する旅の商人をインプたちが見つけた後に起こったあの事件が今も彼の心の強く焼き付いている。

一斉にインプ達はその商人を襲い、いたずらをするどころかリンチをして馬もろとも殺してしまった。

おまけにその死体を骨や内臓までバリバリと食べ、喜々として笑う彼らを見ていられなくなり、群れを出ていった。

しかし、落ちこぼれであり、普通のインプなら使えて当たり前のジバリアやホイミすらろくに使いこなせない彼はこの密林に隠れるように暮らすようになった。

そして、そんな自分の非力さとトラウマを忘れたくて、このようないたずらを繰り返していた。

「魔物の凶暴化…。じゃあ、なんでお前はそのインプ達のようにならなかったんだ?」

「わからない…。多分、俺様が落ちこぼれで、ほかの奴らよりも弱かったからかも…」

いたずらデビルの答えが正解だとはエルバは思えなかった。

たとえ落ちこぼれであったとしても、合体できないスライムやズッキーニャなど、彼よりも弱い魔物はほかにもたくさんいる。

彼らは凶暴化しているため、それが答えとは到底思えない。

(魔物の凶暴化…もしかして、何か恣意的なものが働いているのか?)

「にしても、まさか痣とあの根っこが共鳴して、過去の光景が見れるなんてなぁ…」

手袋に隠れたままのエルバの左手の痣を見たカミュは不思議そうに見る。

勇者の奇跡、という非論理的なものを信じている彼でも、今回のような出来事には驚きしかない。

「根っこについて…昔、死んだじいちゃんから聞いたことがあるだ」

「それは…どんなことを!?」

気になったエルバは立ち上がり、木こりに詰問する。

突然の動きにびっくりした木こりだが、深呼吸して落ち着きを取り戻した後で話し始める。

「あの根っこが大樹の根って呼ばれていて、話によるとそれには思いの記憶が宿ってるらしいだ」

「ってことは、その思いの記憶を俺たちは見たってことか?」

「んだ。言い換えれば、過去だ。でも、それを見るには選ばれし者が根に触れる必要があるって聞いただ。まさか、その選ばれし者がそのサラサラヘアーのあんちゃんだとは思わなかっただ」

「…」

選ばれし者、という言葉を聞いたエルバの表情が曇る。

脳裏に再び悪魔のこと呼ぶデルカダール王の声がよみがえってしまう。

「キキ…まさか、それで俺様のいたずらの手口がばれたってこと!?」

まさかの種明かしにいたずらデビルはびっくりする。

過去を見ることができるなんて、聞いたこともない。

しかし、そうだとしたら、先読みしたかのようなカミュの音響爆弾による先制攻撃について説明がつく。

「大樹の根…。もしかしたら、それがこれからの道しるべになるかもな。覚えておこうぜ」

「ああ…」

丸太に座り、シチューを再び口にしたエルバはイシの村にある大樹の根のことを思い出した。

幼いころにエマとそれについて調べた際に、触れたことを覚えているが、その時は何も反応がなかった。

痣があるからと言って、いつでもそれが見れるというわけではないようだ。

 

「世話になっただなぁ!この橋を渡って、その先にある道に沿って進めば、密林を出ることができるだよ」

南側にあるナプガーナ密林の簡単な地図が書かれた紙が木こりからフランベルグに乗るエルバに渡される。

いたずらデビルについては、このまま木こりのもとに残って、彼の手伝いをして暮らすことになった。

「世話になったな、おっさん。シチューうまかったぜ」

「行こう、カミュ。もう時間がない」

地図をしまったエルバはフランベルグを走らせる。

「おい、エルバ!!ったく…じゃあな、おっさん!達者で暮らせよ!」

エルバを追いかけるように、カミュも馬を走らせる。

2人の後姿を1人と1匹は姿が見えなくなるまで手を振り、見送っていた。

「エルバ…気持ちは分かるけどよ、せめてあいさつを…」

隣を走るカミュの注意に耳を傾けることなく、エルバは胸にあるお守りに手を当てる。

そのお守りをくれたときのエマの姿を思い出す。

(エマ…ペルラ母さん…みんな…待っていろ)




ナプガーナ密林
デルカダール城南西部に位置する秘境。
高温・高湿度によって育った大量の植物にあふれており、一度迷うと二度と出ることができない迷宮という側面がある。
この密林には木こりが1人で暮らしており、彼が道や橋のメンテナンスをしていて、彼がいなければ、遭難者が続発していただろう。
なお、彼の元で暮らしているインプによる曲芸が家の前で行われており、密林の新しい名物となっている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 ただいま

「ここだ、ここの切通を抜ければ…」

密林を抜け、イシの村の前の切通にたどり着いたエルバとカミュはそこへ入っていく。

一歩一歩フランベルグが進むたびにエルバの心に出迎えてくれる人がいることへの希望が宿っていく。

そして、それと同じように、最悪の事態が起こるという絶望が宿る。

手綱を握る手に力が入り、全身に嫌な汗が流れる。

「結局、3日経ってしまったな…。くそ、橋が壊れていなければ…」

いたずらデビルが橋を壊したのは3日前であり、たとえデルカダールへ寄り道しなかったとしても、足止めを食らうのは同じだ。

逆に寄り道したからこそ、ナプガーナ密林を早く抜けることができたかもしれない。

胸が苦しくなってきたエルバはぎゅっと再びお守りを握る。

(ペルラ母さん…エマ、ルキ、マノロ、ダン村長…みんな…)

切通を抜け、太陽の光が差し込み、左手で目を隠す。

光に慣れ、手をどかしたエルバは目の前に広がる光景を見て、言葉を失った。

「あ…ああ…」

近くには熱を帯びた大砲がいくつもあり、煙の臭いが鼻に伝わる。

崩れたり、炎上したりしたまま放置されている家があふれ、家畜である牛や豚、そして馬の死体もある。

「ひでぇ…」

無残な姿となったイシの村をみたカミュはエルバへどのような言葉をかければいいのかわからなかった。

フランベルグから降り、フラフラと歩くエルバは自分の家へ向かう。

やはりというべきか、ほかの家と同じく崩れてしまっており、使っていたベッドも暖炉も、なにもかもが埋まってしまっていた。

途中に寄った村長の家もおなじような状態で、近くには大砲の弾がいくつか転がっている。

「…大砲を使って、家をぶっ壊したみたいだな。そして、大砲の死角になるところには…火を…」

「誰か…誰かいないのか!?」

誰か生き埋めになっているのではないかと思い、エルバはガレキをどかしていく。

生きている人がいることへの望みをそれにかけていた。

カミュもエルバを手伝い、がれきをどかしていくが、何もなく、あるとしても村人の遺体が出てくるだけだった。

村のはずれにある広場や神の岩へも探しに向かうが、そこにも誰もいない。

手あたり次第に探し続け、疲れ果てたエルバは馬小屋の前の広場へ戻ってくる。

彼が探している間、カミュはがれきの中などから見つかった村人の遺体を布にかけた状態でそこへ並べていた。

誰かいたのかをカミュは尋ねようとしたが、エルバの悲しげな表情を見て、聞くのを辞めた。

遺体はいずれも大人の男性と女性であり、エマやペルラらのものはなかった。

遺体の中には黒焦げになってしまっているものもあり、中にはだれなのか判別がつかないものもある。

「あ…」

エルバは馬小屋の前にある木に目を向ける。

その木には大樹の根が巻き付いていて、木の枝には見覚えのあるスカーフが引っかかっていた。

(そうだ…確か、あの時…)

5年前のことを思い出す。

エマのスカーフがその時、同じ場所に引っかかっていて、泣いているエマのためにエルバは必死に村中を駆け回り、スカーフを取ることができた。

返した時にエマが見せた笑顔を今でも忘れられない。

風が吹くと、引っかかっていたスカーフが取れ、エルバの手元まで飛んでくる。

飛んできたスカーフを手にしたエルバの眼から涙がこぼれ、それを握りしめる。

「エルバ…」

「う…あ…あああああ!!」

崩れ落ちたエルバは何度も地面に拳をたたきつける。

旅立つ前にペルラやダン、そしてエマの言葉を思い出す。

(勇者が何なのかはわからないけれど、あんたは大きな運命を背負っているって、おじいちゃんはずっと言っていたわ)

(勇者とは伝説の英雄…。その昔、大いなる闇を払って世界を救ったという)

(遠い昔、世界中が魔物に襲われて大変だったとき、どこからともなく勇者が現れて、世界を救ったって…)

「ふざけるな!!ふざけるな!!ふざけるなぁ!!」

激しい悲しみと怒りがエルバの心をむしばんでいく。

悪魔の子である勇者を捕らえるために、ただ彼を育てたというだけの理由で故郷を滅ぼしたデルカダールへの憎しみがあふれる。

それは人々に勇気を与える勇者には程遠い感情だ。

そんな彼の痣が光りはじめ、同時に大樹の根も光り始める。

痣の光に気付き、それに目を向けた瞬間、その光に包まれていった。

 

光が消え、眼を開くと、エルバは村のはずれにある桟橋への道で立っていた。

「ここは…カミュ?どこにいるんだ…?」

周囲を見渡すが、カミュの姿がなく、涙を袖で拭いたエルバはその道を歩いていく。

生き残りを探しているときに感じた嫌な臭いは感じず、歩いていくとそこには川で釣りをしている老人の後姿があった。

「あれ…は…」

エルバはその老人が何者かを知っている。

桟橋の前へ走った彼はそこでその老人の名前を読んだ。

「じいちゃん…テオじいちゃん!!」

名前を呼ばれた老人は釣り竿を置き、振り返る。

丸っこい皺だらけの顔で、温厚な表情。

忘れもしない、確かに5年前に死んだテオだった。

「…ん?おぬしは…」

「テオじいちゃーん!!」

後ろから子供の声が聞こえ、エルバは振り返る。

「な…!?」

走ってくる子供を見たエルバは驚きを隠せなかった。

その子供は5年前のエルバそっくりな少年だったからだ。

エルバの前で立ち止まったその少年は首をかしげる。

「お兄ちゃん…誰?」

「お、俺は…」

「彼はワシの友人じゃよ。エルバ、どうしたんじゃ?」

少年の頭をテオは優しく撫でる。

撫でられて、嬉しそうにしていた少年は思い出したかのようにテオに尋ねる。

「テオじいちゃん!エマのスカーフが馬小屋の前の木に引っかかっちゃったんだ!」

「スカーフが…。それは大変じゃな。あとでワシが取ってあげよう。だから、木の前で待っていなさい」

「うん!わかった!!約束だよ!!」

素直に言うことを聞いた少年は手を振って村へ戻っていく。

再び2人きりになったことを確かめたテオはじっとエルバを見る。

「…そなた、エルバじゃな?」

テオの質問にエルバは何も言わずにうなずいた。

肯定と受け取ったテオは嬉しそうにうなずく。

「そうか、そうか…。雰囲気が似ておる。こんなに立派に成長するんじゃな…ワシの孫は。じゃが…少し、悲しそうな顔をしているのぉ。何があったのか?聞かせてくれんか?」

沈黙していたエルバはゆっくりと成人の儀の後で起こったことを自分の素性も含めて説明する。

成人の儀の後で、テオの遺言に従って村を出て、デルカダールへ向かったこと。

そして、彼が残したペンダントを見せることで、王に面会することができたこと。

しかし、そこで王に悪魔の子と呼ばれ、牢屋に入れられたこと。

死刑宣告されたため、脱獄して命からがら逃げてきたこと。

それをゆっくりと、思い出しながらテオに語る。

しかし、イシの村が滅ぼされたことを明かすことはできなかった。

そのようなことを伝えたら、どうなるかわからなかったからだ。

論理的にというわけではないが、なぜかエルバはここが過去のイシの村だということを理解していた。

「そうか…。それは、すまないことをしてしまったのぉ」

優しく抱きしめ、ポンポンと背中を叩く。

小さいころ、泣いたり悲しい思いをしたりしたとき、彼は決まってこうしてくれていた。

エルバを安心させるために。

「しかし、なぜあのデルカダール王がそのようなことを…」

エルバから離れたテオは腕を組み、考えるが何も答えが出てこない。

イシの村に落ち着き、たまに釣りをしにイシの大滝まで出ることがあるテオはそこを通る商人や別の町や村の釣り仲間たちから情報を仕入れることがあった。

それを思い出す限り、デルカダール王に不審な部分は見受けられない。

もう1度、エルバを見つめたテオは何かを察したように目をわずかながら大きく開き、そのあとで元の調子に戻ってから話し始める。

「デルカダール王があてにならないと分かった以上、包み隠さずすべてを話すべきじゃろうな」

「包み隠さず…?」

成人の日の夜にペルラから聞いた、勇者の生まれ変わりであることとデルカダール王の元へ行けば、すべてがわかるということ。

それが彼の知っている勇者と自分に関するすべてのことだとばかり思っていた。

だが、その口ぶりだと、まだ話し切れていないこと、ペルラにさえ話していないことがあるようだ。

「だが…詳しく話している時間はないようじゃな。いいか?よく聞くのじゃぞ?」

「時間がない?それはどういう…!?」

説明を求めるエルバだが、テオの姿を見た瞬間、その意味を理解できた。

目の前にいるテオの姿がだんだんぼやけてきていた。

まるで、そこに最初からいなかったかのようにだんだんと消えて行っており、既に影も見えない。

「村を出て、東にあるイシの大滝は覚えているじゃろう?」

「ああ。テオじいちゃんが…村の外で釣りをしていた場所…そして…」

「ワシがお前と初めて会った場所じゃ。そこにある三角岩の前を掘ってみなさい。いいか?東にあるイシの大滝、三角岩の前じゃぞ?」

「東にあるイシの大滝、三角岩の前…」

忘れないように、反復して口にする。

それを聞いたテオは優しい笑みを浮かべ、エルバを見つめる。

もうほとんど体は消えてしまっており、もうすぐ煙のように消えてしまう。

「しかし、大きくなったのぉ。これほど立派になったエルバを見ることができて、ワシは果報者じゃ」

「そんな…俺は、俺は…!」

それは違う、エルバは否定したかった。

彼と同じように、自分もまだテオに言っていないことがあった。

我慢できずに、それを言おうとしたが、もうすでにそのような猶予はなかった。

「エルバや、人を恨んじゃいけないよ。ワシは…お前のじいじで幸せじゃった」

「ま、待て…!待ってくれ、テオじいちゃ…!!」

引き留めようと、エルバが手を伸ばすと同時に周囲が光に包まれていく。

 

光が消えると、景色は馬小屋の前の木に戻っており、その手はその木に巻き付いている大樹の根に触れていた。

「エルバ、いったいどうしたんだよ!?エルバ!!」

「カ…ミュ…今のは…」

「それは俺のセリフだぜ!大樹の根に触れた瞬間、動かなくなっちまって、声をかけても返事無しだしよ…!」

「わからない…。ただ、まるで俺だけが過去に飛んだみたいに…」

大樹の根は過去を見せる力があるというのは密林での事件で分かったが、今回はその時とまるで起こることが違っていた。

過去を見るのではなく、過去へエルバ自身が飛んでしまっていて、実際にテオと話すことができた。

そして、その光景をカミュは見ていない。

「過去へ飛んだ…?突拍子もないことだが…」

自分の眼にはアストロンでもかかったかのように固まっているエルバしか映っていないカミュはその言葉に半信半疑だった。

過去へ飛ぶなんてことは非常にナンセンスで、まるで物語で起こる出来事だ。

だが、そのナンセンスなものをカミュもエルバも、形に違いがあれど密林にある大樹の根で見てしまっている。

そのためか、疑いが抜け切れていないものの、エルバの言葉をカミュは真実だと受け取った。

「そこで、テオじいちゃんと話をした。それで、イシの大滝の三角岩の前を掘れって…」

「イシの大滝か…。ここからだとすぐの距離だな。だが、その前に…」

2人は広場に並べた村人たちの遺体に目を向ける。

これから村を離れるにしても、彼らの遺体をそのまま放っておくわけにはいかなかった。

「なあ、どうすればいい…?俺はこの村でのしきたりがわからねえから」

「…。遺体は火葬にして、遺灰は神の岩の周りに埋める。そして、故人の名前を石碑に刻む」

「そうか…」

「大丈夫だ。火はすぐに用意できる。あとは…」

「分かってる。薪を集めてくるぜ」

 

広場には大きなかがり火がたかれ、そこで遺体を一つずつその中へ入れていく。

カミュが静かに死者の安らかな眠りと命の大樹へ還ることを願う中、遺骨を教会の地下室に保管されていた骨壺に入れていく。

イシの村では、骨壺は神父が手作りし、地下室に保管される。

そのおかげで、こうして遺骨を納めることができる。

壺の表面には遺骨の主の名前を書く欄があり、そこには炭を使い、わかる範囲で名前を書いた。

判別がつかない遺体については村の慣例に従い、『名前知らず』と書かざるを得なかった。

「間に合わなくて…守れなくて…ごめん…」

遺骨を拾い、骨壺に納めるたびにエルバは口にする。

「悪かったな…。俺みたいな見ず知らずの盗賊がこんなことをして…。安心しろ、ちゃんとアイツは俺が守るから…だから、どうか安らかにな…」

盗賊であるカミュは神父のように、死者を安らかに眠らせるような言葉を持ち合わせていない。

だから、率直に彼らの死を悼んでいることをいうことしかできなかった。

 

火葬を終え、骨壺を神の岩の前へ埋めていく。

埋め終わった後で、エルバは石碑に死んだ村人の名前をカミュから借りたナイフで刻む。

本来は村にいる職人に頼んで刻んでもらうのだが、その職人はもういない。

だから、唯一のイシの村人であるエルバの手で刻んでいく。

こういうことについては学んでいなかったため、不格好な小さい子供が初めて書いたものとあまり変わりない文字が石碑に刻まれ、ナイフはすっかり刃こぼれが目立つくらいボロボロになった。

「これで…いいんだな?」

ナイフを返してもらったカミュは確認するように尋ねる。

エルバは顔を向けることなく、石碑に刻まれたテオの名前を指でなぞる。

「人を恨んではいけない…か。テオじいちゃん…」

カミュの質問に答えることなく、静かにつぶやく。

テオの言いたいことはわかる。

復讐からは何も生まれない、残るのは悲しみや虚無だけという話はよく聞く。

「でもな…それは無理な話だよ。…こんなことをされて、憎まない、悲しまない人間がいたとしたら…そいつはもう、人間じゃない。ただの…物だ」

エルバは振り返り、カミュに目を向ける。

「行こう…イシの大滝へ」

 

村からイシの大滝はそれほど距離があるわけではない。

馬があったこともあり、10分足らずで2人はイシの大滝にたどり着いた。

「きれいな水だな。ここでなら、補給もできる」

エルバから水筒を受け取っていたカミュはそれに滝の水を入れていく。

旅をしていると、こうして武器や防具、物資を調達できるうちに調達するという癖がついてしまう。

特に、盗賊というアウトローな仕事をしていると、一般の旅人と比較するとそういう調達の機会が少ないため、なおさらそうなる。

エルバはテオの言っていた三角岩の前を剥ぎ取り用ナイフを使って掘っていく。

そこには大きめの木箱があり、中には手紙が2通入っていた。

そのうちの1通は変色しており、古い手紙であることだけは理解できた。

エルバは変色している方の手紙を広げる。

「この字は…!?」

手紙の書かれている文字はデルカダールとイシの村で使われているものとは全く違うものだった。

しかし、テオから教えてもらった文字であり、あっさりと読むことができた。

『私のかわいいエルバ…。この手紙は生まれたばかりで、眠っているあなたを見守りながら書いています。きっと、この手紙を読んでいるということは、あなたは大きくなっていて、そして私がこの世にいないのでしょう』

産後であることから、きっとこれは誰かに代筆してもらっているのだろう。

文字からは小さな子供がきれいに書こうと努力している痕跡が見受けられ、インクで汚れている個所もある。

そして、自分にとっての母親がペルラであることもあって、手紙を読んだとしても、なぜか心に響かない。

『あなたが生まれた日の夜、私は恐ろしい夢を見ました。あなたを狙う魔物たちがユグノアを滅ぼす光景です。そして、私はあなたを守るために命を落とす…。とても、生々しい夢です。もし、それが現実になってしまったら…そのことを考えて、いざというときのために書きましたが、もしそれが杞憂であったとしたら、この手紙は燃やします』

「ユグノア…」

16年前に滅びた王国の名前を読み、エルバは手紙の裏を見る。

そこにはユグノア王家か彼らと関係の深い人物が描いたことを証明する、ユグノア王家の紋章が刻まれていた。

手紙の表に戻り、エルバは続きを読んでいく。

『エルバ、あなたが心ある人に守られ、成長したとしたら、ユグノアの親交国であるデルカダールの王を頼るのです。あなたはユグノアの王子。そして、忘れてはならないのは大きな使命を背負った勇者であることです』

この一文を読んだエルバはなぜテオがデルカダールへ行くように言い残したのかを理解した。

そして、あのヒスイのペンダントは自分が亡国ユグノアの王子であることを証明するためのもの。

結果は惨憺たるものであったが、それでもこの手紙の文章を考え、口伝した自分の本当の母親にとって、精いっぱいのことだったのだろう。

『勇者とは大いなる闇を打ち払う者のこと。いずれ、この言葉の意味が分かるときが来るでしょう』

テオと同じく、この手紙でも勇者は希望の象徴のように書かれている。

この16年の間に、デルカダール王が新たな真実を見つけ、勇者が悪魔の子だと考えるようになってしまったということなのか?

そんなことを考えながら、エルバは手紙の最後の部分を読む。

『エルバ…あなたの名前の意味はユグノアでは相克の先、という意味があります。生きていく中で、きっと心には光と闇を背負い、それに苦しむ時があるでしょう。しかし、きっとあなたならその先にある光をつかむことができる。そう信じて、その名前を付けました。どうか、この手紙が灰になっていることを願っています。一緒にいてあげられなくてごめんなさい』

「…相克の先…か…」

きっと、憎しみという闇だけを背負っている自分にはエルバという名前はふさわしくないのではと思いながら、エルバは手紙をしまう。

そして、もう1つの新しい方の手紙を読み始める。

予想できたことだが、その手紙の字はテオのものだった。

『親愛なる孫、エルバへ。未来から来てくれたお前のために、ワシはあるものをこの箱の中に残しておいた。底の板を開けて、持って行ってほしい。もう一通の手紙はお前がここに流されてきたときに一緒に入っていたものじゃ。ワシはあの手紙に従い、お前をデルカダール王国へ向かわせたが、つらい思いをさせてしまったようじゃな…』

「辛い…か。それで片付いていれば、どれだけよかったか…」

自分が悪魔のこと呼ばれた以上に、イシの村を滅ぼされ、知人を殺されたことがエルバにとって、なによりもつらいことだった。

生き残った村人を見つけることができず、エマやペルラらも生きているのかわからない。

遺体に剣か槍による刺し傷があったこと、さらに大砲や火によって村を蹂躙していた可能性を考えると、生きている可能性は薄いだろう。

「俺が…村のことをしゃべってしまったばかりに…」

「エルバ…まだ、続きが残ってるぞ」

後悔と憎しみ、そして悲しみに押しつぶされつつあるエルバにはきれいごとを言っても届かないだろう。

カミュはただ、エルバに手紙を読むよう促すことしかできなかった。

『あれから、ワシはできる範囲で調べてみた。じゃが、なぜユグノアが魔物に襲われたのか、そして勇者が悪魔の子と呼ばれているのか、結局わからなかった。だとしたら、道しるべだけは残しておこう。あの箱の中にある物があれば、ここから東にある旅立ちの祠の扉を開くことができる。かつて、ワシはこの石を使って、世界中を旅してきた』

エルバは手紙の通りに、箱の底にある板を外す。

そこには彼の言う通り、青い魔力がこもった手のひらサイズの宝石が入っていた。

『これを使って、世界を巡り、真実を突き止めるのじゃ。お前が悪魔の子と呼ばれ、追われる勇者になった、真実のすべてを。エルバや、人を恨んではいけないよ。ワシはお前のじいじで幸せじゃった』

読み終えた2通の手紙を箱に入れ、それを袋に中に入れる。

そして、彼が残した石、魔法の石をぎゅっと握りしめた。

そんな彼の肩にカミュの手が乗る。

「カミュ…」

「旅立ちの扉を開く魔法の石か…。俺も一緒に行くぜ、エルバ」

「…予言に従って、か?」

「それも半分あるが、死んだ村の人たちに約束しちまったからな。お前を守るって…。ただ…」

「きっと、当分ここへは戻れない…」

追われる身であるエルバ達にとって、デルカダール王国領は虎の巣だ。

隠れることのできる場所は少なく、少しでも油断すると食われてしまう。

そして、真実を突き止めるためにここでできることはもうない。

立ち上がったエルバにカミュは首を縦に振る。

「そうだ。だから、レッドオーブを取り戻しておきたい。ちょうど、祠の途中にデルカダール神殿がある。頼む…」

懇願するように、カミュは直角になるように頭を下げる。

どういう理由でそこまでレッドオーブに執着しているのかわからない。

しかし、道連れにする仲間は1人でも多い方がいい。

「…わかった」

「ありがとうな、エルバ。じゃあ…行こうぜ」

笑みを浮かべたカミュは先に馬の元へ戻っていく。

エルバはイシの村が見える方向に目を向ける。

(テオじいちゃん…俺は必ず、真実を突き止める。だけど…一つだけ言いつけにそむくのを許してくれ…。俺は…愛する人と故郷を奪ったデルカダールに…復讐する)




イシの大滝
ロトゼタシアの中央にある大陸のはるか北に水源のある、イシの村の東の滝。
村にある滝と比較すると、倍近くの高さがあり、人の手が加わっていないこともあってか、水も自然のものとなっている。
旅人や付近に住む動物たちにとってはいい休憩スポットであり、水の補給のために立ち寄る人が多い。
テオが村の外で釣りをするときは決まってここに来ていたが、その理由はここでエルバと出会ったという点が大きいものと思われる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 デルカダール神殿

「はあ、はあ、はあ…」

「ったく、むちゃくちゃな数だぜ…」

背中合わせに立ち、死角を可能な限りなくせる布陣となったエルバとカミュは肩で息をする。

周囲には魔物たちのまだ消滅していない死体が転がっており、エルバは刀身についた血を取るために鋼の大剣を横にふるう。

エルバとカミュがこの神殿に入ってから3時間以上経過しており、そのうちの1時間半をこの大軍との戦闘に費やしている。

既に1人20体以上倒しているものの、どこから湧いてきているのか、取り囲むように魔物がうじゃうじゃいる。

「こりゃあ…あの兵士たちが全滅した理由もよく分かるぜ」

神殿にはレッドオーブを守るため、兵士たちが監視していた。

カミュがレッドオーブを一度盗んだこともあり、かなり厳重な警備になっているはずだった。

しかし、神殿に入り、レッドオーブが保管されている部屋へと続いていると思われる大きな扉に到着するまで、1人を除いて兵士たちは全員魔物によって殺されていた。

その生きていた1人も瀕死の重傷を負い、エルバとカミュには手の施しようがないため、彼から何があったのかを聞いた後でエルバがとどめを刺した。

「まぁ…兵士たちに追いかけられるよりはマシ…だな!!」

侵入前にキャンプで作った投げナイフの最後の1本をインプに向けて投げる。

それが頭に刺さったインプはけいれんを起こすと、そのままパタリと倒れて消滅する。

「だな…。追いかけられるよりは、いい!!」

「まぁ…そうだな」

カミュは仮に魔物による襲撃がなかった時にどうなっていたかを考えてしまう。

その時は兵士たちの目を盗むように中へ侵入していただろう。

今だからわかるが、デルカダール神殿は一本道となっており、おまけに保管されていると思われる地下までで隠れることができるような場所は少なく、どうしてもあの大きな扉を開けて中へ入る必要がある。

城に保管されていたときは換気口を利用して侵入するというやり方で行い、デグがルートをつかんでいたこともあり、可能な限り兵士にばれることなく盗み出すことに成功した。

しかし、デルカダール神殿にあるそれは通るには狭すぎた。

そのため、兵士と戦うような事態は避けることができなかっただろう。

問題はその時のエルバの行動だ。

復讐心から、その兵士たちを殺してしまう可能性を否定できない。

(復讐することについては否定しないが…その先に何があるんだろうな?)

 

更に1時間が経過し、エルバとカミュは互いに背中を合わせた状態でその場に座り込んでいた。

体中が傷だらけとなっており、現在エルバはホイミで治療を行っている。

「はあ、はあ…なぁ、何体倒した?」

「…25か26」

「へへ…勝った。俺は28」

「数えたのか…?」

「一応、旅については俺が先輩で、おまけに年長者だからな。少しはその貫録を見せないとな」

カミュは懐に残っている自分の道具を確認する。

エルバと違い、ホイミが使えないため、薬草などの回復アイテムは彼よりも多めに持っている。

問題なのはナイフ以外の自作武器だ。

(投げナイフは品切れ…ナイフは研ぎ石があるからもう少しは使える。あとはしびれ薬の矢3本と爆弾石か…)

50匹近い魔物と戦ったこともあり、かなり消耗している。

そこで問題になるのはレッドオーブが保管されている部屋の中だ。

おそらく、あの魔物たちをここまで連れてきた存在がそこにいる。

手当てを終えたエルバはカミュの治療も始める。

「なぁ、あの扉の先にも魔物がいるかもしれない。どんな奴がいると思う?」

「…さあな」

傷の治療をするエルバは明確な回答を出さなかった。

やはりというべきか、イシの村の一件のせいで彼の元々少なかった口数が余計に少なくなっている。

昨晩のキャンプでは一切そちらから話そうとする気配がなく、沈黙に耐えられずにこちらから話しかけようとしたが、その前にさっさと眠ってしまった。

イシの村でのショックが大きかったのは分かる。

だから、今のカミュにできるのは彼が少しでも元に戻るのを待ち、見守ること、そして彼が助けを求めたときに手を差し伸べることくらいだ。

(ったく、約束したのにこのザマとは…情けないな…)

「終わったぞ」

治療を終えたエルバは近くの宝箱から調達した魔法の聖水をがぶ飲みする。

コルク栓で密封されており、中身は腐っていないが、元々魔法の聖水は極端にカルシウムなどが入った硬水と同じ味であり、軟水に慣れているエルバの口には合わない。

だが、それでも魔力を回復する手段がこれしかない以上はどうしようもない。

飲み終えると、残ったガラス瓶を投げ捨てようとするが、その腕をカミュに捕まれる。

「待てよ、こいつは使える」

「…」

言っている意味がよくわからないのか、エルバはカミュの眼を見て、沈黙する。

カミュは瓶を取り上げると、それを袋に入れる。

「さあ、行こうぜ。レッドオーブが待ってるからな」

エルバは何も言うことなく、大きな扉を両手を使って力いっぱい押して開く。

天井が高く、一番奥にレッドオーブが置かれた祭壇があるだけのシンプルな空間だが、そこには青い羽毛で上半身と翼が覆われている、三つ眼の悪魔、イビルビーストが2匹いて、彼らは必死にレッドオーブに向けて手を伸ばしていた。

 

「ちぃ!!なんだよ!?触れもしねえじゃねえか!?」

「ちっくしょう!!これじゃあ、任務が果たせねえよ!!」

2匹の悪魔は傷だらけの手を伸ばすが、レッドオーブの周囲を包むようにバリアが発生しているようで、それが彼らを阻み、傷つけている。

「くっそぉ!こうなったら、台座ごと…うん?」

発想を変えたイビルビーストの片割れが扉の方向にいるエルバとカミュに目を向ける。

「おい!!レッドオーブは俺のものだ!てめえらみたいな魔物には高すぎる代物だぜ?」

「てめえら…まさか、俺たちが連れていた魔物たちを突破して…!?」

この部屋に入るには、正面の扉を開くしかなく、そこには警備をしているデルカダール兵を蹂躙した魔物たちがいる。

数は数十おり、生半可の人間では太刀打ちできない数だ。

となると、目の前にいる2人はデルカダール兵の部隊よりも脅威だということになる。

「てめえら…こうなったら、八つ当たりだぁ!!」

「ここへ来たことを後悔させるやるぅーーー!!」

2匹のイビルビーストが腹を立てて、上空へ飛ぶ。

天井が高く、広い空間での戦闘になり、おまけに空を飛ぶことのできる魔物2匹と相手をすることになったカミュは舌打ちする。

啖呵を切ったのはいいが、上空を飛び回る魔物と戦う手段が限られるため、有利なのはイビルビーストの方だ。

仮に投げナイフがあったとしても、素早い2匹に充てるのは難しいだろう。

音響爆弾を使うにも、材料がないために今は品切れ中だ。

嫌がらせのためとはいえ、いたずらデビルの一件で使うんじゃなかったと後悔しながら、カミュは上空を舞うイビルビーストの動きをみる。

「オラオラぁ!ボサッとしてたら、真っ二つだぜー!?」

まずは鋼の大剣を装備しているため、カミュと比べると動きの遅いエルバを狙い、イビルビーストの1匹が後ろから急降下してくる。

「気を付けろ、エルバ!!この攻撃を食らったら、体がばらばらになるぞーー!!」

「く…!!」

振り返ったエルバはよけられないと判断し、大剣で受け止める。

イビルビーストが急降下と同時に拳をたたきつける。

強い衝撃が大剣を通して両腕に伝わってきて、両手がしびれる。

かろうじて大剣を離さずに済んではいるが、これでは攻撃も防御もままならない。

「ちぃ…!!」

「エルバ!!」

カミュが右腕を大きく振りかざしたイビルビーストに飛びつき、持っているナイフで脊椎に突き刺す。

悪魔系のモンスターだが、羽根以外の体の構造の大半は人間と変わりない。

だから、脊椎にダメージを与えられば、麻痺によって体の動きを封じることができる。

背中から伝わる激痛に驚いたイビルビーストは同時に両足に力が入らなくなったようで、そのままあおむけに倒れてしまう。

その前にエルバは後ろに下がっており、倒れたそのモンスターに向けて、剣を手放して接近する。

手がしびれているため、剣を握ることはできないが、武器がなくてもできることがある。

「やれ、エル…」

「やらせるかぁ!!」

側面から飛んできたイビルビーストがエルバの腹部を右手でつかみ、上空へ飛ぶ。

爪が腹を横から圧迫していて、激しい痛みがエルバを襲う。

「ハハハハ!!勇者っつっても、大した事ねえなあ!このまま握りつぶせば…」

「まだ…だぁ!!」

痛みに耐えながら、エルバは右手をイビルビーストの顔面にかざす。

右手からギラが発生し、イビルビーストの両目を焼く。

「ギャアアア!?目が、目がぁぁぁ!!」

左手で目を抑え、絶叫するイビルビーストはエルバを落としてしまう。

しかし、焼くことができたのは両目だけで、額にある3つ目の目はまだ健在だ。

怒りを見せたイビルビーストはその眼でエルバを見つけると、左手を彼に向けてかざす。

左手からは水色の魔力が発生し、エルバはそれを受けてしまう。

「く…体が、重い…!?」

まるで体のいたるところに重りをつけられたかのような感覚を覚え、動きが鈍くなっていく。

肉体の動きを鈍くする減速呪文、ボミオスのせいだ。

「やべえ…モロに受けやがって!!」

「てめえ、よくもやってくれたなぁ!!」

倒れていたイビルビーストが両翼を動かし、背中に馬乗りになっているカミュを吹き飛ばして上空へ飛ぶ、

ナイフは深々と刺さったままで、両足の感覚がないためか、ブランとしているものの、飛ぶのに関しては大した問題はない。

それに、悪魔系の魔物はほかの魔物たちと比較すると肉体の自然回復の能力が高い。

そのため、このような脊椎の損傷については1年程度放っておいても治る。

回復呪文を定期的に受けることで、最大2週間まで縮めることも可能だ。

「こうなったらてめえら2人とも、なぶり殺しだぜぇぇぇ!!」

2匹のイビルビーストが残りのMPなど気にしないといわんばかりにボミオスを連発する。

「くっそぉ!!」

既にボミオスを受けたエルバを放置し、2体ともカミュに向けて集中的にボミオスを放っている。

走ったり飛んだりして回避を続けるカミュだが、それには限界がある。

「しま…!?」

上に集中していたために足元がおろそかになり、足を滑らせてしまう。

同時にボミオスを受けてしまい、倒れた体を起こそうにも、鉛のように体が重たくて、少しずつしか立ち上がることができない。

「カミュ…!!ぐぅ!?」

大剣を持ち、ゆっくりと歩くエルバをイビルビースト2匹が攻撃する。

腕や足、胴体に手加減するように爪で裂傷を与えては離れるというヒット&アウェイを繰り返す。

「あいつら…なぶり殺しにするつもりか!?」

ボミオスによって動きが取れないエルバ達を、イビルビースト達はやろうと思えばすぐに真っ二つに引き裂くことができる。

だが、そうはせずにあえて致命傷にならないように浅く爪でエルバを引き裂いている。

こうして楽しんだ挙句、ボミオスが切れた瞬間、真っ二つに切り裂いて仕留める。

悪辣な遊びが2匹によって行われていた。

「ぐう、う…!」

体のいたるところから血が流れ、エルバの眼が2匹のイビルビーストに向けられる。

血で赤く染まり、怒りで満ちた瞳だが、2匹にとっては痛くもかゆくもない。

「このまま…」

「とどめだぁ!!」

ボミオスが切れる時間を考え、そろそろお遊びは終わりにしようと決めたイビルビースト達は高度を上げ、急降下する。

エルバが大剣で受け止めたあの技で、ボミオスを受けた彼にはそれを防御する力も回避する力もない。

「エルバぁ…!!」

「じっと見てな、虫けらぁ!」

「てめえの仲間が真っ二つになるのをなぁ!」

エルバには、今の2匹のイビルビーストの動きがゆっくり見え始めていた。

最期の時が来るとき、急に時間の動きがゆっくりになるという話を聞いたことがある。

もう死んだ人間にしか、その真相は分からないが。

だが、エルバはここで死ぬつもりはなかった、いや、死ねない理由があった。

(死ねない…。奴らに…!)

エルバの脳裏にデルカダール王とグレイグ、ホメロスの姿が浮かぶ。

イシの村を滅ぼし、帰る場所と村人をすべて奪った、まさに悪魔の子を討つために悪魔となった3人。

今のエルバが殺したくて仕方のない3人。

(真実を明らかにして…奴らに、デルカダールに復讐するまでは!!)

エルバの想いに応えたのか、彼の痣が光り始める。

同時に、エルバの体が青い光に包まれ、そこから発生する衝撃波で接近しつつあった2匹のイビルビーストが吹き飛ばされ、壁にたたきつけられる。

「こ、こいつは…!?」

エルバの光に反応するかのように、カミュの体も青い光に包まれていく。

そして、ここから何をすべきかを反射的に理解した。

「あんまり呪文は得意じゃないけどなぁ!!」

2匹のイビルビーストに向けて、エルバはギラを、カミュは土撃呪文ジバリアは放つ。

2つの呪文が融合し、炎でできた魔法陣が2匹の足元に展開され、そこから発生する炎でできた縄が彼らを縛り付ける。

「ギャアア!?な、なんだ…これはぁぁ!!」

「くっそぉ!この程度の炎、すぐに消し…!?」

通常のギラであれば、至近距離から目などの弱点に当たらない限りは大した問題にならない。

しかし、2匹のイビルビーストは脱力感を覚えるだけでなく、いつもならどうということもない炎によってダメージを受けていた。

(ま、まさか…この魔法陣は俺らの守りを!?)

気づいた時にはもう遅く、魔法陣から複数の槍のような岩が飛び出し、2匹を串刺しにする。

体のいたるところを貫かれたイビルビーストは断末魔の叫びをあげることができないまま絶命した。

「はあ、はあ、はあ…」

「おい、エルバ…。今のは…!?」

2人を包む青い光が消え、同時に疲労感を覚える。

少なくとも、エルバの痣が影響していることはカミュにも理解できた。

だが、本来は高名な賢者や魔法使いでなければ使えないという合成呪文を2人で発動することができたことは彼にとっては驚きだった。

「俺にも、分からない…」

だが、これをもう1度やれと言われてできるかどうか、エルバには自信がない。

ひとつわかることがあるとしたら、死ねない理由があり、自分自身の生存本能がその力を引き出したといえることだ。

「それよりも…」

「ああ、そうだな。レッドオーブを」

カミュは祭壇に置かれているレッドオーブを手にする。

魔物に奪われないように施されたバリアだが、人間であるカミュには効果がなく、すんなりとそれを手にすることができた。

「よし…ようやく手に入ったぜ。レッドオーブを…。長かったぜ…」

カミュは目を閉じて、レッドオーブを手に入れるまでの日々を思い出す。

だが、ある嫌なことを思い出したのか、首を激しく横に振る。

そして、エルバに目を向ける。

「あきらめかけていた…レッドオーブが今、俺の手にある。エルバ、俺は確信したぜ。お前と一緒にいれば、いつか俺の願いが叶うってな」

フッと笑みをうかべたカミュは断言する。

エルバには彼が何の願いを抱いているのかはわからない。

だが、本気でかなえたい願いがあることは彼の眼を見るとわかった。

「俺は復讐のためにも旅をするんだぞ…?」

「復讐…。わかってるさ。復讐しても何も残らないとか、そんなきれいごとを言うつもりはない」

崩壊したイシの村、そして死んだ村人を火葬を手伝ったカミュだから、エルバの強い憎しみを理解できた。

人を恨んではいけないという彼の祖父の教えがあるが、今のエルバに必要なのは生きる目的だ。

それが復讐だとしても、それが生きる目的になるのであればかまわない。

「だが、いつかはそれ以外にも生きる目的ができるといいな」

「…」

何も言わずに、エルバはカミュに背を向け、神殿の出口へと向かう。

どういえばいいのかわからないカミュはもう少し、こういう方面についての教養をつけることをしていればと思い、頭をかく。

(にしても、どうしてあの魔物はレッドオーブを…?)

追いかけるカミュの中にはその疑問だけが残っていた。

 




デルカダール神殿
デルタコスタ地方南部に位置する神殿で、初代デルカダール王の時代に作られたもの。
昔は騎士の試練の場所として利用されていたようだが、現在は使われておらず、観光スポットと認識されることが多い。
なお、入る際には許可を受ける必要があり、たいていの観光客は中に入ることすらできない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 さらばデルカダール

デルカダール神殿を出た2人は草むらに隠した馬に乗り、東にある旅立ちの祠へ向かっていた。

デルカダール神殿までの街道については、国によって整備されているものの、旅立ちの祠への道はなく、無造作に育った草やツタを切り分けながら、徐々に前へ進まざるを得なかった。

「本当にこの先に旅立ちの祠があるのか?もう2時間このジャングルにいるぜ?」

クタクタになり、イシの大滝で補給した水を口にする。

エルバも水を口にすることはあるが、疲れた様子を見せずに道をふさぐツタを斬っていく。

まだ昼であるにもかかわらず、木々によって空が隠されてしまっており、夕方のような暗さになっている。

このまま本当に夕方になると、ランタンなしでは進めなくなり、最悪の場合、ここで野宿をする羽目になる。

カミュはこういうテントを設置できないような場所で野宿をしたことが何度かあるため、どれだけ大変であり、体力を回復できないかをよく知っている。

「ま…ここから戻ったとしても、そろそろグレイグあたりが気づいていそうだけどな」

残念ながら、2人には進むのをやめ、前にキャンプをしたデルカダール神殿北部の広場へ戻るという選択肢がなかった。

神殿の前にある兵士が休憩するためのテントの中で、兵士の交代のスケジュールを見つけていた。

そこでは、2,3日に1度、警備する兵士を交代することになっており、それが正しければ、今日の夜当たりには交代の兵士たちがやってくる。

そこであの惨状を見て、さらにのこのこと戻ってきた自分たちを見られたら、関与が疑われるのは明白だ。

おまけに、カミュの手にはそこで守られていたレッドオーブがあり、言い逃れができない。

兵士たちに追い掛け回され、再びあの地下牢に送られる、もしくは即座に処刑されるのが関の山だ。

2人にある選択肢はテオの言葉を信じて、ひたすら東へ進むだけだ。

「く…!」

何度も兵士の剣でツタを切り続けたエルバの表情がゆがみ、剣が落ちる。

どうしたのかと思い、駆け寄ったカミュは彼の右手を見る。

手のひらにできたと思われる、大きな豆がいくらかつぶれてしまっていて、そこから出血しており、半分以上が真っ赤に染まっている。

「あちゃー、休まずにやると、そうなるよなぁ」

「この程度なら、まだ少しは…」

「まあ待てよ。このジャングルを抜けたとしても、すぐに祠に到着できるとは限らねえんだぞ。治療してやる」

「治療なら、ホイミで…」

「あんまり呪文に頼りすぎるなよ。MPだって、無限じゃあないんだからな」

強引にエルバに腕をつかんだカミュは水筒の残った水を使って、エルバの右手を洗った後で、めくれている皮を切り落とす。

そして、布を使ってその手をテーピングした。

本当は毒消し草の抽出液を塗って、手の保温ケアをするとより効果的なのだが、いまの2人にはそのようなものはない。

どうせ休めといったところで、彼が止まるわけがないことはわかっているため、せめての応急措置だ。

テーピングを終え、エルバは右手を握り、もう1度開く。

わずかに痛みを感じるが、先ほどよりはましで、切って進むのに関しては問題ない。

落とした兵士の剣を拾ったエルバは再びツタを切り始めた。

「ったく、礼ぐらい言えよ」

そのことだけを不満に思いながら、カミュは後ろからついてくるフランベルグら馬の誘導をした。

 

「はあ、はあ…見えてきたぜ…」

それから2時間以上経過し、オレンジ色の日光が見えてきた2人はそこへ向けて歩く。

もう行く手を邪魔するツタはなく、あとは前へ進むだけ。

左手で目を隠し、ゆっくりと進んでいくと、先ほどまでのジャングルが嘘だったかのような野原が広がる開けた場所に出た。

手をどかし、その先を見ると、海岸沿いに石造りの祠があるのが見える。

「あれが…テオじいちゃんが言っていた、旅立ちの祠…」

エルバは手紙と一緒に入っていた魔法の石を見る。

テオの言葉が正しければ、これを使うことで、旅立ちの祠を通じて外の大陸へ出ることができる。

だが、それは今まで生まれ育った場所から離れることを意味していた。

「エルバ…わかってるとは思うが、ここにはすべてが終わるまで戻ってこれない。今なら…」

「俺にできるのは…進むことだけだ。それに、今の俺たちでは、奴らへの復讐は果たせない」

後ろを向き、自分が進んできた場所をじっと見る。

それを見ていると、イシの村で過ごした日々、そして旅立ちから今日までの日々が浮かんでは消えていく。

二度と戻ってこない日常をかみしめ、エルバは村の廃墟から唯一持ち出すことができたエマのスカーフを左腕にしばりつける。

そして、胸にかけているエマのお守りを握りしめた。

「ペルラ母さん…エマ…。行ってくるよ」

生きているのか、死んでいるのかわからない彼女たちに別れの言葉を告げ、エルバは祠に目を向ける。

「手伝うぜ、エルバ。お前のためにも…俺自身のためにもな」

隣に立つカミュの言葉を聞き、エルバはフランベルグの背に乗る。

自分を乗せたフランベルグの頭を撫でたエルバは彼の両腹を蹴り、前へ進ませた。

そのエルバについていくように、カミュも馬に乗り、前へ進む。

しかし、次の瞬間、カミュが乗った馬が急に前足を高く上げて嘶き、カミュは落馬する。

「カミュ!?」

「痛て…一体どうした!?」

強く地面にぶつけてしまった右腕を左手で抑え、カミュは乗っていた馬を見る。

馬の尻や右前脚にはボウガンの矢が刺さっており、カミュは後ろのジャングルの両脇で挟むように存在する崖に目を向ける。

西側の崖の上には、黒い馬に乗ったグレイグを先頭にした10人の騎兵の姿があった。

「グレイグ!?なんでここがわかった!?」

盗み見したスケジュールでは、交代の兵士の到着は夜であり、たとえそれよりも早く到着したとしても、ピンポイントでここにエルバ達がいるというのは分かるはずがない。

偶然なのか、それともエルバが見たあの手紙をほかの誰かに見られていたのかと考えてしまう。

「見つけたぞ、悪魔の子め!!」

9人の騎兵がボウガンを崖の上から次々と発射する。

どのボウガンもエルバに狙いを定めており、彼らは本気で彼を殺すつもりでいる。

「逃げろ、エルバ!!」

自分が乗っていた馬は足を負傷しており、これでは走れない。

ここで自分を助けるためにエルバが少しでも足を止めてしまうと、矢に当たってしまう。

自分の目的が果たされないことは残念だが、彼を道連れにするわけにはいかない。

「俺は…逃げない」

「な…!?」

フランベルグがエルバから何も指示を受けていないにもかかわらず反転し、カミュに向けて一直線で走る。

崖から駆け下りてきた騎兵たちがボウガンを発射するが、矢はなぜかフランベルグとエルバに当たりそうなコースのものがわずかに軌道を変化させ、地面や遠くにある木に当たるだけで、命中しない。

「悪魔め…矢が効かないのか!?走れ、リタリフォン!」

ボウガンを捨てたグレイグが背中にさしている大剣を抜くと、それを片手で握ったまま愛馬であるリタリフォンを全速力で走らせる。

エルバに肉薄し、そのままエルバに向けて切りかかった。

エルバは背中の鋼の大剣を引き抜き、グレイグの大剣を受け止める。

片手しか使っていないにもかかわらず、グレイグの利き腕である右腕一本の力はエルバの両腕に匹敵するようで、互角のつばぜり合いを演じる。

「悪魔の子め、貴様にデルカダールを…世界を好きにはさせん!」

「許さない…お前たちは…!」

矢が効かない相手で、おまけにグレイグが近くにいることから、ほかの騎兵はボウガンで攻撃することができない。

しかし、グレイグが彼の両腕を封じているならば、死角から攻撃することができる。

「グレイグ将軍をお助けしろ!!」

「悪魔の子を討ち取れー!!」

騎兵2人がエルバの左と後ろに回り、装備している槍を構えて突進する。

「くそ…なんで、1人で逃げないんだよ!!」

付き合って日の浅い自分を見捨てないエルバに悪態をつきながら、カミュはジバリアを唱える。

さすがに直撃させて人殺しをするわけにはいかないと思ったのか、ジバリアを騎兵が目の前に来たところで発動させ、突然目の前に出現させた岩石で馬を驚かせる。

驚いた拍子に、2匹の馬は転倒もしくはウィリーしたことで、乗っていた騎兵が落馬する。

だが、やはり訓練されているだけあり、落馬したときの受け身のやり方を心得ていて、カミュと異なり、軽い打ち身にとどめることができたようで、直に起き上がった。

「むぅ…!」

距離を置いたグレイグはエルバの大剣を握る腕を見る。

若干左手でかばうように持っている形となっており、若干持ち慣れていない面が見受けられた。

(右手を何らかの形で負傷している…ならば!)

大剣を刀身が左に来るように構え、再びエルバに向けてリタリフォンを走らせる。

カミュがいる都合上、その場を動くことができないエルバはやむなく再びグレイグの剣を受ける。

しかし、右から伝わる激しい衝撃によって右腕の力が緩んでしまい、鋼の大剣を落としてしまう。

「覚悟!!」

そのまま返しの刃でエルバを切ろうとするグレイグ。

素早く印を切り、ギラを放とうとするエルバだが、それよりも刃がこちらへ来るスピードが勝っていた。

しかし、急にグレイグの大剣がエルバの首元へあと数センチで届こうかとしたところで止まる。

グレイグの眼にはエルバの左腕に縛り付けられているスカーフが映っていた。

「それは…く!?」

エルバの右手がグレイグの腹部に当たり、至近距離からギラを受ける。

デルカダールで採れる希少金属で作られた、将軍クラス以上の身分の者にのみ装備が許されるデルカダールメイルであれば、下級呪文を受けても軽傷で済むものの、至近距離から受けてしまった衝撃と熱によってダメージを受けてしまう。

両足に込めた力が緩まなかったためか、落馬こそしかなったものの、持っていた大剣を手放してしまう。

グレイグの手から離れた大剣をエルバが左手でつかみ、グレイグが倒れ、ほかの兵士たちが動揺している間にカミュはフランベルグに飛び乗る。

「行くぞ…」

鋼の大剣を回収する時間がないエルバは手にした大剣を背中に納め、フランベルグを旅立ちの祠へ向けて走らせる。

さすがに右手へのダメージがきつかったのか、手綱は左手だけで握っている。

「危険を承知で俺を助けるなんて…とんだお人よしだな、エルバ」

エルバの両肩をつかんで自分を支えるカミュはあきれたような言い草をする。

仲間になったとはいえ、付き合い始めてからまだ数日しか経っていない。

そして、エルバには復讐と勇者に関する真実を知るという大事な目的がある。

だとしたら、自分を見捨てて旅立ちの祠へ逃げることもできたはずだ。

「もう…何かを奪われるのが嫌なだけだ」

「…そうか。そう…だよな」

あのような経験をしてしまうと、そう思ってしまうのは目に見えている。

強い決意を感じる反面、少しだけエルバのことをうらやましく思ってしまう。

そう思えるような大事な存在が今の自分にあるのかと疑問に思う。

レッドオーブを手に入れはしたが、それがその大事な存在なのかと問われると、自信をもってそうだと答えられる自信が彼にはない。

旅人の祠へ一直線に走るエルバ達をグレイグが健在な騎兵と共に追いかける。

「逃がさんぞ…悪魔の子め!!」

エルバが落とした剣を持ったグレイグが剣先をエルバに向ける。

リタルフォンの速度はフランベルグと互角だが、フランベルグには荷物があるうえにエルバとカミュの2人が背に乗っている。

そのため、今のフランベルグの速度はほかの騎兵の馬よりもわずかに劣っており、このままでは追いつかれる。

(これは…!?)

エルバと一緒にフランベルグに乗るカミュは彼が若干青がかった透明な風を纏っているのが見えた。

あらゆる方向から吹く風に包まれており、それがボウガンの矢が当たらないからくりだということを想像するのは難しくない。

だが、なぜフランベルグがそんな風を纏っているのかがわからない。

エルバはバギのような風の呪文は使えないし、馬が呪文を使ったという話は今まで見たことも聞いたこともない。

一方、エルバは悪魔の子と呼ぶグレイグ達に怒りを抱いているのか、左手に力がこもっていた。

悪魔の子と呼ばれるのに関しては、これからも聞くことになるかもしれないため、慣れるように努力している。

しかし、自分から故郷と身近な人々を奪った彼らに悪魔と呼ばれるのが何よりも我慢できなかった。

「悪魔なのは…どっちだ!!」

「お、おい、エルバ!うわあ!!」

カミュが後ろにいるにもかかわらず、振り返ったエルバが右手から電撃を放つ。

彼の体はイビルビーストと戦った時と同じような、青いオーラに包まれており、そのせいか今まで使ったところを見たことのない呪文を発動していた。

放たれた電撃がグレイグをかすめ、彼の背後にいる騎兵の1人に当たる。

「うわあああ!?!?」

通電性のある鉄製の鎧を着ていたこともあるのか、電撃が彼の全身を駆け巡っていく。

電撃が収まると、フラリと彼は馬から落ちた。

「おのれ…よくも!!」

「邪魔をするなら、お前も…!?」

先ほど自分が使った呪文が何かは分からないが、倒れた騎兵を見て、おそらくグレイグに対しても有効かもしれないと分かったエルバは再びそれを放とうとする。

しかし、その前に懐にある魔法の石が青く光り始める。

「エルバ…!前を、向けぇ!!」

両肩をつかみ、必死に振り下ろされないように耐えるカミュの叫びを聞き、魔法の石の光もあってか、エルバは我に返る。

前を向くと、旅人の祠が魔法の石の光に反応したかのように扉が開き、その中にある青い光の渦が見えてくる。

「ハア、ハア、ハア…死ぬかと思った…」

エルバが前を向いたことで、ようやくフランベルグの背中に戻ることに成功したカミュがハアハアと息を整える。

同時にフランベルグが大きくジャンプし、飛び込むように旅人の祠の渦へと飛び込んでいく。

「待てぇ!!」

渦の先に何があるのかわからないが、それに入らなければ逃げられると思ったグレイグがそのまま追いかける。

しかし、グレイグが祠に入る直前に渦が消滅した。

渦をなくした祠は何もない石造りの只の部屋となっていた。

渦があった場所を悔しげに見つめたグレイグは電撃を受けた騎兵の元へ戻る。

騎兵の1人が彼の兜を取り、その中の状態を見て息をのむ。

強い電撃のせいで顔の表面が焼けてしまっており、煙まで出ていた。

首筋に指をあてた兵士はグレイグに目を向けると、何も言わずに首を横に振った。

「そうか…。くっ!」

逃げられた上に殉職者を出してしまった自分に腹を立てたグレイグはエルバが使っていた鋼の大剣を近くにある岩に向けてたたきつける

大剣は折れて、刀身は上空を数回回転した後で地面に落ちた。

「悪魔の子め…部下の仇、必ず討たせてもらうぞ。うん…?」

馬の足音が聞こえ、それが聞こえてくる方向である北へ目を向ける。

そこには白いデルカダールメイルを纏ったホメロスの姿があった。

リタルフォンとは異なり、純白の馬に乗っている。

「ホメロス…すまん。お前の予測通り、奴はここに現れたが、逃げられてしまった」

幼いころから切磋琢磨した竹馬の友であるホメロスに頭を下げる。

「気にするな。相手は悪魔の子、簡単に捕まえられるとは思っていないさ」

「…問題は、奴が今どこにいるか…だな」

旅人の祠について、グレイグ達にはあまり知識がない。

この大陸の外へ出ることができるという噂を聞いただけであり、詳しいことについては城にいる研究者に尋ねる、資料を見る必要がある。

仮にエルバ達がサマディーなどの他国領に入ってしまった場合、追跡が難しくなる。

「一度デルカダールへ戻り、今後の作戦について検討しよう。すべては、主のために…」

グレイグに背を向け、ホメロスは馬を走らせる。

彼を見ていたときは無表情だったホメロスだが、その時だけ、一瞬だけだが、にやっと笑っていた。

ホメロスが去ったあと、グレイグは旅人の祠を見た。

(それにしても、奴の左腕にあったあのスカーフ…あれは…)

 

「ここは…??」

渦に飛び込んだエルバ達の目の前には荒野と岩山が広がっていた。

デルカダールとイシの村で見た緑あふれる大地とは全く違うその景色を見て、エルバは自分がデルカダールを出たことを理解した。

後ろを見ると、旅立ちの祠と同じ構造の祠があり、渦があるのが見えたが、それはすぐに消えてしまった。

「ウウ…痛たた…」

フランベルグから降りたカミュは右肩に左手を置く。

緊急事態であり、彼は先ほどまで落馬によって受けた痛みを忘れていた。

火事場の馬鹿力というものが本当にあるのかと思いつつ、カミュは痛みに耐える。

「治療する、待っていろ」

フランベルグから降りたエルバはカミュの腕に手をかざし、ホイミを唱える。

幸いなことに、骨は折れていないようで、あとは朝まで休ませれば痛みはおさまる。

「エルバ…あの電撃は何だったんだ?」

「電撃…ああ、あれは…デイン、でいいのか…」

あの電撃を放ったとき、エルバにその言葉が頭をよぎった。

それがあの電撃を放つ呪文の名前なのだろうが、確証を持てない。

エルバはフランベルグに持たせている荷物からテントを出し、組み立て始める。

「カミュは休んでろ。腕を痛めたくないだろう」

「そうさせてもらうけどな…。エルバ、気を付けろ」

「気を付ける…何をだ?」

「お前の復讐心だ。殺す必要のないやつまで、復讐の標的にするなよ」

あの電撃の呪文により、確かに騎兵が1人死んだ。

デルカダールがエルバに与えた仕打ちを考えると、グレイグらが殺されることになったとしても仕方がないのかもしれない。

だが、必要以上に殺してしまったら、エルバは本当に悪魔になってしまう。

それがカミュが危惧することだった。

「…」

エルバは何も言わず、立てたテントの中に入る。

そんな彼の後姿を見たカミュは左手を器用に使って茣蓙をしき、そこに座っていつでも魔物が襲ってきてもいいようにナイフの柄を握った。




旅立ちの祠
デルカダール神殿から東にある祠。
神殿ができるよりも前から存在し、かつては世界各地にこのような祠があり、それを使って大陸を行き来していたらしいが、現存している祠は少ない。
また、魔法の石がない限りは扉を開くこともその中にある渦を使ってワープすることもできず、観光名所としての魅力も薄いことから街道の整備すらされていない。
現在、魔法の石を所持している人物で確認できるのはエルバ1人のみで、彼の祖父であるテオが旅先で手に入れたものを譲渡される形で所持している。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 ホムラの里

「よく走ったな、フランベルグ」

出入り口付近にある馬小屋で、エルバは食事をとるフランベルグの首筋を軽くたたいてほめる。

藁ぶき屋根で木造の建物が立ち並び、急な斜面のあるところには木造の階段がある。

エルバたちが到着したホムスビ山地の一角となっている火山、ヒノノギ火山のふもとに位置するためか、夏のような気温となっており、2人の体を汗でびっしょりと濡らしている。

ここ、ホムラの里は町中から火山から生み出される湯気に包まれており、製鉄や鍛冶が盛んとなっている、

ホムスビ山地で採れる良質な鉱石を利用して加工された武具やインゴットをはるか西に位置する港町を利用して輸出している。

そのため、世界でも有数の技術を持つ職人の多くがこの里から輩出されており、鍛冶職人になるにはホムラの里で学ばなければ一人前になれないという言葉ができるくらいだ。

「やれやれ…ようやく落ち着ける場所についたぜ」

久々に町中に入ることができたカミュは背伸びをする。

道中でエルバから借りた地図を確認したところ、このホムスビ山地は旅立ちの祠から南に位置しており、200年前のサミットで自治権を認められていることから、デルカダールも簡単に軍隊を入れることができない。

長居はできないものの、少しは休むことができる。

これからどうするか悩む中、2人の元へ若干リーゼント気味の髪型をした小太りの男性が走ってくる。

「おやおや、お兄さんたち旅人のようですね!いやぁ、いい時にいらしてくれました!わたくし、つい先日に里の奥のほうで蒸し風呂屋を開店したばかりで…」

「蒸し風呂…?」

エルバが知っている風呂としたら、湯船につかるためか、蒸し風呂とはどのようなものなのか想像できない。

普段はいる風呂よりも高温のお湯を使い、文字通り蒸してしまうのかと思ってしまう。

「なぁ、おっさん。蒸し風呂って何なんだよ?」

カミュも聞いたことがないようで、少し気になったためか、彼に質問する。

「蒸し風呂は湯船に入らず、たっぷりと出てくる蒸気で体の垢を落とす風呂なんですよ。いまでしたら、先着100名まで無料でご入浴できますよ。この機会、ご利用しないと損しますよー!」

初めて聞く風呂に興味を抱くカミュだが、自分たちの素性のことを思い出し、頭をぶんぶん横に振る。

「ああ、悪いけどよ。俺たちは風呂に入ってる暇はないんだ。客引きするんだったら、他をあたりな」

「だめですよぉー、お客さん。どんな時でもちゃんとお風呂に入らないと、不審者と思われちゃいますよー」

盗賊であり、デルカダールから指名手配されていることもあり、正真正銘の不審者であるカミュは自分の体のにおいをかぐ。

自分の体のにおいはあまり感じないためか、今度はエルバのにおいをかぐ。

エルバが最後に風呂に入ったのはデルカダールの宿屋で、カミュに限っては1年以上風呂に入ったことがないうえにほとんどの場合は川の水で体を洗うにとどめている。

「エルバ…俺って、におうか?」

「この際、はっきり言うぞ。お前は今まで出会った人間の中で一番臭い」

正面から言われたことでショックを受けたカミュはうう、と声を漏らしながら落ち込む。

風呂に入る習慣がまるでないため、うすうすと自覚していたが、やはり正面から言われるとこたえるものがある。

「まぁ…風呂はいつ入れるかわからないからな…入れるうちに入っておくか」

「だったら、先に行っててくれ。俺はその前に少しだけ情報を集めておく」

「はい!ではおひとりさま、ご案内ー!あ、足元気を付けてくださいねー!」

男に先導され、カミュは里の入り口から見て右側にある階段を昇っていく。

彼を見送ったエルバは情報を集めるため、近くの宿屋へ向かった。

 

「申し訳ありません、陛下。悪魔の子を取り逃がし、部下を1人死なせてしまいました」

王の間で、グレイグはデルカダール王の前にひざまずき、今回の失敗を詫びる。

玉座で彼の懺悔を聞いていた王は立ち上がり、彼のそばまで向かい、肩に手を置く。

「陛下。敵は世界を滅ぼしかねない悪魔の子です。おそらく、グレイグでも捕まえるのは難しかったでしょう」

「ホメロスの言う通りだ。グレイグ、今回の件に関する貴様への責任は不問とする。そして、貴様にはこれから結成する部隊の隊長を務めてもらう」

「陛下…。これから結成する部隊とは…?」

将軍であるグレイグはそのような部隊の新設の際には情報が必ず入ってくる。

彼が驚いているということは、何も知らされていないということになる。

「この部隊は特別でな、すまぬがワシとホメロスだけの秘密としていた」

「左様でございますか…」

「グレイグ。部隊名はランダウアー隊、悪魔の子を狩るため、おそらくは世界各地を回ることになるだろう…」

「世界各地を…」

「そうだ。各国との交渉は私がやる。貴様は任務が来るまで、ランダウアー隊の訓練を行っておけ」

「…はっ、必ずや期待に応えて見せます」

立ち上がり、敬礼したグレイグは王の間を後にした。

 

「この地方でも魔物が活発化している…デルカダールだけでの問題じゃないということか」

宿屋で情報を仕入れたエルバは蒸し風呂で待っているカミュと合流するために階段を上る。

デルカダールの兵士が近くにいるという話はなかったが、気になったのはヒノノギ火山に生息していた人食い火竜というドラゴンのことだ。

赤い毛皮をした、羽根を持つ狼というべき外見のドラゴンとのことで、数か月前にこの里に襲来し、数人の犠牲者を出したという。

最終的に、この地の長であり、巫女のヤヤクの息子であるハリマが討伐したものの、彼はそのドラゴンと相打ちになる形で世を去った。

また、共に戦っていたヤヤクは右足を負傷し、それ以降は自宅で有る社にこもり、政務をとっているという。

「行きがけに片手剣を買っておくか…うん?」

「いったぁーーい!」

サブ武器とはいえ、兵士の剣だけでは限界があると考え、この先にある店の品ぞろえがどのような感じか考えていると、10歳程度と思われる少女の悲鳴が正面から聞こえてくる。

階段を駆け上がると、そこには尻餅をついた、この里ではよく見る絹製の地味な色合いのスカートと服を着た、金髪で左右の三つ編みのおさげがある少女がいて、その前にはオレンジ色の髪の青年がいる。

彼の背後にある建物と徳利が描かれた看板があることから、彼が酒場の主人もしくは店員であることが予想できる。

「ちょっと!レディには優しくしなさいよ!乱暴な男はもてないわよ!?」

怒った表情を見せる少女はじっと彼を見る。

レディという言葉の意味が分かるかどうかは定かではないものの、エルバから見るとその少女はレディというよりもガールだ。

男も同じように見えている。

「あー、もううるせえなあ!わりぃけど、今は忙しいんだ!ガキの相手をしている暇はねえんだよ!」

蒸し風呂屋ができて、この里には外部からの客が増えつつある。

そして、お昼時が近いこともあり、ここには利用客も増えてくる。

仕込みなどの準備をしなければならない彼には酒の飲めない少女の相手をしている暇はなかった。

「何よ!?店長と話すぐらいいいじゃない!店長なら、はぐれた妹のことを知っているかもしれないんだってば!」

「ここはガキの来る場所じゃねえんだ。迷子の相談なら里の入り口に詰め所があるから、そこで話をしな」

「ふん、分かったわよ!店長なら話が通じると思ったけど、こんな石頭がいたんじゃあどうしようもないわ!」

もはや話が通じないと腹をたて、プリプリ怒りながら少女は酒場を後にし、下りの階段へと向かう。

だが、エルバの前に立つと、彼の顔を見て驚いた表情を見せ、足を止める。

「…どうした?」

「あんた…名前、聞いてもいい?」

急に名前を尋ねてくる彼女に疑問を抱くエルバ。

お尋ね者であるため、あまり名前を出したりすると危険だが、今はデルカダール兵がおらず、ここに来るとしてもかなり時間がかかることを考えると、それくらい話しても問題ないだろうと考えた。

「エルバだ」

「ふぅん…エルバね。なるほど…。アンタとはしっかり話をしたいところだけど、今はいなくなった妹のことが心配。里の中を探してからにするわ」

酒場の店員である男に言われた通り、詰め所で話を聞けば何かわかるかもしれないと考えた少女はエルバとすれ違う。

しかし、彼の背後で立ち止まり、口を開いた。

「まさか…アンタとここで会えるなんて。運命って、分からないものね」

「俺は…運命を信じない」

目を向けることなく、エルバはつぶやく。

相手が幼い少女であるため、感情を押し殺すように言ったが、その中には怒りを宿していた。

自分が悪魔の子として追われ、そして故郷を滅ぼされた。

それを運命だというように言っているように聞こえてしまった。

「気を悪くしたなら謝るわ。でも、信じなくても運命はあなたと突き動かし続けるわ。この世界を救うために…」

「お前…何者だ?」

10歳くらいの少女とは思えないような発言に疑念を抱きながら、エルバは後ろを向くことなく尋ねる。

「名前くらいは言ってもいいわね。私はベロニカよ。じゃあ、次に会うときはしかめっ面をどうにかしときなさいよ、エルバ」

右手で雑に手を振ったベロニカは階段を降りていく。

酒場の近くに武器屋があるのが見えたエルバは彼女との話を忘れるため、そこへ入っていった。

 

「ああ…いい気分だぜ。体中からいろいろとたまってたものが出て行っている感じだ」

高温の石にかけた水が蒸気となり、木造の質素な部屋の中を包み込んでいく。

下半身を受付で渡された大きな手ぬぐいで巻いて隠しており、体から出てくる汗をもう1枚の手ぬぐいでふき取っていく。

湯船につかるのではなく、座布団代わりに敷かれた手ぬぐいに尻を置く形で椅子に腰掛け、高温の蒸気を受ける。

今まで体験したことのない、こんな気持ちいい風呂があることを知れたことに感動を覚えているところに腰に手ぬぐいを巻いたたエルバが入ってくる。

「よぉ、遅かったな」

「悪い。ついでに武器屋で片手剣の調達をしていた」

詫びた後で、エルバはカミュの隣に座る。

兵士に追いかけられたわけではないということが分かったカミュは安心して立ち上がり、近くにある蛇口から出ている水を桶に入れる。

そして、高温の石にそれをかけた後で、再び元の場所に座った。

暑い水蒸気が周囲を白く包み込んでいく。

「エルバ、前手に入れたあの大剣、使えそうか?」

「ああ…。鋼の大剣と比べると重いが、頑丈だ。使える」

あのグレイグが愛用している剣というだけあり、市販されている従来の大剣との違いを手にしただけで感じられた。

重量は鋼の大剣以上で、正直に言うともう少し力をつけないと完全に使いこなすには難しい代物だ。

それだけあって、破壊力や切れ味、耐久性は高く、長年使われているためか、刀身には細かい傷と何度も手入れされた痕が残っている。

「ならよかったぜ…。ほかには?」

「妹を探している女の子がいた」

「妹を…?ああ、俺もその子を見たぜ。酒場で聞き込みなんて、マセてるよなぁ」

普通、子供が何か情報を集めようとするならば、酒場ではなくほかの友達や両親から聞くというのがスタンダードだ。

酒場となると、大人が入る場所であり、そこでは子供には話せないようなディープな内容もある。

そのため、酒があることもあって、大人になるまで酒場に入ってはいけないという決まりが世界中にある。

にもかかわらず、その少女は酒場で情報を聞き出そうとしていた。

そんな彼女をおかしく思い、笑っていたカミュだが、うつむいた表情を見せる。

「妹…妹か…。まったく、デキの悪い妹を持つと、兄ちゃんと姉ちゃんは苦労するよな」

「…俺は1人だ。そんなことは分からない」

イシの村にも、いくつかの家族で兄弟や姉妹がいる。

大抵の兄弟姉妹はケンカをすることがあるが、基本的には仲が良い。

そのため、兄弟姉妹がいる家族をうらやましいと思ったことがあるものの、ほしいと思ったことはなかった。

そうして結局、1人っ子でいるため、カミュのその言葉には共感することも否定することもできない。

マノロのような、エルバを兄のように慕う子供もいるが、やはり本当の弟とは違う。

「ねえ…」

耳元に女の子の声がかすかに聞こえる。

「おい、何か言ったか?」

急に誰かの声が聞こえたことで、すぐに表情を戻したカミュは一番近くにいるエルバに尋ねる。

否定するように首を横に振ったのを見たカミュは気のせいかと思い、顔についている汗を手ぬぐいをふき取る。

「ねえ、どこなの…?」

2人の耳に、また声が聞こえてくる。

明らかに2人の者ではない、男性用の蒸し風呂場にいるはずのない少女の声に2人は周囲を見渡す。

2人が入ってきた扉の方に目を向けると、そこにはうっすらと黒い影が見えた。

「おい!こいつ、もしかして…ゆ、ゆうれ…」

「落ち着け。幽霊なんていない」

「どこに…どこに行っちゃったの?」

黒い影が近づいてきて、白い水蒸気から抜け出すと、そこには泣いている青い髪で服を着ている少女の姿があった。

背丈から判断すると、年齢はベロニカとほぼ同じくらいで、白い長そでの服に紺色のドレスを着用していることから、この里の住人とは考えづらい。

幽霊じゃないことで、ほっとしたカミュは腰に巻いているタオルを確認した後で立ち上がり、彼女の前で膝をつき、目線を合わせる。

「驚かせやがって…お前、こんなところで何をしてるんだ?」

蒸し風呂は普段着を着てはいるような場所ではないし、ここは男性用で、女性である彼女が入っていい場所ではない。

泣くのを我慢しながら、少女は話し始める。

「あたし、宿屋で待ってたのに…。お風呂行くって出かけてから、ずっと戻ってきてないの。どこへ行っちゃったの…?ひどいよぉ…」

我慢できなくなったのか、再び泣き始める。

話から判断すると、彼女が探しているのは自分の家族のようだ。

「はぁ…迷子ってやつか。あ…!なぁ、エルバ。こいつは酒場の前にいたあのマセたガキの妹じゃないのか?」

「違うと思うぞ。その女の子、ベロニカの髪は金色だ。この子とは全く違う。それに…」

「いや、たまにあり得るぜ。髪や目の色が違う兄弟ってのはさ。ほら、俺たちが探してやるから、もう泣くな。ええっと…」

「ルコ…」

カミュに頭を撫でられて、少しだけ安心できた彼女は自分の名前を口にする。

「そうか。じゃあ、ルコ。一緒に探そうぜ」

「…うん!」

ルコを連れて、カミュは蒸し風呂から出ていく。

エルバは先ほどのカミュの言動を思い出していた。

(最後まで話を聞かずに…。それにしても、あいつ…兄弟姉妹の話をしていたとき、悲しそうだったな。…いや、俺には関係のないことだな)

 

「迷子なら入口の詰め所へっと…おっ」

ルコを連れて、階段を降りたエルバ達の視界に入ったのは、詰め所の警備をしている荒くれの男とベロニカが口論している様子だった。

最終的にベロニカの方が折れたのか、ため息をついて荒くれの元を離れ、こちらの方へ向かってくる。

「まったく、てんで話にならないわ!この里の連中、どいつもこいつも石頭ばっかりなんだから…きゃ!」

不満を漏らしながら歩くベロニカは前方不注意でエルバに足に当たり、尻餅をついてしまう。

「痛っ…気をつけな…あ…」

虫の居所が悪い彼女は自分のことを棚に上げて怒鳴りつけようとしたが、エルバを見て沈黙する。

「また…会ったな」

「あんた…さっきの…」

「よぉ、あんたがベロニカちゃんか。俺たち、お前が探している妹を見つけてきてやったぜ。ほら、お前の姉さんだろ?そんなところにいないで出てきなよ」

自分の後ろに隠れているルコにカミュは声をかける。

ハァ、とため息をついたエルバは首を横に振る。

ルコを見たベロニカは鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見せたが、喜ぶ様子を見せない。

「…誰よ、その子?あたし、そんな子知らないけど」

「カミュ…ルコちゃんが探しているのは姉じゃないと思うぞ」

「え…!?そ、そうなのか…??」

エルバの指摘とベロニカの反応を見て、驚いたカミュはルコに目を向ける。

人見知りで、知らない人がたくさんいるためか、ルコはオドオドしながら口を開く。

「あたし…一人っ子だよ。いなくなっちゃったのは…あたしのパパ…」

「はぁ…なんなの、アンタ。人の話をロクに聞けないなんて、とんだひよっこちゃんね」

驚くカミュにあきれ果てたベロニカは馬鹿にしたような笑いを見せる。

「なんだと!?このチビ、お前の方がガキじゃ…っていうか、エルバ!!なんでここに来るまで教えなかったんだよ!?お前、分かってたんだろ!?」

「…お前が聞かなかっただけだ」

「んだとー!?」

ハァー、とため息をついたベロニカはカミュを無視し、今度はエルバに目を向ける。

話を聞けない彼よりも、エルバの方が話ができると踏んだのだろう。

「とにかく、その女の子も迷子みたいだし、このままではラチが明かないわ。エルバ、悪いけどあたしを酒場まで連れて行ってくれない?」

「ああ…」

機嫌が悪い今の詰め所の荒くれに情報を聞き出すのは難しい。

酒場の店員はベロニカのような子供の相手はできないというが、大人であるエルバやカミュがいるなら、少なくとも入店は許してもらえるかもしれない。

もちろん、料理を注文するという前提で。

酒を飲まなければならない場合は、大人であり、酒が飲めるカミュに任せればいい。

「ありがとう、話しが早くて助かるわ。ルコちゃん、こんな頼りないおにーちゃんとムッツリとしたおにーちゃんに振り回されて、心細かったでしょ?もう大丈夫だから」

「…うん!」

同年代の少女に励まされ、ようやくルコは笑顔を見せる。

おいてけぼりにされたことで、心を落ち着かせる時間ができたカミュは2人のやり取りを見て、ハァとため息をつく。

(俺たち、追われてるってのにどうしてこんな面倒事が起こるんだろうな…?)

 

「ありがとうございました!またご利用くださーい!」

「おい、ササミ!さっさと寿司を握れぇ!」

「はいよぉー。ったく、寿司なんて手間のかかるものを…。あ、いらっしゃいま…」

店員である先ほどの青年、ササミは愚痴の続きを腹に引っ込めて、入ってくる客を迎えようと笑顔を作るが、すぐにその笑顔は固まる。

カミュの足元を見ると、いつぞやのベロニカが隠れていた。

ササミの徐々に変化する表情を見たベロニカはさすがにまずいと思ったのか、カミュの後ろに隠れたままになる。

「あ、お前は!こりもせずまた来やがったな!子供が一人で酒場なんぞ…」

「俺たちの連れが…何か?」

両腕を組み、ドヤ顔になったカミュが尋ね、ササミは口ごもる。

大人が一緒に入ってきて、子供に酒を飲ませないならば、入ってはいけないということにはならない。

「ササミ!さっさと厨房へ来い!いらっしゃいませ、お客さん!前の席でよければ、どうぞぉー!」

ほかの席には観光客や休憩中の職人などが食事のために座り、出された寿司やおにぎり、みそ汁などを口にしている。

空いている席はカウンター席だけで、ちょうどエルバ達4人が座れる。

ササミが厨房に入った後で、4人は椅子に座る。

カウンター席の前で魚を焼き終えた、ホムラの里の民族衣装を着た、若干カールしたヒゲで太い淵の黒い眼鏡をかけた中年の店主が木製のコップに水を入れ、4人に出す。

「悪かったな、嬢ちゃん。忙しくって、あいつもへそを曲げちまってたのさ。で、何を注文する?」

「んじゃあ、握り飯を4つで」

本来の目的はルコの父親とベロニカの妹に関する情報を聞くことだが、ここは酒場だ。

店主から情報を得るとしたら、何かを注文しないと筋が通らない。

店主はすぐに手に塩をつけると、桶の中にある炊き立てのご飯を握り始める。

数分で4人分の握り飯が出来上がり、カウンターに置かれる。

「店主さん。単刀直入に聞くけど、あたしと同じ金髪で緑色のドレスを着たセーニャって子が誰かを探しに来てなかった?」

握り飯を受け取り、質問したベロニカはそれを口に含む。

中には種を取り除いた梅干しが入っているのか、酸っぱさで目を閉じ、口をとがらせる。

「セーニャ、セーニャなぁ…。ああ!そのお嬢さんなら、ウチにお姉さんを探しに来てたけど、いないと分かって里から出て行ってしまったよ」

「そ、そう…。それで、どこへ行くって言ってた?」

酸っぱさを我慢し、ようやく食べ終えたベロニカは居場所を突き止めるためにさらに質問する。

詰所へ行く前に馬小屋を確認していたが、そこにおいてあるはずの馬の1頭がいなくなっていたため、そうなっている可能性を薄々と感じていた。

うーん、と目を閉じ、顎に握った右手の人差し指の第二関節あたりを置き、少し考える。

そして、すぐに思い出したのか、目を開く。

「西のほうにお姉さんがいる気がするといってたっけなぁ…。なんとも、不思議な女の子だったなぁ…」

「西のほう!?ああ…もう、入れ違いだわ!!セーニャはあたしを助け出そうとして…!」

椅子の上に立ったベロニカは両手で机をたたく。

こうなってしまうのであれば、あの場にとどまって待っていればよかったと後悔し、再び椅子に腰かける。

「話が…見えてこないが」

握り飯を食べ終えたエルバとカミュには、どういう事情でそうなっているのか、話が全く見えていない。

2人に体を向けたベロニカは事情を説明する。

「実は…あたし、蒸し風呂に入っていたところを魔物にさらわれちゃって、今までそいつらのアジトに閉じ込められていたの」

魔物が人をさらうということ自体は魔物が活性化する昨今では珍しい事件ではない。

餌にするため、もしくは身代金を得るため、もしくはただコレクションするために人をさらうケースが多く、そういう事件はデルカダールでも聞いたことがある。

「せっかく、そこから逃げてきたのに…今度は妹のセーニャが魔物のアジトへ行っちゃうなんて…」

しかし、今のベロニカには後悔している時間はない。

それよりもやることは、一刻も早く妹を助けることだ。

だが、今のベロニカには戦う力がない。

武器もなく、西のアジトから魔物に見つからないように気を付けて進みながらホムラの里に到着できただけでも奇跡だ。

そんな自分1人では、とてもセーニャを助けられない。

ベロニカはエルバに目を向ける。

「エルバ、あんたはただの旅人じゃないんでしょ?聞かなくても…あたしにはわかるわよ」

「…」

「今はまだ詳しい話はできないけど…お願い。何も聞かないで一緒に妹を探して…」

今の彼女には頼ることができるのはエルバとカミュしかいない。

ベロニカは先ほどまで見せた高飛車な姿が嘘だったかのように、エルバに頭を下げる。

それを見たエルバは目を閉じ、考える。

「エルバ、あの生意気なベロニカがこうして頼んでるんだ。面倒ごとは御免だが、それくらいはしてやっていいだろ?それに…まだ追手が来るまで時間があるしな」

椅子から立ち、カミュはエルバに耳打ちする。

カミュのいう通り、追手のデルカダール兵が他国や自治領に入るには手続きが必要だ。

その手続きはすぐには終わらないため、仮にホムラの里にいることを特定されたとしても、兵士の派遣から手続きのあとで自治領に入るまで最低4日はかかる。

その間に探し出し、別の地域に逃げれば問題はない。

「…わかった。だが、終わったらすべて話してもらうぞ」

「いいわ。約束する」

「お姉ちゃんたち…いっちゃうの?」

握り飯に手を付けていないルコが3人に尋ねる。

ベロニカの身に起こったことを考えると、彼女も父親も同じく捕まってしまい、西のアジトへ連行されたものと考えていい。

しかし、ルコはベロニカよりも年下の少女であり、安全を考えると、里に残すしかない。

「ねえ、あたしも一緒に…」

「駄目よ。子供は危ないから。あなたのパパはきっと、同じ場所にいるわ。必ず連れて帰ってくるから、いい子で待ってて」

納得がいかないルコだが、自分を助けてくれたベロニカを信頼して、ゆっくりと首を縦に振る。

「お前だって子供じゃねえか…。そんな丸腰じゃあ何もできないぞ」

店主に代金を支払い、ルコを預かるように頼んだカミュは言う。

旅慣れした彼からすると、ベロニカもルコと同じくらい足手まといになる。

獲物となる武器がないうえに、こんな子供ではスタミナはたかが知れている。

そのうえ、いざ魔物とであったなら、彼女は逃げることしかできない。

椅子から飛び降り、2人の前でベロニカは腰で両手を置いて胸を張る。

「あたしを誰だと思ってるの?聖地ラムダからやってきた、最強の魔法使いのベロニカ様よ」

「聖地…ラムダ…?」

エルバはテオから教えてもらった冒険の物語を思い出す。

聖地ラムダは世界2大山地の1つであるゼーランダ山を抜けた先にある聖域で、そこでは古の賢者セニカを祭る巨大な像が安置されている。

呪文と音楽、そして文学に精通するラムダの民が暮らしており、地図によると、ロトゼタシア北西にあるクレイモラン大陸に存在することから、彼女とセーニャはかなり遠くからここまで来たということになる。

「そんな遠いところから、なんでここまで来たんだよ?」

「それについては、終わってから説明するわ。まぁ…アンタの方があたしの足を引っ張らないように気を付けてほしいわね」

「はぁ?だったら、杖か何か持ってるだろ?なんで何も持ってないんだよ?」

「わけありなの。さあ…出発しましょう。あたしが案内するから」

ベロニカはごちそうさまというと、先に酒場を出ていく。

後頭部をかきながら、カミュは立ち上がり、ルコの頭をなでる。

「安心しろ。俺たちがお前のパパを助けてやる。だから…ここで待ってろよ?」

「…うん、パパのこと、お願いね」

 

「ふぅ…あたしの馬がちゃんとここに残ってくれててよかったわ」

馬小屋で、ベロニカは亜麻色の毛をした馬を撫で、小屋から連れ出す。

「マジか…!?なんで馬を持ってるんだよ!?」

「聖地ラムダから一緒に旅してるの。旅人が馬を借りたり持ったりするのって、そんなに不思議な訳?」

ベロニカは馬に乗ろうとするが、やはり口では異性を張るが体は小さな女の子。

馬の背に乗ることができない。

エルバは子供用の補助のクラを近くにある馬具屋で買い、フランベルグにつける。

「フランベルグに乗れ。こいつなら、俺以外にもう1人は乗れる」

「はぁ…じゃあ、それでいいわ。じゃあアンタはあたしの馬に乗って」

「ああ…ちょうど、馬がないから都合がいいぜ」

ポンポンと背中を軽くたたいた後、カミュはベロニカの馬に乗る。

フランベルグと同じく、訓練されているおかげか、それともカミュをきちんとベロニカの仲間だと認知してくれたのか、暴走していない。

「エルバ、先頭は頼むぜ」

「ああ…つかまっていろ、ベロニカ」

「ええ。じゃあ、行きましょう」

2頭の馬がホムラの里を出て、西へと進んでいく。

「エルバ…あたしの期待を裏切らないでね」

エルバの背中につかまるベロニカは彼に聞こえないくらい小声でしゃべった。




ホムラの里
ホムスビ山地の一角にある和風の里。
ヒノノギ火山をはじめとした大小さまざまな山々からもたらされる温泉と鉱石で有名で、鍛冶と観光が盛ん。
最近では蒸し風呂屋ができ、今までにない新しいタイプの風呂に注目が集まっている。
500年以上の歴史を誇り、代々巫女が里長として世襲している。
現在の巫女はヤヤクで40代目だが、息子であるハリマは人食い火竜との戦いで戦死してしまった。
ヤヤクももうすぐ老齢に差し掛かることから、仮にヤヤクが急死してしまった場合、後継者問題が発生する恐れがある。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 セーニャ

先日、お気に入り数が100件に到達しました!!
みなさん、ありがとうございます!


夜になり、ホムラの里から西にあり、ベロニカがいうアジトのある場所の中間に位置するキャンプ場で、3人はテントを設置し、たき火をしてキャンプを始めた。

西と東、南にある通路は狭く、魔物が襲ってきたとしても、空から来ない限りは少数ずつ倒すことができる。

今回はホムラの里で調達した炭を使うことになった。

薪とは違い、炭は火力調整が可能なうえに安定させやすいため、調理が容易だ。

3人はエルバが作った豆のスープを食べていた。

「うう…まずいわね…」

「まずかったら、食わなくていいぞ。お子様の口には合わねえみてーだし」

「だから、お子様じゃないわよ!!ああ…もう、食べればいいんでしょ!食べれば!!」

カミュの言葉で意地を張ったベロニカは口に合わないのを我慢しながら、スープを飲む。

このスープはエルバが作ったもので、イシの村では朝食のメニューとして出されやすい。

今回使った豆はイシの村のものではなく、ホムラの里のものだが、同じ種類の豆なので、味はそれほど変わりない。

カミュの出身地は知らないが、少なくともベロニカが暮らしている聖地ラムダではこのような味は馴染まないようだ。

「ったく、こんなんじゃなかったら、あんな魔物なんか…」

スープを食べ終えたベロニカは同中に起こった戦闘を悔しがりながら思い出す。

このキャンプ場に来るまで、3回魔物と遭遇し、交戦した。

神の岩でエルバが遭遇したヘルコンドルと似た姿で、体の色がオレンジ色のガルーダ3匹と最初に遭遇し、馬1頭用意に運べるたくましい両足があり、おまけに空中から攻撃してくることから苦戦した。

ベロニカが翼を焼いて地上に叩き落すためにメラを唱えようとしたが、なぜか杖から出てくるはずに火球が出てこず、やむを得ずエルバが1匹をギラで、カミュが魔法の聖水や魔法の小瓶の空き瓶で作った火炎瓶を使って3匹を地面にたたき落とした。

地面に落ち、身動きが取れなければ、もはや敵ではない。

そのあとでカミュが2本の聖なるナイフで、エルバはグレイグの大剣でとどめを刺した。

次に遭遇したのはふとやかな緑色の体で、両手に持つ2本のバチで腹部にぶら下げている太鼓をたたくドラムゴートだ。

カミュいわく、攻撃力と防御力が高いだけのノロマだが、問題なのは太鼓での演奏だ。

周囲の魔物がその演奏につられてこちらに来て、おまけにその演奏で攻撃力が強化されてしまうとのこと。

集団戦に持ち込まれて、リンチにされて死亡した冒険者や旅商人は数多く存在する。

そのため、まずは動きの遅さを利用してエルバのデインで太鼓そのものを破壊した。

太鼓を失えば、もはや彼のできるのは攻撃だけで、動きの遅い攻撃は怖くない。

壊れて地面に落ちた太鼓を踏み台にしてジャンプしたカミュの投げナイフで両目を潰し、エルバが渾身斬りで真っ二つに切り裂いた。

また、ベロニカは薬草や魔法の小瓶を使い、2人のHPとMPの回復に努めた。

そして、キャンプ場まであと少しというところで5匹のドロルに襲われた。

海鞘みたいな突起や牡蠣を思わせるヒダがあり、ナメクジのような目を持つ軟体モンスターであり、長らく虫系モンスターだと思われていたが、最近の研究により、ゾンビ系だという説が浮上し始めている。

魚介類や爬虫類の屍肉を好んで食しており、その性質を体に宿したことで生まれたかららしい。

イビルビーストが使ってきたボミオスとは異なり、単体にしか効果がないものの、より体の動きを鈍らせることのできるボミエだけでなく、相手を眠らせるラリホーや相手の呪文を封じるマホトーンとスカラやバイキルトなどの相手に宿った魔力を消し去る効果を持つ光を放つ機関を目に宿している。

しかし、あくまで軟体モンスターであり、動きも鈍いことから、対応は簡単だった。

背後へ回り込み、後ろを向かれる前に大剣を叩き込む、もしくは走り回り、こちらの動きを捕捉しきれないうちの短剣で何度も攻撃するなどして、容易に撃破することに成功した。

なお、ドロルの肉はカミュいわく、非常にまずいうえに調理に向いていないとのことで、そのまま自然に還すことになった。

呪文が使えないベロニカにできたのは2人のサポートだけだった。

天才と言われた自分がこんなことしかできなくなっていることが、仕方がないことだとはいえ、非常に悔しかった。

「こうなったら、一刻も早くセーニャを見つけて、魔力を取り戻して、あたしをさらったあいつらにたっぷりお礼をしてやるわ…!」

「大事なんだな、妹のことが」

スープを飲み終え、エルバが不思議な鍛冶セットでグレイグの大剣を叩きなおしているのを見ながら、カミュはベロニカの隣に座る。

「うん…当然よ。ずっと一緒に育って、旅をしてきた大事な家族よ。大事じゃないわけがないじゃない」

「そう…だよな。大事にしねえ理由なんてねえよな…」

ふと、何かを思い出したのか、カミュは蒸し風呂の中でエルバに見せたような、悲しげな眼を見せる。

口の悪い盗賊である彼がそんな目をするのが意外だったのか、ベロニカは目を丸くしている。

「おっと、忘れるところだった。こいつは塩漬けにしておくか…。あとで食える」

カミュは肉類を入れた食料袋から今日手に入れたガルーダの肉を出し、塩をまぶしたうえで別の袋に入れる。

本当はそのうえで冷水の中に入れておくといいのだが、ホムスビ山地は熱く、しかもこの周囲には水がない。

里で水をある程度調達できているが、ここから先で水の補給ができるかどうかわからないため、食べる場合は手作業で塩抜きをする必要がある。

「ったく、何なのよ、アイツ…」

話を振ってきて、勝手に話を切り上げたカミュに不満を感じながら、ベロニカは水を飲む。

まずいとはいえ、ご飯を食べることができて、水を飲むことができている。

しかし、セーニャは今大丈夫なのか…?

月を見ながら、ベロニカは妹のことを考える。

(無事でいなさいよ…。あんたとあたし、2人一緒じゃなきゃ、使命を果たせないんだから…!)

 

「よし…馬はここに止める。あとは歩きだ」

西側の山肌の道を進み、3人は加工された石で造られた人工的な洞窟に到着する。

当然、屋内には馬を入れることができないため、付近の草むらに放した。

旅や戦闘のために使用される馬は放していても、口笛もしくは専用のベルを使用することで呼ぶことができる。

「この場所で間違いないのか?」

「ええ…間違いないわ。この場所よ」

ホムラの里まで逃げてきた間のことを思い出しながら、ベロニカは答える。

自然な洞窟が多いこの産地では不釣り合いな石造りの、おまけにホムラの里ではありえない均等な直方体の意思で組み立てられた洞窟。

そんな洞窟はここだけで、見間違えるはずがない。

「この馬は…!!」

周囲を見渡したベロニカはすぐ近くにある小さな池で水を飲んでいる馬を見つける。

その馬にかけられている荷物を調べると、その中には竪琴が入っていた。

「間違いないわ…セーニャはあの中にいる」

「その竪琴…セーニャっていう妹のものか?」

「そうよ!やっぱり…ここに来てるわ。急がないと!!」

竪琴を手にしたベロニカはカミュの制止を無視して、そのまま洞窟へ向かって走っていく。

その洞窟がベロニカが捕まっていた場所だとしたら、中はまさに敵の胃袋であり、戦えない彼女が先行したらまずい展開しか想像できない。

「追いかけるぞ、エルバ!!」

「ああ…」

2人はベロニカを追いかけるように、洞窟の中へ足を踏み入れた。

 

「ああ…くそ!あいつ、どこへ行った!?」

洞窟に入った2人だが、一本道ではなく分岐点や行き止まりの多い複雑な構造であるがために、ベロニカを見失ってしまう。

おまけに洞窟の中には細胞結合を弱め、敵の守備を弱める呪文、ルカニを効果を軽減した代わりに複数の相手にかけることができるようになったルカナンが使えるようになり、誰がその名前を付け、どういう意味なのか全く分からないことで有名な緑色のドラキーであるタホドラキーやバギなマホトーンといった呪文を中心に攻撃を仕掛けてくる怪人、ドルイドなどの魔物と遭遇した。

1対1体は大したことはないものの、やはり洞窟の中というだけあって数が多く、すべての魔物を相手にするわけにはいかない。

先ほど襲ってきた動く悪魔の骨に乗った黒装束の騎士であるスカルライダーの大群から、カミュが投げた煙幕で逃げてきたところで、彼らに追いつかれないように2人は走っている。

「気を付けろ、あいつらは乗りこなすのは下手だが、すばしっこいぞ!」

「わかっている…!ベロニカ、どこだ…!」

並列して走る二人だが、次の瞬間、床からゴトリと変な音が鳴る。

「ゴトリ…??」

デルカダールの地下水路で似たような音を聞いたカミュはその時のことを思い出し、ツーッと冷や汗をかく。

次の瞬間、2人のいる床が崩れてしまう。

「マ…マジかーーーー!?」

「く…罠があったか…!」

幸い、地下1階といえる空間は比較的浅い場所に位置しており、2人は落ちたレンガの上に着地する。

その場所は先ほど通った通路と同じくらいの狭さで、一本道となっている。

「ああーー、せっかく蒸し風呂入ってスッキリしたってのに。帰ったら、また蒸し風呂だな」

「気に入ったのか?」

「当たり前だ!久々の風呂でいい気分になれたからな」

服をポンポンとたたき、砂を落としながら答える。

エルバも蒸し風呂は最初、どういうものかよくわからず、戸惑っていたが、今ではあれもあれでアリだなと思えるようになった。

ベロニカとルコの父親を助けたら、彼に付き合うのもありかもしれないが、それはデルカダールが里に近づいていない場合だけだ。

人助けをしているので忘れているかもしれないが、今の2人は脱獄した死刑囚だ。

「キャアア!!ったく、どきなさいよ!!」

同じ階のどこかから、ベロニカの声と骨が動く音が聞こえてくる。

「ベロニカ…?」

「近くからだ!!」

音が反響し、どこにいるのかを聴覚で判断するのは難しい。

しかし、骨の動く音から、彼女がスカルライダーに追われていることは間違いない。

エルバとカミュはベロニカを探すために再び走り出した。

走って十数秒で、広場に到達し、そこで10匹近くのスカルライダーに石を投げて応戦するベロニカの姿を見つける。

「ったく…呪文が使えないだけで…キャア!!」

スカルライダーの剣がベロニカの腕をかすめる。

それでも、服と皮膚が破れ、血が流れる。

呪文が使えないだけでここまで戦えなくなる自分を呪いながら、ベロニカは腕を抑える。

ジリジリと包囲を固めるスカルライダーをベロニカはキッとにらみつける。

何の力もない自分にできる唯一の抵抗だ。

「デイン!!」

ベロニカの正面に立つスカルライダーに向けて側面から電撃が飛んできて、そのモンスターは3,4体のスカルライダーを道連れに感電し、消滅する。

突然の外からの攻撃に動揺するスカルライダー達に立て直す時間を与えまいと、カミュが大きくジャンプし、投げナイフを3本同時に投げつける。

ナイフがスカルライダーの頭や剣を持つ手に命中し、頭にナイフを受けたスカルライダーは骨から落ち、手に受けたモンスターは痛みで剣を落としてしまう。

「よし、行け!!」

「ああ…」

続けてデインを唱え終えたエルバがグレイグの大剣を振り回し、一度で複数のスカルライダーが乗る骨をバラバラに粉砕し、スカルライダーを真っ二つに切り裂く。

剣で防御しようとしても、大剣の前では無力で、防御ごと粉砕される形になった。

「あんた達…」

「じっとしてろ」

ベロニカに駆け寄ったエルバはベロニカの傷を見る。

幸い、切り傷などで、骨などへのダメージがないことに安心し、彼女にホイミを唱える。

「勝手に突っ走ったときは何してんだって思ったけどな、あんな魔物の大軍を前に泣かないって、中々ガッツがあるじゃねえか!」

回復を行うエルバと回復中のベロニカのカバーに入ったカミュはジバリアを唱え、魔法陣をいくつも周囲に設置する。

魔法陣に飛び込んでしまったスカルライダーは足元から隆起する岩に吹き飛ばされる。

更に隆起した岩によって壁ができ、スカルライダーは3人を襲う邪魔になる岩に剣で何度も攻撃する。

どうにか岩を砕き、絶好の獲物が得られると思い前進しようとするスカルライダーだが、正面から飛んでくるギラに焼かれ、灰となった。

「こりゃ…長くはもたないな」

ジバリアで生み出した岩が砕かれるのを見たカミュだが、もう1度ジバリアを発動するだけのMPが残っていない。

「カミュ!!」

ベロニカの声を聞き、振り向いたカミュに魔法の小瓶が飛んでくる。

それをつかんだカミュは、投げた本人であるベロニカに目を向ける。

「さっさと飲んで、動きなさいよ!!」

「お、おう!!」

魔法の小瓶の中の水を飲んだカミュは壊れた岩、もしくは壊れそうになっている岩の後ろに設置する形でジバリアを発動する。

苦労して岩を砕き、先へ進もうとしたスカルライダーは岩に吹き飛ばされるか、再び阻まれることになった。

 

30分が経過し、スカルライダーの大半が倒れ、生き残りはエルバとカミュを倒すのは不可能だと判断し、逃げ出していった。

「はあ、はあ…」

「飛ばし過ぎだ、カミュ。お前らしくない」

ベロニカから追加でもらった魔法の小瓶を飲み、エルバから治療を受けるカミュは息を整える。

少なくとも戦闘では冷静に武器と呪文、そして道具を選んで戦っているカミュらしくなく、あのスカルライダーの群れと戦っている時の彼はジバリアを連発するなど、エルバの言う通り飛ばし過ぎていた。

戦いが終わり、緊張状態が解けたことでようやく体の疲れを自覚したのか、今はあおむけに倒れ、天井をじっと見ている。

「あんた…」

傷がふさがり、疲れも取れたベロニカがカミュに近寄る。

「よぉ…無事みてーだな、ベロニカ…」

「…」

ベロニカは3本の魔法の小瓶をカミュのそばに置き、後ろを向く。

「これでMPは全快するわよね。それと…」

「それと…何だよ?」

「前に言った、頼りないとかひよっこって言葉…撤回してあげる。それだけよ」

カミュに顔を見せることなくつぶやくベロニカだが、カミュは何の話か分からずにいた。

一方、残った1本の魔法の小瓶でホイミを使った分のMPを回復しているエルバはホムラの里でベロニカに2回目に会った時の会話を思い出す。

その時、そして酒場で話していたとき、確かにベロニカはカミュをそのような言葉で酷評していた。

ルコの件があり、そう思ってしまうのも仕方にないシチュエーションであったことは否定できないが。

「よくわからないけど…俺を少しは、認めてくれたってことか…?」

「まぁ、これくらいの戦闘でバテバテになるようじゃあ、頼りない男レベル2っていったところだけど」

「悪い意味で…レベルアップじゃねえか…!」

エルバの肩を借りて起き上がり、自分を見て舌を出すベロニカに抗議する。

酒場の時ほどではないが、カミュは怒っていた。

「怒れて立てる…ということは、もう大丈夫ね。行きましょう。こっちよ」

「こっちに何があんだよ?」

「登れそうな壁よ。天井のあたりに穴があるから、そこを使えば、きっとあの場所まで戻れるわ」

ベロニカの案内に従って進んだ先には、彼女の言う通り、登れそうな凸凹ができた壁と上の階へと続く穴を見つけることができた。

幼少期から木登りなどで登った経験のあるエルバと旅慣れしたカミュはこの壁を問題なく登ることができるが、問題はベロニカだ。

彼女は幼い少女であり、体力も2人には及ばないため、もしかしたら登っている途中に疲れて手を放し、落下する可能性がある。

「グラップリングフックがありゃあいいが…生憎、手元にねえんだよなー…」

過去にカミュはグラップリングフックを使い、でこぼこのない壁を上って高い場所を上った経験がある。

元々は木登りなどができないデクのために作ったもので、これはデルカダール城へレッドオーブを盗む時に使っていたが、兵士に捕まってしまい、その際にこれは没収されている。

もう1度作ればいいと思っていたが、これまでそれを使う理由がなかったことから、今まで作っていなかった。

まさか、このタイミングで必要になるとは思いもよらず、カミュは頭を抱える。

「カミュがベロニカをおんぶして登ればいい」

「はぁ!?なんで俺が…」

「なによ!?その反応!レディに対して、失礼じゃないの?!」

カミュの嫌そうな反応に怒りを覚えたベロニカが抗議する。

大の男におんぶされるのには抵抗感がある物の、今回の場合は仕方がないと割り切っている。

そんな自分の好意を無下にするような反応が彼女の気に障った。

「エルバ!お前がおぶればいいだろう!!?」

「俺は背中に大剣を差してる。そんな状態で、どうおんぶしろというんだ?」

カミュの言い分を無視し、エルバは先に壁を上っていく。

先に上っていったエルバが戻ってくる気配はなく、やむなくカミュはベロニカをおんぶする。

「ほら、さっさと登りなさいよ!…にしても、ちょっと匂うわね」

「うるせえガキだな。黙ってしがみついてろ!!」

さっさとこのやかましい少女から解放されたいと願いながら、カミュは面倒事を押し付けたエルバを恨み、上へ登っていった。

 

「女神像…なんでこんなところに」

1階に戻り、しばらく北へ進むと女神像を中央に置いた丸い人工的な泉のある開けた部屋に到着する。

魔物の気配がなく、泉に湧き出ている水はイシの大滝に流れる水と同じくらい清らかだが、何か不思議な力が感じられた。

「助かった。ここでも水の補給ができるみてーだ…ん??」

以外な場所で水の補給ができることを喜び、さっそく汲もうとしたカミュだが、その部屋にいくつも配置されている柱に隠れるように、緑色のドレスを着た金色のロングヘアーの女性が倒れているのを目撃する。

「まさか、彼女もベロニカと同じように…」

「セーニャ!!」

ベロニカは自分よりも身長が高く、妹にまるで見えない女性の元へ駆け寄る。

どういうことなのかわからないカミュは困惑し、エルバも表情は変えていないものの、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。

エルバとカミュの2人と比較すると低いものの、ベロニカの倍近い身長で、年齢もはっきり言えばベロニカよりも上にしか見えない。

「わけありか…?」

駆け寄ったベロニカは何度もセーニャの体を揺らす。

「セーニャ、セーニャったら、しっかりしてよ!!どんな時でもずっと一緒だって、約束したじゃない!!セーニャ!!」

何度も揺らしても、ピクリとも反応せず、ベロニカは肩を落とす。

おそらく、彼女はベロニカを助けるためにここまで来たが、残念ながら…。

エルバは目を閉じ、カミュは視線を逸らす。

「んん…」

「え…!?」

ピクリと体が動いたと思ったら、ゆっくりとセーニャが起き上がる。

そして、のんびりとベロニカのそばであくびをした。

「すみません、私、人を探していて…。疲れてこの泉のそばには魔物が来ないので、休んでいたらそのまま眠ってしまったようですわ…」

起きたばかりのセーニャは目をこすり、そのあとでベロニカの顔を見る。

数秒の間、ベロニカを見たセーニャは目を丸くする。

「お、お姉さま!?なんておいたわしい姿に!?」

「え…あ、あんた、あたしがわかるの!?」

セーニャが無事だったこと、そして自分のことをわかってくれたことを喜ぶベロニカは身を乗り出し、最愛の妹を見る。

驚くベロニカをおかしいと思ったのか、セーニャはフフッと笑う。

「何年もお姉さまの妹をしておりますもの。ちょっとお姿が変わったくらいで間違えたりしませんわ」

「も、もう!!あんなまぎらわしい倒れ方をしないでよね!?あたし、てっきりあんたが…」

照れ隠しか、両腕を組んだベロニカは先ほどのことに腹を立てる。

確かに何も知らない人間があんなのを見たら、おまけに体を揺らしても動かないとなると死体と誤認してもおかしくない。

体温を見ればわかるだろうという突込みはさておき。

「なあ、お取込み中悪いが、セーニャってのはお前の妹なんだろう?一体どういうことだ?」

話が全く見えないカミュがベロニカに尋ねる。

誰が見てもだが、今の2人を見ると、セーニャが姉でベロニカが妹にしか思えない。

「実は…あたしたちは双子なの。こんな見た目になったのは深ーい理由があるの。あたしをさらった魔物がね、ここをアジトにしてたくさんの人をさらっては魔力を吸い取って集めていたの。魔力を吸い取られないようにこらえていたら、ついでに年齢の方も吸い取られちゃって、今はこんな格好ってわけ」

「だから、呪文が使えなかったと…」

「そういうこと。だから…」

ベロニカは真剣な表情を見せると、カミュに指をさす。

「つまり、こう見えてもあたしはれっきとした年頃のおねーさんってこと!これからは子ども扱いしないでよね!」

「な、なんで俺だけなんだよ!?エルバも…」

「あいつは最初から子ども扱いしてないからよ。そうでしょ?」

「薄々と、だがな。もしかしたらと思った」

酒場で初めてベロニカと出会い、彼女と運命について話をしたときの違和感をエルバは思い出す。

ベロニカが見た目は少女だが、本当は大人ではないかという疑念を持っていたが、2人の会話を聞くことで、それが確信に変わった。

「さすが勇者様、鋭いわね。こいつとは違って」

「ぐぅ…!!」

拳を握りしめるカミュだが、ここで暴走するとそのことを自ら認めてしまう格好になってしまう。

二十歳を超えた、このメンツの中では一番の大人である自分がそんな醜態をさらすわけにはいかないと、必死にこらえた。

「彼女を見つけただけでは終わらない。奥にいるお前をさらった魔物を倒して、魔力を取り戻したい…ということか?」

「そういうこと。だから、それまであんた達には付き合ってもらうわ」

「私からもお願いいたします。回復呪文でみなさんのお手伝いをいたしますし、しっかり休みましたので、MPも回復しています。さあ、参りましょう。エルバ様」

「俺の名前も知っているか…」

ベロニカが最初から名前を知っている素振りがあるため、もしかしたらと思ったら当たっていた。

「もちろん、あんたもよ!カミュ!!」

「ああ、分かった分かった。最後まで付き合ってやるよ」

「フフ、ありがとうございます。カミュ様」

ベロニカとカミュのやり取りを見たセーニャは面白おかしいためか、ついつい笑ってしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 双子の旅人

セーニャと合流した泉で体力を回復させた4人は更に迷宮の奥へと進んでいく。

魔法の小瓶の空き瓶にはその泉で汲んだ水が入っている。

セーニャとベロニカの話によると、この泉には不思議な力があり、HPとMPを回復させる力があるという。

実際、そこの水を飲んだことで、全員のHPとMPを回復することができた。

「にしても、あの泉の水でも、ベロニカの魔力が戻らないなんてな」

「どうやら、ご丁寧なことに魔力を奪った時に呪いまでかけられちゃったみたいね。ったく、面倒くさいことを!!」

腹を立てているが、呪いをかけられた可能性はベロニカも薄々と感じていた。

MPは休息をとることで回復することができるが、ホムラの里の近くで野宿をしても回復しなかった。

テントもなく、地べたの横たわって眠る形になり、最悪な環境で過ごしたから、回復できていないのではと思ったが、泉の水を飲むことで確信に変わった。

逃げているときは泉に目を向ける余裕がなかったようだ。

「大丈夫ですよ、お姉さま。エルバ様とカミュ様、それに私も一緒に行くんですから、必ずお姉さまをさらった魔物から魔力を取り戻せます!」

「魔力を奪うか…もし、その魔力を奪った魔物がそれを使いこなせたら、どうするんだ?」

カミュにとって、その魔物と戦う際に懸念としているのはそれだった。

相手がどんな存在かはわからないが、魔力を奪うということは、それを自分に取り込んで強くするためと考えるのが妥当だろう。

ベロニカは聖地ラムダからやってきた、最強の魔法使いと自称している。

仮にその話が本当だとしたら、ベロニカの呪文をそのまま使えるということになり、こちらにとって脅威となる恐れがある。

「セーニャ、あんたはマホトーンは使えるか?それがあれば、大丈夫だと思うが…」

マホトーンによって呪文を封じ込めることができれば、その脅威は消える。

しかし、困った顔をしながら首を横に振られたことで、当てが外れてしまう。

最も、元々マホトーンは魔法使いが習得する呪文であり、僧侶であるセーニャが覚えていない可能性の方が高い。

「それについては心配いらないわ」

「心配いらねえって、どういうことだよ?」

「悪いけど、今は手の内を明かすわけにはいかないわ。あいつと出会ってからのお楽しみってことで」

「お姉さまがそうおっしゃるのなら…私は信じます」

「待て…」

先頭を歩くエルバが右手を出し、3人を制止する。

彼の目の前にある広間には怪しい影に似たモンスターが1匹いて、彼は北の廊下を進み、重い鉄製のドアの前に立つ。

そのモンスターは扉に手を伸ばすが、何かを思い出したのか、手を引っ込める。

「ヤミ心あれば、カゲ心!」

「合言葉か…」

言い終わると同時に扉が鍵が外れ、モンスターが自分の手で開いて中へ入ると、再び扉は閉じ、鍵がかかった。

扉が閉まり、数分経ってからエルバ達は扉の前まで移動する。

「あの中に、あたしの魔力を奪った奴が…」

「ベロニカ、どんな奴にさらわれたのか、覚えてないか?」

「ええ。気が付いた時には壺の中にいて、ツボから出されたときは暗くてどんな奴に連れてこられたのか、全く分からなかったわ…」

何度も気が付いてから地下迷宮を脱出するまでのことを思い出そうとするが、肝心の自分をさらった相手の正体を彼女は見ていない。

魔物があふれるこの迷宮にアジトを構えることができ、先ほどの怪しい影がそれにかかわっていると仮定したら、少なくともその正体は魔物だ。

「まずは、中の様子を確認しようぜ。敵の正体を知りたいからな」

「ああ…行くぞ、ヤミ心あれば、カゲ心」

エルバが言った合言葉に反応し、鍵が外れる。

扉をわずかに開け、そこから中の様子を確認すると、先ほど扉を開けた怪しい影と彼と同じ種類のモンスターがブルブル震えており、彼の正面、エルバ達から見て右側に緑色の人1人入れるくらいの大きさの壺を見る水色のデンデン竜の姿があった。

「オレがあれだけ注意したのに獲物に逃げられやがって…」

プルプルと体を震わせる黒いデンデン竜が振り返る。

そして、思いっきり息を吸い込んで後で叫んだ。

「ごめんなさいじゃ済まねえんだよ!!」

「ひいいい!!!」

2匹の怪しい影が互いに抱き合い、震えあがる。

「あのベロニカという女は只者じゃねえ!桁外れの魔力と極上の素質を秘めた、何年の一度現れるかわからねえ逸材だったんだぞ!?この女の魔力をすべてお納めすれば、いずれ現れる魔王様の右腕になれただろうに…。それを…それをお前らはぁぁぁぁ!!!」

拳を握りしめ、水色のデンデン竜は後ろを向き、そこで手を上にあげる。

手には閃光が宿り、それを振り下ろすと、それが発射され、壁に命中した。

命中した個所には大きな穴が開いていた。

「てめえら…もしこのことを隠してたら、あの壁みてえになってたぞ!?」

「ひいいい!!」

「おいおい、魔王だって、それにあのデンデン竜、呪文を使いやがったぞ…?」

中の様子を見ているカミュは水色のデンデン竜が放ったギラの威力を見て、冷や汗をかく。

本来、下級呪文であるギラの威力はそれほど高くない。

しかし、そんな呪文でも本人に宿る魔力によってはその威力が高くなったり低くなったりする。

「あいつ…あたしの魔力を勝手に使って…!!」

盗まれた魔力で好き勝手する水色のデンデン竜に怒りを覚え、早く隠し玉を使いたいと思うようになる。

「間違いありません。あの魔力から感じる力…お姉さまのものです」

「そう、なのか?」

「セーニャは魔力の流れが直感で分かるのよ。それで、魔力が誰のものなのかとかがわかるのよ。どうしてそんな能力を手に入れたのかはわからないけれど…」

「おそらく、あの壺の中にお姉さまの魔力が詰まっています。ですから、それを破壊すれば、魔力を取り戻せるかもしれません」

「壊すにしても、どうやって壊すか…」

4人の中で、呪文か武器で遠隔攻撃ができるのはエルバとカミュ。

カミュの場合はジバリアで罠を仕掛けるか、手作りの吹き矢や爆弾、投げナイフを使え、エルバの場合はデインやギラを使うことになる。

ただ、一番確実な爆弾が現在1つしかない。

「となる、ジバリアで足を止めて…」

「俺が投げる…」

「お、エルバ。息があってきたみてーだな」

カミュはニヤリと笑い、懐の爆弾をエルバに手渡す。

あとはジバリアをどこに設置すべきかを考えるだけだ。

「お、お姉さま!」

急にセーニャが左手で口を隠し、驚きを見せる。

何事かと思い、ベロニカが振り返ると、そこにはもう1匹の怪しい影そっくりなモンスターがいて、正面からお互いに見合う格好となった。

「「ギャーーーーー!!!!」」

息ぴったりに1人と1匹が悲鳴を上げる。

悲鳴を聞いた黒いデンデン竜たちは扉に目を向けた。

「ああ、くそ!奇襲失敗かよ!」

「なら…やるだけだ」

ホムラの里で調達した鉄の剣を手にし、ベロニカをどかしたエルバはその刃をモンスターに突き刺す。

しかし、手ごたえを感じることができない。

「こいつも…スモークと同じか…!」

神の岩で戦ったスモークのことを思い出す。

目の前のモンスターはスモークと同じく、実体のないモンスター。

剣や槌、槍などの物理攻撃が通用しない。

「な、なんだ、オメーらはっ!?このデンダ様のアジトに勝手に入り込みやがって!!」

水色デンデン竜のデンダが左手を扉にかざし、扉を魔力によって強引に開いた。

そして、ベロニカの姿を見たことでニヤリと笑い始める。

「ハハーン…なるほど。オメーらは俺が取り逃がした獲物をわざわざ届けてくれたというわけか…」

「あんた!よくもあたしの魔力を勝手に使って!返しなさいよ!!」

「うるせえ!俺の物は俺の物、てめーの物も俺の物ってなぁ!こうなりゃあ、こいつら全員を捕まえて、魔力を吸収してやるぜぇ!!てめえら、こいつらの身動きを封じろぉ!」

デンダの子分達が浮遊をはじめ、上空からラリホーを唱え始める。

手からピンク色の波紋が発生し、エルバ達に向けて飛んでくる。

エルバとベロニカは回避に成功したが、セーニャは逃げ遅れてしまう。

「あぶねえ!!」

「キャ!!」

しかし、カミュがベロニカを抱いてジャンプして回避する。

「ヘヘヘ!空中だったらかわせねえよなぁ!ギラぁ!!」

デンダが再びギラを唱え、閃光が2人を襲おうとする。

しかし、閃光に割り込むように飛んできた電撃によって相殺される。

「デインで相殺できた…だと?」

デインを唱えたエルバだが、先ほどのデンダが唱えたギラを考えると、それで相殺できるとは思っていなかった。

少なくとも、威力を少しだけでも抑えることができればと思っただけだ。

だが、実際は相殺に成功した。

「ゲゲッ!まずいまずい!!」

デンダは急いで壺を手にし、その中にある魔力を口に流し込もうとする。

「させるか!!」

エルバはカミュから受け取った爆弾をデンダに投げつける。

魔力を飲んでいる最中のデンダは隙だらけで、あの大きな体では爆弾を回避することができない。

「お、親分!!」

「ヤバイイ!」

ラリホーを唱えていたデンダの子分は大急ぎでヒャドを唱え、氷の刃を爆弾に向けて飛ばそうとしる。

しかし、ラリホーで魔力を使い過ぎたのか、いくら唱えても氷の刃が生まれない。

「ば、馬鹿!!MP切れになってんじゃねーーー!!!」

爆弾がデンダの腹部に接触すると同時に爆発する。

爆発と同時に発生した煙がデンダを包み込んでいった。

「やったか…?」

「いえ。魔力の流れに動きがありません!もしかしたら…!」

「破壊できていないのか!?」

「正解だよ。クソ野郎ども!!」

煙の中からデンダの声が聞こえてきて、無傷のデンダが思いっきり息を吸い込む。

煙もろとも空気がデンダの肺へと吸収されていき、姿を現したデンダの体と壺は赤い魔力でできた薄い膜につつまれていた。

「はあ、はあ…ほんのちょっとでも回復が遅れていたら、やばかったぜ…!」

「あいつ、魔力でバリアーを!?」

「お返しだぁ!!」

青筋を立てたデンダが口から冷たい息を吐く。

思いっきり息を吸い込んだことで威力が増大しており、おまけに煙も含まれていることから、即席のマヌーサともいえる効果も加わっている。

それがエルバを襲い、体中に寒気が走る。

それ以上に、煙幕のせいで視界が封じられてしまう。

「エルバ!!」

「くらいええ!!」

煙幕で周囲が見えず、低温の空気で体の動きが鈍くなったのか、デンダが放ったギラの直撃を受ける。

一気に高温となったがために、通常よりもより強く温度を感じてしまい、エルバは歯をかみしめながら火傷に耐える。

「グハハハ!!もう1ぱ…」

「させないわ!!」

背後から声が聞こえ、デンダは閃光を指に宿したまま振り返る。

そこには両腕を背中に隠したベロニカがいて、キッと彼の眼を見ていた。

「おい、なにやってんだ!?逃げろ!!」

デンダの子分達からの攻撃をしのぎ、カミュはセーニャをエルバの元へ連れて行っている。

煙が晴れたことで、グレイグの大剣を地面に突き刺した状態で体を支えるエルバの姿が見えた。

MP切れで、もうヒャドやラリホーは使えないものの、デンダの子分達は両腕の爪で攻撃を仕掛けてくるため、回復に集中するセーニャを守らなければならない。

そんなカミュに、距離の離れたベロニカを支援することができない。

「よくもあたしの魔力を勝手に使ってくれたわね!!絶対に許さないわよ!」

「へっ!呪文が使えねーてめーに何ができるんだよ!?」

デンダはベロニカの頬をかすめるようにギラを放つ。

頬をかすめ、火傷ができるベロニカだが、痛がることなく、じっと見続けていた。

「できるわよ…これがね!!」

ベロニカはデンダに向け、水色の液体が入った透明の水晶玉を出す。

「こ…こ…こいつは!?」

「あんたがあたしの呪文を封じるために使ったものよ!!」

水晶玉が砕け、中の液体がデンダを襲う。

ベロニカを今度こそ怖がらせようと指に宿していた閃光が消えてしまう。

「て、てめえ…いつの間に、静寂の玉を!?」

デンダは魔力を奪う過程で、相手に反撃されることを考えて、その対策のアイテムを用意していた。

その1つがこの静寂の玉で、相手の呪文を封じ込める呪文、マホトーンの魔力がこもった水が封じ込められた水晶玉だ。

ベロニカもさらわれる際、これを使われたことで抵抗することができなくなってしまったことだけは強く覚えていた。

「ここから逃げたときに取っておいたのよ。これで、あんたはもう呪文を使うことができない!」

「しまったぁ!!」

「よそ見をするな…!」

セーニャによる回復を受けたエルバが大剣を手にしてデンダの背後に肉薄していた。

そして、肉厚な刃で右腕ごと壺を切り裂いた。

壺が砕け、斬られた右腕が床に落ち、デンダは悲鳴を上げる。

同時に、壺の中にある紫色の霧が現れ、ベロニカの体に吸収されていった。

「やりました!これで、お姉さまは元に戻れます!」

「そんなこと言ってる場合かよ!?エルバ、早く交代してくれ!!」

嬉しそうに手を合わせながら、魔力を取り戻す姉を見つめるセーニャだが、その背後にはデンダの子分がおり、カミュが彼らの爪による攻撃をさばいている。

浮遊できる彼らに対して、カミュが唯一使える攻撃呪文であるジバリアは効果がない。

デンダの悲鳴を聞き、動揺した隙をついてエルバが走ってきて、同時に彼らに向けてギラを放った。

閃光がデンダの子分のうちの1匹に命中し、彼は炎に包まれて消滅した。

「ぐううう…てめえ、よくも俺様の子分と右腕をぉ!!」

左手で右腕の出血を抑えながら、エルバに目を向けたデンダは怒りを爆発させる。

しかし、急に両足に冷たさを感じ、ゆっくりと自分の足元を見る。

「な、なな…どうなってんだ!?足が、足が!!」

氷漬けにされ、床にくっついている両足を見たデンダは必死に両足を動かそうとするが、氷は砕けない。

「ふう…魔力を使われたから、どうなることかと思ったけど、まだまだ使えるわね」

「ま、まさか…!」

「お姉さま、呪文を…!」

ベロニカの両手から冷気が発生し、デンダの両足を拘束する氷が大きくなっている。

姿はエルバが最初に会った時と同じ、10歳にも満たない少女のままだが、呪文が使えるということは魔力を取り戻した大きな証拠と言ってもいいだろう。

「セーニャ!今度はあいつの視界を封じて!!」

「は、はい!!マヌーサ!!」

セーニャは即座に印を切り、デンダの顔を白い霧に包んでいく。

動きを封じられ、更には視界まで封じられたデンダにできるのは首を振りながら冷たい息をぶちまけることだけだった。

「これでとどめを刺してやるわ!!」

ヒャドを止めたベロニカは深呼吸をし、両手に魔力を集中させる。

両手に発生したギラが手と手の間に集まり、濃縮されていく。

「てめええええ!!」

「これが、あたしのギラよ!!」

濃縮し、破壊力の増した閃光がデンダの胸部を貫き、その後ろにある閉じたドアに命中する。

命中したドアが吹き飛んでいき、おまけにデンダの体が貫かれた箇所から炎上を始めていた。

「お、親分が…!」

「ひええええ!!逃げろぉーーー!!!」

燃え上がるデンダを見た2匹の子分が我先にと逃げ出していった。

「ギエエエエエエ!?!?!?魔王様の右腕になるっていう俺の野望が…」

悲鳴を上げるデンダは自らのサクセスストーリーの終焉を嘆く。

「魔王…だと?」

「さっきもおんなじことを言っていやがったな?いったい何者なんだ!?」

「いずれ、魔王様に殺されるオメーらに言っても…無駄さ…命あっての特ダネとは…このこ…と…」

一気に炎の勢いが増し、デンダは灰となっていく。

デンダが消滅し、ギラを止めることができたベロニカはその場で尻餅をつき、ハアハアと息を整える。

「魔力が頭のてっぺんからつま先までギンギンに満たされているわ…。けど、ちょっと加減が効かなかったわね…」

魔力が戻ったばかりで、魔力を失った数日の間に体がその状態に慣れてしまっていた。

そのため、いつもであればコントロールできる魔力をはりきりすぎて一気に放ったせいでできなくなってしまっていた。

「でもお姉さま、体が…」

「さすがに年齢は元に戻らなかったわね。でも、せっかく若返ったんだし、まあいいわ」

「まぁ、お姉さまらしいですわね。なんだか、そのお姿のお姉さまも愛おしく思えてきましたわ」

クスクスと笑うセーニャはベロニカに手を貸し、彼女を立たせる。

エルバとカミュはデンダの灰の山をじっと見ていた。

「魔王…」

デンダが言っていた魔王のことが頭に引っかかる。

彼は魔王はいずれ現れると言っていた。

ということは、まだその魔王は姿を現していないということになる。

「情報が少なすぎて、ほとんどわからねーな。ったく、ベロニカの奴…」

カミュは情報源であるデンダを消し炭にしてしまったベロニカに不満を感じるとともに、彼女の魔力のすさまじさを感じていた。

その人に宿る魔力によって様々な呪文の威力に違いがあるということは常識として言っているが、やはり実際に見るのと見ないのとでは違ってくる。

最強の魔法使い、と自称するだけのことがある。

笑っていたセーニャだが、ハッと何かを思い出したのか、両ひざをつき、顔をベロニカに向ける。

「ところが…ねえ、お姉さま。エルバ様のこと、気づいてまして?」

「ええ、もちろんよ。セーニャ。あんたも気が付いたみたいね。さすがはあたしの妹だわ」

2人はうなずくと、エルバの前まで歩いていく。

「…どうした?」

急に目の前に来た姉妹を見たエルバは質問するが、ベロニカの右隣に立つセーニャは何も言わずにその場で正座する。

そして、セーニャとベロニカは互いの手を合わせ、自分の胸に手を置いた。

「「命の大樹に選ばれし勇者よ。こうしてあなたとお会いできる日をお待ちしておりました」」

「命の大樹に選ばれた…?」

エルバの脳裏に空に浮かぶ巨大な樹木の姿が浮かぶ。

それの根っこに触れたことで、いたずらデビルの罠を看破し、そしてテオが隠した魔法の石と亡き母の手紙のことを知ることができた。

そのため、大樹と勇者に何か関係があるかもしれないということは薄々とだが、感じていた。

「「私たちは勇者を守る宿命を負って生まれた聖地ラムダの一族。これからは命に代えてもあなたをお守りいたします」」

「お前たちは…勇者のことで何を知っている?」

「エルバ様、あなたは災いを呼ぶ悪魔の子ではありません。里の者から聞かされていました。私たち姉妹が探し求める勇者は瞳の奥に暖かな光を宿していると」

セーニャの言葉を聞き、エルバは沈黙する。

悪魔の子ではないという言葉はさておき、自分の瞳の奥に温かい光があるということについては信じられずにいた。

自分から故郷や家族、村人たちを奪ったデルカダールに復讐することを考えている自分にそんなものはないと思っているからだ。

セーニャから離れたベロニカは両手を腰に当て、じっとエルバを見る。

「ま、あたしは最初にあんたを見たときからわかっていたわ。ムッツリした奴だったのは意外だけど」

「勇者を守る聖地ラムダの一族か…。オレの読み通り、どうやらお前は本当に世界を救う勇者みたいだな」

「世界を救う…か」

エルバは滅ぼされたイシの村の光景を思い出す。

自分の故郷すら守れなかった自分が世界を救う勇者だというのは滑稽としか思えない。

ましてや、世界を救うよりもデルカダールの復讐することを優先して考えている自分はまさに彼らの言うとおり、悪魔の子に近いだろう。

そんな自嘲的な感情が芽生えていた。

「ま…納得できていないかもしれないけど、今ここで話している場合じゃないわね」

「そうだな…まだ捕まってるやつがこの奥に…」

カミュは北側にある大きな扉に目を向ける。

この部屋にはルコの父親と思われる人間がおらず、デンダが魔力を取り出す壺や静寂の玉を作るために設置したと思われる機材があるだけだ。

となると、その扉の先に囚われている人がいるのかもしれない。

カミュは鍵がかかっていないことを確かめると、扉の持ち手をつかみ、ゆっくりと押し開ける。

幸いなことに、鍵がかかっていないため、すんなりと開くことができた。

エルバは壁にかかっているたいまつを手にし、周囲を照らす。

「まあ…どこもかしこも牢屋ばかり…。なんだか、物々しいですわね」

「お、おーい…」

中央当たりの牢屋から男の声が聞こえ、エルバはそこに明かりを向ける。

両手が枷でつながれている、青い短髪で暗い青色の服の男性が牢屋の中にいた。

「もう大丈夫よ。おじさん。あの悪い竜はあたしたちがやっつけたから」

「こいつがこの牢屋の鍵か…」

不用心なことに、扉のそばにある木箱の上に置かれている、さびた鉄製の鍵の束を手にしたカミュはそれで牢屋の扉を開き、男の手についている枷を外す。

「いやあ、ありがてえ。魔力がねえってことだから、危うく魔物たちのエサになるところだったぜ」

「まったく、あんなかわいい娘さんをほったらかして、こんな所で魔物に捕まったらだめじゃない!」

「え…?まさか、あんたらルコのことを知っているのか!?」

ベロニカの会話に驚いた男は娘であるルコの身を案じ始める。

この牢屋に入れられてからどれだけの時間がたったかわからず、今彼女がどうしているか、不安になっていく。

「心配しなくても大丈夫よ。ホムラの里の酒場で預かってもらってるから。里に戻ったら、マスターにお礼を言うのね」

彼女の無事を知った男は安どしたのか、たっぷり息をする。

セーニャから受け取った水筒の水をがぶがぶ飲み、袖で口を拭う。

「ふう…生き返ったぜ。ありがとう、俺の名前はルパス。アンタたちから受けた恩はきっと忘れねえよ」

「ルパス…どっかで聞いたことがあるような名前だな…」

ルパスをじっと見ながら、カミュはその名前の人物を思い出そうとする。

盗賊の中では話題となっていて、デクが一度会って話してみたいと言っていた男。

「もしかしてあんた…」

「そ、それじゃあ俺はルコが心配だから、先に戻ってるぜ!」

冷や汗をかいたルパスは大急ぎで牢獄から飛び出していく。

「丸腰で飛び出したぞ…自殺行為だ」

この地下迷宮は落とし穴などの罠と魔物が多いうえに、出れたとしても、そこからホムラの里まではかなり距離がある。

馬を持っていない彼にとっては長い道のりになる。

しばらくして、男の悲鳴が聞こえてきた。

「あーあ…こりゃあ助けに行かねえとな…」

「んもう!自分から危険に飛び込んでいく真似をして!!」

頭を抱えらカミュと怒ったベロニカは彼を助けるため、牢獄を出る。

そんな彼らを追いかけるように、エルバとセーニャも出て行き、牢獄の扉が閉じた。

閉じると同時に、天井の中央あたりに止まっていた蝙蝠が目を光らせた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 必要な情報

「嬢ちゃん…もう、いいのか?」

「ん…ごちそうさま…」

手を合わせたルコは酒場の出入り口付近まで歩いていき、主人はルコが座っていたカウンター席を見る。

朝ごはんとして出したおにぎり3つの内、1つしか減っておらず、みそ汁にも手を付けた痕跡がない。

「あの子、食欲がありませんねえ…」

「まあ無理はねえさ。親父が行方不明なんだからなぁ…」

エルバ達が出発してからもう4日が経過しようとしていて、ルコの食欲は落ちる一方だ。

何日も父親が行方不明なうえ、助けにいったベロニカ達もまだ帰ってきていない。

幼い彼女が心配になるのも当然の話だ。

「早く帰ってきてくれればいいがなぁ…」

 

「はあはあ…やっと着いたぜ…」

「やっと着いた…じゃねーよ。何なんだよあんた…」

里にたどり着き、エルバの後ろに乗る形でフランベルグの背にいた男が馬から降り、その場に座り込んで休憩を始める。

しかし、彼以上にエルバ達がつかれており、カミュは悪態をつく。

地下迷宮で彼を助けてから、彼らはそこに来るまで以上の回数魔物と遭遇し、群れの数もいつもより多かった。

おまけにキャンプにたどり着いた時には局地的な雨のせいで火を起こすことができず、カミュが作った干し肉を食べることになった。

ここについた時には回復をしていたエルバとセーニャ、そして魔力を取り戻したベロニカのMPが切れており、カミュも爆弾や投げナイフ、吹き矢が品切れ状態。

「んもー!!どうしてこんなに魔物と遭遇したり、天候が悪くなったりするのよ!?」

「済まねえ…。俺はどうもいろいろと災難が降りかかる性質でな。そのせいであんたらに迷惑を…」

「で、それに巻き込まれないように俺らから離れた…が、どうにもならなくなったんで助けを求めた…そういうことか?」

「あー、まぁ、そういうことだ…」

カミュから目をそらし、人差し指で頬をかく。

見るからに最後の発言は嘘に見えてしまう。

そして、自らの不幸体質を白状したことで、ようやくカミュはある男の名前を思い出す。

「あんた…情報屋ルパスだろ?」

ルパス、という名前を聞いた男はギクリとし、すぐに酒場に目を向ける。

「あ、ああ!!あそこにルコが待ってるんだったな!じゃあ、俺はこれで…」

急いで逃げようとしたルパスだが、その前にカミュに襟元をつかまれ、その場から離れられなくなった。

「知ってるのか?」

「ああ…こいつは情報屋ルパス。自らの不幸体質のせいで厄介ごとに巻き込まれ、その体験で得た情報を売っている男だ。まさか、ここで会えるとは思わなかったぜ…」

「ま、ま、まさか…1年前のこと、怒ってるのか…??」

「当たり前だ!てめえのせいで捕まったみてーなもんだ!!」

よっぽど恨みがあったのか、カミュはルコが見ていないのをいいことにルパスの胸ぐらをつかみ、ギロリとにらみつける。

急にどうしたと、理解が追い付かないセーニャはオロオロし始める。

ルパスは汗で全身をびっしょりと濡らしていて、エルバに目を向けて助けを求める。

過去に何があったのかはわからないが、彼はルコの父親であり、彼女は彼を心配している。

エルバはカミュの肩に手を置く。

「それぐらいにしておけ」

「けどよ、エルバ!!」

「んもう!!今はあんたよりもルコが大事よ!けが負わせて、ルコを悲しませるつもり!?!?」

ルコの名前を出されたカミュは舌打ちし、投げるようにルパスを解放する。

「…ま、捕まって死刑囚になったおかげで出会えた奴がいる。さっさと娘さんに会いに行け」

「あ…ああ!!」

そして、服装を整えると、すぐに酒場へ逃げ出した。

「どうした?お前らしくない…」

「…こいつはレッドオーブの隠し場所の情報を提供した奴だ。で、ついでに兵士に俺がレッドオーブを盗むって情報を売りやがったのさ」

「情報屋がよく使う手ね。っていうか、アンタ盗賊でしょ。そういう危険性があるってこと、分かってたんじゃないの?」

情報屋には表と裏があり、表の場合は時事情報を扱い、新聞などで売ることで生計を立てている。

しかし、裏の場合は王族しか知らない国家の機密情報や犯罪組織のネットワークなどの表には流せないような情報を個人に売ることが多い。

カミュの反応が正しければ、ルパスは裏の類の情報屋と考えられる。

そんな彼がカミュにレッドオーブを盗むように促し、同時にデルカダールに彼の情報を流して2人から報酬をもらうというやり方をしてもおかしくない。

「確かに、そうだ…。裏仕事は発注したほうも受けた方も、何かあったら自己責任。それがルールさ。だが、どうしても必要だった。レッドオーブが…」

「カミュ…」

「じゃあ、あたしは服と荷物を取りに行かないと。こんな体になったせいで、荷物はずっと蒸し風呂屋に置いたままなの!」

里に戻ってきたベロニカはどうにかして荷物を回収しようと蒸し風呂屋に行き、事情を説明しようとしたものの、年齢を奪われて10代前半の少女になったなんて話を普通の人が信じるはずがない。

当然、門前払いされてしまった。

今来ている服は逃げる際に着ていた蒸し風呂用の服を改造したものだ。

しかし、今回は妹であるセーニャがおり、彼女と蒸し風呂屋の店主には面識がある。

仮に自分のことが信じてもらえなくても、セーニャが姉が忘れていった荷物を回収に来たということにしてくれれば、問題なく回収できるだろう。

「じゃあ、私も一緒に行きます。私が一緒に行けば、きっと渡してくれますよ」

「後で酒場に集合ってことで。じゃあね」

「待てよ」

エルバに呼び止められ、ベロニカとセーニャは彼に目を向ける。

「その前に聞かせてくれ。あんたらの知っている勇者のこと、そして…あんたたち姉妹の使命のことを」

地下迷宮では危険な場所であったため、帰りのキャンプ中もルパスの不幸体質が招いたトラブルのせいで答えを聞くことができなかったが、安全な場所であるホムラの里であれば話は別だ。

勇者とは何かを知りたいエルバは真っ先にそのことを聞きたかった。

「…そうね。秘密を持ったままじゃあお互い気持ち悪いわね」

「まあ…そうだな。じゃあ宿屋でその話をしようぜ。兵士に聞かれでもしたら大ごとだ」

ベロニカの言葉を聞き、耳が痛く感じたカミュは目を背けるように周囲を見渡してから提案する。

里を離れた4日間の間にデルカダールの兵士がここまで来て、エルバを探している可能性が否定できない以上、外で話すのは厳しい。

宿屋であれば、兵士が来たかどうかの情報を聞くことができる上に個室を提供してくれる。

「そうだな…。部屋を取って、そこで話すぞ」

 

「ふぅー…やっぱりキャンプよりもちゃんとした部屋の方が落ち着くわね」

細い竹を集めて作ったドアを開いたベロニカはフカフカのベッドの上に腰掛ける。

セーニャは部屋にある鏡を見ながら髪を整え始め、エルバは宿屋の主人と話をしていると思われるカミュが来るのを待つ。

5分程度たつと、カミュが部屋に入ってきて、ドアを閉めた。

「話を聞いたが、デルカダールの兵士はここには来てないんだと。安心して話せるな」

「そうだな…」

聞き耳を立てている野次馬がいないのがわかったエルバとカミュは向かい側のベッドの端に座る。

髪を整え終えたセーニャはベロニカと共に前側のベッドの端に座って話し始めた。

「私たちの故郷、聖地ラムダに伝わる神話にはこのような一節があります。大いなる闇、邪悪の神が天より現れしとき、光の紋章を授かりし大樹の申し子が降臨す…」

「光の紋章を授かりし大樹の申し子…」

エルバは左手の手袋を外し、痣を見ながら大樹の根に触れたときのことを思い出した。

この痣と大樹の根が共鳴することで、2度にわたって過去を見ることができた。

「そう、信じられないだろうけど、あんたはかつてその紋章の力で邪悪の神を倒し、世界を救った勇者の生まれ変わりなの」

「生まれ変わり…?」

ロトゼタシアでは、生物はすべて命の大樹から生まれ、死ぬと葉の一枚となって命の大樹へ還り、再び生まれる時を待ち続けるという輪廻転生の信仰が各地で伝わっている。

その話が正しければ、今生きている生物はすべて、何者かの生まれ変わりということになる。

「だが…邪悪の神が現れたという話は聞かない」

エルバの言う通り、邪悪の神にじゃの字も彼らはこれまで聞いたことがない。

勇者が生まれたということは、もうすでにその邪悪の神が空から現れたということになる。

「そう、邪悪の神は倒されたはずなのに、どうして再び勇者が現れたのか…それはあたしたちも分からない。そこで、真実を突き止めるためにアンタを勇者とゆかりの深い命の大樹へ導く使者として、あたしたちが大抜擢されたってワケ!」

両手を腰に当て、胸を張って答える様子を見ると、少なくともその里では勇者の力になることが大変な名誉であることが理解できる。

セーニャの回復呪文もベロニカの攻撃呪文も通用することが地下迷宮での戦いで証明されている。

「で、命の大樹にはどうやって行けばいいんだ?空にあるんじゃあ、行きようがねえじゃねえか」

「はい。かつて邪悪の神と戦った勇者様は空を渡り、大樹から使命を授かったのですが、その記憶は時の流れとともに埋もれてしまいました」

「あんたらにもわからねえってことか…ん?いや、もしかしたら…」

「どうした?」

「行く手段は見つからねーかもしれないが、少しくらいは情報が手に入るかもな」

ニヤリと笑ったカミュは窓から外を見る。

そして、目線を酒場に向けた。

 

 

「ういー…うめえぜ。久しぶりの酒が体にしみるー!!」

「パ、パパ…もう帰ろうよ。お店の人に迷惑だよ」

帰ってきて早々に酒を飲みはじめ、もう5杯目を口にしようとしているルパスにルコがご飯粒を口につけた状態で言う。

帰って来たのはうれしいものの、そのあとでご飯と酒を性懲りもなく注文したため、財布の心配が出てきてしまった。

ちなみに、今ルパスが飲んでいる酒はホムラの里の地酒である『巫女の涙』で、2年前にできたばかりの灰持酒だ。

その時、この地を収める巫女であるヤヤクの息子にして腕利きの戦士である男、ヤヤクは里の東にあるヒノノギ火山に数十年に一度現れると言われているドラゴン、人食い火竜と相討ちになる形で死んだ。

その際、巫女であるヤヤクは涙を流すことなく、一心に里の民のために務めを果たし続け、葬式にも顔を出さなかった。

そのため、彼女の隠しているかもしれない涙の代わりとして、その名前が付けられた。

「お、お客さんよぉ…それくらいにしときなって…」

店主がルパスを制止しようとするが、近くに子供であるルコがいるため、強い口調で言うことができずにいた。

どうするか決めかね、悩んでいる中、急にドアが開いた。

「ああ、いらっしゃいませ…って、あんたらか。いやぁ、よく無事に…」

「無事に…って、まさか…」

「よぉ、おっさん。随分ご機嫌じゃねえか」

汗を流しながらルパスは後ろに振り返ると、そこには先ほど自分の胸ぐらをつかんだカミュの姿があった。

その後ろにはエルバがおり、残る2人は宿屋に入る前に言っていた通り、荷物を取りに蒸し風呂へ向かった。

「げええ!?な、なんだよ!?もうあの時のことは…!!」

「まだ助けた報酬をもらってなかったからな。それをもらいに来ただけさ」

「ほ…報酬って!?!?」

何倍も酒を飲んだルパスだが、今彼の手元にはあまり金がない。

相手が盗賊であること、そして自分に恨みを持っている男であるため、下手をするとみぐるみをはがされるかもしれない。

ビクビクしながら店主に目を向けるが、いまだに金を払っていないことに腹を立てているのか、そっぽを向いている。

「安心しろ。別に金がほしいわけじゃねえ。ほしいのは情報だ」

「情報…?」

「命の大樹に結びつく情報です。知っていることを全部言ってください」

隣の席に座ったエルバの言葉を聞き、ルパスは落ち着くために一度深呼吸をする。

金をとられるかという心配が杞憂だったこともあり、一度で落ち着きを取り戻すことができた。

「命の大樹…デカイターゲットだな。よし、じゃあ教えてやるよ。ここに来る前、砂漠のど真ん中で俺とルコは熱中症になっちまった。不幸にも死を覚悟したその時、砂漠の大国サマディーの兵士が運よくとおりかかって俺たちを城まで運んで介抱してくれたのさ。意識を取り戻した時に見ちまったのさ。城の中に飾られたキラキラと七色に輝く枝をな…!俺の眼に狂いはねえ!あれこそが命の大樹…の枝だと思うぜ」

あまりにも自信のない、確証無しの情報にエルバは信じるに値すべきか悩む。

「その情報…信じていいんだな?」

「ああ、もちろんさ。俺は情報屋だ。教える情報に嘘は盛り込まないのが主義だ」

「銭ゲバなところは、あるけどな」

謝ってもらったとはいえ、やはりあのことを根に持っているカミュは少しでもスッキリさせるために悪態をつくと、カウンターに小さな布の袋を置く。

「行こうぜ、エルバ。セーニャとベロニカと合流だ」

「あ、ああ…」

「さっき置いたの、ツケの足しにでもしとけ。それから嬢ちゃん。親父が無事でよかったな」

急に外へ出たカミュを見たエルバは席を立ち、一緒に店を後にする。

外へ出たルコが手を振って2人を見送る中、店主はカミュが置いていった袋を手にする。

「フウウ…まったく、酔いがさめちまったぜ。んじゃあもう1杯…」

「ちょっと待ちな」

酒瓶に手を伸ばそうとしたルパスの腕を満面の笑みを浮かべた店主がつかむ。

手には力が入っており、握られているところから痛みが発生する。

「あと半分、払ってからだ」

 

宿の部屋に戻ったエルバは出発のため、荷物をまとめはじめ、カミュは地図を広げてサマディーまでの距離を調べる。

「確か…サマディーはここの南東にある関所を超える必要があったな」

「関所か…」

「ああ…。別の国とはいえ、お前が勇者だってことは隠さねーとな。面倒なことになる。問題は…」

サマディーへ行くとしたら、エルバ達が抱える問題は山積みだ。

最近では魔物が活発化していることからそれに便乗した盗賊や山賊の出現により、治安の悪化も起こっている。

そのため、通行証なしでは通ることができないうえ、発行の際にも厳しいチェックを受けることになる。

エルバは勇者、カミュは国宝盗みの死刑囚兼脱獄囚。

当然、チェックではねられるうえ、下手をするとデルカダールに引き渡される恐れがある。

サマディーはロトゼタリアの3か国では末席であり、現国王であるファルス3世は基本的にはサミットの首長国であるデルカダールに追従する態度を見せている。

おまけに関所を通ってから先は砂漠であり、カミュも砂漠を経験したことがない。

今4人が持っている3頭の馬が砂漠に慣れていないうえ、これまでとは違って全力疾走することができない恐れがある。

「だが…行くしかない。そうだろう」

「だな。にしても、あいつらはまだ戻ってこねーのか…?」

サマディー行きの問題を置いておいたカミュは戻らないベロニカとセーニャのことを考え始める。

荷物を取りに行くだけなら、それほど時間がかからないはずだが、2人が宿屋に戻ってきてからもう30分近く経過している。

探しに行こうとしたエルバだが、それと同時に扉が開く。

「エルバ様、カミュ様。遅くなってしまい申し訳ありません」

「ふぅ…走っても大丈夫。悪くないわね」

扉の向こうには申し訳なさそうに困り顔を見せるセーニャがいた。

その隣には赤いブカブカなとんがり帽子をかぶり、赤と白をベースにしたドレス姿のベロニカがいた。

「心配したぜ…。で、その服は何だよ?」

「蒸し風呂屋で取り戻した服で作ったのよ。セーニャと一緒にね」

「へえ…裁縫うまいんだな」

「ふふん。で、そっちはどうだったの?」

「情報屋から手に入れた情報が正しければ、命の大樹に関係があるらしい虹色の枝がサマディーにある」

「サマディー…?ああ、ここに来る前に一度寄ったわね。その時にもらった通行証を使えば、南東の関所を抜けることができるわ」

ベロニカはセーニャのドレスのポケットに入っているパピルスでできた通行証を取り出し、エルバ達に見せる。

偽物でないことの証明のためか、サマディーの国章のハンコが押されている。

パピルスはサマディーで一般的に使用されていたものの、現在は紙の製法が伝わったことで衰退した。

しかし、伝統技術の保護の観点から公文書についてはパピルスの使用が継続されている。

サマディーほど乾燥していない地域では注意しておかないとカビが出てしまうのがパピルスの欠点だが、それについては記入後にサマディー門外不出の技術で作られた液体でコーティングすることで解決している。

なお、ベロニカとセーニャは聖地ラムダ出身の旅人で、観光目的ということになっている。

「でも、それはお前らのだろ?俺らじゃあ使えない」

「大丈夫よ。サマディーは今、年に一度のファーリス杯のために特別に通行証の規制を緩和しているわ。あたしが持っている通行証なら、あと2人までならあたしたちがキチンと身元を説明することができれば通れるの」

「ファーリス杯?」

「サマディーの王子様の誕生日に行う競馬よ。運がよかったわ」

「じゃあ、準備をしたら出発しようぜ。ここには長居し過ぎた。にしても、まだまだ暑い地域から離れられねーのか…」

暑いのが苦手なカミュはぼやくと、水と食料の調達のために先に出ていく。

エルバはまとめた荷物が入った袋を手にした。

「じゃあ、お姉さまは私と一緒に乗ってください。このお姿だと、1人で馬を動かせませんから」

「そうね。でも、アイツにあたしの馬を使われるのはちょっと…」

ベロニカは仕方がないとはいえ、これから自分の馬をカミュが使われることをぼやきながらセーニャと共に部屋を出ていく。

最後の残ったエルバは窓からサマディーのある南東の方角に目を向けた。

(サマディー…砂漠へ始めていくのか…。だが、なんだ?この嫌な予感は…)




ロトゼタシアの馬について
ロトゼタシアでは、馬は旅や荷物の運搬などで積極的に使われている。
主な馬の生産地はデルカダールとサマディーで、サマディーに関しては多くの名馬と名騎手を生み出しており、砂漠で有利になるラクダも生産していることから、騎士の国と呼ばれる所以にもなっている。
軍用、旅人用に使われる馬については口笛を吹くことで、はぐれたとしても乗っていた人間の元へ戻ってくることができる。
しかし、馬の育成や訓練のコストの都合上、特に旅人用については各地で安定した走りができるようにする必要があることから値段が高く、そのことから限定された地域で最大限の走りができる馬をレンタルする形が主流となっており、個人所有している旅人はごくわずか。
ちなみに、グレイグ将軍が使っているリタリフォンはサマディー産で、弟馬であるモグパックンはトップクラスの騎手であるオグイの愛馬となっており、ファーリス杯は去年で前人未到の3連覇を成し遂げている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 サマディー

「ハァハァ…何だよ、この暑さはよぉ…。ホムラの里以上じゃねえか…」

一列になって砂漠を進む中、カミュは水筒の水をがぶ飲みし始める。

他の3人もカミュほどではないが、いつも以上に水筒の水を飲んでおり、日差しから身を守るため、旅の商人から購入したマントで頭と体を包んでいる。

「あんた…この砂漠に入って、暑い暑いばっかりじゃない!どれだけ暑いのが苦手なのよ!?」

「仕方ねえだろ…育ちの問題だ…」

ホムラの里でなら強気で反論したり怒ったりすることのあるカミュだが、砂漠の熱気にやられてすっかりその気力もなくしている。

「ベロニカ、セーニャ。このまままっすぐ進むので合っているか?」

「はい。私たちが進んだのはここです。このままあと半日進めば、サマディーの城壁が見えてきます」

「半日…それまでこの暑さに耐えねーといけねーのか…」

今は昼間であるため、サマディーに到着したら夜になる。

夜中に王に尋ねるのは無理であるため、到着したらすぐに宿をとる必要がある。

ただし、年に1度のファーリス杯があることから観光客が増加しており、宿屋が満席になっている可能性もある。

以前、エルバとカミュが世話になったように、教会の宿泊施設を利用するという手もあるが、それでも部屋を確保できる可能性は五分五分。

「最悪、野宿を覚悟すべきだな」

「だな。にしても、魔法使いがいるのといないのとじゃあかなり違うな」

カミュは馬の両サイドのぶら下げられている箱を見る。

中には肉などの食料が凍った状態で入っており、これらはすべてベロニカがヒャドで凍らせておいたものだ。

必要な時にメラで溶かす、もしくは自然解凍で使うことができる。

食糧管理が大変な旅の中で、何度も味気のない豆のスープや塩っ辛い干し肉などを食べてきたカミュにとってはありがたい存在だ。

「ちょっと、人を便利なキャンプ道具みたいに言わないでよ!」

「お姉さま。そんなに怒っていたら…あ!」

何か物音が聞こえ、右を向いたセーニャが左手で口を隠す。

「どうした?」

「あの、皆さま。あちらで物音が…」

セーニャは聞こえた方向に指をさす。

そこにはサマディー地方ではよく目にするサボテンが複数個、不規則に生えてる。

「物音…?サボテンボールじゃないわよね?」

ベロニカは砂漠で出会ったサボテンボールという魔物のことを思い出し、嫌な表情を浮かべる。

玉サボテンに手足が生えたような姿の魔物で、サマディーではサボテンに擬態して獲物を待つ。

そして、獲物となる何かが近づいたら飛び上がり、それを合図に次々とサボテンボールが合流して襲う。

そのせいで、サボテンを見に来た観光客がサボテンボールに襲われて死傷するケースが毎年出ており、サマディーでは兵士やガイドの同行無しに非武装の状態でサボテンに近づいてはいけないという決まりができるほどだ。

ベロニカとセーニャはホムラの里へ向かう際に不用意に近くを進み過ぎたことでサボテンボールに見つかり、大軍に追い掛け回された。

馬で逃げていたが、サボテンボールはゴロゴロとボールのように回転しながら追いかけて来て、その時のスピードは馬が全力疾走するのと同じくらいだった。

幸いなことに、サボテンボール自体があまりスタミナがないうえに回転し過ぎると目が回ってしまうようで、しばらく走ると目を回してその場に座り込み、その間に逃げきることができた。

「サボテンとサボテンボール…そんなに見分けがつかないのか?」

「いえ。手足はひっこめることで隠すことができるみたいですが、呼吸のために顔を隠すことができないみたいなので、それさえ分かれば…」

「ま、触らぬ神に祟りなしだ。行こうぜ」

1分1秒でも早くサマディーに入り、宿を取りたいと思っているカミュは先へ向かう。

「ええ…そうね。サボテンボールなら、あんまり近づかないほうがいいし」

「そうですね。参りましょう、エルバ様」

「ああ…」

水と食料を得にくい場所では戦いは可能な限り避けるのが定石であることはカミュから学んでいるエルバは同意し、3人は先に言っているカミュを追いかける。

先に進むカミュは山のように積もっている砂の上に上がり、そこから周囲を見渡す。

あたり一面は砂で、まだここからはサマディーの城壁すら見えない。

「早く町へ…って、おいおいマジかよ…?」

南の方角から、何か動く物影が見える。

汗が目の入り、かゆみを取ろうと目をこすった後でもう1度確認する。

「何が見えている?」

「あっちを見ろ!」

隣に来たエルバにカミュは物陰が見えた方向に指をさす。

そこには破壊された馬車と馬車の陰に頭を抱えて隠れる白いターバンをつけた青年、そしてその周囲で飛び回るキメラの集団の姿があった。

胴体が蛇で、鳥の頭と翼がついている合成獣で、羽根は軽いうえに風の魔力がこもっていることから、装備品の原料としても飾りとしても使うことができる。

ただ、肉食動物である爬虫類の習性と群れをつくる鳥の習性を併せ持っていることから、同じ鳥系の魔物と連携して狩りをする厄介な魔物だ。

「仲間が集まると大変だ。どうす…って、エルバ!!」

急にエルバを乗せたフランベルグがキメラの群れへ向けて突っ込んでいき、エルバは鉄の剣を抜く。

そして、キメラたちの目を引き付けるためにギラを唱える。

閃光が後ろを向いているキメラに向けて飛んでいき、背後から感じる熱を感じたそのモンスターは振り返る間もなくその光に焼かれていった。

突然、仲間を不意打ちで撃破されたキメラたちは激怒し、ギラを唱えた張本人であるエルバを始末しようと彼に向けて飛んでいく。

「あのバカ、一人でやっててもしょうがねえだろ!?」

「ああ、もう!!行くわよ!セーニャ!」

「はい、お姉さま!!お馬さん、お願いします」

両足で挟むように腹部を蹴られた馬はエルバに向けて全力で走っていく。

青年を襲っていたキメラはすべてエルバの周りに集まっており、仲間と同じ苦しみを与えて殺そうと炎を吐く。

しかし、炎はエルバの周囲に発生した竜巻に吸収され、そのままかき消されていった。

「この竜巻は…」

「私です。エルバ様」

僧侶が愛用する、回復魔力を高める力のある武器、スティックを手にしているセーニャが馬から降り、笑みを浮かべている。

炎を消されたキメラは犯人のセーニャをくちばしで貫こうと、上空から急降下しながら突っ込んでいく。

しかし、セーニャの隣にいるベロニカが放つメラで黒こげになり、地面に落ちた。

「ったく、セーニャ!!危ないわよ!」

「お姉さま、ありがとうございます」

「おい、大丈夫か…よ!!」

隠れている青年のところまで来たカミュはブーメランを投げて近くで飛んでいるキメラの翼を切り裂く。

「へえ、中々使えるじゃねえか。こいつは」

手元に戻ってきたブーメランを見て満足すると、落ちてもなお炎を吐いて抵抗しようとするキメラの首を聖なるナイフで突き刺した。

このブーメランは水と食料の調達のついでに、補給の難しい爆弾の代わりとして購入したものだ。

昔使ったことがあるらしく、思い出すために途中のキャンプで少しだけ練習したが、それだけで勘を取り戻すことができた。

 

「いやぁ、助かったぜ…。まさかキメラの群れに出くわしちまうなんて…」

キメラが全滅し、助けられたことに礼を言う青年は散らかった荷物を馬車に戻す。

馬は逃がしていたが、口笛を吹くことでここまで戻ってきた。

「商人の馬なのに、よく口笛で戻ってこれるな」

エルバと共にキメラの死体から肉と羽根を剥ぎ取りながら、カミュは戻ってきた馬に興味を持つ。

ベロニカはそのグロテスクな光景をセーニャに見せないよう、馬車の陰に行かせる。

「もとは軍馬さ。年齢が来たもんで、知人から譲ってもらった。俺はホフマン。サマディーの宿屋の店員だ」

「そうなんですか。だから、たくさん食べ物を…」

回収した荷物のほとんどが食べ物で、いずれも箱や袋にはダーハルーネに入港したことを示す印がつけられていた。

宿屋という言葉に、カミュはピクリと反応する。

ナイフについた血を布でふき取り、はぎ取ったものを回収した後で彼の元へ向かう。

「なぁ、あんたのいる宿屋って、空き部屋はあるのか?俺らはサマディーを目指してる」

「ああ、ってことはファーリス杯とシルビアさんのショーを見に!?うーん…1週間前にダーハルーネに出てたからなぁ…宿屋に戻らないとわからねえなぁ。もし部屋に空きがあったら、俺が店長に掛け合ってみるよ。案内するから、ついてきてくれ!」

荷物の回収が終わり、詰み忘れがないかチェックを済ませたホフマンは御者台に乗り、ムチで馬の尻を叩く。

馬はゆっくりと進路を北へ向け、ゆっくりと歩き始める。

「シルビアか…。ここでも、あの旅芸人の話を聞くなんてな」

馬に乗ったカミュはホフマンから聞いたシルビアという名前を思い出す。

彼だけでなく、ベロニカとセーニャもその名前を聞いたことがあるようで、少し驚いている。

「おい、シルビアって誰だ?」

「ええっ!?エルバ知らないの!?」

「お姉さま、エルバ様はイシの村で暮らしていたので、そういうことはあまり…」

エルバをフォローするセーニャだが、姉妹の短い会話を聞く中で、エルバはいまだに世間知らずの田舎者であることを痛感する。

だが、今はシルビアが何者であるかはどうでもいい。

「行くぞ。サマディーは近いはずだ」

ホフマンの馬車についていくように、フランベルグは歩き始める。

その後ろ姿はいつも通りだが、逆にそれが痛々しく見えてしまう。

「こうなりゃあ、旅の中でいろいろ教えねーと…本当に復讐鬼になっちまうぜ…」

だが、それは彼を変えるチャンスかもしれない。

シルビアについて少なくとも質問してきたということは、わずかでもそれに興味があるということ。

だったら、どこかで機会を見つけて教えればいいだろうとカミュは考えた。

 

真っ白で高い城壁の南側にある木造の巨大な門が開き、ホフマンを先頭にエルバ達は中へ入っていく。

少し進んだだけで、観光客目当ての屋台とそれに群がる人々の巨大な波が見えてくる。

夜であるにもかかわらず、そこらじゅうに置かれている燭台に火がついており、昼のような明るさとなっている。

黄色地に緑色の模様が入ったサーコート姿の兵士たちが馬やラクダに乗って巡回する。

砂漠の国、サマディーはサミットでは末席であるものの、豊富な観光資源と鉱物資源に恵まれた国だ。

また、砂漠であることから農業に適した土地が少ないために他国よりも農業の効率化に力を入れていて、近年ではサマディーの農業を学ぼうとデルカダールから留学生が訪れている。

「デルカダール以上だ…こんな人の数は…」

「うーん…普段の倍はいるかな?こりゃあ、ウチの宿屋に空き部屋があるかどうか…俺のいる宿屋はここのすぐ東だ。じゃあ、馬を預けたら来てくれよな」

馬車に乗ったまま、ホフマンは東へと向かっていく。

人をひかないようにゆっくりと進んでいき、彼を見送りながらエルバ達はすぐそばにある馬小屋に自分たちの馬を預ける。

「んじゃあ、早く宿屋へ行って休める場所を…」

「それよりもサーカスよ!シルビアのサーカス!!」

「お…お姉さま??」

本当の目的を忘れたかのような、ベロニカの興奮ぶりにセーニャは驚きを見せる。

ここまで興奮しているベロニカを見るのは、双子の妹である彼女にとっては初めてのことだ。

「ほら、セーニャ!あんたも来なさい!あんたがいないと、チケット買えないのよ!」

今のベロニカの体で夜中に外にいると、警備兵から迷子と誤解されてしまう可能性が高い。

若返りはしたものの、そういう点ではかなり不便であることは否定できない。

エルバかカミュが一緒にいる場合は変な誤解を与えかねないため、ここはセーニャを指名するのが安全だとベロニカは判断した。

「わ、分かりました…。では、エルバ様とカミュ様は宿屋で…」

「ホムラの里のパターンかよ…ふぅ」

「いいじゃない!ちょっとした息抜きよ!」

ベロニカはセーニャの手を握り、彼女を引っ張る形で雑踏の中へと消えていく。

「ああ…女ってのはよくわからねえな…」

今まで男としか一緒に旅をしたことのないカミュは頭を抱える。

デクと旅をしていたころ、悪徳商人の屋敷で盗みを働き、そこで手に入れた金でムフフな店に入ったときのことを思い出す。

そこで働いている女性と他愛のない会話をしていた際、何がいけなかったのか、いきなりその女性が怒って頬をひっぱたいて戻ってしまった。

なぜこうなったのかは今でも分かっておらず、一緒に店に入ったデクに聞いてもため息をつかれるだけだった。

だが、これからはベロニカとセーニャ、2人の少女と共に旅をすることになるため、分からないままであってはならない。

「カミュ、部屋を確保するぞ」

「ん…ああ、今行くぜ」

いつの間にか先に言っていたエルバを見失わないよう、カミュは彼を追いかけた。

 

「いやぁー、あんたらついてるぜ。話をしてたら、店長が一部屋だけだが、部屋を確保してくれたぜ。4人で寝泊まりするには広さは大丈夫だが、カーテンで敷居をしておく必要が…」

「それについてはどうにかする。助かったぜ」

宿屋の2階でホフマンから鍵を受け取り、2人は案内された部屋に入る。

元々、集団観光客を受け入れることが多い宿屋であるためか、部屋は広く作られており、ベッドもきれいに用意されている。

ようやく休める場所を見つけたことに安心すると、カミュは荷物を置き、フカフカのベッドで横になる。

しかし、違和感を覚えたのか、すぐに起き上がってしまう。

「どうした?」

「なんか、落ち着かねえなぁ」

「どういうことだ?」

「ベッドだ。ベッドってこんな感じかって…」

1年近く、死刑囚として地下牢に入ったうえ、これまでの旅の中でベッドで横になったのが脱走後に立ち寄った協会だけのカミュはベッドで寝るのが落ち着かなくなっていた。

堅い床やチクチク刺さって痛いゴザ、テントの薄い布の上といったところで寝ることの多い彼には逆にこうした快適なベッドがなじまないのだろう。

どうにか心を落ち着かせようと、今日使ったブーメランと剥ぎ取り用のナイフを研ぎ始める。

「宿の中でやらなくてもいいだろ…?」

外でならともかく、観光客がいる平和な空間であるこの宿屋で物騒なことをするカミュに苦言を呈すと、エルバは部屋を出た。

 

「よし…水はこれでいいか。あとは…」

井戸のそばにあるテラコッタ鉢を手にし、それに水を入れたエルバはちょうど馬小屋と正門前通りを挟んで向き合うように作られた建物の中に入る。

そこでは観光客や主婦たちが集まっていて、同じ鉢を使って洗濯をしていた。

サマディーでは城下町の各地に設置されている井戸のそばにあるこうした建物で洗濯をする習慣がある。

多くの人はたくさんの洗濯物を持ってきており、観光客たちは手洗いしているのに対し、主婦は叩く、もしくは絞って洗っている。

こうしてみているだけでも、地域によって洗濯のやり方が違うことがわかる。

エルバは手洗いでスカーフを洗い始める。

ずっと腕に結びつけており、戦いもあったせいで砂や埃がついており、細かい汚れもある。

「エマ…」

エルバにとって、このスカーフと首にぶら下げているお守りだけがイシの村で生きていた証となっている。

たとえボロボロになったとしても、手放したくない。

 

「戻った…ぞ??」

スカーフを洗い終え、戻ってきたエルバは見慣れない服装をしたセーニャを見て動きを止める。

床で胡坐をかいて座っているカミュは頭を抱えており、ベロニカは部屋にいない。

「あ、おかえりなさいませ、エルバ様」

「セーニャ…」

戻った来たエルバに気付いたセーニャは彼に目を向けると、胸に手を置いてお辞儀をする。

動作については何も問題ない。

問題なのは今の彼女の服装だ。

上半身が腕抜きと紫のブラだけで、ドレス姿の時とは対照的に露出度がかなり高いものとなっている。

おまけに下半身は黄色とオレンジの腰巻と黒いタイツである程度隠れているものの、わずかにパンツが見えている。

「…なんだ、その格好は…?」

「これですか?見てください!近くの防具屋さんで買ってきたんです!動きやすくて、これなら魔物の攻撃も回避しやすいですよ」

嬉しそうに笑いつつ、クルンとその場で一回転する。

この踊り子の服は酒場で働く女性の踊り手が良く着用しており、その女性のスタイルを強調できるようにデザインされているらしい。

確かにロングスカートで若干厚手なドレスとは異なり、薄いうえにスカートではないため、動きやすい点は確かに正しいだろう。

「…こんな派手で露出度の高い僧侶がどこにいんだよ」

今のセーニャの服装をあまり見ないようにしながら、カミュは突っ込む。

最初にその服装で入ってきたときには危うく見とれそうになり、目のやり場に困ってしまった。

もしベロニカが一緒に来ていたら、妹が絡んでいることもあり、メラを連発されるかからかいの種にされてしまったかもしれない。

「はぁ…で、ベロニカはどこだ?サーカスを見に言ったんじゃなかったのか?」

「それが…今夜のサーカスのチケットが品切れになってしまいまして…。お姉さまは下の食堂でヤケになって食べてます」

「楽しみにしてたのは分かるけどな…。ったく、食い物も防具もただじゃねえんだぞ」

長年旅をしていたカミュは金のやりくりの大切さを身に染みて理解していた。

魔物から剥ぎ取りを行うのも、それを利用して不思議な鍛冶セットで武器や防具を作るためであり、時にはそれを店に売ることもできる。

素材を売るよりも、こうして加工して売った方が金になり、旅費の足しにできるからだ。

「で…いくらで買ったんだ?それ」

「ええっと…1300ゴールドですね」

口元に人差し指を置き、思い出しながら答えたセーニャの発言にカミュはため息をついた。

これからは自分とエルバで金の管理をしなければ、そう静かに決心をしていた。

 

「まったく!なんで午前の部のチケットも売り切れなのよ!?しかも、次があたしの番って時に!!モグモグ…」

翌朝、宿屋の食堂では昨晩と同じようにやけ食いするベロニカの姿があった。

彼女は早起きして宿を出て、サーカスのチケット販売開始時間2時間前には並ぶことに成功した。

しかし、それよりも前に並んでいる人が数多く存在し、長い時間待たなければならなくなった。

そして、自分が買う前に売り切れになり、20分前に戻ってきた。

「ベロニカ、それくらいにしとけよ。あと1回チャンスがあるかもしれねーじゃねーか」

刻んだトマトやクレソンなどの野菜にサンドフルーツの汁で味付けをしたサラダ・サマディーを口にしながらカミュは慰める。

虹色の枝はサマディーの国宝であるため、手に入れるか借りるかどちらかにするにしても1日で済む話ではない。

幸いなことに、サマディーではまだエルバ達の話が伝わっていないことが酒場での情報収集で分かっている。

今は安心かもしれないが、いつ自分たちの情報が入ってくるかわからない。

「食べ終わったら、城へ行くぞ。王が面会してくれるかはわからないが…」

デルカダールの場合、ユグノアのペンダントを持っていたことからすんなりと王と会うことができた。

しかし、今回はそうしたアイテムが無ければコネもない。

直接会いに行くとしても、門前払いがオチだろう。

「どうやら、お困りみたいだな」

お代わりの水を持ってきたホフマンが悩んでいるエルバ達を見ながら声をかけてくる。

「はい。私たち、わけがありまして、サマディーの国王陛下とお会いしたいのです。何か知恵をお借りできませんでしょうか?」

「知恵ねえ…うーん…」

水を置き、お盆を脇に挟んだホフマンは首をかしげる。

しかし、すぐに何かを思いついたのか、急いでカウンターまで向かう。

そして、紙をもってエルバたちの元へ戻ってきた。

「これは?」

「最近ここの南にある鉱山でバトルレックスっていう魔物がいて、王様が討伐隊を編成してる。こいつはそのバトルレックスの絵だ」

あくまでも、生還した作業員や兵士の証言を基にした絵をホフマンが思い出しながら書いており、即席であることからお世辞にも上手とは言えない。

わかることがあるとしたら、緑色で2本足、トカゲのようなモンスターで巨大な斧を持っていることだ。

「そこで手柄をあげたら、チャンスが巡ってくるんじゃねえか?兵士の募集は城門前でやってる。ま、腕に覚えがあるならってことで」

「バトルレックス…聞いたことのねえモンスターだな」

「でも…これはチャンスね」

気持ちを切り替えたベロニカもじっとその絵を見た。




サマディー
ロトゼタシアでは世界一の観光立国とされている砂漠の王国。
サミットでは末席であるものの、国としての歴史は16年前に滅んだユグノアを除くと最も長い。
騎士の国と言われていることから、兵士と馬、ラクダの育成に力を入れている。
国領の南西のバクラバ砂丘には古い遺跡があり、サマディーの考古学者たちが現在調査しているが、現在でもその詳細は分かっていない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 鉱山の戦い

あけましておめでとうございます!
新年一発目はこのドラクエ11からです!!


サマディー南部にある鉱山、サウスサマディー鉱山。

良質な鉄鉱石と様々な種類のアクセサリー用の宝石のある鉱脈がそこにはあり、サマディーの武器や装飾品の製造を陰から支えている。

最近ではその鉱山の中で魔物が出現しているという報告があり、作業員の安全上、現在は兵士が駐屯しているが、このまま兵士に護衛をさせながら採掘を続けるか、それとも思い切って閉山するか、意見が分かれている。

その鉱山の入り口に、サマディーの兵士たちが集まってきている。

そして、その中にはエルバ達の姿もあった。

まずはその中にある緑色のサークレットを着た兵士が前に出る。

なお、サークレットの色は兵士の立場を示しており、黄色は下級兵士、緑色は隊長クラス、赤色が兵士長となっており、この討伐隊ではあの男がただ一人、緑色のサークレットを着ている。

「みんな、今回このバトルレックス討伐隊の隊長を任せられることになったオグイだ。2か月前まで、この鉱山に駐屯していたから、道についてはある程度分かっている。それから…旅人の方、前に出てくれ」

隊長のオグイの求めに応じ、エルバ達が兵士たちの前に出る。

今回の傭兵の募集で、応募したのは結局エルバ達だけだったようだ。

彼ら以外にも戦える旅人はサマディーにいるのだが、相手が悪すぎるという理由で断ったり募集しなかった人が多い。

バトルレックスはそれだけ、多くの人から恐れられている魔物だということだ。

「この中にはバトルレックス以外にも魔物がいる。全員、単独では動かず、最低でも2人以上でチームを作り、死角を作らないように動いてくれ。そして、くれぐれもランタンの火が消えないように、余裕があるときに油を差すようにしてくれ」

オグイの指示を聞き終えると、兵士たちは各自でチームを編成し、オグイにチームメンバーを伝え、チーム番号を受け取った後で鉱山に入っていく。

ある程度兵士たちがチームを組んだのを確認した後で、オグイがエルバの元へやってくる。

「君たちは第11チームだ。何かあったら迷わず近くのチームに頼ってくれ」

「ああ。にしても、もうすぐファーリス杯って時にこんな任務になるたぁ、不憫だな。オグイさん」

「まぁ、任務だから仕方ないさ。無事に帰って、ファーリス王子といい勝負ができるように準備をしなければな」

そういうと、オグイはエルバ達に地図を渡し、鉱山の中に入っていく。

受け取った地図をめくると、それには坑道の構造が描かれており、落盤の危険性のある場所や滑りやすい場所なども事細かに書かれていた。

「すげえ細かい地図だな…こりゃあ、大助かりだ」

カミュは地図をしまい、全員のランタンの油の量などのチェックを始める。

念のためサマディーである程度買っておいたため、問題はなかった。

「よーし、じゃあ行こうぜ」

「ああ…」

「バトルレックスはおそらく、強力な魔物です。皆さま、くれぐれもご用心ください」

4人は鉱山に入る一番最後のチームとなり、エルバを先頭、カミュを殿にして前へ進んでいった。

 

足元に注意を払い、地図を確認しながら前へ進んでいく。

足元に何かが当たったのを感じたエルバはすかさす足元にランタンの明かりを照らす。

そこには採掘用だと思われるつるはしが落ちていた。

「つるはし…?」

「きっと、ここの採掘者が使ってたものでしょうね。魔物に襲われたから、大急ぎで逃げたみたいね」

他にも、足元には魔物のものと思われる足跡があり、壁や床の一部には焦げた跡もある。

それらを確認していると、セーニャがカミュの肩を叩く。

「あの、鳴き声が聞こえませんか?」

「鳴き声…?まさか、バトルレックスのものじゃねえだろうな?」

まだ鉱山に入ってから10分足らずで、自分たちが最後尾だ。

地図によると、バトルレックスは鉱山の最深部を住処にしている。

そんなところでバトルレックスの鳴き声が聞こえたとすると、相手はかなり大きな魔物ということになる。

「い、いえ…蛇の…」

「蛇…?みんな、動くなよ!」

「な、なによ急に!?」

「いいから動くな、声を…出すな…!」

口にたまった唾を飲み込み、じっとするカミュを見たエルバはそれに従う。

そうしていると、何かが這ってこちらに近づいてくる音が聞こえてくる。

先ほどまで、声や足音を立てていたこともあり、聞こえなかった。

音がする方向にカミュはランタンに光を照らす。

しかし、その方向にはなにもなく、何かが動くようなものかげもない。

例の音が大きくなってきているにもかかわらずだ。

「こいつは…セーニャ、あぶねえ!!」

「え…キャ!?」

一番近くにいたセーニャを抱き、そのままフットボーラーがエンドゾーンに飛び込むような要領で前のめりに倒れる。

同時にセーニャの頭上のあたりの天井が砕け、紫色の巨大な蛇の頭が出てくる。

彼女を丸呑みしたかったようだが、ギリギリのところでカミュがセーニャを助けたことでその目論見が外れた。

「ヘルバイパー!?よくもあたしの妹を食べようとしたわね!!」

妹を傷つけようとしたその蛇、ヘルバイパーに腹を立てたベロニカはギラを唱える。

頭を引っ込めようとしたヘルバイパーだが、その前に閃光が頭を貫き、炎上を始める。

更にとどめと言わんばかりに、エルバは鋼の剣で燃えるヘルバイパーの頭を切り裂いた。

斬られたヘルバイパーの首が黒焦げになってその場に落ち、ズルズルと激しい音が天井から鳴り響き、やがてそれが遠ざかっていった。

「た、助かりました…カミュ様」

「ああ…油断するなよ。あいつはまだくたばってねえ」

「どうして?確かにギラで頭を…」

「見ろ」

カミュは形でヘルバイパーの黒こげになった頭部をもち、ベロニカに投げる。

レディにそのようなグロテスクなものを投げるカミュの神経に驚きを隠せないベロニカだが、よく見るとそれは焦げた抜け殻だった。

「脱皮さ。こいつはギリギリのところで脱皮して逃げやがったんだ」

「なんで、それがわかった?」

「お前が剣で頭を斬ったときだ。血が出てなかっただろ。仕留めそこなった以上、また狙われるぜ…」

ヘルバイパーは体内に毒を作り、かみついた相手を毒で弱らせた後で丸呑みする性質がある。

しかも、どうやったのかは分からないが、通路のすぐそばに獣道のように自分の通り道を作っており、また先ほどのように奇襲されるのは目に見えている。

「早くほかの兵士に伝えるぞ」

「そうだな…。急ごうぜ」

カミュは近くにかけられている、消えたまま放置された松明を手にし、それにランタンの火をつける。

そして、燃えるその松明を前に向けて投げる。

緩やかな下り坂をゆっくりと松明は転がり、その先の光景をエルバ達に見せ、その終点のところで止まる。

「少なくとも、ここまでは別の通路はねえみたいだ。行くぞ」

「問題は…その先とヘルバイパーだな…」

姿をくらました脅威に警戒しつつ、4人は松明が止まった場所まで歩いていく。

そこからは広い空間があり、魔物の骨が散乱していた。

あまり見たくない光景を見てしまったベロニカはウエエッと気持ち悪そうにし、カミュはその骨を調べ始める。

「頭蓋骨についている傷…爪か石で一撃だったんだろうな。食われてから3日…それとも4日くらいか?」

「バトルレックスに食われた…そういうことか?」

「かもな。見ろよ」

骨を調べたカミュは一部に血がついている足跡に指をさす。

その足跡はその先にある3つの通路のうちの1つに続いている。

「食い終わって、そのまま奥へ行った。ってことは、この先にバトルレックスがいるってことだ」

よく見ると、先に行った兵士たちのものと思われる足跡もその通路に続いている。

このまま進めば、オグイ達と合流することができるかもしれない。

しかし、その通路に足を踏み入れた次の瞬間。

「うわああああ!?!?!?」

兵士の叫び声がエルバ達の耳に飛び込んだ。

「バトルレックスかヘルバイパーに襲われたか!?」

「急ぎましょう!なんだか…嫌な予感がします…」

声がした場所は例の通路の先で間違いない。

エルバ達はその通路を走っていった。

 

「ぐ、うう…!!」

その通路の先にある広い空間で、オグイは左腕を抑えながら壁にもたれている。

肩と二の腕のあたりに深い傷ができており、血が流れ過ぎたためか、それとも麻痺しているせいなのか、左腕の感覚がマヒしてきている。

目の前には2人の兵士の死体が転がっており、残った3人のうちの1人が震える体を抑え、目の前にいる4匹のヘルバイパーの1匹をじっと見る。

「よくも…よくも仲間をぉーーー!!」

「待て!一人で飛び込むなあ!!」

オグイに耳を貸さず、兵士は懐に飛び込んで剣を振るう。

目の前のヘルバイパーの腹に切り傷ができ、その個所を何度も切れば真っ二つにできると思った彼だが、そんな彼に希望を奪うかのように側面からもう1匹のヘルバイパーが腹部に噛みついてくる。

「あ、あああ!!嫌だ、ああああああ!!!!」

「く…っ!」

助けに動きたいオグイは傷のせいで身動きが取れず、他の2匹のヘルバイパーの存在から、他の兵士たちもどうすることもできない。

彼がその蛇の胃袋の中へ消えていくのを眺めることしかできなかった。

「くそ…!こいつら、待ち伏せしていやがったか!?」

この広場は一番奥へ行くために必ず通ることになる場所で、ここを集合地点として設定していた。

ここに来るまでに多くのチームがエルバ達と同じくヘルバイパーが頭上など、通路の近くに作った穴を通るのを音で知っていた。

そして、この広場の天井が高く、壁にはヘルバイパーが入れるような大きな穴がある。

オグイ達がここに集まるのを見計らい、絶好のタイミングで出て来て、奇襲を仕掛けてきた。

「来るぞ!!」

他のヘルバイパーがごちそうを口にしようと残りの兵士に襲い掛かる。

しかし、兵士の目の前に竜巻が発生し、2匹のヘルバイパーが体を引っ込め去る中、反応が遅れた1匹が自分から頭をそれに入れる形で命中し、頭部を細切れにされていった。

「バ…バギ!?」

「皆さま、大丈夫ですか!?」

バギを唱えた本人であるセーニャは急いで負傷しているオグイの元へ向かう。

続いて入ったエルバはギラを唱え、閃光で自分に注意を向けていく。

ベロニカ程の魔力がなく、走りながらのためにコントロールに乱れがあるものの、それでもエルバが放った閃光はヘルバイパーをかすめ、注意を向けることに成功する。

「ハアハア…悪い、迷惑をかけたな…」

「しゃべらないでください。今、治療します!」

セーニャは急いでオグイの腕の傷を確認する。

ヘルバイパーに噛まれた傷は深いものの、骨へのダメージがなかったのは不幸中の幸いだった。

問題は毒で、ヘルバイパーのものの場合は出血毒の場合が多い。

急いでキアリーを唱えて解毒し、血管系細胞のこれ以上の破壊を阻止してから、最近覚えたばかりのベホイミを唱える。

「うぐぐ…!!」

「じっとしていてください、オグイ様…!」

「ああ…すまん…!」

回復によって、痛覚が刺激されたのか、感じなくなっていた痛みがよみがえり、脂汗を流しながら歯を食いしばった。

一方、セーニャも覚えたばかりでまだベホイミの制御に慣れていないためか、若干疲れを見せ始めていた。

「こいつを…喰らっとけぇ!」

大きく開いたヘルバイパーの口にカミュは爆弾を放り投げる。

口の中に異物が入り込み、思わず閉じてしまったのが運の尽き、上半身の半分が爆発と同時に吹き閉じ、カミュの体や服をヘルバイパーの破片と血が濡らしていく。

エルバもそれと同時に、大剣でヘルバイパーを縦に両断した。

「くそ…こいつはまずいぜ」

戦闘によってできた血と死体を見て、カミュは危機感を覚える。

「危険…?」

「爬虫類は視覚と聴覚が弱い代わりに嗅覚が発達してるんだよ。ブラックドラゴンに追われたときのことを思い出せ」

カミュの言葉にエルバはデルカダールの地下でその魔物に追いかけられた時のことを思い出す。

ランタンの明かりだけが頼りの暗闇の中、ブラックドラゴンはただひたすらにエルバ達を追いかけていた。

彼の言葉が正しければ、視力だけでなく嗅覚も頼っていたと考えていいだろう。

その考えが正しいと言わんばかりに、ズシリ、ズシリと大きな足音が聞こえてくる。

「くそ…この足音は…」

聞き覚えのある足音にオグイの表情が固まり、治療が終わると同時に落としていた片手剣を手にする。

兵士たちも孤立しないように、可能な限りエルバ達と共に固まる。

グオオオオオオンン!!!

「うっるさいわね!!」

ビリビリと天井から砂や石が落ちてくるほどの鳴き声にベロニカは叫ぶ。

最深部へと続く通路から、バトルレックスが姿を現し、エルバ達の前で咆哮しながら斧を振り回す。

振るだけで強い風が起こり、ベロニカは吹き飛ばされないように帽子を押さえる。

「まさか…討伐対象が自分から来てくれるなんてなぁ…!」

聖なるナイフを手にしたカミュはとびかかり、まずは斧を握る利き腕に突き刺そうとする。

不思議な鍛冶セットである程度強度を高めている聖なるナイフなら、ピンポイントに攻撃すれば痛撃となる。

そして、自身の跳躍であれば、少なくとも腕には届く。

2本のナイフを逆手に持ち、カミュは腕にナイフを突き立てる。

ガアンという金属がぶつかり合う音が聞こえた瞬間、カミュはハッと目を開く。

バトルレックスの腕にはわずかにナイフでできた切り傷ができてはいた。

しかし、持っている2本の聖なるナイフの刀身が根元から砕けていた。

「マジかよ…!?」

「離れろ、カミュ!!」

エルバの声を聴き、我に返ったカミュだが、一歩遅かったようで、バトルレックスに左手で体をつかまれてしまう。

「ったく!どんくさいわね!!」

カミュを助けようと、ベロニカはメラを唱え、エルバもギラを唱える。

しかし、バトルレックスは炎と閃光を受けても通用していないのか、まったく見向きしておらず、むしろ自分に傷をつけた生きのいい食料であるカミュを見ていた。

「あたしのギラが効かない!?」

「なら…!」

エルバは大剣を抜き、バトルレックスに迫る。

ナイフとは違い、切り裂くことのできる大剣であれば、バトルレックスにダメージを与えることができるかもしれない。

「来るな、エルバ!!」

「何!?」

接近するエルバを見たバトルレックスが口から燃え盛る炎を吐こうとする。

しかし、その直前に足元から岩が隆起し、バランスを崩したバトルレックスが転倒する。

その隙にカミュは腕から脱し、エルバ達の元へ戻ってきた。

「ジバリア…?」

「ああ、ギリギリのところで発動できてよかったぜ…痛て…」

強い力で握られたことで、体に痛みを感じたカミュはその場で膝をつき、急いでセーニャはホイミで彼を回復させる。

だが、転倒させた程度でバトルレックスを倒せるはずがなく、起き上がったその魔物は転倒させたカミュに怒りを覚えたのか、斧を振り回す。

「これほど振り回されては、とても接近できない!」

「おまけに奴は炎を吐くことができる…せめて、どちらかを封じることができれば…!」

「炎と斧…なら!」

エルバは即座に印を切り、バトルレックスの頭に向けてデインを放つ。

手から放たれた電撃を受け、さすがは勇者のみが使える呪文というべきか、顔面に傷ができた。

左手で傷を抑え、バトルレックスは自分の顔を傷つけたエルバににらみつける。

それを確認すると、エルバは先ほど自分たちが通った道を使って逃走を始めた。

「こっちだ…」

「え、ええ!?」

「ちょっとアンタ、何をやってんのよ!?それでも勇者!?」

敵前逃亡という、勇者にあるまじき行動を突然とったエルバはセーニャもベロニカもあっけにとられた。

「だが、あいつ…追いかけてやがる!急がねえとエルバがやられるうえに外に出しちまうぞ!!」

「追いかけろ!バトルレックスを外に出すな…何!?」

立ち上がり、兵士たちに命令を出したオグイは恐ろしい物を目にする。

物音が聞こえ、何が起こったのかと振り返ったカミュ達もそれが現実のものとは思えず、騒然とした。

「嘘…だろ…??」

彼らの目に映っているのは、エルバによって真っ二つにされたはずのヘルバイパーで、両断されているにもかかわらず、意識を取り戻した上に、獲物たちをじっと見て、口を大きく開いていた。

 

「ハア、ハア、ハア…」

出口へとつながる上り坂をエルバは走り続け、背後から追いかけるバトルレックスは自分を傷つけた人間を焼き殺さんと炎を吐く。

「そうだ…それでいい!俺を追いかけて来い!」

エルバは追いかけてくるバトルレックスに見向きもせず、ただ前を向いて逃げ続ける。

耳に響く大きな足音で、彼が追いかけてくるのは分かり切っているためだ。

(あとは…あの呪文を使えさえすれば…)

走りながら、エルバはホムラの里でベロニカから教えてもらったとある呪文を思い出した。

 

「トベルーラ…?なんだ?その呪文は」

ホムラの里を発つ準備をする中、ベロニカから聞き覚えのない呪文の名前を聞かされたエルバが彼女に尋ねる。

言ったところのある場所をイメージし、そこまで超高速で飛行する瞬間移動呪文、ルーラの存在自体はおとぎ話にも出てくることから、子供でも名前は知っている呪文だ。

しかし、今では既に失われた呪文であり、使える人物は世界のどこにもいない。

なんでも、長距離になればなるほど、そして重量が重ければ重いほど、使用する人物のMP消費が増えてしまう上、移動途中にMP切れになってしまった場合、そのまま落下する危険性もあるとのことだ。

そんなルーラとかかわりのあるトベルーラにエルバは若干ながら、興味を示していた。

「飛翔呪文よ。魔力を使って空中を移動できるってワケ。こんな感じに!」

急にベロニカがフワリと目の前で浮遊をはじめ、自分の眼の高さまで飛んで見せる。

「今は屋内だからこの程度にしてるけど、本当はもっと高く飛べるわ。まぁ、かなり覚えるのが難しくて、セーニャもまだ使えないけど」

「難しい…?とてもそうには見えないが…」

「見た目ではね。魔力の消費は比較的少ないけれど、うまく制御しないと、飛ぶスピードや高度をコントロールできないうえに墜落してしまう可能性もあるの。これが使えれば、空中戦も思うがままよ!」

それを証明するかのように、速度に緩急をつけながら、エルバの周囲を何回も旋回するように飛び、彼の目の前で見ごとに着地する。

こうしてみていると、確かに覚えておくといろいろ便利なのはわかる。

しかし、一つ気になることがある。

「その呪文、どうしてこのタイミングで…?」

「言ったでしょう。難しい呪文なの。里でもこの呪文が使える人はめったにいないの。だけど、勇者のあんたなら、きっと使える。そう思っただけよ」

 

里を出てから、エルバはキャンプか休憩中の時にベロニカからトベルーラの修行を受けるようになった。

しかし、やはりベロニカが難しいというだけあって、全く飛ぶことができない。

というよりも、魔力によって空を飛ぶイメージを中々つかむことができずにいた。

呪文で重要なのは、MPで生み出す現象をイメージすることという基本中の基本、第一段階の敷居が高いのがトベルーラが難度の高い呪文と呼ばれる理由の一つだ。

「だが…今はその呪文が必要だ…」

考えている間に、もうすぐヘルバイパーに襲われた場所に到着しようとしている。

バトルレックスは荷物になる斧を捨てて追いかけており、だんだん差が縮まってきている。

(やるしかない…!やらなければ…!)

エルバは服の中にあるエマのお守りを握りしめる。

とうとう追いついてきたバトルレックスが捕まえようと右手を伸ばしてくる。

眼を閉じたエルバは力強く右足を前に踏み出し、飛び上がった。

エルバを捉え、あとは伸ばした右手を握りしめれば捕まえられると確信したバトルレックスはスルリと手の中から彼が消えてしまったことに動揺する。

上を向くとそこにはヘルバイパーが作った穴があり、エルバはその穴の中に飛び込んでいた。

ヘルバイパーが人間を丸呑みできるほどの幅の体を持っていたことが幸いした。

しかし、バトルレックスもはいそうですかと獲物を見逃すほどやさしい存在ではない。

天井に向けて力強く咆哮し、ヘルバイパーが通ったことでもろくなった個所から天井が崩れていく。

そのまま落ちてきた獲物をつかみ、喰らい尽くすことを考えただろうが、それは計算違いだった。

「もらった…!」

崩れた天井と共に振ってきたエルバは剥ぎ取り用ナイフを手にしており、バトルレックスの頭にとりつくと、左目にそれを突き刺した。

左目から出た血がエルバを濡らし、叫び声をあげたバトルレックスがあおむけに倒れる。

そして、刺したナイフはそのままに、背中に戻していた大剣を抜き、それを頭部に思いっきり突き刺した。

四分の一回転させ、大剣を引き抜くと、先ほどまであれほど動き回っていたバトルレックスは生命活動を停止させていた。

「やった…はあ、はあ…うん?」

大剣の血を振って落としていると、バトルレックスの額に赤い魔法陣が現れていることにエルバは気づいた。

それは戦っている間、見たことがないものだ。

しかし、その魔法陣はまるで最初からなかったかのように消滅した。

「今のは…一体…?」

涙ではなく、蛇を流している片目を中心とした円。

気になったエルバだが、今はそれを考えている場合ではなかった。

「カミュ達は…?」

死体から剥ぎ取りナイフを引き抜き、討伐の証拠としてバトルレックスの牙を取ると、カミュ達と合流するために再び奥へと戻っていった。

 

「カミュ、セーニャ、ベロニカ!これは…??」

戻ってきたエルバが見たのは、燃やされているヘルバイパーの死体と、ボロボロになり、疲れ果てているカミュ達の姿だった。

死体を燃やしているのはベロニカで、彼女もだいぶ疲れているのか、途中でフラつくことがあったが、持ちこたえていた。

「よぉ…エルバ、その牙は…?」

「バトルレックスの牙だ。奴を倒した」

「へえ…さすがだな…」

ヘッと力なく笑いカミュはあおむけになって倒れ、天井を見る。

兵士たちに死者は出なかったものの、彼らもだいぶ消耗しており、セーニャがMPを使い果たしているためか、全員が薬草を使って回復を行っていた。

「一体、何が…?」

「ハア、ハア…君をバトルレックスが追いかけて行ったあと、突然、倒したはずのヘルバイパーたちが動き出したんだ…。体を真っ二つにしたり、頭をつぶしたはずなのに、ゾンビのように動いていた…」

「それだけじゃない…。あいつら、バギまで使っていた。バギだぞ?ヘルバイパーがそんな呪文を使えるなんて、聞いたこともない!!…だが、おそらく、それで自分たちが通れる道を作っていたかもな…」

その話を聞き、エルバはようやくヘルバイパーが自分たちが通れるトンネルを鉱山の中で作れた理由がわかった。

しかし、鉱山でトンネルを作れるくらいの威力とコントロールのバギを放つにはかなりの魔力が必要だ。

エルバの脳裏にバトルレックスに刻まれていた魔法陣が浮かぶ。

それがないか、ヘルバイパーの死体を確認したかったが、今となってはどうしようもなかった。

 

「終わった…か…」

エルバ達の姿が映る透明なオーブを、鉱山の入り口から赤黒いローブの男がじっと見ていた。

彼は右手をかざしてオーブを消すと、ニッと笑ってからその場を後にした。




サウスサマディー鉱山
サマディー国領南部に位置する、国内最大の鉱山。
良質な鉄鉱石とアクセサリー用の宝石の原料をそこで手に入れることができ、ホムラの里から輸入する鉱石や武具を含めて、サマディーの国防と経済を支えている。
そのため、その鉱山に住み着いたバトルレックスの存在は特に国防に打撃を与えかねない存在だったと言える。
しかし、鉱山で確認したヘルバイパーやバトルレックスがサマディー国領にこれまで出没した例がなく、専門家を中心に原因と経緯を調査することが決定している。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 ファーリス

「すげえ…あれ、バトルレックスの首じゃあないか!?」

「確か…かなり強いって話だったよな」

「けど、これで安心して鉱山で仕事ができるってもんだな」

3頭の馬に引かれ、鉱山でエルバが討ったバトルレックスの首が運ばれ、集まっていた住民や観光客がざわつき始める。

その後ろから、今回の作戦に参加したオグイやエルバ達が歩き、そのまま報告のために城へと向かっていた。

なお、オグイは杖を突き、左足をかばうように歩いていた。

傷は脱出後のキャンプ中にセーニャとエルバが回復呪文を使ったことである程度直すことができたが、復活したヘルバイパーの攻撃により、骨までダメージを負った彼をエルバとセーニャは完全に回復させることができなかった。

骨やアキレス腱などについてはベホマ程の回復力の有る呪文でなければ治療することができないうえ、それだけ回復する本人にも負担がかかる。

今は療養し、1日も早い回復を祈ることしかできない。

城下町の中央にある馬やラクダの騎乗の練習場を経由して西へ進む。

そのまままっすぐ進むと競馬場に行くことができるが、今回はその先の十字路を右に曲がり、その先にある下りのスロープから地下通路に入る。

その一番奥には馬車を乗せることができるエレベーターがあり、エルバ達はそれに乗った。

上半身が裸の作業員たちがオグイからの手の合図を受けると、4つあるハンドルを回転させ、エレベーターを上へ上げていった。

 

「おおお、オグイ!!皆も、よく戻ってきた!!」

エレベーター経由で城に入り、1階の広間に到着すると、訓練を行っていた兵士たちがバトルレックスの首を見に集まり、2階の王の間から降りてきた、白いターバンをつけた小太りの男性がオグイに近づく。

彼の姿を見た瞬間、兵士たちは急いでひざまずき、後を追うようにエルバ達も彼にひざまずく。

(彼が…ファルス3世…)

最初に見た王がデルカダール王であったためか、エルバにはどうしてもファルス3世がこの国の王には見えなかった。

オグイから話を聞き、嬉しそうにうなずく気さくな様子と太った体。

白髪のない黒髪が見えることから、中年であることは分かるが、どうしても老年であるはずのデルカダール王の方が立派に見えて仕方がない。

最も、エルバにとってはそれでもデルカダール王が憎い仇であることには変わりない。

「それで、彼らが協力してくれた旅の者たちじゃな?」

「はい。今回のバトルレックス討伐の成功に大きな貢献をしております」

「おお、そうかそうか!うん…?オグイ、その足はどうしたのじゃ?」

ニコニコしながらオグイの話を聞いていたファルス3世だが、彼の片足を見た瞬間、表情を変える。

「はい…魔物との戦いで…」

「そうか…。この怪我では、明日のサマディー杯への出場は難しいか…。済まぬ」

オグイは明日のサマディー杯で今回初出場となるとある人物と競馬を楽しみにしていた。

その楽しみをこのような形で奪う結果となったことを申し訳なく思ったのか、ファリス3世はうつむく。

「いいえ、陛下」

オグイは笑みを浮かべ、静かに首を横に振る。

「兵士は国と国民のために戦うのが仕事です。そして、バトルレックスという国の脅威を取り除くことができて、私は大変うれしく思っております。ですので、今はこの傷を癒し、一日も早く再び国民の盾となれるよう、努めたいと思います」

「そうか…。ご苦労じゃった、オグイ。誰か、彼を医者の元へ…」

バトルレックスの首を見に来ていた兵士の内の2人がオグイを城内にある医務室へ連れていく。

他の兵士たちが首を運んでいき、その場に残ったエルバ達にファルス3世は目を向ける。

「旅の者たちよ、今回はとても助かった。心から礼を言う。済まぬが、これからわしは今回の盗伐作戦で犠牲になった兵たちのために祈らねばならぬ。滞在費用は此方が工面する故、ファーリス杯が終わった後でもう1度城へ…」

話し終えようとすると同時に、城門が開き、そこから1人の少年が入ってくる。

白い羽帽子をかぶり、緑と黄色がベースのサークレットとオレンジのマントを着用した金髪の少年で、整った顔立ちをしている。

「ファーリスか…済まぬ、旅人よ」

その彼を見たファルス3世はファーリスと呼んだ少年の元へ向かう。

「父上、乗馬訓練からただいま戻りました!」

ファーリスが左胸の拳を当てながら言うが、ファルス3世は彼の顔を見たまま、返事をしない。

数秒の静寂の後、ファルス3世は左手中指にはめている赤い宝石のついた指輪を見た後で、その手をファーリスの前に出す。

「騎士たる者!」

「信念を決して曲げず、国に忠誠を尽くす!弱きを助け、強きをくじく!どんな逆境であっても、正々堂々と立ち向かう!」

敬礼したまま、ファーリスは即座に返事をする。

これは兵士たちが朝一の訓練を始める前に必ず行っていることで、これがサマディーの騎士たちの鉄の掟となっている。

初代サマディー国王の時代から脈々と受け継がれており、この国ではたとえ次期国王であったとしても、王族の男子は騎士として鍛錬を積むことになっている。

ファルス3世に関しても、今の体格からはとても想像できないものの、国王になるまでは騎士となっており、主に兵法と補給管理に通じているインテリだ。

剣術などの修行もしていたようだが、国王になった後、政務のストレスが原因であのように太ってしまったというのがもっぱらの噂だ。

「うむ、よろしい。騎士の掟、今日も忘れていないようじゃな。ファーリスよ」

笑みを浮かべたファルス3世はファーリスの肩に手を置く。

既に身長は自分を追い越していて、大きく成長した一人息子に感慨深さを覚えていた。

「お前も今年で16歳。ファーリス杯では騎士の国の王子の名に恥じぬ、勇敢な走りを期待しているぞ」

「お任せください、父上。必ずや期待に応えて見せましょう」

「うむ…では、儂は用がある故…」

すっかり安心したファルス3世は護衛の兵士2人と共に表門から城を出ていく。

父親の後姿を敬礼しながら見送ったファーリスは門が閉じると、ファルス3世と話しているときに見えたエルバ達に目を向ける。

4人とも立ち上がっていて、ファーリスと目が合っていた。

「やぁ、ようこそサマディーへ。うん…?」

笑みを浮かべ、あいさつしようとしたファーリスだが、エルバが気になるのか、彼をじっと見ている。

「な…なんだ?」

「う、まさかとは思うけど…」

ベロニカの脳裏に嫌な予感がよぎる。

もし、エルバが勇者であることがばれたら、今の自分たちには逃げ場がない。

騎士の国と称されるサマディーの騎士の実力は折り紙付きな上、唯一使える出入り口は先ほどファルス3世が出ていった門だけ。

(いざとなったら…)

ばれた場合はファーリスを人質にして、最悪エルバだけでも逃げれるようにとカミュはエルバの隣に立つ。

そんなピリピリした空気を読んでいないのか、それとも読んでいるけれどもあえてなのか、ファーリスはエルバの手や足、背丈などを見ていた。

「うんうん…よし。失礼ですが、旅の方、お名前は…」

「エ…エルディだ」

本名を言いそうになったエルバはとっさに嘘の名前を口にする。

『バ』を『ディ』に変えただけで、知っている人が聞いたらばれる可能性が高い。

「エルディさんですか…。なぜ、この城へ…?旅人でも、ここに入るのは難しいですけど…ああ、もしかしてバトルレックスの…」

バトルレックスの話をファルス3世と共に会議で聞いていたファーリスはそれで合点がついたのか、納得したようにエルバ達を見る。

「それで、なぜわざわざサマディーまで…」

「この国にある、大樹の枝を見に…」

「大樹の枝…?もしや、サマディーの国宝である、虹色に輝く枝のことでしょうか?」

ファーリスは昔、ファルス3世に見せてもらった虹色の枝のことを思い出す。

その時は国宝展示会として、国民限定ではある物の、サマディー王家に伝わる家宝を公開しており、ファーリスもその時に1度だけその中にある虹色の枝を実際に見ていた。

どうして虹色の光るのかと不思議に思い、そしてその枝の有った場所である命の大樹の偉大さを感じたことから、今でもよく覚えている。

「なるほど…あれは重要な国宝ですから、見るにしても父上の許可が必要です。…ああ、そうだ!」

何かを思いついたのか、ファリスは笑みを浮かべ、懐から1枚のチケットを出し、それをエルバに握らせる。

そのチケットをちらりと見たベロニカはハッとし、両手を頬の近くに置き、指が不規則に動き出す。

「どうしました?お姉さま」

あのチケットが何かよくわからないセーニャが心配そうに彼女を見つめ、警戒を解いたカミュに限っては何か嫌な予感を感じているのか、表情を硬くする。

「これは…何だ?」

「町で手に入れたチケットさ。今夜の分のね。虹色の枝について、詳しい話はそこで話すのはどうだろう?」

先ほどまでとまるで違う、砕けた口調を見せるファーリス。

チケットには空中ブランコに乗る、サーカス団員のような派手なピエロの衣装をしたシルビアンヘアーの長身な男性が大きく描かれている。

「これ…今夜のサーカスチケット!!」

そのチケットは4人まで入場できるもので、シルビアのショーでは、このような団体のチケットはほとんどの場合、すぐに売り切れてしまう。

「僕は大きな問題を抱えていてね。もし解決してくれたなら、虹色の枝について、僕から父上に口添えするよ。じゃあ…また今夜」

そう言い残して、ファーリスは2階への階段の右側に位置する自室へと入っていく。

ベロニカはエルバが持つチケットを取ると、嬉しそうにそれを眺めた。

「うんうん!バトルレックス狩りをしてよかったわ!!シルビアさんのサーカスが見れて、虹色の枝を見ることもできるんだから…!」

「まだ枝が手に入るわけじゃないぞ」

国宝となると、たとえ王家からの頼みごとを引き受け、解決したとしても簡単に手に入れることができるわけではない。

代々伝わるそのようなものを簡単に渡したら、それこそ度が過ぎたお人よしだ。

しかし、これは大きな一歩であることには変わりなかった。

 

夜になり、城下町の東に位置するサーカステントを中心に人だかりができる。

このサーカステントはかつて、旅のサーカス団であったサマディーサーカス団のために用意した歴史深いものらしい。

元々正方形だった城壁の一部を無理やり作り変えてスペースを確保し、そこに巨大なテントを置いたと考えると、それを指示した当時のサマディー王はよほどサーカスを好んでいたようだ。

今でもここでのサーカスはサマディーの大きな観光資源になっている。

そのテントの中にエルバ達は入り、周囲を見渡す。

座席は満席となっており、観客たちは今日のサーカスの目玉となるシルビアの登場を拍手と口笛、そして歓声で待っていた。

「あそこか…」

デルカダール以上の騒がしさを感じ、まだこうした雑踏に慣れないエルバは周囲を見渡す。

すると、一番上にある5人座ることのできる、机のある団体席に茶色いフードをかぶった男性が1人で待っているのが見えた。

ほかの団体席にはすでに家族連れの貴族などが占領している状態で、ファーリスが待っているとしたら、おそらくここしかないだろう。

エルバ達はその席へ向かい、一番サーカスを楽しみにしていたベロニカがステージに一番近い椅子の座り、その左にセーニャが、そのまた隣にカミュがあえて椅子を逆に置いて座り、背もたれに両腕を置く。

そして、エルバが座る椅子はちょうどフードの男の正面となった。

4人の姿を見た男は笑みを浮かべ、フードを取る。

やはり、その男はファーリスだった。

座ってしばらくするとライトが点灯し、ステージ中央にいる小太りの団長が両手を広げる。

その瞬間、あれほど騒いでいた観客たちが一斉に静まり返る。

「皆さま、たいへん長らくお待たせいたしました!これより、世界を飛びまわっては訪れた街を魅了して去っていく謎の旅芸人の登場です!流浪の旅芸人…シルビア!!摩訶不思議なショーをとくとご覧あれ!!」

そう叫ぶと同時にライトが消え、再び歓声が上がる。

そして、誰かがステージに飛び降りる音が聞こえ、再びライトがつくと、そこにはチケットにも描かれていたシルビアの姿があった。

シルビアは歓声を上げる観客に一礼をした後で、右手にボールを出し、それを真上に投げる。

それがある程度の高度まで飛び、落下しようとしたその時、ボールがなぜか2つに分裂し、おまけにシルビアの手には更に赤と青のボールが左右に1つずつ現れる。

さらにそれらのボームでジャグリングを始めていると、そのボールが再び分裂し、最終的には12個のボールでやり始めて、あっと驚くような芸に観客は熱狂する。

そして、今度はジャグリングに使っていたボールすべてを上に投げ、指を鳴らすとそのうちの半分が煙と共に消滅し、残り6つのボールがナイフに変化、今度はそのナイフでジャグリングを始めた。

どれも本物のナイフのように見え、キラリと光る刀身とあまりにも危なげな芸に息をのむ中、今度は手元に戻った6本のナイフを客席に向けて曲線を描くように投げる。

まさかの行いに騒然とし、ナイフがこちらに向かってくると感じた観客だが、満席となっているため、逃げることができない。

しかし、シルビアは右手中指と人差し指を一瞬唇に当てた後で、そのナイフに向けて火を噴いた。

火に触れたナイフは先ほどのボールと同じように、1本残らず煙になって消滅した。

「大切なお客様にけがなどさせません。楽しんでいただけましたか?」

胸に手を当て、シルビアがお辞儀すると、これまで以上の歓声がシルビアを包んでいく。

「すごい…」

ベロニカは最大の目的がサーカスを見ることだと言わんばかりに椅子の上に立ってシルビアのショーを見ており、すっかり見とれてしまっている。

ファーリスも身を乗り出していて、すっかり夢中になっていたが、エルバとカミュの視線を感じ、咳払いしてから姿勢を整えた。

「みんなサーカスに夢中のようだな。ではそろそろ、本題に入ろうか。これからいうことは決して口外しないでほしい」

ファーリスのまるで国を揺るがす一大事が起こると言わんばかりの真剣な口調に彼らを包む空気が張りつめていく。

今度は12本のナイフでジャグリングを始めるシルビアに観客の眼は向かっており、今ファーリスたちの会話を聞いている人はいない。

「今度、騎士たちが乗馬の腕を競うファーリス杯っていう競馬が行われるんだ。それに僕も出場するんだけど、一つだけ問題があるんだ…」

「問題?まさか…誘拐とかなんかか?」

カミュが思いつく問題とすれば、誘拐や暗殺など、裏の物騒なものばかりだ。

観光で大きな利益を出しているサマディーの王子を人質に取り、多額の身代金を要求するような人間がいてもおかしくない。

おまけに、サマディー王家には王子が彼一人しかおらず、仮に彼の身に何かあった場合、王家が断絶しかねない。

なお、仮に王家が断絶した場合は血縁の有る家系の人物が選出され、国民による投票によって決定された後、サミットで各国の承認を得ることで正式に新たな王家が生まれることになる。

だが、ここにはセーニャとベロニカがいることから、一番物騒な内容についてはカミュも口にしなかった。

「あ、いや…そういうのじゃないんだ」

「じゃあ…何だ?」

「実は僕…生まれてこの方、馬に乗ったことがないんだよ」

ファーリスのまさかの告白に空気が凍り付き、エルバ達は沈黙する。

カミュの発言もあり、身の危険から守れというような話になるかと思っていた分、この落差は激しい。

無表情になっているエルバも、わずかに口を開いていた。

「あの…乗馬訓練に出かけていたって言ってましたよね?」

ファルス3世との会話の中で、乗馬訓練から帰ったというニュアンスの話をファーリス自身がしていたことをセーニャは聞いていた。

もしファーリスの話が正しければ、その話は真っ赤な嘘ということになる。

肯定の意を込めて、ファーリスは首を縦に振る。

そして、さすがに情けないと思ったのか、うつむいてしまった。

「これまでは部下の協力もあって、父上や国民のみんなを欺くことができたけど、レースに出たら、いよいよボロが出てしまう」

「そうだろうな…」

エルバは乗馬の練習をしたときのことを思い出す。

今では不自由なく乗ることができるものの、最初の頃は歩いている馬の上で姿勢を整えるだけで精一杯だった。

競馬では常に全力疾走で、馬の激しい動きに対応できるようにしなければならない。

一度も乗馬経験のないファーリスがそんなことをしたら、大惨事が起こるのは目に見えている。

「だけど、今回は僕が16歳の誕生日を祝う大切なレース。出場しないわけにもいかず、これまでずっと頭を悩ませてきた。そんな時…!」

急に顔を上げたファーリスは正面のエルバに指をさす。

「僕と同じ背格好の君なら、僕の影武者にふさわしい!」

影武者、という言葉を聞き、とどのつまり何をしてほしいのかわかったエルバはあきれ果ててため息をつく。

カミュもそういうことだろうと理解したが、一つ納得できない箇所があった。

「影武者っつったって、レースに出たら一目でばれるだろ?どうやってごまかすんだよ?」

「心配ない。王族は身の安全のために一兵卒の者だけど、鎧と兜を装備する。あとは終始黙っていれば、何も問題ないさ」

ばれない確信があり、後はエルバ次第となる。

彼に同意してもらえるように、ファーリスは立ち上がり、両手を合わせて頭を下げる。

「頼む!僕の代わりに僕のふりをして競馬に出てほしい!頼む!!」

「ちょっと、さっきから聞いてたら…そんなのズルよ!!」

サーカスを見ていたベロニカがファーリスに目を向け、椅子の上に立ったまま怒った様子でびしっと指をさす。

要するに今まで乗馬などの練習をさぼっていて、明日のファーリス杯でそのツケが回ってくるだけ。

そうであれば、ただ彼が落馬などで痛い目に遭えばいいだけのこと。

鎧と兜を着ているなら、怪我するかもしれないが、死ぬことはないはずだ。

「エルバ、こんな奴の頼みなんて聞く必要はないわ!」

「あれ?そんなこと言っていいのかな?君たちは虹色の枝がほしいんだよね?」

ベロニカの言葉はもっともだが、ファーリスには4人にこの頼みを応じなければならなくする大きな武器がある。

それに、彼らの本当の願いは虹色の枝を見るのではなく、手に入れることにあることも勘付いていた。

両腕を組みながら笑みを浮かべてその武器を手にする。

「いいのかな?僕に何かあったら、もしかしたら虹色の枝が手に入らなくなっちゃうだろう?それに、僕以外に口添えできる人がいるのかな…?」

弱みを握られたベロニカはうんざりし、最低と小声でつぶやきながら椅子に座る。

しかし、彼のつてがなければ、虹色の枝を手に入れることは不可能だ。

大臣などのほかの有力者とのコネもない彼らは応じるしかない。

「分かった、だが条件がある。ファーリス杯で使うのは俺の馬、フランベルグだ。それだけは譲れない」

「いいだろう。馬についてはいくらでも言い訳ができるからね。レースが無事に終わったら、虹色の枝について口添えすると約束しよう。明日になったら、レースハウスにある王族専用の控え室に来てくれ。じゃあ…」

フードをかぶりなおしたファーリスは顔をほかの観客に見られないように気を付けながらテントを出ていく。

明日のことで安心したためか、少し上機嫌に歩いており、背後から感じる軽蔑のような視線など少しも気になっていなかった。

そんな中、芸を終えて観客に最後のお辞儀を始めたシルビアは頭を下げたまま、目線はテントから出ていくファーリスの後姿に向けられていた。

 

「まったく!何よ、あんな馬鹿みたいな頼み!信じられない!!」

宿屋に戻ったベロニカは枕をベッドにたたきつけながら、ファーリスのあの余裕ぶった態度に腹を立てていた。

本当だったらあのさわやかな勘違いイケメンの顔にメラをぶつけて断るつもりだったが、状況がそれを許さなかった。

「まあまあ、お姉さま。落ち着いてください…。きっと、王族というのは大きなプレッシャーがあって、ファーリスさまも致し方なく…」

「何よ!?あの馬鹿王子を擁護するの!?」

「そういうつもりはありませんけど…」

「落ち着けって。用はレースに出りゃあいいだけだろ?そして、枝を手に入れたら早々にこの国とはおさらばだ」

床に敷かれているマットの上であおむけに横になっているカミュは窓の外を見る。

部屋にはカミュとセーニャ、ベロニカの3人がいるだけで、肝心のエルバの姿はない。

「まぁ、あいつはやる気みたいだけどな」

「それは…そうだけど…」

「もう出て行って3時間くらい経ちますわね。エルバ様、大丈夫でしょうか…?」

宿屋に戻ってすぐ、エルバは明日のファーリス杯のために外でフランベルグと練習を始めた。

ホフマンから聞いた情報によると、ファーリス杯で使用されるコースは毎年同じで、ジャンプ台などの仕掛けが細かく変更されるのみとのことだ。

泥まみれの場所など、全速力で走りづらい場所も用意されていることから、どのような場所であってもペースを崩さずに走ることが求められる。

本当なら、ファーリス杯に出場する騎手は今夜解放されている練習用のコースで練習することができる。

しかし、エルバはあくまでファーリスの影武者であることから、当然そこを使うことができない。

「ま…ようは出場して義理を果たせば、虹色の枝に一歩近づくんだ。あいつがやることを願うか…」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 ファーリス杯

「ふああ、ああ…」

「もう、何してるのよカミュ!だらしないあくびはしないの!」

「別にいーじゃねーか、誰も見てねーんだしよぉ」

体を伸ばしながら欠伸をするカミュはベロニカと一緒に競馬場の観客席に座り、ファーリス杯の開催を待っていた。

もうすぐ選手入場が始まり、一番にこの大会の主役であるファーリスが入ってくることになっている。

「念のため言っとくけどよ、エルバじゃなくてあいつだからな。応援するのは」

「そんなことわかってるわよ。あんな奴の応援するようなことになるのは癪だけど…」

昨晩のあのファーリスの態度は今思い出しても怒りがわいてくる。

その怒りが爆発するのが先か、それともファーリス杯が無事に終わるのが先かのかけでできそうなほどだ。

「はあはあ、カミュ様、お姉さま。お待たせいたしましたー」

遅れて入ってきたセーニャが2人の名前を呼ぶと、急いで彼らが確保してくれた座席に座る。

そして、2人にコナーファが乗った皿を渡した。

コナーファはサマディーでは伝統的なケーキで、チーズかナッツを包むか挟んで焼いたものをシロップでたっぷり味付けしたものだ。

「セーニャ…これを買うために遅れたの…?」

「だって、こういう競技ではスイーツを食べながらのほうが楽しいですから」

「で、素直に応援できる感じだったら満点だけどな」

「たく、セーニャはいつも…」

文句を言いたくなったベロニカだが、一口食べたコナーファのサクサクとした触感と絶妙な甘みでその言葉が嘘みたいに消えてしまった。

セーニャは旅の中でこうしたスイーツを買い歩くのが好きで、ベロニカも食費の節約のためにやめろと何度も言おうとしたがスイーツのおいしさのせいでいえずじまいになることが恒例となっている。

カミュもそれを口にしていると、ファーリス杯の選手入場を告げるラッパの音が競馬場中に鳴り響いた。

「いよいよだな…」

観客席のさらに上にある、王の間と直通しているベランダの席に座るファルス3世が隣に座っている妃と思われる金髪で薄いピンクのドレス姿の女性に言葉をかけた後で立ち上がる。

そして、持っている小さなカンペを見た後で咳払いする。

「これより、第16回ファーリス杯の開催を宣言する!此度は我が嫡男であるファーリスも参加する。選手の皆の健闘を心から期待する」

「それでは、選手とその愛馬の入場です!」

司会としてファーリス杯に参加することになったオグイの宣言とともに軍楽隊が演奏をはじめ、選手たちが馬に乗ったままコースに入ってくる。

先頭には一般兵の鎧を着た、先端がオレンジ色になっている白い鷲の羽根飾りをつけた兜で頭を完全に隠した男がフランベルグと共に入場する。

「みなさん、ご覧ください!こちらが今回初参加となるファーリス王子です!国王陛下が見守る中、どのような走りをお見せくださるのか、注目です!!」

「キャーーーー!!ファーリス王子ーー!!」

「かっこいいーー!」

若い女性たちは鎧の男がファーリスだと信じて疑わず、黄色い歓声を上げる。

「かっこいい…まぁ、顔立ちはそうだけどな…」

カミュは昨日のファーリスを思い出す。

確かに顔立ちや体つきについては中々で、女性に人気がありそうだと思える。

そんな彼女たちの幻想をぶち壊すようなものを昨日エルバ達は見てしまった。

もし、あの鎧の男の正体を知ったら、彼女たちは驚きのあまり卒倒しているかもしれない。

「あ、出てきましたにエル…んん!?」

エルバの姿を見たセーニャが応援するためにうっかり彼の名前を呼びそうになり、直前にベロニカがセーニャの口をふさぐ。

鎧の男、エルバは客席を見ながら、少し前のことを思い出した。

 

これは、エルバがカミュ達と宿屋で別れ、1人で王族の控え室でファーリスの元を尋ねたときのことだ。

さっそくファーリスから鎧と兜を渡され、それを装備させられた。

ファーリスの体格に合う鎧と兜のようだが、ファーリスの見立て通り、問題なくエルバも装備することができた。

「うんうん、これならだれも分からない。少なくとも、ファーリス杯の間は間違いなく僕だ」

「…ファーリス王子。フランベルグは?」

エルバはここへ行く途中、フランベルグを預けた馬小屋を見てきたが、なぜか彼の姿がなかった。

昨日の話があるため、おそらく競馬場にある選手用の馬小屋に移動させられているかもしれないと思ったが、あの馬は小さいころからの付き合いであり、大切なものだ。

何かあったら困ると思い、念のためファーリスに尋ねることにした。

「心配いらない。夜の間に移動させている。それにしても、いい馬だな。無駄のない体つきだ。おまけに、移動している間はかなりおとなしかったぞ。そんな馬を持っているなんて…本当に只の旅人なのか?」

ふとした疑問からファーリスは首を傾げ、エルバを見る。

村一番の馬とダンから聞いているため、そういう評価を受けるのは分かる。

しかし、フランベルグはエルバから話を聞いたわけでもない(馬が人間の言葉を聞いてわかるという前提で書いてるのがおかしいかもしれないが)にもかかわらず、移動させられるときはおとなしかったというのはエルバもおかしいと思った。

デルカダールから脱出したときにいつの間にか逃げていて、まるでエルバとカミュがデクを頼ることを最初から分かっていたかのように彼のもとに身を寄せ、旅立ちの祠ではグレイグに追われたときに風を纏っていたことをカミュから聞かされている。

その答えを出すことができないエルバにできたのは沈黙だけだった。

「まぁ、いい。あの馬ならいい結果を出せるかもしれないしな。あとは…分かっていると思うが、終わって退場するまで一切しゃべるな、いいな」

 

スタート地点に到着したエルバはベランダから観戦するファルス3世に目を向ける。

彼がファーリスだと信じるファルス3世はその勇ましい姿に安心し、期待するように静かに首を縦に振った。

(親父…か)

エルバにはペルラという育ての母親がいたものの、父親はいなかった。

テオがその役をしている形だったが、それでも父親をしている村人とは少し違う感じがした。

だが、こうして息子の成長した姿を見たいというファルス3世の思いを裏切るようなことに加担していることに若干の罪悪感を覚えた。

(これが勇者…か…)

「すごい歓声じゃない、さすがは騎士の国の王子さまね」

後ろから声が聞こえ、エルバは誰かを確認するために振り返る。

そこにはなぜか昨日ショーをしていたシルビアがいて、純白の毛色のした若い馬に乗って彼の隣に立つ。

ピンクをベースとしたクジャクを模した後ろの飾りを中心に、派手なコーディネートがされており、こんなので競馬をしていいのかと心配になってしまう。

それよりも気になるのが彼の口調だ。

見た目は高い身長で、やや筋肉質な体格のした細身の男だ。

そんな彼が女性のような口調をしていることに違和感を覚えた。

というより、女性のような口調をした男性と出会うこと自体初めてだ。

兜に隠れた動揺している自分を自覚したエルバは本当に鎧と兜の支給があってよかったと思った。

「アタシはシルビアって言うの。騎士の一人で大けがをして出られなくなったって話じゃない。だ・か・ら、代わりに参加することになったのよ~。ちなみに、この子はマーガレットちゃん。あなたの子、不思議な感じがするわね。名前は?」

「…」

「あら、ごめんなさい。集中しているようね。王子様だからって手加減しないわ。正々堂々、勝負しましょうね」

沈黙するエルバにウインクしたシルビアは前を向き、いつでもスタートできるように備える。

旅芸人である彼の実力は未知数だが、こうして代理に選ばれたことを考えると凄腕である可能性がある。

正々堂々という言葉がチクリと胸に刺さったエルバだが、そっとフランベルグを撫でる。

そして、耳元で小さな声で彼につぶやいた。

「行くぞ、フランベルグ」

 

参加者全員がスタートラインに立ち、スタートを待つ。

観客からの声援にこたえるように投げキッスをするシルビアに対して、鎧姿のエルバは汗まみれになっており、不快感を覚える。

サマディーの騎士たちは暑さに慣れているため、鎧を着ていたとしてもさほど問題ではないようだが、渓谷育ちのエルバにはつらい。

熱さに慣れていないカミュほどではないが、熱中症にならないよう祈るしかない。

「それでは…まもなく、レースの開始です!!」

旗を持つ兵士がコースの左右にある台に立ち、持っている旗を斜め上に構えて待つ。

そして、ラッパの音が聞こえてくると同時に旗を大きく振り下ろし、馬たちは同時に走り始めた。

「おお…これはすごい、このような光景を誰が想像していたでしょう!?」

レース開始から10秒も立たぬうちに、参加者と観客の間に稲妻が走る。

エルバもまさかの光景に驚きを隠せず、眼を大きく開いていた。

「マーガレットちゃん、遠慮はいらないわよ。思いっきり走りなさい!!」

先頭を走るのはシルビアとマーガレットで、スタートダッシュが早いうえにいきなり差し掛かる急なコーナーをほとんど速度を落とすことなく曲がっていた。

2番手、3番手に走っている騎手も曲がることには成功しているが、彼らの場合は曲がり切れずに壁に激突するのを避けるために、ある程度加減して走っている。

「ただの旅芸人じゃないということか…?」

オグイの代役と自称していたシルビアだが、まさかこれほどの馬と乗馬の技量を持っているというのは予想外だった。

旅人や商人などがレンタルで馬を使うことがあるロトゼタシアでは、旅芸人が馬を使っていても不思議なことではない。

だが、あくまで移動用にとどめていることが多く、ショーに使う場合は自分の馬を訓練させたうえで使っている。

そして、現状ではサマディー以外で競馬が行われること自体少ないため、シルビアの意外性をより強く感じられた。

「うっそぉ…シルビアさんすごい…」

「すごいです。エルバ様…大丈夫でしょうか…」

エルバの名前は周囲に聞こえないよう、できる限り小さな声で言い、セーニャはエルバの様子を見る。

今の順位は4位、ファーリス杯の参加者が8名であることから、中堅だ。

同じコースを3回走ることになり、コースの距離も少々長いことから、馬が自分のペースで走ることができるように騎手がコントロールできるかどうかがカギだろう。

そのことを考えると、シルビアとマーガレットは少々飛ばし過ぎだろう。

曲がってしばらくなだらかなカーブを含めたまっすぐな道を進み、コーナーを曲がってタルや柱などの障害物のあるまっすぐな道を100メートル進むと、今度は大小の岩石が散らばる道に到達する。

上り下りのある坂がある上に走りづらい場所で、訓練された馬と騎手でさえも全力で走れずにいた。

 

「お…この道はいいぜ…!」

「いいって、どういうことですか?カミュ様」

「ああいう走りづらい道はフランベルグにとってチャンスになるのさ」

「でも、そういうコースって…」

「舐めちゃいけねえな…あれは勇者の馬なんだぜ?」

カミュはナプガーナ密林を超えたときのことを思い出す。

食糧調達や魔物を追い払うために降りて戦った時があるものの、それ以外の時はほとんどエルバを背中に乗せて走っていた。

その時カミュが乗った、デクからもらった馬は旅人用に訓練されたものではあるが、それでも迷ったら誰も出られないと噂されるその密林で走るのは困難だった。

 

このコースに入ったエルバもカミュやファーリスが感じたようなフランベルグのほかの馬との違いを肌で感じていた。

まるでこの道で一番走りやすい場所がどこなのかが最初から分かっているかのように、4本の脚の置き場を直感で選び、ほとんど平地の時と速度を変えることなく走り続けていた。

トップで走るシルビアは後ろから猛追するエルバとフランベルグを横目で見るが、笑みを浮かべている。

「さっすが王子様、あんな道を走れるなんて…ファーリス杯に出てよかったわーーー!」

最初、代役で参加した理由は乗馬の経験があることと愛馬であるマーガレットの運動、そして次のショーで使おうと思っている道具を調達するための資金を手に入れるためだった。

しかし、自分に追いつこうとしているエルバとフランベルグを見て、彼らの力走がよりレースを面白く感じることができる。

同時に、さすがのマーガレットもこのコースではスピードを若干落としてしまい、そこではフランベルグに分があることを理解した。

この道を抜けると、ジャンプ台を経て1周となる。

そうなると、この道に入る前にどれだけリードを取ることができるかで勝敗が分かれる。

エルバもそれが分かっており、1周目で温存したスタミナを2周目、3周目で使い切るつもりでペースを上げていく。

岩石の道を通過し、最初にスタート地点に戻ってきたのはシルビアで、エルバが後に続く。

他の参加者も次々とスタートラインを通過していき、エルバと3位の選手については若干距離があるものの、それでも追い抜かれる可能性があり、安心できない。

「さすがはファーリス王子…どこで練習を…」

3位の騎手である、サマディーの騎士がファーリスのまさかの走りに驚きながらも、どこか違和感を感じていた。

ファーリスが場内で修業をしている光景を見たことがなく、彼は決まって修行の時は外に出ていた。

乗馬に関してはきちんと練習場が用意されているにもかかわらず、いつも場外で走ると言って譲らなかった。

彼は先輩の騎士から厳しい指導を受けたことで、ある程度走れるようになった。

だから、いつも外で一人で訓練をするファーリスの走りが自分の上を行っていることに驚きを隠せないとともに、どこかおかしさが感じられた。

「いや…今は考えない。無心に…ただ、前を向く!!」

雑念は馬に伝わり、走りを鈍らせる。

先輩の教えを思い出した彼は深呼吸をして気持ちを切り替え、愛馬をより速く走らせた。

「まぁ、騎士の国の名前は伊達ではないわね」

自分とエルバを追い抜かんと力走する騎士にシルビアは心躍らせる。

2周目から徐々にペースを上げていくのは構わないことだが、問題はそれに騎手が追従できるかどうかだ。

ペースを上げ過ぎて、馬に振り回されるようなことになっては元も子もない。

そのことはその騎手も分かっているようで、体を慣らせるようにゆっくりとペースを上げていっている。

 

「さあ…2周目にして優勝をつかむ騎手が見えてきました。1人は私、オグイの代役として抜擢されたシルビア選手、2人目は我らがサマディー王国第一王子、ファーリスさま。そして3人目はサマディーの若き騎手ジョニー!」

オグイの実況と共に観客席の熱気が高まっていき、3人を応援する大きな声に包まれていく。

「あう…お姉さま、私…ちょっと頭が痛くなって…」

度を越したにぎやかな場所にあまり慣れていないのか、セーニャが体の不調を訴える。

カミュもこの空気に乗っているのか、名前を出さないように気を付けながら応援しており、妹の異変に気付いたベロニカがセーニャに目を向ける。

ちなみに、サーカスの時はファーリスの話に耳を傾けていたことから、このようなことにはならなかった。

「まったく…いい加減慣れなさいよ。どこかで休んでくる?」

「いいえ。今はエルバ様が頑張っているんです。私もこれくらい…」

 

「やはり同じやり方では勝てないか…」

障害物のある道を進むエルバはシルビアとの差を縮められずにいた。

むしろ差が少しずつ開いており、シルビアとマーガレットにはまだまだ余裕が見える。

あの岩石の道を除くと、マーガレットのスピードがフランベルグを上回っていることは認めざるを得ない。

あくまでファーリスの代役で有り、このまま2位か3位でゴールしたとしても、充分義理を果たすことができる。

しかし、今のエルバはシルビアとマーガレットに勝ちたいという思いが強かった。

フランベルグが、イシの村一番の馬がここでも通用することを証明したかった。

「俺は…勝ちたい。お前はどうだ、フランベルグ…」

答えることはないと分かっているが、エルバは静かに相棒に問いかける。

(それがお前の、勇者の思いならば…)

「何!?」

急に脳裏に聞いたことのない男性の声が聞こえ、思わず周囲に目を向ける。

当然、シルビアの声ではないし、後ろから追いかけてくる騎士の声にしては低すぎる。

聞こえてきたのは耳ではなく脳という奇妙な現象であり、声の咆哮をつかむこともできずにいた。

「おっと、ファーリス王子。一体どうしたのでしょう!?周囲を見渡していて前方不注意!大丈夫なのかーーー!?」

MCのオグイが心配するように実況してすぐに、エルバはその不注意を公開することになる。

ようやく前を向いたエルバだが、すぐ前に見えてきたのは馬と同じ大きさの特注タルの障害物だった。

ぶつかれば良くて速度を落とし、最悪の場合は落馬する。

落馬したら当然のことながら、レース失格となる。

「マジか!?」

「何やってんのよ、アイツ…!!」

らしくない注意散漫によるミスをしたエルバにカミュとベロニカは違和感を覚えた。

いつもの彼はそのようなつまらないミスはしないし、目の前のことに集中できる。

そんな彼がどうしてあのように周囲を見渡すようなことをしたのか。

「あれ…?」

水でぬれた冷たい布を額に当てているセーニャはエルバとフランベルグに目を向け、2人とは違う違和感を感じていた。

(フランベルグ様の体から…魔力の流れ…?)

魔力はあらゆる生物に宿っており、馬がそれを宿していたとしても不思議ではない。

フランベルグについても、セーニャは最初に見たときに微弱な魔力を感じていた。

しかし、今のフランベルグからはラムダの里の魔導士3,4人以上の魔力の流れが感じられた。

そして、その魔力をフランベルグの前方に集中させ、大タルに向けて突撃した。

タルは粉々に砕け散り、魔力がバリアとなってエルバとフランベルグを守る。

体勢を崩すことなく、そして速度を落とすこともなかった。

(い…いったいこれはどういうことでしょう!?ファーリス王子、健在!!あの障害物に接触してもなお、問題なく走っております!!)

目の前で展開されたあり得ない出来事に会場中に衝撃が走る。

呪文でタルを破壊するとしても、あの状況ではそれを放つ余裕もないはずだ。

「フランベルグ…お前…」

エルバもなぜこのようなことができたのかわからずにいた。

旅立ちの祠でグレイグから逃げているとき、フランベルグが展開した風が2人をボウガンの矢から守ってくれた時のことを思い出す。

その時は逃げるのに必死で、そんなことを考えている余裕は一向になかった。

更に先ほど聞こえた男の声。

仮にその声の主がフランベルグなら、彼が馬なのかさえも疑問に思えてくる。

だが、今はファーリス杯で、もうすぐ自分たちにとって有利な場所にやってくる。

ここで前を走るシルビアを追い抜かなければ、もう逆転の目はない。

「こうなったら、サーカス仕込みの技を見せようかしら…ねえ、マーガレットちゃん」

シルビアに問いかけられたマーガレットは前方にある手ごろな岩を見つけると、その岩を足場にして跳躍した。

「何!?」

「さーあ、ファーリス杯にお越しのお客様!これが私の愛馬、マーガレットちゃんの華麗な軽業でございまーす!」

手綱を放し、両腕を広げたシルビアが観客に向けてアピールし、マーガレットは岩から岩へと飛び移っていく。

マーガレットもそうだが、手綱無しで、おまけにそんな客芸をしているにもかかわらず、両足だけで体を安定させているシルビアに観客は驚きながらも、シルビアのとんでもない芸を見れたことに感動し、拍手を始める。

「あの馬にまだそんなスタミナが残っていたのか!?ああ…!!」

3位の若い騎手、ジョニーが叫ぶとともに岩石の道に入った愛馬がバランスを崩し、転倒する。

2周目の時の急なペースアップでスタミナ計算がくるってしまっていた。

転倒した愛馬に放り出され、ジョニーはコース上に転落する。

(おおーーーっと、ジョニー選手が落馬!!急ぎ、救護班が彼の元へ向かいます!!大丈夫でしょうか!?)

オグイの選手を心配する声が聞こえるが、今のエルバはそれを気にする余裕がなかった。

曲芸まがいの方法で岩石の道を進む今のマーガレットのスピードは同じ道を進むフランベルグ以上だ

「く…!!」

エルバとフランベルグが岩石の道を通過するよりも先に、シルビアとマーガレットが岩から飛び降り、彼の前を走る。

シルビアを乗せた状態で見事に着地したうえに、そのまま引き続き問題なく走ることができるマーガレットはそのまま1着で通過し、その1秒後にエルバとフランベルグが通過した。

「決まったーーーーー!!飛び入り参加のシルビア選手、最後のあの想像をはるかに上回る動きで見事優勝!ファーリス王子、惜しくも2位でしたが、見事な走りでした!!」

「く…!」

シルビアに敗北したエルバはフランベルグをゆっくり歩かせながらも、悔し気に空を仰ぐ。

別にシルビアに負けたとしても、2位であればファーリスは大いに喜ぶだろう。

そんなエルバをシルビアとマーガレットが並走する。

「いい走りだったわよ、さすがは騎士の国の王子さま。素敵な時間をありがとう♪」

ウインクと共に素直に感謝の言葉を述べたシルビアは少し後ろに下がり、両腕を広げる。

「さあ、今回力の限りは知ったファーリス王子に皆さま、惜しみない拍手を!!」

シルビアの声を合図に、会場中が拍手の音に包まれていく。

「ファーリス王子ーーー素敵でしたよーーーー!!」

「来年は優勝、期待してますぜーーー!!」

「王子、かっこいーー!!」

観客たちの拍手喝さいが響き、エルバはわずかに口角を上げるものの、急に何か罪悪感が大きくなっていっているのを感じた。

 

「いやーーーー!!助かった。まさか、こんないい順位を出すとは思わなかったぞ!!」

控え室に戻ってきたエルバをファーリスが嬉しそうに、そして歓迎するように両手で握手をする。

ファーリスにとっては、この自分にとって人生最大の試練と言えるファーリス杯に参加し、ある程度結果を出してくれたらよかったものの、予想以上の結果に大喜びだ。

しかし、兜を脱いだエルバはどこか悔しそうだった。

「ん…?どうしたんだ?そんな悔しそうに…」

「…なんでもない。それよりも…」

「ああ、分かってる。分かってるさ。虹色の枝についてはちゃんと約束を守るさ。それと、フランベルグ…だっけ?あの馬はちゃんと部下に馬小屋まで戻させてお…」

「お、お待ちください!こちらは王族の控え室ですので、いくら選手だからと言っても…うわああああ!!!」

警備員の悲鳴が響く中、控え室のドアが開き、満足げな笑みを浮かべたシルビアが入ってくる。

廊下には気絶し、眼を回している警備兵の姿があった。

「騎士の国の坊ちゃん!さっきの走り、素敵だったわよー♪お礼が言いたくて来ちゃったわー♡」

両手を丸めて顎のそばに置き、うっとりした様子を見せながらシルビアはファーリスに目を向ける。

しかし、そのそばにいる彼と同じ鎧を装備したエルバを見た瞬間、一気に表情を硬くする。

「何よぉ、がっかりだわ。せっかくいいレースができたと思ったのに、ズルをしていたのね」

先ほどの感動を返してほしいといいだけにファーリスを見つめる。

王族とこのようなレースができる機会は限られており、少しでもファーリス杯での思い出を強く焼き付けたいと思ってここまで来ていた。

しかし、今は来るんじゃなかったという思いでいっぱいだ。

失望感たっぷりの言葉がさすがに嫌だったのか、ファーリスは怒る。

「な…なんだよ!?あなたに何がわかるというんだ!?王子が馬に乗れないなんてばれたら、国民の信頼を裏切ることになるんだぞ!?全員が嫌な気持ちにならないために、こうしているんだ。これですべてが丸く収まるなら、問題ないだろう?」

ファーリスの言うことにも一理ある。

確かに騎士の国として有名なサマディーの王子が馬の乗れないのであれば笑いものになってしまう。

必死に練習して、それでも乗れないというのであれば話は別だ。

しかし、彼の場合は練習すらしていないらしい。

したとしても、継続性が確認できない。

シルビアにはファーリスの言葉が詭弁にしか聞こえなかった。

「ふーん…そうかしら?勝てない勝負でも正々堂々と戦うのが騎士道ってものではなくて?」

「黙れ!僕はこの国の王子だぞ!?流れの旅芸人のくせに王子である僕に騎士道を語るんじゃない!」

父親や騎士の背中を見て来て、騎士道の何たるかを自分なりに学んでいるファーリスは感情的になり、拳を握りしめる。

シルビアの騎士道を知っているかのような自信たっぷりの物言いが我慢できなかったのだろう。

「…これから、僕は父上と王の間で会う。エルディさん、城まで来てくれ。それから、鎧については今回の僕からの個人的な礼だ。好きに使ってくれ」

そう言い残したファーリスは扉を開け、真っ先に控室から出ていく。

警備兵はいまだに気絶しており、なぜかほかの兵士がくる気配がない。

シルビアは2人の会話を見ていたエルバに目を向ける。

「アナタ…エルディちゃんって言うのね?でも…それって偽名じゃないかしら?本当の名前は?」

レース開始時に見せた口角を上げた笑い顔でエルバに質問する。

自分からは一切何も言っていないにもかかわらず、なぜエルディが偽名だとわかったのかは分からないが、彼女の自信たっぷりな物言いから、言い逃れはできないと思い、エルバは口を開く。

「…エルバだ」

「そう、エルバちゃん。貴方の走り、結構しびれたわよ?また、どこかで会ったらよろしくね」

ウインクしたシルビアは控室を後にする。

エルバもこのままこの場所にいるわけにはいかず、兵士が気が付く前に急いで鎧を脱ぐ。

城に向かうファーリスと合流する前に、カミュ達よ宿屋で落ち合わなければならない。

脱いだ鎧をベッドのそばに置かれている袋に入れた後で、エルバは気絶したままの兵士をわずかに見た後で外に出た。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 ファーリス出陣

「しっかし、エルバもだんまりになったくせに妙にお人よしだよなー。こんなアホな依頼を受けるなんてよ」

宿屋で合流し、4人で城へ向かう中、雑踏によって聞こえている人がいないことをいいことにカミュが愚痴をこぼす。

やろうと思えば、段取りに時間がかかるとはいえ、レッドオーブを盗んだ時のように城へ忍び込んで盗むこともできた。

デルカダールよりも小規模な城であるため、カミュにとって侵入は簡単だ。

「国宝だからな、それに大事にしたくない」

「だ、ろうな…。ま、その国宝を持ち歩いている俺があれやこれやいう資格はねーけどな」

「あの、カミュ様。なぜそのレッドオーブがほしかったのですか?」

2人の会話を聞いていたセーニャが小さく右手を上げ、カミュに質問する。

レッドオーブについてはホムラの里を出発した日の夜のキャンプで話していたが、その理由については一向に応えなかった。

そのことがセーニャにとって大きな疑問の1つとなっていた。

「ま、何か使い道があるだろうって思っただけだ。別に大した理由じゃねえよ」

「でしたら、お返しするか、路銀に変えたほうが…」

「そろそろ城につく。その話は終わりだ」

サミットの理事国の1つであるサマディーにも、おそらくレッドオーブが盗まれたという話は届いていて、仮にうっかりその話が聞かれてしまったら、脱獄囚としてデルカダールまで連行されてしまう可能性がある。

レッドオーブに関する話題を半ば強引に打ち切り、表門から城に入ろうとした。

「待て、エルディ殿でよろしいか?」

「そうだが…?」

門番に引き留められ、名前を聞かれたエルバはうなずいて答える。

自分の偽名を知っているということは、おそらくはファーリスから話を聞いていると予想できる。

もしかして、そのことがばれたのかと思いつつ、門番の話に耳を傾ける。

「実は…ファーリス王子から伝言を預かっております。自室に来てほしい、とのことです」

「部屋に…?」

「はい。どういうわけか、強敵と出会ったスライムのようにプルプルと震えておりました。何があったのでしょう…?王子の部屋は陛下の間への階段の右側です」

「ああ、感謝する」

門番に礼を言うと、エルバ達は城の中へ入っていった。

「なんだか…すっごく嫌な予感がするんだけど」

「ベロニカ、てめーもか。実は俺も」

2人の会話がセーニャの耳に入るが、どういう意味か分からず、首をかしげながら頬に右手人差し指を当てていた。

 

ノックをし、入ってきたエルバ達がドアを閉めた瞬間、目の前でファーリスが土下座をした。

一国の皇太子であるファーリスの恥も外見も気にせぬその姿には何かすがすがしいものがあった。

「頼む!一生のお願いだ!!魔物を倒すのに力を貸してくれ!!!」

土下座と共に飛び出した一生のお願いを聞いたカミュとベロニカは頭を抱え、ため息をつく。

あとは彼の口添えで虹色の枝をもらう、もしくは借り受けたらさっさとサマディーを離れようと思っていた矢先に、今最も頼みごとを聞きたくない相手から頼みを聞くことになった自分たちの境遇を不運と思うしかなかった。

「…話が見えないが。虹色の枝はどうした?」

「じ…実は、そのことについて話そうとしたんだけど…」

ファーリスは額を絨毯につけたまま、城に戻った後のことを話し始める。

 

「ファーリスよ、見事な走りだった。さすがは私の息子だ」

ファーリス杯で見事な力走を見せ、こうして戻ってきたファーリスの姿に満足したファルス3世は笑みをこぼしそうになるのを我慢しながら静かに彼をほめたたえる。

「ありがとうございます、これからも騎士の国の王子として、立派に精進してまいる所存です」

内心、すりかわりがうまくいったことを喜ぶファーリスはシルビアをどのようにして黙らせるかを考えながら父親に返事をする。

「そうか、そうか…」

「ところで、父上。一つお願いがござ…」

「陛下、一大事にございます!!」

勢いよく階段を上る足音と共に男の叫びが響き渡る。

上がってきた兵士の鎧と体はボロボロになっており、額から流れる血で左目がふさがっている。

「何があったのじゃ…?誰か、この者に水を持て!」

砂と血で汚れた鎧と体を洗う暇もないままやってきた彼を見て、とんでもない事態が起こったことは周囲の人々全員が共通して理解できることだった。

メイドが水が入った器を持ってくると、兵士はよほどのどが渇いていたのか、グイグイ口の中に注ぎ込む。

そして、腕で口を拭い、痛みに耐えながら姿勢を正す。

「さあ、何があったか教えてくれ…」

「はい…蠍の化け物です!バクラバ砂丘で、またあの蠍が現れました!巡回中に襲われ、戦死者はいませんが…負傷者が多数!!」

「ええい、あの砂漠の殺し屋か!毎年この時期になると決まって現れるな!」

せっかくのファーリス杯に水を差すようなその魔物の出現にファルス3世は立ち上がり、腹を立てる。

砂漠の殺し屋、デスコピオンは4本の鋏と2本の鎌のような腕を持つ、黄色い巨大な蠍型の魔物で、冬眠する時期が長いものの、この時期に活性化し、暴れまわることが多い。

5年前には2匹が出現し、騎士たちの奮闘によって1匹は討ち取ることに成功したものの、歴戦の騎士を何人も失う結果となった。

黄色い体によるステルス性と鋼鉄製の鎧を切り裂くことのできる鋏と鎌は脅威であり、1匹につき一個中隊を投入することでどうにか追い払うことができるというのが今の計算だ。

「自国の平和を守るのは騎士の務め!もう2度と襲うことがないよう息の根を止めねば!!うん…?」

騎士の人選をどうすべきか考えたファルス3世はファーリスに目を向け、何か思いついたような表情を見せる。

オグイなどの熟練の兵士の一部はバトルレックス討伐の際に傷ついており、療養中だ。

彼らの多くがデスコピオンと交戦した経験があり、その恐ろしさを身をもって思い知っている。

そんな彼らの力を今は借りられない以上、今いる兵士の中でベストの人選をする必要がある。

なお、デスコピオンを倒した騎士は国の英雄として、サマディーの歴史の教科書に名前が残るうえ、国民や騎士から多くの尊敬を得ることができる。

歴代兵士長の多くがデスコピオンを討ち取った経験のある騎士だ。

「そうだ!我が息子、ファーリスに魔物を捕らえさせよう!騎士として成長したお前なら、きっと今回の任務も果たせるだろう!」

ファルス3世のまさかの発言にびっくりし、ファーリスは脳裏にデスコピオンと戦う自分をイメージしてしまう。

剣を鎌で折られ、崖まで追い詰められた挙句、胴体を鋏で真っ二つにされる光景しか浮かばず、ブルブル震えだす。

父親であるファルス3世の前であるため、何とか抑えているが、仮に彼の前でなかったら、恐怖のあまり失禁してしまっただろう。

「れ…歴戦の騎士を亡き者にしてきたデスコピオンを私がですか…!?わわわ、私にはかないませんよ!!」

そんな魔物と戦ったら最後、死ぬのが目の見えているファーリスは別の騎士に言ってもらおうと辞退を申し出る。

しかし、ブルブル震えるファーリスをみたファルス3世は異様な震えにもかかわらず、よりうれしそうな表情を浮かべる。

「わははは!実力者ほど謙遜するものだ。それに、戦いを前にしての武者震いも止まらぬと見た。頼もしい限りじゃ!」

周囲の兵士もファーリスに期待をかけており、止めてくれる者はだれもいない。

自分のことをある程度知っているエルバ達が早くこの場に来て、止めてくれることを願ったが、もうそんな猶予はない。

今、この場で答えを出さなければ今までのウソがばれ、恥をさらしてしまうかもしれない。

そんなファーリスに崖から突き落とすかのようにファルス3世が叫ぶ。

「行けい、ファーリスよ!砂漠の殺し屋、デスコピオンを倒し、捕らえてまいれ!!」

 

「…という、わけなんだ」

ファーリスの話を聞いてカミュとベロニカはもはや何も言うことができず、ため息をつく。

「お前…騎士の国の王子だろ?少しは自分の力で何とかしろよ」

ファーリス杯での影武者依頼と今の土下座、そして事情の説明によって、もはやカミュはファーリスを王族として配慮することができなくなった。

あきれ果て、敬語なんて彼には使うのすらもったいない。

「うう…それが、駄目なんだ。今まで訓練のクの字もやったことがなくて、実戦は全部部下に任せていたんだ…」

「でしても、兵法を学んで、指揮を取ることも…」

「兵法もよくわからないんだよ!なんだよ、戦況の変化に臨機応変で対応するとか、敵と自分を知れとか!?まぁ…勝算があれば戦い、ない時は可能な限り避けるは分かるけど…」

これらの兵法はかつてバンデルフォン王国を建国した英雄王、ネルセンが著した兵法書の中にある。

激しい戦いを勝ち残り、王となった彼自身の戦争観や戦略などが書かれており、デルカダール王も政治のヒントにもなりえるとして愛読しているとのことだ。

騎士の国であるサマディーでも騎士の一般教養として学ぶ機会があるものの、16歳のファーリスには分かりにくかったのかもしれない。

よくわからなかった、という言葉から、挑戦しようとする気概があることは理解できるが。

「なぜ…そこまで人任せにする?」

エルバはひざを折り、ファーリスに問いかける。

誰かに任せることは悪いことではないが、その代わりに自分もまかせられた時にはこたえなければならない。

ペルラからそのことを教わったエルバには、ファーリスが人に任せてばかりの理由が理解できなかった。

「…一人息子の僕は幼いころから過保護に育てられて、父上と母上からはどんな小さなことでも褒められたんだ…」

砂漠の過酷な環境から、乳児死亡率が他国よりも高い傾向にあるサマディーでは生まれた子供を大切に育てる傾向が強い。

特に、兄弟のいないファーリスは将来、サマディーの国王として国を導く存在であると同時に、仮に何らかの形で死んでしまった場合は王家断絶となる危うい状態でもある。

そんな彼を大切に育てようという思いは間違っていないが、ファルス3世とその妻の場合は少々度を越していた。

「だから、両親や民衆の期待を裏切らないように、できないこともさもできたかのようにやり過ごしてきた。そうしているうちに、僕の評価は実力に見合わないほどに大きくなってしまって、後に引けなくなったんだ」

だが、そのようにふるまうためには周囲の協力が必要だ。

そのため、自分の直属の部下である騎士たちにだけ秘密を明かし、自分が自由に使えるお金で追加で給料を出すことで黙らせたうえで協力してもらっていた。

ファーリス杯の時はその騎士たちは全員外の守りに出なければならなかったため、エルバに影武者になってもらうことになった。

だが、その騎士の中でデスコピオンと戦った経験のある騎士はいない。

自分たちだけでは、捕らえる以前に倒すこともできない。

顔を上げたファーリスは懇願するようにエルバを見る。

「今回ばかりはとてもごまかせない!!デスコピオンを捕らえるなんて、僕には無理だ!!だから…頼む!協力してくれ!!必ず礼はするから!!」

「ふざけたことを言ってんじゃねえ。身から出た錆だろ?自分のケツは自分で拭け」

これ以上は付き合いきれないと感じたカミュは冷徹にファーリスの頼みを一蹴する。

その根性は一回痛い目を見ないと直らないから、これがそのいい機会ではないかと思い始めていた。

仮にそれで部下の中に死人が出たとしても、それはファーリスのこれまでの行いの結果でしかない。

その言葉を聞き、更に顔を青くしたファーリスは泣き出しそうな表情になり、床に思いきり額を叩きつ聞けそうになるほどの勢いで土下座をする。

「そんなことを言わずに、頼むよ!!この国のためだと思って!!デスコピオンを倒さないと、国民のみんなにも被害が及んでしまうかもしれないから!!」

「うう、それ言われるとなぁ…」

デスコピオンを倒せなかった場合に、その代償を国民や旅人の血と命で支払うことになるのはだれもが理解できた。

これ以上、彼からの頼みを受ける義理はないものの、放っても置けない。

「…追加報酬はもらうぞ」

「ちょ、エルバ!!」

まるでファーリスの頼みを引き受けたと捕らえかねない言葉を口にしたエルバにベロニカはびっくりし、うっかり本当の名前を口にしてしまう。

「放っては置けないだろう?それに、彼が死んだら、虹色の枝を借りるチャンスを永久に失う」

「そ、それは…」

「腐っても王子だ。路銀を手に入れるチャンスだと思えばいい」

「あ、あああ…ありがとう!!」

引き受けてくれたことへのうれしさから、先ほどまでのすがすがしい土下座が嘘だったかのように立ち上がり、エルバの両手を握って大きく上下に動かす。

満面の笑みを浮かべるファーリスに若干苛立ちを覚えたエルバはわずかに彼から目線をそらした。

「ちっ…勝手に引き受けやがって。でもよ、追加報酬は約束しろよ。じゃねえと、てめーをそのデスコピオンってモンスターの巣の中にぶち込むぞ」

「あ、あの、カミュ様…それはあまり…」

気に入らない相手だということは分かるものの、王子である彼にそんな脅しはやりすぎだと思い、セーニャは諫めようとするが、ファーリスの言葉が遮った。

「分かっているよ!この国の救世主を見返り無しで働かせるものか!ちゃんとその分のお礼はするし、虹色の枝についても任せてくれ!じゃあ…先に城門前に行ってるよ。部下に荷物と装備品の準備をさせてあるから!ああ、それからエルディさんはファーリス杯で使ったあの鎧で来てくれ。デスコピオン討伐のために一時的に兵士として雇用されたってことで!それじゃあ!」

スキップ気味に走り出したファーリスは勢いよくドアを開け、そのまま走って出て行ってしまった。

「本当に情けない王子さまね。この国の将来が心配だわ…」

閉め忘れたドアからファーリスの小さくなる後姿を見たベロニカはそんな彼を将来指導者とすることになるサマディーを哀れに思えて仕方なかった。

このような哀れな指導者が国を滅ぼした例は歴史上いくつも存在し、これでサマディーも次の代で終焉を迎えるように感じられた。

「お姉さま、あまり悪く言うのはいけませんわ。きっと、王子として重圧があの方を苦しめているのでしょう…」

「重圧…か…」

エルバはファーリスに握られた両手をじっと見る。

自分には勇者の真実を突き止め、イシの村と人々を皆殺しにしたデルカダール王に復讐するという目的がある。

そのことを人生の目的のようにしているものの、それをセーニャが言うような重圧に感じることはなかった。

(いや、俺がそう感じていないだけなのか…?)

