Fate/white seed (華鈴糖)
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prologue/白の落胤





落とされた種。








 咽せるような鉄の匂いが充満している。空気は生温く、べたべたと肌に触れ不快にさせられる。この独特の空間を衛宮士郎は味わったことがなかった。

 白い壁、白い天井。部屋の中央を陣取る聖台を前にして士郎はなんとなくこの部屋に『分娩室』という名前を当てた。それが適当に思えたのは、目前の聖台の上に大量の血液とともに生まれたばかりの赤子が寝息をたてていたからである。

 

 赤子は不思議な容姿をしていた。まだしわくちゃの顔や手足は、見る者を不安にさせるほど病的に白く、また、うすらと生える髪の毛も血に汚れてはいるものの同じく白いことが分かった。

 世間でようやく定着しつつあるアルビノであるが、未だその存在は奇異の目で見られている。しかし士郎は赤子の姿に驚きはせず、冷静にこれがアルビノと呼ばれるそれでないことを悟った。そして静かに絶望をしたのである。

 

 ふと佇む士郎の背中に声をぶつける者がいた。

 

 

 

 「どうするの?」

 

 

 

 聞き覚えがあり、士郎は思わず振り向いた。

 しかしそこには何も無い。空白ばかりが士郎を見つめ返す。困惑し眉を潜める彼の耳に、再び同じ声が現れた。それは小鳥の囀りのような微かで可愛らしい音色を奏でながら、士郎の背後や隣、はたまた真下を跳ねる。

 

 

 

 「幻聴、か」

 

 「シロウがそう思うならそうなのかも」

 

 「イリヤは死んだんだ」

 

 「イリヤは死なないよ、だってもともと聖杯に生かされていたんだから。イリヤはただ戻されただけなんだから、シロウは知っているよね?セイバーとお別れしたのと同じだよ」

 

 「…………」

 

 

 

 姿なき声は楽しそうに笑い声をあげた。

 

 

 

 「シロウの幻聴なら、口で勝てるわけないんだよ?だってイリヤが口喧嘩が強いのシロウが一番分かってる」

 

 「そうだったな」

 

 

 

 士郎は静かに頷いた。少女との僅かな時間を思い出す。無垢すぎるが故に波乱ばかり起こしていた彼女の笑顔が、いますぐにでも思い浮かぶ。手を伸ばせばそこに彼女がいるようなほどに喪失感はなかった。それほどまでに急に失ったのである。

 だが寂しいことに士郎の鍛えられた直感は、少女との未来を想像出来ずにいた。再会をイメージできなかった。それを察したように幻の声は士郎の背中に寄り添う。

 

 

 

 「その子はイリヤだよ」

 

 

 

 少女と同じ色をした赤子。

 人目見たときから、士郎はそれが分かっていた。

 

 

 

 「無理矢理取り出された、イリヤの一部」

 

 「小聖杯なのか?」

 

 「まだちがう、でも可能性はある」

 

 「アインツベルン……!」

 

 

 

 怒りを込め、聖台に拳を叩きつけた。

 台が揺れ、僅かに赤子が反応をする。

 

 

 

 「殺しちゃう?」

 

 

 

 幻の声がやけに冷静に聞いた。

 士郎はびくりと強張る。生前の少女は、善悪の基準のつかない残酷な一面を持っていた。士郎とてその一面に殺されかけたことが何度もある。だがこれば幻聴だ。言うなれば彼女の言葉は士郎の深層心理の言葉である。

 それを振り払うように首を振った。だめだ、という言葉は喉につかえて出てこなかった。

 

 

 

 「どうして?」

 

 「そんなこと出来ない」

 

 「この子はアインツベルンの操作を受けているんだよ?それに、聖杯の汚染はまだ完全に消えたわけじゃない」

 

 「それでもだめだ!」

 

 「それが世界のためだとしても?」

 

 「イリヤを殺すなんて出来ない……」

 

 

 

 しばらく、互いに間があく。

 

 

 

 「シロウのばか」

 

 

 

 それはよく少女に言われていた台詞だった。

 姿がなくとも、幻聴であろうとも、もう一度同じ台詞が聴くことができ士郎は少し微笑んだ。

 聖台の赤子はむにゃむにゃと眠る。

 

 

 

 「その子はシロウにとって毒だよ」

 

 「……大歓迎さ」

 

 「それにその子は永く生きることは出来ない」

 

 「大丈夫、死なせない」

 

 「…………そう」

 

 

 

 士郎は静かに赤子を抱き上げた。起こさないようにそっと。何も知らない赤子は気持ちよさげに士郎の腕に収まった。意外に温かなその身体は生命と力に溢れている。鈍感な士郎でさえ、赤子があらゆる善悪の元凶たる可能性を秘めていることに気付くほどに。そしてだからこそ、他人の思惑で生まれ落とされたこの赤子を、見捨ててはいけないと思った。

 士郎は幻の声に対して深い罪悪感を抱く。

 

 

 

 「ごめんな、イリヤ」

 

 「イリヤは大丈夫」

 

 

 

 優しい声。

 泣き出しそうだ。

 

 

 

 「だって士郎はイリヤを忘れない」

 

 「ああ」

 

 「イリヤも士郎のこと忘れないよ」

 

 「ああ」

 

 「今まで守ってくれてありがとう。そばにいてくれてありがとう。今度はその子のこと守ってあげてね、いじめたらだめだよ」

 

 「…………いりや」

 

 「シロウのことまだ心配だけど大丈夫」

 

 「イリヤ!」

 

 「その子がいれば大丈夫……」

 

 

 

 何故だろう。

 もう少女とは会えない気がした。もうその声を聴くことが出来ない気がした。彼女の存在が消えていく気がした……。

 

 

 

 「オレの方こそ、ありがとう」

 

 

 

 精一杯の台詞だった。早くに家族を失い、養父を失い、あらゆる悲しみを受け止めてきた彼の、小さな少女への感謝の気持ち。

 

 寂しかったのは自分だったのだ──。

 






クオン・フォン・アインツベルン

アハト老の予備体により攫われたイリヤから、無理矢理取り出された彼女のほんの一部。その一部が子宮部分だったために赤子の姿を象り、またアインツベルンの操作を受けたため小聖杯たる可能性を秘めている。クオンはイリヤ救出のためにアインツベルン城へと訪れた士郎により、新たな人生を歩み始めた。





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chapter1/無垢鳥




善を悪に、光を闇に。








 薄暗い洋館の一室で、一組の男女が向き合っている。

 男の方は鍛え上げられた上半身を露わにし、女はその白く細長い指を男の褐色の肌に這わせる。一見情事の最中かのような艶めかしさがあるが、二人の深刻で重苦しい空気はそれを打ち消している。

 しばらく二人はそうしていたが、やがて女が徐に立ち上がった。緩く巻いた長い髪をかき揚げ首筋の汗を拭う。かなり疲労をしているらしく、形の良い眉の間には深いシワが刻まれていた。

