【艦これ】アウェイク (白井マナ)
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第1章
目覚め-1


注意:艦これの2次創作です。キャラ崩壊があります。独自設定が多々あるので、苦手な方はブラウザバックしてください。


 ――満潮。

 

 誰だろう。私を呼ぶ声が聞こえる。聞いた覚えがある。温かい声だ。

 いつもその声を聞いていた。いつも聞いていたのに、なぜか、とても懐かしく感じた。

 その声は私を呼ぶたびに、どんどん近くなってくる。

 だけど、誰も、何も見えない。真っ暗だ。

 真っ暗な中で、地面に両足がついている感覚だけがあった。

 声が近くなるたびに、徐々に視界が明るくなっていく。

 暗い空に太陽が昇るように、黒の空間に静かに白が混じり始める。黒から白に、やがてその白は別の色へと変わり、周囲の輪郭がはっきりしてきた。

 私が立っているのは冷たい海の上ではなく、見知った工廠のなかだった。灰色の壁が広い空間を作っており、換気用の窓が開け放たれていた。ごうんごうんと機械の動く音が絶え間なく反響していて、まるで船の客室にいるような気分だ。

 窓の方をぼーっと見ていると、ひらひらと桜の花びらが舞い降りてくる。薄い桃色の、柔らかい花。外の季節は春のようだ。

 開け放たれた窓からは温かい風が入ってきている。心地よいはずなのに、頭が寝起きのように重く、どうもすっきりしなかった。そのせいか、前に進もうとしてめまいに襲われた。後ろに倒れそうになる。それをやんわりと受け止めてくれた人がいた。

「えっと。大丈夫?」

 その声は、先ほどから私を呼んでいた声とよく似ていた。

 重い頭を支えて、肩越しに後ろを振り返ると少女の顔がそこにあった。

「……あなた」

「急に倒れそうになったけど。どこか具合が悪い?」

「頭が少し重いわ」

「ちょっと待ってて、すぐに椅子を持ってくるから」

 少女は私を壁に横たえて、工廠の奥へと走って行く。すぐに椅子を抱えて戻ってきた。

 私を起こし、椅子に深く腰掛けさせた。体勢が楽になったおかげで、頭のだるさが少しずつ消えて行った。

 少女は私の前でじっと待機している。私の気分が悪くならないか心配なのだろう。小さな顔に不安を浮かべていた。

「大丈夫、少し楽になったわ。ありがとう」

「そう、どういたしまして。無理して我慢しないでね」

 少女は目を細めて微笑んだ。

 小動物のような顔に流れるような黒い髪。小さな体は白の制服とサスペンダー付きのスカートに覆われている。制服の首元には赤いリボンが付いていた。

 ふと、自分の身体に目を落とす。よく見ると、目の前の少女と同じ服を着ていて、スカートの下からは2本の足が伸びていた。それは自分の思うように動かせた。

 身体の左右には腕があり、それも思うがままに動かせる。私は右腕を意識して、手のひらを左胸に当ててみた。手のひらには、小さなふくらみの向こうで等間隔に脈打つ鼓動を感じた。何となく、その鼓動は心臓があるからだと分かった。

 私は、人間の身体を持っていたのだ。

 自分が人間になっていることに驚いていたが、目の前の少女がしげしげと私を見つめていることに気がついた。

「な、なに?」

「あ、ごめんね。まじまじと見ちゃって。わたしと同じ制服だから、同じ『朝潮型の駆逐艦』かなって思って」

 駆逐艦、同じってどういうこと? 

 目の前にいるのは人間の女の子だった。駆逐艦とは程遠いほど脆く、弱い身体の人間だ。

 その人間によって私たち駆逐艦は操舵され、背中の主砲や機銃で戦うことが出来る。なぜ目の前の少女は、自分のことを駆逐艦と言っているのだ。

 そもそも、なぜ私は人間の姿をしているのだろう。レイテの海で私の鉄の身体は沈んで行って……それからのことは分からない。

 分からないことだらけで頭がいっぱいだ。

「確かに、私は朝潮型駆逐艦だけど」

「やっぱりそうなんだ。違う艦種の制服を着ている子がいるから、ちょっと疑っちゃった」

「勝手に納得しないでっ」

「あぁ、ごめんごめん。とにかく、自己紹介が必要よね。私は、朝潮。朝潮型駆逐艦1番艦、朝潮。あなたは?」

 私の疑問が解消されていないうちに、目の前の少女は自分のことを朝潮と名乗った。

状況が読めない。人間になっていることとか、少女が朝潮型を名乗っていることとか。

「満潮、朝潮型3番艦の。ねぇ、いろいろと聞きたいことがあるんだけど」

「分かってる。そのことは、提督室に向かいながら説明するから」

 と朝潮は私をなだめた。

 立ちくらみが落ち着くと、私は朝潮に手を引かれ工廠から外に出た。

 春の陽射しを身体に浴びると、心の奥まで温められるようだった。柔らかい空気を胸いっぱいに吸い込み、ゆっくり吐き出した。つっかえていたものが取れるように、胸の中がすっきりする。

 朝潮が歩きだし、私はその斜め後ろをついて行った。

 朝潮曰く、今の私は『艦娘』と呼ばれる存在らしい。艦娘とは、戦争時代に大海を戦場としていた艦船の生まれ変わりで、当時の船の魂を持っている。魂は、艦船で戦っていた乗組員や指揮官、操舵員などの想いが集まったものなんだとか。

 そのような生まれ変わりがあるのかと疑問に思うが、私が艦娘になっていて、人間の身体や意思を持っていることがその裏付けだそうだ。

 では、なぜ現代になって船の魂を持つ存在が現れたのかというと、現在世界の海には『深海棲艦』によって、その安全が脅かされていることが原因と言われている。深海棲艦はどこからともなく現れ、海上を行く船をことごとく破壊して回っている。客船が狙われ多くの命が奪われたり、輸送船の行く手を阻んで資源の供給を滞らせたり。国際連盟でも議題に挙げられるほどの自体に陥っていた。

 そして自衛隊や各国海軍の手に余り、万策尽きたと思われていた時に現れたのが、艦娘なのだそうだ。艦娘は背中に艤装と呼ばれる動力装置を背負い、小型の主砲や魚雷を持って深海棲艦を撃退して回る。艦娘の放つ砲撃や雷撃でなければ、深海棲艦を完全に倒し切ることが出来ない。艦娘だけが深海棲艦に有効打を与えられるそうだ。

「それに、戦闘機や実際の艦船を動かすより艦娘が戦う方が、はるかにコストパフォーマンスがいいの。艤装にも燃料や修理用の鋼材が必要だけど、使う量が圧倒的に少ないしね。少ない量で、かつ艦船と同等の出力や走行距離が出せる」

 つまり、自衛隊や各国海軍としては、手柄を奪われた形になるわけだ。良い気分では無い気がする。軍隊レベルでは太刀打ちできず、見た目が少女の存在が戦えるというのだから。

 それに近いことを言うと、

「そうね。日本はそこまでじゃないけど、他の国では一時期騒がしかったみたいよ。『艦娘より俺たち人間の力を使え』みたいに。でも、自分達に出来ないことが出来る艦娘のことを少しずつ認めていったんだって」

 提督から聞いたんだけどね、と朝潮は付け足した。

 しばらく歩いて、私たちは大きな扉の前で止まった。朝潮は体で押すように扉を開け、私を中へ通した。広いエントランスのようで、2階は吹き抜けになっている。エントランス奥には左右に廊下が延びており、取り付けられた窓から温かい陽が差し込んでいた。私たちは螺旋階段を上り、二階へ向かった。

「さっき、提督って言ってたけど」

「私たち艦娘の指揮官。全国にある鎮守府と泊地にいて、深海棲艦の掃討作戦や輸送船の護衛任務等々の指揮をするの」

「ふーん」

 そう聞き流しそうになったが、ふと疑問が浮かんできた。

「あれ、今って、戦争はもうしてないんでしょ。なのに、何でまた戦争してた時と同じ体制をとっているの」

 過去の戦争で、この国は大敗北を喫した。無慈悲にも罪のない多くの人が蹂躙され、もちろん日本も、敗北以前には他国の民に対しても卑劣な行為を強行していた。流れた血の多さと幾万の命を奪う兵器の恐ろしさをしり、この国は二度と戦争はしないと誓ったはずだった。私は戦争が終わる以前に海の底へと沈んだが、そのことはなぜか知っていた。

 それなのに、また当時と同じような体制をとるのは、国民の不信感や反感を買うのではないか。私なら反対する。いくら艦娘が世界にとって貴重な存在としても、同じ轍を踏むようなことがあってはいけないはずだ。

 朝潮が窓をひとつ開け放ち、その下縁に手を添える。柔らかい春の風はこの二階にも潮の香りを運んできて、去り際に彼女の黒い髪を撫でた。

「昔とは違うよ」

 朝潮は遠く広がる水平線に目をやった。

「別に、どこかの国と戦争をしようっていうんじゃないよ。今の敵は深海棲艦っていう、ひとならざる者。むしろ、全世界に共通の敵なわけだから、戦争するどころか互いに手を取り合って協力しているよ」

「内乱になりかけた国もあるのに?」

「それはまぁ、過ぎた話だよ。それに、お互いの国の艦娘をやりとりすることもある。うちにも一人、ドイツの艦娘が助っ人に来てくれているんだ」

 朝潮は私に向き直った。

「私たちは、過去の艦船の生まれ変わり。生まれ変わる前の名前を今でも持っていて、それは心に刻まれている。だから、私たちを指揮するには、過去に存在した体制や役職を作った方がいいだろうってことになったの。でも、過去の法律を全部復活させるんじゃなくて、艦娘を指揮するうえで必要な役職や制度だけ。国民から不当な税を取り立てたり、何かを我慢させたりはしてないよ」

 それを聞いて私は安心した。艦船だったころの『私』の乗組員が、よく家族の心配をしていた気がしたからだ。何を言っていたかまでは分からないけど。

 これが、艦船のころの『魂』というものなのだろうか。

 朝潮が私を手招きして、再び彼女の後ろについて歩く。木造の廊下を朝潮は迷いなく進み、ある部屋の前で立ち止まった。合わせて私も立ちどまり、扉の上部に掲げられたプレートを見ると、『提督室』と書かれていた。

「ここが、この鎮守府を総括している提督の部屋。失礼の無いようにね」

 私は胸の中で返事をして、こくりと頷く。

 朝潮は扉に向き直り、木製の扉を4回ノックした。「どうぞ」と中から声が聞こえ、朝潮は扉を開けた。

 きびきびと室内を歩き、私たちは大きな執務机の前に並んだ。

 机の上には海図や資料が山積みになっていて、今にも崩れるんじゃないかと思わずハラハラさせられる。山の向こうでは文字を書く音が聞こえ、誰かが書類を作っているようだった。

 山に向かって、朝潮が敬礼する。私もマネて敬礼した。

「失礼します。新しく建造された艦娘をお連れしました」

 朝潮がちらりと私を見る。自己紹介を促しているようだ。

「朝潮型駆逐艦、3番艦の満潮です。宜しくお願いします」

「はい、よろしくね」

 顔が見えない誰かは、文字を書く手を止めず返事をした。声からして男性のようだ。

「ごめんね。やらないといけない書類がたまってるんだ。顔を上げて話す余裕がない」

「いえ、構いませんけど……」

 挨拶に顔を見せられないほど忙しいのか。少し疑ってしまう。

 しかし、実際に文字を書く音が止まる気配はない。本当に忙しいようだ。

「3番艦ってことは、朝潮の妹か。良かったね、朝潮。妹が増えて、また賑やかになりそうだ」

「そうですね。他の鎮守府も合わせれば、姉妹艦は全て艦娘になっています。

鼻が高いです……少しだけ」

 朝潮が照れくさそうに鼻を掻く。

 その横顔を見ていると、入口からノックの音が聞こえた。

「どうぞ」と提督が言う。

「失礼します」

 入ってきたのは、優しそうな雰囲気の女性だった。一番目を惹いたのはその胸元だった。豊満な胸が衣服を強く押し出している。髪にはかんざし、和傘を差せば大和美人と言われても不思議ではなかった。

 大和美人な女性は私に気が付いて、にこりと微笑みかけてくる。なぜか恥ずかしくてそっぽを向いてしまった。彼女は私の隣までやってきて両足をそろえた。そして敬礼。

「戦艦大和、ただいま帰投いたしました」

 名前を聞いて目を見開いた。

 艦娘は過去の艦船の生まれ変わり。艦船の中には、当然、戦艦も含まれている。その中でも、特に名を博したと言っても過言ではない『大和』も艦娘になっていた。

 ともかく、挨拶は必要よね。

 そう思って口を開きかけた。

「おかえり大和ぉぉぉ!」

 突然、事務机に築き上げられた山が崩れ落ちて、挨拶の声が引っ込んでしまった。

山の残骸がひらひらと床に散らばっていく。崩れた山の向こうに目を向けるが、そこにあるはずの人影がなかった。何が起こったのかと朝潮を見ると、彼女は頭を抱えていた。そして、無言で私の後ろを指差した。

 促されて振り向くとそこには、大和さんの胸に顔を埋める何かがいた。

「お帰り大和寂しかったよぉぉ!」

「もう、恥ずかしいですよ、提督! 新しい仲間の前で、ちょっと!」

 大和さんは顔を赤らめて、必死で何かを離そうとしていた。

 察しはついた。提督だ。あれが提督なのだ。さっきまで私の頭の中にあった真面目な提督像が跡形もなく瓦解した。

 そこにまた提督室の扉をノックする音がした。提督の返事が来る前に扉が開け放たれる。ズンズンという効果音が似合いそうな歩調で、ひとりの女の子が入ってきた。目端をキッと吊り上げ、長いサイドテールを振り乱しながら入ってきた彼女は鬼の形相で荒っぽい声を上げた。

「ちょっとクソ提督! あんたまた烈風作ろうとしたでしょ! ちゃんと大本営から支持された量を使わないと出来ないってあれほど……なに大和さんに抱きついてるのよ! 大和さん困ってるじゃない! 離れなさい、離れなさいって!」

 サイドテール鬼少女はズカズカと提督に近づいて、白制服の襟元を掴んで引っ張る。何とか大和さんの胸から彼を引き離そうとしている。

「あ、ちょっと曙さんっ。無理に引っ張ると提督の手が変なところに当たって……提督、離してぇ」

 私は、ここに来るまでの朝潮の言葉を思い出した。

 昔とは違うんだよ。

 確かに、昔とは違うようだ。艦船だった私の背中に多くのひとが乗り込み、厳しい統率と、ピリピリと張りつめた空気のなかで戦っていたころとは、何もかも違った。

 この提督室には、統率なんてあったもんじゃなかった。セクハラする上司と、セクハラされる女性。セクハラを阻止しようと必死な少女。それらを呆然と見つめる傍観者2名。

 さすがに止めようと思ったらしい。朝潮が曙と呼ばれた少女に手を貸した。

 私はひとり、流れに取り残されたように立ち尽くしていた。

「なんでこんな部隊に配属されたのかしら」

 その言葉は、誰に聞かれるでもなく、窓から吹き込む春風に溶けて消えていった。



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目覚め-2

艦これの2次創作です。
キャラ崩壊、独自設定があるため、苦手な方はブラウザバックを御願いします。


 引き戸を開けた先は広い浴室だった。石造りのタイルはきれいに磨かれていて、目地にも汚れ一つ見当たらない。明か前後左右はヒノキの壁で囲まれていて、まさに温泉のようだ。今は数人しか湯につかっていないが、木製の浴槽は一度に20人は易々と入れそうな大きさだった。

 鎮守府では『ドック』と呼ばれている場所だ。深海棲艦と戦えば、少なからず負傷する艦娘が出てくる。傷ついた艦娘がドックの湯に身体を浸けると、傷口が自然治癒する。傷ついていないものも、ドックをただのお風呂として使用していた。

シャワーで身体の汗を流して湯船へ向かう。足先で温度を確認してから身体を浸けた。首まで沈むと、自然に深い息が漏れ出た。張りつめていた気持ちが解けていく。

「疲れた?」

 浴槽の縁に座って、足だけ浸けた朝潮が話しかけてきた。

「そうね。転校生はきっと、あんな気持ちになるんでしょうね」

「新しい仲間が来て、みんな嬉しかったんだよ」

 くすくすと朝潮は笑った。笑い声が浴室を反響して聞こえてくる。

 提督(とは思えないほどの変態だった)への挨拶を終えて部屋を後にした私を待ち受けていたのは、新人歓迎会という名のパーティーだった。朝潮たちに連れられるまま訪れた食堂に入ると、無数のクラッカー音で迎えられた。破裂音に驚いて呆然としている間に、私は駆逐艦娘に囲まれてしまった。

「いらっしゃい。これからよろしくね」

「あなたは何型の駆逐艦かな」

「分かった、満潮だね。艦娘としてだけど、また会えたね」

 飛び交う挨拶や質問、彼女たちの中には私に抱きついてくる子もいた。その温かさに思わず涙してしまったのは、思い出すだけで恥ずかしくなる。涙で見えなかったが、みんなは困った顔をしていたに違いない。泣き止むまで背中を撫でてくれた誰かの手も温かかった。

 私が泣き止んでから、手ごろな席へ案内された。私も、周りにいる艦娘の名前がなんとなくわかったので、昔を懐かしみながら会話を交えた。テーブルに並べられた料理を、止まらないしゃっくりを抑えながら味わう。

 日が沈んだ頃にパーティーはお開きになって、私は朝潮に連れられてこのお風呂に来たのだった。

 浴槽の縁に腰掛けていた朝潮が全身を湯船に沈めた。

「さて。転校生気分な満潮的に、この鎮守府をどう感じた?」

「どう感じたって言われても」

「何でもいいよ。思ったことを言ってみて」

 湯船から上った湯気がうっすらと浴室を曇らせている。浴槽の反対側にいる子たちは会話に花を咲かせていた。

 お湯の中で膝を抱えた。

「退屈はしなくて済みそう」

「あはは。素直に『いい場所だった』って言えばいいのに」

 何をおっしゃいますやら。これでも十分素直に言えた方だ。

パーティー会場は、常に大らかな笑い声が絶えず響いていた。それに当てられた私も、顔がほてって、頬が緩んでしまっていた。きっと、彼女たちの一人でもかければ、あのような楽しい空間は作れないだろう。この鎮守府の団結力のようなものが見えた気がした。

 提督は桃色の花畑にいるようにフワフワしている人だったが、話しづらさは感じなかった。この鎮守府にいる艦娘からも、少なからず信頼はされているだろう。

「私、この鎮守府に着任できて、よかったと思ってる」

 ぽつりと、朝潮は言った。

「恥ずかしくて、はっきりと言うことはないんだけど」

「私には話してくれるのね。新人だから?」

「どうしてかな。お湯のせいでのぼせちゃったのかも」

 朝潮は天井を仰いだ。私もマネして、首だけ上に向ける。天井には梁が組まれているが、湯気で曇ってはっきりとは見えなかった。

「あら~。二人だけで楽しそうに話してる」

 私も混ぜて、と朝潮の隣に荒潮がやってきた。私たちと同じ、朝潮型駆逐艦だ。

「満潮、さっきぶりねぇ。泣き止んでくれなかったから、あやすのが大変だったわ」

「その話はしないでっ」

 荒潮はいたずらっぽく口元を緩めていた。薄く茶色かかった髪を、タオルで作った帽子の中に収めて湯につかる。「生き返るわ~」などと、おばあちゃんのようなことを口にする。のほほんとした顔が、彼女の穏やかさを表していた。

 こうして、姉妹が肩を並べてお湯に入るのはいつ振りだろう。昔はもっと身体が大きくて、それに合わせてドックも広かった。

 何となく、自分の今の姿が気になって湯船に目を落としてみる。しかし、乳白色の湯は天井の明かりを反射するだけで自分の身体は見えなかった。どうしたものかと思って、隣にいる朝潮の二の腕を指でつつくことにした。不意に腕を触られた朝潮が「ひゃっ」と小さな悲鳴を上げる。

「ちょっとどうしたの? びっくりするじゃない!」

 朝潮は触られた腕をさすりながら身じろぎした。

 構わず今度は肩の端に指を置いて、腕のラインに合わせて指を添わせた。つやつやした肌を指で押すとプニプニと柔らかい。

「もう、どうしたの!」

「いや、本当に人間の身体になってるんだと思って」

 私が今度は太ももに手を当てると、朝潮はくすぐったそうな声を上げた。

「そうよぉ。手で触ると温かいし、頬なんてほら。こんなにモチモチしてるんだからぁ」

 荒潮が朝潮の首に手をまわして頬ずりする。

 次はどこを触ってみようかと思っていると、朝潮は顔を赤らめてお湯から抜け出した。

「もう! 気になるなら自分の身体で確かめなよ!」

 そのまま踵を返して脱衣所の方へ行ってしまった。

 別に朝潮の後を追うつもりではないけど、このまま湯船の中にいたらのぼせてしまう。

「私もそろそろ上がろうかな」

「じゃあわたしも~」

 荒潮と二人で浴室から出ると、朝潮は濡れた髪にドライヤーを当てていた。水気が飛ぶと、元の艶のある髪に戻って行く。

 私はタオル掛けにかかったバスタオルを手に取り、さっと水分を拭き取ってから下着を着る。朝潮と入れ替わりで、鏡台前の椅子に座ってドライヤーで髪を乾かす。鏡を見ると、朝潮は着替え終わって、ドック出口前の椅子に腰かけていた。私たちが着替え終わるまで待ってくれるようだ。

 ドライヤーを置き、新しい下着と服を着る。少し遅れて、荒潮が着替え終わった。

「朝潮、お待たせ~」

「つーんだ」

「もう、まだ怒ってるのぉ? なんなら私の胸を触ってもいいよ」

「そんなことしません!」

 私たちは揃ってドックから出た。春の夜風はまだ少し冷たいが、湯上がりには心地よかった。このまま夜桜を眺めに行けば、情緒ある夜のひとときを過ごすことが出来るだろう。

 コツコツという軽い足音が3人分、それぞれのリズムで聞こえてくる。

「ここに大潮が来れば、旧第8駆逐隊勢揃いなのにね」

 ぽつりと朝潮が呟いた。

「今遠征に出てるから、帰ってくるのは来週になるんじゃない?」

「帰ってきたら大喜びするわ、きっと」

 そう言う二人は嬉しそうに頬を緩めていた。そんな二人の横顔を見ると、なんだかこちらまで嬉しくなってしまう。

 朝潮も荒潮も、再び姉妹に会えたことを嬉しく思っている。それは私と話しているときの表情からも、声風からも伝わってきた。

 艦娘という、人の身体で生まれ変わった存在だとしても、姉妹と再会できたことはある意味奇跡だ。艦船のころにはできなかったことが出来ている。声音、表情、行動や感情。嬉しいと思うことも、悲しいということも、艦船のころには示し様のなかったものだ。それが出来る今、私は何かするべきことがあるのではないのか。

 私はどう思っているのだろう。姉妹と会って、他の艦娘と話して。ただ嬉しいというだけではない。遠い昔、離ればなれになった友人と会ったときのように懐かしく思う。一方で、つい昨日も一緒に肩を並べていたような親しさも感じていた。

 このまままっすぐ歩けば、船着き場に突き当たる。その先は海だ。空と海の境界は夜の闇で混ざり合っている。それでも、あの向こうには水平線があるはずだ。

「私は」

 視線を二人から外し、遠く、今は見えない水平線を見据える。

「みんなのことが、大好きよ。今も、昔も」

 沈黙。コツコツと歩く音だけが耳に入ってくる。

 気になって隣を見ると、朝潮と荒潮がきょとんとした顔でこちらを見ていた。しかし、すぐにニヤニヤとした笑顔を顔に張り付けた。

「あらぁ。恥ずかしいことを言うのねぇ」

「可愛いじゃない」

さっきの仕返しとばかりに、「このこの」と朝潮は私の頬をつつき始めた。楽しいのだろう、一向に止める気配がない。

「ほっといて」

 私は急に恥ずかしくなってそっぽを向いた。森の中の葦や深い峡谷に叫ぶわけではないが、誰にともなく言えば平気でいられると思ったのだ。全くそんなことはなく、さっきから顔が火照って仕方なかった。

 のぼせた。そう、湯につかりすぎてのぼせてしまった。きっとそうだ。このまま夜風に当たり続ければ自然と熱さが抜けていくに違いない。

 夜空に月は無く、雲の影一つ見当たらない。そこかしこに散らばる星々は、悠々と輝きを放っていた。



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夢見た「なかま」-1

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定が苦手な方はブラウザバック推奨です。

*前2話分のサブタイトルを変えました。ご確認、ご注意ください

*再びサブタイトルに名前を付けました。(9/3)


 金縛りという現象をご存じだろうか。

 朝、目覚まし時計の音を聞く前に目が覚めて、少しうきうきしながら布団を出ようとする。しかし、動かそうにも両手足が岩のように固まっていて動かせないことに気が付いた。寝返りも打てず、誰かが自分に乗りかかっているような息苦しさを感じる。意識ははっきりしているにも関わらず、身体が言うことを聞かないのだ。何か身体的な病にでもかかったか、はたまた霊的な超常現象かと自己問答したところで思い至る。これはもしや、金縛りというやつを経験しているのではないか。と、こんな具合だ。

 世間的には幽霊現象だと言われていた時期もあるが、実際にはそうではない。不規則な睡眠習慣による睡眠障害や過度な運動によるストレス・筋肉の疲労によって引き起こされると言われている。ある意味、霊的存在を科学で否定した一種の例かもしれない。

 さてここで、私の今の状況を考えてみよう。目は覚めているのだが視界が真っ暗だ。両手足は固まって動かせず、寝返りも打てない。その上誰かに馬乗りされているような息苦しさを感じる。手首と足首だけは辛うじて動かせるが、十中八九金縛りで間違いないだろう。

 私は昨日の行動を思い出してみた。昨日着任したばかりで、パーティーに参加しただけで、運動らしい運動はしていない。今は一人部屋のベッドで横になっていて、ひとの身体に生まれ変わって寝るのは昨日の夜が初めてだった。特にストレスを感じるようなことはしていないはずだ。

 そう言えば、朝潮が「満潮は建造された」と言っていた気がする。どのようにひとの身体を「建造」するのかは分からない。もしかすると建造による制約のようなものがあるのだろうか。そうだとすれば、早いうちに朝潮に聞いておく必要がありそうだ。

 息苦しさは相変わらず続いていて、ついに幻聴もし始めた。小鳥のさえずりとともに誰かの息遣いが聞こえてくる。これはもしや、幽霊的な何かが馬乗りしているのだろうか。しかし、目を開けることも出来なければ身体を動かすことも出来ない。対抗手段がなかった。

 しかし、金縛りは時間が経てば解けるのが常なはず。着任早々に寝坊したと思われるのは癪だったが、金縛りにあったと正直に言えばいいだけだ。身体が動くようになるまで寝ていても、罰は当たらないだろう。

 私は起き上がることを諦めて、張りつめていた全身の力を抜いて再び布団に身体を沈めた。

「ふふん、ようやく大人しくなった。じゃあ早速、アレとかコレとかを試させてもらおうかな」

 その幻聴(?)を耳にして、私は布団をはねのけた。こんな空恐ろしくなるような幻聴のする金縛りがあってたまるか! 