 

「なぜです!?なぜ魔物を捕らえると言ってしまったんですか!?戦うのは私たちでしょう!?今回ばかりはいくらなんでも無理ですよ!!」

城門前で馬と戦闘用馬車の用意をしていた、一般兵のサークレット姿で金色の短髪をした若い兵士、ジョエルが不安げにファーリスに問い詰める。

彼は8年前からファーリスに仕えていて、小物から要領のよさから兵士となり、ファーリスのためにいろいろと便宜を図っていた。

余談だが、エルバ達のためにシルビアのサーカスのチケットを調達したのは彼で、ファーリスが依頼相手となる誰かと隠密に接触できるように前もって予約していた。

ファーリスから出発の準備の指示を受けたときはデスコピオンのデの字も聞いておらず、今になってその名前を出されたため、余計不安が強まる。

ジョエルだけでなく、参加するほかの4人も兵士も同様で、いつも付き合わされるファーリスの無茶ぶりをはるかに上回るその任務に恐れを抱く。

「待て待て、無理に戦えとは言わない」

「それは…どういう意味です?」

今回の任務で一番おびえるはずのファーリスが冷静であることから、何か裏があるのではとジョエルは勘ぐる。

それを肯定するかのように、サークレット姿のエルバを先頭に4人の助っ人がそれぞれが使う馬を引いて出てくる。

「紹介しよう。彼らが今回特別に同行してもらうエルディさんご一行だ。彼らにデスコピオンを捕まえてもらう」

「は、はぁ…」

エルバについては、ファーリス杯のこともあって、馬術についてはかなりのものだということは理解できる。

しかし、馬術と戦闘はわけが違う。

それに、優男2人と幼子を含めた少女2人で砂漠の殺し屋、デスコピオンとどれだけ戦えるのかも疑問だ。

「あんまり信用していねーみたいだな。なら…」

前に出たカミュはいきなり投げナイフを抜き、投擲する。

投げられたナイフは2人の兵士の顔の間を通って飛んでいき、その先にいるキメラの頭に突き刺さった。

その一撃で即死したのか、そのキメラは砂の上に墜落した。

「おお…」

「これで、信用してくれるよな?あと、こいつらはそれぞれ回復呪文、攻撃呪文のスペシャリストだぞ」

「そ、それなら…」

カミュのような技量を持つ男がいる一行であるため、もしかしたらかなりの戦力かもしれないとジョエル達は安心し始める。

ファーリスも先ほどのナイフ投げにはびっくりしたものの、自信たっぷりに戦車に乗る。

「よし、これからバクラバ砂丘へ向かうぞ!そこからさらに北へ進み、デスコピオンのいる魔蟲の住処ヘ向かう。さあ行くぞ!」

「「おおーーー!!」」

これなら、自分たちでも勝てるかもしれないと思ったジョエル達も拳を上げる。

兵士たちはそれぞれの馬に乗り、ジョエルはファーリスの乗る戦車の手綱を取る。

「んじゃあ、俺たちも…」

「ねえ、その蠍ちゃん退治、アタシも交ぜて~」

「…?ちょっと、待ってくれ!」

あまりにも聞き覚えのある声に驚いたファーリスは馬車を止めさせ、エルバ達もその声が聞こえた城門側の咆哮に目を向ける。

しかし、そこにはだれもいない。

「あ、あれ?今確か、シルビアさんの…?」

「おいおいマジかよ、あんなところにいやがるぞ!」

一番早く気づいたカミュは城門の右側にあるアヌビスを模した巨大な像の頭部の上を指さす。

そこにはシルビアの姿があり、エルバ達を見て笑みを浮かべた彼はそのまま命綱もなしに頭から飛び降りる。

空中の体をひねらせ、回転させながら体勢を整え、エルバ達の目の前に着地した。

そして、あいさつ代わりと言わんばかりに彼らに向けてウインクをする。

「あ…あんたは…!」

「はぁーい、王子様。アタシも気になってるから、ついていってあげるわー!」

「サソリちゃんって、楽しいものじゃないぜ。だいたい、アンタは旅芸人だろ?サーカスはいいのかよ?」

楽しそうに加わろうとするシルビアにカミュは冷静に突っ込みを入れる。

どうやってその情報を手に入れたのかはわからないものの、彼の言う蠍ちゃんはデスコピオンで、手練れの騎士を数多く葬ってきた魔物だ。

馬術がすごいことはファーリス杯で分かっているものの、戦いとは全く別問題だ。

それ以上に、旅芸人とはいえ、今の彼はサマディーのサーカス団に所属している。

サーカスという旅芸人にとっては大切な仕事をほったらかして大丈夫なのかと内心心配になる。

「ふふ~ん、今はサーカスよりもあの王子様が気になっちゃうの。ね、アタシもついていってい~い?頼りになるわよー!」

「まぁ、サーカスで見せたような体術とファーリス杯で見せた馬術は認めるけどよ、それと戦いとは話が違うぞ?」

「だったら、試してみる~?アタシと1対1で」

語るよりも実力を見せたほうが信頼してもらえると考え、シルビアは腰に下げているレイピアのような細身の剣を抜こうとするが、その前にカミュの腰と胸の鞘に一本ずつさしてある短剣に目が留まる。

剣から手を放し、代わりに腰にさしているナイフを抜き、逆手で握って構える。

「剣…抜かねーで大丈夫かよ。そっちが本領だろ?」

「剣と鞭、短剣。どれも使いこなせるわ。別に心配することはなくてよ、青い髪のボーヤ?」

「カミュだ。それに、坊やって言われるほどの年齢じゃねえよ」

ムスッとしたカミュは2本の短剣を抜き、両手で構えつつ、シルビアを見る。

口調はおちゃらけている印象が強いものの、彼の短剣の構えは良い意味で教科書通りともいうべきで、心臓のある左胸を後方に下げ、更にいざというときはその刀身と腕で防御できるように右腕を曲げている。

カミュの場合は左利きであることもあり、あえて左胸が前に出るように構えていて、攻撃的なものになっている。

「さーぁ、どこからでもかかってらっしゃい、カミュちゃん」

「その言葉…後悔するんじゃねーぞ!!」

姿勢を低くしたカミュを地面を強く蹴り、一気に距離を詰める。

あとはナイフの刀身をシルビアに近づければ終わりだ。

しかし、シルビアは体を横にそらして軌道から外れる。

「スピードは確かにすごいわ。でも、直線的すぎるわ」

勢いを片足で殺して振り返ったカミュはじっとシルビアを見る。

「だったら、こいつはどうだ!!」

カミュは2本あるナイフのアドバンテージを活用するため、シルビアに接近しつつ、両手で連続攻撃を始める。

1本だけしかナイフを握っていないシルビアが片方のナイフを抑えている間に自由になっているもう1本のナイフで攻撃しようという魂胆だ。

「甘いわ!」

姿勢をかがめたシルビアは長い脚を利用して足払いをし、見事に足に受けたカミュは転倒する。

起き上がろうとするが、その前にナイフが顔のすぐそばの地面に刺さった。

「これで、信用してもらえるかしら?」

「シルビアさん、強ー…」

あのカミュがほとんど何もできないまま負けてしまった。

その様子を見たベロニカが驚きとともに漏らす。

(何者なんだ…あいつは…)

盗賊であり、戦いの経験のあるカミュをナイフだけというハンデがあるとはいえ、ここまで一方的に倒してしまった。

剣の特訓の相手として、よくカミュと模擬戦をしているが、手加減して勝てる相手ではなく、デルカダール国寮で行った4回の模擬戦ではエルバ1勝、カミュ3勝という状態だ。

そのうちの2回は逆転負けに近い形で、決定打に掛けた状態での敗北となってしまった。

そんな彼を簡単に倒してしまったシルビアの実力に驚きを感じ、その正体を勘繰らずにはいられなかった。

「あなたのナイフの使い方、中々だけど、やや直線的ね。それに、我流なところもあるわね。戦う中で磨き上げてきたって感じがするわ」

ナイフを抜き、立ち上がろうとするカミュに手を貸したシルビアは戦いの中で見たカミュの動きを指摘する。

図星のようで、バツが悪そうにカミュは視線を逸らす。

「よかったら、教えてあげるわ。ナイフの使い方を。それと、エル…」

「エルディだ」

「ふーん…なら、エルディちゃん。あなたにも剣の使い方を教えてあげる」

「どういうつもりだ…?」

戦い方を教えると言うシルビアだが、そんなことをしたところでデスコピオンでの戦いに少しでも有利になるかもしれないが、シルビア本人の利益にはならない。

そんな自分たちにとってプラスになりすぎる提案をすることが考えられなかった。

「別に大した理由はないわよ。ただ、教えたいって思っただけよ」

「ああ…教えるんだったら、休憩地点でやってくれ。そろそろ出発しないと…」

「あら、ごめんなさい。じゃあ、行くわよー!」

ナイフを鞘に納めたシルビアは口笛を吹くと、どこからともなくファーリス杯でフランベルグと戦ったマーガレットがやってきて、シルビアは彼女に飛び乗る。

そして、先行するファーリスの戦車の後に続いた。

「あのおっさん…強い…」

馬に乗ったカミュはよほど悔しかったのか、手綱を握る手を強める。

「ええ…。でも、旅芸人さんってそんなに強いものなのでしょうか…?」

「それって謎よねー。しかも、エルバとカミュに戦い方を教えるって…」

「可能な限り技術を盗むだけだ。行くぞ…」

シルビアの後姿をにらむように見たエルバはフランベルグを歩かせる。

ファーリスを先頭とした一行はサマディー城塞とその南部の岩山を大回りするように西へと向かっていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 デスコピオン出現

「踏み込みが甘いわね。そんなのじゃあ、その剣に振り回されるわよ?」

「く…!」

夜の砂漠で、ベロニカとセーニャ、そしてジョエルの3人が夕食を作っている間、キャンプの外でエルバはシルビアから剣の特訓を受けていた。

今は特に使っている両手剣を手にしており、シルビアは聞き手である右手に片手剣、左手に短剣の変則的な二刀流の装備だ。

ある程度攻撃の動きを見た後で、今度は構え方のチェックに映る。

「うーん、フォム・ダッハ以外の構え方は覚えていないみたいね?」

「フォム・ダッハ…?」

「相手が多人数の場合使いやすい構えで、基本中の基本の構えね。右でも左でも剣を動かせるわ。剣を立てるから、その分疲れも少ないわ。でも、両手剣で重要なのは構えよ。攻撃は構えから次の構えまでの間で、攻撃を終えたからと言って油断しちゃダメ。すぐに次の構えに入って連続攻撃が両手剣の基本。忘れないで」

「そ、そうか…」

村にいたころは両手剣の使い手がテオ1人だけで、彼も我流であったことから、その話は聞いたことがない。

旅芸人である彼で、両手剣を使ったことのない彼がなぜそれについて詳しいのかはさておき、左足を前に出し、切っ先を相手に向け、右の頬の横で雄牛の角のごとく構えるオクスの指導を受け始めた。

「エルバの奴、大変だな…」

カミュはその特訓の光景を寝転がって短剣の手入れをしながら見ていた。

エルバが特訓を受ける前に、カミュも短剣の使い方をシルビアから教わり、特訓を受けた。

そのため、体はへとへとで、普段は座ってやる手入れも寝転がってやろうと思ってしまうほどだ。

投げ方や持っているときの体の動かし方を中心としたもので、シルビアから特に集中して受けさせられたのは体の動かし方だ。

カミュの場合は吹き矢や爆弾など、他に投擲できる武器があることから、短剣の投擲についてはあまり使い道がないためらしい。

片手剣や両手剣と比較してリーチの短い短剣では、スピードと攻撃をかわしてからの痛撃がポイントらしい。

「3人とも、ごはんできたわよーー!!」

「今日の晩御飯はカミュ様が倒したキメラの肉を使ったスープです」

出来上がったスープがセーニャの手で器に注がれ、パンと一緒に全員に渡される。

近くの港町から仕入れた野菜とサマディー産の野菜が混ざって入っており、それらとキメラの肉を塩コショウで味付けして煮込んだシンプルなもので、野菜を多くとることができることから、栄養バランスを崩しやすい旅人にとってはありがたい料理だ。

また、キメラの肉は鶏肉よりも肉そのものに味がついており、塩やコショウだけで十分においしい料理を作ることができる。

そうなったのはキメラがハゲタカと蛇が合成されて生まれた魔物であるためで、蛇の肉は鶏のササミに似た触感で旨みが豊富であるためだ。

実際、蛇は薬を作ることができるほど滋養効果の強い生き物で、バンデルフォン王国では蛇を使った宮廷料理が豊富にあったらしい。

「うう…」

「おい、食わねえのかよ、ベロニカ」

スープの中に入っているキメラの肉をスプーンで拾い上げ、不快な表情を浮かべるベロニカを不思議に思いながらカミュはスープを口にする。

ようやく旅の中でまともな料理を食べれるようになった嬉しさをかみしめようと、ゆっくり咀嚼していた。

「あんなものを見せられて、食べる気になる方がおかしいわよ!」

「そう…なのか?」

「だったら、見なきゃよかったじゃねえか」

「それはそう…だけど…」

ベロニカが見たのは移動のさなかにエルバとカミュが行ったキメラの解体だ。

ベロニカとセーニャが生活していたラムダの里では、卵を口にすることはある物の、基本的に肉や魚を食べる習慣がない。

旅に出てからは食肉の習慣が外の世界にあることを学び、旅の中では贅沢に食料を選んでいられないことから、肉や魚を食べるようになった。

最初は脂のある肉や生臭さのある魚に抵抗感があったものの、今では人並みに食べることができるようになっている。

その中でベロニカは肉をどうやって作っているのかが気になっていた。

魔物や家畜を殺し、解体して作るという話は聞いていたが、それが実際どのような光景なのかは知らなかった。

途中でオアシスにより、水の補給を行う際にエルバとカミュは女性陣とファーリスにその光景を見せないよう、運んだキメラの死体を近くの洞穴まで運び、そこで解体を行った。

道中で魔物と戦っていた兵士の治療を行うセーニャを置いて、興味半分にそれを外から見た瞬間、ベロニカは自分の行いを後悔した。

赤い血でべっとりとしている刀身の剥ぎ取りナイフを握る2人の足元の板には、キメラの者と思われる内臓が転がっていて、桶には真っ赤に染まった水で満たされていた。

もうすでに解体し終えていたのか、俎板代わりの平らな石の上にはキメラだったものの肉が残っていて、それだけが彼女にとっての救いだった。

もし、解体のさなかの光景を見てしまっていたら、きっともう肉が食べられなくなっていたかもしれないからだ。

なお、解体を終えた後でエルバが行った行動がベロニカにとっては印象的だった。

座った状態で解体したキメラの血を右手人差し指につけ、左手の甲に正三角形を書き、その上に右手のひらを置き、さらにその上に自分の額を当てて10秒間祈った。

なぜそのようなことをしたのかを尋ねると、これはイシの村での習慣らしく、生きる糧となった命に対する感謝とその命が命の大樹へ還っていけるようにという願いが込められているとのことだ。

むしった羽はボウガンで使うボルトの矢羽や不思議な鍛冶セットで装備を作る際の素材として使用し、骨についてもだしに使い、可能な限り無駄は残さない。

「食べてやってくれ。肉になったキメラのためにも」

「わ、分かってるわよ…」

エルバの言葉に背中を押される形で、ベロニカはキメラの肉を口に運ぶ。

その肉は普段食べている肉よりもなぜか重く感じられ、しかしそれ以上においしいと感じられた。

 

「ぐがー…ぐがー…」

食べ終わり、真っ暗になるとファーリスと兵士たちはよほど疲れがたまったのか、設営したテントの中でぐっすりと眠ってしまい、おきているのはエルバ達5人だけになった。

キャンプで設営しているテントは4つあり、赤いテントは女性陣の、青いテントはエルバとカミュのものとなっている。

また、サマディー国章が刻まれている黄色いテントにはファーリス1人が入り、もう1つの黄色いテントには兵士たちが入っている。

兵士たちは魔物と戦っていたためわかるものの、戦車に乗っているだけで何もしていないファーリスもこうして眠ってしまうということは、このような城の外に1日以上離れるのはまれということだろう。

ジョエルの話では、ファーリスは何度か魔物討伐の任務を受けることがあったものの、その時は討伐は部下に、そして自分の影武者を立てた後は城付近にある隠れ家で過ごしていたとのことだ。

兵士たちを無理に起こすことができず、火の番は5人でやらざるを得ない。

「それにしても、アナタ達。男2人女2人の四人旅って、ロマンチックじゃない?特に、カミュちゃんとセーニャちゃん、なんだかお似合いよ」

「あ、あの…お似合いというのはどういう…?」

シルビアにまさかの発言にカミュは驚きと共に、近くから感じる怖い目線に顔を引きつらせる。

一方、セーニャはどういう意味かよくわからないようで、首をかしげていた。

「あの、お姉さま。お似合いというのはどういう…」

「今は知らなくていいわ。特に、今は…」

ギロリと再びカミュをにらみつける。

カミュがセーニャに一体何かしたのかと誤解してしまうほどのすごみを覚え、内心彼がかわいそうに思えてしまった。

そんなことを気にせず、シルビアは食後の水を一口飲み込んだ。

「それで、どうして旅をしているのかしら?」

シルビアは一番彼らにと痛い質問をぶつける。

旅芸人として、いろんな客を見てきたが、彼の目利きでは、彼らの旅は普通の者とは違うように思えた。

少し困ったセーニャは夜になって寒くなり、冷たくなった指先をたき火にかざして温めながら話し始める。

「勇者にまつわる伝説の謎を解き明かすために旅をしています。まだ全部が明らかになったわけではありませんが…もしかしたら、世界に災厄をもたらしたという邪悪な神と戦う日が近い将来に訪れるかもしれません」

「セーニャ!いくらシルビアさんだからといって、見ず知らずの旅芸人にそんなことまで話しちゃ…!」

勇者にまつわる伝説の謎を解き明かすという点についてはもしかしたら話していい内容かもしれないが、さすがに邪悪の神の話をするのはまずい。

眉唾物で、笑われるのがオチならまだいい。

だが、仮に彼が勇者がデルカダールに追われていることを知ったらどうするか。

恐る恐るシルビアを見ると、彼はコップを落としていて、びっくりしながら4人を見ていた。

「へえ…みんなの笑顔を奪おうとする邪悪の神ちゃんって悪いやつがこれから復活するかもしれなくって…アナタ達がそれを倒すために旅をしているっていうの??なにそれ、面白そうじゃなーい!」

「こんな話をうのみにするなんて…あんた、変わってるな」

予想外の反応を見せたシルビアにため息をつくカミュだが、自分も勇者の奇跡を信じてこうして行動を共にしていることから、人のことが言えない気がした。

「そういうシルビアさんは…」

「シルビアでいいわよ、ベロニカちゃん」

「そ、そう…。じゃあ、シルビアはどうなのよ?なんで旅をしてるの?」

普通、芸人はどこかのサーカス小屋や劇団に所属して活動をしているため、シルビアのように無所属の旅芸人は少数派だ。

旅芸人の暮らしは楽ではなく、オファーを受けるためには人並み以上の芸を習得しなければならず、常にほかの芸人との競争にさらされることになる。

そして、それとともに自分を売り込むために世界中を旅することになるため、魔物が活性化している現在はとても危険だ。

目を閉じ、少し考えたシルビアは両腕を伸ばし、その後で手で口を隠して欠伸をする。

「フフッ…アタシの話はいいの。さっ、明日はあのサソリちゃんと戦うのよ。おしゃべりはこれくらいにして、早く寝ましょう」

疲れた様子のシルビアは先にテントに入り、眠ってしまった。

「なんだよ…勿体ぶりやがって。本当に変な奴だな」

「…お前の言えたことか?」

 

「ん…んん、ふああ…」

テントの中で目を覚ましたセーニャは左手で口を隠しながら欠伸をし、背伸びをする。

隣に寝ているベロニカはまだ寝ており、テントの中はまだ薄暗い。

「まだ朝まで時間がありますわね…あれ?」

朝の弱い自分がまさか早起きできると葉と驚きながらも、もうひと眠りしようと思ったが、外から物音が聞こえて来る。

ランタンを手に取ると、セーニャはテントを出た。

たき火の近くにはカミュの姿があり、短剣の特訓をしていた。

「カミュ様…?」

「お、セーニャ…珍しいな」

若干薄暗いものの、セーニャの姿が見えたカミュは驚きながら彼女を見る。

4人の中では一番朝が苦手で遅く起きる彼女がなぜ、と。

「私でも驚きです。カミュ様は…訓練をしていらっしゃるのですか?」

「まあな、おっさんの言う通り、俺もまだまだみてーだからな」

「そうなのですか…」

「それに、暑いのが苦手だからよ、こういう時くれーしか、ここじゃあ思い切り体を動かせねーのさ」

「暑いのが苦手…ということは、カミュ様は雪国か山のお生まれでしょうか?」

セーニャの素朴な質問にカミュの動きが止まる。

しばらく沈黙したままでいると、また体を動かし始めた。

答えたくないのかと思い、セーニャはこれ以上追及せず、西に目を向ける。

ゆっくりとだが太陽が出てきている。

もうすぐ起きる時間になるため、セーニャは急いで昨日の残りのスープを温め始めた。

 

「ふぅー…うまいぜ…」

全員が目を覚ますと、たき火を囲い込むように座った状態で昨日のスープを飲み始める。

昨日と同じ味では飽きてしまうため、別の野菜をいれたうえでさらにはサマディーで買った調味料、魚醤を一滴入れている。

サマディーの南にある港町、ダーハルーネで生産されているものだ。

「しっかり食べておかないといけないわね。今日はあのサソリちゃんとの決戦なんだから」

真っ先に食べ終えたシルビアは出発の準備のため、すぐにテントの片づけに向かう。

「それは心配いらないさ。デスコピオンのような蠍型モンスターはほとんどが夜行性だ。眠っているところに奇襲をかければ…」

「それができれば。あの蠍ちゃんの犠牲者はもっと少ないはずよ…」

シルビアはエルバ達と合流する前に、サーカスの団長や仲間からデスコピオンに関する情報を聞いていた。

蠍型モンスターが夜行性であることは確かだが、デスコピオンの場合は若干の例外がある。

蠍は櫛状板という感覚器が生殖口蓋よりも下に位置しており、人間の嗅覚のような役割を果たしていると言われている。

その櫛の歯の数によって性別がわかり、オスの方が多い。

デスコピオンは砂の中で身を隠している間、それを使って自分の上にいる獲物や敵の存在を感知している。

そして、なわばりに入ってきたことがわかると、たとえ昼であってもすぐに起きて襲い掛かってくる。

そのため、奇襲を仕掛けた結果返り討ちになり、戦死した騎士もいるという。

「それは心配いらない!こちらには戦車がある。戦車の機動性があれば、音を立てたとしても簡単には捕まらない。そして、この弓を使う!」

ファーリスは自信満々に戦車に乗り、それに備え付けられている弓に触れる。

戦車に装着して使うだけあり大型のもので、羽根がついた槍だけでなく、石や火炎弾などを使用することもできる。

そして、今は供給が難しくなっている爆弾石を矢じりにした専用の矢もわざわざ用意している。

刺さった瞬間爆発する設計となっているため、これを当てることができたらさすがのデスコピオンでもただでは済まない。

「よし、すぐに出発するぞー!」

ファーリスの命令を受け、ジョエルが戦車を引っ張る馬に鞭を打ち、前へ進ませる。

得意げなファーリスの後ろ姿をマーガレットに乗ったシルビアがじっと見ていた。

「問題は…その矢が当てられるかどうかと、あの兵士たちがちゃんと戦車を使えるかどうかね…。さ、行きましょう」

「ああ…行こう」

テントを片付けたエルバ達が馬でファーリスを追いかけるように進む。

岩山の中に自然にできた洞窟を抜け、サマディー地方の北端の開けた平地に出る。

外側に草やサボテンが生えていて、岩にはピンク色の光るコケがついている。

幸運にも、ここに来るまで魔物に遭遇することはなかった。

「このあたりにいるはずなのですが…」

ジョエルは戦車に乗ったまま周囲を見渡し、他の馬に乗っている兵士たちもまねるように見張る。

しかし、聞こえるのは風の音だけで足元の砂も風邪で飛んでいるものを除くと動く気配がない。

「嫌な静けさだぜ…」

今日起きてから魔物と遭遇していないこともあり、今の静けさがカミュにとっては嵐の前のそれのように感じられた。

本当なら、ここまで来る途中に盗人兎やウィングスネーク、地獄の鋏などと遭遇するはずだ。

しかし、ファーリスは一安心すると、両拳を腰の両端に置き、なぜか胸を張って見せる。

「なんだ、どこにもいないじゃないか。仕方ない、デスコピオンは僕を恐れて逃げたと父上に報告しよう。さあ、城へ戻ろう」

「りょ、了解…」

本当にいないのか、怪しく感じたジョエルだが、王子であるファーリスの命令に逆らうことができないため、引き返させようとする。

だが、なぜか2頭の馬は足を止めてしまっていて、いくら鞭を打っても動かない。

(油断するな、主よ…奴は地中にいる)

「地中…だと!?」

ファーリス杯の時に聞いたあの声が再びエルバの脳裏に響き、叫ぶとともに戦車のちょうど目の前の砂が盛り上がっていく。

何が起こったのかと不審に思った次の瞬間、黄色い巨大な蠍の尻尾がそこから飛び出した。

あと1歩前に進んでいたら、馬の頭はそれによってきれいに宙を舞うことになっていたかもしれない。

「出やがった…!」

「あれがデスコピオン、砂漠の殺し屋ね。戦車を捨てて逃げなさい、ファーリスちゃん!!」

至近距離まで敵が迫っている状況で、矢の装填もしていないため、今の戦車には攻撃手段がない。

今矢を装填したとしても、その前にデスコピオンの尻尾で粉々にされるか鋏で切り裂かれるかのどちらかの結末しかない。

しかし、あまりの事態にびっくりしてしまったせいか、足がすくんでしまい、動けないでいる。

「あ、あわわわ…」

「王子!!」

馬を切り離したジョエルはファーリスの腕をつかんで戦車から飛び降りる。

同時に、砂の中に隠れていたデスコピオンがその姿を現し、切り離されていた馬は逃げ出していく。

エルバ達も馬から降りると、戦闘に巻き込まないように尻を叩いてその場から離れさせた。

「こりゃ、ご立腹みてーだぜ…」

デスコピオンの姿を見たカミュは最悪なタイミングでそのモンスターと出会ってしまった自分の不運さを軽く笑いながら嘆いた。

口元と鋏は血で濡れており、それを見るだけでも食事中だったということだけは分かった。

デスコピオンが地中から飛び出した時、同時に魔物のものと思われる骨の残骸も一緒に飛ぶのが見えた。

そのおかげで、魔物がいなかった理由を理解することができた。

デスコピオンは尻尾で馬車を薙ぎ払い、戦車を粉々にした後で更に鎌のような鋭い鋏でファーリスを切り裂こうとする。

「王子!!」

大柄な体の兵士が大剣を手にしてファーリスをかばい、その鋏を受け止める。

ガアンという大きな音が響くも、刀身にはひびが入っておらず、攻撃を防ぐことができていた。

しかし、あくまで防ぐことができたのは1本だけ。

反対側の鋏がその男を真っ二つにしようと横一直線に切りかかってくる。

「危ない!!」

トベルーラで宙を舞うベロニカがデスコピオンの頭上めがけてイオを唱える。

突然の爆発でわずかの体が揺らぎ、その間に兵士はファーリスを抱えて逃げることができた。

しかし、イオ程度では大したダメージにならないのか、痛みを感じている様子がなく、上空のベロニカをギロリとにらむ。

そして、彼女の地面に引きずりおろそうと尻尾を振り回し、ベロニカは急いでデスコピオンから離れ、トベルーラを解除した。

「もう、何やってるのよ!?騎士の国の王子さまでしょ!?しゃんとしなさい!!」

ベロニカが叫ぶも、ファーリスはおびえてばかりで体が動かない。

ジョエルら兵士たちはそんなファーリスを守るために前に出る。

「くそ…だからこの任務はいやだったんだ!」

「泣き言をいうな!王子を守れ!!」

デスコピオンは食事を邪魔する騒音を立てた戦車に乗っていたファーリスとジョエルに狙いを集中している。

ファーリスを守るため、ジョエルは普段使っている弓で矢を放ち、それを合図にほかの兵士たちはデスコピオンを包囲するように陣を組む。

矢はデスコピオンの尾に命中するが、皮は鉄よりも強固であるためか、カチンと音が鳴っただけで刺さることなく、矢はむなしく砂へと落ちていく。

「私たちも行くわよ!」

シルビアは剣を抜き、兵士たちを援護しに走る。

「どんな生物でも、口の中は!!」

1人の兵士が槍で口の中を突き刺そうとするが、デスコピオンの牙によって防がれてしまう。

そして、彼の思惑をあざ笑うように口から強い勢いで砂を吐き出した。

「うわああ!!」

砂と共に吹き飛ばされた兵士は目の中にもそれが入ってしまい、かゆみで目が見えなくなってしまう。

更に尻尾でぐるりと薙ぎ払い、周囲の兵士たちも吹き飛ばした。

「ジョ、ジョエル!?」

「ぐう、くそぉ!!」

ファーリスの前に倒れたジョエルはゆっくりと立ち上がるが、持っていた弓は薙ぎ払いを受けた際に壊れてしまい、使い物にならない。

おまけに重い質量の一撃を腹部に受けたためか、左手で口を押えて吐血してしまった。

ポタリと砂を赤く染める血を見て、本当の戦いだということを知ったファーリスは目に涙を浮かべ、思わず失禁してしまう。

騎士の国の王子としては極めて屈辱的な姿だが、そんなことは今の彼にとってはどうでもいいことだった。

「まずはあの尻尾をどうにかしねーとな…エルバ、行くぜ!」

「ああ…」

ジョエルとファーリスを狙っているデスコピオンは背後への注意が散漫になっている。

チャンスだと考え、まずカミュは背中に飛びつき、そこからデスコピオンの頭部までよじ登る。

背中に違和感を覚えたデスコピオンはキョロキョロと見渡す。

「今だ…!」

深呼吸をし、大剣を握る両手に力を込めていく。

大剣にゆらりと黄色いオーラが宿り、力がこもったことで両手がびりびりと震える。

「うおおおお!!」

跳躍したエルバはそのまま力任せに大剣をデスコピオンの尻尾めがけて振り下ろした。

尻尾から生じる痛みに驚いたデスコピオンは叫びをあげる、大きく体を揺らす。

思わず左手を離してしまったカミュだが、振りほどかれまいと右手で体を支える。

しかし、肉質が良いためか、刃は尻尾の肉の5分の1しか入ることができず、完全に切断することができなかった。

「くそ…渾身斬りでもこれか」

エルバはすぐにフォム・ダッハの構えになり、体力の消耗を減らしつつ、振り下ろされる尻尾を右に転がって回避する。

「それにしても、気になるのはあの背中の模様ね…」

負傷した兵士たちをセーニャの元へ下がらせながら、シルビアは今カミュがとりついている背中に描かれているまがまがしい模様に目を向ける。

あの模様に関する情報は何もないが、それが何の意味もなしにあるとは思えない。

「まさか…カミュちゃん!背中の模様に気を付けて!!」

「え…?」

どういう意味かとカミュが反応した瞬間、デスコピオンの背中の模様が一瞬、怪しく光る。

その光を間近で見てしまったカミュは目がくらみ、両手を離してしまう。

「カミュ!」

落ちてくるカミュを剣を手放したエルバが両手でつかむ。

頭から落ちていたため、もしエルバがつかまなかったら、頭を強く打っていたかもしれない。

「大丈夫か!?カ…うぐ!?」

様子を確認しようとしたエルバだが、その前にカミュの拳が顔面に当たり、痛みで一瞬見えなくなる。

エルバの腕から脱したカミュの眼が虚ろになっており、足取りもおかしい。

「ちょっと、あんた!?戦闘中に何してんのよ…って、まさか…」

あの光を見た後であのような状態になってしまったカミュを見て、ベロニカはあの模様の意味を理解した。

「まさか…あの模様、メダパニと同じ効果があるってこと!?」

里で呪文の勉強をしていたときに学んだ魔法陣のことを思い出しながら、ベロニカは叫ぶ。

デスコピオンに描かれている模様がそのメダパニの魔法陣とそっくりだった。

鋭い鋏と巨大な体、そして敵を混乱させる光。

「あわ、あわわわ…駄目だ、こんな任務…本当に断ればよかった!!」

涙を浮かべたファーリスはだれに聞かれようとかまわないと言わんばかりに大きく弱音を吐いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 デスコピオンとの戦い

「カミュ、しっかりしろ…!」

デスコピオンと戦っているため、手段を選んではいられないエルバは混乱するカミュの額に頭突きする。

頭に鈍い痛みを感じ、フラリと後ろに下がったカミュは右手で頭を抱える。

「痛て…俺、何してたんだ?」

「何してたんだ、じゃないわよ!まったく、混乱しちゃって…!」

「うるせぇな!混乱するなんて思わなかったんだよ!!って、うわ!!」

デスコピオンの鋏が振りかざされ、エルバとカミュは体勢を低くすることで回避したが、一瞬回避が遅れたことで、カミュの髪が何本か切れてしまう。

もう少し回避が遅れた場合、どうなっていたかを考えるとぞっとする。

度重なる攻撃を受けたことで、エルバ達を危険だと認識したのか、デスコピオンはファーリスから彼らに注意を向ける。

そして、鋏を使って穴を掘り、その中へ身を隠し始めた。

どうにか阻止しようと、ベロニカはギラを、セーニャはバギを唱えるがそんな呪文を受けてもまったく動きが変わらない。

穴の中に入っていくとともに、砂がその穴を隠してしまった。

「くそっ…どこだ、どこへ行きやがった!?」

「全員離れろ、一網打尽にされるわけにはいかない」

エルバの言葉に従い、カミュ達は固まらないように散開し、いつでもデスコピオンが地上に出てきてもいいように備える。

不気味な静寂に包まれ、ファーリスを守る兵士たちはブルブルと震えながら武器を構える。

「どこだ…どこからくる…??」

完全に見失ってしまったデスコピオンのいつ来るかわからない攻撃にエルバの剣を握る手が強くなる。

左足が滑るように後ろに動く。

その瞬間、デスコピオンの鋏がエルバの左腕をかすめる。

「ぐ…!?」

剣を手放し、鋏を破壊しようとデインを唱えるが、電撃が発射される前に鋏は砂の中に隠れた。

幸いなことに、サークレットを装備していたおかげで浅い切り傷で済んだ。

「奴は…俺たちをなぶり殺しにするつもりで…」

「砂の中から俺たちの動きは分かる見てーだが、動かない限りはそうじゃあなさそうだ…」

しかし、動かなければこちらもデスコピオンを攻撃することができない。

このまま我慢比べに入ると、砂の中でも自由に動くことができるデスコピオンに軍配が上がる。

おまけに、エルバの居場所は分かっており、動かなかったとしてもエルバに攻撃が集中するのは目に見えている。

「なら、まずは俺たちの居場所を少しだけわからなくしてやるか…みんな、耳をふさいで、いつでも走れるようにしろ!」

カミュは音響爆弾を地面に向けて投げ、それを聞いたエルバ達と兵士は慌てて耳をふさぐ。

爆弾が破裂するとともに激しい音が鳴り、エルバ達はその間に移動を始めた。

砂の上で爆発し、激しい音響によって砂が動いていることから、地下のデスコピオンはエルバ達の動きをつかむことができない。

ある程度移動ができたものの、あくまでこれは攻撃から身を守るための行動に過ぎない。

あとはどうやって砂の中のデスコピオンを攻撃するかだ。

「ベロニカ…?」

トベルーラで飛行を始めたベロニカがメラを砂の上に向けて何発か発射する。

火球は等間隔に、そして2本足で歩くような形になるように狙いをつけていた。

そして、最後にメラが命中した場所の近くの岩場にはセーニャが隠れていた。

(さあ…出てきなさい。その尻尾を切ってあげるわ…)

ベロニカのアイコンタクトにセーニャもステッキを構えて静かにうなずく。

あとはデスコピオンが尻尾を出すのを待つだけだ。

10秒経過すると、最後にメラが当たった場所にデスコピオンの尻尾が出る。

「いって、セーニャ!!」

ベロニカの叫びを聞き、セーニャはバギを唱えようとする。

しかし、その前に尻尾が砂の中に隠れてしまう。

「まさか、読まれていたの!?セーニャ、危ない!!」

この言葉と同時にデスコピオンが砂の中から飛び出す。

大量の砂が飛び、その砂が目に入ってしまったセーニャは視界を封じられてしまう。

そして、デスコピオンの鋏がセーニャを襲う。

「セーニャ!!」

鋏の一撃を受けたセーニャはあおむけに倒れ、とどめを刺そうとデスコピオンが彼女に近づくが、その前に尻尾の傷が炎上し、その激しい痛みで大きくひるんだ。

「蠍ちゃん!かわいい女の子に傷を負わせるなんて、許せないわ!!」

怒るシルビアの剣の刀身は炎で燃えていて、彼が息を吹きかけると、その炎はすぐに消えた。

芸の一つである火吹き芸を利用して剣を炎上させ、その状態で敵を斬る我流の火炎斬りだ。

「うおおおお!!」

更に、エルバが再び渾身斬りを放ち、今度こそデスコピオンの尻尾を切断する。

切断されたことでデスコピオンは砂の上を大きく転げ、倒れこむ。

予想外の大ダメージがよほど効いたのか、激しくのたうち回っている。

「セーニャ!!」

ベロニカは急いでセーニャに駆け寄り、傷を見る。

左肩あたりから胸の上あたりまでを斬られており、出血で服と砂が赤く濡れている。

「はあ、はあ…お姉…さま。大丈夫です…。スカラを唱えましたから…」

スカラを唱えたというのは本当のようで、出血は多いものの傷は浅い。

下手をすると左腕を斬り飛ばされた可能性もあり、スカラが間に合ったことにほっとする。

しかし、セーニャの様子を見たエルバは目を大きく開き、次第におびえた表情を浮かばせる。

「あ、ああ…これ、は…」

デルカダール城から脱出した後で見た悪夢にあった、自らの手でエマを殺した光景がフラッシュバックする。

性格や服の色はともかく、その透き通るような金色の長髪はエマとそっくりだった。

「何やってるの!?早くホイミを!!」

「あ、あ、ああ…」

ベロニカの声でどうにか現実に戻ったエルバはホイミを唱え、セーニャの傷口をふさいでいく。

しかし、ベホイミが使えるセーニャと比較すると回復魔力も使える回復呪文も劣っている。

それに、急いでデスコピオンを抑えているカミュとシルビアに合流しなければならない。

「セーニャ、セーニャ!!」

「だ、大丈夫ですよ…お姉さま…エルバ様が…治してくれましたから…」

完全にはふさがっておらず、痛みも消えていないものの、最低限の回復ができたのを感じたセーニャはゆっくりと起き上がり、ベホイミを唱える。

どうにか傷跡が残らないレベルに回復することができ、セーニャは落としたステッキを拾う。

ただ、血を流し過ぎたためか、少しけだるいそうな様子を見せていた。

「…」

セーニャに背を向けたエルバは両手剣を握る手の力を強める。

言葉には発していないものの、仲間を傷つけられたことで、静かに怒りを宿しているのだろう。

その怒りに反応するかのように、エルバの左手の痣が光り、彼の体を青い光に包む。

その光に連動するかのように、カミュの体も青い光に包まれていく。

「こいつは…」

デルカダール神殿の時と同じ状態になり、その時と同じくやることを瞬時に理解したカミュは大きく跳躍しつつ、投げナイフを3本連続で投げつける。

そのナイフにも青い光が宿っており、いつもよりも速いスピードでデスコピオンに迫っていた。

鋏でそのうちの2本を弾いたものの、残り1本はデスコピオンの固い皮を貫き、しっかりと突き刺さった。

しかし、デスコピオンにとってはそれは大した一撃になっていないようで、気にせずにシルビアを襲う。

シルビアは剣と鞭で鋏をさばくものの、デスコピオンは再び後ろを向き、背中の紋章を光らせようとする。

あの光を受けたらどうなるかをもう知っているシルビアは目をつむり、光をやり過ごす。

「さあ、やっちゃいなさい!!」

シルビアがわずかに体をかがめると、彼の背後を走っていたエルバが彼の背を踏み台にして大きく跳躍する。

エルバは自分よりも背の高いシルビアを目隠しに使っていた。

「受けろ…!」

そして、デスコピオンの投げナイフが刺さっている個所に両手剣の刀身の表面を思い切りたたきつけた。

より深々と、柄が見えなくなるくらいに刺さっていき、さすがのデスコピオンもあまりのダメージに悲鳴を上げる。

しかし、その悲鳴も徐々に弱弱しくなっていき、最後はガクリと力尽きた。

どうしたのかと思い、近づいたシルビアはデスコピオンを指でつつく。

デスコピオンは反応を見せないものの、寝息を立てていた、

「なぁーるほど、眠り薬ね」

カミュに目を向けたシルビアは笑みを浮かべ、カミュは砂の上に落ちた2本の投げナイフを刀身に触れないように気を付けながら回収した。

この投げナイフにはナプガーナ樹林で倒したおばけキノコから採取した夢見の花の花粉を混ぜた液体を塗っていた。

「さあて…砂漠のみんなを苦しめた蠍ちゃんにはお仕置きをしないといけないわね!」

どこからか出したのか、鎖を手にしたシルビアはそれで眠っているデスコピオンの体を拘束し始める。

「そういえば、カミュちゃん。今回使った薬、どれくらい持つのかしら?」

「そうだな…経験からすりゃあ、4日くらいはこのままだな」

4日もあれば、デスコピオンを持ち帰り、ファルス3世に見せた後でとどめを刺したとしても余裕がある。

エルバとカミュの手を借りて、しっかりと体を縛り付けることに成功した。

「問題は…これをどうやって運ぶか、ね」

デスコピオンと遭遇した際に戦車が破壊され、本来ならばそれを使って城までデスコピオンを輸送する予定だった。

城からここまでの中継地点にある関所まで連絡すれば、予備の場所を調達することはできるかもしれないが、どれだけ時間がかかるかはわからない。

「じゃあ、私が知らせに行くわ。待ってて頂戴!」

そういうと、口笛を吹き、逃がしていたマーガレットを呼ぶ。

数秒すると遠くへ逃げていたマーガレットが戻ってきて、それに乗ったシルビアは休息をとる必要があるセーニャを乗せ、颯爽とその場を後にした。

「頼んだわよ、シルビア…」

関所には兵士や旅人が休むための場所があるため、そこでならセーニャも回復に専念することができる。

ベロニカはセーニャとシルビアの後姿を見ながら、彼女の回復を願った。

一方、いつの間にか岩陰に隠れていたファーリスは急に回りが静かになったことが気になり、身を乗り出して様子を確認する。

自分に襲い掛かったあのデスコピオンが鎖で縛られているのが見え、夢ではないことを確認するために急いで近づいていく。

縛られていることがわかり、念には念をと顔を見ると、薬のせいでデスコピオンがぐっすり眠っていることが分かった。

念には念をと、眠り薬を塗ったナイフをカミュがもう1本差し、エルバが鍛冶セットのハンマーを使って深く差し込んでいた。

そんなデスコピオンの姿に驚いたファーリスだが、すぐに両拳を腰に当てて高らかに笑い始めた。

「わははははは!!なんだ、砂漠の殺し屋といわれたデスコピオンがまさかこの程度だとは!!全然大したことないじゃないか!」

「…」

まるで自分が1人で倒したかのように宣うファーリスをエルバは無言でにらみつける。

「てめえ…その言葉、もう1度言って…」

普段は少し距離を置いた状態で物事を言うカミュが腹を立て、拳を握りしめながら叫ぶが、急に響いたバチンという音に驚き、拳にこもっていた力がわずかに緩む。

ファーリスも何が起こったのか理解できなかったが、頬に感じる鋭い痛みから、ビンタされたことだけは理解できた。

そして、ビンタしたのはトベルーラしているベロニカだった。

「な…な、なんだよ!!父上にもぶたれたこともないのに!!」

どこかの内向的な主人公が言っていたようなセリフを言い放つファーリスだが、怒っているベロニカはまだそれでは足りないのかともう片方の頬にもビンタをした。

「大したことない…ですって?戦った人たちに、けがをした人たちに、デスコピオンに殺された人たちの前でも同じことが言えるの!?アンタは!!」

「怪我…??」

痛みが残る頬に触れ、ファーリスは周囲に目を向ける。

ジョエルら同行していた兵士たちはファーリスを守るために体を張り、怪我をした体を薬草を貼るなどして自分たちで治療をしている。

また、前に立って戦っていたエルバ、そしてカミュにも多かれ少なかれ傷があった。

おそらく、エルバ達と一緒に戦っていたシルビアも同様だろう。

そして、セーニャは休ませなければならないほどのけがを負っていた。

「アンタのちっぽけな名誉のために戦ったみんなの気も知れないで…ジョエルさん達にありがとうの一言も言えないの!?」

ベロニカのすさまじい剣幕と言葉に、ファーリスは力なく目をそらすしかなかった。

「ベロニカ…」

しばらくの沈黙の後、エルバはその場を離れて崖から景色を見ていたベロニカに声をかける。

今ファーリスを見ていたら、怒りのあまり我を忘れてしまうと思い、虹色の枝を手に入れるチャンスをこれ以上壊したくない彼女なりの配慮だった。

「分かってるわよ…虹色の枝を手に入れるには、あの馬鹿王子の頼みでも聞かないと…」

「そうじゃない…。セーニャのこと、本気で心配しているんだな」

「当たり前よ…。だって、ずっと一緒に暮らしてきた姉妹なんだから」

「そうか…。大切にしろよ。失ってからじゃ遅いんだ…」

エルバには兄弟も血のつながった家族もいない。

しかし、テオやペルラといった育ての祖父と母、そしてエマ達がいた。

村諸共彼らを失った今は、伝えきれなかったことやしてやれなかったことへの後悔ばかりが募っている。

そんな辛さをベロニカには体験してほしくないと、分かっているかもしれないがベロニカに言った。




バラクバ砂丘
サマディー国領の南西部に位置する砂丘で、そこにはストーンサークルやデスコピオンの住処があることで知られている。
ストーンサークルについてはサマディーをはじめとした各国の研究者がいつ、どのような目的で作られたのかの調査を行っているものの、いまでもはっきりと分かっていない。
なお、この地域はデスコピオンなどの魔物が存在することから一般的に立ち入りが禁止されている地域でもある。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 王子の目覚め

整備されていない砂漠の道を巨大な馬車が進んでいて、その上には眠っているデスコピオンが乗っている。

その先頭を白馬に乗ったファーリスが進んでいる。

一方、エルバ達は一緒にはおらず、セーニャと一緒にサマディーへ戻ることになったこと、そしてあくまでファーリスの手柄にしなければならないことから途中の関所で離脱し、先にこっそり戻っている。

しかし、任務を果たせたはずのファーリスは浮かない顔をしており、達成感の欠片もなかった。

(アンタのちっぽけな名誉のために戦ったみんなの気も知れないで…ジョエルさん達にありがとうの一言も言えないの!?)

ベロニカに言われた言葉が胸に突き刺さり、今でも抜ける気配がない。

また、関所から馬車を連れて戻ってきたシルビアからも気になることを言われた。

(あなた、本当にそれでいいの?こんなやり方で名誉を得ても、何も変わらないと思うけど)

「僕だって…僕だって、分かっているさ…」

自分では何もできず、他人にゆだねてばかり。

昨日もそう、今日もそう、きっと明日もそう。

そんな自分のことが不満たっぷりに決まっている。

しかし、両親や国民の期待を裏切らないようにするにはこうするしかない。

自分の名誉のためではなく、国と王家のため。

そうやって自分に納得させ続けていた。

(そうだ…虹色の枝についてはキチンと父上と掛け合って、貸し出せるようにするんだ。そうすれば、少なくともあいつらは文句を言うことはない)

あとはファルス4世をどう説得するかを考えていると、正門に到着する。

ジョエルが門番の兵士に連絡すると、ゆっくりと門が開いた。

既に関所から早馬で知らせが届いているためか、城門近くには数多くの兵士と国民が集まっていて、デスコピオンとファーリスの姿を見るや歓喜の声を上げ始めた。

「ファーリス王子素敵ーー!!」

「まさか数多くの騎士を葬ってきたデスコピオンを自ら生け捕りにするなんて…すげえ…!!」

「これはサマディーの未来が明るいぞーーー!!」

国民の自らをたたえる声にファーリスは手を振ってこたえ、馬車とともに一歩一歩両親が待っている、馬の訓練場を兼ねた中央の広場へと進んでいく。

普段なら気持ちよく笑顔で答えることのできたファーリスだが、今の彼はどこか笑顔を作ることができず、手を振ってこたえることしかできなかった。

ベロニカとシルビアの言葉が引っかかり続けていた。

心の中に居間にも叫びだしたくなる自分がいることに気付いていた。

デスコピオンを捕まえたのは自分じゃない、自分がこのような歓声にこたえる資格はないんだと。

だが、それを言ったら最後、自分の信用は地に落ちる。

そして、同時にサマディー王家の名に泥を塗ることにもなりかねない。

のどにまで届いたその言葉をゆっくりと飲み込みながら、鉛を飲んだような気分になって前へ進んだ。

 

「セーニャ、もういいのか?」

ファーリスが用意した宿の一室で男性用の部屋に入ってきたセーニャにエルバは声をかける。

「はい。ご迷惑をおかけしました…」

負傷したとはいえ、勇者を導くはずの自分が勇者に迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思っているのか、困り顔を見せる。

ラムダの里の天才魔法使いの妹、勇者の導き手などという身分だけを聞くと大層なものだが、セーニャもベロニカもまだ20歳を超えていない若者。

しかし、特に勇者の導き手という大きな役割を背負っている以上、それを言い訳にしたくなかった。

「…君が倒れていたとき、心臓が止まりそうだった」

「え…?」

セーニャに背を向け、サークレットを脱ぐエルバのつぶやきを耳にし、驚きのあまり口元を手で隠してしまう。

「だが、今は安心しているし、親しみも感じられる」

「え…?」

「あまり気負うなよ。それから、部屋まで運んだのはカミュだ。あとで礼を言っておけ」

旅人の服に着替えたエルバは両手剣だけを手にして部屋を出ていった。

(エルバ様…でも、これからどこへ向かうのでしょう…?)

気負うな、と言ってくれたことには感謝しているものの、急に剣を持って出ていくエルバが気になる。

しかし、今日は宿屋で休めとベロニカにきつく言われており、カミュとベロニカは買い出しに出ていていない。

また、シルビアは関所でやることがあると言ってどこかへ行ってしまった。

どちらでもいいので、早く帰ってくることを願った。

 

会場の中央に馬車が止まり、ファーリスは目の前にいる父親、ファルス3世に敬礼する。

息子の勇ましい姿に笑みを浮かべたファルス3世だが、すぐに真剣な表情になり、集まっている国民に向けて叫ぶ。

「見よ!我が国の王子、ファーリスがあの砂漠の殺し屋デスコピオンを生け捕りしてきおったぞ!!」

「あの熟練の騎士を数多く殺したあのデスコピオンを…!?」

「ファーリス王子、すっげー…」

「これであの人も安らかに…」

集まっている国民の中には肉親か関係者をその魔物に殺された人もおり、自分たちの代わりに仇を討ってくれたファーリスには感謝しきれない。

そんな人ごみの中で、エルバはファーリスとデスコピオンをじっと見ていた。

いざというときのため、腰にさしてある鋼の剣をいつでも抜けるように、右手で添えている。

(いいか?もしあのデスコピオンが見せびらかされているときに目が覚めたら大ごとだ。その時はすぐに仕留めろ!)

念には念をと何度も眠り薬をつけたデスコピオンだが、相手は砂漠の殺し屋と呼ばれた魔物。

他の魔物と比較して、そういった状態異常に耐性があったとしてもおかしくない。

(何事もなく終わればいいがな…)

「勇敢な王子がいる限り、サマディーは安泰だ!さぁ、ファーリスよ!国民に言葉を!」

口のうまさには自信のあるファーリス。

立ち上がり、深呼吸をした後で堂々とデスコピオンに指をさした。

今の彼は勇敢な王子を演じるしか選択肢を持っていなかった。

「皆さんの声援を力に変え、この通りデスコピオンを捕らえることができました!あとは…皆さんの前でこのデスコピオンにとどめを刺します!」

腰にさしてある剣を抜いたファーリスはじっと眠っているデスコピオンを見る。

あとは目と目の間にカミュとシルビアがナイフで作った隙間に剣を突き刺せば、一撃でデスコピオンは死ぬ。

それさえやれば、この恐ろしかった任務は終わる。

声援に包まれる中、ファーリスはゆっくりと前進する。

(…?この音は…??)

声援の中で、ジャラリと鎖が動く音がエルバの耳に入る。

旅の中でこうした異音を聞き逃さないようにすることを学んだエルバは恐ろしい可能性を予感し、どうにかデスコピオンに接近しようとする。

しかし、ファーリスによるデスコピオン処刑がクライマックスであるため、多くの国民が前に来ており、エルバはなかなか先へ進むことができない。

「さあ、覚悟するがいい!砂漠の殺し屋!貴様が殺してきた人々の無念を見事、この剣で…!?」

次の瞬間、デスコピオンを縛る鎖がはじけ飛び、鎖だった鉄の破片が周囲に散らばる。

そして、眼を開いたデスコピオンは叫び声をあげ、足元の馬車を何度も踏んで壊した。

「な、なな…」

「急いで避難させろ!ジョニー、ケイムズは民の誘導を!!」

緊急事態であると察した兵士たちは急いで王族や国民を避難させるために即座に動き出す。

デスコピオンが鋏を振るい、叫び声を間近で聞いたファーリスは驚きのあまり足がすくんでしまい、剣を落としてしまう。

「みんな、あわてるな!!俺たちには王子様がいる!王子様がきっとまたデスコピオンを倒してくれるさ!逃げなくても大丈夫さ!」

どこからか声が聞こえ、その声に一部の国民の足が止まる。

「何をしている!?急いで避難を…!」

「そうだ、そうだよな!ファーリスさまならやる!」

「ファーリス様!あの砂漠の殺し屋をおとなしくさせてーー!!」

連鎖するかのように、次々と国民の足が止まり、デスコピオンに近づきすぎないように注意を払いつつ、ファーリスに声援を送る。

「王子!王子!王子!王子!!」

「あいつら…状況が分かっているのか…!?」

万が一のことを考えたら、避難するのが当たり前だ。

王子がいるからという理由だけで避難を辞めて、まるで格闘場で大好きな剣闘士を応援するかのように声援を送る彼らの気が知れなかった。

「誰だ…逃げなくて大丈夫と言った奴は…!?」

エルバは剣に添える手を動かさないように注意を払い、ひととぶつかる中会場を見渡す。

すると、茶色いマントに身を包んだ人物が1人、会場から出ていくのが見えた。

「奴か…」

追いかけたいエルバだが、デスコピオンがいる以上はこの場を動くことができない。

(ファーリス王子…!)

声援が響く中、ファーリスは目に涙を浮かべ、全身をぶるぶると震わせていた。

念入りに眠り薬を刺したのにどうして目を覚ましたのか?

誰か自分を助ける人はいないのか?

だが、兵士たちは国民の避難に手いっぱいで、後ろには両親がいる。

もしここで逃げたら、デスコピオンは間違いなく両親を殺す。

逃げることができず、頼ることもできない状況に陥ってしまった。

「どうした?ファーリスよ。お前ほどの実力であれば問題なかろう?」

武者震いしたまま、その場を動かないファーリスを疑問に思ったファルス3世が声をかける。

1人でデスコピオンを生け捕りにしたというなら、1人で殺すこともできるはずだ。

彼は息子のことを信じていた。

しかし、ファーリスには前へ進む力も勇気もなく、1歩1歩後ずさりしていく。

今のデスコピオンは怒りに燃えており、自分のなわばりに勝手に入ったファーリスやエルバ達を何が何でも殺そうと息巻いていた。

ファーリスについてはなるべく恐怖を与えてから殺そうと思っているのか、ゆっくりと近づき、鋏を研いでいる。

助けを求めるようにファーリスの目線がファルス3世に向かう。

その目線の意味が分からないのか、ファルス3世は首をかしげるだけだった。

すべてをあきらめたように、ファーリスは口を開く。

「父上…僕には、無理です…」

「何…??」

ファーリスの突然の言葉にファルス3世は鳩が豆鉄砲を食らったような表情になる。

しかし、そんな言葉をデスコピオンが聞くわけがない。

あと数歩でファーリスに鋏が届くところまで来ていて、あとはそれで彼を真っ二つにすればいい。

(これは…罰なのか??ずっとみんなを騙してきた僕の…)

「騎士たる者!!」

「…信念を曲げず、国に忠誠を尽くす…え?」

いつもファルス3世が言っていたため、反射的にその言葉で返す。

しかし、その声は明らかにそばにいる彼の物ではなく、ファーリスは声が聞こえた方向に目を向ける。

会場の北にあるサーカステントの一番上に別れたはずのシルビアが立っていた。

右手には剣を握っており、それをファーリスの目の前に向けて投げつける。

剣は地面にグサリと刺さり、突然飛んできた剣に驚いたデスコピオンもシルビアに目を向けた。

「これは…」

「騎士たる者!!」

「どんな…どんな逆境であっても、正々堂々と立ち向かう!」

先ほどの気弱な返しとは真逆に、胸を張って堂々と返す。

ファーリスは今やっと、常々言われていた騎士の掟を本当の意味で理解し始めていた。

「そう!あなたは騎士の国の王子!卑怯者で終わりたくなければ、戦いなさい!」

「僕は…」

今のファーリスには卑怯者という言葉に言い返すだけの力はない。

他人の力を使って強い王子のふりをしてきたこれまでのことは決して変えることができない。

だが、今は違う。

今この瞬間だけでも、騎士の国、サマディーの王子として戦うことができる。

死ぬのは怖いが、それ以上につらいのは卑怯者で終わることだった。

「僕は…!!」

ファーリスはシルビアの剣を抜き、デスコピオンに向けて突っ込んでいく。

エルバ達と戦ったことで、頑丈だった皮膚にもひびが入っており、尻尾は切断されているうえに、鋏もかけている部分がある。

ファーリスは腹部にあるひび割れた皮膚を切ろうとするが、デスコピオンもそこを狙われていることを分かっており、鋏でその剣を受け止め、そのまま大きく振ってファーリスを後ろへ飛ばした。

「ファーリス!!」

目の前で吹き飛び、あおむけで倒れたファーリスにファルス3世が声をかけるが、ファーリスは左手で彼を制止させ、立ち上がる。

「うおおおお!!」

再び走り出したファーリスはデスコピオンと何度も刃を交える。

動きがぎこちなく、まるで素人のような剣さばきで、とても王子の戦いには見えない。

しかし、砂漠の殺し屋に正面から立ち向かう姿にファルス3世だけではなく、国民や兵士の心にもグッとくるものがあった。

「王子、頑張れーーー!!」

「魔物なんかに負けるなーーー!!」

「うおおおお!!」

何度も剣を交えるデスコピオンは目の前のファーリスがあの寝床を襲った時の彼と同じに思えなかった。

あの臆病者がどうしてこうして戦えるのか?

だが、それでも彼を殺すという考えに変化はなく、別の鋏でファーリスの腹部を斬りつけた。

「うう…!?」

「ファーリス!!」

切り口は浅いものの、胸から腹に至って切り傷ができており、そこから流れる血で肌着が赤く染まる。

戦いの中で初めて怪我をし、その痛みを感じたファーリスは目の涙をためながら、歯を食いしばってその痛みに耐える。

「これくらい…これくらいなんだ!!」

自分の面倒事に付き合わされる形で魔物と戦ったジョエル達や負傷したセーニャと比べると、この程度の傷はわけもない。

そう自分に言い聞かせ、強く地面を蹴ってデスコピオンに肉薄する。

自分を貫こうと正面からやってくる鋏が頬をかすめ、剣がデスコピオンの腹部に突き刺さる。

耳をつんざくような嫌な叫び声が響き、やれると自信を持ったファーリスは一度剣を抜く。

ドクドクと血を流すデスコピオンは怒りの眼をファーリスに向け、力いっぱい鋏を振るう。

剣で防御したファーリスだが、その力任せの一撃のせいで剣が折れてしまう、両手がしびれで感覚を失う。

「まずい…!!」

このままではファーリスが殺されると思い、エルバは人混みをようやく突破してデスコピオンに向けて走る。

その体には青い光が宿っており、なぜかシルビアにも同じ光が宿っていた。

「何かしら?この光…けど、やることは分かったわ!」

シルビアも大きくジャンプして会場の中に着地し、エルバのそばへ行く。

エルバが抜いた鋼の剣の向けてシルビアは炎を吹きかける。

刀身が炎で燃え上がり、エルバはトベルーラを併用して大きく飛び上がる。

後ろからの気配に気づき、振り返ろうとしたデスコピオンの頭に灼熱の刃が突き刺さる。

そして、あとは重力に従うかのように下へ落ちていき、刃は首と腕の根元、横っ腹を通過していった。

傷口は燃え上がり、流れるはずの血が蒸発していき、さらに熱が内蔵にまで達する。

「覚悟…!」

左手に力を籠めたエルバはデインを唱え、電撃がデスコピオンを襲う。

駄目押しの電撃を受け、傷だらけになったデスコピオンはゆっくりとその巨体を横たわらせた。

「ふうう…」

絶命したデスコピオンに周囲は息をのみ、声援もやむ。

エルバはデスコピオンの死体を見ると、その額にはあのバトルレックスやヘルバイパーについていた魔法陣が刻まれていたが、すぐに消えてしまった。

(このせいで、デスコピオンは目覚めたのか…?)

地面に落ちていたファーリスの剣を拾ったシルビアは彼の前まで歩いていく。

そして、笑みを浮かべて彼の額を指で小突いた。

「やればできるじゃな~い、かっこよかったわよ。けど、急いでその傷は治した方がいいかも。ああ…エルディちゃんならできるんじゃないかしら?」

「あ、ああ…」

「あの…ごめんなさい。僕、あなたの剣を…」

「いいわ。命には代えられないし、いいものを見れたから…。じゃあ、念のため」

シルビアは拾った剣を返し、ファーリスの胴体に向けて、自動回復呪文リホイミを唱える。

すると我慢していた痛みが若干緩まった感じがした。

そして、シルビアはゆっくりと会場を出ようと彼に背を向け、歩き始めた。

「あ、あなたは…」

「じっとしていろ」

追いかけようとしたファーリスを止めたエルバはホイミで彼の治療を始める。

シルビアは何か言い忘れたことを思い出したのか、もう1度ファーリスに振り返る。

「いい?騎士の国の王子さまなんだから、いかなる時も騎士道を忘れてはだめよ」

「ま、待ってくれ!騎士道に深い理解があるようだが、そなたはいったい何者なのだ!?」

「ただのしがない旅芸人よん♡」

茶目っ気のある答えを返し、ウインクしたシルビアはそのまま歓声に包まれていく会場を後にした。

 

「デスコピオンは討たれたか…」

サマディー上空で真っ黒なオーブに映る会場の様子を見たローブの男は静かにつぶやく。

目的は達成できなかったが、別のより大きなものを見つけることができたのが彼にとって何よりの収穫となった。

「まぁ、いい…。勇者よ、これで終わりではないぞ」

そうつぶやくと、男は黒い煙とともにその姿を消した。

 

「…父上、母上。というわけでファーリス杯で走ったのも、そしてデスコピオンを捕らえたのも、エルディさんなのです」

夕方になり、騒ぎも一段落した後で、エルバ達を王の間に連れてきたファーリスはこれまでのことをファルス3世と母に告白する。

エルバに治してもらった傷については出血は止まっているものの、頬についた切り傷についてはあえて残すことになった。

これまでの卑怯者の自分との決別の証として、残しておきたいという要望のためだ。

信じられない様子だが、デスコピオンと戦っていたときのファーリスの動き、そしてあの表情を見てしまった。

それが真実であれば、これらは説明がつく。

それに、ファルス3世は今までファーリスが訓練する様子をこれまで見たことがなかった。

彼のことをよく見ているつもりが、結局は自分の都合がいいようにしか見ていなかったのだということを痛感した。

ため息をついたファルス3世は顔を上げず、いかなる罰も受ける覚悟でいるファーリスを見つめる。

「ファーリスよ、顔を上げよ。わしたちはこれまで等身大のお前を見ずに、見合わぬ重圧を与えてしまったようじゃ…。謝らければならぬのはわしのほうだ。これからは考えを改めよう」

ファルス3世の隣に立つ王妃は申し訳なさそうにファーリスを見つめた後、ファルス3世の考えに同意するかのようにうなずく。

「だが、ファーリスよ。あのデスコピオンとの戦いでは確かにお前は奴に一太刀浴びせることができた。その傷は決して恥じるものではない。騎士として、確かに国を守った名誉の証じゃ。その勇気があれば、いつかはお前の目標であるデルカダールの猛将、グレイグ殿にも匹敵する騎士となることができよう!」

本心からそう思ったファルス3世はうれしそうに笑い始める。

ようやく、本当の意味でファーリスの成長した姿を見ることができた。

ファーリスも、どうして本当の自分をもっと早く見せることができなかったのか、もっと両親を信じることができなかったのかという後悔とほめられたことへのうれしさから涙を流し始めた。

(グレイグ…か…)

エルバは背中にさしているグレイグの大剣を横目で見る。

自分の敵である彼にあこがれているファーリスに複雑な感情を抱いていた。

涙を拭いたファーリスは協力してくれたエルバ達のため、約束を果たそうと顔を上げる。

「父上、エルディさんたちは虹色の枝を求めてここまで来ました。今回の騒動を収束できたのはすべて彼らのおかげです。国宝である虹色の枝を彼らに貸してはいただけないでしょうか?」

「ん…虹色の枝?うーむ、貸したいのはやまやまじゃが…残念ながら、いま手元にない。行商人に売ってしまったからなぁ」

「な…っ!?」

「なんですってぇぇぇぇ!?」

まさかの言葉にベロニカは絶叫し、言葉を失ったカミュは額に手を当てる。

ファーリスも今の言葉が信じられなかった。

「国宝の…虹色の枝を…売ってしまったですって!?!?どうしてですか!?」

「馬鹿もん!なぜファーリス杯を今年は盛大にすることができたかわかっておるのか!?すべてはお前のためじゃぞ!?」

「そ、そんなぁ…」

これでは約束を果たすことができないと、がっくりと肩を落とし、四つん這いになってしまう。

そして、心の中で二度とこういうことが起こらないように兵法だけでなく、財務の勉強もしようと誓った。

ようやく事情を理解したファルス3世はエルバ達に目を向けた。

「すまぬ、旅の者よ。虹色の枝を打った商人はここから西のダーハルーネへ向かうと言っておったぞ」

「ダーハルーネ…?」

「10年前に自治権を獲得した港町じゃ。西の関所にはわしから言伝ておくから、そこから向かってくれ」

「…ない以上は、仕方ありません」

売ってしまった以上はもうどうしようとなく、いくら彼に問い詰めたとしても戻っては来ない。

どれだけの値段で売ったかはわからないものの、今できるのはそのダーハルーネへ向かうことだけだった。

ファルス3世と王妃がそれぞれの椅子に座った後、ようやく立ち上がったファーリスはエルバたちに向けてきれいな土下座を見せる。

「す、すまなかった!!虹色の枝のことは、まさかこのようなことになってるとは思っていなかったんだ!本当に申し訳ない!!」

「そうじゃな…何か渡せるものがあれば…うん?そうじゃ、ファーリス」

ファルス3世に呼ばれたファーリスは彼のそばへ行き、彼から何かを耳打ちされる。

驚いたファーリスだが、すぐにうなずき、大急ぎで王の間を後にする。

数分経過して、戻ってきたファーリスの手には布でくるまれた片手剣が存在した。

「これはかつてわしが兵法を学ぶために遊学した国で受け取った剣じゃ。今回の侘びとして、受け取ってほしい」

「剣…?」

受け取ったエルバは布をほどくと、その中には紫色の鞘に入った、柄の部分にペルラからもらったユグノアのペンダントと同じデザインのヒスイが埋め込まれた剣があった。

それを抜くと、9枚の花弁ができた花の模様が彫られ、透き通った玉鋼でできた刀身が露となる。

「これは…」

これは明らかにユグノアで作られた剣。

ほかにも渡せるものがあるかもしれないのに、どうしてピンポイントでその剣を渡すのか、気になったエルバはじっとファルス3世を見る。

「どうか、これからのたびに役立ててくれ。旅の者、エルディ殿」

「…感謝します」

おそらく、どこの段階かはわからないものの、ファルス3世は自分たちの正体に気付いている。

彼は知らないふりをして、見逃そうとしてくれている。

エルバは頭を下げると、カミュたちとともに城を後にした。

彼らが出て行ったのを確認すると、ファーリスはファルス3世に目を向ける。

「父上の言う通りでしたね…。でも、あの人からは悲しい何かを感じましたが、とても悪魔の子には見えない」

「うむ…思えば、虹色の枝を売ってしまう前に会いたかったものじゃが…。ファーリスよ、よいな。彼のことはただの旅の者。何も知らなかったことにするんじゃ」

「はい、父上…」

「何が正しいのかはわからん。だが、きっとエルディ殿…いや、エルバ殿なら突き止めてくれるやもしれんな…」

 

「あーあ…こんな面倒事に巻き込まれた結果、無駄骨かよ」

宿屋に戻り、明日の出発のために荷物をまとめ始めたカミュはぼやき始める。

ようやく暑いこの国から出ることができるのはうれしい。

しかし、虹色の枝を売るという暴挙に出たファルス3世の考えが理解できなかった。

息子のために盛大なイベントをやることは悪いことではない。

しかし、そのために先祖代々の宝物を売るのは間違っている。

そうしてまで開催したファーリス杯の経済効果と税収がそれと見合うものになっていることを願うしかない。

「ダーハルーネ…またあのスイーツが食べられる…」

セーニャは以前その町に行った際に屋台で食べたティラミスを思い出し、うっとりとしている。

ラムダの里からやってきた彼女たちがこの大陸に上陸するには唯一整備された港の有るダーハルーネから入港するしかない。

急いでいかなければ、例の行商人はダーハルーネから出てしまう可能性が高いため、出発は朝一になる。

そんな中、コンコンとノックする音が聞こえ、エルバは扉をあけようとする。

しかし、その前に扉が勢い良く開き、立ち去ったはずのシルビアが立っていた。

もし内開きの扉だったら、顔面を強打していたかもしれない。

「エルバちゃーん、ここにいたのねー!」

「ゲッ、まだ俺たちに用があるのかよ!?」

まさかの来客に驚いたカミュは怪しそうにシルビアを見る。

デスコピオン退治に付き合い、ファーリスの成長を見届けた以上、もうサマディーにいる理由もない彼がなぜここにいるのか?

そんなカミュの質問にシルビアはクスリと笑い、笑みを浮かべながら答える。

「決まってるじゃない!アタシもついてくわ。命の大樹を目指す旅に、そして邪神ちゃんを倒すのよ!」

「何…?」

「おいおい、冗談じゃねえよ!いきなり出てきて何言ってんだ!俺たちの旅は遊びじゃねえんだぞ!」

まるで楽しい旅のような言い草が気に食わなかったのか、カミュは拳に力を込めてシルビアに怒りをぶつける。

実力は分かっていて、仲間になってくれたら即戦力になる。

しかし、その態度だけはいただけなかった。

シルビアもそのことが分かっているのか、すぐに表情を生真面目な一点の曇りもない顔へと変えていく。

「もちろん、遊びでついていくつもりでなくてよ。旅芸人として世界中を回って、たくさんの笑顔を見たわ」

各地のサーカスにフリーランスとして参加し、数多くの芸を見せて人々を笑顔にしていった。

それは旅芸人として役に立ったという誇りになっている。

しかし、同時に旅の中でもう1つ目にしたものがある。

「でもね、それと同じくらい魔物たちに苦しめられている人々の悲しみも見たの…」

近年の魔物の活性化によって故郷を失った人、家族や大切な人を失った人たち。

いくら芸を見せて、笑顔にして見せたとしても、失ったものは戻ってこない。

そんな彼らのためにできること自分なりに考えていた。

そして、エルバ達と出会い、共に戦ったことでその答えが出た。

「アタシの夢はね、世界一大きなホールを建てて、そこで盛大なショーを開いて大勢の観客を笑顔にすることよ。でも、みんなから笑顔を奪う邪神ちゃんがいたら、その夢もかなわなくなるんじゃない?。だ・か・ら!アナタ達の旅の目的はアタシの旅の目的でもあるってこと!」

「…みんな、どう思う?」

一緒に戦ったエルバはもう結論を出している。

しかし、カミュ達の意見も聞いたうえでなければしこりが残る。

「…そんなこと言われたら、断れねえだろ…?」

「私は大歓迎です。シルビア様は頼りになりますし」

「私もセーニャと同意見よ。これからよろしく、シルビア!」

「ありがとーみんなー。これからよろしくねー♪ちなみに、これからどうするわけ?」

「俺たちは明日の朝一にここを出て、虹色の枝を持っている商人のいる西のダーハルーネへ向かう」

「ダーハルーネねぇ…。でも、あそこは港町だし、もしかしたらもう船に乗って海に出てるかも。そうしたら、そこからどうするの?」

「そうですね…そういう場合は定期船を乗り継ぐしか…」

「駄目だ、時間がかかりすぎる…」

「それに、ダーハルーネにいる商人の過半数は船を持っていて、よく海に出て商売をしているわ。スピードが違うわね」

しかし、船のないエルバ達には定期船を乗り継ぐしか海に出る手段がない。

更に問題はエルバとカミュで、2人ともデルカダールではお尋ね者で、船に乗る際に身分がばれてしまう。

どうするか考えるも、答えが出ない4人を見て、シルビアは提案する。

「ふふん、船を使えばいいのよ。アタシたちが自由に使える船をね。そう!アタシが持っているフ・ネ・で!」

「嘘…自前の船を持ってるって、すごいわ!!」

ダーハルーネで小耳にはさんだ話だが、個人で船を所有する人は少ない。

ダーハルーネで商人たちが船を持つことができるのはそこに作られたギルドで基金を作ったからで、その基金から船の購入費から整備費、人件費などの援助を行っている。

船を持つということはそれだけコストのかかることで、旅芸人であるシルビアが個人で持っているというのはあり得ない話だった。

(有名な旅芸人で、引っ張りだこなのはわかるが、それでもそれだけの金をもっているようには見えねえ…。シルビア、あいつは何者なんだ…?)

「その船、お借りしてよろしいのですか?」

「もちろんよー仲間じゃない。どんな船からダーハルーネについてからのお楽しみ、ということで!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 ダーハルーネ

馬小屋でそれぞれの馬を置いたエルバ達は潮風の匂いがする屋内の通路を通る。

若干くの字型になるような上下の傾斜があり、その先には町へと続く大きな扉がある。

先頭に立つエルバがどの扉を開けると、強い風が5人を襲い、エルバ達はわずかに目をつぶる。

風が収まり、眼を開くとそこにはレンガ造りの足場と埋立地でできた街並みが広がっていた。

3つの通りの間にはゴンドラが商品を積んで移動していて、商店が立ち並んでいる。

また、3つの通りの先には大きな広場があり、そこでは何かのイベントのために船乗りたちが準備をしていた。

サマディーを出て、5日かけてダーハラ湿原を抜けたエルバ達はその街並みを見て、ようやくダーハルーネについたことを実感する。

「ダーハルーネ…世界有数の港町よ」

「世界で一番デカイ港町ってだけあるな。よさげな家がたくさんあるぜ」

デルカダールの貴族が住んでいる区域の家ほどではないが、それでも一介の商人や住民が住むには大きすぎるような家が立ち並んでいる。

元々は小さな漁村だったが、30年前にとある商人がこの土地に港としての価値を見出し、私財を投じ、サマディーの協力を取り付けて大きな港を建てた。

そして、この港町はサマディーとデルカダールの中継貿易を初めて富を築いていった。

その商人の息子がギルドを築き、商人たちが商船を持つためのハードルを下げた上に、北方にある街、グロッタや外海との貿易も開始し、ダーハルーネは世界一の港町として名をはせることになった。

そのことから、天才商人親子と呼ばれるようになり、子であるラハディオが現在、ダーハルーネの町長とギルドの頭目を兼任し、サミットで自治権が承認されるに至った。

「ふーん…で、そんな街で船を持っているシルビアって、本当はすごい人じゃ…」

「ウフフ、ベロニカちゃん。余計な詮索は野暮ってものヨン♪アタシの船ちゃんは南西にあるドッグでお休み中なの。さあ、行きましょー!」

「あ、ああ…」

シルビア達が歩きはじめ、エルバも後から続こうとしたが、急に視線を感じ、エルバはその視線がする場所に目を向ける。

左側の通りの柱の陰から、茶色いたった髪をしている10歳くらいの子供がいて、エルバに見られたことにびっくりしたのか、そそくさと逃げていく。

(…港町ということは、もう俺の話が届いているということか…?)

もし、そうだとしたら、すぐに船でこの街を出たほうがいい。

そう考えながら、エルバはシルビアの後に続く。

シルビアの案内で、エルバ達は南西にある大型のドックへ向かう。

ちょうど帰って来た商船がドックに入ってきており、その船の大きさを考えると、同じ程度の者の船をあと5隻は要れることができるほどの大きさだ。

ドックの警備をしている若い船乗りとシルビアが1対1で話をしているが、どうもとんとん拍子には進まないようで、シルビアが困った顔になり、それをエルバに見せる。

「んもう、エルバちゃん聞いてー。この男の子が意地悪してアタシをドッグに入れてくれないのよー」

「船の持ち主なのにドッグに入れない…だと?」

百歩譲って出港できないからだとしても、整備状況や物資の積み込み状況などを見るためにドッグに入ることができる。

これはダーハルーネの条例にも明記されている。

それでも入れないということは、何かがあると考えるしかない。

「もうすぐ、この町でコンテストが開かれるんです。その間、ドッグは閉鎖することに…」

「ふーん…なんだか変な話ねー」

「ここまで来て、なんだ、そりゃ。で、俺たちはそのコンテストとやらが終わるまで入れないってことか?」

「はい、申し訳ありません。海の男コンテストはこの町にとって大事な行事ですので…」

「海の男コンテスト…ですって!?」

急に目をキラキラさせ、好奇心が抑えきれなくなったシルビアは更にその男性に尋ねる。

心に宿る乙女心がそうした強い男にあこがれを感じてしまうのだろうか。

「ねえ、詳しく教えてくれない?」

大男がキラキラした目でズイッと近づいてきたことに男性はびっくりし、一瞬ビクリと震えてしまうが、気を取り直してその海の男コンテストについて説明を始める。

「えー、海の男コンテストとは、波のように荒々しく、空のようにさわやかで、海のような深みを持つ、その三拍子がそろった男を決めるものです!そして、その男たちが自らが持っている技術を競い合う姿を海の神様にご披露することで、これまでの繁栄の感謝と、これからの繁栄への祈りを捧げます。もちろん、この町以外の方の参加も大丈夫です。ですので、この時期になると、この時期が来ると美しい肉体を持つたくましい男や潮風の似合う美男子が続々とこの町に集まってくるんですよ」

ラハディオが町長となってから続いているこのイベントは今ではダーハルーネの住民にとって1年に1度の大事なイベントとなっている。

商人たちも大きなビジネスチャンスであるため、相次いで露店を開いて参加者や観戦客相手に商売をしている。

なお、海の男コンテストでの露店設置は許可制となっており、コンテストの経費や商品の購入のために露店を出した商人にはいくらか寄付金を募る形になっている。

この海の男コンテストの優勝者には副賞として、自らの手で海の神へ神酒を奉納する権利が与えられる。

これはダーハルーネの海の男にとっては最大の栄誉だ。

夜になってから、優勝者は神酒の入った樽と共に小舟に乗って海に出る。

白い小皿で酒を一口すくい、飲んだ後で海の神様に向けて自分の言葉で感謝とこれからの加護を願う。

そして、花火が上がると同時に樽の中の神酒を海へ流すことで奉納の儀式を終える。

これが海の男コンテストのクライマックスとなり、海の神によって海の男と認められる瞬間となる。

この儀式は漁村時代に行われた漁師たちによる祭りが参考になっている。

「やだ…なんだかおもしろそうじゃない!それなら、この町で少し休んで海の男コンテストを見てから出発しましょ!そうそう、ベロニカちゃんとセーニャちゃん。せっかくだから、女だけでお洋服やスイーツを見に行きましょ!」

「待て…俺たちは…」

「…海の男コンテストには興味ないけど、ショッピングは面白そうね。そろそろ、装備を整えないといけないし、前に来たときに見た新しい靴も見ておきたいし!」

「ちょっと待てよ!俺たちは虹色の枝を探しに来たんだぜ、遊んでる暇はねえっつーの!」

このままでは何も手を打たず、遊んですごす状態になってしまうことを危惧したカミュは怒りながらも早く出港するための手段を考える。

このままのんびり港町で待っていたら、必ずデルカダールからの情報が何らかの形で入ってくる。

そうなったら最後、追われる身である自分やエルバは捕まり、逃げようにも出港できなくなってしまう可能性が高い。

それに、時間が経てばたつほど虹色の枝の行方が分からなくなっていく。

しかし、そんなカミュをセーニャは少し泣きそうな表情になって見つめていた。

「な、な…セーニャ?」

のんびりとしているが、自分の使命を果たすことにすべてをかけることができる。

カミュはセーニャをそんなふうに見ていた。

だが、そのセーニャは横歩きにベロニカとシルビアのそばまで行ってしまう。

そして、エルバとカミュに向けて直角になるように頭を下げた。

「ごめんなさい!私…甘いものには目がないんです!」

「セ、セーニャ…嘘だろ…?」

女性陣のストッパーになると期待していたセーニャがまさかとカミュは絶句する。

そして、シルビアを先頭に女性陣3人はそのままその場を後にし、店を見に回り始めた。

「はぁ…あの女3人組はどうしようもねえな…」

「俺たちはどうする?何か手立てはあるということか?」

「まあな、俺のこと…分かってきたみたいだな」

「…」

「だんまりか。ま、いいぜ。ここの町長のラハディオっておっさんに直接交渉だ。きっと、このコンテストの主催もその人だな」

「だが、町長が簡単に旅人に会うと思うか?」

サマディーでは、運よくバトルレックス討伐の傭兵という立場になることができたから王に直接会うことができた。

しかし、運よくそういう話が転がっているほど世の中は甘くない。

そうなるとラハディオの知人に口添えしてもらうなどする必要がある。

そんなことを考えていると、先ほどまでエルバ達の話を聞いていた若い男が口を開く。

「大丈夫だと思いますよ。ラハディオさんはどんな相手でも優しく接する人格者ですから。町の北東のお屋敷がラハディオさんの家です」

「そうか…ま、行ってみるか」

「ああ、セーニャ達をこのまま待つわけにもいかないからな」

 

屋敷へ向かったエルバは男が言っていた屋敷のドアの前に立つ。

他の街の豪商の屋敷と比べると大きさも構造も大して変わりはなく、ドアに刻まれている家主の名前を見ることでようやく特定することができた。

てっとり早く済ませようと、カミュはドアをノックする。

するとドアの向こうから執事と思われる男性の穏やかな声が聞こえてきた。

「はい、いらっしゃいませ。どちら様でしょうか?」

「しがない旅人だ。町長のラハディオさんに用がある。会わせてくれねえか?」

「かしこまりました。少々お待ちください」

扉の向こうから足音が聞こえ、ギイギイと階段を上るような音に変わっていく。

しばらくすると扉が開き、頭頂部が剥げている、小太りで背丈はエルバとカミュよりも低い男性が出てくる。

着ている茶色い革のコートと白いジャボから、少なくとも執事ではなく、この家の家主だということは理解できた。

「あんたがラハディオさん?少し頼みたいことがあるんだ」

「ええ。私がラハディオです。どのようなご用件で…」

笑みを浮かべたラハディオがカミュと話を進めようとするが、ふとその隣に立っているエルバに目を向ける。

彼の顔を見たラハディオは驚くと、一歩後ろに下がってドアノブに手を置く。

「…あんたたちと話すことはない。さっさと消えてくれ」

そう言い残すと、勢いよくドアを閉めた。

同時に施錠する音が2人の耳に届いた。

「全然取り合ってくれなかったな…」

「…知られていると思ったほうがいいかもしれないな。俺たちのことを。それで、パニックを避けるためにまだ公表していない…」

後半は、あくまでエルバの希望的観測だ。

街に入ったときに受けた少年の目線は明らかにエルバを警戒したものだった。

きっと、もうすぐ町人全員にエルバ達のことが知れ渡ることになるかもしれない。

そうなると、もう船とか虹色の枝とか言っていられなくなる。

「港町ってことで、嫌な予感がしたが、こうなったら俺が1人ででも侵入して…」

「カミュ様、エルバ様!そちらにいらっしゃったのですね!」

2人の姿を見て、駆け寄ってきた幸せそうな笑みを浮かべつつ、左右それぞれの手に握られているマドレーヌの右手側のそれを口にする。

食べ過ぎると太ることは分かっているし、踊り子の服を着ていて、普段と違って露出の多い服装なために目立つのは分かっているものの、やはり年頃の少女の誘惑からは逃れられない。

「そういやぁ、おっさんとベロニカはどうしたんだ?」

「一緒じゃないのか…?」

「それが…」

もう1つのマドレーヌを腰に下げているスイーツ専用の袋に入れた後、セーニャは困った表情を見せる。

エルバ達の素性が知られているかもしれない状況下では、これ以上のトラブルは避けたいところだ。

「お姉さまが大変なんです。すみませんが、一緒に来ていただけますか?」

「まったく、あのチビちゃんには世話が焼けるぜ。いいぜ、案内してくれ」

「はい!こちらです!」

セーニャの先導に従い、エルバ達は階段や迷路のような路地を通り、東端にある通路に到着する。

(あいつは…)

エルバの目に飛び込んだのは、ベロニカの杖を持った少年に対し、取り返そうと突っかかるベロニカの姿だった。

ちなみに、今のベロニカの服装はなぜか茶色い虎猫柄の着ぐるみ姿になっている。

驚きだったのはその少年があのエルバを見ていた人物だった。

「ちょっと、返しなさいよ!あたしの杖!アンタみたいな子供がこのベロニカ様の杖を使おうなんて100年早いわ!」

「お前だってガキじゃねーか!ちょっと借りるだけって言ってるだろ!?」

突っかかる2人の間に立つ、茶色い坊ちゃん頭で薄緑の服を着た、あの少年と同年代の少年がオロオロした様子を見せている。

「なぁ…こいつは何があったんだ?」

「買い歩きをしていたら、突然あの男の子がお姉さまの杖をひったくって…やっとここまで追い詰めてきたんです」

盗賊である自分が言えたことではないが、もっと用心して歩くことができなかったのかと思い、カミュは後頭部をかく。

こういう都会では窃盗やスリがあるのは当たり前で、エルバもデルカダールでスリ未遂にあっている。

女3人組で楽しく歩いて気が抜けたのだろう。

カミュは少年の背後に回ると、片手で杖を取り戻す。

少年は放すまいと両手で握って抵抗したが、大人であるカミュとの腕力は雲泥の差だった。

「ほらよ、もう盗まれたりするんじゃねーぞ」

カミュは取り返した杖をベロニカに返す。

杖を取り戻し、一安心したかのように笑みを浮かべたベロニカはある疑問を頭に浮かべる。

「ねえ、アンタ。あたしの杖を盗んでどうするつもりだったわけ?売っても、大した値にはならないわよ」

ベロニカの杖は市中では出回っていないデザインの一品物だ。

前にエルバとカミュはベロニカやセーニャが使っている杖とステッキについて聞いたことがある。

どれも長旅に使用することを想定されていて、そのために安価で調達しやすい素材ばかり使われている。

そのため、デザインは評価されるかもしれないが、どちらも売ったとしてもあまり価値がない。

「…」

少年は口ごもり、顔を下に向ける。

「どうしても…言えない事情があるのか?」

そばに行って聞こうとエルバが歩き出した瞬間、先ほどまで気弱な態度を見せていた少年が杖を盗んだ少年をかばうように前に出る。

「…なんだ、お前?」

カミュの質問に少年は答えようと口を動かすが、なぜか声が聞こえない。

どうしても伝えることができず、頭をかきむしる彼のことが見ていられなくなった少年は彼の肩に手を置く。

「ヤヒム、ここは俺が話す。無理すんなよ。俺はラッド、で、こいつが俺のダチのヤヒム。こいつはこの町の町長、ラハディオさんの一人息子なんだ。こいつとはよく一緒に遊んでたけど、数日前から声が出なくなっちまったんだ。何があったのか聞いても分からねえし、医者や神父様に相談しても原因がわからねえ」

「でしたら、筆談では…」

「そいつもダメだった。証明してやろうか?ペンと紙を貸してくれ」

エルバは軽く首を縦に振り、袋から旅費計算のための帳簿とインク、羽根ペンを出す。

そして、帳簿の使われていないページを1枚ちぎり、羽根ペンにインクをつける。

それらを受け取ったラッドはヤヒムにそれらを渡し、ヤヒムは壁に紙を押し付けて、何かを書こうとする。

しかし、急にヤヒムの右手が震え始め、字を書こうとしても書けず、ただ震えた線を引くことしかできなかった。

「筆談もダメだ。町の学校で字を勉強してるのによ。それで、魔法使いの杖でも使えば、魔法の力でこいつのノドと腕を治せるんじゃないかって思ったんだよ…」

事情を聴いたベロニカはじっと取り戻した杖を見る。

呪文を少し学んだ人にならわかることだが、杖はあくまで装備している人の魔力を増幅させる媒体。

見たところ、ラッドからは潜在的な魔力は感じられず、仮にこのつえを使ったとしても何の解決にもならない。

だが、友達のために何とかしたいという思いは理解できた。

「杖のことはひとまず置いておいて…それよりも声が出ないし字も書けなくなったヤヒムが心配ね。医者に聞いてもダメだったということは…」

ベロニカがセーニャを見て、首を縦に振ると、セーニャはヤヒムの前へ行き、ゆっくりと姿勢を低くする。

そして、利き腕とノドに手を当て、深呼吸してから彼をじっと見た。

「これは…とても強い呪いですね。のどと腕の両方に。一体、誰がこんなひどいことを…」

「それは後からでいい…治るのか?」

「はい。さえずりの蜜を媒介にして、シャナクを使えば、どちらの呪いも解くことができます。ですが、それを作るには清き泉の神聖な湧き水が必要です」

「湧き水…俺、その話聞いたことがあるぜ!ヤヒム、ペンと紙、借りるぜ!」

紙とペンを手にしたラッドはとりつかれたかのように、紙にダーハルーネを中心とした湿原の地図を描き始める。

街道の形や木の場所などを思いつく限り正確に記入し、最後にダーハルーネから見て西側の地点に印をつける。

「ここだ!この町の近くに流れている川の上流に霊水の洞窟ってところがあるんだ!すっごくきれいな泉がその奥にあって、昔はその水を使って神酒を作ってたって」

紙をベロニカに渡し、ラッドはエルバ達に向かって頭を下げる。

「頼むよ、見ず知らずのあんた達に頼むのは筋じゃないってのは分かってる!けど、俺とヤヒムは小さいころから兄弟みたいに仲良くしてきたんだ!ドロボーしたのは謝るし、できる限りもお礼はするから、ヤヒムを助けてくれ!」

(また、面倒事か…)

旅に出てから、こうしたトラブルに巻き込まれることが多くなったエルバはまさか勇者の痣がそれを招いているのかと思い、ため息をつく。

だが、ヤヒムのことは放っておけないうえ、必死に頭を下げて頼んでいる彼を無下にはできない。

それに、ヤヒムがラハディオの一人息子であるため、仮に助けることができたとしたら、もしかしたら彼にもう1度掛け合うチャンスができるかもしれない。

「…分かった。なんとかしてみる」

「あ、ありがとうな!兄ちゃん!!」

「仕方ねえな…じゃあ、おっさんと合流して、まずは装備を調達しようぜ。少し、急ぐことになるけどな」

世界一の港町であるダーハルーネなら、様々な武具が入ってきてもおかしくない。

これからのことも考え、可能な限り装備を調達した方がいいと考えたカミュの意見に賛同した。

 

「…それだけでいいのか?」

「ああ。こいつなら、動きの邪魔になりにくいうえに急所が守れる。俺には鎧よりもちょうどいいのさ」

購入したばかりの鉄の胸当てを装備したカミュは練習用に設置されている広場で2本のナイフを手に少しだけ体を動かす。

持っているのは毒蛾のナイフで、毒蛾の鱗粉を塗り込んだ刃で傷つけた相手のしびれさせることができるとのことだ。

また、道具屋で吹き矢や爆弾、罠の素材もある程度購入していた。

「ほら、エルバちゃん。少し剣のテストを手伝ってくれないかしら?」

折れた剣の代わりとして購入したレイピアを手にしたシルビアがウインクしてエルバを誘う。

サマディーで鎧を手に入れ、更にはグレイグの大剣を手にしているエルバや武器や防具が他の職業よりも重視されないセーニャとベロニカは特に購入したいものはなく、買ったとしても杖とスティックの修理用素材とさえずりの蜜を作るのに必要な薬草だけだ。

「ああ…」

シルビアと対峙し、両手剣を抜いたエルバはじっと剣先をこちらに向けるシルビアを見ながらゆっくりと構える。

「いい構えね。何度も練習している…」

「ああ…あんたに勝ちたいからな」

ダーハルーネへ向かうまでのキャンプで、エルバは特訓を兼ねて何度か模擬剣でシルビアと試合をしたが、勝てたのはマグレの1本のみで、残りはすべて負けてしまった。

そのうちの3本は逆転負けで、決め手に欠いていた。

「そう、けれどそんなに悠長にはできないわ。1本勝負よ」

「その通りだ…な!」

重量がある分、動きでは軽量なレイピアで旅芸人故の身軽さを持つシルビアのフィールドで戦うわけにはいかず、彼から動くのを待つ。

シルビアもその思惑がわかっているようで、笑みを浮かべ、剣先を向けたままエルバの周囲を回るように足を動かす。

エルバもそのシルビアの動きを見逃さないよう、シルビアに目を合わせた。

「構えは悪くないわ…けど、相手が動き出すのを待つ割には強張ってるわよ?」

笑みを浮かべ、余裕な態度を浮かべるシルビアに対して、エルバの表情は硬く、それもポーカーフェイスというわけではなくどこか焦りの色もある。

こういう余裕の有無で明白な違いがあり、このままではエルバがしびれを切らして飛び出す可能性もある。

(うーん、なんだかそっくりね。彼と…)

ふと、昔を思い出してしまったシルビアはクスリと笑ってしまう。

目の前の彼の装備、そして彼の表情があまりにも昔見たものとそっくりだったからだ。

「動く気はない…レイピアのテストがしたいなら、来い」

「あら、相手の有利な土俵で勝負をすることはないわ。でも、このまま動かないのも、つまらないわね」

そうつぶやくと、シルビアはレイピアは鞘に納め、両足を広げてかがむように上半身を前に腕ごとおろしていく。

(何を…?)

「ウフフ、とっておきの技を見せてあ・げ・る♡」

ウインクしたシルビアはブルブルと体を震わせると、体を起こして両腕を上へ伸ばしていく。

そして、両手を握るとその手にはピンク色の光が宿り、両手を拳銃のような形にして、重工となる人差し指をエルバに向けると、指先にそのピンク色の光が収束していく。

「ま、まさか…呪文を!?」

「ア・モーレ!」

叫びと共にハートの形になった光が発射され、エルバの両手剣の刀身に命中、爆発を起こす。

両腕にビリビリと衝撃が伝わり、そのよくわからない技の威力に困惑する。

両手剣で完全にガードできているため、ダメージには至っていないものの、動きが止まってしまう。

それをシルビアは見逃すはずがなく、一気に間合いを詰めて、居合切りのごとくレイピアを抜く。

隙を突かれたエルバは両手剣を盾替わりに防ごうとしたが、間に合わず、レイピアの刀身が左の首筋にあと数センチというところに迫っていた。

「…よくわからない飛び道具を使うとは聞いてないぞ…?」

「それはそうね。言ってないだけで、あなたも呪文を使ってよかったのよ。これで一本ね」

レイピアをしまい、終始余裕な態度を崩さなかったシルビアは悔しそうに見るエルバの肩を叩くと準備のために広場を後にする。

(うーん、エルバちゃん。ちょっとてこずっているみたいね)

両手剣の型はあらかた習得し、デスコピオンとの戦いでその動きの変化をつかむことができた。

しかし、サマディーを出てからの特訓ではエルバの成長を中々感じ取ることができなかった。

どうすればよいのか考えているが、剣術指南役ではないが故の限界なのか、答えが出ていない。

(これから何かきっかけか、天啓…みたいなものを見つけることができたら、きっとエルバちゃんは…)




ダーハルーネ
ダーハラ湿原に現在の町長であるラハディオの父親であるカリディオが建設した港町。
陸路を通じてサマディー王国とホムラの里がつながっており、海をまたいだ北側には外海につながる水門やリゾート地であるソルティコ、そしてデルカダールに向かうことができる最高の立地であるため、ここでは各地の産物が集まっては世界中に船で輸出されている。
それによって得た富や商人たちが結成したギルドを中心に政治活動を行っていることから、ラハディオの代でサミットによって自治都市の指定を受けることに成功している。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 霊水の洞窟

「すごくきれいですわ…。これなら、きれいに洗濯ができます」

「うわ…汗臭。カミュの奴、どれだけこの服洗ってなかったのよ!?」

透き通った冷たい水が流れる沢で、セーニャとベロニカは洗濯を始めていた。

ダーハルーネを離れてから東へ徒歩で進み、霊水の洞窟に入ったエルバ達は夜中の移動の危険性から、その中で見つけた広場で休むことになった。

かつての神酒に使われたというだけあって、かなり透き通った水で、セーニャも一瞬、その沢の水でさえずりの蜜を作れるのではと思った。

しかし、さえずりの蜜を作るにはそれ以上に透き通った水でないといけないので、結局最深部の水がわいている地点まで向かうことになった。

ベロニカはそんな由緒正しき水でカミュのような清潔感に疎い男の服を選択するのに罪深さを抱いた。

「ここの水はともかく…ヨルモレアの蜜はダーハルーネで手に入ってよかったわね」

「はい。ヨルモレアはラムダの里の周辺でしか取れませんから…」

ヨルモレアは涼しい山地で春に採ることができる花で、のどに良く効く薬として重宝されている。

温暖な気候の地域でも、ヨルモレアは繁殖できるが、その場合は花がない状態で、花になる条件は今でもわからないようだ。

そして、その花の蜜は解呪の力が宿っており、容易に収穫できるラムダの里以外の地域では高値で取引されている。

自分たちの故郷ではたくさん採れるその花の値段を知ったときは2人とも驚いた。

「さあてっと…洗濯も済んだし、早くシチューが食べたいわー…」

「シチュー?どうしてですか…?」

「だって、今日の料理当番はエルバよ。あいつが作る料理としたら、シチューくらいよ」

「お姉さま…エルバ様だって、シチュー以外にも料理は作れますわ…多分、ですけど…」

エルバ達一行のキャンプでの食事は当番制となっており、エルバとセーニャ、ベロニカで交代でご飯を作る。

カミュとシルビアは料理の腕が初心者のため、たまにナイフで食材を斬るくらいの手伝いしてかできない。

セーニャが強く反論できなかったのはエルバが作る料理がシチュー以外思いつかなかったからだ。

確かに、サマディー砂漠で獲れたばかりのキメラの肉と骨を使ったシチューはとてもおいしかった。

だが、3度に一度のレベルで、おまけに朝ごはんは大抵の場合晩ご飯の残りを食べることが習慣付きつつあるため、何度もシチューが数日に1度のペースで出ると飽きてしまう。

シチューはエルバの大好物で、イシの村の思い出が詰まっていることから、強くは言えないものの、当番をする以上、エルバはもっと多くの種類の料理を作れるようになった方が良い。

「はぁ…その話はエルバにとって触れられたくないものだから、やるからには何かきっかけがないと…」

イシの村で起こった事件については、カミュからエルバに聞かれないところで教えてもらっている。

エルバが自らの手で村人の亡骸を火葬し、葬ったときの心情がいかほどのものだっただろうか。

同じ経験をしていないセーニャ達にはその痛みについて知ろうとすることができても、完全に理解することはできない。

勇者の導き手としての役目を受けたにもかかわらず、そういうところで彼を助けることができないことへの無力感を感じながら、2人は洗濯し終えた衣服と下着をもってキャンプに戻った。

 

「カミュちゃん、周辺の様子はどうだったかしら?」

「問題ねえ。夜行性の魔物は少しいるが、基本的に寝てるやつらばかりだったぜ」

キャンプの周辺の索敵を終えたカミュはシルビアからもらったエルバのシチューを食べ始める。

紫色の体で、女性型の蝙蝠人間ともいえる魔物の暗闇ハーピーがその夜行性の魔物の一種で、見つけたときはかなりゲンナリしたのを覚えている。

真夜中に目覚める彼女たちは蝙蝠と同じく、超音波を使って獲物の居場所を特定して仲間に知らせる。

普通の蝙蝠の主食は虫だが、彼女たちの場合は洞窟内ではポイズントードを、洞窟を出てダーハラ湿原に遠征する際にはダックスビルを主食にする。

これは本当にあった話かどうかは分からないが、とある旅人が真夜中に暗闇ハーピーに見とれてしまい、そのまま彼女たちに捕まり、食料にされたという噂がある。

カミュはその話を嘘だと思っていたが、実際に暗闇ハーピーを見てみると、体つきはナイスバディと言えるものであり、その噂が真実かもしれないなと思うようになっていた。

彼女たちはポイズントードに夢中だったようで、見つからないように忍び足でキャンプまで戻ってきた。

「そう、ありがと。明日はどうやって進めばいいかしら?」

先に食べ終えたシルビアは同じく食べ終えているエルバと共に地図を広げる。

これはダーハルーネを出る際にヤヒムが持たせてくれた霊水の洞窟の地図で、彼がこっそりラハディオの書斎からその写しを持ち出して来てくれた。

この地図の内容が正しければ、ここから沢沿いに東へ向かい、途中で大岩が落ちているところから西へ崖沿いに大きく迂回することで向かうことができる。

馬小屋がラハディオの命令で一時凍結されてしまっていて、フランベルグ達を連れていけなかったが、この洞窟は段差や岩が多く、馬が走りづらい場所であるため、置いてきて正解だったかもしれない。

「さあ、食べ終わったら少し体を動かしましょ」

「ああ。今後は負けねえぞ、おっさん」

そろそろシルビアに模擬戦で勝ちたいと思っていたカミュは不敵な笑みを浮かべると、一気にシチューを口の中に放り込んでいった。

しばらくカミュの相手をするだろうと考え、エルバは2人の食器をしまう。

「あー、エルバ。ちょっといい?」

「どうした?」

「えーっと、エルバって、他にどんな料理を作れるの?」

イシの村のことを触れず、無理やりシチューを禁止しないようなニュアンスになるように注意しながらベロニカは言葉を選ぶ。

そのため、エルバは特に嫌な表情は見せずに考え始める。

「手伝いくらいでしか料理を作っていないからな…シチュー以外は少しだけだ」

「例えば…?」

少しでもいいから別の料理が出る可能性が出てきたことで、ベロニカは身を乗り出して答えを聞こうとする。

「思いつく限りだと…ブイヤベースだな」

「ブイヤベース?」

「たまに魚や貝が食べられる日に作る料理だ。香辛料と野菜で煮込んで、うまい料理だぞ」

元々は料理が見た目が悪い、処理に手間がかかるなどの理由で商品価値が出ない魚を大鍋に塩と一緒に煮込むだけの料理だった。

しかし、それに野菜や香辛料を入れるなどの工夫が施された結果、海鮮寄せ鍋のような料理となった。

だが、シチューは元々野菜や肉、魚介類を出汁やソースで煮込んだ煮込み料理の総称であるため、結局ブイヤベースもシチューだ。

「そ、そう…じゃあ、他には…」

「あとは…牛乳がない時はボルシ…」

「…もう、いいわ。ありがとう」

「ん…?」

結局、シチューしか作れないことが分かったベロニカは会話を終え、残りのシチューを食べる。

こうなったら、エルバの当番の回数を減らし、自分とセーニャの当番を増やしてどうにかしようと決意していた。

 

翌朝、休息を終えたエルバ達は地図に従い、崖沿いを迂回していく。

書いてあった通り、一番の近道となる道は大岩でふさがっていた。

「それにしても、魔物がいなくて安心しますわ…ふああ…」

「セーニャ!寝るんじゃないわよ!っていうか、まだ寝足りないの!?」

5人の中では真っ先に寝ることが多く、一番遅くに起きるセーニャが緊張感が抜けてあくびをする。

これまで町以外では魔物と遭遇することが多かったうえに、この洞窟でキャンプをする時まではダックスビルやポイズントード、しびれクラゲ、スライムつむりなどの魔物と遭遇した。

しかし、昨日までの魔物たちがいたのが嘘だったかのように、今日起きてからここまで魔物と遭遇したことがない。

「うーん、嫌ーな静けさね。まるで嵐の前って感じ」

「同感だぜ、おっさん。それに…臭い感じがするぜ」

自分に手に負えないような強力な魔物と遭遇するときの多くが、そういう魔物がいないように見える時だ。

魔物も多くが生き物である以上は食物連鎖の法則の中にある。

それによって魔物の中でも生体ピラミッドが出来上がり、強力な魔物であればあるほど個体数が少なくなる。

また、今カミュの嗅覚に伝わっているその匂いは間違いなく、生き物の血だ。

「気を付けろよ、エルバ。みんな。どうやら俺たち、ついてないことに遭遇しちまうみたいだ」

歩を進めていくにつれて、だんだん耳元にゴリゴリと薄気味悪い咀嚼が響く。

「近いわね。セーニャ、今のうちにアタシ達に…」

「はい」

念には念をと、セーニャはエルバ達にスカラを唱える。

これで、万が一攻撃を受けることになったとしても、ある程度ダメージを軽減できる。

回り込む道に入り、少し進むと、そこにはいくつものサンゴや藤壺でできた巨体が道をふさぐように座り込んでいた。

「シーゴーレム、サンゴでできたゴーレムよ。でも…」

聞こえる咀嚼音の正体はシーゴーレムのもので、彼のそばにはさまざまな種類の魔物のの骨でいっぱいになっており、おまけに血だまりもできている。

おかしいのはなぜ、シーゴーレムが魔物を捕食しているかだ。

シーゴーレムの主食はサンゴと同じく共生藻からもらう栄養素であり、海にある程度の時間潜ることで得ることができる。

そのため、魔物を捕食する必要がない。

しかし、ここにいるシーゴーレムは通常の倍以上の体の大きさをしているうえに間違いなく魔物を捕食していて、通常の魔物の生態系からかけ離れている。

(エルバちゃんたちの言っていた邪悪の神ちゃんの話…本当なのは確かね。こんな不気味な魔物が現れるとなったら…)

ゴゴ、とサンゴの体が動き出す音が聞こえ、シーゴーレムがエルバ達に振り返る。

口にはべっとりと魔物の血がついていて、無機質な魔物のはずのシーゴーレムが極上の食料を見つけた嬉しさからか、ニヤリと笑っていた。

「構えろ!!」

カミュが叫ぶと同時に、シーゴーレムが立ちあがり、エルバ達に向けて激しく咆哮する。

あまりの激しさにビリビリと身の毛がよだつ感じがし、地面の小石が飛んでいく。

(なんだ…シーゴーレムはああいうモンスターなのか…??)

シーゴーレムとこれまで遭遇したことがないエルバは両手剣を抜き、そのサンゴの怪物をにらむ。

すると、そのモンスターが口から鉄砲水を発射する。

「ぐ…!!」

なんとか剣を盾替わりにして水を受け止めるものの、鉄砲水の勢いに押され、大きく吹き飛ばされてしまう。

剣を地面に突き刺し、両手に力を込めたことで耐えることに成功したものの、このまま吹き飛ばされ続けていたら崖から真っ逆さまになっていた。

「こいつ!!」

「まずはあの硬い体をどうにかしないと!!」

カミュが爆弾を投げつけ、ベロニカはトベルーラで飛行しながらイオを唱え、2つの爆発がシーゴーレムを襲う。

だが、シーゴーレムはそんな爆発を気にする様子はなく、しかも直撃したにもかかわらず無傷だった。

「まずいわね…」

セーニャのそばで鞭を構えるシルビアはどのようにしてあのシーゴーレムを倒すべきか思案する。

異常なまでに大きく、しかも先ほどの鉄砲水の威力も高すぎる。

セオリーとしてはバギなどの風属性の攻撃を仕掛けるべきだが、今その技が使えるのはセーニャのみ。

しかも、覚えている呪文はバギのみなため、それが通用するかどうかは分からない。

「シルビア、セーニャ!!」

だが、考えている間にもシーゴーレムは2人に、そして体勢を立て直したエルバにせまってくる。

(この呪文はまだ覚えたてだけど…そんなこと言ってる場合じゃないわ!)

なんとか3人が退避するために、ベロニカはある呪文を使うことを決意する。

その呪文は昨晩に契約を果たして使えるようになったばかり。

ぶっつけ本番になってしまったが、ここはラムダの里の天才魔法使いを自称する自分のセンスを信じるだけだ。

「ボミオス!!」

ベロニカの手から紫色の波紋が発生し、それがシーゴーレムを襲う。

波紋を受けたことで、だんだんとシーゴーレムの動きが鈍くなり、進む邪魔になるシルビアとセーニャに向けて振り下ろそうとしていた拳の速度も半減する。

2人はその間にシーゴーレムから距離を取り、シーゴーレムの拳は何もない地面を叩きつける。

だが、速度が落ちたとはいえ威力は健在で、地面に大きなひびが入った。

「そうよ…このままノロマになってしまいなさい!!」

スカラやルカニとは違い、ボミオスは継続して魔力を放たなければならず、仮にその魔力が切れたら、せっかくかけたボミオスが解除されてしまう。

優れた賢者であれば、その間に別の呪文を使うことができるのだが、まだベロニカはその段階には達していない。

だが、それでもできることはある。

「セーニャ!!」

ベロニカは杖をセーニャの背後の離れた場所に向けて投げつける。

杖が地面に刺さり、宝石が赤い光を発すると、そこを中心に魔法陣が構築される。

「これは…!!」

「セーニャ!そこで魔力を増幅させて!!」

「はい!!」

セーニャは魔法陣の中に入り、そこで目を閉じるとスティックに精神を集中させていく。

魔法陣が赤い光を放ち、セーニャの体を赤い光に膜で覆っていく。

光からベロニカの魔力を感じ、セーニャは頭の中に竜巻を思い浮かべる。

イメージが固まると、眼を一気に開く。

「バギ!!」

魔法陣の力で増幅された魔力が竜巻の勢いを強めていき、動きの鈍いシーゴーレムを襲う。

風属性が弱点なうえに威力が高まったバギが固いサンゴの体を砕き、その破片を吹き飛ばしていく。

だが、いくら体を吹き飛ばしたとしても、こうしたモンスターはコアを破壊しない限りは動き続ける。

実際、胸部にある紫色のコアは無傷で、右腕と左足の先を破壊されても動いている。

しかも、よく見るとサンゴがスライムのように増殖を始めていて、体を元通りに戻そうとしている。

「くそ!再生能力だぁ!?」

確かに、シーゴーレムのような物質系は自分の体と同じものを捕食することで再生する能力がある。

しかし、今のシーゴーレムはサンゴなしで再生しており、物質系の範疇を越えている。

再生しながら、シーゴーレムが魔法陣の中のセーニャに注意を向ける。

セーニャも再びバギを放つために集中し始めていた。

だが、シーゴーレムはそれによって注意を向けなければならない相手を見落としていた。

「はあああ!!」

背後から男の声と迫ってくる足音が聞こえ、シーゴーレムは振り返る。

そこには両手剣を握るエルバの姿があり、大きく跳躍したエルバはそのまま重力に従って落下しながらシーゴーレムの体を切り裂いていく。

刃はコアにも届いており、コアが真っ二つに切れたことでシーゴーレムは動きを止める。

バラバラと体が崩れていき、再生しかけていたサンゴもピンク色のスライム状の物体のままになった。

すかさずエルバは破壊したコアとシーゴーレムの額だったところに目を向ける。

(やはりそうか…)

そこには、バトルレックスやデスコピオンと同じく、例の魔法陣が刻まれていた。

「エルバ…おいしいとこを横取りはない…どうした?」

カミュはエルバの見ているものが気になり、そばでその場所を見るが、もうすでに底にあった魔法陣は嘘だったかのように消えてしまっていた。

「鉱山の時の事、覚えているか?」

「ああ。ヘルバイパーとバトルレックスのことだろ。バトルレックスは滅茶苦茶だったが、それ以上にヘルバイパーはよくわからない魔物だったな」

「…この魔物にも、額に魔法陣がついていた。今はもう消えてしまっているがな」

「魔法陣が…?まぁ、お前が嘘をつくはずがないが…だが、”も”っていうのはどういうことだ?」

「バトルレックス…それから、サマディーで目を覚ましたデスコピオン。奴らの額にも同じ魔法陣がついていた。おそらく、ヘルバイパーにも…」

「ちょっと、待ちなさいよ。それ…どういう形のもの??」

話を聞いたベロニカは急いでペンと紙を出し、エルバに渡す。

わずかな時間しか見ることができず、形はうろ覚えであるものの、赤い魔法陣だったこと、そしてその中央には柄の部分に目玉がついた金棒のような重々しい剣が描かれていることははっきりと覚えている。

その魔法陣を書き上げ、ベロニカに渡す。

こういう魔法についてはラムダの里の出身であるベロニカとセーニャの方がわかるかもしれないと思った。

「うう…悪趣味な魔法陣ね。誰がこんなのを書いたのかしら?けど…」

「ええ。見たことありませんわ。この魔法陣は…」

ベロニカもセーニャも、この魔法陣の正体についてはお手上げだった。

ラムダの里ではいくつも魔法陣の勉強をしており、旅の合間にも呪文の強化のために魔法陣に関する資料を呼んだりしているが、その中にもそのような魔法陣が出た覚えはない。

「うーん、こういう魔法陣はもしかしたらクレイモランに行けばわかるんじゃないかしら?」

「クレイモラン…。確かに、そこの古代図書館で調べたらわかるわね」

「クレイモラン?国の名前か?」

「はい。ロトゼタシアの北西の端に存在する雪の国です。世界中の研究者や思想家が集まる学問の国で、先ほどお姉さまがおっしゃった古代図書館には歴史や呪文、鍛冶などのあらゆる分野の書物が入っていると聞いています」

その話が正しければ、もしかしたらその魔法陣に関する情報を手に入れることができるかもしれない。

だが、そこへ行くこと以上に今は虹色の枝の行方をつかむことが肝心だ。

クレイモランという国の名前を頭にとどめ、エルバは先へ続く道に目を向ける。

「もうすぐ最深部だ。行くぞ」

エルバ達はその道を進んでいく。

途中、カミュが一瞬くらい顔をしているようだったが、エルバ達は気づかなかった。

 

最深部に到着すると、そこには沢に流れていたものとは段違いに透き通った水が湧き出ていた。

「すごい…霊水の洞窟って呼ばれるだけのことはあるわね」

「これを使えば、良質なさえずりの蜜を作ることができます!」

セーニャはきれいな小瓶を出し、その中に湧き水を入れる。

そして、ダーハルーネで購入したヨルモレアの蜜を花弁と一緒に入れた。

「あとは3時間待つだけでさえずりの蜜が出来上がりますわ」

「結構シンプルな作り方なんだな」

呪いを解くことのできる効果があるだけに、キャンプで作業をしなければならないくらいのめんどくさい手順が必要かとばかり思っていたカミュは拍子抜けする。

3時間待つのは大変だが、それでもあれこれやらなければならなくなるよりはマシだ。

「それにしても、ちょっとのどが渇いたわね。一口もらおうかしら」

ベロニカは袋からコップを出し、それで湧き水をすくって飲み始める。

なお、湧き水は消毒がされていないため、飲む際にはちゃんと飲めるかどうかを確認することが推奨される。

ここの湧き水については飲むことができるらしい。

「ヒンヤリしていておいしい!!なんだか体の中がキレイになったみたい!これで、あたしの体が元に戻ってくれたら御の字なんだけど…」

あの時は魔力そのものは元通りになったことから、若返ることができたと前向きに受け止めることができたものの、やはり小さい体だといろいろと不便なことがある。

ホムラの里で酒場に入れなくなり、馬に乗るときも踏み台がなければ一人で乗ることもできない。

それに体力も年齢相応に落ちているようで、この洞窟を歩いているときも4人よりも先につかれてしまった。

そのため、できれば一時的でもいいから元に戻りたいと思うようになった。

だが、やはりさえずりの蜜を作ることができるくらいの湧き水でも元には戻れないようだ。

「けど、これであの子の喉や手の呪いはどうにかなりそうね。ダーハルーネへ戻りましょう」

 

「なるほど…やはり、あのお方から授けられた魔法陣は効果があるようだが…並みの魔物では大したことにはならないか…」

シーゴーレムだったサンゴの破片をローブの男が広い、笑みを浮かべるとそれを崖に向かって投げ捨てる。

「…ドルマ」

賢者にのみ使うことができる黒滅呪文、ドルマによって生まれた黒い闇の球体が残ったサンゴの破片を飲み込み、粉々に破壊していく。

シーゴーレムに関する証拠が消えたのを確かめた後で、彼はダーハルーネの方角に目を向ける。

「さあ…悪魔の子よ。追い詰めてやるぞ…」

ローブの裏に隠れた紫色の瞳が怪しく光り、ローブの男は姿を消した。




霊水の洞窟
ダーハラ湿原東部に位置する湧き水の有る洞窟。
そこの湧き水は良質なさえずりの蜜を作れるほど澄んでおり、海の男コンテストで使用する神酒の原料として選ばれるほどだ。
だが、それ故に魔物にとっては格好の生息地にもなっており、現在は護衛の兵士を同行させなければ最深部へ向かうのが難しいほどだ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 海の男コンテスト

夕方になり、霊水の洞窟を出たエルバ達はようやくダーハルーネに戻ってくる。

しかし、わずか2日程度で様変わりしていて、数多くの屋台が設置されているうえに人混みもできていた。

「まぁ…ちょっと見ない間に街はすっかりコンテストの雰囲気ですわね!エルバ様、ほらご覧ください!」

「あ、ああ…」

北にある広場には観客が数多く集まっていて、ステージには海の男コンテストに参加する男たちが立っている。

筋肉質な荒くれ物やほっそりとしているが整った容姿をしている吟遊詩人など、一口に男と言っても魅力となる点は千差万別だ。

しかも、夕日が見える中でコンテストが行われるためか、シルビアの乙女心がくすぐられる。

「やーん、ロマンチックじゃない♪もうすぐ、このステージの男の中から一番の海の男が決まるのね♡ねえ、エルバちゃんとカミュちゃん。ヤヒムちゃんの顔を見てみたいし、さえずりの蜜はアタシたち女3人で届けてくるわね」

シルビアはヤヒムとラッドについてはカミュから話を聞いているだけで、顔を合わせたことがない。

また、今の時間帯のヤヒムはおそらくラハディオと一緒にいる可能性があり、ラハディオと会っているエルバとカミュが行ったら、叩き返される可能性もある。

もちろん、そのことについてはまだシルビアには話していないが。

「ああ…そうしてくれ」

「ええ♡その代わり、アナタとカミュちゃんにはコンテストの場所どりをお願いするわね♡もちろん、いい男がよく見える場所を!」

「はぁ、面倒くさい仕事は全部男任せかよ…」

最初にダーハルーネに来たときといい今回といい、結局ラハディオへの交渉もコンテストの場所どりもやらされる羽目になったカミュは後頭部をかく。

ラハディオに会うのはともかく、コンテストの場所どりは明らかに旅の目的と反していて、気乗りしない。

そんなカミュのことを放っておくかのように、シルビアら女3人組はヤヒムを探しに行ってしまった。

「ま、今ラハディオのおっさんに会うわけにもいかねーし、船に乗ることもできねーしな…まぁいいや。行こうぜ、エルバ」

「ああ…」

2人は中央の橋を通って広場へと足を運ぶ。

途中、筋肉質で裸の上半身にサスペンダー姿をした、舌をベロリと伸ばしている奇妙なレスラーや辮髪で緑色の武闘着姿をした男が屋台に出ている海鮮丼や採れたて魚の塩焼きで満喫していたり、輸入したばかりの紅茶や菓子に舌鼓を打つマダムらと遭遇しつつ、2人は観客席に到着する。

しかし、既に観客が大勢集まっており、整理券と引き換えに客席まで商人が案内していた。

「うわあ…これは、席を取るの無理そうだな。最悪立ったままか」

「うん…?おんやぁ、そちらのお2人さん!二人とも、サラサラとツンツンで髪形が決まってて、男前だなぁー!」

案内に一段落がついた商人がエルバとカミュの元に駆け寄り、2人の髪形を誉め始める。

「あ、ああ…」

「そんな男前2人組が見学なんてとんでもない!ぜひ、海の男コンテストに参加してくれぇ!」

「おいおい、オッサン。俺たちにはそんな暇が…」

追われる身であるエルバとカミュがこんな大会に参加していたら、すぐにデルカダールに情報が入って、逃げづらくなってしまう。

おまけに優勝して話題になってしまったらシャレにならない。

拒否しようとしたカミュだが、ふとステージからの冷たい目線が気になり、そちらに目を向ける。

「おい、エルバ…あの男…」

「…ホメロス…」

エルバはじっと銀の鎧姿の男に目を向ける。

忘れもしない、デルカダールの軍師を名乗る男で、グレイグと同じく村人の仇。

ホメロスはカチャリと金属が鳴る音を響かせながら近づき、潮風に揺れる前髪を整える。

「ふっ…逃亡者は人混みに紛れるもの。このコンテストを利用して貴様らをあぶりだそうと画策していたが、その必要はなかったみたいだな。人目を気にせず、堂々とコンテストに参加するとはな!」

あまりにも知能の低い逃亡者2人に皮肉な笑みを浮かべ、彼の目線はエルバへと向かう。

「勇者エルバ…村人たちの元へ送ってやろう」

「貴様が…イシの村を…!」

既に両手剣を抜いたエルバの両手に伝わる力が強くなっており、紫の瞳には暗い怒りが宿っていた。

「ふっ…勇者を匿った罪人だ。裁くのは当然のことだ」

ニヤリと笑うホメロスは何かを思い出したかのようにわずかに目が動くと、再びエルバに語り掛ける。

「そういえば、罪人の中には貴様と同じ年頃の少女もいたな。かわいそうなことをしたが、罪人故に仕方なかった…」

「…!!」

名前は言っていないが、エルバにはホメロスの言う少女のことは分かっており、彼の眼が大きく開く。

だが、ホメロスはフフフと押し殺すように笑いながらエルバに追い討ちをかける。

「そういえば、彼女は最後までお前のことを信じていたな。勇者は…エルバは悪魔の子ではない。世界に希望を与える存在だと!気丈だったよ、順番が来るまでは…」

「あ…ああ…」

「エルバ!あいつに耳を貸すな!!」

カミュは短剣を抜き、ホメロスにとびかかろうとするが、彼に同行しているデルカダール兵たちによって阻まれる。

「順番が来て、処刑が始まったとき、彼女は最期に何を言っていたと思う…?」

「…言うな…」

「『待っていてあげられなくてごめん』…誰に対してそういうことを言ったのか気になって、ついつい覚えてしまった…」

「言うなぁぁぁ!!」

ホメロスへの怒りが爆発するとともに、エルバの体が青いオーラに包まれる。

そして、両手剣を握ったままホメロスにせまった。

「ホメロス様の元へ行かせん!!」

大柄な兵士が両手で斧を握り、エルバの行く手を阻む。

「邪魔を…するなぁ!!」

そう叫ぶとともに斧の柄ごとその男を横一線で両断する。

真っ二つになった兵士の死体を見て、会場がパニックとなるのを無視してエルバはホメロスに肉薄する。

既に2本のプラチナソードを抜いていたホメロスは2本でエルバの剣を受け止める。

「ふっ…その剣、我が友グレイグの物か。同僚でありながら情けないな。悪魔の子に剣を奪われるとはな」

「貴様は…俺が殺す!!」

「やれるかな…?その程度の腕で!」

エルバの腹に蹴りを入れ、体勢を崩したすきにホメロスは後ろへジャンプして距離を取る。

そして、エルバに向けて右手をかざすと、ドルマが放たれる。

「ぐおおお!!」

直撃したエルバは大きく吹き飛ばされ、会場で転倒する。

しかし、いくつも戦いを経験していて、武器を手放すことの重大さを理解しているようで、両手剣は手元に残ったままだった。

「エルバ!くそ、悪く思うなよ!」

エルバのカバーに入るため、鎧の隙間を狙って短剣を突き立てる。

足に刃が深く刺さり、痛みに苦しむすきにエルバの元へ向かう。

だが、その間にも会場を中心に散らばっていたと思われる兵士が続々と会場に集まってきていて、エルバとカミュを包囲した。

「聞きたまえ、ダーハルーネの民よ!私はデルカダール王の右腕にして、軍師ホメロス!」

町中に聞こえるように、ホメロスは大声で叫び、町中の人々が驚きながらもホメロスに注目する。

「そして…あの男が悪魔の子、エルバ!ユグノア王国を滅ぼした、災いを呼ぶ男だ!!そして、不幸にも私の部下の1人が今、その男の手にかかって死んだ…。これ以上、災いを広げてはならない。ここを悪魔の子の墓場とするのだ!」

「ホメ…ロス…!」

両手剣で体を支え、起き上がろうとするエルバだが、なぜか体から力が抜ける感じがし、立ち上がることはできたものの、剣を構えることができない。

「ふふふ…減力呪文、ヘナトスの魔力を組み込んだドルマはよく効くだろう?」

「く…エルバ!!」

力が抜けているエルバに肩を貸し、立ち上がらせたカミュだが、ここからどうやって突破すべきか考えあぐねていた。

今のエルバを抱えたまま十数人の兵士を1人で相手をするのは困難だ。

「大人しく降伏したまえ、もしくは…そうだな。今お前が抱えている悪魔の子を差し出すのであれば、レッドオーブを盗んだ件については不問、もしくは減刑してもらえるように陛下に掛け合ってもいいぞ?」

「ちっ…司法取引って奴か」

「少なくとも、死刑は回避できるのだ。悪くない取引だろう?死刑囚よ」

確かに、今のカミュにはこの状況を突破できるとは思えないし、エルバを差し出せば、少なくとも死ぬことはない。

悪くない取引なのは確かだが…。

「悪いが、盗賊が利にばかりこだわると思ったら大間違いだぜ、軍師さんよ」

「ほぅ…?」

「俺はこいつの…勇者の奇跡に掛けた!今更降りることなんてできねえんだよ!」

「そうか…ならば、悪魔の子共々死ぬが…」

「待ちなさぁーーーい!!」

中央の橋から少女の大声が聞こえ、ホメロスと兵士たちはその方向に思わず振り向く。

そこには両拳を腰にあて、胸を張っているシルビアとベロニカの姿があった。

「アタシのエルバちゃんにおイタする子はお仕置きよ!」

「お仕置きよ!」

「奴らは…警備の者は何をしていた!?」

「後ろで寝てるわよ!」

シルビアとベロニカの背後には倒れた兵士数人の姿があった。

2人の危機を知ったシルビア達はデルカダール兵を撃破してここまで来ていた。

ベロニカは両手に力を籠め、大きな火炎の玉を生み出す。

「ほらほら、さっさとどかないと火傷するわよ!!メラミ!!」

発射されたメラミは会場に向かって飛んでいき、間髪入れずにベロニカは再びメラミを唱え始める。

次々と飛んでくる炎の玉は会場周辺に次々と着弾し、爆発する。

あまりの弾幕に兵士たちが動揺を見せる中、ホメロスは自身にせまる炎の玉をプラチナソードで斬る。

「奴らを取り押さえろ!」

ホメロスが兵士に指示を出し、エルバとカミュへの注意が弱まる。

その時、カミュは西側の階段の影に目を向けた。

そこには手招きをするセーニャの姿があった。

「ええい、こうなれば私の手で!」

「今だ!!」

ホメロスがこちらを向いた瞬間、カミュは懐から煙玉を出し、思いっきり足元に投げつける。

煙が会場を包み込んでいき、ホメロスは煙で視界を封じられる。

「そのようなものを持っていたとは…!!」

プラチナソードを抜き、刃に風の魔力を宿す。

ホメロスは賢者に匹敵する呪文の使い手であり、剣術の達人だ。

そんな彼が放つ魔法剣真空斬りは周囲に煙を一気に吹き飛ばした。

当然、カミュとエルバの姿はなく、剣を握ったままホメロスは周囲を見渡す。

すると、西の端の通路へ向かって逃げるエルバら3人の姿を見つけた。

「逃げすものか!!」

左手に握るプラチナソードにはまだ風の魔力が宿っている。

ホメロスはエルバ達に向けて刃を振ると、風の刃が一直線に襲う。

「…!まずい!」

風の音が聞こえたカミュはいち早くその刃に気付く。

徐々にヘナトスの魔力が弱まり、歩くことしかできないエルバは動きが遅い。

このままではエルバの手を引いて走るセーニャに当たってしまう。

カミュはやむなく短剣を抜き、2人をかばうように立ってその刃を受け止める。

だが、その刃とぶつかり合った短剣の刃が折れ、カミュの左腕の胸部を切り裂いた。

「カミュ!!」

「カミュ様!!」

左腕と胸から血を流し、その場にうずくまるカミュにセーニャは駆け寄ろうとする。

「俺のことは…かまうな…!早く、エルバと一緒に…逃げろぉ!!」

痛みに耐えながらカミュはセーニャを制止する。

今カミュが受けた傷はすぐには回復できないもので、回復している間にこちらに兵士がやってきてしまう。

「でも…!」

だが、このままでは出血多量でカミュは死んでしまう。

泣きそうな眼でセーニャはカミュを見つめる。

「心配するな…この程度じゃあ、死なねえよ…!だから、頼む…」

「…はい!」

流れる涙を拭いたセーニャは再びエルバと共に逃走する。

すぐに兵士たちはやってきて、負傷しているカミュを取り押さえた。

 

「カミュ様…」

真夜中になり、裏路地に身をひそめる中、セーニャは両手を握りしめ、カミュの身を案じる。

あのままカミュを治療せずにおいていってしまったことを悔やんでいた。

「すまない…俺のせいだ…」

こうなったのはホメロスの挑発に乗ってしまった自分にあり、セーニャのせいではないとエルバは拳を壁にたたきつける。

時間が過ぎたことで、ようやく戦えるくらいの力は戻ってきた。

だが、まだ兵士たちはこの町にいて、夜を徹してエルバ達を探している。

「大丈夫よ、エルバちゃん、セーニャちゃん。あのカミュちゃんが簡単に死ぬはずがないわ。それに、捕虜が死んだら困るのはデルカダールの方で、相手はあのホメロスちゃんよ。少なくとも、殺すことはないわ」

ロトゼタシアではサミットが開かれるようになるまでは国家間の大規模な戦争が起こることがあった。

その際に国際法として捕虜の扱い方の規定がされており、それが現在でも有効だ。

エルバ達は犯罪者集団ということになり、その集団から得た捕虜についての規定はない。

しかし、裁判も行わずに犯人が死亡、もしくは現地の兵士による私刑で死んだとなると国際的な印象にかかわる。

そうなると、ホメロスができることとしたらカミュを餌にすることくらいだ。

「…それにしても、わけがわからないわね。悪魔の子のエルバちゃんが邪悪の神ちゃんを倒すって…どういうこと?」

カミュのこともそうだが、シルビアが気になるのはエルバが悪魔の子と呼ばれたことだ。

先ほどは仲間だからということで理由もなしに助けたものの、その言葉が引っかかっていた。

「エルバ様はデルカダール王国から災いを呼ぶ悪魔の子という汚名を着せられ、追われながら旅をしているのです。シルビア様にはいずれきちんとお話をするつもりでしたが…巻き込んでしまい、申し訳ありません」

結果として、今回のことでシルビアも勇者の共犯者ということになり、デルカダールに追われる身となってしまった。

関係ない彼を巻き込んでしまったことを申し訳なく思い、セーニャは頭を下げる。

だが、シルビアはすぐに笑顔になってセーニャ達を見る。

「やーねぇ。そんなこと気にしていないわ。はじめっからエルバちゃんは悪い子じゃないってわかっていたもの。確かに、ちょっと陰気なところがあるけど、困った人を放っておけないところがあるでしょう?そんな子が悪魔の子なんて大間違いよ」

「シルビアさん…」

「そんなことより…今度はこっちから動く番よ。どうにかして、カミュちゃんを助けて脱出しないと…」

シルビアは周囲を見渡すと、町の地図が壁に貼られていることに気付く。

「この町は裏路地が多いわ。そこを利用して、移動しましょう。高い場所まで行くことができたら、そこからホメロスちゃんとカミュちゃんの姿が見えるかもしれないわ」

「一番高いところとしたら、町の中央にある橋ね」

地図を引きはがしたベロニカは橋の有る場所と自分たちの現在位置に印をつける。

問題はその橋に行くにはどうしても大通りを通らなければならないことだ。

ひとたび兵士に気付かれたら、すぐに集まってきて、その兵士を対処しなければならなくなる。

「なぁ、なぁ。兄ちゃんたち」

どこからか子供の声が聞こえ、エルバ達は声が聞こえた方向に目を向ける。

そこにはなぜかラッドの姿があった。

「ラッド、なんでここに??」

「へへ…ここだよ、ここ」

ラッドが指さしたのは小さな子供がぎりぎり入れるくらいの大きさの小さな穴だ。

彼の服は壁で擦り切れているのか、ボロボロになっていた。

「ラッド、その通路って何?」

「昔水路として使われた場所さ。今じゃ使われてないけどな。それが町中につながってるのさ」

「だが…そこを通ったとしても…」

「そうじゃないって、兄ちゃん。俺がおとりになるんだよ。いろんな場所で、悪魔の子を見たって騒ぎまくって、見張りの兵士を誘導するのさ。その間に、兄ちゃんたちは橋へ行くんだ」

「だが、そんなことをしたら、君は…」

ラッドは普通の少年で、そんなことをしたらエルバの共犯者にされてしまう。

そんな危険な目に幼い彼をさらすわけにはいかない。

「さえずりの蜜を持ってきてくれた礼だよ。そんな恩人が悪魔の子なんてありえねーからさ。じゃ、西側の兵士を誘導するから、兄ちゃんたちはすきを窺って橋に行ってくれ!じゃあな!」

「あ…待ちなさい!」

ベロニカの制止する声を聴かずにラッドは再び旧水路の中に消えていく。

思い立ったら一直線で聞かん坊な彼にベロニカはため息をつく。

しばらくすると、町の東側から「悪魔の子だ、悪魔の子がいるぞーーー!助けてーーー!!」という子供の声が聞こえ、兵士たちは急いで東へ走っていく。

「あの子の頑張り、無駄にするわけにはいかないわね…急ぐわよ!」

シルビアを先頭に、ベロニカとセーニャが物陰を出て、移動を開始する。

そのあとに続きながら、エルバはホメロスの言葉を頭に浮かべていた。

彼の言っていた、エマが言っていたという言葉は明らかに彼女が言うかもしれないと思えるものだった。

(エマ…もし、本当に君が…)

エマやペルラらしき遺体を見ていないエルバは心のどこかで、彼女たちが生きているのではないかと思っていた。

だが、ホメロスの言葉が真実なら、その甘い幻想も壊れることになる。

まだその言葉が嘘だと信じたかったが、どこかで本当だと思ってしまう自分が嫌になる。

(くそ…!今は考えるな。今はカミュを救うことを…ホメロスを倒すことを考えるんだ!)

首に下げているエマのお守りに手を当て、心を落ち着かせようとする。

一瞬、エルバの右手の甲に暗い光が発したようだったが、誰も気づいていない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 ホメロスの眼

「くそ…悪魔の子め、いったいどこにいる?」

「さっき、ここから子供の声が聞こえたが…」

東の大通りを走る兵士たちは周囲を見渡し、子供とエルバを探している。

もしかしたら、その子供はもう悪魔の子の餌食になってしまったのかもしれない。

もしそうだとしたら、これ以上の犠牲が出る前に彼を捕らえなければならない。

「よし、お前はここで待て!俺はもう1度西を探してみる!」

「わかった!」

兵士の1人が橋を渡って西の通りへと戻っていく。

残った兵士は物陰にいるかもしれないとまずは近くにある木箱の中を確かめようとするが、急にどこからか石が落ちる音が聞こえてくる。

「今のはなんだ…?」

コツン、コツンと音が聞こえ、何かあるに違いないと踏んだ彼は背後に見える細い路地へと足を運ぶ。

子供のいたずらか、それとも悪魔の子の足音なのか。

路地に顔をのぞかせようとした瞬間、目の前に影が見え、振り返ろうとした瞬間、ピンク色の波紋をまともに受けてしまい、急激に襲う睡魔に敗れて倒れてしまう。

人影の正体はエルバだった。

「うまいわ、エルバ。ラリホー、ちゃんと使えてる」

「そうだな…」

エルバは眠ってしまったデルカダール兵に目を向ける。

ホメロスとともにここへやってきた彼は、もしかしたらイシの村を攻撃した人物かもしれない。

そう考えると、そんな彼を生かしておく理由がない。

エルバは剥ぎ取り用のナイフをつかもうとするが、シルビアがその腕に触れ、制止させる。

「駄目よ、エルバちゃん」

「だが…」

「さっきのステージの時のことは緊急避難で、やむを得なかったこと。でも、今は違うわ。それがわからないエルバちゃんじゃないでしょう?」

ステージでホメロスと戦った時は彼に肉薄するにはそれ以外に手段がなかった。

ラリホーを唱えて止めるにも頭に血が上っていて難しかったうえに、発動する前に攻撃を受ける可能性もあった。

また、ホメロスの挑発まがいの発言もあり、非は相手側にある。

しかし、無抵抗となり、殺す必要のない人間まで殺してしまったら、本当に悪魔の子になってしまう。

そのようなことを、エンターテイナーを目指すシルビアは少なくとも目の前ではそうさせるつもりはなかった。

くっ…と目を閉じ、我慢しながらナイフから手を放したのを見たシルビアはすぐに眠っている兵士を肩に抱え、路地裏に隠す。

その間にベロニカとセーニャは橋の上からダーハルーネの様子を見始めていた。

「お姉さま、お姉さま…!ステージに、ホメロスとカミュ様が…ああ、カミュ様!」

橋の上からステージを見たセーニャはカミュを見て、目に涙を浮かべる。

彼はステージに設置されている柱に縛られていて、ろくな治療をされていないためか、抵抗する様子が見られない。

そして、ホメロスは大声で町のどこかにいるエルバに叫ぶ。

「姿を見せたまえ、悪魔の子、エルバよ!町のどこかに潜んでいることはわかっている!早く出てこなければ、ここにいる仲間の命が尽きることになるぞ!」

「まずいわ…早くいかないと、カミュが死んでしまうわ!」

真空切りをまともに受けたため、傷口は大きく、そのまま放置していては破傷風にかかるか、そのまま失血死してしまう。

けれども、正面から行くとそれこそホメロスの思うつぼだ。

「カミュ様…」

「北西のゴンドラ乗り場からなら、ステージの裏手へ行くことができるわ」

「ゴンドラでは目立つ。泳いでいくことになるな…」

水路にはゴンドラが置かれているが、使用を阻止するために兵士たちが監視している。

もしそれを使ってしまうと、間違いなく兵士の注目を集め、沈められてしまう。

残った手段は泳ぎだけだが、泳ぐにしても可能な限り潜って移動する必要があるうえ、入るときには音が立たないようにしないとただの的になってしまう。

「なら、アタシとベロニカちゃんでおとりになるわ。その間にセーニャちゃんと一緒にカミュちゃんのところへ!」

「いたぞ、勇者だーー!!」

戻ってきた兵士がエルバ達の姿を目撃し、笛で巡回中のほかの兵士たちに伝える。

「見つかったわ…エルバ、セーニャ、行って!!」

「お姉さま、シルビア様!でも…」

「カミュちゃんを治せるのはセーニャちゃんかエルバちゃんだけよ。ここから飛び降りて、静かに潜れば、見つかりにくいはずよ、急いで!!」

「…わかった。セーニャ!」

「キャ…!」

エルバはセーニャをお姫様抱っこし、橋から飛び降りる。

「飛び降りただと!急ぎ追いかけ…うわあ!!」

飛び降りたエルバに目が行ってしまい、前方への注意がおろそかになった兵士にメラが直撃する。

さらに、やってきた2人の兵士の握っている剣はシルビアがバトルリボンで弾き飛ばす。

「さあ…エルバちゃんを追いかけたいなら…」

「私たちを倒してからにしなさい!」

 

「ああ…なんで俺はここで見張りをしないといけないんだ?」

北西のゴンドラ乗り場の見張りを命じられた大柄な兵士はため息をつき、こんなつまらない役割を受け持ったことをぼやく。

同じくゴンドラ乗り場の兵士以外の兵士たちは勇者を捕まえに行っていて、おそらく捕まえたとしても彼らがいい思いをするだけだろう。

あまりにもやることがなさ過ぎて、ついあくびをしてしまう。

「あ、あれ…?なんだぁ…?」

水中からラリホーの波紋が飛んできて、感じていた眠気がさらに強まっていく。

今は寝てはいけないと理性が訴えるが抗うことができず、そのまま前のめりに倒れてしまう。

完全に倒れたのを確認すると、水の中からエルバが出てきて、セーニャはエルバの手を借りてゴンドラ乗り場に上がる。

「よし…これで後ろをとることができた」

「急いで、カミュ様を助けないと…」

「ああ。そして、可能であれば…」

「エルバ様…」

可能であれば何をするか、聞かずともわかる。

物騒なことを口にした時のエルバの顔を見たセーニャは思わずふるえてしまった。

 

「ふっ…出てこないか。やはり、悪魔の子。仲間の命よりも自分の命が惜しいと見える」

ステージの上で、兵士からエルバ発見の報告を聞き、さらに仲間を置いて逃げたという話まであったことから、笑みを浮かべたホメロスはカミュを横目で見ながらつぶやく。

赤い小さな魔法使いが起こしたと思われる爆発音がかすかに耳に届く。

「可能であれば殺すな、生け捕りにしろ。陛下の前で処刑することが最良だからな」

「…へっ、軍師さんよ…デルカダールの…兵士ごときで…俺らは…止められねえよ…」

血を流しすぎたのか、動く力を失ったカミュが小さな声でニヤッと笑いながら言う。

顔色は蒼くなっており、縄や足元はカミュの血で濡れている。

「デルカダールを侮辱するな、死刑囚」

「死刑囚…?せめて、盗賊って呼べよ…?それとも、罪人1人1人の名前なんて覚えてられねえくらい…デルカダールって…治安、悪いのか…?」

「しゃべるな…うん?」

背後から気配を感じたホメロスは即座にプラチナソードを引き抜き、後ろに振り替える。

そこにはユグノアの剣を手にしたエルバが刃をこちらに向けた状態で走ってきていて、ホメロスはプラチナソードで刃をそらす。

「ちっ…」

「悪魔の子よ、やはりここまで来たか。それでいい、私自らの手で捕えてやろう」

もう1本のプラチナソードを抜き、二刀流の構えを見せる。

エルバは剣をしまい、背中の大剣を抜いて構える。

「許さない…貴様だけは俺の手で殺す!」

「ふっ…部下を1人殺された手前、手加減はできないな」

余裕の笑みを浮かべたホメロスは即座にバギの魔力を2本の刃に宿し、真空斬りの構えを見せる。

「真空斬り…!」

背後にはカミュを助けるために動くセーニャの姿があり、ここでかわすわけにはいかず、両手剣で真空の刃を受け止める。

ホメロスの高い魔力ゆえか、その威力は手にビリビリと伝わってくる。

「魔法戦士、賢者。軍師となるために学んだ2つの職業だ」

今度はほぼタイムラグなしに右の剣にはメラの、左の剣にはヒャドの魔力を宿す。

魔法戦士は魔力を武器や肉体に宿すことで、攻防に影響を与えることのできる能力を持つ。

そして、賢者は呪文のスペシャリストで、攻撃呪文と回復呪文の双方を使いこなす。

その2つの技量を持つホメロスはある意味、剣に特化したグレイグよりもエルバにとっては厄介だ。

地面を蹴り、一気にエルバに肉薄したホメロスはヒャドが宿った剣で斬りつけた後で、続けたメラの剣で襲う。

「ぐう…!!」

大きく押されるとともに、両手剣から鈍い音が聞こえてくる。

3つの魔法剣による攻撃を受け止めたことで、刀身に大きなひびができてしまっていた。

「くそぉ!!」

横に大きく薙ぎ払うように斬るが、その前にホメロスは上空へ飛行し、軽く避けられてしまった。

トベルーラで飛行するホメロスはそこからエルバに向けて何度もドルマを放ち始める。

例のごとく、ヘナトスの魔力も混ざっているようで、それを受けたときの影響はエルバもよく知っている。

直撃を受けるわけにも、セーニャ達に充てるわけにもいかず、やむなく耐久性が落ちた両手剣で受け止め続ける。

「カミュ様…大丈夫ですか!?」

「はあ…はあ…どうにかな…」

セーニャの手で助けられ、ベホイミで回復を受けるカミュは心配させないように笑みを見せる。

だが、治療されることなく縛られ続けた影響で唇が青くなっていて、顔色もよくない。

「悪いが、武器がねえ…。何か、いいものは?」

「いいものでしたら…」

セーニャは手持ちの道具を確認し、その中にある音響爆弾を手に取る。

後方で戦闘を行うセーニャやベロニカがいざというときのため、霊水の洞窟のキャンプでカミュがあらかじめ渡していたものだ。

これはいいとカミュはそれを手に取る。

「エルバ、耳をふさげぇ!!」

「カミュ!?」

カミュの声が聞こえたエルバはとっさに剣を手放して耳をふさぐ。

同時に、カミュは治療を受けていないにもかかわらず、力いっぱいホメロスに向けてそれを投げつけた。

ホメロスの目の前で破裂したそれは大きな音を響かせ、ホメロスの耳を襲う。

「ぐう…音響爆弾!?姑息な盗賊め…!!」

耳の痛みで集中力が鈍ったホメロスはトベルーラの魔力を維持するものの、ヘナトスが発動できなくなる。

動きが止まったのを見たエルバは左手に雷の魔力を宿す。

しかし、手袋に隠された勇者の痣は暗い光を放っており、宿る雷も紫色の光を宿していた。

「これは…!」

「うおおおおお!!」

エルバの右手から放たれる紫の雷がホメロスを襲う。

激しい電撃が彼の前身を駆け巡る。

「ぐああああ!!」

「ありゃあ、あの時の…」

カミュは旅立ちの祠でエルバが初めて使ったデインを思い出す。

しかし、今エルバが放ったデインは勇者の雷といよりも闇の雷に見えた。

その雷は純白の鎧姿のホメロスに大きなダメージを与え、地面に転落させる。

「ホ、ホメロス様!!」

「おのれ、悪魔の子め!ホメロス様を…!」

ようやくステージに到着した兵士たちは大きなダメージを受けたホメロスに衝撃を覚える。

そして、ホメロスをかばうように前に出て、剣を構える。

その兵士たちをにらむエルバだが、その顔は脂汗で濡れていた。

(この呪文…かなり魔力を消耗する。だが、あと1回は使える。それで奴らを…)

殺せる、と思ったエルバだが、シルビアに止められた時のことを思い出す。

だが、この状況を打開するには彼らを殺すしかない。

「フフフ…まさか、この私に手傷を与えるとはな…」

ホメロスの声が聞こえ、驚いた兵士たちはホメロスを見る。

彼は既に立ち上がっていて、体の傷は完全に消えていた。

「ホ、ホメロス様、お怪我は!?」

「心配するな。この程度の傷、ベホマで治せる」

高名な僧侶や賢者でしか使うことのできない、最上級回復呪文。

兵士たちの間を縫うように歩き、エルバに剣を向ける。

「く…!」

「終わりだ、悪魔の子…」

「まだ終わりじゃないわよーーーー!!」

「何?」

どこからかシルビアの声が聞こえ、ステージ上には例の火の玉の雨が降ってくる。

「また奴らか!?その方向はまさか…!!」

港のドッグに登録されている船の情報を知っていたホメロスの脳裏にまさかの可能性がよぎる。

満月の光に照らされた海で、汽笛が上がり、1艘のブリッグ船がやってくる。

真っ白な帆が風を受け、金属でできた2頭の馬の像が船首に飾られている、普通の商船以上の大きさをした船だ。

その船の船首にはシルビアが立っていて、船の上にはトベルーラをしながらメラミを放つベロニカの姿もある。

「みんな、おっ待たせー!!シルビア号のお迎えよん♡」

「セーニャ、みんな!早く乗って!!」

魔法の聖水をがぶ飲みしたベロニカは兵士たちの足元に向けてメラミを放つ。

次々飛んでくる炎に兵士たちは身動きを取れず、ホメロスも薄い魔力の膜で刀身を包んだ状態でメラミを切り裂きはするものの、その場を動くことができない。

「アリスちゃん!彼らもアタシの仲間よ!あの波止場スレスレに走って頂戴!」

「がってん!!」

ピンク色のあらくれマスクをつけた、屈強な体つきをした男、アリスは並みの動きや風を感じ取ると、大きくハンドルを回し、波止場スレスレのところにシルビア号を進ませる。

「さあ、みんな飛び乗って!!」

「セーニャ、カミュを連れて先に行け!」

「はい!カミュ様!」

「ああ…悪い、セーニャ」

セーニャはカミュに肩を貸してゆっくりと波止場ぎりぎりまで進む。

そして、船員の手を借りてシルビア号に乗り込んだ。

「エルバ、急いで!!」

「…ああ!!」

ホメロスを殺せないことへの悔しさを感じつつ、エルバは両手剣を拾う。

「逃がさんぞ、悪魔の子め!」

既に魔法剣を使うほどの魔力がないのか、2本のプラチナソードを手にホメロスが襲い掛かる。

エルバはそのホメロスに向けて両手剣を投げつける。

「く…!」

やむなくその剣を叩き落としたホメロスだが、その間にエルバはシルビア号に乗り込み、シルビア号は波止場から離れていく。

他の兵士も逃がすまいとドックに置かれている軍船に向けて走っていく。

「ホメロス様、急ぎインターセプタ―号へ!」

「いや…間に合わんな」

あのシルビア号の速度は今使っている軍船、インターセプタ―号を上回っており、ドックに着いたとしても出港までに時間がかかる。

それを使ったとしても、到底追いつけるものではない。

「しかし…!」

「かまわん…。いずれにしても、彼らはここから逃げることはできん。だが…」

問題はシルビア号がなぜ出港できたかだ。

ドッグは閉鎖させていて、ホメロスや町長であるラハディオの許可でもない限りは入ることもできない。

(裏切り…か)

 

「じゃーね、ホメロスちゃん!今宵のショーは楽しめたわ♡アデュー♪」

「カミュは大丈夫なのか…?」

「はい。傷口はふさがりましたし、キアリーも今かけています!」

「そうか…」

横たわった状態でセーニャから治療を受けているカミュは安心したかのように意識を失っている。

ベロニカもトベルーラを解除してメインマストの見張り台に立ち、借りた望遠鏡でダーハルーネを見ている。

「追いかけてこないわ。あとは、無事に公海まで出れば…!」

「だが、どうして出港できた?」

「それは…!?」

「姉さん!魔物でがす!デカイ魔物が進路上に!!」

「何!?」

船が揺れ始め、セーニャはカミュが投げ出されないように抱きかかえる。

水中から大量の海水を巻き込んで浮上してきたその魔物はシルビア号に匹敵する大きさで、黄土色の肌をした巨大なイカ型の魔物だった。

「イヤーッ!なによ、この化け物イカ!いったいどこから湧いて出たの!?」

「姉さん!奴はクラーゴン、外海の化け物でがす!!」

長年船乗りをやっているアリスはその魔物の噂を耳にしていた。

船よりも巨大なイカ型の魔物で、多くの商船や軍船を沈めて喰らう凶暴さから海兵や漁師から恐れられているという話だ。

最も、アリス自身もクラーゴンをこうしてみるのは初めてだ。

「なら、どうして外海の魔物がここに出るのよ!?」

しかし、ここはロトゼタシアでは内海と呼ばれる場所で、外海に出るにはここから北にある水門を通らなければならない。

その水門のおかげで外海と内海の魔物の出入りを防いでいて、その水門が破壊された話はダーハルーネでは聞いていない。

仮にそんな話があったとしたら、一番にダーハルーネに飛んでくるはずだ。

「そんなの、アッシも知らないでがすよ!!」

「だが、向かってきた以上は!!」

 

「ホメロス様!巨大な魔物が勇者の船の進行を阻んでいます」

望遠鏡からその様子を見た兵士は波止場に立つホメロスに報告する。

「そうか…どうやら、悪魔の子は運に見放されたようだな。近づいたら巻き込まれる。我らはここで待機だ」

「は…は!!」

魔物が現れ、民間に被害が及ぶ可能性があれば排除するのが兵士の役目の1つだが、ホメロスの命令には逆らえず、疑問に思いながらもそれを飲み込んで命令に応える。

襲われているのは悪魔の子であり、同士討ちさせた方が有益なのだろうかと自分を納得させながら、兵士はインターセプタ―号へ向かった。

「フフフ…私の逆らったことを後悔するがいい、勇者よ」

ホメロスはエルバが投げ捨てたグレイグの大剣を手にする。

それを見つめた彼はフッと鼻で笑うと、その剣を海に投げ捨てた。

 

「くっそ!離れろ!!」

エルバは船首に絡みついたクラーゴンの前足に何度もユグノアの剣で斬りつける。

しかし、ぬめりと弾力のあるその足を斬ることができない。

ベロニカもメラミをクラーゴンの頭にぶつけるが、意にも介していないようで、前方からそのまま海に引きずり込もうとしていた。

「船が傾く…!」

「舵が…動かねえでがす!!」

「そんな…!!」

カミュを抱えるセーニャはもうどうにもできないのかとあきらめかけていた。

ホメロスや兵士たちとの戦いで消耗したエルバ達。

シルビア号のアリス以外の船員も戦闘に参加しているが、クラーゴンにダメージを与えることすらできていない。

ゆっくりと傾き始めるシルビア号のゴゴゴがまるで旅の終焉を告げようとしていた。

だが、どこからはドンドンと大砲の鳴る音が聞こえてくる。

その音と共にクラーゴンの周辺に砲弾が次々と着弾し、びっくりしたクラーゴンが船から離れていく。

「大砲…?どこから??」

「商船だ…商船が!!」

シルビア号とクラーゴンを囲むように商船が5隻走っていて、それぞれが自衛用に設置している大砲でクラーゴンに攻撃を仕掛けていた。

「撃てー!あの船を守れー!!」

商船の船員は休むことなく砲弾を入れ、大砲を発射する。

何度も砲弾を受けたクラーゴンはこれ以上この場にはいられないと水中にもぐり、姿を消してしまう。

「クラーゴン、逃げていきますぜ、カシラ!」

商船の中でも一番大きい船で、船首に黒いドラゴンの像が飾られているヒルトン号の船長を務める白いサンタクロースのような口ひげをした、黒い肌で上半身がタンクトップの大柄な老人、ガーディがデッキに出てきた男に声をかける。

男の指示を受けると、ガーディはヒルトン号はシルビア号のそばまで移動する。

「あんたは…」

エルバはデッキの上にいる少年と男性に驚きを見せる。

2人はヤヒムとラハディオで、特にラハディオはエルバのことを誤解し、息子の件もあって憎んでいるかもしれない相手だった。

だが、今の彼はエルバ達の無事を知り、ほっとしている様子だった。

「良かった…ご無事なようですね。まさか、外海の魔物のクラーゴンがここに出るとは思いませんでした…」

「なぜ、俺たちを…」

「エルバちゃん、あの人がアタシ達をドックに入れてくれて、シルビア号を出せるようにしてくれたのよ」

シルビアとベロニカは橋の上で兵士たちを撃退した後、ガーディの手引きによってドックまで連れていかれた。

そこではラハディオの指示でアリス達シルビア号の船員が入っていて、いつでも出港できるように手はずを整えていた。

「お兄ちゃんたち、ありがとう!僕、声が出せるようになったんだ!手ももう震えないよ!!」

ヤヒムの元気な声が響き渡り、ベロニカとセーニャは無事にさえずりの蜜が効いたことに安心する。

「話は全て息子から聞きました。息子に呪いがかかったのは災いを呼ぶという勇者の呪いによるものだと勘違いしてしまい…誠に申し訳ございません」

ラハディオはエルバ達に深々と頭を下げる。

ようやくドッグの若者の言う通りのラハディオと対面することができた。

「…子供のこと、大切に思っているんですね。その気持ち、わかる気がします」

「実は…僕、町の外でローブを着た男の人がシーゴーレムに呪文をかけてるのを見ちゃって…。びっくりして声を上げたら、その人に呪いをかけられちゃったんだ…」

「男…シーゴーレム」

「あれね…」

エルバとシルビアは霊水の洞窟で遭遇したシーゴーレムのことを思い出す。

これで、あの魔法陣が人為的なものだということが理解できた。

問題はなぜそのようなことをするのかだが、さすがにヤヒムもそこまでは分からない。

「悪魔の子と呼ばれている勇者が人を助ける…。あなたが本当にその悪魔なのか、それとも別の何かは分かりません。しかし…私は商人です。信頼には信頼で答えるものという教えがあります。あなた方は一度、私を信頼して尋ねてきてくれた。これはその時の非礼の侘びと、息子を治してくれた礼と考えてください」

「カシラ!デルカダールの軍船です!インターセプタ―号だぁ!!」

ドックから二頭の鷲が船首に刻まれ、帆には交差する2本の剣が大きく描かれているブリッグ級の船、インターセプタ―号が出て来ていた。

魔物による有事に備え、速度を追求したその船は普段の人民にとっては頼もしいが、今は恩人を捕まえようとする番犬だ。

「速く出発したほうがいいわね。アリスちゃん、行けるかしら!」

「大丈夫でさぁ!この程度のダメージでへこたれるシルビア号じゃないでがすよぉ!」

「インターセプタ―号、デルカダール最速の軍船。皆、ドックへ戻れ。エルバさん達を逃がす時間を稼ぐぞ!」

「了解!!」

「しかし…そんなことをしたら、デルカダールとの関係が悪化するのではありませんか?」

ダーハルーネはサマディー、そしてデルカダールが主な交易相手であり、特に外界へ通じる水門を持つソルティコも領内に入れているデルカダールとの関係がこじれると海での交易に支障をきたすことになる。

そうなったときのダーハルーネの経済的損失は大きい。

そのことをセーニャは危惧したが、ラハディオは気にしていないと言わんばかりに笑って見せた。

そして、ラハディオらに見送られる形でシルビア号は公海へと出ていった。

 

「ホメロス様!勇者たちの乗っている船が公海へ出てしまいます!」

「そうか…」

「ホメロス様!商船がこちらに接近してきます!」

「何?」

部下の報告を受け、外の様子を見たホメロスはインターセプタ―号を左右ギリギリで横切るように次々と商船が一直線にドックへ戻っていくのを見た。

そうなるとぶつからないように互いにスピードを落とさざるを得ず、インターセプター号も最速と称されたそのスピードを大きく落としていく。

その間にもシルビア号は大きく距離を離していき、見張り台で望遠鏡を使って偵察する兵士も見失ってしまった。

「勇者の船の姿、確認できません!」

「ラハディオめ…悪魔の子に手を貸すとは…」

手すりに力を込めたホメロスは最後に横切ろうとするヒルトン号をにらむ。

ヒルトン号はインターセプタ―号の真横で停止し、ラハディオはデッキに立つホメロスに目を向ける。

「これはホメロス軍師殿、今宵は悪魔の子のためにこのような事態となってしまい、申し訳ございません」

「そのような謝罪は不要だ。それよりも、問うべきことは2つある。1つは勇者の仲間の船を出港させたこと、2つは勇者の船を助けたこと。返答によっては、今後ダーハルーネとの関係も見直さざるを得なくなる」

ブクブクと膨れ上がる不快感を抑えながら、ホメロスはあくまで冷静な口調でラハディオに真意を問う。

ひやりとした鋭い目線だが、商売では百戦錬磨のラハディオにとってはそんなものはかゆくなかった。

「分かりました。その2つについてお答えいたしましょう。1つ目はあれは先日から出港の予約をしていたものですが、こちらの都合でとどめ置いていただいていたものです。今回の事態で避難したいという要望もあり、それを無下にはできずに認めた形となります。それが勇者の仲間の船だということは知りませんでした。2つ目につきましては…我々は悪魔の子を助けた事実はございません。あくまでダーハルーネの領海に入ってきた脅威であるクラーゴンを撃退したのみです。領海を侵犯する軍事力や魔物に対する自衛権につきましてはサミットでも認められているはずですが?」

「自衛権…なるほど…」

「それよりも、急ぎ領海を出ていただかなければなりません。目的をここで果たすことができない以上はこれ以上駐留されては不都合でしょう。クラーゴン出現の際に速やかに出港しなかったことについて、追求しなければならぬかもしれません」

今回、インターセプタ―号とデルカダール軍を入れるのを了承したのは勇者の捜索という目的が提示され、それにラハディオが許可を入れたためだ。

エルバ達がダーハルーネにいない以上はダーハルーネに他国籍軍を入れる理由はない。

立ち去れと言われたのであれば、国際法上退去せざるを得ない。

ラハディオが船の持ち主であるシルビアがエルバの仲間だったことを知らなかったことを立証できるかだ。

馬小屋に旅人が馬を預ける際には団体で登録する必要があり、その団体にエルバとシルビアの名前があれば、シルビアがエルバの仲間であることの立証になるうえ、責任者であるラハディオもそれには1日に少なくとも1回は目を通している。

だが、その団体の名簿にあるのはシルビアと一緒にいる個人の名前の中にあるのはエルバではなく、エルディという名前で、悪魔の子エルバの名前はない。

そのことを証拠として、シルビアがエルバの仲間であることを知らなかったという主張を通すことができる可能性がある。

しかし、それが絶対でないことはラハディオも承知している。

「ですが、我々はこれからもデルカダール王国とは良い関係でありたい。いかがでしょう。クラーゴンの一件については秘匿とし、そちらは速やかにダーハルーネ領海を出るということで手打ちとするのは。もちろん、水と食料の補給には応じます」

「…いいだろう。我々も悪魔の子などという些末事で国際問題を起こすつもりはない。インターセプター号をドックに戻せ。補給が済み次第、デルカダールへ戻るぞ」

「ハッ!」

「ホメロス軍師殿の理性ある判断に感謝いたします。それでは…」

ヒルトン号はドックへ戻っていき、ホメロスはシルビア号が消えた方角に目を向ける。

「逃げられたことは惜しい…。だが、いいものを見ることができた」

エルバが放った紫色の電撃。

直接受けたことで、その電撃に宿る勇者の力とは別のものを知ることができた。

「我が主よ…もうすぐです」

 

「朝日か…徹夜してしまったな」

東へ進む中、太陽が昇るのを見たエルバは疲れを感じ、デッキの上にある木箱を椅子代わりにして座る。

「う、うう…」

「カミュ様!」

「はあ…どうにか、体は治ったみてーで、無事に逃げれたか…助かったぜ」

起き上がったカミュは船室につながるドアのそばにある壁にもたれる。

まだまだ本調子まで回復していないが、それはしっかり休養を取り、ご飯を食べることでどうにかなるだろう。

ベホイミとキアリーで傷を治し、毒素を取り除いたとしても、蓄積した疲労の回復にはつながらない。

「姉さん、バンデルフォン地方で虹色の枝を売った商人がいるというラハディオさんからの情報でさぁ」

「枝の情報が手に入ってよかったぜ。すっかり、あのおっさんに借りができちまった」

海の男コンテストやショッピング巡りで、エルバと自分以外は目的を完全に見失ってしまったのではないかと一瞬不安に感じていた。

いろいろと厄介な問題に遭遇してしまったが、結果として海に出て、情報が得られた。

虹色の枝に近づくことができた。

「それじゃあ、進路は北東のバンデルフォン地方!アリスちゃん、よろしくぅー♡」

「がってんでさぁ!進路、バンデルフォン地方、船着き場ポートネルセン!」

シルビア号が北東へ向けて進んでいく。

エルバはそっと服の下にあるお守りに手を当てた。

(エマ…大海原に出ているぞ。できれば、君と一緒に見たかった…)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 バンデルフォンの面影

「どうかしら?エルバちゃん、この両手剣は」

「悪くはないが…細い刀身で心細いな」

船内にあるステージで、エルバはシルビアから受け取った太刀を振るう。

イシの大剣、鋼の大剣、グレイグの大剣と重量のある分厚い刃の両手剣が使い慣れているエルバにとってはこの刀は心もとなく感じられた。

「心配いらないわよ。この退魔の太刀はホムラの里の職人が作ったもので、頑丈さは保証できるわ」

「頑丈さは…か」

しかし、グレイグの大剣を失ったエルバにとってはこの武器はないよりはましで、あとは慣れるだけだ。

カミュも新しく2本のアサシンダガーを装備し、リハビリ代わりに体を動かしている。

「それにしても、すごいわねカミュちゃん。すっかり体力が戻ったみたいで」

「セーニャがつきっきりで世話してくれたおかげだ」

シルビア号に乗ってダーハルーネを離れてから、カミュはセーニャから看病を受けていた。

ベロニカやシルビアが交代すると言っても、カミュが負傷した原因が自分にあるからと譲らず、休まずに看病した結果、こうして体力が戻った。

ただ、疲れたセーニャが今は船室のベッドでぐっすりと眠っている。

「にしても、広い船だな。しかも凝ったデザインで…おっさん、本当に衝動買いかよ、この船」

「フフッ、そうよ。いい船だからついつい」

だが、普通の商船以上、しかも船内で客を呼んでサーカスができるくらいの大きさと広さを誇る上にオーダーメイドにしか見えないこの船を衝動買いで手に入れるほどの財力を持つ旅芸人は聞いたことがない。

フリーランスの旅芸人は実力によってはサーカスに所属する旅芸人の何倍もの収入を得られるとしても、それでも買える船は普通の商船くらいだ。

それにその船を維持・運用するためにアリスなどの船員まで雇っている。

どこかにシルビアのパトロンとなっている人物がいるのだろうか。

「今はデルカダール海峡を越えて、ムウ海に出てるところよ。ポートネルセンに到着するのは…まぁ、あと4日くらいね」

「速いな、普通の船ならここからだと1週間ちょいかかるぞ」

「フフッ、世間ではデルカダールのインターセプター号が最速という話だけど、本当に速いのはこのシルビア号よ」

「なるほどな…んじゃあ、そろそろメシを食いに行くか」

昼時になり、空腹になったカミュは先にステージを後にし、すぐ下の階にある食堂に足を運ぶ。

ベロニカがヒャドで食材を冷凍保存しているため、長い航海で食料が腐る心配は軽減されているが、問題は調理だ。

波があるときは船火事の危険性から火を使っての調理ができない。

今はその波が発生しているため、火を使うことができず、出される食事は自然解凍した生野菜のサラダとビスケット、そして燻製にくだ。

船乗りにとって野菜はありがたいもので、過去にはビタミン不足による壊血病で大勢の船乗りが死んだという話もある。

「そういえば、シルビア。まさかポートネルセンにこの船を停めるつもりか?」

「うーん、それはないわね。その近くにある無人島に隠して、小舟で移動するのが賢明かしらね」

ダーハルーネでの騒動で、シルビア号が勇者の仲間の船だということが大っぴらになっている以上、公式の船着き場であるポートネルセンに停めると船を差し押さえられる可能性が大きい。

「けど、まさかシルビア号がポートネルセン…バンデルフォン王国に行くことになるなんてね」

「バンデルフォン王国…30年前に滅んだ国だな」

エルバはデルカダールの宿屋で聞いた話を思い出す。

バンデルフォン王国は現在、バンデルフォン地方と呼ばれている地域にあった国で、かつては小麦の生産が世界一で優れた芸術家が集まる王国だった。

かつて世界を救った勇者の仲間の1人、英雄ネルセンが建国した。

特に最後の王であるアーサー・バンデルフォン11世の時代は国王自ら芸術家を保護し、彼らに援助を行っていた。

それ故にバンデルフォン王国の絵画や像、書物などは現在でも貴重な文化財として高値で取引されている。

また、当時最強と呼ばれた獅子騎馬隊を組織し、アーサーは黄金の獅子を模した鎧兜を着用していたことから、黄金の師子王という二つ名が残っている。

エルバの言う通り、30年前に魔物の大軍の襲撃を受けたことが原因で滅亡し、多くの人々が命を落とした。

その中にはアーサーら王族全員も含まれていた。

祖国を失った人々は世界各国に散らばって生活している。

「アリスちゃん…バンデルフォン王国の海軍将校で、アタシのママもあの国にいたのよ」

「そうか…帰るところをなくすのは辛いな」

「そうね、アリスちゃんは生き残った人達を国から避難させて、命を救ったわ。けど…帰る場所も守るべき国と王族を失ったことで、ヤケになって…アタシが初めて会った時は海賊になっていたわ」

あのピンクの荒くれ、アリスの意外な過去、そして国を失ったという話を聞いたエルバは何とも言えない、胸を締め付けるような思いに駆られる。

彼にも、帰る場所を失う苦しみは分かっている。

エルバは勇者の真実を知ること、そしてデルカダールへの復讐という目的を得ているから今、こうして生きていくことができるが、誰もがそのような目的や生きがいを見つけられるわけではない。

「もしかしてだが…旅芸人になったのはその母親の影響か」

「うーん、そう言えるかもしれないし、そういえないかもしれないわね」

「…?」

「そろそろ、アタシもご飯を食べに行こうかしら。エルバちゃんもよかったらいつでも下に降りて良くてよ」

はぐらかしたまま、シルビアはステージを後にする。

砂漠の時と同様、自分のことをあまり語らないシルビアのことを気にしながら、エルバは一刻も早く刀の扱いに慣れるために退魔の太刀を振り続けた。

 

ポートネルセンから東にある海岸に3艘の小舟が止まり、エルバ達5人がそこから降りる。

アリスは木製の柱を岸に打ち付け、縄で小舟を固定する。

アリスのほかにも腕っぷしに自信がある船員4人が共にいて、2艘の小舟の1艘からはフランベルグを含めた4頭の馬がおろされる。

「アッシらが船を守るでがす。安心して旅をして下せえ」

「ありがとう、アリスちゃん。みんなも」

「まずはここから北にあるネルセンの宿屋を目標にするぞ。その後で、北上してグロッタの街へ向かうぞ」

「良かったわ。グロッタの街までキャンプ続きってことにはならなさそうで」

ネルセンの宿屋は5年前にできたばかりの宿屋で、バンデルフォン王国の出身だった商人が開いたものだ。

周囲を魔法石による結界で包んでおり、魔物に襲われる心配がないようで、世界一安全な宿屋という評判がある。

また、アーサーの命日にバンデルフォン王国出身者が集まり、そこで亡くなった人々と今は亡き王国に対して祈りを捧げている。

また、宿屋だけでなく大規模な小麦畑も所有しており、多くの小作人がそこで農業を行っている。

「速く出発するぞ、さっさとしねえと日が暮れちまう」

「そうですね、急ぎましょう」

エルバ達はそれぞれの馬に乗り、アリス達の見送りを受けながら森の中へ入っていく。

そこを一直線に進んでいけば、街道に出ることができ、そこから北上することでネルセンの宿屋へ向かうことができる。

2週間近い航海の後で、体がなまっていないかが気になっていたが、むしろ久しぶりの乗馬で気持ちよさが感じられた。

北上する中、キラーパンサーや竜巻がほっそりとした青い体を包んでいる魔物の鎌鼬、頭に睡眠作用のある花粉をばらまく黄色い花を咲かせたトマトのような魔物、トマトマーレなどが襲撃してきて、エルバ達の行く手を阻んだ。

しかし、シルビアがいち早くトマトマーレの花を斬って花粉を封じると言った、旅慣れしたシルビアとカミュの助けを借りながら切り抜けていく。

そして、真っ赤な夕日に照らされながら、エルバ達はネルセンの宿屋に入る。

「えー、では…ここにサインしていただければ、OKです」

「分かったわ。これね…」

シルビアがサラサラと宿帳に名前を記入し、宿主であるふとやかな商人から部屋の鍵を受け取る。

サマディーの時と同様2部屋で、それぞれ男子部屋と女子部屋でわける。

問題はシルビアだが、彼は男子部屋で寝ることとなった。

「ふうう…やっぱり宿屋はいいわね。フカフカのベッドで」

ベッドに腰掛けたシルビアはフワフワな敷布団を掌で撫でながら快適な眠りができることを感謝する。

シルビア号にもベッドはあるが、このベッド程快適なものではなく、ベッドの数よりもハンモックが上回っている。

「お食事です。今晩はキメラの卵焼きとネルセンの宿屋の小麦で作ったバゲット、カボチャのスープに秋野菜のサラダです」

テーブルの上に3人分の料理が乗ったお盆が置かれ、従業員の男性が恭しく頭を下げてから部屋を後にする。

「カボチャのスープ…うまいな…」

「30年前の襲撃はあくまで城下町と城が狙われただけで、農村部は無傷で済んだのよ。だから、今でもこうして野菜と小麦の収穫ができるの」

「そうか…」

エルバはスープをある程度食べた後で、窓から外の景色を見る。

この部屋の窓からはバンデルフォン城と城下町があった場所を見ることができると従業員から聞いていた。

小さいながら、城だった場所を見ることができた。

芸術の国の象徴であったバンデルフォン城だが、今では無機質な廃墟と化していて、その姿にはもはやその国の面影はない。

宿屋にはその地に残っている芸術品や宝を手に入れようと無謀な冒険家が来ることもあるようだが、彼らをもてなすのはゾンビ系のモンスターたちだ。

埋葬されることなく放置された死体に魂が宿った腐った死体や白骨化した屈強な男の遺体が魔物化したアンデットマンなどで、逃げることができただけでも運が良く、大抵の冒険者は彼らの餌食となり、同じゾンビ系の魔物の仲間入りとなる。

バンデルフォンで死んだ人々が今でも魔物となってその地に縛られ続けている。

「アリスちゃんのためにも、どうにかしたいところだけど、今のアタシ達にできることはないわ」

バンデルフォン城下町と城をさまようゾンビたちがどれだけいるのかわからず、それに気を取られて再び虹色の枝を見失うようなことがあってはならない。

宿屋にいる旅人の話によると、近日中に行われるグロッタの街の仮面武闘会の優勝賞品として虹色の枝があるという。

ダーハルーネからやってきた貿易商人から町長が購入したもので、その価値の高さから急きょそれが優勝賞品になることが決まったとのことだ。

「こうなりゃあ、その仮面武闘会に出場して、優勝しねーとな」

「そうね。明日朝一番にここを出るわよ」

そうなると、直に寝なければならないと、シルビアとカミュは大急ぎで料理を食べていく。

「ん?どうした、エルバ。食欲ねーな」

カミュはエルバの料理だけほとんど減っていないことに気付く。

これはダーハルーネを離れたときからで、それから彼はずっと食欲がない様子だった。

「ダーハルーネでのことがストレスだったかしら?でも、ちゃんと食べないと元気が出ないわよ」

「分かっている…」

食事をとって、体力を回復させる重要性を理解しているエルバはどうにか食べようと少しずつ料理を口に運んでいく。

気になったのは左手の痣だ。

あの紫色の雷を発動したとき、なぜかその痣から痛みが感じられた。

その痛みが気になり、それが頭から離れなかった。

(あのデイン…グレイグに追いかけられた時に発動したもの以上の威力だった…)

すぐに完全回復されたとはいえ、トベルーラするホメロスを撃ち落とし、重傷を負わせるほどの威力。

燃費が悪いものの、それをもっと使えるようになれば、もしかしたら…。

(いいや…今は考えるな。ここには奴らはいないんだ…)

頭を横に振り、エルバは食事に集中した。

 

「…眠れない…」

真夜中になり、カミュとシルビアがそれぞれのベッドで気持ちよく眠りにつく中、エルバは閉じていた瞼を開く。

2人が眠りについて2時間、どうにか体を休ませようとベッドで横になったが、だんだんそれが苦痛に感じられた。

「うん…?」

痣がうずくのを感じ、エルバは手袋を外す。

その痣が淡く光っていて、その光を見るとなぜか脳裏に廃墟の城とその中に隠されている地下への階段が浮かぶ。

ここから廃墟までは馬で1時間はかかる。

「どういうことだ…?」

着替えたエルバは彼らに気付かれないように、音を立てないようにドアを開け、外に出る。

馬小屋にいるフランベルグを連れて行こうと思いながら出入り口のドアを開ける。

そこには馬小屋に繋がれているはずのフランベルグの姿があった。

「フランベルグ…どうして…?」

馬小屋には鍵がかかっており、馬が自分でそこから出ることはできないはずだ。

どうしてフランベルグがこのようなことができたのかは分からない。

だが、今は都合が良かった。

エルバはフランベルグの背に乗り、バンデルフォンの廃墟を目指した。

 

「ここが…バンデルフォン王国があった場所…」

フランベルグから降り、かつての王国の廃墟を見渡しながら、エルバは中へと進んでいく。

なぜかこの場所に徘徊しているはずのゾンビたちの姿は見えず、風と自分の足音しか聞こえない。

「あそこか…」

ちょうど、玉座があったと思われる一番奥に到着すると、左手の痣がうずき始めた。

「ここか…??」

痣のうずきと共に頭の中がざわつきはじめ、エルバは左拳を前に突き出す。

すると、目の前の床が崩れ、隠された階段が出現した。

迷うことなく降りていく。

持ってきたランタンに火をつけると、壁に飾られている絵画にエルバは息をのむ。

隠されていたおかげか、30年間無事に残っているその絵はいずれも在りし日のバンデルフォン王国の情景が描かれていた。

中には、黒いベールに包まれた巨大な魔物に立ち向かうとがった黒髪で水色の服を着た男性、白いワンピース姿で紫のポニーテールの女性、ピンク色の厚手の鎧と羽根突きの兜姿の男、そして薄緑色のローブで身を包んだ魔導士が立ち向かう姿が描かれていた。

その黒髪の男の左手にはエルバと同じ痣が刻まれていた。

「何者なんだ…彼は…?」

「勇者ローシュ…かつて、世界を救った英雄だ」

背後から聞こえる声に反応したエルバは振り返り、背中の退魔の太刀を抜く。

そこには黄金の鎧をまとった戦士の幻影が立っていた。

顔は仮面で隠れており、その全貌を見ることはできない。

「身構えなくてもよい。私は…待っていた。死して30年、大樹へ還ることなく、ここでひたすら…」

「30年…黄金の鎧…まさか…」

「そうだ、勇者よ。私はアーサー、初代国王ネルセンから続いた王国を亡国と変えた愚かな王だ」

「なぜ…俺を…?」

「託すべきものを託す…そのためだけに」

アーサーと名乗る幻影はゆっくりと通路の先へと進んでいき、エルバも後ろからついていく。

その先には魔法陣が中央に刻まれた石造りの扉があり、幻影はそれに右手で触れる。

ゴゴゴと重苦しい音と共に扉が横開きし、小部屋が露となる。

そこには一つだけ赤く塗られ、宝石が埋め込まれた豪華な宝箱が残されていた。

「この中に、たくしたかったものがある」

ゴクリと唾を飲んだエルバは宝箱を開く。

その中には紫色のオーブが入っていた。

「オーブ…?」

エルバはカミュが持っているレッドオーブを思い出す。

「そうだ、これは代々国王に受け継がれてきたもの。来るべき時に勇者に託すために…」

「勇者に託すため…あなたは勇者のことを知っているのですか!?」

勇者に託すために受け継がれた来たのだとしたら、勇者について何かを知っているはず。

糸口がつかめると思ったエルバはアーサーに詰問する。

「今、私の口からそれを伝えることはできない。だが…1つだけ言えることがある。オーブが勇者を運命へと導く」

その言葉をつぶやくと同時に、アーサーの姿が徐々に消え始めていた。

「運命へと導く…?それはどういう意味ですか!?」

「ネルセン様…愛する国民たちよ…もうすぐ、我らの悲願が叶う…」

「待てぇ!!」

幻影が消えると同時に、エルバの周囲がまぶしい光に包まれていった。

 

「エルバ…エルバ!!おい、エルバ!!」

「…!?」

カミュの声が聞こえ、正気を取り戻したエルバの視界にはシルビアとカミュ、そしてネルセンの宿屋の木製の天井が入っていた。

「はあ、はあ…」

「どうしたの?エルバちゃん。かなりうなされていたわよ。嫌な夢を見たのかしら?」

「はあ、はあ…なんでもない…」

ベッドから降りたエルバはそばに置いてある荷物袋の中を見る。

その中にはアーサーから託されたパープルオーブが入っていた。

(夢じゃなかったのか…なら、俺はどうやってあそこから宿屋へ…)

アーサーが消えてから、ここまでの記憶はエルバの中には全くない。

そして、アーサーが残した『オーブが勇者を運命へと導く』という言葉も気になった。

(オーブが俺を導く…ということは)

エルバは荷物を整えるカミュに目を向ける。

もしかしたら、彼が持っているレッドオーブも自分とかかわっているのかもしれない。

だが、カミュにはカミュの事情があって、レッドオーブを欲していた。

そんな彼に対して、レッドオーブのことを話題に出すわけにはいかない。

「さあ、ベロニカちゃんとセーニャちゃんを迎えに行って、早くグロッタへ行きましょ!」

「あ、ああ…」

「さっさと着替えて出て来いよ、エルバ。急がねえと仮面武闘会に間に合わねーぞ」

カミュとシルビアは部屋から出ていき、一人残されたエルバはパープルオーブを手に窓からバンデルフォン王国の廃墟を見る。

自分がパープルオーブを手にしたことで、救われた魂がどれだけいるのだろうか。

エルバはバンデルフォンでさまよう魂に黙とうした後で、着替えて荷物を手に部屋を出ていった。

 

「パープルオーブ…確かに勇者の手に渡ったか…」

真っ暗な空間の中で、赤い光を放つ魂がつぶやく。

その言葉と同時に周囲に隠されたたいまつに火が付く。

その明かりに照らされた魂の姿は徐々にエルバが見た絵の戦士の姿へと変わっていった。

「長い年月だった…。あまりにも。だが、時が来た」

そうつぶやくとともに、彼が赤い光に包まれて姿を消す。

そして、周囲の火もその光が消えると同時に消えてしまった。

 




ネルセンの宿屋
バンデルフォン地方にある大きな宿屋で、バンデルフォン王国出身だったという商人が作ったもの。
麦やカボチャなどの多くの野菜を育てており、それらを使って作った料理は絶品とのことで、観光客の的となっている。
それらはバンデルフォン王国滅亡の影響で耕作が放棄されていた土地で、現在でも耕作放棄地の再生が行われている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 グロッタの街

「うむ…旅人で、仮面武闘会参加者と…よし、通っていいぞ。ここじゃあ手に汗握る戦いが待ってる。けど、参加者以外はステージに入ったりするなよ?」

警備兵による簡易的なチェックを受けた後、エルバの前にあるドームの入り口のドアが重々しく開かれる。

ドームの中は壁や柱にかけられている松明やランタンだけが頼りで、そんな蔵蔵とした空間の中にはダーハルーネ以上に高低差のある迷路のような路地とその路地に隣接する形で作られた石造りの建物が並んでいる。

このグロッタの街は元々、ユグノア王家が大昔に作った巨大な公衆浴場であり、貧富の差を問わず利用することができたものだという。

しかし、長年使われた後で維持費などの問題が生じた際にその巨大な建物を利用した街づくりが当時の宰相であるグロッタ・シムに提案され、現在のような街へと変貌した。

そのため、街づくりを提案し、その設計にかかわったグロッタの名前が敬意をこめてその町に採用されることとなった。

その経緯から、グロッタの街はユグノアの領土ということになっており、生き残ったユグノアの国民の大部分がこの地で暮らしているという。

なお、ユグノア王国滅亡後のグロッタの街の扱いについては意見が分かれており、デルカダール王の進言により、ユグノア王家断絶により王国再考の余地なしとして暫定的に自治都市とされることになった。

「ついに来たわね!屈強な男の街、グロッタ!!」

海の男コンテストがホメロスによってつぶされ、欲求不満だったのか、シルビアは目を輝かせながら中央のコロシアムを見る。

そこは王族専用の浴場があった場所を改修したもので、現在は仮面武闘会をはじめとしたグロッタのイベント施設として利用されている。

そこへ続く一本道には人だかりができており、中にはどの参加者がどれだけ勝ち進むかのかけをしている荒くれの姿もある。

ただ、エルバはそのコロシアムの壁に飾られている上半身像をにらむように見ていた。

「チッ、ここでもグレイグが英雄扱いされてるってわけか!まったく、胸糞悪いぜ!」

グレイグに対して、なにもいい思い出がないカミュは舌打ちする。

エルバは何も言わず、まっすぐにコロシアムへ歩きだした。

 

「はいはい、エルディさんとカイさんですね。はい、参加受付は完了いたしました」

茶色いちょび髭を生やしたバーテンダー風の男性がエルバとカミュの偽名を書類に記入し、2人には仮面と番号が書かれたトランプが渡される。

エルバの仮面は灰色で広げた翼のような形をしたもので、カミュのものは黒い鬼の顔を模したものとなっていた。

なお、エルバのカードはスペードのジャック、カミュのカードはクラブの10となっている。

「情報通り!虹色の枝があるわ」

ベロニカはカウンターの左右に展示されている優勝賞品と準優勝賞品に目を向けていた。

カウンターの右側には優勝賞品の虹色の枝、左側の準優勝賞品の黄色に輝くオーブが展示されており、参加者と思われる闘士たちはそれらに目を輝かせていた。

「黄色のオーブ…イエローオーブか…」

虹色の枝も気になったエルバだが、それ以上にイエローオーブが気になっていた。

カミュのレッドオーブ、バンデルフォンで手に入れたパープルオーブ。

今目の前にあるイエローオーブとそれらに関係がないとは思えない。

勇者の真実を知るためには、これも必要に思えた。

「虹色の枝…これさえあれば、大樹への道が…」

「そういうことね。エルバ、カミュ!絶対優勝しなさいよ!」

「ああ…だが、応援の時はカイ、で頼むな。一応、俺はお尋ね者の死刑囚なんだぜ…」

「問題はだれとタッグを組むことになるかだな…」

エルバは受け取ったトランプに目を向ける。

グロッタの仮面武闘会はタッグ形式となっており、パートナーとなる闘士はランダムで決定される。

気心の知れたカミュとタッグを組むことができればいいが、別の闘士とタッグとなる可能性が高い以上、自分たちの正体を知られるわけにはいかない。

「エルバちゃん、カミュちゃん、後ろのエレベーターからコロシアムへ行けるわよ。じゃあ、頑張って♪」

「ああ…」

シルビアがエルバの肩を軽くたたき、ウインクしてからセーニャとベロニカと一緒に客席へと続く階段へ向かう。

彼は一応、女ということなので、参加はしない様子については2人とも気にすることはなかった。

 

他の闘士たちと共にエレベーターで最上階まで登ると、そこは暗がりなグロッタの街並みとは大違いの、太陽の明かりに包まれた空間となっていた。

歓声を上げる観客たちが周囲を埋め尽くし、中央の円盤状のフィールドで闘士たちは拳と拳をぶつけ合うことになる。

闘士たちが集合したのを見た司会のバーテンダーの男は両腕を伸ばす。

「レディースアンドジェントルメン!今年もホットな季節がやってきたぞ!!準備はいいか、今こそ闘いの時!!この戦いの聖地、グロッタ闘技場で今年はどんな名勝負が待っているか!?仮面武闘会、いよいよ開幕です!!」

開幕宣言と共に、観客たちがさらにヒートアップする。

住民だけでなく、世界中の観光客が集まっていて、中には席を確保できずに階段から観戦している客までいる。

「それでは…皆様お待ちかね!誰がパートナーになるか、運命の抽選会が始まります!私がカードをシャッフルし、ランダムに引いた2枚のカードと同じカードを持つ2人の闘士がタッグを組むこととなります!」

助手の男性から紙でできたカードケースを受け取った司会がセキュリティシールをはがして中のトランプの束を手に取る。

複数回シャッフルした後で、即座に2枚のカードを裏向きにまま引いた。

「1枚目…スペードの11!初参加のエルディ選手だ!!さあ、ステージの上へ!」

「…」

エルバは視界の指示に従い、ステージの上に立つと、司会はもう1枚のカードを確認する。

「2枚目はクラブの8!おおっと、この方も初参加、マルティナ選手だぁー!」

闘士たちの集団の中から、緑と黒の薄手の武闘着を着用した、濃い紫のポニーテールの女性がステージへやってくる。

女性としては身長が高く、ほっそりとした体つきで、顔は紫の蝶の仮面で隠されている。

「あなた…2本剣と背中の両手剣、どちらを使うの?」

「普段は両手剣だ。それがどうかしたのか?」

「これから一緒に戦うパートナーとして、知りたいと思っただけよ」

「そういうあんたは槍か?」

「いいえ、これはあくまで補助用よ。それから、女性にあんたはないんじゃない?」

「ちょっと待った!」

エルバと女性の小声での話が老人の一声によって中断する。

金色で嘴がついたフルフェイスの仮面をつけた、赤いキャップ帽と赤い上着、白いシャツに茶色いズボン姿のいかにも商人のような姿をした小太りで小柄の老人で、背中にはテントの布などの荷物を背負ったままだ。

彼はズカズカと指示を受けていないにもかかわらずステージに上っていき、司会をジロリとにらむ。

「どこの馬の骨かもわからぬヤツに姫の相棒などまかせられん。この抽選、取りやめてもらおう!」

「しかし、規則で決まっている以上、覆すわけにはいきません。お引き取りを!」

司会の男性は老人の要求を毅然とした態度で跳ね返す。

だが、エルバは彼が言っていた『姫』という言葉が引っかかった。

「姫…?あんた、どこかの国の姫だっていうのか?」

「想像に任せるわ。けど、あなたは別の人とパートナーになるかもしれないわね」

「何?」

老人は司会の耳元で何かをささやく。

すると、司会はびっくりしながら老人の顔を見る。

そして、即座に『ただいま、問題が発生したため、確認作業に当たります!少々お待ちください』と宣言した後で一度ステージを後にした。

急に司会がいなくなり、その問題についての説明もないことから会場がざわつき始める。

「すまんのう、若いの。いろいろ、こちらも都合があるのじゃ」

「別にいい。誰がパートナーだろうと、俺は優勝するだけだ」

「かなりの自信じゃのお。ふむ…」

老人はエルバの腕や足をじろじろと見始める。

更には勝手にエルバの掌を手袋越しに触れていた。

「何をする…?」

「ふむ…どうやら、両利きらしいのぉ」

「それがどうした?」

「いや、もしかしたらその重苦しい剣以上に戦う術があるのではないかと思ってのぉ。邪魔をした詫びじゃ」

「…?」

言っている言葉が理解できないエルバだが、その説明を求める機会はなかった。

大急ぎで司会が帰ってきて、ステージの上るとすぐに息を整えて宣言する。

「大変失礼いたしました。今回、クラブの8番のマルティナ選手は特別招待枠となっておりました!ですので、こちらのご老人、ロウ選手がパートナーとなります!」

「おい、何を言っていやがる!」

「不公平だぞ!!」

闘士や観客たちが抗議の声をあげ、ブーイングが響き渡る。

こうなることは分かっており、本当はこういうことをしたくなかった司会だが、こうなった以上はなだめるしかない。

「も、申し訳ございません!これは決定事項となりますので、もう覆ることはありません!!では…」

こうなったらすぐにパートナー決めをして次へ進めようと思い、司会はカードを引く。

「スペードの7、スペードの7の選手!ハンフリー選手がエルディ選手のパートナーとなります!」

ハンフリー、という名前が聞こえ、闘士たちは静まり返る。

そして、屈強な筋肉質の体で、赤いグローブとオレンジ色のバンダナ、紫色のベストを身に着けた細目の男がステージに上がる。

エルバと同じ形だが、赤いラインの目立つ仮面をつけていた。

「なんと…前大会のチャンピオン!不死鳥、ハンフリー選手がエルディ選手のパートナーとなりました!!」

「不死鳥…?」

「気にしないでくれ。ただ、怪我してカムバックしただけだ。それよりも、一緒に頑張ろうな、エルディ」

「ああ…」

「それでは、続きまして二組目の…」

 

抽選が終わり、明日から試合が開始されるということとなり、熱気に包まれたまま観客や闘士たちはコロシアムを後にする。

エルバとカミュをセーニャが1階で出迎える。

「エルバ様、聞きましたわ。前大会のチャンピオンがパートナーなんてついてますわね」

「だよな、問題は俺のパートナーだな…」

カミュはパートナーとなった闘士、ミスター・ハンのことを頭に浮かべる。

ドゥルダ郷というドゥーランダ山で修業していた武闘家で、実力はあるようだが、前大会では1回戦落ちしたらしい。

「でも、私はエルバ様ならお一人でも優勝できると思ってますわ」

「俺を…そんなに買いかぶる必要はないぞ」

勇者の導き手として、おだてているようにしか聞こえなかったエルバは少し不機嫌な表情を浮かべる。

虹色の枝とイエローオーブが手に入るのであれば、自分ではなくカミュが優勝したとしても何の問題もない。

「本心ですわ、それにお姉さまも…あら?さっきまでこちらにいたのに…」

「おいおい、最初っからいなかっただろうが…」

のんびりとしているセーニャはエルバとカミュが戻ってくる前にベロニカがいなくなったことすら気づいていなかった。

エルバとカミュは最初からセーニャ1人で迎えに来たとばかり思っていたが、まさかそうだとは思わなかった。

おまけに、外が若干騒がしくなっていた。

「はあ…ベロニカの奴、また面倒を起こしたのか?」

ホムラの里やダーハルーネで騒ぎを起こしているため、また同じようなことを起こしかねないと思い、カミュはため息をつきながら外へ向かう。

「俺たちも行くぞ」

「え、ええ…」

エルバとセーニャもここにいても何の解決にもならないと、カミュについていった。

 

「ちょっと!どこに目をつけてるのよ!?」

「ったく、うるせえガキだな!てめえがチビなのがいけねえんだろ!?」

外では人だかりができていて、その中心には濃い茶色の覆面を付けた荒くれとベロニカが真正面から口論を起こしていた。

話を聞いていると、どうやら荒くれがベロニカのことに気付かずにぶつかってしまったようで、気の強いベロニカから何かを言われたのか、すっかりヒートアップしている。

「エルバ、こいつは…」

「ああ、ガレムソン。参加者だな…」

グロッタ出身の闘士、ガレムソンはこの仮面武闘会では常連で、これまでの最高成績は2つ前の大会のベスト4だ。

彼は抽選会でもマルティナとロウへの措置に不満を見せていたうえに、パートナーとなった男が丸い眼の上にベロリと長い舌を伸ばしたわけのわからない闘士だったことで、不満を爆発させていた。

そんな不機嫌な状態ではこういうことになっても致し方ないだろう。

「ええっと…」

2人の様子を見て、セーニャはすっかりオロオロしており、これでは何の役にも立たない。

「はあ…これ以上ややこしくするわけにはいかねえな。エルバ」

「ああ」

 

「ちょっと!どこ見て歩いてるのよ!?」

「ったく、うるせえガキだな!てめえがチビで、そんな着ぐるみを着てるからいけねーんだろ!?」

いらだっていたガレムソンはベロニカの気の強い言動に腹を立て、彼女と着用している猫の着ぐるみに責任を追及する。

だが、ガレムソンが誤解しているのは、目の前にいるのは幼い少女ではなく、そういう見た目の年頃の女性だ。

「ハァ!?何を言ってるの、この筋肉ダルマ!そっちからぶつかってきてるんでしょ!?御免の一つも言えないの!?」

「チッ、口の減らねえガキだな!俺は抽選会が最悪な結果でむしゃくしゃしてるんだよ!」

「いい大人が八つ当たりとは、見苦しいな。ガレムソン」

「ああん!?」

背後からこちらを責める言葉が聞こえ、それが男の声であったことから一発殴ってやろうかと思って振り返るが、その声の主を見た瞬間、振り上げかけた腕を下へおろした。

「チャ、チャンピオン…」

フッと笑みを浮かべるハンフリーはゆっくりとガレムソンの前に立ち。

背丈はガレムソンと同じくらいであるものの、チャンピオンとしての余裕や貫禄、プレッシャーがあるのか、ガレムソンはたじろいでいる。

「抽選の結果が望ましくないからと言って、子供に当たるなんてみっともないぜ。パートナーが誰だろうと、闘士なら戦うのみ…そうだろ?」

「あ…ああ、そうだな。チャンピオンがそういうなら…」

言っているハンフリー自身、かつてはよい相棒がいたのだが、ある事件で彼を失い、それからは相棒をつけることなく、パートナーが誰であろうと戦い続けている。

去年の仮面武闘会でも、ルーキーをパートナーにしたにもかかわらず、優勝している。

有言実行して見せているハンフリーだからこそ、その言葉には説得力がある。

「わ、悪かったな。お嬢ちゃん。それじゃ、俺はこの辺で…」

人に当たらず、酒に当たって明日に供えようと思ったガレムソンは地下街へ向かう。

そして、遅れてエルバら3人がベロニカに駆け寄る。

「お姉さま!」

「大丈夫か?」

セーニャとエルバにベロニカは首を縦に振る。

カミュはベロニカに何ともないことに安心したものの、やはりこういうことがたびたび起こるとハラハラしてしまう。

大人だと言うなら、もう少し落ち着きを見せてほしい。

「よぉ、相棒。その子、あんたの知り合いだったんだな」

「ああ…迷惑をかけたな」

「気にするな。それよりも、何事もなくてよかったな。それじゃあ、子供たちが腹を空かせて待ってるんで、失礼するよ。明日からの試合、絶対に優勝しような!しっかり休んどけよ!」

ハンフリーは地下への階段を下り、その姿を消していく。

周囲に集まっていた人々も、騒ぎが静まったことで安心したのか、住民は家路につき、旅人は酒を求めて地下街へ向かう。

「んじゃあ、チャンピオンの言う通り、しっかり寝るとするか」

「だが…シルビアはどこへ行った?」

「さあ…?」

騒ぎが起こったにもかかわらず、いつまでも姿を見せないシルビアのことが気にかかる。

しかし、最年長である彼だから、門限までには帰ってくるだろうと思い、エルバ達は宿屋へ向かった。

 

「あのオッサン、様子がおかしいぜ…」

翌朝、宿の食堂でモーニングサービスのサンドイッチを口にしながら、自分だけさっさと食事をとって出ていったシルビアのことを気にしていた。

結局、彼は宿屋の門限ぎりぎりで帰ってきただけでなく、今日はいつもはみんなで一緒に食べるはずの食事を自分だけ先に済ませて出て行ってしまった。

完全に様子がおかしいと思い、尾行しようと考えたが、シルビアは持ち前の身体能力で飛び回り、あっという間に見失ってしまった。

「昨日、シルビアと一緒にいたよな。いつからいなくなった?」

「それが…抽選会が始まったときにはもういなくなっていて…」

トマトスープを口にするセーニャはエルバに昨日のシルビアの様子を説明する。

どこかそわそわしている感じがしたが、それ以外は別に異常はなかった。

「おそらく、町から外には出ていないはず。私たち、探してみますわ」

「頼む」

食べ終わったエルバは予選のために体を動かすため、先に外へ出る。

コロシアムの北には訓練用の広場が出場者用に開放されており、ここが練習条件集合場所として使われる。

なお、チームごとによって仕切られており、それによってチーム同士で本番の動きを知られないようにできている。

「…ハァ!!」

エルバは模擬戦用の木製両手剣を振るう。

今回は退魔の太刀を使うことになるため、若干刀身が細いタイプのものを使っている。

だんだん手の感触がつかめてきたものの、問題は剣とは違う刀の扱いだ。

剣以上に斬る武器としての側面が強いため、いつもの両手剣と同じようには扱えない。

「よぉ、早くに練習とは感心だな」

「ハンフリー…」

練習場に入ってきたハンフリーはそばにあるもう1つの人形と対峙する。

両手には炎の爪を装備し、掬い上げるように人形を斬りつける。

「来たか…」

「全力で戦えるように、準備運動は大事だろう?」

しばらく、人形相手に爪での攻撃や蹴りなどの格闘術を試した後で、持ってきた水筒の水を飲み始める。

集合時間まであと15分。

体を休ませようと、エルバも模擬剣を置くと、日陰に入った。

「ふうう…それにしても、この時期は暑いな。あいつら、ちゃんと水飲んでるだろうか…」

「あいつら…?」

「ああ、俺、教会で暮らしてるんだ。そこで孤児を育ててる。ま…俺も昔はその孤児の1人だったけどな」

「そうか…」

「神父様が死んでから、俺がファイトマネーで教会を維持してる。だから…しっかり結果を出さないと、あいつらが路頭に迷うことになってしまう…」

ぎゅっと拳を握りしめながら、自分に言い聞かせるようにハンフリーはつぶやく。

子供たちの未来は自分の拳にかかっている。

その重圧に耐えながら戦い続けているのだろう。

「おっと…悪いな、ルーキーのお前に重い話を聞かせてしまって」

「いや、俺にも負けられない理由があるからな。あんたも同じで助かった」

エルバも、勇者の真実を突き止める手がかりである虹色の枝を求めている。

それを手に入れるためにも、この仮面武闘会は必ず勝たなければならない。

エルバは胸のお守りを握り、眼を閉じた。

(エマ…真実を見つけて、復讐を果たすまで、前へ進ませてくれ…)

 

試合開始時刻が近づき、満席の客席からは観客たちの声援が響き渡る。

「あわわ…お姉さま、みなさん、すごい熱気に…」

ダーハルーネのバザーでは楽しくスイーツを食べることができたセーニャだが、そこでの騒がしさとこの客席のそれは似て非ざるものに感じた。

ここでの声援は闘士たちの激しい戦いを求める熱気を宿したもので、セーニャはその熱気に押されてしまっている。

「負けてられないわね!!セーニャ!あいつらが出たら、負けずに応援するわよ!」

売店で買った唐揚げを食べ、木の実ジュースを飲みながらベロニカはエルバ達の登場を待つ。

そして、ステージには昨日と同じ司会の男がやってくる。

「皆様、たいへん長らくお待たせいたしました!これより、仮面武闘会予選第1試合を行います!赤コーナー、ルーキーとチャンピオンのペア、不死鳥は炎を纏い、連覇を狙う…エルディ&ハンフリーペアーー!!」

「来た!!」

「え、ええっと…エルディ様!頑張ってください!!」

「ハンフリー!ハンフリー!!」

「ハンフリー様ーーー!!」

ベロニカとセーニャの声援がハンフリーのファンたちの声でかき消される中、エルバとハンフリーが仮面をつけた状態でステージに上がる。

「第1試合からとは、幸先いいな」

「…」

ハンフリーの言葉に反応せず、エルバは青コーナーにやってくる2人の選手に目を向ける。

「青コーナー!こちらはどちらも仮面武闘会最高記録はベスト4。力と速さでチャンピオンに食らいつく!ガレムソン&ベロリンマンペアーーー!!!」

「ガレムソン…」

昨晩、ベロニカと騒ぎを起こしたガレムソンと赤いパンツをはいた、ガレムソンと同じく筋肉質な体で銀色の長髪、そして口には収まらないほどの長い舌を伸ばした男がそこには立っていた。

「ほぉ、ガレムソンか。昨日の一件と言い、つくづくお前とは縁があるようだ」

「ちっ…いきなりチャンピオンが相手か。俺という奴は今回はどこまでもついてねえぜ…」

ガレムソンの目線は隣の相棒、ベロリンマンに映る。

茶色い2つの丸をくっつけただけの仮面をつけた彼はポケーッとしなながら立っていた。

「おい、作戦分かってるだろうな?チャンピオンは後回し、まずはあのエルディってガキを2人で倒して、その後で集中攻撃だ。チャンピオン1人なら、まだ勝機はある。俺たちのキングスライム級の重量のケツで押しつぶしてやろうぜ」

「ベロッベロッ、ベローーン…。大会に優勝したら、女の子にもてるベロン。だから、頑張るベローン」

(いや、もてねえよ。ていうか、まだあきらめていないのかよ…)

ベロリンマンは生まれてこの方彼女や異性の友人がいない。

そのため、自分のかっこいい姿を見せてもてたいという一心で闘士となり、仮面武闘会に出場している。

彼のスピードは自分も認めているが、もてるかどうかについては全力で否定できる。

丸っこい眼とベロベロと伸ばした長い舌。

どう見ても女性にもてるような顔ではなく、どちらかというと芸人向きだ。

とはいうものの、実力は折り紙付きであるため、ガレムソンは余計なツッコミを入れることはせず、2人で一斉に相手となるエルバとハンフリーに向けて構える。

「さあ…始まるぞ」

「いつでもいい」

エルバとハンフリーも、自分の愛用している武器を構え、ガレムソンとベロリンマンに目を向ける。

「両チーム、気合十分!準備も整っている様子です!それでは…予選第1試合、開始!!」

 

 




グロッタの街
過去に、ユグノア王国が建造した巨大浴場を改造したもので、住民は全員屋内に建物や店を置いて生活している。
名物は仮面武闘会で、多くの闘士が年に1度集結し、激しい戦いを見せることからその時期には大勢の観光客が集まり、経済効果も大きい。
ただし、その時期以外に外部から旅人が来ることが少なく、ユグノア王国滅亡によって暫定自治都市となったと同時にその国との経済的なやり取りができなくなっていることから、仮面武闘会とは別の新しい集客のネタが検討されている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話 ハンフリーとマルティナ

「く…この野郎!?」

「ベロロー、ルーキーなのに強いベローン!」

退魔の太刀のリーチに助けられているとはいえ、自らの鉄の爪による力のある直線的な攻撃をさばいているうえにベロリンマンをベギラマで牽制するエルバの闘いにガレムソンは舌を巻く。

ベロリンマンもガレムソンも呪文に関する能力が全くない分、呪文も剣もある程度使えるエルバはやりづらい相手だ。

「ベロローン、だったらこうはどうベローン!」

軽く2回ほどジャンプをした後で、ベロリンマンはエルバの周囲を猛スピードで走り始める。

「こいつは…」

「ベロベローン、スピードスターの実力、見せてやるベローン!」

走り回るベロリンマンの姿が2人、3人と増えているようにみえ、エルバは目の錯覚かと疑う。

ベロリンマンを目で追いかけている間に正面から突っ込んできたガレムソンが両爪でエルバに切りかかり、彼を抑える。

「今だ、やれ!!」

「ベロベローン!!」

なぜか3人になったベロリンマンが一斉にエルバの側面と背後にとびかかる。

一気に四方向からの攻撃で、前方のガレムソンの力任せな攻撃を凌ぐのに精いっぱいなエルバには回避する手立てがない。

「まずい…!」

「弱い相手を最初に倒すというのはセオリー通りだ、認めてやる。だが、それでチャンピオンを無視するのは、いただけないな!」

跳躍したハンフリーが左側面から攻撃しようとするベロリンマンに向けて飛び蹴りをお見舞いする。

背中に直撃を受けたベロリンマンは前のめりに倒れ、残った2人が煙のように消えてしまう。

「げぇ!?チャンピオンの野郎、ベロリンマンの本体、どうしてわかったんだよ!?」

「分身か…。面白い技だ。どうやってそれを作っているのか、気になってしまうな」

分身は理論上は高速で移動しながらほんの一瞬だけ止まるという動作を繰り返すことで作ることができるらしい。

だが、そのためには時速240キロレベルで走らなければならないうえに走りながら0.03秒制止する必要がある。

モンスターの中でも走るスピードが最速のキラーパンサーと追いかけっこできるくらいでなければ、少なくともそんな芸当をするのは不可能。

おまけに、ベロリンマンの場合はその分身が本体と一緒に動くこともできる。

ハンフリーもどうしてそういった芸当ができるのか、様々な流派の格闘術を調べているが、いまだに正体をつかむことができていない。

だが、先ほどの動きを見ていると、分身のベロリンマンの作る影は本物のそれと比較すると若干薄かった。

そのため、影の濃い1体が本物だと予測して一撃を与えた。

(今だ…!)

ベロリンマンの援護を失ったガレムソンの頭にエルバは腹にけりを入れる。

だが、相手は仮面武闘会でベスト4を取ったことのある男で、その腹筋は頑丈だ。

エルバの蹴り程度では大したダメージにならないようだが、それでも距離を取ることには成功する。

そして、ガレムソンに向けてギラを数発放つ。

「へっ、その程度の炎なんざ!!」

飛んでくる炎のうち、直撃コースのものを鉄の爪を盾替わりにして受け止める。

だが、エルバにとってはこれで十分だった。

側面から接近してきたハンフリーがショルダーアタックを放ち、ガレムソンの巨体を突き飛ばす。

「ぐああ、くそぉ!!」

倒れたガレムソンは立ち上がろうとするが、その前にエルバの退魔の太刀の剣先が顔に向けられていた。

実戦であったら、これでとどめを刺されることになる。

ベロリンマンは先ほどのハンフリーの一撃ですっかり気を失ってしまったようで、もう援護を受けることができない。

「ま、参った…」

「ここで、ガレムゾンが白旗を上げた!!勝者はエルディ選手とハンフリー選手だーー!!」

「おおおーーー!!」

「ハンフリー!ハンフリー!!」

勝者が決まった瞬間、会場が沸き上がり、ハンフリーコールが響く。

ハンフリーがそれにこたえるように手を振る中、エルバは静かに刀を収めた。

 

「はは、やるじゃないか。エルディ。まさかガレムソン相手にここまで戦えるとは思わなかったよ」

控え室に戻り、ハンフリーは上機嫌になりながら水を飲む。

エルバは返事をすることなく、次の試合と今闘っているカミュのことを考えていた。

彼は今、ミスターハンと共にマルティナ・ロウペアと戦っている。

フェアーな勝負ができるようにという都合上、選手たちは観戦できない決まりになっている。

「君の仲間のことを考えているな。すべては勝利の女神が決めることさ」

「勝利の女神…か」

エルバは胸に手を置き、お守りの存在を確かめた。

 

「おいおい、あの女格闘家、中々強いぞ!」

「セクシーなうえに強い…俺、こういう女性と仲良くしてぇ…」

ステージでカミュは体をかがめる、ジャンプをするなどして首や足を狙ったマルティナの蹴りを凌ぐ。

足が襲ってくるたびにビリビリと風を感じ、それだけで彼女の蹴りの破壊力を感じてしまう。

動きを封じるために吹き矢でしびれ薬を撃ちこもうとしたが、その前に蹴りで吹き矢そのものを破壊されてしまった。

(くそ…!脚が見えねえ!なんて蹴りなんだよ!?)

スラリとした長い脚を、カミュは避けることはできたものの、脚自体が見えたわけではない。

先ほど彼女の蹴りと共に迫る風から予測しているだけだ。

実際、序盤は何発か彼女の蹴りを受けており、服の下にはいくつか赤くなっている個所がある。

マルティナは大きくバックジャンプをしてロウのそばに立ち、長刀を構える。

カミュとミスターハンは互いを見て、首を縦に振ると同時にマルティナに肉薄する。

ミスターハンのシルバークローとカミュの2本の毒蛾のナイフがマルティナに迫る。

しかし、斬りつけられるとマヒになる可能性がある毒蛾のナイフで長刀でさばき、シルバークローを蹴りで対応する。

大の男が2人がかりで攻撃されたにもかかわらず、すべてノーダメージで対応するマルティナに観客たちは驚きを見せる。

おまけに、攻撃をさばくマルティナは笑みを浮かべる余裕を見せている中、カミュとミスターハンは顔をしかめ、息を切らせている。

一方のロウは少し距離を置いてマルティナの動きを見ているだけで、まったく攻撃をしようとしない。

「だったら、こいつで!!」

カミュは左手に握っている毒蛾のナイフを左上上空に向けて投げる。

マルティナは一瞬、彼の利き手に握られていたその武器に気を取られてしまう。

その間に、ミスターハンは彼女の背後に立っていた。

「目の良さが命取りだぜ!」

「それは…どうかしら!?」

背後からシルバークローで切りかかるミスターハンのことが最初から分かっていたかのように、体を横にそらせて回避し、カウンターとして彼の背中に足を叩き込む。

「ぐおおお!?」

背中に鋭い一撃を受けたミスターハンはあおむけに転倒し、毒蛾のナイフはステージの左端に落ちる。

乾坤一擲の一撃すらかわされてしまい、焦るカミュは動かないロウに目を向ける。

彼はニコリと余裕の笑みを浮かべており、気持ちの余裕をなくしたカミュとミスターハンの精神を逆なでする。

「あのジジイ…!!ハッ…!」

だが、今は彼を気にしている場合ではないことに気付いたカミュは再びマルティナがいた方向に目を向ける。

しかし、そこにいるはずの彼女の姿が見えず、カミュは自分のうかつさを痛感しつつ周りを見渡す。

どこを探してもマルティナの姿が見えないばかりか、相棒であるはずのミスターハンの姿もない。

「ねえ」

「その声…!?」

背後からの声に振り返るカミュだが、その瞬間人間くらいの大きさの何かが飛んできて、カミュに直撃する。

「がぁ…!?」

大きな質量の一撃を受けたカミュは場外に飛ばされ、ステージ周辺の広場に落ちてしまう。

ステージ上には目を回したミスターハンとマルティナ、そしてロウの姿があった。

マルティナは気絶したミスターハンを蹴り飛ばして、それでカミュにとどめの一撃を与えた。

あまりに重い一撃を受けたカミュはどうにか両腕を使って起き上がろうとするが、足に力が入らず、顔をステージ上から見下ろすマルティナを見ることしかできなかった。

「隙だらけだったわよ、坊や」

「くそ…が…」

もはや立ち上がるだけの力が残っていないカミュは気を失い、あおむけに気絶してしまった。

「勝負あり!勝者、マルティナ・ロウペア!!マルティナ選手、息が上がっていません。大きな余裕を見せる戦慄のデビュー戦でした!!」

 

「う、うう…」

ゆっくりと目を開けたカミュは心配そうに自分を見つめるセーニャの姿が最初に見えた。

上下から感じる繊維の覚えのある感触から、宿屋のベッドの中にいることが容易に分かった。

上半身は裸になっており、それを包帯で覆われている。

「カミュ様、大丈夫ですか。ずっと意識を失っていて、心配していました」

「悪い…こてんぱんに負けちまった…」

結局マルティナの一撃すら与えることができずに負けてしまった。

相手が悪かったかもしれないが、1回も勝利できずに予選落ちで、バツが悪い。

速くその話題から離れたいと思い、カミュは真っ先にエルバのことを頭に浮かべた。

「そ、そうだ。エルバはどうだ!?」

「エルバ様は決勝トーナメントに進出が決まりましたわ。ただ…」

「ただ、どうしたんだよ?」

エルバが勝ち進んだにもかかわらず、少し困った顔を見せるセーニャにカミュは首をかしげる。

「どうしたんだよ。言ってみろよ、セーニャ」

「はい…。実は」

セーニャはカミュに耳打ちし、気になっていたことを口にする。

話を聞いたカミュはため息をつき、左手を顔に当てた。

「おいおい、マジかよ…」

自分が予選敗退のため、結果的によかったかもしれないが、彼が何をしでかすか分からない。

しかし、もう決勝トーナメントに出ることが決まっている以上はもう成り行きに任せるしかなかった。

 

「ハハハ、ここまで余裕に勝ち進めることができるなんてな。エルディ、君と組めてよかったよ。これで今年も優勝できそうだ」

予選が終わり、闘技場の出入り口でハンフリーが嬉しそうにエルバに話しかける。

確かに勝ち進んでいるが、エルバはハンフリーの力量に驚きを感じていた。

ベロリンマンの分身を見破る洞察力だけでなく、走るスピードや格闘術も自分が知っている中で最速であるカミュ以上に思える。

もし彼と1対1で戦うことになったら、おそらくこちらが負けるように思えて仕方がない。

「俺はこれから孤児院に戻らないとな。じゃあ、明日の決勝トーナメントも頑張ろうな」

「ああ…」

「ハハッ、表彰式の時までにはその不愛想も直しておけよ」

ハンフリーは笑いながら闘技場を後にし、その後で観客席から戻ってきたベロニカとその場で合流する。

「エルバ、決勝トーナメントに進出できてよかったわ」

「ベロニカ、セーニャは一緒じゃないのか?」

「セーニャはノビちゃったアイツの面倒を見てるわ。まったく、見損なったわよ。もしかして、セクシーな体に見とれたとか?」

「…奴に限ってそういうことはないだろう」

カミュが負けたのはあくまでマルティナの武闘家としての技量によるもので、決してそれが理由ではないとエルバは信じたかった。

もしそうだとしたら、本当にベロニカに見限られているかもしれない。

だが、ベロニカがここまで怒っているのは最近セーニャがカミュと一緒にいることが多いからとも考えられる。

ダーハルーネを出た後のシルビア号でも、ここでも、カミュはセーニャの看病を受けているからだ。

カミュに妹を取られたという思いもあるかもしれない。

そうして話をしていると、話題にあったマルティナとその相方のロウが闘技場を出るためにエルバ達のいる出入り口に歩いてくる。

2人はエルバの後ろを通って後にしようとするが、エルバの後ろに一歩離れたところでマルティナが足を止める。

「ハンフリーには気をつけなさい」

「何…?」

彼がどうしたというのか、彼女に尋ねようと振り返るが、既にマルティナとロウの姿はなかった。

「ハンフリーに気をつけなさいって、一体どういうこと?」

マルティナの言葉はベロニカの耳にも届いており、彼の何を気を付けろと言っているのか、彼女にはわからなかった。

ガレムソンとの騒動を穏便に沈めてくれた彼が悪い人間には見えない。

しばらく考えるベロニカだが、一つだけこの町で仮面武闘会以外で噂になっていることを思い出す。

「そうだわ…行方不明事件!大会に出場している闘士が何人か行方不明になる事件が起こってるって噂があるわ」

「行方不明だと…?」

「ついてきて」

ベロニカはエルバと共に闘技場から出て東側の階段を下り、その踊り場にある町長の家のドアのすぐそばにある掲示板に指をさす。

そこには捜索願と行方不明者の似顔絵が張り付けられていた。

「彼らが行方不明者…?」

「そう、去年のね。何人かは見つかったけど、まだ見つかっていないのは8人くらい。おまけに見つかった人たちはなぜか行方不明になっている間のことを覚えていないのよ」

「覚えていない…妙だな」

イシの村で、テオから聞いたとある伝説をエルバは思い出す。

ロトゼタシアのとある村で、1人の若者が行方不明となり、村人総出で探したが、1週間たっても見つけることができなかった。

しかし、1カ月たって、突然その若者がふらりと村に帰ってきた。

その時の彼はやせ細っていて、行方不明になった理由をいくら問い詰めてもその間の記憶がないことから分からなかったという。

やせ細っていたかどうかはともかく、記憶にないという点についてはその伝説と似たものが感じられた。

「闘士が行方不明…となると、俺やカミュみたいな参加者全員がそうなる可能性があるということか…」

「ええ。ハンフリーさんもよ。様子を見に行ったらどうかしら?」

「そうだな。その事件で武闘会をつぶすわけにはいかないな…」

仮にもっと大勢の闘士が行方不明になったら、大会中止となる可能性が出てくる。

そうなると、せっかくの虹色の枝を手に入れるチャンスが水の泡になってしまう。

「ベロニカ、念のためこのことはカミュにも伝えてくれ」

「分かったわ、エルバも気を付けて」

ベロニカの言葉に頷くと、エルバはそのまま階段を降りて行った。

 

「ああ、教会かい?教会ならあそこだよ」

「感謝する」

案内してもらったエルバは地下街の一番奥にある教会にたどり着く。

グロッタの街では家のレンガとドームで使われているレンガがほぼ同じであるため、家や屋根の形から特徴をつかむしかない。

ここの教会もほかの家屋と同じレンガを使っていて、仮に壁にぶら下げられている十字架がなかったら、見逃していたかもしれない。

大きさはイシの村の教会よりも少し大きいくらいだ。

エルバは正面にある木製の扉の前に立つと、ドアノッカーでドアを叩く。

しかし、ノックしてしばらく待っても誰も出てこず、声も聞こえない。

「まさか…!」

嫌な予感がしたエルバはドアを開く。

鍵はかかっていないようで、エルバは中に入り、床に敷かれている長い間使われて若干薄くなっている赤いじゅうたんの上を歩き、その先にある主祭壇まで歩いていこうとする。

しかし、扉と主祭壇のほぼ中央あたりでいきなりドアが閉まる音が聞こえた。

「なに…?」

「捕まえろーー!!」

どこからか幼い子供の声が聞こえ、エルバは周囲を見渡す。

周囲を見渡していると、急に規則正しく2列に並んだ長椅子の影から少年少女が2人現れ、エルバの足を抑える。

「な…!?」

続けて、主祭壇の後ろから飛び出してきた少年がエルバにそのまま体当たりを仕掛ける。

腹部に大きな衝撃を感じ、後ろに倒れるエルバだが、防衛本能が働いたのか、両手で受け身を取る。

だが、そんな彼の視界に見えたのは分厚い聖書で、それが顔面に当たった瞬間、エルバの意識が飛んだ。

「やった!!ハンフリーの兄ちゃんを守ったぞ!」

「あたし達のハンフリー兄ちゃんをさらおうとするなんて!!」

「おい、いったいどうしたんだ?」

ガチャリと主祭壇の右側にあるドアが開き、そこからハンフリーが姿を見せる。

「あ、ハンフリー兄ちゃん!闘士行方不明事件の犯人を捕まえたんだ!」

「犯人…?」

首を傾げたハンフリーは子供たちをどかし、気絶したエルバを見る。

「おいおい、彼は犯人じゃないぞ。今年の仮面武闘会の相棒さ」

「え、ええーーーー!?」

「これは…完全にのびてしまっているな…」

彼が一体何のためにここへ来たのかはわからないものの、このまま放っておくわけにもいかない。

彼のことを先に話しておけばよかったと後悔しながら、ハンフリーはエルバを肩に背負った。

 

「う、うう…く…」

ゆっくりと目を開けたエルバは視覚に捉えている白い天井、そして宿とは違い少々硬めの白いベッドの感触に気付く。

手加減なしに思いっきり叩かれてしまったせいか、顔はいまだに痛みが残っていた。

「よぉ、ようやく起きてくれたか」

「ハンフリー…さん…」

「お、初めてだな。俺のことを名前で呼んでくれたのは。悪かったな、子供たちが早とちりしてしまってな」

隣のベッドに腰掛け、ハンフリーは後頭部をかきながら困った顔でエルバに詫びる。

「いや…俺も悪かった。闘士行方不明事件で、ここもナーバスになっているみたいだな」

「そうだな…」

「知っている限りでいい。その事件について教えてくれないか?」

「ああ…。2年前からな。最初に行方不明になったのはその大会のチャンピオンのサイモンという鎧騎士だ。結局、半年後に見つかったけどな。捕まっている間の記憶がないことから真相は分からず、チャンピオンが行方不明になったにもかかわらず、ほとんど注目されなかったな」

「そうか…」

確かにこの事件はうわさにはなっているものの、あくまで都市伝説レベルでしかなく、運営側もあまり注目していないようだ。

武闘会の説明を聞いた中でも、その事件について聞くことはなかった。

もっとも、その話をして不安をあおりたくなかったのかもしれないが。

「まぁ、心配してきてくれたのはうれしい。可能な限り、身の回りに気を付けることにするさ」

「あ、ハンフリー兄ちゃん…」

カチャリとわずかにドアが開き、その隙間から覗き込むように4歳くらいの少女が立っていた。

「どうして、シェリル」

「あのお兄ちゃん、起きた?」

「ああ。ほら、入って来い。みんなもいるんだろう?」

「うん…」

ドアが開き、何人かの少年少女が部屋に入ってくる。

先ほどの少女がこの教会では最年少のようで、中には15歳くらいの少年少女が1人ずついた。

年長の2人は襲ってきた面々の中にはいなかった。

「まったく、俺たちが買い出ししている間にこんなことがあったなんてな」

「ちゃんとエルディさんに謝りなさいよ」

「はい…エルディ兄ちゃん、ごめんなさい…」

彼らは一斉にエルバに頭を下げた。

闘士行方不明事件の犯人に勘違いした挙句、聖書で殴って気絶までさせてしまった。

「いや…気にするな。こんなのは傷には入らない」

「だとさ。彼は気にしていない。ほら、いつまでも立ってないで、晩ご飯の用意だ」

「う、うん!」

子供たちは部屋を出て、近くにある厨房で晩御飯を作り始める。

しばらくして、トウモロコシの匂いが部屋にも伝わってきた。

「彼らと一緒に暮らしているのか」

「ああ。俺も、元々ここで暮らしてた。みんな孤児なのさ」

「みんな…」

デルカダールのスラム街でも見たが、都会ではそういう子供もいるようで、イシの村との違いを改めて感じられた。

捨てられたのか、何らかの理由で死んでしまったのか。

だが、子供たちの楽しそうな声が聞こえきて、あまりかわいそうに思い過ぎるのもよくないだろうと思えた。

「俺は元々グロッタの出身じゃなくて、旅商人をしていた夫婦の子供だったって、俺を育ててくれた神父様が教えてくれた。魔物に襲われて殺されて、生きていた俺を拾ってくれた」

「そうか…ひどい経験をしたな」

「まあな。神父様が病気で死んでしまって…今はこうして俺がその神父様の代わりだ。俺に自慢できるものは腕っぷしくらいで、こうしてファイトマネーでどうにか生活しているんだ」

「ファイトマネー…か」

グロッタの街の闘士の収入は仮面武闘会以外にも行われる各地の大会での賞金で、他にもスポンサーとなってくれた資産家からの支援もある。

ハンフリーは最大の大会である仮面武闘会のチャンピオンであるため、並みの闘士以上の収入を得られるはずだ。

しかし、彼自身は炎の爪以外に高価なものを持っていないようで、おまけに生活も人並みレベルだ。

おそらく、得られた賞金の大部分をここの運営に使っているのだろう。

「俺はあいつらの親代わりだ。だからせめて、あいつらにとって強い父親でありたいのさ。そして、あいつらに楽をさせてやりたい。だから、闘士として戦い続ける。これが…腕っぷし以外にとりえのない俺にできる些細な事さ」

「ハンフリー…」

ハンフリーの細い眼からは静かに燃える闘志が感じられた。

それは小さいものだが、油断して触れると大やけどするほどのものに思えた。

「おっと、悪いな。らしくない話をして。じゃあ、そろそろ俺も料理の手伝いを…!?」

急に南の方角がらガシャンと大きな物音が聞こえ、2人は立ち上がる。

「この物音…近いぞ」

「俺の部屋からだ!まさか、泥棒か!?」

「お前は子供を見に行け。俺が行く」

「あ、ああ…頼む。俺の部屋は南へまっすぐ行った突き当りだ」

2人は部屋を出ると、ハンフリーは子供たちのいる厨房へ、エルバは南の部屋へ向かう。

突き当りにあるドアに到着したエルバは、剥ぎ取り用のナイフを手にする。

狭い部屋や通路では剣は扱いづらいため、こうした場合は短いナイフの方が有利になる。

泥棒が武装しているかはわからないが、ないよりはましだ。

エルバは壁に背中を押し付け、ゆっくりとドアを開く。

ドアが開いても何も物音がせず、エルバは構えた状態で中に入る。

「これは…」

部屋の中は散乱しており、南側の窓の一つが大きく割れていた。

倒れた棚や割れた瓶とその中に入っていたと思われるこぼれた液体。

おそらく泥棒は何かの拍子に棚を倒してしまい、急いで窓を割ってそこから脱出したのだろう。

エルバは窓から外の景色を見る。

教会から一番近い前方の建物でも、少し距離があり、飛び降りたとしてもよほどの訓練をしていなければ、運が良くて足の骨折、悪くて転落死だ。

だが、その下の広場や建物の屋上に人影は見えない。

追跡は難しいとあきらめたエルバはこぼれた液体を見る。

「この液体…水か?」

倒れた棚を見ると、その中の多くが瓶入れとなっており、まだ無事な瓶もある。

割れた瓶の内、粉々になっていて集計が難しいものを除いても、瓶の個数はおよそ15個。

これだけの数の瓶があったら、小さな薬屋ができるくらいで、一般家庭でそれだけの数を持つのはまずありえない。

(なぜ、これだけの瓶がここに…?)

「エルディ、大丈夫か!?」

ハンフリーが入ってきて、床を見るエルバに声をかける。

急いできたのか、ハアハアと息を切らしていた。

「ああ、だが泥棒はもう逃げていた。追跡はできそうにない。子供たちは?」

「大丈夫だ。小さい子は泣いていたよ。くそ…!俺の大事な教会に押し入るとは、なんて奴だ!大会が終わったら、見つけ出して成敗してやる!」

壁に拳をたたきつけ、ハンフリーは泥棒への怒りをあらわにする中、エルバは改めて部屋の中を見る。

本棚、倒れた棚、大きめのベッドに机。

ごく普通な部屋で、見た限りでは高価なものは見当たらない。

「ハンフリー、ここの金は普段どうやって隠している?」

「金は地下倉庫だ。俺の部屋にはおいていないぞ。それより…」

ハンフリーは棚を自分の手で元の位置に戻すと、床に落ちている瓶を拾い集める。

そして、ヒビが入っているものについては机の上のビーカーに戻し、無事なものは瓶入れにかけておいた。

「それは何だ…?」

「ああ、ただのドリンクさ。特に特別なものは入ってないが、大事な試合の時に使ってる。飲むと調子がいいのさ」

「ゲン担ぎか…」

「そういうことだ。さて…あいつらにもう大丈夫だって伝えに行かないとな。エルディはそろそろ戻った方がいいんじゃないか?仲間が心配しているだろう?」

「そうさせてもらうが、その前に部屋の掃除は手伝うぞ」

「いや、いい。この程度は俺一人でもできる。それよりもお前は明日の試合に備えてくれ、いいな?」

「ああ…」

エルバは部屋を後にし、あいさつのために子供たちがいる厨房へ向かう。

ハンフリーはドアを閉め、倒れた椅子を戻して腰掛ける。

「う、うう…」

急に痛みを感じ始めたハンフリーは胸を抑え、瓶を一本手に取り、その中の者を一気に飲み込んだ。

空っぽになった瓶を机に置き、ゆっくりと深呼吸をする。

だんだん痛みが治まっていき、気分もよくなっていくように思えた。

「あと少し…もう少しなんだ。持ってくれ、俺の体…。あいつらのためにも…」

ハンフリーはドア側の壁に欠けられている十字架を見る。

そして、ゆっくりと作り笑いをして見せた。

これは死んだ神父からの教えで、笑顔になることで悲しみや苦しみをいやすことができるという。

きっと、それは両親を失い、傷ついていたハンフリーに幸せになってほしくて教えてくれたものかもしれない。

最初はそれだけでいやすことができるなら苦労しないと思い、聞き流していた。

だが、神父が亡くなり、自分が教会を切り盛りする中でしきりにその言葉を思い出す。

(…そうだ。あいつらのためにも、そのためにも今は…)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 本選開始

「泥棒…!?教会に泥棒なんて、罰当たりですよ!」

翌朝の食堂で、エルバから教会で起こった泥棒騒ぎについて聞いたセーニャは怒りながらデザートのプリンを口に入れる。

僧侶故か信心深い彼女にとって、それは許しがたい所業だ。

「まぁ、ハンフリーと教会のガキどもは無事でよかったじゃねえか」

盗賊であるカミュは盗みについてとやかく言える立場ではない。

そのことを自覚しており、盗みについては突っ込まなかった。

ただ、エルバにはその盗み以上に気になることがあった。

「みんな、これを見てくれ」

エルバは懐から液体が入った瓶を出し、机の上に置く。

それはハンフリーの部屋にあったものだ。

「こいつ、どうしたんだよ?」

「ハンフリーさんの部屋から持ち出したものだ。少し…気になってな」

「気になる…って、どういうこと?」

「彼はこれを水分補給用のドリンクだって言っていた。だが、部屋には同じものがいくつもあった」

「ちょっと、貸していただけませんか?」

セーニャは瓶のふたを取り、その液体をじっと見る。

魔力の反応が瓶と液体の両方から感じられた。

「変ですね。魔力が詰まっていますが、魔法の聖水や魔法の小瓶に使われている物とは違います」

「まぁ、そもそも魔力を詰めること自体疑問よね。ハンフリーさんは武闘家で、呪文なんて使わないし」

「まさか…ドーピングか?」

「ドーピング検査は試合直前にされているぞ。俺もハンフリーさんから異常が出ていないのは見ているが…」

仮面武闘会では僧侶と薬草医によるドーピング検査が試合開始前に行われる。

血液から検査し、その中にある魔力の反応でチェックをし、仮に反応があった場合は薬草医がその原因となっている薬物を特定する形になっている。

エルバもハンフリーと一緒に検査を受けていて、彼に異常がないことは確認している。

異常が見られない以上はとやかく言うわけにはいかないうえ、彼はエルバの今回のパートナーでもある。

「…はぁ、エルバ。ハンフリーから目を離すなよ。今できることはそれくらいだ」

「ちょっとカミュ!ハン…」

「お姉さま、お静かに…!」

セーニャに口をふさがれ、モゴモゴ言うベロニカ。

食堂には自分たち以外にも闘士や観客がいて、こんなことをほかの誰かに聞かれたら騒動が起こるかもしれない。

それで武闘会が中止になると、虹色の枝を得られなくなる。

それに、エルバ達はそのドリンクをハンフリーが飲んでいるのを見ていないため、この液体と瓶だけで証拠にするのも難しく、そもそもこの液体がドーピングのためのものなのかもわからない。

「セーニャ、こいつの魔力の正体は分かるか?」

「いえ…。見たことがない魔力で、ラムダの里で学んだものの中にもありません」

「そうか…」

「となると、人間のものではないのは確かね。とにかく、私たちはもう少し見ておくわ」

「頼む」

エルバ達の視線が彼がおいた瓶に向けられる。

その瓶の中の液体は水のように透明だったが、今の彼らの眼には少し濁って見えた。

 

闘技場では決勝トーナメントの日だからか、予選以上に観客が集まっていて、観客相手に飲み物や食べ物を商売する商人たちは注文をさばききれずにいた。

司会の男は今年も大成功の予感を感じながらも、咳払いと共に気を引き締める。

「さあ、始まりました!決勝トーナメント!栄えある最初の試合は…赤コーナー!余裕な予選通過を果たし、ここからもチャンピオンの貫禄を見せつけるのか!?ハンフリー・エルディペア!!」

ハンフリーの入場と共に、客席がハンフリーコールに包まれていく。

エルバは客席に目を向けるが、その中にはやはり、セーニャやベロニカらの姿はなかった。

「続けて、青コーナー!グロッタが誇るお色気美人コンビ!ビビアン・サイデリアペアー!!」

薄いピンクのバニースーツと白いうさ耳バンドをつけた、ブロンドの乱れたロングヘアーの女性と赤がかったピンクのビキニアーマーをつけた茶髪の女性が入場し、男性陣を中心に歓声が上がる。

「ビビアンちゃーーん!!」

「サイデリア、今日もきれいだよー!!」

「はーい、みなさん!ビビアンでーす♡」

「サイデリアでーす♡」

2人は観客に手を振ると、胸元をやや強調させたアイドルポーズを見せ、悩殺された観客のテンションがさらに上がっていく。

だが、対戦することにあるエルバとハンフリーは表情を変える様子はない。

「うおおおおーーーーー!!」

「いいぞー!!ビビアンちゃん、サイデリアちゃん!!」

「おお、お色気美人コンビの登場に会場は大きく盛り上がっております!私のテンションも最高潮です!!ですが、両雄並び立たず!果たして、勝つのはどちらか!」

「見た目に騙されるなよ、エルディ。彼女たちは決勝トーナメントではベスト4まで勝ち上がったことのある猛者だ」

「ああ…油断するつもりはない」

今朝の練習中、ハンフリーは決勝トーナメントに進出した相手の中で知っている限りの相手の話をエルバに話した。

ビビアンは回復呪文とギラ、メラミを使う魔法使いで、サイデリアは剣術の使い手。

互いに不足しているところを補い合うことができ、特に呪文を使えるビビアンは武器や拳で戦う相手の多い仮面武闘会では貴重だ。

「それでは、1回戦…開始!!」

「メラミ!!」

いきなりステッキを手にしたビビアンがあいさつ代わりにハンフリーに向けてメラミを放つ。

熱々の火球が一直線に飛んでいく。

「なかなかの温度だが!!」

ハンフリーは炎の爪に精神を集中させ、炎をイメージする。

メラミレベルの火球が発射され、メラミと相殺する。

だが、2つの火球が消えると同時にサーベルを手にしたサイデリアが飛び込み、ハンフリーを切りつけようとする。

「メラミを隠れ蓑にしたか!?」

炎の爪でサーベルを受け止めるハンフリーだが、少し疲れを見せていた。

炎の爪はメラミレベルの火球を発射できるものの、装備している人物の精神力を消耗させる。

しかし、エルバはメラミと相殺させることのできる呪文を覚えていないため、やむを得なかった。

「あらあら、チャンピオンがお疲れね。だったら…!」

「よそ見をするな」

退魔の太刀を手にしたエルバが再びメラミを唱えようとしたビビアンに切りかかる。

「あ、まずい!!」

メラミを中断させたビビアンが急いで後ろへ跳躍し、退魔の太刀は空を切る。

「浅いか…」

「おい、何やってんだよあの闘士!!」

「よくも俺たちのビビアンを!!」

「な…!?」

急に男性を中心とした観客がエルバにブーイングを始める。

自分たちのアイドルであるビビアンを攻撃しようとしたエルバが許せないのだろう。

それだけ、この2人に人気があるのかもしれないが、ただルールを守って戦っているだけのエルバには納得がいかない。

(なんだ…?この針の筵は)

だが、あくまでも目的は優勝して虹色の枝を手に入れること。

観客の反応を無視するよう心がけると、エルバは再びビビアンに目を向ける。

「観客の皆さんが応援してくれるなら、ちょっとした手品を見せてあげないと!」

ニコニコ笑うビビアンは左手をエルバに向ける。

微笑むビビアンとは裏腹に、何か空気がピリッと張り詰めたように感じたエルバは接近を断念し、ビビアンにギラを放つ。

「突っ込んでこないのは正解だけど…!!メラゾストーム!!」

ビビアンの手から4つのメラミが同時に発射され、エルバを襲う。

「メラミの連続発射…!?」

飛んでくる火球の1つが足元に命中し、爆発を起こす。

爆発でエルバは吹き飛ばされ、転倒するとともに爆発した地点にはクレーターができていた。

アイドルのような容姿のビビアンが放ったものとは思えないほどの威力にエルバに冷や汗をかく。

だが、息をつく暇もなく残り3発の火球がエルバに迫る。

「く…!」

エルバは両足に力を籠め、ゆっくりと呼吸する。

火球が迫る中、エルバは跳躍する。

「ジャンプしたわね。だったら、もうただの的ね!」

メラゾストームは想像以上にMPを消耗するためか、びっしょりと汗をかいている。

しかし、それでもまだメラミを数発放つだけのMPは残っている。

わざわざメラゾストームをもう1度発動しなくても倒せると踏んだ彼女は着地しようとするエルバにメラミを放つ。

(いまだ…!)

着地するギリギリのところでフワリとエルバの体が再び飛び、メラミはエルバがいた場所を通過する。

「ええ!!?」

「まだスピードは遅いが…できたぞ!」

ベロニカから学んだトベルーラが徐々に形になるのを実感しながら、エルバはステージの外周ギリギリのところを飛行する。

「なんと、エルディ選手!飛んでいる!呪文を使っているのでしょうか、飛んでいます!!種も仕掛けもありません!」

「そんな隠し玉があるなんて…だからと言ってぇ!!」

飛び道具を持たないビビアンはもう1度メラミを唱えようとするが、その前に剥ぎ取りナイフが飛んできて、持っているスティックに命中する。

衝撃で握力が弱まり、スティックを手放してしまう。

杖やスティックは魔力増幅だけでなく、武器として相手を叩くことでその相手のMPを吸収する役割もある。

それらを何らかの理由で手放してしまうとその分、呪文の威力が減退してしまうことになり、賢者や大魔導士クラスならまだしも、一般の僧侶や魔法使いにとっては致命的だ。

「隙が見えた!」

エルバはトベルーラを解除し、そのまま重力に従ってビビアンに向けて落下していく。

飛んだと思ったら今度は急に落ちてきたエルバに動揺するビビアンに回避する時間はなかった。

そのままステージ上で組み伏せられ、右手が胸部に向けられる。

これが実戦だったら、このまま右手から放つギラで撃ち抜かれている。

「こ…降参よ…サイデリア、ごめんなさい…」

「ここでビビアン選手が降伏!エルディ選手、飛ぶ呪文でまさかの一勝だーーー!!」

「く…ビビアンがやられるなんて!?」

サーベルと炎の爪がぶつかり合う中、サイデリアが今大会の異常さを感じていた。

エルバとマルティナは仮面武闘会では新人であるにもかかわらず、ハンフリーに認められ、自分たちでも手加減して勝てる相手でないと思える存在だ。

目の前にチャンピオン、そしてここからは彼とエルバの2人を同時に相手しなければならない。

焦るサイデリアは再びサーベルを振るう。

「甘い!!」

剣筋を見切ったハンフリーは爪の刃と刃の間でサーベルの刀身を受け止め、腕を45度回転させる。

サーベルをからめとられる形となり、そのままサイデリアの手から離れていく。

武器を失ったサイデリアはなおも勝機をつかもうと、今度は慣れない拳でハンフリーに殴りかかろうとするが、直線的な拳の動きはお見通しで、あっさりとつかまれてしまった。

「あきらめない不屈の心は買うが、相棒がまだいる。これはもう、決着じゃないか?」

「く…!」

サイデリアも何度も仮面武闘会に参加している闘士で、その言葉の意味が分からないほど馬鹿ではない。

背後にいるエルバの気配を感じており、腕をつかまれている今ではもう逃げようがない。

やろうと思えば、そのまま背後から一刺しでとどめを刺されることになる。

悔しそうに唇をかみしめながら、サイデリアは力を抜いた。

「ここで、サイデリア選手も降参!!勝負ありだーーー!!」

ハンフリー、エルバペアの勝利が決まり、例のごとくハンフリーコールが闘技場を包み込んでいく。

ハンフリーがそれにこたえるように手を振る中、エルバは一足先にステージを後にした。

 

「お疲れさん。ほら、飯を持ってきたぜ」

「悪いな」

1回戦が進む中、闘技場の入り口でカミュから昼ご飯のサンドイッチの入った包みを受け取る。

干し肉と葉物野菜を挟んだだけのシンプルなものだが、これからも試合のあるエルバにとっては貴重な栄養源で、その場で包みを開けると一気に食べ始める。

「お前…意外とがっつり食うんだな」

「食える時に食う、それだけだ。それで、例の物は?」

「ああ…あれな。まだ正体は分からねえな…。だが、1つだけわかったことがある」

カミュの言葉にエルバの食べる手と口が止まる。

周囲に聞かれるわけにはいかないため、周囲を見渡して安全を確認した後でカミュはエルバに耳打ちする。

「瓶に入っているとはいえ、長い時間そのままにしてりゃあ中の魔力は劣化する。その劣化の動きから判断したら、どうやらあのドリンク、この街の中で作ってる可能性が高いぜ」

「町の中か…」

少なくとも、外で作ったわけではないことは分かったが、問題はそのドリンクを作る場所だ。

あの教会には保管している場所はあっても、そのドリンクを作る環境はなかった。

「あんなものを扱っている店もねえ。自作するにしても、材料も設備もどこで用意してるか…」

「そうか…」

「ったく、なんで俺がこんな伝言係をしないといけねーんだ。確かに、予選落ちしちまったけどよ…」

こんな雑用を押し付けたベロニカに文句を言うカミュを放っておいて、エルバはサンドイッチを手に控え室へ戻っていった。

 

「よぉ、いいもの持ってるじゃないか」

控え室に戻ってきたエルバをハンフリーがいつも通りの笑みを浮かべて迎え入れる。

彼の手には近くの店で買ったものと思われるバゲットが握られており、そばには水と例の瓶が置かれていた。

一瞬、その瓶を見たエルバは表情を険しく仕掛けたものの、今は何を言ってもはぐらかされるだけだろうと思い、いつもの無表情に戻って隣に座る。

ハンフリーはそばに置いてあるもう1つの水の入ったコップをエルバのそばに置いた。

「…パンだけだと、もたないだろう?」

「そうだが、教会のためにほとんど金を使ってるからな。切り詰めることができるところはそうしないと…んん!!」

のどに詰まりそうになったバゲットを水で胃の中に流し込む。

その間、エルバは例の瓶をもう1度見た。

今朝、セーニャとベロニカに見せて、その効果が何かを突き止めるために自分が飲むことを提案されたが、体への悪影響を危惧した2人に止められた。

「ハンフリー、そのドリンク…俺にも半分くれないか?」

「んん…!?」

エルバからの提案にびっくりしたハンフリーはいつもの笑みを忘れ、わずかに目を開いてエルバを見る。

おそらく、そのような提案をされたのは初めてのことのようで、今のハンフリーの表情から、そのドリンクに何かあるかもしれないことが感じ取れた。

「ゲン担ぎだ。仮面武闘会優勝を目指して…でな」

「あ、ああ…そういうことなら…」

どこか釈然としない口調で合意したハンフリーは瓶を手にする。

しばらく握った後で、ちょうどエルバが受け取ってから一度も口にしていないコップを受け取る。

そして、2つのコップに瓶の中の液体を半分ずつ入れる。

中の水は普通の水と透明度も色も変わらないようで、コップの水は量が増えた以外に目立った変化を見せない。

ハンフリーからコップを受け取ったエルバはじっとその得体のしれない水が入った飲み物を見る。

ばれることがないのはハンフリー自身が証明しているとはいえ、これはエルバにとっては賭けだった。

「じゃあ、優勝と教会の子供たちの未来を願って…」

「ああ…乾杯だ」

コップを一度ぶつけ合い、2人は一斉にその水を飲む。

味は普通の水と変わりないものの、謎の液体の正体がわからないエルバは表情を変えないが、どこか飲むことを躊躇する自分が見えた。

だが、虎穴に入らずんば虎子を得ずという言葉もあるとそんな自分を無理やり納得させて飲み込んでいく。

「ふうう…これで、次の試合は勝ったも同然だな」

空っぽになった2つのコップを見たハンフリーは再びいつも通りの笑顔に戻る。

無表情のままエルバも首を縦に振るが、内心はその水が与える自分への影響を危惧していた。

 

「さあ、ベスト4が決まりました!ここから大会も大詰め!準決勝の幕が上がります!!」

闘士たちの昼ご飯休憩が終わり、客席では食事をとりながら次の試合をいつでもみられるよう準備していた観客たちが司会の言葉に反応して立ち上がる。

「さあ、第1試合…!赤コーナー、優勝候補の筆頭の登場です!!ハンフリー・エルディペアー!!」

「うおおおお!!」

「やっぱり第1試合はチャンピオンの試合じゃなきゃ始まらないぜ!!」

「あのサラサラヘアーの若いやつもすごいな。こりゃあ、優勝間違いなしだ!」

エルバとハンフリーが入場し、客席のハンフリーファンたちは楽勝ムードに包まれていく。

そんな中でもハンフリーはチャンピオンらしく、油断する様子を見せず、ただじっと相手が現れるのを待っていた。

「青コーナー!これまた異色のコンビ!まさかここまで勝ち進むとはだれも思っていなかったでしょう!レディ・マッシブ・マスク・ザ・ハンサムペアーー!!」

対戦相手を宣言した司会は青コーナーの門が開くのを見るが、そこにいるはずの2人の姿が見えない。

ちゃんと次の試合のことを連絡係が伝え、そのことの報告を受けている司会は首を傾げ、いつまでたっても現れないマスクペアに客席は静まり返る。

「おーっほっほ!アタシはここよ!!」

真上から見知った男の声がエルバの耳に届き、ハンフリーと司会と共にそこに目を向ける。

闘技場には交差する剣をモチーフとした巨大な飾りがステージの戦う相手チーム同士の間を切り裂くように置かれており、その剣先は3階建ての建物と同じくらいの高さにある。

そこから白と黒のスーツと赤いシャツを重ね着したピエロのような服装で、後ろにはねている黒いオールバックの男が金色の紳士のような整っている短髪で水色と白をベースとした若い貴族のような服装をした、線の細い男性と共に飛び降り、2人の目の前に着地する。

そして、ピエロの男は見たことのあるレイピアを、貴族の男は2本の刃のブーメランを手にして構える。

エルバの眼はまるで王の冠のような形をした仮面をしたピエロの男に向けられていた。

「ハァーイ、エルディちゃん。やっぱり勝ち進むと思っていたわよ」

「はぁ…」

想像していたとはいえ、彼がいたことにエルバはため息をつく。

できれば、彼とはこういう形でやりあいたくなかった。

別に同士討ちになるからというわけではなく、彼のペースに合わせると疲れるからだ。

そして、ピエロの男はレイピアをしまうと、その場でくるくると回りながらエルバに迫り、ズイッと彼に指をさす。

「今こそ、このシル…じゃなかった、このレディ・マッシブと勝負しようじゃない!」

「やはり、あんたか。シル…」

「オーッホッホッホ!!楽しみだわー!」

エルバの発言を遮るようにシルビ…いや、レディ・マッシブは高笑いを見せる。

「なんだ、エルディ。彼は君の知り合いなのか?」

「…いや、初対面だ」

「そう!彼の言う通り!!まったくもって知り合いではないわ!だって、アタシの名はレディ・マッシブ!!そして…!」

再びクルクルとその場で回りはじめたレディ・マッシブに対し、貴族の男は2つのブーメランを左右に投げる。

そして、レディ・マッシブの手を取り、その場でデュエットダンスをし、戻ってくるブーメランを2人で1つずつつかむ。

そして、今度は同時に上空へ向けて投げた後でその男はレディ・マッシブの肩を借りて大きく跳躍する。

2つの戻ってくるブーメランを手にし、頂点で3回転したあとで着地した。

「彼がアタシのパートナー、マスク・ザ・ハンサムよ!!」

「やれやれ…にぎやかな奴らだな…」

今まで戦ったことのない、まるでショーを見せているかのような相手に思わずハンフリーはため息をつく。

純粋に拳をぶつけ合う正統派なハンフリーにはここまで芸を見せるこのペアがよくわからない様子だ。

別にそれが悪いとは思っておらず、むしろこれから闘士の時代を持続させていくためにこうした異色のタイプがどんどん生まれることを望んでいる。

ただ、どういった反応を見せればいいのかわからないだけだ。

「ともかく!やるからには真剣勝負!エルディちゃん、アタシの本気を見せてあげるわ!」

(…初対面の男に言う言葉か?)

「どうやら、彼は俺よりもエルディ、お前狙いみたいだ。気合入れろよ!」

「ああ…」

退魔の太刀を抜いたエルバはじっとレディ・マッシブを見る。

同時に、口に入れたあの水の影響の有無も集中しながら感じ取っていた。

(今のところ、水の影響はない…。だが、半分とはいえ飲んでしまったのは確かだ。その効果が出る前に蹴りをつける)

「それでは、準決勝第1試合…開始!!」

「さあ、いくわよーーー!!」

レディ・マッシブがレイピアを構え、エルバに接近する。

「来るか…!」

「あら。こうして向かって来たら受け止めようとする…1対1なら、正解よ。けど…!」

レディ・マッシブは大きく上へ跳躍してエルバを飛び越える。

同時に正面から2本のブーメランが飛んできてエルバに腕をかすめた。

「く…!」

レディ・マッシブが正面にいたせいでマスク・ザ・ハンサムの動きを見ることができなかった。

彼はそのままハンフリーに迫り、炎の爪とレイピアがぶつかり合う。

「あのままエルディを襲うと思ったが、こうしてくるとは意外だったな」

「あら。アタシの目的はあのエルディちゃんと白黒はっきりつけること。で・も…邪魔されるわけにもいかないのよ!」

チャンピオンであるハンフリーと力比べしても勝てないことが分かっているレディ・マッシブは至近距離から彼に向けてボミオスを唱える。

「しまっ…!」

「そして、おまけよ!」

更に自らにピオリムを唱えたことで、ハンフリーとレディ・マッシブの動きのスピードに差が生じ始める。

武闘家は鎧や両手剣などの重量のある装備を排除した代わりに素早いパワーのある一撃をぶつけることで真価を発揮する。

しかし、そのうちの素早さをボミオスで封じられると、守りの弱さを露呈することになる。

おまけに自分よりもさらに素早い相手となると分が悪い。

「チャンピオンは搦め手よ!!」

茨の鞭を手にしたレディ・マッシブは距離を取り、ハンフリーに連続で撃ちこむ。

動きが遅くなったハンフリーは素早く、鋭い鞭の連続攻撃を両腕で受け止め続ける。

ピオリムもボミオスも、どちらもいつまでも持続する呪文ではない以上、必ずどこかで効力が切れる。

ハンフリーは守りを固めることでこの状況をしのぐ道を選んだ。

「さあ、1対1の状況ができるまで、僕の相手をしてもらうよ!」

「ちっ…!」

2本のブーメランを器用に投げてくるマスク・ザ・ハンサムを前に両手剣は生かし切れず、やむなくエルバは腰にさしてあるボウガンを手にし、彼に向けて発射する。

この後でレディ・マッシブと戦うことになる可能性を考えると、ここでMPを消耗したくなかった。

しかし、マスク・ザ・ハンサムは戻ってきたブーメランをナイフ替わりにして飛んでくるボルトを受け止めた。

(くそ…相性が悪い…)

ビビアンの時は相手が呪文を使い、MPという限界があったためにどうにかなったところがある。

しかし、マスク・ザ・ハンサムの場合はブーメランが獲物で、体力がある限りはいくらでも投げることができる。

2本同時に投げるのではなく、常に手元に1本残るように、そしてもう1本は飛び続けるように考えて投げてくるため、常に飛んでいるブーメランに対して意識しながら戦わなければならない。

(だが…接近さえできれば!!)

接近できれば、このまま退魔の太刀で一撃を与えることができる。

それが決まれば、彼を倒せる。

エルバもハンフリーも、今は粘ることしかできなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 エルバとレディ・マッシブ

「むんっ!!」

飛んでくる2本のブーメランをハンフリーはアッパー気味に拳を叩き込む。

鉄製の刃のブーメランは下方向からの衝撃で吹き飛び、力なく地面に落ちる。

そして、武器を失ったマスク・ザ・ハンサムに向けてハンフリーは接近する。

「ブーメラン以外には、武器はあるのかな?」

「フッ、当然さ!」

マスク・ザ・ハンサムはすぐに2本のイーグルダガーを手にし、ハンフリーの炎の爪とつばぜり合いを演じる。

だが、力勝負ではかなわないことが分かっているため、すぐにハンフリーの腹を蹴って距離を取り、眼を閉じて集中し始める。

(マスク・ザ・ハンサム…女性に人気だが、これまでの闘士と比べると弱いはずだが…)

マスク・ザ・ハンサムは3年前から仮面武闘会に参加しており、その甘いルックスから女性陣からの人気が高い。

だが、ハンフリーやガレムゾン、ベロリンマンなどと比較すると成績が低く、本人が恥ずかしがり屋で仮面で顔を隠さないと人前に出られないらしく、あまり本人の姿をグロッタで見たことがない。

そのためか、女性陣からはミステリアスなイケメンとして認知されていて、どこかの国の貴族か王子などという根も葉もないうわさが流れるほどだ。

だが、今の彼の動きはこれまで対戦したときよりも軽やかになっており、隠し玉らしい2本のイーグルダガーをこうしてみるのは初めてだ。

「はは、これは油断できる相手ではないな」

意外な相手になったマスク・ザ・ハンサムをうれしく思うハンフリーは深呼吸し、再び構え直した。

 

「さあ、エルディちゃん。近づいたらまずいわよー?」

レディ・マッシブは口から火を噴き、エルバをけん制する。

ドラゴンが放つブレスよりも威力が弱く、距離も短いため、少し距離を離すことで十分回避することができる。

だが、エルバが知っているレディ・マッシブはそのようなことを分かってうえで、既に次の手を打っている。

炎が収まると、エルバの目の前にいるはずのレディ・マッシブが姿を消していた。

「移動するなら…そっちか!!」

後ろから気配を感じたエルバは振り返り、退魔の太刀で背後から切りかかろうとしたレディ・マッシブのレイピアを受け止める。

「ホホホホ!さすがね、わずかな気配で見破るなんて!」

「ここまで速いのは予想外だがな…!」

あっという間に後ろに行って切りかかる。

それだけのスピードをレディ・マッシブが素で持っているとは思えない。

あるとしたら、ピオリムの影響が大きいかもしれない。

「そろそろピオリムも切れるわね…なら、こうはどうかしら!?」

距離を取ったレディ・マッシブが握っているレイピアがいつの間にかローズウィップに変わり、それがエルバに向けて振るわれる。

赤いとげのついたムチだが、サークレットを着用しているエルバには棘がわずかに肌に当たる程度で、軽傷で済む。

だが、これで身動きは封じられてしまった。

「さあ、ここから受けてもらうわよ!!あっついキッスを!!」

レディ・マッシブがエルバに向けて投げキッスをすると、紫色のハートがエルバに向けて飛んでいく。

動けないエルバにそれが命中すると同時に、息苦しさを感じ始めた。

「な、なんだ…これは…!?」

「ワタシの技、ポワズンキッスよ。当たり所が悪いと毒になるわ。乙女のキッスには棘があるのよ♡」

「説明はありがたい…だが!!」

エルバは毒で弱った体を押して、レディ・マッシブに向けて走って接近する。

レディ・マッシブに近づくにつれて縛っていたローズウィップが緩み、エルバは素手でそれを外すと、そのまま右手をレディ・マッシブにかざす。

「受けろ、ベギラマ!!」

右手から火炎放射のような閃光がレディ・マッシブに向けて放たれる。

閃光はレディ・マッシブを包み込んでいった。

「どうだ…!?」

「エルディ!お前、どこに攻撃をしている!?ヤツはそこにはいないぞ!!」

「何!?」

「オホホホホ!!見事に術中にはまったわね、エルディちゃん。ローズウィップがただの鞭ではないわ!」

ハンフリーとレディ・マッシブの言葉で我に返ったエルバはベギラマを解く。

そこには直撃を受けて黒焦げになるはずのレディ・マッシブの姿はなかった。

同時に、エルバの視界がなぜか紫色の霧に包まれているような状態となり、その霧の中にはレディ・マッシブの幻影が見えた。

「くそ…まさか、マヌーサか!?」

「ローズウィップの棘はミストローズの棘。その棘には相手をマヌーサ状態にする毒が入っているのよ」

「毒と幻惑か…くそ!」

毒のせいで体力が抜けていくのを感じ、退魔の太刀も落としてしまったようで、どこにあるのかわからない。

幻惑のせいで視界に頼ることができない以上、気配でレディ・マッシブの攻撃を見切るしかない。

「マスク・ザ・ハンサムちゃん。このままハンフリーちゃんと遊んであげて。エルディちゃんと決着をつけたら、合流するわ!」

「はい、任せてください!シル…いや、レディ・マッシブさん!!」

(エルディ、毒とあいつの言っていた幻惑のせいで動けないのか!それに、奴め…!余計動きが鋭くなったぞ!?)

2本のイーグルダガーでハンフリーの炎の爪を何度もさばいていき、1度だけ発射したメラミレベルの火球もバック転して回避していた。

おまけに、ハンフリーの胴体には軽い切り傷がいくつかあり、既に彼の攻撃を何度か受けてしまっているが、軽症であるため、戦闘続行は可能だ。

(彼を野放しにしたら厄介だ。それに…あいつが好調な理由、分かってきたぞ)

それは同時に、彼にとっての落とし穴になりえることもハンフリーは理解していた。

勝利し、決勝へ行くためにはこの穴を利用しない手はない。

だが、そのためにはエルバにその幻惑から脱出してもらう必要がある。

「さあ、エルディちゃん!アタシの攻撃、受けてもらうわよ!!」

「く…!!」

霧の中からレディ・マッシブが出て来て、レイピアで切りかかってくる。

腰にさしてあるユグノアの剣を抜き、受け止めようとするが、刃がぶつかり合うと同時にレイピアごとレディ・マッシブの姿が消えてしまう。

同時に、側面にいきなりレディ・マッシブが姿を現し、レイピアで右腕を斬りつけられる。

切り傷と出血でそのレディ・マッシブは本物だと確信し、剣で切ろうとするがその前に彼は霧の中へ消えてしまう。

(ここまでの搦め手…こいつが、奴の全力か…!?)

訓練中は純粋に身体能力と武器の扱いだけでエルバやカミュと戦っていたが、今の彼はまったく戦い方が違う。

毒や幻惑を活用し、力を奪ったうえで仕留める。

この戦い方は共に戦っている間も見せなかったものだ。

斬られたせいで右腕の力が鈍くなるが、それでも剣を振るうことだけはできる。

だが、それだけではレディ・マッシブを倒せない。

エルバは予備としてもう1本差してある鋼の剣に目を向ける。

カミュが2本の短剣を使い、彼から武器が何らかの理由で手から離れてしまった時に備えておいたほうが良いと、2本の片手剣を差しておくことを提案されていて、素直に従った結果だ。

同時に、エルバの脳裏にカミュ、シルビア、ホメロスの姿が浮かぶ。

カミュの2本の短剣、シルビアが時折見せる異なる武器による二刀流、そしてホメロスの2本のプラチナソード。

(ふむ…どうやら、両利きらしいのぉ。もしかしたらその重苦しい剣以上に戦う術があるのではないかと思ってのぉ)

脳裏に響く、抽選の時のロウの言葉。

エルバの左手は自然と鋼の剣に向かい、それを引き抜いていた。

「あら…?二刀流のつもりかしら?」

意外な動きを見せるエルバにレディ・マッシブは軽く驚きを見せる。

エルバが二刀流になるのは初めてで、訓練の様子を見た中でもそれをした姿は見ていない。

訓練もしたこともない、ぶっつけ本番の、しかも毒で幻覚で満身創痍な状態の動きでどこまでやれるのか?

エルバの眼には2人のレディ・マッシブの姿が見え、一斉に自分に切りかかってくる。

「…!」

エルバの握る2本の剣が迷いなく2本のレイピアを阻む。

左側は幻影だったのか、すぐに消えたものの、右側のレディ・マッシブは本物のようで、鍔迫り合いになる。

右腕が斬りつけられている分、力の入りにも影響が出ており、徐々にレディ・マッシブに押されていく。

右手にしか武器がないならまずいかもしれないが、今のエルバの左手にはもう1本の片手剣がある。

エルバは左手の鋼の剣の柄を思い切りレディ・マッシブの脇腹に叩き込む。

「うぐ…!!」

このまま押し切る前に重い一撃を受け、レディ・マッシブは体勢を崩してしまう。

同時に、エルバにかかっていた幻惑が消え、視界を覆っていた霧も消えていく。

エルバは動きの止まったレディ・マッシブの腹部を右足で蹴る。

蹴られたレディ・マッシブは吹き飛ばされ、ステージ上にあおむけに滑るように倒れる。

「レ、レディ・マッシブさん!!」

レディ・マッシブが倒れたのが見えたマスク・ザ・ハンサムは驚いたように、彼に注意を向けてしまう。

これはハンフリーに大きな隙を与えることになってしまった。

「そこだ、はああ!!」

駆けだしたハンフリーはマスク・ザ・ハンサムに向けてドロップキックを放つ。

走り出す音が聞こえたマスク・ザ・ハンサムはすぐにハンフリーに目を向けたが、その時には既にそれの直撃を受けており、場外に突き飛ばされてしまった。

相手の攻撃によって場外に出されてしまった以上は、負けが確定する。

重い一撃を受けたものの、やはり闘士として訓練を受けているだけあって、持っている短剣は手放しておらず、受け身もとってダメージを軽減していた。

だが、もらった一撃が大きすぎて、そのまま気を失ってしまう。

更に、レディ・マッシブも起き上がると同時にエルバに剣先を喉元に向けられる。

動きようがないレディ・マッシブはフゥとため息をつき、持っているレイピアを手放した。

「マスク・ザ・ハンサムダウン!そして、レディ・マッシブも降参!!勝負ありだーーー!!エルディ・ハンフリーペアが決勝進出だーーーー!!」

勝者が決まり、会場が激しい声援に包まれていく。

エルバは傷を負った右腕にベホイミを唱えて治療をしつつ、レディ・マッシブに目を向ける。

「ふふ…このシル…じゃなかった、レディ・マッシブに勝つなんて、成長したわね。エルディちゃん。それに、磨けば光る物も見つけることができたわ…」

「…別に。ただ使えるかもしれないと思っただけだ」

「そうかしら?でも、磨いても悪いことはないんじゃなくて?」

エルバは両手に握っていた2本の剣をしまい、自分の両手を見る。

生まれて初めて2本の剣で戦うことになったが、どこかこれまで両手剣を使っていた時とは違うものを感じられた。

力強い一撃では確かに負けているが、手数は二刀流の方が上で、複数人を同時に相手する時、素早い連撃を行う相手と戦うときが来たら、もしかしたらこちらの方が良いのかもしれない。

フッと笑ったレディ・マッシブは大きくジャンプし、倒れているマスク・ザ・ハンサムをお姫様抱っこする。

何かによって体が浮いたのを感じたマスク・ザ・ハンサムはうっすら眼を開き、レディ・マッシブを見る。

太陽の光が差し込んでいて、彼の顔はよく見えない。

「ありがとう、あなたのおかげで面白い時間を過ごせたわ。ゆっくり休んで…」

「ああ…レディ・マッシブ。あなたは僕の…愛の戦士…」

マスク・ザ・ハンサムは彼のような戦士と共に戦える時間を与えてくれた運命に感謝するように手を伸ばし、再び意識を失った。

レディ・マッシブは彼を抱えたままジャンプしてステージ上に立ち、エルバを見る。

「あなたに負けたのなら、悔いはないわ。最高の勝負をありがとう!アディオス!エルディちゃん!」

そう言い残すと再び大きくジャンプをする。

エルバが上を見上げると、既に2人の闘士の姿は消えていた。

「…なんだったんだ、あの人は…?」

「気にするな。だが、あんたがダメージを負うなんてな」

声援に包まれる中、エルバはハンフリーの傷をベホイミで治療していく。

「はは、チャンピオンでも無傷とはいかないさ。だが、他の闘士たちも力をつけていっている。俺も、いつまでもチャンピオンの座であぐらをかくわけにはいかないな」

実際、マスク・ザ・ハンサムはレディ・マッシブの影響を受けたとはいえ、短剣とブーメランで自分に今大会では初めてのダメージを与えている。

来年、力をつけて戻ってきたときのための鍛錬のメニューを既に考え始めていた。

 

そして、2時間が経過し、一番熱い時刻となったことで、観客は皆水分を取り始めていた。

しかし、チャンピオンが決まる大切な戦いがこれから始まることから、誰一人その場を離れようとしなかった。

「皆様、たいへん長らくお待たせいたしました。準決勝の勝者の休養も終わり、体力万全!最高のバトルが今、ここで始まろうとしています!!まずは勝ち上がった2チームの入場です!!」

2組のペアが左右の入場門から入り、ステージ上で戦うべき相手と対峙する。

「今回の大会はマジですげえな…」

「ああ、チャンピオンを除いて、まさかのルーキーだからな」

チャンピオンを除く古参の闘士たちが倒れ、今ここで向き合う闘士たちに観客たちはこれまでの仮面武闘会の歴史の大きな分岐点となるように感じられた。

だが、エルバはそのようなことはどうでもよく、それ以上に虹色の枝が手に入るという事実だけが重要だった。

(相手が誰であろうと、負けるつもりはない。虹色の枝は勇者の真実を知るために必要だ…)

「エルディ・ハンフリーペア、マルティナ・ロウペア。どちらのこれまでの戦いぶりも、チャンピオンとなるにふさわしいものばかりです。ですが、両雄並び立たず。チャンピオンとなるのは1ペアのみ!!」

「気を抜くなよ、エルディ。奴らからは感じるプレッシャー、ただ者じゃないぞ」

「ああ…分かっている」

エルバはじっとマルティナとロウに目を向ける。

観戦していたセーニャの話では、マルティナ1人でカミュとミスターハンを撃破するだけの力がある。

女だからと油断していると痛い目に合うのは確実だ。

ハンフリーは気合を入れなおすためか、懐から例の瓶を出す。

「気合を入れるためか…?」

「大丈夫だ、お前の分も用意してある」

朝のこともあり、彼も飲むだろうと思っていたハンフリーはさらにもう1本の瓶を出し、エルバに与える。

そして、ハンフリーは先に中身を飲み干して、空の瓶をしまう。

再びこのような得体のしれないものを飲むことになったエルバは表情を変えないものの、体に害が発生するかもしれないそれに警戒する。

まだセーニャとベロニカに自分の体を見てもらえていないため、今自分の体がその液体のせいでどうなっているのかわからない。

何らかの作用で強化されてしまっているのか、それとも気が付いていないが毒のようにダメージが発生しているのか。

だが、ここで警戒心を見せてはハンフリーに怪しまれてしまう。

意を決したエルバは瓶の中身を一気に飲み干した。

「…!?」

エルバがそれを飲んだのを見たマルティナとロウは目を丸くする。

瓶とハンフリーのことで頭がいっぱいになっていたエルバはそのことに気付かず、空の瓶をハンフリーに返す。

「よし…エルディ。この戦い、必ず勝つぞ」

「ああ…」

エルバは退魔の太刀を抜き、いつでも戦えるように構える。

「ロウ様…」

「うむ、姫…。そろそろ儂も動くべきじゃな」

ロウは背中に背負っている荷物から鉄の杖を出し、深く深呼吸をする。

「おい、あのじいさん。いよいよ動くのか??」

「今まで武器も握ってなかったのに…どんな戦いを見せるんだ…??」

決勝戦になり、出し惜しみなしの状況になったからか、武器を構え、臨戦態勢となったロウに観客たちはざわつき始めた。

「それでは…仮面武闘大決勝戦…開始!!」

マルティナは背中の長刀を抜き、あいさつ代わりにそれでエルバの退魔の太刀とつばぜり合いを始める。

長刀を受け止めるエルバだが、グレイグのものと比較するとその長刀の一撃は大したことがない。

それ以上に問題なのは彼女の脚だろう。

「はぁ!!」

エルバの腹部に向けて素早い蹴りを入れる。

「うぐ…!?」

あまりにも素早いにもかかわらず、重たい一撃が腹部を襲い、エルバは2歩後ろに下がって左手で腹を抑える。

一瞬でも気を抜いたら意識が飛んでしまいそうな一撃で、飲んだばかりの水が食道へ逆流していくのを感じる。

我慢できなくなったエルバは左手で口元を抑え、その水を吐き出した。

その姿を見たマルティナとどこかほっとした様子を見せるが、すぐに表情を凛としたものへと変え、今度はエルバに何度も蹴りを入れ始める。

エルバは痛みに耐えながら、両手で握りなおした退魔の太刀を盾替わりにして受け止める。

だが、あくまで細身の太刀であるため、衝撃が刀身にビシビシと伝わっていき、それが両手に伝わっていく。

「守りに入ったら負ける…なら!!」

「そんな重苦しい剣では勝てないわよ、はぁ!!」

エルバをすっ転ばせようと足払いを放つが、その前にエルバの体が宙を浮く。

トベルーラを利用して空を飛ぶエルバは上空からマルティナに向けて何度もギラを唱えた。

狙いが定まっていないものの、連続で飛んでくる閃光で彼女の動きをけん制できるものと思われた。

「ロウ様!」

自分に飛んでくる閃光だけ、素早い回し蹴りで起こす風でかき消したマルティナは相方の名を呼ぶ。

自分が呼ばれたのを聞こえたロウは静かにうなずくと、彼の体も宙を舞う。

「何!?」

「トベルーラ…まさか、お前さんのような若者も使うことができるとは…最初に会った時から思っていたが、ただ者ではないのぉ」

「杖を装備しているとなると、賢者か魔法使いか…だが、接近すれば!!」

「接近すれば勝てるとでも?舐めてもらっては困る」

接近し、ロウに向けて退魔の太刀を振り下ろす。

杖で受け止めれくれたら、あとは力でその杖を手放させることができると思った。

しかし、エルバは信じられないものを見て、動きを止める。

なんと、ロウの体が青い光に包まれており、杖で正面からエルバの一撃を受け止めていた。

「重い一撃じゃ…この力がなければ、どうなっていたことか…」

「あんた…何者だ??」

「修行僧…とでも言っておこうかのう」

光に包まれたまま、ロウは一気にエルバから距離を離す。

その時のトベルーラのスピードはベロニカのもの以上だった。

そして、宙に浮いたままロウは杖を腰にさすと、その場で静かに舞い始める。

手足と指の動き、そして呼吸と連動するようにロウの目の前に魔法陣が出現する。

ロウを追いかけていたエルバはその魔法陣に危険を感じる。

「ヒャダルコ!!」

魔法陣から根っこのような太い氷の刃が発生し、エルバに襲い掛かる。

質量の大きい氷だが、距離を離していたおかげで飛びながら回避することができる。

だが、回避の際に肌に感じた冷気にエルバはこの氷に当たるわけにはいかない緊張感を覚えた。

その緊張感に追い討ちをかけるように、今度は真上から闇の球体が飛んでくる。

死角からの一撃をまともに受けてしまったエルバはトベルーラを維持できず、ステージ上の転落する。

「エルディ!!」

「よそ見している場合かしら?チャンピオン!」

落ちたエルバを助けたいハンフリーだが、彼は正面から攻撃してくるマルティナに対処するだけで精一杯だった。

だが、彼の眼には先ほどまでのロウの動きが見えていた。

(まさか…あの氷で足場を作って、そこからドルマを唱えていたとは…しかも、ヒャダルコの氷というのはここまで持つものなのか!?)

ヒャドやヒャダルコの氷は魔力供給を維持すれば、周囲の気温などの状況にもよるが氷の状態を維持することが可能だ。

だが、ロウは魔力供給をすることなくそのまま移動し、エルバの頭上からドルマを唱えていた。

彼が生み出したヒャダルコの魔法陣は、彼がドルマを唱えるまで消えていなかった。

(闘士仲間から聞いたことがある…確か、ランダ流、だったか?体術を組み合わせた賢者の技…)

これはうろ覚えでしかないが、賢者にもいくつか流派が存在するらしい。

その1つがランダ流で、魔力の制御や伝達の手段として肉体の動きを取り入れたものだ。

呼吸、血液の流れ、筋肉の動きにより、魔力をよりダイレクトに現実に作用させる。

その都合上、使い手は魔力と肉体の双方に優れた人物が求められ、それ故に数が少ない。

ハンフリーもその使い手を見るのはロウが初めてだ。

「う、うう…」

退魔の太刀を支えにして起き上がるエルバは額に手を当て、首を横に振り回す。

頭が響き、ダメージのせいで若干視界がぼやける感覚がするが、戦闘継続は可能だ。

「エルディ、大丈夫か!?俺が女格闘家を抑えるから、お前はあの爺さんを倒せ!!」

「ハンフリー…」

ハンフリーはマルティナの蹴りを両籠手を縦にして受け止めている。

助けに行きたいが、ロウが健在で、あの呪文を受け、その威力を肌で感じてしまった以上はこのまま放置するわけにはいかない。

マルティナのことをハンフリーに任せ、エルバは再びトベルーラで飛ぶ。

ヒャダルコの氷は魔力が切れたせいか溶けていき、その水が雨のようにステージ上を濡らす。

「あの爺さん…どこにいる?」

周囲を見渡すエルバだが、上空にいるはずのロウの姿がどこにも見えない。

死角となる可能性があるのは上空で交差している巨大な剣の像。

その影を探るが、ロウの姿はなく、気配も感じられない。

「儂を探しておるのか?」

急に背後から声が聞こえ、振り返ると同時に真後ろにいたロウが至近距離からドルマを唱え、右手に闇の球体を出現させる。

至近距離でこの一撃を再び受けたら、今度こそ戦闘不能になってしまう。

エルバはとっさに退魔の太刀を捨て、左手を伸ばし、闇の球体をつかむ。

「な…!?」

「この呪文を受けるわけにはいかない!!」

左手から鋭い痛みを感じ、手袋も破れていく。

手袋の中に隠れていた痣が丸見えになると同時に、白い光を淡く放つ。

「デイン!!」

闇の球体にダイレクトに勇者の雷が遅い、相殺するように消滅する。

(デイン…じゃと!?)

ドルマが相殺された以上に、ロウはエルバが唱えたその呪文の名前に驚きを見せていた。

その呪文を使える人間はロウが思いつく限り、この世界では1人しかありえない。

しかも、その人物は記憶違いでなければもうこの世には存在しないはずだ。

ロウの視線が次第に丸見えになったエルバの左手の甲に向けられる。

ドルマを受けたためか傷だらけになっていて、血で濡れていて全体が見えないものの、それでもロウには分かった。

(まさか…彼は!?)

「はあ、はあ、はあ…」

ロウがなぜ目を丸くしているのかわからないエルバは肩で息を整えつつ、疲労を少しでも回復させようとしていた。

印を切ることなく、無我夢中で放ったためにいつも以上にデイン1発で消耗していた。

剣の像の上に降り、トベルーラの魔力消耗を防ぐことで回復しようとする。

もっとも、ロウがそれを許せばだが。

(いいや、今は仮面武闘会。戦わなければ…。それに、確かめるのは大会の後でもできることじゃ)

深呼吸をし、体の中の魔力の流れを敏感に感じ始めていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話 ロウ

「くそ…あの爺さん、くせ者だ」

カミュの話では、彼は戦いをすべてマルティナに任せ、彼自身はずっと後ろから見学するだけだった。

だが、そんな彼の正体が眠れる獅子であり、光栄なことにエルバがその獅子のターゲットになった。

退魔の太刀を落としてしまったエルバに残ったのは2本の片手剣。

獅子としても本性を見せたロウも年齢には勝てないのか、全身にまとう魔力のオーラはもって十数秒しか維持できないようだ。

だとしたら、そのオーラが解除された時を狙うのがベストだ。

問題なのはその時にどう攻撃するかだ。

(MPはまだ余裕がある…。俺の使える呪文の中で遠距離に攻撃できるのはデインとギラ、ベギラマの3つ…)

考えるエルバだが、再び大蛇のような氷が飛んできて、エルバはトベルーラですぐにその場から離れる。

そして、上空からベギラマを唱えて氷に閃光を命中させる。

だが、ベギラマを受けたはずの氷には何も影響がなかった。

(ホッホッホッ、残念じゃな。使う人間の魔力が違うのじゃ。魔力がのぉ!)

氷の上をすべるように移動するロウの両手にはいつの間にか鉄の爪が装備されていて、そのスピードのまま大きくジャンプしたロウはそのままエルバに肉薄し、その爪で切り付けようとする。

(拳法まで使うのか、このじいさんは!?だが、この爪は…??)

爪からわずかに見える振動。

違和感を覚えたエルバは抜いたばかりの片手剣を受け止めるのをやめ、高度を上げて回避する。

エルバがいた場所を通過したロウは爪を正面に見えた像に突き立てて動きを止める。

鉄の爪であれば、爪のほうが砕けるはずだが、鉄の爪は確かに像にヒビを入れ、刺さっていた。

「よくわかったのぉ。さっきの爪は鋼鉄をも切り裂くことができたんじゃよ。これが爪技、裂鋼拳」

爪に激しい振動を加え、その振動の刃で本来なら切断が難しい鋼鉄をも切り裂くその技は優れた格闘家にしか使用できない。

その技が使えるという時点で、彼が武闘家と賢者の2つの能力を持っていることがわかる。

「ふううう…!!」

大きく息を吸い込み、今度は爪を振動させずにトベルーラでエルバに接近してくる。

二刀流となったエルバは次々と切り付けてくるロウの攻撃で刃で何度も受け止める。

だが、腕の動きをダイレクトに反映することのできる爪のほうが攻撃速度に分があり、サークレットや頬、手の甲などにいくつも切り傷ができる。

「このぉ!!」

このままの近接戦闘ではエルバが不利になる。

エルバはロウの横っ腹にけりを入れようとする。

だが、左腕で脚を受け止められてしまう。

「けれど、これで!!」

爪での攻撃が一時的にも緩み、エルバは左手の剣でロウの右の爪を受け止め、右手の剣を逆手で握り、柄頭を彼の腹部にたたきつける。

鈍い痛みを覚えたロウは歯を食いしばって耐えるが、それでも力や動きが鈍くなる。

(まだ倒れない…なら!!)

ロウに魔力を回復させる時間を与えるわけにはいかないエルバは左手を上空にかざす。

勇者の痣が光り、上空に小さな雷雲が発生する。

「デイン!!」

エルバの叫びと共に落雷が発生し、エルバもろともロウに直撃する。

「ぐおお…無茶を、しおって!!」

「これ程度…無茶とは言わない」

双方消耗しているが、勇者ではないロウの方がこの落雷のダメージが大きいようで、トベルーラを維持できなくなり、エルバ共々落下した。

 

「ちぃ…!」

「はあ、はあ…攻めきれない…!」

ステージ上で戦うハンフリーとマルティナはお互いに距離を取るとともに、息を整えていた。

エルバとロウが戦っている間、お互いに先に目の前の相手を倒して援護したいと思っていたが、そのためにはその目の前の相手が悪かった。

お互いの実力が互角で、手傷を与えることができても決定打にならず、攻めあぐねている。

マルティナが多くの闘士を葬ってきた蹴りもハンフリーの腕で受け止められ、ハンフリーの腕と炎の爪は彼女の蹴りのリーチよりもわずかに短い。

遠距離から炎の爪の炎で攻撃しても、彼女の蹴りでかき消されてしまう。

(あと少し、リーチでどうにかするなら…!)