 

 

 

 「いつも悪いな、遠坂」

 

 

 

 遠坂と呼ばれた女は上着を羽織る男を一瞥する。

 

 

 

 「……ふん、高くつくわよ」

 

 「分かってるよ」

 

 「馬鹿ねウソよ」

 

 

 

 遠坂凛は意外にも柔らかく微笑んだ。

 こうして凛と、そして衛宮士郎が対面するのは久しいことである。主にロンドン近辺で活動をする多忙な凛が日本に帰国するのは年に数回しかなく、士郎は士郎で国内と国外を日帰りで行き来しているため、会うことの出来る時間は少ない。しかし今日ばかりは二人ともわざわざ時間を開けた。

 それは恋人同士の逢瀬のためではなく、友人達の近況報告会でもない。医者と患者の診察のそれである。とはいえ、凛は医者ではない。ないのだが、士郎の身体を診ることが出来るのは医者ではいけないのだ。

 

 それは魔術師だ。

 これは病ではない、呪いだ。

 

 凛は年に一度、士郎の呪いの進行を確かめるためこうして時間をつくり会いに来るのだ。

 

 

 

 「年々、進行が早くなってるわ」

 

 「そうか」

 

 「やっぱり一緒にいる時間に比例するのね、桜の身体もかなり力が及んでいた……衛宮くんがぶっちぎりだけど」

 

 「魔力が強い者ほど影響を受けやすいんだな」

 

 「全く魔力がない人もよ、あなたみたいに中途半端に回路を形成している人が一番安全ということ。……まあ、それでも安心は出来ないけど」

 

 「あとどれくらい持ちそうだ?」

 

 

 

 凛はぴくりと口端を引き攣らせた。

 士郎の肌は出会った頃のそれに比べると、随分浅黒くなったように見える。本人に自覚はないだろうがたまに会うからこそ分かる。いや、凛だからこそ分かる。かつて凛が背中を預けたもう一人の士郎に、彼は確実に近付いている。皮肉にも彼が一人の少女を守ろうとする度に……。

 

 冷静に分析をする。士郎の身体だけでなく、その思考や心が汚染されるまでの猶予を。

 

 

 

 「そうね……一年、かしら」

 

 「そんなに短いのか」

 

 「あの子の力も、年々強くなってる」

 

 

 

 ちらりと窓の外を見やる。

 陽の光の下を、手入れの行き届いた庭で妖精のような少女が駆け回っている。髪と肌は粉雪のように白く絹のようで、華奢な手足を溢れんばかりの生命力が巡る。小鳥か何かを捕まえようとしているらしく、表情は真剣そのものだ。

 

 

 

 「大きすぎる力は身を滅ぼす……」

 

 「久遠は俺が守るよ」

 

 「それであなたが犠牲になって、意味がないじゃない!ミイラ取りがミイラになるって言葉知らないの!?」

 

 「遠坂」

 

 「自分のことはどうでもいいわけ……!?」

 

 「落ち着けって」

 

 「その声!気付いてないんでしょうけど、段々アーチャーに似てきているのよ」

 

 

 

 はっとして口を閉じた。

 士郎は少しだけ、困ったように微笑む。

 

 

 

 「ごめんなさい……」

 

 

 

 責めるつもりはなかった。士郎が少女を大切に思っているのは分かっている。彼があの子を育てることを決めた時、自分はそれを応援することを覚悟したというのに。

 情けなさで凛は死にたくなった。

 

 

 

 「遠坂、久遠が呼んでいる」

 

 

 

 士郎に言われ、再び窓の外を見た。先程の白い妖精が満面の笑みでこちらに口を動かしている。両手にはしっかりと、青い小鳥を抱いて。

 凛は窓を開けた。

 

 

 

 「ど、どうしたの、久遠」

 

 「凛おばさんにあげようと思って」

 

 「インコかしら?ありがとう」

 

 

 

 何も知らない無垢が矯声をあげる。

 

 

 

 「うふふ!」

 

 「でも、首輪がついてるわ。どこかから逃げてきたのよ、放してあげなさい」

 

 「せっかく捕まえたのに?」

 

 「あとでロンドンでの話をしてあげるから」

 

 「ほんと?絶対だからね!」

 

 

 

 少女は両手を大きくあげ、鳥を解放した。

 ようやく放された小鳥は空へと一直線に舞う。

 

 名残惜しさもなさそうに少女はそれを見ていた。







衛宮 久遠 (えみや くおん)

イリヤスフィールから取り出されアインツベルンの調整を受けた士郎の養女。アインツベルンが彼女に施した調整は「反転」という属性により現れる。善を悪に、光を闇に反転させる強い力は周りを否応なしに反転させる。それは彼女に近しいほどに作用する。故に久遠は、幼い頃から親しい者から突如襲われたり、裏切られたり、という経験を繰り返してきた。それでも久遠が歪まず育ってきたのは、彼女の唯一の家族が変わらずそばに有り続けたからに他ならない。







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chapter2/招かざる客




これは君の話だ。








 衛宮久遠は、自分の手を引く養父を見上げた。

 

 

 

 「ねえ士郎」

 

 「うん?」

 

 「凛おばさん怖い顔をしていたね」

 

 「そうかな」

 

 「そんなに仕事忙しいのかな?私に手伝えることあればいいんだけど」

 

 

 

 久遠にとってたまに帰省する凛は憧れの対象だ。

 数々の美しい宝石を所有し、圧倒的な美しさと存在感で老若男女を魅了する。その所作は麗しく、その言葉は厳しく優しい。海外にいることが多いせいか彼女の土産物も見たことがないものが多い。逆回りの時計、宝石で出来たくるみ割り人形。フリルが多くついた純白のワンピースに、七色に輝く指輪等など。そういったものに囲まれている凛の姿も、不思議なほどに妖艶だ。

 まだ13歳にしかならない久遠の少ない語彙で表すなら、「かっこいい」のである。

 

 だがそんな凛が、今日ばかりは余裕がなく、何かに怯えているようにすら見えた。久遠のそんな漠然とした心配を士郎が拭う。

 

 

 

 「遠坂は大丈夫だ、立派な魔術師なんだから」

 

 「桜先生のお姉ちゃんだもんね」

 

 

 

 久遠が首を傾げれば、士郎も微笑んだ。

 

 二人は夕焼けに見守られながらしばらく歩を進めた。遠坂邸から町へと下る坂道をゆっくりゆっくりと。

 やがて坂道がゆるやかに終わりを迎えようとした時である。不意に士郎が立ち止まった。手を繋いでいた久遠は、彼に引っ張られるように後ろによろめく。

 

 

 

 「……あ、士郎?」

 

 「…………」

 

 

 

 士郎は考えを巡らせるように、瞬きをした。

 

 

 

 「どうしたの?」

 

 

 

 不安になり尋ねる。

 