 乗りかかっている重みを持ち上げるようにベッドから床に落とす。そのとき、膝に何か硬いものが当たる感覚がした。幽霊ではない、実体のある何かが私のお腹に乗りかかっていたのだ。

 ベッドから落ちた布団は中央が盛り上がっている。もぞもぞと忙しなく動き、布団の下にいる「それ」はうめき声も上げていた。

 気味が悪くてベッドの端で身を縮めていると、朝潮が部屋に入ってきた。

「満潮、起きてる?」

 朝潮の声を聞くやいなや、ベッドから飛び降りて彼女の背中に身を隠した。

「どうしたの?」

 いきなり盾のようにされて戸惑った朝潮は、私の指差す先を見て深いため息をついた。床に落ちた何かは、いまだに布団をかぶったままうごめいている。

 何を思ったのか、朝潮が布団に近づくのを見て、私はあわてて止めようとした。

「ち、近づかない方が良いわよ。なんだか得体が知れないし」

 不審者か。不審者なのか。だとしたら憲兵は何をしていたのか。こんな朝っぱらから不埒ものを鎮守府内に侵入させるなど、警備体制が甘すぎる。

 ひとり戦々恐々としていると、

「大丈夫よ。ちゃんとした艦娘だから。得体が知れないのはこの子の頭の中なだけ」

 そう言って、朝潮は躊躇うことなく布団を剥がした。そこにはお腹を押さえてもだえている女の子がいた。余程痛むのか、背中を苦の字に曲げている。胎児のよう、と表現するには、その表情はあまりに苦悶に満ちていた。明るい髪を後ろで小さく束ねていて、活発な印象を受ける。お腹に当てている両手は白い手袋で覆われていた。

「舞風、いい加減にしないと嵐に怒られるよ?」

 もだえる少女の顔を覗き込んで、朝潮は言う。私は恐る恐る近づいて、朝潮の背中越しに覗き込む。

 舞風、と呼ばれた少女は涙声だ。

「だ、だって! 舞風は昨日の夜に、遠征からやっと帰ってきたんだよ。歓迎会に参加してないんだよ」

 むくりと身体を起こす。姿勢を正して、すがるような顔で朝潮を見上げた。

「新しく来た子の顔は眺めたくなるじゃん。でもまじまじと見る機会なんてないから、こうやって寝ている間に忍び込んで――」

「それは、膝を入れられても仕方ないよね」

「そうです……」

 かくん、と首を落す。いつも注意されているのだろうか。朝潮の口調も、どこか言い慣れた感じがあった。

 私は舞風に話しかけた。

「え、えっと。初めまして」

「あーっと! 自己紹介がまだだったね」

 先ほど間での反省した表情は計去り、舞風は顔を明るく立ち上がった。まるで紳士がダンスを申し出るかのように、右手を胸に当てて滑らかな動きでお辞儀した。

「初めまして、舞風です! 陽炎型駆逐艦のひとりだよ。よろしくね!」

 頭を少し上げて、胸から離した右手をそっと差し出してくる。私は寝間着で手汗を拭いて、同じく右手を出して、差し出された手を取る。白い手袋がされた手は、私と同じか少し大きく感じた。

「満潮、よ。朝潮型駆逐艦。よろしく」

 握る手に軽く力を込めると、それに答えるように舞風も手を握り返してくる。

「満潮ね、うん! 柔らかくて気持ちいい手だね」

 反射的に手を引っ込めて、後ろに隠した。手を握り返したのではなく、ただ感触を楽しんでいただけだったらしい。

 自然と苦笑いが出てしまう。確かに、この子は少し変なのかもしれない。頭の中がお花畑というか、どこか提督と似たような「におい」がした。

「おーい、舞~。どこ言ったー?」

 そういえば、部屋の扉を開きっぱなしだった。扉の向こうから誰かを探す声が聞こえてきた。閉めようと思って扉に近づこうとしたとき、先ほどの声の主らしき人物が、ひょこりと顔を覗かせた。

 紅い髪を揺らし、視線を舞風に向けた。

「あ~あ~。やっぱりここにいた。新人に迷惑かけてないだろうな、舞」

 男の子っぽい口調。赤髪の男の子は、髪を掻きながらこちらに歩み寄ってきた。その雑っぽい行動から、男の子と判断する。私はまた、さっと朝潮の背中に隠れた。

「ねぇ、艦娘って、男の子もいるの?」

「え? なんで」

 朝潮がきょとんとした声で訊き返してくる。

「だ、だって。そこの人、男の子でしょ。なんで男の子がスカートをはいてるの」

 私が、たとえ昔は無機物の艦船だったとしても、今は女の子で、考え方も感じ方も女の子なのだ。男の子が不躾に部屋に上がり込んで来れば、警戒してしかるべきだろう。

その上、この少年は女の子用のスカートをはいているのだ。特殊な趣味を持ち合わせている子なら、出来る限りお近づきになりたくなかった。

 それなのに、慌てているのは私だけで、舞風に至っては、「嵐、男の子だって」と吹き出していた。

「おいおい、さすがの俺でも傷つくぜ」

 嵐と呼ばれた少年は、ため息交じりにそう言った。そして何を思ったのかズカズカと歩み寄ってきて、あろうことか私の手を掴んだではないか。乱暴に引っ張られて、朝潮の影から出されてしまう。

「ちょ、ちょっと何を」

「いいから、ほら」

 嵐は私の手を、そのまま自分の胸に押し当てた。反射的に目を閉じてしまう。

 私の意思とは無関係に、掴まれた手はしっかりと嵐の胸板の感触を感じ取っていた。男の人特有の、厚くて硬い胸板が……なかった。平らな木板のような硬さは無く、男の子にはないふくらみがあった。少し力を入れると、フニフニと柔肌に指が沈みこんだ。

 私は、恐る恐る嵐の顔を見上げた。そこには不機嫌そうな表情が浮かんでいた。

「俺は、女だ」

 そう言って嵐は胸を張った。しばし呆然としてしまう。

 鎮守府着任して初めての朝は、驚きの連続で幕が上げられた。



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夢見た「なかま」-2

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があるので苦手な方はブラウザバック推奨です。




 朝の食堂には姦しく楽しげな声で満ちていた。思い思いの人と席を隣にして会話に花を咲かせている。同じ艦種同士で隣り合っているグループもあれば、全く違う艦種で顔を突き合わせているところもあった。もちろん静かに食べたい艦娘もいて、カウンターになっている席に腰を下ろしていた。

 賑わう食堂の中、円形の5人席にいる私は対面に座った嵐に頭を下げていた。

「ご、ごめん。まさか女の子とは思わなくて」

 仏頂面になっている嵐に変わって、隣に座る舞風がケラケラと笑いながら、

「気にしなくていいよ。嵐は良く間違えられるんだから」

「口調も男の子っぽいしね」

 朝潮も舞風に同調する。

「へいへい。女で悪かったな」

 嵐は口を尖らせて拗ねてしまった。むしゃくしゃした気持ちを晴らすように、大盛りのご飯を口にかきこんだ。と思ったら、急に手が止まって顔色が悪くなっていく。一気に食べ過ぎてのどに詰まったようだ。私はあわてて自分の水を差しだした。

 嵐はひったくるように水を受け取って、グラスの水を飲む。空になったグラスを置いて、大きく深呼吸した。

「死ぬかと思った」

 嵐の必死な様子を見て、舞風がまたおなかを抱えて笑った。

 気を取り直すように、嵐は一つ咳払いした。

「と、とにかく。今度からは気を付けな。見た目と口調と性格で判断しないように」

「わ、分かったわ」

 気を付けよう。

 朝食を食べている間は全く退屈しなかった。主に舞風が頓珍漢な言い回しに嵐が対応していただけだが、それがおかしくて朝潮と二人して笑っていた。

二人のやりとりを見ながらトーストを一口。楽しい時間はあっという間に過ぎ、いつの間にか平皿のトーストは無くなっていた。

 食後のコーヒーで一息ついていたとき、スピーカーからノイズ音が聞こえてきた。直後に、女性の声でアナウンスが流れ始める。

『先日着任した艦娘の皆さんは、鎮守府庁舎裏の港に集合してください。繰り返します――』

 やんわりとした口調が食堂内を流れていく。みなさん、ということは、他にも着任した艦娘がいるのか。昨日のうちに着任したのは私だけだったから、もっと前に来た艦娘ということか。

 アナウンスが終わったところで、嵐が口を開いた。

「鹿島さんの艤装展開練習だな」

「懐かし~。舞風はなかなか出来なくて大変だったよ」

 どういうことだろうと嵐の方を見ていると、とりあえず港に行けばいいと言われた。

 鹿島とはさっきの声のひとのことだろうか。それに艤装を展開? 舞風はなかなかできないと言っていたが、難しいことをやらされるのだろうか。

 コーヒーを飲む手が止まったのに気付いたのか、朝潮が、

「大丈夫。鹿島さんが丁寧に教えてくれるから、気張らなくてもいいよ」と私を励ます。

「心配すんなって。最初はできなくても練習すりゃすぐに出来るようになるさ」

 それだけ言うと、嵐は舞風を連れて食堂を出た。出撃命令が出ていたらしい。手を振る舞風を見送ると朝潮も立ち上がった。

「わたしもこの後遠征に出ないといけないんだ。頑張ってね、満潮」

「うん。私も一緒に出るわ」

 4人席を立ち、朝潮と二人で食器を片づけて食堂を後にした。港まで並んで歩き、朝潮はそのまま工廠の方へと向かって行った。港にはまだ他の艦娘は見当たらなかった。誰かが来るのを待つ間、手持無沙汰になってしまった。

 港はコンクリートをU字型に切り立ったような形をしている。上から見ると、曲がった部分が横に長くなっていて、『コ』を縦に広げたようになっていた。横に広くなっている分、一度に何隻もの船が港に停泊できそうだ。左の方を見ると、小型船用の桟橋が見えた。

 私は港に腰掛けて、ぶらぶらと足を揺する。足元では波が小さくぶつかり合って、ちゃぷちゃぷと音を立てていた。

 午前の日差しが斜めに差してくる。ふんわりと浮かぶ雲は魚のようにゆったりと空を泳ぐ。その様子を眺めていたら、空の向こうに吸い込まれていくような感じがして目を閉じた。

 そのまま大の字になって寝ころでみる。右腕を持ち上げて日差しから目を守ると、ちょうど日向ぼっこのようで心地よかった。鎮守府に降り注ぐ陽の光は、こんなにも優しく照らしてくれていたのだ。

 少し頑張ってみよう。苦手はあっても不可能はない。朝潮の教えを試してみよう。そうすれば、少しは良い未来になることを期待しても罰は当たらないだろう。

 握った拳を空にかざす。空の青は、水平線の彼方まで続いている。



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夢見た「なかま」-3

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方hあブラウザバック推奨です。


 朝の日差しで海面がキラキラと光って見える。透き通るような青空の下、新しく鎮守府に着任した艦娘たちは艤装について説明を受けていた。

 練習巡洋艦・鹿島は海原を背にして、わたしを含め数人の艦娘の方を向く。駆逐艦、巡洋艦、一部空母とさまざまな艦種の艦娘の顔を、鹿島は確認するように見渡した。

新しく着任した艦娘の確認が終わったのか、満足そうに頷いた。

「艤装というのは、私たち艦娘が海の上を走行するために必要な動力源、だと思って下さい。みなさんの履いている靴にはスクリューが付いています。スクリューには、私たちの身体を通して艤装からエネルギーが送られます。それによって、体重で沈むことなく海上を行くことができるんです」

 鹿島は自分の踵を指差した。私たちの靴を見ると、皆それぞれ形は違うが踵にスクリューが付いていた。

「また艤装には、深海棲艦からの攻撃を防御する機能もあります。艤装をつけていれば、透明なシールドで覆われるので、敵からの攻撃で傷つくことはありません。

ただし、艤装にも耐久力があって、敵から攻撃を受け続ければ消耗していきます。最後には艤装が壊れて――」

 つまり、艤装が壊れてしまえば、敵からの攻撃に対して無防備になるということだ。そして、スクリューにもエネルギーが行かなくなって海に沈んでいく。

 鹿島の話によると、スクリューへのエネルギーは他の艦娘から受け取ることも出来るそうだ。艤装が壊れても、他の艦娘に身体を預ければ、その子の艤装からスクリューにエネルギーが送られる。まるで電気の回路だ。最初は直列回路で、自分の力でなんとかなる。壊れたら並列回路になって、仲間からエネルギーを分けてもらう。

「は、はい」と、ひとりが恐る恐る手を挙げた。軽巡洋艦の名取だ。

「もし、仲間同士でぶつかっても、大丈夫なんですか?」

 その質問に、鹿島はフルフルと首を横に振った。

「防げるのは、深海棲艦からの攻撃だけです。仲間同士での接触や誤爆は防御できません。以前、他の鎮守府で艦娘同士が接触事故を起こしたそうです。一方は無事、もう一方は未だ意識がないそうです」

 鹿島が目を伏せる。一体その事故がどのような状況で起こったのかは想像できない。ただ、頭をぶつけてコブが出来たでは済まなそうだ。鹿島を前にする私たちの間をしんとした空気が流れて行く。

 そんな空気を感じ取ったのか、「みなさんも気をつけて下さい」と鹿島は表情を改めた。

 その後、鹿島との艤装展開練習は滞りなく進んだ。鹿島が自身の艤装を展開して、それを私たちが倣うという形で練習が始まった。

「背中に羽を生やすようなイメージです。背中に意識を向けてください。そうすれば自然に艤装が展開されます」

 言われた通り自分の背中に意識を集中させると、光の粒が私の周囲を舞い始めた。無秩序に舞っていた光は、やがて背中に集まって行き、ひとつの形を成した。

 船の艦橋のような形をした箱状のもので、肩紐が左右に付いていてリュックサックのように背負えるようになっていた。私はその肩ひもに腕を通している。今背負っているものこそが、『艤装』と呼ばれる動力装置だった。

 私以外の艦娘も艤装を背負っていて、形も大きさもバラバラだった。

「艤装の大きさや種類は、皆さんが艦船だったころの艦種や艦型によって異なります。艦船の一部を切り取ったような艤装もあれば、本物の艦船を模した形の艤装もあります」

 性能も違っているんですよ、と鹿島は付け足した。

 自分と同じ性能や機能の艤装は、同じ艦種で、同じ艦型の艦娘以外にはない。私の艤装は、朝潮型駆逐艦だけのものということだ。

 ちらりと肩越しに自分の艤装を眺めてみる。端が切れて見えるだけだが、背中にはしっかりと艤装の重みが感じられた。この艤装は、姉妹艦の朝潮や荒潮たちと同じ艤装なんだ。姉妹でおそろいの装備をしていることが嬉しかった。

 背中から降ろしてじっくり見たいと思ったが、今は練習中なので我慢することにした。

 艤装の展開が終わると簡単な水上航行の練習に移った。嵐の言った通り特に気張る必要はなく、簡単というわけではなかったが、言われたことをやっていたら自然と出来るようになった。

 鹿島の指導が一通り終わる頃には新人のほとんどが水上移動を出来るようになっていて、気づけば陽の光が真上から差し込んでいた。



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夢見た「なかま」-4

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。

*前話の誤字報告、ありがとうございました!


 秋雲に話しかけられたのは、昼食を食べている最中だった。

 この日のメニューはカレーライス。香辛料の香ばしいかおりが鼻孔をくすぐり、空腹感を煽ってくる。誘われるようにスプーンでカレールウと白米をすくい、口へと運ぶ。ピリッとした辛さとご飯の甘みをじっくり味わい、さてもう一口と再びルウにスプーンを入れたところだ。

 空いていたテーブルの席に、ひとりの艦娘が私と対面するように座った。

「あなたが満潮ね。隣にいるのは響、暁型駆逐艦だね」

 白のカッターシャツの上にえんじ色のジャンパースカートを着ている。右目の下に泣きぼくろを携えた彼女は、屈託のない笑顔を浮かべていた。私の隣に座っている響がキョトンとした顔をこちらに向ける。

「満潮の知り合いかい?」

「いいえ、違うわ。あなたは?」

 私が尋ねると、「あぁ、ごめん。ちょっと焦りすぎた」と謝って、

「私は秋雲。夕雲型の制服を着ているけど、中身は陽炎型の駆逐艦だよ。ふたりのことは、朝潮と暁から聞いていたんだ」

 秋雲は制服の胸あたりを少し引っ張ってみせた。

 私たち艦娘の制服はそれぞれの艦型によって分けられている。特型なら特型の、金剛型なら金剛型の制服、といった具合だ。艦娘の間では『制服』と言われているが、別に大本営や司令官から指定された服を着ている訳ではない。艦娘が建造されたときに、すでにそれぞれの艦型にあった制服を身につけているのだ。なんとなく見た目が学生の制服みたいだから、そう言われているだけである。

「それで、何か用? 一緒にご飯を食べようってわけじゃないんでしょ?」

 察しが良くて助かるとばかりに、秋雲は提げていたショルダーバッグからノートを取り出した。ノート、というより、あれはスケッチブックだ。厚紙が表紙になっていて、その中に画用紙が何枚もリングで繋がれている。秋雲が表紙をめくると、可愛らしい女の子の似顔絵が現れた。パラパラとめくられるページにも、色んな女の子の似顔絵が描かれているようだった。

「あなたたちのこと、描かせて欲しいんだけど」

「描く?」響が首をかしげる。

「そう。うちの鎮守府に艦娘が来るたびに、その子の絵を描くようにしているんだ」

 こんな感じ、と秋雲が最初のページを開いて見せた。先ほど見えた女の子だ。改めて見ると、この子はメガネを掛けていた。小さな顔に付いているパーツはどれも顔に合わせたように小さく、頭に一本突き出たアホ毛が目を惹いた。リスのように小動物然とした可愛さを持つ女の子だった。

「そのスケッチブックに描かれているのって、全部艦娘?」

「そうだよ」

 他のページも見せてもらうと思ってスケッチブックに手を伸ばした。すると秋雲はスケッチブックを胸に抱えて、守るようなしぐさをする。

「ダメだよ。ある意味個人情報なんだから」

「えー。でもさっきのメガネの子は見せてくれたじゃない」

「この子は例として見せただけ。これ以上勝手に見せるわけにはいかないよ」

 そう言われては仕方ない。スケッチブックの中身は気になるが、興味本位で勝手に見るのは不躾だと諦めた。自分の似顔絵をあずかり知らぬところで他人に見られては、良い気もしないだろう。

「それで、どうかな。描かせてもらってもいい? 個人情報はきちんと管理するし、仮に必要になったとしても鎮守府運営以外の目的では使わないから」

 秋雲が前のめりにもう一度尋ねる。

 私と響は顔を見合わせた。描かれたくない理由はない。それに、似顔絵を描かれて何かに悪用されるということもないだろう。響も拒否する理由はないようだ。

 その日の午後に約束の時間を決め、私と響は秋雲の部屋を訪れた。



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夢見た「なかま」-5

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 艦船の生まれ変わりとはいえ、艦娘の身体は人間のそれである。一日動き続ければ疲れもたまるし、夜になれば眠くなる。雨風から身体を守り、休むための場所が艦娘寮だった。1階をエントランスをとして、各階の部屋は大まかな艦種別で分けられている。2階には駆逐艦、3階には巡洋艦という感じだ。

 秋雲に連れられて、私と響は寮の2階にある秋雲の部屋に案内された。

 似顔絵を描いている間は本人だけが入ることになり、私は秋雲の部屋の前で順番を待った。簡易チェアに腰掛けて待つ間、何人かの艦娘に声を掛けられた。軽いおしゃべりをして別れた後、しばらく一人でぼーっとする。それを数回繰り返すと、部屋の扉が開かれた。

「終わったよ。思っていたより早かったけど、ずっと同じ姿勢でいるのは結構つらいね」

 響が大きく伸びをする。

「実は、この後工廠に行かなくちゃいけないんだ。満潮を置いて行くことになるんだけど……」

「仕方ないわよ。私は秋雲と楽しくデートさせてもらうわ」

 冗談めかして言うと、響は頬を緩めた。そのまま響と入れ替わりで、私は秋雲の部屋に入った。

 寮の部屋はどの部屋も同じ造りだ。8畳の部屋で、着任するときに和室か洋室かを選べた。部屋を決めたあとで寝具と本棚が運び込まれる。この2つがあれば鎮守府での生活は事足りると朝潮から聞いた。後は各々好きなように部屋を飾ればいい。艦娘の中には内装にこだわりを持って、街へ出かけてインテリアを買い込んだ子もいるそうだ。そのために1月分の給料を使い切ったとかなんとか。

 艦娘の数だけ部屋の特徴が違う。そんな艦娘寮において、秋雲の部屋もまた独特な内装をしていた。

 入ってすぐに目に入ったのは、白い壁を覆い隠す本棚の数々だ。木製や金属製の本棚がほぼ隙間なく隣りあい、大小さまざまな本が所狭しと並んでいた。本棚がないのは窓の前だけで、そこには幅の広い机が置いてある。

 床に目を落すと、そこかしこに丸められた紙くずが散らばっている。そんななか、ひとが通るところだけ取ってつけたように掃除されていた。

 本と紙で埋め尽くされているだけでも十分特徴的だ。それに加えて、もうひとつ気になることがあった。

「いらっしゃい。じゃあ、真ん中の椅子に座って」

 秋雲に促され、私は部屋の中央に置かれた木製の椅子に腰を下ろした。私が座るのをみて、秋雲はイーゼルに置かれたスケッチブックのページをめくった。

 私は気になって尋ねる。

「ねぇ、秋雲。あなた、いつもどこで寝ているの?」

「え? そりゃ、この部屋に決まってじゃん」

「でも、どこにもベッドが見当たらないんだけど」

 秋雲の部屋には寝具がなかった。布団はおろか、まくらすら見当たらない。

 秋雲は恥ずかしそうに頬を掻き、

「いやぁ。わたし、何か描いてないと落ち着かなくてさ。いつも窓際の机で作業してるうちに寝ちゃうんだよね。それに、ベッドを置くスペースはないよ。背景用の資料とか、今までに描いたものとかを置くだけで一杯いっぱいだしね」

 そう言って本棚から一冊の本を取り出した。受け取って開いてみると、1ページをいくつかの『コマ』で区切って、その中に描かれた人物の側には吹き出しが付けられている。漫画だった。

「わたし、艦娘のデッサンもするけど、漫画を描くのが主なんだ。描いた漫画は定期的にイベントで売ってる。稼いだお金は自分の懐に少しと、鎮守府の運営の足しにしてる」

「鎮守府の予算って、そんなに切迫してるの?」

「そんなことないよ。描いたものを印刷するのに鎮守府のコピー機を使わせてもらうこともあるから、そのお礼だよ」

 本を閉じて秋雲に返す。

 秋雲はイーゼルを前に座り直し、鉛筆を取った。

「それじゃ、ちゃちゃっと描いちゃいますか」

 秋雲から指示されたようにポーズをとる。

「じゃあ、そのまま動かないでね。30分くらいで終わるから」

「はーい」

 私の返事を合図に、秋雲はスケッチブックにペンを走らせ始めた。さっきまでの軽い雰囲気が消え、真剣な眼差しをスケッチブックに向けている。

 彼女の言ったとおり30分ほどで絵は描き終わった。秋雲はペンを置いて、ふーっと長い息を吐いた。

「終わった~。もう恰好は崩していいよ」

 私は椅子から立ちあがって大きく伸びをした。軽くストレッチをして、固まった筋肉をほぐしていく。

 秋雲がスケッチブックを抱えて私の側にやってきた。

「どんな感じに出来上がったか、見てみる?」

 少し悩んで、私は首を横に振った。

「やめておく。なんだか恥ずかしいし」

「そう?」

「ええ。見る勇気が出たら、そのときに見せて」

「分かった。見たくなったら、いつでも言って」

 秋雲は持っているスケッチブックを、同じようなスケッチブックが並んでいる本棚に収めた。

「新しいスケッチブックを用意しないと」

「全部埋まったの?」

「そう。満潮がトリを飾ったんだよ。喜べ」

「どう喜んでいいのか分からないわ」

 へへへ、と秋雲が笑う。

 カーテンを閉めると、部屋を照らすのは電灯の明かりだけとなった。

「ねぇ、何かお礼をしたいんだけど」

 秋雲は振り向いて、ぱたぱたと手を振った。

「いいよ、わたしが勝手にやっているだけだから」

「でも……」

「気にしなくていいよ。お礼をしたいって言ってくれた子は他にもいたけど、感謝されるために描いている訳じゃないから」

 そうは言われても、私は絵を描いてもらったのだ。お礼をしてしかるべきだと思うのだけど。何かないかと左右を見渡しているのを見て、秋雲が肩をすくめた。

「じゃあ、貸し一回」

「貸し?」

 そう、と秋雲は頷いて見せた。

「もしわたしが困ったら、そのときは手を貸して。それでどう?」

 私としては今すぐお礼をしたかった。でも無理に恩返しをしても、かえって迷惑になるかもしれない。それで不快に思われたら、私もいい気はしない。

 私は秋雲の提案を飲むことにした。

「いいわ。助けが必要ならいつでも声をかけて」

「はーい。ありがとう、満潮」

 秋雲の笑顔を見て、まだ何もしていないのに、何だかうれしくなってしまった。

 部屋の電気を消して、私と秋雲は寮室を後にした。

 寮から出ると、まぶしい午後の日差しに目がくらんだ。手をかざして陽を避けて空を仰ぐと、果ての無い大空の青が目に染みた。

 鎮守府での生活。硬い金属でできたあの時とは違う、温かいヒトの身体となった艦娘として過ごしていく。 深海棲艦との戦いがいかなるものか、今の私には解らない。けれど、つらく厳しい戦いになるだろうなと想像できた。

 午前に行われた鹿島の指導。あのとき、水の上を滑っている感覚はあの頃と似ていた。水面を切り、波が立ち、風を受けて走る感覚がとても懐かしかった。潮の香りが懐かしかった。

 戦いたい。砲撃を放ち、魚雷でとどめを刺す。あの頃にドックでおとなしくしていた分、今の身体で存分に海を駆け抜け、一発でも多く敵の腹に弾を撃ち込んでやる。

 そして、その闘争心と同じくらい、この鎮守府での仲間を大切にしよう。あの頃はみんな平等に無機物で、互いに話すことなんてできなくて、テレパシーで心を通わせることも叶わなかった。言葉と打電で心を通わせていたのは、私たちの背中で戦っていた戦士たちだ。私たち自身が会話をしていたわけじゃない。

 しかし艦娘となった今、私たちはいくらでも思いを伝え合うことができる。

「素直が一番だよ。素直な気持ちでいれば、みんながあなたのことを分かってくれる。好き、嫌い、嬉しい、悲しい、怒っている、寂しい。真っ直ぐな心で伝えれば、伝わらない思いなんてこの世に存在しないよ」

 誰かがそう言っていた。誰だっただろう。そう言ったひとの顔はぼんやりと霞んでいた。

 気づけば秋雲はかなり先を歩いていた。私が遅れているのに気付いて手を振ってくる。慌てて後を追う。この後は秋雲に鎮守府を案内してもらう予定だ。

 港に広がる海を右にして、潮風の後押しに答えるように歩幅を大きくした。



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1ページ目のあの子-1

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 着任してから1か月が過ぎ、桜はとうに散ってしまった。ときおり夏の近づきを感じさせるように気温が高くなることもあるが、風はまだ春のものだった。

 午前中は鹿島との艤装航行練習で、早く練習から実戦に移りたいと思いながら水上を滑る。しかし文句を言ってはいけない。ここだけの話、以前鹿島に「早く戦闘に出たい」とその旨を伝えたところ、

「そうですね。練習不足で死人を出して、鹿島を首にでもしたいんでしょうか」

 笑顔の向こうに般若が見えて、それ以来大人しく練習に専念することにした。実戦に出る時期はまだ先の話になってしまうが、ものは考えようだ。爪を研ぐ期間が長ければ、それだけ敵に深くかみつくことが出来るはずだ。研ぎすぎて逆に脆くならないようにだけ気を付けておこう。

 午後に練習が終わって海から上がると、鹿島が歩み寄って声を掛けてきた。

「満潮さん。お昼ごはんを食べたら、提督室に向かってください」

 何かあるのかと鹿島の目を見るが、それだけ言って鹿島は鎮守府庁舎の方へ行ってしまった。

 昼食を取ってから、鹿島に言われた通りに提督室へ向かった。執務机の上には、相変わらず大量の書類で山が出来ていた。

「やぁ、いらっしゃい」

 司令官は手に持ったマグカップを置いた。朝潮のマネをするわけではないが、わたしは彼のことを「提督」ではなく、「司令官」と呼んでいる。その方が呼びやすいのだ。

 執務机の上には、相変わらず大量の書類で山が作られていた。

 敬礼した手を下して尋ねる。

「何かご用ですか?」

「うん、僕とケッコンしてくれないかなって」

「失礼しました」

 踵を返して執務室の扉に手を掛ける。出て行こうとしたところで提督に肩を掴まれた。

「待って、ちょっと待って。冗談だって」

「冗談が下手ですね」

 再び執務机の前に立った。用があるなら早く終わらせてほしかった。司令官に対する心象は正直あまりよろしくない。初めて出会ったときの出来事は、悪い意味で忘れられなかった。

 そんな心を知ってか知らずか、椅子に座り直した司令官はマグカップに口をつけてから要件を話した。

「今日から、僕の秘書艦をしてもらうことになったから」

「秘書艦、ですか」

「知らない?」

「いえ、知っています」

 司令官はほぼ毎日、深海棲艦の種類や出現位置を予想し、出撃する艦娘の選定・編成していた。過去の出撃記録や撃墜した敵の種類などから、ある程度の敵の予測ができる。統計学がなんたらとか、ポアゾン分布がどうのとか、私にはさっぱり分からなかった。そして予測した敵に見合った艦娘を選んで、艦隊を編成するのだ。

 それだけでも十分重労働だ。それに加えて、大本営から送られてくる書類の山にも対応している。艦娘の体調を気にかけたり、艦娘の装備を出撃ごとに確認したり……やらなければいけないことを挙げていてはキリがなかった。

 それらすべてを司令官一人の身体でやり切るのはほぼ不可能だ。最初のうちはやり切ることができても、いつかは限界がおとずれ体調を崩し、ひいては鎮守府運営に影響が出かねない。

 そんな司令官の補佐として仕事をこなす艦娘が秘書艦だった。秘書艦は他の艦娘に一日の業務を報せたり、工廠に装備の開発や調整の指示をしたり、机に張り付いて動けない司令官の補助をする。作戦立案などの重要なものは司令官自身が指揮するが、それ以外の、彼が自ら指示を出さなくてもいいような仕事を任されている。雑用係のように見えるが、決して簡単な役目ではなかった。

 そのため、基本的に秘書艦を任されるのは鎮守府に長く居る艦娘、自然と練度の高い艦娘になる。この鎮守府では大和さんが秘書艦をやっていたはずだ。私より彼女の方が明らかに練度は高いし、鎮守府の事情にも詳しい。私はまだ鎮守府に着任して1ヵ月しか経っておらず、他の艦娘と比べて練度もそこまで高いとは思えなかった。

 なぜ私なのか、司令官の考えを尋ねるように聞いてみると、

「別に、練度の高い艦娘が秘書艦をしなければいけない義務はないよ。昨日今日来たばかりの子にやってもらっても構わないし、それこそ他所の鎮守府から引っこ抜いてきた子でもいいんだ」

