武装少女マキャヴェリズム~東雲に閃く刃~ (鍵のすけ)
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第一話 夜明け前の「茜色」

初めまして鍵のすけと申します。
武装少女マキャヴェリズムやしなこいっが好きで二次創作を書き始めました!不定期ですが、よろしくお願いします!


 ――私立愛地共生学園。

 

 元は女子高だったが、共学となった際に共に生きる事となる男子を恐れた女子たちの『武装』が許されている聞く者が聞けば異様と言える学び舎である。

 その門戸に立つは一人の少女。

 

「ここが今日から私が通う私立愛地共生学園……」

 

 校舎に一礼。そして、歩みを進める。

 

 

東雲(しののめ)紫雨(しう)(まか)り通る」

 

 

 登校時間というのもあり、右を見ても左を見ても『武装女子』達が闊歩していることの何たる仰々しいことか。

 少なくとも、自分が知っている学生という存在は警棒など携帯しない。

 かくいう紫雨もその一般的な存在ではない。手には鞄、背負うは三尺八寸の“東雲紫雨の魂そのもの”。刃が付いていなければ武器は自由に選択できるとのことだったので、迷わずコレを選ばせてもらった。

 向かうは職員室。そこから自分の教室に案内される手筈となっている。

 

 それにしても、と紫雨は少々拍子抜けをしていた。

 男子に辱しめを受けぬよう武器を手に取った武装女子達の気性ならば、例え同性だろうが自分のような異邦人を見つけ次第、すぐさま鎮圧行動を取られるものと想定していた紫雨である。

 

 

 ――この身、既に迎撃態勢。

 

 

「……むぅ」

 

 しかして紫雨の殺伐とした予測はやがて杞憂へと変化していく。歩いても歩いても、耳に入ってくるは笑い声や他愛のない世間話。

 自分の“目的”はこんなに平和な場所にいるのかと、紫雨は僅かな不安に駆られてしまう。

 気づけば立ち止まっていた。悩んでいても仕方がない。

 時は水の流れのように。考えることも大事だ。だが、些事に気を取られるほど、この紫雨の人生は平穏ではない。

 

「お。キョロキョロしてるってことはおたく、もしかして俺と“同じ”かい?」

「何奴」

 

 一目見て分かった。この男は相当にデキる、と。見る者は軽薄そうだと陰口を叩くだろう。しかし、それは外見だけ。その眼の力強さは何たることか。この眼が分からぬ者は等しく戦いに身を置いていないと断言できてしまえる。

 

「何奴、とはおっかないねえ。俺は納村。納村(のむら)不道(ふどう)だ。アクセントは頭にお願いするぜ。ま、それはともかくまずはその綺麗な手と握手してみたいもんだねぇ」

「それは善き。私は東雲紫雨。私も貴方のような者とは知人になりたいと所望している」

「おぉっと。払われるかと思ったが、意外とノリが良いねおたく」

 

 手を握ってみて、紫雨の予想は確信へと変わっていた。自分の知っている限り、これほど“手の皮が厚い”男はいない。相当な鍛錬を積んできたことが良く分かる。それはもう、凄まじいと。

 

「流派は?」

「何の事かねぇ?」

「……失敬」

 

 言うが早いか、紫雨はいきなり身体を触りはじめる。

 

「うぉっ!? ちょ、あんた何やってんの!? 朝っぱらからおっぱじめる趣味は俺にはないぞ!」

「安心して。私もそんな趣味はない」

 

 言いつつ、ベタベタとそれはもうベタベタと。逆セクハラと称されてもなんら反論出来ないくらいにねっとりと触診をする紫雨。

 身体、特に足回りを念入りに調べてみてよく理解した。剣士ではない。そして、やはり一般人でもない。否、訂正しよう。この男は――。

 

「――無礼を詫びたい」

「それは、何に対してだい?」

「過酷な訓練をしたのですね」

「生憎と、もうそういうもんとは何ら関係ない身分なんだ」

 

 それ以上は紫雨も心得ていた。人には言いたくないことが山ほどある。今回、その地雷を踏んでしまった事。ならば、丁重に足を踏み外す以外ない。

 

「そういうおたくは?」

「意味を分かりかねる」

「恍けんなよ~。あんたの眼と、今楽しげに登校している武装女子達の眼と、ぜーんぜん違うんだよねぇ」

「……目つきが悪いと言われているようで、少々傷つくというのが正直な所だ」

「おいおい、そう捉えるなよ。個性としては一級品だってことを言いたかったのよねぇ」

 

 どうやら化かし合いには向こうに一日の長があるらしい。踏み込んだつもりが、逆に踏み込まれてしまっていたようだ。しかして不愉快ではない。

 謎の魅力だと、皮肉抜きで思う紫雨。

 

 

 ――刹那、東雲紫雨を射貫く眼光有り。

 

 

「――ッ」

「うん? どした? パパラッチでもいたのかい?」

「そちらの方がまだ歓迎出来たのだけど……」

 

 校舎の高い方、あれがどの部屋なのかは分からないが。明らかに感じた視線。確実にこちらを見ていたと言える。そして少々の不覚をしたのもまた事実。

 

「……反応しない方が良かったか」

「もーしもーし? 視線がお空へ行っちゃってますよ~」

 

 そこから歩くこと数分。ようやく職員室へ辿り着いた二人は、担任の教諭からまだHRへ行く準備が出来ていない旨、話をされてしまう。

 だったらと、納村は先に教室を出て行ってしまう。

 

「あっ行っちゃった……! 男子だからまずは私が付いていってあげないとと思ったのに!」

「先生、それはどういう意味ですか?」

「えっとね……」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「……見取り図だとこの辺り」

 

 『2-13』。ここが自分の教室にして、納村の教室。

 この胸の内に灯る不安が現実となっていないように祈りながら、紫雨は扉を開いた。

 

 その光景を何と例えようか。多対一。鬼の面をした女生徒を先頭に、皆が武器を納村に突き付けている。

 納村と目が合い、そして鬼面女子と目が合った。

 

「何者だ? ……と、そうかそう言えば今日転入してくる者は二名だったか。失敬」

 

 彼に向けているような敵意を込めず、鬼面女子は刀を構えたまま話を続ける。

 

「悪いが少々立て込み中だ。HRが始まるまで、空いている席に座っていてくれ」

 

 敵意無数、しかして受ける相手はただ一人。

 これは反している。

 何故。その言葉だけが無限に反芻する。この学園の事は聞いている。女の立場が限りなく上で、男が下。だが、それだけで認められるほど、東雲紫雨は――。

 

 

 ――人道逸脱。容認不可。

 

 

「武器を持つ者が寄ってたかって何事かッ!」

 

 

 発した一声で、クラス中の視線を集めてしまった。呆気に取られたようなそんな感情が丸見えの顔ぶれに対し、紫雨は全く恐れを感じることもなく、流暢に話を続ける。

 

「丸腰の相手へ向けるソレを何と心得る。一目する限り警棒の数々。……特に鬼面を被りし我が同級生」

「……私か?」

 

 名もまだ知らぬ相手へ紫雨はきっぱりと言う。その相手が、“どんな者”かも露知らず。

 

「貴方にとって、その手に持つ一振りは相手を脅すに過ぎないものなのか?」

「なっ!?」

 

 返答に窮する所に、取り巻きの女子生徒達がガヤを囃し立てる。

 

「ちょ、ちょっと! いきなり何なのよ!?」

「鬼瓦さんに失礼でしょ!」

「天下五剣筆頭を知らないの!?」

 

 数人が紫雨へ警棒を向ける。

 結論から言うのならば、紫雨は失敗も失敗。大失敗をしていたのだ。

 

 ――鬼瓦(おにがわら)(りん)

 

 武装女子の頂点に立つ五人の剣客。そのまとめ役と言える人物に唾吐く言動をしたのだ。そんなことをして、ただで済む訳にはいかなかった。

 今ならまだ間に合う。自分の吐いた言葉を認め、そして頭を下げればこれから先、無事平穏に過ごせることは約束されていただろう。

 しかし、そのような安寧を享受できるほど、東雲紫雨は潤ってはいなかった。

 

「知らぬ。どのような崇高な名でも、このような非道が罷り通るには至らぬ」

「あ、あなたっ!」

「お、おいっ止めろっ!」

 

 数人の武装女子が警棒を構え、鬼瓦の制止の声すら無視し、拘束すべく駆け出してきた。

 いずれも敵意をむき出し。重傷を与えるとまではいかなくとも、傷つける意思がはっきりと読み取れる。警棒の威力は推して知るべし。

 ただ黙って受け入れる訳にはいかない。そのような物言わぬ暴力に屈する程、この身はやわに鍛えてはいない。

 

「数の利に任せて来るか……」

「おいおい。おたくは関係ないだろ! 大人しくしとけって!」

 

 まさかのここで納村からの声掛け。この土壇場で自分を心配してくれることに、有難さを感じたと共に――この窮地に絶対に屈してはならぬと自分へ言い聞かせる。

 背中に提げていた袋から取り出すは紫雨の魂である――竹刀。

 腰の鞘に納めるかのような構え。そこから丹田に気を溜める。己が研鑽し続けてきた流派には、時に多対一という絶望的な状況も想定されていた。

 状況によっては苦し紛れも良い所。しかし、そのような状況も打開しうると確信され、紫雨の剣術は研ぎ澄まされてきた。

 

 

「東雲一刀流――複式六の型」

 

 

 大振り。線引くような横一閃にほんの一瞬。ほんの一瞬だけ気を取られた隙。その度し難い隙を突くのがこの東雲一刀流の真骨頂。

 まずは手近な女子の手の甲、そして喉を打つ。次に足を打ってからの顎。そして最後の女子には、手の甲を打ってからの切り上げ。

 二撃。複数相手に対し、手近な相手から確実な二撃を入れ、次の相手へまた二撃を入れる。対応する時間と、次の相手へ移るための時間を鑑みての最善中の最善。

 

 これぞ多対一の戦闘を想定した東雲一刀流複式六の型――『朧雲』。

 

 技の優美さも精密さもない。“生き残る”と言うことを主軸に据えた生存の為の剣。だが、その生き汚さは何物にも勝る。

 

「……ほう」

 

 斬り荒ぶ紫雨を見て、鬼瓦輪が興味深げに吐息を漏らす。

 

「貴様、名は何という?」

「東雲一刀流、東雲紫雨」

「東雲……?」

 

 その名に、鬼瓦は確かに聞き覚えがあった。

 

 

 ――東雲一刀流。

 

 

 彼の時代、死骸で城を作り上げたと言われる剣客、東雲玄羽(げんぱ)が開祖とされる剣術流派。時の将軍お抱えの剣客であり、主に暗殺の任務を命じられていたという性格上、『確実、不可避』の攻撃を絶対としている。

 抜刀術の主軸に、あらゆる苦難の状況を想定された剣法は、殺人剣でも、そして活人剣でもなくもはや――――。

 

 

「生き残り、果たすべくを果たすために練磨されたこの剣は、今のこの理不尽を打開するための鐘なり」

 

 

 三人を倒した。それはもう言い訳も何もなく、ただのありふれた“宣戦布告”なのだ。本来、そんな真似など絶対に行わないのだが、この理不尽を目の当たりにしてはそのよう正常な判断など出来はしない。

 否。むしろ沸騰に沸騰した上で、冷を被り、頭をさっぱりさせたからこそ出来た行いなのかもしれない。




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東雲紫雨

容姿:セミロングの黒髪を後ろで一つに縛り、常に持ち歩いている竹刀袋がトレードマーク。

性格:曲がったことが大嫌いの昔ながらの性格。その理不尽に対しての反抗心は何にも勝るものがある。

武器:竹刀

流派:東雲一刀流




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第二話 「必殺剣」、仕る

「東雲、と言ったな」

「紫雨とまで名乗りを上げた」

 

 鬼瓦の眼光が紫雨を射貫く。この学園の者達ならば、一部を除き、皆その畏れに震えあがっているところだろう。

 クラスの武装女子達は内心真っ青も良い所であった。

 天下五剣は名の通り、学園の最高戦力である。その実力、人格、そのどれもを兼ね備えた者にしかなれぬ誉れ高き称号。その高名持ちの中でもまとめ役と言われている鬼瓦輪に対して、ここまでの啖呵を切った。

 それは最早、“女子のよしみ”という言葉だけでは片の付けられぬものであって。

 

「東雲。このままではそこにいる男と共に“矯正対象”になるぞ。それでも良いのか?」

「別に仔細なし」

 

 ――ニヤリとした微笑み。

 

 鬼瓦以外の女子達が後ずさる。

 笑んだのだ。既に警棒を向けられているは納村と紫雨自身だというのに。それでも笑んでみせたのだ。鬼瓦以外の実戦経験が薄い者達は皆、その紫雨の笑みに酷く揺さぶられた。

 動揺しかける精神を呼吸で整え、鬼瓦は納村の方へと目をやった。

 

「貴様は? 歯向かう意思無き者を斬る気はない。我々と共生するか、さもなくばこの学園から去るか。さっさと選べ」

「そういう事なら答えは決まってるさ」

 

 紫雨は納村の次の言葉に注視する。ここで折れるならばそれまで。だが、万が一。この戦力差を突きつけられてもなお、その軽薄な唇から紡がれる言葉があるのなら――その時は。

 

 

「嫌だね。俺の自由だろ? どっちも断る」

 

 

 直後、紫雨は笑った。大いに笑いあげた。

 ここで笑わぬ者はいるのだろうか。否、そんな者は存在しまい。はっきりと、きっぱりと納村は言ってのけたのだ。否定の言葉を明瞭に言ったのだ。

 蛮勇とも言えるその言動を、何故否定出来るのだろうか。命を差し置いて重視したその心意気こそ東雲一刀流の根源に通ずる魂。なれば、その言霊を存分に生かすことこそがこの東雲紫雨の任とすら言えるだろう。

 

 

「……私の心は決まった」

 

 

 納村の隣に立ち、竹刀を構える紫雨。

 戦い貫く。このような理不尽に耐えるなどという道はあり得ない。戦い貫くことこそが東雲一刀流を振るう者の心意気。

 

「おたくもハラハラドキドキ好きだねぇ」

「この身は常に戦いに身を置いている故」

「そういう古風な所、俺は好きだぜ」

「それが東雲の心意気。恐れ入る」

「だけどまあ、俺はとりあえずお暇させてもらうぜ」

 

 その言葉に、鬼瓦が反応する。

 

「いいや。この朝のホームルームまでだ。つまり、次のチャイムが鳴るその前に――貴様は鬼瓦輪が矯正してやる!」

「本当に? 次のチャイムが鳴る前に? 女に二言はないだろうね?」

「無論――」

「へぇ。じゃあさっさと……」

 

 一瞬、廊下へ視線を向けた納村。実力者である鬼瓦ですら目を流された。そして紫雨までも。

 次の瞬間、納村が“消えて”いた。気配すらも感じさせずに。見事な視線誘導であった。気配を掴んだ時にはなんと、明るい髪色のツインテール女子のスカートの下に潜り込んでいた。次の瞬きには窓際へ。

 

「待て貴様! どこへ行くつもりだ!?」

 

 鬼瓦がそう問うと、納村は不敵な笑みを崩さずに返す。

 

「俺の自由だろ? ま、次のチャイムが鳴ったら戻ってくるさ。あ、そうそう――」

 

 先ほど、スカートの下へ潜り込んだ女子を指さし、納村は一言。

 

「――紫」

「ちょ、ちょっとぉ!?」

 

 大人しそうなイメージからかけ離れた“派手さ”に、一瞬呆気に取られる一同。

 紫雨でさえ、少しばかり集中を取り戻すのに時間が掛かってしまった。

 

「あーばよ!」

 

 そう言い、納村は窓から飛び降りた。着地するは今紫雨達がいる本館校舎と講堂を結ぶ渡り廊下。高さは三階相当。受け身に心得があれば大怪我をすることはない高さである。

 抜け目のなさに紫雨は舌を巻く。校舎に入る前に、外から下調べをしていたからこそ出来る芸当だということは理解できていた。

 

「三十六計逃げるに如かず。貴方の為にあるような言葉だ」

 

 なれば自分は他の女子、とりわけ鬼瓦を外へ出さないように殿(しんがり)を務める。竹刀を構え、紫雨は鬼瓦の前へと立ち塞がる。

 

「警告はもう済んでいるぞ東雲ッ!」

 

 刀を上段に構える鬼瓦。丁度柄頭だけしか見えず、間合いが掴めない。

 

 

 ――その瞬間、紫雨に電撃走る。

 

 

 刃挽きしてあるのは分かるが、それでも竹刀で防ぐという手段は既に紫雨の頭から消えていた。

 同時に脳内に警報がけたたましく鳴り響く。この打ち込みだけは絶対に受けてはならないと。

 

「ほぅ。受けずに避けるか」

 

 空を切る刀。この打ち込みは少々、許容範囲を逸脱している。

 

「竹刀ごと腕をへし折らんばかりのその鋭く重い打ち。鹿島神傳直心流(かしましんでんじきしんかげりゅう)が一太刀――『刃隠の剣』とお見受けする」

「然り。たった一度で良く見切ったな」

「相対すべき相手へ辿り着くために、色々と研鑽を積み重ねたので」

「それは誰だ? 五剣の誰かか?」

「否。その“先”にいる者なり」

「……まさか『女帝』?」

「それも否。私が求めるは“雷神”」

 

 珍しく話し込んでしまった。鬼瓦と紫雨の間に割って入るは先ほどの紫女子と短髪の女子。

 

「行ってください! ここは私達が!」

「早く追いかけた方が良いような」

「すまない!」

 

 納村と同様に窓から飛び降り、物凄い速度で走り去っていった。

 追いかけるのは不可能。変に邪魔されて着地をしくじる可能性があるので、飛び降りるという選択肢は消えた。

 しかしてそれで終了する紫雨ではない。

 

「あの! 東雲さん! 今、鬼瓦さんに謝ればまだ許してくれるはずですよ!」

「素直に頭を下げる者に酷い仕打ちをする鬼瓦さんじゃないような」

 

 これは紫女子『倉崎(くらさき)佐々(さっさ)』とその友人である『右井(みぎい)右井(うい)』のせめてもの優しさであった。

 自分達だって鬼ではない。ここで紫雨が折れてくれるのなら、出来うる限りの便宜を図るつもりである。

 紫雨とてその意図は良く理解出来ていた。しかし、あの時にはもう答えは固まっているのだ。なれば、返す答えはもはや動かぬ。

 

「正しい道を歩いている者が頭を下げるなど、それすなわち全面降伏。そのようなもの言語道断。私は往く。行って納村に助太刀する」

「も、もう! ういちゃん! こうなったら武器を取り上げて大人しくしててもらいましょう!」

「あんまり抵抗しないでね。痛めつけたくないような」

 

 警棒を構える倉崎と右井。他のクラスメイトは手を出さずに見守るだけ。否、二対一という圧倒的な状況なのだ。手を出す必要さえないという判断である。

 紫雨はふとその状況に疑問を感じ取る。先ほどは二人以上で来たというのに、この倉崎と右井が前に出ただけで戦意が薄まったのが不可解。

 ――その紫雨の問いへすぐに回答が出された。

 

「行くよ、ういちゃん!」

「りょーかい」

 

 上段の構えから打ち出される警棒を上部水平に構えた竹刀で防御する紫雨。

 そこから一息に抜き胴を決める腹積もりであったが、真横からぬるりと仕掛けて来た右井を視界の端に捉え、それを断念。一拍距離を開けることにした。

 

「階段を下るがごとく流麗な連撃、見事。あのまま欲を張っていればそこのウイとやらに一本取られる所であった」

「それは素直に嬉しいような」

「ういちゃん! もう一回いきましょう! 今度はもっと速く!」

「おっけー」

 

 前方には倉崎。横には右井。十字砲火に似たこの立ち位置はいくら紫雨とて捌き切るのは難しい。それも、呼吸がぴたりと合う二人を相手にするのならばなお至難の業。

 正面を受ければ側面から取られ、側面に気を取られれば正面から打ち込まれる。一歩下がれば、倉崎と右井がそれに合わせてにじり動く。

 このままじわじわと打ち込まれ続ければ消耗戦必至。

 そうなる前に決める。

 

(必殺剣、抜き所か……)

 

 今度は同時に仕掛けてきた倉崎と右井。下がることで倉崎の突きをやり過ごし、牽制に振るった横一閃で右井を縫いとめる。

 距離を保つことは容易い。そして、そこからもう一歩を踏み出すことが出来れば。

 深呼吸を一度。そして紫雨は必殺の構えを取る。

 

「東雲さんの構えが変わった?」

「“突き”の構えのような……」

 

 右手で顔の高さまで上げた竹刀の切っ先を倉崎に向け、左手は刃部に添える。

 今から行うは東雲一刀流が絶技の一つ。

 腰を深く落とし、心を水面の如く平静にする。そこから蓄えた力を爆発させるその瞬間こそ――。

 

「倉崎殿、右井殿。心して、全霊で打って来い。私の剣はそれを畳み返す」

 

 勝負所。倉崎と右井の交わしたアイコンタクトは一瞬、だが情報量は膨大。

 基本は変わらず、倉崎が動き、右井が仕留める。

 必殺剣と紫雨は言った。なればどちらかが受ければ、その隙は度し難いものとなる。そこを一息に撃滅する。

 倉崎と右井の腹は決まった。あとは実行する時を伺うことだけ。

 対する紫雨の意思も既に不退転。

 その瞬間は、示し合わせた訳ではなく、自然と訪れた。

 

「ぃやぁぁ!!!」

 

 倉崎が突撃した一拍後に突撃する右井。隙の無い二段構え。

 だが、その隙さえこじ開けるのが東雲一刀流の務め。

 放たれる絶技、その名は――。

 

 

「――東雲一刀流奥義、(つかまつ)る」

 

 

 風が吹いた。その風は暴風なのかもしれない、もしくはそよ風なのかもしれない。受けた者だけが知る風なのだ。

 感じた手応えは確かなもので。溜めた呼気を吐いた次の瞬間には、二人は地に伏した。

 

「見事なり」

 

 紫雨は瞠目し、一礼していた。どれほど拗れた関係になろうが、その相手に対する敬意だけは忘れてはならない。これ、東雲一刀流の心意気。

 だが、生憎まだ二人を沈めただけ。邪魔立てする残りに眠ってもらおうと“次”へ意識を向けると、紫雨は少しばかり安堵した。

 

「力の差、理解して頂けたようで。なれば私はこの剣を納めよう」

 

 戦意を喪失していた。もはや道を塞ぐ者は誰もいないのだろう。ようやく納村の助太刀に行けると、そう思っていた時に外が妙に騒がしい。

 窓から様子を見ると、納村が鬼瓦輪を倒していた。刀を持っていた鬼瓦に対し、納村は徒手空拳。如何様な技を使ったのかは分からぬが、それでもあの手練れを倒したということはその技量も相当なもの。

 

 ――今日を以て、“二人”が目を付けられた。

 

 一人は自由をこよなく愛する男子、そしてもう一人は竹刀を振るう女子。

 この二人へ降りかかるは艱難辛苦。しかしてそれにただひれ伏す東雲紫雨ではない。

 狼煙が上がった。理不尽に対する狼煙を上げてのけたのだ。

 

 そんな東雲を見る眼光一つ。

 

 

「……東雲紫雨。滅びた剣術流派とされる東雲一刀流の正統後継者……」

 

 

 あの返し技はまさしく絶妙の域。あれは“届きうる”のか。それだけが今の疑問。

 

「お嬢様に伝えておくべきかどうか……。それにもう一人、納村不道のことも」

 

 逡巡し、しばしの様子見を選択する。緊急を要するようならば手ずから――その大前提があるからこその選択。

 

「様子見けってーい、ということで……」

 

 視ていた者――藤林(ふじばやし)祥乃(ゆきの)は溶けるように消えていた。




倉崎ちゃんと右井ちゃんはなんかコンビで戦ってそうイメージない?ってことで今回のシーンを書きました!