 

 

 「久遠、少しここで待っていてくれないか?」

 

 「なあに?どうして?」

 

 「どうしてもだ」

 

 

 

 質問はするなと彼の瞳が語る。

 なんだか腹が立つような、切ないような気持ちになったが、久遠は言い返すことなど出来るはずもなく、黙って頷いた。彼が先程の凛と同じ顔をしていたからだ。

 

 

 

 「すぐ戻るよ」

 

 

 

 無造作に久遠の頭を撫でると、士郎はそう言って、どこかへと走っていってしまった。

 長い坂を背にして久遠は一人佇む。

 士郎と久遠に血の繋がりはない。幼い頃に親を失った久遠を彼が拾って育ててくれたのだ。母親の名前だけは聞かされたけれど、最初から彼と暮らしてきた久遠にとってそんなものはただの記号にしか聞こえない。明確に愛してくれる人さえいれば、血流など関係がない。

 

 だがそれにしても久遠は養父のことを知らなすぎた。彼がどんな仕事をしているのかも分からなければ、どうやって生きてきたのかすら知らされていない。養父だけでなく、家庭教師の間桐桜にしても、憧れの遠坂凛にしても、いつも何も久遠に語ってはくれないのである。

 

 

 

 「まあ、いいけどね」

 

 

 

 年齢に見合わぬため息をつく。

 そして再び顔をあげた。

 

 

 

 「っ!」

 

 

 

 そして、衛宮久遠は驚愕した。目を見開き、息を呑む。無意識に半歩さがろうとして…………。

 

 

 

 「おっと」

 

 「やっ!」

 

 

 

 容赦のない力で右手を掴まれた。

 

 一瞬、ほんの一瞬だ。

 久遠が地面に視線をおとしたその瞬間に男は現れた。

 背格好は異質にも、漆黒の甲冑姿。顔は獰猛な龍を模したような鎧に覆われ、引き締まった腰には明らかに殺傷能力の高そうな、刺々しい大槍が大人しく収まっている。

 おおよそ日本というこの国で、いやこの時代の世界では見ることが出来ない洋装で男は久遠の前に現れたのだ。

 

 わけも分からず恐怖に目を見開く。

 脳内にその甲冑模様を刻みつけた。

 

 

 

 「愚か」

 

 

 

 震える少女を見下ろし、鎧が呟く。

 思いの外透き通った声で。

 

 

 

 「愚かなるホムンクルスの子よ」

 

 「……?」

 

 「穢れた聖杯の申し子よ」

 

 

 

 ホムンクルス、聖杯。

 はじめて耳にする単語だ。

 

 

 

 「遍く欲望が集うこの聖杯戦争を終わらせることが、貴様に出来るか?」

 

 「な、なんの、はなし……?」

 

 「これは貴様の話だ」

 

 「……し、知らない、私は何も……」

 

 「ではこの手をよく見るがいい」

 

 

 

 そして、鎧は掴んでいた久遠の右手を高々とあげた。

 思い切り振り上げられ、腕が悲鳴をあげる。ぎちぎちと服の裾が引っ張られ思わず叫んだ。

 

 

 

 「痛い!やめて!」

 

 

 

 じたばたと手足を暴れさせれば、男はあっさりとその手を離して久遠を解放した。

 ようやく痛みから逃れることが出来た久遠は、鎧から距離を取ると思い切り睨みつけた。

 

 

 

 「愚図め」

 

 

 

 遠くで馬の嘶きが聴こえた気がした。

 

 

 

 「名だたる英霊たちに狙われる恐怖を、噛み締めるがいい、悪しき聖杯の欠片よ」

 

 

 

 そして、鎧は、溶けるように消えた。

 

 あとに残ったのは沈みかけた夕日と、かたかたと震える少女と、そして坂へと伸びるその影だけだ。

 遠くで誰かが少女を呼んでいる。

 

 

 

 「久遠!!」

 

 

 

 振り返った少女は、涙を流した。

 

 

 

 「りん、おばさん」

 

 

 

 その右手の項に、令呪の輝きを見せながら。








遠坂 凛 (とおさか りん)

ロード・エルメロイ二世と冬木の聖杯を解体した後、ロンドンの時計塔にて講師をする。その傍ら冬木の地層に聖杯の欠片が残されていることをつきとめた。久遠の反転の力を強く受ける可能性があるため日本には年に数回しか帰国せず、衛宮士郎の身体を診ている。久遠と聖杯を完全に切り離し、士郎を救う手立てをここ何年も時計塔にて探しているが手掛かりはない。奇しくも久遠がマスターとして選ばれたのを最初に目撃してしまう。







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chapter3/魔女と聖女






あかいあくま。







 背筋が凍るような冷たい気配を感じ、凛は思わず屋敷を飛び出した。そして家から伸びる長い坂を年甲斐もなく駆け、やがて見つけたのは友人の養女だった。

 

 

 

 「久遠!!」

 

 

 

 見たところ外傷らしきものはなく、彼女はどういうわけかぽつんと道の真ん中に立っていた。先程一緒に屋敷を出たはずの士郎の姿は見当たらない。

 

 凛の声に気付いたのか久遠がゆっくり、機械のような動作で振り向いた。

 

 

 

 「りん、おばさん……」

 

 

 

 凛は幼い頃から父に解こされた英才教育で、涙を流す行為をほんの数回しか経験したことがない。それは何代か前の遠坂の当主が、泣くという行為に優雅さを見い出せなかったからであり、凛とて別段その行為に必要性は感じなかった。

 だからだろう。

 子供の涙に弱いのは──……。

 

 凛が手を伸ばした先で、久遠は涙を流している。

 それは底知れぬ恐怖か、或いは言葉に出来ないほどの不安や悲痛なのかは凛にはわからない。わからないが、彼女が泣いているという事実はあまりに罪深いことに思えた。

 微動だにしない久遠を抱き締める。

 

 

 

 「何があったの!?」

 

 「ううううう……」

 

 

 

 嗚咽を繰り返しなが、久遠は息を整える。

 凛は次の言葉を待った。

 

 

 

  「おばさん……」

 

 

 

 そして予想外の単語を耳にする。

 

 

 

 「〝聖杯〟ってなに?」

 

 

 

 凛にとって、いや、遠坂という一族において忘れようとも忘れることの出来ないその存在。その単語。

 大いなる聖遺物。万能機、願望器。三つの魔術家を基盤としあらゆる争いの火種になった魔術礼装。かつて凛はその存在を求め闘いの中に身を投じ、深く傷付き、そしてそれを解体した。大きな決断だったが、正しい行いだったはずだ。この世に必要のないものだったのだ。

 

 けれど、数年前。

 

 凛はかの聖杯の欠片が冬木の地層に残っていることを発見した。聖杯とはいえ、中身のないただの破片だ。凛はそれを誰かに見つかることのないように管理してきた。

 …………はずだった。

 