 それに、と続けて、

「満潮に秘書艦をやってもらうのは1週間だけ。その後は響にやってもらうつもりだ。新しく来た艦娘に、秘書艦がどんなことをしているか体験させようと思ってね。気負う必要はない」

 最後の一言は私を安心させるために言ったのだろう。鎮守府の生活に慣れたとはいえ、いきなり秘書艦をやれと言われれば、誰でもたじろいでしまうはずだ。

 おかしなひとだが、仕事はきちんとすると知っている。ひとつの部屋の中で長時間2人きりになることはないだろうし、仕事をしていれば襲われることもない……と思う。

「どうかな、やってみない?」

 再度聞かれ、考える。司令官に対しては少し警戒しておく必要があるかもしれないが、全くやりたくない仕事でもなかった。

「分かりました。お引き受けします」

 もし襲われそうになったら、朝潮か大和さんを呼ぼう。提督室にいても遠くへ危険を知らせられる何かを作っておいてもらおうかな。警報器みたいな。

 私の返答に、司令官は満足そうに頷く。カップの中身を飲み切る。

「実はね。秘書艦の仕事を頼むと、みんな最初は決まって『嫌だ』って言うんだ。どうしてか分かるかい?」

「司令官のことを警戒しているんじゃないですか?」

 遠まわしに、自分も警戒しているぞという意志も込めた。「違いない」とケラケラと笑った。しかしすぐに笑顔をひっこめて、

「でも、それだけじゃない。みんなは秘書艦の仕事が大変で、忙しいということをなんとなく知っている。大和や、ときどき漣の姿を見ているからね。秘書艦の仕事は、実際面倒くさいだろう」

 そう言うと、司令官はかなしそうな表情を浮かべた。なぜそんな顔をするのか聞こうとしたが、口を開く前に彼の言葉でさえぎられる。

「僕はね、それがどんなものかも知らないで、勝手に想像して毛嫌いするのがあまり好きじゃないんだ。食べ物でも、仕事でも、人間でも。知りもしないで遠くへ押しやるようなことはね」

 司令官が口を閉じると、室内はしんとした静けさが訪れた。時計の針が進む音の向こうに、艦娘の楽しそうな笑い声が聞こえる。気づくと、いつもまにか司令官は軽い笑みがを浮かべていた。そして執務机に片肘をついて、前のめりに身を乗り出す。黙ったまま、私に手を差し伸べてきた。

 司令官に対する印象はあまりよろしくない。女の子の身体を躊躇なく触るし、そこが胸だろうとお尻だろうと飛び込むような変態だ。こんな人間が私たちの指揮官だなんて、と彼の顔を見るたびに思っていた。差し出される手を見る。執務机を少しはみ出すくらいに広げられた手のひらは、私より大きく、あまり日に焼けていない。指先が少し黒ずんでいるのは、私が来るまで書類を書いていたからだろう。

 この手を取れば、今日から1週間、私は秘書艦として司令官の側で仕事をすることになる。

 彼については、最初の印象を変えるつもりはない。油断すれば、いつ自分の胸とお尻が危険にさらされるか分からない。胸の大きさが関係ないことは、曙の一件で証明されていた。ただ――

 私は差し出される手を取った。見た目どおり私の手より大きく、思ったより柔らかく、温かさのある手だった。この手が私たち艦娘を指揮し、私たちの命を預かっている人間の手なのだ。

 その日から、私は秘書艦の任に就くことになった。



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1ページ目のあの子-2

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 司令官と話して、秘書艦の仕事は次の日からということになった。

 秘書艦になって最初の仕事は、工廠への装備開発依頼だった。司令官が指定する材料を書類に書きこんで、それを工廠にいる『妖精』に手渡すだけ。それくらい自分で行けばいいのにとは、思っても口にしない。

 妖精とは工廠に住まう小人のことだ。私の顔より小さな体を一杯に動かして、必要とあらば眠ることなく働き続けている。疲れを知らない彼ら(彼女ら?)は、実は鎮守府の工廠より普通の会社に勤めていた方が社会のためになるのではと思う。その代わり何も仕事を言い渡さないと一日中眠っている。オンオフの激しい存在だった。

 工廠の重い扉を開くと、妖精はあくせくと動き回っている。何やら作業中らしい。私は近くを通りかかった妖精を呼び止めて、依頼書を手渡した。書類を地面に置いて、首を大きく左右に振って文字を読む。内容を理解したのか、うんうんと2回頷くと書類をキレイに巻いていく。私の方を大きく見上げてピシッと敬礼をして、書類を脇に抱えて工廠の奥へと走り去ってしまった。

 とりあえず、これでいいのかな。司令官の話だと装備はすぐに出来上がるらしい。造り終るのを待つ間、妖精たちを眺めていることにした。

 工場内にいは様々な機械があちこちに見受けられた。おそらく艤装や装備を作るための機械なのだろうが、ぱっと見で名前が分かるのがリフトとベルトコンベアしかなかった。そこかしこに段ボールや木の箱が散らばっていて、それらの間を彼ら(彼女ら?)はパタパタと走り回っている。ずるずるとホースのようにバーナーを引っ張る妖精もいれば、身体の何倍もある大きさの段ボールを持ち上げる妖精もいた。

 彼らは明らかに人間ではない。動物かと聞かれれば、動いている生き物だから、たぶん動物なのだろう。その良くわからない存在であるところの妖精がいなければ、艦娘は建造されず、艦娘に必要な装備も開発できないのだそうだ。謎だらけである。

 ふぅ、と鼻で息を吐く。その謎の存在に造られるのが私たちだ。金属が人間の身体になることに、深い意味を見出すのは無意味かもしれない。以前、どうやって艦娘が生まれるのか朝潮に聞こうと思ったことがあるが、やめて正解だったかもしれない。朝潮に聞いても、おそらくまともな回答は得られないだろう。

 妖精たちを観察し始めて、10分ほど経っただろうか。私から依頼書を渡された妖精が奥から走り寄ってきた。脇に抱えていた用紙を広げて見せる。何かの形を模した絵が、鉛筆の線で描かれていた。

 これは何だろうと思いを巡らせていると、妖精が「早く取って」とばかりに用紙を揺らし始めた。慌てて用紙を受け取ると、妖精は一つ深呼吸して、敬礼ののち再び工廠の奥へと戻って行った。

 私は渡された用紙に目をおとす。これを提督に渡せばいいのか。他になにか渡されるかもしれないと思って5分ほど待ってみたが、妖精たちが私に声をかけてくることはなかった。

「おかえり。どうだった」

 提督室に戻って、とりあえず良く分からなかったことを伝えると、司令官は大仰に笑った。むっとして、突き出すように用紙を手渡す。司令官が用紙に書かれているものに目を向けると「ほぉ、良いものを作ったね」と満足そうにうなずいた。

「それはなに? あ、いや。何ですか?」

「無理に敬語を使う必要はないよ。曙なんて、ずっとため口だ。これは『爆雷』だよ」

 聞き覚えがあった。というより、艦船だったときに私の背中に積まれていたものの一つだ。

 爆雷とは、主に潜水艦に対して使われる爆弾のことだ。艦尾から海に落とし、海中に潜む潜水艦を撃墜する。今日妖精が作ったものは、艦娘用の爆雷だったようだ。司令官曰く、この爆雷と艦娘用のソナーを持っていれば、敵潜水艦にほぼ一方を取れるという。

「よし、じゃあ次の仕事を言うぞ」

 私は次々に仕事を言い渡された。途中提督室に来た大和さんの手も借りながら、秘書艦としての仕事をこなしていく。酒保(鎮守府内にあるコンビニエンスストア。艦娘の日用品や軽食が販売されている)の在庫や売上表を受け取るころには、潮風が少し冷たく感じられ、茜色の光が空を染め上げていた。

 次の日の朝はいつもより早起きをして寮を出た。早朝の澄んだ空気を感じながら、一直線に提督室へと向かう。扉を開けると、コーヒーの香ばしいにおいが鼻をくすぐった。司令官は椅子に腰かけ、執務机の書類に目を通していた。

 昨日大和さんから教えてもらったのだが、ここは提督室ではなく、執務室というのが正式らしい。「いつも提督がいるし、もう私室みたいになっているから、『提督室』でいいんじゃない」と誰かがいって、それから『提督室』になったらしい。

 朝一番の仕事はその日の予定の確認から始まる。誰が何処に出撃・遠征に行き、いつごろ帰ってくるか。遠征は日をまたいぐこともあるから、その場合の帰還時期の確認は翌日に繰り越し。今は鹿島が新人の指導をしているから、誰が指導を受けているのかもチェックしなければいけない。ふと、そこに自分の名前が無いことに気が付いて提督に尋ねた。すると、

「満潮は今、秘書艦をしているでしょ。秘書艦をしながら鹿島の練習は受けられないよ。僕が言って、1週間は練習を免除してもらっておいた」

 なんと。思わず肩を落としてしまった。1週間練習が出来ないとなると、それだけ出撃する時期も遅れるはずだ。ひとは勉強を1日休むと、取り戻すのに3日以上かかると来たことがある。一週間も練習できなくて、腕が落ちたらどうしよう。

 その機微を知ってか知らず、

「代わりに、1週間抜けた分は戻った後で練習量を増やして補うみたいだよ。よかったな」

 とからかうような口調で言ってきた。何もよくない。

 気を取り直して、一日の予定をもう一度確認する。確認が終わった後、提督に連れられて朝食のために食堂へ向かった。そこで、今度は扶桑(扶桑型戦艦の艦娘。デカい)に飛び込む司令官に思わず頭を抱えた。本当に見境がない。あと、時と場所も選ばない。まるで電球の光に吸い込まれる虫だ。やはり彼への警戒は解かないほうがいいと改めて思う。

 しばらく扶桑の悲鳴が響いていたが、彼女の妹である山城が司令官を蹴り飛ばし、食堂はいつもの調子を取り戻した。



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1ページ目のあの子-3

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 来客の連絡が来たのは、秘書艦を始めて5日が経った日だった。

 天気予報では地図のあちこりに傘のマークがつきはじめ、鎮守府の空にも大きな雲のかかる日が多くなった。

 工廠での装備開発を終えて、妖精に渡された用紙を持って提督室に戻ると、司令官が電話の受話器を片耳に当ててしきりに頷いていた。邪魔をしないように、ドアノブを回したままドアを閉める。話し終わるのを待ち、受話器を置くのを見てから用紙を執務机の上に置いた。

「誰から?」

 このころになると、私も司令官に対してタメ口を使うようになっていた。ある意味『軍』である以上、鎮守府最高指揮官である彼には敬語を使わねばと思っていたが、この人に対して敬語を使うのはどこか似合わない気がしたのだ。

 司令官自身も、私が敬語を使わなくなったのを喜んでいた。やっと心を開いてくれた、などと言っていたが大きく的外れだった。頼れる人だというのは分かっているが、だからと言って気を許したわけではないのだ。

 司令官は椅子に座り、机に置かれた用紙に目を通しながら、

「今度、来客があるから。覚えておいてね」

「来客?」

「そう。お客さんというよりは、お手伝いさんって言った方がいいかも」

 どういうことか分かりかねていると、

「来週から、近海の潜水艦を掃討しようと思っているんだ。それに合わせて、潜水艦を倒すのに慣れた艦娘を他の鎮守府から借りたんだよ。うちには、潜水艦と会敵した子が少なくてね」

 鎮守府どうしで艦娘を貸し借りするのは、珍しいことではなかった。艦娘と同じく、深海棲艦には戦艦や巡洋艦など多様な種類が存在している。鎮守府ひとつでそれら全てと対抗できているところばかりではない。もし自分の鎮守府だけでは対処しきれそうにないと判断したときには、他の鎮守府から応援として艦娘を派遣してもらうのだ。

 私たちがいる鎮守府は比較的最近に運営され始めた、いわば新人の集まりである。司令官こそ元は舞鶴鎮守府で指揮を執っていた経緯があるが、艦娘に関してはまだ日の浅い子たちばかりである。最も古参である漣でさえ着任して3年と、他の鎮守府の艦娘に比べて経験が少なかった。

「とりあえず、そのことを他のみんなに報せておいて。今日の夜には、またみんな食堂に集まるでしょ?」

「分かった。それで、いつくるの?」

「明日」

「明日!?」

 直近のことで思わず目を見開いた。

「なんでそんなギリギリになって教えるのよ!」

「僕だって忙しかったんだ! それに、俺はちゃんと1週間前に連絡返せって言ったさ! そしたらどうだ、前日だ! あいつ絶対、そのうち彼女に愛想尽かされるから」

 何やら言い訳していたが、そんなこと私は知らない。素が出てしまったのか、一人称が変わっていた。

 取り乱したことにはっと気が付いて、提督は一つ咳払いして調子を整える。

「と、とにかく。みんなに伝えておいてくれ。前日になったことは僕のせいじゃないことも付け加えて」

「秘書艦の仕事に嘘が混じるようなことがあったらダメでしょ。ありのままを伝えるから」

 さて、これから食堂の備蓄確認に行かなければいけないのだ。大和さんの手伝いが無くても、ある程度ひとりで出来るようになった。

 司令官はあきもせず自分に非はないと説明していたが、聞き終わる前に部屋を後にした。

 そして翌日。鎮守府庁舎の扉が開かれ、入ってきた艦娘を見ておやと思った。

 彼女とは初対面のはずなのに、その顔を私は見たことがあったからだ。ただ、どこで見たのか全く思い出せなかった。

 彼女はメガネを両手でかけ直して、

「初めまして、秘書艦さん。横須賀から派遣されました、夕雲型駆逐艦の巻雲です。どうぞよろしくお願いします」

 ピシッと敬礼。えんじ色のジャンパースカートはぴったりなのにシャツの袖が腕より長いせいで、余った部分がだらりと垂れ下がっていた。身長は私の方が高いため、自然と巻雲を見下ろす形になる。

「満潮、です。よろしく」

 慣れない敬語を使ったせいでぎこちなくない口調になってしまった。巻雲は相手の機微に聡い子だったようで、

「敬語でなくて構いませんよ。話しやすい口調でどうぞ」

「う、うん。ありがとう」

 巻雲の好意をありがたく受け取って、彼女を提督室に連れて行った。

 司令官と巻雲が軽いあいさつを済ませる。これから1週間、彼女は私たちと行動を共にする。寝床は寮の空き部屋を使うことになった。

 一緒に生活するなら、鎮守府のどこに何があるか案内した方が良いのではと思い、

「鎮守府を案内するわ。短期間だとしても、覚えておけば便利だろうし」

 そう提案した。しかし巻雲は、

「以前、演習でこの鎮守府にお邪魔したことがありますから、大丈夫です。お気づかいありがとうございます」

 とやんわり断られた。

 しばらく休憩をもらったので、巻雲と一緒に庁舎を出る。持ってきた荷物を寮室に運び入れるのを手伝うとちょうど正午になった。ふたり並んで食堂に向かう。

 寮の廊下を歩いていると、T字の曲がり角から秋雲が現れた。秋雲の顔を見て、わたしはやっと思い出した。どこかで見たことがあると思ったら、そうだ。似顔絵を描いてもらったスケッチブックだ。

 秋雲は私たちの姿を見とめると、ぱたぱたと走り寄ってきた。

「満潮ー……と、巻雲じゃん! 潜水艦掃討の応援って巻雲のことだったんだ!」

 名前を呼ばれた巻雲も、秋雲に呼応するようにぱっと笑顔になる。

「久しぶり。相変わらず元気そうだね、秋雲」

「元気が取り柄だからね。電話の声だけじゃなくて、やっぱり顔が見れるのが一番だよ」

 秋雲は巻雲の頬をぐりぐりといじくる。「もう、止めてよ~」と巻雲は恥ずかしそうに言うが、嬉しさもあるのか無理に手を剥がそうとはしなかった。少しにへらとした顔が、スケッチブックの1ページ目に描かれていたものと良く似ていた。

「ねぇ、まだ絵は描いてる?」

「もちろん。毎日描いてると言っても過言じゃないね」

「秋雲らしい」

 気の置けない間柄というのは、きっとこの2人のような関係を言うのだろう。しばらく、2人は私のことを忘れたように話しこんでいた。こうも自分のことを忘れられると、なんとなく居心地の悪さを感じてしまう。

「あ、ごめんなさい! 秘書艦さんがいました」

 気づいた巻雲が私に目を向けた。私は少し唇を尖らせてみせる。

「べっつにー。二人でずっと話していても、私は一向に構いませんけどー」

「もう、拗ねないでよ満潮~」

 そんなやり取りをしながら、私たちは足並みをそろえて食堂へ向かった。

 事あるごとにパーティーを開きたがるこの鎮守府でも、巻雲来訪の知らせが直前だったため準備ができなかった。食事前に巻雲を紹介し、いつもの食事風景に巻雲が加わる形となる。潜水艦掃討に出撃するメンバーと顔を合わせた後、彼女はほとんど秋雲の側にいたように思う。

 

   ***

 

 巻雲が来たからといって日々のやることが変わったわけではない。出撃する子がいれば、遠征から帰ってくる子もいる。新人は相変わらず鹿島の指導を受けていた。

 私の秘書艦業務最終日も滞りなく過ぎて行き、夕方には響に秘書艦業務を引き継いだ。翌日からは鹿島の指導を受けられる。いつもよりキツイ練習になるのが目に見えていたせいか、練習に戻れるのにそれほど嬉しく思えなかった。

 案の条、練習量はいつもより明らかに多かった。他のみんなは午後になると港に戻っているのに、私と鹿島はそのまま残って練習を続けていた。お腹が鳴るのも構わず、ひたすら航行練習。おなかと背中が文字通りくっつくんじゃないかと思い始めたころにやっと練習が終わる。

 こんな日々があと1週間続くのか……。頑張れ、響。そしてその後秘書艦をするみんな。

 港に戻る道すがら、気分を変えようと空を仰いだ。清々しい青空が頭上に広がっているが、水平線の向こうでは灰色の雲に隠れていた。明日の午後から本格的に雨が降り始めるらしい。梅雨入りだ。天気予報で取り残されたように晴れマークが続いていたこの地域でも、ついに傘を広げる日がくるのだ。

 雷のように鳴り続けるお腹を必死に押さえ、カレーのかおり漂う食堂へと駆け込んだ。



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1ページ目のあの子-4

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 暗い雲が空を覆う。今にも泣き出しそうな空模様だが、予報では夕方から降り始めるとのことだった。

 巻雲を含む艦隊が出撃したのち、私はいつも通り鹿島の航行練習に参加した。この日は複縦陣での航行。曇り空の下、隣との間隔に気をつけながら旗艦の指示に従って海をすべる。もちろんみんなの練習は午後で終わりだが、私はさらに1時間居残りすることが決まっている。それもこれも司令官のせいだ。しかし、遅かれ早かれいつかは秘書艦をしなければいけなかったのだ。早めに役目を終えられて良かったと思うことにしよう。

 鹿島の腕時計のアラームが午後を報せ、練習生が一斉に港へ戻っていく。それを見送り、私と鹿島は笑顔を交わす。笑わないとやっていられない。潮の香りに雨のツンと鼻をつくようなにおいが混じるのを感じながら、鹿島の追加指導をこなしていく。唯一の救いは、へとへとになるまで練習した後のご飯はおいしいということだけだった。

 港に戻った私は、食堂ではなくまずドックへ向かった。お米の甘いかおりが恋しかったが、汗と海水でべたついた身体をさっさと洗ってしまいたかった。手早く手短に汗を流す。着替えた下着は柔らかく心地いい。制服も新しいものを着て、さっぱりした気持ちで食堂の扉を開けた。

 お昼時はとうに過ぎている。誰もいないかと思われた食堂には、意外にも来客があった。入り口近くの丸テーブルに舞風と嵐が座っていた。私に気づいた舞風が手を上げる。手招きされたので素直に従う。

「舞風たちもご飯?」

「ご飯はもう食べたよ。今日は非番だから、やることなくて暇なんだ」

 舞風の隣、嵐の対面に腰掛けて、汚れた服を空いた席に置く。そこへ妖精がメモ帳を持ってやってきた。艦娘が多くないときは、こうやって注文を取ってくれるのだ。お腹が空いていれば何でもおいしいので、とりあえずから揚げ定食を頼む。

「二人して暇なんだから、何かしようってことになって。二人で『愛』について語ってたんだ~」

 細くしなやかな指を組み、舞風は演技っぽくうっとりと目を細めた。

「舞風たち、昔は艦船だったでしょ。でも今は、こうして身も心も人間のものになってる。だから、いろんな感情が沸く。それがどういうものか考えてたの」

「俺はいいって言ったんだけどな。巻きこまれた」

 と嵐は頬杖をついた。

「俺は考えるのが苦手なんだよ。もういいじゃねぇか。相手のことを好きって思うのが愛で」

「嵐はそれでいいの? 簡単に片づけていいの? 愛を軽く見てケッコンする人が、望まない子どもを授かることになってるんだよ!」

 流石にそれは極論な気がするけど、一理あるような気もするから反論できない。嵐もそうなのか、苦い顔をしている。「お昼時にする話じゃねぇな」とため息交じりに言い、ちらりとこちらに目を向けた。助けを求められても困る。でも、どうやら舞風の気が済むまで付き合わないと終わらないみたいだ。

 私は言った。

「ねぇ、語るのはいいけど、せめて別の話題にしない? 『愛』だと、話題がちょっと重くなりそう」

「そう? そんなこともないと思うけど……ん~、じゃあねぇ」

 舞風は腕を組んで考えるそぶりをして、

「じゃあ、『好き』にしよう」

 自信有り気に言う舞風とは対照的に、私と嵐はきょとんと顔を見合わせた。

「それ、何か違うの?」

「結局『愛』と変わってないじゃんか」

 二人揃ってそう言うと、舞風は腰に当てて頬を膨らませた。

「全然違うよ。嵐がさっき言ったのは、誰かを恋しく想う『好き』でしょ。『好き』っていうのはもっと他に種類があるよ」

 例えば、と舞風は人差し指を立てて、

「満潮。食堂のメニューでお気に入りのものって何かある?」

 突然の指名に驚いたが、少し考えてみる。

「そうね。ドーナツかな。ほら、ときどきメニューにあるじゃない。ライオンのたてがみみたいに、外側の縁がもこもこしてるやつ。あれが好きなのよ」

「それは自分の髪型が好きって言う婉曲表現ですか」

「うるさい」

 肩を小突いてやろうかと思ったがすんなり避けられてしまう。

 舞風にからかわれてしまったが、このポンデリング調の髪型を作るのは大変なのだ。出来れば朝はゆっくりしたい。でも、髪を結って丸める時間を作るために早起きしていた。頭の両側に作るから余計に時間がかかる。これが取り外しできる髪飾りならどれだけ良いか。作らないといけない義務は誰からも課されていないが、そうしないと気が済まないのだ。もしかして、この髪型をするように誰かにプログラミングされているのかもしれない。

 ひとりで考えを巡らせる私に構うことなく、舞風は一つ咳払いして、

「まぁ冗談だけど。今の満潮の『好き』は、食べ物が好きってこと。舞風は踊るのが好き。嵐は暴力とか好きそうだよね」

「舞が俺のことをどう見てるか、よくわかったよ」

「これも冗談だって! そんな怖い目で見ないでっ」

 嵐の鋭い視線から、舞風はいやいやと目をそらす。

「それに、他のひとを想う『好き』にも色々あるよ。恋人として好き。友達として好き。姉妹として好き。舞風は嵐も満潮も好きだよ」

「嬉しいといえば嬉しいのに、何でかな。フォローのつもりで言われた気がする」

「これはほんとだよ! 信じてよ嵐ぃ」

 と悲しそうに声を震わせて嵐の制服の袖にすがった。ちょっとした狼少年状態だ。いや、狼少女か。私は舞風に憐れみの眼差しを向けていたが、一方で感心していた。

 舞風は「好き」と言うことにためらいがないようだった。わたしには難しいことだ。それが、例えばドーナツなどの食べ物や、読み終わった本なんかにはいくらでも「好き」と言うことができる。それなのに、相手が人間、艦娘だと、どうしても想いを伝える言葉が出てこない。自分の想いをためらいなく言葉にできる舞風が羨ましかった。

「舞風はすごいね」

 自然と言葉が漏れた。聞かせるつもりがなかっただけに、「へ、どうして?」と反応されてしまって戸惑う。胸の前で不自然に手を動いた。

「あ……いや、ほら。私は舞風みたいに、自分の思ってることを、すっと伝えられないから。それができる舞風が、素直に凄いなって」

「ふふん、そんな風に褒められると、この舞風さんも悪い気はしないよ」

「調子いいんだから」

 舞風が席に着く。

「俺は、無理に言葉にする必要はないと思うぜ。手紙を書くとか、贈り物をするとかでも充分だろ。誰もかれもが言葉を上手に使えるわけじゃないし」

 伝え方はいろいろさ、と言って嵐はひとつあくびをした。

「んあ~。頭使ったらお腹空いたな。なんか食べようか」

 そのとき、ちょうど折よく2匹の妖精がテーブルに近づいてきた。妖精たちはトレーを持っていて、銀色の縁の端と端を支えている。

 トレーに乗せられている料理を見て、思い出したように私のお腹が鳴った。



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1ページ目のあの子-5

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 嵐たちはもうしばらく食堂にいるそうだ。着替えた下着と制服を洗うため、私は食堂を後にして寮に向かった。寮の中は、どこか様子がおかしかった。行き来する娘たちはひどく慌ただしい。何事か言い交わしたあと、再び足早にどこかへ向かって行く。

 その様子を眺め、不思議に思いつつ彼女たちの側を通り過ぎる。一階廊下の一部屋に洗濯機が置いてある。電源を入れて制服を洗う準備をしている間も、部屋の外はやはり騒がしかった。椅子に腰かけて廊下の方を見ると、忙しそうに行き来する艦娘の中に朝潮の姿を見とめた。

 私は部屋から出て、朝潮を呼んだ。

「朝潮、どうしたの?」

 私に気がついた朝潮が立ちどまり、振り返る。普段は笑顔の彼女しか見たことがないため、不安そうな表情がどこか新鮮で、わだかまりを感じずにはいられなかった。わたしは近寄って、

「何かあったの?」

「ちょっと、ね。面倒なことにはなってるかな」

 朝潮は何かに迷うに視線を落とす。

「言いづらいこと?」

「いや、そういうわけじゃないけど--とりあえず、うん。来てもらった方が早いね」

 ついて来て、と朝潮はさっと歩き出した。私は慌てて彼女の後を追った。いつもより歩幅が大きかったのは、たぶん気のせいではないだろう。

 連れてこられたのは医務室だった。艦娘がいくら艤装で保護されているとはいえ、深海棲艦からの攻撃で怪我をしないわけではない。大怪我であればすぐにドックに入れられるが、軽傷であればこの医務室で治療される。診察台がひとつあり、4つのベッドが等間隔に並んでいる。静寂を強要された空間。時を刻む針の音が耳についた。

 朝潮はその中の、唯一白いレースで仕切られているベッドを目指した。

 場所が場所なだけに、私は嫌な予感を拭えなかった。誰かに何かがあったのは間違いない。泥棒、鎮守府荒らし。もしかして、街でストーカーに後をつけられて、抵抗の末虚しく……。艦娘は陸上では普通の女の子と大差ない。いくら訓練されているとはいえ、複数の大人に囲まれればなす術もないのだ。

 朝潮がレースの前に立つ。そして金属の車輪がこすれるような音とともに、白い幕が開けられる。目の前に現れたのは秋雲だった。いつもの制服姿でベッドの縁に腰掛け、きょとんとした目をこちらに向けている。しっかり背中は伸びていて、身体のどこにも傷ついた様子はなかった。ただ暇そうにぶらぶらと貧乏ゆすりを繰り返していた。

 その姿を見て、私は胸をほっと息をついた。

「もう、びっくりしたわよ。誰かがとんでもないことに巻き込まれたのかと思っちゃったじゃない」

 私は朝潮の前に出た。

「全く、あんた何で医務室にいるのよ。どこも怪我してないし。まさか仮病? 絵を描きたいからって、そこまでするのはどうかと思うわよ」

 相変わらず、秋雲はきょとんとした顔をしていた。特に反応が無くて肩をすくめてみせると、何も言わない秋雲に代わって朝潮が口を開いた。

「……どうして、医務室にいると思う?」

 そう問われて、思わず朝潮に振り向いた。

「どうしてって……」

 答えあぐねる私に、朝潮は確認するように言葉を紡いだ。

「目立った外傷はない。悪いものを食べてお腹を壊した様子もない。出撃も遠征もしない日だから、深海棲艦との戦いで体力を消耗したわけでも、街に出かけて変質者に襲われたわけでもない」

 少し間を置いて、私が言葉を理解する時間を与える。そしてもう一度尋ねた。

「なら、どうして医務室にいると思う?」

 どうして。秋雲はなぜ、医務室にいるのか。医務室、広く、医療系の部屋が使われるとはどういうことか。

 どこぞの学校ならサボる意味で保健室を利用することがあるだろうが、鎮守府でそれをやれば何かしらの罰があるはずだ。叱責か、掃除か、腕立て一万回か。いずれにせよ、進んでサボろうとする人はいないだろう。