ハンフリーはステージに刺さった状態で落ちている退魔の太刀の存在を頭に浮かべた。

ルール上では戦闘終了後に返還することを条件に相手の武器を戦闘中に奪う、またはパートナーの武器をその場で借りることは許されている。

あの太刀であれば、リーチは上回るが、問題はハンフリーが剣術の修行をしたことがないことだ。

素人の剣で果たしてマルティナに勝てるかどうか。

(それに、俺もそろそろ限界みたいだからな…)

息を整えるハンフリーは左手で自分の胸に手を当てる。

数分前から胸から痛みが発生し始めており、まだ動きに影響は出ていないものの、それに影響が出るくらいまでに悪化するのは時間の問題だ。

本当なら、あと30分以上はその痛みが出ないはずだが、今回は様々な事情があって万全とは言えない状態になってしまった。

(だが…勝つんだ!子供たちのためにも…!)

脂汗を流す中、ハンフリーは再び笑みを浮かべる。

「そろそろ、けりをつけた方がいいみたいね。…あなたにとっても」

「俺にとっても…?何の話かな?」

「とぼける必要はないわ。おそらく、あなたは…」

ズドン、とステージの北端に大きな落下音が響く。

何事かと2人が目を向けると、そこには気絶したロウと体から若干焦げ臭いにおいがするエルバの姿があった。

「ロウ様!?…!?」

ロウが倒されたこともそうだが、マルティナは彼を倒した少年の左手の痣を見て、驚きの余り動きを止めてしまう。

血で濡れていて、一部しか見えないものの、見間違うはずがない。

(いまだ…!)

どういう理由かはわからないが、これを逃したらもう勝利の道がないハンフリーは退魔の太刀を手にし、マルティナに向けて全速力で走る。

足音が聞こえたことで、ハンフリーが近づいてくるのに気付いたマルティナはすぐに彼の目を向けるが、反応の遅さが結果に響いた。

退魔の太刀がマルティナの肩をかすめ、更には太刀を投げ捨てたハンフリーによるとどめのショルダータックルを受けてしまう。

強烈な体当たりでステージの外へ弾き飛ばされたマルティナは砂の上であおむけに倒れ、そのまま意識を失った。

「勝負ありーーーー!!!!仮面武闘会決勝戦、数々の熱戦が繰り広げられる中、勝者となったのは…エルディ&ハンフリーペアーーー!!チャンピオン防衛だーーーー!!」

「「ハンフリー!ハンフリー!」」

「ハア、ハア…やったか…」

片膝をついて、息を整えるハンフリーは観客の歓声にこたえるように、右拳を上空に向けて掲げる。

勝負が決まったのを知ったエルバもその場に座り込み、ベホイミで自分の体を回復させる。

そして、近くで倒れているロウにもベホイミをかけた。

デインをもろに受けたことで大きなダメージを負ったようだが、幸いにもベホイミで大部分治療することができ、あとは薬草を貼っておけばどうにかなりそうだ。

「うん…?」

エルバは彼の上着のポケットの盛り上がっている部分に違和感を覚えた。

その盛り上がりは小さいものだが、形がどこか見たことあるような気がして、エルバはその中身を取り出す。

それはハンフリーが飲んでいたドリンクの瓶そのもので、中身も入っていた。

「まさか、こいつは…!?」

エルバは昨晩起こった強盗騒ぎを思い出す。

もしかしたら、あの強盗を起こしたのは彼ら2人で、目的は金銭ではなく、これそのものではないのか?

だとしたら、これが一体何なのかを聞くしかない。

「ハンフリー、これは…!?」

「う、うう…!」

問いただす相手であるハンフリーが急に胸を右手でつかみ、苦しそうに声を上げた後でその場で意識を失ってしまう。

「おい、チャンピオンが倒れたぞ!?」

「ハンフリーさん、どうしたの!?」

「医者だ、早く医者を連れて来い!!」

ハンフリーが倒れたことで、あれほど歓声に包まれていた観客席が一気に静まり返る。

(こいつの…せいなのか…?)

エルバは謎の液体が入った瓶をじっと見る。

そうした中で、ハンフリーは到着した医者の手で運ばれていった。

 

「…どうだ?セーニャ、エルバの体に異常は?」

宿屋に戻ったエルバは部屋のベッドに上半身を裸にして横たわり、セーニャが手に青い魔力を宿した状態で彼の体内を調べていた。

「はい、問題はありません。まったくの健康体です」

「そうか…」

「そうか…じゃないわよ」

セーニャの隣に座るベロニカは怒りながら腕を組み、カミュは壁にもたれた状態でため息をついた。

まさか、あの液体の効果を確かめるためにハンフリーを半分騙す形で2度も飲むとは思わなかった。

そのうちの1つはマルティナの蹴りで吐き出すことになったが、1つは完全に飲んでしまっており、それを知ったときは3人とも真っ青になった。

「何やってんのよ!?もし、本物だったら…これなしで生きられない体になっていたかもしれないのよ!」

調べ終わった例の瓶を突きつけながら、ベロニカはそのあまりに無謀な行動を責める。

勇者の真実を突き止めること、そしてデルカダールに復讐すること。

それを目的としているのにいったいどうしてそんなことができるのか、ベロニカには理解できなかった。

「どういうことだ…?」

「持参した資料を調べたのですが、その液体にはマホイミに近い性質があることが分かりました」

「マホイミ…聞いたことのない呪文だな」

「そりゃあそうよ。マホイミは今じゃあ使う人がほとんどいないもの」

「使う奴がいない…?」

「そう。マホイミ…過剰回復呪文は過剰なまでに回復させて生体組織を破壊するものよ。ちなみに、それでできた傷は回復呪文で回復できないから、患部を切り取ってさらに回復させるしかないの」

ベロニカの説明を聞き、マホイミの危険性を直感で感じたカミュは苦い顔で顔をそむける。

そして、そんな危険な代物が入った液体をハンフリーが飲んでいたかもしれないということに驚いた。

「だが…逆に体を壊すほどの回復呪文の物を、どうして…?」

「マホイミは危険だけど、セーブして使えば、体の欠損した部位を治療したり、体のマヒを治療できるの。それにプラスして、この中には強い中毒性があるわ」

「中毒…?」

「分かりやすく言えば、一度飲んでしまうとそれを体が覚えてしまって、また飲みたくてたまらなくなってしまうのよ。こんな厭味ったらしい薬を作ったの…一体誰よ?」

それ以上にベロニカが気にしたのはハンフリーの体だ。

いったいどれだけの時期それを服用したかはわからないが、おそらく体は本人が自覚している以上にボロボロになっている可能性が高い。

もしあのままそれの服用を続けたら、あと何年かで死んでしまう。

「かなり高度な治療が必要だけど、今の私とセーニャじゃあ…」

おそらく、臓器や骨への治療も必要で、それはベホマ以外にもザオラルなどの復活呪文も必要になる。

復活呪文は回復呪文では修復できない臓器や神経、欠損した体の部位の再生などができる高度な呪文で、高名な僧侶や賢者でなければ難しい。

セーニャは現在、ザオラルの契約を済ませてはいるものの、まだまだ使いこなすことができない。

事情はともかく、エルバと一緒に戦ったハンフリーの身を案じる中、急にドアが勢い良く開く。

「ひっさしぶりね、みんなーーー!!シルビア、ただいまかえって…って、今はそういう空気じゃないわね」

エルバ達を包む重い空気を感じたシルビアはすぐに表情を硬くし、ドアを閉めてから近くにある椅子に座る。

行方不明になっている間に彼が何をしていたのか、全員分かっているためか別に帰ってきたところで突っ込む人物はこの部屋の中にはいない。

「ハンフリーちゃんは暮らしている教会に運ばれて、今は面会謝絶の状態よ。それにしても、彼一体どうしたのよ?急に苦しみだして倒れたって聞いたから…」

こうなった原因が分からないシルビアにエルバは例の瓶の液体について説明する。

マホイミという聞きなれない呪文の説明も含まれていて、少なくとも彼が服用していたその水が危険なものだということは分かった。

「公式には過労による体調不良ってことで表彰式は3日後に延期になったわ。でも、それで本当に回復できるか不透明ね…」

「今はどうすることもできない…。ここで待つしかないということか」

「ハァ…さっさと賞品の虹色の枝と一緒におさらばしたいぜ」

カミュの脳裏にあのグレイグの胸像がちらつく。

このままこの場所にいたら、もしかしたら彼と再び遭遇する気がして仕方がなかった。

 

「…そう、ロウ様。やはり彼は」

建物の陰で、マルティナはロウの話に驚きを感じるが、同時に嬉しくも感じられたのか、わずかに口角が上がる。

本当は路銀を得るために参加しただけの大会。

だが、めぐりあわせとは奇妙なもので、意外なところで予期せぬことが起こる。

ロウも70年近く生きていて、そういうことが起こる物とは分かっているつもりだった。

しかし、今回だけは起こるはずがないと思っていた。

「儂も信じられん。まさか彼がいるとはのぉ…。じゃが、今は…」

「ええ。今はチャンピオン…ハンフリーの」

「うむ。…明日、町の出入り口で落ち合おう」

うなずいたマルティナはロウとは反対方向の道を歩き始める。

ロウが向かうのは酒場で、マルティナは宿屋。

真夜中だからか、人影はない。

登り階段に差し掛かると、背後から人の気配を感じた。

振り返らず、階段を昇っていくと、急に気配が消える。

疑問を抱き、振り返るがそこにはだれもいない。

しかし、急に後ろから誰かに口をふさがれる。

(人の…男の手…この、手は…?)

まどろむ意識の中で、マルティナはその手の主を頭に浮かべる。

だが、それも束の間で、意識を失ってしまった。

「…すまない。だが、他に方法はない」

静かな空間の中で、男の声がする。

男は静かにつぶやいた後で、気絶したマルティナを抱えると、その場を後にした。

 

翌朝、エルバ達は部屋で従業員が持ってきてくれた朝ごはんに舌鼓を打つ。

コーヒーとパン、そしてコーンスープに野菜サラダという質素なものだが、朝はこのくらいがちょうどいい。

「んで、今日はどうすんだ?まさかずっと宿にいる、なんてことはねえだろ?」

コーンスープをスプーンを使わず、カップから直接口に注ぎこむカミュは今できることを考えていた。

路銀を稼ぐとなると、近くの魔物を倒してそれからはぎ取った皮や骨、そして肉を売ることになる。

だが、この時期はそういう仕事は闘士たちが修行を兼ねてやっており、魔物が少なくなっているため、そんなに稼げるお金は期待できないだろう。

あとは闘士行方不明事件の調査だが、追われる身であることからあまり面倒事に巻き込まれたくなく、調査した結果自分たちがさらわれたとなるとシャレにならない。

「薬をもう少し調べてみるのもいいけど、もうこれが限界ね。これ以上は調べようがないわ」

「でも、どうしてハンフリー様はこんな危険な薬を飲むようになったのでしょうか…?今日なら、もしかしたら面会が…」

話している中、急にドアをノックする音が聞こえてくる。

小さく規則的な叩き方で、エルバはドアの前へ向かう。

「悪いが、まだ食事中だ。食器はもう少し後で…」

「ロウじゃ。おぬしに用があってきたんじゃ」

「ロウ…用というのは何だ?」

「開けてくれんと話せんわい」

「はあ…分かった」

エルバがドアを開け、ロウはトコトコと部屋の中に入る。

そして、エルバが座っていた椅子に勝手に座った。

「おい、じいさん。用がある見てーだが、俺らも…」

「実を言うと、探し物があるんじゃ。小さいひし形の小瓶で透明な液体が入っている…昨日の試合で気絶した後からポケットの中からなくなっておってのぉ。何か、心当たりはないかのぉ?」

それはまさしくハンフリーに関係する瓶で、ロウが持っていたそれはエルバが持っている。

だが、正体のわからない人物に渡せる代物ではない。

「こいつは危険な薬だ。何のつもりかは知らないが、返すつもりはない。焼いて処分するつもりだ」

「いや…それは待ってほしい。それが探している人物を見つける材料になるんじゃ」

「探す…?誰を?」

「マルティナ姫、一緒に旅をしている仲間じゃ。昨晩から行方が分からなくなっておる。町中どこを探しても見つからん」

「おい、そいつは…」

まさしく、闘士行方不明事件に似た状況だ。

高い成績を出した闘士が仮面武闘会の閉会を前後して行方不明になる。

直に判断することはできないが、おそらくマルティナが行方不明になったのは…。

「探すのを手伝ってほしい。おそらく、その事件と薬がどこかで繋がっている」

「繋がっている…?そういえば、そのマルティナって女が俺に言っていた。ハンフリーに気を付けろと」

まさかとは思うが、その事件の犯人がそのハンフリーではないのかと一瞬疑ってしまう。

だが、ハンフリーに闘士を誘拐するメリットが感じられない。

しかも、薬はともかく彼が誘拐した証拠がない。

おまけにロウはそのマルティナがさらわれたにもかかわらず、かなり冷静で、淡々とした口調だ。

本当に彼女を心配しているのか、もしかして彼こそが犯人なのかと思ってしまう。

「まだ証拠はない。じゃが、マルティナ姫が消息を絶ったのは…教会付近じゃ」

「何…?」

「おいおい、それでハンフリーが犯人かもしれないと…」

「じゃが、確かめなければならん。そのためにもその薬を使う必要がある」

「お待ちください、ロウ様。この薬には強い中毒性と…」

「マホイミの魔力じゃな。まさか若いのにここまで突き止めるとはのぉ…」

セーニャとベロニカに感心しつつ、ロウは背負っていた荷物を床に置き、大きめの紙を机の上に置く。

黒いインクをつけた筆で魔法陣を書き、その中央に瓶を置く。

六芒星の先端1つ1つに根元に黄色い石がついた金色の羽根を置いていく。

「ねえ、おじいちゃん。それって何をするの?見たことないけど…」

「これは秘術じゃ。この術を使うことで呪文の性能を高めることができる」

「秘術…」

セーニャとベロニカはラムダの里の修行で聞いたその秘術の話を思い出す。

かつて、勇者と共に旅をした仲間の1人が生み出した秘術で、現在は封印されて使い手が一人も存在しないという。

魔力を増幅させる力のある石、輝石で作られたゴールドフェザーを媒介にすることでその秘術を使うことができる。

今目の前でロウが使っているのがそれで、まさかそれを間近で見ることができるとは思わなかった。

両手をかざし、6本のゴールドフェザーが淡く光り始める。

深呼吸しながらロウは両手に淡い魔力の光を生み出していく。

「フローミ…!」

唱えると同時に、魔法陣の上にグロッタの街の地図が出現し、地下街の教会の中に光の点が発している。

「フローミって、自分の居場所を探る呪文じゃない。それを秘術で…」

「そうじゃ。今は魔力を高め、この瓶の持ち主の居場所を追跡できる。じゃが、この位置は…地下の庭園。話ではまだ意識が戻っても体が動かんはずじゃが…」

「まさか、またあの薬を…!?」

「考えられることじゃ。うん…?」

ハンフリーと思われる光の点が急にその場で消えてしまう。

同時に、ロウも疲れたようで、地図が消えてしまい、彼は大量に出た汗をタオルでふき取る。

「おいおいじいさん、大丈夫かよ…?」

「は、はあ…この秘術はまだまだ修行中で、増幅する魔力のコントロールがまだできとらんのじゃ…」

「とにかく、教会の庭園へ行くぞ。そこに手がかりがあるはずだ」

「待て…何が起こるかわからん。それに、マルティナ姫がそこにいる可能性もある。わしも一緒に行くぞ」

汗を拭き終えたロウは椅子から降りると、魔法陣を書いた紙を瓶ごとたたむ。

ゴールドフェザーはフローミが切れたのと同時に消滅していた。

「ああ、あんたの力はよく知っている。頼りにさせてもらう」

「そうか…なら、出発じゃな」

疲労しているとはいえ、二本足で歩けるだけの体力は残っているようで、ロウは先頭に立って部屋を出ていく。

もはや主導権はロウに握られていた。

「はぁ…あんまり騒ぎは起こしたくねーが、中途半端で終わるのも気分が悪りー…行くぞ」

「ああ…」

仮面武闘会で見せたあの魔力のオーラと強烈な呪文、そして今見せた秘術。

マルティナを姫と呼ぶ彼がいったい何者なのか?

敵なのか味方なのか何一つわからないまま、エルバはロウと一緒に教会へ向かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話 グロッタの地下迷宮

「ふむ…なるほどのぉ」

教会の地下庭園に到着したロウは壁にある巨大な穴の前に立ち、その中から発している邪気を感じ取っていた。

子供たちも長い時間を教会で暮らしていたにもかかわらず、このような穴の存在に気付かなかったようで、みんな動揺している。

「どうしよう…ハンフリー兄ちゃんがあの中に入って行っちゃって…」

「ふむ、反応が消えた原因はこの中に入ったからのようじゃな。となると、すべてはこの穴の中に…」

「だったら、さっさと行こうぜ。じいさん。姫さんが待ってんだろ?」

ランタンに火をつけたカミュはその明かりを頼りに先行して先へ進んでいく。

「みんな、この先は危険だから、絶対に入っちゃだめよ!私たちがハンフリーさんを助けてくるから!」

「そうです、皆さんは私たちが戻ってくるまでは、地下庭園から離れて、誰も入らないようにしてください」

この穴の奥でどのような結末が待っているのかはわからない。

だが、子供たちに不安を与えるわけにはいかない。

「お願いします、ハンフリー兄ちゃんを必ず助けて…!」

「俺、戻ってくるまでここ見張ってます!」

「頼むわね!」

エルバ達が穴に入っていく。

少し歩くとすぐにひび割れがあちこちで見える長い下り階段にさしかかる。

「この階段…明らかに人工物だ」

「グロッタの街は元々、巨大浴場として建設された街じゃ。地下は下水処理や労働者の休憩所、倉庫として使われていたかもしれんのぉ」

階段を降りると、彼の言う通り古びたレンガでできた空間が広がっていた。

長年放置されているためか、蜘蛛の巣が張っており、留め金が外れたドアが傾いていたり、床に落ちていたりしている。

更に、魔物の物と思われる異臭が鼻につく。

「げえ、この匂い、ゾンビ系がいるみたいだぜ」

「ふむ…となると、この穴を使って外へ出てしまう可能性が考えられるのぉ。ならば…」

ロウはゴールドフェザーを何本か出入り口に続く穴の壁に突き刺す。

そして、杖を使ってガリガリと岩に傷をつけて魔法陣を作り出す。

「さて…エルディ、トヘロスを使ってくれんか?それを使えば、強力な結界を作ることができる」

「ああ…」

エルバは魔法陣の手をかざし、退魔呪文トヘロスを唱える。

自分よりも弱い魔物を寄せ付けなくする呪文だが、ロウの秘術によって魔物が出入りできない結界を生み出す呪文へと変化していく。

これで憂いを断つことができる。

「ねえ、おじいちゃん。その秘術…どこで学んだの?使う人がいないのに…」

その術はかつて、勇者と共に旅をした仲間の一人が編み出したもので、その人物が謎の失踪を遂げた後は伝承者もおらず、名前だけを残して歴史から消えたものだ。

そんな術をよみがえらせ、使いこなすとなると賢者ですら難しい。

「まぁ…いろいろとツテがあっての。おかげでこの秘術を使うことができるようになった。さて…どうやら、儂ら異物を追い出そうと魔物がやってきたみたいじゃな」

ロウが杖を構えると、暗闇の中から次々と魔物が飛び出してきた。

長期間腐敗したことで、猛毒を体内に宿した死体、どくどくゾンビや灰色の岩石でできた巨人、ストーンマン。

オレンジ色の肌をして、手作りの巨大な棍棒を振り回す巨大な怪人、トロルに水色と白の装甲で、発射することのできる刃の羽根をつけた小型の鳥型兵器、ガチャコッコなどが群れとなって襲い掛かる。

「なんで町の地下にこれだけ魔物がいるんだよ!?」

「どくどくゾンビはともかく、外部から召喚した可能性があり得る。おそらくは…」

長年放置されていたとはいえ、頑丈なレンガでできたこの空間に小さい虫ならともかく、魔物が生息するのはあり得ない話だ。

そうなると、外部から持ち込むか、召喚するといった形で魔物を呼び出したと考えるべきだろう。

魔物が魔物を召喚するためには、召喚者の魔物が召喚する魔物よりも上位でなければならない。

だが、その上位の魔物がここに来る可能性はゼロではない。

(おそらくは…16年前の…)

ロウは右足を前に出し、そこから半円を描いた後で両手に青い魔力を蓄積させる。

一番早く接近してくるのはガチャコッコで、羽根を発射されると特に防御力の低いセーニャとベロニカが危険だ。

「壁を作れ、ヒャダルコ!!」

ヒャダルコが5人と魔物たちの間を遮る分厚い氷の壁となり、ガチャコッコが発射する羽根の弾丸を受け止める。

どくどくゾンビは何度も氷を腕で叩くがびくともしない。

だが、動きの遅いストーンマンとトロルがズシリ、ズシリと接近し、床が揺れる感覚がする。

「ふむ…トロルとストーンマンか。トロルはともかく、ストーンマンは少し厄介じゃな」

怪人とはいえ、生物であるトロルはダメージを与えることである程度動きを止めることができる。

ストーンマンはその体を構築する岩石を壊す、もしくはコアとなっている命の石を排除しない限りいつまでも動く。

心を持たない物質系やマシン系の恐ろしいところは、何のためらいもなくほかの生物を殺すことができるところだ。

恐怖する顔を見るのを楽しむ感情も、殺した人間で遊ぶこともせず、淡々と殺す。

「俺に任せろ!」

2本のナイフをピッケル替わりにして氷に突き立て、上へ登っていく。

ロウが作った氷の壁は分厚く、高いものの、天井にまでは達していない。

壁を上り終え、こちらへ迫るストーンマンを見る。

「ここは、こいつの出番だ!」

フック付きロープを出し、フックを屋上のひび割れに向けて投げる。

フックはひび割れに刺さり、カミュはロープを右手で握ったまま跳躍する。

「ストーンマンの命の石は…そこだな!!」

ストーンマンの背後に回ると、左手で爆弾をうなじに向けて投げつける。

爆発と共にストーンマンは前のめりになって倒れ、何匹かの魔物がその巨体に押しつぶされる。

爆発を受けた個所にはひび割れができており、飛び降りたカミュはその個所に短剣を突き立てる。

ひび割れた岩石は容易に砕け、その中にある水色の水晶が露出する。

だが、ストーンマンはダメージを受けたことを気にすることなく、起き上がろうとする。

しかし、カミュが命の石を引き抜いた瞬間、動きを止めた。

「へへっ、この命の石は武器作りにも使えるからな!」

だが、ストーンマンを倒したとしても安心できず、まだトロルがいる。

「ま…充分引き付けただろ。やってくれ、ベロニカ!!」

「分かったわよ!手を貸して、エルバ!」

「ああ…」

エルバとベロニカは集中し、魔力を形成していく。

そして、2人同時にイオを唱え、氷の壁のそばで爆発を起こす。

爆発によって氷の壁が前に倒れ、壁を壊そうとしたどくどくゾンビ達を下敷きにした。

氷の壁が倒れたのが見えたガチャコッコが羽根を発射するが、セーニャのバギで吹き飛ばされる。

「よし、道は開けた…まっすぐ進むんじゃ!」

「道が分かるのか…?」

「ここの地図は見たことがある!」

カミュを殿とし、エルバ達は包囲の穴となっている前方の大きな通路に向けて走る。

念には念をと、カミュは最後に煙玉を投げて魔物たちの視界を奪った。

 

薄暗く、広い洞窟のような空間の中、気絶したマルティナが冷たい床の上に横たわらせられる。

天井にはいくつもの人間と同じくらいの大きさの繭がぶら下げられている。

繭の隙間からは水色の光が漏れている。

「…獲物を連れてきたぞ、姿を見せろ」

男の声にこたえるように、広間の奥深くから赤と黄色を基調とした色彩で、真っ白な髪を生やした蜘蛛型のモンスターが大きな足音を立てながら歩いてくる。

片目に大きな切り傷の痕があり、その魔物は倒れているマルティナに舌なめずりをする。

「シュルルルル…極上な女闘士だ…」

先日には2人の女闘士が獲物として連れてこられており、その2人も色気がある上に力もあり、この魔物にとっては楽しめるものだった。

だが、マルティナはその2人以上の力が感じられる。

そんな女を連れてきてくれた男の働きぶりに魔物は笑みを浮かべる。

「よし…こいつの力で新しい薬を作ってやろう。さあ…差し出せ」

「…」

「うん…?どうした?何をためらっている?」

そろそろ、良心の呵責に耐えられないだろうというのは魔物も分かっている。

人間には多かれ少なかれ、良心などというものを持っているから動きを制限され、力をつかむことができない。

それが人間の魔物に劣る点、それがこの魔物の持論だ。

「よいのか…?私の薬があるからこそ、今のお前は生きている。もし、薬が断てばどうなるか…今のお前が一番よく分かっているはずだ。さあ、差し出せ」

魔物の言う通りで、今の自分はその薬がなければ禁断症状を引き起こすほど依存してしまっている。

おまけに、長期間断つと最悪の場合、発狂するか死ぬ可能性だってあり得る質の悪いものだ。

自分のような罪人がどうなろうとかまわないが、今自分が死んだら守れない存在がある。

それを守るためには、今は悪魔にすがるしかない。

男はマルティナに手を伸ばそうとする。

だが、急にマルティナが立ち上がり、彼に向けて回し蹴りをする。

辛くもそれを回避されたが、男の顔を見ることができた。

そして、その後ろにいる黒幕の存在も。

「わざと捕まった甲斐があったわ…。黒幕。16年前に街を襲った魔物の軍勢をグレイグが倒したと聞いたけど、まさか生き残りがいたなんてね…」

ここはユグノアの東にあり、ユグノアを攻撃した魔物たちがついでと言わんばかりにこの街も襲った。

その軍勢は当時デルカダール王自らが率いる近衛兵の部隊によって撃退され、最大の戦果を挙げたのがグレイグだった。

大将を討ち取った彼はグロッタの街の人々から英雄視され、像が建てられた。

「ええい、しくじったな…貴様」

魔物は男の失態に舌打ちすると同時に、広間への入り口となっている丸型のドアが吹き飛び、そこからエルバ達が入ってくる。

ロウは男と魔物を見て、自分の予想が正しかったことを確かめる。

「うむ、姫よ。ご苦労であったな」

「さらわれた…というよりも、わざとさらわれたといったところか」

エルバはどう見ても無事なマルティナを見る。

そして、魔物の手先であろうと男にも目を向けた。

「まさか…あんたが闘士行方不明事件の犯人だったなんてな…ハンフリーさん」

正直に言うと、この予想は外れてほしかった。

魔物の手先となった男、ハンフリーは若干視線を下に向ける。

「ハンフリーよ、済まぬがおぬしの部屋を調べさせてもらった。どうやら…おぬしが飲んでいたものはその魔物が作ったものじゃな」

「そうか…俺の部屋に侵入したのはあんたらだったのか…。そして、エルディ。君と君の仲間だけは巻き込みたくなかったよ」

これで、先日の強盗騒ぎの真相がわかった。

おそらく、証拠となる例の物も持っている。

言い逃れはできないだろう。

だが、見つかったことでどこかほっとしている自分も感じられた。

「シュルルルル…貴様、どこかで見たことがあるな…。だが、どうでもいいか。16年前、憎きグレイグによって傷を受けた…。その傷をいやすため、そしてあの男を殺す力を得るためのエキスを集めるためにこの男を利用した。奴は足に傷を負い、闘士として再起不能の状態だったからなぁ。余ったエキスを使って薬を作ってやった。良い取引だった」

「…そうだ。3年前、俺は相棒だった男と一緒に街の周辺で魔物を退治していた。だが、徒党を組んだ魔物に襲われて相棒を殺され、生き残った俺は足に回復不能のダメージを負った…」

僧侶や医者を回り、足を直せる人物を探し回ったが、結局見つけることができず、闘士としての自分に死刑判決を出されることになってしまった。

将来有望な闘士だったことから、力を持っていながら再起不能となった悲劇の闘士としてそのころは有名になった。

だが、腕っぷしにしかとりえのないハンフリーは必死に足を直すすべを探し続けた。

そんな中で偶然、地下庭園の穴を見つけ、その中に入ったときにあの魔物と出会った。

「奴は闘士としてもう1度立ちたいと願っていた…。だから、その願いをかなえてやったのだ。闘士のエキスを魔力に変換し、マホイミにして…」

「ああ…確かに、俺の足は治った。だが…やはり魔物にすがるべきではなかった。あの薬には中毒性があった…!」

「それは分かっておる。液体の中にはマルファスが入っておった」

マルファスは医者が患者の痛覚を一時的に抑えるために使う、貼薬のようなものだが、依存性の強い麻薬の側面もある。

しかも、ごく少量とはいえ、それでも口で摂取すると強い中毒となってしまう。

あの魔物は多くの闘士のエキスを得るために、ハンフリーにわざとその麻薬を混ぜた液体を飲ませ、マルファス漬けにした。

「それでも、俺はやるしかなかった…。せめて子供たちが自分たちの身を守れるくらい大きくなるまでは…」

「ハンフリーさん…」

「だが、それももう…終わり…か…」

再び胸に強い痛みを感じ始めたハンフリーはその場で座り込む。

心臓をナイフで貫かれたような痛みがとめどなくハンフリーを襲う。

「哀れじゃな…一度魔物と取引などしてしまったばかりに…」

「はあ、はあ…こんなこと、俺が頼める立場ではないが…頼む。あの繭の中に…闘士たちがいる…。奴は少しでも多くのエキスを得るために…生かさず、殺さず…」

「ならば、あの繭を破壊すれば、助け出せるのじゃな?」

「そう…だ。そして、奴をアラクラトロ倒してほしい…。罪を…終わりに…!!」

「…いいじゃろう」

本当は善良な男だということは分かっている。

彼のやったことは許されることではないが、アラクラトロを放っておくわけにはいかない。

ロウの返事を聞き、かすかに笑みを浮かべたハンフリーはそのまま意識を手放した。

「あんた…よくもハンフリーさんを!!」

「許すわけにはいかないわね…お仕置きしてやるわ!」

怒ったベロニカとシルビアはそれぞれの得物を手にする。

「姫はハンフリーを下がらせるのじゃ。そして、闘士たちを!」

「分かりました。…任せたわよ」

エルバに目を向け、静かにつぶやいた後で、マルティナは倒れたハンフリーを抱えてその場を離れる。

「ふん…使い物にならん男だ。ならば、貴様らを捕まえて、エキスを奪ってやろう!」

アラクラトロが背中から次々と棘を発射する。

即座にロウはヒャダルコで壁を作り、動きの遅いエルバ、セーニャ、ベロニカがその後ろに下がらせる。

氷の壁が棘を受け止めるが、ガチャコッコの羽根と比較すると質量・勢い・破壊力いずれも高く、一撃当たるごとに衝撃と大きなひびが入る。

氷の壁だけでなく、周囲の壁も棘が刺さったことで大きなひびが入っている。

「なんだ…?棘から変なにおいがするぞ!」

「どうやら、あの棘に当たるわけにはいかないみたいね」

岩に刺さった棘から紫色の液体が出て来て、それが岩を溶かしていた。

どうやら棘の中には強い酸性の毒が混ざっているようで、その毒で物を溶かすことさえできる。

「シュルルルル…動くなぁ!」

カミュに向けて金色の蜘蛛の糸を発射する。

「蜘蛛の糸…!?こいつに当たるわけにはいかねえよ!」

通常の蜘蛛の糸でも鋼鉄の4倍の強度を誇る。

仮にそれをモチーフとした魔物の糸となるとどれだけの強度になるかは想像がつかない。

拘束されると抜け出せないかもしれないその糸の本流からカミュは走って逃れる。

「ええい、うろちょろするなぁ!!」

アラクラトロの瞳が黄色く光り始める。

「光を見るな!!」

ロウの叫びと共に同時に、エルバ達は腕で目を隠すと目をつぶって光を凌ぐ。

「あの光からはメダパニーマの魔力を感じた…。あの光を見ると混乱してしまう」

「ちょっと待って!じゃあ、カミュとマルティナさんは!?」

ロウの声が聞こえないところにいるかもしれない2人はもしかしたらアラクラトロの光を見てしまったかもしれない。

だが、ドアがあった場所のところから此方へ戻ってくるマルティナの姿が見えたため、彼女の心配はなかった。

「な、なんだよ?さっきの光。あの蜘蛛野郎は…??」

一方、カミュは急に視界からアラクラトロの姿が見えなくなり、周囲をきょろきょろ見渡すとともに動きが鈍る。

そんな彼の体に糸の奔流が飛び、彼の体に絡みつく。

「ああ、なんだ…?体が、動かねえ…!?」

彼の眼には糸も見えなくなっているのか、どうして動けなくなっているのかわからず地面に転がる。

「そおら…よぉ!!」

「まずい…!みんなここから離れるんじゃァ!!」

「カミュ様!!」

糸にからめとられ、ハンマーのように振り回されるカミュがエルバ達のいる氷の壁に向かって飛んでくる。

急いで氷の壁から離れると、カミュの体が氷と接触し、氷が粉々に砕け散る。

振り回されたこととぶつかった衝撃でカミュは吐血するとともに、意識を失った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話 アラクラトロ

「カミュ様!!」

「セーニャ、行っちゃダメ!!」

再び飛んでくる棘のうち、自分たちに飛んでくる棘をベロニカはメラミで焼き尽くして灰にする。

倒れるカミュがピクリとも動かず、容体が気になるのは分かるものの、今は自分たちの身を護るだけで精一杯だ。

「はああああ!!」

エルバは退魔の太刀を手にし、アラクラトロの横っ腹に刃を突き立てる。

斬られた箇所からは紫色の血がドクドクと放出され、エルバの体を濡らす。

(これは…?)

血で濡れるエルバはアラクラトロの腹のあたりにおかしな箇所があることに気付いた。

そこには何かの模様があり、それが一瞬光っていた。

「そんなチンケな一撃で、このアラクラトロを倒せると思ったかぁ!!」

アラクラトロが後ろ脚をエルバに向けて突き刺そうとする。

その足先は槍のように鋭く、サークレットを貫かれる可能性があるため、エルバは剣を抜いて離れようとする。

だが、アラクラトロに刺さっている退魔の太刀はなぜか抜くことができない。

しかも、深くできたはずのアラクラトロの傷がみるみると回復していっている。

「ちぃ…!」

退魔の太刀を手放したエルバは腹の表面をかすめつつもその足の攻撃を回避するが、背中から転倒してしまう。

「…死ね」

冷たくつぶやくとともに再生した棘がエルバに向けて発射される。

だが、シルビアがエルバを抱えて大きく跳躍し、更にはセーニャが唱えたバギで軌道が変化したことによって事なきを得る。

「奴はすさまじい回復力を持っている。深手を負わせても痛みを感じないうえにすぐに回復するぞ」

「回復力の源は…捕まった闘士たちね」

「腹には変な模様があった。おそらくは…」

「うむ、おそらくは魔法陣じゃ。それをどうにかしなければ、鼬ごっこのままじゃ」

だが、問題はどうやって腹の魔法陣を破壊、もしくは消すかだ。

当然、アラクラトロはそこを狙われる可能性があることは分かっている。

「誰かが魔法陣を破壊しに行って、他のみんなでおとりになる必要があるわ」

「ここは私が動くわ。みんなはひきつけて!」

岩陰に隠れたベロニカはアラクラトロの視界に入っていないころ合いでトベルーラを唱える。

セーニャはカミュの回復へ向かい、残るエルバ達3人が正面からアラクラトロと対峙する。

「うん…?チビの姿が見えないが」

「さあな。お前の相手は俺たちだけで十分だ」

「フッ、そんな余裕があるとは思えんなぁ。今の俺は闘士たちの力を吸収してパワーアップしている。グレイグに通用するか、貴様らで実験だ!」

再生したばかりの棘を再び発射し始める。

しかも、針が破裂すると同時に中に隠されていた十数本の棘がばらまかれる。

「エルバ!!」

「ああ…!!」

エルバとベロニカが同時にベギラマを唱え、棘を焼き尽くしていく。

だが、いかんせん棘の数が増えたためにすべて焼くことができず、閃光を逃れたトゲがエルバ達に刺さる。

「くそ…現在進行形で強化されているのか!?」

サークレットに刺さっただけで、肌には紙一重の差で当たっていないおかげか、エルバの体に影響はない。

だが、問題なのはエルバ程の重装備でないシルビア達だ。

「う…やってくれるわね…!」

左腕に刺さった棘を抜くシルビアは脱力感に襲われ、片膝をつきながらアラクラトロを見る。

先ほど放った酸性の毒とは異なるものだ。

おそらく、この毒は捕まっている闘士たちにも仕込まれている。

「安心しろ、この毒は力を奪うだけ。死にはしない。貴様らも可能な限り、このアラクラトロ様の力にしたいからなぁ!」

「く…(まだか、ベロニカ!?)」

 

「う、うう…」

「カミュ様、大丈夫ですか…??」

目覚めたばかりで、焦点が定まらずにいるカミュだが、ぼやけたシルエットと声で、今近くにいるのが誰なのかは分かった。

「セーニャ…?」

「良かったです…カミュ様…」

頭を強く打っていたため、もしかしたら脳が損傷して目覚めなくなるかもしれないと思っていた。

だが、氷に接触したときは体全体に当たったおかげで、ダメージが体全体に分散される形になり、脳へのダメージはなかった。

そのため、セーニャのベホイミで回復可能だった。

「悪い…ドジ踏んじまって…セーニャ?」

ようやく焦点が定まり、視界が元に戻ったカミュはセーニャの腕や背中に紫色の棘が何本も刺さっているのが見えた。

出血で踊り子の服が赤く染まり、毒のせいでセーニャは立ち上がれなくなっていた。

それに対して、これまで気絶していたカミュの体には棘が一本も刺さっていない。

「セーニャ、お前…まさか…」

「あの時の…お返しですよ…」

ダーハルーネで、ホメロスに追われたときのことを思い出す。

その時、カミュはセーニャとエルバをかばってホメロスの攻撃を受けた。

そのおかげでエルバ達は逃げ延びることができたが、カミュは一時囚われの身となった。

「悪い…」

「謝らないでください…これくらいの傷と毒なら、ベホイミとキアリーで…はあはあ…」

「待ってろ…すぐ、抜いてやる…!」

だんだん体に感覚が戻ってきたカミュは立ち上がる。

今は棘を発射しておらず、近くで毒に苦しんでいるエルバとシルビア、そして彼らを回復させようとするロウに対応しており、こちらに注意が向いていない。

カミュはセーニャの体に刺さっている棘を1本1本抜いていく。

(くそったれ…!)

セーニャに傷を負わせる原因となった自分と彼女を傷つけたアラクラトロに怒りを覚える。

その間にも再びアラクラトロの棘が再生する。

「シュルルル…しっかり弱らせてから捕まえ…」

「誰を捕まえるの?もしかして、天才魔法使いのベロニカ様を?」

「何…?ギャ!!」

急に真下から飛んでくる火球が炸裂し、アラクラトロの巨体が多き吹き飛ぶ。

真下には泥だらけなうえに擦り傷をたくさん作ったベロニカの姿があった。

「げえ…!?ま、魔法陣が…!!」

炎で腹部が黒焦げになり、魔法陣も消えてしまう。

これで、アラクラトロの再生能力は失われた。

「まったく、レディに穴掘りさせるなんて。こういうのはカミュの仕事なのに!」

ベロニカは威力を絞ったイオで穴を掘ってアラクラトロの腹部まで向かっていた。

威力を絞り、かつピンポイントにさく裂させなければならない都合上、ここまでたどり着いて、アラクラトロにメラミを命中させた段階では、既にベロニカはくたくたに疲れていた。

「ちくしょう…ちくしょう!!よくも16年の苦労をぉ!!」

「貴様の言い分を聞いとる暇はない!!」

キアリーで毒の治療を済ませたロウがヒャダルコを唱え、アラクラトロの体を徐々に氷漬けしていく。

動きが鈍くなっていくアラクラトロからエルバは退魔の太刀を引き抜き、トベルーラでその魔物の頭上へ跳躍する。

「終わりだ…」

落下すると同時にアラクラトロの頭部に刃を突き立てる。

脳を貫かれたアラクラトロは一瞬目を大きく開き、眼から濃い紫色の血を流しはじめる。

それが致命傷となったようで、アラクラトロは何もしゃべることなく巨体を横たわらせた。

「はあ、はあ、はあ…」

「セーニャ!!」

アラクラトロを倒したのを確認したベロニカは急いでセーニャの元へ駆け寄る。

ロウがキアリーでセーニャの毒を除去して、とげが刺さっていた箇所には上薬草が貼られている。

「ベロニカ、済まねえ…。俺をかばって…」

「…仕方、ないわよ。旅をしている以上、こんなことになる可能性があるくらい、分かってる…」

カミュに背を向け、ベロニカはつぶやく。

今カミュの顔を見てしまったら、怒りのあまりビンタするかひどいことを言ってしまうかもしれない。

アラクラトロのせいで、彼を責めるのはお門違いなのは分かっているベロニカは両手にギュッと力を込めて怒りを飲み込んでいた。

「心配するな。毒は完全に除去できた。あとは一晩ぐっすり休めば、問題はない」

セーニャの治療を終えたロウは天井を見渡す。

闘士たちを閉じ込めていた繭はすべて除去されていた。

「ロウ様、闘士たちの救出に成功しました。ですが、おそらくは…」

「うむ。まずは安全な場所まで行ってからじゃな。数が多い」

高齢なのは自覚しているが、まだまだボケてはいない。

この部屋に入った際にあった繭の数は20以上。

そのすべてに闘士1人1人が入っていたら、全員の治療に時間がかかる。

ここは自分1人でやるよりも、回復したセーニャや町の医者の協力を得たほうがいい。

「済まぬが、彼らを運び出す。最後まで手を貸してもらうぞ」

「ちっ…しゃあねえな」

今は完全回復した自分が動かないと話にならない。

カミュはさっそく気を失っているガレムゾンを運び始める。

シルビアとエルバもマルティナと共に闘士たちを運び始めた。

 

「んん、ん…」

「おう…眼、覚めたかよ?」

「カミュ様、お姉様…」

ゆっくりと目を開き、自分が寝ているベッドの両サイドにいるカミュとベロニカを見る。

どうして自分がベッドの中にいるのか、一瞬分からなかったセーニャだが、すぐにアラクラトロとの戦いのことを思い出す。

「まったく、あんたがグズなくせに無茶なことをして!!心配したんだから…」

「ごめんなさい、お姉様…。戦いは…?」

「大丈夫、アラクラトロは倒したわ。助けた闘士たちは町の病院で休んでいるわ」

ロウと医者の尽力によって、闘士たちの治療がほぼ完了していた。

何人かはすでに目覚めているが、彼らは行方不明になってから今までのことを何も覚えていなかった。

なお、ハンフリーは念のために彼らとは別の病室で休ませることになったという。

あの中で何が起こったのか、それはまだ子供たちには話していない。

「目を覚ましたか…?」

ノックもせずに入ってきたエルバがセーニャに声をかけてくる。

「エルバ様、はい…すっかり大丈夫です。それより、どうしました?あんまり顔色よくありませんよ?」

今のエルバは若干顔を青くしており、髪もしつこい寝癖がついている。

あんまり健康的で清潔とは言えず、どうしてのか気になってしまう。

「…なんでもない。少し、髪を直してくる」

もうこの部屋で確認すべきことはないと考えたエルバはすぐにドアを閉めて1階の洗面所へ行ってしまった。

「あいつ、いったいどうしたんだよ?」

「セーニャちゃん、元気になったみたいね!よかったわー!!」

今度は急にシルビアが入ってきて、両腕を大きく広げてセーニャの回復を喜ぶ。

シルビアを見たカミュは何かを察したように頭を抱える。

(ああ、あいつも俺と同じ目に…)

シルビア号の船室で寝ていたときのことを思い出す。

真夜中にシルビアが見張りの当番を伝えるためにカミュを起こしに来てくれた。

その時、耳元に優しげな声が聞こえ、眼を開けると目を閉じ、キス寸前のところまで顔を近づけたシルビアの姿があった。

あまりのことで悲鳴を上げてしまい、ベッドから転げ落ちることになってしまった。

おそらく、エルバもそれと同じ目に遭ってしまったのだろう。

少し前に物音が聞こえたため、ベッドから落ちたのは確かかもしれない。

今日が表彰式になるというのに、これでは目覚めが悪い。

(あいつ、少しは丸くなったか…?)

 

昼になり、闘技場の客席はもうすでに試合が終わったにもかかわらず熱気に包まれている。

客席には回復したセーニャを含めたエルバの仲間たちがいる。

なお、救出された闘士たちについては大事をとるということで病院で休んでいる。

「あの2人…どこへ行ったのかしら…?」

シルビアは客席を見渡し、ロウとマルティナの姿を探すが見つけることができない。

ここへ行く前にカミュと病院に行ったが、医者曰く、患者たちの治療を終えた後でいつの間にか姿を消してしまったとのことだ。

2人にはいろいろ気になることがあり、話したいこともあったが、いなくなってしまった以上はどうしようもなかった。

リングには司会が入り、咳払いした後でしゃべり始める。

「大いに盛り上がった今年の仮面武闘会もいよいよ終わりの時を迎えました!それでは、改めて表彰式を行いたいと思います!ハンフリー・エルディチームは前へ!」

リングに仮面をつけたエルバとハンフリーが上がってくる。

「体は大丈夫か…?」

隣を歩くエルバはこっそりとハンフリーに声をかける。

彼が意識を取り戻したのはつい2時間くらい前で、あの発作がまた来ないとは限らない。

「問題ない。医者からも許しはもらっている。それに…けじめをつけないと、いけないからな…」

場合によってはハンフリーに欠席させるか、表彰式そのものを辞退させてもらうかを考えたが、ハンフリーの強い要望で表彰式が行われる形になった。

急な決定であるにもかかわらず、準備はトントン拍子で進み、観客たちも集まってくれている。

「けじめ…か。あんたはチャンピオンだ。最後までチャンピオンらしくさせてやる」

「ああ、楽しみにしているよ」

彼が本気にならなければ、今ここへ来る意味がない。

そして、これまでの決着をつけることができない。

リングに2人が上がったのを確認すると、視界は両腕を広げる。

「さあ、お2人に優勝賞品を…」

「ちょっと待ってくれ!」

急にハンフリーが声をあげ、歓声に包まれていたはずの客席が一気に静まり返っていく。

盛り上がりに水を差すようなことになってしまったことを申し訳なく思ったが、それでもやらなければならないことがある。

「先日は俺のせいでせっかくの表彰式を台無しにしてしまって申し訳なかった。今もいい熱気だが、決勝戦の時ほどじゃない。そこで、どうだろう?一緒に戦ってくれたエルディとエキシビションマッチをしたい。どちらが上か、白黒はっきりつけるんだ」

我ながら、妙な口実を考えてしまうと内心自嘲する。

でも、全員を納得させる理由を考えるとしたら、やはりこれしか考えられない。

しばらくざわつく客席だが、次第に先ほど以上の歓声が響き渡る。

「なんと、チャンピオンからのエキシビションマッチの提案だ!盛り上がってます!!さすがはチャンピオン!!」

「これで、後には引けなくなったな…」

「ああ…手加減はしないぞ」

2人はリングの両サイドへ移動し、互いに武器を構える。

目を閉じ、歓声を聞くハンフリーはどこか自分が今まで以上に冷静になっているように感じられた。

そして、きっとこれが人生最後の試合になるかもしれないという感じもしていた。

医者の代わりに体を調べたロウの言葉を思い出す。

(一度、マルファス漬けになった場合、依存症から抜け出すのは難しい。あの胸を締め付ける痛みを長い間耐えなければならん。もう1度闘士として戦えるようになる日が来るかは儂にも何とも言えんな…)

そんなことは自分の体であるため、言われなくても分かっていることだ。

このまま体調を崩したという理由でチャンピオンの座を返上するとしたら、あまり波風は立たないかもしれない。

だが、それでは自分の中に後味の悪いものを残してしまう。

深呼吸をしたハンフリーはじっと目の前のエルバに目を向ける。

「行くぞ!エルディ、手加減は不要だ!」

「…いくぞ」

2人はほぼ同時に踏み出して、真正面から刃と爪をぶつけ合った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 不死鳥の眠り

「く…!」

「はぁ!!」

炎の爪と退魔の太刀がぶつかり合い、上段からの攻撃にエルバはこらえつつ、後ろに距離を取る。

そして、ハンフリーの動きを止めようとギラを放つが、その程度の火力はハンフリーにとっては怖がるものではなく、自分に当たりそうなものは炎の爪の炎で消し飛ばしてまっすぐ接近していく。

ハンフリーの腕力はエルバ以上で、仮に二刀流になって受けたとしても競り負けるのは変わりない。

また、エルバもまだまだ二刀流のコツをつかんでいるとはいいがたく、それよりはこの両手剣で戦った方がいい。

少なくとも、退魔の太刀のリーチは上回っている。

それは一緒に戦ってきたハンフリーも知っており、それでも接近してくるとしたら、なにか手があると考えるしかない。

ハンフリーは右拳を地面すれすれまで右下へ降し、アンダースロー気味に左上に向けて振るうとともに火球がエルバに向けて飛んでいく。

真正面から飛んでくるその火球を避けることができないため、エルバは剣で防御する。

防御したおかげで軽傷で済んだものの、炎が消えるとなぜか目の前にいたはずのハンフリーの姿がなかった。

何かの影がエルバを覆う。

「まさか!!」

エルバは上を見上げると、そこには上空を舞うハンフリーの姿があった。

このままでは落下してくるハンフリーの爪の攻撃を受けることになってしまう。

だが、両腕を大きく広げているため、胸部が無防備になっているのが見えた。

エルバはトベルーラを唱え、ハンフリーの胸部へ向けて飛んでいく。

「ぐお…!?」

「うおおおお!!」

左肩でショルダーアタックをする形でハンフリーに突撃していたエルバは前を見ることができず、トベルーラの魔力でただ一直線に飛んでいく。

だが、ある程度飛んだところでまだまだトベルーラを完全にものにしていないためか、魔力が切れて2人仲良く重力に従って下へ落ちていく。

落ちていく中で、ハンフリーはエルバを蹴り飛ばした。

蹴り飛ばされたエルバとハンフリーはリングの左右両端に落ちてしまう。

退魔の太刀を地面に突き刺し、起き上がるエルバはじっと向かいにいるハンフリーを見る。

起き上がろうとするハンフリーだが、急に胸が苦しくなり、左手で必死に胸を抑える。

「くそっ…発作が…!」

トベルーラで飛ばされているときから、痛みを感じ始めていたが、ここで急にひどくなった。

覚悟はしていたとはいえ、やはりこの発作が起こると今までの試合で見せた全力での勝負が難しくなる。

急に苦しみ出したハンフリーを見た観客たちに動揺が広がっていく。

「どうしたんだ…チャンピオン??」

「調子が悪いのかしら…?」

「ほら、おとといに一度倒れたでしょ?もしかしたら過労じゃなくって…」

(頼む…まだ、ひどくならないでくれ…!)

この罰は甘んじて受ける覚悟はある。

教会のこと、子供たちのことを言い訳にして取り返しのつかないことをしてしまった自覚はある。

だが、もし許されるなら、今はまだ戦うだけの力を残してほしい。

額の冷たい汗をぬぐい、軽く笑ったハンフリーは痛みに耐えながら立ち上がる。

(強い…チャンピオンの名前は伊達じゃないってことが分かる…)

この仮面武闘会で一緒に戦ったハンフリーの強さを正面から闘うことで改めて実感していた。

本当に望めるなら、怪我をする前の彼と戦ってみたかった。

そうなった場合、エルバは勝てるかどうかは分からない。

「エルディ…そろそろ余裕がなくなってきた。すまないな」

「だが…手加減するつもりはない」

「ああ。次で終わらせたいな…」

構え直したハンフリーはゆっくりと深呼吸をし、両拳に力を籠める。

そして、エルバに向けて全速力で駆けだした。

エルバもそれにこたえるように正面から突っ込んでいく。

ハンフリーが腕を伸ばすと同時に、エルバは突き刺すように退魔の太刀で突き刺そうとする。

だが、ハンフリーは体をそらしたことで刃は彼の頬をかすめ、エルバの腹部にハンフリーの右手のひらが当たる。

受けたのは拳でないにもかかわらず、当たった個所から激しい痛みを感じたエルバはその場で動きを止める。

「拳を食らったわけじゃないのに…これは…」

「発勁だ。この痛みなら、しばらく動けないだろう」

余計な力を加えず、運動エネルギーをダイレクトに、なおかつ一点にぶつける技はサークレットを装備しているはずのエルバにも大きなダメージになる。

気を抜くと気を失いかねないその一撃だが、エルバはどうにか立ち続けることができた。

「まだ立っていられるのか。だが、これで終わりだ!」

あとは渾身の一撃を叩き込めば、この戦いは終わる。

もう少し長く戦っていたかったが、今の自分の体にそれは許されない。

人生最後の一撃を放つかもしれない右拳に力を籠める。

「終わり…どちらにとっての、だろうな!!おおおおお!!」

エルバもこのまま甘んじてその一撃を受けるつもりはなかった。

自分に活を入れるかのように、大声で叫ぶと同時に彼の体が青いオーラに包まれていく。

ダメージが大きい以上、このオーラが短時間しか持たないことは分かっているが、今のエルバには十分だった。

拳が自分に届く手前で、そのオーラで強化された身体能力を活用し、ハンフリーを回り込むように回避する。

「何…!?」

「うおおおおお!!」

オーラが消えたエルバは背後からハンフリーに体当たりをし、互いにリング状に倒れる。

そして、剥ぎ取りナイフを抜いたエルバはそれをハンフリーの後頭部に突き立てる。

後頭部から伝わるヒヤリとした殺気を感じたハンフリーはどこか安心したかのように笑みを浮かべた。

「…降参だ」

「まさか…なんということだ!!チャンピオンがまさかの白旗だぁーーーー!!!」

チャンピオン、ハンフリーが敗れたことに会場に衝撃と動揺が走る。

そんな同様とは逆に、ハンフリーは穏やかそのもので、エルバがどいた後でゆっくりと起き上がる。

「ありがとう、エルディ。君のおかげで、ようやく俺は本当の意味で闘士に戻ることができた気がするよ…」

いつもと同じ笑顔を見せ、礼を言うハンフリーにエルバは何も言わなかった。

そして、ハンフリーが右手を上げると観客たちの視線が彼に向けられる。

「みんな、これが…俺のチャンピオンとしての最後の戦いになった。俺は…病気を抱えている」

「病気…!?」

「嘘…」

「やっぱり、病気だったのか…」

本当は魔物に利用されたことによって飲んでしまったマルファスの症状。

だが、グロッタの街の人々と仮面武闘会にやってきた人々にとってはハンフリーはチャンピオン。

エルバと話す中であったように、彼らの前では最後までチャンピオンらしくあらなければならなかった。

「今の戦いではっきりわかった。もう1度、みんなの前で白熱するバトルを見せられるようになるには、この病気を治すしかない。だから…俺は今日限りでチャンピオンの座を降りる。必ず病気を治し、再びチャンピオンの座を取り戻す!待っていてくれるか…!?」

治療の成功例があるとはいえ、マルファス漬けになった体を治すのは難しい。

その治療にどれだけの年月がかかり、本当に治るかどうかは分からない。

ハンフリーは子供たち以外の理由で自分を追い込む必要があった。

ハンフリーのまさかの宣言に客席は静まり返る。

「…がんばれ、ハンフリー…」

観客の中の誰かがハンフリーを応援する。

そのわずかな波紋がやがて大きくなっていき、大波へと変わっていく。

「ハンフリー!今までいい試合を見せてくれてありがとう!!」

「絶対に帰ってきて!私たちにもう1度チャンピオンになったあなたを見せてー!!」

「ハンフリー!ハンフリー!ハンフリー!!」

「みんな…」

みんなに嘘をついてしまったことへの罪悪感を抱くが、それでもこれほど応援してくれることを嬉しく思えて、涙

を浮かべる。

「ハンフリー、彼らにとってのあんたはチャンピオンだ。それで、いいだろう?」

「ああ…必ず帰ってくる。しっかり、自分の力で…」

ハンフリーは装備していた炎の爪を外し、それをエルバに渡す。

「俺がもう1度戦えるようになるまで、預かっていてくれないか?これは、俺を魔物から救ってくれたお前への誓いだ」

「ああ…」

受け取った炎の爪を見つめたエルバは静かにうなずく。

そろそろ発作がひどくなったのか、ハンフリーは片膝をついてしまい、スタッフ2人が彼を運ぶためにやってくる。

「そろそろ戻らないとな…しっかり、治さないと。そして、もう1度エルディ、君と戦いたい…」

「…楽しみにしている」

2人に抱えられたハンフリーは声援を背にリングを後にする。

声援はハンフリーの姿が完全に見えなくなるまで、やむことはなかった。

 

「それでは、エルディさんに優勝賞品である虹色の枝の贈呈を行います!」

客席が落ち着き、ようやく優勝賞品の贈呈式が行われる。

(虹色の枝…ここまで追いかけることになるとはな)

サマディーからダーハルーネ、グロッタと海原を渡ってここまでやってきた。

それを手に入れることで勇者の真実を知る大きな一歩になる。

アーサー王から託されたオーブも含めて。

「た、大変です!!」

リングに飛び込んできたスタッフが大慌てで司会の男に声をかける。

よほど必死に走ったのか、すっかりばてており、息も切れ切れだ。

「ど、どうしたのです!?」

「虹色の枝が…虹色の枝が盗まれました!!」

「な、なんと!!?」

「何…??」

寝耳に水な事態にエルバの表情が固まる。

ここまで追いかけ、やっと手が届くはずの虹色の枝が盗まれる。

何か悪い冗談に聞こえたが、2人の動揺する姿を見て、それが真実だと認めるしかなかった。

「虹色の枝を保管していた場所に、仮面と手紙が…」

スタッフの手にはロウが仮面武闘会でつけていた仮面と茶色い便せんが握られていた。

それだけで、誰が盗んだのかは一目瞭然だ。

裏には『優勝者へ』と書かれており、おそらく自分かハンフリーのどちらかに向けたものだと思われる。

エルバはその便せんを取り、表の文章を黙読する。

『エルディ、西にあるユグノア城跡地でそなたを待つ。見せたいもの、そして伝えたいことがあるのじゃ。虹色の枝はそれまでお預けじゃ』

「ユグノア…」

自分の本当の生まれ故郷。

グロッタから西へ行けば、そこへ行くことができる。

まさか、彼は勇者のついて何かを知っているのか?

それとも、何かの罠なのか?

どちらにしても、ユグノアへ行くしかないことをエルバは感じていた。

 

「ったく、あのじいさん!何のつもりだ!!」

宿屋に戻ると、カミュは腹を立てて机を叩く。

思えば、彼とマルティナはあまりにも不可解な人物だ。

商人のような身なりにかかわらず、秘術を使いこなす賢者としての側面がある。

そして、場所をエルバの故郷であるユグノアに指定した。

勇者と関係のある人物かもしれないが、回りくどいそのやり方が気に食わない。

「でも、場所を教えてくれてよかったわ。もし場所すら教えてくれなかったら、ロトゼタシア中を回ることになったかもしれないわ」

「んもう!!とにかくさっさと準備して出発しましょ!幸い、路銀はもらえたし」

仮面武闘会の運営は優勝賞品を奪われ、渡すことができない詫びとしていくばくかの資金をエルバに渡してくれた。

半分はエルバの要望で、ハンフリーの教会に渡されることになった。

荷物をまとめるエルバは虹色の枝のこともそうだが、それ以上に治療の日々に入るハンフリーのことを考えていた。

長期間にわたり、禁断症状に耐えなければならないうえに連日のように僧侶による回復呪文を受ける必要がある。

そこから闘士として復帰し、再びチャンピオンとして戻ってくる日が来るだろうか。

彼にその日が来ることを願うことしかできなかった。

 

街の地下にある酒場には仮面武闘会の観客や参加者たちが今年の勝利と敗北を胸に刻み、来年の勝利につなげようと皆で酒を飲み交わしていた。

そんな中、エルバに手紙と仮面を渡したスタッフの男がバーテンダーに耳打ちする。

そして、バーテンダーがカウンターのドアを開け、裏にあるドアの鍵を開けた。

スタッフはそのドアの先へ向かい、そこにある本団の中央に紫色の本を押す。

本棚が左へスライドし、その先にある下り階段を降りていくと、そこには赤い毛皮のコートを着た小太りの老人が椅子に座って待っていた。

「町長、手筈通りです。虹色の枝はロウ様の元へ…」

「手紙は確かにエルディ…いや、エルバ様にお渡ししたか?」

「はい。これで彼らはユグノアへ向かうはずです」

「よし…」

これで、あとは彼らがユグノアに合流し、エルバは本当の敵について知ることができる。

すべては計画通りだ。

「町長、デルカダールからの情報です。グレイグ将軍がエルバ様を討つためにバンデルフォン経由でユグノアへ…」

「インターセプター号で来たのだろう…まずいな」

仮面武闘会である程度エルバの力量は分かっているとはいえ、グレイグの実力はそれを上回る。

おそらく、あの2人が説得したとしても、王への忠誠心の強い彼を抑えることはできないだろう。

「すぐに助けに行かなければ…!」

「ならん。我らユグドラシルも狙われている。それに…我らが出たところで、足手まといとなるだけだ」

「く…!指をくわえてみているしかないなんて…!」

スタッフは16年前のことを思い出す。

魔物たちの襲撃によって数多くの兵士や国民が殺されるのを若い当時の彼は見ていた。

当時はユグノアの下級兵士で、自分も魔物に襲われて深手を負ったが、グロッタへ避難する住民に救助され、今はここにいる。

あの時の何も守れなかった無力感を再び味わうことになるのか。

だとしたら、何のためにユグドラシルに加わったのか。

彼の苦悩は分かっているが、まだ動くべき時でない以上は黙っているしかない。

「…いずれ、真実が分かるときがくる。その時はようやく、エルバ様…ユグノア、そして世界のために光の中で戦う時が来る。それまでは…隠れし者でいるしかない…。今は亡き国王アーヴィン様、そしてエレノア女王、どうか…エルバ様をお守りください…」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第36話 ユグノア

「…16年。ここにも魔物が住み着くようになっておったとは…」

廃墟と化した城下町の外にあるベンチに座りながら、ロウはそのそばにある広場に転がるドラゴンの死体を見る。

このドラゴンはロウがここに来たときにいた魔物で、マルティナと共に撃破した。

ドラゴンの皮や角はよい素材となり、職人を中心に取引される代物であるため、今はマルティナがはぎ取っている。

座っているベンチは手入れがされていないせいかボロボロで、苔がついている。

また、近くにはまだ放置されたままの人の骨もあるようだ。

剥ぎ取りを終えたマルティナは悲しげな表情を浮かべるロウを見るとともに無力感を抱いていた。

彼にとっても、自分にとっても、16年前はあまりにも重たいターニングポイントとなった。

ここに来るとあの時の光景、そして思いを嫌というほど思い出してしまう。

「すまんな、姫。どれほど思いを抱いたとしても、もう戻れぬのにな…」

「ロウ様。それに今は…」

「そうじゃ、そろそろじゃな…」

自分たちが虹色の枝を手に入れ、グロッタを離れたのは表彰式が始まる日の早朝。

おそらくエルバ達は自分たちの手紙を受け取ってすぐに支度をしてここへ来るだろう。

それを考えると、今日の夕方、今の時間までには来ることだろう。

その予想が当たり、フランベルグを先頭に4頭の馬がこちらへ向けて走ってきていた。

フランベルグの背に乗っていたエルバは廃墟と化した城と町を見渡す。

「帰って…来たな」

「…ああ」

イシの村の時と違い、エルバには帰ってきたという実感があまりわいてこない。

物心ついたころにはイシの村でペルラの子、テオの孫として育っていたエルバにとって、ユグノアに故郷という実感を抱くことができなかった。

ここが生まれ故郷、そして生まれてすぐに滅びてしまった祖国。

(俺は…どうして生き延びて、イシの村へ…)

「ひどいわね…。ユグノアはきれいな建物が多い国だって、ママも言っていたのに」

シルビアは母が話してくれたユグノアの景色のことを思い出す。

ユグノアは平地が少ないものの、良質な鉱石と石、そして森林に恵まれた土地で、それらを使って文化的価値の高い建造物を建設していたという。

その白眉がユグノア城で、山肌に近い平地に築城されたものだ。

城下町を囲むように流れる川を自然の堀として、城内の天井や壁にはバンデルフォン地方やサマディー、クレイモランから招いた画家が描いた絵画がいくつも存在していた。

年に一度は国民に城を開放し、そこでこれまでの1年の安寧への感謝、そして次の一年の平和を神と命の大樹に願ったという。

そんな平和な国の、母が話してくれたユグノアの面影はもうここにはない。

あるのは無残な廃墟だけだ。

「待っておったぞ、エルディ…いや、エルバ」

ベンチから立ち上がったロウは5人の前に立ち、エルバ達はそれぞれの馬から降りる。

やはり、エルディが偽名であることを知っていた。

「おい、じいさん。何の用だ?俺たちをわざわざここへ呼び出すような真似をしやがって、それに…」

ベンチの近くにいたマルティナは城の跡地に1人で向かっている。

ロウ1人だけを残してどういうつもりなのだろうか。

「姫にはある準備をしてもらうのでな。それに、ここからの話はどうしてもわしだけで話したくてのぉ。来てくれてよかった」

「何が来てくれてよかっただ。さっさと虹色の枝を返しやがれ」

「そうか…それを求めているのは、エルバが勇者だから…か?」

「じいさん…何者だ?」

彼はただの旅人ではない。

エルバの名前だけでなく、勇者のことも知っている。

それをただの旅人が知るはずがない。

右手の指でひげを整え、ロウはエルバの左手を見る。

もはや隠す必要はないと考えたエルバは静かに手袋を外し、その裏に隠れた痣を見せた。

「…16年前、死んだものと思っておった。だから、グロッタであったときは心臓が止まりそうだったわい」

「あんたは…」

「エルバ、どうしても見せなければならんものがある。もう少しだけ付き合ってもらうぞ」

もうすぐ夜になるため、ロウは荷物の中にあるランタンを取り出し、それに火をつける。

ランタンの寂しげな明かりを頼りに、ロウは進み、その後ろをエルバ達が続く。

石造りの橋を渡り、城の跡地に入る。

城の至る所にあったはずの絵画や彫刻はどこにもなく、草やツルががれきを飾り付けている。

足を止めたロウはその変わり果てた景色を見て、表情を曇られる。

「…ここは、つらい思い出が多くてのぉ」

「じいさん、いい加減話してくれ。あんたは何者なんだ?」

16年前、彼の身に何があったのかは大切かもしれないが、それよりもカミュにとって重要なのは虹色の枝だ。

ホムラの里から追いかけてきたそれをさっさと手に入れ、次の目的地を探さなければならない。

だが、ロウはそれを即答することができない。

したくても、するにはあまりにも辛すぎて、心の準備ができない。

「あの頃、儂は妻とともに隠居しておった。城下に降りては民とともに杯を交わして、笑いあう。そんな毎日を過ごしておった…」

城下町にあった酒場は行きつけの場所で、同年代の老人たちと飲んだ酒の味、そしてそこで聞いていた音楽を今も忘れられない。

そこで知り合った人々は全員死んでしまったという。

もうあの日々に戻ることができず、こうして思い出すことしかできない。

「16年前…魔物どもが儂のすべてを奪った…。たった、一晩のうちに…」

先祖が築きあげたもの、そして自分の身の回りにあった日常が魔物たちの無慈悲な攻撃によって灰にされていく。

惨劇を生き延び、その光景を見たときの絶望は今でも思い出してしまい、夢にも出てくる。

そのたびに、生き残ってしまった自分を責める人々の声が聞こえてくるような気がした。

さらに奥へ進んでいくと広場に出て、そこには小綺麗さのある、小さな墓がいくつも並んでいた。

ロウは墓地に入り、その中央にある墓の前に立つと、目を閉じて祈り始めた。

「おじいちゃん、このお墓は?」

「16年前に犠牲になった人々の墓じゃ。そして…前にあるのは国王夫妻の墓じゃ」

「それってつもり…」

「俺の…本当の父さんと、母さんの…」

ロウは肯定するように、何も言わずに首を縦に振る。

だが、エルバにはそういわれても、2人の顔を思い出すことができない。

物心つく前に離れ離れになったため、どんな顔をしていたのか、どんな声だったのか、知る由もない。

「勇者エルバの実の両親…16年前に亡くなった、儂の婿殿、アーウィンと娘、エレノアの墓じゃ…」

「えっ…ってことは、じいさん。もしかしてエルバの…」

「俺の…じいちゃん、なのか…?」

「…娘も死に、婿殿も死に…それでも儂と妻だけが生き残ったことには何か意味があると…そう思わなければあまりにも辛すぎた」

年老いた2人にとって、子供も孫も失った現実はあまりにも重かっただろう。

その深い絶望を振り払う何か目的がなければ、16年も生きることはできなかった。

墓に触れたロウは目を閉じ、2人に報告する。

エルバと再び会うことができた、と。

ロウは涙を浮かべてエルバに振り返る。

「だから、16年もの間、わしは探し続けた。ユグノアが滅びた原因を…それだけが死んでいった者たちにできることじゃった…。生き延びたユグノアの民と情報網を作り、ユグドラシルを作ったのもそのためじゃ」

「ユグドラシル…?」

「そうじゃ。彼らは各地に散らばり、ユグノアが滅びた原因を突き止めておる。儂らが虹色の枝を手に入れることができたのは、あの手紙を渡した男と町長がユグドラシルの一員じゃったからだ」

「なるほどな…どうりで…」

優勝商品である虹色の枝はとても価値のある宝で、当然盗賊にとっては格好の獲物だ。

グロッタの町はある程度経済的に豊かな場所であるため、腕利きを雇って警備をする、頑丈な倉庫に入れておくなどの手段をとることができるだろう。

仮に穏便に盗むことができるとしたら、内部の関係者を味方につけるのが一番だ。

彼らがユグドラシルという組織のメンバーなら、説明がつく。

ロウはエルバに手を伸ばし、エルバは顔も知らない両親の眠る墓の前へと足を運ぶ。

6人は静かに2人と、そして16年前に死んだ人々の冥福を祈った。

祈りながら、ロウは今までのことを話し続けた。

「そして、各地を回り、情報を集めて…知ったのじゃ。勇者伝説の信奉者であるデルカダール王、盟友のモーゼフ・デルカダール3世の変心をな…」

「デルカダール…俺は、デルカダールに、俺を育ててくれた村を…俺を愛してくれた人たちを…」

祈りには不適切な怒りがエルバの中によみがえる。

変心、デルカダール王が勇者伝説の信奉者だったことは気になる言葉だが、それ以上に自分からすべてを奪ったデルカダールが許せないという思いが強い。

「…イシの村のことはユグドラシルが教えてくれた。…まさか、これほどのことをするとは…」

「デルカダールがやったことを…俺は許せない。死んだみんなに誓ったんだ…勇者の真実を突き止めて、奴らに復讐することを…!」

復讐、勇者にはあまりにも似合わない言葉だが、ロウはには復讐を辞めさせる言葉を持ち合わせていない。

自分の今やろうとしていることは、結局エルバの復讐と変わりないから。

もしそれを否定したら、自分のこの16年を否定することになってしまうから。

「16年前…モーゼフはあの事件以来、人が変わったように勇者を非難し始め、生き残ったユグノアの民を迫害し始めたのじゃ」

最初は隔離にとどまっていたが、次第にその動きがエスカレートしはじめ、追放や投獄、財産の没収をするようになり、中には死刑となった人もいる。

そのため、ユグノアの人々は自分たちの出自を隠して生きていかなければならなかった。

ユグドラシルを作ったのは情報収集だけでなく、彼らの保護をするためでもあった。

「そして、よりもよって自分の娘の死さえ、勇者の仕業として世に広める始末。わしはモーゼフが正気とは思えなかった。必ず裏がある…ユグノア滅亡とモーゼフの乱心、その2つの謎を解き明かすために世界を回った」

怒りに震え、ロウの拳に力がこもる。

だが、次第に力が弱まり、ロウは涙を浮かべて抱きかかえるように墓の両端を握る。

「アーウィン…エレノア…。喜べ、エルバは…エルバは生きておったぞ…」

「…父さん、母さん…。…ただいま」

ありきたりな言葉しか言えないエルバだが、これしか思いつかなかった。

ロウは声を上げ、墓にすがるように泣き続けた。

16年の長い日々をかみしめながら。

 

ようやく泣き終え、ベロニカから借りた布で涙をぬぐったロウは改めてエルバの顔を見る。

「よく、よく戻ってきてくれた。わが孫よ。よくぞ、生きていてくれた…」

「…俺には、わからない。本当に血のつながった肉親に会えたのに、どうしても…」

「仕方のないことじゃ。離れ離れじゃったからのぉ」

いきなり自分が祖父だといわれても、これまでテオとペルラが家族だったエルバに実感がわかなくて当然だろう。

今は生きていて、ここにいるという事実だけでロウには十分だった。

「…だから、父さんと母さんのこと、少しずつでいい。話してくれないか…じいさん」

「わかった。なら、まずはこのじいの頼みを聞いてくれるか?ユグノア王家には代々伝えられている鎮魂の儀式があってな…非業の死を遂げたエレノア達を弔ってほしい。その正装となる鎧がある」

「鎧…?」

「ついてまいれ。その鎧は代々のユグノア王家が装備していたものじゃ。王となった婿殿、アーウィンが装備しておったが、アーウィンの遺体も装備も…今なお見つかっておらん。じゃが、予備はある」

ロウの案内でさらに西へ向かい、がれきに隠れるように残っていた階段を下りる。

その先には錆が目立つ手狭な鉄の倉庫が残っていて、ロウは懐から取り出したカギでそれを開く。

倉庫の中には白銀でできた、水色のマントのついた鎧と太陽を模した飾りが額部分に、そして竜の両翼を模した飾りが左右についた白金の兜が残っていた。

見た目はプラチナ製だが、王族が装備するというだけあって強度がある。

おまけに魔力で鍛えられているようで、若干の呪文であれば耐えることができるだろう。

エルバはサークレットを外し、かけられていた鎧と兜を身に着ける。

そして、装備した姿をロウに見せると、ロウは一瞬驚いた表情を見せた後でまた涙を見せた。

「やはり…やはりそなたはアーウィンの息子じゃ。婿殿によく似ておる…」

アーウィンとエレノアの結婚式の日、そして王位継承の儀式の時、彼はその装備をしていた。

その姿がどうしても重なって見えてしまった。

 

装備を整え、エルバとロウは城の廃墟の先にあるトンネルを通る。

トンネルを抜けると、そこには城の裏山の頂上で、ユグノアの国章が刻まれた祭壇があり、そのそばには準備をしていたと思われるマルティナが待っていた。

「お待ちしておりました、ロウ様」

祭壇の上には供え物としてこの廃墟の近くに生えていた野生の花が置かれている。

本当は城内にある花畑の花を使うのだが、今はそれを使うしかない。

あとは弔う人間たちの祈りで埋め合わせていくだけだ。

「ご苦労であった、姫よ」

「あら…?あなたは…」

何かを思い出したかのように、シルビアはマルティナの顔を覗き込もうとする。

遠目で何度も見てきたマルティナだが、こうして間近で見るのは初めてのことだ。

実際に会ったわけではないが、昔友人が話してくれた人物が頭に引っかかる。

「みなさん、下がって。鎮魂の儀式はユグノア王家のお二人のみで行われるので、こちらへどうぞ」

ロウとエルバだけが祭壇に上っていき、カミュ達はその下にある広場に残る。

マルティナの隣に立つことになったカミュは彼女から受けたあの蹴りの痛みを思い出し、少し嫌な気持ちになる。

だが、彼女にも聞かなければならないことがあったため、好都合でもあった。

「なぁ、あんた。あのじいさんから姫なんて呼ばれていたが、もしかして…」

ロウはデルカダール王が自分の娘を死んだことにし、それを勇者のせいにしたと言っていた。

デルカダールでレッドオーブ奪取の段取りをしていたときにデルカダール王に死んだ娘がいるという話は耳にしていた。

「静かに、儀式が始まるわ」

「…悪い」

隣のセーニャは目を閉じ、既に祈り始めている。

今は野暮なことを考えず、死んだ人のための祈ることが大事なため、カミュはこれ以上の詮索を辞めた。

両隣に置かれている火のついた松明を手にしたロウとエルバは目の前の供え物をじっと見る。

「よいか、エルバ。ここからは儂のまねをするんじゃ。よいな?」

「ああ…」

ロウが松明の火を供え物に近づけていき、エルバも真似するように供え物に松明の火をともす。

たちまち供え物が燃えはじめ、煙が夜空へ向かっていく。

「人は死ねば、皆、命の大樹へと還っていく。その大樹の葉1枚1枚がこの世界の生物の魂と言われている。されど…何らかの理由で非業の死を遂げた者は未練を残し、この世を迷うことになる…」

そのさまよう魂がどうなるかは言わずもだなで、既にエルバ達はホムラの里近くの迷宮で見ており、バンデルフォンの跡地にもそのなれの果てがさまよっているという。

「この儀式は…そんな魂を救うためのものとして伝わっておる。見よ…煙の匂いにつれられて光り輝く蝶たちがやってきおった」

森の中からやってきた無数の蝶が紫の光を放ちながら、煙と共に空へと飛んでいく。

煙の行き先は命の源、命の大樹だ。

「この蝶たちを魂と見立て、命の大樹へと送る。それをもって、死者たちの慰めとするのじゃ」

蝶の群れは光の道を作り出すかのように、煙と共に命の大樹へと向かう。

それが死者たちに伝わるかはわからないが、エルバは伝わってほしいと願った。

そうでなければ、今頃ユグノアはバンデルフォンのような状態になっている。

「エレノアは…ただ死んだのではない。おぬしと、デルカダールの王女を救うため、自らおとりとなったのじゃ」

辛くも一命をとりとめ、ロウが生存者を探す中、森でエレノアを発見した。

その時の彼女は既に致命傷を負っており、ロウの回復呪文や秘術を持ってすら手遅れな状態になっていた。

(お父様…エルバと…彼女を…頼みます…)

その言葉を最後に、自分の腕の中で死んでいった娘。

彼女の思いにこたえるため、必死に生きているかもしれないエルバとデルカダールの王女を探した。

しかし、見つかったのは川岸で横たわっていた王女だけで、エルバを見つけることができなかった。

「俺は…母さんに、救われた…」

「かけがえのない2人の命を救ってくれた…ありがとうな、エレノア…。そういえば、エレノアから何か遺さなかったかのう?」

「きっと、それは…」

エルバはカバンからテオが残した箱の中に一緒に入っていたエレノアからの手紙を取り出し、それをロウに渡した。

手紙を開いたロウは字を見てすぐにそれが彼女の手紙だとわかり、一気に黙読していく。

「だが、分からない…。母さんはどうしてこの手紙を…」

「エレノアは16年前のサミットの日に何か恐ろしいことが起こると感じておった…。じゃが、わしは真剣に聞こうとはいなかった。きっと、もっとエレノアの話を信じて聞いていれば…」

おそらく、その日に自分やアーウィンの身に何かが起こることを感じていたから、その時に備えてこの手紙を残していたのかもしれない。

そして、ユグノアが滅んだ場合に一番頼ることができるのはデルカダール王国だと信じていた。

「この手紙を最初に手にしたのは…テオじいちゃんとペルラ母さんだ。2人は俺を本当の家族のように育ててくれた。そして、俺にデルカダールへ行くようにと…」

「そうか…エルバ、つらい思いをしたのだな。じゃが、こうして儂はおぬしと再会することができた。エレノアのおかげじゃな…」

手紙を握りしめ、ロウは空を見上げる。

あふれる涙を止めることができず、ただただこの喜びと悲しみを胸に泣き続けた。

(どうして…どうしてだ?)

静寂に包まれる中、エルバの中に大きな疑問が浮かぶ。

勇者のことでも、生まれのことでもない。

あくまでも、エルバ本人のことだ。

(こんなに…悲しいのに、本当の肉親に会えて、うれしいのに…どうして、俺は涙を流せないんだ…?)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37話 マルティナの覚悟

祭壇の供え物についた火は消え、煙がくすぶっている。

光の道を作り出した蝶の群れは既に姿を消し、再び静寂と闇が戻ってきた。

祭壇近くでキャンプをすることにし、皆が寝静まる中、エルバは1人、テントから出てきた。

(眠れない…)

普段着を着用し、腰に2本の剣を差した状態でトンネルへと向かう。

廃墟から祭壇へ向かう途中にある山道であれば、眠っているロウ達の邪魔をすることなく、まだまだ未熟な二刀流の練習ができるかと思った。

目的地にたどり着いたエルバだが、人影が見え、追手かもしれないと思ったエルバは持ってきたランタンの光でその正体を確かめる。

先客はマルティナで、彼女はランタンの光に気付かず、夜空を見上げていた。

「エレノア様…」

敬愛するエレノアのことを思い、マルティナは涙を流していた。

悲しみもあるが、儀式をしたことでエルバとロウだけでなく、マルティナも少しは気を晴らすことができた。

そして、彼女の死を自分なりに受け入れることができた。

「マルティナ…?」

「誰!?」

声が聞こえたマルティナは振り返り、背後の正体のわからない相手に対して構える。

だが、エルバの姿が見えたため、ほっとするとともに警戒を説いた。

そして、エルバに顔を見せないように後ろを向き、指で涙をぬぐった後で再び振り返る。

「恥ずかしいところ…見られちゃったわね」

「…」

「エレノア様…君のお母様のことを思い出していたの」

「…あんたと、母さんには何か関係があったのか?」

「ええ…。少し、歩きながら話さない?」

「構わない」

エルバとマルティナは並んで山道を歩き始める。

歩きながら話すと言っていたマルティナだが、数分歩いても一言もしゃべらず、それはエルバも同様だった。

しばらく歩き続けたマルティナは急に立ち止まり、彼女の2歩先で脚を止めたエルバは彼女に振り返る。

「…私のお母様…病弱でね。私が生まれてすぐに流行り病で亡くなったの…」

仕事一辺倒な一面の有る父親は責務があることもあって、幼いマルティナに構うことができなかった。

母親代わりとして、乳母やメイドがいたが、本当に血の通った母親ではないためか、それともマルティナが本当の母親の面影を持つ人を求めていたためなのか、彼女たちではマルティナの心を満たすことができなかった。

「エレノア様はそんな私を気遣って、絵本を読んでくれたり、花摘みに誘ってくれたり…本当にやさしい方だったわ。だから…エレノア様に子供が授かったと聞いた時はとてもうれしかったわ…。自分に兄弟ができた気がして…」

「兄弟…」

エルバの脳裏にエマと過ごした日々の光景が浮かぶ。

同じ誕生日で、同じ年頃の子供が自分たちだけだったことから、よく2人で一緒に遊び、村人から本当の姉弟みたいだと言われた。

活発な彼女に振り回されていたから、彼女よりも年下にみられていたのかもしれない。

話している中、急に雨が降り始める。

勢いは強いが、雨雲の動きは早く、通り雨だとわかった。

「エレノア様と最後にお会いした16年前も…こんな雨で…!?」

急にエルバの腕をつかんだマルティナは岩陰へと急いで移動する。

「いきなりどうした?」

「デルカダール兵よ…。ここにも追手が来るなんて…」

向かい側の山道をランタンを持ったデルカダール兵の集団が歩いていて、あちこちを見渡しながらエルバ達を探している。

グロッタの街での情報が伝わったのか、それとも密偵がいたのかは分からないが、今は追っ手を撒くことが重要だった。

「あれだけの数…追手を出せるとしたら、グレイグかホメロスね」

「グレイグ…ホメロス…」

2人の名前を聞いたエルバの拳に力がこもる。

もし2人が現れるというなら、この場で殺して、村人の無念を晴らしたいとさえ思った。

剣をつかもうとするエルバの腕をマルティナがつかむ。

「あれだけの数を相手にしようなんて…人を殺そうなんて考えたらだめ。今は生き残ることを考えるの」

「だが…」

「今はロウ様達のことだけを考えて」

今ここで暴れまわったとしても、他のデルカダール兵たちがロウ達を見つけ、捕まえてしまうかもしれない。

そうなると、仲間とも、せっかく再会できた祖父とも離れ離れになってしまう。

血のつながった家族とこれ以上引き裂かれるのが嫌だったエルバは目を閉じ、唇をかみしめながら剣を離した。

2人は来た道を引き返し、ロウ達のいるキャンプを目指す。

雨脚が強いせいで、足音が聞こえにくい。

もしカミュ達が全員熟睡していたら、捕まるまで気づくことができないかもしれない。

だが、祭壇へとつながるトンネルには既に10人以上のデルカダール兵たちが集まっていた。

「ちっ…どうやってここまで…?」

祭壇へのコースは今の山道の一本道を進むのみだと思っていたエルバだが、獣道やいざというときの隠し道が存在する。

おそらくそのどちらかを選び、ここまで先回りできたのだろう。

兵士の中には胸当てだけを付けた軽装備の斥候の姿もあり、彼が道を見つけた可能性が高い。

「祭壇のテントに誰かいたか?」

「見当たりません。どうやら、もう逃げた可能性があります…」

「中はまだ暖かかった。遠くへは行っていないはずだ」

「逃げてくれたか…」

かすかにだが、兵士たちの声が聞こえたエルバはカミュ達が逃げ延びたことで安堵し、次は2人でここを切り抜けて、カミュ達と合流する手段を考えようとする。

だが、エルバもマルティナも、祭壇への道ばかり気を取られ、後ろをおろそかにしてしまった。

「あ…悪魔の子だ!!」

「…!」

遅れて到着した兵士がエルバ達の姿を見つけ、大声を出して仲間を呼ぶ。

声を聴いた兵士たちがすぐに駆けつけ、2人は挟み撃ちにされてしまう。

「悪魔の子…確かに悪魔の子だ!女はどうする?」

「グレイグ将軍からは悪魔の子を捕らえよとしか伝えられておらん。女は殺せ!どうせ奴は悪魔の子の仲間だ!」

「グレイグ…グレイグは…どこにいる?」

「貴様に教える義理はない!」

「なら…!!」

痣が光るとともに、エルバはデインを唱える。

雨水によってより電気が通りやすくなったのか、デインを受けた3人の兵士が感電し、その場で力尽きる。

「エルバ…!くっ、ここで終わるわけにはいかない!!」

デインを受けた3人がどうなったのかはわからないうえ、エルバが先制攻撃をしてしまったことで、戦うしかなくなってしまった。

退路確保のため、下り道の方向の2人の兵士に狙いを定める。

2人は彼女を殺そうと剣を抜いて襲い掛かる。

だが、武闘家としてロウの元で修業し、多くの魔物と戦ってきたマルティナは普通の武闘家とは違う。

そして、重装備な彼らは彼女にとっては止まって見えた。

鍛え上げた足技を生かし、回し蹴りを兵士たちの右腕に向けてさく裂させる。

蹴りを受けた彼らの手から剣が離れ、吹き飛ばされた彼らはあおむけに転倒する。

「エル…バ…?」

退路を確保できたマルティナは逃げるために彼に振り返るが、その瞬間マルティナの思考が凍り付く。

相手を傷つけないように、あくまで武器を弾いて攻撃手段をなくすことと気絶させることだけを考えた彼女に対し、エルバは本気で彼らを殺すことを考えていた。

彼の足元には2人の兵士のこと切れており、正面の兵士の1人を左手で引き寄せながら右手の剣で背中を貫通するくらい突き刺していた。

返り血が彼の服と肌を汚していき、剣を抜いた瞬間、刺された兵士はその個所を手で抑えながら、うつ伏せに倒れた。

一瞬で2人の兵士を戦闘不能にした女と、5人の兵士を殺した悪魔の子。

彼らを相手にするのはまずいと考えた兵士の1人が角笛を吹き始める。

「ちっ…奴め!」

「エルバ!山道を降りましょう!!みんなと合流するのよ!」

エルバの腕をつかんだマルティナは彼を無理やり引っ張って山を駆け下りていく。

武闘家として鍛え上げられた彼女の腕力は並みの大人の男以上で、エルバには振り払うことができない。

獣道や隠し道に関する知識のないマルティナはこの山道以外に逃げるルートが思いつかない。

その先には、おそらく角笛を聞いてこちらへやってくる兵士がいるかもしれない。

そうなる前にほかの道を見つけなければと思い、走りながらもあたりを見渡し続ける。

だが、パカラ、パカラと馬が駆け下りる音が聞こえて来て、どんどんこちらへ近づいてくる。

「この音…まさか!!」

エルバは旅立ちの祠付近で聞いた足音を思い出す。

振り返ると、やはりあの男の愛馬であるリタリフォンの姿が見えた、リタリフォンはエルバとマルティナを飛び越え、2人の退路をふさがるように立つ。

そして、その愛馬の背に乗る男、グレイグはにらむようにエルバを見る。

「部下の仇を取りに来たぞ…悪魔の子よ」

生き延びた兵士たちも追いかけてきており、今度は前からはグレイグ、後ろからは兵士たちの挟み撃ちとなった。

「デルカダールで脱獄した貴様を追い続け、グロッタの街でようやく足取りをつかんだのだ!もう逃がさんぞ。囲め!」

将軍の名は伊達ではなく、兵士たちは一糸乱れぬ動きでエルバ達を包囲した。

そして、グレイグはリタリフォンから降り、腰にさしてある片手斧を手にする。

「陛下より授かったこのキングアックスで、貴様の命をもらう!お前たちはその女を捕らえろ!」

「はっ!!」

「…俺は…まだ終われない…」

エルバは2本の剣を抜き、怒りをにじませながらグレイグをにらむ。

「ほぅ…両手剣ではなく、二刀流でくるか。だが、その構えではな!!」

一気に距離を詰めたグレイグは両手でキングアックスを握り、エルバに向けて振り下ろす。

剣を交差させて受け止めるエルバだが、グレイグのマルティナ以上の怪力で腕にビリビリと衝撃が走るのを感じた。

「お前たちを殺すために…俺は生きている…!エマを殺し、イシの村を奪ったデルカダールは…俺がつぶす!!」

「な…!?」

エマを殺した、という言葉を耳にしたグレイグは動揺し、その隙にエルバは彼から距離を取る。

彼女の名前を出され、エルバの左腕に結ばれているスカーフを見たグレイグの脳裏にある少女の姿が浮かぶが、首を振ってそれを追い出す。

そして、再び力を込めて、今度は右手だけでキングアックスを振るう。

力勝負では対抗できないことは分かっているエルバは右手の剣で斧の機動を右へ逸らす。

そして、すれ違いざまに左手の剣先でグレイグの横っ腹を斬りつける。

「ええい…!」

背後を取ったエルバは振り返り、そのままグレイグを突き殺そうとする。

グレイグは左腕で受け流し、エルバを蹴り飛ばす。

鎧の下には鎖帷子があり、斬れたのはその鎖だけでグレイグ自身にはけがはない。

しかし、グレイグは短期間でのエルバの成長に驚いていた。

最初に見たときはただの田舎の少年で、戦い慣れも旅慣れもしていないように見えた。

だが、今の彼は復讐を糧にしたのか、それとも悪魔の子としての力に目覚め始めているのか、自分に一本入れるギリギリのところまで迫っていた。

「貴様は危険だ…!本気を出させてもらうぞ!」

グレイグは深呼吸し、目を閉じてキングアックスを背中に構える。

「グレイグぅ!!」

エルバの痣が再び紫に光り、同じ色の電撃が腕に宿る。

邪悪な稲妻がグレイグに向けて放たれると同時に、目を開いたグレイグはそれに構うことなく突っ込んでいく。

稲妻に自らをさらしながらもエルバに肉薄し、キングアックスを振りかざす。

「何…!?」

「はああああ!!」

グレイグが素早く6回エルバを斬りつける。

右の二の腕や胸、肩などを切り付けられたエルバはその威力もあって吹き飛ばされ、背後にある崖ギリギリのところまで転倒する。

剣を手放すようなことはなかったエルバだが、まざかの連続攻撃をまともに受けてしまい、しかもサークレットやユグノアの鎧と兜を身に着けていなかったこともあり、もろに体にダメージを受けてしまった。

出血しており、力が鈍くなっているのを感じる。

「天下無双…貴様を倒すために磨いた技だ…」

勇者追撃の任を受けたグレイグは再びエルバと戦うときに供え、自らを鍛え治していた。

その中で、デルカダール王がかつて使っていた剣技を斧で再現することができた。

力を半分以上軽減する代わりに、6連続で敵にさく裂させることができるその技は、ちょうど両手剣を使うエルバ相手にはちょうど良かった。

斧についた血液を振り払うと、グレイグは歩いてエルバに接近していく。

近づくグレイグに向けて、エルバは何度もギラを放つが、ダメージのせいで集中力が鈍っていて、まっすぐ歩いてきているグレイグに何発かは命中しなかった。

命中したものも、デルカダールメイルで弾かれていて、グレイグにダメージはない。

「これで、デルカダールは…世界は救われる。さらばだ!悪魔の子よ!」

大きく振りかぶったグレイグはエルバの頭に向けて斧を振り下ろす。

「…!!エルバ!!」

兵士たちと戦う中で、エルバの危機を見たマルティナは進路方向にいる兵士1人を蹴り飛ばし、グレイグを見る。

「やめなさい、グレイグ!!」

「何!?」

自分を呼び捨てする声に反応した彼は後ろを向く。

その女武闘家の姿を見たグレイグの脳裏に幼いある少女の姿が嵐のようによみがえる。

紫と白のドレスを身にまとい、黒いポニーテールをした紫色の瞳の少女の姿だ。

なぜその少女の姿をあの女武闘家を見て思い出してしまうのか、グレイグは疑問を抱く。

その少女は16年前に死んだはずだ。

現にその日から彼女の姿を見ておらず、デルカダール王はデルカダールへ戻った後でそのことを公表している。

だが、もしその少女が生きていて、成長したとしたら目の前の女性のようになっているかもしれない。

「まさか…マルティナ姫なのか!?」

「マルティナ姫…だと…?」

グレイグがマルティナに気を取られている隙に立ち上がろうとした次の瞬間、エルバがいた場所が崩れ始める。

雨のせいか、それともそもそもその部分が弱かったせいなのかはわからない。

エルバはそのまま崩れた足場の岩と共に滝へと落ちていく。

「駄目!!絶対に!!」

マルティナは兵士とグレイグを払いのけ、崖へ飛び降りていった。

「姫様!?ぐ…!!」

「グ、グレイグ将軍!!」

急に脂汗をかいてその場に座り込んだグレイグに兵士たちが駆け寄る。

デルカダールメイルで隠れた彼の体はあの紫のデインを受けたことでダメージを受けていたようだ。

鎧そのものにもひびが入っていて、戻って修繕する必要があった。

「問題ない…この程度、回復できる…」

グレイグはベホイミで自らの傷をいやしていく。

どうやら、兵士たちはグレイグとマルティナの会話を聞いていないようだ。

(姫が生きていて…悪魔の子を守ろうとしていた…何のために?)

 

(俺は…死ぬのか…?)

真っ逆さまに落ちるエルバには意識がもうろうとして行くのを感じた。

2本の剣は既に手放してしまっていて、ベホイミを唱えるだけの気力も残っていない。

(ペルラ母さんと…エマの元へ、行くのか…?)

命の大樹へ還り、会いに行けたとしても、顔向けできるはずがない。

人を殺してしまった上に、まだ仇を討てても、真実を突き止めることもできていないのだから。

意識を手放しかけたその時、誰かに抱きしめられる感触がした。

やわらかい、女性の肌のぬくもりがした。

ペルラのものとも、エマのものとも違う。

「今度は…離さない!!」

「マル…ティナ…?」

マルティナの脳裏に16年前の光景が浮かぶ。

エレノアにエルバを託されたマルティナは森の中を逃げ続けていた。

その中で激流が起こる川の中へ落ちてしまい、そこでエルバの入ったゆりかごを手離してしまった。

気が付いたのはロウによって助け出されたときだった。

その時の後悔を二度と繰り返したくない。

たとえそのまま落ちて死ぬことになったとしても。

エルバは彼女の腕の中で意識を失った。

 

「…う、ああ…」

意識が覚醒しはじめ、エルバのぼやけた視界には木製の屋根が見え、煙の臭いが嗅覚を刺激する。

視界がはっきりし、ここが家の中であることがようやくわかった。

今の自分は布団のない硬いベッドの上で横たわっていて、長い間手入れされていないせいか、冷たい隙間風が入ってくるうえに雨漏りもしている。

体は布の切れ端で作られた即席の包帯で覆われていて、まだまだ痛みを感じる。

すぐにベホイミで回復したいと思ったが、今はそれをするだけの力が戻っていない。

「そういえば、マルティナは…」

一緒に落ちたマルティナがどこにいるのか?

どうして滝に落ちた自分が小屋の中にいるのか?

その疑問を突き止めるため、まずは起き上がったが、ダメージと疲労のせいですぐに転んでしまう。

「エルバ!?」

外へと続くドアが開き、ずぶ濡れの体で、手には湿った薪を抱えているマルティナが入ってくる。

倒れた彼の姿を見たマルティナは持っている薪を落とし、急いで彼の元へ駆け寄る。

「だ、大丈夫…平気だ。あんたは…?」

「心配ないわ。火を起こすものを探してきたわ。湿っているけど…」

エルバをベッドまで運んだあとで、マルティナは剥ぎ取り用ナイフを使い、湿った薪の樹皮を切り裂いていく。

一日雨で濡れた程度では、木は内側まで濡れることはない。

そのため、樹皮だけを裂いて、その内側だけを薪に使うということが可能だ。

樹皮を切り裂いた薪を暖炉に入れ、小屋にあった火打石を使って火をつける。

隙間風で凍える小屋の中にようやくほのかな暖かさが広がってくる。

「外は…まだ雨のようだな…」

「ロウ様達を探したいところだけど、どこかも分からないわね…まずは体力を回復させて、雨が止むのを待たないと…」

この小屋の外には森が広がっていて、雨のせいで松明を使うことができないうえに、水が入ってしまったランタンは使い物にならない。

明かりを使わずに夜の森に入るのは自殺行為である以上、今はここに隠れるしかない。

「この小屋は…?」

「ずっと使われていないみたい。裏の食糧庫には何もなかったわ」

「そうか…」

マルティナは暖炉の前に座り、時折薪をくべて火の番をする。

しばらく、2人は会話をすることなく、雨と火の音だけが小屋に響いていた。

長い沈黙の後で、マルティナは口を開く。

「よかった…君を助けることができて。もう二度と、あの日と同じ後悔を繰り返したくなかったから…」

「やっぱり、あんたがデルカダールの姫…でいいのか?」

「そうよ…。今は死んでることになってるけど…」

「あんたには…2度助けられた、ということだな。…ありがとう」

命の恩人に対して、言葉だけでは気が済まない。

そう思ったエルバだが、マルティナは構わないというかのように首を振る。

「聞かせてくれるか…あんたがどうして、そこまで母さんのことを…」

「それは…」

エレノアとの思い出が何もないエルバにとって、マルティナとロウが両親のことを知っている数少ない存在だ。

彼らの生きた証をちゃんと知っておきたくて、エルバは問いかけた。

少し悩んだマルティナだが、それが彼のためになるならと、初めて会った時のことを話し始める。

初めてエレノアと出会ったのは、デルカダールの王族が5歳の時に行う洗礼の儀の時だ。

その儀式は王族の血を引く人物が無事に成長していることを神に感謝し、そしてこれからの幸福と安寧を願うものだ。

だが、その儀式には母親が参列し、神への感謝の言葉を述べなければならなかった。

だから、本当の母親がいない、絵に描かれた顔しか覚えていないマルティナはその儀式を受けるのが嫌で、部屋に引きこもってしまった。

メイドや乳母、しまいにはデルカダール王までやってきて説得したが、彼女は部屋を出なかった。

そんな時に、エレノアが彼女に声をかけた。

出てきてほしいのではなく、あなたのことを聞かせてほしい、というエレノアの言葉を受け、マルティナは彼女を部屋に入れた。

最初は何も話すことができなかったが、彼女の温和な雰囲気に安心したのか、徐々に自分の顔しか知らない母親のことや、その母親が死んで、父親に構ってもらえずに寂しい思いをしたことを打ち明けた。

「エレノア様は私を抱きしめてくれて…私と、私のお母様のために泣いてくださった…。そして、儀式のときはお母様の代わりを務めてくださったの…」

その時から、マルティナはエレノアを本当の母親のように慕うようになった。

何年かに1度しか会えなかったが、それでも一緒に遊んでくれたり、一緒に母親の墓参りをしてくれたりと、多くの思い出を作ることができた。

「16年前、エレノア様と一緒に魔物の大軍から逃げていた。そして、エレノア様は私にあなたを託して、一人おとりに…それなのに、私は…私が、非力だったばかりに…川に落ちて、あなたを手放してしまって…!あの後、ロウ様に助けられた時は、どうして彼じゃなくて、私が助かったのかって…」

ロウに似た絶望を味わい、それからは必死に力を追い求め、ロウから武闘家としての技術を学んだ。

そして、ユグドラシルを立ち上げ、真実を探す旅をつづけた。

すべてはエルバを守れなかったことへの償いのために。

「…守りたいものを守れなかった…その悔しさ、今の俺にはわかる…。俺はデルカダールに…俺を育ててくれた人と村を…すべて奪われた…!」

拳を握りしめたエルバは死んだ村人をカミュと共に葬ったときのことを思いだし、目線を左腕に巻いてあるスカーフに向ける。

スカーフもお守りも、滝に落ちたにもかかわらずこうしてエルバのそばにある。

そして、エルバにエマとの優しい思い出を思い出させてくれる。

「左腕のスカーフ…それは、君の大切な人の?」

「ああ…。守れなかった人のものだ。俺には…奴らに復讐することでしか、みんなの無念を晴らすことができない…!」

「エルバ…それを、その守れなかった人たちが本当に望んでいること…?」

「…どういう意味だ」

「…ごめんなさい、忘れて」

エルバの大切な人達と会ったことのないマルティナには、彼女たちの気持ちを代弁することができない。

だが、エレノアがエルバに望んだのは、かつての勇者のように、人々に希望を与える優しい人物になることだ。

その優しさには復讐なんて似合わない。

だが、マルティナとロウがやっていることは彼と何も変わらないのではないか。

「ロウ様に助けられた後、私たちはお父様に助けを求めるため、デルカダールへ行ったわ。でも、お父様は私が死んだと決めつけ、勇者に殺されたのだと広めていた。城に無理やり入って、お父様と顔を合わせても、偽物だって決めつけて、おまけにロウ様すら偽物だって言って、王族を侮辱した罪で死刑にすると地下牢へ入れられたわ」

思慮深い、自分が最も頼りにできると思っていた父親の豹変に、幼いマルティナは地下牢の中で泣き続けた。

幸いだったのは、デルカダール王の豹変に疑問を抱いた人物がいたことだ。

牢屋番がその1人で、彼は身分が低いことからマルティナの名前は知っているものの、顔や声に覚えはなかった。

だが、幼い少女が死刑になるのはおかしいと思い、ロウから必ず礼をするからマルティナだけでも逃がしてほしいと頼まれたことで、彼が脱走の手助けをしてくれた。

2人は死刑になることに耐え切れずに舌を噛んで自殺したと嘘の報告をしたうえで、2人を遺体を入れるためのタルに入れて運び、外へ逃がした。

その牢屋番は今はユグドラシルの1人となって、主に下層スラム街に潜伏している構成員たちへの情報支援をしている。

「ロウ様はお父様をそそのかしている者が背後にいるはずだとおっしゃっていたわ」

「背後に…?」

「ええ、お父様を操っているのは誰なのか、それを突き止めるためにユグドラシルを作って、旅をしたわ。それにしても、まさかグレイグが勇者追討のために派遣されていたなんて…。もしも、もう1度襲われたら、逃げ切れるかどうか…」

グレイグは今のエルバ達以上に強く、武闘家としての技量を磨いたマルティナも一本入れることができるか自信がない。

何人かの兵士をエルバは殺したが、それでも一部分にすぎず、もっと多くの兵士を付き従えている。

「…少し、眠りましょう。少なくとも、雨がやむまで…」

「そうだな…だが、火は消しておけ。煙で勘付かれる」

マルティナに背を向けたエルバは体を動かし、壁際の端まで移動する。

「エルバ…?」

「薪集めをしてくれた上に、俺の治療をしてくれたあんたの方がよっぽど疲れてるだろう?スペースはある」

いい年頃の男女が一緒のベッドで寝ることになるのは何だが、今はそういっていられる場合ではない。

少しでも体力を回復させ、グレイグから逃げきってロウ達と合流しなければならない。

そう考えると、今はベッドで横になって寝るのが一番だ。

贅沢は言っていられないと割り切ったマルティナはランタンに火をつけた後で、暖炉の火を消した。

そして、ランタンをベッドのそばに置き、彼に背中を向けて横たわる。

既にエルバは寝静まっていたが、今のマルティナはなかなか寝付くことができなかった。

エルバとの再会、そしてエルバの身に起こったことと彼の復讐心。

いろんなことがこの短時間に起こりすぎた。

どんなに強くなったとしても、生き物である以上は疲労があり、休息が必要だ。

せめて、眠っている間だけはエルバに安らぎがあることを願いながら、マルティナは目を閉じた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話 グレイグの迷い

真夜中に振り続けた雨がようやくやみ、朝日が小屋に光を注ぐ。

小屋のドアが開き、目覚めたばかりのエルバとマルティナが出てくる。

「いい、エルバ。今のあなたは丸腰よ。私から離れないで」

「そうだな…」

武器も鎧もない今のエルバにできるのは呪文だけだ。

無事に逃げたであろうカミュ達を探しに行かなければならない以上、今はすぐに行動したほうがいい。

十数年にわたって整備されていない森林の中、2人は放置されている道路伝いに進んでいく。

昨夜、外の見張りをしていた際にマルティナが見つけたもので、その道を通ればユグノア城の南にある開けた場所まで行くことができる。

彼女の考えた通り、道はその橋へとつながっていた。

しかし、橋の上にはリタリフォンに乗ったグレイグが番人のように立ちはだかっていた。

「やはりな…あの程度で死ぬとは思っていなかったぞ。悪魔の子よ」

「グレイグ…」

怒りに震えるエルバをマルティナが右手で制止させ、周囲を見渡す。

周囲には敵影もその気配もない。

「心配なされるな、ここにいるのは私1人です…姫」

リタリフォンの背に乗ったまま、グレイグは拳を胸に当て、目を閉じて16年前のことを思い出す。

あの時、グレイグは必死にデルカダール王とマルティナを探していて、結局マルティナを見つけることができないまま城を離れざるを得なかった。

彼女を守れなかったあの忌まわしき夜を今も忘れられないが、今目の前で生きているだけでもうれしかった。

「しかし、何故悪魔の子をかばうのです?なぜ、お父上たる陛下の邪魔を…?」

「グレイグ…あなたの立場は分かっているつもりよ。けれど、私は今のお父様を信じることができないわ。今は…見逃して」

「信じることができないと…」

マルティナが死んだ者として扱われるようになった後のデルカダール王の変化をグレイグはずっと見ていた。

悪魔の子たる勇者の命を狙い、生き延びたユグノアの人々を迫害し始めた。

死刑になる人もいて、さすがのグレイグも諫めようとしたが、どうすることもできなかった。

名君として名高い彼の器量も能力も高い評価を受けていた分、彼を批判しにくい空気がデルカダールには存在している。

しかし、それでも自分の主君はデルカダール王である以上、答えは決まっている。

「姫様、私の主君はデルカダール王一人です」

「そう…あなたの忠誠心の高さは分かっているわ。きっと、話を聞いてくれない…そんな気がしたわ」

「どうか、悪魔の子を差し出し、こちらへ来てください、姫様。今ならば…」

「ごめんなさい…グレイグ!!」

もはや、話し合いの余地がないと悟ったマルティナはグレイグの前へ行き、彼の胸に向けて蹴りを入れようとする。

だが、その蹴りをグレイグは右手で持つキングアックスで受け止める。

マルティナは続けて大きく跳躍してグレイグの頭上へ行き、かかと落としを決めるが、それもグレイグにとっては見えている動きで、それさえも同じように受け止めた。

「驚きましたな…16年前はただのおてんば姫であられましたが、相当な修羅場をくぐってこられたのですね」

「相手を褒めるなんて、ふざけているの!?」

キングアックスを足場にしてバック転したマルティナは爆裂蹴りを放ち、さすがのグレイグも斧一本では心もとないのか、左腕に装備している魔法の盾も使って防御していく。

しかし、あくまでそれはフェイントだった。

マルティナはリタリフォンの真下に滑り込んで彼の背後に回り、後ろから真空蹴りを放とうとする。

しかし、ジャンプしている間のわずかな溜めが隙となり、グレイグの左腕の裏拳が彼女の胴体に命中する。

思わぬ一撃を受けたマルティナは真空蹴りを放てないまま地面に落ちてしまう。

「姫様こそ、私を甘く見ておられますぞ。悪魔の子をかばいながら戦うなど笑止千万!それで私に勝てるとでも!?」

このダメージを受ければ、マルティナも少しの時間は動けない。

彼女に手を挙げたことへの侘びか、彼女に頭を下げた後で、グレイグは丸腰のエルバに目を向ける。

「貴様さえいなければ…このようなことにはならなかったのだ…」

キングアックスをエルバに向けたグレイグはリタリフォンを走らせ、叩き切ろうとする。

エルバは即座にデインを発動しようとしたが、リタリフォンのスピードを前には間に合わない。

「エルバ!!」

「終わりだ、悪魔の子!!」

一撃で仕留めようと、グレイグが大きく振りかぶった瞬間、森林の中から一頭の馬が飛び出して来て、グレイグに向けて一直線に進む。

「フランベルグ!?」

「悪魔の子の馬が、なぜここに!?」

突然の伏兵によって、グレイグの動きがわずかに止まる。

エルバは彼に向けてベギラマを放った。

グレイグはエルバへの攻撃を断念し、リタリフォンを跳躍させる。

その間にエルバはフランベルグに飛び乗り、グレイグを背に倒れているマルティナへ向けて走っていく。

マルティナが伸ばした手をつかみ、彼女を背に乗せている間にグレイグがエルバ達に迫る。

だが、グレイグは彼らの前でリタリフォンを止めた。

「グレイグ…」

「行かれよ!!」

急に背を向け、そう吐き捨てたグレイグは走り去っていく。

彼の後姿を見たマルティナは彼に感謝するとともに、安どのため息をついた。

「なぜだ…なぜ奴は俺たちを…」

「迷っているのよ…きっと、私のせいで…」

「…」

「それにしても、この子、どうしてこの場所が分かったのかしら?」

「分からない…必要な時にいつもいる…としか言いようがない」

謎の多いフランベルグだが、今回は彼が来てくれなかったら殺されていたかもしれない。

エルバは愛馬を撫で、来てくれたことを感謝する。

そして、にらむようにグレイグが去った後を見たエルバはフランベルグをユグノア城に向けて走らせた。

 

「無事だったか…」

「お互いにな」

ユグノアへ戻ったエルバとマルティナを広場跡地で待っていたカミュが笑みを浮かべて出迎える。

セーニャとベロニカ、ロウにシルビアもいて、彼らの馬も存在する。

全員の無事が分かり、マルティナは安堵の笑みを浮かべる。

「無事じゃったか…エルバ、マルティナ…」

「ご心配をおかけして申し訳ありません、ロウ様。グレイグの襲撃を受けましたが、何とか逃げ切ることができました」

「追手はやはり、グレイグじゃったか…」

ユグドラシルからの情報で、グレイグがインターセプター号を使って勇者追討を行っていることは知っていた。

彼は16年前にユグノア城でデルカダール王の護衛を行っていて、今でも彼と近しい関係にある。

できれば、彼と直接会って確かめたいことがあったが、もうその必要もなさそうだ。

「やはり、今のデルカダール王国には魔物がはびこっておるとみて、間違いはないじゃろう」

16年間集め続けた情報で、その魔物の正体の目星はついている。

その魔物こそがユグノアを滅ぼし、今もこうして虎視眈々と唯一の肉親の命を狙う憎むべき相手だ。

「はるか昔、栄華を誇った王国、プワチャット王国は魔物に化けた奸臣によって滅ぼされたという…その魔物の名はウルノーガ…」

「ウルノーガ…?聞いたことがない名前ですわ」

「奴は表立って動くような真似はしない。常に何かを操り、裏で糸を引く。その名前を知るだけでも長すぎる時間が必要じゃった…」

勇者にまつわる遺跡を回り、文献を調べてようやく見つけた名前。

だが、その魔物の姿も能力も一切わからない。

その目的すらも。

「ウルノーガは邪悪の化身よ。おそらく、今のデルカダールもその魔物が牛耳っておるのじゃろう。よいか、エルバよ。この世に生きるすべての者たちのためにも、おぬしはウルノーガと戦わなければならぬ。それが…邪神なき時代に生まれた勇者たるおぬしの使命かもしれぬ…」

「…」

デルカダールの背後にウルノーガが、倒さなければならない存在がいることはエルバにとって都合が良かった。

ウルノーガ諸共、デルカダールに復讐を果たすことができると思えた。

口には出していないものの、そう考えていてもおかしくないだろうとロウは考えていた。

だが、今は復讐うんぬんを言う以前の問題がある。

「じゃが、ウルノーガは闇の力を持った邪悪の化身。どれほどの力を持っておるのか皆目見当もつかぬ。無策でヤツと戦うことはできん」

「お姉さま!命の大樹には闇の力を払う力が眠っていると言います!」

ハッとしたセーニャの言葉にベロニカは歯車がつながっていくような感覚がした。

ウルノーガと自分たちに課せられた、勇者を命の大樹へ連れていくという使命。

それがつながっていて、平和を取り戻すことにつながる。

ロウは背負っている荷物の中から虹色の枝を出し、エルバに差し出す。

「ようやく、これを渡す時が来た。かつて命の大樹の一部であった虹色の枝。それがきっと、命の大樹へと導いてくれる」

エルバは差し出された虹色の枝をつかむ。

同時に痣が光り、頭の中に様々な光景が流れ込んできて、その情報量に頭痛を覚える。

ロトゼタシアへと落ちた枝、流れ着いた先でそれを拾う漁師、その枝の奇妙さに驚いて大金で買い取った商人。

だんだんめまいを感じ始めたエルバだが、次第に光景がとある祭壇へと変化していく。

どこかの山の頂上にある白い六芒星状の祭壇。

そこで6つの色の異なるオーブが宙を舞い、その光が混ざり合い、虹色の光の道となって祭壇から命の大樹へとつながっていく。

その光景が見終えると同時に痣の光が収まった。

「おい、エルバ!!」

その場で膝をつき、汗をたっぷりかけながら呼吸を荒くするエルバにカミュが駆け寄る。

「はあ、はあ…分かったぞ…大樹への道が…」

「やはりそうか…虹色の枝は勇者に命の大樹への道を示す…か」

「ホムラの里からずっと追いかけ続けたの、無駄にならなくてよかったわ!けど、なんでもっと優しく教えてくれないのかしら…?それで、どうやって行けばいいの?」

「六芒星の祭壇に6つのオーブを捧げる…そうすると、虹色の光で道ができる…。俺が見えたのはそこまでだ」

「オーブだって…なぁ、まさかこいつが!!」

カミュは懐からレッドオーブを出し、エルバに見せる。

それはあの光景にもあったオーブの1つそのものだった。

「そうか…やはり、カミュ。おぬしが持っておったんじゃな?」

「え…?知ってたのかよ?」

「ユグドラシルの情報網を侮ってもらっては困る。デルカダールのスラム街の下宿で段取りをしておって、その時相棒にデクという男が…」

次々とロウの口から飛び出す情報にカミュは冷や汗をかく。

ユグノアの人々が各地で散らばり、まさかそれだけ情報を仕入れていたとは思わなかった。

驚くカミュの顔を見たロウは満足げに笑い始める。

「安心せい、おぬしを突き出したりはせぬ。まぁ、この情報はその下宿の女将からもらったものじゃ。彼女も実を言うと…ユグドラシルの1人じゃ」

「マ、マジか…全然知らなかったぜ…」

女将のまさかの素性にカミュは苦笑いを見せる。

そして、持っているレッドオーブをエルバに差し出す。

「いいのか…?命がけで手に入れたものだろう?」

「俺には俺の使い道があったが、世界には変えられねえだろ?」

平気だ、と言えば嘘になる。

レッドオーブを手放すのは惜しいが、それでもやらなければならないことがある以上、カミュに迷いはなかった。

「分かった。なら…借りておく」

レッドオーブを受け取るのを見たロウも手に入れたばかりのイエローオーブを出す。

「ロウ様。売らなくてよかったですね。仮面武闘会の賞品であるイエローオーブ」

「うむ、あやうく真の価値に気付かず、路銀にするところであった。エルバよ、受け取っておくれ」

「ああ、じいさん」

2つのオーブを手にしたエルバは自分の手元にあるパープルオーブを手に取る。

「ん…?なんだ、もう1つオーブがあったのかよ?」

「それは…バンデルフォン王家の家宝であるパープルオーブではないか!まさか、もう手に入れておったとは…」

「エルバ様、いつの間にそれを…」

「夢のお告げでな。これで、手に入れなければならないオーブは残り3つだ。だが、祭壇は…」

「六芒星の祭壇というのは、きっと始祖の森にあるわ。そこは命の大樹の真下にあるの。聖地ラムダの近くにあるから、到着したら案内できるわ」

始祖の森は里の人々ですら入ることが禁じられている森で、祭壇の存在は旅立つ前に長老から聞かされていた。

それが命の大樹への道につながるとは思わず、既に3つのオーブを手にしていることに何か運命を感じずにはいられない。

「残り3つのオーブ…でも、いったいどこから探せば…」

「オーブと言えば、海底に沈んだオーブの話を思い出しますわ。でも、海の中を探し回るなんてことは…」

その話は両親から聞かされたものだ。

とある商人がそれを手に入れてから一気に商売が成功し、国を凌ぐほどの富を得ることに成功した。

しかし、彼の祖国の王がそのオーブにそれだけの富を得た原因があると突き止め、それを差し出すように命令したが、断られた。

それに怒った王は商人の屋敷を襲い、彼を殺害してオーブを奪おうとした。

商人は殺されてしまったが、そのことを想定していた商人が家族にオーブを持たせ、国外へ逃がしていた。

そして、残された家族は彼の遺言に従い、オーブを遠い海に沈めたという。

その話が本当の者なのかはわからないうえ、仮に潜水鐘を手に入れてシルビア号に取り付けたとしても、それで探し回っている間に年を取ってしまう。

「とにかく、今は手掛かりがない。ユグドラシルと接触し、情報を手に入れねばな。秘密にしておったが、おぬしらにならもうよいじゃろう。ソルティコにユグドラシルの本部がある。それに、ここから外海へ出るにはソルティコにある水門を通らねばならん」

ソルティコは外海と内海を繋ぐ街である上に、デルカダールの国領となっている。

しかし、城や城下町から離れた距離にる上、カジノと観光で多くの富を得て、それがデルカダールの税収の要になっていることから部分的に自治が認められている。

警備も現地の領主直属の兵士たちが行っているため、比較的監視の目も薄い。

世界の商業都市がダーハルーネなら、世界の情報都市はソルティコだ。

だから、ロウはソルティコをユグドラシルの本部に定めた。

また、他にもロウにとって幸いな話がある。

「ソルティコの領主、ジエーゴ殿は儂の知り合いじゃ。わしが頼めば、快く水門を開いてくれよう」

ソルティコ、ジエーゴの言葉に普段は陽気なはずのシルビアの表情が曇り、困った表情を見せる。

それを見たセーニャはどうしたのだろうと首を傾げた。

「とにかく、行くしかないんだろう?ポートネルセンで彼らと合流しよう」

「ああ…だが、見つかってねーといいけどな…あの船、けっこう派手だし、あいつらインターセプター号を使ってるだろう?」

「船員が残っている。無事ならいいが…」

7人となったエルバ一行はそれぞれの馬に乗ってユグノアを後にする。

人がいなくなり、再び静寂が戻ったその失われし国。

儀式のおかげなのか、墓場には太陽の光が優しく注いでいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 ソルティコ

「ああ、暑い、暑すぎるぜ…」

カンカン照りの太陽の下、塀の影にいるカミュはあまりの暑さで汗だくになっており、手で風を起こしている。

彼の目の前には広いビーチがあり、そこでは観光客たちが水着姿になり、海で遊んでいる。

ポートネルセンでシルビア号と合流したエルバ達はそこからダーハルーネ方面へ引き返し、その町の北にある大陸の船着き場で停泊。

そこから馬で西へ向かい、ソルティコに到着した。

ダーハルーネ以上の暑さを感じ、暑さに慣れないカミュにとってはあんまり長いしたくない場所だ。

これでは、船に残っているシルビアがうらやましくて仕方がなかった。

「にしてもおっさん、どうして船に残るなんて言い出したんだ…?まぁ、船の整備は重要だけどよ…」

「さあてっと、準備完了!!」

目の前にある店から赤をベースとしたセパレート水着姿のベロニカが浮き輪を持って出てくる。

その姿は明らかに遊びに来たという感じがして、ダーハルーネの時のことを思い出しながらカミュは頭を抱える。

「お前なぁ…俺たちはここへ何をしに来たか分かっているのか?また面倒なことに巻き込まれたら…」

「何よ!?ちょっとぐらいいいじゃない!結局ダーハルーネだとすぐに騒ぎに巻き込まれちゃって楽しめなかったし…」

「そうならねえように、お守を押し付けられた俺の身にもなれ!!」

本当は一秒でも早く、少しは涼しい部屋に入って休みたいと思っているカミュはキレかけながらも、懇願するように叫ぶ、

カミュも楽しむことそのものを否定するつもりはないが、時と場合によると考えている。

エルバとマルティナ、ロウがユグドラシルと接触して情報を集め、更にジエーゴと交渉して水門を通過している中で、さすがに自分たちだけ遊んでいるわけにはいかない。

「ほら、セーニャ!泳ぎに行くわよ!」

「はい、お姉さま。あと、ビーチのお店にあるかき氷も食べませんか?とってもおいしいんですって」

「セーニャ、せめてお前がベロニカを抑え…」

ストッパーとなりえるセーニャに救いを求めようとするカミュだが、彼女の姿を見た瞬間、動きが止まる。

今のセーニャは踊り子の服以上に露出度の高い、緑色の薄いビキニだった。

華奢なセーニャのくびれや白い肌がカミュの前にさらされており、さすがに恥ずかしいのかほんのりと顔を赤く染めているセーニャの可愛らしさに思わずどきりとしてしまう。

「あの、カミュ様も泳がれてはいかがでしょうか?涼しくなりますよ」

「俺はいい。俺まで遊んでちゃあ、エルバ達に悪いだろ?あ…そういやぁ、セーニャ。お前は泳げるのか?」

エルバはイシの村の川遊びで泳ぎを覚え、カミュとマルティナ、シルビアも泳ぎは覚えている。

高齢であるロウはともかく、カミュはセーニャとベロニカが泳いでいる姿を見たことがない。

聖地ラムダの出身で、海とは縁のない場所で育った彼女たちが泳げるのかどうか、カミュには疑問だった。

ベロニカが浮き輪を持っていたため、もしかしたら泳げないかもしれない。

カミュの問いにセーニャはえーっとと目を泳がせる。

彼女の目にはまだ幼い子供が悠々と泳いでいる姿が見え、体が幼くなったベロニカはともかく、セーニャは答えるのが恥ずかしそうだ。

察したカミュは後頭部をかきつつ、ハァとため息をつく。

これから船旅が続くことになるため、万が一海へ投げ出されることだってあり得る。

そうなったとき、泳げなかったらどうなるかは目に見えている。

「はぁ…いいぜ。時間はないが、俺が泳ぎ方を少し教えてやる」

「カミュ様…!」

上半身を裸にしたカミュは背伸びをし、脱いだ服を脇にはさむ。

ぱぁ、と一気に明るい笑顔を見せるセーニャに苦笑した。

「まぁ、泳げた方がこれから役に立つかもしれないだろ?」

 

「エルバ、本当に素材だけでよかったの?」

「ああ…あとは作ればいい。作るための道具はシルビア号にあるからな」

店で素材だけを購入したエルバはそれを袋に入れ、マルティナと共に高級住宅街を歩いていた。

そこにユグドラシルの本拠地があり、マルティナの案内でそこへ向かっている。

やはりデルカダール国領内というだけあって、立ち並んでいる家屋は城下町の貴族街のものと似ているものが多い。

やがて、海沿いの邸宅に到着すると、マルティナとエルバはそこに入り、台所へ向かう。

屋内にはだれもおらず、家具が置いてあるだけで生活している感じが一つもない。

マルティナは空の戸棚に3回ノックする。

すると、戸棚が横に動き、その裏に隠された階段が露になる。

「ここから先がユグドラシルの本拠地よ」

「ああ…分かった」

2人は階段を下り、地下へと向かう。

地下には紫をベースとした服を着用した人々が集まっており、中央の大部屋には地図とユグノアの国旗が置かれている。

「マルティナ様、よくぞご無事で…事情は伝書鳩で伺っております」

白いやや長めの髪で首に赤いスカーフを撒いている男性が彼女の姿を見て近づいてくる。

頬や露出している手足などにはいくつもの傷跡があり、老人のようだが背筋がまっすぐなうえに腕と脚が太い。

まだまだ現役で戦えそうな体つきで、そういう点ではデルカダール王と共通しているかもしれない。

「ありがとう、カーティスさん」

「しかし、申し訳ありません。勇者追討部隊がグロッタ、そしてユグノアへ向かっているという情報を得たのですが、伝えるのが間に合わず…」

「気にしないで。それよりも…少しここで情報を仕入れたいの。それから…エルバ」

「エルバ…まさか、エルバ様ですか?」

マルティナに背中を押され、エルバはカーティスの前に立つ。

その姿を見たカーティスは驚きを見せるも、だんだん笑みを浮かべ始める。

「うむ…今は亡き国王陛下によく似ておられる…」

「父さんに…?」

「ええ…エルーナ様もお喜びになられる」

エルーナ、という聞き覚えのない名前にエルバは首をひねる。

「エルバ、あなたのおばあさまよ」

「案内いたします。こちらへ…」

カーティスに先導され、2人は地下の奥へと進んでいく。

地下2階に来ると、そこには子供たちの姿があり、彼らに老人が読み書きの指導をしていた。

「子供も…いるのか?」

「ええ。ユグノア国民、そしてその子供たちに対してデルカダールは容赦ない弾圧をしているの。だから、保護してここで生活してもらっているの。全員を、というわけにはいかないけれど…」

エルバが見ている子供たちは全員、ここに保護されてからはほとんど外に出ることができない。

本部の位置を知られるわけにはいかないということもあるが、それ以上に彼らの安全を守るためという意味合いが大きい。

子供だろうと容赦しない今のデルカダール王、そしてその裏にいると思われるウルノーガのことを今のマルティナは一番よく分かっていた。

地下3階につき、一本道の廊下を進むと、その階層では唯一の部屋へと続く扉に到着する。

その左右には兵士が立っており、カーティスはその兵士たちと2,3の会話を交わす。

すると、兵士が扉を開け、エルバ達に敬礼をした。

部屋に入ると、そこには車椅子に座っている、真っ白でロングヘアーでやや丸い顔立ちをした老婆が机と向き合っていた。

「カーティスかい…?」

「はい、エルーナ様。お耳に入れなければならないことがございます」

「そうかい…それは、良い知らせかしら?それとも悪い知らせかしら?」

「良い知らせでございます」

恭しくお辞儀をしたカーティスはエルーナに耳打ちをした後、彼女の車いすを動かし、エルバの前まで移動させる。

向き合ったエルバはエルーナの顔を見る。

彼女の顔の花から上の部分は髪の毛で隠れており、どんなものなのかを今のままでは確かめることができない。

「ああ…エルバ、エルバなんだね…」

「あ、ああ…」

「そうか、そうかい…ああ…」

エルーナは涙声になりながら、そばにいるエルバの胸元に手を置く。

そこからゆっくりと、触って確かめるように上へ移動させていき、やがてエルバの頬に触れる。

「まさか…目が…」

「エルーナ様は16年前の負傷でほとんど失明してしまったのです…」

「確かに、ぼやけてしか見えないわ。けれど…けれどわかる。あなたが…あなたがエルバ、あの子の…ああ…!」

ロウと同じように、エルーナはエルバの無事を喜び、髪で隠れた目から涙を流す。

きっと、彼女もロウと同じく絶望を味わい、この16年を生き続けてきたのだろう。

その思いを喜びをかみしめ終えるのを3人は静かに待ち続けた。

 

「旦那様、ご友人のロウ様がお見えです」

「ロウ殿か…?久しいな、通せ」

「かしこまりました…」

調度品がなく、ベッドと本棚、1対1で向き合って座って話せる程度の机と椅子だけという、デルカダールの貴族風の建築物の中にある部屋としては不釣り合いな空間の中、胸にいくつか勲章をつけた白がベースのサークレットと長そでの鎖帷子を重ね着した屈強な男性が本棚をいじりはじめる。

彼が領主のジエーゴで、デルカダールの兵士教育を任せられている男だ。

年に何度もデルカダールへ剣術指導に赴いており、年に半分以上領地を開けていることから、大半の政務はこの街で生活している騎士たちの合議制にしている。

本を取り出し、それを机の上に置いた後で指で髭を整えて友人の到着を待つ。

コンコンとノックの音が聞こえ、少しするとロウが眼鏡と赤い超ネクタイを身に着けた暗めのブロンドの髪の執事の男性入ってきた。

「ロウ殿、久しぶりじゃな」

「ジエーゴ殿、頼みがあって寄らせてもらったぞ」

「そうか…おい、セザール。ワイン1本とグラスを2つ持ってこい。いいやつをだ」

「はい、かしこまりました」

執事の男性、ジエーゴはお辞儀をした後で部屋を出て、ロウとジエーゴは椅子に座る。

「ロウ殿、それで頼みたいことというのは何だ?」

「実は、故あって外海へ出たいのじゃ。そこで、水門を開けてほしいのじゃよ」

「その程度のこと、お安い御用だ。だが、その程度の用事だけで来たわけじゃあないんだろう?」

「ホッホッホッ、そうじゃな。最近デルカダールで新しい書物を手に入れたらしいのぉ」

「耳が早いな。これだ」

さっそくジエーゴは机の上に置いてある本をめくり、ロウと一緒に読み始める。

これはナプガーナ密林の中にある遺跡で見つかった石板の写本で、ジエーゴは今、この写本の解読に奮闘している。

セザールがワインをもって戻ってきたときはお互いに意見を出し合い、解読にのめりこんでいた。

「ああ、さすがはロウ殿だ。これほどの古代文字の知識を持っているとはなぁ」

「いやいや、ジエーゴ殿も剣術の傍ら、これほど学問を修められておるとは…」

「あたりめえだ、騎士は力と剣術だけじゃあねえんだからなぁ。さて…そろそろ本題だな…」

持ってきてもらったワインをグラスに注ぎ、飲み始めたジエーゴの目つきが変わる。

本を閉じたロウも深呼吸をし、同時に和やかだった部屋の空気が一気に引き締まった。

「勇者…っつうよりは、孫か?よかったな。生きて会うことができて」

「うむ…そうじゃな。アーヴィンとエレノアの導きじゃ…」

「だな…。先日、デルカダール王が俺の元に水門を開けるようにって指示が手紙で来た。どうやら、勇者が外海に出る可能性があると踏んでいるらしい。外海に出るための船まで予定を前倒しして完成させているからな」

その船はデルカダールから戻る際にグレイグから見せてもらっている。

グレイグも彼から指導を受けた兵士の1人だ。

その船はキールスティン号で、外海への長期間の航海に備えて従来の船と比較するとかなり大型化されている。

本来は貨物輸送船として使われる予定だったものが、デルカダール王の指示でこのような形に設計変更されたようだ。

キールスティンはデルカダール王国建国時の初代将軍の名前だ。

「ロウ殿、ユグドラシルをこれまで保護してきたが、仮にデルカダール王がより強硬的な動きに出たら、いくら俺でも難しいかもしれん…」

「じゃろうな…むしろ、これまでよく保護してくれたというべきか…」

ジエーゴとはロウが王になるより前からの付き合いで、長年の関係もあってソルティコで活動しているユグドラシルを保護し、デルカダールにもその存在を隠してくれていた。

16年前からの王の豹変に不信感を持ったことも大きい。

ただし、ソルティコの統治はデルカダールからの信任によって成り立っており、ジエーゴもデルカダールへ剣術指導へ行かなければならないこともあり、いつも目を光らせることはできない。

自分だけが裁かれるのであればまだいいが、自分に付き従ってくれている騎士や使用人たちを路頭に迷わすようなことになりかねない。

「近日中に、またデルカダールへ向かわなきゃならねえ。その時に、おそらく返事を出すようにと指示が出ている。どうにか時間を稼いではみるが、おそらくは開けざるを得ないかもしれん。その場合は…」

「勇者の力で無理やり開けさせられた、と言って注意を儂らに向けてほしい。ソルティコにいるエルーナや皆を守るためにも…」

「ああ。済まねえな、ロウ殿。こういう形でしか助けることができねえなんてなぁ…」

「領主としての役割があるじゃろう。わしはただ、自分の役割を果たしているだけじゃ」

立場がなければ、ロウと同行して戦うことができたかもしれない。

若いころのロウは三人兄弟の末っ子で、年齢が大きく離れていたうえに王位継承者としては最下位だった。

そのため、王になる可能性は低く、国内の貴族や騎士の養子となり、臣籍降下するまでという条件で部屋住みとして城下町で与えられた邸宅で生活をしていた。

ただ、それ故に生活が自由で、幼いころから勉学に興味を持っていたことから、時折父親からの許しを得て遊学目的の旅をすることがあった。

また、足しげく通っていた本屋の娘であったエルーナと出会い、結婚もした。

ジエーゴと出会ったのはそのころで、ソルティコに遊学した際に知り合い、意気投合した。

そして、時には世界を回って知識を集めるのを目的に一緒に旅をすることがあった。

魔物に襲われたり、謝って毒キノコを口にしてしまって死にかけたこともあったが、その時の思い出は今も2人にとって良い思い出だ。

「すべてが終わったら、また一緒に旅をしてえものだな」

「そうじゃな、若いころの思い出をもう1度、じゃ…」

その旅はジエーゴが父親の急死で後継者となったこと、ロウの兄の子が病死し、実子がいなかったこと、次兄が既に臣籍降下していたことから急きょ次期国王として指名されたことでできなくなってしまった。

まだまだ回りたい場所が残っていたため、心残りが大きい。

「死ぬんじゃねえぞ、ロウ殿」

「ああ…おぬしもな、ジエーゴ殿」

 

「オーブ…オーブの話は若いころに読んだ本にあったわね…確か、6つ存在していて、勇者が持つことで初めて意味を成す…だったかしら?そんなふうに書いてあったわねぇ…」

エルバからオーブと命の大樹の話を聞いたエルーナは頭に残っている知識を掘り起こしていく。

「それで、エルーナ様。残るオーブ…グリーンオーブ、シルバーオーブ、ブルーオーブをなんとしても入手しなければならないのです」

「確か…ブルーオーブはクレイモランにあったわよねぇ…?カーティス」

「ええ。ブルーオーブはクレイモラン王家の家宝です。クレイモランは悪魔の子騒動では中立に立っており、デルカダールとは距離を取っています。入手については、話が通れば難しくないかと」

クレイモランは外海に出てからずっと北へ向かうことで到着する雪国だ。

古代図書館が発見されてからは多くの学者や魔術師が集まり、学問の国となり、ロウとジエーゴも旅の中で立ち寄ったことがる。

「シルバーオーブはここから西にあるメダル女学園の校長が所有しているという情報があります。ただし、グリーンオーブについては…まだ何も情報がありません」

「そう…でも、すごいわ。2つのありかを突き止めていたなんて…」

「各地に散らばったユグノアの民にとって、国の再興とエルバ様の疑惑が晴れることが悲願です。もちろん、私にとっても…」

「内海は16年間ずっと旅してきたわ。きっと、グリーンオーブは外海にあるはず。探し続ければ、きっと見つかる。ありがとう、カーティスさん。けど…」

「はい…。問題はそれだけではありません。メダル女学園へ向かう手段も問題となります」

「どういうことですか…?」

「実は…本来ソルティコから西へ進む道があり、そこを通ればメダル女学園に向かうことができます。しかし、先日に陥没が起こって封鎖されているのです。現在復旧工事が行われていますが、完了のメドが立っていない状態です」

2人の話が正しければ、陸の孤島となり果てたメダル女学園へ行く手段がないということになる。

海から向かうことはできず、空を飛ばないとそこに入ることはできないだろう。

「どうにか、入る手段を探してみます。見つかり次第、連絡させていただきます」

「頼むわ、カーティスさん…じゃあ」

「ええ。ここは…」

頷き合ったカーティスとマルティナが部屋を後にし、部屋にはエルバとエルーナだけが残される。

2人っきりになったエルバは何かしゃべろうと考えるが、彼女に何を話せばいいのか、言葉が出てこない。

死んだ父親と母親のこと、ユグノアのことなど、いくらでも話すネタがあるというのに。

「エルバ…あなたの身に起こったこと、聞いているわ」

「ばあさん…」

「ごめんなさい、エルバ。一番つらい時に、そばにいて、守ってあげられなくて…」

エルバがマルティナと離れ離れになった後、その村で生活していたことはマルティナ達から聞いている。

その村がどうなったのかも、無論耳に入っており、エルバのことがとても心配だった。

「ばあさん、俺は…」

「お前が生まれてから、アーウィンとエレノアはいつも話していたわ…。勇者という思い役目を背負ったあなたに何ができるのかって。そして、信じていたわ。あなたはこれから起こるであろう困難から世界を守るために生まれてきたことを、あなたの誕生が福音だということを…」

ロトゼタシアに伝わる勇者伝説では、勇者は世界が危機に瀕したときに生まれる存在としていたため、当然エルバが誕生した際には世界に危機が来ると不安を見せる人もいた。

中には、勇者こそが世界を破滅に導くのではと極論を見せるものもいた。

だが、アーウィンもエレノアも、エルバは世界に光を与え、祝福する存在になると信じていた。

エルバとマルティナを守り抜いて死んだその瞬間も。

「エルバ、今あなたがここにいるのは、あの人と再会し、仲間とともにこれからも旅を続けるのは…あなた自身の意志。呪縛でも何でもない。だから…いくら迷ってもいい。あなたの信じる道を進んで。勇者として以上に、エルバという一人の人間として」

「俺、一人という人間…」

「そう…その意志を、大事にしてあげて。そして、頼ってあげなさい。大切な仲間を」

 

朝日が昇り、真っ暗だった海峡に日の光が降り注ぐ。

海峡にはエルバ達が乗るシルビア号があり、その前にはソルティコが管理する巨大な水門がある。

ソルティコで一泊したエルバ達はユグドラシルから補給を受け、ロウのツテでジエーゴから武具をもらった。

 

「そろそろじゃな…」

ロウがつぶやくと、ギギギと大きな音を立てて水門が開き始める。

舵を取るアリスはゆっくりとシルビア号を先へ進ませる。

水門のすぐそばにジエーゴの屋敷があり、ベランダには水門を開いたと思われるセザールの姿があった。

ロウは自分の頼みを聞いてくれたセザールとジエーゴに感謝するように手を振った。

「いよいよ外海か…。行先としたら、あそこだけだな…」

「クレイモラン。現状、唯一俺たちがオーブの居場所が分かって、行くことのできる場所だ…」

「そう、だよな…」

「カミュ様…?」

クレイモランという言葉を聞き、少し表情を曇らせるカミュをセーニャは気に掛ける。

それはまるでユグノアで急に調子をおかしくし始めたシルビアに似ていた。

なお、シルビアは腹痛を訴えており、今は船内のトイレにこもっている。

「クレイモランへ行く途上で、グリーンオーブのありかを調べたいし、それにメダル女学園への行き方も見つけないと!」

「じゃあ、俺は中に入る」

クレイモランまではかなりの距離があり、海で戦闘が起こらないとも限らないため、エルバは剣を完成させるために船内に戻った。

 

「旦那様、今しがたロウ様ご一行が水門を通過いたしました」

「そうか、悪かったな。朝早くに仕事を頼んじまって」

早朝の自室で、ジエーゴは部屋の入り口付近で立っているセザールに顔を向けずに出発の支度を整える。

これからジエーゴはデルカダールへ向かわなければならない。

そこで、水門を開く時期の交渉などを行うことになる。

領主となった以上、きな臭い政治のやり取りもしなければならなくなったことは、剣で身を建てることを第一とするジエーゴにとっては大きなストレスだが、やらなければならないこととして割り切っている。

「それにしても、ロウ様が船を手に入れられていたことには驚きました。同行されているお仲間の船とは聞いておりましたが…。商船にしては大きいうえに、装飾も派手で…」

セザールの独り言を耳にしたジエーゴは手を止める。

窓から海の景色を見て、その状態が数十秒にわたって継続する。

「旦那様…?」

「悪い、ちょいとばかし考え事をしていた。馬の準備をしといてくれ。すぐに出る」

「かしこまりました…」

お辞儀をしたセザールは部屋を後にする。

準備が終わったジエーゴは外の景色を見ながら、若くしてこの世を去ってしまった妻ガーベラのことを考える。

40年近く前にロウと共にバンデルフォン王国を旅していた際に出会い、彼女の踊りに魅了されたのがきっかけだ。

彼女は息子を生んですぐに病死してしまった。

だが、彼女の陽気で明るい性格は見事に息子に受け継がれてしまった。

その息子はその母親の血に逆らえず、騎士ではなくスーパースターを目指して十数年前に飛び出してしまい、今では行方不明。

そんな彼がもし成功して、一丁前の船を手に入れることができたら、もしかしたらそういう船を手に入れているかもしれない。

だが、剣術しか学んでこなかった彼がほんの十数年努力してそれができるとは思えない。

急にその息子のことを思い出してしまったジエーゴは年を取って軟弱になってしまったように思え、気持ちを切り替えるために両手で頬を叩いた。




ソルティコの街
デルカダール国領内に存在するリゾート地。
先代デルカダール王が行った西部開発計画で、カジノやホテル、大型のビーチなどが作られたことがきっかけで、貴族や上級兵士といった身分と金銭のある人々が別荘地に選ぶようになり、その結果リゾート地へと変貌を遂げた。
そのため、多くの観光客が集まり、外海と内海の玄関口という地の利にも恵まれ、世界中の情報が集まる都市として、貿易商人からも注目されている。
現在の領主は怒れる剣神の異名を持つ騎士ジエーゴで、現在は兵士たちの指導を行っている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 人魚との遭遇

海峡を抜けてすぐに、シルビア号の周囲が霧で覆われる。

嫌な霧にようやく外へ出てきたシルビアは気持ち悪そうに手で払おうとする。

「嫌な霧でがす…少し慎重に進むでげす!!」

こうした霧の中でむやみやたらと進んだら座礁する、もしくはその中を進んでいるほかの船と衝突するのがオチだ。

海峡から出たあたりには小さな無人島がいくつか存在することを海図でチェックしているため、それと浅瀬に気を付けながら進んでいく。

「おかしいですわ…どんどん霧が濃くなっていきます」

「もう周りがほとんど見えないわ!これ…大丈夫なの??」

隣にいるセーニャは見えるものの、舵を取っているアリスや少し離れているロウとシルビアの姿が全く見えなくなっている。

おそらく、アリスから見たら前も見えない状態だろう。

そんな中でも、彼は器用に舵を回して進んでいる。

「ここはアリスちゃんの力が頼りね…。あとは、少しでも早く霧が晴れれば…」

「見えた…!光だ!前方300メートルくらいのところに日光が見える!!」

メインマストの展望台から周囲を見渡していたカミュが大声でアリスに伝え、アリスはその場所を目指して舵を取る。

霧を抜けさえすれば、あとはもう1度航路を調べて修正していけばいいだけだ。

カミュが言う日光が差している場所まで進んでいくと、周囲を包んでいた深い霧が嘘のように消えていく。

「ここは…」

霧が消えた海の光景を見たセーニャは息をのむ。

真っ白な砂ばかりの島がいくつもあり、座礁した木造の商船が1艘見える。

藤壺がついた大岩とサンゴだけで、木や草は見当たらない。

「おかしいわ…こんな島、海図にのっていないわ!!キャ!!」

ガガガ、と変な音が船の底から聞こえ、若干船体が若干ウィリーしている状態になって止まってしまう。

「嘘…乗り上がったの!?」

乗り上がったと言ったシルビアだが、この乗り上がりは不自然に思えた。

ここに出た後、アリスは一度船を停めており、そこから彼が舵を動かしていない。

まるでひとりでに砂が船底に集まり、動けないように乗り上げさせたようだ。

幸い、この近くに一番大きい島があり、そこへは小舟を使わなくても行くことができる。

「何があった…?」

カミュがメインマストから降りてくるとほぼ同時に、エルバが船室から出てくる。

「ああ、エルバちゃん。実は…霧の中から出たのはいいけれど、よくわからない場所に出てしまって、船も動かせない状態になったのよ」

「そうか…だから、少し前が上へ傾いたように…」

海では当たり前の強い風が感じられず、波もない。

魚の姿も見えず、そこには無機質な、海に似せた鉛色の静寂だけがあるようにエルバには見えた。

カミュは座礁している商船を調べ、その中にある積み荷や乗組員がいないかを確かめていた。

「うえ…積み荷は食い物で全部腐ってるな。だが…」

船の中には乗組員の遺体やそれを思わせる痕跡がない。

完全に風化してしまったのか、それとも全員脱出できたということなのか。

人がいないうえにグリーンオーブを思わせるものが何一つないことは分かったため、すぐに船から出た。

「きれいな場所ですわね…子供の頃に読んだおとぎ話の絵本を思い出しますわ…」

幼いころに読んだ絵本の中に、砂浜と透き通った海だけがあるという無人島の話があったのを思い出す。

その絵本ではとある国の王子が主人公で、大臣の謀略によって国を追われ、海をさまよううちにたどり着いたのがこの場所のような無人島だった。

その景色に魅了され、一度はここでひっそりと暮らそうと思っていたが、そこで運命の出会いが待っていた。

「確か、その無人島ってこんな感じだったわね。で、ここには確か…」

セーニャの言葉で無人島の話を思い出したベロニカはその話の続きを思い出そうとする。

ここはオーブとは無縁で、さっさと離れたいと思っているが、シルビア号をどうにかしないとどうにもならない以上はこうして暇をつぶした方がいいと思っていた。

「…!何か、近くにいる…」

「マルティナ…?」

何かの気配を感じたマルティナはエルバをかばうようにして立ち、周囲を見渡す。

姿は見えないが、長年の旅と武闘家の修行で培った気配を感じ取る能力が自分たち以外の生物の存在を感知する。

「どこ…出てきなさい!!いるのは分かっているのよ!」

気配は徐々に島の中心にある岩場付近の水たまりに近づいてきている。

次の瞬間、その中から癖のあるピンク色のロングヘアーをした女性の上半身が出てくる。

マルティナの警戒心がこもった声が聞こえていなかったのか、どこか嬉しそうに周りをきょろきょろ見渡していた。

「キナイ…!キナイなの!?」

「キナイ…?」

聞いたことのない名前、おそらくは彼女にとっては大切な男性の名前だが、エルバにはわからない。

しばらく嬉しそうに周りを見ていた女性だが、そのキナイという男性がいないことが分かると、しょんぼりしてしまう。

「な、なによ!驚かせないで!!それに、お姉さん!人の顔を見てため息なんて失礼にもほどがあるでしょう!」

驚きのあまり腰を抜かしてしまっていたベロニカは立ち上がり、腰に手を置いてその女性に怒鳴りつける。

少し視線をそらした女性は大きく飛び上がり、水の中から飛び出す。

それで見えた彼女の下半身を見たベロニカたちは驚きのあまり開いた口を閉じるのを忘れてしまう。

ピンク色のうろこのついた魚のような下半身。

ベロニカとセーニャの脳裏に例のおとぎ話で王子が出会ったのは…。

「人魚!?あなた、人魚なの!?」

「マジか…実在したのかよ…」

人魚はあくまでおとぎ話の中にしかいない存在だと信じ切っていたカミュは目の前の彼女が信じられなかった。

「…」

わずかに口を開くだけだったエルバは元の無表情に戻り、岩の上に腰掛ける人魚を見る。

「あなたは…捕まえたり驚いたりしないのね。珍しい人…。キナイそっくり」

「あんたは…?」

「キナイは私のことをあんたって呼ばなかったわね…。驚かせてごめんなさい。私はロミア。人の気配がして、キナイが来てくれたと思って、つい飛び出してしまったの」

「うわあ…人魚って本当に存在したのね。…とまぁ、それはおいておいて、そのキナイって人は誰なの?」

「キナイはナギムナー村に住んでいる漁師、人間よ。私はこの入り江で彼を待っているの。私たち…結婚の約束をしたんです」

「結婚…だと?」

「人間と人魚が!?そんな話、おとぎ話でしか聞かないわ!!」

あのおとぎ話では、その王子と人魚が恋に落ち、海底にある人魚の王国で結婚した。

だが、あくまでそれはおとぎ話でのこと。

現実でそんなロマンチックなことが起きるわけがなく、そもそも人間と人魚は生物として種類が全く異なる。

それが結婚できるとは考えられない。

「そうね。私も最初はそんな約束かないっこないって思ってた。私たち人魚には掟があるから…。陸に上がった人魚は再び海に戻るとき、泡となり消える…。私たち人魚は海を離れて生きられない…」

人魚の祖先とされる存在(それは人間なのか、それともそれ以外なのかはわからないが)はもともと、とある大陸で文明を作り、王国を築き、繁栄していた。

しかし、ある時に巨大な地震が起こり、その影響で大陸は海に沈んだ。

大陸とともに海に沈んでしまった彼らだが、命の大樹の慈悲によって人魚となり、生き延びることができた。

しかし、そのせいで人魚は海でしか生きることができなくなった。

そして、ロミアのいうように一度海から陸に上がってしまった人魚は再び海へ戻ったとき、泡となって消えてしまう存在になってしまった。

「でも、キナイがね、私と一緒に海底で暮らすって言ってくれたの。海底王国の女王様も許しくださったわ」

「なんだか…夢みたいなお話!素敵ね…ロミア!」

目をキラキラさせ、うらやましそうに話を聞くマルティナにエルバは視線を向ける。

彼女にそのような趣味があるとは予想外だった。

武闘家として修業し、旅をしていた彼女だが、やはり一人の女性なのだと再認識させられた。

「それで、この入り江で待ち合わせようって約束したけど、キナイはまだ来ないのよ…。キナイが約束を破るなんて一度もなかった。彼の身に何かがあったのかも…そう思うと、夜も眠れなくて…」

ここからナギムナー村へはかなりの距離があり、それにこの周辺には濃霧が広がっている。

もしかしたら、約束のために向かっている途上でトラブルにあったのかもしれない。

待っていても来ないのは、きっとそれがあったからかもしれない。

「あの…無理を承知でお願いします!キナイの様子を見に行ってくれませんか!?私…できることなら何でもします!!」

「うーん、人魚の済む海底王国ね…」

「なら、頼みがある。仮にその約束を果たすことができたら、俺たちを海底王国に案内してほしい。できるか?」

「海底王国に、ですか?お安い御用ですわ!人魚に伝わる秘法、マーメイドハープで皆さまの船を海に潜れるようにして差し上げることができます。ですが…海底王国に入るには女王様の許しが必要です。許しがもらえるかどうか…」

見ず知らずの自分のために頼みごとを聞いてくれるエルバ達が入れるよう、掛け合いたいとは思っているロミアだが、元々海底王国では人間などの陸の生き物を許しがない限り入れてはならないという掟がある。

許しが得られた例はめったになく、あっても何百年も昔の話で、その時は世界の命運を左右する事態であったために特例として許可されただけだ。

「許しなら、俺たちでどうにかする。それで十分だ…」

「なんだ?お前にしてはちょっと積極的だな」

めったに会話に参加しないエルバが先陣を切ってロミアの交渉しているのがカミュには意外に思えた。

「海底王国へ行けば、海に沈んだという話のグリーンオーブのありかに近づけるだろう?」

「つまり、勇者の真実を探るためか…」

それ以外にも理由があるように思えたカミュだが、詮索するのは野暮だろうと思い、そこで手を止める。

「ありがとうございます!ナギムナー村ははるか東のホムスビ山地の海岸にあります!」

「分かったわ。それで…キナイはどんな人なの?何か、顔とか体つきで特徴があれば教えてほしいわ」

人探しをするには、名前や性別、居場所を知るだけでは不十分で、探せたと思ったら同姓同名の人だったというオチになってもおかしくない。

正確に知るにはやはりそうした特徴間でつかむのは重要だ。

「はい。荒波のように男らしく、潮風のようにさわやかで、海のようにおおらかな漁師がキナイです!」

「…全然、特徴が分からないが…」

「ああ、ごめんなさい…!私ったら、つい…。ああ、そうです!キナイはいつも深めの麦わら帽子をかぶっていて、海のような青い瞳をしています。それから、左の二の腕のあたりに傷跡があるはずです。縦にまっすぐ伸びた感じです」

「そうか…ナギムナー村へ行って、当たってみる」

「お願いします!ああ、それからさっき言っていたことはキナイには内緒にしてくださいね」

そう言い残したロミアは再び海の中へ飛び込んでいく。

そして、しばらくすると乗り上げた状態のシルビア号のそばで再び上半身だけ姿を見せる。

「これが皆さんが乗っている船なのですね?」

「ええ、ロミアちゃん。砂に乗り上げちゃって、動かせないのよ。どうにか男で全員で押そうと考えているけど…」

「大丈夫です!私が動かせるようにします!」

「え…どうやって?」

深呼吸をした後で、ロミアは目を閉じて静かに歌い始める。

すると、シルビア号と砂の間に無数の泡の層ができて、シルビア号をゆっくりと後ろに下げていく。

そして、シルビア号は砂から脱出することに成功し、正常な角度を取り戻した。

「すっごーい!ありがとう、ロミアちゃん!」

「どういたしまして…!あの、それから一つ約束してほしいことがあります。キナイ以外に人魚のことを話さないようにしてください」

「ふむ…確かに、あまり話さない方が良いのぉ」

人魚は人間から見ると珍しい種族であり、好奇な目で見られる可能性がある。

また、昔から人魚の肉を食べると不老不死になるという迷信も存在し、貴族や王族の中には大枚をはたいてでも人魚の肉を手に入れようとする者もいたという話を書物で何度も見たことがある。

そのことを考えると、海底王国や人魚のことを人に話すのは賢明ではないだろう。

「それから、これからは皆さんの船が来る場合は霧が晴れるようになっています。安心してくださいね!」

「ええ。また乗り上げるようなことがあったらいけないわね。ありがとう、ロミアちゃん」

「みなさん、船に乗って下せえ!ここから西へまっすぐ進んで、ナギムナー村へ向かいやすよぉ!」

「西回り?どうして…?」

地図を見ると、白の入り江から西には何もないうえにそこから先の部分は途切れている。

そこを進んでどうして反対の向きにあるナギムナー村に到着するのか、エルバには分からなかった。

「ああ、実を言うとな、繋がってるんだよ。こんなふうにな」

カミュはエルバが読んでいる地図を手にし、それを筒状にして両端を繋げるようにして見せる。

「本当は北と南もそうなんだが、なんでもロトゼタシアは球体なんだとさ。詳しい理屈は俺にもわからねえが…」

「球体…平面じゃないのか…」

「そう考えるのは無理もないのぉ…。それに、本当に球体かどうかまだ誰も証明できておらんからのぉ」

実際にそれを証明するとしたら、とある地点からまっすぐ進んで世界一周をしなければならないだろう。

それもまっすぐ進んだうえで、だ。

まだそれを試みた船乗りはおらず、それを行うほどの長期にわたる航海ができるような船がないと難しいだろう。

実証はされていないが、少なくとも行き止まりはなく、まっすぐずっと進めばやがて同じ場所にたどり着くという理論はある。

そして、長年航海をしているベテランのアリスがそう言っているなら、信用できる。

エルバ達を乗せたシルビア号はロミアの見送りを受けながら、入り江を離れていく。

再び船を霧が包もうとしていたが、嘘のように晴れていき、シルビア号が完全に入り江を離れた後で再び霧が入り江への道を閉ざした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第41話 ナギムナー村

赤茶色の瓦屋根の家屋が立ち並び、家や船着き場への入り口には守り神とされている獅子の像が置かれている。

入り江には漁師たちが使う漁船がいくつも置かれており、次の漁に出るときを待つ。

ホムスビ山地南端に位置するナギムナー村は陸の孤島と言える場所で、数百年前のホムスビ山噴火の影響で北のホムラの里との陸での連絡が行えなくなっている。

主要の航路からも離れた位置にあるその村への外界からの船の停泊はめったになく、ここでは自給自足の暮らしが成立している。

シルビア号を停泊させ、船から降りてきたエルバ達の中で、シルビアはその村の光景に目を光らせていた。

「ここがナギムナー村ねぇ!!ロミアちゃんに聞いた話によると、ここでは世界一の真珠が取れることで有名だそうよ!」

「「素敵!!」」

「青い海!白い砂浜!きらめく真珠と屈強な海の男たち!まるで地上の楽園ねん!」

シルビア、セーニャ、ベロニカはすっかり目的を忘れたかのようにナギムナー村の魅力に取りつかれつつあった。

「ふむ…しかし、なんだか人が少ない気がするのぉ…」

「ああ、船はあるのに、どうしてだ…?」

周囲を見渡すと、ここにいるのは子供や女性、お年寄りだけで、漁を行うはずの若い男性の姿が見えない。

漁船が残っていて、耕作地もわずかなこの場所で男たちは何をしているのだろう。

「何か訳アリの匂いがするぜ…。厄介ごとはごめんだからな、さっさとキナイって男を連れてここを出ようぜ」

「じゃあ、私は酒場で情報を集めるわ。セーニャちゃんとベロニカちゃんは村長さんのところへ」

「じゃあ、私とロウ様はお年寄りの方たちから話を聞いてくるわ」

「分かった。俺はカミュと教会へ行ってみる。情報が集め終わったらシルビア号で合流するぞ」

教会は北の、山際に作られているためか若干小高いので、南にある村の入り口からも肉眼で見ることができる。

それぞれ情報を聞き出す先を決めたエルバ達は散らばり、エルバとカミュは教会へ歩いていく。

「こんな村まで来るとは思わねえが…用心しねえとな」

「ああ、そうだな…」

海峡を出てから二十日近く経っており、もうキールスティン号に乗ったグレイグが外海に出てきてもおかしくない。

そこからどのような航路を選ぶのか、そして無人島までも探りを入れてくるかはわからない。

船の速度ではシルビア号が勝っているが、ベイロードではキールスティン号が上回っていて、長期戦になれば補給中に見つけられてしまう可能性が高い。

「捕まる前に、なんとしてもオーブを集めて命の大樹へ行かねえと…うん?」

教会の前には子供たちが集まっており、教会そばの倉庫から出てきたオレンジ色の服を着た赤髪の老婆が横長の長方形の枠がついた四輪車を押して出てくる。

子供たちの視線はその老婆に向けられていた。

「なぁ、何か始まるのか?」

「あ、お兄ちゃんたち外の人!?もうすぐ紙芝居が始まるんだ!よかったら見に行かない!?」

「いや、俺らはそれよりも…」

「いいからいいから!!」

子供たちに服や腕をつかまれ、エルバ達は無理やり椅子代わりに置かれている丸太に座らされる。

老婆は集まった子供たちを見渡した後で、この場には不釣り合いな大人であるエルバとカミュを見る。

「ほぉ、外の世界のお客さんまで…。珍しいことがある物だねぇ…。せっかくだから、みんなで聞いていっておくれ。この村にまつわる忌まわしい呪いの話を…」

(呪い…?)

ロミアの話では、ナギムナー村の呪いについての話題は一切なく、今村にいない男たちに関係しているようにエルバには思えた。

老婆は四輪車の荷物入れに入っている紙芝居を枠の中に入れる。

「これは…この世で最も美しく、最も恐ろしい生き物の話じゃ…」

 

これは、昔のナギムナー村で起こった物語。

ある男がその村に入れ、彼は村一番の漁師だった。

そのため、村長からの信頼が厚く、自らの一人娘と婚約させた。

彼女もその漁師のことを愛しており、漁師もほかに愛する女性がいなかったこともあり、話はトントン拍子で進んでいた。

これで村は安泰だと誰もが思っていた矢先、事件が起こった。

真珠を積んで村へ戻ろうとしていた漁師に突然悪魔のような大嵐が襲い掛かり、彼は海へ投げ出されてしまった。

海の底へ沈んでいった漁師が死を覚悟したその時、美しい人魚が彼の前に現れた。

彼女は彼の耳元でこうささやいた。

生きたいなら、魂おくれ…と。

それから数カ月の時が流れ、村人たちはその漁師がすでに死んだものと考え、葬式が行われていた。

その時、漁師は自分の船に乗ってナギムナー村へ帰ってきた。

人々は驚いたものの、彼の生還を大いに喜び、許嫁もその喜びをかみしめながら漁師の看病をした。

だが、漁師は一日中ぼーっとし続け、口数もめっきり減っていた。

最初は遭難したショックだろうと思い、時間が解決してくれるだろうと村人たちは安易に考えていた。

しかし、傷がいえ、体力が戻った後も漁に出ることなく、ただひたすら静かに海を眺めるだけの彼に村人たちは違和感を覚えた。

彼は時折、こんなことをつぶやくようになっていた。

俺はもう1度あの場所に戻って、人魚と結婚するんだ、と。

そして、2カ月経過するとついに人魚の元へ行くと言い出し、勝手に船を出そうとし始めた。

暴れ出す漁師を見た許嫁は涙を流し、村長は怒りに震えた。

彼への制裁として彼が使っていた船を焼き、二度と海へ出られないようにしたうえで、村の反対側にあるしじまヶ浜に幽閉した。

 

「ふぅ…今日はこれまで旅人さん。今度続きも読んであげるから、また来ておくれ」

あまりの内容の紙芝居に子供たちでなく、エルバとカミュも開いた口が塞がらない。

子供たちはすっかりプルプル震えだしていた。

「に、人魚こえーーー!!逃げろーーーー!!」

子供たちは逃げ出し、老婆は満足げに紙芝居をしまい始める。

「なぁ、ばあさん。ちょっといいか?」

「うん…?」

「俺らはキナイって漁師を探してる。ここの漁師なんだろう?」

「おやまぁ、珍しいことだよ。あんた方はあの子のお友達かい?」

そのようなことは一言も言っていないが、そう思い込んだ老婆は嬉しそうにうなずく。

ナギムナー村の漁師は時折、漁の中でよその国や町の漁師や貿易商と会うことがある。

彼らと交流することによって、ナギムナー村の人々は外の世界の情報を集めている。

その交流の中で、友人を作ることもあるという。

おそらく、エルバとカミュはその関係でできた友人だと思ったのだろう。

「あの子は今頃、西の海ですじゃ。この村を襲った化け物イカを退治するために、村の男衆たちと一緒に出ておりますじゃ」

「どうりで、漁船が残っているのに男がいねえわけだ…」

「キナイに用があるなら、あの化け物イカ退治の手伝いをしてくだされ。倒してくれたなら、お礼もしましょう」

「結局面倒事か…仕方ねえ、みんなと相談しに合流するか」

「ああ…」

「ありがとう。じゃが…気を付けることじゃぞ。海で最も恐れるべきなのは人々を惑わす人魚ですからのぉ…」

無表情でその警告をした後で、再び柔らかな笑顔を見せた老婆が車を押してその場を後にする。

広場にはエルバとカミュだけが残され、カミュは腕を組んで考える。

「あのばあさんの息子がキナイ?もしそのキナイとロミアが結婚するなんて知ったら卒倒するだろうな…。だが、災難だな。まさか魔物退治に行くことになるなんてな」

そうなるとロミアの待ち合わせ場所へ向かうこともままならないことは分かる。

村のピンチというときに1人のうのうと城の入り江へ向かおうとは思わないだろう。

それに、ロミアがイメージする海の男であれば、おそらく戦力になる。

「はぁ…エルバ。水とメシを確保して帰ろうぜ。まぁ…この状態じゃあ食料は確保できるか疑問だけどな」

再び寄り道しなければならないのは面倒だが、キナイを無傷でロミアのもとへ向かわせるには力を貸したほうがいい。

食料は大丈夫かは心配だが、少なくとも飲み水を確保するため、カミュは町にある店へ向かう。

(あの人魚の話…本当なのか?ロミアのような人魚が本当にそんなことを…?)

人魚が人間から魂を抜き取り、自分の虜にするという話は聞いたことがない。

ただ単にナギムナー村にのみ伝わっている迷信の一つなのだろうか。

もう少し老婆からその話を聞いてみたいと思ったが、もう老婆は帰ってしまっており、どこにも姿が見えなかった。

 

「化け物イカ…その話はアタシも聞いたわ。そいつのせいで漁ができないんだって」

シルビア号へ戻り、エルバから話を聞いたベロニカも尊重から同じような話を聞いていた。

ついでに彼からその化け物イカの姿を絵にかいてもらっており、その絵をロウが見ている。

「ロウ様、このモンスターは…」

「うむ、話を聞く限りはクラーゴンじゃな」

「やっぱり…外海へ出たから、もしかしたら遭遇するかもって思ったけど…」

クラーゴンの恐ろしさはダーハルーネの海で一度襲撃を受けているエルバ達がよく知っている。

あれから力をつけてはいるものの、それでもクラーゴンに本当に勝てるかどうかはわからない。

実際、商船の艦隊が一斉砲火を浴びせることでようやく後退させることのできた魔物だ。

「そのことだけど、クラーゴンには弱点があるみたいなの」

「弱点…?」

「ええ。強い火よ。でもメラミやベギラマレベルではダメ。それよりも強い火に弱いのよ」

酒場で引退した漁師やけがで戦いに参加できなかった漁師たちから聞いた話では、クラーゴンは数年に一度ナギムナー村が漁をするポイント近くに出没し、そのたびに漁師たちが戦って撃退、もしくは対峙しているようだ。

その際にクラーゴンの弱点である強い火をぶつけるためにあえてすでに寿命が来ている船を複数燃やし、それをその魔物にぶつけているとのことだ。

漁師にとっては命綱であり、海でともに生き抜いてきた相棒といえる船をこのような形で使わなければならないほどクラーゴンは彼らにとっても脅威だ。

「そ・こ・で、ベロニカちゃんとロウちゃんに手伝ってほしいことがあるの」

「なんじゃ、わしはメラやギラは使えんぞ?」

ベロニカはわかるが、なぜここで自分の名前を出されるのかロウにはわからない。

シルビアが軽く手をたたくと、船室から船員が出てきて、彼らは若干赤がかった色の砲弾を持ってきた。

「酒場で知り合った大砲おばあちゃんって人からもらったの」

ナギムナー村では名物と言われているその大砲ばあさんは毎朝決まった時間に大砲を発射するくせがあり、そのせいかいつの間にそれが目覚まし代わりになっているという。

大砲そのものはかつてデルカダールなどの海軍で使用され、老朽化から払い下げられたものを修理して使っているという。

「これでクラーゴンの弱点である強い火を起こせるけど、まだ未完成。そこで、2人の力を貸してほしいのよ。これにベロニカちゃんのメラミを詰めて、ロウちゃんの秘術でそれを強化する。できるかしら?」

「うーむ、秘術はあくまで儂が発動する呪文を強化するものじゃ。面倒なことになるかもしれんが、理論上は可能かもしれんのう」

「メラミを詰める…。そんなことができるの?それ」

そんな砲弾にロウは魔弾銃という古代の武器を頭に浮かべる。

魔力を蓄積する力を持つ聖石でできた弾頭を使うことで、その魔力を遠距離に向けて発射できる武器で、呪文を使えない人物でも仲間に魔法使いや僧侶がいれば、その呪文を使えるということで利点のある武器だったらしい。

しかし、その技術は聖石を作る技術も含めて失われている。

そんな弾頭を1発しか詰めることができず、砲弾という形とはいえ再現に成功した大砲ばあさんには驚くものがある。

問題はロウが秘術で詰めているメラミの魔力を強化することができるかだ。

「おじいちゃん。もしかしたら、アタシの魔導書が使えるかもしれないわ!」

「ふうむ…とにかく、中でどうやるべきか話し合おうかのぉ」

ベロニカとロウは強化手段を考えるために、船室に入っていく。

ベロニカは魔導書を使うことで自分の発動する攻撃魔力を強化することができるが、それでもロウの秘術ほどのものではない。

何か応用できる手段があるかもしれないが、それについては2人に任せるほかない。

「じゃあ、船員のみんなが水と食べ物を運び終えたら出発ね。それまでゆっくり休んで」

「そうさせていただきますわ、ふああ…」

「休んでいいとはいえ、のんびりしすぎだろう…」

かわいらしくあくびをし、眠るために船室へ入っていくセーニャにカミュが突っ込んだ。

 

「…よし」

訓練場で、エルバはできたばかりの2本のドラゴンキラーで使い勝手を確かめる。

ソルティコで購入した、クレイモラン産のミスリル鉱石とロウとマルティナが旅の中で手に入れたというドラゴンの角とレッドアイを使って作った剣で、手入れなどで何度も鍛冶セットを使ってきたおかげか、ある程度性能の良いものができたようで、エルバにとってはちょうどいい重みだ。

人形を切って確かめたが、切れ味も良好で、これならドラゴンのような硬いうろこにも対抗することができるだろう。

「剣ができたのね、エルバ」

「マルティナ…」

訓練場に入ってきたマルティナは別の人形を使い、蹴りの練習を始めた。

剣の使い勝手が分かったエルバはその2本を鞘に納め、練習用の剣を手にして特訓を再開する。

「エルバ、聞いたかしら?あの村での人魚の話」

「ああ…。子供たちがそれを紙芝居で聞いていて、すっかりおびえていた」

「そう。人魚のことはロミアとしかあったことがないからよく知らないけれど、その伝説って本当なのかしら?」

「さあな。人魚にもいろいろある、ということじゃないのか?人間と同じだろう」

人間に善悪が存在し、そのどちらか区別することができないような人間がいるように、人魚も一面だけでは判断できないものがあるかもしれない。

ロミア1人だけでその伝説が間違いだと判断するのも、その伝説が真実だと判断しきってしまうのも早計だろう。

「とにかく、ロミアとの約束を守らなければ、俺たちは海底王国へ行くことができない。そうだろう?」

「そうね…。とにかく、今はキナイを連れていくことだけ考えないと。変なことを聞いてごめんなさい」

それから2人は黙々と自分の技術を磨くため、特訓を続ける。

その中でも、どうしても脳裏にキナイとロミアについて頭に浮かんでしまい、蹴りに精細さが欠いていた。

(ロウ様のおっしゃっている通り、どうも私は思いに振り回されてしまうところがあるかもしれないわね…)

思いは人を強くするが、時には暴走させてしまうこともある。

武闘家は技を使うとき、無心であることが一番だとされているが、なかなかそれを実践するのが難しい。

実際、そんなことのできる武闘家は少ないという。

(そういえば、ロミアとキナイはどうやって出会ったのか、聞いていなかったわ。まさか…あの紙芝居みたいな…気のせいであればいいけれど…)

いったん2人のことを頭から追い出すため、マルティナは深呼吸をし、目を閉じて瞑想をする。

そして、構えを直した後で人形に真空蹴りを放った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第42話 キナイという青年

「くっそぉ!あの化け物イカめぇ!!」

クラーゴンの足が一撃で漁船を真っ二つにし、乗っていた漁師は大急ぎで海へ飛び込んで脱出する。

既に3隻の漁船が沈められており、生き残った漁船は傷ついた漁師たちの治療に当たっている。

「よし…応急処置は終了だ。お前は休んでろ!」

「す、すまねえ…くうう…!!」

包帯を腕に巻かれたこの漁師はクラーゴンの一撃を船に受けた際、飛んできた銛で腕を深く切ってしまった。

救助された後は消毒のためにランタンの火で焼いたうえで包帯を巻いた。

海の上では薬草も医者も神父もおらず、こうした漁師たちが知恵を出し合って思いついた民間療法が主流となっている。

「おい、キナイ!前に出過ぎるな!!」

治療を受けていた漁師が2人の若い漁師と共に小舟でクラーゴンに接近している麦わら帽子の男を止めようと叫ぶ。

今のクラーゴンは沈めた船から出てきた食べ物に気を取られていて、隙ができている。

しかし、彼らの今の攻撃手段は銛だけで、銛程度では大きな傷を与えることができない。

燃やしてぶつけるためにけん引していた船は既にクラーゴンによって沈められてしまっていた。

クラーゴンはこちらへ向かう小舟の存在に気付いたのか、視線をそちらに向ける。

「まずいぞ…逃げろぉ!!」

「なら、その前に!!くらえ!!」

危険を察した漁師たちが小舟から飛び出していく中、キナイは持っている銛をクラーゴンに向けて投げつける。

銛はまっすぐ飛んでいき、クラーゴンの右目に突き刺さり、キナイも海へ飛び込む。

右目がつぶれ、そこから血を流すクラーゴンは腕で出血している個所を抑える。

これでただでさえ巨大なクラーゴンにさらに死角ができたものの、その痛撃で完全にクラーゴンを怒らせてしまった。

腕で周囲を薙ぎ払い、更には凍り付く息を吐き出す。

「下がれ下がれ!あの息を受けたら、戻れなくなるぞぉ!!」

「泳げ!!船まで泳げぇ!!」

ブレスに追いつかれる前に船へ乗り込もうとキナイは懸命に泳ぎ続ける。

(おかしい…クラーゴンはここまで凶暴だったのか…?)

キナイは過去に2度、クラーゴン討伐のために漁師たちと一緒に戦ったことがある。

1度目は追い払うだけだったが、2度目は運よく討伐に成功し、それを村まで持ち帰ることができた。

ナギムナー村では、クラーゴンを討ち取った漁師は村の英雄として村長から直々の表彰を受け、宴の際には倒したクラーゴンの足を焼いて作った巨大ゲソスルメを食べることができる。

これは本来、海の神への供物とするもので村人たちは食べることができない。

そのため、それを食べることは漁師にとっては名誉な話だ。

だが、今回現れたクラーゴンは2度であったそれよりもはるかに凶暴だ。

(奴を倒さないと、みんなが…!!)

「キナイーーーー!!!」

焦りを見せるキナイを仲間の声が現実へ呼び戻す。

自分の片目をつぶしたキナイへ怒りをにじませるクラーゴンが粘りのある脚でキナイを巻き付けて拘束する。

彼は片目の仇である彼をただ脚で薙ぎ払って殺すのでは飽き足らなかった。

憎しみを晴らすべく、ゆっくりと締め付けて殺そうとたくらんでいた。

「まずい!銛で狙えるか!?」

「無理だ!あいつ、キナイを盾にしようとしてやがる!狙えない!!」

「く、くそぉ…!ああ!!」

徐々に自分をからめとる脚に力がこもっていき、からめとられている個所を中心に激痛を覚える。

「くそ…!どうしたら…!!」

このままキナイを見殺しにするわけにはいかないが、銛を投げることもできない。

死角から銛を投げればどうにかなるかもしれないが、残っている小舟がキナイが使っていたものが最後で、他の漁船にも小舟はない。

「これは…おい、こっちへ派手な船が近づいてきているぞ!!」

「派手な船だと…?おい、危険だ!追い返せ!!」

派手な船という言葉が気になったものの、どうせ貴族が道楽のために作ったものだろうと考えた。

船を見つけた漁師は手旗信号でその船に離れるように指示を出す。

だが、船は手旗信号が見えていないのか、それとも無視しているのか、直進を続けていた。

「なんだよ、あの船!!こっちに近づいてきてるぞ!!」

「なんだと!?あの旗信号が分からなかったのか!?」

ロトゼタシアでは国別とは他に、国際的な手旗信号が存在しており、ナギムナー村の漁師たちも遠洋へ漁業をする漁師を中心にそれを学んでいる。

先ほど手旗信号で危険な魔物がいるから近づくなと伝達した彼も、よく遠洋まで行っていることから手旗信号を学んでいる。

「あら…!クラーゴンちゃんね。人が捕まっているわ!音響弾を用意!」

「合点!音響弾用意!!」

アリスの号令で、船員たちは積んでいる自衛用の大砲に音響弾を入れる。

そして、船の一番前に立っている船員が手旗信号を送る。

「ん…手旗信号?音響弾来る、耳をふさげ?」

「加勢なのか…全員耳をふさげー!!」

「信号送ったわね、撃って!!」

シルビアの命令で、クラーゴン付近めがけて音響弾が発射される。

クラーゴンの真上でさく裂するとともに鋭い音が鳴り響く。

強烈な音を聞いてしまったクラーゴンはびっくりし、つかんでいたキナイを離してしまう。

「ぐうう…痛い…」

「キナイ、大丈夫かぁ!!」

「あ、ああ…!大丈夫だ!ちょっと、聞こえづらいが…」

仲間の漁師の手を借り、どうにか漁船に乗り込むキナイだが、あの音響弾を聞いてしまったせいか、左耳が若干聞こえない感じがした。

だが、あのまま握りつぶされ、肉片になって死ぬよりははるかにましだ。

「さあ、エルバちゃんとベロニカちゃん、ロウちゃんはクラーゴンちゃんの動きを止めて!」

「分かった…」

「まっかせなさい!」

「どれ…やるとするかのぉ」

3人はトベルーラでシルビア号を離れ、ベロニカとロウはそれぞれベギラマとドルマでクラーゴンを攻撃する。

いつもなら出会わないはずの、呪文を使う人間に驚くクラーゴンだが、ベギラマもドルマもクラーゴンの分厚く、ぬめりの有る体を軽く焼くだけだ。

うるさいコバエを排除しようと、足を振り回すが、あくまで足止めだけが目的の2人は飛びながら回避に専念する。

その間、背後に回っていたエルバが退魔の太刀をクラーゴンの背中に突き刺し、そのまま上へと飛びながら切り裂いていく。

「ギャアアアアア!!」

耳障りな悲鳴と共に、鮮血がエルバを濡らしていく。

「動きが止まったわ、メラゾーマ弾用意!!」

「合点!!メラゾーマ弾装填!!」

切り札である灼熱の弾丸が特製の大砲に装填される。

ベロニカのメラミを秘術によって強化したものを詰めた砲弾だが、その威力が従来の大砲以上になるために頑丈な大砲でなければ自爆してしまう危険性がある。

そのため、シルビアは船員たちに指示して、その威力に耐えることのできる砲台を用意させた。

ただし、自爆する可能性に最初に気付いたのはカミュで、ここへ到着するまであと3日のところだった。

途中の無人島で材料となる鉱石を集めることもできないため、不思議な鍛冶セットと船の中にある修理用のパーツをフル動員させて作ることとなった。

もっとも、それでも耐えられるのは1発だけの代物だが。

砲弾も砲台も1発のみ。

だからこそ、絶好のタイミングでそれを撃ちこむしかない。

そして今、そのタイミングが訪れた。

「よし…姉さん!いつでもいいですぜ!!」

「撃ちなさい!!」

シルビアの号令と共に、切り札が発射される。

発射された砲弾はクラーゴンの額に命中すると同時に、聖石の中に詰められていた強化されたメラミが炸裂する。

激しい炎がクラーゴンを焼いていき、近くにいるエルバ達も退避するほどだった。

だが、やはり海でおそれられた魔物というだけあって、炎が収まった後も生きている姿を見せる。

顔面が黒く焼け、焦げ臭いにおいを漂わせる中、クラーゴンはゆっくりとシルビア号に迫る。

「エルバちゃん!!」

「ああ…」

退魔の太刀をしまい、2本のドラゴンキラーを抜いたエルバは一度シルビア号に戻り、剣にベギラマの魔力を纏わせる。

更にここでシルビアは重ねがけするかのように、口から炎を噴き、その炎をエルバの剣にまとわせる。

激しい炎を宿した剣は握っているエルバも暑さで体から汗が流れるほどだ。

その状態で再びトベルーラで飛び立ったエルバはゆっくりと迫るクラーゴンに正面から突っ込んでいく。

剣に宿っている炎を感じたのか、クラーゴンは海水をどんどん口に飲み込み始める。

攻撃される前に、鉄砲水を放ってエルバを吹き飛ばそうと考えたのだろうが、エルバのトベルーラのスピードには間に合わない。

とどめの刃がクラーゴンの頭を貫き、激しい炎がクラーゴンの体内を焼いていく。

それにより、クラーゴンは一瞬だけ大きくビクリと震えた後で動かなくなった。

「あっけなかったな…」

ダーハルーネで、満身創痍のエルバ達を窮地に追い込んだクラーゴンがメラゾーマ弾の一撃があったとはいえ、これほど簡単に倒れてしまったことにカミュは肩透かししたような感じがした。

「すげえ…あいつら、クラーゴンを倒しちまったぞ…」

「やったぞ!これでここの漁が安心してできる!」

「ありがとう、ありがとうな!!旅人さんたち!!」

戦いの一部始終を見ていた漁師たちが船をシルビア号に近づけ、エルバ達に感謝の言葉を口にする。

そして、元気な漁師たちが海に浮かぶクラーゴンの解体を始めた。

「すげえ、こんだけ足があれば、たくさんお供えできるだぁ!!」

「それよりも、ようやっとカカアとガキたちに会える…よかった、よかっただぁ!!」

「旅人さん達はナギムナー村の恩人だ、よかったら村でやる化け物イカ討伐祝賀祭に参加してほしいだよぉ」

「まぁ、お祭り!?いいわいいわぁ!!ぜひ、参加させてぇ!」

「おい、おっさん。最初の目的を忘れるんじゃねえよ」

目的はあくまでクラーゴンを倒すことではなく、キナイをロミアの元へ連れて戻ることだ。

キナイを連れ、すぐにでも向かいたいところだが、シルビアは首を横に振る。

「駄目よ、みんな多かれ少なかれ怪我をしているみたい。それに、クラーゴンとの戦いで疲れているはずだわ。あそこへはしっかり疲れを取って、準備してから出ないと」

「それはそうだけどよぉ…」

「…?なんのことだか、分からねえが、参加してくれるだな?」

「もちろんよ!おいしい料理を期待しているわ」

「もちろん、村の女たちが作ってくれる料理は格別だぁ!」

もうすっかり気分はお祭り一色だ。

だが、シルビアの言うことにも一理あるため、カミュはため息をつきながらもこれ以上の反対はやめた。

 

そして、ナギムナー村へ到着した日の夜…。

「さあ、じゃんじゃん作って、じゃんじゃん持っていきな!そうしないとあっという間に料理がなくなってしまうよ!!」

村の酒場にある厨房で、村の女性たちが料理を作り、盛り付けが完了すると同時に周辺に置いてあるテーブルへもっていかれる。

「かぁーーー!!うんめええ!やっぱり、保存食よりもあったけえメシが格別だぁ!!」

「うう…酒がうめえ!!犯罪的だぁ!!」

「おめえ、そんな言葉どこで覚えてきたんだ?」

クラーゴン討伐へ向かっていた漁師たちは故郷の味に舌鼓を打ち、無事に帰ってこれたことへの喜びをかみしめる。

中には酒を飲み過ぎて既に千鳥足になっていたり、海に嘔吐している人もいた。

「エルバぁ…ここにいるのかしら?」

途中でもらったクシにささった魚の塩焼きを片手に酒場へやってきたベロニカはエルバを探すが、酒場には彼の姿がない。

酒場の席には酒を飲んでいるマルティナの姿があり、ベロニカはその正面の席に座る。

「マルティナ、エルバを見てない?」

「少し前に見たわ。料理を食べてから、キナイを探しに行くって言って、出ていったわ」

「一緒に行かなかったの?」

「探すのは自分とロウ様で十分って」

「そう…手伝ってあげようって思ったのに」

漁師が戻ってきたことで一気に村にいる人の数が増えた。

どんちゃん騒ぎで、酒を飲んでいる人も少なくない中で大丈夫なのかと思ってしまう。

「少なくとも、酒場にキナイの姿はないわ。それに、もしかしたらここにキナイが来るかもしれないし、待つのも一つの手段よ」

「それもそうね。あ、マルティナ。この料理食べていい?」

机の上にあるのは今日近海で釣れたばかりの魚で作ったお刺身で、透き通った新鮮な色をしている。

「いいわよ、とてもおいしいわよ」

「やった!!」

「あー…悪いが、お子さんはできれば、酒場に…」

ベロニカが来るのを目撃していた村人がやんわりとベロニカに出るように促そうとする。

またこれか、と怒りかけるベロニカだが、マルティナが右手を出して制止する。

「私がちゃんと見ておくわ。お酒に手を出させたりしないから安心して」

「ん…?そうか、ならええが…」

大人であり、しっかりしているような雰囲気を見せるマルティナなら大丈夫だろうと判断したのか、村人はもう1度料理を食べようとその場を後にする。

「ありがとう、マルティナ。そういえばシルビア達は?」

「ああ、3人なら…」

 

酒場から少し離れたところで漁師や休憩中の女性たちがシルビアのナイフを使ったジャグリングや火吹き芸などを見ていた。

「うお!!すげえ、やっぱ旅芸人ってすげえなぁ!!」

「もっと、もっと見せてくれぇ!!」

中々旅芸人が訪れるには難しい位置にあるナギムナー村であるため、シルビアの芸を見ている人々は皆驚きを感じながらも、楽しんでいた。

シルビアが芸を見せるのは村人に楽しんでもらいたいというのもあるが、もう1つ目的がある。

「楽しんでくれてうれしいわ。そういえば、キナイって人は知ってるかしら?」

「ん…?キナイか。あいつはいいやつだよ。ちょっと付き合いが悪い感じがするけどな…」

「へぇ…村一番の漁師だし、もっと慕われているかと思ったわ」

村一番の漁師、というのは当たっているが、ロミアが語っていた人物像と若干異なっている。

この違いはどういうことなのか、どうしても気になってしまう。

(この違和感、どういうことかしら…?)

だが、芸をやっている以上は雑念でミスをすることは許されない。

シルビアは次の芸として、大玉を使った曲芸を始めた。

 

「さあ、これで大丈夫ですよ」

「ああ、ありがとなぁ…きれーな姉ちゃん…」

「どういたしまして、それでは次の方」

村長の家の前の広場では、セーニャが漁師たちの傷の治療を行っていた。

治療そのものは医者や村の女性たちもやっているが、村の外から来た天使のような僧侶による治療を受けられるということで漁師たちが長蛇の列を作っている。

「セーニャ、魔法の聖水持ってきたぞ」

治療をしているセーニャの元へやってきたカミュが彼女に魔法の聖水を渡す。

ちょうどMPが不安に思っていたセーニャはその人の治療を済ませた後で魔法の聖水を飲んだ。

「ありがとうございます、カミュ様」

「礼ならベロニカに言ってくれ。ここへの治療にキナイは来たのか?」

「いいえ。キナイ様のお姿はありませんでしたわ。ですが…話を聞くと、港で船の修理をしているとか…」

「祭りの時にか…?生真面目な奴なんだな」

ベロニカに言われて、魔法の聖水をシルビア号へ取りに向かう途中で、カミュは村人からキナイに関する情報を集めていた。

年齢は20代前半で、村一番の漁師であることはロミアの言う通りだ。

しかし、シルビアが感じたようなギャップを話を聞く中でカミュも感じており、祭り中なのに漁師の仕事をしているとなると人付き合いの悪いにも程がある。

「それにしても、治療しているのにけが人が増えているように見えるような…」

「はぁ…」

おそらく、セーニャの話を聞いた野次馬がけが人だと偽って集まってきているのだろう。

このまま彼女を放っておくわけにはいかなくなってしまった。

(じいさんとエルバが探してくれてる…。悪いが、俺はけが人から情報を集めるのを兼ねて、野次馬共を追い出さねえと…)

 

「手ひどくやられたな…マストが痛んでる。だが、もう少しすれば、明日は楽に直せるな…」

祭りが行われている酒場から離れた、桟橋に係留されている漁船をキナイはたった1人で修理をしていた。

クラーゴンとの戦いで破損したものだけでなく、他にも漁を続けたことで修理が必要になった船の修理もしている。

祭りで手伝いに来てくれる人は一人もいないが、むしろその方がキナイにとっては都合がよかった。

「あんたか…?キナイって漁師は」

「ん…?ああ、あんたは」

振り向くと、そこにはエルバとロウの姿があった。

見慣れたい姿だが、おそらく自分たちを助けに来てくれた人だろうと思い、再び船に目を向けて作業の手を動かす。

「クラーゴン倒してくれてありがとうな、おかげで安心して漁ができる。だが、今日の主役であるあんたらが抜けだしたら村の奴らが寂しがるぞ。早く言ってやったらどうだ?」

「実を言うと、この村に来たのはキナイ、おぬしを探すためなのじゃ」

「俺を探すため…?悪いが、俺はただの漁師だ。探されるようなことをした覚えはないぞ?」

自分を探すようなことをするのは母親くらいだろうと思っているキナイはあまり身に覚えがなく、奇妙に感じたのか作業の手を止める。

「実は、ロミアという人からあんたを探してほしいと依頼された。白の入り江で待っていると」

村に伝わる人魚伝説のこともあり、名前を出すだけで彼女が人魚であることを隠す。

だが、彼がキナイなら、名前を言うだけで何かしらの反応があるだろうと思った。

「…?悪い、身に覚えがない。他をあたってくれ」

「…?」

「はて…?ロミア殿を知らぬ、と?ここで聞き耳を立てる者はおらん。隠す必要はないじゃろう?」

「隠す…?知らない人間のことを隠して何の意味があるんだ?」

まったく意味が分からない様子にエルバとロウは困惑する。

名前が同じだけで、別人物なのか?

村一番の漁師であり、キナイという名前であれば、彼で間違いない。

だが、ロウは彼から違和感を抱いていた。

ロミアの話では、キナイは荒波のように男らしく、潮風のようにさわやかで、海のようにおおらかな漁師だ。

そして、海のような青い瞳で、左の二の腕のあたりに傷跡がある。

麦わら帽子を深めにかぶっている点は一致しているが、それ以外は若干彼女の言っていたようなイメージと異なっている。

目の前にいるキナイはどちらかというと優男で、よく見ると彼女の言っていた傷跡がなく、瞳はとび色だ。

いくらぞっこんだとはいえ、ここまで間違えるものなのだろうか?

「まさかとは思うが…おぬしと同じ名前の漁師がこの村にもう1人おるのか?」

「じいさん、冗談はよしてくれよ。この村でキナイって名前の男は俺だけで…いや、ちょっと待て」

ロウの質問を笑ったキナイだが、何か考えるかのように作業の手を止める。

考え終わった後で、キナイは船から出て、エルバ達の前に立つ。

「まさか、そのロミアって女は…人魚、じゃないだろうな?」

答えようとするエルバだが、いったん周囲を見渡して、自分たち以外に人がいないかを確認する。

その後で、肯定するように首を縦に振り、キナイは納得したかのように答える。

「もしかしたら、あんたらが言っているキナイって男は俺の祖父かもしれない。俺の祖父の名前もキナイだ」

「祖父…??どういうことだ?」

「あんたら、人魚の呪いの話は聞いたことがあるか?」

「ああ。あんたの母親が紙芝居で子供たちに教えていた」

「そうか…なら、話は早いな。単刀直入に言えば、その伝説で出てくる漁師がキナイ、俺の爺さんだ」

「何…!?」

信じられない言葉にエルバとロウは驚く。

だが、考えてみるとロミアはキナイのことをどれだけ待っているのかを言っていなかった。

そして、ナギムナー村にキナイという名前の人物が他にいるとしたら彼の祖父のみ。

本当にロミアはキナイの心を奪うために魂を奪ったのかとさえ思ってしまう。

「どうやら、そうらしいな…。俺の爺さんが人魚に会ったのは50年前。この伝説は実話だ。どこまで話を聞いている?」

「…人魚と結婚するために村を飛び出そうとしたが、失敗して船を燃やされ、しじまヶ浜に幽閉されたところまでだ」

「そうか…。その話は母さんからうんざりするほど聞いた。続きを話してやる」

椅子代わりに木箱に座ったキナイはふぅ、と大きく息を吐いた後で空を見上げる。

この話は誰にもするつもりはなかった。

母は子供の頃のキナイに夜眠る前に良くその話をして、彼が大人になってからはそれを紙芝居にし、伝え廻っている。

だが、正直に言うとそういう話を覚えておきたいとも思っておらず、むしろ忘れたいと思っていた。

だから、彼女が死んだ後でおとぎ話に変わり、風化していくことを願った。

しかし、まさかここで、よそ者にとはいえ話すことになるとは、これも呪いの一つなのだろうか。

ようやく決心がついたのか、キナイは口を開き、続きを話し始めた。

 

その事件から10年後、キナイの許嫁だったダナトラは別の男性に恋をし、結婚し、子供を授かった。

相変わらずキナイは幽閉されたままで、しじまヶ浜から出ることが許されないままだった。

彼はずっと、村人から出される水と食料を食べ、幽閉されている家に閉じこもるか、海を眺めるだけの日々を過ごし続けた。

そのころには人魚の呪いも、キナイの名前すら最初からいなかったかのように忘れ去られていた。

だが、その忘れ去られたはずの事件が再び掘り起こされる事件が起こった。

村の漁船が大嵐に巻き込まれてしまった。

それはかつて、キナイが遭遇したもの以上のひどい嵐だったと、かつての生存者が言っている。

その嵐で漁船が沈み、生き延びた船員は初陣だった3人と漁師になって1年目の若者1人のみ。

船員のほとんどが死んでしまい、その中には村長とダナトラの夫も含まれていた。

それから、後を追うようにダナトラとその子供も行方不明となった。

最初は不幸な嵐だと思われたが、いつしかこのようなうわさが広がった。

この嵐は人魚が起こしたもので、キナイを手に入れられなかったことへの報復ではないか、と。

村人たちは真実を突き止めるため、しじまヶ浜のキナイの元へ急いだ。

だが、そこで待っていたのは、ずぶ濡れになったキナイと赤ん坊の姿だった。

村人たちはその赤ん坊を人魚の子だと恐れ、より一層彼を遠ざけるようになった。

 

「…傍から見たら、とんでもない作り話が混ざっているな。あんたの母親が人魚の子?冗談じゃない」

「そういってくれて助かる」

最初、自分の母親が人魚の子供かとエルバ達が言うかもしれないと思っていた。

だが、それをただの作り話と割り切ってくれた。

一安心したキナイは笑みを浮かべ、話を進める。

「あんたの言う通り、母さんは人間だ。海辺に捨てられた赤ん坊を爺さんが育ててくれたのさ。だから、祖父とは言うが、あの人とは血がつながっていない。だが…みんながみんなそう割り切って考えられる奴らじゃない。好き勝手に母さんを人魚の子だと噂する奴が村にいた…」

もう少し話すつもりでいたキナイだが、気になったのか、周囲を見渡す。

その後で立ち上がり、エルバたちの後ろまで歩いていく。

「見せたいものがある。人魚が祖父を今でも待っているなら、こいつを渡してほしい。ついてきてくれ」

 

教会の裏にある錆びだらけの鉄格子の先へ向かい、往来の邪魔になっている草やツルを切りながら進んでいく。

長年誰も立ち入っていないためか、腰の高さまで草があり、月明りも木で隠されてしまっている。

ようやくその進みづらい場所を越えると、そこには小さな砂浜があった。

オアシスが1本伸びていて、その下にはいくつか放置された状態の墓が並べられている。

そして、浜の近くにある大岩の上にはボロボロになった家屋があった。

「ここがしじまヶ浜…。爺さんが幽閉され、そして死んだ場所だ…」

母親から人魚の呪いの話を聞いてから、キナイはしじまヶ浜を嫌い続けていた。

そのため、ずっとここへ来ることなく、おそらく2人が来るまでは、死ぬまで立ち寄ることもないだろうと思っていた。

キナイは大岩の上にある家のドアを開ける。

かつて、祖父と母が住んでいたその家は長年主がいないためか、蜘蛛の巣が張り、カビが生えていた。

隙間風が合唱するかのように吹き込み、身震いしてしまう中、部屋の陸側の隅にひっそりと置かれている箱を開く。

その中には透き通った紫色のヴェールが入っていた。

こうしたヴェールは外との取引でないと手に入れられないものだ。

だが、つけられている真珠はおそらく、村のものだろう。

きっと、ナギムナー村へ戻る途上で商船から手に入れたもので、若干のハンドメイドを加えたのかもしれない。

この家の中に、ヴェールを作れるような設備も素材となるものもない。

「こいつは…祖父の遺品だ。母さんが言うには、爺さんは死ぬとき、こいつを握りしめていたらしい…。あんたの話が本当なら、これを人魚に渡してほしい。そして、あんたの待っているキナイは死んだと伝えてくれ」

「…分かった」

ヴェールを受け取り、了解してくれたエルバに安心したキナイはその場に座り込む。

「これで、ようやく爺さんのことで踏ん切りをつけることができる。俺たち家族がこの村で暮らすのは楽なことじゃない。母さんが結婚できたのは、爺さんが死んだ後だ。後ろ指さすような人がいただろうに、今じゃそれをネタに紙芝居なんてしてる。強い人だろう?」

小さいころはどうして、そんな話を紙芝居なんかにして伝えたりなんかするのかと気になっていた。

友達は家族のことをそれほどひどく言うことなんてない。

子供心に聞いてみたことがるが、母親は何も答えてくれなかった。

ただ、ちょっぴり寂しそうに笑うだけだった。

「俺も、認められるために必死に修行を積んだ。それがいつの間にか村一番の漁師だ。爺さんの名前を受け継いだ俺がだぜ?笑えるだろう…。俺は、人魚が許せない。俺の子孫には…人魚の呪いでさげすまれるような人生を送ってほしくない。話はこれで終わりだ。俺は少しだけ、ここで休む。あんたらは祭りが済んだら、そいつを渡しに行ってくれ。それから…ここでの話はどこの誰にも言わないでくれ…」

「…分かった」

キナイを置いて、エルバとロウは四十万ヶ浜からナギムナー村へと戻っていく。

一人残されたキナイはごろんとほこりまみれの床に寝転がる。

さざ波だけが聞こえ、祭りの喧騒はここに響いてこない。

(不思議だな…。ずっと嫌いなこの場所が一番、心地いいなんてな…)

あまり友人ができないキナイはそうした騒ぎが苦手で、静かな場所で過ごすのが好きだった。

祭りの間、船の修理をしていた最大の理由がそれで、その方が彼にとって心地が良かった。

だが、いつまでもここにいたら母親に心配されるかもしれない。

そろそろ戻った方がいいと思い、起き上がったキナイはふと、出入り口の扉のそばに隠れるように置かれているものに目を向ける。

布がかけられているが、形だけを見ると、キャンパスであることは間違いない。

この家のことは母親から聞かされていたが、入ったのは初めてで、この布がかけられたキャンパスについては聞いたことがなかった。

(ヴェールだけじゃなかったのか…。爺さんが遺したものは…)

だが、これもヴェールと同じように人魚に関するものなのだろう。

だとしたら、これ以上人魚の呪いにかかわるものを残しておくわけにはいかない。

燃やしてしまおうかと思い、キナイはそれを手にする。

かけられていた布が払われ、その中にあるものを見たキナイの手が止まる。

「これは…!?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第43話 呪いの真実

「困ったわね…まさか、ロミアの言っていたキナイが50年前の人だったなんて…」

「人魚は人間の何倍も寿命を持つ生き物じゃ。もしかしたら、あのお嬢さんはそのことを忘れていたのかもしれんのぉ…」

シルビア号で白の入り江へ戻る中、食堂でロウ達はキナイから言われた真実をロミアに伝えるべきか否かを話し合っていた。

「難しいわね…。ロミアちゃん、本気でキナイちゃんのおじいちゃんのことが大好きみたいだし…50年以上もずっと待っていたんだから」

気の遠くなるほどの時を待ち、待ち人がすでに死んでいることを知ったら、大きな絶望を抱くことになるだろう。

きっと、その人の後を追うことまで考えてしまうほどに。

「なら、伝言を伝えるか?村を出るために準備をしてるから、もう少し待っていてくれとか?」

「嘘をつくというの…?」

「穏便に済ませたいなら、だがな…。ったく、他人の恋愛事に首を突っ込むとろくなことがねえな…」

おまけに、その恋愛事はただの男女ではなく、人間の男と人魚の女性という種族を越えたもの。

身分違いの恋以上に、悲劇で終わる可能性が高いものだ。

「ふむ…約束はあくまでも連れてくるのではなく、様子を見に行くじゃったからのぉ。その点では既に依頼は解決しておるが…」

「辛い真実と優しい嘘…どうすればいいのよ…!」

ロミアを傷つけないことを考えると後者だが、結局それは彼女を待ち続けるという時の牢獄に死ぬまで閉じ込めさせるのと同じだ。

それよりも、前者を選ぶことで、傷つくことにはなるが新しい一歩を踏み出すきっかけにさせるのも一つだろう。

だが、どちらを選んでも、どんな結末になるかは誰にもわからない。

「エルバ、お前はどうする?一応、聞いておくぞ」

問題はずっと黙り続けているエルバの答えだ。

黙り込んでいるが、このことを考えているのは確かで、難しい顔をし続けている。

「一応、みんなはどうしたいんだ?参考までに聞いておきたい」

「私は…真実を伝えるべきだと思うわ。これは受け入れるしかないこと…逃げることはできないわ」

幼いころに母親を亡くし、それを受け入れることができなかったことをマルティナは思い出す。

だが、そうすることができたのは母親代わりをしてくれたエレノアの存在が大きかった。

彼女のようなおせっかいを務めることのできる人がいるかどうかは分からない。

「あたしも同意見よ。いつまでも白の入り江に閉じ込めさせるようなことをしたら駄目よ」

「私は…嘘をつくべきだと思います。ロミア様を傷つけたくありませんわ」

「私もセーニャちゃんと同じ意見よ。あの子が悲しむのを見たくないわ」

 

「色恋にかかわるのは、もうごめんだな」

マルティナとベロニカ、シルビアとセーニャで意見が分かれる。

カミュに至っては、もう答えを出すことすら放棄している状態だ。

「これを満場一致で決めるのは難しい…。じゃが、白の入り江まではかなり時間がある。到着まで、しっかり考えて決めればよいじゃろう」

「ロウちゃんの言うとおりね。この話は今はここまでにしましょう?まずはちゃんとご飯を食べないと」

立ち上がったシルビアはパンパンと手を叩き、話し合いはそこで終了する。

もうすぐ船員たちが交代してご飯を食べにくる時間帯だ。

エルバ達はその中に混じってご飯を食べることになる。

食堂から出るエルバ達は無言のままで、普段は何かしら話をするセーニャとベロニカも同じだった。

 

夜になり、薄い赤のパジャマ姿になったベロニカが自室のベッドで横になり、天井を見る。

(正直、こんなの答えが出てこないわ…。あたし、そういう恋をしたことないし)

話し合いの時はマルティナに同調したものの、正直に言うとどちらがいいのかは今も悩みっぱなしだ。

それが魔力にも影響してしまっており、今日魔物に襲われたときは、思うようにメラミやベギラマを命中させることができないことがあった。

ラムダの里では同年代の異性と付き合った経験がなく、いつもセーニャと共に修行に明け暮れていた。

ベロニカにとって、恋は物語の中で出てくるロマンチックなものという印象が強い。

うらやましく、同じような恋をしてみたいという思いがあるものの、恋は時には人に過ちを起こさせるものでもある。

祖父のキナイがロミアと結婚するために、ダナトラや村を捨てようとしたときのように。

悩むせいで、中々眠りにつくことができない。

そんな中、小さなノック音がドアから聞こえてくる。

「セーニャ…?」

「はい、お姉さま…。開けてもよろしいですか?」

「…いいわよ」

ガチャリ、と扉が開き、薄緑のパジャマ姿のセーニャが入ってくる。

ベロニカと一緒にベッドの端に座る。

いつもなら、ここで何か思いつきでベロニカが話し始めるところだが、今日はそのようなことをしようとは思えない。

しばらくの間、沈黙が続き、聞こえるのはかすかな波の音だけだ。

「お姉さま…私…」

「悩んでるんでしょ?あたしも同じ」

答えは出しているけど、本当は悩んでいる。

そんなことは言わなくても分かっていることだ。

「お姉さま、覚えていらっしゃいますでしょうか?一緒に読んだ、人魚と会った王子様のお話を」

「ずっと昔に読んでもらったわよね。けど、何だったかしら…?あの本の続きって…」

白の入り江で話したことを思い出しながら、ベロニカはあの本の続きを回想する。

王子と人魚は互いにひとめぼれしたものの、やはり種族の違いと人魚の掟の存在からすぐに恋人同士になることはなかった。

王子は無人島でひっそりと暮らしはじめ、人魚は時折彼の元へやってきて、彼の抱く寂しさをやわらげた。

だが、やはりそうした思いを封印し続けることはできず、人魚は彼と結婚するために人魚の長を説得した。

しかし、人魚の長は掟を優先し、そのようなことを認めるはずがなかった。

そして、王子は大臣に居場所を知られてしまい、追手に狙われつつあった。

それを知り、彼の元へ向かった人魚だが、その時にはすでに追手は全滅していたが、王子は深手を負っていた。

「それで、確か王子は人魚に連れられて海へ行って、そこで…」

「ええ。種族違いだからというよりも、人間同士の争いのせいで…」

だが、物語はそれで終わるわけではない。

ここから先にも続きが存在する。

「2人とも、そろそろ寝る時間よ。ちゃんと寝ないとお肌に悪いわ」

ノックと共に、部屋の外からシルビアの声が聞こえる。

「では、お姉さま。戻りますね…」

「うん、セーニャ…また明日」

セーニャが部屋を出るのをベロニカは寝転がって見守る。

このまま起きていても、決して答えが出ない。

だったら、明日のためにも休む方がいいと考え、ベロニカは目を閉じた。

 

「おい、エルバ。そろそろ交代だ。さっさと船室に戻れ」

真夜中にメインマストの展望台へ登ってきたカミュは見張りをするエルバに声をかける。

だが、エルバはカミュに目を向けず、手にはキナイから受け取ったヴェールが握られていた。

「お前も、どうやら悩んでいるようだな」

「…ああ」

「ったく、マーメイドハープ…というより、グリーンオーブを手に入れたいだけなのに、こんな回り道するなんてな」

展望台で、エルバの隣に立ったカミュはいつもよりも多い雲を見つめる。

そのせいで月が隠れ、明かりは手元にあるランタンだけが頼りになる。

しばらく2人とも黙ったまま、船の周囲を見ていた。

そんな中で、エルバがようやく口を開く。

「エマのことを…思い出した。彼女を失ったときは…」

「エルバ…」

「彼女に、俺と同じ絶望を味合わせると思うと、どうか…な」

ホメロスからエマのことを聞かされたとき、怒りだけでなく深い悲しみも覚えた。

もしかしたら、真実を突き止めることで、運よく生き延びた彼女と再会することができるのではないかという淡い希望がその時に壊れてしまった。

「俺にはその痛みは分からねえ…。だが、もし目的を果たした後でそれを知ってしまったら…どうなってただろうな?もしかして…知らない方がよかったか?」

「…どうだろうな…」

知ってしまった以上、それを比較するのは難しい。

きっと、その淡い期待を唯一の慰めとして戦い続けたかもしれない。

そして、その真実を知って絶望し、きっとその先の未来を描くことができないだろう。

今のエルバは彼女たちの無念を晴らすために戦い続けている。

目的が少し変化しているだけだが、やっていることには変化がない。

だが、それはやるべきことが同じだっただけだ。

ロミアにとってはキナイと再会し、結婚することが目的となっており、この真実を知ることは目的の喪失とつながってしまう。

「結果なんてわからないよな…。良かれと思ってやったことが、むしろ悪い結果を生んでしまうことだってあるんだからよ」

もしデルカダール王にイシの村のことを教えなかったらどうなっていただろうと思ってしまうことがよくあった。

そうしたら、きっとイシの村は焼き払われずに済み、エマ達を失うこともなかっただろう。

もしくは、拷問されて無理やり吐かされることになったかもしれない。

同じ行動をしたとしても、状況によって異なる結果が生まれてしまうのはよくある話だ。

ホメロスの性格を考えると、きっと拷問されて、そのころのエルバだったら、きっと吐くことになっていただろう。

「結果は分からない…か。なら、お前はどうしているんだ?どうやって選択する?」

「…そうだな、その時に一番いいと思ったものを選択する。だから、ダーハルーネでお前をかばうときは何の迷いもなかった」

「そのせいで死にかけたのに…か?」

「まあな。だけど、お前もしかめっ面になったくせにお人よしだよな。一応、盗賊の俺を助けに来ちまうんだから」

「当たり前だ。これ以上、身近な奴に死んでほしくなかったからな」

「身近…ねぇ」

イシの村を失ったエルバにとって、その身近な人は今、周囲にいる仲間だけになってしまった。

だからこそ、彼らを失うことを内心恐れているのかもしれない。

彼の言動から、カミュはなぜかそのように思ってしまった。

「俺はお前がどっちの選択をしたとしても、それが一番だと思って選んだんなら、何も言わねえ。だが、後悔だけはするなよな。後悔はネガティブにするだけだからよ」

「勝手なことを言う…意見も言わなかった癖に」

「ほっとけ」

エルバは展望台から降りていき、船室へ戻っていく。

カミュはランタンの油を調べた後で、1人で見張りを始めた。

 

「おかえりなさい!!随分とお戻りが遅いから、私とても心配してしまいました!!」

白の入り江の中央に岩場に腰掛けるロミアはエルバとシルビア号がやってくるのを見た瞬間、ほっとした様子を見せる。

他の仲間は全員船の中で、今ロミアの前にいるのはエルバ1人だけだ。

「もしかして、あなた方やキナイの身に何かあったんじゃないかって思って、不安でずっと祈りの歌を歌っていたの!」

「歌が趣味なのか…?」

「ええ。これでも、歌ったり作ったりするのが好きなのよ!それで、キナイは…?キナイはどうでしたか??私を…私を迎えに来てくれますか!?」

じっとエルバを見つめ、答えが出るのを待つ。

考えるように目を閉じたエルバはここまで行く間に考え、出した結論を思い浮かべる。

その答えが何をもたらすかはわからない。

だが、エルバにとってはこれが今考える中で一番ベストな答えだ。

「ロミアさん、聞いてくれ…。あんたの待ち人は…キナイは、もういない」

「いない…?」

「確かに、ナギムナー村にはキナイって男がいた。だが、その人はあんたの知っているキナイとは別人だ。あんたの知っているキナイは…もう死んでいたよ」

「死んでいた…?エルバさん、何を言っているの??」

何か達の悪い冗談なのかと思い、首をかしげるロミアだが、エルバはじっと自分を見つめ、その真面目な表情から、冗談で言っていないことが分かる。

だんだん笑顔が消えていき、顔が青くなる。

「そして…これがあんたへの贈り物だ」

エルバは預かっていたヴェールをロミアに手渡す。

「これはキナイがあんたに渡すために用意していたものだ。彼は死ぬとき、これをずっと握りしめていた…」

「嘘…嘘よ!!だって、必ず迎えに来るって、約束してくれたもの!!」

約束してくれた時のキナイの笑顔、そして握ってくれた手のぬくもりを今も覚えている。

そんな彼が約束を果たすことなく、死んでしまうことなど考えられない。

だが、エルバ達は長い時間をかけてナギムナー村を往復し、キナイを探してきてくれた。

そんな彼らが嘘をついているとは思えない。

「…ごめんなさい、エルバさん。私は…彼の死を自分の目で確かめるまで、とても…信じられない。貴方があったというキナイに会わせてください。私を…ナギムナー村に連れて行って!」

「…あんたにとって、つらい事実と向き合うことになるんだぞ?いいのか…?」

「かまいません!お願い…私を、私を納得させて…」

涙をこらえ、懇願するようにロミアはエルバを見つめる。

今のナギムナー村は彼女が行くにはあまりにも危険な場所だ。

もしも、村人に見つけられたら、どうされるか分からない。

あのキナイも人魚を憎んでいる。

百歩譲って、会うことができるとしても、それが可能なのはしじまヶ浜だけだろう。

「分かった…後ろからついてきてくれ。そこからは追って指示するから、それに従ってくれ。ほかの人に見つかるわけにはいかないからな…」

「分かりました。わがままを言ってごめんなさい」

 

「今、アリスちゃんと確認したわ。ナギムナー村へ戻るまでの水と食料はどうにかなるって。着いたら、そこでかなり買い足さなきゃならなくなるけど…」

「悪い…」

「気にしないで。エルバちゃんが出した答えなんでしょう?」

ウインクしたシルビアだが、すぐにその表情から笑顔が消える。

しじまヶ浜であれば、村人に見つかることなくキナイと会うことができるかもしれない。

問題なのはキナイの反応だ。

キナイに怒りをぶつけられ、ロミアに深い絶望を与えてしまう可能性だってある。

「エルバ…ロミアはキナイが死んだのを確かめた後、ちゃんと立ち直れるのかしら…?彼女にとって、彼との約束がすべてだったみたいだから…」

「彼女を信じるしかない…。彼が死んでいたからって、人生すべてが終わるわけじゃないとこと知っている…とてもつらいことだが…」

「エルバ…」

エマやイシの村を失ったエルバだから、この結論を出すのは簡単なことではなかったことはみんな知っている。

だから、エルバがロミアに真実を話したことについてはだれも反対しなかった。

「まさかとは思うけど、あのキナイの後を追って死んじゃうなんてことはないわよね?そんなことになったら、なんのためにあたしたちは…」

「今は信じるしかない。ロミア殿のことを…」

このような恋愛は多くの場合、悲劇で終わってしまう。

現実でも物語でも、そのような前例は多く存在する。

すべては、ロミア次第だ。

 

深夜のナギムナー村に到着し、静まり返った村を抜けたエルバ達は再びしじまヶ浜に到着する。

村人に気付かれないように、船は外洋で止めて、村へは小舟で入った。

真夜中であるためか、誰も外におらず、起きている村人はわずかだ。

途中、村の祭りで聞いたキナイの家を調べたが、なぜかキナイの姿がなく、母親はすっかり心配していた。

「あんたら…また戻って来たのか」

キナイはあの家の前の崖に腰掛けていて、エルバの姿を見た瞬間、驚くとともにゆっくりと立ち上がる。

キナイの警戒心を解くために、しじまヶ浜へはエルバが1人で来た。

これはロミアにつらい事実を突きつけたことへの、エルバなりの責任の取り方だった。

「なんで、ここに…?」

「さあ…なんでだろうな…?それで、俺をまた探しに来たのか?」

「ああ…またあんたに用があって来た」

「…人魚のことか?」

不快感をあらわにするものの、どこか期待していたかのようにつぶやくキナイはエルバに近づく。

エルバ達が来るとなると、やはり前のように人魚関連のことだと分かっていた。

だが、エルバ達以外からそのことを話せるよりははるかにましだとも思っていた。

好奇心ではなく、純粋に真実を知りたいだけなのだから。

「そうだ…。実は、その人魚を…ロミアをここに連れてきている。あんたに会いたがってな…」

「何だと…?俺に…」

彼女が愛するキナイではなく、なぜその孫である自分に会おうとしているのか。

ヴェールを渡した時、そして初めて会った時に自分がそのキナイではないことを確かに説明し、おそらくエルバ達もそれを伝えているはずだ。

エルバはあまりいい答えは得られないものだと考えていた。

キナイにとっては、ロミアは母と自分の人生をゆがめた元凶だ。

「憎んでいることは分かる。だが…彼女を納得させるためには…」

「…ロミアは、ここにきているのか?しじまヶ浜に…」

「会って…くれるのか?」

完璧にとは言わないが、どこか乗り気な言葉にエルバは表情を変えないものの、若干言葉を詰まらせる。

キナイも、もしかしたら少し前までは会うことなく追い返していたかもしれない。

だが、今のキナイには憎んでいる彼女に会ってでも確かめたいことがあった。

「それで…俺の爺さんのことの決着がつくのならな…」

「分かった。こっちだ」

キナイと共に浜辺へ降りて、墓場の前まで向かう。

そして、海面に向けてメラを唱え、小さな火球が海面に接触すると同時にボンと音を立てて消える。

それを合図に、海の中からロミアが出てきた。

ロミアを見た瞬間、キナイの表情は固まるものの、目を背けることなく、じっと見つめていた。

そこには彼女への憎しみの色はなかった。

あるのは、実在したことへの驚きだけだ。

「あの絵の通りだ…彼女が、ロミア…」

しじまヶ浜の家の中にあったキャンパスを思い出す。

そこに描かれていたのは夜のしじまヶ浜で、あのヴェールをつけたロミアの姿だ。

ヴェールはつけていないものの、まさしくあの絵の通りだ。

おそらく、これは晩年に祖父のキナイが彼女を思って描いたものかもしれない。

一方のロミアはキナイを見つめ、最初は笑顔を見せたものの、やはりというべきか、徐々に暗い表情になっていった。

「あなた…キナイじゃないのね…」

「ああ、そうだ。あんたの知っているキナイは俺の祖父だ。あの人はもう…」

「分かっているわ。エルバさんから聞いてる…」

ロミアの目にはエルバ達の背後にある墓場が映っていた。

人間は死んだ人を葬るため、そしてその魂が命の大樹へと還り、再びロトゼタシアで生まれ変わることを願って墓を作る習慣があることをキナイから聞いたことがある。

もしかしたら、その墓の中には愛するキナイのものがあるかもしれない。

「キナイは…こんな寂しいところで、1人ぼっちで…死んでいった…。人魚の寿命は500年。人間の一生は私たち人魚の多くても5分の1しかない…。そのことをすっかり忘れていたわ…」

ロミアがキナイ以外に人間と触れ合ったのはエルバ達しかいない。

キナイを愛し、結婚して共に生きる。

そのことで頭がいっぱいになり、その大切な、種族が違うことによる悲しい運命のことを忘れてしまった。

「…あれから、こんなに時間が流れていたのね…」

ロミアは両手で顔を隠し、静かに泣き始める。

エルバから聞いた時から覚悟していたとはいえ、やはり愛する人がこの世にいないことは身を引き裂かれる以上につらいことだった。

そのことを知っているエルバには、ロミアにかける言葉が見つからなかった。

しばらく泣き続けたロミアは涙を拭き、エルバに作り笑いを見せる。

「エルバさん、わがままに付き合わせてしまってごめんなさい」

そうつぶやいた後で、ロミアはヴェールを身に着ける。

その姿はまさに、描かれていた通りのものだった。

ロミアは両手を使って砂浜へと向かおうとする。

「やめろ…!」

ロミアが何をしようとしているのかが分かったエルバは手を伸ばし、彼女を止めようとする。

人魚は海なしでは生きることができない。

海から出てしまった人魚は再び海へと戻ったとき、泡となって消えてしまう。

だが、その前にキナイがロミアの前に立ちはだかり、彼女を止める。

「どうして…?キナイは、キナイはあのお墓に…」

「違う、爺さんの墓はここにはない…。今から案内する」

麦わら帽子を外し、上半身を裸にしたキナイは海へ入り、ロミアを先導するように手を動かして合図を出す。

漁の中で、何度か夜中の危険な海へ飛び込んだ経験があるようで、その泳ぎも慣れたところがある。

暗がりの海を泳ぎ、しじまヶ浜から少し離れた海の底の、海藻であふれているところに小さな石造りの墓がポツリと置かれていた。

キナイはその墓に指を差していた。

「これが…キナイの墓。でも、どうして?どうしてこんなところに…??」

他の人達と同じ墓にすら入れてもらえなかったのか?

それも、自分のせいなのか?

ロミアは愛おしげに墓に触れる。

「キナイ…逢いに来たわ。でも、本当は…生きて、ちゃんと会って…結婚したかったわ…」

墓を抱きしめたロミアは静かにそれに唇を重ねる。

その姿は、キナイが母から聞いていた呪いをかける人魚のものではなかった。

 

しじまヶ浜へ戻ってきた2人だが、互いに会話することなく、沈黙していた。

だが、少なくともロミアは海から出ようとすることはなく、その点だけは安心できた。

「…あそこに葬って、墓を作ってほしいって頼んだのは爺さんだ。それで、母さんが結婚した父さんと一緒に葬って、墓を作った…」

「キナイが自分の意志で…でも、なんで…」

答えを言うことなく、キナイは抜いた服の中から手紙を出す。

茶色く変色しているため、一目で古い手紙であることが分かった。

「…これは?」

「家の中で見つけた。爺さんが遺した、ロミア…あんたへの手紙だ」

「私への…キナイ…」

この手紙はエルバ達が再びここに来るまで、何度も読み返した。

その手紙のおかげで、少しだけキナイは祖父のことを理解することができた。

そして、母親のことも。

キナイは手紙を広げ、ゆっくりと読み始める。

 

愛する人へ

君に助けられたあの嵐の日から、君を迎えに行くことだけを支えに生きてきた。

けれど、すまない。

俺はもう、君との約束を果たすことができない。

俺が村を追われて10年近く経った頃だ。

ひどい嵐が起こって、多くの漁師が死んだ。

ダナトラの夫と村長もだ。

その数日後、しじまヶ浜の崖の上に赤ん坊を抱いた女がいた。

かつての許嫁だった人、ダナトラだ。

ちょうど、幽閉されていた小屋の戸のあたりから見える崖で、人間がそこから海へ身を投げたら簡単に死んでしまう。

彼女は生きる希望を失っていた。

大きな悲しみを抱えていた彼女を止めようと俺は必死に声をかけたが、彼女には届かなかった。

彼女は俺の目の前で海へ飛び込んだんだ。

俺は彼女を救おうとしたが、結局助けられたのは赤ん坊だけ。

彼女を…ダナトラを見つけることができなかった。

なぜ彼女がここを選んだのかは今も分からない。

自分を捨てた俺へ生き地獄を与えてやろうと思ったのか、気まぐれか、それとももっと別の何かなのか…?

その日から何カ月か経ったが、いまだにその答えが出ていない。

助けた赤ん坊は元気に育っていて、俺にすっかり懐いている。

彼女を…赤ん坊の母親を殺したのは俺も同然だというのに。

彼女には俺が必要だ。

俺だけが幸せになるなんてことはできない。

そのために、人魚の呪いの物語を作り、俺のような身勝手な行動が多くの人を不幸にしてしまうことがないように、戒めにする。

君の仲間を貶めるような言葉をどうか許してほしい。

俺にはもう、君を迎えに行く資格はない、愚かな男だ。

だが、これだけは信じてほしい。

俺は君を愛している。

君を愛したことを後悔していない。

だから、ここで…いつまでも、君の幸せを願っている。

 

「キナイ…」

「きっと、爺さんは分かっていたんだ。自分が死んだことを知ったら、あんたが何をするか…。だから、海の中に墓を作ってほしいなんて頼んだんだ。あんたに、生きて幸せになってほしいから…」

「そんなの…私が、私だけが幸せになったって、意味なんて…」

今まで我慢してきたロミアだが、耐え切れずに声を上げて泣き始める。

ロミアにとっての幸せは海の中でおくるはずだったキナイとの結婚生活だけだ。

それが失われた以上、ロミアには幸せなんてない。

願うことなら、今すぐにでもキナイの後を追いたいとも願った。

だが、そんなことをしたら彼の思いを裏切ることになる。

「死にたい…」

「駄目だ!!」

先ほどよりも大きな声で叫び、2人の視線がエルバに向けられる。

そして、足首がつかるくらい海へ入ったエルバはじっとロミアを見つめる。

「…歌を、作ればいい」

「歌を…?」

「あんたとキナイとの思い出だ。確かに、あんたの愛する人はいない。だが、その人を愛したという事実は残っている。そうだろう?その事実を…人魚と人間が愛し合ったという事実を歌にして、海で伝えていけばいい。それがあんたの生きる理由になる。理由があれば、それを目的にして、生きることができるだろう…?」

「…」

エルバの言葉に返事をすることなく、ロミアはただひたすら泣き続けた。

鳴き声も涙も、海が飲み込んでいき、村へ届くことはなかった。

 

「…ありがとう、エルバさん…そして、キナイ…」

泣き終えて、少しはかなさを感じさせる笑みを見せるロミアは2人に礼を言う。

頭にはあのヴェールがつけられたままだ。

「私はこれから旅に出るわ。私とキナイのことを歌にして、海のみんなに伝えていく。もう、あの人に会うことはできない。けれど…確かにあの人を愛したことを伝えることができるのは私だけだから…」

目を閉じたロミアは静かに歌を歌い始める。

すると、彼女の目の前に水色のサンゴで作られたハープが現れ、ゆっくりとエルバの手へと浮遊していく。

「これはマーメイドハープ、約束のものよ。これを内海の中心で弾いてくれたら、人魚たちがあなたを導いてくれるわ。不思議な形の岩場が目印よ」

「ああ…ありがとう」

手にしたマーメイドハープは若干ごつごつした見た目に反して、ぴったりと手に吸い付いていて、なぜか脳裏にそれの弾き方が浮かんでくる。

「きっと、人魚たちも歓迎してくれるわ。じゃあ、行かないと…もう会うことはないかもしれないけれど、あなたたちの幸運を願っているわ」

もう月は沈んでおり、もうすぐ日が昇る。

これ以上ここにいてはならないと考え、ロミアはエルバ達に背を向けて海へ入ろうとする。

だが、その彼女の手を再び海へ入ったキナイがつかむ。

「キナイ…?」

「なぁ…もし、でいい…。もしその歌ができたら、俺に聞かせてほしい…。爺さんとのことを、いろいろ聞きたい…」

確かに、人魚の呪いの物語は母と自分を苦しめるものだった。

だが、それは子孫や村人たちの幸せを願った祈りでもあった。

祖父のことを知ったキナイの中には、もう人魚への憎しみも、祖父への戸惑いもない。

あるのは純粋な、祖父が本来どういう男だったのかを知りたいという思いだ。

「分かったわ。時間がかかるかもしれないけれど、聞かせてあげるわ…」

笑みを浮かべるロミアはじっとキナイの自分の腕をつかむ手を見る。

キナイは慌てて手を離すと、ロミアのその手を優しく包み込むように両手で触れる。

「暖かい手…キナイそっくり…」

「爺さんとは血がつながっていない…。だけど、爺さんと同じように、村一番の漁師になるために鍛えてきた…」

「そう…。この手、どうか大切にして…じゃあね…」

ゆっくりと手を離したロミアはしじまヶ浜から離れていく。

そして、日の出とともに海の中へと消えていった。

日の出とともに消えていった彼女を見つめていたキナイは彼女に包まれた手を見つめる。

目を閉じると同時に、その手をぎゅっと握りしめた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第44話 人魚の女王

雲一つない、晴れやかな空の下、シルビア号はロミアが教えてくれた岩場を目指して進んでいく。

「まさか、また内海に戻って、しかもグロッタへ戻る航路を使うなんてな…」

「岩場そのものは船乗りの間では有名な話みたいね。海の神様が宿っているみたいな話みたいよ」

そのためか、海図にはその岩場の場所が正確に記入されており、アリス達も迷わずそこへ向けて船を操っている。

ただ、連日の長距離航海を続けたことで、船員たちの疲労の色が見え始めている。

「人魚の王国なら、追跡の心配はないわ。そこで、アリスちゃんたちを休ませてあげれればいいけれど…」

船員たちにとっての大きな敵の1つが疲労で、特に突然のアクシデントが起こりやすい海では、一瞬の判断が運命を左右することだってある。

デルカダールに追われて旅をしているならなおさらそうで、わずかな疲労のせいでコンマ1秒の差を生むことだってある。

白の入り江とナギムナー村を何度も往復し、その間休憩する暇をなかなか作ることができなかった。

船での旅に慣れているカミュやシルビア、マルティナはともかく、セーニャやベロニカ、エルバと高齢なロウにとっては慣れないことで体力がどれだけ持つかが問題になる。

「姉さん、見えてきたでげす。岩場です!!」

アリスが指さした方向には、円状にまるで人工的に置かれたかのような岩場が見えてくる。

「間違いない…ここだ」

エルバが手にしているマーメイドハープからは淡い光が発しており、それと共鳴するかのように、岩場の中央から青い光の柱が出現する。

「このまま船を光の中へ。そして、そこでハープを弾けば…」

「待って、エルバ!!こういう場面は…!!」

エルバから無理やりマーメイドハープを取ったベロニカはそれをセーニャに手渡す。

「ここは、竪琴を使うセーニャがやらなきゃ!それに、しかめっ面のエルバが弾いてもねぇ…」

「…悪かったな」

「お姉さま…」

「ほら、遠慮なく弾きなさいよ。小さいころの夢がかなうのよ。人魚の暮らしている国へ行ってみたいって」

それはあの人魚の物語を読み終えたときに、セーニャがふと口にしたことだ。

海を実際に見たことがない分、それへのあこがれが強かったのか、不意にそんなことを幼いセーニャが口にしていたのをベロニカは今も覚えていた。

ベロニカの言葉で、その時の事を思い出したセーニャは嬉しそうに笑みを浮かべる。

「なら、仕方ねえな。セーニャ、いい曲を頼むぞ」

「はい…!」

「いよいよ、人魚の王国ね…グリーンオーブの手掛かりをやっとつかめる」

「では…」

シルビア号が光の中で止まり、セーニャは目を閉じてマーメイドハープを弾き始める。

頭の中に浮かんでくる楽譜に従い、穏やかな波のような音を奏で続ける。

奏でるとともに周囲を包む光が強くなり、周囲の海からはボコボコと無数の泡が出てくる。

「え、ええ!?何が、何が起こるでがすかぁ!?」

こんな現象は見たことのないアリスら船員たちが動揺する中、次第に泡がつながりあってシルビア号を包むほどの巨大な泡へと変わっていく。

奏で終わると同時に、シルビア号を包む泡はそのままシルビア号もろとも海へと沈んでいった。

「海の中へ…入っちまった…」

「呼吸ができる…マーメイドハープのおかげか…?」

「船が勝手に進んでるでがす…ひええ!!」

泡の周りを見たアリスはびっくりするあまり腰を抜かしてしまう。

船の周囲には透明な人魚たちがいて、彼女たちに導かれるようにシルビア号はアリスの制御を離れて進んでいた。

「一体…これは…」

「マーメイドハープが生み出した幻影です。彼女たちがあなた方をあなた方の言う人魚の王国、海底王国ムウレアへと導いているのです」

急にエルバ達の脳裏に聞いたことのない女性の声が響き渡る。

耳をふさいでも聞こえて来て、その声は若さを感じられるが、どこか母性と威厳の両方を宿していた。

「あなたは…?」

「私はムウレアの女王、セレン。あなた方がなぜここへ来たのかは分かっています。どうか、私のいる城まで来てください。ムウレアは…あなた方を歓迎します」

透明な人魚に導かれ、どんどん暗い海底へと進んでいく。

しかし、そんな海底からポツリと淡い光が見えてきた。

その光に近づいていくと、次第に海底の石やサンゴ、沈没船などで作られた家屋が並んでいるのが見えてくる。

そして、それらの集合体の北側には巨大な岩でできた城が建てられていた。

「これが…人魚の王国…」

「見て、セーニャ!人魚がいるわ!!」

ベロニカが指さしているところには、5人の人魚が歌を歌いながら泳いでいた。

他にも、魚が混ざったかのような亜人や鮫、アンコウや亀といった海の生物たちも集まっていた。

「ようこそ、勇者エルバとその仲間たち…。海底王国ムウレアへ…」

 

船は町から少し離れたところで止まり、見張りと思われる槍を手にした人魚3人が泳いでやってくる。

その中の1人、薄緑のツインテールをした女性がエルバのをじっと見る。

「女王様のおっしゃられた通りですね。あなたが勇者エルバ…」

「なぜ、俺のことを…?」

ロミアとは会っているものの、彼女がムウレアへ戻って自分のことを伝えてくれているとは考えにくい。

それに、海底で有名になるようなことをした覚えもない。

「女王様には不思議な力があります。その一環で、あなた方のことが見えていたのです。勇者様たちに、こちらを…」

人魚はエルバ達に真っ白な貝殻でできた首飾りを1つずつかけていく。

「これは…?」

「人間はこの海の中では生きていくことができません。この首飾りを身に着けることで、このムウレアのみですが、あなた方はセレン様の加護の元、陸と同じように動くことができます」

エルバ達だけでなく、船員たちにも首飾りが配られていく。

そして、これまでシルビア号を包んでいた泡が消えてしまったが、エルバ達は水中であるにもかかわらず、呼吸することができている。

「私はフィリーネ、セレン様の近衛の1人です。皆様をこれから、セレン様の元へご案内いたします」

 

シルビア号を離れたエルバ達はフィリーネに先導されながら、城へ向けて歩いていく。

「ムウレアって、人魚だけじゃなくて、魚とか亀もいるのね…」

「見てください、お姉さま!!鮫と亀がお店をしていますよ。何か買っていきましょうよ!!」

ムウレアに来ることができたことに興奮しているのか、セーニャがベロニカを引っ張って勝手に店まで行ってしまう。

「あのー、すみません。こちらで扱っている防具を売っていただきたいのですが…あれ??もしもし??」

亀の正面に立ち、何度も声をかけるが亀は首をかしげていて、まったく動きを見せない。

どうしてなのかと首をかしげる中、人魚の1人がやってくる。

「人魚ならともかく、それ以外の生物は人間の言葉が分からないのです。教えるのが遅れてしまい、申し訳ありません」

「そう…ですか…」

しょんぼりするセーニャの背中を押し、ベロニカはエルバ達と合流する。

街中を歩いていると、本来なら捕食対象であるはずの魚と一緒に泳ぐ鮫がいたり、沈没船の上で何か裁判をしている男の人魚と魚の姿もあった。

人魚や魚介類ばかりであることを除くと、この光景は人間の街とあまり変化がないように思えた。

エルバはそんなことを感じる中、セレンの城の正門の前に到着する。

先頭にいるフィリーネが門番の人魚と一言二言会話した後で扉が開く。

中に入ったエルバ達だが、そこは何もない暗がりの部屋で、上へ上がる階段もない。

「うーん、何もないわね。隠し階段で上がるのかしら?」

「いいえ、階段は必要ありません。私たちがセレン様の元へ運びます」

上から更に4人の人魚が降りて来て、フィリーネを含む7人がエルバ達の手を取る。

そして、ゆっくりと上へ泳ぎ始めた。

暗がりが上がるにつれて徐々に明るくなっていく。

開けた場所まで上がると、そこには人魚の近衛2人に左右を守られている金髪の人魚の姿があった。

真珠でできたティアラをつけ、右手には大きな真珠がついた杖を持っている。

尾びれは錦鯉のように優雅で、彼女の身長は2メートル近くある。

「こちらがムウレアの女王、セレン様です。セレン様、エルバ様たちでございます」

「ご苦労様です、フィリーネ。下がっていてください」

「はい…!」

敬礼をしたフィリーネはほかの人魚たちと共に下がっていく。

女王の間にはエルバ達7人とセレンだけがいる状態になった。

「俺の名前を知っている…?」

「代々伝わる魔法のおかげです。それで、地上のすべてが分かるのです。あなた方が求めているものは…こちらですね」

セレンは左手に透き通った緑色のオーブを出し、それをエルバ達に見せる。

「グリーンオーブ…」

「ムウレアで手がかりが手に入ると思ったら、まさかムウレアにそのものがあったなんて…」

「外海の人魚が沈んでいるのを見つけて、私に献上してくれたものです。人間の世界にも、海とは違う美しいものが存在する…。海底に届かない日の光が閉じ込められているかのように…」

100年前、それを献上しに来た人魚の言葉を今でも思い出す。

この美しい宝石を生み出すものが地上にあり、いつか海と地上が共に生きられる世界になったら、もっと素晴らしいものができるだろうと。

だが、望めば叶うほどこの世界は甘いものではないことはよくわかっている。

今回はそのもっともたる一例だろう。

「ロミアのことは知っています。大変、お世話になりました。さあ、これであなたが使命を全うすることを願います」

ふわりとグリーンオーブが浮かび、エルバの前までゆっくりと進んでいく。

エルバがそれを手に取ると同時に、痣が光り始めた。

オーブの中にある魔力を感じ取ったのだろう。

「わたくしは見ていました。ロミアとキナイのことを…。陸に上がった人魚は泡となって消える…。そして、人間は人魚ほど長く生きることができない…。この掟と運命を越え、愛し合おうとしたのは彼らが初めてではありません…。人間と人魚が共存できる道を100年以上探しましたが、今でもかなうことのない夢です」

「当然だな…。そもそも種族が違うんだ」

「ええ…。住んでいる世界も違います。そして、人魚から見れば人間は力も体も弱く、未熟な心を持っている存在。だからこそ、とても危うい。けれども…瞬きのような一生の中で何かを求め、力強く生きる姿はひときわ輝いて見えるのもまだ事実」

だからこそ、人間に恋をする人魚も生まれるのだろう。

とある魔族が言っていた言葉がある。

魔族は長寿であるがゆえに人生の密度は薄く、ただ長い歳月をだらだら生きるだけという者も珍しくない。だからこそ、自分たちから見たら寿命がはるかに短い人間たちのそうした姿が輝いて見えてしまい、嫉妬してしまうのかもしれない、と。

生きている限り、ないものねだりで、それ故に憎悪し、それ故に愛してしまう。

だからこそ、人間と人魚が恋に落ちるのも必然かもしれない。

「ロミアはこれからも、長い時を旅して、自分とキナイの愛を伝え続けるでしょう…」

「それが、正しかったかは分からないがな…」

あの時は直感で言ったにすぎず、理由も無理やりでこじつけだ。

結果的にロミアが自ら命を絶つような悲劇は免れたが、それが正しいのか、それともロミアを苦しませ続けるだけなのかはわからない。

「それは、彼女が自ら生きて決めること。貴方には感謝しています。彼女が生きて、何かを見つける機会をくれたことを。そして、キナイとロミアが命の大樹の導きの元、再び巡り合う日を祈りましょう…」

セレンは目を閉じ、静かに祈った後で、再びエルバを見つめる。

「あなたがこうしてムウレアへやってきて、私がグリーンオーブを託す。これもまた、世界のご意思でしょう、勇者エルバ。長い旅の疲れを取るために、少しの間ムウレアに滞在されてはいかがでしょう?」

「何…?」

「時には休息も必要なこと。ここならば、あなた方を狙う存在から身を隠すこともできます」

「そうだな…俺は賛成だ。俺らはともかく、アリス達の疲労をこのままにするわけにはいかねえからな」

海底であれば、ムウレアへ向かうすべのないデルカダールのことを気にすることなく身を休めることができる。

常に身を隠すことを考えなければならない旅の中で、これは貴重な機会だ。

「うむ…それに、オーブを集めていることなどデルカダールには知られてはおらぬことじゃ。オーブを先に手に入れるようなことはせぬじゃろう」

「…分かった。少し世話になる」

「ありがとう、勇者よ。城の中で、休める部屋を用意します。町へも自由に出ていただいて構いません。…どうか、宿命の中にある勇者にかすかな休息を…」

 

真夜中のデルカダール城内には警備の兵士以外の姿がなく、仕事のない使用人たちはすべて宿舎に戻って眠りについている。

2階の階段を上り終えたところの左手側には王の寝室があり、2人の兵士が交代で守られている。

階段を上る足音が聞こえ、兵士たちは腰にさしている剣に手を置き、にらむように階段を見る。

カチャリ、カチャリと金属の鳴る音が聞こえて来て、やってきた男を見た兵士たちは安心したかのように剣から手を離し、敬礼をする。

「ご苦労。陛下に話がある。通してもらえないか?」

「ホメロス将軍。失礼ですが、陛下はすでにお休みになっておられます。申し訳ございませんが、明日に…」

デルカダール王が寝室に入ったのは3時間も前で、時刻を見てももう日をまたいでいる。

いくら将軍とはいえ、こんな時間に話をさせ、王が休む邪魔をしてはならないと思った兵士たちは丁重に断ろうとするが、ガチャリと背後のドアが開く。

そこには紫のパジャマ姿をした王がいて、ホメロスは即座に彼にひざまずく。

あっけに取られている兵士たちだったが、あわてて王に振り返り、その場でひざまずいた。

「ホメロスか…。入れ」

「はっ…」

「陛下…よろしいのですか?」

「構わん。貴様らはこのまま見張りを続けよ」

ホメロスを寝室に入れたデルカダール王は扉を閉じる。

兵士たちは再び元の仕事に戻るが、どこか釈然としないものを感じた。

「なぁ…なぜこんな時間に将軍が来たんだ?」

「さあな…?きっと勇者についてなのかもな…」

彼らに思い浮かぶのはそれだけだ。

勇者がやって来た日から、デルカダール王はとりつかれたかのように勇者の捕獲に躍起になっている。

最近はグレイグが対象を務める勇者追討部隊が結成され、新型艦のキールスティン号を受領し、既に旅立っている。

そのキールスティン号を作るために、かなりの税金が使われており、国民に追加の税を徴収してまで完成を急いでいた。

それほどまでに勇者を捕まえるのが重要なことだと王が国民の前で宣言していたことから、反発は思ったほど大きいものではなかった。

「でも…おかしくないか?」

「何がだ?」

「だってよぉ、ホメロス将軍は勇者追討の任にはついていないんだぜ?それはグレイグ将軍が一任されているんじゃあ…」

ホメロスは内海で行われるデルカダールの艦隊の軍事演習及び危険な魔物の討伐の任があり、ダーハルーネで勇者を取り逃がしていることもあり、既に勇者追討の任を解かれているはずだ。

そんな彼が真夜中に王を起こしてまで伝えなければならない知らせを持っているとは思えない。

「まあまあ、いろいろと秘密があるんだろうさ。俺らは俺らの仕事をしてりゃあいいんだ」

「そんなものか…」

政治でも国の重大事でも、何かしら秘密にしなければならないことがある。

その秘密を聞かずに、ただ目の前の仕事を淡々とこなす。

そうした心構え、大人の対応をしてきたから、今でも兵士として働くことができている。

相棒はいまいちそのことを納得していないようだ。

「とにかく、あと1時間で交代だ。帰りに酒でも飲むか?」

「んー?ああ、そうだなぁ…ああ、眠い…」

こういう些細なことは酒を飲んで寝れば忘れる。

忘れてしまうということはそんなに大したことでもないのだろう。

そう思いながら、仕事を再開した。

 

「…その話は誠か?ホメロス。勇者が…オーブを集めていると…」

ゴオゴオと燃える暖炉の前に立ったまま、デルカダール王は隣に立っているホメロスに目を向けることなく話す。

レッドオーブがなくなっていることは既にグレイグから報告を受けており、その付近の旅立ちの祠でエルバ達の姿を発見していること、そして彼と共に死刑囚であるカミュがいることを考えると、エルバが持っている可能性が高い。

「はい、既に4つのオーブが勇者の手にわたっております」

ただの盗賊が盗む程度であれば、面倒ではあるが国宝であるため、死刑にするだけで済む話だった。

だが、まさか集め出したとなると事情が変わってくる。

「いかがなさいます?一刻も早く勇者を…」

「いや、お前は本来の任務である演習をしながら、次の連絡を待て。来るべき時が来たら、お前にしかできない仕事を任せる」

「私にしかできない仕事…ですか…?」

驚きの余り、デルカダール王に振り向くホメロスの手に王の手が当たる。

そして、彼はじっとホメロスの目を見た。

「貴様を見込んでのことだ。その役目を果たした暁には…貴様の真の望みをかなえてやろう」

「ありがたき…幸せにございます。陛下…」

 

「ふむ…なるほどのぉ。まさかムウレアがローシュ様が生きておられた時代から存在していたとはのぉ…」

「ええ。かつてはローシュ様もこの地に来ていたという話を聞いております。おそらく、セレン様が人魚と人間の共存を目指しておられるのはこのこともきっかけとなっていることでしょう…」

城内の図書館で、長老と呼ばれているムウレアでは最年長なうえに人の言葉が分かる亀との話を終えたロウは手に入れた本を片手に廊下を歩く。

持っている本はやや匂いがするものの、地上で使われている紙とほぼ同じ品質の紙でできていた。

ムウレアでは海藻を使って紙を作ることができるようで、この匂いはその海藻由来のもののようだ。

海で生きているムウレアの人々はそうした匂いに慣れているため気にしていないものの、普通の地上の人々にとっては慣れない匂いだろう。

この本にはムウレアでのローシュの足跡が書かれているという。

文字はムウレアで使われているものであるため、旅の中で解読しながら読んでいくことになるだろう。

だが、解読しながら読むのはロウにとっては楽しいことのため、そのことはあまり気にしていない。

「ふむ…まぁ、1週間の滞在の間は難しいかもしれぬが…うん?」

海の中で読むのもいい体験だろうと、城の外に出たロウが最初に目にしたのは城のそばにある広場で2本のドラゴンキラーを振るうエルバの姿だった。

動きの邪魔にならないよう、上半身が裸の状態で行っており、髪は汗でびっしょりと濡れている。

「すごーい、勇者様って剣を2本使うのね」

「もう3時間くらいやってるぞ…休憩すればいいのになぁ」

エルバの姿を見ている人魚たちが口々に話しているが、エルバはまったく興味を示していない。

村にいたころは傷一つなかった肌は魔物との戦闘をいくつも重ねてきたためか、ところどころに傷跡ができている。

強さを求める戦士や武闘家にとっては、そうした傷跡の数々はいくつもの修羅場を潜り抜けた勲章となっている。

だが、勇者であり、真実を突き止めることとデルカダールへの復讐を考えるエルバにとってはどうでもいい話だ。

「精が出ておるようじゃな」

「じいさん…」

ロウの声が聞こえたエルバは動きを止めてからロウに振り返る。

もらったばかりの本をしまったロウはエルバの目の前へ歩いていく。

「一人ではなかなか訓練にならんじゃろう?少し…ワシが相手になってやろう」

「…別にいいぞ」

仮面武闘会での戦いやこれまでの旅の中でロウの実力が分かっているエルバは特に止めることなく、素直に応じる。

素直に応じてくれたことがうれしかったのか、ニコリと笑った後でロウはゆっくりと呼吸をしつつ、右足を後ろへ下げた後で半月を描くように地面をこすりながら前へと移動させていく。

その動きと共に、ロウの体が魔力の幕で包まれていき、次第にそれが燃えるように青く光る。

「これは…??」

この姿にはエルバも心当たりがある。

イビルビーストとの戦いでカミュと共に、デスコピオンとの戦いでシルビアと共に起こした現象そのものだ。

「カミュとシルビアから聞いておる。もしやと思い、調べたが…なるほどのぉ…感覚が若いころに戻ったような感じじゃ…ゾーンというべきじゃろうな」

「一体…どうやったんだ?」

どちらの時も自分の痣の力によってその状態になることができた。

だが、ロウはそれに頼ることなく、強いて言えば自分の魔力を依代にしてこの状態に、ゾーンに入っている。

しかし、その光も徐々に収まっていき、やがて元に戻ってしまった。

「ふうう…もう少し魔力を籠めればもっと継続できるじゃろうが…後から来る疲労を考えるとこれが限界じゃなぁ…。さて、かわいい孫にネタ晴らしをしようかのぉ!」

得意げに笑うロウを見て、真面目に言ってくれとあきれたエルバだが、そのネタに興味を感じたのか、じっと彼を見て答えを待つ。

「かつての勇者、ローシュ様も同じようにゾーン状態となることができた。そして、そなたがカミュやシルビアにやったように、同じ状態となった者と共に強力な連携攻撃を行うことができる」

「連携…」

カミュと共に放った合成呪文のことが頭によぎる。

ロウの言葉が正しければ、ゾーン状態になったおかげで、普通ではありえない呪文を使うことができたのだろう。

実際、あの後でもう1度同じことをやってみようと試みたことがあるが、ゾーン状態になっていないがために毎回失敗した。

「ゾーン状態そのものはすべての生命が持っている力。故にローシュ様が使うことができたとはいえ、なにも珍しいことではないのじゃ」

ロトゼタシアに生きるすべてがそのゾーン状態になる力を秘めている。

そう考えると、もしかしたらゾーン状態は命の大樹が与えてくれた、生きる意志の力そのものなのかもしれない。

「じゃが…ゾーン状態は生死の狭間に立たされるといった極限状態でなければ発動する可能性が低い」

「なら、爺さんはどうしてなれたんだ?」

「体の魔力を制御して、肉体と本能にその状態であることを警告させたのじゃ。じゃが…これでは長くは維持できないようじゃな…。おそらくじゃが、勇者の力にはおぬし自身や儂らがゾーン状態になるハードルを下げてくれるのかもしれん…そう思ったのじゃ」

ゾーン状態は数は少ないものの、魔物やあらゆる生物がなった例がある。

だが、同一の生命体が2度3度とゾーン状態になったという例はローシュ一行を除いて、一つもない。

エルバが2度も、しかも1度は自分ではなく別の誰かの生命の危機という状況で目覚めた。

しかも、自分だけではなく、カミュやシルビアといった仲間とほぼ同時に。

「エルバ、そなたにも念のために自力でゾーンに突入する術を教えておこう。じゃが…あまり多用しない方が良い。かなり…疲れるからのぉ」

「…分かった、やるとしたら、あんたみたいに魔力を操作するのか?」

「そうじゃ。そのためにも、そなたにランダ流の修行を受けてもらおう。きっと、これから役に立つじゃろう」

「ランダ流…俺は賢者じゃないぞ?」

「別にすべてを習得する必要はないんじゃ。自力でゾーンに突入する術を教えるといったじゃろう。これをしなければ、とても自力ではできぬぞ」

ゾーンしたうえでの連携技のすさまじさを知っている以上、そしておそらくこれから戦うことになるだろうホメロスやグレイグと戦うためにも、この技術は必要だということはエルバも分かっている。

だが、ベロニカやセーニャ程呪文が使えるわけでも、魔力があるわけでもない。

そんな自分にできるのかどうかという不安はあるが、今はそれを考えている場合ではない。

「分かった…やり方を教えてくれ」

「そうか…!じゃあ、まずはこれからやるワシの動きを真似するところから始めるかのぉ…」

本当なら、座学とこれからやる実践を複合して行いたいと思っていたが、ムウレアを離れればこうしたゆっくりとした時間を取ることが難しくなる、

それに、エルバくらいの年齢でこうした修行をうけていたが、自分は自ら選んだ本を読んだりするのは好きだったものの、他人から読まされるのが苦手で、座学がどうしても馴染めなかった。

師匠が厳しい人で、座学をさぼるとお仕置きが待っていたため、それだけは勘弁と必死に受けた。

座学と実戦は複合することによってより大きなレベルアップにつながるが、このいわばゾーン必中だけを覚えるだけならば、悠長にそのようなことをする必要もないだろう。

「まずは…こうして同じように動いてみるんじゃ」

さっそくロウは先ほどやったのと同じように足を動かし始める。

それを見たエルバも同じように動き始める。

「そうじゃ…じゃが、スピードと正確さが重要じゃ。同じように体を動かしたとしても、それだけで制御できる魔力に大きな違いが出る。それに、呼吸も…」

教えていると、不意にロウの脳裏に幼いころのエレノアの姿が浮かぶ。

昔はよくこうして愛娘に暇な時間を見つけては昔の物語などを教えていた。

アーウィンと結婚し、エルバが生まれたときには彼女と同じことをしてやりたいと考えていた。

だが、今やっているのはそんな平和なものではなく、戦うための技術の教授だ。

しかし、ウルノーガを倒すためにも、そしてエルバ自身が生き抜くためにもこれは必要な技術だ。

(わしはもう70…。アーウィンとエレノアのことを考えると長すぎるくらい生きておるな…)

もしかしたら、旅の途中で病気になって死んでしまってもおかしくない年齢だ。

ウルノーガを倒すまでは死ねないし、死ぬつもりもない。

だが、万が一に備えて、エルバのためにできることはしておきたかった。

(もう目の前で若い者が死ぬのは…耐えられんからのぉ…)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第45話 メダル女学園

東以外の三方を険しい山で囲まれ、その中にいくつもの森と山が存在するメダチャット地方。

東に隣接しているソルティアナ海岸とは土砂崩れで寸断されており、外部との交流が遮断された状態になっている。

復旧工事が終わらない限りは、外の地方の人が入ることができない場所と化していた。

「ふああ…釣れねえなあ…」

そんなメダチャット地方に存在する巨大な湖で、麦わら帽子をかぶった村人が釣りを楽しんでいる。

近くにある海峡と地下で繋がっており、この地方の人々はそこで塩を確保している。

海の魚も生息しており、中には彼のように魚を釣る人もいる。

最近は魔物が活発になっていて、村の外へ出るのをためらう人々が多い。

だからこそ、誰にも邪魔をされずに釣るチャンスだと考えているのだろう。

だが、残念なことに3時間経過しても釣れる気配がない。

「こうなったら、少しポイントを…うん??」

釣り糸を戻した村人は湖が光り始めたことに気付く。

そんな話は見たことも聞いたこともなく、首をかしげながらその光景を見る。

次の瞬間、湖から光の柱が発生する。

「どひゃあ!!ななな、なんだぁ!?!!?」

何が起こったのか分からず、驚きの余り村人は村へ逃げ帰っていく。

光が収まると、そこにはシルビア号の姿があった。

「メダチャット地方…で、いいのか?」

「ああ、間違いねえ。で、ここはメダチャット湖だ。まさか本当に入れるとはな」

「ええ。マーメイドハープとセレン様に感謝しなければなりませんね」

ユグドラシルでも見つけられなかったメダチャット地方への入る手段が今セーニャが持っているマーメイドハープだ。

ムウレアを離れる際、セレンから力を与えられ、一時的にシルビア号ごと海へもぐることができるようになった。

ただし、無制限に海の中に入れるわけではなく、泡の中の酸素がなくなる前に会場へ戻らなければならないという制限がかかっている。

やはり船が来ることを想定されていないようで、湖には大きな桟橋はない。

「陸へ上がるには、小舟を使ったほうがよさそうだ。で、あとはメダル女学園へ向かえばいいだけだな」

メダル女学園はこの地方の北西に存在することは分かっている。

あとはどのようにして交渉するかだ。

ユグドラシルが集めた情報によると、シルバーオーブはその学園に長く存在する宝石で、グリーンオーブのように簡単に譲ってもらえるものではない。

しかも、エルバ達はデルカダールにとってはお尋ね者。

そんな自分たちに家宝に相当する物を譲るようなお人よしはそんなにいない。

「行くだけ行くしかないな…。だが、シルビア号はどうする?このまま放置するわけにはいかないだろう」

湖の中に海で使うシルビア号が残っていると、不自然でこの湖に来た人々から不審に思われるかもしれない。

「近くに森があるわ。ちょうど木の陰に隠れられそうね。カモフラージュしておけば、見つかることはないと思うわ。船員たちは待機させて、場合によっては移動させるわ」

「分かった…。小舟を用意させてくれ。さっそくメダル女学園へ向かうぞ」

「メダル女学園…人里離れたところに学校があるなんて、不思議ね…」

どの国や町でも、学校は町中に作るもので、一番近い場所でもプチャラオ村へは距離がある。

寮があるとはいえ、それでも水や食料の確保が難しいだろう。

「小舟の準備ができたわ」

「うむ…。さて、皆の者、行くとするかのぉ」

 

白壁と年季の有る木材でできた校舎がそびえ、左右には多くの種類の花が咲く庭があり、中央にはメダル状の広い運動場がある。

校舎の入り口には校章となっている小さなメダルが大きく描かれている。

「ふーん、旅人とは珍しいなぁ…。東の道はふさがってるのに…どうやって入ったんだ?」

正門を守っている女戦士がジロリとエルバ達を怪しそうに見つめる。

数カ月前に偶然この地方にやってきて、出られなくなってしまった旅人がいるとしても不思議ではない。

プチャラオ村は観光地域でもあるため、旅人がよく来るからだ。

だが、その場合はこんなところには来ず、プチャラオ村に滞在しているはずだ。

何が目的があるのかとじーっと見つめる。

少しまずい状態だと思ったベロニカは周りを見て、正門に貼られている壁紙にピンとくる。

「実は、あたしたちここの一日入学っていうのをやってみたいの!」

「うん…一日入学?」

「そう!!あたしたち、ここにずっと入学したいって思っていたの!ここで学んでいるあたし達をイメージできたらって思って!」

「お、お姉さま…??」

いきなり何を言っているのかと困惑するセーニャのスカートを握ったベロニカは壁紙のある方向に指をさす。

それはメダル女学園1日入学体験期間中を知らせるものだった。

「そうね。当日参加できるって聞いたけれど、今からでも大丈夫かしら?」

「当日参加か…ちょっと、待っていてくれ。学長と相談してみる」

女戦士は中にいる警備の戦士と会話した後で校舎へと走っていく。

時間帯は朝の8時くらいで、そろそろ朝礼が始める。

「1日入学か…。となると、俺らは外で待つしかないな」

「とはいうけれど、侵入する気まんまんなんじゃない?」

遠目で校舎や運動場を見ながら残念そうに言うカミュをベロニカはジト目で見る。

その視線が耐えられないのか、カミュはベロニカを見ることができなかった。

 

朝礼の時間が始まり、運動場には赤いリボンタイをつけた薄黒のセーラー服の少女たちが集まってくる。

一番幼くて9歳くらいの、年長では18歳の少女たちが集まっている。

その中に、同じ制服姿のセーニャとベロニカも入っている。

交渉の結果、ベロニカの姉妹であるセーニャもよろしければ、ということで1日入学が許された。

エルバ達は2人の父兄ということで、学園に入ることが認められている。

ここまでなら女子ばかりという点を除けば、普通の学校と変わらないかもしれない。

「これは…予想外だなあ」

「どんだけありえねえ学園なんだよ…」

校舎側の見学席に座るカミュの顔が引きつり、ロウとシルビアは興味深そうに眺める。

なぜか、集まっている女子の中にリップスやスライム、ホイミスライムやピンク色の髪をした腐った死体などの魔物も紛れている。

みんなそれに疑問を抱かず、魔物たちも少女たちを襲う気配がない。

「なんだか…ちょいと懐かしいな…」

「どうした?」

「いや、遠い昔のことを思い出してな…」

一緒に朝礼をする魔物たちを見るカミュは不意に、幼いころに起こった出来事を思い出していた。

魔物たちと共に旅をしていた日々が彼にはあった。

仲間の魔物たちとはもう長い間会っていないが、元気でやっているかが気にかかる。

「昔?それが今の…」

「おっと、この先を聞くのは野暮だぜ?そろそろ朝礼が始まるぞ」

校舎の正面扉が開き、その中から真っ白で豊かなひげを蓄えた、赤い外套と緑の厚手の服を着た小柄の老人が出てくる。

首からは大きなメダルの飾りがついた首飾りをかけている。

彼がこの学校の学長だ。

運動場まで歩いてくる彼に、生徒たちは一礼をし、セーニャとベロニカも遅れて一礼する。

そして、学長は朝礼台に上ると、指揮棒を振り始めた。

それに合わせて、生徒たちは歌い始める。

「白樺の森にー♪木漏れ日の火ー♪鈴蘭のベルを風が鳴らすよー♪小さなレディは夢見るレディ♪大きな世界が私を待ってる♪ルルルールー♪」

今生徒たちが歌い始めているのはメダル女学園の校歌で、ベロニカとセーニャはもらった歌詞を見ながら歌っている。

開校してからずっと歌われ続けているもので、アカペラで歌うことができれば、その女性はメダル女学園出身者だと思われるくらい巷では有名だ。

「歩こうザ・ワールドー♪集めようトレジャー♪ラララーラー♪メダルメダル小さなメダル♪王立メダル女学園ー♪」

「王立…?どこの国の王が作ったんだ?」

「うむ…この学校は数百年前に存在したという王国、プワチャット王国の5代目国王ブワチャット5世が作った学校らしいのじゃ。女性教育という観点はそのころは革新的じゃったらしい」

その王国の名残がプチャラオ村のプワチャット遺跡に残っており、そこはかつての城だったとのことだ。

かつてはそこを中心にソルティコまでの広大な領土を持っていたが、一夜にして滅亡したらしく、研究者たちはなぜプワチャット王国が滅亡したのか、その原因を探っている。

メダル女学園が残っていたのは、おそらく城や城下町から離れた地域にあったことが大きいかもしれない。

校歌を歌い終えた生徒たちを見た学長は満足げに笑った後で、朝礼台から降りる。

「はい、みなさん。よくできましたな。今日も一日、素敵なレディを目指して頑張るのですな」

「気を付け!」

生徒会長と思われるおさげ髪をした眼鏡の少女の一声で生徒たちは姿勢を整える。

「ごきげんよう」

左手を胸に当て、右手を腰の高さに合わせて地面と平行になるように指を伸ばし、少し膝を曲げながら頭を下げる。

他の生徒たちも彼女に倣ってそのようなお辞儀をする。

「はい、ごきげんよう」

学長がお辞儀した後で、生徒たちはいっせいに校舎へと戻っていく。

これから彼女たちは1時間目の授業を受けることになる。

ベロニカとセーニャは別々のクラスで授業を受けることになるらしい。

朝礼を終えた学長は見学しているエルバ達の元へ歩いていく。

「いかがですかな?我らのメダル女学園は。プワチャット5世の理想である素敵なレディの教育を一貫して目指しております。では、校内をご案内を私がさせていただきましょう」

「いいのかよ?学長の仕事があるだろう?」

学長としての仕事が何かは分からないカミュだが、少なくともこの学園にとって重要な仕事をするのだろうと考えており、それを差し置いて客である自分たちの案内をしていていいのかと疑問を抱く。

「いえいえ。私は離れても仕事が回るようになっておりますから。それでは、まずは西にある食堂からご案内しましょう。ここではこの地域で獲れた新鮮な食材で毎日専門の調理師が学校関係者全員の食事を作っております。地下の食糧庫には1年分の食料が入っておりまして…」

 

「良いですか?素敵なレディは心だけでなく、服装にも気を付けなければならないざます。例えば、みかわしの服とはやてのリングの組み合わせは男女問わず、バランスの良い組み合わせとなるざます。この組み合わせは実用性も証明されていて…」

セーニャのいるクラスではブチュチュンパのマリンヌ先生によるコーディネイトの授業が行われている。

メダル女学園を世界一の名門女子校と自負している彼女もまた、この学校の卒業生の一人だ。

なお、ロトゼタシアにはメダル女学園のほかに女子校が2つあり、1つはクレイモランにある国立フローラ女学園で、もう1つはデルカダールのビアンカ女学園だ。

フローラ女学園ではいわゆるインテリ女子の養育に長けており、経済学や哲学など、数多くの学問を学ぶことができる。

それに対して、ビアンカ女学園は料理や刺しゅうなどの家事を中心に学ぶことができ、将来嫁入りしたときに役立つ技術をすべて学ぶことができる。

一方、マリンヌ曰く、メダル女学園ではそのどちらも学ぶことができ、優れていると自負している。

「では、セーニャさん。これから出す複数の装備品で、魅力的な組み合わせを出してみてください」

「は、はい!!」

裏返った声を出してしまい、恥ずかしそうにほんのり顔を赤く染めるセーニャが立ち上がる。

ラムダの里では、同年代の少女と一緒に勉強する機会がめったになく、おまけに一部屋25人の少女と一緒に勉強する環境は彼女にとっては初めての経験だ。

慣れない環境であるため、緊張してしまうのは当たり前のことだろう。

深呼吸をしたセーニャは黒板に貼ってある装備品のイラストを見る。

(絹のエプロン、踊り子の服、ガラスの靴、神秘のビスチェ、銀の髪飾り、不思議なボレロ、金のブレスレット…)

いずれも女性が装備することのできるもので、不思議なボレロを除くと魅力を引き上げることのできるものだ。

だが、この中で組み合わせを作るとしたら悩むところだ。

「ええっと…」

この中で、セーニャが装備したことのあるものは踊り子の服のみ。

おまけにセーニャはそうしたことを意識して装備をしたことはあまりない。

どちらかというと、ベロニカがそういうことを取り仕切っている。

(お姉様なら、どう選ぶでしょうか…?)

真っ先にセーニャの脳裏に浮かんだのがそれだ。

あくまでもベロニカならどのような組み合わせを選ぶのか?

双子の姉の考え方でやってみたら、分かるかもしれない。

「あの…もしかして、この選択肢の中に組み合わせは存在しないのではないでしょうか…?」

 

「メダル女学園…お父様が言ってた通りだわ…」

学長による案内をしてもらった後、1人で学園を見て回るマルティナは寮の中にある使われていない部屋にたどり着く。

死んだ母と、そしてデルカダール王が言っていた通りの光景にマルティナはなぜか懐かしさを感じてしまう。

母親もこの学校の卒業生であり、多くの学友に恵まれていたという。

流行り病で倒れ、床に入っているときはしきりにメダル女学園の学友たちと一緒に書いた文集を読んでいた。

「もしかしたら、お母様はもう1度ここへ行きたかったのかもしれないわね…」

「セラ…セラなの!?」

「え…?」

聞いたことのない、中年の女性の声が聞こえ、マルティナは振り返る。

出席簿と書類を握った、薄黒い制服に同じ色の帽子をかぶった眼鏡の女性が驚いたようにマルティナを見つめていた。

「人…違い…ごめんなさい。そんなわけ…あるはずがないのに…」

「あの、あなたは?」

「ええ、私はグレース。ここの副学長をしているの。ごめんなさい…あなたの後姿が昔の親友とダブって見えてしまって…」

冷静に考えると、マルティナのヘアースタイルと髪の色は確かにその女性と似ている。

だが、彼女が今のマルティナが着用している武闘着を着るはずがない。

それに、背丈もマルティナの方が若干上だ。

どうかしていたと思い、詫びを入れた後で立ち去ろうとする。

「あの…!」

マルティナの呼び止めを聞いたグレースは足を止める。

だが、またあの見間違いをしてしまうことを恐れているのか、マルティナに顔を向けようとはしない。

「その人のこと…詳しく聞かせてくれませんか?」

「どうして…?」

「その…セラという人は、まさか…セラフィーヌという名前ではありませんか?」

「なんで知って…ええ!?」

どうしてそれを即答できるのか、グレースには一瞬分からなかった。

1つの仮説が頭に浮かぶが、それはあり得ない話だ。

その場合、彼女は16年前に死亡しており、今ここにいるはずがない。

「私はマルティナ…セラフィーヌの娘です」

「マルティナ…あなたが…??」

振り向くグレースだが、いまだに彼女は目の前にいる女性があのセラフィーヌの娘だとは信じられなかった。

16年前、デルカダール王が彼女の死を大々的に発表していたのを思い出す。

その彼女がどうして、生きていて、この場所にいるのか?

「事情があって、詳しく話すことはできません。ですが、信じてください。そして、話を聞かせてください。私の母がここで過ごした日々のことを…!」

 

「いかがでしょう…?メダル女学園は。みなさん、素敵なレディになれる種です。それを花とするのが我々の仕事なのです」

校舎1階中央にある学長室で、学長は胸を張って自らの学校をそう評する。

学長室には歴代学長の肖像画が飾られており、今の学長が20代目だ。

彼の椅子の後ろにはショーケースに入った銀色の輝きを放つオーブが置かれていた。

「なあ、学長さん。このオーブは…」

「ええ。初代学長がプワチャット王国国王から贈られたシルバーオーブです」

ユグドラシルの情報通りだった。

だが、そんな由緒正しき宝石をサマディーの時のように借り受けることは難しいだろう。

(こうなりゃあ、すり替えてみるか?)