 

 

 「まさか……」

 

 

 

 久遠の右手をとる。

 

 

 

 「──令呪」

 

 「なあに?」

 

 

 

 目の前が暗転する──。

 妹が家を出た時、父が死んだ時、母が死んだ時。サーヴァントを召喚した時、聖杯戦争に参加した時。そして聖杯を解体した時。どうして、どうしていつも自分は詰めが甘く、後悔にばかり苛まれているのだろう。

 

 凛が彼女の師とともに聖杯を解体した時、それはもう、常人には理解し得ない魔術理論のもとに行った。現魔術界において、天才的かつ超人的な理論であったが、しかし、それでも無理矢理こじつけたような理論でもあった。故に解体は90%成功を収めたが、10%は失敗したのである。聖杯はその欠片をいくつかばら撒き、そして喪われた。

 数年間冬木の欠片を管理していた凛の見解では、それは願いを叶える力は愚か、英霊を呼び出すことすら不可能な、『特別強い魔力を秘めたガラクタ』であったはずだ。

 

 

 

 (それに間違いはなかったはず……)

 

 

 

 ではなぜ令呪が現れたのか──?

 

 その答えを導き出せるほど、冷静ではなかった。

 

 

 

 「凛おばさん?」

 

 「……衛宮くん……士郎は?」

 

 「どこかへ行っちゃった、なんだか真剣な顔をしていたけれど」

 

 「……そう」

 

 

 

 伝えるべきか、隠すべきか。

 これを知った友はどう動くだろう。

 

 

 

 (決まっているわよ、ね)

 

 

 

 衛宮士郎とは、そういう人だ。

 

 

 

 (衛宮くん、あなたが久遠のために死ぬつもりなら、あたしは久遠のためにあなたを生かしたい。それがあたしと……そして桜を救ってくれたあなたへの恩返しだと思うから)

 

 

 

 遠坂凛は決意をする。

 嫌われても、軽蔑をされても、それでも衛宮士郎を死なせない。それが士郎のためにならなくたって、誰かを傷付けてしまうとしても、彼がそれを望まなくても、士郎は死んではいけない人間だと思うのだ。

 

 そして久遠の肩を掴んだ。

 

 

 

 「よく聞きなさい久遠」

 

 「……痛いよ、凛おばさん」

 

 

 

 久遠が嫌そうに身じろぐ。

 だが凛は容赦がなかった。

 

 

 

 「聖杯戦争に勝たなければ、士郎は死ぬわ」

 

 

 

 …………開いた口が痛かった。

 喉が焼けつくほど渇く。

 とっさに思い出したのは士郎がつけた不名誉かつ不本意な渾名だった。だが今はそれが自分にお似合いのように思う。

 

 ────あかいあくま。







間桐 桜 (まとう さくら)

祖父亡き後、間桐家の当主となった。各地を回る士郎の助手をする傍ら、久遠の魔術の家庭教師として彼女の世話をする。ほぼ同棲をしていると言っても過言ではない。桜の、これまた特異な属性と体質は本人を蝕むものであり、また刻印虫が抜けたことによって自由のものになった力は膨大であるが、「身近で魔力の強い者」ほど影響を受ける久遠の反転の力が薬として作用し、桜自身はむしろ以前のどの時期より好調である。







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chapter4/ 騎乗兵






遠坂桜は幸せだった。







 幼い頃の記憶を、桜はもうほとんど忘れてしまった。

 特に間桐桜に成り立ての数年のことは一切覚えていない。

 

 それでも遠坂だった時のことは覚えている。生まれてからたった数年間の出来事だったけれど、彼女の人生の中で最上の時間だったであろうことは確かだ。厳しいが聡明な父と優しく美しい母、そして血を分けた愛おしい姉。

 忘れようもない平穏な日々。

 

 今でさえ、あの頃に戻りたいと考えることがある。そのくらい特別で美しい時間だった。

 

 

 

 (もう戻れないけれど)

 

 

 

 数年前、桜は間桐家を名実共に継いだ。間桐の血が一滴も流れていない自分が当主となり、間桐の穢れきった魔術を正す。それがかつて祖父であった者への復讐になると信じて。

 

 その時から、もう遠坂に戻れないことを悟った。

 

 目の前の状況が否応なしに桜を間桐であると自覚させる。相対するのは白い軍服に身を包んだ細長い男。このご時世にこの国で軍服という格好も目を引くものがあるが、それよりも存在感を放つのは彼の腰に納まる日本刀である。しなりと佇む男とは対照的に禍々しい魔力を放ち桜を圧倒している。

 

 この異様な状況も間桐の宿命かと息を着く。

 魔術師は魔術師を引き寄せる、良い例だ。

 

 男はふにゃりと緩く微笑んだ。

 

 

 

 「こんばんは」

 

 「……どちら様でしょう」

 

 

 

 会話に応えながら、桜はじりじりと後ずさる。男の刀の間合いに入らないように、男の殺意を刺激しないように。

 

 

 

 「そう警戒しないで欲しいな、今日は偵察だから」

 

 「物騒なものを下げながらよく言いますね、崇高な魔術師であるならば名乗るべきではありませんか?」

 

 「見た目と違って饒舌なお嬢さんだ」

 

 

 

 はは、と乾いた笑い声を上げる。

 

 

 

 「しかし僕は崇高な魔術師ではないからね、それに僕の正体は凡そその左手が気が付いているのでは?」

 

 「…………」

 

 

 

 左手の甲をさする。この男が突然目の前に現れてから、桜の左手はずっと疼きっぱなしなのだ。覚えのある微かな絶望に見ないふりをしていただけで、確かに彼の言う通り桜は予感を抱いている。間桐に与えられたその権限を、彼女に届いた招待状の存在を、確かに感じているのだ。

 

 桜は震える唇でその予感の名を口にした。

 

 

 

 「サーヴァント……」

 

 

 

 男は帽子をつまみ、深く優雅な仕草でお辞儀をする。紳士的でありながらどこか不遜に見えるのは、彼が貼り付けているわざとらしい笑みのせいかもしれない。

 

 

 

 「今はまだ戦う時ではないが──」

 

 「っ!!」

 

 

 

 圧倒的な魔力が、背後から桜を羽交い締めにする。

 

 

 

 (この禍々しい魔力は……なに?!)