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第三話 「雲耀」

「むぅ……」

 

 騒乱の後の夜。

 東雲紫雨は少し落ち着かずにいた。

 紫雨に与えられたのは二人部屋。しかし、誰もおらず。新入生という配慮もあったのか、シンとした部屋の中でやる事と言ったら精神統一しかない。

 今日の出来事を振り返ってみる。

 

「まさか同級生達と一手仕合うことになるとは……」

 

 色々起きたのは間違いないのだが、その中でも一番の衝撃は、『納村が鬼瓦輪へキスをした』ということである。流石の東雲もずっこけてしまった。

 色々しでかすとは思っていたが、まさかここまでの事をするとは。

 天下五剣へ中指を立てたことは決定的。そして、それは自分もまた然り。

 明日からどう勉学に励もうかと、そしてどう親交を温めていこうかとも。本気で悩んでしまっている。

 

「しかして自分の選んだ道に迷いなし。とはいえ……」

 

 天井を仰ぎ、誰も聞くことのない独り言をぽつりと。

 

「少しはこう“友達”、というのに憧れてたんだけど……なぁ」

 

 散々腹同級生達の目の前でしでかしたことを考えれば、もはや孤独は必至。そうなればやる事は一つ。

 

「……まあ、良い。私はあの“雷神”――」

 

 言葉を切り、竹刀袋から取り出した竹刀を構えた紫雨。

 緊急事態。全身の毛が逆立った。これほどの寒気が走るような気配を感じ取るとは思わなんだ。

 “何か”が来る。学園という場に似つかわしくない圧倒的な戦気を放つ者確認。距離は――感じ取る必要なし。もう既に扉の前。

 

(何奴……ッ!)

 

 息を呑んだ。今、扉を開ければ命を賭した死合となるのは明白と思えるくらいには、紫雨も“覚悟”をしていた。

 数ある予想の内、紫雨の濃い予想の一つ。それは天下五剣による制裁。しかし断言するには弱い。数として、五つもない。

 なれば、一体何なのか。

 開かれた扉が、紫雨へ解答を示す。

 

 

「ほよ。ある程度気配は消したつもりでしたが、中々良い感覚をしていますね」

 

 

 巫女服のような衣装に身を包んだツインテールの少女。現れたのは、刀を杖代わりにしているそんな不思議な雰囲気を放つ者であった。

 

「……まずは挨拶をしたい。こんばんは。夜分に如何な用だろうか?」

「少し、お話をしたくてやってきました。……という理由ではダメですか?」

「なればその仄かに漂う警戒の気配を消して頂けると僥倖なのだが。ついでに、そこの物陰に隠れている“もう一人”も、楽にしていただけると重畳と考えている……」

「ハン、お嬢に隠れてりゃあ見つかりっこ無いと思ってたんですけどねぇ」

 

 そう言って、現れたのはこの女子寮の寮母長であるエヴァン・マリア・ローゼ。最初にこの女子寮に入る時に説明をしてくれた者だ。

 困惑もそこそこに、少女は語りだす。

 

「五感が優れているのでしょうか? 一応、私もエヴァも、隠すのはそれほど下手くそではないと思うのですが」

「東雲一刀流は風を読む故。僅かでも不穏な大気の動きがあれば、気づくのはそう難しい事ではない」

「練磨で培った超感覚、ある意味私と似たような事をしているのですね」

 

 言いながら、少女は眼を開いた。

 その眼を見た紫雨、不覚にも全身が強張る。しかし、それだけだったのは僥倖中の僥倖。

 

 ――紅い瞳。

 

 そのような瞳の色は世界でたった一つしか知らない。

 剣の鬼。現世最強の女剣士を筆頭とする集団。

 辿り着くことを紫雨の悲願としているその一族の名を、他でもない彼女自身で口にした。

 

「――『鳴神一族』。鳴神の者か……ッ!!!」

「ほよ。その名を知っているのですか。ですが、正確には私は鳴神の姓ではありません。私は『因幡(いなば)月夜(つくよ)』です」

 

 因幡、名は違えどもその瞳の色は紛れもなく手掛かりなのだ。

 

「垂らされた蜘蛛の糸とはまさにこのことか……ッ!」

 

 竹刀の構えを崩さぬどころか変えた紫雨へ、因幡は一言。

 

「ガッカリです。あろうことに“抜き”で私に挑もうと言うのですか」

 

 鞘から抜き放たんばかりの構え。暗殺の剣、東雲一刀流にも抜刀術は存在する。

 しかして、紫雨は因幡月夜が住まう神速の領域を知らずにいた。

 話にも聞かぬイレギュラー、だが鳴神への窓口。この時を逃す紫雨ではない。否、元より逃すという選択肢は無かった。

 それが、如何な鬼であろうとも。

 

「質問です」

「聞こう」

「東雲一刀流。私はその名を良く知っています。その上でお聞きします。貴方の探し人を、貴方は“何と呼んでいるのですか”?」

 

 これは振り分けであった。そして、その“意味”は紫雨も父から良く聞かされていた。

 関係者かどうか、ここで自分が恍ければ、もう二度とこの話題が出ることはあるまい。無事平穏を送ることになるのだろう。

 

 ――そんな空想をしばし楽しみ、すぐに投げ捨ててやった。

 

鳴神虎春(二番)は何処へ?」

「貴方にまだ、“お姉様”は早いと思われますが。それでも聞きたいですか?」

「いずれ通る道故に」

「それこそガッカリです。人には届かない領域というものがあります。貴方にはそれを知ってもらう必要があると考えています」

「……ふ、ふふ」

「何故笑うのですか? 恐怖でおかしくなりましたか?」

 

 そんな訳はない。因幡の“耳”は寸分の狂いもなく捉えていた。

 今、自分が相対している東雲紫雨の呼吸に一切のブレはない。平穏も平穏。先ほどまでは僅かに乱れがあったのは間違いないが、それでも今は波一つなし。

 ある意味“珍しい”紫雨が言ってのけた言葉とは――。

 

「いや、かたじけないと思ってな。なれば、今の私が打てる最速で(つかまつ)るッ!」

 

 “感謝”。

 途方もない強者の風を肌で感じ取っていた紫雨はこんなにもあっさりと挑めることに対して、感謝してもしきれなかった。

 ここで地に伏すならそれまで。自分はまだ井の中の蛙だ。大海を知らぬ者がどうして海に出られるのだろうか。

 

「……お嬢、あんまり無理しやがらないでくださいねー」

 

 付き人であるエヴァンは言いながら、紫雨の出で立ちに注視する。

 

(ありゃあその辺の生徒じゃまるで相手になりやせんね。しかもあのギラついた眼は何ですか。あの眼はそう――武士)

 

 甘めに見積もれば五剣に届きうるやもしれない。しかし、それはあくまで見積もり。

 しかし目の前に立つは五剣の最上。

 むしろ、如何に健闘して見せてくれるのか。それだけがエヴァンの興味。

 

「あと一度だけお聞きします。自慢では無いですが、“抜き”には多少の自信があります。後悔することになりますがよろしいですか?」

「後悔? 聞いたことのない言葉だ」

「良いお返事ですね」

 

 静寂。しかし、息遣いは聞こえる。互いが微動だにせず、その時を待つ。

 一度抜けば、後は眼前の敵の血を浴びるまで収まることが無い。非情な一方通行。だが、それを所望するのが東雲紫雨なのだ。

 

 

 

 ――――時間にして刹那。

 

 

 

 膝を付けていたのは、

 

「……」

「……」

 

 

 東雲紫雨である。

 

 

「私の首を取るには、あと一振り足りなかったですね」

 

 因幡の言う通り、であった。腹部から這いよるかのような鈍痛。切られてはいなかった。しかして峰打ちが痛くないわけではなく、呼吸がままならない。

 これが真剣だったならば。今、自分の腹からは臓物が零れていたところであろう。

 死んでいた。はっきりと、そして確信をもって言える。自分は今の立ち合いで命を落とした。これは疑いようもなく、そして心から受け入れられる事実である。

 

 紫雨は余りの衝撃にしばらく思考が纏まらなかった。

 

 ――三振り。

 

 目の前の少女は閃光にも満たない時間の中で、自分に三振りをくれてやっていたのだ。

 

「三、撃……ッ!!?」

「ほよ? “分かった”のですか?」

「分からぬものかッ!! 私の抜刀は二度。しかしてその二撃を正確に迎撃し、尚且つ感じた痛みは一度。つまり、あまりに認めがたい事実だが、今の、たったの一瞬で、三度振るったと考えるが妥当……ッ!」

 

 色々と、言いたいことがあった。しかし、まずはこの言葉から口にするが礼儀というものである。

 紫雨は恥ずかしげもなく、地面に座り込んだ。因幡ですら理解出来ぬ行為。その疑問が出る前に早く、紫雨は言い放つ。

 

 

天晴(あっぱ)れ! まこと天晴(あっぱ)れな抜きなり!」

 

 

 完全敗北。

 神速。自分が未だ辿り着かぬその領域に踏み込んでいるのが年端もいかぬ少女だという事実。それを疑うことすなわち自らの見分の狭さを見せびらかすことに繋がることは明白。

 なればこの敗北者の唇から紡ぐのは恨み言でも何でもなく、ただ――。

 

「殺せ。私は勝てると確信し全霊で当たり、そして負けた。なれば首を取られるが筋であろう」

 

 このいい意味での変わり身の早さに、因幡はなんと言葉に詰まった。

 自分が知る人間にこれほどの潔さを見せる者はいない。否、これから出会うのかもしれないが、今の自分の見分ではこの東雲紫雨が“初めて”。

 だからこそ、聞いてみたかったのかもしれない。

 

「貴方は何故、それほどに“お姉様”へ執着するのですか?」

「執着? そのような下品な感情に支配はされていない」

「なら、どういう感情なのでしょうか?」

「挑戦。現世最強と謳われる剣士が今も尚、健やかにこの世にいるのだ。なれば挑戦するが剣士の任務と言えよう」

 

 因幡は思わず肩を落としそうになった。

 何故、これくらい真っすぐなのだろう。そう思えるくらいには“真っすぐすぎた”のだ。

 正直な言葉、精悍な剣筋。ある意味、自分よりも子供だと思えるくらいに、紫雨には一本の芯が通っていた。

 

「しかし、これほどの腕前とは思わなかった。子供とタカを括るつもりはなかったのだが」

「いいえ。別に悔やむことはありません。私と貴方では――」

 

 

 余りの感動に、紫雨は因幡の言葉を待つ前にこんなことを口走った。

 

 

「無念。このような者ともっと早くに出会っていれば友となり、共に剣の道を歩めただろうに――」

「――その話、詳しく聞かせてもらいましょうか」

 

 刀を収めるなり、ツツツと近づいてきた因幡に流石の紫雨も面食らう。

 

「……いや、別に、聞かせる程の話でも」

「貴方にとっては聞かせる程でなくとも、私にとっては重要なお話なのです」

「……戯言だぞ」

「私は勝者です。だったら、敗者の話を聞く権利があるのです」

「それも一理ある」

「だから、その、お願いします」

 

 敗者の務め。それを噛み締めた紫雨は恥ずかしげもなく語りだした。

 

「こほん。因幡殿の剣速は神速の域と思い知った。なれば、同じ時間を共有することでその秘訣なりを掴み取れれば、との敗者の浅ましい願望だ」

「……良いでしょう」

 

 しばし、飲み込むのに時間が掛かった。今の言葉は流石の紫雨も聞き取るにはさほどの時間を要した。

 

 

「私が! その、東雲さんのお友達となってあげて……えっと……そう! 共に剣術を磨いていきましょう!!」

「ん、んん……?」

 

 

 何やら非常におかしな方向に話が転がって来たと、そう物凄く不安になる東雲紫雨であった。




月夜ちゃんはやっぱり強いということで。


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第四話 「友」

「……話が飲み込めないのだが」

「何度でもお話しして差し上げましょう」

 

 何故だかとてもワクワクし始めていた因幡に困惑を隠せない紫雨。

 とっくの昔に死んでいた。その事実と今こうして呼吸が出来ているこの事実がひどくフワフワとした気味の悪さを演出していた。

 腰が抜けた、まではいかないものの妙に気が抜けてしまっている。これではいけないことも分かっている。すぐに切り替える必要がある。

 目を閉じ、深く息を吸い、そして吐く。身体の奥深くにストンと降りて来た重心。ああ、戻ってきたのだ。

 平静を取り戻すまでに時間を掛け過ぎた。まだまだ修行が足りないと酷く痛感した紫雨である。

 

「その、因幡殿は今、友となってくれるとそう言ったのか?」

「え、ええっ! その通りです! 私が! この因幡月夜が! 東雲さんのお友達となってあげましょう!」

 

 どこか必死さが見て取れるが、それはそれ。ご厚意を受け取らずして何が東雲紫雨か。

 死闘の果てに紡がれる友情があるはずと、昨日の敵は今日の友であると、本気で信じていた紫雨が選び取った道は至極単純である。

 

「いや、因幡殿。その言葉はまず、私から言うべき言葉だ」

 

 居住まいを正した紫雨。

 因幡の言いたい事は十全に理解した。どういう意図が込められ、そしてどのようになりたいのか。

 分からぬ紫雨ではない。人の機微には聡いのが長所であり、短所なのだから。

 だから、だからこそ今、勇気をもってそのような好意を向けてくれた因幡へは最上の敬意を示さなくてはならない。間違っても無下にするだなどという選択肢はない。

 それに応えぬこと、それすなわち己が士道を外れることを意味する。そのような恥ずかしいことを一体どこの誰がしようものか。

 気づけば紫雨は、因幡へと手を差し出した。

 

「流血の果てにも、築かれる友情があると私は思う。だから、敗者の私から言うことが許されるのなら、私と――友となって欲しい」

「…………え、っと」

「お嬢、こういう時に返す言葉はたった一つですよ」

 

 因幡月夜は困惑していた。

 今までの人生でこちらの方から“友”となる機会を持ちかける事はあれど、相手の方から“友”になることを申し出られるという経験は無かった。

 本当に、そのような経験は無かった。生まれのせいなのかは分からぬが、こちらから持ち掛けることはあれど相手の方から……と言うのはまるでない。

 だからこそ、分からなかった。自分の発言一つが折角の千載一遇のチャンスを無駄にしてしまうことぐらいは分かっていたから。

 故に分からなかった。なんと返事をすれば、良いのかが。

 

「……私、東雲さんに何と返せば良いのか、分かりません」

 

 何とか捻り出せた言葉はたったのそれだけ。逆にそれしか言えなかった。

 そのことを良く分かられていたのか、紫雨から出た言葉は非常に優しく、だけど決して甘やかなさないもので。

 

「因幡殿は既に答えを知っている。ただ、それを思い出せないだけだ」

 

 因幡の手を取る紫雨の顔にはいつもの仏頂面はなく、代わりに見せていたのは微笑であった。彼女を知る者ならば珍しがるこの場面、そんな事露知らず。

 その事には考えを巡らせず、ただ因幡は次に言う言葉を言いあぐねていた。

 この方、友達など作った覚えのない身である。自分の無意識な一言が今こうして友となってくれると言ってくれる者を傷つけることになりかねない。

 刃を向けてくる相手ならば簡単であった。ただ斬り伏せれば良い。己が誇る神速を露わにすればいいだけであったのだから。それだけが、自分の出来ることだったのだ。

 そんな無双を振るえる自分が、今こうして生まれたばかりの鹿の如く、震えていた。唇が、なんと動かぬことか。

 それでも紫雨は待っていた。どれほど時が経とうと、それを待つだけである。

 対する因幡は無意識に浮かび上がる言の葉があった。良いのか、ソレを口にして、本当に良いのか。それを言ってしまえば良い結果だろうが悪い結果だろうが、“終わって”しまうのだ。盲目が災いし、視線は自然と紫雨へ。

 

 

 ――それだ。

 

 

 紫雲の無言の気配が、そう言っていた。生憎と因幡が頑張れる最大の最大がその言葉。それ以上もそれ以下も無い。それしかもう口を突いて出ない。

 なればもう、当たって砕けるしかなかった。これでダメならもう――“諦め”るしかないのだろう。まこと、悲しい事だが。

 

 

「もう一度言おう。因幡殿、私と友になってはくれないだろうか」

 

 

「…………はい。よ、よろ、しく、お願い……します」

 

 

 ただでさえ白い肌だったので、耳まで真っ赤に染めた因幡を見た時はまこと色鮮やかだとさえ見て取れた紫雨。

 その事に触れるほど無粋ではない。

 今はただ、良好な関係となれたことをひたすら噛み締めるのみであった。

 

「善き。まこと、善き」

 

 予想していた事とは言え、エヴァンは内心驚いていた。

 自分だからこそ知っていることがある。友達を求めているくせに、兎のごとく臆病な自分の主が、こうまでスムーズにいくことなどただの一度もない。

 これを口に出せば、今の自分でさえ首を飛ばされかねない自信があるからこそ、心中のみで言えることがある。

 

 

(この素直じゃないお嬢をよくもまあ、ここまで懐かせやがったもんですねぇ)

 

 

 称賛。エヴァンの胸中から出たのは、悪態をつきながらの称賛であった。

 しかして、そのような事を感じ取れるほど聡くはない紫雨はあっけらかんと言ってのけた。

 

「なんだ“月夜”殿! 仏頂面しか見られないと思っていればこれはなかなか、可愛い顔も出来るのだな!」

「なっ……!? ちょ、今、その、私の名前……」

「もう友だ。生憎と私は無骨者故、友の扱いはこのように粗暴なものだ。気に障ったなら許してほしい」

「い、いえ! そのようなことはありません、私は特に気にしてはいませんから――その、ぇっと……むしろ、しのの――さんからそう呼ばれるのは悪い気がしないというか、嬉しいというかその…………」

「先刻も言った。私達は友だ。なれば月夜殿の好きな呼び方で良い」

 

 その言葉で、背を押された気がした。だからなのか、するりとその名を口に出来たのかもしれない。

 

「し、しうさん、――――紫雨、さん」

「応さな」

 

 パァッと花が咲いたような笑みを浮かべた後、月夜は紫雨の胸へと飛び込んでいた。

 誰かに強制された訳でもないが、何故かこうしたかった。

 その感情を紫雨は十全に理解していた。安堵だろう、と。何せ自分も似たような感情だ。友に年齢はない。自身も、そう多くは無い経験にどっと疲れが出ていたのは間違いない。

 ましてやこのような齢の子供である。

 むしろ紫雨は腸が煮えていた。このような年端もいかぬ子供を、一体どこの誰がこれほどまでに“不自由”にしていたのだろうと。

 

「すぅ…………ぅ」

「……眠った、か?」

「お、お嬢!? 眠っちまったんですかぁ!?」

「……よほど珍しいことなのですね」

「当たり前じゃねえですか! あの隙のねえお嬢が人の前で眠る!? これは、なんつーか、もう……」

 

 先程からエヴァンの脳裏で繰り広げられている計算があった。それは主である因幡月夜へと背くことにすらなり得る事柄である。

 

 

 この東雲紫雨を抹殺するべきか否か。

 

 

 邪なる心を持っているのならばそれは必然、しかして正なる心を持つ者ならば――いくら自分とは言え、古風ながら切腹を視野に入れなければならない。

 まこと、悩ましい人間であった。分かりやすいほどに卑しい人間だったら良かったのに――そうすればこの懐に忍ばせている二刀の鎌を抜くことに、何ら躊躇することは無かったのに。

 

「寮母長殿。月夜殿と、貴方の間に如何様な関係があるのかはあえて聞かぬ。だからこそ、その戦気を僅かでも削いで頂ければ僥倖」

「……見抜いてやがったんですか?」

「仮に抜く気があったのならば……寮母長殿の業前だ、私の胸の内は決戦を覚悟していたであろう」

 

 濁すことなく、そう言い放つ紫雨に、エヴァンは気づけば笑っていた。あまりにも可笑しくて。そこまで見透かされていて、そのようにリラックスされていればそうもなろう。

 エヴァンも全く同じ感想を抱いている。先程の立ち合いで東雲紫雨の実力は十二分に感じ取ってしまったのだ。

 因幡月夜が持つ最大にして最強の魔剣――『雲耀【瞬光】』。

 このようなある意味平穏な学園で抜くこと自体、異例の事態なのだ。彼女が魔剣を露わにすることそれすなわち命を賭した死合を意味する。

 それを良く理解していたエヴァンは、だからこそそのようなことを宣う紫雨を認めざるを得なかった。

 

「お嬢を悲しませないでください。それがオレの最大の、いいやオレの唯一の願いです」

 

 そのエヴァンのお願いを、紫雨はゆっくりと首を縦に振り、たった一言で応えた。

 

「心得た」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 紫雨が月夜と友となれた同時刻。

 とある部屋。牢屋とも、個室とも、如何様にも表現できるその部屋に一人の女傑あり。

 

「フハハ。五剣、そして“魔弾”だけと思えばこれは中々どうして……とんだ竜が混じっていた」

 

 五剣の二振り鬼瓦輪、そして亀鶴城(きかくじょう)メアリを相手にし、生き残ったばかりか手傷を与えた『女帝』天羽(あもう)斬々(きるきる)その人だ。

 今朝の果し合いはどちらも視ていた。“魔弾”と鬼瓦輪。そして竜とその他有象無象。

 “魔弾”は分かり切っていた。彼奴こそまさしく“初見殺し”の極致。大方、無刀とタカを括っていたのだろう。その針の穴程の油断を、“奴”は一息に持って行くと言うのに。

 

「それにしても、まだ君臨し甲斐のありそうな者がいたとは」

 

 遠目に音だけだけで様子を伺っていた。そこから得られた情報は明らかなに“出来る”人間という事を如実に表していた。

 人には一部を除いてほとんど興味を示さない天羽だったが、その竜の存在は決して無視できるものではなかった。

 

「……これは、パワーバランスが崩れるか? 五剣、そして『女帝』と謳われたこの私と“魔弾”。これだけならまだ良かったのだ。だが、そこへひょっこりと加わってしまった竜がいる」

 

 別に、治安とかそう言った類の煩わしい問題は元より意に介していない天羽。手ずから屠れば良かったのだ。かつて五剣二名相手にそうしたように。

 しかして今日を以て認知してしまった竜はそうではない。

 勝利を収めることは容易い。問題なのはその代償。

 

「骨の折れる相手なのか否か、まずは“挨拶”をしに行かなくてはならぬかもしれないな」

 

 ニヤリと、闘争を表情に表せばこのような顔になるのかと思うほど見事な好戦の意思を、天羽は示していた。

 それは『女帝』としての矜持なのか、はたまたただ一人の武人としての――――それは誰にも決して分からぬ、そのような深淵であった。




月夜ちゃんほんと可愛い()


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「フィボナッチ」様、「tonebon」様ありがとうございます!

