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二騎のランサー

運がなかった、間が悪かった、相手が悪かった。

今のこの状況に至った原因を表す言葉は数多くあれどそれを一つ一つ吟味し、理解し、納得するだけの時間もなければ余裕もありはしなかった。

胸に突き立てられた朱い朱い槍。その槍が自らの血で艶やかに月光を反射する様を呆然と眺めるしかない。

 

「悪く思うな坊主。これも仕事のうちって奴さ」

 

どこか遠くから聞こえる(少なくとも俺はそう感じた)声の意味を、言葉を理解するだけの知能は最早残されていない。

胸元に生じていた異物感がふと消えて無くなる。

だがそれと同時に自らの命もまたどろどろと流れ出ていく。

 

「…胸糞悪い仕事だぜ……ったくよ」

 

こつこつという規則的な音が遠ざかって行く。

気付けばひんやりとした冷たい石の感触を頬に感じる。

それが校舎の廊下だと判断するのに1秒、自分が倒れたのだと判断するのに1秒。

それだけで体は動かなくなった。視界が黒く霞んでいく。

そして衛宮士郎は息絶えた。

 

「やめてよね……なんだってあんたが…」

 

永遠の微睡みの中、そんな声が聞こえた気がした。

 

 

そう、そうして衛宮士郎は短い生涯に終わりを告げた筈だった。

だがどうしたことだろうか。

衛宮士郎は再び目覚めた。外傷はなく、制服にこびりついた黒い血液の跡さえなければ自分が一度死んだということなど到底信じられない。

震える指先で胸に手を当てる。やはり塞がっている。

ふう、と深く息を吐いた。

何が起こった。そもそもあいつは誰だ。いやあいつだけじゃない。

校庭で見た影は他に二つ。

遠坂凛、そして青い騎士。何をしていた。闘っていた。では何のために。何故遠坂凛はあの場にいた。

わからない。全てがわからない。

 

「なんだってんだ、全く」

 

行き場のない戸惑いを言葉にして発散する。

ともかくここは危険だ。いつまたあの青い男が襲って来るかもわからない。

それに色々と整理したいことがある。

考えてわかるものでもないかもしれないが、それでも自分の通う学校で、住んでいる街で、あのような戦闘が行われているのは事実。

なら黙って忘れるなんてことができるわけがない。

 

「ん?なんだ、これ…」

 

そうして立ち上がろうとした時、視界に光るものを捉えた。

拾い上げればそれは赤いペンダント。宝石で造られたそれは自分が死ぬ前には落ちていなかったものだ。

 

あの男の物か?それとも誰かの落し物で息絶えるその時まで気付かなかった?

 

十分にあり得る。そもそもあの時は地面に気を配る余裕なんてものは無かった。

死に物狂いで逃げ、それでも逃げきれず呆気なく殺されたのだから。

短い逡巡の後、それをポケットに入れた。

誰かの落し物であるなら明日か明後日か、近いうちに届けなければ。

 

そうして俺は家路を急いだ。そのペンダントに残されたひとかけらの魔力には気付かずに。

 

ーーーー

 

広い武家屋敷、それが衛宮士郎の自宅だ。

今は亡き養父の残した家の門をくぐり抜け、戸を開けずに庭の外れの土蔵へと足を進める。

先程この身を襲ったあの男がまたやって来ると仮定した場合、家の中にあるものでは心許ない。

土蔵にならば武器になるものがあるかもしれないと判断した結果だった。

 

「これしかないか…」

 

土蔵には昨夜と変わらずあらゆるものが散乱していた。

だがどれもこれも取るに足らないガラクタばかり。

強化の鍛錬に失敗した際、気分転換に投影した外見だけは精巧な不要品達がこれでもかと詰め込まれていた。

 

その中で、強化の為に昨夜持ち込んでいた木刀を発見し、手に取る。

正直これでは対抗できる気がしない。

しかしあの人外に対抗するものとして一体何があれば適切なのか。

 

「武器があっただけでも御の字だ───同調、開始」

 

背に一本の鉄の棒を差し込む感覚。

それが俺が魔術回路を生成する際に感じる感覚だ。

荒くなる息を抑えつつ、手に持つ木刀に魔力を流し込んで行く。

魔力が浸透していくのを指先で感じながら先端までそれを這わせていく。

 

うまくいった──そう実感を持ちかけた時。

木刀に流れ込んでいた魔力は宙へ霧散していった。

 

失敗、だがそれだけならいつもと同じ。

俺は強化すらうまくいかない半人前の魔術使いだ。

失敗するのは珍しいことじゃない。

しかし今日、ここに限っては成功しなかったことにこれ以上ない焦燥と絶望を感じていた。

 

あの男は必ずまた俺を殺しに来る。俺が生きているとしれば必ず。

そんな確信めいた虫の知らせが常に頭を支配している。

場所が離れている、生きていることを知る手段がない、そんなことは関係ない。

もう一度あの朱槍は俺の前に現れる。

それはいつだ。明日か、もっと先か。あるいは、今すぐにか。

焦りの混じる身体では平時でさえうまくいくことの少ない魔術が成功するはずもなく、俺は二度目の強化にも失敗した。

 

木刀を持った右腕をだらんと下げ、空を仰いだその時。

狭い土蔵の中を光が染め上げた。

それと同時に感じる自分の身に感じるとてつもない違和感。

魔術回路を生成する際の比ではない、槍がこの身を貫いたあの感覚でさえ届かない。

小さな水風船に水道の蛇口を突っ込み思いっきり水を流し込んだような張り裂ける感覚が指の先、足の先まで走り抜ける。

嘔吐しそうになる口を必死に抑え、しかし苦悶に揺れる体がくの字に曲がる。

 

それでも止まぬ光の奔流。

白い閃光が視界を遮るその最中、確かに聞いた。

カランカランという鈴の音───敵意あるもの、招かれざる客に対して作動する、今は亡き切嗣の張った結界の音を。

 

来た、あの男が。

撤退、篭城、そんな戦略を頭に浮かべる余裕はなく、俺はただ体の知らせるまま、土蔵の外へと飛び出した。

 

狭い空間から解放されまず俺がしたことは、外の新鮮な空気を肺に取り入れることだった。荒い息のまま空気中の酸素を貪る。

それで嘔吐する感覚は少し楽になった。

 

「───っ!!」

 

だが同時に感じた首筋を刺す死の予感。

息を整える間も無く、前方へと転がる。背後を朱い閃光が走り抜ける。

ごつごつとした石の感触を掌で受け止め、背後を振り向いた先にその男はいた。

 

「いや、いい反応だ。せめて気付かぬうちに殺してやろうっていう俺なりの気遣いだったんだがな、今のは」

 

先程まで俺のいた空間を突き刺した朱槍をゆっくりと戻しながらその男は俺を睨みつけていた。

獣の眼光、そう形容するにふさわしい視線を浴びて体が硬直する。

 

「にしてもどんな手品を使ったんだ、お前。確かに心臓を貫いたと思ったが」

 

答える言葉はない。そもそもこちらの方こそ聞きたい事柄だ。

答えられる筈がない。

 

「答える気はないか。まぁいい、今度こそ迷うなよ坊主」

 

「っ───!!」

 

そして三度朱い閃光が俺へと奔る。

全く、先の一撃は運が良かった。良すぎたと言ってもいい。

だからこそあの一撃は無傷で乗り切れた。

槍を突き出す瞬間を目に捉えていたというのに反応が遅れた。

なんという速度。この男はつくづく人間を辞めていると感じる。

 

胸を再び槍が突き抜けるまで後どのくらいだ。

もう間もない、刹那の時の後ということだけは分かる。

その後はどうなる。もう一度死ぬのか。もう一度あの感覚を味わうのか。

そして今度こそ永遠の微睡みに沈むのか。

こんな所で、こんな奴に。

 

右手にはまだ木刀を携えたままだ。その手に熱がこもる。

わかっている。強化すら施していない木刀では人外の膂力を持って放たれた一撃を逸らすことなど不可能。

それ以前に、もはや間に合わない。胸に迫る槍は次の瞬間にはもうこの身を貫いているだろうから。

 

しかし、それでも。

 

「そんなの、認められるか───!!」

 

火花が散った。金属が激しくぶつかった甲高い音が木霊した。

 

「なに──?」

 

「え──?」

 

無我夢中で振るった木刀。それは砕ける事なく、へし折れる事もなく、凶槍を弾いた。

その光景に青い男と二人して戸惑う。

どういうことだろうか。右手に握った木刀にはいつの間にやら強化が施されている。

あの一瞬で強化に成功したのだろうか、今の今まで長い時間をかけても成功などほとんどしなかったそれを。

 

だが幸運と言えるその出来事も良いことばかりではなかったらしい。

男の目に熱が灯る。どうやら火を付けてしまったようだ。

 

朱い閃光が払いの形を持って振るわれる。

槍の長さ、男の卓越した技量を持って振るわれたそれはさながら即席の結界だ。

避けることは許されず、避くより速くこの身を切り裂くだろう。

ならば、受け止めるしかない。

 

「くっ!!」

 

「ほお。これも防ぐか」

 

鍔迫り合うギリギリという音が痛い。

男の発する楽しそうな声が煩い。

右手から発せられていた熱は身体中へと伝播している。

その熱に浮かされた体が男の次の行動を教えてくる。

 

神速。槍を引き、突き出す。一連の動作は完成された動きで心臓へと放たれた。

目に見えぬそれを知覚できたのは何故だ。

考えている暇などない。

 

「はぁっ───!!」

 

木刀を真一文字に一閃。火花を散らして神速を阻んだ。

これで三度。三度俺はヤツの攻撃を防いだ。

しかしそのたった三度で木刀を持つ腕はひしゃげてしまったと錯覚するような痛みに襲われている。

 

「ただの小僧かと思えば、なかなかじゃねぇか。なるほどさっきは気付かなかったがそれなりの魔力を感じる。心臓を穿たれて生きてんのとそのおかしな手品はそのせいか」

 

男のいうおかしな手品とは木刀で槍と斬り結んでいるこの状況を指しているのだろう。

 

「そら、次行くぞ」

 

身構える隙もなく、再び槍が襲いかかる。

体の中心を穿つその軌跡に沿わせるように木刀をぶつける。

衝撃は腕を通じ足先まで響いた。

 

───本当にどんな体してんだよコイツ!!

 

ふ、と腕に感じていた重量感が消えて無くなる。

そして視界の端に映る朱。

払いの一撃を咄嗟に突き出した木刀で受け止める。

 

しかし次の段階、次のレベルに入ったのだろうか。

男の攻撃はここで終わらない。

 

一撃を受け止めていた木刀を巻き込むようにして槍が円を描く。

 

「なっ、しまっ……」

 

槍に押し出され木刀を持った右腕が空へと跳ねあげられてしまう。

唯一の武器を持つ腕はこの一瞬、完全に無効化された。

大きく開かれた体。無防備なこの身に必殺を叩き込まんと朱槍が男の腰に沈む。

 

──まずい。木刀は今使えない。

───素手で防ぐしかない。

 

悪手。第三者が聞けばそう思うかもしれない。

だが何故だかうまく行く確信があった。

 

大きく上へと投げ出された右腕は頭の後ろへと周り体を引っ張る。

その重心に逆らわず、遠心力を利用。

左足を前へと踏み出せば自然と半身の姿勢へと移行できる。

 

そしてそうすれば。

 

「なんだと?」

 

突き出された槍の側面に左の掌底を叩き込む。

鉄塊を拳で叩いたかのような分厚い痛みが、痺れが、左腕を使い物にならなくした。

だが結果は上々。槍は制服だけを浅く切り裂いたのみでこの身には届いていない。

そして半身であるからこそ、右手に持つ木刀の切っ先をヤツは捉えられていない。

 

「そこだっ!」

 

俺自身の体に隠された切っ先を男の顔面へと向け突き出す。

だが──

 

「惜しいな。それじゃ俺には届かねぇ」

 

俺の体が硬い地面に転がる。

一度、二度、地面に叩きつけられる度に小さく跳ね、土蔵の外壁にぶつかったところでようやく俺の体は止まった。

カラカラと木刀が転がる音が響く。

 

───蹴り飛ばされた

 

そう認識する。ふらふらと立ち上がるも既に両の腕は痛みで動かず、足腰には力が入らない。

 

「しかしこんなもので俺の攻撃をここまで防ぐとはな」

 

そして木刀は男の足元。

手に取ることのできる距離ではなく、取れたとしても──

 

ばきり、という音と共に木刀は男の足で踏み折られた。

 

つまりここで詰み。俺にはもうあいつに対抗する力も手段もない。

 

だがどうやらすぐに殺す気はないらしい。

男は腑に落ちないような、それでいてどこか期待するような、感情の入り混じった声で口を開く。

 

「解せんな。俺の勘違いかと思ったがそうではない。一度殺した時には確かに感じなかったその猛る魔力、たかだか木刀で本気ではないといえ俺と正面きって戦える技量。お前、何者だ」

 

刺すような視線。

 

「ただの魔術師じゃないことだけは確かだが──。何にせよ危険だ。お前がマスターになれば面倒に過ぎる。悪いが本気で殺すぞ坊主」

 

瞬間、魔力の波が俺の体に叩きつけられる。

背を伝う死の予感。正真正銘、ヤツの本気の殺気、本気の魔力に全身の細胞が萎縮している。

今までのは児戯に等しい男なりの遊びだったのだろう。

 

こんな、こんな化け物を相手に、仮に全力で戦えるコンディションだったとしてもどうやっても勝つ未来を想像できない。

恐らく10秒だって生存できないだろう。満身創痍の今であれば尚更だ。

しかしそれでも、ただ死ぬことを認めることなどできない。

 

未だ嘗てない程に身体中に張り巡らされた魔術回路に猛る魔力を一気に流し込む。

せめて一撃、ただそれだけの為に行ったその行為。

だがその結果、自らの体正確には自らの体からどこか外へと向かう魔力のラインのようなものを知覚した。

しかしそれは栓でせき止められているのか流れ出て行こうにも行き場を失っている。

 

──なんだこれ。いやなんだっていい。

 

「お前を七人目にするわけにはいかねぇ。死ねや坊主────まぁ、予想外に楽しめた。ありがとよ」

 

───ここで殺されてやるものか!

───これが何に繋がってるかは知らない。でも何かに繋がってるっていうんなら。

 

「力を貸してくれ───!!!!」

 

そして、それは本当に。

魔法のように現れた。

 

「了解した。登場が遅れてすまないマスター。だがこれよりこの槍はお前と共にある。………まずは外敵の排除と行こう」

 

眩い光の中。それは男と俺の間に俺を守るようにして立っていた。

 

「まさか、本気か、七人目のサーヴァントだと…!?」

 

幽鬼のように痩せた体に黄金の鎧。白い髪から覗く赤と碧の瞳。

手には人の扱うものと思えないほど大きな黒い槍を携えている。

 

言葉が出ない。

その瞬間だけ俺は命を狙われていたことも、青い男のことも、体の痛みも忘れてそいつだけを見ていた。

綺麗だとか美しいだとかそいつを形容する言葉はあったのかもしれない。

だが俺には何故か、歪な美しさに思えた。

 

「…マスター、休んでいるといい。直ぐに終わらせる」

 

視線だけをこちらに向けたままそいつはそう言葉をかけてきた。

それで再び身体中を襲う痛みを思い出した。

 

「ま、待て。マスターってなんだ。それよりお前は一体…」

 

土蔵の外壁に背を預け、言葉を絞り出す。

膝を折ることだけはしない。みっともない強がりかもしれないがどうしてかそれだけはできなかった。

 

「……なるほど。何故オレに魔力を寄越さないのか疑問ではあったのだが、自覚がなかったということか。生身でサーヴァントに挑む愚か者と僅かにでも思ったオレを許してくれ」

 

言っている意味が分からなければ謝罪の意味もわからない。

だがそれを知っているのかいないのかそいつは目を伏せ心からの謝罪の意を示している。

 

「蛮勇ではなく勇猛。つくづくオレは幸運に恵まれている。このようなマスターに召喚されたという事柄はその最たる物かもしれないな。……だがそういった話は後だ」

 

これで話は終わり、そういう事なのだろう。

そいつは黒き大槍を構える。

 

赤と碧の視線は青き男へ。両者の発する吹き荒れる魔力がチリチリと指先を焦がす。

 

「全く冗談じゃねぇぜ坊主。お前一体何を呼び出した」

 

男の声には隠しきれない焦りが滲み出ている。

ここまで俺を圧倒していた男から初めて感じる生身の感情。

その様子に少しだけ心に余裕を取り戻す。

 

「その言葉はオレに言うべきだろう。もっとも貴様に教えるつもりもないがな。ゆくぞ。時期尚早だがここが貴様の死地と知れ」

 

 

 




士郎強化の謎は少し先で。


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その名はカルナ

「時期尚早だがここが貴様の死地と知れ」

 

必殺の宣告と共にそいつは黒き大槍を携え青の男へと肉薄する。

突進する勢いに吹かれ捲き上る土埃。

それを未だ痺れの残る腕で防御しながらも目線はその後ろ姿に縫いとめられる。

 

黒と白の残像を見る者の網膜に焼き付け、そいつは疾風の如き俊敏さで標的との距離を一息でゼロにした。

そして繰り出される神速。

人の身では満足に振るうことすら出来ないであろう大槍は羽毛の如き軽やかさで黒い軌跡を描く。

夜の帳を切り裂くその軌跡の数たるや、まるで槍が複数に分裂したのかと錯覚する程だ。

 

だが敵もさるもの。朱い閃光がその悉くを叩き落とさんと払いの軌跡で埋め尽くす。

自身に迫る脅威のうち特に危険度の高いものを払い落とし、そうでないものは獣の如き身のこなしで回避する。

その槍技は芸術と言っても差し支えない。

それほどまでに青き男の動きは洗練されていた。

 

しかしそこまで。白い幽鬼の動きはその上を行く。

 

黒の軌跡が密度を濃くする。神速を超えた神速で振るわれる槍が空間を埋め尽くす。

もはや槍撃による刺突の雨、というレベルではない。

幾百もの槍を同時に繰り出した黒き石壁と言った方が正しいかもしれない。

 