 

 

 

 悪意でも殺意でもない、ただまっさらな暗闇のような、静かで恐ろしい魔力に身動ぎをする。だが桜の意に反して彼女の肉付きの良い身体はぴくりとも動かなかった。

 

 

 

 「──貴女の相手は僕がしたいものだ」

 

 

 

 暗闇に、おぞましい鱗のようなものが見えた気がした。

 

 呼吸をするのもままならない。

 それは身体に染み付いた恐怖。

 

 いや違う、もう祖父はいない。蟲に食われることも拷問のような調整を受けることもない。それならばこの恐怖は染み付いたものではない。桜の魔術師としての本能が、この相手には敵わないと警報を知らせているだけに過ぎなかった。

 

 

 

 (落ち着いて、間桐桜)

 

 

 

 ぎゅっと瞼を閉じる。

 

 こんなものに打ち砕けてはならない。

 それは桜が目指す間桐ではない。

 

 

 

 (私はもう絶望するだけのお人形じゃない)

 

 

 

 再び目を開ければ、微笑む英霊の背後に見慣れた正義の味方の姿が視界に入った。

 

 

 

 「先輩!」

 

 「桜に──」

 

 

 

 駆けつけた士郎は大きく剣を振るった。

 

 

 

 「桜になにをしてるんだ!!」

 

 

 

 肌は浅黒く、髪には白いものが見えていて、彼の姿はここ数年で大きく変化してしまい、桜はそれを胸が張り裂ける思いで近くで見てきた。いつか彼が道を違えてしまうのではないか。全てを棄てどこかへ消えてしまうのではないか、或いは全てのために自らを棄ててしまうのか。

 

 士郎の養女、久遠の周囲へ強く影響する魔力のために士郎はそうは成らないと決めたはずの道に進みかけていた。

 桜は、彼が久遠を桜に預けて国外へと赴く度にそのまま彼が帰ってこないのではないかと危惧していたのだ。

 

 でも……。

 

 

 

 (先輩は、いつだって私のヒーローだ)

 

 

 

 そんな心配は無用だった。

 いつの間にか桜の身体は彼女に還ってきていた。

 

 

 

 「桜、無事か!」

 

 「はい!」

 

 

 

 頬の熱を感じながら大きく頷く。

 

 面白くなさそうなのは軍服の英霊である。

 

 

 

 「不意打ちだなんて卑怯だなあ」

 

 

 

 やれやれと首を振る身体には傷一つない。士郎の剣が彼に届く前に上手く避けたのか、或いは何か彼の能力なのか。

 今はまだ分からない。

 

 

 

 「さっきも言ったけど、今日は偵察だから何もする気はないよ、ましてや血の気の多そうなお兄ちゃんは好かない」

 

 

 

 ああやだやだ、なんて言いながら肩を窄めた。

 

 

 

 「聖杯戦争でまた、逢おうぜよ」

 

 

 

 不敵な笑みのまま、男はすっと光の泡となって消えた。

 残された桜と士郎は〝聖杯戦争〟という単語に呆然と互いを見詰め合う。二人とも耳を疑いたい気分だった。

 

 六騎の英霊が競い争う聖杯戦争。

 もう半分もの英霊が召喚を完了させていた……。









遠坂桜(とおさか さくら)

かつていた、幸福で平凡な少女。
今はもういない。






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chapter5/偶像の女神






愚かな姉妹たち。







 「ああ、ああ悪い、朝には迎えに行くから……」

 

 

 

 士郎の電話の相手は恐らく凛だろう。久遠を置いてけぼりにしてしまったからと彼女の保護を頼んでいるらしい。本当ならあの小さくて愛らしい少女を守るのは師である自分の役目であり、姉にそれを取られてしまうことは些か癪であるのだが、この状況下では仕方がないことだと、桜は繰り返し自分に言い聞かせた。

 

 衛宮久遠の家庭教師を買って出たのは、彼女の属性に対応出来るのが自分しかいないと理解していたからである。攫われたイリヤを救うため侵入した城で初めて彼女を見た時、桜は彼女が間桐により近しいということを直感したのだ。

 放置すればいつかの自分のようになるかもしれない。だからなるべく久遠の傍にと望んだのである。それには凛も賛成してくれたが、士郎だけは渋い顔をした。

 彼の首を縦に振らせるのに五年もかかったくらいだ。

 

 桜は士郎の考えをよく分かっている。

 イリヤの忘れ形見を、危険に巻き込みたくない。

 

 

 

 (少しだけ羨ましい)

 

 

 

 家族にそこまで思われるのは、どんな気持ちだろう。

 思い出すのは遠坂家での日々である。

 

 

 

 「桜」

 

 

 

 名を呼んだのは魔術師としての将来を望んだ父でも、この世で一番に会いたい母でも、ましてや愛する姉でもない。

 

 

 

 「久遠ちゃんは大丈夫でしたか、先輩」

 

 「すぐに遠坂が見つけてくれたみたいだ」

 

 

 

 ふうと息を着いた士郎を見て桜も安堵した。彼女の魔力もまた膨大な量と質を誇るため、桜のように狙われる可能性があったからだ。三人がかりで甘やかし愛でてきたあの子に英霊や他の魔術師の存在は毒だろう。

 桜が平穏に、士郎が普通に、凛が幸せにと望み育ててきた子だ。何かあっては悔やみきれなかった。

 

 

 

 「桜、もう一度見せてもらってもいいかな」

 

 

 

 差し出された手に迷いなく左手を重ねる。

 それを包む彼の手に曇りはない。

 

 

 

 「どうして令呪が──」

 

 「……」

 

 

 

 それは自分が間桐だから。

 それは桜が魔術師だから。

 

 かつての苦い思い出を噛み締める。あの頃の桜は嫉妬と自己嫌悪のまま周囲を傷つけた。左手に宿るこれは負の象徴である。それを知る士郎は桜より苦しげな面持ちをしていた。

 

 

 

 「──辞退しよう」

 

 「え?」

 

 

 

 聞き返しながらも、どこか納得をした。

 この人はきっとそう言うだろうと思っていた。

 

 

 

 「マスター権を譲渡するんだ、俺でも誰でもいい、もう桜がこんなことに関わる必要はないんだから」

 

 

 

 ああ──……と、桜は落胆する。

 自分はまだこの人の守りたい世界の一部に過ぎない。

 

 彼が桜に与えるべきは甘ったるい情でも庇護欲でもなく、スパイスの効いた信頼であるのに。士郎は一向にそれを与えようとしない。桜はもう子供ではないし、ましてや弱者でも可哀想な被害者でもないのに。

 士郎の中ではまだ彼女の存在は可憐で儚い後輩なのだ。

 

 黙した桜の顔を、どこか情けないようにたれ下がった眉が覗き込んだ。その琥珀色の瞳に見つめ返す闇色の女がいる。虚無のような人形ではなく、強く意志のある女が。

 

 

 

 「辞退はしません」

 

 「桜──!?」

 

 「先輩の提案には賛成できません」

 

 

 

 愛しい人を睨む。

 

 

 

 「今の不安定な先輩ではすぐに死にます、この聖杯戦争の正体を暴かなければならない以上私は辞退しません」

 

 「それなら遠坂でも……」

 

 「これは、間桐家当主としての役目であり決定です」

 

 

 

 

 正義の味方は唖然としていた。

 ここにいるのはか弱い後輩ではなく、一人の魔術師だ。

 