 病室にいる。それはつまり、身体のどこかに悪いところがあるからだ。悪いところを治療したり、安静にしてもらったりするために病室は使われる。

 では、どこが悪いのだろう。

 朝潮に返す答えを探す。その答えは、私が思いつくより先に、秋雲自身が教えてくれた。

「えっと」

 よく使われる前置き。誰かと話すときでも、大々的な発表をするときでも、つい口にしてしまう言葉だ。しかし、次に秋雲の口から出された言葉は、親しい中ではまず使われないものだった。

「キミは……だれ?」

 医務室、広く、病室が使われる理由。体のどこかに悪いところがあるひとを休ませるために使われる。

 秋雲のなかから、私たちに関する一切の記憶が消失していた。

 しんとした医務室に、ノイズのような雨音がしみ込んできた。



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消えた想い-1

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


「おーい。本当に俺のことが分からないのか?」

 嵐が秋雲の前に立って尋ねる。

「うん、分かんない」

「まじかぁ」

 とため息交じりに肩を落とした。紅い髪から雨の雫が医務室の白いタイルに落ちる。秋雲の記憶がなくなったと聞いた嵐は舞風をつれて、傘も差さず食堂から飛んできたのだ。舞風もずぶ濡れで、額や首筋に髪がべったりと張り付いている。私は棚からタオルを2枚取り出して二人に渡す。

 雨水を拭うふたりを眺めながら、隣りに立つ朝潮が言った。

「でも、舞風のことは分かるんだよね」

 そう、秋雲は何もかも忘れたわけではなかった。艦娘の名簿を見せたところ、秋雲が忘れたのはこの鎮守府に所属している艦娘の約半数のことだけだと分かった。残りの半数と自分のこと、鎮守府の各施設などは全て覚えていた。

 記憶喪失には違いないが、症状は最悪というほどでもなかった。忘れられた側にとっては最悪以外の何物でもないが。ひとまず、一時的な記憶障害だろうということで落ち着いた。

「良かった。何もかもを忘れたわけじゃなくて」

「忘れられた側でしょ。辛くないの?」

「もちろん辛いよ。でも、もし秋雲が何もかも忘れていたらその方が辛かった。全部忘れたわけじゃないって思えるだけで、救われた気持ちになれる」

 と、朝潮は目を細める。何かに耐えるように、口元はきゅっと結ばれていた。

 朝潮がいつごろ着任したのかは分からないけど、私よりは多く秋雲と接してきたはずだ。それだけ私よりつながりは強いし、思い出もある。それらが秋雲から消えてしまった。もし私が秋雲ともっと長い時間を過ごしていたら、たぶん今の朝潮みたいに耐えることはできないだろう。

 なかなか自分のことを思い出してもらえなくて、しびれを切らした嵐が「荒療治だ!」と言いながらこぶしを振り上げる。それを舞風が必死で止めていた。

「放せ、舞! こういうとき、頭を殴れば治ることがあるんだっ」

「古いテレビじゃないんだから!」

 舞風だけでは手に負えそうになかった。慌てて私と朝潮も止めにかかる。暴力は良くない。嵐も不安なんだろう。記憶から自分の存在が消えていて、どうしたらいいのか分からない。不安に思うなというのは無理な話だ。

 秋雲の中では、私の存在も消えている。私と秋雲を繋ぐつながりが途切れているということが、思いのほか胸をえぐっていた。

 

   ***

 

 その日の夜。潜水艦掃討から帰投した艦隊は、大和から秋雲の事情を説明された。彼女たちはすぐさま医務室に向かい、秋雲と対面する。誰もが「忘れられていたらどうしよう」と青ざめていた。

 しかし、彼女たちの不安は、たった一人を除いて杞憂に終わった。秋雲は帰投した艦娘をほとんど覚えていた。一人、また一人と秋雲が名前を呼ぶ。呼ばれるたび、彼女たちはほっと胸をなでおろした。

「なんだ、忘れられてないじゃん」

「よかったぁ。どうしようかって、ずっとビクビクしてたよ」

 白く清潔に保たれた医務室が色づく。秋雲の記憶を確認した娘たちは安堵で頬を緩めた。

 そして、最後のひとり。唯一彼女だけ、杞憂が現実になってしまった。

 秋雲の前に出る。待つ。自分の名前が呼ばれるのを、待つ。激しく打ち付けている雨音が心を急かした。時計の針の音が耳をつく。体感では5分も10分も待った気がしていた。ようやく、秋雲の口が開かれた。

「だれ?」

 名前は呼ばれない。何も言えず、何も考えられず、彼女は茫然と立ち尽くした。

 そっと、秋雲に背を向ける。

 喜ぶ娘たちに気づかれないように、巻雲は、重い足を医務室の外に向けた。




次回は9月10日(日)投稿予定です


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消えた想い-2

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 巻雲たちが帰投する6時間前。

 空一面に雨雲が覆いかぶさり、夕暮れが近づいているのか景色は一層暗さを増していた。雨傘が雨粒をはじく。その小気味の良い音を聞きながら、私と朝潮、舞風、そして秋雲の4人は、先導する嵐の後ろを歩いていた。

「まぁ、俺に任せとけって。すぐにでも秋雲に俺のことを思い出せてやるから」と嵐は胸を張る。

「何か当てでもあるの?」

 そう尋ねてみると、

「ない! けどなんとかなる!」

「どこから来るのよ、その自信は」

 嵐が大きく踏み出す。一歩一歩に勢いがあるせいで、先ほどからこちらに水が散っていた。

 偽装を展開していればシールド性能が起動するため、身体が水に濡れることはない。ただ、雨の日にいつも艤装を背負うわけにもいかないし、そこそこ重さがあるのだ。雨の降る日は傘を差すのが常だった。長靴も履けば完全防水だったが、あいにく持ち合わせがない。近いうちに酒保まで買いに行こう。嵐の踏み散らす水しぶきを避けながら、自分も水を散らさないように慎重に歩いた。

 嵐に連れられてきたのは寮の裏にある倉庫だった。入り口に傘を立てかけて中に入ると、紙の柔らかい香りと金属の鉄臭さが同時に鼻をついた。壁のスイッチを押して明りをつける。10畳ほどの広さで、壁際の棚にはビニールシートや段ボール箱などが整然と収められていた。倉庫の隅には誰が買ったのか分からない週刊誌が山積みにされており、長い間放置されたままなのか、表紙には埃がつもっていた。

 こんなところに、一体なんの用があるんだろう。そう思って嵐を見ると、彼女は奥へと進み、細長い棒状のものを手に取った。柄の部分に黒いゴムテープがぐるぐる巻きに貼られている。それは間違いなく、野球用の金属バットだった。埃を払い落すと、銀色の芯が蛍光灯の明かりで鈍く光る。嵐が何をするつもりなのか、理解するには十分だった。

「さっきも言ったよね」と舞風が言う。

「秋雲の頭はボールじゃないよ?」

「あ? 何当たり前のこと言ってんだ」

 嵐はバッティングフォームをとり、バットを振った。バットの先端が窓ガラスの手前で空を切る。危ない。

「頭を叩けば絶対治ると思うんだって。試しにやってみようぜ? 秋雲もいろいろと思い出すはずだし」

「記憶が戻る前に頭が割れちゃうんじゃないかな」

「そんときゃ、脳みそ取り出して調べれば……」

「やめてやめて! 想像しちゃったじゃんかぁ!」

 舞風は目に映った光景を振り払うように頭を振った。

「あのひと、ちょっと怖いんだけど」

「間違ってないから、その認識は変えなくていいわよ」

 流石に空恐ろしくなったのか、秋雲は私と朝潮を盾にして隠れていた。

 嵐がもう一度バットを振ると、積み上げられていた段ボールの上をかすめ、ぶわっと埃が舞いあがった。一本足を力強く踏み出してスイングする姿はとても様になっているのだが、ミートさせるのはぜひ普通の野球ボールだけにしてほしい。

「よし。じゃあ朝潮と満潮は、秋雲の頭をしっかり押さえておいてくれ」

「何が『よし』なのよ。何もよかないわよ」

 ははは、と朝潮も苦笑いを浮かべている。嵐のやり方を採用してしまうと、記憶とは別の意味で秋雲を病院に送らねばならなくなる。面倒事が増えるだけで何も良いことがない。

 頭に衝撃を与える以外の方法を探したほうがいい。それなら秋雲の身体を傷付けなくて済む。そう嵐に伝えると、しぶしぶとバットを元の位置に戻した。一同、ほっと胸をなでおろす。

 再び雨の中で傘を差した。

 

   ***

 

「嵐には任せておけない!」という舞風を先頭にして、次に向かった先は酒保だった。舞風は私たちを店の前で待たせて、一人で中に入っていく。

 それほど待つことなく、彼女はビニール袋を提げて出てきた。

「秋雲は昔から忘れっぽかったんだよね。だから、これ」

 そう言って袋を広げて、私たちに中を見せた。

 ビニール袋の中には、黒鉛筆が数本に、一冊のスケッチブックだった。

「昔、秋雲に提案したことがあるんだ。似顔絵を描けば忘れないんじゃないかなって」

「あぁ、そういえば。わたしが似顔絵を描くようになったのって、それからだった気がする」

 なんと。秋雲の趣味に舞風が関わっていたとは意外だ。しかし、なかなか妙案に思えた。相手の顔を見るだけでなく、手を動かして特徴を掴めば早々相手を忘れることはないはずだ。絵心のある秋雲なら造作もないだろう。もしかしたら、書いている間に記憶が戻るかもしれない。

 酒保を後にして、私たちは工廠へ向かう。食堂でも良かったが、食事をするところで絵を描くというのも場違いに思えて気が引けた。

 工廠では、相変わらず妖精たちが忙しなく動き回っていた。彼らの邪魔をしないように、イスと机を借りて工廠の隅に陣取る。舞風は秋雲を椅子に座らせ、机にスケッチブックを広げた。

「ん~。じゃあ朝潮、座って~」

 舞風は別に椅子を用意して、朝潮を指名する。

「忘れた子をもう一度描けば、何か思い出すかもしれない。頭は忘れていても腕は覚えてる、みたいな?」

「でもさ。描いたから思い出せるって、ちょっと安直すぎじゃないか?」

「秋雲の頭を野球ボールの代わりにしようとした誰かさんより、まともなやり方だと思うなー」

「なんだとぉ!」

 嵐が目を尖らせるが、舞風は華麗に受け流す。「じゃあやってみよっか」と秋雲に鉛筆を手渡した。

 秋雲はときどき顔を上げながら、朝潮の似顔絵を描き進めていく。動く手は止まらない。ほんの30分ほどで朝潮の絵は完成した。

「ずいぶん早くなったねぇ」

 舞風が感心しながら、しげしげと描かれた絵を眺める。気になってスケッチブックを覗き込むと、思わずため息が漏れた。すっとした目鼻。凛々しい顔つき。きちんと朝潮の特徴が捉えられている。素人目にも、この絵はとても上手だと思わされた。

「朝潮のこと、何か思い出せた?」

 私は秋雲に尋ねる。

「ううん、なんにも」

 秋雲はふるふると首を振った。残念ながら、絵を描けば何かを思い出せるわけではないようだった。そんなに都合よくはいかない、ということか。

 それでも、一度で諦めるわけにはいかない。続けて、私と嵐の絵も描いてもらった。何も期待していなかった、と言えば嘘になる。しかし案の条、秋雲の記憶が戻る様子はなかった。嵐が描かれてしばらくの間、私たちの間にはだんまりとした時間が流れた。

 また使うことになるかもしれないと、スケッチブックと鉛筆はそのまま工廠に置かせてもらうことにした。私たちが工廠を出るころには、辺りはすっかり暗く暮れていた。陰気な心をより重く苦しくするかのように、空には雨雲が乗りかかっている。星の代わりとばかりに暗がりを照らす、外灯のぽうっとした明りが雨に霞んでいた。

 記憶喪失の人が様々なことを思い出すには、少なくない根気と期間が必要と聞いたことがある。記憶を失ったその日に何とかしようとしたのは、気が早すぎたのかもしれない。かといって、ただじっと待つことは出来なかった。しかし、そう思って行動したことがかえって、秋雲が記憶を失ったという事実を私たちの中に色濃く突きつける結果となってしまった。

 本当に雨は止むのだろうか。

 私にはこの雨雲が、今後何十年にも渡って、世界を覆うような気がしてならなかった。

 

   ***

 

 そして、潜水艦掃討から帰投した艦娘たちが秋雲と対峙する。

 秋雲は彼女たちのことを覚えていた。ひとりを残し、ほとんどの仲間が秋雲の記憶の中にいた。

 そんな中、唯一忘れられた女の子は、この事態をどのように捉えただろう。

 医務室の秋雲を連れて、遅くなった夕食が始まる。

 秋雲の隣に、巻雲の姿はなかった。




次回は9月16日(土)投稿予定です。


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消えた想い-3

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 雨が降ろうと槍が降ろうと、たとえ誰かから記憶がなくなろうと鎮守府運営が滞ることはない。鹿島の航行練習も通常どおり行われ、今日も私は雨の降りしきる海上で居残り練習に勤しんだ。

 鹿島の腕時計のアラームが鳴り、ようやく長い練習が終わった。疲労で背中が曲がるのもそのままに港に戻り、昨日と同じようにドックに向かう。温かいシャワーを頭から浴びる。汗を流したときの爽やかさは昨日と何ら変わりない。汗の流れとともに、たまっていた疲れも排水溝に流れていく。それなのに、胸に付きまとうわだかまりは一向に消える気配がなかった。秋雲に自分の存在を忘れられたことが思いのほか響いていた。

 着替えた服を手提げ袋に入れ、食堂へ向かう。

「あ、満潮おかえり。丁度いいところで来たね」

 私の姿を認めるなり、朝潮が声をかけてきた。今日はいつもと服装が違い、制服の上からフリルのエプロンを着けていた。「似合う?」とその場でくるりと一回転してみせる。エプロンの裾がふわりと踊る。

「似合う似合う」

「えへへ、ありがと」

 心底嬉しそうに朝潮ははにかんだ。喜んでくれたのならなにより。

「料理でもしてるの?」

「当たり! 秋雲に作ってあげてるの」

 手で示された方を見ると、横長のテーブルに秋雲の姿を認めた。側には響と、駆逐艦娘の時雨がいる。

 時雨は白露型の次女で、艦艇時代には私と同じ艦隊だったこともある。長く戦いを生き延びた幸運艦であり、数々の艦船(なかま)が沈むのを目の当たりにした悲壮艦でもあった。そのことが影響しているのかは定かでないが、性格は大人しく控えめで、物静かな印象を受ける艦娘となっていた。

「じゃあ、続きを作ってくるね」と言って朝潮が厨房に戻り、私は3人のもとへ歩み寄った。小さく声を掛けて、響の隣に腰掛ける。訓練の間はずっと立ちっぱなしのため、イスに座れたことが何よりうれしかった。深い息が漏れた。

「おつかれ、満潮」

「ホント、もうくたくた。響も来週は頑張ってね。鹿島さんが愛情をたくさん注いでくれるから、ありがたく受け取りなさいよ」

「お手柔らかにお願いしたい、かな」

 響は苦笑いを浮かべて頬をかいた。

 ふと、秋雲がこちらをじっと見ているのに気づいた。

「どうしたの?」

「あぁ、えっと」

 秋雲は何やら言いづらそうに言葉を濁す。しかしそれは一瞬のことで、すぐに真剣な顔つきになって私を見た。

「キミ……誰だっけ?」

 心臓が跳ねた。突然の刺激で全身に血液が一息に送られたように感じ、洗ったばかりの肌に汗が浮くのが分かった。

 冗談で言っているのか。初めは本当にそう思った。しかし秋雲の顔は真剣そのもので、いたずらに私を脅かそうとしたわけではないようだ。まさかと思い、私は秋雲に尋ねた。

「昨日のこと、覚えてないの?」

「昨日? キミとは、今日初めて会うはずだけど」

 心の平静を保つ暇もない。背中を伝う汗が、まるで濁ったオイルのように粘つき、気持ち悪い。彼女の言葉が表すこと。

 秋雲は、私のことを“また”忘れたのだ。

「覚えてないんだ。昨日、舞風たちと倉庫とか工廠に行ったみたいだけど、秋雲はそこでのことをほとんど忘れてる」

 時雨の言葉で、背もたれに預ける体重が大きくなった。

 昨日の嵐の強行手段に驚いたことも、スケッチブックに私たちを描いたことも。雑多な土地を更地にするかのごとく、ともに行動した面々のことを、たった一夜で忘れた。そんなことがありえるのだろうか。だとすれば、昨日やったことは全て無駄だった、というのか。

 一日で何とかなると思っていたわけではない。しかし、何も手ごたえがなかった。その上、新たに喪失感を植え付けられたような気がして、辛い。虚空にひとり取り残されたかのような、漠然とした虚しさと焦りが一挙に押し寄せようとする。それを時雨が止めた。

 放心した私の様子を見て、時雨が慌てて言葉を足す。

「いや、全部を忘れたわけじゃないみたいだよ。そうだよね、秋雲」

 秋雲が首を縦に振る。

「う、うん。確か昨日、舞風に工廠まで連れて行かれて、そこで椅子に座らせれたのは思い出せるんだ。でも、そこで何をしたのかが、良く思い出せなくて……」

 二人の言葉を、霞む頭の中でなんとか理解する。秋雲が覚えているのは、忘れていない艦娘との出来事だけ。すでに忘れている、私や朝潮とのことだけが、何事もなかったように消えた。つまり、振り出しに戻った、ということか。それでも、辛いことには変わりないのだけど。

 私の顔が曇ったままなのを見てか、秋雲が申し訳なさそうにうつむいた。

「ごめんね、思い出せなくて。舞風のことは分かるし、時雨のことも覚えているんだけど」

「あ、いや。秋雲が悪いことはないんだ。私が、ちょっと先走り過ぎただけ。気にしないで」

 今後、秋雲の前で暗い顔をするのはやめておこう。ただでさえ記憶が無くなって困惑しているのに、他人に気を使わせては負担が大きくなる。

 うつむく秋雲の方に、時雨が手を当てる。

「仕方ないよ。前みたいに、またすぐに覚えられるようになるよ」

 しんと、気まずい静けさがやってくる。しかし、すぐに沈黙は破られた。場違いにも、耐えかねたように私のお腹が鳴ったのだ。視線が集まる。今度は私がうつむく番だった。響が顔を背けている。大体どんな表情をしているのか、震える肩を見れば一目瞭然だ。

「じゃあ、響は秘書艦の仕事に戻るよ」

 と笑い押し殺した口調で、響は食堂を後にする。

 しばらくして、秋雲がトイレに席を立った。それを見計らい、恥ずかしさを紛らわすのも兼ねて、私は時雨に尋ねた。熱くなった顔を手であおぐ。

「ねぇ。秋雲って、前にも記憶がなくなったことがあるの? さっき、それらしいことを言ってたから」

「う~ん、そうだね。記憶がなくなるっていうのとは、ちょっと違うかな」

 時雨がグラスに口をつける。

「秋雲はひとの顔を覚えるのが苦手だったんだ。みんなで自己紹介したんだけど、次の日には誰が誰だか分からなくなっていた」

「でも、それって普通といえば普通じゃない? 着任してすぐに仲間をみんな覚えるのは難しいと思うけど」

「そうだね、着任してすぐなら普通だよ。でも秋雲は少し違う。着任して3日たっても、僕らのことを何も覚えていなかったんだ」

「それは……」

 流石に、物忘れが激しいだけで済みそうにない。仲間のことを知っていなければ艦隊運動にも支障が出るし、日常生活でも不便なはずだ。忘れられた側も、良い気はしないだろう--今の私のように。

「ただ、」と時雨は言う。

「4日目くらいには、ほとんどの艦娘を覚えられていたんだ。だから、秋雲は仲間を覚えるのに、他の子より時間がかかるだけってことで落ち着いた。それに、なかなか覚えてくれなかったのは着任してから数週間だけ。最近は新人の顔をすぐに覚えてるよ。満潮のことも忘れてなかったでしょ」

 確かにそうだ。着任したての私を秋雲が忘れることはなかった。

 ……ダメだ。頭の中がごちゃごちゃして、本格的に分からなくなってきた。空腹に耐えかねたお腹がまた一つ鳴り、私は机に頬を付けた。

「お腹すいた」

「朝潮の料理ができるから、もう少し待とう」

 時雨は空になったグラスの縁をなぞって遊ぶ。私も水でいいから何か口に入れたかった。

「ねぇ。秋雲の前で、あんまり記憶のことは話さない方がいいんじゃない?」

「秋雲自身、何かを忘れているっていう自覚はあるんだ。変に遠ざけるより、隠し事せずに話したほうが秋雲のためだと思う」

 そう言われると、昨日の秋雲はどこか事態に慣れているようにも見えた。過去に似たようなことがあったから、それほどパニックにならなかったのかもしれない。かといって、接し方を考える必要はないということはないだろう。

 小さく「それもそうね」と相槌を打つ。それきり、会話は途絶えた。雨の音が私たちの間を満たす。壁越しに少しくぐもって聞こえるその音が、私は嫌いではない。でも今は、雲の上の青空が恋しく、愛おしかった。

「白露がいればなぁ」

 時雨がぽつりと呟いた。

「白露?」

「僕の姉。白露型駆逐艦の長女だよ。今は外に出ているからいないけどね。事が長引くようなら、一応帰ってくるように連絡してみようかな」

「姉、ねぇ」

 私の姉はまだだろうか。いい加減、おなかと背中がくっつきそうだ。3回目のお腹が鳴ったとき、トイレから秋雲が帰ってくる。そしてタイミングを見計らったように、朝潮が厨房からやってきた。

 テーブルにへばりつく私を見ると、

「満潮、行儀悪いよ」

「お腹がすいて身体が持ち上がらないのよ」

「そうだとしても、姿勢はきちんとしないとダメだよ。ちょっと待ってて。満潮の分も作ったから」

 朝潮は再び厨房に戻り、両手に皿を掲げて帰ってきた。私と秋雲の目の前にひとつずつ置かれる。野菜たっぷりのあんかけ焼きそばだった。色彩豊かで、白い平皿の上からは湯気が立っている。香ばしい香りも相まって、自然とよだれが出てきた。

「昔ね、秋雲に夜食を作ったことがあるんだ。同じ料理を食べたら、何か思い出すんじゃないかなって」

 夜食にあんかけ焼きそばですか。秋雲が注文したのだろうか。夜中に食べるのは、少しカロリーが高い気がする。

 秋雲とふたり、手を合わせて料理を頂く。透明な餡でふやけたところと、ぱりっと焼かれたところが絶妙なコントラストとなっていて食感が楽しい。白菜やニンジンも柔らかく食べやすかった。

 朝潮なりに、秋雲のために何かしようと考えていたのだろう。そこで思い付いたのが、夜食として出した、この焼きそばだったに違いない。

 私も、自分に出来ることはないかと考えている。しかし、なかなかいい方法が思いつかないでいた。昨日はいろいろと苦言を呈したけど、秋雲のために即時行動していた嵐や舞風を素直に羨ましかった。

 箸を動かす手は止まらず、平皿はあっという間に綺麗になった。秋雲も、満足そうに頬をほころばせている。

「どう、何か思い出せた?」

 時雨が秋雲に尋ねる。

 食後のお茶で一息ついていた秋雲が、はっと目を見開いた。

「しまった。美味しすぎて、食べるのに夢中になっちゃった」

 朝潮が苦笑いとも照れ笑いとも取れる微妙な表情を浮かべた。

 一朝一夕に記憶は戻らない。気長にやるしかなさそうだった。

 締め切られた窓の向こうから、雨の音がしみ込んでくる。空の群青は、まだ見えない。




次回は9月23日(土)投稿予定です


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消えた想い-4

艦これの二次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 私は荷物を持って食堂を後にした。昨日と同じく、汚れた制服と下着を洗うため艦娘寮1階の洗濯部屋を目指す。

 食堂から出ると、私が出てくるのを待っていたかのように雨音が激しくなる。どこかの街では河川の氾濫警戒水域を超えたため、避難勧告が出されたとニュースでやっていた。このまま雨がやまなければ、もしかしたら海が氾濫して街も鎮守府も浸水するかもしれない。そしてこの小さな島国は海底都市になりました……とはならないか。

 大粒の雨が絶え間なく傘を叩く。傘を流れる雨水が一本の柱のように地面に落ちる。その柱の向こうに、桃色の傘を差す小さな背中を見つけた。歩く姿はとぼとぼと力なく、寮の中へと消えた。

「巻雲?」

 十中八九、秋雲のことで気を落しているに違いない。秋雲と巻雲は、オシドリのように仲睦まじかった。それだけに、巻雲の傷は深いことは言うまでもない。

 あまり干渉するべきではない。そうは思うけれど、何となく放っておけなくて、後を追うように寮の扉を開けた。

 傘を玄関に置き、巻雲を捜して寮内を歩く。2階へ続く階段を上り、廊下のつきあたりを左に曲がったところで小さな横顔を見つけた。幼い顔が、何かに耐えかねたように歪んでいる。しまった、と思うが引き返すには遅かった。巻雲は私に気づいて、長く余った袖で目元をぬぐってからぺこりとお辞儀した。

 声をかけないわけにはいかない。そっと巻雲に近寄った。

「今日は出撃しないのね」

「はい。今日を空けて、また明日出撃です」

 そう言って巻雲は、再び秋雲の部屋へと目を向けた。目元が赤く腫れぼったい。沈黙が肌を刺してくる。壁は食堂のものと素材が違いそれほど厚くないせいか、頭に響くような雨音が寮内に満ちていた。

 自分の声が掻き消えないように少し声の調子を上げる。

「巻雲は、秋雲と付き合いが長いの?」

「長い、といえば長いですね。演習で知り合ってからは、ずっと連絡を取り合ってました」

 そう、と短く相槌を打つ。秋雲と仲の良い巻雲だが、秋雲の状態について何か知っているかもしれない。しかし、今の巻雲からそれを聞くのは流石にデリカシーに欠ける。下手に秋雲の話をして巻雲が傷つくことは避けたい。しかし、私の気遣いは無用だった。巻雲の方から切り出してきた。

「秋雲は、どんな感じですか」

 どんな感じ、とは曖昧な聞き方だ。それでも彼女の聞きたいことはなんとなく分かる。隠しても意味はないので、ありのままを伝える。

「昨日と同じ。何も思い出していないわ」

「そうですか」

 巻雲がうつむく。そしてまただんまり。

 何と言ってあげればいいのだろう。気の利いた言葉が思い浮かばない。そうして黙っているうちに、雨の音に混じって廊下に軽い足音が聞こえた。足音は2つ。それらは徐々に近づいている。音のする方に目をやると、廊下の角から秋雲と時雨が現れた。

「秋雲……」

 巻雲の口から吐息のような声が漏れる。二人には聞こえていないだろう。激しい雨音が巻雲の言葉を覆い隠した。

 秋雲はたった今わたしたちに気づいたように、軽く手を上げた。

「あ、えっと。満潮……だったよね。隣の子は?」

 その一言で、一瞬の間に巻雲の肩が硬くこわばった。彼女だけが時の法則から取り残されたかのように、小さな身体は動きを止め、ぴたりと静止している。口だけが忙しなく動き続けていたが、しかしすぐに閉じられた。頬が少し膨れている。それが泣き出しそうなのを我慢しているからなのか、出かけた言葉が行き場を失ったせいなのか、私には分からなかった。

 巻雲はさっと身を翻して、私の脇を抜けていった。

「あ~。もしかして、あの子のことも忘れちゃってるのか」

 巻雲の様子を見て、秋雲が苦い顔を浮かべる。傷ついているのは秋雲も同じだ。彼女も、忘れているという自覚がある。その分、思い出せないことを申し訳なく思っているのだろう。

 秋雲は全ての仲間を忘れたわけではない。それはある意味、数少ない救いだ。しかし、忘れられた側からすれば胸を握り潰されたような苦しさしかない。私も、朝潮も……そして、巻雲も。

 ちらりと時雨を見る。ねぇ、私はどうすればいいの。私の視線に気づいた時雨は、フルフルと首を横に振る。僕には分からないよ。

 暗い空がぱっと光る。数秒後、機嫌をそこねたネコが唸るように、低く重い雷が轟いた。

 

   ***

 

 洗濯機が止まるまでの間、私は寮内をただうろうろとさまよっていた。2階から3階、3階から4階。5階まで上がってから、1階のエントランスまで下りていく。そしてまた階段を昇る。それをただ繰り返していた。身体を動かしていれば意識はそれに集中する。辛いことから、しばらくは目を背けられる。階段を昇る。

 階段昇降に疲れて、私はエントランスの休憩スペースにあるソファに腰を下ろした。全身の力を抜いて、ソファの柔らかさに身を沈める。ぼーっと天井を眺めていると、寮の出入り口の扉が開かれた。入ってきたのは舞風だ。傘を持っていない様子で、頭から足の先までずぶ濡れだった。

「あ、満潮~。ただいま」

「おかえり、舞風……って、あなたずぶ濡れじゃない」

「いやぁ。雨の中傘を差さなかったらどうなるかな~って試したら、このありさま」

 当たり前だ。艤装も展開せずに歩けばずぶ濡れになる以外ないだろう。白い制服は雨に濡れて、可愛らしい下着が透けて見えていた。男の子がいたら目のやり場に困るところだ。しかし、艦娘に男はいない。