その石壁に飲み込まれ朱い閃光の軌跡が一つ、また一つと消えて行く。

青き男の手繰る槍の速度が追いついていないのだ。

先ほどまで叩き落としていた槍撃は速度と共に威力をも増し、軌道を捻じ曲げることすら許さない。

そして間断なき面での攻撃はいかに獣の如き俊敏さを持とうとも避けきれず、対処できるものでもない。

 

不利と見たか青き男はその身に幾重の傷を負うことも厭わず、迎撃を辞め離脱を行う。

その身は上空へ。一瞬のうちに空へと身を躍らせたその先には衛宮邸を囲う塀がある。

恐らくは一旦その上に着地した後、その獣の俊敏性を支える脚に任せ一気にこの区域からの離脱を試みる心算なのだろう。

 

だがその動きは、白い幽鬼の()()によって破られた。

 

「逃すと思うのか?『梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)』!!」

 

瞬間、白い髪から覗くその瞳から強烈な光線が放たれた。

いやそれは正しくない。正確にはその眼力が強力すぎる余りにそれが光線として可視化できるようになってしまっているのだろう。

それを直視したためか、あるいは別の要因か、自らの体から何かが引き抜かれるような感覚とともに視界が大きくぐらつく。

 

「何てデタラメだよ…」

 

掠れた声で思わず声に出してしまう。

いや、仕方ないだろう。いくら目の前で戦闘を行なっているやつらが人外の領域にあったとしてもまさか「目からビーム」を本当にやってしまうやつがいるなんて夢にも思わない。

 

「なっ!?」

 

その驚愕は青き男も同じであったらしい。自身に迫る光線を視認するとその眼を大きく見開いた。

しかしそこでタダで喰らって撃墜されることもしない。

身動きの取れない筈の空中。しかし男はその空中に置いて身を捻ることで回避を成功させる。

 

「無駄だ」

 

響く幽鬼の声。それに反応したのか僅かに外れた光線は軌道を変え再び青き男へ襲いかかる。

 

「追尾までするたぁ…そりゃ反則だろう、がっ!!」

 

回避は不可能、延々と追い続けられると察したかその朱い槍で迎撃する。

軌道をねじ曲げられた光線は天高く打ち上げられる。

だがその一瞬が命取り。

青きその姿の更に上、白き姿の影が踊る。

 

そして地面から立ち上る砂煙。

落下の勢いを乗せた黒槍の一撃は青き姿を地へと叩きつけた。

 

「てめえ…」

 

薄れぬ殺意を含んだ男の声。

地に伏せたままの姿だが未だ余力を多いに残している、ということか。

 

「頭上注意だ。悪く思え」

 

その言葉と同時、天よりの光線が地を穿った。

それは先程弾き飛ばされた眼力の光線。

軌道をねじ曲げられて尚、必中の概念を付与されたそれは三度標的に襲いかかったのだ。

 

「やったのか…?」

 

呟く声は光線の晴れた向こう、その先に未だ健在する姿に裏切られる。

 

「防御結界、その文字から察するにルーンの魔術か。なるほど、その身は槍兵であり同時に魔術師であるということか」

 

その言葉の通り、青き男の周囲には記号のような文字で編まれた即席の結界のようなものが見える。

それは淡い輝きとは裏腹に相当な堅牢さを誇るのだろう、人一人を容易く飲み込み焼き尽くす光線を受けて尚地にしっかりと足をつけた姿からは大したダメージは見てとれない。

 

「奥の手まで使わされるとはな。俺ぁ魔術は性に合わないっていうのによ。だがしかし戦れば戦るほどデタラメだなテメェ」

 

底冷えのする声。それに込められた殺意が辺りを埋め尽くす。

 

「武具など無粋、真の英雄は眼で殺す──ということだ。もっとも今の一手はお前の勝ちだがな。しかしそのおかげでその真名、看破するには至ったが」

 

殺意をさらりと受け流し、淡々と語る白い幽鬼。

その言葉に青き男の殺意は更に膨れ上がったように見える。

 

「ああ?そんなら回答で示してくれや、採点は厳しくいくがな」

 

青き男が槍を構える。

ゆったりとしたものではあるが、活力を感じさせるその動き。

 

「そうしよう。宝具の一撃を防ぐ程のルーンによる結界。それを成すには18のルーン全てを使用せねばならん。それに加えその卓越した槍捌き、獣の如き俊敏性。原初のルーンを使いこなす槍使い───遠くアイルランドには影の女王に師事し魔術と体術を習い魔槍ゲイ・ボルクを授けられたという男がいたと聞くが」

 

「はっ。そうかい。ま、及第点はくれてやらぁ。だが──気付かれた以上ここで殺すぜお前」

 

瞬間、青き姿が掻き消えた。

地を蹴る軽い音だけが広がり、それが俺の耳に届いたと同時、朱い槍は白い幽鬼の眼前で止まっていた。

槍を突きつけられて尚、そいつの表情は変わらない。

 

「と、言いたいところだが…どうだ、ここらで分けってことにしねぇか。」

 

その言葉に白髪の下の碧眼が僅かに揺れる。

 

「ーその妄言、聞くと思うかクー・フーリン。ここで槍を収める理由などオレにはないが」

 

「いいや、理由ならある。わからないとは言わせねぇ」

 

言葉と同時に黒き槍が突き出される。再びぶつかる黒と朱。

甲高い金属音を響かせ青い男──クー・フーリンが飛び退く。

 

「ならばオレも回答で示してもらうとしよう。サーヴァント同士が相対すれば命を獲り合うのが常。それを手打ちにする理由とはなんだ」

 

「ああ、そうさせてもらう。まず一つ、俺もてめえの真名に当たりがついた。宝具を展開したのは愚策だったな。ありゃあインド由来の弓の奥義だろ?クラスの関係で矢ではなく視線での遠距離攻撃にはなっていたがな。それに加えその槍──そういやインドには黄金の鎧と引き換えに神滅の槍を与えられた奴がいたな。ここまでヒントを出されてわからねぇ英霊なんぞいねぇよ。だろ?大英雄、太陽の子カルナさんよ」

 

得意そうにニヤリとクー・フーリンの唇が釣り上がる。

 

「そんで二つめ。大英雄が相手とあっちゃ俺も分が悪い。だがなその強さがてめえの弱点だ。大英雄を召喚し、魔力を回復せずに俺と打ち合い、尚且つ宝具まで展開した。ここで槍を収めなけりゃマスターが死ぬぜ?俺はまだ切り札を切ってねぇしな」

 

クー・フーリンの言う切り札。それは間違いなく宝具。

ゲイ・ボルク。放てば必ず心臓を射抜くと言われる魔槍。

そしてーーカルナは衛宮士郎を一瞥する。

我がマスターは疲労困憊、魔力も残り少ない。

宝具を展開したのはクー・フーリンの言う通り愚策であった。

矢避けの加護により必中の奥義は躱され、ただでさえ自らの召喚により負担をかけていたマスターにさらなる負荷を強いる結果となってしまった。

これでは全力で戦うなどできるはずもない。神殺しの槍を解放するなど以ての外。

どちらにしても数秒以内にマスターは魔力の枯渇により死に至る。

 

「殺気が薄れたな。それでいい。俺もその小僧には興味がある。ここで相討ちなんてつまんねぇからな。───そんでついでに三つめだ」

 

「─その先は互いに同じだろう。つまりオレというランサーとお前というランサーが二騎存在するという異常」

 

───聖杯戦争においてあり得ない筈のクラスの重複。

 

「ああ、これはイレギュラー中のイレギュラーだ。少なくとも俺は聞いたことなんざねぇ。まぁ、俺は戦いを求めて参加したクチだ。この異常にそこまで興味があるわけじゃねぇが…何かあるぜ、この聖杯戦争には」

 

「その気味の悪さがお前の槍を鈍らせていた要因か?光の御子」

 

「いいや、くだらねぇ縛りのせいだ。それに全力じゃねぇのはお互い様だ、次はその力存分に振るえるようにマスターを鍛えておくんだな」

 

捨て台詞とばかりに呟いた言葉を残して青い男の姿は闇夜の中へ飛んでいく。

カルナと呼ばれた白い男はそれを追撃する様子を見せず、何処かへと消えたその残滓を見据えるかのように静かにそこに佇んでいた。

 

脅威は去った。その実感が身を包んだと同時に俺は膝から地面へと崩れ落ちた。

そこで初めて俺の身体から魔力がごっそりと抜け落ちているのに気付いた。

全く、意識を失わなかったのは奇跡と言っていい。

それどころか命があることすら奇跡。

それほどまでに危機的状況ではあるが、まだ終わっていない。

 

カルナと呼ばれたその男の姿を明滅する視界の中に捉える。

それに気付いたのか、そいつがゆっくりと俺に近付く。

 

「マスター、すまない。説明が欲しいとは思うが少し待ってくれるか。その身には一刻も早い休息が必要だ」

 

膝立ちの姿勢になったそいつと目が合う。

 

「…馬鹿言うな。俺はお前が誰か、というか何なのかもわかってないんだ。ならおちおち寝てもいられない」

 

状況から見て敵ではない。だが正体不明、そして人智を越えた怪物であるのも確か。

気を許していい相手じゃない。少なくとも無防備な姿を晒してはならない。

 

「なるほど正論だな。だが今オレがマスターに言えることは一つだけ、敵ではないと言う事実のみだ。安心しろ、オレはその身には決して槍を向けん」

 

嘘ではない、そう感じる。

それを全て信じきるほどおめでたくもないが。

だが一刻も早い休息が必要なのは俺自身も間違いなく感じている。

 

「…わかった。細かいことはまた後で聞く。とりあえず、味方なんだよな」

 

「無論だ。仕えると口にした以上二心はない」

 

しっかりと頷く姿を見ながら瞼がゆっくりと閉じていく。

マスターだとか、何故こいつが味方なのかとか、何故命を狙われたのかとか、わからないことだらけだ。

だが今は休もう。

 

身体に浮遊感を感じる。

どうやら俺は抱え上げられているらしい。

ギイと開く扉の音から考えて行き先は土蔵の中か。

悪くない選択かもしれない。

未熟ながらも俺が日々魔術の鍛錬を積んだ場所だ、無いよりはマシといった程度だが身体に魔力がほんの少しづつ蓄えられていくのを感じる。

ガラクタの中に横たわる。

そこでふと大事なことを聞き忘れていたことを思い出した。

 

「なぁ、お前なんて呼べばいいんだ。カルナ…って呼ばれてたよな。それが名前なのか?」

 

土蔵から出て行こうとしていたその白い姿が振り返る。

 

「ああ。だができればランサーと呼んでくれ、その方が都合がいい」

 

名前があるにも関わらずランサーといういかにもな偽名で呼べという言葉に眉を顰める。

だが声をあげるより先にそれを制しカルナは言う。

 

「詳しい話は目覚めてからだ、マスター。疑問も戸惑いも必ず晴らすと約束する、だが今は胸に留めておいてほしい」

 

それで終わり、とばかりにカルナ───ランサーは土蔵から出て行った。

がたんという戸の閉まる音を最後に俺の意識が沈んでいく。

全く、散々な日だった。

心臓を貫かれ、息を吹き返したと思えば再びその槍と相対し、そして突然現れた白い男が自らをマスターと呼び、仕えるという。

色々な事がありすぎてそして何もわからずに振り回され続けた。

だが、ランサーはそれに答えると言った。なら今は…。

 

そこで俺の意識は途切れた。

 

ーーーー

 

「さて、我がマスターを休ませることはできたが…どうやらオレの仕事はまだ終わらんらしい」

 

衛宮家の門、その上に佇む白き槍兵は僅かに息を吐くとそう呟いた。

目線は自らの佇む門の外。足元からほんの少し視線を上に向けた先の二人の女性に向けられていた。

 

「一応言っておく。我が主人は就寝中だ。用があるなら日を改めてもらえるか」

 

言いながらランサーはこれで相手が踵を返すことはまずないだろうと確信していた。

 

「……セイバー、私の見間違いかしら。あいつサーヴァントに見えるんだけど」

 

「見間違いなどではありません。間違いなくあれはサーヴァント。それも最上位の英霊かと」

 

こちらの言葉が聞こえているのかいないのか、その言葉に返答はない。

代わりに注がれる値踏みするような視線。

それを断ち切るように虚空から取り出した黒槍を一閃する。

 

身構えたのは二人のうちの一人。

その姿は正しく騎士、金髪碧眼の整った顔立ちに銀の甲冑。

だが手にする獲物は、その周囲を渦巻く魔力を纏った風に光をねじ曲げられ不可視の武器と化している。

 

戦斧か、剣か、はたまた槍か杖か。だが間違いなく宝具だろうと当たりを付ける。

そう、この一見少女にも見える騎士は間違いなくサーヴァント。

つまり過去に偉業を成した英雄の再現。ありし日の現し身。ただならぬ力を持った過去の亡霊だ。

 

そしてその騎士の背後に控える黒髪の少女。

年の頃は我がマスターと同じくらいだろうか、彼女こそ騎士のサーヴァントのマスター。

英霊が現代に存在するための依り代、サーヴァントに魔力を供給する魔術師だ。

 

彼女達が何故ここへ訪れたか、先の戦闘を感知したか、または我が身の魔力を目印に襲撃に訪れたか。

それにはあまり興味はない。

重要なのは、今目の前にサーヴァントが居りマスターが危険に晒される可能性があるという事実のみ。

 

「最終警告だ。今オレに戦闘の意思はない。だがそれ以上先に進むならば黙ってはいられん」

 

門を背に地面に降り立ち、魔力を解放する。

だがマスターからの魔力供給が期待できない今、全力で戦闘をすることはできない。

それどころかこの身は多量の魔力を喰う身だ。

今だけでなく常に節度を保った戦闘を心がける必要がある。

 

使うのは槍による武技のみ。宝具はなし。炎の魔力の展開は二秒まで。

そこまでであればマスターに負担をかけずに戦闘をすることが可能だろう。

 

「…っ!!なんという威圧感…!貴様、一体…。凛、下がってください!」

 

呼応するように目の前の騎士からもまた魔力が吹き上がる。

頬を薄く焼く感覚を感じる。どうやら一筋縄ではいかない相手であるらしい。

だが勝てぬ相手ではない。

槍を握る手に力を込める。

 

「待った!そこまでよセイバー。私たちは戦いに来たんじゃない」

 

しかしそこで黒髪の少女が割って入る。

 

「凛…!」

 

「抑えなさいセイバー、今あいつと戦えばタダじゃすまないわ。それはセイバーの方がよくわかってるでしょ?」

 

黒髪のマスターの言葉にセイバーのサーヴァントは押し黙る。

 

「幸い、戦闘する気はないみたいだしね。衛宮君に聞かなきゃなんないことはできたけど」

 

そこで言葉が途切れ、視線がこちらへと向けられる。

どうやら戦闘の意思は向こうにもないらしい。

槍を虚空へと戻し門をくぐる。

我がマスターは未だ深い眠りの中。警護はまだ続く。

 

「また明日来るわ。そう衛宮君に伝えておいて」

 

背後から声が聞こえた。

 

「承知した」

 

そう一言だけ返す。

 

それから間も無く、二つの魔力は遠くへと去っていった。

 

「なるほど、マスターの名はエミヤ、か」

 

辺りがよく見えるという理由で警備するにあたっての拠点と決めた屋根の上。

そこへ腰掛けながら自らを呼び出したマスターの名を呟く。

マスターの状態、言葉、様子から見ておそらくはこの身を呼び出したのは事故のようなものだろう。

マスターという言葉の意味するところを知らず、この身が何なのかもわかっておらず、呼び出したサーヴァントの真名を聞いても薄い反応しか示さなかった。

それの意味するところはつまり、我がマスターは聖杯戦争に巻き込まれる形で、何の知識もない状態で、何らかの要因によってサーヴァントを誤って呼び出してしまったということ。

 

だがそれでも構わない。とランサーは思う。

どんな形であれこの身はあの少年に呼び出された。

ならばサーヴァントとしてやることなど決まっている。

必ず彼を生き残らせる。

 

それが、あの勇敢な少年に呼び出された我が身への義務であり、最高の報酬、願いだ。

 

「だが、まずは聖杯戦争についてマスターに説明をせねばな。口下手なオレには荷が重いが…」

 

そこで明日また訪れると言っていた黒髪の少女を思い出す。

 

「彼女に説明をして貰えるだろうか。いや、知識のないマスターなど他のマスターにとって格好の餌。知己のようだがそれで容赦するマスターなどいないだろう。戦闘の意思はないようだが、オレというサーヴァントを見た以上それがいつ敵意に変わるかなど想像もつかん。だがマスターには来訪があったと伝えておかなければ………しまった」

 

警護を続けていた瓦屋根の上で失態に気付く。

 

「セイバーのマスター、名を聞いていないな。さて、マスターには誰からの来訪があると伝えるべきか…セイバーのマスター、では通じんか……」

 

聖杯戦争の説明、敵マスターの来訪、そしてその名を聞き忘れるという失態。

問題は山積みだ。

どうするべきか、とランサーは朝日が昇るまで悩み続けていた。




梵天よ地を覆え (ブラフマーストラ)
対軍、対国宝具
生前パラシューマより授けられた弓術の奥義。
敵を追尾し絶対に命中するが、呪いにより自身より実力が上の者には使用できない。

通称目からビーム。ランチャーと呼ばれるようになった原因。



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衛宮の食卓

「セイバー、率直な意見を聞かせて。衛宮君の家にいたサーヴァント、どうにかなりそう?」

 

遠坂邸。その一室、当主である遠坂凛の寝室で彼女は自らのサーヴァントに問いかける。

傍らに控える陽光の髪を持つ騎士は、普段の彼女らしからぬ歯切れの悪さを見せながらも答えを返す。

 

「…正直に言えば、凛。勝率は五分。ステータスでこそ私が上回ってはいますが、あの威容、先程も言いましたが恐らくは最高位の英霊、単純な剣技の比べ合いではステータスの差をものともしない剛の者と感じました。よって勝敗を決めるは宝具。ですが…」

 

「真名も分からない以上、当然宝具も分からない。だから五分ってことね」

 

補足する言葉にセイバーは頷く。

 

「ええ、ですが私の直感によるもの。参考程度に考えてください」

 

「冗談でしょ。あなたの直感だもの、信じるわ。それにあいつが規格外の化物だってことはあの一瞬で感じた。十分過ぎるほどにね」

 

