ミセス・ヨーロッパ (ふーじん)
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生前編
彼女の名はエウロペ


あえて言おう、アホの子であると!
脳みそを緩くしてご覧ください。


 クレタの島、ゴルテュンの泉の畔にて。

 

「エウロペよ、そなたは美しい。ぜひ儂の子を産んでくれ」

(なんて男らしいプロポーズ……!!)

 

 一人の男が、美しくもまだ幼気な少女に一世一代の愛を告白していた。

 

 

 

 

 

 ある日のことだ。

 今日はいい天気だからと海辺で渚の女王と洒落込もうとエンジョイしていたエウロペは、どこからともなくやってきた一頭の牡牛と巡り合った。

 

 なぜ牛と疑問に思う間もなくエウロペに電流が奔る。その牛はやたらと強く美しく逞しく、牛界の貴公子もかくやと言わんばかりのオーラに漲っていたのだ。

 俄然エウロペは興味津々となった。元より好奇心旺盛な彼女のことである、物珍しさが勝って臆することもなく堂々と牡牛に歩み寄ると、まずは角を愛でに入った。

 悠然とそそり立つ双角を撫で、無闇矢鱈に撫で、妙に興奮しながら撫で回し、それでも気を悪くする様子が無いとわかると、今度は太い首に腕を回して顔を埋めにかかる。牡牛はおとなしかった。

 

 そうなるとエウロペを制止するものは何もない。撫でたり抱きついたり寄り添ってみたり、思い立って花輪でコーディネイトしてみたり、気づけば牡牛は競りにかけられるような装いになっていたが、それでもやはりおとなしかった。恐ろしく懐の深い牡牛である。イケメンはやはり心も広い、エウロペは女の本能で牡牛を讃えた。

 

 いつしか目的は渚のクイーンから牡牛へと移り、エウロペは牡牛マイスターと化していた。

 一頻り愛でると、視線がふと牡牛の背へと移る。エウロペは思った、「これは乗っちゃってもいいんじゃね?」……と。

 波に乗ることはいつでもできるが、牡牛に乗ることは今しかできない。エウロペはそう考えると、一大決心して牡牛に跨がろうとよじ登ろうとした。上手くいかなかったので牡牛はわざわざ姿勢を下げた。さすがイケメンは格が違った、エウロペはますます牡牛を気に入った。

 

 牡牛の背から眺める景色は、エウロペの小さな背丈とは大違いで、どこまでも見渡せるような気さえした。

 牡牛が悠然と歩みを進めるたびに移ろっていく景色に一喜一憂し、エウロペははしゃいだ。はしゃぎまくってどんどん先を催促したが、牡牛は黙ってそれに応えるのみ。牡牛は紳士でもあった。

 

 やがて牡牛は浜辺を越え、海面へと移り、そのまま海の上を歩いていって、ふとした拍子に跳躍して空へ昇るとそのまま猛然と疾走した。

 青海を越えて雲海を走り抜け、故郷テュロスの大地すら遠く離れて激走し、大陸の各地を駆け巡っていく。

 

 既にエウロペのテンションは天元突破し有頂天になっていた。なにか重大なことを失念している気もするが、勢いの前には些細なことだ。エウロペは流れに身を任せた。

 

「でかい! すごい! 大きい!」

「そうであろうそうであろう、あれらはみなそなたのものだ。そうじゃな、そなたの名を付けよう。これよりあれらの地はそなたの名で呼ばれるのだ」

「マジで!? やったー!」

 

 何言ってんだこいつ。そう素面で返す理性などエウロペには無かった。むしろ自分の名前が知れ渡るとかすげービッグでクールじゃんとか頭の悪いことを考えていた。実際、エウロペのおつむは決して強くはなかった。

 

 というかいつの間にか当たり前のように受け答えしている牡牛を疑問に思う余地すらなかった。かねてより細かいことを気にしない大物だと評されてきたエウロペだが、それはきっと彼女の天然馬鹿を最大限オブラートに包んでの物言いだったのだろう。エウロペは馬鹿だったのでそう言われるたびにドヤ顔で胸を張っていた。

 

 やがて日は暮れ、牡牛はとある島へと降り立つ。

 さすがのエウロペも疲れ切ったのか、湖畔に身体を横たえると、そのまま目を閉じて寝入った。

 当然のように牡牛を枕にしながら。

 

 

「エウロペ、エウロペよ。そろそろ起きよ、そして儂の話を聞くがよい」

「うぇへへへ……、……んぅ?」

 

 夢の中で情熱大陸の支配者となっていたエウロペは、やたらと深みのある渋い美声に促され目覚めた。

 寝ぼけ眼をこすりつつ湖で顔を洗い、声のしたほうを振り向く。

 そう言えばここ何処だっけとぼんやり考えながらを視線を合わせると、そこには超絶クールなナイスミドルが白い歯も眩しく微笑んでいた。

 正直に言おう、エウロペの好みド真ん中であった!

 

 口ひげ豊かなナイスミドルはエウロペの心を蕩かす美声で口を開いた。

 

「エウロペよ、そなたは美しい。ぜひ儂の子を産んでくれ」

 

 エウロペ、齢14をしてガチ告白される。

 そして後の世にゼウスがロリコン呼ばわりされる発端でもあった。

 

 

「儂はオリュンポス十二神が長兄、神々の王ゼウス。海辺で戯れるそなたを一目見たときから恋し、牡牛に身を変じてそなたへ歩み寄ったのじゃ」

 

 なぜそこで牛に。そんな疑問はエウロペには無意味だ。

 今の彼女の脳裏は突然のラブロマンスに熱暴走を起こし、恋に恋する乙女チックモードへ突入していた。

 

(はわわわわ……! ど、どうしよう、超かっこいいおじさまに告白されちゃった!! 愛してるって愛してるって愛してるってきゃー!!)

 

 正確には「子供を産め」である。酷いプロポーズもあったもんだ。

 しかしながらエウロペの乙女回路はそんな言葉をも素敵に解釈し、これ以上無い愛の囁きとして心に染み渡った。恋する乙女は伊達ではない。

 

「少々強引に連れ去ったことは詫びよう。しかし儂のこの思いの丈をどうかわかっておくれ、エウロペよ。儂はそなたに夢中なのじゃ」

(おほーっ! むちゅー! むちゅー言われた! ステキ!!)

「さあ、返答や如何に!」

「はい、よろこんで!」

 

 即答であった。

 暴走する恋心のまま言葉を返したエウロペに、ゼウスは。

 

「っっっっっっっっっっっっっっっっしゃあッッ!!!」

 

 完全勝利したゼウスくん、渾身のUC。

 天高く拳を突き上げて絶叫する漢の姿がそこにあった。

 

「そうと決まれば早速――――」

「早速一緒にお昼寝ね! そしたら天が赤ちゃんを授けてくれるのよ!!」

「えっ」

 

 ゼウス、最大の誤算。

 エウロペの性知識は今時それはねぇだろってレベルで純真無垢であった。

 更に言うと、現在時刻はばっちり夜更けであった。

 

 

 

 

 それからのゼウスの苦労はあえて語るまい。

 端的に言えば、羞恥に燃えるエウロペの姿があったということだ。同時に少女の純潔も儚く散った。

 

「ううう~~~~!!!!」

「いや、すまなんだ。よもやそこまで初心とは……」

 

 さすがのゼウスも困惑していた。

 これまで数多の女を抱いて幾星霜。最早指折り数えることすら億劫なほどの逢瀬を重ねてきたゼウスだが、ここまで初心な女は初めてであった。

 初めて晒される肉欲に羞恥する少女に興奮を覚えなかったと言えば嘘になるし、それがとてもイイのだと事が終わったゼウスは賢者の表情で宣ってエウロペの張り手をくらっていたが、さもありなん。

 

 結果としてエウロペは少女から女へと階段を昇り、その母胎にばっちりゼウスの子を宿すに至った。

 なにせ神の精である、そんじょそこらの人間のそれとはモノが違う。ゼウスは自信満々にそう言って二度目の張り手をくらった。

 

「痛かったわ!」

「すまぬ」

「初めてだったのに!」

「だからごめんて」

「でも最後は気持ちよかったから許す!」

「その言葉が聞きたかった!」

 

 ゼウスはすっかり上機嫌だった。なにせそれまで穢れを知らぬ無垢な少女を思う存分貪って征服したのだ、これに滾らねば男ではない。

 そしてすっかり気を良くしたので、ゼウスはこれ以上無く太っ腹だった。今ならなんでもホイホイと願いを叶えてしまうほどに、チョロあまである。

 

「さて、儂はもう往かねばならぬ。このまま居着いていては后めが五月蝿いからのう」

「そっかー」

「なので最後に贈り物をしたいと思う」

「贈り物!」

「うむ」

 

 エウロペの受け答えが相当アホになっているが、それも致し方なし。

 初の性交を神で果たし、散々貪られ尽くしたあとなのだ。並の女ならアヘ顔晒してWピース不可避。

 しかしながらエウロペは無駄にフィジカルとメンタルがタフな少女だったので、なんやかんやで割りと平気だった。

 

「まずはタロス。これがそなたの身辺を常に守護し、そなたの何よりの助けとなろう」

「かっこいい!」

 

 紹介されたのは有翼の青銅巨人、タロス。

 全高二十メートルを優に超える怪力無双の神造兵器。エウロペの命令一つで神にも悪魔にもなれるイカしたジャイアントロボだ。

 昨今のニーズに応えてばっちり擬人化機能も備えるナイスな従者でもある。

 

「次にライラプス。狙った獲物は決して逃さぬ至高の猟犬じゃ。これがそなたの糧を捕らえ、その腹を満たすじゃろう。無論強いぞ」

「かわいい!」

 

 獲物を逃さぬことを運命に定められた猟犬、ライラプス。

 短毛の大型犬で、その四肢は逞しく、体躯は大きく、そして寡黙にして悠然と構えるイケワンである。

 エウロペの命令ひとつで地を駆け獲物を追い詰めるが、別に変身はしない。

 

「最後に投槍」

「投槍」

「うむ……まぁ絶対に失くならない上に減りもせんので何かと便利じゃろうて」

 

 強いてフォローするならば最高品質の消耗品と言うべきか。

 別にエウロペの命令を聞いて空を飛ぶわけでもない。説明もどこか投げやりであった。

 

「さて、儂はそろそろ天へ戻るが、最後にそなたへ神託を授けよう。そなたはこれよりこのクレタの島に居を構え、アステリオスの庇護を得て我が子を養育せよ。長子は島の大王に、次兄は秩序と法に詳らかなる審判者に、末子はやがて遠方に国を建て王となろう」

「わかったわ! きっと立派に育ててみせる!」

「うむ。それではな、達者に暮らせよ――――」

 

 再び牡牛に変じたゼウスは、勢い良く天へ昇って星座となった。これが牡牛座の起源である。

 エウロペは星座を眺めると、湖で身を清めてから歩き出した。

 この時代、神託はなにより優先される啓示である。エウロペはアステリオスなる男を探すべく、その脚で広いクレタ島を暫し彷徨うのだった。

 

 

 

 

「新天地! かっこいいわね、テンション上がるわ!」

 

 エウロペは意気軒昂に情熱を滾らせ。

 

 

「うおおおお!! エウロペー!! どこだー!!? うおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 一方で兄カドモスが失踪したエウロペを探して諸国を旅し。

 

 

「あの女ァ……!!」

 

 ギリシャ一の鬼女ヘラが、早速夫の浮気を嗅ぎ付け嫉妬に狂っていた。

 

 

 

 このギリシャに於いて、なにより注意すべきは女神の嫉妬。

 エウロペは持ち前の天然で終ぞそれに気付くことはなかった。

 

 

 

 




諸々の悲しみを、物語にして発散!


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やりたい放題

感想、ありがとうございます。
感想があると作者はとても元気が出て、バリキ重点な。

あとタイトルも修正します。
ご指摘いただきありがとうございました。


 目当てのアステリオスにはあっさりとお目通りが叶った。

 というのもゼウスの神託が彼にも下ったからで、彼は兵士に命じてエウロペを島中探させたからだ。

 そしてエウロペはあっさりと見つかった。エウロペはゼウスの贈り物にテンションが上がりっぱなしで、タロスの掌に乗って島を練り歩いていたからだ。見知らぬ全高二十メートル超の巨大ロボに兵士はビビる。それも仕方のないことだった。

 

 そんなこんなで兵士に案内され、アステリオスの宮殿に到着したエウロペ。

 早速謁見の場を設けられ、きらびやかに着飾られると、そのままアステリオスと対面した。

 

「あなたがアステリオスね! 今日から世話になるわ!」

「う、うむ……如何にも余がアステリオスだが……元気だな」

「生まれてこのかた風邪とは無縁よ!」

 

 えへんと胸を張るエウロペ。対するアステリオスは困惑していた。

 それというのも想像していた以上に幼いというか、子供というか。ゼウスの寵愛を受けた姫君というから、てっきり肉付きの良い美女とばかり思っていたのだ。ところが蓋を開けて見れば如何にもアホっぽい子供である。その胸は平坦であった。

 しかし可憐である。ゼウスが一目見て恋に落ちたというのも頷ける、肉体の黄金美に真夏の雲のような美髪。ころころと変わる表情は鈴の音のようで、どうにも庇護欲をそそられる美姫であった。

 尤も、子供丸出しの言動が幾分かそれを台無しにしていたが。これに欲情するとすれば、それは余程のロリコンであろう。さすがゼウスは格が違った、アステリオスはそう思った。

 

「えっとね、ゼウスが言ってたわ。あたしがここにいればあなたがこの島の王様だって! そのあとはあたしの一番上の子供が大王になるらしいわね!」

「うむ、余もそのように神託を受けておる。であるが故に、余がそなたの後見となり、衣食住の全てを引き受けよう。そなたは何も心配はいらぬぞ」

「優しい人ね、大好きよ! それじゃあ世話になるわね、あたしの部屋はどこかしら?」

「侍女に案内させよう。誰か、姫を部屋へお連れせよ」

 

 連れ子を伴っての唐突な居候宣言。これがギリシャで無ければとんでもない性悪地雷女不可避。

 しかしながらこの時代、神託は全てに優先され、神の血筋を取り入れることは何よりの王権の証である。

 神託によってエウロペを庇護する限り王権はゼウスに認められ、その支配が盤石となるならば、アステリオスに拒むところは何もない。

 エウロペのことは……血の繋がらない姪ができたと思って、放っておくにも忍びないし適当に面倒を見てやるか、くらいの気持ちだった。

 

 なんだかんだで人に見放されることのない愛嬌は、エウロペの最大の取り柄と言えよう。

 本人にその自覚はなかったが。基本、勢い任せのアホの子であるがゆえに。

 

 

 

 

 かくしてエウロペがクレタ島に住み着いてから幾つかの月日が過ぎた。

 エウロペを迎えたことによってアステリオスの王権は盤石となり、それまで続いていた小競り合いもすっかり収まって、クレタ島の営みはアステリオス王の治世によって発展を開始した。

 

 が、エウロペにはそんなことは関係ない。

 彼女はちょこちょこ宮殿を抜け出して市井に飛び出しては、ライラプスを連れて活気に溢れる市場を歩き回ったり、道行く人々と交流していたりした。ちなみにタロスはお留守番である。

 そうなると本領を発揮するのがエウロペである。持ち前の素直さと愛嬌でたちまち大人たちのハートを鷲掴みにし、デレデレになった彼らから差し入れを貰わない日はなかった。

 

 今日もまた籠一杯の果物を献上され、エウロペは上機嫌にそれを頬張りながら市場を練り歩く。

 ふと思い立ったエウロペはいつもとは違うルートを歩いていくと、やがて大きな建物に突き当たった。

 外に魚や果物を並べるわけでもなく、外に立って人を呼び込む声も無い。興味が湧いたエウロペが意気揚々と門を叩くと、しばらくして妙齢の女が対応した。

 

「もし、どちら様で……まあ、これはエウロペ様」

「こんにちは! お散歩してたら辿り着いたの、ここは一体なにかしら?」

「身寄りのない孤児たちの家ですわ。私はギュネイ、ヘスティアに仕えながら、子供たちの世話をしております。ああ、いつまでも外に立たせては失礼でしたね。ささ、どうぞ中へ」

「おじゃまします!」

 

 エウロペは挨拶のできる良い子なのだ。

 女――ギュネイと名乗ったヘスティアの神官に迎えられ中に入ると、大小様々な子供たちの視線に囲まれた。

 その視線の大半はエウロペが持っている籠に注がれている。季節のフルーツ盛り合わせに子どもたちは垂涎の様子であった。

 それを察したエウロペはニヤリと笑う。

 

「皆の者せいれーつ!!」

「!!」

「今からこれをお前たちに一つずつあげるわ! ただし割り込みはダメよ、割り込みした悪い子は――いや、やめておくわ。あまりに残酷だもの!」

「なにそれこわい!」「すげー気になる!?」「でも果物ほしい!」「甘いものたべたい!」

「ほらほらならべー! じゃないとあたしが全部食べちゃうわ!」

「わーい!」

 

 整列しろと言ったのにそれを忘れてわらわらと群がる子供たち。

 そう、エウロペは彼らを一目見た時から察していた。すなわちあたしこそがボスだ、と。

 この程度の人心掌握術など造作もない。故郷では百を数える子供軍団の長として君臨していたのだ。子供なぞ餌付け一つでどうとてもなる。実際餌付け一つでちょろあまなエウロペが言うのだ、間違いなぞあるはずもなかった。

 

「まあ、子供たちに差し入れまで……」

「よくってよ! 子分に報酬を渋るようなケチなボスではないわ!」

「ボス!」「なんかすげーかっけー!」「ボース! ボース!」「おやびーん!」

「ほーっほほほ! 讃えなさい敬いなさい!」

 

 ガキ大将エウロペ、ここに君臨す。

 季節のフルーツでがっちりハートキャッチをかましたエウロペが子どもたちのトップに立つことに異論を挟む者は誰もいなかった。

 

 

「ふぅ、上に立つものの責務とはいえ疲れたわね。あたしとしたことがつい一緒になって騒いでしまったわ……」

 

 とか言っているが誰より率先して騒いでいたのは他ならぬエウロペである。

 その子供たちはすっかり遊び疲れて今は眠りこけており、エウロペは奥の部屋でギュネイにもてなされていた。

 

 キメ顔で宣うエウロペをギュネイは微笑ましく思いながら、そっとお茶を差し出した。クレタ島名産ディクタモのハーブティー、クレタ島で新たに知ったエウロペの大好物だ。

 

「おいしー! あたしこれ好きなのよね、これ飲むとここに来てよかったーって思うわ」

「それはようございました。でしたらぜひ茶葉をお持ち帰りくださいませ、この程度では子供たちのお礼にもなりませんが……」

「ふっ、舐めないでほしいわね! このエウロペ、子分たちへの施しを恩に着せようとするほどみみっちい女ではなくってよ!」

「でしたら純粋な感謝の気持ちということで。……ふふ、あんなにも楽しげな子供たちを見るのは久しぶりで、すっかり気分が晴れてしまいました」

「んー?」

 

 ギュネイは言う。エウロペがやってくるまで、この島は内輪争いに明け暮れていたのだと。

 クレタ島は四方を海に囲まれ、近隣に無数の島々を置く交易の一大拠点である。そのため支配者となれば多くの富が集中し、男たちの野心を煽っていた。

 

「今でこそエウロペ様の御威光によりアステリオス王の治世が盤石となりましたが、それまで多くの有力者たちが我こそが王たらんと兵士を率いて争っていたのです。……ここの子供たちは、そうした戦火で身寄りを亡くしたものばかり。それゆえどこか翳を拭えず心配していたのですが――」

「ふっ、だとしたらあなたの努力とヘスティアの導きがあたしを招き寄せたのね! わかるわ、だってあたしはエウロペだから!」

「ふふ、そうかもしれませんね……」

 

 見てくれは神殿で預かる子供たちとそうは変わらぬエウロペだが、これでも故郷テュロスで蝶よ花よと育てられた一端の姫君である。自然と人の上に立つ振る舞いが身に付いているし、それを当然のものとするカリスマ――彼女の場合は愛嬌と言うべきか――に溢れている。

 エウロペは馬鹿だが愛すべき馬鹿であった。

 

「そうと決まればあたしが面倒を見るっきゃないわね! 見たところ最低限の生活はできてても余裕はありそうにないし、あなたも寝不足気味みたいね! いいわ、任せなさい。あたしにかかれば万事解決間違い無しよ!」

 

 そんな馬鹿なエウロペだからこそ、一度子分と認めてしまえばお節介を発揮するのも当然と言えよう。

 ナチュラルに上から目線の物言いは育ちのせいと割り切るとして、エウロペの目には神殿の随所に困窮の痕が見受けられた。

 古くなったまま修繕もされぬ建屋、着衣もほとんどが誰かのお下がり。食べ物こそ飢えない程度に得られているが、衣食住は必要最低限を満たせば良いというものではないというのがエウロペの持論だった。

 なにより子分が貧相なのは親分として我慢できるものではない。エウロペのガキ大将スピリッツがここで発揮された。

 

「ええと、それはどういう……ひょっとして王へ執り成すのでしょうか? それはあまりに公平性に欠けるのでは――」

「舐めないでほしいわね! 貰えるものは何でも貰うけど、自分から強請るほど浅ましい女ではなくってよ! まぁしばらく待ってなさい、あなたの悩みをまるっとあたしが解決してあげるわ!」

 

 エウロペはお茶を一気に飲み干すと、勢いづいたまま出ていった。

 ギュネイが制止する暇もなく、過ぎ去っていた背を見送ってギュネイはぽかんと口を開く。

 しばらくして放心から立ち返ると、嵐のように勢い任せな少女への心配を胸にヘスティアへ祈った。

 

「我が神ヘスティアよ、どうか何事も無く平穏に済むようどうかお守りください――」

(いやー厳しいかもそれ。たぶん悪いようにはならないと思うけどさ)

 

 見守っていたヘスティアは苦笑いで応える。

 その胸は豊満であった。

 

 

 

 

「アステリオス様ー! アステリオス様ー!!」

「おお、どうしたエウロペよ。そんなにも慌てて、朝一番というのに騒々しいな」

「話があるわ!!」

「んんんん!?」

 

 明くる朝、頑張って早起きしたエウロペはアステリオスのもとへ駆け込むと、開口一番にそう言い放った。

 傍らにライラプス、右手に投槍、後方にタロスを控えさせた完全武装で。

 アステリオスもこれにはビビる。すわ何事かと驚くも即座に内心の焦りを呑み込んで、努めて穏やかな表情を作って宥めるように言った。

 

「ま、まぁまぁ。まずは落ち着きなさい。そして一から順番に説明しておくれ。流石に心臓に悪いわい」

「それもそうね、急ぎすぎたわ! えっとね――」

 

 かくかくしかじかと要求を伝えると、アステリオスは思案顔。

 子供らしい稚拙な要求だが、いずれは手を付けねばならぬと考えていた事案でもある。

 とはいえエウロペの要求そのままにただ助けるだけでは根本的な解決には成りえない。

 

「そなたの言い分はわかった。無論余としてもいずれは解決せねばならないと考えてもいる。しかしだな、かといってそう簡単には手出しできぬのだ、エウロペよ。余の敵は外にこそあり、内輪の問題にばかり目を向けておれば、たちまち外敵の侵攻を招くであろう」

「つまりそいつらがいなければ大丈夫なのね?」

「うむ。とはいえ我が兵力も有限でな、今すぐどうにかなる問題でも――」

「わかったわ! それじゃあタロスをあげるから、それでなんとかしなさい!」

「なんと! それはまことか!?」

 

 これにはアステリオスも目を剥いた。

 確かに神の兵器たるタロスがいれば、それだけで国防を賄うに不足はない。タロスの機動力と火力を以てすれば日に三度島を巡ってなお余力を残し、投げる大岩で侵略の尖兵の船を沈めるのも容易い。

 しかしながらタロスは、ゼウスがエウロペに贈った神器であったはずだ。それを軽々しく手放すとは……

 

「願ってもない申し出だが、よいのか? それはゼウスとの絆の証であろう。それを手放すことに躊躇いは無いのか」

「なんで? 別に消えて失くなるわけでもないじゃない。それにゼウスは物の一つや二つであれこれ言うほど狭量な方ではなくってよ! なにせこのあたしの旦那様なんだから!」

 

 堂々とそう言い放つエウロペに、アステリオスはついに言葉を忘れた。

 あまりにも不遜たる物言いだが、しかし不思議と嫌味ではない。これを他の女が宣えばたちまち神の怒りを買うであろうも、エウロペに限って言えば毅然とした誇りとすら映った。

 

「……まさかタロスだけでは不足かしら? ならこの槍もあげるわ、あたし槍なんて使えないもの。なら兵士にあげたほうがいいわよね! ……ライラプスもほしいの? でもこの子は賢いからすんなり懐くかどうかはわからないわ。ちゃんと手懐けられるならいいけど、そうでなきゃ怖いわよ?」

「いや、いい。そこまでせずとも、うむ。そなたの意気込みはよぅくわかった。そうも明け透けに言い寄られては、余も降参するしかあるまいて」

 

 アステリオスは両手を挙げて観念した。

 

「まったく、姫君には参ったわい。であれば譲り受けるのではなく借り受ける形として、国防に必要な分だけ力を借りるとしよう。そなたがゼウスの贈り物を手放すことはない、最期まで大事にするといい」

「ほんと? 遠慮ならいらないわ! あたしはお願いする立場だもの、ケチケチ渋るなんてみっともない真似はしなくってよ!」

「いらぬいらぬ、大体他の男の貢物を考えなしに受け取るなど、男として情けないわ。王として戦力は借り受けるが、男としてはそなたとゼウスの間柄に無粋な横槍は入れられん」

「そう、やっぱりあなたいい男ね! 大好きよ!」

「そなたも気前の良い、まこといい女であるよ。まったく、もう子供扱いはできぬな」

 

 かくしてエウロペとアステリオスの間に取引が成った。

 タロスは国防の要として日に三度島を巡り、敵と認めた船あらばこれを沈め、島の守護者として従事すること。

 対するエウロペへの報奨には――

 

 

「ギュネイ、お触れは聞いたわね! さぁ早速選別よ!」

「まさか本当にしで――いえ、解決なさるとは……」

 

 うっかり口をついて出そうになった言葉を切り、ギュネイは自信満々に訪ねてきたエウロペを見る。

 エウロペは、幾人かの大人たちを連れていた。いずれも名だたる職工や商人、あるいは兵士など、国に欠かせぬ人材たちだ。

 

「いいこと! あなたたちはこれから彼らのもとで働いて、目一杯修行していくの! ちゃんと指導するようアステリオス様から命が下っているし、粗末に扱うこともさせないわ! 代わりにあなたたちも精一杯努力なさい! そして大人になったら、親分として子分たちを助けなさい!」

「お、おお?」「よくわかんねーけど、頑張って働けばみんな助かるの?」「おれが親分かー」

「そのとおり! 子分は親分に、親分は大人になって、目下を助けてやるものよ! あたしはあんたたちの親分だから助けるけど、いつまでも面倒見てやるわけにもいかないものね」

「まあ、そういうわけだ。ビシバシ扱くが、食うには困らんようにしてやるさ」

「まったく、姫様には参ったぜ。王様の命令握って詰め寄られちゃあ頷くしかねぇよ。とはいえ補助金出してもらって人手も補えるなら否はねぇよな」

 

 共にやってきた大人たちが口々に言う。

 彼らはエウロペの説得に押し切られ、孤児たちの受け入れを了承した者たちである。

 

 エウロペがアステリオスに求めた対価は、孤児たちへの支援だった。

 といっても、ただ金銭や物資を施すのではない。人手を求める労働者へ王の名で孤児を紹介し、その育成と指導を大いに奨励したのである。

 そうして見出された孤児が一人前となり、自らがそうであったように、後輩となる孤児たちの道標となる。一種のコミュニティの形成を王の名で認めさせたのだ。

 

 ちなみに派遣先は全てエウロペが見つけてきた。

 美貌、愛嬌、権威、全てを総動員しての辣腕である。問答無用のお節介焼きの本領、ここに発揮せり。

 美人はこういうときに得をすると、エウロペは悪い笑みを浮かべた。

 

「そういうわけだから、あとは当人たちで話し合いなさい。得意不得意を見極めるのにも時間がいるでしょうし、あたしの出番はここまでね!」

「なんと申し上げればいいか……つくづく、規格外な方ですね」

「よくってよ! 貰えるものは貰っておけばいいわ、あたしがそうしたかっただけだもの! ほーっほほほほほほ!! ―――うげっ」

「!?」

 

 猛女エウロペ、唐突なゲ◯インムーブ。

 高笑いを遮って突っ伏しえずく様に、周囲は思わずドン引きしていた。

 

「み、水……」

「――はっ!? た、ただちに持ってまいります! どなたか彼女を部屋に……粗末ですがお召し物も!」

「き、きも゛ぢわる゛い゛……オロロロロ」

「い、一体何が――――まさか!?」

 

 女ギュネイ、全てを察した様子で外へ。

 やがて連れてきたのは、島で最も多くの赤子を取り上げてきた産婆。

 産婆は横たえられたエウロペを診るなり頻りに頷くと、やがて様子を見守る人々へ振り向いて言った。

 

「――ご懐妊ですな。おめでとうございます」

(なぜこのタイミングで――!?)

 

 彼らの内心は見事に一致した。

 

 

 

 

 クレタの王権、エウロペ。

 ゼウスとの逢瀬より数ヶ月を経て懐妊が発覚。

 

 当然のことながら島中大騒ぎになり、エウロペにはアステリオス直々に絶対安静を言い渡された。

 一方で島は俄に賑わい、口々に神の子の誕生を讃えるのであった。

 

 

 

 




エウロペのステータスとかも用意したほうがいいのでしょうか。
いざ作成するとなると、とてもとても緊張します。

あ、ご都合主義タグ付けておきますね。


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ヘラの悪意

ぼちぼち山場を作るスタイル
自分で書いてて好き勝手しすぎだろって思いつつ投降


 

 

 王権エウロペご懐妊。

 その報せが島中に触れ回ってからしばらく、未だエウロペは出産に至らずにいた。

 

「っかしーわねー、そろそろスポーンて産まれてきてもいい頃だと思うんだけど」

「赤子はそんな容易く産まれはしませんよ……。それよりも、安静になさらずよろしいのです? また王が泡を食って説教なさいますよ」

「ずっと寝たきりでいるほうが腐っちゃうわ! それにあたしとゼウスの子よ、動き回る程度でどうにかなるもんですか!」

 

 当初こそ悪阻に苛まれ嘔吐と寝たきりを繰り返していたエウロペだが、一月も経つ頃にはそれにもすっかり慣れて、以前までと変わらぬ調子にまで快復していた。

 とはいえ、胎に子を抱える重い身である。その傍らには常に護衛の兵士が付き従い、身の回りの世話にギュネイが付けられていた。

 

 ギュネイはエウロペとの誼を通じて、今やエウロペの侍従として働くようになっていた。

 経営していた孤児院は王の直属として運営され、ヘスティアの神官としての腕も期待されての大抜擢である。

 

 しかしながら、だ。

 ヘスティアの加護深く、子供たちの指導者として知恵を深くするギュネイでさえも、エウロペに起きている不調を見抜けないでいた。

 

 懐妊が発覚してから数ヶ月。

 本来であればとっくに腹は膨らみ、身体を重くして栄養を摂らねばならぬ頃合いである。

 だがエウロペの腹は子を宿しているとは思えないほどに細いままで、それなのに確かに命は宿っているのだ。

 

 ――まるで母胎の時が止まってしまっているかのよう。

 

 ギュネイは、エウロペの異変に底知れない恐怖を感じながら、せめて心安らかにあれるよう甲斐甲斐しく奉仕していた。

 

「ま、そんなことより今日も出かけるわよ! 一日を太陽を浴びないまま過ごすなんてもったいないものね! それじゃあギュネイ、アステリオス様にはよろしく伝えておいてちょうだい!」

「えっ、あっ、エウロペ様ー!?」

 

 ギュネイが物思いに耽っている隙を突いてエウロペが飛び出した。

 その後を兵士たちがドタドタと追いかけていく。エウロペを連れ戻すのを彼らに期待はできない。

 溜息ひとつ。王にどう言い訳したものかと頭を悩ませていると、ふとヘスティアが物憂げに思い悩んでいるのを感じ取った。

 

(…………)

「ヘスティア様? 一体いかがなされましたか」

(いや、ね……ギュネイくん、ボクはしばらくこっちを見てられないから、くれぐれも彼女のことを頼むよ)

「はぁ……かしこまりました、仰せの通りに」

 

 いつになく真剣味を帯びた様子だった。

 それに不安を覚えるも、神の思惑は諸人には計り知れぬものであると割り切って、神界へ戻っていく神を見送った。

 

 

 

 

「うふ、うふふふふ……あははははははっ!」

 

 遥か天空、神域にて高笑いする女あり。

 黄金の御座、白い腕、牝牛の目と形容される神々の女王、ヘラだ。

 

「あの女……所詮身奇麗なだけの端女が、誰がお前にあの方の子を産ませるものですか……!」

 

 エウロペの身に起こる不調、案の定それはヘラが彼女を呪ったことによるものだった。

 宿る胎児を毒としながら、やがて子のみならずエウロペをも腐らせ死に至らしめる呪い。

 嫉妬に狂うヘラの狂気と憎悪を形にしたような、聞くも悍ましい負の渦。

 

「あの方から神器を三つも賜るなど、人の身には過ぎたるモノ……いっそ罪深くすらある。それを罰することにどうして咎がありましょう……ええ、ええ、せめて痛苦にもがきながら惨めに死ぬことで贖罪と認めましょう。妾は寛大ですからね、冥府の道行きまでは邪魔しませんとも……」

 

 ヘラは陰惨にほくそ笑み、出産の時を今か今かと待ち侘びていた。

 無論、産まれるのはゼウスの血が通った半神ではなく、見るも悍ましい呪毒の塊である。

 股ぐらから産まれようとするそれに身を焼かれ、ヒュドラの毒にも似た痛苦にもがき苦しむ様を想像しては愉悦に浸った。

 

「さて、そろそろ毒が回り始めた頃かしら。どんな顔をして苦しんでいるのか見てやるとしましょうか」

 

 胎児が成長するにつれ毒性を増す呪いは、数ヶ月を経た今こそ真価を発揮する。

 重い腹を抱え毒にのたうつエウロペの姿を一目見ようと、ヘラは下界を覗き込み――

 

 

「――えっ、なんで?」

 

 

 そこには元気に外を走り回るエウロペの姿が!