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第五話 「女王蝶」

「……迷った」

 

 月夜と友になれた次の日、紫雨は早朝から学園を彷徨っていた。 

 この学園に来た理由をすぐに果たすため、まずは学園長室を目指していた。

 しかし、この学園は未だ不慣れである紫雨。

 気づけば良く分からない場所へとやって来ていた。

 

「一体どこだここは……朝の散歩がてら学園長室へ行こうと思っていたのだが、これはまこと奇っ怪」

 

 教室、であることは分かっている。しかし何故か微妙に机が小さい。生憎と携帯電話なる物は持ち合わせていな紫雨は誰かに助けを求める事も出来ない。

 とりあえず教室を出て、再び廊下を歩く紫雨。

 ちらほらと人が行き交うようになった。だが、意外や意外。皆、幼い。

 そこでようやく紫雨は気づいた。

 

「ここはもしや――」

「貴方、見ない顔ですわね」

 

 振り向くとそこにはまるで外国の人形のような少女が立っていた。ドレスと二つに分けた縦巻の金髪がまこと美しい、そのような美少女である。

 

「失礼だがどちら様だろうか?」

「知りませんの!? ええ、いいでしょう教えて差し上げますですわ! アタクシこそ麗しいメアリお姉さまの妹分(ソレッラ)、天下五剣の座に最も近いといわれる五剣次席筆頭! 蝶華(ちょうか)・U・薔薇咲(ばらがさき)ですわ! 以降、お見知り置き下さいましね」

「五剣次席筆頭……」

 

 この学園に君臨する五人の剣客。屈指の実力者達の次席と、目の前の薔薇咲はそう名乗りあげたのだ。

 

「なるほど、それは失礼申し上げた。私の名は東雲紫雨だ。少々道を――」

「東雲さん、存じ上げておりますわ! 五剣の一人、輪様に楯突いた愚か者ですわね!」

「そのような謂れを受ける覚えはない。だから道を――」

「輪様に楯突くくらいです、いずれはメアリお姉さまにも無礼な態度を取る可能性は無きにしも非ず、と言ったところですわ」

「……薔薇咲殿。私は別に五剣の者達へ刃を向ける気は露ほども無いのだが」

 

 紫雨の発言は言葉が足りなかった。

 他の者ならばまだ良い。それで終わっていたのだから。

 しかして今紫雨が目の前にしているは、その五剣の一人、亀鶴城メアリを真剣に尊敬し、師事している者である。それだけで終わらないのが、この薔薇咲だったのだ。

 そのような者に今の言葉、火に油であった。

 

「貴方には少々五剣、メアリお姉さまへの尊敬の念が足りないように思えますわ!」

「待て。待ってくれ薔薇咲殿。私は別に五剣がどうとか、そのメアリお姉さまとやらがどうとかそういうことでは……」

「メアリお姉さまがその五剣の一人、なのですわー!!!」

 

 完全に何を言っても墓穴を掘る未来しか見えない。荒事など起こさないに越したことはないのだ。だというのに、何故このような事態になるのか、紫雨は不思議で堪らなかった。

 

「今分かりましたですわ! 貴方、五剣ひいては我が麗しいメアリお姉さまを小馬鹿にしていらっしゃいましね!? もー許せませんわ! いくら同性とはいえ、メアリお姉さまのことだけは見過ごせませんわ!」

 

 取り出したるは鞭であった。明らかな戦闘態勢。己が本能に刻まれた反射で既に手は竹刀の柄へ。

 だが、すぐに手を離した。

 

「何のつもりですの!? 貴方も武器を持っていることは分かっていますわ! 早くその竹刀袋に納められた竹刀を抜けばいかがですの!?」

 

 薔薇咲の最後通告。しかして、紫雨はその言葉に耳貸さず。

 むしろ、返す言葉は決まっていた。

 

 

「――抜かぬ」

 

 

 薔薇咲は表情が強張った。しかしそれも僅かな事。すぐに廊下へ響き渡るはかんしゃく玉のような小気味いい破裂音。先端へ行くほど細る形状なことにより、手元で発生した運動が最終的に音の壁を越えた速度で空気を打撃することで起こる現象である。

 そしてその速度は鞭の先端を刃物と昇華させることさえ必然。

 リーチもある、攻撃力もある。全てにおいて紫雨劣勢の旗模様。

 その有様を見せつけれてなお、紫雨が口にする言葉は一つ。

 

「当方に戦闘の意思無し。速やかにその鞭の収納を希望する」

「ならばここで土下座の一つでもなさいまし! メアリお姉さまを侮辱したのです! それくらいやって当然ですわ!」

「それは拒否する。私は薔薇咲殿とのやり取りで一切悪意ある言葉を言った覚えはない。そして、今振り返ってみても、私の言動に、薔薇咲殿がそれほどに激昂する所は無かったと考える。故に――」

 

 紫雨が一歩踏み出ると、薔薇咲は一歩下がってしまった。

 リーチはこちらの方が上、そして場所は室内。自分にとってこれ以上にない戦場のはずなのだ。それでも、薔薇咲は“下がらされた”。

 

「うー!!」

 

 今度は振るった。その音速の扉を叩ける鞭を。肩に走る痛み。少しだけ生地が裂けてしまったが、紫雨は眉一つ動かさない。

 

「どうですの!? 今ならまだ謝れば許して差し上げますわよ!」

 

 流石の薔薇咲も、無抵抗の相手をいたぶる気はなかったが故の譲歩。そんな事が敬愛すべき亀鶴城メアリに知られてしまえば何と言われるか分からない。

 ここで納めることにより、全てが円満に終わる。

 

 

 その意図を十二分に理解していた紫雨は、それでも首を縦に振るような人間ではなかった。

 

 

「断る。先ほども言った通りだ。薔薇咲殿は誤解をしている。故に、誤解を解くまで頭を下げる訳にはいかぬのだ」

「もう! こうなったら泣いて謝るまで許しませんわー!」

 

 再び振るわれる鞭。音速の刃は一目散に紫雨を切り裂くべく飛翔する。

 しかして、それが彼女に当たることは無かった。

 

「えっ!?」

 

 手元でも狂ったか。そう考え、一歩踏み出した紫雨へ再度鞭撃。今度は身体を半身に逸らすことで紫雨の眼前を横切る。

 今度こそは当てる。明確な着弾を目標に、薔薇咲は鞭を振るう。それも、緩急をつけた連撃。

 これならば、と勝利を確信する薔薇咲。

 

 

 そんな彼女の自信を覆すのは、刀を握らぬ幽鬼。

 

 

「あ、当たらない……ただの、一撃も……!?」

「東雲一刀流は風を読む」

 

 人の身を考慮しない訓練から培われた超感覚は微細な空気の流れから討つべき相手を索敵すること可能。それを応用する事で攻めの予備動作を感知し、音速の鞭の軌道を“読み”、避けることさえ不可能ではない。

 明確な敵意が伴えば、その精度は更に高まる。

 

「私はまず、話し合いをしたい。そこで決裂するというのなら私はようやく剣を抜くつもりだ」

「ならまずは、アタクシの手から鞭を離させてごらんなさいですわぁ!!!」

「了解した」

 

 ついに竹刀袋から抜き、構えた紫雨。

 両手で持ち、上段に構える。しかし切っ先は異様とも言える高さ。“二の太刀要らず”と謳われた彼の『示現流』を連想させる大上段である。

 自然と鞭を握る手に力が入る薔薇咲。

 あの高さから生み出される速度はいくら竹刀と言えど、当たり所が悪ければ命に関わるというのは良く理解している。

 竹刀に目がいっていた薔薇咲へ、紫雨は語り掛ける。

 

 

「薔薇咲殿。心して、全霊で打って来い。私の剣はそれを畳み返す」

 

 

 ゾッとした。背筋が凍りつくかのような気迫。戦闘中、初めて薔薇咲は“恐怖”した。ピタリと止められた竹刀。打たれる痛みを知ってもなお、微塵も臆さない紫雨から発せられる強き眼光。

 ようやく薔薇咲は“識る”。

 この目の前に立つは、自分達が尊敬し、目指す五剣達と同じ領域にいるのだと。

 だが、逃げられない。怖い、と思った。東雲紫雨から滲み出ているのが“殺気”だと、誰からも教えられずとも本能レベルで理解してしまった。

 

(つかまつ)りませい。さもなくば、東雲の剣から(つかまつ)るぞ」

「メアリお姉さま、アタクシに……力をッ!」

 

 その瞬間を傍から見ていた者がするならば、一瞬紫雨が二人いたかのように見えていただろう。

 その残像の正体は完全な“静”から一息で移り変わる“動”により生み出された目の錯覚。

 驚くべきはその初動である。必殺の鞭を繰り出すため、腕を上げた時には既に紫雨は薔薇咲を己が間合いに捉えていた。

 薔薇咲の視界に大きく映る紫雨。先ほどまで見ていた紫雨よりも遥かに大きく見えた。距離感と、そして十二分に蓄えられた殺気で練り上げた虚像。その姿、閻魔とすら見紛う形相。

 閻魔が槌を振り下ろす。

 

 ――死んだ、と思った。

 

 スローモーションのように見える紫雨の振り下ろしを、どこか他人事のようにただ見ていた薔薇咲。

 竹刀の刃部が徐々に迫る。逃げられない。頭に触れた。もう逃げられない。めり込む。諦めた。そして、己の死が確定し――――。

 

「…………え?」

 

 生きて、いた。目の前には寸でのところで止められた竹刀。

 

「な、ん……で、アタク、死ん……」

「東雲一刀流単式一の型――『霞雲』」

 

 直撃の瞬間まで明確な“殺意”を維持し、命を奪わん寸前に“止め”る。一手狂えばそのまま殺めてしまうという活人剣にして殺人刀。東雲の剣を修めようとする者が最初に学ぶ型である。

 廊下に僅かな物音。その音の正体を見やり、紫雨は留めていた竹刀をまるで鞘のようにした左手へ納め、ただの一言。

 

「鞭を落としたな。約束だ。話を聞いてもらおう」

「ぅ――――」

 

 ようやく竹刀が視界から消え去り、生を実感した薔薇咲は全身の力が抜け、そして――意識を手放す。

 

「中等部の者相手に、なんと大人げない事をしたのだ私は……」

 

 やりようはいくらでもあったはずなのに。それでも招くはこの体たらく。月夜ならばともかく。死合いの心得も無いような少女を相手に、これは些かやりすぎた。

 目を覚ましたら謝ろうと、まずはそう思った紫雨。

 

 

「ののっ!? ウーチョカちゃん!?」

 

 

 これまた中等部の生徒であろうか。明るい髪色の少女が倒れている薔薇咲と自分を見比べていた。

 不可抗力とはいえ、この絵面を見ればいくら抜けている者でもこう見えてしまうであろう。

 

「ちょ、ちょっと! これは一体どういうことなのです!?」

「……見ての通りだ。私がやった」

 

 もっと言い方があった。

 ここでしっかりと言葉を選んだ上で、慎重に状況を説明していればまだ穏便に済んだはずである。

 経緯を知っている者でない者が聞く紫雨の言い方ならばまるで、“一方的に薔薇咲を痛めつけた”と受け取られても、何ら文句を言う筋合いはなかった。

 

「どうしてウーチョカちゃんにこんな事をしたのですか!? 見ない顔のようですけど、まさか貴方が輪お姉さまに逆らった東雲紫雨さん!?」

「……どのような説明をすれば良いのか分からんな」

 

 今、目の前の彼女が酷い思い違いをしていることは分かる。しかして、如何な説明でこの場を収められるか、およそ人付き合いは不得手な紫雨からすれば、この状況は詰みも詰み。

 だがはっきりと分かることがある。

 

「輪お姉さまへの無礼だけでなくウーチョカちゃんにまで……! ここで見過ごすわけにはいかないのです! この私、百舌鳥野(もずのの)ののが手ずから成敗しますのですッ!!」

 

 

 どうやら火に燃料が注がれすぎて、大火となってしまったようだ。




ウーチョカちゃんとののちゃんのコンビってめっちゃ良いよね

感想をくれた
「フィボナッチ」様、「一条秋」様ありがとうございます!


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第六話 「テンソウメツ」

 紫雨の頭には二つの案がせめいでいた。

 まずは問答無用で打ち倒す。話し合いに持ち込みたいが、先ほどと同じ結末ならばまずは黙らせてからの方がゆっくりと出来るというもの。

 そしてもう一つは――。

 

「百舌鳥野殿、状況が理解できていない訳ではないだろう?」

 

 あまり冷たい廊下に薔薇咲を寝かせておくわけにもいかないので、短期決戦。自分ではなく、他人に対する思いやりに訴えかけた紫雨渾身の策。

 

「そんなものは百も承知なのです! ウーチョカちゃんを保健室に運ぶのは、まず一発貴方を懲らしめてからのです!!」

「心得た」

 

 何だ、と紫雨はホッとした。それほどまでにこの難航するかと思われた状況に対する容易い解決案を提示してくれたことに感謝する紫雨。すぐさま竹刀を構え、紫雨は一言。

 

「ゆくぞ百舌鳥野殿。私の真打をくれてやる」

 

 ピタリと竹刀の切っ先を向けられ、ひしひしと感じるは威圧感。百舌鳥野は自然と警棒を握る手に力が入っていた。

 非常にやりにくい。隙が見当たらないのだ。目の前で倒れている友達(ウーチョカ)がやられてしまうのも納得出来てしまう。

 

「後悔しないでくださいのです」

「後悔? 知らない言葉だな」

 

 合図は無い。僅かに竹刀の切っ先が揺れた瞬間を見逃さなかった百舌鳥野は踏み込んだ。そこで一気に組み敷く。それのみを意識し、百舌鳥野は仕掛けた。

 

「速い……。なるほど、これもまた」

「えっ!?」

 

 その瞬間の百舌鳥野の驚きはいかに例えようか。定石ではまず理解の出来ない一手。

 百舌鳥野の目の前には構えていた竹刀を左手に納め、直立不動の姿勢を取る紫雨。勢いは既に止められない。

 振るった警棒が寸分の狂いもなく、紫雨の右肩を捉えた。鈍痛が走る。右肩へのクリーンヒットの衝撃はいかに例えようか。

 だが紫雨の表情に一点の曇り無し。

 

「天晴れな打ち込みなり」

「ど、どうして」

「その問いは如何な意味だろうか?」

「なんで何も反撃してこなかったのですか……?」

 

 軽く薔薇咲へ目をやり、紫雨は答えた。

 

「いつまでもそこの薔薇咲殿を寝かせておくわけにはいかぬのでな」

「う、ウーチョカちゃんを?」

「無論。察するに、百舌鳥野殿は薔薇咲殿の友人であろう。その激昂も当然だ」

 

 薔薇咲を背負うと歩き出す紫雨。その背中には一切の戦意なく。

 

 

「テン――――ソウ――――メツ」

 

 

 百舌鳥野は戦慄した。そのような台詞を吐く者“達”はこの学園でたった一種類。

 何も知らぬ紫雨の眼光が捉えるはホッケーマスクを被った怪しげな風格を放つ生徒達。

 

「何者だ?」

「テン、ソウ、メツ」

 

 前後合わせて六人。囲まれた、と感じたのは間違いではないだろう。

 否、そのような事は些細。むしろ、気になるのは発する気配。

 全くの“無”。気配などと言う物は微塵もない。違う。それは見当違いだ。

 

 ――“同じ”なのだ。

 

 人間というのは十人十色の気配を持つ。そんなものは火を見るより当たり前のはずなのだ。だと言うのに、紫雨の鋭敏な感覚を以てしても、全くの“同一”と掴んでいる。

 

「百舌鳥野殿……彼奴等は?」

「て、天下五剣の一人である眠目(たまば)さとりさんの親衛隊なのです」

「天下五剣……眠目さとり」

 

 怖気が走った。一体どのような手練手管でこのような無機質な存在を作れるのだろうかと。

 それよりも。紫雨が知りたいことはそのような政治的なものではない。

 

「貴殿らの目的は? 私に用があるとお見受けするが……と、その前に。百舌鳥野殿」

「ののっ!?」

「薔薇咲殿を頼めるか?」

「は、はいのです」

 

 百舌鳥野へ薔薇咲を預け、身軽になった紫雨。手は既に竹刀の柄へいっていた。

 

「私にだけ用があるのだろう? ならば、そこな百舌鳥野殿、並びに薔薇咲殿は通してもらう」

「テン――ソウ――」

「むっ……!」

 

 覆面女子の一人、百舌鳥野へ急接近。手には警棒。明らかな交戦の意思が見て取れた。

 

「えっ!?」

 

 百舌鳥野は驚いた。鬼瓦輪側である自分と、眠目さとり側の人間が戦う事、それすなわち天下五剣の戦争を意味する。それを分からぬはずがないのに。

 何故今、このタイミングなのだろうか。

 

「呆けるな百舌鳥野殿ッ!!」

 

 振り下ろされた警棒を遮り、即座に胴一閃。崩れ落ちる覆面女子に目をやる事なく、次へ目をやる。

 東雲紫雨はこの時点で天下五剣の三振りを敵に回すことが確定した。

 鬼瓦輪、鶴亀城メアリ、そして眠目さとりである。

 とは言え、それを一々気にする程、器用な紫雨ではないのだが。

 

「貴殿らの思惑分からず。だが、それでも分かることが一つだけある」

 

 一歩で紫雨は相手を間合いに入れ、下から竹刀を振り上げ、顎を打ち抜く。そして次の一歩で隣の覆面女子へ近づき、武器を持っている側の肩目掛け、竹刀を振り下す。

 

「無抵抗の相手へ武器を振るうとは何事かッ! 如何な理由あれど、それを容認するには至らぬと知れッ!」

 

 人道逸脱。容認不可。東雲紫雨の(ワタ)は煮えていた。

 

「行け百舌鳥野殿ッ! 殿(しんがり)は務める」

「あ、ありがとうございますのです!」

 

 見送る紫雨は構えを変える。一対多を想定した複式の型を繰り出すための立ち振る舞いである。

 技を繰り出す直前、紫雨の背筋に電撃走る。

 

「何奴ッ!?」

 

 今しがた倒した覆面女子が落とした警棒を手に取り、紫雨は廊下の角へ投擲した。

 

 

「あれぇ、なんで~~分かったのぉ~~?」

 

 

 現れたのは、緑髪の乙女。だが、それだけで終わるには余りにも悍ましい相手であった。

 

(何だ、この悪意とも殺意とも、懇意とも取れぬこの違和感しかない感覚は……!?)