 舞風は事務室に向かい、タオルをかぶって出てくる。彼女の顔を見て、降って沸いたかのように疑問が思い浮かんだ。

「ねぇ、舞風」

「ん? な~に~」

「昨日、工廠で秋雲に絵を描いてもらう前のこと、覚えてる? 確か、秋雲は昔から忘れっぽかった、みたいなこと言ってたよね」

「あ~、うん。そうだよ」

「舞風もすぐには覚えてもらえなかったの?」

 舞風は新しいタオルを持ち、今度は顔から首にかけて水を拭った。

「そうだよ。毎日顔合わせてるのに、名前すら覚えてくれなくてね。流石にムッとしたんだ。それで『そんなに忘れちゃうなら、舞風の顔を絵に描いて一日眺めてなよ!』って言ったの。そのときに似顔絵を描くように提案したんだぁ。今は30分くらいで描けてるみたいだけど、舞風のことを書き終わるまでに1時間以上もかかってたんだよ」

 身体を拭き終わったタオルを握って、くるくると回し始める。

「その次の日かな。もしまた忘れているようなら、もう工廠でスクラップにしようって考えてた。朝に食堂で顔を合わせて、秋雲が名前を呼んでくれてほっとしたよ。危うく、舞風は殺人鬼の汚名をかぶることになってた」

「それから、秋雲はいろんな艦娘の似顔絵を描くようになったの?」

「そうだよー」

 話を聞いて、私は首を傾げた。舞風の言葉に嘘がなければ、秋雲は誰かの似顔絵を描いてその人のことを覚えるということになる。昨日言っていたような「身体で覚える」ということなのだろう。しかしそれなら、工廠で描いた朝潮や私のことも覚えているはずだ。今日の秋雲の様子は舞風の話と大きく違っていた。

 舞風の話を信じていないわけではない。ただ、絵を描くことと記憶することの間に、確固としたつながりはないように思えた。

 舞風はいつの間にかジャージ姿で、私の隣に座っていた。そして、まるで世間話でもするような軽さでこう言った。

「思えば、建造されたときから秋雲って変だったんだよね~。家具と一緒に建造された子なんて初めてだったよ」

「え。家具と一緒に建造された?」

「あ、満潮は知らないんだっけ」

 知らない。知るわけがない。そんな、誰かが建造されたときの話なんて聞こうと思ったことはないし、聞いても仕方のないことだと思っていた。

 建造される時は、みんな同じではないのか。船の生まれ変わりで、人の身体になっていて、艦種特有の制服を着て生まれてくる。建造とは、そう言うものではないのか。そのようなことを言うと、

「そうだよ。生まれてくるのは艦娘だけ。艤装は見えないだけで、一緒に生まれるようなものだね。でも秋雲はそれに合わせて、家具と一緒に生まれてきたんだ」

 家具。家具といえば、机とか椅子とか、あと冷蔵庫とか。そんなものと一緒に生まれてきたのか、秋雲は。

「家具って、具体的には?」

「本棚だよ」

「本棚?」

 おうむ返しに聞く。

「そう。丁度寮部屋に納まるくらいのね。新しく家具を新調しなくて、小指の先くらいだけど、ちょっとだけ助かったかな。今も秋雲の部屋にあると思うよ」

 そんなこともあるのだろうか。

 秋雲の部屋には壁を覆うほど本棚が備えられてあった。どの本棚にも書籍やスケッチブックがびっしりと並べられていた。その中のどれかが建造と一緒に出てきたものか私には分からなかった。

 ただの本棚だと聞き流していいのだろうか。何かの間違いで一緒に出てきただけの代物。現に秋雲はそれを便利な家具として使っている。

 でも、もしかしたら――。いま私が感じているような、確信に近い想像とでもいうべきこれを、おそらく「直感」というのだろう。それとも、希望を見い出せないでいる私が生み出した、ただの「願望」なのだろうか。

 明日の秋雲は間違いなく今日のことを忘れている。覚えているのは、記憶に残っている艦娘とのやり取りだけだ。そしてまた傷つく人がいて、同じように秋雲も傷つく。どこかでこのループを止めなくてはいけない。

 私には嵐のように奇抜なことはできないし、朝潮のように優しさのこもった料理を作れるわけでもない。だから、彼女たちのマネをしようとは思わない。私は、私だ。駆逐艦“満潮”の生まれ変わった、艦娘の満潮だ。

「一見繋がりがないように見えて、裏では鉄より頑丈な糸で結ばれている。そんなことが、よくあるのよね」

見えない誰かがそう言った。その声を私は知っている。誰の声だったかな……。頭を振る。今はそんなこと考えなくていい。湧き出た「直感」、もしくは「願望」、それにすがりつきたかった。

 舞台を眺める傍観者でいるのは、もう、うんざりだ。




次回は9月30日(土)投稿予定です。


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記憶の在り処-1

艦これの二次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 行動するには、それなりに時間を要した。航行練習のある日は疲労で動けなくなり、雑多な用事を済ませるころには気づけば夕方を過ぎることがほとんどだった。思い立ったが吉日というのは、時間に縛られず十分に余裕のあるひとが言ったに違いない。ようやく2日の休みを言い渡されたときは、喜びよりも安堵の方が大きかった。

 雨の降らない日はいつ振りだろう。灰色の雲は怪しげな影を落しているが、雨の色は見えなかった。昼間の薄明かりのもと、私は図書館に向かった。図書館は鎮守府庁舎と渡り廊下でつながっている。木製の厚い扉に手を掛けた。

 柔らかいインクと紙の独特なにおいが図書館を満たす。自然とはやる気持ちが落ち着いた。

 私より頭2つ分ほど高い本棚が等間隔に並んでいて、その中に文庫本や新書などが分類されていた。私はそれらの本を無視し、本棚の間を迷いなくすり抜ける。図書館を奥へ進む。すると、突き当りの壁に冷たい銀色の鉄扉が現れた。暖かな室内でそこだけが異空間のように、異質に鈍く輝いている。扉の側には『書架』と書かれた表札が掛けられていた。

 出来るだけ音を立てないように、きしむ扉を開く。扉の向こうは暗い。壁伝いに明かりのスイッチを押すと、白熱灯に照らされた金属の本棚が見えるようになった。

 この書架には、過去の出撃記録や鎮守府の財務関係の書類など、外部には持ち出せないものが収められていた。

 入口の扉から数えて3列目と4列目の本棚の間。そこを進んで、3列目の本棚の方を向く。びっしりとファイルが並べられている。50音順に並べられたそれらの「か」行を私は探した。思ったより多くの数が収められていたため、見つけるのは至難かと思われたが、案外あっさり見つかった。「艦娘建造記録」と名づけられてるそれを棚から引き抜いた。

 この記録ファイルは艦娘が建造されたときに使われ、いつ、だれが、いくつの資源を投入して建造されたかがまとめられている。建造して艦娘が生まれてくる場合、そのとき使用する資源の量にある程度法則性があった。たとえば、駆逐艦娘が欲しいときには燃料弾薬等をどれも少なめにとか、空母艦娘が必要なときにはボーキサイトを多めにとか。それらを記録して法則を見つけ出し、今後必要な艦娘を建造するのにこの記録を元に資源量を決めるのだ。

 記録されることは資源量に合わせて、艦娘の艦種、当然ながら艦娘の名前も記載されていた。

 ぱらぱらとページをめくり、建造記録の真ん中あたりで手が止まった。

『陽炎型駆逐艦・秋雲 ○○年3月27日 建造』

 見つけた。秋雲の建造記録だ。

 書かれている内容に目を通していく。もしかしたら、秋雲の記憶を取り戻す手がかりがあるかもしれない。特殊な条件で建造されたとか、身体のどこかにハンデを持っているとか。それらがどんなものかは分からないが、とにかく情報が欲しかった。

 私は今、あのとき感じた「直感」を信じて行動していた。信じて、とは言うが、それでも半信半疑だ。あの「直感」が間違いだったら……無駄足になるかもしれない。少しだけ背中に汗をかく。

 秋雲の建造記録を読み終わり、ファイルを元に戻す。試しに他の記録を開いてみるが、別の艦娘のことが同じように書かれているだけで、結局秋雲に関することは最初のファイルにしかなかった。

 気づけば夕方もいい時間になっている。私は書架を出た。鉄の扉を閉め、それを背にもたれかかる。制服越しにじんわりと金属の冷たさがしみてくる。

 成果はなし。秋雲は他の駆逐艦と同じ資源量で建造されており、何か特別なハンデを背負っている訳でもない。舞風が言っていたように、本棚と一緒に建造されたということが特記されていただけだ。建造記録を当たれば、何か手がかりが得られると思ったが、当てが外れた。

 来た道を戻りる。

 他にはないだろうか。秋雲のことが分かる何かが。

 渡り廊下に出ると、いつの間にかぱらぱらと小雨が降っていた。雨で白む景色を窓越しに望める。工廠近くに見えるクレーンが雨に濡れて暗緑色に代わっていた。工廠の中では、晴れも雨も気にしない妖精たちがせっせと身体を動かしているのだろう。

「妖精なら、何か知っているかな」

 私は置き傘を借りて工廠に向かった。

 工廠内は重い機械音と屋根を叩く雨音が合わさって騒々しさを増していた。相変わらずよくわからない機械や段ボールなどがごった返していて、その奥でちょこちょこと動き回る妖精たちを見つけた。

 彼ら(彼女ら)のなかで見知った顔があったので、その子を呼び止めた。私が秘書艦をしていたときに声を掛けた妖精だった。

「ねぇ、お願いがあるんだけど。いいかな」

 私は屈んで、出来るだけ妖精と目線を合わせた。

 何を思っているのか分からないが、ぽーっと私の顔を眺めている妖精。しばし間があって、妖精はひとつ頷いた。時間は貰えるようだ。私は簡単に秋雲のことを説明する。

「それで、書架の建造記録を見たけど、何も分からなかったの。だから、もしよかったら、秋雲の詳細をまとめたものがあれば見せてほしいんだけど」

 書架にある建造記録は秘書艦がつけるのが常だった。建造記録用のフォーマットがあり、秘書艦はそれに沿って記録をつける。つまり、建造主である妖精が書くわけではないのだ。ひょっとしたら、建造主であるこの子たちでなければ分からない情報があるかもしれない。

 妖精は少し悩む仕草を見せる。今は秘書艦ではない上に、提督から指示を受けている訳でもない。装備の調整以外でのお願い、しかも個人情報に関わることだ。躊躇って当然だろうと遅れて気づいた。

「やっぱりいいよ」と断ろうと口を開きかけたとき、妖精は一度頷いた後、工廠の奥へと行ってしまった。そしていつかのように、一枚の紙を小脇に抱えて戻ってきた。

 身体をいっぱいに使って、持ってきたものを差し出してくる。それを受け取ると、妖精は敬礼をして仲間の中に戻って行った。私は心の中でお礼を言い、しばし躊躇って、丸められたものを広げた。

『陽炎型駆逐艦・秋雲』

 縦長の書類のてっぺんに大きく見出しがされているそれは、妖精がまとめた建造記録だった。

 見出しの横には秋雲の顔写真。下に目を通していくと、使用資源や建造日時などが記載されている。書架にある建造書類と似ているが、それより詳細な建造時の様子が書かれていた。

 ひとつひとつ、点で区切られた文を追っていく。そして、記録の最下部。『注意』と書かれた項目に目が吸い寄せられた。そこには秋雲が本棚と一緒に生まれたということが、いくつかの追記事項を伴って赤字で強調されていた。

 書類を読み終えると、私は無意識に天井を仰いでいた。私の求めていたものがここにあった。しかし、これほど思いを巡らせることになるとは思っていなかった。鎮守府のシステムを呪う。今度から建造記録は妖精にまとめてもらった方が良い。建造主である妖精が書くのだから、間違いも情報の漏れもないはずだ。

 希望はある。秋雲の記憶を戻すことが出来るかもしれない。舞風について来てもらって、秋雲の部屋のどの本棚が目的のものか教えてもらおう。いや、舞風がいなくても大丈夫か。秋雲が忘れるのは艦娘に関することだけだから、今の彼女でもどの本棚か分かるはずだ。

 ただ--私は眉を潜めた。同じ艦娘を疑わなければならなくなった。秋雲が自分で失くしたとは思えない。私はあの後、秋雲の行動を見ている。それはもう一杯になったから新しいものを用意しないと、と言って仕舞っていた。誰かが秋雲の部屋に忍び込んで、アレを盗んだのだ。

 工廠を出る前に、隅に置かれたままのスケッチブックを手に取る。あれから誰も手を付けなかったのだろう。表紙の厚紙には少し埃をかぶっていた。小さくはたいて、雨に濡れないようにビニール袋に入れる。

 傘を叩く雨は少し強さを増していた。明日は今日よりも降水量は多くなる。本格的に長靴が必要になるかもしれなかった。

 

   ***

 

 ひとつ理解してほしいことがある。私が見ている景色、私が感じている温度、私の中に起こる感情。それに嘘も偽りもない。私が直接経験している世界は真実だ。誰かに騙されていたとしても、誰かを騙すにしても、フィルターで歪んでいたとしても。

 世の中のすべてを知っているわけではない。むしろ、知らないことばかりだ。鉄の塊から人の身体に生まれ変われば、あらゆることが艦船のころと違う。それでも、ひとつ確信できたことがある。

 私のいる世界は、ミステリーにはなりえないということだ。

 工廠から戻り、食堂で夕食を食べる。何人かを連れだってお風呂に入り、じっとりと湿る空気の中を寮に向けて足を進める。そして、10時きっかりに消灯を言い渡された。

 深夜。トイレに行こうと寮の廊下を歩く。その帰りしな、秋雲の部屋の前に人影を見つけた。声を掛ける前に、その影はあわてたように身を翻して、呼び止める暇もなく走り去ってしまった。明かりは足元を照らすフットライトだけ。それでも胸元までならぼんやりと見ることができる。人影は何かを胸に抱えていた。その何かが分かったとき、遠くで扉を閉める音がした。

 さっきまでぬくぬくとしていた私の胸は一瞬で冷まされた。無理やり部屋に入って問いただすのもいいが、今は夜だ。真夜中に騒ぐほど常識外れではない。明日でいいだろう。今日は頭を使って疲れてしまった。

 部屋に戻り、ふとんに身体を埋める。これからのことに考えを巡らせていると、いつの間にか瞼が落ちていた。

 彼女が何を思ってそうしたのか、私には分からない。それでも、許されることではない。

 明日だ。明日、全てが解決する。

 

 秋雲のスケッチブックを盗んだのは、巻雲だ。




次回は10月7日(土)投稿予定です。


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記憶の在り処-2

艦これの二次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 明け方に目が覚めてからどうも眠気が戻って来なくて、布団から抜け出して制服に着替えた。雨音だけが入るように窓を少し開ける。ベッドの端に腰掛けて、柔らかい音に耳をゆだねた。

 自然と、この後のことに考えを巡らせていた。ひとつの結論をつけるころには、外はすっかり明るくなっており、雨の音に混じって鳥の鳴き声が聞こえた。朝食を食べる気分ではない。それでも習慣を崩すわけにはいかず、私は重い足取りで食堂に向かった。

 10時。昨夜の彼女の後を追うように、足は秋雲の部屋まで向かっていた。その間も、頭の中では彼女からどのように話を聞きだすかに専念していた。

 部屋の前に着く。いつかと同じように、そこには巻雲が立ち尽くしていた。

 私は早足に彼女に近づいた。私を見とめた巻雲が逃げるように踵を返す。しかし、2度も同じようにはいかない。さっと歩みを速めた私は、巻雲の長い袖をつかんだ。巻雲がぎょっとした顔をこちらに向けた。

「どこに行くの?」私は尋ねた。

「どこでもいいじゃないですか。満潮さんには関係ありません」

 私の手を振り切ろうと腕を振った。巻雲が腕を振る度に、袖をつかむ私の手も揺さぶられる。シルクのような材質のせいで、危うくすり抜けてしまいそうになった。

 必死に私を振り切ろうとする巻雲を見つめた。

「いいえ、関係あるわ。私は秋雲の記憶を取り戻したい。取り戻せる可能性も見つけた。秋雲が記憶を失くした原因も」

 私は一息に、その後の言葉を繋いだ。

「秋雲が記憶を失くした原因を、あなたは知っているはずよ。関係ないはずがないわ」

 そう言うと、巻雲が困惑の表情を浮かべた。

「原因なんて知りません。巻雲は秋雲のことをよく知っています。でも、だからと言って、秋雲のことをすべて知っている訳ではないです。秋雲が記憶を失くした原因なんて、知りません」

 あくまで知らないと言い張るのか。

 肌が静電気を浴びたようにピリピリと痛み始める。さっきから線香花火がはじけるような耳鳴りがしつこく響いていた。短く息を吐いて、一歩踏み出す。

「とにかく、早く秋雲のスケッチブックを返して。あんたが持っているんでしょ」

「……知りません」

「とぼけないでよ!」

 突然の怒声に、巻雲の目が驚きで見開かれた。

 マズイ。頭の中では必死に牙を収めようとしているのに、一度開いた口は閉じようとしなかった。ささくれ立った胸は徐々に鋭さを増していく。

「秋雲が記憶を失くして、それでよく平然と嘘をつけるわね! ちょっとした気の迷いかもしれないけど、ひとのものを持って行くなんてどうかしてる!」

 私が一言発するたびに、巻雲の表情は空模様のようにころころと変わる。しかし、今の私にはその移り変わりを気に留める余裕は残っていなかった。

 曇った口元がわなわなと震え、瞳が潤んだかと思うと途端に涙をあふれさせた。

「勝手なことを言わないでください! あなたに何がわかるんですか!」

 ゆがんだ口から出された声は、巻雲が発したとは思えないほど大きく、耳がジンと痺れるような怒気をはらんでいた。

「あなたに何が、一体何が分かるんですか!? 勝手な想像をして、巻雲を嘘つき呼ばわりしないでください! ずっと仲良くしていた友達が、昨日まで何ともなかった秋雲が、出撃から帰ってきたら巻雲のことを何もかも忘れていたんですよ! それが巻雲のせいだというんですか!」

 巻雲の激昂でこころが逆なでされて、理性で自分を止めることが出来なくなっていた。私を止めようとしていた私はすっかり鳴りを潜めてしまった。

 それに気づけない私は、ポケットから書類を取り出して巻雲の前に突き出した。それは昨日、妖精から受け取った、秋雲の建造記録だった。

「これを見なさい! 秋雲は建造されたとき、本棚と一緒に生まれてきた。その本棚が、秋雲が『ひとの存在を記憶する』手助けをしていたの。秋雲はスケッチブックに私たちの似顔絵を描いて、それを一緒に生まれた本棚に収めて私たちのことを記憶していた! 誰かが本棚から、私やあんたが描かれたスケッチブックを抜き取ったから、そこに描かれていた私たちのことだけを忘れたの! 現に、忘れられていない艦娘もいるでしょ! その子たちが描かれたスケッチブックは本棚に残ってた!」

「……スケッチ、ブック」

 巻雲の顔から急速に怒りが引いて行く。

 そう。私はここで止まれば良かったのだ。怒りで熱を持った自分を、それこそあの日の夜風のように冷やして、巻雲の言葉に耳を傾けていればよかった。

 そうしていれば、巻雲が嘘をついている訳ではなく、本当に心当たりがないことに気づけたはずだった。

 でも、私は止まれなかった。一方的で、無意味な糾弾の言葉が、私の口から銃弾のように放たれていった。

「その『わたしには分からない』みたいな顔はやめて! 昨日、あなたが秋雲のスケッチブックを持っていたのを見た! あなたがスケッチブックを盗んだんでしょ!? それをいつまでとぼけたままでいるのよ! 何で盗んだのかは分からないけど、それを本棚に戻せば――」

 そこから先の言葉は出なかった。冷静を促していた私がやっと飛び出してきて、牙をむく私を檻の中に閉じ込めた。巻雲の表情が、見たことのないものに豹変していた。

 驚愕と悲しみが“ない交ぜ”になったような表情で、見開かれた両目からは涙が絶え間なく零れ落ち、開いた口は息が続かなくなった魚のように動き続けていた。

「ま、ま、巻雲の……っ」

 巻雲はその場で崩れ落ちるように床にうずくまって頭を抱えた。あまりの変わり方に、握っていた袖を手放してしまう。

 そこからの巻雲は、まさしく歯車がずれた機械そのものだった。

「まき、巻雲のせい――巻雲のせいで?! 秋雲はいらないって言ったのに巻雲が余計な気を回したからっ。恥ずかしがったせいだ、勇気がなかったせいだ、私が弱かったせいだ! ごめん秋雲、ごめんなさいみなさん、助けて夕雲姉さん怖いよ嫌だよ。大好きだったのに巻雲が自分で壊しちゃったんだ、たくさん話したのに一緒に笑ったのに……全部、巻雲が――」

 巻雲は身体を覆うように自分の二の腕を掴んで、震える身体を必死に抑えようとしていた。歯の根がかみ合ってないのか、口を動かすたびにカチカチと音を立てている。

 

――間違えた

 

 震える巻雲を前に、私は必死で次の言葉を探した。しかし、頭は凍りついたように働かない。何か言わないと。早く声を掛けないと、巻雲が壊れてしまう。そうなったら、私にはもうどうすることも出来ない。

 はっと我に返ると目を見張った。いつの間にか、巻雲の姿が消えていた。そこでまた私の頭はフリーズする。慌てて辺りを見渡すが、やはり、巻雲はどこにもいなかった。

 静寂が耳を突き、重りとなって両肩にのしかかってきた。余りの重さに耐えきれず、私は壁を背にへたり込んだ。

「ダメ……だった」

 止められなかった。

 感情を抑えられなかった。

 考えてみれば、私が巻雲に投げつけた言葉には何の根拠もなかった。私は何をもって、巻雲が秋雲の記憶のことを知っていると思ったのだろう。確かに、スケッチブックは巻雲が持っていた。でも、それを盗んだと断定する要素なんて、思えばどこにもなかった。秋雲がどこかに忘れていて、それを巻雲が拾っていたのかもしれない。

それを、自分の勝手な想像で責めて――。

「何をしているんだ、私は」

 薄暗い廊下には、重苦しい空気でくぐもった雨音が響いている。その音に耳を傾けていれば、いつの間にか時間が過ぎていて、何もかも解決しているような気がした。秋雲のことも、巻雲との言い合いも、時間が洗い流してくれる。それでいいではないか。

 そう思うと、何かしようと躍起になっていた自分が哀れに思えた。

「あれ、満潮じゃん。何してんの、そんなところで」

 呼ばれた方を見る。そこには秋雲がいた。

「元気無さそうだけど、大丈夫?」

 大丈夫ではない。心労が激しすぎて、立ち上がるのも億劫だった。

 それでも何とか声を振り絞る。

「私のこと、覚えてくれたんだ」

「あー、うん。満潮の言った通りだったね。あの本棚にスケッチブックを入れたら、満潮と、あと朝潮と嵐のことを思い出したよ」

「そう。それならよかったわ」

 昨日の夜。夕食の後に、私は工廠から持ってきたスケッチブックを件の本棚に収めた。前に舞風が買ったスケッチブックで、似顔絵を描けば私たちのことを思い出すかもしれないと言って秋雲に描かせたものだ。

 ただ、思い出したのは、私たちの似顔絵を描いた日からのことだけ。それ以前のことを思い出すには、巻雲の持つスケッチブックが必要だった。

「あれ、あそこ」

 秋雲が窓の外を見て声を上げる。

「あの子どうしたんだろ。傘も差さないで、何処に行くつもりかな」

 察しはついた。おそらく巻雲だろう。

 巻雲のことを思うと、再び気だるさに襲われた。追いたくない。追う必要はない。どうせ、夜になれば帰ってくる。私も巻雲も、頭に血が上ってしまっていた。今では私の頭も冷水を浴びたように冷えていたし、雨に濡れれば巻雲の頭も冷えるだろう。

 帰ってくれば、巻雲は秋雲にスケッチブックを返すはずだ。何となく、そんな気がした。

 だから、このまま時間が過ぎるのを待てばいい。そうすれば、秋雲の記憶は戻る。全て丸く解決するじゃないか。

 そう思うのに、胸は苦しいままだった。

「あの子のことも、わたしは忘れているのかな」

 窓の外を見る秋雲がそんなことを呟いた。その顔は、いつか見たことがある横顔だった。

「このままは嫌だなぁ」

 秋雲は湿っぽい声を漏らした。

 相変わらず、視線は窓の向こうを見ている。その先に、何があるんだろう。

「忘れたままだったらさ、きっとあの子のことを傷つけ続けることになる。ずっと仲良くしていた友達が、昨日まで何ともなかったのに、いきなり自分のことを何もかも忘れていたらさ。わたしなら、絶対傷つく」

 窓の外の雨は降り止もうとはしない。巻雲は今頃、ずぶ濡れになっているだろう。風邪を引けば、次の出撃に支障が出るかもしれないのに。寒くはないだろうか。

「だから、今のままは嫌だな。辛いままでいるのも嫌だし、傷つけたままでいるのも嫌だ」

 わたしにはどうすることもできないんだけどね、と秋雲は自虐気味に笑った。

 今のままは嫌――か。

「時間が解決することもあるわ。どうにかしようって考えるのは、疲れるだけよ」

「そりゃ疲れるよ。普段やらないようなことをするんだから」

 でもね。秋雲はそう前置きした。

「ベタなセリフだけどさ。何もしないでいるより、何かやった方がいいじゃん。それが成功するにしても、失敗するにしても。その方が、後でスカッとするしね」

 横顔は笑っていた。私に笑いかけてくれたのか、良いことを言ったと思った自分に酔っているのか。私は少し、ひねくれているらしい。

 いい加減、変な座り方をして腰が痛くなっていた。膝を押さえて立ち上がり、お尻を数回はたく。

「秋雲。さっきの女の子、どこに向かったか分かる?」

「へ? んっと、正門から出て行ったけど、その先は分かんない」

「大丈夫、ありがとう」

 正門の外にある道はほぼ直線だ。かなり進まないと分かれ道は出てこない。今から追えば、すぐに見つけられるはずだ。

 私は秋雲に背を向けて駆け出した。

「あの子を追うんでしょ? わたしも」

「秋雲は待ってて! 私も、秋雲とおんなじだから。巻雲のことは、私が何とかする!」

 秋雲は私に何事か言っていたが、構わず寮から外に出た。

 雨の中を走り抜ける。結局長靴を買わなかったせいで、靴の中に雨水がしみ込んで仕方なかった。

 迷わず鎮守府の正門を出る。このまままっすぐ行けば、巻雲を見つけられる。あとは、私の足が巻雲より速いことを祈るだけだ。

 途中で差していた傘を閉じた。雨が顔に当たって鬱陶しいが、風に煽られない分この方が走りやすかった。

 私も秋雲と同じだ。

 何もしないでいるのは、もう嫌だ。

 そう。

 嫌だったんだ。




次回は10月14日(土)投稿予定です。


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記憶の在り処-3

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


   ~幕間-夜~

 

 夜の寮内はとても静かでした。

 明るいうちは昼間独特の爽快な空気感や、艦娘の姦しい声で退屈しません。そのギャップからでしょうか、余計なものが混じっていない空気で肌がピリピリと痺れます。それはおそらく、静かな雰囲気だけではないでしょう。

 わたしは秋雲の部屋の前にやってきました。

 ずっと心に決めていたこと。あの日からずいぶん時間が経ってしまったけれど、やっと叶えることができます。

 ドアノブを捻り、軽く手前に引いてみます。やっぱり、鍵はかかっていませんでした。不用心だから気を付けてと言ったのに……でも、おかげで部屋に入れます。

 部屋のなかは、相変わらず本と紙だらけでした。壁を覆う本棚たちに囲まれて、床に散らばる本の間で、身を埋めるようにして秋雲は眠っています。

 わたしは懐中電灯を照らし、本を踏まないように、音をたてないように、目的ものを探しました。秋雲は床には『アレ』を置かない。自分でそう言っていました。ということは、目的のものは本棚か机の上にあるということにです。机の上には画材しか置かれていませんでした。残るは本棚です。似たようなものばかりだったので、一冊一冊開きながら探します。これは時間がかかるかな、と思いましたが、案外早く見つけることができました。

 入り口の反対側にある本棚。そこに収められていた、一冊のスケッチブックを手に取りました。1ページ目には、遠い昔の自分が描かれていました。あの頃より、秋雲は絵が上手になったのでしょうか。他のページを開きたい心を抑えます。たとえ似顔絵だとしても、それはその人の個人情報です。

 ずっと眺めていたいけど、いつ秋雲が起きてくるか知れません。私はやるべきことを思い出して、スカートのポケットに手を入れます。

「あれ」

 ポケットにあるはずの感触がありません。すぐに思い至ります。準備だけして、部屋に置いて来てしまったのです。

 わたしはスケッチブックを持って、早足であてがわれた仮の私室に向かいます。

 やっぱり。ベッドの上に置いたままになっていました。わたしは“それ”をスケッチブックに挟んで、再び秋雲の部屋に戻ります。

 しかし、曲がり角を曲がったところで秋雲の部屋の扉が開かれました。慌てて身を隠します。

「あー、閉めるの忘れてたね。危なかった」

 そして扉が閉められて……なんということでしょう、鍵か掛けられてしまいました。

 わたしはそっと角から出て、扉の前に立ちます。どうしましょう、これではスケッチブックを元に戻すことが出来ません。明日は次の潜水艦掃討に出撃します。夜遅くまで帰れないです。困ったことになりました。