プラチナ鉱石を使って、不思議な鍛冶セットでシルバーオーブもどきを作ることができるかもしれない。

旅をする中でデクから聞いたゴールドオーブという空想の宝石にまつわる物語を思い出す。

ゴールドオーブを求めて旅をする男は長い旅の末、ようやくそれのありかをつかんだ。

だが、十数年も前にそれは粉々に砕け散ってしまい、手に入れることができたのは見た目だけが同じで何も力のないただの光るオーブだった。

しかし、あきらめきれずに手に入れる手段を追い求めた結果、彼はある方法を思いついた。

それは過去へ向かい、ゴールドオーブと光るオーブをすり替えることだった。

彼は妖精の力を借りて過去へとび、見事にすり替えることに成功し、ゴールドオーブを手に入れた。

「ねえ、学長さん。会ったばかりで申し訳ないけど、少しお願いがあるの」

「お願い…ですか?」

「私たちにシルバーオーブを貸してくれないかしら?」

「なんと…!?」

シルビアからのお願いに驚いた学長は思わず立ち上がってしまう。

旅芸人のシルビアの評判は彼の耳にも届いている。

そんな彼が同行していることから、只の旅人ではないことは分かっている。

だが、そんな彼らに学園に伝わるシルバーオーブを一時的とはいえ、譲ってよいものなのかと迷いを抱く。

「うーん…シルバーオーブは代々伝わる宝、簡単にお譲りするわけにはいきません。ですが…」

「ですが?」

「実は、少々この学園では手に負えない問題を抱えておりまして…仮にその問題を解決してくださるのであれば、シルバーオーブをお貸ししましょう」

「何か…複雑な問題が起こっているということ…ですか?」

「そうです。この学園の南にあるプチャラオ村…そこは生徒の関係者がわが校へ訪問する際、宿泊している村です。その村で観光客や村人が行方不明になる事件が起こっております」

「ふむ…その話、少々小耳にはさんでおった。何年も前から続いておるとか…」

実際はユグドラシルからその情報を得ていた。

毎年のように行方不明者が出ており、既にその数は3桁を越えている。

いずれも行方不明になる時期が異なっており、一貫性はない。

だが、共通点があるとしたら、プワチャット遺跡に足を運んだことだ。

そこには美女の壁画があり、それを見ることで幸福を得ることができると評判だ。

壁画が発見されたそのころから、プチャラオ村には観光ブームが起こり、旅人が数多く訪れる場所となった。

行方不明事件が起こった時期とそれは重なっている。

「それで…実は、生徒の家族にも行方不明者が出てきてしまったのです。生徒には伏せておりますが…」

行方不明となったのは今年入学したばかりのとある生徒の両親で、半年前に参観した後でプチャラオ村へ観光に向かった。

宿屋に泊まったことは宿帳で確認済みだが、宿から出た後の足取りを全くつかむことができず、故郷にいる生徒の祖父母へ連絡しても彼らが帰って来たという話は一つもない。

なお、祖父母の意向により、生徒には行方不明になったという知らせは伏せられている。

「生徒の中には、研究のためにプチャラオ村へ向かう子もいます。彼女たちが次の行方不明者となってしまう可能性があります。どうか…事件の解決をお願いします。解決していただければ、シルバーオーブの話、了解しましょう」

「それなら…俺たちにとっては願ったりかなったりだが…」

「いいのですか…?その宝石は…」

「生徒の命と安全には代えられません。もしかしたら、その時のために代々の学長たちがこれを置いていてくれたのでしょうから…」

何よりも生徒やこの学校の関係者たちのことを優先する学長の考えが伝わってくる。

ユグドラシルもいまだに真相を突き止めることができておらず、これまで幾度となく手助けしてくれた彼らへの恩返しができるかもしれない。

(それに、プワチャット王国滅亡にはウルノーガが関与しておる。その情報を得られるやもしれん)

ユグドラシルが集めたプワチャット王国に関する資料をロウが妻と共に調べる中、ウルノーガの関与をにおわせる文献を見つけることができた。

それにはとある奸臣が王の信任を得て、それを後ろ盾にして横暴な政治を行い、国を疲弊させ、その結果魔物による攻撃に耐えきれない状態にして滅ぼしたとある。

そして、その奸臣の正体は魔物だったらしい。

一介の魔物にそのような芸当は難しく、おそらく裏にはウルノーガがいる。

あの国には特殊な錬金術で作られた魔法の鍵というものが存在していた。

「分かり申した。さっそく明日には向かわせていただきます」

「よろしくお願いします」

 

マルティナとグレースは授業中で誰もいない中庭に出て、長ベンチに腰掛ける。

少しの間沈黙していたグレースだが、ポツリポツリと思い出を話し始めた。

「仲良くなり始めたのは…高等部で同じ部になってから。デルカダールの貴族の娘で、あまりほかの人と話す機会がなかったけど…話してみたらあまり私たちと変わりがないように思えてきて…」

メダル女学園は身分を問わずに生徒を募集しており、彼女のような貴族が入学することも少なくない。

だが、セラフィーヌの場合は王族の血も引いているため、他の貴族とは格が違う。

おまけに彼女自身がおしとやかで男性陣にとっては高嶺の花のような性格をしていたことから、クラスの中でも浮いているところがあった。

だが、そんなセラフィーヌは料理が苦手だったようで、それの克服のために料理研究部に入部した。

逆に料理上手なグレースがセラフィーヌに頼まれて、放課後に料理のトレーニングをするようになったのが友人関係の始まりだ。

「それからは、たくさんのことを話したわ。家族のこと、本当は友達がほしくて仕方がなかったこと、堅苦しい貴族の身分からできれば、自由になりたいってことも…」

まさに王道の王妃というべき性格だったセラフィーヌの意外な一面を聞くことができたマルティナは驚きがあったものの、それ以上に嬉しさを覚えていた。

思い出の中にいる母親は彼女が死んでからは今もずっと変わっていない。

何年たっても、こうして大人の女性になったとても、今も死ぬ直前のセラフィーヌのままだ。

変わらないということは、もしかしたら死ぬのと変わらないのかもしれない。

だから、グレースの話のおかげで、心の中に生きている母親がまた息を吹き返してくれた。

しかし、そんな思い出が残っているならどうして暗い顔を見せるのか?

その答えがようやくグレースの口から語られる。

「けれど…卒業式直前にケンカをしてしまったわ…。その日になって、私の耳に届いたの。セラフィーヌがデルカダール王に嫁ぐって…」

その話はほかの生徒や教師たちにも伝わっていた。

だが、セラフィーヌ自らの希望でグレースにだけは伝えられておらず、固く口止めされていた。

卒業まではそのままのはずだったが、他の生徒がうっかり話しているのをグレースが耳にしたことで発覚した。

「いえ…ケンカとは言わないわね。私が…一方的に怒って、叫んでばっかり。彼女は何も言わなかった、何も答えてくれなかった…」

そして、そのケンカはグレースのビンタで終わった。

その後で虚しさと親友をぶってしまったことへの罪悪感からその場から逃げ出してしまった。

それがグレースとセラフィーヌの最後の1日となってしまった。

グレースはメダル女学園にとどまり、教師となるためにがむしゃらに学び続けた。

その学業が実を結び、教職員採用試験に合格し、念願の教師となった。

だが、それと同じ年に、セラフィーヌが流行り病で死んだことを彼女の両親の手紙で知った。

その病気はデルカダール中に広がっており、セラフィーヌは王妃として侍女や夫であるデルカダール王の制止を聞かずに病にかかった国民やその家族の見舞いに向かい、せめてもの手助けにと炊き出しも手伝っていた。

そのせいでその病にかかってしまい、それが分かったころにはもう手遅れになっていたという。

「彼女らしい…最期だった、というべきなのかしらね…」

「そう、ですか…」

病気で死んだというのは分かっていたが、まさかその背後にそのようなことがあったとは、誰も言っていなかった。

どうしてそんな優しい母が死ななければならなかったのか、悲しみが再び蘇るものの、昔とは違って、その悲しみはほんのりと温かかった。

「それで、最近図書館でこんな手紙を見つけたの…。私宛としか思えない手紙だったわ…」

グレースはベンチに置いた料理本を広げ、その中に挟まっている一通の手紙を手に取る。

その料理本はセラフィーヌの料理特訓のためによく使っていたものだったが、卒業して以来、思い出すのが嫌でなかなか手に取ることができなかった。

再び手に取ったのは数日前のことで、教え子の少女がその料理本を借りたときに見つけてくれた。

「手紙の最後にこう書いてあったわ…。貴方と過ごした学園生活は素晴らしい思い出でした。これからもずっと、親友でいてくださいって…」

手紙が入っていた封筒の中にはそれだけでなく、赤色のリボンも入っていた。

ベンチから立ち上がり、グレースはそのリボンをマルティナに差し出す。

「このリボンは学園でセラがつけていたものよ。思い出の印、なのかしら…でも、これはあなたがつけると、きっと喜ぶと思うの…」

「いいんですか?これは…」

母とグレースの友情の証であるそのリボンを、セラフィーヌの娘であることの証拠を示すことのできない自分が受け取っていいものなのか。

そんな迷いは必要ないと諭すように、グレースは笑みを浮かべる。

「私にはセラとの思い出がある。この手紙があるから…。それに、私みたいなおばさんが今更つけたとしても、似合わないでしょう?」

ウフフ、と嬉しそうに笑い、じっとマルティナの顔を見る。

こうしてしっかり見ると、その顔立ちからは亡き親友の面影が感じられた。

「良かったら、結んでみてくれない?その姿を私に見せて…」

「…はい」

マルティナは髪留めを外し、受け取った赤いリボンを結ぶ。

ロウと共に旅に出てからはリボンではなく、髪留めばかりを使っており、結ぶのに手間取ってしまう。

どうにか結び終えたマルティナの姿を見たグレースは目を大きく開く。

目の前の女性がセラフィーヌではないということは分かっているが、どうしても在りし日の彼女に見えてしまう。

その日々を思い出し、涙を浮かべる。

「グレースさん…」

「ごめんなさい…おばさんになると嫌ね、簡単に涙が出ちゃうんだから…」

早く涙が止まることを願うグレースだが、いつまでたっても涙が止まらない。

その涙はいつもセラフィーヌを思い出した時に流す後悔の涙であると同時に、懐かしさと彼女の生きた証が確かにここにあることへの喜びの涙だった。

しばらく泣き明かした後で、グレースはハンカチで涙をぬぐい、優しくマルティナを抱きしめる。

「あなたに何があったのかは聞かないことにするわ。きっと…何か大きな事情があるかもしれないから。私みたいなおばさんには何もすることができないけど…きっと、セラが…あなたのお母さんが守ってくれるわ。だから…安心して、自分の信じる道を進みなさい…」

「グレース…さん…」

「ふふ…なんだか不思議ね。結婚もしていないのに、いきなり大きな娘ができちゃったみたいで…」

涙で赤くなった目でマルティナを見たグレースは笑いながら彼女の頭を撫でる。

子ども扱いされているように思えたが、不思議とマルティナはそうされるのがうれしかった。

セラフィーヌが生きていたころに良くしてもらったことを思い出した。

「ありがとうございます、グレースさん…私、ちゃんと自分のやるべきことを成し遂げてきます」

やるべきこと、それは勇者を守ること。

同じ志を持つ仲間がいるマルティナは1人ではない。

父親代わりのロウやエルバと共に旅をしてきたカミュやセーニャ、ベロニカ、シルビア。

気づけば、多くの仲間に囲まれている。

「そして、もう1度ここへ来ます。その時に、もっとお母様のこと、聞かせてもらえませんか?」

「ええ…ええ、もちろんよ…」

 

「こういう感じで解けば、もっと簡単にできるわよ。ほら!」

「すっごーい!ベロニカちゃんってすごく勉強ができるんだねぇ」

「もしかしたら、もっと上のクラスでもいけるんじゃない!?」

休み時間に、ベロニカに勉強を教えてもらった女子生徒が同じ年代の少女とは思えないほどのベロニカの知識にびっくりする。

出身地がラムダの里という、あまり聞いたことのない場所だが、そこでは彼女みたいに頭の良い子供がたくさんいるのではないかと感じてしまう。

(当り前じゃない…。ほんとうはずっとずっと年上なんだから…!!)

故あってこのような姿になっているが、本当は彼女たちよりもずっと大人だとベロニカは自認している。

だから、ベロニカにとってはこのクラスでの授業がとても退屈で、あまり受ける気にはなれなかった。

それよりは魔導書を読み、新しい呪文の練習をしている方がもっと建設的だ。

「あ、そうだ!!ベロニカちゃん、良かったら外で一緒に小さなメダル探しをしない?」

「メダル探し…?何それ??」

「この学校での伝統の遊びよ。聞くよりも実際にやった方がいいわ、行きましょう!」

「ああ、ちょっと!?」

少女たちに引っ張られる形で教室から連れ出されたベロニカは校舎裏の体育館に連れていかれる。

体育館と称されてはいるものの、屋内はなぜか小さな町のように建物がいくつも設置されている空間となっていた。

実際にレンガや木材で作ったわけではなく、粘土や紙で作ったハリボテで、集まった少女たちはその建物の中やその周辺で何かを探していた。

「いい?ベロニカちゃん…私たちが集めるのは、これ!!」

女子生徒はポケットの中からキラリと光る金色のメダルを出して、ベロニカに見せる。

そのメダルには校章と同じ模様が描かれていた。

「そのメダルを探せばいいの…?」

「そう!いろんなところにメダルが隠れてて、みんなで探しているのよ。見つけたときはすごくうれしいの!!ほら、一緒に来て!!」

有無を言わさず、少女に引っ張られて煙突のある青いレンガの家に入る。

そして、少女は本棚の中を、ベロニカは暖炉の中を探し始める。

「小さなメダルが手に入るからって、うれしいことじゃ…」

「そうかなー?私はうれしくなるよ。だって、小さなメダルって、みんなのやさしさの結晶だから」

「それ…どういうこと?」

「昔、プワチャット王国って王国がここにはあったんだって。それで、1日の中でこの国の誰かがいいことをしたら、メダルを1枚作って神殿に奉納したの。小さなメダルがそれなの」

本棚の中で1枚見つけた少女は嬉しそうにベロニカにそれを見せる。

この風習はプワチャット王国だけに存在し、一定量奉納した次の日は催事が行われ、その中で王はこれからも国民が平和で豊かな一日を過ごせるように祈りをささげる。

遺跡の発掘調査の中で、奉納された小さなメダルがいくつも出土している。

そのメダルのほとんどをメダル女学園が購入し、こうしてメダル集めの遊戯に使われている。

「素敵なレディは周りのみんなにやさしくできる人なんだって、学長先生が言ってるの」

「ふーん…小さなメダルって、そんな背景があったのね。でも、なんでそれを宝さがしみたいに探させてるのかしら…?」

そのような貴重なものなら、ショーケースなどに入れて大切に保管すべきものだろう。

このような遊戯の道具に使っては、それを作った昔の人に失礼なのではないかとさえベロニカは思ってしまう。

「それは、私も思ったことがあるわ」

地下室から出てきた上級生の少女は手に入れた3枚の小さなメダルを握りしめ、ベロニカに笑いかける。

「でも、見て。こうして集めると面白いことが起こるのよ。ねえ、何枚見つかった?」

「え?あたしは…2枚」

「私も3枚!あ…これなら見れるかも!!」

「見せてあげる。この遊びの意味を」

「…??」

何か含みのある言い草によけいベロニカは意味が分からなくなっていく。

2人に連れられ、体育館の中央にある杯を模した貯金箱に見つけた小さなメダルを入れていく。

8枚のメダルが入ると、貯金箱が光りはじめ、正面には光でできた横長の長方形のビジョンが浮かび上がる。

そこには数百年前の衣装をした男性が年老いた母のために慣れない食事を作っている姿や迷子になった子供のために必死にその子供の親を探す女性、ボランティアで子供たちに読み書きを教える老婆などの姿が浮かび上がっていた。

そして、映像の中にはメダル女学園で下級生歓迎のためにイベントの準備をしている女子生徒や教師たちの姿もあった。

「これって…」

「小さなメダルには誰かのため、という善意で動いた人達の思いを現在進行形で集め続けているの。どうやったら、こんなメダルを作れるのかしら…?」

その機能については不明なところが多く、今でもその機能を再現することができていない。

ただ、そうした何かを記憶する道具はそれほど珍しいものではない。

高齢の貴族の中では魂の貝殻という道具がロトゼタシアで流行になっている。

それは死にゆく者の魂の声を封じ込める力があり、後継者選びや遺産相続の問題が発生するときに一番力になるという。

本人の肉声を宿すことができ、第3者では書き換えることができないため、ある意味では遺言状以上に効果があるようだ。

(小さなメダル…か…)

「こういう人が素敵なレディの道標になるの。ほら、早く次のメダルを探しましょう!」

「はーい!ベロニカちゃんも急いで!!」

ビジョンが消えると、2人は更にメダルを集めようと次の建物の前まで走っていき、ベロニカに手招きをする。

その楽しさや嬉しさを感じたのか、笑みを浮かべたベロニカは2人の元へ向かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第46話 プチャラオ村

「さぁー、旅人さん!うちの料理食っていかない?いいスパイス使ってるよー!」

「疲れただろ?俺の宿屋へきてくれよ。どこよりも安くしてやるからさぁ」

「いやいや、うちの宿だよ。いいとこ、紹介してやるぞー」

村に入ると同時に、エルバ達を大勢の村人が取り囲み、自分の店に来るように急かしてくる。

「あわわわ、待ってください。私たち、ここに来たばかりで…」

「どういうことよ、シルビアさん!!いいところじゃないの?ここ!!」

「し、しまった!!いつの間に財布を盗られてしまったわい!!」

これまでの街や村にはなかった、過剰なまでに商売根性を持ったエネルギッシュな人々に押される中、シルビアは平然と笑っている。

このメンバーの中で、プチャラオ村に来たことがあるのはシルビアとマルティナ、ロウで、シルビアはいい村で、きっといい思い出を作れるとも言っていた。

マルティナとロウは2度目だが、やはりこの雰囲気とエネルギーの前にはたじたじしてしまう。

最も、目的は観光ではなく事件の解決のためなので、楽しんでいる暇はあまりないが。

「どう、これがプチャラオ村。村が元気な証拠よ」

既にこうした光景に遭遇したことがあるのか、シルビアは動揺を見せず、むしろ彼らの様子を面白そうに見ていた。

 

 

「いやー、うれしいねえ。うちの宿を選んでくれて。これから、腕によりをかけて料理を作ってくるから、待っていてくださいよぉ!」

赤い髪の男性、ボンサックは自分の宿を選んだエルバ達を2階にある大人数用の大部屋に入れた後で、1階の厨房へ向かってしまう。

「…いつの間に泊まる場所が決まっちまったな」

「いいじゃないの。ここは旅人にはお勧めの宿屋みたいだし」

2階には小部屋から大部屋まで、様々な人数の旅人に対応できるように部屋が用意されている。

用意されているベッドも悪くなく、村の案内図も置いてくれている。

「それにしても、すごいですよね…。村の人たちの…その…」

「ふむ…あれだけのエネルギーがどこから出ておるのか…」

「失礼いたします」

ボンサックとは違う、従業員の男性が入ってきて、来客者へのサービスなのか、テーブルに7人分のお茶とお菓子を置いていく。

お菓子はココナッツミルクとタピオカが原材料となっている、ストローのような形の焼き菓子で、おそらくはこの村の名産品の1つかもしれない。

「それから、こちらはお預かりしているお手紙でございます」

「ん…?手紙??」

ロウの席に置かれた手紙にカミュは違和感を持つ。

村に入ってからは半日の経過しておらず、この宿屋には2時間くらい前に入ったばかりだ。

なのにどうして手紙が届くのか?

従業員はお辞儀をした後で部屋を出て、ロウは手紙を開く。

手紙の裏にはユグドラシルの印がついていた。

「あの人も、ユグドラシルなの?」

「そうじゃ。宿屋で働いている方が情報が集まりやすいからのぉ」

手紙には行方不明となった人の名前と行方不明になった日時、その人が行方不明になるまでの村での行動が記されていた。

「うむ…多くの客は壁画を見に行くようじゃが…壁画そのものはこの村にはよくあるものじゃなぁ」

プワチャット王国にまつわる遺跡がのこるプチャラオ村にはいくつもの壁画が残っており、それでも現存している壁画すべてを発見できているわけではないようだ。

そして、最近見つかったのは美女の壁画で、案内図の表紙にも美女の壁画が描かれていた。

「そういえば、村の人が言っていたわね。あの壁画にはご利益があるとか…あんまり信用できないけど」

最近発見されたばかりなのに、そんなご利益が出たという話が出てくるのは怪しいとベロニカは感じていた。

噂が独り歩きして、こんな話になったのであればまだいい。

だが、問題なのはその噂の根っこで、発信源が何かだ。

「その話、チラシにもなってるぜ。ったく、うさんくさい匂いがプンプンするぜ」

宿屋へ連れていかれる際に、美女の壁画に関するチラシが柱に貼り付けられていたのを見ていた。

村人が作ったもののようで、その紙を何枚も運んでいる村人も見ている。

「ここで考えていてもしょうがない。実際に壁画を見に行くか?」

「うむ…それもいいじゃろう。何か収穫があるやもしれん」

「じゃあ、まずは出されたお菓子とこれから出る料理を食べてからにしませんか?おなかがすいて…」

「ちょうど昼時ね、いざというときに備えて、食べておいた方がいいわね…この匂いは?」

強いスパイスの香りがしてきて、扉が開くとさらにその匂いがエルバ達を襲う。

ボンサックがカートを押して料理を運んできており、出された料理はいずれもスパイスで味付けされているものが多い。

豚肉を塩漬けにしてペースト状にしたものを調味料代わりとして振りかけたサラダや鶏肉やサツマイモ、玉ねぎなどが入った赤いココナッツカレーやこの地域では主食となっているという米などが置かれている。

特に強烈なのは湖で釣れた魚の素焼きで、味付けのためかふんだんにスパイスが使われており、近くで匂うとツーンと痛みを感じるほどだ。

「うーん、この匂い。いいのぉ、さあ、食べるとしよう!!」

待ってましたといわんばかりにさっそくロウはココナッツカレーを食べ始める。

以前訪れたときにその料理が一番気に入っていたようだ。

 

「はいはい、整理券を配りますのでこちらでお待ちくださーい!!」

「大丈夫大丈夫、整理券を持っている人はちゃんと見れるからー!!」

村から遺跡へと続く山道には長蛇の列ができており、山道入り口の左側では整理券を配る村人がいる。

あまりの混雑で、普段警備をしている村人だけでは対応できなくなっており、ボランティアの村人が総出で対応しているほどだ。

「こんなに人が来ているなんて…本当に見ることなんてできるのでしょうか…?」

整理券を配っている話を聞いたセーニャはこの長蛇の列に不安を覚える。

それが配られているということは、あまりにも観光客が多いせいで、おそらくは実際にその壁画を見ることができる人数は限られる。

もし、自分たちがそれを手に入れる前に配布終了となったら、おそらく明日まで待たなければならなくなる。

「なら、さっさと手に入れねーとな」

さっそくカミュは整理券配布の列に並び、順番が来るのを待ち始める。

整理券は1枚で2人まで入れるようで、エルバ達全員が見に行く場合は4枚は必要になる。

配布そのものはかなりスピーディに行われており、数分でカミュの番がくる。

「よし、ならそろそろ俺の…」

「おっと、ごめんよ!」

急にカミュの前に眼の下に皺の有る中年の男性がさりげなく割り込んでくる。

思わず文句を言おうとするが、その前に彼は整理券を手にしてしまう。

「おい、待てよ!俺の順番だろ!?」

「悪いな、宿賃が今日までしかないからよ。また明日頑張りな!」

悪びれもせず笑った男は整理券片手に列に並ぶ。

明日という言葉が気になったカミュだが、その答えを示すかのように配っていた男が帰り支度を始めてしまう。

「くそ…!もう品切れかよ。行方不明事件が起きてるってのに…」

「それを大声で口にするのはやめておきなさい。根拠がないと言われるか、余計なパニックを起こすだけよ」

「それにしても、幸せを招く美女の壁画…ここまで熱狂的だなんて」

「もう、なんなのあのおじさん!!せっかくカミュが並んでいたのに!!」

整理券を取り戻そうとベロニカは列の中にいるその男を探し始めるが、もうすでに男は先に見たいからか、次々と列を抜かして入っていき、次第に見えなくなってしまった。

「これでは…今日壁画を見るのは不可能ですね…」

「ふむ…。仕方ないのぉ、明日朝一に並んで手に入れるとしよう」

もう整理券がないのならどうしようもないが、少なくともあと2泊するくらいの余裕はある。

それに、今日は村に着いたばかりで、しっかりとベッドで寝ておくのも準備の内だろう。

エルバ達は長蛇の列に背を向け、ボンサックの宿屋へ戻った。

 

「おお…これが、これが噂に聞く美女の壁画…」

数時間後、ようやく自分の順番になった男は遺跡に入り、出入り口は管理人の村人によって閉じられる。

そして、男は小部屋の中で飾られている美女の壁画を見始めた。

ブロンドの髪と青いドレス、そして首飾りとなっている金色の鍵が特徴的で、その女性は淡い笑みを浮かべた様子で玉座に座っている。

間違いがないか、念のために案内図を確認するが、確かに目の前の壁画は噂のものだった。

「いやぁ、無理して来た甲斐があったってもんだ!!どうか…俺にもっと金をもうけさせてください!!」

男はサマディーで商売をしており、商人仲間の間で壁画のことが噂になったことから、わざわざ店を空けてプチャラオ村までやって来た。

村に到着した少し後で土砂崩れが起き、一度は帰れるかどうか心配になったが、こうしてこの壁画を見ることができたのがうれしいのか、それはどうでもよくなってしまう。

手を合わせ、ご利益を得ようと願い続ける。

1組がこうして壁画を見ることができるのは10分で、次の組がもうすでに待っている。

「もう少し…もう少しだけ見てご利益を…ん?」

壁画を見ていると、壁画に描かれている鍵が淡く光るのが見えた。

気のせいかと思い、ゴシゴシと服の袖で目をこすった後でもう1度見るが、やはり光っている。

「どういうことだ…?もしかして、ご利益!!」

よく確かめようと壁画に近づいていく。

そして、その光に手を伸ばした次の瞬間、その光は強烈に部屋中を包み込んだ。

光が収まった後で小部屋の扉が開き、村人が入ってくる。

「すみませんね、お客さん。そろそろ時間です。次の人のために出てください」

「ああ…分かった」

先ほどまで、もっと壁画を見たいと思っていたはずの男が嘘みたいに村人の求めに応じ、遺跡を出ていく。

山道は壁画を見る客でいっぱいになっていることから、やや迂回することになるが別の山道が用意されており、見終わった観光客はそこから村へ戻っていく。

男は村人の案内でその山道を通っていく。

見終わった客の中には、このまま帰るのはもったいないと言わんばかりにほかの遺跡を見たり、美女の壁画があった遺跡の周りで過ごすなどしているためか、帰り道の山道は人が少なく、静かだ。

男はそんな山道を歩いているが、しばらくするとその体が淡く光りはじめ、煙のように消えてしまった。

 

「どうした?エルバ、寝れねーのか?」

夜になり、湯気でしっとりとした髪をタオルで拭きながら入って来た、青いパジャマ姿のカミュは上半身が肌着で、下半身が紫のパジャマズボンのエルバに声をかける。

この宿屋は大浴場となっており、24時間いつでも入ることができる。

エルバはカミュが出る20分以上前に既に出ており、もう寝ているものだと思っていたが、実際は提灯の明かりでほんのりと彩を見せる村を見ていた。

「…まあな」

「寝れるときはしっかり寝とけよ。明日からもどうなるかわからねーからな。魔物退治の疲れもあるだろ?」

宿代を稼ぐべく、エルバ達は遺跡へ行くチャンスを逃してから日が沈むまで、魔物を何匹か討伐した。

その中でも重視したのはガニラスやプテラノドン、アルミアージなど、食用にもなる魔物だ。

他にも、キラーアンブレラの皮はプチャラオ村の名産品である提灯の材料となるため、はぎ取って持っていくと中々の金になる。

職人の話によると、提灯は数百年前から作られているとのことだが、提灯以外の名産品がいくつもできたことから職人の数が年々減少しているとのことだ。

それでも、作っている理由は提灯の歴史を少しでも多くの観光客に知ってもらうこと、そして村人に提灯という名産品が今でも存在することを証明するためらしい。

「少し…気楽になりすぎている気がする。仮にも俺たちは追われる身だろう…?」

「まぁ、そうだけどな…」

思えば、ムウレアに入って以来のエルバ達はデルカダールからの追跡のことを考えることなく過ごしている。

メダチャット地方でも、時折カミュが周囲の確認をしているが、やはりデルカダールの兵士の姿は見えないうえにその気配もない。

そのおかげか、みんな比較的のんびりと過ごしているように見えた。

ただ、当事者であるエルバにとってはその緊張感が常に感じる日々が当たり前になってしまっているようで、どうしても眠ることができずにいる。

「けどな…今はあいつらのことを気にせずに過ごせる時間だ。その時間は大事にしといた方がいいぜ。まぁ…言葉で言っても完全には理解できねえな」

だとしたら、少し過激だが、忘れ去れる手段はある。

カミュは着替えたばかりのパジャマから普段着へと着替えはじめ、その後でエルバの普段着を彼に投げ渡す。

「ほら、さっさと支度しろよ。出発するぜ」

「出発…どこへ?」

「面白いところだよ。ほら!!」

エルバの腕をつかんだカミュは無理やり彼を部屋から連れ出していった。

 

「ふあああ…おはようございます…」

翌朝、気持ちよく眠れたことへの満足感からのんびりあくびをしたセーニャがエルバ達に挨拶をした後で椅子に座る。

だが、エルバはセーニャに返事をすることなく、テーブルに突っ伏している。

「…カミュ様、エルバ様はどうなされたのですか?」

「まぁ…訓練のし過ぎだな。あれは」

昨晩エルバを連れて行った場所を思い出しながら、カミュは苦笑する。

連れて行ったのは盛り場で、盗賊をしていたころはよくデクと一緒にそこをうろついていた。

特にたくさん金が入ったときはそこで酔いつぶれるまで飲んだり、女の誘惑に負けて金を巻き上げられたりしたのはいい思い出だ。

そこへエルバを連れていき、いろいろと刺激の強い経験をさせた。

さすがに酒を飲ませるわけにはいかないため、飲み物はお茶か水にしてもらってはいるが。

それが彼には少々きつかったようで、今はすっかり疲れ果ててしまっている。

「んもう、カミュちゃん。エルバちゃんはまだ16歳なのよ。まだまだ大人になったばかりなんだから、もうちょっと遠慮しなきゃ」

「カミュ!!ここへは遊びに来たわけじゃないの!エルバをそんな場所へ連れて言っちゃダメよ!!」

「わ、悪かったって!!」

今のエルバの状態でシルビアとベロニカの言葉から、やり方はまずかったと思い反省する。

その間にマルティナとロウが遅れて到着し、ようやく全員が集まる。

「さて…しっかり朝ごはんを食べてからもう1度美女の壁画を見に行くが…その前に、また昨日行方不明者が出たぞ…」

「くそ…もう、かよ!!あのおっさんめ…!」

言いがかりなのは分かっているが、それでも順番を抜かして昨日調べるチャンスを奪ったあの商人のことが頭に浮かんでしまい、カミュはテーブルを叩く。

「実を言うとじゃな…行方不明になったのはその商人じゃ」

「何…!?」

これは例の従業員からもたらされた情報で、彼もボンサックの宿屋の宿泊客の一人だ。

しかし、美女の壁画の閲覧時間が終わってもなお帰ってこず、村人に頼んで探してもらったが、結局見つかっていないらしい。

彼の部屋には荷物がすべて残っており、村を出た痕跡もない。

また、警備をしていた村人からは出口の山道を通ったという確認情報もある分不自然だ。

「これ以上行方不明者を出すわけにはいかないわね…。今日は必ず、その壁画を見るわよ!」

 

朝食を食べてすぐに宿屋を出たエルバ達だが、遺跡へ続く山道には長蛇の行列ができていた。

昨日のあの時間ほどの勢いではないものの、それでも整理券を手に入れるだけで長い時間がかかる。

「くそ…並んでいる時間だって惜しいってのに」

「朝早くだから、整理券はどうにかなるはずよ。並びましょう!」

グズグズしていたら、その分だけ余計に美女の壁画へたどり着き時間が長引いてしまう。

急いでシルビアが先に並ぼうとするが、その列の前で急に立ち止まる。

「おい、おっさん。どうしたんだよ??」

「何か、声が聞こえない??女の子の泣き声」

「泣き声…?」

「こっちよ!!」

シルビアが腕を高くのばし、手招きしながら人混みの中を進んでいく。

長身である彼が良い目印になっており、エルバ達は人混みをかき分け、どうにか進んでいく。

教会の隣にある民家の前のベンチにオレンジ色の髪をした、紫をベースとした暗い色彩の服を着た少女が座っていて、泣いていた。

「あら、どうしたの?お嬢ちゃん」

シルビアは急いで泣いている少女に駆け寄り、あやし始める。

だが、目の前の彼に気付かない少女は顔を下に向け、泣き続ける。

「うーん、こういう時は…お嬢ちゃん。見ていて!面白いものが見れるから!」

「…?」

何だろうと思い、顔を上げる少女の前で、シルビアは1枚のコインを出す。

右手で持っているコインを見せた後で、左手を広げ、何も持っていないことをアピールする。

そして、コインを握った手で握りこぶしを作り、すぐに手を広げると、コインが消えていた。

何もなくなった右手を見た少女は首をかしげる。

その様子を見たシルビアが笑みを浮かべると、今度は左手で握りこぶしを作る。

それを広げた瞬間、その手の中には消えたはずのコインが現れていた。

「なんで…?」

「別のコインが出たわけじゃないのよ。証拠を…見せてあげる」

シルビアはコインの表面にハートのマークを羽根ペンでつける。

そして、もう一度左手でコインを持ったまま拳を作る。

今度は右手で指を鳴らすと、なぜか右手人差し指の上にコインが出現し、同時に左手を広げるとその手の中には何もなかった。

コインにはあのハートのマークがついていた。

「すごい…すごい!!どうやったの!?」

シルビアが見せたマジックに驚いた少女はようやく泣き止み、拍手をする。

それを見て安心したシルビアはその場で腰を下ろし、彼女と同じ高さの視線で話し始める。

「ごめんね、企業秘密…ということで。ところで、あなたの名前は?どうして泣いていたの?」

シルビアの質問の表情を曇らせる少女だが、先ほどとは違って泣く様子は見せない。

少しあの間黙った後で、ゆっくりと口を開く。

「メル…メルって言うの」

「メルちゃん…メルちゃんね。どうしたの?ここで一人で…」

「ここには…パパとママと一緒に来たの。実は…パパとママが何日も帰ってこないの…。それで、ずっと探してたけど…見つからなくて…」

「おいおい、観光先で迷子かよ…」

外国で子供が迷子になったら、その子とはもう二度と会えないと思え。

子供を連れて旅をするときによく言われる言葉だ。

特に暮らしていた国と比較して治安の悪い地域へ向かうときは用心しなければならず、目を離した隙にさらわれたり何らかの事故に巻き込まれてしまうことだってあり得る。

最近では魔物が活性化しており、迷子になった子供が町の外へ出てしまい、魔物に襲われるケースもある。

ブチャラオ村では観光客が多く、村人たちがボランティアで動いてくれてはいるが、それでもこうした迷子が後を絶たないという。

「なぁ、嬢ちゃん。どこへ行ったのかはわかるか?」

「えっと…壁画のご利益でお金持ちになるんだって…そういって、どこかへ行っちゃって…お願い、お兄ちゃん…パパとママを…」

「そう…安心して。アタシ達が探してあげるわ」

「話が正しければ、美女の壁画の場所だろうが…」

メルの前だから口にしていないが、そこへ行って何日も帰っていないとなると、昨日行方不明になった商人のようになっている可能性があり得る。

その壁画が行方不明事件と因果関係があるなら、そんな場所へ彼女を連れて行っていいのかが分からない。

壁画を見に行った人全員が行方不明となるわけではないが、その共通点が分からない以上は連れていくわけにはいかない。

「シルビア様、この子を私たちのいる宿屋に預けてはいかがでしょう?ボンサック様に頼めば、保護してくれるはずです」

「そうね…。このままにしておくわけにもいかないし…おなかもすいているかもしれないわね」

「そうだな…」

「さあ、ついてきて!」

ベロニカが座っているメルの手を握り、ボンサックの宿屋へ連れていく。

見た目は幼い彼女だが、年齢はエルバよりも大人であるため、迷子になるようなことはないだろう。

「あとは…たどりつくまでどれだけかかるか…だな」

「村長と交渉して、中に早めに入れてもらえるようにしてもらうとしよう。迷子の解決の手伝いなら、応じてくれよう」

迷子が実際にいるというなら、さすがに早めに入ることも許してくれるだろう。

人手が足りないなら、そうしたところで交渉の余地がある。

さっそくロウは交渉のために村長の家へ向かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第47話 事件の裏側

「はあはあ、まだかぁー?」

ぞろぞろと並ぶ列の中で、カミュは退屈そうに水筒の水を飲む。

先頭に立つマルティナの視界には既に遺跡群が見えてきており、美女の壁画のある遺跡には多くの人が入れ替わりで出入りしている姿がある。

「ようやく見えてきたわ。もう4時間は並んでいるわね…」

「これでも4時間か…」

ロウの交渉の結果、優先的に入れてもらえるようにしてもらえたものの、それでももう昼になっていた。

昼ご飯は歩き売りしている弁当屋から購入し、歩きながら既に食べきっていた。

「警備の人にもメルちゃんのことは伝えておいたわ。もし、遺跡から村へ戻ってきたら、ボンサックさんの宿へ行くようにって言ってくれるわ」

「で、こいつがあの嬢ちゃんの親父とおふくろか…」

カミュは似顔絵が描かれた2枚の紙を手に取る。

1枚はややふとやかな顔つきで、黒い若干薄めな髪の男性で、もう1枚はメルと同じ色のロングヘアーを見た、とび色の瞳とやや日焼けした肌の女性だ。

これはベロニカがメルに頼んで何枚か書いてもらい、手持ちの2枚以外は既に警備の村人のリーダーに渡している。

そのため、エルバ達は美女の壁画の場所だけに集中すればいい。

「それにしても、ひどい親よね!!子供を置いてきてまでご利益ご利益って!!子供を何だと思ってるのよ!!」

メルの泣いている姿を思い出したベロニカは遺跡の中にいるであろうその両親を思い浮かべ、怒りを覚える。

子供よりも、それほど自分たちの幸せが大事なのだろうか。

「幸せってのが時に人の目をくらませる…よくある話だな」

「でも、だからといって放っておいていいものじゃないわね。連れ戻してあげなきゃ!そうよね、エルバちゃん」

「…なぜ、俺に振る?」

「さあ…?なんでかしらね」

ウインクしたシルビアの視線に耐えられず、エルバはそっぽを向く。

そして、ようやくエルバ達に順番が回り、7人は遺跡の中に入った。

「すごい…」

「これが、例の美女の壁画って奴か…」

宿屋にあった本にも壁画が描かれていたが、やはり実物からは比べ物にならない何かを感じてしまう。

(絵画はどっちかというとデクの専門だ…。俺はこういうのには詳しくねえが…)

うまく説明できないが、この壁画からはご利益を抜きにしても目を見張る魅力がある。

カミュだけでなく、エルバ達も引き込まれるようにその壁画を見ていた。

「痛…っ!?」

急に左手から痛みを感じ、エルバは手の甲を見る。

痣が淡く光っており、それが壁画に引きずり込まれたエルバを現実に引き戻す。

同時に、エルバの耳に岩を引きずる音が聞こえてくる。

「まさか…!!」

音が聞こえるのが後ろからで、何が起きているかを察したエルバは振り返る。

しかし、その時にはもう出入り口である石の扉が閉じてしまっていた。

だが、カミュ達はその音が聞こえていないのか、ただただその壁画を見つめていて、まるで引っ張られるかのように壁画に向けて歩き始めていた。

「何をしている!?爺さん、マルティナ!!カミュ、ベロニカ、セーニャ、シルビア…!何をしにここへ来たのかを忘れたのか!!」

(無駄よ…あなたの仲間たちはもう、私の魅力に取りつかれている…)

「誰だ…?」

直接頭に響く女性の声。

どこからの声かはわからないが、少なくともエルバの直感がその正体を告げている。

「まさか…!!」

(ウフフフ…見つけた。勇者を見つけた。愛しきウルノーガ様の栄光を邪魔する勇者を見つけた…あなたたちはもう、逃げられない!!)

壁画の美女の首に描かれている鍵が光りはじめ、光が部屋一帯を包み込んでいく。

「くそ…!まさか、行方不明事件は…!!」

 

「うーーーん、よし、味付けはこれで十分だ。あとはお客さんたちが戻ってくる前に盛り付けをしないとなぁ」

宿屋の厨房で夕食の準備をするボンサックはできたばかりの料理を皿に盛りつけ始める。

地元のスパイスをふんだんに使った料理の数々で、どれも彼の自信作。

どのような盛り付けが一番客を喜ばせることができるのか、考えていると急に厨房のドアが開く音が聞こえてくる。

時間帯からして、注文していた酒を持ってきた商人かと思い、振り向くボンサックだが、そこにいたのは暗い表情を見せるメルだった、

「うん…?どうしたんだいお嬢ちゃん。おなかがすいたのかな?だとしても…」

厨房に入ってきてはダメで、ベロニカと約束した通り、部屋でおとなしく待つようにと言おうと、まずは彼女に近づこうとするボンサックだが、急に彼の足が止まり、同時に口も動かなくなる。

金縛りにあったかのようなボンサックを見たメルは何事もなかったかのようにその場を後にする。

「すみませーーん!ボンサックさん!!酒、持ってきましたよー!!」

しばらくして、懇意の酒屋の主人の声が聞こえてくる。

普段からの付き合いで信頼関係ができているのか、酒屋の主人はそのまま厨房まで入ってくる。

すると、先ほどまで動かなくなっていたボンサックが回れ右をして皿と料理の前まで戻っていき、盛り付けを始める。

「こんにちはー、おお、もうできたんですかぁ」

「ん…?ああ、ちょうどよかった。どうだい?この料理だとどの酒を薦めれば…」

「ああ、しっかりスパイスの味が聞いてるならこういう…」

酒屋の主人は持ってきた酒を見せながら、料理と酒の組み合わせの議論を始める。

だが、ボンサックの口からは先ほど厨房にやってきていたメルのことは一切出なかった。

 

「ここは…」

目を開いたエルバが最初に見たのはドロドロとした青黒い空だった。

足元には大理石でできた円盤状の足場があり、よく見るとその足場がいくつも浮かんでいて、それを繋げるように階段もある。

「カミュ…セーニャ、ベロニカ…!」

一緒に光を受けたはずで、近くにいるはずの仲間たちの名前を呼ぶ。

「シルビア、マルティナ、爺さん!」

だが、声を出しても返事は帰ってこず、生き物の気配も感じられない。

後ろを振り返っても出入り口らしきものはなく、できるのはただ前へ歩くことだけだ。

「美女の壁画の世界…としては、陰気すぎる気がするが…」

あの壁画に描かれていたのは玉座に座っている美女で、もしここがその壁画の世界だと言うなら、どこかの城の中になるのが普通だろう。

だが、ここはそんな美女の壁画の印象を吹き飛ばす、肌寒いうえに気味の悪い暗さの空間だ。

(ウルノーガの名前を口にしていた…。奴がかかわっているという爺さんの予想は正解だな。まさか、メダル女学園の依頼でこんな大物を見つけるなんてな…)

今はその魔物の手の内にあるが、逆に考えるとウルノーガに近づくことのできるチャンスになりえる。

当然、それは必ずイシの村の仇につながる。

そう考えを変えていきながら、先へと進んでいく。

「あいつら…」

30分ほど孤独な道を進んだ先にはなぜかあの美女の壁画があり、その前には十数人の人々が集まり、その場に座り込み、両腕を上げてユラリユラリと揺れていた。

エルバから見て一番手前の列にはカミュ達の姿があった。

「お前たち、正気に戻れ!!ウルノーガの手先だ。爺さん、マルティナ、聞こえているか!!」

仲間たち一人ひとりの肩をつかみ、激しく揺らすが何も反応がない。

彼ら全員の眼が虚ろで、もうすでに精神を支配されているようだった。

(フフフフ…こんなにもエサが。それに勇者も。逃がさぬ、逃がさぬぞえ…)

再び脳裏に女性の声が響く。

ドラゴンキラーを握り、身構えながら周囲を見渡す。

「どこにいる…?」

(フフフフ…愚か者め、もうすでに見ているではないか…)

「まさか…!」

美女の壁画の前であの声が聞こえてから、声の正体を薄々勘付いていた。

エルバの視線がカミュ達にあがめられている美女の壁画に向けられる。

すると、壁画の目の部分がオレンジ色に光り、ギョロリとエルバに向けてくる。

「貴様…彼らをどうするつもりだ!?」

(フフフフ…その前にこの空間をどのように思う?薄暗く、黒と青で塗りつぶされた空、そして柔らかさのかけらもない灰色の足場…汚い世界とは思わんかね?)

「お似合いだろう…?ウルノーガの手先」

(…)

エルバの挑発に一瞬彼女の声が聞こえなくなる、

汚い世界であることを認めているとはいえ、それと敬愛するウルノーガにつなげられるのが面白くなかったのだろう。

しかし、再びエルバの脳裏で笑い声が聞こえてくる。

(だから…この世界に彩を与えてくれぬかねぇ…。特におぬしはこの人間どもの中で一番よい色をしておる)

「色だと…?」

(おぬしの仲間共もいい色じゃ…。ご利益なんぞにすがって来た欲深い者どもとは大違いじゃ…正直、そのような者どもの色は飽きた。おぬしらを吸収して、この世界の彩としてやろうかのぉ)

「吸収する…貴様…」

美女の壁画のご利益、行方不明となり、今ここで壁画に魅了されている人々、そして吸収という言葉。

これでこの行方不明事件のロジックが固まった。

この事件は壁画に潜むウルノーガの部下によって引き起こされており、もしかしたらその前にここに来てしまった人々はもう生きていない可能性が高い。

(どのような色を見せてくれるか…楽しみにしておるぞ…フフフフフ!!)

高笑いを見せながら、壁画は消えていき、その先には先へ進む一本道が現れる。

壁画に魅了された人々は一斉に立ち上がり、フラフラと疑問も持たずにその先へと進んでいく。

「待て!!この先に行くと殺されるぞ!!」

思わずエルバは彼らの前に立って制止する。

壁画に心を奪われている以上、無駄なことかもしれないが、それでもどうにか止めずにはいられなかった。

「カミュ、セーニャ、ベロニカ、シルビア、マルティナ、爺さん!正気に戻れ!!」

(無駄じゃ無駄じゃ…大切な仲間も奴らのように…)

「黙っていろ…!お前ごときが俺の邪魔を…するな!!」

その叫びと共に左手の痣が光り始める。

そして、上空には雷雲が発生し、エルバの周囲に向けて雷が降り注いだ。

(血迷ったことを…そのようなことをすれば…)

雷はエルバ達に当たるギリギリのところで落ち、そのそばにいた人々は感電したのか、バタバタと倒れていく。

だが、カミュ達6人は倒れはしなかったものの、頭を抱えていた。

「痛た…なんだ?いったい、何が起こった…??」

「正気に戻ったか…」

「いやぁねえ。何かしら、この空間。エルバちゃん、説明してよ」

シルビア達にとっては先ほどまで壁画の遺跡の中にいたのに、それがときを待たずして、何の前触れもなくこのような空間にいるため、混乱するのは明白だ。

エルバは現状分かる範囲でカミュ達にこの空間のことと行方不明事件とのつながりについて説明した。

「ふうむ、人間の欲望を利用して…。魔物とは恐ろしいものじゃ」

「だが、エルバと勇者の力には感謝しないとな」

「はい。一歩間違えば、次の行方不明者は私たちになっていたかもしれません」

カミュ達の視線が意識を失っている人々に向けられる。

彼らもエルバが放ったデインのおかげで気絶こそしたものの、もしかしたら壁画の術から解放されているかもしれない。

「戻っても、帰る道はない。先へ進むしかないぞ」

「だとしたら、こいつらをどうするかだな…」

このまま放置していたら、目覚めたときにどういった状況なのか分からず混乱してしまうかもしれない。

そうなってバラバラになってしまったら、それこそ面倒なことになる。

「起こして、事情を説明するぞ。ウルノーガのことは伏せたうえで、だがな」

「そうね。ウルノーガのことはともかく、壁画のことは教えておいた方がいいわね」

「う、うう…」

少し待っていると、気絶した人々の一人が意識を取り戻し、他の人々も相次いで意識を取り戻していく。

「気が付いたか…?」

「あ…!こいつは!!」

最初に意識を取り戻した中年の男を見たカミュは昨日のことを思い出す。

彼は昨日、カミュの前に割り込んで整理券を取った商人の男だった。

「な、な、なんだよ!?なんなんだよここは!?俺は美女の壁画を見ていたんじゃないのか!?」

カミュのことなどすでに忘れていたのか、今いる想像もつかない異様な空間も手伝って激しく動揺する。

彼の記憶は美女の壁画を見たところから途絶えてしまっており、そこからどうしてこんなところに移動しているのかわからずにいる。

彼だけでなく、彼と共に美女の壁画に支配されていた人々も同様で、口々にどうしてここにいるのか、ここが何なのかと異口同音に同様の声を上げる。

「お前ら、まず落ち着け」

「私たちのわかる範囲で、説明するわ。エルバ」

「…ああ」

カミュ達と同じように、しかしウルノーガや自分のことを伏せた状態で美女の壁画のこの世界のことを説明していく。

「信じられねえ…美女の壁画は俺たちにご利益を与えてくれるんじゃなかったのか!?」

「でも、少し納得がいくんじゃないかしら…?だって、行方不明になる人のこと、聞いたことがあるから」

「分からねえぜ。こいつらが俺たちのことを騙しているんじゃあ…」

「信じられねえなら、来た道を戻ったっていいぜ。先に進むしかねえってことだけは分かるぜ」

「そんなの…信じられるかよ!!帰らねえと、帰らねえと!!」

若い男が動揺の余り、エルバ達の話を信じられずに逃げるように来た道を走っていく。

しかし、その終点には出入り口などなく、その場に立ち尽くした。

追いかけたマルティナはそこから飛び降りるようなことをするほど混乱していないことを安心した。

おそらく、脱出しようとあそこから飛び降りたとしても、待っているのは『死』だけだろう。

「ふむ…固まって行動して、エルバが言っていた壁画の美女の魔物にまとめて餌食にされるとまずい。爺さん、こいつらをどうにかできないか?」

「ふむ…少なくとも、出口が見つかるまで安全を確保しなければならん。儂に任せてもらおうか。皆、固まって集まってもらおうかのぉ」

「あ、ああ…」

「なんだよ、俺らを置いてお前らだけで…」

「黙っていろ、死にたくなければな」

ロウはムウレアでセレンから手土産として提供された装備品の一つである海鳴りの杖を握り、波の形をした水色の宝石に魔力を集中させる。

そして、宝石部分を地面に当てて、集まった人々の周辺に円を描くように歩いていく。

そこから描く軌道上には魔力でできた光が発生しており、それが徐々に魔法陣へと変化していく。

「お姉さま、ロウ様は何を発動するのでしょうか…?」

「分からないわ。けど…かなり力を使うみたいね」

魔法陣を描くロウの額からは汗が流れており、魔力を乱さないように一定間隔で呼吸を続けるように注意している。

五芒星を模した魔法陣を描き終えると、杖の柄頭を床に突き立てて、目を閉じたロウは魔力を魔法陣に集中させていく。

「邪悪なる魔力よ退け…マホカトール!!」

発動と共に青く光っていた魔法陣の色が白く変化していく。

そして、その光が結界となって人々を包んでいく。

「ふううう…破邪呪文マホカトール。これで、奴からの干渉を受けることはないじゃろう」

「マホカトール…賢者にしか使えない呪文。おじいちゃん、すごいわね!!」

「ふうう…じゃが、かなりの魔力を消耗する。今では立っているだけでも精いっぱいじゃ」

かなりの魔力と体力を消耗し、70代の老人であるロウにはかなりつらい状態だ。

「なら、爺さんもあいつらと一緒にここで待っていてくれ。その…マホカトール、というのか?そこなら安全なんだろう?それに、いざというときにあいつらを守れる相手が必要だからな」

「だったら、私が残るわ。この人たちをこのままにしておけないから!」

旅芸人として、不安に駆られている人々が放っておけなくなったシルビアが声を上げる。

「よし…なら俺たち5人で先へ向かおう。それから…一つ、あんた達に聞きたいことがある」

「聞きたいこと…なんだよ?」

「メルという少女から両親を探してほしいと頼まれた。その絵の男と女を見たことはないか?」

「いや…知らんなぁ…」

「この絵の人達も見たことないわ…」

「そうか…感謝する」

ここの集団の中にいないとなると、もしかしたらこの先へ行ってしまって、もしかしたら餌食にされたのかもしれない。

そうなった場合、メルにどう報告すればよいのかわからない。

「急いで先へ行くぞ、これ以上犠牲者を出すわけにはいかねえからな」

「ああ…行くぞ」

「おじいちゃん、シルビア!ここの人たちのこと、お願い!!」

 

壁画にふさがれていた場所を抜けていくと、そこからは先ほどまでとは異なり、まるで迷路のように道が広がっていた。

そして、そこから奥への道をふさぐかのように魔物たちが闊歩していた。

青い人型の悪魔で、普段はのっそりと動くが、いざ戦いとなると普段とは正反対に俊敏となり、ヒャダルコや即死呪文ザキで獲物を葬るシャドーデビルや4本の腕を持つ一つ目の巨人のマッスルガードをはじめとした魔物たちを葬りながら、先へと進んでいく。

その中で一番気になる魔物がいるとしたら、金色の髪をした腐った死体と言える魔物、リビングデッドだ。

動いでいる間の動きはまさに魔物によって精神を支配された彼らとほぼ同じで、おそらくはその魔物に生気を吸収されて死んでしまった人々のなれの果てだろう。

「おい、こいつは…」

空中に浮かんでいるキャンパスを見たカミュは怪訝な顔となり、盗賊となって変わったものにめざとくなった自分の特性を恨む。

キャンパスの中には例のポーズをしたまま目を赤く光らせた白髪の男がはりつけにされており、肌の色がもうリビングデッドのそれに近づいている。

「この方は…もうゾンビ系の魔物になりつつあります。おそらくは、もう…」

魔物の呪いによって生きた人間がゾンビ系の魔物になってしまう話は珍しくない。

その場合は体の一部から徐々にゾンビ化していく。

治療法は呪いそのものを解くか、それが不可能な場合はゾンビ化している部分を取り除くことだ。

それをすることで助かるが、脳や心臓までゾンビ化してしまうともはや手の施しようがなくなる。

そうなった人間との見分け方は目で、手遅れになった人間の目は赤く光るという。

「もう自我も喪失しているわ。楽にしてあげた方がいいわ…」

魔物となると、永遠にこの世界で魔物の下僕となり果てるだろう。

そして、不運にも迷い込んだ人々を襲うだけの存在となる。

そうなるのはこうなった人間自体望まないことかもしれない。

カミュは脂が入った瓶を手にし、エルバはそれについている紐もメラで火をつける。

「成仏してくれよ…」

火炎びんを投げつけ、それが当たると同時に男の体がキャンパスもろとも炎に包まれていく。

死体の焼ける匂いが鼻につき、カミュはこの光景を見せないようにセーニャとベロニカを別方向に視線を向けさせる。

幸いなのは苦悶の声が聞こえないことで、そのせいか手にかけたカミュ自身は比較的楽だった。

キャンパスはそれ一つだけでなく、他にもいくつも浮かんでいた。

幸いなのは先ほどのもの以外は貼り付けとなっている人がいないことだ。

だが、それはおそらくもうすでにリビングデッドとなってしまっていることを意味している。

「気を付けて…ゾンビ系の魔物の穢れを受けたら、私たちも同じになってしまうわよ」

「ああ、そうだな…」

マルティナもカミュも、旅をした経験ではロウを除けばエルバ達をはるかに上回っている。

その過程で、先ほどのようにゾンビ系の魔物となってしまった人々を何度も見たことがある。

カミュは手元にある爆弾や先ほどの火炎瓶をはじめとした遠隔攻撃できる武器の確認をする。

「エルバ、セーニャ、ベロニカ。ゾンビ系は可能な限り距離を離して、呪文で倒せ。よほどのことがない限りは絶対に近づけるなよ」

「あんたに言われなくても分かってるわよ!アタシも…せっかく若返ったのに、ああはなりたくないわ」

「行くぞ。こいつらを生み出している根源を殺しに…」

「あの…待ってください。ここに何か、文字が書いてあります」

セーニャに手招きされ、エルバ達は彼女の脚元にある文章に目を向ける。

そこには血で書いたと思われる赤い文章があり、それは今使われている標準の文字だった。

「…。私が偶然にも村のそばで発見した、数百年前に滅亡した古代プワチャット王国の不思議な壁画。これで村に人が集まり、栄えると信じていた。だが、それは大きな誤りだった。壁画は魔物に呪われていたのだ。壁画は人々の命を自らの糧とするために人々の欲望を自ら叶えてやることで惑わし、そのご利益にあやかろうとする人々を吸収する。また、欲深くない者には少女の姿で現れ、その善意に付け込んで欺き、壁画の中に引きずり込む。私は人々を救うため、私自身の過ちを償うためにここへ来たが、魔物によって深手を負ってしまった。過ちを償うことができず、ゾンビとなってしまうというのは無念だ…」

「少女…少女って、まさかメルちゃんのこと!?」

少女、という言葉で最初に思いついたのはそれだった。

だが、どう見ても彼女はごく普通の少女にしか見えない。

それに、村人から聞いたが、美女の壁画見たさに子供を置き去りにした結果、迷子になってしまうケースはよくある話だという。

「だが、少女がもしそいつだったとしたら、俺たちはまんまと罠にはめられたということになるな」

「その可能性はあるな…だが、完全にそうとも言い切れない。それに…」

迷路のように入り組んだ道だが、その先に出口があるとは思えない。

そこへたどりつくには、やはりこの壁画世界を作っている魔物を倒すしかないだろう。

この遺言を読んだからと言って、やらなければならないことに何も変更はない。

「行くぞ、これ以上誰も死なせるつもりはない」

 

「フフフ…やはり、このような男からとれる色は気味が悪い…」

紫の光があふれだす噴水の中で、身動きの取れない男の首筋に細い指が突き刺さっている。

腕の血管は青白い色を帯びていて、その色に不快感を感じる魔物は自由になっている左手で指を鳴らす。

すると、上空にキャンパスが出現し、男の体が紫色のオーラに包まれる。

指を抜くと、次第に男の髪の色が金色となり、肌が青白くなっていく。

そして、上空へと浮かんでいき、そのキャンパスに繋がれて、そのままどこかへ飛ばされていった。

「飽きた…。まったく、このような色ばかりでは、この世界は嫌なものじゃ…」

噴水のそばにある檻の中にはまだ20人以上の人間が入っているが、おそらくは先ほど吸収したものと同じ色しか得ることはできないだろう。

最近で一番いい色だったのは、自分や家族の病気が治るのを願ってやってきた老人で、その老人からは鮮やかな赤色を得ることができた。

そして、その老人は今でもリビングデッドとしてこの世界の番人となってくれている。

だが、せっかく手に入れた赤色も量が少なければあっという間にこの青に塗りつぶされてしまう。

「そろそろ来る…麗しい7色が。その色があればこの世界はきれいになって、ウルノーガ様もお喜びになる…うん?」

足音が聞こえて来て、噴水の中に隠れていた誰かが外へ出て、足音が聞こえる方向に目を向ける。

カツリ、カツリと階段を上る音が聞こえ、やってきたエルバ達は噴水の上に浮かんでいるその誰かを見る。

「やはりお前か…」

「信じられないけど、やっぱり罠だったのね…メルちゃん!」

空に浮かぶ誰かの正体はエルバ達が薄々と感じていた通りだった。

村で見た迷子の少女のメルで、その右手にはおびただしい血がついていた。

「ちっ…遅かったか」

「待っておったぞ。素敵な色を持つ勇者たちよ…」

少女は笑い声を上げながらその体を紫のまがまがしいオーラに包んでいく。

そして、その姿が徐々に美女の壁画へと変化していく。

「わらわは美と芸術の化身、メルトア!!さあ、おぬしらもわらわの世界の色となってもらおうぞ!!」

「ふざけるな…。そんなことをしている余裕はない」

「そなたらの事情など知らぬ。わらわにすべてをゆだねればよいのだ…!!」

美女の壁画が紫のオーラに包まれ、徐々に巨大化していく。

そして、エルバ達の5倍以上の大きさになると、その壁画にひびが入る。

壁画が砕け散ると、その中から紫色のドレスに身を包んだ巨大な美女の姿をした魔物が姿を現した。

瞳は赤く光り、緑の髪の毛は蛇のような生々しさが感じられた。

「醜悪な…」

「人を騙して、絵の中に引きずり込んで、丸のみにして吸収する。その姿にぴったりの悪趣味な姿ね!!」

「でも…どうして、こんなことを…?」

「決まっておるであろう?この世のすべての命はわらわを彩るための塗料にすぎん。最も、多くの感情を持つ人間が一番色彩に富んでいるから、選んでいるにすぎぬわ」

やろうと思えば、動物であろうと魔物であろうと塗料にすることができる。

だが、動物の色は単調で、魔物については自然界に生まれた者であればともかく、ウルノーガが生み出したものを塗料にするわけにはいかない。

そうなれば、力が弱いうえに多くの感情を持って生きている人間が彼女にとっては絶好の塗料だ。

最も、そのためには壁画世界に引きずり込まねばならず、そのための裏工作が原因でこのような薄暗い青ばかりの世界となってしまっているが。

「わらわの美の一部となれる奇跡にむしろ感謝してもらいたいものよのぉ」

上空のキャンバスに縛られているリビングデッドと化した犠牲者に目を向けたメルトアが高らかに笑う。

本心からそのように思っており、自らやウルノーガに関連する者の命以外を何とも思わない傲慢さが感じられる。

「ああ…あの方より賜ったこの力がどれほど素敵なものか…わらわはむしろ救ってやったのだ。欲深き人間どもをその浅はかな人生から!!さあ、おぬしらもわらわの世界の色となるが良い!!」

「うるさいわね!!その前にあんたを消し炭にしてあげるわよ!!」

しびれを切らし、両手に力を込めて炎の魔力を凝縮していく。

そして、絵画を焼き払う気でメラミを放とうとする。

しかし、メルトアは不敵な笑みを浮かべるとともに首にぶら下げている鍵が怪しく光る。

それと同時にベロニカの両手に宿っていた魔力が最初からなかったかのように消えてしまった。

「あ…あれ??いつの間にマホトーンを!?」

「そうした動作はなかったぞ!?」

「そんな…私も!!」

セーニャもバギマを唱えようとしているが、なぜか魔力を操作することができない。

呪文が使えずに困惑する姉妹を見たメルトラはカラカラと笑う。

「カカカカカ!!愚かな娘たちじゃ。おぬしらだけでなく、お前たち全員は呪文を使うことができない!!」

「その鍵の力か…??」

「ほぉ…鍵が気になったかえ?」

右手で大事そうに首にぶら下げている鍵を撫でる。

おそらく、その鍵と全員が呪文を使えなくなった原因はつながる。

「それはそうと、まさかおぬしらだけが呪文が使えなくなったと思うかえ?この世界はわらわの世界ぞ?」

「…!まさか!!」

エルバの脳裏に残ったロウの姿がよぎる。

もし彼女の言葉が正しければ、マホカトールを解除されている可能性が高い。

おまけに、呪文が使えなくなったロウは肉弾戦で戦うしかなくなる。

マルティナに武闘家としての手ほどきをしていたことは知っているが、それでも高齢のロウには長時間の戦闘は難しい。

「私がロウ様を助けに行くわ!!エルバ達は奴らを!!」

「分かった!!頼む!!」

呪文を使わないマルティナはこの制約を気にすることなく戦うことができる。

彼女はロウと共に残された人々を助けるため、1人で元来た道を戻っていく。

「カカカカ!!おろかな…。その女がたどり着くころには奴らは全員我が塗料となっているであろうぞ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第48話 メルトア

「うわ、なんなんだよ!?あの魔物!?」

「死にたくねえ、死にたくねえ!!」

リビングデッドやドロルメイジ、シャドーサタンなどの魔物が集まってきていて、その魔物の数にマホカトールの中にいた人々の間に動揺が走る。

マホカトールそのものは維持されており、魔物たちはその魔法陣に阻まれて人々を攻撃できずにいるが、それでも多くの魔物が攻撃してきたら突破される可能性が高い。

「むうう、下がれぇ!!」

普段の杖ではなく、鉄の爪を装備したロウが爪から真空の刃を発生させ、正面のシャドーサタンを後ろにいる2匹のリビングデッド共々切り捨てる。

倒れた魔物たちの死体に目もくれず、大軍を見ながらロウは深呼吸をして精神を落ち着かせる。

(エルバ達の身に何かあったのか…?呪文が発動できんとは…)

マホトーンを受けた覚えもなければ、マホトラなどでMPを吸い取られた気配もない。

だが、いつの間にか自分の身に何かがあったような覚えがある。

体の中にある血液とは別の流れが止まった、そんな感触がしている。

おそらく、そのせいで呪文を使うことができずにいる。

そして、ロウの勘が正しければ、それはこの壁画世界全体で起こっている現象だ。

もしマホカトールがそのせいで消えてしまっていたら、彼らを守り抜くことができなかっただろう。

(だが、ワシ1人ではあの数は厳しい。せめて姫かカミュがここにいてくれたなら…)

2人とも、呪文を大して使っておらず、肉弾戦を中心としており、今の状況でも本来の自分の力を振るうことができる。

だが、先へ行かせた以上はロウがやるしかない。

修行中は肉体強化のため、武闘家としての鍛錬を積んだことがあり、マルティナにも仕込んだことがある。

年はとっているが、それでもある程度体を動かすことはできる。

「ロウ様!!」

群れの後ろからマルティナの声が響き、同時に真空蹴りで3匹のリビングデッドが吹き飛び、足場から落ちていった。

「おお、姫か…!」

「ロウ様、お助けします!!」

まだまだ数のある魔物たちを時には蹴り飛ばし、時には槍で貫きながら、マルティナは倒したリビングデッドの姿を脳裏に浮かべてしまう。

あれらの魔物の服装はつい最近まで生活していた人の普段着に見えた。

おそらく、メルトアに吸い取られてリビングデッドに変えられてからそれほど時間が経っていないのだろう。

もう助ける手段はないとは分かっているが、どうしても心のどこかで助ける方法があったのではないかと考えてしまう。

だが、倒さなければ今度は自分や恩師のロウ、そしてマホカトールの中にいる人々の誰かが同じゾンビ系の魔物にされてしまう。

マルティナは彼らへの哀れみを無理やり心の中で押しつぶし、正面のリビングデッドの胴体を槍で貫いた。

 

「ほら、早くわらわの養分となるがいい!!」

メルトアの髪の束が槍のように鋭くなり、次々とエルバ達に襲い掛かる。

エルバは退魔の太刀で、カミュは2本のソードブレイカーで、シルビアはブチャラオ村の武器屋で購入した破邪の剣で避け切れないものはそらして回避していき、セーニャも普段は使っていない鉄の槍でどうにか髪の束をそらしていく。

だが、まるで生きているかのような鋭くしなやかな攻撃の連続はエルバ達を疲弊させ、特に普段は呪文メインで戦っているセーニャとベロニカのスタミナを容赦なく奪っていく。

一番消耗しているのはベロニカで、身を護る武器で、あの髪の束を凌げるのは普段使っている杖しかない。

何度も杖でしのいできた影響で、柄の部分はもうボロボロで、先についている赤い魔石にもひびが入っている。

魔法使いや僧侶が装備している杖やスティックについている魔石は使用者の魔力を活性化させる、攻撃した相手の魔力を奪う力を秘めており、それこそがそれらのアイデンティティだ。

仮にその魔石が破壊されてしまった場合、それらの武器はただのオブジェと化してしまう。

「はあはあ、きついわね…!!」

「まずは、その一番若そうな小娘の生気を芸術の一部にしてくれる!!」

メルトアが再び髪の束をベロニカに向けて放つ。

疲れ果てていて、杖を両手で握り、地面をついてようやく立てているベロニカには回避する手段がない。

「くっそぉ!!」

カミュは右手のソードブレイカーをその髪の束に向けて投げつける。

ある意味では繊維の集まりであるはずの髪だが、その間に刃は入り込むことはなく、ガチンと金属と金属がぶつかり合う音が鳴り響き、同時に投げたソードブレイカーは粉々に砕け散る。

そして、それは容赦なくベロニカを襲い、彼女を叩き飛ばした。

「キャアアア!!」

「ちっ…仕損じたか…!」

大きく吹き飛ばされ、足場から落ちそうになるベロニカを見たメルトアは舌打ちし、思ったほど奪うことのできなかった生気に不満を抱く。

先ほどのソードブレイカーの投擲を受けたせいで、わずかに髪の束のコースにズレが生じてしまい、結果としてそれはベロニカの心臓ではなく、左腕に一撃を加えるにとどめてしまった。

だが、攻撃を受けたベロニカは右手で足場に捕まった状態で、少しでも気を抜いたら落下してしまう状態になっていた。

両手で体を持ち上げたいが、左腕に激痛をおぼえるベロニカは右手だけで体を支えるしかない。

おまけに、生気を吸い取られた影響かなぜか疲労感があり、徐々に右手に力が入らなくなる。

「まず…い…!!」

どうにか右腕に集中するが、それでもこの疲労感を止めることができず、ついに手を放してしまう。

ゆっくりと重力に引っ張られて下へ体が落ちていくのを感じた。

「お姉さま…!!」

セーニャの声が聞こえてくる。

このまま死ぬのか、そんな静かな諦めがベロニカに芽生える。

天才魔法使いを名乗っているが、そのゆえんである呪文を封じられてしまったら所詮こんなもの。

相手が悪かったのだから、そんな相手と正面から闘って負けるのは当たり前。

勇者を守るという使命はあるが、彼には自分やセーニャだけでなく、カミュやシルビア、マルティナにロウがいる。

自分1人抜けたとしても、どうにかなるだろう。

死を受け入れ、目を閉じようとしたベロニカだが、その右手を誰かがつかみ、落ちようとしていた体が急に浮遊する。

目を開けると、そこにはエルバの姿があり、彼が彼女の手をつかんでいた。

「カカカカ!!隙だらけよのぉ、勇者ぁ!!」

ベロニカを助けようと、背中を見せるエルバにメルトアは容赦なく髪で攻撃してくる。

バチンバチンと髪がエルバを容赦なく叩きつける。

ユグノアの鎧と兜で身を包んでいるおかげか、それとも勇者の力に守られているおかげなのか、生気は吸い取られている気配がない。

しかし、それでもエルバの体にはダメージが累積していて、額や体のいたるところを負傷し、出血する。

「エルバ!!」

「離さない…もう、俺は…何も…!」

エルバの脳裏に灰となったイシの村と自分の手で埋葬した村人の姿が浮かぶ。

あの時、すべてを失ったエルバだが、少なくともここまでの旅の中で仲間を得た。

失ったものは戻らないが、これから得るものが確かに存在することを教えてくれた。

「俺はもう…何も失わない。何も…奪わせない!!」

「エルバ…」

「うっとうしい人…さっさと死に…」

「ちょっと待ちなさい、メルちゃん!相手はエルバちゃんだけじゃ…ないわよー!!」

髪を足場代わりにして何度も大きく跳躍しながら接近していたシルビアが破邪の剣の炎を纏わせて切りかかる。

火炎切りのために火薬をかけたこともあるが、破邪の剣そのものが宿すギラの魔力が混ざり合ったことでベギラマ以上の炎が発生していて、その刃がメルトアの頭に直撃する。

「あ、ああ、あ…ああーーーー!!」

頭皮がメラメラと燃えはじめ、頭を抱えたメルトアが悲鳴を上げる。

炎は髪の毛にも燃え移り、生々しい緑色だったそれが徐々に炭化したような嫌な臭いを充満させる黒へと変えていく。

「そらよぉ!!」

更にそこでカミュがグラップリングフックを取り出して髪の束をで巻き付け、それを力いっぱい引く。

あっさりと髪の束が剥がれるような嫌な音を立てながら切れて足場へ落下する。

束の根元にはメルトアの焼けた頭皮がついており、元あった場所には無残なただれたような火傷が白日の下にさらされる。

「はあ、はあ…」

「お姉さま!これを!!」

その間にエルバに引き上げられたベロニカの元へ駆けつけたセーニャは持っている特薬草をベロニカに手渡す。

体力を奪われはしたが、少なくとも傷をある程度治療することで少しでも体力の消耗を防ぐことができるはずだ。

それを口に含みながら、ベロニカは頭皮や髪を焼かれたメルトアを見る。

「よくも…よくもわらわの芸術的な髪を…!!よくもぉぉぉぉ!!!」

この壁画世界を作ってから、傷一つ追うことのなかったメルトアだが、この日はじめて大きな傷を負うことになった。

しかもそれは勇者の攻撃を受けたからではなく、シルビアとカミュという普通の人間の攻撃によるものだ。

そのことが彼女のプライドを傷つけ、怒りを爆発させる。

そして、目から高熱の光線をエルバ達に向けて発射する。

「散れ!!」

エルバの叫びと共に、固まりかけていたエルバ達が散開する。

彼らがいた場所に光線が襲い掛かり、足場が高熱で赤く光る。

怒り狂ったメルトアは光線を全力で発射したまま周囲を薙ぎ払っていく。

「くそ…!!近づいたら、灰にされちまう!!」

「せめて、呪文を使えたら…!!」

呪文で遠距離攻撃を仕掛ければ、何かしらの勝機をつかむことができる。

だが、今はメルトアの力で全員の呪文が封じ込められている。

再び呪文を使えるようにするためには、その力の根源を破壊するしかない。

(きっと、呪文を封じ込めているのは…アレね!!)

メルトアが首にぶら下げている、ウルノーガが作り出した魔法の鍵。

それを破壊すれば、再び呪文を使うことができる。

だが、問題はどうやって接近してそれを破壊するかだ。

「よくも、よくも、よくもぉ!!」

「ちっ…!完全に俺たちがあいつを怒らせたみたいだ!狂いながらも俺とおっさんを襲いやがる!!」

「なら、俺がやる。みんなはあいつを引き付けてくれ」

「こいつを使え!」

カミュからグラップリングフックを受け取ったエルバはメルトアの視界から逃れ、上空に浮かぶキャンパスに向けてグラップル部分を投げる。

(グラップリングフックの使い方はカミュに教わっているが…)

いざトベルーラが使えなくなった時のため、時折カミュからグラップリングフックの使い方を教わっていたが、それよりは利便性の高いトベルーラの修行を優先しているため、カミュ程使いこなせないところがあり、引っかかっているグラップル部分が甘いのか、多少その部分がぐらついている。

引っかかったのを確かめた後でロープをよじ登っていく間も、メルトアの怒りのビームの勢いはますます強くなる。

一つ幸いなのはこのキャンパスにリビングデッドが拘束されていないことだ。

そのモンスターがいたら、出来立てホヤホヤで人間だった面影が多く残っている状態かもしれないので、倒すのをためらってしまうだろう。

ともかく、ロープにつかまった状態を維持し、浮遊するキャンパスからメルトアにとびかかるタイミングをうかがう。

「死ね、死ね、死ね、死ねぇぇぇ!!」

「ちっ、エルバはまだか!?」

ビームを避け続けているカミュ達だが、全力で走ったり飛んだりし続けているため、どんどん疲労が蓄積されていく。

徐々に動きが鈍くなる獲物たちを見たメルトアはいったんビームを止める。

「この髪を治すにはそならたちの色だけでは足りぬ!!こうなっては世界中の人間すべてをかき集めて治してくれる!!」

メルトアは左手で胸の魔法の鍵に触れる。

すると、メルトアの正面にいたカミュ達の体の動きが止まってしまった。

「何…!?どうなって…やがる…!?」

「嘘…!?体が、全く動かない…!!」

「カカカカ!魔法の鍵でそなたらの体の動きを封じさせてもらった!!これで、じっくりとそなたらの色を吸い尽くすことができる…だが、それだけではわらわの気が収まらん!!」

メルトアの瞳にビームのエネルギーが収束されていく。

吸い尽くすと同時に、カミュ達を一遍も残さず焼き尽くすためだ。

(くそ…!鍵を破壊できたとしても、間に合わない…!!)

もうメルトアはいつでもビームを発射できる状態だ。

鍵を破壊することができたら、カミュ達は動けるようになり、呪文も使うことができる。

だが、浮遊するキャンパスの動きから計算すると、とても間に合わない。

動けるようになるとほぼ同時に、カミュ達はビームに焼き尽くされてしまう。

(このままじゃ…)

何か、カミュ達を助ける方法がないかと頭の中を回転させようとする。

その瞬間、左手の痣が光りはじめ、その光がエルバを飲み込んでいく。

(これ…は…??)

光に飲み込まれたエルバはその光の中にいるドラゴンと1人の人間の姿を見つける。

人間の何倍もの大きさと寿命を持つ4本脚で緑色のトカゲ顔をした魔物はユグノア地方で見たことがあるため、シルエットだけでもある程度判断できる。

しかし、人間のそれはいったい何者なのか判別はつかない、

だが、左手に何か光る物を宿していることだけは分かった。

彼はその光をドラゴンに向けて放つ。

額にその光を受けたドラゴンは悲鳴を上げながら倒れ、ピクリと動いた後で意識を失ってしまう。

その姿を見届けるとともに光は消え、現実の光景へと戻っていく。

もう既にメルトアはビームを発射する準備を整えており、大きく目を開いている。

「消えろ!!」

動けないカミュ達に向けて、メルトアは目からビームを発射する。

「やめろぉぉぉぉ!!」

叫びと共にエルバはそのビームに向けて左拳を伸ばす。

痣から発する光が一閃の光となって発射され、メルトアのビームに側面からぶつかる。

「何…!?この、この光は…!!」

その光を見たメルトアは衝撃を受けるとともに、2つの光が相殺する。

彼女が驚いたのはなぜ、この光が発射されるのかだ。

魔法の鍵の力によって呪文が封じられている以上、人間が遠距離攻撃できる手段は弓矢やボウガンなどの実態のあるものに限られるはずだ。

だとしたら、光なんて発射できるはずがなく、それを発射できるとしたらそれはいったい何なのか?

だが、その驚きが決定的な隙を与える。

ロープから手を放してジャンプしたエルバがメルトアに向けて飛び降りていく。

重力に従って落ちていくと同時に、胸にぶら下げている魔法の鍵に向けて再び至近距離からあの光を放った。

「や、やめろぉ!!その光はぁぁぁぁぁ!!」

光を受けた魔法の鍵が砕け散り、同時にカミュ達のピクリとも動かなかったはずの体が動きはじめ、いきなりのことで危うく転倒しそうになる。

一方で魔法の鍵を破壊することにばかり気を取られていたエルバは足場に落下してしまう。

「エルバ!!」

「助かったわ!けど…今の技っていったい…」

「はあはあ…紋章閃…。頭に浮かんだ…」

エルバ自身も聞いたことのない、だが確信できる技の名前。

その『光』の破壊力はすさまじいが、同時にエルバにも重い疲労を与えていた。

「うん…!呪文が使える!」

指先の炎を出して、呪文が使えるようになったことを確かめたベロニカはひび割れた杖に自分の魔力を籠める。

「あ、あ、ああ…あのお方から頂いた魔法の鍵が…このような、このような虫けらに…」

「覚悟しなさい!あんたのいう美の犠牲になった人たちの怒りを思い知らせてあげるから!!」

「お姉さま、私も!!」

セーニャが魔力を束ね、メルトアに向けて全力でバギマを唱える。

大きな竜巻が巻き起こり、その中にメルトアは飲み込まれていく。

「ぐ、うううう!!」

「まだまだ!!これで、とどめよ!!」

ベロニカの杖から放たれたベギラマが普段以上の熱と光で襲い掛かり、竜巻と融合していく。

灼熱の竜巻と化したバギマとベギラマがメルトアの肉体を焼きつくし、切り裂いていく。

「お、おのれ…!!だが、だが…まだ終わらぬ…!!偉大なるウルノーガ様がおられる限りは…ウルノーガ様が目的を、永遠の命の力実現したとき、わらわは再び…あああああ!!!」

灼熱の竜巻の中でメルトアが灰となり、獲物を食らい尽くして満足したかのように竜巻は消えていく。

メルトアがいた場所には巨大な次元の裂け目ができており、その先にはブチャラオ村の景色が見える。

「はあはあ…奴を倒したことで、この世界の出口ができたということか…」

「犠牲者は多いが…まぁ、これ以上奴に殺される奴がいないだけでも、よしとしねえとな」

「ええ、そうね…」

ベロニカは床に転がっている、2つに割れた魔法の鍵を手にする。

こういうものに一番詳しいのはロウで、彼に見せたほうが一番いいが、ベロニカの見立てでも紋章閃で破壊されたことでメルトアが見せた呪文や体の動きを封じ込めると言った芸当を行うだけの魔力が宿っていない。

だが、鍵の形をしており、使われている金属があまり見たことがないため、鍵としては何か使い道があるかもしれない。

「永遠の命の力…ウルノーガがそれを狙っているのか…?」

メルトアが最期に残した言葉がエルバの脳裏に引っかかる。

ウルノーガが仮にこのプワチャット王国滅亡の原因を作ったとなると、彼はもう何百年も生きていることになる。

永遠の命というのは、何か死ななくなる以上の意味があるのではないかと思えてしまう。

「とにかく、さっさとじいさんとマルティナ、あと観光客共を迎えに行こうぜ。こんな辛気臭い場所はさっさと出るに限る。お前らはここで待ってろよ」

カミュが来た道を戻り、ロウ達を迎えに行く中、セーニャはベロニカの傷の回復を始めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第49話 グレイグ

「うむ…シルバーオーブを手に入れることができたが、後味の悪いものとなってしまったのぉ…」

シルビア号に戻り、メダル女学園校長から受け取ったシルバーオーブを手にしたロウは複雑な表情を見せる。

あの裂け目からブチャラオ村に戻り、救出した人々と共に美女の壁画の真実について人々に説明した。

メルトアを倒したことで、壁画は消滅し、それがいった遺跡には壁画世界への入り口と思われる大きな斜めの穴ができていた。

メルトアは倒したものの、壁画世界そのものは存続しており、中にすでに住み着いている魔物たちはまだ生きていることから、その遺跡そのものが出入り禁止となり、固く封印されることが決まった。

最大の目玉を失ったことで、村人たちは落ち込むだろうと思ったが、そんな心配は杞憂に終わった。

彼らはその呪われた美女の壁画をネタにしてそれのレプリカを売り始めていた。

観光客に美女の壁画とその中にいるメルトアをネタとした怪談話を披露し、そのレプリカを売ることで新しい観光資源を生み出そうとしている。

転んでもただでは起きない商魂にはただただ頭を下げるしかない。

だが、現実として犠牲者はおり、その中にはエルバ達に探すように依頼された夫婦も含まれていた。

あの壁画世界に入り、生きて出ることができたのはエルバと彼らが助けた人々だけで、その中にはその夫婦は含まれていない。

メルトアの所業を考えると、もう死体そのものがないか、リビングデッドと化して今でもあの壁画世界をさまよっている可能性がある。

校長からは助けられなかったとはいえ、これ以上の犠牲者を増やすことを防いでくれたことを感謝され、約束通りシルバーオーブを借りることができた。

残された生徒については、故郷にいる祖父母が引き取ることになり、生徒に対しては時が来たら言うという形で決まった。

「メルトア…最低な魔物だったぜ…」

「ウルノーガめ…これほどの犠牲を出してまで永遠の命の力を求めるか…」

「じいさん、魔法の鍵はどうだ?」

「使っている金属は特殊じゃ。少し荒っぽい手を使うが、鍵としてだけなら使うことができる」

魔法の鍵の修理のために必要なのは不思議な鍛冶セットと打ち直しの宝珠だ。

原理はよくわからないが、その宝珠を使うことで取り込んだ装備や道具を分解し、再び鍛冶をすることができるという。

それによって、強化することができるようだが、それが可能かどうかは鍛冶をする人間の力量次第だ。

理論上では魔法の鍵の修理もできる。

「じゃあ、次の目的地を決めましょう。最後のブルーオーブがあるのは…確か、クレイモラン王国でしたわね」

「うむ。王家の家宝として保管されておる。今の王はシャール女王じゃが、話は聞いてくれる」

「聞いてくれる…?なんでそんな保証ができるんだよ?」

サマディー王と謁見したことのあるエルバ達はそのために、バトルレックスの討伐をしたり王子であるファーリスの手助けをするなどの苦労をした。

しかも、それはエルバ達が素性を隠したうえでのことだ。

追われる身であるエルバ達の話を、正体を知ったうえで聞いてくれる王家の人間がいるとはカミュにはとても思えなかった。

「心配はいらぬ。先王であるテオドールとは個人的な友人じゃったからのぉ。それに、16年の旅の間にも、いろいろと手を貸してくれた。信頼できる」

「私も保証するわ。ユグノアで生き延びた人達をかくまってくれているから…」

「ふうん…。まぁ、ブルーオーブがそこにある以上、行くしかねえのは確かだがな…。んじゃあ、少し疲れたし、休むかな」

(カミュ様…?)

船室へと戻っていくカミュの後姿を見たセーニャは違和感を抱く。

口調そのものは普段と変わりはないものの、どこかいつもの彼とは違う感じがした。

あくまで感じがしただけで、どこがどう違うのかはうまく説明できなかった。

 

潮風の香りが風と共に運ばれてくる個室で、椅子に座ったジエーゴが客人用のワインをテーブルに置き、2つのグラスを置いて待つ。

今日は珍しい客人が来るということで、セザールには菓子を買いに行くように伝えており、今は不在だ。

コンコンとノックする音が聞こえ、「入れ」とジエーゴが言うとともに扉が開く。

「よぉ、久々だなぁ…グレイグ。いい面構えになったじゃあねえか」

「お久しぶりです…師匠」

「ったく、相変わらず生真面目な野郎だ。まぁ、座れよ。酒ぐれえいいだろ?」

師匠であるジエーゴにお辞儀をしたグレイグは部屋に入り、扉を閉じる。

今のグレイグはデルカダールメイルではなく、青色をベースとした市松模様の服で、これは彼の普段着だ。

ガチガチに硬い動きと言動のグレイグに呆れた笑みを浮かべながら、彼のグラスにワインを注ぐ。

このワインは彼の生まれた日にできた葡萄で作ったもので、久々に来る彼のために特別に用意した。

そのワインを軽く一口のみ、下に伝わる味を確かめる。

「それにしても、キールスティン号の船長とは、出世したもんだなぁ、グレイグ」

「ええ…。しかし、この船の船長にふさわしいのは…」

「やけに謙遜するのはお前の悪い癖だ。もっと自信を持て、自信を。認められたってことだろ?」

「それはそうですが…」

「はあ…分かった分かった。黙って少し飲め」

ここから長くなりそうだということを長い付き合いから直感したジエーゴは無理やりここからの話を切り、酒を薦める。

グレイグとは長い師弟関係になり、彼が将軍となったころからめったにこうして屋敷で会うことがなくなっていた。

幼少期のグレイグのことはよく覚えている。

幼いころにバンデルフォン王国を家族や友人諸共失い、デルカダール王に拾われて育てられた彼を鍛えてほしいと王から直々に頭を下げられて、彼を預かることになった。

故郷を失った影響からか、力を求めている彼の希望にこたえ、徹底的に剣術や馬術を仕込んだ。

しかし、当時の彼は剣術も馬術もからっきしなうえに臆病とあって、本当に彼を強くすることができるだろうかと本気で考え込むことがあった。

ホームシックになり、他の弟子たちと一緒に寝泊まりする宿舎の中で大泣きしたり、暗いところでは眠れないということからランタンを探し、もし寝ている間に明かりが消えたらパニックになることもあった。

ジエーゴからの薫陶のおかげで、今ではそうしたところは治っているようだが、謙虚すぎるところは相変わらずだ。

おそらく、同じく将軍であるホメロスのことを念頭に置いているのだろう。

彼のことは何度も聞いており、ホメロスの知略や賢者と魔法戦士としての技量は耳にしている。

確かに、海戦の能力はホメロスの方が上で、模擬戦でも7:3でホメロスが勝っている。

「で…たかだか挨拶したいがためにわざわざソルティコまで来たんじゃねえだろ?」

ワインを飲み終えたジエーゴはジロリとグレイグの顔を見て、グレイグはわずかに視線を逸らす。

ソルティコの水門の許可は既に下りており、グレイグ本人がここへ来るような理由もないはずだ。

強いてあるとしたら、自分がかくまっているユグドラシルのことがあるかもしれないが、少なくともデルカダールにその情報が漏れたという情報は耳に入っていない。

グレイグは何も言わず、沈黙の時間が過ぎる。

ため息をついたジエーゴは立ち上がり、棚に飾ってある訓練用の剣を手にする。

「師匠…?」

「来い、グレイグ。久々に仕込んでやる」

 

「なんだぁ?そのへっぴり腰はぁ!!将軍になって、訓練を怠けていたなぁ!?」

「ぐっ…まだまだぁ!!」

屋敷の敷地内にある稽古場でジエーゴの一撃を受けたグレイグが後ずさるも、構え直したグレイグが再び前に出る。

2人の模擬戦の光景はジエーゴの今の弟子たちが見ており、中には彼らの戦い方をメモに取っている弟子もいる。

再び鍔迫り合いをはじめ、グレイグは改めて師匠の壁の高さを感じた。

(やはり…師匠は強い…。老齢であるにもかかわらず、これだけの力…衰えていない!!)

「へっ…感心してるんじゃあ、まだまだだなぁ!伊達に騎士を名乗ってるんじゃねえのさ!!」

怒れる剣神などと巷では彼の異名として呼ばれており、ジエーゴ本人はそうした異名をつけられることが好きではないものの、それでも自分の強さは証明し続けなければならないとは思っている。

そのため、今でも弟子たちの指導の傍らで、自らも修行を続けており、若いころと比べると若干腕力や剣を振るスピードが落ちているものの、それでも若い兵士たちには負けない自信はあり、まだまだグレイグにも勝つ自信がある。

(やはりな…情けねえぜ。こんなへっぴり腰にブレブレな剣…。俺が教えたものじゃねえ…)

だが、今のグレイグには100%勝てると今のジエーゴには断言できる。

弟子たちには見えていないかもしれないが、正面からグレイグの剣を受けているジエーゴには分かる。

力の入れ加減や呼吸の仕方、そして構え方。

いずれも若干のずれや甘さがあり、余裕のなさまで感じられる。

普段のグレイグらしくない。

再び剣を受け、しばらく鍔迫り合いをしながらジエーゴはグレイグの目を見る。

「やはりな…てめえ、何か迷っているな?」

「ぐぅぅ…!!」

「図星か。わかったぜ…てめえがわざわざここへ来た理由が。まずは…いったんノビていろ!!」

グレイグのがら空きの腹部にジエーゴが鋭い蹴りをお見舞いする。

鈍い一撃を受けたグレイグはうっと声を出し、口からは数滴の唾を飛ばして、同時に視界が真っ黒に染まる。

彼の体は大きく吹き飛ばされ、滑るように床にあおむけに倒れ、握っていた剣は手からするりと離れてしまう。

倒れたグレイグは白目をむいており、腹部が真っ赤に腫れていることから、どれだけ重い一撃を受けたのかがよくわかる。

「嘘だろう…?あのグレイグ将軍が負けた…!?」

「おっかねえ、師匠の蹴り、とんでもねえ…!」

「おい、見世物じゃあねんだぞ!!見学は仕舞いだ!!さっさと自主練に戻れ!!」

しゃべり始める弟子たちに一喝し、彼らは大急ぎで稽古場を後にし、外にあるデク人形相手に訓練を始める。

そして、ジエーゴはグレイグを抱えて稽古場を後にした。

 

「おら、起きな!!」

「うう…!?」

バシャッという冷たい音が響くとともに上半身が裸の状態になっているグレイグが飛び起きる。

そばには井戸があり、目の前にいるジエーゴの手には大きな桶が握られており、彼自身も上半身が裸になっていた。

記憶の中にあるジエーゴと比較すると、若干衰えているところがあるものの、それでもかなり筋肉質な体つきで、相変わらずの力強い肉体に感服する。

外気に触れたことで、水にぬれた体が反応してブルリと身震いしてしまう。

「ったく、相変わらず寒さには慣れねーのか?クレイモランへ行くんだろう?」

「鎧を着ていくのでとくには問題ありませんよ。定期的に火で体も温めますから」

「それをおめーを尊敬している奴が聞いたら、泣くだろうなぁ」

昔は寒い時期に北にあるドゥーランダ山に登り、そこで1カ月修行をすることが習慣となっていた。

その時期が近づくと、修行中の頃のグレイグは仮病を使ってさぼろうとし、先輩騎士に無理やり引っ張られて連れていかれるのが日常茶飯事だった。

その山の中にはドゥルダ郷があり、そこで修行僧と交流しつつ、より専門的な体術を学ぶこともできるため、騎士たちからの評価は高かった。

デルカダールとの関係もよかったが、16年前にデルカダール王が一方的に交流断絶を発表するとともに、デルカダール国民のドゥルダ郷への出入りを制限し始めた。

当然、ソルティコにもその影響が出ており、その年から年に1度のドゥーランダ山登山ができなくなった。

「で…てめえ、何か迷っているな?ホメロスという奴のことじゃねえ。もっと大きな何かに…」

「…やはり、師匠をごまかすことはできますまい…」

「何がごまかす、だ。最初からそのつもりで来たくせによ」

おそらく、グレイグが抱える迷いは悪魔の子、勇者の追討のことだろう。

エルバがロウやマルティナと行動を共にすることとなり、おそらくその過程でグレイグはマルティナと再会している。

そして、マルティナが必死にエルバを守ろうとしていること、そして彼女の指摘でデルカダール王が実は間違っているのではないかという迷いを呼び起こしている。

それについてはユグドラシルを支援しているジエーゴにとっては助かることだが、師匠として見ると今のグレイグは情けなくて見ていられない。

「…最近の王が分からぬのです。悪魔の子が現れてからというもの…。ロトゼタシアの平和を守るためには勇者を滅ぼさなければならない…。しかし、なぜ…」

グレイグの脳裏に燃え盛る村の光景、そして村人の死体の姿がよみがえる。

勇者を育てた村というだけでなぜ彼らにまで矛先を向けなければならないのか?

事情を知らない彼らを、無抵抗で力を持たない彼らを殺すことにどんな正義があるのか?

それがグレイグには分からなかった。

「グレイグ、忠義ってのは何だ?」

「忠義…主君や国家に対し真心を尽くして仕えること…」

「じゃあ、忠義を尽くす相手を決めるのはどこの誰だ?」

「それは、私自身が決めることです」

「で、もしその相手が誤った道を進みそうになったとする。それに従うことは忠義と言えるのか?」

グレイグは座学でジエーゴから学んだ騎士道を思い出す。

彼は特にその『忠義』というものを重視しており、騎士道の座学の中でもそれは最も多くの時間を割いていた。

忠義とは強制するものではなく、自発的に発生するものであり、主君の命令は絶対ではあるが、騎士が主君の奴隷となってはならない。

その言葉が急にグレイグの脳裏を駆け抜ける。

「そうだ。もしてめえの主君が…デルカダール王が間違っているってんなら、てめえが命を懸けて自分の考えを、気持ちを訴えてみろ。それもできねえ、主君の命令にも従えねえなら、騎士の名前なんて捨てちまえ」

「私は…」

「まずは相手に…勇者に正面から向き合ってみろ。そこで自分と王が本当に正しいのか、確かめるんだな」

「師匠…」

正直に言うと、今のグレイグはどちらが正しいのか分からない。

マルティナの言う通り、デルカダール王が間違っているのか、それとも彼女が勇者に騙されているだけなのか。

真実を突き止めるための一番の近道はジエーゴの言う通り、まずはエルバと向き合うことだろう。

「じゃあな。今度はもっとマシな剣術を見せて来いよ」

グレイグの上着をその場に置き、ジエーゴは弟子たちの指導をするためにその場を後にする。

グレイグは立ち上がり、師匠の後姿に頭を下げた。

 

「ううう、とても寒くなって来たでがす…」

「みんな、防寒はしっかり!もっと寒くなるわよー!!」

船員たちに防寒着を配るシルビアも似たデザインではあるが、より厚手となっているスーツ姿となっている。

クレイモランに近づくにつれて、気温が低下し始めており、雪も降り始めている。

「ようやく到着するわね、クレイモランに…」

「ええ。そして、その先にはラムダの里が、私たちの故郷が…」

クレイモラン王国の東にあるゼーランダ山にはセーニャとベロニカの故郷であるラムダの里がある。

ゼーランダ山は比較的温暖な気候となっており、そこでの農作物とクレイモランにあるコケモモの実や魚、肉の物々交換によって互いの食生活を支えあっている。

2人は幼いころからその物々交換の際にクレイモランに立ち寄っており、セーニャはそこで売られている外の世界の本に、ベロニカは服に心奪われ、両親にねだって買ってもらうことがよくあった。

「それにしても、寒すぎるんじゃない?この時期は寒いにしても、ここまでじゃなかったわよ!!」

赤い防寒着姿のベロニカはどうにか暖をとろうとメラを唱える。

2人がクレイモランの連絡船に乗ってそこを離れた季節と今はちょうど重なっており、その時期も防寒着は必要だったものの、それさえ着れば特に何も問題はなかった。

だが、今はもっと暖を取らなければ凍えてしまいそうなくらい寒い。

「ふむぅ…これほどの寒さ、気になるのぉ…」

外交や個人的な交友関係から、クレイモランに何度も足を運んだことのあるロウも今感じる寒さがとてもただの異常気象とは思えなかった。

海上の流氷も多く、砕氷衝角をつけていなければ戻らなければならなかっただろう。

「良かったわー。砕氷衝角をつけておいて!」

「もうすぐクレイモラン港でがす!上陸準備をー!!ってええ!?!?」

氷を砕きながら進み、ようやく港が見えてきたが、それを見たアリスは絶叫する。

「こりゃあ、どうなってやがる。寒すぎるからって理由じゃあねえだろ…??」

メインマストの展望台から見渡していたカミュも港の異常を見て、開いた口がふさがらなくなる。

雪が積もったままの船の数々と桟橋に氷漬けになっている正面の門。

見るからに普通の状況とは思えない。

「どうなってんだ!?港がここまで氷漬けになるのかよ!?」

「上陸して様子を見ましょう。もしかしたら、ブルーオーブが狙われた可能性があるわ」

ここまでの道中で、ブルーオーブ以外のすべてのオーブを集めた。

オーブを狙った魔物も存在することから、ブルーオーブも狙われたとしてもおかしくない。

港に近づくにつれて流氷も大きくなっていき、次第に砕氷衝角でも砕けないような大きさの氷も見えてくる。

「ここからはトベルーラを使って移動したほうがいいわね。おじいちゃん、エルバ、手伝って」

「分かった。ボートで行くにも難しそうだからな」

人間を抱えたままトベルーラをするのは何度か特訓でやったことがあるが、その時は短い距離での移動を行っただけで、船から港への移動もこんな寒い環境でのトベルーラも初めてだ。

ロウの手も借りて、まずはカミュを連れてトベルーラをする。

一方のシルビアはそのような気遣いは無用だと言わんばかりに氷から氷へと飛び移っていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第50話 クレイモラン

ゴオゴオと猛烈な吹雪の音が響き渡り、冷たい壁には何度も雪が打ち付けられる。

そのせいで、様々な色彩で人々を楽しませていたはずの壁が分厚くなり、白一色に染まっていた。

「なんだか、すごく怖いわね…」

城門を守る2人の衛兵の氷漬けになった姿を間近で見るベロニカはそのあまりの異様さに恐れを抱く。

1人は槍を杖代わりにして居眠りを始めていて、相棒と思われるもう1人はそんな彼に顔を向けて怒っている状態だ。

余りにも氷漬けになったときの表情とも姿とも思えず、まるである日突然、気づかぬうちに氷漬けになってしまったと表現するしかない。

それを見たベロニカは凍れる時の秘法という特殊な呪文を思い出す。

今目の前にいる2人だけでなく、港の作業員や商人も日常を送っている状態のまま氷漬けになっており、その秘法がかけられたのではないかと誤解してしまうほどだ。

「セーニャ、どうかしら?」

「やはり…呪文で氷漬けにされているみたいです。しかも…氷漬けになっている方々はみんな生きています」

氷漬けとなった人の1人に触れ、氷の魔力とじわりと感じる暖かさからそう確信する。

普通、このような状態となるとすでに死んでいる可能性が高い。

にもかかわらず、生きているということはおそらくはヒャドなどの氷結呪文とは異なる何か別の呪文でこうなっているとセーニャは推測する。

「ベロニカ、炎で門の氷を解かすことはできないか?」

「やってみるわ」

集中したベロニカはメラミを唱え、大きな火球を正門にぶつける。

火球は一直線に門に直撃したものの、そこには無傷な門と氷の姿があった。

「ベロニカのメラミが効かねえだと…??」

「なら、これでどう!?」

魔導書を開き、記されている文章を瞑想しながら唱えて魔力を増幅させる。

そして、もてる限りの力を込めて再びメラミを放つ。

倍以上の大きさとなった火球が飛んでいくが、今度は氷に接触する前に消滅してしまった。

「く…!やっぱり、ただの氷じゃないってことは分かるわ。悔しいけど、あたしには無理みたい…」

「お姉さま!!」

かなり力を使ってしまったベロニカはよろめき、セーニャに支えられる。

正門が使えないとなると、別の入り口を探すほかない。

エルバ達は壁の周りを歩き、別の氷漬けにされていない出入り口がないかを探し始める。

(まさか…もう2度と来ねえって思ったけどな…)

西側をエルバとともに歩くカミュは寂しげに壁の向こう側に思いをはせる。

そして、手に入れたレッドオーブのことも頭に浮かべてしまう。

(いけねえな…。もう割り切ったつもりなのにな…)

「カミュ、この扉は氷漬けになっていないぞ」

「何!?」

エルバの声が聞こえ、意識を現実に戻したカミュはエルバの元へ駆け寄る。

彼の言う通り、氷漬けになっていない紫色の扉がそこにはあった。

エルバがさっそく開けようとするが、びくともしない。

「じいさんを呼んでくるぜ。もしかしたら、あれの出番かもしれねえからな」

「ああ…頼む」

メルトアから手に入れた魔法の鍵は既に修理が終わっている。

まだ実際に試したことはないが、これで開けることができたら中の様子を確かめることができる。

しばらくして、ロウとカミュと共に仲間たちがエルバの元へやってくる。

「さてと…ついにこれを使う時が来たか…」

魔法の鍵を手にしたロウはじっとそれを見つめる。

メルトアが持っていて、彼女を生み出したのはウルノーガ。

おそらく、この魔法の鍵はウルノーガが作ったものかもしれない。

正直に言うと、仇敵が生み出したそれを使うというのはどこか後味の悪いものがある。

しかし、それがウルノーガを倒すためになるのであれば、ロウは覚悟を決めていた。

鍵穴に入れるとともにブルリと鍵が震えるのを感じる。

鍵の金属が今入っている鍵穴に合うように変形している証だ。

その震えが収まると、ロウは鍵を回す。

鍵が外れる音がし、魔法の鍵を抜いた後でエルバの手で扉が開かれる。

開かれた先に待っていたのは氷漬けの人々と建物、そしてこの国の象徴ともいえる城だった。

「やっぱり…魔物に先を越されたというの…!?」

「ふむ…じゃが、なぜ氷漬けにする必要があるのじゃ…?姫の言う通り、ブルーオーブを狙うというなら…」

これ以上は言わないでおいたが、もしそれが目的だとしたら、クレイモラン王国そのものを破壊した後で奪えばよかっただけの話だ。

人々を生きたまま氷漬けにするという回りくどい手段を使わなくても、それさえすれば済む話だ。

「誰…!?誰なのですか??動ける人がいるのですか!?」

「声…?」

「氷漬けになっていない人がいたのか?」

声が聞こえた方向に振り向くと、雪でふさがれた視界の中でボウボウと淡い光が近づくのが見える。

ガサガサ歩く音が近づいており、肉眼ではっきり見えるくらいの距離になると、そこにはランタンを片手に持つ1人の女性の姿があった。

細縁のメガネをかけ、オレンジ色の毛皮のマントに白い綿の入ったローブをまとった金髪の女性だった。

眼鏡についた雪を払い、女性はじっとエルバ達を見る。

そして、その隣にいるロウを見ると驚くとともに口元を手で隠した。

「まさか…ロウ様なのですか!?」

「ふむ。その衣装に眼鏡…まさか、シャール殿か!?」

「ええ、ええ…。お久しぶりです、ロウ様。お父様から聞いてはおりましたが、まさか本当に生きていたなんて…」

「いろいろあったのじゃ。それよりも、今のこの状況を説明してはくれぬか?」

「そうですね。こちらへ…」

 

シャールに案内され、城の東側にある氷漬けされていない地下室への扉を開け、その先へとついていく。

その奥には20人は収容できるであろうシェルターが存在し、扉以外の全方位を包むように水と食料などが備蓄されていた。

中央にある円卓で囲むように座り、シャールはエルバ達に赤い色のしたお茶を出す。

「ふむ…これは助かるものじゃのお」

「どういう意味だ…?」

「ヌーク草のハーブティーだ。こいつを飲めば、しばらくは寒さに耐えられる優れものだ」

「ほぉ、知っておったのか」

「まあな。寒さにまいっちゃあ旅はできねえからな」

そういう効果があるなら、しっかり飲んでおかなければと思い、エルバはハーブティーを口にする。

苦味というよりも辛味のあるお茶だが、飲むと体の中が温まるような感じがした。

このヌーク草は数百年前にとある薬師の家族がここから東にあるシケスビア雪原で遭難するなかで見つけた洞窟の中で発見したものが起源となる。

家族はそれの効果によって厳しい寒さに耐え、兵士たちによる救出を待つことができた。

城下町へ戻った後はそれを栽培する方法を30年にわたって研究し、完成させた。

ヌーク草はその一族の名前をとっており、クレイモランの人々の暮らしに貢献したことへの敬意としてつけられることとなった。

ただ、ヌーク草単体では効果が強すぎるうえに辛味もきついことから、基本的にはこのようにハーブティーにする、料理の隠し味に少し入れるなどで活用されている。

ハーブティーを飲み終えた後で、シャールはようやく今の状況の説明を始める。

「3か月前の晴れた日のことです…何者かが突然町の上空に飛んできたんです。その姿は人々が言うには魔女だと聞いています」

「魔女!?ま、魔女ってほら、よく昔話とかで伝説になっている、いわゆる魔女のことですか!?」

シャールは肯定するように首を縦にする。

話をしているシャールの体は小刻みに震えており、よほどその時に怖い思いをしたことが分かってしまう。

「彼女が呪文を唱えると、突然町が吹雪に包まれて…気づいた時には…」

「それで、なんであなただけ助かったのですか?」

「わかりません。ただ…その時に気を失ってしまって。どうして私だけなんともなかったのか…。助けを呼ぶこともできず、このシェルターで飢えをしのぎながら、助けが来るのを待っていたのです」

「ひどい魔女ね。どうにかしたいけど…」

もうすでにそれはやっていて、どうにもできない歯がゆさを耐えるしかなかった。

「そういえば、テオドール殿の…シャール殿のお父上のことは聞いておる。突然だったのじゃな…」

「はい…苦しむことがなかっただけでも救いです」

シャールの父親で、クレイモランの国王であったテオドールは1年前にすでに病でなくなっている。

事情があったとはいえ、葬式に出席することができなかったことはロウにとっては悔やまれることの1つだ。

「聞きたいことがあります。その、魔女が町を氷漬けにしたとき、オーブを持ち去りませんでしたか?」

「オーブ…?それは、もしかしてブルーオーブのことですか?なぜそれを…」

「故があって、オーブを集めておるところなのじゃ。それを借り受けたいと思い、伺ったのじゃが…」

「わかりません。気が付いた時には城は氷漬けで、地下室以外に入ることはできませんでした。オーブも城の中で、気が付いた時には魔女もいなくなっていたので、どうなったか…」

シャールの言葉で、状況はシンプルになった。

奪われたにしても奪われなかったにしても、魔女を倒して今のこの国の氷を解かさない限りはブルーオーブを手に入れることができない。

「実は、数日ほど前に外国の救援部隊がやってきて、魔女を討伐しに向かったのです。ですが…音沙汰がなく…」

「外国の…まさか、デルカダールのか?」

「はい。グレイグ将軍がデルカダール王からの命令で…」

「奴が…ここにいる…」

グレイグの名前を聞いたエルバのこぶしに力がこもる。

彼とは2度敵対し、1回目はただ逃げることしかできず、2回目はある程度ぶつかり合ったとはいえ、結局は破れてしまった。

もしその時にマルティナが命がけで助けてくれなければ、今ここにエルバはいない。

「エルバ様、お気持ちはわかりますが…」

「ああ、わかっている…」

だが、いまは魔女を倒すことが先で、グレイグもおそらく魔女と戦うだろう。

復讐するというなら、この問題を解決した後。

そう自分に言い聞かせ、強張った感情を落ち着かせた。

ぞんなやり取りをするエルバとセーニャを見たシャールは首をかしげるが、ロウに気にしないように言われ、話を進める。

「救援部隊からの情報によると、魔女はシケスビア雪原の北にあるミルレアンの森にいるとのことです。しかし…魔女が1人でいるとは限りません。情報によると、魔女は獰猛な魔獣を従えていると聞いています。どうか、お気をつけて」

「魔獣か…覚えておこう」

「ひとまず、明るくなってから出発されてください。寝室もありますので、ごゆっくり…」

空になったコップを集めたシャールはそれらを流し台へもっていく。

シェルターには寝室も用意されていて、エルバ達全員が休めるようになっていた。

「なら、まずは寝るとするか。船旅で疲れているしよ」

「そうじゃな…それに、吹雪がひどくなっておる…」

シェルターの中にもゴオゴオと吹雪の音が聞こえ、ここに入っている間に強まった吹雪を感じずにはいられない。

この状況で、雪国に慣れていないメンバーが大半の今の状況で強行しても、遭難することが目に見えている。

「じゃあ、しっかり休みましょう。魔女と戦う前にお疲れだと、元も子もないわよ」

さっそくシルビアが寝室に入り、自分のベッドを決めてその中に入る。

ヌーク草を摂取していることもあり、ベッドの中に入ると雪国であることが嘘のように暖かい。

エルバ達はそのぬくもりに包まれて、静かに眠りについた。

 

「ムフォ、ムフォォ…!?」

暗闇に包まれた雪の森の中で、木がなぎ倒される音が何度も響く。

金色の鬣で純白の肉体をした、大きな口と長い前足を持つ魔物がその巨体を吹き飛ばされ、岩を背中にぶつける形で吹き飛ばされるのが止まる。

今のその魔物の体はいくつもの火傷や切り傷ができていて、そのせいかもう動けるだけの力も残っていない。

ザッザッと雪によってある程度消された足音が魔物の耳に響く。

男の右手にはプラチナソードが握られており、左手には黒いまがまがしい光を放つオーブが握られていた。

「その程度の力で…伝説の魔物もこれでは哀れだな…」

オーブを握る男は不敵な笑みを浮かべ、そのオーブを魔物に向けてかざす。

オーブから出る光が魔物に入り込んでいき、異物が体中から入り込む感覚に魔物は悲鳴を上げる。

瞳の色が赤く染まっていき、額にはかつてエルバが戦ったバトルレックスやデスコピオンなどの魔物の額に宿っていた魔法陣が現れ、悲鳴を上げていた魔物が徐々におとなしくなっていき、体中の傷が消えていく。

そして、今まで自分を痛めつけた男を無視し、雄たけびを上げると森の中へ消えていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第51話 雪原の魔獣

「これは…ひでえな…」

「うう…」

「セーニャ、しっかりしなさい!!」

早朝から動きはじめ、ミルレアンの森に到着したエルバ達を待っていたのは信じられない光景だった。

銀世界を汚すように鮮血が染まり、あちらこちらには兵士たちの死体が転がっている。

中には胴体を真っ二つに引き裂かれた状態のものや体の一部がなくなっている遺体も存在し、そのあまりの惨状にセーニャが思わず立ちくらみを起こしかけた。

「これは…例の獣の仕業だというのか…?」

「ふむ…そうらしいのぉ」

外傷があるものの、欠損などのない兵士の遺体をロウが瞼を閉じさせた後で調べ始める。

シルビアとマルティナがセーニャとベロニカを下がらせ、カミュがロウのサポートに入る。

(心臓にまで達している裂傷、そしてこの大きな出血…おそらくそれが致命傷のようじゃな)

その出血が遺体近くだけでなく、北から伸びている状態だ。

ここまで逃げて来て、ここで力尽きたと考えると自然だろう。

魔物の爪による一撃で、鎧を突き破っているうえに裂傷の幅を考えると、その例の獣の一撃を受けたものと考えて間違いないだろう。

ロウは医学も学んではいるものの、呪文による治療を中心で精通しているわけではないが、吹雪が起こるほどの気候を考えたうえで計算すると、死亡したのは5時間以上前。

血痕の多くが雪で隠されてしまっていて、分かることはその獣が北にいるということしかわからない。

(うん…?この凍傷、不自然じゃな…)

手足の凍傷はともかく、なぜかその遺体の首から下にも凍傷の痕跡がある。

鎧を外し、カミュがその服をナイフで破って調べると、なぜか首の下半分から胸のあたりに大きな重度の凍傷があった。

凍傷そのものはこのような吹雪の中では珍しくないが、手足ではなく胴体への重度な凍傷はかなり珍しい。

「やはりというべきか、吹雪の攻撃を使っている可能性が高いのぉ。わかるところはここまでか」

「こんなクソ寒いところまできて、魔物に襲われて野垂れ死にか…。少しだけ、同情しちまうぜ」

自分たちに情報をくれたその哀れな死体をカミュが抱え、かかる雪が少ない岩陰まで運んでいく。

他にも、少なくとも運べるような遺体をカミュとシルビアが一か所へ運んでいく。

そして、エルバがその遺体にベギラマを唱え、火葬した。

「う、う、うう…」

「誰だ…?」

男のうめき声が聞こえ、その声が聞こえた方角へエルバは走っていく。

倒れた木の切り株を枕にしていて、そばには粉々に砕け散った剣が落ちている状態になっている重装備の兵士の姿があった。

兜は外れており、頭の上半分が赤く濡れた包帯で隠れている状態だった。

「誰か…誰か、いるのか…??」

「ああ…いる」

「そう、か…すまん。もう、目が見えなくてな…」

目の前に悪魔の子として殺害対象とされているエルバがいるのに、何もそれに対して反応を見せないことから、そうだろうと薄々と感じていた。

エルバは新しく覚えた回復呪文であるベホイムを唱えて、彼の傷を回復させようとする。

しかし、ベホイミを越える回復力を持つはずのベホイムでも、彼の傷が一向に回復する気配がない。

おそらく、彼の中の生命力が消えかけており、それで回復呪文を受け付けることができないのだろう。

「ゴホッゴホッ!!うう、うう…!!」

「無理にしゃべるなよ。苦しいだけだ」

「そうは…いかない…うう!!こんなところに旅人が来るとは…よほどのもの好きか、それとも…腕に覚えのある男か…だが、今は後者だと信じるしかない…。この森には危険な化け物が住み着いている…。我々はクレイモランの救援に駆け付けたが、多くが、その魔物の手にかかった…くうう…」

「ああ、そうだろうな…死んだ奴らは火葬しておいたぞ」

「そう…か…。フフフ、世界最強のはずのデルカダールがこのザマとは…落ちた、ものだ…。旅人よ、頼みがある。我らを率いているグレイグ将軍が今…生き残りの兵士たちと共に例の魔物を探している。加勢してほしい…。これ以上、英霊が増えるようなことは…」

「うむ…承知した…」

「ああ、良かった…私の名はパピン。王よ…20年近く、お仕えいたしましたが…これまで、です…」

最期の力でしゃべり終えたのか、パピンと名乗った盲目の兵士がドサリと雪の上に倒れてそのまま息絶えた。

先ほどの兵士たちにやったのと同じように、エルバ達はその兵士を火葬した。

「忠義の兵よ…どうか、命の大樹へと還り、再びロトゼタシアにて生まれ変わらんことを…」

「この先にグレイグ達がいるのは確かだな。行くぞ」

獣が暴れまわったためか、雪原とは異なり魔物の気配がない。

森の中だということは厄介だが、障害になるのはそれだけ。

ヌーク草のおかげで吹雪にはある程度強くなっている。

エルバ達は両足が見えなくなるくらいに積もった雪を踏みしめ、森の奥へと進んでいく。

途中、吹雪で凍り付いた川を渡り、そこから何か手掛かりがないか探していくが、なかなか見つからない。

雪で足跡は消されてしまっていて、あるとしたらなぎ倒された木や爪痕、そして兵士の落し物くらいだ。

「見ていて気持ちのいいものじゃないな…」

「そりゃあそうだな。戦いの痕跡じゃあ…うん??」

森の中を探る中で、カミュが古びた石碑を見つける。

当然、手入れする人間などこの森に来るはずもないため、ほとんど朽ちており、文字もわずかしか残っていない。

「何か手掛かりがあるかもしれません。ロウ様、読んでいただけますか?」

「ふむ…読める部分だけにはなるが」

指で石碑についている汚れを取りつつ、残されている文字を読み始める。

文字そのものは昔翻訳したことのある古代文字の一種であるため、どのような文字か分かれば問題はない。

「うむ…魔女がクレイ…獣を…封印し…魔力がよ…ふむ、読めるのはこれくらいじゃ。どうつなげるか、じゃな…」

「ということは、魔女が封印された直後に作られた石碑ということね。でも、どうしてこんなところ…」

ウオオオーーーーン!!!

耳奥まで鳴り響くほどの咆哮が北から聞こえ、同時に降る雪の量と風の勢いが増していく。

「例の獣か!?」

「魔女のしもべというのは…どうやら間違いないみたいね…!」

咆哮と同時に天候が急激に悪くなったということを考えると、そう思いつくのが自然だ。

段々吹雪へと変化していき、急激に気温も下がっていく。

もしヌーク草なしでこの場所にいたら、きっと身動きも取れなくなっていただろう。

「このままでは…!?」

左手で雪から目を守っていると、急に痣が光りはじめ、エルバの脳裏に光景が浮かぶ。

灰色の獣が兵士たちを蹂躙しながら森の北へと逃げていき、そこにある開けた場所で何かを待っている光景だった。

「あそこに…その魔物がいるのか…」

「おい、エルバ!!どうしたんだ!!先先行くんじゃねえ!!」

痣の導きに従い、ゆっくりと前進していくエルバをカミュが呼び止めようとするが、そこへ進むという気になってしまったエルバにその声は聞こえない。

勇者の力のせいなのか、足元が見えないほどの雪にもかかわらず、まるで平地を歩くようなスピードで進んでいく。

エルバの体からは青い光が発しており、進んでいくとともにその光が道標のように残っていく。

「ロウ様、これは…」

「ふむ、勇者の力じゃな…わしらに道を示しているようじゃが…」

「導くにしても、先先行き過ぎよ!エルバちゃん、待ちなさい!!」

「くう…トベルーラが使えたら…」

吹雪の中でのトベルーラは感覚を失いやすく、熟練者でも使うのをためらってしまうほどだ。

特に上下感覚を失って、地面に激突するようなことがあってはならない。

ベロニカ達はエルバが遺す光に従い、ゆっくりと進んでいくが、次第にエルバの姿が見えなくなってしまった。

 

「はあはあ、グレイグ将軍…」

刃がぶつかる音、そして大きな足音と咆哮が響く中で、負傷した兵士たちが目の前で戦う将軍の名を呼ぶ。

「はあはあ、ええい…化け物め…。よくも、私の部下を…」

キングアックスを構え直したグレイグの脳裏に目の前の魔物によって殺された部下たちの姿が浮かぶ。

故郷へ土産を持って帰るために生きて帰ると誓った、子供が生まれたばかりの兵士や今日が初陣だった兵士、初めての外海に出るということで胸を躍らせていた新米。

様々な思いでクレイモランにやってきた部下たちの多くを殺したその魔物をグレイグは許すことができなかった。

(なぜだ…将軍となってもなお、なぜこれほどまでに弱い!?なぜ、これほどまでに遅い…!)

故郷であるバンデルフォン王国を失い、二度と何かを失わないために力を求めてきたが、結局はまた零れ落ちてしまう。

まるでそんな自分をあざ笑うかのように屍を増やし続ける運命を呪う。

だが、それはグレイグにとっては立ち止まる理由にも、今ここで逃げ出す理由にもならない。

「せめて…死んでいった部下たちの仇は討つ!!」

「ムフォ、ムフォ、ムフォォォォォ!!!」

両腕両足をばたつかせ、地面の雪が宙を舞う。

視界をふさぐような雪は盾で払いのけ、グレイグは天下無双の構えに入る。

苦手な寒さをはねのけるため、深呼吸をし、ただ目の前の魔物一匹に全神経を集中させる。

そして、極限まで精神力が高まったのを感じると、一気にその魔物の接近し、6連続の斧の連撃を浴びせる。

分厚い皮膚が裂かれていき、大きな出血を見せるとともに後ろへ大きく転げる。

「くっ…手ごたえを感じない!これでは倒せないか…!!」

あくまで手傷を与えた程度で、天下無双をしても倒せない化け物に舌を巻く。

そして、魔物は立ち上がるとともに傷が徐々にふさがっていくのが見えた。

さすがに完治までには時間がかかるものの、普通の魔物ではありえないほどの回復力だ。

「これでジリ貧か…あとひとつが…うん?」

「はあはあ…」

天下無双を発動し終えたことで、クールダウンしたグレイグはどこからか聞こえる別の足音が聞こえ、そこにわずかに注意を向ける。

兵士たちもそれに気づいているが、負傷のせいで身動きが取れず、ただ見ていることしかできない。

「奴は…」

吹雪の中を歩く彼をグレイグが見間違えるはずがない。

不自然な青い光を帯びた彼は2度にわたって取り逃がした悪魔の子、エルバ。

彼がなぜここにいるのか分からず、他の兵士たちも動くことができない。

魔獣もエルバが現れたことで彼に視線を向け、新たな獲物をにらみつける。

「やはりいたか…」

「勇者…悪魔の子よ、なぜ貴様がここにいる!?氷漬けになったクレイモランと関係があるのか!?」

返答次第では切り捨てると言わんばかりに、キングアックスの刃を向ける。

魔女と悪魔の子の因果関係が分からず、なぜ古代の魔女がよみがえったのか分からない今、エルバとの関係を疑ってしまうことは無理もない。

グレイグの姿を見たエルバは心の中に渦巻く黒い感情を再認識する。

右手の痣には光が発しており、いつでも紋章閃を撃てる状態だ。

やろうと思えば、それを撃って村人の仇の一人を討つこともできる。

「答えろ!!魔女の封印を解いたのは貴様なのか!?」

「…」

グレイグの目を見たエルバはそれがまっすぐで澄んでいるようにみえ、思わず視線をそらしかけてしまう。

彼は純粋にクレイモランの人々を救うためにここに来ていて、この魔獣と戦っている。

イシの村で起こったことを許すつもりはないが、今ここで彼を倒していいのかと疑念を抱いてしまう。

「ちっ…答えは、こうだ!!」

エルバは右手を振り、紋章閃を放つ。

発射された閃光は一直線に魔獣へと飛んでいき、それを受けた魔獣は大きく吹き飛ばされる。

「何…!?」

「魔獣を倒すことが魔女を倒し、クレイモランを救う一歩になるなら…今だけは協力してやる」

「…」

紋章閃で顔面を大きく焼かれた魔獣が起き上がり、自分に痛撃を与えたエルバへの怒りなのか激しく咆哮する。

最初はエルバの行動がデルカダール王が言っていた悪魔の子の所業とは思えず、困惑する。

兵士たちもなぜグレイグではなくあの魔獣をエルバが攻撃したのかが分からずにいる。

そんな彼らを無視し、エルバは2本のドラゴンキラーを手に魔獣に向かって接近する。

魔獣が口から吐き出す吹雪を両手の剣に火炎を宿してしのぎ、収まるとともに魔獣に向けてデインを放つ。

勇者の雷を受けた魔獣だが、その程度の電撃では大したダメージはないのか、魔獣は大きく右腕を振りかぶり、エルバに向けて振り下ろす。

「…!?」

回避すべく、後ろへ飛ぼうとしたエルバだが、急に体に宿っていた青い光が消えると同時に激しい疲労感を覚える。

同時に体が重くなっていき、その場に座り込んでしまう。

(これ…は…!?うう…!!)

同時に右手の痣にも激痛を感じ、よく見るとその痣は白と黒の光を何度も入れ替わるように光らせ始めていて、それが激しい痛みとなってエルバを襲っていた。

なぜ痣が黒く光るのか分からず、だがその痛みと疲労感のせいで満足に動くこともできない。

そんなエルバに容赦なく拳が降りかかる。

しかし、そんな彼の前にグレイグが立ちはだかり、キングアックスを捨てて両手で盾を握り、その拳を受け止めた。

自分よりも小さく、非力なはずの人間であるグレイグが自分の拳を受け止めたことにさすがの魔獣も動揺する。

「はあはあ、なぜだ…」

徐々に痣の光が収まり、体が軽くなってくるのを感じる中で、エルバは自分を守ったグレイグに問いかける。

自分を殺そうと追いかけたはずの彼がなぜ自分をかばうのか?

「勘違いするな…貴様がこの魔物を狙うというなら好都合…。クレイモランの平和を取り戻すためにも…悔しいが、貴様の力が…必要…それだけだ!!」

自分に言い聞かせるように大声で叫ぶグレイグは体全体の力を使って徐々に魔獣の腕を持ち上げていく。

グレイグをのさばらせると危険だと判断した魔獣は今度こそ倒そうと、左拳も作り、グレイグに向けて振り下ろす。

その瞬間、魔獣の右目に閃光が飛んできて、その熱が目を焼いていく。

分厚く頑丈な皮膚を持つ魔獣でも、目や口の中などへの攻撃にもろいのはほかの生物とあまり大差がない。

右目の視界が消え、激しい火傷にさすがの魔獣も悲鳴を上げ、その間にグレイグはその場から離れ、キングアックスを手に取る。

「礼は言わんぞ」

「そのつもりはない」

お互いに、この魔物を倒した後で戦わなければならないことになるのは分かっている。

エルバは村人の敵を討つため、グレイグは忠誠を誓う王の命令のため、そしてロトゼタシアを守るため。

だが、どちらもそれが本当に正しいことか確固としたものにできず、だからこそ迷っている。

その迷いが結果としてこのような形での共闘として成立している。

「異常だな…この回復力は」

魔獣の火傷で失明したはずの目が回復呪文もなしに修復されていき、再び元の輝きを取り戻す。

あの魔獣を倒すには小手先に手段ではなく、一撃必殺で決めるほかない。

遠距離攻撃で一番の威力を発揮するはずの紋章閃では殺し切れない以上、他の手段で考えるしかない。

だが、グレイグは1つだけ見逃していないことがあった。

(俺の天下無双で与えたダメージは回復したが、ベギラマを受けたときよりも時間がかかっている。おそらく、回復しきれていない間にもう一撃を加えることができれば…)

エルバの紋章閃とグレイグの天下無双。

どちらも一度はなってしまうと隙だらけになる大技だ。

だが、それを立て続けに放つことで、あの魔獣を倒すことができるかもしれない。

そうなると問題なのはその息の合った攻撃を2人同時にできるかということだ。

「…」

「…」

先ほどは助け合ったとはいえ、元々は敵同士。

最初に一撃を与えた時点で、その相手に隙を与えることになる。

仮にその隙にその相手が攻撃してきたら、確実に殺されることになる。

そして、求められるのはその敵との連携だ。

「ムフォ、ムフォォ!!!!」

怒った魔獣がエルバ達に向けて吹雪を吐き出す。

距離は開けているものの、深い雪のために足を取られやすい。

エルバがベギラマで無理やり雪を溶かして道を作り、そこを2人が通ることで吹雪から逃れる。

「…エルバよ」

「何…?」

初めて、勇者でも悪魔の子でもなく、本来の名前を呼ぶグレイグに驚くとともにエルバの足が止まる。

グレイグは迫る吹雪に耐えながらキングアックスを構え、魔獣に狙いを定めて集中し始めていた。

「貴様の言葉…信じるに値するか、この一撃で確かめる…!」

「…」

「貴様の正体が何か、俺の命を秤にさせてもらおう!!」

吹雪の中を突っ込んでいき、グレイグが魔獣に肉薄する。

そして、全身全霊を込めて天下無双を放つ。

先ほど以上に重みの増した連撃が魔獣の皮膚を引き抱き、中の骨にもダメージが達する。

「ぐおおおおおお!!!」

「今だ!!」

「…!!」

既にエルバの右腕の痣には力がこもっている。

幸い黒く光ってはおらず、いつでも紋章閃を発射できる。

「はああああああ!!」

大声を出しながら、魔獣にめがけて全力で紋章閃を放つ。

大きく傷つけられたからだを紋章閃が貫き、胴体にはエルバの痣と同じ形の穴が開く。

2つの攻撃をまともにうけた魔獣はピクリと痙攣をおこした後で、その場に倒れる。

「ふう、ふう…」

「はあ、はあ…」

2人とも今持っている全力の一撃にすべてを出し切ったのか、激しく疲労していて、互いに警戒はするものの武器を構えることしかできない。

だが、いつまでたっても魔獣は動き出すことはなく、吹雪の勢いも弱まっていく。

「どうやら…魔女の下僕は死んだようだな」

「そのようだな…」

魔獣の死体は紫の瘴気を放って消滅していく。

これで部下の敵を討つことができたことに安堵したグレイグは睨むようにエルバに目を向ける。

「なぜだ…?あの状況ならば、俺ごと殺すこともできただろう…?」

紋章閃の破壊力を考えると、グレイグごと魔獣に攻撃することも可能だろう。

デルカダールメイルで身を包んでいるとはいえ、全力で出した威力ならば貫通も難しくない。

にもかかわらず、魔獣のみを攻撃したということがどういう意味なのか。

「さあな。お前はイシの村の人たちの仇だ…。そのことに変わりはない。だが、後ろから討つような真似をするのは卑怯だと思った…それだけだ」

「卑怯…か…」

悪魔の子らしからぬ言葉にグレイグは自分の先ほどの選択が間違いではないことを感じた。

だが、あくまでこれは魔獣を倒すための一時的なもの。

それが終わった時点で解消されることには変わりない。

「うん…なんだか、また雪がひどくなってきてないか…?」

エルバとグレイグがにらみ合う中、兵士たちの中で気候の変化に気付く人が出始める。

魔獣を倒したことで収まったはずの吹雪が再び起こり始めていて、しかもそれは先ほど以上にひどく、周囲の視界が塞がれていく。

「何!?」

「殺気…くそ!!」

吹雪でグレイグ以外の人影が見えなくなり、攻撃が飛んでくるのを感じたエルバだが、グレイグと同様吹雪のせいで身動きが取れない。

青い光が2人の足元へ飛んできて、2人の下半身を這うように氷が発生する。

最初は小さな薄い氷だったのが次第に氷塊へと変貌し、下半身を拘束する。

「これは…まさか、魔女の呪文か!?」

「ふふふ…捕まえたわ。英雄グレイグ!!」

真上から声が聞こえ、顔を上げるとそこには体に密着した薄い水色の皮でできたローブと毛皮のマントを身に着けた、薄紫の肌をした女性が浮かんでおり、2人の目の前まで降りてくる。

人間ではありえない肌の色と先ほどの呪文と吹雪。

それだけで彼女の正体は明白だ。

「貴様は…まさか!!」

「そう、お前たちが狙っている魔女よ。このままお前を氷漬けにすれば、私を解放してくれたあのお方との約束を果たすことができる…」

「あのお方…ウルノーガのことか!!」

メルトアのことを考えると、おそらくそういうふうに考えるのが自然だろう。

クレイモランのオーブを狙うため、彼女を解放したとしてもおかしくない。

そのエルバの言葉を無視した魔女はゆっくりとグレイグの目の前まで歩いていく。

キングアックスを振るおうとしたグレイグだが、その前に両腕も氷でふさがれてしまう。

そして、何を思ったのかその魔女はグレイグの首にぶら下げているペンダントをつかむと、無理やり引きちぎる。

赤い宝石がいくつも埋め込まれ、盾の形をした金色のそれには双頭の鷲の浮き彫りがあり、見るだけでそれがデルカダール関係の物だということが分かる。

「うふふ…このペンダント、いいわ…。あのひととおそろいね!!」

「なん…だと…??」

一瞬、彼女の言うことが分からなかったグレイグは言葉を失う。

正確に言えば、分かってしまったのだが、それを認めたくなかっただけだろう。

彼女の言う『あの人』と、おそらくグレイグが頭に浮かべている人物は同じ。

そして、その人物は魔女が封印から解かれたことに関係がある。

「返せ…!!それは、俺の誓いの…!!」

「安心しなさい。私が殺すのはあなたたち2人だけ。無益な殺生は趣味じゃないから…」

とどめを刺すべく、魔女は左手に冷気のこもった魔力を凝縮させていく。

逃げようにも、氷のせいで体が動かず、拘束する氷も暑さと大きさを増していき、今では肩にまで達している。

「くそ…魔女め!!将軍を…」

「うるさいわね…静かにし…」

グレイグを助けようと立ち上がった兵士たちに注意が向いたその時、魔女に向けて大きな炎の玉が飛んでくる。

感じ取った魔力で身の危険を感じた魔女はその場から飛びあがって回避するが、わずかにそれが間に合わず、炎が左肩に命中し、ダメージのせいで手に入れたペンダントを落としてしまう。

「この炎は…」

「大丈夫!?エルバ!!」

再び飛んできた炎が今度はエルバとグレイグに当たると同時に、彼らの動きを封じていた氷を解かす。

封じられた人間に一切ダメージを与えず、氷だけを破壊する芸当ができる炎の呪文を使えるのは一人しかいない。

「ベロニカ…!」

「まったく、一人で先先行くからこんなことになるのよ!」

「エルバ様、大丈夫ですか!?」

ベロニカだけでなく、セーニャやカミュをはじめとした仲間たちも集結する。

その数を見た魔女は相手が悪いと思ったのか、そのまま上空へと飛び続け、吹雪の中へと消えていく。

魔女の姿が見えなくなったことで気が抜けたのか、エルバはその場で膝を折る。

「エルバ!大丈夫なの…??」

「はあ…すまない。奴の冷気を受けただけだ。ヌーク草が無かったら、どうなっていたことか…」

「少し休みてーところだが、これをどうするかだな…」

カミュは立ち上がっているデルカダール兵たちに目を向ける。

突然のことや魔女の出現で動揺を見せる兵士たちだが、デルカダール兵である以上はおそらく、エルバ達を狙っている。

おまけにグレイグもいて、もしかしたらここでまた彼らと戦うことになるかもしれない。

カミュが身構える中、グレイグは雪の上に落ちているペンダントを手に取り、エルバ達には目を向けずにいる。

「おい…悪魔の子がどうしてここへ…」

「悪魔の子は弱っている。俺たちも傷ついているが、もしかしたら…」

「何言ってるんだ!!仲間たちと合流しているんだぞ…!!悪魔の子とは違って、奴らは…」

「全員、ここでの目的は達した。キールスティン号まで後退せよ」

「な…グレイグ将軍…!?」

勇者が目の前にいるにもかかわらず、出した撤退命令に兵士たちは困惑する。

エルバ達も自分たちを捕らえるべくここから動き出すものと思っていたグレイグの言葉が信じられず、セーニャとベロニカに至っては互いに顔を向けあう始末だ。

「兵力をズタズタにされ過ぎた。我々の今の任務はクレイモランの救援。それは悪魔の子を捕らえること以上に優先される。今のまま魔女を追跡したとしても、全滅するのがオチだ」

不意打ちしたとはいえ、一瞬でエルバとグレイグの身動きを封じ、あと一歩のところまで追い詰めたあの魔女は脅威だということは兵士たちも分かっている。

少し、釈然としないところはあるが、そこは英雄であるグレイグの命令であれば何かしらの考えがあっての判断だろうと無理やり納得した。

比較的軽傷で済んでいる兵士はほかのけがをしている兵士を抱え、グレイグは手にしたペンダントを首にかけなおすことなく森の出口である南へと歩を進める。

「グレイグ…俺を、捕えないのか…?」

立ち去るグレイグの背中に向けて、エルバが痛みに耐えながら問いかける。

それに対して彼は何も言うことなく、ただ兵士たちと共に立ち去って行った。

「待て…ぐ、うう!!」

限界を感じたエルバは意識を手放し、あおむけに倒れる。

「エルバ…!!」

「魔女の攻撃にやられたのね…体温が低いわ」

「そういえば、行きがけに小屋があったよな!?そこであいつを…!!」

「エルバよ…死ぬでないぞ…。アーヴィン、エレノア…どうか、エルバを守ってやってくれ…!!」

仲間たちの声が聞こえ、マルティナに抱えられるエルバだが、だんだんその声も聞こえなくなっていく。

「エ…マ…」

 

クレイモラン付近に錨を下ろして待機するキールスティン号にグレイグ達を乗せたボートが近づいてくる。

ボートには兵士だけでなく、デルカダールに仕える魔法使いたちも乗っており、彼らが炎の呪文で氷を溶かして道を開いていく。

ボートがキールスティン号に収容され、グレイグはそのまま1人で船の中を歩いていく。

長期間の外海での遠征任務を目的として作られているだけあって、内部は4階層に分かれており、後部には船長や将軍、さらには王の部屋があるキャビンがついた贅沢なつくりとなっている。

今グレイグはキャビンに入り、その中にある王の部屋へと向かっている。

今回はキールスティン号の処女航海であり、同盟国であるクレイモラン存亡の危機ということで、王も乗り込んでいる。

王も船に乗っているということは、これから報告しなければならない内容を考えると、都合がよかった。

「陛下、グレイグ、戻りました」

「うむ…厳しい戦いだったようだな」

「はい…パピンをはじめ、ともに向かった兵士の半数以上が魔女が従える魔獣に討たれました。魔獣は討伐しましたが、生き残った兵たちを回復させなければならず、やむなく帰還を…」

「そうか…兵士たちの回復後、再び任務に…」

「それから、もう一つご報告しなければならないことがございます」

「む…?」

念のためにグレイグは見張りの兵士に目を向け、首を若干横に振る。

兵士たちはグレイグに敬礼した後でその場を後にし、グレイグ達の会話に聞き耳を立てるような人物が誰もいなくなったのを確かめる。

「陛下、ここから先の話はくれぐれも内密なものです。漏れると、士気にかかわります故」

「おぬしほどの男がそのようなことを…よほどのことなのだな?」

「はい。このままでは、おそらくデルカダールにとって、大きな災厄ともなりえます」

「あい、分かった。入れ」

部屋の扉が開き、立ち上がったグレイグは一礼した後で部屋に入った。

 

「ふうう…よく俺たち、助かったよな…」

救護室のベッドで横になり、僧侶たちの回復呪文を受ける兵士は自分の運の良さを感じずにはいられなかった。

半数以上の兵士たちが魔女の魔獣に殺され、魔女まで現れたにもかかわらず、こうして生きてキールスティン号に戻ることができた。

戻る中で火葬された仲間を見つけたが、今は天候や兵士たちの治療をしなければならないことから遺骨の回収ができずにいる。

彼らの殺される瞬間を見ていることから、負傷しているとはいえ、こうして生きて帰ることができただけでも儲けものだ。

このキールスティン号に乗り込んだ兵士たちは厳しい訓練に耐え抜き、魔物討伐で確かな実績を上げている、デルカダールでも中核となりえる兵士たちだ。

そんな兵士たちをあっさりと殺してしまう魔物とそれを従える魔女にはぞっとする。

もし、エルバがここにきて、魔物を倒してくれなければ、自分たちもここに帰ることができなかっただろう。

なお、エルバ達と遭遇したことについてはグレイグから固く口止めされている。

そのため、彼らがいることを知っているのは兵士たちとグレイグだけだ。

「それにしても、将軍もまじめすぎるよな。報告を終えて、救護室に来たと思ったらぶっ倒れちまった…」

兵士たちの視線がベッドで眠っているグレイグに向けられる。

やはり彼も魔獣の吹雪を何度も受けていて、体が限界を迎えていた。

それでも、任務と自分のやるべきことをやり遂げ、迷惑をかけないようにとわざわざそこまで来たことでようやく気が抜けてばったりと倒れてしまった。

「将軍も無理しすぎなんだよ…。寒いの苦手だっていうの、とっくの昔にばれているのに」

「ついでに虫もな。生真面目だから、無理に苦手じゃないようにふるまっているけど」

「そういうところを見ると、少し安心するよな」

はたから見るとデルカダール最強の戦士であるグレイグだが、こうした欠点を知っていると、どこか親近感を抱き、自分たちと同じ人間であることを感じてしまう。

もっとも、そのようなことをグレイグ本人に言っても、根も葉もないうわさと必死に否定するかもしれないが。

「俺たちも、一日も早くけがを治そうぜ。早ければ早いほど、クレイモランの人たちを早く救えるというものさ」

 

「…」

グレイグの報告を聞き終え、1人室内でテーブルの上のろうそくの灯を見つめるデルカダール王は目を閉じる。

もうすでに夜が更けており、この火だけが部屋の中では唯一の光源だ。

同時に彼の背後には黒いまがまがしいオーラが現れ、そこには黒いローブを着た男が姿を見せる。

「…わかっておるな?もうすぐ私の最大の目的を叶える時が来る。その時こそ、貴様も本当の願いをかなえるとき。その力…存分に発揮してもらうぞ」

ローブの男はその言葉に返事を返さないまま、再びオーラを発生させて姿をくらます。

同時に、ろうそくの火が消え、デルカダール王にニヤリと笑みを浮かべる。

彼の紫の瞳は一瞬だけキラリと光を宿し、暗闇の中に消えていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第52話 魔女の罠

「ほら…いつまで寝てるんだい!まったく、この子は大人になっても…」

眠るエルバの耳にあまりにも聞き覚えのある女性の声が響く。

吹雪の中で意識を失ったにもかかわらず、なぜか冷たい雪を感じられず、あたたかな毛布と着心地のいい服の感触が肌に伝わる。

そして、鼻孔に伝わるシチューのにおいとその声は長年聞き続けた懐かしい声で、エルバはゆっくりと目を開く。

目を開くと、台所の様子がすぐに見えてきて、そこにはシチューを作るペルラの姿があった。

「ペルラ…母さん…?」

「ほら、もうすぐ朝ごはんができるからすぐに食器の準備をしなさい」

ペルラの声を無視するように、エルバは部屋の周囲を見渡す。

同時に、廃墟と化したイシの村の光景を頭に浮かべる。

自分の家も破壊されており、ベッドも何も残っていなかったはずだ。

「そうだ、カミュは…」

「カミュ…?誰のことを言ってるんだい?」

「…いや」

「まったく、おかしいわねえ。いつも以上に口数少なくなってしまって。もしかして、ひどい夢でも見たのかしら?」

「夢…今までのが、夢…?」

勇者の使命を確かめるために村を出たのも、デルカダール王に悪魔の子と呼ばれ、牢屋に閉じ込められたのも。

そこでカミュと出会い、彼とともにイシの村へ戻ったが、イシの村が廃墟と化していて、そのまま彼とともにデルカダールの手から逃れながら旅を始めたのも。

そのすべてが夢だったのだとしたら、ここまで生々しいものはあるのだろうか。

着ているものを見ると、それは確かに村にいたころに来ていた普段着だった。

「エマ…」

もし、夢だというなら、きっと彼女も無事のはずだ。

エルバは玄関へと足を延ばす。

「あら…?外へ出るつもり?朝ごはんも食べずに」

「少しだけ出るだけだよ。すぐに戻るから」

ペルラにそう言葉をかけたエルバは扉を開き、外へ出る。

外へ出た瞬間、エルバの目が大きく開き、温かさを感じていた心が一気に冷め切ってしまった。

外に広がっているのは炎に包まれたイシの村で、デルカダール兵たちが逃げ惑う村人を切り殺す姿や家や納屋を焼く光景が浮かんでいた。

すぐ近くには兵士に切り殺されそうになっているエマの姿があった。

「やめろ…やめろぉ!!」

急に服装が旅人の服へと変わり、背中にはプラチナブレードが差した状態になったが、それに違和感を抱くことなく、それを抜いてエマを殺そうとした兵士を一太刀で切り殺した。

「はあ、はあ…エマ!!」

「エルバ…エルバぁ!!」

兵士の死体を蹴り飛ばしたエルバに涙を浮かべるエマが抱き着いてくる。

その声も、髪の色も、スカーフも記憶の中にあるエマそのものだ。

剣を手放し、両手でエマを抱きしめる。

「大丈夫…もう、大丈夫だ。だか…ら…」

抱きしめているはずのエマの両腕の力が抜け、ブラリを下に垂れる。

腕の中の彼女の体が冷たくなっていくのを感じた。

「エ…マ…」

エマの顔を見ると、彼女は眼を開いたままで、その瞳にはすでに光が失われていた。

そして、彼女の背中には3本の矢が深々と刺さっていた。

「あ、あ、あああ…」

「許せない…そうだ、許せないだろう?奴らが、デルカダール兵が…」

「あ、あああ…」

背後から自分と同じ声が響き、振り返るとそこには切り殺されたデルカダール兵の死体の山ができていて、その前には自分と同じ服装で、頭を頭巾で隠した男の姿があった。

彼のそばにはなぜかペルラの死体も転がっている。

「お前は誓ったはずだ。死んだみんなに。デルカダールに復讐すると。だが、そんな貴様が今何をしている?勇者の真実を探す?オーブを集める?ふん、本当はそのようなことなどしたくもないくせに」

男の手にはイシの大剣が握られており、刀身にはベットリと赤い血が付着している。

明らかにそれは兵士たちの血で、それをぬぐうこともせずに近づいてくる。

人間の血の匂いがエルバの鼻に伝わり、男の服もまた血で汚れている。

「デルカダールに復讐したい…だが、お前にはそれを成し遂げる力がない。当然だ。グレイグ1人すら殺すことができない貴様に、滅ぼせるはずがない。だから仲間を群れ、逃げたいと思っている。その使命というものに」

「やめろ…」

「その証拠に、貴様はあの時グレイグを殺さなかった。千載一遇のチャンスがあったのを棒に振った。それを殺された人々にどう説明する」

「やめろ…やめろ!!」

後ずさりするエルバの足を誰かがつかんでくる。

下を向くと、そこには深く痛々しい刺し傷が心臓部分にある村人がいて、血の涙を流しながら彼の足をつかんでいた。

その後ろには同じく死んだはずの村人たちが這うようにエルバに集まっている。

「そうだ…みんなお望みだ。自分たちが受けた苦しみを晴らせ。同じ苦しみを奴らに味合わせろ。殺せ、殺せと…」

「やめてくれ!!俺は…」

「やめてくれ…?ハハハハハハ!!おかしな話だ。村人たちを葬りながら誓ったはずだろう!?奴らに復讐すると。矛盾だな、矛盾しているぞ!!さあ、これが本当にお前が望むものだ!!」

エルバに向けて、男は何かを投げつけてくる。

投げつけられたものを見たエルバは胃の中から何かが逆流してくるのを感じ、思わず両手で口を押える。

足元にはデルカダール王とグレイグ、ホメロスの首が転がっていた。

そして、いきなり景色が廃墟と化したデルカダール王国へと変わり、周囲に転がる死体が村人ではなく、兵士やデルカダールの住民へと変わっていった。

「あ、ああ、あああああ!!!」

両手へと視線を変えると、その手は血で真っ赤に染まっていた。

おまけに再び服装が変化し、ユグノアの甲冑姿になっていたものの、その鎧も兜ももはや元の色が何だったのかわからないくらいおびただしい返り血でぬれていた。

「ハハハハハ!!どうした?貴様の本当の願いがこれだというのに、なぜ苦しんでいる?なぜ喜ばない!!矛盾しているぞ!!」

「違う…俺は、俺はそんなものを望んでいない!!」

「望んでいるさ…わかる、なぜなら俺は…お前だからだ」

風で頭巾が外れ、頭巾に隠れた顔と髪がエルバの視界にさらされる。

茶色いサラサラとした髪に紫の瞳、日焼けした肌。

顔もまた返り血で濡れているのはともかく、それはまさにエルバそのものだった。

「だから、俺はお前になる。心を負ったお前に代わって、デルカダールに…悪魔の子などと呼んで陥れたやつらに地獄を与えてやる」

男がエルバの右手をつかみ、手甲を素手で引きちぎる。

手甲に隠されていた痣は彼に見られた瞬間、真っ黒に染まっていた。

「うわあああああ!!!」

 

「ちょっと、エルバ!!どうしたのよ!しっかりしなさい!!」

「…!?はあ、はあ、はあ…」

ベロニカの声がひびき、その瞬間視界に広がる景色が暖炉のある小屋の中へと変わっていく。

服装は白い病人用の簡素なズボンとシャツに変わっており、首にはエマからもらったお守りがぶら下げられている。

外から吹雪が壁を打ち付ける音が聞こえてくる。

(夢…なのか…)

「どうしたのよ?ずっとうなされていたわよ」

「…村の夢を、見ただけだ」

苦しげな表情を浮かべ、それだけをつぶやくとベロニカも納得するとともに聞いたことへの罪悪感で視線を逸らす。

寂しげな空気が暖炉の火で温まっているはずの部屋を包む中、コンコンと足音が聞こえてくる。

入口のドアの近くには地下へと石階段があり、足音はそこから聞こえている。

階段から上がってきたのは、オレンジ色の学者帽と厚手のマントを身に着けた、白髪の老人で、恒例の学者にもかかわらず背筋が伸びていて、両手で思い薪を抱えていた。

「おお、お目覚めかな。どうだね?体の調子は」

「あなたは…?」

「おお、挨拶が遅れてしまった。私はエッケハルト。クレイモランの魔法学者で、今はここで町を氷漬けにした魔女について調査をしている」

「エルバ…目を覚ましたのじゃな!?」

階段から駆けあがってきたロウが嬉しそうにエルバを見つめる。

その後ろにはカミュ達がいて、彼らは本の束を抱えていた。

「みんな…」

「エッケハルト殿に助けられたのじゃ。おぬしはここで4日眠っていた」

「4日…」

エルバにとってのその『4日』はあの夢の光景がすべてだ。

あまりにも生々しく、トラウマを執拗なほどに刺激した。

夢を見せているのは自分なのか、それとも夢の中にいるもう1人の自分か。

「その間、私たちはここの東にある古代図書館を調査していたの」

「これがそこから運び出した本だ。ったく、雪の中で魔物の目をかいくぐりながら運ぶのは大変だったぜ」

運び込みそのものは昨日完了したが、それまでは何度も古代図書館とこの小屋を行き来する日々だった。

幸いだったのはエッケハルトが馬車を所有していたこと、そしてクレイモランとは違って氷漬けになっていないことだった。

そのおかげで数百冊の書物を今は小屋の地下に保管することができた。

この小屋は元々、吹雪から身を守るための避難所だったが、今では古代図書館との中継点としても機能しており、書物を保管するための地下室も設けられることになった。

運び込んだ後で行ったのはその書物の中から魔女に関連するものを探すことだった。

古代図書館内部は魔物であふれており、その中で探すのは難しかったことから、こうした回りくどい手段を取らざるを得なかった。

運び込んでから始まったのはロウとエッケハルトによる徹夜してでの本の解読だった。

そのせいなのか、2人の目のはクマができている。

「そうか…」

「お前、ベロニカに感謝しろよ。こいつ、ずっとお前の看病をしていたんだからな」

「ベロニカが…?」

「そうよ!まったく、一人で飛び出して、魔物を倒したのはいいけど4日も寝込むなんて!!」

「す、すまない…」

ベロニカの剣幕にさすがのエルバも悪いと思ったのか謝罪の言葉を口にする。

このようになってしまったのは、結局のところ自分の単独行動が原因なところが大きい。

だが、その行動のおかげで、不本意ではあるがグレイグをはじめとしたデルカダール兵を救うことができた。

「その時のベロニカの必死な姿、お前にも見せてやりたかったぜ。あいつ、さむがってるお前のために…」

「あああーーーー!!!わーー!わーー!わーーー!!!」

「…?何をそんなに騒いでいるんだ?」

急激に顔を真っ赤にさせ、杖でカミュを叩こうとするベロニカだが、片手で額を抑えられて、カミュの腕をポカポカと殴ることしかできない。

「ホッホッホッ、やはり若いというのはよいのぉ!」

「おじいちゃん!!やらなかったんだから、そんな話しなくていいじゃない!!」

「やらなかったって…何を??」

「だから…なんでも…!」

「うわあああ!!悪かった、悪かったから、それだけはやめてくれ!!」

恥ずかしさのせいなのか、余計に魔力が増幅されたメラミはもはやメラゾーマに匹敵する炎となっていた。

それをエルバに向けて放とうとしたベロニカをカミュが両腕をつかんで押さえつけ、セーニャはまさかの事態にあたふたする。

意識を取り戻したとはいえ、まだ全快ではないエルバにその炎は致命傷になるうえに、小屋が燃えて3日かけて運んできた本まで灰になってしまう。

クレイモランを救う手掛かりとなる本、そして勇者をこんなバカなことで失うわけにはいかなかった。

「こ…これは!!」

そんな騒動をよそに書物を読み漁ってたエッケハルトの突然の叫びにエルバ達の視線が彼に向かい、ベロニカも呪文を止める。

ずば抜けた集中力があるのか、それともただ単に疎いだけなのか、黙々と解読していたエッケハルトにはある意味頭が下がる。

「魔女の正体…まさか、神話の時代から生きていたとは…」

「神話の時代…ローシュ様がいた時代よりも前…」

「うむ。魔女の名前はリーズレット。自らの美しさを永遠にとどめようと禁呪法に手を染めた哀れな女と書物にはある」

リーズレットとなったその女性は元々、この地域の一般住民として生を受け、その女性はあまりの美しさで男性たちを虜にしていた。

だが、人間には老いがあり、そして死が存在する。

次第に老いと共にその美しさに陰りを感じ始めるようになった彼女はどうにかして自らの若さと美しさを取り戻そうとした。

そのために古代図書館に数年こもり、それを探し続けた。

その中で禁呪法と出会い、それで作り上げた薬を服用した。

結果として若さと美しさを取り戻すことができたが、それは自分の血液を氷水に変えるもので、それによって彼女は人間ではなくなり、魔女として人間をはるかに上回る寿命と魔力を持って生きていくしかなくなった。

そのことで自暴自棄となり、手に入れた魔力を使って多くの悪事を働き、それが原因で賢者たちの手によって封印された。

「これが…リーズレットが封印されていた本じゃ」

魔女の禁書というタイトルが刻まれたその本は数百ページに及ぶ魔法陣が描かれた紙と2枚の白紙のページで構成され、表紙が頑丈な厚手の羊毛紙で作られた書物で、表紙と裏表紙の中央にはクレイモランの国章が刻まれている。

魔法陣1枚1枚がこの国の魔導士たちの手で描かれており、どれだけリーズレットを封印することが大変だったのかがわかる。

「だが…封印するとしても、リーズレットの膨大な魔力を考えると、この書物だけでも不十分。ゆえに、賢者たちは聖獣の力を借りた。その聖獣にリーズレットが持っている魔力の大部分を封じさせたのじゃ」

「聖獣…?そんなのがクレイモランにいるのか?」

「そうじゃ。聖獣の名はムンババ。千年以上の寿命を持ち、その身に膨大な魔力を蓄えることができる。ムンババの力を借りて、再びリーズレットをこの禁書に封印しなければ…」

殺すことができないのであれば、封じることが最善。

リーズレットが力を取り戻した可能性が高いとなると、再びムンババにその魔力を吸収させる必要がある。

「じゃあ、そのムンババちゃんを探さなきゃいけないわね。それで、どこにいるのかわかるの?」

「うむ…。問題はそこじゃ。ミルレアンの森の奥深くで静かに暮らしているはずじゃが…」

その森の中で何が起こったのかは、既にカミュ達から聞いている。

エッケハルト自身はそのとき、古代図書館の中を捜索していたことから、そのようなことが森の中で起こったことは初耳であり、そのようなことが起こったのはクレイモランの歴史の中でも初めてだ。

「その魔物は…額に魔法陣が刻まれていて、恐ろしい力と回復力を持っていました」

「額に…。その魔法陣の形はわかるか?賢者ほどではないが、学者としてある程度呪文については精通している」

エッケハルトはエルバにペンと紙を渡し、エルバは思い出しながらその紙に魔方陣を書き込んでいく。

何度も見たことでその形は頭の中に焼き付いていて、正確に書き出されており、それを見たエッケハルトは古代図書館から持ち出した本の中のとある魔導書のことを思い出す。

「まさか…この魔法陣は…」

「何かわかるの!?」

エッケハルトは大急ぎで地下室へ駆け込み、本の山の中から例の魔導書を出す。

そして、193ページをめくると、そこにはエルバが書いたそれと同じ形の魔法陣が描かれており、それについての解説もあった。

「これは400年前に存在していた邪教徒たちが使っていた魔法陣じゃ。禁呪法の一つで、刻まれた生物や死体を暴走させ、意のままに操ることができる。すでにそのようなものを扱うことのできる人間はこの世にいないはずじゃが…」

その邪教徒はかつて、魔界から邪神を召喚し、その力でロトゼタシアと命の大樹を滅ぼすことが世界の摂理だと説き、各地でテロ行為を行っていた。

当時はロトゼタシアの各地で天変地異が起こり、さらには領土争いまで発生して不安の立ち込める世の中となっており、人々はそのようなロトゼタシアや祖国に絶望し、中にはその邪教に身をゆだねてしまう人も少なくなかった。

彼らが使っていた魔法陣がそれで、それによって死体兵や魔物たちを操っていた。

最終的に各地の勇士たちの手によって邪教徒たちは滅ぼされ、この魔法陣を使う人々はいなくなったはずだ。

それにこの邪術は魔法陣だけでなく、それ以外にも発動するための条件があるのだが、それについてはやはり悪用されることを恐れたのか、明確な記述がない。

ここからは余談となるが、彼らが信仰している邪神というのは4本の腕と2本の脚に加えて身の丈程の大きな翼をもつ、蝙蝠とドラゴンを融合したような青い鱗の悪魔で、教徒の中にはその邪神を召喚するために集団自殺を行うケースもあったようだが、いずれも魔物1匹すら召喚することができないまま終わっている。

その邪神が実在するかどうかは過去に調査が行われているが、いまだに教徒たちが持っていた教本の中にしかそうした記述がなく、現状では実在するかどうか怪しいというのが結論だ。

「だが…仮にその邪教徒に生き残りが存在していて、細々とその教えが受け継がれていたというなら、可能性はあり得る」

「そんなこと、あり得るのか?」

「あり得る話じゃ。宗教というのはそれだけ根深く、幅広く伝播するものじゃからな」

命の大樹の伝説がロトゼタシア全体で共通して語りづがれるように、宗教もまた国境を飛び越えて人々に伝えられていく。

それが良くも悪くも人々に影響を与えることは歴史が証明している。

「それで、その魔法陣が刻まれた魔物がどのようなものかはわかるか?」

「…金色の鬣で純白の肉体をした、大きな口と長い前足を持っていて…」

特徴を聞いた瞬間、エッケハルトの本を持つ手が止まり、恐る恐るエルバに視線を向ける。

彼の脳裏にはその魔物が何なのかがすでに浮かんでいる。

浮かんでいるが、何か勘違いがあってはいけない、勘違いであってほしいと思いながら踏み込んでいく。

「…?ま、まさか…ムフォムフォと鳴いていなかったか…?」

「そういえば、そんな感じで鳴いていたな」

「あ、あ、あああ…なんということだ…」

エルバの言葉から外れてほしいと願っていた予想が当たってしまったことを確信したエッケハルトはその場で崩れ落ちる。

そして、彼が持っていた本が力が抜けたかのようにスルリと手から滑り落ちる。

開いているページにはエルバが戦った例の獣が描かれていた。

「まさか…奴がムンババだったんですか…??」

「その通りじゃ…まさか、その魔法陣を刻まれていたとは…おまけに、本来なら襲うはずのない人間を…だが、なぜミルレアンの森へ…?」

ムンババは争いを好まない温厚な獣だが、縄張りや地震に危険が及んだ場合には恐ろしい力を発揮することから刺激することがないようにミルレアンの森の奥へ入ることは禁じられていた。

クレイモランの人々も森に立ち入ることを可能な限り控えており、旅人への警告も心掛けている。

しかし、警告する以前にミルレアンの森には旅人を魅了するような要素が何一つなく、彼らが尋ねることはかなりまれな話だ。

「魔女の手下の獣が住み着いていると聞いたんです。それで、実際に殺された人たちがいて、奥へ入ると…」

「ムンババがおったというのか…。魔法陣で無理やり人間を襲わされたというのか、哀れな…」

かつて、魔女から人々を救った聖獣の哀れな末路を思うと、エッケハルトは胸を締め付けるような思いに駆られる。

無論、倒してしまったエルバ達を責めるつもりはみじんもない。

仮にそうしなければ、エルバ達も殺されていたうえに、更には無関係な人々をもその手にかけていたかもしれない。

むしろ、ムンババにこれ以上罪を重ねさせないようにしてくれたことを感謝せざるを得ない。

「しかし…誰から聞いたのじゃ?その話を…」

「誰って…女王様からだよ。シャール女王様」

「何!?シャール様からじゃと!?そんなバカなことが…」

「馬鹿なことって…どういうことなのじゃ?」

「私は襲撃があった日の2日後には一度クレイモランへ戻った。生存者を探したが…見つからなかった」

「見つからなかった…?おいおい、女王様と会えなかったのかよ?シェルターの中も見たのかよ」

「見た。だが、見つからなかった。生き延びたのは私だけ…。間違いない。1日かけてくまなく探したのだぞ!?」

凍える寒さに耐えながら、必死に雪の中で無事だった人々を探し続けたときの光景を思い出す。

聞こえるように大声で呼びかけながら探し続けたが、見つかったのは氷漬けの人々ばかりで、結局無事な人を1人も見つけられなかった。

当然、氷漬けとなった城の中に入ることはできなかった。

「嘘…!?だって、私たちは確かにシャール様と会って、話もして…!!まさか!!」

「どうしたのですか?お姉さま」

「やられた…!あたし達、はめられたわ。あの魔女に!!」

「何を言っているのかさっぱり分からねーよ。わかるように説明してくれ」

「…。古代呪文の中には自分や相手の姿を変化させるものが存在するのよ。リーズレットは神話の時代の魔女。使える可能性があるわ」

その呪文はモシャスで、姿だけでなくその相手の能力や技術をも手にすることができるもので、膨大な魔力を消耗することから現在では使い手が存在しないものとなっている。

そんな呪文をリーズレットが使えたとしてもおかしくない。

そして、彼女が変身するとしたら、その人物は1人だけだ。

「ということは…シャール女王に化けて、私たちを騙していたということ??」

「そういうことになるわね。確かめる方法は一つだけ、クレイモランへ戻って、事実を突き止めることよ」

「そうだな…それが一番手っ取り早い」

壁にかかっている旅人の服を手にし、病人服を下着代わりにして重ね着する。

休んだおかげで体力が戻っており、まだまだヌーク草の効果も残っている。

「エルバ、もう大丈夫なの?」

「問題ない。おかげでだいぶ体力が戻った」

「ふむ…だが、歩いて戻るだけでもかなり体力を消耗する。馬車を使うといい。私も同行しよう。仮に魔女がシャール様に化けているというなら、封印する必要がある」

エッケハルトは禁書を手にし、先に外へ出て馬車の準備を始める。

禁書と一緒に見つかった古文書には封印のためのスペルがあり、それは既に頭に入っている。

ムンババがいない以上、封印できる可能性は低いが、それでもシャールの姿を利用した彼女をこれ以上放っておくわけにはいかなかった。

「なら、エルバはしっかり馬車の中で寝てな。魔女と戦うときに疲れてちゃあ話にならねえからな」

「…いいのか?」

「当たり前だろ。少しは自分の体を大事にしろ」

旅人の服を着終えたエルバに肩を貸したカミュは彼を外へ連れ出し、馬車に乗せる。

ベロニカ達は書物をすべて地下室に戻し、鍵をかけた後で馬車へ乗り、御者台にはエッケハルトが乗り、クレイモランへと向かう。

(シャール様…あと少しの辛抱でございます。必ずや、このエッケハルトが姫様を…)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第53話 魔女との戦い

馬車がクレイモラン東入り口に到着し、エルバ達が馬車から降りる。

一番最初にエッケハルトが城下町に入り、エルバ達も後から入るが、すぐに物陰に隠れた。

まず彼が見たのは氷漬けとなっている人々だった。

(変わらないな…魔女の攻撃を受けた直後に私がここに来たときから…何一つ…)

3か月前から何も変わらず、それまで彼らに何一つできなかったことを悔やみ、拳に力がこもる。

クレイモランでは一二を争う秀才と言われた自分も、一皮むけばこの程度の男なのかと書物を調べながら、何度も何度も悔やんでいた。

だが、そんな悔やむばかりの日々を終わらせる時が近づいている。

「シャール様、シャール様!!ご無事であられるのですな!?姿を見せてくだされーーー!!シャール様ーーー!!」

ランタンで周囲を確認しながら、主の無事を願うように叫ぶ。

そんな叫びを繰り返していると、遠くから淡い光が見えて来て、それが近づいてくるのが確認できた。

見えてくる人影のシルエットが見覚えのある主君のもので、本来ならここで手放しに喜びたいところだが、今の目的はそれではない。

「シャール様なのですか!?」

「そこにいらっしゃるのは誰なのですか!!?」

雪のせいでよく見えないのか、確認するようにこちらに向けて叫ぶシャールの声が耳に届く。

「私です!!エッケハルトです!!今戻りましたぞ、シャール様!!」

「ああ、エッケハルト…よかった、戻ってきたのですね」

雪に覆い隠された人影がようやく肉眼ではっきり見えるくらいまで近づいてくる。

雪の中から姿を見せたシャールは笑みを浮かべてエッケハルトを見つめる。

「良かった…しかし、ここは…」

「分かっております。ここの惨状、既に耳にしております」

「耳に…?」

「しかし、ご安心ください。シャール様。この国を救う方法を見つけました」

「まぁ、それは本当なのですね…?」

「はい、ですので…」

エッケハルトが両手を叩き、同時に物陰からエルバ達が出てくる。

そして、エルバ達はゆっくりと歩きだし、シャールを取り囲む。

「か、彼らは…エッケハルト、これはいったい、どういうことなのですか!?」

「そろそろお芝居を辞めたら?」

真っ先にベロニカがシャールらしき女性に近づいていく。

そして、何を考えたのか、彼女が首に巻いているマフラーを無理やりはぎ取った。

「これは…やっぱり!!」

マフラーに隠れていたシャールの首部分を見たベロニカは確信する。

首には炎で焼けた痕がわずかながら残っていた。

やはり魔女というだけあり、人間の理から外れており、不意打ちで受けて大きな火傷を負ったはずのそこはあと少しで完治というくらいまで修復されていた。

だが、回復にすべてを集中させた影響か、シャール本来の白い肌ではなく、リーズレットが持つ青白いものだった。

「まんまと騙されたわ…。あんたが、一番最初にここで会ったあんたが魔女だったなんてね!!」

「うふふふふ…あーら、ばれちゃったわね!!」

もう隠す必要はないと言わんばかりに、大笑いしたシャールらしき人物が青い魔力の波動を体から発するとともに上空で浮遊する。

青い波動には強烈なヒャドがこもっているようで、地面で吹雪に負けず力強く咲いていた花すら氷漬けにし、それがベロニカにも及ぶ。

「お姉さま!!」

すかさずセーニャが竪琴を奏で、竪琴から音色と共に赤い魔力の波動が発生し、それがベロニカたちを包み込んでいく。

波動を受けたベロニカ達はわずかに寒気は感じられたものの、赤い波動で守られたことで無傷で済んだ。

そして、上空に浮遊するシャールの姿は次第にリーズレットのものへと変化していく。

「ふふふ…あんた達が聖獣を倒してくれたことで、魔力もみなぎってくるわ…!!」

「その聖獣を操ったのはお前か…?」

「操った…?さあ、私が最初に見たときからそんな感じだったけど?なんでそんなんになったのかしら?魔力を奪った憎たらしいやつだけど、あれで結構かわいかったのに…」

(魔女はあの魔法陣のことを知らない…。あいつらに魔法陣を仕掛けたやつとは無関係だというのか…?)

「でも、正直そんなことをしたら、聖獣を倒してくれるはずの人まで殺してしまうでしょう?ああいうの、わたし好きじゃないの。あれのせいで死んでしまった人がいるというなら…申し訳ないわね」

「こいつ…」

人間を辞めた魔女であるにもかかわらず、本当に申し訳ないと思っているのか、どこか悲しげな表情を見せてくる。

本当に神話の時代に人々を苦しめた魔女なのかと疑問を抱きたくもなる。

「魔女め…!!本物のシャール様はどこだ!?」

「安心なさい。安全な場所にいるわ。それよりも、あんた達には英雄グレイグを取り逃がした借りがある。今ここで返してやるわ!!」

その一声と同時に、クレイモランの外壁を中心に氷の結晶でできたドームが作られていき、出入り口までもが分厚い氷で覆い尽くされてしまう。

氷漬けになった人々を覆う氷はさらに分厚くなり、エルバ達の肉体にも容赦なく冷気が襲い掛かる。

「とんでもない魔力…これが、魔女の本気!?」

「むうう…ヌーク草があるとはいえ、かなり寒いのぉ…」

寒さだけならまだしも、吹雪で周囲に視界が急速に悪くなっていく、

その中で、浮遊する人影がいくつもエルバ達の周囲を飛び回る。

「今度は分身をするのかよ、ふざけやがって!!」

「いい加減にしなさいよ!!」

上空にいる人影めがけてベロニカはベギラマを数発発射する。

熱のこもった閃光がむなしく空を切るが、一発が偶然その人影に当たる。

それを受けたのはまさにリーズレットそのものだったが、熱によって蒸発してしまい、氷の破片が地面に落ちる。

「氷で作った分身か…!」

「ハハハハ!!魔力を取り戻した私に、この程度のことは造作もないわ!」

吹雪が収まるとともに、上空には5人に増えたリーズレットの姿があり、エルバ達に高笑いする。

そして、4人の贋物が青い魔力の光に変化していき、それがリーズレット本人に宿る。

彼女の姿は徐々に氷でできた翼竜となり、ドームの中を飛び回る。

「今度はドラゴンに変身しただと!?」

「ドラゴラムよ…今の普通の魔法使いにはできない芸当ね!!」

頭に直接響くようにリーズレットの声が届くとともに、上空からエルバ達に向けて氷の息吹を放ってくる。

その息吹はこれまで交戦してきた魔物のそれを上回る力があり、地面に接触すると同時に強烈な風も巻き起こり、エルバ達は動けずにいた。

「くう…これでは、魔力を練り上げることが…!!」

急速に低下した気温のせいで、血液や筋肉の動きが硬直しているように感じられた。

ロウにとって、これらと体の動きこそが魔力を練り上げる手段で、それで最大限発揮されたフバーハを使うことができれば、この状況を打開できるかもしれない。

「どうにか少しでも、練り上げるだけの時間を稼ぐことができれば…!」

「どうやら、この爺さんが何か手があるみたいね…なら、彼から戦闘不能になってもらうわ!!」

リーズレットが翼を大きく動かしたことで、再び吹雪がドームの中を包み込んでいき、気温を低下させていく。

そして、水晶のような瞳でロウの姿を捕らえると、一直線に飛行して彼を捕食しようとする。

「ロウ様…!!」

武闘家として鍛え抜かれた感性でリーズレットがロウに近づいていることに気付いたマルティナが横槍を入れる形でリーズレットの顎に向けて飛び蹴りを放つ、

分厚く魔力で作られた氷でできたその肉体は武闘家の蹴りであってもわずかに傷が入る程度のダメージにしかならない。

だが、その衝撃でずれが生じ、ロウへの攻撃が紙一重の差で外れる。

しかし、すぐに体勢を立て直したリーズレットは再び上空へと飛び、その間に肉体に入っていた傷が消えていく。

「早い…これは、紋章閃では狙えない…」

トベルーラで飛ぶわけにもいかず、どうにかして地面に落としでもしてリーズレットの体勢を崩さなければ、この状況を打開することができない。

急速な気温低下は既にヌーク草でも騙し切れないところまで来ていて、体の芯から冷えていく感触がある。

「気を付けろ…ここまで冷えてくるということは…体はもっと悲鳴を上げているぜ。これ以上こんな気温の中に居続けたら、凍え死んじまうぞ」

「ああ…奴はそれを望んでいて、爺さん以外には積極的に攻撃しようとしないんだろうな…」

吹雪が勝手に敵を殺してくれるなら、リーズレットは自らの手を下す必要はない。

だからこそ、今の彼女は上空に飛び回り続け、牽制として氷のブレスを放っているのだろう。

ブレスは進むにつれて巨大な氷塊へと変わって地面に落下する。

地面に接触すると同時にそこを中心に大きなクレーターが出来上がり、エルバ達は大きく跳ね上げられてしまう。

「まさか…魔女が魔力を取り戻すとこれほどのことになるとは…!!」

地面にうつぶせに倒れたエッケハルトは上空のリーズレットが変身したドラゴンを見て、その恐ろしさと冷たさに身震いしてしまう。

あの魔女を倒さなければ、クレイモランもシャールも救うことができないのは分かっている。

だが、戦うだけの力がない今の自分にはエルバ達に託すことしかできない。

それが悔しくて、真っ白の鳴った手に力を籠める。

(この吹雪の中で…いかにすれば、リーズレットを封じることができる…!!)

起き上がろうとするエッケハルトだが、次第に体から力が抜けていくのを感じ、同時に眠気まで覚えてしまう。

吹雪の中でこうした感覚が芽生えるのがどれだけ危険なのかはエッケハルト自身が一番よく分かっている。

どうにか眠るのを遮ろうと、カツを入れるべく頬を叩くが、既に力の抜けた腕では弱弱しくパチンとなるだけで、眠気に対抗できるような痛みなど感じることができない。

「エッケハルトの爺さん!!」

駆け寄ってきたカミュが倒れたまま身動きが取れないエッケハルトに向けてザメハを唱える。

眠りについた生物を魔力で無理やり起こすことのできる呪文で、その呪文を受けたエッケハルトはわずかに眠気が消えていくのを感じた。

ただ、それはあくまで一時的で、そのもらったわずかな時間でエッケハルトはリーズレットのことに頭を巡らせる。

その中で、リーズレットが言っていたドラゴラムという呪文が頭をよぎる。

ドラゴラムはドラゴンに姿を変える呪文で、魔力が持続する限りその姿を保つことができる。

逆に言えば、何らかの要因でその魔力の供給が途切れれば、反撃の糸口となる。

「マホトーン…マホトーンで魔女の魔力を封じるんじゃ!!そうすれば、ドラゴラムを解除できる!」

「口で言うのは簡単だけど…」

問題はどうやってリーズレットにマホトーンをかけるかだ。

上空を飛ぶ上に、ドラゴラムの構造が根本的に異なる。

リーズレットの場合は肉体というよりは氷を利用して作っていることから、自分の体を変化させているわけではない。

そのため、リーズレット本体にマホトーンをかけなければ意味がない。

しかも、リーズレットもそうされる可能性を想定しているのか、今は上空から攻撃するだけに動きをとどめている。

「セーニャが魔力の流れをつかめればいいけど、こんなに遠くじゃ、正確につかめないわ」

「マホトーンが使えるのはベロニカとセーニャだ。どうすれば…」

空からの攻撃に警戒しながら、エルバ達はリーズレットを倒すすべを考える。

まだ命の大樹にたどり着いてもいなければ、デルカダールへの復讐も果たせていない。

そのどちらもできないまま死ぬつもりはなかった。

(どうした…?ただ指をくわえてみているままか?)

脳裏に夢のなかであったもう1人の自分の声が聞こえ、あざ笑いながら語りかけてくる。

(何もできないなら、俺を出してみろよ。少なくとも、この状況を覆してやってもいいぞ…?)

「覆すだと…?甘いことを…」

もう1人の自分というなら、実力も能力も今の自分と何も変わりないはずだ。

そんな自分が知恵を絞っても、あのリーズレットを止める手段が思いつかない。

なのに、この状況を覆すことができると言い張るのはなぜか。

(簡単なことさ。あの女が真っ先に狙っているのはあのジジイさ。あのジジイにいけにえになってもらえれば、大きな隙ができる。そうだろう?例えば、投げてやって捕食させてやるとか…いいやり方だろう?フバーハは吹雪に対抗できる手段だからなぁ)

「お前は…!!」

家族をすべて失ったと思っていた自分に残されたたった1人の肉親。

そんな彼を犠牲にするやり方を平然と口にする彼を許すことができずに叫ぶ。

(アハハハハ!!何を今さら。あいつらは勇者を守るために戦ってくれる甘っちょろい奴ら。お前のためなら何度でも危険を冒して、時には死んでくれる。それで道が開けるというなら、本望ってもんだろう?)

「そんなことは…そんなことはない!!」

(そんなことあるぜ。お前がそう望んでいるんだからなぁ。おめでたい奴らだよなぁ…)

「…一つだけ、あいつにマホトーンをかける手段があるわ!」

エルバともう1人のエルバの対話を遮るようにベロニカが叫び、もう1人のエルバは舌打ちするとそのまま何もしゃべらなくなる。

ベロニカは愛用の杖のひび割れた魔石部分に手を当て、静かに呪文を唱える。

すると、魔石が淡く光り始めた。

「ベロニカ、何をしたんだ?」

「魔石にマホトーンの魔力を詰めたわ。これをあいつの体の中で破壊して!そうしたら、この中のマホトーンの魔力も爆発して、体内にいる魔女にもかけることができるわ!」

「お姉さま!でも、そんなことをしたら…」

この杖は旅立ちの日に里の長老から譲られた大切なもので、ベロニカは日々欠かさずに手入れをしていた。

それはメルトアとの戦いでひび割れてしまった後も同じだった。

この杖に愛着がないといえばうそになると、正直に言うと、手放したくない。

「いいわよ。手入れはしていたけど、そろそろ限界みたいだし…。それに、これでみんなが助かるなら、きっとそうするためにこの杖が存在していた…ということになるんじゃない?」

ベロニカはひび割れた魔石をそっと撫でた後で、ベロニカは上空に目を向ける。

吹雪のせいで視界が悪いが、もうこれ以外に方法はない。

「エルバ!!手を貸して!一緒に飛んで、あの魔女に一発かましてやるわ!!」

「…わかった」

再び氷塊が地表めがけて飛んでくる。

エルバとベロニカは一斉にトベルーラを唱え、氷塊をよけて上昇していく。

やはりというべきか、高度を上げるにつれて吹雪の勢いが増し、そばで一緒に飛んでいたはずの相手の姿も見えなくなる。

「ドラゴラムした私にむけてトベルーラで近づいてくるなんて…?自殺行為よ」

ドラゴンの中にいるリーズレットの目にはエルバ達の姿は見えていない。

しかし、気配はしっかりと感じ取っており、そんな彼らを氷の爪でブレスで攻撃するのは動作もないことだ。

ちょうど真上から落下してくるエルバが翼を切り裂こうと退魔の太刀を振るう。

しかし、魔女が生み出した氷は両手剣をもってしても砕くことができず、逆に太刀の刀身にひびが入るだけだった。

「その程度のなまくらでこの氷を傷つけることができるとでも!?甘いわ!!」

リーズレットが攻撃してきたエルバをわしづかみする。

つかまれたエルバの体に爪が食い込み、圧迫のせいでエルバの口から血が流れる。

「ぐうう…!」

「勇者と名乗る割にはあっけないわね。氷漬けにしてあげるわ」

つかんだままエルバに顔を向けたドラゴンの口が開き、口に冷気が凝縮されていく。

強い冷気を感じたエルバは思わず身震いする。

そんな彼が恐怖しているようにみえ、どんどん顔を近づけていく。

「さあ、何か言い残すことはあるかしら…?」

「…やめろ。冷気を出すな。このまま俺から手を…」

「そうね…殺しは趣味じゃないわ。けど…彼からの頼みにはあなたを氷漬けにすることも含まれるの。悪く思わないで」

それに、手を離した隙に再びトベルーラで飛び回られる可能性があり、そうなるとまた捕まえるのが面倒になる。

ならば、このままつかんだ状態で氷漬けにした方が手間がかからない。

「頼む…氷漬けになるくらいなら死んだ方が…」

「甘ったれたことを言わないで。男が廃るわよ。もうちょっと大人になったら、あなたを私の男にしてもよかったけど」

今のエルバの顔は大人に見えて、少年のあどけなさが残っており、それが成長したらどんなものになるのか、リーズレットには楽しみで、もう少し成長した姿を見てから氷漬けにしたいという気持ちもある。

だが、エルバの自殺願望に近いセリフはあまり歓迎できるものではない。

これ以上利く前に氷漬けにしようと口を開く。

「…なら、あんたの負けだ。氷の魔女」

「何…!?」

「いっけぇぇぇぇ!!」

エルバの体が死角となって視界から逃れていたベロニカが口を開いたリーズレットに向けて正面から突っ込んでいく。

エルバを氷漬けにすることを考えすぎていたことで、ベロニカの気配をすっかり見失っていたのにようやく気が付いたが、時すでに遅し。

ベロニカの杖がドラゴンの口の中に放り込まれ、体内でマホトーンの魔力がはじけ飛ぶ。

体内のリーズレットがマホトーンを受け、魔力を封じられたことでドラゴンが苦しみだし、握力が弱まったことでエルバが脱出する。

吹雪のエネルギーも消し飛んでしまい、大きく口が空いたままで隙だらけな姿をベロニカにさらす。

「駄目押しの一発、受けなさい!!」

ベロニカは全身全霊を込めてメラミを口内に向けて発射する。

火球がドラゴンの体内でさく裂し、氷の肉体が粉々に打ち砕かれる。

「はあはあ…ありがとう、助かったわ…」

ドラゴン諸共粉々に砕け散った相棒の杖に礼を言ったベロニカはすぐに地上へ降りようとするエルバの元へ向かう。

エルバをおとりにするという前提の作戦とはいえ、守るべきエルバに負傷させたことがベロニカにとっては後ろめたい気持ちがして、わずかに視線を逸らす。

それが分かっているエルバは攻める気持ちを見せず、笑みを浮かべて言葉をかける。

「よくやった、ベロニカ…。おかげで、助かった」

「エルバ…」

マホトーンでリーズレットの魔力が封じられたことで、周囲の吹雪も収まっていき、氷のドームも消えていく。

地表へ降りると、うつ伏せに倒れたリーズレットの姿があり、彼女の持っていた氷の結晶がついた青い杖がそばに転がる。

「く…やって、くれたわね…私の魔力を一時的にとはいえ、封じるなんて…」

膨大な魔力を持つリーズレットでも、マホトーンで封じられてしまってはしばらくは呪文を使うことができない。

魔女になったおかげか、あれだけの高度から落下したにもかかわらず、軽症でとどまっている。

「よし…今ならば!!」

吹雪が収まったことで、体が動くようになったエッケハルトが禁書を手にしてリーズレットの前まで走っていく。

そして、禁書を広げたと同時に集中し始める。

「こ、これは…!!」

この禁書の正体を知っているリーズレットが顔色を青くするが、エッケハルトはすぐに呪文を唱え始める。

これまでの無念を晴らすべく、そしてシャールを救うために戦ってきた彼に魔女へかける容赦はなかった。

「ポカ ポカ ズマパ、ポテ ズマパ!!」

古代魔術文字を読むと同時に禁書に刻まれる魔法陣が光り始める。

「や、やめなさい…!その呪文は…!!あ、ああ!!」

制止しようと立ち上がるリーズレットだが、その体が魔法陣と同じ光に包まれていき、苦しみ始める。

「ムチョ ムチョ ズマパ!ポチャ ズマパ!!ズマ ズマ ズマパ!ポカッ…!?く…なんじゃ、この文字は!?」

一連の文字の解読は済ませたはずだが、この一文字の読み方をうっかり忘れてしまう。

この古代魔術文字をすべて読まなければ封印ができず、リーズレットに再び自由を与えることになってしまう。

「もう、エッケハルトさん!しっかりしてよ!!」

「すまん…よし、分かったぞ!!ズマ ズマ ズマパ!ポカ ジョマジョーーー!!」

読み終えるとともに魔女を封印するページを開いてそれをリーズレットにかざす。

魔法陣がまぶしく輝くとともにリーズレットの体が宙に浮き、徐々に禁書に向けて吸い込まれていく。

「いや、いやよ!!またあの中で何百年も閉じ込められるというの!?それは…それだけは、絶対に嫌!!」

その空間には何もない。

真っ暗な闇だけが広がっていて、その中で自分もその闇と同化しているのではないかと錯覚してしまう。

人間が持っているはずの欲求もその闇の中に消されてしまう。

おまけに魔女となっていることから死にたくても死ねない状態であるため、考えることを辞めなければ気がくるってしまう。

それを恐れたリーズレットは必死に手足をばたつかせて抵抗する。

しかし、マホトーンで魔力を封じられている今のリーズレットの力では逃げることもできない。

禁書に吸収されていき、光が収まるとそのページにはリーズレットの絵が遺された。

「はあ、はあ、はあ…終わった…」

疲れ切ったエッケハルトがその場で尻もちをつき、エルバはセーニャから治療を受ける。

そして、それと同時に周囲を包んでいた氷が消えていき、氷漬けとなった人々も自由の身となっていく。

魔力の元であるリーズレットが封印されたことで、魔力が尽きて氷が解けたのだろう。

「城も人も…元に戻っていく…」

「あとは、シャール様を…うん!?」

人々や周囲の光景を見て安心したエッケハルトだが、次の瞬間、再び禁書が光り始める。

光が消えると、彼の目の前にはうつぶせに倒れるシャールの姿があった。

「まさか…シャール様!!」

「嘘…?禁書に封じられていたというの…?」

エッケハルトがシャールの肩に手を置き、体を揺らす。

ううん、と小さく声を出したシャールがゆっくりと目を開き、ボーッとした様子で彼の顔を見る。

「エッケ…ハルト…ここは…?」

「城下町でございますぞ。シャール様。しかし、なぜ禁書の中に…?」

「禁書…ああ、そうだ…私はあの時、魔女に捕まって、この禁書の中に…」

左手で頭に手を置き、ゆっくりと思い出そうとするシャールだが、長い間封印されていたことで疲れたのか、エッケハルトの手を借りないと立ち上がれない様子だ。

「ごめんなさい…」

「無理もございません。シャール様もこの中でずっと、戦っていらっしゃったのですな…。ですが、もうご心配には及びません。魔女は封じました」

「そうですか…ああ…」

「シャール様!!」

城の扉が開き、そこから出てきた紫のサークレットと鉄の胸当てを重ね着した少し長めのおかっぱ頭をした青年の兵士が駆けつけてくる。

シャールの無事な姿を見て喜ぶ様子だが、シャールは疲れで首をかしげるだけだ。

「シャール様はお疲れになられておる。あまり大きな声を出すな…シャール様、近衛兵のライコフですぞ」

「ライコフ…どうされたの、ですか…?」

「ハッ、それが…大臣がいつまでたっても戻られないと心配されていて…」

「分かり…ました…すぐに、戻りましょう…」

「ライコフ、手を貸してくれ。共にシャール様を城へ…シャール様、詳しいことは中で話します」

禁書をエルバに押し付けるように預けたエッケハルトはライコフと共にシャールに肩を貸して城へと戻っていく。

エルバ達が彼女たちを見送る中、ベロニカはリーズレットが使っていた杖を拾う。

「お姉さま、その杖はリーズレットの…」

「ええ、ちょうど杖をなくしちゃったから…敵の物を使う、というのはシャクだけど…中々よさそうなものだし」

何か呪いがかかっていたとしても、ロウが解いてくれるため、さっそくベロニカは杖を握った状態で魔石に魔力を集中させる。

すると、魔石からは淡い赤色の光がともり、それを見たベロニカは笑みを浮かべる。

「使えるわ、この杖!!今日からこれはあたしの杖よ!」

「ふむ…ベロニカがそれでよいというなら、まぁ良しとしよう。それに、本来の持ち主の魔女がこの本の中ではな…」

ロウ達の視線がエルバが持つ禁書に向けられる。

魔女が封印されるそれは危険なアイテムで、再び魔女の封印が解かれないようにどこかは封印しなければならないほどの代物だ。

「まずは城へ向かおう。そこで禁書をどうするか、それとオーブのことの交渉をするぞ」

「そうね、私たちはそのために来たから…。この国を魔女から救ったことを伝えれば、きっと力を貸してくれるわ。エッケハルトさんが証人になってくれるし」

エルバ達は少し広場で時間をつぶした後で、城へと向かっていく。

その中で、袋の中に入れていた禁書がかすかに震えたのだが、その時袋を持っていたエルバには気づかなかった。

 

城の外では多く積もった雪をどかす作業が進められていて、船の整備も再開する。

彼らにとってはほんの一瞬しか時間が経過していないように見えたようで、元に戻ったと同時に雪がたくさん積もった桟橋や船を見て首をかしげるものもいる。

「…よかったぜ。ここなら、誰も来ねえな」

そんな港の様子を城壁の外にある小さな丘からフードをかぶった状態のカミュが革の水筒の中身を口にしながら眺めていた。

彼は城へ向かう前後にこっそりと抜け出してきていた。

かすかに顔が赤く染まっており、飲んでいると体が熱くなっていくのを感じた。

酒場に行けば酒を飲むカミュで、ある程度のことは酒でごまかすことができるが、今はおそらく樽を持ってきたとしても気持ちは和らぐことがないだろう。

(…俺には、関係ない。もう、こことは…何も…)

再び胸の中で何かがざわつくのを感じたカミュは思い切って残りの酒を飲みほした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第54話 証言

城の中に入り、真っ先に飛び込んだのはあらゆる窓に施されたステンドガラス達だった。

この城の窓すべてにステンドガラスが採用されており、それぞれの部屋にそれぞれのテーマで装飾されている。

例えば、王の間ではクレイモラン王国建国の歴史をテーマとしており、初代クレイモラン王の活躍が物語られている。

リーズレットの氷のせいで、外からでは全く見えなかったが、改めて中からステンドガラスを見たときはその芸術にエルバ達は息をのんだ。

ロウは何度も見たことがあるが、それら1つ1つが大きな遺産であることから、それが失われずに済んだことに安どしていた。

この城と城下町の設計を行ったのはタッポコ8世というロトゼタシアでは高名な建築家で、上から見えると氷の結晶に見えるように設計されている。

なお、タッポコ家は先祖代々建築家で、現在でもクレイモランで建築家を続けているという。

「…?」

女性の声が背後から聞こえた感じがし、エルバは後ろにいるベロニカとセーニャに目を向ける。

「どうかしたの?」

「いや…何か、言ったか…と思ってな」

「そんなことないわよ。あたしも、セーニャも。エルバ、疲れてるんじゃないの?」

「そ、そうか…」

リーズレットとの戦いはギリギリで、回復呪文を受けはしたもののスタミナは回復しないのは分かっている。

多少の休憩だけでは十分とは言えないようで、ブルーオーブを受け取った後でしっかり休養を取り必要があることを感じた。

「それにしても、カミュ様はどうされたのでしょうか…?」

城に来てから、いつの間にか姿を消してしまったカミュのことをセーニャが気に掛ける。

リーズレットの事件があったから、うやむやになってはいたものの、ここへ向かう中のカミュはいつもと様子が違うように思えた。

まるで、彼がこの地を避けているかのように。

「気にする必要はないわよ。あいつは盗賊にしてはしっかりしてるし、いい大人なんだから、本当に放っておけばいいのよ」

「そうなら、いいのですが…」

「何よ?そんなにカミュのことが気になるの?どうして??」

「そ、それは…どうして、でしょう…?」

はっきり言うと、セーニャもなぜここまでカミュのことが気になるのかがよくわからずにいる。

エルバに関しては勇者ということもあって、気に掛けなければならない理由があるが、カミュには仲間だからという以上の何かがあるように感じられた。

こうした感情を抱いたことはこれまでなく、どういうものなのか全くわからない。

(まさか、セーニャがあいつのこと…いや、そんなまさかね)

「これは…皆さま、お出迎えできずに申し訳ありません。ようこそ、クレイモラン城へ」

エルバ達の姿を見たライコフが駆けつけ、エルバ達の前で敬礼する。

「うむ。実を言うと、シャール女王に話があっての。今、お会いできるかのぉ?」

「ええ、かまいません。食事をとられて、すっかり体力が戻られました。どうぞ、ご案内いたします…といっても、案内するまでもないとは思いますが」

クレイモラン城は区画一つ一つが大きめに作られており、構造そのものは迷うことがないようにシンプルなものとなっている。

そのため、このまま正門からまっすぐ進んでいけば、簡単に王の間にたどり着くことができる。

「…がい…!…いて!!」

ライコフに案内され、王の間へと進んでいく中で、再び女性の声が聞こえてくる。

今度は空耳とは言えず、ところどころはっきりしている。

「誰だ…?誰か、何か言ったのか?」

「うーん…妙ねえ。今のはあたしも聞こえたわ。セーニャも…聞こえてないわね」

首をかしげるセーニャを見て、どちらなのかはっきりわかったベロニカは問いかけるのをやめ、今の声の正体を考え始める。

おそらく、その声は先ほどエルバがかすかに聞こえた声と同一の物だろう。

だが、聞こえたのは少なくともエルバの背後から以外には分からず、ベロニカに至ってはただ聞こえただけでどこから聞こえたのかははっきりわからない。

(嫌な感じがするわね…これはいったい…)

「いかがされました?皆さま」

先に進んでいたライコフは聞こえていないようで、立ち止まったエルバ達に気付き、振り返る。

「いや…なんでもない。すまない」

「…?まぁ、いいでしょう。行きましょう」

気にしないことにしたライコフは引き続き、エルバ達を王の間へ案内する。

王の間には2人のビキニアーマーを装備した女戦士と大臣、そしてシャールが待っていた。

大臣の手にはエルバ達が求めているブルーオーブが握られている。

「ごめんなさい、わざわざ王の間まで来ていただきまして。私から赴いて…」

「ちょっと…待って…だま…され、ないで…!!」

「また…声??」

「今のははっきり聞こえたわ」

「この声…どこから!?」

王の間にいる面々全員が先ほどの声が聞こえたようで、エルバ達以外は声が聞こえた方向にいるエルバ達に目を向ける。

そして、先ほどから声が聞こえていたエルバとベロニカはようやくその声が聞こえた場所に気付くことができた。

エルバは袋の中にある禁書を手に取る。

「気を付けて、私が本物のシャール!!目の前にいる私は贋物よ!!」

「何!?」

その声は確かにシャールのもので、全員の視線が今度は玉座に座るシャールに向けられる。

「え…!?そんなわけないですよ。みなさん、騙されてはいけません。本の中の魔女が嘘をついているのです!」

「もしかして、声だけ変えてるとかはないわよね?いいかげんしつこいわよ。あたしたちが二度も騙されると思ってるの?封印されてるんだから、おとなしくしなさい!」

騙されて、聖獣であるムンババを倒すのを手伝ってしまったことを根に持っているのか、怒ったベロニカが本の中にいると思われるリーズレットらしき女性を拒絶する。

「違います!エッケハルトの呪文の詩経が途切れたことで、封印呪文が失敗したのです。お願いです、信じてください!!」

「旅のお方、封印は成功しました!魔女のウソに騙されてはいけません!私を信じてください!!」

2人のシャールが互いを本物、相手を贋物と主張し、対立する。

エルバは禁書と目の前のシャールの双方を見つつ、どちらが本物なのかを決めあぐねていた。

(俺は呪文のプロじゃない…。あの呪文が成功したのか失敗したのか、俺にはわからない…。だが、じいさんなら…)

「ふむう…呪文の詩経が途切れて呪文そのものが不完全に終わることはよくあり話じゃな。じゃが…それだけを証拠に特定するのは難しいのぉ…」

「お待ちなさい!どちらが本物か10年間シャール様の教育係を務めた、このエッケハルトが見破って見せましょう!」

エルバとシャールの間に割って入り、エッケハルトはじっと玉座のシャールを見る。

このような事態になったのは詩経の失敗した自分にも原因があると考えており、ならば自分の手で解決することでけじめをつけようとしていた。

「シャール様…どちらが本物のシャール様か確かめるための質問はたった1つ、とてもシンプルなものです。本物のシャール様でしたら、必ず答えを出していただけます。クレイモランに代々伝わる家宝とは何か、ただそれだけです!亡くなられた父上の教えを受けたのなら、必ずやわかるはずです!!」

「家宝…それは、今そばにあるブルーオーブです」

玉座のシャールは即答するかのように答え、自らが本物だということをこれで証明できたと思ったのか、先ほどまでの張りつめた表情が和らぐ。

エッケハルトはわずかに目を開いた後で、静かに首を縦に振り、今度は禁書の中にいるシャールに視線を向ける。

本の中にいるシャールは沈黙し、同時に玉座もまた静寂に包まれていく。

答えられないのかと思い、玉座のシャールが薄ら笑みを見せたが、その余裕はわずかの時間でしかない。

「厳しき冬に耐え抜き、勤勉に働くクレイモランの民。それこそがこの国の宝。お父様がいつも言っていたことです」

幼いころから、シャールな何度も父からそのことを教えられた。

病に倒れ、死の床についてシャールに王座を譲ったときも同じことを言っていた。

彼らこそが人が暮らし続けるには過酷なクレイモランに実りをもたらし、国として機能させてくれている。

それをより強く知ったのは女王になってからだ。

周囲の側近や兵士、そして民。

全員が等しく国の宝。

本当の意味でそれを知ったからこそ、それを胸を張って言える。

「そう!!それこそがクレイモランに伝わる王族の教え。すべてが明らかとなりました!禁書の中のシャール様こそが本物!!」

「ふぅ…どうやら、完全に私の負けのようね」

玉座から立ち上がったシャールは笑みを浮かべ、指を鳴らす。

すると、禁書が淡く光りはじめ、その中から本物のシャールが出てくる。

「貴様…よくも!!」

ライコフを中心に兵士たちが玉座の前のシャールを取り囲む。

そして、彼女は観念したかのようにその姿をもとのリーズレットのものへと戻した。

「やけに諦めがいいな…」

「仕方ないでしょう?ギリギリ残った魔力を使ってどうにかこの細工をしたけど、それもばれてしまった以上は仕方ないでしょう?それに…このマホトーンが解けるまではまだまだ時間がかかるわ。さあ、煮るなり焼くなりすきにするといいわ」

首にかけている首飾りについている赤い宝石が輝きを失う。

おそらく彼女はその中の魔力を使ってモシャスを発動していたのだろう。

「お姉さま、彼女の言っていることに嘘はありません。魔力の動きが感じられません」

「マホトーンは確かに効いてる…ま、渾身の力を込めたものよ、簡単に解けてもらっては困るわね」

刃を向けられるリーズレットは抵抗する様子を見せず、これからの自分に何が起こるのかを想像していた。

魔力を封じられたとはいえ、死ねない状態に変化が出たというわけではない。

おそらく、再びあの禁書の中に封印されることになり、また別の場所に封印されることになる。

ほんの数週間出ただけだが、それだけでここがかつて自分が生きていた時代とは全く違う、まるで別世界のような場所だということを感じてしまった。

自分が知っている人はもう誰もおらず、知っている建物の大半は消えてしまった。

(自由も、もうおしまいね…)

「…待ってください!!」

「え…?」

「ひ、姫様!?何を!!」

リーズレットと兵士たちの間に割って入り、かばうように両腕を広げるシャールに兵士やエッケハルトだけでなく、リーズレット本人もあり得ないと驚きを見せる。

「姫様!!お下がりください!魔力を封じられているとはいえ、彼女は氷の魔女です!あなたの御身に何かが起こっては…!!」

「心配いりませんよ、ライコフ…。聞いてください。クレイモランを氷漬けにした所業は決して許されることではありません。彼女の行いにより、聖獣も討たれてしまった…。ですが、彼女は私が封じられている間、女王の重責に押しつぶされそうな私の相談に乗り、悩みを聞いてくれたのです。そして、彼女は確かに人々を氷漬けにしましたが、聖獣以外に彼女の手で命を失った人は一人もいないのです」

シャールの言う通り、氷漬けになった人々の中で死者は出ていない。

強いて言えば、それが出たのは聖獣の暴走で出たもので、その暴走については彼女は関与していない。

「そして、彼女はただ自由を求めていただけです。かつて罪を犯したことは知っています。ですが、長すぎる封印で、もう十分罰を受けたはずです」

「ですが…魔女はただ魔力を封じられただけ!時が過ぎれば再び…。それに、何も罰を与えないのであれば」

「彼女にはもてる魔力のすべてをクレイモランの民の平和と幸福のためにささげてもらいます。それを…彼女への今回の罪への罰とします!ですから、どうか…」

「シャール…あんた…」

魔女となってからのリーズレットは恐れられ、迫害されるばかりで対等に向き合ってくれる人は誰もいなかった。

封印が解かれて、再びクレイモランに現れてもそれは変わらず、孤独なままだとばかり思っていた。

しかし、唯一の例外が今、自分をかばってくれているシャールだ。

彼女は人々が氷漬けにされるのを見ながらも、本当は怖いと思っているだろうにもかかわらず、気丈な態度を見せていた。

それは禁書の中に封印されていたときも変わらず、そのことが気になってしまい、時折古代図書館に忍び込んでその中に封印されていたシャールと戯れに会話をした。

相談を聞いてくれた、とシャールは言っていたが、リーズレットにとっては気になったという理由だけで、別に大した答えを出した覚えもない。

しかし、相談できる相手のいないシャールにとって、それは大きな助けとなり、それが本来なら敵味方となるはずの2人を奇妙な形で結び付けていた。

そういう事情を知らない兵士たちは困惑し、それぞれが相手の顔を見る。

シャールが一度言ったら折れないことは幼少期から教育係を務めるエッケハルトが一番よく知っている。

だが、シャールの言葉だけでは兵士たち、そして国民を納得させるのは難しい。

そんな中、ライコフが槍を手放し、主から離れた槍はカタリと床に落ちる。

「ライコフ…??」

「シャール様はクレイモランの王。その命令に従うのが臣下の役目と存じております。それぞれに何か思うことがあるやもしれません。しかし…私はシャール様に従います。しかし…!仮にその魔女がシャール様の信頼を裏切るようなことがあったとしたなら…その時は、私が真っ先にその魔女に剣を向けます!」

「ライコフ…」

「こいつまで…まったく、わけがわからないわ…」

「…うむ。ライコフの言う通りじゃ。じゃが、まだその魔女を信頼してよいのか分からん。だからこそ、これから今回のことについて、すべて話してもらう。シャール様も、それでよろしいですな」

ライコフとエッケハルトの言葉により、臣下たちは沈黙し、黙認に近い形ではあるがシャールの訴えが認められた。

そのことにシャールは目の涙を浮かべて喜び、リーズレットはあまりの甘い対応にため息をつくものの、その心中には穏やかな敗北感が宿っていた。

「では…まず聞くが、クレイモランを氷漬けにした理由を聞かせてもらおうかのう」

「それは…私を助けてくれた方に頼まれたからよ。黒いローブを着ていて、少ししか見えなかったけれど、とても美しい顔をしていたわ。そして、とんでもない魔力を感じたわ」

古代図書館の奥深くで、禁書と共に封印されていたリーズレットにとって、それはあまりにも突然の出来事だった。

3か月前、その男は魔物たちの住みかとなっていたそこへたった1人で入って来た。

禁書の中からも、近づいてくる彼の魔力がひしひしと感じられ、彼なら自分を解放できるのではないかと思った。

その願いが叶い、彼の呪文によってリーズレットは外に出ることができた。

そして、解放されたばかりのリーズレットにある依頼をしてきた。

(お前に頼みがある。それにこたえてくれるなら、あとは好きに生きるがいい。遠い時を生きる魔女、リーズレットよ…)

穏やかにしゃべる顔立ちの良い彼に、解放してくれたことも手伝って一撃で落ちた。

だが、同時に何かその魔力の中に危ういものを感じられた。

(お前がクレイモランを氷漬けにすれば、グレイグという男がやってくる。この首飾りを付けた、黒い鎧を着た男だ。奴を殺せ。その後は自由にすればいい)

「で、私はあのグレイグという男を利用して聖獣を始末させたわ。おそらくだけど、聖獣が暴走したのは…おそらく彼が何か細工をした可能性があるわ」

「グレイグと同じペンダントをつけた男…?」

グレイグがつけているペンダントについてはかつて正気だったデルカダール王から聞いている。

それは幼少期のグレイグとホメロスに目をかけていた彼が生まれたばかりのマルティナを紹介した際に2人に譲ったもので、王国の未来を守る若者となれという願いが込められていた。

そのため、グレイグ以外にそれを持っている可能性がある人物は一人しかいない。

「まさかとは思うが…その男はホメロスと名乗っておったか?」

「さあ?名前までは教えてくれなかったわ。そのことを話すとすぐに消えてしまったから…怖いけれど、いい男だったわね」

「そうか…」

唯一の手掛かりはそのペンダント。

だが、ペンダントそのものは贋物を作ろうと思えばいくらでも作れるもので、その贋物を持つ人物の犯行の可能性もないとは言えない。

それに、犯人がホメロスだとしても、それだけでは証拠が足りない。

(もし奴が犯人だとするなら…)

鉱山で戦ったバトルレックスや城下町に運ばれたときに突然蘇ったデスコピオン、そして海で戦ったクラーゴン。

いずれもムンババと同じ魔法陣が額に刻まれ、それによって活性化した力でエルバ達を追い詰めていた。

どこでその禁呪法を覚えたのかは定かではないが、それを操ることのできる魔力の持ち主はホメロスであっても不思議ではない。

「旅のお方、そしてロウ様。この度は本当にありがとうございました。これで、クレイモランは救われました」

「うむ…まだ完全に真実が明らかとなったわけではないが、これでクレイモランが脅かされることはないじゃろう。それで…シャール殿に相談なのじゃが、今儂らは故あってオーブを各地で集めておる。クレイモラン王家に伝わるブルーオーブをしばし、貸してもらえないかのう?すべてが終わったときに、必ずお返しする」

「国の宝たる国民を救ってくれた恩人の頼みでしたら…」

快く承諾するとともに、ブルーオーブを持つ臣下の男がロウの前まで歩いていき、彼にそれを差し出した。

(これで…すべてのオーブが…)

デルカダールの国宝であるレッドオーブ、失われしバンデルフォン王国に今なお眠っていたパープルオーブ、ロウとマルティナの出会いのきっかけを虹色の枝と共に作ってくれたイエローオーブ、ムウレアでセレンから託されたグリーンオーブ、メダル女学院に伝わるシルバーオーブ、そして今のブルーオーブ。

これで、エルバ達はすべてのオーブをそろえることができた。

「あんたが持ってるその杖…私の…」

オーブにエルバ達が注意を向けているで、リーズレットはベロニカが持っている自分の杖のことに気付く。

「ああ、この杖?あんたが封印されたままなら、このままあたしのものにしようって思ってたけど…」

「なら、いいわ。この氷魔の杖、あげるわ。今の私には不要の物よ」

「不要の物…?まぁ…もらえるならありがたくもらうだけだけど…」

杖を手にし、その力を間近で感じたベロニカにとって、それをあっさりと手放すと決めたリーズレットの発言は予想外だった。

解けない氷でできた魔石に魔力が込められており、特にヒャドを中心として呪文の力を一気に高めてくれる。

これを装備してなら、より安定したトベルーラも可能になる。

だが、譲ってもらえるのなら、杖を失った以上はありがたくもらうだけだ。

「皆様、本当にありがとうございました。これからの道中もお気をつけて。私も、私なりに女王の重責を背負いきってみせますから」

 

城を出たエルバ達は湊へ向かい、まっすぐ進んでいく。

街の人々は自分たちに何が起こったのかいまだによくわかっていたい人々が多く、エルバ達に感謝する動きは見えないが、近くにグレイグ達がいるかもしれない現状ではむしろ好都合だった。

「6つのオーブを集めて、六芒星の祭壇に捧げる…」

「お姉さま、ついに…」

「ええ…時が来たわね。エルバをラムダの里へ、命の大樹の元へ導くのは…。しかも、今あたし達はその近くに来ている…。もしかしたら、何かの導きなのかもね」

聖地ラムダはクレイモランの東にあるゼーランダ山を登った先にある。

シルビア号から馬を受け取り、そのまま向かうことになる。

気がかりなのはグレイグ達の動きだったが、兵士たちの会話を盗み聞きしたところ、今は目立った動きを見せておらず、兵士たちは船の警備をしているだけの状態だ。

まだクレイモランにいるエルバ達を追跡する気配もなく、奇妙な静寂を見せている。

「気にかかるが、動きを見せていないならば、さっさと聖地ラムダへ向かうとしよう」

「にしても、カミュはどうしたのよ!?カミュは!!いつの間にかいなくなって!!どういうつ…」

「俺が、どうかしたのかよ?」

港に到着すると、桟橋に座っているカミュの姿を見つけ、ベロニカの言葉が止まる。

「カミュちゃん…どうしたのよ?黙っていなくなっちゃって、心配したわ」

「俺のことはどうでもいいだろう?それより、これで全部のオーブがそろったな」

「そうよ!それができたのは魔女の正体を暴いたあたしのおかげなんだから、感謝しなさいよ!!」

「そうだな…」

「だが、気になることはある。魔女をそそのかしたのは何者かはいまだにわからぬまま。嫌な予感がしてのぉ…」

「ここで考えても答えは出ないだろう?爺さん。なら、さっさとラムダの里へ行って、命の大樹へ向かう。それですべてが分かるだろう」

「そうじゃな…」

その人物がウルノーガに何らかの関係性があるなら、そこですべて明らかになる。

エルバの発言も一理あると考え、考えるのをいったん後回しにすることにした。

中央の桟橋にシルビア号が近づいてくる。

馬を降ろした後、シルビア号はここで水と食料を調達した後で近くの島に隠れることになる。

ロウはエルバ達の前へと歩き出し、空を見上げる。

吹雪が収まったことで青々とした空が広がるのが見え、命の大樹も見える。

ロウはそれに指を出した。

「エルバよ!わしらの旅はまだまだ続く!ゆくぞ、命の大樹へ!!」

一度は命の大樹を見上げたエルバ達だが、その視線へロウへと向かい、そしてその足元へと向けられる。

そこには金髪のバニーガールが大きく描かれたピンク色の表紙をした薄い本が落ちていた。

視線に気づいたロウは恐る恐る足元へと視線を戻し、そこにあるその本を見た瞬間、慌てて覆いかぶさるようにそれを隠す。

「わわ!!見てはいかん!!」

「ピチピチ★バニー…?」

「あっ!ロウ様!小屋で時々エッケハルト様と熱心に読まれてましたが、これだったのですね!?」

小屋にいた時、ロウ達はカミュ達が寝静まる中でこの本を読んでいたのを水を取りに来たセーニャが見たことがある。

寝ぼけていて、どんな本なのかはいまいちわからなかったが、いまようやくその謎が解けた。

だが、こういう類の本を知らず、古代図書館から持ってきたこともあって、古文書の一つだと解釈していた。

「ロウ様…旅先でそういうものを集める癖…まだ治ってなかったのですか…?」

以前、貴重な路銀を使って何冊もそういうムフフ本を集めたロウを鉄拳制裁したことがあったのを思い出したマルティナはあきれ果てる。

これでその癖が収まったと思いきや、あろうことか古代図書館で再発するとは思わず、もはや治しようがない悲しい性と認識を改めるしかない。

「不潔よ!ロウちゃん!!」

「あーあ、おじいちゃん。かっこよく決めたのに、台無しじゃない」

「はぁ…行くぞ。さっさと馬を引っ張ってこようぜ」

カミュに先導され、エルバ達はロウを素通りしてシルビア号へ向かう。

このままでは最年長者としての尊厳のなにもかもが終わってしまう。

「ま、待ってくれ!!違うのじゃ、これは…これはユグノア復興のための資金集めに使うつもりで…!!すべてのムフフ本のオリジナルになった本で、それがあれば…待つのじゃ、これはぁぁぁぁ!!!!」

ムフフ本を懐に戻したロウは釈明しながらエルバ達の元へ走っていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第55話 聖者の里 聖地ラムダ

シズケビア雪原を東に抜けた山道をエルバと彼を乗せたフランベルグを先頭に7人がそれぞれの馬に乗って進んでいく。

白一色だった雪原からとってかわるように広がる青々とした緑と生態系豊かな動物や魔物たちに、雪に疲れたエルバ達をいやす。

「懐かしいですわ…旅立った時は2人きりでしたから…」

「山道を降りて、雪原を抜けて、船に乗って内海へ行ったわよね」

シズケビア雪原やクレイモランへは大人たちに連れられて2,3回足を運んだ程度で、2人きりで進むとなると聖地ラムダ以上の低温に苦しめられたのを今も覚えている。

だが、勇者を導く役目を果たすという使命感が突き動かしてくれて、今はその使命を果たすべく、故郷へ戻っている。

しかも、それはエルバとセーニャ、ベロニカの3人だけではなく、カミュなどの頼れる仲間たちと共に。

そして、その手には世界各地で集めた6つのオーブがあり、それがあれば命の大樹にたどり着くことができる。

「それにしても、あのクレイモランに近くて、標高はこっちが高いのに、こんなに自然豊かなのはびっくりだわ」

「聖地ラムダは…というより、ゼーランダ山は一番命の大樹に近いのです。命の大樹からの恵みを最も受けることができていることも大きいのでしょう」

「だとしたら、すごいのね。命の大樹って」

「命の大樹…か…」

一歩一歩前進する度に胸の高鳴りを感じ、同時に痣がうずくのを覚える。

かつての自分を含めたすべての命の源である命の大樹に近づいているからなのか。

それとも、そこで知ることになる真実に恐れを覚えているのか。

エルバはエマのお守りを握り、目を閉じる。

(エマ…もうすぐだ。俺がみんなが言う通りの世界を救う存在なのか、それとも世界を滅ぼす悪魔なのか…それが分かる。きっと…)

たった一人でイシの村を出てからのことを思い出す。

村を失い、帰る場所をなくしたことで悲しみと憎しみを宿して旅立つことを余儀なくされた。

だが、そんな旅の中でも得たものがある。

脱獄してからの仲間であるカミュとホムラの里で自分を導く存在として現れたベロニカとセーニャ、世界中を笑顔にすることを夢見るシルビア、生まれたばかりの自分を守ってくれたマルティナと祖父のロウ。

彼らがいたから、今エルバはここにいる。

もしたった1人で旅を続けていたなら、途中で力尽きていたかもしれない。

(これが終わりなのかはわからない。最も、終わった後で何をするかなんて、何も決めてはいないがな…)

「エルバ様、見えてきました。あちらです」

人の手で作られた石階段が見えて来て、馬から降りたエルバ達はそれを上っていく。

途中、白をベースとしたトーガのような服装をした人々と通り過ぎ、人々はエルバ達を見た瞬間、ざわざわし始めた。

「ついに、この日が…」

「長老様がおっしゃられていたことが現実に…?」

「ベロニカとセーニャも一緒だ。やはり、あのお方が」

「勇者様…??」

デルカダールの兵士たちが見せる敵意に満ちた視線でも、ただの旅人を見るだけの人々の無関心と好奇心の入り混じったものでもなく、純粋に勇者エルバへの畏敬に満ちたそれはエルバにとっては慣れないもので、こんな視線をされたのはソルティコのユグドラシル本部以来だ。

その慣れない視線の嵐に耐えながら登っていく。

登っていくと、円盤状の大きな広場に差し掛かり、その中央にある燭台の前で紫のトーガと帽子姿で、ロウと同じくらいの背丈の老人が上空に浮かぶ命の大樹を見ながら祈りを捧げていた。

その後ろには夫婦が立っていて、女性の腕の中には生まれたばかりの男の赤ん坊が愛おし気に抱かれていた。

「世界中の命を束ね、見守りし命の大樹よ。今日、このラムダの地にまた一つ新しい命が生まれました。かつて、古き葉として散った命は巡り、命の大樹の元へと還り…新たな葉として芽生え、また違う一生を歩んでいくでしょう」

死した命は命の大樹へ戻るとき、ロトゼタシアで生を全うしたことへの感謝として、その生涯の中で得た力や知識を命の大樹へと託す。

そして、そのエネルギーは新たな葉として再び生まれ変わるために、もしくは新しい命を生み出すために使われる。

今、この夫婦が産んだ子供も、どこかで何らかの理由で還った命が新しい葉となり、命となって再びロトゼタシアへ帰って来たともいえる。

すべてはより良き生を歩むために、世界を循環させるために。

長らく子宝に恵まれなかった彼らにとって、その命を担わせてくれたことは光栄であり、その役目を与えてくれたことへの感謝なのか、2人ともその嬉しさで涙を流していた。

「我らの命、命の大樹よ…聖地ラムダの稚い若葉にどうか、祝福を与えたまえ…」

祈りを終えた長老は広場に戻って来た従者の少年から受け取ったかしの杖を手にする。

そして、何かを感じたのか、後ろを振り返る。

白く濁った瞳でその光景を見ると、そこには長らく戻ることのなかった2人の命の波動が見えた。

そして、その後ろには待ち続けていた勇者と彼を守り、共に来てくれた仲間たちもいる。

「おお、双賢の姉妹…ベロニカとセーニャではないか…。よくぞ、戻ってきたのぉ。夢のお告げで、今日戻ってくると感じたのじゃが、勇者と共に本当に戻ってくるとは…」

「長老様、お久しぶりですわ。皆様、お変わりがないようで何よりです」

ラムダを出てから年単位で経過しているが、変化のない景色と長老の元気な姿を見ることができたことにセーニャは安心していた。

旅立つ前年に病に倒れ、視力も衰えた長老と再びまた会えたこと、そして元気な姿でいてくれたことがうれしかった。

「ベロニカ…いろいろあったようじゃな。じゃが、よくぞ使命を果たしてくれた…」

「当然よ。あたしたちは双賢の姉妹よ。さあ、エルバ!ちゃんと長老様にあいさつして!」

「おお、勇者様が…」

「勇者様が参られる日に私たちの子供が…なんて目出度い日なんだ!」

「勇者様!よくぞラムダの里へ!!」

ベロニカの声が聞こえたのか、家から人々が出て来て、広場に次々と集まってくる。

そして、視線はすべてエルバに向けられ、歓迎ムードに包まれていく。

「おお…勇者様。ようこそ、ラムダの里へ…?」

「俺が勇者だということが分かるのか…?」

「ええ。この通り、ろくに目が見えませぬが、その代わりにより多くの物が見えるようになりました。ですので、あなた様が勇者様だということもすぐにわかったのです。私はファナード。長らく、待ち続けた甲斐がございました」

「長老様…私たち、勇者様と世界中を旅をして、ついに突き止めたのです。勇者様の命を狙う邪悪なるものの存在を…」

エルバ達はここまでの道のりを説明し始める。

村人たちもその話を聞いており、特に勇者が悪魔の子としてデルカダール王国に命を狙われていると聞いた時は驚きと同時に動揺を見せた。

デルカダール王国の中にウルノーガが入り込み、そうなるように仕向けていると聞いたファナードは先ほどまでの穏やかな表情から一変させ、険しい表情を見せた。

「ふむ…闇の存在は想像以上に根深く隠れているのじゃな…」

「はい、そして虹色の枝の導きの元、私たちは6つのオーブを集めました。そして、始祖の森にある祭壇に捧げ、勇者様を命の大樹へお連れいたします」

「おお…私はかつて、ベロニカとセーニャが勇者様と共に命の大樹を目指す夢を見ました。時折、夢で大樹から神託を受けることがあるのです。それに従い、2人を旅立たせたのですが…」

「なら、話は簡単です。この先の始祖の森を抜け、命の大樹へ向かう。そこで…真実を突き止める」

あと一歩で手が届くところまで来た。

それまでの旅のこと、そして今は亡きイシの村のことを思い出す。

(エマの…みんなの犠牲と共にここまで来た。どうか…失望させないでくれ。命の大樹よ…)

 

「おお、ベロニカ!!セーニャ!!私の天使たちよ、よく戻ってきてくれたぁ!!」

ベロニカとセーニャに案内され、広場の北側にある2階建てで、出入り口のドアに杖の飾りがかけられた家に行き、真っ先に起こったのはその家主であろう茶色い薄毛をした小太り気味の男性がベロニカを抱き上げる光景だった。

小さくなったことを知らないはずなのだが、親子なのか、フィーリングで分かるという物だろう。

「2人とも、よく無事に帰ってきてくれたわね…」

「お父様、お母様、心配をおかけして申し訳ありません」

「いいんだ。2人とも無事に帰ってきてくれたこと、それが何よりもうれしい!!」

(これが…両親…)

ベロニカを抱きしめる父親とセーニャの無事を涙して喜ぶ母親を見たマルティナはその姿と優しかったころのデルカダール王と過ごす自分と重ねてみていた。

今ではウルノーガのせいでエルバの命を狙い、自分を死んだものとしている暴君と化しているが、それでも幼いころの思い出の中にいる彼の姿に変化はない。

その情景があったからこそ、マルティナは今でもこれが彼の本心ではないと信じている。

だが、2人を見ていると、16年前に引き裂かれた自分と比較してつい嫉妬してしまう。

(一緒に積み重ねた時間の差…なのかしら…)

この16年間の時間はロウが父親代わりをしてくれたのは良かった。

彼がいたから今の自分がいるため、そのことは感謝している。

しかし、本当の両親と過ごす時間もまた大切だ。

一緒のテントで休んだいたときに聞いた話だが、ベロニカとセーニャの両親は本当の両親ではなく、森の中になぜか捨てられていた自分たちを育ててくれた養父母だという。

なぜそこに捨てられていたのかはいまだに分かっておらず、攻撃呪文に秀でたベロニカと回復呪文に秀でたセーニャの2人はそれぞれがかつて勇者と共に旅をした賢者であり、彼の恋人でもあったセニカの力を受け継いでいること、そしてファナードがその日に見た神託から、2人は彼女の生まれ変わりではないかと推測されている。

だが、今の2人を見ると自分たちを育ててくれた両親を2人とも心から愛しており、両親もまたベロニカとセーニャを我が子同然に愛していた。

「いいもんだな。親子ってのは…。正直うらやましいぜ」

「ええ…そうね…」

「ん?どうかしたのかよ?おっさん。なんか思うところでもあるのか?」

「いいえ、なんでもないわ。それよりも、せっかくベロニカちゃんとセーニャちゃんがご両親と再会できたことなんだし、今日はもうここで休んでいかない?そして、明日命の大樹に行く、ということで!だって、今日クタクタだし」

のどかな野山とはいえ、ゼーランダ山が世界で一番高い山であることに変わりなく、長い登山でエルバ達は想像以上に疲れている。

その状態で始祖の森を抜け、祭壇へ向かい、命の大樹に向かうよりはしっかりと休みを取って、体力を回復させてからの方がいい。

それに、ベロニカとセーニャが両親と過ごす時間の確保も考えたい。

「そうだな…今日はここで休もう」

「でしたら、東隣にある宿をご利用ください。勇者様が参ったのです。温かく迎えてくださるでしょう」

「なら…お言葉に甘えます」

 

「…と思ったが、どうして静かに休めないんだ…?」

その日の夜、広場では村人たちが楽器を手にして音楽を奏で、女性たちが手塩にかけて作った料理をほかの村人や席に座るエルバ達にふるまう。

エルバ達が一日宿泊するという話を宿の店主から聞いたのか、村人たちは祝いの席を用意してくれていた。

精進料理がメインではあるものの、旅人にもてなすことも考慮されており、大根で作った揚げ団子や色鮮やかな野菜で作った煮物など、色合いが豊かなものや一見すると肉や魚料理に見えるようなものまでが用意されている。

本当は宿屋で眠っていたいと思っていたエルバだが、用意された以上はもてなしを受けないと失礼になると思い、こうして広場にある特等席に座って料理を口にしている。

「さあさあ、勇者様。こちらが…本日のメインディッシュです」

「うん…?」

机の上に野菜や肉に見えるように調理された大豆のペーストを入れて作ったシチューが置かれる。

精進料理である都合上、牛乳ではなく豆乳がルーとして使われている。

「どうして、シチューが…?」

「勇者様がお好きな料理とお聞きし、作りました。ぜひ召し上がってください」

恰幅の良い女性に薦められたエルバはそのシチューを口に含む。

普通のシチューと比較するとよりまろやかでクリーミーな食感が口の中で広がる。

牛乳とは違う趣が感じられ、おいしく感じたエルバの口元が緩む。

「気に入っていただけて何よりです」

黙々と食べ続けるエルバを満足げに見つめた女性はお代わりを作りに戻っていった。

 

「さーあ、みなさん!これから楽しいショーの始まりよ!そーれ!!」

広場の南側にある道具屋の前では、シルビアがショーを始めていた。

トランプを1枚手にし、指を鳴らすと同時にそれが10枚に増え、もう1度指を鳴らすと今度はお手玉へと変化する。

そして、一度それを空中へ投げると2個に分裂し、皿に投げると4つへと倍々に増えていき、最終的には16個のお手玉でジャグリングを始める。

トランプ1枚から始まる連続したマジックに観客となっている村人たちが歓声と拍手を送る。

「すげえ…こんなの見たことないぞ…??」

「ねえねえ、どうやったらそんなことができるの?教えて!!」

「いいなぁ…山を降りたらこういうのもやってるんだぁ…」

聖地ラムダではその地域柄、娯楽が少ないようで、外からの情報もなかなか手に入れるのが難しいことからシルビアの名前を知っている人はいなかった。

だが、それはむしろここでショーを見せて彼らに知ってもらういいチャンスでもあった。

「うふふ、来た甲斐があったわ!さあ、まだまだやるわよー!」

投げている玉の一つにフッと息を吹きかけると、今度はすべての玉が花びらとなって宙を舞った。

 

「ふうう…これほど、落ち着くことができたのは久しぶりじゃなぁ…」

「あの…大丈夫ですか?もうやめられた方が…」

「別に良いじゃろう!もっと酒をくれんか。今のこの気楽な時間を大事にしたいんじゃよー!」

子供のように駄々をこねるロウにため息をついた女性が仕方なくおかわりのビールをロウにふるまう。

今の段階でロウが飲んだビールは12杯で、これだけ飲んでいることに周囲で酒を飲んでいた若者たちが驚きを見せる。

16年にわたる旅の間、身を隠したりしなければならなかった都合上、こういう気楽にくつろぐことのできる場所ではすっかりタガが外れてしまっていた。

メンバー最年長のプレッシャーから一時的に開放されているおかげともいえるかもしれない。

「おお、勇者様のおじいさまですな。お元気なようで」

「これは…長老様!!」

ファナードがやってきたのを見て、ロウ以外の周囲の人々が酔っているのも忘れて立ち上がる。

そんな彼らに気にしないで、そのまま楽しんでと言うかのように笑みを浮かべた後で、顔を赤くしているロウの隣に座る。

「いつものを頼めぬか?」

「はい、こちらです」

すぐに酒の入った瓶を用意した女性はそれとタルのコップをテーブルに置く。

瓶には一定間隔で線が引かれており、女性はコップにその線を越えないように注意深く酒を注いだ。

「長老殿も、飲まれるのですかな?」

「長老だからといって、飲んではならないというルールはありますまい。昔はラムダ一の酒豪と呼ばれておりましたがなぁ…」

若いころから酒を好んで飲んでおり、そのおかげで二日酔いの状態で修行に参加した際に師匠から雷を落とされたことが今でも懐かしい。

それでも、毎日樽が空くくらい酒を飲んでいて、その時はとても楽しかったが、やはり酒は適度に付き合わなければならず、年齢にもあわせなければならない。

病に倒れてからは医者に飲酒制限をかけられており、今はこうして制限された量の範囲内で酒を楽しむことにしている。

その代わり、酒のつまみとなる枝豆はいつもより多く食べるようになった。

「…随分と、ご苦労があったようですな」

「それはもう…孫が、エルバが生きていたこと、それだけでも救いです。長老殿はいかがですかな?ご家族は…」

「家族はおりません。この責務に集中した結果です」

長老としての責務を果たし、聖地ラムダを守り続けた自分の人生をファナードは後悔していない。

家族はできなかったが、その代わりにここの村人が自分にとっての家族であり、守るべき存在だ。

「失礼しましたな。それにしても、お互いに気苦労が絶えませぬなぁ…」

「それはそうです。若い者を指導する立場になってから、ようやく死んだ師匠の気持ちが分かってきた気がして…」

お互いに酒を飲むのを忘れ、同年代で似た立場の者同士でのトークに花を咲かせ始める。

この周囲にいる若者の中にはそのファナードの指導を受けている若者も数人含まれており、若干居心地の悪さを感じながらチビチビと酒を飲んでいた。

 

「どこもかしこもうるさいぜ…ここくらいだな」

宴の賑わいから逃れてきたカミュは里の北西にある小さな森の中で、座りやすそうな木の根っこに腰掛けたカミュはクレイモランの時と同じように酒を口にする。

クレイモランに来てから飲む量が増えており、ものの数秒で今持っている水筒の半分を飲んでしまった。

酒なら、戻ればいくらでもふるまってくれるが、今はここで静かに飲みたいという気持ちが強い。

だが、1分足らずで飲み終えてしまうとほかにやることもなく、手持無沙汰となって仕方なくナイフを研ぎ始める。

「カミュ様…こちらにいらっしゃったのですか?」

「その声、セーニャか…?」

「はい…」

静かでおとなしい足音が近づいてきて、それだけでセーニャのものだとわかったカミュは特に反応を見せずにナイフを研ぎ続ける。

「なんだよ?俺を呼び戻しに来たのか?」

「いえ…ただ、私もここへ来たくなって…。ここ、ラムダの里にいたころによくお姉様と遊んでいた、秘密の場所なんです」

「秘密の場所…悪いな、俺なんかがここに来ちまって」

そうなると、ここにいるのはまずいと思い、立ち去ろうと思って立ち上がる。

しかし、セーニャは特にいやそうな表情を見せておらず、里に向かって振り返ったカミュの前に立つ。

「いえ…構わないですよ。秘密の場所と言っても、そんなに大したものではありませんから」

「…まぁ、お前が言うんならな」

だが、もしここでセーニャと2人きりでいたなんてことをベロニカに知られたら、妹に手を出した、秘密の場所に勝手に入ったなどと言ってややこしいことになる。

そうなる未来を予期しながらも、カミュは再び座ってナイフを研ぎ始めた。

「実は…ここで私たちはお父様とお母様に拾われたのです」

突然のセーニャの言葉を耳にし、カミュはナイフを研ぐ手を止める。

そして、カミュの目の前に立っている大木に歩いていき、その表面に触れる。

「なぜ私たちがここで捨てられていたのかはわかりません。ですが…長老様はいつもおっしゃっていました。私たちは大きな役目を担って、命の大樹の祝福の元、生まれてきたのだと…。最初は信じられませんでしたが、長老様の元で呪文を学んで、習得していく中で、他の人と違うことを感じ始めたのです」

そのためか、同じラムダに住む少年少女たちからは姉共々浮いた存在となり、どこか敬遠されることがあった。

そうしたところを敏感に感じ、遠慮するようになって今のセーニャができたと言っていい。

だから、旅の中で仲間が増えていく、身近な人が増えていくことはセーニャにとってもうれしいことだった。

「最初はどうして、自分たちが捨てられなければならなかったのかと思ったことがあります。今でも、時折思っています。けれど…お父様やお母様、エルバ様達と出会えたことを…本当に感謝しているんです」

「…盗賊の、俺でも…か?」

「そんなの、当たり前じゃないですか…」

「…俺も、似たようなものだ」

「え…?」

急に語り出したカミュに驚いたセーニャは視線を彼に向ける。

疲れが出たのか、寝そべった状態で話しているが、その視線は話し相手であるセーニャに向けられている。

「俺も、物心ついたころから本当の両親のことを知らねえ。捨てたのか、もしくは俺を残して死んじまったのか…」

「カミュ様…」

「俺も、お前らみたいにいい育ての親って奴に出会うことができたら、元盗賊なんて後ろ指さされる生業をせずに済んだかも…な…」

酒が回ったせいなのか、睡魔に襲われたカミュはうとうとしはじめ、そのまま瞳を閉じて寝息を立て始める。

空っぽの水筒が転がっているのが見え、そこから匂う酒臭さと登山の疲れを知っているセーニャは特に責めることなく、カミュの顔を見る。

いつもの真面目でやや硬い表情はなく、そこには無防備な彼の寝顔があった。

「男の人の寝顔…初めて見ましたけど、こんなに可愛いのですね…」

いつまでも見ていたいという思いから、セーニャはじっと彼の顔を見つめていたが、あんまり見ていると彼の邪魔になると思い、彼が座っていた木の根に腰掛ける。

そして、持ってきていた竪琴を奏で始めた。

小さいころに母から教えてもらった子守歌を静かに歌いながら。

(ゆっくり休んでください、カミュ様…。このささやかな時間だけでも…)

歌い続けていると、カミュの体がピクリと動き、邪魔だったのかと思ったセーニャは歌うのをやめた。

「…そのまま」

「え…?」

「そのまま、続けてくれ…」

 

宴で盛り上がる中、聖地ラムダのシンボルともいえる大聖堂は静寂に包まれていた。

松明の明かりだけが頼りのその屋内で、ベロニカは大広間に飾られているセニカ像に祈りを捧げていた。

「私たちの前世、セニカ様…。どうか、私たちを見守りください。これより、私たちは命の大樹へ向かいます…」

命の大樹へ勇者を導く、それがベロニカとセーニャの役目だが、それを終えたからと言って自分たちの戦いが終わるわけではない。

そこで真実をつかんだエルバと共にウルノーガを倒すことで、ようやく役目を終えることができる。

「そこで何が起こるのかは何もわかりません。しかし…たとえ、命をかけることになったとしても、必ず世界の希望たる勇者は守ります。そして、この決着は私たちの手でつけてみせます。ですから…どうか、最後まで手をお貸しにならないでください」

祈り終えたベロニカは立ち上がり、宴に戻ろうと大聖堂を出る。

だが、広場への下り階段の前でマルティナが立っていた。

「マルティナ…」

「珍しいわね。いつもセーニャと一緒にいるはずのベロニカが今回は1人でいるなんて」

「双子だからって、いつも一緒の場所にいるとは限らないものよ。あたしを迎えに来たの」

「そういうわけじゃないわ。少し、お酒を飲んだから休憩しているだけよ」

「意外ね、マルティナもお酒を飲むなんて」

「こういう日だけで、基本的には飲まないわよ」

初めて酒を飲んだ時はあまりにもまずくて吐き出してしまったことを今でも覚えている。

そして、その日の夜にロウから父親のことを教えてくれた。

彼は元々大酒飲みだったが、マルティナが生まれたことで父親としての自覚が生まれ、それからは貴族たちとの付き合いのパーティーの時以外は一切飲まなくなった。

マルティナの記憶の中でも、酒を飲んでいるデルカダール王の姿はない。

それを覚えているから、酒が普通に呑めるようになった今でも、基本的には酒を飲まないようにしている。

ただ、酒豪の血を受け継いでいるのか、一度飲み始めると樽が空っぽになるほど飲んでしまうことが多々ある。

「お祈りの言葉、聞いたわよ。命を懸けてでも勇者を守るって」

「当然よ。それがあたしの使命なんだから。それはマルティナだって同じじゃない」

勇者、母親のように慕っていた女性の子供。

守る理由が違えども、エルバが守るべき存在だという考えは同じ。

ユグノアでマルティナがグレイグから命がけでエルバを守ろうとしていたことは知っており、決意は同じだと思っている。

「そうね…。けど、エルバを守るためであっても、私は自分の命と引き換えにする道は選ばない。一緒に生き残る道を最後まで目指すわ」

「マルティナ…」

「だって、残された人はそのひとにどんなことをしても返すことができないから…」

幼いマルティナとエルバを命がけで守ったエレノアとアーウィン。

この世にいない2人にマルティナもエルバも何も恩返しすることができない。

できることとしたら、真実を突き止めることだけ。

その苦しみと悲しみは今でもマルティナの記憶の中に鮮明に残っている。

「そうね…覚えておくわ」

 

朝日が昇り、ざわざわと風が吹く。

暗がりだったゼーランダ山の森にも光が差し込む。

その森の先に、六芒星の祭壇が存在し、今エルバ達はその場にいる。

「命の大樹…ついにここまで来たわね」

「いや…。これはただの出発点だ。俺たちが目指すのはその先だ」

「…そうじゃの。さあ、オーブを捧げるとしよう」

エルバが祭壇の中央に立ち、6人がそれぞれ六芒星の先にある像に置いていく。

カミュがレッドオーブを、セーニャがシルバーオーブを、ベロニカがブルーオーブを、マルティナがイエローオーブを、ロウがパープルオーブを、シルビアがグリーンオーブを捧げ、その後でエルバの左右を挟むようにセーニャとベロニカが命の大樹に向かってひざまずき静かに祈り始める。

「母なる命の大樹よ」

「今、ここに導となる6つのオーブをささげました」

「どうか、我らに道を示したまえ」

「どうか、我らに命の答えを示したまえ」

「「虹の橋よ、導きたまえ」」

祈りの言葉を終えたと同時に、像にささげられていた6つのオーブが宙を舞い、祭壇に刻まれている六芒星と共に淡い光を発し始める。

そして、命の大樹が虹色の光を発したあとでその光でできた道が徐々に伸びていき、それが祭壇とつながっていく。

「虹の橋…」

「かつての勇者、ローシュ様もまた虹の橋を越えて命の大樹へ向かったという…ついに我らも同じ道にたどり着いたか」

「なら、行こうぜ。さっさと真実ってのを確かめようじゃねえか」

「…ああ」

立ち上がったエルバは迷うことなく虹の橋に足を踏み込む。

光でできたその橋は両足に確かに地面を踏んだ感触があり、なぜか足が軽くなったように感じられた。

続けてカミュ達も虹の橋に乗り、ゆっくりと歩いていく。

徐々にゼーランダ山から離れていき、その山以上の高度となったにもかかわらず、空気が薄くなった感じがなく、風も穏やかだ。

(あと少しだ…あと少しで、俺は…)

先に進むエルバがやや速足となっており、カミュ達と距離が離れていくが、今の彼はそれを気にかけることなく前へ、前へと進んでいった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第56話 命の大樹

虹の橋を越え、大樹の大きな枝を足場にしてエルバ達は進んでいく。

「おお…命の大樹の中を自分の足で歩くことになるとは…」

「この1枚1枚の葉が…ロトゼタシアで生まれて…死んで…また生まれる命…」

マルティナはまだ生えたばかりの幼葉に触れる。

すると、急に頭の中に複数の光景が一気にフラッシュバックし、思わずそれから手を放してしまう。

「今のは…!?」

「マルティナちゃん、どうしたの?すっごい汗かいてるじゃない」

「え…??」

シルビアの言葉にハッとしたマルティナは額に触れる。

手は汗でびっしょりと濡れており、髪も同じ状態だということが今になって自覚できた。

「あの葉に触れたら、急にいろんな景色が見えて…」

「おそらく、それはあの命が再び生まれる前に見たものだと思われます。長老様がおっしゃっていました。命の大樹の元、私たちの命は巡り続け、ロトゼタシアを支える力になると」

「それよりも、早く行こうぜ。こうしている間にも、俺たちの勇者様は先に行っちまう」

カミュ達を置いていくように、エルバは巨大な枝から枝へと足を移し、中へと進んでいく。

中に入っていくほど、エルバの痣がうずき、胸が熱くなる。

そのうずきも熱も、この先に目指すものがあることを示していると信じて疑わなかった。

(言葉には出ない…だが、わかる。この先に…この先に進めば…)

イシの村から命の大樹を見るたびに感じた熱を思い出す。

今思うとそれは命の大樹へ向かえという何かの啓示だったのかもしれない。

途中、幹から通路のように上へとつながる空洞を通っていくと、蔓と絡み合うようにのびた幹でできた部屋のような大きな空間に到達する。

緑色の光が柔らかくその空間を包んでおり、その中央には蔓で丸く覆い隠された何かがある。

その大きさは6メートル以上あり、そこからより強い熱を感じた。

「ここが一番奥か…」

数分遅れでエルバ達に追いついたカミュ達の視線がエルバが見ているその何かに向けられる。

痣が光りはじめ、エルバはそれに向けて左手を伸ばすと、包み隠していた蔓が待ちかねたと言わんばかりに足元の蔓の中へと消えていき、その場には淡い光に包まれた1本の剣が残された。

「きれいね…これが、きっと大樹の魂…とても大きい」

命の大樹に魂が存在するかは誰も知らず、きっとそれはここへ来たことのあるかつての勇者ローシュと、いまここにいる人間にしかわからないことだろう。

だが、直感が教えてくれる。

命の大樹の葉はここから生まれる、自分たちの命はここから生まれているのだと。

「ロトゼタシア全部の命が詰まってるんだ。これくらいでかくないと収まらないだろ」

「こうしてそばで見ていると、ちょっぴり怖いわね…。なんだか、吸い込まれてしまいそうで」

「そして、この剣は…」

大樹の魂に守られるようにその中に封印されている剣。

金と青をベースとした不死鳥をモチーフとした柄で、その中央には赤い魔石が埋め込まれている。

そして、刀身は傷一つなく、透き通った水色の輝きをその中で放ち続けている。

その剣を見たロウはそれが何かはすぐにわかった。

「これが…かつて勇者ローシュ様が手にした勇者の剣…。闇を払う力…」

「なら、ウルノーガを倒すためにも今必要だよな。さっさと持っていこうぜ」

カミュが大樹の魂の前まで歩いていき、剣を取ろうと手を伸ばす。

しかし、大樹の魂に触れた瞬間、激しい痛みがカミュの腕全体を襲い、おもわずのけぞってしまう。

「カミュ様!!」

「痛て…少しは加減しろよ…!」

「ふむぅ…勇者の剣がある…おそらくは勇者であるエルバでしか、この魂の中へ入ることができんようじゃ」

「そして、そうじゃないやつが入った瞬間、こうなるのね…」

ベロニカの視線がセーニャによって治療されているカミュの左腕に向けられる。

1秒も触れていないにもかかわらず、腕全体が大きくやけどしているようで、服もその部分がすっかり焦げ臭くなっていた。

もし、無理をしてでもそれを手にしようとしたら、きっとその不届き者は全身を焼かれていただろう。

それだけの封印の力が大樹の魂にあるからこそ、長い時間勇者の剣は守られ続けてきたに違いない。

そして、ローシュの生まれ変わりであるエルバに託す時が来た。

「さあ、エルバよ!勇者の剣を手にするのじゃ。そして、聞くのじゃ。求めていた真実を!おぬしなら…できる!」

「…ああ」

ゴクリと唾をのみ、エルバは大樹の魂へと歩を進めていく。

長い時間がかかったが、これで勇者の真実を知ることができる。

エルバは右手をエマのお守りにあて、目を閉じる。

(エマ…力を、貸してくれ…)

左手を伸ばし、一歩一歩前へ進んでいく。

痣の光に反応するかのように、大樹の魂の中にある勇者の剣も同じ色の光を放ち始めた。

「お姉さま、これは…」

「エルバを迎え入れているんだわ…!勇者の剣がエルバに答えてくれている!!」

(光…?勇者が放つのが光だけだと、だれが決めたんだ?)

急にエルバの脳裏にもう1人のエルバの声が聞こえてくる。

それを聞いた瞬間、足が止まってしまった。

「邪魔をするな…今、ここで答えないといけないことか?」

(フン!そんな甘い幻想を抱き続ける限り、人間は闇に勝つことなんてできねえ。その証拠がもうすぐ来る!!)

「なに!?」

背中から襲う冷たい殺気にエルバは思わず振り返る。

その時には闇のエネルギーがこもった球体がエルバにさく裂する。

ユグノアの鎧と兜のおかげで威力は軽減されているものの、それでもエルバに激痛を与え、倒れるには十分すぎた。

「エルバ…!」

「この呪文…ドルクマじゃ!誰が!!」

「私ですよ、ロウ先代ユグノア国王陛下」

恭しい低い声が響き、倒れるエルバと治療を行うセーニャ以外の視線がその声の方向に向けられる。

大樹の魂は危険を察知したかのように再び蔓でその姿を覆い隠した。

カミュ達の視線の先には薄い笑みを浮かべるホメロスの姿があった。

「てめえ、ホメロス!いつの間についてきやがった!!」

視認できたことで、ようやく盗賊であるカミュもホメロスの気配をしっかり感じることができた。

それまで一切気配を見せることなく、いつの間にかついてきた彼に一同騒然となる。

「簡単な話だ。姿を消す呪文を作り出したのさ。そうだな…さしずめレムオルとでも呼ぶべきか」

その証拠を見せるかのように、再びホメロスの姿が消えてしまう。

同時に気配まで消えてしまったことで、カミュでもどこにいるのか分からなくなった。

「姿も気配も消せる呪文…そんなものが!!」

「あるのさ。作ればな」

再び姿を見せたホメロスに向けてマルティナは大きく跳躍し、真空蹴りを彼の頭部に向けて放とうとする。

しかし、彼の目の前に発生した見えない障壁によって阻まれてしまった。

「今のは…!?」

何か嫌な予感を感じたマルティナが本能に従って後ろへ下がる。

彼の周囲には黒い魔力の霧が発生しており、彼の視線がマルティナに向けられる。

「これはこれはマルティナ姫、ご機嫌麗しゅう。しかし、姫であるあなたがこのようなはしたない真似をされては…今は亡き王妃様が悲しまれますな…。それに、あなたが何をなさろうとも…私には傷一つ付けることはできない」

ホメロスの左手には魔力の霧がこもった黒いオーブが握られていた。

口角を上げると同時にそれから黒い波動が発生し、それがカミュ達に襲い掛かる。

波動を受けたカミュ達は目立った外傷はないものの、それに何か仕掛けをされたのか、全員足に力が入らなくなり、その場にうずくまる。

「カミュ様!!お姉さま!!皆さま!!」

「なんだ…こいつは…??」

「これで貴様らの力も魔力も封じた…。これでもう、戦えまい」

「く…ホメロス…!!」

回復がまだ済んでいない状態で立ち上がったエルバは2本のドラゴンスレイヤーを手にする。

そして、両足に力を籠めると一気に間合いをつけ、連続で切りかかるが、すべて闇の障壁で阻まれてしまい、ホメロスには傷一つ与えることができない。

「くそ…!くそ、くそぉ!!」

「ふっ…どうした、勇者よ。貴様の力はその程度か…。それでは、貴様のために死んだあの少女も浮かばれないなぁ」

「彼女を…エマを…口に、出すなぁ!!」

エルバの剣を握る力が強くなり、激しい怒りが彼の心を支配していく。

同時に、エルバの左手の痣が点滅するように光った。

「それほどまでにあの少女が大事か…?ならば、地獄へ会いに行くがいい!!」

ホメロスが右手に魔力を凝縮させていく。

そんな彼の動きを気にすることなく、エルバはイノシシのように突っ込んでいく。

「まずい…ホメロスから離れるんじゃ、エルバ!!」

「もう、遅い!!」

右手から発射される巨大な闇の球体がエルバに直撃し、同時に彼の体を守り続けていたユグノアの鎧と兜が粉々に砕け散った。

「あ、ああ…」

大きく吹き飛ばされ、愛用のベストコートも呪文の余波で粉々にちぎれ飛んでいく。

エルバの視線にはその布片と共に飛んでいくエマのお守りが見えた。

あおむけに倒れるエルバだが、力も魔力も失っているカミュ達には駆けつけるだけの力もなかった。

「エルバ様!!」

「おっと、おとなしくしてくれたまえよ」

危険を顧みずに治療へ向かおうとしたセーニャだが、それをあざ笑うかのように闇の波動が彼女の襲い、それを受けた彼女もまた力尽きる。

「その…異様な力…まさか、貴様が…!!」

もし、そうだとするなら今までのデルカダールの凶行にも説明がつく。

ロウの真実をつかんだかのような言動を無視し、ホメロスはゆっくりと凱旋するかのように大樹の魂の元へと向かう。

蔓に包まれているとはいえ、それでもそこからは並々ならぬ力を感じ、それに喜びを覚えながら両腕を広げる。

「ああ…これが大樹の魂。これさえあれば、世界をどうすることも思いのまま…」

「やめ…ろ…!」

振り返ったホメロスは剣を地面に刺して立ち上がるエルバの姿を見る。

上級暗黒呪文であるドルモーアを正面から受けてなお、まだ立ち上がれることには内心驚いたが、それでも立ち上がることができただけで、そこから続かなければどうということもない。

「まだ生きていたか…?なら、今すぐに楽にしてやる」

プラチナソードを抜き、ゆっくりとエルバに近づいていく。

「やめ…なさい、ホメロス…!どうして、どうして動けないのよ…どうしてぇ!!」

今、エルバが殺されそうな状況なのにも関わらず、起き上がることすらできないマルティナは無力さを憎み、涙を浮かべる。

「命を懸けてでも守る…天才魔法使いのあたしが…こんなのってぇ!!」

「逃げなさい…エルバちゃん、あなた、だけでも…」

「お前まで死なれては…なんのためにわしはこれまで生きてきたというのじゃ…。頼む、生きろぉ!」

「エルバ…駄目だぁ!!」

仲間たちの声はエルバには届かず、今の彼の心を黒い靄が覆い隠していく。

(憎め…憎め!!奴はイシの村を滅ぼし、エマを殺したんだぞ!?憎しみで燃えろ!!そうしたら出し切れる。本当の勇者の力を!!)

「本当の…勇者の力…」

(憎しみの炎で力を解き放て!!塵一つ残さず、奴を滅ぼせ!!)

「俺は…俺は…!!」

抑え込んでいたはずの憎しみの炎が燃え上がるのを感じはじめる。

左手の痣の輝きが消え、エルバの瞳が赤く光る。

「俺は…」

(殺せ…奴を…デルカダールを…!!)

「殺す…!貴様らを、殺す!!」

「殺してみせろ…できるものならなぁ!!」

プラチナソードが振り下ろされ、これから起こる惨劇が耐えられずに全員が目を閉じる。

だが、次の瞬間聞こえてきたのは強い金属音だった。

「な…何!?」

ホメロスは後ろへ下がり、右手のプラチナソードを見る。

なぜかプラチナソードの刀身が折れており、目の前には首に傷一つついていないエルバの姿があった。

そして、彼はホメロスと同じように闇の魔力に包まれており、左手の痣が黒く光っていた。

「エ、エルバ…」

「この力…エルバ様が、なんだか、怖い…」

今までの物とは全く違う今のエルバの力を感じたセーニャは青ざめ、身震いする。

一方のホメロスは折れたプラチナソードを投げ捨て、もう1本のプラチナソードを手にする。

「そうか…引き出したか。勇者の力を。我々が求めていた力を…」

「この程度か…もっとだ、もっとよこせよ。力を…!」

もう1人の自分にそう命令しつつ、エルバはホメロスに向けて突っ込んでいき、プラチナソードとドラゴンスレイヤーがぶつかり合う。

ぶつかると同時に黒い稲妻が発生し、それがホメロスを襲う。

「ぐう…!!」

「エビル…デイン!!」

勇者の雷であるはずのデインが闇に染まり、刃から容赦なくホメロスを襲う。

刃と刃がぶつかり合うと同時にタイムラグがほぼない状態で発生する暗黒の雷を回避する術はなく、徐々にホメロスを傷つけていく。

次第にホメロスは距離を置くが、ダメージが重なったせいですぐに構え直すことができないくらいに弱体化していた。

白かった肌も幾度もなく受けたエビルデインで傷ついていて、髪の毛も若干焼けていた。

「これで…終わらせる!!!」

2本のドラゴンスレイヤーにエビルデインを纏わせ、剣を上から背中に隠すように構える。

これから大技が来るのを感じ取ったホメロスだが、先ほどまでのエルバと同じような状況に陥っており、回避するだけの力も残っていない。

「ギガクロス…スラッシュ!!」

振り下ろすと同時に2つの剣閃がホメロスを正面から襲い、切り裂かれると同時に襲った暗黒の雷によってホメロスの白銀の鎧が砕け散り、残されたプラチナソードも粉々に吹き飛んだ。

胴体から鮮血が流れ、片膝をついたホメロスは右手で傷口に触れ、痛みに耐えながら回復呪文を唱える。

ギガクロススラッシュを受けたホメロスの胴体は治療可能ではあるものの、回復に時間がかかっており、おそらく分単位で回復に集中しなければ止血すらできない。

その間身動きが取れず、近づいてくるエルバに対して無防備だ。

「殺す…殺す、殺す、殺す…」

ぶつぶつとつぶやきながら迫ってくるエルバをホメロスは睨むように見る。

目の前まで来ると、ドラゴンスレイヤーを頭上高く掲げ、そのまま斬りつけようとする。

「待て…勇者よ!!」

だが、その刃はホメロスに達することなく、この場にはないはずのキングアックスが受け止めていた。

声の正体、そしてキングアックスの持ち主に察しがついたエルバはその男をにらむ。

「邪魔をするな…グレイグ!!先に殺されたいか!!」

「お前が望むなら…殺されてやろう。すまない…お前の無実は証明された!!」

「無実…無実だと!?今さら何を…!」

「ああ、そうだ!今さら、今さらだ…!だが、ホメロスの陰謀だったのだな…。陛下も私も、ここまでのことは見たぞ!!」

「あ、ああ…」

徐々に力が弱まるのを感じ、オーラが消えると同時にエルバがひざを折る。

間一髪でホメロスが斬られることを防ぐことができたグレイグはキングアックスとぶつかり合ったドラゴンスレイヤーを見る。

ギガクロススラッシュに耐え切れなかったのか、ぶつかり合っただけで折れてしまっており、そのことにエルバは気づいていなかった。

だが、それでも鍔ぜりあう中で感じたプレッシャーのせいで、今のグレイグの体は脂汗でびっしょりと濡れていた。

「グレイグ…どうして、ここまでこれた…??」

「勇者の後をつけたのだ。聖地ラムダを通ることができない分、かなりの苦労はあったがな」

聖地ラムダと祭壇の間には静寂の森が広がっており、そこへ向かう道は聖地ラムダにある礼拝堂を抜けなければならない。

勇者の命を狙っていることを分かっている聖地ラムダの人々が自分たちを快く迎え入れる可能性が低いことから、プランBとして獣道を利用することにした。

獣道といっても、人間では越えられない高い段差を越えたりしなければならず、ここにある人物を連れて行かなければならない以上は人の手だけでは不可能だ。

解決策としては、その道中に存在する二足歩行型卵型ロボットであるキラーポッドを利用することだ。

神経をマヒさせるガスを噴射する機能がついており、大きく跳躍できるだけの脚力もある魔物で、その魔物を利用することで静寂の森へ入ることができるとグレイグは踏んでいた。

急所を狙い、機能を停止させることができれば、あとは乗り込んで動かして進むことができる。

てこずりはしたが、どうにか2人分のキラーポッドを確保することができ、それを利用して静寂の森へ入り、そしてここまでやって来た。

「王よ、見られましたか!今のホメロスが纏っていた力を!!これこそが闇の力なのです!」

刃をホメロスの首元へ向けた後で、グレイグが叫ぶ。

すると、蔓の陰に隠れていたデルカダール王が姿を見せ、驚いた様子でホメロスを見ていた。

「お…父様…」

マルティナの記憶の中に残っているデルカダール王と比較すると、めっきり白髪が増え、苦労を重ねたためなのか目つきがやや鋭くなっているように見えた。

だが、その姿は紛れもなくずっと会いたかった父親そのものだった。

「私たちは長い間、とんでもない勘違いをしていたようです。このホメロスこそがロトゼタシアに仇成す存在!」

「ふっ…」

グレイグがあと少し手を動かせば、喉を刃で容易に裂かれる状況であるにもかかわらず、ホメロスはいつも通りの不敵な笑みを見せる。

味方であれば、これはとんでもない策を思いついた印で、頼れるものだったが、今はそんな楽観はない。

「ホメロス!何ゆえに魂を魔に染めた!あの時の俺たちの誓いはどこへ行った!!」

「ふっ…誓い?そんなもの、とうに捨てたさ…」

「ホメロス…!!」

「もう良い、おぬしの言いたいことはよくわかった。勇者のことも…我々は恐ろしい勘違いをしていた。認めるしかあるまい」

デルカダール王がゆっくりとグレイグに近づいていく。

本当なら振り返りたいところだが、相手がホメロスである以上、このままの状態を維持しなければ王にも危害を加えかねない。

無礼を承知でグレイグはキングアックスの刃をそのままにし、ホメロスをにらむ。

「お父様…」

「モーゼフ、おぬし…」

「ご苦労だったな、グレイグ。貴様の役目は終わりだ」

「な…!?」

どういう意味か一瞬理解できなかったグレイグの体を闇の魔力が覆い、ゆっくりと空中へと飛ばされていく。

魔力のせいで体は身動きが取れなくなっており、どうにか抵抗して首を回すと、そこには右手からホメロスと同じ闇の魔力を宿したデルカダール王の姿があった。

「王よ…!?なぜ…!?」

「よくそここまで案内してくれた。感謝するぞ、忠臣にして愚臣よ」

軽く腕を振ると同時に、グレイグの体が早いスピードで飛び、近くの太い蔓に激突する。

そして、再び別方向へ腕を振ると、休む間もなくグレイグの体は飛び続け、幾度となく壁にぶつかる。

それが何度も繰り返された後で魔力が解け、グレイグは地面に転落した。

「グレイグ!!」

「モーゼフ!?なぜじゃ!?息子同然のはずのグレイグをなぜ…!!」

「ふっ…その理由がまだ分からぬか?」

首を撫でた後で立ち上がったホメロスの元へデルカダール王が歩いていく。

その途中で彼の目が大きく開き、闇の魔力が彼の体を覆うと同時にマリオネットのようにぎくしゃくとした動きを見せ始める。

そして、口が開いたと同時にそこから黒い球体が出て来て、それが徐々に人の姿へと変わっていき、デルカダール王本人は白目をむいて気絶する。

人の姿となったそれは次第に黒いローブを纏った、赤いモヒカンと2本の角のある、紫色の肌な上にグレイグ以上の身長をした巨躯な魔導士へと変貌していった。

忠誠を誓うデルカダール王が異変を起こしたというのに、既に魂を魔へ売り渡していたホメロスはすました顔で彼を見つめる。

「ホメロスよ、よくぞ計画を実現してくれた。褒めて遣わそう」

「おお…なんとありがたいお言葉を…」

心の底からの喜びをかみしめるホメロスはその男にひざまずく。

本来ならその態度を示すべき相手が倒れている中でのことで、その姿は倒れているグレイグには想像もつかないものだった。

「我が主…ウルノーガ様」

「お前が…ウルノーガ、じゃと…。まさか、モーゼフにとりついておったのか…!?」

いつからそんなことをしていたのかは分からない。

しかし、勇者伝説を誰よりも信じた彼が豹変する理由、そして勇者を殺そうとする理由もそうであればすべて納得がいく。

そして、これは最悪の事態でもあった。

ウルノーガの前には大樹の魂があり、今の彼を止めることができる人間は既に地に伏せている。

そして、ウルノーガの視線が倒れたエルバの左手の痣に向けられる。

「エルバよ…よくぞここまで勇者の力を心の闇で染め上げた。その力、もらうぞ」

「勇者の力を…それに、闇だと…??」

「すべては我が手の中。貴様が復讐に燃え、その炎がデルカダールの存在、そしてグレイグのホメロスの存在を呪う。そして、彼らを焼き尽くすまで決して止むことがない。それが勇者の力を闇に染める。見事なものだ。最も強き光を放つ存在は最も強き闇を放つ者ともなりえる…。我の計画通りだ」

「計画…通り??まさか…!!」

「貴様の命もあの村共々、やろうと思えばいつでも滅ぼすことができた。だが、貴様にはやるべきことがあった。それはこれだ」

杖をかざすと共にエルバの体が闇のオーラに包まれて浮遊し、ウルノーガに無防備な姿をさらす。

そして、ウルノーガは残った左手を伸ばし、それがエルバの胸を貫く。

「が…はぁ…!!?」

「ふふふふ…感じる。感じるぞ。勇者の力が抑え込んでいた貴様の復讐心、貴様の闇が。それが私の世界の糧となる!!」

心臓を直接つかまれた感覚に襲われ、エルバは声を上げることができず、せめてもの抵抗か両手でウルノーガの左手を握るが、その力はあまりにも弱弱しく、次第に勇者の痣の黒い光が消えていく。

次第にエルバは白目をむき、飲み込む力をなくしたことで唾が口から無造作にポタポタと落ちる。

左手を抜くとともに、ウルノーガの手の中には青く光る球体があり、それが勇者の力を象徴しているのか、彼の左手に勇者の痣が宿る。

最も勇者のふさわしくない闇に勇者の力が奪われた瞬間だった。

「ほう…これが勇者の力。これさえあれば…」

大樹の魂に向けて左手を伸ばすと、それを守っていた蔓たちが消えていき、その中にある勇者の剣が魂から離れていき、ウルノーガの手に渡っていく。

勇者の剣の輝きを見たウルノーガはニヤリと笑い、静かに一振りした後で、左手を見る。

「勇者の剣は手に入れた。これにより、我は光と闇、二つの相克する力を持つ王となった!」

「エルバ様!!エルバ様!!」

「エルバ、ねえ起きてるの!?しっかりしなさい!!」

「あ、あああ…」

心臓をえぐり取られたような痛みに耐えながら目を開け、2つの力を手に入れたウルノーガをにらむ。

勇者の力を失ったエルバにできる抵抗はそれだけだった。

「そして、見るがいい!光と闇の狭間、混沌の力を!!」

ウルノーガは杖を手放すと、勇者の剣に魔力を注ぎ込んでいく。

聖なる輝きを放っていた勇者の剣はドロドロと溶けていき、それが次第に刺々しい曲がった分厚い刀身と柄を持つ浅黒い大剣へと変貌していく。

そして、柄頭には赤い一つ目が宿り、開くとギロリとエルバ達をにらみつけた。

「これが魔王の剣!さあ…命の根源たる命の大樹よ…その力…我がもらう」

「やめ…ろ…!」

ウルノーガが魔王の剣を掲げ、大樹の魂に向けて狂気に満ちた笑みを浮かべる。

エルバのかすれるような声は今のウルノーガには聞こえず、刃はゆっくりと大樹の魂に迫る。

「やめろーーーーーー!!!!!!」

魔王の剣が大樹の魂を切り裂くと同時に、それから放たれる聖なる命の光が真っ黒な闇の力へと変貌していく。

魔王の剣が変化していく大樹の力を飲み込んでいき、それがウルノーガの体内に向けて放出されていく。

次第に周囲の青青とした大樹の葉がその色を失い、弱々しく枝から離れていく。

「そんな…命の大樹が…!!」

ロトゼタシアすべての命の源である命の大樹が失われていく。

それは命の循環が失われ、世界が終わることを意味していた。

そして、命の大樹の力を得たウルノーガが宙を舞い、その体を変化させていく。

ローブが消滅し、灰色のマグマのように燃える傷跡が見え隠れする筋肉質な灰色の肌をした、翼を持つ悪魔へと変貌していく。

「このままでは…世界が…」

「さあ、これがロトゼタシアの終焉。そして我が世界の新しき誕生祝だ!命ではなく、世界そのものが循環したのだ。存分に受け取れ!虫けらどもよ!!」

ウルノーガの体から熱気を帯びた黒い波動が放たれ、同時に枯れ木と化した命の大樹は力を失ったかのようにゆっくりと地上へと落ちていく。

重力に従うように落ちていくそれは地表に落着するとともに大きなクレーターを作り出し、周囲を激しい岩と土煙で包んでいった。

 

(冷たい…ここは、どこだ…?)

体を動かすことができず、ただ全身に感じる凍えるような冷たさを感じるしかないエルバは目を閉じたままそれを感じることしかできなかった。

(カミュ…ベロニカ、セーニャ…シルビア…マルティナ…爺さん…みんな、どうした…?俺は…死んだのか…?)

体が動かせず、ただ静かに落ちていく以上、そうなのだろうと感じるしかなかった。

目の前で命の大樹の力を奪われ、そんな相手を前に勇者の力なしに勝てるとも、手傷を与えることもできるとは思えない。

激しい諦めがエルバを満たしていく。

(世界は…どうなった?俺は、どこへ行く…?)