魔術師とは基本的に合理的、論理的思考を是とする。

目的があるならばそれを達成するのに最も効果的で、最も効率的なものを優先する人種だ。

そこに倫理観、道徳観が介在することは、魔術師本人の性格にもよるが基本的にはない。

遠坂凛は多少、一般的な『人』としての思考も持ち合わせてはいるが、それでも魔術師。

よって通常ならば直感という漠然として確実性のないものを信じるべきではないのだが、今回は話が違った。

 

まず一つ。それは彼女のサーヴァント、セイバーのスキル『直感』

戦闘時に自身に最適な展開を『感じとる』力。

彼女のもつそれは最早未来予知に近い。

つまり、あのサーヴァントと相対した際にセイバーの感じた『この相手に剣技で打ち勝つことは難しい』という直感は、ほぼ確実に訪れていた未来と言っていい。

彼女があのサーヴァントに勝つためには宝具しかないというならば、真実、手段としてはそれしかないのだろう。

 

もう一つ。それは遠坂凛自身の感じたあのサーヴァントの脅威。

目にした瞬間、敵意を僅かに向けられた瞬間、脳内をただ危険という二文字が支配した。

傍らに最高の知名度を誇る英霊を従えているというのに、だ。

 

一つでは信頼するに今一つ欠ける直感という漠然としたそれも、両者が等しく感じたのならそれは純然たる事実。

遠坂凛、セイバーの主従にとってあの黒槍のサーヴァントは目下最大の脅威として認識された。

 

「…それでセイバー、あいつの真名に何か心当たりはない?」

 

聞くも、セイバーは首を横に振る。

 

「得物を目にはしましたが、あれだけでは。私の知識の中にあの槍に関する情報はありません。少なくとも今のところは、ですが」

 

「そう。じゃあクラスは?」

 

自然、声が低くなる。それはセイバーの返答が気に入らなかったからではなく、確かな異常を目にしたからだった。

それはセイバーも同様なのか、その眉間に皺が寄る。

 

「……消去法で行けばアーチャーでしょう。ですが…」

 

「ええ、あなたの直感が剣技で勝つのは難しいと感じたのなら、アーチャーである可能性は低い。アーチャーは遠距離に秀でたクラスだもの。となるとエクストラクラスか…」

 

セイバーを召喚した日、その数時間前、確かに聞いた。

聖杯戦争の監督役たる言峰綺礼からの言葉を。

その内容とは、ランサー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーは既に召喚されている、という情報だ。

そしてその夜、自らがセイバーを召喚した以上、残るはアーチャー、であったはずなのだが。

 

聖杯戦争にはレギュラークラスと呼ばれる七つのクラスの他にそれに当てはまらない特別なクラスが存在する。

セイバーがあのサーヴァントを接近戦に秀でている、いや少なくとも接近戦にも秀でていると判断した以上、アーチャーである可能性は低い。

ならばあのサーヴァントはレギュラークラスに当てはまらないサーヴァントであったと考えるのが自然だ。

 

「まぁ、他にも可能性がないわけじゃないわ。例えば、綺礼が嘘をついていた、とかアーチャーではあるけど接近戦も得意、とかね。でもいずれにしても…これ以上ない強敵よ」

 

灯りの輝く寝室に、深い沈黙が影を差す。

だがそこで遠坂凛はそれを覆すことのできるかもしれない一つの事実を提示する。

 

「…あれ程の英霊、召喚しているだけでかなりの魔力を消費するはず。戦闘なんかしようものなら並みの魔術師じゃ体を動かすのにも苦労するでしょうね。それにね、セイバー。私はこの地の魔術師を把握してる。衛宮君は魔術師じゃない。もし仮にそれを隠してたのだとしても、それは私がそうと気付けない程に衛宮君が未熟だってこと。少なくともあのサーヴァントを戦闘させるだけの魔力は持ってないわ」

 

「ですが凛。それはあの少年がマスターだと仮定した場合の話です。もし仮に外部の魔術師があの家に存在していたとしたら」

 

確かにそれは可能性としてはあり得る話だ。

しかしあり得ない。首を振り、否定を表す。

 

「あの時、他に魔力は感じなかった。それに、衛宮君によろしく、って言った時確かにあいつは承知した、と言ったわ。つまりそれは衛宮君とあのサーヴァント、その双方が互いを認知してるって事よ。ならそれはマスターとサーヴァントに他ならない。あの時間は、あの家に他に人はいないしね」

 

あの時間は。という限定的な言葉に僅かに首を傾げるもセイバーはその違和感を無視する。

遠坂凛の言葉は理に適っており、反論の余地はない。

セイバーが一人納得する一方、遠坂凛は尚も思考の海に沈んでいく。

自分の胸に巣食う違和感、その理由を求めて。

 

「でも何故あんな英霊を召喚できたのかしら。聖杯のバックアップがあったとしても…いえ………まさか。それなら…戦闘にも耐え得るか…でも…」

 

だが所詮は推測。ただ考えることのみでは真実に到達するなどできはしない。

百聞は一見にしかずという諺もある。

遠坂凛は行動に移す意思を固めた。

 

「…よし、セイバー。明日乗り込みましょう」

 

手を叩き、反響した大きな音にセイバーは一瞬驚いた表情を浮かべる。

 

「は、はい。構いませんが、何故…」

 

「結局、見てみないと分からないでしょ?大丈夫、戦う意思を見せなければ何もされない。日の出ているうちなら尚更ね」

 

 

ーーーー

 

日が昇り、衛宮の屋敷に朝が訪れる。

ランサーとして現界して初めて見る太陽をカルナは少しだけ眩しそうに眺める。

深い眠りに就いていた主人は先程目覚め、今は屋敷の中で何やら忙しなく動いている。

万全とは言えないが、ある程度まで魔力は回復しているように思え、何より日中ということもあり警戒の必要は然程ない。

しかしそれでもしばらくの間、カルナは朝日特有の赤とも黄とも似つかない光に照らされ、太陽と一体化するような感覚を味わっていた。

 

 

「おーい、ランサー。降りてこい」

 

そこへ呼びかけられる声、ほんの少し後ろ髪を引かれる思いだがマスターからの呼び出しとあれば応じない訳にもいかない。

視線を向けることでマスターの声に応じ、カルナ──ランサーは衛宮家へと足を踏み入れていった。

 

居間へと通されたランサーが見たものは食卓に並べられた二人分の食事だった。

質素ではあるが、手の込んだものであることは料理という技術に疎い彼にも理解できる。

現在の時刻は6時程。朝食だろう。だが二人分というのが解せない。

 

「この家にはマスター以外に誰もいないと思っていたが」

 

「ああ、今日はな。平日なら大体、あと二人はいるけどな。さ、食べよう。腹減ってるだろ?」

 

向かい合わせで置かれた食事、奥の席へと着き自分にも着席を促すマスター、そこまで確認しようやくカルナは目の前の食事が自分のものであると理解する。

しかし、サーヴァントとは基本的に食事を必要としない。

睡眠も同様。食事も睡眠もできなくはないがする必要がなく、故に心に戸惑いが生まれる。

 

「あ、悪い。箸じゃ食べづらいよな。ちょっと待っててくれ」

 

沈黙を箸の使い方が分からないためだと思ったのか立ち上がる主人を手で制し、口を開く。

 

「マスター。サーヴァント───オレのような存在は食事を必要としない。これはお前が食うがいい」

 

そう言って食事を差し出そうとする手を止められる。

 

「必要がないってことは食うことはできるんだろ?ならとりあえず今日のところは食べてくれ。せっかく作ったんだ、口をつけてもらえないってのはな」

 

そこまで言われては食べない訳にもいかない。

食事によるメリットがないわけでもないのだ。

パスにより送られてくる魔力に比べれば、ごく僅かで効率が悪いが食事によっても魔力を補給することは可能。

多量の魔力を消費するランサーにとってはその僅かがありがたいと言えなくもない。

 

そして必要がないとは言え味覚は普通にあるのだ。

サーヴァントの中には食事を娯楽とする者もいるらしい。

もっともランサーにとって娯楽になるかは微妙であるが。

 

しかし

 

「む」

 

始めの一口を口に入れ、僅かに表情が変化する。

 

「…その様子だと気に入ってくれたみたいだな」

 

ほんの少し、ほんの僅かだけ、眉間と口角に変化があった程度である。

だがマスターである衛宮士郎は自らのサーヴァントが味に満足したことを鋭敏に感じ取った。

それを肯定するようにランサーが口を開く。

 

「ああ。この域に至るまでにどれ程の時を刻んだのか。武芸に生きたオレにはある種異様に思える」

 

「なんだそれ。褒めるか貶すかどっちかにしてくれ」

 

口元に苦笑を浮かべ、眉尻が下がる。

 

「ー無論、賞賛の意を以って言った言葉だったが。気分を害したのなら謝罪しよう」

 

ランサーの言葉に気にするな、と返す。

自分の食事を気に入ってもらえたことは伝わっているのだ。

言い方に難があることなど些細なこと。

 

「しかしマスター。体調の芳しくない状態でこういった物を作るのは感心しないな」

 

ゆったりとしたペースで食事を口に運ぶランサーから若干の非難を込めた視線を向けられる。

が、心当たりがない。

 

「え、体調なら別に悪くないぞ。むしろいつもより良いくらいだ」

 

自分でも意外なことに、体調は万全。

激闘を繰り広げ、生命の危機に瀕したというのに特に違和感を感じる部分はなかった。

最も、昨夜生命の危機に瀕したのは魔力の枯渇が原因だ。

それも一晩寝て回復した今、コンディションは最高と言っても良かった。

 

「ーー魔力が不足しているようにも感じるが」

 

「いや、それもない。魔力も…そうだな、わからないけど少なくとも不足してるとは思わない」

 

その発言に納得がいかないのか、ランサーは食事の手を止め考え込む姿を見せる。

 

「───そうか」

 

結局何も言うことなくランサーは食事を再開した。

その様子に眉を顰める。

だが、それを追及するより先に、俺には聞いておきたい事があった。

 

「なぁ、ランサー。それよりそろそろ教えてくれないか」

 

ランサーの食事の手が再び止まった。

 

「そうだな。では話そうーー先に言っておく。マスター、お前はここからの話を聞く義務がある。だがその義務を放棄する権利もある。話を聞けば、もはや後戻りはできん。もう一つ言っておく。オレはお前がどちらを選ぼうとお前を庇護し続ける。故にオレから話を聞く、聞かないの選択は、オレと共に戦うか、オレに全てを委ね安寧の日常に身を置くかの選択とも言える」

 

碧眼に見据えられ、萎縮する部分がないとは言えない。

それでも、答えは決まっている。

 

「決まってる、聞くさ。あんな戦いを見せられて俺だけ日常を過ごすなんてできない。でもその前に一つ聞いていいか。なんでお前はそこまでして俺を助けてくれるんだ」

 

「───お前が、オレの力を求め召喚したからだ。事故のようなものではあったようだがな、呼び出された以上オレがお前の槍となることに異存はない」

 

それはあまりに単純で、純粋で、だからこそ理解するのに時間がかかった。

確かに俺は青い男との戦いの中で、何かに助けを求め、何かを呼び出した。

それが一体どんなものなのかもわかっていなかったのだから、事故と表現するのは間違っていない。

だがそれでも目の前の男は俺を守ると言う。

 

ただ、必要とされたから。それだけの理由で。

 

「なんだよ…それ。お前、それでいいのか、そんな理由で、あんな命をかける戦いを続けるってのか」

 

「─そうだ。それこそがオレの願い、オレが召喚に応じた理由だ。例えオレが戦いの中で脱落するとしてもそれは変わらん。自分でも烏滸がましい願いだとは思うが」

 

自らが破滅しようと他者を守る。その願いのどこが烏滸がましいのか。

言葉を失う。脳内を真っさらな更地にされた気分だ。

だが、それを否定することもできない。

他人の為に自らを犠牲にする、それが間違っていると叫ぶことがどうしてもできない。

 

きっと俺が苛立っているのは、守られる対象が俺だからだ。

きっと俺がランサーの立場で、守られるのが俺じゃなかったら

 

きっと、俺は───

 

「───わかった。でもそんなの俺は認めない。俺は守られるだけの存在になるつもりはない」

 

言い切った。

相手が俺なんかよりずっと強い存在だってことも、あんな人智を超えた戦いで俺が役に立つともいえないこともわかってる。

それでも、碧眼の奥を見据えて言い切った。

 

「承知した。お前の意思を尊重しよう、マスター」

 

「決まりだ。なら一緒に戦おう、ランサー」

 

ランサーは浅く、それでも確かに、一つ頷いた。

 

「よし、なら聞かせてくれ。俺が一体何に巻き込まれたのか、お前が何なのか、この街で何が起きてるのか」

 

「ああ───」

 

そしてランサーは語り出した。

あらゆる願いを叶える願望機たる聖杯を求め、魔術師同士が殺しあう、聖杯戦争という名の戦いを。

その戦いの代行者たるサーヴァントの存在を。

 

気に入らない。それがランサーの話を聞き、真っ先に浮かんだ感情だった。

願いを叶える為に人を殺すなんて馬鹿げてる。

その戦いで俺のように巻き込まれて死ぬ人がいるなんて認められない。

 

ならば、衛宮士郎の取るべき道は決まっている。

 

「──戦う。願いを叶えるためじゃない、俺は争いを止めるために戦う」

 

自分の物と思えない、低く唸るような響きが声となって漏れる。

いつの間にか拳はきつく握り込まれていた。

 

「──お前がそれを望むなら、オレはそれを叶える為にこの槍を振るおう。我がマスター、例え聖杯にかける望みが無くともお前はオレの主であり、我が槍を預けるに足る人物だ」

 

「本当にそれでいいのか、聖杯ならどんな望みだって叶うんだろ?ならーーー」

 

お前にだって何か願うものがあるんじゃないのか

 

そう言おうとして、しかし口を噤んだ。

 

「先程も言ったと思うが、オレの願いはお前の生還であり、お前の願いを叶える事だ。聖杯にかける望みはない」

 

はっきりと、過去に偉業を成した英雄の現し身はそう言い切った。

そこに嘘も虚飾も欠けらも見られない。

この英雄は真実、俺の力になるという望みのために戦う気だ。

 

「だが───そうだな。白状すれば、戦いに赴く高揚感が無いとも言い切れん。お前にとっては複雑かもしれんがな、戦いの中で強敵と邂逅できるという事実に心の踊る自分もいる」

 

それは、そうかもしれない。

英雄とは、戦士とは、戦いの中に自分の存在意義を見出した者たちだ。

戦いに喜びを感じるのは当然だろう。

 

「そうか。確かに複雑、といえば複雑だけどな。仕方のないことだとも思う。関係のない人たちを巻き込まないっていうんなら俺は構わない。それにランサー、お前に自分のための理由があるってのは…なんだろうな。嬉しい、ような気がする」

 

俺の言葉にランサーの目が僅かに見開かれる。

驚いた、のだろうか。

 

「───感謝する」

 

微かな笑み。少しは打ち解けられたのだろうか。

ともかく、これで方針は決まった。

 

「じゃあ話は終わりだ。っと、忘れてた」

 

重要なことを失念していた、と反省して立ち上がる。

これから共に戦うというなら何より大事な事がある。

 

「悪い、遅くなった。俺は衛宮士郎だ」

 

名乗りながら握手を求める。

ランサーは律儀にも同じように立ち上がり、握手に応じてくれた。

 

「これからよろしくな。よし、じゃあ残り食っちまおう。冷めないうちに」

 

話に夢中で中断されたままであった食事を再開する。

箸を持ち、食事を口に入れようとしたところでランサーが動いていないことに気付いた。

 

「ど、どうした?」

 

ランサーは言いにくそうに、だが言わねばどうにもならぬと察したのか、静かに口を開く。

 

「──シロウ、お前の名を聞いて思い出した、というより言うべきタイミングが見付からなかったとも言うが───」

 

居間に、チャイムの音が響いた。

普段ここに来る人間などせいぜい二人くらいで、その二人は今日は来るはずがないのだが。

では一体誰が。

 

「昨夜、お前を訪ねてきた人物がいた。セイバーのマスター……そうだな、確か、そうだ凛と呼ばれていた」

 

「はぁ!?凛って、遠坂凛か!?」

 

ガンガンと居間に俺の叫びが反響した。



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ラ・ピュセル

食卓は、絶対零度の冷気に包まれていた。

二人分の朝食は半分以上その形を残したまま隅に追いやられ、ランサーの座っていた席には赤い魔術師が着席している。

その正面に衛宮士郎。そして互いの背後にはそれぞれの主を守護するため、サーヴァントが待機している。

 

「おはよう、衛宮君。早速で悪いんだけどあなたに聞きたいことがあるの。お邪魔するわね」

 

そう言って半ば強引に上がり込んだ遠坂凛の突然の来訪から五分と少し、その間会話らしき会話は一つとしてない。

遠坂凛は不機嫌さを隠そうともせずテーブルに置いた指先でコツコツと音を鳴らし、二騎のサーヴァントは微動だにせずただ佇むのみ。

重苦しい、なんてものじゃない。

 

「なぁ、遠坂───」

 

「うるさい。今色々と整理してるの、ちょっと黙ってて」

 

耐えきれず開いた口を閉じる。

援護を求めようと彼女の背後に控える少女に目線を移すも、冷ややかな表情を向けられるのみ。

 

軽くため息を一つ。

そして再び食卓に沈黙が戻った。

隅に追いやられた朝食を一瞥する。

もう冷めちまってるよな、と考え温めなおさなきゃな、という結論に至る。

それならもう一品作るのもいいかもしれない。簡単なものでいい、なんとなくもう少し何か口に入れたい気分だ。

朝からこんな息の詰まる空間に押し込められているのだ。それくらいの贅沢はいいだろう。

 

「衛宮君」

 

明後日の方向に向かっていた思考に冷水をかけられる。

 

「あなた魔術師?」

 

一瞬、息が止まる。だが、見破られて当然かと気付く。

ランサーによれば昨夜遠坂凛とは一度相対しているそうだし、相手もサーヴァントを連れているのだ、同じようにサーヴァントを連れているのが魔術師だってことぐらいわかって当然だろう。

 

「ああ、まだ半人前だけどな」

 