 

 長い緑髪が美しい女剣士が、現れた。だが、何ということだろう。それだけで終わるには些か捨て置けない。

 全くの“無”なのだ。あり得ない。底知れぬ恐怖が紫雨を襲う。喜びも怒りも、哀しみも楽しさも感じえない。これが人間なのか。何の嫌味もなくそう思えるくらいには、目の前の女子がそう見えてしまったのだ。

 

「……私は東雲紫雨。名を聞かせていただきたい」

「えぇ~~もう分かってるはずだよね~? 私は~眠目さとりだよぉ~~」

 

 ただの世間話程度のこの意味のない探り。

 それよりも、まずはこの天下五剣の登場に備えるべく紫雨は油断せず注視する。

 鬼瓦輪、そして因幡月夜が可愛く見えるほどのうすら寒さ。言葉を良くすれば底が知れぬ。

 ただの問答で計り知れぬ程度には物差しが足りない。即座に判断した紫雨は次の言葉を発する。

 

「目的は?」

「バランス調整、ってところかなぁ~~?」

「その真意は如何に?」

「分からないのぉ~~?」

 

 ノーモーションで向かってくる覆面女子達。言い訳に過ぎないが、完全に意識を取られていた。だがその手並みは流石と言っていいだろう。さしずめ幽霊のような忍び寄り方である。

 ただそれだけで終わる紫雨ではないが。

 

「分からぬ!!」

 

 竹刀を使わず、手刀による当身で覆面女子達を制圧した紫雨は言葉を続ける。

 

「眠目殿。眠目殿から感じられるは無――」

「そりゃそうだよ~~さとりはぁだぁれにも――」

「――と、誰もが言うのだろうな」

 

 少しだけ、眠目は表情が強張った。しかしてそれは決して誰にも悟られぬレベルで。

 

「生憎と、私はまだ貴殿と刃を合わせてはいない。なればこそ、刃を打ちあって心を知りたいと思っている」

「無駄だよそんなの~」

「無駄かどうかは――」

 

 紫雨が言い放つ言葉はただの一つ。

 

「その身で確かめてみるが良い」

「……さとり、同じ女の子でも~~君の事はだぁいきらいかも~」

「なれば如何様に?」

 

 その一言で、眠目はだらりと刀を下げた。その様は見る者にとってはただの戦闘放棄。しかして、紫雨はその中に含まれる攻撃の可能性を感じ取っていた。

 

「さとりが~~捻ってあげる~~」

「いとをかし」

 

 そう言い右手で顔の高さまで上げた竹刀の切っ先を眠目へ向け、左手は刃部に添える。そして腰を深く落とし、心を水面の如く平静に。

 構えるは倉崎と右井へ披露した東雲一刀流の奥義。

 ひしひしと感じ取ったことがある。この目の前の剣士相手に小手先は通用しない。やるのなら最少にして最大の一撃。

 紫雨にとって、それは余りにも好ましくないことで。

 だが、やらなければならない。例えそれが自分の限界を超えることになったとしても。

 

 

「そこまでです」

 

 

 聞き覚えのある声。いつやってきたのだろうか。そこには紫雨が良く知る剣鬼。因幡月夜であった。

 

「月夜殿……!?」

「月夜ちゃん~~なんでぇ~?」

 

 手を出そうとするの~? 言外のその台詞を受け、月夜はただ一言。

 

「お友達だからです。ただでさえ連戦を終えた身で眠目さんと戦わせたくはありません」

 

「えぇ~~月夜ちゃんがぁ~? まさかの発言でぇ~さとり、びっくり~~」

 

 皮肉でも何でもなく、眠目はその言葉を発していた。誰とも群れることないあの因幡月夜がそんな暖かみに満ちた言葉を吐くだなんて思いもしなかったのだ。

 これは余りにも誤算。群れないことで一種のパワーバランスとなっていたこの因幡月夜が、“群れ”を覚えてしまえばそれが如何な化学反応をもたらすか。

 

(まあでも~びっくりなのはぁ。東雲ちゃん、だよねぇ~)

 

 一体どのような人心掌握術を用いれば、天下五剣最強とも言える因幡月夜を抱き込めるのか。純粋に興味が湧く。

 

「東雲ちゃんってぇ~~どんな手を使って月夜ちゃんに取り入ったのぉ~?」

「死合いを行い、心を通わせた。それだけだ」

 

 眠目は思わず作り笑いを見せてやった。何だそれは。余りにも馬鹿馬鹿しい。そのような事があり得るのだろうか。漫画ではあるまいし。

 人の心など通い合うはずがない。所詮は他人と他人。そこに分かり合える要素など微塵もないのに。

 この手の人間が一番分からない。およそ関わり合う事などない人間だ。否、関わったところでどの道自分の手駒となるような末路を辿るのはほぼ間違いない。

 

「……やっぱりぃ~さとり、君と仲良くなれないかも~~」

「その言葉、一手打ち合ってから判断してもらおうか」

「ん~やろうと思ったけど、気が変わったよ~。今日はやめとく~~。月夜ちゃんに殺されたくないからね~」

 

 既に刀を鞘に納めていた眠目はくるりと背を向けた。

 

 

「今度会ったら~~――――命、懸けてねぇ?」

 

 

「了解した。私も次(まみ)える時はこの刃、淀みなく振るうと誓おう」

 

 紫雨の言葉には何の反応も示さず、眠目は去っていった。最後の最後までその背中を見送った紫雨はそこでようやく竹刀を袋に納める。

 

「……寿命が縮まったような感覚だ」

「がっかりです。消耗した状態でよもや眠目さんと戦おうとするだなんて」

「今回は月夜殿に助けられた。意を地へと張ってみたものの、眠目殿から感じる強者の香りは私の鼻孔をくすぐるには十二分過ぎた」

 

 ぽすっと紫雨の胸に収まる月夜。背丈の違いもあり、何だかぬいぐるみを抱きしめているような感覚である。

 胸の中で、月夜がぽつりと呟く。

 

「……いなくならないでくださいね」

「何を……」

「東雲一刀流はそもそも、肉体的に強靭な男性の使用を大前提としている流派と聞いています」

「……勉強熱心だな、と言っても男尊女卑ではないが、他の流派も似たようなものだろう」

 

 暗殺剣である東雲の剣は自身の肉体をフルに酷使しなければ成立しない。当然、その負担は決して軽くはなく。

 最初は骨を折った。次に内臓をおかしくし、挙句の果てには血を吐いた。剣士として、致命的な肉体の箇所ですら負担が発生していき、その辿り着いた先が今の東雲紫雨である。

 

「今こうして身体をくっつけ、呼吸時の内部の音を聞いて、確信しました。普通ならもう剣士としてどころか何故今こうして歩けているのかも不思議なくらいの損耗。……さっぱりです。何をモチベーションとし、そこまで紫雨さんは……」

「相対したい相手がいる。それだけだ。それだけが私のモチベーション」

「……お姉さま」

「あの雷神の嘶きを直に感じとるまで、私は決して地に膝を付ける訳にはいかぬのだ」

 

 月夜の頭に、紫雨の手が乗せられた。その手のひらから伝わる体温が月夜にはすごく優しくて。

 この手の温もりを知ってしまったから。因幡月夜は一つだけ心に決めていたことがある。

 

「紫雨さん、私決めました」

「何をだ?」

「いつか紫雨さんがお姉さまへ辿り着くその時まで、私は紫雨さんの傍で見守ります! それが、その、お友達の務めです!」

 

 拍子抜けしてしまった。どのような突拍子もない事を言われるかと思えば、そのような――かたじけない言葉だった。

 

「善き。やはり月夜殿は最高の友だ」

「えっへんです」

 

 これは無理をしたら月夜にどのような事を言われるか分からないな、と。そんな嬉しいようで複雑な感情を込め、紫雨は月夜に気付かれないよう苦笑した。




さとりちゃんの書き方が掴めないっすね


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第七話 「忍者」ですので

「……さてと」

 

 教室の前で紫雨は唸っていた。月夜と別れ、ホームルームの鐘が鳴る前には席に座っておきたかったのだが、ある重要なことを失念していたのだ。

 思い出すは先日の大立ち回り。

 教室の生徒と戦い、その中でも複数人を倒してしまったという事実が、紫雨に重くのしかかる。

 悪いことはどんどん重く考えてしまう。今扉を開けた瞬間、クラス中の生徒が襲い掛かってくるのかもしれないとすら思うのだ。

 

「……ままよ」

 

 深呼吸を一つ。ようやく覚悟を決めた紫雨は扉を開けた。

 

「あ、おはよー東雲さん」

「さっきから扉の前で立ってたから一瞬不審者だと思ったような」

 

 出くわすは紫雨と一手交えた倉崎と右井。仇敵と言われても仕方がないとすら思えるそんな二人から出た言葉が、明るい挨拶。

 

「お、おはよう」

「あれ? どうしたんですか東雲さん? 具合でも悪いんですか?」

「……えっと、その、報復は?」

「……報復?」

 

 倉崎がまるで意味が分からないと言った様子で首を傾げた。

 しかし、その紫雨の言い方で色々察したのだろう。右井が一歩前に出た。

 

愛地共生学園(ここ)はそういうところ。たかが一度戦ったくらいでそんな物騒なことを考える人の方が珍しいような」

「……そんなことがあり得るの?」

「あっ、そ、そういうことだったの! ち、違うよ東雲さん! 私達はそんな変なこと考えてません!」

「報復が変な事なの……!?」

 

 そこで紫雨をじっとみる右井。そしてぽつりと呟いた。

 

「東雲さんって、普通の喋り方も出来るって初めて知ったような」

 

 そこでようやく自分の口元を覆った紫雨。油断したとはまさにこのことである。

 東雲紫雨は不器用だ。普段の口調からなよなよしていてはいざ戦いとなった際に心が締まらないと危ぶんだのだ。

 そこで紫雨はまず剣士としての身を確立するために、立ち振る舞いから改造した。

 口調も、居住まいも全て戦う者のそれとした。そうしなければならないと紫雨自身がそう感じたのだ。

 人の血を吸いに吸った殺しの業である東雲一刀流を継ぐということは、自身の在り方さえも考えなければならないのだ。それが、東雲紫雨の覚悟。

 

「……二人は意地悪だ」

 

 そんな事情を知らないというのもあるのだが、流石にそんな事を直球で言われれば、傷ついてしまうというのは仕方の無い事なのだろう。

 

「何だか、東雲さんがめちゃくちゃ可愛く見えたような」

「た、確かに……ういちゃんの言う通りです」

「――っ! んんっ! そろそろ本題に戻ろうか! 二人には、私への報復の意志はあるのか否か。それだけをはっきりさせたい!」

「え、ないよ?」

「あること自体珍しすぎるような」

 

 轟沈である。思わず紫雨は膝をついていた。ならば今までの自分の葛藤は何だったのか。拍子抜けにも程がある。

 

「……なるほど、なるほどなるほど」

 

 これを受け入れなければならないのだろう。それはそれで、この学園における真実の一つなのかもしれない。

 

「……納得した」

 

 なればこそ、である。なれば紫雨は絶対に言いたいことがあった。

 

「剣を合わせ、心を通わせた。だから、私は二人と友になりたいと思っている。もし、二人が受け入られぬのであれば――」

「え!? やったー! 嬉しい!」

「転入生と早速仲良くなれた。これもまた醍醐味なような」

「……何故、二人はそこまであっさり出来るのだ……」

 

 分かったことが一つある。かの雷神が住まう学園とはいえ、生徒はそのような血生臭い気性ではないこと。そして、その心根は紫雨が思っていた以上に――。

 

「私達が東雲さんと仲良くなりたいなぁって思ったからですよ」

「ぶっちゃけ、東雲さんがそこまで戦いのことしか頭に考えてないっていうのは流石と言わざるを得ないような」

「……は、ははは。これはまこと、一本取られたというか」

 

 お手上げである。武で勝っていようが、このような局面に置かれては東雲紫雨の全面降伏は必然である。なんともはや、やりづらいことこの上ない。

 

「倉崎殿、右井殿。お願いがある」

「お願い、ですか?」

 

 倉崎の相槌に紫雨は答えた。否、紫雨は些か調子に乗っていたのであろう。

 倉崎だけでなく、教室の皆の耳に響くように、紫雨は名乗りを上げた。

 

「私は東雲紫雨である。……だからその、紫雨と呼んでいただければ僥倖極まりない」

 

 ある意味自分も因幡月夜と同類なのだろうと思った。だが、何ら恥ずかしいとは思わない。それが人間なのだろうから。

 

「もちろんです! じゃあ私も佐々でいいですよ!」

「私も名前でいいような」

「ありがたし。ではよろしく頼む佐々殿、うい殿」

 

 ふと目が合った巨漢の男子。すぐに目を逸らされてしまったが、何やら無視するには捨て置けぬ存在感で。

 

「おはようご同級」

「ひぃっ!」

 

 その威容には似つかぬ怯えよう。よほど、酷い目に遭ったのだろうか。

 

「名は?」

「ま、増子寺ですぅ!」

「私は東雲紫雨だ。なるほど、増子寺殿か! 実に善き。良き名である」

「あ、ありがとうございますぅ!」

 

 少々調子が狂いそうな、その対応に、紫雨は戸惑った。しかして、それで終わる紫雨ではない。竹刀袋を地に置き、言葉を続ける。

 

「肩に力が入っているようだな。これで少しは話をまともに聞いてもらえるだろうか?」

 

 次の瞬間、増子寺は慌てた様子で紫雨へと近づいた。

 

「ちょ、ちょ! 何なのよそれは!? 早く竹刀を拾いなさいよ! さもなくば男子に組した人間として白い眼で見られるわよ!!」

「性別で友人を選ぶほど、私は落ちぶれてはいない」

 

 嫌味も何もなく、きっぱりとそう答える紫雨に対し、増子寺は面食らった表情に。

 

「ば、バカじゃないのアンタ! この学園で男子は卑下の対象なのよ!? それをこんな大勢の前でそんな事! 取り下げた方がアンタの身の為よ!?」

「なるほど、なればどうやら私はその空気に馴染めぬ者のようだ。まあ、そんなことはどうでも良い。席が近い者同士でまだ一度も会話をしたことが無かったので、是非ともな」

「……何というか、こう……納村みたいな奴ねアンタ」

「納村殿とか。それは善き」

 

 そこで教室内の空気が一気にシンとした。そして視線はとある一か所へ。ようやくざわついてきた室内。

 それもそのはず、教室の出入り口には菓子折りを片手にした納村不道が立っていたのだから。

 

「お、東雲じゃねえか。マスコと仲良くなったんだな」

「おはよう納村殿。ああ、今しがたな」

 

 気安く会話をしているのは紫雨と納村のみ。その間、納村へ向けられている視線は決して好意的なものではなく。

 そのひそひそ話はいずれも“油断すればキスされるかも”というある意味平和的な内容だ。

 

「なあ東雲、鬼瓦さん知らねえ?」

「すまない。私にはさっぱりだ」

 

 すぐに周囲を見る納村。そんな彼と目を合わさぬよう後ずさる女子達。

 不幸なことに、逃げ遅れてしまったとある女子へ納村はロックオンした。

 

「そっかぁ、んじゃそこのムラサキちゃんさぁ――」

「ちょっとぉ! 下着の色と名前と混ぜないで! 倉崎! 倉崎佐々です!」

「こいつは失敬。そんでサッキーちゃんさぁ鬼瓦さんの居場所知らない?」

「ちょっと……誰のせいで……!」

「ここまで無神経な男は初めて見たような」

 

 出て来た右井へ対し、納村は今と同じような手順で名前を聞き、鬼瓦の場所を聞き、そしてついでに下着の色まで聞いてくる始末。

 非常に滑らかにセクハラ発言をしてくるその言葉の巧みさに感銘を受けてしまう紫雨。……その後、普通に下着の色含めて聞かれたことを全部答える潔さが、右井右井に秘められているのにも驚いたが。

 

「どうもありがとーたいっへん参考になりました、と」

「後半は忘れてください!」

「あ、ちょっと納村! 待ちなさい!」

 

 納村を追いかけ、増子寺も教室を出て行ってしまった。一瞬だけ無言になる室内。

 勇敢にも、第一声を発したのは右井であった。

 

「やっぱり下着の色までは答えなくてよかったような」

「うい殿、それはまあ……そうだな。恥じらいは大事だと思うぞ」

 

 そこでようやく日常に戻り始める同級生達を見て、紫雨は聞いておかなければならないことを思い出した。

 

「そういえば佐々殿、一つ聞きたいことがあるのだがよろしいか?」

「はい? 何ですか?」

「学園長室へ行きたいのだが、場所を教えてはくれないだろうか?」

「えっと、その……」

「ん?」

 

 何やら言葉を濁す佐々を見て、首を傾げる紫雨。すんなり教えてくれるものとタカを括っていたが、どうも一事情ありそうな雰囲気。

 だが、黙るつもりもないようで、佐々は次の言葉を言う。

 

「たぶん、行っても誰も居ないと思いますよ?」

「……どういう理由で?」

「さあ……? でも私達、学園長の姿を見たことって片手で数えるくらいしかないし、何か特別な行事があるならともかく平常時の学園で見た事はほぼないというか……」

 

 嘘を言っている訳ではないのは良く分かる。だからこそ、紫雨は行かなければならないのだ。

 学園長にどうしても会わなければならない理由がある。

 

「……そうか、感謝する佐々殿」

 

 一言礼を言い、席に着く紫雨。その眼には確かな決意が宿っていて。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 昼休み。

 紫雨は佐々とういから聞いた情報を頼りに、真っすぐ学園長室へと向かっていた。

 

(……彼の雷神、鳴神虎春がこの学園に存在するという噂が本当なのかどうか。その裏取りだけは早急に取らなくてはならない……)

 

 紫雨の目的は最初からただの一つ。

 現代最強の剣鬼と打ちあう。それだけ。それだけが東雲紫雨の唯一の目的だ。

 歩くスピードがどんどんと上がっていく。

 同時に、紫雨の頭には“もしも”が浮かんでいた。

 

(もしもこの噂が空振りで、鳴神虎春がここにはいないのだとしたら。いなければ……その時は)

 

 唐突に浮かぶ月夜の顔。折角できた友がいるこの学園に対して、その時の紫雨はどのような選択をするのだろうか。

 以前なら即決出来ていた。だが、それが今、こうして判断に曇っている。

 彼女は気づいていなかった。ほんの少しずつ、自分が“変わってきた”ということに。

 

「ここか」

 

 他の教室と違い、明らかに面構えの異なる扉。視線を少し上にやると『学園長室』の表札が付けられていた。

 深呼吸を一つ。そして数回ノックをし、入室する紫雨は事前に聞いていた通りの状況に肩を落とした。

 

「……やはり佐々殿が言っていた通り、か」

 

 出直そう。そう思っていた紫雨の背筋に電撃走る。

 

「……ッ!」

「……どうして、分かったの?」

 

 この学園に来て、全く見たことのない女性が紫雨の後ろには立っていた。

 死んだような眼からは何も感情を察することが出来ない。竹刀袋に意識を少しずつ移しながら、紫雨は今しがたの問いに答える。

 

「東雲一刀流は風を読む故。……それよりも、その業前はただの一般人ではないとお見受けするが、如何に?」

 

 すっと人差し指を口元に当て、女性は言った。

 

「私……学園長で、忍者ですので。後ろを取るのは朝飯前……」

 

 そう言い、愛地共生学園学園長である藤林(ふじばやし)祥乃(ゆきの)は紫雨の感知能力を超える速度で、既に自分の執務机へと腰かけていた。




学園長をもっと早く出したかったすねぇ

感想をくれた

一条秋様

ありがとうございます!



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第八話 「どうするか」

 紫雨は驚愕していた。今しがた入口辺りにいたはずなのに、気づけば自分を通り過ぎて奥にいたのだ。

 その理由は分かっていた。凄まじく自然な視線誘導と有り余るほどに流麗な体捌きを以て可能とするただの“移動”である。だが、その単純な移動も昇華を突き詰めれば“瞬間移動”となる。

 

「……名を伺ってもよろしいだろうか?」

「……それは、貴方も良く知っているのでは?」

「ふ、ふふふ……探り探り行こうと思っていたが、無駄な労力であったか」

 

 ああ、知っていた。問いかける前に言った言葉と、そしてそれにそぐわぬお手並みを拝見してしまっては、もはや己の該当する人物はただの一人しかいない。

 紫雨は、その頭に浮かぶ名前をそのまま口にする。

 

「その身のこなし……現代の忍と名高い七番――藤林祥乃殿とお見受けするが、如何に?」

「……イカもタコもない。私は忍者」

「鳴神虎春殿の右腕である貴方がここにいる……ふ、ふふ、ふふふ……」

「……気でも触れた?」

「否。やはり正解だったと小躍りしている所だ」

 

 竹刀を抜き、構える紫雨。

 

「鳴神虎春殿は何処へ?」

「……教えるのは簡単だけど――」

「――九本」

「ふぅん……」

 

 藤林は一体どこで気取られたのだろうと所作を振り返るが、自分の“仕込み”はそう容易く見破られるものではない。今しがた紫雨が口にしたその本数とは、紫雨の意識を“盗み”、自分の机に行く間に張り巡らせたワイヤーの本数に他ならない。

 しかし、驚いているのは藤林だけではない。

 

(恐ろしや、藤林学園長殿……!!)