命の大樹がない今、死した命の行方はどこにもない。

この世にとどめ置かれるのか、それとも怨念となって魔物となるのか、それさえ分からなかった。

そんな中、エルバの脳裏に幼いころの懐かしい光景が浮かぶ。

(何を思い出しているんだ、俺は…。ああ、これは…そうか…)

 

それは幼いころ、夜遅くになって泣いて家に帰って来た時のことだ。

テオはその時、ダンのところで晩酌をしていることから帰っておらず、家にいるのはシチューを作るペルラ1人だ。

「あらあら、こんなに遅くまでどうしたんだい??」

「ペルラ母さん…」

どうしてか言えず、ペルラに視線を合わせないように横に逸らす幼いエルバにペルラはため息をつく。

涙を流していて、おまけにその理由も言えないようで、普通ならお手上げなところだが、ペルラには察しがついていた。

「さては…エマちゃんとケンカしたね」

何も答えないエルバだが、ペルラにとっては明らかに図星だ。

だんだん怒りがわいてきたエルバはペルラにエマへの不満を爆発させる。

「だって!エマが僕の頭を叩いたんだ!!ちょっと、ふざけて…ルキに眉毛を書いただけなのに!!」

「ふ、ふふふ…あははは!!」

「笑いごとじゃないよ!ほら…頭に大きなたんこぶができてる!!」

エルバはエマに叩かれた箇所に指をさす。

まだまだ痛むようで、腫れているところがあるが、大げさに言うほどのものではなさそうだ。

普段はあまりしゃべらない彼もこういうところはやはり年相応だとむしろ安心していた。

「それで、エルバはやり返したのかい?」

「それは…」

答えることができず、肩を落とし、うなだれてしまう。

きっと向こうの家ではエマがそのことで泣きながらダンに訴えているように思えて仕方がなかった。

だが、お互いにまだまだ子供で、幼馴染だ。

こんな些細なことで関係が損なうことはないだろうが、深刻になる前にちゃんとどこかで手打ちをしなければならない。

ペルラはエルバの頭を撫でた後で、彼の目を見て、笑みを浮かべながら言葉をかける。

「いいかい?エルバ。これからはきっと同じようなことがおこる。だから…これだけは覚えておいて。どんなに嫌なことをされたとしても、苦しかったとしても、それをやり返したら、かっこ悪いだけだよ」

「ペルラ母さん…じゃあ、どうしたらいいの…?」

「まずはキチンとお話しすることさ。その人が何を感じて、なぜそうしたのか。そしたらきっとその人のことが見えてくる。それからあとは…とっても簡単。ただ笑って、握手をする。それだけさ」

 

(ペルラ母さん…俺は、母さんの言ったこと、守れなかったよ…。けど、許せなかった。どうしても、許せなかったんだ…みんなを殺して…村を焼いたあいつらが…)

だが、それで復讐に燃えて心を闇に染め、そしてウルノーガに付け入るスキを与えてしまい、結果として世界を滅ぼすのを助けてしまった。

ある意味では勇者が悪魔の子をエルバ自身が現実のものとしてしまった。

(もう、力もない…仲間もいない…。俺は、もう…)

(エルバよ…今を生きる俺の生まれ変わりよ…)

どこからか聞いたことのない誰かの声が聞こえてくる。

だが、それに対して問いかける力は今のエルバには残っておらず、ただ沈んでいく意識にゆだねるしかなかった。

(今は眠れ…。再び目覚めたとき、お前の犯した罪を罰する時が来る。その時がお前が…勇者の本当の意味を知るときだ。エルバよ…)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第57話 再びのムウレア

うつら、うつらと視界が開けてきて、青く揺れる光が浮かぶ。

その光の正体が何かわからないが、ゆっくりと息をしながら意識を取り戻していく。

「ここは…?」

「目覚めたわね、ようやく…」

ゴポゴポと何かが水の中を泳ぐ音が聞こえ、視界の中に大きな見覚えのある人魚の姿が浮かぶ。

その姿には見覚えがあり、金色のなびく長髪を見たことでそれが確信に変わる。

「女王…セレン…」

「そうよ、ようやく傷が癒えたみたいね」

「癒えた…?俺は、生きているのか…?」

「そう。あなたはここで半年の間眠っていた」

「半年…」

徐々に意識を失う直前の記憶が戻ってくる。

そして、そのまどろみの中で聞こえた言葉を思い出す。

(再び目覚めた時が…俺の罪に罰が下るとき…俺が、勇者の本当の意味を知るとき…)

「それから、あなたの存在を知られるわけにはいかないから、姿を変えさせてもらったわ」

セレンが杖についている水晶を鏡代わりにしてエルバに見せる。

そこから見たエルバの姿は紫色の鱗をした、少し丸みのある魚だった。

「な…!?魚だって!?」

「ええ。あなたが生きていることを知れば、命を狙ってくる。大丈夫、すぐに元の姿に戻せるわ」

「なら、すぐに戻してくれ…。あいつらは…!」

「待ちなさい、この半年の間に何が起こったのか…あなたは知らなければならない。ついてきなさい」

セレンが先へと進んでいき、このまま放っていかれるのはまずいと思ったエルバも彼女の後をついていく。

彼女を無視して戻ろうとしても、どうやって戻ればいいのかわからない以上は従うしかない。

光の差し込まない暗い水の中を泳いでいるが、やはり魚は人間とは違い、それほど疲れを感じない。

冷静に考えると、セレンがいるということからここはムウレアの中だということは分かるが、その場所には来たことがない。

城の中なのか、それとも地下空間なのかも見当もつかず、セレンについていくと、そこは大きく開けた場所で、光が差し込んでいて、昼のような明るさに照らされている。

その空間の中央には大きなピンク色の貝が置かれており、その中央には大きな真珠が置かれていた。

セーニャのように魔力を感じられるわけではないが、それでもその水晶玉からは強い力が感じられた。

「人間をここに入れたのは何百年ぶりかしら。ここは守り人の海、海底の王だけが入ることが許される許された海よ」

「何百年…?それは…」

「そして、これが王家に伝わる千里の真珠。これに触れることで、世界中の水とリンクして、あなたの知りたいことを見せてくれる」

セレンは持っている杖を空に掲げる。

水晶が一瞬光った後で何事もなかったかのように消えてしまった。

「こっそりと雨を降らしたわ。これで、世界中をくまなく見ることができる。さあ…エルバ、見るのです。今の世界の状況を…」

この真珠に触れることで、おそらく仲間の安否も知ることができるだろう。

だが、正直に言うと恐ろしい。

命の大樹が失われ、ウルノーガに勇者の力を奪われた。

そして、その原因を作ったのは紛れもなく自分自身。

その現実がエルバを真珠へ近づけさせない。

だが、その甘えを今は許されるはずがない。

「エルバ、あなた方の身に何が起こったのか…分かっています。見なければなりません、あなたの思う罪の結果を」

「俺の…罪…」

ゴクリと唾を(魚に唾をのむという習慣があるのかは分からないが)飲んだエルバはヒレを伸ばし、真珠に触れる。

その瞬間、エルバの視界が光りに包まれていき、それが次第に煙のような分厚く黒い雲に覆われた空へと変わっていく。

下を見ると、燃えている樹木や灰となったままその場に残り続ける草木が見えた。

(見なさい、エルバ。あなたの目の前にある物を)

「これ…は…」

目の前にある、真っ黒な炭となった巨大な樹木の正体は一瞬で分かってしまった。

大きなクレーターを作り出した状態で横たわるそれは紛れもなく、命の大樹の変わり果てた姿だった。

(これがロトゼタシアの今の姿。あなたが魔王ウルノーガに力を奪われた日、世界は死んだのです)

次第に景色が巻き戻っていき、命の大樹が落ちる直前まで戻っていく。

そして、そこから時が再び進みだし、命の大樹が落ちた瞬間の光景が目に映る。

そこから岩石を帯びた土煙と共に強烈な熱波が発生し、周囲に街や森を焼き尽くしていくのが見えた。

「あ、あああ…」

(熱を帯びた猛烈な爆風が世界を駆け巡り、草木を焼き払い、水を干上がらせた。そして…)

それだけでも地上には焼き尽くされ、真っ黒になって死んだ人々や生き物、魔物の姿があり、それらはもはや元々が何なのかわからないような状態だった。

エルバの脳裏には今も焼け死んだ村人の姿が残っており、地表にあるそれはその死体よりもひどい状態だった。

だが、それでも生きている人々や生き物がいて、突然起こったこの状況に混乱している様子だった。

そんな彼らをあざ笑うかのように、今度は空から灼熱を帯びた岩が降って来た。

「やめろ…やめろーーーー!!!!」

(これはこの半年の間に起こったこと。命の大樹が死んでから1カ月の間に、熱波と灼熱の岩の雨を起こし、ウルノーガは一瞬で多くの命を奪い尽くしたのです)

セレンの悲し気な声が響くとともに、エルバの耳には死んでいった人々の無念の声が響く。

必死に耳をふさごうとするエルバだが、それをするための手は今の彼にはなかった。

「私も、どうにかしようと手を尽くしましたが…ただ、ここで見ていることしかできなかった。けれど、希望は残されていました」

「希望…?悪いですけど、俺にはもう…」

「希望を作り出すことができるのは勇者だけではありませんよ」

景色が変化し、煙と炎が立ち込める暗がりの荒野とその中を歩く集団が見えてくる。

貧乏人から金持ち、大人や子供、男と女。

数多くの立場の異なる人々が荷物を持たず、フラフラと戦闘を歩く男の後を続いている。

長い旅で疲れ果てている様子で、中にはいくつも傷を負っている人もいる。

だが、誰一人として歩くのを辞めようとせず、歩けなくなった人に力を貸す人さえいる。

「もう…家もいねえ。家族もいねえ…。けど、まだ命は残っている。歩け、歩き続けろ…」

「そうよ…英雄様についていきましょう。デルカダールの南に最後の砦がある。そこでなら、生きることができる…!」

「最後の砦…デルカダールの南…?」

エルバの視線が戦闘を歩く青い市松模様のサークレット姿の男性に向けられる。

しかし、装備しているキングアックスと長い紫の髪がなびく後姿から、一人の男が思い浮かんだ。

「まさか…グレイグ!?」

(絶望の中にも希望がある。人々は懸命に希望の灯を宿している。けれど、それすらもウルノーガによって、消されようとしている。誰かがそれをともさなければならないのです。それはエルバ、あなたにしかできないこと)

「だが、俺にはもう勇者の力は…」

まだそこに希望があるなら、動き出したいという気持ちはある。

しかし、もう勇者でなくなった自分に何ができるか分からない。

思えば、今までの力はすべて勇者だからこそのもので、本当の意味での自分の力など存在しないのではとさえ思ってしまう。

そんな中で再び景色が命の大樹のなれの果ての元へ戻される。

そして、上空には黒い霧に包まれた怪しい城が浮かんでいるのが見えた。

(これが…今の世界の象徴。命の大樹亡き世界を統べるのは天空魔城の王、ウルノーガ。彼は命の大樹の力を奪うだけでは飽き足らず、この世のすべての命を刈り取り、悪しき力に変えようとしています。あれを見なさい)

再び景色が変化し、今度は海の中に変わっていく。

そこには数千の海の魔物たちが集まっており、その中心には黒と赤の鱗を持つ、額に何か赤い球体をつけた船以上の大きさを誇る4本脚の魔獣が拳をムウレアに向けて振るっているが、その前に展開されているバリアに阻まれていた。

「この魔物は…??」

(あれは私たち海の民を滅ぼすために遣わされたウルノーガの手先。ムウレアは私の結界でどうにか防いでいましたが、これも…そろそろ限界です。魔王の力は私をはるかにしのぐもの。まもなく、ムウレアは魔物の手に落ちるでしょう)

「何だと…!?どうにかならないのか…!?」

もう、どうにもならないことは頭の中では分かっていた。

既に結界にはひびが入っていて、ムウレアの住民たちは避難をしている。

あと数発あの化け物の拳が叩き込まれた瞬間、何が起こるかは明らかだ。

勇者の力を持っていたとしても、あの魔物とその後ろに控える数千の魔物を倒すことは不可能だ。

次第に景色が元の光景に戻り、エルバに視線がセレンに向けられる。

「エルバ…世界に再び光をもたらすため、希望の火をともしなさい」

ドオオン、ドオオンと守り人の海にもバリアと魔物の拳がぶつかる音が響き渡り、同時にセレンにも異常が生じる。

疲労を見せ始めており、苦しそうに胸に手を当てていた。

「女王セレン…このバリアはまさか…!!」

「そう…私の命で生み出したもの。こうなることは…分かっていました。けれど、あなたの傷をいやし、送り出すことができる…」

「そんな…」

「聞きなさい、エルバ…。希望の火は仲間たちの元にあります。その炎を繋ぎ、照らした先に…歩くべき未来がある!ああ…!!」

ついに限界を迎えたのか、叫びをあげたセレンがその場にうずくまる。

彼女の眼にはクマができており、肌の色も徐々に青くなっていく。

彼女が死へと近づきつつあることが分かり、何もできない自分を憎み、エルバは唇をかみしめる。

「悲しむことはありません…。女王として、長すぎる時を生きてきたのです。ようやく…自由になれる」

苦しそうに息をしているが、なぜかセレンからは安らぎのようなものも感じられた。

うつらうつらと瞳を閉じそうになりながら、セレンは最後の力を振り絞り、杖に魔力を籠めると、エルバの体が青い光に包まれる。

「いきなさい…前を向いて、決して振り返らないで。勇者とは…最期まで決して、あきらめない者のことです!!」

「女王セレン!!」

ヒレを伸ばそうとするエルバの体が光りとともに消えていき、同時にガラスが砕け散る音が鳴り響く。

杖が砕け、セレンの体が一気に老化していき、金髪の髪が真っ白になり、肌にも目立つほどの皺が生まれる。

「これで…やっと…」

長すぎる人生の終幕を感じたセレンはまどろむように目を閉じる。

勇者を送り出した達成感と、ムウレアを自分の代で終わらせることへのわずかな無念さをかみしめながら。

 

「は、はあ…はあ…」

波の音、そして下半身を濡らす冷たい水の感触が伝わり、エルバは目を覚ます。

目を覚ますとそこは真っ暗な闇に包まれた砂浜で、明かりらしい明かりもないために視界が悪い場所だった。

倒れたまま、エルバは視線を左右に動かす。

そこにはきっちりと腕があり、感覚から足もあることがわかる。

人間に戻ることができたが、左腕の痣からは何も力が感じられなかった。

おまけにやはりというべきか、鎧もろとも上半身の服も失われたことで、上半身は裸の状態だった。

当然、左腕に巻いていたエマのスカーフもぶら下げていたお守りもない。

エルバの視線が自然に黒い海に向けられる。

もうムウレアに戻ることはできず、セレンの安否を確かめることもできない。

「俺の…ために…」

(前を向いて、決して振り向かないで)

「そんな資格…俺にはない!!希望の火をともすだと!!もう、俺には…何も!!」

四つん這いになり、何度も拳を叩きつけながら、感情を爆発させる。

目には大粒の涙が出て、いくら流してもエルバの心の傷を洗い流すことができない。

大声で泣き続ける中、かすかに海に淡く光るものが見えた。

足首がつかるくらいの深さくらいのところに見えたため、涙をぬぐうことを忘れ、エルバはその光がする場所へと向かい、それに手を伸ばす。

「痛っ…!?」

刃物だったようで、握ったと同時に掌に切り傷ができる。

切り傷をホイミでいやした後で、それに気を付けながら触れて、持ち上げる。

持ち上げたそれは水のように青い刀身が印象的で、魚のひれと宝玉を口にした鮫を模した、鱗のような柄を持つ片手剣だった。

握っていると、かすかにだが力が湧くように思えた。

「女王セレンからの最後の贈り物…水竜の剣か…」

なぜか剣の名前が頭に浮かび、エルバは手にしたばかりの剣を握りしめる。

武器のないエルバにとってはありがたいものであり、同時に重い荷物ともなった。

剣を握ったまま浜辺に戻ると、魔物の足音が聞こえてくる。

メラを明かり代わりにして照らすと、赤い瞳を宿した数匹のスライムや骨だけになった翼竜などの魔物の姿が見えた。

「邪魔だ…!!」

セレンから託された水竜の剣を握り、エルバは正面から魔物に向けて飛び込んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話 最後の砦

「はあ、はあ、はあ…これまで、なのか…??」

数人の兵士と馬、そして倒した魔物たちの死体が周りにあり、深々と目元まで兜をかぶった兵士が持っている剣を地面に突き刺し、体を支える。

彼はこの切通しで魔物たちの侵入を阻む任務を受けており、これが初陣でもあった。

しかし、その初陣でまさか死を覚悟することになるとは思わなかった。

ウルノーガの影響を受けて周辺の魔物たちが強化されているうえに、見たことのない魔物も押し寄せてきて、そのせいで自分以外の先輩兵士たちは戦死してしまった。

自身も腕や足を負傷し、剣にも刃こぼれが生じている中、まだ骸骨のドラゴン2匹が生きている。

この骨はほっそりとしているが、見た目以上に強靭で、並の片手剣では逆に折れてしまうほどの強度を持っている。

そのドラゴンが口に冷気を集め始める。

もう動くことのできないその兵士は観念したかのように目を閉じる。

しかし、次に感覚が伝えたのは凍えるほどの冷気ではなく、何かが砕ける音だった。

目を開けると、そこには真っ二つにされた骸骨のドラゴンがいて、青い刃の剣を持つ、茶色いボロボロなマントで上半身を隠した少年の姿があった。

仲間のドラゴンを殺されたことで怒ったそのドラゴンは冷気を兵士ではなく、その少年に向けて放とうとする。

だが、少年は剣を両手で握り、祈った後でそれをふるうと、そこから冷気が発生し、ぶつかり合って相殺した。

「なんだ、あれ…?」

多くの人間を氷漬けにしてきたブレスを相殺する人間とその剣に驚くドラゴンだが、時すでに遅しで、少年は大きく跳躍して、そのドラゴンの頭に上にのっていた。

「…死ね」

その一言とともに深々と頭に剣を突き立てる。

それが致命傷となり、死してなお動かなければならなかったドラゴンは地に伏した。

死んだのを確認した少年は剣を抜くと、まずは生き残った兵士に目を向ける。

「あ、あんた…すごいな。一人であんなガイコツどもを2匹も倒してしまうなんて…」

「じっとしていろ。傷がひどい」

賞賛の言葉に耳を貸さず、少年は兵士の傷に手を当て、ベホイムを唱える。

傷口はふざがっていくが、長時間放置した傷については治りが遅く、呪文を唱え終えても半分ほど残っていた。

「ほかに生き残ったやつはいるのか?」

「いや…俺だけだ。あとは全員死んだ」

「そうか…」

「あんた、見ない顔だな。この半年、誰もこの国に出入りできない状態なのに…。うう…」

傷がある程度治ったため、立ち上がろうとする兵士だが、疲れているのか、それとも足に残っている傷のせいなのか、立ち上がれずに転倒してしまう。

少年の手を借り、起き上がってことで、兵士はようやく間近でその少年を見ることができた。

サラサラとした茶色い髪で、顔だちも幼さと大人っぽさがまじりあった、年頃の少年という印象が強い。

だが、持っている剣や腕や足の太さなど、小さなところで彼が年齢に合わない歴戦の戦士であることがわかる。

「助けてもらったうえに頼んで申し訳ないが、俺を運んで行ってくれないか?このことを報告しに行かなければ…あんたも、いつまでもここにいるより、一緒に来たほうがいい」

「ああ…あんたは?」

「俺か…?俺はピピン、兵士になりたてだ。あんたは?」

「…エルバだ」

エルバと名乗る少年に抱えられたピピンはそのまま近くまで走ってきた馬に乗せられる。

そして、エルバと2人乗りになる形で切通しを進んでいく。

「暗闇がひどい…。おまけに炎のにおいがする。何があった?」

「あんた…この半年間のこと、何も知らないのか??」

「…理由があって、その間の記憶がない。ここに流れ着いたのはつい2,3日前だ」

「ああ、そうか…。大変だったんだな。半年前、命の大樹が落ちてからはデルカダールから太陽が消えてしまったよ。おまけに激しい熱風が吹いて大勢の人が死に、城も城下町もボロボロだ。生き残った兵士たちはどうにかまだ生きている人たちを助けたが、今度は追い打ちをかけるように魔物が来てな…。命からがら逃げだして、今はこの先にある最後の砦を作って立てこもっているのさ」

「最後の砦…いやな名前だな」

「まったくだ。確かにそこにはきれいな水があるし、海も近いから魚も取れて、最悪海水を塩代わりにできる。だが、出入り口は北にある一か所だけでそこ以外にはもう逃げ道も何もない。まさに、その名のごとくだな」

最後の砦と呼び始めたのはだれかは定かではないが、いつの間にかその名前が浸透していた。

ここに生き残ったすべての人々が寄り添うように暮らしていて、もうそこ以外に生きることのできる場所もなければ、退路もない。

まさに二重の意味での最後の砦といえる。

ムウレアである程度事情は察していたとはいえ、それでもひどい状況にエルバは言葉を失う。

(それにしても、なぜフランベルグが…)

更に気になったのはなぜかラムダの里に置いてきたはずのフランベルグが現れたことだ。

魔物たちを倒しながら、当てもなくさまよう中で見つけた、放置されてボロボロになった漁師小屋で、干した魚や今着ているマントといったものをあさった後で、外に出るとなぜか彼が待っていた。

どうしてここにいるのかは分からなかったが、彼がいるおかげである程度スムーズに動くことができていて、今ピピンを連れていくことができる。

切通しを出て、多くの柵やバリスタでふさがった道に出る。

バリスタの点検をしていた兵士や砦へつながると思われるとげとげしい木製の門の警護をする兵士がピピンとエルバの姿を見た瞬間、駆け寄ってくる。

「新入り!?一体どうしたというんだ?ほかのやつらは!?」

「ああ…みんな、死んでしまったよ。俺も、こいつに助けられなかったらどうなっていたことか…。どうにか、魔物は全滅させたが」

「…そうか。お前だけでも生きていてよかった。…!?」

門番の兵士がエルバを見ると、驚いたように彼の顔を見る。

ほかの兵士たちもエルバのことに気付くと沈黙する。

「そうか…ここが、最後の砦か…」

最後の砦の場所があの場所だということに気付いたエルバが表情を暗くする。

わずかな沈黙の後で、門番の兵士の口が開く。

「勇者様…。度重なる無礼、どうかお許しください。…何が起こったのかはすべて聞いております。どうぞ、お入りください」

これまでのデルカダール兵の殺意のこもった行いから一変したうやうやしい態度だが、エルバの彼らへ向ける視線に変化はなかった。

しかし、ここに来るまでに多くの魔物と戦ってきたことや、今の荷物が手元の剣のみの状態では、フランベルグがいたとしてもこのまま旅を進めることはできない。

「まさか…滅ぼしたイシの村にこんな砦を作るとはな…」

「…おっしゃりたいことは分かります。ですが、民を守るためには背に腹は代えられず…」

どうやら、イシの村を滅ぼす部隊に加わった経験のある兵士のようで、門番は複雑な表情を浮かべる。

彼もまた、村人が殺されるのを見ていたのだろう。

バリスタの兵士がピピンを連れて砦の門まで向かう。

門が開き、2人が中に入ると同時に犬の鳴き声が聞こえてくる。

聞き覚えのあるその鳴き声にエルバの視線が門へと向けられる。

「あいつは…」

「ワンワン!!」

暗がりのせいで、姿がよく見えないが、その犬が中へと走っていくのが見えた。

「ま、待て!!」

フランベルグから飛び降りたエルバは追いかけるようにピピン達を追い抜かし、門の中へ入っていく。

あの鳴き声は長年聞き続けてきた懐かしいもので、聞き間違うはずがない。

「待ってくれ、どうして…どうしてお前がいるんだ!?」

狭い切通しを走り抜け、徐々にあの絶望に満ちた廃墟が広がるはずの空間へと出る。

ごうごうと各所にかがり火や松明の炎であふれていて、そこは夜であるにもかかわらず夕方くらいの明るさに見えた。

そして、広がっているのは多くの柵や門で各所が隔離され、ちらほらとテントや見張り台が並んだ無骨な広場だった。

そこには廃墟の面影がすっかり失われており、まるで場所をそのまま入れ替えたかのような錯覚に襲われる。

「どこだ…!?どこにいる!?」

景色に意識を持っていかれかけていたエルバはすぐに正気に戻って犬を探して周囲を見渡す。

しかし、どこにもその姿はなく、結局幻だったのかと落胆する。

(当り前だ…。もう、ここには…もう…)

「もう、ルキ!!どうしたの?急にいなくなって!!」

「ワンワン!!」

「え…?」

再び聞こえる1人の少女と1匹の犬の声。

ついに心が追い詰められて幻聴が聞こえ始めたのか。

そうなると、ついに本当に勇者ではなくなってしまったのかもしれないと自嘲してしまう。

だが、せめて真実を確かめたいと、エルバは声が聞こえる方向へ歩いていく。

近くにある松明を取り、その明かりを照らしながらも、やや足元を見ながら進んでいく。

「エル…バ…?」

正面から少女の声が聞こえ、エルバは顔を上げる。

そこには幻ではない、本当に会いたかった少女と犬の姿があった。

「エマ…ルキ…?」

「そう…そうよ!エルバ!!」

「ワンワンワン!!」

嬉しそうにルキがエルバの周りをかける。

エマを見ると、トレードマークといえるスカーフがない状態で、腕や手には薪拾いで負った切り傷がいくつもついている。

「エマ…エマ!!」

「ずっと、会いたかったよ…。ずっと、ずっと…エルバぁ!!」

我慢できなくなったエマが駆け寄り、エルバに胸に顔をうずめて泣き始める。

喜びと驚きを覚え、泣いているエマを励まそうと触れようとするが、急に脳裏に浮かんだ光景がそれを邪魔する。

勇者の痣を闇に染め、勇者の力を奪ったウルノーガが命の大樹のすべてを奪った瞬間が。

それが手を止め、エマに触れることができなかった。

数分し、ようやく泣き止んだエマは目の周りを赤くさせながらエルバを見る。

「ご、ごめんね…。エルバも大変だったのに…」

「エマ…あの時、何があったんだ??」

「エルバが旅立ってしばらくして、デルカダールからホメロスって名前の将軍が軍を連れてきたの。彼は私たちを広場に集めて、こう言ったの…皆殺しだ、と…」

その時のホメロスの冷たい瞳と、まずは見せしめに村人の1人をホメロスが自らの手で斬殺し、その白い肌と鎧を染めた赤い血を今でも覚えている。

兵士たちは逆らうことができず、それから村人の処刑が始まった。

「そんな中で、あの方が来てくれた…。命まで奪う必要がないって、ホメロスを説得してくれた。村は焼かれて、私たちは城に閉じ込められたけど…あの方はとても親切だったわ。誰も私たちを傷つけようとしなかったし…」

「俺の…せいだな。俺がイシの村のことを奴らに教えてしまった。だから…」

「エルバのせいなんかじゃないわ!きっと…エルバが一番大変な思いをしたのよ。ずっと、追いかけられて、その中で旅を続けて…」

エルバの辛さを感じたエマの目に涙が浮かび、これ以上エマの泣き顔を見たくないと思ったエルバが視線を逸らす。

ルキの鳴き声が聞こえ、エマは涙をぬぐうとエルバの手を握る。

「ほら、行こう。奥にエルバの帰りを一番待っている人がいるわ。会いに行かないと」

エマに引っ張られ、ルキが先導する中、エルバは砦の奥へと歩を進める。

歩いている間にも、村人や城下の住民の生き残り達の姿が見え、他には治療のために粗末な敷物の上で横たわる兵士の姿もあった。

「う、うう…目が、目が見えん…」

兵士の1人が苦しみながら訴え、その兵士の奥さんと思われる女性がその手に触れる。

「大丈夫…大丈夫よ。ただ、出血がひどかっただけで、体力が戻ればまた見えるようになるって言ってたわ。大丈夫だから…」

「ひどいな…」

「うん…毎日のように男の人たちは戦ってるの。それで、いつもここはけが人でいっぱいになって…。けど、最近すごい回復呪文を使う人が来てくれたの!何か…天使みたいな人って、言われてるわ」

「天使…?」

エルバの脳裏にセーニャの姿が浮かぶ。

ナギムナー村で宴がされていた際、彼女はクラーゴンとの戦いで負傷した漁師たちの治療を行っていた。

村の豪快な女性陣とは違う、おしとやかでほっこりさせるようなのんびりさを持つ少女であるセーニャは男たちを夢中にさせ、行列を作ってしまうほどだった。

「その人はどこにいるんだ…?」

「今は英雄様と一緒に行動しているわ。連れて帰ってきてくれる人の中には急いで治療をしないといけない人が多いから…」

「そうか…」

「こっちよ。もうすぐだから」

再び歩き続け、ちょうどテオが釣りをしていた川へと続く道へと到達する。

そこにはテントがいくつもあり、たき火を中心に女性たちが集まって裁縫を行っていた。

「さあ、みんな!チャッチャカ手を動かして!チャンバラは男たちに任せな!私たちの戦場はここだよ!!」

「その…声は…」

「ペルラおばさん!!ただいまー!!大ニュース、大ニュースよ!!」

エルバから手を離したエマは急いでペルラの元に駆け寄り、大声で声をかける。

「あら、エマちゃんじゃない。どうしたの?そんなにあわて…て…」

振り返ったペルラは先ほどまでの真剣な表情をやわらげ、笑みを浮かべながらエマに尋ねると、自分の視界に入って来た見覚えのある少年に言葉を失う。

上半身がボロボロのマントで隠れていて、髪も整っていない状態だが、その顔立ちと感じる面影から、その少年が誰かはすぐにわかった。

「エル…バ…」

「少し…やせた?ペルラ母さん」

長い軟禁生活と、魔王ウルノーガによる大災害によって苦労を重ねてきたためか、旅立つ前と比べると若干ペルラのふとやかな体がしぼんだように見えた。

ペルラは言葉を失い、涙を浮かべながらエルバを見つめていた。

 

時間が過ぎ、エルバ達だけにさせてやろうと考えた女性陣がその場を離れ、エマとペルラ、ルキだけが残る中、エルバが近くのテントの中から出てくる。

上下ともに長い間着慣れていた村人の服の姿に変わっているが、それでも何かあったときのことを考えなければならず、腰には水竜の剣を差した状態でいる。

「エルバ…よく無事に戻ってきてくれたね。それはもう、恐ろしいことばかりおこって、私はてっきり…うう…」

「仕方…ないさ。こんなことに、なってしまったんだからな…」

「あの爆発で、大勢の人が亡くなったの…。次に朝が来なくなって、恐ろしい魔物が大陸中にあふれてしまったのよ。生き残った人たちも、だんだんと生きる力をなくしていって…中には自殺してしまった人もいるわ」

テントが集まるこの場所の一角には、ここで亡くなった人のための墓地がある。

墓地と言っても、きちんとした葬儀をすることも、墓を作ることもできない状態であるため、できることは大きな石碑を一つ用意して、そこに名前を刻んでいき、その周辺に火葬した死者の骨壺を埋めることぐらいだ。

時折、死者の遺族や関係者がそこへ墓参りする人もいるが、もう最後の砦はあきらめの色に包まれており、今では墓参りする人が少ない。

「そんな時だ。あの方は身分も、国も関係なしにみーんな助けてくれたわ。私らを守りながらここまで連れてきてくれた。あの方がいなかったらどうなっていたことか…。今じゃこの村は最後の砦なんて呼ばれて、大陸中の人が集まるようになったわ。それに…なんと!あのデルカダール王もいるわ!」

「彼が…いるのか…?」

一国の王であるデルカダール王のことを『彼』呼ばわりしたことで、失礼だと叱ろうとするペルラだが、これまでのことを考えて、彼が王のことを恨むのは仕方がないと思えて、叱るのを辞めた。

仕方ないとは思うが、いつまでもそれを続けるわけにはいかない。

人を恨んではいけない、恨み続けても生まれるのは虚しさしかない。

エマも、その命令を出した本人が王だということから、複雑な気持ちを隠せずに顔を下に向けてしまった。

「…そんな顔をするんじゃないよ。村を焼かれたこと、知ってる人を殺されたことは忘れられないさ。けれど、人を恨んでも仕方のないことだよ。すぐに、とは言わないけれど、一度王に会うべきだと私は思うよ。おじいちゃんなら、きっと同じことを言う」

「…そうかもな」

命の大樹の中で、真に憎むべきなのは王とデルカダールそのものを操っていたウルノーガだということは分かっている。

しかし、それでも割り切れないものがあり、エルバにとってはそれでも王が憎む対象であることを変えることができずにいる。

過去のイシの村で、テオに言われた言葉は今でも頭に焼き付いている。

だが、それを破ってしまい、憎しみに負けてしまったから、自分は命の大樹もロトゼタシアも守れず、勇者の力を奪われた。

闇に負けたのだから、そうなるのは当然のことかもしれない。

もう遅すぎるかもしれないが、テオの教えを守ることだけは決めたエルバは立ち上がる。

「行くのね…?」

「ああ。俺自身の憎しみと向き合うためにも」

「デルカダール王のテントは中央にある一番大きなテントだよ。入口にある2つの旗が目印だ。けれど…ケンカをするんじゃないよ」

「ああ、分かっている。分かっているさ…。服、ありがとう」

エルバはトボトボと村人のテントを離れていき、北へと赴いていく。

彼の弱々しい後姿を見たエマは静かに両手を握り、祈るように目を閉じる。

(お願い…エルバ。どうか、旅立つ前の優しいあなたを見せて)

 

「そうか…儂はそのようなことを」

「いえ。英雄殿のおっしゃることが正しければ、行ったのはウルノーガであり、陛下が気に病むことでは…」

「いいや、ウルノーガに憑依される隙を与えてしまったのは儂自身。先祖代々の国を守れず、よもや多くの民と兵を死なせることになろうとは…」

テントの中で、兵士から話を聞いたデルカダール王が唇をかみしめ、顔を下に向ける。

自分が目を覚ましたのはつい先日で、それまでは生死の境をさまよっていた。

傷は癒し手が治してくれたが、治せるのは体の傷だけで、ウルノーガによって奪われたすべてが戻ってくるわけではない。

16年という時間、崩壊した城と城下町、失われた命、そしてマルティナ。

決してその16年は自分が体験したものではないにもかかわらず、記憶に焼き付いている。

兵士に尋ねたのは、それが現実か妄想なのかをはっきりさせたかったからだ。

だが、心のどこかにそれが妄想だと言ってくれることを望んでいた自分がいるが、そんな希望はむなしく切り裂かれる形となった。

「陛下、エルバ殿が参られました」

「そうか…ご苦労だった。今は彼と2人きりにさせてもらえぬか?」

「は…」

王の苦しい胸の内が感じられた兵士は敬礼をしたあとでテントを出て、入れ替わるようにエルバが入ってくる。

腰には水竜の剣を差しており、今のデルカダール王には身を護る武器がベッドのそばに置かれている鋼の剣しかない。

若いころは剣豪としても名高かったが、老齢なうえに起き上がったばかりで体力が戻っていないデルカダール王が仮にここでエルバに斬りかかられたとしても、太刀打ちできるはずがない。

「無事で…あったか…」

「…ああ、あんたもか」

王に対する者とは到底思えない口ぶりだが、今のデルカダール王にとってはこれがむしろ心地よかった。

何も守れなかった自分が王を名乗る資格などないのだから。

「儂は恐ろしい夢の中にいたようじゃった…。そなたが生まれたあの時から…」

「残念だが、夢じゃない。現実だ。今起こっていることも…村を焼かれたことも…」

「そうじゃな。済まぬ…民にも、そなたにも…申し訳ないことをした。許してくれとは言わぬ。そのようなことを言われる資格はもうないのだから…。儂の首をよければ、ためらいなく切り落とせ。その代わり、兵たちのことは許してほしい。すべては儂の命で終わりにしてほしい」

自分もまた、今の世界の元凶を作り上げてしまった。

その罪は命でなければ償えない。

ちょうど、その死刑執行人にふさわしい男が目の前に現れた。

ならば、彼に斬られることで、その罪を清算することが、今生き残っている自分の役目。

眠っている間、英雄は人々のために動き続けた。

彼に最後の砦のすべてを任せればいい。

「さあ、斬れ。それで、終わりに…」

「…」

エルバは水竜の剣を抜き、一歩一歩前進していく。

デルカダール王は目を閉じ、静かに裁きの時が来るのを待つ。

至近距離まで近づいたエルバは剣を振り下ろす。

冷たい死の感触が来るのを待った王だが、いつまでもそれが伝わってこない。

目を開けると、その刃は首筋ギリギリのところでとどまっていた。

「俺は…あんたを許さない。だが…あんたは、仲間の…マルティナの父さんだ。いくら…憎くても…その人は、斬れない…」

力なく剣がエルバの手から離れ、カタリと床に落ちる。

落ちた剣を見つめるエルバの表情は苦悶に満ちていて、デルカダール王は目を閉じる。

「マルティナ…我が娘が…。生きておるのか?」

「分からない。俺の記憶はウルノーガが力を放って、命の大樹が力を失った瞬間から…途切れてしまっている」

どのようにして命の大樹から生還し、ムウレアに来たのか、エルバには分からない。

それを知っているであろうセレンがもうこの世にいない以上、聞くことはできない。

当然、他の仲間たちがどうなったのかも、今のエルバには確認のしようがない。

「そうか…」

拳を握りしめるデルカダール王は目を閉じ、肩を震わせる。

16年にもわたって、ウルノーガによって引き裂かれた娘の生死が分からず、それを確かめるすべもない己の無力さを感じずにはいられない。

エルバも何も言うことができなかった。

(カミュ…セーニャ、ベロニカ…シルビア…マルティナ…爺さん、生きているのか…?)

「失礼いたします!!」

重々しい沈黙の中、伝令の兵士がテントの中に入る。

中の様子を見た兵士は一度出ようとするが、デルカダール王の視線を感じ、姿勢を正す。

「報告か…?」

「はっ!英雄殿、そして癒し手殿のご帰還です。本日も逃げ遅れた多くの民を救出したとのことです!なお、デルカダール城下町内にて、デク殿の商店から武具の回収も成功しております!」

「そうか…ご苦労だった」

「はっ!失礼いたします!!」

兵士がテントを出て、デルカダール王の視線がエルバに向けられる。

「…望まぬことやもしれんが、そなたもあやつを出迎えてやってくれぬか?」

「やはり、英雄というのは…」

「そう、グレイグじゃ…」

エマやペルラから英雄という言葉を聞き、そしてムウレアで見たあの光景から、英雄がグレイグだということは薄々と感じていた。

なぜ、将軍を名乗らずに英雄などと名乗るのかは分からないが、肩書を変えたからと言って、エルバのグレイグに対する感情が変わるわけではなかった。

 

村の入り口だった場所で、兵士たちの中でエルバもグレイグの帰りを待つ。

相変わらず真っ暗な空で、ここに到着してからどれだけ時間が経ったのか、すっかりわからなくなっていた。

その中で切通しから足音が聞こえ、兵士たちの視線がそちらに向けられる。

そこにはグレイグを先頭とした兵士たちの姿があった。

全員の鎧もサークレットも傷だらけになっており、一部には肉眼で分かるくらいの補強部分まである。

物資が何もかも不足している中で、どれだけやりくりして出ているのかを感じずにはいられない。

砦の中へと歩くグレイグだが、途中で自分が受けているいつもとは違う視線を覚え、その方向に目を向ける。

そこにはエルバの姿があり、エルバは睨むようにグレイグを見ていた。

「生きて…いたのか…」

「ああ、あんたもな」

刺々しいほどの冷たく、重い雰囲気が感じられ、英雄の帰還を喜ぶはずの人々の間に沈黙が流れる。

エルバもグレイグも、そこから口を動かす気配はなかった。

「エルバ様…!!エルバ様!!」

「その声は…」

聞き覚えのある声に列の後方を見る。

そこには見覚えのある金色のロングヘアーと緑と白のドレスを身に着けた少女の姿があった。

「セーニャ。癒し手というのは…」

「はい、はい…そうです!エルバ様!良かった…ご無事で」

エルバに駆け寄り、無事な姿を見るセーニャの目には涙が浮かんでいた。

近くで見ると、少し疲れがあるようで、眼には薄いくまがあり、元々華奢な体が痩せていることで余計細く見えた。

「良かった…ベロニカは?」

「分かりません…。気づいた時にはここにいて…。私はここでずっと、兵士の皆さまや避難してきた皆さまの治療をしていました。本当はエルバ様たちを探しに行きたかったのですが…」

「いや、いい…。セーニャらしいな」

目の前のけがをしている人々を放っておくことのできないやさしさ。

それがあるから、きっとこの砦で大きな助けとなっていて、結果的に再会することができた。

その偶然と幸運をセーニャは感謝していた。

そんな少し明るくなった空気の中で、テントから出てきたデルカダール王が護衛の兵士2人と共にグレイグの元へやってくる。

「よく戻った、グレイグよ。…して、成果は?」

「はっ。デルカダール城にて不穏な動きがあると。この闇に乗じて動きがありましょう。王よ、民たちを急ぎ安全なところに…」

「うむ…」

「皆のもの!!じき、魔物が来るぞ!!かがり火をたけ!!戦いに備えるのだ!!」

「「「「ハッ!!!」」」」

グレイグの命令に応じ、兵士たちが急ぎ戦いの準備を始める。

前線に出るために、砦から出てくる兵士の中には武闘家や戦士をはじめとした冒険者、そして装備だけは一般の兵士の物となっているが、おどおどしながら歩く男もいた。

多くの民間人を守るには、生き残っている兵士だけでは不足で、今では少しでも戦った経験のある人も動員しなければならないくらい追い詰められていた。

「…悪く、思わんでやってくれ。グレイグ程の男でも、いまだこれまでのことを整理しきれておらん」

グレイグを擁護するデルカダール王の言葉を聞くエルバだが、彼に視線を向けようとせず、顔を下に向けている。

整理しきれていないのはエルバ本人も同じだった。

村人の仇と思っていた男が実はその村人を救ってくれていたなど、信じられない。

なら、これまで追いかけられて、殺しあってきたのはいったい何だったのか。

「…兵士たちが言っている。近頃のあやつはまるで己を痛めつけるように戦っておる…」

兵士たちに指示を飛ばすグレイグをデルカダール王はじっと見つめる。

昔見た時のグレイグは生真面目さ故に厳しいところはあるが、それでも余裕のある、兵士たちの声に耳を傾けるところがあった。

しかし、今の彼はそのような余裕は一切なく、矢継ぎ早に指示を飛ばしていて、兵士と会話する余裕が一切ない。

何かに追い立てられるような強迫観念が彼を縛っているのを王には感じていた。

「これ以上…あやつを一人で戦わせるわけにはいかんのだ。頼む…そなたの力を貸してはくれぬか?」

「俺はあいつの部下を何人も殺した。そんな俺に…か?」

言い訳めいた言葉だと、しゃべるエルバ本人も感じていた。

本当はただ、ひどく憎んでいたグレイグと一緒に戦えるか疑問に感じているだけだ。

最後の砦にはエマやペルラ、そしてセーニャがいる。

彼らを守るために戦うことには拒否する理由はない。

だが、問題なのはグレイグと本当に共に戦えるかだ。

「これまでの戦いで多くの兵が傷つき、死んだ。今生き残っている兵の中に、グレイグと共に戦える者はおらん。おぬしだけが頼りなのだ。頼む…」

懇願するように頼み込む今のデルカダール王からは威厳が薄れているように感じられた。

王である以前に、ひ弱い一人の老人のように見えてしまう。

これが憎み続けてきたデルカダール王という男なのか。

「…分かった。だが、奴が俺と共に戦うことを拒否するかもしれない。その時は…俺も奴を助けられるかどうかは分からない。そうなっても、文句は言うな」

「…ああ、頼む」

「やや、あなたはもしかして、兄貴の連れの人!?いやーー、久しぶりねー!」

重い空気の中、これまた聞き覚えのある、軽やかなトーンの男の声が聞こえ、カサカサと駆け足の音が近づいてくる。

少し顔を上げると、その音の主が了解もなしにエルバの顔をじろじろと見る。

「やっぱりー!生きていたんだねー!良かったー!なぁ、兄貴はどうしたの??」

「…分からない。生きているかどうかも」

「生きているかどうかは心配いらないよー!だって、兄貴は強い人だからー!それより、これから戦うのに、剣1本だけじゃ、装備が足りないでしょー??ほら、ついてきて!!」

「お、おい…??」

無理やりデクに手をひかれて、否応もなしにエルバは切通し付近に止められている大きな荷馬車に連れていかれる。

そこにはこれから戦うと思われる人々が集まっており、装備の新調をしていた。

(そういえば、伝令の兵士がデクさんの武具を回収したといっていたな…)

「私、あれから商売の手を伸ばしてねー。いろいろ武器や防具も手に入ったんだよー!魔物たちに盗られてるのもあるけど、だいぶ残っててよかったよー!ほら、しっかり装備整えてー!」

「いいのか?それは…」

旅を続けて、いくつも装備品を見てきたからわかるが、いずれも一般の武器屋や防具屋が仕入れるには高価なものが集まっており、手に入れるのも並大抵ではなかったはずだ。

そんな装備をためらいなく渡そうとするデクに申し訳ないという気持ちもある。

下手をすると、これらが今の彼の全財産のはずなのに。

「あ、お金のことは気にしなくていいよー。平和が戻って、復興したらまた稼げばいいだけだからー。だから、気にしないで準備してねー」

「分かった…助かる」

「ああ、そうだ。特におすすめがこれだよー!!」

さっそくデクは鎧や服などの胴体への装備品の列から胸部に不死鳥のような模様が刻まれた紫色で長そでの上下の服を持ってくる。

「これは魔法の闘衣といって、呪文とブレスに強い特別な布を魔力を込めて編んだすぐれ物だよー!これなら、並の呪文とブレスを前にしても、へっちゃらだよー!それから、あとは…」

まるでコーディネイターのようにデクはエルバに合いそうな装備を探し始める。

楽しそうに探しているデクを見たエルバはデルカダールで出会った時の彼を思い出す。

その時も、彼から装備品だけでなく、馬や食料などを提供してもらった。

何かの因果を感じつつ、エルバは彼が装備を集め終えるのを待った。

 

「エマ、ペルラ母さん」

「あら…エルバ。どうしたの?さっきから騒がしくな…」

戻って来たエルバの姿を見たペルラは言葉を失う。

先ほどまでの剣を差している以外は村にいたころとほとんど変わらない姿であったはずのエルバの姿が魔法の闘衣と腰に差している2本の剣、そして背中の両手剣で完全武装されたものへと変わっていた。

黄土色のやや分厚い刃のあるその剣は奇跡の剣で、デク曰く、軽さだけでなく、相手を攻撃することで自分の傷をいやすことのできる優れものとのことだ。

そして、背中に刺している同じ色の刀身で、柄が鷲の翼を模したものとなっているキングブレードもまた、デクから出世払いで受け取ったものだ。

「2人とも、これから戦いが起こる。できるだけ奥へ避難してくれ」

「エルバ…」

戻ってきてそれほど時間が経っていないにもかかわらず、勇者の力を失ったにもかかわらず、なおも戦わなければならないエルバ。

力のないエマには彼のみを案じることしかできない。

「今は戦える人間が1人でも多い方がいい。だから…」

「エルバ、あんた…無茶だけはしちゃだめだよ。私たちを守るためとはいっても、死んだらどうにもならないんだからね」

「ああ…分かっている」

敵はいつまでも待ってはくれない。

エルバは背を向け、テントを出ようとする。

だが、急に右手を細い指が絡まる。

その指はエマのものだということは一瞬で分かった。

「エマ…」

「行かないで…エルバ…」

「…」

「分かってる…。こんなの、私のわがままだってこと。でも、でも…!」

エマの脳裏に見張りの兵士たちが言っていた言葉がよみがえる。

悪魔の子と呼ばれ、追われ続けて、一歩間違えば人間に殺された可能性だって高い旅を続けてきたエルバ。

そして、そんな辛い思いをして旅をつづけたエルバにさらに酷なことに、再び戦う時が来てしまった。

離れ離れになってから、ずっとエルバのことを考えていたエマには彼を送り出すことがどうしてもできなかった。

「エマ…変だな。力をなくして、こんなひどい状態なのに…まだ戦えることがうれしい」

「エルバ…?」

「村が廃墟になって、みんながどうなったのか分からない…。そんな状況で俺は…ずっと贖罪のために戦っていた。守れなかったエマやみんなのことを…ずっと忘れることができなかった」

そうすることでしか、彼女たちに償う道がない。

ずっとそれを考えて生きて来て、デルカダールを憎んだ。

それが間違いだとわかっていたとしても。

「でも、今ははっきりとみんながいることが分かる。今度こそ、守ることができる…。俺はそれがうれしいんだ」

「エルバ…」

「もう俺に、勇者を名乗る資格はない。だから…もう1度確かめたいんだ。勇者としてよりも、俺として戦う意味を」

エルバの片方の手がエマの手に触れる。

何かを言おうとしたエマだが、その前にペルラがエマの肩に手を置く。

「ペルラおばさま…」

「すぐに、戻る」

エマの手が離れると、エルバはテントの外へ出る。

テントを出たエマは彼の後姿を見守ると、ぎゅっと祈るように手を組む。

(神の岩に宿る大地の神様…どうか、エルバを守って…)

 

「弓兵部隊、特に空を飛ぶ魔物は一匹たりとも逃がすな。先発する敵への第1波終了後、騎馬隊が突撃…」

伝令兵によって、配置された兵士たちに作戦が通達されていく。

砦を出たエルバは右翼前方で待機し、フランベルグの背に乗っている。

そこから少し左を見ると、そこには先頭に立つグレイグとリタリフォンの姿が見えた。

デルカダール王の言葉が脳裏に浮かぶが、そんな余裕を吹き飛ばすように、偵察兵の声が響く。

「敵襲、敵襲ーーーー!!!」

ビリビリと殺気を感じたグレイグが即座にキングアックスを抜き、同時にデルカダール兵たちも剣を抜く。

デルカダールへと続く北への道からはリビングデットや骸骨剣士などのゾンビ系の魔物たちやイビルビーストなどの魔物たちがぞろぞろとやってきていた。

ざっと見るだけでも、砦を守る兵士の数を上回っており、上空にも空を飛ぶ魔物たちの姿がある。

「弓兵、攻撃ーーーー!!!」

グレイグの声と同時に、兵士たちが次々と矢を放つ。

雨のように降り注ぐ矢は次々と魔物たちを撃ち抜き、十数匹を倒すことができたが、それでも敵の侵攻をわずかに遅らせるだけに過ぎない。

それでも、持ち前の生命力かそれとも幸運によって生き延びた魔物たちが後退することなく、まっすぐに兵士たちに向かってくる。

「突撃ーーーー!!!」

兵士たちがグレイグに続いて一斉に突撃する。

兵士と魔物たちの刃がぶつかり合い、その中で兵士や魔物の断末魔の声が響く。

フランベルグを駆けるエルバは正面から迫る、右手に槍を持った骸骨の騎士、死神貴族に迫る。

死神貴族の槍とエルバの水竜の剣がぶつかり合い、同時に刃から冷気が発生する。

それにひるんだすきにフランベルグが後ろ脚で死神貴族を蹴り飛ばした。

馬の後ろ脚をまともに受けたことで死神貴族の体が砕け散りながら宙を舞い、主を失った馬は逃げるようにその場を後にする。

「うおおおお!!!」

グレイグは持っているキングアックスを振り回し、上空から迫るイビルビースト3匹を切り捨てる。

そして、リタリフォンを大きく跳躍させ、その姿にひるんだキラーアーマーを両断した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59話 ゾンビの襲来

「急いでけが人をここへ連れて来い!!」

「癒し手さん!この方、左手の感覚がないって!!」

「分かりました。大丈夫、回復できますから…!」

砦の外と同じように、中でももう一つの戦いが起こっていた。

負傷した兵士が担ぎ込まれ、神父や医者が治療にあたる。

セーニャが担当しているのはその中でも一番重傷な兵士で、彼らにベホイムで治療を施し、骨折や神経の損傷の治療をしている。

今、左手の感覚をなくしていた兵士の治療を終え、残りの治療をほかの医者にゆだねたセーニャは一呼吸置くと、つい眠気が襲い掛かる。

「大丈夫かい?セーニャさん。あんた、ずっと呪文を使っていて、疲れてるんじゃないかい?」

兵士たちの包帯を持ってきていたペルラが疲れた様子のセーニャを気遣い、声をかける。

戦いが始まり、ものの数分で重傷の兵士が担ぎ込まれてから数時間。

特にセーニャは休む暇もなしに回復治療に奔走していた。

「大丈夫です…まだ、MPは残っていますから」

「そう…でも、無理をしちゃあいけないよ。あんたはあんたでもっとやるべきことがあるでしょう」

「はい、お心遣い感謝いたしますわ。ペルラおばさま」

セーニャ自身も、ここで倒れるつもりは毛頭ない。

まだ行方の分からないベロニカを見つけなければならず、導き手の使命も終わっていない。

これまでセーニャはエルバを命の大樹へ導くことが導き手の使命だと考えていた。

だが、最近ではそうではないように感じられた。

言葉では説明できないが、もっと大きなメッセージを預かっている。

そういうふうに思えた。

その意味を確かめるためにも、今ここで倒れるわけにはいかない。

しかし、だからとって、今自分にしか助けることのできない人をそのままにするわけにもいかなかった。

それに、砦の外では自分が導くべき勇者が人々の希望となるために戦い続けている。

「エルバ様…どうかご無事で」

 

「はあああ!!」

フランベルグから降り、キングブレードで周囲の骸骨剣士たちの胴体を切り裂きながら振り回す。

戦いが始まってからどれだけ時間が経ったのか、もうどれだけの魔物を倒したのか。

今のエルバにはそれを考える余裕は一切なかった。

周囲には魔物や兵士たちの死体が転がり、キングブレードの刀身やエルバの腕や顔、髪は魔物たちの返り血で濡れている。

彼らの奮闘により、魔物たちは砦に近づけない状態で、特に大きな邪魔になっているのはグレイグだ。

グレイグは単騎で敵の軍勢のほぼ真ん中に突入しており、リタリフォンに乗ったままキングアックスで寄せ来る魔物たちを倒し続けていた。

「ちっ…!」

グレイグが強いというのは彼と何度も戦ったエルバにはわかる。

しかし、どんなに強靭な力を持つ人間でも、多くの集団に包囲されてはいずれ力尽きる。

エルバの脳裏に、デルカダール王のグレイグのことを頼む光景が嫌でも思い浮かぶ。

ちょうど、グレイグの背後にモーニングスターを握る、首なしで顔が黒い大楯につけている鎧騎士、デュラハーンが彼を攻撃しようとそれを振り回そうとしていた。

「フランベルグ!!」

エルバの呼び声に反応し、どこからともなくフランベルグが飛んできて、それに飛び乗ったエルバは大きく跳躍してグレイグの包囲の中に飛び込んでいく。

そして、落下スピードを利用して水竜の剣をデュラハーンに向けて振り下ろす。

鎧に大きく傷が入り、モーニングスターの鎖が砕けたものの、デュラハーンは大きくのけぞるだけで立ったままで倒れる気配がない。

「…!奴は核を破壊しない限りは死なんぞ!!」

エルバの攻撃によってデュラハーンに気付いたグレイグは右手のキングアックスに力を籠めると同時に、その刀身にドクロのような幻影が宿る。

そして、その力をこもったままデュラハーンに大振りする。

鎧の装甲が大きくえぐれるとともに、力が抜けたデュラハーンのモーニングスターの持ち手と盾が地面に落ちる。

力なく倒れたデュラハーンから出てきた黒いトゲトゲとした水晶が二つに割れていた。

「礼は言わんぞ」

「そのつもりで助けたわけじゃない」

自然にエルバとグレイグが互いに背中合わせとなり、2人を包囲する魔物たちに目を向ける。

デュラハーンを倒したとはいえ、まだまだ魔物たちはひるむ気配がなく、まだまだ仕掛けてくる可能性が高い。

「次は…助けられないかもしれないぞ」

「まずは自分の身の心配をするのだな!」

魔物たちが一斉に2人を襲うが、その返礼が水竜の剣から放たれる冷気によって数体が氷漬けとなり、そのまま刃で粉々に砕かれる。

グレイグも負けてはおらず、一斉に近づいてくるイビルビーストたちを天下無双によってみじん切りにしていく。

次々と倒される魔物たちを見て、砦へ向かおうとしていた魔物の中には先にグレイグ達を始末しなければ後続を断たれてしまうと考えたのか、進撃を断念して2人の元へ向かうものもいた。

(あの男…勇者の力をなくしてもこれとはな…)

魔物をキングアックスで切り付ける中、グレイグは改めて短期間で力を伸ばしていくエルバの力を感じずにはいられなかった。

両手剣の荒々しい力任せな戦いと、二刀流による素早さをメインとした戦いだけでなく、呪文まで使いこなす彼の臨機応変な戦いぶりはグレイグにはできないものだった。

彼のことを頼もしく思うと同時に、ここからの打開策に頭を巡らせる。

今はエルバとグレイグで抑えることができているが、それでも倍以上の戦力を持つ魔物たちから砦を守るには限界がある。

軍勢の多くがゾンビ系で、彼らは既に生命活動を停止している以上、疲れの概念がない。

エルバとグレイグのどちらかが息切れする前に、敵を退ける手段を講じなければならない。

正面から刃を向けてくる死神貴族との鍔迫り合いを演じる中、ついにグレイグはある魔物に目が留まる。

馬に乗ったデュラハーンというべき魔物で、その魔物がモーニングスターを振るい、それに反応して魔物たちの動きに変化が生じていた。

「エルバ、指揮官は奴だ!奴を仕留めれば、状況を覆せる!!」

力任せに槍を弾き飛ばし、縦一閃に死神貴族を両断した後でグレイグは戦うエルバにその魔物、ファントムシャドウの位置を指さして伝える。

敵指揮官の場所が分かったとはいえ、問題はどうやってその魔物を倒すかだ。

既に周囲に殺到している魔物たちの囲いを突破しなければ、ファントムシャドウを倒すことはできない。

「俺1人で奴らを相手をする。お前が奴を仕留めろ!」

「…任せて、いいのか?」

今ここで戦力の片割れをなくすと、グレイグ1人で数十の魔物と相対することになる。

たとえ指揮官を倒したとしても、その前にグレイグが倒されてしまっては最後の砦は陥落したも同然となってしまう。

「俺には…倒れられん理由がある」

「…分かった。来い、フランベルグ!!」

エルバの声に反応し、どこからともなくフランベルグが囲みの中に飛び込んできて、エルバがその背に飛び移る。

そして、主を乗せたフランベルグが大きく跳躍し、魔物たちを踏み台にして飛び越えながらファントムシャドウを目指す。

魔物たちの視線がエルバとフランベルグに向いた瞬間、背後からの一撃を受けた影の騎士1体が地に伏す。

「来い…!貴様らの相手は俺だ!!」

 

「どうなっている!?どうなっているのだ、これは!!」

岩山のトンネルをくぐるファントムシャドウはいつもとは違う状況に動揺を隠せない。

これまで彼は何度もあの砦を攻撃した。

当然、グレイグと戦ったこともあったが、これまでは自分が襲われ、更に追撃されるようなことは一度もなかった。

兵隊がいるとはいえ、その中で最も強く、デルカダールが存続していた時代は将軍であった彼以外に指揮官がおらず、更には実力も彼が一番な上に彼に追随するような兵士が一人もいなかったことが大きい。

命令通りに兵士たちを殺して後退を繰り返すことで、これからの昇進も約束されていた。

バラ色の未来がもうすぐ来るはずだった。

だが、これは話が違う。

今の自分は紫の服を着た、グレイグに匹敵する実力の男に追いかけられている。

(だが…だが、まだだ!!まだ望みはある!戻りさえすれば…戻りさえすれば!!)

今回はイレギュラー故に逃げているが、デルカダールには数多くの魔物がすぐっている。

それに、あの時魔王が起こした災害によって死んだ人間や魔物の死体はゴロゴロあり、それを利用すればいくらでもゾンビ系の魔物を作ることができる。

それで倍以上の部隊を作れば、今度こそ。

だが、トンネルを抜けて、廃墟と化した小屋のところまで来たときに馬の足が止まり、ファントムシャドウの盾の開いた口が閉じることができなくなっていた。

そこには追走していたはずのエルバとフランベルグの姿があり、彼の手には水竜の剣が握られていた。

「馬鹿…な!?いったいどうやった!?どうやって先回りした!!」

「さあな。こいつの足がいいだけだろうな」

フランベルグの頭を軽くたたき、エルバは彼をねぎらう。

彼の足には緑色の風が宿っており、それはすぐに消えてしまった。

ファントムシャドウの言葉に訂正するところがあるとしたら、先回りしたのではなく、既に追い抜いていたというべきだろう。

エルバは急激に早くなったフランベルグにしがみつくので精いっぱいだった。

(一体どういうことだ…?お前の謎はどんどん増えるばかりだな)

ずっと一緒に旅をしてきたにもかかわらず、まったくフランベルグのことが分からない。

だが、今はその能力に感謝し、エルバはファントムシャドウをにらむ。

「お前は逃がさない。殺された人間が多くいるからな」

「ふざけるな…魔王様より軍を預かった俺が、てめえなんかにーーー!!」

フランベルグに乗ったまま正面から走ってくるエルバに向けてファントムシャドウがモーニングスターを振るう。

重々しい、棘のある鉄球が飛んでくるが、多くの戦いでそれよりも速い動きの攻撃も見たことのあるエルバには止まって見えた。

体をそらすように鉄球をかわして懐に飛び込み、その右腕を切り裂く。

右腕ごとモーニングスターが地面に落ちたことで攻撃手段が盾による殴打したなくなったファントムシャドウを不規則に盾を振り回すが、その射程は短く、既にエルバは距離を置いていた。

「これで…終わりだ!」

渾身の魔力を右手に宿し、メラミを放つ。

全力で放った火球はファントムシャドウを燃え上がらせ、破損個所から炎が鎧の仲にも侵入し、コアを焼いていく。

「ギャアアアアア!!これで、これで終わったと思うな…。もう、遊びはおしまいだ!お前らは死ぬ!この大陸の人間は一人残らず、死ぬ!!せいぜい震えて待っているがいい!!ハハハハハハ!!!!」

「黙れ…」

聞くに堪えない笑い声をあげる往生際の悪い鎧をすれ違いざまに横一閃に切り裂き、フランベルグの足が地面に落ちた楯を踏みつけた。

 

「ひどい状態だな…」

砦に戻ったエルバが見たのは退却して、死体以外になくなった魔物の軍団と、負傷者の救助と死体の回収をしている兵士たちの姿だった。

疲れ果てた兵士たちを指揮するグレイグの体も傷だらけで、額に軽く包帯を巻いているだけだ。

「指揮官を討ってくれたおかげで、奴らは退却した…だが…」

「ああ。言われなくても分かる…」

死者や負傷者の数を見る今のグレイグの表情は苦悶に満ちていた。

おそらく、何度もこのような戦いを繰り広げ、そのたびに部下を失い続けてきたのだろう。

その苦しみはきっと、指揮をする人間でなければわからないことだろう。

「…奴は死に際に妙なことを言っていた。遊びは終わりだ、この大陸の人間は一人残らず死ぬ、とな」

エルバの口から発したファントムシャドウの最期の言葉を受け、グレイグの体に鳥肌がたった。

 

「…ふむ。その言葉が誠であれば、遠からず奴らは本気でこの最後の砦を襲うだろう。本気で皆殺しにするために…」

王のテントの中で、例の言葉を聞いたデルカダール王は最悪のケースを推測する。

最後の砦にはこの大陸の生き残りの多くが集まり、そこが落ちたときの人々の絶望は計り知れない。

ただ殺すだけでなく、そうした希望そのものを奪うようなやり口は魔王の名に恥じないものがあるだろう。

「それに、あくまでもここの防衛は時間稼ぎでしかない。魔の巣窟と化したデルカダールを奪還しない限り、このような日々に終わりはない」

「そうだな…このままではじり貧になって、そろって死ぬだけだ」

「だが、時は満ちた。今こそ、この地に光を取り戻すための戦いを仕掛けるとき。エルバ…グレイグ。そなたらにはデルカダール城に侵入し、この闇を生み出す魔物を討ち滅ぼしてもらいたい」

「しかし…王よ!!」

これから敵が襲ってくるかもしれない中で、守りの要であるエルバとグレイグを移動させるということがどういうことなのか。

それが分からない王ではないと信じているが、それでも多くの兵士や国民の死に目を見てきたグレイグは口を挟まずにはいられなかった。

それに第一、城が魔物たちの手に落ちてからはそこへ侵入する道をことごとくつぶされてしまっている。

「まあ、待て。儂とて無策ではない。情報を集めたところ、デルカダールの滝のあたりに地下通路へと続く隠し通路があることが分かった。そこを使えば、侵入できるはずだ」

「滝の近くの…」

ふと、エルバの脳裏にカミュと共に飛び降りた滝の光景が思い浮かぶ。

おそらく王の言う隠し通路というのはその場所のことなのだろう。

そこからであれば、城の地下牢へと行くことができ、そこから玉座まで向かうこともできるかもしれない。

「グレイグよ、その通路で使う鍵を預けておこう。おそらく、魔物どももその場所に気付いてはおるまい」

「王よ…私は、私は反対です!私がいない間、誰が指揮を執るというのです!これまでにない魔物の大軍がここに来るのですぞ!!」

「それでこそだ。魔物どもがここを襲う間であれば、城内の警備も手薄となろう。朝を迎えるためにも、もうほかに手段は残っておらん」

「しかし…!!私は、もう…民の死を見るわけにはいかないのです…」

グレイグの脳裏に命の大樹が落ちてからの日々が次々と浮かんでは消えていく。

ウルノーガにはめられ、自らこの悲劇の引き金を引いてしまった日からずっとグレイグは人々を救うために戦い続けた。

しかし、将軍と名乗ろうとも、英雄と称されようとも所詮はただの人間。

次から次へと零れ落ちていく命に対して、グレイグは何もできなかった。

そのたびに己の無力を思い知ってきた。

確かにデルカダール王の策が成功すれば、デルカダールを取り戻すことはできるだろう。

だがそれは下手をすると全滅もありえる危険なかけだ。

そんなことにグレイグは応じることができるはずがなかった。

「だからこそ…この作戦をおぬしら2人にかけるのだ。おぬしらしかおらん。このままたとえ守り続けたとしても、死んでいくだけじゃ。ゆっくりと真綿で首を締めるように…」

確かに、この状況を打破するにはもはやその作戦しかない。

頭ではそれは分かっているが、それでも納得できない。

思いつめるグレイグを見たデルカダール王ははじめて笑みを見せる。

それはエルバは決して見たことのない表情だった。

「何、案ずることはない。デルカダールの民、そしてイシの村人たちは強く、優しく…そして勇敢じゃ」

デルカダール王はベッドのそばにある剣を抜き、その刀身を上に向けた状態で額にかざす。

「一晩じゃ…一晩あれば十分じゃ。その間、砦は儂が守る」

年老いたデルカダール王だが、覚悟を決めて剣を手にする今の彼はこの国を守る王の目になっていた。

その彼にグレイグはひざまずき、キングブレードの刀身が彼の頭上に平行させる。

「頼むぞ…そなたらが、我々の希望じゃ」

 

「たった、お二人でデルカダール城へ行かれるというのですか!?」

王のテントを出て、グレイグと別れたエルバはエマたちのいるテントへ、これからの動きを伝える。

戦いの疲れで誰もが寝静まり、今たき火の前で起きているのはエルバとセーニャ、エマとペルラの4人だけだ。

そして、エルバに課せられた次の戦いを知ったセーニャは驚きと共に、脳裏に砦を襲った魔物の軍勢の何倍も存在する魔物の巣窟の光景が浮かぶ。

「危険すぎます。あの砦をグレイグ様とたった2人で…!」

「ああ…。だが、大勢で動くと勘付かれる。砦を守る兵士が必要だ。セーニャは残ってくれ。兵士の治療がまだ終わっていないだろう?」

「それは…そうですが…」

セーニャも今自分が離れられる状況ではないことは分かっている。

しかし、導き手として勇者を導くという使命を果たせないことに悔しさを覚えていた。

「エルバ…せっかく砦を守ったのに、また戦いに行くの…?」

「すまない、エマ。本当はゆっくり君と…」

「ううん、ごめんね。わがままは言わない。だから…無事に帰ってきて。ね?」

本当はずっと離れていたエルバともっと一緒に過ごしたい、またエルバと離れるのが嫌なのだろう。

しかし、それを言ってしまってエルバを困らせるわけにもいかなかった。

「あと2時間したら出発する。見送りはいらない」

「エルバ…」

立ち上がったペルラはエルバのそばに向かう。

エルバが彼女に振り向くと、彼女は両手をエルバの肩の上に置いた。

「行くしか…ないんだね?」

「ああ。今の俺には、こうすることしかできない…」

「じゃあ…そんな暗い顔はやめな。何があってもへこたれるんじゃないよ!グレイグ様と助け合って、しっかりお役目を果たしてくるんだ」

いつものように、肝っ玉母さんな表情を見せたペルラにエルバは何も言わずに首を縦に振る。

そして、ペルラはエマに顔を向け、目で合図をすると、エマはテントの中へ入った。

3分くらい経つと、エマが出て来て、その手にはコゲのある鍋が握られていた。

鍋を開けると、その中にはエルバにとっては懐かしいシチューが入っていた。

「これから温めるから、しっかり食べて出発しな。これはエマちゃんと私で作っておいたのさ」

「エルバが帰ってきたときに、食べてもらいたくて…」

「ペルラ母さん…エマ…」

もう2度と食べることができないと思っていたシチューが焚火の熱で温まり、そのほのかなにおいがエルバの鼻孔を刺激する。

慣れ親しんだ匂いで、本来ならそれほど特別なものでないにもかかわらず、それが彼の胸を熱くする。

「エルバ…?」

そんなエルバの顔を見たエマが驚いたように見つめる。

ペルラも見たときは驚いていたが、すぐに困ったような表情を見せ、エルバに布きれを差し出す。

「なんだ…?俺は別に怪我なんて…」

「何言ってるんだい?怪我じゃないだろう?」

ペルラの視線はエルバの顔に向けられていて、どういうことか分からないままエルバは自分の頬に触れる。

指には何かのしずくがついていて、それが流れるように次々と付着する。

「なみ…だ…?」

「辛かったんだね…エルバ。いいんだよ、私たちの前でなら、泣いても。強がっていない、自然なエルバを見せて」

「エマ…。くっ…!」

自覚すると、段々涙が止まらなくなり、顔を下に向けて右手で目を抑える。

セーニャは何も言わずに席を立つと、一人テントの中へ戻っていった。

 

「そろそろ、刻限だ。準備はいいな?」

「ああ。気は済んだ」

約束の時間になり、砦の外にはそれぞれの愛馬に乗ったエルバとグレイグの姿があった。

砦の炎はすでに消えており、見張りの兵士以外にはだれもいない。

これから決死の強行軍が開始されるにもかかわらず、寂しい送り出しだ。

「時間がない。これから密林を越え、教会を中継ポイントとして移動するぞ」

「ああ…行こう」

2人を乗せた馬が歩き出し、ナプガーナ密林への道を進んでいく。

エルバとグレイグは砦を振り返ることなく、ただ目の前の道をひたすら進んでいた。

「エルバ…」

「何だ?」

「心配するな。王が約束をたがえることはない。必ずや砦を…民を守ってくれる。だから、目の前に集中しろ」

「…分かっている」

そこから再び沈黙が流れ、2人の姿は密林の奥深くへと消えていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第60話 グレイグの懺悔

夜の闇を切り裂くように雨が降りはじめ、落雷がこだまする。

ランタンの明かりだけを光源としたエルバとグレイグはボロボロな器に入ったシチューを黙って口にしていた。

この1年の間に、お祈りをする客も整備をするシスターもおらず、中は荒れ果てているうえに屋根の壊れた個所からは雨が降り注ぐ。

ナプガーナ密林を抜けたエルバ達にとってはここでもありがたい休憩場所だ。

2人が食べているのはペルラが持たせてくれたシチューだ。

火を使えないため、冷めた状態で食べるしかないが、やはりいつもおいしく食べているペルラのものは冷めてもおいしかった。

しかし、食べている相手がグレイグであるため、お互いに沈黙を保ったまま口にしていた。

お互いに、密林を抜けた疲れもあるのだろうが、今はここで寝るわけにもいかない。

そうしている間にも、魔物の軍勢が砦を破壊するかもしれない。

一足先に食べ終えたエルバは器を置き、立ち上がる。

「エルバ…」

「何だ?」

呼び止められたエルバは睨むようにグレイグを見る。

一度は共に戦ったとはいえ、まだ心の中のわだかまりはないとは言えない。

刺々しい声と感情の応酬は当たり前のように続いている。

しかし、グレイグからかけられた言葉は意外なものだった。

「…お前の母、ペルラさんのシチュー…うまかったぞ」

「…そうか」

 

かつて、エルバ達が飛び降りた滝のそばにある崖に斥候が設置してくれたフック付きロープで登っていき、やがて2人は地下牢の中へと侵入する。

「…よもや、かつては将軍と名乗っていた俺がここに忍び込む立場になろうとは…」

「状況が状況だ、仕方ないだろう」

ランタンの火を消し、壁にかけられている松明の明かりだけを頼りに進んでいく。

見張りとして巡回しているのはデルカダール兵ではなく、キラーアーマーばかりで、休むことなく決められたルートを往復し続けている。

「エルバ、奴が視線をそらしている間に一撃で倒すことはできるか?」

「核の位置が分かれば…」

「核は首の付け根だ。そこを一撃で貫け」

グレイグは落ちている小石を手にし、水路に向けて投げた。

ポチャンと水の音が聞こえたと同時に一番近くにいたキラーアーマーの動きが止まり、その視線は水路に向けられた。

エルバはこっそりと背後から接近するとともに、腰に差してある水竜の剣を抜く。

至近距離まで近づいてことで、何か気配を感じたキラーアーマーが振り返ろうとするが、その前に核が刃で貫かれたことで命を失い、空っぽになった鎧がグラリとエルバに向けて傾いた。

音が鳴らないように注意をしながら床に倒した後で、エルバはグレイグに手で合図を送る。

「やるものだな」

「…あいつなら、もっとうまくやる」

おそらく、カミュならば誰が言わずとも気配を消してキラーアーマーに接近し、気づかれないまま一撃で葬ることができただろう。

だが、そんな芸当ができる彼なら、セーニャのようにどこかで無事に生きているかもしれない。

そんな淡い希望を抱きながら、先へと進んでいった。

 

「ようやく、近づけたな…」

階段を上り、暗がりながらも見覚えのある場所にたどり着いたエルバが静かにつぶやく。

まだ城の1階までは程遠いとはいえ、それでも近づいたのは事実だ。

エルバの視線はその階にある牢屋に向けられる。

「…ここは死刑囚の牢獄。お前も、入っていたな」

「ああ。忘れたくても忘れられない。ある意味では、俺の始まりの場所だ」

エルバが歩いていったのは2年前に自分が入れられた牢屋だ。

グレイグと彼の部下の手で収容され、そこでイシの村に兵を差し向けることが伝えられた時の絶望、そして村を失った悲しみは今でも胸に焼き付いている。

そして、その正面にあるのがもう1人の死刑囚であったカミュが収容されていた牢屋だ。

幸運にも、彼と共に収容されたその日に脱獄することができた。

思えば、この牢獄があったからこそ、相棒といえる彼と出会うことができたかもしれない。

彼がいた牢屋の中にあった穴はやはりというべきか、既に埋められていた。

「感傷に浸っている時間はない。先へ向かうぞ」

上へ上がる階段の前で待機しているであろうグレイグの声が聞こえてくる。

エルバは返事をすることなく、グレイグのいる上がり階段へと向かった。

 

階段を上り、ようやくグレイグにとっては見覚えのある1階の赤じゅうたんの細い廊下にたどり着く、

魔物に占領されてからも、崩れていたり燭台が倒れていたりするところはあるが、グレイグの脳裏に浮かぶ光景とは大きく変化するところはない。

「やはり、魔物が多い…」

物陰に隠れ、廊下の警備をする魔物たちに視線を向ける。

地下牢にいたキラーアーマー以外にも、下半身が牢獄で上半身が赤いドレス姿の美女といるいびつな姿をしたメイデンドールや砦で戦った死霊の騎士や骸骨騎士、デュラハーンなどの姿もある。

砦の襲撃のために多くの魔物が駆り出されているとはいえ、それでも多くの魔物が城の中にいて、エルバ達の行く手を阻む。

「くそ…!隠れて進むとしても限界があるか…」

おそらくは玉座にこの暗闇の生みの親がいるのだろう。

しかし、正面から堂々と入ったらどうなるかは魔物の数が教えてくれている。

包囲されて、なぶり殺しだ。

たとえ包囲を突破したとしても、ここの今の主を倒すだけの力が残っているとは思えない。

「どうすれば…何か、別の通路があるはずだ。それが、どこかに…」

非常用の隠し通路や裏道など、思いつく限りのものを頭に浮かべるが、いずれも2階へ向かうことができないもので、答えが出てこない。

ずっと正面階段から上り下りし続けてきた男で、城のことを熟知しているはずの彼が答えを出せないということは、おそらくはそのようなルートはないのかもしれない。

ここでとどまっていても、必ず見つかるのは目に見えている。

万事休す、エルバが舌打ちする中、どこからか魔物とは違う何かの気配を2人は感じた。

「何者だ…?」

気配がする方向である、自分の背後に目を向けた瞬間、グレイグの視線がそこにくぎ付けとなる。

そこには金髪で、青い訓練兵の服を着た少年が立っていた。

見た目は普通の少年に見えるが、彼の体から発せられる紫のオーラが彼がただの少年ではないことを伝えていた。

「お前…!!」

「知っているのか?」

「知っているも何もない。あいつは…昔のホメロスだ…」

幼少期の頃からの付き合いであるホメロスを見間違えるはずがない。

おそらく彼は本物のホメロスの幻影だろうが、なぜここで幻影がいるのか、どうしてそれが生まれたのかが分からない。

ホメロスの幻影は何も言わずに西へと続く廊下に指を差した後で、ゆっくりと指さした方向に向けて歩き出す。

「待て…!ホメロス!!」

グレイグは走って追いかけ、西への廊下へと歩を進める。

そこにはなぜか魔物の姿がなく、幻影の姿は既に廊下の一番西の端に立っていた。

そして、グレイグが近づいてくるのを確認すると、南へと歩いていく。

(ホメロス…!国を裏切り、俺を裏切ったお前がなぜ、幻影となって俺を…!!)

冷静に考えれば、ホメロスは裏切者である、デルカダールと人類の敵。

そんな彼にほいほいとついていくのはおかしな話だ。

グレイグ自身もそのことは分かっている。

しかし、それでも追いかけたかった。

グレイグの中にある、ずっと抱え続けている疑問が彼を駆り立てていた。

(なぜだ…誰よりも才能があり、最も陛下に仕えていた貴様がなぜだ…!答えてくれ、ホメロス!!)

ただの幻影に対して滑稽な話だが、それでも答えてくれると信じてしまいたくなる。

幻影はやがて足を止め、振り返るとグレイグに自分の左手側にあるドアに指をさす。

「そこは…ホメロスの部屋。なぜ、俺をそこへ…??」

追いつこうとする直前に幻影が消えてしまう。

遅れてやってきたエルバはグレイグのそばまで歩いていく。

「グレイグ…あれは、なんだ…?」

「分からん。何かの罠かもしれんが…だが」

不思議なことに今は魔物の姿が一切見えず、その気配も感じられない。

そして、ホメロスの部屋が目の前にある。

グレイグはあの幻影に従うように扉を開く。

その中は確かに、何度も部屋を出入りしたことのあるグレイグには見覚えのある光景だ。

倒れた燭台やほこりに蜘蛛の巣があふれている状態だが、だいたいの物の配置は変わらない。

グレイグの視線がホメロスの机の上に向く。

そこには埃が被った本が置かれていた。

グレイグはそれを手に取り、ほこりを払う。

「これは…あいつの日記」

「日記…?どうでもいいだろう。それよりも、2階への道を…」

「いや、待ってくれ…」

エルバの言葉を拒否し、日記を開く。

日記の始まりは訓練兵としてデルカダール城に初めて入ったところから始まっていた。

何ページか読み進めていくと、あるページで手が止まる。

「これは…そうだ、これは姫様と初めてお会いした日…」

 

その日は訓練が休みとなっており、グレイグとホメロスが自主練として剣の模擬戦を行っていたときのことだ。

「こいっ、ホメロス!!」

「うおおおお!!」

互いの訓練用の剣がぶつかり合い、しばらくは鍔迫り合いを続ける。

しかし、最後はグレイグが競り勝ち、ホメロスは剣を手から離してしまい、そのまま尻もちをついてしまう。

負けた悔しさと尻の痛みを感じるホメロスに勝ったグレイグが手を差し出す。

「ふん…相変わらずの馬鹿力だな、グレイグ」

悪態をつくホメロスをグレイグは笑って手をつかみ、起き上がらせる。

これが2人の休日の日課となっていた。

ホメロスの言う馬鹿によって、この模擬戦ではグレイグが大きく勝ち星をつけている。

馬鹿とつけられてはいて、悪態をつけられてはいるが、褒められているものと感じたグレイグは怒りもせず、むしろ笑みを浮かべていた。

「せいが出ておるな、ホメロス、グレイグ」

勝手口から出てきた若きデルカダール王が笑いながら二人に声をかけてくる。

その腕には暗いピンク色の服で身を包んだ、女の赤ん坊が抱えられていた。

2人が駆け寄り、王は腕に抱いている赤ん坊を2人に見せる。

「そういえば、会うのは初めてだったな。我が娘…マルティナだ」

赤ん坊は眠っている様子で、笑顔で顔を近づけてくるグレイグに気付いていない。

ホメロスがため息をつき、グレイグの肩に手を置くと、ハッとしたグレイグは急いで体をひっこめた。

「お前たち2人で、この国の未来を守るのだ。頼むぞ、グレイグ、ホメロス」

王がかけてくる期待は2人とも自分なりに理解している。

2人とも、同期の訓練兵の中では抜きんでて優秀であり、一目置かれている。

それ故に浮いてしまうところもあるが、それでも王がこうして信頼してくれていることを喜び、デルカダールの未来の要として認めてくれていることがうれしかった。

そして、デルカダール王は懐から2つのペンダントを出し、それを2人に差し出した。

それはグレイグが持つデルカダールのペンダントだった。

 

それから数年の時が流れ、珍しくグレイグがホメロスの部屋に転がり込み、彼が勉学に励む中、堂々と彼のベッドの上で横になっていた。

王からもらったペンダントを嬉しそうに眺め、勉強中のホメロスに声をかける。

「なあ、ホメロス。お前の知恵と俺の力!二つがあれば、俺たちは王国一の騎士になれるぞ。そして、姫様をお守りするんだ!」

あの日から口癖のように言ってくるその言葉をホメロスは沈黙しながら、持っているペンを動かす。

机には古代図書館が表紙に描かれた新しい教科書が置かれている。

成長した2人にしばらく別々の道を進む時が来た。

グレイグは剣術と馬術を磨くためにソルティコへ向かい、ホメロスは遠いクレイモランで魔術と戦略を学びに行くことになる。

おそらく、2人が再び会うことができるのは短く見積もっても3年後。

親友との一時的な別れが近づいている。

しばらくして、ペンを止めたホメロスは本棚から1冊の本を手に取る。

そして、寝転がっているグレイグの前にあるページをめくって突き出した。

「な、なんだよ…!?これは…」

「王国最強の騎士に与えられるというデルカダールの盾が王の私室にあるらしいぞ」

「デルカダールの盾…」

起き上がったグレイグはその本にある2つの頭の鷲のレリーフが刻まれた黒鋼の盾に心を奪われていた。

初代バンデルフォン国王がデルカダールに来た時、とある黒竜がネルセンの命を狙いデルカダールを襲ってきた。

その際、デルカダールの一兵士が国民を守るべく竜に向かっていき、感動したバンデルフォン国王は、竜の鱗に似た色の盾をその兵士に与えたというもの。

それがこの盾の由縁であり、その兵士はその戦いを生き延びたのちに王国最強の騎士として活躍することになった。

そんな盾だが、今も彼に匹敵する騎士が現れていないということからいまだに表舞台に出たことがない。

「…見てみたくは、ないか?いずれ僕たちが手にする盾だろう?」

「ホメロス…お前!!」

彼の思いを久々に感じたことを嬉しく思ったグレイグは笑いながら彼の背中を叩く。

いきなり叩かれたことで驚き、こけそうになったがどうにか両足で体を支え、痛む背中をさする。

「しかしな、どうやって見るんだ?王の私室なんて魔法でも使わなきゃ入れないぞ?」

その鍵を開ける呪文は王以外には使えず、当然ホメロスも使うことはできない。

そんな部屋に入るのは至難の業で、壊して入るなんてもってのほかだ。

だが、ホメロスは右唇を挙げた後で、ホメロスに耳打ちをする。

「誰にも言うなよ。この前、食堂で僕は一人のつまみ食い犯を見つけた。誰だと思う?」

「ええっと…誰だ…?」

「我が王だよ。食品棚の裏から出て来て、ケーキをパクリと食べていたのさ。あそこから王の私室に繋がっているのさ」

「嘘だろ…?そんな裏道が…。にしても、つまみ食いって…ハハハハ!!そういうことか!だから最近王妃様から腹がだらしないって叱られてるのか!!」

「グレイグ…!」

「おっと、悪い…」

思わず大声になってしまったことに気付いたグレイグに後頭部をかきながらホメロスに詫びる。

先日、王の間で王妃に叱られる情けない王の姿を見たことがある。

名君とうたわれる彼も、妻には勝てないようで、叱られている間の彼はタジタジしていて、グレイグの姿を見つけたときは目で助けてくれと合図を出していたのを今でも覚えている。

ホメロスは右拳をグレイグに向ける。

「今晩、台所に集合だ。いいな…?」

これは2人で1人の王国一の騎士になるという誓いのため。

その思い出があれば、何年離れていようとも再びその夢のために切磋琢磨し続けることができる。

「…ああ!!」

旅立つ前の最後の思い出作りにはちょうどいいと、快く賛同したグレイグは彼の拳に自分の拳をぶつけた。

 

「…そうだ。台所に王の私室への隠し通路がある。ずっと、忘れていた…」

そのページを読み終えたグレイグはずっと忘れていたあの思い出に頭を巡らせる。

あの時、確かにグレイグは消灯時間を過ぎてから私室を抜け出し、ホメロスが待っている台所へ急いだ。

しかし、運悪く警備兵に見つかってしまい、私室へ連れ戻されてしまった。

その翌日は彼にとっては地獄で、朝一番に王から叱られた挙句、罰として城中の鎧を磨くことになったうえに、ホメロスからはずっと待っても来なかったことを怒られ、そこから取っ組み合いのけんかに発展した。

仲直りはしたものの、ひどい思い出になってしまった。

そんな思い出に上書きされて、グレイグはすっかりその隠し通路のことを記憶から消していた。

「あのころは2人でともにデルカダールの未来を担うものだと信じていた。だから…楽しかった」

しかし、その日々はもう決して戻ることはない。

自分の片割れといえるホメロスは既に魔族に身をゆだねてしまったのだから。

そして、祖国であるはずのデルカダールを裏切った。

そんな彼と再び昔の夢を見ることはできない。

だとしたら、自分はこれから何をすればいいのか?

国を守れず、多くの兵や人民の死を見てきたグレイグはこれからどうすればいい。

その答えはグレイグ自身にしか出すことができない。

グレイグはエルバの体を向ける。

そして、自分よりも遥かに背が低く、年も若いはずなのに、重い役割を背負う彼に頭を下げた。

「エルバ…これまでの非礼、すべて詫びる…。本当に、すまなかった…」

「グレイグ…」

本当なら、グレイグは詫びるべき立場ではない。

むしろエマたちを全力で守りぬいた恩人だ。

そのことは分かっているが、どちらにも素直になれない要因があった。

「…いいのか?俺に詫びても…。俺は生き延びるためにあんたの部下を殺した。それでもか?」

「そうでなければ、生き残れなかったのだろう。それに、殺したのはお前じゃない。殺したのは…この茶番を仕立てたのは…ウルノーガだ」

ウルノーガさえいなければ、イシの村が滅びることも、そしてエルバが追跡され、グレイグの部下も死ぬことはなかった。

倒すべき相手が分かった以上、もう迷うわけにはいかない。

顔を挙げたグレイグは先へと続く階段を見つめる。

「この先に誰が待ち受けていようと、俺は戦う。もう二度と…俺の刃が道に迷うことがないよう…力を貸してくれ」

「…分かった。それから…エマやみんなを守ってくれたこと…感謝するよ…グレイグ」

 

階段を上り、王の部屋を抜けて、エルバ達は王の間に足を踏み入れる。

天井や壁が崩れ、放置されたままのがれきが目立つそこはエルバの記憶の中にかすかに残るそれとはかけ離れた光景だった。

雲で空が隠れていて、先が見通せず、エルバ達は立ち止まり、それぞれの得物に手を伸ばす。

もはやここは敵の本拠地で、護衛の魔物が飛び出してきてもいい頃合いだ。

しかし、なにも気配は感じられず、雲に隠れていた月が現れると同時に視界が明るくなる。

「お前は…」

玉座に目を向けたグレイグはキングアックスを抜き、持ち手を強く握りしめる。

同時に、等間隔の乾いた拍手が響き渡った。

「ようこそ…お元気そうでなによりだ。わが友よ…そして、哀れな悪魔の子よ」

「…ホメロス!」

白銀のデルカダールメイルではなく、赤いラインのある黒い道化師とも魔導士ともとれるような奇怪なローブをまとうかつての友はあろうことか王が座るべき玉座に座っていた。

まるで自らが王であると主張するかのように横柄に座る彼にグレイグは腹が立った。

「その椅子から…離れろ!!」

駆けだしたグレイグは大きく跳躍し、玉座に座るホメロスに刃を振り下ろす。

しかし、刃はホメロスに届くことはなく、彼の姿は紫の霧と共に消失した。

「くそ…どこだ!?」

「今のは…マヌーサか」

「そうだ。まったく、その短気は早く治すべきだ。周りが見えていないから、お前はいつもから回る」

背後からのホメロスの声に殺気を覚えたグレイグは再び刃を振るう。

確かにそこにはホメロスの幻影の姿があった。

再び姿を消し、グレイグは構えを解かないまま周囲に目を向ける。

「なぜだ…なぜ、魔王に魂を売った!?共にデルカダールを守る…一緒にデルカダール最強の騎士になると、あの誓いはどうしたというのだ!?ホメロス!!」

何か理由があるというのなら答えてほしかった。

魔王に魂を売らなければならないほどの悲しみや苦しみを人知れず持っていたのか?

それとも、幼少期からのあの姿はすべて演技だったのか。

尋ねるグレイグにホメロスは答えない。

聞こえてくるのはホメロスの笑い声だけだ。

「何がおかしい!?俺は…お前を友として、共に戦うデルカダールの騎士として、信じてきたのだぞ!?」

「そうか…ならば、私も問おう」

今まで姿を消していたホメロスが今度はグレイグの正面に現れる。

その右手には5枚の花弁のついた黒い花のような飾りがついた両手杖が握られていた。

ホメロスはその杖を正面からグレイグに向けて振り下ろす。

キングアックスと杖がぶつかり合い、いつもならば競り勝っていたはずだが、今はグレイグが脂汗をにじませながら攻撃を耐え、ホメロスは涼しい顔を見せている。

魔王の力を得たうえに、素のホメロスの能力もあって、今の彼の力はグレイグを上回っていた。

「ぐぅ…!!」

「なぜ…なぜおまえは私の前を歩こうとする?なぜ…お前ばかりが力を得る?」

「何を…言って!?」

瞬間移動と打撃を繰り返すホメロスにグレイグは防戦一方となる。

グレイグには分からなかった。

いつも一緒に歩いてきたはずの彼が、いつも自分にはない力を持っている彼らしくない言葉の意味がグレイグには分からなかった。

「答えろ、グレイグ!!」

グレイグにはなくても、ホメロスには確かな心当たりがあった。

13年前、ナプガーナ密林に出現した魔物の大軍を討伐したころのことだ。

その時、ホメロスの策によってグレイグの軍は崖まで後退。

そして、追い詰めたと思い込んだ矢先に次々と伏兵を展開させることで打ち破り、グレイグは自らの手でその魔物の大将であるアークデーモンを倒した。

その功績により、一般兵だったグレイグは兵士長となったが、ホメロスは出世することはなかった。

ホメロスは必死に修行に明け暮れ、とにかくグレイグに追いつこうとした。

しかし、共に将軍となる日が来るまで、常にグレイグはホメロスの一歩先を進み続けていた。

そのことがうらやましくて、許せなかった。

ホメロスの怒りの一撃をキングアックスで受け止めるグレイグだが、抑えきれずに吹き飛ばされ、エルバのそばで倒れる。

「もう、私は貴様の後ろを歩かない。愛も…夢も…光も…そして友も、この世界には何の意味もない。あるべきは…ただ、世界を統べる闇の力のみ」

グレイグを越え、そしてウルノーガと共に世界を統べるために手に入れたその力はエルバと、そしてグレイグと戦ったことではっきりわかった。

勇者を越え、英雄を滅ぼすその力だけがこの世界で確かなもの。

友や忠誠、正義などというあいまいなものとは違う。

力だけが人を従え、世界を統べる。

極めてシンプルな話で、そんなものに興味を持っていなかった幼い自分を情けなく思ってしまう。

「終わりだ…グレイグ」

「ホメロス…くっ!?」

ホメロスの手に闇の魔力が凝縮されていく。

起き上がろうとするグレイグだが、突然全身を襲う脱力感のせいで立ち上がることができない。

彼が装備している杖を見たことで、そうなった原因が分かってしまった。

「ヘナトスを…使っていたのか!?」

「まったく、この程度の小細工も見抜けないとはな…失望したよ、グレイグ。うん…?」

「エルバ…お前は…!」

起き上がれないグレイグをかばうようにエルバが前に出て、キングブレードを抜く。

哀れにも再び自分の前に立つかつての勇者のなれの果てにホメロスは失笑する。

「勇者の力を我が主に奪われた貴様に何ができる?そうだ…私の力を認めてくださるあのお方こそが私の真の王!王の歩みを邪魔する者は私が許さぬ!!」

ホメロスの手から放たれるドルモーアがエルバに向けて飛んでいく。

動けないグレイグを放っておけないエルバはこの場を動くことができず、ただキングブレードを盾替わりにするしかない。

命中しようとした瞬間、エルバは目をつぶり、直撃するかつて自分を敗北させた一撃を待つ。

しかし、いつまでも全身を襲う激痛は感じられず、目を開けるとそこにはエルバをかばってドルモーアを受けたグレイグの姿があった。

「グレイグ…!!」

「はあ、はあ、はあ…」

脂汗がにじみ出て、全身を襲う激痛に耐えながらグレイグはキングアックスを構え、立ち上がる。

「故郷を…奪われ…」

脳裏に浮かぶのはかつての故郷であるバンデルフォン王国。

魔物たちによって国を奪われ、友も家族も失ったグレイグ。

そんな自分を拾い、強くしてくれたデルカダール王には強い恩があり、デルカダールのために生きることで、バンデルフォン王国が存在した証を残そうとした。

「民を失い…」

だが、ウルノーガの姦計によってグレイグは自らの手でこの世界を、そしてデルカダールを滅ぼす格好となってしまった。

どんなに救おうと手を伸ばしても、次々と人々は死んでいき、部下も力尽きていく。

その中でも運命にあざ笑われるかのようにグレイグは生き続けた。

「友は…去った」

かつての誓いを捨て、魔に手を染めたホメロス。

自分に何か落ち度があったのかもしれない。

誓いを守ることに気を取られ、ホメロスの苦しみに目を向けなかった己が憎い。

仮に、少しでもホメロスに目を向けていたならこのようなことにならなかったかもしれない。

しかし、もう仮定の話で終わる次元の話ではない。

現実として、こうなってしまったのだから。

グレイグの生きる目的も、守るべきものも何もかも失った。

「英雄と呼ばれ、戦い続けたとしても、俺に守れるものなど、何もないと思っていた」

「そうだ。貴様は何も守れはしない。多くの死を見た貴様になにができる?」

「いいや、ホメロス。俺には…まだ残されたものがある」

左手に魔力を宿し、自らの体をベホイミでいやしながら、グレイグは背後にいるエルバに目を向ける。

そして、次に世界の敵となったホメロスをにらむ。

「エルバが…世界を救う勇者だというなら、俺は勇者を守る盾となる!ホメロス…いや、魔王の手先よ!貴様の命…もらい受ける!!」

「ふっ…できるかな?わが友よ」

大仰に自分に残された役目を叫ぶのはいい。

そして、自分を魔王の手先として殺すべき相手と認識するのもいい。

しかし、それを成し遂げる力がなければ、この闇の世界ではただのこだまでしかない。

そのホメロスの挑発めいた言動に応えるように、グレイグは突込み、キングアックスを振るう。

「だが…今のお前では無理だな」

その言葉と共に再びホメロスが幻影となって消えてしまう。

そして、玉座の前に現れると同時に、彼のそばに紫の魔法陣が出現する。

その中から紫のマントを纏い、漆黒の甲冑を身に着けた骸骨の騎士が現れる。

「ンフフフ…ホメロス様。奴なのですね、不浄なる光の従者は」

「そうだ。屍騎軍王ゾルデよ」

「何者だ…奴は!?」

ゾルデと名乗る骸骨騎士が放つプレッシャーを肌で感じ、グレイグは構えを解かずに2人をにらむ。

「見覚えはないか、勇者よ。ゾルデの左目に…」

「左目…これは!!」

ホメロスに指摘され、改めて見たゾルデの左目。

紫色に輝くそれは、バンデルフォン王から託されたパープルオーブだった。

「命の大樹をわが物としたウルノーガ様の力だ。オーブがただの道標でしかないと思っていたようだが、本質はそれではない。選ばれし者たちにオーブを与え、力を解放した。貴様らに見せてやろう…そのちか…」

(待て、ホメロス)

「…!?ウルノーガ様…」

突然脳裏に響くウルノーガの声にホメロスの動きが止まる。

隙だらけに見えるが、既に彼の盾になるようにゾルデが2本剣を構えており、下手に動くと彼の剣の餌食にされてしまうだけだ。

(ホメロスよ…貴様にはやるべきことがある。急ぎ、我が元へ戻れ。勇者のなれの果ての始末はゾルデに任せるのだ)

「しかし…いえ、承知いたしました…。ゾルデ。油断はするなよ。抜け殻とはいえ、奴は勇者の力を持っていた男。そして、グレイグの力は既に知っているだろう。少しでも油断すれば、貴様の命はない」

「ンフフフ、闇に愛されし私にすべてお任せください、ホメロス様」

ホメロスの体が宙へと浮き、次第に紫の霧に包まれていく。

「グレイグよ、仮にも再び会えたその時、雌雄を決しよう。どちらが…先へ行くのかを…」

「待て、ホメロス!!」

ホメロスを包んだ霧は周囲に拡散していき、ホメロスの姿も消えてしまう。

残されたゾルデは対戦相手となる2人に剣を胸に当てた状態で恭しくお辞儀をする。

「我は思う…そなたらはいやしき光を求めるもの。そして…何よりも哀れな者。友を失い、勇者の力を失いし哀れなもの…」

「哀れむのは勝手だ。だが…俺にはやるべきことがある」

「ンフフ…魔王様はこの世界に闇をお望みだ。我の命がつきるまで、この闇が消えることはない。…ならば、この大地に光が戻ることはない。さあ…穢れた光をいやしましょうぞ!!」

構えると同時にゾルデのパープルオーブが怪しい輝きを放つ。

同時に、彼の背後に次々と紫の光でできたゾルデの幻影が現れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第61話 幻影の騎士

「バリスタ、1番2番!目標は真上のドラゴン野郎だ、撃てーーー!!」

砦の外のバリスタが2発同時に発射され、上空から炎を発射しているドラゴンライダーを串刺しにして、地表へと転落させる。

地上では兵士や武闘家がそれぞれの得物でゾンビ達を葬り続け、壁の上からは魔法使いたちが呪文で支援攻撃を開始する。

エルバとグレイグが出発してから2時間後、魔物たちによる本格的な攻撃は始まっていた。

前線と後方では、既にそれぞれの戦いが始まっていた。

「よし…すまない、セーニャさん!彼の治療を!この人の骨折…かなり厄介だ!」

「はい、お任せください」

治療を行っていた神父の要請にこたえ、セーニャは重傷者の治療を行う。

比較的軽傷で済んでいる兵士については包帯や薬草による治療で済ませ、重傷者や薬草だけでは回復できない負傷を負った人々はセーニャや神父による回復呪文が施される。

「くそ…!俺はまだ、動けるんだ!もう回復はいいから…」

「駄目です!中途半端な回復では、傷が開いてしまいます!魔物の前でそんなことになったら、死んでしまいますよ!」

「くぅ…情けねえ!!将軍が…勇者様がデルカダール城を取り戻すために戦ってるのによぉ…」

「そうです…エルバ様が、グレイグ様が今こうして戦っているのです。だから…みんなで生き延びるんです。私たち、みんな…!」

ここでどんなに魔物を倒したとしても、デルカダール城を取り戻さない限りは勝利とならない。

エルバ達が常闇を生み出す魔物を倒せば、こちらの勝利となる。

エルバにここを任された以上、セーニャもまた必死に戦い続けていた。

(ご無事で…エルバ様。エルバ様の帰る場所は…私たちが…!!)

 

「エルバ…」

テントの外で、セーニャはデルカダール城のある方向の空を見ながら、祈りを捧げていた。

村人たちは全員テントの中に避難していて、今外にいるのはエマ1人だ。

真っ暗な空と山によって隔てられたこの場所からはデルカダール城を見ることはできない。

戦うことができず、回復呪文も持たないエマにできることはこうして祈ることだけだった。

「エマちゃん…」

「ペルラおばさま…」

テントから出てきたペルラは優しい笑みを浮かべ、エマを見つめていた。

「大丈夫だよ。あの子は必ず帰ってくる。光と一緒にね」

「光と…?」

「そうさ。それに、英雄様と一緒なのさ。勝つに決まっているじゃないか!」

「そう…ですよね…」

本当はエルバのことがとても心配なのに、気丈にふるまい続けている。

これが母親というものなのか、今の自分にない強さだというのか。

「ほら、今は一緒にテントに入らないと。外は危ないからねえ」

「は、はい…」

ペルラに連れられ、エマはテントへと戻っていく。

一瞬、魔物の鳴き声が聞こえたが、それはほんのわずかな瞬間に断末魔へと変わっていた。

 

「くっ…!!」

エルバは正面からやってくるゾルデの胴体を水竜の剣で両断する。

両断されたゾルゲは倒れるが、最初から何もなかったかのように消えてしまう。

「手ごたえのある幻影…厄介だ」

「これが…パープルオーブの力…くそ!!」

「そう…。醜い光の従者よ。これがオーブの真の力!パープルシャドウ!!」

ゾルデ本人の幻影が次々と出現し、真正面に襲い掛かってくる。

次々とほぼタイムラグなしで現れ、突撃してくるゾルデの幻影を前に、エルバ達は本人に近づくことさえできない。

「美しき闇の分身をいくらでも生み出すことができる…。さあ、醜き光の従者よ。我らが闇に屈するがいい!」

それぞれのゾルデの化身が追い討ちをかけるようにバイキルトを唱えて、全員の筋力を高める。

そして、強靭な力で振るう刃が容赦なくエルバ達を襲う。

常に複数のゾルデの幻影を相手取る形になり、死角からの刃に何度もエルバとグレイグの体が傷つく。

互いに背中合わせの状態で戦うことで死角を可能な限りなくしたとしても、さばききれない。

「くそ…!あの化身よりも、本体を直接叩かなければ…!」

「もしくは、あのパープルオーブを取り返すことができればいいが…」

額から流れる血で赤く染まった目で、エルバはゾルデの左目に埋め込まれているパープルオーブを見つめる。

それはエルバ達を命の大樹へ導いたものであると同時に、かつてのバンデルフォンの王を含めた人々が命がけで守り抜いた秘宝だ。

それをウルノーガの手先であるゾルデに使われているとあっては、あの時託してくれた王に申し訳が立たない。

(こうなったら、取り戻すしかない…。それで、パープルオーブが壊れることになったとしても…)

だが、これ以上ゾルデにパープルオーブを使われるよりはましだろう。

なにかその眼に一撃を加えることができれば、パープルオーブが外せるかもしれない。

しかし、呪文を使ったとしても、印を切っている間に妨害される可能性が高い。

ボウガンも持ってはいるが、ボウガン程度の矢では長距離から撃ったとしても効果はない。

どちらにしても、少しでも接近しなければパープルオーブを取り戻せない。

「エルバ…一つ聞きたいことがある?」

「なんだ…?」

本当なら、こうして話している余裕がないくらいに幻影たちが迫っている。

そのことは歴戦の英雄であるはずのグレイグ本人が一番よく分かっているはずだ。

「俺を…信じてくれるか?」

「信じる…だと?」

「頼む、今すぐその答えを聞かせてくれ!」

おそらく、何度もエルバを殺そうとしたことへの罪悪感があるのだろう。

答えを求めるグレイグの顔は見えないが、必死なことだけはわかる。

「…信じる。あんたの意思を」

「…感謝する!」

斧無双で一気に周囲の幻影を切り裂くとともに、グレイグは自らの体にスクルトを唱える。

そして、一直線にゾルゲ本人のもとへと走っていく。

「うおおおおおお!!!」

「バカめ…死にに来たか??」

幻影たちがスクルトに守られたグレイグに何度も切り付けていく。

守備力が上がっているとはいえ、それでも一部の攻撃がグレイグの体を切り付けていき、市松模様のサーコートを破る。

次々と体に刻まれる痛みに耐えながらも、グレイグは幻影を無視して走り続ける。

「貴様…卑しき光の従者め!目的は…」

「そう…だ!目的は、これだぁ!!」

グレイグが求めているのはゾルデの左目のパープルオーブ。

それを取り戻すことで、幻影を止めようとしていた。

奪われるわけにはいかぬと、ゾルゲが2本の剣を振るう。

傷ついた今のグレイグに2本を同時に受けきれる自信はなく、グレイグはキングアックスを右手の剣に向けて投げつける。

思わぬ斧の投擲を受けたことで右手の剣を手放すことになったゾルデだが、迷うことなく残ったもう1本を振るう。

左肩から腹部に至るまで深く切り付けられ、おびただしい血が王の間を濡らす。

「グレイグ…!!うああ!!」

重傷のグレイグを急いで治療しなければならないが、油断したところでエルバの左腕に切り傷が入る。

傷口が浅いのは、魔法の闘衣の衣類らしからぬ頑丈さのおかげだろう。

「これで、貴様は死ん…」

「このくらいの傷が…なんだというのだ!!」

致死量に至るほどの出血をしたにもかかわらず、グレイグは倒れることなく右手を伸ばす。

絶望に落ちて、自ら命を絶った人々、戦死した同胞や国民。

彼らの無念を考えると、この程度の傷がグレイグにとっては些細な問題だった。

パープルオーブをつかんだグレイグはそれを力いっぱい引き抜く。

「これで…もう、分身は作れまい…」

「おのれぇ!!魔王様から頂いたオーブをいやしき者なぞに!!」

ならば、殺して奪還するまでとゾルデは再びグレイグを斬ろうとする。

出血とダメージによって、体に限界が来たグレイグはこの場を動くことができず、片膝をつく。

「逃げろ、グレイグぅ!!」

「その首、ウルノーガ様とホメロス様に捧げん!!」

(これまでか…)

オーブを奪い取ったことで、分身が一時的に作れなくなった。

この隙にエルバがゾルデを殺せば、デルカダールを取り戻すことができる。

勇者を守る盾になると誓ったにもかかわらず、世界が救われるのを待たずに力尽きることは無念だが、それでも誰かの希望につながるならそれでもいい。

(本当に、それがお前の望みか?)

「何…!?」

「何!?」

攻撃した瞬間、ゾルデは目の前に起こった現実を現実として受け取ることができなかった。

それは、グレイグのもとへ駆けつけようとしたエルバも同様だった。

グレイグの首をはねるはずだった刃が首に当たった瞬間、紫色の障壁に阻まれ、逆に折れてしまっていた。

(勇者の盾となるという誓い、ここで終わらせるには早すぎる。そして、貴様には止めなければならない男がいる。違うか?)

「止めなければならない男…」

思い浮かぶのはただ一人、ホメロスだ。

デルカダールを守る片翼となることを誓いながらも、苦悩の末に闇に落ちてしまった友。

彼を止めるのは自らの役目。

危うくグレイグはその役目をエルバ達に押し付けかけていた。

「ならば、今こそ誓いを力とせよ。われらの時代に断ち切ることのできなかった因果、断ち切るはいまぞ」

「誰なんだ…俺に語り掛けるのは!?」

「私はネルセン。勇者の盾にして、騎士の国、バンデルフォンの始まりの王。今こそ、古の盟約に従い、新たなる勇者の盾の力とならん!」

「これは…!」

握っているパープルオーブがグレイグの手から離れ、そこを中心に片手斧が生み出されていく。

分厚い刀身には双頭の鷲とバンデルフォン王国の象徴といえる黄金の獅子のレリーフがそれぞれの面に刻まれていた。

「バンデルフォン最後の騎士にして、デルカダールの英雄、グレイグ。これはグレイトアックス、勇者を襲う災いをその斧で祓え!」

「なんということ…!?卑しき光に、オーブが…オーブが力を貸すなどとぉ!!」

落ちた剣を拾ったゾルゲが再びグレイグに襲い掛かる。

今度はパープルオーブやスクルトの守りもない。

手負いの今のグレイグなら一撃で葬ることができる。

しかし、ゾルゲは見誤っていた。

グレイグがなぜ、デルカダールの将軍と呼ばれ、ネルセンから『騎士』と呼ばれたのかを。

「この一撃で…死した人々の無念を晴らさん!うなれ…真空!!」

真空の言葉とともにグレイトアックスをふるった瞬間、激しい真空の刃が発生し、ゾルゲに襲い掛かる。

その刃がゾルデの体と鎧を斬りつけていく。

吹き飛ばされ、王座にたたきつけられたゾルゲはそれを枕に倒れてしまった。

「はあ、はあ、はあ…まさか、予想外だ。認めよう、卑しき光の従者よ。貴様の力を…!」

「まだ、動けるというのか…?」

傷だらけになったゾルデが立ち上がり、グレイグに迫る。

グレイトアックスの一撃が大きかったため、ゆっくりとしか動くことができない。

しかし、グレイグも今の一撃で限界がきたようで、その場に座り込んでしまう。

「貴様はこの手で…!!」

もう1度切り殺そうと剣を振り下ろす。

しかし、その刃はグレイグには届かず、水竜の剣が代わりに受け止めていた。

「な…にぃ?」

「見せてもらった、グレイグ。あんたの意思を…少し、見直したよ」

「貴様…残った分身をすべて倒して…」

「あんたが示してくれた…。俺の進むべき道を…!」

ゾルデの剣を弾き飛ばすと同時に、水竜の剣に稲妻を宿す。

勇者の力を失いはしたものの、この技だけは使える。

「ギガ…スラッシュ!!」

稲妻の剣閃がゾルゲに襲い掛かり、ゾルデの体を真っ二つに切り裂く。

切り口から光があふれだし、ゾルゲの体を少しずつ消していく。

「お、おおおお!!卑しき光が…我が美しき闇を…ああ、ああああああ!!ウルノーガ様、ホメロス様ぁぁぁぁ!!!!」

消滅するゾルデに目をくれることなく、エルバは傷ついたグレイグをベホイムで回復させていく。

(こいつ…あと少し深く斬られていたら、俺でも治せなかったぞ…)

「はあ、はあ…エルバ、倒せたな…」

「しゃべるな。傷口が開くぞ」

完治まで時間はかかるが、ゾルゲが死んだためか、魔物の気配は感じられなくなった。

そして、上空を包む紫の雲が次第に消えていき、太陽の光が差し込んでくる。

光に照らされたパープルオーブがそれに反応するかのように淡く光る。

(よくぞ、グレイトアックスを使いこなした。勇者の盾よ)

「ネルセン様…」

「ネルセン…?グレイグ、血を流し過ぎたか?」

「いや…聞こえるのだ、パープルオーブから…。ネルセン様の声が」

「何…?」

グレイトアックスを手にした時、ネルセンの声を聴いたのはグレイグだけだ。

それを知らないエルバは最初、ただの幻聴なのかと思ってしまっていた。

試しにグレイトアックスに埋め込まれているパープルオーブに触れる。

(勇者…我が盟友ローシュの生まれ変わり、エルバ…私はネルセン。ローシュの盾であった男だ)

「ネルセン…様…?」

信じることはできないが、グレイグが言った通り、パープルオーブからネルセンの声が聞こえてくる。

2人が聞こえることが分かったネルセンはそのまま話を進めていく。

「6つのオーブが勇者を運命へと導く。かつて我らはオーブに導かれ、命の大樹へと赴いた。そして、運命に従い、闇と戦った。しかし…我らには倒せなかった存在がいる。…ウルノーガ、魔王となり、命の大樹の力を奪った大罪人…。いつか、勇者と共にウルノーガと戦う運命にある者たちのため、我らはオーブに…我らの魂の一部を移し、戦うための力を封じた。このグレイトアックスはその1つだ」

「ということは…俺は…ウルノーガと戦う運命を…」

「運命は所詮、運命でしかない。そこから進むか退くか、それはその人間が決めることだ。勇者よ、そして勇者の盾よ、仲間を集め、オーブを取り戻せ。残り5つのオーブにも、力と…共に戦ったものの魂が封印されている。それをこれ以上、悪しきものの力とするな…」

その言葉を最後にパープルオーブの輝きが消え、ネルセンの声が聞こえなくなる。

そのころには太陽の光が王の間をたっぷりと包み込んでいた。

「…もう、動いていいか?エルバ…」

「ああ。残りの治療を砦でするなら、な」

「分かった。今は陛下や皆の安全を確認しなければ」

グレイグはネルセンから託されたグレイトアックスを修め、地面に落ちているキングアックスを手に取る。

そして、踵を返して城を出ていき、エルバも後に続いた。

 

紫色の炎が燭台に灯され、ドクロのレリーフが刻まれた紫のレンガでできた部屋の中、紫の玉座に腰掛ける魔王ウルノーガは自らの愛剣となった魔王の剣をそばに置き、左手に宿る勇者の痣を撫でる。

「ウルノーガ様、ホメロス様が戻られました」

「…入れるがいい」

「はっ…」

地獄の門番が扉を開き、ホメロスが部屋に入ると、ウルノーガにひざまずく。

「ウルノーガ様、ゾルゲが討たれました。デルカダールは解放されます」

「そうか…。勇者が生きていたとはな。まさか、今になって生きて現れるとは…よもや、海底王国がかくまったか…」

もう一つの候補としては、神の民が存在するが、もうすでに滅ぼしていて、おまけにエルバに空へ行く手段がない以上はその可能性はない。

だが、ムウレアの女王セレンはエルバにグリーンオーブを託している。

彼女がかくまったとしても不思議ではない。

そうであれば、ムウレアを滅ぼすとともに勇者も殺すことができたはずだが、滅ぼしたころにはもう勇者は逃げていた。

「ウルノーガ様…勇者を捨て置けば、再び世界が光りを取り戻す。その前に、私に奴を殺す許可を」

「いや…捨ておけ。まだ軍王は貴様を含めて5人。そして、厄介なものだ。この勇者の力は…いまだに我に抵抗しておる…」

左手の疼きを感じたウルノーガは睨むように勇者の痣を見る。

もう既に自らの一部になっているその力は今も痛みと共に外へ出ようとする。

わずらわしいが、そんな存在だからこそ、それを完全に支配下に置いた時の優越感は良い。

「ホメロスよ…貴様にだけは言っておく。勇者を殺すのは我のみ、だ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第62話 戻って来たもの

「これは…どうなっている!?」

デルカダール城を出て、休むことなくリタリフォンとフランベルグを走らせて最後の砦に戻って来たグレイグの第一声がそれだった。

出入り口で見張っているはずの兵士の姿がなく、嫌な予感がしながら進み、王のテントがある広場まで歩いてきたが、そこにはだれの姿もなかった。

「奥へ逃げたのか…?」

「分からない。だが、確かに魔物からの襲撃を受けている…」

ここの手前の壁には魔物の攻撃でできた傷があったり、魔物のものか人間のものか分からない血もついていた。

広場には戦いの痕跡は見られないものの、エルバの言う通り、警戒して奥へ避難した可能性も否定できない。

2人は一番奥の壁を抜け、その先にある住民のキャンプに入る。

しかし、そこにも誰もおらず、人の声も聞こえてこない。

「エマ…ペルラ母さん、村長、マノロ…一体、どこへいったんだ…?」

「陛下、皆!!どこへ…まさか、俺はまた何も…」

守れなかったのか、間に合わなかったのか。

たとえ太陽を取り戻したとしても、彼らが生きていなければ何も意味はない。

2人が肩を落とす中、突然太鼓の音が聞こえてくる。

その後から続けて管楽器の音色が響き、そのリズムに聞き覚えのあるグレイグが顔を上げる。

「この音…いや、この音楽は…!?」

「ワンワン!!」

「ルキ!!」

走ってくるルキを見たエルバはそれに続くようにやってくる人々の姿に目を潤ませる。

「いま 響く 喜びの歌 朝が来た 朝が来た 我らを照らす 希望の光」

デルカダールでは有名な歌の一節が聞こえてくる。

ありあわせの布を繋ぎ合わせて作ったデルカダールの旗を手にした兵士3人を先頭に、人々はエルバとグレイグの元へと集う。

病気やケガで満足に動けない人々は動ける人々の手を借りてともに行進する。

「大鷲が天に舞い 我らをたたえる 山河の水は 清く澄み 我らをいやすだろう」

「エルバ!!」

「エマ…!」

別の行列もやってきて、その戦闘には旗を手にしたエマの姿があり、その姿を見たエルバの表情が緩む。

「歌え デルカダールの民よ 強き心の 太陽の民よ 歌え 歌え 喜びの歌を」

歌が終わるとともに、行列の中にいたデルカダール王がやってくる。

彼もまた戦っていたのだろう、額には包帯が巻かれており、マントやローブにも斬られている個所がある。

「よくぞ…よくぞやってくれた、グレイグ!!」

笑顔を見せるデルカダール王はグレイグの肩に手を置き、彼の勝利をたたえる。

「陛下…皆も…よくぞ、よくぞご無事で…!」

ゾルデを倒したこと以上に、彼らの無事を知った喜びで、ついに我慢ができなくなったグレイグは片手で目元を隠す。

その様子を見て、ようやく安心できたデルカダール王は何も言わずにただグレイグを見つめた。

「どいてっ、もう!!どいておくれよ!!」

「エルバ様!!」

行列を押しのけてペルラがやってきて、その後ろにはセーニャの姿もあった。

ペルラはまずはエルバの顔を見つめると、嬉しそうに笑い、そして涙を流しながらエルバを抱きしめた。

「今まで薄暗くて、よくわからなかったけど…男前になったじゃないか!やっぱり、あんたは私の子だっ!おじいちゃんの孫だ!」

「ペルラ…母さん…エマ…みんな…」

今度こそ、守ることができた。

そのことを嬉しく思い、エルバもペルラに抱き返す。

「さあ、宴の用意だ。この勝利の喜びを皆で分かち合おう!!」

 

「ああーーーうまい!!久しぶりの酒だーーー!!」

「ほらほら、こっちの料理もうまいぞ!お前らも食えって!!」

夜になり、王のテントの前に広場ではテーブル代わりになる木材が置かれ、その上にありあわせの料理と飲み物が並ぶ。

兵士たちはこれまで飲むことのできなかった酒をふるまわれたことで気をよくしており、飲めない兵士は住民が用意してくれた食事に舌鼓を打つ。

それはエルバも同じだった。

「おいしい…やっぱり、暖かい方がおいしいな」

「ようやく…ちゃんとしたシチューを食べさせてあげれたわねぇ」

無理を言って、貴重な肉を入れて作ったシチューをおいしそうに食べるエルバを見て、ペルラは流れる涙をハンカチで拭う。

ようやく、エルバが本当の意味でイシの村に戻ることができたといってもいいだろう。

「おいしいですわ…ペルラ様のシチュー」

「でも、良かった。無事に帰ってきてくれて!」

「ああ、ありがとうな。エマ。でも、俺は…」

今はこの勝利の喜びに浸るのも悪くはないが、まだデルカダールを救ったに過ぎない。

セレンとネルセンの言葉に従うなら、ここからエルバは再び世界を旅しなければならない。

世界の希望の火を繋げるために、仲間たちを集めるために、そしてオーブを取り戻すために。

だから、再びここを出ることになる。

そのことを感じたのか、少しエマの表情が暗くなる。

「エマ…」

「エルバ、食べ終わったらでいいから、あとで川辺まで来て」

 

「そうか…ホメロスはお前に嫉妬して…」

「はい。申し訳ありません、陛下。その言葉が真実なら、彼がウルノーガへ…闇へ走った原因の一部は…俺です」

テントの中で、デルカダール王に酒を入れながらグレイグはホメロスの件を詫びる。

兵士や民への影響を考え、表向きはホメロスはデルカダール陥落と共に戦死したということにすることは決まっている。

しかし、デルカダール王自身も彼の裏切りにはショックを隠せなかった。

将来を担う人材として期待していた彼を高く買っているつもりだった。

「…。おぬしとホメロスは持っている才が違う。しかし…ホメロスもほしかったのだろう。おぬしのような力を…」

幼少期から、ホメロスがグレイグに嫉妬をしていたことはデルカダール王も気づいていた。

それが彼の才能を高めるモチベーションになればいい、仮にそれで暴走しようとしたときに止めればいいと考えていた。

しかし、ふたを開ければ自らはウルノーガに取りつかれ、ホメロスはその闇を利用された結果、暗黒道に落ちてしまった。

「すべては儂がウルノーガに取りつかれたばかりに…。済まぬ、グレイグ…。済まぬ、ホメロス…」

「陛下…」

杯を震わせるデルカダール王にグレイグは何も言うことができず、ただ入っている酒を一気に飲み干すだけだった。

それで後悔も悲しみも飲み込めてしまえばいい。

まだまだ足りぬと、もう1杯口にする。

だが、いくら飲んでも底なし沼のようにドロドロとした汚泥のような感情が胸をもたれさせた。

「グレイグよ…」

酒を飲み、ある程度気持ちに区切りをつけたデルカダール王がじっと、感情をどうにか整理させようとするグレイグを見る、

視線を感じた彼は飲みかけのグラスをテーブルに置き、姿勢を整える。

「よくぞ、デルカダールのためにこれまで戦い続けてくれた。今こそ、鍛え上げたその力を世界のために使うべきじゃ。…言っている意味は分かるな」

「世界のために…」

グレイトアックスを授けてくれたネルセンの言葉を思い出す。

そして、あの時ホメロスに向けて言い放った自分に残された役割。

グレイグはそれをなす覚悟を固めていた。

本当ならそのことを自分が言い出すつもりでいた。

だが、グレイグの親代わりを務めていると自認しているデルカダール王にはグレイグのやりたいことが分かっていた。

「安心せよ。デルカダールの民は強い。それに、儂もじゃ。闇が晴れて、魔物の勢いも衰えよう。ここのことは気にせず、世界のために戦うのじゃ」

「陛下…」

「グレイグよ、これを持っていくがいい」

立ち上がったデルカダール王はベッドのそばに置かれている宝箱を開き、その中にある物をグレイグに手渡す。

それを見たグレイグの目は丸くなり、握った瞬間に感じる重量に心が躍る。

「デルカダールの盾…デルカダール最強の騎士の証。私などが、これを…!?」

「おぬしこそがデルカダール最強の騎士じゃ。それに…旅立ちにふさわしき旅支度を整えるのが親の役目。そうじゃろう?」

「陛下…」

「そなたこそが世界を…勇者を守る最強の盾じゃ。よいな?」

「…はっ!」

再び流しそうになった涙をどうにか抑え、グレイグは受け取ったデルカダールの盾、そしてグレイトアックスを手にする。

憧れの英雄と敬愛する王から授かった2つの力と己の誓いがグレイグが勇者の盾としていた。

 

「エマ…」

約束通り、食べ終わったエルバは川辺にやって来た。

先に来ていたエマは先ほど見せた暗い表情を再びエルバに見せていた。

「行くんだね…せっかく、こうして会えたのに」

「すまない、エマ。本当はもっと、ここにいたい。けれど…」

セーニャのように、自分にできることで仲間たちもまた世界を救おうと動いている。

そんな彼らと力を合わせなければ、六軍王とウルノーガを倒すことはできない。

デルカダールを守っただけでは、この戦いは終わらない。

「分かってる…!エルバは勇者で、勇者としてやらなきゃいけないことがあるって…けど…」

頭では分かっているが、どうしても心が納得させてくれない。

我慢できずに出てくる涙をぬぐいながら、エマは言葉をどうにかつなげていく。

「でも、でももし…もしエルバが死んじゃったら、私…私…」

「エマ…」

涙を流すエマをエルバは正面から抱きしめる。

急に抱きしめられたエマの涙が止まり、代わりに急激に顔を赤く染めていく。

「ま、ま、待って!?エルバ、どうして…どうして急に!?」

「俺は…ずっと怖かった。帰る場所も、待っている人もいないことが…。たとえ戦いが終わっても、復讐したとしても、何も残らない。生きる理由を見失うんじゃないかってな…」

焼き尽くされたイシの村、死んで村人たち。

その惨状を見たエルバにとって、勇者の使命を知ることと復讐だけが望みとなっていた。

帰る場所もなく、待ってくれる人のいない自分には残されたものは何もないのだと。

「でも…カミュやセーニャ、ベロニカ、シルビア、マルティナ…そして、爺さんがそんな俺を支えてくれた。そして、何よりも…今ここにエマがいる」

「エルバ…」

「俺に世界を救えるか、そんなのは分からない。勇者の力をなくしてしまったからな…。けど、俺は…俺はエマに笑顔でいてほしい。エマが悲しまないようにするために、戦ってる」

いつものエルバのものとは思えない、饒舌な言葉。

その言葉の一つ一つがエマを落ち着かせ、エマもまたエルバに抱き返す。

抱きしめあい、互いの体温の鼓動を確かめ合う。

ぬくもりも鼓動も、今まで相手から感じてきたものと同じようにも、違うようにも感じられた。

「エマ…待っていてくれるよね?」

「エルバ…うん、待ってる。ずっと、イシの村で…あなたが魔王を倒して、帰ってくるのを…」

「ありがとう、エマ…」

少しだけ体を離し、エルバとエマは互いの顔を見つめあう。

長い最後の砦での暮らしや監禁生活で、少しだけやせたように見えるが、それでも気丈にふるまうエマ。

戦いの傷を体に残し、過酷な旅の中で引き締まった体になり、成長した一人の男になったエルバ。

2人は目を閉じ、互いに唇を重ねあった。

 

翌朝、再びデルカダールに太陽が昇り、小鳥たちのさえずりが砦の中で聞こえてくる。

砦の入り口には、それぞれの愛馬に乗ったエルバとグレイグ、そして兵士から譲ってもらった馬に乗るセーニャの姿と、見送りの人々であふれていた。

「エルバよ、かつておぬしの父、アーヴィンが言っていた。ユグノアの王族の男子は大人になる前に、6年間ドゥーランダ山中腹にあるドゥルダ郷で修業をすると。ドゥータンダ山とゼーランダ山の2つの山は勇者と縁がある。まずはドゥーランダ山へ向かい、そこからこれからの目的を決めるのが良いだろう」

「ドゥーランダ山はソルティコの北にある。行ってみる価値はあるぞ」

「俺はいいが、問題は…」

ドゥーランダ山への道はウルノーガに取りつかれてから封鎖されていたが、今では封鎖するだけの力がなくなったこともあり、自由に通ることができる。

エルバが行くのはともかく、問題なのはグレイグだ。

彼らは一方的に封鎖され、孤立状態にされた怒りを忘れるはずがなく、グレイグはホメロスと同じく、多くの人に知られている将軍だ。

そんな彼の姿を見て、ドゥルダの人々が放っておくはずがないだろう。

「俺のことは心配いらん。陛下が動けない以上、私が詫びるだけのことだ。それに、今重要なのは魔王ウルノーガのことだ。協力してくれるだろう」

「そうだな…」

だからこそ、エルバ本人も勇者であること、そしてユグノア王家の人間であることを強調しなければならない。

今の彼はユグノアの甲冑姿になっていて、これはデクが用意してくれた素材で、エルバが昨晩、鍛冶セットを使って復元したものだ。

首には旅立ちの際にもらったヒスイのペンダントと、エマからもらった新しいお守りがぶら下げられている。

エルバの視線が王の隣にいるエマとペルラに向けられる。

「エルバ…ずっと、待ってるから。だから、必ず帰ってきてね」

「ああ…それまで、村を頼むよ」

「デルカダールの太陽を取り戻してくれたあんたならできるさ。さっさと魔王を倒して帰っておいで。あんたの大好きなシチューを作って待ってるわ」

「ペルラ母さん…」

「連れの人ー!兄貴に会ったら、よろしくなー!」

「装備とか、いろいろと…ありがとうな。魔王を倒して、借りを返す」

デクからは今回の武具だけでなく、旅に必要な道具やこれから使うと思われる鍛冶の素材などを多く持たせてもらっている。

また、今セーニャが持っている天使のステッキとタイタニアステッキも彼からのもらい物だ。

「セーニャさん!また戻ってきてくれよー!」

「笑顔でなー!天使様ー!!」

「…人気者だな、セーニャ」

「どうしてかは分からないですけど…」

兵士たちの別れの声がうれしいのは確かだが、それだけのことをしらつもりはセーニャにはないようだ。

だが、セーニャがいなければ大勢の人が死んでいた可能性が高い。

だから、彼女もまたイシの村とデルカダールを守った英雄と言ってもいいだろう。

「行くぞ、エルバ。仲間を集め、ウルノーガを倒すために」

「ああ…行くぞ、フランベルグ」

フランベルグが返事をするかのように嘶くと、ナプガーナ密林へ向けて走っていく。

それに続いてグレイグを乗せたリタリフォンが、セーニャを乗せた馬も追走していった。

世界を救うために旅立つ彼らを人々は声をあげ、手を振って見送った。

「勇者エルバ…こんなことを言う義理はないかもしれぬが、世界を…頼む」

「ワンワン!!」

去っていく3人の後姿をじっと見つめるエマにルキが吠える。

ルキに頭を撫でたエマは彼らの後姿が見えなくなると、村に向けて振り返る。

イシの村を復興し、エルバの帰りを待つ。

既にダンとデルカダール王が協議を行い、お互いに村と王国の復興のために手を貸しあうことで合意していて、今はその第一弾としてイシの村の復興が始まっている。

エマにとっても、新しい戦いがここから始まる。

(待ってるからね、エルバ。エルバの帰る場所は私が守るから…!)

新しいオレンジのスカーフを手にしたエマはそれを頭に結びなおす。

そして、新しい戦場へと足を踏み入れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第63話 ドゥルダ郷

「ほら、シチューだ。セーニャ、湯を持ってきてくれ」

「はい、今…!」

夜の雪山の中でエルバは椅子代わりの切り株に座るグレイグにシチューを差し出し、セーニャは温まったばかりの湯をコップに入れる。

「す、すまない…。まさかここまでドゥーランダ山が寒いとは…!」

小刻みに体が震えているのはスプーンと器の震え具合でよくわかり、それでこぼれないだけでも奇跡な状態だ。

お代わりのシチューを、口の中を火傷することもいとわずに一気にかきこんでいく。

そして、セーニャからもらった湯でのどを潤す。

「すごい食べ方をされますね、グレイグ様…。将軍という仕事がそれほど激務なのでしょうか?」

「いや…そういうわけではない。ただ…」

「ただ?」

「苦手、なのだ…。寒いのが…」

「意外だな。クレイモランでムンババと戦っていたときはそんな感じはしなかったぞ」

「戦いの時だけだ。気を抜くと、寒さで動けなくなる」

意外なグレイグの弱点を聞くことになり、これが今まで自分が憎んだ男なのかとエルバはため息をつく。

今の彼は復元したデルカダールメイル姿である分、その残念な弱点が余計に痛々しい。

「明日の昼にはドゥルダ郷につく。そこで何かが分かればいいが…」

少なくとも、聖地ラムダに匹敵する勇者と縁のある地であるそこなら何かしらの情報があってもおかしくない。

そこで手に入れた情報をソルティコに持ち帰り、ユグドラシルと共有する。

大樹が落ちた後のユグドラシルの状況は分からないが、少なくとも本部があるそこに行けば、彼らの安否も知ることができる。

うまくいけば、散り散りになった仲間たちの行方も知ることができる。

「エルバ様、そろそろ気温が一気に下がる時間です。早くテントへ」

「ああ、そうだな。そのせいでグレイグが凍死されたらかなわないからな」

「言ってくれるな。だが、確かに…これ以上寒くなると…!!」

急いで食べ終えたグレイグは器とスプーンを置くと、大急ぎでテントの中へ飛び込んだ。

余程寒いのが苦手なのかとテントに入ったグレイグの丸くなった姿を思わず想像してしまった。

 

太陽が昇り、ドゥーランダ山の中腹を照らす。

靴底の冷たさを感じながら、エルバ達はそれぞれの馬を引っ張ってドゥルダ郷の入り口にやってくる。

「ここが…」

「はい、ドゥルダ郷。かつて勇者ローシュ様が修行をされた場所です」

赤を中心とした暖色の壁と瓦屋根が目立つ寺院で、オレンジと黒の薄手の袈裟姿の男たちが見張っている。

初めてドゥルダ郷に入ったグレイグが最初に思い浮かんだのは、どうして彼らはこんなに薄手なのに平然とできるのかという疑問だ。

今のグレイグは鎧の下にいくつか着こんでいて、そのおかげで寒さをしのぐことができている。

これも修行のたまものというなら、自分の今までの修行は何だったのだろうか。

「それにしても、どういうことでしょうか…?ここは大樹が落ちた場所にかなり近いはずなのですが…」

セーニャはデルカダール城下町と城の惨状を見ており、ここも大樹の影響で廃墟と化してもおかしくないとも思っていた。

しかし、僧侶たちは全員平穏無事な様子で、寺院にも影響はない。

なぜかと考えていると、エルバ達の姿に気付いた僧侶の1人が手で合図を送り、彼と、更に寺院から出てきた3人の僧侶がエルバ達を囲む。

「貴様…見覚えがあるぞ。デルカダールのグレイグだな!?」

囲んできた僧侶の言葉にグレイグはやはりかと思い、怒りの形相の彼らを見る。

彼らを怒らせることをしたのは確かで、その責めは受けなければならない。

だが、今はそのことで争いを起こしている場合ではない。

「そうだ。俺はデルカダールの将軍、グレイグ。ドゥルダ郷を封鎖し、苦しめた責めは甘んじて受けよう。だが…まずは彼の話を聞いてくれ。勇者エルバの言葉を」

「勇者…エルバ様、だと!?」

「そうだ。勇者かどうかはともかく、少なくとも俺はユグノア王家の血を引いている」

その証を見せるべく、ユグノアの甲冑姿のエルバは僧侶たちに首にぶら下げているヒスイのペンダントを見せる。

僧侶の1人がそれを手にし、偽物ではないか細かく確認していく。

「これは…確かに本物。しかし、まさか…」

17年前のユグノアの悲劇、そして半年前の大樹の落下。

これらの惨劇によって世界は崩壊し、エルバの生存は絶望的と思われていた。

そんな彼が今ここにやってきた。

デルカダールの将軍であるグレイグと共に。

「何事ですか!?」

寺院への正門から出てきた、エルバの腰あたりくらいの身長で、丸い縁の眼鏡をかけた少年の僧侶が降りてくる。

彼がやってきた瞬間、エルバ達を囲んでいた僧侶たちはその場にひざまずき、利き手の拳をもう片方の手で包み、軽く頭を下げた。

「サンポ大僧正。実は…こちらを」

僧侶がサンポ大僧正と呼んだ少年の前に出て、手にしているヒスイのペンダントを差し出す。

そして、エルバに視線を向けた後で彼に耳打ちした。

「なるほど…そうですか。ですから、このペンダントを…」

サンポがヒスイのペンダントを握り、エルバの顔をじっと見る。

そして、少しだけ彼に近づくと、目を閉じて首を縦に振る。

「そうですか…あなたが、勇者様なのですね」

「他人はそういうが、俺はもう勇者じゃ…」

「何をおっしゃいます!?あなたから感じる光と闇、その狭間に宿る力。とても隠せるものではありません!」

(光と闇の狭間…?俺の、闇…)

エルバの脳裏にクレイモランで見たもう一人の自分の姿が浮かぶ。

勇者の力を失って以来、彼の声は聞こえなくなったが、サンポの言葉が正しければ、まだエルバの中に勇者の力が残っている可能性がある。

無論、エルバの闇も。

「エルバの素質を一目で見抜くとは…」

まだ10歳程度の少年にしか見えない彼の眼にグレイグはなぜ彼が年上の僧侶たちからも一目置かれているかの理由がわかった。

瞬時にその人の本質を見抜く力。

彼にしかないそれが彼を大僧正たらしめていた。

「ああ…どれほど待ちわびたことか。勇者エルバ様、ようこそ…ドゥルダ郷へ…」

手を合わせ、この出会いを感謝するかのようにサンポは目に涙を浮かべ、エルバ達に頭を下げた。

 

サンポに案内され、エルバ達は寺院の中に入る。

僧侶だけでなく、僧侶の世話をしているであろう袈裟姿の女性やまだ修業を始めたばかりの少年少女の姿もあり、彼らはエルバとサンポの姿を見るとともに動きを止める。

「彼が…あのユグノアの…」

「よくぞ御無事で、しかし…まさかこのタイミングで参られるとは…」

「もっと早く来てくれれば…」

人々の話し声をよそに、寺院の奥にある建物に入る。

入ってすぐのところにある広間でエルバ達は足を止めた。

「では…改めて。ようこそ、ドゥルダ郷へ。私は大僧正のサンポ、この郷を治めるものでございます。先ほどは大変失礼いたしました」

「いいえ、デルカダールが起こしたことを考えると、彼らの怒りは最もです。私はデルカダールの将軍、グレイグ。故あって、勇者エルバと行動を共にしています。デルカダールが郷の人々に大きな苦痛を与えてしまったこと、心から謝罪します」

「グレイグ殿、デルカダールによる封鎖で我々が痛みを負ったのは事実です。しかし、本当の原因は魔王にある。あなた方には責任はありませんよ。それよりも、これからも勇者様のお力となられてください」

「サンポ大僧正…」

「初めまして、大僧正様。ゼーランダ山の聖地ラムダのセーニャです」

「セーニャ殿ですか。お噂はかねがね。エルバ様、我々はあなたが生まれてからずっと、ここであなたのことをお待ちしておりました」

「あの旗と、関係があるのですか…?」

エルバの視線が広間の天井から下げられている濃い緑色の旗に向けられる。

その中央にはユグノアの国章が刻まれていた。

「はい、ドゥルダは古来よりユグノア王家と縁のある郷。ユグノア王家に生まれた男子は幼少の6年間をこの郷へ修行に出されるという掟があります」

「なら、俺ももしかしたらここで修業をしていたということですか?」

「はい、そしてニマ大師の元で修行をしていたはずでした」

幼少期をイシの村ではなく、この郷で修行をしながら過ごす。

今のエルバには考えられない生活で、修行をした結果、エルバがどんな人間になっていたのか、想像できない。

「しかし、その肝心のニマ大師様はどちらへ…?」

その言葉が正しければ、ここを治めるのはサンポではなく、ニマのはずだ。

セーニャの疑問にサンポは顔を下に向ける。

「…われらの指導者、ニマ大師は魔王によって世界が滅ぼされた日、その衝撃から郷を守るべく、巨大な防御方陣を展開しました」

サンポの脳裏に大樹が落ちた日の光景が浮かぶ。

郷の外にいた人々を避難させる中、正門前に一人残ったニマがその場に正座し、目を閉じて瞑想を始めていた。

ニマを避難させようと駆け付けたが、そのときすでに彼女は防御方陣の展開を始めていた。

「その強力な結界によって、郷は守られました。しかし…大師はその代償として命を落としました」

本当なら止めるのが普通だが、サンポはその才能で分かってしまった。

ニマが発動する方陣がなければ郷が壊滅し、全員が死んでしまう。

今襲おうとする衝撃波はそれほど恐ろしいものなのだと。

ニマの遺言として、郷を守るように言い渡されたサンポは寺院の中に戻り、そこで彼女が発動した方陣に守られることとなった。

呪文の中には、自らの命を犠牲にして発動するものがあり、自爆呪文メガンテと生命散華呪文メガザルがそれに該当する。

そして、ニマが発動したのは生命障壁呪文メガトロンは自らの命を代価として障壁を展開する呪文で、その守りは隕石すらも受け止めることができるという。

その呪文で、ニマは命を落とし、ドゥルダ郷は守られた。

「そう、ですか…」

「ニマ大師の代わりに、あなたにお見せしなければならないものがあります。ついてきてください」

再びサンポの案内で、エルバ達は大師の間のさらに奥にある扉の先にある道を進んでいく。

長く続く一本道で、外から突き刺すような冷たい風が襲ってくる。

その寒さに耐えながら進んでいくと、半球の形をした建物が見えて来て、見張りをしている僧侶がサンポとエルバの姿を確認して、扉を開く。

その中には大きな正方形の石碑が置かれていて、その奥にはもう1つの扉があった。

「この先に大修練場があります。実際に大修練場を見る前に、郷に語り継がれている伝説の勇者ローシュの伝承についてお話ししましょう。神話の時代、ローシュは命の大樹からのお告げに従い、邪悪なる神を倒す旅に出ました」

ユグノア王家の王子として生まれた彼はお告げに従い、愛馬であるレティスと共に各地を旅し、魔物を倒していった。

しかし、彼はひとりで旅をしていたわけではない。

戦士ネルセンと魔法使いウラノス、そして賢者セニカと旅先で知り合い、運命を共にすることとなった。

「魔法使いウラノスと出会ったのはこのドゥルダの大修練場です。彼がここに来たのは、初代大師テンジンに弟子入りで、邪神を討つ力を得るためでした。そして、ウラノスは当時、テンジンの弟子の中でも一番の実力者でした。共に切磋琢磨し、互いの力を認め合った2人は友となりました。この石碑には、ローシュとウラノスが友情を誓い、共に邪神を倒すことを決意した言葉が刻まれています」

「ローシュとウラノス…興味深い言い伝えだな」

「さあ、昔話はこれくらいにして、実際に大修練場を見てみましょう」

サンポが向かい側にある扉を開き、その先にある大修練場をエルバ達に見せる。

グレーの石が敷き詰められ、容赦なくドゥーランダ山の冷たい風が襲うその場所は確かに普通の人間なら音を上げるほどの場所で、ローシュとウラノスもそこで激しい修業を重ねていたのだろう。

何もない場所だが、そこには幾万もの修練者たちの汗と血が滲んているに違いない。

「この大修練場は神話の時代から現存するものであり、今も多くの僧侶たちが修練に使っています。あなたもまた、ここで修練を積んでいたのかもしれません。ここへ足を運んでいただいたのは、ローシュの時代から連綿と続く伝統の地をあなたに踏んでいただきたかったこと、そしてオーブについてお伝えするためです」

「オーブ…ですと?まさか、これのことでは…!」

グレイグはグレイトアックスを鞘から出し、それをサンポに見せる。

それに埋め込まれているパープルオーブを見た瞬間、サンポの目が大きく開いた。

「この斧、パープルオーブ…何があったのか、詳しくお聞かせいただけますか!?」

「ああ、パープルオーブを手にした時…声が聞こえたのです。ネルセン様の…。そして、オーブがこの武器に…」

「やはりそうですか…。ローシュ達によって邪神は確かに倒されました。しかし、光と闇が表裏一体であるように、いつか再び闇がロトゼタシアに脅威をもたらすことを危惧していました。そのため、彼らは約束したのです。その時が来たとき、脅威に立ち向かう時代に英雄たちの力となることを。そのため、命の大樹へ導くオーブ1つ1つに、自らの力と魂の一部を封じ込めたのです」

これはドゥルダ郷での言い伝えであり、テンジンの指示により代々の大師にのみその秘密が受け継がれ、サンポもまた、ニマから教わっていた。

そして、それが真実であることを立証するかのように、グレイグの手にはネルセンのグレイトアックスが握られている。

「待ってください。勇者ローシュの仲間はセニカ、ネルセン、ウラノスの3人。オーブの数は6つ。数が合いません」

「エルバ様、確かにローシュ様と共に旅をされたのはその3人です。しかし、共に旅をすることはありませんでしたが、初代大師のテンジン様のように、ローシュ様に手を貸された方もいらっしゃるはずです」

「セーニャ殿のおっしゃる通りです。テンジン様の招へいを受け、義賊ラゴス、拳王ネイル、奇術師パノンの3人が自らの力と魂をオーブに分け与えたのです」

その3人もまた、それぞれの形で神話の時代を戦い抜いた人々だ。

堕落した貴族や王族、そして人々から財産を奪った魔物にのみ盗みを働いた隻眼の盗賊ラゴスはローシュのための邪神の情報を集め続けた。

拳王ネイルは武闘家としての道を極めることを主な目的としていたため、共に旅をする機会は短かったものの、ローシュらが命の危機に瀕したときには必ず現れ、その拳と脚で道を切り開いた。

奇術師パノンは各地の人々を助けてはその人々を連れて旅をし、邪神の出現によって広がる絶望を少しでも食い止めようと奔走した。

彼らのことは共に旅をした3人とは異なり、あまり話題になることはないが、それでもローシュの大切な同志であることには変わりない。

「だとしたら、なおさらオーブを取り戻さなければならない理由が増えたな」

「ああ。ウルノーガにこれ以上、彼らが託してくれた力を悪用させるわけにはいかないからな」

「実を言いますと、エルバ様の祖父であるロウ様もまた、ここで修業を積んでいます。そこである偉業を残しており、今も皆の記憶に残っております」

「偉業…?」

確かにロウが年老いてもなお、賢者として絶大な魔力を持っており、おまけにマルティナに手ほどきができるほどの武闘家としての技量も持ち合わせている。

若いころの彼がどれだけの実力を持っていたのか、想像しがたい。

何か輝かしいものかと想像する中、サンポはどこからか手のひらがついたような薄い木製のスティックを出した。

「ニマ大師の修業は厳しいことで有名です。これは弟子がおイタしたときにお尻をたたく…通称、お尻たたき棒。なんと、ロウ様は6年間の修行でこの棒でおしりをたたかれること一万回!」

「い…一万…」

「その記録はいまだに破られたことなく、ロウのようになることなかれ、という戒めが今でも語り継がれています」

「それは…大した偉業ですな…」

「身内の恥…というのか、これは」

日にちで換算すると6年間は2190日。

一日換算すると4.5回おしりをたたかれたという計算となり、ロウの問題児っぷりが如実に現れる。

ユグノア復興の資金集めなどという言い訳を使ってムフフ本を集め、おまけにユグノア王家にとっては恥辱ともいえる偉業。

さすがのエルバも頭を抱えるしかなかった。

「エルバ様、ロウ様が心配ですか?ですが、あの方は大師の厳しい修行の中で、秘術まで習得したお方です。今でも、彼は伝説の弟子として語り継がれるお方。世界崩壊の衝撃でお亡くなりになられるほど、やわな方ではありませんよ」

「そうですわ、エルバ様。ロウ様もお姉さまも、みんな無事でいます。旅を続ければ、必ず会うことができます!」

「ああ…そうだな。それにしても、秘術をここで学んだのか…」

「エルバ様、今日はあなたのために大師の宮殿でささやかな宴をさせてください。我々もできる限りのことはさせていただきたいですので」

「ああ…頼みます」

 

「ああ、久々の酒。修行の間は禁じられている酒が体にしみる…」

「もっと味わって飲め。勇者様が生きてドゥルダ郷にいらっしゃった記念の宴なのだからな」

その夜、大師の宮殿では修行僧や住民が集まり、持ち合わせた料理と酒で宴が催された。

修行中は肉や酒など、様々な食べ物を食べることが禁じられていることもあり、修行僧は今出ている肉料理や酒にやみつきになっていた。

ドゥルダ郷周辺の魔物から獲れた肉の中でもおすすめなのはブラックドラゴンの足で、赤身の多い引き締まった肉であることから人気で、宴の時は酒で柔らかくしたうえで、簡単に岩塩を振ったうえでステーキにするのがおすすめらしい。

「うん…うまい酒だ。しかし、まさか私まで参加させていただけるとは…」

修行僧から出された酒を飲むグレイグはデルカダールの将軍である自分まで宴に出席できたことに少し戸惑いを感じていた。

世界の危機を前にして、ドゥルダもデルカダールもないとはいえ、それでもわだかまりを感じずにはいられない。

加害者側といえる自分がそう思うのはおこがましいことなのかもしれないが。

「あなたがエルバ様を守る者である、ということもありますが、オーブに選ばれたことも大きいかもしれません」

「オーブに…選ばれる…?」

「パープルオーブに宿っていたグレイトアックスと戦士ネルセンの魂。オーブに宿る力は使い手を選ぶものです。そして、オーブが選んだのはグレイグ将軍、あなたなのです。あなたならば、戦士ネルセンのように世界の希望を、勇者様を守っていただける、そう信じています」

グレイトアックスを手にしたとき、グレイグの心にあったのはエルバを守るというというのと同じぐらい、ホメロスを止めるという思いがあった。

それをはっきりさせたことで、パープルオーブがグレイトアックスとなった。

「どうか、オーブに選ばれた時の思いを、大切にされてください」

「グレイグ様、エルバ様のお姿が見えないのですが…どちらへ…?」

サンポと話すグレイグの元へ、スイーツを乗せた皿を持ったセーニャが歩いてくる。

エルバにも食べてもらおうとスイーツを選んだのだが、肝心のエルバの姿がここにいなかった。

 

「世界崩壊でまずい中での宴…か」

一人、誰もいない大修練場に腰を下ろしたエルバは上空の月と、命の大樹に代わる世界の象徴と化した天空魔城を見つめる。

暗闇に包まれるその城へ今のエルバ達は飛び込むことができない。

その中にウルノーガがいて、彼を倒さなければならないにも関わらずだ。

そして、今この瞬間にも、人々の命が失われている。

焦ったところで、ウルノーガに近づけるわけではないのは分かっているが、焦らずにはいられない。

「宿っている光と闇…か。まさか、俺が中にいることも気づいているとはな。さすがは大僧正様、といったところか」

「お前は…」

背後から聞こえるあの声にエルバは振り返ることはしないものの、抵抗するかのように拳を握りしめる。

勇者の力が奪われたとともに消滅したと思っていた彼が再びエルバをもてあそぶかのように現れる。

「なんで消えていない…そう思っただろう?当たり前だろう?俺はお前だ。だから、お前がお前である限り、俺は消えねえ」

「だというなら、いつでも俺に何かを言うことができただろう?どうして今頃出てきた?」

「へっ…希望の炎をともした勇者、なんて調子に乗ってるだろうてめーにお灸をすえてやろうと思っただけだ。六軍王の一体を倒した程度で調子に乗るんじゃねえよ?勇者の力を失ったお前が」

そんなことはエルバ自身も分かっている。

あの時はグレイグが捨て身の攻撃でパープルオーブを取り戻し、その力を解放してくれたおかげだ。

自分にできたのはただ、とどめを刺しただけ。

「だからよ、さっさと俺にゆだねろ。俺の力は分かっただろう?命の大樹で…お前とあの男の邪魔がなければ、確実にホメロスを殺せた」

「黙れ!!俺は…お前じゃない」

「そんなことをいつまでも言ってりゃあいいさ。光が強いほど闇は濃くなるもの…だぜ?」

耳元でささやいてきたもう1人のエルバがなれなれしくエルバの肩に触れる。

ホメロスやウルノーガ以上に嫌う彼に触れられるのが我慢ならず、鳥肌が立つ。

「俺に…触れるな!!」

左腕を振るい、立ち上がって背後を見るが、そこにはだれもいなかった。

聞こえてくるのは消えたもう1人のエルバの高笑いだけだった。

「もう…もう俺はお前に負けない!俺には…帰る場所がある、ペルラ母さんが…みんなが…そして、エマがいる!もうお前なんかに…!」

「絆、か…?ハハハハ!下らねえ。そんな『光』を手に入れて俺に勝ったつもりか!?にもかかわらず、俺がいまだにお前と共にいる。その意味が分からねえお前じゃないだろ?」

「ぐっ…!」

唇をかむエルバは言い返すことができず、舌に伝わるあたたかな生きた味を感じるしかなかった。

彼のいる意味、クレイモランで感じてからずっと考えていた。

そして、彼の力を命の大樹で実際に感じ取ってしまった。

彼の力はすさまじい。

戦う中で、暴走しながらも彼の生み出す力に魅入られてしまっていた。

そして、今だからこそ分かる。

彼との戦いは終わらないことを。

彼の言う『光』を手に入れて、『闇』を克服できたと思うのははなはだ間違いで、実際は終わらない『闇』との戦いから目を背けているだけということを。

「そういうことだ。同じ腹から生まれた者同士、仲良くしようじゃないか」

「仲良くだと…?どの口が言う!?」

「そりゃあそうだろう。いつも言っているだろう?俺はお前で、お前は俺だってな」

その言葉を最後に、再びもう1人のエルバの声が聞こえなくなる。

心に残ったのは張り裂けるほどの胸糞の悪さと不快な味だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第64話 謎の修行僧

「ハァ…!はああ!!!」

2本の剣を手にしたエルバが上半身を脱いだ状態で無人の大きい修練場で刃を振るう。

もう1人の自分との問答からずっとエルバはここで剣を振るっている。

既に指にできたタコがつぶれて血が流れており、それを無理やり布で縛っている状態だ。

そんな中、大修練場の扉が開くとともに、グレイグが入ってくる。

「エルバ、ここにいたのか。探したぞ」

「グレイグ…」

「あの後で宴にも参加しなかった。皆、心配していた。あとで詫びを入れておけ」

剣を握るエルバを見たグレイグは持ってきたグレイトアックスを握り、エルバの前へ歩いていく。

2人は対峙した状態となり、互いにそれぞれの得物を構える。

「セーニャはどうしている?」

「出発が昼ということで、水と食料の調達、そしてドゥルダにおける呪文の書物を集めている。自分の呪文の修行に使いたいと言っていたぞ」

「そうか…」

「彼女には兵士たちが世話になった。だが、彼女の治療ですら助けられなかった命もある。それに、強くなりたいのだろうな…」

命の大樹で、ウルノーガを前にして何もできなかったことへの無力さを誰もが感じていた。

セーニャも、そしてグレイグも。

幸運にも一命をとりとめ、生きていたエルバと共に再びウルノーガと戦う準備を始めている。

セーニャにとっての準備はそれで、ラムダの里での呪文しか学んでいない彼女にとっては流派の違う呪文や秘術はまさに新鮮な刺激だ。

「相手になるぞ、エルバ。一人で修行するよりも、相手がいた方が実践的だ」

「ああ…そうだな」

夜通しの猛特訓で疲れを見せるエルバだが、今は少しでも多く体を動かしていたい状態だ。

先にグレイグが動き出し、グレイトアックスをエルバに向けて振るう。

2本の剣を交差させ、受け止めるエルバだが、グレイグが元々持っている巨人のような力で既に脚が大きく震えており、じりじりと後ろに下がっていた。

「どうした、エルバ!その程度の力と剣では何者も守れんぞ!」

「ぐっ…!」

グレイグの一喝で目に力が入るとともに、下がり続けていたエルバの体がずっしりと固い石の上に立っていた。

感じる手ごたえと下げようにも耐え続けるエルバにグレイグは舌を撒く。

勇者の力を抜きにしたとしても、その剣技と何よりも意思が彼に力を与え続けている。

「エルバ様!グレイグ様!」

鍔迫り合いをする中、セーニャの声が聞こえ、2人はそれぞれの刃を離したあとで彼女に目を向ける。

急いできたのか、今のセーニャは極寒の地域であるにもかかわらず、汗が出ていた。

「はあはあ…サンポ様が探しています…!」

 

「情けない…これまでの修行が何だったのか…!!」

「魔王の影響で魔物が凶暴化しているとは聞いていたが、まさか…これほどのものとは…」

「ひどい傷だが…どうにかする!少しじっとしていろ!」

「包帯と薬をもっとよこせ!こいつ…相当傷が深いぞ!!」

「気をしっかり持て!大丈夫、大丈夫だ!!」

寺院入り口すぐに広場には大小問わず、負傷した修行僧たちが回復呪文の使える修行僧や医者の手で治療が施されていた。

いずれも魔物から受けた裂傷や火傷、打撲などの傷があり、セーニャに連れられてやってきたエルバとグレイグだが、最後の砦での治療を受ける兵士たちの光景を見たせいなのか、驚くことはなかった。

「あの修行僧たちがこれほどまでの傷を負うとは…一体何があったのですか?」

「ああ、エルバ様…皆さま。実は…半月ほど前に一人の修行僧が郷を尋ね、ドゥーランダ山頂へと向かったのです」

その時、サンポは大師の間で職務を行っており、その修行僧とは面会することはなかったが、その風貌を対応した修行僧から聞いている。

小柄だが、全身の大半を包帯で包んでいて、古ぼけた修行僧の袈裟姿をしており、一瞬ミイラ男と見間違えるほどだったという。

声色からして老人なのは確かだが、馬を連れている様子はなく、自分の足でドゥーランダ山を一人で登って来たのだろう。

「たった一人で…なんのために?」

「分かりません。ただ、大師様の死を知った後、他の僧たちの制止を聞くことなく、一人で山頂へと向かったのです。頂上への道は特に魔王の影響を受けた魔物たちが闊歩しており、救出のために修行僧を派遣したのですが、傷を負って戻ってくる始末です」

「そうですか…。死者が出ていないだけでも、幸いなことです」

何度もゾンビ系の魔物の軍団と戦ったことのあるグレイグは魔王の影響を受けた魔物の凶暴性を理解している。

そのせいで死んでしまった部下もいて、救出をする中でもけが人は出ているものの、死者が出ていないだけでも幸いというべきだろう。

そうなってしまっては、まさにミイラ取りがミイラになるといったところだ。

「なら、俺たちが向かうというのはどうでしょう?」

「エルバ様たちが…!?申し出はありがたいですが、あなた様たちは大切な使命を持っています。そんなあなた方に迷惑をかけるようなことがあっては…」

「しかし、見過ごすことはできません。それに、せっかくここで厄介になったんです。恩返しくらいさせてください」

「エルバ様…」

ドゥルダ郷にとって、エルバは勇者であり、世界を救う特別な存在だろう。

だが、イシの村はおろか世界を救うことができず、おまけに力まで奪われたエルバにとってその特別扱いはあまりいい気分ではなかった。

それ以前に、一人の人間としてできることをやりたい。

それが勇者の力がない今のエルバの答えだ。

そのエルバの言葉にサンポは逡巡するが、今は考えている時間すら惜しい。

「…分かりました。私も及ばずながら助力いたしましょう」

危険な道を進むエルバを助けることもまた、大僧正の役割だ。

 

「はあ、はあ…本当に、この道であっているのですか…!?大僧正殿!!」

ドゥーランダ山頂上への洞窟の壁を登りながら、グレイグは先導として先に進むサンポに声をかける。

「ええ!!元々ここは次期大僧正候補者の修行の地だった場所です。私も2年前に通ったことがありますので、道は分かります!!」

「道…でいいのでしょうか?それは…」

途中で倒したドラゴンライダーの乗り物である翼竜に一人乗るセーニャはサンポのいかにも普通だろうというような言葉に首をひねる。

勇者であるエルバと英雄のグレイグでさえ、今ここを登っている間も息を荒らげているにもかかわらず、サンポ本人は全く疲れを見せておらず、命綱なしで壁を登り続けている。

ここを登る間に、エルバ達は魔王の影響を受けて強化された毒矢頭巾やスノードラゴンといった魔物たちと交戦した。

修行僧たちが大けがを負って帰ってきたことからわかるように、天空魔城に近いことでより強く影響を受けてしまったそれらに苦戦しつつもどうにか退け、今この場にいる。

その際に助けられたのはサンポの能力だ。

彼は本質を見抜く能力を応用して、魔物たちを種類や位置を正確に探知して、それをエルバ達に教えてくれた。

そのおかげで、襲撃を受けるか侵入する前にある程度準備を整えたうえで交戦することができた。

「もうすぐです。頂上が見えてきました」

「ああ…そうだな…!うぐぅ!!!」

「ようやく…か…!」

真上から強烈な寒さが遅い、震える指先をどうにか抑えながらエルバとグレイグは上へと進んでいく。

ドラゴンライダーに乗っていたセーニャと一番最初に到着したサンポを除いて、2人は息切れを起こしていて、到着すると同時にその場に座り込んでしまった。

「はあはあ…ドゥルダを甘く見ていた…。これほどの修行をしているとは…俺も、修行が…足りんな…はあはあ…」

「だが…本当にいるのか??まさか、途中の魔物に食われた、ということはないだろうな…??」

ここまで進む中で、修行僧の痕跡を探しもしたが、足跡以外に手がかりはなかった。

中盤あたりで途切れてしまっており、その先にブラックドラゴンの姿もあったため、その可能性が頭をよぎった。

山頂はドゥルダ郷で見た大修練場のように広く、冷たい石の床と雪だけの何もない場所で、違いがあるとしたら、北側に人一人はいるくらいの大きさの祠があることと、隅のところに修行僧が休めるようにキャンプ場所が用意されていることぐらいだ。

「ここで大僧正後継者は49日間の修行を行います。その間、郷へ戻ることができません。過酷だったのは今でも覚えています。しかし、ここから見える命の大樹が見守ってくださるように思えたので、どうにかやり遂げることができました。しかし…」

ここは命の大樹に最も近い場所とされているところで、皮肉にもそれゆえに最も魔王ウルノーガの象徴と言える天空魔城がよく見える場所になっていた。

あそこにニマ大師の仇といえるウルノーガがいるが、そこへ向かう手段がなく、立ち向かう力がないことが腹立たしい。

だが、だからといって今やるべきことから目を背けるわけにもいかなかった。

「おそらく、ここに修行僧が…。できる限り固まって動いてください。時折、強い吹雪が来て、視界が封じられます」

「そういうことなら、大修練場以上に過酷と言えますな…。むっ??」

周囲を見渡すグレイグの視線が祠に向けられる。

普通なら、そこには木像か捧げものが置いてあるはずだが、そこには何か木造と言うには色が生々しく、人のように精巧過ぎるものが見えたような気がした。

「あれは…人、なのか…??」

「どうした、グレイグ」

「あそこに人がいる。まさかとは思うが、彼が…」

「彼が…まさか!!」

幸い吹雪は起こる気配はなく、エルバ達は祠に駆け付ける。

そこには上半身が裸な状態で肌がやや黒く染まっている状態の老人の姿があった。

骨と皮だけの状態で座禅していて、傍から見るともはや死体だ。

あまりにも無残な姿で、それを見たセーニャは表情を暗くするとともに十字を切って祈りをささげた。

「この方が…修行僧様なのですね…?」

「おそらく…。しっかり座禅を組んだ状態で息絶えたところを見るに…こうなることは覚悟の上だったのでしょう…」

ドゥルダ郷の古い歴史の中では、そうした殉死の例は後を絶たない。

太師が死ぬたびに修行僧の中にはこうした形で殉死する人々がいた。

現在はそうした殉死が禁止されており、その代わりとして木像が一緒に埋葬されるという手段がとられるようになった。

禁じられた殉死が再び始まるほど、世界崩壊の影響が及んでいるのか。

ほとんどミイラと化したその修行僧の哀れな姿にサンポは言葉を失う。

殉死したとしても、命の大樹亡き今、生まれ変わることもできないというのに。

とにかく、彼の遺体をこのままにするわけにはいかない。

埋葬することを考えるサンポだが、セーニャはその遺体を見つめ、首をかしげる。

「それにしても、このお姿…どこかで」

「これは…」

セーニャが思い出そうとする中、グレイグは遺体のそばに忍ばせるように置かれている薄いピンク色の本を手に取る。

ハートマークがちりばめられ、主人公であるスタイルのいいバニーが大きく描かれたその表紙をグレイグはかじりつくように見る。

「これは…数あるムフフ本の中でも最高と名高い『ピチピチ☆バニー』ではないか!!」

「グレイグ…様?」

「グレイグ…お前もか…」

突然叫んだグレイグにセーニャは困惑し、エルバはあきれたように頭を抱える。

一方のサンポは何のことだかさっぱりわからない様子で、3人の反応に気付いたグレイグは急いで何事もないように咳払いした後で落ち着かせていく。

「不幸中の幸いとはこのこと…この修行僧、哀れな最期であったが、きっと幸福に包まれて天に召されたに違いない」

「ああ。召されただろうな。幸福に包まれて地獄に召されただろうな」

仮に殉死したとしても、こんなムフフ本を忍ばせていては殉死された側もたまったものではないだろう。

命の大樹が残っていたとしても、お尻たたき棒でひっぱたかれて真っ逆さまに落ちていくのが目に浮かぶ。

「あの、ちょっと待ってください。その本…ああ!!確かクレイモランでロウ様が読んでいた本と似ていますわ!!」

「似ている…。爺さんの??」

エルバの脳裏に浮かんだのはクレイモランを去るときにロウが見せた醜態だ。

古代図書館から持ち出したムフフ本をユグノア復興のための資金にしようとしたなどと、死んだユグノアのすべての民にたたられるような言い訳をぶちかましたのを今でも覚えている。

同時に、グレイグの視線はムフフ本ではなく、修行僧の首に向けられる。

「このヒスイのペンダント…これは、エルバ!!」

「ああ。俺が持っているのと…同じだ」

「ということは…まさか、この修行僧は…ロウ様!?」

「嘘…だろ…。爺さん…」

サンポはロウと思われる遺体の心臓に耳を澄ませる。

「…ロウ様はニマ大師の愛弟子。おそらく、大師が亡くなったのを知り、世をはかなんで安らかな死を遂げたのだろう」

「いや…爺さんはそんな理由で死ぬような男じゃない…。何か理由があるはずだ。何か…」

エルバの知っているロウはスケベ爺ではあるが、孫であるエルバのため、そして死んだユグノアの人々や家族のためにウルノーガを倒すことに執念を燃やしていた男だ。

そんな彼が死んで逃げるなんて真似をするはずがない。

だが、どうしてこんな真似をしているのかの理由が何も思いつかない。

心音を確かめ終えたサンポはエルバ達に振り返る。

「今、ロウ様の心臓は停止しており、呼吸もありません。死体と言っても過言ではありません」

「そんな…」

「しかし、かすかに生命力が感じられます。それが今、ロウ様をこの世にかろうじてつなぎとめています。しかし…このままでは死が待つばかりです」

「生命力があるなら、回復呪文で…」

「いいえ、今のロウ様の体は回復呪文を受け付けません。たとえ回復できたとしても、ロウ様の魂を完全にこちらへ戻さなければ、肉体が治るだけで死ぬことには変わりありません」

いかに高名や賢者や僧侶であったとしても、魂や終わった命を取り戻すことはできない。

過去に多くの人々が復活の可能性をかけて研究を行っていたが、たとえザオリクであったとしても死んだ命をよみがえらせることができないというのが今の結論だ。

それは人間であっても、魔物であっても、勇者であっても変わりない。

「ならば、どうすれば…!!」

「…危険な方法ですが、ロウ様の魂を呼び戻す方法があります」

「どんな、方法ですか…?」

「それは…ロウ様と命の繋がりのあるエルバ様が冥府…生と死の狭間の世界へと赴き、連れ戻すことです」

ドゥルダ郷の教えの中に、冥府の存在が語られている。

死んだ命は命の大樹へと向かう前に冥府へ赴き、そこでこれまでの歩みを振り返ることになる。

学んだ知識、手に入れた力、積み上げられた善行に悪行。

それらをすべてロトゼタシアのエネルギーへと変換していき、純粋な命に戻ったうえで命の大樹へと戻っていく。

そして、冥府を介してそのエネルギーは水や鉄、空気といったものへと変わっていくのだという。

「冥府へ行く!?それは…可能なことなのですか??」

「はい。このドゥーランダ山頂は古来より冥府と通じる霊験あらたかな場所と伝わっております。そして、私はニマ大師より分霊の儀を学びました。それを使い、エルバ様の魂を肉体から分離させ、冥府へ送ることができます」

初代大師であるテンジンが生み出したその儀式は元々、無念や非業の死を遂げて世をさまよう魂が大樹へ導かれるようにと行われた鎮魂の儀としての意味合いが強かった。

しかし、戦いの傷によって生死の境をさまようこととなったネルセンを救うために、ローシュの頼みによってその儀式を応用し、彼の魂を分離させ、冥府へと向かいつつあったネルセンを連れ戻すことに成功した。

それによって生まれたのが鎮魂の儀だが、それは本来の自然な命の流れに逆らう儀式であり、容易に悪用される危険性もあることから、現在は大師をはじめとした郷の指導者にのみ継承されるものとなっている。

そして、この儀式には危険な点もある。

「しかし、冥府は生と死のはざまです。生者であるあなたの魂が『死』の力に引っ張られてしまったら、もう2度と戻ってくることはできません。冥府にいる一分一秒、あなたはずっと死の力、そしてそれがもたらす誘惑と闘い続けなければならないのです」

本来、冥府に行くのは死んだ人間。

考えてみると道理なのだが、いまエルバがやろうとしているのはその命の道理をゆがめること。

エルバの命そのものが大きなリスクとなる。

エルバの視線はサンポから、ロウの遺体に向けられる。

(じいさん…)

家族と国を失い、マルティナとともに16年近く旅をつづけた彼がどれほど苦しんだのかは想像できない。

そして、敵であるウルノーガを倒せず、世界は崩壊し、師匠であるニマの死を知った彼が果たして本当に絶望してここで死を選んだのか。

それとももっと別の理由があるのか、わからないことは多い。

しかし、エルバに迷いはなかった。

「行きます。爺さんは俺のたった一人の…血のつながった家族だ。少しでも救える可能性があるなら、それに賭けたい」

「エルバ様…」

「心配するな、セーニャ。勝手に死のうとしている爺さんを連れ戻すだけだ。それに、俺にはやらなければならないことがある。死ぬつもりはない」

「そういうなら…俺は止めん。エルバよ、必ずロウ様を…」

 

広場の中央にサンポの手で鎮魂の儀のための魔法陣が描かれていき、その中央には上半身が裸になったエルバが正座している。

魔法陣の外ではグレイグとセーニャがじっと準備を進めていく2人を見つめていた。

胸部には床に描かれているものと同じ魔法陣がエルバの血で描かれており、魔法陣を書き終えたサンポはエルバの正面に立つ。

「エルバ様、何度も言いますが、決して死の誘惑に乗ってはいけません。その瞬間、底なし沼のように引っ張られていき、死ぬことになります。よろしいですね」

「はい…始めてください」

「では…始めます」

サンポは目を閉じ、集中した後で両腕を円状に動かし、そのあとでエルバを仰ぐように両腕を前に出しては戻すを繰り返す。

ブツブツとよくわからない言葉をつぶやきながら舞いを続けていく。

「なんだか、妙な踊りだな。これが分霊の…」

「そのようですわ。グレイグ様。魔法陣が反応しています」

サンポの舞に反応するかのように、刻まれた2つの魔法陣が怪しく光り始める。

同時にエルバは強い眠気を覚え、次第にまどろんでいく。

肌に突き刺す冷たさがだんだん感じなくなり、風の音も聞こえなくなる。

体も徐々に感覚をなくしていき、次第にエルバの視野が真っ暗になっていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第65話 冥府の修練所

「おおお、おおおおお!!」

「どうしてだ…どうして、僕は死ななくちゃいけないんだ…」

「あんまり、あんまりよ…。もっとやりたいこともあったのに、どうして…」

徐々に蘇ってくる聴覚に老若男女問わず、怨嗟の声が響く。

そのすべてが、おそらくは世界崩壊とともに死んでいった人々の魂だろう。

足元からだんだんと冷たい泥を踏んだような感覚が遅い、目を開く。

そこは真っ暗な場所で、どこを向いても同じ真っ暗な空間で、方向感覚を失ってしまう。

どこへ進めばロウに会えるのか分からず、周囲を見渡す中で、突然何かがエルバの足元をつかむ。

「これは…!!」

「生きた…魂??どうして、ここにいるんだ?」

「なぁ、なぁ…こっちへ来いよ。お前だけ生きた魂なんて、不公平だろう??」

「お兄ちゃんもこっちへ来てよ…みんな、一緒…」

「くっ…離せ!!」

つかんでくる腕を振り払いながら、エルバは前へ進んでいく。

振り払った腕もまた泥でできていたようで、肌と髪、そして服を黒い泥で濡らしていく。

だが、何度振り払っても次々と泥の中から腕が伸びて来て、エルバをつかみ、引きずり込もうとする。

「これが…死者の声…」

本来なら、命の大樹へ還るはずだった魂達。

安らぎを得ることができたはずなのに、命の大樹を失ったことで、行き場を失い、さまよい続けている。

それに疲れ果て、命というもうすでにないものを持っているエルバの存在を許すことができないのだ。

「やめろ…やめろぉ!!」

「ふふふふ…どうだ?もう1人の俺、守れなかったものの味は」

「くそ…ここで、出てくるな…!お前は引っ込んでいろ!!」

もう1人の自分の声が響くとともに、それを振り払うように声を上げる。

しかし、次の瞬間、小さな腕がエルバの目をふさぐ。

目を覆う程度の小さいもので、その正体を察したエルバは凍り付く。

その頭上には黒い泥でできた赤ん坊の姿があった。

「どうした…?こういう時こそ俺の出番だろう?奴らをねじ伏せてやるからよぉ」

「ふざけるな…!また、彼らを…」

「苦しめる…?現在進行形で苦しんでいるから、そう変わりないだろう?というより、もうこいつらの魂は消えるだけ。それがほんの少し早まるだけだ。むしろ、慈悲深いんじゃあないのかぁ??」

「それは…」

「なら、俺が後戻りできないようにしてやる…よぉ!!」

急にまだつかまれていないエルバの両手柄が勝手に頭上の赤ん坊をつかむ。

そして、泣き始めるその泥を握りつぶした。

更には両手からベギラマを放ち、襲ってくる泥の腕を焼き尽くしていく。

「やめろ…やめろぉ!!」

「おい、こうして阻んでくる奴らをねじ伏せて、道を作ってやってるだろう?どうして喜ばない??矛盾しているぞ!!」

襲ってくる泥を呪文で容赦なく砕いていくとともに、先へと進んでいく。

しかし、死者の魂もそう簡単に道を開けてはくれない。

集まりはじめ、エルバの目の前で巨大なクジラへと変わっていく。

「大物か…甘っちょろい主人格の変わりに殺してやる!!」

もう1人のエルバが再びベギラマを放とうとする。

しかし、その直前に背後から光が飛んできて、それが槍となってエルバの背中から腹部を貫く。

「あ、ああ…」

「なんだよ、これ…ふざけた技を…」

もう1人のエルバの声が聞こえなくなるとともに、エルバ本人も激しい痛みでその場にうつぶせで倒れる。

足音が近づくと同時に、倒れたエルバを食らおうとクジラが顔を近づける。

「まだ痛みを感じるだけの感覚は残っているようだね、間に合ってよかったよ」

誰か女性の声が響くとともに、クジラの頭部にもエルバを貫いた光の槍が突き刺さる。

「悪いけど、少しだけ眠っていてもらうよ。大樹がよみがえるまで、我慢するんだね」

どうにか頭を動かしたエルバは声の主の姿を探ろうとする。

薄赤い着物を纏った肌で、クリーム色の長い髪をした女性が見え、ゆっくりとエルバに近づいていく。

「あんたの中で悪さをする奴は黙らせたけど、あんたにも痛みがあったみたいだね。ま、傷ついたわけじゃないんだ。悪く思わないでおくれよ」

「だ…れ…?」

冥府にいるにもかかわらず、また気絶してしまう自分を不思議に思いつつ、彼女の正体への答えを求めながら、エルバは目を閉じた。

 

「ほら…とっとと起きな。いつまでも寝ているわけにはいかないだろう?」

気絶してから聞こえなくなった声が再び聞こえるようになり、ぼやけた視界が冷たい石の天井を映す。

だんだんと視野が元通りになっていき、起き上がるとそこにはエルバを助けた女性の姿を見つめる。

「ここは…」

「ようやく目を覚ましたね。まったく、ここまでぐっすり眠られると、死者の仲間入りしたんじゃないかって思ってしまったよ」

やれやれ、と首を横に振った女性は起き上がったエルバをじっと見つめる。

彼の顔を見るとともに、ため息をつきつつ天井に視線を向ける。

「まったく、世界が崩壊したことで、人もおかしくなってしまったのかね。生きているのに、自分から進んで冥府に来るなんて。そんなバカ者を2人も見るなんてねえ」

「2人…?まさか、あの…!?」

もう1人のことがまさかロウなのかと詰問しようと急に起き上がったエルバだが、急に腹部から感じた痛みでその場にうずくまる。

腹部に手を当てるが、そこには痛みの正体と思える傷は一つもない。

にもかかわらず、刺されたような痛みを今も感じさせている。

「まったく、すぐに動くものじゃないよ。収まったとはいえ、副作用が伴うんだ。少し休むんだね」

「そうは言ってられない。俺には、探している人が…」

「だったらなおさらさ。そいつのためにも、休むんだよ。あと10分くらいで収まるから」

ま、冥府に時間の概念なんてないがねと付け足した彼女が指を鳴らすと、そばに向き合うように2つの椅子とテーブルが出現し、その一方に腰掛ける。

彼女が右手でもう一方の椅子を差すと、エルバはゆっくりと起き上がり、背もたれに身を任せる形で座った。

「さて…魔王なんてものが大樹を壊してしまったせいで、今ではここにいる命すべてがそのまま消え失せる運命にある。もう多くの命が消えちまったのを見たよ。おまけに、魔王は勇者の力と大樹の力まで手に入れた。命の循環、光と闇、すべてを得た魔王は無敵さ。多分、ローシュが生き返ったとしても無理だろうね」

「すべてを得た…か…」

彼女の言う通り、今のウルノーガは世界のすべてを手に入れたと言っても過言ではない力を持っている。

仮にウルノーガが邪悪の神だというなら、既にその枠を超えているのかもしれない。

「だが、倒さないといけない」

「何を言ってるんだい。只の人間に勝てる相手じゃあないさ」

「ああ、そうだ。今の俺には何も力はありません。でも…」

だが、そんな彼を倒さなければ世界をよみがえらせることも、消えていこうとする命達を救うこともできなくなる。

そして、グレイグをはじめとした抵抗する者たちの力はまだ生きている。

その力をつなげていき、ウルノーガに対抗する力にする。

それが命がけで救ってくれたセレン、そして村で待っているエマ達への約束だ。

「まったく、まだまだあきらめの悪い奴だよ。でも、あんたの中にいる奴は危険だね」

「俺の中の…」

「ああ、そうさ。どういう理由で生まれてしまったのかは聞かないことにするけど、見た限りはどうしようもないくらい悪意に満ちている。ま、そいつのおかげで今のあんたは冥府に取り込まれずに済んだけど」

クレイモランの時からずっと感じているそのもう一人の自分が与える恐怖がよみがえるとともに、震える手を見つめる。

「人間である以上、誰でも光と闇は持ってるものさ。厄介なのはその一方が強い奴ほど、もう一方も強いって話だ。勇者と邪悪の神というのは案外カードの表裏みたいな存在かもしれないね。その両面のカードを手に入れた奴に立ち向かうなら、まずはあいつと同じ土俵に立てるか、それにかかっているかもしれないね」

「奴と…同じ土俵に…!?」

徐々に目の前で座る彼女の姿がぼやけ始める。

彼女も体から出る光を見てそれに気づいたようで、エルバを安心させるように笑みを見せる。

「安心しな。あんたの探し人はこの先さ」

その言葉を最後に彼女は姿を消し、同時に彼女の背後の壁だった場所に大きな扉が出現する。

エルバが立ち上がると同時に椅子も机も消え、ゆっくりと扉へ歩を進めていく。

未だに痛みは消えないが、その先にロウがいるというなら話は別だ。

彼女が何者で、なぜ助けるような真似をしたのかを疑問に抱きつつ、エルバは扉を開く。

扉の向こうは大修練場とよく似た殺風景な空間が存在する。

そこで修行するような人間など一人もいないはずだが、唯一の例外がそこにいた。

「ふううううう…」

修行僧の袈裟を纏い、首にヒスイのペンダントをぶら下げた小柄な老人は深呼吸するとともに、全身から自らが秘める魔力を解放していた。

魔力を維持したまま、老人は舞をはじめ、それに従って足元に魔法陣が出現していく。

それを見たエルバは最初、彼の名前を呼ぼうとした。

しかし、彼から発するプレッシャーが扉のそばにいるエルバにも届いており、それが彼をためらわせた。

「奴が世をはかなんで自ら死を選んだ?むしろ、その逆さ」

「え…?」

急に先ほどの女性が隣に現れ、微笑みながら舞うロウを見つめていることにエルバは驚きを見せる。

そんな彼の反応を見ることなく、彼女はしゃべり続ける。

「あいつはあきらめていないよ。魔王をぶちのめすことをね。あいつは傷だらけになってドゥルダ郷にやってきて、そして冥府に来てまであたいに会いに来たのさ。郷に伝わる奥義を習得するためにね」

「あなたに会いに…?まさか、あなたが…」

「そうさ。あたいがニマ。今ここにいるロウの師匠で、もしかしたらあんたの師匠になるはずだった人間さ」

「そんな…あなたが爺さんの…!?」

見た限り、若々しい彼女はとてもロウよりも年上で、生きていたとしたら百歳は優に超えているかもしれない女性とは到底思えない。

そんなエルバの驚きをよそに、ニマは魔法陣を描き続けるロウを見る。

「今彼がやっているのは奥義習得の儀式さ。体中に魔力を放出させて舞い続けて、大樹の魔法陣を描く。それを成し遂げたとき、習得する。ドゥルダ郷に伝わる奥義を、ね。ここに来てから、とにかく動き続けていたよ。今の扇の習得もそうだし、秘術についても。体が自由に動く年齢でもないのに、本当無茶するよ」

修行をしていた時代は情けない姿を何度も見せて、そのたびにお尻たたき棒でたたいていた。

それだけであればただの落ちこぼれだが、ロウの場合は違った。

彼には最後までやり遂げようとする強い意思があり、厳しい修行も結局は最後までやり遂げてきた。

それがどんなに無茶なことであろうと。

そうした無茶をする遺伝子はしっかりとエルバにも受け継がれているように思えた。

だが、舞を続けているロウの体に限界が近づいており、汗を流す彼の動きが鈍くなる。

それが魔力にも表れており、描かれる魔法陣にズレが生じ、やがてロウの動きも止まる。

そんな彼を見たニマは即座にどこからかお尻たたき棒を出す。

「ロウ!!甘ったれるな!またお尻を叩かれたいのかい!!」

ニマが見る限り、魔法陣完成まであと少し。

奥義習得までこれまでにないくらい近づいている。

ここで動きが止まってはまた一からのやり直しとなってしまう。

彼女の喝と幼少期に抱いたお尻たたき棒への恐怖が疲れ果てた体に鞭をうつ。

再び動き出し、乱れた個所からやり直していき、魔法陣を修正していく。

そして、舞の締めとして右足を力強く踏み込むと、描き切った魔法陣が強く光り出し、ロウの体から放出される魔力も活性化していく。

「ぬおおおおおおおおおお!!!!!」

あふれだす魔力を制御しつつ、両手に凝縮させていき、それが青く燃える炎の球体へと変わっていく。

「おんどりゃあああああああ!!!!」

叫びと共に空へ向けてその球体を投げつける。

宙を舞うその球体を中心に青い魔力の十字架が上空に出現し、暗い冥府の空を照らす。

「あの野郎、やりやがったね。たまにはかっこいいところを見せてくれるじゃないか」

上空の十字架を見つめるニマは笑いながらお尻たたき棒をしまう。

だが、これですべてが完了したわけではない。

最後にロウは放出され続ける魔力を鎮めるべく、深く深呼吸しながら体を落としていく。

彼の体を纏う魔力は消えていき、足元の魔法陣もそれに合わせて消滅した。

終わった瞬間、ロウはニマに向けて振り返り、先ほどまで疲れなどどこへやら、たったかと彼女の元へ駆け寄る。

「うひゃひゃひゃーーー!大師様、ついにやりましたぞ!わしの勇姿を見ておられましたか!」

「根性無しのあんたにしたら、頑張ったじゃないか。しょうがない。褒めてやるよ」

「なっななな、なんと!大師様、今わしのことを褒めましたな!わしのこと褒めましたよねぇ!おひょひょーい!大師様のほめられるとは何十年ぶりか!そのお言葉だけでご飯十杯はいけますぞい!!」

スケベではあるが博識で冷静な彼しか知らないエルバはロウの子供っぽいふるまいに戸惑う。

おそらくそれもまた彼の一面であり、きっと両親や師匠の前ではそうした言動とふるまいをすることができたのだろう。

「はぁ…まったくあんたは調子に乗りすぎて大事なことを見落としてるんじゃないか。横を見な」

「横…??」

ゆっくりとニマの隣に目を向け、そこに立っているエルバを見る。

「爺さん…」

呼ばれたロウは信じられないかのように目を大きく開き、何かの冗談かと思いニマに顔を向ける。

いつも通りの表情を見せる彼女から今ここにいるエルバが本物だと確信する。

「な、なんと…まことなのか?エルバよ…おお、エルバ!!死んでしまうとは何事じゃ…!!」

エルバをはじめとした全員が生きていることを信じ、いつか共に戦うときのためにこの奥義を習得し、秘術も学んだ。

しかし、世界の希望の象徴であり、自らの孫であるエルバが既に死んでしまっていたとあっては、いったい何のためにここで修業をしてきたのか。

すべてが無駄だったのかと涙を浮かべる。

「落ち着きな、ロウ。早とちりはあんたの悪い癖だよ。エルバは生きている」

「生きて…いる??」

「本当だ、爺さん。あんたを冥府から引っ張り出すために来たんだ。ドゥルダ郷のサンポ大僧正の力を借りて」

「そうか…そうか…儂のために、こんな危険なことをしおって…」

ロウもまた、ニマの元へ向かうまでに冥府で恐ろしい目に遭った。

自分にも同じ目にあわせようとする死者の魂達の声と引きずり込む手を必死に耐え、ここまで来た。

「危険なことをしたのは爺さんもだろう。強くなるために一度死ぬなんてな」

「済まぬのぉ。儂は大丈夫じゃ。ならば、早々に冥府を出ねばな。奥義と秘法を得た儂と勇者のおぬしがいれば、もう恐れるものなどないはずじゃ。魔王めを我らの手でたたきのめしてやろうではないか」

「ああ、そのためにもみんなと合流しないとな。もうセーニャは一緒だ」

「そうか。ならば、なおさらじゃな。では、大師様。お暇致しま…」

「待ちな。まだ修業は終わっていないよ」

エルバを連れて帰ろうとするロウの前にニマが立ちはだかり、2人を制止する。

ロウには自分がやるべき修業が他には思いつかなかった。

ニマから教わった秘術も使いこなせるようになったうえに、奥義も習得した。

自分とエルバの体のこともあるため、急ぎかえらなければならないが、どうしてここで止めるのか。

「確かにロウの修業は終わったよ。けど、エルバ。あんたの修業はまだだ」

「俺の…?」

「そうさ。ドゥルダには奥義が2つある。一つはいま、ロウが放ったグランドクロス。浄化の光でゾンビを消滅させ、勇者の雷への抵抗力を奪うもの」

かつてウラノスが修行の末に編み出した技で、ローシュのデイン系の呪文への援護、そして高い耐久性と生物を同じゾンビ系の魔物に変えてしまうエキスを持つために対抗が難しいゾンビ系へのカウンターとして編み出されたものだ。

当然、ニマやサンポもその奥義を使うことができる。

しかし、ドゥルダにはもう1つ、歴代大師も使いこなせていない奥義がある。

「そして、エルバ。あんたがこれから覚えなければならない奥義は覇王斬。かつて勇者ローシュがドゥルダでの修行の末に編み出した奥義。グランドクロスに匹敵する技さ」

「なるほど…儂がウラノス様の奥義を覚え、エルバがローシュ様の奥義を覚える。向かうところ敵なしじゃ!」

「けどね…あたいをはじめ、ローシュ以外にこの覇王斬を使いこなせた人間は一人もいない。しかも、その技を短時間で覚えなければならない。きつい修行になることだけは覚悟してもらうよ」

実際に、ロウもぶっ通しの修行でグランドクロスの魔法陣を描く最終段階まで来るまでに2か月以上かかっている。

おまけにグランドクロスよりも難易度の高い奥義を習得するとなると、とてつもない時間がかかる。

ニマも自分が使いこなせないその奥義を習得させることができるか自信はない。

しかし、荒療治となるとはいえ方法は思いついている。

「エルバ。知っての通り時間がない。今この瞬間にも1つ、また1つと魂が消えてなくなっている。このままでは完全に世界が魔王ウルノーガのものになってしまう。あんたは魔王を倒すために、いかなる困難な修行でも乗り越える覚悟はあるかい?」

「覚悟…俺は…」

目を閉じると、イシの村で待つエマと今も行方の知れない仲間たちの姿が浮かぶ。

待っている人、探している人、これまでかかわってきた人たち。

勇者の力がないとしても、守れるものがあり、手に入れることのできる力があるとするなら。

「…やります。修行、お願いします」

「いい返事だ。さあ、覇王斬は使用者の自らの魔力を剣に変えて放つ技だ。まずは手を前に出して、剣をイメージして魔力を集中させてみな」

エルバは右手を伸ばし、目を閉じて剣をイメージする。

魔力でイメージしたものを生み出すという点ではこれまでの呪文と大差ない。

しかし、なぜこの覇王斬が特別なのか。

「ぐっ…!!」

右手から放出し続ける魔力の形が定まらず、額から汗が流れる。

ほんの一瞬だけ、親しみのあるイシの大剣に似た赤いシルエットが浮かんだが、すぐに消えてしまった。

「ま、これが普通さ。自然現象を魔力で再現するというのが呪文のスタンダード。剣なんて人工物とはわけが違うからね」

想定の範囲内とはいえ、ここからの荒療治で本当にエルバが覇王斬を覚えてくれるか、さすがのニマも不安に思う。

しかし、冥府にいる以上はそう長く時間を確保することはできない。

これからの困難な旅路にエルバ達を送り出すには足りなさすぎる。

「ちょいとお灸をすえる必要がありそうだね。ロウ、エルバと戦いな」

「ええ!?儂が、ですか??」

「ああ、さっき奥義を習得したばかりだろう。実践でも使えるようにならなきゃ、話にならないじゃないか。それに、覇王斬で一番大事なのはイメージと集中力。戦場じゃあどっちも簡単にそがれてしまうよ」

「それはそうなのですが…」

今のエルバは何秒か剣のシルエットを作ることができているだけで、呪文としてはチャチなものだ。

そんな今の状態の彼をいきなり実戦に出したとしても失敗するのが目に見えている。

「いいかい?ロウ、あんたは奥義と秘術でエルバを徹底的にいたぶってやんな。そして、エルバ!あんたはロウの猛攻をしのぎながら剣を形にしていけ。あんたの剣を、ね」

「俺の…剣…」

「ほら、これで魔力を回復しな」

ニマは手元に銀色の宝玉が埋め込まれた2枚の銀色の羽手裏剣を出し、それをエルバとロウに向けて1本ずつ投げつける。

ふいにそれを受けたエルバの腕に羽根が刺さり、ロウは逆にそれを素手でつかむ。

すると、宝玉が淡く光りはじめる。

「これは…」

「ロウに教えた秘法の1つ、シルバーフェザーさ。並みの魔法使いを2,3人は全快にできるくらいの魔力が詰まっている。こいつでどちらの魔力もすでに十分じゃ状態で戦えるだろう?」

ニマの手にはまだまだ十数本のシルバーフェザーが握られている。

エルバの修業が終わるまで、いくらでも魔力を供給してくるだろう。

「さあ…エルバよ、来い!!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第66話 剣と十字架

「くぅぅ…!」

「どうしたんじゃ、エルバ!!そんなへっぴり腰では今の儂は倒せぬぞ!!」

「そうは…いう、けれど!!」

青いオーラをまとったロウの鉄の爪による猛攻を魔力の剣で受け止め続けるが、抑えきれずについに剣が消えてしまう。

刃が腕をかすめ、どうにか後ろに下がったエルバは荒くなった息を整えながら今のロウの動きをみる。

「ほほほーーい!まるで若いころに戻った気分じゃ!さあ、どんどんいくぞーい!!」

オーラをまとってからのロウの動きはこれまでと段違いだ。

確かに戦闘中に爪を使った格闘技の動きにはキレがあるものの、マルティナと比較すると劣っており、むしろ相手の力を利用する、受け流すといった動きにたけたものがある。

しかし、今のロウの動きはマルティナ並みの鋭さがある上に、まったく息切れをしていない。

「ほらほら!さっさと集中して剣を作りな!今のあんたはとにかく剣を作るんだ!立ち止まっている暇はないよ!」

背後から聞こえるニマの叱咤とともにシルバーフェザーが飛んできて、エルバの腕に刺さる、

痛みとともに乾き始めていた魔力に潤いが戻ってくる。

エルバは再び魔力で剣を作り上げていく。

「そうだ。何度壊れたって、何度でも作り上げればいい。熱した鉄をたたくのと同じだ。そうして強くしていけ、そして習得しろ!覇王斬を!」

ロウとの実践を始めてから1時間。

最初は幻影を作ることしかできなかったが、今では十数秒だが実体を持たせることが可能となっている。

それを握って、武器の代わりに振るうことはできる。

だが、そんなものは高度な魔法使いであればだれでもできる芸当だ。

その程度で覇王斬が奥義であるはずがない。

「少しやり足りないって感じだね…ロウ!」

「合点承知!ほあああああああ!!!」

ロウもまた、ニマから投げられたシルバーフェザーで魔力を回復させると、今度はその魔力を使って2体の分身を作り出す。

魔力でできた2体の分身はエルバに向けて突撃し、ロウ本人は力を籠める。

「魔力で分身だって!?ああ…!!」

大急ぎで剣を作り出すことはできたが、突然のロウの分身への動揺が魔力にも影響を与えていた。

先ほどは10回程度受け止めてくれた剣がたった1回受けただけで消滅してしまう。

受け止めたときに感じた腕への衝撃から、その一撃は先ほどの物とあまり変わりないことは分かっている。

「何やってんだい!その程度で集中力を切らすとはなってないねえ!」

「く…そぉ!!」

「おんどりゃあああああ!!!」

分身への対応により、本物のロウの動きを見逃していた。

彼はエルバに向けてグランドクロスを放つ。

エルバの視界を真っ白な光が包む。

エルバがいる場所を中心に巨大な光の十字架が発生し、グランドクロスが直撃したエルバは大きく吹き飛ばされる。

落下したエルバはうつぶせに倒れ、体は傷だらけになっていた。

「良かったねえ、ゾンビじゃあなくて。ゾンビがそいつをまともに受けたら、骨すら残らないよ。けど…うかつな動きだったね」

「く…そ…!!」

体中に痛みを感じるが、起き上がれないほどの者ではない。

左手でベホイムを唱え、傷をいやしながら立ち上がる。

どうせニマがシルバーフェザーで魔力を回復させてくれることは分かっているため、出し惜しむ必要はない。

「再び立ち上がったことはさすがじゃ。じゃが…儂はまだまだ動ける。またグランドクロスをまともに受けるだけじゃぞ?」

再び2体の魔力の分身を作り出す。

ロウの言葉はまともにそれを受けたエルバが一番よく知っている。

(だが…どうすればいい?どうしたら、グランドクロスを止められる…!?)

攻撃を受けるにはどうしての剣で受け止めなければならない。

だが、それで守りに回ったとしても同じことの繰り返しだ。

(さあ…エルバ。こんなことをしていても、覇王斬は完成しない。ここからが正念場だよ…)

剣は形になった。

そこからあと一歩踏み出した時が覇王斬完成の産声となる。

「ほおおおおお!!!」

再び2体の分身がエルバに向けて突撃していき、ロウ本人はグランドクロスを放つ準備を始める。

今度は分身することは分かっていたために集中力が途切れることなく、剣は分身による爪の攻撃を受け止め続けるが、そこから先の糸口がつまめない。

ふと、エルバはグランドクロスを受けた瞬間のことを思い出す。

魔力で分身を作り、動かすことはそれだけでも多くの魔力を消耗する。

グランドクロスを放つことを考えたらなおさらそうで、それをためきってから放つそのわずかな時間、その分身たちの動きが止まっていた。

「だったら…!!」

こうなったらどんなに滑稽な行動だと思われようがやるしかない。

分身の動きが止まった瞬間、エルバは持っているその剣をロウに向けて投げつける。

「うおっとぉ!!」

急に飛んできた剣に驚いたロウはグランドクロスを解除してその剣を避け、目標を失った剣は床に刺さって数秒後に消滅する。

魔力で剣を作ることだけをこの時間何度もやり続けたことで、体から離れたとしてもすぐには消えないくらいには進歩していた。

追撃のため、再び魔力の剣を作ろうとするエルバは先ほどの剣のことを考える。

(何が違うんだ…覇王斬と、他の剣技の違いは…)

エルバは剣技の名前と魔力で剣を作ること以外にニマからは何も教えられていない。

訓練の中でニマに言われた言葉を思い出していく。

(ほらほら!さっさと集中して剣を作りな!今のあんたはとにかく剣を作るんだ!立ち止まっている暇はないよ!)

「剣を…作る…とにかく…」

「エ、エルバよ??どうしたのじゃ?こんのか??」

急に動きを止めたエルバにさすがのロウも何かあったのかと思い、動きを止めてしまう。

そんなロウを見たニマはすかさずロウのトラウマであるお尻たたき棒を出す。

「何をやってるんだい、ロウ!!あたいがいつ攻撃を辞めていいと言った?丸腰なら大チャンスじゃないか!さっさと攻撃しろ!」

「し、しかし大師様。そんな…」

「いいから戦いな!尻を叩かれたいか!?」

「い、いいえーーー!!済まぬな、エルバよ!覇王斬習得のため、心を鬼にするぞい!!」

覚悟を決めたロウは分身を作り出し、3人がかりで魔力をため始める。

その手には十字架状の魔力の光が発生しており、グランドクロスを放つ準備を整えていく。

3発ものグランドクロスを同時に放つ、今のロウにとっての全力だ。

その一発を今のエルバにしのぎ切ることはできない。

だが、エルバはその一撃が放たれるにもかかわらず、考えに浸るだけだ。

(そうだ。何度壊れたって、何度でも作り上げればいい。熱した鉄をたたくのと同じだ。そうして強くしていけ、そして習得しろ!覇王斬を!)

「熱した鉄…この剣は…」

エルバは再び魔力の剣を左手で作り上げる。

そして、右手に拳を作ると、その拳に魔力が帯びる。

「何!?」

「ほぉ…」

「うおおおおおお!!」

エルバは作ったばかりの魔力の剣に右拳を力いっぱいたたきつける。

拳を受けた魔力の剣は粉々に砕け散るとともに、オレンジ色の強い魔力の光が発生する。

しかし、発生した光は目くらましになるだけですぐに消えてしまう。

「もう1度だ!!」

すかさずエルバは何を考えたのか、再び魔力の剣を生み出し、再びそれを拳で叩き壊す。

目くらましになるとはいえ、あくまでもその程度。

「いくのじゃ!!」

再び分身を生み出したロウは分身と共に目を閉じたままエルバに向けて突撃し、一撃離脱の要領で彼を爪で何度も攻撃していく。

(修行を怠らなかったって言葉、嘘じゃないみたいだね。心眼の心得を今も覚えている…)

ドゥルダの格闘術の中で、相手の挙動と周囲の環境を頭の中で思い浮かべ、それに従って動く。

視力や聴覚に頼ることのできない状況での接近戦の心得の一つだ。

賢者であると同時に武闘家でもあるロウも当然、その心得を習得しているから、目がくらんでも問題なく動くことができる。

攻撃を受けているにもかかわらず、それでもエルバが行ったのは魔力の剣を作り出し、受け止めて隙ができると同時に自らその剣を破壊することだった。

無意味とも思える行いをいつまでも繰り返し、ロウの視界が回復する。

(さあ…エルバ、あと少しだ。もう少しでできるかもしれないよ?)

剣を壊し続けたエルバを見たニマはかつて自分も行った覇王斬の修行を思い出す。

ニマもまた、覇王斬完成のためにエルバと同じような何度も魔力の剣を壊したことがある。

ニマの場合はそれでも覇王斬にたどり着くことができなかった。

だが、エルバの場合は少しずつ変化が見えてきた。

少し離れた場所から見たからこそ分かるのだが、壊したと同時に発生する光が剣のような形になっていた。

「うおおおお!!」

もう何度目か分からないくらい、エルバは再び魔力の剣を叩き壊した。

右拳は何度も殴ったことで血が流れており、真っ赤に染まっている。

だが、傍から見たら無意味に見えるかもしれないその行いがついに実を結ぶことになる。

「こ、これは…!!」

「ああ…」

砕けたことで生まれたまぶしい光が上空で巨大な剣へと姿を変える。

それはまっすぐにロウに向けて落ちていき、すさまじいプレッシャーを感じたロウは大急ぎで後ろへ飛ぶ。

落ちた剣は深々と地面に突き刺さると同時に爆発し、大きなクレーターを作り出した。

「これが…覇王斬…はあはあ…う!!」

巨大なクレーターを見て、覇王斬を習得したのだと思ったエルバはようやく右手の痛みを自覚し始めたようで、痛みで顔をゆがめてその場で膝をつく。

「み、見事じゃエルバよ!まさかローシュ様しか習得できなかった覇王斬を覚えるとは!!さすがは我が孫じゃ!ほれ、儂が治してやろう」

血まみれのエルバの右腕を包むように両手をかざしたロウはベホイムを唱える。

優しい緑色の光がエルバの右手をいやしていく。

そんな二人にニマが拍手をしながら歩いてくる。

「見事だよ、エルバ。まさかわずかなヒントで覇王斬を習得するとはね。何もできないじゃないかって思ってしまったけど、どうやら取り越し苦労だったようだね」

「…最初から魔力の剣を自分で壊せば放てると教えてくれてもよかったでしょう?」

結果として、ニマの言葉でそこにたどり着くことができたが、それを教えなかったことでエルバに何をさせようとしたのか。

本当は思惑を教えようとは思わなかったが、ローシュ以来習得できなかった覇王斬を習得したエルバには言っておくべきだろうと思ったニマは口を開く。

「師匠も親も、どうしても一言足りないものさ。弟子というのはそれを埋め合わせて、飲み込んで、己の技にする。確かに教えられたものかもしれないけど、自分なりに考えて、手に入れたものをね」

習得した覇王斬も、もしかしたらローシュが本来発動したそれとは違うものかもしれない。

しかし、重要なのは己の血肉となっているか否かだ。

ニマはニヤリと笑いながらエルバの胸を叩く。

「覇王斬はあんたの心の剣だ。心の剣が折れない奴は誰にだろうと負けない。だから、鍛え続けるんだ。あんたの拳で、あんたの力で…決して折れない強き剣に」

「強き…剣…」

「ま、こんな厳しい修行に耐え抜いたあんたなら大丈夫さ。これでもうあんたも立派なあたいの弟子だよ」

「ニマ大師…」

冥府には似合わない、心地よい安らぎのある空気がエルバ達を包む。

エルバもロウも、ドゥルダの奥義を手にして、強くなることができた。

その偉大な一歩を認め合う。

だが、そんなささやかな安らぎも許されないのが命の大樹なき世界だ。

「…!!」

「これは!!」

殺気を感じたエルバ達の視線が一直線に、真っ黒な空に向けられる。

そこから渦が生まれ、その中からまがまがしい黒の光を宿す触手が出てくる。

「見つけたぞ…」

「その声は…まさか!!」

「ウルノーガ…」

聞こえるのは声だけで、本体の姿はどこにも見当たらない。

触手が本体だと思いたいが、それも違うようだ。

間近でウルノーガに触れられた時に感じた冷たい気配と背筋に感じた恐怖心はそこからはわずかしか感じられない。

「ほぉ…冥府で貴様に会えるとはな…。ただのエルバよ。貴様から頂いた力は良き物ぞ…」

「事情はロウから聞いているよ。魔王ウルノーガ、魔王を名乗るのに勇者の力なんて不釣り合いじゃないのかい?さっさと返してやりなよ」

「ふっ…魔王などに満足するわけがなかろう…。我が望むは…神。光も闇も奪い尽くす神」

「はっ、そんなものに簡単になれるなら、誰も苦労はしないんだよ!!」

「だが、その道もあとわずか。さあ…死滅した世界で這いずり回る虫けらどもよ…。ここで滅ぼしてくれよう!!」

「いけない!!ロウ、エルバ!!あたいの近くに!!」

ニマの言葉に反応し、2人は彼女のそばに駆け寄る。

触手は鋭くエルバ達に向けて襲い掛かり、ニマはとっさに両手から魔力を放出して結界を張る。

結界に接触した触手はそれて結界の周りの床に突き刺さる。

分厚く頑丈な床をたやすく貫通する破壊力にニマは冷や汗をかくとともに改めてウルノーガが得てしまった力の大きさを感じずにはいられなかった。

「ちっ…魔王の力を甘く見ていた!!」

「ふっ、よくしのぐ。だが、貴様の力の底は知れた!早々に消滅するがいい!!」

焦るニマの様子が見えたのか、ウルノーガの触手が何度も結界を叩くように襲い掛かる。

「た、大師様!儂も…」

「駄目だ!ああ…もう、もっと2人に教えたいことがあったというのに、忌々しいやつだよ!!でも…こうなったら仕方ないね!この場であんた達に最終奥義を授けるよ!!」

「最終奥義ですと!?それは儂が覚えたグランドクロスではなかったのですか!?」

「それは…違う!!ローシュとウラノスが力を合わせて放つ合体技。これこそが初代大師が生み出した、ドゥルダの最終奥義!!」

覇王斬と共に使い手がいなくなったことで伝承のみで伝えられた奥義。

だが、エルバが覇王斬を、ロウがグランドクロスをそれぞれ習得したことでそれは可能となった。

1人が2つの奥義を習得したとしても、それを最終奥義につなげることはできない。

互いに奥義を習得するからこそ、その最終奥義は意味を成す。

「さあ、二人とも…準備はいいかい!?はるかなる時を越えて、もう1度伝説を繰り返すんだ!アンタ達が放つ最終奥義!これをアタイの冥途の土産にしてくれ!!」

「大師様…」

根性の別れと言わんばかりのニマの言葉にロウは涙を浮かべる。

よく見ると、結界の力の代償なのか、徐々に若々しかったニマの肌に皺が出て来て、それが腕だけでなく顔にも出てくる。

おそらく、この結界はニマが郷を守るのに発動したものと同じもの。

「嘆くな、ロウ!!一度は死んだアタイが勇者と愛弟子の未来の道標となるんだ!その上、魔王をぶちのめす最終奥義まで手にできた!それで…本望ってものさ!!」

「大師様…」

ニマは今、消えていくことすら恐れることなくエルバと共に自分を守ってくれている。

後ろには扉があり、触手によって砕かれているため、そこから逃げることもできる。

しかし、ここで尻尾を巻いて逃げてしまったら、ニマの覚悟は無駄になる。

そうなったら一生ニマのことを師と仰ぐことができなくなる。

「大師様…ふたたびお目のかかれて光栄でございました!いくぞ、エルバよ!!」

「ああ…爺さん!」

「…ありがとうよ。さあ、あたいの掛け声に合わせて技を放ちな!チャンスは一度っきりだ!!まずはロウ!!上空に向けて力いっぱいグランドクロスを放て!」

「合点承知ぃ!!」

これが師匠であるニマに見せることのできる最後の勇姿であり、精一杯の感謝を示す時。

ロウは全身全霊を込めてグランドクロスを上空に向けて放つ。

上空で青く燃え上がる十字架が生まれ、その光を浴びた触手の動きが若干鈍る。

「これは…ドゥルダの奥義!!老いぼれも、そのような技を…!!」

「さあ、今だよエルバ!!覇王斬を!!」

「はああああ!!」

生み出した魔力の剣を叩き壊し、巨大な剣へと変化させると、それがまるで重力に引っ張られるかのように十字架の中央へと向かい、それを貫く。

「はあああああ!!」

「ぬおおおおおおお!!!」

2人の体を魔力が駆け巡るとともに、同時に青いオーラを纏う。

すると、魔力の剣が螺旋を描くように回転をはじめ、それに合わせるように十字架も回転し始める。

「そうだ!これが…ドゥルダの伝わる真の最終奥義!!」

かつて、共に修行をして絆をはぐくんだローシュとウラノスが手にした奥義。

同胞の絆が生み出した技を家族の絆が放つ。

「光の星雲、グランドネビュラだ!!」

十字架の炎が剣を包んでいき、星屑のようなきらめきを放ち始める。

剣は一直線に渦に向かって飛んでいき、その進路を阻む触手を切り裂いていく。

「エルバ!!」

呼ぶ声を聞いたエルバはニマに顔を向ける。

グランドネビュラ成功と触手が切り裂かれたことで結界を解いた彼女はなぜか白い光に包まれており、徐々にその姿を消しつつあった。

すべての力を使い果たした、エルバの直感がそうささやく。

おそらく彼女はここにとどまる魂達の元へ還り、命の大樹がよみがえらない限りはただ消滅するという運命へと戻ることになるだろう。

「悲しむんじゃないよ…。見せてくれよ?ローシュではなく、エルバ。あんたが作り出す勇者の伝説を…」

「ニマ大師!!」

グランドネビュラが渦を貫いた瞬間、周囲がまぶしい光に包まれ、エルバの視界を白く消し去っていった。

 

「ニマ大師!!」

視界が元に戻り、右手を伸ばしながら叫ぶエルバだが、そこは冥府の修練場ではなかった。

赤く塗装された天井に足元を毛布が温め、体は茶色い布の服で包まれていた。

「ここは…」

見覚えのあるその部屋は大師の間であり、ドゥルダ郷でエルバが宿泊した場所だった。

山頂にいたはずの自分がどうしてここにいるのか?

ロウとニマ大師はどうなったのか?

疑問が浮かぶ中で駆け足の音が聞こえ、勢いよく扉が開く。

「エルバ様!!」

「セーニャ…」

おそらく、先ほどの声を聞きつけたのだろう、セーニャが息を荒くして駆け寄る。

そして、目を覚ましたエルバを見た瞬間、ひざを折って涙を浮かべながら彼を見つめる。

「エルバ様…目を覚まされたのですね…良かった…良かった…」

「すまない、心配をかけた…」

ロウを助けるために必死だったとはいえ、セーニャやグレイグを不安にさせてしまった。

涙を流すセーニャに詫びるが、セーニャは首を横に振り、涙を指で拭う。

「俺は…確かに、山頂にいて、そこから…」

「はい、無事に戻ってまいりましたが、衰弱していました。ですので、私たちが郷まで戻したのです。そして、それから2週間ずっと眠っていらっしゃいました」

「2週間もか…」

「仕方ありません。冥府にまで行っていたのですから…。これから、グレイグ様とロウ様をお呼びしますわ」

頭を下げたセーニャは2人を呼びに大師の間を後にする。

再び1人になったエルバは再び布団に横になり、目を閉じてニマの最期の言葉を思い出す。

(悲しむんじゃないよ…。見せてくれよ?ローシュではなく、エルバ。あんたが作り出す勇者の伝説を…)

「俺が…作り出す…」

勇者の生まれ変わりなどというが、どこまでいこうとローシュはローシュであるように、エルバはエルバでしかない。

その人そのものにはなれないだろう。

(勇者の力を失った俺に、作れるのか…?勇者の伝説を…)

 

「おお、エルバよ。ようやく目が覚めたか。良かったわい」

しばらくして、大師の間に入って来たロウはエルバの無事な姿を見て安堵の表情を浮かべる。

「あ、ああ…爺さんも」

「どうしたのじゃ?どうも戸惑っているようじゃが」

「いえ、おそらくはすっかり元通りに戻ったので、驚いているのでしょう。運び込んだ時はもう骨と皮だけでしたから」

無事に冥府から戻って来た時のロウを間近で見てしまったグレイグはそのことを今でも焼き付いている。

死体同然の彼が何の前触れもなく急に身を乗り出した動き出し、それがどれほどの恐怖だったか。

ロウが目を覚ましたのは3日前で、それまではずっとあの姿のままだった。

しかし、今のロウはもうすっかり見慣れた姿に戻っていた。

「フォッフォッフォッ!あんなもの、大師様からの修行と比べればなんでもないわい!メシを食えば、すっかり元通りじゃ!」

「そうですわね。あそこまで食べられているお姿を見たときは驚きましたわ」

「修行の後のメシは大事じゃからのぉ。おいしくておいしくてたまらなかったわい!」

復活してからのロウはただひたすらにご飯をほしがっていた。

そこでサンポの命令により、厨房はロウのために料理を作り続けてくれた。

そして、ロウは骨と皮だけの姿だったにもかかわらず、そうとは思えないくらいバクバクと食べていき、みるみるうちに元通りに戻ってしまった。

「エルバ様、ご無事で何よりです。冥府での修行、大変お疲れさまでした」

「サンポ大僧正…。ニマ大師は…」

「ニマ様の夢はドゥルダに伝わりし最終奥義の伝授でした。それを見届けることができた。本望だったでしょう」

「そうじゃな。セーニャ。また会えてうれしいわい。グレイグ、儂が冥府に行っている間、2人が世話になったようじゃな。礼を言うぞ」

「それには及びません。これまでの無礼を考えれば、当たり前のことをしたまでのこと。むしろ、こちらがお詫びする立場です…」

敬礼し、頭を下げるグレイグにロウは静かに首を横に振る。

「いいんじゃ、グレイグよ。そなたもまたウルノーガに運命を翻弄された哀れな男。わしらと同じじゃ。そんなおぬしをどうして責めることができよう」

「ですが、ロウ様。これから私たちはどうしましょうか?ここに行けば、何かこれからの手掛かりをつかめると思ったのですが…」

ロウと合流できたとはいえ、それでもまた行くべき道を失ったことには変わりない。

それを聞くことができるかもしれないニマももうすでにいない。

肩を落とす3人にロウは笑みを見せる。

「心配には及ばん。手がかりはつかんでおるぞ」

「え…?」

「儂が3日ずっとメシを食って居ったわけではない。儂は大師様が遺した書物を調べたのじゃ。その中で、先代勇者ローシュ様が神の乗り物に乗っていたという文献があったのじゃ」

「神の乗り物?それは…」

「詳しくは分からんが、それを手に入れることができれば、天空にいる魔王を倒す力となるやもしれん。故にもう1度世界を巡り、皆を集める。皆、あきらめの悪い連中じゃ。必ずどこかで生きておる。最終目的地はラムダの里じゃ」

「ラムダの里へもう1度…か…」

神の乗り物という雲をつかむようなあいまいな情報だが、なにも手掛かりのない今のエルバ達にとってはすがらずにはいられない情報だった。

「神の乗り物…私もお姉さまも聞いたことはありません。何かラムダの里に手がかりがあればいいのですが…」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第67話 笑顔の伝道師

「爺さん、ユグドラシルの動きはわからないか?」

「うむ…命の大樹が落ちて、深手を負った儂はしばらく…」

ソルティコ地方まで戻り、キャンプを設営したエルバ達はロウとの間で情報交換を行う。

ふと、ロウの視線がともに話を聞くグレイグに向く。

ユグドラシルの話は彼の師匠であるジエーゴにもかかわってくる。

そのため、どこか話すのをためらう気もあった。

「ロウ様、私は勇者の盾であり、ともに戦う同志です。どうか、包み隠さず…」

「うむ、すまぬな…。わしはソルティコの本部で療養を続けていた」

「ユグドラシル…?ソルティコとつながりがあるというのですか?それに、そもそもユグドラシルとは…」

「ユグドラシルはユグノアの生き残りが集まった組織だ。元々は迫害されたユグノアの人々が相互自助する組織だったが…」

「各地で情報を集め、陰で我々の手助けをしてくれた。じゃが、世界崩壊の影響で地形が変わった土地もある。おまけに海路もズタズタにされて、情報網も見事に寸断された。どうにか復旧しようと動いておるが、回復の見通しが立たんのが実態じゃ」

デルカダールが闇でおおわれている間、その闇の影響でデルカダール地方に出入りすることができなくなっていた。

ソルティコそのものは自治都市としての側面もあることから、万が一デルカダール王国に有事があった際には領主であるジエーゴの元、独立して動けるように仕組みができている。

「しかし、なぜソルティコに本部があるのですか?そこはデルカダールのひざ元といっても過言ではない都市。あっさり見つかる可能性が…」

「そう思うじゃろう?しかし、ソルティコはあのダーハルーネに勝るとも劣らん情報都市。世界各地の情報を集めるには最適の場所じゃ。そして、ジエーゴ殿とも関係があっての、実は…ジエーゴ殿にかくまってもらっておったのじゃ」

「お師匠様が…!?まさか、まったく知らなかった…」

「すまぬな。おぬしはデルカダール王に忠誠を誓う将軍。仮に事実を知る前にジエーゴ殿がユグドラシルをかくまっていたことをおぬしが知ったとしたら、どうなっていたことか…」

言わずもがな、グレイグはデルカダール王を優先し、ジエーゴを斬っていた可能性もある。

忠誠を尽くす相手を何よりも優先するように教えたのはジエーゴ自身なのだから。

「本部が無事なのはいいとして、仲間たちの居場所もわからないのか…」

「そうじゃな…。環境が激変して、情報網の復旧もそうじゃが、表立ってソルティコの防衛や復旧にも力を貸して負ったからなぁ。じゃが、一つ奇妙な情報があったのぉ」

「奇妙な情報…?」

「なんでも、不気味な衣装な上に不気味な動きをした集団が西へと移動したというのじゃ。魔物の集団ではないかという噂もあるのじゃが…」

「不気味な衣装…どういうものなのですか?」

「うむ…なんでも、派手な色合いをした服によくわからない飾りまでついていたらしい。詳しいところまでは見ていないらしいが…」

「待ってくれ、西への道は確か…」

「世界崩壊の影響で通れるようになったらしいぞい。ほかに情報の当てがない以上は、いくしかないのぉ」

「それもそうですな、我々には立ち止まる時間すら惜しいのですから…」

ドゥルダ郷を後にする際、彼らから選別として少なくない食料と初代大師が着ていたという武闘着を贈られた。

元々は郷に封印されていたが、世界を救う助けになるならとサンポが封印を解き、ロウに譲渡された。

今のロウはその武闘着で身を包んでいる。

ニマと初代大師の魂が宿っているように感じられるという。

「でしたら、まずはゆっくり休んで、朝から移動しましょう。疲れで倒れてしまったら、どうしようもありませんから」

「そうじゃな…。エルバ、そろそろいいのではないか?」

「ああ、そうだな…」

エルバはたき火で温めている鍋を開ける。

中には温まったシチューが入っていた。

野菜を節約するため、周りの野草や木の実を代用しているものの、やはり空腹は最大の調味料というべきで、おいしそうなにおいがキャンプを包んでいた。

 

翌朝、エルバ達は馬で不気味な集団が進んだという西へと進んでいく。

道をふさいでいた大岩はすでになく、砂と岩でできた自然な大きい一本道ができていた。

その道を進みながら、エルバと一緒に乗っているロウは彼の愛馬に目を向ける。

「それにしても、不思議なことがあったものじゃ。まさか、フランベルグがおぬしとともにおるとは…。確かに、あの時はラムダの里にほかの馬ともども預けておったはずじゃが…」

「それは、私も思いました。あの時は兵士の皆さまや住民の方の治療に走っていて、それどころではありませんでしたが…」

流れ着いたところで、なぜかやってきていたことはエルバから聞いているが、フランベルグがこのような場所にいることは本来ならあり得ない話だ。

一人でゼーランダ山を下りて、外海を泳いで内海へ行き、闇を突破してここまでやってきたなんてことはナンセンスこの上ない。

「俺もわからない…。必要な時に来る。マルティナと一緒に逃げた時も…」

「ああ。その時は俺も驚いたものだ。主の危機に駆けつけてきたのだから」

「何者なんだろうな…?お前は…」

それによって、何度も助けられたことは事実だが、それだからこそ、フランベルグの謎を気にせずにはいられない。

自分とフランベルグにつながりがあるとしたら、イシの村で育ったという点のみ。

「ふうむ…考えても仕方がない。今は追いかけるべき相手を…む!?」

メダチャット地方の湖付近の橋で、リタリフォンが足を止め、グレイグが右手を挙げて制止する。

橋の先には緑色の布の服で身を包んだ、恰幅の良い中年男性が緑色の毛皮で身を包んだ虎と人間のキメラともいえるような外見の魔物、ベンガルに追いかけられていた。

「魔物に襲われている…!」

「助けに行くぞ!」

剣を抜いたエルバとグレイグがそれぞれの馬を走らせようとするが、急にどこからか太鼓や笛の音が響き渡る。

崩壊した世界には見合わない、陽気で軽快なリズムの曲で、あまりにも場違いなそれに男性も魔物も戸惑い、足を止めてしまう。

「いったいなんじゃ?この音楽は誰が…」

「ああ、皆さま。上に…!!」

ベンガルのちょうど背後にそびえる大岩の上をセーニャが指をさす。

そこには紫の羽を腰につけ、赤と緑をベースとした長袖の派手な服装をした男たちが持っている楽器を奏で、楽器を持たない人々は踊っていた。

そして、その集団の中央には4頭の白馬と開いたクジャクの翼を模した巨大な神輿があり、それを6人の男が担いでいる。

その神輿には見たことのあるような白と黒のゼブラ模様の道化師服で身を包んだ何者かが紫の扇で上半身を隠していた。

トコトコトコトコ、と警戒な太鼓の音が鳴り響き、次第に隠れていた姿があらわになっていく。

「おお、そなたは…」

「…シルビア…」

「そこの魔物ちゃん!人々を襲うのをやめなさい!!」

扇を突き付け、ベンガルに警告するシルビア。

最初はなんだと思い、動揺したベンガルだが、ただの旅芸人の集団であり、たいしたことはないと思ったのか、再び視線を獲物に向ける。

牙にはすでに捕食した動物な人間の血肉がこびりついている。

「やれやれ…お仕置きしないとわからないみたいね」

魔王の圧倒的な強さに恐怖を通り越して心酔し、魂を売った結果として成り果てた魔物であるベンガル。

人間であることを忘れ、その肉をも口にしてしまったその魔物を放置するわけにはいかない。

扇を閉じたシルビアは腰にさしてある魔剣士のレイピアを抜き、神輿から飛び降りる。

急に近づいてくる何かの気配を察知し、振り返ったベンガルだが、その時にはすでにシルビアの刃が頭に接触し、そのまま下へと切りつけられていた。

何が起こったのかすら知ることも、断末魔すら許されることなく、二つに切り裂かれたベンガルは血しぶきを出しながら力尽き、命をもてあそんだことへの裁きなのか、紫の粒子となって消滅した。

「安らかに眠りなさい…哀れな魔物ちゃん」

魔物となり果てた誰かに静かに哀悼の言葉を述べると、シルビアはレイピアをふるって血のりを払い、納刀する。

そして、派手な衣装の男たちはいつの間にか大岩の上から降りてきていて、シルビアを取り囲む。

「キャアーーーー!!素敵ーーー!!」

「おネエさま!!なんて華麗な身のこなし!!」

「美しすぎるわん!!」

男たちの、女のような歓声にシルビアは手を振り、時には投げキッスで返礼する。

その一部始終をエルバ達は馬から降りて見つめていた。

「…なぁ、エルバ。彼は…仲間、なのか?」

「そうだ…」

「…個性的だな」

「まあな」

「あら…!!」

返礼をする中で、偶然橋を見たシルビアはその上にいる少年が見えたことで、動きが止まる。

だが、飛び切りの笑顔に変わってから右腕で目元を隠す。

そして、後ろを向いてコソコソと近づいてから急に振り返ってエルバを見る。

「やだ!!」

今度は駆け足になってエルバの目の前まで来て、両手の人差し指を彼の顔にさしながら間近で見る。

「まさか…エルバちゃん!!それに、ロウちゃんにセーニャちゃんも!!ああああ、よかったわー!本当にいきていたのねーーー!!」

エルバに抱き着いたシルビアはほおずりする。

飛び切りのスキンシップにエルバの表情は固まっていた。

「なんなんだ、まさか…あの集団まで、エルバの仲間だというのか…??」

「お久しぶりですわ。シルビア様。そちらの…その、変わった衣装の皆様は…?」

「それに…何をしておるのじゃ??」

当然、ロウもセーニャもそんな集団など見たことない。

彼らの中には船員と同じ顔をした人間は一人もいない。

「あーら、何よー!見てわからないの??決まってるじゃない!!」

シルビアは大きく跳躍し、集団のちょうど真ん中に降り立つ。

そして、再び両手に扇を手にすると、男が太鼓を軽快に鳴らし始める。

「「世界にーーーー…光を取り戻す!!」」

決めポーズのように、シルビアは両手の扇を大きく広げ、男たちはその周りで踊り始める。

「そんなわけで、暗い世界を光で照らすために、アタシいろんなところを回って世直しパレードをしていたの」

「世直し…か。変わらないな、あんた」

嫌味ではなく、心の底からそう思いながら、シルビアの周りで踊る男たちを見る。

見た目こそ奇怪ではあるが、誰もがこの崩壊した世界に似合わない陽気な笑顔をしている。

それができたのはシルビアが人々を笑顔にするという一貫した目的を貫いているからだろう。

「この子たちはアタシの大切なナカマ!共感してくれて、旅の途中でパレードに加わってくれたのよ!」

今でこそ陽気な姿を見せる彼らだが、最初にあったころは世界崩壊がきっかけで希望を失っていた。

故郷への帰路の途中で荷物を奪われた旅の鍛冶職人。

船も家族も失い、盗賊へ身を落とさざるを得なかった漁師たち。

それ以外にも、多くの苦しむ人々を見て来て、シルビアなりのやり方で救い続けた。

そして、希望を取り戻した彼らと共にシルビアは自分なりの戦いとしてこの道を選んでいた。

「エルバちゃんはちょっと変わったんじゃなーい?なんだか、少し余裕ができたというか…?」

「そうか?いつもと変わらないだろう?」

「何言ってるのよー?口元が緩んでるわよー!それにしても、あんなことがあったのに、エルバちゃんもロウちゃんもセーニャちゃんも、生きて会えるなんて奇跡ね!またあえて感激だわー!!」

「ああ、そうだな…。そういえば、シルビア。船はどうした?確か、クレイモランに停泊したままだっただろう?」

パレードの中にはよく知っている人物であるアリスの姿がない。

おまけにここへ来るまでにソルティコの海を見たが、砂浜にシルビア号の姿もなかった。

常識的に考えると、離れ離れになってしまったと考える。

だが、シルビアの笑顔がそれを否定した。

「実はアタシ、みんなと離れ離れになった後、偶然アリスちゃんが見つけてくれたのよ!しかも、シルビア号と一緒にね!運が良かったわー!!」

「どんな強運をしているんだ…」

これはシルビアが後から聞いた話ではあるが、アリスはシルビア号でエルバ達の帰りを待っている間、嫌な夢を見たという。

それは命の大樹が落ちて、世界が崩壊した光景とどこかの砂浜で横たわっているシルビアの姿だった。

その夢は連日見たとのことで不安を覚えたという。

そして、命の大樹が落ちた日、アリスは慌てて船員たちに指示をしてシルビア号を出航させた。

幸い補給そのものは前日までにできていたため、長期間の航海はできたようで、アリスは各地の海を旅した記憶を頼りにシルビアを探した。

その結果、夢で見た例の砂浜のある内海の無人島でシルビアを見つけ、救出してくれたという。

「今はダーハルーネにシルビア号は預けているわ。それで、アタシ達はラハディオちゃんに協力してもらって、商船を使ってここまで来たってこと!それで、みんなはどうしてここまで…」

「あ、あのう…」

小太りの男が話し続けるシルビアとエルバの間で手をあげ、声をかける。

エルバ達と再会したことへの嬉しさからついつい助けた人のことを見落としていたことを反省したシルビアは視線を男に向ける。

「あら、あなた!ほっぽり出しちゃってごめんなさい!けがはなかった?」

「おかげさまで、かすり傷一つないだ。あんた、ヘンテコリンな恰好してっけど、すんげえ強えーんだな。オラ、バハトラってんだ。南にあるブチャラオ村からここまで来たけど、おかげで助かっただ。感謝しているだよ」

「そうか…だが、なぜここまで来たのだ?魔物が多く、危険だっただろう?」

「ああ…。無理は承知の上だ。だが、どうしてももっていかなきゃならねえものがあっただ」

バハトラは橋の近くに転がっている、きつくふたをした水がめを手にする。

魔物に襲われたときに放り投げてしまったため、割れていないか心配だったが、割れている個所はなかった。

「水…?」

「うんや、海水だ。あの湖から獲れる」

海のないメダチャット地方では、湖からとれる海水は貴重なものとなっている。

本来はソルティコから安定的に供給されていた塩だが、落盤による未知の寸断によって供給が断たれ、通れるようになった今は魔物の凶暴化によって入手が困難となっている。

塩の精製技術も海もない村人の頼みの綱があの海水が取れる湖だ。

現在は村人のある程度力のある男性が当番となって、魔物の目を盗んで湖まで向かい、海水を取ってきているという。

ただ、塩づくりの技術を持たず、塩田を作るような土地も存在しないため、やむなくそのまま調理に使用している。

「あら…そうだったの。じゃあ、村まで送ってあげるわ!…ねえ、みんな。これからのこともあるけど…ちょこっとだけ、あたし達の世直しパレードに付き合ってくれない?」

「付き合う…?」

シルビア達のやっていることは至極真っ当なことだ。

エルバ自身もそれを否定するつもりはない。

だが、目に留まるのは彼らの格好と踊りだ。

相手はシルビア、つき合わされた結果、あの格好をさせられる可能性もある。

「お、俺は…」

「んもう、エルバちゃんったら恥ずかしがりやねえ!はいならはいってさっさと言えばいいのに!さあ、新しいセカイへの扉を開くわよー!みんなー!」

「待て、シルビア、俺は…!!」

「はー、おネエ様ー!アタシ達がコーディネートするわー!」

2人のナカマがやってきて、エルバの両腕をがっしりとつかむ。

なよなよした動きにもかかわらず、やはりシルビアがかかわっているということもあるのか、力は人並み以上あり、エルバでも振りほどけない。

「た、助けてくれ…」

どうにか絞り出したのがグレイグ達への救いの声。

だが、その時にはエルバはすっかり取り囲まれ、ユグノアの甲冑を外された上に紫をベースとしたシルビアの衣装そっくりな服へと無理やり着替えさせられていた。

着替え終えさせられたエルバはそのままナカマによってシルビアの前に突き出される。

「キャー、ステキー!アタシの目に狂いはなかったわ!!」

「それはどうも…」

(エルバ様…目が死んでる)

ナカマ達の中で必死に精神を保とうとするエルバだが、可能だったのは感覚をなくすことだけだったようだ。

旅の中で、ここまで焦点の合わない、死んだ魚の目になった彼は見たことがない。

「みんなー!彼がアタシと一緒に旅をしてきた、かの有名なエルバちゃんよー!そしてぇ!!」

大きく跳躍したシルビアは再び神輿の上に立つ。

そして、そのうえからエルバに指をさした。

「そして今から、彼がこのパレードのボスよ!!みんな、エルバちゃんに続けーー!!」

「はーい、ボスー、ブチャラオ村へレッツゴー!!」

「…」

再び両腕をつかまれる形でエルバは先頭に立たされ、ブチャラオ村へと連行されていく。

フランベルク達はナカマによって引っ張られ、グレイグ達は歩いてパレードに続く。

「シルビア、世界が崩壊してもなお人助けとは。さすがじゃのう」

「ロウ様…エルバ様はちゃんと戻ってきますよね…?」

「それはわからん。すべてはエルバ次第じゃ」

「無責任なことをおっしゃってくれますな。エルバの精神が崩壊したら、世界は救えんのですぞ」

精神が崩壊したエルバはおそらく、新たなセカイの勇者となって帰還するだろう。

だが、そうなるとイシの村で待つ彼の母と幼馴染は卒倒するだろう。

(なんとしてでも、勇者の盾として俺がエルバをもとのセカイ…いや、世界へ連れ戻さねば…)

謎の決心を人知れず固めるグレイグ。

周囲に潜む魔物たちはシルビアの強さとパレードの異様さ故か、一匹も近づこうとしなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第68話 大切なもの

ブチャラオ村はとにかく商魂たくましい人々の巣窟だ。

かつて、美女の壁画のご利益を観光資源として村おこしに成功した。

しかし、実はその壁画は人々の命を糧としたものであり、観光客を中心に多くの犠牲者を生み出す危険な代物だった。

それは観光客の中にいたとある強者たちによって倒され、壁画は失われた。

だが、村人はそれすらネタにして壁画のレプリカを大々的に売り出すことで再起した。

エルバ達にとっては一度きりの訪問で会ったとはいえ、これほど村人たちに強い印象を残した村は存在しない。

だが、そのような村でさえ、世界崩壊が生み出した災厄から逃れることはできなかった。

「ここは…本当にブチャラオ村なのか…?」

切通しを抜け、今の村の景色を見たエルバはかつて見たその村と同じ光景とは思えなかった。

観光客でごった返していた広場は今や人気がなく、物を売りつけてくる商人たちの表情も暗い。

かろうじて提灯の明かりがともっているものの、それが無かったらブチャラオ村だと信じることはできなかっただろう。

「あら…やっぱりこの村もどんよりした空気に包まれているわね」

ブチャラオ村だけでも、と思っていたシルビアも分かっていたとはいえ、肩をすくめる。

世直しパレードを結成し、各地を旅したシルビアだが、希望を残している町や村落を見たことがなかった。

「それじゃあ、オラはここで失礼するだ。ここまで世話になっただ。ありがとうな」

村の光景を見たバハトラはエルバ達に頭を下げると、一足先に村の中へと壺をもって戻っていく。

「…塩のこともそうだが、彼が遠くまで行ったのには何かわけがありそうだ。この村の悲壮な空気と関係するかもしれぬ」

「なら、やることは一つね!みんな!!まずはこの村で何が起こっているのかを調べるのよ!そして、みんなを笑顔にするのー!!!聞きこみーーー、はじめ!!」

シルビア達世直しパレードが先発して村に入り、暗い表情などなんのそのと村人たちへの聞き込みを開始した。

「うむ…」

「どうされましたか?グレイグ様」

「いや…あのシルビアという男、どこか引っかかるのだ。ずっと昔に会ったことがあるような…」

「会ったことがある…?シルビアと?」

「そうだ。だが、俺が知る限りあのような女口調をする男などいない。芸についてもまったくと言っていいほど覚えがないからな」

生憎、芸能について知っていることがあるとしたら、今は亡きバンデルフォン王国にあったというバンデルフォン音頭くらいだ。

騎士の道1本で生きてきたグレイグには芸能とはほぼ無縁で、知り合いの騎士とはそんな会話をしたことは一度もなかった。

「いや…俺の考えすぎだろう。俺たちも手分けをして情報を集めるぞ」

「ああ、そうだな…」

エルバ達もシルビアにならうように分かれていき、村人から情報を聞き出し始める。

だが、ナカマ達ですら最初に心を開いてもらうその段階にてこずっている始末だ。

いくら芸を見せても笑う気配がなく、問いかけても頑なに口を開かない。

それはエルバ達も同様で、壁画の事件の功労者である彼らにさえ似たような状態だった。

「あてがあるとすると、あとは…」

思い浮かぶのは先ほどシルビアと共に護衛したバハトラだ。

彼ならば、直近で助けたことから心を開いてくれるはずだろう。

問題は家の場所だが、ノックして声をかければわかるだろうというシンプルな発想で階段を昇っていく。

ちょうど、一番上の教会の有る広場の南東側に唯一民家があり、そこからシルビアとバハトラの声がかすかに聞こえてくる。

「ま、まさか…その声は!!」

「うん…?」

ノックをしようとしたエルバは振り返ると同時に赤髪の男に突き飛ばされ、男はノックもせずに家に入る。

「痛た…なんだ、あいつは…」

地面にぶつけた腕をさすりながら、エルバは彼に続く形で家に入る。

エルバの予想通り、部屋にはシルビアとバハトラの姿があった。

「おめえ…ボンサックか」

「いやぁ、良かった!!息子のチェロンだけでなく、お前までいなくなったと思って、心配したんだぞ!」

彼の無事な姿を見て、かつてエルバ達を無理やり自分の宿屋に泊めさせた男、ボンサックは笑顔になるが、肝心のバハトラはそっぽを向いている様子だった。

村おこしに成功したとはいえ、元々村は狭いコミュニティであり、全員が顔見知り以上の関係だ。

バハトラがやや気難しい一面があることは彼自身も知っているため、この程度の態度であれば、様々な客を相手してきたこともあり、許容範囲内だ。

「あれ…?あなたのおぼっちゃん、いなくなっちゃったの?」

家族のことは初耳だったシルビアは驚いたように彼に問いかける。

話をしていたときは独り身であり、危険を承知で塩を取りに行ったのは家族のいない自分にとっての唯一の知り合いである村人の助けになりたかったからだと言っていて、息子のことなどおくびにも出していなかった。

バハトラは一瞬、ボンサックをにらみつける。

しかし、ため息をつくと今度はボンサックだけでなく、シルビアからも視線を逸らす。

「ふん…チェロンみてえな自分勝手な息子なんて、知らねえだ!」

立ち上がったバハトラはシルビア達に目を向けることなく家を出ていく。

バンと扉が閉じる音が響く中、ボンサックは申し訳なさそうにエルバ達に頭を下げる。

「すみません、旅の方。…バハトラの奴、大事にしていた嫁さんに先立たれちまって、おまけに息子までいなくなったから気が立っているんです。酒浸りになっていないだけでもマシですけど…」

バハトラの妻は気立ての良い女性で、彼とは幼馴染だったこともあり、幼少期からまるで兄妹のように過ごしてきた。

やがて結婚し、息子であるチェロンを授かったものの、彼を生んだ翌年から体調を崩しがちとなってしまった。

せき込むことが多く、時折血を吐く彼女を気遣い、バハトラは彼女の回復する時を願いながら家事仕事を一手に引き受けていた。

しかし、その願いが届くことなく彼女は1年前に死んでしまった。

その日からバハトラはポッカリ胸に開いてしまった大きな穴を埋めるように酒に酔うようになり、チェロンとも口喧嘩が絶えない状態となっていた。

そんな彼を見ていられず、チェロンは時折ボンサックをはじめとしたほかの村人の家に厄介になることもあったという。

「おや…?そういえば、あなた方は…もしかして、あの壁画の呪いを破ってくれたお客さんか!?でも、その格好は…」

「放っておいてくれ。それより、どうして村人は気力を失っているんですか?」

「ええ…、フールフールの仕業です。大樹が落ちてすぐ、ヤツは魔物を引き連れてこの村にやってきたのです」

プチャラオ村は山に囲まれており、それらが熱風と衝撃波から盾になってくれたおかげで死者は出ず、建物も若干壊れるだけで済んだ。

しかし、闇に閉ざされ、魔物が闊歩することになり、いつにもまして物資不足に陥ることになった。

村に残され、帰れなくなった観光客の人々の手を借りながらなんとか過ごしてきたが、そんな時にフールフールが現れた。

学者のような帽子をかぶり、茶色く変色したドクロが飾られた杖を握った、紫で二本足のドラゴンだ。

村を守る戦士が戦ったが、なすすべなく討ち取られてしまい、抵抗できなくなった村人たちを彼は集めた。

そして、村人たちに殺した戦士の死体を見せつけながらこのようなことを口にした。

お前たちの一番大事なものを教えろ、そのものの命だけは助けてやろう、と。

「おびえた私たちはその言葉にすがるように、大切なものを教えたんです…。お金や愛する家族を…」

自分たちは死ぬことになるとしても、せめてそれだけでも守りたいと思った。

ボンサック自身も、妻の命だけはと思い、彼女を教えた。

「しかし…奴は奪っていた!一番大事なものを…妻を!!馬鹿だった…本当に、馬鹿だった…」

死者を丁重に扱わず、脅迫の道具に使うようなあの魔物が約束を守るはずなどない。

そんなことは薄々分かっていたにもかかわらず、魔物の力に太刀打ちできずに口車に乗せられてしまった。

悔やんでも悔やみきれず、自らの手で取り戻すこともできずに絶望しながらも、完全に失ったわけではないために自ら死を選ぶことすらできなかった。

時折、危険を承知で救出に向かった村人もいた。

その人は数日戻ってこなかったが、ある日村人たちにある手紙が送られた。

『大切なものは丁重に保管しているにも関わらず、持ち去ろうとする不届き者がいたことは非常に残念でならない。だが、そのような者は自ら大切なものを守ろうとする勇気ある者だ。そのものの勇気をたたえ、彼の大切なものは特別に返してやろう』

丁寧にスラスラと赤く描かれた手紙と共に、村人たちに送られた荷物は彼と彼が差し出した家族の無残にもバラバラにされた遺体だった。

それは救い出そうとするなら、その人や物を殺すというフールフールからのメッセージでもあった。

そのことがきっかけで、助け出そうにも助け出すことができなくなり、八方ふさがりとなってしまった彼らは絶望に沈むこととなってしまった。

「ひどい…」

「許せないわね…その魔物ちゃん!!アタシ達世直しパレードがさらわれた村人をみんな助け出してあげるわ!!」

「ほ、本当ですか!けれど…奴はずるがしこい化け物ですよ!?それに…」

彼らは壁画の美女から人々を救ってくれた英雄で、腕は立つ。

だが、そんな彼らがもしフールフールの元へ行ったら、自分たちに助けを求められたことに気付くだろう。

そして、人質をなった人々は全員殺されてしまう。

「ご心配なく!アタシたちにお任せあれ!騎士に二言はない、という奴よ!」

「騎士…だと??」

笑みを浮かべて言うシルビアに安心するボンサックをよそに、グレイグはシルビアの言動に違和感を抱く。

彼のことはエルバから聞いており、旅芸人であるにもかかわらず、剣術に長けているうえに乗馬についてもファーリス杯でエルバと優勝争いをするほどの腕前を誇る。

そして、騎士という言葉。

確かに、言動や振る舞いはともかく、騎士としての技量と器量を持ち合わせている。

だからこそ底知れず、だからこそ奇妙だ。

(何者なのだ…奴は…?)

 

その日の夜、村の明かりが消え、村人たちが絶望の中で寝静まる。

そんな中、3階の客室の1つだけが明かりがともり、そこではエルバ達がボンサックが用意した大きな机を中心に集まって作戦会議を開く。

机の上には村の南の地図と、そこにあるという洞窟の地図の2種類が置かれていた。

「斥候の子が洞窟の中を調べてくれたわ。おかげで、地図を作ることができたわ」

「大丈夫なのか…?見つかったら、村人が…」

「問題ないわ。あの子たちは隠れたりするのが上手なの。足跡も消してあるって」

「むぅ…そんな技量を持つ者がパレードにいるとはな」

「みんな一芸に秀でているのよ。だから、アタシ一人ではできないこともできるようにしてくれているの」

斥候のナカマの情報によると、村の南の洞窟にフールフールを中心とした魔物たちが集まっており、人質や奪った物はすべて一か所に集め、鉄格子に閉じ込めているという。

元々その洞窟はプチャラオ村が大昔に使っていた倉庫だったらしく、使われなくなったことで村人からも忘れ去られていたという。

「落盤でふさがることを想定して、複数入口があるみたいよ。魔物ちゃん達もそれを知っているから、交代で見張りをつけているわ。け・ど、魔物ちゃん達も気づいていない侵入ルートがあるわ」

地図の中でシルビアが指を差したのは山の中腹当たりで、なおかつ南西当たりの場所だ。

底へ行くための道は元々あったようだが、過去に土砂崩れで崩壊して、そのまま放置されたらしい。

「アタシ達がおとりになって、フールフール達をおびき出すわ。そして、隠れるのが得意なナカマで助け出す」

「おとりになるのはいいが、それでうまくいくのか?フールフールは狡猾な魔物だぞ」

策士としての一面があるというなら、ただのおとりでは見破られるだけだろう。

挙句の果てに人質を殺すように動くため、この作戦を実行できるのは1度きりだ。

「それはお任せよ。今、ナカマのみんなで準備をしているわ。フールフールをおびき寄せることのできる、絶好の餌をね」

「餌…?」

「ええ。それは明日のお楽しみに。さあ、みんな。明日の作戦のために今日は休みましょう。夜明け直前に動くわよ」

この時間が作戦実行には絶好のタイミングと言える。

必勝の策だというのか、シルビアはにこりと笑っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第69話 フールフール

「フフフ…絶望に沈む輩の姿、良い酒の肴になりますねぇ…」

牢屋の中でうずくまる人々を見ながら、フールフールは部下の魔物が手に入れた高い酒を口にする。

彼の周りにはブチャラオ村で奪った財産が無造作に置かれており、見張りのアークデーモンや地獄の騎士が金貨1枚でも奪われることがないように見張っている。

だが、最高の肴となったのはこの間の出来事だ。

無謀にも、たった1人で妻と息子を救出すべく若い狩人の男が突入してきた。

彼はブチャラオ村に肉を調達するために多くの魔物や動物を狩ってきた。

しかし、崩壊した世界で魔王の影響を受けて強化された魔物たちに太刀打ちできなかった。

フールフールの部下たちもまた、強化をされていた。

あっけなく捕まえられ、フールフールの前に突き出された。

そこで、彼が行ったのはまずは狩人の前に家族を連れていくことだった。

そして、彼らの目の前で狩人を生きたままバラバラに切り裂いていった。

それを終えると次は妻を、そして心が壊れた息子を同じ運命へと送り、それをブチャラオ村の村人全員に送った。

絶望した彼らの顔を見ることはなかったが、この場所に伝わってくる負のオーラから、美味な絶望を感じ取ることができた。

ついでに、その解体ショーを囚人たちの目の前で行ったことで、彼らの中には心を失った人もいる。

しかし、このような悲劇的な結末を迎えたのは自分のせいではない。

すべてはあの狩人が弱かったせいだ。

そのせいであっけなく捕まり、この悲劇を引き起こした。

「まったく…弱い奴は鋏にも劣りますが、このような楽しみを提供してくれた…。それは感謝しなければなりませんね。それにしても…」

フールフールの視線が檻の中にいる青い髪の少年に向けられ、目を細める。

彼は一番新しく檻に入った人間だ。

幼い少年にもかかわらず、恐怖に染まっておらず、抵抗するかのようににらみつけてくる。

その視線がフールフールにとっては不愉快だ。

「まったく、本当ならあなたのこともいい見せしめにしてやりたかったのですが、残念なことにここにあなたの大切な人はいないみたいですね。だから、この中を探そうとしたのでしょう…」

小柄な体で合ったとはいえ、監視の魔物たちの目を盗んでここまでやってきたのは素直に褒められる。

ただし、ここに集められている財産は多く、その中から目的の物だけを探そうとするのは無謀なことで、結局見つかって、この檻の中にいる。

「うるさい!!母ちゃんのペンダントを返せよ!この野郎!!」

「ペンダント…?はて、ペンダントとは…」

「ふざけんな!父ちゃんが一番大切なものって言ってて、お前が奪っていったじゃないか!!」

「無礼な口ぶりですねぇ。うん…ああ、思い出しましたよ。まったく、貧しいおうちなのですねぇ。そんな粗末なペンダントが一番大切なものとは…哀れだと思います」

けれど、そのようなものでも奪われれば絶望するもの。

それを手にして去ろうとしたとき、太った髭面の男が返すよう頼みながらしがみついてきて、それを部下の地獄の騎士が蹴り飛ばした。

この洞窟で手に入れたものの品定めをしていた際に、このペンダントを見つけたときはあまりにも価値がないことだけは覚えている。

だが、それをこの後どうしたかどうかはすっかり忘れていた。

「しかし、あなたも哀れな坊やですねぇ。お父さんに一番大切な者はあんな粗末なもので、あなたの価値はそれ以下なのですから…」

「ふざけんな!!ふざけんなぁ!!」

「ふっふっふっ、子供ながら反論しようとするその心意気だけは評価してあげましょう」

父親が自分を一番大事なものと言わなかったときの姿を今でも覚えている。

母親が死んで、酒浸りになってからは会話することも減り、自分もそんな父親を見ていられずに家出を繰り返すようになった。

自分と同じように、母親が死んだことで悲しい思いをしていることは理解しているつもりだ。

だが、それを理由にないがしろにされ続けるのがたまらなく嫌だった。

おまけに、そんな母親の亡霊にしがみつくかのように、一番大切なものとして形見のペンダントだと言い出した。

その時にわかってしまった。

父親にとって、自分は大切な存在でもなんでもないのだと。

だから、そんな父親を見返したいがためにブチャラオ村を飛び出してここを探し出し、侵入した。

「しかし、この場所には希望はいらない。必要なのは死にも勝る絶望ですが、あなたからはそれを欠片も感じない。無礼な口調までする以上、ここにいる必要はありませんねぇ」

そんな利用価値のない子供は早々と処分をした方がいい。

しかし、さすがに解体ショーをもう1度やったとしても、新鮮な絶望の味は二番煎じとなってしまうだろう。

新しいものを考えなければならないが、それを邪魔するかのように耳障りな音楽が聞こえてくる。

「まったく、なんですか?この音楽は。さっさと止めてきなさい」

「ハッ、フールフール様!」

見張りの地獄の騎士達が礼をした後で洞窟を正面出入り口から出る。

そこには巨大な神輿を持つ派手な服のナカマ達の姿があり、彼らは魔物がそばにいるにもかかわらず、思い思いに楽器を奏で、踊り続けている。

「あいつら…確か」

「ああ、聞いたことあるぜ。あのパレードは…」

魔物たちはフールフールがよそから連れてきた魔物から聞いたとあるパレードの噂を思い出す。

ホムラの里の輸送ルートをつぶして住民を飢え死にさせようとしたギガンテスを討伐するなど、奇妙な風貌ながら腕が立ち、脅威となる存在だと言っていた。

最初はそんな存在なんてあるはずがないと思っていたが、こうして目の前にいる彼らを見たら、真実味を感じてくる。

実際、魔物が活性化する中でパレードしながら旅をするというのは正気の沙汰ではない。

よほどの馬鹿か、腕っぷしが立つかのどちらかだ。

「どうすんだよ?あいつら、俺らのことに気付いてねーよな?」

「やってやるか…?」

2匹の魔物が顔を合わせ、首を縦に振る。

そして、討ち取ろうと前に出て、まずは踊っているナカマに刃を向ける。

だが、彼らはなぜシルビアの世直しパレードが脅威となるのかをそこで知ることとなってしまう。

「あーら?やっぱり出てきてくれたのね?出迎えてくれて、うれしいわ!」

どこからか剣を抜いたナカマが地獄の騎士の剣を受け止める。

だが、彼らも侮っていたわけではない。

仲間が剣を受け止められ、噂で聞いた通りの手練れだと気づいた仲間の地獄の騎士が合図を送る。

これで、洞窟の魔物たちが応援にやってきてくれる手はずだ。

「団体さんが来るわ!みんな、いいわねー!」

「ハーイ!」

これからさらにフールフールの配下である魔物たちがやってくることはわかっているにもかかわらず、彼らの表情はご機嫌そのものだった。

 

「外がさらに騒がしくなった…まったく、なにをやっているのでしょうねぇ。応援まで呼んで…」

騒がしくなるとともにほかの配下の魔物たちも動き出すのを見たフールフールは席を立つことなく、グラスのワインを口にする。

耳障りな音楽そのものは消えたものの、この騒がしさではせっかくのワインがまずくなる。

おいしく飲めるときに改めて飲むことにし、その代わりに手に入れた菓子を口にしようとする。

「あーら、みんながはりきっているのに、一人だけ優雅のお菓子の時間?そんなの失礼なんじゃなーい?」

「なに…??」

失礼な物言いをしてくる男の声に腹を立て、振り返るとそこにはシルビア達4人と2人のナカマの姿があった。

一瞬驚いた表情を見せたフールフールだが、すぐにその表情を抑えて、席を立つ。

「おやおや、これは驚きました。このフールフール様の前にノコノコと現れる人間がいるとは…。それに、まさかあのパレードを囮に使い、ここまでコソコソと入ってくるとはさすがですね…ほめて差し上げますよ」

「あなたに褒められてもうれしくないわ!さあ、村のみんなを返しなさい!」

「ホッホッホッ、そんなことのためにわざわざ危険を冒してまでここまできたのですか?とんだおバカさんがいたものですねぇ」

世界が崩壊してから、多くの人間を見てきたが、自分たちにとって何のメリットもないことに命を懸け、ここまでくる人間が初めて見た。

みんな保身や家族の命を守るために何かを切り捨てる、徳のために行動する人間ばかり見てきて、無残にも返り討ちにしてきた。

「…いいでしょう。その馬鹿げた勇気に免じて、村人たちは返してあげましょう!!」

言い終わると同時に指を鳴らし、同時に足元が揺れ始める。

揺れと同時に地面からミイラ男とリビングデッド達の腕が出てきて、それが地面から這い上がるように出てくるとともに檻を囲み始める。

「なに…!?」

「死霊術の1つですよ…。殺したとしても面白くもないおバカさんたちはいますからねぇ。そんな彼らには術をほどこして、埋めておいたのですよ」

「静かな眠りを求める死者たちに、なんてむごい…!!」

「これこそが有益な使い方ですよ。もちろん、解放してあげますが…」

「外道め…!」

このまま檻が開けば、待っているのは哀れなゾンビたちによる村人の蹂躙だ。

死ぬか、彼らのエキスによってゾンビに変えられるかの最低の二択が待っているだけだ。

「タダで返すはずがないじゃないですか。おバカですねぇ。何かと引き換えに決まっているじゃないですか。あなた達の一番大切なものを私に譲りなさい。そうしたら、返してあげましょう」

「大切なもの…?」

「そうです。例えば…そうですねぇ。あなたが持っているその剣、かなりの値打ちになりますねぇ。その剣と背中にさしている大剣、それを譲っていただければ…」

「…その程度の価値にしか見えないのか?この剣が…」

「はい?」

水竜の剣は命がけで自分をかくまい、デルカダールへ逃がしてくれたセレンの遺品であり、キングブレードはデクがエルバのために譲ってくれたもの。

いずれもフールフールの計算以上の、何物にも譲れない価値がある。

それに、エルバにとっての一番大切なものは残念なことにそれらではない。

エルバは胸に手を当てた後で、フールフールをにらむ。

「俺の一番大切なものがわからない時点で、お前とのその取引は破たんしている」

「むぅぅ…」

「よく言ったわね、エルバちゃん!あなたの大切なものを差し出す必要なんてないわ!ここはアタシの出番!アタシが…ずっとずっと温めていた一番大切なもの…それをあの魔物にあげる」

「シルビア…!」

「お待ちください、シルビア様!それではあの魔物の…」

止めようとするセーニャに横顔を見せるシルビアの口元は釣りあがっていた。

彼は抵抗の意思がないことを示すかのように腰に下げてある剣とムチ、短剣を地面に置き、フールフールに向けて歩いていく。

「ホーッホッホッホッ!人間にしては物分かりがいい。それに、礼儀までわきまえているとは…口調が少々気になりますが、助かりますよ!さあ、さっそくいただきましょうか!」

卑しい目でシルビアを見つめるフールフールは急かすように右手を伸ばす。

彼の前まで来て、懐から何かを出すとそれを両手で惜しむように包み、寂しそうに見つめる。

「さあ、これよ…大切に使ってね」

フールフールの右手に大切なものを置いたシルビアは静かにエルバ達の元まで下がる。

彼が手にしたものは片手で持てるほどのひどく小さなもの。

しかし、こういうものであってもとんでもない価値のあるものがあるから油断しない。

どんなものか拝見しようとするが、なぜか鼻孔に奇妙なにおいが入ってくる。

「この…かぐわしい香り…こ、これは!!」

右手に置かれているのは茶色い布で包まれた何か。

布が開くと同時に、フールフールの目が大きく開く。

茶色い干し草が混ざった、茶色い馬のフンが姿を見せ、あわてたフールフールがそれを地面にたたきつける。

「ってぇ、馬のフンじゃないですかぁ!!」

「あっかんべー!あんたなんか、馬のフンがお似合いよー!!」

タップダンスを踊り、分かりやすい挑発を見せるシルビア。

馬のフンをつかまされて激昂するフールフールにはもはやこんな分かりやすい挑発であっても、効果があった。

「私を怒らせましたね!?このフールフール様をここまでコケにするようなおバカさんは…こうで…!?」

右手に握る杖を振るおうとしたフールフールだが、次の瞬間、青い剣閃が飛んできて、杖を持つ右腕が切断されるとともに地面に落ちる。

「ギ、ギャアアアアアア!!」

「少しは分かったか…お前に切り刻まれた人間の痛みが…!!」

エルバの手にはすでに抜かれている水竜の剣が握られていた。

先ほどの青い剣閃はエルバが放ったもので、魔力をその刃に注ぐことで、水の刃を生み出していた。

「き、貴様らぁ!!いいのですか!?村人たちがどうなっても…」

「どうなってもいいのか、か。周りを見てみろ」

「周り、ですとぉ…なぁぁ!!」

切り裂かれた右腕を抑えながら、フールフールが檻を見る。

そこにはすでに全滅したゾンビ達の亡骸が転がっていて、檻の周りには囚われていた村人と彼らを助けたナカマたちの姿があった。

人質という最後の切り札まで既に封じ込まれ、殺気立ちながら迫るエルバにフールフールは後ずさりする。

「わ、わ、わ、わ…私は、私はただ、魔王ウルノーガ様の命令に従っただけで…!断じて、私の意思ではなく…!」

「…そんな話、聞いてもらえると思っているのか?お前のような奴の話を」

「ひ、ひぃ!!い、今まで奪った財宝をすべて差し上げますから!だから、だからここは見逃し…!」

言い終わらぬうちに、再び水竜の剣の刃がフールフールを襲う。

彼に背を向け、納刀したエルバがロウ達の元へ戻る中、動かなくなったフールフールの体は上下真っ二つに切り裂かれるとともに消滅した。

「…他人のものを欲しがるゲス野郎には似合いの末路よ」

「これで、あの魔物によって失われた命を少しでも慰められるなら…」

「オネエ様、ボス、みんなー!うまくいったわね、良かったわー!」

続々とナカマたちが集まり、エルバ達の周囲を囲む。

見た限りでは多少の傷を負ったナカマはいるが、死んだメンバーは一人もいない。

おそらく外には倒された魔物の亡骸の山ができていることだろう。

「旅のお方、ありがとうございます。なんとお礼を言えばいいか…」

「いいのよ、そんなの。世界中の人を笑顔にすることがアタシの使命なんだから。あとは、ここにある物とみんなを連れて村へ…あら?」

まずは捕まっている人々を確認しようと考えたシルビアだが、一人の子供が宝の山の中をあさっている姿が見えた。

金貨や宝石に目もくれず、掘り出していく少年はようやく数十もの玉を繋ぎ合わせて作ったペンダントを見つけるが、それを見た瞬間にうなだれていた。

その様子が気になったシルビアは彼のもとに近づいていく。

「あなた…もしかして、チェロンちゃん?」

「え…確かに、チェロンだけど、なんで知ってるだ?」

「アタシ達、プチャラオ村の人達を助けるために来たのよ。それで、あなたがお母さんのペンダントを探して、いなくなったって聞いて」

「んだ、けんど…これ…」

うなだれる彼の手の中にあるペンダントは無造作に置かれたことが災いしたのか、半分が壊れていた。

チェロンの脳裏に浮かぶのはこのペンダントを嬉しそうに身に着けている、今は亡き母親の姿だ。

きっと、バハトラもこれを見て、在りし日の母の姿を思い浮かべていたのかもしれない。

「これを見たら、父ちゃん…きっと悲しむだぁ…」

母親を失ってから、チェロンは父親の喜んだ姿を一度も見たことがない。

酒におぼれるか、悲しむか、怒るかの姿しか見たことがなく、それが嫌で何度も家を飛び出していた。

これを取り戻せば、もしかしたらバハトラの笑顔をもう1度見ることができるかもしれない。

あの頃にほんの少しでも戻るかもしれないという淡い期待も、既に零れ落ちていた。

「そんなことないわ!」

肩を落とすチェロンにシルビアが明るく声をかける。

悲しむチェロンに笑顔を見せ、優しく語り掛ける。

「大切なのは気持ちよ!壊れていようと、お父さんとお母さんを大事に思うチェロンちゃんの気持ちは必ず伝わるわ!だって、たった一人の家族じゃない」

「たった一人の…家族…」

「ええ。だから、信じてあげて。あなたのお父さんのこと、そしてあなたの家族を大切に思う気持ちを」

「…うん!」

笑顔を見せたチェロンは落とさないようにペンダントを首にかける。

ナカマ達はフールフールが奪ってきたものと人々を運び出していた。

「それにしても、あの魔物は相当なものを奪ってきたみたいだな。魔物であっても、価値のあるものがほしいというのか…」

「物を奪うだけならまだわかる。問題は…奴がどうして人質にするだけにとどめたのか、だな…」

ナカマ達が救い出した村人は百人以上いて、証言を取ったナカマからの情報によると、彼らには最低限の水と食料は保証していたという。

そして、殺したのは彼らを救いに来た狩人とその家族だけらしい。

人質を取るとするなら、脅迫や交渉材料にもできたにもかかわらず、フールフールはそのようなことをするそぶりを一切見せず、ただ閉じ込めるだけだったようだ。

(一体、奴は何の目的で…?)

 

「フールフールめ…しくじったか」

熱い雷雲の中、青い筋肉質の体つきで、青いドラゴンを模した鎧と兜をみにつけた人型の魔物が青いスカイドラゴンの背に乗った状態でつぶやく。

兜についているブルーオーブは彼が六軍王となった際にウルノーガから与えられた勲章のようなものだ。

「ガリンガ様、フールフールが敗れたとなれば、人々の絶望は…」

「いや、いい。わずかに時計の針を戻したに過ぎない動きだ。世界は絶望に包まれたまま、ウルノーガ様が力を蓄え終えることに変わりはない。既に古の民ももはや命運は尽きている」

「では…」

「我々のこれからの行動に変わりはない。次の島へ向かう。古の民を一匹残らず根絶やしにせよ」

ガリンガを乗せるスカイドラゴンを中心に、この雷雲の中には数百のドラゴン系の魔物が飛んでいる。

雷雲を抜けた先には、ドームのような建物が立ち並ぶ数多くの浮島の姿があった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第70話 親子

「ああ…娘が、娘が帰って来たー!!」

「これは夫の形見の…皆さま、本当にありがとうございます!」

「生きてここに帰れるなんてなぁ…」

フールフールから取り戻した人々や財宝を持って帰った世直しパレードによって、ブチャラオ村に再び笑顔が戻ってくる。

一番大切なものが戻ってきたことを喜ばない人はいない。

その喜びに包まれる村の中で、チェロンはエルバとシルビアと共にバハトラがいるであろう家の前に立つ。

扉を開ければ、そこに父親が待っているはずだが、チェロンにはその扉を開けることができずにいた。

今、手の中にある、母親の形見である壊れたペンダント。

(こいつが俺の今、人生の中で一番大切なものだ!こいつを…こいつを守ってくれ!!)

「父ちゃん…」

あの時の、フールフールに対して必死に懇願する姿が嫌でも脳裏に浮かぶ。

彼が命に代えてでも守りたいものが自分ではなく、母親の形見だったことがショックだった。

取り戻してことを喜ぶのか、それともただ失望して飲んだくれてしまうのか。

「大丈夫だ、俺たちがいる。俺たちが君がどんな思いでそれを取り戻そうとしていたのかを知っている。だから、安心しろ」

「兄ちゃん…」

「ほら、いつまでも立っていても始まらないわ」

「うん…」

エルバとシルビアに背中を押されたチェロンが扉を開く。

そこには肩を落とし、机の上にあるいつも酒を入れているコップを見つめるバハトラの姿があった。

「父ちゃん…今、帰っただ」

「うん…その声、チェロン??」

扉が開く音さえ気づかなかったバハトラだが、チェロンの声が聞こえるとハッとしたように顔を向ける。

彼の顔を見ることなく、恐る恐る歩くチェロン。

その小さな手の中にあるペンダントを彼に見せる。

「ごめん、父ちゃん…父ちゃんの一番大事なペンダント…壊れちゃっただ」

「ペンダント…だと…!?」

目を開いたバハトラが席を立つとともに、チェロンの目の前まで歩いてくる。

いつもなら、酒に酔ったせいで嫌な臭さを感じるが、今日のバハトラからはそれが感じられない。

足取りもしっかりとしているが、やはりペンダントのことで怒っているのかと思うと顔を見ることができない。

「この…このぉ…」

「え…?」

「この、バカタレ…がぁ…」

涙声のバハトラに驚くチェロンだが、次の瞬間、彼の恰幅の良い体がチェロンを抱きしめていた。

チェロンにとって、父親に抱きしめられた記憶はすっかり消えようとしていた。

だが、この瞬間に、母親が生きていたときに彼に抱きしめられた記憶が呼び戻されていく。

「済まねえ、済まねえだ…」

「父ちゃん、どうして、どうして謝るだよ?だって、ペンダント…」

「ペンダントのことはええんだ。おめえが、おめえが無事なら…きっと、母ちゃんがおめえを守ってくれたんだろうなぁ…」

体を離したバハトラはチェロンの握る形見のペンダントを撫でる。

涙を浮かべるバハトラだが、その顔は父親らしい優しい笑みだった。

「実はな…あの魔物に質問されたとき、ひどく嫌な予感がしただ。だから…おめえを守るために、ペンダントを差し出しただ」

「本当…?」

「ああ、けど…そのせいでおめえを傷つけてしまった。いや、今回のことだけじゃねえ。母ちゃんが死んでから、ずっとおめえをほったらかしてしまった。すまねえ…すまねえ…俺ぁ、父親失格だぁ」

「そんなこと、そんなことないだよ、父ちゃん。オラのことを守ってくれた。オラこそ、オラこそ…ごめんよぉ」

再び抱き合い、仲良くわんわんと泣き出す親子。

彼らを邪魔しないように、エルバとシルビアは静かに家を後にする。

(父親…か)

父親と言われると父親代わり、というよりも祖父代わりであるテオのことが一番に頭に浮かぶ、

ロウが言っていた父親であるアーヴィンのことはどんな人物だったのかさえ思い出せないどころか、覚える機会すらなかった。

「チェロン、親父といつまでも仲良くな」

「エルバちゃん…ちょっと、いいかしら?」

「うん…?」

「2人っきりで話したいの、とても…大切なことよ」

シルビアの表情は再会したときの笑顔ではなく、どこか不安の色のある真面目な顔。

とても普段の彼らしくないものだが、それだけ重要なことということだけは感じ取ることができた。

 

シルビアと共にやってきたのは、かつてメルトアと戦った壁画のある遺跡の前に広がる広場だ。

かつてはにぎわっていた観光地だが、世界崩壊の影響により、もはや観光どころではないためか、閑散としていて、村人すらも立ち寄る気配がない。

椅子代わりになる石に腰掛けたシルビアはエルバを見つめ、話を切り出す。

「あの親子、再会できて本当によかったわ。けれど…魔王のせいで亡くなった命や破壊された街はもう戻らない…」

空を見上げながら、シルビアは逆に救うことのできなかったものに心をはせる。

亡くなった命、破壊された街に対してできたことは、その実行犯を倒して、犠牲者を弔うことだけだった。

弔ったとしても、生まれ変わることなく冥界で消えるだけの魂に対しては気休めにしかならない。

そんなことを冥府を見たエルバが口にすることができない。

無論、冥府でしばらく過ごしたロウが共にいても、同じだろう。

「エルバちゃん、あの魔王、ウルノーガには世界を滅ぼすほどの力を持っていたわ。しかも、勇者の力を奪ったことで、もっと強くなっているかもしれない…」

シルビアもエルバもあの時の、勇者の力を奪われた挙句、世界が滅びるのを見ていることしかできなかったあの時の光景が頭に焼き付いている。

仮にリベンジできたとしたら、勇者の力と魔王の力という相反する力を宿した彼と戦わなければならない。

勇者の力を失ったエルバにとってはさらに分の悪い戦いが迫られる。

「それでも、エルバちゃんはウルノーガと戦うつもりなの?」

シルビアの目の前に生きて現れたエルバに、フールフールと戦ったエルバに対しては愚問であろう言葉を投げかける。

フールフールはシルビアから見れば下っ端中の下っ端。

ここから先は彼などわけがないほどの強大な魔物たちとの戦いが待っている。

勇者の力を取り戻すことのできる保証はない。

もしかしたら、志半ばで死ぬことになるかもしれない。

それよりは、残り短い時間をどこかで隠れて静かに暮らすこともできる。

エルバはまっすぐシルビアの目を見て、口を開く。

「決まっている。そのために、俺は生きている…」

命の大樹へ向かっている時とは違い、今のエルバの心にはかすかだが、希望がよみがえっている。

帰ってくる場所、懐かしい人々、そして愛する幼馴染。

今ここで引き返すことは、勝利を信じて待っている彼らへの裏切りとなる。

それに、その希望は小さな灯。

それをつなげて、魔王を焼き尽くす炎へと変えなければならない。

「…ふふっ、やっぱりエルバちゃんは勇者ね。それに、あなたの目からは気力が感じられるわ。やっぱり、いい感じに変わったみたいね」

「よしてくれ…」

下に向けて顔を隠すエルバにクスクス笑うシルビアは立ち上がり、後ろを向いて空を見上げる。

村から笑い声がかすかに聞こえてくるが、空は未だに暗い。

「世界に笑顔を取り戻す!なんて言って、みんなが笑って、元気になれるように世助けパレードを始めたけど…魔王を倒さなくちゃ、本当の意味で笑顔を取り戻すことができない」

飢えに苦しむ人にパンを与える人と小麦の作り方を教える人の話をかつて下積みをしている際に聞いたことがある。

どちらも人を救うことになることには変わりない。

しかし、パンを与えたとしても一時の救いにしかならない。

小麦を自分で育て、それをパンにすることができるようになれば、飢えに苦しむことはない。

今の世助けパレードにできるのはパンを与えること。

今のシルビアが求めているのはそれではない。

「だから、エルバちゃん。あなたにまだ戦う意思があるとわかった以上、アタシの命もあなたに預けるわ!」

「シルビア…助かる」

「当然よ、だって仲間じゃない。でも…その前に、やらなければならないことがあるわ。アタシはウルノーガと戦って死ぬことになるかもしれない。命の保証がない以上、その覚悟はあるわ。けれど、パレードのみんなを巻き込むことはできない」

共に旅し、武芸や旅芸人としての技術を叩き込んできた彼らだが、それでも自分ほどの実力はない。

ウルノーガとの戦いは熾烈を極める以上、少なくとも自分よりも強くなければ連れていく気はない。

彼らにはほかにやらなければならないことがある。

無論、それはウルノーガに勝利した後の世界でもだ。

「だから、パレードのみんなを信頼できる人に預けたいんだけど…」

「信頼できる人…それは…」

エルバの脳裏に真っ先に浮かぶのはサマディーのサーカスだ。

シルビアにとっては仕事仲間であり、信頼できるかもしれないが、あの大人数を受け入れられるのかは不透明だ。

だが、他にシルビアに知り合いがいるのか。

彼自身の人脈を完全には理解しているわけではないエルバの頭には浮かばない。

「ええ、いるわ。ナカマみんなを受け入れてくれる人が、たった一人だけ」

「なら、そんな彼の元へ頼めばいいだろう?」

「頼めるなら頼んでるわ。けれど…その人ほんっとうにおっかない人なのよ!」

本気で怖がっているかのように体を震わせ、表情も暗くなる。

騎士としても旅芸人としても一流のはずのシルビアを怖がらせ、おまけに頼りにもされている彼が何者なのか、エルバには想像がつかない。

一瞬、何かの冗談なのかとも思ったが、その表情も震える声も本気としか見ることができない。

「だから、お願い!一人では心細いの!だから、一緒に来てくれる?」

「俺がついて行っても、何も意味がないだろう?」

「ううん、あなたが一緒に、勇気のあるエルバちゃんが一緒にいてくれるなら、アタシも勇気を出してあの人にお願いできるの。こんなことを頼めるのはあなたしかいないわ。だから…お願い!!」

「ああ…分かった。だから、まずは離れてくれ」

ピョンと飛びつき、力いっぱい抱擁してまで懇願する彼に思わず根負けしてしまう。

間近に迫るシルビアの目力にはかなわない。

「ありがとー!エルバちゃん!!さあ、出発するわよー!!」

エルバからパッと離れて笑みを見せるシルビアはさっそく出発準備のために村へと戻っていく。

一人残されたエルバはその場に寝転がり、暗い空を見つめる。

「覚悟はある…か。グレイグ達も同じなんだろうな…」

グレイグはとにかく、セーニャもロウも、口には出さないがおそらくはシルビアと同じ覚悟を固めているだろう。

その覚悟を受け止めるに見合う力が自分にあるのか?