 毒に侵された様子など微塵も無く、無尽の槍を携えて鹿狩に熱中する元気印がいた。

 

 これにはヘラもびっくり。

 とっくに床に臥せっているべきなのに、まったく翳りも見せず快活な様子のエウロペ。

 心底楽しんでいる彼女の笑顔がヘラの苛立ちを煽る。ヘラは堪らず癇癪を起こした。

 

「なんで、なんでなんでなんでよ!? おかしいわおかしいわおかしいわ……この妾がしくじるなんてあるものですか! 妾は確かにあの小娘を呪ったはず…………まさか!?」

 

 ヘラは再び下界を覗き、エウロペを――その腹を注視する。

 その腹は、初めて悪阻を迎えた頃からなんら変わらず、まるで時が止まったようにぴったりそのままだった。

 否――

 

「母胎の時が止まっている――!? 一体、誰が! このような小細工を……!! さてはヘカテー! そなたの仕業か!!!」

「――如何にも。余の手妻である」

 

 激昂するヘラの叫喚に応えるように、虚空から一柱の女神が現れた。

 死の女神、女魔術師たちの保護者、無敵の女王と呼び慣わされる魔術神。

 およそギリシャで彼女以上に魔術に長ける者はなく、その叡智は全知を司るゼウスに勝るとも劣らず。そのヘカテーの手にかかれば、ひとところの時を止めて変容を阻むなど造作も無い。

 

「いかなる仕儀でこのヘラの邪魔立てをするというか! 事と次第によっては――」

「それは余の言葉でもある、ヘラよ。貴様、一体いかなる仕儀で余の領分を侵したるか」

「何を――」

「女の出産は、余の権能であるぞ」

 

 ヘカテーは夜の如き外套を翻し視線をヘラへやった。

 その眼光にあらゆる魔術を込めるも容易い。神威をも貫く魔術を乗せた視線に射貫かれ、ヘラは思わず身を竦めた。

 

 ここに至ってヘラはヘカテーの言い分を理解する。

 ヘカテーの言った通り、出産を司るは彼女の権能。産まれた後ならまだしも、母胎で揺蕩う頃に手出しするは侵犯と捉えられてもおかしくはない。

 およそ神にあって、互いの領分を侵すことは禁忌の一つでもある。ヘラがそれを知らぬはずもなく、嫉妬に目が曇っていたことを自覚し、自省を深く刻みながら、改めてヘカテーに向き直った。

 

「ええ、ええ……確かに妾の落ち度でしたとも。どうかお許しくださいな。確かに母胎を呪うはあまりに酷、今すぐ手出しはやめましょう」

「分かればよい。貴様が呪いを止めれば、余が貴様を糾弾する謂れも無い」

「ええ、ええ。ですから……母胎を呪うのはやめましょう。もっと単純に、最初からこうしていればよかったのだわ――!!」

「む――?」

 

 ヘラはエウロペを呪う手を止め、代わりに一匹の獣を放った。

 ヘラを象徴する聖獣である牝牛――しかしながら、嫉妬に狂うヘラの鏡写しの如く、幼子を庇う以上に荒々しい、破壊そのものの巨獣を。

 天からクレタ島へ降り立つ魔牛を見送り、ヘラは晴れ晴れとした表情でエウロペを嘲笑った。

 そして同じくヘカテーにも、もはや用は無いだろうと言わんばかりに。

 

「成程……確かに、これならば余が干渉する余地はあるまいな。奴は魔術師でもなくば、余の信奉者でもない。貴様が出産を直接阻む手出しさえしなければ、余は静観するしかなかろうよ」

「理解したのならば疾く妾の前から失せなさい。先までの無礼はそれで見逃してあげましょう」

「是非もなし。しからば余は退散するとしよう」

 

 糾弾の理由を失ったヘカテーがそのまま虚空へ融けていくと、ヘラは鼻を鳴らした。

 そして関心は下界へと移る。放った魔牛がクレタの島を荒らし回り、エウロペを無残に踏み潰す光景を想像して。

 

「ええ、ええ。あのような回りくどい真似をせず、こうしてやればよかったのよ。所詮矮小な虫けら……であれば、虫のように踏み潰されて果てるがお似合いよねぇ……? ふっ、ふふふっ、あは、アッハハハハハハハハ!!!!」

 

 嗤う、哂う、嘲笑う。最も貴き女神が嫉妬に狂って抱腹絶倒する。

 夫を誑かした端女の、それを取り巻く全てが灰燼に帰するを夢見て、感情の昂るままに笑い転げ続けた。

 

 

 

 

「余の想定した通り、あれは強硬手段に出た。やはりあれに自省と自粛を求めるのは酷であったな、姉よ」

「やっぱこうなっちゃったかぁ……まったく愚妹にも参ったもんだね、常々言ってもまるで聞きやしない。ゼウスが知ったらお冠だよ……」

「何度吊るされても懲りぬ女であるな、あれも」

 

 報告するのはヘカテー。それを聞いて苦渋を露わにするのはヘスティア。

 実のところ、ヘカテーに呪いの進行阻止を求めたのはヘスティアであった。

 

 エウロペに自覚は無いが、ヘスティアは彼女に大きな恩義があった。

 それというのも彼女の行動によって愛し子である孤児たちの多くが救われ、その先行きを光に照らされたのだから。

 ヘスティアは誉れ高きオリュンポス十二神である。あらゆる神と栄誉を分かち合い、供物の最も優れたる部分を得る特権を有するが、しかし直接に下界へ手出しできる権能を持ち合わせない。

 そのヘスティアが司る数少ない領分のうち、孤児たちを大々的に助けられたのだ。その恩義に報いねば神の名が廃る。

 

 エウロペがヘラに呪われていると真っ先に察したのは彼女で、その対策のためにヘカテーへ助力を乞うたのも彼女だ。

 ヘカテーは世にも珍しいヘスティアの要請に、快く応えた。とはいえ領分を侵さぬ範疇での協力であり、そうであるがため、今しがたのヘラの暴挙を止める術を持たないが。

 

 当初の予定では、ヘカテーの魔術でヘラの目を誤魔化している間になんとか対処するつもりだった。

 しかし結果はご覧の通りである。事ここに至って対策を見出だせず、ヘスティアは頭を抱えた。

 

「参った困ったどうしよう!? 今からじゃあ英雄を呼び集めるにも時間が無いし……ああもうまさかあの子がそこまで見境なしだとは思わなかった! ヘラもヘラだけどゼウスもなんでちゃんと手綱を握っておかないかなぁ!?」

「焦燥しているな、姉よ。しかしそう危ぶむこともあるまい。余の見立てだが――存外あの小娘は、やりかねんぞ?」

「ど、どういうことだいヘカテーくん!?」

「あれは余程天運に愛されておるようだ。ゼウスの手土産もたまには役に立つらしい」

「ううううう……いざというときはほんとに頼むよぉ! キミに借りを作るのは怖いけどそうも言ってられないし!」

「――まこと甘い御仁よな、姉よ。だからこそ余も損得を越えて協力するのだが」

「エウロペくぅん! なんとか頑張ってくれよエウロペくーん――――!!」

 

 

 

 

 某日未明、クレタ島上空に魔牛顕現す。

 島の如き巨体。嵐の如き嘶き。荒ぶる獰猛は火山の噴火の如く、打ち鳴らす蹄は容易く地震を引き起こした。

 島は俄に混乱に陥り、船を持つ者は少しでも遠く島から離れようと逃れ、残されたのは王とその兵士たち。

 

 そして――

 

「なるほど! 確かに非はあたしにあるわね! だけどね、だからと言ってはいそうですかと泣き寝入りするようなエウロペではなくってよ!!」

 

 ゴルテュンの湖畔、ゼウスとの逢瀬を果たした思い出の地に聳え立つ巨像。

 クレタのどの丘よりも高く、どの湖よりも重く、どの兵士よりも強い青銅の従者は、神の血を滾らせ赤熱している。

 そのタロスの肩に腕組み二の足で立つエウロペは、今まさに破壊を齎さんとする魔牛を仰ぎ見、しかし臆することなく対峙した。

 

 クレタの王権、エウロペ。

 この島が国として成り立つのは彼女あってこそ。であるならば、おめおめと自身が逃げ果せる選択肢など、端から彼女には存在しない!

 

 この動乱の元凶がこの身にあるのなら、それを自ら退治してこそ王道!

 島に住まう人々、すなわち己の子分を守るため。親分として己がやらねば誰がやる!

 そして引き留めながらも最後には自分を信じて命運を託してくれたアステリオス王への恩義に報いるため、エウロペの魂は今まさに熱血していた――!!

 

 

「来なさいヘラ。このあたしが受けて立つわ――!!」

 

 

 後にタロスマキアと称される、エウロペ最大の功績。

 破壊の魔牛と守護の巨像、両者が激突する地上最大級のタイトルマッチ。

 エウロペの足跡に燦然と輝く一大決戦の幕開けであった。

 

 

 

 

 

 




新春クレタスペシャル・タロス「真(チェンジ!!)タロスマキア ~クレタ最後の日~」
ご期待下さい(

ヘカテーがヘスティアの妹って記述はどこにもないけど、ヘスティアはギリシャ神みんなのお姉ちゃんって作者の中で評判だからちかたないね。


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タロスマキアZ ~クレタで一番強いヤツ~

テンション上がってるうちに投下ァ!


 戦端を切ったのは魔牛であった。

 雲海を蹄で蹴り上げ、瞬時に最大加速しての突撃。単なる体当たりに過ぎないそれは、しかし魔牛の大質量と音を超える速度によって、隕星の墜落にも匹敵する威力を誇る。

 余波だけで雲を引き千切り、海を割り、大地を捲り上げる破壊移動。

 それをエウロペは真っ直ぐに見据えながら、頼れる巨神に叫んだ。

 

「迎撃よタロス! じゃれる牛っころを可愛がってあげなさい!」

 

 エウロペの命令に従い、タロスが大きく腕を開いて待ち構える。

 曝け出されたタロスの胸元へ一直線に、制止を忘れた魔牛の最大加速が吸い込まれていく。

 あわやその胴を撃ち抜かんとする瞬間、まさに神妙極まるタイミングでタロスの両腕が動き、突き出た魔牛の双角を掴み取った。

 

 瞬間、大衝撃波が波紋のように広がる。大地は捲れ遥か地下の冥府が顔を覗かせるほどに深く傷を刻まれ、思い出の湖は生じた熱波に瞬く間に干上がる。

 しかしそれらが全土へ波及することはない。タロスと魔牛、両者を中心とした一定範囲内に被害は収まっていた。

 

 何故か。

 否、理由など端から決まっている。

 

「随分と元気のいい牛っころね! やんちゃは大いに結構だけど、それであたしの庭を荒らし回るのは見過ごせないわ!! タロス、全力全開よ!!」

 

 なぜならクレタは、エウロペの庭だからだ。

 遊ぶのは結構。探検するも結構。狩りに興じ商いを交わし、時として意図せず害してしまうこともあるだろう、それも許そう。

 だが、しかし。

 明確な悪意を以て破壊を齎さんとする礼儀知らずを、エウロペが容赦することなどあり得ない。

 

 王権エウロペ。

 彼女は王位こそ持たないが、王権を保証するのはエウロペである。

 それは即ち、クレタ島に築かれる王国にあって、クレタ島そのもの。

 そのエウロペが島を荒らす暴虐を許さぬのなら、クレタ島がそれに応えるのは至極当然!

 

 今や戦場は両者を中心とした小世界に定められ、決してその外部に影響を及ぼすことはない。

 言うなればタロスと魔牛が雌雄を決するための一大リング、干渉不可能の絶対的決闘空間であった!

 

 

 双角を掴まれ俄に拘束された魔牛の眼とエウロペの眼が合う。

 タロスの肩に立つエウロペの間近に迫った魔牛の顔。夏の熱風よりも尚熱い鼻息がエウロペの肌を炙り、英雄すらも恐れる眼光がその身を貫く。

 

「曇った眼ね、まるで癇癪を起こした子供みたい! それでもヘラの聖なる牝牛かしら? 人の飼う乳牛でもそんな眼はしないわ! 仮にも神獣が――――恥を知りなさい!!」

 

 しかしエウロペは恐れない。

 憎悪に染まった眼差しを真っ向から跳ね返し、更なる命令をタロスに下す。

 

 唸りを上げる動力機関。巨体を巡る神の血(イーコール)が熱血して循環を早め、エウロペから供給される莫大な魔力が絶大なる怪力をタロスに齎す。

 巨樹の如き両脚が根を張るように大地を掴み、巨体を支える腰が大渦のように捻り絞られる。

 

 果たして大地から得た百万力を総身に巡らせると、タロスは大咆哮して双角を掴む両腕を振り上げ、大地から両脚、両脚から腰、腰から上半身へと立ち昇る運動量を以て魔牛を天高く放り上げた!

 

 さながら先の突撃を逆再生にしたような、やはり音を越えての大投撃。

 地上を離れ、雲海を貫き、あわや彼方星界にまで放逐されんと危ぶまれたところで、魔牛はなんとか持ち堪える。

 今や地上のエウロペが砂一粒よりも尚小さい極小と見える高空に追いやられるも、しかしその双眸は確かにエウロペを捉える。

 同じくエウロペも、決して見えぬはずの魔牛の姿を確かに捉えながら、不敵に笑って言った。

 

 

「来なさい牛っころ。第二ラウンド開始よ!!」

 

 

 

 

 巨神と魔牛の戦いは、端を発してからおよそ一昼夜続いた。

 魔牛の嘶きが嵐を呼び、津波を引き起こし、大地を揺らす。

 対するタロスは赤熱する巨躯を振りかざし、自身が灼熱の太陽と化して戦場を駆け巡り、両の拳で迎撃の殴打を繰り出す。

 

 直接的な被害こそ決闘空間の内に収まってはいるが、轟く咆哮、震える大気、吹き荒れる熱波は否応なく人々の五感に届く。

 燃えるタロスが太陽となって夜を奪い、吼える魔牛が嵐となって晴天を奪う。

 この戦いの最中、あらゆる日常を簒奪された人々は夜に震えることも陽だまりに安らぐことも許されず、ただただ戦いの終わりを祈って見守るしかなかった。

 

「まったくタフったらありゃしないわね! 子供でもそんなに癇癪は長続きしなくってよ! 魔獣ですらとっくに暴れ疲れて眠る頃合いでしょうに、そんなにあたしが気に入らなくって!?」

 

 エウロペは、ことの始終を膝を折らぬまま見届けていた。

 常にタロスの肩に立ち、休みなく巨体の応酬を見届け指示に徹している。

 水も食糧も、疲労も睡眠も全て魔力で補って、ひたすら戦場を共にすることへ注力していた。

 

 それは単なる意地の問題だけではなく、単にタロスが全力を発揮するにはエウロペの存在が身近に必要不可欠であるからだ。

 エウロペが宿す莫大な魔力を可能な限りロス無くタロスへ供給するには、距離は近ければ近いほど良い。

 いつ流れ弾が飛んでくるとも知れぬ最前線に身を置くのも、それこそがこの戦いで優勢を取る唯一の方法であるとエウロペが理解しているからこそ。

 

「いいわ、最後まで付き合ってあげる! タロス!! あたしに構うことはないわ、最初から最後まで、全身全霊で可愛がってあげるのよ!!!」

 

 とはいえ、第一はエウロペの気骨がそうさせているのだったが。

 タロスはそんな主の声援を間近にして奮い立っているのか、今の今に至るまで一切消耗を見せていない。

 しかしそれは、敵方の魔牛も同様だった。

 

 余程ヘラの憎悪が深いのか、傷つける端から再生し、始終荒ぶるままに暴れ回る魔牛。

 そこに技巧も知恵もありはしないが、その巨体が暴れるだけで天変地異にも匹敵する破壊が撒き散らされる。

 

 まさしく生ける天災そのもの。

 人が津波に、火災に、あるいは台風に立ち向かえないように、そもそも戦うこと自体が的外れと言える無謀。

 

 だがそれは、常人の理屈だ。

 無鉄砲にして天真爛漫。恐れ知らずにて大神をも魅了するただ美しいだけの小娘。

 だがクレタに於いては王権の象徴と定められ、神の名のもとに三つの大地の一つを拝領する超弩級の小娘である。

 

 魔牛が大口を開く。

 喉奥から渦巻くは遍く地表を焼き尽くす滅尽の火。

 これまで見せなかった手だ。彼方離れても身を焦がすような熱波に、直撃すれば神の青銅すら危ういことがはっきりと分かった。

 

 だからこそ、エウロペは笑う。

 この死中こそが活路であると根拠なしに確信し、躊躇いも無くタロスへ命じた。

 

「さぁタロス、全速前進よ!!」

 

 タロスが駆ける。否、翔ける。

 背の大翼をはためかせ、陽炎の残光を引きながら一直線に魔牛へ肉迫する。

 

 エウロペは、ずっと携えていた無尽の槍に魔力を込めた。

 莫大な魔力を喰らい、槍は人が振るうそれから巨神のそれへと、間近に見れば天を支える柱と見紛うほどに遥か巨大に膨張する。

 

 なんのために。

 無論、タロスが満足に振るうためだ。

 タロスは右手で拳を握り締め、左手に神授の天槍を構えながら、今まさに大火を吐かんとする魔牛の目と鼻の先に現れ――

 

「今よタロス! その無防備な顎にデカいの一発お見舞いしてやりなさい!!」

 

 火が大口より放たれんとする刹那、痛恨の一撃を顎下から天へ見舞った。

 ただ握るだけで山を潰すタロスの拳。それがこれ以上無く硬く固く握られ、天空へ飛翔する勢いのままに無防備な顎へ吸い込まれる。

 さながら天へ昇る竜が如き拳。開かれた口は堪らず勢いに閉ざされ、歯がガチリと鳴らされると同時、その口内で盛大に爆ぜる音が轟き、口の端から黒炎が漏れ出た。

 

 遍く地表を焼き払うはずの火が、出口を失って暴発したのだ。

 いかな魔牛といえこれにはダメージも深刻なものとなる。燻る熱気に内から焼かれ、両眼が白濁するほどに傷を負いながら、堪らず悲鳴を上げてのたうつ。

 

「さぁタロス、とっておきのダメ押しといくわよ!!」

 

 昇竜するまま魔牛の上空へ居座ったタロスがエウロペの命令に頷くと、槍を構えた左腕を渾身の力を込めて振り上げる。

 その矛先は遥か下方の魔牛、その口へ。

 供給される魔力の奔流。魔力放出は炎となって留め置かれる槍にエネルギーを蓄積し、その解放の時を今か今かと待ち侘びる。

 やがて熱量が臨界に達し、蓄積された運動量が軋みを上げるまでに至ると、タロスは満を持して左腕を振り下ろした。

 

 放たれた天槍は今や槍の形をした太陽となって、その軌跡にある悉くをプラズマ化し昇華せしめ、一直線に魔牛の頤へ向けて飛翔する。

 音の壁などとうに十も二十も超え、大気すら焼いて焦がし、海原を蒸発させて濃霧を生み出しながら、遂に目標に到達する。

 

 抵抗なぞ、あるはずもなかった。

 極光の槍は魔牛の口、その上顎から下顎までを一直線に貫き、決して抜けぬ釘を刺した。

 最早嘶きを上げるだけの動きすら許されない。まさしく口輪を嵌められる家畜に相応しい様に、果たして誰がこれを神獣と呼べようか。

 

 無論、結果はそれだけに留まらない。

 たかだか魔牛の口を閉ざすだけで渾身の投擲が終わるはずもなし。

 天から地へ放たれた一擲は魔牛の口を貫いてなお勢いを減じさせず、魔牛諸共海の底深くへと突き刺さる。

 その勢いで波は遥か高く伸び、その後に大渦が顔を覗かせた。

 

 渾身の一撃は、確かに天の魔牛を海の底へ縫い付けたのだ。

 

 

 

「やったか!?」

「馬鹿者。それを()()()と言うのだ、姉よ」

 

 天に座して行く末を見守るヘスティアが思わず喜色を露わにする。

 対するヘカテーは、戦いはまだだと頭を振った。

 

 

 

「…………」

『――――――――!!!』

 

 事ここに至り、初めて魔牛が明確な意志を見せる。

 確かに海の底へ葬ったはずの一撃、いかな魔獣神獣とて一溜まりもない渾身の一撃であったはずだ。

 だが、しかし――

 

「同じ牛でも、ゼウスが変じたそれとは天と地ほどの違いね! まったく、どうしたらそこまでしぶとく生き足掻けるのかしら!!」

 

 

 ――魔牛、未だ健在。

 頤を天槍に封じられ嘶きこそ封じられるも、より一層の神気と暴威を漲らせ海の底から蘇った。

 

 

 

 

 




これくらいやっても型月世界ではまだまだ序の口だから困る
ほんま型月は懐の深いコンテンツやでぇ……

あ、次で決着させます。


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タロスVSヘラシモス ~ギリシャが燃え尽きる日~

先に言っておきます。
好き勝手やりすぎた!!!


 

 

 

 魔牛は今や生物の域を超え、引き連れた破壊そのものと化していた。

 大打撃を食らうまでは如何に巨大かつ凶猛であれど、一応は獣の領域に留まっていた。

 しかし明確な痛みを覚えるまでに打ち据えられ、頤を槍で縫い留められるに至り、魔牛は初めてエウロペとタロスを脅威として認め、遂にその本領を発揮しようとしていた。

 

 双角は厳俊なる山。眼光は雷の迸るが如く。

 息吹は嵐、巨躯は島を超えて大陸に至らんと膨張し、大地を駆ける蹄は冥府に続く地割れを刻む。

 まったく文字通りの意味で魔牛は天災そのものと化し、その規格外は言うなれば現象生命。

 さらに調子付いたことに、無尽蔵の魔力供給すらも具えているようだった。

 

「うーん……さすがにここまでの恨みを買う謂れは無いのだけど……、まぁいいわ! つまり総力戦ってことね! タロス、もしかしたら死んじゃうかも知れないけど覚悟を決めなさい、どうせやらなきゃここで死んじゃうものね!!」

 

 エウロペは奮起した。

 決して自棄を起こしたのではない。むしろ極めて冷静に、慎重な計算のもと生存の道を模索していた。

 いや、それを計算と呼ぶには些か原始的すぎるきらいもあろう。エウロペの脳裏を駆け巡る無数の思考の渦は、根拠なき直感から式を見出し、僅かな活路の光を求めて幾万幾億の演算をエウロペ自身がそうと自覚せぬまま繰り返し、やがて解を算出する。

 

 結果――

 

「まずは同じ土俵に立たなきゃ始まらないわ! タロス、無茶していくわよ!!」

 

 まずは我々を同じ高みへと無理矢理押し上げる。

 そう決断したエウロペは、同じく本領を発揮せんと注力した。

 

 これまでの戦い、その応酬は、全てエウロペ個人の魔力によって実現していた。

 余波を外部へ及ばさぬよう島のバックアップを得て舞台を整えてはいたものの、これまでタロスが戦い続けられたのは偏にエウロペの意地と根性あってのことである。

 

 だが、それも今は忘れよう。

 エウロペはこれまで自らに課していた戒めを取り払い、天上の神々と地上の人々、そして拝領した大地へ高らかに宣言した。

 

 

「エウロペが貴き雷霆神授の王権を以て命じる! あたしに力を貸しなさい――!!!」

 

 

 呼応して――真っ先に天より雷光が彼女に降り注いだ。

 かつてゼウスと結んだ縁を通じて、遥か彼方より大神の加護がエウロペに向けられる。

 その力強さこそはゼウスの寵愛の深さであろう。魅せつけるような雷光の輝きに、天上で行く末を見守る神々は大いに驚き、ヘラはますます嫉妬に身を焦がす。

 

 次に人々より燐光が彼女に宿った。

 神々の大戦にも匹敵する巨神と怪獣の戦いは、最早英雄ならざる人々――否、英雄であっても有象無象では介入は不可能。

 故にどうか嵐を過ぎ去るのを祈り、身を縮こまらせるしかなかった。

 そこへ届いたエウロペの大音声である。彼女の喝破は絶望の淵にある彼らの心に火を灯し、希望を見出す助けとなる。

 いつの間にか人々の祈りは、恐怖に耐えるそれではなく、その恐怖に立ち向かうエウロペへの応援となった。

 今まさにクレタの島々を、人々を、その営みを護らんと戦う小さな姫君と大きな従者への祈り――最早信仰ですらあるそれが、燐光となってエウロペの力となる。

 

 最後に大地から輝ける奔流がエウロペに殺到した。

 この神代ギリシャに存在する三つの大陸――即ち、アシアー、リュビアー、そしてエウローパ。

 三大陸が一つ、大神の名のもとにエウロペの名を冠する大地より、主たるエウロペの呼び掛けに応じて、地脈霊脈に内包した莫大な魔力を彼女に捧げた。

 その輝き、その魔力量。本来ならば矮小な人の身なぞ瞬く間も無く引き裂く激流なれど、エウロペはその全てを呑み込んだ。大体のことは気合と勢いで解決する、それがエウロペの持論だった。

 

 かくして天と地と人から力を借りたエウロペ。

 呑み込んだ莫大な魔力は既に物理的な干渉すら果たし、白雲のような髪を金色に染め上げ、吹き上がる奔流が髪を逆立てて天を衝く。

 双眸の碧眼すらも今や金色に輝き――そう、言うなれば今のエウロペは(スーパー)クレタ人!

 その五体をも人として最も充溢した妙齢のそれへと成長を遂げ、溢れんばかりの魔力を片端からタロスへ供給し、その巨体を支える動力へと変えた。

 

「タロス! ――やれるわね?」

 

 頷く巨神。

 タロスもまた、エウロペの恩恵を受けて金色に輝いていた。

 それは熱血する神の血が臨界を超えて放った極光によるものであり、神の青銅は赤く、紅く、朱く、赫すら超えて白熱の領域に至り、触れる大気を焼いて光を齎す。

 その巨躯に漲るエネルギーのなんと大いなることか。最早一個の太陽を呑み込んだに等しい熱量と光量を以てタロスは遂に限界を突破し、今この時この一瞬だけは大神に伍する大力を得るに至った。

 

 それを不敬と見なす神は、彼女に味方する中には一柱たりとていない。

 彼女と敵対するヘラだけが不届き千万と目を剥いて絶叫する。

 誰も彼もが憎き間女に味方するこの状況に、最早ヘラの頭脳体は煮え立つようで、美神に勝るとも劣らぬと謳われる美貌をかなぐり捨てる有様だった。

 

 

「おのれ……おのれおのれおのれェ――!! 端女のみならず、神々までも妾の邪魔立てをするか! こうも妾に楯突くというのか――!! こうなれば妾も慈悲は捨てましょう……天の牝牛よ――否! ヘラの怒り(ヘラシモス)よ!! 何もかも灰燼に帰しタルタロスの底へ堕としてしまうがいい!!!」

 

 

 ヘラは遂に神罰の牝牛を我が怒りと名付け、必滅の殺意を以て鞭を打った。

 最早伝説のテュポーンをも思わせる大災害。それの戒めの悉くを解いて真実野に放ったのだ。

 

「あちらもいよいよ形振り構わないってわけね! いいわ、よくってよ! ぐうの音も出なくなるまでボッコボコにしてあげる……最終ラウンド開始よ!!!」

 

 冬の凍空を真夏に変えて。

 今、両雄が最後の決着をつけんと激突した!

 

 

 

 

 その激突をなんと形容すべきだろう。

 戦況を見守る人々のみならず、天上から見下ろす神々さえも、久しくなかった大激闘に固唾を呑んで拳を握る。

 

 かつて在りしティタノマキア。

 いつか来たるギガントマキア。

 そして今演じたるタロスマキア。

 

 その大戦にも匹敵する巨大と巨大のぶつかり合い。

 巨神と怪獣の衝突の最中に平然と身を晒すエウロペの胆力たるや、戦を領分とする神々がこぞって褒め称え、その勇気を賞賛する。

 

 しかしそれらの誉れも、今戦いの最中にあるエウロペには一切無用。

 既に激闘は大地を離れ、上空へ移行する。タロスは大翼でエーテルを捉え幾何学模様を描きながら大空を駆け巡り、ヘラシモスもまたそれに追随し、数多の災害を弾丸に応酬する。

 

 タロスの拳は今や牽制の一撃さえもが堕ちる隕星に匹敵し、ヘラシモスの暴威は神代にあって尚伝説と称される怪獣王テュポーンの生き写しが如く荒れ狂う。

 星の瞬きが如く連打されるタロスの拳、拳、拳。対するヘラシモスの嵐、津波、噴火、雷光。

 タロスが巨躯に宿す熱量を眼光として発すれば、ヘラシモスの鼻息が竜巻となってそれを引き千切る。

 

 互いに無尽蔵の魔力を振り絞っての大決戦。

 しかし――

 

 

 

「ふむ、少し危ういか?」

「なんだって!?」

「ヘラめ、余程あの小娘が憎いと見える。権能まで持ち出して魔牛めを支えておるようだ。およそ塵芥一つでも残さば忽ち蘇るであろうな」

「むがー!? なにやってんだいあの馬鹿ー!?」

 

 神界で観戦するヘカテーがその叡智で魔牛の本質を見抜く。

 まさしく形ある天災そのもの。災害を引き起こす土台――大海、大陸、大気。それら森羅万象がある限り決して滅びることはない魔牛の特性。否、最早権能ですらあるそれを見抜いて、ヘカテーも思わず冷や汗を一筋流した。

 

「まずいよまずいよまずいよ!? このままじゃエウロペくんもそうだけど、あの魔牛も神の手綱を引き千切ってただの災厄になりかねない! テュポーンの再来はシャレにならないよ!!」

「ゼウスめ、果たしてやつは収拾をつける気はあるのか……いざとなれば神も総出となってアレを鎮めねばなるまいが、そうなれば小娘の去就など考慮されまい。……成程、詰みかな?」

「詰みかな? じゃなーい!! どうすんのさ、まさかこんなことになるなんて……! ヘラは引き篭もって手出しできないし、このままじゃあ地上が――!!」

「迂闊に手出しできぬ神のしがらみが恨めしいな。――そうさな、せめてヤツの情報を小娘にくれてやるとしよう」

 

 

 

 戦況は膠着――否、こちらへ不利に傾きつつある中、エウロペは天より啓示を得た。

 ヘカテーが見抜いた魔牛の権能、それを詳らかに理解させられる。

 生半可な英雄ならば絶望に呑まれかねない無謀を把握して、しかしエウロペは却って奮い立ち笑った。

 

「なるほどね! 感謝するわヘカテー、つまり丸ごと消し飛ばせばいいのよね! いいわ、わかりやすくって最高よ!!」

 

 殴る端から回復し、肉を削ぐ端から再生する千日手に陥っていた中、その情報はどの財宝よりも価値があった。

 そうと決まればやることは一つ!

 エウロペは全てを賭した一撃を決断すると、すぅと大きく息を吸って号令を発した。

 

「ライラプス――――!!!!」

 

 魔力の一部を愛犬へ回す。

 応えるライラプスは一吼えすると、その魔力の後押しを得て俄に巨大化し小島ほどまでに膨張する。

 しかし悲しいかな、それでも大陸と伍するヘラシモスと比べれば頼りない子犬のよう。

 だが、侮るなかれ。如何に小さくともライラプスもまた神造の獣。タロスと同格とされエウロペに贈られただけの理由がそこにはある!

 

「あいつを――――彼方の海へ!!」

「ゥオウ――――!!」

 

 主の命令を受けてライラプスは発奮。牙を剥いてヘラシモスに迫ると、その顎門を以て首筋に食らいつき――あろうことか、そのままヘラシモスの巨体を引き摺って天上を越え星海にまで連れ去った。

 

 逃さずの猟犬ライラプス。

 それは()()()()()()()()()()()()()ことを運命に定められた獣。

 即ち因果確定の権能を持つ神の猟犬であり、主エウロペがヘラシモスを獲物と定めたならば、その意に従って必ずそれを引っ捕らえる。

 本来考慮すべき質量差や抵抗など、魔力と気合と根性でどうとでもできる――()()()()()!!

 

 果たして猟犬は飼い主の期待に応え、遥か星海に横たわる小惑星へと魔牛を連行する。

 同時に、タロスもまた同じ領域にまで飛翔しヘラシモスと対峙すると、再び無尽の槍を構え、頤を縫い付けたように、魔牛の巨躯を小惑星へ磔にした。

 

「さて、と……さすがのあたしもこれにはちょっとビビるわね。でも仕方ないわ、そうしなきゃ勝てないんだもの!」

 

 如何に磔にしたとて、それで拘束できる時間は極僅か。

 一刻の猶予も無い――それを重々承知するエウロペは、しかし末期の別れとばかりに言葉を向ける。

 

「大海、大陸、大気――いかなる自然も存在しないこの宇宙なら、さすがのアンタも再生はできないわねぇ? もちろん、それはあたしにとっても同じことなんだけど」

 

 まさにその通り。

 エウロペ率いるタロスと、ヘラの怒りたる魔牛が無双を誇るのも、全ては偉大なる星とギリシャの大地あってのこと。

 そのいずれからも隔絶した宇宙空間に於いては、両者はただ存在の維持に魔力を費やし浪費するだけ。このまま宇宙に坐していては命を削るばかり。

 無論、そんなことは両者とも百も承知である。故に一刻も早く地上へ舞い戻らんとヘラシモスは暴れ、それを阻む槍に罅を入れていく。

 

 故にこそ、ここで決着をつけねばならない。

 

「このあたし一世一代の大技よ! 二度とお目にはかかれないからよぉく眼を見開いて焼き付けなさい!! ――――タロス!!!」

 

 号令一下、タロスが唸る。

 磔にされた小惑星を処刑台に、咎人たるヘラシモスの抵抗を見据える。

 そして手頃な小惑星を引っ掴んで抱えると、そのまま胸元に置いて、この戦い最大の熱量を発し始めた。

 

 腕に抱く小惑星、それへ注がれる魔力の奔流。

 エウロペ、タロス、ライラプス。それぞれが有する魔力を最後の一滴まで振り絞り、その全てを熱に変えて媒体となる小惑星へ。

 赤熱する小惑星が融解し膨張するのを、タロスの両手が圧縮して押し留める。

 

 融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。

 融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。

 融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。

 融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。

 融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。

 融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。

 融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。

 融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。

 融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。

 融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。

 融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮。融解、膨張、圧縮――――!!!!