 しばらく悩んだ結果、わたしはしぶしぶ、スケッチブックを抱えて自室に戻りました。泥棒のようになってしまいましたが、明日、秋雲が部屋にいない時間を見て戻しに来ましょう。

 ベッドの縁に腰掛けると、クッションのような柔らかさでお尻が沈み込みます。遠雷の、低い唸るような音が聞こえました。明日の午前は曇りで、午後からは確実に雨が降る予報だったはずです。出撃の帰還途中に雨に降られるのは、ほぼ間違いないでしょう。

 膝の上に置いた、表紙の色あせたスケッチブックに開きます。1ページ目にはあの日の「わたし」がいます。この「わたし」が描かれた日が瞼の裏に浮かんで、何だか懐かしくなりました。

――喜んでくれるかな。喜んでくれるといいな。

 小さな勇気が無駄にならないことを祈って、わたしはスケッチブックを閉じました。

 

   ~幕間-終~

 

 小さな雫は数をなして、暗い空から落ちてくる。鎮守府を出たときに比べて雨脚が激しくなり、槍のように地表を突いた。

 平坦だった道は勾配を持ち始め、ついに急な上り坂になった。濡れた地面はぬかるんでいて、下手をすれば滑りこけてしまいそうだった。それでも足を止めず、短く息を吐きながら坂を上った。

 巻雲の方が私より艦娘としてのキャリアがある。もしかすると、航行スピードだけでなく、走る速さも私よりあるのではと思った。勢い込んで鎮守府を出たのはいいが、追いつけなければ元も子もない。雨水に混じって、じわりと嫌な汗が浮かんだ。

 坂道を上り切ると、途端に景色が開けた。灰色の空の下に広がる水田には、アメンボが通った後のようにあちこちで波紋を生んでいた。

 その水田に左右を挟まれた道を走る。薄桃色の少女を見つけた。坂道を一気に下る。先の不安は杞憂に終わり、あっという間に巻雲に追いついた。一息に踏み込む。私は懸命に腕を伸ばし、巻雲の腕より長い袖を再び捕まえた。

 勢いが殺された巻雲は前につんのめるように静止する。すぐに走り出そうとして、袖をつかむ私から逃れるために、必死で腕を振り回した。

「放して! 放してぇ!」

 ダダをこねるように私の手から逃れようとする。

 雨のせいでお互いの服はずぶ濡れだ。でも、そのおかげで巻雲の袖が掴みやすかった。私が手を放さない限り、巻雲が離れていくことはない。

 その間も、雨は容赦なく振り続ける。疲れることを知らない雨粒は容赦がない。濡れた服の上からバチバチと肌を叩いた。

 私の手から必死に逃れ続けようとしていた巻雲だが、観念したのか、力なくその場にへたり込んだ。

「どうして、どうして放してくれないんですか」

 非難しているようにも聞こえる言葉。

 私は、もう間違えないと心に決めた。今、自分がいったいどういう状況に置かれていて、どうしてこんなことをしているのか。それは、巻雲の様子が急激に変わった、あの寮内ではっきりした。

「巻雲……」

 私は慎重に言葉を選ぶ。相手と同じように、感情的になってはいけない。

 一度、ゆっくりと深呼吸した。

「さっきは、ごめん……私、どうかしてた。巻雲が盗んだって確証はどこにもない。秋雲のことをどう思っているのかも、2人の間にどんな過去があるのかも。私は知らない」

 握っていた袖を放す。巻雲は、もう、逃げたりしないだろう。

「でも、巻雲は何か知っているはずよ。それを教えてほしい。教えてくれないと、何も進展しないままで終わっちゃう。そんなの……私は嫌なの」

 言葉を一つひとつ、自分の中で確認しながら口に出す。その分、今までよりずっと話すのが遅かったように思う。

 じれったい気持ちが私を追い越していきそうになるのを必死で止めて、銃弾の一言が放たれないように檻に閉じ込めた。

「話しづらいかもしれない、言い出しにくいかもしれない。でも、今の秋雲を助けるためには、巻雲の力が必要なのよ」

 これ以上は、もう何も言えない。今の私では、これが精いっぱいだ。

 私が黙り込むと、絶え間なく降り続ける雨の音が耳を突いた。ノイズのような雨音の中で、私は座り込む巻雲の背中を見つめていた。

 巻雲は何も言わない。もしかして、私はまた間違えたのだろうか。ここでもまた、巻雲を傷つけ、ただ見つめるしかできなかったのだろうか。

「巻雲の力が必要、ですか」

 彼女の声はどこか自嘲めいていた。

「巻雲は、秋雲に、とんでもないことをしてしまったんです。こんな巻雲に、いったいどんな力があるというのですか。秋雲と顔を合わせたくない、合わせる顔がない。何も覚えていない秋雲に、巻雲の感謝も、謝罪も、伝わることはないんです」

 そんなことはない、とは言えなかった。同じ過ちは繰り返さない。相手の心が分からないのに、軽はずみに言葉を出すわけにはいかなかった。

 巻雲は遠く空を見上げる。その眼には、薄灰色の空も、涙のような雫も映っていなかった。

「秋雲のスケッチブックは、私が盗んだんです」




次回は10月21日(土)投稿予定です。


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記憶の在り処-4

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 秋雲と初めて会ったのは2年前の夏でした。6人の演習艦隊を組んで、この鎮守府に来ました。

 そのころ、ここの鎮守府は運営が始まって1年とかなり若いところでした。司令官さんは舞鶴鎮守府で経験のある方だったそうですが、艦娘の皆さんはどこか初々しさのある子ばかりで、少し前の自分を見ているようで、微笑ましかったです。

 午前の演習が終わって、食堂でお昼ごはんを食べているときです。巻雲たちのグループのところに、ひとりの女の子がやってきました。

「あなたたちのこと、描かせてもらっていいかな?」

 彼女はスケッチブックを片手に、溌溂とした笑顔を浮かべていました。秋雲と名乗るその子と、沈んでいくホーネットに探照灯を浴びせた「秋雲」が重なったのは、秋雲が自己紹介をしてすぐでした。

 断る理由がなかった巻雲たちは寮へと案内されて、ひとりひとり似顔絵を描いてもらいました。部屋から出てくる度に、みんなが浮かべていた恥ずかしそうな顔を、今でもよく覚えています。

 巻雲を描いてもらう番になったのは、日をまたいだ午後です。今はどうか分かりませんが、あのときの秋雲は、一人を描くのにとても長い時間が必要でした。今はどうですか……そう、上手くなったというのは、嘘じゃないんですね。

 翌日、秘書艦の仕事を終えた秋雲に呼ばれて彼女の部屋を訪ねました。そうですね、今ほど本棚は埋まってなかったように思います。それでも、今と同じように、床には本や紙類が散らばっていました。

 部屋の真ん中に置かれたイーゼルにスケッチブックを置いて、鉛筆の描く軌跡を真剣な眼で追いかけています。話しかけるのもためらわれました。

 ですが、いくらなんでも1時間なにもしないというのは少し難しいです。身動きが出来ない分、せめて口だけでも動かしたかった。「何か話してくれたらな」と、そう思い始めたときです。

「ねぇ、ひとの身体になって、何か趣味みたいなものってできた?」

 急な質問で、声が詰まってしまいました。

「え、えっと」

「一つくらいあるんじゃない。もしかして無趣味? 巻雲ちゃんはつまらない艦娘になっちゃったのか~」

「少し言いすぎじゃない!?」

 勝手につまらない艦娘と思われるのは心外です。巻雲は胸を張ってみせます。もちろん身体は動かさないように、心の中で。

「巻雲にだって、趣味の一つや二つあるよ。秋雲と一緒にしてもらったら困ります」

 むしろ、二つくらいしか趣味と呼べるものはなかった。趣味の数でそのひとの価値が決まるわけではないですが。

 それに、どれもインドアなものでした。ゲームをするか、本を読むか。それらを「趣味」に分類していいものか迷いましたが、他に思い当らないのでそう言うほかありません。

 どんなゲームか聞かれたので、そのときやっていた携帯のアプリゲームを挙げました。すると、秋雲は思いのほか食いつきました。彼女もそのゲームのプレイヤーだったのです。初めて話が合うひとを見つけました。自分の鎮守府で、同じゲームをする人はいませんでしたから。

 それから絵がかき終わるまで、巻雲たちはずっと話していました。あのキャラは強い。このギルドはよく荒れている。夜になったら一緒に遊ぼう。演習最終日まで、巻雲はあてがわれた部屋ではなく、秋雲の部屋に入り浸っていました。

 そして、最終日の夜。ここ数日と同じように、巻雲は秋雲の部屋に行き、2人して硬い床に寝そべってゲームをしました。窓から差し込む柔らかい月明かりが部屋を満たします。

「ねぇ、このままこの鎮守府にいなよ」

 なんとなく口にしたのだと思います。秋雲の言葉には、それほど深い意味を込めている様子はありませんでした。

 残りたいと思う気持ちは山々でした。ですが、巻雲の帰りを待つひとたちがいるし、その人たちを困らせるわけにはいきません。

「無理。明日の朝に出発することになってる。それに、帰らないと夕雲姉さんに怒られちゃう」

 そっかぁ、と秋雲は残念そうに首を落します。

 もしかして、このまま残ってほしいって、本当に思っているのかも。秋雲の気持ちを確認したくなって、その横顔にちらりと目を向けました。すると、秋雲は急に何か思いついたように顔を上げ、巻雲にずいっと身を寄せてきました。お互いの顔が引っ付きそうなくらい近づいていて、巻雲は気恥ずかしさと驚きで、胸の辺りがいつも以上に跳ねていました。

「ねぇ、巻雲の電話番号とメアド、教えてくれない?」

「え?」

「そうすればさ、近くにいなくても話せるじゃん。会いたいなぁって思ったら連絡すればいいし。あぁでも、一緒に会うのは大変かな。巻雲の鎮守府と結構距離あるし、休みの時間を合わせるのも難しいかも……」

 むむむ、と渋面を浮かべる秋雲。

「いいよ」

 口は自然に動いていました。それに合わせて、携帯のアプリを閉じて、自分の連絡先を表示させます。

 秋雲が顔をほころばせて巻雲の連絡先を登録し終えると、どこかに電話をし始めました。それと同時に、巻雲の電話が鳴り始めました。

「はい、もしもし」

『やっほー、秋雲だよ』「やっほー、秋雲だよ」

 案の定、電話の相手は秋雲でした。左耳にはスピーカー越しで、右耳には直接秋雲の声が聞こえてきました。なんだかおかしくなったのか秋雲は笑って、つられて巻雲も笑ってしまいました。

 それから、いつの間にか眠っていました。朝の日差しで目が覚めて、携帯を確認するとバッテリーが20%ほどしか残っていませんでした。

 秋雲が起きるのを待って、軽く身なりを整えて部屋を出ると、朝の涼しい空気が身体にしみこんできました。

「ねぇ、秋雲には似顔絵を描いてもらったし、一緒に遊んでもらったし。何かお礼がしたいんだけど」

 それを聞いた秋雲は少しバツの悪そうな顔をして、ぱたぱたと手を振って断りました。

「良いよ良いよ。お礼をされるために描いたんじゃないし」

「でも……」

「気持ちだけで十分嬉しいから。ありがとね、巻雲」

 秋雲が笑顔を向けてくる。恩返しをしたいという気持ちが行き場をなくしてしまい、胸の辺りにモヤモヤと出来上がった雲を、何とか吹き飛ばせないかと思いました。

 秋雲に出来ることはないか……そうだ。

 またこの鎮守府に来ることがあれば、そのときに何か贈り物をしよう。サプライズなプレゼントです。きっと秋雲は喜んでくれるはず。

 もしかしたら、もうこの鎮守府に来ることがないかもしれないし、かといって宅配でプレゼントするのも味気ない。

 きちんと、自分の手で渡そう。

「そうそう。あの部屋、少しは掃除した方が良いよ。床に転がっていた紙くずの山とか、いかにも必要無さそうだし」

「あ、あれは焼き芋の肥やしにする予定なのっ。気にしないでいいから」

 そして、巻雲は自分の鎮守府へ帰投しました。帰投後、早速秋雲に連絡します。遠くにいるけど、秋雲の声が聞こえる。それが、たまらなく嬉しかったんです。

 夕雲姉さんには「好きな人でもできたの?」とからかわれました。でも、秋雲は恋愛の対象かと言われれば、少し違うように思えます。

 少し考えてみます――そう、巻雲と秋雲は。

「友達です」

 あれから2年が経ちました。その2年間、巻雲は事あるごとに、秋雲と連絡を取っていたように思います。秋雲からも、よく連絡が来ました。

 巻雲は、秋雲のことが大好きです。それは友達としてでもあるし、秋雲が秋雲だったからこそ好きになれたんです。

 巻雲にとって、秋雲は、秋雲という存在は――。

 

   ***

 

 巻雲の声に、少し涙の色が見え始めた。

「でも……プレゼントを渡す直前になって、勇気が出なくなりました。秋雲は、一度巻雲の申し出を断っているんです。鬱陶しがられるかも、要らないと言われるかも。普段はそんなこと思わないのに、いざ目の前に行くと、そんな考えが止まらなくなってしまうんです」

 そんな自分が情けない。

 嫌われることを嫌って、踏み出す一歩をためらってしまう自分がいることに嫌気がさす。

「だから、プレゼントは秋雲のスケッチブックに挟むことにしたんです。直接渡せないなら、間接的に受けとってもらおう。秋雲の部屋に忍び込んで、似顔絵が描かれたスケッチブックを本棚から取り出すとき、少しの罪悪感と、秋雲がプレゼントを見つけたときの顔が浮かんできました」

 しかし、そこで悪運が重なった。巻雲は部屋に目的のものを忘れて、持ち出してしまったスケッチブックは秋雲が自室の鍵を掛けたことで戻せなくなった。 

「スケッチブックは、巻雲が宛がわれた部屋にあります。巻雲が、本棚から取り出したばっかりに、秋雲は巻雲のことを忘れてしまったんです。巻雲が、秋雲の記憶を奪ったんです」

 ごめんなさい。

 その声は、降りしきる雨に吸い込まれ、水たまりに溶けて消えた。

 ごめんなさい――それは、誰に向けられた言葉なのだろう。記憶を失った秋雲か。それとも、彼女の中にいる、記憶を失う前の秋雲か。はたまた、全く違う別のひとか。

 私だったら、どうだろう。これは想像だ。あくまで想像でしかなくて、彼女が本当にそう思うかどうかは分からない。

「秋雲が、巻雲のことを責めることはないよ」

「どうしてそんなことが言えるんですか!」

 怒りを露わにして、巻雲は立ち上がった。

「満潮さん、あなたは無責任です! 巻雲を慰めるために、あるはずがないことを言っています! 巻雲が変な気を起こさなければ、秋雲が記憶を失うことはなかったんです。怒られて当然です、責められて当然なんです! 寮の中で、あなたは巻雲を非難しました。それが正しいんです! それなのに、今は全くの真逆です。その上、まるで秋雲の代弁をするみたいにっ。秋雲から直接聞いたわけでもないあなたが、なぜ分かった風なことを言うんですか!?」

 雨と涙で濡れた顔をゆがめて私と対峙する。怒りを向けられている。それなのに、私のこころは穏やかなままだった。思いつく言葉は、どれもトゲの無い、

「いいえ、分からないわ。あなたの気持ちも、秋雲が今、何を思っているのかも。私はあなたたちとは違う身体を与えられて、思いも痛みも同じようには感じない」

「それならっ」

「でもね」

 私は巻雲の声を遮った。

「これだけは分かる。例え、本棚からスケッチブックを持ち出したのが巻雲だと知っても、秋雲はあなたを責めない。あなたが何をしたかったのか、きちんと言葉にすれば、秋雲があなたを嫌うことも、責めることも、突き放すこともないわ」

 誰かも言っていた。

 伝わらない想いなんて、この世には存在しない。

 嬉しいも、悲しいも。

 怒りも、悲しみも。

 大好きも、大嫌いも。

 真っ直ぐな心で向き合えば、どんな想いも届けることが出来る。

 今の私たちは、とても不器用だ。私たちは無機物から生まれ変わった存在で、人間の身体と心を与えられた。他の艦船と通信するのも、昔はすべて、私たちの背中で奮戦するひとたちが行っていた。

 でも、艦娘になった今は、自分たちの言葉で伝えることができる。誰かの手を借りなくても、私たちの意思で。

「無理です……無理ですよ。今の秋雲は、巻雲のことを忘れています。いくら言葉にしても、巻雲の言葉は届かないんです」

 あぁ、そういうことか。ここで、やっとはっきりした。あのとき私の言ったことが、巻雲にきちんと伝わっていなかったのだ。それも仕方がないだろう。なにせ彼女は、自分と秋雲のことで一杯いっぱいだったから。でも、今の巻雲は、私の声に耳を傾けてくれている。もう一度説明しよう。

 あのね、巻雲――。

 

「あー。やっと見つけた」

 

 聞き覚えのある、よく通る声だった。

 水たまりを踏む音が背中越しに聞こえ、足音が徐々に近づいてくる。

「巻雲、なにしてんのさ。そんなところにへばってたら、風邪ひくよ?」

 秋雲は私を追い越して、手に持った傘を、そっと巻雲に差し出した。

 名前を呼ばれた巻雲の目が見開かれる。

「秋雲……巻雲の名前……」

「うん。いやぁ、良かった。やっと思いだせたよ。全く、大事なひとの名前を忘れるなんて、どうかしるよ」

 そう思わない? と秋雲は肩を透かして見せた。

 信じられない、巻雲はそう言いたそうな顔をしていた。

「でも、巻雲が本棚からスケッチブックを抜き取ったから、秋雲は全部忘れちゃって」

「もう、そんな心配はしなくていいんだって。思い出したって言ってるじゃん。聞こえてないの?」

 ぽん、と小さな頭に手が置かれる。

 曇りっていた顔が、今度は嬉しそうに花を咲かせ、つむった目の端からまた涙があふれ始めた。本当に、空みたいにコロコロと表情が変わる子だ。

 巻雲は秋雲の胸にしがみついて、制服に顔を埋めた。秋雲は傘を手放し、抱きかかえるように巻雲の頭を両腕で包んだ。

「ごめんなさい……ごめんなさい! 巻雲が、巻雲が余計なことを考えなかったら良かったのにっ。いらないって、お礼はいらないって、秋雲は言ってたのに」

「ううん、余計なことじゃないよ。ありがとね、巻雲」

 ふと、視界が明るくなっているのに気が付いた。

 いつの間にか、雨はすっかり上がっていた。空を見上げるとホワイトグレーの雲が陽の光をはらみ、柔らかく輝いている。

 溜まっていた空気を抜くように、私は深く息を吐いた。来た道を振り返ってみると、坂の上には何日ぶりかの青空が覗いていた。今日はもう、雨は降らないだろう。取り合えず、早くお風呂に入りたかった。

 雨で冷えた身体をひとつ震わせて、もう一度巻雲たちに目を向ける。雲間から差し込む光は木漏れ日のようにゆらゆらと揺れ、二人の周りを温かく包んでいた。

 世界中のどんな価値のある絵も、この景色には、到底及ばないだろう。




次回は10月28日(土)投稿予定です。


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ラフスケッチ(終)

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 濡れた服を着替え、私は秋雲の部屋にやってきた。相変わらず掃除されていない、言い方は悪いがゴミ屋敷のような部屋だ。足の踏み場がないほどの書籍と紙くずたちに思わず目を細める。

「やっぱり掃除した方が良くないかしら。どうするのよ、この紙くずの山」

「こ、これは秋に焼き芋の肥やしにするつもりだから……って、どっかで同じことを言った気がする」

 窓の向こうを見ると、まだ雲の方が多いが、所々まぶしい晴れ間がのぞいていた。さっきちらりと見た天気予報では、この辺りはそろそろ梅雨が明けるらしい。雲一つない、真っ新な青空が待ち遠しかった。

 巻雲が来る間に、二人で少しばかり部屋を片付けた。

 ノックの音がする。部屋に入ってきた巻雲は、スケッチブックを大事そうに胸に抱いていた。

「これを、本棚に戻せば、いいんですよね」

 尋ねる巻雲に私は頷いて見せた。

 妖精に見せてもらった工廠の建造記録によると、秋雲は建造された際、本棚とともに生まれた。その本棚が、秋雲にとって必要不可欠だった。秋雲が誰かのことを記憶するには、誰かの顔が描かれたものをその本棚に入れなければいけない。描かれたものでなくても、それは写真でも良かった。

 舞風から聞いた話も、これで説明できる。秋雲は着任してから1週間、寝て起きたときには会ったひとのことを忘れてばかりだった。そして、スケッチブックに似顔絵を描き始めてから、次第に仲間のことを覚えていった。そのスケッチブックを本棚に収めたから、秋雲の中に記憶として残っていったのだ。

 それをこの部屋の前で巻雲に説明したが、あのときは巻雲には伝わっていなかった。そもそも、私も頭に血が上っていて、きちんと説明できていなかったのかもしれない。

 入口の反対側の壁に置かれた本棚。巻雲は抱えたスケッチブックを、その本棚に丁寧に収めた。

 ばたり、と大きな音がして、振り向くと秋雲が頭を抱えて尻もちをついていた。

「だ、大丈夫!?」

 慌てた巻雲が秋雲の側に駆け寄る。

 秋雲はしばらく頭を押さえていたが、すぐに顔を上げた。

「へへ、ちょっとくらっとしただけだよ。もう大丈夫」

「本当に? 無理してないよね」

「してないって。あぁでも、のどが渇いた気がする」

「水持ってきてあげる」

 巻雲が部屋を出ようとするのを、私は呼び止めた。

「あ、私が行くよ」

「いいえ、満潮さんは秋雲と一緒にいてあげてください。すぐに戻りますから」

 そう言って部屋を出ていってしまった。秋雲の役に立ちたかったのだろう。それなら、邪魔をするわけにはいかない。 

「思い出した?」

「うん。もう大丈夫」

 秋雲が手を伸ばしてくる。私はその手を取り、秋雲を立ち上がらせた。

「ねぇ、満潮。『ラフスケッチ』って知ってる?」

「ううん。なにそれ」

 秋雲は側にある本棚を優しく撫でた。棚の中には人物に関する資料や写真集が並べられている。その中段あたりに、秋雲のスケッチブックは収められていた。

「絵の下描きって言えばいいかな。大まかな見た目をちゃらちゃらっと描いちゃって、その後でキチンとしたものを描くんだ」

 秋雲は懐かしむように天井を仰いだ。

「私が巻雲を描いた絵、本当にへたくそでさ。めちゃくちゃ時間がかかった上に、納得いかない出来になっちゃったの。それなのに巻雲は『お礼をする』なんて言うんだよ。だから、困っちゃって——お礼を受け取る資格なんて、最初からなかった」

 そう言われて、私は首を傾げた。あの1ページ目に描かれていた巻雲の絵は、相当に上手だったように見えた。あれを「へたくそ」と言うとは。絵心のあるひとの考えは分からない。

 秋雲は続けた。

「巻雲が帰った後だよ。ここに描かれているのは『ラフスケッチ』ってことにして、またあの子が来ることがあれば、その時にきちんと描かせてもらおうって。それまではいろんな形で絵を描いて、腕を上げておこうと思ったんだ。せっかくの親友だもん、大事にしたいじゃん」

 にぱっと向けられる笑顔に当てられて、私の口元も緩む。

 こんな風に思ってくれる友達がいる巻雲が、少し羨ましくかった。

 私にもいるのかな。私のことを思ってくれる人って。

 人間の言葉とは、なんてまどろっこしいんだろう。言葉にするよりも、飾らない心がテレパシーのように相手に届けば、誤解が無くて済む気がする。残念ながら私たちは、艤装を操れるという以外に超能力じみたものを使うことができない。

 でも、それでいいのかもしれない。言葉はヒトだから使える唯一の才能だ。ヒトには身体が、心があるから、言葉を使い、言葉に想いを乗せることが出来る。

 せっかく船から人間に生まれ変わったのだ。存分に思いを伝え合っても、罰が当たることはないだろう。

「秋雲。あなたが私たちのところに来たとき、巻雲の名前呼んだじゃない?」

「ん、そうだけど」

 私は確認の意味を込めて、秋雲に尋ねることにした。

「本当はあの時、巻雲のこと、何一つ思い出してなかったんでしょ」

 秋雲が一瞬驚いた顔をする。巻雲に似ているのか、それとも巻雲が秋雲に似たのか、コロコロと変わる表情は見ていて飽きなかった。すぐにいつもの屈託のない笑顔が戻ってきた。

「さぁ、もう忘れちゃったよ」

 

   ***

 

≪to≫ autumn-cloud@kanc.dm.jp

≪件名≫ 巻雲です

 

 久しぶり!携帯は修理中だから、パソコンから送ってます。ちょっと、あのときのことを思い出してメールしました。プレゼントした漫画用のペン、使い心地はどう? 大事に使ってくれると嬉しいです。

 そのペンをスケッチブックに挟もうとしてたんだよね。今思えば、スケッチブックに挟むには大きすぎるし、見た目も不自然になるし、何も良いことはなかったかも。

でも、あのときはサプライズで喜ばせることで頭が一杯だったから……なんだか言い訳がましい。

 

 そう言えば、あのとき巻雲たちを助けてくれた子、元気にしてる? 