左手を伸ばし、勇者の痣を見つめる。

もはや力のないそれは光を放つことができず、ただの痣。

(シルビアにはああいったが、今の俺にウルノーガと同じ土俵に立つことができるのか?それとも、たどり着く前に…)

 

村の外には出発の準備を整えたナカマ達が集まっていて、全員が神輿の上に立つシルビアに視線を向けている。

彼らには出発前に大事な話があることだけ告げられており、その内容を知らない彼らはざわついていた。

その少し離れたところにエルバ達もいて、彼らの様子を見ていた。

「みんな、集まってくれたようね。これからみんなに大事な話をするわ。…アタシ、パレードやめる!!」

突然の一言に集まっていたナカマ達が一斉に静まり返る。

ヒューと風の吹く音だけが聞こえた刹那、彼らに衝撃が走る。

「「「ええええーーーーーー!!!!????」」」

何の脈絡もなく、おまけについさっきブチャラオ村の人々を助けたにもかかわらず急にどうしたのか。

話がついてこれない彼らにシルビアはその真意を話す。

「だけど、安心して。魔王ちゃんをやっつけるまでの間よ。倒したら、絶対にみんなのところへ戻って、またパレードを始めましょう。今度はしっかり、芸でみんなを笑顔にするの」

「魔王ちゃんを…?」

「まさか、前に話していたウルノーガちゃんのこと??」

「あそこにいる…」

パレードの中で、シルビアからある程度ウルノーガのことは説明されていたようで、全員がその名前を頭に浮かべていた。

そして、この世界を滅ぼすほどの強大な力を秘めた魔王にシルビアが戦いを挑もうとしている。

無事に帰る保証のないその戦い、シルビアの強さは知っているが、生きて帰ってこない可能性も否定できない。

送り出すべきか、引き留めるべきか迷う彼らだが、1人のナカマが声を上げる。

「オネエ様!アタシ、オネエ様を応援するわ!みんなの笑顔を奪う魔王ちゃんは絶対に許せないもの!みんなもそうでしょ?このまま魔王ちゃんを放っておくわけにはいかない!きっと、オネエ様にしかできない戦いよ!なら、信じて、待ちましょう!!」

「あなた…」

「アタシ達も応援するわ!オネエ様がパレードを離れるのは寂しいけど、けど…絶対に帰ってきてくれる。そう信じているわ!」

1人を皮切りに、次々と賛同の声を上げて、シルビアを送り出そうとしている。

自分のわがままに付き合ってくれる大切なナカマのありがたみに感謝し、涙を見せるシルビアはぬぐった後で神輿から降りて、彼らに寄り添う。

「そう、世界に笑顔を取り戻すためよ。だから、それまでの間、アタシのパパがいるソルティコって町で待っていてほしいの!」

「パパ…ソルティコ?」

「ソルティコ…」

セーニャの脳裏に、水門を開けにソルティコへやってきたときの光景が浮かぶ。

あの時、シルビアは花を摘みに行くと言って町の外へ出て、入ろうとさえしなかった。

グレイグも彼の言葉、そしてソルティコという町の名前に何か違和感を覚え始める。

旅芸人らしからぬ剣術に身体能力、騎士という言葉。

グレイグの脳裏にソルティコで共に切磋琢磨したもう1人の友の姿が浮かぶ。

当時のグレイグを何度も打ち負かした、堅物で長い髪をした少年。

まさかと思い唾をのんだグレイグはシルビアの顔を覗き込む。

「き、貴様…まさかとは思うが、ゴリアテか…?」

心の中で、否定することが来てほしいと願っていた。

もし成長しているなら、鎧を纏う真っ当な騎士になっている姿しか思い浮かばない。

ただの他人の空似だと。

だが、そんな都合のいい現実がこの世にあるわけがない。

ウインクしたシルビアの口が開く。

「ウフフ、ようやく気付いてくれたのね!いつ気づくか、ずっと待っていたのよ?グ・レ・イ・グ♪」

その言葉を聞いた瞬間、グレイグの脳裏にあった騎士ゴリアテの虚像が音を立てて崩れていく。

雷が落ちるような衝撃に動揺するグレイグをよそに、シルビアは再び神輿の上に乗る。

「さあ!ということで、ソルティコに出発ー!!」

「「「はーい!!」」」

再び演奏とダンスが始まり、神輿とナカマ達と共にシルビアがソルティコへと続く街道を進み始める。

余りの衝撃のその場を動けずにいるグレイグにエルバ達が駆けつける。

「グレイグ、大丈夫か…?」

「ああ、なんということだ。あの生真面目なゴリアテがあんな姿に…ジエーゴ殿はさぞお怒りに違いない!!」

「ジエーゴ殿…まさか、シルビアはジエーゴ殿の息子、ゴリアテだというのか?」

「ロウ様、グレイグ様、ご存知だったのですか??」

「シルビアがそうだとは初耳じゃが、ゴリアテは儂も姿は見ているぞ」

ロウにとって、ゴリアテ時代の彼はジエーゴにあこがれて剣術修行に明け暮れる少年だ。

確かに彼の母親が旅芸人だったことは知っているが、当時の彼からは芸とは無縁のようにしか見えなかった。

「奴の本当の名はゴリアテ。ソルティコの名門騎士たるジエーゴ殿の跡取りだだ」

ジエーゴとソルティコの名前を聞いたエルバはようやくあのシルビアの彼らしからぬおびえた姿に納得がいく。

グレイグを鍛えた男だというなら、相当の実力を持っており、もちろん引き受けてくれれば力になってくれるのは分かる。

なお、ゴリアテは世界最初の騎士とされている伝説の騎士の名前からとったという。

しかし、騎士となるはずだった彼がオネエとなったとなるとどう思うだろうか。

グレイグの反応を見る限り、切り捨て御免もあり得るだろう。

「彼は幼少からジエーゴ殿の教えを受けていて、俺も一時期は彼と共に騎士の道を歩んだ。俺を含めて、皆が将来はジエーゴ殿のような騎士になると思っていた」

「…その立派な騎士殿がどうしてああなっている?」

「それは…理由がわからないがある時、屋敷が壊れるほどの激しい親子喧嘩を繰り広げたと聞く。そして、そのままゴリアテは町を飛び出してしまったそうだ。それからは全く音沙汰がなかったが…」

それは10年以上前のことで、できることならグレイグも探しに出たいと思っていたが、将軍としての職務もあり、それができずにいた。

まさかこのような形で再会することになり、エルバの仲間になっていたとなると、ロトゼタシアが広いようで狭く思えてしまう。

「ふむ…ならば、我らもソルティコへ向かうとしよう。ジエーゴ殿のこともそうじゃが、ユグドラシルと合流して、情報も整理したいからのぉ」

「では、決まりですわね。急いでシルビア様達を追いかけましょう」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第71話 父親

「まさか…こんな形で町へ戻ってくるとは思わなかったわ…。不思議なものね、この街へは二度と戻ってくるまいとは思っていたのに…」

ソルティコの街へと続く橋の上に立つシルビアは白い建物と砂浜の懐かしい街の景色を見ながらポツリとつぶやく。

この街での一番強い記憶は父親との大喧嘩で、それが彼が戻る気になれない理由ともなっていた。

もう二十年近く町へ戻ってきておらず、以前ソルティコのカジノからの芸のオファーもあったが、他のオファーと被っているという理由で断っていた。

この美しい街もまた、ウルノーガの影響を確かに受けていた。

町の警備をしている騎士たちは疲れ果てている様子で、中には訓練生上がりもしくはある程度腕っぷしのいい住民が武器を取ってさえいる状態だ。

「これは…グレイグ様!!」

警備をしている兵士の一人がグレイグの姿を見つけると、左足をかばうように歩いてくる。

そして、少し汚れた制服を整えてから敬礼する。

「グレイグ様、よくぞご無事で…!デルカダール解放の知らせは既に…」

「そうか…。ソルティコの状況はどうなっている?ジエーゴ殿は?」

「は…世界が崩壊してから、魔物が凶暴化するとともに街に侵入する個体も現れました…。町にいる騎士たちが奮闘しましたが、3割近くが戦死、もしくは重傷を負い、戦線を離れています。ダーハルーネの商人たちから武具の支援を受けることはできていますが、それでも必要数には届いていないありさまです」

「そうか…」

「現在はユグドラシルという組織の者たちと共にここを守っています。なお、ジエーゴ殿は1週間前に侵入した魔物との戦いで負傷し、現在は療養中です」

「負傷…?あのジエーゴ殿が?傷の具合はどうなのじゃ…??」

「命に別状はありません。しかし、当分は前線に出ることはできないというのが医者からの結論です」

あのジエーゴでさえも前線を離れるほどの負傷をするほどの魔物が存在する。

六軍王やフールフールの存在からそのことは覚悟していたものの、やはり尊敬する師匠であるジエーゴの負傷はグレイグにとってはショックが大きい。

「あの…でしたら、私にその傷を見せていただけませんか?私の回復呪文であれば、もしかしたら治せるかもしれません」

「それは助かる。ジエーゴ殿とは面会は可能か?」

「セザール殿を通す必要がありますが、グレイグ様が来たのであれば、喜んでくださるでしょう」

頭を下げた兵士は交代でやって来た兵士に事情を伝えると、屋敷に向けて歩いていく。

そして、入れ替わるようにカーティスがやってくる。

「ロウ様、エルバ様、よくぞご無事で。エルーナ様もお喜びになられます」

「うむ…。情報網の復旧はどうなっておる?」

「ええ。ロウ様がドゥルダ郷へ向かっている間にも復旧を行い、ようやくグロッタとつなぐことができました」

「グロッタと…どうやって?こんな状態じゃ、伝書鳩も…」

「実は、デルカダールから船を借りることができたのです。インターセプター号、デルカダールが現状、唯一動かすことのできる船であり、最速の船です」

「インターセプター号…まさか、修理が終わっていたとは」

「ええ、我々も力を貸しました。そして、ここの警備も受け持つことと引き換えに、という形での取引です」

インターセプター号はウルノーガ配下の海の魔物たちの襲撃を受けたことで大破していた。

ソルティコに寄港することができたものの、資材も人手も足りないことで修理することすら難しい状態だった。

一方もユグドラシルも、生きているであろうエルバ達への情報提供や、シルビア号がない場合に備えて船がどうしても必要だった。

そのため、互いの利害が一致したことと戦うべきがウルノーガであることが一致していることから、このような取引が成立した。

「グロッタから集めた情報が本部に届いています。エルバ様とロウ様にはご足労願えばと」

「うむ…ジエーゴ殿のことはシルビアとグレイグ、セーニャに任せるとしよう。エルバ、行くぞい」

「ああ」

エルバとロウがカーティスに連れられてユグドラシル本部へと向かう。

2人を見送ったシルビアは視線を自分が生まれ、暮らしていた屋敷に向け、若干視線を下に落とす。

「はあ…情けないわね。やっぱり怖いわ、パパのことが」

わずかに手が震えており、とてもこの手がこれからウルノーガに戦いを挑もうとするものの手には思えない。

どうしても、ソルティコを出ていく直前のジエーゴとの大喧嘩と、彼の憤怒の表情を思い出してしまう。

そして、彼の己の目指す騎士道を否定する言葉を思い出してしまう。

「ゴリアテ、少し聞いていいか?」

「何かしら…?」

「なぜ旅芸人になった?確かに、お前の母上であるガーベラ殿が旅芸人であることは知っているが…」

彼女のことはここで暮らしていたときにシルビアやジエーゴから聞いている。

バンデルフォン王国出身の彼女はジエーゴと結婚し、今のシルビアを生んだが、すぐになくなってしまった。

若かった彼にはその後も貴族からの縁談の話もあったが、ガーベラのことを深く愛していたこと、そして彼女の忘れ形見であるシルビアの存在からすべて断ってきた。

屋敷のジエーゴの部屋に置かれている絵画の1枚が生前のガーベラの姿で、それは旅芸人としての彼女の姿だ。

おそらくシルビアも、そんな声を聞くことすらできなかった母親の姿をジエーゴから聞いていたのかもしれない。

「いろいろよ。パパが教える騎士道と剣、それで人々を守り、救うことができる。アタシだって、そう信じて疑っていなかった」

実際、子供の頃のシルビアにとって、ジエーゴはまさに理想的な騎士であり、彼を目標として、その背中を追いかけてきた。

しかし、現実として剣だけですべてを救うことはできない。

飢餓や病に苦しむ人、戦いで壊された街や森。

いくら突き詰めたとしても、剣はあくまでも何かを切るための道具でしかない。

「果たして、それだけでいいのか?そう思っていたときに、ママを知っているって旅芸人に会って、その人のサーカスを見たの。その時、すごく興奮しちゃって、そして…見ているみんなが笑顔になっていた。それで、気づいたの。世界中のみんなを笑顔にする、これがアタシの騎士道じゃないかって…」

「それで、お前は旅芸人の道を…」

「ええ。覚悟が固まった日、アタシは直接パパに言ったわ。旅芸人になって、世界中のみんなを笑顔にすることがアタシの騎士道だって。当然、すごく怒ったわ」

そこから始まったのは壮絶な親子喧嘩だった。

最初は殴り合うだったが、次第に訓練用の剣を、しまいには本物の剣を手にしてぶつかり合った。

訓練生たちに彼らを止められるはずもなく、屋敷が壊れるかもしれないほどの戦いが繰り広げられた。

「そして、アタシは言ったわ。アタシの信じる騎士道を極めるまで、ソルティコに帰らないって。そういって、飛び出していった…」

ソルティコを出た後で、その旅芸人に弟子入りし、共に各地を旅しながら下積みと修行を続けていた。

旅芸人は幼少期から修行を続けるため、最初のシルビアは自分よりも一回り近く年齢の低い少年少女たちと一緒に練習をすることが多かった。

騎士として修業をしていたことから体はある程度出来上がっていたのが救いで、生真面目な性格もあって、旅芸人の教えを吸収していった。

そして、旅芸人の世界では遅咲きである26歳の時に免許皆伝し、自立。

それからは各地を旅しながら旅芸人として名声を得て、今はエルバ達と共に旅をしている。

「…フッ、風貌が代わって、人も変わったと思っていたが、どうやらお前は俺の知っているゴリアテのままのようだな。さあ、師匠に会いに行くとしよう」

 

「ご覧ください。これがインターセプター号が手にした内海の状況です」

ユグドラシル本部の広間で、カーティスが机上にある地図に印をつけながら、その場所に紙を置いていく。

紙にはその場所で起こったことの詳細が記載されていた。

「インターセプター号のおかげで、かろうじてネルセンの宿屋までの情報をつかむことはできました。また、南の大陸もダーハルーネからサマディー王国までの情報網の復旧も進んでいます。ただし、グロッタの街及びホムラの里までは届いていません」

「この短期間にそこまで…苦労を掛けたのう。おぬしにも、エルーナにも…」

「構わないわ、これもエルバの…孫のこれから生きる世界のため。若者のために道を作るのが老人の役目じゃなくて?」

「そうじゃのう…」

「それで、カーティスさん。ほかの仲間の行方は…?」

エルバにとっての一番の気がかりがそれだ。

情報網の復旧が進んでいるなら、まだ会えていないマルティナとベロニカ、カミュの行方をつかめているかもしれない。

あと3人で、仲間が全員そろうことができる。

ラムダの里に向かうとしても、全員がそろってからがエルバにとっての理想だ。

「申し訳ありません。残念なことにベロニカ殿とカミュ殿の行方は現在もつかめていません。ただ、マルティナ姫についてはわずかながら情報を得ています。こちらを」

ネルセンの宿屋の位置に置かれている紙を手にし、それをエルバ達に見せる。

そこにはマルティナらしき旅の女武闘家の宿泊記録が記載されていた。

「用心深いことに、偽名を使っています。しかし、宿屋の従業員から得た風貌などの情報から、8割がたマルティナ姫で間違いないものと思われます」

「では、マルティナ様はどちらに向かわれたのですか?」

「ポートネルセンは現在、連絡船が止まっている状態です。あの地方から外へ出ることは不可能。ポートネルセンの記録にも、あの世界崩壊以降の船の出入り情報はありませんでした。となれば、ユグノアかグロッタ、そのどちらかへ行かれたと考えるのが自然でしょう」

「だとしたら、目的地は決まりだな…。ダーハルーネとサマディーの状況はどうなっていますか?」

「ダーハルーネでは、商戦の多くが沈み、海も魔物が凶暴化したことで自衛用の聖水も効果がなくなっているとのこと。商売も輸送もできず、活気を失っている状態です。まだ、サマディーでは勇者の星に異変が起こっているという情報がありますが、それ以外に目立った事件は起こっていないとのこと」

異変と言っても、度々勇者の星が点滅するかのような光を放つだけで、薄気味悪さを感じる声があるものの、それよりも重要なのは凶暴化した魔物への対処と国内の鎮静化だ。

勇者の星の異変は命の大樹が落ちてから始まっているが、それと本当に因果関係があるかはまだ分かっていないのが現状だ。

「船はインターセプター号を使ってください。明日までに出港準備を整えますので、それまではソルティコでお休みください」

「うむ…何から何まで感謝するぞい、カーティス」

「我々は我々のできることをするだけです」

 

ジエーゴの書斎には相変わらず酒と本であふれており、ベッドには額に包帯を巻いたジエーゴがメイドから出されたばかりのおかゆを口にする。

貴重な食糧を浪費するわけにはいかないため、中に入っている米は少なめで、味付けも海水で調整したものになっている。

デルカダールで出される気取った料理よりもジエーゴにとっては此方の方が口に合うようで、何一つ文句を言うことなくスプーンを進める。

「ジエーゴ様、おからだの調子はいかがでしょうか?」

食べ終わると同時に、執事であるセザールが食器の回収にやってくる。

長年仕えてきた彼は経験則でジエーゴの生活を予測できており、時には朝起きたと同時に入ってきて、朝の水を持ってきており、その時はさすがにびっくりした。

いずれは自分の死期を予測し、死んで後の葬式などの手配も速やかにするのではと冗談半分に思ってしまったこともある。

ただ、先日魔物と激しい戦いを繰り広げ、子供をかばって重傷を負ったため、今はそんな冗談を考えるだけでぞっとする。

生き延びたのはいいが、世界崩壊からの半年で自分よりも若い住民や騎士の死をいくつも見てしまった。

おまけに、昨日の夜には変な夢を見てしまった。

10数年前、愛する妻であるガーベラの忘れ形見であるゴリアテが飛び出した時のもので、その時は屋敷が壊れるかと思われるほどの激しい喧嘩を繰り広げていた。

そして、世界中の人を笑顔にするまで帰らないと言って飛び出していく。

そんな夢を見てしまい、不意にその犠牲者の中に彼がいつか混ざってしまうのではないかと思ってしまう。

「ご心配、されていますね?」

食器をお盆に乗せたセザールが察したかのようにつぶやく。

名前を口にしないが、誰のことを言っているのかは分かっている。

そういうことまで察するセザールは少々有能すぎる。

元荒くれで、執事のしの字も知らない時代の彼のことをよく知っているため、そんな彼を今回限りは面白くなく、フンと逸らした。

「ジエーゴ様、セザール様、お客様が来られました。グレイグ様です」

コンコンとノックする音の後で、外にいるメイドからの声が聞こえてくる。

「グレイグだと…?なぜあいつがここへ?」

伝書鳩の知らせでデルカダールが解放されたことは知っているが、それでもホメロス不在の今のデルカダールの軍事の要であるグレイグがなぜそこを離れ、ここにやって来たのかと疑問を抱く。

だが、愛弟子が無事な姿で会いに来てくれることはうれしいことだ。

「ああ、分かった!入れてやれ!」

「かしこまりました、どうぞ、グレイグ様」

扉が開き、半年ぶりのグレイグが入ってくる。

彼のその半年間の活躍、そして戦いぶりは聞いており、同時にこうして無事にここへ来てくれたことへの嬉しさで思わず笑みを浮かべてしまう。

ジエーゴの前までやってきたグレイグはその場でひざまずく。

「師匠、グレイグでございます。久方ぶりです」

「おうおう、グレイグ!よく無事だったなぁ。大活躍だったってえ聞いているぞ?ほら、さっさと近くまで来てツラぁ見せろい!」

立ち上がったグレイグは一礼をしてから、ゆっくりと彼に歩み寄る。

「へへっ図体がでけえだけが取り柄だったてめえが今やデルカダールの英雄様だなんてなぁ」

「思ったよりお元気そうで何よりです。師匠のもとで騎士道を教わっていなければ、今の私はあり得なかったでしょう」

「うれしいことを言うじゃねえか?で、そんなおめえがどうしてここへ来たんだ?それに、一緒に来ているその女は?」

「彼女はセーニャ殿、我々と志を同じくする仲間です」

「お会いできて光栄ですわ、ジエーゴ様。ラムダの里のセーニャでございます」

「勇者と共に、ウルノーガに立ち向かうためです。奴を倒さなければ、第2、第3の闇がデルカダールを襲うかもしれない。いや…たとえデルカダールを救うことができたとしても、世界すべてが平和となったわけではありません。故に、その災いの根元たるウルノーガを討つべく、勇者の盾として旅立ったのです」

「勇者の盾か…。へっ、てめえらしいな」

半年前にやって来た時と比較すると、迷いを晴らしたまっすぐな目に戻っており、そのことがジエーゴを安心させていた。

そして、そんな彼が、かつてはエルバの命を狙うことになった彼が今ではエルバと共に旅をしていることに運命めいたものを感じずにはいられない。

「ああ、そうだ。師匠、実は会わせたい者が1人おります。よろしいでしょうか…?」

「うん?まさか、エルバか?」

「いえ、実は…」

もうそろそろ入ってくるであろう友人の隠れる姿が頭に浮かび、思わずため息をついたグレイグが顔を少し横に動かして、目を扉の方に向ける。

見えないが、少なくとも気配で彼がそこにいることは感じられた。

「勇気を持って出てきたらどうだ?ゴリアテ」

「何…!?ゴリアテ、だと??」

グレイグの口から飛び出した息子の名前に笑顔だったジエーゴの表情が強張る。

名前まで出されてしまったシルビアはもう出ざるを得ない空気になっていることを感じ、コソコソと出てくる。

しかし、やはり恐怖心が勝るのか、グレイグの後ろに隠れていた。

「パ…パパァ、た、ただいま…」

若干体を出して、かすれた笑い声で手を振るが、にらみつけるような視線に耐え切れずにまた隠れてしまう。

ジエーゴの目には今の息子の奇抜すぎる衣装がばっちりと映っていた。

「てめえ…ゴリアテか。ちょっと会わねえうちにふざけた身なりになりやがって…」

体の震えと怒りの高ぶりを覚えたジエーゴが立ち上がると、後ろの壁に掛けてある剣を手にし、抜いた鞘を投げ捨てる。

そして、ベッドから降りると同時にズカズカとシルビアの前まで歩こうとしていた。

「てめえ、ゴリアテ!!どのツラ下げて帰って…ぐっ!!」

剣を振り上げようとしたジエーゴだが、急に痛みを覚えたのか、握っていた剣を落としてしまい、更には膝をついてしまう。

「いけませんわ、けがをされているのに、今すぐ治療を…」

ジエーゴに駆け寄り、回復呪文を施そうとするセーニャだが、彼が右手を伸ばして彼女を制止させる。

「はあはあ…悪いが、今はいい。後にしてくれ」

「ご、ごめんなさい…パパ…」

「はあはあ、ごめんなさいだとぉ…てめえ、何か勘違いしてねえか」

ため息交じりに、先ほどとはトーンを下げた声でシルビアに語り掛ける。

驚いたシルビアが彼にもう1度目を向けると、ジエーゴはセザールの肩を借りてベッドへ戻っていた。

「てめえはてめえの騎士道で、世界中を笑顔にできたか?」

ジエーゴからの質問で、ハッとするシルビアはいつもの笑顔とは違う、いつにも増した硬い表情でグレイグを離れ、ジエーゴに向き合うように立つ。

その姿は旅芸人になる前の、ゴリアテの頃と同じ姿だった。

「いいえ、まだです」

「はぁ…だったら、なぜ帰ってきやがった!!てめえは大口たたいて出ていきやがった!!なのに、夢を果たせないままよくもぬけぬけと!!そんな風にてめえを育てた覚えはねえぞ!!そんなのでおふくろに…ガーベラに顔向けできると思っているのか!!!」

「パパ…それって…」

「ゴリアテ様、これを…」

セザールがジエーゴの本棚の中にある1冊の分厚い本を手に取り、ページを開いてシルビアに見せる。

それを見たシルビアの目が大きく開く。

そこにはシルビアが出演するショーのチラシの切り取りが貼られていた。

「ゴリアテ様、ジエーゴ様はずっとあなた様の身を案じておられました。そして、信じておられています。貴方様の信じる騎士道が自分にできないことを成し遂げてくれると信じて…。だから、各地のチラシを集め、いつもそれを見て笑っていらっしゃったのです…」

「パパ…認めていてくれたのね、アタシの騎士道を…」

「チッ…セザールめ、余計なことをしやがって」

「申し訳ありません。しかし…いつまでも誤解があってはなりませぬ故」

一番最後のページにはエルバ達と仲間になるきっかけとなったファーリス杯前夜のサーカスのチラシが貼られていた。

考えてみると、そこからはエルバの旅に付き合う形になっており、サーカスに出演できない形になっていた。

ある意味それが音沙汰無しの状態につながってもいた。

「ありがとう…パパ。ずっとアタシのことを認めてくれて。アタシ…確かに志半ばで帰ってきてしまったけど。それにはちゃんとした理由があるの」

「…魔王か」

「…そう。魔王がいる世界じゃ、誰も笑顔になれない。心の底から笑うことすらできない。だからアタシ…魔王を倒しに行く。仲間たちと一緒に、世界に笑顔を取り戻すために!」

エルバと仲間になってからずっと決めていたこと。

それを貫くため、そのために離れ離れになってからも戦ってきた。

それを貫くため、ここへ戻って来た。

あの時と変わらない決意をもう1度、自分を認めてくれたジエーゴに伝えるため。

「フフフフ…ハッ!魔王を倒すだと!?てめえ、またドデカイことを言いやがったな!おもしれえ、やってみやがれ!!」

その姿はかつてのガーベラの姿と重なって見え、それが無性に笑えてしまう。

口調が変わりはしたものの、心根はあの時のまま変わりなく、成長している。

それがうれしいとともに、なぜか頭の中にはそれを成し遂げるシルビアの姿が浮かんでくる。

「ええ…必ず!騎士に二言はない!そのために、パパに頼みたいことがあるの。魔王を倒すまで、アタシの仲間たちを預かってほしいの。そして、アタシの代わりにみんなの中心になってほしいの」

「ハッ!そんなものお安い御用よ、困っている人を助けるのが騎士道ってもんよ!」

「ええ!?いいの、パパ」

「おうよ!騎士に二言はねえ!どーんと受け止めてやらあ!!」

(うん…なんだ、嫌な予感がするが…)

何か、ジエーゴが取り返しのつかないことを言ってしまった、そんな錯覚がする。

気のせいだろうとは思うが、相手はシルビアで、彼が受け入れることになるのは…。

「キャー!ありがとう、パパ!それじゃ…みんなー、パパにあいさつなさーい!」

口笛を吹き、しばらくの間静寂が流れる。

しかし、徐々にドドドドと多くの足音が聞こえて来て、次の瞬間、ドアが開くと同時にナカマ達が続々と入り込んでくる。

「キャー、素敵なおうちー」

「な、なぁ…!?」

「わー、オネエ様のパパ、かっこいー!これからよろしくねー」

挨拶もそこそこに、ナカマ達はジエーゴの部屋にあるものに興味津々で、あちらこちらに散らばっていく。

幸いワイン棚には鍵をかけているため、勝手に飲まれることはないだろうが、奇抜な軍団に面食らった状態だ。

「お、おい、ゴリアテ!!こいつぁ、いったいどういう…」

あまりにも予想を斜め上を行く集団に動揺するジエーゴにニヤリと笑ったシルビアは懐から衣装を取り出す。

それはシルビアが装備しているパレード衣装と同じものだった。

「はい、パパぁ。これを着せてあげる」

「ま、待て待て!!そんな話は聞いて…」

「あ、アタシも手伝うわ」

「アタシも、アタシもー!!」

「うわ!!待て、そんなものを着るなんて…グ、グレイグ!!どうにか!!」

必死にグレイグに助けを求めるが、もうすでにスイッチの入った彼らの押しを止めることはできない。

気が付くと制服姿だったはずのジエーゴの服装が奇抜なサーカス衣装へと変貌を遂げていた。

「これで、立派にアタシの代わりにみんなの中心になれるわ。ありがと、パパ」

「は、はぁ!?そんなの聞いてねえぞ!!」

確かにシルビアの代わりに中心になるとは言ったものの、あくまでも彼のイメージは騎士団のようなもの。

こんなことになり、おまけにふざけた格好にさせられるのであれば、受け入れるつもりなんてなかった。

「騎士に二言は…ないんでしょ?」

「な…うぐぐぐ…」

拳を握りしめ、シルビアのニヤケ面に叩き込もうと思ったジエーゴだが、先ほどの言葉を発した以上は引き受けるしかない。

弟子と息子がいる中で、もう彼にこれを却下する道は残されていない。

「…ああ、分かったよ!このみょうちくりんな奴らの面倒はしっかり見てやる!だからさっさと魔王を倒して、帰ってきやがれ!!てめえには…話さなきゃならねえことがごまんとあるからな!!いいな!!」

「もちろんよ、帰ってくるから、安心して」

「ああ、そうしてくれ…。ああ、セーニャさん。悪いが、そろそろ回復を…。それから、セザール。ゴリアテにあれを持ってきてやってくれ」

「承知いたしました。すぐにお持ちします」

「パパ、あれって…?」

「はあ…大事な息子が大勝負に出るってんなら、上等な一張羅を用意してやるってのが親心だろ…?」

あまりのことと、大声を出し過ぎたことで傷が触ったようで、セーニャに回復してもらっているときのジエーゴは息が荒くなるとともに疲れた様子を見せていた。

しばらくすると、セザールが黒いスーツと大きな帽子をもって戻って来た。

「こいつは、俺が若いころに旅をする中で手に入れたもんで、お前の母さんとの結婚式の時、こいつを着ていた。こいつをてめえに貸してやる」

「そんな大事なものを…」

「…本当なら、夢を実現したときにくれてやろうと思ったが、今はまだだ。だから、あくまで貸すだけだ。絶対返しに戻って来いよ、いいな」

「うん…ありがとう、パパ…」

セザールからスーツを受け取ったシルビアは涙を浮かべ、そのスーツを抱きしめる。

この服はきっと、ジエーゴへの誤解が溶けていなければ受け取ることすらしなかっただろう。

だが、ジエーゴの本当の想いを知り、そして魔王を倒して、生きて帰る決意に背中を押してくれていることを知った今なら、誇りをもってこの服を受け取ることができる。

ジエーゴのため、そしてナカマ達のために必ず生きて帰る。

死んで悲しませてしまっては、エンターテイナー失格だ。

(見ていて、ママ。パパの騎士道とママの笑顔、その2つを力にして、必ず魔王を倒して、世界中を笑顔にして見せるから!!)

 

翌日の早朝、ソルティコ付近の船着き場にはソルティコから運ばれた物資がインターセプター号に積み込まれていた。

船大工たちが出航時間ギリギリまで整備を行い、クルーである騎士達が乗り込む。

「ありがたい話だ。ジエーゴ様の命令があるとはいえ、これほどまで…」

「それだけ、パパがアタシ達に期待してるってことね。裏切らないようにしなきゃ」

餞別にもらった黒いスーツを身にまとったシルビアの舵を握る手が強まる。

船乗りではないものの、デルカダールが誇る船であるインターセプター号の舵を取り、勇者を乗せて航海に出るというのは彼らにとってはこの上ない名誉なのかもしれない。

本当ならばアリスにそれを任せたかったが、生憎彼にはダーハルーネに残しているシルビア号を直し、合流するという役目がある。

港では見送りのナカマ達の姿があり、皆が目に涙を浮かて手を振っている。

そして、彼らに無理やり部屋から引っ張り出されたジエーゴが不機嫌な表情を浮かべながらも、その眼はじっとインターセプター号に乗るシルビアに向けられていた。

「ロウ様、エルバ様、お帰りをお待ちしております」

エルバとロウ、セーニャにもユグドラシルのメンバーの一部がカーティスと共に見送りに来ており、彼らが3人に対して敬礼する。

「うむ…必ずやウルノーガを倒す。そこからもまた、大変な仕事が待っておるが…」

「ええ。ユグノアの復興です。そのためにも、死んではなりません。我々も…そして、皆様も」

ウルノーガを倒したとしても、それが戦いの終わりを意味しない。

彼によって滅ぼされてしまったユグノアをもう一度復興し、取り戻した時こそ、ようやくこの17年近くにわたる戦いを終わらせることができる。

「そうじゃ。必ずや皆で無事に会おうぞ」

「ええ。陛下のご命令には必ず」

「硬いのぉ、相変わらずおぬしは…」

「貴様!何をしている!!早く連れ出せ!!」

「なんじゃ…?」

これから本当の旅立ちというときに水を差すような声にため息をつくなか、グレイグが声が聞こえた保管庫へのスロープへと向かう。

そこには騎士2人がかりで運び出される青年の姿があった。

「侵入者か?」

「グレイグ様、申し訳ありません。見張りをつけていたのですが、まさかかいくぐり、昨日のうちに運んでいた食料に手を付けているとは…」

侵入されてしまったとはいえ、彼らがインターセプター号の警備を怠けていたというわけではない。

少なくとも侵入口の鳴る場所はいずれも必ず1人は兵士が見張るような状態を維持し続けていた。

にもかかわらず、侵入されたことに首をかしげるが、侵入者が出た異常は言い訳できず、ただ詫びるしかない。

「盗賊である以上は牢に入れるべきかと」

「そうだな。まずは奴の素性を…うん??」

ようやくここで初めて侵入者を見ることになったグレイグはその姿に既視感を抱く。

ボロボロになった深緑の軽装な服と長い間切ることも手入れすることもなかったかのように伸び放題になっている髪と髭。

どこか見たことのあるような彼だが、どうしても思い出せない。

「どうしましたか、グレイグ様。こちらの方は…」

「ああ、すまない。せっかく出航というときに侵入者が」

「…あなたは、まさか…!!」

グレイグの続く言葉を遮ったセーニャはその青年に駆け寄る。

騎士の手から離れた彼だが、疲れ切った様子でその場に座り込むしかできない。

だが、セーニャの声が聞こえたようで、虚ろになった瞳をそちらに向ける。

「もしかして…カミュ様、なのですか…?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第72話 再会と海

「ハウ…!ガブ、ムシャ、ムシャ…んん!!」

インターセプター号の食堂で、並べられた料理の数々を青年は次々と口に放り込んでいき、味を確かめることなく喉を通していく。

通り切らないものはセーニャが持ってきた水で無理やり胃の中へと運び込む。

「よほど大変な目にあったようじゃのう…。じゃが、すぐに元の体に戻ったのは何よりじゃ」

「爺さんが言うなよ…」

食事をしている彼の体を先ほど改めて確認したところ、やせ細っており、体もボロボロな状態だった。

ようやくまともな食事にありつくことができたことで、ようやく元の体に戻っていく。

最も、そうなった人物をすでに見たことのあるエルバは人間の肉体や生命力の強さを感じずにはいられない。

そして、気になるのは彼の左目についている眼帯だ。

「きっと、魔物と戦っていて、左目を…」

「私の回復呪文でも、治療はできませんでした。もう少しでも早くお会いすることができれば…カミュ様…」

長い時間、治療を受けられないままであったために回復呪文については一番精通しているセーニャでも完全な治療が不可能な状態になっていた。

眼球の修復はできたものの、その瞳からは光と視力そのものを失っていた。

そして、カミュは左目の視力もそうだが、もう1つ失っているものもある。

「あ、あの…セーニャさん、ですよね?気に、しなくていいですよ。気が付いた時からあんまり見えてなかったし、それに、利き目じゃないので…」

とても普段のカミュのものとは思えない、穏やかな丁寧口調。

そして、仲間であるはずのセーニャの名前を確認するかのように呼んでいる。

「記憶を無くしているな。無理もない、魔物と戦った傷もあったうえに飢えに苦しんでいたのだ」

「それにしても、あんな毛むくじゃらで服もボロボロだったのに、セーニャちゃん、よくカミュちゃんだって分かったわね」

セーニャ以外には、あんな姿になり、記憶を失った彼がカミュだと気づく人物は相棒であるはずのエルバですら気づかなかった。

今は髪と髭を切って、顔だちが分かったことでようやく彼がカミュだということが分かり、服も船にあった黒い毛皮のコートに着替えている。

「見間違えるはずがありません。カミュ様は…」

「カミュは…どうかしたのか?」

「…いえ、なんでもありません」

「しかし、どうする?記憶が戻っておらぬのでは…ソルティコに残してもいいが…」

記憶を失っているカミュの力量がどうなっているかはわからないが、少なくとも記憶があるときの戦いぶりではないだろう。

これから残り5人の軍王と戦うことになる以上、足手まといになってしまう可能性もある。

そう考えると、グレイグの言う通り、ソルティコに置いていくことも選択肢になる。

外海へ出ることを考えると、補給のために必ずまたソルティコに戻ることになるため、やろうと思えばその時に彼を拾うこともできる。

「ええ、そうね。アタシの仲間もいるし、ユグドラシルの人達もいるから、あそこなら…」

「いえ、駄目です。カミュ様は連れて行かないと、駄目です」

「セーニャ…?」

突然のセーニャの強い口調での言葉に誰もがセーニャに視線を向ける。

今までベロニカの後ろについていくか、誰かの意見に同調する形しかしなかったセーニャには珍しいものだった。

「ダーハルーネでホメロス様に追われていたとき、カミュ様は私たちを守ってくれました。私はまだ、カミュ様に何もお返しできていません。だから…今度は私がカミュ様を守ります!記憶を取り戻すときまで」

「セーニャさん…。その、お願いします。俺、絶対に迷惑をかけませんから。それに、皆さんと一緒に行けば、もしかしたら俺が果たさなきゃいけない使命を思い出せるかもしれませんから…」

カミュの記憶の中にあるのは自分の名前と思い出さなければならない重要な使命があることだけだ。

そのために、傷や飢えで苦しみ、何度も死にかけたとしても必死に生き延びてきた。

そして、ここでエルバとセーニャと再会したことで、その使命に2人がかかわっていることをなんとなく感じていた。

自分にはもうほかに手立てがない以上、その直感を信じるしか道がない。

「セーニャちゃんがそこまで言うなら、ここは連れていくしかないわね。エルバちゃんもみんなも、それでいいわね」

「ふぅむ…ならば、儂は記憶に刺激を与える秘術がないか調べてみよう」

「俺は奴に稽古をつけよう。少しでも力をつけてもらわなければ、ついてきてもらう意味がないのでな」

「そういうことだ…。カミュ、記憶を無くしていたとはいえ、再び会えてよかった」

「みなさん…ありがとうございます!その…よろしくお願いします!!」

両手をテーブルにつけ、思い切り頭を下げてエルバ達に礼を言うカミュに合わせるように、セーニャも頭を下げる。

「でも…今のカミュちゃんって本当にアタシたちの知っているカミュちゃんと真逆よね。もし、ベロニカちゃんがいたら、思いっきり笑い転げるんじゃないかしら」

「確かにな…」

そのためにも、この海の向こうにいるかもしれない2人と合流しなければならない。

そして、その旅の中でカミュの記憶も取り戻す必要がある。

「セーニャさんも、ありがとうございます。俺なんかのために…」

「いいえ、言ったじゃないですか。私はあなたに助けられたと」

「そう、なんですね…。けど、俺も足を引っ張るつもりはありません。守られてばっかりも嫌ですし…少なくとも、セーニャさんだけでも…」

話をするカミュとセーニャを置いて、エルバ達は船に用意されているそれぞれの部屋に入る。

希望と英雄を乗せたインターセプター号は出港し、東へと進んでいった。

 

「ふん…抜け殻め、海へと出たか…」

天空魔城の王座に腰掛け、使い魔であるベビーサタンに今自分が読んでいる本のページを開かせる。

六軍王の1人が古代図書館から入手し、献上した書物であり、その軍王曰く、自分にはそのような書物は読めないから何も価値がないのだという。

「いかに大いなる力や知識を手にしたとしても、それを使いこなせぬ、最大限に発揮できぬのでは何も意味はない。だが、それが分かっているうえでそれにかなう存在に託す…。あの抜け殻よりもこやつの方が力と知識の意味が分かっている…そう思わぬかね、ホメロスよ」

「ハッ…おっしゃるとおりであります。我が主、ウルノーガ様…ご命令通り、六軍王には勇者が生きていることは伝えておりません。配下の魔物にも周知しています」

「それでよい。奴を殺すのは我一人のみ。相変わらず仕事の速い男よ、貴様のような男すら使いこなせぬあの愚王には感謝しなければならぬな」

「光栄でございます」

「ふっ…どれ、貴様ほど賢い男であれば、使えるのではないか?勇者の力を…」

「な…私に、勇者の力を…ですと?」

ウルノーガのように、エルバから引きずり出したわけでもなく、勇者の生まれ変わりとして命の大樹に選ばれた存在でもない自分にそれを使えるとは思えない。

そんな彼の戸惑いを愉快に思いながら、ウルノーガは左手をホメロスに向けて伸ばす。

「今の我は命の大樹をも支配下に置いた。故に、勇者の力を授ける相手すら我が決めても、不思議ではなかろう。六軍王の長、ホメロスよ。貴様を我が勇者…いや、神殺しと認めよう」

「神殺し…」

「勇者などという希望の象徴はもはやこの世界にいらぬ。神をも葬り、我に抵抗する者たちに絶望を与える新たな象徴となるのだ、ホメロスよ」

ウルノーガの左手の痣が光るとともに、ホメロスの左手に淡い光が発生し、黒い勇者の痣が出現する。

そこから感じる力に冷静なホメロスも笑みを浮かべずにはいられなかった。

 

「ふううう…」

「ウフフ、中々二刀流もさまになってきたじゃない、エルバちゃん」

船内の修行場でエルバと模擬戦をしたシルビアは模造剣を棚に置いたシルビアは疲れを見せ、休憩用の椅子に座る。

「師匠が良かったからな」

「あら、うれしいことを言ってくれるじゃない。けれど、まだまだ本気を出したわけじゃないわよ?本気のアタシに勝てたら、もしかしたらウルノーガにも勝てるかもしれないわね」

「大した自信だな。ならば、今度は久々に俺と戦ってみるか?ゴリアテよ」

修行場にいつの間に入って来たグレイグがさっそく棚から模造剣と盾を手にして、座るシルビアを見る。

「まったく、人気者は辛いわね。けれど、ここで応じなければ、騎士とは言えないわね」

「ふっ…。ああ、そうだ、エルバ。お前にあずかりものがあるのだったな」

「預かりもの…?」

「師匠からだ。お前の剣のことを話していたら、この書物を預けてくれた」

懐から地面に刺さった2本剣のレリーフが刻まれた分厚い書物を受け取ったエルバはそのタイトルに目を通す。

「ロン・ベルク流剣術…?」

「師匠は二刀流にも通じていてな、ロウ様と共に旅をしているときに手に入れた書物だと聞く」

ロン・ベルク流はその名の通り、2本剣の使い手であるロン・ベルクという剣豪が書物にまとめた二刀流剣術だ。

彼については生没年はおろか、実際に存在したのかどうかすら謎であり、一説では魔族である、鍛冶職人であるという説まである始末だ。

そのため、彼が編み出したという剣術、ロン・ベルク流すらも使い手が彼と彼の一番弟子である人物から細々と伝わりはしたものの、今では使い手すらおらず、彼の唯一の存在の証であるその書物以外に何も痕跡が残らない忘れられた存在となっていた。

だが、若いころのロウとジエーゴが旅をする中でその書物を見つけ、それに興味を持ったジエーゴが修行のためにと持ち帰った。

二刀流に興味のあったジエーゴはその書物を元に修行をし、今では鬼神とまで言わしめるほどの剣豪になったもの。

「そんなものを、俺が持っていていいのか…?」

「ああ、勇者であり、二刀流を使うお前には必要なものだろう。だが、問題はロン・ベルク流の奥義だ。それについてはあの師匠ですら習得することができなかった。だが、仮にそれを習得することができれば…」

「ウルノーガに対抗できるかもしれない…か」

勇者の力を失った今のエルバにはとにかくそれに代替できる力が必要だ。

そんな彼にとって、習得できるかどうかはともかく二刀流の流派の存在は僥倖だ。

シルビアやカミュも二刀流を使ってはいるものの、シルビアは異なる武器を使っており、カミュについてはエルバと同じく我流だ。

「もちろん、俺も習得できるように力を貸す。まずは…」

「グレイグ様、エルバ様!!!」

修行場に突然2人の名前を叫ぶ兵士の声が響き、同時にドンと開いた扉から海水と血で濡れた兵士が飛び込んでくる。

「どうした!?」

「一大事です…巨大な魔物が進路を…!!」

「魔物…??」

「エルバ、ゴリアテ、手合わせはあとだ。行くぞ!!」

負傷している兵士に回復呪文を施し、近くの兵士に託したグレイグは真っ先に外へ飛び出す。

同時に激しい風と雨がグレイグの体に襲い掛かる。

「く…!だが、嵐になろうとインターセプター号であれば…」

嵐よりも問題なのは兵士が言っていた巨大な魔物だ。

もうすでにその気配を嫌というくらい感じていて、グレイグの視線は船の正面に門番のように構えるその魔物に向けられる。

甲板上には負傷した、もしくは魔物に討たれた兵士たちが転がっており、それを黒い巨体が見下ろす。

「フフフフ…命の匂い、まだまだ感じるぞ…」

「お前は…!!」

グレイグに遅れて甲板にたどり着いたエルバはその魔物を見た瞬間、その瞳に怒りを宿す。

自分を匿ってくれたムウレアを滅ぼしたウルノーガの手先。

「我が名な覇海軍王ジャコラ!魔王様より、この海を統べるよう賜った!!我が海を汚すザコどもめ…その命、魔王様のためにもらい受ける!!」

「おお…なんたる巨体じゃ!?それに…やはりエルバが言っていた通りか」

到着したロウの視線がジャコラの提灯部分に向けられる。

そこには奪われたオーブの1つであるレッドオーブが宿っていた。

「みなさん、何があったんです!?」

「カミュか…!?来てはならん!中に戻っておれ!」

「戻れなんて…ああ…!!」

ジャコラに宿るレッドオーブを見た瞬間、カミュの目が大きく開き、顔が青ざめていく。

同時に激しい頭痛が彼を襲い、膝をつく。

(兄貴…兄貴!!)

(助けて…お兄、ちゃん…)

「あ、あ、ああ…あああ…」

「カミュ様!!カミュ様、しっかりしてください!!」

カミュを追いかけてきたセーニャが異変を見せるカミュを支え、彼を連れて中へ戻ろうとする。

だが、急に船体が大きく揺れ、歩くことすらままならなくなってしまう。

「ぬううう…貴様なぞに構って居る場合ではないのじゃ。早々に、どいてもらうぞい!!」

「ほう…?」

大きく揺れる甲板の上で直立するロウをジャコラが鼻で笑う。

挑発めいた余裕だが、それをこの一撃で吹き飛ばす。

ロウは両手に魔力を籠め、グランドクロスを放つ。

十字架の光がジャコラの頭部に接触すると同時にさく裂する。

しかし、ジャコラの体が赤い障壁によって包まれ、彼自身の体には傷一つつけることができない。

「グランドクロスが効かぬじゃと…!?」

「グハハハハ!!魔王様より授かったレッドオーブの力を使っているにすぎぬ。この障壁を前にすれば、貴様らの攻撃なぞ、無力!!」

「ええい、ならば同じオーブの力を使うのみだ!!うなれ、真空!!」

パープルオーブから生み出されたネルセンの遺産たるグレイトアックスを振るうとともに、激しい真空の刃がジャコラを襲う。

その刃を受ける前に、ジャコラは海の中へと姿を消していく。

(避けた…??)

「貴様らを海の奥深くに沈めてくれよう!!」

ジャコラの死刑宣告と同時に、バリバリと激しい悲鳴がインターセプター号全体から響き渡る。

あの巨体と力を利用して、そのまま引き裂いたうえで沈めようというジャコラの魂胆が見え隠れする。

「く…無念だが、この船を捨てるしかない!全員、船から逃げよ!!全力で陸へ逃げるのだ!!」

グレイグの命令と同時にインターセプター号が真っ二つに割れていく。

世界最速の船としてデルカダールの象徴となるはずだったインターセプター号が容赦のない力の暴力によって、海の藻屑と化した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第73話 預言者

「みなさん、大丈夫ですか!?」

「大丈夫よ…この程度の傷なら…」

「セーニャよ、そこのけが人は儂が治療しよう。おぬしだけでは手が回らんじゃろう!」

ポートネルセン付近の小屋とその周辺では、セーニャとロウ、そしてシルビアが兵士たちに治療を施す。

3人だけでなく、若干ではあるが回復呪文に心得のあるグレイグも付き合う形になっている。

インターセプター号は沈んでしまい、ジャゴラによって既に殺されてしまった兵士は既に海に沈んでしまい、回収できなかったが、けが人や生存者はどうにか自力で泳いでここまで這い上がることができた。

エルバ達が乗っていたフランベルグやリタリフォンなども無事だった。

ジャゴラも、インターセプター号を食らったことで満足したのか姿をくらませており、追撃してくる魔物の姿もなかった。

ここにたどり着いてから、その治療に既に3日も費やしている。

仮に現地に滞在しているユグドラシルのメンバーからの支援を受けることができなければ、もっと時間がかかっていたかもしれない。

「セーニャさん、ロウさん、ユグドラシルの人が薬を持ってきてくれました!」

「おお、助かったぞい。薬があれば…」

「それにしても、エルバちゃん…いつになったら目を覚ますのかしら…?」

シルビアが心配しているのは小屋の中で眠っているエルバだ。

一番最後に打ち上げられたエルバは完全に意識を失っており、グレイグ達の手で小屋の中に担ぎ込まれた。

可能な限りの回復手段を施し、傷をいやすことはできたものの、いまだに昏睡状態が続いている。

肺の中に水は入っておらず、窒息した痕跡もないにも関わらず、声をかけても何も反応がない。

「できることはした。我々にできることはただ待つことだ。それに、あいつほどの男がこんなところで終わるはずはない。そうだろう?」

デルカダールの追手から逃げ延び、真実にたどり着いたエルバを曲がりなりにも見てきたグレイグだからこそ、それは断言できる。

彼の言葉に、シルビア達は力強く首を縦に振った。

 

「う…うう、ん…」

瞼を白い光が差し込む感じがして、エルバは左手で目を守りながらゆっくりと開いていく。

天空魔城が生み出す瘴気によって、青空がろくに存在しない世界であるにもかかわらず、広がるのは雲一つない青空。

そして周囲に広がるのは緑と花のあふれる野原。

「ここは…どこかの、島なのか…?」

エルバの記憶はあの巨大な魔物、ジャコラによってインターセプター号が沈められた瞬間から途切れている。

野原と表現したその場所の周囲は海が広がっているものの、そこには船の残骸らしきものは見えない。

「じいさん!グレイグ!カミュ!シルビア!セーニャ!いるのか!!」

声を上げるが、声が1つも聞こえない。

聞こえるのは波と風の音だけで、カモメの鳴き声すらない。

美しくも生物の姿のない島をエルバは歩く。

歩いていくと、赤いレンガでできた、水車付きの家が1軒だけポツリとある岬に差し掛かる。

その屋上に小さな人影が見えた。

「あそこの人からなら、インターセプター号のことが…」

海沿いに家があり、そこの家主なら何らかの情報をつかめるはず。

幸いにも家のドアの近くにはしごがあり、底から簡単に上ることができた。

「…!?馬鹿な!?」

ハシゴを登り、改めて人影の正体であろう後姿を見たエルバは息をのむ。

オレンジ色のスカーフをつけた金髪で、薄緑のドレス姿。

再会を約束し、イシの村に残してきた幼馴染のエマの姿がそこにあった。

「エマ…!?なんで君がそこに!?」

登り切ったエルバは急いでエマに駆け寄る。

そんな彼にエマは振り返り、口を開く。

「なーんじゃ、何者かと思えばおぬしか」

「な…!?」

その声は紛れもなく、エマそのもの。

しかし、その口調はエマのものとは大違いで、その面影もない。

「安心するがええ。ここは天国でも地獄でも、現世でもない。安心するがええぞ」

「なら…どこなんだ、ここは。どうして、エマの姿をして…」

「おぬしをからかってやりたかった…そう答えれば、満足かのぉ?」

「質問の答えになっていないぞ…」

「フフフ、そうカッカするでない。まずはのんびり釣りをすることじゃな。ここには時の流れなど存在せぬのだから」

「釣りだと…俺には…」

エルバの答えなど求めていない、そう答えるかのようにエマの姿をした何者かがそばに立てかけてある釣り竿を手にすると、それを彼に押し付ける。

そして、自らも再びそこに座って釣り糸を垂らす。

それから数分、釣り糸や海の中にいるであろう魚の動きを観察するが、一向に動きが見えない。

しびれを切らすかのように、エルバは視線を隣にいる彼女に向ける。

「…!!その姿は…」

「ん…?なんじゃ、この姿は気に入らんのかのぉ?」

隣に座っていたのはエマではなく、ファーリスになっていた。

声色も彼の者だが、明らかに口調は先ほどのエマと同じだ。

「ならば、この姿はどうじゃ?」

こうなったら、納得する姿になってやろうと言わんばかりに、ファーリスが自らの頭を軽く叩く。

すると、その姿は今度はラハディオへと変わった。

もう1度叩くとキナイ、次はロミア、次にボンサック、次にはエッケハルト、最後にはピピンの姿へと変わる。

「ふうん…姿が安定しない。どうやら、おぬしは儂の正体がわからんようじゃな」

「当然だ。初対面だからな」

「ずいぶんな物言いじゃな。まぁよい、ひとまずこの姿で失礼するとしよう」

ピピンが軽く頭を叩き、その姿を緑色のローブを纏い、デルカダール王に似た髭をした老人へと変わる。

そして、視線を自分の釣り竿へと戻す。

「儂は…おぬしらの世界では預言者などと呼ばれておる」

「預言者…?」

「そうじゃ。迷えるものの導き手、栄光へと灯台、口うるさい婆、そのようなものじゃな。まぁ、預言者と言っても、人によって姿やイメージは異なる物。故に、儂の姿も変わるのじゃ」

「その姿はなんですか…?俺は、会ったことがありません」

「ふむ、そうか…。まぁ、いちいち姿を変えるのは正直に言うと面倒臭い。今はこの姿でいさせてもらうとしよう。ところで…竿が動いておるぞ」

「え…?」

ずっと預言者を見ていたエルバはうっかり竿のことを忘れており、確認すると糸が動いているうえに竿もしなっていた。

慌てて持ち上げるが、既に魚には逃げられていて、釣り針についているはずのエサも消えていた。

「まだまだ、釣れるには時が早いということじゃろうなぁ」

「釣れる時…?」

「そうじゃ、おぬしと…おぬしの中にいるもう1人のおぬし、重要なのは2人じゃな…」

立ち上がった預言者は釣り竿を棚に置き、隣の座るエルバをじっと見る。

すると、エルバのちょうど隣に黒い影でできたもう1人のエルバが姿を見せる。

「てめえ…何のつもりだ?てめえまで俺を否定するつもりか?ハハハハハハ…笑わせんじゃねえよ!光がある限り闇はなくならねえ!こいつの憎しみも、消えることはねえ!!」

「…そうじゃな。厄介なものじゃが、心を持つということはそうした負の感情をも背負わなければならんということ。それがたとえ、自分以外にも影響を与えるものであったとしてもだ…」

「知ったような口だな…死んでみるか?」

「や、やめろ!!」

「止めんじゃねえ!てめえも死にてえかよ!!」

立ち上がり、紋章閃を放とうとするもう1人のエルバにしがみつき、必死に止めるエルバ。

だが、急にもう1人のエルバの体から力が抜け、前かがみに倒れこんでくる。

「やれやれ、純粋にまっすぐ突き進むのはいいことじゃが、周りを見るべきじゃったな。今はお前にも、紋章の力を発動できんよ」

背後にはいつの間には預言者の姿があり、おそらく当身をしたのであろう、手刀をエルバに見せる。

「血気盛んなことじゃ。天使のような慈悲深さと悪魔のような残酷さ…見せたい自分と見ることすらしたくない自分…難儀なものだな。じゃが、それを乗り越えて…その先に行った時こそ、勇者の力が目覚める。そう信じて、前へ進むのじゃ」

「…俺には、勇者の力はもう…」

「なんじゃ?力というものは目に見えるものなのか?手に取れるものなのか?簡単に奪われるようなものなのか?」

「それは…」

実際に、あの場所でエルバはそれを奪われたときの感触を今も生々しく覚えている。

心臓をえぐられるような感触、抜き取られたと同時にウルノーガに宿った勇者の痣。

あれを奪われたと解釈しないでなんとするのか。

「まぁよい。来るべき時、それが分かる。さあ、そろそろ行くのじゃ!」

思いっきり背中を叩かれたエルバは屋根から落ち、その下の海へと転落すると同時に意識を失った。

沈んでいるエルバを見送る預言者は目を閉じ、深呼吸をした後で口を開く。

「いつまでそこにおるのじゃ?」

「…やはり、お前の目はごまかせないな。久しぶりだな。だが…ようやく探し出すことができた。預言者として、何百年も動き続けたお前を」

「これが…贖罪だ。世界の、そして…おぬしに対しての…」

「あいつも目覚め、勇者の盾に力を貸した。あとは…彼女だ。彼女の行方を探すのを手伝ってくれ」

「…裏切者の私に、頼んでいいことなのか?」

「…確かに、お前のやったことを許し切れたわけじゃない。本当ならこの手で…。だが、ロトゼタシアの未来のためだ。もう頼めるような仲間はほかにいない」

「…いいだろう。償いのためにも、もう1度お前と彼女を会わせることとしよう…」

 

「うわあああ!!はあ、はあ、はあ…」

「エルバ様!?」

気が付き、思わず声を上げたエルバの視界に広がるのは木造の小屋の一室で、ベッドの中にいた。

そして、隣にはセーニャの姿があり、心配そうに見つめていた。

「良かった…エルバ様。ずっと、目を覚まさなくて…」

「すまない。その…どれだけ眠っていた?」

「4日です。少々お待ちください。ロウ様たちをお呼びしますから」

疲れを見せないように笑顔を見せたセーニャは席を立ち、外にいるであろう彼らを呼びに出ていく。

一方のエルバは再びベッドに横たわり、天井を見上げながら預言者の言葉を頭の中で反復させる。

(天使のような慈悲深さと悪魔のような残酷さ…見せたい自分と見ることすらしたくない自分…難儀なものだな。じゃが、それを乗り越えて…その先に行った時こそ、勇者の力が目覚める。そう信じて、前へ進むのじゃ)

「悪魔のような残酷さ…か。俺の前世は…どうだったんだろうな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第74話 怨念

「陛下、陛下にぜひ、お聞き届けいただきたいことがございます!」

緑のサークレットにユグノアの国章が刻まれた赤いマントを身に着けた、若干ハネのある黒い髪の青年が王座に座る王の前にひざまずく。

その隣には薄緑のドレスを身に着けた、薄茶色の流れるような髪と海のような優し気な青い瞳をした女性がいて、彼女もまたひざまずく。

目の前に座る王とは何度も顔を合わせており、隣にいる彼女の護衛隊長となって、直接会う機会も増えている。

騎士団長としての職務で顔を合わせることにはもうとっくに慣れているが、今日だけはどうしても緊張してしまう。

鎧に隠れた手が汗でにじんでいるのが感じられる。

「エレノア王女殿下の護衛隊長、アーウィン。お…恐れ多くも王女殿下と連れ立ち、ロウ様の御前に参じました。ほ…本日、こうして参じましたのは、ロウ様に大切なお話があってのこと…!」

「うむ…申してみよ」

主の声が聞こえ、あとは胸に秘めていたことを言うだけ。

だが、思い人とは身分違いであり、普通であれば認められるはずのない話。

ユグノアの貴族の妾の子であり、部屋住みの身分であった自分を取り立ててくれた大きな恩のあるロウにこれ以上何を求めるのか。

賢王と呼ばれ、身分や血筋に囚われない彼なら猛烈に反対することはないだろう。

だが、どうしてもこれ以上、あと一歩が踏み出せない。

わずかに視線を隣の女性、エレノアに向ける。

彼女が見せるのは普段見せてくれる優しい笑顔。

護衛兵として初めて会った時から見せてくれたものだ。

大丈夫、その笑顔だけで安心と勇気が目覚める。

意を決したアーウィンの口が開く。

「実は…この私と、王女殿下の婚約をお認め戴きたいのです!!」

「アーウィン…」

向ける視線がかわったこと、それは見ずともアーウィンにはわかることだ。

だが、エレノアのためにも、自分がつかみたい未来のためにも、下がるわけにはいかない。

「一介の兵士に過ぎぬ私には不相応な願い…それは承知しております!しかし…不肖ながら、このアーウィン、王女殿下のために鍛え上げたこの剣、そしてゆるぎないこの思いの強さは世に並ぶものはないと自負しております!!ですから、ロウ様!どうか、今後は護衛隊長としてではなく、夫として王女殿下を生涯守り抜くことをお許しいただけないでしょうか!?」

しばしの沈黙が流れ、ロウが立ち上がる音とこちらに歩み寄る足音が聞こえてくる。

ロウの小さな影がアーウィンを包み、プレッシャーを感じながらもアーウィンは動きを見せない。

「…アーウィンよ、表を挙げよ」

「はっ…」

声色はいつもの陽気なものではない、王としての威厳と厳格さを感じるもの。

しかし、顔を上げてみたその表情は笑顔そのものだった。

「断る理由など、ありゃせんわい。儂は知っておるぞ、おぬしがエレノアの伴侶となる男じゃ。これから、エレノアのことを頼むぞい、アーウィンよ」

 

「うう…口惜しい、口惜しい…」

真っ暗な空間の中で、男の声が反響する。

誰もいない、ただ地下を通る水の流れだけが聞こえるその場所で、彼は右手に握っている折れた剣を見つめる。

護衛隊長に任命された時にロウから賜った隼の剣。

左手に持つ魔法の盾は既に色あせていて、身にまとっている鎧もまた、ひび割れなどが目立つ。

彼はすべてを失ったあの日からずっとここにいる。

何度もここを出ようとしたが、なぜか出ることができない。

それならばと首に剣を突き立てたこともあるが、なぜかすぐに治ってしまい、死ぬことさえできない。

死ぬぎりぎりの飢えと渇きに侵されながら、ここに居続けている。

「口惜しい…義父上との約束を果たすことができず、何も守れず…すべてを奪われてしまった…」

本来ならば、決意と幸せに包まれるはずだったあの時間が今の彼には悲しみの種となっている。

もう何もない自分にできるのは悲しみと憎しみの感情を口にすることだけ。

最強の騎士と称されていた自分が情けなくて仕方がなかった。

 

 

「ふむ…では、ここから北の道は通れぬと」

「はい、落石で道がふさがれています。ですが、ルートはあります」

ユグドラシルのメンバーが見せる地図の、ネルセンの宿屋の箇所に印が刻まれる。

本来ならそこから北上することでグロッタの街にたどり着くことができる。

ちょうど、ここの主からマルティナらしき女武闘家が向かったことを聞いたため、そのまま進みたかったが、残念ながらそううまくはいかない。

凶暴化した魔物の暴走によって落石が発生し、山肌を沿うような形で作られていた道がそれでふさがってしまった。

幸いなのは迂回するルートが残っていることで、彼が進めてくれたのはユグノアを経由する道だった。

長距離移動となるものの、今グロッタへ向かうとなるとこのルートしかない。

「水は途中の川で調達できるでしょうが、食料については…どうにもなりません。ここに備蓄されている食料を提供できれば良いですが…」

ポートネルセンとグロッタの間であり、穀倉地帯であるバンデルフォン地方にはその分魔物の数が多く、その魔物によって滅ぼされてしまった集落も存在する。

グロッタへ逃げることのできない人々を受け入れているのがネルセンの宿屋で、現在は旅の戦士やユグドラシルのメンバーの助力で宿の周辺の受け入れのテントや防塁が作られている状態だ。

食料と水を確保できる分、流入する人が多く、今はエルバ達にそれを融通する余裕がなかった。

「いや、情報が入っただけでも良い。じゃが、本部との連携が分断されながらも、よくぞ無事で…」

「グロッタの町長の助力もありましたから…彼がここで孤立した我々を…。それ故に、グロッタと連絡が取れないことが心配です。今は私を含め、メンバーのみが知っている状態です」

「その方がええ。追い込まれている中で、パニックになってしまうよりも…」

「はい、どうかグロッタの状況を確かめ、マルティナ様を…。魔物の勢いがすさまじく、守らなければならぬ人々がいる以上、我々も…」

「ここは任せる。頼むぞい」

「はっ…お帰りをお待ちしております、ロウ様」

頭を下げるメンバーをいたわるように、ロウは彼の肩に手を置く。

世界崩壊によって、皮肉にもエルバとユグノアの無実が証明される形となり、こうしてユグドラシルも大っぴらに動くことができているが、状況は悪くなる一方。

六軍王も、まだエルバとグレイグが戦ったゾルデしか倒すことができていない。

(仮にグロッタが魔王に占拠されたとなれば、十中八九、そこには六軍王が…)

「ああ、ロウ様、もう1つ…これは報告すべきか否か迷っているものですが…」

「うむ…なんじゃ、申してみよ」

「実は、最近になり奇妙な夢を見る人々が出ております。半年前からで、最近ではここにいる人々の半数以上が見ておると…鎧姿の男が口惜しい、口惜しいと真っ暗な場所で言い続けているというもので・・」

「鎧姿の男…?その鎧とはどのようなものなのじゃ?」

「私も見ましたが、暗くてなかなか…ただ、見間違いでなければ、それはユグノアの…それも高い地位の方のものであるかと…」

彼は元々兵士ではなく、鎧についてはあまり詳しいというわけではない。

ただ、ユグノアで行われた兵士たちによるパレードの時、上級の兵士や王族が身に着けていたものを覚えている。

今思えば、その男の鎧はそれに近いかもしれない。

ユグドラシルで装備の調達をするとき、15年前に戦死した兵士である兄と父にもっと装備品のことを聞いておけばよかったとさえ思ってしまう。

(ユグノアの戦士、か…。まさかとは思うが…)

 

「ハッ!デヤアア!!」

宿屋近くの川辺では、上半身が裸になっているエルバが右手に水竜の剣、左手に普段使っているナイフを握り、振るう。

机替わりの切り株の上にはグレイグから受け取った剣術書が置かれていて、それに従うように剣を動かす。

ここまで移動する間や滞在中、エルバはかじりつくようにその本を読み、修行を続けていた。

(型についてはある程度、体が覚えて来てくれた。どうして二刀流が必要かも…)

その書物の中では、両手剣はともかく、片手剣を両手で握って戦うことはナンセンスだという記述がある。

二刀流について書かれたのは片手剣は馬に乗っているときや走っているとき、人混みや険しい場所ではどうしても片手で剣を使わざるを得ないためで、騎士の大半が短剣も一緒に差しているためだ。

ロン・ベルク流では、片手剣とその短剣を使った二刀流が初心者の基礎となり、使える武具はすべて使い切らなければ意味がないという彼の持論がにじみ出ている。

そう考えると、エルバのように片手剣2本を最初から使ってしまったのはその流派から外れた行動だと言える。

また、そうした訓練が必要なのは片手で武器を使うことに慣れるためで、二刀流を使うべきタイミングとして推奨されるのは大人数と戦うときや屋内などの閉所。

あらゆる場所でも、自分が有利な状況下で戦えるようにすることがロン・ベルク流の考えと言えるだろう。

「だが、分からないのが奥義…」

ジエーゴが習得できなかったその奥義については、そのページそのものが強い魔力でくっついた状態になっており、開けない状態だ。

どうやって開けばいいのか皆目見当がつかない。

そのひとつ前の章には最強の剣技として、星皇十字剣の名前だけが書かれているが、その使い方も動きも一切書かれていなかった。

剣技というのは己や周囲を守るためのものであり、自らを破壊し、再起不能となるような剣技は剣技ではないと否定している。

実際、それを強敵に対して使った際には確かにその敵を倒すことはできたものの、両腕を破壊してしまい、長期にわたる治療が必要になってしまったという実体験があるらしい。

「エルバ、どうだ?あの書は役に立っているようだな」

「グレイグ…」

ここにいるユグドラシルのメンバーにある程度、剣の手ほどきをしてきたグレイグがやってくる。

切り株に腰掛け、開きっぱなしになっているページに触れる。

「グロッタへはユグノアを経由することになるようだ。…私にとっても、あまり思い出したくない場所ではあるが…」

「そういえば、グレイグは17年前の戦いでアラクラトロを倒したんだったな」

その戦いはエルバが両親と故郷を失った一件であり、すべてが狂いだした時でもある。

グレイグ飛躍のきっかけとなって一件ではあり、そこから将軍となる道筋ができていったが、あまりそれを喜ばしく思えない。

「ああ…。だが、思えばその時から王が狂い始めた…。おそらく、その時にはすでに、ウルノーガに…」

「なにかそういう兆候があったのか?」

「そうだ。17年前の魔物の襲来の時、それは4大国の王が集まり、会議をしていた。その時、私は城の近くにある兵舎で待機をしていた」

休憩に入っていた当時のグレイグはその時、いつでも出れるようにと鎧と剣は装備したままの状態で、ホメロスから薦められていた本を読んでいた。

そんな中で緊急事態を告げる鐘の音が聞こえ、魔物の襲来が伝えられて飛び出した時に見たのは空一面を覆うほどの魔物たちだった。

まだ城門は破られておらず、地上から侵入しようとする魔物がいないことから急いで当時のグレイグの上司である兵士長が兵士の割り当てを行い、グレイグは王救出のために場内に進入した。

城内にはどうやって入ったのか、既に多くの魔物が侵入しており、既に兵士のみならず、城内の戦えない人々も犠牲になっていた。

魔物たちを蹴散らしながら王を探し、その中で脱出用と思われる城の地下水路で、ようやく主君と合流することができたものの、そこで同時に見たのはアーウィンの遺体だった。

「あの時、王は…いや、憑依していたウルノーガが言っていた。ユグノアは勇者の力を独占しようとしていた。そして、アーウィン様が襲い掛かったからやむなく殺した。しかし、エレノア様がマルティナ様を人質にとってしまったと…勇者の光によって、闇が引き寄せられたうえにユグノアの人々の心まで変えてしまったと…」

「それで、勇者は悪魔の子、と…。はめられたな、ウルノーガに…」

「ああ、後悔しているよ」

デルカダール王やジエーゴが父親の存在だとするなら、アーウィンは最強の騎士で、そんな彼を尊敬していた。

デルカダール王本人もアーウィンのことを絶賛しており、仮に若いころの彼を側近に加えることができたとしたならと惜しむほどだった。

「あの後は生存者を脱出させるために動き、遺体はそのままになってしまった。ウルノーガはアーウィン様を含め、ユグノアの人々を弔うこと、そして葬ることすら許さなかった。もう16年も経過しているが、今もアーウィン様は、きっとそこに…」

「…だとしたら、遺体か遺品だけでも見つけて、ちゃんとあの墓に埋めてやらないとな…」

「ああ、そうだな…」

「悔やむのは後だ。今の俺たちにはその時間すらないんだ」

過去を悔やんだとしても、もうこの17年間は戻ってくることはない。

死んだ両親や失った国、失われた命が戻ってくることは決してない。

それ以上に、その間にもウルノーガによって失われる命がある。

そのことを考えると、エルバ達は立ち止まることができない状態にあった。

 

ネルセンの宿屋を発ち、西への街道を向かった先。

月が黒い雲で覆われ、真っ暗闇の中をエルバ達はランタンの光だけを頼りに進んでいく。

「ユグノア…また戻って来た」

「胸が痛むわね…。初めて来たときもボロボロだったのに」

廃墟と化していたユグノアは世界崩壊の影響から避けることができず、さらに崩れてしまった家屋やいまだに焼き尽くされた木々、何かが焦げるようなにおいで包まれていた。

城があった場所まで向かい、すぐにエルバとロウが確認したのが両親の墓だ。

世界崩壊の影響でもし壊れてしまったら、2人に申し訳が立たない。

「良かった…少し、ヒビがあるみたいだが、墓そのものは無事だ」

墓を見つけたエルバはヒビが入ってしまった部分をそっと撫でる。

ロウも一安心したものの、ここに来た目的はそれだけではない。

「グレイグ、本当にわかるの?脱出用の地下水路への道って…」

「17年も前のことだが、今も生々しく残っている。おそらくは…」

廃墟にはなっているものの、ある程度道のりは理解している。

城があったころとを頭の中で比較しながら歩いていき、ちょうどエルバ達が儀式を行った場所へと続く山道への入り口から見て右側の開けた場所にグレイグの目が止まる。

「あの場所…そうだ、あの場所に隠し通路があった。そこを通って、陛下と合流した」

「ふむ…そこは覚えがある。ガレキをどかしていけばもしくは…エルバよ、どかしてくれぬか」

「分かった、やるよ」

「俺も、手伝います!」

エルバ達男手4人が道をふさいでいると思われるガレキを一つずつどかしていく。

彼らの手でガレキが取り除かれる中、ロウは道中で聞いたアーウィンの末路を思い浮かべる。

(ウルノーガに取りつかれていたとはいえ、信じていた人間に殺されるとは、どれほど無念であったことか…)

アーウィンは生前、正式な婚礼を挙げる前にロウから紹介され、一時期デルカダールへ遊学していたことがある。

そこでデルカダール王のもとで帝王学を学び、王としての責務などを学んだ。

そんな恩があり、ロウと同じくらい尊敬している彼に殺されたアーウィンがどのように思ったか、その悲しみは想像を絶するものだろう。

やがてガレキが取り除かれ、地下へと続く階段が露となる。

「お気を付けください、皆さま…。ここから先に恐ろしい気配を感じます」

「恐ろしい気配…魔物か?」

「であれば、なおさら放っておくわけにはいかぬ。アーウィン様の身に何かあってはならぬのだ」

「そうじゃな。心して参るぞ」

6人がアーウィンの眠る地下水路へと足を踏み入れる。

一番最初に入ったエルバは歩を進めるたびに胸を締め付けるような痛みを感じたが、それ以上に父親を見つけたいという思いが強く、口外することはなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第75話 再会、父よ

ゴゴゴゴ…ゴゴゴゴ。

真っ暗な空間の中で水の激しく流れる音だけが響き渡る。

この17年の間は誰一人として侵入したことがなく、ただこの水の音だけが支配していた。

だが、ようやくそのような場所にも来客が現れた。

ランタンの明かりがゆらぎ、数人の足音は水音によってかき消される。

「そうじゃ…この水路。確かに築城された時から存在している脱出路。おそらくはそこから…」

その道はロウだけでなく、この城に暮らしていた人間ならだれでも知っている。

ここを進めば、裏山の先にある森の中へ逃げ込むことができる。

エレノアと幼いマルティナ、そして赤子のエルバもここを通り、森の中へ逃げたのだろう。

そして、ここでアーウィンだけが死んだとなると、きっと彼はここに残って殿を務めていた。

そして、彼が命を捨ててまで逃がした3人がどうなったかはエルバ自身が知っている。

「感じます…とても悲しい怨念が、ずっととどまっていて…」

「怨念、父さんの…」

「アーウィンにはあまりにも似つかわしくない感情じゃのぉ」

ランタンの明かりを頼りに進んでいき、次第に出口へとつながる踊り場に到着する。

そこには錆が目立つ鎧姿で、折れた剣を手にしている騎士が座り込んでいる。

「あ、ああああ…そうじゃ、その鎧じゃ…アーウィン」

「アーウィン様…」

「アー…ウィン…」

名前を言われたことで反応を見せた鎧の男がゆっくりと立ち上がり、エルバ達の元へと歩いていく。

近づいてくるアーウィンを見たグレイグの手に粘り気のある汗がへばりつく。

鎧姿の彼の顔は真っ暗でよく見えない。

そんな汗ばみ、違和感を見せるグレイグにアーウィンの目がとまる。

「君は…グ…グレ…」

「はい…そうです。グレイグです…」

とうとう心に深く突き刺さった罪悪感に耐えられなくなったのか、アーウィンの前で膝を折る。

そんな彼に向けて、アーウィンは剣を向けることはなく、ただじっと彼を見つめるだけだった。

「許してください…。許して、ください…」

英雄であるはずのグレイグには似つかわしくない弱々しく許しを請う姿。

そんな彼にアーウィンもまた膝をつき、彼と同じ高さの視線になる。

「…答えてくれ。エルバは…私の子供はどこにいる?」

「アーウィンよ…久しいのお」

「義父…上…?」

「そうじゃ、声が聞こえるようなじゃ。エルバは…エルバは生きておる。ここにおるぞ」

アーウィンの肩に手を置き、エルバのいる方向に手を向ける。

エルバはしっかりと自分の顔を見せることができるように、兜を外す。

そして、一番の証拠である痣を見せた。

「あ、ああ…そう、か…。貴様ら、よくも…」

「え…?」

「エルバを殺すに飽き足らず、その遺体をも辱めるか!!」

先ほどまでの物静かな声と態度はどこでいったのか、怒りに囚われたかのような激しい言動となり、彼の体を黒いオーラが包み込んでいく。

「父さん…一体、いったいどうしたというんだ!?」

「アーウィン様!どうか、正気にお戻りください!エルバが分からぬのですか!?」

「エルバよ…お前を守れなかった愚かな父を許してくれ…。今すぐお前の体を奪っている魔物を殺し、母さんと一緒に眠らせてやる…!!」

折れた剣の刀身に真っ黒な光でできた刃が形成される。

動揺を見せるエルバに向けてその剣を貫こうとする。

だが、刺そうとした彼の右腕が震えと共に止まってしまう。

「な、にぃ…動かん、な、なぜ…?」

「すまぬ、アーウィン…。もっと早く気付いてやればよかったのぉ…」

近くにいたにも関わらず、ずっとそのことに17年もの間気付くことができなかった。

その間に見つけていれば、このようなことにならなかったかもしれない。

己のふがいなさを涙目になって詫びるロウ。

アーウィンの体にはゴールドフェザーが刺さっており、それが彼の動きを封じていた。

破邪力を強めることのできるゴールドフェザーはたとえ呪文を宿していなくても、邪悪な力を阻害することができる。

逆にそれがない場合はただの魔力のこもった投げナイフにしかならない。

だが、こうしてアーウィンの動きがそれで止まるということは、彼は何らかの理由でその力に囚われてしまっていることになる。

「ぐう、う…なぜだ!?なぜ動けぬのだぁ!!!!」

もはや痛覚もないのか、ゴールドフェザーが刺さっていることに気付いていない。

問題なのはここからどうやってアーウィンからそれを取り除くかだ。

勇者の力があれば、解決できるかもしれないが、力を失っているエルバには無理な相談だ。

「どうすればいいんだ、父さん…」

動けないアーウィンの救う手立てが思いつかず、立ち尽くすことしかできない。

(くはははははは!!ざまぁないぜ、親父!!まさか、守ろうとしているてめえの息子を手にかけようだぁなんてなぁ!救えねえ、救えねえなあこりゃあ!!)

「お前…!!」

聞こえてくるもう1人の自分のアーウィンをあざ笑う声にエルバは怒りをにじませる。

「こりゃあ、解決策は1つ。もう1度ぶっ殺してやろうぜ!!そうすりゃあ、こいつの憎しみは消える!!」

「でも、そんなことをしたら…!!」

殺すこともためらうが、今のロトゼタシアには命の大樹がない。

もし、ここでアーウィンを解放したとしても、彼の魂はそこへ帰ることができず、冥府で消え去ることになってしまう。

「なら、どうするよ?こいつの中に飛び込んで原因を探すかぁ?無理なこったなぁ!今のてめえは勇者様でもなんでもねえ、俺っていう悪魔を宿してるだけのただの人間だからなぁ!!」

「黙れぇ!!」

あざ笑う彼を無理やり抑え込みながら思案するが、彼の言う通り今の自分にはアーウィンを助ける手段も力もない。

あるとしたら、彼の言う殺すという選択肢しかない。

(どうしたら…そうしたら…!!)

(救いたいか…?彼を)

「え…?」

聞いたことのない、若い男性の声が響くとともに急に真っ暗だった周囲が青く染まっていく。

それはセーニャ達も同様で、エルバ以外の全員の動きが止まり、同時に水の音も聞こえなくなった。

まるで時間が止まったかのような感覚に戸惑う中、声が響く。

(彼の魂は疲れ果てている。死してなお、17年もの間、ここで縛られ続けた彼を…父を助けたいという気持ちは本物か?)

何者かわからない声に戸惑いながらも、目の前のアーウィンを見る。

もう生きて会うことができず、声も聞くことができないと思っていた彼とここで思わぬ形で合うことができた。

命がけで自分の命を救ってくれた彼にまだ何一つ親孝行できていない。

「ああ…助けたい。どうすればいい…!?」

(なら…飛び込め。彼の中へ。そして、彼の心の空間へと向かえ)

その声と同時に、アーウィンとエルバの間に黒い渦が出現する。

渦は次第に彩りを見せ始め、やがてその中は赤い絨毯が敷かれたどこかの城の中のような景色となっていた。

(お前が戻ってくるまでの間、俺が抑えておこう。あまり、時間は残されていないが)

「待ってくれ…?あんたは誰だ?どうしてこんなことをする??」

ようやく思い出したが、その声は世界が崩壊した日に意識を失う直前にかすかに聞こえたあの声と似ているように思えた。

命の大樹の中にいた魂なのか、それとももっと別の次元の存在なのか。

(答えを聞きたければ、戦い続けろ。エルバよ…)

「…答える気なしか」

だが、今は彼にこだわっている場合ではなく、今開いた道を進まなければならない。

覚悟を決めたエルバはその渦の中へと飛び込んでいった。

 

「あーあー、まったく!ロウ様ったら、またこんな本をベッドの中へ!!エレノア様からあれだけ叱られたのに!!」

ベッドの清掃を行っていたメイドは下から出てきたムフフ本に呆れた表情を見せる。

前にエレノアが見つけたのは青い外巻きカールなロングヘアーをした、ベアトップなミニスカートのワンピース姿をした女性が表紙のもので、それは既に彼女自らの手で処分している。

今回見つけたのは茶色いツインテールで肩と胸の上部のはだけたドレス姿の少女が表紙のもので、どこからどうやって調達したのか、油断も隙もない助平翁に思わず頭を抱えてしまう。

おまけに読んでいる途中だったのか、ページが開いた状態で置いてあり、表紙の少女のあられのない姿まで見てしまったことで怒り心頭だ。

「もう…!こういうことがぜひとも、アーヴィン様とエルバ様に影響することがないのを願いたいものです!」

暖炉に投げ捨ててやるとそのムフフ本を手に去っていくメイド。

その後ろ姿を白いモヤがかかった姿をしたエルバがじっと見ていた。

「なんだ…ここは?じいさんと母さんのことを言っていた。ここは…ユグノア城なのか?」

このような場所に来た記憶はないが、なぜかどこかこの城からはなつかしさを覚えた。

自分が生まれてほんのわずかの間過ごした場所だからなのか。

先ほどの会話を聞いていたら、エルバの名前も出てきたことから、おそらくは自分もここにいる。

だが、おそらくは今この場所にいる自分のことではないのだろう。

数分前にこの空間に降り立ったエルバはメイドに声をかけたり、彼女の目の前へ行ったりしたが、メイドは彼のことに一切気づくことはなく、正面から歩いてすり抜けた。

「そうだ…。俺が生まれた日、となると母さんとマルティナが…!!」

おそらく、2人は一緒にこの城のどこかにいるはず。

産後で疲れていることを考えると、いるのはエレノアの私室。

エルバはロウの部屋のドアをすり抜ける。

まっすぐ進むと王の間があり、そこを横切った先にある部屋へと向かう。

ロウの部屋がそこだとするなら、王族はこの階に部屋を置いているはず。

その部屋をあてずっぽうでも探していけば、見つかるかもしれない。

そう考えて、その部屋へ入るとそこは予想通りエレノアの私室であった。

そこには椅子に座るエレノアと彼女のそばではねる幼いマルティナの姿があり、更にエレノアの腕の中にはまだ生まれたばかりのエルバの姿もあった。

「母さん…マルティナ…こいつが、俺か…」

やはり2人にもエルバの姿は見えていない。

近づいて、赤子の自分を見つめる。

自分である一番の証拠と言える勇者の痣は確かに左手の甲に刻まれていた。

「ねえ、エレノア様。アーウィン様はまだ戻ってこないの?」

「今、アーウィン様はとっても忙しいの。だって、今はマルティナのお父様だけじゃなくて、たくさんの人と会わないといけないから…」

「たくさんの人…?」

(そうだ、我が子が生まれた日…)

急に周囲の色が青白く染まっていき、時間が止まったような感覚がエルバを襲う。

そして、どこからはアーウィンの声が響き渡る。

「父さん…!?」

(あの日は人々に希望をもたらす日となるはずだった。多くの人が集まり、私たちとエルバを祝福してくれた)

「どこにいる!?答えてくれ、父さん!!」

エルバの声に反応するかのように後ろの扉が開き、鎧姿のアーウィンが王の間ところで姿を見せる。

急いで彼を追いかけるエルバだが、あと少しのところで王の間の正面扉が開き、アーウィンはそこから歩いて出ていく。

王の間を出ると、アーウィンは下への階段を降りていく。

エルバも走って階段まで行き、降りていくと彼はそのすぐそばにある広間への扉を指さしてから消えてしまう。

同時に周囲の景色の色が元に戻り、人々が動き出した。

「この先に何があるというんだ…それに、俺が生まれた日だって…」

その言葉が正しければ、それはユグノアが滅びた日でもある。

もしかすると、このまま先へ進むと、あの惨劇を自らの目で見なければならなくなるのかもしれない。

その不安を感じながらも、エルバは扉をすり抜ける。

そこにはアーウィンの言った通り、祝賀会が開かれており、多くの身なりの整った人々や鎧姿の男たちが集まっていた。

「アーウィン様、この度は記念すべき祝杯の日にお招きいただき、誠にありがとうございます!」

「エルバ様ご誕生は私たちにとっても喜ばしいことですわ。本当におめでとうございます」

貴族たちが口々にエルバの誕生を祝い、メイドが運んできたワインを喉に通す。

そして、この祝賀会の主役であるアーウィンは赤い王冠をかぶり、緑の貴族の服に赤い外套を重ね着した姿となっていた。

「ありがとうございます、本日はユグノア王国にとって特別な日であります。祝杯の宴をどうぞ、ごゆっくりとお楽しみください」

貴族たちへの返事を済ませ、お辞儀をしたアーウィンは数人の兵士によって守られた2人の男性の元へと足を運ぶ。

独りはエルバも見たことのある恰幅の良い体つきのサマディー王で、もう1人は真っ白なひげを臍のあたりまで伸ばしている、白いローブ姿の男性で、その背丈はグレイグに近い。

「クレイモラン王、サマディー王、お二人とも、ようこそユグノアへ」

「彼が、クレイモラン王のテオドール…。シャール女王の親父さんで、爺さんの友人…」

2年前に死んだその老人のマントには確かにクレイモランの国章が刻まれている。

「やあやあ、久しぶりですなぁ。アーウィン殿。このような盛大な宴での歓迎、感謝いたしますぞ、だっはっはっは!!」

「サマディー王は…そんなに変わっていないか」

1年前に会った時と変わらない様子だが、ある程度笑い終えると急に鋭い視線へと変えて、ジロリとアーウィンを見つめる。

「本日のサミットはロトゼタシアの行方を決める重要な会議。バンデルフォン王国滅亡の件もある。くれぐれも有益なものとしましょうぞ」

「ええ…分かっております」

いずれの王もこの祝賀会を楽しむため、そしてエルバ誕生を祝うためだけに来たわけではない。

勇者のこと、そして滅亡したバンデルフォン王国とその原因となった魔物の大軍の謎、それらのことを話しあうためにわざわざ集まって来た。

ファルス3世にも、ようやく一人息子が生まれている。

彼の未来のためにも、平和なロトゼタシアを残したい。

アーウィンの返事を聞き、満足したのかファルス3世は再び笑った表情を見せる。

「それはよかったよかった。それから、いくらサマディーがこのサミットでは末席であったとしても、くれぐれものけ者にしないように、頼みますぞー!」

「サミットか…。この20余年の中で2度も開催されるとは、儂の知る限りでは前代未聞じゃて」

バンデルフォン王国滅亡、勇者の誕生。

ロトゼタシアを揺るがす2度の事態はテオドールにとっても経験になく、バンデルフォンを含めた5か国が地図上に姿を現してからの200年近くの中でも異例の事態だ。

「それほどご子息であるエルバ殿、伝説の勇者の生まれ変わりというのは我々にとって重要なこと。本日の会議、楽しみにしておりますぞ」

「我が息子のため、遠方からはるばる来訪していただき、誠にありがとうございます。サミット開催の際にまたお声掛けさせていただきます。私は準備がありますので、これで。デルカダール王は何処に?」

「ハッ、デルカダール王はロウ様とお二人で城の中庭にいらっしゃいます」

「分かった、今から向かう」

2人の王に頭を下げたアーウィンは会場を後にし、下の階へ通りていく。

アーウィンの後に続いたエルバも降りていくと、ちょうど1階の中央あたりに噴水を中心とした中庭があり、そこではロウとデルカダール王、モーゼフが2人きりで話をしていた。

既に高齢ということもあるのか、2人ともその容姿はエルバが見知っている物とは変わりない。

「デルカダール王、義父上、そろそろサミットを開催しましょう。お二人とも、ご準備をお願いいたします」

「おお、アーウィン。ロウから話は聞いたぞ。そなたの息子、エルバがあの勇者の生まれ変わりであるとはな」

「はい…。そのことを、皆様にお話しするつもりです」

暖かな目で見るデルカダール王に対して、アーウィンの表情は祝賀会の時とは逆に固まっている。

まだエルバが勇者の生まれ変わりであることは公表しておらず、貴族の多くがただ単に世継ぎの誕生を祝福しているだけの状態だ。

先代のロウの時のように、世継ぎやほかの後継者となるはずの兄弟が世を去ることが相次いだ時期もある。

自国の安定のためには世継ぎというものは重要な分、こうして祝うのは彼らにとっては将来への祈願でもある。

だが、今回はそれ以上の意味をエルバが背負うことになった。

親として誇るべきなのか、それとも生まれながらに勇者という、父親である自分ですら背負いきれない重責を背負わせてしまったことを恥じるべきなのか。

その答えは未だに固まらない。

そんなアーウィンの肩をデルカダール王は叩く。

「先に、会場に行っておる。到着するまでに気持ちを落ち着かせるとよい、ロウよ、参るとしよう」

「うむ、モーゼフよ。アーウィン、勇者とはロトゼタシアの運命を左右する存在。じゃが、エルバ一人が背負うことも、ましてやおぬしだけが背負わなければならぬものでもない。ほれ、まずは家族の元へ行くがよい。サミットの時はエルバも連れてくるのじゃぞ」

「はい、義父上…」

モーゼフとロウが2人で階段を上がり、アーウィンは顔を下に向け、水に映る自分の顔を見た。

そして、同時に再び時間が止まる。

(エルバ…私にとって、この日はエレノアとの結婚を認めてもらった時以上に悩んだ。きっと、エレノアも悩んだことだろう。エルバの将来のこと、勇者のことを…。私はそれから部屋へ向かい、エレノアやマルティナ姫と共にエルバとわずかな時間を過ごした)

その言葉と同時に周囲の景色がぐるぐると混ざっていき、次第にそれはエレノアがいた部屋のものへと変わっていく。

そして、そこにはマルティナにだっこをするアーウィンと、エルバを抱き、椅子に座って優しく見守るエレノアの姿があった。

「大丈夫、大丈夫だ。マルティナ。怖くないよ」

「アーウィン様ー…」

「やぁ、エレノア…。嫌な天気だな…」

(嫌な天気…?)

窓の外は曇っていて、雨も降り始めていた。

おまけに雷も落ちており、それが幼いマルティナを怖がらせる。

「ええ、とても嫌な予感がします」

「心配するな。何があっても、私が君とエルバを守る。約束する」

「あなた…」

エレノアに仕えてからずっと約束してきたことだ。

その約束通り、アーウィンは常に彼女を守り続けてきた。

そんな彼の言葉だからこそ、エレノアは安心できる。

「アーウィン様アーウィン様!私は―?」

「ははは、マルティナには強くて勇ましいデルカダール王というお父様がいるじゃあないか。私より、よっぽど頼りになるぞー!さあ、エルバを…サミットが始まる」

「ええ。本当なら私も一緒に出ることができればよかったけれど…」

「君はしっかり休んでくれ。まだ疲れているだろう?」

マルティナを降ろしたアーウィンはエレノアから受け取ったエルバを優しく抱く。

そして、彼の左手の痣を見つめる。

これから重荷を背負うであろうエルバをアーウィンは高く掲げる。

「さあ、エルバ!これから行くところはこわーいおじちゃんがいっぱいだけど、何があっても、パパが守ってやるからなー!」

「まぁ、あなたったら。そんなに強く抱きしめると、エルバが苦しいでしょう」

フフフと笑いながら父子を見つめるエレノアだが、時折聞こえる雷雨の音が彼女の心に影を落とす。

「こんな特別な日にこの天気…。なんだか、嫌な予感がするわね…」

「1週間前に見た、夢のことか?」

エルバが生まれる1週間前、エレノアは夢を見た。

確かにエルバは元気に生まれるが、その左手には勇者の痣が宿り、そして今のような天気になっていること。

そして、魔物の大軍がユグノアを襲い、全員が殺される。

「夢のようなことにはさせない。絶対にだ」

アーウィンも思うところがあり、念のために見張りや警備の兵士を増やして、布陣も見直している。

住民にも、いざというときに備えて不要不急の外出を控えること、城から緊急の鐘が鳴ったらすぐに避難するようにというお触れも出している。

エレノアが見た夢を正夢にしないための準備はしっかりしたつもりだ。

「じゃあ、行ってくるよ。後のことは頼んだよ、エレノア」

「はい…」

エルバを抱いたアーウィンは彼を連れて、部屋を後にする。

そして、同時に再び時が止まる。

(そして…私はサミットに出席した。デルカダール王、クレイモラン王、サマディー王、そして義父上と共に…勇者のこと、将来のことを話しあったのだ…)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第76話 サミット

ガラガラと稲光が窓を包み、切り裂く音が部屋中に響き渡る。

その部屋にある円卓にはロトゼタシアの王たちと先代ユグノア国王であるロウが座っている。

円卓の中央のゆりかごにエルバがすやすやと眠っている。

「あの子が…そうなのだな」

「そうじゃ。この痣、間違いあるまい」

サミット第3席のモーゼフの言葉に第2席のロウが答え、眠るエルバのゆりかごを撫でる。

「ふむ…普通の子供であれば泣き出すこの雷の中でも眠ることができるとは…。それだけ、ロウ殿とアーウィン殿がいることに安心しておるということか…」

第4席であるテオドールは微笑む中、第5席のファルス3世はそわそわしつつ、メイドが出してくれた水を口にする。

「暗黒の深淵にたゆたう邪悪の神。凍てつく黒き闇を纏いて母なる大樹に迫りし時、光の紋章を携いし勇者、聖なる剣で邪悪の神を討ち、閃光となりてロトゼタシアの地を光で照らさん」

「ローシュ戦記、終わりの詩か…」

ロトゼタシアに暮らす人々の大半が読んだことのある本で、ロウとモーゼフも耳にタコができるくらい読んでいる。

「しかし、戦記いわく、邪悪の神は古の勇者によって滅ぼされ、世界は平和になったはず…しかし、以前と比べてロトゼタシア各地で魔物が活発化しておる。皆も気づいておろう」

「はい…。アーサー王率いるバンデルフォン王国は確かに魔物による攻撃で滅びています」

第1席アーウィンのアーウィンにとって、そのことは幼いころの出来事で、その話はロウや軍学校の教師から聞いた話しかない。

圧倒的な軍勢となった魔物たちになすすべなく滅びてしまった。

その時、各国で連合軍を編成して救援に向かったが、できたのは生き延びた兵士や国民を救助することだけだった。

バンデルフォン難民の扱いやその魔物の大軍の調査を巡り、一度サミットは開催されている。

その後はいったん、魔物たちの動きは静まったが、最近になって再び魔物たちは活発化している。

その魔物たちの攻撃によって滅びてしまった集落も存在する。

「このような事態の中、勇者と同じ痣を持つエルバが生まれた。これが何を意味するのか…聡明なる王の見解を聞きたい」

魔物の活性化、勇者の誕生はどうしても繋がりがあるとしか思えない。

その答えはローシュ戦記にはない。

王たちは沈黙し、目を閉じて自分たちの考えをまとめていく。

その中で最初に口を開いたのはファルス3世だ。

「邪悪な神だとか、魔物が増えたとかいろいろおっしゃいますがねえ、どんなに不穏な影が世界を覆うとも…こうして伝説の勇者が再びロトゼタシアに現れたのですぞ!勇者がいる限り、この世界の平和は約束されているのではありませんか?」

勇者誕生のタイミングは邪悪の神がロトゼタシアに現れたときで、ユグノア王国の嫡男として生まれた。

そして彼は16歳の頃に勇者の使命に目覚め、愛馬であるクリスと共に旅だった。

その中で仲間であるネルセンやセニカ、ウラノスと出会い、ラゴス、パノン、ネイルの助力を得ることができた。

そして、勇者の剣を手に入れて邪悪の神を討ち、ロトゼタシアに平和が戻った。

今回、魔物たちが活性化する中で再び勇者が現れた。

ロトゼタシアを守るために命の大樹から遣わされたということは、彼が魔物たちを沈めてくれる。

そう楽観したいのは誰もが同じだが、どうしてもそう考えることは誰もできなかった。

「カッカッカッ、なるほどのぉ。勇者がいる限り、平和は約束される…か」

一笑いしたテオドールは髭を撫でると、鋭い目つきで周囲を見渡していく。

普段の穏やかな彼とは真逆の視線に空気が凍てつく。

「ロウ殿も人が悪い。先ほど語ったローシュ戦記、肝心な部分が抜けておる」

「ローシュ戦記第1章…勇者の誕生が記された序章だ。命を紡ぐ命の大樹、その息吹より生まれし光の勇者。勇者の光、尽きることなきまばゆさで、果ては漆黒の影を生み出さん。影の名は混沌を統べる邪悪の神なり…」

「それでは、伝説の勇者自身が邪神を誕生させたと…?」

「夜の暗闇がなければ、星が輝かぬように、光がなければ闇は生まれない。どちらも切っては離せぬ存在。太古の昔より定められた摂理じゃて」

少数ながら、歴史研究家の中にはそう主張する人もいる。

ロトゼタシアには光と闇のバランスをとる動きがあり、邪神誕生の原因は勇者誕生によって光の力が強まりすぎたことで、闇がバランスを取ろうとカウンターとして生み出したもの。

勇者が生まれなければ、邪神が生まれることはなく、バランスは保たれていた。

「光と闇は常に表裏一体。勇者の誕生は命の大樹の福音か、それとも邪神の目覚めの暗示か果たして…」

「言葉が過ぎますぞ、テオドール殿!!勇者が悪と同等の存在などと!!」

(ハハハハ!大正解、その証拠がまさにこの俺だろう!!)

エルバの背後にもう1人のエルバが現れ、机をたたいて憤りを見せるアーウィンをあざ笑う。

反論したいエルバもまた、自分がその証拠を作り出してしまったために、沈黙することしかできなかった。

「しかし、勇者が善の存在とは言い切れぬ。不吉の影は魔物だけではないのだぞ?最近になって、夜空に輝く勇者の星が鈍い光を放つようになったという情報もある。ご子息の誕生と同時に起こったことじゃ」

「なんてことを…」

勇者の星の光のことは事実であり、実際にサマディーでもそれを観測している。

だんだんと話の流れが勇者は悪魔という形へと変わっていく。

そこから出来上がっていく未来がアーウィンの脳裏に描かれていく。

「わしには聴こえるのじゃよ。まがまがしい輝きの中、勇者の星が唄うロトゼタシアを混沌へ導く破滅の唄が!!」

「…一理、あるな」

落雷の後で、沈黙を守り続けたモーゼフが口を開く。

アーウィンから伝わる視線を無視したモーゼフは言葉を紡ぐ。

「確かに、穏やかではあるが世界にはまがまがしい足音が近づいている。その兆しはバンデルフォンや勇者の星だけではない。世界中で起こっている。我々はそれぞれの国を統べる王。ロトゼタシアに住まうすべての民を守らねばならぬ。そのためには…その元凶を絶たねば。たとえ、それが伝説の勇者だとしても…」

「エルバを…我が子を、殺せと?」

アーウィンの言葉と同時に深い沈黙が流れ、その中で落雷が発生する。

そして、これまでおとなしくしていたエルバが身の危険を感じたのか、声をあげて泣き始めた。

泣いている我が子を見たアーウィンは彼が生まれる直前に起こったことを思い出す。

「我が子…エルバが生まれたとき、命の大樹から聖なる光が発せられ、夜明け前の空をまばゆく照らしました。その直後、その光と共鳴するかのように光り輝く痣をその手に携えて、エルバが生まれたのです」

その時は痛みに苦しむエレノアの手を握り、必死に祈り続けていたことから気づくことがなかった。

彼の認識としてわかっていることは本当に彼がエレノアのおなかの中から出てくるときに優しい光が窓から差し込んだこと。

そして、そのことを知ったのはエレノアの世話をしていたメイドから直接聞いた時だ。

その時、エルバは確かに命の大樹の輝きに祝福されて、この地に、アーウィンとエレノアの子として産まれたのだと気づいた。

「この子はまごうことなく伝説の勇者。大いなる闇を晴らす力として、命の大樹が与えてくださった希望の光なのです。確かに、エルバは伝説の勇者であると同時に一人の人間。喜びや幸福だけではない、悲しみや絶望のような闇もまた襲うことになるでしょう。しかし、エルバなら…伝説の勇者の生まれ変わりである彼ならば、光も闇

も超えていく。そして、その力で世界に平和をもたらす。私はそう信じます!」

信じること。

今のアーウィンにできるすべてはただそれだけだった。

伝説の勇者としての運命を、自分の意思であろうがなかろうが進むしかないエルバにできる精一杯のことがそれだ。

そのためなら、たとえ世界を敵に回そうともエルバを信じて、守る。

そのアーウィンの言葉にモーゼフは笑みを浮かべる。

「そうだ、それでこそアーウィンよ。もしも儂らの言葉に賛同したならば、即刻エルバを引き取るところじゃった」

「デルカダール王…?」

「勇者エルバは命の大樹の意志。我々に与えられた光の力だ。全力で守らねばなるまい」

「フフフ…すまぬのぉ、アーウィン殿。おぬしに本当に勇者の父親としての覚悟があるのか、それをどうしても知りたくてのぉ」

「お二人とも…」

緊張の糸が切れたアーウィンが倒れるように席に座る。

いつの間にかエルバは泣き止んでおり、荒くなった息を整えるアーウィンに笑顔を見せる。

「我が国は勇者への支援を約束しよう。エルバが16歳となった曉にはデルカダールにて修練を積ませよう。エルバにはいち早く我々を導く力を手に入れなければならぬからな」

「ふむ…では武芸はデルカダールへ、呪文についてはクレイモランが引き受けよう」

「ならば、サマディーは馬術そして山岳戦の教授を行うとしましょう。我が国だけが勇者の支援しなかった、では申し訳が立ちませぬからな、ハハハハ!!」

「みなさん…ありがとうございます!」

「フッ…では、将来は成長したマルティナとエルバで婚礼とするか?」

「モーゼフにしては、珍しい冗談じゃのぉ」

外の荒々しい天気とは裏腹に、ようやく会場には平穏で暖かな空気が包み始める。

「では、我々の心は一つにまとまったということで、まずはエルバの顔を勇者を待ちわびるであろう皆に見せなければな。その後で、後の議題を…うん?」

「アーウィン…様…」

急に扉が開き、一人の兵士が入り込む。

サミット開催中は緊急の伝言がない限りは入室が禁じられている。

何かがあったのかと席を立ったアーウィンは彼に駆け寄る。

兵士の体は血で濡れており、腹部に深々とできている傷がもう彼が助からないことを示していた。

「み…皆さま、お逃げください…。魔物、が…大軍でユグノアを…。城下の者も、現在、避難を始めて…ゴハァ」

血反吐を吐いた兵士はグラリと目を開いたまま倒れる。

アーウィンは自分の手についた血を見つめ、目を閉じるとその手を握りしめる。

いち早く席を立ったデルカダール王はそっと開いたままの兵士の瞼を閉じさせた。

「これは…どうやらバンデルフォンの悪夢を再び繰り返そうというのか」

椅子に座ったままのテオドールは窓の外から伝わる猛烈な悪意の気配を感じ取る。

落雷の光だけが頼りも暗がりの空には数多くの羽根がついた悪魔系の魔物たちが飛んでいる。

中には赤い上半身と大きな角を持つ半人半獣の魔物、アンクルホーンの姿もあり、雨水を取り込むことで威力を増したヒャダルコを城や城壁から弓矢で迎撃している兵士たちに向けて放つ。

「魔物の大軍…!!皆さん、急ぎ避難してください!!」

「勇者は、勇者はどこぞぉ!!」

窓ガラスを突き破り、会場へ魔物が飛び込んでくる。

飛び込んだ魔物、シャドーサタンは3つ目でジロリと既にアーウィンの腕の中にいるエルバに目を向ける。

「そこか…勇者!!魔王様の繁栄のため、その命もらいうける!!」

「下郎!魔物などに勇者は渡さん!!ロウ!」

「うむ、心得た!」

剣を抜いたモーゼフに向けて、ロウがドルマを放つ。

剣で闇の球体を受け止めたモーゼフはボソボソと呪文を唱え始め、次第に刀身がドルマの魔力で包まれる。

「受けよ!闇の刃を!!」

闇の剣で悪魔系であるはずのシャドーサタンに斬りかかる。

だが、盗賊よりも俊敏であるその悪魔は自らの体にその剣が到達する前に右手でその老体を貫こうとたくらむ。

しかし、動かそうとした右腕はなぜか動かず、動かない右腕にシャドーサタンは目を向ける。

なぜか肘の部分が凍り付いていて、あるはずの右腕は氷の彫像となったうえに既に切り離されていた。

「うかつじゃな。王が無防備であると思うたか?」

左手の指で印を切り終えたテオドールが放つヒャダルコが砕けた窓をふさぐ。

そして、切られた右腕に気を取られていた隙にモーゼフの剣がシャドーサタンの首を切り落としていた。

「アーウィン!急ぎエルバや家族と共に逃げよ!!わしらは魔物を食い止める!」

「義父上!!」

「案ずるな。わしらも時間を稼ぎ終えたら逃げる。それに、あの程度の魔物どもに斬られるほど、不覚は取らぬ」

「アーウィン殿、急ぎますぞ!」

ファルス3世に腕を引っ張られ、エルバを抱くアーウィンは会場を後にする。

アーウィンが出たのと同時に時間が止まる。

(あの魔物たちは、確かにエルバを狙っていた。私は願った。私が死ぬこととなろうとも、家族だけでも生き延びさせる。特に、エルバ…。お前さえ生きていれば、勇者という希望も、ユグノアという希望も残るはずだった。だが…だが…)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第77話 アーウィンの最期

「門の守りを固めろ!一匹たりとも通すなー!!」

「くそぉ!窓から入って…ギャアアアア!」

「ああ、くそ…。ハハ、家族が…待ってるのに、な…」

「起きろーー!!傷は浅いだろう!死ぬんじゃない!!」

城内は既に阿鼻叫喚の地獄へと変貌を遂げていた。

アーウィンとファルス3世と合流したエレノア達は避難口へ向かう中でその凄惨な空間を見ざるを得なかった。

魔物と兵士の死体だけならまだいい。

戦うことができない貴族や執事、メイドの無残な亡骸も転がっていて、中には見知った人物のものもある。

幼いマルティナにそれを見せるわけにいかず、そうしたところにはファルス3世やエレノアが目隠しをする。

今のアーウィンは地下水路で見た鎧姿になっており、既に何匹かの魔物を斬っているためか、返り血がついている。

「あなた、お母様は…?」

「義母上は義父上と共に脱出される。今は脱出のことだけを考えなければ…」

「アーウィン殿、どのようにして脱出されるか?もう城門から出ることは不可能。あの数を考えると、もう裏の門も…」

「ええ、ですがまだ脱出口はあります。こちらへ」

アーウィン達が入ったのは既に無人となっている食糧庫だ。

その中にある小麦粉の棚を正面から蹴る。

すると、棚が後ろの壁と共にガタンと倒れ、その先の道が見えた。

「ここを通れば、森の中へ逃げることができる」

「アーウィン様、お父様は…?」

「必ず追いつく。とにかく今は無事に出ることを考えるんだ、マルティナ。必ずアーウィンおじさんがお父上に会わせてあげるから」

不安がるマルティナの両肩に手を置き、安心させようとするアーウィンだが、ゴンゴンと食糧庫の鉄のドアから音が響く。

「アーウィン殿、エレノア殿!ここは私が足止めします。その間に脱出を!」

「サマディー王!?」

剣を抜いたファルス3世はドアの方向へ走りだす。

「なに、ようやく我が子も生まれるのです。死ぬつもりなど毛頭ありません。隙を見て、脱出しますので、どうかご遠慮なく!」

「…かたじけない!!」

囮となったファルス3世に一礼をし、アーウィンは家族と共に脱出口に入る。

剣を構えたファルス3世はもうすぐ入ってくるであろう魔物の種類と数を予測しながら、思わず笑みを浮かべてしまう。

「まったく…王となって再び魔物を斬ることになるとは…」

王子だったころはスパルタ気味な先代国王にして自身に父親であったファルス2世によって騎士団に配属され、危険な魔物討伐の任務に何度も駆り出された。

時には後援があるとはいえ、単独で魔物の住みかへもぐりこんだ経験がある。

そのこともあってかつてはサマディー一の騎士として名が知られ、王位継承の前は騎士団長にもなっている。

王になってから指揮を執ることはあるが、剣からは離れてしまい、体つきも少々だらしなくなった自覚はある。

だが、こうして改めて剣を握るとなぜか騎士だったころに戻ったような気がした。

「騎士の王国は…伊達に非ず!!」

ついに扉が開き、魔物が侵入してくる。

おおおおおと雄たけびを上げながら、ファルス3世は剣を振るった。

 

ランタンの明かりで道を照らしながら、アーウィンは家族たちと地下水路を進む。

まだここには魔物がいる痕跡はないが、仮に水中から侵入する魔物もいるとしたら、いきなり襲ってくる可能性も高い。

(多く、多くが死んだ…。なんて王なのだ、なんのために私は…)

前へ進むアーウィンの肩が震える。

この短時間で数えきれない命が失われ、おそらくは城も陥落する。

自分のふがいなさを腹立たしく思うが、今はそのことを考えている場合ではない。

(たとえ私が犠牲になったとしても、彼女たちだけでも生き延びさせなければ…今日死んだ者たちに申し訳が立たぬ…!)

やがてアーウィン達は出口手前の広間に足を踏み入れる。

アーウィン達を追いかけるエルバはその場所を見た瞬間、脳裏に怨念と化したアーウィンの姿が浮かぶ。

(ここは…そうだ、ここは父さんが…)

ゴゴゴゴと不気味な爆発音が響き、周囲に振動が起こり、欠片がパラパラと降ってくる。

「まさか…みんな伏せろ!!」

それを言い終わるかそのわずか前のところで、鼓膜を直接突き刺すかのような音を立てて爆発が起こり、側面の壁が吹き飛ぶ。

そこから青いアンクルホーンと言える魔物が通常のアンクルホーン2体を引き連れて入ってくる。

「見つけたぞ…勇者よ!」

「ヘルバトラー…!奴め、イオナズンを使って」

呪文を使ってモグラのように侵入する魔物まで現れたのはアーウィンも盲点だった。

地下水路のレンガは脱出口を兼ねていることから頑丈に作られているが、極大爆裂呪文イオナズンのような上級呪文を防ぐことはできない。

「エレノア、皆を連れて先に逃げろ!!」

「あなた…!!」

あとこの開いている扉を一つ抜けたら森へ出ることができる。

いくらユグノア最強の騎士といえるアーウィンでも、1VS3では圧倒的に不利だ。

せめて自分にも戦うだけの力が残っていたらとエレノアは唇をかみしめる。

「大丈夫だ。奴らを片付けたらすぐに追いかける。抜けたらすぐに扉を閉めろ!!」

「アーウィン様…!!」

「さあ、行くんだ!!」

「ごちゃごちゃうるせえなあ!ほら、さっさところせぇ!!」

2匹のアンクルホーンがアーウィン達に向けてヒャダルコを放つ。

「貴様らの好きにはさせん!!エレノア、マルティナ!耳をふさげ!!」

離れていることに構わず、アーウィンは剣を振るう。

振るうと同時に耳をつんざくような音が響く。

エレノアはエルバの耳をふさぎ、頭に伝わる音を我慢しながらマルティナを連れて進む。

そして、3人を襲おうとした氷塊は真っ二つになり、2匹のアンクルホーンの角にもひびが入った。

「なんだ!?ヒャダルコが!!」

「真空斬りだ、魔物どもよ!」

アンクルホーンなどの悪魔系の魔物の大半の魔力の源は角。

その角にひびが入ったことで、少なくとも2匹の魔物の魔力は不安定になる。

「さあ、まずは私の相手をしてもらおうか」

あえて不敵な笑みを浮かべたアーウィンは3匹の魔物に向けて走り出す。

エレノア達が通った扉は彼女の手によって閉じられた。

「父さん!!」

どうにか助けなければとエルバはキングブレードを抜き、ヘルバトラーに斬りかかる。

だが、ここはあくまで現実の世界ではなく、刃はすり抜けるだけ。

いくら斬ろうとしても、結果は変わらない。

 

「はあ、はあ、はあ、はあ…」

食糧庫は魔物たちの血で染まり、あおむけに倒れるファルス3世の周囲には襲って来た魔物たちの死体が転がる。

若いころと比べるとやはり動きは鈍くなっていたが、それでも思った以上に魔物を倒すことができた。

「まだまだ、ワシもやれば…できるといったところか。しかし…しかし」

痛みを感じ、わき腹に置いていた左手を自分の視界に入れる。

びっしょりと自分のものだとはっきりわかる赤い鮮血がたっぷりついていて、深い傷であることは今感じている痛みからも分かる。

一番最後に斬った骸骨騎士の剣を受けたときにその傷ができていた。

他にも、倒してきた魔物から大小問わず、様々な傷を負わされていて、今のファルス3世の視界もかすんでいる。

「まずい、な…。まだ、死ぬわけにはいかぬというのに…」

騎士の国、サマディーの王である以上、戦って死ぬ覚悟はできている。

覚悟はできているが、今のファルス3世には死ねない理由もある。

それが今の彼の命をつなぎとめていた。

ドンと扉が開く音が聞こえ、また魔物が現れたのかと剣を探すが、もう今のファルス3世にはその剣を見つけるだけの力すら残っていない。

「サマディー王、生きておるか!?」

「ああ…その、声は…」

朧げな視界にうっすらとしたシルエットが浮かび、その姿と声はおそらくはモーゼフのもの。

殿として残った彼が生きてここまで来てくれたことにささやかな喜びを見出す。

「じっとしておれ。薬じゃ。ロウ特製のな」

小瓶を懐から出したモーゼフは半開きになっているファルス3世の口にその中身の水薬を注ぐ。

しばらくはじっとしてもらうことにはなるが、少なくともこれで彼は死なずに済む。

「済まぬな、儂が回復呪文を使うことができればいいが…」

「それよりも…早く、アーウィン殿を追ってください…。あなたのお嬢様も…」

「分かった、必ず追いついて守り抜く。だから、しばらく隠れてじっとしておれ。ロウの奥方の脱出も、確認した」

ファルス3世を抱え、モーゼフは戸棚の陰まで彼を連れていく。

ここに彼がいることは既にサマディーの兵士たちに伝えているため、あとは彼らが連れ出してくれるはずだ。

脱出口は開けっ放しになっている。

モーゼフはそこを通り、アーウィンとの合流を目指した。

 

「はあ、はあ、はあ…」

地下水路の中で、膝をついたアーウィンは顔についた魔物の返り血をぬぐう。

彼の周りには最初に襲って来た3体の魔物だけでなく、後から穴から侵入してきた10体近くの魔物の死体が転がり、開いていた穴についてもガレキでふさがっていた。

(すごい…これが、父さんの…)

結局手助けすることのできなかったエルバだが、彼の戦いぶりを間近に見る形となり、そんな彼の実力に驚きを隠せなかった。

いずれの魔物も上級呪文を使いこなす魔物ばかりで、そんな魔物たちにも臆せず立ち向かい、見事にすべてを倒して見せた。

おまけに魔物の攻撃を利用して、侵入口であった穴をふさぐことまでやってのけている。

ユグノア最強の騎士の名は決して伊達ではなかった。

「これで、時間を稼ぐことができたはずだ…」

森の中へ逃げ延びたエレノア達はおそらく、自分が戻ってくるのを心待ちしているはず。

それに、森の中にもエルバを探すために魔物たちがいる可能性もある。

急いで彼女たちと合流しなければならない。

閉じた扉に向かおうとする中で、聞き覚えのある声がアーウィンの耳に届く。

「アーウィン殿!いらっしゃるか!皆は無事か!?」

「デルカダール王ですか!?はい、皆無事です!エレノアはエルバとマルティナ嬢と…!」

「何、くそ…!?何者なのだ、貴様!うおおおお!!」

「デルカダール王!くっ…待っていてくだされ、今助太刀に!!」

優先順位を間違えるなと、助けたらきっと叱られることになるだろう。

だが、エルバを全員で助けていこうと最初に言いだしてくれて、尊敬もしている彼を見捨てるという選択肢をアーウィンは取ることができない。

急いで引き返し、デルカダール王を探す。

その瞬間、エルバはネルセンの宿屋でグレイグが言っていた言葉を思い出す。

(あの時、王は…いや、憑依していたウルノーガが言っていた。ユグノアは勇者の力を独占しようとしていた。そして、アーウィン様が襲い掛かったからやむなく殺した。しかし、エレノア様がマルティナ様を人質にとってしまったと…勇者の光によって、闇が引き寄せられたうえにユグノアの人々の心まで変えてしまったと…)

「ということは…まさか、父さん!!」

嫌な予感を感じたエルバは大急ぎでアーウィンを追いかける。

出口と城側の入り口の間程にある広場にたどり着き、そこでアーウィンと共にエルバはあの光景を目にすることになる。

紫の魔力の縄で拘束されているモーゼフ。

そして、その魔力を放っているのはエルバにとっては見知った魔物。

世界を滅ぼし、勇者の力を奪った憎き魔王ウルノーガ。

「デルカダール王!おのれ…貴様、何者だ!?」

「ならぬ…アーウィン!逃げよ!奴は…奴は!!」

「ふっ…ちょうどいいところで来てくれたな、勇者の父親よ…。よく見ておけ、これから勇者という希望の光は絶望の闇へと変わる」

次第にウルノーガの体が紫色の霧へと変わり、拘束していたデルカダール王の鼻や耳の穴の中から侵入していく。

「ぐおおおおお!!」

「デルカダール王!おのれ!!」

霧めがけてアーウィンは剣を振るが、実体のないそれを斬ることはかなわない。

そして、霧をすべて取り込んでしまったモーゼフの体が魔力の縄から解放され、彼が左手で口元をぬぐうと、にやりと笑いながらアーウィンを見る。

「デルカダール王、モーゼフ・デルカダール3世。稀代の帝王の肉体と頭脳はもらってやる」

「貴様!デルカダール王から離れろ!!」

「まぁ、それほど熱くなるな。これから貴様はここで朽ち果てる。その手助けをしてやろう」

笑う表情を変えることなく、ウルノーガは指を鳴らす。

すると紫色の渦が出て来て、その中から白い体と紫のたてがみを持つ馬といえる魔物が二本足で出て来て、更には紫色の体で鎧を着込み、斧のような刀身の大鉈と盾を持つ一本角の生えたイノシシと言える魔物が出てくる。

「さあ、我が下僕よ。奴を殺せ」

「殺されるものか…貴様らなどには!!」

最初にイノシシの魔物が持っている大鉈を振り下ろす。

そして、馬の魔物が口から凍える吹雪を吐く。

吹雪を真空斬りで切り裂いたアーウィンは自分に向けて振り下ろされる大鉈を横に飛んで回避する。

(力の魔物と技の魔物と言ったところか…)

続けざまに馬の魔物が極大真空呪文バギクロスを放つ。

ビリビリと周囲のガレキに無数のヒビを入れながらアーウィンを襲う。

左手に持つ魔法の盾で身を守りつつ、彼の視線は冷静にイノシシの魔物の盾に向けられる。

(力ということは、奴の盾もかなりの守りがあるはず。だとしたら…)

だとしたら、盾の守りが少しでもおろそかになっているときに一撃で仕留める。

だが、残念なことに今手に持っている隼の剣ではその一撃を叩き込むことはできない。

「ふっ…」

攻撃を回避しつつ考えをまとめていくアーウィンに一笑したウルノーガは再び指を鳴らす。

急にアーウィンの足元が黒い霧に包まれ、足がその場に張り付いた状態になってしまう。

「何!?くっ…!!」

「魔王とは…勝てぬ戦いはしないものだ」

更に動きを止めるべく、馬の魔物がヒャダルコを唱え、アーウィンの上半身は魔法の盾の力で守られたものの、下半身が凍り付いていく。

そして、イノシシの魔物が一撃でアーウィンを粉砕しようと大鉈を振り下ろす。

だが、今のアーウィンにとっては足を止められることはどうでもいい。

「おおおおおお!!!」

両手で握った隼の剣をあろうことか地面に突き刺す。

すると、彼を中心に一瞬まぶしい光が発生し、同時にイオナズンを上回るかのような激しい爆発が起こる。

「メガンテ…じゃない?これは…!!」

「ほぉ…驚いたぞ。まさか、この時代にビッグバンの使い手がまだいたとはな」

世界を生み出した爆発の名前が付けられたその技は守りを緩めざるを得なかったイノシシの魔物の肉体を細切れにしていき、更には馬の魔物の肉体を跡形もなく消滅させる。

ウルノーガは紫色の障壁を作り出したが、そのあまりの破壊力に後ずさりする。

爆発が収まり、周囲のレンガがバラバラと砕け、爆発の中心にいたアーウィンの下半身から氷と霧は消えていた。

アーウィン本人は力を消耗させてはいたが、それでもまだまだ戦えるようで、ゆっくりとウルノーガの近づいていく。

「さあ…出て行ってもらうぞ…」

「ふっ…見事。だが、いいのかな?このまま私を攻撃しても」

「何??」

「この肉体はデルカダール王のもの。斬ったとしても、私はただ逃げればいいだけのこと。だが、斬られたデルカダール王は当然死ぬ。殺せるかな…?お前が尊敬するこの男を?もしくは…こういうものはどうだ?」

フフフと不敵な笑みを浮かべるウルノーガは剣を抜き、あろうことか自らの頸動脈にその刀身を近づける。

「ぐ…貴様!!」

モーゼフを人質に取られたも同然に所業に怒りがこみ上げる。

その間に、ウルノーガは呪文を唱え、消滅したはずの2匹の魔物を復活させた。

「こやつの命が惜しければ、思う存分に戦え。だが…こやつの魂は永遠に地獄をさまようこととなるだろう。ハハハハハハハハハハ!!」

「ぐうう…!!」

「てめえ、さっきはよくもやってくれたな!!」

「覚悟しな!」

「さあ、一度殺された憎しみを今ここで満たすがいい。ただし…殺すな。奴にはふさわしい死にざまを与えねばならぬのでな」

その命令に応じるかのように馬の魔物は呪文を使うそぶりを見せることなく近づいていき、まずはアーウィンの腹部の拳を叩き込む。

突き飛ばされたアーウィンは地面に転がり、今度は大鉈と盾をその場に置いたイノシシの魔物が踏みつける。

「ぐあああ!!」

血反吐を吐くのを見て、愉悦さを見出すイノシシの魔物が足をどかす。

ゆっくりと立ち上がるアーウィンだが、攻撃することも防御することもできず、ただできるのはこの場でじっと耐えることだけ。

(あ、あああ、あああああ…)

助けることのできないエルバは目の前で無抵抗なままになぶられるアーウィンを見ることしかできない。

剣を折られ、ひたすら殴られ、蹴られ、踏みつけられる。

その様子を見ることしかできない。

次第にもはや両足で立つことすらできなくなった彼は片膝をついた状態になる。

そうなったところでようやく攻撃が終わり、自殺をやめたウルノーガが剣を握ったまま近づく。

「尊敬する相手を想う気持ち…。よいものだ」

「ぐ、うう…!貴様らの、思い通りには…ならんぞ!たとえ、私が死んだとしても、必ずや貴様らは…」

「安心しろ。言ったであろう?希望の光は絶望の闇に変わると。そして、この男は勇者を殺し、デルカダールのみならず、世界を破滅へと導いた暴君として歴史に名を残すであろう」

言い終わると同時に、ウルノーガの剣がアーウィンの腹部を貫いた。

「ガアッ…!!」

口から血を吐き、腹部からあふれ出る血が剣を伝ってモーゼフの腕と服を汚す。

ウルノーガは左手をアーウィンののどぼとけに当て、何かの呪文を唱えるとそのまま地面に倒す。

「急所は外してやった。ここでおとなしく見ていろ。お前たちは下がれ」

2匹の魔物はひざまずくと霧のようにその姿をくらます。

そして、彼らと入れ替わるように青いサークレット姿をした長身に兵士がやってくる。

(あい…つは…??)

アーウィンが死にゆく姿を涙を浮かべながら見るエルバはその男を見る。

紫の長髪に髭を生やした若者。

それは17年前の、若いころのグレイグのものだ。

「デルカダール王!ご無事で…!!これは、いったい…!?」

グレイグは血塗られた王と倒れたアーウィンに目を向ける。

何が起こったのかの整理がつかず、混乱する中でウルノーガが口を開く。

「アーウィンが突然、私に襲い掛かったのだ。だから、仕方なくこの手で…」

(違う…違うのだ、グレイグ…!騙されては、ならん!奴は…奴は…!!)

必死に叫ぼうとするアーウィンだが、声を出すことができない。

ノドにはエルバが覚えのある、ダーハルーネでヤヒムにかけられた呪いがかけられていた。

「そして、我が娘マルティナも…ユグノア王妃エレノアに人質にされてしまったのだ!!」

「なんと、ユグノア王家とあろうものが…信じられませぬ…」

「おそらく…勇者の誕生がこのものらを変えてしまったのだろう。城を襲った魔物たちの狙いは勇者を手に入れること。そして…そのために多くの命が消えてしまった。勇者の光が闇を引き避けたのだ…。勇者エルバこそが、この悲劇を引き起こしたのだ!!」

剣についた血を振り払い、納刀したウルノーガは立ち上がる。

そして、見下すように動けぬアーウィンを見つめる。

「エルバは…世界を救う存在ではない。この世に邪悪な闇をもたらす存在。災いをもたらす…悪魔の子!!今すぐ勇者を見つけ出し、捕まえろ!!邪悪なるものの手からマルティナと世界を救うのだ!!」

「は…ハッ!」

「まずは生き残っている者たちを脱出させる。サマディー王は?」

「ハッ、既にサマディーの兵士によって救出され…」

ウルノーガが城へと引き換えしていき、状況を説明しながらグレイグが後に続く。

その会話の一部始終を聞くしかなかったアーウィンだが、呪いのせいでしゃべることができず、胸の内を言葉にすることしかできなかった。

(違う…!違うのだ!!エルバは…勇者は悪魔の子ではない…。あの魔物を止めなくては…世界が…。マルティナ…義父上…義母上…エレノア…エル…バ…)

「父さん…父さん!!」

力尽きたアーウィンに駆け寄り、体に触れようとするが、やはり実体のないエルバには触れることができない。

同時に彼の体から紫色の瘴気が発生する。

嫌な予感がしてそこから離れると同時に、瘴気は次第に魔物の姿へと変わっていく。

背中に蝙蝠の羽を生やした六本脚のライオンと言える姿をした紫色の魔物はフフフと笑い始める。

「ゲファファファファファ…うまい、うまいぞ。我が名はバクーモス、絶望を食らうもの」

「お前が…お前が父さんにとりついて!!」

「ああ…国は滅び、愛する家族と死に別れ…あまつさえ、愛する我が子が悪魔の子にされた奴の心はまさに絶望のフルコース。あまりにも美味すぎて、17年も食らっても飽きない。だから、何度も見させてやっているのだ、この日のことを、この日の痛みを…すべてな」

「外道めが!!父さんを…父さんに悲しみを利用して!!」

憎しみで奥歯を砕けるほど食いしばる。

水竜の剣を抜いて斬りかかるが、透過するだけだった。

「馬鹿め!ここは奴の心の中の世界。実体がないのに、我を斬れるわけがないだろう!!それにしても…お前からも感じるぞ?絶望を…嘆きを!!デザートとして、食わせてもらおうか!!」

バクーモスがエルバにとびかかり、彼の中に入り込む。

同時に、エルバの目にはあの時の光景がよみがえる。

「あ、あ、あ、ああ、あああああ…!!」

命の大樹にたどり着き、勇者の剣が手に入る一歩手前のところでのホメロスからの奇襲。

闇に染まった痣の力で一時は彼を追い詰めるが、それはすべてウルノーガの計画の上だったことが分かったときの絶望。

そして、ウルノーガに勇者の力と勇者の剣を奪われ、更には勇者の剣が魔王の剣へと変異した瞬間。

何よりも絶望的なのは、その剣で大樹の魂が切り裂かれ、命の大樹が死に、地上へと落ちたとき。

「やめろ…やめろ…やめろ、やめろやめろ!!」

「お前は何も守れなかった…。お前は何も救えなかった。それは、無力な勇者の罪。抗えぬ絶望の暗闇へと落ちて行け。それが、私の糧となる…」

「やめ…ろ…」

ボタボタと涙がこぼれ、瞳から光が消えていく。

次第に力が抜け、持っている水竜の剣を、セレンの最期の贈り物を落とす。

バクーモスの言葉に従うかのように、意識が闇へと沈んでいく。

 

朝日が昇る最後の砦は、太陽の光のおかげでようやく無事に育ってくれた作物が即席の厨房へ運ばれる。

そこではペルラが兵士と住民のために、大窯でシチューを作っていた。

「さあ、もうすぐできる。特製シチュー…あの子お気に入りのね。エマちゃん、そろそろ盛り付けを…」

隣にいるエマに声をかけるペルラだが、返事がない。

どうしたのだろうと思い、隣を見たペルラの目が大きく開く。

先ほどまで元気に料理の手伝いをしていたエマがなぜか倒れて、意識を失っていた。

「エマちゃん…エマちゃん!!しっかりなさい、エマちゃん!!誰か、誰か来て!!」

 

「ここ…は??」

意識を失ったエマがいるのはどこかもわからない真っ白な空間。

自分は先ほどまで料理をしていたはずなのに、どうしてここにいるのか?

分からぬエマの目の前に、預言者が姿を見せる。

「済まぬな、手荒い呼び出しとなってしまった…」

「おじいさん…?あなたは?ここはどこ??」

「私は預言者と呼ばれるもの。ここに呼ばせてもらったのはほかでもない、勇者エルバのことだ」

「エルバが…エルバが、どうかしたんですか!?」

「彼は魔物の罠に落ちてしまった。このままでは彼は魔物の餌食となってしまう…」

「そんな…」

予言者が罠に落ちたエルバの姿をエマに見せる。

魔王ウルノーガと戦う以上、そのような状況に落ちてしまう可能性がないわけではない。

だが、いざそうなってしまったと聞いた時は気が動転してしまい、同時に自分の無力さを感じてしまう。

「でも…私は、力がない。エルバがピンチだとわかっても…助けてあげられない…」

死にかけているエルバの姿が見えるのに、何もできない。

無力さを感じることしかできず、涙が浮かぶ。

「いいや…できる。いや、おぬしにしかできない。彼を救うことは…信じているぞ」

「待って!どうしたら…どうしたら…」

次第に預言者共々空間が消えていき、次第にその光景は真っ暗になったどこかの城の廃墟へと変わっていく。

そして、そこのガレキを枕に座り込むエルバの姿を見つけた。

「エル…バ…?」

「エ…マ…」

虚ろな目でエマを見たエルバだが、再び顔を下へと向ける。

バクーモスの悪夢にやられたエルバには彼女に言葉を返すだけの力が残っていない。

「エルバ…どうしたの?いつものエルバらしくないよ…?」

「…」

「怖い夢を、見たの…?」

「…うん。命の大樹が落ちたとき、勇者の力を…ウルノーガに奪われた時…その時の光景が消えない、いつまでも、いつまでも…」

同時に、自分がその勇者の力に甘えていたのではとさえ思ってしまう。

その力は結局魔王に届かなかった。

あまつさえ、魔王の野望の手助けをしてしまった。

そんな自分に世界が救えるはずがない。

すべてを放り出してしまいたい、消えてしまいたいと思ってしまう。

「もう、俺は…もう…」

「エルバ…あ…」

悲しげな声のエルバに言葉を失うエマはふと、エルバの服を見る。

長旅のためか、破れている個所がいくつかある。

「エルバ、上着を脱いで」

「え…?」

「いいから脱いで!ほら!」

エマに急かされたエルバは言われるがままに上着を脱ぐ。

そして、エマは裁縫道具をポケットから出し、それをエルバの隣で縫い始めた。

「ちゃんと洗ってくれてるのは分かるけど、破れたところを直さないとかっこ悪いわよ?」

「それは分かってるけど…」

「エルバ…私、エルバに戦ってもらいたいわけじゃないの?」

「エマ…?」

「本当は、いつまでもイシの村で、あなたが望むならだれも知らない場所で、あなたと一緒に静かに暮らしたいだけ」

その言葉にエルバは旅立ちの前夜を思い出す。

彼女は勇者の星を見て、エルバが遠くへ行ってしまうことを恐れていた。

そして、出発の日…自分に手作りのお守りをくれた。

「だから、エルバがもう戦いたくないなら、一緒にイシの村へ戻ろう?もう太陽は出ているし、魔物もなんとかなる。だから…一緒に村を復興して、死んじゃったみんなのお墓をちゃんと作ってあげて…そして、また神の岩を登って、元気になったイシの村を見るの。そして…あなたと一緒に暮らして、家族を作るの。それが、私が今、思う一番の幸せ…」

「エマ…」

投げ出してもいい。

そんな言葉をエマから投げかけられるとは思っていなかったエルバは隣のエマに顔を向ける。

そして、服を縫い終えたエマが顔を向ける。

「でも、エルバは…本当はあきらめたくないんでしょ?世界をいっぱい見て、守りたいものが増えたんじゃない?」

「それは…」

村を出る前はそこだけがエルバにとっての世界であり、ロトゼタシアと言っても頭にピンとこなかった。

しかし、イシの村を失い、守るべきものを失ったエルバは旅をする中で外の世界を見てきた。

そのなかで多くの人と出会い、時には戦い、時には助け、助けられた。

そんな光景が浮かんでは消えていく。

「でも…俺にはもう、そんな力は…」

「そうだ、こいつには力なんてねえ。己の闇すらコントロールできなかったポンコツだ」

「やめろ!出てこないでくれ…!」

「出ちゃうんだよなぁ、これがよぉ!!」

エルバの目の前に、エマに見えるようにもう1人のエルバが出てくる。

エマにだけは見られたくなかったもう1人の自分の姿にエルバの目の涙が浮かぶ。

「やめろ…やめろ!!」

「情けねえよなぁ!勇者の力を奪われ、復讐も何もできねえ!だあから言っただろう?さっさと俺を認めろと!!あと、そこの女!無駄だぜ…?こいつの闇は底抜けだ」

「…」

「反論もできねえか?そうだなぁ、思えばてめえは奪われる連続だったな。生まれてすぐに家族が殺され、一人ぼっちになって、おまけに自分を助けてくれた村は灰になった…。勇者として追われる身になって、どうにかしてたどり着いた命の大樹で最後はその力すら奪われ、世界も失った…。けれど、おかげで俺はこのとおり、お前の闇が産んでくれた。このことについては、感謝すべきだろうな」

このもう1人の自分を生んだのは紛れもない、エルバ本人。

そのことを否定することはできない。

その言葉を肯定することしか。

「…て…」

「あん?」

「黙ってよ!感謝すべきなんて…ふざけるのもいい加減にして!!」

「え…?」

声を上げて否定したのはエマ。

そのことにエルバだけでなく、さすがのもう1人のエルバも止まってしまう。

「エルバは…エルバはただ、本当は普通に生きていきたいだけだったのに!普通に村で畑を耕して、馬と牛のお世話をして、友達を作って、恋をして、静かに行きたかった。それだけなのに!!」

村にいたころのエルバの願いはエマと同じだった。

ただ、ここで静かに生きていくことを望んでいただけ。

そんなささやかな望みを勇者の使命、そしてウルノーガによって引き裂かれた。

「エマ…?」

「へ、へっ!何を今さら!もうこいつは…」

「もう、エルバは目覚めかけてる…」

「何?」

「ねえ、エルバ…あきらめたくないんでしょう?あと、少しよね?」

そういって、エマはエルバの膝に縫い終えた上着を置き、そっと彼を抱きしめる。

「こんなことしかできないけど…これだけでも、私にやらせて」

「エマ…?」

「私が信じるのは勇者じゃない。口下手で、私のスカーフを何度もとってきてくれた優しい幼馴染のエルバ…大好きなあなただから…」

優しい笑みを浮かべたエマはエルバに唇を重ねる。

(エマ…)

涙をこぼしたエルバはエマに甘えるように目を閉じ、抱きしめ返した。

 

「むっ…?」

エルバから出てくる瘴気を吸うバクーモスの表情がゆがむ。

膝をついていたエルバがゆっくりと立ち上がり、落としていた剣を拾う。

ありえないことにバクーモスは動揺する。

これまで数多くの絶望に落ちた人間を見てきて、その悪夢を何度も見せてきた。

だが、それにもかかわらず再起した人間は見たことがない。

「勇者かどうかなんて関係ない…。俺は、父さんと母さん…そしてペルラ母さんの息子…イシの村人で、エマの幼馴染…」

己の原点であるあの懐かしい村。

そして、サミットで自分を信じてくれた父親と身を挺して自分を救ってくれた母親。

その姿が浮かび、それがエルバの希望へと変わっていく。

「これは…!?」

「俺は、超えて見せる…。光も、闇も!!!」

その言葉と同時にエルバの体をまぶしい光が包み込む。

それにひるんだバクーモスは後ろへ飛んで、彼から距離を開ける。

バクーモスの目には左手に再び光を放つ痣を見ることができた。

そして、エルバの光を見せているのはそれだけではない。

エルバの右手の甲にも、同じ勇者の痣が現れていた。

「これは…」

右手の痣を見たエルバは驚きを見せる。

その中で、再びアーウィンの中へといざなったあの声が聞こえる。

(左手の痣は確かに勇者の痣。勇者ローシュの生まれ変わりであることの証明。だが、この右手の痣は紛れもないお前自身のもの。旅の中で目覚めた、正真正銘、お前が生み出した勇者の力だ)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第78話 バクーモス

いくつものろうそくにともる紫の炎が照らす天空魔城の王座で、ウルノーガの左手の痣が一瞬強い光を放つ。

時折光ることのあるその痣は自らへのささやかな抵抗であり、すぐに収まることから特に気にかけることはなかった。

だが、今回のその輝きは経験にないものだ。

「ぐう…この痛み…」

同時に強烈な痛みがウルノーガを襲う。

それに対抗するため、彼は右手に黒い魔力を凝縮させ、直接左手に放つ。

闇の力を受けた痣は輝きを失い、やがて抵抗を辞める。

だが、それと同時にウルノーガの脳裏に2つの痣を手にしたエルバの姿がフラッシュバックした。

「勇者め…まだ力を生み出すか…」

 

「なんだ…この光はぁぁぁ!!」

2つの痣から発する光にバクーモスはひるみ、納刀したエルバは両腕を交差させる。

今ここでバクーモスと戦ったとしても、決して彼のダメージを与えることはできない。

ならば、彼を現実へ引きずり出す。

そのためには、まずはこの空間を壊す。

「おおおおおお!!!紋章閃!!」

両腕から放たれた二重の紋章閃がバクーモスに襲い掛かる。

勇者の光を二重に浴びることとなったバクーモスは悲鳴を上げ、真っ暗な空間が粉々に砕け散った。

 

「ギャアアアアアア!!!」

「何じゃ、このモンスター!?アーウィンから出てきおったぞ!?」

急にアーウィンの体から追い出されたかのようにバクーモスが現れ、地面を転げまわる姿にロウは困惑する。

「ここは…戻って来た?」

「エルバ様!あの魔物はもしかして…それに、戻って来たって、何をおっしゃっておられるのですか?」

「何?俺は父さんの中に入って、それから…」

「何を分からんことを言っている?それよりも…」

エルバ以外にとっては、彼が何者かの声を聞いてからバクーモスが出現するまではほんの一瞬のことだ。

そして、目の前にアーウィンが暴走する原因となった魔物が現れた以上はそれに集中するだけ。

「ぐううう!!貴様、貴様!!殺してやる…殺してやるぞぉ!!」

せっかくのフルコースを台無しにされ、現実世界に無理やり引きずり出されたことにバクーモスは激昂し、口から紫の炎を放つ。

「むん!!うなれ、真空よ!!」

「お手伝いします!バギマ!!」

グレイグとセーニャが放つ旋風が炎を阻み、その間にロウとエルバ、カミュの手でアーウィンを後ろに下げる。

「父さん…待っていてくれ。カミュと爺さんは父さんを頼む」

「わ、分かりました…」

「任せておけ。アーウィンを治療した後で、儂も合流するぞい」

眠っているアーウィンにつぶやいたエルバはキングブレードを抜き、グレイグとセーニャに合流する。

「おのれ…おのれ勇者め!!」

「俺はエルバだ。忘れるな」

勇者である前に、自分はアーウィンとエレノア、そしてペルラの息子であり、ロウとテオの孫であり、一人の戦士。

そんな自分を信じる存在がエルバに勇気を与える。

「グオオオオオオオ!!!」

叫び声をあげたバクーモスが両腕の爪でエルバに斬りかかり、それをエルバがキングブレードで受け止める。

傷一つついていないキングブレードだが、その刀身には紫の水滴みたいなものがついていた。

そこから発する甘美な香りがエルバの鼻孔を刺激する。

「…!?これは…」

臭いを嗅いだと同時に強烈な睡魔がエルバを襲うと同時に強い頭痛を感じ始める。

キングブレードを地面に突き刺して杖代わりにするエルバをバクーモスがあざ笑う。

「臭いを感じてしまったな…?我の毒はそれだけで効果を発揮する」

「毒…?」

「ああ、そうだ。そうでなければ、生きている人間の悪夢を食うことはできぬだろう?」

「すぐに治療します!」

「魔物め!よくもアーウィン様を!!」

尊敬するアーウィンを苦しめた魔物に一太刀浴びせるべく、グレイトアックスを手にグレイグはとびかかり、その間にセーニャが睡魔に襲われるエルバの元へ駆けつける。

セーニャが毒にかかることがないように、睡魔に抵抗しながらエルバは刀身にメラを放って毒液を焼き尽くす。

キアリーを唱えるセーニャだが、解毒のスピードの遅さが感じられる。

魔物の個体によって毒の強さには差があるが、このバクーモスのそれはかなり強烈らしい。

「我は覚えているぞ…奴の悪夢の中にいたなぁ。名前は…ああ、確かグレイグといったか?」

「ああ、そうだ。そして、それが貴様を殺す男の名だ!!」

「貴様の悪夢はなんだ?お前からも、中々の絶望が…」

「下郎が!人の心に土足で入り込むならば、容赦はせん!!」

「そんな大口を叩ける状態かぁ!!」

バクーモスが口から紫の炎を再び放ってくる。

「うなれ、爆音!!」

正面に向けて思い切りグレイトアックスを振り落とすと同時に爆発が起こり、グレイグを襲うはずだったブレスが爆発とともに吹き飛ばされる。

爆発による煙がグレイグを包み込み、バクーモスの視界から隠す。

(あの戦士、斧で呪文を使うか…。だが、あのような呪文、何度も使えるものではない)

魔力を持たない人間でも、魔法石が埋め込まれた武器などを使うことでその呪文を使うことができる。

ただし、代償なしでそれが使えるかというとそうではなく、たいていの場合は使い手の精神力を消耗させることが多い。

また、レアなケースとしてとある一般女性がギラを使うことができる巻物に勝手に書き込みをした結果、その巻物で上級閃光呪文ベギラゴンを使えるようになったという話があるが、呪文の巻物に描かれる魔法陣や古代文字は非常に緻密な設計をされており、呪文の心得のない人間がそのような改造をした結果、ただの巻物になってしまうか最悪の場合自爆することもあるため、基本的には推奨されない。

とにかく、連発してこない以上は無暗にこちらから接近する必要はない。

再びブレスを放ち、遠距離から攻撃すればいいだけの話だ。

バクーモスは口を開き、ブレスを放とうとするが、急にトントンと誰かが頭を軽く叩いてくる。

何者かと顔を向けると、急に炎が口元めがけて襲い掛かり、ブレスを放とうとする口が大きく焼かれてしまう。

「エルバちゃんのパパにひどいことをしたお仕置きよ!」

炎を放った張本人であるシルビアが帽子のつばを指で上げ、手にしているレイピアの剣先をバクーモスに向ける。

至近距離から炎を口元に受けたバクーモスの鼻下から口の皮膚が溶けてくっついてしまう。

口元にためていたブレスも行き場を無くしている状態で、次第にバクーモスの口を焼いていく。

ブレスをためる必要があることから、そうした魔物の口内はブレスに耐えられる形になっているが、あくまでも短時間のみだ。

「うおおおおおお!!」

思わぬダメージをうけたバクーモスめがけて、キングブレードを抜いて跳躍したエルバが襲い掛かる。

その刃には雷が宿り、白く輝くその刃はまさに人の悪夢を食らい、心をもてあそぶ悪しき魔物への裁きの刃そのものだった。

その刃がバクーモスの頭を切り裂くとともに、宿っていた雷がバクーモスの体を引き裂いていく。

悲鳴を上げることすら許されることなく、バクーモスの肉体は焼き尽くされていく。

力尽きた魔物の肉体は黒い霧となって、消滅していった。

「やったわね、エルバちゃん!」

「ああ…だが、それよりも」

「そうだ。アーウィン様の元へ」

消えたバクーモスのいた場所を見向きすることなく、エルバ達はアーウィンの元へ向かう。

壁を枕にした状態で倒れこむアーウィンの兜は既にロウの手で外されており、そこには17年前と変わらぬ顔立ちをしていたアーウィンがいた。

「父さん!!」

目を閉じているアーウィンの前まで来たエルバは彼の肩に手を置いて呼びかける。

「アーウィン!起きよ、アーウィンよ!おぬしの息子が、エルバが目の前におるのじゃぞ!目を開けてくれ、頼む…!」

目覚めぬアーウィンにロウは必死に声をかける。

そんな2人に対して、セーニャは何も言うことができずに目をそらす。

確かにアーウィンをバクーモスの魔の手から救うことはできただろう。

しかし、アーウィンはバクーモスの糧である悪夢を見せ続けるために無理やり生かされていた。

そのバクーモスが死んだということは、アーウィンの命も今度こそ尽きたことになる。

「父さん!父さん!」

(義父上、エルバ…)

どこからか2人の耳元にアーウィンの声が聞こえてくる。

目の前のアーウィンからではない、脳に直接伝わる声だ。

(エルバ…大きくなってな。本当なら、生きてちゃんとお前の姿を見たかったが…。17年もの間、ほったらかしてしまって、すまなかった…)

「そんな、父さんが謝ることなんかじゃ…」

(義父上、申し訳ありません。エレノアを守ることができませんでした。本来ならば、こうして声をかけることさえ許されないのに…)

「よいのじゃ、アーウィンよ。仕方のないことじゃ…。それよりも、良かったのぉ、エルバが…おぬしとエレノアの生きた証は…ちゃんとここにおるぞ…」

2人が命がけで救った命が成長し、勇者として、今世界を救うための旅を続けている。

そして、ロウもまた、そんな最愛の孫と再会することができた。

その喜びを涙交じりの笑顔でアーウィンに伝える。

(そう、か…。ああ、そうか…)

(あなた…。ようやく、戻ってきてくれましたね)

「母さん…」

「エレノア…。ああ、そうか。迎えに来たのじゃな、アーウィンを…」

姿を見ることはできないが、ここにエレノアが来ていることをエルバとロウは確かに感じていた。

今、彼女はアーウィンと共に旅立つ。

命の大樹がない今、2人に待っているのは消滅しかないにも関わらず。

だが、死者がいつまでも現世にとどまっていてはならない。

それが怨念となり、魔物となって生者に災いをもたらすのだから。

(エルバ、私とエレノアはどうにか消滅しようとする魂達を少しでも生き永らえさせようと思う。お前が世界を救ったなら、きっと命の大樹も蘇るだろう。その時、葉となる魂がなければ、命の循環が断たれてしまう)

「父さん…父さんも見たんだな。俺の悪夢を…」

(ああ…。だが、まだ希望は残っている。それを信じて、見せてくれ。エルバの奇蹟を…)

(お父様、エルバを…よろしく頼みます)

「ああ…心配するでない。エルバのことは儂が守る。死者たちのことは頼んだぞい」

(はい…。エルバ、私たちはいつもあなたのことを見ています。大好きよ…)

2人の声が聞こえなくなっていく。

眠っていたアーウィンの肉体は消えてなくなり、その場に残ったのは彼が着ていた甲冑だけだった。

しかし、その甲冑はなぜか新品同然に直った状態になっていた。

「父さん、母さん…」

「エルバ様、ロウ様。一体何が…?」

「ワタシたちにはよくわからないけれど…もしかして、成仏してくれた…ということでいいのよね?」

「ああ…。父さんも母さんも、あるべきところへ帰ったんだ」

アーウィンの遺した兜に手を取ったエルバの両手の痣が淡く光る。

その光を見たシルビアの目が丸くなる。

「エルバちゃん!?勇者の力がよみがえったのね!けど、右手にも痣ができたの!?」

「ああ…。痣が教えてくれた。この右手に宿った力は…俺自身が生み出しただって」

「生み出した…?そのようなこと、ローシュ戦記にもなかったことじゃぞ!?」

「まさに、伝説を塗り替えたといったところだな」

「そう、かもな…」

今着ているユグノアの甲冑を外したエルバはアーウィンの甲冑で身を包む。

ほんのわずかしか両親と話すことはできなかった。

しかし、2人は自分を信じて、戦っている。

そのことがうれしかったが、同時に悲しみもあった。

 

「あ、あれ…??」

目を開けたエマの視界に入ってきたのは心配な表情を見せるペルラとダンの姿、そしてテントの布だった。

エルバと話して、痣が光ったのが見えたが同時にまた意識を失い、今イシの村にいる。

「大丈夫かい?やっぱり…疲れがたまっていたじゃないか。あの子といいエマちゃんといい、無茶しすぎだよ」

「ごめんなさい、おばさま。おじいちゃんも、心配かけてごめんなさい」

「ただの疲れでよかったわい。もしエマの身に何か起こったらと思ったら、不安じゃったよ」

「せっかくだから、今日明日はしっかり休んでなさい。これから、シチューを温めて持ってくるよ」

ペルラとダンがテントから出ていき、中は布団の中のエマ一人になる。

「エルバ…」

(エマさん)

急に目の前に淡い光の球体が二つ現れる。

普通ならあまりのことに驚くはずなのだが、なぜかエマはそれが何かが本能で分かったようで、驚くことなくそれを見つめていた。

「エルバのお父様と…お母様…?」

(エマさん…。エルバを、私たちの子供を救ってくれて、ありがとうございます)

(あの子は私たちの自慢の息子だ。それはきっと、ずっと彼のそばにいてくれた君なら、分かるはずだが)

(どうか、あの子のこと、くれぐれもよろしくお願いいたします)

優しい声で語り掛ける2つの球体。

本当にエルバのことを大切に思っていることがその言葉だけでも、感じ取れた。

ニコリと笑顔を見て、首を縦に振ると、光の球体は煙のように消えてしまった。

きっと、安心してくれたのだろうと思い、エマは目を閉じて祈りをささげる。

(エルバ…私はここで待っているから、必ず帰ってきてね。私はエルバを…あなたを、信じてる)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第79話 ギャンブラーの街

「あらあら、飲み過ぎよぉお兄さん、それくらいにしときなさーい?」

「飲み過ぎると怒られちゃうわよー?殺されちゃうわよー?」

「うるへー…」

耳元に女性の色気の強い声が響く中、既に空っぽになっているジョッキの伸びる手はかなり震えていて、取っ手をつかむことすらままならない。

ようやく仕事が終わった彼の楽しみは常に酒だが、今の配属先はあまりにもひどい環境で、今までよりも深酒になってしまう。

別に前いたところと比較すると、趣味の酒をタダで飲むことができて、危険な前線に出ることはないため、職場としては悪い環境ではない。

しかし、問題なのはここを管理している上司だ。

最近のマイブームは酒池肉林らしく、屋上に作った専用のスイートルームには文字通り、高級酒の池を作り、超霜降り肉をつるした木をいくつも植えていて、その中でほぼ毎晩のように乱痴気騒ぎをしているとのこと。

こんな退廃的な趣味がまかり通っているこの場所では多くの仲間たちの気が狂い、快楽漬けになっていった。

その様をうんざりするほど見てきた彼も、こうして深酒しているようでは、その仲間になるのも時間の問題かもしれない。

そんな有能な部下をも無能へと変貌させる彼はとてもではないが褒められる上司ではない。

とはいうものの、そんな彼でも色事については相当にウブなようで、異性と本格的に関係を持ったことはない。

最近、新しくそばに置いた女性も一目ぼれして、あれやこれや手を尽くして手にしたようだが、いまだにベッドに誘うことができていなければキスもしていないらしい。

「こんなんなら、元の場所にいた方がよかったぜ…。ホメロス様のところによぉ…」

 

「いやいやー、ホメロス様ー。いや、大魔王様に選ばれし勇者ホメロス様!!わざわざこんなところまで来てくれてうれしいでじょー!さささ、このワイン、この街では最高級の代物。どうぞどうぞ」

例のスイートルームでは、そこの主であるはずの緑色のガマガエルのような見た目で、首にはグリーンオーブが中心に取り付けられた黄金のネックレスをつけた魔物が恭しくグラスに自慢のワインを注ぐ。

そして、主のものであるはずの席に座るホメロスはワインを口に注ぎ、その後でナイフで丁寧に切った超霜降り肉のステーキを口に運ぶ。

フワリととろけて、油も心地よく食堂を流れていくのを感じた。

「ブギー、このグロッタの街の象徴をカジノに改造するとはな。そして、あの像…」

ホメロスがこのグロッタの街へ視察に来たときに一番気になったのが改造されたグレイグ像だ。

ブギーの命令で改造されたようで、首から上が彼のものに変わっていた。

「この町のキングはボクちんでしゅからねー、せっかくなんでぇ、作り替えさせたってわけでしょー!いいでしょー!?」

「貴様はあの像のモデルとなった男のことを知っているのか?」

「さあーー?どっかの国の将軍って聞いただじょが、もうおっ死んでるでじょー?」

魔王直属の部下である六軍王、そして魔王によって強化された魔物たち。

デルカダールは滅亡し、サマディーやクレイモランも多くの兵士が魔物たちによって殺されている。

その中には当然、将軍クラスの兵もいて、敵なしだと考えるブギーにはあの像のモデル、グレイグのことは些末事なのだろう。

「教えてやろう。奴の名はグレイグ…。奴は大馬鹿だが、油断ならぬ男だ。奴ほど…戦術で戦略を覆す男はいない。せいぜい、その男に首を取られないようにするのだな。それから、もう1つ」

席を立ったホメロスは左手に宿る痣から閃光を放つ。

閃光を受けたつるされた肉には勇者の痣を模した焦げ目がついていた。

そんな肉を見たブギーはガタガタと震え始め、ホメロスを見返す。

「勇者とは希望の象徴。私は神殺し。絶望の象徴。そのことをゆめゆめ忘れるな」

そう言い残したホメロスは黒い羽根を散らすと同時にその姿を消す。

姿を消した彼に気圧されたブギーはしばらくその場でひざまずくことしかできなかった。

 

「これは…一体、どうなっているんだ??」

約一年ぶりにグロッタの街へ再び足を踏み言えたエルバの第一声がそれだった。

街中には魔物たちが確かにはびこってはいるが、一様にエルバ達に危害を加えようとする魔物はおらず、商売をしている魔物の姿さえある。

元々の住民がどうなっているかは分からないが、仮にも魔王の配下と思われる魔物たちのその姿にはエルバでなくても唖然としてしまう。

「まずは情報が欲しいな。ここの異変のこと、マルティナのことを…」

「そうじゃな。おそらくは、教会が一番安全じゃろう。おそらく、そこに街の人々も…」

攻撃してくる魔物はいないものの、すべてがそうと言い切れるわけでもない。

グレイグが殿となり、エルバ達はハンフリー達がいるであろう教会へと向かう。

そして、教会の近くには苦しみながら倒れるベンガルの姿があった。

「う、ああああ!?なんだ…?教会に近づいたら、気持ち悪くなって、うげええ…」

「…神の加護に感謝じゃな」

教会やロトゼタシア各地にあるキャンプ場を守る存在に感謝しつつ、ロウは教会のドアにノックをする。

「ハンフリー、おらぬか?儂じゃ、ロウじゃ。今の街の状況を知りたい。開けてくれい」

ロウがしばらくノックをしていると、ドアが少しだけ開いた。

わずかな隙間からハンフリーが顔を出す。

「ロウさん…本物か?」

「ああ、本物じゃ。久しぶりじゃのう。体の状態はどうじゃ?町のことも…」

「急いで入ってくれ。ご加護があるとはいえ、長い間開けるわけにもいかない。詳しい話は中で」

ドアが開き、急かされたエルバ達は教会に駆け足で入る。

ドアを閉じ、再び鍵を閉めたハンフリーは長椅子に腰掛ける。

「世界が崩壊してから半年…。正直、もう生きていないとさえ思ってしまったよ。よく無事で…」

「お久しぶりですわ、ハンフリー様。お体の調子はいかがでしょうか…?」

「マルファスの後遺症は…まだ発作はあるが、前と比べたら回数は減ったよ。くそ…発作さえなければ、俺も行けたのに…」

「魔物が町を乗っ取っているのか…?」

「そうだ、奴らは…闘技場をぶっ壊して、町の人間を強制労働させて、カジノを作らせた。今はそこを根城にしている。おまけに、町の人たちから家も財産も…何もかもを奪っていった。どうにか、闘士たちを集めて、カジノを攻撃したんだが、誰も帰ってこなかった…」

拳を握りしめるハンフリーの瞳には出発する闘士たちの後姿が焼き付いていた。

足手まといだと思ったら置いて行ってもいいから連れて行ってくれと頼む自分にガレムソンがかけた言葉を思い出す。

(チャンピオンがそんな情けねーことを言ってんじゃねえよ。おめーはこの町の希望なんだ。だから、ここでドーンと構えて待ってろ)

そんな彼らがカジノを攻めてから、もう1カ月近くが経過する。

闘士たちの中で唯一帰って来たのはミスター・ハン一人だけで、彼は今、子供たちに手当されている。

彼から聞いた話では、闘士たちは首領である魔物に罠にはめられて幽閉されており、彼だけは運よく罠から逃れることができたという。

捕えられた彼らがどうなっているのかはいまだにわからない。

すべてを伝えきる前に意識を失い、現在も意識不明のまま治療が続いている。

「その魔物は魔王と関係があるのか?」

「ああ…ガマガエルのような奴が自分から名乗っていたよ。六軍王の一人。妖魔軍王ブギーだと」

「ハンフリー、姫は…マルティナは来なかったのか?港で女武闘家がグロッタへ向かったという話を聞いて、よもやと思ったのじゃが…」

「ああ、マルティナ…。彼女も確かにここに来たよ。ちょうど、あんた達を探していた。…いろいろ、聞いたよ。ロウさんのこと、そしてエルディ…いや、エルバのことも」

「…すまない、ハンフリーさん。黙っていて」

「事情が事情だ。それに、仮に知っていたら俺が捕まえていたかもしれない。当然のことさ。マルティナが来たのは1週間前。彼女も闘士たちを助けに行くと言ってカジノへ向かったが、いまだに帰ってきていない。彼女のことだから、死んではいないだろう。だが…捕まっている可能性はある」

「では話が早い。早く姫様をお助けしなければ…!」

「ま、待ってくださいグレイグさん。そのマルティナさんって強い人でしょう?それに、闘士の皆さんが束になっても勝てなかったのに…」

カミュの脳裏には海でインターセプター号を沈めたジャコラの姿と海に呑まれたときの恐怖が浮かぶ。

あの時は運よく助かったが、そのような強大な魔物とここで戦うのだ。

記憶を取り戻す前に死ぬかもしれないという恐怖がよみがえる。

「カミュ…俺たちはその内の1体を倒している。ジャコラには勝てなかったが、今回のブギーに勝てないというわけじゃないだろう?」

「ですけど…死んだら、死んでしまったら終わりなんですよ!?特に、命の大樹がない今は!!」

命の大樹があるロトゼタシアであれば、死んだ命は大樹へと還り、再び新たな命へと生まれ変わる。

だが、命の大樹がない今はそのような生まれ変わりなんてことはできない。

ただ消えていくことしかできない。

永遠に消える恐怖、死への恐怖がカミュを襲う。

「カミュ様…」

「せめて、もっと味方を増やして、それで…」

「カミュ、悪いが…時間がないんだ」

立ち上がったエルバは右手に新たに宿った痣を見つめる。

淡い光を放つそれを見つめながら話す。

「勇者の力がよみがえって…右手にも痣が宿って…確かに実感した。勇者としての力が強まっていること。そして、同時に奴に…ウルノーガに奪われた勇者の力が俺に教えてくれている。奴は勇者の力と魔王の力を使って、魔王以上の『何か』になろうとしている」

「魔王以上に…どういうことじゃ??」

「あくまでも、教えてくれたことと俺の勘が混じっているが、ウルノーガは俺から勇者の力を奪った目的は勇者の剣を手に入れることだけじゃない。その力で、更に魔王の力を強めるため、光と闇を超える力を手に入れるためだったんだ」

「光と闇を超える…??」

「それがどういうものか…俺にも想像がつかない。でも、今こうしている間にも奴はその力を手に入れようとしている。これ以上、奴に時間を与えてはいけない…。それに、マルティナが…仲間が待っているんだ。放ってはおけない」

「エルバさん…」

「私も、デルカダールの将軍として、マルティナ姫をお守りする義務がある。姫の元気な姿を陛下にお見せしなければ…」

「もう、固いわねぇグレイグ。それに、ここにはいい思い出もあるし、放っておけないわー!」

グレイグが、ロウが、シルビアが立ち上がる。

そんな中、子供たちの部屋への扉が開き、そこからドラキーが入ってくる。

「魔物?!」

「ああ、待ってくれ!!こいつは悪いドラキーじゃないんだ!」

「キキー!キー!キー!」

剣を抜こうとするエルバ達とドラキーの間に入るハンフリー。

その周りをドラキーが嬉しそうに飛び回る。

「皆様、ハンフリー様のおっしゃる通りです。あのドラキーからは邪気が感じられません。それに、そもそも邪気を宿している魔物であれば、この修道院には入れないはず…」

「ウルノーガの影響が広がる中で…珍しいな…」

「どうやら、ミスター・ハンが目を覚ましたみたいだな。カジノへ向かうとしても、彼なら話を聞いて方がいいだろう」

「分かった、じいさん」

「うむ。参加していた儂らなら、放しやすいじゃろうからなぁ」

エルバとロウがドラキーの案内され、ハンの眠る部屋へと向かう。

その後ろ姿を見つめるカミュの手はまだ恐怖で震えていた。

 

「意識は戻りましたが、まだ傷が完全に治っているわけではありません。あまり、無理はさせないでください」

「うむ…分かっておるよ」

ハンの治療をしていた若い女性が退室し、エルバとロウがベッドのそばにある小さな椅子に座る。

意識を取り戻したものの、魔物から受けた傷が深いのか、起き上がるのもしんどそうな様子で、体中の包帯と顔についている新しい傷跡が闘士たちの激戦を物語る。

「よぉ…チャンピオンに、俺らを負かした爺さんか。お互い、まだ生きてるなんて運がいいみたいだな…」

「話はハンフリーから聞いたぞい。ブギー率いる魔物たちに挑んだようじゃな」

「ああ…。あの闘技場をぶっ壊し、グロッタの街を乗っ取ったあいつらが許せなくてな。まったく、闘士のくせに束になってもかなわねえとは…笑えるぜ。なんのための力なんだろうなぁ…」

「あまり自分を責めるでない。わしらはそのブギーを倒すために来たんじゃ」

「そうか…。チャンピオンとあんたがいるなら、もしかしたら…まだ望みがあるかもな。だが、正面切って戦うには分が悪い…。俺が逃げ出せた道から侵入出来たら、ちっとはマシかもしれないな」

「そういえば、あんただけが無事に逃げれたと言っていたな。どうやって…?」

「闘技場にはいざというときのための避難通路があってな…。確かに、闘技場はぶっ壊されたが、そこが残っていた。地下街の北側…闘技場のすぐそばにある地下通路を南へ進んで、階段を上っていけば…観客席だった場所にたどり着くことができる…。魔物の攻撃で吹っ飛ばされた時に、偶然そこに入ることが、できたから…」

話せば話すほど、自分の情けなさを感じてしまい、ハンの目から涙がこぼれる。

そこから仲間たちが捕まっていくのを見ていながら、尻尾を撒いて逃げることしかできなかった自分にいら立ちを覚える。

そんな臆病な自分だから、ドゥルダ郷で破門にされたのかもしれない。

「必ず皆を救って見せよう。安心して休むがよいぞい」

「くそ…情け、ねえなぁ…」

 

ハンの情報に従い、エルバ達は地下道を通り、観客席への長い階段を上っていく。

果てしなく続くと思われる長い階段だが、様々な地域を歩いたエルバ達にとってはなんでもないものだった。

「この先に姫が…。あの時、刃を向けたことをお詫びしなければ…」

「そういえば、もしあの時にマルティナを斬ったら、どうするつもりだったんだ?」

「お前を殺した後で、腹を切って、詫びるつもりでいた」

「なるほど…」

そう考えたら、グレイグが躊躇してくれたことはいろんな意味で正解だった。

あくまでも結果論としての話ではあるが。

「カミュちゃんは教会で待っていても良かったのよ?怖いんじゃないの?」

後ろをついてくるカミュにシルビアは心配そうに話しかける。

旅をする中でカミュの訓練をしたが、やはり記憶喪失の影響があり、動きのキレなどが鈍くなっている。

体が覚えている部分があり、本来の動きの一部が見えることはあるが、それでもこれからの激戦のことを考えると心もとない。

「確かに怖いですよ…。けど、俺が見ていないところで死なれるのも、もっと嫌ですから…」

「カミュ様…」

「そろそろだ。みんな、いつでも戦えるように準備しておけ」

出口が見えてきて、エルバ達はそれぞれの武器を手に身構える。

放置されている出入り口から外へ出ると、そこから先には足場はなく、あるのはポーカー台やルーレット台といったギャンブル用とそれで遊ぶ魔物たちだった。

女性だと強調する胸部のある体で、黒い体毛と赤い翼をもつ魔物であるブラッドレディがバニーガールの代わりを務めており、アンクルホーンやベンガルなどをもてなしている。

そして、このフロアの中央にはなぜかバニースーツ姿の人間まで見えた。

「人間…?どうしてここに…?」

「いえ…待ってください!あの姿は…」

「ああ、間違いない。間違いないぞ、これは!!」

セーニャとグレイグはその女性を見た瞬間、目を丸くする。

黒くて長いポニーテールに女性としてはやや長身な上に長い脚。

そして、手に持っている長刀の形状。

間違いなく、その姿はエルバ達が見知ったものだ。

「マルティナ様!!」

「マルティナじゃと…じゃが、捕まっておるのではなかったのか??」

様子を見ると、魔物たちから監視を受けている様子もなければ、拘束されてもいない。

どういうことかと様子をうかがう中、そのマルティナらしき女性がエルバ達に気付いたのか、そちらの方向に目を向ける。

「あら…?エルバじゃない。まさか生きていたなんて。カミュにセーニャ、ロウ様にシルビア、おまけにグレイグも…いいわよ、こっちにいらっしゃい。大丈夫、こいつらは賭け事にうつつを抜かしているから」

実際、エルバ達の名前を出したにもかかわらず、魔物たちからは特に反応がなく、それぞれが遊びに夢中になっている。

隙だらけで罠が仕掛けられている可能性も高い。

だが、マルティナがそこにいる以上は向かうしかない。

「いくぞ、みんな」

「ああ…姫様、今参ります!」

エルバ達は足場のないそこから壁づたいに下まで降りていくと、マルティナのいる中央の広場に足を踏み入れる。

そこで間近でマルティナを見た瞬間、彼女の異変を見ることができた。

肌は不健康な紫色の染まっていて、吸血鬼のように犬歯も長いうえに鋭くなっている。

「あらあら、エルバ。あなた…よく私の餌食になりにきてくれたわね」

「姫様…そんな、まさか、魔物に!?」

「あら…グレイグ。頭でっかちなあなたもここに出入りするなんて…やっぱり、あなたも男なのねぇ」

グレイグのそばに近づいたマルティナが誘惑するかのように自身の胸を腕で持ち上げつつ、グレイグの顎を撫でる。

いつものマルティナならしないはずの香水も使っているようで、その男を刺激する匂いがグレイグの鼻孔に伝わり、彼の顔を赤く染めていく。

「ウフフフ…あんたも刺激がほしいなら、たっぷりサービスしてあげる。ほら、アタシと一緒に遊びましょ?朝まで、しっかりあんたを癒してあ・げ・る」

「ひ、ひ、姫、様…ななななななな、なんと、なんとはしたない!?」

魔物にされた影響だとわかっているが、それでもマルティナの誘惑はあまりにも男を刺激するもので、これをもしモーゼフが見たら嘆き悲しむことだろう。

どうにか理性で自らのスケベ心を抑え込んでいく。

そんな葛藤がマルティナには心地良いが、同時につまらなくも感じた。

「グレイグ…あんた本っ当に、うんざりするほど真面目なのね。で・も、忠実なだけなら、イヌでもできるわよ?そ・れ・と・も、アタシの犬にしてあげようかしら?世界で一番幸せなペットにしてあげるわよ?」

「なんと、破廉恥な!?姫、正気に戻ってくれぇ!!」

モーゼフの嘆き悲しむ姿が目に浮かんだロウが懇願するようにマルティナに呼び掛ける。

魔物になった彼女を元に戻すには言葉による説得は無駄だとわかっているが、彼女のあんまりな姿にロウも冷静さを失っていた。

「マルティナよ、冗談を言って居る場合ではないぞ!打倒ウルノーガの信念を貫くため、わしらにはおぬしの力が必要なのじゃ!さあ、儂らと共に…」

「んもう、相変わらずうるさいジジイね。楽しい雰囲気が台無しじゃないの。だったら、カミュ。あんたを癒してあげましょうか?盗賊だったころは女の子と遊んだりしたでしょ?だったら、アタシと遊んでもいいじゃない?」

「と、盗賊!?俺には、なんのことかさっぱり…」

迫ってくるマルティナに腰を抜かしたカミュはガタガタと震えながら後ずさる。

そんな彼を笑うマルティナはじっと彼の下半身に目を向ける。

「ほら、そんなに震えないで。すぐにいやしてあげるから…」

「駄目です!!カミュ様に手は出させません!!」

怒ったセーニャが2人の間に割って入り、キッとマルティナをにらむ。

「あら、セーニャじゃない。何よ、あんたのカミュを楽しませてあげるだけなのに」

「わ、わ、私の…!?駄目です駄目です駄目です!!マルティナ様でも、それはダメです!!」

顔を真っ赤にしながら、いつものセーニャらしからぬ大声を出して拒否する。

恐怖に染まったカミュには何を言っているのか何もわからない状態だ。

「あら…?じゃあ、あんたが愛しのカミュを癒してあげるの?で・も、そんな体では無理ね。どうせいやすなら、アタシぐらいじゃないと…」

「そんなことありません!!私でも、私でもそれくらい!!」

「やめなさい!!!これ以上のことをしたら、もう収拾がつかなくなるわよ!!!!!」

頭に血が上り、自らの服に手をかけたセーニャにシルビアが制止をかける。

そんな暴走するセーニャにマルティナはケラケラと笑っていた。

「いい?今のアタシにとって、打倒ウルノーガなんて興味ないわ。もう壊れちゃってる世界なんだから、もっと壊してしまえばいいのよ。アタシが興味あるのは、このカジノと、このカジノを作った六軍王のブギー様だけ。この身も心も、ブギー様のものなのよ」

「いい加減にしてください姫様!今はそんなバカげたことを言っている場合ではありません!こんないかがわしい場所、気高き姫様にはふさわしく…」

「うるさいわ…ね!!」

グレイグの腹部にマルティナの蹴りが炸裂する。

強烈な一撃が不意に彼の腹部に衝撃を与え、グレイグの巨体が吹き飛び、柱にぶつかってしまう。

胃の中にも衝撃が感じられ、口から唾と胃液を吐き出すグレイグ。

仮にデルカダールメイルを身に着けていなければ、おそらく内蔵をいくつも粉砕されて死んでいたかもしれない。

「こ…の、蹴り…。人間の力だけではない…。やはり、魔物の力も…!!」

「しつこいのは嫌いなの。だったら、みんなお仕置きしてあげる。まずは…グレイグ。一番しつこいあんたからよ!」

もう一度蹴りを入れようと詰め寄ってくるマルティナ。

その間に入ったエルバは水竜の剣を抜く。

「やめろ、マルティナ!!」

剣を向けるエルバだが、同時にエルバの脳裏に迷いが生じる。

たとえ魔物にされたとしても、今目の前にいるのはマルティナ本人だ。

(マルティナは手加減して勝てる相手じゃない。おまけに、強化までされている。殺すくらいで戦わないと、俺たちが殺されてしまう、だが…!!)

「あら、勇敢ね。けど…スキだらけよ!!」

迷うエルバに真空蹴りを放ち、側面からの鋭い蹴りを受けたエルバもまた吹き飛ばされる。

地面を転がるエルバの手から水竜の剣が離れてしまう。

そして、マルティナ本人は引き続き、グレイグにとどめを刺そうと走り続ける。

「ぐうう…うなれ、業火ぁ!!」

グレイトアックスをどうにか手にしたグレイグが目の前に向けてそれを振り下ろすとともに炎が2人を隔てる。

思わぬ炎にマルティナは後ろへ大きく跳躍して距離をとる。

「へえ…これがグレイトアックス。ブギー様から話は聞いたけれど、すごいわね。グレイグのような単細胞でも呪文が使えるなんて」

「姫様…!」

グレイトアックスを手に起き上がったグレイグは盾を前面に構える形で、その場でマルティナの様子を見る。

斧の刀身が背中に隠れるように構え、深く呼吸をする。

(姫様…このような事態に陥ったは我が不明。必ずや、お救いして償いましょうぞ)

「あら、そんな消極的な構えでいいのかしら?でも…」

側面から飛んできたゴールドフェザー3本で長刀で斬り落とす。

エルバをはじめとした6人が相手では、さすがにマルティナ1人では分が悪い。

「さあ、あんた達!侵入者よ!!ブギー様と私のために、精一杯もてなしてあげなさい!!」

マルティナが口笛を吹き、同時に周囲に魔法陣が出現し、そこから次々とアンクルホーンやブラッドレディ、シャドーサタンなどの悪魔系の魔物たちが出現する。

数十の魔物に包囲される形となり、魔物たちは懐から瓶を取り出す。

「エルバ様、ロウ様!あの瓶は…!!」

「ああ、見間違えるはずがない。この瓶…前にハンフリーが飲んていたもの!!」

「そうね、アラクラトロは闘士たちのエキスを魔力に変換し、マホイミと同じ力を持つ液体を作り上げた。けど、それは1つの結論に過ぎない」

生物のエキスを魔力に変換する実験は古代に行われており、かつてのウラノスもそれの使い手だったと言われている。

彼の場合は自らの血液を媒介に使っており、それによって魔力を大幅に引き上げ、時には魔物の精神をも操ったという伝承もある。

そのウラノスの活躍があったことから魔法使いの中で、その研究が盛んとなり、中にはその力に溺れて、悪用して多くの犠牲者を出した記録もある。

そのことから、現在ではそれの研究が禁じられている。

だが、アラクラトロがそれを使用し、ブギーの配下であろう魔物たちが同じ薬を持っているということは、おそらくウルノーガはそれの研究を行っていると思われる。

「さあ、奴らから奪ったエキスの力を使うがいいわ!」

「あの薬を飲ませるなぁ!!」

嫌な予感がしたエルバが右手の痣を光られ、右手に宿った稲妻でライデインを魔物に向けて放つ。

セーニャはバギマを、ロウはヒャダルコを放ち、魔物たちを蹴散らす。

だが、魔物の数は多く、生き残った魔物たちは薬を飲むと、体から赤黒いオーラを放ち始める。

「遅かったわね…。さあ、お楽しみの時間よ」

キャハハハハと笑う数匹のブラッドレディが上空を舞い、エルバ達に向けてベギラゴンやメラゾーマを放った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第80話 ブギー

「ふっ…勇者め、泡を食っているな」

天空魔城で、水晶玉からエルバ達の戦いを見ているウルノーガがワインを飲み、薄ら笑みを浮かべる。

今、エルバ達が戦っている魔物たちはいずれも本来なら使えるはずのない上級呪文や特技を使っている。

「ふっ…ウルノーガ様の研究は確かに効果があります。これでは、さすがの勇者も苦戦は必至でしょうな」

「アラクラトロは惜しい魔物であった。まだまだ我が教えた術法を進歩させることができなかったのだからな」

魔物たちが飲んだ薬はいずれも変異呪文モシャスの魔力だ。

モシャスは対象の生物の姿に変化させることのできる古代呪文で、高い魔力を持つ人物ならば、他人にモシャスをかけることもできるという。

だが、モシャスは姿を変えるだけでなく、その対象の能力や技術をも擬態することができる。

魔物たちはモシャスの中から、能力と技術の擬態のみを反映させている。

そして、その対象となっているのは当然、囚われている闘士たちだ。

「哀れなものだ。おとなしくウルノーガ様に服従するという選択肢を選べば、利用されることはなかっただろうに…」

「だが、闘士たちの血からは侮れん。故に、利用するだけだ」

この薬と比較すると、かつてある魔物が研究した超魔生物はあまりにも非効率だろう。

ありとあらゆる魔物の長所のみを取り出し、移植手術を行うことで生み出す合成獣だ。

自然の摂理に逆らう進化ともいえるもので、その生物が絶命した場合、灰化して消滅する。

そして超魔生物は無敵ではなく、移植手術についても拒絶反応を一回でも起こすと被験体は死亡するため、それを起こさないように特殊な薬品の中に入れる、もしくはマホイミを唱え続けなければならない。

おまけにたとえ成功したとしても、本来の自然ではありえない体の変化そのものに追いつけなくなり、寿命を大幅に縮めてしまうらしい。

そのため、超魔生物については細々と名前が魔物たちの中で語られるだけで、化石も遺体も存在しないことから、その全容はいまだに明らかになっていないという。

ウルノーガからすれば、超魔生物は非効率の賜物だ。

「さて…勇者よ。どんな戦いを見せてくれるか…?」

 

「あの動き…思い出すわねえ。仮面武闘会を!!」

アンクルホーン2匹が両手に生み出した魔力のブーメランが飛んできて、それをシルビアが女王の鞭で守る。

その動きはまさしく、レディ・マッシブの相棒であるマスク・ザ・ハンサムそのものと言える。

武闘会が終わってからも、来年のための鍛錬を怠らなかったのか、その時よりも動きは洗練されており、時折ブーメランを投げるタイミングをずらしても来ていた。

「くうう…!なんて重量、だ…!!」

マルティナに標的から外されたグレイグが相手をしているのは2匹のゴーレム。

2匹が上空へ飛びあがり、背中合わせで手を繋ぎ、回転しながらグレイグの真上に向けてヒップアタックを繰り出してくる。

実況からはキングスライム級の肉体と称されたガレムソンとベロリンマン。

それに匹敵する重量があるゴーレムが同じ技を繰り出して来て、さすがのグレイグも両手でデルカダールの盾を構えて受け止めなければならなくなった。

足元の床にひびが入り、体から悲鳴を上げるほどの一撃にグレイグはギリギリと歯ぎしりをたてる。

「おのれ…!!純粋に強さを求める闘士たちの力を悪用するなどとは!!」

「シルビアさん、グレイグさん!!」

シルビアやグレイグだけでなく、エルバ達も闘士たちの力を手にした魔物たちに苦戦している。

かつて、エルバがハンフリーと手を組んだ2VS2で戦い、勝利した闘士たちだが、その数は何倍、何十倍にも増している状態で、激戦を潜り抜けたエルバ達ですら苦戦せざるを得ない。

セーニャも直接戦闘に加わることはないものの、度重なる回復呪文で疲れを見せ始め、攻撃の余波を受けることも少なくない。

「くそ…!俺はどうしたら…!?」

激しい戦闘の中、カミュには自分が何をすればいいのかわからなくなっていた。

獲物のナイフを握ったとしても、相手やエルバ達の動きに目が追い付けず、あたふたすることしかできない。

「カミュよ、頼みたいことがある!」

その中で、ロウがカミュに向けて麻袋を投げてくる。

受け止めたカミュは驚いた様子で彼を見つめる。

「このフロアの周りの床に中のものを刺して回るのじゃ!円ができるように!!盗賊のおぬしの足が頼りじゃ!!」

「ロウさん…でも…」

「おぬししかできぬことじゃ!!終わったら、音響玉を投げて知らせてくれ!!」

言っていることの意味が分からず、カミュは後ろに下がりながら麻袋の中を見る。

中身は十数本のゴールドフェザーで、それの使い方については旅の中でロウから説明されている。

(ロウさんは賢者…。これを使って、突破口を開くつもりなんだ!)

「さて…ハンフリーからのもらい物を使うとしよう」

ロウは普段使っている鉄の杖を背中に戻し、炎の爪を装備する。

逆転するには、魔物たちを強化している存在を排除する必要がある。

(じゃが、全体を巻き込まねばならぬ。うまくいけば、これで姫も…)

ゴールドフェザー1本で増幅できる破邪力には限界がある。

だが、円陣を組むようにゴールドフェザーを複数本設置することができれば。

「はああああ!!」

そのためにも、可能な限りカミュから注意をそらさなければならない。

炎の爪を装備したロウはまずはベギラゴンを放つブラッドレディに斬りかかる。

「魔物ども!このグレイグが相手だ!魔軍司令ホメロスにこの首、渡せば手柄となろう!!」

グレイトアックスでデルカダールの盾を叩き、魔物たちの注意を自らに向ける。

グレイグの言葉に反応したのか、今交戦しているゴーレムだけでなく、複数の魔物が一斉にグレイグに襲い掛かる。

「グレイグの首は俺のものだーー!!」

「何言ってやがる!?グレイグの首を持っていけば、ホメロス様の軍に入れてもらえる!もうブギーのところは嫌なんだよぉ!!」

「お前ぇえええええ!!」

手柄を独り占めにしようという魂胆が感じられたシャドーサタンに怒りを覚えたアンクルホーンがあろうことか上級火炎呪文メラゾーマを味方であるはずの彼に向けて放つ。

本来なら、マグマに匹敵する火力のそれで消し炭となるはずのシャドーサタンだが、モシャスによって強化されたその肉体のおかげか、大けがを負うものの消し炭にならずに済んでいた。

「味方を攻撃するのか、貴様ぁ!!」

「ふむ…どうやら、ここの六軍王はあまり人望がないみたいじゃのぉ」

グレイグの首を独り占めすべく、魔物たちによる同士討ちが始まっていた。

口々にブギーではなく、ホメロスの元へ栄転したいという気持ち、ここにこれ以上いたくないという思いを解放していた。

みじめな内乱を起こす魔物たちだが、その魔物たちの首過ぎを冷たい風が通り過ぎる。

再び広場には長刀を手にしたマルティナが飛び降りていて、彼女が立ち上がった瞬間、ゴトリと数匹の魔物たちの首が血しぶきと共に落ちる。

「まったく、ブギー様に逆らうつもりで戦うなんて、なんて愚かなの?ほかに、逆らいたい人がいるなら…どうぞ?切り落としてあげるから。脚なんて、もったいないでしょう?」

マルティナの冷たい視線を受けた、他の生き延びた魔物たちはおびえた表情を見せる。

「さあ…グレイグもそうだけど、あんたを殺してもいいかもしれないわねえ、エルバ」

マルティナの長刀の矛先がエルバに向けられる。

「エルバ、生き延びてくれたのはうれしいけれど…正直、あなたへは憎しみがいっぱいなの」

「憎しみ…?」

「ブギー様の命を狙うこともそうだけれど…あなたさえ生まれていなければ、私は幸せに暮らせたのよ。デルカダールの王女として。お父様と離れ離れにならずに。それに、あなたが生まれたせいでアーウィン様も、エレノア様も死んで、世界中の人が大勢死んだ。わかってるの?」

カツカツとエルバも前へ歩いていくマルティナの長刀の刃がエルバの左胸部分に軽く当たる。

「エルバ!?な…何をしておる!?なぜ動かぬのだ!!」

「だから、せめてあなたはウルノーガ様が世界を制したあの日に死ぬべきだったのよ。それが、私や大勢の人の未来を狂わせた償…!?」

口角を釣り上げ、エルバの古傷をえぐるようにしゃべるマルティナの口が急に止まる。

彼女の視線は長刀に向けられ、刀身が右手でつかまれていた。

その手には力が込められており、ボタボタと血が流れる。

「ああ…そうだ。俺が…勇者として生まれた俺が大勢の人の未来を、世界を狂わせた。ユグノアも、父さんも母さんも…マルティナの未来さえも…!!!」

自分を信じて、命を繋いでくれたアーウィンとエレノアには申し訳ないが、やはりその罪悪感がエルバの心に深く焼き付いている。

そして、自分が数えきれない屍の上に立っていることを実感させる。

「俺のせいで…大勢が死んだ。だからこそ、俺が立ち止まれない。ウルノーガを倒し、世界を平和にするまで、歩みを止めるわけにはいかない!!」

「ぐう…!!」

「戦い続ける!!それが、俺の贖罪だ!!」

右手に新たに宿った勇者の痣が光った瞬間、バギンと耳をつんざくような音が響くとともに、長刀の刀身が砕け散る。

人間の手で砕けた長刀に動揺するマルティナにエルバは真っ赤に染まった拳を握りしめる。

「いい加減目を覚ませ!!マルティナぁ!!」

エルバの拳がマルティナの頬に叩き込まれると同時に激しい音がカジノを包み込む。

マルティナの顔を殴ったことに驚くロウだが、その音で正気に戻った。

「準備ができたようじゃ!!ならば!!」

近づいてくるアンクルホーンを中級暗黒呪文ドルクマで沈めた後で、ロウは両手の爪に魔力を注ぎ込む。

マルティナ本人は魔物に操られているなら、マホカトールで救い出すことはできるだろうが、他の魔物たちはただ呪文で強化されているだけ。

そして、その呪文が邪悪な力によるものでなく、自然のものであるなら、マホカトールでは解除できないだろう。

だから、ニマとの修行の中で、もう1つ技を習得している。

「黄金色の輝きの元、魔力よ…消し去るがよい!!ゴールドフィンガー!!」

黄金に輝く爪が地面に突き刺さり、同時にカミュが設置したゴールドフェザーが次々と光り始め、それぞれが光りの柱を生み出していく。

光の柱同士とロウが突き立てた爪が線でつながっていき、それが巨大な魔法陣へと変わっていく。

「何…これは!?この光は…!?あああああああ!!!」

「むおおおおおおおおお!!」

増幅されたゴールドフィンガーの力がカジノを包み込んでいき、光を浴びたマルティナの紫の肌が元へ戻っていくと共に意識を失う。

魔物たちも、急激に力を消し飛ばされた影響のせいか、バタバタと倒れていき、気を失ってしまった。

「はあ、はあ、はあ…どうじゃ、うまく、いったようじゃな…」

「じいさん!?」

「ロウ様(さん)!!」

ハアハアと息を荒らげるロウの元にエルバ達が駆け寄る。

心配させないためにウインクをし、ピースを見せるロウだが、やはり高齢な彼にこれほどの無理はたたっており、疲れ果てた様子を見せる。

「助かったぞい、カミュよ…。おかげで、魔物たちを止めることができたうえに、姫も元通りじゃ…」

肩で息をするロウはシルバーフェザーを手に取り、左腕に差す。

痛みはするが、その中にある並みの魔法使いの2,3人分の魔力を一挙に回復させることができる。

本当ならそれで疲労も回復することができればありがたい話だが、生憎今の世界には疲労回復の呪文はない。

ホイミなどの回復呪文で疲労を回復できると考えた旅人もいたようだが、負傷している人間に対してはともかく無傷の人間に回復呪文を唱えることは推奨されない。

魔力の無駄遣いになるうえに、過剰な回復力によって逆に肉体に負担がかかって疲労が増すなんてことになる。

それでもかけ続けたらどうなるかの結果はマホイミが教えてくれる。

「困りますなぁ、お客様方、うちのナンバーワンディーラーだけでは飽き足らず、店員までいじめてんもらっちゃあ…」

どこからともなく、魔物の声が響き渡る。

魔物の居場所を探すべく、気絶しているマルティナを中心に円陣を組んで周囲を見渡すが、魔物の気配はない。

あるのは気絶している魔物たちだけ。

「ここだよここ、こ・こ・だじょーーー!!」

「これは…全員伏せろ!!」

何かに気付いたグレイグの叫びと共にエルバ達は伏せる。

そして、その少し後で真空の刃がエルバ達の上を通り過ぎた。

「くううう…おっしぃーーー。あとちょっとで首がちょん切れたのにぃー」

ヒューンとどこからか緑色の物体が落ちて来て、地面に着地すると同時に薄緑色の脂肪であふれた腹が大きく揺れる。

ミスター・ハンが言っていた、ガマガエルのような魔物だとエルバはそれを見ると同時にわかった。

紫の長ズボンに赤い肩掛けをした、アラビア風の衣装姿をした3つ目のカエル。

悪魔の象徴である角を2本生やし、首にはグリーンオーブがついたネックレスがぶら下がっている。

「泣かした女は数知れず…最強のキングオブモンスター!!妖魔軍王ブギー様だじょーーー!!」

「貴様…!よくも闘士たちの思い出の詰まった闘技場を破壊してくれたな!!そして、姫様までも…」

「ぎょぎょーーー!!ボクちんのかわいい子猫ちゃん、かわいそうに…待っててよ、ボクちんが華麗に助けてあげるからねー」

「聞いちゃいない…おまけに、あいつ…」

マルティナを殺さず、操って手駒にしたのは人質か、エルバ達の精神的なダメージを狙ったものとばかり思っていた。

だが、ブギーの言動や戦う前に言っていたマルティナのブギーへの依存ともいえる忠誠心。

まさかとは思うが、ブギーはマルティナに惚れてしまい、どうにかして自分のものにしようとしていたのかもしれない。

「ボクちんのマルティナを取り戻そうなんて無駄無駄。ボクちんの力で、マルティナをナイスバディな魔物にして、ボクちんの忠実なしもべにしたからねーん」

笑いながらブギーはエルバ達を倒した後のことの未来を頭に浮かべる。

まずは10年しっかりと交換日記を続けて、それから自分とマルティナのことをホメロスやウルノーガにエルバを倒した手柄と一緒に報告する。

それでしっかり結婚を認めてもらい、このカジノで挙式する。

それからはマルティナと2人で暮らして、子供も作っていく。

そんな幸せな未来を創るために、エルバを倒す。

「マルティナちゃんを魔物にした…ということは、もしかして…!?」

「そうだじょー!!人質に取った奴らはみんな魔物にしてやったんだじょ!!ま、弱っちくて使い物にならないから、戦いには参加させてない。ああ、なんて優しい王様なんだじょ、ボクちんはー!!」

その代わりに、従業員とするために今は徹底的に教育をしている最中だ。

将来的に、ここを中心として各地にカジノを作ったときに、そこへ派遣する。

世界ブギーカジノ計画推進のための力になってもらうのが、魔物にした人間の最も有効な活用法だ。

「さあてっと…さすがのボクちんでも、この場所じゃあうまく戦えないじょー。こんな魔法陣を使ってくるなんて無粋だじょ。だ・か・ら、こうするんだじょ!!」

ヘラヘラと笑うブギーはグリーンオーブを撫で、それに宿る力を解放する。

緑色の光が魔法陣に侵食していき、その光が徐々に失われていく。

「こ、これは…ゴールドフィンガーの力が失われておるじゃと!?」

ゴールドフェサーの力で増幅されているはずのゴールドフィンガーの魔力がみるみるとグリーンオーブを介してブギーの体内へと吸収されていく。

魔力を吸収していくブギーの体もまた、緑色のオーラに包まれていく。

「グフフフフフ!どんどんボクちんに魔力が来る!みなぎってくるーーーー!!!」

1分も立たずにゴールドフィンガーから魔力が失われる。

それと同時に、セーニャが急に体をふらつかせ、倒れそうになったところをカミュが抱きかかえる。

「セーニャさん、いったいどうしたんですか!?」

「カ、カミュ様…なんだか、体から力が抜けて行って…」

「なんじゃと…まさか、これは…!?」

ロウもまた、徐々に力が抜けていく感覚がして、足取りも重くなっていく。

「くっ…まさか、俺たちの魔力まで奪い尽くすつもりか…!?」

「当たり前だじょ!!どんどん魔力を吸い取って、ボクちんの力にする!!これこそがグリーンオーブの力だじょ!!」

ブギーにとっての誤算なのは、ゴールドフィンガーの存在で、もしそれがなければ、周りで倒れている魔物たちに宿ったモシャスの魔力も吸収するつもりだった。

闘士たちの技量をコピーしたその魔力をも取り込むことで、真のキングオブモンスターとなれたはずなのに。

「厄介ね…これじゃあ、呪文なんてろくに使えないわ!!」

「ならば、力と技で押すのみだ!!」

豊富な魔力を持つセーニャとロウにとってはこのグリーンオーブの魔力吸収は致命的だが、肉弾戦が主体のグレイグやシルビアにとっては体が若干鈍くなる程度で大した問題はない。

魔力に関してはメンバーの中では中間くらいのエルバも同じだ。

「いくぞ!!」

大量の魔力を蓄積し、自慢げに笑うブギーめがけて、3人が突撃する。

キングブレードとグレイトアックス、魔剣士のレイピアがぶつかるが、その刃はいずれも緑色の分厚い魔力でできた膜によって衝撃が吸収されていた。

「これは…!?」

「ありがとうだじょ、いい一撃だじょ!!おかげで…ボクちんの肉体は無敵になったって証明されたじょーーー!!」

「エルバ!!ゴリアテ!!」

大笑いするブギーの右拳が襲い掛かり、グレイグはデルカダールの盾を構える。

盾で受け止めたことで、拳そのものの衝撃が2人に及ぶことはなかった。

だが、魔力によって強化された拳の一撃はデルカダールの盾を大きくへこませ、グレイグもまた吹き飛ばされ、壁にめり込むようにぶつかってしまう。

「ぐう…これは、この一撃は…!?」

「ふうう…まだ生きてるなんてすごいじょ!あとは…これも、やってみるんだじょ!!」

「くそ…!こいつ、なんて強さだ!?」

グレイグを治療しようにも、肝心のセーニャもエルバも魔力が枯渇しつつある状態で、回復呪文を使える状態ではない。

今は無尽蔵ともいえる魔力を宿したブギーの独壇場だ。

「ならば、魔力を回復して少しでも…な!?」

シルバーフェザーを手に取るロウだが、それを見た彼の目が大きく開く。

蓄積されていた魔力が緑色の光となってグリーンオーブへと吸収されていて、ほとんど魔力が残っていない状態だった。

「くう…これでは、焼け石に水ではないか!!」

「グフフフフ!!いい道具でも、封じたら怖くないんだじょ!さあ、こんなに魔力をプレゼントしてくれたお前らにお返ししてやるんだじょ!!」

右手人差し指を揺らすとともに、指先に火球が生まれる。

そして、火球は人差し指だけでなく、右手にある5本指すべてに1つずつ生まれる。

「さあ、見るがいいじょ!これがキングオブモンスターの必殺呪文!!フィンガーフレアボムズ!!」

指から離れた火球がメラゾーマ級の巨大なものへと膨張し、エルバ達に襲い掛かる。

5つの火球が炸裂し、エルバとシルビアは炎に包まれながら吹き飛ばされてしまう。

「ぐああああ、くぅ!!」

「これは、しんどい、わね…!!」

「エルバ様!!シルビア様!!」

肉の焦げる匂いを感じるエルバはどうにか立ち上がり、今の状況では役に立たないキングブレードを地面に差し、腰に下げている水竜の剣を構える。

その間にも、ブギーは左手の5本指にメラゾーマを宿していた。

「く…2発目??」

「これだけの魔力なら、あと100発なら余裕だじょ」

せせら笑いながら、2回目のフィンガーフレアボムズがエルバ達を襲う。

盾になるべきグレイグはあまりにも離れすぎている。

炎がエルバ達5人を襲いかかる。

「グフフフフフ!!ボクちんのマルティナを奪おうとした報いだじょ!しっかり焼いてやるんだじょーーー!!うん…??」

聞こえてくるはずの叫び声が聞こえず、ブギーの笑い声が止まる。

炎の中では、ロウがマジックバリアを発動し、エルバ達をバリアで守っていた。

「む、ぐうううう!!人の魔力で、遊ぶで…ないわぁ!!」

なけなしのシルバーフェザーで魔力を回復させつつ、どんどん魔力を奪われることを承知の上で全力でマジックバリアを唱え続ける。

メラゾーマ5発分の炎が集結しているため、燃焼する時間も長く、あとどれだけ持つかわからない。

「そんななけなしの魔力よりも、フィンガーフレアボムズの炎が勝つじょ!!お前らはこれで、終わりだじょ!!」

(ぐうう…エルバ、これで…これでいいんじゃろう!?)

ロウ自身、これ以上この戦闘では力にはなれないことは分かっている。

だから、できることは託すことであり、勝利への道筋を作ること。

エルバは右手に水竜の剣を握り、炎が消えるときを待つ。

両手の勇者の痣が光り、その光がエルバの前身を包む。

「あーーーー、まだ持つなんて、生意気だじょ!!もう1発、食らえだじょーーー!!」

今度は手加減なしと言わんばかりに、両手の指10本でフィンガーフレアボムズを仕掛ける準備をする。

今までのものがかわいく思えるくらい、念入りに魔力を両手に注ぎ込んでいく。

そして、炎が消えかけたのと同時に両手でフィンガーフレアボムズを放った。

マジックバリアのない彼らなら、この炎で骨すら残らないくらい焼けるだろう。

その光景を想像するが、ブギーは次の光景を見た瞬間、その表情を凍り付かせた。

一直線に飛んでくる10個のメラゾーマをあろうことか、エルバ1人がすべて受けていた。

圧倒的な火力で若干のけぞりはするものの、エルバ本人にはダメージはない。

エルバはそのまま一歩一歩、ずしりずしりとブギーに向けて一直線に進んでいく。

(エルバ…その技は…)

グロッタへの度の中でエルバが読んだロン・ベルクの本。

その中にあった、片手剣1本で放つ技。

闘気を体全体と剣に向けて放ち、敵の攻撃を避けずに受け止めながらも最小限のダメージとともに前進する。

まさかの前身に焦るブギーはメラゾーマを連発するが、フィンガーフレアボムズさえ防いだエルバには大したことはない。

この状態なら前進できるが、闘気も魔力と同じく無限にあるものではない。

疲労し、呼吸が乱れることで闘気も弱まり、隙ができてしまう。

そんな闘気を全開にしながら進むため、この状態を維持できる時間は短い。

その間に懐に飛び込み、なおかつ剣に宿った闘気と共に強烈な一撃を最小限の動きを決める。

これがロン・ベルク流一刀流奥義、不動明王剣。

別の流派ではあえて武器を手放して、自らの闘気を消すことで相手の攻撃を冷静に受け流し、隙を晒した相手に必殺技を打ち込む捨て身のカウンター技も存在するが、それとは真逆の技ともいえる。

それと比較すると、飛び道具を使う相手にも対抗できる技ではあるが、呼吸と相手の位置を最大限注意しなければならず、それ故に基本的には歩いて接近する形になる。

そして、その時に体を覆う闘気が自分の肉体以上の虚影を作り出し、それが人によってはホムラの里で信仰されている神の一人である不動明王に似ていることからその名前が付けられたらしい。

実際、ブギーは目の前にエルバが自分以上の巨人と錯覚し始めており、攻撃を繰り返しながらも足がすくんでおり、後ずさりはすれど走り出すことができずにいる。

エルバの場合は勇者の力を代用しているが、その効果は変わりない。

「死ね!!死ね!!死ねぇ!!!!」

次々とメラゾーマやバギクロス、フィンガーフレアボムズを放つがもう恐怖のあまりに魔力のコントロールが不完全になっていて、その威力も不安定になっている。

それが救いとなり、命中しながらも無傷か軽傷で済んでいる。

そして、エルバはブギーに肉薄する。

「ひぃ!!」

「おおおおおお!!!」

水竜の剣をブギーに突き立てる。

肉薄し、残った勇者の力を最大限刃に宿した一撃であっても、ブギーの魔力の鎧を貫き、致命傷を与えることはできない。

だが、その刃がネックレスを切り、グリーンオーブが宙を舞う

「げぇ!!」

「カミュ!!」

「は、はい!!」

宙を舞うグリーンオーブをカミュが大きく跳躍してつかむ。

グリーンオーブがブギーの手から離れたことで、無尽蔵の魔力吸収が行われなくなった。

「グギギギギギギ!!よくも、よくもよくもよくもよくも、ウルノーガ様から授かったボクちんのグリーンオーブをおおおお!!」

青筋を立てて激昂するブギーが無防備になっているエルバに向けて拳を叩き込もうとする。

エルバ本人は勇者の力の使い過ぎで疲れ果て、身動きが取れなくなっていた。

拳がエルバに叩き込まれ、倒れたエルバを中心にクレーターが出来上がる。

「ぐう、かはあ…!!」

「調子に乗りやがってぇ!!ボクちんは、ボクちんにはなぁ!!グリーンオーブとカジノがすべてなんだ!!もう誰にも馬鹿にさせねえ!!もう誰にも、醜い腐った野郎だと笑われねえ!!そのための力を!!ウルノーガ様に認められたんだよぉ!!選ばれたんだよぉ!!それを…それをお前はああああ!!」

こうなったら、じっくりとなぶり殺してやる。

残った奴らも魔力回復に長い時間がかかり、自分にはまだまだ魔力が満ちている。

ならば、その後で彼らをあの世へ送っても、問題ない。

「くそ…!エルバを助けなければ」

「無茶ばかりしおって、もっと自分を大事にせえ!!」

「助けるわよぉ!!」

まだまだ動けないロウとセーニャを置いて、グレイグとシルビアがブギーの元へ向かう。

「う、うん…ここは…?」

「おお、姫…目を覚ましたのか…??」

そんな中で、眠っていたマルティナがゆっくりと目を開く。

頭の中が霧で詰まっているかのような感覚を覚えながらも、生きていたロウに笑みを見せる。

「ロウ、様…生きていらっしゃったのですね。私は、いったい何を…?」

(操られていたのよ。敵の罠にはまって、無様なものね)

「何…??」

「え…グリーンオーブが…??」

マルティナの脳裏に女性の声が響き、カミュの手の中のグリーンオーブが淡く光る。

そして、勝手にグリーンオーブがカミュの手から離れ、起き上がろうとするマルティナのそばへと飛んでいく。

「おお…これは、確かグレイグから聞いておったが…」

グリーンオーブが、というよりもその中に宿る先代勇者の仲間の魂がマルティナに力を貸そうとしている。

「これは…!?」

マルティナの脳裏に次々と操られている間の記憶と光景がよみがえっていく。

そして、ロウのゴールドフィンガーによって助けられる直前に、エルバに言い放った言葉も。

(どう…?こんな魔物に操られていた気分は?)

「情けない…エルバを守るために強くなったのに、まさか…」

(そう、あなたは強くなった。大切な弟を救えなかった自分を否定するために。許せなかった。エレノアもエルバも守れなかった自分が)

「そう…私は…」

ロウに助けられ、彼のもとで武闘家としての修行を続けたのはそんな自分が許せなかったから。

本当に一番許せないのは、あの時、川に流される中で赤ん坊のエルバを離してしまった弱いマルティナ。

そんな弱いお姫様をマルティナは許せなかった。

エレノアに彼を守ると約束したのに。

命の大樹でも、エルバが勇者の力を奪われるときにマルティナは何もできなかった。

結局自分は17年前の、弱い自分のままなのか。

(目を覚ましなさい、マルティナ。後悔ばかりの17年はもう終わり。その後悔をも未来を切り開く刃に変え、勇者を導きなさい。私はネイル、流浪の拳王。今こそ、古の盟約に従い、新たなる勇者の盾の力とならん!」

グリーンオーブが次第に形を変えていき、薄緑色をした、左腕全体を包むような形状の手甲へと姿を変える。

「デルカダールの戦姫、マルティナよ。魔甲拳を手に取り、未来へと走りなさい!!」

「アムド!!!」

マルティナの叫びと同時に彼女の体が緑色の光に包まれる。

光が収まると、マルティナの体は両肩と左胸、左腕と両足を薄緑色の装甲がピンポイントで装着される格好となった。

着ていたバニースーツはいつの間には消えていて、いつもの武闘着へと形を変えていた。

そして、左腰にぶら下がっている薄緑色をしたシンプルな形の曲剣を手にする。

抜いたと同時に柄が伸びて、慣れ親しんだ長刀へと変貌する。

「もう、迷わない…。蹴り倒して見せるわ…私たちの未来を阻む障害は…ひとつ残らずね!!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第81話 倍返しでは生ぬるい

「ギョギョーーー!!?何何!?何この姿ーー??」

注意がエルバから目覚めたマルティナに向いたブギーは見たことのない鎧姿となったマルティナに驚きを隠せない。

(アムド…過去に魔力で小型化した防具を武器に取り付け、装備者の命令によって装着する技術。もうすでに失われた技術をこうしてみることができるとは…)

かつて、ネルセンがその力を宿した槍を手にしていたと聞くが、それは戦いの中ですでに失われている。

その武器がオーブを介して、再びロトゼタシアに舞い降りてきた。

「すっごく、すっごく、すごくキレーだじょ!!バニー姿もいいけど、これもすごいんだじょーーーーー!!」

「そう…なら、これでボコボコにされても、本望よね??」

「ギョ…??」

グルグルと長刀を振り回した後で構えたマルティナは不敵な笑みを見せる。

オーブを介して、マルティナの脳内にこの装備の使い方の知識が流入してくる。

マルティナはブギーに向けて真正面から突っ込んでいく。

「お、お待ちください姫様!奴にはまだ障壁が…!!」

「グフフフフ!!自分からやってきてくれるなんて、うれしいんだじょーーー!!」

自分から此方へ走ってきてくれたことで、ブギーは抱きしめようと自分からも走り出す。

基本的には女性に関してはかなりシャイな動きになる彼だが、女性から迫られたのであればその限りではない。

そんな抱擁を求める彼へのマルティナのあいさつは右脚だった。

「ゴギョ…!?」

魔力のバリアで守られているはずのブギーの腹部に鈍い痛みが襲うとともに、後方へ大きく吹き飛ばされる。

倒れたブギーはまだ自分に何が起こったのかがわからずにいた。

マルティナに蹴られたこともそうだが、不動明王剣を受けるまでは傷一つつかなかった自分の体に明確なダメージがある。

どのような手品でそのようなことを成功させたのか、全く分からない。

「立ちなさい…この町と私にやったこと、これだけで許されるとでも思っているの?」

「ひ、ひぃ…!?」

マルティナの極力感情を押し殺した、しかしナイフで直接心臓を突き刺すような声にキング・オブ・モンスターが震えあがる。

どうにか立ち上がったブギーに、またしてもマルティナが迫る。

「ひいいいい!!!来ないで!!来ないでじょーーー!!」

恐怖するブギーがメラゾーマをマルティナに向けて放つ。

火球は彼女に直撃し、爆発したかに見えた。

だが、炎の中から無傷のマルティナが飛び出してきて、今度は真空蹴りをブギーの横っ腹に決めた。

悲鳴を上げるブギーは吹き飛ばされ、柱に激突する。

「あ、あれ…?今、確かに呪文を受けたはず、でもなんで…??」

マジックバリアをかけた動きもなく、正面から受けたはずなのに無傷でいるマルティナにカミュは驚きを隠せない。

「アダマンタイト…永久不滅の金属たるオリハルコンの次に高い硬度を持ち、なおかつオリハルコン以上の呪文への耐性を持つ金属…。今、姫はそれを体にまとっておる…」

アダマンタイトには勇者の雷以外のほとんどの呪文に対して強い防御力を誇り、それを使った装備の多くが魔甲拳のようなアムドの使用を前提とした武器に使用されている。

ユグノアでも大昔に採掘されていたようだが、既に鉱脈は枯れていて、アダマンタイト製の装備そのものも大半が喪失、行方不明となっている状態だ。

それであれば、マルティナが無傷である理由も納得がいく。

「な、なんで…なんでボクちんがこんな目に…」

まだ魔力のバリアは展開できるが、ここまで痛めつけられるとは思わなかったようで、ボロボロになった体をどうにかベホイムで癒していく。

そんなブギーの前へ、拳を鳴らしながらマルティナが歩いてくる。

「へえ…まだ動けるのね。だったら、せっかくなんだし今覚えた技を受けてもらおうかしら?」

「え…ええ??」

コキリ、コキリとこれから始まることへのカウントダウンがブギーの鼓膜に伝わり、ブルブル震えあがるブギーは思わず失禁していた。

だが、それでもマルティナは容赦はしない。

個人的な恨みもあるが、闘士たちの夢の象徴を壊した報いもある。

その怒りに反応するかのように、マルティナの体を真っ黒なオーラが包み込んでいく。

「これは…!?」

「まさか、姫様がまた魔物に?!」

禍々しい殺気を覚えたロウとグレイグが身構える。

そして、オーラが収まるとそこには装備こそは変化ないものの、魔物となったかのような紫色の肌になったマルティナがいた。

そして、右手が怪しい黒の光を放つ。

「ゆ、許し…て」

おびえ切ったブギーがようやく絞り出した言葉。

そんな言葉にマルティナは笑みを浮かながら答える。

「ダ・メ♡」

その後で深く腰を落としたマルティナは右拳を大きく引く。

そして、拳はブギーの腹部に炸裂する。

メキメキメキと激しい音を立てながらバリアには虎の頭のようなヒビが入る。

その瞬間、バリンと大きな音を立ててバリアが砕けると同時にブギーの腹部にも大きな穴が開く。

血反吐を吐いたブギーだが、六軍王を名乗っているだけあって生命力が強いのか、まだまだ絶命しない。

そんなブギーを今度は怒涛の蹴りが襲い掛かった。

「ぎゃああああああ!!!」

「セーニャさん、見ないでください!!」

あまりの惨劇が巻き起こるその場所で、エルバとシルビア、グレイグは目を閉じた状態で顔をそらし、カミュはセーニャの目を手でふさぐ。

ロウは両手で顔を隠し、肉と骨が砕ける音が途切れるのを待つ。

やがて音が途絶え、ようやく視線を戻したエルバ達が見たのは魔物の血で濡れたマルティナの姿だった。

不気味ではあるが、肌の色は元の人間の者には戻っていた。

「うう…これは、ひどい!!エルバ、他の者に見られぬうちに、あれを焼いてしまうぞ」

「ああ、さっさと灰にした方がいい。俺たちの心にもくる」

さささと無惨なブギーの遺体の元まで向かったエルバとグレイグはそれぞれベギラマとグレイトアックスの炎でそれを焼く。

「姫…今のは…?」

「魔物になっていたせいかしら…私、新しい力に目覚めたみたい。今なら、どんな強敵でも蹴り倒せそうだわ!!」

「そ、そうか…それは、良かった…」

あの無惨な光景を見た後、そして魔物になった姿には複雑な心境があるが、それでもマルティナがさらなるパワーアップをして見せたのはいいことだ。

念入りに焼いたことで灰となったブギーを見届け、エルバとグレイグもマルティナの元へ行く。

「ロウ様、ご心配をおかけしました…」

「いいんじゃよ、マルティナよ。おぬしが無事で何よりじゃ」

「姫様…」

元に戻ったマルティナにロウが喜ぶ中、グレイグは心痛な面持ちでマルティナの前に立つ。

無事に元に戻ったのは良かったが、同時にユグノアでマルティナに手を挙げたときのことを思い出してしまう。

「姫様、今までの無礼なふるまい、どうか…お許しください。私は今、エルバに命を預ける身。打倒ウルノーガの信念を貫き通すまで、このグレイグ…皆の盾となりましょう」

これで許されるとは思っていないが、これがグレイグなりのケジメでもある。

蹴りの一発は覚悟していたグレイグにマルティナがグイッと顔を近づける。

面白くなさそうに眉を顰め、フゥとため息をつく。

「何よ、そのつまらない挨拶。これ以上、アタシを退屈させるなら、キツーいお仕置きしてあげましょうか?」

「ひ、姫様!?」

魔物となっていた影響が残っているのか、男を挑発するような言動にグレイグは目を点にする。

お仕置きされるとなると、いったいどういう形になってしまうのか?

一瞬、邪な妄想が頭をよぎり、それを振り払うかのようにブンブンと首を振る。

そんな暴走しかけるグレイグにマルティナは思わずフフッと笑ってしまう。

「冗談よ、グレイグ。頼りにしてるわ。これからもよろしく」

「マルティナ、早く捕まっている闘士たちを…うん??」

急にエルバの両手の痣が光るとともに、上空に紫色の渦が出現する。

そして、その中から次々と闘士や町の住民たちがエルバ達の周囲に落ちて来て、すべて出尽くした後で渦が消えてしまった。

「こ、ここは…??」

「ああ…外よ。脱出できたのね…」

「ブギーに捕まっていた奴らも人間に戻って、無事に出られたみたいだな…」

破壊された闘技場を再建するには時間がかかるだろうが、それでも捕まっていた人々が解放されたなら、大丈夫だろう。

「おお、エルディ!!それに、爺さんとマルティナ!!お前らが助けてくれたのか!?」

「シルビアさん…ボクを救ってくれた人、ああ…ありがとうございます…!!!」

「ベローーーン!!ありがとーーーベローーン!!」

闘士たちの感謝に包まれ、助かったことを皆で喜び合う。

そして、その中にいる町長がエルバ達の前へと歩いてくる。

「皆様、このグロッタを救っていただけたこと、感謝いたします。…エルバ様、ロウ様」

「町長さん…爺さんが言っていました。あなたも…」

「ええ、ユグドラシルです。世界が滅びかけている中で、こうしてお目にかかれたこと、誠に嬉しく思います。お話したいことがありますが、今は町を鎮める必要がありますので、また後程…宿にてお伺いいたします。さあ、大掃除をするとしよう!皆で元のグロッタに戻そうじゃないか!」

「おおーーーー!!」

闘士たちと町人たちが全員カジノを離されいく。

そして、その場にエルバ達が残され、その中で魔甲拳に宿るグリーンオーブが光り始める。

「これも、パープルオーブと同じ…」

「私の目に狂いはなかったわ。魔甲拳…しっかり使いこなしてくれて安心したわ」

グリーンオーブの光と共にマルティナの脳裏に聞こえたネイルの声が今度はエルバ達の耳に届く。

そして、エルバ達の前に緑色の武闘着姿をした女性の幻影が姿を現す。

赤いはねた髪型をし、顔だちはどこかマルティナに似ているように思えた。

「うう…ん。やっぱり、オーブの中でずっと待ち続けるのは退屈そのものね。ほかのみんなも、それが平然とできるなんて…ちょっと神経を疑ってしまうわ。でも、こうなったということは、ウルノーガはやはり、更なる力を手に入れてしまったようね」

「やはり…というと?」

「ええ、そうなる可能性を想定していたのよ。ウルノーガの力への渇望は底抜けだったから。奴が闇の力だけでなく、光…勇者の力を狙ってくるのは分かっていた。私たちが生きていたころはどうにか防ぐことはできた。けれど、ウルノーガは人間や魔族とは比べ物にならない命を持っている。いつの日か、ウルノーガを倒すために勇者が生まれ変わったとき、それはウルノーガにとっても力を高める最高のチャンスでもあった。勇者ローシュの生まれ変わり、エルバ…あなたならわかるはずよ」

「俺に…うっ!?」

ネイルの指摘と共に両手の痣が光り、エルバの脳裏にセレンが見せたあの天空魔城の光景がフラッシュバックする。

そして、その奥でエルバから奪った勇者の力を馴染ませているウルノーガ、そしてそのウルノーガから勇者の力を手に入れたホメロスの姿が。

「これ…は…」

「自らの片腕に掌握した勇者の力を分け与えた…。どうやら想像以上に勇者の力をわがものにしているわね」

「自らの片腕…まさか、ホメロスが勇者の力を…!?」

その言葉が仮に真実なら、残りの六軍王にもその勇者の力を分け与えてくる可能性が出てくる。

そうなると、勇者の力を持った者同士の戦いというロトゼタシアで前例のない戦いが起こることになる。

「けれど、まだ希望は残っている。2つの勇者の痣を手にしたエルバ…ローシュの生まれ変わりであるあなたなら、あのウルノーガを倒せるかもしれない。クレイモランへ向かいなさい。ラゴスの遺産を見つけるといいわ。あいつに私たちの奥義を預けたから…」

ネイルの姿が消え、アムドを解除したマルティナは魔甲拳を見つめる。

魂の一部だけとはいえ、いったいどのような思いでウルノーガ打倒の時を待っていたのか、想像に絶するものが感じられた。

それを背負っている以上、負けるわけにもいかない。

「クレイモラン…クレイモランにラゴスの遺産があるとは、聞いたことはないのじゃが…」

盗賊ラゴスの遺産は歴史家にとってはロマンあふれる宝で、中にはかつての勇者たちが習得した奥義も眠っているという。

だが、ラゴスはその所在を記録に残しておらず、彼は戦いを終えてすぐに行方をくらましたこと、出身地や終焉の地も分からないことからどこに眠っているのかの検討もつかない状態だった。

そんなものがクレイモランにある、なぜネイルがそのことを知っているのか?

「けれど…行くしかない。それに、ラムダへ戻るにはクレイモランは通らないといけないところだからな」

「そうね。だったら、まずはポートネルセンへ戻って、シルビア号の到着を待ちましょう。それから、いったんソルティコで補給を済ませて、外海へ出発ね」

「ええ…。それに、オーブも取り戻さないと…」

残りの六軍王は4人で、4つのオーブがまだ残っている。

それに、これ以上ウルノーガに勇者の力をわがものにする時間を与えるわけにもいかなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第82話 謎の硬貨

ザザ…ザザア…。

日の出のほんの少し前の海は静けさに包まれ、砂浜には人はおろか魔物の姿さえ見られない。

そんな静かな場所の、ちょうど人が座るのにはちょうどいい高さの石にカミュは腰掛けている。

エルバと共にユグノアとグロッタで戦い、こうして一時的にソルティコへ戻ることができたものの、いまだに自分のことを一つも思い出せない。

そんな自分が歯がゆくて、しかしどうすればいいのかわからなくて、今ここにいる。

「カミュ様、こんなところにいらっしゃったのですね?」

「セーニャさん…すみません、なんだか一人になりたくて…」

「お気になさらないでください。カミュ様って、にぎやかなところが苦手で、よく一人になられてました。だから…」

「そう、なんですね…記憶を無くしても、性根って変わらないんですね」

軽く笑い、何か話そうと思ったカミュだが、話題を出すことができずに沈黙する。

そんな彼の隣にセーニャが座る。

間近に年頃の少女が腰掛けていて、嫌が応にも優しい匂いが伝わってくる。

それがカミュの心をざわつかせるが、なぜかもう少しこのままでいたいという気持ちまで抱いてしまう。

「そういえば、私って、カミュ様のこと…本当はほとんど知らないんです。どこでお生まれになられ、どうして盗賊になられて、レッドオーブを手に入れようとなされていたかとか…ご自分のことを何も話してくださらなかったので、少し…寂しいって思ってしまいました」

シルビアについてはそんな感情を抱かなかったのに、どうしてなんだろうとセーニャは小さく笑う。

カミュについては一番長い付き合いであるはずのエルバも全然知らないでいる。

理由は分からないけれど、もっとカミュについて知りたい、そしてカミュに自分のことを知ってほしいと思ってしまう。

そんな想いになるのは初めてで、もどかしさを覚えてしまう。

「もしかして、俺って…みんなのことを仲間だと思っていなくて…」

「そんなことありません!!記憶にないかもしれませんが、カミュ様は命がけで私たちを助けてくれたことがあるんです!その時は本当に私たちのことを大切に思ってくれていると感じました。けれど…もっとカミュ様自身を大事にしてほしいって…」

ダーハルーネでホメロスの一撃をかばい、重傷を負ったカミュは捕まってから助け出されるまで、ろくな治療を受けることが許されなかった。

その時のボロボロなカミュの姿は今も忘れられない。

「カミュ様に何かあったら私…私…」

「セーニャ、さん…泣いているですか…?」

「え…あ…!」

カミュの指摘に驚き、慌てて目元を指で拭うと、びっしょりと濡れていた。

それに目が止まっている間に、今度は真正面からカミュに抱きしめられた。

ぎゅっと強く抱きしめられ、少し痛みを感じたが、言葉に表せない安心感もあった。

どうしていきなり抱きしめられたのか、安心しながらも恥ずかしさで頭の仲が沸騰していき、身動きが取れない。

「セーニャさん…あなたが泣くと、辛いんです。あなたには…誰よりも一番笑っていてほしいんです」

「カミュ様…」

「記憶を取り戻したら、必ず自分のことを教えます。だから…」

「はい…約束、ですよ…カミュ様…」

思わぬ形で、生まれて初めて親以外の異性に抱きしめられたセーニャは目を閉じ、こちらからも抱きしめ返す。

今はこの気持ちの答えはいらない。

ただ静かにこのつかの間の心地よさを抱きしめるだけだった。

 

「あーら、記憶がないおかげで素直になっちゃっているわねー、カミュちゃんったら」

「うふふ、セーニャも幸せそう…うらやましいわね」

その少し離れた岩陰で、カミュとセーニャの抱き合う様子を見るシルビアとマルティナが微笑みあう。

きっと、普段のカミュならこのようなことを自分からすることはなかっただろう。

もしこれをベロニカが知ったら、必ずカミュにこのことをネタにするか、妹に手を出したと怒り狂ってメラミを連発するかもしれない。

「これは一刻も早くカミュちゃんには記憶を取り戻してもらって、ベロニカちゃんが戻ってくる前にしっかりセーニャちゃんにプロポーズしてもらわないと…」

「プロポーズって、気が早いわよ。さ、見つかる前に戻らないと。けど、エルバとロウ様には…」

「分かってるわよ、言うわけないじゃない。私とマルティナちゃんの秘密!けど、特にロウちゃんと…あと、グレイグは駄目ね。あの姿のことを話したら別のことを想像させちゃうかも」

「まったく、しっかり強くなったと思ったら、前もロウ様は…しかも、グレイグを巻き込んで…」

これはグロッタからポートネルセンへ戻り、修理を終えたシルビア号と合流して荷物を運びこんでいたとき、ロウが悪癖として集めているムフフ本を何冊か懐から落としてしまっていた。

それがグレイグの目に入ってしまい、それから人目を忍んで2人でムフフ本談義をしていたところをマルティナが見つけて大目玉。

2人仲良く魔物化(通称デビルモード)と魔甲拳による模擬戦の実験台にした。

 

「うわあああああ!?」

ちょうどそのころ、ジエーゴ邸の道場から悲鳴が聞こえ、同時に何かが壁に激突する音が響く。

中には訓練用の剣を握った、上半身が裸になっているジエーゴがいて、壁にぶつかっているのは同じく上半身が裸のエルバだ。

2人とも剣を2本握っており、かなり早い時間帯から訓練をしているせいなのか、汗だくになっていた。

「どうしたどうした?勇者のくせに情けねえな。老いぼれの俺に訓練でこれだけぶっ飛ばされるなんてなぁ」

「つ…強い…」

ロン・ベルグ流をものにするため、それをかじったこともあるジエーゴに訓練を頼んだのはいいが、3時間近い模擬戦の間、まだ一本も入れることができていない。

グレイグが畏怖するだけのことはあり、その力量は尋常なものではない。

「そういやあ、おめえ…不動明王剣を使えたみてえだな。使ってみろ」

「はあ、はあ…分かり、ました…」

左手の剣を置き、勇者の力を解放したエルバはその状態のままゆっくりとジエーゴに向けて近づこうとする。

しかし、ジエーゴを見た瞬間、なぜか急にエルバの足が止まり、体も動かなくなってしまう。

「どうした?もし目の前にいる俺が敵だったら、鴨葱だぜ?」

ジエーゴもまた、左手の剣を置き、先ほどのエルバと同じようにゆっくりと歩いている。

だが、全身からこれでもかというくらいのプレッシャーを闘気と共にはなっており、それがエルバの意識に強烈な恐れを与え、身動きを封じていた。

「まだまだてめえの場合は付け焼刃。その程度の不動明王剣でビビるたあ、そのブギーって六軍王は…たかが知れてやがる!!」

肉薄したジエーゴは思いっきり剣を振り上げ、エルバが握っていた剣が大きく宙を舞い、何回か回転してから床に転がった。

転がる剣と激痛が走る右手。

剣士としての格の違いを認識せざるを得ない。

「でもまぁ、まだ俺自身ロン・ベルグ流を習得できてるわけじゃねえ。これを機に、リベンジさせてもらうぜ」

対するジエーゴも、ようやく比較的まともに相手になってくれる人物に出会えたことに喜んで、そのせいかこの長時間にわたる模擬戦を楽しんでいる節がある。

昔挫折したロン・ベルグ流をものにしようというエルバを見て、若いころの自分を思い出したかのようだった。

だが、その楽しい時間も昼になったら終わり、エルバ達は外海へと乗り出すことになる。

それまでの間にどこまで高めることができるか、楽しみで仕方がなかった。

 

「ふっ…ブギーが倒れ、グリーンオーブもまた勇者の手に渡ったか…」

天空魔城でホメロスからの報告をワインを飲みながら聞くウルノーガだが、あまり興味がなさそうな様子だった。

彼から手に入ったデータは既に記録されており、その記録があればあとはいくらでも代わりを用意できる。

「よろしいのですか?六軍王はともかく、オーブは替えが効きませぬが…?」

オーブの力は六軍王、そしてエルバ達が証明しており、おまけにその中にはネルセンをはじめとしたかつての勇者の仲間たちの魂が宿っていることは分かっている。

それを失うことはウルノーガにとっても痛手になるのではと思ってしまう。

だが、そのホメロスの懸念をウルノーガは鼻で笑う。

「構わん。そのようなオーブは遅かれ早かれ、我に歯向かう。まったく、嫌な仕掛けを思いついたものだ、あの小娘は」

ウルノーガの脳裏に、勇者ローシュの恋人にして賢者であるセニカの姿が浮かぶ。

おそらく、彼女がこの事態に対抗するためにオーブにそのような細工を施したのだろう。

魂を宿すだけならまだしも、武器に変化する力まで持つとは。

だが、そうした困難を乗り越えなければ、己が望む姿となることはできない。

魔王と勇者を超え、光と闇の深淵である混沌を手にしなければ、更なる高みへ向かうことはできない。

「まあよい、オーブの力は既にこの魔王の剣に宿っている。力さえ使えれば、もうあれに用はない。ホメロスよ、我が与えた勇者の力、持て余していまいか?」

「ハッ…すでにものにしております。お望みであれば、すぐにでも勇者どもを…」

「いや、良い。貴様は我の最後の守りとなれ。そのために、力を蓄えるのだ」

「ハッ…!」

ひざまずいた後、ホメロスの姿が消える。

再び1人となったウルノーガの左手の痣が淡く光っては消える。

「見えているか…?エルバよ。我が力の高まりを…」

エルバが勇者の力を再び目覚めさせ、なおかつ己の力で生み出したことがウルノーガに宿る勇者の力にも影響を与えていた。

目を閉じ、集中するとエルバの居場所や様子がはっきりと見えてくる。

同じ力を持つことによる共鳴であれば説明はつくが、同じ勇者の力を与えたはずのホメロスに対してはそのようなことはできない。

思い通りにいかないことは悩みどころだが、それでもエルバの動向が手に取るようにわかるだけで充分だ。

(外海へ向かい、そこからクレイモランへ向かう、か…。ラゴスの遺産を手にするつもりのようだが、果たして…うまくいくか?)

 

外海をシルビア号が北上し、崩壊した世界には不釣り合いな静寂な海が周囲を包み込む。

今、船に乗っている誰もがその静寂が逆に緊張感に変換されていて、舵を取るアリスも嫌な予感をせずにはいられなかった。

「ここまで静かな海…世界がこんなんなってからは久しぶりでがす。魔物の気配も感じねえ…」

「うーん…どういうことかしら?そういえば、ジャコラもどこへ行ったのかしら…?」

今、メインマストの展望台から見張りをしているシルビアが気にしていたのはジャコラの行方だ。

インターセプター号をつぶしたあの六軍王はソルティコへ戻る中、遭遇するかもしれないと思い、最大限警戒はしていたが、結局姿を見せることはなかった。

ゾルデ、ブギーを倒したこと、そしてエルバの勇者の力の覚醒により、勇者の復活はウルノーガやほかの六軍王に伝わっている可能性が高い。

今の状況で最も狙ってくると思われるのがジャコラだ。

「エルバよ、もしジャコラがあの赤いバリアを使ってきたら…よいな?」

「ああ、分かっている。勇者の力なら…」

グランドクロスをも無力化したその魔物に勇者の力が果たして有効なのかは分からない。

だが、今のエルバに宿る勇者の力は紋章が2つになったことで格段に強化されている。

その破壊力はバクーモスとの戦いですでに証明済みだ。

「あとはベロニカちゃんと合流することができれば、みんなで仲良くラムダにたどり着くことができるけれど…」

「もしかしたら、もうとっくにラムダに戻っていて、そこかクレイモランで私たちが来るのを待っているかもしれないわ」

「それならいいわね。だったら、より一層スピードを上げてクレイモランへ向かわないと!!」

「急ぐのは良い。じゃが…」

ロウが懸念しているのは、今自分たちとユグドラシルが持っているクレイモランに関する情報の少なさだ。

世界が崩壊してからは内海と外海を動く船の数も激減していて、ユグドラシルはそもそも船を所有していなかった。

ジャコラの存在もあり、船を出すこともかなわず、できたのは現地にいるであろうメンバーとの伝書鳩でのやり取りだ。

だが、世界が崩壊してから1年以上経過するが、これまで一度も伝書鳩がクレイモランに到着しておらず、いずれも手紙を渡すことができないまま戻ってきている。

もしかしたら、既に六軍王の魔の手にかかっている可能性もある。

「もし六軍王がクレイモランにいるとなれば、そやつがラムダへ向かう前に討たねばならん。それに、ラゴス様の遺産が奪われるようなことがあっては…うん?」

シルビア号メインマストの展望台に鳩が止まり、船員の1人が鳩の足についている筒を手にする。

「これは…デルカダールの国章…。デルカダールから文書です!!」

「シルビア号に直接…?儂らに伝えねばならぬ話か??」

降りてきた船員から筒を受け取ったロウは取り出し口についている魔法陣を見つける。

余程のことが書いてあるのであろう、厳重な封印が施されており、ロウはゴールドフェザーを使って封印を解除し、中に入っている2枚の文書と古びたユグノア硬貨を手に取る。

「一つは儂宛てで…ほぉ、もう1枚についてはエルバ宛てか…」

「俺に…?」

「フフフ…そういうことじゃったら、早く儂に紹介せい」

ニヤニヤ笑うロウはエルバ宛ての手紙を手渡した後で、自分宛ての手紙を読み始める。

『ロウよ、ジエーゴとユグドラシルの者たちから近状は聞いている。おぬしにも、儂のせいで大変な苦労を掛けてしまった。この償いは必ずしよう。今回、送るこのコインはイシの村…エルバが16年過ごした村の復興をしている中で見つかったものだ」

「イシの村で見つかったユグノア硬貨…じゃが、かなり古い。おそらくはローシュ様の時代の…」

その時代のユグノア硬貨には国章だけでなく、勇者の痣も刻まれている。

だが、気になるのは硬貨の材質、そして裏側に刻まれた刀傷のような痕だ。

そして、硬貨とは言うが金属が使われているようには見えず、石をそのまま削って作ったようなものだ。

『ロウよ、若いころ、共に探したラゴス様の遺産について覚えているだろうか?結局見つけることができなかったもので、そもそもその鍵すら見つけることができなかった。このコインを見つけたとき、なぜかそれが頭に浮かんだ。なぜそのような感じがしたのか?そもそもそのコインがなぜイシの村に隠されていたのかは分からぬ。だが、ロトゼタシアを旅するおぬしたちならば、道中で見つける可能性が高い。故に、この硬貨を託す。それで何かの手掛かりが見つかるならばうれしい』

「イシの村にユグノアの硬貨…」

ユグノアを流れる大河がちょうどイシの大滝のある川と繋がっているが、それ以外のユグノアとイシの村につながりはないはずだ。

ロウも国史を学ぶ中で、特に勇者ローシュの時代のことは最新のものを頭に入れているつもりだ。

その中でも、そしてこれまでの歴史の中でもイシの村とのつながりを示すものはなかった。

もしかしたら、イシの村の中にそのような証拠が隠されているかもしれない。

『硬貨について、ユグノアとの繋がりダン村長殿と話しをしたが、彼自身もよくわからないという返答であった。だが、この硬貨の材質を調べた結果、神の岩で作られている可能性が高いことが分かった。村の記録を読むことができればよかったが、それはデルカダールが焼いてしまった。仔細を知ることは叶わないだろう。だが、気になることを話していた。神の岩についてだが…村そのものは勇者ローシュの時代よりも前から存在する。だが、神の岩については…いつから存在するのか、分からないのだ。ある時期になって、ちょうど勇者ローシュが旅を終えたすぐ、突然その記述があった』

「嘘だろう…?神の岩は村ができてからずっとあったはずだろう?少なくとも、ペルラ母さんとテオじいちゃんからは、そう聞いている」

「そう考えるのが自然だったのじゃろう…。それに、たとえそういう謎があったとしても、慣習として根強く残っておるのなら、そう変わらんということじゃな」

『神の岩で作られたユグノア硬貨…。それが何を意味するのか?これがラゴス様の遺産への鍵という考えに繋がってしまうのはなぜか?儂自身も分からぬ。復興第一で、無理を言うわけにはいかぬが、儂らも調べてみて、また何かわかることがあれば、伝えよう。おぬしらからも、分かったことがあれば伝えてくれ。そして、我が娘、マルティナのことを頼む。17年にもわたって放っておいてしまったこと、そして今すぐにでも飛んでいけないことを許してほしい。だが、マルティナよ…必ず魔王を倒し、生きて儂の元へ帰ってきてくれると信じている。勇者エルバと共に、戦い抜いてくれ』

「お父様…」

最後に書かれていた最愛の娘への短いメッセージにマルティナは嬉しさの余りに涙を浮かべる。

マルティナも、本当はすぐにでもモーゼフに会いたいが、そうするのはすべてが終わってからだと決めていた。

そして、ロウは古びたユグノア硬貨を見つめる。

(鍵…か。モーゼフよ、実は儂も手紙を読む前から、そのように感じてしまっていたのじゃ。この硬貨がラゴス様の遺産と繋がっていると…)

なぜそんな風に思ってしまうのか、まったくわかる手段などなかった。

そんな疑問を浮かべている中、エルバは自分宛ての手紙を見つめる。

『エルバ、元気?村を出て以来…ううん、夢の中以来…よね?エルバ、あれからちゃんとご飯を食べれてる?よく眠れてる?きっと大丈夫だと思うけど、やっぱり心配になっちゃう。だって、エルバってすぐに無茶をしちゃうから。私たちは今、全員で村の復興をしているの。兵士の皆さんの中には、まだ生きている人がいるかもしれないって村の外へ出て探しに行っていて、この前は十人くらい村に来たの!それに、太陽が出たおかげで、作物もしっかり育ってくれてる。もっと村に人が来るから、農作業ももっと頑張らないと!』

「そうか…エマ、頑張っているんだな」

『あの時の話はおば様たちにはしていないわ。急に意識を失っていたみたいだから、すごく心配されたけど…。これから外海へ行くんだよね?いつか、平和になったロトゼタシアを…大好きなエルバと一緒に旅がしたいな…。帰ってきたら、いっぱいお土産話を聞かせてね』

「ああ…そうだな…エマ…」

辛い思い出も楽しい思い出も、この長い旅でできたもので、イシの村の中では決して味わい尽くせないものだ。

幼馴染であり、愛するエマとそれを共有するとなれば、一緒に旅をすることだろう。

再び旅に出る中でそんな気持ちが芽生えていた。

「返事、書いておかないとな」

「便箋を用意しておくわ。日が沈む前に書いてしまわないとね」

 

「ふうう…やはり、腰に来るのぉ、これは…」

恰幅の良い体つきをした、頭頂部が禿げている農民服姿の中年男性が手に持っていた鍬を近くにある木に立てかけ、横倒しになっている椅子代わりの倒木に座る。

太陽のおかげか、今目の前にある畑には小松菜やホウレン草などの葉物野菜が大半だ。

太陽が隠れてしまったころは初心者でも育てやすく、1カ月程度で育てることのできる葉物野菜でも、多くは大きく育たず、半分近くが枯れてしまっていた。

太陽が出たことで、ようやく手ごろな大きさの野菜が育ち始め、一部では根野菜などの別の野菜を作る余裕もでき始めた。

「まったく、貴族の儂がこんなの農業にせいが出てしまうとはのぉ」

幼いころからデルカダールの名門貴族として不自由なく育ってきた彼には考えられない話だ。

雑用や料理などをメイドに任せ、自らは貴族として投資や政務に注力して、農業など縁もゆかりもなかった。

そんな中で命の大樹が落ち、デルカダール兵に救助されたことで命だけは助かったが、先祖代々の屋敷も財産も、何もかもを失ってしまった。

そして、たどり着いた最後の砦で待っていたのは苦しい生活。

金も地位もなく、武芸もしたことのない彼にできたのは農作業だけだった。

貴族である自分がどうしてこんなことをしなければならないのか、こんな事態を招いたウルノーガという悪魔を呪いながら土いじりを続けていた。

だが、そんな認識も初めて自分が泥だらけになって育てた野菜を食べることで少しずつ変わり、今は代わりに働いてくれる若者がいる状況であるにもかかわらず、こうして自分の手で農業を続けている。

「デルカダールが復興した暁には、家庭菜園を作って、野菜を育てるのも悪くないかもしれぬな…」

「せいが出ていますねぇ、お茶を持ってきましたよ」

「おお、ペルラさんか。ありがとう…」

農作業をしている男性陣にお茶を持ってきたペルラに礼を言った貴族はさっそくコップの中の薄茶を口にする。

1年前のように、気軽にお茶を飲めるときが来るのは先だろうが、それでもありがたかった。

「そういえば、ペルラさんのご子息…勇者殿から知らせは?」

「何もありませんよ。まぁ、知らせがないのはいい知らせ、ですよ」

そう思ったのは、特にデルカダールの牢獄に幽閉されていたときだ。

グレイグの配下に監視されていたため、命の危機を感じることはなかったが、不安だったのは逃避行を続けているであろうエルバのことだった。

捕まってしまった、殺されてしまったという知らせが来たら、命の大樹へと還ったテオとエルバの本当の両親にどう詫びればいいのかと考えてしまう。

きっと、それはエマも同じだっただろう。

「信じているのですな?ご子息のことを」

「当然です。私の息子ですから。さてっと…あの子が帰って来た時のために、ちゃんと村を直しておかないと」

「おば様、おば様ーーー!エルバからの手紙が来たわー!!」

タタタと軽快に走るエマの手にはエルバ直筆の便せんが握られている。

貴族に一礼をしたペルラはエマのそばまで行き、2人はテントの中でエルバからの手紙を読み始める。

『エマ、ペルラ母さん。手紙が遅くなって済まない。今、俺たちは船に乗って、クレイモランへ向かっている。ここまでの旅で、俺の本当のじいちゃん…ロウじいさんと出会えた。それから、シルビアとカミュ、マルティナとも再会できた。あと一人、出会えていないけれど、こうしてみんなと生きて会えたんだ。きっと、会えると信じてる。みんなで野宿をするとき、よくみんなにシチューを作っているんだ。みんなおいしいって言ってくれているけれど、ペルラ母さんが作ってくれたものと比べると、まだまだだ。そう考えたら、もっと母さんの手伝いをすればよかったよ。ペルラ母さんに、村へ戻ったらシチューの作り方をもう1度教えてくれって言っておいてほしい。それから、ありがとう。俺のために帰る場所を残していてくれて。村が滅びて、みんな死んだと思って旅をしているとき、確かに仲間と出会うことができたけれど、心細かった。たとえ旅を終えたとしても、その先の未来が俺にはないような気がして…。けれど、今ははっきりと俺の帰る場所がイシの村だって言える。エマやペルラ母さん、ルキ、マノロにダン村長、俺の帰りを待ってくれる人たちのいるところだって。だから、その帰る場所を今度こそ守るためにも、必ずウルノーガを倒して帰ってくる。エマ…ペルラ母さんを頼むよ』

「エルバ…頑張っているんだねぇ」

はっきりとエルバの文字であることが2人にはわかり、脳裏に仲間と共に船旅をするエルバの姿が浮かぶ。

手紙を胸に当て、目を閉じたエマは顔を上げる。

そして、同じ空の下で旅をするであろうエルバの無事を願った。

(エルバ…頑張ってね。私も頑張るから)

 

「…そろそろ、村に手紙が届いているころだな」

「ええ、確かにそうね…ってキャア!!」

その空の下の外海に浮かぶシルビア号が激しい雷雨にさらされ、アリスが必死に舵を切る中で船員たちがいざというときに備えて大砲の準備をする。

沈んだインターセプター号の補充用にソルティコに保管されていたもので、シルビア号が修理された際に最低限の武装として追加されたものだ。

船員たちも兵士から最低限ではあるが、大砲の使い方の指導を受けている。

「ぐううう…なんて嵐でさあ!!」

「雪がまだ降っていないだけでもマシよ!それにしても、この嵐…覚えがあるわ」

「ああ…そうだな、この嵐!!」

「むぐう、奴が近くにいる!インターセプター号を沈めた、奴が!!全員伏せろぉ!!」

ゴオオオと大きな波が襲い掛かり、グレイグの叫びと共に船員たちが波にのまれないようにその場に伏せ、つかめる場所に必死にしがみつく。

そして、甲板を巨大な影が覆いつくしていく。

起き上がったエルバはその正体である魔物をにらんだ。

「やはりお前か…ジャゴラ!!」

「ふん!!あの船と運命を共にしたと思っていたが、死にそこなっていたなんてなぁ」

だが、再び生きてあったとしても、自分にかなうわけがないとジャゴラは高を括るとともに、まだこの海に獲物がいたことを喜んでいた。

ムウレアが滅び、インターセプター号を沈めてからはつまらないムウレアの残党狩りを続け、こうして外海にも出てきた。

ザコばかりを食い殺すのに飽きてきていて、普通の旅人よりも骨のある彼らと再び会えることに喜んだ。

もちろん、それは自分が必ず勝つという前提で。

「後悔してもらうぞ、あの時…俺を確実に殺せなかったことを!!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第83話 勇者の光

「ふん!その減らず口、このバリアの前でも言えるかぁ!?」

せせら笑うジャゴラがレッドオーブの力を解放し、赤い霧が発生する。

あの時はグランドクロスでも破れなかった無敵のバリア。

あれがあの時では最大火力だったかもしれないが、今は違う。

「はあああああ!!」

両手の勇者の力を解放し、それが雷の魔力でできた両手剣を生み出す。

それを右拳で叩き壊すと、巨大な雷の剣となってジャゴラに向けて飛んでいく。

「こ、これは…!?この力は!?」

勇者の雷を覇王斬もろとも受ける形となり、それが赤い霧を吹き飛ばすと同時に肉体を雷が焼いていく。

覇王斬はバリアと相殺する形で消えたために直撃は免れたが、肉体へのダメージが大きく、バリアを再び生み出すことはできなくなる。

「インターセプター号と共に沈んだ英霊たちの無念、ここで晴らす!!はあああああ!!」

船をつかもうとするジャゴラの右腕めがけて、グレイグの天下無双が放たれる。

巨大な腕をグレイドアックスの刃が何重にも切り付けていき、それが深い切り傷となり、そこから噴き出る血が甲板を汚す。

続けてロウは精神を集中させ、全力でジャゴラの額に向けてグランドクロスを放つ。

バリアを破れなかったグランドクロスだが、それがないジャゴラには十分すぎるほどの破壊力を発揮し、額を中心に巨大な十字の火傷ができる。

「あああああ!!こんな、無敵の俺様に傷がぁぁぁぁぁ!!!」

レッドオーブが与えられ、六軍王としてロトゼタシアの海を恐怖のどん底に陥れたはずの自分がなぜこれだけの傷を負うのか?

「レッドオーブに頼っていただけだろう!?」

「返しなさい!これはローシュ様のお仲間のものよ!!」

鎧をまとったマルティナは額を抑えたためにがら空きになった腹部にめがけて飛び蹴りを叩き込む。

今度は腹部の攻撃の攻撃、バリアなしでも本来なら受け止めることができたはずの一撃だが、それを受け止める力すら今のジャゴラにはなかった。

「セレン様の仇だ…ジャゴラぁ!!」

水竜の剣と奇跡の剣を手にしたエルバは雷を宿し、ギガクロススラッシュを放とうとする。

「ぐおおおおお!!こんなところでぇぇぇ!!」

こんな小さな人間にこれから殺される現実に激昂するジャゴラだが、襲い掛かるエルバに対して、腕を伸ばすことしか守る手立てがない。

稲妻の刃がジャゴラを襲おうとする。

だが、急に黒い影が2人の間を割り込み、黒い雷を宿した杖がエルバの刃を受け止めた。

「何!?」

「フッ…双紋章というものか。確かに、抑えるには苦労するというものか…」

「貴様は…ホメロス!?」

「久しいな…友よ」

エルバのギガクロススラッシュを受け止めるホメロスだが、雷の余波は彼を確かに襲っていて、肌やローブにもダメージが起こるはずだった。

だが、確かに雷を受けているにもかかわらず、無傷の状態だった。

そして、彼の左手には勇者の痣が宿っているのがエルバの目にしっかりと見ることができた。

「拳王ネイルが言っていたことは、本当だったのか…!?」

「ネイル…ああ、オーブに宿る魂の一つか。それなら、オーブに力が存在することは明白か!!」

笑うホメロスの胸部に銀色の光が発生し、何かを感じたエルバだが、後ろには船員や仲間たちがいる以上、下がるわけにもいかなかった。

銀色の光はビームとなってエルバを襲い、大きく吹き飛ばされたエルバは甲板を転がる。

「エルバ様!!」

「く、うううう!!」

胸部と腕に重い火傷を負うエルバに回復呪文を施していく。

ギガクロススラッシュが盾替わりとなったおかげで直撃を避けることはできたようだが、それでも高い呪文への耐性を誇るはずの魔法の闘衣を焼くほどのあの光に戦慄する。

「ぐうう…助かりました、ホメロス様…」

「ホメロスよ!ここで決着をつけようとでもいうのか!?」

まさか、エルバがホメロスの言う双紋章を手にしたことがウルノーガにとって脅威と認識されたのか。

だとしたら、ホメロスの介入にも説明はつく。

グレイトアックスを構え、にらむグレイグにホメロスはニヤリと笑う。

「それも悪くない話だ。だが…今回は事情が違う。私はお前たちに贈り物をするために来たのだ」

「贈り物だと…!?」

「そうだ、ウルノーガ様の覇道を実現させてくれた返礼と思ってくれていい」

ホメロスの体が黒いオーラに包まれ、その状態で杖を構えた彼は深く瞑想し始める。

すると、周囲に次々と薄水色の火の玉が出現していき、間近でそれが現れたのを見たカミュは驚きの余り腰を抜かす。

「な、なんだ…これ!?」

「この冷たい感覚、ホメロス!一体何を!?」

「ジャゴラよ、内海外海問わず、ロトゼタシアの海の命を狩り続けたことへのウルノーガ様からの恩情だ。受け取るがいい、この海をさまよう魂達を!」

「何だと…!?」

「あ、ああ…!!」

エルバ達の耳にその火の玉たちからの声が聞こえ始める。

ロトゼタシアの海で無念の死を遂げ、冥界にさまよう魂達の声で、それらはジャコラに飲み込まれると同時に聞こえなくなっていく。

魂達を飲み込んだジャゴラからみるみると傷が消えていく。

そして、目が黒々と変色すると同時に激しく咆哮する。

「さあ、受け取るがいい…。ウルノーガ様からの贈り物を。"全滅"を…」

冷たく笑うホメロスが姿をくらまし、咆哮するジャゴラが拳をシルビア号にたたきつける。

力加減も何もないその拳は甲板を貫き、破片が飛び散る。

「死者の魂を飲み込んで、力を強めたか!?じゃが、これは…!!」

確かに回復し、圧倒的な力を見せるジャゴラだが、その動きはあまりにも粗雑で、暴走しているように見える。

実際、ジャゴラは見境なく視界に入ったものに拳を振り下ろすばかりだ。

だが、それによってシルビア号に大穴が空いていく。

このままではホメロスからの贈り物を本当に受け取ってしまうことになる。

「クレイモランまであとちょっとなのに…!!」

「くそ…なら、爺さん!!」

「うむ!!コオオオオオオ!!」

エルバとロウが精神を集中させていき、体を青いオーラが包んでいく。

そして、ロウが正面に向けてグランドクロスを放ち、エルバが生み出した覇王斬がその中心を穿つ。

(グランドネビュラで、この一撃で!!)

勇者の力も宿したグランドネビュラなら、あのジャゴラを貫くことができると思った。

実際、回転する雷と聖者の刃はジャゴラの額にさく裂する。

「ぐおおおおおお!!!おおおおおおおお!!!」

血しぶきを出しながら悲鳴を上げるジャゴラは両手で無理やりグランドネビュラをつかむ。

手からあふれ出る血に目もくれず、受け止め続けた結果、グランドネビュラを握りつぶしてしまった。

「グランドネビュラが…」

「止められたじゃと!?」

「ゴオオオアアアアアアアア!!!!」

血まみれになったジャゴラの傷が徐々に再生されていく。

グランドネビュラの破壊力のせいか、回復スピードは遅いが、それでも回復し終えるまでは時間の問題だ。

「…やむを得ないわね」

「シルビア様…?」

焦りが広がる中、一人冷静になっていたシルビアはアリスに目を向ける。

アリスはしばらくシルビアの顔を見続けた後、首を縦に振り、操縦桿を手放す。

「シルビア何を!?」

「このままだと全滅するわ。それに、逃げたとしても今のあの魔物を放置するわけにはいかない…。だから、シルビア号を自爆させて、あいつを葬るのよ!」

「ゴリアテ…」

「今のこの船には火薬がしっかり積んである。あとは、エルバちゃんとロウちゃんの力を借りれば、奴を吹き飛ばすくらいの爆発は起こせるはずよ!」

「しかし、この船は…」

「いいのよ…。船は平和になったら、また作ればいいの。ちょっと、残念だけど…」

手すりを優しく撫でるシルビアの目から一筋の涙がこぼれる。

だが、その涙を拭くと両手で頬を叩き、船員たちに命令を出す。

「さあ!!みんなは脱出艇の用意よ!!全員で生きてクレイモランで会いましょ!!」

「姐さん…くっ、合点でさぁ!!」

「急げ急げぇ!あいつは待ってくれないぞぉ!!」

船員たちが手分けをして自爆のための火薬や脱出の準備をする。

少しでも足止めをするため、ロウはゴールドフェザー数本でジャゴラの体に魔法陣を描き、マホカトールを放つ。

「これで少しでも足止めする!エルバよ、これを持て!!」

「これは…」

ロウから投げられたシルバーフェザーを受け取ったエルバだが、それからは全く魔力が感じられなかった。

魔力を出し終えたシルバーフェザーはたいていの場合、ロウがすぐに魔力を補充してくれるはずなのだが。

「シルバーフェザーにはほかにも使い方がある!それにベギラマとライデインを唱えよ!」

「あ、ああ!!」

ロウの言葉に従い、シルバーフェザーを握ったままベギラマを唱える。

すると、シルバーフェザーはベギラマの閃光を吸収していき、聖石から赤い光が淡く宿る。

「シルバーフェザーの聖石は魔力を貯めることができる!じゃが、呪文を宿すこともできるのじゃ!それを時間差で壊せるようにして、暴発させるんじゃ!それで起爆剤にできる!」

「分かった!!」

壊れても構わないのであれば、ギリギリまで魔力を詰めるまで。

エルバは全力でライデインをシルバーフェザーに詰める。

2つの異なる呪文を詰め、ギリギリまで耐えているシルバーフェザーだが、限界ギリギリのためか震えているように見える。

「エルバさん!!火薬庫の準備ができました!!仕掛けもできてます!!」

「分かった!!爺さん、あとどれだけ持つんだ!?」

「あの暴れようを考えると…もってあと2分じゃな!!急ぐぞい!!」

脱出用ボートで逃げ出し、最悪エルバとロウはトベルーラを使ったとしても、果たしてこれから起こる爆発の余波から逃げ延び、そして極寒のクレイモランへたどり着くことができるのか?

不安のある作戦だが、もうこれ以外に選択肢はない。

ロウは今にも動きそうなそぶりを見せるジャゴラを見つめた後で、船内へと急いだ。

船内では次々とボートが動き出す。

フランベルグをはじめとする馬もボートに無理やり乗せられ、船員たちに抑えられながらシルビア号を離れていく。

「頼む…!!」

火薬庫に入ったエルバは激しく揺れる船内で必死に体を支えながら、火薬樽が密集する場所にシルバーフェザーを差し込む。

そして、1つだけ長く伸びた縄のついた小さな火薬樽を固定し、縄に向けてメラを唱えた後で飛び出した。

最後のボートにはロウ達が待っていて、アリスの姿もあった。

「急げ、エルバ!!」

「ああ!!」

エルバが飛び乗ると同時に、セーニャが唱えたバギが船を海へと押し飛ばしていく。

火は徐々に火薬樽に近づいていき、それによって大量の火薬樽が爆発し、更にはベギラマとライデインで更にその破壊力を引き出す。

グランドネビュラからの回復がし切れていない今なら、この一撃でジャゴラを葬ることができる。

シルビアはこれから爆発と共に消えるであろうシルビア号を見つめる。

「今までありがとうね、シルビア号…アデュー…」

寂しげなシルビアの別れの挨拶に前後し、シルビア号は大きな爆発を引き起こす。

マホカトールを力づくで打ち破ったジャゴラがその爆発に巻き込まれ、粉々の肉片となっていく。

粉々になったシルビア号とジャゴラの肉体が宙を舞い、その周辺に雨あられと落ちていく。

「間一髪、か…うん??」

シルビア号の最期を見るグレイグは爆炎の中にある影を見つめる。

煙が晴れると、胴体まで吹き飛びながらも残っているジャゴラの腹部から下の部分が見えていた。

だが、もう生命活動を停止しているのか、グググと水底へと沈んでいく。

これによって、完全にジャゴラが死んだことを悟る。

「これは…」

上空から淡い赤の光が見え、ゆっくりとカミュの手に、ジャゴラの額にあったレッドオーブが下りてくる。

それを手にしたカミュはじっとそれを見つめる。

「なんでしょう…レッドオーブ…。なんだか、懐かしい何かが…」

「ああ…そういえば、お前はこれを手に入れようとデルカダールにいたんだったな…」

記憶のあるカミュなら、今から問いかけることもできただろうが、残念なことに今のカミュは記憶喪失。

それを探ることもできなければ、今はそれをする状況でもない。

「とにかく、まずは陸地へ向かうでがす!ここからクレイモランへは…うん、なんだぁ!?」

「これは…泡!?誰か、マーメイドハープを奏でているわけではないが…どうして?」

ブクブクと海面から発生する泡が次第にエルバ達が乗るボートを覆っていく。

マーメイドハープで人魚たちに助けを求めているわけではないのに、何が起こっているのか?

(エルバさん、皆さん…!!)

「声…どこから!?」

「エルバ様!水竜の剣が、光っています!」

「何…??」

剣を抜いたエルバが水竜の剣を見ると、セーニャが言っていたように刀身を中心に青い光を放っている。

そして、声は水竜の剣から聞こえていた。

(エルバさん、ご無沙汰しております。私はロミア、あの時は私のために本当にありがとうございました。その御恩を今こそ返します!)

「ロミアちゃん…!?どうして、水竜の剣が…」

(水竜の剣は海と繋がる剣…。私は別の場所にいますが、この剣を通して皆さんと繋がることができます)

「別の場所…一体、どこに!?」

(私たちはメダチャット地方の湖に、ムウレアから逃げ延びたほかの皆さんと一緒にいます!私たち全員の力で、エルバさん達を行くべき場所…クレイモランへの導きます!しっかり捕まっていてください!!)

泡に包まれたボートはスピードを上げていき、滑るように外海を抜けていく。

降ってくる雪はすべるように海へと落ち、視界を邪魔するものがない状態でボートたちはクレイモランへと突き進んでいく。

突き進む中、シルビアはじっとシルビア号が自爆した方角に目を向ける。

(ごめんなさい、シルビア号…。あなたを夢の舞台とすることができなくて…。平和が戻ったら、必ずアタシ、あなたをよみがえらせるから。だから…それまで、ゆっくり休んで)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第84話 黄金の都

ロミアの助けを借りることができたエルバ達を乗せたボートがクレイモランの波止場で止まり、ボートを包んでいた泡が消える。

エルバ達はボートから降りると、再び水竜の剣からロミアの声が響く。

「私はほかにムウレアから生き延びた人達と探して、ナギムナー村へ向かいます」

「ナギムナー村に…?大丈夫なのか?あそこは…」

「ええ…人魚の呪いの話は聞いています。ですが、キナイがこっそりと私たちを匿うと約束してくれました。ジャゴラがいなくなったことで、海にいる魔王軍の勢いは落ちていますし、ナギムナー村近くの海なら、影響も少ないですから」

「そうか…。生き延びてくれよ」

「エルバさん達も、平和になったら、またお会いしましょう」

水竜の剣から光が消え、ロミアの声が聞こえなくなる。

思わぬ助けに感謝しつつ、エルバ達はクレイモランの城下町へと続く正門へと足を運ぶ。

「なんだか…デジャブな感じがするわね」

「ああ。初めて来たときも…」

初めて来たときと違うのはリーズレットの力がないために氷漬けになった人々はいないことだ。

だが、それ以上に港には人の姿が全くなく、正門を守る兵士の姿もない。

「おかしいわね…魔物の攻撃を受けている痕跡もないけれど…」

「なんだか、嫌な予感がします…。…カミュ様?」

遅れているカミュに目を向けたセーニャは彼のどこかおびえているかのように震えている姿を目にする。

雪のせいではない、もっと別の何か触れたくないもの、見たくないものを本能が感じ取っているかのようで、彼の顔も青くなっている。

「す、すみません…。けど、俺…」

「…セーニャはあいつと一緒にいてやってくれ。俺たちだけでクレイモランに入る」

「分かりました。エルバ様、お願いします」

セーニャに見送られ、エルバ達5人はクレイモランの正門をくぐる。

城下町には最小限の兵士と暗い表情の住民の姿があり、その様子はフールフールの襲撃を受けたブチャラオ村をほうふつとさせた。

ちょうどエルバ達の近くを買い物かごを抱える老婆が通り過ぎる。

「失礼。何があったのです?」

グレイグが声をかけるが、老婆は悲しげな表情を見せるだけで返事をすることなく、トボトボと行ってしまう。

「もしかして、ここも六軍王の影響を…?」

「シャール殿なら、何か知っているかもしれん。まずは城に入ろうぞ」

「そうね…とても話を聞かせてくれる雰囲気じゃないわね」

 

「すみません、セーニャ…。また、迷惑をかけてしまって」

誰もいない波止場にある手ごろな丸太に2人で腰掛ける。

セーニャと話をしたことで、カミュは多少なりとも震えが収まったようだ。

こうして落ち着いていると、不意にセーニャの脳裏にソルティコの海岸で2人っきりになっていたときのこと、そしてカミュに抱きしめられたことを思い出す。

そのことを思い出すと、周りの雪が解けるほどの熱が出るかというくらい恥ずかしくなり、顔を赤く染める。

だが、ヌーク草の効果が切れている今、いつまでもここで体を冷やすわけにもいかない。

「私、ヌーク草を買ってきます。暖まれば少しは…」

「あんた達、何をしているんだい!外にいてはダメよ!!」

立ち上がろうとするセーニャとその場で待とうとするカミュに老婆の声が響く。

正門方向から聞こえた声で、グレイグ達が会った住民とは違い、まだ他人を心配するだけの余裕が残っているようだった。

どういうことかと疑問を抱くセーニャの元へ老婆が歩いてくる。

「ほら、早く宿屋か教会へ行くんだよ!!そうしないと…おや、あんた!?」

セーニャの腕を引っ張ろうとした老婆だったが、視線がカミュに向くと同時に驚きの余り彼女から手を放してしまう。

そして、ペタペタとカミュの顔に触れる。

「幽霊じゃない…本物!カミュじゃないの!なんだい、ようやく帰って来たと思ったら、こんなかわいい女の子を連れて来て…」

「俺のこと…知っているんですか?」

くすぐったい感覚を我慢するカミュは老婆の目をじっと見る。

いきなりのスキンシップに驚きを隠せないカミュだが、同時にエルバ達以外に自分のことを知っている人と出会えたことに喜びも感じていた。

「はぁ!?お前さん、忘れてしまったのかい?知ってるも何も、お前さんは…!?」

カミュのことを話そうとした老婆は急に苦しみだし、自分の喉に手を当てる。

体からは紫の瘴気を出していて、とてもそれはただの病気や呪いとは思えないものだった。

「お、おばあさん!」

「駄目、だよ…私に、私から離れなさい!!」

抵抗するかのように腕を振るい、カミュとセーニャからできる限り離れようと走り出す。

だが、数メートルくらい走ったあとで動けなくなってしまう。

だんだんと固くなっていく体と消えていく感覚。

「やっぱり…感染していたのかい…」

こうして外にいる人達を中に入れようと自主的にパトロールしていたらそうなるのも必然。

覚悟はしていたが、まさかここまで早く感染するとは思わなかった。

「うわ、あああああああ!!!」

悲鳴を上げた老婆から紫の妖しい光がひときわ輝き、カミュ達は腕で目を隠す。

光が収まり、目を自由にしたカミュ達が見たのは黄金の彫像と化した老婆の姿だった。

恐怖でゆがんだ表情や皺に体格など、その彫像はあまりにも生々しく、生きたまま固められたともいうべき姿だった。

「そ、そんな…おばあ様が、黄金に!?」

「黄金…あ、ああ…うわあああああ!!!!」

黄金と化した老婆を見た瞬間、激しい頭痛を覚えたカミュはうずくまり、声を上げる。

「カミュ様!大丈夫ですか!?」

「黄金…マ、ヤ…駄目だ、駄目だ駄目だ!あ、ああ…」

セーニャの声が届かないカミュは何者かに取りつかれたかのように動けなくなる。

一体どうすればいいのかわからないセーニャにできるのはただそんなカミュを抱きしめることだけだった。

「君たちは…いったいどうしたんだ!?」

そんな中で誰かが走ってくる音が聞こえ、振り返るとそこには厚手の紫の神官服姿で、左の肩眼鏡をかけた神父の姿があった。

「神父様、実は…」

「カミュ…まさか君がここにいるとは!?」

「カミュ様を…カミュ様をご存知なのですか!?カミュ様は記憶を無くしていて…」

「とにかく、私の教会に来なさい。今は彼を落ち着かせなければ…少し離れていなさい」

神父に言われた通り、カミュから離れるセーニャ。

神父は目を閉じて右手人差し指で印を切ると、カミュは神父にもたれかかるように倒れ、意識を失った。

「少し、ラリホーで眠らせてもらったよ。君は…?」

「私はセーニャと申します。カミュ様の…その、仲間で…」

「…そうか。詳しい話は教会でしよう。ヌーク草のお茶を飲ませてあげよう」

カミュを抱えた神父は近くで黄金となった老婆に目を向ける。

彼女に軽く黙とうを済ませると、セーニャと共に教会へと足を運んだ。

 

城内にある大会議室では重役だけでなく、クレイモランにいる学者たちも集結していて、机上には古代図書館や城内に保管されている書物が数多く積まれている。

シャールはエッケハルトの助けを借りつつ、難しい顔で学者たちがまとめた書類に目を通していた。

「シャール様…少し、お休みになられてはいかがですかな…?」

「いいえ、まだ休むわけにはいきません。今も犠牲者が出て、悲しんでいる国民がいるというのに…」

「しかし…」

今、クレイモランで起こっている異変が確認されてから、エッケハルトはシャールが休んでいる姿をほとんど見たことがない。

どこか焦燥感に駆られている彼女の気持ちは分からなくもないが、それでもほんの少しでも休んでもらわないと、今度は彼女が別の病気で倒れることになってしまう。

「シャール様、ロウ様らがいらっしゃいました」

「ロウ様が…」

「シャール様は彼らとお会いになられてください。その間のことは私が」

「…分かり、ました」

解決策が見えない今、1年前に国を救ってくれたロウ達であれば、もしかしたら何か突破口が見えるかもしれない。

シャールは席を立ち、ロウ達が待つゲストルームへと足を運んだ。

 

「どうぞ…できれば、お料理もご一緒に出したかったのですが、今は…」

「いえ、お気になさらず。ヌーク茶だけでも、あるのとないのとでは大きく違いますから」

申し訳なさそうに頭を下げるメイドにエルバは笑顔を見せ、出されたヌーク茶を飲んでいく。

ロウもヌーク茶を口にしつつ、シャールから受け取った書類に目を通す。

「ふむ…黄金病。類似したものの中には、確か人間が石になるというものもあったが…」

ローシュの時代に2度あった出来事で、魔物が生み出した灰色の雨のことだ。

紫色の雲が太陽をも隠し、その後で降り注ぐ雨は魔物だろうが人間だろうが、生物のすべてを石に変える。

雨に触れる、雨の成分が混じった空気や水蒸気を吸うことで体に影響が出て、徐々に石に変えていく。

ローシュは旅の中でその雨を降らした魔物を討伐し、天使の涙という秘薬を町にまくことで人々を元に戻したという。

だが、今回の黄金病はそれとは全く違い、話を聞く限りでは灰色の雨が降ったわけではなく、突然体に異変が起こるらしい。

「発症して、ほとんど間もなく黄金に変わってしまうのです。それが国に混乱を招いていて…」

「そういえば、リーズレッドはどこにいるんです?姿が見えませんが…」

「彼女は古代図書館で調査を行っています。定期的に伝書鳩が来て、状況を伝えてくれるのですが、やはり…これまでに前例がないと…」

「そうか…。あのリーズレッドでさえも分からぬ、か…」

著名な学者や書物をいくら調べても進展がなく、犠牲者が増える一方の状況は若きシャールの心に重くのしかかる。

国の宝である国民を守れずにいる今の自分を嘆いている様子だった。

「とにかく、情報が必要だ。2人と合流した後で、我々にできることを探そう」

「よろしくお願いいたします…。我々も何かわかればすぐにお知らせしますので」

 

「…少しは、落ち着いて眠ってくれているみたいだ。だが、久しぶりに会った彼がまさか記憶喪失になっているとは思わなかったが…」

カミュを部屋で寝かせた神父はその隣の部屋でセーニャと共にヌーク茶を口にする。

黄金病のせいで教会に来る人はいない。

「黄金病…あのおばあ様があっという間に黄金になって…」

「それが恐ろしいところです。ですので、ほとんど外に出ようと思う人がいない。そして、黄金病となって、生き延びた人はいない…恐ろしい話です」

神父として、多少の病気であれば治療してきた神父だが、この状況を静観することしかできず、できるのは黄金となった人々の供養だけだった。

神に仕え、人々を苦しみから解放する使命を持っているにもかかわらず、ここで何もできないことに恥じるばかり。

そんな中で再びカミュが来たことは、何かの導きであると信じたかった。

「…彼がクレイモランを去ったのは5年前。彼はこの町の近くで暮らすバイキングで下働きをしていました」

バイキングは北海を中心に狩猟や捕鯨、沈んだ昔の船と共に眠る宝の回収などを行っている海の男たちで、過去に戦争が起こった際にはクレイモランの海軍と共に戦っていた。

海と酒と宝、そして女を好むバイキング達に対して、クレイモランは協定を結んでおり、彼らが航海で得た利益の一部を受け取る代わりに彼らがクレイモラン領内に拠点を作ることを許し、それを保護するとともに航海時の水や食料の補給を行うことになっている。

彼らの基地はちょうど城下町の西にある洞窟の中だ。

「カミュ様がバイキング…では、カミュ様の家族も…??」

「いえ、生まれについては何も…。彼は孤児で、幼いころに妹のマヤと共にバイキングに拾われたのです」

バイキングには脛に傷を持つ者や家族や居場所を失ったものなどが集まっていて、カミュのような元孤児も珍しくない。

過酷な北海で活動することもあり、力がなければ生き延びることができない。

だから、幼いカミュや彼の妹に対しても生き延びることができるように厳しくしていたとかつてのバイキングの首領が教会に来たときに教えてくれた。

そして、カミュは時折ある休暇の際に妹と共に基地を抜け出し、クレイモランで過ごすことがあり、神父ともその際に面識ができた。

「妹…カミュ様に妹がいるなんて、聞いたことがありませんでした…」

元バイキングであることもそうだが、彼に妹がいることはセーニャにとって初耳だ。

そんな妹がいるなら、あの時クレイモランに入らなかったのはどういうことか。

少し迷った表情を見せた神父だが、話すべきだろうと考え、じっとセーニャの目を見る。

「ええ…5年前、彼の妹が病気で亡くなったのです。そして、それと時を同じくして、彼はバイキングから脱走したのです」

「そう…なんですか…」

妹のことを話さなかったのはそれが大きいのだろう。

そんな悲しい思い出のあるクレイモランにいたくないから、カミュはここに入ることはなかったのかもしれない。

カミュがどんな思いで彼女を看取っていたのか、それはきっと本当に肉親を失わなければわからないことだろう。

その夜はひどい雨が降っていて、日誌を書き終えた神父は寝ようとしていた。

扉が開く音が聞こえ、急患かと思い駆けつけると、そこにはびしょ濡れになったカミュの姿があった。

「どうしたのだ?カミュ…。ずぶ濡れじゃないか。ほら、入りなさい」

「…おっさん、俺はクレイモランを出るよ」

「出るって…一体どうしたんだい急に。それに、マヤはどうし…」

「あいつは死んだよ。急病で…」

「…そうか。でも、出て行ってどうするんだ??彼女の遺体は…」

「海に流した。黙って出たから…ボスには首をつってただのなんだの理由をつけて、死んだとでも言っておいてくれ」

力なくそう答えたカミュは扉を閉める。

急いで追いかけようと扉を開き、外へ出たがもうその時にはカミュの姿が見えなかった。

「あれから、ずっと心配していました。妹を失い、心に大きな穴の開いた彼がどうしているのか、と…。けれど、彼を心配するあなたに出会えたということは…安心していいでしょう。さて、そろそろ彼を起こすとしましょう。きっと、落ち着いているはずですから」

「私も、行きます。今のカミュ様を放っておくわけにはいきませんから」

 

「助けて…助けて…助けて…」

「どこなんだ…どこなんだ、ここは!?誰なんだ、この声は!?」

ラリホーで眠ったカミュが気が付いた時にいたのは真っ暗な洞窟の中。

他の洞窟と大違いなのはあたりに金銀財宝であふれていることで、蝙蝠や魔物の気配がないことだ。

しかし、代わりに聞こえたのは幼い少女の助けを求める声。

その声を聞くと激しい頭痛を感じる。

思い出さなければならない、けれど思い出してはならないと思ってしまう。

「君は…君は誰なんだ!?俺のことを知っているのか!?」

「助けて…お兄、ちゃん」

「ここか!?ここにいるのか!!」

痛みを必死に我慢しながら走るカミュ。

走っていると木造の薄いドアが見えて来て、それを開く。

「あ、あ、ああ…あ…」

そこにあったのはポニーテールでホットパンツと腹部を露出したシャツに毛皮でできた薄手のコートをつけた、クレイモランの地域で暮らすにはあまいにも快活すぎる服装をした幼い少女の姿をした黄金の像があった。

首には赤い宝石がいくつもちりばめられている黄金の首飾りがぶら下げられていて、助けを求めるかのように手を伸ばし、悲しみに満ちたその像を見たカミュの表情が恐怖でゆがむ。

「あ、あ、あ…マ、ヤ…あああああ!!」

「カミュ、様…」

「セーニャ…??」

背後からセーニャの声が聞こえ、振り返るとすぐにそれを後悔することになる。

そこにはあの老婆のように瘴気を放ち、徐々に体が黄金へと変わろうとしていたセーニャの姿があった。

彼女の首にはあの少女と同じ首飾りがついていた。

「カミュ、様…助けて、ください…」

「セーニャ…セーニャ!!うわああああああ!!」

 

「セーニャ!!はあ、はあ…」

「カミュ様…大丈夫ですか!?汗で…濡れていますよ」

飛び起きたカミュの憔悴しきった様子をセーニャは心配そうに見つめる。

神父と共に部屋に入ると、そこにはうなされるカミュの姿があった。

カミュの視線はセーニャの首元に向けられる。

あの首飾りはなく、それでカミュはあれが生々しい夢であることを自覚した。

そして、その恐怖は脂汗となってカミュの体にへばりつく。

神父から受け取ったタオルを手に取り、体を拭いていく。

「ひどく、うなされていたようだな。記憶を無くしたとしても、事実は消えないということか…」

「はあはあ…行かないと、行かないといけない…」

「行くって…カミュ様!?」

急にベッドから降りたカミュは役目を終えたタオルを神父に返し、扉のある方向へ走り出す。

彼を止めようと手を伸ばすセーニャだが届かず、カミュは部屋を出てしまう。

「カミュ!?黄金病が蔓延しているというのに…」

「カミュ様!お待ちください、カミュ様!!」

足の速いカミュを今から走って追いつけるかどうかは分からない。

城にいるであろうエルバ達の元へ向かい、助けを求めるという選択肢もあっただろう。

だが、カミュのことで頭がいっぱいになっているセーニャにはその選択肢を取るという発想が浮かばなかった。

カミュがいるであろう教会の外へ飛び出していく。

「待ちなさい!!」

追いかけようとする神父だが、突然甲高い鐘の音が耳に届き、神父の足が止まる。

黄金となった犠牲者がここにいない理由、黄金となった人が現れてしばらくしてからやってくる災厄。

それが再びクレイモランにやってくることを告げるものだった。

 

「伝令!伝令!!黄金のロングシップが迫っているぞぉ!!」

外壁の見張り台にいる兵士が海からやってくる数隻のロングシップを見つけ、警報の鐘を鳴らし、別の兵士が弩を手にして迎撃の構えを取る。

波止場にやってくるロングシップの上には黄金や宝石でできた人骨で、毛皮のついた鎧で身を包んでいる。

彼らは外壁から降ってくるボルトを黄金のバックラーで受け止めつつ、なおも黄金の帆で風を捕まえて波止場へと進んでいく。

船を炎上させようと火矢も飛んでくる。

炎に弱い彼らだが、それでも木造のロングシップとは異なり中々炎上せず、3隻がついに接岸する。

「野郎どもぉ!!カシラへ貢ぐ宝を手に入れるぞぉ!略奪だぁ!!」

ひときわふとやかな黄金の骸骨兵が最初に船から出ると、右手に握る黄金の戦斧を掲げた。

左手の盾には交差する斧とドクロが刻まれていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第85話 黄金のバイキング

「ぐあああああ!!」

「ヘインズ!?くそ…!なんなんだよ、この力は!」

ラウンドシールド諸共腕を斧で切り裂かれてうずくまる部下を目の当たりにした小隊長のトラッドは部下の無念を晴らすべく、黄金のバイキングに槍を突き出す。

だが、柔らかいはずの黄金を鉄の槍の穂先は通すことができず、ただ甲高い音が鳴るだけだった。

「ふん…雑魚めが。あとで相手をしてやる、待っていろ」

なおも槍で攻撃しようとする彼に目もくれず、バイキングはかろうじて息をしているヘインズに歩み寄る。

そして、その頭をつかむとヘインズの体を紫の瘴気が包み込む。

「が、あ…あああああああ!!」

「ヘインズーーーー!!」

一瞬で黄金の彫像へと姿を変えたヘインズの姿にトラッドが激昂する。

だが、傷一つ与えることのできない男の怒りはバイキングにとっては痛くもかゆくもない。

「この世界の黄金はすべて、六軍王キラゴルド様のもの!宝石だろうが、人間だった黄金像だろうが構わん!!根こそぎ奪い尽くせ!!」

次々と城門から侵入してくる黄金の兵士たち。

トラッドはこの目の前に広がる惨状がとても現実のものとは思えなかった。

ここにいる兵士たちは過酷なこの雪国で国民を守るべく、力をつけてきた者たちばかり。

確かに、大国であるデルカダールや騎士の国であるサマディーと比較すると名将といえる存在が不在で、軽くみられるところはあるかもしれないが、それでも長年守り続けてきた自負はある。

だが、この黄金兵どもはそのプライドすら粉々に打ち砕いて行っている。

「ありえ…ない…」

呆然とする彼の背後からブスリと冷たい感覚が走る。

視線を下に向けると、自分の胸を貫く黄金の刃が見え、吐血した後でその体は黄金へと変わっていった。

 

「くっ…この戦い方は!?」

騒ぎを聞きつけ、城を飛び出したエルバ達は人々を守るべく、黄金兵たちと交戦する。

投擲される斧をデルカダールの盾で受け止めるグレイグは彼らに違和感を抱く。

斧をメインとした装備に同じような模様のついた楯や武器を持った黄金兵同士による連携。

見張りの兵士による知らせでは、彼らは黄金のロングシップを複数隻使ってやってきたと聞く。

「まさか、魔物に乗っ取られたというのか!?バイキングは…」

「それだけじゃないわ!きっと…彼らが黄金病の手掛かりを!くっ!!」

アムドしたマルティナは長刀で飛んでくる斧を受け流すとともに、黄金にされ、持っていかれた兵士や住民の姿に唇をかみしめる。

リーダーと思われる大柄の黄金兵の言葉が正しければ、彼らは六軍王のキラゴルドの配下。

悪趣味な黄金像を手にしている姿から、その六軍王がブギーにも似た下劣さを持っているように思えた。

「そういえば、セーニャちゃんとカミュちゃんはどこにいるの!?姿が…見えないわ!!」

「むぅ…屋内に避難しておればよいが…!?ええい、邪魔をするでないわぁ!!」

周囲に群がる黄金兵に向けて、ロウは最上級氷結呪文マヒャドを放つ。

クレイモランの極寒の気候と相まって、周囲の黄金兵たちは降り注ぐ巨大な氷の柱に打ち砕かれるか、閉じ込められていく。

逃げ道をなくした黄金兵の頭上に覇王斬の刃が降ってきて、彼らは一足先に砕かれた仲間の後を追った。

「波止場に待たせていたからな…もしかしたら、まだ外にいるかもしれない」

「エルバ、カミュとセーニャを探して!!街中の奴らは…私たちがどうにかするわ!!」

「…任せた!!」

進路の邪魔になる黄金兵をライデインで破壊し、水竜の剣と奇跡の剣を手に西側の裏門へと走る。

(カミュ…セーニャ…どこにいる!?)