 

 無限に繰り返されるそれら三工程を経て、小惑星は物理を超越し超エネルギーの純塊と化して光輝く。

 神と人と大地から託された全魔力と、己の限界すら超えて振り絞った魔力、その全てを込めたもう一つの太陽。

 

「よくやったわライラプス、先に行って休んでいなさい。タロス、あとで綺麗に磨いてあげるわ。すっかり汚れちゃったものね。そして――――」

 

 最も魔力に乏しいライラプスが、先に力尽きて地上へ堕ちた。

 次にタロスが精細を欠き、熱血が覚めて駆動に支障をきたす。

 そしてエウロペは金色を失って矮躯に戻り、白雲の如き髪に少なからず灰を混じえて、しかし目の輝きはそのままに最終勝利を宣言した。

 

 

「――――これで終わりよ、ヘラシモス!! あたしたちの全身全霊、なにもかもを込めた最強最後の一撃、とくと味わいなさい――――!!!!」

 

 

 タロスが光球を抱え、大きく腰溜めに構える。

 今にも解放を求めて炸裂せんとする小太陽をその両手で押し留め、最大のインパクトを目標へ与えんがため。

 御する巨躯に全霊を込め、恐るべき眼光で魔牛を射抜きながら。

 

 

「名付けて!!!!」

 

 

 タロスが両手を勢い良く突き出した。

 放たれる光球は、その身に宿した超エネルギーの荒ぶるまま、しかし標的を決して逃さず幾重もの軌跡を描きながら魔牛へ迫る。

 その最中にある小惑星の数々を砕き、地上からは遡る箒星として輝きながら。

 

 

「"青銅神話(タロスマキア)ァアアアアアアアアアアアアア――――!!!!!!!」

 

 

 果たして魔牛は、今わの際に何を想っただろう。

 ヘラの怒り(ヘラシモス)の名の如く、憤怒に衝き動かされるまま荒ぶるだけの哀れな命。

 聖獣とは名ばかりの狂乱を引き連れて暴虐を奮った天の牝牛が、人や神の思惑を解するかは知れないが、しかし。

 

 

「――――――――雷霆王権(メルトダウン)"ッッッッッッッッッッ!!!!!!!」

 

 

 必滅を告げる神罰の雷球を前に、ヘラシモスは瞼を閉じた。

 稲光に遮られ、その表情を窺うことはできない。そうするだけの余裕も、エウロペにはない。

 だが、一切の抵抗を投げ出して消滅を受け入れた魔牛の最期は、過ぎ去った嵐のように物静かであった。

 

 

「あはは――――やってやったわ、でもこれが限界……あとは野となれ山となれ、ね……」

 

 

 同じく力を使い果たしたエウロペとタロスは、ヘラシモスの消滅を見届けると同時に地に堕ちる。

 最後まで青銅の従者に寄り添い、勝利を信じ続けた女傑は、自由落下すら意識する間もなく眠りに落ちた。

 果たして次に目覚められるとも知れない、深い深い眠りへと――。

 

 

 

 

 その日、人々は太陽が二つ輝くのを目撃した。

 遡る流星。遥か天上で轟く咆哮。一昼夜続いた激闘は、払暁を以て終戦を告げる。

 厄災の魔牛は天、地、人、全てを賭した王権の一撃に討たれ、ギリシャはここに平穏を取り戻したのだ。

 

 これぞエウロペ唯一最大の大功業、ヘラシモスの牛退治。

 牡牛と共に降臨し、牝牛を討って王権を全土に示したエウロペは、これを以てクレタ島の国母として名を馳せる。

 

 そしてまた、これを最後にエウロペの伝説は幕を閉じる。

 天地を轟かす一大決戦を演じたエウロペは、その代償に戦いで得た超常の力すべてを失ったのだ。

 

 果たしてそれが如何なる結末を齎すのか。

 それを知る神はモイライを於いて他に無く、時間が明らかにするのを待つしかなかった。

 

 

 

 




ふぅ……一番書きたかったとこ書けたぜ……
戦闘描写って難しいけど楽しいですね。やっぱり勢いって大事。

ここまで見てくれてありがとうございます。
おそらくこれが連休中最後の更新となります……が、話はあとエピローグを一つくらい挟んで、生前編は完結となるかと。
生前編の終わりまで、今暫くお付き合いください。


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クレタの太母、その名はエウロペ

いつのまにかランキング載ってたぜヒャッホーーーーイ!!

という喜びのままにキリよくエピローグまで頑張る作者なのであった(


 

 

 

 

「ああああァァァァアアアアアアア――――!!?」

 

 神界、ヘラの領域に慟哭が響き渡った。

 必滅を誓って放った災いの魔牛、それが小太陽に呑まれ焼失するという光景に理解を拒み、行き場を失った感情が怨嗟となってヘラを奏でた。

 

「あり、えない……あり得ないありえないアリエナイ――!! こ、こんなこと……こんな結末があってたまるものか――!? この妾がことを仕損じるなぞ、あの端女に敗れるなぞあっていいはずがない――!!」

 

 ヘラは狂乱していた。

 誰の目にもエウロペの敗北は明らかだったはずの戦い。

 しかしながら如何なる不条理か、十重二十重にも立ちはだかる絶望の壁を奴は打ち砕き、粉砕し、蹴り破って、あらゆる神々を、人々を、大地を味方につけてヘラ渾身の神罰を退けるという、神の思惑を以てして見通せなかった結末に混乱――否、いっそ恐怖すらしていた。

 

 神性すら帯びていない人間――だったはずだ。

 取るに足らない矮小な命だったはずだ。

 ただの――小娘のはずなのに。

 

「な、なぜあれは生きている――? 妾の怒りがなぜ通用しない!? なぜ妾が――たかが人間の娘に恐怖しているの!!?」

 

 戦いの最中、始終笑みを浮かべていたのはエウロペ。

 一方で、始終心かき乱されていたのはヘラ。

 

 勝利の栄光を掴んだのはエウロペ。

 敗北の屈辱に震えるのはヘラ。

 

 エウロペには誰もが味方し――

 

「――なぜ、妾は……妾には、誰も微笑まないの……!!」

「――后よ……」

 

 荘厳なる声が響いた。

 ヘラが弾かれるようにして面を上げる。その顔には、絶望が張り付いていた。

 

「ぜ、ゼウス……!」

「后よ」

 

 事ここに至り、ヘラは己のしでかしたことを漸く理解した。

 嫉妬に狂ってゼウスの愛人に破滅を齎そうとした咎に――ではない。

 そんなものは、神と人との差の前には大した問題ではない。人にとって如何に理不尽であろうとも、神が人を罰することに如何なる咎があろう。不興を買いこそすれ、罪として糾弾するには至らない。

 

 だが、箍を外し、限度を忘れ、単なる小娘への報復を越えて世界を破滅させんとした獣を産んだ罪。

 こればかりは、如何なる神であろうと免れ得ぬ大罪である。

 

「わ、妾は――――!!」

 

 ヘラは後退り、喉を引き裂かんばかりに激情を吐いた。

 

「妾に、なんの不足があるのです……!? いつもいつも、妾を蔑ろにして目移りして! 気の浮つくままに下民を貪り、貞淑たる妾を差し置いて愛を囁いて――!! その報復の矛先を貴方様の愛人に向けることを嫉妬と誰もが詰って!! ならば妾は! 妾はなんのために貴方様の后となったのです!? 貴方様が熱心に求めたからこそ、妾は貴方様に操を立てたというのに! 妾の愛では貴方様を繋ぎ止められないと……その怒りと悲しみと! 憎しみと報復を求めることを!! ――――それさえも、許されないというのですか……ッ」

 

 それは積もりに積もった鬱憤の瀑布であった。

 オリュンポスの治世の始まりより溜めに溜め込んできた感情の坩堝、それが蓋を失って流れ出る。

 

 言い切ったヘラは、いよいよ五体から力を失って崩れ落ちた。

 常の美貌も光輝も翳り、ただの手弱女のように、捨てられた女がそうするように震えた。

 伏せられた顔からは表情は窺えない。しかし、立ち昇る恐怖と絶望、深い不安が彼女の余裕の無さを明確に示していた。

 

「――ふ、ふふふ……さぁどうとでもなさいませ。アレスの丘で妾の罪を衆人環視のもと糾弾なさいますか……? それとも……このような醜い女を見限り、タルタロスの底へ投げ捨ててしまうのかしら……? ふふ……如何なる結末とて、最早妾には――」

「后よ、もう泣くな」

 

 雄々しくも温かい腕がヘラを包み込んだ。

 久しく無かった温もりに思わず涙を忘れ、ヘラが面を上げる。

 

 ゼウスが、輝ける双眸に慈悲を湛えて微笑んでいた。

 

「儂とてそなたの苦しみは知っておった。逃れ得ぬ宿業とはいえ、そなたを悲しませる苦しみを、儂もまた味わっておった。儂が愛を注いだ人の子へそなたが憎しみを向けるのを見過ごすのも、そなたへの後ろめたさ故のことかもしれぬ。しかしな、后よ。我が愛は斯様に移ろいやすく多かれども、そなたへの愛を忘れたことは一度たりとてありはせぬ――」

「今更、そのような――!! それに妾は、わたしは……ァッ、アアッ!」

 

 胸に顔を埋めて涙に暮れるヘラを、ゼウスはそっと見守った。

 ヘラは泣きに泣き、溜まりに溜まった激情を全て嗚咽と涙に変えて童女のように泣き続け、両の目元を紅く腫らすまで泣いた。

 

 子鹿のように震えて見上げるヘラの、美しい目尻に溜まった雫をゼウスがそっと指で拭う。

 そしてヘラを横抱きに抱えると、神域の端から下界を見下ろして優しく囁いた。

 

「見よ、ヘラや。凍てつく冬の空を裂いて春風が今に吹こう。氷に閉ざされた大地は雪解けを経て恵みを思い出していく……そなたの愛するカナトスの泉も、清らかな水を湛えておろう」

「ゼウス様……」

「のう、ヘラや。今一度、カナトスの聖水に清らなるそなたを見せておくれ。儂はもう、そなたに夢中じゃ」

「――本当に、もう。仕方のない御方……」

 

 安らぐヘラの顔からは、すっかり憑き物が抜け落ちていた。

 嫉妬に狂う女の姿は、最早無い――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぐぐぐぐ……身動きできないのがこんなにも辛いなんて……!!」

「今度こそ馬鹿な真似はなさらないでくださいまし。……さ、林檎が剥けましたよ」

「馬鹿じゃないしー! ぅんんん~っ、んまんま♪」

 

 どっこい生きてたクレタの母。

 クレタ島はクノッソス宮殿の離れに隔離されながら、ギュネイの甲斐甲斐しい世話を受けるエウロペ。

 激闘を終えて星海からタロス共々堕ちてきたエウロペだが、なんか普通に生きていたのであった。

 

 とはいえ重傷を負ったことに変わりはなく、クレタ島に落着するや否や国民総出で運び出され、万全の体制のもと看護という名の監視を受けていた。

 絶対安静を言い渡され全身をぐるぐる巻きに拘束されたエウロペのやることと言ったら、ギュネイに世話をされることくらいのもので、状況的・物理的に一切の自由が利かない現状に早くも音を上げたのだった。

 

「ええ、ええ。今回ばかりは絶対安静にされないと困ります。クレタの民の皆々が……いえ、ギリシャ全土の人々があなたの勝利を讃え、災いの終わりに沸き立っているのです。そこであなたが無茶をして大事に陥ってごらんなさい……今度こそ人々は悲しみから立ち上がれませんよ」

「ま、仕方ないか。それにお腹の子たちのこともあるものね、さすがのあたしもしっかりしないとだわ!」

「私としては、なぜあれでお腹の子が無事だったのか不思議で仕方ないのですが……」

 

 激闘の最中で誰もがうっかり失念していたが、エウロペに宿る命もまだなぜか無事であった。

 運び込まれて真っ先に駆けつけた産婆が泡を食って診断し、誰もが流れるのを覚悟して項垂れる中、狂喜乱舞した産婆の歓声は記憶に新しい。

 

 絶望視されていた無垢なる命が無事であることを、誰もが歓喜した。

 その報せが島中に広まるや否や、人々はこぞって祝い、いつしか祭事にまで事が大きくなっていたのだ。

 誰よりもアステリオス王自身が率先して祭りを仕切っていたのだから、その熱狂の規模たるや察するに余りあろう。

 当のエウロペは子供が無事であったことを当然のように受け止めながら、その熱狂に混ざれないことに終始不満げであったが。

 

 そう、今やエウロペはギリシャ全土で讃えられる一大英雄であった。

 クレタのみならずギリシャ全土を破滅に導かんとした魔牛を屠り、あらゆる神々、あらゆる人々、あらゆる大地を味方にした不世出の女傑であるとされ、ある地方では乙女座に彼女を見出す動きすらあるという。

 エウロペはそうして注がれる崇敬を満更でもないように高笑いしながら、しかし最早あのような力は無いことをギリシャ全ての神と人に明らかにした。

 この身はただの女である、常なる人となんら変わることはない。そう告げることで過剰に持て囃されることを戒めるも――当の本人としてはただの照れ隠しでしかなかったが――それすらも奥ゆかしさと捉えられ、その畏敬は絶えることがなかった。

 

 結果としてエウロペは神にも迫る大英雄として認知され、その威光に与ろうと、あるいは絶世と噂される美しさを一目見ようと、クレタの島は訪れる人々で休まるときがなかった。

 そのクレタの島では先の大戦からタロスを真実島の守護神であると認め、犬の愛好が流行り、兵士たちはこぞって槍を構えるようになった。

 

 そこかしこで賛美を唱える人々の声。

 当初こそ調子付いて持ち上げられるままのエウロペだったが、一週間が過ぎる頃にはすっかり飽きて、一月経つ今では耳にするたびに顔を顰める始末である。

 エウロペは図に乗りやすく調子づきやすいアホではあるが、天丼には厳しかった。

 

「せめて産まれるときくらいは静かになっててほしいわねー。産む時もいちいち実況されるなら鉄拳制裁よ、鉄拳制裁!!」

「そのときは私も加勢いたしますとも。セコンドはおまかせくださいな」

 

 そんな取り留めのない会話を楽しみながら、エウロペは傾いていく太陽を眺める。

 こうして穏やかに眺める光景に、普段のエウロペは大して感慨を持たなかったが……当たり前のその姿が、今この時だけは何よりも尊く思えた。

 

「お腹いっぱいになったし、そろそろ一眠りするわ。昼も夜も騒がしくてすっかり調子狂っちゃう」

「ええ、おやすみなさいませ、エウロペ様。きっとすぐに出歩けるようになりますとも」

「それ、一ヶ月前からずっと言ってるじゃないの」

 

 

 

 

「エウロペ……エウロペよ、起きなさい」

「んぅ……?」

 

 眠りに落ちたはずのエウロペは、己を揺り動かす声に眼を開けた。

 途端、光輝に満ちる視界。寝ぼけ眼を擦る間もなく覚醒すると、飛び込む偉容に目を見開いた。

 

 ここは天上、神の領域。

 エウロペの視線の先、中央に大神ゼウスを配し、その両翼に残るオリュンポス十二神が列し、その周囲をその他の遍く神々が取り囲む。

 ギリシャ全土の神々が一堂に会する大光景に、さしものエウロペも跪いた。

 

「オリュンポスの神々におかれましては、拝謁の栄誉を賜り光栄至極!」

「よい、面を上げよ。我が光輝を直視することを許す」

「はっ」

 

 ゼウスの許しを得てエウロペが顔を上げる。

 許しなく仰ぎ見れば目を潰すとされる大神の尊顔、それを肉眼で捉えることの意味を、ギリシャの人々が知らぬはずもない。

 かつて下界で情を交わしたときは違う、真実神と人としての邂逅において、その栄誉に与ることの偉大さを、エウロペが理解できぬはずもなかった。

 

「うむ。それとな……うむ、もう畏まらずともよいぞ。儂が許す。そなたはやはり、闊達に振る舞うのが相応しい」

「それなら――――お目にかかれて光栄よ!」

 

 腐っても王家の育ちである。

 その振る舞いは堂に入って厳粛たるものだったが、ゼウスの許しを得るなり途端に調子を取り戻す。

 それを不敬と咎める神はこの場にはおらず、却って笑みを浮かべるくらいであった。

 

「それで、こうしてあたしを喚んで一体どんな用件かしら? さすがのあたしもちょっぴり緊張しちゃうわ!」

「うむうむ。まずは……先の戦い、実に見事であったと褒めて遣わす。そなたの尽力あってこそ、ギリシャの平穏は保たれた。その功績を讃え、我ら神々がここに列するものである」

「謹んで受け取るわ! そうね、遠い故郷に残したお父様とお母様、あとついでにお兄様に顔向けできるのは最高ね! やっぱり勝手に出ていったことは気掛かりだったもの!」

「――貴方様?」

「うぐっ……そ、それはよいではないか……ともあれ、ゴホン!」

 

 ヘラの横目に貫かれ、動揺するゼウス。

 エウロペにそのつもりはないが、恋い焦がれるあまり拉致した負い目がここに来て噴出した。

 白ける周囲の視線を咳払い一つで誤魔化し、言葉を続ける。

 

「そなたの功績は、まこと比類なき偉大なものであるとゼウスの名のもとに認めよう。従って――そなたには褒章を与えんとする」

「あら、一体何をいただけるのかしら? とっても楽しみだわ!」

「そうさな、なにが良い?」

「えっ――?」

 

 思わぬ返答にきょとんと言葉を失うエウロペ。

 してやったりと笑みを浮かべるゼウスの顔を、エウロペは見上げた。

 そうした様子が心底愛おしくて堪らないといった様子で、ゼウスは続けた。

 

「言ったであろう、そなたの功績は比類なきものであると。そなた自身は理解が及ばぬやもしれんが、そなたが成し遂げた偉業は、我らオリュンポスの神々がそなたの願いを聞き届けるに十分なものよ。遠慮することはない、そなたの望むままを申してみよ。一つだけ、我らは不足なくそれを叶えることを誓おうぞ」

 

 およそギリシャの人々にあって、これほどの栄光が他にあるだろうか。

 神の戯れによって一方的に与えられるのではない。

 神の思惑によって一方的に叙せられるのではない。

 英雄が、英雄の望むままに、その願いを神が叶えるという大盤振る舞い。

 これほどの寛容と褒章を神々が示すなど滅多にあることではなく――その寵愛、かのペルセウスに伍する。

 さすがのエウロペも瞬時に理解が及ばず、呆けた顔を晒した。

 

「私に望むなら、永劫の美を約束しましょう」

 

 美の神アフロディーテが妙やかに言った。

 

「わしに望むなら……そうさな、お前のための宮殿を建てよう」

 

 鍛冶神ヘパイストスが腕を鳴らして言った。

 

「僕に望むなら、この世に二つと無い音楽の才を与えようじゃないか」

 

 太陽神アポロンが、竪琴をかき鳴らして微笑んだ。

 

 他にもポセイドンが、ハデスが、アテナが、アルテミスが、デメテルが、ヘルメスが、アレスが、ヘスティアが。

 十二神以外の神々もまた、ヘカテーを筆頭に望むならばと口々に誓いを立てる。

 

 そして――――

 

「わ、妾に望むならば――」

 

 ヘラもまた、例外ではない。

 先の確執が後ろめたいのか、視線を合わせられないまま、ゼウスの陰に隠れるように、消え入るような声でか細く言う。

 

 ヘラは、カナトスの泉での禊を経て、本来の母性と慈愛を取り戻していた。

 しかしながら、しでかした事が事だけに合わせる顔もないといった様子で、この場に留まる間も始終肩身が狭そうに小さく身悶えしていた。

 

「望むならば、わ、妾からは――」

「――ならばっ!」

 

 ヘラを遮って、エウロペが大音声を発した。

 神の言葉を途中で遮る不敬。しかしながら、事の経緯を知る神々には、それをやむなしとする情けがあった。

 やはり、と悲しげに目を伏せるヘラ。ゼウスは僅かに眉を顰めると、エウロペにその先の願いを促した。

 

 

「ならば白き腕のヘラ神に願い奉る! どうかこの胎に宿る子らへ祝福を!!」

 

 

 ――エウロペは、ヘラの御前に跪くと、頭を垂れてそう願った。

 そして仰ぎ見る双眸には、一切の蟠りも無い。心底からの誠心と畏敬を以て、敵対したヘラを見据えていた。

 

 これにざわめいたのは神々である。

 よもや、あれほどの悪意を向けたヘラに跪くなど――その確執は永劫晴れぬとばかり思っていた神々は、度肝を抜かれたようにエウロペを見た。

 それは、他ならぬゼウスもである。他の神ほど露骨ではないにしろ、その意外を取り繕うことも忘れてエウロペの正気を問うた。

 

「本気か、エウロペよ。そなた、本当に我が后へ願うというのか」

「……ダメなの?」

「ダメではない。ダメではないが、しかしのう……」

 

 どこかズレたエウロペの反応に、ゼウスは髭を扱いて思い悩む。

 傍らに立つヘラは、ことの成り行きが理解できないとばかりに、口を丸く開いて両者を見ていた。

 

「そなたと后には、拭い難い確執があったのではないか? この場に神は数あれど、まさか后に願うとは誰も想像せなんだ」

「あっ、そっか。そういう考えもあるのよね……」

「そなたは違うと? それは何故じゃ」

「だって、あたしに恨まれるだけの理由があったのは確かだもの」

 

 エウロペは、未だ動揺の落ち着かないヘラを見据えて言った。

 

「あなたの夫を誘惑してしまったことは謝るわ! そこにあたしの意図は無かったとしても、それで納得がつかないのが愛だもの。だから……ごめんなさい!!」

 

 エウロペが、跪くのとは違う意味で頭を下げる。

 それに誰より驚いたのは、他ならぬヘラであった。

 そして他の神々もまた、思わぬエウロペの謝罪に目を白黒させる。

 

「あなたがあたしを憎んでいると知ったとき、それも仕方ないと思ったわ。だって誰より貞淑なあなたですもの、その愛を一時とはいえ奪ったあたしを許さないのも当然! だからあたしを呪ったのも理解できたし、魔牛を差し向けたのも仕方のないことだと思ったわ」

 

 エウロペの告白には、なんの偽りもなかった。

 心のままの言葉を、感情を、そのまま音にして紡ぐ。

 

「だけど、それをそのまま受け入れてはあたしだけじゃなく、他の人々やお腹の子たちまで巻き添えになってしまう。それだけは見過ごせなかったから、必死に抵抗したわ。使える全ての手を使って、あなたの怒りに抗った。結果として勝って、こんな栄誉を授かるまでになったけど……だからといって、あたしとあなたの確執が晴れるわけじゃない」

 

 神々は、いつしかエウロペの言葉に聞き入っていた。

 騒動の当事者である女二人。その赤心の通わすを妨げてはならないと弁えるがゆえに。

 

「あなたがあたしを憎むのは当然。だけどあたしは、決してあなたを憎んでいない――」

「な、なぜ……!?」

 

 ヘラは、震える声でエウロペに問うた。

 対するエウロペは、凛とした声で答える。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 その言葉に、この場の誰もが息を呑んだ。

 あまりに毅然としたエウロペの気迫に、知らず気を呑まれる神も現れた。

 他ならぬヘラこそが、信じられないといった様子でエウロペを見つめていた。

 

「たとえあなたがあたしを憎んでいても、あたしが神々を畏敬する心に変わりはない。だからこそゼウスに告白されたときは嬉しかったし、あなたに憎まれたのも当然と思えた。あの戦いも、あたしとあなたの喧嘩と思えば、これ以上無く女冥利に尽きたわ! だからこうして拝謁が叶って、とてもとても誇らしい!」

 

 エウロペはこれ以上無い喜びを浮かべて謳った。

 ギリシャの民としてこの場に招かれたことを、そして畏敬する――ヘラも含む――神々と触れ合える栄誉を、心の底から誇りに思った。

 そこに偽りはない。嘘もない。真実赤心のみを述べてエウロペは歓喜に打ち震えている。

 

「――だけど」

 

 だけど。

 一転して、再びヘラの御前に跪いた。

 そして心から懇願しながら、額を地につけて言った。

 

「だけど、それであなたがあたしを許すかは、あたしが口を挟めるものではない。もし今以てあたしを許せぬというのであれば、この首を捧げてもいい。だけどどうか――」

 

 

「どうかあたしの子たちへの祝福だけは賜りたい! 元気な子が産まれ、健やかに育つよう祝いでいただきたい! あなたに慈悲があるならば、それをあたしに向けろとは言わない。だけど子供たちだけはどうか許してほしい――――!!」

 

 

 それだけが、あたしの望みです――。

 そう言い切って、エウロペは沙汰を待った。

 

 神々はいよいよ言葉を失って、互いの顔を見合わせた。

 十二神もまた、打ち拉がれたように沈黙に陥っている。

 

 ヘラは、まったく言葉もないといった様子で。

 ゼウスは、そんな后を愛おしげに見やった。

 

「后よ」

「――――」

「そなたの心のままに応えてやるといい」

 

 ゼウスの後押しを受けて、ヘラが一歩進み出た。

 下げられたエウロペの首筋を、そっと見下ろす。

 

 そして、ぽつり、ぽつりと。

 赤子の手を取るような繊細さで、静かにエウロペに問うた。

 

「――その言葉に、嘘偽りはないな」

「あたしは心の全てを晒したわ」

「ならば」

 

 ヘラは、すぅと息を吸って――――この場の全てに声を轟かせた。

 

 

「ならば妾の名のもとに、そなたに祝福を与えましょう! そなたが宿せし三つの命は、一切の瑕疵無く産まれ、如何なる病も知らずに育ち、偉大なる者となることを約束しましょう!! そして! ――これを以て我らの間に横たわる深き溝は埋められたことを此処に宣言します!!」

 

 

 この場に参じる神々の誰もが、諸手を挙げて賛成した。

 あまりに衝撃的なヘラの和解。赤心を以て神々の女王と打ち解けたるエウロペの忠義と信心に、誰もがその名を讃えた。

 ヘラもまた、それでこそ我らの女王と讃えられ、大神ゼウスの妻、最も貞淑たる者の名を確固たるものとし、その威光を復権した。

 

「……いいの?」

「さて、なんのことやら。そんなもの、カナトスの水に流してしまったわ。ねぇ、貴方様?」

「ふほほほほっ、そうじゃな! まこと、気持ちのよい光景であった! うむ、うむ……今のそなたたちは一段とまた、美しく輝いておるのう!」

「そなた……()()?」

「ムォッホン! いやいや、そなたは一段と美しいのう! はっはっはっはっ!」

「まったく……」

 

 心底呆れた様子で白い目を向けるヘラ。

 呵々大笑するゼウスを白々しく見やると、振り返ってエウロペに目を合わせた。

 

「エウロペや」

「ん、なに?」

「我が夫はあの通りゆえ、まぁ……犬に噛まれたとでも思ってお忘れなさいな。あれは大概強引な犬ゆえな」

「あたしにとっては強引な牛だったけれどね!」

「まったく……いつの世も泣きを見るのは女たちね。おまえも……いや、おまえは違うわね。なにせ神に真正面から啖呵を切って懇願した恐れ知らずですもの……ね?」

「お褒めに与り光栄よ!」

「口の減らない小娘ですこと。……ああ、そうだわ」

 

 すっかり元の調子を取り戻したヘラがエウロペを手招きする。

 騒乱が高じて宴を催すに至った神々を背に、衆目のつかぬ場所に誘うと、周囲に誰もいないことを確認してから、そっと耳打ちするようにエウロペに囁いた。

 

「おまえの子を祝福はしたけれど、それはあくまでその子らのもの。当事者たるおまえが何も得るものが無いのでは、神々の女王たる妾の沽券に関わりましょう。故に、仕方なく……いいこと、仕方なくですよ? 妾から特別におまえへ贈り物をやりましょう」

「いいの? やったー!」

 

 そう言ってヘラが喚び出したのは、かつてゼウスが変じた牡牛に勝るとも劣らない、優美なる牝牛であった。

 双角はヘラの腕のように白く、双眸は慈愛を湛え、その蹄は輝ける御座の如き黄金。

 これぞまさしくヘラの写し身たる最美の牝牛。これには牛通(を最近自称している)エウロペも興味津々不可避。

 

「妾の加護を多分に宿した聖獣です、使いようはどうとでもなさいな。乳は大層美味であるとだけ言っておきましょうか、間違っても肉を食おうなどとは思わないように。いいこと?」

「わかったわ! それじゃあ名前は――そうね、"ヘラの慈悲(ヘラエレオス)"なんてどうかしら!」

「ッ~~! 好きになさいっ」

「ありがとうヘラ、とってもとっても大事にするわ!」

 

 早速ヘラエレオスに跨ってはしゃぐエウロペ。

 今の彼女の脳裏には、この牛で颯爽と牛祭りの優勝を掻っ攫う野望しかない。

 ちなみにクレタではエウロペに関連して牛祭りなる催しが流行し、美しい牛を育てることを競う者たちが跡を絶たなかったりする。

 

「さて、いつまでも神ならぬ身で此処に留まっていても仕方がないでしょう。とっとと下界にお帰りなさいな。その獣の案内に任せていればすぐですよ」

「ええ、そうね。世話になったわ。それにとっても楽しかったし嬉しかった! それじゃあこれで失礼するわね、どうかオリュンポスの神々に栄光あれ!」

「精々お生きなさいな――そなたにも誉あれ」

 

 

 

 

 かくしてエウロペの伝説は幕を閉じる。

 ある者は牛退治よりも尚気高いと称賛する、神々の女王ヘラとの和解劇。

 嫉妬に狂い、憎しみに囚われたヘラをも赦し、却ってその寵愛を得るに至った国母の大徳を何よりも偉大とする声は少なくない。

 

 神々との謁見を終えて国に舞い戻ったエウロペは、やがて元気な三つ子を産むと、それぞれにミノス、ラダマンテュス、サルペドンの名を与え、大変に愛し、よく育んだ。

 大神の血を引く彼らは大変に見目麗しく、知恵に優れ、王気に満ち、栄光を欲しいままに国をよく治めた。

 途中、サルペドンはミノスと袂を分かち国を離れたものの……彼もまた遠方で国を興し、ゼウスの寵愛を得て後のトロイアの戦いまで活躍することとなる。

 

 そして、月日は流れ――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――まさか、最後の最期で心残りが生まれるなんてね……人生ってわからないものだわ」

 

 老いてなお美しいエウロペは、すっかり痩せ細った手で彼の頭を愛おしげに撫でる。

 あるはずのない血の繋がりを思わせる白雲の如き髪。伸びる双角はかつて愛した男を思わせる雄々しさで、赤子を脱したばかりで既にエウロペを優に超える巨躯の逞しさ。

 

 栄光のもとに祝福されし子ら、その長兄。ミノス王が犯した唯一の過ち。

 偉大なりし母と養父への対抗心が故に、神に背き妻を呪われ、それがポセイドンの牡牛との間に産み落とした怪物。

 誰が呼んだか"ミノス王の牛(ミノタウロス)"――今はまだ幼い孫の頭を、微睡む彼をあやすように優しく撫でる。

 

「寝顔はこんなに可愛いのにね……」

 

 哀れな子であった。

 父の不義が故に出生を呪われ、怪物として石を投げられた孫。

 片親が獣であるが故に人間に馴染めず、理性を見せぬ彼を疎んだ父からも怪物と悪罵された。

 

 老いたエウロペが国政から離れてから久しい。

 そんな中伝え聞いた怪物の噂である。何事かと思って調べてみれば、まさか我が子のまたその子がこのような目に合っているなどと!

 かの大戦以来、久しく忘れていた怒りであった。

 檻に入れられていた孫をその場で連れ出し、終生を過ごす離宮に連れ込んだ。

 そして誰も見ないのならあたしが世話をすると一喝して、渋るミノスにも聞く耳持たず養育せんとした。

 

 とはいえ、その試みは順調であったとは言い難い。

 かつての栄光からエウロペが言えば世話を阻むものはいなかったが、しかし人の手に馴染めぬ孫は暴れに暴れてエウロペの手を焼かせ、彼女の周囲を困らせた。

 

 しかしそれでもエウロペが彼を見捨てなかったのは、凶暴の奥に潜む心細さと優しさを確かに見出していたがため。

 他の誰にもそれは理解されなかったが、エウロペだけは孫を信じて養育し続けた。その命の灯火が消えるそのときまで。

 その証に、エウロペは孫へ名を与えた。彼女が最も敬愛する()()――アステリオス(雷光)の名を彼から借りて、孫に名付けたのだ。

 

「アステリオス――」

 

 故に彼女は孫をアステリオスと呼び続けた。

 島の誰もが彼をミノタウロスと呼んで恐れようと、彼女だけはアステリオスと呼んで愛し続けたのだ。

 父母から与えられなかった分まで慈しみ、どうか幸あれと願って。

 その想いを、彼が微睡むたびに寝物語に言って聞かせる。

 

「誰が何と言おうとも、あなたがそう願い続けるのならば、あなたはきっと人間になれる。他の何者でもない、アステリオスという人間に……」

 

 その言葉を、孫が理解しているかは、神ならぬエウロペにはわからない。

 ただ、そう信じて言い聞かせることが彼の救いになると願って、愛と共に囁き続ける。

 

「忘れないで、アステリオス。あなたが望む限り、あなたの人間性が失われることはない。老い先短いおばあちゃんの言うことだと思って蔑ろにしちゃイヤよ? 忘れないでアステリオス、あなたの行路にその名の如く光があらんことを――――」

 

 ――モイライの紡ぐ糸は、いつか必ず終わりを告げる。

 今わの際まで孫を案じたエウロペは、アステリオスの頭を膝に抱いたまま、静かに息を引き取った。

 明くる朝になって、侍従が冥府へ旅立った彼女を発見すると、その死を悼むと共に彼女をミノタウロスから引き剥がそうとし――

 

「ぉ、ばあ、ちゃん……?」

 

 目を覚ましたアステリオスが、物言わぬ骸となったエウロペを目撃し、その肩を揺らす。

 勢い余って骨が折れても、エウロペは何の反応も返さない。声をかければすぐに微笑みを返した祖母はもういないことも理解できないまま、その身体を揺らし続ける。

 

 それは心細さに縋る子供の姿にほかならない。

 しかしそれをエウロペ以外の誰が理解できただろう。彼らの目には、彼の嘆きは亡骸を弄ぶ怪物としか映らなかった。

 

 

 ――――そして、彼はエウロペの願いとは裏腹に、やがて地の奥底の迷宮へと幽閉される。

 誰もが彼を怪物と恐れながら、幼い()()()()()()はその恐れのままに己を怪物と定義し――やがて迷宮を彷徨う()()()()()()となった。

 

 

 そして今や、彼をアステリオスと呼ぶ者はいない。

 

 

 ()()()()――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らの望みが叶うのは、遥か未来。

 世界の存亡をかけた禁断の儀式まで時を待つことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ほんのちょっぴり苦い後味を残しながら、これにて生前編完結です!
そして最後の引きのとおり、次はGO編を予定しております! 予定です!