そう返すと、遠坂は深く息を吐いた。

 

「本当に魔術師でマスターだなんて。同じ学校に通って置きながらそうと見抜けなかった自分に腹が立つわ」

 

「俺も驚いた、まさか遠坂が魔術師だったなんてな」

 

「気付かなかったって?当然よ、周りに素性を知られるようなヘマするかっての」

 

若干の怒気をこめられた言葉が放たれる。

なんというか、魔術師だったことにも驚きだが、普段の姿が偽物だったことにも驚きだ。

今の遠坂は学校での優等生っぷりからは考えられない表情、言葉遣いをしている。

 

「それで?マスターになったってことはやっぱり聖杯が欲しいのかしら衛宮君は。ま、そんな超ド級のサーヴァント連れてるんだもの、聞くまでもないことかしらね」

 

「いいや、聖杯はいらない。俺はそんなものの為にマスターになったんじゃない」

 

遠坂の目を真っ直ぐに見据え言い放つ。

驚きは遠坂と背後の少女から。両者とも信じられないと言うように目を見開いている。

 

「え、本当に?じゃあ何の為にマスターになったのよ。いや私も聖杯が欲しいわけじゃないんだけど…というかあんたはそれでいいの?マスターがこんなんじゃあんたに聖杯が与えられる可能性はぐっと低くなるのよ?」

 

遠坂に視線を向けられたランサーが口を開く。

 

「構わない。オレの望みは聖杯ではないのでな」

 

「あっきれた。召喚されるサーヴァントはマスターと似通った英霊がーなんて聞いてたけど、その通りね。あなた達お似合いだわ」

 

脱力し、遠坂の肩が落ちる。

どこか毒気を抜かれた、といった遠坂だが、背後の少女の視線は強くなる。

 

「聖杯がそんなもの、ですか。ならば聞こう、貴方は何の為にこの戦いに身を置くのです。聖杯がいらないのならそもそもこんな戦いに参加する意味はない。今すぐ降りた方が──」

 

まくし立てるように言葉を並べ、糾弾するような視線を向けられる。

 

「そこまでだ、セイバー。お前が聖杯に入れ込むのは勝手だがな、それを理由に降伏を勧める権利などお前にはない」

 

だがランサーの声がそれを遮った。

怒りはなく、その他の感情もなく、淡々と。

 

それを見、遠坂の眉の片方が興味深げにつり上がった。

 

「そいつの言う通りよセイバー。私だって聖杯そのものが目的ってわけじゃない、でもあなたと同じようにこの聖杯戦争にかける想いとかそういったのがあるの」

 

「凛……。そうですね、失言でした」

 

遠坂の諌めるような声音に、彼女のサーヴァントは言葉の矛を収め謝罪する。

 

「でも興味あるわね。ほとんどのマスターは聖杯求めてこの戦いに参加するのよ?それがいらないって言うんなら、あなた達の目的って一体何なのかしら」

 

遠坂の言葉にぐっと拳を握る。

この戦いに参加する目的、そんなもの決まっている。

 

「こんな戦い、間違ってるからだ。願いを叶える為に殺し合うなんて間違ってる。無関係な人を巻き込むってんなら尚更だ。だから俺はこの争いを止める為に戦う」

 

今度こそ、遠坂のサーヴァント──セイバーは獅子を思わせる覇気を纏い激昂した。

 

「間違っている?あなたに何の権利があってそのような事を言うのです!私はどうあっても叶えなければならない願いの為にこの戦いに参加した!それすら間違いだと、貴方はそう言うのですか!?」

 

「待て、そうは言ってないだろ──」

 

「貴方の言っていることはそれと同義です!」

 

怒りのままセイバーは身を乗り出す。

 

「だから違う!俺はただ、形振り構わず願いを叶えようなんてやつを止めたいだけだ!いいかセイバー、お前がどんな願いを抱いて聖杯戦争なんてものに参加したのかは知らない。でもなその為なら誰かを傷つけていいなんてのは間違ってるんだ」

 

呼応するように席を立ち、テーブルに手をつく。

 

「だからそれが──!!」

 

瞬間、何かを叩きつける音がした。

それが遠坂がテーブルを思いっきり叩いた音だと理解し、口を噤む。

 

「いい加減にしなさい。衛宮君もセイバーも、自分の意見を押し付けるのはやめなさい。どうせ分かり合えっこないわよ。ただね、衛宮君、あなたの誰も傷つけたくないって考えは立派だと思うけど、それってもう叶わないのよ。だって既に聖杯戦争は始まってるんだから。これが戦いだという以上、どうやったって傷付く人も、悲しむ人も出てくる。それは理解してる?」

 

「──ああ、それはわかってる。だから俺が終わらせる。こんな戦い俺が終わらせてやる」

 

はっきりとそう言い切ると、遠坂は一度何かを考えるように目を閉じ、深く息を吐いた。

 

「わかった。つまり衛宮君は願いを叶える為に形振り構わず無関係な人を巻き込むようなマスターを止め、更に聖杯戦争そのものを破壊するために戦うって訳ね。全く、矛盾の塊、心の贅肉ね」

 

「そう言ってやるな、セイバーのマスターよ。確かにシロウの選択は魔術師としては失格だが、人としては正しいものだろう」

 

ランサーの言葉に遠坂は答えず、何度目かの沈黙が訪れる。

未だ、セイバーからは刺すような視線。

それに対抗してその瞳を真正面から受け止める。

セイバーの気持ちも、考えもわからないでもない。だがそれでも俺が間違っているとは思えない。

 

そして、ピリついた空間の中口を開いたのは、やはり遠坂だった。

 

「衛宮君、あなたの考えは理解した。どうしたって肯定はできないけどね、魔術師としては」

 

そこで一度遠坂は言葉を切る。

そして覚悟を決めた瞳で

 

「だからこれから私とあなたは正真正銘敵同士。一般人を巻き込む、なんてことはしないけどマスターとして最後まで私は戦うわ。止められるなら止めてみなさい。甘っちょろい事を言う魔術師もどきにそれができるなんて思わないけど」

 

それはどこまでも、魔術師としての言葉だった。

言葉が出ない。何かを返すべきだとわかっているのに、初めて見る魔術師の覚悟に圧倒されていた。

しかしそれでも

 

「ああ、止めてやるさ。はっきり言ってやるぞ。聖杯戦争なんてもんは根本から間違ってる。お前ら魔術師がそれを続けるって言うんなら俺が必ず止めてやる」

 

「ふん、いい目をするじゃない。───ってことは私の考えは外れか。いや、もともと可能性が低いってのはわかってたんだけど」

 

見る者を圧倒する魔術師の覇気が霧散する。

それと同時、遠坂は不思議な事を口にした。

 

「ん?なんだ遠坂、その考えって」

 

「学校の結界。私あれ貴方がやったんじゃないかって思ってたの」

 

結界──?

学校にそのような者が貼られている?

生憎だが心当たりがない。

 

「結界、ってなんだ遠坂。俺はそんなもの感じなかったぞ」

 

「…はぁ、半人前って本当なのね。それで聖杯戦争を止めようなんて──って今はそれはいいか。あのね、衛宮君、学校には今強力な結界が貼ってあるの。発動こそしてないけど、一度動き出したが最後。中にいる人間を融解し尽くす。そんな結界がね」

 

その言葉に自分の内から吐き出したくなるくらいの熱い激情を感じた。

自分の気付かない所で、そんなおぞましい物が動き出そうとしている───?

そんなもの認められるはずがない。

 

「──はい、そんな顔しない。私の見た所あれはまだ準備段階。なにも今すぐ動き出す訳じゃないわ」

 

「だからって余裕があるって訳でもないんだろ」

 

「まぁね。それならそれでそれを貼ったマスターを探し出すまでのこと。あの結界はほぼ学校全体を覆うほどのもので、血肉を奪うタイプ。そんなもの魔術師には不可能よ、ならそれはサーヴァントがやったって考えるのが自然」

 

そこまで聞き、気付く。

学校の敷地全てを覆うほどの結界。結界とは本来内から貼るものだ。

それはつまり、マスターないしはサーヴァントが学校内に入り込んだということ。

 

「待て、じゃあ学校には他のマスターが」

 

「大正解。そういうことでしょうね。話を戻すわよ、ならあの結界を止めるにはサーヴァントを倒すしかない。私にできたのは結界の起点を多少妨害する程度、おそらくそれでも一週間もすれば準備は整って、いつでも発動できる状態になってしまう」

 

「それまでに、マスターを」

 

「探し出さなきゃいけない。難しいでしょうけどね───あーあ、アテが外れたなぁ」

 

やれやれ、と遠坂は頭を振る。

忘れていた。何故遠坂はその結界を俺が貼ったと考えたのか。

 

「なるほどな。何故下手人がシロウだと判断したのか、そういうことだったか」

 

その疑問に、どうやらランサーは思い当たる節があるらしい。

背後を振り返り、視線で内容を問う。

 

「簡単なことだ。シロウ、お前も感じただろう。オレがどれほどの魔力喰いかをな。血肉を奪うという事はそこに込められた魂、魔力を奪うという事だ。セイバーのマスターはその魔力をオレが戦闘するための燃料にあてるのではないかと考えたのだろう」

 

「な、俺がそんなことするか!」

 

「ええ、わかってるわ。だからアテが外れたって言ったじゃない。というか、やっぱりあなたのサーヴァントって燃費悪いのね。まぁ、そんな見るだけで規格外ってわかる英霊なら当たり前よね」

 

遠坂は一人納得したように頷く。

だが俺にはよくわからない。ランサーが規格外───?

確かに昨夜は魔力が抜け落ちるような感覚を感じたが。

 

「お前ってそんな凄い英霊なのか」

 

だから口から出る言葉は俺にとってとても自然なものだったのだが。

 

「え、衛宮君。気付いてないの!?あんたも大変ね、こんな鈍感なマスター引いちゃってさ」

 

「同意します。まさかこれ程の存在感を誇る英霊の格を測れないとは」

 

遠坂主従にとってそれはあり得ないことらしい。

しかしランサーは気にした様子もない。いつも通り、涼しげな顔のままだ。

 

「そのような些細な事を気にする必要はない。オレは高名な英霊などではないし、それが戦局に影響する訳でもない」

 

ということらしい。

 

「あら、随分出来た英霊ね。でも、そうねそれなら───」

 

「楽に勝てる、などとは思わないことだ。我が主人、エミヤシロウを侮るな。確かに魔術師として無知もいいところだがな、魔力の量は並みを大きく上回る」

 

「一言多いぞ、ランサー」

 

ランサーの歯に衣を着せぬ物言いに堪らず苦笑する。

と同時に嬉しくもなる。ランサーは言外に衛宮士郎はランサーのマスター足りえる人物だと、そう言っているのだ。

 

「───ちょっと待って」

 

だが、そこで遠坂が表情険しくする。

あり得ない、と言わんばかりに、そして信じられないと言うようにランサーを凝視している。

 

「ランサー、ですって?悪いけど、それ確かなんでしょうね」

 

「あ、ああ。俺はそう聞いた。だよな、ランサー」

 

どこか鬼気迫る遠坂の迫力に飲まれかけながらも返答する。

確かにランサーは昨夜自らをランサーだと名乗った。

 

「ああ、だがその表情から察するに、そうかお前達ももう一騎のランサーと相対したか」

 

ランサー言葉に昨夜の出来事が思い返される。

そうだ、俺も昨夜もう一騎のランサーと戦った。

あの青い男、紅い魔槍を操るあの男。

記憶も朧だが、ランサーがクー・フーリンと呼んだあの男も、ランサーだと言ってはいなかったか。

何故こんな簡単なことに思い至らなかったか。

先ほどランサーから聖杯戦争、サーヴァントについて聞いた時に気付いてもおかしくなかったというのに。

 

この聖杯戦争、七つのクラスのうちアーチャーが抜け、ランサーが重複している。

それがどれだけあり得ないことなのか、それは遠坂の表情がありありと物語っている。

 

「あり得ません。あの青いサーヴァント、彼はランサー以外にあり得ない。槍術に秀で、宝具としてあの槍を展開しようとしていました。私としては、あなたが嘘を吐いているとしか思えない」

 

「残念だが、虚言を弄することができるほど器用ではない。加えて、オレにその疑問の答えを求められても意味はないぞセイバー。オレにも原因など分かりはしないのでな」

 

そうだ、思い出した。

クー・フーリンとカルナ。両者はこれが確かな異常だと言ってはいなかったか。

 

「───何かがおかしいわ。この聖杯戦争は何かがおかしい。もちろんあなた達の言葉を信じるなら、だけど」

 

遠坂の視線に冷たいものが混じる。

しかしそこに一握りの戸惑いが含まれていることも感じられた。

ランサーの言葉に嘘はないとどこかで理解しかけているからだろう。

 

「俺は嘘は吐いてない。ランサーの言葉を借りる訳じゃないけど、俺も嘘を吐けるほど器用じゃない」

 

「──そうね。確かにあなたはそういう人種じゃない」

 

「凛!信じるというのですか!?」

 

「いいえ、信じる訳じゃない。でも嘘を吐く理由がないのも事実なのよ。ランサーが二騎なんて嘘を吐いたところで彼らにメリットがある?クラスを隠したいのならただ隠すだけでいい。他のクラスとして偽る必要なんて無いのよ」

 

「ですが──」

 

食い下がるセイバーに遠坂の視線が向けられる。

食卓について初めて、遠坂は俺たちから視線を完全に外した。

 

「セイバー。もし衛宮君の言う事が事実であるなら、この聖杯戦争にーーいえ、聖杯に何かが起きているのかもしれない。衛宮君が嘘を吐いている可能性が低い以上、私達が考えるべきことはもっと別のことよ」

 

そう言ってセイバーを説き伏せた遠坂がこちらに向き直る。

 

「聞いたわね、衛宮君。さっきは敵同士、なんて言ったけど一時的にそれ撤回するわ。とりあえず今日だけは休戦して、この異常の把握を優先しましょう」

 

願ってもないことだが、即答するのは憚られる。

結界のことを聞いた以上、それを優先したい──と言っては見たのだが。

 

「馬鹿ね。休日にどう調べようってのよあなたは。出来ることからすべきよ、全ては合理的にってね。いい?衛宮君。クラスの重複なんてイレギュラー、聖杯が容認する訳ないのよ。それが現実のものとなっている以上、聖杯に何らかのエラーが起きているのは確実よ。たかがエラーなんて思うかもしれないけどこれって凄く深刻なことなの。もしかしたら私達が聖杯戦争をする意味まで失われるかもしれないんだから」

 

「そう、なのか──?でも、だとしたってどうやって調べるつもりなんだ遠坂は」

 

そう尋ねると、遠坂は気乗りしないといった仕草で鬱陶しそうに髪をかきあげる。

 

「この聖杯戦争の監督役に話を聞きに行きましょ。胡散臭いやつだけどあれでも監督役。今現在のエラーも把握してるでしょうし、聖杯に異常があるなんて知れば動かざるをえないはずだわ」

 

 

衛宮士郎、遠坂凛の会話の数時間前、二騎のランサーの激突から一時間と少し。

 

「ここが冬木、ですか」

 

冬木の土地に9()()()のサーヴァントが召喚された。

セイバーと同じ陽光の髪、強い意志を感じさせる瞳。

しかし纏う気配は真逆。セイバーを騎士と形容するなら彼女は乙女(ラ・ピュセル)

 

その真名は、ジャンヌ・ダルク。

クラスはルーラー。

聖杯戦争の調停役として呼び出される、絶対の中立者である。




会話回?説明回?


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虚飾

「なぁ遠坂、俺たちは一体どこに向かってるんだ?」

 

冬木の町並みを踏みしめ、前を歩く遠坂の背に問いかける。

その問いかけはセイバーも同じく考えていたのか、彼女の方からも遠坂に先を促すような視線が向けられる。

 

「隣町の言峰教会。そこが今回の聖杯戦争の監督役がいるところよ」

 

遠坂は一瞬だけ返答のために振り向くと、直ぐに正面へと向き直る。

歩幅を大きく、ずんずんと先へ進む背中をセイバーと二人して追いかける。

ランサーはいない。いやいないというのは語弊があるか。

霊体化、というらしいサーヴァントなら誰もが持つ能力によってランサーは今姿を消している。

 

正直、こんな日の高いうちからランサーの姿を外で見せるわけにはいかない。

胸に埋め込まれた赤い宝石、黄金の鎧、浮世離れした相貌。見るものを惹きつける要素に事欠かないランサーは目立ち過ぎる。

それが隠せるというのなら、利用しない手は無いだろう。

加えて、この霊体化している間は実体化している間に比べ、魔力の消費量が少なくて済むらしい。

 

「最も、サーヴァントによっては霊体化を嫌うものもいるがな。理由はそれぞれだが…我ら過去の者が肉体を得たというのであればわからない話でもあるまい」

 

とはランサーの言葉。

とにもかくにもランサーはその霊体化を嫌うサーヴァントには当てはまらないらしく、外出にあたりその身を空に解いてくれた。

ならば霊体化していないセイバーはそれを拒んだのかというとそうではない。

 

彼女は霊体化ができないらしい。

その理由について彼女も遠坂も語ることは無かったが、どうやら通常のサーヴァントとはどこか違った存在であるようだ。

セイバーは今、白いブラウスと青いスカートといった姿で隣を歩いている。

その横顔の向こうに見慣れた風景が見える様が、どこかちぐはぐで、でも美しい絵画のようで、しばし目を奪われた。

 

「あら、衛宮君ったらセイバーみたいな娘が好み?」

 

思考の外から聞こえた声にはっとする。

見れば、振り返った遠坂の顔に意地の悪い笑みが浮かんでいた。

 

「…そんな訳あるか」

 

ちらりと横を伺えば、今の会話が聞こえていたであろう彼女は素知らぬ顔で歩き続けている。

 

「あーあー、意地っ張りは大変だわ」

 

それはどちらに向けられた言葉か、何に向けられた言葉か。

セイバーと二人して居心地の悪さに軽く視線を交錯させながらも、教会へと続く道を歩いた。

 

 

 

「待て、一旦止まれ」

 

ランサーが霊体化を解き、姿を現したのは教会の姿がくっきりと見え始めた頃だった。

 

「どうしたの、ランサー」

 