2本の剣で黄金兵を斬りながら、エルバは仲間の身を案じた。

 

「はあ、はあ、はあ、はあ…」

波止場から西にある小高い崖の上で、傷だらけになっているセーニャが右手のスティックを構え、彼女とカミュを取り囲む黄金兵たちを見つめる。

カミュを追いかけてここまで来てほんのわずかな時間で黄金兵たちが襲撃してきた。

記憶のないカミュはうまく戦うことができず、本来なら前に出ることのないセーニャが代わりに前に出る始末だ。

「おい、女はともかくあの男は生け捕りにしろよ?キラゴルド様からの命令だ」

「ああ、ああ、分かってる。生け捕りしたら一生飲めるだけのエールをくれるんだろ?」

「そういうことだから、邪魔せずにさっさとどけよ、女ぁ!!」

「嫌です!絶対にどきません!!」

接近してくる黄金兵に向けてバギマを唱え、後ずさりする。

バギマの竜巻は黄金兵をボロボロにするだけの切断力があり、それゆえに魔物たちは無理やり突破することはできない。

だが、何度もそんな手を使っていたらセーニャのMPが尽きるのは明白で、仮にそうなると残る手は今持っているスティックだけになる。

実際、先ほどのバギマを使ったことでMPが限界ギリギリになっており、セーニャにも疲労が目立ちつつある。

「セーニャ…俺のことはいいから…」

「いいわけないじゃないですか!!」

ダーハルーネでカミュは命がけで守ってくれた。

だから、今度はこちらが守る番。

グズな妹でも、1人くらいなら守ることはできる。

(お姉さま…お姉さまも、おひとりで戦っておられるんですよね?なら…!)

どこかで生きているベロニカに恥ずかしくないように。

接近してくる黄金兵に再びバギマを放とうとする。

だが、そんな彼女に向けて斧が飛んでくる。

呪文を唱えるのに集中していた彼女はわずかに気づくのが送れ、斧に目が向くが、同時に何かに抱かれてその場から離れていく。

我に返ると助けてくれたのがカミュだということが分かる。

「カミュ様…」

「セーニャ…俺のせいで、こんなに傷だらけに…」

「構いません…。私は回復呪文が…」

「…俺の、せいで…」

間近で傷だらけのセーニャを見たカミュの表情が曇る。

そして、立ち上がると黄金兵たちの元へ歩いていく。

「待て!俺が目当てなんだろう!?俺を連れていけ!その代わり彼女に…セーニャには手を出すな!!」

「カミュ様!?」

「へっ…最初からそうすりゃあいいんだよ、連れていくぞ!手柄は俺たちのものだぁ!!」

「お待ちください!そんな…そんな!!」

黄金兵に連行されようとするカミュを追いかけようとするセーニャだが、短時間に数多くの黄金兵を相手にし、普段以上に呪文を連発したことがここで極度の疲労となってツケとなる。

膝をつき、その場から動けなくなり、ただカミュが連れていかれるのを見ていることしかできない。

カミュや黄金となった人々、そして城下から奪った財宝を積んだロングシップが波止場から離れていく。

疲れ果てたセーニャは目に涙を浮かべ、それを見送ることしかできなかった。

「カミュ…様…」

「セーニャ…おい、セーニャ!大丈夫か!?」

エルバの声が聞こえて来て、それと同時にセーニャは意識を手放した。

 

教会の聖堂ではエルバ達が椅子に座り、誰も言葉を口にすることができずにいた。

確かにエルバ達は数多くの黄金兵を倒したが、兵士や住民に犠牲者が出たうえにカミュも連れ去られた。

住民の多くは城に避難していて、皆が恐怖や喪失に涙しながら時を過ごしている。

沈黙の中で扉が開き、神父と共にセーニャが出てくる。

「セーニャちゃん、もういいの?倒れてそんなに時間がたっていないわよ?」

「大丈夫です、シルビア様。魔法の聖水を飲ませていただきましたし、神父様の回復呪文で傷も治っていますから…」

「セーニャ…たった一人でカミュを守るために戦っていたのね…ごめんなさい。無理にでも一緒にいるべきだったわ」

「悔やむのは後です、姫様。それよりも…あのキラゴルドという六軍王の元にカミュがいるのならば、助け出さなければ…」

「ふむ…じゃが、一つ気になることがあるのぉ。なぜ、奴らはカミュを捕まえるときだけは黄金に変えなかったのじゃ?問答無用に人間を黄金に変えておったというのに…」

「それは、カミュが神父殿の言っていたバイキングの手下だったことも関係するのか?」

セーニャが眠っている間に、エルバ達は神父から彼の過去をある程度聞いていた。

戦った黄金兵たちの装備や戦い方はバイキングのもので、過去にクレイモランと合同で魔物の討伐を行った際にはバイキングと共闘したことのあるグレイグもよく知っている。

「カミュ様を捕まえることは…キラゴルドから直接下った命令のようでした…。カミュ様の身に何かが起こる前に、お助けしなければ…」

「バイキングのアジトは城下を出て西にあります。もしかしたら、彼らはそこに…」

「なら、すぐに動くぞ。六軍王もいるなら、早く仕留めたほうがいい」

カミュだけでなく、数多くの人々が黄金にされ、連れ去られている。

彼らを助けることができるかはわからないが、これ以上犠牲者を出すわけにもいかない。

荷物を手にしたエルバ達は立ち上がる。

「カミュ様…待っていてください。今、お助けに…」

「セーニャさん、お待ちください。あなたにお渡ししたいものがあります」

呼び止めたセーニャを神父が手招きし、エルバ達は足を止めると彼女は彼に案内され、教会の女神像の裏にある床下の隠し階段に案内される。

神父と共に中に入り、石でできた真っ暗な空間の中で神父は松明に火をつけ、周囲を明るく照らす。

そこには非常用の食料と酒、そして武具が保管されており、神父はその中にある宝石付きの宝箱を開ける。

「これは…」

「昔の話です。今はバイキングの頭領をしている男を私は助けたことがあります。彼と個人的に話をするようになったのはその縁があったからです」

神父にとってはなんということもないきっかけだった。

ただ、腹をすかしてさまよっている浮浪者に食べ物を恵んだだけのことだ。

その食べ物によって命をつなげた彼がバイキングとなり、頭領となった日にその時のお礼をしたいと言って、この宝箱の中身を置いていった。

彼曰く、その日の食事にはそれだけの価値があったとのことだ。

これは大昔に沈んだ大型商船の中に会った鋼鉄の金庫の中にあったらしい。

それを手に取ったセーニャはそのあまりの美しさと感じる魔力に目を丸くする。

肩や背中を大きく露出させ、白と水色の薄手の繊維で作られたローブと、細やかな細工が施され、エメラルドのような魔石を埋め込まれたティアラ。

「聖女のローブとティアラ、と彼は言っていました。もし彼の身に危機が迫っているというなら、これを使って助けてほしい」

「よろしいのですか?そんなに大切なものを私に…」

「あなただから、です。それに、彼を…カミュのことを心から愛しているあなたなのですから」

直球でそのような指摘をされ、顔を赤く染めるセーニャだが、胸の高鳴りと共に嬉しさも感じていた。

このような状況でおかしいとは分かっているが、それでもこの気持ちが抑えられない。

「カミュのこと…よろしく頼みます」

「…はい」

 

「ギャハハハハ!!うまい、うまいぜぇ!」

「我らに、キラゴルド様に、そして崩壊する世界に…スコール!!」

「スコール!!」

宝石や黄金の山に包まれる中、木製ジョッキにひたひたに注がれたエールを黄金兵たちが飲み込んでいく。

カミュを捕縛したという報告を送ると、すぐにキラゴルドから賜ったエールが今、この部屋の中央の巨大な杯の中にある。

この酒くらい空間の中に牢獄があり、その中にカミュが手かせをつけられた状態で座っている。

「おいおい、何辛気臭い顔をしてんだよぉ」

酔って赤くなっているらしい黄金兵がエールが入ったジョッキを両手に持ってフラフラと千鳥足でカミュの元へやってくる。

「もうすぐこの世界は壊れるんだ!いっぱい黄金だってあるんだぜぇ?もっと楽しめ…よぉ!!」

左手のジョッキから放られたエールがカミュを頭から濡らす。

鼻が曲がるほどの濃度のエールだが、今のカミュはそのようなことを気にできるほどの余裕はない。

「へっ…だったら、便所に放り込んで、小便ぶちまけてやってもいいんだぜ?この宴会の後でなぁ!」

みんな酒が回っているから、すごいサイクルで黄色いエールを飲ませてくれるだろうよ、とせせら笑いながら戻っていく黄金兵の言葉はカミュには届かない。

カミュはただ、この洞窟の中、そしてこの酒の多い宴の光景に感じる既視感と時折感じる頭痛に身をゆだねていた。

(この洞窟…臭い匂い…。俺、ここを知っている…)

彼らを包む黄金と宝石の山の中にはもちろん、人の姿もあるがカミュは直視しないようにしていた。

「ああ、腹がエールでいっぱいだぁ!!さあて、便所便所…」

満腹になった黄金兵がフラフラと出入り口方向へ向かっていく。

そんな彼を気にせず、引き続きエールと料理に舌鼓を打つ。

「にしても、おせえなぁ!あいつ、いつまで便所行ってんだよ?まさか、吐いてるのかぁ?」

「気にすんなよ!ほら、まだまだエールがあるぞぉ!一仕事終えた後で、今日はとこと…!?」

ジョッキを掲げた黄金兵の頭頂部のゴールドフェザーが刺さる。

針に刺されたような感覚を一瞬感じたが、すぐにそれは全身を縛る感覚へと変わり、黄金兵は身動きが取れなくなる。

「な、なんだぁ?」

「まさか…侵入者?」

「ええ、そうよ。そのまさか!」

声が聞こえた方向に黄金兵たちの視線が集まる。

そこにはシルビアの姿があり、頭領の黄金兵に向けてレイピアを向ける。

「あなたたちが奪った仲間で、ウチの花婿を取り返しに来た、愛の戦士達よ♡」

「ふざけてことを言うな、ゴリアテ!!こっちが恥ずかしくなる…」

「カミュ様!お助けに参りました!!」

シルビアに注意が向いている間に、エルバとグレイグを先頭にした4人が酒の回った黄金兵たちに突撃する。

突然の敵襲の中でも対応できるように、そばに武器と盾を置いていた黄金兵たちだが、それでも酒が回っている状態では満足に動くことができず、中には手に取ることすらままならないほどに酔っているものもいた。

「可能な限り無力化しろ!魔物にされているとはいえ、彼らはバイキングだ!」

「ええ…それにしても、不用心ね!そんな動きじゃ…私たちを止められないわよ!?」

動きがのろくなった黄金兵たちに向けてマルティナの爆裂脚が襲い掛かる。

次々と襲う蹴りが鎧をへこませていき、最後の渾身の一蹴りによって財宝の山へと吹っ飛ばされていった。

「こい、六軍王の手勢め!このグレイグが相手となる!!」

「グレイグ…ああ、キラゴルド様が言っていたなぁ。ホメロス様が首を求めていると…。ならば、この俺、シグルが貴様を殺して、更に褒美のエールをもらう!!」

黄金兵たちの頭領、シグルが斧とラウンドシールドを装備してグレイグの前へと進んでいく。

「魔へと堕ちたか…せめて、この俺が相手になってやるぞ、シグルよ!!」

グレイトアックスを手にしたグレイグがまずはあいさつ代わりと真空の刃を放つ。

それに構わず突っ込んだシグルはラウンドシールドに守りを任せ、グレイグに斬りかかるが、デルカダールの盾の堅牢な守りがそれを阻む。

「いい盾だなぁ。てめえを殺したら、そいつを俺のものにしてやる!」

「この盾は渡さん!我が誓い、陛下の想いを宿したこれは!!」

 

「カミュ様!大丈夫ですか…!?」

「セーニャ…」

戦闘をエルバ達に任せたセーニャが手に入れた鍵で牢獄の扉を開く。

カミュの瞳に映るセーニャは穢れのない純白の、まるで花嫁のような、天使のような姿だった。

鍵が開き、牢獄に入ったセーニャはカミュにつけられた枷の鍵を外す。

ちょうどその時、グレイグがグレイトアックスでシグルの斧を受け止め、つばぜりあっていた。

「ロウ様!準備は!!」

「待っておれい…これで、十分じゃぁ!!」

壁にゴールドフェザーを突き刺し、それに向けてロウは魔力を注ぎ込む。

この空間を覆うように6本のゴールドフェザーが設置され、それらが光の線で結びあい、魔法陣へと変換される。

グロッタで発動したものを再びここでも発動しようとしていた。

「邪なる魔力よ、退け!!マホカトール!!」

光の結界の中で、シグルをはじめとした黄金兵たちが苦しみはじめ、バタバタとその場で倒れていく。

そして、やがてその姿は徐々にバイキングヘルムをつけ、体の各部に動物や神を模した入れ墨を刻んだ粗暴な男たちへと姿を変えていく。

「やはり…神父殿の考えていた通り、魔物であったか…」

「マホカトールがなければ、どうなっていたことか」

おそらく、キラゴルドを倒すまでは魔物から元に戻れず、余裕がなくなったら倒さざるを得なかっただろう。

グレイグは倒れ伏したシグルを見つめる。

「この者らはじきに目が覚める。マホカトールの中であれば、安全じゃろう。それよりも…大丈夫か?カミュよ」

「はい…ありがとう、ございます。ご迷惑をおかけしました」

セーニャに連れられて牢獄から出たカミュは2度までも迷惑をかけてしまったことを詫びる。

「そんなこと…。私を助けるために捕まったんです。むしろ、謝らなければならないのは私で…」

「はいはい。そこまでそこまで!カミュちゃんが無事でよかったから、いいじゃない!これでおしまい!!」

「そうね、それよりも…今度はキラゴルドの元へ向かうわよ。黄金病の原因が奴なら、放っておくわけにはいかないわ」

マルティナが見つめろ、シグルが座っていた椅子のそばにある抜け道。

その先にはおそらく、キラゴルドが待っているはず。

「…あそこだ、あそこへ…行かないと…」

「カミュ様…?」

ベッドでうわごとのように言っていた、行かないといけない場所。

彼の言葉が正しければ、その場所はその先にあるのかもしれない。

「カミュ様、案内していただけますか?カミュ様がいかなければいけないところへ…」

「それは…」

「カミュ…?」

「そこへ行ったら…皆さんに、ご迷惑を…」

表情を曇らせるカミュが細々と濁ったしゃべり方で逸らす。

あの先に行くのは一人だけでいい、一人で行かなければならない。

その考えがカミュをむしばんでいることは一目瞭然だった。

「連れて行ってください、カミュ様…。カミュ様は…私にとって…いえ、私たちにとって、大切な人なんですから…」

「セーニャ…」

セーニャの純粋なその思いはカミュにとってはまぶしすぎる。

その分、自分が影のように思えてしまい、仕方がない。

その光にかなうはずもなく、カミュは首を縦に振った。

 

バイキングのアジトを北に出て、すぐにエルバ達の目に見えたのは金色の輝きを放つ小さな城。

山の中にある小さな平地に無理やり築いたようなもので、あまりの輝きは遠くからでもはっきりと見ることができた。

「黄金の城…あそこにキラゴルドが…」

「いやあねぇ。金もあそこまでこだわったら、目に毒ね」

「カミュ様、カミュ様がいかなければならないところというのは…」

「…あそこ、です」

ゆっくりと前を歩き、カミュが指をさしたのは、ちょうど黄金の城を隔てるようにそびえる山のそばにある小さな小屋。

長い間手入れされておらず、壁や屋根にはいくつもの穴が開いていた。

カミュに案内され、小屋の前まで来ると、先頭に立つカミュは扉に手を伸ばす。

だが、ドアに触れようとする直前に手が激しく震えはじめる。

呼吸も急激に不安定になり、視界が黒く塗りつぶされる感覚に襲われたカミュは後ずさりしてしまう。

「カミュ、あなた…」

異様なまでのおびえた姿を見たマルティナはこの小屋に彼が最も恐れているものがあるかのように思えた。

彼のここでのトラウマといえば、死んだ妹のこと。

だが、彼女は神父の話が正しければ、海へ水葬されたはず。

たとえ水葬したとしても、妹が死んだその場所自体が怖くて仕方がないということなのか。

「…俺が開ける。カミュ、嫌なら見るなよ」

無理やりカミュと小屋のドアの間までやってきたエルバは小屋の扉を開き、カミュはその中を見ないようにと目をそらす。

先に小屋に入ったエルバはその中を見る。

ボロボロになった暖炉と虫に食われたゴザ。

そして、部屋の中央にはそんなさびれた場所には不釣り合いな、砂金の山があった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第86話 マヤ

「ない…ない…」

屋内に入り、砂金の山を見つめたカミュはあたりをきょろきょろと見渡す。

自らの直感が正しければ、ここに本来あるはずのものが存在しない。

だが、そのことになぜかほっとしている自分も感じることができた。

「確か、俺は…ここで…うう、頭が…!!」

砂金の上で膝が折れ、両手で頭を抱え始める。

クレイモランから感じる頭痛がここに来て、さらに激しいものへと変わってしまっていた。

「カミュ様…」

「ここでいったい何が起こったというのじゃ…?」

「その答えを、これが教えてくれるだろう」

瓦礫と化した暖炉のそばにある大樹の根。

それに反応するように、エルバの両手の痣も光っていた。

大樹の根に触れることは問題ないが、懸念があるとすればそれをカミュが見てしまった時の影響だ。

見たくないもの、見せたくないものまで大樹の根が見せてしまうのではないか。

頭を抱えるカミュに一抹の不安を抱きつつ、エルバは大樹の根に手をかざした。

 

大樹の根の光がエルバ達を包み、その光景はさらさらとした光に包まれたバイキングのアジトへと変わっていく。

波止場に係留されているロングシップへ、白の上下に丈の短い青の上着を重ね着した姿をしたカミュが重たい木箱を積んでいく。

顔立ちが今のカミュと比較するとエルバに近いあどけなさがあり、神父の言う5年前の彼と言えるものだろう。

何箱も一人で積み続け、その前にも部屋の掃除やクレイモラン王家に上納する財宝を箱詰めするなどの作業もしていたことから疲れを見せたカミュは一度手足を止める。

すると、バイキングメットをかぶった大柄の男がそんなカミュをにらみつける。

「おい…カミュ、テメエ。何いっちょ前にサボろうとしてんだ?まだまだ箱は残ってんだぜ?少しでも早く出航できるように、チャッチャと動け」

「ちっ…」

「なんだ?その舌打ちは。10年前、雪の中で震えていたガキ2人を今日まで面倒見てやった恩を忘れたか!?」

「分かってる…。悪かったよ」

「ふん…!なら、さっさと運べよ」

そう言い残したバイキングはアジトの奥へと戻っていく。

ようやく荷物を積み終え、疲れ果てたカミュはその場に座り込む。

あと少しでご飯の時間になり、それまでは仕事はないだろうし、あのバイキングも戻ってこないだろうと考えて休憩を取る。

「あーあ、まーた怒られてやがんの。ヨーリョウ悪いよな、兄貴は」

座り込むカミュの背後から快活ではあるが、バイキングの影響か汚い口調となっている少女の声が聞こえる。

体を倒して見上げると、そこにはカミュの夢の中にいた少女の姿があった。

ただし、それは黄金でのものではなく、カミュと同じ髪と瞳の色、肌をしたれっきとした人間のものだった。

「マヤ…」

「ま、兄貴の気持ちもわかるけどな。おれもアイツら、大っ嫌い!」

きっと、戻ったあいつは面倒ごとを押し付けることができたことから酒を飲んでいるだろうよとつぶやくとともに、彼が歩き去った方向に唾を吐きかける。

声も唾もまずいと思い、カミュはシー、と口に人差し指を当てる。

そんなことを気にせず、マヤはその場で胡坐をかく。

「そんなにビビんなよ、ほら!兄貴にいいモンやるから」

そういって投げつけてきたものをつかみ、確認したカミュの背筋が凍り付く。

それは以前帰って来たロングシップに積まれていた古い金貨だ。

確かに、何も知らなければいいものだが、今のカミュにはとんでもない厄介物だ。

「お前…!!またやったのか?前にもアイツらから財布をくすねたせいで怒られただろう!?」

「その金で前にクレイモランで遊んだのはどこのどいつだよ?」

「知らなかったんだよ…知ってりゃあ、使わなかった…」

以前、バイキング達が出港していないときにマヤから駄賃がもらえたからと誘われ、2人でクレイモランへこっそり遊びに行ったことがある。

そこで、その金を使って玩具や菓子を買ったりした。

そこまでなら子供の楽しみだっただろうが、問題はその金がマヤがバイキングの一人から盗んだ財布から出たものだったということだ。

そのことは当然バレて、戻って来たバイキングで、盗まれた構成員から修正を食らうことになった。

そして、またマヤは手癖の悪さを発揮して、こんなものをちょろまかしている。

さらにここで悪いことに、先ほどのバイキングが戻ってきていた。

明らかに怒っている様子で、その怒りの理由は火を見るよりも明らかだった。

 

「痛たた…くっそう、しくじった…」

「うう、うう…」

2人仲良くフラフラとエルバ達のいる小屋まで戻ってくる。

小屋の中はやはり過去のもので、まだ手入れなどをされている時期のもののようで、壁は最低限修理されており、暖炉の状態もいい。

だが、マヤの頭にはたんこぶができているうえに、カミュはすっかりボロボロになっていて、2人とも倒れこんでしまった。

「へへ…すっかり男前になってやんの…」

「お前のせいだろ…」

あの金貨は取り上げられ、おまけに飯抜き。

腹をすかせた状態で午後からどうやって切り抜ければいいのか。

昼からは残っているロングシップの清掃と修理という仕事が待っているというのに。

「うるさいなぁ。そんなこと言ってると、いつかおれが大金持ちになっても、兄貴にはやんないぞ」

「またその話かよ…だけど、そうだな」

そっぽを向くマヤを見た後で、再び天井を見つめるカミュは右手を上へと伸ばす。

このような生活が永遠に続くわけではない。

ろくでもない日々だが、それでも光はある。

「いつか、俺たちでドデカイお宝を手に入れてやろうぜ…そいつで、こんな生活ともオサラバだ!」

下積みを積んでいき、遠くない日にバイキングとして海に出る。

まだ今の自分の実力ではシグルに認めてもらえない。

物心ついたころから両親と触れ合った記憶がなく、人並みの生活を送ることのできない2人の願い。

それを叶えるためにも、ここでくじけるわけにはいかない。

「へへ…世界中のお宝を手に入れて、俺は大金持ちになるんだ」

互いの夢を語り合い、笑いあう。

だが、その笑いも二人仲良くなった腹の音で静まる。

夢をかなえるためにも、昼からの仕事のためにもまず必要なのは昼ご飯だった。

 

そして、それからしばらく時が流れ、家の中ではマヤがプーッと頬を膨らませ、寝転がっている。

小屋の中は散らかっているが、当のマヤは気にしていない。

「なんだよなんだよ!兄貴だけ海に出やがって…ちくしょう」

1か月前、ようやくカミュはシグルに認められ、初陣を飾ることになった。

マヤは一人、アジトで待つことになり、いつまでたっても帰ってこないカミュに腹を立てていた。

海に出るのは一緒だと約束したのに。

「くそ…くそぉ…」

「おいおい、散らかってんぞ。まったく…帰るまでは片付けとかしとけって言ったのに…」

扉が開く音と兄の声。

振り返ったマヤは一瞬嬉しそうにするが、ハッとすると急にまた怒りだしてそっぽを向く。

怒る理由はなんとなく理解できるカミュはフウと頭を抱える。

今日明日は妹と一緒に過ごしてやれとシグルから休暇をもらっている。

その間はマヤのご機嫌伺いに費やすことになるのか。

カミュは持ち帰った麻袋から赤い宝石がちりばめられた黄金の首飾りを出し、それをマヤの頭の上に置く。

頭から感じる柔らかくも思い感触に驚き、手に取ったマヤはその輝きに目を輝かせる。

「俺が初めて手に入れたお宝さ。その…お前への誕生日プレゼントだよ…」

今回、カミュがバイキングと共に行った場所は大当たりだった。

大量の財宝と共に沈んだ海賊船を見つけ、早い者勝ちという条件で潜って探す中で見つけた船長室と思われる広い部屋の中。

そこにあった宝箱の中に眠っていた。

マヤが気に入りそうな豪華なお宝で、アジトへ戻るときはマヤの誕生日に間に合うことをひたすら願った。

このタイミングの良い日に到着できたことについては素直に海に感謝したい。

彼の予想通り、マヤの表情は嬉しさに満ちていた。

「おめでとうな…マヤ」

「…は、はあ?何、このしょぼい首飾り、兄貴さあ、おれの誕生日を祝うなら、もうちょっとがんばれよな?あ、そうそう!!この間噂で聞いたレッドオーブってのがほしいな!デルカダール王国に伝わる秘宝なんだってよ!」

元の調子に戻ったことを嬉しく思い、疲れをいやすために先に粗末な布団に横たわる。

ロングシップではなかなか寝ることができず、こんな粗末な布団であったとしても、今は心地よい。

一方のマヤは嬉しさを抑えきれず、誕生日プレゼントの首飾りを抱いていた。

「ああ…そういえば、こいつにはいわくがあって、手にした人間に次から次へと黄金財宝をもたらすんだと」

大昔はクロウという少年が浜辺でそれを手に入れ、それから金銀財宝を次々と手に入れるようになり、最終的にはすべての海を旅したと言われる伝説の海賊、キャプテン・クロウとなり、彼の船であるブラックファング号と共に伝説となったという。

ただ、キャプテン・クロウとブラックファング号は名前とその伝説のみが記録として残っていて、どういった容姿をしていたのか、そして船がどのようなものだったのかは全く分からない。

もしかしたら、あの沈んだ海賊船がもしかしたら、そのブラックファング号だったのかもしれない。

「ま…そんな嘘くさい話だが、欲張りなお前にはお似合いだろう?ひとまずそいつでしばらくは我慢を…」

ヘラヘラ笑ってマヤに目を向けるカミュだが、その笑顔が一瞬で驚愕へと変わる。

予想通り、首飾りを付けたところまでは普通でいられたが、問題は今、目の前で起こっていることだ。

マヤの手が金色の光、光が収まるとその手にはなぜか金貨が握られていた。

何の混じりけもない純金のそれに驚きが隠せない。

「マヤ…どうしたんだよ!?それは…」

「わ、わかんねえよ!?この前、クレイモランへ行った時のおつりの銅貨を磨いてたら、急に…」

マヤも目の前で起こったことが信じられずにいた。

こんなことはあり得ない、ただの夢だと確信を得るため、マヤは次に銅貨を磨いていたボロ布に触れる。

すると、今度はそれが金でできた布へと変貌を遂げた。

夢ではなく、現実。

これが金銀財宝をもたらすといういわくの真実。

その真実にマヤは笑いが止まらない。

「すごい…スゴイよ!マジですごいよこの首飾り!!なんでも金に変えられちゃうんだ!サイコーだよ、兄貴!!」

これさえあれば、バイキング達にとやかく言われなくても金を稼ぐことができる。

こんな貧乏暮らしやこれから起こる兄と離れ離れになる日々がなくなる。

そんな未来にマヤは心を躍らせる。

喜びに満ちたマヤに対して、カミュは困惑の表情を崩すことができなかった。

 

「はあ、はあ…ああ、今回の航海は大外れだったな…。ガセネタかよ…」

しばらく経ち、再びの航海から戻って来たカミュは薄い麻袋を担ぎ、ため息をつく。

今回の航海はシグルが信用しているという情報屋から手に入れたもので、南にある孤島に隠された財宝を手に入れるのが目的となっていた。

しかし、いざ島に到着し、宝箱のある場所を探しまくったがその宝はなく、島にいたのも魔物ばかりだった。

幸いそれらの魔物は食用になることから、帰りの航海での食料に使うことができ、余りはクレイモランで売却することはできるが、それでも情報料などで赤字だ。

麻袋に入っているのはその時残った干し肉だけ。

これはマヤをがっかりさせるだろうと思いながら、カミュは小屋の扉を開ける。

「帰ったぞー…。これは…」

「へへ…よ、遅えぞ兄貴!」

上機嫌で出迎えるマヤの周りには黄金の壺や食器、コインであふれている。

彼女はすっかり首飾りのとりことなっており、次々と手に入るお宝に酔いしれていた。

古くなり、いらなくなったバイキングの食器や壺などをこっそりと持ち出して、このような価値のあるものに変えることができる。

ただ、アシがついたり噂が広まると厄介なため、カミュの言いつけで売りに出すのは将来的で、今は小屋の中に保管することになっている。

最初は不服そうにしていたが、その分自分が手入れをしておけばいいということで一応納得しているようだ。

「いしし、なんだよ?もしかして今回は大失敗だったのか?しょうがねーな!だったら、分けてやるよ!俺の黄金!」

今では必死こいてバイキングとして海に出ている兄よりも稼いでいる。

その自慢も込めて、マヤは出来立てホヤホヤの黄金をカミュに見せる。

それを見たカミュの目が大きく開く。

マヤはなんでもないように装っているが、その形は鳥そのもので、それをどうやって手に入れたかはもう説明の必要もない。

「あれ?こんな小さいのじゃ、不満か?まったく、兄貴も欲張…」

「バカ!!いい加減にしろよ!!」

急に怒り出したカミュにひるんだマヤは思わず鳥の黄金を落としてしまう。

カンカンと高い音を鳴らすそれはもう生物でないことを証明している。

「おい、なんだよ急にデカイ声を出して…」

冗談きついぜ、と返したくなるマヤだが、カミュの今の表情を見た瞬間、言葉が喉でとどまる。

拳を震わせ、我慢しながらも抑えきれない怒りがマヤにもわかる。

そして、マヤの視線は地面に落ちた黄金の鳥に向けられた。

そこでようやく、マヤは自分のやっていることを理解し、表情を曇らせる。

「…分かったよ。ちょっと、調子に乗っちまった…。だからその…そんな怖い顔をしないでくれよ」

「…。俺も、悪かった。カッとなっちまった。だがな…」

「はいはい、分かったよ。しばらく首飾りの力は使わない。兄貴に預けるよ」

せっかくいい思いをしていたのに、と不満げな表情を見せながら、マヤは首飾りを外そうとする。

理解してくれたことでほっとしたカミュはようやく表情を柔らかくすることができた。

あとはマヤが外してくれるのを待つだけだが、マヤは後ろ首に腕を回している状態でアタフタするだけだった。

「あ、兄貴…どうしよう!?首飾りが外せない!!」

「外せない…?嘘だろ??ちょっと、見せてみろ」

後ろ首に手を回さないといけないから、難しいのかとカミュが後ろに回り、首飾りの接続部分に手をかける。

だが、器用さのあるカミュでもなぜか外すことができなかった。

「どうなってんだよ!?どうすりゃいいんだ?」

「分からねえ…。いったん、シグルに聞いて…」

宝に詳しいシグルなら、何か知っているだろうと考えたが、もう時すでに遅しだった。

首飾りから紫の光が発生し、同時にカミュとマヤの脳裏に言葉が響く。

(汝、欲望のままに黄金を手にしたもの。愚かしくも際限なき欲望の沼に落ちし者よ…。代価を支払う時ぞ)

「代価だって!?おい、誰だよ!?」

「うわ…兄貴、これ、何!?」

マヤの声で正気に戻ったカミュ。

だが、彼の目に映るのは紫の光を放つ首飾りの近くから徐々に体が黄金へと変わっていくマヤの姿だった。

首飾りの力が原因だということは火を見るよりも明らか。

「マヤ!じっとしてろ!!」

こうなったら無理やりでも切り取ろうと、カミュはナイフを手にして首飾りに突き立てようとする。

しかし、紫の光が障壁となって受け止めていて、首飾りに刃が届かない。

このまま無理やり突破しようとしたら、マヤを殺しかねないといったん下がったカミュだが、ナイフの刀身は砂金となり、バラバラと地面に落ちてしまう。

「マジかよ…!?おい、マヤ…マヤ!!」

(卑しき者の兄…我を見つけし者…。よく見ておくがいい。欲望に堕ちた者の末路を)

「やだやだ!!なんで、なんで俺の体が黄金に変わっちまうんだ!?」

もうすでに胴体と首の一部が黄金に変わっており、マヤは身動きすら取れない状態になっていく。

かろうじて動く手で手を伸ばし、兄に助けを求める。

それにこたえようと前に出るカミュだが、解決策があろうはずもなく、足元を見ると光に巻き込まれたのか、地面の砂が砂金へと変貌していく。

不用意に接近すれば、カミュもまた黄金となってしまうだろう。

「兄貴…助けて…」

手を伸ばすマヤに近づくことすらできなくなったカミュはかろうじて手を伸ばす。

だが、マヤのその手も完全に黄金に変わってしまい、それを見たカミュの腕が下がってしまう。

カミュ自身はそんなつもりはなく、伸ばしていたはずの腕を見るまでそのことに気付くことができなかった。

「おにい…ちゃ…」

恐怖と悲しみで凍り付いた表情のまま、マヤの顔が完全に黄金となり、ついにマヤはあの鳥と同じ存在へと変貌してしまい、同時に光も収まった。

この現実とは思えない光景に呆然としていたカミュ。

だが、マヤの足元にある砂金の山を手に取り、目の前のあまりにも生々しい妹の変わり果てた姿はそれを無情な現実としてカミュに投げかける。

砂金を持った手を握りしめると同時に、どんどんそれは零れ落ちていき、手には何一つ残らない。

マヤを救うことができなかったのと同じように。

「うわああああああああ!!!!」

 

「これが…お前の、過去…」

その絶望的な光景の後で大樹の根の光が収まり、エルバ達の表情が曇る。

砂金の山の前でうずくまっていたはずのカミュは立ち上がっていて、それをじっと見つめていた。

「カミュ様…」

「…そうさ、妹を…マヤを失った俺はバイキングを脱走したのさ。ただ…逃げたくて…俺のせいで妹がああなっちまったことを忘れたくてよ…」

記憶を失う前の、ぶっきらぼうな口調。

だが、それはあまりにも悲し気なもので、とても今のカミュの様子を喜ぶことができない。

「俺は…マヤをそのままにして、置き去りにした。あとで分かったんだ…あの首飾りは呪いの首飾り。…俺は、誕生日プレゼントにそんな恐ろしいものをマヤに渡していたのさ…」

デクと一緒にそれを突き止めた時は余計に罪悪感を抱くことになった。

ほんの少しだけ、自分のせいではないと信じていたかったが、それさえも崩れてしまった。

「自分の犯した過ちから逃げるために…ヤケッぱちになった。気づけば、いっぱしの盗賊になっていた」

強盗やケンカ、盗品の売買に密輸など、殺人以外はなんでもやっていた。

それで少しでも過去を忘れることができれば、仮に死刑になって、首つり台や断頭台に送られたとしても構わなかった。

そもそも、孤児であり、脱走したバイキングである自分に、妹を見捨てて、おまけに殺して自分にまともな生き方などできるわけがない。

「そんな時だったよ…預言者って奴が現れたのは」

それはとある小さな町で盗品の取引を終え、その金でデクと共に酒を飲んでいたときだ。

その日はマヤに誕生日で、その日はいつものようにあの日のことを思い出し、うなされる。

それを忘れるくらい飲んでやろうと、店の中の酒をありったけの金で買いたたいた。

営業時間を過ぎても外で飲み続け、酔いつぶれてしまって、いつの間にかデクとも離れ離れになってしまった。

ひどい気分になり、道端で嘔吐をしていた時、カミュの目の前に預言者が現れた。

「そいつは言っていた…。伝説の宝珠を集め、いずれ地の底で出会うであろう勇者に力を貸せ。さすれば、お前の贖罪は果たされるだろう…ってな」

「それで、妹のこともあって、レッドオーブを手に入れようとした、ということか…」

「まあな。最初は信じていなかった。酒に酔って見えた幻覚かとも思ったよ。それに、もううさんくせーものにかかわりたくなかったからな。でも…レッドオーブを手に入れようとして、死刑囚になって…ようやく、俺はエルバに…勇者に出会った」

「カミュ様…」

「セーニャ…エルバ、みんな…悪かった。随分、迷惑をかけちまったみたいだな。おまけに、見られたくねーものまで見られちまった…」

「…悪い」

誰にだってそういうものはある。

そのことをエルバは否定するつもりはない。

今回は不可抗力だったとはいえ、カミュの封印していた過去を見ることになった。

「預言者の言う贖罪の意味は分からねー…。だけど、お前らと一緒に旅をすることで、その予言を信じる気になれた。きっと、世界を救うことがそれなんじゃねーかって…」

カミュの視線がマヤがいたはずの砂金の山に再び向けられる。

ここに捨てたはずの過去が忽然と消えるなんてありえない。

それをやる存在は1つしかない。

「きっと、マヤは奴に…キラゴルドの手の中だ。俺はあいつに…何もできなかった。だから、せめてマヤを助け出して、もう2度ともてあそばれないように、埋めてやりたいんだ…」

それが、カミュに思いつく、マヤにできるたった一つのこと。

黄金になった命が大樹へ帰ることができたかはわからないが、せめて土に帰すことくらいはしたい。

「でも…最低だよな、俺は…。俺みたいな情けねー人間が…」

勇者と一緒にいる資格はない、そう言いかけたカミュだが、急に後ろから伝わる感触に口が止まる。

白くて細い腕がカミュの胴体を包んでいて、真後ろから感じる柔らかな気配はセーニャのものだということが分かった。

「カミュ様…私は、カミュ様が情けない人だなんて、一度も思ったことがありません」

「セーニャ…」

「そうだ、カミュ。お前に俺たちは何度も助けられた。ようやく、これまでの借りを返せそうだ…」

「そうそう。どーんと胸を張りなさい!カミュちゃんもアタシたちの大事な仲間なのよ」

「エルバ…おっさん…」

「そうじゃぞ、カミュよ。おぬしがおらんかったら、儂はエルバと再会することすらできんかった」

「カミュ、あなたはエルバの相棒なのよ?そのあなたがそんなことを言っちゃだめよ」

「じいさん、マルティナ…」

「国宝のレッドオーブを盗もうとしたことについてはいろいろと言いたいことはある。だが…一度はお前たちに刃を向けた俺でさえ、勇者の盾としての誇りを胸にここにいる。だからこそ、立ち上がれ。お前が大切に思う者のためにも」

「グレイグ…ありがとうな、みんな」

これがマヤへの弔いになるのかはわからない。

それに、あの過去はどうあっても消すことはできないし、許すことはできない。

だが、これでようやく終わらせることだけはできるだろう。

そのための鍵、キラゴルドがいる黄金の城は目と鼻の先にある。

「行こう、カミュの…相棒の妹を救うぞ」

「エルバ…恩に切るぜ」

決意を新たにしたエルバ達が小屋を出ていく。

カミュとセーニャだけになり、外に出ようとしたカミュだが、急にその手をセーニャに捕まれる。

「おい…どうしたんだよ、セーニャ…」

出発しないといけないときに、どうしたのかと振り返るカミュの左目の眼帯にセーニャの手が触れる。

心配そうに見つめるセーニャに気にするなと作り笑いをする。

「記憶が戻る前の記憶はあやふやだが…治そうとしてくれたんだろ?ありがとな。ま…利き目じゃねーから、どうにかなるだろ。不便なのは確かだけどな」

記憶を失っている間の目の動きを脳が覚えているのか、左側の視界がちょっと狭いくらいで特に気にはならない。

問題なく動ける自信はある。

眼球そのものの感覚はないが、少なくとも再建はセーニャがしてくれている。

更に高度な回復呪文を使うことができれば、もしかしたら望みはあるかもしれない。

そう考えているのだろうと思ったカミュだが、セーニャは何かを決心したような眼になる。

そして、眼帯に触れていた手がもう片方の手とともに伸び、腕がカミュの首を回す。

「お、おい…セーニャ…さん…??」

「カミュ様…おかえりなさい…」

その言葉の後で、カミュの唇をセーニャの唇がふさぐ。

あやふやな記憶の中で、セーニャを抱きしめたときのものがおぼろげながら残っており、それがカミュの脳裏に浮かぶ。

エルバと旅をするようになってからは控えるようにしていたが、盗賊として暴れまわっている間はいろんな女性を抱いたり、ベッドを共にしていた。

キスしたことも多いが、セーニャの唇からはそれまでの女性からは得られなかった安らぎが感じられた。

外でエルバ達が待っているが、今はこの安らぎに浸りたい。

目を閉じたカミュはセーニャの腰に腕を回し、彼女を引き寄せた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第87話 キラゴルド

「まったく…悪趣味なモンスター…ね!!」

黄金の骸骨兵や黄金兵らを真空蹴りで吹き飛ばし、黄金でできた壁に当たる。

黄金の城の中は複雑な構造になっていて、宝を奪われないようにするためか、虎ばさみや落とし穴などの罠がいくつも設置されている。

魔物を蹴散らしたマルティナが見るのは黄金となった男女で、運命を受け入れて抱き合っている状態で黄金と化しており、それが美術品のように飾られている。

「黄金にした人や生き物を飾る…一体、あのキラゴルドというのはどういう神経をしているの!?」

「うむう…いやなものじゃな。こういうものは…」

魔物に警戒し、ゴールドフェザーを手にしているロウが見ている黄金の牛にふと、過去に歴史書に書かれていた処刑道具のことを思い出してしまう。

本来は真鍮で作られているが、罪人をその中に入れた状態で火あぶりにするという。

ゆっくりとあぶっていくことから罪人が受ける苦痛はすさまじく、悲鳴や声が中にあるラッパから奏でられる音が牛の鳴き声のようなものとのことだ。

大昔に実際に処刑道具として使われていたが、現在では廃止されている。

「キラゴルドをぶっ倒せば元に戻る…そう信じてえが!!」

奥から黄金のキラーマシンがやってきて、カミュは鈍く光るカメラに向けてナイフを投擲する。

ナイフが直撃し、視界を奪われたキラーマシンはあたりに剣を振り回し続ける。

最後はエルバが発現させた覇王斬の巨大な刃によって打ち砕かれていった。

「動きが戻ったな、カミュ」

「ああ、おかげさまでな。そういわれたら、記憶を失っても体が覚えているって話はこれで嘘だって立証されたな」

カミュ自身はその間のことはあまり覚えていないが、普段なら作ることのできた音響爆弾や吹き矢用の矢づくりなど、記憶がある間は普通にできたことができなくなっていたようだ。

唯一使うことができたのはわずかな呪文で、それについてはロウ曰く、本人の素質のみに依存している呪文についてはたとえ記憶を無くしたとしても使うことができるらしい。

実際、記憶喪失の少女がどこで覚えたかもわからない呪文を使うことができたという記録も残っている。

「だが…黄金病と、黄金に変える首飾り…。もしやとは思うが、キラゴルドは首飾りを手に入れるためにカミュの妹をさらい、首飾りを手にしているのではないか?」

そして、キラゴルドはその首飾りの力を増幅させて、クレイモランに黄金病を流行させている。

そう考えると、首飾りと黄金病の結びつきを説明できる。

「くそ…!だったら、せめて首飾りを破壊しておくべきだった…」

マヤが黄金になってしまい、旅立とうとしたとき、せめてもの供養としてカミュは一度、首飾りを破壊しようとした。

だが、それによって呪いが襲い掛かることを恐れて、断念した。

もし黄金病を生み出す原因に首飾りがあるというなら、クレイモランに災厄を招いた原因は自分ではないか?

そんな考えがカミュの脳裏によぎる。

「カミュ様…」

「くそ…!考えるのは後だ!キラゴルドのところにたどり着かねえと!」

やはり六軍王の居城ということもあり、警備の魔物の数が多い。

「邪魔を…するんじゃねえ!!」

ナイフを手にし、行方を阻む魔物たちに突撃していくカミュ。

グレイトアックスの刃が黄金兵を粉砕し、黄金のゴーレムといえる魔物、ゴールドマンを魔甲拳で鎧をまとったマルティナの蹴りですっころぶ。

「ねえ、グレイグ…。レッドオーブのことだけれど…」

「姫様も気づいていらっしゃいましたか。あれは…」

パープルオーブもグリーンオーブも、グレイグとマルティナが手にしたとほぼ同時にその中の魂であるネルセンとネイルと対話し、武器となった。

六軍王と戦っている最中ということもあっただろうが、オーブはすぐに助けてくれた。

だが、レッドオーブからは何も反応がない。

オーブを取り戻した時、真っ先にカミュの元へと飛んだことから、もしかしたらカミュが選ばれたかもしれない。

オーブを奪ったジャゴラを倒してからオーブを取り戻したから、もしくはカミュがその時に記憶を失っていたということもあるのだろうと思い、最初は特に気にしていなかった。

しかし、記憶を取り戻してもなお、レッドオーブからは何も反応がなく、それに宿っているであろう魂が姿を見せさえしない。

もしかして、カミュが選ばれたというのは気のせいなのか?

仮にそうだとしたら、選ばれたとするなら今、この場にいないベロニカなのか?

それを考えている中、エルバ達はようやく最上階の扉、六軍王の間の目前にまで到達する。

それぞれが回復呪文や薬草を使って傷を癒し、この先にいるであろうキラゴルドとの戦いに備える。

(ここまで、マヤはいなかった…。もしかしたら、この中に…)

黄金にされただけに飽き足らず、連れ去られて、しかも首飾りを利用されているマヤ。

もう十分苦しんだであろう彼女がなぜまだ苦しまなければならないのか。

一刻も早く解放してやりたいと思い、カミュは重く冷たい黄金の扉を開く。

ゴゴゴと音を立てながら開き、その先にある大部屋が見えてくる。

「これは…」

開いて最初に見えたのは部屋の中央に置かれている少女の黄金像だった。

首飾りはされていないが背格好は大樹の根で見たマヤそのものだ。

「マヤ…マヤ!!」

走り出したカミュはマヤの像の前に立つ。

何年も放置してしまったが、この像の恐怖に満ちた表情に変化はなく、ひび割れなども見受けられない。

何一つ変わっていない、カミュの罪と同じように。

「迎えに来たぜ…マヤ。キラゴルドをさっさとぶっ倒して、お前を…」

マヤの像に向けて手を伸ばすカミュ。

だが、触れる直前に像はひび割れ、粉々に砕けてしまった。

「ああ…!?」

「ひどい…」

「なん…で…??」

何が起こったのか、目の前で突然起こったことにカミュの頭の整理が追い付かない。

黄金となったマヤが粉々に砕けるなど、悪い冗談、悪い悪夢としか思えない。

そんな中で、少女の笑い声が部屋の中で響き渡る。

「アハハハハハハハ!!馬鹿だなぁ、こんなのに騙されるなんて…相変わらずの単細胞って奴だな…兄貴」

「その…声…まさか!?」

「マヤ…様?」

「悪い冗談だな、カミュ…。あの玉座に座っているのが、お前の妹なのか…?」

エルバの言葉にカミュは部屋の奥にある黄金の玉座に目を向ける。

クレイモランでシャールが座っていた玉座を上回る大きさで、さまざまな種類の宝石がちりばめられた贅沢なつくりとなっているそれに座っているのは、黄金像になったはずのマヤだった。

大樹の根で見たそれと寸分の変化もない姿をしていて、唯一違いがあるとすれば、首飾りから紫の光が発生し続けていることだけだった。

「マヤ様…あなたが、カミュ様の…」

「へえ、兄貴。そういう女が好みなんだ。ってか、マヤなんてダサくて貧乏くさい名前なんて、もう捨てたよ。今はキラゴルドって呼んでよ…クソ兄貴」

「マヤ…まさか、お前が?」

「そうだよ、黄金病…だっけ?そんな名前で呼んでるあれ…ぜーんぶこの俺、キラゴルド様の仕業なんだよ」

「くっ…そんな…!」

首飾りの力が使われている可能性は考えたが、まさかキラゴルドがマヤだとは夢にも思わなかった。

先ほどのものをさらに上回る悪夢にカミュはこぶしを握り締める。

「おいおい、そんなに緊張しなくていいんだじゃないか?ビビんなよ、クソ兄貴。けなげな妹らしく、これでも気を使ったんだぜ?おとなしく黄金兵に捕まって、ここまで来てくれれば、てめえを直接俺の力で黄金に変えてやったのに。そんでもって、その後でそこのクソ女も黄金にしてやったのによ」

「マヤ…てめえ!!」

「別にいいだろ?お前…俺のことを捨てて、その女と乳繰り合ってんだろ?だったら、永遠に一緒にいられるようにしてやるんだから、ご褒美みたいなモンだろ?」

「俺のことはいい!!俺は…お前に恨まれて当然のことをした。けど、セーニャは関係ない!それに…なんでこんなことをする!?これは俺とお前だけの問題だろう!?」

確かに、マヤは調子に乗って鳥を黄金に変えてしまったことがあったが、それを反省して首飾りを外そうとした。

憎まれ口を叩きながらも本当に間違ったことはしないマヤはどこへ行ったのか?

必死に問いかけるカミュの姿にマヤはフゥとため息をつく。

妹の気持ちも知らないで、それで兄をこれまで名乗っていたのかと失望する。

「めんどくさい奴…いいぜ、特別に教えてやるよ」

 

大樹が落ちた日、当然クレイモランにも灼熱の衝撃波が襲った。

岩山に囲まれていたクレイモランとバイキングのアジトはそれが盾になったことで大きな被害を受けずに済んだ。

それはマヤがいる小屋も同じだった。

そして、哀れなマヤに救いの手を差し伸べる男が入って来た。

彼は左手を首飾りにかざすと、黄金になっていたマヤは元に戻った。

元に戻ってすぐはよくその姿が見えなかったが声ははっきりと聞こえた。

「哀れな者よ…貧しさに苦しめられ、孤独になり…挙句の果てには兄に見捨てられたか」

まるでこの小屋で起こったこと、自分の身に起こったことをすべて知っているかのような言葉に最初は頭に来た。

自分の傷口に塩を塗ろうとしているのかと思った。

だが、彼はそんなマヤの心境など構うことなく、言葉をつなげていく。

「だが、安心するがいい。絶望、欲望、孤独を味わった貴様こそ、この世界で力を得ることができる。さあ、受け取れ…」

彼はマヤにイエローオーブを差し出す。

ようやくはっきりと目が見えてきたマヤは目の前にいる存在に恐れを抱く。

柄の部分に目があり、黒々とした刀身の大剣を握る悪魔のような男で、恐怖のあまり足がすくみ、腰を抜かしてしまった。

そんなマヤに彼はゆっくりと近づいてくる。

「許せないのではないか?あの男たちを…貴様の兄を。お前を孤独にさせ、お前を見捨てた者たちに復讐し、富と力を手に入れるがいい。我は魔王ウルノーガ…この世の支配者なり」

ウルノーガと名乗る悪魔と視線が合った瞬間、マヤの脳裏に幻影が飛び込んでくる。

金髪で清楚な、マヤとは正反対の女性と幸せそうにともに歩くカミュ。

2人が唇を重ね、2人っきりのテントの中で重なり合う姿。

それを見た瞬間、マヤの中に暗い憎悪の念が宿り、涙を流しながら唇をかみしめる。

ああ、そうか…カミュは自分のことなど忘れて、のうのうと生きていたのか。

そんな男なんてもう兄貴じゃない。

怒りと共にマヤはイエローオーブを手に取った。

 

「おい…てめえら生きてるか…?船はどうだ!?船は!!」

「ああ、カシラ!問題ありませんぜ!にしても、なんだ…あの揺れは!?」

アジトの中にいるバイキング達は突然の激しい揺れに動揺し、外が見えない分、何が起こったのかも理解できていなかった。

ただの地震にしては今までにない揺れで、状況を確かめるには外へ出るしかない。

「船が無事なら、何人かで外へ確かめに行け!そして、クレイモランへ…」

「よぉ、久しぶりだなぁ…」

部下に命令しようとするシグルは突然聞こえた少女の声に驚き、それが聞こえた場所に目を向ける。

自分が座る椅子の右側にある小道から足音が聞こえ、入ってきたのはマヤだった。

「てめえは…マヤ?その姿は…それに、今までどこへ!?」

カミュの脱走は知っているシグルだが、マヤは行方知れずの状態で、いつまでも見つからない2人をとっくに死んだものと思っていたシグルは変わらない姿で現れたマヤに喜び以上に驚きを覚えていた。

「お前ら、何も知らねえんだ。命の大樹が落ちてさ…もうこの世界はおしまいなんだってさ」

「何!?命の大樹が…」

「おい、このガキ!?何ふざけたことを言ってやがる!命の大樹が落ちる…?そんなのあり得ないに決まってるだろ!?」

新参のバイキングを中心に、マヤのことを知らない男たちにはその言葉がふざけて言っている言葉のようにしか思えなかった。

突然の出来事で混乱している中で、悪質なデマを流そうとしているのか。

「落ち着け、マヤ…。まずは教えてくれ…。お前に何があったのか?カミュは…カミュはどうしたんだ!?」

「あんな奴…知らねえよ。でも、そういっているということは…兄貴、どこか行っちまったんだ…。じゃあ、しょうがねえ…」

「マヤ…お前!?」

マヤがイエローオーブを取り出すと、それと首飾りが共鳴したかのように金色の光を発し、マヤの体を金色の魔力が包んでいく。

「まずはお前たちを俺のペットにしてやるよ!!死ぬまでこき使ってやる!!」

「待て…マヤ!うわあああああ!!」

「あああああああ!!!」

黄金の光がアジトを包んでいき、男たちは次々と黄金兵へと姿を変えていった。

 

「魔王ウルノーガ…あのクソ野郎が!!」

確かに、ウルノーガならやりかねない。

絶大な魔力でマヤを呪いから解放し、奪ったオーブで力を与えることも容易だろう。

まさかそれでマヤを六軍王に仕立て、クレイモランに黄金病を、いや、首飾りの呪いを襲わせるとは思わなかったが。

「はっ、クソなのはそっちだろ。この世界のだれも…兄貴でさえ、俺を助けてくれなかった」

カミュだけは守ってくれると信じていたのに。

それを裏切った時点で、マヤはもうカミュを家族だと思うのをやめた。

結局どこまでいっても一人。

たとえ他者が苦しみ、死んだとしても、自らが傷つくことも死ぬこともない。

だから、助けられることもないし、助ける必要もない。

「でもいいんだ。ウルノーガ様が俺を復活させてくれたから。それに、この首飾りの力も思うがままだ!!あのバイキングどもを手駒に変えたように、今度は俺がこの力で世界中の奴らをこき使ってやるんだ!!」

「魔王の手下になって、そんなことを…?それがお前の望みなのか!?」

「アハハハ!今さら説教しようっての?本当にバカなクソ兄貴!」

「でも…これだけたくさんの黄金を集めても、どうしてマヤ様は寂しそうで…満たされていないのですか?」

カミュの隣に来たセーニャの静かな言葉にマヤの目が大きく開く。

ウルノーガが見せた、兄貴を奪ったクソ女。

まるで自分の心を見透かし、かき乱してくる彼女のその言葉が我慢できない。

「うわああああああああ!!!!」

激昂するマヤの体と首飾りから黄金の光が発生し、周囲の財宝が集まっていく。

イエローオーブの力によって変異していったそれらは3本爪の脚と5本爪の腕を持つ黄金の一角獣といえる甲冑へと変わっていく。

8メートル近くある巨人の中に入ったマヤの頭の動きと連動し、獣の目がセーニャに向けられる。

セーニャをかばうように前に出たカミュは自分の掌を見つめる。

「この5年間…ずっと考えていたんだ。俺が生き残ってしまった意味、やるべきことを…」

あの時、この手を伸ばしていたら何かが変わっただろうか?

マヤ諸共死ぬことになっただろうが、少なくともマヤの憎しみと欲望が育つことはなく、ウルノーガに目を付けられることもなかっただろう。

だが、生き延びてしまったことでかけがえのない仲間とセーニャに出会うことができた。

その幸せをたとえ妹であったとしても、奪われるわけにはいかない。

「マヤ…お前がそんな姿になってしまったのも、すべての原因は俺にある…。なら!!ここでお前を倒すことが、俺に課せられた贖罪だ!!」

もうこれ以上、マヤに罪を重ねさせるわけにはいかない。

過去を終わらせるためにも、マヤを葬る。

ナイフを抜き、刃を向けるカミュにマヤはこぶしを握り締める。

「クソ兄貴とそのご一行が偉そうに正義のヒーロー気取り?俺さえ救ってくれなかった奴らが…今さら!!…ああ、うざい!!超うざい!!クソクソクソぉ!!てめえも、てめえの仲間も、そのクソ女も!!みんな、みんな黄金にしてやるよぉ!!」

「カミュ様…」

「行こう、セーニャ…みんな。もう、覚悟はできている!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第88話 黄金の刃

「俺の力を見せてやる!うおおおおお!!」

激しく咆哮するキラゴルドに応えるように、周囲の黄金が変化していき、黄金のゴーレムであるゴールドマンへと変貌していく。

他にも黄金から錬成された黄金兵なども生み出され、それらがエルバ達を包囲していく。

「おのれ…!黄金化するだけでなく、黄金を自在にコントロールできるのがこれほどとは!!」

向かってくる黄金兵の1体をグレイトアックスで砕くが、キラゴルドの力によって時間がかかるものの、次第に欠片が集結する形で修復されていく。

「不死身だというの!?だったら、細かく砕いて時間を稼がないと…!」

アムドしたマルティナが爆裂脚で黄金兵を可能な限り砕いていき、ロウとエルバはそれぞれグランドクロスと覇王斬による強力な一撃でゴールドマンを粉砕する。

だが、そうした技を休みもなしに複数発使えるほどの体力は高齢のロウにはない。

呼吸を整えていくことでどうにか疲労を軽減させることができたが、仮にそれを使わなければ既に体が悲鳴を上げていたところだ。

「エルバちゃん、お願い!!」

「ああ!!」

シルビアが唱えたバイキルトを受けたエルバの肉体にビリビリと電流が流れるような感覚が走るとともに、それを強靭化していく。

本来の倍近い力を手にしたエルバのキングブレードがゴールドマンを一刀両断する。

だが、両断しただけではすぐに再生して立ち上がることから、グレイグが更に倒れたゴールドマンを破壊した。

破壊したゴールドマンを見てわかるが、物質系の魔物に備わっているはずのコアが存在しない。

おそらく、首飾りそのものがコアの役目も担っているのだろう。

結局のところ、キラゴルドを倒して、首飾りを破壊しなければいたちごっこが続くことになる。

そして、襲ってくる黄金の魔物たちにくぎ付けになっている間にキラゴルドは壁から壁へと飛び移っていき、死角からセーニャに向けて突っ込んでいく。

「セーニャ、伏せろ!!」

キラゴルドに真っ先に気付いたカミュがセーニャに覆いかぶさり、とびかかるキラゴルドの攻撃から回避させる。

「ちっ…クソ兄貴め!!」

「マヤ…セーニャを標的にしているのか!!」

セーニャのあの言葉があまりにも深く刺さったのか、再び飛び移りながら移動するキラゴルドの視線はカミュとセーニャに向けられ続けている。

その視線は明らかに殺意がこもっていた。

「くっ!!2人は奴の動きに集中しろ!どうにかこいつらを沈めたら、我々も攻撃に…!!」

「そんなこと、させっかよぉ!!」

右手に金色の光を宿したキラゴルドがそれをロウに向けて発射する。

黄金の魔物たちに注意が向いていたロウはその光を受けてしまい、同時に体が次第に黄金へと変わっていく。

「ロウ様!」

「じいさん!!」

「む…ぐぅ!!体が黄金に変わるというのはこれほどのものか…!?」

激痛が走ったかと思うと、徐々に消えていき、冷たくなる感覚。

少女であるマヤがこれほどの苦しみを味わったとなると、どれほど辛かっただろうか。

「アハハハハハ!!寿命ギリギリの爺さんなんだ!もっと生きたいなら、黄金になっちまえばいいのさ!!」

「マヤ…お前ぇ!!」

「フッ…儂には、まだ生きねばならん理由がある。じゃが…このような形になってまで生きようとは思わん!!」

アーヴィンとエレノア、そして17年前に死んでいったユグノアの国民の無念を晴らし、そしてユグノアを復興する。

それを成し遂げるには黄金になっている場合ではない。

かろうじて動く右手にゴールドフェザーを握ったロウはそれを自分の体に突き刺す。

鋭い痛みに耐えながら、黄金化していく中でまだ感覚の残っている肉体に酸素を送り、血液と魔力の流れをイメージしていく。

「マホ…カトール!!」

呪文発動と同時にゴールドフェザーの輝石が輝き、ロウの肉体の黄金化していた部分が元の肉体へと戻り、血色を取り戻していく。

しかし、それと同時に急激に息が荒くなったロウはその場に座り込んでしまう。

「はあ、はあ…まったく、年はとりたくないのぉ…」

「じいさん!黄金化を解除できたのか!?」

「ああ…すっかり、息切れしてしまっておるがのぉ…」

バイキングのアジトでマホカトールを発動したときは、魔物化したバイキング達を元に戻すことはできた。

しかし、そこにあった黄金像は解除することができなかった。

マホカトールの魔力であっても、完全に黄金化してしまうとその魔力すら耐えてしまう。

マホカトールは魔法陣を作り出す必要がある分、使用者の魔力によっては広範囲に影響を与えることができるが、どうしても『面』を重視した呪文であることから単体をターゲットにした強力な魔力に対しては解除できない、もしくは突破される可能性もある。

だとしたら、黄金化する前にマホカトールの魔力そのものを注ぎ込めばいい。

そのためには肉体に魔法陣を描く必要があるが、それを代用できるゴールドフェザーが手元にあることに救われた。

確かに黄金化を防ぐことはできたが、副作用があった。

「くうう…やはり、儂の魔力も無事ではすまぬか!!」

マホカトールの強すぎる破邪の魔力が打ちこんだロウ自身の魔力にも影響を与えており、呪文を使うことができない。

しばらく待って、魔力が流れるようになれば再び使えるようになるが、すぐにその状態に戻すのは難しい。

「黄金化しないだけマシだ!あとは…」

「そんな老いぼれジジイに気を取られている場合かよぉ!!」

再び壁を蹴って飛び込んでくるキラゴルドが動けないロウにとどめを刺すべく、腕を伸ばす。

たとえ黄金化できないとしても、この爪であれば人間の体を細切れにすることくらいたやすい。

そして、黄金化に対抗できる手段を持っているとわかった以上、生かしておくわけにもいかない。

「ロウ様!!」

急いで割って入ったグレイグがデルカダールの盾を構えて受け止めるが、受けると同時に左腕の感覚がなくなるかというくらいの強いしびれが襲う。

何か違和感を感じたキラゴルドはすかさずグレイグと距離を取る。

「はあ、はあ…どうした?まだ攻撃の手段があるだろう…?」

左腕や両足、尻尾、やろうと思えばここからグレイグに連撃を放ち、守りを突破することができただろう。

今からでも攻撃して来いと挑発するような言動を見せるグレイグにキラゴルドが舌打ちする。

強度の高いダイヤモンドでできたいるはずのキラゴルドの爪に刃こぼれが生じていて、攻撃を受け止めたデルカダールの盾には傷一つついていない。

「てめえ…盾に細工しやがったな!それで耐えやがったな!?」

「ああ、そうだ。伊達に勇者の盾を名乗ってはいない」

グレイグが行ったのは単純なことで、デルカダールの盾そのものに呪文を唱えただけだ。

ただし、使ったのはスカラではない。

スカラと比較すると、武具そのものにしかかけることができないものの、その強度を一時的に高めることのできる物質強化呪文のバイシルドだ。

現在は僧侶が習得するスカラが汎用性が高く、元々鎧や盾が守りを固める戦士に対してさらに守りを固める理由があったとしても、元々守りが高いことからスカラで十分な状況が多いことから習得する人はほとんどいない、ロトゼタシアではかなりマイナーな呪文と言える。

スカラとスクルトを習得しているグレイグも当初はそれを覚えずともよいと考えていた。

だが、習得しておけと薦めてくれたのはホメロスだった。

時には耐え凌げないほど強大な攻撃を仕掛ける魔物がいるかもしれない、そんな相手に対抗できる手段がなければ総崩れになるからと。

そのホメロスの薦めのおかげで、キラゴルドの爪から身を守ることができた。

(最も、受ける可能性のある場所にピンポイントにかけなければ、無傷では済まなかったが…)

「ちっ…でも、黄金化したらそれでしまいだ!!はあああ!!!」

再びイエローオーブの力を右手に凝縮し、今度はグレイグに向けてそれを発射する。

後ろにはようやくマルティナの手を借りて動くロウがいて、グレイグには動くことができない。

これでグレイグを黄金化し、ホメロスに献上することができる。

そうすれば、更に山ほどの黄金や財宝を手に入れることができる。

そう思っていたキラゴルドだが、その光が稲妻の宿る光と正面からぶつかり合う。

「何!?これは…!!」

「紋章閃だ…!!勇者の、光だ」

両手の痣から放つ光とイエローオーブの光が相殺する。

だが、イエローオーブの力と黄金化してしまう恐れから全力で放たざるを得なかったこともあり、疲労を覚えてしまう。

(くそ…!全力でないと防げないことは分かった。負担を考えると、また防ぐことができたとしても、1発だけか…!)

「勇者の光…!?まさか、てめえ勇者なのか!?ホメロス様、確かに勇者は死んでいるって…」

(何…?どういうことだ、ホメロス?)

デルカダールで対面してからある程度日にちは経っていて、勇者が生存していることは既に六軍王や魔王も知っているはず。

だが、六軍王の一人であるはずのキラゴルドがそれを知らず、よく考えるとジャゴラもエルバの力でバリアを解除されるまで勇者が生きていたことを知らなかった。

勇者の力を失っているからと捨て置かれたのか、それとももっと別の理由があるのか。

「んじゃあ、なんだよ?なんで勇者様であるお前がクソ兄貴の味方なんだよ!?なんであの時、俺を助けてくれなかったんだよ!?勇者のくせに!あんなクソ野郎の味方をしてんじゃねえよぉ!!!どれだけ俺をみじめにさせんだよぉ!!」

「マヤ…」

「もうみんな、黄金になっちまえ!!勇者のアバズレ女もクソ兄貴も、みんなみんなみんな黄金になれぇ!!」

キラゴルドの心の激しい揺らぎと共鳴するかのようにイエローオーブも激しい光を放ち、その光を両手に凝縮させていく。

「まずいわ…何もかも黄金化するつもりね!!」

「あの力…紋章閃を使ったとしても!!」

「く…間に合って!!」

力が解放される前に倒そうと、マルティナとシルビアがキラゴルドに向けて突撃しようとする。

だが、その行く手を阻むかのように床や壁から出てくる黄金の魔物たちが襲ってくる。

「くっ…この、ままじゃ!!」

「はああああああああ!!」

凝縮された黄金の力を一気に解放し、部屋中が黄金の光に包まれていく。

キラゴルドの視界を完全に覆うほどのまばゆい光に包まれ、その光は次第に消えていく。

光が収まると、エルバ達がいた場所にはそれぞれの黄金像が出来上がっていた。

「ハハハハハハハハ!!クソ兄貴もクソ女も、勇者様もみんな黄金になっちまった!!これで、俺が勇者を討ち取った!ついでにグレイグって野郎も始末したんだから、ホメロス様とウルノーガ様がほめてくれる!こんなチンケな城よりもいいものをくれる!!」

キラゴルドの脳裏に黄金と財宝でできた島、そしてそこにある巨大な城に暮らす自分の姿を思い浮かべる。

黄金でできたデク人形を操って自らの世話をさせて、一生遊んで暮らす。

それが六軍王となって、手に入れたいと願った未来。

正義のない暗黒の時代での楽園。

「へへへ…馬鹿な兄貴たちだよなぁ。ウルノーガ様に逆らわなければ…あれ?」

ツーと頬に感じる違和感を覚えたマヤはその頬に触れる。

頬と、それに触れた手はかすかに濡れていて、塩の匂いがする。

「んだよ…なんだよ、これ…!?」

ふと気づくと、次々と目から涙が浮かんでは流れ始め、いくら拭っても枯れることなく流れていく。

なぜここまで涙を流すのか、マヤ自身気づくことができなかった。

あれほど願っていたものが叶うというのに、これ以上ない満足を得ることができるというのに。

なのに、涙が止まらない。

涙と共に、なぜか胸が痛くなってきて、穴が開いたような感覚を覚える。

「違う…違う違う違う違う違う違う!!!なんでだよ!?なんだよ、これ!?黄金が手に入って、クソ兄貴もアバズレ女も勇者も黄金に変えて、一生気ままに遊んで暮らして、今まで俺を馬鹿にしてきた奴ら全部を見返してやったってのに、なんだよ!!なんでこんな…なんで涙が流れて、胸も痛くなるんだよぉ!?」

「お前がほしいのが、そんなのじゃねえから…だろ?」

「何…!?」

もう聞こえるはずがないカミュの声に困惑する。

まさかと思い、エルバ達のいる場所に目を向けると、そこにはなぜか五体満足で無事にいるエルバ達の姿があった。

「な…!?なんでだ!?確かに、俺の力でみんな黄金になったはずだろう!?確かに、確かにこの目で…!!」

どんな手品を使ったのか、マホカトールも使えない状態だというのにどうして?

よく見ると、エルバ達の足元には黄金の欠片が散らばっている。

「間一髪だったが、うまくいってよかった」

「うむ…じゃが、儂らはこうして生きておる。まだ望みはあるというものじゃな」

エルバが行ったのは全員に鉄化呪文アストロンを唱えたことだ。

対象や自らを鉄の塊にするもので、それによって鉄の塊となり、その後で黄金像へと変化した。

そして、アストロンが解除されたと同時にそれに巻き込まれる形で黄金化も解除された。

最も、アストロンを唱えたエルバ本人もこれで黄金化から身を守れると確証があったわけではない。

下手をすると黄金化を解除できない可能性もあったが、エルバ達は賭けに勝った。

「マヤ様…あなたは確かに黄金がほしい。けれど、それよりも一番欲しいものがあるはずです。きっと、それは…」

それはカミュと一緒に過ごすこと。

唯一の家族であり、ずっとそばにいてくれた彼と一緒にいられる未来。

「うるさいうるさいうるさい!!てめえに…クソ兄貴を奪った泥棒が…何を言って!?てめえに俺の何が…!」

「分かります!私も…私も同じですから。本当なら、すぐにでもお姉さまを探したい。お姉さまに会いたい…」

世界が滅び、どうにかイシの村にやってくるまでずっと一人だったセーニャはどうしようもなく不安だった。

エルバ達がどこにもおらず、生きているかどうかすらわからないということもある。

だが、それ以上にこれまでずっと一緒だったはずのベロニカがいないことが心細かった。

ラムダの里にいるとき、そしてそこからエルバを探しに旅立って、時折離れることがあったが、それでもベロニカの気配を感じることができ、それに従って探していると見つけることができたから心細くなかった。

だが、世界が滅び、命の大樹が失われた影響があるのか、あれからベロニカの気配を感じることができなくなった。

エルバと再会し、それから世界を回ったが、それでもベロニカの気配が感じられない。

その不安を抱えながら、戦い続けてきた。

「マヤ…俺が悪かった。お前をこんなにしちまうとわかっていたら、ずっとお前と…たとえ黄金になっちまったとしても、一緒に…」

「やめろ…やめろやめろやめろ!!今さら…今さらなんだよクソ兄貴!!なんで、なんで今になって…今になって俺に優しくするんだよぉ!!なんで構えない!!なんで攻撃してこない!?俺に…俺にこんな気持ちをさせないでくれぇ!!!!!」

溢れる感情に飲み込まれたかのように、マヤを包む甲冑にも変化が生じる。

そこから黄金の蔓が次々と伸びて来て、それが黄金の魔物を巻き込んでエルバ達に襲い掛かる。

「く…これは!?」

「黄金の力が暴走しておるのか!?」

「これだと…近づけない!!」

現在進行形で数を増やし、襲い掛かる蔓は城の屋根や壁を砕き、黄金のガレキが降り注ぐ。

それがエルバ達とカミュ、セーニャを分断してしまった。

「カミュ、セーニャ!!」

「まずいわ!!もし力の暴走を止められなかったら、クレイモランが…!!」

シルビアの脳裏に暴走する黄金の力が生み出す最悪の未来が浮かぶ。

だが、もしかしたらクレイモランだけではとどまらないかもしれない。

これがラムダの里、そして世界を襲う可能性もあり得る。

「マヤ様…」

「マヤ…」

「お兄…ちゃん…」

甲冑がひび割れ、その中にいるマヤの姿がカミュの目に映る。

悲しみを抱く弱々しい姿。

それは呪いで黄金になった時のマヤそのものに映った。

「マヤ…」

「お兄ちゃん…俺…を…俺を、殺して…」

あまりにも悲痛な願い。

それがカミュの心を締め付ける。

だが、マヤは許されないほどの大きな罪を犯した。

キラゴルドとして戦い、欲望をまき散らしたことで死んだ人間もいる。

「カミュ様…」

「…マヤ、これ以上俺のせいでお前に罪を背負わせるわけにはいかない。だから、せめて…俺が!!」

せめてもの願いをかなえるためにもと、カミュは短剣を構える。

甲冑の外に出たマヤの心臓をそれで貫けば、すべては終わる。

それでようやく、預言者の言っていた贖罪が終わる。

「カミュ様、やめてください!あきらめないで…!」

「セーニャ…!?」

急にカミュの前に、マヤをかばうように出たセーニャの目に映るカミュの顔は覚悟と悲しみでゆがんでいる。

短剣を握る手は震えている。

たとえ罪を犯したとはいえ、唯一の家族であるマヤを自らの手で殺すとなると、平常でいられるはずがない。

「どいてくれ、セーニャ!あいつを…マヤを助けるには、もうこうするしかねえんだ!!」

「駄目です!どきません!!そんなことをしたら…カミュ様は、カミュ様はもう立ち上がれなくなります!!それに…カミュ様に、そんなことを…してほしくありません…」

自分の家族、兄弟を殺すようなことに目をつぶることはできない。

セーニャの知るカミュならば、本当にそれをしてしまったら、その後何をするのか、その最悪な未来が頭をよぎる。

マヤに対してもそうだが、セーニャはカミュにも生きていてほしい。

生きて、そばにいてほしいと願っている。

「セーニャ…!それでも、俺は…俺は!!」

「カミュ様!!」

パアン、と高い音が響く。

涙を浮かべるセーニャの右掌を見たカミュはようやく鋭い痛みを感じる己の頬に触れる。

痛み以上に、あのセーニャが自分の頬を叩いたことにカミュは驚いていた。

「カミュ様…。本当はマヤ様を生きて、助けたい…そうですよね?自分の心に嘘をつかないでください。そんなの…私の…私の大好きなカミュ様ではありません…」

「セーニャ…マヤ…」

セーニャを見た後で、再び助けを求めるマヤに目を向ける。

「早く…早く、たす、けて…」

「マヤ…」

ふと、短剣を握る自分の手を見る。

その手はあの時、呪いを恐れて伸ばすことのできなかった手。

今度は殺すことでその手を断ち切ろうとしているのか?

それが本当に贖罪につながるのか。

いや、元々贖罪なんて考えること自体おこがましい。

自分のやるべきことを心に従って行い、もしそれが過ちだというなら地獄でその報いを受けるだけだ。

「悪い、セーニャ…。目が覚めたぜ。俺は…あいつを助けたい!あいつは俺の…たった一人の妹なんだ!!」

「カミュ様…!」

(ふん…ようやく心に従ったか。愚かな義賊よ)

「何!?」

急に男の声が聞こえてくる。

同時に黄金の蔓が2人に迫るが、赤い光が障壁となって受け止める。

そして、カミュは懐に入れたままのレッドオーブを手に取る。

(ずいぶんと待たせたものだな。助けたいのだろう?ならば、さっさと動け。その道を切り開く力はくれてやる)

レッドオーブがカミュの手から離れて宙を舞い、そこで2つに割れる。

そして、割れたレッドオーブを中心として次第に紅蓮の炎を彷彿とさせる赤い刃の短剣が生まれる。

それらの剣が柄の部分で連結した状態でカミュの手へと降りてくる。

(俺はラゴス…今こそ断ち切れ!過去の弱き己に!古の盟約に従い、この刃…レーヴァテインをくれてやる!!)

レーヴァテインを握ると同時に、カミュの両手に炎を直接握ったかのような熱が襲う。

一瞬、全身の血が沸騰するかのような錯覚に襲われるが、それが収まるにつれて力が湧いてくる。

「よけ…て…!!」

カミュに起こった状況の分からないマヤの小さな叫びと共に制御不能な黄金の蔓がカミュとセーニャを襲う。

それに気づいたカミュは大きく跳躍し、レーヴァテインを分離させ、逆手に握った状態で黄金の蔓を切り裂いた。

ふと、その刃を見たカミュだが、レーヴァテインは黄金化した様子はなく、刀身は赤く燃えていた。

「うおおおおおおお!!!」

この刃でなら、いける。

レーヴァテインの紅蓮の刃で邪魔な黄金を切り裂いていったカミュはついにマヤの近くまで来る。

そして、二刀に分離すると右手の刃を甲冑に向けて投げつける。

炎を帯びた刃が甲冑を溶かし、突き刺さると柄頭から伸びた緑色の実体のない鎖がもう片方の柄頭と接続する。

その鎖が収縮するとともにカミュの体が甲冑側の刃に引っ張られていき、マヤに迫る。

「マヤーーーーー!!」

「兄…お兄、ちゃん…」

ようやくマヤにたどり着けるところで、2人を阻むように黄金のバリアがマヤを覆う。

それに接触したカミュはバリアに触れたところから徐々に体が黄金に変わっていく。

「カミュ様!!」

「兄貴…やめ、ろ!!このままじゃ、このままじゃ…」

「うる…せえ!!邪魔を…すんじゃねえ!!」

黄金化していき、鈍くなる感覚を奮い立たせ、レーヴァテインを投げ捨てたカミュは左拳をバリアに向けてたたきつける。

レーヴァテインの力が残留したのか、それとも無意識に発動したのか、赤い光を帯びたその拳は本来は砕くことができないはずのバリアを一撃で粉砕する。

そして、ようやくマヤを抱きしめることができた。

「ごめんな…マヤ…」

「お兄ちゃん…!?」

黄金になりつつある手でマヤから首飾りを奪い取ると同時に、カミュの体が完全に黄金となってしまう。

マヤの体から首飾りが離れた影響か、暴走していた黄金の蔓が動かなくなり、マヤを捕らえていた甲冑も2人と共に地面に落ちる。

「カミュ!!」

「カミュ様!!」

ようやくカミュとマヤの元まで駆けつけることができたが、セーニャ達の目に映るのは黄金化したカミュとそれに抱き着いて涙を流すマヤの姿だった。

「ごめん…ごめん!!俺…俺はただ、兄貴と…お兄ちゃんと過ごしたかった…それだけなのに…」

誰の手にもわたらないようにと首飾りを握りしめた状態で動かないカミュ。

ようやく自分のことを許すことができたのか、その表情はあまりにも穏やかなものになっていた。

「そんな…こんなのって…」

「お前も無事でないと…意味がないだろう。…馬鹿野郎」

「ロウちゃん…マホカトールでどうにかならないの!?」

「駄目じゃ…完全に黄金化してしまっておる以上…たとえマホカトールを使っても、もう…」

手元にあるシルバーフェザーを使って、魔力を回復させることでマホカトールを発動させることもできるだろう。

だが、あくまでロウが黄金化を回避できたのは完全にそうなる前に発動することができたため。

完全に黄金化したものを救うすべはもうない。

「嫌です…カミュ様、やっと…やっと記憶が戻ったのに。やっと…マヤ様とお会いできたのに…」

「俺のせいだ…俺のせいで…うわあああああああ!!」

強烈な罪悪感に耐え切れず、幼いマヤにできるのは泣き叫ぶことだけ。

もう、あの小屋でケンカしていた日々も、バイキング達にどやされながらも一緒に過ごした日々は戻ってこない。

誰もがもう動かないカミュを悼む。

そんな中で、甲冑の残骸の近くに落ちていたレーヴァテインに宿るレッドオーブが光る。

(ふん…力をくれてやったというのにこのザマか。所詮、その程度の男だったということか)

浮遊をはじめ、カミュのそばまでやってきたレーヴァテインから聞こえるカミュを冷笑するような言葉。

その言葉に穏やかなセーニャも我慢できず、涙を浮かべたまま怒りを見せる。

その感情のままに言葉を吐き出そうとするが、その前にレーヴァテインに宿るラゴスの魂が言葉を紡ぐ。

(それじゃあ三流だ。だから、特別にお前に一流というものを教えてやる。おい、そこの女。それとじじいに、馬鹿勇者の生まれ変わり。ラゴス様が教えてやるんだ、力を貸せ)

「ラゴス様じゃと…?」

「盗賊というだけあって、ひどい口ぶりだ…」

レーヴァテインを中心に赤い光が発生し、それが次第に人型の幻影となる。

ドクロのついたベルトがついた赤い海賊服と皮の帽子をつけ、カミュと同じように眼帯をつけた優男だが、その口に葉巻煙草が加えている。

(じじいは聞いたことはないか?マホカトールを超える究極の破邪呪文を)

「マホカトールを超える…?」

(そうだ。まぁ、その様子だと廃れたみたいだな。ま、仕方のないことだな。こいつは使いにくいことこの上ない呪文だ。いいか?こいつは魔力は要求しない。まあ、強いて言えばそいつを唱える中心となる奴以外は魔力を使う必要はないだけだがな。そいつを中心にまぁ、強く清らかな精神を持っている奴を…まぁ、最低5人は必要だ。その心の強さを使って発動する究極の破邪呪文…ミナカトールだ)

「ミナカトール…そのような呪文が存在するとは…。大師様からも聞いたことがないぞい」

ラゴスが自信をもってその存在を教えてくれたということは、もしかしたらマホカトールでは解けなかった完全な黄金化を解くこともできるかもしれない。

だが、マホカトールそのものは若いころのロウが数カ月単位で修業してようやく習得できたもの。

グランドクロスを覚えるにも、冥界で半年近く時間がかかった。

ミナカトールはどれほど時間がかかるのか、そしてその間に失われるかもしれない命は。

(おいおい、誰が一から修行して覚えて来いって言ったんだよ?ちょうどいいものがある、おい、爺さん。持ってんだろ?俺のコインを)

「ラゴス様の…これのことですかのぉ?」

彼の言うコインは1枚しか思いつかない。

盟友から託された、イシの村で見つかった硬貨を出すと、急にそれがレッドオーブと同じ光を放ちながら宙を舞う。

そして、それが徐々に大きくなっていき、やがて天井を包むように巨大な円盤と化した。

「ラゴス様、これは…!?」

(ローシュの奴を手伝ってから、いろいろと宝が見つかってな。だから、入れておいたのさ。この中に。ああ、ちなみにお前らがオーブの力で使ってる武器、あるだろ?そいつらはこの中にあったものさ)

言い終わると同時にコインの切り傷の痕を中心にまるで扉のように横開きになっていく。

その先は夜の星空のような空間になっており、そこから7つの首飾りが落ちてくる。

水色の淡い光を放つ石がついていること以外は何の変哲もない首飾りだ。

それが落ちた後で、門が閉じて再び硬貨へと戻ってしまう。

「まさか、鍵そのものが…ラゴス様の遺産への入口であったとは…。それに、因果なことじゃ。それがエルバの暮らしていたイシの村にあったとは…」

(イシの村…?ああ、神の岩って奴のある村か。それだけどな…実は、落としたの…セニカなんだよ)

「セニカ様が…!?」

(おっと…その話はあとにしてくれ。俺らも俺らでいろいろあったんだよ…。それより、早く始めるぞ。そいつをつけろ!!こいつは勇者の印。仲間の証ということでローシュが作り出したもの。なんでも、輝聖石って石で作られてるんだとよ。その後で、あいつの周りを囲め)

「輝聖石…状況がどうであれ、本物を初めてみることができるとは…」

ラゴスの話が正しければ、これはローシュ達が実際に着けていたもの。

おまけに輝聖石はゴールドフェザーとシルバーフェザーについている輝石と聖石の2つの特性を併せ持つ貴重なもので、現在ではその製造方法の難しさから作れる職人が存在しない。

それを手にすることができたことに一種の奇妙さを感じながらも、ロウ達は勇者の印をつける。

黄金となったカミュにもつけ、7人は彼の周囲で円陣を組む。

「兄貴…みんな…」

エルバ達から離れたマヤはじっと黄金のカミュを見つめる。

(神様…本当にいるなら、本当にこの世界はまだ終わってないっていうなら…兄貴を…お兄ちゃんを助けて…。俺のことなら…もう、どうなってもいいからよぉ、頼む…!!)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第89話 ミナカトール

円陣を組むエルバ達の中で、セーニャが祈りを捧げるように目を閉じ、集中を始める。

契約したわけではない呪文をこれから使う。

マホカトールの使えない自分に果たして使えるのか?

迷いはあったが、目の前にどうしても救いたい人がいる。

何としても成功させて見せると決意するとともに、詩経を始める。

それに反応するかのようにセーニャの勇者の印が光り、エルバ達の足元に魔法陣が現れる。

そして、セーニャの体を青い光の柱が包む。

(これは勇者の印が見出した、お前の心の力の色だ)

「エルバ様」

「ああ…」

セーニャが伸ばす手を握り、エルバは目を閉じる。

エルバの勇者の印が光り、エルバを灰色の光が包む。

(灰色か。こいつは珍しいな…)

「爺さん」

「うむ…カミュよ、もう少しだけ待っていておくれ」

続けてエルバの手を握ったロウの勇者の印が光るとともに、銀色の光が包んでいく。

その後でマルティナがロウの手を取り、今度は緑の光の柱が生まれた。

「ラゴス様、この光…私たちが使っているオーブとも関係があるのですか?」

(察しがいいな、おてんば姫)

「お、おてんば…??」

(オーブはかつて、ロトゼタシアが生まれるときに大樹が自ら生み出したものって話だ。そして、オーブはその色と同じ心の力を持つ人間に惹かれるらしい。ちなみにレッドオーブは勇気だ。ま、罪におびえる臆病者に力をやるほど、俺も暇じゃねえってことだ)

「そうなんですね…」

言っていることは分かるが、どうしてここまでいちいち棘のある言い方をする必要があるのか。

かつての勇者ローシュの仲間であり、悪い人物でないのは確かだと信じたいが、仮にそういう人物でなかったなら、危うくきれていたかもしれない。

気を取り直して、マルティナは隣のシルビアと手を繋ぐ。

すると、シルビアの勇者の印が光ると同時に黄色の光の柱が生まれた。

「あら、黄色!ということは、イエローオーブがアタシに力を貸してくれるってことね?」

(そうだ、もっとも、今はまだ力が必要なタイミングでもねえみたいだ。おとなしく待ってろ)

「そうさせてもらうわ。さあ、グレイグ。次はあなたよ」

「ああ…。ふぅぅ」

深呼吸をしたグレイグはシルビアの手を握り、紫の光の柱を生み出す。

それに連動するかのように、カミュの勇者の印も光り、赤い光の柱が生まれた。

最後にグレイグの手をセーニャが握る。

そして、脳裏に浮かぶ言葉に従いセーニャは呪文を唱える。

「今、慈愛…相克…英知…闘志…希望…正義が勇気を黄金のくびきより解き放たん…。ミナカトール!!)

詩経が終わると同時に魔法陣がマホカトールを上回る強い破邪力を発揮し、城全体を破邪の光が包んでいく。

あまりのまぶしさにエルバ達が顔をそむける中、セーニャは腕で目を守りながら魔法陣の中心を見る。

「あ、ああ…!!」

セーニャの目には次第に黄金から元に戻っていくカミュの姿が映り、その嬉しさに目に涙が浮かぶ。

黄金化が解除し、倒れそうになるカミュの元へ走り、抱き留めたセーニャは涙を流しながらカミュの頬に触れる。

「セーニャ…俺…」

「カミュ様…よかった…」

エルバ達がいることなど気にせず、セーニャがカミュに口づけする。

唇から感じる甘さとしょっぱさをかみしめつつ、カミュも目を閉じてセーニャの唇を受け止める。

本当はすぐにでも駆け寄りたかったマヤだが、その光景と自分のやってしまったことへの罪悪感から動くことができなかった。

(おい、恩人の前でいちゃつくとはいい度胸だな)

そんな中でラゴスの声が響き、はっとした2人は唇を離し、7人は宙を舞うレーヴァテインを見つめる。

レーヴァテインから放たれる赤い光はバンダナを鉢巻のように額にまき、剣の鍔で作った眼帯を右目につけたコート姿の男性のシルエットとなる。

(ま…ひとまずミナカトール成功で黄金から解除できたのはおめでとさんだ。これでお前らは六軍王のうちの4人をぶっ潰したことになる。あと2つ、ブルーオーブとシルバーオーブはまだ奴らの手の内だがな)

「ああ、ありがとな…。ラゴス。それに、セーニャにみんなも…悪い、さんざん迷惑をかけちまって…」

「気にするな、仲間だろう?」

まだ口数の少ないエルバだが、笑ってそう答えてくれること、自分の恥部を散々見せたにもかかわらず、仲間だと言ってくれることにカミュは感謝の思いを抱く。

「そうですわ。話してくださいますか?イシの村の神の岩のことを…。あれを落としたのがセニカ様というのは…」

(ああ、そうだな…。ローシュは旅の中で邪悪の神を倒すための剣を求めていた。その時、邪悪の神は強力な結界を展開していてな。それを突き破らないと、邪悪の神に会うこともできない。そのために手に入れたのが勇者の剣だ。もっとも、今は魔王の剣というべきだろうがな…。その剣はローシュが自らの手で作り出したのさ)

「勇者の剣はローシュ様が作ったじゃと…!?」

(知らないのも当然だな。ローシュ戦記の原本にも、そんなのは書いてねえ。書いて、誰かにパクられて量産されたらたまんねーからな。ま、あんな代物、量産するのも無理な話だがな)

「ちょっと待って…原本って、なんでそんなことをラゴスちゃんが知っているのよ?もしかして…ローシュ戦記って…」

(書いたのはセニカの奴だ。俺たちも手伝ったがな。筆者を分からなくするために、いろいろと手を打ったんだぜ?にしても、よく自分の感情を押し殺した書き上げたもんだ。こっちはページの大半があいつとローシュの官能モンにならねえかってハラハラしてたんだぜ。あいつら、これみよがしにテントでも宿屋でも…)

「ま、待ってくれ!いろいろと暴露話はよしてくれ!いろいろと良くない雰囲気になる…」

きっと、ここからの内容は偉大なる勇者ローシュと大賢者セニカのイメージをとことん叩き潰すような内容になりかねない。

今のカミュとセーニャにはその光景がなんとなく察してしまい、腕の中にいるセーニャはもう顔を真っ赤にしている。

救いなのは、セーニャがまだムフフな知識を持っていないことだろう。

(分かった分かった。ここまでにしといてやるよ。で、剣を作るための鉱石だが、ロトゼタシアにある鉱石をかき集めても、満足できるものは手に入らなかった)

ロトゼタシアとは異なる異世界に住まう神とされる幻魔の力を宿した魔石である幻魔石や最も高い重量と強度を誇る金属であるヘビーメタルを使ったとしても、それを成し遂げるだけの剣を作ることができなかった。

当時最高の鍛冶職人であったサスケの手を借りても難しく、手づまりな中でセニカとウラノスが思いついたのがロトゼタシアの外の世界の鉱石を手に入れることだった。

その時、ウラノスは星を落とす呪文を研究していて、それを利用すれば外の世界の鉱石を手に入れることができるのではと考えた。

研究の結果、どうにか1回は使える状態になったが、問題はそれを実行する場所だった。

セニカがその呪文を使って星を落とし、ウラノスがグランドクロスでブレーキをかける形をとるが、それでも大きなクレーターが生まれる可能性があり、周辺の城や町、村を巻き込む可能性があった。

それを実行できる場所を探す中で、イシの村のある地域が候補に挙がった。

山で囲まれたその地域はそれが盾になって被害を抑えてくれる。

当時の村長も村が破壊される可能性があったにもかかわらず、邪悪の神を倒すきっかけになるならと合意してくれた。

(んで、セニカと落とした隕石がお前らの言う神の岩になるんだが…ま、その神の岩で手に入れた鉱石でできたのがグレイトアックスや魔甲拳といった武器だ。あと…よく言われるユグノアで獲れてたって話はフェイクだ。最も、それを使っても勇者の剣は作れなかったがな)

「神の岩から生まれた武具…」

(おっと、もう枯渇しているから、今から獲りに行って、新しく作ろうなんて無駄な期待はやめろよ。だが、旅の中で俺たちは永久不滅の金属を手に入れて、それを使って勇者の剣を作り出した)

「永久不滅の金属…それって、オリハルコンのことか!?」

「知っておるのか?カミュ」

「ああ、マヤがよく言っていた金属だ。地上には存在しない伝説の金属…物語でしか存在しないと思っていたが…」

(そうだ。オリハルコンはロトゼタシアを探しても見つけることのできない金属。唯一残っているオリハルコンも今やウルノーガの野郎の手の内…。もしお前らが本気でオリハルコンを手に入れて、勇者の剣を手に入れたいというなら、ラムダの里へ行け。そこで神の乗り物の情報を見つけろ。あと、残り2つのオーブを取り戻すことも忘れるなよ)

そう言い残して、ラゴスの幻影が消え、浮かんでいたレーヴァテインが床に落ちる。

落ちたレーヴァテインを手にしたカミュはそれを握りしめた。

 

キラゴルドを倒し、ミナカトールによって黄金化を解除してから数日が経過した。

黄金化していた人々は国へ戻り、黄金病が消え去ったことでクレイモランは再び平和を取り戻した。

街中には外に出た子供たちが楽しそうに遊びまわっている。

そして、カミュを除くエルバ達は城でシャールに黄金病の真相と出発の挨拶をしていた。

「ありがとうございます、黄金病の真相を突き止めるだけでなく、その根源であるキラゴルドを倒すなんて…」

「うむ…。既に死んだ者までは取り戻すことはできなかったが、それでも黄金にされた人々を救うことはできた。これでシャール殿も少しは休むことができよう…」

「ええ…。まだウルノーガの脅威が消え去ったわけではありません。ですが、きっとエルバさん達ならば…」

「ありがとうございます、シャール様。アタシの船の乗組員のみんなを預かってくれて」

「構いません。国を2度も救ってくれた皆様へのせめてものお礼です」

シルビア号を失った今、アリス達にできることは限られている。

ソルティコにいるジエーゴを頼るにも、船のない今はそれが不可能であるため、ここに置いていくしかない。

「古代図書館にいるリーズレット殿らには早馬で知らせております。近いうちに、戻ってくるでしょう」

「リーズレット殿か…。そうなると、もしかしたら途中で会うことがあるかもしれんな」

「ゼーランダ山は大樹が落ちた日、大きな被害を受けたと聞いています。どうか、お気をつけて…」

 

一方、教会の一室ではフード付きの厚手の子供用のコートで身を包んだマヤが荷物を持って出発の準備をしていた。

「カミュ、いいのか…?もしよかったら、私がここで彼女を匿うことも…」

「気持ちはありがたいけどよ、ここにいたらマヤが嫌な思い出を思い出しちまう。別の場所にいたほうがいい」

「まぁ、そうだな…。あんなことがあってはな」

カミュは神父にだけ、黄金病とマヤ、そして首飾りのことを伝えていた。

神父の気持ちはうれしいが、キラゴルドだったころのマヤは黄金化した魔物たちを手足に使ってクレイモランを何度も襲撃し、犠牲者も出ている。

マヤ=キラゴルドだったという真実は知りようもないだろうが、ここで暮らしていたらマヤが罪の意識で押しつぶされるかもしれない。

あの老婆のように、カミュやマヤのことを知っている人間と出くわす可能性もある。

だとしたら、マヤをラムダの里へ連れていき、そこでウルノーガを倒すまで過ごしてもらう方がいい。

「兄貴、準備…できたぞ。早く…行こうぜ」

「ああ、そうだな…。じゃあな、神父さん。全部終わったら、改めてお礼させてくれ」

「分かった、道中気をつけてな」

マヤを連れ、2人で教会を出ていく。

彼女の顔はフードで隠し、2人で表門の近くまで歩いていく。

「なぁ、兄貴…俺」

「何も言うな、マヤ…」

「けど…」

「俺たちのやってしまったことは取り返しのつかないことだ。一生背負わないといけないものだ。だからよ…背負っていこうぜ、2人でな…」

「…うん、ごめん。ごめんなさい…」

すすり泣くマヤをカミュは何も言わずに抱き寄せる。

カミュ自身の贖罪も、マヤがこれから行わなければならない贖罪も、まだ終わっていない。

だが、少なくとも再び2人で過ごす時間、共に背負う機会を得ることができた。

その奇跡を感謝しつつ、カミュはエルバ達が来るのを待つ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第90話 魔女の戦い

「はあ、はあ…まったく。魔力がないっていうのに…」

吹雪に包まれたシケスビア雪原には似合わない煙と炎があちらこちらが上がり、岩陰に隠れたリーズレットは火傷した体を押して、負傷した兵士たちをベホイムで癒していく。

「リーズレット殿、大丈夫ですか…?ひどいけがで…」

「まずは自分のことに集中することね。そうじゃないと…あの魔物の前では、死ぬわよ」

命の大樹が落ちてから、リーズレットはクレイモランとシャールを守るべく、どうにか魔力を取り戻そうと努めていた。

そのおかげか、まだまだ本調子とはいかないものの、並の魔法使いには負けないくらいの力は取り戻した。

それによって、黄金病の原因を探るために古代図書館へ向かった際にも、襲って来た魔物たちを軽くひねりつぶした。

つい少し前にエルバ達が黄金病の原因を突き止め、時間を解決してくれたことを知らせる伝令が来て、安心して戻ろうとしていたが、待っていたのはシャール達クレイモランの人々からの歓迎ではなく、黒い蛇龍による黒い炎の歓迎だった。

「うおおおお!!どこだぁ!?どこにいる、ローシュぅぅぅぅ!!俺様を氷漬けにした報いを晴らしてやるぅぅぅぅぅ!!」

「ローシュ…ああ、自分のいる時代の感覚すらつかめなくなっているわね…。哀れな魔竜ネドラ」

黒い炎を吐きながら飛び回るネドラの姿はまさしく古代図書館で見つけた本の中にあった魔竜そのものだった。

かつて、勇者ローシュが聖地ラムダへと向かう最中、魔竜ネドラと戦った。

邪悪な神の手下であった彼はこの地に住む人々や魔物を焼き尽くし、恐怖のどん底へ叩き落していた。

まだ勇者の剣を手に入れていないローシュはその魔物に苦戦し、黒い炎で全身を焼かれたことで絶体絶命の危機に陥った。

その時、彼を助けたのがセニカだ。

夢の中で勇者の危機を知ったセニカは長老からの静止を振り切って山を下り、ローシュを殺そうとする魔竜ネドラを氷の中に閉じ込めた。

そして、全身に火傷を負ったは数日間生死の境をさまようことになり、その間セニカは付きっ切りで彼の看病をした。

意識を取り戻し、初めてセニカの姿を見たローシュはその時、彼女を天使か女神に一瞬見間違えたと言われている。

ネドラにとって、彼の時間はセニカによって氷漬けにされた時から止まっている。

氷漬けになっている長い時間は彼にとっては一瞬の過ぎ去りし時なのだろう。

「けれど…暴れさせるわけには…いかないのよ!!」

昔のリーズレットなら、ネドラから逃げていたかもしれない。

古代図書館で過ぎ去ったときを見続けた彼女にとって、今のロトゼタシアには大切なものなどなかったのだから。

だが、今は自分のことを受け入れてくれた人たちがいる。

魔女である自分のことを信じてくれる人がいる。

彼らを守るためにも、逃げるわけにはいかない。

意を決したリーズレットは岩場から出て、トベルーラで飛行を始める。

「リーズレット殿!?」

「クレイモランへ行って!そこにいても足手まといよ!」

「ですが…!!」

「殿をやるだけ!隙を見つけて逃げるから、さっさと行け!!」

飛び出そうとする兵士たちの行く手を阻むかのように氷塊が生まれる。

愛用していた杖は自分の策を見破った天才魔法少女に渡していて、今手にしているのはシャールからもらった青い水晶のついた杖。

氷魔の杖ほどではないが、それでもこの杖はクレイモランに保管されているものの中では最高の杖だという。

(幸いなのは…奴が本調子ではないということね。まったく、もし本調子になっていたら、全力の私でないと抑えられなかった…)

本調子でないもの同士、おまけに長年封印された者同士という奇妙な共通点。

いい男なら、一晩共にしてもいいとも思っていたが、こんな乱暴者についてはノーサンキューだ。

「貴様…ローシュはどこにいる!?答えろぉ!!」

「あんたが探しているローシュはもうこの世界にはいない。あんたが氷漬けになってから長すぎる年月が経ってるの。わかる?」

「ふざけるなぁ!?嘘をつくんじゃねえ!そんなこと、あるわけねえだろぉ!!」

ネドラの目に映るこの雪原の景色はかつて、氷漬けにされた時とは何も変わらない。

一瞬の時と変わらない景色。

彼にとって、時間が流れていないということを示す証拠はそれで十分だ。

「脳筋め…!今のあんたをクレイモランには近づけさせないわ!」

こんな奴がクレイモランに行き、そこで真実を知ってから何をするかは目に見えている。

すべてを焼き尽くし、人々を消し炭にしてからなおもローシュに執着し、世界中を飛び回るだろう。

こんな存在をこの雪原から出すわけにも、生かしておくわけにもいかない。

「さあ、もう1度氷漬けになってもらうよ!!」

杖に己の魔力を集中させていく。

そのことで、彼女の体から発するプレッシャーを感じたネドラは黒い炎を彼女に向けて放つ。

炎がリーズレットに迫るが、それに構うことなく彼女は極大氷結呪文マヒャデドスを唱えた。

空気中の水分が輝くほどの超低温の空間となっていくとともに、真っ白な氷の奔流が黒い炎とぶつかり合う。

絶対零度の空間であれば、本来は炎は維持できずに消えてしまうのだが、ネドラの炎は魔竜ということあってか、それに対抗できる魔力が炎そのものに宿っているようで、消える気配がない。

だが、ぶつかり合っている間なら少なくとも足止めする時間は稼げる。

問題は自分の魔力と杖がどこまでマヒャデドスに耐えられるかだ。

このマヒャデドスは足りない魔力と杖の力で増幅して無理やり放っている状態。

嫌な汗が体から噴き出て、杖についている水晶にも細かいヒビが入る。

おそらく、このままこの呪文を唱え続けたら、杖は砕け散ってしまうだろう。

そして、マヒャデドスは維持できずに消滅し、あの炎に焼かれることになる。

彼女の計算であれば、あと30秒くらいなら唱え続けることができる。

「さあ、さっさと降参して氷漬けになりなさい!!」

「うるせええええ!!ローシュを灰にするまで、氷漬けはごめんだああああ!!!」

「本当に…その執念、今の私にはないものね!!」

疲れを見せる気配のないネドラに対して、リーズレットにガタが来てしまう。

背筋が凍るような嫌な予感を感じた瞬間、リーズレットの杖の水晶が粉々に砕け、マヒャデドスが消えてしまう。

そして、炎はリーズレットに迫った。

「ここまで、ね…。まったく、逃げる隙さえなかったわ」

伝令からはエルバが来ているという話も合った。

自分を止めた彼らなら、もしかしたらネドラを倒せるかもしれない。

きっと、聖地ラムダへ向かう途中の彼らは逃げた兵士たちから情報を聞き、ここに駆け付けてくれる。

クレイモランに戦火が及ばずに済めば、自分の勝利だ。

「まったく、短い自由だったわね。さようなら…シャール。いい女王様になりなさい」

思い残すことなく消えてやろうと思い始めたリーズレット。

炎が彼女を包み、体が焼ける感覚を覚える中、彼女の脳裏に浮かぶのはシャールや側近たちの顔、そして自分が呪文を披露することで見せた子供たちの笑顔。

「まったく…」

意識が薄らぐ中、急に自分を包む黒い炎が消えてしまう。

完全に意識を手放そうとしていたリーズレットは一瞬、ただの幻覚かと思ったが、そうではない。

体中の痛みに耐え、視界を開くとそこには首筋から鮮血が放つ魔竜ネドラと、黒いローブ姿の男の姿があった。

「あな…た、は…」

大幅に服装が変わり、彼から放つ気配もまるで違うが、見間違えるはずがない。

長きにわたって封じられた自分を自由にしてくれた男。

また、助けてくれたのかと思い、安心したように笑う。

「フッ…勇者と英雄…。彼ら…なら…」

かすかに、目の前の男の声が耳に届くが、そんなことを気にすることなく、リーズレットは目を閉じた。

 

「ふう、はあ…」

「大丈夫ですか、リーズレット様、じっとなさってください。まだ火傷が治りきっていませんから…」

耳に聞き覚えのある少女の声が届く。

意識を取り戻したばかりでまだ視界がぼやけているが、彼女が身に着けてみる緑と白の厚手のドレスと金色の長い髪は分かる。

徐々にはっきりとしてきた視界で、テントの中で回復呪文を施すセーニャの姿が見えた。

「あなたは…」

「セーニャです。ご無事でよかったです…兵士の皆さまからあなたとネドラのことを聞いて…」

「そう…それで、ネドラは…?」

「それが…」

 

「おいおい、マジか…。一体どんな奴がやったら、こんなザマになんだよ…?」

ネドラが氷漬けにされていた場所には氷の巨塔がそびえたっていて、その先にあるものにカミュは口元を手で覆う。

そこには目を見開いたまま串刺しになっているネドラの亡骸があり、氷にはネドラのどす黒い血が付着していた。

その付近には、いくつものクレーターができていて、巻き添えとなった魔物の亡骸も転がっている。

「一体だれがこんなことを…?ほかにも六軍王がいるということか?」

「可能性があるとしたら、ホメロスとまだ会っていないあと1人…。だが、なぜあの魔物を殺したのだ…?」

魔竜ネドラの話はローシュ戦記にも書いてあり、邪悪の神のしもべであったことから、やろうと思えばウルノーガの陣営に加えることもできただろう。

そう考えると、彼らの仕業と考える理由は薄いが、少なくともそれだけの所業の出来る強者が他にいるとは思えない。

「セーニャちゃん…リーズレットちゃんはどうだったかしら?」

「はい、大事には至っていませんでした。もう少し休む必要がありますが…」

「良かった…。それで、あいつを倒した奴について、何か言ってなかったか?」

「はい…。実は、リーズレット様が意識を失う直前に助けた男性の方がいらっしゃると言っていました。それで、おそらくなのですが…それが、ホメロスだと…」

「ホメロス…奴が?」

確かに、今のホメロスならこれだけのことをしてもおかしくない。

だが、グレイグには彼がそのようなことをする理由が分からない。

ローシュの生まれ変わりであるエルバを襲う可能性があるネドラを放置するか、懐柔することもできただろうに、なぜこのように殺したのか?

まるで、エルバ達に手助けをするかのように。

「魔竜の魂…」

「うん?魔竜の魂、なんだよ、そりゃ?」

マヤのふとした単語に隣でそれを耳にしたカミュが問いかける。

オリハルコンやプラチナなどの宝や希少な金属の知識を持つマヤが知っているということは、おそらくは特別な宝なのかもしれない。

「ああ、強大な魔力を持つドラゴンは体内に魔力を生み出す臓器があるんだよ。オーブみたいな形をしていて…確か、心臓の近くにあるなんて話を…」

「心臓か…」

トベルーラでネドラの遺体を確認するロウはその心臓にあたる部分は見事に氷の塔で貫かれているのを見つける。

ここからでは、マヤの言う魔竜の魂が砕かれてしまったのか、それとも奪われたかは判断できない。

魔竜の魂についてはロウも修行中の座学で学んでおり、実際にニマからも実物を見せてもらっている。

魔竜の膨大な魔力がこもっていることから、錬金術を用いることでダイヤモンドよりも高い硬度を持つ金属であるヒヒイロカネや一本一本に高度な魔力が宿り、オーロラのように輝くというオーロラの布切れなどを作り出すことができるという。

錬金術は物質の構成や形を変えて別の物に作り変える技術であり、かつては鉄などの様々なものを金に変えようと研究が行われていたという。

結局、金を生み出すことは叶わなかったが、その副産物として今ある物を対価として別の物質を作り出す技術として確立した。

だが、それを成し遂げるには膨大な魔力が必要となり、高い魔力を持つ賢者であっても複数人の手を借りなければ不可能な話だ。

その解決策として作り出されたものの中には複数の物質を入れて、それを魔力で構造を理解したうえで分解し、別のものに作り直す窯が作られたという話がある。

それが実在するかどうかは分からず、現在ロトゼタシアでは錬金術そのものは一部の魔法使いが研究するだけの存在となっている。

だが、長きにわたり生きているウルノーガが錬金術のことを知っている可能性がある。

そして、手に入れた魔竜の魂を使うこともあり得る。

「気になるところはいっぱいあるけれど、少なくともこれでクレイモランへの新しい危機は去ったわ。そのことを喜びましょう!」

「そうだな…。それに、今はラムダの里へ向かわなければならん。進んでいけば、ホメロスに会う機会もある。その時に聞けばいいだろう」

ホメロスが素直に答えを出してくれるとは思わないが、今ここで立ち止まる時間は惜しい。

ネドラが死んだのが分かった以上、あとは進むだけ。

エルバ達は氷の塔を見上げ、霜がついて白くなりつつあるネドラの遺体を見る。

(ネドラを殺したホメロス…そして、魔竜の魂…。ウルノーガとホメロスはいったい、世界を手に入れたというのに、更に何を手に入れようというんだ…?)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第91話 帰って来たもの

今回のストーリーを読んでいただく前に…。

今回はちょっとヤバめなシーンもあります。
もしかしたら、警告があったりするかもしれませんが、思い切って書いてみました。
後悔はないです。

賛否両論あるかもしれませんが、それを理解していただいた上で、ご覧ください。


「はあはあ…おい、エルバ…今倒したので、何体だよ…?」

「25…だな。数えてはないが」

「へっ…俺の勝ちだな。俺は27だ」

手ごろな石に背中合わせに座るエルバとカミュは顔についた返り血を布で拭う。

2人だけでなく、グレイグやマルティナ、シルビアやロウ、セーニャも疲れ果てている様子で、その周りには数多くの魔物の亡骸が転がっている。

レッドサイクロンやキラーボットなども従来の魔物がいれば、ウルノーガが放ったのか、この地域では見たことのない魔物も数多く存在した。

左手の魔力のこもった水晶を握り、それで増幅した灼熱の炎を放つ、3本の尾を持つ竜人といえるキングリザードやかつて戦ったシャドーサタンの強化されたものなど、それらがエルバ達の行く手を阻んだ。

「兄貴たち、こんなとんでもねー魔物と戦ってたなんて…」

「へへ、すげえ…だろ…。だが、早くラムダの里に戻って休みてえぜ。で、そこには多分…ベロニカが待ってんだろうな」

「そうね…きっと、遅いわよ!待ちくたびれたわ!…なんてことを言うのよ」

「どうなんだ…?セーニャ。ベロニカの気配は感じるか?」

「はい。確かに…里に近づくにつれて感じますわ」

1年近くにわたり、離れ離れになってしまった姉とようやく会うことができる。

そのことが楽しみで、早く進みたいという思いもある。

だが、数多くの魔物に行く手を阻まれ、疲労も増している。

急いてはことを仕損じるという言葉があるように、今は休養して、それから進む必要がある。

焦る気持ちを抑えるように、セーニャはロウから受け取ったシルバーフェザーを握りしめた。

「それから、神の乗り物じゃな…。かつてローシュ様を邪悪の神の元へ届けたというもののヒントをつかまねば…」

「みんな、そろそろ大丈夫か…?出発するぞ」

日が傾きはじめ、前にここを通ったときはキャンプを設置できる場所がなかったことを知っているため、夜までには到着する必要がある。

ある程度回復したことを確かめた8人はラムダの里へと馬を走らせた。

 

「ああ…」

日が沈みかけた頃、馬を降り、里に入ったセーニャは生まれ故郷の姿に言葉を失う。

世界崩壊と共に降り注いだであろう岩石が広場を穿ち、建物を壊していた。

焦げる匂いがあたり一面から感じ、人々の表情も暗い。

「ひどい…あんなに美しい場所だったのに…」

旅の中でゼーランダ山やドゥーランダ山が大きな被害を受けた可能性があることは知っていた。

だが、ドゥーランダ山の場合はニマが命をなげうって守ったために被害は軽く済んだ。

もしかしたら、ラムダの里も大丈夫なのかもしれないと楽観していたところはある。

だが、この光景は見事にその甘い期待を打ち砕いた。

「セーニャ…」

「大丈夫です、カミュ様…それよりも…」

まずは生きているであろう両親とベロニカ、そしてファナードに会わなければならない。

階段を上り、広場につくとそこには確かに両親とファナードの姿があった。

「ああ…ベロニカ、セーニャ…。私の天使たちよ…いまごろいったいどこへ…?」

「お二人とも、気を落とさんでくれ。ベロニカとセーニャは双賢の姉妹。二人が一緒ならきっと、大丈夫じゃ…」

命の大樹が落ち、里では数多くの人々が災害や魔物の攻撃、そして病で死んでいった。

エルバがやってきた日にようやく子供を授かったという若い夫婦もその子供を失ったことでふさぎこんでいる。

ここにいる人々の多くが家族や友人、恋人を失っており、おまけに希望の象徴であるはずの勇者の行方も知れないことで希望を失っていた。

「お父様、お母様…」

「その、声は…」

「セーニャ…??」

ずっと聞きたかった声に振り返った両親、そして衰えた視力で朧気ながらにセーニャを見たファナードは安堵の表情を浮かべる。

母親は帰って来た愛娘を優しく抱きしめた。

「良かった…よかった、無事で…」

「お父様とお母様も…。勇者様も、エルバ様も…皆さん、無事です…」

「そうか、そうか…よかった。まだ、この世界にも希望が…」

世界が滅びてからようやく聞くことができた朗報。

そのことに涙を浮かべて喜ぶが、何かに気付いたセーニャはハッとする。

「あの…お姉さまは?お姉さまは帰られておられないのですか?里からお姉さまの気配を感じていましたので、もしかしたらと思ったのですが…」

「いや、ベロニカは帰ってきておらん。セーニャ、一緒ではなかったのか…?」

「そんな…けど、確かに…」

ベロニカが帰って来たのに、誰にもそれを伝えていないのはあり得ない。

それに、ベロニカを見失った時はいつも感じる気配に従って歩くと、必ずベロニカを見つけることができた。

その気配を間違えるはずがない。

一体どこにいるのかとより一層集中して気配を探る。

「どうだ…?セーニャ」

「北の…はずれの森にお姉さまの気配を感じます。でも、どうして…」

「それはベロニカに直接聞けばいい。行くぞ」

「お姉さま…一体どうなされたのですか…?」

エルバ達と一緒に森へ向けて歩き出そうとしたセーニャ。

だが、急に背中から突き刺すような冷たい風を感じ、思わず立ち止まってしまう。

ようやくベロニカと会えるかもしれないというのに、胸には何とも言いようのない嫌な予感であふれかえる。

「おい、セーニャ…」

「カミュ様…」

「行こうぜ」

セーニャの異変に気付いたカミュが彼女の肩に手を置く。

カミュの顔を見たことで少しだけ落ち着きを取り戻すことができたセーニャはともに歩き出した。

 

夕方になり、急激に暗くなっていく森の中で、エルバ達はランタンの明かりを頼りに森を進む。

少し進むとかつてカミュがセーニャと共に過ごした広場につき、エルバ達の足が止まる。

「ここです…ここに、お姉さまの気配が…お姉さま、お姉さま!!いらっしゃるんでしょう!?どちらに!!声を…私の名前を呼んでください!」

膨れ上がる不安を吐き出すようにベロニカを求める。

明かりをともしながら歩く中で、大木の根を枕に倒れている人の姿を見つけることができた。

金の三つ編みを左右に下げた、セーニャと同じくらいの背丈の少女で、ベロニカが来ていたような服装をしていた。

そして、そのそばにはリーズレットがベロニカに譲った氷魔の杖が立てかけられていた。

「ベロニカ…なのか?」

「はい、でも…どうして元のお姿に…。もしかして、命の大樹が落ちたことが影響して…」

よく見ると、ベロニカは穏やかに寝息を立てている。

ただ眠っているだけなのかと安心したセーニャはベロニカに触れる。

「お姉さま…お姉さま。起きてください。ここで眠っていたら、風邪をひいてしまいますよ」

体を揺らすが、ベロニカは一向に起きる気配がない。

疲れている様子もなく、だがその表情は安らぎに満ち過ぎている。

そんなことを考えていると、急にエルバの痣が光りはじめ、同時に氷魔の杖も共鳴するように光り始めた。

「これは…」

「おい、あれは…!!」

光の中で、カミュが指をさした方向には今にも落ちようとしている命の大樹の光景があった。

そして、ウルノーガが大樹の魂を魔王の剣で貫いた瞬間、大樹に宿っていた葉が枯れていき、吹き飛ばされていく。

ウルノーガの攻撃と、ホメロスから受けたダメージでエルバ達は気を失っていて、大樹の枝も次々と地に落ちていく。

その中で、エルバ達の体が光りに包まれ、宙に浮き始める。

「はあ、はあ…さすが、氷魔の杖…。魔女が使っていた杖ね。あたしの残った魔力を増幅してくれてる…」

いち早く目を覚ましていたベロニカは大きな枝の下敷きになった状態で氷魔の杖に手を伸ばして魔力を注いでいき、エルバ達を浮遊させていた。

「このままじゃ…みんな、やられちゃう…」

命の大樹はこのまま落ちるだろう。

それに巻き込まれると、エルバ達は死んでしまう。

仮に生き延びたとしても、ここにいては確実にホメロスかウルノーガに殺されることになる。

だから、ここから逃げなければならない。

既に下敷きになってしまったベロニカは抜け出すことができず、思い浮かぶのか残ったエルバ達を逃がすこと。

「あたしは…どうなってもいい。みんな、絶対に生き延びて、世界を救ってちょうだい…!」

氷魔の杖で増幅した魔力で、どうにか使うことができた古代呪文ルーラ。

使い手がイメージした場所へ飛ぶことのできるその呪文をこの時になってようやく使うことができるとは思わなかった。

やっぱり天才だと思いたいが、歯がゆいのは場所のイメージを送るだけの力も時間も残っていないこと。

「ロトゼタシアの…どこかへ。ごめん。みんな…バラバラになっちゃうかもしれないけど…けど大丈夫よね!?生きていれば…みんな、生きていれば…絶対にまた集まれるわよね!?はああああああ!!!!」

願いを込めて、最後の魔力を送り込むと、氷魔の杖が力を解放し、エルバ達は飛んでいく。

最後の使命を果たせたと思ったベロニカはその場にうつぶせになって倒れる。

もう、体を起き上がらせるだけの力すら残っておらず、魔力もひとかけらも残っていない。

これから、自分は死ぬ。

「セーニャ…またいつか、同じ葉のもとに生まれましょう。あなたを…命の大樹で待ってる…。エルバのこと、世界のこと…頼んだわよ」

ベロニカについてきてばかりの妹で、皆は頼りないというだろう。

だが、セーニャの強さは姉である自分が一番よく分かっている。

きっと、自分の身のことを知ったとしても、必ず立ち上がって、エルバの力になってくれる。

「お父さん…お母さん…ごめん。生きて帰れなくて…」

まだ、育ててくれた恩を何一つ返せておらず、一番の親不孝をしてしまうことを心の中でわびた。

ウルノーガに貫かれた大樹の魂に宿るエネルギーが爆発を起こそうとしている。

もう、逃れようのない死がすぐそこまで来る。

「カミュ…セーニャのこと、任せたわよ…。もし、泣かせるようなことをしたら…ひっぱたくから…」

笑みを浮かべたベロニカが倒れ、それと同時にその場がまぶしい光に包まれていった。

 

「嘘…だろう…!?」

光が収まる中、エルバは後ずさりし、視線が眠っているベロニカに向けられる。

眠っているが、確かに彼女は目の前にいる。

こんなに安らいで、赤ん坊のように健やかに眠るベロニカが既に死んでいる。

そんな悪い冗談を信じることができなかった。

だが、セーニャはうつむいた表情を崩さない。

セーニャには、もう分かってしまった。

ベロニカの命の波動はもう、このロトゼタシアには存在しないことを。

「お姉さま…私たちを助けるために…」

眠るベロニカをいたわるように、セーニャはその頬に触れる。

触れたその肌から伝わるのは冷たい死の感触。

そして、そこにあったはずのベロニカの肉体は最初からなかったかのように消えてしまった。

「あ、ああ、あ…」

小刻みに震える、何もない手を見つめるセーニャが崩れ落ちる。

そして、悲しみを洗うかのように雨が降り始める。

「ベロニカちゃん…アタシたちを逃がすために、最後の力を振り絞って…」

「…クソォ!!!」

悔しさの余り、カミュは拳を近くの木にたたきつける。

片目を無くしたときも痛かったかもしれないが、今感じる痛みはそれ以上のものだった。

「兄貴…」

「ベロニカ…」

「…」

両手で顔を覆い、涙を流すマルティナの隣で、グレイグはこぶしを握り締める。

あの時、デルカダール王を…いや、ウルノーガを連れてきてしまった。

それがきっかけで世界が壊れ、そして仲間になれたかもしれないベロニカを失うことになった。

甦る罪悪感に必死に耐えることしかできない。

「若い者ばかり…死に急ぎおって…」

ロウの脳裏にアーウィンとエレノアの最後の姿が浮かぶ。

もう、二度とあの悲しみを繰り返すまいとニマの元へ行ったというのに。

結局、同じ痛みをまた味わうことになった。

なぜ若い彼女ではなく、先の短い自分を連れて行かなかったのかと運命の神を恨む気持ちが芽生えた。

悲しみに包まれる中、セーニャはベロニカの形見となってしまった氷魔の杖を手にする。

「お姉さま…もう、いないのですね…。お姉さまが決められた道なのでしたら、私は…受け入れます」

「セーニャ…」

「お父様とお母様、里の皆さまにお伝えしなければ…」

 

「ああ…ベロニカ、私の天使よぉ!ウオオオオオオ!!」

「ベロニカ…こんなことになるなんて…けれど、お疲れ様…」

広場に置かれた棺に縋りつくように2人の父親は涙を流し、母親はいたわるようにそれを撫でる。

命の大樹と共にベロニカの遺体も失われたため、この中にあるのは弔いの花だけで、刻まれているベロニカの名前だけが彼女の棺であることを示していた。

「世界中の…命の象徴たる命の大樹よ…。このラムダの地で生まれた若き命がまたひとつ、散っていきました。願わくば、双賢の若葉…ベロニカの命が還るべき場所、命の大樹の元へ召され、新たな葉として芽吹かんことを…」

ファナードの祈り、勇者のために命を捧げたベロニカが再びロトゼタシアに生まれることへの願い。

それは命の大樹が失われ、死した命が消える冥府の前にはあまりにも無力なことだ。

だが、せめてそれが為されなければ、ベロニカが報われない。

自分よりも若い人の葬式を行うのは今回が最後だと思いながらも、それをあざ笑うかのように死が襲い掛かる。

ファナードの祈りの言葉が終わると、氷魔の杖を手にしたセーニャが言葉を発する。

「皆様…本日は姉ベロニカのためにお集まりいただき…誠にありがとうございます。姉は…世界中の命を救うためにおのれの身を顧みず、最後まで勇者様を守り抜きました。皆様…大樹の魂へと還る命のために…どうか、髪をひとふさ、聖なる火に手向けてくださいませ」

同郷の人、そして親しい人の髪で燃える聖なる火は故人を命の大樹へと導く道標となる。

その火に従い、魂はあるべきところへと迷うことなく還っていく。

命の大樹亡きこの世界でも、それができるかどうかわからないが、ベロニカのためにと人々は己の髪を切り、聖なる火へと手向けていく。

当然、エルバ達もそれに従った。

「ベロニカ…寂しくなるな…」

髪を手向けたエルバは主なき棺に力なくつぶやいた。

「セーニャはしっかりものだけど、両親のあんな姿…見てられないよ…」

「これから、どうなるんだ…?セーニャにベロニカの代わりが…?」

「ベロニカの後ろについて行くばかりの彼女が…?」

葬儀の中、奥の男たちの言葉がカミュの耳に届く。

セーニャを侮辱しているかのようにその言葉に我慢できず、殴ってやろうと思ってしまうが、その拳をマヤの小さな手が触れる。

我に返り、マヤの悲しむ顔を見たカミュは目を閉じて力を緩めた。

葬儀が終わり、ファナードはエルバに語り掛ける。

「勇者様…お急ぎなのは重々承知しております。ですが、今夜はどうかここでお休みになられてくだされ。ベロニカのことを記憶にとどめるためにも…」

「…分かっています。俺も、今先へ進もうとしたら…とんでもないことをしでかしそうで…」

 

葬儀が終わり、広場からは人がいなくなり、用意された棺は大聖堂へと移動した。

翌朝に棺はベロニカとセーニャの思い出の森に葬られることになる。

「…」

宿屋で休めと言われたエルバ達だが、誰もベッドに横になることはできず、雨の中、広場で立ち尽くす。

「ほんとうに…馬鹿よ、私は…。奇跡が起こって生き延びたと思っていて…。本当は、ベロニカが…」

「よせ、俺だってわからなかった…。奇跡と思っても、仕方なかったんだ…」

「すまない…俺のせいだ。俺が…」

「何も言うな!グレイグ!!頼む…何も言わないでくれ…」

「く…うおおおおお!!」

誰もがベロニカの死を悲しみ、胸に大きく開いてしまった穴を埋めるすべもない。

シルビアも笑顔にしようと考えているようだが、うつむいていて、何もできずにいた。

「そうじゃ…セーニャとカミュの姿が見えぬが…2人はどこにおるのじゃ?」

「外へは出てないんだ…多分。放っておいてやろう、爺さん」

「うむ…」

 

はずれの森の中では、雨の音に紛れて静かな琴の音色が響く。

その旋律に従うように、セーニャは静かに歌う。

「のちの世も 一つの葉に生まれよと契りし 愛おしき 片葉のきみよ 涙の玉と共に 命を散らさん 移ろうときに迷い 追えぬ時に苦しみ もがく手が いかに 小さくとも この願い一つが 私のすべて」

唄い終えたセーニャはもたれかかるように置かれた氷魔の杖を見つめる。

「この歌は古の時代からラムダの里に伝わる悲しき恋の歌…。死に別れた恋人をいとおしむもの…」

作者は分からず、その恋人が誰かもわからない歌。

だが、これはラムダの里の鎮魂歌の一つとして残っていた。

「…そうか。悲しい歌だな」

「どうして、ここに私がいるとわかったのですか…?」

気づかれないようにこっそりと宿屋を抜け出したつもりだった。

だが、やはり元盗賊であるカミュにはわかってしまったのだろうか。

「…あいつとの思い出の話、聞かせてくれたことあっただろ?ベロニカがいねえ今、お前は…ここに行くんじゃねえかって思って、さ…」

木の根元に腰掛け、氷魔の杖を見つめるカミュの隣にセーニャも腰掛ける。

あの時の夜は、2人っきりでここで過ごした。

その時は安らぎを感じていたが、再び訪れることになったこの時は深い悲しみばかり浮かんでくる。

「私…命の大樹が落ちてから、ずっと心残りがあったのです。命の大樹へ向かう前の夜…」

あの時がベロニカとセーニャが二人っきりで過ごす最後の夜になった。

そこでベロニカから言われた言葉がよみがえる。

(セーニャ…約束して、もしあたしの身に何があったとしても、一人でも生きていけるって…)

「あの時…私、約束できませんでした。お姉さまと離れ離れになるなんて考えられませんでした。もし、あの時ちゃんと約束を守れば、お姉さまは思い残すことなく…」

「セーニャ…」

「私、お姉さまの言う通り、グズだったんです。言葉や呪文を覚えるのも、道を覚えるのも…何もかもお姉さまに遅れていた…。でも、まさかこんな時にまで…先に行かれるなんて…」

「セーニャ」

フワリとセーニャの体が引っ張られ、カミュの胸にセーニャに顔が当たる。

そして、カミュの左手が彼女の後頭部に優しく触れていた。

「我慢すんなよ…泣いたっていいんだぜ?…誰も聞いちゃいないんだ…」

「カミュ…様…。うう…うわあああああああああ!!ああああああああ!!!!」

張り詰めた気持ちが緩んだセーニャはようやく声を上げて泣くことができた。

雨脚が激しくなり、しずくが2人の体を何度もたたきつける。

カミュは泣き止むまでセーニャを抱きしめ続けた。

そして、声がやみ、ゆっくり顔を離したセーニャはカミュの顔を見つめる。

「カミュ様…私、怖いんです。今度はカミュ様まで…。もう、後悔したくありません。だから…」

「セー…!?」

カミュの言葉を遮り、セーニャは唇を押し付ける。

触れるだけのものかと思ったら、そのままセーニャがカミュを押し倒し、そこから転がり降りて地面でカミュがセーニャを押し倒す格好になる。

「セーニャ…お前…」

「お願いです、カミュ様…このまま、私を…」

「お前…」

涙を浮かべ、懇願するセーニャを見るカミュにはこれからセーニャが求めることが理解できた。

カミュもいつかは彼女とこういうことができたらと思っていたが、まさかこのような事態になるとは思わなかった。

しかも、セーニャから求められるとは全く想像できなかった。

「我がままを言っているのは分かっています。それでも…」

「セーニャ…。わかった。でも、覚悟しろよ。加減なんて、できないからな…」

カミュの答えにセーニャはようやく笑顔になり、うなずいた。

 

時間は流れ、あれほど振っていた雨はやみ、2人は手をつないだ状態であおむけに空を見上げる。

「雨、やみましたね…」

「ああ、その…痛くなかったか?その…」

「はい、大丈夫です…。ありがとうございます、カミュ様…」

雨が止むまで、何度目か忘れるくらい抱きしめたことを思い出し、カミュは顔を赤く染める。

その時に見せた、今までにないセーニャの表情はすべて彼の脳裏に焼き付いている。

「おかげ様で、ようやく迷いが晴れました。お姉さまに救われたこの命…未来につなげます」

立ち上がろうとするセーニャだが、鈍い痛みで倒れそうになり、カミュに支えられて立ち上がる。

「先走んなよ、セーニャ。俺だって…いるんだからな」

「はい…。あ…」

「もう、こんな時間かよ…」

雨がやんだと思ったら、もう夜明けとなり、太陽の光が差し込む。

昨日あれほど悲しんだにも関わらず、いつものように太陽の光が差し込む。

「…さっさと着て、戻らねえとな。あいつらに心配かけちまっているからな」

「はい…。あとで皆様に謝らないと…あ…」

散らばっている衣類を拾おうとするセーニャの目に留まったのは、オレンジの火種のような光をともした氷魔の杖。

そこから光が球体となって浮かび、セーニャの体に吸収されていく。

同時に放置されていた聖女のドレスが形を変えていき、純白のワンピースと水色のマント、そして魔石が埋め込まれたサークレットへと形を変えていく。

それを見たセーニャは何を思ったのか、自分の指先を見つめ、軽く弾く。

すると、彼女のイメージ通り、指先から炎が出てきた。

小さいころにベロニカが見せてくれたのと同じように。

体の中から今までにない、暖かい何かが宿ったように思えた。

「多分、あいつからのエールだろうな…。頑張れってな」

「はい…お姉さま、ありがとう…。私、必ずお姉さまの分も、使命を果たします。だから…どうか、見守ってください。お姉さま…」

「安心しろよ、ベロニカ。セーニャの…お前の妹は必ず守るからな。だから…もし見ちまっていたら、この夜のことは絶対に誰にも言うなよ!?いいな!!」

 

 

「ようやく、伝わったわね…」

暗い闇の中、ベロニカがセーニャの想いを感じ取る。

きっと、エルバ達ならウルノーガを倒し、世界を救うだろう。

それを見届けるため、冥府の中で無に落ちることに抵抗しながら待ち続けた。

だが、もうその必要もない。

このまま無に身をゆだねるだけ。

本当は再び命の大樹の葉へと還りたかったが、もうそうするだけの力は残っていない。

「じゃあね、みんな…。セーニャ、幸せになりなさいよ…」

「いや、まだだ」

「え…?」

背後から誰かの声が聞こえる。

その声はあまりにも聞いたことのある、強烈に心に残っている声で、振り返るとそこには本来ならここにいるはずのない者の姿があった。

「あん…たは…!?」

「まだだ。君にはまだ、やるべきことがある」

双頭の鷲が描かれた白銀の鎧をまとう彼の隣には、デルカダール王に似た顔立ちをした老魔導士の姿もあった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第92話 神の乗り物

「結局、2人とも戻らなかったわね…」

宿屋の外でエルバ達は集まり、マルティナは未だにいないカミュとセーニャを案じる。

2人を探していたが結局見つけることができず、宿屋の主人から風邪をひくと言われ、無理やり宿屋に連れていかれることになった。

ベロニカのこともあり、なかなか寝付くことはできなかったが、少しでも体力を回復するためにベッドで横になることだけはした。

寝付くまでには時間がかかったが、ほんの少しだけ眠ることはできた。

2人はいったいどうしているのか?

もう1度探しに回ろうと考えていると、見覚えのある2人の姿が見えてくる。

「カミュ、セーニャ!!」」

「兄貴!!」

戻って来た2人に安堵するとともに、彼らの目はセーニャの服装へと移る。

聖女のドレスを身にまとっていたはずの彼女が聖賢のローブ姿になり、かつての踊り子の服の時と比較すると清楚な雰囲気が強いが、露出度が高いことには変わりない。

「うん…この匂い…?」

近づく2人から生臭い匂いを覚え、その答えにグレイグとシルビア、そしてマルティナは若干頭を抱えた様子を見せ、ロウは納得したように首を縦に振る。

「いったん、洗ってきたらどうだ?特に髪だ、このままだとベロニカを見送れないだろう?」

ある程度察しがつき、赤くなった顔をそむけたエルバ。

昨晩の2人の明け方まで繰り広げた情事の影響で、カミュの整っていたはずの髪はボサボサになっている。

セーニャもところどころ髪が乱れており、幸いなのは今の2人の姿を見ているのがエルバ達だけだということだ。

もし、今のセーニャの姿を父親が見たら、昨日の号泣から逆に憤怒へと変わり、最愛の娘に手を出した輩は半殺しとなるだろう。

たとえそれが勇者か、勇者の仲間だったとしても、娘をあそこまで溺愛する彼なら必ずする。

「そうね…。ほら、ベロニカに恥ずかしくないように早く行って」

「あ、ああ…分かった」

「ご迷惑を、おかけしました」

深々と頭を下げたセーニャはそそくさと先に入っていたカミュの後に続いていく。

2人の無事が分かって安心したものの、この事実を知ったことで沈黙が流れる。

「ま、まぁ…セーニャちゃんが少し、元気になったみたいだし、これでよかったんじゃない…??」

「まぁ、そうだな。そう、だが…」

「ホッホッホッ!若いというのはいいのぉ。さて…ウルノーガを倒した後の楽しみがまた一つ増えたというものじゃわい。これは、エルバも負けられんのぉ」

「な、なんのことだ…じいさん!?」

「知っておるんじゃぞ?おぬしが過ごしたイシの村の…」

「やめてくれ…!まだ俺は、エマとそこまでの関係じゃ…」

「ほぉ、カミュとグレイグから聞いたとおりじゃな。おまけにその反応…」

「からかわないでくれ、じいさん…」

「でも…これで、ちゃんとベロニカちゃんを見送ってあげられるわね。悲しい顔なんて見せたら、怒られちゃうわ」

「…そうだな、まだ少し時間があるんだ」

 

氷魔の杖を手にしたセーニャと両親を先頭に、エルバ達が担いだ棺が2人の思い出の森へと運ばれていく。

葬儀の時の雨が嘘だったかのように、太陽が差し込んでいる。

墓となる場所に男たちが穴を掘り、その中に棺が入れられる。

「まさか…私たちの手で娘の棺を埋めることになるとは…」

「ベロニカ…今度は特別な存在でなくてもいい。普通でもいいから、幸せな人生を…」

「お姉さま…私、やってみせますから…」

セーニャと両親が棺に土をかぶせていく。

その後でエルバ達、そしてベロニカと親しくしていた人々の手で土がかぶせられていく。

棺を埋め、ここにベロニカの墓を建てる。

既に墓石は里の職人たちが夜を徹して準備をしてくれた。

最後列にいた力持ちの男手によって、ベロニカの棺が埋められた場所に墓が設置される。

こうしてベロニカの埋葬が終わると、エルバ達はファナードと共に大聖堂へと案内される。

「皆様…皆様がここに来られたのは…もしや、神の乗り物を探すためでございましょうか…?」

「どうして、それを…?」

「実は…葬儀の後の夜、私は予知夢と言える夢を見たのです…。命の大樹なき空を神の乗り物に乗る皆様の姿が…」

エルバ達の姿は夢の中ではっきりと見えたものの、肝心の神の乗り物については白い巨大な何かに見えるだけだった。

そして、それに乗っているのは7人で、ベロニカの姿はなく、セーニャの手には氷魔の杖が握られている。

「そして、夢の中でベロニカが語り掛けたのです。勇者様を勇者の峰へお連れせよと…」

「勇者の峰…かつて、勇者ローシュ様が邪悪の神に勝利した後、空から降りてきた場所…」

その地はローシュの勝利の象徴である聖地とし、ラムダの里では侵入が禁じられた場所。

ファナードもセーニャも、そこに入ったことがない。

だが、ファナードが見た予知夢とベロニカの言葉が正しければ、そこに神の乗り物の手掛かりがある。

「参りましょう。勇者様…」

「ええ、行きましょう」

「なぁ、俺もいいのか…?」

エルバとその仲間ならまだしも、自分も一緒に行っていいのかとマヤは二の足を踏む。

カミュの妹ではあるが、つい最近までは六軍王で、この手でクレイモランの人々を黄金にし、殺してさえいた。

そんな自分が行くのを許されるとは思えなかった。

「何してんだよ、さっさと行くぞ、マヤ」

ハァとため息をつき、マヤに手をつかんだカミュが無理やりマヤを連れていく。

「待ってくれよ、兄貴!俺は…」

「聞かねえよ」

エルバ達は大聖堂の東側にある出入口を通り、そこから静寂の森への草原から外れた場所に寂しく存在する一本道を進んでいく。

聖地への道ということがあるのか、ラムダのようなひどい状態になっておらず、魔物の気配もない。

その道を進んでいくと、オーブをささげた祭壇に似た祭壇に到着する。

オーブを置く場所はなく、祭壇の中央には勇者のあざを模した紋章が刻まれている。

ゼーランダ山山頂付近ということもあり、下を見ると雲が覆っていて、そこから下にあるはずのふもとの光景は決して見えない。

「これは…」

祭壇中央へと歩いたセーニャはそこに置かれている笛を手に取る。

それはベロニカが持っていたはずの笛で、ベロニカとともに失われたはずのものだった。

「ベロニカからの贈り物は、まだまだあったってことか…」

「ベロニカはここで笛を吹くように言っておりました。それが神の乗り物を勇者の峰へ呼ぶと…」

「お姉さまがそのようなことを…」

笛を握ったセーニャはベロニカの言葉に従うように、祭壇で笛を吹く。

しかし、いくら笛を吹いても何も起こらず、ただ風が吹くだけだった。

「何も、起こらない…?」

「ですが、必ず何か手掛かりがあるはずです。エルバ様…」

「ああ、そうだな…。ベロニカが教えてくれたことだからな」

セーニャから差し出された笛を手にすると同時に、エルバの両手のあざが光り始める。

その光に共鳴するかのように笛も光り輝き、笛が急に長くなっていく。

光が収まると、笛だったはずのそれは釣り竿のように長い得物となり、光の糸がついていた。

「笛…いや、釣り竿か…!?」

「おいおいマジか…」

「馬鹿な…俺は、夢を見ているのか…?」

「まさか…な…」

エルバは試しに竿をふるい、糸を雲に向けて垂らす。

釣り針の代わりなのか、勇者の紋章の光が先端に宿っていて、それが雲の中へと消えていく。

糸を垂らしてから数秒後、急に竿が大物を捕まえたかのように大きくゆがむ。

「こ、こいつは…大物か!?魚でも、釣れたのか…!?」

「おい、エルバ!釣りあげられるのか!?」

「く、ううう…!!こい、つは…きつい…!」

「手を貸すぞ、エルバよ!!ゴリアテ、お前もだ!!」

「もちろんよ!」

グレイグとシルビア、カミュがエルバを支え、エルバは力いっぱい竿を持ち上げる。

すると、勇者の峰全体を激しい揺れが襲い、巨大な影が雲を突き破って飛び出してくる。

「これ、は…」

「白い…空飛ぶクジラ…!?」

額部分にひし形の水晶の飾りをつけ、真っ白な大小の翼を一対につけた純白のクジラの姿にエルバ達の視線はくぎ付けられる。

「これは…ケトス。神話は本当じゃった…。わしが夢で見た乗り物はこれのことじゃったのか…?」

(今世の勇者エルバ…初めまして。私はケトス…。かつて、あなたの前世であるローシュを乗せた者です)

脳に直接、女性の声が響きわたる。

柔らかな声をしていて、心地のいい声に聞きほれそうになるくらいだ。

「ケトス様…しゃべれるのですか!?」

(はい…。私は邪悪の神との戦いの後、かつての盟約に基づき、次元を超えていました。そして、このロトゼタシアに再び危機が迫った時、勇者の峰で勇者が私を求めたときに帰ってくることを約束したのです…。オーブに宿る魂とともに…)

「なら、その盟約を果たしてほしい。命の大樹と勇者の剣がウルノーガという魔導士に奪われてしまった。俺の勇者の力も…。奴は今、天空魔城でロトゼタシアを完全に滅ぼそうと動いています。俺たちを天空魔城へ…」

(天空魔城…)

ベロニカの笛で釣りあげられる中で、ケトスはロトゼタシアの今の状況を見ていた。

天空魔城の姿もこの目で見ている。

(確かに、私があなたたちをその天空魔城へ連れていくことができるでしょう。しかし、勇者の剣と勇者の力を手に入れたウルノーガはおそらく、光と闇の双方の力を手に入れている。ウルノーガを討つためには、まだまだ力が必要です)

「その力は…どこで手に入りますか…?」

(天空にはロトゼタシア誕生よりも前から生きる古代人、神の民が住まう里があります。彼らはかつて、勇者ローシュに力を貸し、同じ盟約でつながっています。きっと、力になってくれるでしょう。そこまでお連れしましょう)

「感謝します…。なら…」

「行かれるのですな…勇者殿」

「ええ…。ベロニカとの別れは済ませました。彼女のためにも、死んでいった人たちのためにも、行きます」

ベロニカに助けられたから、エルバは生き延びることができ、こうして仲間たちは再び集まることができた。

六軍王もすでに4体倒していて、神の乗り物も目の前にいる。

あとは残り2体の六軍王を倒し、ウルノーガを倒して世界を救う。

それがベロニカへの何よりの供養となる。

「待ってくれ、出発の前にやらないといけねえことがある。セーニャ、ちゃんと親父さんとお袋さんに挨拶してから出発しようぜ」

葬儀の後からセーニャは両親と話せていない。

ちゃんと元気になったこと、そして旅をつづける決意を2人に話せていない。

ベロニカが死んだことで娘を送り出す思いがぶれてしまうのではないかと心配する気持ちもあるが、話したほうがいい。

セーニャは何も言わずに首を縦に振った。

 

セーニャの家の前で、カミュとセーニャがセーニャの両親と向き合い、彼らのそばにマヤの姿がある。

昨晩はベロニカの死を悲しみ、泣き明かしていたのか、まだ父親の目が赤くなったままだ。

「お父様、お母様…私は…」

「いいのよ、セーニャ…。あなたが決めたことなら…。ベロニカの後ろをついて行ってばかりだったあなたが、成長したのね…」

セーニャも失ってしまうのではないかという恐怖がないというとウソになる。

だが、目の前のセーニャはベロニカを失った悲しみを乗り越えて、使命を果たすために前へ進もうとしている。

そんな娘の成長を喜ぶ気持ちもあった。

「その…すんません。俺のわがまままで聞いてもらって…」

「いいのよ、カミュさん。マヤちゃんのことは私たちが面倒を見ますから、気にせずに戦ってください」

「兄貴…」

ラムダの里に預けられることはすでに分かっていたマヤはここでカミュと別れることになることは受け入れている。

だが、自分と別れたカミュがこれからやるのはウルノーガとの戦い。

生きて帰ってこれるかわからない戦いに、唯一の肉親が挑もうとしている。

もしかしたら、カミュとこうして会うことができるのが最後になるかもしれない。

不安そうにしているマヤの頭をカミュがヘッと笑いながらグシャグシャとなでる。

「心配すんなよ。お前を置いてくたばるわけねえだろ。さっさと終わらせて帰ってくるからよ、そうしたら…一緒に宝探しでもしようぜ。平和になった世界でな」

「兄貴…ああ、ああ!!」

「カミュさん…娘を、私の娘のことを…頼みます…」

2人がカミュの頭を下げる。

カミュとセーニャの間柄については、2人とも薄々と気が付いていた。

おそらく、セーニャが再起できたのはカミュの力が大きい。

エルバ以外にセーニャの力になってくれる男性で2人の中で真っ先に浮かぶのはカミュだ。

だから、カミュの願いを聞き入れ、彼にセーニャを託している。

「…はい。俺が必ずセーニャを守って…一緒に戻ってきますから」

「カミュ様…」

ほんのりと顔を赤くしたセーニャの手はカミュの手に触れていた。

 

「うおおおお!?これは…!!」

ケトスの背に乗ったグレイグはゼーランダ山やドゥーランダ山すら越える高さにいることを実感していた。

彼女の力によって、風や冷気から身を守ることができている。

「今はケトスの力を借りているが、いつかは人の力だけで空を飛ぶ、なんてこともできるようになるかもな…」

「そんな未来も悪くないわね。最も、それができるまでどれだけ時間がかかるかわからないけれど」

「その時間を作るために、ウルノーガを倒さないとな」

ケトスがゼーランダ山を離れていく。

次第に雲によって見えなくなる山をセーニャは見つめる。

「行ってきます…お父様、お母さま、お姉さま…」

家族へのあいさつを済ませたセーニャは視線を崩壊した世界の象徴たる天空魔城に向ける。

この城の主であるウルノーガを倒すことで、命の大樹を取り戻すことができるのかはわからないが、それでも彼を野放しにするわけにはいかない。

「あら…あれじゃないかしら?神の民の暮らしている場所って!!」

シルビアが見つけたのは浮遊している小さな島で、そこには丸っこい形をした小さな建物が見える。

世界中を旅してきたが、このようなデザインの建物を見るのは初めてだ。

「あそこに…ウルノーガを倒す手がかりが…」

「ケトス様、間違いありませんか?あの島に神の民が…」

(はい。確かに感じます…彼らの力を。しかし…)

「しかし…?」

(やはり、神の民もこの世界の異変に巻き込まれないはずがなかったのですね…)

脳に聞こえるケトスの言葉は悲しみをはらんだものとなっていた。

 

「さあ、勇者様たちから預かった馬のエサをやるとするか」

ラムダの里の若者が馬の餌が入ったタルを馬小屋に運んでいく。

世界崩壊で馬小屋にいた馬の大半を失っていて、衰弱する馬の姿を見たことでやる気をなくしていた彼だが、ケトスに乗って空へと向かうエルバ達に馬を預けられ、彼らの元気な姿を見たことでやる気を取り戻していた。

早速馬小屋に入り、馬たちに餌を与える中で、違和感を抱く。

「あれ…?勇者様から預かった馬って5頭のはず…」

グレイグのリタリフォンとシルビアのマーガレット、マルティナとロウが乗る馬とカミュとセーニャが乗る馬、そしてフランベルグ。

この5頭を確かに預かったと思っていたが、なぜかそこには4頭しかいない。

正確に言うと、フランベルグの姿だけ消えていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第93話 神の民

「ん、ああ…よく寝たなぁ…」

円状の部屋の中でのっそりと小さな影が動く。

周囲についている光る石が光源となっていて、それらが壁画をうっすらと照らしている。

辮髪のような角を生やしたそれは子供くらいの大きさをしていて、紫のローブで身を包んでいる。

筒のような耳と丸っこい目をした、ロトゼタシアの人間が見ると異形ともいえるその姿はとても同じ世界の人間とは思えないものだ。

「一人でここに寝るようになって、どれだけ時間がたったのかな…?」

もうここで閉じこもり続けて何か月も経過している。

ここには不思議な力が働いているのか、水や飲み物がなくても平気な状態だ。

ただ、1人では退屈なうえにベッドではなく床で寝ていることから体の節々が痛くなる。

こんなことになるなら、ここにもベッドがあればよかったのにと思ってしまう。

「あれ…?この気配って」

角から伝わる、魔物のものとも人間のものとも全く異なる気配。

長老が教えてくれた神の乗り物の姿が不意に頭に浮かぶ。

そして、それとは別の大きな力がここに近づいてくる。

その力はあの日から決して開かなかった扉を開く。

「うわあ…」

入ってくる人間は7人。

そのうちの1人から感じるその力は間違いなく、勇者のものだ。

「ここが、神の民の神殿…」

「おい、エルバ!こいつは…??」

エルバの隣にいたカミュが真っ先に彼の存在に気づく。

彼はのっそりとエルバ達の前まで歩いていく。

明らかに人間とは違う存在に驚きを隠せない面々だが、敵意を感じることができないのか、だれも武器を抜こうとしない。

「ふーん、そっかぁ。兄ちゃんがそうなのかぁ」

「そうなのかって…君は…?」

「ああ、オイラは神の民さ。人間なんて初めて見たよ」

「ケトス様がおっしゃっていた…。あの、ほかの皆様は?」

仮にここが神の民が住む場所であれば、もっと他にも神の民の姿があるはず。

だが、ここにいる神の民は目の前の彼1人で、ほかにいる気配もない。

「それが、数か月前に魔王軍に襲われてね。ほかにあった浮島は壊されるか、地上に落とされちゃったんだ。で、オイラが最後の1人ってわけ」

「そんなことが…さぞお辛かったことでしょう…」

もっと早く来ていれば、何かしらの手を打つことができたのでは。

ベロニカの命がけの救出劇によって助けられてから、とにかく早く動いてきたつもりだが、それでも救うには遅すぎた。

「けどよ、なんであんたは無事だったんだ?この神殿に何かあんのか?」

ただ気まぐれで見逃されたのか、それとも何かしらの手段で生き延びることができたのか?

生き延びた彼に聞くのは酷な感じがしたが、それでも聞かずにはいられない。

浮島もろともウルノーガを倒す手がかりを破壊されたら、完全に無駄足で終わってしまう。

「ここは太陽の神殿だよ。ここにはこのロトゼタシアが生まれてから燃え続ける聖なる種火が祭られているんだ。オイラは魔王軍が来たとき、ここにいたから助かったのさ」

燭台のようなレリーフが刻まれた半円状の扉を見つめながら、神の民は答える。

「聖なる種火…まさか、これが魔王を倒すための手がかりなのか?」

「私たちは魔王ウルノーガを倒す力を求めて、この天空の地まで赴いたのです。もし、何かご存知でしたら、お教えください」

「うーん…魔王を倒せるほどの力か。聖なる種火は戦うための力じゃないし、何のための力なんだろう…?」

破壊と創造は表裏一体、そして創造の前には破壊が伴うという言葉を長老から聞いたことがある。

だが、聖なる種火は例外であり、それは決して燃料を必要とせず、静かに燃え続けている世界最初の炎。

だが、彼の持つ知識はここまで。

「ごめん、オイラこう見えても子供でさ、詳しいことは何もわからないんだよね」

「仕方ねえな。なら、あとはその聖なる種火ってものを実際に見てみねえとな。この先にあるんだろ?」

「うん、じゃあ…開けるよ」

神の民はのそのそと聖なる種火が祭られている間への扉を開く。

開くと同時に熱気がエルバ達を襲う。

熱気に耐えながら入っていき、それを放っているであろう聖なる種火を見る。

だが、それは種火などという名前から感じるかわいらしいものとは程遠いものだった。

部屋の中央にあるそれは小さな太陽ともいうべきもので、2メートル以上の直径があった。

「これが、聖なる種火…」

「清らかで、神々しい炎ですわ…」

「エルバ、痣が光っているわ!」

「何…?」

マルティナの指摘にエルバは両腕の痣の光に気づく。

その光と連動するかのように、聖なる種火から炎が伸び、それがエルバの両腕を襲う。

「これは…うわああ!!」

「エルバちゃん、これは…!!」

聖なる種火の炎がエルバの両腕を焼き始める。

激しく燃える炎の痛みに耐えながら、エルバは両腕に力を籠める。

炎の痛みに耐えるエルバの脳裏を見たことのない光景が襲う。

空に浮かぶ岩山の中、エルバと似た顔立ちをした男が青白い鉱石を掘り出している姿。

大きな鉱石の塊を手にしている彼の左手にはエルバと同じ痣が宿っていた。

そして、景色は今度は見覚えのある砂漠の光景へと変化する。

そこにあるサマディーへの外門の前で、ローシュとウラノス、そしてセニカが待っている中でネルセンが出てきて、その手には側面部分に剣を鍛える鍛冶職人たちの姿が描かれたレリーフのある巨大な槌が握られていた。

そして、4人が見るのはその東にあるヒノノギ山。

次の見えたのは周囲に巨大な炎を噴出させる灯台のある空間で、ローシュはそこで鉱石を槌で叩いていた。

鍛えられた金属は次第に形を変え、やがてそれが勇者の剣へと姿を変えていた。

その景色を見終わると同時に炎が消え、ようやく解放されたエルバはその場で膝をつく。

「エルバ!おい、大丈夫か!?」

「今、手当てを…!」

セーニャが急ぎ、無残なやけどを見えるエルバの両腕に回復呪文を施す。

その中で気になったのは焼けただれたエルバの両腕に対して、エルバがまとっている魔法の闘衣もアーウィンの鎧の小手も何もダメージがなかったことだ。

「エルバよ、今の景色は…?」

「エルバちゃんと同じ痣がついていて…もしかして、彼が先代勇者のローシュちゃんなのかしら?」

「みんなも、見えたのか…?」

「ああ。まさかとは思うが、この光景は…勇者の剣誕生の…」

ここ以外のどこかにある岩山の中にある鉱石を砂漠の国で手にした槌を使い、ヒノノギ火山の中にあると思われる火事場で鍛えることで勇者の剣が誕生する。

そのローシュが生み出した勇者の剣は残念ながらウルノーガの手にわたってしまった。

だが、エルバ達が見た光景は一つの対抗策を教えてくれた。

「先代勇者が勇者の剣を作ったってんなら、俺たちもつくりゃあいいんだ。勇者の剣を!!」

「そうね。手がかりはあの景色が教えてくれた。それに、ケトスなら勇者の剣のもとになった鉱石のある浮島を知っているはずよ」

「砂漠はおそらく、サマディーだ…。じいさんが頼めば、きっと槌について教えてくれるだろう」

「あとはヒノノギ火山ですわね。私たちがホムラの里に滞在していた時に聞いた話では、火山の中には禁忌の場所があると…」

その場所について詳しいことを知っているのは里長であり、巫女でもあるヤヤクだけなのだが、そのころのヤヤクは嫡男であるハリマが魔物との戦いで討ち死にし、喪に服していたことから会うことができなかった。

それから時が流れ、喪も明けているはず。

彼女の聡明さは里中で評判となっていることから、助けになってくれる可能性がある。

「まずは岩山だ。ケトスの元へ戻ろう」

行く道が決まったエルバは右手に軽く力を籠める。

すると、右手の痣が赤々と光るとともに手から炎が生まれていた。

「これは…聖なる種火の炎…!」

ベロニカのメラ系呪文に似たものに見えるが、ただの炎であるメラとはわけが違う何かが感じられた。

 

「お疲れ。その様子だと、道が見えたみたいだな」

聖なる種火の部屋を出たエルバ達を神の民の子供が笑顔で出迎える。

「ああ…。聖なる種火が教えてくれた」

エルバは右手から聖なる種火を生み出し、それを子供に見せる。

そして、それが見せた光景を彼に説明する。

キラキラと目を輝かせた子供は何かを思い出したかのように目を見開く。

「そうだ…、昔じいちゃんが聞かせてくれた話がある!邪悪の神を倒すために戦った人間…つまり、先代の勇者は闇の力を打ち払うべく、特別な剣を作るために聖なる種火をもって、冒険していたようだよ。兄ちゃんたちが見た光景って、たぶんそれのことじゃないかな?そして、先代勇者が鉱石を見つけた場所ってたぶん…天空の古戦場じゃないかな」

「天空の古戦場じゃと?しかし、何故そのようなところに勇者の剣を作るための材料が…」

「古い話だから詳しいことは知らないけれど、かつては特別な金属が発掘できた場所だから、それをめぐって大きな争いがあったんだって。その中で鉱脈も枯れてしまったと聞いたけれど、その場所で先代勇者も鉱石を手に入れたんだ。探せば、きっとあるんじゃないかな?でも、行くなら気を付けてね。そこは何百年も誰も近づいていない場所。何が起きても不思議じゃないよ」

「そうだな…って、お前、その体…どうしたんだよ!?」

話している子供の体が徐々に透けていき、光の粒子が生まれている様子にエルバ達は驚く。

彼らの様子を見た子供は両手を見て自分の異変に気付いたようだが、特に驚いたような様子はない。

「ああ…どうやら、オイラの役目はこれで終わりみたい。オイラは最後の神の民として、今世の勇者が聖なる種火から力を受け取るのを見届けるために、今まで生かされてたみたい」

「でしたら、あなたは…」

「うん、そういうこと。魔物の襲撃を受けたとき、とっくに死んでたってこと」

「そんな…」

人間とは異なる存在である神の民とはいえ、まだ子供である彼がその役目を果たすためだけに生かされ、そして死に戻る。

あまりにも残酷な定めに誰も何の言葉もかけることができずにいた。

自分以外の神の民がすべての死を見届けた彼の人生とはいったい何だったのか。

「ああ、気にしないで。命は巡るものさ。きっと、兄ちゃんたちは魔王を倒して、命の大樹を取り戻してくれる。そうしたら、死んだ神の民も長い時をかけて大樹の葉となり、そして再びロトゼタシアに戻るから。そうなれば、報われるってものさ」

「けれど…それはもう別の命になるんだろう?お前の、じゃない…」

死んだベロニカも同じ理屈が通るかもしれないが、彼女だった命が別の何かに生まれるとしても、それがどのような存在なのかはわからない。

それに、前の命の記憶など持っているはずもない。

エルバの前世と言われているローシュの記憶がエルバにはないように。

「いいかい、兄ちゃん。命はいつか必ず終わるんだ。終わりは新しい始まりへとつながっている。終わりのない命なんて、ただの幻…ただの夢なんだよ。そして、終わったからといって、すべてが無になるわけじゃない。終わった命は沈黙しない。生きている人が記憶する限りはね。だからさ。オイラのことを記憶の片隅にちょこっとだけでいいから、おいててくれよ」

「…ああ。わかったよ…」

「よかった。じゃあね、兄ちゃんたち。会えてよかったよ。オイラはボラ、神の民の最後の一人さ」

最期に自らの名前を告げた神の民の子供、ボラは最初からそこにいなかったかのように消えてしまう。

光る石も輝きを失って消えてしまい、神殿は暗闇に包まれた。

 

神殿を出たエルバは無人となった神殿の壁にボラの名前と『使命を果たした少年』という文字を刻む。

彼の最後の言葉を果たすため、そして彼をはじめとして神の民がロトゼタシアに確かに存在したということを忘れないために。

(そう、ですか…。もうこの世界に神の民は存在しないのですね…)

「けれど、道を示してくれたわ。ボラちゃんの思いを無駄にしないためにも、アタシたちは進まないと」

「ああ、そうだな…」

「なぁ、エルバ…ボラに言っていたことは…」

ボラへの弔いの中で、カミュが気になったのはエルバが彼の言った言葉。

それは命の大樹へと還った命が再びロトゼタシアで生まれ変わるという考えへの異議ともいえるものだった。

ベロニカや両親のこともあって、そのようなことを言ったのだろうか。

「…。生まれ変わるといって、生まれた命は誰の生まれ変わりだなんて、どう判断すればいいんだ…そう思ってしまっただけだ」

エルバには痣が、セーニャとベロニカにはセニカが持っていたとされる力があったから、そう判断することができた。

では、死んだベロニカは、両親は、そして村人たちの生まれ変わりはどうなのか。

その答えは誰にも出すことができない。

答えが出ぬまま7人はケトスに乗る。

ケトスが目指すのははるか南。

希望が残っていると思われる天空の古戦場だ。

 

高い岩山に囲まれた荒地は人の手が加わっていないのか、不規則に伸びた木々と草花が生い茂る。

そこには黒い2つの丸の間に鼻と思われる黒い一本線が刻まれた顔をした青白い小人たちがそれらに目もくれることなく歩き続ける。

彼らが目指しているのはこの荒野の中央にある巨大な塔。

その中は薄暗い黄金でできた数多くの歯車や時計がちりばめられ、そのいずれも同じ時を刻むことはない。

塔の最上階には外にいた小人がそのまま大きくなり、なおかつ長いスカートのドレスを身に着けているような体形となっている何かがたたずみむ。

それがじっと見つめているのは黒い球体が祭られた祭壇で、その中にはいくつもの光の粒がある。

同じような球体が無数に浮かんでいて、浮かぶ球体の1つ1つが時折何らかの光景を魅せる。

とある城の一室で、ようやく授かった二人の赤子をいとおしく抱きしめる金髪の美しい女性の姿や同じような一室で、修理が終わったばかりの壁を一蹴りで打ち砕き、そのまま外へと飛び出すワンピース姿の少女。

貴族の服を身にまとったカミュに似た髪をした少年が幼い顔立ちでウェディングドレス姿をした赤毛の小柄な少女とともに神父の元へと2人で歩いていく姿に木製の漁船の上で網にかかった石板に刻まれた文字を読む緑色の漁師服姿の少年。

崩落したつり橋のそばで、とげ付きの帽子と毛皮の服で身を包んだが太った山賊が黄色と青を基調とした服でオレンジのバンダナを頭に付けた青年に土下座する光景や滝の音が聞こえる部屋の中で、風変わりな服装の旅芸人の少年の看病をする紫の髪でエプロン姿の少女の姿。

広いつばのついた帽子とマントをつけた青年の前で、薄黄色の髪をした少女がレイピアを手にする姿もある。

そして、今祭壇にある黒い球体に映っているのは命の大樹が落ち、世界が崩壊する光景だ。

「そうか…君はずっとここにいたんだな。俺に会うために、いつまでも…いつまでも…」

「あなたは…?」

振り返ったそれの目に映るのは青い人の姿をした幻影。

後ろに下がったスパイキーショートをした男性といえる幻影はゆっくりとそれに近づき、その手に触れる。

「長い間…待たせてしまって済まない。俺のわがままを聞いてくれないか?俺たちの子孫たちのために…」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第94話 神の金属への道

「くうう、沁みる…!!」

「じっとしていろ。…よし、これでいいだろう」

「はあ…もっと優しくできねえのかよ、エルバ」

「俺はセーニャじゃない。優しくかけたいなら彼女に頼め」

「ったく、お前なんか最近俺に対してぞんざいになってねーか!!」

カミュからの抗議の声を無視したエルバはシチューの鍋を見に行く。

ケトスに乗り、天空の古戦場にたどり着いたのは5日前。

入口はここの鉱脈を守っていた神の民が最後の抵抗として仕掛けたのか、猛毒の瘴気で閉ざされたいたが、エルバが聖なる種火の炎で焼き尽くしたことで道を開くことができた。

古戦場というだけあり、魔物や神の民が使っていたと思われる武器や防具の残骸が残っていた。

さすがに遺骨や遺体などはなかったが、代わりに待っていたのは魔物で、特に物質系やゾンビ系といった魔物が住み着いていた。

前世代のキラーマシンとは大きく様相が異なり、角のようなセンサーが2本追加され、足の代わりにしっぽのようなフレキシブルアームが搭載されたキラーマシン2は過去の大戦の時からずっと動いているのか、装甲や武器のいたるところが色あせていた。

皇帝のような衣装姿で手持ちの杖で稲妻や闇の呪文を唱えるゾンビのデッドエンペラーに変色した骸骨でできた騎士である地獄の騎士など、生命がかけらも感じられない魔物が大多数だ。

赤い鎧をまとったドラゴンライダーといえるガーディアンなどの生物もいることから、どこからか水や食べ物を確保できるところがあるのかもしれないが、少なくともエルバ達はその水や食料を見つける手段がない。

「じいさん、残りの水は…?」

「うむう…だいぶ減ってしもうたのぉ。どう節約しても、あと1日…いや、2日くらいしかもたぬなぁ」

「食料は保存食が残っているから問題ないが、やっぱり水か…」

奥へと向かう中で、いくつかまだ生きている鉱脈を見つけることができた。

あの光景の中で見つけたあの鉱石を見つけることはできなかったが、ヘビーメタルやミスリル鉱石、メタルの欠片などの珍しい鉱石を見つけた。

まだまだ先があるとはいえ、その前に水も食料も尽きたら、もう引き上げるしかない。

目印をつけて、近くの崖からケトスに乗って移動すればいいが、水と食料を地上で補給して再び戻ってくるとなるとどれだけ時間がかかるかわからない。

だからといって、このまま進むとしてももう真夜中。

昼でも夜のように真っ暗な坑道もあり、活性化している魔物の存在もために強行突破も難しく、今は体力回復のためにここでキャンプを張っている。

古びた女神像があるおかげで魔物が来る気配はなく、少し歩いたところで崖がある。

雨が降れば、そこで水を補充することができるかもしれないと淡い期待をしつつ、エルバは器にできたばかりのシチューを入れていく。

「シチューとは贅沢だ…。まぁ、確かにうまいが。おい、ゴリアテ。さっきの動きはどうしたのだ?」

「さっきの動き…?それって、2人でやってた特訓のことかしら?」

「ええ。どうもシルビアに動きを見てほしいといわれて行ったのですが…」

「あらあら、グレイグ。あなたが言っちゃだめよ。アタシの立場がなくなるじゃない。実はね、ちょっと頭打ちした感じがあって…」

「頭打ち…?」

「ええ。エルバちゃんたちも、みんな強くなったわ。エルバちゃんは二刀流をものにして、今ではロン・ベルク流を使いこなそうとしているし、カミュちゃんたちもオーブの力を引き出すことができるようになった。ロウちゃんは命がけの特訓でグランドクロスなんてすごい技が使えるようになったし、セーニャちゃんもベロニカちゃんの力を受け継いで、賢者になったじゃない。なんだか、ちょっとアタシは伸びていないような感じがして…でも、もっと強くなれる気がするのよ。どうにか突破できないのかな、なんて…」

父親のことを除いては、シルビアにしてはかなり珍しい悩み。

旅芸人として旅をしていたころと比較すると、芸人以上に騎士としての力量が求められた。

エルバ達と一緒に行動してからはエルバ達に戦いの指導をするなどしていたが、今では教えることもなくなり、今やっていることとすれば模擬戦くらいだ。

エルバとカミュの成長を間近で見ているためか、どうしてもそれと比較してしまう。

「そうだな…。もっと力を出せるのではないかと思うことは俺にもある」

「あら…グレイグも?」

「ああ、エルバを追跡して、彼と刃を交えたこともある。その中で奴が強くなっているのを肌身で感じた。追い抜かれるようなことがあってはならぬと思い、俺も訓練をしたが、やはり年齢もあるのか、中々だった…」

「そうなのね…」

「勇者というのもあるが、若いということもあるのだろうな。そう考えると、ロウ様は素晴らしいお方だ。あの年でドゥルダ流の最終奥義を習得して見せているのだから」

実際にその時の修行の光景を見たわけではないが、あのガリガリに痩せこけて、死体同然になったロウの姿は今も忘れられない。

孫のエルバのためとはいえ、これほどまでのことをするとはやはりロウは普通の人間とは違うものがある。

「なあにを言うておる。わしはあの場所でどれだけ大師様からお仕置きを受けたか…」

ロウの脳裏によみがえるのはおしり叩き棒によって感じる鋭い痛みと膨らんでいく尻だ。

まずはヨボヨボになっている体を鍛えなおすなどといって腕立て伏せや長時間のランニングなどの肉体づくりをさせられた。

少しでもペースが緩んだりするとすぐにおしり叩き棒が待っている。

衰えた体にはかなり答える日常だったが、そこでロウが思い出したことがある。

「じゃが…やはり動いていると若いころを思い出したのぉ…。ドゥルダ郷にいたころはとにかく、目の前のものに取り組んでいたのぉ…」

「目の前のことに全力で…か。そう考えると、俺とゴリアテはお師匠様のもとにいたころがそうだな…」

「パパの元にいたときもそうだけど…やっぱりアタシの場合は師匠の元にいたころかしら…」

ソルティコを飛び出し、旅芸人のもとで修業の日々を過ごしていたころのシルビアの課題は肉体改造だった。

騎士として鍛え上げられた彼の体を女性のような細身と両立させるのは至難の業で、食事に生活習慣、おまけに訓練も徹底的に突き詰められた。

また、芸の技量についても幼少期から訓練を受けている芸人たちと比較するとどうしても見劣りがあり、大きく出遅れた状態からのスタートになっていた。

自分よりも小さい子供があっさりと芸を身に着けていくことが悔しくて、早く追いつこうとがむしゃらに師匠についていった結果、今のシルビアがいる。

「案外、答えというのは近くに転がっているものだ。ただ、それが見づらいだけ…というやつだな」

「…そうね。らしくないことを相談しちゃったわね。ありがとう、グレイグ。ロウちゃんも」

「ほっほっほっ、楽しみじゃのう…」

「さあ、早く食べてしまおう。せっかくのシチューだからな」

グレイグの勧めを受け、シルビアはそばに置いた器を手に取り、中のシチューを食べていく。

保存肉を使っているためにやや塩辛い部分があったものの、久方ぶりのエルバのシチューを喜んでいた。

「アタシのこともそうだけど、それ以上に問題なのは勇者の剣の素材になった金属ね。この奥で見つかってくれればいいけれど…」

「気をつけねばならんのは、魔王軍に見つけられてしまう可能性だ。もしその鉱石が奴らの手に落ちるようなことになれば、2本目の魔王の剣が生まれかねない」

魔王軍の姿は見えないが、瘴気を払った以上は魔王軍もここに入ってくる可能性も考えられる。

ウルノーガがその金属の存在まで知っているかどうかはわからないが、仮にその鉱石が魔王の手に落ちたら、もう立ち向かう手段がなくなる。

「わかっている、明日が勝負だ…」

シチューをかきこんだエルバは口元をぬぐい、真っ先にテントに入った。

 

「んん…ここ、は…?」

仲間とともに眠りについたはずのシルビアは静寂に包まれたキャンプ場ではありえない歓声が耳元に届き、うっすらと目を開く。

目を開けるとそこは巨大なテントの中で、サマディーのサーカス場以上の大きなのものとなっており、満席になるほどの観客が座っている。

シルビアも横になっていたはずの体が椅子に座っていて、服装はなぜかソルティコにいたころに来ていた騎士の制服へと変わっていた。

「ここは…どこ?」

「ちょうどいい時に起きましたな。若いの」

「え…?」

隣から地味な緑の長袖の服で身を包んだ白髪の老人が声をかけてきて、びっくりしたシルビアは彼に目を向ける。

こんな時に夢を見ているのか、そう思って自分の頬をつねってみるが、痛みが伝わるだけで現実に戻る気配がない。

戸惑う中、ステージに主役が上がる。

2枚羽根のついた縁の広い帽子をかぶり、紫のローブで身をまとった女性で、女性はステージ中央にやってくると同時に両手を広げる。

何の予備動作もなしにボールを出すと、それでジャグリングを始める。

最初は2個だけだったが、4個、8個、16個と数が増えていき、慌てる様子のないその動きに観客の目が釘付けになる。

「これって、アタシの技!?いえ、これは…」

「若いのにとって、彼女が一番の旅芸人のようじゃなぁ…」

しばらくジャグリングしていた16個のボールが次々とナイフに代わり、一歩間違えば命に係わるような危険に満ちたキラージャグリングへと変貌と遂げる。

そして、16本のナイフをすべて客席に向けて投げつける。

そのうちの1本はシルビアの元へと向かっていた。

「ああ…」

ナイフに釘付けになるシルビアだが、それは恐怖の色ではない。

本来なら見ることすらかなわない、最大の目標というべき女性の芸だと確信したから。

女性は口から火を噴くと、投げられたすべてのナイフが菊の花びらとなって会場を包み込んでいく。

「これって、ママの…」

帽子で顔が隠れ、一切見えないが間違いない。

彼女は命と引き換えに自分を生んでくれたガーベラだ。

彼女を呼ぼうと席を立つシルビアだが、その瞬間観客とガーベラと思われる女性の姿が消えてしまう。

そして、ステージの中央には隣にいたはずの老人の姿があった。

「ふむふむ…夭折の女旅芸人か。もっと長生きさせてくれればと思うが、なるほど…その意思はしっかりと息子に受け継がれておるか…」

「おじいちゃん…アタシとママのことを知っているの?誰なの…??」

シルビアはガーベラの芸名と同じだが、ガーベラが活動していたのは30年以上前のこと。

中年から高齢の世代の人なら覚えている人がいるかもしれないが、少なくともロトゼタシアを旅してきた中ではそのことに気づく人はいなかった。

いたとしても、同業者くらいだ。

旅の中で交流した同業者の顔は覚えているが、この老人については見覚えはない。

「わしは…ただの観客じゃ。これから始まるエンターテイナーによるショーのな」

「これから始まるって、でもママは…」

「何を言うておる?さあ、始めてもらおうかのぉ」

皺の目立つ腕を伸ばし、指を鳴らすと同時にシルビアの視界が一瞬暗くなる。

視界が元に戻ると、なぜか彼はステージの中央に立っていて、目の前には黒一色の何者かの姿があった。

「これは…??」

剣を抜く彼の構え、体つきや髪型に服装。

黒一色であることを除けば、それはシルビアそのものといえる。

「さあ、わしに見せてくれ。これから始まる剣舞を」

「嘘!?何よ、どんな手品を…きゃ!!」

突然のことに困惑するシルビアに向けてシルビアの影が剣で切りかかる。

慌てて剣を抜いたシルビアはかろうじてそれを受け止める。

やはりというべきか、持っている武器はシルビアと同じだ。

「拮抗する力のぶつけ合い…最高の舞台はまさに自分自身との戦い。技術、身体能力、魔力…いずれも同じなのだから」

最初は剣を手にしていた二人だが、埒があかないことからナイフに持ち替え、次は鞭を手にする。

アモーレショットを互いに相殺し、いかなる手を尽くしてもお互いに突破口を見つけることができない。

敗北まで追いつめられることがなければ、勝ち筋が見えるわけでもない。

互いにただ消耗していくだけで、お互いに手を知り尽くしていることから裏をかこうとしても読まれて対策をとられてしまい、それはシルビア自身も同じだ。

武器を、技を、呪文をぶつけあい、生じた傷をお互いにリベホイムで癒す。

致命傷を与えることも与えられることもなく、次第に疲労が重なっていく。

「はあ、はあ…いったい何なのかしら。これ…どうすればいいの…!?」

目の前のシルビアの影も同じく疲労を見せている。

このままでは、いつまでも泥仕合は終わらず、共倒れを待つばかり。

いったいこれのどこがショーだというのか、老人は何が目的でこのようなことをさせるのか。

「さあ、どうする…?このままではいつまでも観客を盛り上げることはできぬぞ?」

「観客…?」

「さあ、見せてみろ。お前が持っていて、そこの影が持っていないものを」

「アタシだけが持っているもの…」

切りかかる影と鍔迫り合いを演じるシルビアはじっと影の顔を見る。

顔立ちはやはり、憎たらしいほどに自分と似ている。

必死な表情を見せていることも同じ。

何もかも同じはずの影と己が唯一違うもの。

「アタシは…アタシは戦い続けて、演じてきたわ!世界を笑顔にするために!」

ソルティコを飛び出し、幼いほかの弟子たちとともに芸を磨いた日々。

長年の修行の末にようやく客前で披露することを許され、歓声を受けた時の喜び。

自立を認められた時の喜びと不安、旅立つ日に師匠から受けた激励。

世界を旅し、その中で人々の中で有名になったときに抱いた誇りと、勇者と出会ったときに感じた己の運命。

喜怒哀楽に彩られたキャンパスに描かれた日々のすべてが今のシルビアを作った。

そのすべての積み重ねが目の前の影との最大の違い。

「だから…負けて、られないのよ!!相手がたとえ、アタシ自身であっても!!」

心の底からの叫びとともに力を込めて影を吹き飛ばす。

同時に、右手の剣が粉々に砕け散ると、その欠片が集まってイエローオーブへと変わっていく。

「これは…」

「フフフ…さあ、お集りの皆様!とくとごらんあれ!」

席に座っていた老人が消え、同時に上空に白い燕尾服とシルクハット姿となり、ステッキを手にした老人が姿を現す。

まるで足場がそこにあるかのように歩き、ステッキを振るうとイエローオーブを中心に左腕を覆う小型盾付きの手甲へと変化していく。

「闇に包まれた世界に光をもたらさんとするさすらいの旅芸人、その名はシルビア!!これからお見せするは…己の影を払う輝く刃!!」

「刃…!?」

左手首部分にある剣の柄を抜くと、魔力でできた刃でできた剣があらわとなる。

確かに剣を握っているにもかかわらず、重量が感じられず、高速で振るうことができるその剣を手にシルビアは己の影に切りかかる。

影は剣を受けるが、先ほどまでとは違い、じりじりとだが影が追い詰められている様子だ。

「さあ、使いこなして見せよ!奇術師パノンが得物、ジェスターシールドを!!」

「パノン…あなたが…!?」

伝説の旅芸人パノン。

勇者ローシュの同志として、人々の笑顔を守り続けた旅芸人だが、その正体を知る者は誰もいない。

時には老人、時には若者、果てには時には女装して姿を見せることがあり、実際に彼が男なのか女なのか、男なのか女なのか、そもそも人間かどうかすら見当もつかず、ローシュ達も最後まで知ることはなかったという。

旅芸人たちならば、一度は名前を聞いたことがあるというその旅芸人の力を借りることのできる奇跡にシルビアの表情が明るくなる。

切りかかってくる影を盾でいなし、剣を振るおうとすると光の刃が急に長くなり、鞭のようにしなやかになって影を襲う。

「これって…剣だけじゃなくて鞭にもなるの!?それに…」

振るえば振るうほど、シルビアの脳にジェスターシールドの使い方がスポンジのように吸収していく。

一度魔力を抑え、光の刃を消すと今度は左腕を影に向ける。

影がアモーレショットを放とうと構えるが、その前に楯に宿るイエローオーブが光り、そこから魔力のビームが発射される。

エルバの紋章閃のようにそれは影を撃ち抜く。

撃ち抜かれた箇所にハート状の穴が開き、影は霧散してしまった。

「勝ったの…?これ…」

決着がついたことを理解するのと前後して、シルビアはその場に座り込み、息が荒くなる。

今まで激しく動いた疲れがここでようやく自覚でき、体と脳がブレーキをかけてくれた。

そんな彼女の前にパノンが再び元の老人の姿となって現れる。

「おめでとう。見事見事。いいショーじゃったよ」

「はは、ありがとう。まさか…伝説の旅芸人に褒めてもらえるなんて…」

「伝説のぉ…わしはそんな大それたものになるつもりはなかったがのぉ。まぁ、そう呼ばれても悪い気はせんがなぁ。それより、どうじゃった?わしの武器は」

「え、ええ…びっくりする武器だわ。こんな武器がロトゼタシアにあるなんて…」

使用者の魔力によって制御する武具は確かにロトゼタシアに存在するが、ここまで効率よく扱えるものはない。

シルビアも魔力を持っているが、それでも本職や勇者には及ばない。

それに、シルビア自身も魔力をそんなに多くジェスターシールドに注いだわけでもない。

にもかかわらず、光の剣や鞭を作り出すことができ、盾からは光線を発射できた。

ここまでできたのはきっと、イエローオーブの存在も大きいかもしれない。

「その分、使いこなせる人間が限られるがのぉ、もっとも…お前さんの場合は大した問題はなかったようじゃのぉ」

ハハハと笑うパノンが指を鳴らすと、空っぽになっていた客席が一気に観客で埋まっていき、皆がシルビアに向けて拍手を送る。

それを見渡していると、急にシルビアは眠気に襲われる。

「いいかの?シルビア、よく聞け。光と闇は互いに対立することで存在する。そして、対立するものが存在するからこそ、互いに自らの存在を認識できる。炎と氷、生と死、光と闇、平和と戦争。そして、対立の中で調和し、バランスを保つのだ。混沌の果てに、可能性はある」

「混沌の果てに…」

「そうじゃ。己を志を共にする仲間たちを信じて、前へ進め。信じておるぞ」

 

「ん、んん…」

ガンガンと頭痛を覚えたシルビアが目を開けると、そこは元のテントの中だった。

「夢、だったのかしら…?あら…」

頭を抱えた状態であたりを見渡す中、ちょうどすぐそばには夢の中にあったジェスターシールドがおかれている。

寝る前は何もなかった場所にいつの間にか存在している。

まるで、あの夢が本物だということを教えているかのように。

「混沌の果てに可能性がある、か…」

パノンの言葉の意味を完全には理解しているとは言えない。

だが、自分と仲間を信じることならできるはずだ。

力をくれた彼に感謝しつつ、シルビアはもうひと眠りした。

 

「ほぉ…まさかそのような夢を見る中で、パノンの力を手に入れるとはのぉ」

「ええ。カミュちゃんたちとは違う形にはなったけど、これはこれでよかった気がするわ」

左腕に装備したジェスターシールドを撫でつつ、シルビアは夢の中の出来事を思い出す。

あの時、シルビアは確かに自分の影と戦った。

絶対に負けないが絶対に勝てない相手。

勝つには戦いの中で成長するか、影にはない気力を出すことだけ。

そうするにはどれだけ自分を信じられるかが問題になる。

それをクリアできたから、シルビアは力を手に入れることができたのだろう。

「これ、か…??」

一番奥に到達し、そこでエルバが見つけたのは聖なる種火で見た光景の中にあったのと似た色の大きな鉱石。

水晶のような色をしていて、透き通った色に魅入られる自分を感じる。

「こいつは…そうか、間違いねえ!こいつは伝説の鉱石、オリハルコンじゃねえか!!マヤがよく言っていたモンだ!!」

永久不滅の鉱石といわれるそれを素材として生み出した武具は圧倒的な力を持つことになるが、それを加工するだけでも命を懸けるほどの技術と魔力を注ぎ込まなければならず、生み出された武具は使い手を選ぶ。

使い手と認められなかった場合、その武具はただ強度が高く、切れ味がいいだけの武具となり、すさまじい重量になって使い手を拒絶する。

だが、使い手として認められた場合、その者の心の力を発揮するという。

「このオリハルコンで、勇者の剣を…」

つるはしを手にしたエルバはオリハルコンの塊を掘り出す。

その大きさは剣を1本生み出すには十分なほどの大きさだった。

「あとはオリハルコンを鍛える槌、そして…勇者の剣を生み出す場所だ」

「ああ…まず行く場所はサマディーだな」

オリハルコンを持つエルバの手の力が強まる。

一歩前へ進んだ喜びか、それとも焦りか。

それはエルバ自身もわからないものだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第95話 勇者の星

サマディー王国北西部に存在するバグラバ石群。

何もない砂漠にポツリと存在するストーンサークルがそう呼ばれており、神話の時代から存在しているといわれているが、わかっていることはそれだけ。

何の目的で作られた遺跡なのかは今も研究者の中で意見が分かれる。

だが、その研究者以外誰も訪れることのないその遺跡の空は不気味なほどに暗い赤に染まっていて、活性化しているはずの魔物たちも姿をみせる気配がない。

そして、普段ならほかの星々と変わらず遠くから光を放っているはずの勇者の星がなぜか普段よりもはるかに大きく映っていた。

「うわあ…勇者の星って、こんな感じだったのか…」

バグラバ石群のど真ん中でただ1人、大の字になって勇者の星を見つめているのはファーリスだ。

エルバ達との一件がきっかけで心を入れ替えた彼はそれからは剣や学問、馬術に励み、ここまでも一人で誰の手も借りずに馬で駆けつけることができた。

調査に同行していた兵士や学者らはバグラバ石群前の関所のところで危険だと判断してとどまったが、ファーリスはもっと間近から見ないとわからないからと反対を押し切ってここまで来た。

もし魔物が襲ってきたらという心配があったものの、上記の理由でその心配は杞憂に終わっている。

だが、いつまでもこのままというわけではなく、今も勇者の星はゆっくりと大きくなっている、というより近づいてきている。

どうして勇者の星が落ちてきているのかはわからない。

ウルノーガがやっているのか、それともかつての勇者の意思なのか。

どちらにしても、もし落ちてきたらサマディーはあっという間にクレーターへと変わるだろう。

そしてホムラの里やダーハルーネ、さらにはそこから起こるであろう大津波によってソルティコなどの海岸都市にも甚大な被害が発生し、ロトゼタシアが崩壊する。

だが、落ちてくる勇者の星を止める手立てなどあるはずもなく、ファーリスにできるのはこうして眺めて、記録することだけだ。

「まさか、みんなの反対を押し切って、一人でここまでくるなんて、ガッツがあるじゃない、ファーリスちゃん」

「うん、その声は…」

急に影ができ、聞き覚えのある恩師の声に慌てて立ち上がったファーリスはその声の主に目を向ける。

以前の旅芸人の衣装とは違い、帽子をかぶった騎士のような格好で、左腕には見慣れない盾を装備しているが、その顔立ちや体つき、声は忘れられるはずがない。

「シルビアさん、よくご無事で!!世界が崩壊してから、いったいどうしていたのか、心配していて…」

「ファーリスちゃんも、たくましくなったわね。聞きたいことがあって、サマディーまで来たけれど、勇者の星とあなたのことを聞いたから、飛んできたのよ」

勇者の星に起こった異変については、すでに城でファルス3世から聞いている。

虹色の枝を返し、聖なる種火で見た槌について尋ねたいと考えていたが、彼は飛び出していったファーリスのことを心配しており、彼を手助けしてほしいと頼まれた。

連れ戻してくれと言わなかったのは、きっと彼のことを信じてのことなのだろう。

「あれから、どうしていたの?」

「騎士として、遅れた分を取り戻すために日夜勤勉に励んでいました。大樹が落ちてからは、国民を守るため、動き続けていました。ですが、やはり皆、今でも不安を抱いています。その中で、このようなことが…」

クレイモランやデルカダールとは異なり、サマディーには六軍王が侵攻しておらず、相対的ではあるが他国と比べると安全を保っていた。

それでも、ウルノーガの登場による狂暴化した魔物があふれており、時には城下町に侵入したこともある。

そのたびに騎士たちの手で魔物たちを撃退したが、それでも国民への被害がゼロかというとそうでもない。

家屋が破壊されたり、守り切れずに殺されてしまうこともあった。

騎士の中にも死傷者が出ており、さらには勇者の星が落ちてくるという話まである。

死んだ国民や騎士、傷つき悲しむ人々の姿を見たときにファーリスが感じたのはウルノーガや魔物に対して以上に自分に対する怒りだった。

王子として、彼らを守るために戦わなければならない自分の無力さを恥じた。

だから、たとえ非力だとわかっていたとしても、行動せずにはいられなかった。

「へえ、ちょっとはマシになったんじゃねえの?ヘッポコ王子返上だな」

「誰がヘッポコ王子だ!!…と言いたいところだけど、そういわれても仕方ないな」

「じゃが、ここで立ち止まるわけにはいかぬ。何か方法がわかれば…うん?」

ロウが勇者の星を見ようとした瞬間、ズシリと全員の体におもりがついたような感覚が襲う。

自分の体重に匹敵する重さを背負ったかのようになり、エルバ達は立っていられなくなる。

「こ、これは…いったい…!?」

「これは…勇者の星が!!」

体中に伝わる重圧を耐え、空を見上げたグレイグの目に映ったのはどんどん近づいてくる勇者の星の姿。

勇者ローシュがなったといわれたその星が今、ロトゼタシアに牙をむこうとしている。

「ぐう…このままだと、ペシャンコにされちまうぞ!」

「あれは…何か、書いてある!?」

仰向けに倒した状態で勇者の星を見るファーリスは星に刻まれたよくわからない文字に気づく。

勇者の星を見ている中で、何かの模様があることには気づいていたが、こうして近づいてきたことでようやくそれが文字だということを理解することができた。

これを読むことができればいいが、あいにくファーリスは学者ではない。

「書いて…どれ、わしが…!!」

痛みに耐えながらどうにか体を仰向けにしたロウは呼吸を整えて魔力の流れを制御していき、ゴールドフェザーを握りしめて破邪力を増幅させていく。

両目が魔力によって青く光り、増幅していく視力でファーリスが見ているであろう文字を見ていく。

今ロウが使っている呪文はデュマイで、使用者の視力を増幅させるものだ。

しかし、使用後は一時的に視力を失ってしまうことから使いづらい呪文であり、今では廃れた呪文で、ロウ自身もここで役に立つとは思わなかった。

本当は風呂をのぞいたりなどで使いたくて、幼少期の修行の中で習得したが、監視するニマの視線が怖くて断念した過去がある。

瞳に浮かび上がる文字は神話の時代に使われていたであろう古代文字。

だんだん魔力の反動によって視界がぼやけつつある中で、ロウは文字を読んでいく。

「これは…どういう意味なのじゃ…!?」

「じいさん、なんて書いてあるんだ!」

「ニズ…ゼル…ファ…?なんじゃ、なんという意味なのじゃ、これは!?」

聞いたことのない単語、人の名前なのか、それとも古代に存在した国の名前か。

そのことを考えている中で、突然どこからか人型の魔物の影が飛んでくる。

大きな剣を手にした悪魔というべき大きな影が倒れるエルバ達と勇者の星の間に割って入ったその影の握る剣に紫の光が宿り、それを振るった直後、勇者の星が紫色の光に包まれていく。

「勇者の星が!」

「これ、は…うおおおおおお!!!」

光の中に飲み込まれていったエルバ達にはもはや周囲の仲間の姿さえ見ることはかなわなかった。

 

「ここ、は…??」

光が収まり、起き上がったグレイグだが、近くにいたはずのエルバ達の姿がない。

空を見上げると勇者の星の姿がなく、人も魔物もいない。

「姫様、ロウ様、エルバ!!ゴリアテ、セーニャ殿、カミュ!!どこにいる!?」

声を上げ、仲間たちを探すグレイグ。

いくら歩いても誰も見つからず、焦りを覚える中で誰かの声が聞こえる。

(彼は突然、俺の前に現れた…。そして、俺に見せてくれた…)

「ホメロス…?」

(俺の進む道、そして…俺自身の破滅を…俺がなすべきことを…)

「ホメロスなのか…?どこにいる!?」

破滅とはどういうことなのか、いったいホメロスが何を言っているのか。

今のグレイグには自身とデルカダール王を裏切り、ウルノーガとともに世界を滅ぼした彼への怒りはない。

あるのは今浮かぶホメロスへの疑問への答え。

その答えを求め、グレイグは走る。

走っていると、目の前に在りし日のホメロスの姿が映る。

「ホメロス…!」

「グレイグ…俺、の…果たすべき使命…は…」

 

「うわああ!!」

「キャッ!!」

急にグレイグの視界が変化し、気づくとそこは砂漠ではなく、レンガ造りの一室で、メイドの女性が驚いた様子を見せていた。

驚かせたことを詫びたグレイグは今の自分の状況を冷静に考え始める。

壁に掛けられているサマディーの国旗と整えられた絨毯とベッド、そして今自分が身に着けている肌着。

状況を整理していると、部屋にロウが入ってくる。

「グレイグ、ようやく目が覚めたか…」

「ロウ様、我々は…」

「うむ、勇者の星が砕けた衝撃で気絶しておった。関所に残っていた兵士たちが救出してくれたがのぉ」

ファーリスを含め、全員が意識を失っていて、エルバ達が目を覚ましたのは翌日。

一番最後に目覚めたのはグレイグだ。

「おぬしは3日寝ておった。原因はわからぬが…」

「そうですか、申し訳ございません。ご心配をおかけいたしました」

「いや、無事ならそれでよい。おぬしも今や、失うことができぬ大切な仲間じゃからな。さあ、わしは皆に伝えてくるから、もう少し休んでおれ」

「はい…」

ロウが出ていき、水を交換したメイドも頭を下げて退室する。

一人になり、再びベッドで横になったグレイグは夢の中で見たホメロスと彼の言葉を考える。

おそらく、一番遅く目を覚ました原因はこれだろう。

(見せてくれたと言っていたな…。進む道、己の破滅…。まさか、ウルノーガが…)

グレイグへの嫉妬はデルカダールで刃を交えたときにようやく気付いた。

常に先に行っていると見えた己をねたみ、やがて憎んでいき、それが暴走を起こす引き金になった。

ウルノーガが見せた破滅というのは、おそらくグレイグに刃を向け、最後には処刑されるか、殺されるかということなのだろう。

そして、使命というのは六軍王の長となり、ウルノーガの片腕になるということなのか。

だが、そう考えるとやや不審な行動をしているようにも見える。

特に気になるのはネドラを倒したのがホメロスだということ。

魔竜の魂を求めてという結論だが、果たしてウルノーガにそれが必要かどうかは疑問だ。

確かにネドラは魔竜と称されるほどの力を持つ魔物だが、それでも六軍王には及ばず、実際ホメロス1人に倒されている。

(教えてくれホメロス…。お前は、本当に俺たちを裏切ったのか…?)

 

「ロウ様、この度は私の愚息のためにご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませぬ」

「いや、ファルス3世よ、勇者の星の被害がなかったのじゃ。それに、エルバやシルビアから話は聞いておる。本当に勇敢な王子になられたのぉ」

「ええ…。成長できたのはエルディ…いや、エルバ殿とシルビア殿のおかげです。しかし、勇者の星が砕かれるとは…」

ファルス3世たちから意識を失っている間の話を聞いていて、勇者の星が砕かれたことによるサマディー国領への被害はなかった。

それは喜ばしい話だが、勇者の星を砕いた存在の正体も行方も分からないままだ。

謎は残ったが、それでも最低限の目的は達している。

「まさか、ガイアのハンマーまで売るつもりだったなんてな…」

カミュが握る、聖なる種火の中でいた槌と同じものにエルバ達の目が行く。

神話の時代から長い年月が経過したことで、若干色あせているところはあるが、かすかにほかの槌とは違う何かの力が感じられた。

今年行われるはずだったファーリス杯の資金となるはずだったが、世界が崩壊したことでファーリス杯が中止となり、そのまま城の宝物庫に保管されていた。

もしかして、ファーリス杯などの国を挙げたイベントを起こすたびに国宝を売っているのではないかと勘繰ってしまう。

せっかく戻ってきた虹色の枝と、すべてが終わったら返すことになるガイアのハンマーは絶対に売られることがないことを願いたい。

「けれど、気になるわね…。勇者の星に刻まれたニズゼルファという単語が…」

「うむう…サマディーの書物をあらかた探ったが、その名前は何も…」

サマディーには勇者の星に関する資料が多く、ニズゼルファについても何かわかるだろうと思い、ロウは学者の協力を得て調べつくしたが、結局ニズゼルファに関する記述は一つもなかった。

勇者の星に刻まれているため、ローシュと無関係とは考えられず、逆になぜその単語がローシュ戦記にすら現れないのか疑問を感じずにはいられない。

(落ちてきた勇者の星…そして、ニズゼルファ。もしかして、ウルノーガ以上に危険なものが存在するとでもいうのか…?)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第96話 悪夢の獣

畳が敷かれ、布団近くの壁にかかっているたいまつだけが唯一の明かりとなっている夜の一室で、一人の若者が苦しい声をあげながら眠りについている。

ポニーテールのような髪型をし、しわのない若々しい顔立ちをした彼は毎日のように襲う何かに耐え続けている。

体中を襲う緊張感と脳に何度も何度も語り掛けてくる声。

それらが彼を苦しめ続ける。

日に日に強まるその声は最近になってようやくはっきりと聞こえてきて、その声は口に出すことさえ恐ろしい。

「ハリマ…」

戸が開き、紫の巫女服姿をした黒い長髪の女性が床にいる彼を心配そうに見つめる。

「母上…ご心配をおかけし、申し訳ありませぬ」

「気にするでない。息子を心配せぬ母がおろうか。どうなんじゃ?具合は…」

「…昨日よりもひどいものとなっております。まさか、あの魔物にこれほどまでに…」

彼がこうして横たわることになった原因はここの近くにある火山に生息する魔物だ。

紅蓮の炎を身にまとったかのような毛並みをした狼がドラゴンの翼を得たような姿をしているその魔物は人食い火竜として、故郷で語り継がれている化け物だ。

数十年に一度、人間を食らうために故郷を襲い、その魔物のせいで数多くの民が食い殺されてきた。

そのたびに故郷を守るべく、屈強な武者たちが死を恐れず戦ったことで殺すことができた。

ハリマの父親であるキビマロは彼がまだ幼いころ、故郷を襲った人食い火竜と戦うため、数多くの武者とともに火竜の住まう火山へ向かった。

火竜を倒すことができたとはいえ、生きて帰ってきた武者はわずかで、キビマロはその中に含まれていなかった。

命を賭して故郷を守った父親に誇れる息子になろうと鍛錬に励んだハリマはいつしか、故郷では最強の武者として評判となった。

そんな時に、再び人食い火竜が現れることとなった。

普段よりもあまりにも短い間隔での人食い火竜の出現に動揺が広がる中、彼は自ら先頭に立って人食い火竜と戦い、ついに火山の中で倒すことができた。

その中で大けがを負い、傷をいやすべくここにいるのだが、それ以上に厄介なことがすでに彼の体の中で起こりつつあった。

布団から出て、痛む体を抑えながら座るハリマに寄り添う母親、ヤヤクは赤く濡れた彼の両腕の包帯に一瞬目を背ける。

だが、どうにか心を抑えてその腕を見つつ、回復呪文を施す。

「母上…申し訳ありませぬ。いつまで、私が私であれるか、わかりませぬ」

「ハリマ…」

「故に、母上…どうか、私である間に、父上の刀で私を…私を…殺して、下され…」

 

「ハリマ!!」

死を懇願する息子の言葉を聞いたと同時に声を上げたヤヤクだが、なぜか今布団の中にいるのはヤヤクで、かつて息子がいたこの部屋には誰もいない。

この感覚は何度体験しても慣れるものではなく、ヤヤクは頭を抱える。

(ハリマ…わが、息子よ…)

息子を失って2年、ヤヤクは何度もこの悪夢に悩まされている。

大事な一人息子を亡くしたということもあるが、それ以上にその様が彼女の心を大きくえぐり取っていた。

だから、最近は可能な限り寝ないようにしたが、巫女としての職務と1年前からの災厄によって激務となり、疲れをいやすためには眠るしかない。

そのため、仕方なく眠りはするものの、そのたびにあの夢を見る。

「妻として、夫の死を見届けるだけでなく、愛する息子まで…」

これが里長たる巫女の宿命だとしたら、そんな宿命を定めた神を呪いたくなる。

だが、今の状況ではこんなことを考える状況ではない。

もっと差し迫った事情が存在する。

「ヤヤク様…お目覚めで」

「どうした?」

「勇者殿が参られました。ロウ殿より、ぜひお会いしたいと」

「ロウ殿が…いいだろう、すぐに向かう」

 

「どうぞ…勇者様やロウ殿に対して、この程度しかもてなすことができないことが心苦しいですが…」

ホムラの里にある巫女の邸宅の中で、エルバ達は侍女たちが持ってきた握り飯と白湯、そして具の少ない汁ものを口にする。

1年前は活気のあったホムラの里の見た目はその時と大差なく、それほど里に被害がないと思われていたが、やせ細った住民や寂しい食事をとる家族の姿を見て、その考えは消えていった。

そんな彼らをよそに、まともな食事でもてなしてもらうとなると、逆に申し訳ない気持ちになる。

「いや、里があのような状況なのじゃ。気にせんで下され」

「ありがとうございます。里長が参りますので、しばらくお待ちを…」

頭を下げた侍女が部屋を出ていき、残ったエルバ達は味のない白湯でのどを潤す。

「まさか、じいさんがここの里長とも関係があったなんてな」

「ここの里長であるヤヤク殿の夫であるキビマロ殿とは友人でのぉ。その縁じゃ。最も、キビマロ殿は20年前に亡くなったんじゃがな」

ロウの記憶の中にあるキビマロの最後の姿は若々しい、一本気な荒々しい武者だ。

年齢の近いアーヴィンとも友人関係となり、アーヴィンが里を訪れた際には里自慢の地酒でもてなし、剣のことを語り合っていた。

それゆえに、彼の死を聞いたときのアーヴィンの信じられずに呆然とした姿が今も忘れられない。

武者として戦いに出る以上、死ぬ可能性があることはわかっていたが、それでもよりによってまだまだこれからというときにと思うとやはりやりきれない。

特に、残られた妻であり、まだ赤ん坊であった子のハリマに代わって里長となった巫女のヤヤクがそう思っているかもしれない。

そして、最愛の息子であるハリマもまた、失ったという。

「おお、ロウ殿…よく参られましたな。亡き夫に代わり、里長としてあなたと勇者殿ご一行を歓迎する」

「久しいのぉ、ヤヤク殿。なれど…だいぶ、やせておりますな」

部屋にやってきて、エルバ達に挨拶するヤヤクは確かに過去のロウの記憶の中にある彼女と一致する。

しかし、加齢と世界崩壊に伴う混乱での心労が重なっているのか、細かった腕や足がさらに細くなっており、顔色も若干薄くなっている。

少しずつ、だが確かに彼女をむしばむものが感じられた。

「火山の中にある鍛冶場…。その話は聞かんが、一つ…心当たりがある。禁足地じゃ」

「禁足地…?」

「ヒノノギ火山には里長であったとしても、決して立ち入ってはならぬという場所がある。よもやとは思うが…」

炎の神が住まう場所として、その場所は鉄の門で閉ざされており、そこを開くための鍵は里長に受け継がれ、今はヤヤクの手にある。

もし、その禁足地が勇者の剣を生み出したという鍛冶場だというなら、ウルノーガ討伐のために力を貸したいとは思うが、これはたとえ里長であったとしても、その一存で決めることのできる話ではない。

少し悩んだヤヤクだが、村人たちを納得させる方法がないわけではない。

「ならば、一つ…ロウ殿の孫であり、勇者であるエルバ殿に頼みたいことがある。それを成し遂げてくれれば、おそらく里の者たちもおぬしらの願いを聞き、禁足地に入ることも許されるじゃろう」

「頼み、ですか…?」

「うむ、この災厄を静め、里を守護するためにわれらは定期的にヒノノギ火山に住まう炎神様に供物をささげておる。しかし…3日前にその供物を運んでいた輸送隊が魔物の襲撃を受け、護衛をしていた武者たちは蹴散らされ、供物を奪われたのじゃ。あの供物は必ずささげねばならぬ大事なもの。今のわれらではそれをもう1度用意することはできぬ。どうか…供物を取り戻すことを引き受けてはくれぬか?」

「その供物というのは、どのようなものなのじゃ…?」

「詳しく伝えることはできぬが、巨大なタルの中にある。タルそのものは頑丈に作っておる、生半可な魔物ではたとえ狂暴化しておったとしても、壊すことはできぬ」

「んで、見つけるとしたら、まずはどこから探せばいいんだよ?」

「ヒノノギ火山の近くに、破壊された馬車がある。修理もできぬ上、魔物も活発化している故に放置しておる。仮に動ける者がおれば、そこから手掛かりを探すことはできよう」

3日前で、なおかつその間に雨が降っていないことは救いだった。

まだ痕跡を見つけることができる可能性が残っている。

供物がどのようなものかの疑問は消えないが、里の習慣である以上はそれに従うほかなく、黙るしかない。

「わかりました、今日中にその場所を調べに行きます」

「里を代表して、感謝する。すべては、里の民のために…」

 

食事を終え、里を出たエルバ達はさっそくヤヤクから教えられた現場に足を運ぶ。

そこには破壊された馬車の残骸が残っていて、おそらくは行方不明の供物と一緒に置かれるはずだった肉や作物も放置された状態だ。

踏まれているものや、食べかけのものもある。

「カミュちゃん、馬車はどんな感じ?」

「ああ…。どうも一撃で壊されたわけじゃねえようだ。何匹かの魔物が寄ってたかってって感じだ」

「となると、スライムベスの可能性があるのぉ。小さい歯型がついたものがあるうえ、奴らは雑食じゃ」

「それに、強固なタルだというなら、スライムベス程度では壊せないでしょう。最も、襲った魔物がそれ以外にも存在する可能性も…」

スライムベスと思われる小さな丸上の足跡が大半だが、中にはそれ以外の魔物と思われる足跡もある。

この馬車の護衛をしていたという武者は5人。

いずれも重傷を負い、馬と御者とともに逃げ帰るしかなかったことを考えると、これまでこの地域には生息していなかったはずの魔物がいる可能性がある。

「あら…?この足跡は」

「どうした?」

「別の足跡を見つけたわ。それに、引きずった痕もあるわ。もしかしたら、これのことかしら」

シルビアが見つけたのは大きなものを引きずった痕と子供くらいの小さな足跡。

それらが北へと伸びていて、その方角にはヒノノギ火山が存在する。

「供物を火山までもっていったというのか…?子供が?」

「だとしたら、無謀なことをする。ここも危険で満ち溢れているというのに…」

「とにかく、行ってみるか。そこで供物を回収して持ち帰れば、禁足地へ行くことができる」

勇者の剣、天空魔城、ウルノーガがもうすぐ目の前まで近づいている。

あと少しで長いこのたびに終止符を打ち、世界を救うことができる。

それへの期待を胸に、エルバは足跡に沿って歩いていく。

火山に近づくにつれて、気温が高くなっているのを感じ、エルバ達の体から汗が噴き出てくる。

「これは…砂漠のほうがマシってくらいの気温ね…」

「うむ…何度か里へは来たが、こうしてヒノノギ火山に入ったのは初めてじゃ…」

「そういえば、俺たちが初めてホムラの里に来たときは、ここには入らなかったな…」

エルバとカミュがデルカダール国領を脱出して初めて訪れたのがホムラの里で、そこでベロニカとセーニャと出会った。

だが、その時はヒノノギ火山に入る暇がなく、こうして入るのは初めてになる。

火山から噴き出る煙や高熱の水蒸気が視野を狭めている。

「こんな気温じゃ、タルに入ってても供物がだめになるんじゃねえか?」

「そうね…。もしかしたら、食べ物じゃないのかもしれ…あら?」

真っ白になった視界の中で、何かの影が正面に見える。

豪傑熊のような大柄な魔物のように見え、前に出ているエルバとグレイグ、カミュ、シルビアが武器を手に取る。

「立ち去れ、立ち去れぇー…」

正面の影から声が聞こえ、身構えるエルバは影の正体を突き止めようとジリジリと近づいていく。

「立ち去るのだぁーーーー!!」

「立ち去るのは貴様だ!供物は返してもらうぞ!」

エルバに続き、グレイトアックスを手にしたグレイグも前に出る。

それと同時に、目の前のこれまでは仁王のように立ちふさがっていたはずの影がグラグラと揺れ始める。

踊っているつもりなのか、ただバランスを崩しているのかはわからない。

だが、正体がわからない以上は警戒するに越したことはない。

「邪魔をするなら…斬るぞ!!」

「わっ…わっ、我は炎の神の化身なるぞ!!その腸を引き裂かれたくなくば、早々に立ち去れぇー」

「そうはいかないの。里に悪さをする悪い魔物ちゃんも、供物も、放っておくわけにはいかないの!」

ジェスターシールドから剣を抜いたシルビアはその剣先を影に向ける。

たとえ今ここであの魔物が突っ込んできたとしても、反撃できるだけの力はある。

それに、ぐらつき続けている魔物を鞭で捕縛することもできなくはない。

(なんだ…?こいつ、脅すばかりで攻撃も接近もしてこない…)

近づくのをやめたエルバ達の中に、徐々に魔物と思われる影に対する疑念が生まれていく。

一方の影は再びどしりと構えるが、できたのはそこまでだ。

「悪いが…正体を見せてもらうぞ」

水竜の剣を構え、力を込めたエルバはそれを影に向けてふるう。

熱のこもった水の弾丸が刃から生み出され、それが影の足元へと飛んでいき、破裂する。

「う、うわ、うわあああああ!!!」

足元でそのようなことが起こったことで、影が大きくのけぞるとともに転倒する。

水蒸気が晴れ、そこにあったのは木の枝で手作りされた2本角のついた豪傑熊の毛皮、そして赤い髪をした幼い少年と少女の姿だった。

「ただの、毛皮…?」

「痛たた…馬鹿っ!サキのせいだぞ!この人たちに見つかったじゃないか!」

「違うもん!テバ兄ちゃんがちゃんとサキのこと、支えてくれなかったからぁ!!」

「どうすんだよ、父ちゃんの形見の毛皮が…」

「おい、いったいどういうつもりなんだ?魔物の真似なんかして」

無視して兄妹喧嘩を始めようとする2人にため息をつきながらエルバは水竜の剣をしまい、声をかける。

「お前たちは里の者か?何故、化け物の振りなどしていたんだ!?」

あきれたグレイグが少し怒った表情でテバとサキに近づき、じっと見る。

今のご時世、たとえいたずらであってもこのような紛らわしいことをしていたら、叩き切られていても文句が言えない。

グレイグに怖がる2人だが、先に立ち上がったテバがじっと彼に目を向けて答えた。

「だって…だって、ヤヤク様に儀式をさせるわけにはいかないんだ!!」

「あのね、あのね!儀式を止めないと、大変なことになるんだよ」

「大変なこと…?その大変なことを止めるために儀式をやっているわけじゃないのか…?」

「違うんだ!ヤヤク様はオイラ達に隠し事をしてるんだ!だから、母ちゃんを…供物に…」

「人身御供…じゃと!?」

神話の時代では人身御供が行われていたようだが、今ではほとんど行われることがない。

ロウの知っているヤヤクは人身御供を毛嫌いしていて、否定的な立場に立つ女性。

そんな女性が人間を供物にささげるなど考えられない。

「その供物…いや、お前たちのかあさんはどこにいる?俺たちはヤヤク様に依頼されて、探しに来た」

「そ、そんなの教えられるかよ!母ちゃんはオイラが守るんだ!!」

エルバ達を止めようと正面から走ってくるテバだが、かがんだエルバが右手で額を抑えて制止させる。

どうにか攻撃しようと必死に腕を振り回すテバだが、エルバとテバでは腕の長さが違い、いくら振り回しても届くことはない。

「待って、人を供物にするというなら、話は変わるわ。私たちは供物の中身のことは一つも教えてもらっていないの。どういうことか、教えてもらえないかしら?もしかしたら、力を貸すことができるかもしれないの」

「マルティナ…」

「力を貸す…?お姉ちゃんたちが、助けてくれるの?お母さんを…」

「当然よ、私たちは人助けの旅をしているんだから」

ニコリと笑い、偽りでないことを伝えるマルティナ。

最初は剣を向けられたことから怖かったが、話を聞いてくれていることから少しずつ恐れがなくなっていく。

テバもサキも、いつまでもこのままでいいとは思っていない。

事態を少しでも良くしたいと思い、何も言わずに首を縦に振った。

 

テバとサキに案内され、エルバ達は火山の中にある細い道を進んでいく。

グレイグが殿をつとめ、その一本道を進むエルバは豪傑熊の皮を背負っていた。

「そういやぁ、こいつが親父の形見とかどうとか言ってたよな…?」

「ああ。父ちゃんはすっごく強い武者だったんだ。それで、ハリマ様の傅役をしてたんだ!」

「でも…ハリマ様たちと魔物をやっつけに行ったときに、ハリマ様と一緒に、魔物と相打ちになったって…」

2人が大事にしているこの豪傑熊の毛皮はかつて、テバとサキの父であるキジがたった1人で倒して、それをヤヤクに献上したことがきっかけで、ハリマの傅役を任せられることになった。

キジの死後、ヤヤクが毛皮と折れた刀を持ってやってきて、キジのことを「誠の里の守り人であった」とほめたたえるとともにそれらを返してくれた。

折れた刀は今、短刀の代わりにテバの腰にさしてある。

いつか、この刀とキジの名を恥じない武者となった時に刀を直し、里を守るために振るおうと誓いを立てて。

しばらく歩き続けると、火山の中へと続くと思われる穴が見えてくる。

中に入り、そこになぜかかけられていた布をどかして進むと、そこには食べ物とともにヤヤクが言っていたものと思われる大きな樽が見えた。

「これは…もしかして…」

「うん、全部…壊れた馬車から取ってきたものなんだ…。そして…」

「テバ…!サキ…!」

岩陰からのっそりと出てきた、2人と似た色の髪をした女性が2人の名を呼ぶ。

ペルラに似た体つきをした彼女は走ってくる2人をやさしく抱きしめる。

「どうしたんだい…?あの人たちは…?」

「母ちゃん、オイラ達を助けてくれる人たちなんだ。きっと、母ちゃんの話を信じて聞いてくれるよ!」

「話…?それは、もしかして供物にされたことと関係しているのですか…?」

エルバの言葉に女性は何も言わずに首を縦に振る。

そして、洞窟の中に設置されている梯子に指をさす。

そこからはさらに奥へと進むための道があった。

「私がここで話すよりも、実際にご覧になったほうがいいでしょう。ついてきてください」

女性に先導され、エルバ達は梯子を上り、その先へと進んでいく。

人一人入るのが限界な隙間を順番に通っていき、やがて火山の中でも一際暑い場所に近づいていく。

ガチリ、ガチリ、と不吉な音が聞こえてきて、本能がその音が不吉なものだと即座に訴えてくる。

灼熱の空間に似合わない冷たい汗が流れてくる。

ついに細い道を抜け、やや開けた足場に到達する。

そこから見えてくるものにエルバ達は目を疑う。

紅蓮の炎を身にまとったかのような毛並みをした狼がドラゴンの翼を得たような姿をしている魔物が何かを食らっている様子を見降ろすことができた。

「この魔物は…」

「人食い火竜…ハリマ様と夫が命を賭して殺したはずの化け物です」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第97話 人食い火竜

「で…その、なんだよ?その人食い火竜ってのは。マジであんなのと里は何度も戦っていたのか?」

一度隠れ家に戻り、それぞれが手ごろな石に腰かけた状態で、カミュに振られた質問を女性、ケイは肯定し、首を縦に振る。

「人食い火竜…。ヒノノギ火山を住処とし、数十年に一度、姿を現します。そのたびに里を火の海にし、人々を食い殺す…。その人食い火竜は現れるたびに武者たちは命がけで戦い、多くの命と引き換えに討ち取ってきたのです」

この里で武者となるということは、いつか現れるであろう人食い火竜と戦うということを意味する。

人食い火竜と戦った武者の大半は帰ってくることがなく、時には火竜もろとも全滅したということもあったという。

そのような犠牲に報いるため、その戦いに参加した武者の遺族に対しては子々孫々に至るまで、里長から手厚い保護を受けることになり、同時に武者は里最大に危機である人食い火竜に対して前線に立って立ち向かい、里のために死ぬことが誉となっていた。

「人食い火竜は確かに討たれた…。ハリマ様や夫、多くの武者の犠牲の上で…。確かにヤヤク様はそうおっしゃられていました。しかし…」

だが、実際に人食い火竜は目の前にいた。

マグマと煙のおかげというべきか、エルバ達はその魔物が食べていたものの全容を見ることはなかったが、それはよかった。

もしそれを見ていたら、恐怖ですくむか、怒りに飲まれるかのどちらかだったのだから。

「人食い火竜が死んだのは2年前、本来であれば短くても30年…長くて100年は現れないはずなんだ。なのに、現れたということは…」

「人食い火竜は、実際は倒されていない…ということなのですね?」

その言葉にテバとサキの表情が曇る。

キジやハリマだけでなく、数多くの武者が命を犠牲にして戦ったというのに、なぜ人食い火竜があれほど無事な姿でヒノノギ火山の中にいるのか。

もしそうだとしたら、死んでいった人々は何だったというのか。

「私が人食い火竜の存在を知ったのは2週間前です。その時、私は外へ出て、水を汲みに行っていました」

サマディーほどではないが、ホムラの里も水が貴重で、特に世界が崩壊してからは井戸水が不足し始めていた。

そのため、危険を承知で里の外へ出て、水を汲みに行くことが多くなった。

多くは男性が出るが、時折ダーハルーネから塩や魚を運び荷馬車の護衛に男性陣が駆り出されることがあり、その時は手の空いている女性が向かうこともある。

そのため、ケイは水を汲みに里を出て、水をたっぷり入れた瓶を背負って里へ戻っていた。

「その時、ヒノノギ火山から獣の鳴き声が聞こえました。最初はただの魔物のものかと思いましたが、だんだんと鳴き声が大きくなり、君の悪さを覚えた瞬間、強い風と共に火山から姿を見せたのです。人食い火竜が…」

火山から飛び立ち、得物を求めるかのように周囲を飛び回っていた。

時折、人食い火竜の視線がこちらに向くのを感じ、その時は体が凍り付き、逃げるべきだと頭はわかっていても動くことができなかった。

「人食い火竜が火山に戻ってから、私は里の人々に人食い火竜が生きていたことを伝えたのです。ですが、誰も信じてもらえませんでした。ですので、ヤヤク様に直接お伝えしたのです。ですが…」

無礼を承知の上で、ヤヤクに直接伝えたとき、ヤヤクは直ちに武者を調査に向かわせるため、心配するなと返事をされた上で、里に混乱を招く可能性があることから、その話はするなと口止めされた。

そして、それから数日後、神への供物として、ケイが選ばれることとなった。

「この半年の間に、私を含めてすでに11人が供物とされました。供物というのはおそらく、あの人食い火竜のための食糧だったのでしょう…」

「もう、10人も食われたというのか…」

「ヤヤク殿…乱心されたというのか…!」

「けれど、ケイさんはよく無事に逃げることができましたね」

「ええ…。私を運ぶ馬車が魔物によって襲撃されたのです。そして、子供たちが…」

ケイが供物とされることが納得のいかなかったテバとサキがこっそりと追跡して、ケイを助け出そうとしてくれた。

人食い火竜の話を聞き、ケイが供物に選ばれたことに疑問を抱いたからだ。

だが、ケイは頑丈なタルの中に入れられ、馬車は武者たちによって守られている。

本来なら子供2人でそんな大それたことができるはずがなかったが、幸か不幸か、魔物の襲撃によってすべてがひっくり返ることになった。

「ひどいよ…。供物にされた人たちは、みんなそれで里が救われるなら、里が前みたいに平和になることを願って、死んだのに…」

「…。母ちゃん、オイラ…ヤヤク様に本当のことを聞いてくるよ!」

「よしなさい、テバ!!そんなことをしたら、あんた…」

ハリマの傅役の妻であるケイでさえ、供物にされ、切り捨てられた。

息子のテバが話したとしても、おそらく待っているのはケイと同じ結末だ。

それに、ケイの居場所を聞き出そうともするかもしれない。

実際に供物に選ばれ、真実に近いところに来たケイには今のヤヤクが修羅のように見える。

「でも、でも…そんなんじゃ、そんなんじゃ、父ちゃんも、ハリマ様も報われねえよ!!」

武者たちの葬儀が行われていた時、ヤヤクは確かに父親をほめてくれた。

父親が死んだ悲しみに沈みながらも、人食い火竜を討ったこととヤヤクの言葉が支えとなり、家族はどうにか前を向いて生きることができた。

それはすべて偽りだったのか、もしくはもっと他に真実があるのか。

とにかくそれを確かめたいと願い、テバは飛び出していく。

「テバ、テバ!!」

「あいつ…くそっ、魔物が活発化しているというのによぉ!」

「追いかけましょう!!」

たった一人で飛び出したテバを放っておくことができず、カミュ達は次々と飛び出していく。

最後に出ようとしたエルバだが、彼のズボンをサキがぎゅっと握ってくる。

「…?」

「テバ兄ちゃんを…テバ兄ちゃんを助けて」

「…ああ」

返事を聞き、手を離したサキに笑顔を向けると、エルバは追いかけるように外を出る。

魔物や里の人々に見つかるわけにはいかないケイは出ていく彼らの後姿に頭を下げるしかなかった。

 

「おお…神よ、いましばらく鎮まり給え…。鎮まり給え…」

里の神殿で、榊を手に目を閉じて神に祈りをささげるヤヤク。

やせ細った村人たちもヤヤクにならい、目を閉じて山の神に祈り続ける。

供物を届けることができなかったためか、最近は山から発生する地震がホムラの里を何度も遅い、天候も不安定になっている。

飢え、疲れ果てた人々にできるのはこうしてすがることくらいだ。

そんな中、テバの声が響く。

「大変だ、大変だよぉ!」

「お前、テバか…!?今は儀式の最中だ、静かに…」

神殿を守る武者の制止を無視し、テバは神殿に土足で飛び込む。

そして、ヤヤクに伝えなければならないことをはっきりと口にする。

「生きていた…生きていたんだ!人食い火竜が!!」

祈りの言葉を口にし続けていたヤヤクの言葉がテバの言葉で止まる。

しばらく神殿は静寂に包まれるが、やがてテバのそばにいた老人がハハハと笑い始める。

「何を馬鹿なことを言うておるんじゃ、テバよ。人食い火竜は討伐されたのじゃぞ?」

「人食い火竜は死んでないんだよ!ヒノノギ火山の奥深くで、今も生きている。オイラはこの目ではっきりと見たんだ!」

「その話…誠か?おぬしは…あの火山の奥深くへと入ったというのか?」

榊を置き、立ち上がったヤヤクがずかずかとテバの前まで歩き、キッと彼の目を見る。

泳いでいない、まっすぐなテバの目。

そして、断言する言葉から、それが偽りでないことがよくわかる。

「いや…何も聞くまい。それよりも、なぜ儀式の邪魔をする?神の怒りに触れるのだぞ!!」

「うるさい!この嘘つき!!オイラは見たぞ…人食い火竜が生きているのを!!人食い火竜は死んだんじゃなかったのかよ!!神様が怒っているなんて、嘘っぱちさ!!供物にされた人たちはみんな、あいつに食われちまったんだ!!」

「な、なんと…!」

「人食い火竜が生きている…?そんな馬鹿な?」

「いや、これは…」

テバの言葉に儀式の参加者たちがあわただしくなり、ヤヤクは動揺することなくテバをにらみつける。

足がかすかにふるえるテバだが、母親とサキのためにも踏ん張り続ける。

「答えろよ!!なんで火竜が生きてるんだよ!?ハリマ様は…父ちゃんは、無駄死にだったのかよぉ!!」

バチンと鋭い音が響き渡る。

追いついたエルバ達が見たのは倒れているテバと榊を手放し、右手を上げ切っているヤヤクの姿だった。

赤く染まった頬から感じる痛みで出そうになる涙をこらえ、口内の鉄の味を感じながら立ち上がるテバの表情がより一層険しくなる。

「愚か者が…!無駄死になはずがなかろう!ハリマも、キジも!あの場所で戦い、命を散らした武者たちも!!…無駄死にになど…させる、ものか…!」

「ヤヤク様…?」

「グオオオオオオオンン!!!!」

体をふるわれるヤヤクに反撃しようと声を上げようとするテバだが、耳をつんざくほどの咆哮がその言葉をかき消す。

それを聞いたヤヤクの目は大きく開き、参加者の中にいた子供がかつての出来事を思い出すと、親に縋り付いて泣き始めた。

「大変だ、人食い火竜が…火竜が来たぞぉ!!!」

「くっ…!!」

ついに起こってしまった最悪な事態に表情をこわばらせ、エルバは外へ飛び出してふもとの様子を見る。

地上では弓矢を手にした武者たちが見張り台や建物の屋根から人食い火竜に矢を射かける。

だが、上空を舞う人食い火竜の分厚い毛皮は矢を受けても何ともなく、口から巨大な火の玉を山頂の湯屋に向けて放つ。

建物に当たると同時に爆発が起こり、一瞬でその場所は火の海と化す。

そして、今度は地上の邪魔ものを薙ぎ払うべく、同じ火の玉を真下の広場に向けて発射した。

爆発とともに炎と衝撃波が襲い、武者たちは焼かれるか吹き飛ばされていく。

「くっそぉ!!よくも、里を!」

「よせ…ヨモシチ!!一人で戦うなぁ!!」

「家族と…仲間の仇をぉ!!」

制止の声は届かず、一瞬で家族を皆殺しにされた恨み、かつての火竜狩りに参加できなかった無念を晴らすべく、彼は吹き飛ばされて傷ついた体に鞭打って、槍を構えて突撃する。

たとえ矢で大したダメージを与えられないとしても、槍で頭を貫かれて生きられない生き物はいない。

そう考えて頭にそれを突き刺そうとしたが、その体は無慈悲にも人食い火竜の振り下ろす前足に沈む。

「が、ああ…あ…」

前足がどかされ、地面にうつぶせになった彼の姿がさらされる。

腕も足もあり得ない方向に曲がり、内臓もいくつか傷ついた彼は立ち上がる力はすでにない。

かすかに息をしているが、もはやそれは何の慰めにもならない。

ようやく生きのいいごちそうを見つけた人食い火竜が口を大きく開く。

「あ、あああああ!!ぐあ、ガアアアアアアアア!!!!!」

「くっ…!」

「聞くな、セーニャ!!」

食われる人間の悲鳴が聞こえ、それをきいたことで里中がパニックに陥る。

ふもとの人々は我先にと神殿へ逃げようとし、逃げ遅れた住民はそれを守ろうとした武者もろとも火竜の爪で引き裂かれる。

そして、バラバラになった人だったものをムシャムシャと食べていく。

「く…ちっくしょおおお!!」

「急いで始末しないと、里が崩壊するわ!!」

「テバはここで待っていろ、絶対に降りるなよ」

「うん…お願いだよ」

エルバ達は人食い火竜を討つべく、山道を駆け下りていく。

その時、エルバ達はヤヤクが膝をついている姿を見ることはなかった。

 

「グオオオオオオ!!」

「くっ…!水竜の剣の水でも、これか!!」

人食い火竜の放つ炎を水竜の剣の水の刃で切り裂くが、熱気は確かにエルバを襲い、下手に口を開けるとのどを焼かれるかもしれないほどだ。

おまけに、大型の魔物のくせに素早い動きを見せていて、グレイグ達は攻撃のために近づく機会をつかめずにいる。

「早くあの魔物の動きを止めねば、里が…!!ロウ様、マホカトールで止めることはできませぬか!?」

「そうしたいところじゃが…奴は、かなりの知能を持っているようじゃ!」

その証拠を見せるべく、ロウはゴールドフェザーの1本を投げ、地面にさす。

すると、人食い火竜がそれを脅威となると認識したのか、接近して爪でそれを粉々に砕いた。

再びロウはもう1本のゴールドフェザーを別方向に投げる。

今度はゴールドフェザーに入れた呪文はヘナトスを詰めており、壊そうとすればその魔力が人食い火竜を包み、力を封じてくれる。

だが、その魔力が宿っているのを察したのか、今度は爪ではなく炎でゴールドフェザーを焼き尽くした。

マホカトールを生み出すとなると、最低でも5本はゴールドフェザーが必要になることを考えると、今の人食い火竜をそれで捉えるのは難しいだろう。

「まったくもう…里の人たちを悲しませて、絶対に許さないわよ!!」

ジェスターシールドから抜いた光の剣の刃が鞭になり、それを人食い火竜に向けてふるう。

光の鞭が人食い火竜を捕縛しようと伸びるが、大きく跳躍し、その状態で飛行を始めてしまう。

「くそ…!あの翼をぶちぬかねえと、飛んでいっちまうぞ!」

「当たるかどうかはわからないが…!」

相手が高度を上げたとなると、逆にある呪文を当てるチャンスになる。

印を切ったエルバは上空を舞う人食い火竜の動きを見る。

エルバが勇者の力を自覚することになったあの時、エマと自分を救った雷。

2つの痣を手にしたことで、その時よりも強力な力を使うことができる。

両腕の痣が光り、上空には黒い雷雲が生まれる。

バチバチと両腕に稲妻が走り、頭上に両腕を伸ばす。

「ギガデイン!!」

激しい稲妻が雷雲から発生し、それが幾重にも人食い火竜を襲う。

さすがの人食い火竜も自分よりもさらに高いところから落ちてくる攻撃をよけきれず、何度か稲妻を受けるが、それでも高度を下げるだけで飛行能力は失っていない。

だが、高度が下がり、ダメージを受けたことでスピードが落ちたなら別の攻撃手段ができる。

「じいさん!!セーニャ!!」

「任せよ、エルバ!!」

「はい!!」

このわずかなチャンスで人食い火竜をしとめる。

セーニャは氷魔の杖にベロニカから受け継いだ魔力を込めていく。

セーニャの脳裏にイメージするのはベロニカが習得しようとしたが、かなわなかった呪文。

ベロニカ1人では不可能かもしれないが、彼女から受け継いだ力にセーニャの力を上乗せすれば、できるかもしれない。

ダメージで痛みを感じる人食い火竜は自らを傷つけた人間への怒りに燃え、それを焼き尽くそうと口に炎をため始める。

「セーニャ!!」

「はあああああ、イオナズン!!!」

炎をためる人食い火竜の周囲を激しい爆発が襲い掛かり、あまりの激しい爆発に人食い火竜の動きが止まる。

爆発の煙が上空を覆い、その中でロウはすでにグランドクロスを放つ準備を終えていた。

煙の中から、イオナズンとギガデインでダメージを負った人食い火竜が落ちてくる。

どうにか飛ぼうともがいているようだが、もう遅い。

「貴様が食らったものの無念を思い知ってもらうぞ!受けよ、グランドクロ…」

「待て!!」

「何…!?」

「殺すな…!あの人食い火竜を殺してくれるなぁ!!!」

地面に落ちた人食い火竜とエルバ達の間にいきなり割って入ったヤヤクが両腕を伸ばして、エルバ達を制止する。

倒れている人食い火竜はいまだにダメージで苦しんでいるが、まだ死んだわけではなく、居間にも起き上がりそうな勢いだ。

「ご乱心めされたか!?ヤヤク様、どいてください!!」

「奴は人食い火竜なのですぞ!?」

「ヤヤク殿!どうしたというのじゃ…!?」

集まった武者やエルバ達の視線がヤヤクに集まる。

どいてくれ、説明してくれ、ありとあらゆる声がヤヤクに向けて飛ぶが、今のヤヤクには一切聞こえない。

振り返ったヤヤクは優しい笑みを浮かべ、人食い火竜を見つめる。

起き上がった人食い火竜が激しく咆哮するとともに衝撃波が発生し、周囲にいたエルバ達を吹き飛ばしていく。

一番近くにいたヤヤクも大きく吹き飛ばされ、岩に激突した後で地面に倒れる。

ぶつかるとともに吐血し、体中から悲鳴が上がる中、彼女は立ち上がる。

そして、そんな生きのいい餌を見た人食い火竜は口を開け、彼女に接近し始めていた。

「ヤヤク様!!」

起き上がり、ドラゴンスレイヤーを手に、ヤヤクを食らおうとする人食い火竜に向けてトベルーラで接近する。

このまま近づいて、切りかかることができればと考えるエルバだが、見えない壁に阻まれるとともにトベルーラの魔力が解除され、地面に落ちる。

「なん…で…!?」

倒れるエルバが見たのは自分に向けて手を伸ばし、何らかの呪文を唱えたヤヤクの姿だった。

どこか悲しげな笑みをエルバに見せた後で、人食い火竜に向きなおしたヤヤクは両腕を広げる。

「無力な長を…無力な母を許しておくれ…。どうか、わらわの命で…里を…」

遅かれ早かれ、このような運命が訪れることはわかっていた。

しかし、認めることができずに、挙句の果てに守るべき里の民の命を奪う結果となった。

その贖いをしなければならない。

せめて、これが人食い火竜に対する最後の犠牲となることを願って。

「ああ…」

エルバの目に食らいつかれていくヤヤクの姿が焼き付いていく。

悲鳴一つ上げることなく、血だまりを生み出しながらグシャグシャと食べつくされていくヤヤク。

「あ、ああ…ああああああ!!!!」

遅れて山道を駆け下りたテバもまた、その光景を見ていた。

里の民も武者たちも、このあまりの出来事に凍り付いていく。

ヤヤクがいた場所に血だまりができ、口元を人の血で濡らした人食い火竜は激しく咆哮する。

そして、腹を満たしたことで満足したのか、周囲を見向きもせずに飛び立っていく。

「おのれ、おのれええええ!!ヤヤク様の仇だ!人食い火竜を殺せぇぇぇ!!!」

正気をいち早く取り戻した武者の号令によって、飛んでいく人食い火竜に矢を射かけるが、既に高度を上げてヒノノギ火山へと飛ぶ人食い火竜に当たることはなかった。

人食い火竜が去り、残ったのは炎上する里の一部と多くの民と武者たちの死体。

あるものは食われて、ほんの一部しか残らなかった亡骸を抱いて泣き崩れ、あるものはただ焼けていく建物を眺めるだけ。

武者たちもヤヤクを失ったことで気落ちして、里は静まり返ってしまった。

「ヤヤク様…」

膝が折れ、その場に座り込んだテバは放心状態で血だまりを見つめる。

「テバ!」

「テバちゃん、どうして降りてきたの!?」

「大丈夫!?」

「兄ちゃん…たち…」

エルバ達の声が聞こえ、彼らが無事だったことはわかったが、その喜びを今のテバには表現することはできない。

それ以上にショックなことが起きてしまったのだから。

「ヤヤク様が…言った…。父ちゃんも、ハリマ様も…無駄死になんかじゃないって…そして…」

(おぬしの父、キジは…誠の武者じゃった。わらわのようにはなるな、キジのような…立派な武者となっておくれ)

山道を降りようとしたヤヤクがテバにかけた最期の言葉。

本当なら、何をいまさらと聞き捨ててしまいそうになるが、今はその言葉が耳から離れない。

次第に、体ががくがくと震えて、涙が浮かんでくる。

「なん…で…母ちゃんを、殺そうとしていたのに…なんで、なんで涙が出るんだよ、なんで…!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第98話 悪夢の連鎖

夜更けとなり、里のたいまつに火がともる中、誰もが静まり返っていた。

犠牲者の出た家族はその亡骸かその一部を火葬していて、僧侶が彼らのために経を唱える。

神殿ではあるものは死んだヤヤクの冥福を祈り、あるものは神仏の手で人食い火竜が死ぬことを、あるものは絶望して来世への望みを祈っていた。

その中で、エルバ達は神殿の奥にあるヤヤクの自室に入っていた。

「すっかり暗くなっているな。武者とかいうやつも、住んでいる奴らもみんな…」

「無理もないわ。大勢が死んでしまった上に、ヤヤク様まで…」

「くそ…!せっかく力を手に入れたというのに、なんてザマだ!!」

「だが、確かに人食い火竜をあと一歩のところまで追いつめた。あとはじいさんのグランドクロスが当たれば、奴を倒すことができた。なのに、どうして…」

エルバの脳裏に人食い火竜をかばい、救いの手を断ち切ったヤヤクの姿が浮かぶ。

どうして彼女は里の仇敵といえる人食い火竜をこうも守ろうとしていたのか。

その真実を聞き出そうにも、既にヤヤクは火竜の腹の中だ。

「…」

泣きつかれたテバはエルバ達とともにここに来たが、座り込んだ状態で顔を下に向けている状態だ。

何度か声をかけたが、やはりショックが大きいためか、返事をする気配がない。

「ヤヤク殿に話を聞けない以上は、これから探すしかあるまい…」

ロウは部屋にある本棚から出した書物をエルバ達の前に置く。

ヤヤクの日記で、墨で書かれたそれを広げ、ロウはゆっくりと読み始める。

 

時折、無性に大声で叫びたくなる。

わらわが犯した、里長として許されぬ罪を。

その罪を決して忘れぬよう、ここに真実を書き残そう。

キジをはじめとした多くの武者が命と引き換えに、我が息子、ハリマは人食い火竜を退治した。

ただ一人の生還者となったとはいえ、里の皆が帰ってきたハリマを称えた。

わらわもうれしかった、これで里は安寧を取り戻し、死んでいったものも報われると。

だが、ハリマはすぐに体調を崩し、寝込むようになった。

戦傷だけが原因かと思ったが、それだけではなかった。

ハリマは言ったのだ、人食い火竜を殺したとき、その肉体が黒い瘴気となって自らを襲ったのだと。

すぐに瘴気は消えてしまったため、何ともないと思ったがそれは誤りだったと。

わらわは必死に看病したが、病状は徐々に重くなっていった。

ある時、真夜中にハリマが一人、家を抜け出していた。

追いかけ、止めようとしたが、ハリマは私に刃を向けてまで来させようとしなかった。

なぜ行くのかと必死に聞くが、答えてくれない。

里の外まで出たハリマはやはり、体が限界だったのか、その場で倒れてしまった。

家へ連れ戻し、ハリマはようやくそこで教えてくれた。

人食い火竜と戦う武者たちにのみ、伝えられる秘密を、里長に対しても誰に対しても本来なら決して伝えてはならぬことを。

…この手記はわらわの罪、だがこの秘密を伝えることはたとえ里長であったとしても許されることではない。

故に、もし奇跡が起こり、ハリマが生き延びることができたならば、もしくはハリマが死んだのであれば、この手記は灰となろう。

だが、仮にハリマの身に危険が及んでいるというなら、そしてその状態でわらわが死んでしまったというなら、ここから先を開くことができよう。

 

「ハリマ殿…」

ここから先のページからは確かに強い魔力が感じられて、開けないように封印されていることがわかる。

だが、次第にその魔力が失われていき、ページもゆっくりと開いた。

 

ハリマが受けた瘴気は人食い火竜が死ぬ時に発する呪いの瘴気。

それは己を殺した憎き人間に襲い、その人間を次第に人食い火竜へと変える。

たとえ死のうとしても、その瘴気が生かし、人食い火竜となるまで死ぬことすら許さぬという。

故に、人食い火竜を殺して瘴気を受けた武者は一人、ヒノノギ火山に残る。

いつか人食い火竜となって、里の者を食い殺す可能性を少しでも抑えるために。

そのものが人食い火竜となり、里を襲うまでに狂暴化するまでの時が短くて40年、長くて100年以上のこと。

そして、その話が正しければ、あの時ハリマが殺した人食い火竜の正体…それはわが最愛の夫であるキビマロだと…。

そして、ハリマはその禁忌を犯してまで里に戻ったのは、せめて…一人残されることになるわらわに最期の別れの言葉を伝えたかったからなのだと。

あれから何度もハリマは願った。

どうか、ヒノノギ火山に捨ててくれ、殺してくれと。

だが、わらわにはできなかった。

たった一人の最愛の息子であり、里を救った英雄であるハリマをなぜこのような仕打ちをせねばならぬ。

わらわは必死にその呪いをとき、この因果を断ち切る手段を探した。

その間もハリマは徐々に呪いにむしばまれ、人食い火竜の本能にあらがうために、何度も何度も自らの腕に嚙みついておった。

だが、ついにハリマの体は人食い火竜のものへと変貌した。

わらわはハリマをヒノノギ火山に隠し、必死に探し続ける中で、あるものの情報を手に入れた。

真実の姿を映すという八咫鏡。

これに映ったものは真実の姿へと戻るという。

方々に手を尽くし、ようやく手に入れることができたが、いくら映しても真実の姿は映らず、ハリマも元に戻らない。

そうしている間にも、とうとうハリマは人の血を求めるようになってしまった。

悩み悩んだ結果、わらわが下した決断は…生贄を出すことじゃった。

どうしても、わらわにはハリマを殺すことなどできなかった。

たとえ、ハリマを殺したとしても、また時を経て、人食い火竜が里を襲うのじゃ。

そうして1人、また1人といけにえを捧げ、その血肉を食らうことで、ハリマはおとなしくなった。

そんな中で、ある男が現れた。

黒い頭巾のついた布で身を包んだ男が教えてくれた。

八咫鏡が反応しないのは、その魔力が長い時の中で弱まってしまったからじゃと。

そして、その魔力を蘇られる手段として、紫の玉石を渡してくれた。

魔竜の魂と呼ばれるそれを使うことで、八咫鏡は力を取り戻すことができる。

じゃが、それをなすまでの魔力とするためには、真竜の魂を成熟させる必要がある。

その日が来れば、ハリマを取り戻し、この里の血の連鎖を断ち切ることができる。

そうすれば、わらわの罪のせいで死んだ者たちにも、人食い火竜のために死んだ数多くの魂にも報いることができる。

その日が来るまで、八咫鏡は肌身離さず持つこととし、魔竜の魂は床の下に封印するとしよう。

じゃが、ここまで読む者がいたとするならば…わらわはもうこの世にいないということじゃろう。

恥を忍んで、その者に…もしくは人食い火竜と戦えるほどの猛者に請う。

もし仮に、八咫鏡が失われていないのであれば、この手記の最後に成熟が終わる日を書いている。

その日に魔竜の魂を八咫鏡に宿し、ハリマをもとに戻しておくれ。

じゃが…もし八咫鏡が失われたというなら、その手でハリマを殺しておくれ。

これ以上、我が子に罪を重ねさせるくらいならば、その手であの子を殺しておくれ。

そして、勝手なことを承知じゃが…その呪いを受け継ぎ、里にしばしの安寧を与えてくれ。

それがわらわの最後の願い、恥知らずな長の、無力な母の最後の頼みじゃ。

 

「ハリマ…殿…」

読み終えたロウの手が震え、手記がバタリと床に落ちる。

開かれているページに刻まれている日は明日、あと一日で彼女の言う魔竜の魂が成熟する日だった。

何も言わずにエルバは部屋にある布団をどかし、その下にある床を開ける。

そこには木箱があり、それを開けると、そこには手記にあったように、魔竜の魂が入っていた。

(この魔竜の魂…まさかとは思うが…)

「あと1日…ほんの1日だったなんて…」

「人食い火竜の本能に耐えることができなかったのじゃな…。それに、この手記の内容が正しければ、八咫鏡は…」

ヤヤクともども人食い火竜の腹の中、おそらくは消化されている可能性もある。

もはや、八咫鏡によって人食い火竜の連鎖を断ち切るというヤヤクのせめての願いも消し飛ぶことになった。

「今の人食い火竜は手傷を負っている。ヒノノギ火山に戻ったなら、手加減する必要もない。終わらせよう…」

「終わらせるって…エルバ、わかってるのかよ?人食い火竜の瘴気を受けた奴は…」

エルバ達の中で、一人がハリマが受けた呪いを受け継ぐということになる。

「俺が受けたらいい。俺のは勇者の力がある。もし、勇者の奇跡というものがあるなら、それで…」

「やめろ、エルバ!奇跡をあてにするな!それに、万が一お前が人食い火竜となったら、それこそ世界の希望が消える!そうなっては、ペルラ殿とエマ殿にどう詫びればいいのだ!」

「…悪い」

都合のいい力ではない勇者の力を過信し、己のことを二の次にした発言を詫びたエルバだが、ほかにどのような手段があるのか、誰も思いつくことができない。

結局は誰かをこの連鎖に組み込むことでしか、里を救うことができないのか。

「だったら…だったら、オイラがなる…」

「テバ…?」

「父ちゃんは里を守るために命をささげたんだ…。オイラだって、オイラだって…!」

まさか、人食い火竜による災厄から里が守られたのはこのような事実があるとは知らなかった。

もしかしたら、ハリマではなくキジが人食い火竜となっていた可能性だってある。

そんなことを知ってしまった以上、テバにはその事実から目を背けることも、今陥っている里の脅威に目を背けるわけにはいかない。

「…あの、倒すのではなく、封印するのはいかがでしょうか?」

「封印…?」

セーニャの言葉にエルバ達の視線が彼女に向けられる。

セーニャは袋から出したのは以前リーズレットが封印されていた魔女の禁書だ。

「数百年にわたってリーズレットを封じることができた禁書です。人食い火竜を弱らせたうえで、この書物を使えば、人食い火竜を封じることができるはずです」

「そうか…人食い火竜を殺さなければ、呪いの瘴気は発生しない。火竜になってしまったハリマさんには悪いが、それで少なくとも百年は持つはずだ。あいつの力がリーズレットと同じくらいなら、という話にはなるが…」

根本的な解決にはならないかもしれない。

だが、禁書の作戦が成功すれば、少なくとも誰かが呪いを継承する以上の時間を稼ぐことができるはずだ。

それに、リーズレットが解放されたのはホメロスの介入があったためで、そういったイレギュラーがなければ、彼女は外に出ることさえできなかった。

「禁書の呪文はわしに任せてもらおう。一言一句、頭に入っておる」

「なら、早く動いた方がいいわね。もう、彼にこれ以上罪を重ねないように…」

「ハリマ様…」

「テバちゃん、辛いけれど…今打てる最善の手はもう…」

「わかってる、わかってるけど…ハリマ様は…父ちゃんたちは…いつになったら報われるんだろう…」

 

テバ達がいた洞穴へと続く細い道とは違う、本来通るべき広い道を歩き、その先にある洞窟への入り口に足を踏み入れる。

入ってすぐに伝わるのは体中の水分が吹き飛ばされるかのような熱気、そしてそれに紛れるように伝わる血の匂い。

「こいつは…人食い火竜って奴はよほどの悪食みてえだな」

足場に転がる数多くの魔物の死体に思わずげんなりする。

本来なら魔物がかろうじて食べることができるであろう身が金属のように固い殻の中に隠れている、かつて戦ったデスコピオンに似たモンスターであるエビーメタルはその殻ごと食らいつかれたようで、あるのは抜け殻だけ。

ごく珍しい現象だが、エビーメタルが時折脱皮して、殻だけが残ることがあり、その殻を扱うことで強靭な防具を作ることができるのだが、血の匂いのひどいこの殻はたとえ実用性があるとしてもそれを使った防具を着ようとはとても思えなかった。

ほかにも、体が溶岩で構築されたスライムであるスライムタールや豪傑熊らしき死体もあり、火山の環境で判断が正しいかはわからないが、まだ新しい死体もある。

「こいつらを食らって、回復を早めるつもりか…。これ以上時間はやれない…」

まだ襲撃から日をまたいでいないが、それでもこれだけの魔物を捕食したことでどれだけ回復しているか、想像がつかない。

「もしかしたらだが…供物で人を食わせたのは悪手だったかもしれないな」

「どういうこと…?」

「昔、テオじいちゃんから聞いたことがある。魔物の中でも恐ろしいのは人の味を覚えてしまった魔物だとな。人間は食べれると学習してしまうからな。そして、人食い火竜にもそれが適切かどうかはわからないが、供物となった人を食べたことで、人間の味を覚えてしまった。火山の中の魔物だけではそれを味わうことができないとなると…」

「里にいる人間を襲う…」

「あくまでも、俺の予想だけどな…。できれば、外れていてほしい」

あくまでも願望でしかないが、今はそうするしかない。

ヤヤクの行いが結局は里と息子を守ることにつながらないなど、あってほしくないから。

「なぁ、エルバ…。こいつを、テバを連れてきてよかったのか?ここから見せるものはどんな形であっても、こいつにとっては残酷だぜ?」

グレイグとシルビアに守られながら、テバもエルバ達と同行していた。

強がって歩こうとしているのはわかるが、やはりまだまだ子供で、魔物の死体を見たときの凍り付いた表情や手足に生じている小刻みな震えはごまかしきれないものだ。

「…。オイラが見てない中で、全部が終わっちゃうなんて、いやだから…」

「…そうか」

「見届けたいんだ。父ちゃんと、ハリマ様の戦いの…結末を…」

魔物がろくにいない山中を歩いていき、次第に奥底の広間へと近づいていく。

あの時に聞こえた気持ちの悪い咀嚼音が耳に届き、こみ上げる吐き気を我慢しながら先へと進んでいく。

グルルルとうなり声が聞こえ、そこにはちょうど豪傑熊の腸を食らっている人食い火竜の姿があった。

完全にとは言わないものの、体中についていた傷が消えていた。

「ハリマ様…」

正体を知ってしまったためか、今目の前にいる人食い火竜からはなぜかハリマの面影が感じられる。

食べ続けていた人食い火竜だが、エルバ達が来たことに気づいたのか、食べかけの豪傑熊を放置し、エルバ達に視線を向ける。

自分に手傷を負わせ、食われなかった人間に人食い火竜の血のような赤い瞳が光る。

こいつらを殺さなければ、最高の肉を味わい尽くすことができない。

自分の食事の邪魔をする奴らを殺してやる。

その気持ちはもはやハリマのものなのか、死んだ先代の人食い火竜の呪いによるものなのか、もはや判別をつけることもできない。

身も心も、すべてが人食い火竜となった目の前の魔物はもはやハリマではない。

「よいな!絶対に殺してはならぬ!こやつは生きて、禁書に封じるのじゃ!」

「ああ…!!」

「かわいそうだけれど…里を守るためよ。許して…」

人として会うことのなかった英雄へこれから行うことになる仕打ちを詫びたマルティナは鎧をまとい、なぎなたをふるいながら接近する。

接近しようとするマルティナから発するプレッシャーを感じた人食い火竜は彼女を排除すべく、口から炎の弾丸を放とうとするが、真上から感じる冷気に気づくと、両翼を羽ばたかせる。

セーニャが放ったマヒャドの冷気が強い熱風によってかき消され、マルティナも足を止めて耐えざるを得なくなる。

セーニャのバギクロスとシルビアのバギマが風を阻み、自由となったマルティナが再び駆け出す。

風を抑え込まれた人食い火竜は刃が届く寸前に大きく飛行し、地上にいるエルバ達をにらむ。

住処とはいえ、高度や空間に制限のかかるヒノノギ火山で相手をすることは人食い火竜にとっては里にいるときよりも不利な状況だ。

相手は里で自分を抑えた相手。

ならば、それ相応の手段をとる必要がある。

そう考えた人食い火竜が口から次々と火炎弾を地表に向けて打ち込んでいく。

「まずいわ…みんな、散って!!」

「君はここだ!!」

テバを守るグレイグはグレイトアックスから炎を放ち、さらにはデルカダールの盾を構えて炎をしのぐ。

数多くの炎からグレイグとテバを守る鎧と盾は焼けていき、その暑さがグレイグを襲う。

(恐れるな…デルカダールメイルの盾も、生半可なものではない!だが、なぜ奴はこのようなことを…!)

確かに炎の何発かはエルバ達に当たるコースにあるが、どちらかというとあてずっぽうに放っているように見える。

そして、その間エルバ達はどうしても人食い火竜よりも炎に気を取られてしまう。

ある程度炎を吐いた人食い火竜は何を思ったのか、翼をたたんだ状態で溶岩の中へと飛び込んでいく。

飛び込むとともに溶岩が打ち上げられていき、それが雨のようにエルバ達を襲う。

「頼む…水竜の剣!!」

両手で水竜の剣を握り、力を込めたエルバの両手のアザが光り、それをふるうと同時に水の壁が生まれて溶岩の雨からエルバ達を守る。

ロン・ベルク流剣術の中にあった技、かつて自身が武器を託した者たちが立ち向かった巨大な敵が使っていたとされる、己の前方にいる敵を粉砕するエネルギー衝撃波であるカラミティウォール。

彼が力尽き、ロン・ベルクもまたとある理由で療養する中で彼の一番弟子の協力の元に再現することに成功した。

エネルギーは闘気でも魔力でも生み出すことができるならば、水竜の剣の水の力を合わせることで、破壊の衝撃波を守りの盾へと変えることができる。

確かに溶岩の雨は水の壁に阻まれ、流されていく。

だが、それは脅威を去ったことを意味するのではない。

溶岩の中から、何か恐ろしいものが感じられた。

ゴポゴポと溶岩から泡が出てきて、ゆっくりと溶岩で赤く燃える翼を閉じた人食い火竜が出てくる。

翼を広げた人食い火竜は焼けつくような溶岩を全身に身にまとい、咆哮するとともに強烈な熱風がエルバ達を襲う。

「こいつ…溶岩の力で、力が増した!!」

「ハリマ様…ハリマ様を、自由にしろよ…この野郎ぉぉぉぉぉぉおお!!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第99話 命と誉

「テバ兄ちゃん、みんな…」

エルバ達がテバを追いかけて里へ向かい、それから一夜が明けたものの、彼らが帰ってくる気配がない。

少し前から雨が降り始めたことをいいことに、サキはケイと一緒に運んだツボに水をためていく。

だが、次第に雨はひどくなっていき、時々雷の音も聞こえてくる。

黒い雲が空を覆い、昼近い時間であるにもかかわらず、夜のように薄暗くなっていて、たいまつがなければ何も見えないほどだ。

「サキ、大丈夫かい?」

一人外に出た娘を心配したケイもまた外に出て、サキに声をかける。

「さあ、早く入りなさい。風邪をひいてしまうわ」

サキの手を握り、連れ戻そうとするケイの足が突然聞こえてくる獣の鳴き声で止まる。

昨日人食い火竜が戻ってきたときも、大きな鳴き声を上げていた。

それからしばらくはおとなしくしていたが、また聞こえてきたということは、何かが起こったのかもしれない。

山の中から聞こえるその声にサキはケイにしがみつく。

しがみつくサキの頭を撫でたケイは額の拳を置き、祈りをささげる。

「火の神様…どうか、里と人々をお守りください…」

「テバ兄ちゃん…」

 

「はあはあはあはあ…」

「グルルルル…」

上空では、体のいたるところに小さな傷のついた人食い火竜が飛行し、地上ではエルバ達が隠しきれない疲労でその場に座り込む。

「マグマをまとっただけで、あれだけの力を…」

「わしらを目の敵にしておるということも大きいじゃろう…」

里ではとどめを刺すために使うはずだったグランドクロスが炎で相殺され、グレイトアックスの風の刃もマグマでできた鎧が阻む。

セーニャのマヒャドもマルティナのピンクタイフーンも小さな傷をつけることが限度。

「はあ、はあ、はあ…斬れない…」

トベルーラで無理やり飛行して切りかかったエルバだが、右手に握る水竜の剣の刃にいくつもの傷ができ、刃もボロボロになりつつある。

戦いに備え、里を出る前に研ぎ石でしっかり手入れしたはずなのに、それほどの負荷が水竜の剣が受けた現実を受け止めざるを得ない。

溶岩に何度も剣をぶつけている以上、たとえ水の力を宿した剣でも無事では済まないとなると、左手のドラゴンキラーも刃の表面が溶けてしまっていて、変形しつつある。

溶岩を取り除くことができなければ、刃でダメージを与えることができないどころか、おそらくは禁書に封印することもできないだろう。

「グオオオオオオンン!!」

攻めあぐねるエルバ達に向けて上空から両翼を羽ばたかせた人食い火竜は熱風を発生させる。

溶岩の熱で燃えるような暑さがエルバ達を襲い、それが彼らから水分を奪っていく。

「くうう、これほどまでに苦しいとは、な…」

水分が奪われ、まずはロウが苦しげのひざを折る。

いくら修羅場を潜り抜けてきたとしても、年齢による体内の水分の低下は避けられない。

人食い火竜の生み出す熱によってついに音を上げざるを得なくなる。

「ロウ様!!」

「セーニャよ…わしの代わりに、これを!」

もはや自分では唱えるだけの力がないロウはやむなく禁書をセーニャに渡そうと手を伸ばす。

だが、それと同時に衝撃波が地上を襲い掛かる。

灼熱の衝撃波は地上にいるエルバ達を焼くとともに大きく吹き飛ばしていく。

地面を転がるロウはマグマにあたるギリギリのところで止まることができたが、あまりの衝撃に左腕が大きく骨折し、あり得ない方向に曲がってしまう。

禁書を託されるはずだったセーニャも額から血を流し、当たり所が悪かったためか、気を失ってしまった。

「一体、何が起こったんだよ…」

吹き飛ばされ、一瞬気を失っていたテバだが、ロウやセーニャと比較するとかすり傷だけで骨折などの大きなけがはない。

起き上がったテバが見たのは、彼の前で倒れてしまったエルバとグレイグの姿だった。

「兄ちゃん、おっちゃん!!」

「う、くうう…無事、か…」

「奴め…着地するだけで、これだとはな…」

あの時、人食い火竜は上空から猛スピードで地上まで落ちてきて、4本足を使って着地した。

それと同時に発生した灼熱の衝撃波がエルバ達を襲い掛かったのだ。

どうにかテバを守るため、グレイグとエルバは2人がかりで盾になった。

「くっそ…情けない。勇者の盾を名乗っておきながら…」

どうにかグレイトアックスを杖代わりに起き上がるグレイグだが、できるのはそこまでだった。

ここから斧と盾を構えるだけの力が残されていない。

「起き上がれるだけでも…十分すぎるだろう…。それよりも、禁書は…」

グレイグから回復呪文を受け、エルバも自分で回復呪文を唱え、傷を治しながら立ち上がるエルバはロウのそばにあるはずの禁書が無事か見渡す。

だが、いくら魔女を封印することのできた強大な魔力のこもった書物とはいえ、本であることには変わりなく、あの衝撃波に耐えられるはずがなかった。

セーニャの手に渡るはずだった禁書は燃えていて、もうすでに三分の二が燃え尽きてしまっていた。

「禁書が…くそっ!!」

「これで、封印を使う手段は絶たれたか…!!」

無念の感情を拳で抑え込み、ロウは立ち上がる。

人食い火竜はまず食べる肉をどれにしようかと見渡している最中だ。

弱った呼吸を整え、魔力の巡りを整えていく。

(皆…あとのことは、頼む…)

一つだけ、禁書を失った際に人食い火竜に仕掛ける手段をロウは思いついていた。

この手段をとることができるのはロウだけで、おそらくはエルバ達全員が反対するもの。

だが、人食い火竜の負の連鎖を断ち切る方法が今はこれしか思いつかない。

「化け物め!何を倒したと思うておる!わしはまだ立てるぞ!戦えるぞ!!」

ロウの手からドルマが何度も放たれ、闇の球体が何度も人食い火竜に炸裂する。

ドルマ程度の下級呪文ではマグマの鎧に守られた人食い火竜には傷をつけることができない。

だが、何度も襲う蚊に刺されるかのような感覚が人食い火竜の癇に障ったのか、視線がエルバ達からロウに向けられる。

食事を邪魔する生きのいい肉。

最後に食べたいが、こうして暴れまわって食事の邪魔をするなら真っ先に食べてやる。

大きく口を開いた人食い火竜がロウに襲い掛かる。

「じ…じいさん!!」

手を伸ばすエルバだが、その手が届くはずがない。

ロウが捕食される光景が脳内に浮かぶ。

だが、一直線に襲う人食い火竜はコースさえわかれば御しやすい。

ロウは残った魔力でトベルーラを発動して跳躍する。

そして、人食い火竜の頭にとりつく。

生きのいい奴だが、結局は魔力が強いだけのただの人間。

少し上空で暴れれば落ちてくれる。

そう考えたのか、人食い火竜が飛び上がり、激しく動き回る。

だが、なぜかロウの手からバチバチと魔力が点滅していて、それが普通の人間をはるかに超える力を発揮して、それがロウの体を支える。

「捕まえた…さあ、地獄まで付き合ってもらうかのぉ!!」

「じいさん、何をする気だ!!」

気絶したセーニャを抱えるカミュは上空にいるロウの行動から嫌な予感を覚えた。

エルバ達と出会う以前、カミュはある岩の魔物と遭遇したことがある。

灰色か青い岩石で構成された魔物で、不気味に笑う顔が特徴的だ。

かつて、バイキングに所属していたころはよくその魔物には危害を加えるなと何度も言われた。

その魔物は基本的に人間を襲うことは少ないものの、うかつに彼らの縄張りに入る、遊び半分で彼らに攻撃した場合、縄張りや仲間を守ろうとある呪文を唱えてくる。

それは己の魔力をほとんど消費しない代わりに、己の生命力すべてを破壊エネルギーに変換して放つ自爆呪文、メガンテだ。

それを唱えた者は粉々になり、遺体すら残らない。

僧侶として修業を受けた人間であれば、万が一にも肉体が残る可能性はあるが、ただそれだけで死ぬことには変わりない。

「すまぬの…禁書も八咫鏡もない以上、これ以外に手段が思いつかんのじゃ…」

これから、自分は人食い火竜を道連れにする。

脳裏に浮かぶのは在りし日のユグノア城、そして赤ん坊のエルバを抱くエレノアと2人をやさしく見つめるアーウィン。

本来エルバのあるべき光景が己の無力さが原因で失われた。

生きていたエルバと再会してから、ロウが願ったのはウルノーガへの復讐以上にエルバ自身の幸福だ。

デルカダールへの復讐心を抱くエルバとどこか今の自分を重ねてみていたところもある。

だが、それを乗り越え、育ってきた村で生きてきた大切な人たちが生きていたことはエルバにとってどれだけ幸せだったことか。

たとえ自分がいなくなったとしても、彼にとって家族といえる人がいるなら、エルバを心配する必要はない。

「ロウ様!おやめください!そんなことをしたら…」

「すまぬな、姫…。エルバを、世界を…頼む」

掴んでいる人食い火竜はなおも抵抗しようと激しく咆哮し、暴れまわる。

メガンテの力を高めるべく、ゴールドフェザーを発動しているが、いつまでも拘束し続けることはできないだろう。

「エルバ…幸せに…」

自分の心が変わる前に死のうと、メガンテを唱えようとした瞬間、すさまじい爆発が人食い火竜とロウに襲い掛かる。

激しい爆発が人食い火竜の全身のマグマがはじけ飛び、メガンテを唱えようとしたロウが転落してしまう。

「じいさん!!」

「い、今の呪文は…セーニャが唱えたのか…!?」

くらくらする頭をどうにか抑え込んだロウが問いかけるが、エルバは何も答えない。

セーニャとカミュに目を向けるが、セーニャはようやく意識を取り戻しているが、カミュに支えられている状態で、あれほどの爆発呪文を唱えられる状態ではない。

グレイグもシルビアもできるはずがない。

ふと、脳裏に1人だけ、こんな呪文を使える人間が頭に浮かぶが、そんなことはあり得ない。

「じいさん…もしかして、今の呪文を唱えたのは、ベロニカ…って、思ったか?」

「エルバ…」

「俺もだ…あり得ない話だけどな」

だが、誰が放ったのかわからないその爆発で人食い火竜のマグマが取り払われた。

そして、エルバが見たのは人食い火竜の腹部のあたりから発している光。

炎やマグマのものではない、緑色の淡い光だ。

「この光は…!?」

「こいつ…まだ何かする気かよ!?」

マグマの鎧以外にも隠し玉をやられる前にやる。

レーヴァテインが構えるカミュだが、セーニャはその光から何を感じたのか、構えるそぶりを見せない。

「セーニャ…?」

「待ってください、あの光は…人食い火竜が生み出しているものではありません。もっと別の…もしかしたら、八咫鏡の!!」

「消化されていないということか…!?」

ヤヤクとともに人食い火竜に食われることになってしまった八咫鏡。

セーニャのいう通り、その魔力がまだ生きているというなら、ヤヤクが残したもう1つの可能性がよみがえる。

ヤヤクの部屋から持ち出した魔竜の魂を手に取り、エルバは空の人食い火竜に目を向ける。

(あの爆発で手負いになっている…。中途半端に傷ついているだけのせいで、暴れてくる可能性は高いが、だが…!)