 彼女がいなかったら、きっと巻雲はあのまま壊れてただろうし、こうして秋雲とも連絡できなくなってただろうから。彼女には、また改めてお礼をしないとね。

 

 こっちはもうだいぶ桜が咲いたよ。今度、休みの子たちとお花見に行くんだ。そのころには携帯も治るだろうから、写真を撮って送るね。

 

 それじゃ、またね。

 おやすみ。

 

――このメールはPCから送られています




第1章はここで終わりです。
一ヵ月あきまして、次回第2章は12月2日(土)投稿予定です。


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第2章
秋のつむじ風-1


艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 焼けるような日差しが鳴りを潜め、いつの間にか日の落ちる時間が早くなっていた。気まぐれに吹き抜ける風は冷たさを携えて、鎮守府に残る夏の熱気を徐々に拭い去って行った。遠くに見える山稜は気づけば紅く色づき、そこかしこで秋が感じられるようになっていた。

 鹿島さんの海上練習も9月末には終わりを告げた。練習が終わった日、私たち新人艦娘は輪を作って喜んだ。

「今後は出撃や遠征が主になると思います。実際の戦闘になっても、練習したことを忘れないようにしましょう。沈んでしまっては、元も子もありませんからね」

「はい!」

 鹿島さんの言葉を肝に銘じて、私たちは大きく返事をした。

 その日の夜、私はなかなか寝付けなかった。別に練習が厳しすぎて不眠症になったとか、幽霊が怖くて夜中のトイレを我慢していたとか、そういうわけではない。私が鎮守府に着任した日から、ずっと願っていたことがついに叶うのだと思うと、胸が逸って仕方なかったのだ。

 以前の私、艦船だったころの私は、出撃はするものの、被弾してドックに入っている期間が多かった。その間に姉妹艦が沈み、朝潮型として残ったのは私だけ。

 そのことを引きずっているのだろうか、私は戦いたくて仕方がなかった。

 もっとたくさん出撃したかった。

 もっと私で戦ってほしかった。

 もっと姉妹と一緒に居たかった。

 それは、乗組員の思いだっただろうか。それとも、艦船であった私が思ったことなのだろうか。いずれにしても、それを思いながら、私はレイテの海に沈んだ。

 そして今、艦娘として生まれ変わった私の前には、無数の敵がいる。

 深海棲艦。広大な海に跋扈し、海の秩序を乱す存在だ。海上を行く船を、海中を泳ぐ生き物を喰らい、ただ破壊と汚染を繰り返している。私たち艦娘は、奴らから穏やかな海を取り戻すために戦っている。長らく夢見ていた戦場は、今では私の眼と鼻の先にある。

 艤装の展開もスムーズに行えるようになった。水上航行でこけることもなくなった。主砲での砲撃も出来るようになったし、魚雷の発射方法も覚えた。あとは実際に敵に向かって放つだけ。もちろん、油断は禁物だ。鹿島さんが言った通り、沈む危険だってある。出撃できることに浮かれて気を緩めるわけにはいかない。

 そして時は来た。

 10月の最終週。私たち新入りの艦娘は提督室に召集された。私を含む計5人の艦娘が提督の前に整列する。

 いつも執務机に張り付いたままの提督だが、今日は執務机を背にしている。彼の隣には秘書艦である大和さんがいた。彼女の手にはファイルが拡げられていた。

「キミたちを呼んだのは他でもない」

 提督が後ろ手を組み、いつもの気楽な口調ではなく、至って真面目な声音で言った。

「先日、鎮守府近海に深海棲艦が侵入したと報告を受けた。敵の偵察部隊である可能性があり、早急に対応しろとのことだ。キミたちには、この敵深海棲艦を撃退してほしい」

 提督の言葉に、思わず武者震いした。

 長らく待ち望んでいた、敵との対決ができる。常に死と隣り合わせの戦場。私は、そこに立つのだ。

 提督に続き、大和さんが説明した。

「出撃は30分後、ヒトマルサンマルです。各自、それまでに艤装・主砲のメンテナンスを済ませておいてください。5分前には港に集合。以上です」

 そこで解散を言い渡され、私たちは提督室を後にした。

「満潮さん」

 提督室を出てすぐに、大和さんが後を追ってきた。

「どうしました?」

「このあと、秋雲のようすを見てきてくれませんか?」

「構いませんけど……何かあったんですか?」

「先日から、秋雲が部屋にこもっているんですよ。私は秘書艦の仕事がありますし、他の人も出払っていますから。声を掛けるだけでいいので、秋雲の部屋に行ってみてください」

 言われてみれば、確かに先週から秋雲の姿を鎮守府で見かけなかった気がする。どこかに遠征に出かけているのかと思ったが、まさか部屋にこもっていたとは。

 艤装のメンテナンスは10分もあれば終わる。秋雲に声を掛けるだけでいいのなら、出撃に間に合わなくなるほどの時間はかからないだろう。様子を見に行くのは、全く問題なかった。

 しかし、以前の出来事がふいに頭をよぎった。半年ほど前、秋雲は1週間記憶を失っていた。鎮守府の艦娘の、約半数を記憶から失くしたのだ。その際、横須賀から派遣されてきた巻雲と一悶着あったが、秋雲の記憶は戻り、後腐れなく事態は収束した。

 もしかして、また秋雲の調子が悪くなったかな。

 その心配が顔に出ていたのだろう。大和さんは私の肩を優しく撫でた。

「大丈夫。具合が悪くなったわけじゃないわ。毎年、秋雲はこの時期になると、部屋にこもって漫画を描いているの」

「漫画?」

 そう言えば、私の似顔絵を描いてもらったときに、少し見せてもらった覚えがある。時間もなかったし、じっくりと読んではいないけれど。

「それじゃ、よろしくね」と言って、大和さんは提督室に戻って行った。

 とりあえず、体調を崩している訳ではないようだ。とは思ったが、良く考えてみれば、外にも出ず部屋にこもりきりというのも、それはそれで身体に悪いような気もした。

 軽く運動でもするように言っておこうか。

 エントランスへ続く螺旋階段を下り、私は秋風の中を寮へ向かった。




次回は12月9日(土)投稿予定です。


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秋のつむじ風-2

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 秋雲の部屋の前に立ち、私は扉を数回ノックした。

「秋雲ー。いるー?」

 呼びかけてみたが、一向に返事が来る様子がない。試しにドアノブを回してみると、すんなり回った。巻雲が帰る時に口酸っぱく注意していたのに、また忘れているのだろう。

 私は躊躇うことなく扉を大きく開けた。

「秋雲ー。あんた外に出ないと……」

 その先を言うことが出来なかった。

 扉を開くと同時、部屋の中から無数の紙くずが波のように襲いかかってきた。私は紙くずの中に埋もれながら喚く。

「な、なにこれ」

 私は紙くずの一つを手に取って開いてみる。白い背景がいくつかの四角いコマで区切られていて、四角の中に人物や建物が描かれていた。時折はさまれる集中線は、読み手にインパクトを与えるためのものだろう。

 他の紙も開いてみる。それらにはいずれも、真ん中に大きく、『ボツ!』という文字が書かれていた。

「あれ、満潮じゃん。何してるの?」

 部屋から秋雲がひょっこりと顔を出す。いつもの制服姿ではなく、えんじ色のジャージを身に着けていた。

 紙くずに埋もれたままでは話しも出来ない。秋雲に手を引っ張って助け出してもらった。

「この紙くず、漫画のボツ絵?」

「そうそう。あんまり見ないでね、恥ずかしいし」

 秋雲は照れくさそうに鼻の頭を掻いた。

 目の下には、うっすらと影のようなクマが出来ていた。しかし、体調が悪そうには見えない。私の名前を呼んだことで、記憶がなくなっていないことも確かめられた。

「ずっと部屋で漫画を描いてるの?」

「そうそう。大きいイベントじゃないけど、もうすぐ漫画の即売会があるんだ」

 そこで歯切り悪く秋雲は言い詰まった。聞くと、イベントが間近に迫っているにも関わらず、まだ漫画を描き終えてないそうだ。

「何してもいいけど、あんまり心配かけないでね」

「おや、心配してくれてたの?」

「うるさい」

 秋雲の額を指で弾く。秋雲はわざとらしく痛がってみせた。

 大和さんからのお願いは、秋雲の様子を見てくるようにとのことだった。先ほども確認したが、体調は崩していないように見えるし、実際そうなのだろう。以前のような記憶障害も起きていない。心配は無用だった。

 出撃までまだ時間はある。軽く声を掛ける程度で良いと言われたが、私はもう少し秋雲と話していたかった。

「ねぇ、どんな漫画描いてるの?」

 興味本位で聞いてみた。秋雲の漫画は、以前ちらっと見せてもらったことがあるが、内容までは把握していない。彼女がどんな漫画を描いているのか、純粋に興味があった。

「お、良く聞いてくれました。今回描いてるのは、なんと満潮が主人公の漫画だよ」

「ほえ?」

 思わぬことで声がうわずってしまった。まさか自分が作品の主軸に置かれているとは、さすがに予想していなかった。

「気になるなら、ちょっと見てみる? 普段はめったに見せないんだけど、満潮には恩があるからね。特別に見せてあげる」

 もちろん見たいならだけど、と秋雲は言い添えた。

 怖いもの見たさというか、そう言われるとなんとなく見たくなってしまう。自分が主人公として描かれていて、秋雲がそれをどんな内容に仕立てているのだろう。描き手の秋雲が見せてくれるというのだ。断る理由は見当たらなかった。私はひとつ頷いて、秋雲の部屋に入った。

 部屋の中は相変わらずの散らかりようだった。ボツになった紙くずがそこかしこに散らばり、机の側には背景や衣服の資料が山積みされている。着崩した部屋着や制服は床の一部になったように紙くずの下に埋もれていた。

 秋雲は机の上から数枚の用紙を取って私に手渡した。

「今描けてる分だけだから、まだ少ないけど」

 私は受け取った漫画の元をぺらぺらとめくっていく。各コマには確かに私が描かれていて、私と他の艦娘の会話がちりばめられていた。

 何と言うか、むずがゆさを感じてしまう。

 日常系で艦娘同士のほのぼのとしたもの、というのが最初の数ページの印象だ。しかし、読み進めるうちに雲行きが怪しくなっていき、ついに私が鎮守府から飛び出してしまう。どちらが悪いというわけではない、ちょっとした誤解とすれ違いが生んだいざこざだ。

 次のページで最後だが、おそらくこの後、私たちは改心して仲を戻すのだろう。

 そう思ってページをめくった先には、唐突に私と提督が繋がっている絵が大きく描かれていた。ところどころ規制されたようにモザイクで処理がされていて、どういうわけか甘ったるい表情をした私がコマの中にいた。

 一瞬何が描かれていたのか分かりかねたが、内容を理解するや否や私は漫画の両端を強く握りしめた。

「ちょ、待って待って! 何しようとしてるのさ!」

 秋雲が慌てて私の腕をつかんで止めた。

「何でこの展開から提督とくっつく流れになるのよ!」

「良いじゃん! リアルにくっついてる訳じゃないんだから!」

「どういう理屈よ!」

 片や漫画を引き裂こうと必死になり、片や破かれまいと必死に止める。

 しかし、ちらちらと見える甘いシーンのせいで力が緩んでしまい、その隙に秋雲が漫画を取り上げてしまった。胸に抱えるように漫画を守っている。

「もう、今から描きなおすとか嫌だよ。結構描けてるんだから」

「絵がうまいのは認めるわ。でも、その内容だけは認められない」

「似顔絵を描いたときに言ったじゃん。題材に使わせてもらうって」

「まさかみだらな描写にまで使われるとは思わないじゃない!」

 どんな内容の漫画を描くのか、似顔絵を描いてもらう前に聞いていれば丁重に断っていたはずだ。百歩譲って、秋雲が似顔絵を描かないといけないとしても、漫画を描くことだけでも阻止していた。

「まさかとは思うけど、響の本も書いたんじゃないでしょうね」

「お、察しが良いね。響にも見せたけど、一冊譲ってくれって、興味津々だったよ」

 あの子は……。確かに響なら、秋雲の漫画を見ても特に動じない気がする。むしろ、夜のお酒のお供にして、読みながらグラスを傾けていそうだ。

 ふと、目に入った壁掛け時計を見ると、すでに出撃15分前になっていた。まだ秋雲に言いたいことがあったが、あまり悠長にする余裕はなかった。

「とにかく! 響は良いかもしれないけど、私のはダメだからね!」

 去り際に漫画の内容を変えるように言い含めて、私は寮を後にした。

 工廠にあるメンテナンス用の部屋に入ると、他のメンバーはすでに艤装の調整を終えているようだった。

「なんだか緊張しますぅ」

「ま、ぱぱっと終わらせようぜ」

 などと、口々に言葉を交わしていた。

 私は艤装を目の前に展開する。背中に直接展開するだけでなく、慣れれば背中以外の場所にも艤装を出すことができた。背もたれの無いイスに腰かけ、艤装を微調整する。

調整している間の私の心は、あまり穏やかではなかった。それはきっと顔にも出ていて、ひどく不機嫌な表情になっていたのだろう。響が私に近づいてきた。

「どうしてそんなにむっつりした顔をしているんだい?」

 響は不思議そうに首を傾げる。

「ねぇ。秋雲の本、貰ったんだってね」

「うん、貰ったよ」

「恥ずかしくなかったの?」

「特には。内容は男の子が好きそうなものだけど、実際に私自身がしている訳じゃないしね……あぁ、それで機嫌が悪そうなんだ」

 響は察した様子で頷いた。口の端が、いたずらを思いついたようににんまりとしている。

「ああいう本もあるんだ、くらいで流せばいいのに」

「私は響みたいに豪胆じゃないのよ。心は純粋な女の子なんだから」

「そのセリフ、言ってて恥ずかしくない?」

 恥ずかしかったので返事はしないでおく。

 秋雲に言いたいことはまだたくさんある。この憤りを彼女に直接ぶつけてもいいが、それをしても何も変わらないだろう。この後はちょうど出撃で、敵艦隊との戦闘が予想されている。奴らに打ち込む弾を10発ほど増やすことに決めた。それでスッキリしなければ、食堂でやけ食いしよう。話している間に艤装のメンテナンスは終わり、私たちは足早に港に向かった。

 本日は晴天。雲一つない青空に浮かぶ太陽は、暖かな日差しを振りまいている。

 初出撃にとって、またとない快晴だ。

 私たち新人艦隊は、秋の潮風を切りながら、航路を南へと進んでいった。




次回は12/16(土)投稿予定です。


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秋のつむじ風-3

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 結果から言おう。私たち新人艦隊の初出撃は大成功に終わった。

 出撃時刻のヒトマルサンマル。軽巡洋艦・名取を旗艦として、私たちは南に向かって舵を取った。予定通り、鎮守府近海に侵入した敵艦隊との接触に成功した。

 この出撃の特筆すべき点は、何と言っても誰一人傷つくことがなかったことだ。深海棲艦との戦闘になるも、誰も被弾することなく敵を撃墜し、無事目的を達成したのだった。作戦の完遂を潮風も歓迎しているようで、私たちは追い風に背中を押されながら嬉々として鎮守府へと帰還した。

 帰還報告のため名取が提督室に向かう。残された私たちは先に食堂に向かい、少し遅い昼食をとることにした。そして今、テーブルに着く私の前に、大皿一杯に盛られたカレーが音を立てて置かれた。周りが唖然とする中、私はやけくそ気味に白米を口に運んだ。

「ねぇ、満潮どうしちゃったのかな」

「作戦は成功だったけど……あ、もしかして女の子の日とか」

 駆逐艦の皐月と時津風がテーブルの向かい側でひそひそと話している。

 私は口の中のものを飲み込んで、一気にまくしたてた。

「そうじゃないわよ! 鎮守府に侵入してきた敵の偵察部隊!? 駆逐艦が一隻、間違って迷い込んだだけじゃないの! あんな戦闘で満足できる訳ないじゃない!」

 そう、鎮守府近海に侵入したのは、駆逐イ級ただ一隻のみだった。放った砲弾はたったの2発。1発目は名取が外し、2発目は私が放ったものが当たった。

 もっと派手な戦闘を思い描いていた私としては、消化不良もいいところだった。互いにしのぎを削る攻防の末、傷つき倒れる仲間もいるなか、最後の一発が敵機関に命中して勝利を収める……とまで行かなくていいが、さすがに駆逐艦一隻を撃墜するだけでは物足りなさ過ぎる。

「まぁ落ち着きなよ。ほら、これでも読むといい」

 隣に座る響が、読んでいた本をめくって見せてくる。横目に見ると、響と司令官の情事が描かれた、秋雲プレゼンツの漫画だった。

「見せなくていいから! 何で他の子と司令官がいちゃついてるシーンを見ないといけないのよ!」

「じゃあ自分のシーンなら見るの?」

「自分のも見ないわよ!」

「じゃあ誰のだったら見るんだい?」

「誰のも見ない!」

 顔が熱くなる私とは対照的に、響は涼しげに読書に戻ってしまった。あんなに激しい内容なのに、何でこの子は平然としていられるのだろう。フィクションでのこととはいえ、自分がこう……色々されているものを見るのは気が引けるではないか。今度名取に、名取が主人公になった漫画を見せてみよう。その時の反応で、私と響どちらが一般的か分かるはずだ。

 私は深いため息を付いて、グラスの水をちびちびと飲む。

「満潮。わたしたちはまだ戦闘経験が浅い。そんな状態で、本格的な艦隊決戦をすれば、それこそ鹿島さんを悲しませる結果になる。鹿島さんだけじゃない、鎮守府のみんなも、だ」

 本に目を落としながら、響が私をたしなめるように言う。

「闘争心があるのは大事だよ。でも、自分の許容範囲を超えた戦闘するのも考え物だ」

「そんなに悠長な考えで良いの? もしかしたら、今すぐにでも深海棲艦が襲ってくるかもしれないのに。戦力は多いに越したことはないでしょ」

「もちろんそうさ。でも、出来ることと出来ないことはある。今のわたしたちはまだ未熟だ。だから、出来ることをやって行けばいい。そうしていれば自然と戦力になるし、満潮の思うような艦隊決戦にも参加できるようになる。成長を焦る必要はないさ」

 話は終わったとでも言うように、それっきり、響は黙ってしまった。

 皐月と時津風も、私が騒ぎ終わるのを見て、再び談笑に戻っていった。

――成長を焦ってる訳じゃ、ないんだけどな。

 響にはそう見えているのだろうか。

 私は戦場に出たいだけだ。誰かより多く敵を倒したいとか、自分より強大な敵を倒したいとか、それほど私が血の気にあふれているとは思わない。ただ、戦いの中に居たいだけだ。仲間とともに、煌めく大海原に乗り出したいのだ。私だけが、ドックの片隅に残されることがないように――。

 私の思っていることが、響には伝わっていない。それを伝えるには少し期を失したようだ。今から声を出すのは、なぜだろう、気が進まなかった。

 そんな風に考えていると、いつの日か感じたモヤモヤとしたものが、また胸の中に浮かんできた。不快ではないけど、ずっと胸に置いておくには少し大き過ぎる。

 私はグラスに口を当て、残り少ない水を一息に飲み干した。




次回は12/23(土)投稿予定です。


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気まぐれ姫-1

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。

2000PV超え! ありがとうございます!



 2度目の出撃指示が出たのは、初出撃から2週間ほど過ぎてからだった。

 その間、私は粛々と爪を研ぐ作業に没頭していた。朝は早めに起きてランニング、昼は演習弾を使った模擬戦闘訓練、夜は疲れを残さないために早寝を心がけていた。模擬戦闘は、暇そうな子に片っ端から声をかけて手伝ってもらった。もちろん無理強いはしない。相手が見つからないときは一人で航行練習をすることにした。

 その練習の甲斐があったのだろうか。今回の出撃は、前回よりも濃い内容になっていた。

「今回の出撃メンバーはここにいる6人。長良を旗艦にして、朝潮、大潮、荒潮、曙、そして満潮だ」

 司令官に続いて、作戦内容についての説明が大和さんから伝えられた。

「哨戒中の潜水艦の子たちからの連絡です。南西諸島近海で敵軽巡洋艦5隻、駆逐艦十数隻が発見されました。敵艦隊はゆっくりと領海に近づいているようで、半日後には侵入すると予想されます。みなさんには、この駆逐艦隊を撃退していただきます」

 大和さんが作戦の説明をしている間、私は胸の高ぶりを抑えられなかった。

(待ちに待った戦闘に出られる!)

 この前は、戦いらしい戦いが出来なかった。今回は、もう少しまともな戦闘が出来そうだ。それに、第8駆逐隊だった面々と出撃できる。艦船時代の旧友と肩を並べられることも相まって、いつになく気分が高揚していた。

 細かな指示が与えられると、私たちは提督室を退室した。、

「満潮と出撃できる日が来るなんて、夢みたいですね」

 大潮が嬉しそうに目を細める。

 私が着任してから、大潮と会話する機会は殆どなかった。大潮は頻繁に出撃や遠征の要因になっていて、鎮守府に常駐することが少ないのだ。

 同じ第8駆逐隊だった朝潮や荒潮も、私の訓練中に何度も出撃していたが大潮ほど多くなく、食堂でも寮でも見かけては長い立ち話をしていた。

「出撃するのは良いけど、足引っ張らないでよね。ついこの間練習期間が終わったばっかりで、まだ1回しか出撃経験がないんだから」

 と、後ろから曙が突っぱねるような口調で言う。

 楽しい空気に水を差されたことにむっとして、肩越しに睨み返した。

「満潮が頑張ってるのを、司令官はちゃんと見てたってことだよ。毎日訓練してるし、模擬戦闘も駆逐艦だけじゃなくて戦艦のひとにも手伝ってもらってたしね。あんまり満潮を軽く見てると、すぐに追い抜かれちゃうかもしれないよ?」

 と朝潮が言った。言い返せなくなったのか、ふん、と曙はそっぽを向いた。

「はいはい。言い合いはそこまで。みんな、出撃までに準備をしておいてね」

 長良の指示に従って、私たちは各々思うところへ向かって行った。私は工廠で艤装の調整をする前に、食堂でお腹を膨らませておくことにした。

 そんな私と同じ考えをしていた子がいた。

「なによ」

 隣を歩く曙が機嫌悪そうに言った。

「そっちこそ」

「あたしは食堂に行くの。ついて来ないで」

「私も食堂に行くの。そっちこそついて来ないでよ」

 私は曙より先を歩くために歩調を早めた。

 しかし、隣にいる曙との距離が一向に変わっていなかった。心なしか、曙の振る手の動きがさっきより速い気がした。

「ちょっと、私に歩調を合わせないでよ」

「合わせてるのはそっちでしょ。ついてくるなら、あたしの後ろを歩きなさいよ」

「ついて来てほしくないんでしょ。なら、曙が私の後ろを歩くべきじゃないかしら」

「あんたこそ、ついて来てほしくないって言ってたじゃない!」

 そこからはもう堂々巡りだった。私が歩調を速めれば曙も歩調を速めていて、疲れてゆっくり歩こうとしたら曙もゆっくり歩いていた。私と曙は顔を突き合わせて、相手に先を越されないように火花を散らしていた。

 食堂に入る時もそのままで、座る席も同じ、食べるものも同じと来て、何となく思っていた通り、食べ終わるのも同じだった。

 どうやら、庁舎からずっと私たちの後ろにいたらしい荒潮は、何がおかしかったのか、食堂にいる間ずっとお腹を抱えて笑っていた。

(出撃しても、間違いなくコイツとは上手くいかない)

 おそらく、お互いがそのようなことを思っていただろう。

 私と曙は、同時に水を飲み干した。

 

 ***

 

 海上に立つ時雨は、背中に艤装の重りを感じながら、左右から注がれる視線に苦笑いを返すしかなかった。左右にいるのは5人の女の子。うち1人はニコニコと笑顔を浮かべて、1人は横目に時雨を見て鼻を鳴らした。残りの3人はと言うと、「どうしてあなたがここにいるの?」というように、怪訝そうに首を傾げていた。

「あの、時雨」

 大潮が言った。

「どうして、満潮がいないの?」

 そう聞かれ、時雨はくぐもった声を上げるしかなかった。

「出撃時間の5分前になっても来ないし。やっと来たと思ったら時雨だったし」

 朝潮と長良も、不思議に思うことは同じようだった。

 事情を知っている荒潮は必至に笑うのを堪えようとしているが、耐えきれずにのどを鳴らしている。曙は曙で、「まぁ、足手まといになられなくて済んだわ」とつまらなそうに腕を組んだ。

「ん~っと。満潮ね……急に出撃できなくなったとしか」

「もしかして具合が悪くなったとか」と朝潮。

「あ、いや。そういうわけじゃないんだけど」

 答えるのを窮していても仕方ない。

 時雨は、ありのままを伝えることにした。

「えっと。満潮は、今ね」

 向けられる3つの視線に、時雨はこう答えた。

「バイクの旅に連れて行かれた」

 

――は?

 

 3人の声が重なる。

「あ、ハモった」などと曙が呟いた。

 そう。出撃時刻である現在。

 満潮はバイクの後部席に座らされて、吹きすさぶ風に小さな身体をあおがれていた。




しばらく週をまたぎまして、次回は1/20(土)投稿予定です。
お間違えの無いよう、よろしくお願いいたしますm(__)m


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気まぐれ姫-2

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


(あぁ、落ち着いて座れるって、素晴らしい)

 温かい日差しの下、芝生に腰を下ろした私はそう思った。芝生は夏のころほど鮮やかな緑色ではなかったが、柔らかさまで褪せてはいなかった。

 秋真っ盛りで、近くの並木通りの木々は赤く色づいている。紅葉のトンネルの下では子どもたちがはしゃいでいて、彼らに細く輝く木漏れ日が降り注いでいた。ほのぼのとした風景を見ながら座っていると、どこか老成したおばあちゃんになったようだ

 青空を雲が漂っている。一際大きなものを見ると、右端がくの字に切れ目が入っていて、クジラが口を開けたような形をしていた。

 手を伸ばせば届きそうだ。私は芝生についた手を上げてクジラのお腹に当ててみた。

 何もない手のひらを秋の風がかすめて行く。

 ここに来るまでには一悶着あったが、もうどうでも良くなってしまった。風の冷たさのおかげで冷静になったのかもしれない。自然と深い息が漏れる。

 そんな、ちょっとアウェーな私の額に、温かいものが押し当てられた。

「何してんの? まだ怒ってる?」

 栗色の髪の毛に明るい橙色のカチューシャをしたその子は、腰に手を当てて私を見下ろした。

「怒ってないように見える?」

「だからごめんってば。まさかそんなに出撃したかったとは思わなかったんだって」

 とりあえずこれ、と紅茶の缶を渡してきた。無言で受け取ると、彼女、白露は私の隣に腰掛けた。

 白露型駆逐艦の1番艦である彼女は、2番艦の時雨とは正反対の印象だった。

 いつだったか、時雨自身も白露のことを「自分とは違う積極的なひと」と言っていた気がする。確かにそうなのだろう。見た目通りの明るくはっきりした話し口で、近寄りづらさを感じさせない女の子だった。

 しかし、積極的だからと言って、すべてが許される訳ではない。

 今日、私は朝潮たちと共に出撃するという指令を受けていて、朝潮たちと出撃できることに、ひそかに胸を躍らせていた。ところが、曙とにらみ合いながら食堂を出ようとしたところで、この白露に捕まった。

 食堂に入ってきた彼女の姿は、革の手袋に黒いフルフェイスのヘルメットという、白露型の制服が無ければ不審者と間違われてもおかしくない様相をしていた。

 白露は誰かを探していて、その誰かというのが私だった。

 左右を見回して私を見つけると、彼女は私に近づき手を握ってきた。

「時雨ー。この子であってる?」

 彼女はテーブルに腰掛けている時雨を呼んだ。声につられて時雨の方を見ると、何やら手をひらひらさせていた。

 それを見るなり、白露は満足そうに頷くと、

「じゃあ、ちょっと行こうか!」

 そのまま私を外に連れ出し、バイクの後部席に乗せ、私の文句も聞かずに走り出してしまった。

 そして今に至る。海のように透き通った空と、そこを悠々と流れる雲を眺めながら、私はまたため息をついた。

「幸せが逃げていくよ」

「もうとっくに逃げちゃってるわよ」

 あんたのせいでね。プルタブを開け、缶の中身をちびちびと飲む。ほろ甘い紅茶がお腹と心に染みわたる。

 並木道の方からは、絶えず子供たちの楽しげな声が聞こえていた。並木道の端には落ち葉の山がいくつも作られていたが、旺盛な男の子たちによって片っ端から崩されていた。

 今頃、朝潮たちは海の上を進んでいるんだろうな。時折鎮守府に無線を飛ばしながら、目的の海域まで舵を取る。その中にいるはずだったのに。

 隣りでは白露が子どもたちを眺めながら缶コーヒーを飲んでいる。一体、何を考えているのやら。出撃前の艦娘を連れだして、こうして横に並んでのんびりお茶会をしたかったのだろうか。だとすれば、この子はかなり空気が読めない。できればお近づきになりたくなかった。

 そんなことを思っていると、白露は缶から口を放して、

「秋雲の件」

「え?」

「ほら、秋雲がおかしくなっちゃったでしょ。巻雲とも揉めちゃったみたいだけど、満潮が何とかしてくれたんだってね」

 半年前のことだ。秋雲の記憶が無くなって、鎮守府内が慌ただしくなったことがあった。その原因が自分のせいだと知った巻雲と言い合いになったが、秋雲の記憶も戻り、巻雲との関係を壊すようなこともなく事件は終わった。

「別に、大したことはしてないわ。それに、私だけじゃないわよ。朝潮も舞風もいたし」

「でも、最後に全部を丸く収めたのは満潮でしょ。謙遜しなくていいって、時雨から全部聞いてるんだから」

 白露はコーヒーを一口飲んだ。

「本当はね、あたしが何とかしようと思ってたんだ。時雨から秋雲のことで連絡があって、急いで鎮守府に帰ろうとしてた。で、あともう少しで鎮守府ってところで、解決したって連絡が来てさ。びっくりしたよ、解決したのが新人だって聞いて」

 そう言えば、時雨が「こういう事態で頼りになる姉がいる」と言っていた。

「てことは、私はあんたの仕事を取っちゃったわけだ」

 私は皮肉げに言った。

「いやいや。お悩み解決役、みたいに仕事として割り振られてる訳じゃないから。誰が解決したっていいんだよ。出撃の編成とは違うんだよ」

 少し強い風が吹く。風は色づいた葉を攫い、宙で踊らせた。

 

   ☆

 

「すいませーん」と声が聞こえた。声の方を向くと、私の方にサッカーボールが転がって来ていた。その向こうで、男の子が手を振っている。

 私はボールを拾い、投げ返した。男の子は丁寧にお辞儀をして、彼の友達であろう集団の中に戻って行った。

 あの男の子たちは、私たちのことを知っているのだろうか。

 ふと、そんなことを考えた。

 男の子たちだけじゃない。並木道を歩く女性や、ベンチに座る老人。今、私の視界にいる人たちは、私たちのことを知っているのだろうか。

 今の平和がどうして成り立っているのか。無条件の平和が保たれるために、誰が心身を削っているのか。どれだけの人が、それを理解しているのだろう。

 私はひとり肩をすくめ、首を横に振った。私が考えても仕方がないことだ。

 私には、やらなければならないことがある。それは、問題を除去しきるまで続けなければならない。その結果が目の前に広がる光景に繋がっている。

 私は飲み終えた缶を拾い上げ、

「さぁ、さっさと帰りましょう。今から帰れば、朝潮たちに追いつけるかもしれないし」

「あ、今日の出撃は時雨が完全に引き継いでると思うから、帰っても出撃できないよ?」

 缶がするりと手から滑り落ちて、カコンと情けない音を立てる。

 呆然と白露を見た。

「それと、今日明日と休暇ってことで、提督にも言ってあるから」

「いい迷惑だわ!」

 なんなのだ、この白露という女は! 