遠坂が不思議そうに尋ねる。

だがそれに答えたのは、ランサーではなくもう一人のサーヴァント。

 

「勘違いかと思いましたがやはりそうですか。凛、あの教会の中にサーヴァントがいます」

 

その言葉に驚愕の表情を浮かべたのは遠坂。

 

「なんですって!?それどういうこと?教会にサーヴァントなんて…、元々滞在していたにしろ誰かが差し向けたにしろ重大なルール違反よ、それ」

 

言うが早いか、遠坂が走り出す。

もし仮にサーヴァントが教会に差し向けられたというのなら、それはルールなど知らぬとばかりに手段を選ばないマスターが存在するということ。

遠坂にとって教会の主の生死は二の次らしいが、そんなマスターがいるのならサーヴァントの一つでも確認しなければ気が済まない。

そしてそれ以上に警戒すべきなのは、教会の主がサーヴァントを隠していたマスターだったという可能性。

 

どちらにせよ、サーヴァントの気配が感じられる今のうちにそのサーヴァントの姿を一目見なければならない。

 

走り出したと同時に遠坂はセイバーに目配せする。

瞬間、セイバーの姿が青い騎士の姿へと変化した。

このあたりにもはや人影はない。つまり神秘を隠す必要がない。

頷いたセイバーは遠坂を担ぎ、弾丸の如く加速した。

アスファルトが弾け飛び、欠けらが舞い散る様がその踏み込みの凄まじさを物語る。

 

「こちらも行くとしよう。どうやら一刻を争うようだ」

 

ランサーの肩に無造作に担ぎ上げられる。

ひやり、と汗が伝う。セイバーの速度は正に砲弾と呼ぶに相応しいものだった。

ランサーもサーヴァントであるのならあれだけの速度を出せると考えるのが自然だろう。

 

「待て、ランサー。お前まさか───うおっ!!」

 

目の前の景色が引き伸ばされて行く。隣に見えていた木々が次の瞬間には遥か遠くに見える。

全く、サーヴァントの身体能力というのは恐ろしい。

人の身であればどうやっても数分はかかるであろう距離をランサーとセイバーは数十秒で走破した。

 

「大丈夫か、シロウ」

 

地に降ろされ、声をかけられる。

意外なことに、頭が一瞬くらっとした程度で軽く頭を振る程度でその異常も無くなった。

 

「ああ、それより…ここでいいんだよな」

 

教会を見上げる。

遠坂の鋭い視線。セイバーとランサーがそれぞれのマスターを追い越し、前列へと躍り出るその姿から察するに、ここに件のサーヴァントがいるらしい。

二騎について教会へ一歩一歩近づいて行く。

あと10歩。10歩でその扉に手が届く。昼間とはいえサーヴァントがいる以上、戦闘になる可能性がない訳ではない。

ごくり、と喉を鳴らす。

 

その時、その扉が内側から開いた。

 

「セイバー、そしてランサーですね」

 

その扉の向こうから外へ歩み出てきたその姿は清廉さを感じさせる少女だった。

敵意は見られない。だがランサーの姿勢が微かに沈み、臨戦態勢に入ったのを見るに彼女がサーヴァントで間違いないらしい。

 

「一目でサーヴァントを見抜くってことは、あなたもサーヴァントね?」

 

確認の意図を込め、遠坂が尋ねる。

 

「ええ。ですがお話なら中でお願いします。サーヴァントが昼間から対峙している状況は喜ばしいものではありませんから」

 

そう言って少女の姿をしたサーヴァントはゆっくりと後ろに下がった。

招き入れる仕草の後、完全に教会の中へと彼女の姿が消えて行く。

 

遠坂と顔を見合わせる。

どちらともなく頷くと、サーヴァントの後を追い教会への残り僅かな距離を歩き出した。

 

 

「ふっ、誰かと思えばお前だったか、凛」

 

教会の中、サーヴァントともう一人、静かに佇む神父がいた。

目視した瞬間、どうしてだか心の内がざわつく。

不快感、嫌悪感、そのどちらとも違う居心地の悪い感情が動いている。

 

「ええ、綺礼。あなたに聞きたいことがあってね。でもやめたわ。まさかあなたがサーヴァントを従えてたなんて、これじゃ全うな監督役とは言えないわね」

 

そう言って遠坂は視線を教会の入り口に佇むサーヴァントへと向ける。

だが、その視線を向けられたサーヴァントは不思議そうな顔をするばかり。

代わりに、得心いったと神父が笑い出す。

 

「私が彼女を従える、か。それは勘違いだ凛。彼女は何者にも従わない、彼女が従うとしたらそう、それは神のみだろう」

 

「ええ、私はその方のサーヴァントではありません」

 

「信じられると思う?」

 

「いや、その神父の言葉にもサーヴァントの言葉にも嘘はない」

 

両者の言葉を虚偽だと断じようとする遠坂をランサーが止める。

何を根拠にしているかは不明ではあるが、そこには絶対的な自信が見て取れる。

 

「そこのサーヴァントの言う通りだ、しかし私が何を言おうとお前は納得せん。続きは彼女に聞くがいい」

 

そう言って神父は視線を未だ正体不明のサーヴァントに移すよう促す。

人間三、サーヴァント二、都合十の瞳に見据えられた彼女は一度しっかりと頷くと、口を開く。

 

「私はあなたがたの言う通りサーヴァントの一騎。ですが私にマスターはいない」

 

マスターがいない──?

どういうことだ、と混乱する。

サーヴァントとはマスターがいて初めて存在できるのではなかったか。

 

「───私はルーラー。この聖杯戦争の調停役として召喚されたサーヴァントです」

 

ルーラー?

疑問符を浮かべる俺と違い、遠坂にはそのルーラーという言葉に聞き覚えがあったのか二騎のサーヴァントと共に目を見開く。

 

「ルーラー… なるほどね。ということはこの聖杯戦争には」

 

「結果が予測できない異常が確認されました。私が召喚されたのはそのためです」

 

会話が理解できない。

そんな俺を見かねたのか、遠坂とルーラーと呼ばれたサーヴァントはそのルーラーというクラスについて説明を始めてくれた。

曰く、ルーラーとは通常召喚されることのないクラスである、と。

ルーラーは中立を保ち、聖杯戦争が正しく行われるよう監督する。

聖杯自身に召喚されるサーヴァントのため、マスターが要らず、規約を破るものにペナルティを与える。

それが召喚される理由は大きく分けて二つ。

『その聖杯戦争が特殊な形式によるものであり、結果が予測できない場合』

『聖杯戦争の結果によって世界に歪みが出る場合』

 

「今回はその内の一つ目、結果が未知数であるため裁定者として私が呼ばれました」

 

「理解できたかな?彼女は中立の立場であるがゆえにまず真っ先にここを訪れた、という訳だ。召喚された原因たる異常については話す必要もない。ランサーたるそこのサーヴァントを連れてきた、ということは全て察しがついているのだろう?」

 

神父の言葉に遠坂は頷く。

 

「ええ、じゃあもう一つ質問いいかしら。聖杯戦争に異常があるのは理解した。なら聖杯は?聖杯の方にも何か異常はあるのかしら」

 

ルーラーは静かに瞳を閉じるとゆっくりと首を横に振る。

 

「いえ、私を召喚できた時点で聖杯のシステムとしては異常はないと思われます。しかし、聖杯戦争に確かな異常が発生しているのも確か。それを執り行う聖杯にも何かが起こっている可能性は否定できませんね」

 

「今聖杯に接続することはできないのかしら」

 

「できません。この身はルーラーなれどいくつかの特権を除き、他のサーヴァントと然程の違いはありませんから」

 

そう、と一言呟くと遠坂は一人静かに考え込み始めた。

その異常の中心たるランサーはと言えば、教会の壁に背を預けルーラーをじっと見据えている。

 

「ランサー、あなたにも聞きましょう。何か心当たりはありますか?」

 

視線に気づいたのか、ルーラーはランサーに意見を求める。

だが、そんなものはない、とランサーは首を振った。

 

「生憎だが、召喚時から今まで気付いたことなどなくてな。もう一騎のランサーに聞こうとそれは同じだろう」

 

それで手詰まり。誰も決定的な情報を持たず、語る言葉の全てが推測の域を出ない以上、更なる会話に意味はない。

 

「つまり、こういうことね。聖杯戦争自体には異常が観測されている。だからルーラーが召喚された。でも聖杯の異常についてはわからない。ルーラーを召喚できた以上、何かの不都合がある可能性は低いけど、確実とは言えない」

 

その結論がここに来た収穫だ。

上々、とまではいかないが悪くはないだろう。

少なくとも現在の状態を多数の視点から、そしてルーラーのお墨付きで理解できたのは大きな収穫だ。

 

 

「わかった、それなら俺がやることに変わりはない」

 

「そうだな。聖杯の状態が不確定というだけで諦める魔術師など居はしない。ならばオレとシロウのやることにも何も変化はない、ということだ」

 

俺とランサーが決意を固める横で、ランサーの言葉を肯定し遠坂、セイバーが頷く。

 

「当たり前、その程度で止まる魔術師がいるかっての。ルーラーが出て来た以上私達のやることも変わらない」

 

結局、誰の行動にも変化はないということだ。

宣言する言葉は同じでもそれからの行動は大きく異なるが。

俺たちは聖杯戦争を止めるために動き、遠坂達は聖杯戦争の参加者として動く。

 

「話が纏まったのなら、帰るがいい。マスターともあろうものが、長居する場所ではない」

 

「あら、顔を出せってうるさかった癖にいざ来たらそれ?」

 

「それはそれ、というやつだ。先のお前達ではないがこの時間にサーヴァントを何体も招き入れていれば癒着を疑われる。それはこちらとしても、望むものではない」

 

「ま、それもそうね。じゃ、帰りましょ衛宮君」

 

その瞬間、蛇の舌でなぞりあげられたように肌が騒つく。

それは何故か。この悪寒の原因はどこにあるのか。

 

「衛宮、か。そうか、お前が」

 

それは歓喜か、憎悪か。

俺の五感に異常を叩きつける神父の視線にはザラついた感情が秘められている。

 

「なるほど、ならばお前が聖杯戦争に参加するは必然だったか」

 

「どういう、意味だ」

 

「何を言う。十年前の火災、あのような悲劇を繰り返さないためお前はマスターになったのではないのか。衛宮切嗣の息子であるならば、お前が参加する理由など他にはあるまい」

 

今、なんと言ったんだ。こいつは。

一息のうちに語られた言葉に込められた情報が多すぎて理解が追いつかない。

 

「ふ、その様子では知らんようだ。いいか衛宮士郎。十年前の火災、この街に住んでいる者ならば誰もが知るあの火災、あれこそは聖杯によって引き起こされた災厄だ。死傷者五百名、焼け落ちた建物百三十四棟に及ぶそれは、相応しくないものが聖杯に触れたというだけで引き起こされたものだったのだよ」

 

脳裏に、焼け落ちた空を幻視した。

地には黒く焼け焦げた大地、いや大地のみではない。

建物も人も、空気も、何もかもが黒く焼き尽くされていた。

頭が揺れる。吐き気が喉に迫る。

 

ふらつく足を支えるように、体を抱きとめる感触。

 

「大丈夫ですか──?って凄い汗…!ランサーさん、何か持っていませんか!?」

 

「持っている訳がないだろう。オレはサーヴァントだが従者(サーヴァント)ではない。持っていたとしてもだ、心に巣食う闇を払う物などそう多くはない」

 

隣で誰かが騒いでいる。

だがその言葉は俺の耳には入らない。

今俺が知覚できるのは目の前の神父の言葉のみだ。

 

「衛宮切嗣の跡を継ぐのならば、お前はこの聖杯戦争に参加しなければならなかった。いずれ不当に奪われる命を救う、というのであればな。何せ相応しくない人物が聖杯を手にした結果は既に示されているのだから。もっとも、あの頃の衛宮切嗣を見れば───ふ、これは言わずともよいことか」

 

「───確かに、そうかもしれない。礼は言わないが、俺の意思は固まった」

 

そう、何も変わらない。意思を更に強固にしただけだ。

あの災厄が聖杯戦争により引き起こされたというのなら、俺はそれを必ず止めるだけ。

もう、俺のような無為に奪われる命を出さないために。

俺があの災厄で生き残ったのならばそれは───。

 

「それは何より。では凛共々去るがいい」

 

これで話は終わり、と神父は背を向けた。

そこでようやく、左腕を掴む感触を、体を支える存在を理解する。

 

「あ、ありがとう。支えてくれてたんだよな。おかげで楽になった」

 

「いえ、当然のことをしたまでです」

 

それでも、ともう一度例を言って神父に背を向ける。

遠坂とセイバーは既に教会から退出していた。

その後を追うため、僅かに歩幅を大きくする。

 

その背中に

 

「───喜べ少年、君の願いはようやく叶う」

 

愉しみを見つけた誰かの声が聞こえた。

振り返れば、いつのまにか神父は再びこちらを見据えている。

 

「正義とは、討つべき悪がなければ成立しない。お前の最も尊き願いと、最も醜い願いは同一のものだ」

 

その言葉は内に眠る矛盾を糾弾する。

違う、と叫びだそうにも、それができない。

 

「なんのことだ?」

 

置いてけぼりになったランサーとルーラーの頭の上に疑問符が浮かぶ。

 

「おや、衛宮士郎。お前は自分のサーヴァントに自身のあり方も伝えてはいないのだな。そこの男はな、正義の味方などという妄念に囚われた男の残した忘れ形見だ。あの男の息子なら、と思えばやはり息子も息子で、父親の妄念を継いでいたという訳だ」

 

神父の言葉にランサーの表情が険しくなる。

腕を組み、その眼差しで俺を射抜く。

 

「……確かに、正義を謳うのならば討ち果たすべき悪が必要だ。オレのような戦士(クシャトリア)もまた倒すべき誰かがいなければ成立しない。それと同じだ」

 

そして、未だ言葉の出ない俺に追い討ちをかけるように、ランサーが呟いた。

 

「シロウ、我がマスターよ。無辜の民という弱者を救いたいというお前は正義という集団秩序をよしとするのか?正義という概念が倒すべきものとして選んだものが、例えお前が救おうとした弱者だとしてもか?」

 

出るべき言葉など、元々俺のうちにはなかった。

ランサーの言葉はどこまでも正論で、考えまいとしていた何かを暴き出す。

これが悪意によるものであれば、怒りによってそれを忘れられただろう。

だが、ランサーの言葉はどこまでもただ事実を指摘するだけのものだ。

ただ真実を見せるだけのものだ。

 

だから、俺はその真実と正面から向き合わなきゃいけない。

 

「俺、は────」

 

正義の味方にならなきゃいけない。

何のため───?

誰のためだ───?

 

決まってる。あの日俺と同じように暴力的に幸せを奪われた誰かのために。

生き残った俺にはその義務がある。

 

「──答えられないのであれば、一つだけ言っておこう。弱者の味方でありたいのなら、正義に肩入れするのだけはやめておけ。そうでなければ、非情に徹することだ」

 

「そんなこと、俺は───!」

 

その瞬間、俺とランサーの間にルーラーが割り込んだ。

 

「そこまでにしておきましょう。ランサーもあなたも熱くなりすぎです。それ以上議論をしたいのであれば、あなた方の居場所に戻ってからにして下さい」

 

俺とランサーにそれぞれ掌を翳し、もうやめなさいと行動でも訴えている。

正直、ありがたかった。

俺は、ランサーの言葉に何一つとして返せるものを持っていなかったのだから。

 

「すまないな、衛宮士郎。まさか君のサーヴァントがそこまで反応するとは思っていなかった」

 

口元を釣り上げ、神父がそう言う。

嘘吐け、と何となく思うが、証拠はない。

 

「ああ、世話になった」

 

今度こそ、教会から出るために一歩一歩来た道を戻っていく。

見送りのつもりなのか、ルーラーの姿が、すぐ隣にあった。

 

扉に手をかけ、押し開く。

そこで、意を決した声でルーラーが口を開く。

 

「シロウ君、でしたね。貴方の想いも、迷いも、間違ってはいません。存分に悩みなさい。きっと貴方なら、ちゃんとした答えを見つけられますから」

 

そう言って、花のように笑う。

 

「そうだな。目指すものはともかく、今のシロウの行動に間違いなどない。その行動に救われる者もいるだろう。自分の行く末を決めるのは、それからでも遅くはない」

 

ランサーもまた、僅かに笑みを浮かべる。

 

「ありがとう、そうする。なぁ、ルーラーあんたこれからどうするんだ。サーヴァントが教会にいるのはマズいんだろ?」

 

「そうですね…。とりあえず、夜までは暇ですので街を見てみようと思いますが」

 

「いや、そういう意味で聞いたんじゃ…まぁいいや。なら案内するよ」

 

どこかズレた返答をするルーラーに苦笑する。

なんだかこの二日間サーヴァントというものに振り回されっぱなしでこういう笑い方をする事が増えた気がする。

 

「いいんですか?ありがとうございます!」

 

そう言って笑うルーラーと共に教会を出る。

どうやら見送りではなく、最初から彼女も外へ出るつもりだったようだ。

ばたん、と背後で扉の閉まる音がした。

遠く、教会の敷地と道路の境には遠坂とセイバー。待っててくれたのか。

 

待たせたなら、怒ってるよな、と急ごうとする。

が、その腕をルーラーが掴んだ。

 

「忘れていました。シロウ君、貴方に聞きたいことが───」

 

───あなたはアーチャーの行方を知っていますか?