完全無欠のハッピーエンドを期待していた方はごめんなさい。
さすがにうしくん関連は変に弄ると作者の手綱を離れるのでできませんでした。
更に言うとGO編へ繋げる動機作りにもなるので……本当に申し訳ない。


そして次のGO編ですが、細部の把握のためにマテリアルを確認したりするので、暫く時間を頂きます。
いつ連載を開始するかは未定です。なんせ生前編と違って台本ありですからね!
単なる原作沿いに甘んじないよう、皆さんが愛してくれたエウロペの活躍も確保しつつ、原作をリスペクトすべく準備します。
そういうわけなので、どうかご容赦くださいませ。


ステータスって活動報告のほうがいいですよね?
さすがにステータスだけで更新通知するのも気が引けるので……w


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Fate/Grand Order編
オケアノスに輝くワンピース


第一話、投下!!
日刊一位という実績がバスターニトロを作者に注ぐぅ!

言うまでもありませんが原作をプレイしてること前提です。
それとステータスも思いの外難しかったので次回以降に持ち越しです。
楽しみにしてくださってた方、大変申し訳ありません……


 

 ざあと吹き抜ける潮風が鼻を擽った。

 濃厚な潮の香り。照りつける日差しは容赦なく体力を奪い、かと思えば唐突に吹き荒れる嵐が与えた以上に熱を奪っていく。

 果てしない蒼穹。限りない水平線。数少ない陸は点在する島々以外に無く、否応無しに海の旅路を強いられる閉じた海で有象無象の海賊どもがしのぎを削る!

 

 そう、世はまさに大航海時代――!!

 

「さぁ全速前進よ! 次なる陸地を求めて突っ走りなさーーい!!」

「アイ、アイ、マム!!」

「汝、思いの外順応するのが早いな……」

 

 荒波強風なんのその! 船首に陣取る美少女の、白いワンピースが眩く揺れる。

 人理崩壊を目論む第三の特異点で、エウロペは海賊生活を満喫していた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エウロペがこの特異点にはぐれサーヴァントとして召喚されたのは数日前のことだ。

 寄る辺となるマスターも存在せず、因果に引き寄せられるようにして現界したエウロペだが、マスター不在の弊害か魔力がほとんど枯渇した状態で見知らぬ森へ放り出されていた。

 召喚に際して与えられる諸知識こそあり状況の把握には困らなかったが、それゆえに逼迫した状況に釣り合わぬ己の状態に当初は途方に暮れた。

 

 なにせ、ステータスにして軒並みワンランク下降するほどの魔力不足。クラスこそサーヴァントとして最大戦力を発揮できるライダーだったものの、当然ながら宝具を展開できるだけの魔力は無く、存在を維持するための最低限しか確保できていない。

 

「んがー! あたしを呼びつけるのはいいけれど、せめて前準備くらいしっかりしろってのよ! 宝具も満足に使えないあたしなんてただの美少女なんですけどー!?」

 

 応答する声も当然ない、正真正銘ひとりぼっちのはぐれサーヴァント無情派。

 当方の保有戦力は、魔力不足でただの可愛い子犬ちゃんでしかなくなった"星界猟犬(ライラプス)"と、ちんまりとした鉄の棒っぽい"雷霆の枝(オゾス・ケラウノス)"。なぜか無駄に愛らしい有翼の少女にまでグレードダウンした"守護神像・青銅巨人(ガーディアン・タロス)"――以上!

 本来であればこれ以上無く頼もしい配下たちが、可愛いだけのマスコットと化した現状。エウロペは早速己の存在意義に疑問を抱いた。

 ちなみにヘラエレオスはお留守番らしい。この先の戦いにはついてこれそうにないと勝手に判断されたようだ。エウロペはちょっぴり泣いた。

 

「――ま、ウジウジしてても仕方ないわ! できることからコツコツとやっていかなきゃね! それで……ええと、人理崩壊の特異点……だっけ?」

 

 適当にあたりをつけて歩を進めつつ、己が呼び出された現状を整理する。

 座で何度か呼び掛けのあった通常の聖杯戦争とは違う、人理の存続を賭けた一大事件での要請と理解し――

 

「ってそれなら余計に中途半端な召喚してんじゃないわよー!? マジで意味不明なオファーなんですけどぉ!!」

 

 ばっかじゃねーの人理と思わず悪態を吐いた。

 後世にギリシャ四大英雄の一角と讃えられ、人類史に燦然と輝く名を遺したエウロペを選出したのはいい。花丸をあげよう、なんせ世界を守るための戦いのプロだから。

 だがそのためのバックアップに不備があるとはどういうことだ。宝具の使えないエウロペなぞ、鱗のないドラゴン、あるいは髭の無い男にも劣る――!! 吹き出す不満が止まらない。

 

 とはいえ、嘆いたところで現状がどうにかなるはずもなく。

 エウロペはすっかり臍を曲げて、すっかり愛らしくなったおともを連れて森をかき分け進んでいった。

 気候や風土から察するに、どうやら海にほど近い島のようだ。生前は長年を海上交易の盛んなクレタ島で過ごしたエウロペである、風の薫りや地質からその程度を察するのは容易い。

 とりあえず海辺に出ればなにかしらわかるだろうという判断のもと、一歩一歩着実に外周へ進んでいく。

 はたしてその推測は的中し、日没前には海岸線へ脱出することができた。

 

「う~~ん……知らない海だわ……」

 

 が、その様相は彼女の知る海とはまったく一致しない海域だった。

 詳細は実際に海へ出てみねばわからないが、地形、海流、風向き、その他諸々――どれ一つ取ってエウロペの知るクレタ島近海のそれとは異なる。

 

「くっそー、魔力さえ十分ならタロスに乗ってひとっ飛びなのにぃ~~! こんな状況であたしにどうしろってのかしら!!」

 

 魔力不足により取れる手段が限られている以上、現状エウロペにこの島を脱出する術はない。

 サーヴァントと化したために生理的な食事や水分補給の必要性は限りなく薄いが……

 

「少しでも魔力を回復するために、ちょっとでもいいから食事はしておきたいところよね……ヘラエレオスがいれば、あの子のミルクで事足りたんだけど……」

 

 そこまで言って、ないものねだりの虚しさにうがーと唸って地団駄を踏む。

 女傑エウロペ、死後に至って遂に貧乏生活突入! ――冗談ではない。いや、実際冗談の欠片も無い状況なわけだが。

 神託ねぇ、魔力もねぇ、宝具もそんなに役立たねぇの三重苦。何気に生前にも無かった大ピンチである。

 

「はぁー…………仕方ない、しばらくはサバイバルね。今のライラプスでも、子供くらいなら狩れるかもだし。……とりあえず今日のところは寝床の確保ね、狩りはまた明日にしましょ」

 

 そうして無一文サバイバル生活を始めて数日が経った頃である。

 島の探索もすっかり終え、ここが正真正銘無人島であることを確かめ、海辺で水平線をぼーっと見つめていたところ、ふと彼方から近づいてくる影を発見した。

 

「うーむむ、船……かしら? でも見たことのない造りね、あたしの生きた時代のではなさそう」

 

 帆に風受け波を掻き分け、真っ直ぐに島へ近づいてくる数隻の船。見たところ船団を組んでいるようで、一定の距離を保ったまま規則正しい配置で沖合に停まる。

 そこから小舟を出して漕いでくる姿を認め、エウロペは大きく手を振って呼び掛けた。

 

「お~~~~い!! こっちこっち~~~~~!!!」

「――――!!」

 

 エウロペの声が届いたのか、俄に漕手を早めて近づいてくる。

 そうして接岸した小舟から降りてきたのは――

 

「おいおいおい、まさかの戦利品だぜ」

「身奇麗なナリして見た目もいいじゃねぇか、とんだ拾いモンだな!」

「んじゃ船へ連れてくべ」

「ちょ、ちょっとぉ!? なに無遠慮に抱えてくれてんのよコラ――ってぎゃーお尻触ってんじゃないわよこのスケベ!!」

「遭難してたっぽいくせに無駄に元気有り余ってんなぁコイツ」

 

 まさかの海賊御一行様であった。

 そうとは知らず存在をアピールしたエウロペ、見事にロックオン。

 瞬く間に簀巻にされ、戦利品としてえっさほいさと運び込まれ、念願の島脱出を果たしたのだった。

 

 

 

 

「で、貴様らは食糧の確保も忘れて、この小娘を連れ帰ってきたというわけだな?」

「へい、姐御!」

 

 意気揚々と答えた下っ端海賊の額に矢が突き立った。

 エウロペを担いで船上に戻るや否や向けられた、険しい声をした女の質疑の顛末である。

 

「まったく、簡単な使いすらもまともにこなせぬ軟弱どもめ。目先の欲に囚われ目的を忘れるなぞ……大体よく見ろ、それはサーヴァントであろうが」

「す、すいやせん姐御……」

「もう一度行け、次は無いぞ。しくじれば汝をこの先の糧にしてくれる」

「ひぃっ、それはご勘弁を! すぐいってきやーす!!」

 

 射抜いた女は深緑の髪をした、随所に獣の相を宿す狩人であった。

 遊びのない表情に呆れを浮かべ、今しがた射殺した海賊を顧みるでもなく頭を振る。

 見たところ彼女が海賊たちの頭目であるようで、下っ端たちは情け容赦の無い仕打ちに震えながらそそくさと島へ再び向かった。

 

「お馬鹿な手下で大変ねー。見たとこあなた、そういうのに向いてそうにないし」

「わかるか。まったく、やむを得ぬとはいえあのような輩を率いねばならぬとは甚だ不本意だ」

 

 船上に残されたのは頭目の女と、連れてこられたエウロペの二人。

 手下たちは一人残らず島へ向かって食糧を狩り集めているのだろう。そしてエウロペ一人、己だけでどうとでもなるという自信が透けて見える。

 

 先程この女は、エウロペを指してサーヴァントと断じた。

 エウロペもまた、そう言い放った女を直視して、彼女もまたサーヴァントであると確信を得る。

 獣の相を持ち、弓を携え、過たず標的を射抜く腕の冴え。隠しきれず薫る同郷の匂いに、よく知る神気を纏った女狩人――それは

 

「あなた、麗しのアタランテよね? アルテミスの気配が強いからわかりやすいわ。おまけにあたしより先に喚ばれたようね、てことはあたしよりもずっと状況に詳しいんじゃなくて?」

「如何にも、私こそはアタランテだが――」

 

 一目で真名を言い当てられたことが意外だったのか、驚いたように目を見開き――同時に矢を番えてエウロペに向けた。

 その目には警戒の色を濃くしながら、少しでも不審な動きあらば射るとばかりに、エウロペへ問い質す。

 

「名を問うよりも先に訊いておくべきことがある。汝はイアソンに与するものか? あるいはこの歪んだオケアノスを正さんとするものか。答えよ」

「……イアソン? イアソンって、えーと……直接会ったことはないけど、玄孫の婿殿よね? なんでその子の名前が出てくるのかしら」

「奴に加担する者ではない……いや、待て。汝、今なんと言った? 奴が貴様の血に連なるだと?」

「ちがうわよー、婿殿って言ったじゃない。ていうか遠すぎてほとんど他人みたいなものだし。それ以前にその子とうちの子、ほとんど行きずりの関係だったみたいだし?」

「待て。待て、待て……だとすると汝、何者だ? 奴と血筋を交わす女の英霊など、かのアリアドネか――――まさか!」

「ふっ、さてはバレてしまったようね……」

 

 エウロペの証言からその真名に思い当たったアタランテが、よもやと驚愕を露わにする。

 その表情に気分を良くしたのか、ふふんと得意げに笑って。

 

「いかにもあたしがクレタのアイドル、エウロペよ! さぁ驚いたなら盛大に崇めなさいチヤホヤなさい!!」

「な、なにィ――――!!?」

 

 

 

 

「いや、それにしてはあまりにも弱すぎはせんか? かの大英雄が貴様のように小娘同然に脆弱であるはずがなかろう」

「うーそーじゃーなーいー!! 正真正銘エウロペちゃんだっての!! ちゃんとタロスもライラプスもいるし! 槍だって持ってるし!!」

「……その子犬と、ハルピュイアもどきと、みすぼらしい鉄棒がか?」

「魔力不足だから仕方ないんですーうーうー!!」

 

 真名を名乗ってみたものの、対するアタランテの反応は冷ややかだった。

 それに立腹するエウロペが駄々をこねて反論するも、それがますますアタランテの疑念を深める。

 あまつさえ証拠に宝具すら開示してみても、ご覧の言い様である。是非も無いネ。

 

「まぁいい。汝が本物であろうとなかろうと、奴に与しないのであればそれで構わん。欲を言えば戦力も確保したかったが……それを求めるのは酷なようだしな」

「ふんだふんだ! いいわよ、あたしはエウロペじゃないもん! ただの謎の美少女Eだもん!」

「拗ねるな拗ねるな。私も汝のような子供相手に言い過ぎた、許せ。なに、貴様を捨て置こうというつもりはない。戦力としてはアテにならぬが、最低限の人手は欲しかったところだ。私の力及ぶ限り守ってやる故、手を貸してくれ」

「……まぁ、別に? 手伝ってあげるのはやぶさかじゃないけどぉ……でもいざとなったときに助けてなんかあげないんだからねっ!」

 

 笑うアタランテが、すっかり臍を曲げた様子のエウロペをあしらう。

 最早彼女の中でエウロペがかの大英雄であるという可能性は完全に失われていたが、そうとするなら今のエウロペはただの子供。確かにサーヴァントのようではあるが、非力である以上彼女の庇護対象となった。

 

「さて……同行するとなった以上、私の目的も汝に伝えておかねばなるまい」

「ふぅん……?」

 

 そしてアタランテが語ったのは、この閉じた世界が形成されるに至った経緯の全て。

 イアソンを基点として西暦1573年のとある海域が特異点と化したこと。

 それに伴ってダビデというサーヴァントが召喚され、彼と同時に現界した契約の箱――アークと呼ばれる聖遺物を求め、イアソンが軍勢を形成し、それへ捧げる贄と同時にこの特異点を彷徨っていること。

 そして――その軍勢の中に、大英雄ヘラクレスが存在すること。

 

「イアソン自身はまったく考慮する必要の無い小物だが、ヘラクレスだけは別だ。アレが居る限りヤツの戦力は万全となり、対抗する手段も限られるだろう。故に、やつらよりも先にダビデとアークを確保し、やつらの手に渡らぬよう護らねばならない。でなければ待ち受けるのは――」

「この特異点の崩壊と、それによる人類史の破滅……ってワケね。んもー、こういうときこそあたしの出番なのにー!!」

「はっはっはっ、威勢だけはいいな娘。だがまぁそれくらい意気込みがあるほうがこの先行動するにはちょうどいいだろう」

「……ほんっっっと欠片も信じる気がないわね! なによなによ、ちょっとロートルだからって馬鹿にして! 言っておくけどね、あなたたちが倒したタロスは本気の欠片も出してなかったんだからねっ、そこんとこ覚えてなさいよ!!」

「まだ言うのか……ふふ、まぁ汝が真にかの女傑であるというのなら、いつか見せてもらいたいものだな! アルテミス様から幾度となく聞かされた武勇の冴え、楽しみにしているとしよう」

「むっかー! 超上から目線でムカつくんですけどぉー!?」

「姐御! お嬢! 準備が整いやしたぜ!!」

「そうか」

 

 憤慨するエウロペをアタランテが微笑ましくあしらっていると、船出の準備を終えた手下の報告が上がる。

 一度離れれば何日彷徨うとも知れぬ海の道だ、それを補う大量の水と食糧を積み込んだのを確認すると、アタランテは船首に立って号令を発した。

 

「では出発せよ! 可能な限りの島々を巡り目標を確保する! 道中の海賊は私が蹴散らすが、アルゴー船だけは回避を徹底しろ。観測手は決して油断するなよ、一度見つかれば逃げられはせんからな」

「アイ、サー!」

「うわーなにそれかっこいい!! 次はあたしが命令するからね!!」

「はしゃぐなはしゃぐな。しばらく揺れるぞ、転んで落ちては大事だからな」

 

 勇ましくも凛々しい大号令に目を輝かせるエウロペ。割りと男の子的な趣味の持ち主であった。

 そして船は陸を離れ、見果てぬ水平線に躍り出る。マストに張った帆が風を受け止め、大きく膨らんで船体を加速させる。

 久しく無かった船旅にエウロペは大いにはしゃぎ、あちこちを走り回りながら強風一つ、波飛沫一つに一喜一憂していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人理を燃やす七つの特異点、その三番目。

 封鎖終局四海オケアノスにおけるエウロペの旅が、こうして始まった――――

 

 

「さぁ全速前進よ! 次なる陸地を求めて突っ走りなさーーい!!」

「アイ、アイ、マム!!」

「汝、思いの外あっさり順応したな……」

 

 

 ――海賊暮らしを大いに満喫しながら!!

 

 

 

 

 




FGO編もそんなに長くはならないと思います。
オケアノス編と最終決戦編を予定し、全部ひっくるめて十話いくかいかないか……といったところですね。
だらだら続けてネタが切れる前に駆け抜けるんだ!


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馬鹿が船でやってくる

連休ブーストが無くなるとつらいつらい。
でも、合間合間に書き進める喜びもまたあるのだ。


 

 

 

 

「――、――――――♪ 」

 

 閉じたオケアノスの海に天上の美声が響き渡る。

 黄金の鹿号(ゴールデンハインド)の甲板、陽光と蒼穹が見守る中で、エウリュアレの歌が涼やかに満ちる。

 一度耳にすれば誰もが聞き惚れ、荷駄を運ぶ手も忘れてうっとりと目を細めた。

 フランシス・ドレイク率いる船乗りたちが、普段の粗暴も忘れて子供のように穏やかな顔で陶酔する。

 

「おやぁ、この歌声はアンタかいお嬢ちゃん。随分サマになってるじゃないのさ。いいねいいね、歌の上手いヤツは大好きだよアタシは」

「当然ね、なにせ私ですもの。これでも神の端くれよ? 人間如きと比べ物にはならなくてよ」

「ハッ、女神を船に乗せられるなんて海賊冥利に尽きるってもんじゃないか! ほらほら野郎ども、のんびりしてないで手を動かしな!」

 

 マスケットの弾丸を足元に放って、聞き惚れていた手下たちに喝を入れる。

 慌てて飛び起きた手下たちは、次は額に風穴を開けられては堪らないと、どたどた甲板を蹴って早足で駆けていった。

 

 銃声に遮られ気を削がれたエウリュアレは、つんと澄ました表情で傍らを見やる。

 夏の白雲のように豊かな頭髪。彼女の倍以上もある巨体を横たえ眠るアステリオス。

 追手から逃れる際に負った傷は深く、苦しげに休息に入った彼の傍から離れることをなんとなく厭うて、エウリュアレは手慰みに歌を紡いでいた。

 

「坊やもすっかり寝入っちまってるねぇ。なんせ女神の子守唄だ、荒ぶる戦士も素直におねんねかね」

「別に、そういうつもりじゃないわ。単に暇だっただけよ。変な勘繰りはやめてちょうだい」

 

 憮然としてエウリュアレが唇を尖らせる。

 誇り高く気丈な高嶺の花はまるで素直じゃないが、その実誰よりもわかりやすい。

 そんな二人の様子を見ていた人類最後のマスター藤丸立香が、ふとアステリオスの寝顔を見て呟いた。

 

「こうして見るとすごく幼いっていうか、可愛い寝顔してるよねーアステリオスくん。私もゲームとかでミノタウロスの名前は知ってるけど全然イメージ違うし。まるで大きな子供みたい」

「あの、マスター……さすがにそれはアステリオスさんに対して失礼なのでは?」

 

 眠るアステリオスの頬をぷにぷにとつつく立香。

 出会った島の大迷宮で散々追い回された恐怖もどこへやら、今ではすっかり頼れる仲間と化したアステリオスに、立香はなんとなくお姉ちゃん振ることが多かった。

 尤も、当のアステリオスはそんな立香との距離感を掴みかねて、右往左往することが多かったが。

 

「マシュもほら、触ってみなって。髪とかすっごいもこもこだしさわり心地いいよ。フォウくんにも引けを取らないねこれは!」

「そ、それほどまで……ですか……!」

「ちょっと! 私の下僕に気安く触らないでくれるかしら!」

 

 いつしかアステリオスを巡って少女三人が姦しくしていたが、さておき。

 彼女らのバックアップに努めていたロマニが通信を開き、ドレイクへ進捗を問うた。

 

『どうだい、状況は。船の補修は順調かな?』

「ああ、星見屋かい。そうだねぇ……この調子なら明日の昼には船を出せそうだ。ワイバーンの鱗ってのは便利だね、ウチの鍛冶師や船大工が仰天してたよ。あんなナリで鉄より丈夫たぁねぇ」

『本来であれば十六世紀には存在しないはずの幻想種の鱗だからね。ともあれいい報告でなによりだよ。船さえ万全に直れば、今の戦力なら黒髭一味を打倒するのも十分可能なはずだ』

「アタシとしてもあんなヤツに負けっぱなしじゃあ海賊の名が廃るからねぇ……今度こそギッタンギッタンのズタボロにしてやんなきゃ、アタシの名が泣くってモンさ!」

「そんなにババア呼ばわりが腹に据えかねてたんすねぇ船長……」

「おだまりボンベ」

 

 躊躇ない弾丸に逃げていく副官を呆れながら見送ると、ドレイクは声を張り上げて喝破する。

 

「さぁ野郎ども、張り切って働きなよ!! 修繕が終われば肉も酒もたんまり待ってるからね! そんで夜が明けりゃああの黒髭どもにリベンジだ! 散々コケにされた分はお返ししなくっちゃねぇ?」

「アイ、サー! キャプテン!」

「い~い返事だ野郎ども!! 客人に情けない姿見せんじゃないよ!!」

 

 船長の号令一下で我先にと作業に移る手下たち。

 見事に統率してみせたドレイクに、マシュは感嘆の念を漏らす。

 

「さすがはかのフランシス・ドレイク、見事なリーダーシップです。これなら今後の戦いも今まで以上に期待できますね、マスター!」

「いよっ、海の姐御!」

「おだてるんじゃないよ。それよりアンタたちもとっとと休んじまいな、明日になって寝ぼけて海に落っこちても知らないよ?」

「そうですね。マスター、私達も休息に入りましょう。アステリオスさんは……ええと、どうしましょう。彼の図体では部屋に収まりません……よね」

 

 甲板に寝転ぶ彼と、内室への扉を見比べて困った様子のマシュ。

 なにせ身長だけで三メートルに迫る巨体である。おまけに寝入っているのでは、運び入れるのも容易ではない。

 そこへ立香が妙案を思いついたとばかりに喜色満面で提案した。

 

「ならこっちに寝床を持ってくればいいじゃん! アステリオスくんを挟んでさ、皆で寝ようよ!」

「いや、流石に作業員の皆さんの邪魔になるのでは――」

「あン? ああ、隅っこに居てくれりゃ別に構わないよ」

「だってさ! ほらほら、片方はエウリュアレに譲ってあげる!」

「仮にも女神である私を野晒しで寝かせようなんていい度胸ね貴女……」

 

 黒髭との決戦前、夜は姦しく更けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

『近隣にサーヴァントの反応あり。この反応は……間違いない、黒髭だ! もうすぐ接敵するよ、皆気をつけて!』

「おっけーロマン! それじゃあキャプテン、号令よろしく!」

「あいよ! さぁて野郎ども、奴さんのお出ましだよ!! 面舵いっぱい! 横っ腹に風穴空けてやりなァ!!」

「アイ、サー! キャプテン!!」

 

 明くる朝、予定通り出港したカルデア一行は、日が中天に差し掛かる頃目標と遭遇した。

 世界に名高い大海賊、黒髭ことエドワード・ティーチ率いる"女王アンの復讐号"。四十門の大砲が火を吹き、絶え間なく砲弾を"黄金の鹿号"へと浴びせかける。

 対する黄金の鹿号は、持ち前の素早さを最大限に発揮し、黒髭側の猛攻をすいすいと掻き分け翻弄する。さながら水鳥の如く滑らかに水面を躍る様は、しかし駆け巡る小竜巻の激しさだ。

 

 カルデア一行に与するサーヴァントたちの攻撃もまたそれに拍車を掛ける。

 特に顕著なのはエウリュアレの放つ女神の視線(アイ・オブ・ザ・エウリュアレ)だ。彼女の魅力が形となった黄金矢に射貫かれた乗組員たちが虜となって、次々と黒髭へ叛逆していく。

 亡霊に過ぎない彼らが歯向かったところで何の戦力にもなりはしないが、その対応に少なからず手間を強いられる隙を突いてアルテミスの神矢も降り注いだ。

 

 とはいえ黄金の鹿号が機動力に優れるならば、対する復讐号は単純な堅牢さを誇る難敵である。黒髭本人を含めれば実に四人もの英霊を乗せた船体は、さながら海を泳ぐ城塞ですらあった。

 木っ端の手下たちは屠られれども、その主幹たるサーヴァントたちはおよそ無傷。船体もまた同様に損なう様子を見せず、結果として戦況は膠着に至る。

 

「やはり砲撃戦では埒が明かないようです。彼我ともに損害は軽微、しかし性質上時間をかければ有利になるのはあちらです!」

「わかってるさね! ちょうどいい風も吹いた、派手に行くからしっかり掴まってなァ!!」

 

 ドレイクが吼えれば、大風を味方した黄金の鹿号が帆を膨らませ、急加速して船首を敵に向けて突貫する。

 修繕のため島で狩り集めたワイバーンの鱗。軽量にして鉄よりも丈夫なそれでコーティングされた衝角が女王アンの復讐号の側面へと突き刺さり、互いに船体を大きく揺らす。

 

「行って、マシュ、アステリオスくん!」

「はい、マスター! マシュ・キリエライト、白兵戦へ移行します!!」

「ぅ、ぉおおおおおおおおおああああああああああああああああああ!!!!」

 

 強引に繋いだ船首を駆け抜け二人が迫る。

 迎え撃つ銃撃や剣戟をマシュが大盾で阻み、アステリオスが敵船に乗り込むと、そこから先はまさしく蹂躙劇であった。

 常人の二倍ほどもある巨体。それを構成する人外の筋肉量が生む膂力。それが超重量のラブリュスを介して暴れ回れば、後に残るのは千々に砕かれた血肉のみ。

 絶対堅牢を誇るマシュと怪力無双を宿すアステリオスのコンビは、船上の乱戦に於いてこの上ない戦果を発揮していた。

 

「うわーこえーなにあれこえー! マジで無双じゃんオケアノス無双? 筋力だけならヘラクレス並じゃね? 片親牛なアイツがあれで、片親ポセイドンなオレが海面歩けるだけって……だけって……」

「そんなことないわ! ダーリンには私という乙女を射止める超イケメンがあるもの!!」

「こんなぬいぐるみモードで言われても嬉しくないんですけどねぇ……しかもそれ顔だけじゃねーか! ホストか!?」

 

 同じく空から乗り込んだアルテミスとオリオンが、有象無象の攻撃を掻い潜り確実に敵を射殺していく。

 対する敵サーヴァントはアン・ボニーとメアリー・リード。比翼連理の連携を魅せる女海賊の二人組は、しかし散々に暴れ回るアルテミスを攻めあぐねている。

 

「くっ、ふざけた弓してるクセに……!」

「同じ射手として断じて認められませんわね!」

「ごめんねー? これでも私、狩りの女神だからー♪ 人間風情と同じに見てもらっちゃ、困るかなって☆」

「ちょおおおおあぶないあぶないあぶない! 今踏んづけられたらしぬぅ! 綿が出ちゃう~~!?」

 

 足元をちょこまかと走り回っていたオリオンが叫ぶも、ややもしてアルテミスの肩へと戻る。

 アルテミスは察し、後方へ飛び退いて距離を取る。仕掛けは整った――!

 

「なに――うわっ!?」

「衝撃、来ます!!」

 

 メアリーが訝しむ間もなく、船体を突撃時以上の震動が襲う。

 外部からではない、内部からの大炸裂に頑強性に優れる復讐号も無傷ではいられず、著しい損傷を負った。

 

「野郎――火薬庫に火ィ点けやがったなぁ!?」

「すっげぇ怖かったしビビりまくったけどやってやったぜぇオラァン! ぬいぐるみ相手にとんでもねー真似させやがって!!」

「素敵よダーリン! 私、もうあなたを永遠に離さないわ!!」

「ね、労いの言葉はもっとマイルドにお願いします、ハイ……」

 

 衝撃に怯んだ隙を突いて、アルテミスの神矢がメアリーを射抜く。それを咄嗟に案じたアンもまた、同様に。

 オリオンはいつも通り恋愛脳を振り撒きながらも冷徹に敵二人を射殺したアルテミスに、ガタガタと震えていた。

 

 

 戦況はカルデア側有利に決した。

 黒髭側の有利は、女王アンの復讐号の堅牢性と、それを支えるサーヴァントの部下あってのこと。立て続けに二騎を失い、船体を大きく損傷し、尚且つ手下たちをもアステリオスらに屠られては、保有する戦力の殆どを失ったに等しい。

 諦めの悪い黒髭のこと、だからと言って大人しく観念するはずもなかったが――大勢の決した今、単独で勝敗を覆すだけの力は、最早無かった。

 

「こりゃラッキーだ、ここにきてこんな都合の良い状況が揃うなんてねェ……散々梃子摺らせてくれたが、最期は呆気ないもんだったね、船長さんよ」

「テメェ……ヘクトール、やっぱり裏切りやがったか――」

「ま、気づいてたよねぇそりゃ。でもま、最後は笑ったもん勝ちってことで」

 

 ドレイクと黒髭、その勝敗が決した瞬間、背後から黒髭を貫く一振りの槍。

 確実に霊核を穿った致命の一撃に振り返れば、そこには浮ついた笑みを貼り付けるヘクトール。

 

 今の今まで黒髭の部下として振る舞いながら、その実虎視眈々と聖杯を付け狙っていたのだ。

 否、狙いは聖杯だけではない。もう一方の腕で捕らえているのは――

 

「えうりゅあれ!!」

「うるさいねぇデカブツ、そんな叫ばなくても聞こえてるって」

「ぉ、お、まえ――――えうりゅあれ、を、かえせっ!!」

「おおこわ。でも怒りで曇った単細胞の攻撃なんざ、眠ってても避けられるんだよねぇ」

 

 激昂するアステリオス。片腕にエウリュアレを抱くヘクトールへラブリュスを一閃するも、軽々と避けられる。

 せせら笑うヘクトールの挑発にアステリオスはますます憤るが、人質が敵の手にある以上、ましてやそれを盾にされる可能性がある以上、それ以上の手出しはできなかった。

 

「それじゃあオジサンはこれにて御免ってね。まぁなんだ、アンタの部下やってるのも悪くはなかったけど――アンタらの流儀に合わせちゃ、財宝は早い者勝ちってことで!」

「ぉまえっ! ぐ、がぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!」

「アステリオス――!!」

 

 そう捨て台詞を吐いて、既に用意していたらしい小舟へと飛び移るヘクトール。

 エウリュアレが伸ばした手を取ることすらできず、失意と憤怒にアステリオスは咆哮する。

 既に遠方へ逃れたヘクトールの背を見送り、彼はぐったりと足を投げ出し項垂れた。

 

「へっ、情けねぇ結末だぜ。飼い犬に手を噛まれるなんてよォ……利用するつもりが、最期は利用されちまった、か――」

「……ま、悪党の最期なんざそんなもんだろ。不利を招いた船長が背後から部下に刺されて鮫の餌――なんて、ありきたりすぎて笑いの種にもなりゃしない」

「――へっ、へへへ、そうだ、そんなもんだ。そんなもんだったな! なぁに、生前の最期に比べりゃ首がついてる分まだマシってこったなぁ!!」

 

 裏切りによって死に瀕するも、しかし笑い飛ばす黒髭。

 看取るドレイクもよくわかるといった風に、そんな末路を辿る黒髭を笑って見送る。

 

「そいじゃあアンタともおさらばだねぇ。散々コケにしてくれた借りはあるが……ま、ほっといても消えちまう相手に返すのも無駄だしね。ほらほら、とっとと消えちまいな。今度は誰もアンタの首なんて獲らないさ」

「そりゃあ、いい――死んでまでバタフライする手間も省けるってもんだ」

 

 燐光を発して薄れ行く黒髭。

 その顔には誰よりも憧れた女に看取られて逝く歓喜と満足を浮かべながら、最期の瞬間まで大笑を止められずにいる。

 一頻り声を上げたあと、ニカッと笑って首を傾け、視線をドレイクに合わせて。

 

「なぁBBA、オレは――」

「敵影確認! 全速前進突撃よーっ!!!」

「あばーっ!!!?」

 

 キメ顔で最期の言葉を言い遺そうとしたその瞬間、唐突な横槍に盛大に吹っ飛ばされた。

 

「な、ななな何事ォーっ!?」

「新たな敵戦力を確認。マスター、ご注意を!」

「ね、ねぇねぇちょっとまって!? 今拙者、すげぇ良いこと言うつもりだったの! すっごい主役張ろうとしてたとこなの!! 最後の最期でこんなのってありですかァ~~~!!?」

 

 復讐号を挟んで黄金の鹿号の対面に現れたのは、これまで幾度となく相手にしてきたデッドコピーの海賊船。

 衝角を復讐号の無事だった側面に突き立て接舷する船首の先には、真っ白なワンピースを翻し、キャプテン帽を被って腕組みした、見知らぬ少女の姿が。

 その背後には獣の相を持つ新緑の女が、呆れたように頭を振って少女に呟いた。

 

「おい、事はもう決しているようだぞ。吾々は完全に部外者のようだが」

「――あれぇ?」

 

 アタランテとエウロペ率いる第三勢力、ここに参上。

 しかしその邂逅は、全くもって場違いにすぎる、大いに顰蹙を買う登場であった。

 

 

 ちなみに黒髭は衝撃で海に転がり落ちてそのまま消えた。

 

 

 

 

 




こんな扱いですけど黒髭は大好きです!!!(強弁)

GO編は省けるとこは省いていきますね。
そして細かい展開の食い違いもご容赦ください。
とはいえ決して手抜きにならないよう注意するのが大人の醍醐味(


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再会、そして奪還へ

ステータスはもう最終話と同時に投稿します。
今はストーリーを進めていきたい!