 傍若無人。遠慮とか、他者を重んじるということを知らないのか。

 私の憤りはどこ吹く風で、白露は缶の中身を飲み干す。

「まぁそんなに怒らないでよ。別に、意味なく休みを取らせたわけじゃないから」

 軽い口調はそのままだが、どこか含みのある言い方だ。

 モヤモヤとしたものが胸の内に沸いているが、その言い方に勢いが削られてしまう。

「じゃあ、どういう意味があるわけ?」

 白露ははぐらかすように笑い、私に背を向け、バイクの方へ歩き出した。

 少し遅れて、私は白露の後を追った。ヘルメットを手渡される。

 並木道の公園が後ろへ遠ざかって行く。バイクに揺られていると、ヘルメットに内蔵された無線から白露の声が聞こえてきた。

「満潮はさ、艦娘って何だと思ってる?」

「なによ、藪から棒に」

「良いから、ほら」

 そうは言われても、今まで特に意識しなかったことを聞かれると答えに窮してしまう。

 少し考えてみる。その間、白露が声を挟むことはなかった。

 しかし、答えらしい答えが見つからない。かといって、答えないわけにはいかないので、

「艦娘は艦娘よ。それ以上でも、それ以下のものでもないわ」

「天邪鬼な答えだ」

 口を突いて出た答えだったが、そう言われると少しむっとしてしまう。後ろから小突こうと思ったが、事故でもされてはたまらないと思って手をひっこめた。

 私の心を知ってか知らずか、白露は口調を変えずに言った。

「まぁ、あたしもそう思ってるんだけどね。艦娘は艦娘だよ」

 なんだそれは。胸がまたざわつく。

 さっきから、彼女の言いたいことが分からない。

 白露の声が、小さなノイズ混じりに聞こえてくる。

「色んな人が議論してるけどさ。ヒトと同種だとか、兵器の生まれ代わりとか、正直あたしにはどうでもいいことなんだよね」

 まぁ、それには同意できる。

 朝潮からも聞いていた。艦娘についてはいろんな憶測が飛び交っている。

 その意見に一喜一憂している艦娘もいるそうだが、少なくとも私は――私と白露は、そのことについて特に思うことは何もない。

 途中、高速道路から降りて国道を走り、道沿いにあったコンビニで一休み。

 道はどんどん都会から離れていく。

 すると、視界の端にススキの群れが流れ始めた。左右を切り、流れる景色には自然が増えていく。風に乗って、仄かな土の香りが感じられた。

「見てほしいものがあるんだ」

 無線越しに、白露はそう言った。




次回は1/27(土)投稿予定です。

確定ではないのですが、2/3(土)にお話を投稿する予定でしたが、お休みするかもしれません。
1/27(土)のお話の後書きにて、またお知らせします。


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理想像- 1

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 バイクに揺られること2時間。温かみのある茜色の光は静かにフェードアウトして、仄暗い紺色が空を覆った。

 ちらちらと灯り始めた街灯の下を、緩いスピードでバイクが通過する。白露はまばらに建つ家々を通り抜け、町の小高いところにある家を目指した。ライトで照らされた表札には達筆な字で、「佐倉」と書かれていた。

「白露のねーちゃん! 今度はこっちであそぼーぜ!」

「だめぇ! おねえちゃんはわたしたちとあそぶのー!」

 バイクを敷地に停めるなり、白露の周りには子どもたちが群がった。

「後で遊んであげるから。お父さんかお母さん……それかおばあちゃんはいるかな?」

 白露が子どもたちの相手をしている間、わたしは家の前で手持無沙汰になった。家から目を離し、辺りを見渡す。まだ空に明るさが残っているため、町全体がうっすらとした明りで照らされているようだった。

 鎮守府近くにある街とは対照的な、田舎の町だ。瓦屋根の家屋同士は広い間隔を開けて、まばらに建てられている。それなりの数があり、ひどい過疎状況にあるとは思えない。しかし、歩いているひとを見ると、そのほとんどが高齢者だった。

 白露が子どもたちをあしらうと声をかけてくる。

「よし、じゃあ上がらせてもらおう」

 そう言って白露は荷物を持って玄関へと向かって行った。後を追うため、わたしは再び家屋と向き合う。

 タールの塗られた大きなトタン屋根が、すっと暗い空に伸びている。木目の揃った外壁は年代を感じさせるが、脆いという印象は全く受けない。わたしはこの家に、がっしりとした体格の厳格な老父を見た。しかし、彼は来るものを拒まない。横開きのガラス扉がからからと軽い音を立てて開けられた。

 中に入ると、外観に似合う広い玄関に出迎えられた。玄関の幅に合わせたように横広な廊下の中央には、家の中心である大黒柱が重鎮している。漆が塗られているのか、表面は滑らかで、てらてらと光って見えた。

 白露が子どもたちに手を引かれて奥へと進む。それをぼーっと眺めながらついて行く。突き当りを左に折れる。

 暗い廊下に細い光の線が斜めに走っていた。光の元をたどると、右手のふすまが少し開いている。目的地はそこらしい。先行していた男の子がふすまを開けた。

 8畳の和室。両側は白塗りの壁で挟まれ、障子の張られた横開きの2枚扉が入口と対面している。右側の壁には襖があり、下3分の1ほどのスペースに紺色で波のような線がまばらに描かれていた。

 部屋の中央には、すでに2組の布団が隣り合わせで敷かれていた。白露が事前に、家主に連絡していたのだろう。

 荷物を置いて和室を出る。わたしと白露は食卓に通された。和の雰囲気で満ちた家屋で、ここだけが洋式の内装だ。大きなダイニングテーブルには、サラダや肉料理が大皿一杯に盛りつけられていた。

 テーブルの上座におばあさんが座っている。子どもたちがそれぞれの席に着く。子どもたちに言われ、わたしと白露は彼らの反対側に着いた。

「お父さんたちは?」

 白露が聞くと、女の子が答えた。

「パパは出張だから、今日は帰れないって。ママはもう少ししたら来るよー」

「そかそか、じゃあ待ってよーねー」

 それから1分も経たずに、奥の勝手口からエプロン姿の女性が現れた。

「白露ちゃん、いらっしゃい」

 柔和な声で女性は言う。口調だけでなく、態度や纏う雰囲気も落ち着いている。立ち振る舞いからも「母親」ということが伝わった。

「お邪魔します」

「約束を守ってくれる子は大好きよ。隣の子はお友達?」

「そうです。ふくれっ面はデフォルトだから、気にしないで」

 テーブルの下に隠した拳を太ももに押し当てて、パンチを飛ばさないように何とか我慢した。子どもの目がなければ、今すぐ殴り飛ばしたはずだ。鼻で大きく深呼吸して、白露の脇腹を小突くにとどめた。

 女性が私の近くまで寄ってきて、

「サチといいます。白露ちゃんのお友達なら、我が家も大歓迎よ。いつでも遊びに来ていいからね」

 自然な笑みを向けられる。「友達じゃないです」と訂正すべきだろうが、言いだせる空気ではなかった。食卓の空気を壊しかねない。

 わたしは出かけた言葉を飲み込んで、

「満潮です」

 おずおずと頭を下げた。

 お腹が空いて仕方なかったのか、サチさんが席に着く前に子どもたちは箸を手に取った。大皿に盛られた料理が小さな口の中にぱくぱくと吸い込まれていく。白露の友達(という設定)だが、かといって子供たちのように食べ物にがっつくのも気が引ける。盛られたご飯を食べ切れる程度に、小皿に料理を取った。

 隣を見ると、白露はすでにご飯を平らげていた。

「おかわり!」

「あ、ねーちゃん速すぎ! かーちゃん、ぼくにもおかわり!」

「あ、わたしも~」

 サチさんは困ったように「はいはい」と口では言っているが、その口元には微笑みが浮かんでいた。それまで一言も話していなかったおばあさんが、しわがれた唇をもごもごと動かして、「ガキは、ぎょーさん食え」と呟いた。

「白露、あんたもう少し遠慮しなさいよ」

「でもお腹空いてるし」

「ひとの家でしょうに」

 それでも、白露はこの食卓の雰囲気になじんでいる。他人ではなく、最初からこの家の子どもでしたと言わんばかりだ。

 なぜだろう。

 この場所がアウェーだと感じているのは、わたしだけのような気がした。

 赤い縁のお椀を手に取り、みそ汁をすする。土地によって赤みそか白みそかという違いがあるらしい。この家は穏やかな白だった。

 みその芳しい香りを口の中に含みながら、食卓の光景を眺めた。子どもたちのはしゃぐ声。それに混じる白露。微笑みを携えて3人を見守る母親に祖母。これが「団らん」というものなのか。喧騒とは違う。不快な感じはしない。家の音。そう表現すると、すとんと胸に落ちたように思えた。

 以前、朝潮に連れられて近くの街に繰り出したことがある。あまりの音に、耳を塞いだのを今でもよく覚えていた。

 ビル間を吹き抜ける風の音。信号機の点滅音。車のクラクション。たくさんの靴がアスファルトを踏む音。それらが合わさって、ひとつの街の音を作り上げている。それは、自分には直接無関係なものたちが奏でていて、わたしにとって「雑音」でしかない。これよりも間違いなく激しい砲撃音では、うるさいと感じることはない。

 しかし、この食卓で生まれている「音」は、決して耳を塞ぎたくなるようなものではなかった。聞いていると安心する。タオルケットにくるまっているような安心感だ。

 ふいにこの食卓と、鎮守府の食堂の風景が重なった。広い食堂に朝潮がいる。荒潮がいる。嵐も、舞風もいる。遅れて大和さんが入ってくる。徐々に食堂に仲間たちが集まってきて、各々好きな席に座る。あちこちで笑い声が上がり、ときには周りを憚らず口喧嘩までする子も出てくる。その様子を同じ席に座った子たちと「またやってる」などと言いながら眺める。

 そんなとき、わたしは今と同じようなものを感じている。

 この家族にとって、この家の、この団らんは安全基地なのだ。帰る場所。全てを失っても、必ず味方でいてくれる場所。ここに来れば、恐れるものなんて何もない。

「満潮?」

 名前を呼ばれてはっとする。

「な、なに?」

「どうしたの。箸を持ったままぼーっとしてさ」

「……何でもないわ」

 白露が不思議そうな顔を向けてくるが、構わずご飯を口にする。お米は口の中でほろほろと崩れ、噛むとほのかな甘みが広がった。




前回のあとがき通り、次週の投稿はお休みいたします。

次回は2/10(土)投稿予定です。
お間違えの無いよう、よろしくお願いいたします。


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理想像-2

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 秋の夜は冷え込んだ。子どもたちのあとにお湯をもらい、温まった体で廊下に出ると引き締まるような寒さにぶるりと震える。あてがわれた客間に入ると暖房が効いていて、室内は程よい温かさに調節されていた。

「水もしたたるいい女だ」

「バスタオルで拭いたから、水なんて一滴も垂れやしないわよ」

 後ろ手に襖を閉める。白露は寝間着姿で、掛布団の上に大の字に寝転がっている。彼女の荷物は下着と寝間着、それと財布のみ。いつの間に用意したのか分からないが、わたしの着替えも荷物に含まれていた。

 白露の隣に腰掛けて着替えた制服を丁寧に畳む。それを見て白露が言った。

「几帳面だね」

「服を畳むくらい当然でしょ」

「そうかな? あたしはいつも適当に放り投げてるよ」

「皺がつくじゃない」

「深海棲艦とドンパチやり合うのに、皺なんて気にしてもしょうがないよ」

「だからって、身だしなみに気を付けない理由にはならないわ」

 畳み終えた制服を枕元に置いておく。洗っていない制服を着まわすのは少し気が引けるが、仕方ないだろう。鎮守府に帰ったら丁寧に洗おう。

 今頃、朝潮たちはどうしてるだろう。南西諸島だから、あの近辺の鎮守府で一泊して、翌日に帰投する算段を付けたに違いない。南の海。木組みの桟橋に腰掛けて、満天の星を眺める――いいなぁ。朝になればガラスより透明な海が望めて、そこかしこに珊瑚や色とりどりの海の花が波に揺らめいている――いいなぁ。

 私はといえば、茶髪のおてんば娘とふたり、田舎のお家で枕を並べている。彼女は私の内心なんて察する気もないようで、枕を抱えて楽しげに転がっていた。

 せめて朝潮たちと夜空だけでも共有したくて、奥の障子戸を開ける。縁側は秋の夜風がもろに吹き付け、長居すれば風邪をひいてしまいそうだった。縁側のふちに腰かけ、塀の向こうの空を見上げた。雲一つない夜空いっぱいに、所せましと星が輝いていた。陳腐な表現しか思い浮かばないけど、宝石箱の中身を夜空にばらまいたみたい。光の強弱がコントラストになり、それがまたうっとりと心を揺らしてくる。

「ほほぉ、これはまた風情ですなぁ」

 寒そうに身をかがめて白露がやってきた。相手にしないでおこう。私はいま、感傷に浸っているのだ。せめて星空くらいゆっくりと眺めさせてほしい。

 と思っていたが、ふと、昼間のやりとりが思い出された。

「ねぇ。そろそろ説明してよ」

「うん、なにを?」

 きょとんとした顔を向けてくる。本当に分かっていないのだろうか。イラつく胸を押し殺す。

「わたしを引っ張りまわした理由よ。意味もなく連れてきたわけじゃないって、あんたが言ったのよ」

「あぁ、そうだったね。この家に来てから言おうとしてたけど、すっかり忘れてた」

 ごめん、と片手を上げて謝る仕草をした。

 私は黙って、彼女が話しだすのを待った。りーん、りーん、と間延びした虫の声が空へ上って行く。近くに草むらがあるのだろうか、さわさわと風に揺れる音が潮騒のように響いていた。澄み切った夜風に、私と白露の息遣いが溶けていく。

 もし、と白露がきりだす。

「もし、満潮がさ。艦娘じゃない普通のひとだったとして。艦娘が存在していることに賛成する? それとも反対する?」

 なんだ、その質問は。

「賛成するに決まってるでしょ。でないと、そこらじゅうの海に深海棲艦が野放しになるじゃない」

 そうだろうね、と白露は言った。

「でもそれは、深海棲艦がどんな生物で、どれほどの被害を与えるか知っているから言えるんだよ。この国の人、その中でも特に、深海棲艦の恐ろしさを知らないひとたちがどう考えるか。ズバッと言っちゃうと、あたしたち艦娘は害でしかないんだよ」

 その答えに驚く私をよそに、白露は話し続けた。

「この国は戦争に負けて、自衛以外の目的での武器を捨てた。でっかい爆弾を落とされて、その物々しさに核を持たないとも約束した。晴れて、国は平和大国をめざし、その平和は静かに続いていた。そこに現れたのが、深海棲艦だよ。そしてそいつらを撃滅するために生まれたのが、艦娘なんだ」

 白露は、遠く、夜空を見上げた。瞳に映る星々が煌めいている。

「艦娘ってなんだと思う、って聞いたよね。その問いに明確な答えは出ていない。あたしたちを人間っていうひともいるし、武器って言うひともいる。その両方を持ち合わせた存在だって言うひともいる。議論は堂々巡り。現に、深海棲艦を撲滅した先の、艦娘の処遇については何も決まっていない――と、話が逸れたね」

 白露は一拍置いて唇を湿らせる。その顔からは、いつの間にかあの憎たらしい笑みが消えていた。

「深海棲艦の恐ろしさを知らない人たち。彼らは海から遠く離れた内陸地、こういう田舎に多いんだよ。あたしの主観じゃないよ? ちゃんとデータが出てるの。

 危険地帯から離れ、ある意味隔離されたところにいるひとには見境がない。偏見なんて当たり前。あたしたちがいることで、また国どうしの戦争が起こるんじゃないか、何かの陰謀じゃないか、即刻排除すべきだ、って。まぁ、そういうひとはどこにでもいるけどね。あくまで、田舎に“多い”ってだけ」

 そんな、と私は思わず言った。

「そんな。自分たちがどんなふうに守られているか知らないで、異議だけ唱えているひとがいるの? 深海棲艦から守られているのに、それを守る存在を邪魔だなんて」

「だから、知らないんだって。深海棲艦のことも、艦娘のことも」

「でも、ニュースでも新聞でも報じられているでしょ」

「紙に書かれた文字と写真、テレビの映像を見て、そのときには思うところもあるだろうね。でも、それですべてを知るなんて無理だよ。動物園でパンダの赤ちゃんが生まれましたっていうほのぼの映像を見れば、思っていたことなんて一瞬で消える。

 それに、考えてみて。深海棲艦が街をずたずたにしていく映像を見て、実際にその現場を見に行こうとするひとが、一体何人いるの? 何人が本物の深海棲艦を見て、何人が戦う艦娘を見たの? 敵の砲撃は? 艦娘の傷ついた身体は? ドックに入れば治るけど傷にしみるよ。あたしたちがどれだけ頑張っても、それが伝わっていないんじゃ話にならない」

 白露は大きく、長い息を吐いた。そして、口元を小さく持ち上げる。その微笑みは悲しげにも見えたし、大仕事をなした後の満足顔にも見えた。

「だから、あたしは伝えることにしたの。何も知らないまま、艦娘が非難されないように。敵は何か、あたしたちは何者か。どの国でも保有されている、得体のしれない武器ではないこと。全部ね」

 白露が空を仰いだ。つられて、わたしも視線を移す。そこには変わらず、輝かしい星々が散りばめられていた。




次回は2/17(土)投稿予定です。


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理想像-3

艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 辛かったよ、白露は言った。

「あてもない旅に出た感じだった。頼れる仲間の元を離れて、疑心に満ちた町に行くんだもん。陸じゃあただの女の子とたいして変わらないから、大人の手にかかったら簡単にねじ伏せられちゃう。知ってる? 海が近くないと艤装展開できないんだよ。怖かったなぁ。武器を持ってないとここまで不安になるんだって。もしかしたら、あたしは海外のほうが性に合ってるのかもね」

 茶化した声音。しかし、私にはそれが、強がりの言葉にしか聞こえなかった。ここで疑問が浮かんでこなければ、私はずっと白露の話を聞くロボットになっていただろう。

 司令官は、と声を出したけど上手く舌が回らなくて、ひとつ咳払いする。

「司令官は、なんて言ったの?」

「うん?」

「だから。あんたがその、旅に出るって言ったとき。相談くらいしたでしょ」

「そりゃね」

「そのとき司令官は、なんて?」

 司令官は頭の中身をお花畑に置き去りにしてきたような人だ。それでも、指令系統を滞らせることはない。駆逐艦一人減るだけで、戦力は大きく損失する。それが分からないなんてことがあるだろうか。

 白露は過去を思い出すように視線をさまよわせ、やがてわたしの方を向いた。

「何も」

「え?」

「何も言われなかった。ただ一言、『任せた』とだけ」

 なるほど。それも、確かにあの人らしい返事かもしれない。

 縁側の下には子ども用のクロックスが置かれていた。白露はその片割れを手に取り、懐かしむように目を細めた。

「この家はね、あたしが初めて、自分のやっていることが間違いじゃないって知れた最初の場所なんだ」

 障子を通して届く客間からの明りに、手に持った履物をかざした。全体を焦げ茶色で塗って、側面には白と黄色の縞模様が描かれていた。

「わたしが来るまで、この家のひとたちはみんな、艦娘のことを忌まわしい兵器を見る目で見ていた。兄妹がいたでしょ。あの子たち、わたしを見るなり近くにあった石を投げてきたんだ。余所者を排除するみたいに。あんな、時代劇でしか見たことないようなことをする世界が本当に存在するんだって、ちょっとおかしくなっちゃった。

 もちろん避けることなんてできなくて、こめかみにぶつかって……気づいたらあたし、その場にうずくまってた。血がかなり出てね、さすがに子どもたちもびっくりして顔が真っ青になってたよ。たとえ相手が得体のしれない存在でも、自分達と同じように血を流すことを分かったからかな。この家まで連れてこられて治療してもらった」

 なんとなく、その状況が目に浮かんだ。熱い陽の下、バイクにまたがり白露はこの町に来た。しかし、歓迎の言葉はなく、誰も彼も白露から距離を取る。笑顔で接しても、それがかえって胡散臭さを増してしまう。やっと話せたと思った家族は偏見の塊で、子どもたちに至っては塩をまくかのように石を投げつけてくる始末。

 この家に来るまでにも様々な土地に出向いたに違いない。何度も何度も説得を試みる。だけど、凝り固まった認識を変えるのは容易なことじゃない。やや豪胆とも思える白露の性格や行動は、彼女の目的を果たすための副産物なのかもしれない。

 白露は続けた。

「そのときに話したよ。艦娘がどんな存在か。艦娘がいることで、新しい争いに発展することはない。ただ、昔の海を――穏やかで、海鳥が飛んでいて、キラキラ輝く大海原を取り戻すために、あたしたちがいるんだってことを、ね」

 そこで言葉を切り、再び秋の静けさが戻った。夜虫がりーん、りーんと間延びした声で鳴き始める。夜風は思い出したかのように冷たさを伴って草木を揺らし、葉擦れする音が宙に溶けていく。

 白露が続きを語る必要はない。その結果を、私はすでに目にしているから。

 ただ、どうしてもわからないことがある。

 白露の今の話は、わざわざ遠出して話さなければならないことだっただろうか。わたしひとりに聞かせたかったのなら、夜にでもこっそり呼び出して話せばいい。わたしの性格なら聞き流すかもしれないが、全く信用しないなんてことはないだろう。実在する家を訪れることで、語って聞かせる以上の説得力はあるが、それでも鎮守府から外に出る必要性を感じなかった。

 そんな私の心を読んでか、白露は、

「満潮は聞いていた通り、血の気の多い艦娘だった。かといって冷静さがないと言えばそうでもなく、敵を倒すことで救われるひとがいることも知っている。自分の義務に忠実だ」

 だけど、

「艦娘の理解者は少しずつだけど増えている。そのひとたちが、あたしたちにどんなふうに振る舞ってくれるか見てほしかったの。でも、この家みたいに優しいひとたちばかりじゃない。自分の行動が誰かのためになっていると思っているひとほど、世間の冷たさに当てられたときの絶望感は耐え難いものだからね」

「随分達観しているのね。まるで無茶する子どもをたしなめる大人みたい」

「嫌な言い方しないでよ。これでも心配して話してるんだから」

 白露はわざとらしく唇を尖らせた。そしてふいに間抜け顏になり、「くしゅん」とくしゃみをした。

 話し込みすぎた。暖房が恋しい。私が立ち上がると、促されたように白露も腰を上げた。足早に客間に戻る。

「でも、思うんだけど」

 鼻声で尋ねる。わたしも風邪をひいてしまったかもしれない。

「あちこち回るんなら、バイクより普通車の方が圧倒的に効率的だと思うんだけど」

「あぁ、なんだそんなこと」

 白露はひとつ鼻をすすり、いつもの憎たらしい笑みを浮かべた。

「だって、バイクの方がかっこいいじゃない」




次回は2/24(土)投稿予定です。


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ドックにて(終)

艦これの二次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


 翌朝。灰色の雲が厚く空を覆っていたが、雨が降るような暗がりはどこにも見当たらなかった。予報通りであれば、午後には秋らしい青空が広がるだろう。ところどころナイフで切り込みを入れたような雲間が見え、そこから差し込む光が天空に続く階段のように幻想的な輝きを放っていた。

「また来てくださいね」

 佐倉家を後にして、途中何度か休憩を取ながら、来た時と同じ時間をかけて鎮守府へ帰投した。白露は私を寮の前で下ろした。

「あたしは提督のところにいってくるよ。帰ったことは報せないとね」

「なら私も」

「報告はひとりで十分だよ。それに、あたしのわがままに付き合って疲れたでしょ。部屋に戻って休んで」

 そう言ってブオンとバイクのエンジンを吹かし、白露は鎮守府庁舎の方へ行ってしまった。しばらくぽつんと突っ立って、遠ざかる彼女の背中を眺めていた。疲れているのは間違いない。私は寮へ続く小階段を上った。

 静かな寮内を慣れた足取りで自室へ向かう。私は今日も非番扱いのはずだ。少し早いけどお風呂をもらおう。クローゼットから制服と下着を取り出して部屋を出た。

 ドックの脱衣所はがらんとしていた。他のみんなはまだ出撃や任務の最中だろう。ひとりで浴室を使うのは寂しい気もするけど、あの浴槽を独占できると考えると大いに胸が躍った。そう思っていただけに、木組みのロッカーに制服と下着が投げてあるのを見つけて少しがっかりした。

「あ、満潮。おかえり~」

 舞風が湯船に浸かっており、肩越しに顏だけをこちらに向けた。いつもは後ろ髪を小さく結っているが今は解いている。

 念入りに身体を洗い、舞風の隣に身体を沈める。自然と深い息が漏れた。

「舞風も今日は非番だったの?」

「ううん、違うよ。五十鈴と漣と一緒に鎮守府近海で哨戒してた。今日はもうおしまい」

 舞風は大きく伸びをした。

「それで、白露とどこに行ってきたの?」

 私は、ここ2日間のことを舞風に話した。見知らぬ人に出会ったことから、慣れないバイク旅でお尻を痛くしたことまで、思い出しながら語る。私が見たあの家族は、艦娘にとって貴重な味方だ。ただ、私たちの存在が、この国の人全てに受け入れられている訳ではない。話を終えると、舞風に尋ねてみたいことが出来た。

「私たちのことを認めてくれる人たちばかりじゃない。認めないだけじゃなくて、邪魔な存在だとさえ思っている人がいる。そんな人たちまで、あなたは助けようと思う?」

 舞風はちらりと私を横目に見て、考えるように視線を天井に向けた。

「そうだねぇ、」

 私は彼女の答えを、なんとなく予想してみた。

「助けるしかないんじゃない?」

 思っていた通りの答えが返ってきた。一言一句違わず、舞風は続けた。

「助けたいとは、正直思えないよ。だって、私たちのことを悪く言っているのに、何も知らないくせに助けられているだけなんだもん。でも、そういうわけにもいかない」

「そうなの?」話しを促すため、わたしは語尾を上げて聞いた。

「そうだよ。舞風たちは、助ける人をえり好みしちゃいけない。誰でも、平等に守らないといけない。それが、『舞風たち』の責務だったし、艦娘の責務だから」

 分かっていた。聞くまでもなかったことだ。わたしは「そう」と短い言葉でもって、話の流れを切った。

 お風呂から上がり、舞風と並んで外に出る。太陽が山稜に掛かり、紅い閃光を空に向かって放っていた。水平線はすでに薄暗い。もうじき、夜が来る。人々は一日を終え、使い慣れた布団で目を閉じる。

 彼らの安眠を守るために、私たちは戦う。

 ドックの煙突から立ち上る白い蒸気が、茜色の空に向かって伸びている。ゆらゆらと揺らめいて、最後には、風に溶けるように消えていった。




第2章はここで終わりです。

次章は、2か月ほど空きまして、4/21(土)開始予定です。
お間違えのないよう、よろしくお願いします。


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第3章
夏の日ー1


艦これの2次創作です。キャラ崩壊、独自設定があります。苦手な方はブラウザバック推奨です。


―プロローグ―

 

 医務室の扉を開くと、つんとした消毒液のにおいが鼻を突いた。天井も、床も、ベッドも。それら全てが白で統一された場所。何もかもが清潔に保たれている場所。耳に聞こえるのは空調の音だけだ。もしかしたらあの空調の中までもがアルコールで消毒されているのではないかと疑ってしまう。

 出入り口に一番近いベッドだけが白いレースで隠されている。注意深く耳を澄ませば、誰かの息遣いを聞き取ることが出来る。

 小さくレースを開き、その中へ入る。彼女が呼吸をする度に、掛布団が小さく上下していた。彼女が起きないことは分かっている。もう2か月だ。それだけ時間が経てば、自分の中でも何となくは予想ができる。

彼女を起こさないように、ベッドの脇に置かれた小さな丸椅子に静かに腰かけた。これだけ近づいても、彼女は他人の気配を感じることはない。

掛布団の中に手を入れると、人肌の温かさを感じた。彼女の手を取ると、同じように温かかった。

安らかな寝顔は、変わらず天井に向けられている。これで「死んでいるんだよ」と言われれば、どれだけ楽なことか。

……。

 どれくらい時間が経っただろう。窓から見える景色が赤らんでいた。

 これ以上、ここに居続けても仕方ない。納得できない自分の身体を、無理やり立ち上がらせる。

「また、来るから」

 それだけ言い残して、消毒液のにおいを引きずりながら、医務室の扉を閉めた。

 

―終―

 

*******************

 

 

 うだるような暑さで、わたしは忌々しく目を開けた。寝起きはもともと良い方ではない。その上、連日の疲れが祟ったせいか、今もまだ夢の中にいるように身体の節々に力が入らなかった。動くことも鬱陶しく思って、ぐずるように布団の中に丸まった。

 しかし、この暑さだけはどうにもならない。二の腕を軽く抓って、のっそりと起き上がり、わたしはカーテンを開けた。

 絵の具を落したような濃い青空。その中に、白く、ぎらぎらと地表を照り付ける太陽があった。まだ寝ぼけているようで頭が判然としない。暑さでやられてしまったのだろうか。窓を開けると、嫌に暖められた温い風が頬を撫でた。じんわりと汗がにじむ。

 そのとき、部屋のドアが叩かれた。

「満潮ー。もう起きた?」

 蝶番のきしむ音と共にドアが開かれ、朝潮の顏が覗いた。わたしは、判然としない頭のままで朝潮を見つめた。様子がおかしいと思ったのだろう、朝潮が言った。

「どうしたの? 調子悪い?」

「ん……疲れが溜まってるのかも」

 朝潮が申し訳なさそうに頬を掻いた。

「そうだよね。ごめんね、こんなときに誘っちゃって。せっかくの休みだと思ったから……疲れてるなら、今日の外出、キャンセルしていいよ?」

「ううん。そこまでじゃないから」

 両腕を天井に向けて持ち上げ、ぐっと伸びをする。すると、さっきまでの気だるさが嘘のようにすっきりとした。やっと部屋を見渡す余裕が出来た。見ると、ベッドの側に、大きな旅行鞄が用意されている。

「よし、じゃあ朝ご飯を食べたら、正門前に集合ね」

 そう言って朝潮は扉を閉めた。朝潮が去るのを見届けてから、わたしはもう一度、窓の外を眺めた。ガラスに自分の姿が映る。その目は、わたしを真っ直ぐににらんでいた。しかし、すぐに弱弱しく目が伏せられる。

「……楽しめるのかしら」

 漏れた呟きは、閉じられた部屋の中で、霧のように消えていった。




次回は5/13(日)投稿予定です。


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