 

 たったの一瞬(ひとまたた)きで、そのような本数のワイヤーを室内に張り巡らせるその腕前。噂に違わぬその魔手。そして紫雨は侮っていた。

 

 およそ室内戦闘において、藤林祥乃は無双を誇る。

 

 その事を忘れていたわけでは断じてない。ただ、自分の想像よりもえげつのない手腕だったと、それだけの話である。

 今の自分はさながら、愚かにも蜘蛛の巣へと飛び込んだ哀れな羽虫といったところであろう。

 

「……東雲一刀流の事はたまにお嬢様(・・・)が喋るのを耳にしている」

「お嬢様――鳴神殿か……ッ! それは重畳……ッ!」

「暗闇と共に在り、暗黒と共に振るう血塗れの剣。……滅びた剣術流派を受け継ぎ、今もなお現代に顕現させる貴方の目的は何?」

「今の東雲一刀流にそのような心は無い。先祖への唾吐き者と蔑まれようが、その真なる心意気を理解していればこそ、今もこうして私はこの剣を振るえるのだ」

「私にそのようなものは通用しませんが……?」

「それも善き。それよりも、私が知りたいのはただの一つ」

「何ですか……?」

「学園長殿は今ここで、やり合う気はあるのかと、それだけだ」

 

 交わされる視線。そこに含まれる感情はほとんど無く。

 紫雨と藤林はゼロからトップスピードで動ける体捌きを持つ両雄である。“始める”のは一瞬、“終わる”のも一瞬だった。

 だからこそ、互いに動けなかった。動くということ、それすなわち死合いの始まりを意味して。

 

「……分かっているんでしょ、貴方も?」

「分かっていますとも。故に、こちらから因縁を付けておいて大変失礼に当たるのだろうが、ここは剣を納めさせていただきたい」

 

 ここであっさりと剣を納める紫雨を見て、藤林はここの生徒との“違い”を感じ取っていた。それは“やはり”といった類のもので。

 この東雲紫雨という生徒は仕合や勝ち負けと言った物に拘りの類は無いのだろう。見据えるはその先にある“価値”。

 現に紫雨はこの時点で濃厚な“泥仕合”の予感をかぎ取っていた。

 対する藤林は目の前に立つ東雲紫雨に後れを取ることは決してないという自信があった。しかし、だからといって気を抜いていられるほど容易い相手では無いことは、放つ気配からひしひしと感じ取られる。

 その姿は、どこかで見たことがあった。

 

(……いつぞやの“あの子”に似ているその眼。ああ――きっとこの子もお嬢様へ……)

 

 いかな事実を突きつけても決して揺らぐことのないその行動方針。それはきっと、如何な形を持つかは知らぬが自身が仕える主へ影響を及ぼすこと必然。

 そう思えたのはいつかの昔なだけで。今の藤林は、過去の自分と違ってもう少し柔軟な発想に至れると、そう自分へ言い聞かせた。

 

「――――いいえ、剣を納めることは許しませんよ。何せ、学園長へ刃を向けたのですから」

 

 その言葉の後、高まる敵意。

 それに気づかぬ程愚鈍な紫雨ではない。

 

「向けたつもりは微塵もないが……いたし方あるまい。まずは学園長殿の誤解を解く所から始めるか……ッ!」

「誤解、という訳ではない。以前にもこうして実力を計ったから……うん、普通」

「以前?」

「……“跳ね馬”、で分かる?」

「“跳ね馬”……!? 敵対したことがあるとはなるほど流石“飛びユキノ”……!!」

 

 その名は紫雨もよく知っていた。

 “跳ね馬”遠山荒馬。番号持ちの中でも異質の“協調”しない側の人間として、紫雨の知識に入っている。しかし、その言葉には少し奇妙な違和感を感じた。

 

「学園長殿の力量ならば、遠山荒馬殿の実力は計らずとも推して知れるはず。なのに、何故そのような面倒なことを……?」

「……ああ、そうか。貴方は知らないのですか」

「何を?」

「……遠山荒馬は亡くなっています。今は“代わり”がその番号を張っています」

「何と……遠山殿が……。なればその代わりとは……?」

「それは――――」

 

 空気が、“動いた”。その本能的とも言える警鐘に従い、紫雨は一歩でその言葉に出来ないプレッシャーの幕から抜け出した。

 

「……へぇ、完全に不意を打ったと思ったのに」

「ワイヤーに繋がれた小型クナイで背中を狙うとは……何たるお手前」

 

 それこそ藤林祥乃の十八番。

 室内に張り巡らせたワイヤーと、小型クナイに繋がれたワイヤーを用いて、軌道を巧みに操作することで可能とする死角からの攻撃である。

 初見では勘の良い者か、恐ろしいほどに彼女を注視した者でしか対応できない妙技。

 

「しかして、僅かにおかしくなった風の動きが私に教えてくれた」

「だからと言って、勝ったという事ではないのは良く分かっているはず……」

 

 既にいない。否、下段。まるで鎌のように鋭く繰り出される足払い。

 後方へ跳躍することで事なきを得るが、その度し難い隙を見逃すほど“飛びユキノ”は甘くはない。

 

「上……!?」

 

 先ほどまで地に着かんばかりの低い体勢だったというのに、身体はもう紫雨を飛び越えるくらいの“高さ”にあった。

 音もなく上げられる右脚。その威容たるや紫雨の眼には一瞬、斧のように映った。

 

「ッ――!」

 

 辛うじて身を捻ることで、やり過ごせた。しかし振り下ろす速度あまりにも人外。前髪の先端が僅かに斬られていたのには流石に背筋が凍った。

 今度は片手五指のみで接地し、藤林は天地逆転の構えで踵落としを繰り出す。変幻自在とはまさにこのこと。

 躱すだけで精いっぱいであった。

 

「……この程度?」

「否。ようやく身体が暖まってきたところだッ!」

「その割には竹刀の振りが遅い……」

 

 更に跳ね上がる藤林の速度。天井を蹴り、壁を蹴り、地に手を着き天地逆転の姿勢からの跳躍など。およそ人間と言って良いのか疑わしい変則的“過ぎる”三百六十度全方位超機動。

 状況は後手後手中の後手。視覚では既に追うのは諦めている。その他の四覚をフルに活用し、ようやく後手の後手と持ち込めていた。

 

 

 ――しかしそれも“飛びユキノ”とまで称された修羅の前ではか弱い虫の鳴き声と同等で。

 

 

「お見事と言わざるを……ッ!!!」

 

 右手に感じる空虚。視界の端に映るはたった刹那の隙を突かれ、その結果、無様に弾かれた竹刀。

 思わず絶賛の言葉を漏らしていた。たったほんの少し気が逸れただけで詰まされる相手に出会ったことはいつ以来であろうか。因幡月夜に関しては元より実力が気配から滲み出ていたので、納得すら出来る結果であったが、この学園長殿は異常。

 能ある鷹は爪を隠す、の典型的な例である。ただ非情に冷徹に、現実を突きつけられているような、そんな感覚であった。

 しかして、そこで諦める紫雨ではなかった。

 

 

「――だが、東雲一刀流は武器を持つだけではないッ!!!」

 

 

 五指の間に挟んだ小刀を避け、突き出した右腕を抑え込んだ紫雨。完全に硬直状態。そこで、あえて紫雨は言ってのけた。

 

「腕は完全に拘束したぞ学園長殿ッ! 下手に動けば脱臼は免れまいッ!」

「脱臼が怖くて、忍者は出来ない……」

 

 だが口だけであった。

 己の軸足へ絡まされていた藤林の足。このままでは逆に足を折られる事を察した紫雨はせっかく近づけた距離を手放さざるを得なかった。

 

(これは……何とも……)

 

 似た相手と戦った経験が全くない紫雨は、藤林のあらゆる行動に理解が追い付けなかった。今のやり取りなど最たる例である。

 紫雨はしかと感じ取っていた。

 

 今しがた――藤林は腕が外れようが、折れようが構わなかったと。

 

 足と同時に、完全に拘束していた腕に力が入っていたのだ。だからこそ紫雨は足元に注意がいかなかった。

 

「膠着状態……か」

 

 無音の室内に、携帯の着信音が響いた。

 軽く目配せをした後、藤林は携帯を耳に当てる。

 

「……ええ、はい。今踊っている所です。……分かりました」

 

 すると、藤林はスピーカーモードにした携帯を紫雨へ向けた。

 

「何を……」

 

 

『初めまして。東雲紫雨さん』

 

 

 全身が硬直した。その声、その口調。およそ顔と名前しか知らなかった紫雨の薄い知識を以てして、直感的に感じ取っていた。

 そう、この声の主こそが――。

 

「鳴神……虎春殿……ッ!!」

『殿付けって好まないわ。私の事は呼び捨てで構いません』

「何故このタイミングで表へ出て来たのか教えて頂きたいものだ」

 

 ひとしきり上品に笑った後、鳴神虎春は言った。

 

『滅びたとされる東雲一刀流が現れたと聞けば、興味が湧く。だから今こうして言葉を交わしている。そう、それはとても自然な流れだと思いませんか?』

「物見に訪れたにしては手の込んでいる……それで、私に何の用か」

『あら、それは言い間違いではないでしょうか? “貴方が”私に用があるのでしょう?』

 

 遠慮なく、紫雨はその言葉を口にする。

 

「一戦、果たし合いを所望する」

『それはまだ駄目』

「何故に……!?」

『貴方にはまだ私の前に立ち塞がる資格がありません。それに気づかない限りは、私は貴方と立ち会うことはないでしょう。……祥乃、もう良いわ。切って頂戴』

 

 死刑宣告に等しい、その言葉。

 

「待てッ!!!」

「……気を抜いた」

 

 気づけば地面に組み敷かれていた。しかも、藤林は片手でそれを行ったという余りにも屈辱的な状態で。

 

「……天下五剣、女帝、そして納村不道」

「その連ねられた名は……」

「さあ……私、忍者ですので。そこからどうするかは貴方次第」

 

 どうするか。

 それに即答出来るほど、今の紫雨の心は水面ではなかった。




声だけだけどついに登場した“雷神”!!!

感想をくれた

一条秋様、紅葉久様

ありがとうございます!


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第九話 「資格」とは

 その日の紫雨は、どこか抜け殻のようであった。

 授業も、何もかもだ。

 

(死に物狂いで修業を積み、東雲一刀流を修めた私が……戦う資格の無い者、か)

 

 鳴神虎春と一戦交える。

 それだけをモチベーションにこの学園に来たというのに。何だか登っていた梯子を急に外されたような感覚である。

 去り際に残された学園長の言葉。

 それが酷く、紫雨の脳裏にこびり付いてしまっていた。

 

(天下五剣、女帝、そして……納村不道)

 

 あげ連ねられた七名。何故学園長はあえてこの七人を挙げたのかが、紫雨に理解できなかった。

 もちろん、良く分かっている。

 その七名、とくに納村不道。未だ女帝に出会ったことはないが、間違いのない強者だという事はよく理解していた。

 だからこそ、紫雨は短絡的にこの発想に至っていた。

 

(天下五剣も女帝も、そして納村殿も……全てを皆殺せば私にもようやく鳴神殿への挑戦権が……)

 

 ――仄暗い。

 東雲紫雨という人間にしては恐ろしくどす黒い考えで。

 東雲紫雨は実に不器用な人間であった。たった一つの課題に対し、どこまでも柔軟に考えられない。

 だからこそ、紫雨は困惑していた。

 学園長の問いかけはそんな紫雨の思考の糸を雁字搦めにするには十二分に過ぎて。

 ずぶずぶとハマっていく思考の沼。そんな沼から救い上げてくれたのは意外なことにもその(くだん)の彼であって。

 

「よお東雲ちゃーん。どったの? おたくにしては珍しく覇気ないねぇ」

 

 納村不道である。

 いつもならば軽薄ながらに真理を捉えた言葉で自分に対応してくるが、今回もまたその例に漏れず、と言ったところで。

 ほとほとその観察眼というか、お節介さに良い意味で呆れてしまった紫雨である。

 

「納村殿、か。そうか。そう……見えてしまうか」

「っておいおい。そんなにテンション低いとまじで何か悪いことがあったんじゃないかってみんな心配するぜ?」

「みんな……」

 

 そこで今日、ようやく紫雨は教室を見回した。そこには少なからず自分へ視線を向けている者達がいて。

 

「そうさ、俺はともかく。東雲ちゃんはあそこの鬼瓦ちゃんすら差し置いてこのクラスの男形だぜ? 興味ない奴がむしろ珍しいくらいさ」

「ばっ!! 納村不道!! 貴様、何故そこで私を引き合いに出すッ!?」

 

 鬼面を被りし武装女子、鬼瓦輪が顔を真っ赤にしてそう言った。

 納村とのやり取りを見て、随分と丸くなったなと紫雨は素直に驚いた。最初に出会った時はその鬼面の通り、鬼気迫る覇気を纏っていたのに。

 あのたった一度の攻防で感じられた戦気は一体どこへやら。

 気づけば紫雨はその事について言及していた。

 

「何というか……その、鬼瓦殿は可愛らしくなったな」

「バッ――!! おま、しのの、おまっ! か、かかかかわっ、とは、何だっ!?」

 

 その鬼瓦の反応に意外にも紫雨が驚いた。真っすぐかつ冗談などまるで通じない者かと思えばこれは本当に意外。

 何故か鬼面が半分に割れているのも、きっと何かドラマがあるに違いないと確信できるほどには鬼瓦は“柔らかく”なっていた。

 

「それが可愛らしくなったと言うのだ。その……立ち会った時は異様な雰囲気だった故に、と付け足させて欲しいのだが……」

「……そう言う東雲は、丸くなったな。転入初日の殺気は無くなったように感じるぞ」

「私が? 鬼瓦殿、それはあり得ない。常にこの身は常在戦場。刹那に気を抜けば、この首が持って行かれるなぞ想定の上で――」

 

 そんな紫雨の言葉に被せるように、鬼瓦が笑った。

 

「常在戦場か! 確かに東雲は“最初は”そうだったよな!」

 

 その言葉に、紫雨は大変に硬直させられて。常にそう、と胸を張って言える程度にはその心持ちを抱いていただけに、その評価は実に衝撃的で。

 

「……と言うより、鬼瓦殿」

「ん。どうした?」

「鬼瓦殿も、あれか、私と剣を交えた事を気にしないクチなのだろうか?」

「当たり前だろう。この学園はそういう所なのだからな」

「……鬼瓦殿はまこと、高貴だな」

「だ、だから! そういう事は止めろと言っているだろ!」

「はっ! 鬼瓦ちゃんもそうやって顔を真っ赤にするところが可愛らしいったらないねぇ」

 

 その横槍に激昂するのもまた、鬼瓦である。

 

「ば、馬鹿者! からかうな納村不道!」

「鬼瓦殿」

「ん、何だ東雲」

 

 その言葉を言うには――少しばかり勇気が必要であった。

 

「そんな高貴な鬼瓦殿にお願い申し上げたいことがある。――私と、一戦交えてはもらえぬだろうか?」

 

 ざわつく教室。納村ですら驚いていた。それは当然とも言えた。

 何せ学園の支配の象徴とも言える天下五剣。それも筆頭と評される鬼瓦輪相手にその申し出。それすなわち納村不道と同じく学園へ刃を突きつける者と全くの同義。

 しかし、そんな紫雨の言動はある意味当然とも言えるのかもしれない。

 東雲一刀流の、元より支配者という存在との結びつきの強さは言わずもがな。

 その精神を脈々と受け継いできた紫雨はそもそも――。

 

「受けて立っても良い、が。今のお前は駄目だ」

「なっ!?」

 

 また言われてしまったその言葉。

 思わず紫雨は返していた。

 

「何故だ!? この前は立ち会ってくれたではないか!?」

「あの時はあの時だろう。それにあの時のお前はちゃんと筋が通っていたしな」

「要領を得ない……ッ! 一体何故――」

「おおっとストップした方が良いんじゃないの東雲ちゃん? な? 落ち着こう? な?」

 

 竹刀を構えるべく伸ばした手を掴みながら、納村はそう窘めた。その行動に驚いたのは意外にも鬼瓦で。

 

「お前が下心も無しに女子に触れるとはな……」

「見損なうなよ! って、ほらほら良いから鬼瓦ちゃんは一旦落ち着けって」

「どいてくれ納村殿ッ!! 天下五剣を、女帝をッ!」

 

 そこまで言った所で、紫雨はようやく我に返る事が出来た。

 余りにも取り乱していた。自分が、東雲紫雨が。血を吐き、身体を壊してまで精神を打ち鍛えたこの自分が、である。

 

「……すまない。授業までには戻る」

 

 選んだのは、頭を冷やす事であった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「……はい、もしもし」

 

 学園長室で鳴った携帯。電話を掛けた主は分かり切っていた。

 藤林は即座に応答した。

 

『私よ。そういえば一つ聞き忘れたことがあるの』

 

 主である鳴神虎春は、いつも通りの優雅な雰囲気を匂わせる口調であった。

 

「何でしょうか……?」

『東雲紫雨』

「……何を知りたいのでしょうか?」

『彼女、貴方と月夜相手にどれくらいやれたの?』

 

 その問いに何の意味があるのか。だが自分はそのことに対して口を出す立場の自分ではない。ただ、求められたことに対して、答えるだけ。

 

「……因幡月夜は魔剣を晒し、私も本腰を入れさせられました」

 

 その答えを待っていた、とばかりに携帯の向こうから鳴り響く拍手は一体どのような深淵な意味が込められているのか。

 考察をする前に、虎春の声がした。

 

『素晴らしいわ。まさか月夜が雲耀を見せるとはね。聞いていた以上だわ』

「お嬢様はどこまで知っていたのですか?」

『ある程度よ。ただ正確な力量だけは分からなかったわ』

「……まさか」

『あら、察しが良いのね。そうよ、彼女も“そうだった”のよ』

 

 やはり、と言った様子で藤林は東雲紫雨の力量に納得が出来た。

 こと鳴神虎春は弱者の名前を憶えない。これは絶対にだ。

 だが我が主は“覚えて”いた。ということ、それは剣士としてのボーダーラインを上回ったと言うことと同時に、あの“称号”が考慮されていたということの証明で。

 

「――“番号持ち”になるかならないか、だったのですね」

『ええ。正確には東雲一刀流現当主『東雲晴間(せいま)』が駄目だったのでその次の候補、と言った所ですが。……彼とその娘である東雲紫雨さんの実力は申し分なし。むしろ番号上位への枠も考慮していたくらいですし』

「ならば、何故ですか?」

 

 そうねぇ、と虎春は楽し気に言う。

 

『一言で言えば、あの“跳ね馬”と同様です。こちらの誘いをずっと断るどころか、何度も遣いをタダでは帰してはくれなかったという人泣かせな方でした』

「……なるほど」

『けどああして東雲紫雨さんと話して、分かったわ。あの子は剣士としては完成されているけどその土台がまるで駄目』

「……私には、彼女がこのまま潰れるように見えます」

『あら、貴方はそうなの?』

 

 虎春の意外な発言に、藤林は思わず聞き返してしまった。

 

「では、お嬢様はそうではないと……」

『ええ。彼女はそういう子と、そう思えたわ。あの子がもし、次のステージへ到達できたなら。その時は――』

 

 また主の悪い癖が出たのか、と藤林は思ったが、それを口に出すことはしなかった。

 ただ、東雲紫雨は良い意味でも悪い意味でも不運だと、そう珍しく同情するだけである。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 屋上で、紫雨は淀みのない空を見上げていた。

 

「……私としたことが」

 

 この身を剣握る者として鍛え上げたつもりだったが、何たる思い上がり。まだまだ未熟以前の話であった。

 既に紫雨の頭は冷えていた。数々の無礼への謝罪の言葉すら考えていたくらいである。

 

「この身まだまだ修行の身、か」

 

 そこまでは良かった。ならば考えなくてはならないことが一つある。

 

「私に不足している物、か……」

 

 それのみが分からない。およそ完全な人間、などという厚顔無恥を晒す気はないが、それでも戦士としての矜持は心得ているつもりであった。

 しかし、あえて言われた。資格が無いと。

 

「いかに見つけるものか、いやそもそも見つけられるものなのか」

 

 空気が変わった。同時ににじり寄ってくる敵意。正体はすぐに現れた。

 

 

「貴方、東雲紫雨さんでして?」

 

 

 金髪が鮮やかな女子生徒であった。すぐに目をやるは腰の細剣。

 帯剣をしている生徒。それだけで紫雨は行き着いた。

 

「如何にも私は東雲一刀流、東雲紫雨だ。そういう貴殿は天下五剣の一振りとお見受けするが……」

 

 抜いた細剣を紫雨へ突きつけ、女子生徒はあからさまな怒りを露わにする。

 

「あたくしは亀鶴城(きかくじょう)メアリと申しますわ。あたくしの死ぬほど可愛い蝶華が“お世話”になったそうで、その“お礼”に来たのですわ」

「……ああ、なるほど。薔薇咲殿が言っていた者、か」

 

 逃げようにも屋上の出入口の前に立たれてしまってはどうしようも出来ない。第一、剣を向けられては強行突破も不可能。

 

「ああ、心配しなくても良いですわ。ちょっとだけ、念入りに、重く、リフリクション(反省)してもらうだけでしてよ」

 

 どうやら楽しい“お話”になりそうだ、と紫雨は竹刀を構えた。




鳴神虎春さんの出番をもっと増やしたい!そしてついにきたメアリさん!


感想をくれた

一条秋様、tora様

ありがとうございます!


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第十話 「麗しき刃」

お久しぶりです。久々に更新できました!


「ほらほらいかがなさいました!? 防戦一方ですわね!!」

「ッ……!」

 

 亀鶴城のような西洋剣術の使い手とやり合った経験が皆無の紫雨は酷く攻めあぐねていた。

 攻めなければその亀鶴城の下半身のバネと細剣の“しなり”を生かした変幻自在の突きをもらい、攻めれば進行方向に切っ先が置かれている。

 その絶妙な間合い調整の秘密は先ほども言及があった通り、足回りにこそある。

 

(外側を向いた左腰、そして左膝。日本の剣術ではまず真似することの難しい伸びと速度はこの立ち姿でしか生み出せぬ。つま先と膝を使った柔らかながらに強烈な足捌きは……なるほど不勉強が実に悔やまれる……ッ!)

 

 要塞を相手にしているような気分であった。

 難攻不落を絵にしたような相手。およそ日本剣術の使い手のみしか相手にしてこなかった紫雨の眼には、亀鶴城メアリは靄がかかった強敵と映っていた。

 

「私を狙った理由は薔薇咲殿だけかッ!」

「十分過ぎましてよ!! あたくしの死ぬほど可愛い妹分に手を出した罪は海よりも深くてよ!!」

「それほどまでかッ!」

「それほどまででしてよ!!」

 

 激痛走る。腕、背中など、神経の集中する箇所のみを集中して攻撃されることのなんといやらしい事だろうか。

 突かれる度に反射的に硬直してしまう。これは訓練ではどうにもならず、またその隙が致命傷となることもまたおかしいことではない。

 

「さぁ泣くが良いですわ! そして跪きなさいッ!」

 

 塵も積もれば山となる。蓄積したダメージはいずれ地に膝を付ける要因となることは紫雨は良く知っていた。

 そして同時に、紫雨は亀鶴城の余りの手堅さに舌を巻く。

 見るに、フェンシングを源流としたバトルスタイル。

 攻撃されずに攻撃する。この当たり前とも言える流れを徹底化させた手法を厳守している亀鶴城は基本に忠実であった。

 攻めれば退かれ、退けば攻められる。

 暖簾に腕を押しているような感覚、そして向かっても向かってもカウンターとばかりに突きがやってこられては攻撃の意志が萎えるというもの。

 

「跪く時は己が素っ首落とす時……だッ!!」

「そのような時代錯誤は輪さんだけで十分でしてよッ!!」

 

 更に増える刺突傷。ただの斬撃や打撃ならば慣れているが、点の攻撃はいかんともしがたい感覚だ。

 無傷の鶴亀城に対し、傷だらけの紫雨。このままいけば勝敗は明白。

 しかしてそこで折れるほど柔な鍛え方をしている紫雨ではない。

 踏まれても踏まれてもなお上を向く雑草のごとく。

 

「はぁ……はぁ……。そろそろ、観念したらいかがでして……?」

「生憎と、我慢強い方でな。亀鶴城殿こそいかがした? 突きの伸びがいささか衰えたように見て取れるぞ」

「ッ……!? 良いですわよ。ならば早急に沈めて差し上げましてよ!!」

 

 口にこそ出さぬものの、亀鶴城は紫雨の底知れぬ体力にほとほと嫌気が差していた。およそ亀鶴城はその者がいつ弱音を漏らすようになるかが分かるようになっていた。

 だが、目の前の相手はどうだろう。

 “分からない”のだ。亀鶴城には紫雨が負けを認め、無様に許しを乞う姿が全く見えなかったのだ。

 しかしてもはや自分が疑問を抱くことは許されない。

 天下五剣とは“そういう”ものなのだ。自分は剣を抜いた、(紫雨)も剣を抜いた。

 

 ――ならばそれ相応の結末を迎えなければいけない。

 

「亀鶴城殿は」

「何かしら?」

「先ほども聞いたが、亀鶴城殿は何故に薔薇咲殿の為に出来る……?」

 

 愚問。鼻で笑い、亀鶴城は答えてやった。

 

「大切な妹分だからと言ったのが聞こえなかったのかしら!? あたくしがここまで動くのはそれだけ十分でしてよ!!」

「ッ――!!」

 

 両腕関節、両太ももを突かれ、思わず肺の中の酸素が漏れだした。思わず膝をつきそうになる。

 だが今の紫雨は、そんなことよりも先ほどの亀鶴城の言葉を噛み締め、飲み込むことの方が重大であった。

 

(大切な妹分……それだけで、動けるのか。それだけで――戦意を奮い立たせられるというのか)

 

 ああ、そうなのかと。紫雨は得心いった。

 自分も“そうだった”。芯を一本通していたはずなのだ。だが、今の自分は?