 何度でも自分に言い聞かせる。

 遠坂桜はもう死んだ、自分は間桐桜だ。

 

 

 

 「守るものを見誤らないでください」

 

 「……」

 

 「先輩が守るべきものは久遠ちゃんです、どうか私から、闘う術を奪わないでください」

 

 

 

 しばらく静寂が漂う。

 長い思案と短いため息。

 

 

 

 「……なら、せめて見届けさせてくれ」

 

 

 

 結局、士郎は桜に甘い。

 ここに凛が居たならばそう叱責しただろう……。

 

 桜の魔術師としての素質は、ある意味限界が見えている士郎や凛に比べて未知数である。それは久遠にも通じるところがあり、単純に魔術だけの勝負であれば彼女に負けはない。未知ほど恐ろしいものはないからである。

 そして未知に対し魔術師は弱い。

 

 かつての聖杯戦争でも、桜が何の縛りも遠慮もなく臨めばまず間違いなく聖杯は彼女の白魚の手に落ちただろう。

 

 

 

 (だから私が喚ぶべきなのはアサシン……)

 

 

 

 この聖杯戦争を探るためにも、派手で魔力の強い英霊より隠密に徹した暗殺者が好ましい。それに、戦いにおいてもゴリ押しの力強くが利く桜をうまく援護する英霊が好ましかった。間桐邸に行けば祖父が集めたそれらしきガラクタはあるだろうが、まともな触媒なしに最優たる剣士を呼び出せる保証もない。無謀なことはできない。

 

 問題は、この異例な聖杯戦争において、どこまでのルールが通ずるかという点のみである。汚濁した聖杯のその欠片が綺麗であるはずがないのだから。

 

 そこまで考えたところで、魔法陣が書き上がった。

 手のひらを翳し、魔力を注ぎ込む。

 

 緊張と微かな恐怖が沸き立つ。

 微かに震えた肩を士郎が後ろからそっと支えた。

 

 

 

 「素に銀と鉄、礎に石と契約の大公──」

 

 

 

 大丈夫、怖くはない。

 後ろにこの人がいてくれるなら。

 

 

 

 「──告げる、汝の身は我が下に、我が運命は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ!

 

 誓いをここに。

 我は常世総ての善と成る者。

 我は常世総ての悪を敷く者。

 

 汝、三大の言霊を纏う七天。

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──……!!」

 

 

 

 光がそれを導き、風が訪れを告げる。

 よろめいた桜を士郎が今度はしっかりと支えた。

 

 時は満ち、魔力は注がれ、そして彼の者は応えた。

 やがて光が溶け英霊は姿を現す。

 そして桜はこの聖杯戦争がやはり特異であるということを痛感したのである。

 

 

 

 「ふふ、女神を現界させるだなんて面白くて哀れな人ね、あなた、お名前は?」

 

 

 

 それは、少女の姿をした女神。

 そして恐らく最悪の姉であった。





ステンノ

ギリシャ神話における女神。ゴルゴン姉妹は全うな女神ではなく、神話中においてはむしろ暗黒の部分を抱えている。そんな危うく奔放な女神であるが、偶像を冠するだけあって淑やかで上品、それでいて優雅で可憐な面も持ち合わせている。その表裏一体な部分が間桐と遠坂の間で苦悩する桜と共鳴し召喚された。妹が執着する人間に興味があったから……というわけではないらしい。





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chapter6/弓兵






種は芽吹く、望まれざるとも。







 光がそれを導き、風が訪れを告げる。

 体重の軽い久遠が飛ばされないようにと、凛が強く抱き締めた。二人の黒と白の髪の毛が混じり合うように靡く。

 

 時は満ち、魔力は注がれ、そして彼の者は応えた。

 やがて光が溶け英霊は姿を現す。

 

 

 

 「サーバントアーチャー、召喚に応じ参上しましたっと、オタクがオレのマスター?」

 

 

 

 フードで顔を大半を隠し、唯一拝顔できる口許を軽率に歪ませながら彼は不遜な態度でそう尋ねた。

 時代や国籍を感じさせない格好、初見で真名を名乗らない不躾さといい、アーチャーというクラスといい、凛は過去の経験と彼女の勘によってこの英霊への警戒を高めた。

 

 肝心の久遠といえば、まだどこか夢現の気分でいるらしく彼の緑色のマントの揺れるのをじっと見詰めている。桜から魔術を習っているとはいえ、実技は初めてだったらしい。

 

 

 

 「ちょいとお嬢さん方?」

 

 「⋯⋯」

 

 

 

 と、凛は彼が自分の方を見ていることに気が付いた。

 この状況では仕方がない、魔力は非凡とはいえ明らかに素人の子供と生粋の魔術師の女とでは適正は後者であるはずなのだから。いっそ自分が適正者だったら良かった。そう思いながらも凛は彼の間違いを指摘することにした。

 

 

 

 「何か勘違いをしているようだけれど、貴方のマスターはあたしじゃないわよ」

 

 「じゃあ、まさか……」

 

 

 

 彼の視線が凛の腕の中へと注がれる。

 口許がひくりと微動した。

 

 ようやく我を取り戻した久遠は恐れを感じたのか周知からか凛の腕にしがみつく。凛はゆっくりと頷いた。

 

 

 

 「はああああ?!冗談はよせよ!」

 

 

 

 まあ、こういう反応になるだろう。

 予測していた出来事に凛は冷静だった。英霊とて何らかの願望を聖杯に抱いているのだ、こちらが彼らに期待を抱くように彼らもマスターという主に期待を抱いている。

 自分のマスターを殺してしまう英霊がいるくらいだ。

 

 アーチャーは荒々しくフードの上からわしゃわしゃと頭を搔いた。ちらちらと明るい茶髪が見え隠れする。

 そして意を決したように久遠へと近付いた。

 

 

 

 「悪いこた言わねえ、この聖杯戦争は辞退しな」

 

 

 

 ため息をついたのはやはり凛である。

 ほら見ろ、面倒な奴がきた。

 

 

 

 「あんたね、勝手なこと言わないで!」

 

 「魔術師なら分かるだろ、子供にこんな過酷なことさせられるかってんだ!まんまととっ捕まって終わりだろう!!」

 

 

 

 殺される──という表現を使わなかったのは彼なりの優しさか。だとしてもその台詞は凛の琴線に触れてしまった。

 凛が、自分が久遠の心配をしない訳がないのに。こんな男なんかよりずっとこの子の幸福を願っているのに……。

 

 久遠に幸せであれ……。

 そう名付けたのは他でもない自分なのに。

 

 

 

 「お、おばさんを虐めないで」

 

 

 

 腕の中のぬくもりがすっと立ち上がった。

 この不毛な言い争いを、凛が悔しそうに黙ったことでいじめられていると勘違いしたらしい。これに焦ったのは当然、いじめた側である。

 

 

 

 「オレはいじめてんじゃなくて……」

 