 

 

 

 

「ちょっとー!? いきなり簀巻にされる謂れなんてないんですけどー!!」

「仮想敵戦力の無力化に成功。驚くほど簡単でしたね、マスター」

「子供を押入れに閉じ込めるような呆気なさだった……」

 

 ロープでぐるぐる巻きに確保されたエウロペ。その手綱はマシュが握っている。

 アタランテの方は早々に敵ではないことを告げ弓を下げていたが、それを好機と見たこれまで従えてきた海賊が叛乱、即座にカルデア一行に鎮圧されていた。

 持ち主の黒髭が霊基消滅したのに合わせ沈みゆく女王アンの復讐号から場所を移し、一行はドレイクの黄金の鹿号で改めて顔を合わせた。

 

「突然の乱入をまずは詫びよう。吾々の船が嵐に流され、それを抜けた矢先に船影を見かけたのでな。そこの童が勇み足で不用意に突撃した結果だ。私の監督不行届であった、すまぬ」

「いえ、こちらに損害はありませんでしたし、それは良いのですが……貴女はアタランテさん、ですよね?」

「あっ、ほんとだ! 前にフランスで戦ったことある!」

「如何にも、私がアタランテだ。朧気ではあるが汝らのことも記憶にある。先の特異点では不甲斐ない姿を見せた」

『今回の現界では狂化は付与されていないようだね。少なくとも敵意が無いのは確かなようだ』

 

 ロマンの分析に各々が警戒を緩める。

 敵としてではあるが彼女の強さを知る立香とマシュは戦力の増強に喜び、手を取って歓迎の意を示していたが、他のサーヴァント陣と言うとこれまたそれどころではなかった。

 

「ぅおおおおおおあああああああああああああ!!! はやく、だせ……! ふねを、あいつを、おいかけ、なく、ちゃ……!!!!」

「おちつけ旦那! たった一人で突っ込んでどうする!?」

「ひいいいいいい!? なんて馬鹿力だ、まるで止まりゃしねぇ!!」

「……随分と荒れているようだが、何事だ?」

「! そうでした、事態は一刻の猶予もありません! 手短にお話しますが――」

 

 エウリュアレの連れ去られた方角へ怒声を上げるアステリオス。

 今にも船を飛び降りて単身追いかけかねない彼を引き止める水夫たちの悲鳴が轟く。

 マシュは事の前後を手短に伝えると、アタランテは眉根に深く皺を刻んで顔を顰めた。

 

「――成程。アレはイアソンめの手勢だったか」

「イアソン……と言うと、アルゴナウタイの?」

「そうだ。――どうやら汝らは事の元凶にまだ行き当たっていないようだな。ならばこちらも知り得ることを伝えよう」

「お願いします。正直ここまで殆ど成り行き任せでしたから……」

 

 そしてカルデア側とアタランテで互いの情報を交換し、揃って苦渋を浮かべる両者。

 事態はイアソン側へ有利に動いていることに、アタランテは露骨に苦虫を噛み潰したようにして獰猛な笑みを浮かべつつある。

 

「……そんな顔するほどアレなの?」

「……およそアレを知る者であやつを好く輩など想像できんくらいには、な」

「しかし問題はそこではありません。アルゴナウタイ――アルゴノート号の探検隊と言えば、ギリシャ神話でも一際有名な英雄集団でもあります。乗組員には錚々たるメンバーが集い、中でも――」

『ギリシャ一の大英雄、ヘラクレスまでもが参加していた……そうだね、アタランテちゃん?』

「その通りだ。私がヤツに召喚されたとき、既にヘラクレスがヤツについていたのを目撃している。私が無事逃げおおせたのも、運によるところが大きい」

「ヘラクレスなら私も名前は知ってるけど……そんなにヤバイの?」

「率直に言いまして、この上なくヤバイかと」

 

 一人安穏とした様子の立香が問えば、マシュはこの上なく真剣味を帯びて答える。

 立香は俄に想像がつかないにしろ、今や歴戦と言ってもいい彼女がそこまで危険視するのなら余程のことなのだろうと納得し――

 

「ところでマシュ、あの女の子は?」

「あっ、思考に耽るあまり手放していました! す、すみませんマスター!」

 

 話し込むうちに手綱を握る手が緩んでいたらしく、咄嗟に引っ張れば「ぐえっ!」という蛙が潰れたような悲鳴が上がる。

 いつの間にかアステリオスの方まで駆け寄っていたらしい。上半身を簀巻にされたまま、彼の足元で突っ伏す少女の姿があった。

 

「ちょっとー!? いきなり引っ張るなんてレディに対して礼儀がなってないんじゃなくて!?」

「も、申し訳ありません……ところで彼女は一体誰なのでしょうか。ここまで誰もがスルーしていましたが……」

「なんかこう、無害すぎて皆見落としてたよね」

「ああ、紹介し忘れていたな。あれは――」

「――――アステリオス!!!」

 

 アタランテが口を開こうとした矢先に、それを遮るようにしてエウロペの喜色が響く。

 勢いのまま飛びついて、アステリオスの脚に突撃したエウロペが両手で抱きしめようとするも、拘束されていたことを忘れそのまま顔面を強打する。

 

「えへ、えへへへ……アステリオス! ああまさかアステリオスに会えるなんて……!!」

「ぉ、まえ、だれ、だ……?」

 

 めげずに鼻っ面を赤くしながらニヤケ顔を浮かべる少女にアステリオスは若干引きながらも、その小柄な姿に一瞬エウリュアレの影を重ねて静かに問い返す。

 彼が己を認めたのがそんなにも嬉しいのか、エウロペはますます笑みを大きくして、彼の脚に頬ずりしながら甘やかし全開で叫んだ。

 

「おばあちゃんって呼んで!!」

 

 ――はぁ?

 その場の誰もが心中を一致させた。

 

 

 

 

「アステリオスぅ……ほんともう大きくなっちゃって、おばあちゃん嬉しい!」

「ぅ……」

「すごい、アステリオスさんが借りてきた猫のようにおとなしくなってます……!」

 

 なんやかんやで脅威にもならないだろうと判断され拘束を解かれると、エウロペはそのままアステリオスにしがみついて全身頬ずりしながらにやけっぱなしであった。

 アステリオスはそんな彼女に対し接し方がわからないでいるのか、暴れることも忘れて立ち尽くしている。その割には拒む様子も無くされるがままにしている辺り、自分でも状況が飲み込めていないようだった。

 

「いつの間にか子犬や天使っぽいのもいるし……」

「見たところサーヴァントのようです、マスター。極めて微弱ですが霊基反応も確認できます」

『天使と子犬を連れたサーヴァントかい? うーん……アレイスター・クロウリー? 守護天使エイワスに愛犬エセルドレーダ……いや、さすがに無いな。エイワスはともかく、飼い犬が英霊の一部として登録されるのはあまりに考えにくい。性別の違いはこの際無視するとしてもだ』

「かのアーサー王も女性でしたしね。……あの、マスター? 何をそんなに悔しがっているのでしょうか」

「すごい、一心不乱にもふもふされてもおとなしいなんて……私でも起きてるときは許してくれないのに!」

 

 嫉妬に歯噛みする立香。正体を考察するマシュにロマニ。そしてアタランテはじゃれつくエウロペを引き剥がし、吊るされる彼女に猛抗議を受けていた。

 

「ちょっとちょっと! 家族の再会を邪魔しないでよ!? まだまだギュッてしたりないんだからー!!」

「落ち着け。何が汝をそう駆り立てるのだ。如何に敵対的でないとはいえ、じゃれ合うなど真っ当なサーヴァントのすることではない」

「孫を可愛がって何が悪いってのよ~~!!?」

「お孫さん……ですか?」

 

 きょとんと目を見張るマシュ。その視線の先にはアステリオスの角にしがみついて離れまいとする少女の姿が。

 聞き間違いがなければ、今しがた彼女はアステリオスを指して孫と言い放ったはずだ。しかしとてもではないが両者を孫と結びつける材料を見出だせず、理解が及ばないでいる。

 一方でロマニの反応は劇的だった。

 

『アステリオスを――孫だって!? まさか、彼女はエウロペだっていうのかい!?』

「ドクター、エウロペって?」

 

 尋ねる立香。彼女は基本、英霊に関する知識に疎い元一般人だ。精々が遊んだゲームでモチーフにされている単語を覚えてるくらいで、詳細な起源や由来などとはさっぱり無縁である。人理修復の旅を始めて自主的に学ぶことも増えたが、詳しいとはとても言えない粗末な付け焼き刃だ。

 サーヴァントの来歴や実力を説明するのは、大抵はマシュやロマニの役目だった。そのロマニが泡を食って驚く様子に、一体どのような人物なのだろうとぼんやりと考える。

 そんな立香に、ロマニは弾むような声音で説明を始めた。

 

『エウロペはギリシャ神話の英雄の時代、その最初期に活躍した女性だ。彼女は神々の王ゼウスに見初められ、一頭の牡牛に変身した彼に連れ去られて世界の各地を巡り、やがてクレタ島に辿り着く。そこでゼウスと情を交わして子を儲けると、ゼウスの神託に従ってアステリオスに庇護され、彼を王へ導いたんだ。言うなればクレタ島の王権そのものと言える人物だね』

「有名なのは"ヘラシモスの牛退治"でしょうか。ヘラの放った魔牛との戦いでは、ゼウスから贈られた三つの宝物――即ちタロス、ライラプス、尽きない槍を駆使し、見事勝利を収めたのです。この功績によって全ての神々から称賛される栄誉を賜ったとされ――――そういえば、この場には当事者がいるのでは?」

「それってもしかしなくても……」

 

「あれ? あれれっ!? もしかして――きゃーっ、エウロペちゃんじゃなーい♪ ひさしぶりねーっ☆」

「あら、アルテミスじゃない! まさかあなたが現界してるなんて思わなかったわ!」

 

 逃げたヘクトールを追っていたアルテミスが戻るや否や、黄色い声を上げる。

 気付いたエウロペも同様に、長年来の友人へそうするように気安く手を振り返していた。

 そして駆け寄るなり手を取って、ぶんぶんと振り回して笑みを浮かべる。

 

「あなたも随分とイメチェンしたわねー。昔はもっとキリッとして男なんて知りませんーって感じだったのに、すっかり乙女モード入っちゃって!」

「んふふー♪ やっぱり女の子としてはぁ、素敵な恋しちゃうと変わっちゃうかなって! 今回はダーリンが呼び出されたんだけど、心配だからついてきちゃった♪」

「てことはこっちのちんちくりんなのがウチの曾孫ってわけね! うりうり」

「ど、どーもー……ごぶさたしてまーす……あぁん、尾てい骨は、尾てい骨はやめてぇっ!?」

 

 すっかり親戚モードに突入した三人と、一方で目を見開いたまま気を失っているアタランテの姿が。

 近所付き合いの長いおばちゃんじみて姦しい己が主神の威厳の欠片も見当たらない姿に、信仰を試されるあまりどこかへ旅立ってしまったようだ。その哀愁たるや誰もが目を背けるほどに。

 

「アタランテさんはアルテミス神の熱心な信徒としても有名ですから……」

「傷は深いぞ、がっかりしろ!」

「やめろ、いやほんとやめてくれ……あまりの衝撃に一瞬信仰を疑ってしまった……」

「フォーウ……」

 

 てしてしと殴るフォウくん。その鳴き声には心からの憐れみが込められていた。

 

 

 

 

「話は聞かせてもらったわ! あなたたちも随分と頑張ってきたようね! あたし、そういうの嫌いじゃないわ!!」

「きょ、恐縮です……それでその、エウロペさん――」

「うちの子たちがお世話になったのに、そんな他人行儀にしなくてもよくってよ! 遠慮なくおばあちゃんって呼ぶといいわ!!」

「エウロペおばあちゃーん!」

「おいでリッカ! おばあちゃんが抱っこしてあげる!」

「どうしましょうドクター、これまでにないパターンです」

『うーむ、さすがに大英雄。キャラクターも強烈だなぁ』

 

 思わず素に戻るマシュ。押せ押せ気質なエウロペの勢いにたじたじである。

 一方で対サーヴァントにおけるパーフェクトコミュニケーション記録現在更新中の立香が素直におばあちゃんと呼べば、彼女はすっかり立香を気に入った様子で全力のハグを交わしていた。

 

『だけど状況は大分好転したはずだ。ギリシャで一二を争う名狩人のアタランテちゃんに、四大英雄の一角が戦力に加わったんだ。たとえアルゴナウタイが相手でも十分渡り合えるはずだよ。連れ去られたエウリュアレと聖杯を取り戻すことも――』

「あっ、ごめーん。それちょっと無理っぽいかも」

『――なんですとぉ!?』

「召喚の際に不手際があったのか知らないけど、必要最低限の魔力しか供給されてないのだもの。さすがにこれじゃあヘラクレスをどうにかしろって言われても無理よ、宝具も使えそうにないし」

『なんてこった……こりゃ参ったぞぉ、宝具の使えないエウロペなんてただの置物じゃないか……』

「言うに事欠いて置物なんて失礼ね! それにさっきから聞いてれば端から他人任せの軟弱意見ばかり! きっとろくに髭の生えてないモヤシ野郎に違いないわ!!」

『も、もやし……』

「おばあちゃんどうどう、ドクターが傷ついてる」

「ふんだふんだ! どうせ宝具の使えないあたしなんてただの美少女よ!!」

 

 すっかり臍を曲げたエウロペを宥める立香。その光景、最早完全に姉妹か何かか。どちらが妹なのかは言うまでもない。

 

「しかしそうなると、まずはエウリュアレさんの奪還を第一目標とすべきでしょうか。何を目的に彼女を攫ったのかはわかりませんが、少なくとも彼女がこちらの手元に居る限り、彼らが目的を達することはないでしょう。然る後に戦力を整え、改めて相対すべきかと考えます」

「そうなると気掛かりなのはアーク……ってやつだよね。ダビデ王だっけ? その人とも合流しないとだね」

「……? マスター、なぜ顔を赤らめているのでしょうか」

「いや、だってその、ダビデって、あれでしょ? おち◯ち◯丸出しの人でしょ?」

『いや、あれはミケランジェロの創作であって本人そのものではないからね!?』

 

 世界で一番ち◯こを晒された英雄。思わぬ風評被害である。

 さすがのダビデ王もこのとばっちりには猛抗議不可避。

 

「……ならば私と汝らの海図を照らし合わせてみよう。それで探索できていない範囲は大分絞られるはずだ」

「となればまずは……せんちょー! 船はもう出せるー!?」

「任せな、あの程度で立ち往生するほどアタシの船はヤワじゃないよ!」

「よっし! それじゃあエウリュアレちゃん奪還作戦開始だね!!」

 

 ここまで船の復旧作業にあたっていたドレイクが応えれば、立香はにんまりと笑って両の拳を打ち付ける。

 大きな決断を下したときに決まって見せる、いつからか身についていた彼女のクセだ。

 そんなマスターが何よりも頼もしいとマシュは頷いて、大盾を打ち付け意気を高くした。

 

「アステリオスくん!」

「ますたー……いく、のか?」

「もちろん! 皆でエウリュアレちゃんを助けにいくよ!」

「なら……ぼく、も、がんばら、なきゃ……!!」

 

 立香の言葉に、項垂れていたアステリオスも頭を上げる。

 まんまと彼女を連れ去られてしまった怒りや悲しみはある。しかしそれを今は全て飲み込んで、必ずや助け出すのだと握り拳を強くした。

 

「アステリオス!」

「おま、え……」

 

 そんな彼の後ろ髪を引っ張るエウロペ。

 振り返るアステリオスは、今以て彼女のことを計り兼ねていたが、しかし――

 

「おま、え、も……ぼくを、あすてりおす、って、よぶの、か?」

「――あたりまえじゃない。だって、あたしがそう名付けたんですもの」

 

 泣きそうな笑みを浮かべて、己をアステリオスと呼ぶ少女のことを、決して嫌いではない――否、嫌いになれない自分がいることを認めている。

 この特異点に喚び出され触れ合った多くの人間、サーヴァントたちとも違う、エウリュアレとも違う、とても暖かで安らげる空気を纏うエウロペ。

 その小さな身体で精一杯の愛情を示そうとする彼女に、自然と目線を合わせるように屈むと、エウロペはそっとアステリオスの頭を抱き留めた。

 

「アステリオス……あなた、エウリュアレって子が大好きなのね」

「……うん」

「あなたが大切だって思う子なのよね?」

「たいせつ……そうだ、えうりゅあれは、ぼくの、たいせつ……」

 

 噛みしめるように、ひとつひとつ言葉を己に刻むアステリオスに、エウロペは頭を撫でる手を止められないでいる。

 だがアステリオスが意を決して立ち上がると、それを引き止めることはせず、一直線に彼を見上げて気丈に笑った。

 

「――ぼくは、えうりゅあれが、たいせつ……だから。いかなくちゃ……えうりゅあれを、たすけに、いかなくちゃ……!!」

「……あ゛ずでり゛お゛ずぅぅううう゛う゛う゛う゛う゛う゛!! ほん゛どに゛り゛っぱにな゛っぢゃっでぇぇぇ!!!!!!!」

 

 かと思いきや涙腺決壊。涙やら鼻水やらを垂れ流しての男泣きであった。

 感極まるあまり堪え切れなくなったらしい。そんなにも孫の成長が嬉しかったのか、恥も外聞も捨てての大泣きであった。

 勢いのままアステリオスの脚にしがみつけば離すまいと全身で抱きしめて、昂る感情を垂れ流すエウロペに周囲はすっかり微笑ましい気持ちになっていた。

 

「ずっと未練だったものねぇ……ここにきて念願が叶って、つい感極まっちゃったみたい」

「未練、ですか?」

「そ。親の不義理で産まれてきた忌み子だけれど、そんなの関係ないって大暴れ。元凶のミノスくんを張り倒すなり無理矢理引き取って養育したんだけど……育てきる前にエウロペちゃんにタナトスのお迎えがきちゃって、ね」

「本人は最後まで人として教育するように、絶対にすごい将軍になるからーって言ってたんだが……結局はおまえらが伝説で知るとおり、曾祖母様亡きあとは大迷宮へ幽閉されたってわけだ。どーやらそれが心残りだったらしいなぁ……」

 

 珍しく慈愛を浮かべるアルテミス。そこには旧来の友を案じる真実神としての慈悲があった。

 普段はおちゃらけているオリオンも、偉大なる先祖の弱い姿に思うところがあるのか神妙だった。

 

 マシュは、泣きじゃくるエウロペの背中に、得も言えぬ感情を抱いた。

 生前果たせなかった願い。幼くして置き去りにしてしまったアステリオスへの未練が、彼自身の精神的成長によって断ち切られることへの幸福。

 怪物と伝説に謳われた彼が人間として仲間と触れ合い、そして今、子供として抱き締められるその姿を、マシュは何より尊いと思ったのだ。

 

「あれ? ひょっとしてアタランテ……泣いてる?」

「そ、そうではない! ……ぐすっ、ただ、あやつは真実エウロペだったのだなと、感心していただけだ」

「んふふ、そっか♪」

 

 そんな彼らの傍らで、仕方のないような笑みを浮かべるドレイク。

 場の空気を呑むように酒瓶を呷り、酒気を吐いて呟いた。

 

「……やれやれ、お涙頂戴な空気は苦手なんだけどねぇ」

「とはいえ感動の再会に水を差すのも悪いし、ここは好きにさせてやっか……と気遣う船長であった」

「おだまりボンベ」

「あいてっ!? ……へへっ、すいやせん、準備してきやっす!」

 

 空になった酒瓶で張り倒せば、にやついたまま消え去るボンベ。

 随分甘くなったもんだと自嘲気味に頭を掻くと、ドレイクは操舵を握って風を捉えた。

 

「放っといたらいつまでも乳繰り合いかねないからねぇ……気の利くドレイク姐さんはクールに船を出してやるのさ」

『あはは……よろしく頼むよ、キャプテン』

「人だろうがお宝だろうが、一切合切奪っていくのがアタシらの流儀さ。うだうだ心配せずに任せときな! さぁて野郎ども、船を出すよ!! 目当ては舐めた真似してくれたトボケ野郎のケツの穴だ、カマ掘る勢いで突っ込みな!!」

「アイ、サー! キャプテン!!」

 

 そして進路は逃げたヘクトールを追って、遥か彼方のアルゴー船へ。

 第三特異点最大の戦いは、すぐそこに迫っていた。

 

 

 

 




生前編と違って随分と書き口が変わったように自分でも思います。
それが良いにしろ悪いにしろ、やはり原作があると難しいですね。可能な範囲で精一杯書いていきたい。

あと2~3話でオケアノス編終わりの予定です。


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両雄激突、さらばオケアノス

オケアノス編、完!
駆け足気味な内容でしたが、第三特異点で書きたいことは全部書いたぜ!!
今までで一番長くなったけど、どうかご容赦ください。


 

 

 

「敵影補足――巨大な霊基反応を確認! マスター、アルゴー船です!!」

 

 海原を掻き分け、遂に捉えた巨大船の影。

 エウリュアレを乗せて小舟を漕ぐヘクトールの向かう先に聳える、ギリシャ神話に名高きアルゴー船。

 目視と同時に察知した霊基の奔流にマシュは警戒を促し、一行は即座に臨戦態勢を取った。

 

「おや? おやおやおや……どうしたんだいヘクトール、お前ともあろうものがゴミ屑くっつけてくるなんてさ。身だしなみ一つ整えられないのかい? ――ったく、使えねぇヤツだな。余計なモンまで持ってきやがって……」

「へいへい、そりゃあすまんこって。どうかお許しを、キャプテン」

 

 視線の先、アルゴー号の船上にて金髪の美男イアソンが、美貌を俗悪に歪めて吐き捨てる。

 対するヘクトールは何処吹く風と、飄々とした上辺ばかりの謝罪を口にしながら、迫り寄るカルデア一行を油断なく睨みつけていた。

 

「マスター、あれが人理修復を目論むカルデアの一行です。目的は今しがたヘクトールさまが確保してきた女神の奪還かと」

「成程、あれが例の……ふぅん、見たところ大した英霊も乗っていない有象無象の集まりじゃないか。あれが私の王道を阻もうとしているのかい? あっはっは、滑稽すぎて笑えてくるとも!」

「どうしましょうか、マスター?」

 

 見た目だけは清らなる乙女、若かりし頃のメディアが問えば、イアソンは鼻で笑う。

 優越、侮蔑、傲慢――絶対の優位性を確信しながら酷薄な笑みを浮かべ、当然とばかりに揚々と告げた。

 

「決まっているとも。あそこに集っている有象無象の虫ケラ共に、一つ挨拶をしてあげようじゃないか! ――ヘラクレス、見えるね? その化け物じみた馬鹿力を見せてあげなよ」

 

 イアソンがそう命じれば、傍らに控えていた巌の巨漢が頷く。

 狂気に囚われたヘラクレスは何の躊躇も無く海へ飛び込むと、海底に連なる山脈のいただきをぽきりと折って、跳躍。

 明らかに背負うには巨大すぎる大岩を担いで海上へ飛び上がると、そのまま黄金の鹿号へ向けて投げ放った――!!

 

「な、岩――いえ、あれは最早小山……を、投げた……!?」

 

 その恐るべき光景にマシュが目を見張った。他の仲間も信じ難いものを見るように驚愕に大口を開けている。

 冷静なのはヘラクレスの伝説を直に知るギリシャ神話の面々で、これすらも小手先と知るが故により一層の戦慄を抱いていた。

 

「どけ……!!」

「がんばれ、アステリオス!」

「ぬ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 咄嗟に動いたのはアステリオス。およそカルデア一行で唯一ヘラクレスに比肩し得る怪力の持ち主。

 彼の目的を察したエウロペが応援すれば、彼は小さく頷いて――

 

「や、山を――!!」

「受け止めたァ――!?」

「やっちゃえアステリオス! そのままお返しよー!!」

「う、あああああああああああああああああああああああああああ――――!!!!」

 

 敵方の攻撃も信じ難ければ、アステリオスの反応もまた俄には理解しがたい。

 あまりに途方もない筋力と筋力の応酬。当たれば船体を大打撃を与えて尚余りある小山を五体で受け止めると、彼はそのまま飛来してきた以上の勢いでヘラクレスに投げ返す。

 

 ヘラクレスとアステリオス、共に怪力無双を謳われる両雄。

 片や英雄として、片や天性の魔としての違いこそあれど、神代にあって尚常識を超えた筋肉と筋肉のぶつかり合い。

 その前哨戦は、投げ返された小山をヘラクレスが拳で砕いたことで引き分けに終わる。

 

 それを見て、一見面白そうに笑みを浮かべたのはイアソンだった。

 

「ハッハッハッ、なかなかやるじゃあないか、あの蛮人も! ……ところでありゃなんだ? 獣人か?」

「あれはきっとアステリオスさまですわ、マスター。またの名をミノタウロスと申します。かつてテセウスさまが討ち倒したクレタの大迷宮の怪物です」

 

 メディアが補足すれば、イアソンはより一層声を上げて笑う。

 

「なんだ、人間の出来損ないか! 英雄に倒される宿命を背負った、滑稽な生物! なんとも哀れで……惨めじゃあないか!! あんなものを仲間にしなきゃいけないなんて、向こうの人材不足は深刻だな。私の配下を分けてやりたいくらいだよ! ……尤も、そんな勿体無い真似できっこないけどね? あっはっはっはっ!!」

 

 なんと無様と嘲弄に大笑するイアソン。

 敢えて言い聞かせるように態とらしく、厭味ったらしい声音でアステリオスを嗤う。

 

 ちなみにサーヴァントの五感は非常に優れる。常人の数倍を知覚するなど容易で、視界の内で交わされる言葉を聞き取るなど造作もない。

 つまりそれがどういうことかと言うと――

 

「――――――――」

「こわっ! おばあちゃん顔こわっ!? 女の子がやっちゃいけない表情してる!!」

「こえー!? 身内だからか余計にこえーよ!?」

 

 笑みを硬直させて青筋を浮かべるエウロペがいた。

 論われた当の本人はまるで堪えていない一方で、愛する孫を悪し様に罵られたエウロペの堪忍袋があっという間に膨れ上がったようだ。

 戦慄する立香とオリオン。特にオリオンは直接の肉親の憤怒の表情に誰よりもビビっていた。

 

 そんな二人を置いて状況は続く。

 頭上で一大筋肉合戦を繰り広げられたヘクトールは冷や汗を一つ流して、アルゴー船に急いだ。

 そんなヘクトールへ向けてイアソンの野次が飛ぶ。

 

「ヘクトール! 助けは要るかい? さすがに今のは肝を冷やしたみたいだが?」

「――ええ、キャプテン。申し訳ないですが。ここは一つ、助けてくれませんかねぇ?」

「もちろん、いいとも! ――ああ、だけど一応訊いておこう。そこに女神はいるね? 当然、聖杯もだが」

「そりゃ勿論」

「ならばよし!」

 

 うんざりしたようにヘクトールが答えれば、イアソンは上機嫌に了承する。

 そして迫るカルデア一行を睥睨して。

 

「ここで決着をつけてあげよう! 君たち、世界を修正しようとする悪しき軍勢と――――我々、世界を正しくあろうとさせる英雄たち」

 

 満面の哄笑を浮かべつつ、高らかに宣言した。

 

「――聖杯戦争に相応しい幕引きだ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「抜かしたな、イアソン!」

 

 大言壮語へ真っ先に弓引いたのはアタランテ。

 引き絞るタウロポロスから剛撃の一矢を放ち、イアソンの頭蓋を打ち砕かんと真っ直ぐに飛翔する。

 

 それに応じたのはヘラクレスであった。

 彼は山を穿つ剛弓の一撃をなんと素手で掴むと、そのまま握り潰してへし折った。

 当然のことながらその身体には傷一つ無い。続くアタランテの連撃も悠然と撃ち落としながら、一矢たりともイアソンへ届かせぬ人力の防護結界を構築する。

 

「相変わらず信じ難い技の冴え……ッ、理性を失って尚それか!」

「おやぁ? はっ、ハッハッハッ! これはこれは、麗しのアタランテじゃあないか!! ――私の元から逃げ去ったアバズレが一体何の用だよ。澄ました顔してオレの邪魔をしにきたのかい? 相変わらず統制の利かない野蛮人だな!」

「そういう汝は相変わらず身の程を知らぬな。女神たちの寵愛を受けながらなお腐り果てたその性根……歪んだ魂の小人物よ」

「あっははは! 今の君が言ってもなんにも怖くないねぇ! そういう強がりはさ、せめて一太刀届かせてから吐きなよ? 惨めで滑稽で、腹の底から笑えてくる!!」

 

 ヘラクレスに護られ余裕の笑みを見せるイアソン。

 他者の尽力を我が物と言って憚らない傲岸不遜に、アタランテの抱く嫌悪がますます深く広がる。

 この口先だけの小物は、しかしその弁舌だけでアルゴナウタイを編み上げた怪物。こと舌戦においてアタランテの敵う相手ではない。

 

 イアソンの挑発に悔しげにしながら、敵大将を狙う無意味を悟り場を後にする。

 その逃げ様までも嘲弄するイアソン。

 しかし逃げ去ったアタランテが不意に浮かべた笑みに不審を抱き、ふと別に視線をやって焦燥を露わにする。

 

「ばっ――馬鹿野郎、何をしているヘクトール!! まんまと女神を奪われやがって! ここにきてとんだ失態だぞ、まったく満足に使いもできない役立たずめ!!」

「そうはいいますがねぇ、さすがに寄って集ってこられちゃあ、オジサンもちょいとしんどいですよ……って!」

 

 アタランテがヘラクレスの注意を引き付けていた隙に、他サーヴァントが小舟のヘクトールに殺到しエウリュアレを奪還していた。

 如何に一騎当千を誇るヘラクレスが居れど、その他唯一直接戦闘を可能にするヘクトールはそうではない。

 二人までならまだしも、アステリオス、アルテミス、ドレイク、マシュ――四人もの英霊を同時に相手しては、エウリュアレを取り返す立香までは手が回らない。

 元より防戦を得意とするヘクトールのこと、四対一の戦いで傷をこそ負わなかったが、目当ての女神はまんまと奪還されてしまった。

 

「よっし、エウリュアレちゃんGET! みんなー! こっちは作戦通りにいったよー!!」

『よくやった立香ちゃん! これで敵が目的を達成することはひとまず防げた! あとは彼らを倒せるかだけど――――』

 

 目的が叶って喜色を浮かべる立香。ロマニも浮ついて希望を見せるが……対するイアソンは、心底つまらなさそうに白けていた。

 

「――あのさぁ、カルデアのマスターくん……だっけ?」

「なによ! 今更命乞いなんて聞かないわよ、このままアンタを――」

「今なら許してあげるから、とっとと女神を私に返したまえ。これは負け惜しみなどではなく、私の寛容と知るがいい」

 

 イアソンがそう宣えば、ヘラクレスが大音声を轟かせた。

 嵐と錯覚せんばかりの音の津波。大英雄の咆哮に僅かに顔を覗かせていた光明が木っ端微塵に打ち砕かれる。

 このまま彼らを倒せるかも――――そんな淡く浅はかに過ぎる希望など、彼の声一つで既に萎えた。

 

『――ダメだ、敵いっこない……! さっきはひょっとしたら……とは思ったけど、無理だ! 撤退を推奨する! エウリュアレちゃんを確保したのなら、とっとと離脱すべきだ!!』

「あ、れが……大英雄、ヘラクレス……!?」

 

 恐慌を必死に飲み込んでロマニが口角泡を飛ばす。直接ヘラクレスの咆哮を耳にしたマシュは、それだけで拭い難い恐怖を心に宿した。

 船上に舞い戻ったアタランテも、ヘクトールを取り囲んでいたサーヴァントたちも、俄に硬直して戦闘の手を止める。

 誰もがヘラクレスを注視し、その隙にヘクトールはアルゴー船へと逃げ延びる。しかし誰もそれを阻む手を持たなかった。

 

「そうだ! 彼こそがヘラクレス!! ギリシャの誰もが恐れた、英雄の中の英雄! 怪物の中の怪物だ!! お前達のような有象無象の凡百英雄とは役者が違う、神にまで至った最強の男だぞ!! 敗北などない、無敵の男! お前達なぞ無造作に引き千切られるのがお似合いの雑魚敵に過ぎない!! ――――もう一度だけチャンスをあげよう。おとなしく女神をこちらへ引き渡すがいい、カルデアのマスターとやら。そうすればヘラクレスをけしかけないでやる。粗末な命をまがりなりにも拾えるんだ、まさか否とは言うまいね?」