 

 




士郎の内側のみが前に進んでおりますね。


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冬の昼下がり、公園にて

アーチャー。それは聖杯戦争における弓兵のクラス。

特に強力とされる三騎士の一角であり、遠坂、ランサーの話では今回召喚されずじまいだったというクラス。

重複したランサーの二騎に押され、抜け落ちた筈のもの。

 

「アーチャー…だって?知らないぞ、俺。というかアーチャーって召喚されてないんじゃないのか?」

 

当然の疑問にルーラーは難しい顔をする。

私も確信があるわけではないのですが───そう言ってルーラーが口を開く。

 

「私には全てのサーヴァントの所在、状態を把握する能力があります。確かに少なくとも半径十キロに渡り、アーチャーの存在は確認できません。ですが、感じるのです。あなたから、今回召喚される筈だったアーチャーの存在を。確証はありませんが、今回の異常の中心、消えたアーチャーの行方、それがあなたにあると、そう思うのです」

 

ルーラーの言葉は要約すれば、なんとなくあなたとアーチャーに関係がある気がする、程度のものだったが、真に迫る何かがあった。

もちろん、だからと言って心当たりなど何もないが。

 

「そう言われてもな……」

 

頭を掻く。ルーラーも、自身の言葉に根拠がないと感じるのかそれ以上の追求をしてはこなかった。

 

 

「遅い」

 

腕組みしたその指で自身の肘をとんとんと叩きながら、遠坂は不機嫌さを露わにしていた。

 

「遅いって、遠坂が出てからそんなに時間たってないだろ」

 

ランサーと多少問答があった程度。

時間にして数分程度だったはずだが、遠坂にしてみれば関係ないらしい。

 

「ふん。まぁいいわ。もうここに用はないでしょ、町の方までは行き先同じだし、そこまでは一緒に行きましょ」

 

そう言って返事を待たず遠坂が歩き出す。

その後にはセイバーの姿。

冬の寒さを雄弁に語る空気を切り、こちらのことなどお構いなしとばかりに二人は歩いていく。

 

「私達も行きましょうか、シロウ君」

 

隣でルーラーが笑う。

ああ、と頷いて一歩目を踏み出した。

 

来た道を戻る、という行為は存外体力を消費する。

新鮮な景色がある訳じゃなし、言って仕舞えば後片付けのようなものなのだから、少なくとも楽しいものではない。

──周りを全て女性に囲まれていれば尚更だ。

 

いや、周りが女性であることが問題なのではない。

その面子が問題だった。

遠坂、セイバーは言葉もなく、こちらを振り返ることもなく、ただ淡々と足を進め、隣を歩くルーラーもまた、そんな雰囲気を気にした様子もなく無言のまま。

そしてランサーはといえば、霊体化したまま我関せずといった状況だ。

 

サーヴァントという超常の存在が人間の数を上回るという異常に加え、これだ。

はぁ、とため息をついた衛宮士郎を一体誰が責められよう。

 

「?どうしました、シロウ君」

 

「いいや、なんでもない」

 

ぶっきらぼうに手を振って、気にするなと伝える。

納得した様子こそ無かったが、ルーラーはそれ以上踏み込まない。

だが、心配してくれた彼女にとる態度ではなかったか、と反省する。

どことなく居心地の悪さを感じ、会話の糸口を探す。

 

「そういえば、ルーラーの特権て何があるんだ?」

 

とりあえず、気になっていたことを口にする。

 

「視認したサーヴァントの真名を見抜く『真名看破』全てのサーヴァントに対して有効な令呪を二画ずつもつ『神命裁決』広範囲に及ぶサーヴァントへの知覚能力。そんなところね」

 

答えたのはルーラーではなく、前方を歩く遠坂だった。

 

「へぇ、てことはランサーの真名もセイバーの真名もわかってるってことか」

 

「ええ、ですが教えませんよ?」

 

鋭い瞳で見つめられるが、元々そんなつもりはない。

 

「いや、そんな気は無かったけどさ。真名ってそんなに重要なものなのか?」

 

何ということのない疑問、のつもりだったが、どうやら無知を晒してしまったらしい。

ルーラーの驚きの表情、遠坂の凍えるような視線、セイバーのため息から察するに俺の疑問は論外と言っていいもののようだ。

 

「当たり前です。では聞きますがシロウ君。仮に今回の聖杯戦争にジークフリートやアキレウスなどの英霊が参加していたら、あなたはどこを狙いますか?」

 

「そりゃ、ジークフリートなら背中の菩提樹の葉の跡、アキレウスなら踝───ってそうか、真名が知られるってことは弱点も知られるってことなんだな」

 

神話に知られる英雄の中には、所謂不死身の英雄と呼ばれる者も複数存在する。

ルーラーの言葉に出たジークフリート、アキレウス、そしてキュクノス、バルドルあたりが有名だろうか。

だがその中で完全なる不死身の英雄はいない。

ジークフリートであれば悪竜の血を唯一浴びることの無かった背中の一点、アキレウスであれば唯一人間のみのままであった踝、キュクノスであれば剣、槍以外の攻撃、バルドルであればヤドリギ。

 

真名を知られるということはその唯一と言っていい抜け穴を容赦なく攻撃されることに繋がるのだ。

不死身でないにしろ、英雄というものは弱点の一つや二つあるものだ。

中にはそれを知られた時点で敗北が確定するものさえいる。

 

「そういうことです。それに加えて真名を知られれば宝具もスキルも必然的に知られます。そうなれば、効果は薄まってしまうでしょう」

 

「そういうこと、だから衛宮君。自分のサーヴァントの真名は絶対バラしちゃダメなのよ」

 

なるほど、と頷いて礼を言う。

 

それからしばらくの間、先ほどよりは和らいだ空気の中歩き続ける。

相変わらず遠坂との距離は大きく、紡がれる言葉は少ないが。

だがそれも致し方ないことだとは思う。

俺と遠坂、二人が今行動を共にしているのは、異常を把握するため、という理由があったからだ。

それがなくなった以上、必要以上に関わらないようにという遠坂の態度はきっと正しいのだろう。

 

そして、真上に輝く光が僅かに傾いた頃。

 

「ここまでね。衛宮君、私はこっちだから」

 

交差点へと続く道の途中で遠坂はそう切り出した。

 

「これ以上一緒にいても意味はないし。ここできっぱりと別れて、明日からは敵同士ってことで」

 

『律儀だな、セイバーのマスター』

 

ああ、そうだな。と脳裏に聞こえたランサーの言葉に同意して笑う。

はっきりと敵同士になるのならそんな事を言う必要はない。

そう宣言するということは裏を返せば、今日のところは戦わないということ。

律儀にも、今日は休戦という言葉を守る意思表示と言えよう。

そもそも意味がないのは共に教会まで行ったこと、なんだかんだで様々なことを教えてくれたこと、事態を把握した後ここまで送ってくれたこと、その全てが余分なのだ。

 

「ありがとうな、遠坂。お前のおかげで色々助かった」

 

「ふん、別にあなたの為じゃないわ。異常について何も疑問を抱いてないあなたをそのままにしておくのが気持ち悪かっただけ」

 

「それでもだ。遠坂がいなけりゃ俺は何も知らずじまいだったからな」

 

もう一度鼻を鳴らしたのみで、遠坂はそのまま背を向けて歩き出す。

彼女のサーヴァントも共に。その間際、彼女が複雑そうな視線を向けてきたことが気にかかった。

 

 

 

 

「ここが商店街…なんだけど」

 

案内してほしい、というルーラーの言葉に従い、まずはよく利用する商店街に訪れた。

サーヴァントに見せるほどのものか、と問われれば自信を持っては頷けないし、新都の方へ行くべきだったかとも考えたのだが。

 

「ほう…」

 

興味深げに辺りを見回すルーラーの様子を見るにその心配は杞憂であったようだ。

それなら丁度いい。買い出しをついでにしておこう。

 

「シロウ君、あのオオバンヤキというのは何でしょう」

 

脳裏に買い物リストを浮かべていた俺の服を引っ張られる。

ルーラーが指差す先からは小麦粉の焼ける香ばしい香りが漂ってくる。

 

「… なんて言えばいいのかな。生地の中に餡子を詰めた食べ物だよ。簡単に言えば甘いおやつだな」

 

「おやつ、ですか」

 

なるほど。とルーラーが手を叩く。

 

「なんなら食べてみるか?───ってサーヴァントは食事必要ないんだったか」

 

「いえ、食べてみます」

 

ルーラーの食い気味な返答に笑みを浮かべる。

店主に代金を渡し、三つ分の包み紙を受け取った。

期待に目を輝かせるルーラーにその包み紙を一つ渡す。

 

「あ、ありがとうございます。暖かいですね」

 

「そりゃそういう食べ物だからな。熱いの苦手だったか?」

 

「いえ、そんなことは。それより、三つ──ああ、なるほどランサーの分ですか」

 

ルーラーの視線が手に持ったままの残りの包み紙に注がれる。

 

「私が言えた事ではありませんが、シロウ君は変わってますね。サーヴァントに食べ物を買ってあげるなんて」

 

「そうみたいだな。それより、これ食べられるとこ探そう」

 

手に持つ暖かい温度が冷めないうちに、と腰を降ろせる場所を探す。

幸い、近くには住宅地に併設された公園があった。

人気はなく、遊具で遊ぶ子供もみられないが、まぁ静かな雰囲気というのもいいだろう。

ベンチに腰掛けて包み紙を開く。

人目がないとはいえ、ランサーを現界させるわけにはいかず、ルーラーと二人ではあるが。

 

「あむ…。美味しい…」

 

そりゃよかった、と自分の大判焼きに口をつける。

冬の気温に晒され、少し表面に冷たさが張っている。

それでも中の暖かさはそのままだ。甘さも損なわれてはいない。

 

「アンコ、というものは初めて口にしましたが、本当甘くて美味しいです」

 

「甘いもの好きなんだな」

 

「そうみたいです。私の生きた時代にはこのようなものはありませんでしたが、良いものですね」

 

そう言ってふわりと微笑む。

なんとなく直視することが躊躇われた。

誤魔化すようにもう一口頬張る。

 

ふと彼女の手の中の包み紙を見ると、既に残りは三分の一程度にまで減っていた。

と思えば、次の瞬間その三分の一の全てが消えていた。

見かけによらず大食いなのかもしれない。

 

「気持ちのいい食べ方するな」

 

その品を買った身としても、これほど豪快に食べてもらえると気分がいい。

きっとこれを売った店主も彼女の食べる姿を見れば幸せに包まれるだろう。

 

「え、す、すみません…。はしたなかったでしょうか」

 

顔を赤くし、ルーラーがあたふたと狼狽える。

 

「なんでそうなる。幸せそうに食べてたからな。思ったことを言っただけだよ」

 

彼女に倣えと大判焼きにかぶりつく。

思ったより中心部分は他と比べ温度が高い。

少し顔を顰める。

 

「大丈夫ですか?」

 

気遣うような声。

だが視線は食べかけの大判焼き向いている。

 

流石に躊躇う。口をつけてしまったものをあげるのは───

 

『オレの分をくれてやれ。味わっているのかは疑問だが、オレよりはルーラーの方がそれを求めているようだ』

 

脳内にランサーの援護が入る。

いいのか?と聞くもランサーの答えは変わらない。

 

「食うか、これ。ランサーがやるってさ」

 

「いいんですか!?」

 

冷めてはいるだろうが、とルーラーにもう一つの包み紙を渡す。

よほど気に入ったのか、彼女は深く礼の言葉を述べると手の中のそれに勢いよくかぶりついた。

 

ちなみに、彼女がもう一つの大判焼きを食べ終わるのは俺より早かった。

 

「じゃあ商店街に戻るか、夕飯の買い出しとか済ませたい」

 

「夕飯、ですか」

 

「…食いにくるか?」

 

僅かに輝いた瞳を見過ごせず、そう尋ねる。

しかし、即答するかと思われたルーラーは予想に反し、微かに唸る。

 

「申し出はありがたいのですが、私はこれでも中立の身。そして聖杯戦争の調停役です。流石に夜の時間にお邪魔するのは…」

 

そういえばそうだった。

聖杯戦争は主に夜に戦闘が行われるらしい。

ならば彼女はその時間、必然的に出歩く事になるのだろう。

 

「そうか、残念だな…」

 

「ええ、残念です…」

 

そう言ってルーラーが小さく縮こまる。

 

「まぁ、とにかく行くか。そういえば昼食もまだだしな」

 

「昼食…!」

 

「……食いにくるか?」

 

またもや彼女の瞳が輝く。

しかし

 

「…申し出はありがたいのですが、中立の立場である以上マスターの家にお邪魔する訳には」

 

「…そうか、大変な立場なんだな」

 

ますます彼女の姿は小さくなる。

 

「ええ、戦闘の余波の後始末やルールに違反していないかの確認など、色々あるのです…」

 

調停役、という以上そういった仕事が主になるのだろう。

サーヴァントという人智を超えたものの戦いであるならその余波もまた凄まじい。

その後始末というどこまでも先の見えない仕事の大変さに思いを馳せ、そして背筋にピリ、と電流が走る。

 

「なぁ、ルーラー。そのルール違反ってどういう事のことを言うんだ」

 

「え、と。これは正直なところルーラーとして召喚されたサーヴァント本人の裁量によるものが大きいのですが…私個人としては、神秘を漏洩させるもの、聖杯戦争と関わりのない人々の命を奪うこと、などでしょうか」

 

不思議そうな表情を浮かべるものの、ルーラーはそう返答してくれる。

思った通り、無関係の人間を巻き込むことはルール違反らしい。

それなら

 

「ルーラー。今この街でその無差別で人を襲おうとしているサーヴァントがいる、らしい」

 

そう言った瞬間、ルーラーの瞳に鋭い感情が浮かぶ。

先程の無邪気に大判焼きを頬張る彼女ではなく、サーヴァントとしての彼女が顔を出す。

 

「シロウ君、それは本当ですか」

 

ああ、と頷いて遠坂に聞いた学校の結界の件を話す。

中の人々を無差別に融解し、命と魔力を奪う結界の件を。

ルーラーとはいえ、彼女のような少女を巻き込むことに忌避感がないわけではない。

だがそうも言ってられないのも事実だ。

せめて、その結界を張ったマスターの情報ぐらいは得ておきたい。

 

「───て訳だ。ルーラー、その結界誰が張ったのかとかはわからないのか」

 

「──いえ、サーヴァントの位置はわかりますがそれだけではどうにも。まさか自身の屋敷に結界を張る訳でもないでしょうし」

 

それもそうか、と頷く。

 

「ですが、結界を目にすれば何かわかるかもしれません。サーヴァントがそこに寄り付く可能性は低いですが…。シロウ君、申し訳ありませんがその学校に案内して頂いてもよろしいでしょうか」

 

「もちろんだ」

 

力強く返答する。彼女がいれば百人力だ。

結界を止められるかもしれない、という希望が見え少し心が軽くなる。

 

「それなら、後で学校に行こう。よし、さっさと買い出し済ませるか」

 

気合いを入れて歩き出す。

しかし、ぐいと服を引っ張られ後ろによろめく。

引っ張られる感触の方へ視線を向けると、何かを我慢するような難しい表情のルーラーがいた。

 

「え、とシロウ君。それなら、ですね…」

 

「なんだ、どうかしたのか」

 

「その、学校がどこにあるのかはわかりませんが…、時間も時間ですし、その、私はともかくシロウ君は昼食を食べた後の方が、えと、その…」

 

しどろもどろになりながらも彼女は言葉を紡ぐ。

まぁ、そこまで言われれば彼女が何を望んでいるのかぐらいはわかる。

昼食の話をここで持ってきたということはつまり

 

「食いにくるか、ルーラー」

 

「は、はい!」

 

今度こそ、即答だった。

そうと決まれば、買い出しの量も変わる。

正しくはわからないが、おそらく彼女は相当な大食い。

その後に控える捜査のことも踏まえ、昼食は多少豪華に行くべきかもしれない。

 

「さぁ!行きますよシロウ君!」

 

気づけばルーラーの姿は前方へ。

思わず苦笑する。

 

結局、予定より大きい買い物袋を手に家路を歩いた。

だが出費は思ったより抑えられたと言っていいだろう。

ルーラーの姿を見て、顔馴染みの店主達が値段をまけてくれたのだ。

 

外人の美人さんを連れてるなんてやるねー。

 

だそうだ。

言いたいことは色々あるが、まぁ安く済んだのなら文句は言えない。

 

「シロウ君、一つ持ちましょうか?」

 

「いや、いい。女の子に重いものは持たせらんないだろ」

 

陽は傾きを大きくし、これからは沈んでいくのみ。

午後の光は寒さを和らげ、袋を持つ両腕の熱もそれに一役買っている。

 

「───やっぱり変わってます。その優しさ大事にしてくださいね」

 

それともう一つ。

隣で笑う彼女のせいもあるのかもしれない、と思った。

 

 




話が、進まない!
&
メインキャラのカルナさん出番たった二言!
大変申し訳ありません。

それにしてもルーラーには何故だか「なるほどなー」
とか言ってもらいたくなりますね。



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内に眠る孤独

ルーラーことジャンヌ・ダルクとランサーことカルナは衛宮邸の居間の食卓に向かい合って座っていた。

近くから聞こえる包丁が奏でる規則的な音。

その方向の先には衛宮士郎。彼は今サーヴァントを含めた三人分の昼食を調理している。

 

「──ランサー、シロウ君はここに一人で住んでいるのですか?」

 

包丁の音以外何も聞こえない、広い屋敷とは思えぬ雰囲気に彼女はそう疑問を抱いた。

神父の話によれば少なくとも父親はいた筈なのだが。

 

「さて、オレも召喚されて日が浅いのでな。正確にはわからんが恐らくはそうなのだろう。日によってはそうでないこともあるようだが」

 

「そうですか…少なくともここを我が家としているのはシロウ君だけ、ということですね」

 

「……魔術師であるなら、珍しい話でもあるまい」

 

そうかもしれませんね、と彼女は口の中だけで呟いて衛宮士郎の背を見る。

家庭的とは彼のような人のことを言うのだろう、と一人頷く。

忙しなく動く背中しか見えはしないが、その動きに迷いは見られず、どこまでも板についている。

きっと他の家事も同じようにてきぱきとこなすのだろう。

 

動きと共に流れてくる水分の弾けるぱちぱちという音と旨味を含んだ無色の煙。

生前、前線で戦う兵士達と張り合うほどの健啖家であった彼女にとってそれは魅力的だった。

 

そして

 

「お待ちどうさま。学校の件もあるし、割と多めに作っといた。遠慮せずに食ってくれ」

 

それは初めて見る料理だった。

黒く、潰した球体のような形状のそれはしかし、濃厚で濃密な香りを放っている。

 

「この匂いは、お肉ですか」

 

「ああ、ハンバーグってやつだ。昼に出すことは珍しいんだけどな、今日は特別だ」

 

ルーラーの瞳がきらりと光る。

では早速、と一欠片口へ運ぶ。

瞬間、幸せという感情が胸から広がった。

 

「美味しいです!シロウ君は料理上手なのですね」

 