 

「私も……そう、だ」

「何をごちゃごちゃ言ってますのッ!」

 

 繰り出される刺突は紫雨に当たらなかった。否、寸での所で避けたのだ。

 

「……私は、何だ。“雷神”と剣を交えるだけだったのか?」

 

 また飛び込んでくる剣先を、紫雨は弾く。

 

「私は、“雷神”と戦う為ならば、他の者達全てに目もくれぬような、そのような者だったのか……?」

 

 一人言つ。

 

「……ああ、そうだった。そうだったな……私は戦う意味を見失っていたのだ。この胸に巣食う解れぬ感情。……そう、か」

 

 曇天に、光が一本差し込んだような気がした。小さく、だけどしっかりと感じられたその感覚を言葉にするのならば。

 気づけば雲のようにフワフワしていた足元がしっかりと地に根を張った。そこまで来ると、あとは簡単だ。

 

 

「――少しだけ迷いが晴れた」

 

 

 相対する亀鶴城は紫雨の変化に気付いていた。

 

(さっきまで死んだような眼をしていらしたのにこの方……何が変わったと言うんですの……ッ!?)

 

 水平に構えられた竹刀の切っ先が、亀鶴城にとって妙なプレッシャーとなっていた。何も武器を向けられたのはこれが初めてではないと言うのに。

 それなのに、言い難い重圧が紫雨から感じ取れた。

 

(それでもあたくしは退くわけにはいきませんわッ!! 死ぬほど可愛い蝶華のために!!)

 

 油断なく細剣を構える亀鶴城と比べ、どこかリラックスした立ち姿の紫雨はどこまでも通りそうな澄んだ声で宣った。

 

 

「亀鶴城殿。心して、全霊で打って来い。私の剣はそれを畳み返す」

 

 

 どちらともなく、動いた。もはや止まることない互いの武器。

 

「な……!」

 

 紫電の如き速度で、勝負は意外な結末を迎えることになる。

 まるで鞘に納めたかのように、細剣が竹刀に突き刺さっていたのだ。理由は何も奇妙なものではない。

 ただ、紫雨が精密な剣捌きで亀鶴城を迎撃しただけなのだ。

 その様子を見て、第三者は一体どのような勝敗を宣言するのか。答えは明白だ。そんなものは決まっている。

 

「如何様に亀鶴城殿? 私はこのまま組み敷き合い、喉笛掻っ捌く合戦もやぶさかではないのだが」

「……いいえ、これで終幕でしてよ。ましてや、貴方の今仰った言葉通りの流れになれば――」

「私は」

 

 そこで紫雨はあえて言葉を遮った。それ以上は言わせる訳にはいかない。そのような恥辱、亀鶴城には相応しくないのだ。

 

「私は、亀鶴城殿に感謝をしている」

「あたくしに?」

「ああ。何せ、会って、手を合わせなければ分からぬ事があった。それが、今の私にとって如何に大事な事なのか。筆舌に尽くしがたい」

「……本当に貴方、生まれる時代を間違えたのではありません?」

「それは重々自覚している。故に、私は亀鶴城と友になりたい」

「はぁっ!? 貴方、何を言っているのか分かっているのですか!?」

「冗談などではこんなことは言わない」

 

 ずいと顔を近づければなるほどこれはまさに、ある意味で美の集大成とも言える整った顔立ちである。染みひとつない陶磁器のような肌と言ったらどうだ。

 こんな凄まじい程の美女相手に剣を振るっていたとは東雲紫雨一生の不覚。

 

「気が付かなかったが随分と美人だな」

「なっ……!? じょ、冗談は間に合ってましてよ!」

「いや、本心だ。おっと、いつまでも竹刀を突き刺しておくわけにはいかないな」

 

 だから厄介なのだ。これがまだ腹の下に一つ孕んでいる言葉ならばまだ嘲ることが出来たのに。どうやら彼女の言葉には気持ちが悪いほど、気持ちを率直に伝えてくる力があるようだ。

 損傷した竹刀を納める紫雨を見ながらそう感じていた亀鶴城は彼女に倣い、細剣を鞘に納めた。

 

「……で?」

「……で? とは?」

「あたくしは死ぬほど可愛い蝶華のために貴方を痛めつけると決めて来ました。ならばそんな貴方は? わたくしの怒りを真正面に受けて、なおかつ勝……引き分け以上に持ち込んだ貴方が、わたくしに求めるものはありますの?」

 

 何だそんなことか、と紫雨は妙に安心できてしまった。だったら話は簡単だから。というより、とっくの昔に用件は伝えている。

 

「……話は聞いてくれていたのだろうか。最初から友になりたいと言っているではないか」

「ほ、本気でしたの?」

「私はあまり冗談は言わないということは、今しがたの打ち合いで分かっていただけたかと思っていたのだが」

 

 信じてもらえていないことは何となく紫雨にも分かっていた。だからこそ、変に着飾ることはしない。常に真正面から、それが東雲紫雨の心がけである。

 

「最初から言っているではないか。亀鶴城殿と友になりたい、と」

「あたくしと……」

「おっと、その前に誤解を解いておかなければならないか……」

 

 そう前置き、紫雨はなるべく簡潔に事の成り行きを説明する。時間もそう掛からなかった。

 そもそもの話、薔薇咲の誤解だということを声高に叫んでいきたい紫雨である。

 

「なるほど……事情は分かりましたわ」

「私も言葉が足りなかった点は重々承知している。後で薔薇咲殿へ改めて謝罪へ行くつもりだ」

「いいえ。その必要はなくてよ」

 

 言うが早いか、亀鶴城は頭を下げた。あまりに唐突な出来事だったので、止める事が出来なかった紫雨は慌てて頭を上げさせた。

 

「き、亀鶴城殿が謝る必要は無い! 頭を下げさせたくて、私はこの立ち合いを望んだわけではないのだ」

「妹分の非礼はあたくしの非礼でしてよ。だから、これはそのケジメですわ」

 

 右手を差し出すと、亀鶴城は言う。

 

「貴方に興味が湧きました。きっかけはどうあれ、貴方とは良き関係になりたいと、そう思えましてよ」

 

 東雲紫雨の姿は何が起きても一本の刀としての振る舞いを忘れない宿敵(鬼瓦輪)を彷彿とさせた。だからこそ、だろうか。少しだけ自分の性格とは相容れない所はあれど、決して不快にはならないその在り方が。

 亀鶴城メアリにはひどく目新しく見えてしまった。

 

「……身に余る僥倖」

 

 交わされようとする手。その交友が成立する寸前――“その声”が振り下ろされる。

 

 

「ふははは……いや、素晴らしい茶番であった。お陰で茶請けへ伸ばす手が止まらなかった」

 

 

 そこに立っていた女性を、紫雨は何と表現すれば良いのか分からなかった。腰まで届くほどの長い黒髪は一本一本が邪竜を彷彿とさせ、その四肢からは熱い鉄の息吹が嗅ぎ取れる。

 立ち姿だけで分かった。

 この目の前に立つは、とてつもない難敵なのだと。

 

「……貴方が出て来るなんて、珍しいこともあるんですわね。天羽斬々さん」

「天羽……斬々殿か。私は東雲紫雨だ」

「東雲か。ふむ……」

 

 言うや否や、天羽は紫雨を“観察”する。

 立ち振る舞いから見て、良く分かる。この竜はやはり自分が思っていた通りの竜であったと。並みの鍛錬ではこうはいかない。何より、と天羽は紫雨の目を見る。

 素直に、賞賛を向けることが出来た。何せ、彼女はこの学園の誰よりも、下手すれば自分よりも、“戦う者”の眼光であったのだ。

 

 ――故に。

 

 

「竹刀を構えろ。この私、手ずからその真を見極めてくれる」

 

 

 君臨せざるを得ないのだ――。




武装少女マキャヴェリズムOVA見ました。すげえ良かった(語彙力


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第十一話 「天」を斬り、羽ばたく者

お久しぶりです!
ちゃんと書いています!()


 どこかの暗い暗い一室に、“雷神”鳴神虎春はいた。

 その自信に満ち満ち、尚且つ油断なき立ち振る舞いは何の比喩表現もなく、“剣鬼”という称号にふさわしきもので。

 鳴神虎春は割と忙しかった。

 社会勉強がてら、私立愛地共生学園の理事長と言う座に就いてみたはいいものの、勉学との両立は中々に骨であったのだ

 だからと言って、そこで投げ出したり、あまつさえおろそかになってしまえば愛しきお兄様に付く“羽虫”に如何様に馬鹿にされるか分かったものではない。

 むしろそんなことを面と言われてしまえば、全面戦争も辞さないだろう。

 

「東雲紫雨さん、ですか」

 

 不意に口をついて出るのはその名前。普段ならば忘れるような名前なのだろうが、この女子生徒だけは別。

 忌々しくも似ているのだ。あの“彼女”と。

 自分から“あの人”を盗った――否、まだ盗られてなるものか――あの憎っくき雌馬に良く……。

 

「と、いけませんね。私としたことが、些事に気を取られてしまいました」

 

 虚空へ顔を向け、虎春は呟いた。

 

「いつかは現れるのでしょう。その時、もし腑抜けていなければ――」

 

 

 虎春は三日月のように口元を歪めた。その様たるや、人を頭から丸かじりする鬼の如く。

 

 

「――叩いて砕きましょう」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 対峙するは一匹の竜と一人の女帝。

 東雲紫雨は目の前に浮かぶ闘気に底冷えしていた。佇まいだけで分かる一流の気迫。いかに波風立てぬようにこの場を収めるか。それだけが、今の紫雨が高速で思考する事柄である。

 天羽斬々は目の前に揺らぐ戦気に笑みを抑えることができなかった。否、何故抑えられようか。この学園にいる有象無象の腑抜け共とは格が違う。君臨……などと言う陳腐な真似はしない、出来ない、してやるものか。

 

「亀鶴城殿、お下がりを。彼奴は私をご所望のようだ」

「はっ! 分かっておるようだな。断じて拒否などさせぬ」

「分からぬことがある」

「何が」

「何故私を狙う? 私は貴方程の者に目を付けられるようなことはしておらぬ。出来うるならば穏便に済ますことをご一考願えれば恐悦至極」

 

 嘲笑とも取れる、地響きのような笑い声。天羽はあまりの愚鈍さに腹がねじ切れそうになった。

 竹刀を持ち、眼を光らせ、背には戦気を浮かべておきながら何故そのようなことが宣えようか。

 ――是が非でも

 

「断じて、それはあり得ぬと言っておこう。お前は私と同類だ。渇き、求めている。なればこそ……」

 

 その言葉で、ようやく紫雨は確信できた。ならば、返す言葉はただ一つ。

 

「笑止。潤いのために戦う私では無いと知れ」

「なに、手を合わせれば分かる」

 

 構えた。それに応じるように紫雨も竹刀を握る力を強め、そして己の戦力を今一度振り返る。

 竹刀は剣先が破損、突きは不可能。なれば刃部での攻撃のみ。東雲一刀流は常に完全な形の武器を用いての戦闘は想定されていない。必要ならばその辺に落ちている小石での撲殺も当たり前である。

 こちらの状態は把握した。次に目を向けるのは天羽。

 

(刀を提げていない。徒手空拳を武器としているのは一目瞭然。だが、流派は? この学園にいるくらいだ。必ず何かを嗜んでいる。それを確認する術は……)

 

 そこまで思考したところで亀鶴城は口を開いた。

 

「紫雨さん! 天羽斬々は――」

「有り難いが不要」

 

 その制止に、思わず天羽は口角を吊り上げる。情報は何よりの武器だ。それをたったの一言で払ってしまう紫雨に対し、ますます興味が湧いてしまう。

 構えはそのままに、天羽は気づけば問うていた。

 

「良いのか? 私の手を知るまたとない機会だろうに」

「如何に仕掛けてくるか分からぬ相手の前に立つは、引き金に指を掛けた銃の前に立つのと同義。ただ撃ち抜かれるのも有りうる話。――故に、まずは無知にてつかまつる。それが私の流儀なり」

 

 狂っているではないか、と天羽は口にこそ出さなかったが、確かにそう目の前の剣士を評価した。

 東雲紫雨は良くも悪くも戦士である。

 戦いにある種の美学を持つ一方、絶対に生きるという生き汚さを持ち合わせている。これがどういう意味なのか。

 分かるとも。少なくとも、天羽斬々には分かっていた。

 

「潤いを求めていない、などと言っておきながら大した流儀ではないか」

「……ああ、貴方にはこう言った方が良いのだろうか。事前情報が無い方が集中できるのだ、私は」

 

 踏み出した一歩。狙うは一点。

 

「疾――!」

 

 タイミングは完璧だった。極限まで研ぎ澄まされた集中状態だからこそ紫雨の眼は天羽が“瞬き”をする瞬間を捉え、すれ違いざまの胴打ちを決めることが出来た。

 その、はずだったのに。

 打撃の感触と同時に訪れるのは――“自身の痛み”。

 

「っ……!」

「……素晴らしい、と珍しくこの私が賛辞をくれてやろう。肉眼で捉えれなかったのは久しぶりだ」

 

 脇腹から滲む血と痛みを抑えながら、その言葉に嘘はないと、紫雨は確かに感じていた。

 間違いなく、紫雨は天羽の視線を盗んでいたからと確信を持てていたからだ。どれほどの達人であろうと、不意を突かれれば容易く崩れる。

 だからこそ、紫雨はこの一撃に全てを込めていた。だとするならば、“何故、自分は反撃をされているのだ”。

 

「しっかり貫手(ぬきて)で反撃をしておいて……何を言うか」

「なに、私が反撃出来たのはつい手が動いただけだ。悲嘆にくれることはない」

「気づいていないのに、反撃が出来た。無意識、貫手、反撃――まさか」

 

 そこまで呟いて、紫雨は辿りついた。同時に、自分の観察眼に対して、少しだけ自信が持てたのは嬉しい限り。

 

「空手、までは分かっていた。しかし、悔しながらどの流派までは見当が付かずにいたのだが……答えをこの身で以て知ることが出来た」

 

 天羽の相槌を待たず、続ける紫雨。ただでさえ痛みを抑えつけるのに意識がいっているのだ、変に意識をあちらこちらへとやれない。

 

「古武術……それも、沖縄(琉球)の空手と見た」

「たった一度喰らっただけでそこまで視えたか」

「打ってみて、良く分かった。そしてその極端なまでの頑強な肉体……そして、空手では禁じ手とされる貫手で当たり前のように反撃されたことで確信が出来た。琉球古武術の三大流派の一つ――上地流と見たが、如何に?」

「ふはは! 端々まで良く見るその小賢しさ、まるで(しゅうと)のようだ!」

「勿体ない、お言葉……。故に、返礼いたす……!!」

 

 もはや一刻も無駄に出来ないと、紫雨は覚悟を決めた。

 これだけはしてなるものかと思っていた。だが、今のやりとりを経て、そんな悠長なことを言っていられるほど幸せな状態でないことを痛感出来た紫雨に、選択の余地はない。

 

 

 ――文字通り、殺すつもりで仕掛けなければいけない。

 

 

 紫雨は両手で持つ竹刀を後ろへやり、さながら重い物を引きずるような姿勢を取った。

 これより放つは自分に課した禁じ手。それだけ竹刀ではなく真剣を用いてなら、“確実に殺してしまう”負の技。解禁するしかない。

 この目の前の難敵に対して半殺しでは足りない。四分の三で殺しきらなければいけないのだ。

 思考はこれで一時停止。後は打ち込もうとする気概を見せるのみ。

 

「まだ動けるのか。大抵の者は今ので地に膝付けていたのだがな」

「東雲一刀流が膝を付ける時は、死する時と決まっている……そして、もう膝を付けぬと決めたのだ」

 

 脇腹の痛みは既に消えていた。痛みは闘志に、闘志は必勝に、必勝は絶勝に。

 内から溢れる闘気を十全に吐き出した後、紫雨は狼煙を上げた。それはこの学園に君臨する女帝へ牙となるには不足ないだろう。

 

「いざ、推してまいる……ッ!!」

 

 一歩、二歩、そして三歩。地を踏みしめる度に感じる力強さ。狙いはどこでもいい。これは妥協でも何でもない。これはむしろ自信。練り上げた東雲一刀流の神髄の一端を見せることに、何の不足もないのだ。

 懐に飛び込み、東雲紫雨はその己が持ちうる限りの全力を竹刀に乗せた。

 

 たった一手。

 

 着刀。僅かに静止した後、そのまま振り抜いた。同時に襲い掛かる鈍痛。

 天羽による反撃は当然の如く貰っていた。それも織り込み済み。否、それすら考慮の内に入らない。

 四分の三殺し。この難行を成し遂げるには、多少の犠牲を差し出して然るべきなのだ。

 

「先程と似たような胴打ち。これだけか? これだけが、貴様があそこまで吠えられた裏付けなのか?」

「然り。そして――もう終わった」

 

 天羽の口端から流れる血を、紫雨は確かに見た。

 

「……外傷は無い。だが、そうか……“中”、か……ッ」

「たった一度で見切るとは……」

 

 東雲一刀流の闇。殺人剣として開祖が振るっていた時代において、無音・無傷・無知覚による攻撃は絶対事項であった。

 今しがた紫雨が振るった剣はその闇の部分。

 

 東雲一刀流単式零の型――『揺雲(ゆれぐも)』。

 

 竹刀を通し、己の全身を駆け巡る気を敵の体内に叩き付ける最初にして至高の剣技。後にも先にもない。必ず殺すと書いて必殺。必殺技というのなら、これがその一つ。

 

「ぐ……っ…………ッ!!」

 

 天羽斬々は星が瞬いたような感覚を覚えた。中身を抉られるような感覚。これを痛み、というにはいささか苛烈だがそれでもその単語を使わざるを得ないくらいには、ある意味新鮮な状況であった。

 外の打撃と中の打撃。認識を改めよう。このような手痛い一撃を振るえる者はやはりただの有象無象ではない。全力で君臨すべき対象なのだ。

 

「痛み分け、と行こうではないか天羽斬々……今ので私の竹刀は折れて完全に使い物にならなくなった。このような半端者に勝って、吠えるのが貴方の流儀だというのなら止めはしない、がな……」

 

 これ以上やるのなら倒されてやると、そのような含みに気付かぬ天羽ではない。後からどのような吹聴をされても良いが、今こうして対峙する相手にそのような禍根を残されては、僅かばかり不快感を覚える。

 そのことを知ってか知らずか、紫雨は更に叩き付けた。まだまだ我慢比べは出来る。だからと言って長引いて良いかと言えばまた違う。

 

「貴方の内臓のいくつかを傷つけた……貴方の頑丈さならば、命に別状はないのだろうが、それでも放置しておいて良いはずは、ない。…………どうする?」

「口車に乗ってやろう。このままトドメを刺した後に騒がれるのは本意ではない。――次は」

「ああ、分かっている……」

 

 手放しそうな意識を辛うじて保ち、宣う言葉はただ一つ。

 

「次は十全の私で、十二分の力を込め、完全勝利を収めてみせよう」

 

 強がりに取られるかもしれない、負け惜しみと言われても反論できない。だけど、これは決して折れない闘志。

 間違いのない、東雲紫雨の決意が凝縮していたのだ。




細々と更新を続けています。
今回は紫雨と天羽のタイマンでした。
これからも応援と感想(重要)を頂けたら嬉しいです…!