 

 その増上慢な問いかけに、立香は。

 

「勿論――――お断りよ!!」

「――――なんだって?」

 

 真正面から、きっぱりと。イアソンに舌を突き出して真っ向から否定した。

 

「あなた……っ!?」

「マスター!!」

「アンタなんかにエウリュアレちゃんは渡さないし、ヘラクレスにもやられてなんかあげない! 無敵の大英雄? 最強の男? ――だからなによ!! こちとらそういう肩書背負った英雄とはイヤってほど戦ってきたんだから、今更そんなのでビビると思ったら大間違いよ!!」

 

 震える脚を隠しきれず、しかし一切の偽り無く啖呵を切る立香。

 背に庇われたエウリュアレはそんな立香に息を呑み、マシュは花開くような笑みを見せて勇気を奮い立たせる。

 残る仲間も同様だった。一瞬とはいえ臆した我が身を恥じるように、戦意を漲らせてイアソンを――ヘラクレスを見据える。

 萎えかけた心を奮起させて意気を高くした彼らに、イアソンは……

 

「――――なにそれ? 本気? 正気で言ってるのか? これは、まいった……まさかまさかまさか、こんなにも勇気があるレディだったとは! いやはや御見逸れしたよ、素直に称賛を贈ろう! ヒューッ、カッコイー!!」

 

 右手で顔を覆い、空を見上げてこみ上げる笑いを堪え切れず抱腹するイアソン。

 その不気味さに皆が注視する中、イアソンは引き攣るほどに笑声を上げると、やがてゆっくりと立香に向き直って――――能面のような無表情を見せた。

 

「バァアアアアアアッカじゃないの!? まったく、塵屑風情が何を言うかと思えば……お前なんか怖くないィ? 私達は負けないィ? ハッ! 身の程知らずとはまさにこのことだな!! ……ほんっとナマイキ、今すぐ死んでくれるぅ?」

 

 精一杯の悪意を込めて吐き捨てたあと、傍らのメディアを抱き寄せて囁く。

 

「ああ、メディア! 私の愛しいメディア! お願いがあるんだ……わかるだろう? あいつらを粉微塵に殺してほしいんだ。君がかつて弟をそうしたように、残酷にバラバラに! 魚の餌にしてやってくれないかい? もちろん、今度こそは裏切らないとも! 信じてくれるだろう? 私のメディア……」

「――弟? ――裏切り? 仰ってる意味がよくわかりませんが……それがマスターの望みなら、私は全霊でお応えします。魔術の女神ヘカテーの一番弟子であるこの私の魔導の真髄、お見せしますね、マスター」

 

 あまりに歪でちぐはぐな、互いを互いに認識してすらいない空虚な愛と恋慕の囁き。

 薄ら寒さすら覚える仮面の二人に、皆が戦慄する。

 そんなカルデア一行を差し置いて、イアソンは更にヘラクレスへ命じる。

 

「さて、ヘラクレス……君も行きたまえ。そして奴らをその豪腕で粉砕してやるといい。驕れる蛮勇を粉微塵に打ち砕いて、残酷な現実ってやつを教えてやれ。私はここからそれを見物するとしよう」

『この期に及んで他人任せで自分は高みの見物かい!? アタランテちゃんから話だけは聞いていたけれど、これは――』

「まごうことなき人間の屑だ!?」

「な? 言ったろ、屑だって。さすがのオレもあいつには敵わねーよ」

「正直他の子たちがあの子に肩入れしてたのって、今思えばちょっとナイわよねー?」

「それ、お前も大概だからな!?」

 

 他人事のように宣うアルテミスへツッコむオリオン。趣味の悪さはギリシャの女神殆どに共通する悪癖であった。

 

「まったく、口が過ぎる塵屑共だ――――皆殺しにしろ、ヘラクレス!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 イアソン率いる英雄との戦い、その戦端を飾ったのは若きメディア。

 数多の竜牙兵を操り、遍く瑕疵を修補する魔術で以て支え戦う彼女は、その回復能力こそ脅威であれど撃滅の火力を有さず、程なくしてカルデア一行の勝利に終わる。

 しかし戦いはこれで終わりではない。否、竜牙兵を引き連れたメディアとのそれはそもそも戦いですらなく、ほんの小手調べに過ぎない。

 本番は、メディアの背後に控える鉛色をした巌の巨漢――ヘラクレス。彼との激突こそ、この特異点における最大の戦いと言えよう。

 

「ごめんなさい、ヘラクレス――やっぱり私だけでは荷が勝ちすぎたみたい。あなたの力を貸していただけます?」

「――――――――」

「ええ、ええ……頼りにさせてもらいますね、大英雄。支援は私にお任せを。あなたはあなたの荒ぶるままに――」

『来るぞみんな! ヘラクレスとの戦いはさっきとは比べ物にならない! 勝とうとはしなくていい、なんとか耐えるんだ!!』

「おっけードクター! マシュ、みんな……頑張って!!」

「はい、マスター!!」

 

 そしてヘラクレスの拳を迎え撃ったマシュは――――そのまま大盾諸共吹き飛ばされた。

 堅牢なる大盾こそ無事ではあるが、それを支えるマシュそのものの膂力がヘラクレスの暴威に耐えられなかったのだ。

 強風に煽られる木っ葉のように一直線に吹き飛んだマシュは、そのまま壁へ激突して――尚も止まらず幾重もの壁をぶち破った末に五体を投げ出す。

 しかし折れぬ心、挫けぬ勇気。今しがた味わった暴力の極地すら必死に耐えて立ち上がり、戦線へ復帰したマシュは、何度も打ちのめされながらも徐々に徐々に攻撃へ合わせることを覚え、なんとかヘラクレスの猛攻を凌いでいく。

 

「くっ、ぅうあああああああああああああ!!!」

「――――――――!!」

「いやあ、これは、これはこれは……なかなかどうして、耐えるじゃあないか! 見たところ出来損ないのサーヴァント未満のくせに、一丁前に食らいつこうとする……健気じゃあないか、なあカルデアのマスター?」

『さすがに分が悪い――いや、悪すぎる!! 天をも支える豪腕相手じゃ、さすがのマシュも持ち堪えられそうにない……早く打開できないと、このままじゃ全滅だ!?』

「こらドクター! そんなネガティブ発言禁止ー!!」

『とは言っても――――!!』

 

 ロマニの焦燥を他所に、マシュはよく耐えていた。しかしそれも長続きしないことはこの場の誰もが察している。

 だが援護しようにも無尽蔵に展開される竜牙兵の軍勢に阻まれ、僅かにヘラクレスの注意を逸して、刹那の休息をマシュに与えることしかできない。

 直接加勢するにはあまりに竜牙兵の数は多く、越えるにはあまりに広く展開している。それでも誰かがマシュを助勢しなければ、この場はやがて決壊してしまう。

 それだけは避けねばならない。だが、誰が――――?

 

「ぅ……!」

「アステリオス!? まさか……独りで――! ダメよっ、あなた一人でなんとかなる相手じゃない!!」

「わか、ってる……でも……」

 

 動きを見せたアステリオスの意図を察して、エウリュアレがそれを阻む。

 確かに、アステリオスならば……唯一ヘラクレスと渡り合えるだけの膂力を誇る彼ならば、足止めくらいにはなるかもしれない。

 しかしそれは、同時に彼の危機をも意味する。それがわからないエウリュアレではない。

 

「あれは人の形をしただけの天災よ!? 人が雪崩や嵐に立ち向かうことを勇気とは言わない――それはただの蛮勇よ! わかってるの!?」

「でも、おれじゃないと……おれが、たたかわないと!!」

 

 エウリュアレの制止を振り切ってアステリオスが駆けた。

 立ち塞がる竜牙兵の波をその豪腕で粉砕して、蹴散らして、マシュのもとへと真っ直ぐに。

 幾度となく振るわれるヘラクレスの豪腕。マシュが再び蹴散らされようとした瞬間、その横合いから渾身の一撃をヘラクレスに見舞う。

 

「ヒューッ! やるじゃないか、出来損ないの怪物にしては! まさか、まさかまさか、ただの拳で! たったの一撃でヘラクレスの命を()()()()なんて!!」

 

 驚くべきことに、アステリオスの一撃は、その拳の一振りは、ヘラクレスの霊核を一発で打ち砕いていた。

 殺ったか――誰もが固唾を呑んだその一瞬。しかしイアソンは、余裕を崩さず飄々と称賛した。

 その奇妙な物言いに刹那の沈黙が横切ると、イアソンは心底愉しそうに驚くべき事実を告げる。

 

「ああ、君たちは知らなかったのか。それは悪いことをしたね……実はヘラクレスは、()()()()()()()。かつて乗り越えた十二の試練、その報酬に十一個の命を追加で宿していてねぇ……()()()()()()()()()()()()()()()。――絶望したかい? あっはっはっ、見ものだねぇその顔! 態々教えてやった甲斐があるというものさ!!」

「なん、て……デタラメ……!? これをあと十一回も――!!」

『インチキにも程がある!? とてもじゃないが付き合いきれない! 早くこの場を脱しなければ――――まさか! アステリオスくん!?』

 

 戦慄の事実。しかしエウリュアレについでアステリオスの意図を察したロマニが驚愕を露わにする。

 彼が決意した覚悟、その真意を悟って、その背中を追う。

 マシュを背に庇い、ヘラクレスと組み合ったアステリオスが、ぽつりと呟いた。

 

「おれは、ころした――――」

「アステリオスさん……!?」

「ころ、した――――なにもしらない、こどもを……ちちうえがそうしろっていったから、おまえはかいぶつだって、いったから……! おれはそうなんだって、うたがうこともせずに、かいぶつだからって、なにもしらないこどもたちを、ころして、ころして、ころして――――!!!」

 

 それは懺悔であった。

 それは後悔であった。

 この特異点における旅で仲間たちと触れ合う内、否応無く自覚させられた怪物としての己の所業。

 積み重ねてきた罪業の、救い難い悪を、この仲間の窮地で吐露する理由を、誰もが俄には理解できず。

 

「――――でも、ぜんぶじぶんのせいだ。いま、おもいだした。ずっと、ずっとむかし、おれはあすてりおすだって、いってくれたこともわすれて……! だいじなことを、わすれて、かいぶつだって、おもいこんで。ちちうえのいうとおりに、こどもたちをころして――――さいしょからおれはかいぶつなんだって、きめつけて」

 

 盛り上がるアステリオスの巨躯。人外の膂力に渾身を込めた上背が、僅かにヘラクレスの膝を折らせる。

 耐えるヘラクレスの両腕が軋みを上げ、粉砕され、それに留まらずアステリオスの腕力がヘラクレスを引き裂いて、二度目の死を与える。

 即座に蘇生するヘラクレス。持ち直し、今度は逆に劣勢を強いられるアステリオス。

 弱々しい悔恨の言葉に反して、漲る怪力は上限を忘れ高まっていく。

 

「でも、みんながぼくを、あすてりおすってよんでくれた。みんながわすれた、ぼくのなまえ……ぼくもわすれそうになった、ぼくのなまえ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!!!」

 

 押さえ込むヘラクレスの両腕を弾き返し、アステリオスが頭突きを見舞った。

 ヘラクレスの鋼の腹筋を貫いて突き刺さる双角。かき混ぜられる臓腑はヘラクレスの命を奪い、三度目の死を与える。

 これで残る命は九つ。誰もがその偉容に目を見張り、驚愕を隠せずにいる。

 

「ますたぁが、よんでくれた。ましゅが、よんでくれた。せんちょーも、ぼんべも、あたらんても、どくたぁも、あるてみすも、おりおんも、みんなみんな、よんでくれた。えうりゅあれが、よんでくれた! おばあちゃんも、またよんでくれた!!」

 

 咆哮。今此処にアステリオスはヘラクレスと拮抗し、対等に渡り合った。

 その大力、大英雄に勝るとも劣らず。本来倒されるべき天性の魔が、ギリシャ一の大英雄と互角を果たす、その途方もない例外。

 アルゴー船の上で、イアソンが余裕を崩したのが見えた。

 

「なら、ぼくは……もどらなくちゃ……! にんげんに、もどらなくちゃ……!! ゆるされなくても、みにくいままでも、よんでくれるひとがいるなら、もどらなくちゃ……!!!」

「へ、ヘクトォオオオオオオオオオオル――――!!!?」

 

 イアソンが叫んだ。早くアレを止めろ、貴様のその槍で。

 ヘラクレスが押し負けるだと? あり得ない! ありえないあり得ないアリエナイ――断じて許されることではない! ただの出来損ないに、怪物に英雄が押されるなど、あっていいはずがない!

 ヘクトールもまた、この上ないイレギュラーな展開に最大限の脅威を覚え、不毀の極槍を構えた。ヘラクレスの命がこれ以上消費される前に、彼を巻き添えにしてでもあの男を止めなければ――――!!

 

「ますたぁ、すきだ! ましゅが、すきだ! みんなが、すきだ! えうりゅあれが――――だいすきだ!! だいすきだから、みんな――――あとは――――」

「ヤツを――――殺せぇええええええええええええええ!!!!!!」

「さすがのオレも、本気にならなくっちゃねぇ!! "不毀の極槍(ドゥリンダナ)"――――!!」

「あ、アステリオス――――ッ!!!!!」

 

 彗星の尾を引いて、不毀の極槍が飛翔した。

 アステリオスと組み合うヘラクレス諸共串刺しにして、彼の命を屠らんがため。

 それを阻む手段は、無い。誰もがアステリオスの死をイメージし、エウリュアレが手を伸ばして叫ぶ。

 

 そして――――――――

 

 

「無駄だよ。オレの槍を止めたけりゃ、アキレウスかヘパイストスの盾でも持って――――」

 

「そうね。彼の武具でなければ止められないものね、こんな風に――――」

 

 

 ――――そして極槍は、アステリオスに届かなかった。

 組み合う二人を貫く直前、皮一枚の距離で、巨大な()()()に阻まれ停滞していた。

 

 それは、あまりに巨大な指だった。

 何ものをも貫く絶世の投槍を、まるで楊枝をそうするかのように軽やかに摘み、その勢いを押し留めている。

 やがて槍が沈黙すると、事も無げに指先で弾いて、狭めていた指を広げてイアソンを示した。

 

「――――ようやく、わかったわ。あたしがここに喚び出された理由(ワケ)が。まったく、世界も随分と粋な真似してくれるじゃない」

「え、エウロペ――――」

「――――おばあ、ちゃん?」

 

 立香の呟きを、アステリオスが続けた。

 二人だけではない。この場の誰もが信じられないといった様子で、彼女を見上げていた。

 

 輝く兜のヘクトール、最大の一撃を防いだ指の主。それはまぎれもなくエウロペだった。

 今の今まで戦力外の置物として、旅を賑やかし、戦いでは応援に徹するだけだった彼女が、虚空を貫いて現れた巨大な指先に立って、驚愕に停滞した戦場を見下ろしている。

 

「おい……今アンタ、エウロペって……言ったか?」

「えっ!? う、うん……そう、だけど……」

 

 震える声で立香に問うたのは、ヘクトールだった。

 思わぬ問いに素っ頓狂な声を上げながらも立香が是と答えると、ヘクトールは両手で顔を覆って天を仰いだ。

 

「マジかよ……此処に来て、なんで……サルペドンの爺様になんて言やぁいいんだオレは!?」

「待て……待て待て待てぇええええええ!? 嘘だろヘクトール! 嘘だと言え!! この期に及んであの人が居るだと!? ()()()()()()()()()!? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ッッ!!!!!」

「そんな…………!?」

 

 三者の反応は劇的だった。

 ヘクトールは天を仰いで嘆き、イアソンは蒼白に顔を歪め狼狽し、メディアはこれ以上無いほど目を見開いてエウロペを見た。

 唯一衝撃に耐えたのはヘラクレスのみで、その彼さえもアステリオスを手放して距離を取り、エウロペの一挙一動を警戒していた。

 あの、ヘラクレスが明確に脅威を抱き、警戒している――――その事実に誰もが驚愕を禁じ得ない。

 

「リッカ、ひとつお願いがあるの。いいかしら?」

「! ……なに、エウロペおばあちゃん?」

「あなたのその令呪を一つ、あたしのために使ってくれるかしら? ()()()()()()()()()()()()って、命じて頂戴」

「それって……」

 

 エウロペの表情は晴れやかで、その声音は軽やかだった。

 まるで不安を感じさせない明るさで、ちょっとしたおねだりのように令呪を求める彼女に、立香は即座に理解が及ばないでいる。

 彼女の真意を真っ先に解したのは、戦況をつぶさにモニタリングしていたロマニだった。

 

『霊基のオーバーロード! まさかキミは、命を賭してボクたちを!? 無茶だ! 無謀がすぎる! 自分から霊基を崩壊寸前にまで追い込むなんて!!』

「だってそうしなきゃ止められなかったもの。ここで無茶しなきゃいつするって感じよ、そもそも。ここまで穀潰しを通してきたあたしの見せ場なんだから、笑って見送りなさいよ。まったく野暮なんだから!」

 

 エウロペの霊基は、臨界を超えた過負荷に軋み、崩壊への一途を辿っていた。

 それは燃え尽きる刹那に一際強く輝く灯火の如く。霊基の崩壊と引き換えに制限を超えた出力を僅かに得る壊れた幻想。

 発動したが最期、消滅は免れぬ末期の輝き。此度の現界を擲って発揮する、一世一代の大盤振る舞い!

 

「ほら、はやくして立香! じゃないとあたしの頑張りが無駄になっちゃう!」

「……いいんだね? エウロペ。此処を任せても」

「――ああ、そうね。一度言ってみたかったセリフがあるんだわ!」

 

 立香が片手を掲げ、令呪を示す。全身全霊の意志を込めて、その一画を解放する。

 エウロペが腕を組み、巨大な指先に仁王立ちする。正真正銘の本気を露わに、その本領を発揮する。

 

 

「令呪を以て命じる――――あいつらをやっつけろ!!」

「此処はあたしに任せて先に行け――――!!!」

 

 

 果たして命令は遂行される。

 この第三特異点にて此処まで温存してきた三つの令呪、その一画をエウロペのために解放し、彼女の霊基へ絶大なる魔力を漲らせていく。

 受け取るエウロペの変化は劇的だった。これまでの弱々しい霊基が一変、大英雄の威光が暴風となって吹き荒れ見守る皆の視界を遮る。

 

 咄嗟に閉じた瞼を貫く魔力の奔流。

 巨大な指先がギシギシと軋んで駆動を開始し、虚空を裂いて更なる巨体が現れ出る。

 その巨体。その熱血。その青銅。その守護は。

 無数の英雄が犇めくギリシャ神話に於いて尚最強の名を恣にする四大の一角、絶対無敵の守護神。

 かつて青銅期の終わりを見届け、英雄時代の誕生を祝ぎ、主と共に世界を救いたるモノ――――その名を

 

 

「真名解放――――――――"守護神像・青銅英雄(ガーディアン・タロス)"!!!!」

『――――――――拝承――――――――』

 

 少女に侍る有翼の天使の姿も今は無い。

 ここに在るは有翼にして青銅巨大。絶対守護を謳われる史上最古のスーパーロボット。

 神の血を熱く滾らせ、人類の希望を護るべく顕現を果たした!

 

「これ、が――――!!?」

「伝説の――――!!!」

「そう――――タロスよ!!」

 

 マシュが息を呑み。

 立香が目を輝かせ。

 エウロペがドヤ顔で答えた。

 

 これこそはギリシャ神話のみならず、遍く伝説で最強を誇る最大級の使い魔、タロス。

 現代における数多のロボット・機械兵器の原型。あらゆる巨大兵器の礎となった原初の幻想。

 愛と勇気と夢と希望を乗せて、悪鬼羅刹を打ち砕く絶対正義の使者――――タロスである!!

 

「さぁ久々の戦いよ、タロス! 思う存分暴れなさい!!」

「た、タタタタタタロスだとぅ――――!!!? 馬鹿な! 冗談じゃない!! これは……なんだ!? 悪夢か!!? なぜ今になってコイツが出てくるんだ!! こんな――――こんなバケモノが!! 二度と……二度と遭うこともないはずなのに!!!?」

 

 深き海底に足をつき、尚も天を衝いてアルゴー船を見下ろすその偉容。

 イアソンは腰を抜かして、射抜くタロスの眼光に怯えた。そこには先までの余裕も傲岸も欠片も存在しない。心底からの恐怖だけが彼を突き動かしていた。

 

 それも無理はない。

 何故ならタロスこそはアルゴー号の探検、その旅路で立ちはだかった最大最後、最強にして最恐の障害。

 かつてクレタ島に漂着し、必要に駆られ物資を奪わんとしたアルゴナウタイの面々を散々に追い散らし、潰し、蹴散らし、崩壊寸前にまで追い込んだ恐怖の守護神。

 数多の犠牲を払いながら知恵を絞り、メディア渾身の魔術で眠らせ、そうすることでようやく弱点を突くことを可能としたトラウマの化身。

 イアソンにとっては、最たる恐怖の象徴そのものであった。

 

「そ、そうだ……焦ることはない、私にはメディアがいる! メディア、私のメディア! 今一度眠りの魔法をヤツにかけておくれ。そうすればあんなヤツ、なんにも怖くない。ただのデカいガラクタだ。さぁ、はやく!」

 

 しかし生存を模索して目まぐるしく回転した思考が一つの解を導き出し、イアソンに安堵を齎す。

 そう、かつて脅かされはしたが――――しかし最後には勝利したのだ。それも明確な弱点を付与する形で。

 眠りの魔法こそタロスの弱点。そしてその魔法をこそ行使したのが他ならぬメディア自身。その本人がここに居る以上、慌てることなど何もない。

 余裕と優越を取り戻したイアソンは、猫撫で声でメディアに囁くが――――そのメディアが首を横に振ったことで、張り付いた笑みを憤怒に変えた。

 

「――――ごめんなさい、マスター。かつてのタロスなら可能でしたが、本来の主がいる以上、私の魔術は通用しません。私たちが倒したとき、エウロペさまは既に冥府へ旅立ち、タロスは手付かずの状態でした。即ちタロス自身を護る術は無かったからこそ、私の魔術は効果がありましたが……エウロペさまがお傍にある以上、眠らせるなどとてもとても――」

「な、なんだと……!? こ、こ、この……役立たずがァアアアアアアア!!? 肝心なときに使えないで、お前になんの価値がある!? クソッ、クソックソックソォ……馬鹿にしやがって、馬鹿にしやがって馬鹿にしやがって馬鹿にしやがって!!! どいつもこいつも役立たずがァアアアアアアア!!!!」

 

 イアソンの拳が彼女を張り倒し、メディアは転げる。

 誰もがそれに咎める目を向けながら、しかしそれすらも構う余裕を失って髪を掻き毟るイアソン。

 最早そこに、黄金を着飾った美貌など微塵もなかった。

 

「こ、こうなったら――――ヘラクレス! ヘラクレス、お前なら、お前ならどうとでもなるだろう!? まさかできないとは言うまい!? 如何にタロスだろうがギリシャ最強は依然としてお前のはずだヘラクレェエエエス!! だからお前――――なんとかしろぉおおおおおおお!!!!」

 

 それはもう命令ですらないただの懇願だった。

 恥も外聞も余裕も優越もかなぐり捨てて、絶叫のままヘラクレスに縋るイアソン。

 遂に振り下ろされたタロスの拳――――それをヘラクレスは全身で受け止めて、アルゴー船を崩壊から救った。

 

 最早形勢は逆転した。

 これまでヘラクレスの猛攻に耐える一方だったのが、今は逆にイアソンたちこそが防戦に徹し時間を稼ぐに注力している。

 それを理解し声を張り上げたのはロマニだった。呆然とする面々を一喝して撤退を指示した。

 

『今のうちに早く脱出するんだ! 彼女がやつらを引き留めてくれているうちに――――早く! エウロペちゃんの献身を無駄にしたくないのなら!!』

「まったく……ただの置物かと思いきや、とんだ肝っ玉だよあのお嬢ちゃんは! ――野郎ども、聞いたな!? お嬢ちゃんが命を懸けて稼いでくれた時間だ、絶対に遅れを取るんじゃないよ!!!」

「アイ、サー! キャプテン!!」

「ッ――――やむを得んか……!! 口惜しいが、往くぞ!」

 

 誰よりもその心情を汲んだドレイクが、いっそ薄情にすら映る切り替えの早さで操舵を握り戦域からの離脱を試みる。

 誰もがその選択に内心葛藤を抱きながら、しかしこの場で出来ることは何もない現実を噛み締め、悔しさを呑み込んで黄金の鹿号に乗り込んだ。

 即座に帆を張り、風を捉える黄金の鹿号。持ち前の素早さを最大限に発揮して、みるみる彼方へ走り去る。

 遠ざかる背中へ向けて、エウロペは声を張り上げた。

 

「アステリオス――――!!!」

「――――おばあちゃん!!」

「友達を大事になさい! 好いた女の子を守りなさい!! そして自分を大切に!!! もう二度と誰もあなたをミノタウロスなんて呼んだりしない! あなたはアステリオス! あたしの可愛い可愛いアステリオス!! あなたは怪物(ミノタウロス)じゃなくて――――――――人間(アステリオス)よ!!!!!!」

「!! ――――うん……うん! ぼく、は……あすてりおす、だ!!!」

「――――わかればいいのよ、幸せにね」

 

 エウロペは、にかっと悪戯小僧のような笑みを浮かべた。

 そして続けて声を張り上げる。

 

「リッカ! マシュ! ドクター! 船長! アルテミス! オリオン! アタランテ!! それに海賊の皆も!!」

 

 次いで呼んだのは仲間たち。

 これまでアステリオスを仲間として迎え入れてくれていた、奇跡のような仲間たち。

 

「あなたたちがアステリオスの仲間で、本当によかった! あの子をアステリオスと呼んでくれて、本当に本当にありがとう!! どうかどうか、あの子と仲良くしてあげて頂戴――――!!!」

「――――もちろん! アステリオスくんは、私の友達だもん!」

「私もです! だからどうか、心配なさらないでください! この場を――――おまかせします」

「エウロペ! 童などと侮ってすまなかった! 二度と言うまい! そして――――また逢おう、友よ!!」

 

 精一杯の感謝を込めてエウロペは叫ぶ。

 彼方へ消え去っていく彼らへ届くように、喉が張り裂ける程に唄って。

 

「そして――――エウリュアレ」

 

 最後に呼んだ名前には、万感の想いが込められていた。

 およそ考えられる限りの栄光と幸福に満ちた人生、その最期に生まれてしまった心残り。

 英霊と化して後、積年の悲願であった想いを最初に叶えてくれた誰よりも誇り高く愛らしく美しい乙女へと、全身全霊の感謝を込めて、最大の敬意と慈愛を込めて言った。

 

「あの子を最初にアステリオスと呼んでくれて、ありがとう。おかげであの子は人間になれる。たとえこの現界が泡沫の夢だったとしても、あたしとあの子に希望を齎してくれた! あなたはあたしたちの最大の恩人! いつかきっと、再会したときは、どうかどうかお礼をさせて頂戴! そして――――」

 

 霊基の崩壊。

 燐光に溶ける身体。

 消え行く霊体に最高の笑顔を浮かべて、深く深く頭を下げた。

 

 

「――――どうかあの子を、よろしくお願いします。」

 

 

 視界の彼方でエウリュアレが唇を動かした。

 それを読み解くだけの余裕は、既に失われていた。

 霊基の全てをタロスの動力に変え、最期の一片までアルゴナウタイを足止めすべく、全霊を捧げる。

 遺されたタロスは、主が消えた尚も駆動を止めず、カルデア一行が無事逃げ切るまで、見事その指令を果たしてみせた。

 エウロペは、その役目を完全に遂げたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして封鎖終局四海におけるエウロペの活躍は終わりを告げる。

 本来犠牲と成り得たアステリオスの命を救い、確かな希望を託して散った。

 

 後に一行はダビデと合流し、アルゴナウタイの真意を悟り。

 禁断の聖櫃を以て大英雄の打倒を果たし、魔神柱フォルネウスと化したイアソンまでも撃滅する。

 

 以上の功績を以て第三特異点の定礎復元は為り、三つ目の聖杯を手にし人理修復を一歩進めた。

 

 

 

 彼らが再び邂逅するのは、長い長い旅路の終わり――――冠位時間神殿における最終決戦

 

 

 

 

 

 

 




アステリオスを救済したいだけの人生だった……
途中まで完全にお荷物な置物だったエウロペでしたが、最後の最期でそれなりの見せ場は作れたんじゃないかなぁと思います。
その上でアステリオスの見せ場を食わないようにできたかと言うと、全ては読者の受け取り方次第かなと。

とにもかくにも自分なりにベストは尽くしたつもりです。
残すは冠位時間神殿ソロモンでの最終決戦。それを書き切ったら完結となります。
……最終話はもっと長くなるんだぜきっと(憔悴)

そして今更ですが、誤字報告をしてくださった方々、大変ありがとうございます!
こんなに便利な機能があったんですねぇ、態々探さずとも自動で修正してくれるなんて、なんて作者思いな機能なんだと感心しました。
本当は誤字脱字なんて無いのが理想で当然なんでしょうけどね、どうかご容赦ください。

この作品は読者の皆さんの熱い応援と評価によって成り立っております。
感想返しとかでは感謝の気持ちを十分に伝えきれていませんが、いつも感謝しております。
本当です。ですから今後もどうか何卒よろしくお願いします。


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戴冠せよ、其の銘は――

リアル都合が忙しく、投稿が遅れました。
盛大にやらかした感の半端ない最終話、始まります。


 

 

 

 

 終局の特異点で彼らを待ち受けていたのは、無限の宙空に根を張る肉の柱――七十二柱の魔神たち。

 如何なる時空にも存在しない事象の彼方。虚数空間に構えた工房は、さながらクリフォトの樹めいて醜悪な偉容を誇る。

 七十二柱が統合され、結合し、七十二柱であるが故に魔力供給ある限り無限に再誕する無尽の軍勢。

 

 ――――即ち此処こそが冠位時間神殿ソロモン。あるべき世界を押し退け展開される、彼の名を冠する固有結界。

 

「魔神柱撃破! ですがッ……!」

「――――ああ、無駄だとも。なにせ我々は七十二柱だからねぇ! そうあれかしと定められている限り、例え一時消滅させられようとも……」

 

 終局の特異点で藤丸立香たちカルデア一行を出迎えた魔神柱フラウロス――かつての名を、レフ・ライノール・フラウロスが哂う。

 マシュがやっとの思いで撃破したかと思いきや、余裕の笑みを崩さずフラウロスは即座に再生し、無数に具えた眼球で彼らを嘲笑った。

 

「我ら七十二柱ある限りこの世界(固有結界)は滅びず、またこの世界(固有結界)ある限り我々が滅びることも無い! くっ――っははははっはっはっはっは!! つまりは無駄なのだよ、諸君。貴様らは確かに七つの特異点を乗り越え、力を養い成長していったのだろう。その努力は認めようとも! しかし――――」

「ッ!? マスター、あぶない!!」

「マシュ――――!!」

 

 彼らが立つ大地そのものが揺れた。

 否、大地ではない。彼らが足を着けたそれすらも無数に枝分かれした柱の一端に過ぎない。

 蠕動する柱に姿勢を崩し膝をつく立香。そこへ彼女を貫かんとする柱の枝先を認め、駆け寄ったマシュが円卓の大盾でそれを防ぐ。

 そこへ更なる肉の柱たちが無数に殺到し、二人の進軍を阻まんとしていた。

 

「それが無駄な努力であることを理解していたかね? 貴様らが幾度となく言葉にしてきた可能性――――こうして絶望に屈することを可能性として考慮していなかったのかい? だとしたら滑稽だ! ああまったく、滑稽に過ぎるとも!!」

「グッ、う……ぅうううあああああああああ!!!?」

 

 立香を護るマシュへ、柱たちが更に殺到する。

 マシュが展開する小結界へと魔神柱の末端が突き立ち、突き立ち、突き立ち――最早蠢く肉の塊に成り果てるまでに無数の柱が二人を取り囲むも、しかしマシュは奥底から力を振り絞って耐え続ける。

 しかしその圧力、筆舌に尽くし難く。如何に護りに特化したマシュと言えど単独でそれを耐えるにはあまりにも戦力差が開き過ぎ、攻勢にも転じられない現状では、遠からず護りを突破されてすり潰されるのも時間の問題であろう。

 

 レフは――――否、今や完全に七十二柱の一員として魔神柱に成り果てたフラウロスは、そんなマシュの絶叫を心地よいと聞き惚れていた。

 人の貌を失ってなお察せられる程の侮蔑。抗えぬ絶対的力量差に身を削られる苦悶への愉悦。

 これまで七つの特異点を乗り越え、当初とは比べ物にならない程に力をつけた――その自負を真っ向から打ち砕く程の暴力。

 

『貴様らの旅路は無駄ではあったが、我らの無聊の慰みにはなった。他の柱を通して見届けた人理修復の旅は実に――――実に、無様だったとも! 抱腹絶倒とはまさにこのことだ! 我々はもう十分に愉しませてもらった。故に――――』

 

 マシュを取り囲む柱たちの圧力が増す。

 みしり、と空間が罅割れる音を錯覚し、支えるマシュの絶叫がより深く、より痛切に響き渡る。

 その背中を立香は見守ることしかできない。戦力的にはひたすら無力でしかないカルデアのマスター。彼女にできることは、仲間たるサーヴァントをひたすら信じ続けることだけ。

 

『――――潔く死に給え。抗うだけ苦しみが増すだけだと理解し、滅びを受け入れるがいい』

 

 しかし、それも。

 今まさに屠られんとするマシュを前にして尚も貫き通せるだろうか。

 あまりに絶望的な状況。他のサーヴァントたちはレイシフトに伴う揺らぎによって未だ合流できていない。そもそもが如何なる時空からも隔絶したこの特異点に於いて、確実に行動を共にできる仲間はマシュしかいなかった。