照れたように頬を掻く仕草を見る。

それに微笑むことで返して、また食事を再開した。

見る見る内に皿の中のハンバーグが小さくなっていく。

それがどこか名残惜しくて、でも魅力に抗えず、一息で口に入れた。

 

「おかわりするか?」

 

そんなことも見越していたのか、皿を寄越せと彼が言う。

 

「はい、お願いします」

 

「ルーラー、お前は受肉でもしているのか?」

 

我関せずといった風情で黙々と食事を進めていたランサーが思わず口を挟む。

もちろん受肉などしていないのだが、それに彼女が答えるより早くおかわりの皿が置かれる。

 

「ああ、堕落してしまいそうです…」

 

再びハンバーグを手に入れたルーラーが言う。

ランサー主従が視線を交錯させる。

だがどちらともなく視線を外すと、食事を再開する。

結局どちらとも何も口にしない事にしたのだ。

 

 

学校に着いたのは空に赤が混じり始めた頃だった。

既に休日を練習に当てる部活動生なども帰宅したのか、人の気配はない。

校門の側から校舎を見上げる。

 

「どうやら、本当だったみたいですね」

 

なにが、と尋ねる必要はない。

どこか甘い匂いと共に、不吉な影が蠢いているイメージが確かに見えた。

 

「中に入ってみましょう」

 

ルーラーの後に続き校舎を調べる。

──何かの体内に入り込むような異質な感覚。

それを無視して歩き出した。

 

「ここが最後の一つか」

 

それからしばらくして、俺とルーラー、そして霊体化を解いたランサーは屋上にいた。

しゃがみ込み、平和な屋上に似つかわしくない『それ』を睨む。

 

ルーラーの調査の結果として、この結界は七つの起点を中心として作られたものだということがわかった。

今目の前にあるものはその最後の一つ。

屋上の隅に描かれた、血で構成されているような小さな魔法陣。

複数の魔法陣で形作られたこの結界は遠坂の言う通り準備期間があり、充填されている魔力から見てそれが終わるまでに後五日から七日程らしい。

 

「ええ、……消し去ることは難しそうですね」

 

彼女の指が魔法陣をなぞる。

 

「ですが、この目で見てはっきりしました。やはりこれは宝具。クラスは恐らく、ライダーかキャスター」

 

「だろうな。七つのクラスのうち宝具に秀でるライダー、搦め手を用いるキャスターでなければこれほどの結界は張れまい」

 

頷くランサーへとルーラーの視線が移る。

 

「それだけわかれば十分です。シロウ君、ありがとうございました」

 

行きましょう、とルーラーがここを後にするよう促してくる。

 

「ああ、だがどうするつもりなんだ。クラスがわかったところで結局マスターを見つけ出さなきゃ意味はないだろ」

 

原則としてサーヴァントはマスターと行動を共にする。

マスターの位置を割り出さなければ必然的にサーヴァントもわからない。

まさかクラスのみで潜伏している場所を見つけ出せる訳でもなし───いや、違う。

ルーラーにはそれができるのではなかったか。

 

「私にはサーヴァントの感知能力があります。聖水を用いれば詳細な位置も把握できる。問題はありません」

 

「待て、一人で行くつもりか」

 

強い意志のこもった視線が俺を射抜く。

 

「……いえ、シロウ君あなたとランサーの人柄と力を見込み、ルーラー───ジャンヌ・ダルクの名においてあなたに協力を要請します」

 

救国の聖女、オルレアンの乙女。

その正体は他愛ないことで一喜一憂する少女だった。

しかし今彼女の顔にはサーヴァントとしての一面のみが浮かび上がっている。

 

「ジャンヌ・ダルク……」

 

呆然と呟く。

カルナという相棒とは別に、初めて知ったサーヴァントの真名。

その名は俺でもよく知っている。

祖国を守る為に戦い、だがしかし魔女として命を奪われた者。

 

「真名を晒すとはな。この結界の脅威を考慮してのものだろうが、ならば令呪を用いれば良かったのではないか?オレ達の令呪を持つお前ならばそれは容易だろう」

 

思考の外でランサーの声がする。

 

「長期的で曖昧な事柄に令呪の効き目が薄いことはあなたもご存知でしょう?ランサー、大英雄カルナが相手では尚更です。それに加え、これはルーラーとしてではなく、私個人の意見でもあります。シロウ君、私はあなたに協力してほしいのです。勿論断っていただいても構いませんが…」

 

それは誠意というものなのだろう。

いくつもの特権を持つとはいえ、秘匿すべき真名を敢えて口にした。

ルーラーゆえにリスクは少ないが、そこにはジャンヌ・ダルク個人としての矜持と衛宮士郎に対しての信頼が含まれている。

 

最も、そんなことをせずとも俺の答えは初めから決まっていたのだが。

 

「断るわけがないだろ。むしろ俺からお願いしたいくらいだ。ルーラー、お前の力を貸してくれ」

 

右手を差し出す。

握り返された手は小さく、暖かい。

 

「ありがとうございます。では早速…」

 

そう言って彼女は服の内側から小瓶を取り出す。

屋上の床に彼女がそれを振りまくと、散らばった水滴はやがて縦横無尽に線を描いた。

 

「これは、地図…か?」

 

水滴で描かれたそれは正しくこのあたりの詳細な地図だった。

 

「ええ、そしてこの動いている水滴は今現在のサーヴァントの座標です」

 

よく見れば確かに地図の中に蠢く小さな水滴が見える。

とすれば、今二つくっついている水滴がある場所はこの学校だろうか。

 

「ルーラーってのはこんなこともできるのか。それで、ライダーとキャスターはどれなんだ?」

 

尋ねた言葉を受け、ルーラーが二つ座標を示す。

学校の位置から逆算すると、そこは

 

「柳洞寺に、うちの近くの公園か…いや、待て柳洞寺の方のこれって」

 

柳洞寺を示す場所、そこにはここと同じく二つの水滴が見える。

つまり、それはそこに二騎のサーヴァントが存在するということ。

 

「もう一騎は、アサシンですか、戦闘している様子はありませんね。動きが静かすぎます。恐らく同盟を結んでいるのかと」

 

「共に直接の戦闘では他に一歩劣るクラスだな。であれば結界を張っているのはこの二騎か」

 

しかしルーラーはランサーの意見に首を振る。

 

「それは早計に過ぎます。この場所は確か霊的に優れた土地のはずですし、手を加えればもっと広範囲から効率的に魔力を募ることができる───私はライダーの方が怪しいと思います」

 

二つの意見がぶつかる。

二騎はそれ以上言うべきことはないのか、こちらに視線を向けている。

俺が決めろ、ということか。

 

「───ライダーを追おう。この時間に動き回っていることも気になるし、ルーラーの言う通り霊的に優れた土地なら学校に結界を張る必要はないと思う」

 

ランサー、ルーラーの二騎が頷く。

ここからはマスターとしての時間だ。

ルーラーと共に、俺は手段を選ばず誰かを貶めるマスターを止める。

 

───喜べ少年。君の願いはようやく叶う。

 

頭に響く声を無視して、行くぞと声をかけた。

 

 

 

既に日は落ち、空には微かに星が瞬き始めている。

異界と化した学校の校舎を抜けると、冬特有の澄んだ空気が肺に流れ込んだ。

 

「こっちですね、シロウ君」

 

目指す場所は新都へと向かう橋のある公園。

そこにライダーがいる。

ルーラーがいる以上、見失うことはないだろうがのんびりもしていられない。

肺に入れたばかりの空気を吐き出し、走る。

 

長い坂道を下り、柳洞寺と近くの丘、そして我が家を結ぶ岐路に差し掛かる。

 

とその時、腰のあたりに回される腕。

宙に浮く感触がして、何かに担がれる。

 

「ちょ、おいランサー!」

 

「急ぐ必要があるのだろう。ルーラー、お前は霊体化して付いてこい」

 

「え、ちょっと!ランサー、あなた場所はわかるんですか?」

 

「ここまで近づけばオレにもサーヴァントの存在は知覚できる。恐らくはそれがライダーだろう」

 

地面を踏み砕く低音が響いた。

それと同時、全身に風が叩きつけられる。

疾走、というよりは飛翔。

空に舞い上がる感覚を残して、景色が流れて行く。

 

「ランサー!このあたりだ!」

 

「わかっている」

 

元々、衛宮士郎の足でも然程の時間を必要としない距離だ。

サーヴァントたるランサーの脚力であればその程度の距離、一瞬で移動できる。

 

降ろされた途端軽い目眩が襲ってくるが、その甲斐はあった。

気をとりなおした時、前方には人間とは違う異質な雰囲気を持つ存在がいた。

 

「サーヴァント、ライダーだな」

 

ランサーの右手に閃光が走る。

彼の得物である黒い大槍、それが現界を果たす。

しかし、それよりも俺の目を惹く存在がある。

ライダーの側に佇む男、マスターであろうその男の姿は見知った誰かの姿そのもので

 

「慎二!お前、何をした!!」

 

ベンチに崩れ落ちる見知らぬ女性の姿を認めた時、全てを悟った。

 

「あれ?衛宮、お前もマスターだったんだ。なに、補給だよ補給。お前もマスターならわかるだろ?こいつらの本質は魂喰いだ、手頃な獲物を見つけてちょっと頂いただけだよ」

 

悪びれずそう口にする姿に脳内が沸騰する。

 

「補給だと?それがどういうことなのかわかってるんだろうな。そもそもその人は聖杯戦争に何も関係ないだろ」

 

撃鉄が落ちるようにがちりと音がした。

その音の出どころは自分の体内で、しかし不思議と違和感はない。

 

「なに怒ってるんだよ。こんなこと、魔術師なら基本だろ?足りないなら他所から持ってくる、当然じゃないか」

 

許せない、と感じた。

度が過ぎている、とは言うまでもないことだ。

 

────喜べ少年。お前の願いは─

うるさい。

 

─お前の願いはようやく叶う

相手は、慎二だぞ。

 

──それがどうした。

頭の中に自分のものでない、そうであるはずなのに違うと言い切れない、深い声が響く。

 

───わかっているな。衛宮士郎。

───お前が殺すべき存在とはどういったものか。

───忘れるな、お前が正義の味方を志すのであればこのような地獄はどこまでもお前について行くものと知れ。

 

「それはルールに反したことの自白と受け取っていいですね」

 

もう一秒、登場が遅れていたら。

そう感じるほどに彼女の登場はタイミングが良かった。

俺とランサーを背後に、ジャンヌ・ダルクは敵と向かい合う。

 

「な、なんだよお前。ルールに反した?僕が?こんなこと誰だってやってることだろ。そもそも誰がそんなこと決めるんだ。これは殺し合いだ、殺し合いにルールなんてない。お前にルールがどうだなんて言われる筋合いもないんだよ!」

 

「いえ、私にはその権限があります。私はサーヴァント、ルーラー。この聖杯戦争の調停役です」

 

毅然とした態度で、彼女は言い放つ。

ぽかんとした慎二とは裏腹に、ライダーの表情が強張る。

両目を覆うバイザーのような目隠しはその瞳を隠すことはできても、全体に表れる動揺までは隠しきれていなかった。

 

「あなた方に尋ねます。この地の学校、そこに結界を張ったのは貴女ですね。ライダー」

 

断定の言葉でルーラーがライダーを睨む。

対するライダーは無言。

 

「ライダー、隠しても無駄です。私の目の前に立った以上、貴女の情報は全て私に開示されています」

 

「もし仮に、そうだと言ったら。どうします」

 

挑発するようなライダーの言葉。

だがそれを無視して彼女の右腕があがる。

 

「ルーラーの権限を使い、ペナルティを与えます。サーヴァント、ライダー───」

 

しかしその特権が行使されることはなかった。

ライダーの右手がしなる。そこから射出された銀色の光がルーラーに襲いかかった。

鳴り響く金属音。

弾かれた銀色がライダーの手元に舞い戻る。

それは鎖で繋がれた短剣。

鈍く光るそれを構えなおし、ライダーが深く身を沈める。

 

「邪魔をしますか、ランサー」

 

「当然だ」

 

その槍の絶技でもって短剣を弾き返したランサーは短く答える。

 

「は、はは。そうだ、そうだよライダー!衛宮のサーヴァントもルーラーだとかいうその女もまとめて殺しちまえよ!!」

 

慎二の声が響く。

だが、それに応える声はない。

不愉快な視線を隠そうともしないルーラーは口をつぐみ、ランサーそしてライダーはただ目の前の敵を静かに見据えている。

 

「何してるんだライダー!僕が命令してるんだぞ!さっさとそいつらを殺せぇ!!」

 

膠着する戦況に業を煮やしたのか慎二の怒号が飛ぶ。

 

「くっ………!!」

 

苦悶の声をあげるのはライダー。

彼女はわかっている。勝ち目など万に一つもない、と。

ルーラーだけでもこれ以上ないほど厄介なのに、それに加え目の前のランサーの存在。

その存在感と威圧感はこの身を遥かに上回っている。

 

それでも尚、彼女は馳ける。

マスターの命令に応えるために。

 

「来るか…!手を出すなよ、ルーラー」

 

「ええ、あなたが戦うというのであれば、ルーラーとしての誇りにかけてその戦いに色を加えることはしないことを誓いましょう」

 

ルーラーがその身を引く。

瞬間、ぶつかり合う黒き騎兵と白き槍兵。

 

ライダーは見るものの目に残像を残し、俊足をもって銀の軌跡を縦横無尽に描く。

一瞬たりとも一つ所に留まらず、捉えられる隙を与えない連撃がランサーを襲う。

それは蝶のように舞い、蜂のように刺すという言葉を体現した必殺のヒット&アウェイ。

 

しかし、相手が悪かった。

繰り出される短剣は一度としてランサーの身に届くことはなく、ライダーとは対照的に一歩たりとも動くことのない彼の槍に阻まれている。

 

それでも捉えられないのは相手も同じ、とライダーは連撃を繰り返す。

それどころか、彼女は更に加速する。

ランサーを襲う短剣は絶え間なく、間断なく、全方位から射出される。

 

だが、あろうことかそれを。

 

「ら、ライダー!!お前っ!」

 

ランサーは掴み取った。

その手に握られた鎖をランサーは勢いよく振り下ろす。

地に叩きつけられる黒い姿。

 

「見上げたものだ。魔力と令呪を以って使役されているとはいえそこまで主に忠を尽くすか。お前のマスターはともかく、お前の在り方はサーヴァントとして正しい。故にオレの手で引導を渡そう」

 

ランサーは動く様子を見せず、その場にてライダーを待つ。

騎士の誇り、というものなのだろう。

ここからが本当の戦いだと態度で雄弁に語るランサーは、再びライダーが目の前に立つまで手を出すことはしない。

 

「強者の余裕、というものですね。後悔なさい、ランサー。その傲慢さがあなたを殺すことになる!」

 

跳ね起きたライダー。彼女の指が、黒いバイザーへとかけられる。

 

「いけない!見ちゃダメです、シロウ君!!」

 

ルーラーの両手で視界が塞がれる。

途端に目の前が暗くなる。僅かな光源は彼女の指の間から漏れるもののみ。

 

それでも確かに、世界の凝固する音が聞こえた。

 

 

 




果たしてライダーはカルナに勝てるのか!


没案として

「ここまで近づけばオレにもサーヴァントの存在は知覚できる。恐らくはそれがライダーだろう」

と言っておきながらバーサーカーの元へとシロウを運ぶドジっ子ルートも少し考えたりしてました。


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正義の味方

「やはり、ダメですか……!」

 

ルーラーの行なった視界を遮るという行為は、効果はあれどその効力の全てを防ぐことはできなかった。

ライダー。彼女の晒した瞳は魔眼。

それも並大抵のものではなく、『宝石』のランクに位置する『石化の魔眼』。

見ることでなく、視ること。つまり対象を認識することで効果は発揮される。

 

衛宮士郎はライダーの存在を明確に認識してしまっていた。

よって、直接眼を見てしまうことに比べれば効力は低くとも、石化の呪いは衛宮士郎の体の動きを阻害していた。

 

端的に言えば、思うように身動きが取れない。

 

「シロウ君!気をしっかり持って!」

 

「あ、ああ。お前、平気なのか…?」

 

「私には強力な対魔力がありますから…」

 

なら、よかったと一先ず安堵する。

しかし、ランサーはどうなったのだろうか。

ライダーの魔眼はランサーに向けられたものだ。

ならば、俺なんかよりもっと強力に呪いをかけられたんじゃないか───

 

「ふふ、形勢逆転ですね。先ほど問答無用でとどめを刺していれば、あなたの勝ちだったでしょうに」

 

衛宮士郎の不安は的中していた。

動きを止めたランサーの姿を見て、ライダーは妖艶に笑う。

鎖が流れ行く音を響かせ、短剣がランサーの首を狙う。

疾駆する銀色の閃光。

ランサーは最後までその光から目を逸らさずに

 

「は───!!」

 

動くはずのない黒槍を振るった。

 

「この程度の呪縛でオレは止められんぞ、ライダー」

 

「っ──!強がりを!!」

 

事実、ランサーの言葉は強がりではあった。

石化こそ免れたものの、その身には重圧をかけられ、身体中のあらゆる機能が劣化している。

繰り出す槍撃に先ほどまでの力強さはなく、短剣を弾く槍には鋭さが欠けている。

 

だが、それでも。

 

「くっ!魔眼を浴びた体で、それほどまでに戦いますか…!!」

 

大英雄、カルナは引かなかった。

元よりカルナの強さはその不死身の体でも、神殺しの槍でも、人智を超えた武技でもない。

あらゆる苦難に相対し、しかして怯まず挑み続けたその不屈の闘志、それこそがカルナの強さだ。

そして、それ故に制限される戦いというものにカルナはこの上なく慣れている。

 

一つ短剣を受ける度に一歩踏み込む。

時にはその鎧で受けることも視野に入れ、その槍を突き出す。

その度躱されようと、手の届かぬ領域に逃げられようと諦めはしない。

そしてそれは確実にライダーを追い詰めていた。

 

「くそっ!何してんだよライダー!そんな雑魚にいつまでかかってるんだお前!!」

 