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第十二話 「猛獣」の檻

 手応えは確かにあった。

 東雲一刀流単式零の型はそれだけの殺傷能力を誇る。訓練の仕方にもよるが、外傷は耐えられる。だが、内臓への攻撃は常識ならば訓練をする以前に死に近づくのは想像に容易い。

 紫雨が繰り出した一撃は確実に天羽の内臓を揺さぶった。常人ならばまず立てない。むしろ吐血だけで何故喋れていたか理解に苦しむ。

 

「……亀鶴城殿、奴は化生の類なのか? 全く……保健室を使うなど、夢にも思わなかった」

「……脇腹貫かれてケロリとしている貴方も理解に苦しみましてよ、紫雨」

「その気になれば痛覚はコントロール出来る。それよりも、急所を貫かれなくて良かった。流石に死ぬからな」

「ジョークと捉えて良いんですわよね……? はぁ、普通『女帝』と対峙して、そんな態度ではいられないはずですのに」

 

 答える代わりに、包帯を締める力を一層強くする紫雨。

 天羽斬々の実力は本物であった。禁じ手を開帳しなくては敗北どころか先ほどの自分の言葉通り、三途の川を覚悟しなければならなかった。

 彼女は剣士殺しだ。剣士であれば武器を持ち、それを振るって戦う。しかし天羽のような空手家は鋼にまで鍛え上げたその五体を以て戦う。

 色々と語る点はあるが、大きな違いはきっと継戦能力だろう。刀が折れてしまえば、剣士は死ぬ。

 

「『女帝』何するものぞ。それに、私の攻撃は通じると分かったのだ。次が駄目なら、今度は無刀で締め落とすなり何なりやってみせよう。ここで立ち止まるような私は“雷神”と相対できぬ」

「貴方がそこまでして勝ちたい相手とは一体誰でして? “雷神”? 五剣のどなたか、かしら」

 

 以前に鬼瓦にも似たような質問をされたことを思い出し、少しだけ笑みをこぼしてしまった。もしかしたら亀鶴城と鬼瓦はとても仲が良いと、二人のやり取りを見てはいないながらも、紫雨は何故か幻視できてしまった。

 

「……何だかよろしくないことを考えているのではなくて?」

「なに、亀鶴城殿と鬼瓦殿は実にいいコンビなのだろうな、と思っただけだ」

「なっ……!?」

 

 赤面を見逃さなかった紫雨は亀鶴城の言葉を待たずに、畳みかける。

 

「羨ましいことだ。私にはそういう相棒はいないものでな。切磋琢磨出来る好敵手というのはそうは見つからない」

「ち、ちがっ、輪さんはそういう相手……じゃ、ありません」

「……違うのか?」

「も、もち……」

 

 もはや否定の言葉はいらなかった。口よりも、表情がその全てを答えていた。素直ではない、と紫雨は心の中に花が咲いたような暖かさを覚えた。

 

 

「――――いない、そうですかそうですか。紫雨さんレベルになると、私ごときは切磋琢磨するに値しない相手だと言うのですね……」

 

 

 紫雨と、そして亀鶴城はまるで背中に氷を入れられたような悪寒を覚えた。

 可愛らしい声とは裏腹に、淀みのない殺気のような何か。その声の主を、すぐに紫雨は特定出来た。というか、すぐそこにいた。

 

「何故にそこで体育座りをしていじけているのだ月夜殿」

「いーんですよいーんですよ。私は隅っこにいて、紫雨さんから相手にされないのがお似合いなんですから」

「……何か致命的な誤解をしているぞ月夜殿」

 

 流石に声を掛けざるを得なかった。何せ、保健室の隅っこで体育座りをしながら床に『の』の文字を書き続けられては黙っている訳にもいかない。

 歩み寄り、とりあえず頭を撫でてみるもののちょっと嬉しそうにしているだけで何も言ってはくれない。

 こういった時、一体どのような言葉を掛ければいいのやら。皆目、紫雨には見当もつかなかった。

 

「あたくしもしかしてお邪魔でして?」

「待って欲しい。私一人では正直手に負えない予感しかしないのだが!」

 

 濃厚に感じ取れてしまった亀鶴城の撤退の気配。ここを逃してしまっては全く未知の状況の因幡を一人で相手にすることになる。

 伸ばした手を止めたのは小鬼の僅かな呟きであった。

 

「……これはもう、紫雨さんが相手にしてくれるまで(なます)にしやがるしかないのではないのでしょうか……」

Je suis désolé(ごめんなさい)。あたくしは生憎と魚よりお肉派なので」

「亀鶴城殿ォ!」

 

 そそくさと出て行ってしまった亀鶴城を追いかけようとしたが、それを止めたのは他でもない因幡月夜という名の剣鬼であった。

 

「紫雨さん。どうやら私もまだまだ未熟者の一人。良ければお手合わせでもいかがでしょうか」

「ま、待て! こんな狭い場所で月夜殿の“抜き”に対抗出来る手段はない!!」

「一手、御指南いただきましょうか……」

 

 聞く耳持たぬと言った様子で、柄に手を掛ける因幡を見て、ようやく紫雨は悟った。

 何か失言をして、怒らせてしまったのだと。

 そうと決まれば行動が早いのが、東雲紫雨である。

 

「まあ、待て」

「わぷっ……!?」

 

 折れた竹刀が入った袋を抜かず床に置き、そのまま因幡を引き寄せる。いわゆるハグである。

 

「……不愉快だろうか」

「えっと……これは、何でしょうか」

「私が癇癪を起こした時、母上が良くこうしてくれた。私はそれで安らいだので、月夜殿にも同じ気持ちを、と思ったのだが……やはり駄目であろうか」

 

 因幡月夜に電撃が走った。これは、非常に有り。あまりこういう事をしてもらったことがない因幡にとって、この状況はもう少し味わっていたい蜜。

 何とかもう少しこの時間を引き伸ばしたい。しかして自分には五剣の一振りとしての矜持がある。その中間を掻い潜るような一手が欲しい。

 しかして、そんな計算とは裏腹に、紫雨へと伸びる腕が何とも正直な事である。

 

「そ、そんなことないです……が、その」

 

 一息つく。もしこれから先を間違えたら、とにかく恥ずかしい。

 これは今まさに、“抜き”の瞬間だ。当たれば勝ち、しくじれば死ぬ。そんな分かれ道。

 だが、なんと間の悪い事だろう。この温もりはそんな思考を塗り替えるには余りある凶悪さである。気を削がれまいと、何とか集中を保つ因幡へ、紫雨は最後の一撃を掛けて来た。

 

「もしや、膝枕の方が良かったのか?」

「膝枕を所望します」

 

 負けた――完全に、完璧に、自分はたった今、完敗した。

 

「なるほど、月夜殿は抱きしめるよりかは膝枕の方を好んでいたのだな。これは失礼した。ならばこっちへ来ると良い。これにて手打ちとしてくれれば嬉しいのだが……」

「……失礼、します」

 

 因幡はもはや白旗を揚げるだけの敗軍の将。後は為すがまま。敗軍の将は紫雨の手招きにより、自然と彼女の太ももへと頭が動いていく。ああ、これは仕方がない。これは抗いようがない魅力だ。

 だから、そう、例え言われた通りにしてもそれは、悪くない。

 

 

「東雲紫雨はここかのう?」

 

 

 その声を聞いた瞬間、因幡はぶち切れそうになってしまった。何とも空気の読めない。今しがた自分は幸せな時間に浸ろうとしていたというのに。

 そんな因幡の残念そうな表情には気づかず、紫雨は保健室へと入って来た女子生徒へと目をやる。

 

「如何にも私は東雲一刀流、東雲紫雨だ」

 

 小柄、しかして不遜。大きなリボンと白い羽織りを揺らしながら、女子生徒はずかずかと紫雨へと近づいてくる。

 只者ではない、と紫雨はその立ち振る舞いを見て、既に臨戦態勢となっていた。何より、腰に提げている剣が目に入ってしまってはいつでも竹刀を抜けるように構えるのは当然の帰結と言えよう。

 しかし、あくまでハッタリ。折れた竹刀で、どう戦えと言うのだ。

 その距離はやがて互いの“間合い”へ。

 

「口には気を付けよ。わらわはお主よりも年上じゃ」

「謝罪申し上げる。して、花酒殿は私に何の用でお越し頂いたのか、お聞かせ願えればと」

「何、噂の人物を一目見たかっただけじゃ。修学旅行から帰ってきて、真っ先にお主の元へと来てやったわらわに感謝するがいい」

「噂? 私が……?」

「応さな。何せ、この学園のシステムに楯突くばかりか我ら五剣にも刃を向ける奇特者じゃ、それは挨拶しておかなければ失礼と言えよう?」

 

 まるで真意を掴めない。風のような御仁だというのが、紫雨の感想である。

 戸惑いを悟られぬよう、心の波紋を抑える。

 ほんの僅かなやり取りだけで分かったことがある。この花酒相手に口ではまず敵わないのだろうと。

 そして、この類の人間がわざわざ労力をかけて、訪れてくるということは、それ相応の“厄介事”を持ち寄ってくることも良く心得ていた。

 

「私を矯正しに来た、と考えるのが妥当であろうか?」

「ひょひょ。それも悪くはないが、それよりも良い話がある」

 

 警戒はしてもし過ぎるということはない。意にそぐわなければ即断る。これくらいで良い。

 決して気を抜かず、紫雨は彼女の言葉に傾聴する。

 

「今、わらわはとある催しを考えておる。東雲の、そちも一枚噛まぬか?」

「……もちろん、内容を示さぬ花酒殿ではあるまいて」

「気を急くな。もちろん、どこの世界に内容も喋らず契約を迫る者がおるのじゃ? こほん。目的はたったの一つ、この学園の秩序を乱す狼藉者、納村不道に鉄槌を下すこと。それだけよ」

 

 そんなことだろうと、思っていた。それほどか、と。それほどまでに出る杭は憎たらしいものなのかと、紫雨は表情を抑えるのに必死であった。

 沸々と煮える感情に辛うじて蓋をし、とんだ狐へ向け、皮肉をちらり。

 

「……同じく問題児である私の力を借りなければいけないとは、月夜殿の目の前で申し訳ないが、よほどの人手不足であると捉えて良いのだろうか」

「ひょーひょっひょっひょ! こりゃあまた、包み隠さず抜かしおるのう! よりによって五剣最年長のわらわの前で良くも! とんだ度胸よのう!」

「花酒殿のような豪胆な御方には変に小手先を見せない方が礼儀を示せると思いましたので」

 

 ぴしりと、部屋の空気が凍ったような気がした。口にはしないが互いにどう出るのか見ていた月夜は先ほどまで閉じていた口をとうとう開いた。

 

「花酒さん、あまり紫雨さんを困らせてはいけませんよ」

「ここで出てくるか月夜姫。随分と東雲紫雨に肩入れしておるのう」

「この人は私の、お友達ですから」

 

 後半、少しだけ語気を強めたことに因幡自身、気づかなかった。思えば、こうして自分から誰かの事をはっきりと“友達”と言ったことは記憶にない。

 だからこそ、その記念すべき瞬間に腑抜けた語気は許されなかった。

 二対一。しかも、相手が相手。花酒の嗅覚はこの場における分の悪さを嗅ぎ取っていた。

 深追いしてはこちらが食われるのは明らかだろう。

 

「……時に花酒殿、お聞きしたいことが」

「なんじゃ?」

 

 これからの事を考えていた花酒とは対照的に、紫雨は先程から香る“不自然な存在”に対して、思考を巡らせていた。

 

「保健室の外に控えている者……いや、人間かどうか疑わしい気配は一体どなたであろうか? 是非とも挨拶をしてみたい、と」

「目ざといのう。何故分かった? 一応気配を消す術は伝授しているはずなのじゃが」

「東雲一刀流は風を読む故」

「ひょひょ。大したものじゃ! ならば入ってくるが良いキョーボー! そして括目せよ東雲紫雨! これがわらわの最強の相棒ぞ!」

 

 正直、とてもデキる相手だと内心ワクワクしていた紫雨である。それだけに、気配を巧妙に弄っていたのだろうと推察していた。

 だが、“足音”。それを聞いて、何かが違うと紫雨の心をざわつかせる。何だかこう、ドシンドシンと言った感じで。

 その御姿をようやく目の当たりにした時、紫雨は余りの非現実さに、“実は花酒殿は幻術使いなのではないか”とすら真剣に考えたぐらいである。

 

 

「……熊、だと」

 

 

 猟友会とか、警察とか、そんな単語が一瞬で駆け巡ってしまう大熊が、東雲紫雨の目の前に現れた。




久々に更新できました


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第十三話 首に突き付け合うは「思惑」

『なるほど。東雲紫雨さんは天羽斬々さんと相打ちでしたか』

 

 電話口の向こうで鳴神虎春が楽し気に笑う。

 いまだ顔を見たことが無い二人に対して、一体どこまで想像の翼を広げているのか従者たる祥乃には窺い知ることすらできない。

 

「肉体的には完勝。ですが――」

『小手先としては東雲さんの完勝、ということね。素晴らしいわ、本当に素晴らしい』

 

 たまには様子を聞いてみるものだと、鳴神虎春は心の底から喜んだ。

 学生と理事長の二足の草鞋を履いている虎春はことメリハリの付け方がしっかりとしているだけに、このような気まぐれは本当に珍しい。

 

『祥乃』

「何でしょうかお嬢様」

『あの泥棒馬と、あの東雲紫雨さん。どちらが上手?』

「は……?」

『貴方にしか聞けない質問よ? どちらとも手を合わせた貴方だからこそ、聞きたいの』

 

 奥の奥は分からない。だが、奥だけは分かる。今、己が仕える女性が何を考え、何をやらかそうとしているのかくらい分からなくて、お側役は務まらない。

 求める内容を絞り、そして発言する。

 

「どちらにも長所があるので、それは難しいです」

『驚いたわ。祥乃がどちらか決めあぐねるのなんて』

「……強いて挙げるのなら、“彼女”かと。例え“彼女”の“間合い”と戦闘スタイルを知っているとしても、容易には勝てないと思います。ですが、もし東雲紫雨があの時見せた以上の手札を持っているのなら――」

『良く分かったわ。ありがとう祥乃』

 

 面白そうに笑う鳴神虎春とは裏腹に、次はどんな言葉が飛び出てくるのか不安でたまらない藤林祥乃である。

 僅かな間。これでようやく胃が痛くなりそうな質問が終わるのかと思っていたら――そんな祥乃の不安を軽く上乗せしてくるのが現世最強の剣鬼である。

 

『今度の三連休がとても楽しみになったわ』

「……何と?」

 

 聞き間違いであって欲しい。否、聞き間違いでなくてはならない。彼女が来ると必ず嵐が吹き荒れる。

 今のこの学園の者達が彼女の起こす風に耐えられる準備などない。学園長としての矜持がぎりぎりの所で冷静さと客観性を保てていられた。

 そんな思考のさざ波を切り裂くように、鳴神虎春は王手を掛けた。

 

『ふいの学校訪問ってあるでしょう? 理事長なんですもの、それくらいはやっておかなくてはならないと思わない?』

「……移動手段を手配しておきます」

 

 詰みである。これは問いかけに見せかけた“決定事項”という事は良く理解している。だからもう、あとは彼女の思うように手を尽くすのみであった。

 

『ありがとう祥乃。私、そういう気が回るところ、好きよ?』

「……ありがとうございます。それではまた後程、連絡いたします」

 

 濁流のような状況に堰をするように、祥乃は通話を切った。溜め込んでいた緊張を静かに漏らし、執務机へと腰かける。

 

「……変なことが起きないと良いのだけど」

 

 祥乃に渦巻いている不安が色濃く見えるような一言であった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 現在の紫雨は、目の前の状況に理解を示せそうで、示したくなかった。

 

「花酒殿が呪い師の類では無いとするのなら、この大柄な御仁は現実に存在すると見てよろしいのだろう、か」

「ひょひょひょ。さしもの東雲一刀流とて熊は初だったかえ?」

「いや……久々に見たというか、何故学校にいるのか甚だ疑問なのだが」

 

 紫雨よりも一回りは軽くあるだろう巨躯を持つ大熊から聴こえる明らかな威嚇を箱詰めされた吐息。だが、何故だろうか。東雲紫雨の鼻孔をくすぐるは違和感であった。

 

「……石鹸の香り」

「うん? 何か言ったかのう?」

「いえ。……それで、花酒殿はその大熊をどうするつもりであろうか。脅しの刃にしては、随分と豪胆な。脇差程度かと思っていれば、斬馬刀を持ってくるとは」

 

 一拍置き、紫雨は更に言う。

 

「よほど交渉事が不得手と推察せざるを得ないが、如何に?」

 

 刹那、紫雨の視界から巧妙に外された花酒の人差し指がぴくりと動く。

 それが意味するは一つであった。

 

 

 ――少しだけビビらせてやれ。

 

 

 主の指示を正確に理解しているキョーボーは即座に、腕を振り上げる。

 何も殺すわけではない。寸止め、もしくは掠らせることによって運命共同体であり、主である花酒の命をこなすのだ。

 人間相手の簡単な仕事。そう、キョーボーは思っていたのに。

 

 何故だ。

 

 “全く腕が振り下ろせない”ということは一体何事なのだ。キョーボーは低い唸り声でその疑問を吐き出していた。

 否、原因は分かり切っていた。

 

「……不調か? キョーボー殿とやら」

 

 熊という生物はおよそ人間がどうにかなる生物では無い。銃や罠、戦術などという文明の結晶を最大限に行使し、ようやく同じ土俵に立てるのだ。

 その君臨者たるキョーボーの眼光に映るのは、自身を見上げている東雲紫雨他ならぬ。

 そのはずなのだ。

 ならば彼女の瞳から、背から、全身から噴き出る威容は一体何に例えれば良いのだろうか。

 

「キョーボー……?」

 

 一向に動かぬので、花酒が声を掛けるも、答える余裕すら今の君臨者には微塵も存在していなかった。刹那でも目を逸らせば一息に喉元を噛み千切られそうな凄みが楔と化している故である。

 

(……紫雨さんが動いたら、うっかり私が“抜いて”しまいそうです)

 

 傍らで事の成り行きを見守っていた因幡月夜は、キョーボーが圧されている威容に名前を付けることが出来た。

 視覚を失った代わりに与えられた超聴力が、保健室内を震わす空気を立体的に拾い上げ、一匹の竜を濃厚に描き上げた。

 

(形があるはずなのに、どこか希薄。これを例えるのならばそう――雲竜)

 

 紫雨がこのような大熊と出会ったのは何もこれが初めてではない。

 冬眠明けの大熊と相対した時に比べれば、まだまだ理性がある存在。

 リラックスしていた雲竜が凝視する先はキョーボーの頭部である。戦心(いくさごころ)が十二分に備わっている竜のかぎ爪は最初から臨戦態勢だったのだ。

 

「……よい、キョーボー。下がれ」

 

 花酒もここでようやくキョーボーの異変に気付いた。そして、その原因たる東雲紫雨にも。

 

「あい分かった。どうやらこの場はわらわの負けのようじゃ。ならば時間が惜しい。色々と手回しをせねばならぬでのう」

「手回し?」

「さとり姫――眠目さとり。お主はもう会ったかのう?」

 

 紫雨の脳裏に、顔があるはずなのに“顔”が全く見えない幽鬼の存在が過ぎった。

 

「掴みどころのない、まるで物の怪の類かと思った程でした」

「然り。五剣メンバーで決を取る会議に諮り、催しを決行するのじゃが、さとり姫は間違いなく乗ってくる」

「鬼瓦殿と亀鶴城殿は?」

「彼奴等は納村に首ったけじゃ。あり得まいて」

 

 そこで月夜が口を挟んできた。

 

「私は特に意見がありませんので、お好きな方でよろしくお願いいたします」

「という事は、わらわとさとり姫で賛成二票。あの二人で反対二票。月夜姫は票を放棄している訳じゃ。そして! 五剣において年長者の意見が優先されるので、もはや『ワラビンピック』の開催不可避!! 高まってくるのう!!」

「花酒殿は賑やかな事が好きなのだな」

 

 ここまで話しておいて今更思ったことがある。

 分かりやすいのだ。目的はとっくの昔に聞いている。そして、ここまでのやり取りも単に自分に協力を求めているだけ。

 そして――次の言葉を聞いて、紫雨は少しばかり前向きな考えをすることにした。

 

「学園の秩序と盛況を司るのがわらわでな。それを為すために頭を下げなければならぬのならばいくらでも下げてみせようぞ」

 

 傍若無人、というのは間違いない。だが、その心根にあるのは愚直なまでの……。

 

「一応確認させていただきたい。納村殿と直接戦う訳ではないと考えて良いのだろうか?」

「それも考えておったのじゃが、ある意味それよりも難題を任せようと思っておる」

「難題?」

 

 いつの間にかキョーボーの肩に乗っていた花酒はどこか遠くを見つめる。

 

「眠目さとり。あやつは何を考えておるか分からん。わらわの予想が正しければ先ほども言った通りすぐに賛成票を寄越すのは間違いない。しかして――」

「あの人はまあ、自由気ままです」

「月夜姫の言う通りじゃ。何をやらかしてくるのかがまるで想像がつかぬ」

 

 そこでようやく心得た紫雨はその正解を口にする。

 

「……確かに難題だ。あろうことに“眠目さとりを抑えろ”などとは」

「非常に腹立たしいが、わらわの手駒でさとり姫を抑え付けるのはまず不可能である。そして、あやつは鼻が良い。グループに属している多数が何かをやろうとすると必ずその“予兆”の匂いを放ってしまう」

 

 一拍置き、花酒はキョーボーをちらりと見た。

 

「そこで必要なのが孤狼じゃ。キョーボーを一睨みで制したその実力を見込んで、わらわは改めて頼みたい」

 

 キョーボーから降りた花酒が頭を下げた。

 

「この学園の為、眠目さとりを抑えて欲しい。何も起こらないに越したことはないのじゃが、それでも、頼む」

 

 ここまで誠意ある礼をされ、何も思わぬ紫雨ではなかった。

 それに、と紫雨は幽鬼の顔が浮かんだ。

 眠目さとり。彼女は何も分からない故に、危うい。だからこそ何か起きてからでは遅いのだ。

 

「……私も眠目殿は気になる。目に余る行為があれば、諌めるくらいはさせていただきたいとは思っている」

「ひょひょひょ! 頼もしいのう! 月夜姫はそれで良いか? 東雲を横取りするようなことになるのじゃが」

「っ! わ、私は何も問題はありません! 良いです! 紫雨さんをどんどん使ってください!」

 

 すごく顔が真っ赤になっている月夜。指摘したらきっと斬られてしまうのは目に見えている。

 

「私の意思は……」

「良いんです! 紫雨さんはどんどん切った張ったをしてやがればいいんです!!」

 

 何も納村だけの問題ではない。それこそ不特定多数を巻き込むような事をしでかそうというのなら、それだけで動くに値する。

 

「……心得た。花酒殿の指示には従う。だが、道理が通らぬ事なら断らせてもらうという条件が付くが」

「良かろう。正直、半ば諦めていただけにその答えは素直に嬉しいぞよ」

 

 それには答えず、紫雨は視線を宙へと彷徨わす。

 

(それだけという理由でもないがな……)

 

 伽藍洞。眠目さとりは、その一言に尽きる。

 喜びも怒りも哀しみも楽しみも、その全てが何も感じられず、あろうことに予想すら出来ないというのが何とも不気味で――放ってはおけない人物で。

 瞑目し、反響するは一言。

 

 

 “今度会ったら~~――――命、懸けてねぇ?”