 「お顔も見せない人とはお喋りしないから」

 

 

 

 ぷいっとわざとらしく顔を背ける。

 彼にはそれだけで充分だった。

 

 

 

 「…………ほら、いじめてねえって」

 

 

 

 フードの下、ボサボサの髪の奥にエメラルド瞳があった。肉付きの少ないほっそりとした顔の中、真っ直ぐに見つめるそれに久遠は身近な人に似たものを見る。

 

 士郎だ。

 士郎が向ける眼差しに似ている。

 

 

 

 「嬢ちゃんの名前は?」

 

 「久遠、衛宮久遠」

 

 「良い名前だ」

 

 

 

 無意識か久遠の頭部に伸ばされた手を凛が払う。

 彼はこれ見よがしにため息をついた。

 

 

 

 「あー……ともかく、オレはお嬢の聖杯戦争への参加は認めらんねえ、断固として、腹掻っ捌く勢いで」

 

 「あら、こっちには令呪があるのよ」

 

 「オタクのじゃねえっしょ」

 

 

 

 凛が見せびらかしたまっさらな手の甲を睨む。

 

 

 

 「凛おばさん」

 

 

 

 久遠が凛をつついた。

 きょとん、と首を傾げる。

 

 

 

 「この人は私のこと手伝ってくれるんだよね?一緒に聖杯を取りに行ってくれるんだよね?」

 

 

 

 薄ら涙声でそう訴える。

 話の内容は分からずとも、彼が自分との共闘を拒んでいるということはなんとなく察したらしい。久遠にとっては聖杯戦争の過酷さよりも、養父を救う手立てが失くなることの方が恐怖なのである。その願望は重く美しい。

 

 あんたに裏切れる?

 凛は挑発するように彼を見た。

 

 

 

 「……」

 

 「戦闘にはあたしが出る、もとよりそのつもりよ」

 

 「狙われるのはお嬢だ」

 

 「相手が弓兵や暗殺者でなければ大丈夫よ」

 

 

 

 どこにそんな根拠があるのか、その問いには答えない。

 だが凛は確信している。

 

 

 

 「近距離でこの子に近付く者は、どんな魔術師だろうが英霊だろうが心があるなら問題ないわ、悪意を持って近付くなら尚更ね」

 

 

 

 それに……、凛はにやりと嗤う。

 

 

 

 「あんた、子供一人守れないわけ?」

 

 「…………付き合ってらんねっすわ」

 

 

 

 二人に背を向け、彼は肉体を霊子に変える。

 決着はついていないものの、とりあえず、本当に自害しようとしなかっただけ安心するところだ。

 

 彼が光の粒になるのが不安になった久遠が声をかける。

 

 

 

 「お兄ちゃん!」

 

 

 

 振り返り、彼はへらりと人懐こく微笑んだ。





ロビンフッド

ロビンフッドという蓑を与えられた義賊。英雄と呼ぶには程遠い英霊で、キザで毒舌で捻くれ者。生前の経験からこの聖杯戦争でマスターが自分のような苛酷な目に合うのではと予感しており、例え凛がマスターだったとしても同じように辞退を促した。魔力は弱く子供には強く出れないため、久遠の反転の作用を強く受けずして久遠に頭が上がらないという関係が目に見える。


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chapter??/幕間






今更ながら設定の確認。







★世界観

 

凛を守り、桜を救い、セイバーと心を通わせた士郎の世界。

サーバントのいないhollow ataraxia寄りの世界です。

 

そこでイリヤと、時々桜と暮らしていました(凛は時計塔)が、アハト老が万が一のためにと自分の意識をバックアップさせた予備のホムンクルスによりイリヤが連れ去られます。

 

凛の手引きにより桜とともに救出に向かいますが、既に時は遅くイリヤの身体は解体され、その子宮を媒体に新たに作り直されたのがクオンでした。再び小聖杯として送り込みたかったのか、手駒にしたかったのかは定かではありません。

アハト老のホムンクルスは、それを応えるよりも先に数日しかない寿命を終えてしまったからです。

 

クオンは衛宮久遠として育てられることになりました。

しかし久遠は反転という属性の魔術を得ていたのです。

 

仲の良い友達からある日突然手のひらを返されます。

好意を持つ人々からは悪意や殺意を。

聖人が近付けば発狂を。

 

魔力の無い者、魔力の強すぎる者ほど作用します。

ですが桜のようにそもそも内に闇を抱えていたり属性が負の面がある魔術師等は良い方に作用します。

 

そのため久遠の魔術の家庭教師を桜がしています。

凛は時折帰ってきて、士郎は時折海外に行きます。

 

プリズマイリヤやEXTRA、Apocryphaの内容は都合よく無視することにしますが今後内容に関わらない程度にぶち込むかもしれません。

 

死者についてです。

バゼットは亡くなり、カレンとはそもそも出会いません。

アンリマユについては言及致しません。

 

綺礼はやはりラスボスらしく倒されました。

臓硯もなんやかんや倒されました。

慎二は……どっちでもいいけど黒桜ちゃんには必要不可欠なのでお亡くなりになっていただきましょう。

 

都合よくヒロインが全員救われ、都合よく悪い彼らがみんな倒された誰もが夢見たハッピーエンド後の世界ということで。

 

 

 

 

 

★聖杯戦争

 

凛が破壊した聖杯の欠片が、何らかの作用によって機能してしまったことにおける聖杯戦争。

 

もちろん聖堂教会の監督役はいません。

桜が召喚したアサシンが彼女だったために今回の聖杯戦争のルールが変わっていることが分かります。察しの良い方はchapter4/騎乗兵にて違和感を覚えてくださっているかと思います。

 

察しの通り、監督役がいませんのであらゆるルール違反もあらゆる残虐行為も許容されてしまうでしょう。

今回我らが正義の味方は脇役に徹していただきますので冬木を救う大役はヒロイン達にお任せしましょう。

 

 

 

 

 

 





華鈴糖(かりんとう)


遅れながら、試読頂きましてありがとうございます。
そして長らく怠慢により放置し申し訳ありません。

更新は不定期なうえ、察しの通り漢字や文法とは仲良くなれない質ですので、解読に関しましてご不便おかけいたします。
学業、お仕事の一息になれればと思っています。

ヒロインの中では凛ちゃんが好きです。
ちょっと贔屓しちゃうかもしれません。

不安になり今更ながら設定について言及致しましたが、chapter7からについてもお付き合い頂けると幸いです。ここ変じゃないのというご指摘は随時受け付けます、あんまり覚えていないところもあるのでどうぞご教授ください。

さて、ばったばった戦わせるぞ〜∠( ˙-˙ )/


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chapter7/父娘





いつか喪われるものを人は幸福という。







 久遠が呼び出した英霊は姿を消してしまった。

 凛は見えなくなっただけで遠くには行っていないとやたら難しい専門用語で教えてくれたが、にわかに信じられない。この辺にいるのかな、なんて自分の右隣あたりの空気に触れるが求める感触はなく空振りをしてしまう。