 そのマシュが――これまで全ての特異点で歩みを同じくし、確かな実力を身に着けていったマシュが。こうして致命の状況に陥るなんて――――。

 

「せん、ぱい――――!」

「マシュ――――!」

 

 ただ呼ばれただけの名前に万感を悟り。

 立香はそっとマシュの背中を支えた。

 マシュもまた、立香の手に身を委ねる。

 

 果たしてそれに何の意味があるのか。

 この期に及んでまで絆や感傷に拠り所を求めんとするその姿勢を、人は美しいと見、彼ら魔神柱は無様と吐き捨てるのだろうか。

 フラウロスは、寄り添う二人を見届けて――――はっきりと侮蔑を露わにした。

 

『――――くだらない。潔く死ねとは言ったが、そのような光景は求めていない。貴様らは我々を愉しませたが、同時に酷く目障りでもあった。どうせなら虫ケラのように死ねばよいものを』

 

 魔神柱は、無数に具えた肉感的にして無機質な眼球を所在無げに動かしてから、興味を失ったように最後の行動に移った。

 二人を取り囲む柱の圧力を最大限に、二人を圧縮し尽してこの場から消し去るために力を込め――――。

 

『では、さらばだ。諸君らの旅は此処で終わ――――』

 

「いいえ。そうはさせません」

 

 柱たちが、聖炎に灼かれて一掃された。

 寄り添いながら最後まで抗わんとしていた二人を、今度は悍ましい柱ではなく聖なる結界が包み込む。

 押し潰さんとしていた柱のそれとは正反対の、絶対守護の聖結界。その温かな光を、二人はよく覚えていた。

 

「――――ジャンヌ!!」

「お久し振りです、立香さん、マシュさん。かつて紡いだ絆、繋いだ縁を辿り、我ら一同この戦いに馳せ参じました」

 

 喜色に笑顔を見せる立香に、彼女――聖処女ジャンヌも穏やかな微笑を返した。

 湛える聖性。掲げる御旗。主の慈悲の具現そのものの彼女は、かつて旅した第一の特異点オルレアンで同道した救国の聖女。

 その力を、その頼もしさを二人はこれ以上無く知っている。彼女がいれば状況は一気に好転するだろう確信もある。

 しかし一方で、拭えない疑問もマシュは抱いていた。

 

「助かりました……! ありがとうございます、ジャンヌさん。しかし一体どうやって此処へ……? ジャンヌさんの霊基そのものはカルデアに登録されておらず、こうして行動を共にすることは本来不可能なはずですが――」

「それは――――宇宙(ソラ)を見ればわかるはずですよ」

 

 慈愛を湛えたジャンヌの眼差しには、この上ない称賛と敬意が込められていた。

 俄には彼女の言葉を理解できず、言われるままに宇宙を見上げる立香とマシュ。

 一体何が――――そう訝しむ間もなく降り注いだ無数の流星に目を見開いて驚き、一方で魔神柱はあり得ざるイレギュラーに紛糾していた。

 

『無数の霊基反応を確認! もしかして、これは――――間違いない、サーヴァントだ! なんてこった、こんなことがあり得るなんて!!』

「ドクター? これは一体、なにが……」

『ジャンヌちゃんの言った通りだよ! 一体全体、どうして可能なのか全く見当もつかないけれど――――これはまさしく奇跡だ! キミたちがこれまで乗り越えてきた特異点で縁を結んだ英霊たちが、その僅かな因果を辿って自力で召喚されてきている!! は、はははっ、いける、いけるぞぅ! これならいけるかもしれない!! マシュ、立香ちゃん! この場は彼らに任せて、キミたちは先へ進むんだ!!』

「――ええ、魔術師殿の仰る通り。此処は我々にお任せください。至らぬ身ではありますが、なに。足止めくらいは果たしてみせましょうとも」

「元帥まで!? それに――――みんなも!」

 

 熱狂するロマニ。頷くジャンヌ。そして先を促して微笑むジル・ド・レェ。

 他にもマリー、アマデウス、サンソン、ジークフリートらオルレアンで味方してくれた者のみならず、ヴラド三世、カーミラ、マルタを始めとする敵対した者たちまでもが、魔神柱への対抗として力を貸してくれていた。

 

 否、彼らだけではない。

 遥か彼方を見ればオルレアンの面々のみならず、ローマ、オケアノス、ロンドン、アメリカ、エルサレム、ウルク――これまで旅してきた全ての特異点で縁を結んだ英霊たちが、人理護るべしと立香たちに味方していた。

 星空に煌めく光は、全てが全て魔神柱と英霊の戦いの軌跡。蠕動して蠢く柱たちを真っ向から斬り伏せ、あるいは撃ち落とし、無数の魔術で灼き尽くす超常の戦いの残滓。

 

 皆が皆、一人では何の力も持たない立香を助けるために。彼女を支えるマシュの助けとなるために。あらゆる道理を超越して一堂に会したのだ。

 ロマニの言葉にも全く同意するしかない。まさしく奇跡だ――およそこれ程の偉容を誇る光景を他に見ることができるだろうか。

 立香は不意に涙が滲む双眸を拭い、表情を新たにして前を見据えた。絶望に折れかけた心は、最早無い。今灯るのは確かな希望の光のみ。

 

「いこう、マシュ」

「はい! マスター!」

 

 マシュもまた、花開くような笑顔で立香に応えた。

 萎えた心も今はない。砕ける寸前に陥った大盾も、克己するマシュの心に呼応して、より一層の堅牢を取り戻していた。

 走る背中を仲間たちが見送って、行く手を阻まんとする魔神柱に対峙する。

 それらの光景に魔神たちは身を引き裂くような狂乱と憤怒を覚え、内一柱が沸騰する感情のままに呪詛を吐いた。

 

『この期に及んで、よもやこのようなイレギュラーを招くとは!! 統括局への弾劾を! そして湧き出たる英霊どもに憎悪を!! 我ら七十二柱の御名において、断じて我らが偉業を阻むことは許さぬ――――!!!』

 

 かくして最後の決戦は端を開いた――――!

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッハッハァー!! 随分とご機嫌な戦場だ、大時化の嵐が揺り籠みたいだねぇまったく! まさか死んでからまでこんな戦いに駆り出されるなんて、人生ってなわからないもんさね!!」

「オレたちも死ぬまで付いていくたぁ言いましたがね、まさか死んだ後もこんな扱き使われるだなんて思っちゃいなかったっすよ!!」

「それがイイんじゃないかい! ほらほらモタモタしてないで弾詰めな弾! いくら撃ってもキリがないからねぇ、チンタラしてるとお前らを詰めてぶっ放しちまうよ!!」

「アイ、サー! キャプテン!!」

 

 Ⅲの座、観測所フォルネウスを中心とする戦域。そこに集うは第三の特異点で鎬を削った英霊たち。

 かのオケアノスでは生身の人間として、そして今は英霊として汲み上げられたサーヴァントとして。縁を辿りこの終局特異点へ馳せ参じたフランシス・ドレイク率いる黄金の鹿号。無数の船団を率いて指揮を飛ばすドレイクは、すっかり熱狂に浮かれて上機嫌であった。

 なにせ生前ですら無かった、人類史を賭けての大決戦。敗北は即ち滅亡を意味する乾坤一擲の生存戦争、まさしく生命の嵐。

 根本の気性を嵐とするドレイクにとり、これ以上無く魂が揺さぶられる戦場であった。

 

 この場に参じたのは、無論彼らだけではない。

 オケアノスで敵対した黒髭率いる女王アンの復讐号の面々、イアソン率いるアルゴー号のアルゴナウタイ。彼らもまた人理の存亡を賭けた一大決戦を前にあらゆる垣根を越え、真実英霊であることを証明するために魔神柱と戦っていた。

 

「むふ、むふふふ。デュフフフフフフ――!!! きてる、きてるでござるよコレ! ここで一発拙者のカッコイイとこ見せてBBAの鼻を明かしてやるのじゃ!! それいけやれいけ野郎どもー!! 不甲斐ねぇとこ見せやがったらイカ野郎の餌にしてやっからなァ!!」

「……これ以上無く浮かれてるね、顔デレデレしすぎでしょ」

「口さえ開かなければカッコイイのだけれど……でもあの海での姿よりはずっとマシですわ」

「だね。なんだかんだで一番充実してた船だったし、英霊なんてガラじゃなかったけど、なってみるもんだね」

 

 復讐号の船上でフォルネウスの攻撃を捌く両名、アン・ボニーとメアリー・リード。比翼にして連理なる連携を以て華麗に切り刻み撃ち落とすも、その端から柱は再生して攻防は降り止むことがない。

 しかして終わりの見えぬ戦況に窮しているかと言えば、決してそのようなことはなかった。寧ろオケアノスでの鬱憤を晴らすとばかりに疲れ知らずの活躍を見せ、心底楽しげに踊り狂う。

 垣間見えるメアリーの生脚、大きく揺れるアンの胸を合間合間で拝もうとするティーチへの褒美(弾丸)も忘れずに、大元へ向かう立香たちの活路を開くべく奮戦していた。

 離れたところには狂乱して柱を切り刻むエイリークの姿もある。この場にやってきた当初こそ穏やかな物腰で周囲を驚かせた彼だったが、戦いが始まるや否やオケアノスで見せた狂乱を宿し、目に映るもの全てを屠る殺戮機械と化していた。

 

「おい! はしゃぐのも結構だがウチのヘラクレスの邪魔だけはしないでくれよ!! お前たちなんかよりもヘラクレスに動いてもらった方が万倍も効率がいいんだ、下手こいて巻き添えになっても私は知らんぞ!!」

「全く、イアソンめ。相も変わらず調子づきやすい奴だ。しかし――――少しはマシな顔をするようになったな。だからと言って、私が汝を見直すなど万に一つもあり得ん話だが」

「うっせーなぁ狩人風情がさぁ! 今そういうのいらないから、精々ヘラクレスの援護に回れ!!」

「言われるまでもない」

 

 戦況の把握に努め帆の制御に注力するイアソンが叫べば、最前線に躍り出るヘラクレスの援護に矢と槍と魔術とが無数に飛び交う。ドレイクが率いる船の幾つかもそれに合わせ、戦場を縦横無尽に駆け巡るヘラクレスの足場となり、そこに生じた隙を過たず見抜いたティーチが穴埋めする。

 道化を演じながら狡猾を決して忘れないティーチは言わずもがな、イアソンもまたこの死線に於いて英雄としての本性を露わにしていた。

 生来の傲岸不遜こそそのままながら、かつてオケアノスで外道を働いた下衆な性根は鳴りを潜め、終始ヘラクレスの一助たらんと操船に徹するイアソンの姿は、まさしく英雄と称するになんら異論は無いもの。

 生前に於いて最も長く時を同じくした若かりしメディア曰く、あれこそがイアソンの正体。絶体絶命の窮地に陥って初めて見せる英雄としての善性。

 同乗するヘクトールがその姿に弟を幻視するほどに、その活躍は眩い。

 

 いずれも船長を異にする大船団が三つ。しかしこの星空の海域、オケアノスよりも尚遠い事象の彼方に於いて彼らは一致団結し、観測所フォルネウスに立ち向かう。

 決して優勢ではない。寧ろ劣勢が前提となるこの戦い。なにせ敵は魔術王ソロモンの眷属にして最優最智の使い魔、七十二柱の魔神。魔神柱ひとつひとつが英霊数騎分に値し、それが七十二。このⅢの座に限っても尚九柱が存在するのだ。対する英霊たちは十騎を数えるかどうか……単純な計算で言えば、およそ英霊たちの敵う相手ではない。

 ならば何故拮抗し得るのか。その答えもまた単純――――一騎にして千に相当する武勇を誇る英雄が居るからに他ならない。

 

「――――――――ッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!」

 

 雪崩の如き大音声。山を崩す大咆哮を以て戦場を駆けるはヘラクレス。

 ギリシャ神話に名高く、現代に於いてすら最大の知名度を誇る大英雄の奮戦を以てすれば、彼単騎で拮抗を生むなど赤子の手を捻るよりも容易。

 寧ろ周囲が彼の援護に徹し、彼が全力を振り絞って尚僅かな拮抗を生むに留める魔神柱の力こそ、この場に於いてはなによりも戦慄すべき事実か。

 

 だが、この戦いに限って無双の英雄は彼以外にも存在した。

 天を衝く双角。五体を構成する筋肉のおこり。白髪を振り乱して咆哮する彼が一撃を放てば、魔神柱は忽ち四散して再生を余儀なくされる。

 双つに分かたれたラブリュスを嵐の如く振り回し、大英雄に勝るとも劣らない戦果を叩き出す彼の名は。

 

「アステリオス!!」

「う、ぅううううおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 彼こそはアステリオス。

 ミノタウロスの忌み名で知られながら、人理修復の旅に於いてアステリオスと呼ばれ人間性を取り戻した怪物。

 オケアノスで知った温かな心を胸に、立香たちの助けとなるべく彼方英霊の座より馳せ参じた彼。

 その肩に愛しいエウリュアレを乗せ、彼女の歌を声援に戦う姿はまさしく勇者そのもの。

 狂気に囚われているはずのヘラクレスですら、彼の参戦を認めてからは語らずして共闘を働き、両雄は己が豪腕と武勇をたのみに即席にして熟練の連携を魅せていた。

 

「うっわー何アレ超こわい、ギリシャ二大筋肉英雄タッグマッチだぁ……マジで脳筋すぎてヤバイなありゃ。絵面が暑苦しすぎてむせるわー」

「むぅー。女の子に目移りしてないだけマシだけど、ちゃんと私の活躍も見てくれなきゃイヤよー?」

「アッハイ、とても眼福で大変結構かと。これでじっくり眺める余裕があれば最高だったんだけどなーあーあーあーってアッブねぇ!?」

「やーん、ダーリンのてっぺんがハゲちゃう! でもツルツルになったって私はダーリンのト・リ・コ……きゃっ♪」

「ハゲとか以前に頭もげそうになったわ!?」

 

 アルテミスの頭上に陣取ったオリオンを狙った一撃。命からがら回避してみれば、相変わらずスイーツ脳全開な女神に怒鳴る珍獣の図。

 一組だけシリアスと無縁なラブラブ空間を形成しながら、無茶苦茶な姿勢で繰り出される神矢の一撃は、しかし一矢全てが必殺の魔弾。流星の如く宙を翔ける光弾に射貫かれて、魔神柱はここでも幾度となく再生を強いられる。

 

「………………」

「ほらもう信者さんがハイライト失ってきてる! すっごい可哀想な感じになってきてるから! せめてもうちょっとカッコイイ感じでどうかお願い!!」

「……大丈夫、大丈夫だから。こんなことで私の信仰は挫けないから、うん。それよりも子供(アステリオス)だけに任せておけない……子供を護る母親はなんとやら! 私は私の願いのために全世界の母たちよ私にお母さんパワーを貸し与え給えぇえええええええええええええええええ!!!!」

 

 あんまりと言えばあんまりな女神の姿に、忘れようと思っていた現実が再び浮上し、その逃避で放った全力の矢が一直線に魔神柱を貫く。

 現実逃避しながらも根っこは冷静なあたり流石は名狩人と言うべきか、放たれた矢は過たず敵を射貫き、その上で両雄の援護も果たすという神業にして離れ業。

 

「アタランテちゃんかっこいー! さっすが私の信徒ね! お姉さん鼻が高いわぁ~♪」

「……はい、みにあまるこうえいです」

「お前……それが神のやることかよぉおおおおおおおおおおおおおお――――!!!」

 

 悪意一切なしの称賛にますます眼を死なせていくアタランテ。

 それを憐れむだけの情けがオリオンにも存在した。容赦なく頭をペチられるアルテミス、しかし所詮ぬいぐるみモドキのやることなので微笑ましいだけであった。

 

「しかし――――どうにも遅いな」

「あん? なにがだよ」

 

 なんやかんやで正気を取り戻したアタランテがふと呟く。

 それを聞き拾ったオリオンが尋ねれば、アタランテはやや訝しむようにして言う。

 

「いや、この状況でエウロペがまだ姿を見せないのが気になってな……。私の知る限りでは、真っ先に駆け込みそうな性格だと思っていたのだが……」

「あー、あーあーあー確かにそうだなー……ってか本気の婆ちゃんがいりゃあもっと楽できるんじゃねーか!!」

「んー……エウロペちゃんはちょっと手間取りそうかも? ていうかあの特異点で召喚されたこと自体がそもそもイレギュラーだし……ていうか来れるかどうか微妙?」

「そりゃどういう意味だ? 大英雄は喚びにくいっつーのは確かだが、にしたってヘラクレスもいるんだ、今更あり得ねぇってワケじゃねぇだろ。ましてや来ないなんてこたぁ無い無い、絶対無い……ですよね?」

「私に訊かれても困るが。ですがアルテミス様、なぜそのようなお考えを?」

「だってあの子は――――」

 

 アルテミスが言葉を紡ごうとした矢先、視界の端でイアソンが絶叫するのが見えた。

 

「ばっ、お前ら何を悠長にしてる!? 避けろ――――!!!!」

「ッ、私としたことが……迂闊也!!」

「ゲェーッ!? ちょ、おま、緊急回避――――!!!?」

「ダーリン!?」

 

 僅かな会話、その隙を突いたフォルネウスが魔力を収束させ眼光として放った。その威力、直撃すれば消滅は必至。ヘラクレスのような例外でなければ即座に霊基消滅の必殺。

 アタランテは逸早くイアソンの声に応じ持ち前の俊足で場を離脱するも、決して機動性に長けるとは言えないアルテミスが取り残される。

 オリオンは咄嗟にアルテミスを突き飛ばして庇うも、迫り来る魔力の暴威に一瞬にして脳裏で諦念を描いた。

 

(あ、こりゃダメだ。ミスったぜ……オレとしたことがサポートもロクにできないで最初に脱落とか情けねぇ……! ワリィ、アルテミス、立香。不甲斐ないオレで――――)

 

 こうしてアルテミスを庇うことの無意味を誰よりも知るオリオン。アルテミスと霊基を共にする彼が消滅すれば、アルテミスもまた道連れとなって崩壊するが道理。

 理屈で考えればあの場で庇い立てするなど、消滅に際する苦痛を引き受けるだけで戦略上の意義など皆無に等しい。

 

 しかし――――それでも。

 

 情が深く、人倫をロクに解さず、一方的なことも多々ある傍迷惑な女神ではあるが。

 それでも己の愛する女であった。ならば身を挺して護ろうとする理由など、それだけで十分に過ぎる。

 

 そんななけなしの自己満足を片隅で自嘲しながら、滅びを齎す光を迎え入れ―――

 

 

「やるじゃない、オリオン。それでこそギリシャ男児ってものよ!!」

 

 

 ――――響く声に救われた。

 

 フォルネウスの放った眼光はオリオンに届かず。

 彼我を遮る巨大なナニかに阻まれ、絶大なる奔流は水飛沫の如く儚く散った。

 

 

「待たせたわね! もう大丈夫よ、なぜなら――――」

 

 

 虚空を引き裂いて現れ出る偉容。

 聳え立つ青銅の城に腕組みして獰猛に笑む顔は、まさしく絶対無敵の安心感。

 戦域の誰もが戦慄し、硬直し、固唾を呑んで出現を見守る彼女の名こそは。

 

 

「――――あたしが来た!!!!」

 

 

 満を持して登場せし、最高峰の騎手が一。

 最大にして最強の使い魔を配下に統べる、エウロペである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっと来たのか汝は! まったく心配させおってからに!」

「悪かったわよー! でもしょうがないじゃない、色々と準備に手間取ったんだから!」

 

 真っ先に歓迎を示したのはアタランテだった。

 駆け寄って抱き締める行為に、両者の友誼の深さを思わせる。エウロペもまたアタランテを抱き返し、久方振りの逢瀬に満面の笑みを浮かべた。

 

「アルテミスにオリオンも! ほんともー危なっかしいたらありゃしないんだから! 大丈夫? 焦げてない? 二人とも狩りは得意でも戦いは専門じゃないんだから、あんまり油断しちゃダメよー?」

「お陰様で助かったわぁ♪ ダーリンも無事だし、カッコイイとこ見れたし、私ちょー感激☆」

「マジで助かったぜ婆ちゃん……いやホントもうカッコつけるんじゃないねまったく。ガラじゃないんだよほんとにさー」

「何言ってるのよ! おばあちゃんってば嬉しくて嬉しくて……見直したわ! おばあちゃん大感激よ!!」

「痛い痛い痛い痛い! そんな全力で抱き締められるとミが出ちゃう綿が出ちゃう~~~~!!!?」

 

 感激したエウロペに抱き締められ苦悶を溢すオリオン。

 空気が変わった戦域に黄金鹿、復讐号、アルゴー号の三者が集まれば、エウロペもそれらの船に搭乗する面々を見渡して満足げな様子を見せる。

 それに前後して立香とマシュがⅢの座に到達すると、その二人にもまた全力の抱擁をお見舞いした。

 

「リッカ! マシュ! 無事でよかったわ、ほんとにもう立派になって……若い子の成長はほんと早いんだから、おばあちゃんびっくりよ!」

「エウロペおばあちゃんも! 来てくれたんだね、ありがとう!」

「あ、あの……歓迎は大変嬉しいのですが、ここは戦場ですのであまりかまけていては……」

「んもー! 二人ともホント可愛いんだからっ! おばあちゃん殺しにも程があるわよぉ~~!!」

 

 ここが戦場であることも忘れて全力で愛でにかかるエウロペに緊張が和らぐ。

 そのまま二人のみならず、ドレイク、アステリオス、エウリュアレ――更にはティーチ、アン、メアリーにも愛情たっぷりのハグを見舞うと、周囲は俄に騒然となった。主に黒髭的な意味で。ちなみにエイリークはグンヒルドのこともあるのでと丁重に辞退していた。

 

「すごい……この世に躊躇いもなく船長にハグできる女性が存在したなんて……!」

「まさに聖母……ですわね……」

「ちょっと? ねぇちょっと? 酷くない? 拙者に対して酷くない? でもいいの、今の俺は全部許しちゃう! デュフフフフフッ、拙者超いい匂いのオニャノコパワーで戦闘力が限界突破ですぞォー!!!」

 

 当然ながらティーチは浮かれた。ただでさえドレイクとの共闘で弛みっぱなしだった表情が、これ以上無くだらしない感じでデレデレのドロドドロである。黒髭ティーチ、至福の一時であった。

 

「やっぱいいわねー海の男。やっぱ男は髭と筋肉があってナンボよね、今時の線の細い優男はお呼びじゃなくってよ!」

「ああ、そういう……対象はともかく、なかなかイイ趣味してンだねアンタも」

「あなたもねー、男だったら絶対ほっとかないんだけどね!」

「あっはっは! そりゃ残念だったね、後世じゃあ変な伝わり方したみたいだけど、アタシはしっかり女だからね!」

 

 ドレイクとも意気投合しつつ、目につく端から全力のハグを見舞うエウロペ。船上では女人の温もりに乏しい船員たちなどはこれ以上無い程わかりやすく即堕ちであった。

 その中でアルゴー号のメンバーを前にすると、立ち止まって悪戯な笑みを浮かべて言った。

 

「やっほー。元気してた? こないだの海では随分やんちゃしてたみたいだけど」

「はい……お陰様で元気してます……その、その節では大変ご迷惑を、ですね……」

(マスター、ヘクトールさんが完全に萎縮しています……まるで婿殿です!)

(中村主水? ていうか完全に部活に顔出してきたOGみたい……)

 

 矢面に立って頭を下げるのはヘクトール。その表情は卑屈な笑みで、なんとも哀愁を誘うものであった。

 彼にしてみれば大恩人の母親という、決して無碍にはできない間柄。その上で彼女自身も英雄として大先輩にあたるのだから、ヘクトールの肩身の狭さたるや言うまでもない。

 尤も、それすらも彼に比べればそよ風のようなものかもしれないが――――。

 

『――――――――』

「ひ、ひぃいいいいいい!? な、なんだよぉ!? あれはもう終わったことだろう!? い、今更蒸し返されても困るんですけどぉー!?」

(マスター、こっちは完全に猛獣の檻に入れられた肉です)

(最早生物ですらない……タロスもなんか、イアソンにだけは妙に辛辣っぽい雰囲気のような?)

 

 ちなみにヘラクレスとメディアはお咎めなしのようだ。片や狂気に囚われているのをいいことに利用され、片や生前の因縁に同情を禁じ得ず咎めるに心苦しい両名である。

 更にぶっちゃけるとエウロペ自身に彼らへ思うところや蟠りなどもなく、二人を困らせているのも単純に楽しいからであり、要はただのからかいであった。

 

「――――なんてね、自棄が治ったのならよかったわ。ほんともう、似合わない悪玉なんて演じて下手くそなんだもの。大体あなたは守りに入ってこそが本領なのに、海賊の真似事なんてできっこないじゃないの」

「それを言われちゃあ元も子もないんですがね……いやまったく、かのエウロペには敵いませんや。爺様にも詫び入れなくっちゃねぇ」

「サルペドンなら笑って済ますわよ、それくらい。ま、気になるってんならここからの戦いで返してもらいましょ。そうよね? リッカ、マシュ」

「うん、もちろん! ヘクトールさんが手を貸してくれるならすごく助かるよ!」

「"輝く兜の"ヘクトールの武勇は後世にも名高いですから、この場においてはこれ以上無く頼もしいですね、マスター」

「――――っとに、オタクら……オジサンをおだてるのも程々にしてくださいよ。こちとら本気出すなんてガラじゃないんですから」

 

 困ったように言いながらも、その顔は心情を明確に表していた。

 英雄魂を擽られる物言い、ましてや飛び切りの美少女のものともなれば、本気を出すことを良しとしないヘクトールであってさえ、全力を揮うになんら否やはない。

 ヘクトールの魂は、かつてなく熱く滾っていた。

 

「タロスー? あんまりいじめちゃダメよ。イアソンだってやれば出来る子なんだから。出遅れたけれど状況は見てたわ。ほんともう面倒くさい子なんだから……そこが可愛くもあるんだけどっ!」

「ッ~~~~!! あ、あんまり上から目線で物言わないでくれるぅ!? こちとら老いぼれに偉そうにされる筋合いなんてないんですがねぇ!?」

「何言ってんのよ、行きずりとはいえウチの娘を孕ませたんでしょ? ならおとなしく可愛がられときなさいな! そーれウリウリ♪」

「ちょ、まっ、やめ、やめろぉ――――!?」

 

 嫌がるイアソンの頭を無理矢理抱き寄せて胸に埋めれば、周囲はドッと笑みを溢す。

 特異点での因縁も何もかも、すっかり毒気を抜かれて。最早共闘する上での障害なぞ一切が粉砕された。

 エウロペが合流するまでの苦戦のあともすっかり消え去り、皆の裡には余裕が取り戻されていく。

 誰も彼もが人類史を代表する英雄英傑たち――――笑って戦いに臨めるなら、これ程頼もしい存在もなかった。

 

「さて、と――――そろそろ反撃、しちゃいましょ。向こうさんも痺れを切らしちゃうものね」

「ったく……ああ本当に、こんなにめんどくさい操船は初めてだよ!」

「まぁまぁそう言わずに。名誉挽回といきましょうや、キャプテン」

 

 エウロペが仕切り直してフォルネウスを見上げれば。

 イアソンが悪態を吐きながらも帆を御し、ヘクトールが不毀の極槍を構える。

 後方にはドレイク率いる黄金鹿、ティーチ率いる復讐号。それぞれに搭乗する英霊たちが戦意を新たに漲らせる。

 そして――――最前線には無双の両雄、ヘラクレスとアステリオス。アステリオスの肩に乗ったエウリュアレが歌を紡ぎ、英雄たちの戦いを祝いだ。

 

 全ては人類最後の希望。

 カルデアのマスターとそのサーヴァントを導くために。

 

 

「アステリオス! ヘラクレス! そしてエウリュアレ様!!」

「おばあちゃん! ぼくを……たよって!」

「――――――――!!」

「……ふん、あんまり馴れ馴れしくしないでほしいのだけど、まぁいいわ」

「頼んだわよ! ――――少しだけ時間を稼いで!!」

 

 

 休戦は終わりを告げ、新たな戦端が幕を開いた。英雄たちは駆け、無尽蔵を誇る柱たちへ果敢に挑む。

 久闊を叙した時間は短い。しかしながらその僅かな間に観測所フォルネウスはイレギュラーから立ち直り、再起動を果たして英雄たちを迎え撃つ。

 一方でエウロペはそんな彼らの背中を見送り、立香たちの傍でタロスの肩に立ち目を伏せていた。

 

「おばあちゃん――――?」

 

 それに疑問を呈したのは立香。彼女が知る限りでエウロペは、こうした状況に於いては真っ先に駆け込んでいくものとばかり思っていたからこその疑念だった。

 訝しむ立香とマシュだが、疑問を口に出して問うた矢先にエウロペから溢れ出る魔力に圧倒され、思わず息を呑む。

 立ち昇る魔力は物理的な暴風すら伴う劇的な変化だった。およそオケアノスの大半で見せた無力な姿や、最後の命を賭した足止めで見せた末期のそれとも異なる、あまりに巨大すぎる魔力の胎動。

 エウロペの身に一体何が――――それを問おうとした立香を遮るように、エウロペが口を開いた。

 

「リッカ、マシュ」

「……どうしたの、おばあちゃん?」

「エウロペさん……?」

 

 エウロペの口調は極めて穏やかで、無条件の安心を与える愛に満ちた声色だった。

 それを察して彼女を案じる理由は無いと悟った立香が平然を装って応えると、エウロペは輝きを増す魔力の向こうで慈しみに満ちた笑みを浮かべて、深い感謝の念を表した。

 

「あなたたちの旅路、きっと辛いことも、苦しいことも、悲しいこともあったのよね。あたしが一緒できたのはあの海だけだったけど、今のあなたを見ればいろんなことがあったのがとてもよく分かるわ。あなたは哀しみだけではなく、多くの喜びも呑み込んで此処へ至った。本当に、本当に立派になって――――我がことのように嬉しい」

 

 母が子を褒めるような、慈愛に満ちた声だった。

 元はただの一般人に過ぎなかった立香が歩いてきた旅路、その最中にあった苦難の数々――同時に得た歓喜の数々を想って、心底から敬意を表し、その労をいたわると共に無上の称賛を口にする。

 立香はツンと刺すような鼻奥の痛み、じんわりと熱を帯びる心を自覚した。記憶のどこかに仕舞い込んだ、実の両親の愛情を想い起させるエウロペの声。

 

「あなたのような人間がいるから、人類は捨てたものじゃない。あなたのような人間がいるから、英霊は世界を護ろうという気概を得る。あなたがいたからこそ――――この事象の彼方で英雄たちは集った」

 

 エウロペの纏う光輝が最早直視できぬ領域にまで至り、立香は眩しさに瞼を閉じた。

 視界は奪われ、エウロペの声を拾う耳だけが鋭敏に機能する。その中で立香は、初めて。

 大英雄としてのエウロペの声を聞いた。

 

「だからこそ――――あたしも本気で応えなきゃ嘘よね! 冠位だとか世界のためだとか、そんなものはどうでもいい! あたしはあたしの意志で! リッカとマシュのためにこの力を今揮うわ――――!!」

『霊基増大――――いや、違う! 規格が一致していない。この反応は――――まさか!? 彼女は、グラ――――』

 

 絶叫するロマニを置いて、エウロペは――――タロスは飛翔する。

 宇宙の彼方で輝く恒星のように、絶対的な距離を横たえながらも尚朗々と響き渡る声を以てエウロペが号令を下す。

 それに応えるのは、当然――――タロス。

 

 

「全身全霊、本気でいくわ。三つの誓いを此処に!!」

『拘束解除要請を確認――――復唱します。三つの誓いを此処に』

 

 

 遠い、遠い昔の話をしよう。

 有史に語られぬ戦いを生き抜いた、数少ない先史の物語だ。

 

 

「これは、世界の敵との戦いである」

『これは、世界の敵との戦いである』

 

 

 一万と四千年もの昔、かつて地球へ飛来した遊星があった。

 其は捕食を以て人類史を観測し、結果として先史文明に破滅を齎した遥か異星の置き土産。

 遊星は一体の巨神を野に放ち、月と大地を蹂躙しながら、数多の神々を屠り、他天体の降臨者をも滅ぼした。

 そして文明は滅びに瀕し、地球は死を回避するために様々な手段を講じた。

 

 

「これは、世界の認める戦いである」

『これは、世界の認める戦いである』

 

 

 紆余曲折を経て巨神は星の講じた手段の一つ、"世界を救う聖剣"に斃れたが。

 一方でもうひとつ、剣と並行して産み出されながら、運用されるに至らなかった"星の武器"がある。

 それこそは地球が遊星を参考にして造り上げた巨神。文明を捕食して質量を増す遊星の巨神に対抗すべく、所有者の魔力を糧に無尽蔵に巨大化する特性を具えた"世界を護る鎧"。

 所有者の魔力を増大させ、純エネルギーとして放つ聖剣と対を成す"地球の巨神"。

 

 

「これは――――」

『これは――――』

 

 

 後世、ある神話に於いて青銅の時代と名付けられた先史の遺産。

 かつて先史文明を生き、終末を生き延び、工芸神の手によって再誕を果たし、やがて一人の姫君に与えられたそれ。

 其はかつて人であり、神像となり、主の偉業を以て共に英霊の座へ汲み上げられた、世界を護る一大機構の七騎が一席。

 最大にして最強の使い魔。"冠位騎兵(グランドライダー)"が駆る至高の玉座。

 

 

「――――世界を護る戦いである!」

『――――世界を護る戦いである!』

 

 

 先史の末裔、青銅英雄――――タロス。

 その真体を、今此処に顕現す。

 

 

「承認――――」

『――――拝承』

 

 

 その原理は至極単純であった。

 即ち敵が強大であるならば、それと対抗できる領域(レベル)まで自己強化を施せばいい。

 聖剣が敵を斃し得る領域(レベル)にまで所有者の魔力を増大せしめて放つ武器(ツール)ならば、巨神はそれを成すための時を稼ぐ尖兵。圧倒的な質量を以て世界の敵を打倒し、聖剣の舞台を整える装置(ギミック)に他ならない――――。