実際、人食い火竜はマグマの鎧をはがされ、おまけに傷ついたせいで怒りを見せている。

「みんな、少しだけでいい…。奴の注意を俺からそらせてくれ。…こいつで、人食い火竜を終わらせる…!」

「エルバちゃん…」

魔竜の魂を握りしめたエルバの脳裏に死んだヤヤクや里の人々の姿が浮かぶ。

あの犠牲の原因の一部は彼女にあったかもしれない。

だが、根本的な原因は人食い火竜が生み出す悲劇の連鎖だ。

それを断ち切らずして、世界を救う勇者を名乗れるはずがない。

「兄ちゃん、オイラも連れて行ってくれ!」

「テバ…」

「無茶よ!あなたは隠れて…」

「何にもできないかもしれない…。けど…けど、オイラだって、何かがしたいんだ!!」

人食い火竜を倒しにキジとハリマが旅立った時、キジとハリマの死を告げられ、ケイとサキが悲しんでいるとき、ケイが生贄として選ばれたとき、そしてヤヤクが人食い火竜に食い殺されたとき。

その時、それを見ていたテバは何もできなかった。

彼らについていくことも、悲しむ2人を励ますことも、その決定に対して声を上げることも、ヤヤクを突き飛ばしてでも阻止することも、何もすることができなかった。

ただ見ていることしかできなかった。

そのたびに弱い自分を憎み、早く強くなりたいと思った。

もう、そんな思いを繰り返すのは嫌だった。

「…わかった、来い!」

「…うん!!」

エルバに抱かれ、魔竜の魂を手にしたテバはトベルーラによってともに上空へ飛ぶ。

人間のくせに空を飛ぶエルバに目を向けようとする人食い火竜だが、その視界を覆うかのように周囲に竜巻が発生する。

セーニャのバギクロスとグレイグのグレイトアックスが放つそれが人食い火竜の身動きを封じる。

だが、その竜巻を人食い火竜は前足を使って無理やり引き裂く形で消し飛ばしていく。

真空の刃で傷つくことも構わずに力づくで抑えたものの、次に飛んできたのはジェスターシールドから生まれた鞭と鎖でつながったレーヴァテインが人食い火竜を縛る。

「さあ、猛獣ちゃんにはおとなしくしてもらうわよー!」

「にしても、この鎖…維持するだけでこれだけ疲れるなんてな…」

呪文の心得のないカミュにとって、レーヴァテインの鎖を維持するのは難しく、もう少し呪文について学んでおけばと思わず後悔してしまう。

縛り付けている相手が相手ということもあるが、少しでも気が散ると鎖が砕かれてしまう可能性がある。

己を束縛する2人に業を煮やす人食い火竜だが、その目の前に真っ黒な怪しいオーラをまとった状態のマルティナが跳躍してくる。

「お仕置きよ!!」

力を集中させた拳が人食い火竜の頬を襲い、すさまじい衝撃がそこから顔全体を襲う。

顔面の骨や歯に大きなひびが入り、そのダメージによって動きも鈍り、体が横倒しになっていく。

そんな人食い火竜の真上をとったエルバがそのまま降下していく。

腕の中にいるテバは魔竜の魂を離さぬよう力いっぱい握りしめる。

「目を覚まして、ハリマ様ーーーーーーー!!!!!」

落ちていくエルバ達と人食い火竜の腹部が横切ろうとした瞬間に、テバの持つ魔竜の魂と腹部の光が重なり合う。

同時に、それらが緑色のまぶしい光を放ち始めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第100話 斬鉄丸

光が収まり、目を開いたテバの目の前に広がるのは青空が広がるホムラの里。

今の燃えているような赤の混じった空とは違うその空の下、広場には数多くの武者が集結し、そこで家族や知人とあいさつを交わしている。

(ここって…もしかして…)

「あんた…」

「父ちゃん、父ちゃん…」

目の前には紅蓮のような赤い金属の刃と血のような赤い持ちての刀を背中に差した、鬼の面具で口元を隠した大柄の男がケイをやさしく抱き、涙を流すサキの頭を撫でる。

「父ちゃん…」

今も記憶に強烈に残っているその姿は今は亡き父親であるキジだ。

腰に差しているその刀は里に多大な貢献をした武者にのみ使うことの許される皆朱の太刀で、傅役としてハリマに仕え、ヤヤクに認められた武者である彼にふさわしいものだ。

「泣くな、ケイ。子供たちが見ておろう」

「けれど、人食い火竜と戦うんでしょう?もしかしたらと思うと…」

「大丈夫だ、私は死なん。必ず火竜の首を持ち帰る。だから、私が帰ってくるまでテバとサキを頼むぞ。サキも、テバと一緒に母さんを守ってやれ、いいな?」

「父ちゃん…」

鬼の面具のせいで表情をうかがい知ることはできないが、目は確かに笑っていて、サキの頭を撫でるキジからは鬼のような怖さが感じられない。

(そうだ、これが…父ちゃんとの、最後の…)

「皆の者!別れの…いや、再会のあいさつを済ませたか!!」

里の門の前には、鎧姿をしたハリマが立っていて、愛刀である黒の混じった刀身を持つ刀で、鋼鉄すらたやすく両断できることから斬鉄丸と名付けられ、里長に就任したばかりのキビマロに献上され、彼の死後に息子であるハリマが受け継いだ。

「これよりわれらは人食い火竜と戦い、再び里に安寧を与える!かつて、わが父であるキビマロは里を守るべく、精鋭とともに人食い火竜と戦い、命と引き換えに討ち滅ぼした!そして、多くの武者が炎の中に散った!われらの中には、私も含めて露と消える者もいよう!誰一人、帰ってくることができない可能性もあろう!!」

確かに、里を守るために戦い、死ぬことは武者にとっては誉といえるだろう。

相手が人食い火竜であればなおさらそうだろう。

「だが、我らの戦いを…生を…わが父が、人食い火竜と戦い、散っていった英霊たちが見ている!彼らが命を賭したことが無意味だったのか、彼らの戦いは…里を守る武者の信条は間違いだったのか…?いいや、違う!!英霊たちに、父祖の魂に意味をもたらすのは我々だ!我々の生が、戦いが、血が伝えるのだ!!彼らは決して間違っていないことを、真に誇るべき魂たちだということを!!ゆえに我々は戦う!勝利し、後世に伝える!我々の魂を!英霊たちの生きざまを!!それを伝えつくすまでは死ぬな!!生きて、人食い火竜の首とともに、里へ戻れ!!」

「おおおーーーーー!!!!」

ハリマにこたえるように、武者たちはそれぞれの得物を掲げ、勝鬨を上げる。

彼らにあるのは残していく家族への想いではなく、ただ人食い火竜と戦うことだけ。

奴を殺して、里を救うことだけを意識していた。

そして、ハリマを中心に武者たちは里を出ていく。

その後ろ姿をテバは家族とともに見守る。

(そうだ、そうだ…これが、父ちゃんとの最後の…)

こうして後ろ姿を、門が閉じる瞬間まで見つめることしかできなかった。

その時の後悔が彼の心によみがえる。

それを振り払うかのようにテバは駆け出す。

「父ちゃん、父ちゃーーーん!!」

何ができるかなんてわからないし、考えるつもりはない。

ただ追いかけたかったから走っただけ。

何度も父を呼びながら走っていく。

すると、足を止めたキジは振り返り、面具を外す。

その裏に隠れた笑顔がテバに向けられた。

「テバ、テバ…目を覚ませ、テバ…」

「う、うん…」

男の声が聞こえたと同時に急に視界が真っ暗になっていく。

重たく感じる瞼をどうにか開き、ぼやけた顔の輪郭を見ると同時に急激に意識が戻ってくる。

もう2度と見ることができないはずの若者の顔、兄のように慕っていた存在。

「ハリマ…様…」

「お前にも、お前の父にも…苦労を掛けたな」

「ハリマ様ぁぁ!!」

涙が浮かび、それを隠すようにハリマに抱き着いて涙を流す。

テバの頭を撫でたハリマの視線がエルバ達に向けられる。

エルバの手には魔力を失い、真っ黒なただの玉石となり果てた魔竜の魂が握られていた。

「旅の者よ、よく私の中にいる人食い火竜を沈めてくれた。おかげで、元の姿を取り戻すことができた。ようやく、人として死ぬことができる…」

「え…?」

死ぬ、という言葉に出そうになった涙が止まり、目を大きく開いてハリマの顔を見る。

人食い火竜と戦う前と何も変わらない容姿をしているのに、何かの冗談なのか。

ハリマは両手をテバの両肩に置き、ゆっくりと彼を離していく。

「私の中にある八咫鏡。あれは確かに私を真実の姿に戻してくれた。だが…まだ完全ではない。私の中には、まだ人食い火竜がいる。奴が目覚める前に、私が奴を道連れにする」

「そんな…魔竜の魂の魔力でも、八咫鏡を…」

「気にする必要はない。これが私の、我ら家族の運命なのだろう…」

人の姿に戻った時、そばに落ちていた八咫鏡。

血でぬれたその鏡を見た瞬間、母の末路を察した。

ヤヤクだけではない、人食い火竜に操られたとはいえ、守るべき里の人々を数多く殺してしまった。

たとえ完全に人に戻れたとしても、もはや里の人々に顔向けなどできない。

「テバ…許してくれ、お前の父を…キジを里に帰すことができなかった…」

「いいよ、そんなのいいよ!なんで、なんで…オイラ、こんなことにならないようにしたかった…。ただ、ハリマ様を助けたかっただけなのに…」

こんなことになるなら、人食い火竜のまま殺してしまえばハリマは楽だっただろう。

その結果として自分が人食い火竜となったとしても、そんなことはどうでもよかった。

喜びから悲しみへと変わる涙にぬれるテバをハリマは優しく見つめる。

「テバ…お前は、本当に幼いころの私と似ているな」

「え…?」

「とにかく無鉄砲なまでに一直線で、危なっかしい。だが、そんなお前から里の未来が見えた。お前が成長し、里一番の武者になった姿を見てみたいと思った…」

「ハリマ、様…」

ハリマは腰に差している斬鉄丸を鞘ごと外し、それをテバに差し出す。

託そうとしていることはわかっているが、だがテバは手を伸ばせない。

もしそれを手にしてしまったら、本当に目の前のハリマが死んでしまうのではないか。

だったら、受け取らなければ生きていてくれるのかと淡い期待をする自分に嫌気がさす。

「私は…結局キジのような誠の武者になることはできなかった。里を守ることができなかった」

人食い火竜となって母を死なせてしまい、守るべき里の民の一人であるテバにつらい思いをさせてしまった。

その原因を作ったのは自分のわがままだったこと、その償いをしなければならない。

「だから、テバ…お前が、私の代わりに、里を守り…キジのような誠の武者に、なれ…」

「ハリマ、様…」

震える手で斬鉄丸を受け取ったテバの手の中がずしりと重くなる。

そして、マグマの手前まで足を運ぶと、その場で短刀を抜く。

短刀に映る己の顔に一瞬人食い火竜の姿が映る。

再び自分に呪いをかけようとする前に、ハリマは短刀で喉を掻き切る。

「ハリマ様ーーーー!!」

意識がまどろむ中で、ふらりと体が揺れ、視界が揺れる中で後ろから自分を追いかけるテバの姿が見える。

その姿を見たハリマの顔に笑みが浮かび、彼の体はマグマの中へと消えていった。

「ハリマ…様…」

ハリマがいた場所に座り込み、彼が飛び込んでしまったマグマを見る。

もう彼の体はマグマの中で、どうやっても救い出すことなどできない。

「テバちゃん…」

暑い火山には似合わない悲しみが周囲を包み、シルビアがテバに声をかける。

テバはしばらくその場を離れることができなかった。

 

「炎と水、空、風…幾千幾万に住まう八百万の神々よ、どうかわれらが里長ヤヤク、そして多くの武者と民の魂にどうか安らぎをもたらし…。…命の大樹へと導かれんことを」

広場では生き延びた里の人々が集まり、真っ白な髪と細い体を真っ白な袈裟と頭巾で隠した神官の祈りの言葉を聞きながら目を閉じて死んだ人々の冥福を祈る。

その中にはエルバ達やテバ、サキ、ケイの姿もある。

人食い火竜が死に、もう2度と里を脅かすことはなくなった。

そのことを聞いても、だれ一人喜ぶものがいなかった。

祈りの言葉を終え、沈黙の中で神官がエルバ達の元へやってくる。

「勇者殿、この度は誠にありがとうございました。おかげさまで人食い火竜は永久にこの地から消え去りました…。失ったものは大きすぎましたが…」

「いいえ、ヤヤク様をお救いできず、申し訳ありませんでした…」

「これも、運命なのでしょう。神官である私が言うのははばかられますが、これを運命だというなら、神は里に残酷な使命を与えたのですね…」

「うむ…。ヤヤク殿、やり方は間違えておったが、彼女なりに里と息子を守ろうとしていた…。それで生まれた犠牲がある以上、認めるわけにはいかぬが…その思いだけは認めねばな…」

きっと、冥府の闇の中でハリマとヤヤクは望まぬ再会を果たしているころだろう。

その先に待っているのは何かはわからないが、何かしらの形で報われることを願うしかない。

「命の大樹が落ち、魔物が跋扈するようになってから、ヤヤク様は遺言を残されていました。新たな里長にふさわしきものが現れるまで、私が里長を代行することとなります。非才の身ではありますが、ヤヤク様らが命がけで守ろうとした里です。やれるだけのことはやりましょう…」

「そうだ、もうヤヤク様もハリマ様もいない…。我々はどうすれば…」

人食い火竜が去り、失ったものへの気持ちがひと段落したところで新たな不安が里の人々を駆け巡る。

彼女の遺言により、里長代行は決まっているが、あくまでも彼は一時的にその立場にいるだけ。

次期里長となるはずのハリマもすでにこの世におらず、里長にふさわしい人間が思いつかない。

「やはり、里はおしまいなのか…我々はもう…」

「ねえ、みんなどうして自分たちのことを自分で考えられないの?大人なのに」

サキの素朴な疑問、だがあまりにも耳の痛い言葉に里の人々は沈黙する。

里を守る武者も、里の民も、皆が里長であるヤヤクに頼り切っていた。

彼女たちが長として有能だったこともあるかもしれないが、それが彼らから自分でやるという意思を奪っていたのかもしれない。

「オイラたちは…託されたんだ。里の未来を…明日を」

ハリマから託された斬鉄丸と父親の形見の刀を握るテバの脳裏に2人の最後の姿が浮かぶ。

二人だけじゃない、死んでいった人々は皆、里の未来を願っていた。

そして、その里の未来を気付くことができるのは、彼らの願いをかなえることができるのは誰か。

「だから、今度はオイラたちで里を守っていこうよ!死んだヤヤク様とハリマ様、父ちゃんたちの分も!」

今の自分には2人の刀は重過ぎる。

それをかなえるだけの力はない。

だが、もしそれをかなえるための力を貸してくれる人がいるとするなら、話が変わってくる。

「そう、だな…。俺たちは、ずっとヤヤク様達を頼っていたよな…」

「ああ。あの子たちの言う通りじゃ…。今度はワシらで里を守ろう。死んだ者たちの分も…いつか再び生まれてきたときに、もっといい里になるように…」

テバの言葉から何かを感じ取った里の人々の表情がわずかながら明るくなる。

その様子を見た神父もまた、安心したように笑う。

「…どうやら、私の代行としての役目も長く続くことはないでしょう。勇者殿、こちらを」

「これは…」

紅葉を模した飾りがついた鉛製の鍵。

これが禁足地の、勇者の剣への道へとつながる鍵。

「勇者殿、この里にも火が灯りました。どうか、そのお力で世界にも…」

「ええ、わかっています」

鍵を握りしめ、ようやく勇者の剣まであと一歩のところまで来たことを実感する。

果たして、多くの犠牲の果てで手に入れる勇者の剣がそれに見合うものとなりえるのか。

それは禁足地へ向かわなければわからないことだ。

(それに、ウルノーガが警戒していたのもあるからな…)

これはテバが気を失っている間にハリマから聞いたことだが、ハリマが短期間で人食い火竜と化してしまったのは、そもそも人食い火竜が存在した原因はウルノーガにあるらしい。

人食い火竜を倒したあの時、ただ一人生き延びたハリマの前に黒ずくめで紫の肌をした魔導士が現れ、瞳を光らせた後で煙のように姿を消した。

その時はハリマ自身、大きく傷つき、精神的に追い詰められた中で見た幻覚とばかり思っていた。

だが、それによってハリマの中の人食い火竜の呪いが促進され、里を滅ぼしかけてしまった。

ハリマ自身はその魔導士の正体はわからないが、彼の話を聞く限りではウルノーガが正体だとみておかしくないだろう。

(だが…わからない。禁足地の場所を知っているというなら、奴はなぜそこを破壊しようとしないんだ…?)

 

ヒノノギ火山の奥深く、マグマであふれかえるその場所には中央にだけ足場となる岩があり、その上には真っ白なフードのついたローブを身にまとった男が正座している。

マグマの上には数多くの魔物の死体が浮かび、その多くが本来はヒノノギ火山やホムラの里周辺、さらにはサマディー国領には生息しない魔物だ。

「来るか…新たな星よ。この禁足地に。長年待った甲斐があったというものだ」

立ち上がったその人物は懐にある酒瓶を手に取り、グイグイとまるでただの水を飲んでいるかのように一気に喉を通していく。

内側からどんどん感じる熱を抑え、男は酒瓶を懐にしまう。

「さあ、参れ。私に見せてみよ。その剣を」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第101話 伝説の鍛冶職人

赤いじゅうたんが敷かれた真っ暗な部屋の中で、黒いローブの男はテーブルに置かれている暖かい紅茶を口にする。

この部屋の中が彼にとっての唯一の安息の場所であり、おそらくここで過ごすことのできる時間もわずかになっている。

この部屋の周辺は真っ暗な闇が広がっていて、一歩でも部屋の外に出たらそこら中から悲鳴や怨嗟を耳にすることになるだろう。

その部屋の中に預言者が現れ、同時にローブの男のそばに彼のための椅子が用意される。

椅子に腰かけると、男はテーブルのティーポッドからもう1つのティーカップにお茶を入れ、預言者に差し出す。

それを一口飲み、体を温めた預言者は口を開く。

「お前がロトゼタシアで生きる時間も、残り少なくなってきたな…」

「ああ。覚悟している。そして、俺がなすべきことをなすことで、ロトゼタシアを救うことができる…。そう教えてくれたのはあなただろう?預言者よ」

「私は多くの者に預言を授けてきた。中にはそれゆえに高慢となり、破滅した者もいた。そのような者を見るたびに、後悔した…。だが、邪道に落ちた者に預言を授けることも、それによって目覚めた者を見るのも、今回は初めてだ。故に…惜しいと思う。もっと早くお前に出会い、それを授けていれば…」

「過ぎたこと。それに、過ちを犯さなければ、私は素直にあなたの預言を聞くことはなかっただろう…。あなたの準備はできているのか?」

「無論だ。願わくば、その力を使うまでの事態にならぬことを願うが…」

もしウルノーガがそれを使わざるを得ないほどの力を手に入れてしまったとしたら、おそらくは邪悪の神以上の力を手に入れたことになるだろう。

そうなってしまえば、ロトゼタシア全体を束にしたとしても、ウルノーガを倒すことができない。

その時にウルノーガに宿った力を封じるための手段を預言者は長い時をかけて生み出した。

「それに、これはまだ不完全だ。それを完全にするには…力が足りない」

だが、その力は彼一人の力では生み出すことができないもの。

古の契約に基づき、力を貸す存在が足りない。

「足りなければ補えばいい。契約者が足りないのであれば、満たせばいい。そのあてならある」

「セニカの片割れか…」

「もうそろそろ戻る頃合いだろう。話してみるといい」

預言者が現れたのと同じ場所に、今度は少女が現れる。

赤い頭巾をかぶり、赤と白のワンピースを身にまとった年若い少女にジロリと黒いローブの男をにらむ。

「ちょっとー!聞いてないわよ!あんたの力でロトゼタシアに戻れたと思ったら、イオナズン一発放っただけで力を使い果たしたじゃない!!」

「だが、結果として彼らを助けることができただろう」

「それはそうだけど…でも、これじゃあ本当にちょっとだけじゃない!!ウルノーガはもっと強い…」

人食い火竜も今までエルバ達が遭遇してきた魔物と比較すると圧倒的に強い分類だが、ウルノーガはそれ以上に強い。

だが、このローブの男の言葉が正しければ、ウルノーガは現在進行形で強くなっていて、もしかしたらかつての邪悪の神をもしのぐことになるかもしれない。

エルバ達を助けるべく、先ほどはこうしてロトゼタシアに帰還して、実際に特大呪文を使うことができた。

しかし、ほんの1発だけでは気休めにしかならず、それが決定打を与える可能性は圧倒的に低い。

「そんなことはわかっている。だから、君に確かめたいことがある…」

「確かめたいこと…?」

「古の契約に興味はないか…?ベロニカ」

 

ヒノノギ火山の中でも極めて異質な存在といえる分厚い城門にも匹敵する巨大な門。

何も装飾が施されておらず、ただひたすらに道を阻むだけの役割に特化したその門がカギを開いたエルバの手によって開かれる。

だが、その先に広がるのは溶岩だけで、そこには禁足地といえる所以が見えない。

「ここで…あってるよな?」

「あそこで見た光景では、確かにヒノノギ火山の中に…」

「…感じる。ここだ、ここが勇者の剣が生まれた場所…」

そのことをエルバに伝えているのは両腕のアザの光。

深く呼吸をし、その根源を確かめようとする。

「…!エルバ!!」

何かを感じたグレイグがエルバ達の前に立ち、デルカダールの盾を構える。

彼の視線は上空に向けられていて、そこにはローブをまとった男が浮かんでいる。

「何者だ!?」

「ほぉ…極力気配を消していたつもりだったが、見事だな…今世の勇者の盾」

空に浮かぶ男はローブの中からほっそりとした老人のような腕を伸ばす。

最低限の筋肉がついた腕だが、手に握られている剣からはようやく針のような鋭い殺気が感じられた。

「長い時間、待っていた。ローシュが去り、再び己の手で勇者の剣を生み出そうとする者がこの地にやってくるときを」

「再び勇者の剣を…?あなたは、いったい…!?」

その口ぶりはあたかもローシュが生きていた時代から待っていたかのような口ぶり。

驚くエルバをよそに、エルバ達の前まで浮遊したまま移動した男はフードを脱ぐ。

青が混じった真っ白な髪でしわの多い顔立ち。

だが、青い瞳は輝きを失っておらず、顔にはいくつもの切り傷ややけどの痕がある。

「私の名はロン・ベルク…いや、十三代目ロン・ベルクとでも名乗るべきか…」

「十三代目…!?まさか、ロン・ベルク流剣術の…!!」

「それは初代が生み出し、2代目が大成させた剣術。我々も心得てはいるが、そのすべてを会得するには至っていない。私は剣とともにこの万世一系の鍛冶術を受け継いできた。すべてはこの日のために…」

「んじゃあ、あんたが作ってくれるのか!?勇者の剣を!!」

火山の中だから、もしかしたら鍛冶場でもあるのかとおもったが、まさか鍛冶職人本人がいるというのは盲点だった。

だが、その答えとして帰ってきたのは鋭い目つきで、それを見るだけで背筋が凍るほどのプレッシャーが感じられた。

「私が長年ここにとどまっているのは今世の勇者が誠に勇者の剣を手にするにふさわしいかを試すため。故に、我が技術を弟子にすべて教え、託したのちはこうして霊魂のみをこの地に縛り付けている。そして、この場所を脅かす不届きなものどもを始末してきた。最も、亡骸は今やマグマの中。もうここにはほとんどないが」

唯一残る証拠となるのは、その手に握られた剣。

その刀身は数多くの魔物の血を浴びたせいか、若干黒ずんでいて、ここまでひどい黒ずみとなると、使い物にならなくなるはずだが、そういったそぶりは見せない。

ロン・ベルクはエルバ達に背を向け、浮いたままマグマの湖の中央まで歩き、そこで振り返る。

「さあ、まずはここまで来てもらおう。トベルーラを使え」

「…」

ゴクリと唾をのんだエルバは彼の言葉通り、トベルーラで飛行しつつ、その先に広がるマグマの上を進んでいく。

ここで仮に魔力や集中力が切れることでトベルーラを解除されてしまうと、あっという間にマグマに焼かれてしまうだろう。

そんな恐怖を抱えながら、前へ進むエルバは水竜の剣を抜く。

ホムラの里で研ぎなおしてもらい、切れ味を取り戻したその刃をロン・ベルクは見つめる。

「ほぉ…セレンと会ったか。その剣を持っているということは、彼女はもう…」

「…。彼女から託されたもののためにも、ウルノーガを倒す…」

「ならば、見せてみろ。その覚悟を…!」

いきなり大きく飛行したロン・ベルクが両手で剣を握り、力を込めて頭上に掲げる。

一瞬剣を中心にグランドクロスのような十字の光が発生した後で、そのまま落下していき、勢いに乗った状態で刃がエルバを襲う。

「ぐう…!」

あまりのスピードと勢いによけられないと悟ったエルバは水竜の剣を両手で握ってそれを受け止める。

自らが勢い余ってマグマの中へ落ちてしまうこともいとわない一撃は確かに受け止められはしたが、それでもエルバの体を一気にマグマぎりぎりのところまで落としている。

そして、放ったロン・ベルク本人はぶつかり合った高度で動きを止め、落ちていくエルバを見降ろしていた。

「はあ、はあ、はあ…」

「単純なものだが、破壊力は確か。どうかな…?2代目ロン・ベルクの剣技、ノーザングランブレードの味は」

「くっ…強い…!」

老人のその細い腕のどこからそれだけの勢いと力を引き出すことができるのか、受けたエルバにもわからない。

もし彼がもっと若かったら、この一撃だけで勝負がついていたかもしれない。

どうにか再び高度を上げたエルバだが、その時にはロン・ベルクは既に2回目のノーザングランブレードの構えとなっていた。

あの一撃を既に味わっているエルバは今度はぶつかり合うわけにはいかず、比較的よけやすい横へと移動して刃を避ける。

避けて側面から一撃を浴びせることを考えていたが、避けても攻撃の余波が襲い、それが剣をふるうための動きを封じる。

「どうした?その程度でウルノーガと戦うつもりか?今世の勇者。もっとお前の力を見せてみよ」

「く、ううう!!」

ドラゴンスレイヤーを左手で握り、二刀流の構えとなるエルバ。

その構えにロン・ベルクは目を細める。

「書を読んだか。初代はかつて、生まれて10年もたたずに最強の剣技を極めたといっていたが、2代目がその先の剣技、そして鍛冶術を見出した。書も結局は通過点に過ぎぬ」

そうつぶやき、ロン・ベルクもまた両手で握っていた剣を左手で持ち、右手をローブの中に隠す。

再び右手があらわとなると、それにはもう1本の剣が握られていた。

ロン・ベルクが二刀流となったのと前後し、2人の戦いを見守っている6人はある異常を味わうことになる。

「何…?この寒さ」

「嘘だろう…我々がいるのは火山の中だぞ!?」

火山の中にいるにもかかわらず、真冬のような冷たい風が当たり前のように吹き付ける。

空からは雪が降り始め、徐々に分厚い積乱雲が形成されていき、それが禁足地を包んでいく。

「ラナリオン…天候を操作する呪文。雨雲を呼び出すことができれば、このように雷雪を生み出す積乱雲を生み出すこともできる。2代目ロン・ベルクが生み出した剣技…見せてやろう」

「雷…!?」

パチリ、と一瞬だけ鋭いしびれが走る。

雲からはゴロゴロと雷の音がかすかに聞こえ、時折本物の雷が周囲に落ちる。

そして、目を疑ったのはマグマの状態だ。

あまりの寒さへと変わってしまったせいか、あれほどエルバ達に恐怖を与えたそれが凍り付き始めていた。

「この状況は長い時間維持することは難しい…。故に、早く終わらせよう」

そうつぶやくとともに高度を上げたロン・ベルクが落雷を2本の剣で受け止め、雷を宿した剣はまるでギガスラッシュを放つ直前のまぶしい光を放っていた。

それを2本同時にふるうと、宿った雷が解き放たれ、エルバに襲い掛かる。

魔法の闘衣に身を包んでいるはずのエルバの体を自然の雷が焼いていき、全身がしびれたエルバが凍ったマグマの上に落下する。

「エルバ様!!」

「まさか…自然の雷を使ってギガスラッシュに似た技を放つとは…」

かつて、勇者の雷といえるデイン系の呪文をローシュが使いこなしたことから、一時期は勇者の力以外でそれらの技や呪文を再現することができないかの研究が行われた。

雷そのものは短時間に膨大なエネルギーを放つ構造であることから、それに似た呪文であるイオ系が利用され、偶発的にそれを宿した剣が稲妻を放ったことから、稲妻斬りが生まれたこともあった。

しかし、いくら研究を重ねても満足のいく結果には届かず、稲妻斬りについても高度な魔力と剣の技術が必要となったことから普及することはなかった。

おそらく、このラナリオンという廃れた呪文で生み出したこの状況も、その研究の一環なのかもしれない。

「ぐ、ううう…」

どうにか全身のダメージをベホイムで回復していくエルバは立ち上がり、凍ったマグマの上で剣を構える。

「立ち上がるか…。ならば見せてみろ、勇者の雷を」

「お望みなら…!!」

やせ我慢するエルバは両方の剣に向けてライデインを唱える。

この天候はデイン系の力を高めてくれており、実際に受け止めたときに手から伝わる力は今まで以上だ。

だが、先ほどのダメージのせいですぐにこの場から動くことは難しい。

接近する間に逃げられる可能性がある。

「おおおおお!!ギガクロススラッシュ!!」

交差した2つのギガスラッシュがまばゆい雷の剣閃となってロン・ベルクを襲う。

勇者の雷の激しいまでの力を前にしても、ロン・ベルクは平然としていた。

「今世の勇者よ、よく見ておけ…。勇者の雷は万能ではないことを」

「何…?」

ロン・ベルクは剣を交差し、深呼吸した後でギガクロススラッシュを受け止める。

受け止めたロン・ベルクは奥歯をかみしめながら交差していた2本の剣を頭上へと持っていき、そのまま振り下ろした。

その瞬間、エルバが放ったはずのギガクロススラッシュの刃があろうことかエルバに襲い掛かった。

「そんな…!」

「ギガクロススラッシュを跳ね返しただと…!?でも、どうやって…!!」

「雷返しだ…。ロン・ベルク流にも書かれていたが、初めて見る」

若いころのジエーゴも習得すべく、雷雨の中で修業をしたことがあるようだが、結局最後まで習得することのできなかった代物。

自然界のものだろうが呪文であろうが関係なく、刃で雷を受け止めて、それを相手に向けて放つ。

おそらくはこの雷雪を利用した戦いの副産物として生み出されたものなのだろう。

ライデインなどの呪文であればマホカンタで跳ね返すことも可能だが、自然が生み出したものでさえ跳ね返すことができることが大きなポイントだ。

だが、そもそも自然の雷が人間に落ちる可能性は1000万分の1で、雷雨の中での戦いでも自分の近くに雷が落ちる可能性は低い。

魔物の中にはデイン系ではないが、電気を放つ個体も存在するものの、その種類が少ないことから雷返しはロン・ベルク流でのみ受け継がれ、グレイグもそれを読む機会がなければ知ることすらなかっただろう。

「だったら…!!」

雷を返すことができる例は目の前にあった。

だとしたら、ほかの人でもやろうと思えばできるということ。

エルバは即座に先ほどのロン・ベルクがそうしたように、2本の剣を交差して構えて、跳ね返されたギガクロススラッシュを受け止める。

受け止めてわかることはただ跳ね返されただけで終わったわけではないということ。

彼自身の闘気も上乗せされた状態で返したようで、少しでも気を抜くと受け止めきれずに体を貫くだろう。

エルバは両手に集中し、両手の痣が光り輝くとともに2本の剣が覇王斬の剣のような赤いオーラをまとっていく。

赤いオーラが受け止めた雷を吸収していき、赤と黄色の光が刃からあふれ出す。

そして、エルバは交差したまま剣を真上にあげていき、思い切り振り下ろす。

振り下ろすと同時に赤いオーラが消え、解放された雷がロン・ベルクを襲い掛かる。

「ほぉ…初めてにしては上出来だ」

今度は跳ね返そうとせずに、襲い掛かる雷を避けるだけにとどめたロン・ベルクの視線はエルバの両腕に向けられる。

両腕ともに受け止めきれなかったためか、ブスブスと煙を上げており、大きな火傷を負っていることがわかる。

ドラゴンキラーは受け止めた雷に耐えきれずに刀身が大きくひび割れていた。

激しい痛みは感じるが、それ以上に驚いたのは自分がギガクロススラッシュを跳ね返すことができたということだ。

とても現実に、しかも自分が成し遂げたものとは思えない。

それを見たロン・ベルクは剣をおさめ、エルバの前まで下りてくる。

「見事だ。1度その身で受けただけで雷返しを成し遂げるとは」

ロン・ベルクはエルバの傷ついた両腕に手を当て、回復呪文を唱え始める。

生々しいやけどで満ちていた腕がみるみると回復していく。

「回復呪文まで…」

「2代目は武芸や呪文の素養を身に着けていた。私個人も、弟子入りするまでは僧侶の修業をしていた口だ」

傷が治ったのを確認したロン・ベルクはラナリオンを解除し、分厚い積乱雲と吹雪が収まっていく。

エルバとともにトベルーラで飛行したロン・ベルクはそのまま彼をカミュ達の元へと送る。

「今世の勇者よ、その実力は理解した。認めよう、貴様らが勇者の剣を生み出すことを」

ロン・ベルクが指を鳴らすと、激しい揺れが起こる。

揺れの中で凍り付いたマグマがひび割れ、その下に埋まっていたマグマが噴き出る。

「今度は何が…!?」

「この場所は勇者の剣を生み出すための鍛冶場が隠されている。最も、高純度のオリハルコンを加工するには並々ならぬ力が必要だが、ここならばそれだけの力を得ることができる」

噴き出るマグマとともに現れたのは真っ黒な石でできた、翼を広げた鳥のような形をした足場。

6枚羽根のようなもののと頭部に当たる場所の1つ1つには炎を吹き出す煙突があり、中央には金床が置かれていた。

「これが…」

「勇者の剣を生み出すために、天空の民とわれら、そしてこのヒノノギ火山と深いつながりを持つ一族が生み出した。最も、私がこれを見るのはあの日以来だ。ついてこい」

ロン・ベルクに先導され、エルバは鍛冶場に足を踏み込む。

ラナリオンがおさまったことで再び灼熱のような暑さがよみがえり、中央へと進めば進むほど余計に暑さを感じ始める。

そして、頭頂部のあたりまで向かうと、ロン・ベルクが足を止める。

「さあ、オリハルコンをここへ。ヒノノギ火山の熱で溶かす」

「あ、ああ…」

言われるがまま、オリハルコンを炉の中に入れる。

天空の古戦場で、多くの血が流れる原因となったその金属がその姿を消していき、溶けた金属が流れ出る。

それは金床の近くまで向かっていた。

「グレイグのおっさん、火箸を。不思議な鍛冶セットのものなら使えるだろ」

「あ、ああ…」

カミュに言われた通り、グレイグは火箸を出し、ある程度固まったオリハルコンをそれでつかむ。

金床の上にそれを置き、続いてガイアのハンマーを手にしたエルバがそれでオリハルコンを打つ。

ガーン、ガーンと甲高い音が鍛冶場で鳴り響き、叩くたびにオリハルコンが薄く伸びていく。

叩くたびに全身から汗が噴き出る。

「そうだ、叩き続けろ勇者よ。オリハルコンは普通の人間では加工することなどできない代物。初代ロン・ベルクもオリハルコンで武器を生み出すとき、命を懸けるほどの技術と魔力を注ぎ込むことでようやく生み出すことができた。案ずるな、ガイアのハンマーが教えてくれる」

不思議な鍛冶セットで何度も鍛冶をしてきたエルバだが、本格的な鍛冶を行うのは初めてで、しかもオリハルコンを扱うとなると素人には無理な芸当だ。

だが、ロン・ベルクのいう通り、エルバの脳に浮かぶローシュ達が勇者の剣を作り出す姿。

それに従うように力配分を行い、適度のガイアのハンマーをふるっていく。

叩くタブに煙突から炎が噴き出る。

しばらくして、体力を使い果たしたエルバは一度ガイアのハンマーをおろす。

金床には真っ黒な刀身らしき物体だけがあり、まだまだ完成には程遠い。

まだまだ叩かなければならないが、疲れ果てたエルバにはそれをふるう力が残っていない。

そんなエルバを見たカミュはパッとガイアのハンマーをとる。

「カミュ…?」

「エルバ、次は俺の番だぜ?」

「あら、カミュちゃん抜け駆けはなしよ?…ねえ、エルバちゃん、アタシたちにも手伝わせて」

「シルビア…」

「そうじゃな…勇者の剣は勇者ローシュ様だけではない、仲間たち、そして多くの協力者の手で生み出されたもの。わしらも負けるわけにはいかん」

「それに、これはあなただけの戦いじゃない。私たち全員の戦いよ」

「勇者の剣に俺たちの想いも、込めさせてくれ…」

「みんな…ああ、頼む!」

確かにエルバは勇者。

勇者は剣も呪文も使いこなせる存在。

だが、勇者一人ですべてを成し遂げることはできない。

剣技や力は戦士には、呪文ならば魔法使いや僧侶のような専門家には届かない。

勇者にできることはそれを束ねること。

一つにつなげることで世界を救う力へと昇華させること。

「カミュ様…!」

「ああ。俺は、お前と出会えたおかげで贖罪を果たし、マヤを取り戻すことができた!」

最初は世迷言と信じずにいた預言者の言葉。

決して償うことのできない罪におびえつづけていたカミュだが、死刑囚としてデルカダール地下牢に閉じ込められ、そこで偶然エルバと出会うことで運命が変わった。

片目を無くすことにはなったが、マヤを黄金病の呪いから救い出すことができた。

そして、大切な人と出会うことができた。

「だから…今度は俺がお前を助ける番だ!」

大きく振りかぶったカミュは思い切りガイアのハンマーをオリハルコンにたたきつける。

続けてシルビアがガイアのハンマーを手にし、それを右肩で背負う。

「エルバちゃん!あなたに…そして世界に見せてあげる!世界を救い、みんなを笑顔にする…シルビア一世一代のエンターテイメントを!!」

ガイアのハンマーを片手でふるうシルビアは器用にそれを真上に向けて投げる。

何度も回転したそれを自分も何度も回転した後でつかむと、それをオリハルコンに叩き込む。

そして、そのガイアのハンマーをロウが手に取る。

「アーウィン、エレノア…どうか見守っていてくれ。おぬしらの子に勝利と幸福があらんことを!!」

もう二度と、大切なものを奪われないためにも。

かけがえのない孫、そして最愛の娘夫婦と故郷が存在するこのロトゼタシアを守るために。

エルバの未来を願いながら、ロウはガイアのハンマーをふるう。

「あなたを守ることが私の戦いだと思っていた…。でも、それは違っていたかもしれない。あなたとともにみんなを守る!それが…私の戦い!」

ユグノアの悲劇からずっと、マルティナは力をつけてきた。

ロウとともにウルノーガを倒して父親をもとに戻すため、そしてエルバを守るため。

だが、今のエルバにはロトゼタシアすべての命がかかっている。

エルバがロトゼタシアを救うためには、ただ彼を守るだけではだめだ。

彼とともにそれを背負う覚悟が必要だ。

それを示すかのようにマルティナも力を込めてガイアのハンマーをふるう。

「エルバよ!騎士として誓う!たとえいかなる敵が相手だろうと、最後まで希望を守る盾であり続けることを!!」

デルカダールで初めてエルバと出会い、ここまで来ることになるとはグレイグ本人も思ってもみなかったこと。

だが、振り返ってみればこれも運命だったのかもしれない。

辛いことも多かったが、それでも勇者の盾として戦える今をグレイグは誇りに思っている。

そして、この先の戦いでもその覚悟を示すことができるようにと願いながら、グレイグもガイアのハンマーをふるう。

「セーニャ、最後はお前だぜ」

「はい…」

「頼むぜ、ベロニカの分もな」

最後にガイアのハンマーを手にしたセーニャだが、やはり重量があるせいかふらついてしまう。

だが、どうにか両足に力を入れて姿勢を正し、ガイアのハンマーを見つめる。

「ベロニカお姉さま…あなたの愚図な妹も少しは強くなりました。だから、どうかご心配なされないで。私も…エルバ様とともに戦います!」

セーニャの手と重なるように、白がかった手がガイアのハンマーを握る。

腕に沿って視線を向けるとそこには若干透明になっているベロニカの笑っている姿があった。

その姿にセーニャはうなずくと、その幻影とともにガイアのハンマーをふるい、幻影は姿を消した。

(そうだ…。この剣は俺だけの…勇者のためだけのものじゃない。みんなと…ロトゼタシアに生きている命のためだ…)

セーニャからガイアのハンマーを受け取り、疲れ果てた体に鞭を打ってふるう。

ガイアのハンマーとオリハルコンがぶつかり合う甲高い音が響くとともに、脳裏に浮かぶのは旅の中で人々、そして故郷で待っている人々。

そして、崩壊した世界でほんのわずかだけ出会うことのできた両親。

救った命、救えなかった命、それらがエルバの心の中を駆け抜けていく。

それを感じながら打ち続け、形が定まっていく。

槍の穂先のような先端部分のある刃には黒々とした十字と線が刻まれていて、出来上がっているのは刀身だけ。

黒々とした見た目となったそれにはもはやオリハルコンの面影はない。

「最後のピースだ。受け取れ」

エルバ達の姿を見続けていたロン・ベルクがエルバに手渡したもの、それは魔王の手に落ちた勇者の剣の持ち手と同じものだった。

どうしてそれがここにあるのかと目を丸くしながら見続けるエルバにロン・ベルクは話す。

「長らく待っていたといっただろう。新たな勇者のために、用意していた。これは、かつてローシュとともに戦い続けた俺たちの希望でもある」

「希望…」

柄を手にしたエルバの両手の痣が光り、それに反応するかのように刃が宙を舞う。

そして、引き合うように刃が柄とつながり、一本の剣として完成する。

同時に、上空には真っ黒な雷雲が発生し、刃は痣の光に反応して黄色い光を放つ。

光で貫かれた雷雲には痣と同じ大きな紋章が生まれ、そこから雷が剣に向けて落ちてくる。

「ぐ、うううううう!!!!」

「この雷は…!!」

「そうじゃ…これは、ローシュ戦記の…勇者の剣が完成したときの…!!」

ロウの脳裏に浮かぶローシュ戦記のに描かれた場面。

ローシュは自ら作り出した勇者の剣に勇者の雷を宿し、それによって勇者の剣に力を注ぎ込んでいった。

それと同じことがエルバに起こっている。

唯一違うのはエルバの痣が両手にあること。

かつてのローシュ以上の勇者の力を持つことになったエルバの力を高純度のオリハルコンが受け止めている。

やがて雷が収まると、黒々としていた刃が透き通った銀色の輝きを放ち始める。

「感じる…これが、勇者の剣…」

今まで手にしてきた剣とは違う、まるで体の一部になったかのように吸い付く持ち手。

持っているそれだけで力があふれ出てくる感触。

それだけでもただの剣ではないことがわかる。

「ともに戦う仲間、神の乗り物…勇者の剣。これで、すべてが整った」

「ああ…あとは…」

「そうだ、あとはウルノーガとの決着をつけるのみ。これで、私の役目も終わりだな…」

「え…?何を言って!?」

ロン・ベルクの言葉に驚いたエルバ達が見たのは黄色い光の粒子を放ちながら消えようとしている彼の姿だった。

だが、消えるというのに彼は満足げな笑みを浮かべている。

「長い時間だった…。肉体を捨て、魂だけの存在となって…だが、これでローシュ達の想いを未来につなげることができた…。今世の勇者よ、どうか…ロトゼタシアに未来を」

「ロン・ベルクさん…」

「案ずるな。仲間がいる。そして、導き手も…」

そう言い残した消滅するロン・ベルク。

彼だった粒子が空に消え、同時に勇者の剣の黄金に輝く線に文字が刻まれていく。

『我ら、邪悪の神を滅ぼし、未来をつなぐその日まで、勇者の力とならん』




雷返し、そして雷雪の元ネタは某フロムゲーです。
単純にかっこいいと思ったのと、このキャラのモデルになったキャラの1人が後年こんな技を生み出すんじゃないかと思いながら書いた次第です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第102話 突入

薄暗い空をケトスは飛び、彼女はまっすぐに天空魔城に向けて飛んでいく。

本来は強力な闇のバリアに覆われ、中に入ることすらできない天空魔城。

だが、この闇のバリアを解除する手段は既にエルバ達の手の中にある。

「エルバ…頼むぜ」

「ああ…」

勇者の剣を手にしたエルバはそれを空に掲げる。

両手の痣が光るとともに剣からまぶしい光が発生し、光は黒々とした不気味なバリアを消滅させていく。

「やったわ!これで天空魔城に入れるわね!!」

「いや…構えろ!!敵が来る…!」

勇者の剣が再び生まれぬ限りは消えないはずだったバリア。

だが、やはりというべきか消えたときのための対策も取っていた。

スカイドラゴンやヘルコンドル、ガーディアンやハデスナイトなどの飛行する魔物たちが次々と現れ、ケトスの上にいるエルバ達に襲い掛かる。

「奴らを近づけるな!!」

「お任せください…マヒャド!!」

セーニャの魔力が周囲の水分を凍り付かせ、巨大な氷塊を生み出して接近してくる魔物たちに向けて降り注ぐ。

何匹かの魔物は氷塊に押しつぶされて地上へと落ちていくが、機動力のあるガーディアンなどはその隙間を切り抜けてなお接近を続ける。

だが、そんなガーディアンの1匹が側面の資格から飛んできた氷塊に直撃し、ドラゴンのみを残して乗り手が落ちていく。

氷塊の1つにカミュがレーヴァテインの片割れを突き刺し、魔力の鎖でつなげた状態で鉄球のように振るうというシンプルなものだが、それでも意表を突くには十分なものだ。

呪文で次々と魔物を落としていくエルバ達だが、ケトスは巨大なクジラで真下などの死角が多く、魔物の中にはケトスを落とすべくそうした箇所から攻撃を仕掛けてくる者も存在する。

「ケトスちゃん、大丈夫なの…!こら、そこをどきなさーい!!」

(私のことは何も心配いりません。このまま、天空魔城に向けて突き進みます)

「体当たりで天空魔城を叩き潰すことができたらよかったが…」

それでウルノーガを巻き添えにして倒すという考えが不意に浮かんだエルバだが、それは難しいことはすぐにわかった。

まっすぐ進む中で見えてきた天空魔城だが、若干紫の光の揺らぎが見え、両手の痣がうずく。

勇者の剣の力で消した闇のバリアだが、これはあくまで一時的で、再び生まれるのだろう。

「ある程度進んだら飛び降りるぞ!みんな、準備を!」

「飛び降りる!?嘘だろ…」

「あら、いいわね。面白そう!!」

確かに天空魔城の周囲には足場となる浮石などがあるが、もし着地に失敗したら地獄への道が待っている。

危険はあるが、手をこまねいていては再び生まれる闇のバリアによって封鎖される。

勇者の剣の力をもう1度使ってもいいが、その繰り返しにケトスが持つかがわからない。

 

「ふん…勇者の剣が新たに生まれたか。まったく、ロン・ベルクめ…厄介なことを」

黒いオーブからエルバ達の戦う光景を見つめるウルノーガはそばに立てかけてある魔王の剣を見る。

エルバが近づいてくるのに反応するかのように、剣は鈍い光を放っていた。

魔王の手に落ちたとはいえ、それでもかつてローシュによって生み出された勇者の剣の本質は失われていないのだろう。

「だが…計画通りだ。ホメロスよ、ガリンガは来ておるな?」

「ハッ、ウルノーガ様。奴は城門の守りに入っています」

一瞬で姿を現した奇術師の姿のホメロスが恭しく頭を下げ、ウルノーガに報告する。

ロトゼタシアを統べていた六軍王も既に4体が倒され、残るはガリンガとホメロス。

エルバ一人がかろうじてともした火が天空魔城を、ウルノーガを焼き尽くさんほどの勢いになりつつある。

「ウルノーガ様、私も参ります。ウルノーガ様には指一本触れさせませぬ」

「ほぉ…見上げた忠誠心だ。いささか勝手な真似をしてくれているようだが…」

「ええ…。しかし、私がウルノーガ様の覇道を阻んだことはありますまい」

口角を吊り上げ、すました顔で話すホメロスにウルノーガもにやりと笑う。

彼から感じるもの、劣等感、屈辱、そしてその先にあるであろう隠された感情。

それを感じたからこそ、ウルノーガはホメロスを手元に置いた。

そして、期待通りに命の大樹へと導き、この魔王の剣を生み出す手助けをしてくれた。

「ならば、よい…行くがいい」

「はい…では」

ひざまずいたホメロスの姿が消え、再び1人になったウルノーガは魔王の剣を撫でる。

魔王の剣から伝わる力、もうすぐ待ち望んでいた時が来る。

勇者の力を奪ったエルバが力を取り戻し、勇者の剣を生み出してここに来る時が。

(感じるか…ローシュ。貴様の子孫が我にさらなる力を与えるためにやってきているぞ。どうやら、貴様ら勇者の力はわれを高みへと至らしめるための踏み台として存在していたにすぎぬようだな…)

 

「さあ…今の私がなすべきことは為したぞ。グレイグ…」

真っ暗な廊下を進むホメロスの脳裏に真っ先に浮かんだのは袂を分かった男の姿。

勇者の盾となり、デルカダールを離れた彼もまた、ここにきている。

(来るがいい…そして、俺を裁いて見せろ。できるものならな)

 

「エルバ…」

明け方となり、ゆっくりと太陽の光が照らす中で、一人外に出ていたエマが女神像に祈りを捧げつつ、エルバの名を呼ぶ。

周囲では、目覚めた人々があわただしく動き出しているが、その喧騒がエマの耳に届くことはない。

「エマちゃん、どうしたんだい?こんなに朝早くに」

同じテントで過ごしていて、エマがいなくなっていることに気づいたペルラがエマの隣に行き、何も言わずにそれに祈りをささげる。

最近になって、ゆとりが出てきてこうして女神像に祈りをささげる時間を作ることができるようになった。

「夢を見たんです…エルバが空にいて、魔王と戦っている姿が…」

「そう…。私も同じ夢を見たよ。きっと、神様が教えてくれたんだね」

そのエルバの手には見たことのない、けれど暖かな光を放つ剣が握られ、勇者の痣が光っている。

夢で見たのは戦いに挑む光景だけで、その結末までが見えたわけではない。

だが、2人ともエルバが敗れるなど微塵たりとも思っていない。

(エルバ…さっさと魔王なんてやっつけて帰ってきなさい。大好きなシチュー…そして、大好きなエマちゃんが待っているよ)

(エルバ…頑張って。私も頑張るからね)

 

魔物たちの猛攻を耐え抜き、ケトスが天空魔城の真上に到達する。

ブレスや刃を幾多も受けたケトスの純白の体には傷がついていた。

(勇者様、ご武運を…)

「いくぞ、みんな!!」

エルバの声と同時に、7人は一斉にケトスから飛び降りる。

エルバ達は離れることのないようにそばにいる仲間と手をつないでいって円陣を組み、トベルーラで落下スピードの調整をしていく。

「これでもう…前へ進むしかないわね」

去っていくケトスとエルバ達を隔てるように闇のバリアが展開されていく。

おそらくそれはウルノーガを倒さない限り、解除することはできない。

「望むところだ…」

エルバも、もう引き返すつもりはなかった。

それはカミュ達も同じことだ。

(ウルノーガ…てめえには感謝するべきかもしれねえな。曲がりなりにも、マヤを救ってくれたからな。だが…それ以上に許せねえことをした。その償いをしてもらうぜ…)

(お姉さまの仇を討って、私は使命を果たします…)

(パパ…ナカマのみんな、見ていて…。ワタシたちの最高のエンターテインメイトを!)

(エルバとともに世界を救う。17年間の想いをすべて、ぶつけるわ)

(アーヴィン、エレノア…もう少しだけ待っていておくれ。すぐにエルバとともに帰るからな)

(ホメロス、ウルノーガ…。貴様らを倒して、すべてを終わらせてくれる!)

トベルーラを徐々に弱め、エルバ達は浮石の上に立つ。

そこから先にあるのはまがまがしい紫のオーラを放つ巨大な城。

エルバ達が見た中では一番巨大な城はデルカダール城だが、この天空魔城はそれを上回る大きさを誇っていた。

そして、正門であろうそれにはまるでエルバを挑発するかのように黒々とした勇者の痣を模したレリーフが大きく刻み込まれていた。

「野郎…まるでてめえがこの世界の勇者だと言ってるように見えるぜ」

「当然だ。この滅びゆく世界の行く末を定めるのはただ1人、ウルノーガ様のみなのだから」

「貴様…ホメロス!!」

グレイトアックスを構え、エルバの前に立つグレイグは門の前に発生する黒い瘴気を見る。

瘴気が晴れると、そこにはホメロスの姿があり、エルバ達を見た彼は恭しく頭を下げる。

だが、その表情は嘲笑ともいえるものであり、それがエルバ達の神経を逆なでる。

「ここは勇者の門、ウルノーガ様に抵抗する愚か者を阻む門であると同時に、客人となるべき者にその偉大なる力を示す場所。ここからの廊下の先にあるのは水晶の広間で、各地から集めた魔力のこもった水晶が飾られている」

「何かしら?私たちに案内でもするつもりなの?」

「貴様らの死に場所の名前を教えておいてやるのが慈悲だと思っただけだ」

「ホメロス!貴様の戯言を聞きに来たわけではない!われらを阻むなら、ここで貴様を…」

「そう焦るな、グレイグよ。ここで戦うのは私ではない。そろそろ来る頃だ…」

ニヤリと笑って空を見るホメロスは闇のバリアの中で青く光る彗星のようなものを見つける。

それは徐々に大きくなっていき、上空からビリビリとした圧迫感がエルバ達を襲う。

「みんな、伏せろ!!」

グレイグの叫びと同時にエルバ達は体を横たわらせ、両手で頭を抑える。

同時に大きな衝突音がエルバ達の耳に届くと同時に、激しい風が彼らを襲った。

地面に伏して、吹き飛ばされないように耐えた後で体を起こす。

そこには勇者の門に匹敵する巨大な体を持つ、海のような青い肉体と鎧をした人間のような姿をした魔物が立っていた。

深々とした切り傷の痕が残る胸部にはブルーオーブが埋め込まれていて、それが彼が六軍王の一人であることを物語っている。

「貴様ら…まずは誉めてやろう。よくぞ勇者の剣を再び生み出し、この天空魔城まで来た。うん…?」

魔物の視線がセーニャとともに起き上がったばかりのカミュに向けられる。

彼の姿を見たと同時に魔物はニヤリと笑う。

「ほぉ…貴様、まさか生きていたとはな。片目を切りつけるだけでは足りなかったか」

「片目を…ぐっ!」

「カミュ様!」

急に眼帯を抑え、苦しむカミュに駆け寄ろうとするセーニャだが、カミュが腕を伸ばして制止する。

一瞬強烈に感じた痛みの後で、たっぷりと呼吸をしたカミュはジッと目の前の魔物をにらむ。

「そういやぁ…てめえ、目の借りを返さねえといけなかったな」

「会ったことがあるのか?」

「ああ…お前らと合流する前、俺はこいつに捕まっていたのさ。どうにか逃げることができたが、その時にこいつと出くわした。どうにか逃げきれたが、片目がこのザマさ」

命の大樹が崩壊し、次に気が付いたカミュがいたのは洞窟の中の独房だった。

そこで預言者の助けを借りて脱出していったが、そんな中でそれに気づいた魔物の集団に追われ、指揮をしていたのが目の前の魔物だ。

おまけに自分がいた洞窟は地上ではなく、天空の古戦場のような空にあるどこかの浮遊島で、飛び降りることも不可能。

どうにか生きてその場を切り抜けるためにカミュがとった手段、それは己の記憶を代価とした強化だった。

預言者の力を借りて圧倒的な力を手に入れたカミュは消耗していく記憶の中で魔物たちを蹴散らしていき、最後に戦ったのがあの魔物だ。

だが、戦う中で記憶を使い果たしてしまい、強化が解除されたと同時に攻撃を受け、その時に片目を切られてしまい、そのまま転落。

どうにか一命はとりとめたものの、落下のショックと強化の代償は大きく、そのあとはエルバ達の知る通りの状態となった。

「私も、貴様に借りがある。あの時、ホメロス様から賜った鎧を壊してくれたな。そして、この胸に傷をつけてくれた。その報いを受けてもらう」

「ガリンガよ、見事に勇者を討ち取って見せよ。健闘を祈る」

「待て、ホメロス!!」

「待たぬよ…グレイグよ。勝てたのなら、中で会おう…」

再び紫の瘴気の中に消えたホメロスに唇をかみしめ、グレイグはグレイトアックスをガリンガに向ける。

ガリンガのブルーオーブが光ると、光の中から刃が上下にある長刀2本を交差させるように合体させたような形状の武器が出現し、それを握ったガリンガは右手でそれを振り回す。

「来るがいい…」

「俺たちは急いでいる…さっさと道を開けろ!!」

勇者の剣を抜いたエルバはそれ1本を両手で握り、ガリンガに向けて切りかかる。

正面からやってくるエルバを見たガリンガは武器を止め、右手だけでそれを握った状態で勇者の剣を受け止める。

普通の人間の何倍もの大きさを持つガリンガを前にしては、両手で切りかかったとしてもたやすく受け止められる。

だが、ビリビリと腕に伝わる感覚がやはりただの剣と人間のものではないことがわかる。

「ふっ…なるほど、ウルノーガ様め、泳がせておられたということか?」

「何…!?」

「おかしいと思わなかったのか?貴様がデルカダールでよみがえってから、確かに身の危険はいくつもあっただろうが、決定的な危機は数少なかっただろう…?」

「何が…言いたい!?」

「感謝してもらいたいものだな、ウルノーガ様の慈悲を」

これではらちが明かないと距離をとったエルバだが、ガリンガの先ほどの言葉は明らかにエルバの動きに影響を与えていた。

構えはするが、方に余計な力が入っている。

「貴様を殺そうと思えば、六軍王すべてを終結させればすぐに済ませることができた。勇者の力を失っていたころの貴様は少々人よりも力はあるだろうが、只人の領域を超えるものではなかったからな」

討ち漏らしたエルバを殺すというなら、それが最大の好機だっただろう。

デルカダール城に突入したのはエルバとグレイグのみ、やろうと思えばホメロスとゾルデの2人がかりで戦うこともできただろう。

だが、ホメロスはなぜか後退し、戦ったのはゾルデ1体のみとなった。

「そして、ゾルデとともにいたであろうホメロス様は勇者の生存について、我らには何一つ報告しておらぬ。おそらく、ウルノーガ様の指示なのだろうが…」

ガリンガがエルバの生存を知らされたのは昨日。

ホメロスから伝えられたとはいえ、それでもこうして闇のバリアが解除されるまで、勇者が復活したことを信じることができなかった。

だが、両手の痣が生み出しているであろう力と勇者の剣。

勇者復活を信じるに値する材料が目の前にある。

「だが…ウルノーガ様の天空魔城に乗り込み、力を蘇らせ、勇者の剣を手に入れた…。もはや見逃す余地はない…。わが手柄となってもらう」

武器が2本の長刀に分離すると同時に、右手の長刀には炎、左手の長刀には氷が宿る。

それらを同時に思い切りふるうと、長刀から離れた炎と氷が何度も拘束でぶつかり合うとともに衝撃波がガリンガの周囲に連続で発生する。

ガリンガが歩き出すと、それに追随するように2つのエネルギーは動き、衝撃波も継続する。

「近づけないなら…何!?」

衝撃波に対抗すべく、呪文を唱えようとしたエルバだが、その彼のすぐそばで衝撃波が発生し、大きく吹き飛ばされる。

「うおおお!?なんじゃ?!わしらの近くでも!?」

「よもや、この衝撃波がわが周辺だけとでも思っていたか…?」

確かに炎と氷の衝撃波は今もガリンガの周りで起こり続けている。

それを生み出すための魔力が放出されてから維持し続けていることだけでも脅威だというのに、ガリンガの意志でエルバ達にも起こすことができている。

そんな芸当ができる理由を伝えるかのように、彼の兜の中央に飾られているブルーオーブが怪しく光る。

「やはり、オーブを宿しているか!?」

「片目の礼だ!そいつは俺が取り返してやる!!」

ガリンガの死角となる背後へと走ったカミュは鎖でつながった片方のレーヴァテインを投げる。

鎖がガリンガの左手の長刀に絡みつき、それに引っ張られるように飛ぶ。

(そうだ…やっぱり、この衝撃波はこいつが操作している以上、死角には…!」

カミュに気づき、衝撃波を発動しながら振り返ろうとするガリンガだが、視界に入っていないことやカミュ自身のスピードによって衝撃波はなかなか彼を捉えることができない。

ならばと長刀についた鎖部分でそれを炸裂させるが、その前にレーヴァテインの鎖が消え、投げられた方の刃がカミュの手へと戻っていく。

「なるほど…この鎖、魔力で作られているか…。貴様だけの力ではないようだが…」

「あいにく、俺には魔力がそんなにねーからな!」

レッドオーブのおかげで増幅された魔力のおかげで、レーヴァテインの鎖を生み出すことができている。

魔力でできている以上、たとえ何らかの手段で斬られたとしても再び戻すことができる。

そして、レッドオーブに宿るラゴスがカミュを認めてくれているのか、手から離れたとしても戻ってくる様子をイメージするだけでこうして手元に戻ってきてくれる。

手元に戻り、再び鎖でつないだうえで一方を投げる。

ほかの六軍王と同じく、やはりオーブは彼らにとっての生命線。

衝撃波でわざわざエルバ達を動くことも止まることもできなくしているのは、少しでもブルーオーブを奪われる可能性を排除するため。

「カミュに少しでも注意が向かっている間に…ムウウウ!!!」

カミュのおかげで衝撃波がある程度収まり、ロウはさっそく両手に聖なる魔力を宿す。

今の自分の最大火力であるグランドクロスによって兜を破壊してブルーオーブを取り戻す。

「そこじゃあああああ!!!」

発射された聖なる魔力がまっすぐガリンガの頭部に向けて襲う。

だが、それが接触する寸前にブルーオーブが青い光を放ち、なぜか最初から存在しなかったかのようにグランドクロスが消滅してしまった。

「何…じゃと!?」

「今、確かにロウちゃんのグランドクロスを消しちゃったわ!?」

「私に魔力は通用せん」

「マジ、か…!」

エルバ達の中で唯一ガリンガと交戦した経験のあるカミュだが、彼がブルーオーブの力を使ったのを見たことがなかった。

ブルーオーブの光はグランドクロスだけでなく、レーヴァテインが生み出した鎖にも及んでいて、その魔力を消滅させていた。

「グリーンオーブが周囲の魔力を吸収していたが、ブルーオーブは消すことに特化しているのか…」

「どちらにしても、厄介だぜ。こいつは…!」

グリーンオーブの時は周囲から魔力を吸収する特性上、その魔力を利用されるうえにこちらは呪文が使えなくなる状況が生まれてしまった。

それと比較すると、ただ消すだけなので、利用されることのないブルーオーブはまだマシなのかもしれない。

だが、ブルーオーブを奪う手段が物理攻撃で兜を破壊することだけになった。

「ならば、俺が…!」

あの衝撃波が襲うと考えると、勇者の盾である己が道を切り開くべき。

グレイグは盾を構えてガリンガに向けて走る。

「グレイグか…ホメロス様から話は聞いている。ならば、正面から貴様を打ち破ってくれる」

「何…!?」

本来ならすぐにでも襲ってきていいはずの炎と氷の衝撃波がこない。

ガリンガがしていることは両手の長刀にそれぞれ炎と氷の魔力を集中させることだ。

何か恐ろしい一撃を放とうとしていることを感じたカミュは少しでも気をそらそうと爆弾を投げつけるが、ガリンガに接触する前に長刀から発生する魔力の余波を受けて爆発し、彼にはその衝撃が及ばなかった。

「むう…!!」

正面から堂々と打ち破る自信のある一撃。

それはおそらく、デルカダールの盾だけでは受け止めきれない。

盾を正面に向けつつも、右手に握るグレイトアックスを両手で握る。

「うおおおおお!!」

「受けよ!デルカダールの将軍よ!!我が一撃!氷炎爆砕波を!!」

大きく振りかぶった炎と氷の長刀を同時に振り下ろし、グレイグとぶつかり合うと同時にその場を中心に激しい爆発が起こる。

近くにいたカミュは吹き飛ばされ、エルバ達も激しい爆風で身動きが取れない。

「グレイグ!!」

「この一撃は…!!」

炎と氷の魔力を融合させた一撃。

ロウの脳裏に浮かんだのはそれによって生み出すことのできる呪文が浮かぶ。

熱エネルギーと冷気エネルギーという相反する2つのエネルギーは本来融合しても消えるだけで意味がない。

だが、高い魔力を持つ者は生み出した2つのエネルギーを融合させ、かつ消えるギリギリのところで調整することで破壊のエネルギーを生み出し、それを攻撃に転用することができるという。

ウラノスが生み出したグランドクロスに並ぶ呪文で、ローシュとセニカが協力して生み出した呪文、メドローア。

「く、ううう…!」

「ほぉ、さすがは勇者の盾を名乗るだけのことがある。この一撃を受けたとしても立っていることができるとは…」

長刀を上げたガリンガが見たのは、そのメドローアに匹敵するであろう一撃を受けたにもかかわらず、立ち続けているグレイグの姿だった。

オーブの力で生み出されたグレイトアックスとデルカダール最強の騎士の証といえるデルカダールの盾と鎧は伊達ではないようで、大きなヒビや傷がついてはいるものの、それでも形を保ち続けている。

そして、グレイグ自身も全身に大きなダメージを負い、切れた額や口から血が流れてはいるものの、それでも立ち続けている。

(体中が痛むが…やられていない…)

グレイグ本人はこの一撃でもう動くことができず、倒れるだけのダメージを覚悟していた。

だが、それだけの一撃を受けたにもかかわらず、予想に反してダメージを受けていない。

「グレイグ…貴様、何をした?」

ガリンガの問いかけにグレイグはその答えを準備することができない。

彼も、マジックバリアやスクルトで守りを固める準備をしていなかったのだから。

思い浮かぶことがあるとしたら、レッドオーブに宿るネルセンが生み出した奥義であるパラディンガード。

ありとあらゆるダメージを軽減させるにとどまらず、無傷を受け止めることのできるその守りはアストロン以上の防御力があるとされている。

邪悪の神との戦いの中でその奥義を生み出したネルセンが神の一撃を受け止めて隙を作り、ローシュがとどめの一撃を加えることで勝利を収めたという。

だが、ネルセンがそれを成功させたのは一度だけで、それがどのような奥義であったのかは伝承すらされていない、ローシュ戦記の中だけに存在する幻の奥義であり、デルカダールでも細々と研究される程度で現在では存在が疑問視されている。

もしかしたら、不完全とはいえそれをやったというのか。

それを考えたいところだが、それは戦った後でもできる。

グレイグは傷ついた体をベホイムで無理やり癒し、その中でマルティナが大きく跳躍する。

「グレイグに目がいきすぎなのよ!!これで…!!」

足に込めた闘気を兜を破壊してブルーオーブを取り戻す。

既に鎧化で守りを固めているため、反動への対策は問題はない。

「よし、これならば…!」

「ふん…!」

ブルーオーブが取り戻されるかもしれないという状況なのに、ガリンガは鼻で笑う。

そして、手にしていた2本の長刀のそれぞれ下半分が外れると、外れた2本がまるで意思を宿したかのように宙を舞い、マルティナを襲う。

「何…!?こいつは…!」

「武器を自在に操るなど、たやすいことだ」

2本の刃への対応のために、長刀を手にしたマルティナは兜への攻撃をあきらめる。

刃を受け止めたと同時に地上へ落ち、着地するもそれが2本の刃から解放されたことを意味していない。

おまけに2本の刃はそれぞれ炎と氷の魔力を宿しており、暑さと寒さの相反する周囲の空気がマルティナから体力を奪っていく。

「くっ…姫様…!!」

最低限の回復のみを済ませたグレイグは立ち上がり、グレイトアックスをふるって旋風を起こす。

旋風が刃を落とすことはできないものの、それでもある程度動きを鈍らせることができる。

これでマルティナの全力の蹴りをぶつけることができれば、破壊できる可能性がある。

そのことを考えたガリンガは2本の刃を長刀に戻す。

「この程度か?この程度ではまだまだブルーオーブには及ばんな」

戦いが始まってからろくにその場から動いた形跡がないにもかかわらず、カミュ達3人がかりでもオーブを取り戻すことができなければ手傷を与えることすらできていない。

(こいつ…強い)

「ふん…せっかくだ。お前たち全員が戦えるようにしてやろう」

そうつぶやいたガリンガは2本の長刀を地面に突き刺し、両拳をぶつける。

すると彼の魔力と共鳴したのか、2本の刃がそれぞれ巨大な炎と氷塊へと変貌し、すぐにその姿は一気に巨大化したと思ったらガリンガと似た姿へと変貌を遂げた。

「自分の武器で分身を作ったじゃと!?」

「さあ、もっと私を楽しませて見せよ」

分身とともに、ガリンガがそうつぶやくと同時に素手の状態でその場から歩き出す。

分身はそれぞれ先ほどまでガリンガが持っていた奇怪な長刀2本を持っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第103話 武人

「くそ…!分身も同じ強さか!?」

炎のガリンガとつばぜりあうこととなったエルバは両手の痣の力を解放するが、それでようやく力では互角になるだけで、上回ることができない。

「ふん…。勇者の力はこの程度か」

力が復活しただけでなく、両手の痣を宿すというローシュではなしえなかったことをなしたエルバ。

彼からはローシュを越える、並の人間をはるかに超える力を見せてくれるだろうと期待していた。

だが、これではあまりに肩透かし。

「失望させるな…勇者よ!!」

炎のガリンガが全身の炎を激しく燃え上がらせるとともに周囲にまき散らす。

間近にいたエルバはまともにその炎の嵐を受ける形になり、剣を手放すことはしなかったものの燃え上がる体を地面を転げて消そうとする。

「エルバ様!!」

炎上するエルバをどうにか救おうとセーニャが唱えたヒャドの氷が炎の勢いを弱める。

魔力がこもった繊維で作られたはずの魔法の闘衣が焼かれたことで炭のように黒く染まり、アーヴィンから受け継いだ鎧も黒ずんでいる。

「ぐう、うう…」

「はあ、はあ…こいつ、できるわ…」

傷だらけのマルティナはいまだに2体の分身を含めて健在な姿を見せるガリンガをにらむ。

彼は息も乱れておらず、まだまだ余裕を残している様子だ。

「ふん…天下無双、爆裂脚、グランドクロス…」

「アモーレショット、会心必中、メラゾーマ…」

「そして、勇者の剣。足りん、足りんな…人間ども」

ガリンガ、そしてガリンガの意志をそのまま宿しているかのように2体の分身も口を開いた。

 

「ふっ…さすがだな。ガリンガ、ここまで勇者どもを苦しめることができるとは」

闇のオーブで戦いの様子を見るホメロスはフッと笑みを浮かべる。

だが、こうでなければならない。

こうでなければ、まだまだ力を発揮することができない。

「ガリンガ…2つずらすとグレイグ…」

ホメロスの背後に少女が姿を現し、ホメロスのオーブを覗き込む。

「ああ…そうだ。奴には武人の心がある。彼のようにな…」

世界を滅ぼし、天空魔城を生み出したウルノーガはロトゼタシアの支配を強めるため、自らの配下となった数多くの魔物を束ねる魔物を求めた。

その際に目に着けたのがエルバ達が命の大樹への道を作るために祭壇にささげた6つのオーブだ。

その中に宿る力のことを知っていたウルノーガはそれを埋め込むことによる強化を考えた。

その実験体第1号がホメロスで、自ら志願した彼はシルバーオーブと見事に適合して見せた。

多くの魔物や捕まえた人間に無理やりオーブを宿し、ウルノーガの魔力で無理やりオーブの力を解放させることで実験し、その結果として多くの人間と魔物がオーブの力に耐えきれずに命を落とした。

ウルノーガとホメロスにとって、予想外だった結果はオーブに適合した生物の多くが下級の生物であることだった。

デルカダールを闇で包んだゾルデは元々はただの骸骨で、キラゴルドとなったマヤは孤児、ジャコラに至っては何の力もないはずの魚人だ。

ブギーに関しては高い魔力を誇る上級の魔物であるサタンフーラーで、六軍王の中では唯一強い魔力を持った魔物だったといえる。

そして、人間が元なのはホメロスとガリンガだ。

ウルノーガの命で地上に攻撃を仕掛けていた時に生け捕りにした騎士の一人で、彼は捕虜となってもなおも抵抗を辞めず、オーブの実験台の選別が行われる際にも一緒に捕まった人々を守るために真っ先に名乗り出た。

グレイグとは似ても似つかない顔立ちだが、彼からはなぜかグレイグの面影が感じられた。

ブルーオーブに適合し、ガリンガとなったことで人間としての記憶をすべて失ったものの、彼の精神だけは生き残っていた。

「軽蔑するか…?私を」

「当然よ、だってあたしはあんたに殺されたようなものだし」

「ならば、この場で殺してくれてもいいのだぞ?」

「ふん…!そんなことして何の意味があるのよ?あんたにはたっぷり苦しんでもらわないと。心を入れ替えたとしても、あんたが大勢の人を殺したって事実は変わらないから」

「ああ…わかっているさ」

この罪はどんなに善行を重ねたとしても、決して消えることのないもの。

自分の罪から目を背け続ける小心者であったら、どんなに楽だっただろうか。

しかし、やり遂げなければこの先の未来を創ることができない。

たとえ自らの魂が命の大樹の円環の中へ還ることができないとしても。

「私の末路は既に決まっている。君は君にしかできないことをするといい」

「そうね…なら、そうさせてもらうわ。さよなら、ホメロス」

その役目を果たすべく、少女は歩き出すが、数歩進んだところで急に足を止める。

「…ありがと」

一言つぶやくと同時に少女の姿が消える。

かすかに聞こえた感謝の言葉にホメロスは思わず苦笑する。

「自分を殺した男に感謝の言葉を口にするとは…本当に、変わった連中だ」

 

「うおおおおお!!!」

傷だらけになりながらも両手の剣に雷を宿し、切りかかるエルバだが、炎の分身にその刃は届かない。

攻めあぐねる状況に焦りを感じ、脳裏にはこの状況をあざ笑いながら眺めているであろうウルノーガとホメロスの姿が浮かぶ。

「マルティナ、グリーンオーブでこいつらの魔力を吸収することはできないのか!?」

炎と氷の魔力で生み出された分身ならば、ブギーがやったように魔力を吸収すれば弱体化させることができるかもしれない、

「無理よ!あれはあくまでもブギーだから使えた技!私には使えないわ…。それから…あいつのことを二度と話題に出さないで!!」

脳裏にバニースーツを無理やり着させたうえに洗脳までしたブギーの姿が脳裏に浮かび、それに怒りを覚えたマルティナは飛んでくる長刀を蹴り飛ばす。

オーブに選ばれたマルティナ達は六軍王が発動したオーブの力を自分たちでも使えないかと練習をした。

しかし、いずれも同じ力を発動することができなかった。

力の引き出し方が違うのか、それとも今自分たちが使いこなしている状態こそが通常の物なのか、それはオーブに宿るネルセン達は教えてくれない。

「ふん…。ならば、これはどうだ…?」

ガリンガが指を鳴らし、同時に長刀を地面に突き刺した氷の分身が全身から白い霧を発し始め、同時にその姿を消していく。

白い霧があたり一面を覆っていき、霧の中に炎の分身とガリンガの姿も消える。

「ガリンガ、何を!?」

「ぐ…これは!!」

左手から違和感を感じたエルバが見たのは水竜の剣の持ち手のところから凍り付いていく自分の左手だった。

白い霧が立ち込めたと同時に息が真っ白になるほど気温が落ちていて、それがエルバ達の体を凍り付かせていく。

「ぬうう…この寒さ、クレイモラン以上じゃ…!」

「果たして、寒いだけ、凍るだけで終わるかな…?」

ガリンガの声があたり一面から聞こえ、同時にキィーンと嫌な耳鳴りがエルバ達の鼓膜を刺激する。

その瞬間、急にエルバの体の各部に切り傷ができ、出血する。

「う、ああ…!」

「エルバ様!!」

「嘘、でしょ…これって!!」

エルバに続き、シルビアとグレイグ、さらにカミュまでもが急に体中に切り傷ができ、吹き出た血は凍り付いていく。

マルティナも足を中心に切り傷ができていて、長刀を杖代わりにしてこらえながらこの惨状を目の当たりにする。

「まさか…見えていないだけで、氷でできた刃がそこら中に!?」

「目のいい女武闘家だな。そうだ、この霧の中で私の氷の分身が刃となって貴様らを襲っている。うかつに動けば切り刻まれるだけだ」

「動けば…冗談じゃねえ!動かなくても、切り刻まれるじゃねえか…!」

動きたくても、足元まで凍り付いている状態ではそうすることもできない。

瞼や口、鼻が凍るなんていう状況になると、もう戦える状態ではなくなってしまう。

「このまま凍り付かせてもいい…。だが、なぶり殺しでは私の心に後味の悪いものを残す…。あと一撃で葬ってくれる」

猛烈な吹雪のドームの真上に向かって飛んだ炎の分身は体を丸めていく。

分身の炎は勢いを増していき、やがて太陽のような明るさとなって、それは吹雪の中方でも視認できるほどになっていた。

「ぐ、うう…今度は、何を…!!」

「まずい…まずいぞい。どうにかしてこの吹雪か、あの炎を止めねば…全滅する!!」

「どういうことだ、爺さん!」

「考えるんじゃ!わしらは今、雪と氷で閉ざされておる。氷で閉ざされた環境では火を起こすなど至難の業じゃ。じゃが…仮にそこで強烈な熱が加わるような事態が発生するとどうなるか…」

「氷に対して強烈な熱…まさか!!」

震えるセーニャの脳裏に浮かんだのは、かつて旅立つ前にベロニカとともにファーガスから教えを受けていた際に教えられた呪文。

強力な氷の呪文と炎の呪文を掛け合わせることで成立する、ベロニカが習得しようとしていたが果たすことのできなかった、セニカが生み出した呪文。

すべてを消滅させるほどのエネルギーをぶつけるその名前は…。

「メド…ローア…!!」

「そうじゃ…それと同じ状況が生まれる。そんなものが相手ではたとえオリハルコンであっても無事であるかどうか…」

「そんな…!!」

「くっ…出れたらいいが、まずいな…!」

もう凍り付いた足は鉄球のついた足掛けをつけられたかのような重量を感じ、もうまともに動かすことすらままならない。

エルバの体力も強烈な冷気が奪い尽くしていき、それによって痣も輝きを失っていく。

(このままでは…全滅…お姉さまとの約束も果たせていないのに…)

まだウルノーガの前にすら立っていないここで倒れるなど、受け入れることができない。

それでは、自らを犠牲にしてエルバ達を救い出したベロニカに顔向けすることができない。

セーニャは必死に思考を巡らせ、状況を切り抜ける術を探る。

(考えなさい、セーニャ!もし、もしお姉さまならどうするのか?どうすれば、皆さまをお救いできるのか…!)

今自分が使える呪文だけではない、聞いただけのものであっても、今のセーニャになら使えるかもしれない。

考える中で、一つの呪文が浮かぶ。

(そう…そうです!あの呪文なら…!)

ベロニカと一緒に読んだ呪文の教科書の中にあった呪文。

感覚がなくなりつつある両手を上空へ伸ばしたセーニャはそこに魔力が集中する情景をイメージする。

見えない氷の刃で傷つき、左目を血で濡らしたセーニャだが、それでもそれをやめない。

「セーニャ!?」

「はああああああああ!!!」

声を上げたセーニャの両手が光を発し、同時に猛威を振るっていた吹雪が徐々に弱まっていく。

「セーニャ…おぬし!!」

「く、うううう!!」

「おいおい、どうなってんだよ…これ…」

吹雪が消えていき、カミュはセーニャが起こしている今の状況に息をのむ。

吹雪を生み出していた魔力、元々はガリンガの氷の分身を生み出していた魔力がセーニャに集中していた。

魔力の磁石といえる状態となったセーニャは吹雪だけでは飽き足らず、上空にいる炎の分身の魔力をも飲み込もうとしていた。

「く、う…うううう!!!」

集まっていく魔力が両手に集中し、それがセーニャの肉体と精神に負担をかけていく。

確かに今のセーニャが行っている行動はブギーがやっていたものに近いかもしれないが、違いがあるとすると無差別に魔力を吸収するのではなく、既に発動している魔力を両手に集中させていることだ。

「まさか…マホプラウスを使っておるのか!?」

「マホ…プラウス…?」

周囲で発動した呪文の魔力を自分に集中させ、それを敵に向けて放つ呪文であるそれは使い方次第では敵の呪文の集中砲火から自分や仲間を守ることに使えるうえに、単独で強力な呪文を唱える以上の火力で攻撃することもできる。

だが、多くの魔力を集約し、制御する必要があることから扱いが難しい呪文であり、今では使い手がほとんどいない呪文の1つとなっている。

そんな呪文を習得したわけでない、見様見真似で使っている状態だ。

「ほぉ…驚いたな。まさかこれほどの魔力を集約することで状況を脱するとは…。だが、いつまで持つかな?その少女は…」

自分が持つ以上の魔力を制御する必要がある状況に置かれ、少しでも誤ると暴発し、全滅してしまう状況の中でセーニャの体は震え、顔色も悪くなる。

(どうにか、最悪の事態は回避できましたが…ここからは…)

あとはどうにかしてこの魔力を放ちたいが、残念なことに今のセーニャにはこの膨大な魔力を制御したうえで指向性を持たせて発射するだけの力がない。

だが、そうでもしなければ自爆する羽目になる。

そして、無防備になっている自分をガリンガが放っておくわけがない。

(こうなったら、私が…)

ここから飛び降りて、エルバ達の被害が及ばないところで制御を離せば、自分一人だけの犠牲で済む。

これだけの力を解放したガリンガが再び同じ攻撃を仕掛けるには相当の魔力を補給する必要がある。

「セーニャ!!」

(カミュ様、ごめんなさい…。お姉さま、今…)

後ろへ下がり、そこから落ちればあとは済む話だというのに、セーニャの足がまるで鉛の足かせをつけられたかのように動かない。

呪文で縛られている気配もないのにどうしてと視線を下に向ける。

すると、震えのとまらない自分の足が見えたと同時に、冷たい感覚が胸いっぱいに高まっていく。

(どう、して…こんな時に!?)

体の震えが足だけでなく、腕以外の全身に伝わってくる。

かろうじてマホプラウスの魔力を維持しているものの、これではいつ暴発するかわからない。

ここに至ってようやく、恐怖を抱いていることを自覚するセーニャ。

それは表情にも表れ、顔色が青くなる。

(怖い…死ぬのは、怖い…。…もしかして、お姉さまも本当は…)

エルバ達を救い出し、一人残ったベロニカも最期の瞬間はこのような恐怖を感じていたのだろうか。

たとえ命の大樹の元に再び生まれ変わるとしても、それでも死ぬことは恐ろしい。

そんな当たり前を双賢の姉妹としての意識がもみ消していたが、今ではそれができない。

「これでは維持するので精一杯だろう…あとは、この手で…」

「そうはさせるかよ!!」

もう破裂寸前の風船のような状態の魔力にとどめを刺そうと接近するガリンガを阻むようにカミュが真っ先に飛び出し、レーヴァテインをふるう。

カミュに続いてグレイグとシルビアも飛び出し、3人がかりで魔力の多くを使ったガリンガを抑える。

「皆さん…」

「セーニャちゃん、頑張って!アタシは魔力がそんなにないから、こんなことしかできないけど…」

「俺は勇者の盾だ!ならば、勇者の仲間たちに襲う驚異すら守る盾となろう!」

「さっきはよくもやってくれたわね!!」

エルバの回復呪文で足を治療したマルティナが上空へ飛び、右足に力を籠める。

長刀を飛ばすだけの力が残っていないガリンガだが、マルティナの何倍もの体格をした彼ならば、正面から全力の攻撃を仕掛けようとするマルティナを御す手段はいくつもある。

「エルバよ、放つぞ!」

「ああ、じいさん!!」

マルティナら4人に気を取られている間にエルバは巨大な覇王斬を生み出し、ロウはグランドクロスを放つ。

十字架と刃がぶつかり合い、ドリルのように回転しながらガリンガを襲う。

聖なる刃の一撃、グランドネビュラは確かに強力だが、あくまでも魔力の集合体でしかない。

ブルーオーブの力があれば、簡単にかき消すことができる。

だが、そのためにはブルーオーブに力を集中させる必要があり、それがガリンガのマルティナへの注意が薄れる。

「はああああああああ!!」

マルティナの右脚がガリンガの兜に炸裂し、その鋭い一撃が兜を砕いてしまった。

砕けた兜の中にあったブルーオーブは薄い水色の光を放つと、それは一直線にセーニャの元へと飛んでいく。

それは魔力を抑え続けるセーニャの周りを一回転する。

(ああーーーーーもう、じれったいわね!こら、セーニャ!しゃんとしなさい!!)

「その声…どうして!?」

ブルーオーブから聞こえるのはもう二度と聞くことはないと思っていた声。

命がけで自分や希望を助けてくれた姉。

(何死に急ごうとするのよ!あんたにはそういうのはまだ早い!!)

「お姉さま…お姉さまなのですね!?でも、どうして…ブルーオーブに…!?」

(そんなことより集中よ!集中!もっとイメージを働かせるのよ!自分の手の中で炎と氷が鎮まって、溶けあうのを!!そして、それをあんたの力にして撃つの!!)

「そんなことを、言われても…!」

もしそれができるならあの決断を下そうとするはずがない。

抑えるのが精いっぱいなのはベロニカも分かっているはずだ。

だが、彼女はそんなことお構いなしだ。

「あんたならできる!あんたにはあたしがついているのを忘れたの!?あんたとあたしの力でコントロールするのよ!」

「お姉さまと、私の力で…」

ベロニカがいる、彼女が手伝ってくれる。

そのことを実感すると、心を犯していた恐怖が消えてなくなり、同時に死ぬ選択肢が頭の中から消えていく。

そして、頭に浮かんだイメージに従うかのようにセーニャは両手の魔力を調整していく。

(炎と氷、破壊と再生…。相反する2つを1つに…!)

一つになっていた魔力が再び炎と氷の2つの魔力にわかり、それぞれがセーニャの右手の左手に宿る。

やがてそれを一度手を合わせる形で一つにすると、それは金色の光の魔力へと変わる。

「何?!」

「セーニャよ、その呪文は…!」

「皆さん、離れてください!!」

魔力は大きな弓矢を形作り、セーニャはそれをガリンガに向けて構える。

セーニャの隣にはなぜか大人のベロニカの幻影が浮かび、それもまた同じように金色の魔力の弓矢を構えていた。

右手の力を抜き、手を離すとともに金色の魔力の矢は弓と化した魔力を取り込み、巨大な矢へと変わってガリンガに向けて飛んでいく。

「うおおおおおお!!!!!」

エルバ達は済んでのところで左右に散らばるが、魔力の余波はビリビリとエルバ達の体に伝わっていた。

そして、魔力の矢がガリンガに当たると同時に大きな爆発を起こし、その中心でガリンガの体が崩壊を始める。

「ば、馬鹿な…これほどの魔力を人間一人の力で、制御しきっただと!?」

「はあ、はあ、はあ…」

光の中にいるガリンガを見たセーニャはヘタリとその場に座り込んだ。

「だが…たとえ貴様らがどんなにあがこうとも、もう…戻らぬ…!大樹も、大樹へ還ることのなかった命も、崩壊した世界も…過ぎ去りし時も…。ホメロス様、ウルノーガ様、申し訳ございませぬ…。ガリンガ、これまでです…」

ガリンガは消滅し、同時に金色の魔力が収まると、彼がいた場所には巨大なクレーターができていた。

「マジか…。骨一つ残ってねえ…」

「これが、メドローア…」

ガリンガが生み出した魔力を利用したとはいえ、それでも彼を消滅させるほどの破壊力に戦慄した。

「すげえじゃねえか、セーニャ!六軍王の全開の魔力を逆に利用しちまうなんて!」

「そんな、私だけの力ではありません。これは…」

「そうよ、ま、ほとんどセーニャの力のおかげだけど」

宙を舞うブルーオーブがセーニャ達の周りを一回転した後で青い光のシルエットを生み出す

その形は紛れもなくベロニカのものだった。

「ベロニカ…!?」

「久しぶりね、みんな」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第104話 六軍王の長

ガリンガを討ち、天空魔城に突入したエルバ達だが、城の中にも数多くの魔物が存在する。

城の外の守りを固めていた魔物を含め、かつてエルバ達がデルカダール地下で見たブラックドラゴンの鱗が黄金色になり、塔の柱のような尾と灼熱の炎を武器としたグレイトドラゴンや血のような暗い赤に染まった鱗のドラゴンにまたがり、同じ色の鎧兜を身に着けたドラゴンライダーといえるハデスナイトや緑色の肌となり、上下一対の長刀を1本装備したガリンガといえる魔物であるサタンジェネラルなどが立ちはだかり、それらの魔物に対応しながら先へ進んでいく。

「だが…本当なのか?預言者に助けられたってのは」

レーヴァテインをふるうカミュはセーニャのそばで幻影となって浮いているベロニカから聞いたこれまでの話をいまだに信じることができなかった。

確かにカミュもガリンガの元から逃げ出す際に預言者から力を借りていて、エルバからも預言者から話を聞いたことは聞いている。

だが、死んだ人間の魂をブルーオーブに宿すなど聞いたことがない。

「それに、これまでに得たオーブに宿っていた魂はいずれもローシュ様と関係の深かった人物。だとすれば、残るシルバーオーブとブルーオーブにはセニカ様とウラノス様のどちらかが…」

ネルセンを除き、魂の中でまだ邂逅したことがないのはこの二人。

それ故に、百歩譲ってベロニカとセーニャがセニカの生まれ変わりで、魂がセニカとほぼ同じだからオーブに宿ることができたとしても、その肝心のセニカはどうなるのか?

ロウはローシュ戦記の最終章を思い出す。

(そういえば、そこで書かれていたのはローシュ様が勇者の星となってロトゼタシアを去ってからの6人の仲間の行方じゃった…)

ネルセンは自身の故郷だった地でバンデルフォン王国を建国し、数多くの騎士を育て上げて余生を過ごした。

ラゴスは再び義賊稼業へ戻り、最期はとある島の花が咲き誇る木にもたれ、眠るように死んだ老齢のラゴスが目撃されたことが最期の記録となっている。

ネイルは自らの役目が終わったことを悟ると武器を置き、故郷へ戻って家庭を持ち、己が会得した武術を書物にまとめたのち、一人の村人として静かに眠りについた。

パノンについては戦いで荒れ果てた地を巡り、人々に笑いと希望を与え続けたが、ある時から彼の消息は途絶えた。

しかし、彼に救われた人々の手で様々な娯楽が生まれていくことになったという。

だが、ウラノスとセニカについては故郷へ戻ったことの記録は残っているものの、その最期についてはパノンと同じく記録が残っていない。

「お姉さま、私…」

再びこうして話す機会を得られると思っていなかったセーニャだが、いざこうしてもう1度話せるとなると、どうしても伝えたいことがある。

命の大樹にたどり着く前夜に話したかった事、話せずに後悔してしまったこと。

それを口にしようとするが、そんなセーニャの口をベロニカの幻の手が触れる。

確かに触れているように見えるが、結局は肉体のないただの幻影。

触れ合っている感触が感じられない。

「あんたはあたしの分もエルバを、世界を守ろうと頑張ってる。ちゃんとあたしとの約束を守ってるじゃない。ちょっと、見直したわ」

「お姉さま…」

「ほら、ウルノーガとホメロスはもうすぐよ。あたしたちの使命を果たすとき、油断しない!」

「は、はい!!」

「ホメロス…か…」

サタンジェネラスの長刀をデルカダールの盾で受け、グレイトアックスの炎でそのモンスターを焼いたグレイグの脳裏に何度も敵対したホメロス、そしてサマディーの砂漠の夢の中で聞いたホメロスの声が浮かぶ。

だが、同時に幼いころから世界が滅びる前までのホメロスとの思い出も甦る。

もうすぐホメロスと決着をつけるときがくる。

魔王の手先となった以上、デルカダールの、世界の敵としてこの手で倒すしかない。

その決意は勇者の盾となった時に決めていたはずなのに、いざその時が近づいてきていることを実感するとともに揺らぐ自分にも気づいてしまう。

「グレイグよ、おぬしはホメロスと縁の深い男。もしつらいのであれば…」

「いいえ、ロウ様。ホメロスが魔王の魂を売った時点で、この時が来ることは決まっていたのです。そして、もしホメロスの…わが友の運命の結末を見届けることができなければ、きっと俺は俺自身を許すことができなくなります」

ホメロスの心の闇に気づくことができず、彼が闇に落ちるのを止めることができなかった。

その後悔はデルカダール王も抱いており、彼からもホメロスのことを頼まれている。

どんなに願っても、もうホメロスとともに過ごしたあの過ぎ去りし時には戻ることはできない。

「だから…戦います。気遣いは…無用です」

「そうか。じゃが、辛い時はしっかり辛いと言うのじゃぞ。やせ我慢も度を超すと、自分も周りも苦しむだけじゃからな…」

「ええ、わかっています」

魔物の屍の山を気付きながら前へと進み、階段を上り、やがて真っ暗な広い部屋に到達する。

扉をくぐり、殿を務めるシルビアが入った時点で扉が閉じ、頭上からは拍手の音が響く。

「ホメロス!ここにいるのだろう!?気に障る拍手をやめ、降りてこい!!」

「これは失礼した。六軍王をここまで倒し、シルバーオーブを除くすべてのオーブを取り戻し、その力を引き出した勇者ご一行を素直に称えたいと思ったのだがな…」

「黙れ…!陛下を裏切り、ウルノーガに魂を売り、世界を滅ぼし…貴様はその手でどれだけの命を奪った!?」

「フッ…そうだな。命の大樹が落ち、その際に起こった激しい衝撃波がまずは10万の命を奪い取った。そして、そこから始まったのは焼かれた大地、処理しきれぬ遺体によって発生する疫病とウルノーガ様の力により狂暴化した魔物の襲撃…それらが重なった結果として、もうすでに482万人だ。必要ならば、死んだ者たちの名前でも答えてやろうか?」

「貴様…!」

不敵な笑みを浮かべながら降りてきた道化師姿のホメロスの左手にはかつてエルバ達を窮地に陥れた闇のオーブが、右手にはシルバーオーブが握られていた。

「どうした…?こうして姿を見せてやっているのだ。さっさと攻撃すればいいだろう」

「ああ…てめえのせいでベロニカが死んだ!ベロニカだけじゃねえ…あまりにもたくさんの人が!!」

「カミュ!!」

声を上げ、刃を握るカミュにグレイグが手を伸ばす。

驚いたカミュは動きを止め、グレイグは一人でホメロスに向けて接近する。

「グレイグ…」

「手を出さないでくれ、今はホメロスと2人で話がしたいのだ」

「ほぉ…」

ホメロスの目の前まで歩いてきたグレイグだが、武器を構えるそぶりを見せない。

ホメロスも両手に持っていたオーブを懐に納め、互いの視線がぶつかり合う。

「ホメロスよ、最後の警告だ。今すぐシルバーオーブを渡し、自害しろ。そうすれば、陛下には最後は人としての心を取り戻して死んだと伝えておいてやる」

「馬鹿な警告をするものだな、グレイグよ。俺がそんなものに応じるとでも…?」

「ホメロス!お前は…お前は本当は…」

「この期に及んで御託を並べ、なまくらな刃をさらすつもりか?そんなものでは、勇者の盾を名乗るなどおこがましいな!」

右手をかざしただけで何か見えない力が働き、グレイグの体が後ろに大きく押されていく。

ようやく目に見えるところまで近づくことができたグレイグとホメロスだが、その心の距離はほんのわずかの間にあまりにも遠くなってしまった。

「武器をとれ、勇者どもよ。ここが貴様らの終の地だ…存分に私に力を見せるがいい!」

高笑いするホメロスが左手の甲をエルバ達に見せ、そこにまがまがしく光る勇者の痣を見せる。

「てめえ…」

「よく見ておけ…。勇者の力の先は、これだ…!」

痣の光る手を額に当て、同時に痣が最初からそこにはなかったかのように消えていく。

そして、左手にあったはずの勇者の痣が額に宿り、それが大型化していくとざわざわと整っていたはずのホメロスの髪が荒々しく波立てていく。

「うおおおおおおおおお!!!!!」

雄たけびを上げるとともに天井が砕け、そこから黒い雷がホメロスに向けて落ちる。

雷の光から腕で目を守りつつ、グレイグが見たものはバキバキと肉体を変化させていくホメロスだった。

獣のような皮を両手足から生やし、肉体もより筋肉質の物へと変わるとともに道化師のような服装から黒がかったグレーのデルカダールの鎧姿へと変わっていく。

背中からは銀色の羽根を生やし、同時に鎧に刻まれた鷲もその色をまがまがしい紫色へと変わっていく。

「ホメロス、魔物になったというのか!?」

「ああ、そうだな…。だが、これはウルノーガ様から与えられた勇者の力が生み出したものだ」

「勇者の力…こんなものが!?」

「こんなもの…?それを貴様が言う資格があるのかな?エルバよ。お前が一番わかっているはずだ。光り輝くほど影は濃くなるように、光の力を引き出すものにはそれと同じだけ闇を生み出す力もあるということを」

「くっ…!」

ダーハルーネ、そして命の大樹でホメロスと戦った際に実際にその力を発動してしまっている。

あの時の勇者の痣の様子はかすかにしか覚えていないが、少なくとも普段勇者の力を出すときと何かが違っていた。

「ウルノーガ様は言っていた。勇者は悪魔の子だと。その悪魔を突き詰めた結果がこの私だ!!」

「御託はいい!そこまで落ちたか…それが貴様の答えか!?ホメ…!!」

風を切る音が聞こえたと同時にグレイグは違和感を感じる左肩に目を向ける。

デルカダールの鎧の頑丈な装甲が切られていて、そこから血が噴き出ていた。

それに気づくと同時に激痛を感じたグレイグは右手で傷口を抑える。

「受けてしまったな…我が一撃を。見えなかったようだな、私のカラミティエンドを」

右手の手刀についた血を払うホメロスは回復呪文を唱えるグレイグを見る。

この一撃はやろうと思えば胸部を狙うこともできた。

これはほんのあいさつ代わり、これこそがホメロスのグレイグへの最後の返答。

「私はこの世界のために命をささげる…。故に、お前たちをここで斬る!」

 

「ふっ…いよいよ始まったか。ホメロスよ…」

魔王の間で透明のオーブ越しにホメロスとエルバ達の戦いを見守るウルノーガ。

彼の脳裏に浮かぶのは勇者の痣を額に移し、その力を完全に目覚めさせたあの男の姿。

初めてその力を見せたのは愛する人に瀕死の重傷を負わせた魔物に対して強い怒りをあらわにした時だ。

そこから始まったものは今でも強烈に記憶の中に残っている。

「あの時に思った…。われにもそのような力があれば、と…なぜ、あの男だけ特別な力を手にし、我は只人であったのかと…」

幸いなのはその姿の記録が残されていないこと、ローシュ戦記でもセニカが瀕死の重傷を負った際に力を発揮したローシュの活躍は描かれているが、彼が今のホメロスのような魔人化したことは一切語られていない。

勇者が魔物のような姿になったなど、大きなタブーになりえる。

「ホメロス、エルバ…もっと力を引き出して見せよ…。わが更なる力のために…」

ホメロスの時折見せる不審な行動についてはウルノーガも気づいている。

だが、それでも魔軍司令として六軍王の頂点に立たせ、なおかつ勇者の力を与えたのはこの時のため。

この時の戦いこそがウルノーガに宿る力をさらなる高みへと至らしめる。

 

「クハハハハハ!!どうしたどうした!?こんな程度の力でここまで来たかぁ!!」

片手でつかんだカミュを壁に思い切り投げつけ、呪文を唱えようとしたロウを急に伸縮する尻尾で薙ぎ払う。

それでもなお攻撃するため、グレイグとシルビアが左右から一斉にホメロスに切りかかるが、双方ともに手刀で受け止められてしまう。

「ふん…まさか、あれほどまぶしく見えたお前の力が…この程度のものになるとはなぁ!!」

「ぐっ…グレイトアックスでさえ、奴に傷をつけられぬとは…!!」

傷は回復呪文で癒して、そのうえで全力で攻撃をしたグレイグだが、魔人化したホメロスがどれだけの力を手に入れてしまったのかを大きく刃こぼれをしたグレイトアックスが教えてくれた。

オーブによって生まれた武具はいずれも再生能力があり、時間がたてば修復するため特に問題とはしていないが、それ以上にこれらによる攻撃を無傷でしのぎ続けるホメロスはもはや先ほど戦ったガリンガ以上の脅威といえた。

「グレイグ、シルビア!!このままで!!」

だが、両手をふさいだならば隙ができる。

エルバは巨大な覇王斬を生み出し、それをホメロスに向けて放つ。

「うおおおおおおおおおお!!!!」

「腕を封じた程度で勝てると思ったか!?」

そう叫ぶとともにホメロスの胸部に埋め込まれているシルバーオーブが光り始める。

そして、そこから銀色の光線が発射されると、それは覇王斬を粉砕してしまった。

「覇王斬が…!!」

「ふん…他愛もない…な!!」

続けて顔をシルビアに向けると、額に映った痣から紋章閃が発射される。

腹部を撃ちぬかれ、そこに紋章を模した穴が開いた状態になったシルビアは声を上げることができず、その場にうずくまる。

そして、自由になった腕でグレイグを殴り飛ばした。

「グレイグ!シルビア!!」

「ぐうう…なんという奴じゃ、これが…魔人化…」

(いや…確かに魔人化もあるだろうが、それ以上にシルバーオーブ、そしてホメロス自身の力も加わっている…。これほどの力を持つとはな…ホメロス…)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第105話 軍士の最期

(ああ…そうだ、この日…この場所だ…)

撃ちぬかれた腹部をセーニャの回復呪文による治療を受けるシルビアを守るようにエルバとグレイグが前に出るが、ホメロスの手刀と紋章閃、そしてシルバーオーブの力がそれに対抗し続ける。

戦う中でもホメロスは己のことを思考する余裕があり、その中で思い出すのはあの日だ。

 

命の大樹を葬り、エルバ達がバラバラになってから2週間後。

天空魔城が生まれたばかりの頃にホメロスに与えられた任務は各地で抵抗する人間たちの討伐。

そのために魔物たちを率いてソルティコへ向かっていた時、急に不思議な感覚に襲われた。

風がやみ、追随する魔物たちの動きも止まり、まるでホメロス以外のすべてのものが止まってしまったようなその光景はさすがの彼でも動揺を隠せなかった。

そして、動きを止めた魔物たちの群れをかいくぐり、1人の老人が浮遊しながら現れた。

「何者だ…?貴様は」

「おぬしはワシと同じ罪人となり、世界を滅ぼす悪魔へと堕ちてしまったか…。哀れなものだな…。劣等感を魔王に利用されたか」

「劣等感…?何を言っている…?」

「つらいものじゃな。自分にはないものを持つ、仲間だと思っていた存在がそのもののためにどんどん先へ行ってしまう。そして、その者があまりにもまぶしく、己の手の届かないところへ…」

「…やめろ」

まるで己のグレイグへの感情を我が事のことのように語る老人の流ちょうな言葉にホメロスは唇をかむ。

魔王に魂を売り、全幅の信頼を勝ち得たホメロス。

しかし、それでもグレイグへの劣等感は収まることなく、胸にとどまり続けている。

「やがて、憎くなる…。お前だけなぜ先に行く?ワシを置いていく?仲間だろう?ともに戦ってきた仲間であろう?よもや、仲間だと思って居ったのはワシだけだったのか…?」

「貴様…」

「もう、貴様の影にいたくない。今度はわしが前に立つ番じゃ。ならば…」

「黙れぇ!!」

我慢できなくなったホメロスは老人に向けて杖をふるう。

だが、杖は老人の肉体を透過し、手ごたえがまるでない。

ならばと思い、今度はドルマを放つが、闇の魔力は老人に命中する前に消滅してしまう。

「奴は…ウルノーガは貴様を利用しているだけじゃ。使える手ごまであり、仮に用がなくなれば処分するだけのこと…。それは、聡いおぬしならばもうわかって居よう?」

「私を使い捨てる…?何を言っている?あのお方は、ウルノーガ様は唯一私の才能を…」

「才能を認めていたのはウルノーガだけではない。おぬしにしかないものを認めて負ったものは大勢いたであろう…?おぬしはそれに気づいていなかっただけじゃ」

「そんなことがなぜ、貴様にわかる?私のことなど、何一つ…」

「知っておるとも…。お前はかつてのワシに見えるからな…。その劣等感に負けて、心を闇に落としたワシは取り返しのつかない過ちを犯した…。お前もそうじゃ…だが、まだ生きている。生きているなら、少なくとも取り戻すチャンスがある」

 

(取り戻すチャンス、か…)

その時、あの老人が笑いながら言った一言。

(世界のすべてを欺いてみないか…?)

(ああ…欺いてみせよう。奴すらも…)

「はあ、はあ…紋章閃って、こんなに受けたらキツイのね」

「しゃべらないでください、シルビア様!回復が遅くなります…」

ベホイムを唱えるセーニャだが、なかなかシルビアの傷がふさがらない。

これまでもセーニャは数多くのけが人の手当てをしてきたが、勇者の力で受けた傷を治すことは今回が初めてだ。

「うおおおおお!!!」

「ふん…」

勇者の剣に宿るオリハルコンの刃ですら、ホメロスの手刀を破ることができない。

だが、何度も攻撃をする中で徐々にその力が見えてきた。

手刀が敵や武器とぶつかり合う瞬間、その時だけ勇者の力を手に集中させる。

短時間だが、一点集中する勇者の力と魔人化したことにより強靭な肉体がオリハルコンに対抗するだけの力を与えてくれる。

そして、胸部に埋め込まれたシルバーオーブの破壊力は全力の覇王斬をも破壊してしまう。

「なら…それを上回る一撃を…!!」

両手で勇者の剣を握ったエルバはそれを掲げると、雷が屋根を突き破って刃に落ちる。

たっぷりと深呼吸し、雷を受けて光る勇者の剣を構える。

「ふっ…ギガブレイクか。かつて勇者ローシュが使った最強の技。いいだろう。付き合ってやる」

右手を伸ばしたホメロスが左手で印を切ると黒い雷が屋根を突き破り、雷が右手全体を黒く包んでいく。

黒い稲妻が右手全体を走り、にやりと笑うとまずはホメロスからエルバに向けて突っ込んでいく。

「うおおおおおお!!」

トベルーラをしたエルバもホメロスに突っ込んでいき、上空で2人は交差し、互いに背を向けて着地する。

同時にホメロスの胸部に大きな切り傷ができ、そこから赤い鮮血が床を濡らす。

深手を負っているように見え、実際にホメロスも痛みを隠せないのか片膝をつく。

「なるほど…力を得ただけのことはある。だが…」

しかし、ようやくできた傷が徐々に消えていく。

そして、エルバはふらりと何も言わずにうつぶせに倒れる。

倒れた場所からは血があふれ出て、血の池が生まれた。

「エ、エルバ!!」

倒れたエルバに駆け寄ったロウがエルバの体をひっくり返し、そこで彼が受けた傷を目の当たりにする。

腹部を中心に深々と切り傷ができていて、それがエルバの臓器にもダメージを与えており、吐血していた。

「待っておれ!今すぐ治癒を!!」

回復呪文を唱えるロウだが、これほどの大けがを負ったエルバを回復できるかわからなかった。

下手をすると体を真っ二つにされていた可能性もあるほどの深手を受けた人間はたとえ回復呪文を施したとしても助からない可能性が高い。

そして、エルバの手にある勇者の剣も先ほどのホメロスの一撃の恐ろしさを教えてくれた。

オリハルコンの刃に大きなひびができていた。

「マジ、かよ…エルバが…」

「くっ…それほどの力を得ながら、ホメロスよ…!」

「勇者破れたり…。さあ、次にこの一撃を受けたいのは誰かな…?」

ニヤリと笑うホメロスの血塗られた手刀にはいまだに稲妻が走っていた。

 

「ここは…俺は…」

うつら、うつらと冷たい感覚を感じながら目を開くエルバ。

そこにあるのは真っ暗な闇一色の空間で、光を感じることができない。

寒さから呪文で火を起こそうとするが、呪文をなぜか発動することができず、感覚も薄くなってきている。

「まさか、俺は…」

(安心しろ、君はまだ死んでいない。今の君は半分死にかけている状態だけど、もうすぐ息を吹き返す)

「その、声は…、いや、半分死にかけているって…やっぱりそうか…」

ほんのわずかしか聞いたことはない、だが確かに聞いたことのある声に目を見開くとともにこの空間を意識を取り戻す直前のことを思い出す。

ホメロスと攻撃を交えた直後からのエルバの記憶がない。

おそらくは大きなダメージを負い、死にかけたことでこのような状態になっているのだろうとは容易に考えられた。

「くそ…!勇者の剣を手に入れたのに、せっかくウルノーガ目前まで来たのに、なんだよ、これは…!!」

確かに自分の攻撃にも手ごたえは感じられたが、それでもこの状態になっているということは敗北したということなのだろう。

ロウが回復して復活すればまだ戦えるため、勝ち負けはないだろうが、仮にエルバ1人で戦い、このような状態になったとしたら、それは負けといっていい。

(…そうだな、完全に死んでしまってはどうにもならない。真実を伝えることも、愛する人を抱きしめることもかなわない…。だが、君はまだ負けていない。生きている限り、負けじゃない)

「何が、言いたい…?」

(君は見て、感じたはずだ。ホメロスが使う勇者の力を…。そして、見ろ…)

闇の中で真っ白な人影が出現する。

彼が左手を見せると、そこには黒い勇者の痣が刻まれていた。

「勇者の痣…まさか…」

(お前に託す…。俺が、成し遂げられなかったことを…お前の為すべきことを、為すんだ…エルバ。俺の生まれ変わり。あいつの生まれ変わりと、彼女から産まれる新しい命に、よろしくな…)

人影が両手を突き出して掌底を合わせ、指先を揃えてから上下に開く独特の構えを見せる。

そこから放たれる光に撃ちぬかれると、再びエルバの意識が消えた。

 

「う、ぐうう…」

「エルバ!!」

「エルバ様、よかった…。意識が戻ったのですね」

「あ、ああ…ぐう…!!」

再び意識を取り戻すと同時に見えたのは目に涙を浮かべながら必死に回復呪文を唱えるロウとセーニャの姿だった。

だが、意識を取り戻すと同時に体中を走る激痛に歯を食いしばる。

「間一髪じゃ…。このまま死んでおってもおかしくなかった…」

「そうか…」

「じっとしておれ。まだ完全に回復はしとらん。グレイグ達が時間を稼いでくれておる!」

「よくもやってくれやがったな…はああ!!」

カミュの怒りに反応するかのように刀身が燃え上がるレーヴァテインの2本の刃がホメロスに迫るが、ホメロスが起こした行動は右手をカミュに向けてかざすことだった。

手から生まれたのは黒い輝きを放つ炎で、それは巨大な火の鳥のような姿となってカミュに襲い掛かる。

炎の刀身で受けるカミュだが、この火の鳥の炎がレーヴァテインの炎を上回り、カミュを吹き飛ばした。

「ガアア!う、ぐう…!!」

前進を焼かれたカミュは体中から感じる激痛でうずくまり、まともに剣を握ることさえできなくなった。

「究極の火炎呪文、メラガイアー…。それの使い手はあまりにも少ないが、その1人であるウラノスが放つそれは最強と言われた。威力はさることながら、この優雅な姿をも持ち合わせていたのだからな」

カイザーフェニックス。

ウラノスが放つその美しいメラガイアーは一部の人々からはそう呼ばれていた。

ホメロスのそれはあくまで闇の魔力で生み出した炎で再現したに過ぎず、それがウラノスのそれに匹敵する威力であるかは定かではないが、少なくともレーヴァテインを装備したカミュを一撃でダウンさせるだけのものはある。

「カミュ様!!」

「俺は…いい!速く、エルバを回復させろぉ!!このくらいの痛み…今、あいつが感じてるのに比べれば…大したことねえ!!」

全身の焼けるような痛みに歯を食いしばり強がるカミュだが、やはりカイザーフェニックスで受けたダメージは大きく、意識を保つだけで精一杯な状態だ。

それは誰の目にも明らかで、ホメロスの右手に再びメラガイアーの魔力が凝縮されていく。

「いいだろう、ならば回復を終える前に、貴様から始末してやろう」

「カ…ミュ…!!」

どうにか傷口がふさがり、起き上がるくらいまで回復したエルバはトベルーラを発動し、カミュの目の前まで飛んでいく。

それとほぼ同時にカイザーフェニックスが放たれ、不死鳥の鳴き声のような音が響くとともに炎が迫る。

カミュの前に立ったエルバはひび割れた勇者の剣でカイザーフェニックスを受け止める。

「ぐ、うううう!!」

「エルバ!?バ、馬鹿野郎!?お前…」

「まだだ…俺の力は…まだ、こんなものじゃない!!」

エルバの叫びとともに炎の不死鳥を両断する。

真っ二つになった炎は背後の壁にぶつかると同時に消滅し、カイザーフェニックスを切り裂いたエルバの両腕と勇者の剣はひどく焼けた状態になっていた。

そして、寸分の間も開かずに勇者の剣のヒビが大きくなり、やがて粉々に砕け散った。

「ふ…砕けた。砕けてしまったな…希望が」

砕けたオリハルコンの刃が地面に散乱し、それを見たロウの膝が折れ、セーニャに支えられたカミュも固まってしまう。

誰もが勇者の剣の亡骸に絶望を感じる中、エルバは両手をベホイムで回復していく。

「ホメロス…希望が砕けたといったな。お前は勘違いしている。本当に恐れるべきなのは勇者の剣でも勇者でもない…。命だ」

「何…?」

「命が続く限り、何度でも立ち上がる。抵抗する意思、生きる意志が途切れない限り、俺たちもロトゼタシアも、ウルノーガのものにはならない。その意思を生み出す命が力を生む」

「…何が言いたい」

「こういうことだ」

そうつぶやくとともにエルバの手に残った勇者の剣の持ち手に光が集まり、両手の痣も光を見せる。

その光にひかれるように砕けたオリハルコンが集まり、やがて元に傷一つない、禁足地で完成させた時と変わらない勇者の剣へとよみがえる。

「俺が生きている限り、俺に宿る勇者ローシュの痣も、俺の痣も、勇者の剣も答えてくれる…。俺を完全に殺さない限り、この力も勇者の剣も滅びない」

「ふっ…なるほど。ならば、ウルノーガ様の望む世界のために、完全にお前を始末しなければならんな。今度は首を持っていくとしようか」

死体を確認できたわけでもないのに死んだと判断するのは早計だった。

もう同じミスは繰り返さないといわんばかりにホメロスはエルバをにらみ、再び右手に闇の雷を落として力を籠める。

だが、エルバは再生した勇者の剣を鞘に納め、丸腰になる。

「何…?」

「こい…ホメロス!!」

痣の光る両手を合わせ、握りしめながら力を込めていく。

その様子に何かを感じたホメロスだが、臆することなく正面から突っ込んでいく。

目指すのはエルバの首。

この手刀で首と体を切り離す。

そのホメロスに向けて両腕を伸ばしたエルバは両手で竜の口のような構えを作り、その口には光が凝縮させていく。

「正面から来たことを後悔するなよ!これはローシュの…勇者の最強の呪文だ!!ドルオーラ!!!」

竜の咆哮のような音が響くとともに口から放たれた勇者の光がホメロスに襲い掛かる。

ホメロスを飲み込んだ光はその後ろにある分厚い扉を打ち砕き、どこまでも伸びていく。

「はあ、はあ、はあ…」

光が収まると、構えを解いたエルバが全身から感じる疲れでその場で膝をつく。

カミュ達が駆け寄り、グレイグはエルバとホメロスの間に入り、ホメロスに警戒する。

ドルオーラを受けたホメロスは魔人化を解除していて、体中が傷と血でまみれた状態となっていた。

「これが…勇者の、力…。そう、か…私の負けか…」

かろうじて両足で立っていて、どうにか杖を手にすることができたホメロスだが、カミュ達をかいくぐってエルバに攻撃するだけの力はもう残っていない。

第一の壁となるグレイグですらも。

「ホメロス…終わりだ」

「そうだな…だが、終わりだといわれても…止まるとでも思っているか?」

「…」

グレイグの知るホメロスなら、どのような劣勢であってもあきらめずに逆転の策を出すことのできる男。

そんな彼がはた目から見ると詰んでいる今の状況でもあきらめるはずがない。

もはや魔力には頼らないといわんばかりに杖を手放し、代わりにホメロスが握ったのはかつて愛用していたプラチナソード。

「「うおおおおおおおお!!!」」

お互いに声を上げ、真正面から走るグレイグとホメロス。

互いにすれ違い、グレイトアックスとプラチナソードが交差する。

2人が足を止め、先にグレイグがグレイトアックスを納めた。

「ぐふっ…!見事、だ…グレイグ、エルバ…」

先ほどのエルバと同じように胴体に大きな切り傷ができ、血を吹き出したホメロスがそうつぶやくとともにうつぶせに倒れる。

彼の血でぬれたシルバーオーブが転がり、ロウの足元で止まる。

そして、ホメロスの体は魔王が生み出した魔物たちと同じように、紫の瘴気となって消滅した。

「これで、六軍王はすべて倒れた。そして、オーブもすべて取り戻した…」

「ええ、ですが…」

「…」

グレイグは自分の傷を回復呪文で癒しながらも、後ろを向こうとしなかった。

六軍王をすべて倒し、ウルノーガはもう目の前であるにも関わらず、誰も喜べなかった。

 

「ふっ…終わったか」

真っ暗な空間の中、目を開けたホメロスは元の人間の、デルカダールの将軍の姿に戻った自分の手を見て、自分の死を確信する。

そんな彼の前に預言者が現れる。

「どうだ…?強くなっただろう?勇者は、お前の友は」

「そうだな…。今の彼らならいいだろう。だが…」

「わかっている。これでウルノーガを倒せたならばそれでいい。だが…奴がもし…」

「その時のために、まだ私は成仏するわけにはいかん…か…」

預言者とホメロスの間に青い光が発生し、それが次第に杖の形へと変わっていく。

ブルーオーブを模した石を加えた鳥の頭を模した飾りがついたその杖をホメロスと預言者はじっと見つめていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第106話 ウルノーガとの対峙

ギイイイ…。

分厚い扉が開き、紫のたいまつ達だけが頼りとなっている空間に外に薄暗い光が入り込む。

開いた扉からはエルバ達7人が入ってくる。

「勇者の剣と…世界を返しに来たぞ…ウルノーガ」

「ふん…ホメロスを倒したか。そして、こうしてここまで来るとは…やはり腐っても勇者、ローシュの生まれ変わり所以か」

暗がりの中で火が灯り、ウルノーガの姿がエルバ達の目に映る。

忘れもしない、勇者の力と勇者の剣を奪ったときに得たまがまがしい剣士の姿をしていて、やはりそばには魔王の剣が置かれている。

「貴様らがここに来るまでの間、すっかり勇者の力がなじんでくれた…。やはり、力というのは素晴らしいものだな…」

「その力を得るために…どれだけの人が死んだと思っている!?」

「力を手にするには犠牲がつきものだ…。貴様らも力や技を手にするために差し出したものがあるだろう?それと同じだ」

「お前…!」

「まあ、待て。少し問答でもしよう。お前たちのそばには信頼できる心強い仲間がいる。その者はお前のことを大変信頼してくれていて、背中を任せてくれる大切な存在だ…。だが、その者にはあまりにも大きな力があり、その力はどんなに鍛錬を積んだとしても、どんなに知識を得たとしても決して得ることのできないもの。だが、その者を殺すことができれば、力をわがものとすることができる。お前たちなら…どうする?」

ニヤリと笑いながら、まるで試すかのように問いかけてくるウルノーガ。

グレイグの脳裏に、崩壊したデルカダールで対峙したホメロスの姿と言葉が浮かぶ。

彼のグレイグに対する強い劣等感と嫉妬心。

「へっ…!その力はそいつが持ってる力だろ?だったら、自分なりの力で強くなってやるだけだ!!それでそいつと肩を並べればいい!」

「ふっ…青い回答だ。さすがは勇者の相棒を自称するだけのことがある」

「青いだって…?そんなどうしようもねーことにあーだこーだ言ってる方が、よっぽど青いぜ!」

急にウルノーガの視線が鋭くなり、エルバ達の背筋に氷の刃を何本も突き刺されたかのようなプレッシャーが襲う。

それを維持しながらウルノーガは立ち上がり、剣を手に取る。

「確かにそれをなすことができればどれだけ幸福なことだろう。だが、世の中も力も決して単純ではない。どんなに焦がれたとしても届かない。だが、もはやそんな思いをする必要はない」

魔王の剣を手にするとともに、彼の手に刻まれた勇者の痣が光りだす。

そこを中心にウルノーガの体にひびが入り始め、そこからは黒い光が漏れ始める。

「あ、あ、あああ…」

「どうした!?セーニャ!!」

「気を付けてください…今のウルノーガは命の大樹で見たときとはるかに違います…!」

「ふっ…貴様、あの女の魂を宿しているな!?」

ひび割れていくウルノーガの中から現れたのは2本の角を生やしたデルカダール王とよく似た容姿の人間だが、3メートル近い巨体と紫の髪、そして薄紫の筋肉質の肉体がただの人間であることを否定していた。

そして、何よりも特徴的なのは背中から生えるドラゴンのような翼と額に宿している巨大な勇者の痣、それはホメロスが見せた魔人化とよく似ている。

そして、脱皮したことで裸となっていた肉体は鮮血のような赤い衣に包まれていった。

「ふん…なるほど。これが魔人化というものか。勇者というのはつくづく人間の範疇を超えた存在であるな」

魔人化したウルノーガに合わせるかのように魔王の剣もその形を変えていく。

柄には玉石を加えたドラゴンの頭を模した飾りがつき、刃はかつてハリマが使っていた太刀と似た形となっているが、刃の厚みは勇者の剣を上回るものとなっており、骸骨と目玉でできたかのようないびつな魔王の剣と比較するとかなりすっきりとした出来へと変わっていた。

「ふふふ…我は勇者にして魔王、光にして闇、その矛盾を超越して見せたぞ。さあ…ゲームを始めるとしよう」

ウルノーガが指を鳴らすとともに、天井に黒い霧が発生する。

霧の中からは空から見たロトゼタシア全体の光景が映っていた。

「ウルノーガ、何を!?」

「なんということはない、これからこのゲームのルールを見せてやるだけだ…」

 

「おい、さぼるな!」

「わ、悪い…」

最後の砦の見張り台で、居眠りをしかけた兵士が相棒の兵士に殴られて正気を取り戻す。

エルバが帰還し、デルカダールを支配していた六軍王が倒れたことでこの地方には太陽が戻り、今では回復した王を中心にイシの村とデルカダールの復興のための算段を練っている。

六軍王が倒れても、魔王の影響を受けた魔物による襲撃はあるが、あの時と比べるとはるかに平和であり、居眠りする余裕まで生まれている。

「また居眠りしたら、今晩のエマさんのシチュー、抜きな」

「ええーーーー!!?そんなの嫌だぞ!?あの天使のシチューを…」

「そして、さらに夢を壊すようで悪いが、その天使様には既に心に決め…」

さらにからかってやろうとした兵士だが、急に暗くなりつつある空に言葉が止まる。

まだ昼の2時だというのに一気に暗くなっていく空、そして雲は雷雲ではない、見覚えのある忌々しい空。

暗くなっていく一方で、ギャアギャアとカラスたちの鳴き声が響く。

「この感じは…」

「明かりを!!ランタンの明かりを!!警戒するんだ!!」

暗闇の中で何かが光り、その正体を知る兵士たちは警戒心を高める。

忘れたくても忘れられない、この光景はまさに闇に包まれたあの時と同じだ。

 

「ウルノーガ、何を!?」

「簡単なことだ。世界をかけたゲーム…これからロトゼタシアは徐々に闇に包まれていく。そして、その闇の中で我が下僕が食い荒らしていく…。どちらか一方が死ぬまで、それは続く…」

「お前…!!」

「さあ…我に力を見せるがいい…」

 

「陛下!!陛下!!一大事にございます!魔物どもが…!!」

「うろたえるな…」

傷だらけの伝令兵がテントに飛び込み、兵士の報告に動じるそぶりのないデルカダール王は立てかけられている剣を手に取る。

伝えがなくても、テントの外から聞こえてくる魔物の叫び声で状況を察することができる。

脳裏に浮かぶのはおそらく、魔王と戦っているであろうマルティナとエルバ、グレイグの姿だ。

命がけで世界の灯をともしているエルバ達にたいしてできること、それは彼らの帰る場所をこの手で守ることだけ。

「17年前から失い続けるばかりであったが、此度はもう何も奪わせはせん!!勇者に、英雄に…わが最愛の娘に…勝利を!!」

 

「はああああ!!」

「うおおおおおお!!」

エルバとグレイグがそれぞれが握る剣と斧を振う。

左右からの一撃で、どちらかを受けてくれたならもう一方は届くはず。

だが、左右どちらの刃もウルノーガが握る刃に阻まれる。

厳密にいえば、エルバの勇者の剣を防いでいるのはウルノーガ本人の魔王の剣で、グレイトアックスを阻むのは真っ黒な影でできた刃だ。

「この影は…!」

「懐かしかろう…?パープルオーブが為す技だ」

殺気を感じ、距離をとったエルバとグレイグが見たのは黒い影でできたもう1体のウルノーガ。

「パープルオーブの輝きの中で、我は見た。手を伸ばしても届かぬ高貴なるものを、そしてそれでも求めんとすることで生まれる闇を」

ゾルゲが見せたパープルシャドウ。

既にすべてのオーブがエルバ達の手の内にあるにもかかわらず、ウルノーガはその力を使って見せていた。

「どうして六軍王のオーブの力を!?」

「命の大樹の力をもらい受けたときに得た力だ。最も、ゾルゲと同じと思わぬことだな…」

「…みんな、散れ!!」

エルバの叫びと前後するかのように、ウルノーガの分身の額から紋章閃が放たれる。

紫の光の閃光が一直線に伸び、エルバの声のおかげか全員が分散したことで当たることはなかったが、閃光は壁を突き破り、虚空へと伸びていった。

「分身も勇者の力が使えるのぉ!?」

「いや…まだ1体だけならばいい。その数が増えることが問題だ。そして…」

「ああ…必ず六軍王すべての力を使ってくる…!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第107話 最強の呪文

「うん…?最強の呪文?」

柔らかな日差しが差す広場で、ファナードが幼いベロニカの質問に反応する。

今、ファナードはベロニカとセーニャの2人だけを呼び出して呪文を教えている最中だ。

来るべき時に、2人が勇者の助けとなるために。

「はい、今までの授業の中で聞いた呪文は確かに強力なものもありますけれど、もっとすごく強い呪文もあるでしょう!?もちろん、禁呪法はなしで」

「うむう…確かにあるのはあるのじゃが…」

学びたいという意欲は評価できるが、果たして今の段階でその呪文のことを教えるべきか否かをファナードは迷っていた。

セニカの生まれ変わりであるベロニカとセーニャは同年代の少年少女と比較するとはるかに呪文の才能に恵まれている。

ベロニカは魔法使いが使う攻撃呪文、セーニャは僧侶の回復・補助呪文と優れているものは分かれているが、ファナードの見立てでは2人の才能は拮抗としているといえる。

実際、大人でも習得の難しい呪文を使いこなす様子も見せており、ベロニカの成長スピードも速い。

「確かに…ある。その呪文は遠い昔に理論そのものは生まれたのじゃが、セニカ様が現れるまで確立することのなかった最強の呪文。じゃが、セニカ様は片手で数えることができる程度しか使うことがなかったものじゃ。なぜか…わかるかの?」

「ええっと…それだけ、使うのが難しいから…?」

「それもある、じゃが…過ぎた力は身を滅ぼすものじゃ。それが己の身一つだけで済めばよいが、多くの場合は身近なものや周囲のものをも巻き込み、破滅させる。それゆえにセニカ様はその呪文を…すべてが終わった時、禁呪法として封印することも考えておった。その呪文はすべてを崩壊させる爆発を引き起こし、大陸をも消滅させる恐れがある」

「大陸って…」

「そうじゃ、今この場でその呪文を放ったとすると、おそらくはこのドゥーランダ山は消滅することとなるじゃろう。それほどの破壊力を持つ呪文なのじゃ」

ファナードは懐に手を入れ、その中にある古びた巻物を出し、2人の机の上でそれを広げる。

巻物にはその呪文によってもたらされた悲劇が描かれており、その呪文が暴走したことによって島一つが吹き飛んでいく光景だ。

「なんだか…怖いわ…」

その話を聞いたベロニカの手が震えているのがセーニャには見えた。

あれほど呪文を覚えることに熱中し、強気で覚えた呪文を使うベロニカが怖がるとなると、それはよほどのことといえる。

「その呪文は唱えた者のすべての魔力を一瞬のうちに解き放つことで発動する。故にその魔力を制御するだけの精神力が求められる。その制御に失敗した結果がこの巻物の光景なのじゃ。すべてを終えたセニカ様は未来のためにとこの呪文を伝承してくださったが、使用は来るべき時が来るまで禁じられておる」

だが、その呪文を使わざるを得ないときがくる。

かつての勇者ローシュが生まれ変わるのと前後するように、セニカの生まれ変わりとして生を授かった2人。

これはその呪文の封印を解けという啓示なのかはファナードにはわからない。

 

「う、ん…」

「セーニャ、おい大丈夫かよ?」

「カミュ、様…」

ゆっくりと目を開けたセーニャの目に、傷を負いながらも心配そうに自らを見つめるカミュの顔が映る。

彼の顔を見て、手を借りてどうにか立ち上がったことでセーニャの記憶がよみがえる。

「お前、無茶しすぎなんだよ。いくら魔力があるからって、限界があるだろ?」

セーニャが意識を失ったのは回復呪文の乱用による精神力の消耗だ。

ウルノーガとの激闘で傷ついた仲間たちを治療して回り、その結果として気を失ってしまった。

それがどれだけの時間なのかはセーニャにも、戦っているエルバ達にもわからない。

わかっているのは、まだ決着はついていないということだ。

「おおおおおおお!!!」

休息に降下しながら振り下ろした勇者の剣と水竜の剣が魔王の剣とぶつかり合う。

光る刃に宿った力がぶつかり合うと同時に拡散してウルノーガを襲う。

後ろへ距離をとるウルノーガだが、そのマントと鎧には少なくない傷ができていた。

「くそ…これでも、か…」

禁足地でロン・ベルクが使ってきた剣技の1つであるノーザングランブレード。

それから派生した剣技である、受け止められたと同時に宿したエネルギーを拡散させて直接攻撃する。

二代目ロン・ベルクが編み出したロン・ベルク流剣技の1つ、ノーザンブリザード。

勇者の剣を手に入れ、そこから修業を重ねて習得した技が決定打とならないことに舌打ちする。

一方のウルノーガはいまだに音を上げずに戦い続けるエルバ達の姿を見て、笑みを見せる。

こうして戦う時間が流れれば流れるほど、一つ、また一つと命が消えていくのだから。

 

「うおっらああああ!!!」

「この一撃で、倒れるがいい!!」

グロッタの町の前に広がる草原には多くの魔物の死体が転がり、ガレムソンをはじめとした闘士たちはボロボロになりながらも奮戦する。

かつてシルビアと組んでいたマスク・ザ・ハンサムの仮面はひび割れ、血と傷に満ちた手でもどってきたブーメランを握る。

ベロリンマンも分身を出すだけの力は残っておらず、できるのは持ち前の怪力であがくことだ。

「みんな…まだ、戦えるよな!!」

「ベロベロー…あたり、前…」

「負けられないさ…この町のためにも…」

ブギーによって作られたカジノ、失われた闘技場。

だが、ここには闘士たちが刃を交え、誇りをかけて戦った記憶がある。

そして、彼らを応援し、見守ってくれる人々がいる。

だからこそ、戦える。

闘士たちが戦意を高める中で扉が開き、一人の男が出てくる。

「お前は…!?」

「やぁ、俺の獲物はまだ残っているかな?」

彼の姿を見た闘士たちは闘技場に上がるような雰囲気でこの血なまぐさい場所にやってきた彼に驚きを隠せなかった。

「な、何をしてやがんだ!?お前!!」

「そうよ!あんたは中で教会を…」

「教会ならミスター・ハンとデルギンスが守ってくれる。心配いらないさ。それに…!」

上空から奇襲しようと急速に接近してきた赤い目のヘルコンドルの顔面を彼の拳が襲う。

一撃で顔面が粉々になり、頭部を失った胴体が無残な姿を地表にさらす中で男は拳を鳴らす。

「子供たちがおびえていて、闘士たちが命がけで戦っているんだ。それなのに、いつまでも寝ているわけにはいかないからな!!」

「ちっ…だったら、遠慮はしねえよ…きっちり働け、ハンフリー!いや…チャンピオン!!」

 

「魔物どもを町に入れるなぁ!!弓兵、撃てぇ!!」

暗闇に閉ざされたソルティコの橋の前に築かれた砦から放たれる矢が上空から攻めようとする魔物たちを撃ち落とし、騎士たちは端から町に突入しようとする魔物たちに剣を振るう。

魔物たちの攻撃に備えて砦づくりなど、可能な限りの準備をジエーゴが主導で行ったおかげで今は魔物が侵入することはないが、砦も騎士も、いつまでも持つわけではない。

際限なく襲ってくる魔物たちに対して、騎士たちは疲労を増していき、中には討ち死にする者もあらわれる。

シルビアが連れてきたパレードのメンバーの中にはまだ戦死者は出ていないが、それでも傷を負い、町に戻って集中治療を受ける者もいる。

「やべえな…準備はしていたとはいえ。魔王め、ここで総攻撃をかけようって腹積もりか…」

傷が回復したばかりのジエーゴは自室に飾られている鎧兜を身に着け、2本の剣を腰に差す。

今、彼が恐れているのは海からの攻撃だ。

ソルティコには海戦のノウハウが乏しく、軍艦のような大それたものもない。

せめてインターセプター号が残っていれば少しはましだが、既に沈没している。

「グレイグ、ゴリアテ…てめえらも戦っているんだろう?てめらの帰る場所は守ってやるから、さっさと終わらせて帰ってきやがれ!!」

 

「対魔結界はこのまま維持を!住民の避難にはあとどれだけ時間が!?」

「あと20分です!!」

暗闇に包まれたクレイモランにも、例のごとく魔物たちが襲来する。

クレイモラン城下町と城はクリスタルのような輝きを持つ障壁によって包まれていて、上空から侵入しようとする魔物たちはそれに触れた瞬間、氷の彫像と化して地面に落ち、粉々に砕け散る。

城の地下では魔導士たちが巨大なクリスタルといえる魔石に祈りを捧げ、自らの魔力を送り込んでいた。

これはリーズレットが作り出したもので、長期化するウルノーガとの戦いに備えたものだ。

本来は何度かテストを重ねてから運用する予定だったが、このような不測の事態が発生したことでのんきにテストをするわけにはいかなくなってしまった。

当然、これだけ広範囲に展開する障壁を維持するには大量の魔力が必要で、魔導士たちの魔力も無限ではない。

そのため、ローテーションを組んで維持できる態勢は整えているものの、それでもいずれは疲労が限界を超える。

その時のために兵士たちはいつでも前線に出て戦う覚悟を固めるべく、それぞれが愛用する武器を研ぐ。

「シャール様!巨大な魔物が接近中!」

「巨大な魔物…??」

「巨人です…!山のような巨体の魔物です!!」

城の屋上に設置されている見張り台にいる兵士が望遠鏡で見た魔物。

暗闇の中で目を凝らしてみたその魔物は牛のような顔をしていて、その姿はクレイモランの古文書にも伝わっている。

魔竜ネドラとともにクレイモランを荒らし、ローシュによって討伐されたとされる魔物、ブオーン。

「厄介ね…あの魔物の拳を受けたら、この結界はもたないわ」

「リーズレット、どうにかならないのですか?」

「どうにかするわ…。そうしなければ、みんな死んでしまうんだから」

ブオーンを復活させるだろうことはネドラと実際に戦った時から薄々と感じていた。

広場まで出たリーズレットは杖に光を宿し、それで魔法陣を作り始める。

「今ある魔力でどこまでできるかわからないけれど…召喚するわ。氷の大地を砕く象を…!」

だが、これを召喚するには魔力が足りない。

城に保管されていた魔石を魔法陣の適度な位置に配置させていき、それで足りない魔力を補う。

魔法陣が起動すると同時にブオーンの正面に強い光が発生する。

そして、ブオーンに匹敵する大きさを持つ、氷の城というべき見た目の象が現れた。

「さあ…出番よ。マンモデウス。おあつらえ向きの相手と勝負させてあげるんだから…全力でやりなさい…!」

 

「はあああああ!!!」

サマディーの砂漠で、城門に攻撃を仕掛けようとしたドラゴンの首にファーリスに剣が突き刺さる。

既に騎士たちの攻撃でボロボロだったそのドラゴンはこれが致命傷となり、力尽きる。

「はあ、はあ、はあ…」

剣を抜いたファーリスは手にこびりつく生々しい感触が忘れられない。

狂暴な魔物とはいえ、こうして自らの手で命を奪う行為に抵抗を感じてしまう自分がいるのが感じられた。

命の大樹が落ちてから、ファーリスも何度も騎士たちとともに砂漠に出て、魔物を討伐してきたが、それでもやはりこうした行為には後味の悪さを感じる。

「けれど…そうだとしても!!」

「ファーリス王子!!」

騎士の声が聞こえたと同時に、ファーリスの体が大きな影に覆われる。

振り向くファーリスが見たのは自身の倍以上の体格をした甲冑姿の魔物、悪魔の騎士。

その手に握る巨大な斧がファーリスに向けて振り下ろされる。

悪魔の騎士から感じるプレッシャーと不意打ちによって、ファーリスには逃げるだけの力がない。

だが、斧が振り下ろされる前にどこからか飛んできた斧が悪魔の騎士の首に深々と刺さる。

急所を受けた悪魔の騎士の手から斧と盾が落ち、グラリとその場にあおむけに倒れた。

「まだまだじゃな、ファーリスよ。ここは戦場じゃぞ」

「父上!?」

城門から出てきたファルス3世の今の姿は彼の体格に合わせて作られた鋼の甲冑姿で、がら空きになった右手に背中にさしている槍を握らせる。

ファーリスにとって、甲冑姿になった父親の姿を見るのは初めてのことで、最初に声だけでも聴いていなかったらギリギリで父親だとわからなかったかもしれない。

「陛下!なぜここへ!?」

「お戻りください!王は城で…!!!」

「何を言う!国民が不安に耐え、勝利を信じて城で待ち、騎士たちは国を守るべく戦って居る!わしとて王ではあるが、騎士でもある!城で寝ているわけにはいかん!!」

恰幅のいい体には不釣り合いといえる槍さばきを披露するファルス3世は接近する骸骨騎士2匹を粉砕する。

初めて見る全力で戦う父親の姿に一瞬見とれるファーリスだが、彼の言葉を思い出して、すぐに気持ちを切り替える。

(父上が戦っている。弱い僕にどこまでできるかわからないが…できる限りのことをやって見せる!!だから…頑張ってください、シルビアさん、グレイグ将軍、エルバ…!!)

 

「はあはあはあはあ…」

「クッ…!」

刃を交え、呪文が連鎖し、紋章の光が走る。

それが何度も何度も繰り返され、時が流れ、天空魔城の王宮はがれきの山と化していた。

エルバ達は皆、負傷と疲れの色にまみれ、エルバとグレイグ、シルビア以外はもはや立つことさえままならなくなっていた。

「ふ、ふふふ…よもや、これほどまで長く我と戦えるようになるとは思わなかったぞ、ローシュの生まれ変わりよ」

ウルノーガも例外ではなく、体中に切り傷ややけどができ、無傷な個所を探すのが難しい。

そして、何よりも息切れしている様子がある。

「はあはあはあ…化け物だぜ、こいつはよぉ…」

「ああ…だが、無敵じゃないってことが…よくわかる…」

満身創痍になっているのはお互い様。

気の遠くなる我慢比べ、だが時間をかければかけるほどロトゼタシアは闇に覆われていく。

その中で失われていく命がある。

(もう…これしか、ありません。私にできるかわかりませんが…)

気絶しているときに見た、あの呪文の夢。

その呪文を放った代価は大きい。

だが、それでも何もしないわけにはいかない。

「カミュ様、皆さま…!」

「セーニャ…」

「時間を…少しだけ、時間を稼いでください…」

「いいのね?セーニャ」

セーニャを何をしようとしているのか、ベロニカにはすぐにわかった。

ベロニカの魂が宿るブルーオーブが光を放ち、やがてそれが徐々に小さくなっていく。

そして、小さくなったブルーオーブを中心に青い翼を広げた鳥をモチーフとしてスティックが現れる。

「時の王笏よ、やって見せるわよ…2人で!!」

「お姉さま…はい!!」

「ったく、何をするのかわからねえが…信じるぜ!!」

カミュの拳に力が宿り、同時にレーヴァテインの炎が勢いを取り戻す。

「そう、ね…ロウ、様…!」

「うむ…まだまだ若い者には負けん…!!」

マルティナの手を借りてようやく起き上がったロウは絶え絶えとなっていた呼吸を整え、体内の魔力の流れを戻していく。

「ウルノーガ…お前と戦って、少しだけ…わかったことがある…」

「何…?」

「お前、怖いんだろう…?これが…」

勇者の剣を突きつけたエルバはそれに対するウルノーガの視線を見る。

一呼吸置いたことで、ここまでの戦いの中で感じていた違和感がようやく確信となる。

その言葉を聞いたときに見せたウルノーガの表情のわずかな凍り付きをエルバは見逃さない。

「戦っていて感じた…。お前の視線が向いているところを。お前の目は俺と対峙するとき、いつもこの剣に…勇者の剣に…そして、俺の痣に向けられていた」

本来ではありえない両手に宿った勇者の痣の存在もあり、それに警戒しているのはわかる。

だが、それでも戦うのはエルバ本人であり、エルバ自身の動きを見るのであればそこに目を向けるのは不自然だ。

エルバの視線は今度はウルノーガに宿る勇者の痣に向けられる。

「命の大樹でお前は俺から勇者の力を奪った。そして、奪った勇者の力は魔王の剣になった勇者の剣と一緒にお前の中にある。ある意味ではお前も勇者かもしれないな」

あくまでも、勇者の定義をローシュが宿していた痣を手にしている者に限定するのであれば、エルバの言葉は正しい。

だが、セレンが見た勇者とは決してそれだけの存在ではない。

そうであれば、命を賭してエルバを逃がしてくれるはずがない。

「ええ…そうね。あいつは怖いのよ。勇者の力がね」

「ベロニカ…?」

エルバのそばに突然現れた青い光を放つベロニカの幻影。

彼女は強大なウルノーガに指をさし、口を開く。

「まぶしすぎるのよ。自分では決して手に入れられない力を持っている人が身近にいると特にね」

きっと、それを持つ相手が刃を向けるべき敵であるとするならば、そんな感情をわくこともなかっただろう。

だが、そんな存在がもし仲間にいたとしたら。

それも身近で、しかも近しい存在だとしたら。

その存在のまぶしさを感じれば感じるほど、己の影を自覚せざるを得なくなる。

「きっと、あいつもそう。そのまぶしさに耐えられなかった。みじめに感じた。だから…敵に回るしかなかった。そうしなきゃ、自分が自分でなくなってしまうから…。そうよ、ウルノーガ。あんたはホメロスと一緒よ」

ベロニカの指摘にウルノーガの顔が下に向く。

完全に視線がエルバから外れているが、それでもエルバは攻撃しようという気にはなれなかった。

彼から感じるプレッシャーが戦っているときと何も変わらないから。

だが、ウルノーガの体が震え始める。

そして、クククと笑い声を出し始める。

「ククク…そうだ、その通りだ!クハハハ、ハハハハハハ!!」

左手で顔を覆い、大笑いし始めるウルノーガ。

そんな彼の表情をエルバ達は見ることができない。

「なぜ我が奪ったはずの勇者の力を!なぜ…いまだにわれの手の内にあるはずの勇者の力が再び貴様に宿る!!なぜ、こうも決して手に入らぬはずの力をたやすく手にする姿を我に見せる!?」

「ぐうう!!」

暴風ともいえる勢いでエルバに切りかかるウルノーガ。

その勢いに押されるエルバはどうにか刃を受け止めるのが精いっぱいで、腕全体に感じるしびれにかみしめて耐える。

あの余裕に満ちていたはずのウルノーガが初めてあらわにしたであろう感情。

その爆発がウルノーガの力をこれまで以上に高めているように感じた。

(ああ…そうだ。奴はいつも、いつも我に見せつける。誇るのでもなく、謙遜するでもなく、自然に見せる。それが…それが我を逆なでする…)

「馬鹿ね…ウルノーガ!あんたが怖がるべきなのはエルバと勇者の剣だけじゃないのよ!!」

「離れてください!皆さん!!」

「何!?」

セーニャの声が響くとともに、エルバと、彼を援護しようと接近しかけていたグレイグ達も下がる。

彼らの後退によって、ようやく感じることのできたビリビリとした空気の震えとそれを通じて感じる魔力。

今、彼女が放とうとする呪文が何かがすぐにわかったウルノーガの目が大きく開く。

既に時の王笏にはセーニャが放出した魔力のすべてが蓄積されている。

「(セニカ様…どうか私に…私たち姉妹に力を!!)マダンテ!!!」

すべての魔力を解き放つ最強の破壊呪文を唱え、時の王笏から解放された魔力がウルノーガの前で炸裂する。

爆発系の最上級呪文であるイオグランテとは違う、あまりの温度と魔力の凝縮によって青と紫の輝きを見せながら放たれる爆発。

その威力は周囲のガレキを薙ぎ払い、周囲の建造物や浮遊物をも吹き飛ばしていく。

「ぐ、ううううう!!!」

「なんて、破壊力の呪文なの!?」

少しでも気を緩めると自分たちまで吹き飛ばされかねず、それぞれが己の武器を地面にさし、力を籠めることでかろうじて抑える。

爆発の光の中で、ウルノーガがどのような状態になっているかはわからない。

プレッシャーを感じようとしても、今はマダンテの余波に耐えることに精いっぱいだ。

「すげえ呪文だぜ…さすがだな、セーニャ…」

「はあ、はあ、はあ…はい…」

カミュに褒められ、その場に座り込んだセーニャが笑顔を見せる。

生まれて初めて使った呪文を使ったとき、特に戦闘時にそうした呪文を使ったときに感じる倦怠感は大きいが、今回のマダンテから感じるそれはあまりにも大きい。

体中から魔力が根こそぎ使われた感じがして、下手をすると気を失いかねないほどの疲れだ。

「これまでの呪文…ならば、ウルノーガも…」

「いや…まだだ。まだ、生きている」

ロウの言葉を即座に否定したエルバは淡く光る2つの痣を見る。

痣に宿る勇者の力が教えてくれている。

魔王に奪われた力はいまだに生きていると。

煙が風と共に去り、そこには肉と骨が露出するほどの深々とした傷を負ったウルノーガの姿があった。

魔王の剣もひび割れており、満身創痍であることが目に見えている。

「ぐ、ぬうう…ぬかったわ。セニカの生まれ変わりよ…。よもや、マダンテなどを使うとは…」

「あの呪文の中を生きていたとは!?だが、今のやつならば…!」

もう立っているだけでやっとで、攻撃する力も残っていないであろう今のウルノーガであれば、一気にとどめを刺すことができる。

だが、異様なのはそれでもなお、油断さえさせてもらえないプレッシャーだ。

「認めよう…。勇者の力が恐ろしいことを。認めよう、貴様らの力を…」

再び目の当たりにすることになったあまりにもまぶしい力。

それ故に感じてしまう。

必死になって手に入れたこの力があくまでも模造品であることを、盗んだ宝石をただただ飾り付けているだけの虚飾にすぎないことを。

「だが…それ故に貴様らに負けるわけにはいかん。光と闇のすべてを御するためにも!!」

そう叫ぶウルノーガの勇者の痣が光り、その光が魔王の剣に宿る。

彼の手から離れた勇者の剣が天空を舞った後で、彼の心臓を正面から貫いた。

「な、なに!?」

「魔王の剣で…まさか、自殺を!?」

「フフフ…忘れたか…?この刃で命の大樹を切ったことを…。この刃には、命の大樹の力が宿っているのだ!!うおおおおおおお!!!!」

魔王の剣に宿るすべての力をその身に宿したウルノーガの肉体が魔王の剣ともども闇の球体へと変質していく。

そして、闇の球体がゆっくりと上昇していき、その中から紫の骸骨でできたドラゴンと骸骨となった巨大なウルノーガが姿を現した。

ウルノーガとドラゴン、両者の額には勇者の痣が刻み込まれていた。

「奴め…!勇者の力だけでなく、命の大樹の力のすべてをも取り込んだというのか!?」

「感じる…感じるぞ!!これが、ロトゼタシアに命をはぐくんだ命の大樹の力!?世界を創造する力!!」

「まずいぞ…足場が!!」

ドラゴンとウルノーガの咆哮とともに王の間部分が完全に崩壊していく。

エルバとロウはトベルーラを使うことで空中で移動できるが、それができないカミュ達となぜかセーニャも落ちていくしかない。

「カミュ、セーニャ!!」

「マルティナ、グレイグ、シルビア!!」

「セーニャ!?どうしたってんだお前はベロニカの力を受け継いだんだろ!?なら…」

「カミュ様…今の私には、魔力が残っていません」

「ないって…まさか、あの呪文のせいか!?ああ、なんてこった!!」

こうなったら自分もベロニカにトベルーラを教えてもらうんだったとひどく後悔するカミュだが、もうどうにもならない。

このままでは5人仲良く落ちていくことしかできない。

(そんな…ここまでなの…!?)

(何か…何か方法はないの?!)

(死ねぬ…まだ、死ねぬ!俺たちは!)

(せめて…せめて、セーニャだけでも!!)

(お姉さま…!)

(…マ、マぁ…)

「え…?」

セーニャの脳裏に不意に、小さな赤ん坊の声が響く。

それと同時に手にしている時の王笏のブルーオーブが再び光り、その光がセーニャ達5人に宿ると同時に落下が止まる。

「これは…トベルーラ!?」

「そう!これでみんなトベルーラが使えるわ!セーニャも、魔力が回復してる!さっさと戻るわよ!!」

「ベロニカ…へっ、お前…おいしいところをとっていきすぎなんだよ!!」

「うるさいわね!さっさと行きなさい!!」

「そうね…いくわよ、みんな!!って、あらら…トベルーラって、こんなに難しいのかしら?!」

さっそくエルバ達の元へ戻ろうとするシルビアだが、初めて使うトベルーラにまだ慣れておらず、若干不安定な動きを見せる。

若干呪文に心得のあるシルビアとグレイグはまだいいが、問題は呪文を一切習得していないマルティナだ。

突然魔力が使えるようになった変化に追いつけないであろう彼女だが、空中にポツリ、ポツリと残っている浮石を足場に見立て、跳躍していく形でトベルーラのやり方を自分なりにかみ砕いていく。

武闘家としての修行の一環として行った、わずかな足場から足場への飛び移りとそれによる登山。

その要領がこの場で確かにマルティナの中でできていた。

「どうしたんだ?セーニャ、急がねえとエルバと爺さんが!!」

「え、ええ…!」

若干遅れる形になったセーニャもカミュにせかされて上昇する。

九死に一生を得る形になったセーニャだが、このことには違和感を覚えていた。

(お姉さまが助けたと言っていましたが、本当なのでしょうか?それに、あの声は…)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第108話 1人と8人

空飛ぶ7人が刃と魔法、ウルノーガの竜の炎と魔王の爪が交差する。

エルバのギガスラッシュが放つ稲妻の刃は確かに魔王の肉体を切り裂くが、傷ついたはずの体が数秒も待たずにふさがれていく。

「勇者よ、貴様には感謝しているぞ。貴様が勇者の力を一時でも闇に染めたことで、我はこの高みにたどり着くことができたのだ」

「ああ、そうだ。お前に踊らされたとはいえ、こんな事態になったのは俺の責任だ。だから…ここでお前を倒す!ロトゼタシアの未来のために!」

命の大樹に宿るすべての命が今はウルノーガの力となっているが、それはわかり切っていること。

あきらめることなく空を飛び、今度はドルオーラを放つ。

2つの紋章の力によって放たれた勇者の光がウルノーガに接触するとともに大きな爆発を引き起こす。

だが、煙の中から健在な姿のウルノーガが現れ、巨大な手がエルバの体をつかむ。

「エルバ!!」

拘束されたエルバを救うべく、マルティナがその腕に向けて蹴りを放つ。

再生されるとはいえ、ほんのわずかの間だけでも時間がある。

そのわずかな間にダメ押しの蹴りを繰り返していく。

「哀れな姫よ、一国の姫としての幸せを失ってもなお戦い続けるとは。素直に野垂れ死んでいれば、このような結末を迎えずに済んだというのに」

「確かに…お父様と離れ離れになってしまった。周りの人から見たら、私は不幸かもしれない。けれど…少なくとも私は今の私を不幸だとは思わない!!私を救ってくれたロウ様、そして…希望があるから!!」

決して取り戻すことのできない17年。

だが、今はまだ取り戻せるものがある。

そして、それを取り戻すだけの力を手に入れることができたのはこの17年があったからこそ。

その力を脚に込めていく。

緑色の光を宿し、蹴りがエルバをつかむ手に炸裂する。

ビキビキと大きなひびが入ったその腕に今度はグレイグのグレイトアックスの刃が襲う。

腕が砕け、拘束から逃れたエルバが距離をとる。

エルバを救出した竜が炎を放つが、マルティナの前に立ったグレイグがデルカダールの盾で炎を受け止める。

「勇者の盾よ、貴様は見事な道化であったな。自らの仇が操る王にひざまずき、勇者の刃を向ける貴様の姿は見ものであったぞ」

「確かに、俺は貴様に力を貸してしまった。だからこそ、かつての盲目であった己もろとも貴様を葬る!世界のためにも…友のためにも!!」

重量なはずのグレイトアックスが幾重にも分身したように見えた瞬間、嵐のように振るい、炎をかき消す。

炎が消え、ジェスターシールドのどこまでも伸びる光の刃が竜の瞳に突き刺さる。

「道化師よ、笑顔などこの世界には無意味なのだ。笑顔にする程度で人も世界も変えることなどできん」

「悪いわね、ウルノーガちゃん。アタシが望んでいるのは表面だけの笑顔なんかじゃない!心の底から、思いっきりの笑顔が欲しいのよ!それができたとき、はじめて人も世界も変わる!そのためにも、あなたにはこの舞台から退場してもらうわよ!!」

光の刃がしなり、竜の瞳から引き抜かれたと同時にまるで竜のようなオーラをまとう。

本来は力のない魔法使いや旅芸人が扱う鞭に龍のような力強さが付加され、受けた相手の魔力を打ち消す極竜打ち。

しなやかでありながらも力強い一撃が竜の口元に向けて放たれ、それを受けた箇所に大きな傷が入る。

命の大樹の力で修復されていくそれだが、若干その回復が遅くなっているように見えた。

そこへめがけて、炎の爪を装備したロウが切りかかる。

「哀れな亡国の王よ、忌々しき勇者の末裔の一人よ。たとえこの戦いを生き延びたとしても、貴様に残された命は残り僅か。それでもなお戦うというのか?」

「そのようなこと、とうにわかっておる!じゃがな…わしにはそれでも生きねばならぬ理由がある!己の力を高めるのみに長き命を費やすのみの貴様にはわからぬ理屈よ、孤独な魔王よ!!」

龍に狙いを定めるロウ達に向けてウルノーガが放つドルモーア。

ロウが両手に力を込めて放つドルモーアとぶつかり合い、大きな爆発とともに相殺される。

だが、ウルノーガがドルモーアを放つときに使ったのは右手だけ。

左手にも闇の魔力をため込み、ドルモーアを放つ準備はできている。

これで消滅させてやろうと左手を振るおうとするが、手首に熱のこもった刃が突き刺さる。

それによって闇の球体の発射角度がずれ、ロウ達に当たることなく消えていく。

「薄汚い盗賊よ、貴様のおかげで計画を修正しなければならなくなった。わが道につまらぬ楔を打ち込んだこと、死を持って償え」

「俺がエルバの脱獄を手伝ったことか…?悪いけどよ、死ぬつもりはねえ!妹を迎えに行かなきゃならねえし、惚れた女との生活も待っているんだ!その邪魔をするんじゃねえ、どけよ!!」

レーヴァテインの2本の刃がカミュの手に戻り、左の刃に宿る炎が剣閃となってウルノーガを襲う。

炎をまとっているとはいえ、ウルノーガにとってのそれは煩わしい火の玉。

かき消してやろうと右手を伸ばす。

だが、右手を伸ばしたタイミングでカミュの体を炎のようなオーラが纏い、弾丸のようにウルノーガめがけて飛んでいく。

炎の剣閃がぶつかると同時に炎の刃がぶつかる。

かつて、盗賊ラゴスが編み出したというマグマのような炎を刃に宿して切り裂く超魔爆炎覇。

それが飛ばした炎の剣閃とともにぶつける奥義、超魔爆炎覇・双撃。

2つの紅蓮を受けた右手が炎上し、肉と脂の急速に焼けていくにおいが鼻につく。

さらにダメ押しと言わんばかりに巨大な火球がどこからともなく飛んでくる。

カミュが放った超魔爆炎覇・双撃に負けないほどの熱がウルノーガを襲う。

ウルノーガの視線が上空にいるセーニャに向けられるが、既にセーニャの手にはもう1撃の火球、極大火炎呪文メラガイアーを放つ準備が整っていた。

「忌々しいものだ、賢者の生まれ変わりよ。マダンテを放ってもなお、このような力を残している。何者だ?」

ウルノーガの瞳に映る今のセーニャはセニカの生まれ変わりというだけの存在には見えない。

それを持ちながらも、勇者のように届かない力を見せている存在に見えた。

「私は…私はセーニャ。天才魔法使いベロニカの双子の妹です!魔王ウルノーガ!!」

「やってやれよ、セーニャ!!」

「はい!!」

「させぬ…!!」

ウルノーガの目が赤く光り、激しく咆哮すると同時に炎上していた右手の炎が消え去る。

周囲にいたエルバ達が吹き飛ばされ、同時にセーニャの手に宿っていたメラガイアーの炎も消えてしまう。

「好きにはさせん!貴様を…!!」

炎が消え、回復していく右手がセーニャを襲う。

「セーニャ!!」

カミュがセーニャを守ろうと動くが、2人を竜の爪が襲い、邪魔者はいない。

あとはこの手でセーニャをつかみ、その華奢な体を握りつぶすこと。

それだけのはずだったが、セーニャをつかもうというギリギリのところでウルノーガの手が止まる。

「な…にぃ…!?」

ドクン、ドクンとセーニャを伝い何か強いものを感じる。

目を大きく開くウルノーガの瞳に映るセーニャ。

『何か』が、ウルノーガでは決して生み出せない『何か』がセーニャの中から感じた。

「なんだ…なんなのだ、これは!?セニカでも、ローシュでもない…なんなのだ、これは!?」

(パ・・・パァ…)

「これって…」

確かにウルノーガの爪で斬られたはずで、焼けるような痛みも感じていた。

だが、深々とできていたはずの傷が暖かい熱とともに消えて行っていた。

そして、脳裏にかすかに響いた誰かの声。

(感じる…かすかだけれど、確かに感じる…。私の中に…)

確かに命の大樹が失われ、世界は崩壊した。

だが、それでも命は生まれようとする。

それを今、セーニャは間近に感じている。

「命…そうか!!」

何かを感じたエルバがウルノーガの竜の部分に向けて飛ぶ。

接近してくるエルバは向けて炎を吐いてくるが、エルバは構うことなく突き進む。

「エルバ、いったい何を!?」

「みんな…悪い、時間を稼いでくれ!!」

水竜の剣から放つ水の力で炎をしのぎながら進んでいく。

セレンが遺した水竜の剣の力は確かにウルノーガの炎を防いでいる。

だが、いつまでもそれが通用するわけではなく、ピシピシと小刻みに響く音がそれを教えてくれる。

(もう少しだけ…持ちこたえてくれ!!)

水の力に包まれたエルバが炎をしのぎ、ウルノーガの口内へと突入する。

何かをしようとしていることを感じた竜はエルバを吐き出そうと力を籠める。

だが、その竜の口元に光の鞭と炎の刃が襲う。

「何をするつもりかはわからないけれど…援護するわよ!!」

「こういう時に見せるものだぜ…勇者の奇跡ってやつをよ!!」

 

「なぁ…いつまで黙っているんだ。いるんだろう?」

真っ暗なウルノーガの体内に入ったエルバは誰もいないその空間の中で声をかける。

エルバの背後には痣を取り戻してからずっと姿を見せなかったもう1人のエルバの幻影が姿を見せる。

「どうした…?俺を拒絶しないのか?」

「あんなことがなければ…な。だがな、こうして立ち上がって、またみんなと一緒に旅をして…感じた。俺の中の憎しみや怒りも、俺の中にある力の一つなんだってことにな」

どんなに突き詰めたとしても、心に宿る光と闇は消し去ることはできない。

カードの表裏のような正反対な存在は交わることはないが、共存する。

イシの村を一度は滅ぼしたデルカダール王国への激情も、裏を返せばエルバに宿る故郷とそこで一緒に暮らす人々への深い愛情の裏返しだった。

それに気づくためには、あまりにも多くの時間がかかってしまった。

だが、それでも気づくことができた。

「それがわかったから…気づけたから、俺の手に2つの勇者の痣が宿った。光も闇も、どちらも背負いきってやるさ」

「ふん…だから言ったんだ。俺を解放しろってな。だが…もう俺の役目も終わりらしい」

エルバの幻影がわずかに笑みを浮かべると、徐々に真っ白や雪のようにサラサラと流れて消えていく。

背後に起こっているそれをエルバは見ることなく、進んでいく。

「言ったからには、やってみせろよ。バカ勇者が…」

「ああ…じゃあな。もう1人の俺…」

そう言い残して先を進むエルバの目に留まったのは宙に浮く魔王の剣の姿だ。

ウルノーガの手に渡り、彼の力によって魔王の剣へと変えられてしまったかつての勇者の剣。

だが、たとえ姿かたちを変えられたとしても、その剣はまだ生きている。

エルバは魔王の剣に手を伸ばそうとするが、その剣から発する何かがそれをためらわせる。

ほんの少しでも気を緩めた瞬間、それに押しつぶされて発狂する己の姿が頭をよぎる。

かつて冥府へ行ったときに聞こえた死者の声と似たようなものを今、確かに感じた。

だが、これを取り戻さなければ、ウルノーガを止めることができない。

(エルバ…よくぞここまでたどり着きました)

「その声は…!?」

エルバをウルノーガの炎から守り抜き、ボロボロになった水竜の剣からセレンの声が響く。

やがて青い光に包まれた水竜の剣がエルバの手から離れていく。

(エルバ…やはりあなたは最後まで決してあきらめず、ここまでたどり着いてくれた。これから、あなたに最期の助力をします)

「助力…?」

(エルバ…今の魔王の剣には生まれるはずだった命たちであふれています。命を終え、大樹へと戻った命たちが今、ウルノーガの邪悪な力に操られている。その命をこれから鎮めます。その間に、あなたは取り戻すのです。かつて、ローシュが生み出した勇者の剣を!!)

「女王!!」

青い光を放つ水竜の剣が粉々に砕け散り、そこから現れたのは青い光でできた女王セレン。

彼女に魔王の剣が反応し、剣から黒い瘴気が発生すると、彼女を取り込もうとする。

(聞きなさい!生まれることを許されず、闇の牢獄にとらわれている命たちよ!!生まれることを許されず、魔王に囚われし命よ!今こそ解放の時が来た!!お前たちが生まれる未来のために、どうか勇者に力を!!)

瘴気に包まれるセレンの幻影だが、それに勝るほどの強い光を放ち、それがエルバを圧するものの力を弱める。

歩みを進め、剣を手に取るエルバだが、闇の瘴気はなおも発生し、エルバを飲み込もうとする。

「く、ううう…ウルノーガ、め…!!」

(エルバ!今はただ…彼らの声を聴きなさい!彼らが何を求めているのか!彼らが何を願うのかを!!)

「求め…願い…」

べっとりとした汗をかき、セレンの言葉に従って闇の瘴気からかすかに聞こえる声に耳を傾ける。

そこにあるのはウルノーガへの憤り、怒り、憎しみ。

確かにかつてのエルバとは親しみのある感情。

だが、それ以外に感じる強い思いがかすかに響く。

「そうか…そうだよな。もう1度、生まれたいと思っている!ロトゼタシアでもう1度、命を全うしたいと願っている!!」

その命の輪廻がロトゼタシアを包む。

よりよい未来への道しるべになる。

やがて、黒い瘴気が薄くなっていき、それが白い光へと変わっていく。

その光は熱を持っており、エルバと彼の手にある魔王の剣を暖める。

(ああ…そうか。助けてくれるんだな…みんなを…)

エルバの目の前に現れたのはかつて見た、在りし日のアーヴィンとエレノアの姿だ。

2人は優しく微笑みかけ、うなずくと同時に消えた。

そして、優しい光に包まれた魔王の剣にひびが入る。

「あるべき姿へ戻れ!勇者の剣!…迎えに来たぞ」

魔王の剣が粉々に砕け散り、その中に眠っていた勇者の剣が光を放ちながら甦る。

命の大樹にたどり着いて、初めて見たときの姿を残したままのそれを自らが作り上げた勇者の剣を交差させる。

2つの勇者の痣が輝き、2本のオリハルコンの刃に雷が宿る。

その刃を振り下ろすと同時に、エルバの周囲をまぶしい光が包み込んだ。

 

(…!?馬鹿な、これは!!?!?)

エルバを飲み込んでいた邪竜が苦しみだし、それがウルノーガにも伝わり始め、彼の体の回復が遅くなっていく。

「何が起こっているの!?」

「これは…皆さん、見てください!!」

セーニャが指さした邪龍に入っていくヒビからは光があふれ出し、やがて邪龍が粉々に砕け散る。

そして、光の中から現れたのは勇者の剣を取り戻したエルバの姿だった。

「おお…勇者の剣。ローシュ様の剣が戻ってきた…」

「エルバ…へっ、驚かせてくれるぜ!!」

「エルバ!!」

戻ってくるエルバにカミュ達が駆け寄る。

歓喜する仲間たちに笑みを見せたエルバはウルノーガに目を向ける。

邪竜を失い、同時に大樹と勇者の剣を失ったウルノーガの肉体は無残にも多くのひびが入り、左目部分はつぶれている。

徐々に朽ちていく右手にウルノーガは目を向ける。

「返してもらったぞ…お前が奪ったものを!!このまま…とどめを刺してやる」

ボロボロになっているウルノーガを見ても、エルバは決してかわいそうだとは思わない。

彼によって多くの命が失われ、多くの悲劇が生まれたのだから。

その災いのすべてを断つには、今この場で彼の命を奪うほかない。

(ククク…まさか、ここまでやるとはな…。見事だ、ローシュの生まれ変わりよ)

「今更負け惜しみか…?」

(いいや、素直に称賛したいのだ。貴様を。このウルノーガをまさか、これほど無残な姿にしてくれるとは…。だが、一見正しいと思った行動がすべての間違いへとつながることがある…。今から、貴様らにそれを教えてやろう!!)

朽ち果てつつある右手をあろうことか自らの左胸に突き刺す。

ウルノーガの異様な行動に動揺が走る中、ウルノーガは血反吐を吐きながら右手を抜いていく。

右手にはドクンドクンと生々しく鼓動する心臓が握られていて、そこには幾重にも魔法陣が刻まれる。

心臓から闇の瘴気があふれ出し、それがウルノーガを包み込んでいく。

「ウルノーガ、何を!?」

(あいつが言っていた最悪の事態…)

「お姉さま!?」

(みんな…気を付けて。本当の戦いはここからよ)

闇の瘴気の中で、朽ち果てつつあったウルノーガの肉体がスライム状のドロドロした何かへと変わっていく。

それが一度球体になった後でそれが新たな心臓へと変わり、そこを中心に肉体が形成されていく。

(勇者よ、かつての勇者の星の話を聞いたことがあるか?かつて、勇者ローシュが邪神を討滅したのちに世界を見守るために星となったという話を…)

「勇者の星…」

(ふん…甘い幻想だ。希望を失わせぬための作り話だ。その中に込めたものが絶望だということを教えてやる!!)

激しい風が起こり、周囲の瘴気が吹き飛んでいく。

トベルーラの魔力を維持し、どうにかその場にとどまったエルバの目に映ったのは瞳が幾重にも刻まれた黒い大きな蝙蝠の羽根に六本の腕を生やした、先ほどのウルノーガの倍以上にも巨大になった悪魔。

六本の腕にはそれぞれ剣、斧、杖、鎌、オーブ、槍が握られ、足に相当するものがない。

そして、竜のような頭が出来上がると、そこにある三つの瞳が開く。

(ニズゼルファ…神話の時代より無理やり封じ込めた絶望だ)

「ニズゼルファ…勇者の星!?」

(死ね!!!!)

ウルノーガの咆哮とともに彼の肉体が再び発生した闇の瘴気に覆われていく。

瘴気はウルノーガだけでなく、エルバ達もを巻き込んでいく。

そこから異変が起こるまで、一切時間はかからない。

「く…こ、これは!?」

「トベルーラが…維持できない!?」

「このままでは!!」

魔力を失ったエルバ達が落ちていく。

闇の瘴気から抜け出せたとしても、一度奪い尽くされた魔力をすぐに回復させることなどできず、トベルーラを再発動することはかなわない。

「そんな…ここまで来て…!!!」

「うわああああ!!!!」

落ちていくエルバ達。

だが、その中でもエルバの2つの痣は光を淡く放っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第109話 真実への扉

(エルバ、エルバ…)

魔力を失い、落下してからどれだけの時間が経過したのかはわからない。

いつの間にか意識を失っていたエルバの耳に誰かの声が届く。

起きようとするが、まるで体中に重りをつけられたような感覚があり、瞼を開くだけの力もない。

(真実を知る時が来たのよ。ウルノーガ…いいえ、邪神を倒すために。そのカギが今、ここにあるわ)

その言葉に対して、エルバが抱いたのは信じられないという思いだ。

ウルノーガが生み出した圧倒的な闇の力は一瞬で魔力を空っぽにしてしまった。

そんな力を攻略する鍵が本当にあるのかと。

あのローシュでさえ持つことがなかった2つの紋章の力をもってしても不可能だったというのに。

(ああ…もう!!いつまでも寝てるんじゃないわよ!さっさと起きなさい!!!)

とうとう声の主は堪忍袋の緒が切れ、ベシベシと頭を叩いてくる。

幼いころにペルラにいつまで寝ているんだとげんこつを受けた時があったのを思い出し、ようやくエルバは目を開く。

それと同時に、自分がいる空間に驚いたように飛び上がる。

そこは意識を失う直前に見た真っ暗な闇とは正反対の真っ白で透き通った空間だった。

そして、そこにいるとはベロニカだ。

「まったく、いつまで寝てるのよ!ほら、さっさとついてきなさい!!」

「ベロニカ…?ここは、いったい…?」

「説明は後!みんな、待ってるわよ!!」

エルバの腕をつかみ、強引に引っ張られるエルバはベロニカによって白い空間の先にある扉の前まで連れていかれる。

ベロニカが扉を開くと、そこにはカミュ達の姿があった。

「エルバ!お前も無事だったんだな!」

「カミュ…みんな…」

「私たち、お姉さまに連れられてここへ…」

「で、あんたが最後ってこと。さあ…説明してもらうわよ。ホメロス」

「何…!?」

「ホメロスですって!?」

ベロニカが口にしたまさかの名前に騒然となる中、ベロニカの隣にいきなりホメロスが姿を現す。

その姿は世界が崩壊した後の道化師の物でも、魔人化したものでもない、かつてのデルカダール将軍であったころのものだ。

「待っていた、お前たちを」

「待っていただと…?ホメロス、お前は…」

「今更許されるとは思っていない。だが…俺なりに、助力をさせてもらう。デルカダールを…いや、ロトゼタシアを守るために」

「今更信じられるかよ…お前のために、どれだけの人間が!?」

「そのようなことは百も承知だ。それだけのことを確かにしてきたのだからな…信じられないなら、今この場で俺を切れ」

「言われなくても…」

「待て、カミュ」

レーヴァテインを抜くカミュの前にグレイグが立ちはだかり、今にも燃え上がろうとする刃をつかむ。

「確かに、俺は己の闇に付け込まれ、ウルノーガに味方した。そして、命の大樹を奪い、世界を崩壊させた。決して許されぬ罪。おそらく、たとえ命の大樹の加護を受け、何度生まれ変わろうとも消えない…。そして、ウルノーガに従い六軍王とともにロトゼタシアを侵略する中、俺は預言者と出会った」

「預言者…だと!?お前も!?」

「そうだ…貴様も預言者と出会い、勇者とともに戦う宿命を背負ったな、カミュよ。俺は預言者から教えられた。俺に待つ運命、俺の破滅を…」

「ホメロス…」

「預言者に救われた俺の為すべきこと、それはロトゼタシアに未来をもたらすもの達を闇の立場から導くこと。たとえ命を失おうとも、成し遂げなければならない。これが俺のできる贖罪…。もっとも、自己満足にすぎないがな」

自嘲するように笑うホメロスの言葉にエルバ達は言葉を失う。

ホメロスの言葉が正しければ、エルバとグレイグがデルカダールで相対したときには既にそのために動いていたということになる。

彼がその腹積もりで動いているとはだれも思わなかった。

「邪悪の神と化したウルノーガは今、ロトゼタシアすべてを闇で覆うだけの力を手に入れた。だが、これはウルノーガもろとも邪悪の神を葬る最大の好機でもある」

「邪悪の神もろとも…じゃと?」

「そうです、ホメロス様。既にあなた方はその名前を知っている…。そう、勇者の星に刻まれた名前を…」

「お待ちください!まさか…勇者の星は…」

「そう…勇者の星に封印されていた邪神の名、それがニズゼルファだ。奴は勇者の星を破壊し、封印されたニズゼルファの力を手に入れた。だが、邪神の力はあまりにも強大すぎた。ウルノーガが望むのはロトゼタシアを支配すること。だが、ニズゼルファの力はロトゼタシアを完全に破壊するほどのもの。それを使うことを決意したということは…もはや奴はこの世界もろとも勇者を滅ぼすつもりだろう」

「そうじゃ、これは勇者と邪悪の神の戦い…かつての戦いはまだ終わっていないということじゃ」

ホメロスの隣に淡い光が生まれ、声とともに光の中から預言者が姿を現す。

その手には赤い魔石が埋め込まれた金の首飾りが握られていた。

「セーニャ、ベロニカ。賢者セニカの魂を受け継ぐ者たちよ、おぬしらの勇者の導き手としての使命を果たすときじゃ」

「私たちの…?」

「セニカの魂が記憶している。あの戦いの真実、ニズゼルファの真実を。この首飾りをつけよ。そして、それから聞こえてくる声に身を任せるのじゃ」

「声…」

「セーニャ!」

ベロニカが駆け寄り、2人の体が首飾りから生まれる淡い光に包まれていく。

光はやがて部屋中を包み込んでいき、それが消えたと同時に広がったのは真夜中の禁足地。

「禁足地…?」

「セーニャ…ベロニカ、おい、どこへ行ったんだよ!?」

2人の姿が見えないカミュがあたりを見渡す。

その中で見つけたのは4人の人影。

同時に聞こえたのは槌が金属を叩く甲高い音だった。

「これは…」

「そう…忘れもしないわ。この光景を…」

背後から聞こえた声にエルバ達は振り返る。

そこには青いオーラに包まれ、瞳の色が青く染まっているセーニャの姿があった。

声は確かにセーニャのものだが、その言動は彼女の物ではない。

「セーニャ…なのか…?」

「今の彼女はセニカの魂に身を任せている。安心せよ、真実を伝え終えれば元に戻る。見よ」

預言者が空を指さすと、見えたのはケトスの姿で、人影の一人が剣を空に掲げる。

その剣はエルバの手にある勇者の剣で、彼の左手には勇者の痣が刻まれていた。

「ローシュ…ネルセン…ウラノス…。そして、私…セニカ。私たちはケトスとともに空へ向かい、邪神を追った」

ケトスの鳴き声が響き渡ると同時に光景が変化し、今度は暗闇に包まれた空の上へと変化する。

金色の光に包まれたローシュ達と相対するのは薄緑色の甲冑と白い仮面をつけた巨大な人型の化け物。

化け物の右手は3本の鋭い爪であり、左手が球体のような形状をしていて、仮面に隠れた目からは冷たい何かが感じられた。

「あれが…邪神なの!?」

「そう…。邪神ニズゼルファ。かの邪神によって、ロトゼタシアは滅びの時を迎えていた。その中で命の大樹に選ばれたローシュが生まれ、仲間たちが集い…こうして決戦を繰り広げた」

彼らの戦いは熾烈を極め、どんな呪文も技もニズゼルファが生み出す闇がかき消していく。

そして、彼が放つ炎や呪文によって一方的に傷つけられていく中、ローシュが持つ勇者の剣が痣に反応して光り輝き、闇を消し去った。

そのことで彼らの攻撃が通じるようになり、やがてローシュがギガスラッシュで胴体に大きな一撃を与えると、ニズゼルファの巨体が地上へと転落していく。

その落ちた場所は今ではサマディーが存在する砂漠地帯だった。

巨大なニズゼルファの肉体が落ちた場所には巨大なクレーターができ、あおむけに倒れているそれに頭上に降り立ったのはローシュとウラノスだった。

「はあ、はあ…邪悪の神、ニズゼルファ…。ここで、とどめを刺す…!」

あとはこの勇者の剣で一撃をぶつければいい。

長い旅も、勇者の使命もこれで終わる。

(邪悪の神の最期か…)

ローシュの後姿を見つめるウラノスの脳裏に浮かんだのはローシュとの旅の思い出だ。

ドゥルダ郷で初めて出会ったとき、ウラノスは一介の修行僧だった。

恵まれた才能と力や技術を得るための貪欲な姿勢が初代大師に認められ、周囲からも一目置かれていた。

その中で、勇者としての力を得るために訪れたローシュと出会った。

入って早々、次々とドゥルダに伝わる呪文や技術を習得していくローシュに対して抱いたのは嫉妬だった。

自分よりも後から来たくせに、自分を上回るスピードで成長していき、しかも勇者といういかに努力したとしても決して届くことのない力を持つローシュ。

その存在を許すことができなかった。

それでも、ともに修行を続ける中で互いのことを知り、修行を終えた旅立つローシュについていく道を選んだ。

多くの敵と戦い、その中でドゥルダ郷の中では学ぶことのできないものを学ぶことができ、強くなることができた。

だが、ローシュは自分以上にさらに力をつけていき、勇者として多くの人々から称賛された。

もちろん仲間であるネルセン達も称賛されるが、ローシュほどではない。

いつまでも自分にないものをすべて取っていき、見せびらかすローシュ。

そんな彼に勝てないまま、終わってしまうのか。

(どうした…?ここで終わっていいのか?)

急に空が黒く染まり、風がやむ。

剣を手にしたローシュの動きが止まり、ウラノスの目の前には真っ黒なオーラで包まれたウラノスに似た幻影が姿を現す。

「貴様は!!」

(答えろ、ここで終わっていいのか?これでは、お前は一生ローシュに勝てない)

幻影の声は明らかにウラノスと同じものだが、どこか自分を見下し、嘲笑っているような感じがした。

身構えるウラノスに幻影は口角を吊り上げていく。

(気に入らない、気に入らない奴だよな。勇者というものは。命の大樹に選ばれたというだけで周りから称賛され、お前が血反吐を吐くほどの努力をして習得したものでさえ、あっさりと、何事もないように覚えていく。これじゃあ、お前の立つ瀬がないよなあ…)

「それは、仕方が…」

(仕方がない?勇者と自分とは違う生き物だから?それでいつも納得していたな。本当はそんなことを望んでいないにもかかわらず)

「黙れ!!」

(くれてやろう、勇者を超える力を…。ローシュに勝つ力を…)

「ウラノス、どうした?」

ウラノスの様子がおかしいことを感じたローシュの声がかすかに聞こえるが、それ以上にあの幻影の声がウラノスの心を深く浸食していた。

己の心を見透かし、甘くささやいてくるその声をいつもなら抑えることができただろう。

だが、その声が指摘する本心は事実であり、それこそがウラノスの心を揺さぶる。

それを仕向ける存在の正体が何か、それはわかっていた。

「ウラノス!!」

「ローシュ!!くっ…!!」

近づいてくるローシュを振り払うようにウラノスが腕を振るうとともに炎が発生する。

いきなり起こった炎に思わず下がったローシュの目に映ったのはナイフを抜いたウラノスの姿だった。

「どうしたというんだ、ウラノス!!」

「ローシュ…すまん!!奴は…ニズゼルファが私の心にとりつきおった!今にも…お前を殺そうと!!」

脂汗をかき、震えるほどに力の入った右手を見る。

頭の中では必死に力を抜き、ナイフを手放すことを命令するが、腕はそれを一切聞く様子がない。

このままではローシュを殺そうと動くだろう。

そして、ローシュは助けようと動く。

「ローシュ!!早くニズゼルファを殺せ!!取り返しがつかなくなる前に!!」

「ウラノス!!」

「うわああああああ!!!」

絶叫とともに、ウラノスは己の腹に向けて何度もナイフを突き出す。

血が噴き出て、鋭い痛みと熱が腹から伝わってくる。

ウラノス本人はどうせナイフを手放せないなら、首を切って死んでやろうと考えていた。

だが、刺すのは腹ばかりだ。

簡単には死ねないうえに苦痛を感じる箇所を何度も。

そして、そんな仲間の異変に目をつむり、ニズゼルファを殺すことだけを考えることができるほど、ローシュはできてはいなかった。

「やめろ、やめろウラノス!!ニズゼルファ、ウラノスを解放しろ!!」

これ以上己を傷つけるウラノスを見ているわけにはいかず、勇者の剣を手放したローシュがウラノスの血でぬれた右腕を両腕で抑える。

抑える両手から伝わる力はとても普段のウラノスのものとは思えないほどで、下手をするとネルセンの怪力をしのぐのではないかとさえ錯覚してしまう。

「離れろ!!離れろローシュ!!私一人のために、このチャンスを無駄にするつもりか!?やめろ、ロー…」

これ以上の言葉が出なかった。

わずかに揺れる視線が写したのはローシュの腹部に触れる己の左手。

そこから放たれる呪文によっておこる爆発の光。

至近距離まで接近されたときに無力となることの多い魔法使い。

それ故に抱くであろう相手の油断をつく、ウラノスが生み出した呪文の一つであるライトニングバスター。

振れた相手の体内に幾十幾百ものイオを炸裂させるそれはたとえ相手が鎧をまとおうと分厚い毛皮に覆われようとも関係ない。

体内で炸裂するそれは骨も内蔵も粉砕し、皮の中は血と肉のたまり場へと変貌させる。

その証拠に、ローシュの体は見た目では変化はないものの、グニャリと骨がなくなったかのように曲がり、そのままあおむけに倒れてしまった。

目を開いたまま、口から血を流して倒れるローシュの顔を見たウラノスの目が大きく開く。

「あ、あ、ああ、ああああ、あ…」

(よくやった、ウラノス。契約として、お前にくれてやろう。闇の力を…)

「あああああああああああ!!!!!!!!」

両手で頭を抱え、涙を流しながら絶叫するウラノスの体がどす黒い闇に包まれていく。

やがて、その姿はエルバ達にとっては見覚えのある姿に変わっていく。

「なん、じゃと…!?」

「まさか、ウラノス様が…」

ただでさえ、ローシュが殺された光景だけでもショッキングであることにもかかわらず、さらに追い打ちをかけるように見せられる光景をだれも信じられない。

ポツリと、エルバだけが変化したウラノスの名を口にした。

「…ウルノーガ…」

変化した当初は無表情であったウルノーガだが、ローシュの遺体を見た後でニヤリと笑うと、一瞬でその姿を消してしまった。

やがて、どこからかセニカとネルセンがやってくる。

「これは…いったい、どうなっているのだ!?」

倒れているニズゼルファは戦っていた本人であるネルセンにはわかり切っている光景だ。

確かに上空での戦いでニズゼルファはローシュの一撃によって深手を負ったのだから。

だが、その肉体の上で血を吐いて横たわっているローシュの姿にネルセンの思考が凍り付く。

ともにいるはずのウラノスの姿がないことも気になる中、セニカがローシュに駆け寄る。

彼の肉体に触れ、その冷たさと状態からわかりたくないことがセニカにはわかってしまう。

内臓と骨を完膚なきまでに粉砕されてしまったローシュをもう自分の呪文では治すことができない。

たとえ、肉体を修復させることができたとしても、もうローシュの生命力が失われている以上、生き返ることなどない。

「ローシュ…ローシュ、どうして…どうしてぇ!?」

「くっ…!!」

ローシュの遺体に縋り付き、泣き崩れるセニカの姿を見るネルセンは拳を握りしめ、空を仰ぐことしかできなかった。

「そう…ウラノスは勝てなかった。己の闇に。その闇が勇者を殺し、ウルノーガへと変貌させた。そして、このロトゼタシアを破滅へと導いたのだ」

「じゃあ…勇者の星というのは…」

「見ておけ、勇者の星の正体を…」

預言者が手を叩くと同時に一気に時間が進み、ニズゼルファの周囲にはかつて、エルバ達が見た神の民たちが集結し、その戦闘には勇者の剣を手にしたセニカが立っていた。

「ローシュが死んだ今、もはやニズゼルファを完全に滅ぼすことはできぬ…。せめて、封印するして時間を稼ぐほかあるまい」

「ええ…。それが、今の私たちにできる精一杯…。これより、邪神の肉体を封印し、空へ閉じ込めます。皆様の力をお貸しください」

神の民に告げたセニカは時の王笏に己の魔力を籠め、ニズゼルファの肉体を巨大な魔法陣で包み込む。

やがて魔法陣は赤い球体へと変化していき、それがニズゼルファの肉体を閉じ込め、徐々に空へと挙げていく。

空に上がる赤い球体に向けて、神の民たちが手をかざし、魔力を送り込むと、球体に光で古代文字が刻まれていく。

「…邪悪なる神の肉体をこの星に封じる。その名はニズゼルファ。我々は為すべきを為すことができず、未来へこの負の遺産を残すことになった。だが、我らは願う。未来に生きる者たちがいつの日か、ニズゼルファを滅ぼすことを…。勇者の星に刻まれた文字だ」

勇者の星となったニズゼルファの肉体は空へと飛んでいき、やがてエルバ達が幼いころから見ていた赤い星へと変わっていった。

「終わったな、セニカよ…」

「いいえ、これは始まりに過ぎないわ。私たちはニズゼルファという闇を滅ぼすことができなかった。封印も、永遠に続くとは限らない。いつか必ず破られて、再びニズゼルファが世界を滅ぼそうとするでしょう。その時のために…やるべきことをやるわ」

「そうだな…。それが、今の俺たちのできることだな」

「ええ…。この勇者の剣は命の大樹におさめるわ。ロトゼタシアに再び危機が訪れるなら、その時に再び勇者が生まれる。その勇者に託すためにも…」

 

「そして、セニカは勇者の剣を命の大樹の中核に封印した。だが、セニカは聖地ラムダへは戻らず、各地を旅することとなった」

「それは、ニズゼルファへの備えのためなのか?」

「それもある。だが…それ以上に、彼女が求めたのはローシュ。再びローシュと会うこと。彼女はローシュと深く愛し合っていたからな。彼のことをあきらめることができなかったのだ…」

「…」

そのセニカの行動にエルバは言葉が出なかった。

きっと、その行動はかつて故郷を失った過去にとらわれ、復讐を選んだ自分と同じように見えたから。

古代図書館にたどり着き、そこでひたすらに過去の書物を読み続けるセニカの姿は時が流れるにつれて老いていく。

そして、再び景色が変わり、巨大な塔の前へと変わっていく。

その塔はエルバ達も見たことがないもので、門の上の部分には歯車のような紋章が刻まれていた。

そこへ背中に剣を背負い、杖をつくセニカが入っていく。

「ゼーランダ山よりも北にある地、岩山で覆われ、人が入ることが難しいこの地にはロトゼタシアが生まれてから存在する塔がある。この塔の役目はロトゼタシアの流れたときを記録することだ」

「忘れられた塔…昔、お父様から聞いたことがあるわ。本当に存在するのかはわからないと言っていたけれど…」

「実在するのだ。だが、その存在を知られることで悪用される可能性がある。故に岩山で周囲を覆い、結界によって行く手を阻んだ。故にニズゼルファもウルノーガも、この地に足を踏み入れることができなかった」

「なら、セニカ様はどうやってそれを…」

「破邪の秘法を使ったのだ。それで破邪の力を高めたトラマナを使い、結界を突破した。最も、それでも多くの輝聖石を使うことになり、セニカ本人も全ての魔力を使い果たすこととなったが…」

魔力を使い果たしたセニカは疲労に苦しみながらも塔に入り、ただひたすらに登っていく。

何物にも侵されていない聖域の中を進み続け、やがてセニカはその最上階へとたどり着く。

最上階の中央には淡く輝く黄金のオーブが祭壇の上に置かれていた。

これこそがセニカの望みをかなえるもの。

「時のオーブ…ようやく、たどり着くことができたわ。ローシュ…」

杖を手放し、剣を抜いたセニカはよろよろと時のオーブへと近づいていく。

「セニカ様は何をしようとしているの…??」

「時のオーブを破壊しようとしているのだ。これを破壊することで時の流れが乱れ、過去へと戻ることができる。最も、そのようなことは大いなる力を持つ者にしか許されぬがな。見よ」

願いを込めて剣を振るうセニカだが、オーブを守るように黄金のバリアが生まれ、それに接触しただけで剣は粉々に砕け散ってしまった。

この剣は決してどこにでもある剣ではなく、ヘビーメタルによって作られた聖剣である天命の剣だ。

勇者ではないセニカが時のオーブを破壊することは決して許されなかった。

「そん…な…」

粉々になった天命のつるぎを見たセニカがその場に崩れ落ちる。

ローシュに会いたいとひたすらに費やしたすべてが無駄だったのだと悟り、やがて限界を迎えた彼女はその場に倒れる。

彼女の肉体は時のオーブの光にさらされて徐々に変化していき、やがてそれは時の番人へと変わっていった。

 

「これが…結末…」

ニズゼルファを滅ぼすことができずに死んだローシュ、愛する彼と再会することが果たせなかったセニカ。

そして、ウルノーガへと変貌してしまったウラノス。

彼らの姿にエルバ達は何も言うことができなかった。

「そうだ…。あまりにも悲しい結末だろう。だが、これが真実なのだ」

やがて光景が元の部屋へと戻り、姿を消していたセーニャとベロニカが再び姿を現す。

二人もこの光景を見ていたようで、ベロニカは声を出すことができずに立ち尽くし、セーニャの目から涙がこぼれていた。

「セーニャ、ベロニカ…よくぞ、勇者の導き手の役目を果たしてくれた。感謝するぞい」

「ロウ様…ありがとうございます」

「あたしも、こんなことになっていたなんて、思わなかったけれど」

「いろいろ教えてくれたのはありがてえけどな、問題なのは…あんただ」

カミュの視線がここまで雄弁に語ってきた預言者に向けられる。

邪神のことについてはわかったが、まだわかっていないことが一つだけある。

「あんたは何者なんだ?ローシュのことは知っていて、しかも俺に預言だなんて言って、エルバと一緒に旅をするように仕向けた。ま、結果としてマヤを救うことができて、セーニャと出会うことができたって点には感謝するけどな」

彼のことを、いろいろと知っているであろうホメロスにはかせてもいいが、それよりも預言者本人に話させた方が信ぴょう性がある。

ニズゼルファと戦うことについては覚悟している。

だが、一つでも疑問が解消されないまま終わることが、何よりも預言者のペースに乗せられたまま話が終わることがカミュにとって納得がいかない。

「いいだろう、では…私の真実を話そう。ロウよ、シルバーオーブを出すのじゃ」

「わ、わかりました…」

預言者の言葉に従い、シルバーオーブを出すと、預言者の姿が銀色の光に代わってシルバーオーブの中へ消えていく。

やがて、シルバーオーブを中心に魔石を加えた鳥の頭のような飾りがついた杖へと変貌する。

そして、杖から放たれる光が生み出した姿にエルバ達の目が大きく開く。

「あなたは…」

「嘘、だろ…?」

「驚いたであろう、これが預言者の真の姿だ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第110話 魂の解放

「そうだ、今世の勇者よ。これがお前たちが預言者と呼ぶ者の正体だ」

光の中で服装が徐々に緑色の魔導士のローブへと変化させ、背丈や髪の色も別人のように変わっていく。

その姿はエルバ達が先ほど見た光景で見た男と同一と言っていい姿だった。

「ウラノス…様!?」

「どういうことだよ…だってよ、ウルノーガがウラノスなんだろ?じゃあ、ここにいるのは偽物なのかよ!?」

「偽物…。それは正しいとも言えて、間違いともいえる。いかにも、私はウラノス。しいて言えば、ウラノスの砕けた心の一部…。彼の心は嫉妬するとともに、尊敬していた男をこの手で殺したその時、壊れたのだ。肉体と残った心の一部はウルノーガとなってしまったが、わずかにウルノーガとならずに済んだ心が集まり、我となった。すべては、闇に落ちたウラノスを殺すため、そして来るべき時、今度こそニズゼルファを倒すために」

「信じられねえ…」

「信じられない…そう思うのも致し方のないことだわ。実際に、私もこうして預言者となったウラノスと直接会ってもなお、なかなか信じられなかったわ」

ウラノスのそばに突然現れる女性が目を閉じて、その時の光景を思い浮かべながら口を開く。

死んだローシュにもう1度会うすべを求めて立ち寄った古代図書館の中で本を読み漁っていた時に会ったとき、思わず彼を殺しそうになった。

だが、彼の意志とやるべきことを聞いたことで時間はかかったものの、矛を収めることができた。

「セニカ様…どうして!?」

「セニカ様は忘れられた塔の中で…」

「ええ…私はローシュのことが忘れられなかった。そして、時の流れに逆らってまで会おうとして、果たせなかった…。そして、時の番人と化した。けれど、ようやく目を覚ましたわ。あの人に会うために、そして…世界のために」

「セニカは何も、自分のためだけの時を遡ろうとしたのではない。ニズゼルファを倒すためには、是が否でもローシュの存在が必要なのだ。時のオーブの破壊はその可能性の一つ。それがついえた今、なすべき手はもう1つだけ残っている。今、シルバーオーブが生み出した神鳥の杖、そして6つのオーブに宿りし我らが魂だ」

宙に舞う神鳥の杖を中心に、カミュ達が持っている5つのオーブが輪になって回り始める。

1つ1つのオーブは光を放ち、次第にそれに宿る魂の正体のシルエットとなり、やがて神鳥の杖に宿るシルバーオーブにもウラノスを模したシルエットが浮かぶ。

「ニズゼルファの力をも奪った今のウルノーガはもはやニズゼルファに匹敵する邪神と言えよう。だが、世界は調和を保つために動くもので、邪神の闇が世界を覆うまさにその時、それにあらがおうと光が強まる。その光の源は命の大樹」

「命の大樹にはロトゼタシアで生まれ、生き、死んでいった命が宿る。もちろん、その中にはあの人もいる。神鳥の杖に祈りを捧げ、それぞれのオーブに宿る魂の力を解放し、命の大樹に眠るあの人を呼び覚ます」

「ローシュの元にわれらの力を結集させ、邪神を包む闇の障壁を払おう。これで、ニズゼルファに肉薄することができる。そのあとは、今世の勇者よ、おぬしたちの手で邪神と化した我を滅ぼし、ロトゼタシアを救うのだ」

ローシュが倒れてからの気の遠くなる時間をかけて、残されたローシュの仲間たちが作り出した、ロトゼタシアを救うための一手。

どれほど困難な道なのかはたとえロウであったとしても分からないだろう。

だからこそ、わからないからこそ、その道の困難の道を進む必要のない未来を作る必要がある。

セニカがエルバの前へ歩いて近づき、彼の頬にそっと触れる。

「ローシュの生まれ変わりのエルバ…。確かにあなたは、あの人とよく似ているわね。あなたたちに後を託すしかないことは悔しいけれど、あなたたちなら…きっと、できるわ」

「セニカ様…」

「あなたの愛する人を、幸せにしてあげなさい。私たちのようになってはだめよ」

「役者がそろったようだな」

パープルオーブが光るとともに姿を現したネルセンの言葉にセニカとウラノスがうなずく。

ネルセンだけでなく、それぞれのオーブに宿る魂であるパノンやラゴス、ネイルも姿を現した。

「さあ、始めるぞ。セニカ、ウラノス。奴を叩き起こしにな。貴様にも協力してもらうぞ、ホメロスよ」

「ああ…。これが、俺の最期の役目だ」

ネルセンの言葉にうなずき、腰に差している剣を抜き、切っ先をグレイグに向ける。

「ホメロス…俺は…」

「何も言うな、友よ…いや、もはや俺にお前の友と呼ばれる資格はないな。あれほどのことをしたのだから…」

「すまない…もっと早く、お前の思いに気づいていれば…」

「何を言っている。気づいてどうしたというのだ、お前は…。甘すぎる男だな、いや…そういう甘さを、優しさを最後まで捨てない人間だからこそ、英雄になれるということか」

事情など聴くことなく、さっさと自分を切り捨てればよかったものを。

結局天空魔城まで決着に時間がかかってしまったが、それでもロトゼタシアを救うにはまだ間に合う。

「ともに戦おう…。あの頃のように」

「ああ、友よ…」

ホメロスとグレイグの拳がぶつかり合うとともに、ホメロスが白い光となって消えていく。

光はグレイグの鎧に宿り、やがてそれは白と黒のツートンのマントのついた金色の鎧へと変化していく。

(黄金色に輝くであろうロトゼタシアの未来…必ず守れよ、グレイグ…)

「ああ…もちろんだ。ホメロス」

 

「神鳥の杖に祈りを捧げてオーブに宿る魂を解放して、その力でローシュ様を目覚めさせて、闇を払う…。やることはわかったけれど、問題は奴の攻撃を耐え続けることね」

「そうね、それにあの闇のせいでトベルーラも維持できないわ。実際、そのせいでアタシ達は落ちちゃってたわ」

「それならば心配いらぬ」

「…お前は!?」

目の前に突然現れた存在にエルバは声を上げる。

何の脈絡もなく現れたそれはこんな場所に決しているはずのない存在だ。

「嘘だろ…フランベルグかよ!?」

「こんなところまでエルバちゃんの元に来て…どうなってるのかしら??」

神出鬼没な彼には何度も助けられることにはなったものの、このあり得ない空間にも姿を見せたのだとしたら、もはや馬の姿をした何か別の存在のように見えてしまう。

「何を言っておる、確かにフランベルグと呼ばれているその馬は天空魔城に突入するまで、お前たちとともにいたぞ。最も、サマディーとホムラの里では話は別のようだが」

「一緒にいた…??」

フランベルグは確かにケトスに乗って聖地ラムダを旅立った時に他の馬とともに預けていたはず。

それからは馬をほとんど使っておらず、サマディーからホムラへ向かう際もほとんど徒歩で移動していた。

フランベルグが一緒にいるはずがない。

「まだわからぬか。ならば、見せてやろう。お前の馬の正体を」

ウラノスが指を鳴らすと、フランベルグの背後に巨大な光のシルエットが現れ、その形はクジラのような形をしていた。

「クジラ…まさか!?」

「まさか…フランベルグが、ケトス様なのか!?」

「ケトスは勇者を見守り、時にはその身を守るためにその魂を地上に移していたの。ちょうど、あなたが暮らしていたイシの村で…」

「とても信じられない…でも、どこか納得する感じがする…」

おそらく、そのことを知ったら村の人々は驚くかもしれない。

自分たちが村一番の名馬と呼んだそれがまさか神の乗り物で、ローシュとともに戦っていた存在のかりそめの物だったとは夢にも思うまい。

「さあ、始めるぞ…。最後の戦いだ」

エルバの手に握られている2本の勇者の剣。

2本が生み出す光がエルバ達を包みこんでいった。

 

「落ちたか、哀れな勇者め」

エルバ達が落ちて行ってしばらく経過し、その間にもウルノーガを包む闇の瘴気が濃くなっていく。

あとはその瘴気をロトゼタシアすべてに注ぎ込み、完全な闇に閉ざす。

ゆくゆくはロトゼタシア以外の世界にも闇をもたらす。

もうそれを邪魔をするものは存在しない。

六軍王などという存在も用意したが、こうなった以上そういった存在も必要ない。

「我こそが、この新たな世界の…うん??」

黒一色に染まりつつある闇の中には似つかわしくないシミのような白い光。

最初は見間違いかと思えるくらいのか弱い光だったが、徐々にその光は強まっていく。

「忌々しい光だ…消えろ!!」

ウルノーガの手がその光に向かって伸びる。

だが、その光に触れた瞬間しびれるような痛みが襲う。

そして、ウルノーガはその光の正体を目にする。

黄金の鎧を身にまとったケトス、そしてその背に乗るエルバ達の姿だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第111話 祈り

「不愉快な光よ…消えろ!!」

ウルノーガのオーブが怪しく光り、同時に上空に複数の魔法陣が出現する。

魔法陣からは隕石が落ちてきて、それらがエルバ達が乗るケトスを襲う。

ケトスの周囲に展開されている光の障壁がそれを受け止めてはいるものの、頭上の浮かぶ神鳥の杖に祈りを捧げているエルバ達に激しい衝撃と揺れが襲う。

「今は…今は祈るしかないのね!!」

「耐えるのじゃ!今、焦って攻撃をしてもどうにもならぬ!とにかく…とにかく祈るのじゃ!!」

(そうです、祈りこそが今のウルノーガへの最大の攻撃となります。そして、呼び覚ましてください。命の大樹に眠る勇者の魂を!!)

エルバ達の祈りが神鳥の杖からオーブへと伝わっていき、やがてレッドオーブに宿るラゴスの魂が現出する。

現出されたラゴスのシルエットを見たウルノーガは手にしている剣をそれに向けてふるう。

山を切り裂くほどの力を秘めた剣劇だが、刃は魂を切り裂くことはできない。

ようやく魂の一つを呼び起こすことができたが、まだ1人目。

あと5人の魂を呼び覚まさなければならず、ケトスのバリアもいつまで持つかわからない。

「やるぞ…ここで倒れては、ロトゼタシアの終わりだ…!!」

 

「はあ、はあ…てやんでえ…ようやくお天道様が見えたってのに、いきなり夜になってんじゃねえぞ…」

返り血と己の血で赤く染まった鎧姿となったジエーゴの周囲には数多くの魔物の死体が転がる。

ソルティコにいる騎士やシルビアのナカマたちも長く続く戦いに疲れ果て、こうして魔物の攻撃が若干収まっているときのほんのわずかな時間だけでも睡眠と回復に使わなければ、もう戦闘不能になってもおかしくないくらいになっている。

こうして前線で戦っているジエーゴも、ここまで激しい戦いは初めてで、老齢に差し掛かっていることもあり、ここにきて体にガタがきはじめているのを感じ始めていた。

自分以上に高齢であるにもかかわらず、魔王とも戦っているロウがうらやましく思える。

「弱気になってんじゃねえぞ、てめえら!この真っ暗な空で、死に物狂いで戦っている奴らがいる!!ここであいつらの帰る場所を守らねえでどうする!!」

背後から迫るイビルビーストを逆手で握った剣で的確に心臓を貫く。

ジエーゴの脳裏に浮かぶのはウルノーガと戦っている息子たちの姿だった。

(ゴリアテ、グレイグ…てめえら、さっさと終わらせて帰ってきやがれ。特にゴリアテ…もし本当にこの世界に光を取り戻したってなら、この俺でも笑っちまうだろうな。ガーベラよぉ…まだおめえの元へ逝くのは…先になるぜ!!)

 

「撃て撃て撃てぇ!村に魔物を近づけるなぁ!!!」

ナギムナー村への入り口を封鎖するように布陣した漁船たちが取り付けられた大砲を放ち、マーマンなどの魔物たちを迎撃する。

大砲を使えない漁師たちは小舟に乗って船に迫る魔物を銛で迎え撃つ。

世界が崩壊してから漁に出られなくなった彼らは倒した魔物の肉を食べることでどうにか生活していた。

魔王にとっても戦略的な価値のないそこはほかの地域と比較すると魔物の侵攻も少なかったが今回は違った。

まるで今まで猫をかぶっていただけだったかのように圧倒的な数の魔物が迫り、中にはクラーゴンの姿もある。

大砲を撃つ漁師たちにとって気がかりなのは大砲の残りの弾数だ。

元々はクラーゴンなどの巨大な魔物を退治するためのものであり、そうした機会が少ないことから普段大砲の整備と弾薬の在庫の管理をしてくれている大砲ばあさんも世界崩壊後はどうにか大砲の数や弾薬の確保に動いてくれたが、それでもこの情勢では数をそろえることはできなかった。

しかし、漁師たちもまた魚だけでなく、襲ってくる魔物たちとも命がけで戦ってきた身。

そして、大切な故郷の危機という中では今ある武器で戦うしかない。

「くそ…倒しても、倒しても…次から次へと…」

折れて使い物にならなくなった銛を捨て、一緒の小舟に乗っている仲間の漁師から新しい銛を譲り受けたキナイだが、体中が傷だらけになっていて、左目は血でぬれて視界が赤く染まっている。

額に巻いている布は血で赤く染まり、銛を持つ手は少しでも気を抜くと力が抜けてしまう。

「キナイ!お前、戦いっぱなしだぞ!今からでも戻って治療を…!」

「今は一人でも抜けれる余裕があるのかよ…!!それに、まだ…俺は戦える!!」

キナイの脳裏に浮かぶのはあの夜に出会い、そして別れたロミアの姿だ。

かつては自分と母親の人生を狂わせた忌むべき存在として憎んでいたというのに、今はどこの海にいるかもわからない彼女の身を案じる自分がいる。

(俺たちの海を…彼女が歌う海を…これ以上汚させるわけにはいくか…!!)

 

「忌々しいものだな…希望の火というものは…」

エルバ達との戦いを始めてから、ウルノーガは余興としてデルカダールをはじめとしたロトゼタシアの国々をランダムに闇へと沈めていった。

勇者がここにいて、助けなどこない状況であるにもかかわらず、その闇から感じたのはこの状況にあらがおうとする人々の魂。

その一つ一つの心が光となり、それがウルノーガをいらだたせる。

「光の根源よ…消えよ!!」

光の源である勇者たちを殺すべく、口から闇の炎を放ち、炎がケトスを襲う。

バリアに阻まれながらも炎はバリアごとケトスを包み込んでいき、その視界を封じていく。

炎が晴れると同時に、正面からウルノーガの剣が襲い掛かる。

巨大な質量の剣とバリアがぶつかり合い、どうにか受け止めきることのできたケトスではあるが、バリアに大きなひびが入り、それが肉眼でも容易に見えるほどだった。

「あの剣に当たるわけにはいかない…!!」

距離を離したとしても隕石や呪文、闇の炎が襲い掛かり、接近すればウルノーガが手にしている武器による攻撃が来る。

あの巨体による攻撃を受けたとしたら、どんなに守りを固めたとしても人間であれば一撃で押しつぶされることになるだろう。

「頼む…こんなに祈ってるんだから、さっさと出てきてくれよ!!ロトゼタシアの危機なんだぜ!?」

両手を掲げ、祈りを捧げるカミュの言葉が届いたのか、グリーンオーブから放たれた光がネイルのシルエットを生み出す。

ラゴス、ネルセン、ネイル…。

ようやく3人の魂が現出し、あと3人。

 

「神よ…どうか、どうか…勇者たちに勝利を。ロトゼタシアに光を…」

闇に包まれた聖地ラムダの神殿の中で、ファーガスを戦闘に戦うことのできない人々がひざまずき、祈りを捧げる。

聖地ラムダにも魔物たちが襲来しており、戦える男たちは武器や呪文で戦いを繰り広げている。

エルバ達が来た後で、キラゴルドによる騒動が収まったクレイモランからラムダ防衛のために兵士を派遣してくれたものの、それでも今は聖地に入り込ませないようにすることだけで精一杯だ。

上空からも魔物たちが襲うものの、聖地ラムダを包む結界が、ファーガスが唱えたマホカトールがそれを阻んでいる。

そして、祈る人々の中にはセーニャとベロニカの両親、そしてマヤの姿もあった。

(兄貴…勇者様。どうすれば勝てるんだよ?どうしたら、ロトゼタシアが平和になるんだよ…!!)

もし戦うだけの力があるなら、今すぐにでも飛び出して自分を受け入れてくれたここを守るために戦いたい。

だが、黄金の首飾りは既に力を失い、キラゴルドになるための力の源であったゴールドオーブもない。

念のためにファーガスに体の状態を検査してもらったが、残留している力も何一つない状態とのことだ。

喜ばしいことかもしれないが、今はそれが恨めしいとも思えてしまった。

 

「負傷者は下がってください!!3組は上空の魔物に向けて炎を!!」

サンポの指揮のもと、ドゥルダ郷へ襲来する魔物たちが修行僧たちによる攻撃によって数匹が撃破される。

地面に落ちる魔物の死体に目もくれず、サンポは魔物たちの次の手を見定める。

デルカダールが闇に落ちたときでさえ、まだ光があったドゥルダ郷だが、今は夜のように暗く閉ざされ、魔物たちが時は今とばかりに襲い掛かってくる。

1匹倒したとしても、2匹3匹と続けて襲ってくる状況で、今では修業を初めて日の浅い修行僧をも駆り出さなければならないほどひっ迫していた。

負傷した修行僧は寺院の中で賢明な治療が施されており、戦えない者たちは炊き出しや負傷者の世話をする者がいれば、魔物への恐怖で身動きが取れないものもいる。

魔物の気配がより強くなり、数も増しているのをひしひしと感じる。

そして、傷ついたり戦死する修行僧が現れ、徐々に数が減っていくのは郷の方だ。

「私にも、ニマ大師と同じ力があれば…」

かつて、ニマが郷を守るために発動したメガトロン。

ニマやロウ、ファーガスが使うことができたマホカトール。

そうした行為の呪文を使うことのできない己に憤慨する。

にもかかわらず、郷を守るためにこうして先頭に立っている現状。

やはり自分はニマの代わりになれない、仮初でしかないのか。

(…いいや、まだです。今は嘆いている場合ではないのですから…!どうか、冥府でお見届けください、ニマ大師!!)

たとえニマの半分も力がなかったとしても、できることがあるはず。

眼鏡を直したサンポは再び集中し、魔物たちの動きの予測を開始した。

 

「もう…バリアが持たない!!」

修復が終わっていない箇所にウルノーガの放った隕石が直撃し、隕石ともどもバリアが砕け散る。

傷だらけになっているケトスの様子からして、再びバリアを展開できるかどうか不透明な状態で、同時にウルノーガの配下の魔物たちがケトスとその背に乗るエルバ達を襲う。

「くっ…皆は祈りを!!魔物は私が!!」

「グレイグ!!」

グレイトアックスを抜いたグレイスはそれでデルカダールの盾を激しくたたく。

「魔物どもよ!!デルカダールの将軍の一人にして、勇者の盾たるグレイグはここだ!!勇者を倒したくば、先にこの俺を倒して見せよ!!この俺がいる限り、指一本触れさせん!!」

そのことを証明するかのように、頭上にいるドラゴンライダーに向けてグレイトアックスを振るい、そこから発生する風の刃がドラゴンと騎士の肉体を両断する。

グレイグの声と彼自身の強さに反応し、魔物たちが大勢で彼に襲い掛かる。

デルカダールの盾とホメロスの遺志を宿した鎧が全方位から襲い掛かる攻撃を受け止め、グレイトアックスの刃と力が魔物たちを葬っていく。

その間にエルバ達は神鳥の杖に祈りを捧げ続け、ケトスはバリアを再び展開しようと力を籠める。

だが、足元から激しい振動が襲い、同時にケトスも体勢を崩しかける。

「な、なんだよ、急に!?」

(下です…下からも攻撃が!)

ケトスの真下、エルバ達にとっては完全に死角となっているところに魔物の一部が集結し、ケトスに集中攻撃を仕掛ける。

いかに神の乗り物と呼ばれ、鎧を身にまとったケトスでも、やがてはこの集中攻撃に耐えきれなくなる。

「俺が下に行って…」

(その必要はない)

「何!?」

声が響くと同時に、ケトスにブレスを放とうとした赤い瞳のスカイドラゴンの頭部が闇の魔力に包まれ、破砕されていく。

更にはドラゴンライダー数匹とビーライダーなどの魔物も風をまとった剣閃に襲われ、次々と脱落する。

魔物たちの視線はグレーの光に包まれ、浮遊する人間に向けられる。

「ホメロス!?お前…」

「お前は見える範囲の敵に集中しろ!お前がいけないところは…俺がやる。それが俺が為すべきだったことだ」

人間の、将軍だった姿に戻り、プラチナソード2本を握るホメロスの手は若干透けている。

(元々無理にここへきている身だ…。だが、今この体が持つまでの間は…)

ウラノスの力により、一時的に生と死のはざまでよみがえった霊体であるホメロス。

彼からも言われたが、この霊体の状態でロトゼタシアにつなぎとめられる時間はわずか。

その間だけですべてのオーブの魂を解放するまでケトスの死角を守り切るのは難しい。

「ホメロスよ…勇者の力まで与えてやったというのに、だが…いい余興であったぞ。貴様のおかげで強くなった勇者と戦うことができ、そして、邪神として覚醒することができた」

「俺からも礼を言わせてもらう。貴様のおかげで、俺の心の弱さを痛いほどに思い知ることができた。その礼をさせてもらう。貴様の邪魔をすることでだ!!」

「できるかな…?一度は闇に落ち、人であることすら捨てた貴様が…?」

「やる…。それがほんのわずかな時間であっても、それが…今の俺にできる贖罪だ」

「その贖罪、付き合わせてもらう」

「何??」

声が聞こえたと同時にどこからともなく飛んできた光の矢がホメロスとケトスの周囲で攻撃を仕掛けようとした魔物たちを次々と貫いていく。

生き残った魔物たちも、そこから矢継ぎ早に迫る光の人影によって斬られていった。

「おいおい、これは…」

「我ら、ホムラの里の武者!一時のみ死者の国より戻り、加勢いたす!!」

ホメロスと同じ淡い光に包まれた武者たちの中に、かつてのハリマの姿があり、刀を抜いた彼の指揮によって武者たちが更に襲い掛かる魔物たちへの攻撃を開始する。

「そうか、お前があの…」

「ホメロス殿…母から聞きました。思惑があったとはいえ、里を救う助力をして頂いたこと、心より感謝いたします」

「ホメロスだけでなく、ハリマ殿まで…」

「みんなが、俺たちに力を…」

「それは当然のことさ。なんたって、あんたたちが紡いできたつながり、あんたたちがともしてきた希望の炎を考えればさ」

「うおお…太師様、いつの間に!?」

当然のようにケトスの背の上に、ホメロスと同じ光をまとって現れたニマにロウ達が驚きを見せ、その中でニマは正面からとびかかるグレイトドラゴンを巨大な氷の刃で撃ちぬいた。

「ボサッとしてんじゃないよ!!あたいらがこの世界にいられる時間はわずか!!その間にさっさとお祈りを済ませちまいな!!」

「は、はいー--」

少しでも手を抜いたら、修行の時のようにお尻叩き棒で思いっきりひっぱたかれてしまう。

その恐怖がよみがえり、ロウは一心不乱に神鳥の杖に祈りを捧げる。

「勇者エルバ…よくぞここまで、暗黒に包まれたロトゼタシアに希望の炎をともしてくれました」

「その声は…女王セレン!!」

真上から放たれる青い光の中から、セレンを先頭にムウレアの戦士たちが出てくる。

いずれもホメロスらと同じ光で全身が包まれており、セレンの姿は初めて見たときと同じ若々しいものだった。

「エルバ…あなたは旅の中で人々に希望を与えた、あなたのあきらめない心が今、邪神と化したウルノーガを超える力を生み出しつつあります。勇者の力だけでも、勇者の剣だけでも…邪神を倒すことはできなかった。けれど、今は生死を超えて、ロトゼタシアを守るために戦っている人々が世界中にいるのです。聞くのです、その声を。見るのです、その姿を」

セレンの杖から放たれる光。

それがエルバ達に地上で戦っている人々の姿を映し出す。

そのいずれも、エルバ達が旅をする中で知り合った人々で、その誰もが今のこの状況をあきらめていない。

「パパ…みんな!!」

「ユグドラシルの…ユグノアの民たち…」

「陛下…!」

「エマ、ペルラ母さん、みんな…」

「へへ…マヤの奴、ビビっている奴の尻を蹴ってやがる!」

「ええい…あきらめの悪い亡者どもめ、闇の中へ還るがいい!」

「いいでしょう…邪神よ!ならば、その闇の中で、お前が滅ぶのを見させてもらいます!!」

「皆のもの、我に続け!!」

セレンとハリマ、ホメロス、ニマの姿が光へと変わり、それに続くように武者たちやムウレアの戦士たちの姿も光となり、それらがウルノーガに向けて突撃していく。

数多くの光がぶつかり、それに押されるように闇に守られていたはずのウルノーガの体が大きく吹き飛ばされる。

「これが…最後だ!!」

「お願いします…お姉さま!!」

最後に残ったブルーオーブから放たれた魂、ベロニカの魂が本来の彼女の姿を模した光のシルエットに変化する。

ネルセン、ネイル、ウラノス、ラゴス、パノン、ベロニカ。

6つの魂の輝きが立ち直ろうとするウルノーガの周囲に展開されていく。

「さあ、道は開けた…!」

「いけ、セニカ!!ローシュを目覚めさせるのだ!!」

「ええ…!!」

淡い光で身を包んだセニカが姿を見せるとともに、6人の力が生み出す巨大な魔法陣がウルノーガを縛り付ける。

そして、セニカはウルノーガの肉体へと飛び込んでいった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第112話 復活

暗い、月や星の光も日の光も一切入らない闇の中、木の根に包まれた状態で男は眠りにつく。

いったいいつからここで眠っているのか、そしてどうしてここにいるのかなどもう思い出せない。

ただ感じるのはこの木の根のゆりかごが心地よく、いつまでも眠っていたいと思えるところだ。

光が一切ささないこの空間の中では、これだけが安らぎになる。

時間も何もわからず、何も聞こえないそこでただ静かに眠ること。

それだけが彼の為すべきことだった。

「ここに、いたのね…私の、愛しい人…」

ここで眠りにつき、何百年ぶりに聞く女性の声。

しかもそれは、かつての旅の中で出会い、友に旅をし、愛をはぐくんだ最愛の女性の声。

声を聴くだけで脳裏に彼女との思い出がよみがえる。

旅の中、時折2人っきりで街を歩き、自分が選んだアクセサリーを渡して、それを身に着けたときに見せてくれたとびきりの笑顔。

キャンプで火の番をしている時に他愛のない話を続け、笑い合う中で朝を迎えたとき。

笑い合うだけでなく、今では些細に思える原因で喧嘩した記憶も、今では何物にも代えがたい彼の大切な思い出だ。

「迎えに来たわ。遅くなって、ごめんなさい。ローシュ…」

「セニ…カ…」

「目を覚まして、ローシュ…ロトゼタシアの未来のために…」

声が近づいてくるにつれ、瞼越しからも見える、あれからずっと見ることのなかった光。

優しくて暖かい光を見たいと思い、ゆっくりと目を開く。

それと同時に体全体に感じたのはセニカの体温で、鈍くなった感覚では彼女に抱きしめられたことに気づくのに時間がかかってしまった。

「やっと、やっと会えた…。ずっと、会いたかった…」

「セニカ…俺の、セニカ…すまない、すまない…」

抱きしめ返すローシュには、それしかいう言葉が見つからなかった。

こうして抱きしめ合う中で、その声で、そのぬくもりで、ここにたどり着くまでにどれだけ彼女に苦労を掛けてしまったのかがわかってしまう。

「すまない…あの時、ウラノスを止めることができていれば…あの時、ニズゼルファを倒すことができていれば…」

「いいの…。あなたがここにいる、あなたの声が聞けて、あなたのぬくもりを感じることができる…ただ、それだけで私は…」

「セニカ…」

抱きしめている中で、ローシュの痣が光り始める。

眠りについてからは一度も光ることのなかった痣がよみがえり、同時に脳裏に邪神と化したウルノーガの姿、そして彼を包む闇の瘴気の存在が脳裏に浮かぶ。

「セニカ…わかった。為すべきことを為そう。ロトゼタシアと、俺たちの未来のために」

「ええ…ローシュ…」

 

「これは…!!」

セニカがウルノーガの体内に突入してからわずかに時間が過ぎ、彼女と思われる魂に導かれるようにもう1つの、黄金色に輝く人影が飛び出してくる。

ウルノーガの視線はその人影に向けられる。

「貴様…ローシュか!!」

「久しぶりだな、ウルノーガ。ニズゼルファの力まで自分のものにするとはな」

光がわずかに薄れ、エルバによく似た顔立ちをした青年の顔がはっきりと見えてくる。

彼が右手に力を籠めると、勇者の剣に似た剣が出現し、同時に彼の痣が強い光を放つ。

「やめよ…やめよ、ローシュ!!光を、これ以上その力を見せるな!!」

「ウルノーガ、いや…ウラノスの悪意。哀れだな…あれほどの力を持っておきながら、勇者の力だって、手に入れることができたというのに…」

剣を握るローシュには目の前の存在をもはや邪神、もしくはウルノーガとして映していない。

自分という存在への嫉妬心から暴走し、力を本来どう使うべきかを忘れてしまった哀れな男。

「俺も、お前という男がうらやましかった。貰い物の力じゃない、自分の才能と努力だけでどこまでも力を貪欲に探究し、手に入れてきたお前が。ウラノスと比較するなって、セニカに叱られたよ…」

与えられた力であろうと、努力と才能によって手に入れた力であろうとも、同じ力である以上、それは誰かを守るために使うべき。

ドゥルダ郷で出会い、意地を張りあって決闘をしてしまったときに当時の大師から言われたことを思い出す。

自分より強い存在に嫉妬するだけでは何の解決にもならない。

本当の意味で、自分の力を認めることができるのはそれを生み出した、手にすることができた自分だけ。

「お前の闇を、お前の業を…今、ここで晴らす!!」

「やめろおおおおおおお!!!」

ウルノーガの手が伸びるのを構うことなく、ローシュが剣を振るう。

嵐のような光がウルノーガの目の前で炸裂し、ケトスやウルノーガの周囲に飛んでいた魔物たちを巻き込んで闇を消し飛ばしていく。

上空の雲が斬れ、そこから一筋の光がロトゼタシアに降る。

闇が消え、残ったのは魔物にも瘴気にも守られていないウルノーガと、その周囲を飛ぶケトス、そしてローシュと5人の仲間、そしてベロニカの魂だけだ。

「今を生きる勇者エルバ、俺の生まれ変わりよ…俺たちがロトゼタシアのために、お前たちのためにしてやれることはこれが最後だ」

「どうか、守り抜いてください。命が生まれ、死んでいき、また生まれるこの世界を」

「生まれた命が、己の意思で生きる道を選ぶことのできるこの世界を」

「善と悪、そのすべてを受け止め続けるこの世界を」

ウルノーガの闇を払ったことで、すべての力を使い切った魂たちの光が徐々に薄れていく。

当然、その中にはベロニカも含まれていた。

「今度こそ、本当にお別れね」

「お姉さま…私…お姉さまにもっとお話ししたいことが!!」

命の大樹に向かう前に、ベロニカにいうことのできなかった言葉。

魂だけとなったベロニカとはこの戦いの果てに、別れる時が来ることはわかっている。

だが、せめてあの時言えなかったことを言うだけの時間を与えてほしい。

そう願うセーニャだが、そんな妹にベロニカは笑って首を横に振る。

「大丈夫…もう、全部わかってるから…」

「お姉さま…」

「ベロニカ…魂だけになっても、ずっと私たちのために戦ってくれてありがとう」

「あとはアタシ達とエルバちゃんに任せて、ゆっくり休んで」

「ん…。そうさせてもらうわ」

光に導かれるように空へと向かう魂たち。

もう戻ってくることのないそれらにセーニャが手を伸ばす。

「お姉さま!!」

「大丈夫、未来はもうすぐ来る。アタシ達は…また、すぐに会えるから…」

その言葉を最後に、ローシュ達の魂が空へと消えていく。

そして、エルバの両手の痣が光り、それに連動するように6つのオーブが強い光を放つ。

「これは…この、力は!」

(勇者よ、そして…勇者のもとに集いし者たちよ)

「女王セレン…!」

(今こそ、邪神を滅ぼし、神話の時代より続く戦いを終えるとき、さあ…オーブよ。勇者たちの力に!!)

オーブの力が宿る武器から発する光がそれぞれの所有者を包んでいく。

カミュは黒いコートと縞模様が刻まれたバンダナへとその姿を変化させる。

かつて、盗賊ラゴスがローシュと共に当時の海を支配していたという海賊キャプテン・クロウを倒した際に手に入れた戦利品である大海賊のコートとバンダナが今世の盗賊の力となった。

セーニャの左手にはかつて、ベロニカが使っていた杖が出現し、同時に首にはベロニカがつけていた首飾りが出現する。

ベロニカとセーニャの2つに分かれていたセニカの賢者としての力が首飾りの仲介によって本来の一つの力へと変換されていた。

シルビアの身を包むのはピンクと白のツートンで胸元が開いたスーツで、背中には派手なピンクの羽根飾りがつき、さらには額には青い宝石のついた冠がついた。

ジェスターシールドから引き抜いた光剣を手にし、騎士として鍛え抜かれた肉体を持つ今のシルビアは旅芸人と騎士、ジエーゴとガーベラの力を確かに受け継いでいることを証明していた。

ロウの服装もまた、深紅のマントと冠姿という、かつてのユグノア国王としての姿を彷彿とさせる姿となり、オーブの力を開く鍵となった神鳥の杖が吸い込むようにロウの右手へと向かっていく。

マルティナの鎧化が一度解除され、同時に身に着けている緑色の武闘着が左肩の黄金の竜の頭の飾りがついた青いチャイナドレスへと変化し、その上で再び魔甲拳が鎧化するとともに出現した長刀を振るう。

グレイグの身を包む鎧はかつて、ネルセンが身に着けていた深紅の鎧兜へと変化し、グレイトアックスとデルカダールの盾を手にしたグレイグは在りし日の彼の生き写しと言ってもおかしくない姿となっていた。

「終わらせる…かつての勇者ローシュの分も、何もかも全部!!」

エルバの決意に答えるように両手の痣の輝きが強くなる。

脳裏に浮かぶのは、勇者の痣を手にしたホメロスの行い。

腕に宿っていた勇者の痣が頭へ移動し、完全開放した力によって銀色の翼をもつ魔人となった。

ホメロスの言っていた勇者の痣の力の先。

もしそれを2つの勇者の痣を持つエルバが発動したなら、もしかしたらかつてのホメロス以上の力を手に入れることができるかもしれない。

エルバがやろうとしていることはウルノーガも気づいている。

彼の決意とローシュ達の残した最後の力が勇者の力を増幅させていて、今ここで仕留めなければならないという危機感を覚え、手にしている剣を振るう。

だが、振り下ろされた刃はエルバ達には届かず、上空に現れたユグノアの甲冑姿の男のハヤブサの剣が受け止める。

「父さん…」

「エルバ、どうか終わらせてくれ…お前の手で、お前自身が積み上げてきた、手にしてきた力で!!」

消えていくアーウィンの背中を見つめるエルバがうなずくとともに、彼の体をかつてのローシュが身に着けていた青い闘衣が包んでいく。

両手に宿っていた痣が額へと向かい、額全体を包むように巨大な紋章へと変貌を遂げていく。

邪神とかした今の自分よりもはるかに小さいはずのその人間に対して、ウルノーガが抱くのは恐怖心だ。

「化け物、めが…!!」

「ああ、お前にはそう見えるだろうな。お前以上の化け物になろうとしている、俺が!!だがな、お前の言う化け物と、一緒にするなよ…」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第113話 夜明け前

「負けぬ…決して、もう2度と負けぬ…我は邪神ウルノーガなり!!」

ウルノーガの目が光るとともに周囲に6つのオーブのような光が生まれ、それを中心に闇の瘴気をまとった、かつての六軍王たちが姿を現す。

六軍王たちはいっせいにエルバ達に襲い掛かり、カミュ達はそれぞれに六軍王たちの相手をする。

「エルバ、こいつらは俺たちに任せろ!!」

「エルバ様はウルノーガを…邪神を討ち取ってください!!」

「…わかった、任せる」

いずれも六軍王のエルバ一人では倒すことができず、仲間たちがいてやっと倒せた魔物たち。

それをカミュ達がそれぞれ単独で戦うとなってはかつてのエルバであればためらっただろう。

だが、今は違う。

彼らならばこの六軍王たちを倒してくれるという確信がある。

「おおおおおお!!!!」

これまでの冷静さのないウルノーガの剣がエルバに降りかかる。

それに対してエルバが見せたのは右手に持つ剣を納め、そしてがら空きになった右手でその剣を受け止めることだった。

勇者の力を使い、魔人と化したかつてのホメロスが見せた技、カラミティエンド。

あの技の破壊力は、オリハルコンでできたはずの勇者の剣にひびを入れたうえで内臓にまで達するダメージを負ったエルバだからこそわかる。

そして、この技を素手でやらなければならない意味も。

「はああああ!!!」

叫ぶエルバはそのまま手刀を受け止めたばかりの剣に向けてふるう。

勇者の力が一転に集中させたカラミティエンドが一撃で剣を真っ二つに切り裂いた。

そして、剣を受け止めた箇所は全く出血しておらず、無傷な状態だった。

「本気を出せよ…」

「何?」

「おびえていないで本気を出せ…そう言っているんだよ、邪神ウルノーガ!!」

「なめたことを言いおって…おごるな、小僧ぉぉぉぉ!!!」

 

「大丈夫、もう大丈夫ですから、ほら、出血が止まりましたよ!!」

砦を守り、傷ついた兵士の血まみれの腕にエマが包帯を巻く。

エルバ達によってデルカダールが解放され、ユグドラシルやソルティコ、ダーハルーネから物資が支給されたことで食料や薬などで余裕ができていた最後の砦だが、再び闇に包まれてからも魔物たちの猛攻により、薬があとわずかになっていた。

神父や回復呪文を使える人々が率先して協力してくれているが、それでも限界があり、独ならまだしも、病気となった場合は有効な回復呪文は限られる。

回復呪文が使えないなりにと介護をするエマだが、疲労の色が濃くなっており、目にクマができている。

「エマ姉ちゃん、少し休んだら?」

エマの手伝いをするマノロをはじめ、周囲の人々にもエマの疲労が目に見えてわかる。

ペルラからも休めと言われているが、休む気配がない。

(エルバ…戦ってるんだよね?私、知ってるよ。夜明け前が一番暗いんだってことを)

 

「また貴様と戦うことになるとはな、ゾルデ!!」

ゾルデが召喚する幻影たちをグレイトアックスが生み出す旋風で切り裂いたグレイグがその勢いのままその刃をゾルデの双剣にぶつける。

ぶつかり合う中でグレイグの脳裏からは彼に負けるイメージが完全に消えた。

デルカダールで戦っていた時と比べて強くなったこともそうだが、目の前のゾルデからはその時に感じた覇気が感じられない。

彼がかつて敗れた存在がよみがえったものなのか、それとも邪神ウルノーガが生み出した分身なのかは判断できない。

一つだけ言えるのは、かつて戦ったゾルデよりも弱いということだ。

 

ゾルデをはじめとした六軍王と戦うグレイグ達よりもはるかに高い空で、エルバとウルノーガがぶつかり合う。

エルバが放ったカラミティエンドで叩き折られた剣を捨てたウルノーガが杖から煉獄の炎を放つ。

それとエルバのドルオーラがぶつかり合い、その地点を中心に大きな爆発が起こる。

「あ…」

爆発の衝撃で吹き飛ぶエルバだが、その脳裏に不思議な光景が浮かぶ。

目に浮かぶそのすべてはエルバにとっては見たことのない景色、そして見たことのない邪悪な存在。

先ほどウルノーガが放ったものに匹敵するほどの炎を吐き2本脚で紫の巨竜にドクロの首飾りをつけた6本の手足と蝙蝠の羽根がついた邪神、オレンジ色の包囲を身にまとった青い肌の巨人。

腹部にも顔があり、生々しい緑の体をした三つ目の悪魔、1対の翼と4本の腕、棘の生えた尻尾を生やした巨竜、次元のはざまから姿を現す血のような赤い2本の手と2本角の悪魔の頭。

「なんだ…この、魔物は…」

目に浮かぶ魔物たちからはいずれもウルノーガに匹敵するプレッシャーが感じられた。

それも、ウルノーガとは違い、本体と相まみえていないにもかかわらず。

まだ魔物たちの姿が目に浮かび、むき出しになっている紫の脳が印象に残る蛇のような巨竜や赤紫の肌で髭を生やし、邪神と化したウルノーガに匹敵する巨体を持つ魔人、薄緑色で細身の体に目の模様のある羽根のついた悪魔、大鎌を振るい、緑の燕尾服姿をした死神のような魔人。

浮かんできたすべてから感じられたのは世界を滅ぼすほどの力と闇。

「勇者エルバ…見えたな、貴様も…!!」

「何…??」

「今、わかった。光と闇を!!光と闇はカードの表裏、故にどちらかが存在する限り、どちらも永遠に消えることはない!!たとえ、今ここで貴様らを殺し、ロトゼタシアを滅ぼしたとしても、生まれるであろう!!新たな光が!!」

エルバが見えた魔物たちに対して、ウルノーガもまた見えてしまった。

ローシュと同じ剣を手にした3人の剣士たち。

それとは違うものの、宝玉を口にした竜を模した柄がある剣を手にする者や腕に不思議な模様な痣を宿した漁師の少年、兵士の身でありながら、ありとあらゆる呪いを弾く力を持つ男、天使の羽根と輪を失ったにもかかわらず、人々を救うために走る天使、世界を守るために異世界であろうと時であろうとも駆け抜けていく、2つの血肉を持つ者。

それらからウルノーガが感じたのは、いずれもエルバと同じく勇者としての力、そして世界を救わんとする意志を持つ者たち、忌々しい光。

「そして、光と闇はぶつかり合う!互いの存在を否定しながら、互いの存在がなければ存在しえないことを知りながら!!我らの戦いはその永遠に続く戦うの一幕にすぎん!!」

矢が放たれ、ドルオーラを放って消耗したエルバの左腕をかすめる。

かすめただけでも肉がえぐれ、そこから血が噴き出るものの、ローシュの衣の力が徐々にそれをいやしていく。

「そうなる運命であるとわかっていながら、光と闇は生み出された!!たとえ、どれほどの力が生まれようとも、こうして永遠に戦い合う運命!!どんなに素晴らしいことか!!」

「素晴らしい…だと!?」

「勇者を超えるだけで終わりではないということだ!新たに生まれるであろう光の力をも超え、さらなる高みへ行く。感謝するぞ、勇者エルバ!その輝かしい未来を見せてくれたことを!!」

高笑いと共にウルノーガの剣を失った手の魔力が凝縮していく。

それがエルバに向けて放たれ、そこから何かを感じてよけようとするエルバだが、その魔力はどこまでもエルバを追いかけていき、加速していく。

「死ね、勇者よ!そして、かつてのローシュのように生まれ変わるといい!!再び、我を高みへと導くためにも!!」

追いかけていく魔力が解放されるとともに、エルバを巻き込んですさまじい爆発を引き起こす。

エルバがホメロスのカラミティエンドを使ったように、ウルノーガもまたセーニャの放ったマダンテを使って見せた。

その爆発は六軍王と戦いカミュ達にも聞こえ、見えるほどのすさまじいものだった。

「エルバー-----!!!」

キラゴルドの爪をレーヴァテインで受け止めていたカミュが爆発の中にいるであろう相棒の名を叫ぶ。

真昼のような光に照らされ、その光の中に消えていくであろうエルバにウルノーガが声をかける。

「消えるがいい、勇者よ。そして、再び生まれてくるがいい。永遠のこの輪廻の中に…」

光が生まれる限り、いくらでも戦い続け、力を得続ける。

その夢の第一弾として、今エルバは葬られる。

かつてセニカが生み出し、邪神の力によって放たれたこのマダンテ。

この破壊のエネルギーの中で消し飛ばない存在はない。

光が徐々に弱まっていき、あとはこの目で勇者がいた場所を確認するだけ。

だが、ウルノーガの目に映ったのは想定できるはずのないものだった。

「なんだ…なんなのだ、これは…!?」

彼の目に映るのはマダンテの光を食らう、竜の幻影。

その幻影はエルバの額へと移った勇者の痣から発現しており、マダンテを食らい尽くすと同時に消えてしまった。

「まさか…その、呪文は!?」

「ギガ…ジャスティス…」

これはエルバ自身も想定しておらず、マダンテの光の中で消滅するとばかり思っていた。

邪神が放つマダンテをも食らい尽くし、無力化する破邪呪文。

セニカが習得したマダンテが暴走したときにそれを無力化すべく、ウラノスとローシュが協力して生み出した呪文。

結局その呪文はマダンテの暴走という事態が起こらず、完成する前にローシュが死に、ウラノスがウルノーガとなったことで日の目を見ることなく消えるはずだった呪文。

「ウルノーガ…たとえ、お前が言っている光と闇の戦いが永遠に続くとしても、俺は信じる…。いつか、光も闇も、超えるときが来ることを」

きっとそれは決して克服できるものではなく、消すこともできないもの。

今できることは、その存在を認めながらも、抵抗し続けること。

いつか乗り越えていけると信じて。

「いつの日か、お前のような存在が現れたとしても、戦って見せるさ。いつか、そんな戦いが起こらなくなる未来を信じて…」

「勇者、エルバ…!!」

ギガジャスティスで食らい尽くした魔力を転換した影響なのか、0から100と言わんばかりの加速をかけて飛翔するエルバが握る2本の勇者の剣が邪神ウルノーガの腕を次々と切り裂いていく。

目で追うことはできるが、いずれの腕もその動きに対して守りを固めることが精いっぱいで、斬られていき、海へと落ちていくのを見ていることしかできない。

やがて、真上から流星のように落ちてくるエルバ。

2本の剣には青く輝く稲妻が宿る。

オリハルコンと稲妻の2本の刃がウルノーガの右肩に刺さり、そのまま下へ下へとなぞるようにエルバの体と2本の勇者の剣が走り、ウルノーガの肉体を切り裂いていく。

切り裂かれた箇所から闇の瘴気が解放されるが、勇者の力のせいなのかすぐに消滅していく。

「おお…」

グランドクロスで幻影のホメロスを攻撃するロウの目に討ち取られつつあるウルノーガの姿が見える。

先祖代々受け継いできた国も、娘も守れずに絶望したあの日からの悲願が果たされる瞬間に目に涙が浮かぶ。

切り裂かれ、血の代わりに放つ闇の瘴気も消滅したウルノーガ。

もはやその体には力は残っておらず、ただ消滅するのを待つのみ。

「勇者よ…光よ…我は…闇は…また、戻ってくるぞ…」

捨て台詞ではない、確信に満ちた言葉。

確かにウルノーガが死に、ロトゼタシアは平和となるかもしれない。

だが、いずれその平和は破られ、新たな魔王、新たな邪神がやってくるときがくる。

時代を超えて、世界を超えて続く連鎖は止まらない。

「何度でも戻ってくるんだな、何度でも倒してやる。いつか…乗り越えるときが来るまで」

きっと、その時は人間であるエルバ達はこの世にいない。

だが、かつてのローシュ達がそうしたように、未来に起こるだろう戦いに備えて種をまき、思いを託すことはできる。

それを何度も何度も繰り返すことで、世界は未来へと向かう。

崩れていくウルノーガの肉体。

やがて顔も崩れていくが、エルバの目に見えたのは笑っているか、それとも泣いているのか、どちらともつかない顔だった。

「はあ、はあ、はあ…」

消滅したウルノーガを見届けたエルバの額から痣が消え、同時に両手にそれが戻ってくる。

どっと感じた疲れで一瞬トベルーラを解除しかけたものの、どうにか持ちこたえた。

「エルバ…やりやがった…」

ウルノーガの死と共に、復活していた六軍王たちも消滅する。

確かにウルノーガを倒すことができた。

だが、まだそれを喜ぶことはできない。

「命の大樹…あれはウルノーガの中にあった…」

「ウルノーガを倒したことで、命の大樹も…」

命の大樹が失われ、それがもたらしていた命の循環が失われたまま。

それではロトゼタシアは死を待つことに変わりはない。

(心配するな、命の大樹は復活する)

「その声…ホメロスか!?」

どこからか聞こえた友の声にグレイグが問いかける。

同時にエルバ達の元へケトスが飛んでくる。

ケトスの周囲には白い光の球体がいくつも浮かんでいて、それらがエルバの周囲へと集まってくる。

白い光の球体はそれだけではなく、どこからともなく集まってきていて、その数がどれだけなのか、もうわからないほどだ。

「これは…」

(命の大樹が消滅してから失われた命たち、そして命の大樹にとどまっていた命たちだ。まだ冥府で消滅することなく生きていた彼らの思い、そしてここに残っている命の大樹の力の残滓…それらの力で、命の大樹をよみがえらせる。それを為すことができるのは、命の大樹の祝福を受けた勇者)

ウラノスから教えてもらったそれは

「俺が…」

(勇者の持つすべての力を使い、彼らの命と残滓が集結させる。そうすれば、命の大樹はよみがえり、命の循環も始める。だが、文字通り勇者の力をすべて使うことになる。成し遂げたときには、おそらくは勇者の力を失うことになる。その覚悟はあるか?)

確かに、ウルノーガの勇者の力を奪われてからユグノアで再びそれを取り戻すまでは勇者の力なしで戦っていた。

剣術などでどうにかそれを切り抜けることはできたが、それでもそれがないことによるハンデは大きく、ジャコラと戦ったときはどうにもならなかった。

同じような事態が再び起こった場合、今度こそどうにもならなくなるかもしれない。

ウルノーガが死んだとしても、それが絶対に起こらないという保証はどこにもない。

エルバは首に下げているエマのお守りを握る。

「構わない…。勇者の力がなくても、俺にはみんながいる。帰る場所がある。だから…いいさ」

(ならば、お前が生み出した勇者の剣にお前のすべての力を集めろ。さあ、あるべきところへ還る時だ)

禁足地で、7人の力を合わせて作り上げた勇者の剣を両手で握り、天に掲げる。

両手の痣が輝き、それに反応して光を放つ勇者の剣に白い光が集まってくる。

(俺たちにまだ未来があるなら…)

(もう1度、生まれ変わるために…)

(先に逝っている。だから、ゆっくり歩いてきて…)

エルバの脳裏に彼らの魂の声が響いてくる。

エルバだけでなく、その周りにいるカミュ達にも声が聞こえ、集まる魂の中にある見知った存在を感じる。

「この感じ…親父と、お袋なのか…?」

「お姉さま…」

「ママ…」

「母様、エレノア様…」

「アーヴィン、エレノア…」

「父上、母上、バンデルフォンの同胞たち…」

「みんな…ありがとう…」

エルバの手から勇者の剣が離れ、同時に両手から痣が消えていく。

ある程度の高度まで上がった勇者の剣が砕け散ると同時に、そこに小さな種が生まれる。

種は発芽し、急速に成長していき、その姿は在りし日の命の大樹へと変化していく。

「命の大樹がよみがえるのね…」

「これで…ようやく…」

(いいや、まだだ。すでに消滅した魂は怨念として冥府に残り、ロトゼタシアへ脅威として戻そうとするだろう。俺は冥府の番人となって、彼らを冥府にとどめ、命の循環に戻すために力を尽くそう)

「ホメロス、お前は…」

(止めるな、グレイグ。これが俺の贖罪だ…。俺の所業によって失われた命はあまりにも多い。たとえ百年…いや、千年たとうとも、やらねばならん)

それを成し遂げたとしても、ホメロス本人は冥府から命の大樹へ還ることができる保証はない。

もしかしたら、未来永劫冥府にとどまらなければならないこともあり得る。

エルバ達の戦いはこれで終わるかもしれないが、ここからホメロスの贖罪のための永劫にわたる戦いが始まる。

「…俺たちは、また会える。そうだろう?ホメロス」

(…。俺が、冥府の番人となりえるのは…まだ、俺の中に度し難い闇が存在するということ。その闇を命の大樹は拒絶する…。だがもし、許されて命の大樹に還るときが来たら、その時は…もう1度、お前の友に…)

命の大樹が育ち、そこから放たれる光が暗がりの空を青空へと変えていく。

ケトスの背に乗り、甦った命の大樹に芽吹く無数の葉をエルバ達は見つめる。

「帰ろう…俺たちを待っている人たちのところへ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終話 未来

「おーい、ここの柱の木材、どこにおいてたかなー?っておい、その木材、持っていくなよなぁ!?」

「うーん、作物は良くなってきたが、まだ土が回復しきれていないか…。いい肥料がないか聞いてみるかなー」

「こらこら、魔物がおとなしくなったからって、あんまり遠くへ行くなよー?」

最後の砦となっていたイシの村で、村人や避難民、兵士たちによって家屋や畑の修繕が行われ、砦が徐々に解体されていく。

デルカダールによる襲撃と世界の崩壊により、大きな傷を負ったイシの村だが、時間をかけて復興を遂げていき、いずれは元の姿に戻ることだろう。

その後は、崩壊したデルカダールの復興を行うことが決まっていて、デルカダール出身の避難民は故郷へ帰れる日を楽しみに待っている。

「痛っ!ああ…やっちゃったなぁ…」

屋根にくぎを打つエルバの指にトンカチがあたり、鋭い痛みに歯をくいしばって耐える。

イシの村に戻ったエルバは他の村人と一緒に復興作業にかかわっており、今はようやく資材がまわってきたことから自宅の修理を行っている。

ウルノーガを倒し、世界を平和にしたエルバには休んでほしいと村人だけでなく、デルカダール王からも言われたが、こうして働いているのはエルバたっての願いだ。

すべてが元通りになるわけではないが、それでも元に戻せるものは戻したい。

そして、イシの村は長年育ってきた大切な帰る場所だからと。

村を出る前から来ていた布の服の姿で、痛む指をさするエルバの目に古傷のような痕の残った甲が映る。

命の大樹がよみがえってから、やはりというべきかホメロスの言う通り、エルバは勇者の力をすべて失った。

両手共にこういう状態となっており、もう紋章閃もデイン系の呪文も使えない。

何も特別なことのない、普通の人間となった。

その証を見たエルバは立ち上がり、元に戻りつつある村の光景を見る。

「いいさ…普通っていうのも悪くない。みんなも、頑張ってるから…」

エルバと共に村へ戻ったマルティナ、グレイグはデルカダール王と共に各国家を回っている。

離れ離れになってしまった日々を埋め合わせるように過ごしつつ、次期国王としての作法や政治学などを学ばせている。

グレイグは再び将軍に就任し、デルカダール王とマルティナと共に行動しつつ、各地の兵士たちの教導を行っている。

ユグノアの惨劇からこれまでそのようなこととは無縁な毎日を過ごしてきたマルティナにとっては新鮮ではあるが、やはり真逆の分野を一から学ぶということになっていることから苦労も多いようだ。

カミュとセーニャはラムダの里へ戻り、そこで待つマヤとセーニャの両親に会いに行った。

ベロニカの墓参りをし、里の復興の手伝いをしているという。

シルビアはソルティコの町へ戻り、ナカマたちと再会を果たすとともに再び世直しパレードを始めた。

魔物がおとなしくなったことから戦いになることは減ったが、悪人は存在し、何かを失ったことで悲しんている人々も存在する。

そうした人たちを助け、悪人を懲らしめる活動を行っている。

なお、帰ってきたシルビアが驚いたのはそこで待っていたのはジエーゴやナカマたちだけでないことだった。

世界各地のシルビアのファンやシルビアのおかげで笑顔になった人々の助力により、完成した船があったことだ。

かつてのシルビア号と大きな変化はないものの、大きな違いとして存在するのは船内にサーカス場が存在することだ。

これにはシルビアは涙を流して喜び、彼の夢への大きな一歩となった。

ロウはユグノア復興のため、国王代理としてデルカダール王同様各地を巡っている。

ユグドラシルを組織し、各地に散らばったユグノアの民と共にユグノアを復興させることを自らの生涯最後の仕事とし、それを終えたら正式に王位をエルバに譲り、妻と共に隠居することに決めている。

命の大樹で待つアーヴィンとエレノアに胸を張って報告できるように。

たまに手紙が来て、その中には早く嫁と孫の顔が見たいという旨の文章があったことも覚えている。

「家族、か…」

「エルバー-!そろそろご飯ができるわよー!」

「ワン、ワン!!」

下からエマとルキの声が聞こえる。

伝わってくるかすかな臭いから、シチューであることは明らかだ。

「ああ…今降りる」

滑らないように気を付けてゆっくりと梯子まで行き、下へ降りていく。

まだ完全とはいかないが、それでも屋根があることで家らしい状態に戻った生家。

その中でペルラとエマ、ルキがエルバの到着を待っていた。

3人と1匹でいつものシチューに舌鼓を打つ。

失われたと思われた日常が戻った幸福をかみしめながら。

「そうだ、ルキは大丈夫か?あんまり動き回らない方が…」

「大丈夫よ、今は安定期みたいだから。でも…新しい家族ができるのって、いいわよね」

「だな…」

シチューを食べ終えたルキが休憩のため、エルバ達のそばで眠りにつく。

最後の砦に来た避難民の一人が連れてきていた猟犬と仲良くなったことがきっかけで、10歳以上の老犬にあたるルキにとっては大変かと思われたが、今の様子を見ると普通の若い犬よりも元気だ。

だからといって油断してはいけないが、どこか安心できる。

(家族…あとは、あんた達がくっつけば…私も安心ね)

まだ村長の家の修理が終わっておらず、エマはダンの頼みで今はエルバの家で暮らしている。

やはりというべきか、エマと一緒に過ごしているとエルバが笑顔になることが多い。

「エルバ、今日はいよいよ…よね?」

「ああ。そろそろ2人が来る頃合いだが…」

数日前にシルビアが村に来た時に渡されたカミュからの手紙。

書いているのはカミュだが、書いている内容を考えると、発案者はセーニャだろう。

かつて、すべての戦いを終えたセニカはローシュの勇者の剣を命の大樹に奉納したという。

ウルノーガが戦いの中で残した言葉が真実なら、このような戦いが再び起こる可能性がある。

その時に生まれるであろう新たな勇者、自分たちの子孫のために道を残すべきだと。

その第一歩として、オーブからもたらされた力と勇者の剣を命の大樹に奉納しようというものだ。

カミュとセーニャが迎えに来るため、それから出発ということになる。

今日が手紙に書かれていた、カミュ達が到着する日になる。

壁には旅立ちの時に身にまとった旅人の服と同じものがかけられている。

「エマ、命の大樹へは君も一緒に来てほしい」

「私も…いいの?」

「ああ、見てほしいんだ。俺の使命の終わりを」

「エルバ、来たぜー!」

「…話をしていたら、だな」

外から聞こえた、旅の間は頻繁に聞いていた相棒の声にエルバは笑った。

 

ウルノーガの死とともに甦り、再び天に上った命の大樹。

その様子をケトスの上からエルバ達は眺める。

「すごい…いつも見てた命の大樹を、こういう感じで見れるなんて…」

「ああ。ここから俺たちは始まったんだ」

旅人の服姿のエルバの隣で命の大樹を見るエマは同じ高度で、そして徐々に近づくそれを見ることで、その神々しさを振るえるほど感じていた。

きっと、この中には幼いころに死んだ両親もいる。

そして、自分もいずれは死んで命の大樹に還り、新たな命となってロトゼタシアへ戻る。

その当たり前が守られたことがどんなにこの世界にとって幸運なことかと思えて仕方がない。

「ベロニカ、そんなに動くなよ。母さんが大変だぞ」

命の大樹を見て、セーニャの腕の中でキャッキャと手足をばたつかせて喜ぶ金髪の赤子の様子にカミュは笑いながら彼女の頭を撫でる。

ラムダの里へ戻ってしばらくして、セーニャはカミュとの間にできた子供を出産した。

里の誰もが、その生まれた女の子がベロニカの生まれ変わりだと信じて疑わなかった。

セーニャの両親曰く、森の中で出会い、拾ったときのベロニカとそっくりだという。

それ故にカミュとセーニャもこの生まれた子供をベロニカと名付けることに抵抗はなかった。

エルバ達を守るために命を散らし、魂をオーブに宿して最後までエルバ達の力となったベロニカが再び帰ってきた。

今度は戦うためでなく、あまたの戦いと犠牲の果てにもたらされた平和をかみしめるために。

エルバ達が近づくにの反応するように、命の大樹の根とツルが動き出し、エルバ達が降りることのできる足場ができる。

その足場から先の道ができ、それが命の大樹の中核へとエルバ達を導く。

ケトスから降りたエルバ達に合わせるように、ケトスもフランベルグへと姿を変えてエルバのそばで降りる。

「本当に、フランベルグがケトスであったとは…」

「こうして間近で見ても、やっぱり信じられないって思えるわ…」

あの巨大な空飛ぶクジラとエルバの愛馬たるフランベルグの姿。

かけ離れた両者に驚きは隠せず、勇者の存在抜きでそれを見たとしても、素直に信じられない人間が圧倒的だろう。

「さあ、いつまでもこんなところにいないで早く行きましょう。命の大樹がアタシ達を待っているわ」

シルビアに促され、エルバ達は命の大樹の奥へと入っていく。

核への一本道をゆっくりと進んでいき、やがて見えてくる命の大樹の中核のある広間。

あの時はホメロスとウルノーガの介入により、一気に最悪の事態へと突入することになった。

そして、ベロニカを失うことになった忌まわしい過去。

だが、ここへ来たのはその過去を振り返るのではなく、未来へ進むためだ。

エルバは腰の鞘に納めてある勇者の剣を抜く。

エマと二人でそれを握り、核へ向けて歩いていく。

ローシュを失い、一人で勇者の剣を奉納せざるをえなかったセニカの時とは違う。

「…ねえ、エルバ。男の子と女の子…どっちがいい?」

「エ、エマ…どうしたんだよ、急に…」

「だって、カミュさんとセーニャさん…自分たちの子供を見てるとき、とっても幸せそうにしてたから。きっと…私のお父さんとお母さん、エルバの本当のお父さんもお母さんも、おんなじだったと思うの。だから…私もお母さんになって、お母さんらしいことをしたいって思って…。エルバが、嫌じゃなかったら、だけど…」

後半になり、徐々に赤くなった顔で声を小さくしていくエマ。

核まで間近となり、あとは2人で勇者の剣をその中に入れるだけ。

エマの言いたいことが分かり、釣られるようにエルバの顔も赤く染まる。

だが、エマに向ける答えは一つだけ。

「ああ…もちろんだ。俺も、親になりたい…。眠っている父さんと母さんのように…エマと、一緒に」

アーヴィンの過去を見たからこそ、自分もまた愛されて生まれたのだとわかる。

たとえ勇者の生まれ変わりという使命がなかったとしても、きっとアーヴィンとエレノアなら、変わらぬ愛情を注いでくれただろうと信じられる。

2人の手から勇者の剣が離れ、核の中へと入っていく。

ふと、エルバの目に見えたのはその中にいるローシュとセニカの姿で、勇者の剣を受け取った2人がエルバとエマを祝福するように優しく笑ったように見えた。

そう見えたのはほんの一瞬で、もしかしたらただの幻覚か見間違いかもしれなかったが。

「はじめに…光、ありき…」

「どうしたんだよセーニャ、いきなり…」

「神話の一節を思い出しました。元々、この世界は闇に覆われてた死の大地だったといわれています。そこに命の大樹の光が降り注ぎ、緑豊かな美しい世界、ロトゼタシアが生まれたといわれています」

「なるほどな…で、ここがロトゼタシアで生まれる命の源…ふるさと、って感じか…」

核に取り込まれた勇者の剣が輝き始め、やがてその光は命の大樹を包み込んでいく。

暖かな熱を持つ光がエルバ達を包み、その光の中で見えたのは黄金の瞳と黄金の鱗を持つ巨大なドラゴンの姿だった。

「ドラゴン…!?」

「敵意は感じられない…それに…」

勇者の力のないエルバだが、目の前に突然現れたドラゴンからは、命の大樹に似た気配が感じられた。

黄金の瞳に映る小さな人間、光の闇を抱えながらも邪神を討ち破った勇者の姿を見た黄金のドラゴンが瞬きをした後で、エルバ達の脳裏に向けて直接語り掛ける。

(ようやく、会えましたね。あなたが使命を果たし、ここに来るのをずっと待ち望んでいましたよ。私は命の大樹のもう1つの姿…かつて、聖竜といわれていたもの)

「聖竜…」

命の大樹に別の姿があるなどという話はどこにもなく、いきなりそんなことを言われても普通であれば眉唾物としていただろう。

だが、脳裏に響くその声とドラゴンの姿になぜか真実味が感じられ、それに反論しようという気持ちになれなかった。

(はるかな昔…ロトゼタシアが生まれる前、私は邪神との戦いに敗れた私は命を落としました)

かつての邪神との戦いを思い出す聖竜は胸に深々と刻まれた傷跡に触れる。

強大な邪神の力に打ち勝つことができず、当初はその傷があまりにも大きく、力を使い果たしたことで死を覚悟した。

(私の命は光の源。主をなくした光は時に彼方に葬られ、世界は闇に飲まれました。しかし…私と共にたたかった 神の民たち…彼らの願いが奇跡を起こしました)

同じ光の源を命とする神の民たちの祈りが聖竜から失われつつあった光を活性化させた。

甦る中で聖竜が感じたのは立ち上がる機会が与えられた感謝、そして己の無力だった。

たとえ蘇り、再び戦いを挑んだとしても同じ敗北を繰り返すだけ。

それは実際に戦ったからこそわかる。

ならば、できるのは来るべき邪神を討ち破る未来のために希望を残すこと。

(奇跡によってよみがえった私は竜の体を捨て、命の大樹となり、この世界を作りました。いつか、邪神を討ち滅ぼす勇敢な者たちが現れるのを待って…)

「そうか…俺たちはめぐり合って、そして…」

エマやカミュ、セーニャ、ベロニカ、シルビア、マルティナ、ロウ、グレイグ。

そして、旅の過程で出会った多くの人々。

数多くのめぐり逢いがエルバの力となり、邪神を滅ぼすことにつながった。

ローシュの時代、それよりはるか昔の黎明の時代から紡がれてきた希望をエルバが形にした。

(あなたは…果たしてくれた。私やかつての勇者ローシュがなしえなかったこと。受け継がれ続けてきた、たった一つの希望を…。エルバ、あなたこそロトゼタシアを救ったまことの勇者、あなたはこれより…ロトの勇者として伝説となり、皆の希望の懸け橋となるでしょう)

ロトゼタシアを真の意味で救い、世界を取り戻した勇者。

たとえエルバという一人の少年の名前が歴史から忘れ去られようとも、勇者ロトの伝説は永遠に消えない。

これからも続くであろう光と闇の戦いが続く限り、勇者ロトという希望はその終わりを見届けるまで残り続ける。

(ロトの勇者、エルバよ…光ある限り、闇は生まれる。そして、闇がある限り、光もまた生まれる。長き時の果てに、再び闇から何者かが現れるでしょう)

邪神となったウルノーガとの戦いの中で見たビジョン。

おそらくそれは、その闇から現れるであろう未来の敵。

それは現実としていずれ訪れることはエルバも分かっている。

(そして、もしかしたら私自身が闇に染まることがあるかもしれません。しかし、それでも人の愛は…勇気は…決して消えることはありません。もし、私が闇に染まってしまったなら、その時はどうか…この剣を手に…過ぎ去りし時を求めて…)

「聖竜…邪神を倒したけれども、俺にはわからない。愛とか、勇気とか…。多分、本当はわかっているのだとは思うが、それでも…それをどう表現すればいいかわからない。だが、一つだけ言える。あなたにも、愛がある、勇気がある。だから…あなたの愛と勇気が消えるみたいなことは、言わないでくれ。そして、闇に染まろうとしても、負けないでくれ。俺たちが生きている、ロトゼタシアのように…」

 

天空に浮かぶ大樹、それを丘の上から見上げる8人の戦士たち。

そのイラストが刻まれた本を本棚に戻した女性を柔らかな朝の日の光が祝福するかのように注ぎ込む。

彼女は階段を上がり、我が子が眠っている部屋のドアをノックする。

ドアを開けると、光を遮るように掛布団を顔まで覆い、眠る我が子の姿があり、それを見た彼女は困った顔をして笑う。

いつもなら、仕方ないなともう少しだけ寝かせようと思うが、今日だけはそれはできない。

今日は我が子にとっても、世界にとっても大事な日なのだから。

「起きなさい、起きなさい、私のかわいい坊や。今日はお前が初めてお城へ行く日だったでしょう」

 

「ほぉ…お前がここへ来たということは、戦いに敗れ、命を落としたということか」

場所が変わり、深い闇が空を包む世界。

草木が生えない、無機質な土があるだけの世界に紫のローブで身を包み、フードで顔を隠した人物が立つ。

彼の前には地面に刺さった剣を杖代わりにして立っている何者かの姿があり、その剣はフードの人物にとって見覚えのある。

「何、敗れて死したことを責めるつもりはない。生まれた命はいずれ死ぬのだから。だが、問題はこれからだ。お前にはチャンスが与えられる。そのチャンスを与えるのはこの世界の番人である私だ。だが、これは呪いでもある。再び現世へ戻り、世界を救うために戦い続けるお前には幾度もなく敗北と死が待ち、その度にここに来るであろう。その時は今回よりもはるかに大きな苦痛や絶望が待つかもしれん。もしそれに耐えきれないのなら、お前から力を奪い、永遠の安息を与えよう。だが…貴様にかつての勇者たちのように、幾度も絶望と苦痛から立ち上がり、世界を救うために戦おうという意思があるのであれば…」

ローブを脱ぎ捨て、その中にあった顔と姿を目の前に人物に見せる。

薄い金色の短い髪に長くこの地にいたせいなのか、若干赤く染まった瞳と紫に染まった肌。

だが、すっきりとした若々しい顔立ちと双頭の鷲が刻まれた純白の鎧はかつてのもののままだ。

「何度でもよみがえらせてやろう。お前の意思に応えて…!!」




長きにわたってお付き合い、ありがとうございます!
勇者エルバの物語、ここで完結となります。
ドラクエ11をクリアしてから書いていき、筆者の生活習慣が大きく変わったこともあって、ずいぶんと遅くなってしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございます!
ここからもドラクエの小説、書いてみたいなとは思っていますが、どんなものにするかはまだ決めていません!
いっそ、ダイの大冒険のようなオリジナルも悪くないかも…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

???

人、魔族、竜。

この世界に存在する彼らは自らが地上の覇者となるべく、幾多も戦いを繰り広げてきた。

いつ果てることなき戦い、その中で積み上げられていく亡者の数々。

それを憂い、3つの種族の神が生み出した存在、竜の騎士。

竜の戦闘力と魔族の魔力、人間の心を持つ究極の生命体。

世界の調和が乱れる時、その存在は聖母竜マザードラゴンにより生み出され、地上に舞い降りる。

そして、調和を乱す存在であれば、人も魔族も竜も、例外なく葬ってきた。

だが、竜の騎士はその圧倒的な力故に戦いから逃れられず、平和な世界においては災いを招く存在。

戦いの中で生き、戦いの中で死ぬことが竜の騎士の運命。

命あるものであれば、当たり前に望むものを得ることなく、マザードラゴンの元へと還る。

そして、その竜の騎士が戦いの中で得た知識や経験が戦いの遺伝子として次の竜の騎士へと受け継がれる。

 

だが、最後の竜の騎士、ダイはあらゆる意味でこれまでの竜の騎士とはかけ離れた存在だった。

父親である竜の騎士、バランが数奇な運命に導かれて人間の女性と出会い、その間に生まれた少年、ダイ。

その生まれ故に戦いの遺伝子は受け継がれず、受け継いだのは竜の騎士のたぐいまれなる肉体と魔力のみ。

その異端児といえるダイはそれにもかかわらず、歴代の竜の騎士をはるかに上回る力を見せ、地上を破壊すべく魔界より降臨した大魔王バーンを葬り、竜の騎士の宿命に従うかのように姿を消したという。

そして、マザードラゴンは邪悪なる存在によって落命したことで、もう二度と竜の騎士がこの世界に舞い降りることはなくなった。

 

大魔王バーンの死から、およそ200年。

竜の騎士の物語はもはや多くの人々から忘れ去られ、物語として一部の地域で語り継がれるのみとなった。

 

「ここねー、目標の遺跡ってのは」

岩の上から、薄青色の髪をフードで隠した少女が右手で日差しから視界を守りながら森の中にある遺跡を見る。

左手に握る地図にはこの森が描かれていて、バツ印がついているそこは目標の場所だ。

「さあ…ギルドからの久々の儲け話。このクエスト、とってやるわよ!この私、アーシュラがね!!」

 

「はあ、はあ、あ、ああ…」

わずかな光が差し込む遺跡の中、傷だらけの青年が尻餅をつき、目の前からゆっくりと近づいてくる巨大なゴーレムから逃げている。

グレーのズボンだけをはき、上半身が裸の彼の手には武器はなく、ゴーレムと戦えるはずもない。

「始末、始末…。ナンバー13、エッジ」

「なんだよ…なんだよ、ナンバーって、13って!?エッジって、俺の名前なのかよ!?」

「始末、始末…」

「来るな、来るなよぉ!!」

背中と後頭部に冷たい塊がぶつかり、もう後ろに下がれないことを悟る。

もはや命乞いを聞く必要のないこの存在を速やかに葬るべく、ゴーレムが拳を握りしめる。

あとは大きく振りかぶって拳をぶつければ、跡形もなくこの肉体は霧散する。

青年、エッジの瞳にゴーレムの冷たい拳が映る。

「来るなーーーーーー!!!!」

エッジが叫び、同時に彼の体を青い光が包む。

構わず拳を振るうが、青年の右手が拳をつかみ、受け止めた。

「…!?」

「あああああああ!!!!」

叫び青年の額に出現する紋章。

この世界から既に失われたはずの竜の紋章が光るとともに、彼の体が変化していく。

とび色の瞳が青く染まり、額から生える黄金の二本角。

何かを感じ、後ろに下がったゴーレムが見たのは赤い炎を体から放ち、鬼のような顔と紅蓮のような肌と人間とは思えないほどの頑強な肉体をした何か。

身丈は変わらないが、そこから感じたのはすべてを焼き尽くさんほどの力だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。