 

 

(委細承知している、眠目殿。全霊を懸け、私がお相手仕ろう)

 

 分かり合う作法なぞたったの一つしか知らぬ東雲紫雨に、悩みなどなかった。




緑野さん(@minano_mp) にこの武装少女マキャヴェリズム~東雲に閃く刃~の主人公である東雲紫雨を描いていただきました!ほんとうにありがとうございます!凛々しさと可愛さが混じっていい感じです!


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第十四話 「嵐」の前の静けさ

約半年ぶりの更新になります!


「――のう、東雲? 実になっとらんと思わんか? 鬼瓦に亀鶴城、納村にすっかり骨抜かれておるわ」

「……わざわざ私を呼び出して言うことがそれ、というのは中々に考察が深まるな」

 

 翌日、紫雨はあろうことに花酒蕨によって、屋上に呼び出されていた。昨日の今日で、一体何が彼女の琴線に触れたのか。ひたすらに分からない。

 おかげさまで、昨日までは何とか保てていた敬語が完全に失せてしまった。

 そして、何より彼女の隣にいるキョーボーが何やら可愛らしく見えているのはきっと気のせいだと信じたい。

 

「そう嫌うな東雲の。わらわはお主のことをだいぶ気に入ったのじゃがなぁ」

「そう言って頂けるのは恐悦至極だが、それでも私はいまだ花酒殿の真髄を知らぬ。故に、警戒させてもらう」

「ひょひょ! へりくだらぬのう東雲! 最上級生たるわらわがこれだけ寵愛を与えておるというのだ。普通は有難がろうて」

 

 本気で言っているのかいないのか、全く読めない時点で言葉を覆す気の無い紫雨であった。

 この身修めている流派は理不尽に突き立てる牙なり。そんな自分が、権力に身を任せることは、あってはならない。

 

「そうのたまうのならば、せめて花酒殿がやろうとしていることの大義を教えて頂きたい。何故、ワラビンピックなる催しを開催するに至るのか」

「ほう、やはり気になるか」

「花酒殿ほどの人間ならば、享楽によっての暴走はしないと思っている。だからこそ、知りたいのだ」

「何を?」

「大義は何処に?」

 

 ここまで聞いておいてなんだが、紫雨は端から予想がついていた。これはそう、あえて言うのなら、“答え合わせ”。

 

(これで私の思う答えでなかったのなら、首を差し出そう)

 

 対する花酒、想定外のことを聞かれ、思わず目を丸くする。しかしてそれは悪い方向ではなく、むしろ逆。

 愉快。この二文字に尽きた。

 

「のう東雲。大義とは一体何を示しておるのじゃ?」

「天道様へ顔向けできること。これ以外にあるまいて」

「ひょひょ! 少しは逡巡する所ぞよ!」

「回りくどいことは良い。本題を」

 

 シン、と静寂が支配する。

 それを見守っていたキョーボーが全く動けなかった。何せ、殺気と殺気が鍔迫り合いどころか打ち合っているのだ。戦力はまるで軍勢。

 思わず紫雨はいまだ折れたままの竹刀を抜き、竹刀袋を捨てそうになった。合戦の心得へ自然と移らんばかりには、紫雨の戦心は鈍ってはいない。

 

「わらわも最初から言うておろう。わらわの為すことの全ては、この学園の天下泰平よ。それこそが大義。分からぬお主かや?」

 

 しばし視線を交わし、やがて折れたのは紫雨である。

 

「……今回の役回りを引き受ける上で一つだけ、要求したいことがある」

 

 この場で取引事。花酒は少しばかり警戒の方面へ頭が動いた、が。紫雨の次の言葉でそれが全くの杞憂であることを思い知らされる。

 そも、東雲紫雨があえて舌戦に移行するなぞあり得ないと思えたからだ。

 

「武器が欲しい。見ての通り、私の今持っている竹刀はへし折れているのでな。出来れば無償で、良い物が、欲しい」

 

 何てことはない。こういうことなのだ。むしろ花酒はもっとドぎついことでも要求されるのかと腹を据えたほうである。

 

「意外ぞよ東雲。そこまで大胆な事も言えるのかや」

「高い確率で命を懸けることになるのだ。腰に提げる物はそれなりに拘りたい」

「よかろう。ならばこれを持って行くが良い」

 

 投げ渡された物を掴んだ紫雨はすぐそれに気づいた。何とも見事な造りの竹光である。

 刀身をなぞり、すぐに紫雨はその竹光の“質”を肌で感じとる。

 

「これは……」

「おお、流石、見る目はあると言ったところかのう?」

「本赤樫の竹光……それなりに拘るとは言ったが、まさか最上をもらえるとは思ってもいなかった」

「見くびるでない東雲の。三流には三流を、一流には一流を渡せずして何が花酒蕨よ。それは、わらわなりの激励じゃ」

 

 そこまで高く買われていては情けない事は出来ない、と再び紫雨は気を引き締める。背負っていた竹刀袋へと丁寧に納めるのを見届けた花酒が一声。

 

「駄賃は渡した。なれば、ワラビンピックの解説に移ろうぞ!」

 

 どこからか持ってきたホワイトボード。ボードマーカー赤、青、緑、黄、黒。クリーナー二つ。そして傍らで嬉々としている彼女を見て、実に懇切丁寧な解説になるのだろうと紫雨はざっと一時間辺りを覚悟した。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「……予想はしていたが、まさか本当に一時間も掛かるとは……」

 

 見事な解説。お陰で良くワラビンピックなる催しの全てを理解出来た。途中、キョーボーの愛らしさを語る場面が多々あったような気がするし、むしろそっちのほうに重きを置いていたような気もしたが、それはもう振り返らないようにする。

 時間はいつの間にか昼。紫雨の昼食は常に握り飯二つなので、場所はどこでも良い。

 ふらりふらりと歩いて辿り着いたところこそが、食事の場所なのだ。

 

「結局屋上に来てしまった……何というか、こう、もう少しだけ眺めが良い場所があれば良いのだろうが」

 

 言いながら、歩を進める先は風景が良く見える鉄柵の近く。既に常連と名乗って差し支えないだろうその場所に、今日は“先客”がいた。

 

「あれぇ~~? もしかしてぇ~~東雲ちゃ~~ん?」

 

 目を合わせなくても分かった。

 決して力の入った声ではないというのに、腹の底から掻き回されるような強烈な感覚。

 見ている、とすぐに感じた。だが、紫雨はその方向へは顔を向けず、ただ真っすぐに歩くのみ。

 

 ――次に会った時は命を懸ける。

 

 それは紫雨にとっては、しかと視線を交わし刃を向けるということ他ならない。

 故に、目を合わさない。

 黙して握り飯を食すのみ。食事の時くらいは何も考えずにありたいものである。

 だが、既に間合いに入っている物の怪相手に、そのようなささやかな願いは聞き入れられるわけがなかった。

 

「ねえねえ~~東雲ちゃんもここでご飯~~?」

「そうだ。だから構ってくれるな。今は昼餉(ひるげ)の時間だ」

 

 ぴょこぴょことアホ毛を揺らしながら眠目は紫雨の周りをうろつき出す。だが、絶対に紫雨は目を合わさない。

 眠目も、その事には気づいているが口には出さず、ただ紫雨を妖しく伺うだけ。

 

「ふ~~ん、だったらぁ~~そのおにぎりをもし~~」

「……先に言っておくぞ眠目」

 

 おにぎりを一齧りしたまま、紫雨は宙へと視線を彷徨わす。今日のは自信作なのだ。この塩加減に辿り着くまでにいったいどれほど時間を掛けたか、思い出したくない。

 なのに、それだというのに。

 

 

「私 は 食 事 の 邪 魔 を さ れ る の が 一 番 嫌 い だ ぞ」

 

 

 刹那、眠目さとりはつい刀を抜きそうになった。いや、もう抜いていたのかもしれない。そんな曖昧な状態になる程には、東雲紫雨という剣士に魅せられたといってもいいだろう。

 だからこそ、最大限“からかいたく”なる。

 眠目は紫雨から視線を逸らし、控えていた“一番マシな”近衛である『ミソギ』へ指だけで合図を送る。

 軽く手でも狙い撃ちにして落とさせてやるつもりだった。いつもならばこんな子供みたいな嫌がらせなどしない。しないのだが、何故かこの東雲紫雨はそんなことをしたくなってしまうのだ。

 

「……」

 

 紫雨の背後を位置取るように控えていたミソギは言われるがまま、吹矢を構える。

 吹矢術を修めているミソギにとって、目を瞑っても当てられる距離。

 気配を、挙動を、その一切読まれることはない。ただ己に課せられた使命を全うすべく、ミソギは吹き口へ唇を寄せていく。

 

「ッ」

 

 そして、放たれた魔矢。狙いは紫雨の手元。ありとあらゆる要素を瞬時に計算しつくした至高の一射。

 空を割き、推進する一撃は無事に紫雨の手元へ直撃する。普通ならば何も考えることはない。ただ、当たる様を確認するだけ。

 しかしホッケーマスクの奥から覗くミソギの視線は僅かながら強張っていた。

 得も言われぬ不安がミソギの背を撫でる。そして、彼女はこういう時には一体どういう結果になるのかを知っていた。

 

「言ったはずだぞ」

 

 ゆらりと雲竜が歩き出す。指に挟まれた矢をへし折り、その眼前にはミソギの姿。

 臨戦態勢の段階を越えていた紫雨は、既に眠目とミソギの両方へと意識を巡らせていた。眠目はただ笑みを浮かべたまま動じず、ミソギはその戦意を受け武器を構えた。

 食事を邪魔されるのが一番嫌いだ――そう言いながら紫雨は竹光を納めていた竹刀袋を左手へ握る。

 

「ミソギちゃ~~ん、本気で、やってねぇ~~」

 

 眠目の表情に笑みは無かった。這い寄る闘気。ここから読み取れる戦力は眠目には十全以上に感じ取れていた。

 手こずる、と素直に眠目はそう思っていた。だからこそミソギで“終わらせる”。その心積もりがあった。

 

「テン――ソウ――メツ」

 

 必滅の呪言を口ずさみ、ミソギは音もなくにじり寄る。

 対する紫雨は一挙手一投足すら見逃さまいとしかと目を見開く。

 その間合いは既に互いの必殺、そして必中の距離まで詰めていた。否、少し語弊がある。紫雨が一手譲れば、の話である。

 

 空を切る音。

 

 同時に、紫雨が竹光を翻していた瞬間でもあった。遠くの床に、吹矢が落ちる音が一度。

 速度を考えればもはや勘に近い。しかしそれに頼らなければいけないほど、紫雨は“テンパっていた”。

 吹矢を使う者との戦いはこれが初めての紫雨。その知識は聞きかじった程度でしかない。

 厄介なのは距離を選ばない柔軟な戦術にある。

 遠くにいれば吹矢が飛び、そして近くに行けば――。

 

「疾ッ――」

「テン、ソウ」

 

 装填の隙を与えず、紫雨は大上段の構えから竹光を振り下ろした。得体の知れない相手に対しては常に先手必勝。

 いつ握り直したのか、筒でしっかりと防ぎ、返す刀でミソギの魔手が紫雨の得物を落とすべくにじり寄る。

 必殺の確信が、ミソギにはあった。ここから一気に関節を絞め、無力化するのが身に沁みついた流れ。

 対する紫雨は竹光を振るった直後から、ミソギから伸びる魔手を捕捉していた。

 

「南無……ッ!」

 

 ミソギは速かった。いくら近場でのやり取りに熟練している紫雨と言えど、この速度の拘束から逃れる術は皆無。

 ならば、自棄になるしかない。紫雨はもつれ込むように前のめりに体重移動をかける。

 肩からミソギへぶつかり、そのまま上から一気に押し倒す。さしものミソギもこの野蛮な戦術を予測出来ず、背中から地面に接触する羽目となった。

 微かに息を吐き出す音が聞こえた。その吐息を聞き、今相対しているミソギが流石に機械の類では無かったことに、紫雨は少しばかり安堵した。

 だからこそ、ずっと気になっていたことがある。

 

「今の吐息を聞き、疑惑は深まった。何故、貴方はそんなに眠目殿と“似ている”のだ? 雰囲気、と言えば良いのだろうか……」

 

 ミソギの仮面へと紫雨は手を伸ばす。仮面に手が触れた時、弾かれたように紫雨は反射的に振り向いた。

 

「それ以上は~~知り過ぎだよ~~?」

「眠目殿……そこまでしたいかッ!」

 

 いつ紫雨の背後まで近づいてきたのか、眠目は既に凶刃を振り下ろしていた。避けられる、が“避けられない”。

 

(この仮面の女子諸共だと……!!)

 

 この軌道は間違いなく当たる。避ければミソギに斬撃、避けなくても紫雨に斬撃。二者択一。故に、許されない。

 

「ふざけるなッ!!」

 

 柄頭でミソギの刀身を殴り、そのまま竹光を振るい、距離を開けた。

 武器を構え、眠目に注意を向けつつ、紫雨は倒れたままのミソギへと視線をやる。正確には、牽制ついでに払っておいた仮面の下の“素顔”にだが。

 

「……随分と顔がそっくりだな。貴方は姉か? 妹か?」

 

 次の瞬間、紫雨は全身が凍り付いたのかと錯覚した。この今、自分が向けられている感情は一体何なのか。喜怒哀楽、そのどれもが近しくない。

 

「私~~やっぱり東雲ちゃんのこと――嫌いだよ」

「そうか? 私は存外好きになってきた」

 

 斬り掛かってくるか、そう思って構えていると眠目は刀を納めた。先ほどまでの吹き荒れた感情は幻だったとも言わんばかりに。

 

「退くのか?」

「こんな所で紫雨ちゃんに勝っても~~悔しがらないだろうから~~」

「いつでも腹掻っ捌く覚悟は出来ているのだがな……」

 

 ミソギはいつの間にか消えていた。一体どこに行ったのか、それを探ろうとしても無意味だろう。

 眠目も既に屋上の出入り口へと立っていた。既に貼り付けられていた笑顔には、もう感情は込められておらず。

 

「じゃあね~~どうせ明日でしょ~~アレ。楽しみにしてるよ~~」

「アレ。何のことやら」

「ふ~~ん。ま、良いや~~紫雨ちゃんも、色々大変だよね~~」

 

 眠目はそのまま去り、紫雨はその背中をただ見送った。

 

「……相変わらず掴みどころのない。だが、それが魅力なのだろうな」

 

 念のため全方位に気を配りつつ、そのまま先ほど昼食を食べていた場所へと静かに戻るや否や、食べかけの握り飯へと手を伸ばした。

 

「む」

 

 少しの時間、冷たくなっていた握り飯に放心していた紫雨。

 このモヤモヤとした気持ちのやり場が分からず、堪らず空を見上げた紫雨はぽつりと呟いた。

 

「……策は成功しているぞ、眠目殿」

 

 やはり、握り飯は冷たかった。



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第十五話 始まった「祭り」

 今日も良い朝である。そして、戦という意味でも非常に良い朝だ。

 五時には目が覚め、ラジオ体操その他諸々全てクリア。後はワラビンピックなる催しの開催宣言を待つだけの紫雨。

 

「……早く起きすぎたな」

 

 学校が始まる時間に合わせて行われるであろうことは予想できていたのだが、遠足を楽しみにする子供よろしく全く眠れなかったというのが最大の理由。

 居ても立っても居られない紫雨は現在、校舎をうろついていた。校舎の地理を再確認するという意味も込められている。

 あと数時間もすれば、ここは全力を賭す戦場と化す。今のうちに平和を噛み締めていると、紫雨は不意に立ち止まる。

 

「……」

 

 すり足の要領で重心を落とし、ほぼ無音に近い状態で廊下の角まで歩みを進める。

 紫雨は肩に掛けていた竹光を納めている竹刀袋を音もなく降ろし、しっかりと握り、そして角の向こうへと思い切り振り抜いた。

 

『メッ……!!』

 

 くぐもったうめき声。間髪入れず、紫雨は躍り出る。

 予想通りの人物であったことは一旦保留し、即座に短筒を握っていた右手を固め、押し倒す。

 関節を完全に極め、あとは腕がイカれるかどうかの瀬戸際。その状態のまま紫雨は空いた手でホッケーマスクへと手を掛けた。

 

「花酒殿から聞いている! ミソギだな! そして、聞け! このまま私からその仮面を奪うのは吝かではない。だが、私はあくまでも冷静に話合いを所望する」

 

 竹刀袋へ手を伸ばし、続ける。

 

「これから手を離す。十、数える間に仮面を取ってくれ。取らなければ気絶させて剥ぎ取る」

 

 オブラートに包んで言うのなら、どちらを選択してもとにかく外せ。それだけである。元より交渉は不得手中の不得手なのだ。

 自然と、紫雨は腕に力が入った。

 

『……テン、ソウ』

「本気で殴って、剥ぎ取りたくはない。分かってくれ」

 

 しばしの沈黙の後、もはや逃げ道はないと悟ったのか、ミソギはとうとうホッケーマスクへ手を掛けた。その指が少しだけ震えていたのを、紫雨はあえて口には出さなかった。

 そして明かされた“素顔”を見て、彼女は一言だけ。

 

「……声が似てると思ったが、“顔も”か」

『それ、は……』

 

 同じ。全く、同じなのだ。

 眠目さとりと同じ顔を見て、眠目がミソギ相手に振る舞っていた態度を思い出し、それでもなお、紫雨は唇を真一文字に引き結ぶ。

 

「やんごとなき事情があるのは、分かった。故に、教えて欲しい。眠目さとりとは“何者”なのだ?」

『……』

「隠すと為にならないと思うぞ」

『……!』

 

 ミソギは理解していた。目の前にいる東雲紫雨は手段を選ばない。竹光の刃先から香る“本気”。腹を、決めることにした。

 

 ――まだ、どうにかなる訳にはいかない。

 

『話、します……』

「それは僥倖」

 

 竹光を突きつけてようやく得られた言葉。暴力的と罵られようが、今の紫雨に許されるのはこのような手段のみなのである。

 そして、ミソギの口から飛び出るのは紫雨を動揺させるには十二分に過ぎた。

 

 ――薮を突いて、蛇を出してしまったな。

 

 紫雨は思わず内心、溜息をついてしまった。

 単純な事情でないことは察していた。だが、それにしてもこれは些か度を越している。

 

(姉妹までは察しがついていた。だが、それにしても……よもや、眠目殿とミソギ殿の名前が“そもそも逆”とは)

 

 そもそもの二人。ここにいる“姉”であるミソギ、そしてどこかで様子を伺っているのであろう“妹”である眠目さとりは、幼少期は真逆の振る舞いをしていた。

 今のさとりはどこかオドオドとしており、そして今のミソギは全てを我が意のままにしたいと。

 些細なきっかけとも言えた。

 当時の同年代の子供が登るの少しばかり骨が折れるジャングルジムの一番高い所に“妹”がいたのだ。

 それが気に食わなかった。何でも要領よく“姉”から奪っていく“妹”が許せなかったのだ。

 

 ――どいて!

 

 我慢出来なかった“姉”は“妹”を突き飛ばそうとした。そこにいるべきは自分なのだから。

 結果は今の力関係である。

 当然の気持ちで、当然のように腕を伸ばした“姉”は、逆に“妹”に突き落とされてしまったのだ。

 

『わた、し……知らなかっ……た。“私”があんなに醜い、顔を……していただなんて』

「……事情は相分かった。まずは謝罪したい。少しばかり踏み込みすぎた」

 

 頭を下げ、紫雨は言う。

 

「そして腹が決まった。やはり眠目殿とは決着をつける」

『さとり、ちゃんと……?』

 

 ミソギは思わず紫雨の顔を見やった。顔を上げた彼女の顔はどこか優しげであった。

 

「ああ。今の彼女は善悪がまるで分かっていない。ならばきっちりと教えよう」

『酷い、ことは』

「申し訳ないが、手荒なことはするつもりだ。……ふ、まだ私は眠目殿と付き合いをもつスタートラインにも立っていなかったのだな」

 

 竹刀袋に竹光を納め、紫雨は歩き出す。その足取りには確かな力が込められていて。

 

 ――花酒殿、物を貰っておいて悪いが片手間になりそうだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 時刻は始業の少し前。

 賑やかに、だけど騒々しくその催しは開催された。

 

「……いくら眠目殿が破天荒だからと言って、“どこからやらかしてくるか分からないからウロウロしていろ”。は些か形が掴めない指示だと思うのだが」

 

 何気なく窓から外を見ると、血の祭典ワラビンピックは始まっていた。

 紫雨は少しばかり憂鬱であった。なにせ、この催しの内容が内容であり、自身は加虐側に回っている。色々とやり取りがあったとはいえ、良い気持ちになれるわけがなかった。

 ワラビンピックを要約するのならば、公認私刑である。

 花酒蕨、そして三人と一匹の親衛隊を主軸に矯正対象へ様々な折檻をするこの催しは紫雨が知る限りで、一番荒っぽいやり方だ。とあるメニューを行った結果、ボヤ騒ぎにまで発展したとあってはこの考えは恐らく変わる事は無いだろう。

 ふと、納村の様子が気になり、紫雨は窓へと近づいた。折檻するまでは聞いていたが、何をやるかまでは聞いていなかった。

 内容が余りにも非人道的ならば割って入る事も辞さない、そんな考えを漂わせつつ、彼女はワラビンピックの舞台へと視線を向けた。

 

「……うむ、いたって普通で安心した」

 

 熊、キョーボーがいた。それは良い。花酒の従者ならぬ従熊なのだからそれは当然だ。

 だが、ならばそれと真っ向から対峙している納村不道はこれから一体何をさせられるのだろうか、と思案していると、複数の戦意が紫雨の警戒網に絡みつく。

 

「さて、来たか」

 

 複数のホッケーマスクの生徒たちを前にしても、紫雨の表情は一切揺らぐことはなく、ただこの後に現れるであろう眠目のことが頭にちらついていた。




とてもとてもお久しぶりです。
約1年ぶりの更新となりました。

不定期ではありますが、更新は続けていきたいと思いますので、お付き合いいただければ嬉しいです!


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