 

 

至上命令(グランドオーダー)、認証――――最終形態(ファイナルステージ)、開幕』

青銅神話(タロスマキア)、再演――――雷霆王権(マスターキー)、起動』

『我、父なる神、母なる星、愛し子たる人々の信任を以て、災厄たる獣の撃滅を此処に誓う』

三界よ(デウス・エクス・マキナ)幸福であれ(グランドフィナーレ)

 

 

 変化は劇的だった。

 青銅英雄はかつてない大きさにまで膨張し、無限の宙域を覆い尽くす。

 その身に宿す熱量は、質量は、敵が強大であればあるほどに増大し、生み出す物理エネルギーを規格外のそれへと至らせる。

 片手で魔神柱の束を握りつぶせる程に巨大化した全身は、それそのものが絶対の矛であり盾である。

 即ち大きさとは尤も原始的で明確な強さの基準に他ならず、終始機械的だった観測所フォルネウスは此処に至り初めて狼狽を露わにした。

 

『理解、不能。観測不能。なんだ――――これは――――』

『このような結果は算出できなかった。幾度となく重ねた演算にこのような結果は見出だせなかった』

『統括局ゲーティア、応答願う。即刻対策の提出を望む。当観測所に於いて対抗策を見出だせず、統括局の審議を求める』

『応答せよ、統括局。応答せよ、ゲーティア』

『――――――――応答せよ!!!!』

『このような結果、認められない。認められるはずがない。有り得るはずがない!!!』

 

 激昂するフォルネウス。対しエウロペはその動揺に笑みを返した。

 

「――――あり得ない? 今、あなた……あり得ないって言ったかしら?」

 

 タロスが拳を振り抜いた。

 掠るだけで肉の柱は抉れ、直撃した幾条かは跡形も無く消滅する。何の概念も魔術的効果も宿していない、ただただ巨大であるだけの拳。

 しかしそれがこうも規格外ならば――――それだけで。暴論極まりないが、殴り合いはいつだってより大きく、より速く、より硬いものが勝つ。それだけの単純な帰結である。

 

「本当にお馬鹿さんね! 人間の一生なんてあり得ないことの連続よ!! 上から目線で勝手に憐れんで、ほんの少し予測が外れただけで大袈裟に驚いて! ()()()()()()()()()()()()()――――それが人生ってもんでしょうが!! ていうかあのセファールの欠片が英霊になってたことにびっくりだわ!! それがあり得るくらいなんだからもう世の中何でもありよね!!」

 

 殴打、殴打、殴打。その一撃ひとつが雑多な星を砕く必滅。

 投擲する石は灼熱する小惑星。投げるタロスのスケールが段違いならば、投げられる石のスケールもまた規格外。

 殺到する柱の群れを両の手で受け止めれば、そのまま引き千切って鞭のように振り回す横暴三昧。

 傍らに構えた無尽の槍――雷霆の枝(オゾス・ケラウノス)――その本質は雷霆なれば、無数に枝分かれし、幾ら擲とうとも尽きず、放てば雷撃となって魔神柱を灼き尽くす。

 他の座からも視認できるほどに強大にして巨大、いっそ場違いですらある応酬に数多の英霊たちが瞠目し、一瞬矛を止めた。

 

 それ程に規格外な戦い。それを平然と受け入れるのは、同じ冠位を戴く天命の使者か、あるいは万象を見渡す眼を持つ英雄王か。

 あるいは元が神霊であるイレギュラーたちが、冠位を投げ捨てて立香に加担するエウロペの暴挙に笑い声を上げ、山の翁は思わぬ同類に双眸の蒼を瞬かせた。

 

「よもや――――我以外に冠位を手放す愚行に至る者が現れようとは。まさしく、世は奇運と混沌に満ちておる……愉悦也」

「しょ、初代様が――――!?」

「笑った――――のかな?」

 

 戦いは終わらない。始終エウロペ、ひいてはタロス有利に一方的な展開を繰り広げる。

 かつてオケアノスの撤退戦で見せたそれとはあまりに規模の違う、まさしく怪獣大決戦といった様相に戦域を同じくする英雄たちの悲鳴が響く。

 イアソンは必死になって帆を御して巻き添えから逃れ、ドレイクは持ち前の豪運と勘の良さで流れ弾の悉くを回避、ティーチ率いる復讐号だけは何度か流れ弾を貰ったものの、持ち前の頑強さで事なきを得ていた。

 

「信じられねェ――!? なんだありゃ、デタラメにも程がある!! あんなのを二度も敵に回してよく生きてたなオレ!! アレに追随するヘラクレスも大したもんだ! まったく頼もしすぎて吐き気がする!!」

「必死ですなぁキャプテン。かくいうオレも流石に余裕が無いよ――――って!!」

 

 幾度となく不毀の極槍を投擲するヘクトール。流石の強肩も疲労を訴える――――が、それは何ら攻撃の手を止める理由にはなりはしない。

 イアソンもまた、口では散々にエウロペの無茶を罵りながらも、その手は休まず操船の制御に注力していた。

 

「おばあちゃん――――!!」

「アステリオス! 受け取りなさい――――!!」

 

 最前線にて一瞬の邂逅を交わすエウロペとアステリオス。

 すれ違う刹那にエウロペがアステリオスに託したモノ。それはこの地平、この決戦だからこそ可能となった、エウロペ最大のゴリ押しにして贈り物。

 アステリオスは、エウロペから力を受け取った瞬間、己の霊基が歓喜の悲鳴を上げるのを聴いた。

 

「これ、は――――」

「アステリオスの霊基が――――変質してる?」

 

 エウロペが冠位を薪にしたのは、何もタロスを過剰に励起させるためだけではない。

 寧ろエウロペにとってタロスの全力駆動は余技に過ぎない。彼女がこの場、この戦い、この奇跡にて冠位の銘を投げ捨ててまで叶えたかったモノ。

 それはかつて彼女が夢見、遂に成し得なかったエウロペの希望そのもの。

 エウロペが願った通り、()()()()()()()()()()()()()()()辿()()()()()()()()――――そんな那由多の果てに夢想した、エウロペの幸福の形。

 

 本来であれば決して拭えない、怪物として人理に刻まれたミノタウロスの忌み名。

 しかしアステリオスは人理修復の旅路の最中で、人間と触れ合い、理解者を得、愛を知り、人間性を取り戻した。

 それだけで奇跡に奇跡を重ねた無上の幸福であったが、エウロペはその程度で満足はしなかった。

 人間を取り戻さんと抗ったアステリオスへ、その後押しをすべくエウロペが冠位を燃やして組み上げた一世一代の大儀式。

 今のアステリオスだからこそ可能となる、最大の奇跡。

 

「――――エウリュアレ。お祖母ちゃん。立香。マシュ。それに、皆」

 

 かつてエウロペはゼウスの導きに従い、アステリオスなる男にクレタの王権を授けた。

 逆説、クレタの王はアステリオスがエウロペの赦しを得たことで始まり、故に同じ名を冠するアステリオスに今以て真の王権が授けられる。

 即ちクレタの王権神授の再現。かつてありし逸話を基にした即席の儀式。しかして演者は張本人たるエウロペと、血の繋がりは無くとも名の繋がりを経て系譜を結ぶアステリオス。

 

「僕に――――任せろ!!」

 

 斯くして戴冠は為る。

 今やアステリオスは怪物の柵から脱し、一時とはいえ正統を認められた王となった。

 これぞエウロペの目論んだ大儀式、雷光王の戴冠。エウロペが夢見た、()()()()()()()()()()()()()()の姿がそこにあった。

 

「――――――――かっこいい……」

「ほっほーう?」

「はっ!? なんでもない、なんでもないわよ! こらそこ、ニヤニヤすんな!!」

 

 獣性は鳴りを潜め、しかし偉丈夫はそのままに溌剌としたアステリオスの姿に、エウリュアレが思わず見惚れる。

 それまでの獣じみた雰囲気を知る者ほど、アステリオスの変化は劇的に映った。

 なんというか――あの巨躯、あの童顔で、一気に王子様属性を得たアステリオスは、色々と少女殺しなのだった。

 してやったりとニヤつくエウロペ、狼狽えるエウリュアレを差し置き、ゼウスの雷光を宿した牛王アステリオスがラブリュスを揮う。

 その太刀筋、獣の膂力にして人智の技の冴え。ヘラクレスにすら匹敵する武勇を宿したアステリオスは、是まさしく大英雄そのもの。

 

 或いは誰かが言うだろう、それに何の意味があるのだと。

 戦力的な理屈で言えば、冠位を薪に全力駆動したタロス単騎で過剰にすぎる。今ここでその一部を割いてまでアステリオスを変質させることに、戦略上の意義はおよそ皆無。

 

 だが、そんな理屈こそエウロペの知ったことではなかった。

 彼女の裡にあるのは徹頭徹尾アステリオスの幸福それのみ。彼が愛し、彼を取り巻く全てが幸福であれという切なる願い。

 己の至らなさによって孫を魔道に踏み入らせてしまった悔恨が、アステリオス自身の成長によってエウロペに決断させた。

 人間を求めたアステリオスへの、せめてもの慰みとして――――その可能性の一端を、冠位を犠牲に無理矢理招き寄せたのだ。

 

 手放したモノはあまりに大きく、最早取り返しのつかないものなれど。

 孫の笑顔と引き換えになったのならば本望である。

 元より己が冠位を投げ捨てたところで人類がどうこうなるともエウロペはちっとも思っていなかったし、そもそも冠位など無くとも人類は決して歩みを止めない……その信頼を、エウロペは向けていた。

 つまるところエウロペは――――少々過剰にすぎるくらいの人間贔屓なのだった。

 

「さぁ行きなさい! リッカ、マシュ! あなたたちの旅はまだまだこれから! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、してる余裕なんてなくってよ!!」

 

 故に彼女は発破をかける。人類最後の希望、ここまで歩んできた只の人間である彼女らに。

 ここまで歩んできた二人の努力と成果を誰よりも認めるが故に、その結末を己が眼で見届けよと激励を発して。

 

「努力を方向音痴させた大馬鹿者に言っておやりなさいな! "彼"が求める答えを、あなたたちは既に持っているのだから! あなたたちこそ人類最後の希望にして――――――――全ての答えよ!!」

 

 二人の行く手を阻む魔神柱を、タロスの巨腕が薙ぎ払った。

 エウロペの激励に言葉を返す間も無く、意を決した立香とマシュは互いに頷いて駆ける。

 目指すは領域の中心、光帯を制御し今も儀式を進める統括局へ。

 

 走り去る二人の背中を見送るエウロペの傍らに、麗しき女狩人が寄り添った。

 

「無茶をする。それ程までに彼女らが大事か」

「ええ、とっても。それこそ本当の孫みたいに思うくらい大好きよ」

「そうか。――――私もだ。あれほど好感を抱ける人間はそうは居まい」

「ほんとほんと、おかげであたしも無理しちゃったわ。……ま、後悔はまったく無いんだけどね! 寧ろ清々したわ、あたしもまだまだ若いわね!!」

「ふっ――――さて」

「ええ、それじゃあ――――」

 

 アタランテが弓を引き絞り、エウロペがタロスへ命じた。

 敵が無限に蘇るのならば、こちらもまた無限に迎え撃つまで。

 全ては人類最後のマスターのため。彼女の旅を見届けるため。英雄たちが血路を開く。

 恐怖? 絶望? なんだそれは。今更そんなもので臆する者がいると思うのか。只の人間が意を決して進むのだ、それに応えねば最早英雄ではない。

 

「我が弓と矢を以て、太陽神と月女神の加護を願い奉る――――!!」

「正真正銘最後の見せ場よ! 奮起なさい、タロス――――!!」

 

 宇宙を駆け抜ける矢と拳が、その答えだ。

 人理焼却を目論む偉大なる獣よ、その応報を刮目せよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 顛末は、語るまでもないだろう。

 彼らは、これまでそうしてきたように、喪失と成果を手にあるべき場所に帰った。

 人類は丸一年の活動停止を経て再生し、何事も無かったかのように営みを続けていく。

 

 しかし紡いできた絆は決して嘘ではない。

 尋常にとって如何に夢幻の如く泡沫の邂逅であったとしても、彼らの奮戦は確かに人理へ刻まれたのだから。

 

 更なる戦いが待ち受けていたとしても。

 それに臆する未熟な雛鳥は、もう居ない――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――

 ――――

 ―――

 ――

 ―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっと喚んだわね、あたしを!」

「ずっとスタンバイして待ってたのに、ちっとも繋がらないんだもの! おばあちゃんを焦らせるなんて、意地悪な子たちもいたもんだわ!」

「――――えっ、なに? 爆死? ……ほらほらそんなしょんぼりしないで、あたしが来たからにはもう大丈夫よ。おばあちゃんを目一杯頼りなさいな!」

「それじゃあ――――コホン。サーヴァント・ライダー……うん、ただのライダー、エウロペよ! これから末永くよろしくね、マスター!!」

 

 

 

 

 




やっちまったぜ……(完走した感想)
筆がノリにノッて極上のステーキに蜂蜜をぶち撒けるが如き所行になった気が半端ない……!

色々と言いたいこともあるのですが、それを後書きで語るにはあまりにも複雑なので、近いうちに活動報告ででも本作におけるあれこれをぶっちゃけたいと思います。

なんにせよ、全体の物語としてはこれで完結です。
長く……も無いな。精々が半月程度の短い作品でしたが、ここまで読んでいただき感謝の念に堪えません。
ここまで走り切れたのも、偏に皆様の応援と感想あってのことです。
本当にありがとうございました。SS作者として、私は今これ以上無く幸せです。

それではまた、いつか活動報告で――――。


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マテリアル

 クラス:ライダー

 真名:エウロペ

 出典:ギリシャ神話

 地域:クレタ島

 性別:女性

 身長:145cm

 体重:46kg

 属性:中立・善 (隠し属性:地)

 イメージカラー:スカイブルー

 好きなもの:血縁の子孫たち、アステリオス、子供、牛

 苦手なもの:虫、拗れた人間関係

 クラス適正:騎兵(通常は召喚不可)

 

 

【ステータス】

 筋力E 耐久E 敏捷E

 魔力A 幸運EX 宝具EX

 

 

【クラススキル】

 対魔力:B

 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。

 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

 

 騎乗:EX

 竜種を除くすべての獣、乗り物を乗りこなすことができる。

 エウロペの場合、大神が変じた牡牛に跨ることすら許される一大特権。

 しかしながらエウロペ本人に騎乗技術は無く、ランクは騎獣側の配慮により維持されているため、タロスを除く非生物は乗りこなせない。

 本人的には牛がフェイバリット。

 

 

【固有スキル】

 神授の王権:A+

 エウロペが大神ゼウスに認められた、王を見定めるための権限。

 自らを王とするのではなく、エウロペの認める他者を王へ導く王権にして王鍵。

 単体に王属性を付与し、様々な特権を与える。他者を対象とする皇帝特権のようなもの。

 ゲーム的には「単体に攻撃力アップ、防御力アップを確率で付与しそのHPを回復」という効果のスキル。

 

 大地の特権:EX

 ゼウスからの求婚に際し、彼女の名を与えられた大地における特権を表すスキル。

 ギリシャ世界において三つある大陸の内、エウロパと名付けられた大地から様々な恩恵を得る。

 現代において欧州と呼ばれる地域内に限り最大限の知名度補正を誇り、Aランク相当の単独行動スキルと陣地作成スキルを得る。

 エウロペの場合、その陣地は仮初のクレタ島として展開される。特に意味は無いが、本人のやる気が上がる。

 ゲーム的には「味方全体のNPを上昇&NP獲得率アップ」という効果のスキル。

 

 太母の強権:A

 ギリシャに名立たる様々な英雄の祖であることを表すスキル。

 三人の息子はいずれも神や英雄となり、その系譜もまた神話に燦然と輝く英傑揃い。

 エウロペはペルセウスと並ぶ英雄の祖としても有名であり、後進のギリシャ英雄に対する大きな有利を得る。

 ……とは言うものの、その実態はエウロペのお節介&肝っ玉根性の表れ。あらゆるギリシャ英雄を甘やかす婆馬鹿スタイル。

 ゲーム的には「味方全体の攻撃力アップ&ギリシャ系サーヴァントの攻撃力を大アップ」という効果のスキル。

 

 

【宝具】

雷霆の枝(オゾス・ケラウノス)

 ランク:A(C) 種別:対人宝具

 ゼウスからエウロペに贈られた決してなくなることのない投槍。

 一説にはゼウスの雷霆を削って造られたともされ、放つと雷光を纏って飛翔する。

 本質は雷であるため、その大きさは自由自在。魔力を込めるほど威力が増し、数を増やす。

 使用者の魔力次第ではあるが、非常に使い勝手の良い宝具。

 しかしながらエウロペ本人が武勇に優れないため、彼女自身が扱う場合は大きくランクが下がる。

 本来のランクはタロスが用いる、或いはゼウスの神性を宿す英雄が用いた場合のもの。

 ゲームでは使用されない。おそらくはArts担当。

 

星界猟犬(ライラプス)

 ランク:B 種別:対人宝具

 ゼウスから贈られた猟犬。運命から"如何なる獲物も捕らえる"と定められ、因果確定の能力を有する。

 その性質から"如何なる追手からも逃れる"ような対となる同種の能力を持たない限り逃れることは難しい。

 同様の理由で、対象が如何なる大きさ・距離にあろうとも捕らえることができる。

 一方で顕現させるだけならば消費魔力はごく微量で済むが、より強力、ないし遠方の獲物を追わせるほどに必要な魔力が増大していく。

 普段はただの愛犬としてエウロペに侍る。通称名犬ラッピー。

 ゲームでは使用されない。おそらくはQuick担当。

 

慈悲深きは白き腕(ヘラエレオス)

 ランク:A 種別:対人宝具

 ヘラとの和解に際し、かの女神から贈られた天の牝牛。

 その名は"ヘラの慈悲"を意味し、慈母としてのヘラを象徴する御使い。

 この世で最も美しい牝牛とされ、その気性は穏やかにして誇り高く、あらゆる牛マニアを魅了する牛界の女王。

 その乳には無病息災にして滋養強壮の力が宿り、一口飲めばたちまち疲労は吹き飛び傷は快癒するという魔法の牛。

 日常におけるエウロペの乗騎でもあり、彼女の三人の息子を育んだ乳母でもある。ある意味で最もエウロペが信頼する相棒とも言える。

 宝具としては、その乳を飲むことで魔力の回復や傷の修復、呪いの解除などの効果がある。

 ゲームでは使用されない。便利すぎるためにオケアノスでは没収された。

 

守護神像・青銅英雄(ガーディアン・タロス)

 ランク:EX 種別:対軍宝具

 ゼウスから贈られた三つの宝具のうち、最大最強を誇る有翼の青銅巨人。史上最古のスーパーロボット。

 その外殻は極めて強固で、Bランク以下の攻撃を無効化し、体内を巡る神の血の力で無尽蔵に回復する。主武装は神の血による炎の魔力放出を用いての肉弾戦。巨大であるということはそれだけで脅威となる。

 エウロペの命令を絶対遵守し、彼女の魔力と命令で無限に巨大化し戦い続ける決戦兵器。当然ながら、高性能なだけに相応の魔力消費を強いる。そのため、並の魔術師がマスターでは真名開放は難しい。

 唯一の弱点は踵に刺さった釘で、神の血の流出を留めるそれを引き抜かれると、失血して稼働できなくなる。かのアルゴー探検隊は冒険の帰路でタロスと戦ったとき、メディアの魔法で眠らせることで釘を引き抜くことに成功したが、その弱点を突かれるまでは散々に探検隊を蹴散らして崩壊寸前にまで追い込んだ。

 本来であれば眠りの魔法にかかるようなことはないのだが、本来の主人であるエウロペの死後命令を下す者がおらず、スペックを十全に発揮できていなかった。そのために後れを取ったとも言える。

 プレイアブルキャラクターとして使用可能な宝具はこちら。BusterとExtra担当。

 

青銅神話・雷霆王権(タロスマキア・メルトダウン)

 ランク:EX 種別:対巨神・巨獣宝具

 神造の英雄タロスの潜在能力を最大限解放する決戦術式。その行使には三つの承認が必要となる。

 即ち「世界の敵との戦いであること」「世界が認める戦いであること」「世界を救う戦いであること」。いずれか一つでも欠ければ解放は認められず、通常の聖杯戦争では決して解禁されない秘奥中の秘奥。

 史上最古のデウス・エクス・マキナ。物語を大団円に持っていく最大級の力押し。絶対ハッピーエンドの意思表明。

 性能としては極々単純な強化術式。敵が強ければ強いほど、それに対抗し得る領域にまで自己を押し上げる。

 元よりタロスは英雄の時代、その以前にあった青銅期の最終生存体。即ち一つの世界の終わりと始まりを見届けたモノ。紆余曲折を経て鍛冶神に新たな身体を与えられ、守護の担い手として新生し、一人の姫君に下賜され世界へ降り立った。

 故にその本質は"護るもの"。守護こそ本領を最大限に発揮する愛と勇気と夢と希望のスーパーロボット。そのために第三特異点ではタロスに――ひいてはその主であるエウロペに制限が掛かり弱体化を強いられていた。率直に言えば、出番ではなかった。

 人理の存続を賭けた最大最後の決戦でようやく承認され、世界の敵――ビーストと全力で戦う権限を得た。

 ちなみに詠唱の末節「三界よ、幸福であれ」はエウロペとタロス、両名の意思表明であり、その言葉自体には何の力もない。単なるブチのめし宣言である。

 メタ的に言うとイベント専用宝具。RPGでいうムービーシーンのようなもの。

 

 

【解説】

 ギリシャ神話における四大英雄の一角。クレタの太母、王権の姫君とも呼ばれる。ヘラシモスの牛退治を功績とするが、それ以上にヘラとの和解劇やヨーロッパの語源となったことで有名。

 ゼウスより三つの宝具を贈られ、その中でもタロスは最大最強の使い魔として名高く、彼に搭乗することでライダー適正を得ている。

 その実力は大英雄の名に相応しく絶大――なのだが、それらは全て宝具あってのこと。本人の実力はそこらの悪ガキに泣かされる程度で、マスター未満。

 そもそも通常の聖杯戦争では決して召喚に応じず、触媒を用いても名代として使い魔のタロスが召喚されるという。

 仮に喚び出されたとしても、余程の異例でない限り魔力食いのエウロペを運用することはできず、宝の持ち腐れに終わる。

 FGOでの召喚はイレギュラー中のイレギュラーであり、世話になったカルデアのマスターへの恩返しという向きが強い。

 カルデアでは母性溢れるママさんサーヴァントすらも可愛がろうとするおばあちゃんポジション。誰が呼んだかグランドマザー。

 子供勢には特に目をかけており、一緒になって遊びまわるところをよく目撃されている。

 

 

【人間関係】

・ミノス

 生前の息子の一人。三兄弟の長男にして二代目クレタ王。その治世は堅実にして王道。

 ……なのだが、個人としての人格には問題があったらしく、ゼウスの悪い部分をよく受け継いでいるとは他の兄弟の談。

 王位継承に際し、止せばいいのに自力で王権を示そうとしてポセイドンの力を借りたが、目先の欲に囚われるあまり約定を違えたせいで、その後の悪しき因縁を招く結果となった。

 その割に死後は冥界の裁判官として神になっているあたり、自分だけはちゃっかりなんとかなる悪運の持ち主。

 神になる直前、先に冥府で待ち構えていたエウロペに鉄拳制裁を食らった。

 

・ラダマンテュス

 生前の息子の一人。三兄弟の次男にして宰相。

 三兄弟のなかで最も頭脳明晰で、法と秩序の智慧に優れ、名宰相として兄の治世を助けた。

 死後は兄と同じく冥府の裁判官となり、アイアコス王を含めた冥界の三神として従事している。

 ぶっちゃけ、出来息子すぎてイマイチ地味。エウロペ的にはもっと手間をかけさせてほしかったらしい。

 

・サルペドン

 生前の息子の一人。三兄弟の末弟にして武闘派。

 ミノスとは美少年のミレトスを巡って争った仲で、そのせいで今も割と不仲。

 ミノスの王位継承時には反対して争うも敗北、多くの兵士を引き連れて島を出、やがてリュキアの王となった。

 ゼウスに一番可愛がられ、人の三世代の寿命を与えられ、トロイア戦争にもトロイア側で参戦している。

 戦争では獅子奮迅の大活躍を見せ、ヘクトールの窮地をも救っており、彼からは爺様と呼ばれ親しまれている。

 その最期にはゼウスの涙が血の雨となるほどに惜しまれ、彼に命じられたアポロンに丁重に弔われ、ヒュプノスとタナトスに遺体を祖国へ運ばれる程に厚遇された。また運ばれる彼を両軍が矛を止め見送ったとも言う、立花家の道雪さんみたいな凄い人。

 間違いなく大英雄の一人。おそらくサーヴァントとしても相当優秀であると思われる。

 

・カドモス

 実兄。ゼウスに連れ去られたエウロペを追って各地を彷徨い、やがてテーバイを創建したという。

 アレスの泉の大蛇(=竜種)を殺し、血肉の通った本物の竜牙兵を操れる唯一の人物。

 彼もまた英雄であり、もしサーヴァントとして召喚されたなら、単独にして軍勢を生み出し指揮する強敵となるだろう。

 

・タロス

 ゼウスから贈られた宝物のうち、最大にして最強を誇る使い魔。

 実はタロス単体で英霊として刻まれてもおり、タロスそのものをサーヴァントとして喚び出すことが可能。

 というよりは通常の聖杯戦争では召喚に応じることのないエウロペの名代として召喚される。その場合のクラス適正はアーチャー。

 その正体は先史文明の末裔であり、世界を護る巨神の核となった誰か。遊星の尖兵たる巨神に対抗するはずだったモノ。

 聖剣によって巨神が倒されたために出番を迎えることなく死蔵され、やがてヘパイストスの手によって再誕し、エウロペに下賜された。

 そのため個我をばっちり有しており、生前の記憶からセファールやヘラ、アルゴナウタイの面々が嫌い。

 エウロペのことは唯一己の性能を最大限発揮できるマスターとして、またかけがえのない戦友として信頼しており、絶対服従を誓っている。

 巨神としての姿も、人としての姿も等しく自分。本来性別も存在しないが、見苦しく無いようエウロペを参考にして少女の姿を取っている。

 その生い立ちからエルキドゥとは互いに親近感を抱いており、結構仲が良い。

 

・アステリオス

 ミノス王の過ちによって産まれた不遇の子。

 エウロペと血の繋がりは一切無いが、誰よりも気にかけられていた。

 エウロペ本人は彼を立派に養育し、将軍として大成させることを望んでいたが、惜しくも先に寿命を迎え遺していかざるを得なかった。

 その後の顛末は伝説に語られる通り。エウロペはそれを最大最期の未練としてずっと心残りに思っていた。

 

・パシパエ

 ミノス王の妻にして魔女キルケの姉妹。

 本人もまた魔術を極めた魔女で、嫉妬深く、ミノス王が寵愛した他所の女をよく呪っていた。

 一方でミノスへの愛情は本物であり、彼との間には幾人もの子をもうけている。王妃としてはこの上なく優秀。

 それだけにポセイドンの呪いで怪物牛に魅了され、アステリオスの出産に堪えきれず死んだことへのミノスの怒りと悲しみは深く、その後のアステリオスの冷遇に繋がった。

 エウロペとしても、決して好ましい人物ではなかったにしろ、ああも残酷な目に遭うこともなかったと惜しんでいる。

 

・オリオン

 曾孫。ミノスの子エウリュアレとポセイドンの間に産まれた半神半人。

 実は生前でエウロペとの面識は無く、互いに人物を知ったのは英霊の座に至ってからのこと。

 カルデアではぬいぐるみ姿をよくからかわれつつ、曾孫として甘やかされている。

 

 

【FGOでの性能】

 レアリティ:☆☆☆☆☆(SSR)

 クラス:ライダー

 コマンドカード構成:Buster×3 Arts×1 Quick×1

 

 

【台詞】

 戦闘開始:

 「やってやるわよ、タロス!」

 「おばあちゃんに頼りなさい!」

 

 スキル:

 「おばあちゃんからのお小遣いよ!」

 「ずばばばーんってお願いね!」

 

 コマンドカード選択:

 「任せなさい!」

 「これでいいのね?」

 「ふっふーん♪」

 

 宝具カード選択:

 「よくってよ! おばあちゃんの本気、見せてあげる!!」

 

 アタック:

 「ぶん殴りなさい、タロス!」

 「逃しちゃダメよ、ライラプス!」

 「えーと……あたしが投げて当たるかしら?」

 

 エクストラアタック:

 「邪魔邪魔邪魔ァ! 裁くのはあたしのタロスよ!!」

 

 宝具:

 「真体限定解放……いくわよ、タロス!

  あたしの自慢のしもべ、最大最強の使い魔!

  今こそ神の血を燃やすとき――――守護神像・青銅英雄(ガーディアン・タロス)!!」

 

 ダメージ:

 「あいたァ!?」

 「ぷぎゅっ!」

 

 戦闘不能:

 「あたしを直接狙うのはルール違反よ~~!!?」

 「ごめんね……おばあちゃん、不甲斐なくて……」

 

 勝利:

 「勝利のポーズ、キメッ!」

 「当然よね! あたしはともかく、あたしのタロスは無敵なんだから!!」

 

 レベルアップ:

 「うぅ~ん……なんだか若返る感じだわぁ♪ レベルアップご苦労様、いい子いい子♪」

 

 霊基再臨1:

 「わざわざありがとね? おばあちゃんもちょっぴり本気出しちゃうわ!」

 

 霊基再臨2:

 「二段階目も!? 物好きな子ねー……仕方ない、もうちょっとだけ本気出しますか!」

 

 霊基再臨3:

 「ここまで来ると立派な孝行よね! もーっと、甘えていいのよ?」

 

 霊基再臨4:

 「まさかここまでやってくれるなんて……いいわ、その期待に応えてあげる!

  冠位はとっくに失ったけれど、おばあちゃんの全力であなたの力にならせてもらうわ!

  まずは、そうねぇ……おばあちゃん♪ って甘えなさい! 全力で可愛がってあげる!!」

 

 絆Lv1:

 「どうしたの? あたしに何か用かしら?」

 

 絆Lv2:

 「あ、マスター! 差し入れをもらったの、一緒に食べる?」

 

 絆Lv3:

 「何かお困りのようね! あたしに言ってごらんなさい、一緒に考えてあげるわ! ……遠慮しなくていいのよ? ほらほら♪」

 

 絆Lv4:

 「あなたのような人間に召喚されたのは、あたしにとって最高の幸運よね。普段はあたしの出る幕じゃないから応じたりしないんだけど、あなたのためならおばあちゃん張り切っちゃうわ! ……戦いは、タロスにお任せだけど」

 

 絆Lv5:

 「んもー! ほんとおばあちゃん殺しったらないんだから! ほらほら、一緒にお菓子食べましょ? お腹いっぱいになったらお昼寝ね、膝枕してあげる! 晩御飯も頑張っちゃうわ、いっぱい食べて大きくなりなさい! ……なぁに~? そんな遠慮なんかしちゃって。おとなしく可愛がらせなさいな! ほんと、可愛い子なんだから……」

 

 会話:

 「また戦いが始まるみたいね。いいこと? 喧嘩ってのはとにもかくにも根性よ! 先に泣きを見せた方が負けなんだから!」

 「ほんとはサーヴァントとして喚ばれたりはしないんだけど、あなたのためだもの。一緒に頑張りましょうね!」

 「ぐだぐだ~……なんだか今はぐだぐだ~……」

 

 好きなこと:

 「好きなこと? 牛祭りね! クレタの牛祭りはほんと最高なんだから! ……子供も当然好きよ? 当たり前すぎて言葉にする発想が無かったわね……」

 

 苦手なもの:

 「苦手なものかぁ……あれね、虫だけはダメよ。あれはきっとこの星の生き物じゃないわ! あとね、人間関係拗らせるのだけは避けときなさい、いいわね?」

 

 聖杯について:

 「聖杯はねー、欲しくないって言ったら嘘になるんだけど、それで願いを叶えるのはなんか違うかなー……。少なくともここにいる間はいらないわね、だってもう願いは叶っているんですもの!」

 

 イベント開催中:

 「マスター、祭りよ! クレタの牛クイーンの血が騒ぐわね!! ……え? 牛は関係無いの? そっかぁ……でも祭りよ、マスター!!」

 

 誕生日:

 「誕生日おっめでとー!! ほらほら、ご馳走いっぱい作ったわ! 皆も待ってるんだから、今日は盛大にお祝いしましょ!」

 

 

 アステリオス所持時:

 「アステリオス~おいで~♪ おばあちゃんがいっぱいいっぱい可愛がってあげる!! ……逃げられちゃった、そんな恥ずかしがらなくてもいいのにぃ」

 

 エウリュアレ所持時:

 「実は孫に同じ名前の子がいるのよね、なんだか縁を感じちゃうわ。あ、いつもアステリオスがお世話になってます。末永くよろしくね?」

 

 アルテラ所持時:

 「ゲェーッ、セファール!? ……あ、よく見たら違う、違わないけど違うわね、ならよし! ――ちょちょタロス違うから! ステイ! タロス、ステイ!!」

 

 ヘラクレス所持時:

 「生前はうちの子が迷惑かけちゃってごめんなさいね。……まっ、強い上に紳士なのね。さすがヘラクレス、素敵だわ! あ、でもせっかくの筋肉なんだからあなたも髭を伸ばしたほうがいいんじゃない?」

 

 アタランテ所持時:

 「子育てレッスンそのいちーっ! 子供を愛するならまず自分が子供として愛されなければならない! いいわね? そういうことだから……さぁっ! ……ちょっと、なんで逃げるのよー!?」

 

 アルテミス(オリオン)所持時:

 「あら、アルテミスじゃない! ひさしぶりねー、ひょっとしてそっちのちんちくりんはウチの曾孫? やだもー可愛くなっちゃってー♪ これじゃあ他の娘に手出しできないわね、ご愁傷様♪」

 



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