 

 ひょっとしたら今までのことは幻想だったのではないか。

 右手の甲には凛が綿密に魔術を施したおかげで、禍々しい紋様はなく、見慣れた肌色がそこにある。

 ただ、英霊を召喚したときの急激に喉が渇いて張り付く、あの感覚だけなは生々しく身体に刻まれていた。

 

 魔術を行使したのはあれが初めてだった。

 今まで桜の授業は、占い師が手順を説明するのを聞くかのように、理解できても理論は分からず、空想的だった……。

 

 

 

 「どうした久遠、帰ってからずっと呆けて」

 

 「べつに……」

 

 

 

 一晩遠坂邸に泊まり、今朝になって士郎は迎えにきた。

 久遠の異変には気付いておらず、しかし冬木の不穏な空気を感じているのか帰り道はどことなくピリピリしていた。

 

 でも家に帰ればそれもない。

 普段通りの、優しく大好きな士郎のまま。

 

 

 

 「まだ置いていったこと怒ってるのか?」

 

 

 

 そんなのいつものことじゃない。

 そう言い返す気力も湧かず、久遠は頬を膨らました。

 

 いつだって正義の味方は誰かを救いに彼方へ行く、その度に久遠は我慢してきたし、きっと桜や凛も同じ気持ちなんだろうと思う。今更それを不満には思わない。

 

 

 

 「今日は桜先生は?」

 

 「調べたいことがあるって帰ったよ」

 

 「じゃあ、久しぶりにふたりなんだね」

 

 「ああ」

 

 

 

 台所に向かう士郎の方に駆け寄る。大勢で食べるご飯は美味しいし大好きだけれど、養父を独り占めできる時間は久遠のご馳走である。この時だけは彼はただの父親だから。

 

 しまい込んでいた真っ白なエプロンを取り出した。

 フリルとリボンがふんだんに使われ、贅沢なことに絹素材である。明らかに家庭用ではないのだが、桜の趣味で凛の見立てだ。士郎に反対する余地はなかった。

 

 

 

 「桜の時も手伝えよ」

 

 「桜先生はお料理が趣味だからいいの」

 

 

 

 手頃な台を持ってきて乗れば、養父の微笑みはいつもよりうんと近付く。

 

 とんとん、とん、と小気味よいリズムが響く。

 久遠が野菜の皮を剥き、士郎が野菜を切る。久遠が普段、桜の手伝いをしないのは不器用だからという理由が主だが、士郎が刃物を扱わせないことも大きい要因である。それどころか火に近付くことすら許してくれない。包丁もガスも使えないとなれば子供にとってこんなに詰まらないことはなく、今使っているピーラーも久遠専用にと購入したものだ。

 

 刃先には過剰なくらいに保護がされており、更には魔術によって怪我をしないよう付加がかかっているため、切れ味はすこぶる悪く、皮はぼろぼろと削れ、実は歪む。

 

 出来上がったそれを形を整えるのは士郎の役目だ。

 久遠は皮を削り、たまに包丁を羨ましく見る。

 

 

 

 「使いたいか?」

 

 「うん」

 

 

 

 とんとん、とん。

 人参がころころとまな板の上で踊る。

 

 

 

 「もう少し大きくなったらな」

 

 「それ、ずうっと言ってるよ」

 

 「ずっと大きくなって欲しいと思ってるから」

 

 

 

 嫌でも大きくなるのに。

 士郎は時々よく分からないことを言う。

 

 でも決まってなんだか寂しそうにするものだから、それ以上のことを久遠は言えない。

 

 

 

 「じゃあ、もっともっと大きくなるね」

 

 「ああ」

 

 

 

 なんて穏やかな時間なのだろう……。

 満たされた胸の熱を確かめながら、やはり昨日のことは全て夢だったに違いないと久遠は確信をする。

 怖い黒い騎士も、手に浮かぶ令呪も、凛の言葉も、そして久遠が召喚したエメラルドの目のあの人も。

 

 日々は何も変わらず流れていく。

 士郎が傍にいてくれるなら何も怖くはない。

 心配しなくていいんだ、信じていいんだ。

 

 そして見上げたそこに、士郎の頭はなかった。

 

 

 

 「────え」

 

 

 

 咄嗟に目線を下にさげる。

 

 

 

 「しろう」

 

 

 

 崩れるように床に倒れ込む大人を、初めて見た。

 血の気が引くというのを、初めて体感した。

 

 布が落ちるようになんの抵抗もなく、久遠の目の前で士郎が倒れたのである。あまりに突然のことだった。

 

 

 

 「し、士郎!士郎──!!」

 

 

 

 身体を揺さぶれど、起きる気配はない。青白い顔は固く閉ざされており、まだ暖かな手足はゆらゆらと細かく揺れる。

 

 ぞっとした──……。

 テレビや本で見るような、死体のようだと思った。

 

 そして思い出す。

 昨晩の凛の台詞を……。

 

 

 

 「聖杯──を、手に入れなくちゃ」

 

 

 

 これは夢ではない。

 誰かが久遠の耳に囁いた──……。

 

 ……──衛宮邸の前。

 立派な門前は不用心にも開かれたままで、邸内の灯りがそこまで伸びて道のようになっている。ふらりと手を伸ばせばすぐそこにある団欒に手が届きそうだ。

 きっととても暖かく、柔らかいのだろう。赤子の命のように、それはそれは尊く、それはそれは壊れやすい。この手で握りつぶしたならばどんな悲鳴を上げ、どんな感触がするのだろう。どんな血の色なのだろう。

 

 想像するだけで涎が滴る。

 嗚呼、是非試してみねばなるまい。

 

 唇を舐め、そうっと手を翳す。

 さあ壊れろ、苦しめ、そして泣くがいい!

 

 

 

 「嫌な予感て当たるものなのよね」

 

 

 

 ……絶頂を邪魔され頬が引き攣る。

 今すぐこの不快感を消したく、声の方を振り向いた。

 

 

 

 「アサシン?それともキャスターかしら、何れにせよここには一切の手出しはさせないわよ」

 

 「……ヒャハ、フヒヒヒヒヒヒ!!」

 

 

 

 手入れされた綺麗な髪、すっと伸びた細い身体。

 作り上げられたかのように端正な顔には自身と余裕。

 

 嗚呼、この女の悲鳴はどんなだろう────?




とあるマスター

彼は全うかつ善良な聖職者である。人のため祈りを捧げ人のために悲しむことの出来る、平和を愛する聖職者。ただそれだけの彼がマスターとなり英霊を召喚することが出来たのは、偶然でも才能でもない。それは己が身にかけた呪いを利用し限界した彼の英霊による逆指名である。英霊の甘い誘惑に唆され、彼は聖杯戦争に身を投じる。因みに気が強い女性がタイプ。



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