自身のマスターたる少年の声にライダーの顔が歪む。

わかっていない。このままいけば敗れるのはこちらのほうだ。

奥の手の魔眼は劇的な効果を見せず、敗北を先送りにしただけ。

交錯ごとに振るわれる槍は一撃ごとに修正され、この身を貫くまでにそう時間はかかるまい。

それに、あの鎧も厄介だ。幾度短剣を打ち付けようと鎧には傷一つ付きはしない。

大きく跳躍し、慎二の正面に彼を庇うように陣取る。

 

つまり、結局のところやはり勝ち目などなかったのだ。

 

「シンジ。ここは退却すべきです」

 

しかしライダーの目的とはこの戦いに勝つことではない。

少なくとも今は、勝利よりもこの場から撤退することを選択すべきだ。

ルーラーとはいえ、魔術師の工房に攻め込むことは容易ではない。

そこへ帰れれば一先ず安全だと言っていいだろう。

 

「な、なに言ってるんだライダー!」

 

「聞きなさい。今のままではあのサーヴァントには勝てません。それどころかこのままでは確実に殺されます。シンジ、あなたもルーラーに何らかのペナルティを課されるでしょう。ルーラーというクラスにはそれだけの権限があるのです」

 

「くそくそくそ!なんだよそんなのズルじゃないか!こんなの、こんなの僕は認めないぞ。これじゃまるで僕が…」

 

悪態を吐き続ける少年に構わず、ライダーは彼を抱き上げる。

 

「───逃げるか、ライダー」

 

ランサーの槍撃が疾駆する。

しかし速度に優れるライダーが逃げの一手を選んだのであればそれが届く訳などない。

 

「ええ、私ではあなたに勝てませんから。ですが守るのがサーヴァントでしょう?その役割だけは果たさせてもらいます」

 

ライダーの言葉と同時、業火が舞い上がった。

 

「魔力放出───!!」

 

ライダーが戦慄の声をあげる。

ランサーの身から吹き上がる業火の勢いは、彼の突貫をロケットめいたそれへと変化させる。

黒き槍の穂先が炎を帯び赤く輝く。

空気を斬り裂き、地面を抉り飛ばし、標的へと槍が翔ける。

 

そして鮮血が散った。

 

「ひ、ひいっ!!」

 

ライダーの右腕が赤く染まる。

だが、その滴り落ちる赤い血が地を濡らすより速く、ライダーは地を蹴り飛ばす。

全力の逃走、ライダーの姿が黒い影と見まごう残像を残し夜の闇に消えていく。

追いつこうにも重圧の影響の残るランサーにはそれを行えるだけの速度が足りず、再び魔力放出を行うことは、自身の燃費の悪さもあり選択できなかった。

 

「───すまない。逃げられたようだ」

 

マスターの元へと戻るランサーは目を伏せる。

それはマスターへの謝罪の意思に加え、ルーラーへの謝罪でもある。

協力を求められたということに加え、ルーラーを差し置いて戦いに赴いたという結果が不甲斐ないものであったからだ。

 

「気にしないでくださいランサー。他の誰であれ、あのサーヴァントが逃げに徹すれば捉えることは難しかったでしょう。それほどまでに厄介なサーヴァントでした。むしろ、謝るのは私です。私のせいでシロウ君が…」

 

「気に、すんな。まだうまく体は動かないけど、そんだけだ。すぐ治る」

 

確かに、衛宮士郎はライダーの眼を直接見たわけではない。

それなら時間が経てば異常も治るだろう。

しかし、それでも私が協力を要請したから。

マスターの存在につられ、サーヴァントのレベルを低く見積もってしまったから。

と、そのような後悔の念がぐるぐると回る。

 

「すみません…」

 

「だから、気にすんな。それより、あの女の人は…」

 

ライダーに襲われた、いや慎二が襲わせたと思われる女性。

彼女はどうなったかとルーラーに問う。

 

「彼女でしたら大丈夫です。急激に血を失って気を失ったのでしょう。然るべき場所に連絡すれば適切な処置をしてくれると思います」

 

ああ、よかった。と安堵の息を吐く。

だが問題は他にもある。

逃げたライダーの件だ。あいつを放置する限り、同じことが起きる。

結界の件もあるのだから、どうしたって見逃せない。

 

「今はそれよりシロウ君の体の方が問題です!ともかく今日のところは家に帰りましょう」

 

だが、ライダーを追うことはルーラーに禁じられた。

 

「同感だ。ライダーのマスターを止めたいと言うのならばまずは体を癒すがいい。動かぬ体のまま戦ったところで、待っているのは蹂躙だけだ」

 

ランサーも同調してそう口にする。

わかっている。わかってはいるが、焦りが心臓をちりちりと焼く。

それでも、確かに今のままでは何もできはしない。

 

「わかったのなら、帰りますよ。ランサーは未だ魔眼の影響が残っているでしょうし、ここは私が───」

 

その時、軽々と俺の体が浮かぶ。

担ぎ上げられたそこは本日三度目の位置。

ランサーの肩の上だった。

 

「悪いが、シロウはオレのマスターなのでな。いかにルーラーといえどこの役目は譲れん」

 

ルーラーに視線を向け、ランサーの口角が上がる。

彼にしては珍しい仕草だ。

 

「……そうですか」

 

ルーラーもルーラーで妙に様子がおかしい。

 

「それよりそこの女性はどうする。教会に保護を願うか」

 

「いや、そこに公衆電話がある、それで救急車を呼んだ方が、はやい」

 

途切れがちな言葉でルーラーに公衆電話の使い方を説明し、救急車を呼んでもらう。

それを確認し、ランサーはゆっくりと歩き始めた。

さすがに半病人を担いで全力疾走なんて無茶はしないらしい。

 

「シロウ君。もう少しで家に着きますからね」

 

だが、正直二人して病人扱いしすぎな気がする。

もっとも、彼らより脆弱な体で彼らと同じ、彼らが警戒するほどの魔術を受けたのだからそれも無理のないことかもしれないが。

 

それから家までの短い時間を、俺は妙に揺れの少ない肩の上で、ルーラーの励ましの言葉を時折かけられながら過ごしたのだった。

 

 

「シロウ君の様子はどうですか?」

 

「問題ない。ある程度は既に動けるようだ。あの様子であれば目覚める頃には完治しているだろう」

 

衛宮邸の居間で再び二騎は向かい合う。

 

「そうですか…それはよかった。本当に」

 

ふう、とルーラーが息を吐く。

胸に手を当て、微笑む。

 

「ああ。ところでいつまで居座るつもりだ、ルーラー」

 

だがそれに水を差すようにランサーが指摘する。

ルーラーの表情が一瞬で固まった。

 

「─明日の朝までです。協力関係である以上、私にはシロウ君の無事を確認する義務がありますから」

 

「───まぁ、いいだろう。何が目的にせよ、邪なものではないようだ」

 

再びルーラーが息を吐く。

そこに含まれた感情は先ほどとは少し違っていたが。

 

「ランサー」

 

右手で席を指し示し、立ったままの彼に座るように促す。

ここに立ち寄った目的の一つとして、ランサーと対話がしたいというものがあったからだ。

ランサーは短く逡巡する素振りを見せるも、微かな音を立て目の前の席へと座る。

 

目の前のサーヴァントをじっくりと観察する。

施しの英雄カルナ。彼は伝承と違わぬ高潔さで、従順に主人に仕えていた。

そして、彼の主人である衛宮士郎はマスターらしからぬ思考で、一人の個人としてカルナを尊重していた。

従順なサーヴァントと優しいマスター。

聖杯戦争に参加する主従としてそれが良いものなのかはわからないが、人間としての繋がりで言えば最高の相性だろう。

今日一日彼らと共に過ごし、感じたことはそういったものだった。

 

しかし、彼ら二人が激突した場面が一つだけあった。

教会での一幕、衛宮士郎が正義の味方を志していると神父に暴かれた時だ。

 

「ランサー、あなたはシロウ君が正義の味方を目指すことに反対なのですか?」

 

あの時、糾弾と言ってもいい程にランサーは衛宮士郎を問い詰めていた。

主人に従順で決定には逆らわない。恐らくはそのような在り方であるランサーが何故その時だけは。

それが気になったのだ。

 

「──反対か。その認識は間違いだ。シロウが正義の味方を志すならオレはそれを阻みはしないだろう」

 

「そう、なのですか?教会でのあなたは随分と強い口調で問い詰めていましたが」

 

「そう見えたのなら謝ろう。だがどんな選択だろうと、それは尊重されるべき事柄であり他者に口を挟む余地などない───オレはそう考えている」

 

では何故、と疑問は深まる。

明らかにあの時のランサーは、悪く言ってしまえば正義の味方に良い感情を抱いていなかったではないか、と。

 

「───正義の味方、それ自体にさして思うことはない。だが弱者の味方であろうとするシロウの在り方とそれは酷く矛盾している。正義とは群体の意思、多くの人々が良しとする種としての総意。対してシロウが守ろうとするものは少数の意思だ。その矛盾に気付かぬままであれば必ず磨耗する」

 

「つまり、シロウ君がその矛盾に気付いていないからこそあなたはあのような言葉を」

 

「─そうだ。矛盾を受け止め、それでも正義を執行する存在になるのであればその道に後悔はないだろう。だが───今のシロウはそうではない」

 

必ず絶望する。とランサーは予言染みた言葉で締めくくる。

 

「そう、ですね。シロウ君のような人が覚悟のないままその道に進んでしまえば、そうなるかもしれません。彼は優しいですから」

 

優しい、優しすぎる人物だからこそ、その可能性は高い。

理想と現実に蝕まれ、心を失くしてしまう事も考えられる。

 

「せめて、祈りましょう。シロウ君が納得する道を見つけられるように。正義の味方でも、また違った道でも」

 

「─祈りはお前に任せよう」

 

二騎のサーヴァントは口元に笑みを浮かべる。

衛宮士郎ならきっと大丈夫とルーラーは思う。

衛宮士郎なら受け止めるだけの強さがあるだろうとランサーは考える。

 

彼が眠る部屋の方向を眺め、ルーラーは一度柔らかく頷いた。

 

ーーー

 

夢を見た。

夢の中のそいつは不器用で、そして我慢のきかないやつだった。

目の前で悲しむ人間がいることが許せなくて、手の届く人全てに笑っていて欲しくて。

そうしてそいつは誰かの為に、誰もの為に立ち上がった。

 

初めはうまくいかなかった。

それでもそいつは一人を救った。

 

その次は少し慣れてきた。

そうしてそいつは十人を救った。

 

その次は何人だっただろうか。

二十人、百人、どちらにせよその数は増えていった。

 

───同時に、救えなかった人々も増えていった。

 

百人を助けるために、いずれ切り捨てられる十人を殺した。

千人を救うために、助けを必要としていた百人を見殺しにした。

救う人間が増えれば増えるほど、救う手段は絶望的なまでに少なくなっていく。

より多くの笑顔を守るためには、誰かの笑顔を奪わなければならなかった。

何も知らず平和に過ごす日常を守るために、必死に生きる誰かを切り捨てなければならなかった。

 

───そいつが本当に救いたかったものは、切り捨てた誰かの方だったはずなのに。

 

切り捨てた誰かの数千倍の誰かを救って、しかしそいつはかつて抱いた理想を口にできなくなっていった。

意地になっていたのだろう。

それでもそいつは救うことをやめなかった。

誰かを救うための手を血に染めて、それだけをそいつは続けた。

 

それは最早効率的に救いを提供する装置でしかなくて。

誰かの人間性を剥奪して機械的に救いを作り出してきたそいつ自身が、いつしか機械のようなものになっていた。

 

その結果、そいつは孤独に生涯を終えた。

情のない救いは救われた人間以外には恐怖でしかなくて、救われた人間でさえも、次に切り捨てられるのは自分かもしれないと疑いを抱いた。

そうして辿り着いたのは剣の丘。

最期にそいつは人間性の全てを剥奪されて殺された。

 

───見えるか、衛宮士郎。

────これが貴様の行き着く果て、俺達の理想の果てだ。

────これは全て事実。このまま行けばお前もこの結末を迎える。

────気付け、衛宮士郎。お前の願いは前提からして間違えている。

 

 

────自分すら救えない者が誰かの助けになるなど、思い上がりも甚だしい。

 

そう、結局のところそいつは最期まで自分だけは救えなかった。

それはルーラーもランサーも未だ気付いていない、衛宮士郎の人間としての故障だった。

 

 

 





カルナさんとジャンヌはシロウ君の将来が心配のようです。


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サクラ

ランサー、ルーラーの会話からしばらく。

霊体化し、見張りのために屋根へと跳ぶランサーを見送りルーラーは縁側でゆったりとした時間を過ごしていた。

ランサー、ライダーの激突以外にサーヴァント同士の戦闘はなく、マスター達は沈黙を守っている。

準備を整えているのか獲物を見定めているのか、とにかく衛宮士郎が一時的に倒れている今、その状況は有り難かった。

 

不意に、呼び鈴の鳴る音が縁側まで届いた。

おそらくは来客だろう。

ランサーが何も行動を起こさない以上、少なくとも敵意を持った相手でないことは確かだ。

 

「どうしましょう…」

 

自分が代わりに対応することは出来る。

町を歩き回るにあたり用意してもらった服を着ていれば、自分は普通の人間にしか見えないはずだ。

しかし、来訪したのが彼の知り合いであった場合、どうしたらいいのだろう。

だが、そんな思考に時間を割いているうちに玄関が騒がしくなる。

 

「おーす、士郎ごはん作ってるかー?」

 

「お邪魔します」

 

誰かが入ってきた。

───行ってみよう。

泥棒の類いであることも否定できないし、彼の知り合いであったとしても彼が伏せっていることは伝えておくべきだろう。

 

それは、少しだけやっかいな事態を引き起こした。

 

ーーー

 

「シロウ君、朝ですよ。起きてください」

 

心地のいい声が耳を撫でる。

覚醒し始める頭に鈴が転がるように響いていく。

優しく揺らされる肩の感触が決め手となって目を醒ます。

 

「ん…、ルーラー…?」

 

目を開いた時、真っ先に視界に入ったのは金の髪をさらりと揺らすルーラーの姿だった。

 

「はい、ルーラーです。大丈夫ですか?少し顔色が悪いですよ?」

 

言われて額に汗をかいていることに気付いた。

心なしか吐き気も感じる。

 

「大丈夫だ。変な夢を見たからそのせいだと思う」

 

「夢、ですか?」

 

「ああ、よく覚えてないけどな」

 

誰かが語りかけてきていたような気がする。

だがそのほとんどは覚えていない。

唯一覚えているものは剣の丘。

誰かが至った最期の光景だけ。

 

「そうですか…。体のほうはどうですか?」

 

「別になんともないけど…ってそうか、俺ライダーに」

 

そうだ。俺は昨夜ライダーの魔眼の能力を浴びたんだった。

しかし今その影響はない。

右手を広げる。閉じる。大丈夫だ、違和感はない。

足にも強ばった感触はない。脳が命じるままに体は動く。

 

「うん、問題ない。ありがとな」

 

「いえ、あれは私の落ち度ですから心配するのは当然です」

 

「昨日も言ったけどな、あれはルーラーのせいじゃない。だから気にしなくていい」

 

誰のせいかといえば間違いなく自分のせいだ。

目の前で繰り広げられる戦いをただ見ていたから俺はあの魔眼を浴びた。

自業自得。もっともあらかじめライダーの能力を知っていたところで結果は変わらなかったかもしれないが。

しかし少なくともルーラーのせいではない。

 

だというのに。

 

「気にします!もともと私が巻き込んだようなものですし…」

 

「ルーラーに言われなくても俺はライダーを追ってたと思う。それにルーラーは俺を守ってくれたじゃないか。むしろ感謝してる」

 

「むう…ですが」

 

胸の前で両の拳を握りルーラーがこちらを見つめる。

 

「でもじゃない。ルーラーは俺を守って、俺はこうして助かった。それでいいだろ?」

 

むむう、と可愛らしく頰を膨らませて彼女が唸る。

正直、少しだけ心が揺らいだが俺の意見は変わらない。

こちらをなおも見つめるルーラーの視線を真っ向から受け止めた。

そうして見つめ合い、しばらくして観念したのかルーラーはそっと溜め息を吐いた。

 

「わかりました。……シロウ君は頑固ですね」

 

「それは聞き捨てならないぞ。頑固なのはルーラーじゃないか」

 

「いいえ、シロウ君の方が頑固です」

 

再び無言のにらめっこが続く。

いつまでそうしていただろう。外から鳥の鳴き声が聞こえた時。

 

「ふふ」

 

おかしそうにルーラーが笑い出す。

それにつられて俺も笑う。

しばらくの間、二人して声をあげて笑い合う。

 

「似た者同士ですね、私達。そうだ、シロウ君。ライダーのことなのですが」

 

「ああ、聞かせてくれ」

 

和やかな雰囲気が途端に霧散する。

 

「はい、あの後ライダーに動きはありません。おそらく工房に立て籠もっているのでしょう。ですが魔術師の工房に策もなしで飛び込むのは危険です。作戦を練ってからにしましょう」

 

「そうか…なら学校には来ないだろうな、慎二のやつ」

 

「学校へ行くつもりですか?ランサーがいれば問題はないかもしれませんが、気をつけてくださいね。不完全な状態でも結界が発動すれば危険ですから」

 

わかってる。と小さく頷く。

だがルーラーは視線を外した俺の視界にわざわざ入り込み、瞳を覗き込んでくる。

 

「絶対ですよ?またシロウ君が倒れたら私もランサーも困るんですからね」

 

眉間を人差し指でつつかれた。

更につんつんと二度、三度と念を押すように眉間を刺激しながらルーラーは言葉を連ねる。

 

「いくらランサーが強力なサーヴァントでもシロウくんはただの魔術師なんですから。むしろカルナほどの英霊を連れていれば見る人が見れば即マスターだと見破られます。本当は学校に行くのもやめた方がいいんですが…」

 

「それはできない。学生なんだから学校にはいかないと」

 

「はぁ…そうですよね。わかってますよ、シロウ君ならそう言うことくらい。結界のこともありますし、動けるマスターが学校にいるのもいいかもしれませんが…。いいですか?絶対に無茶はしちゃいけませんからね!」

 

指の腹でぐりぐりと眉間を抉られる。

はっきり言って少し痛い。

 

「わかった、肝に命じとく。それより今何時だ?朝飯作らないと」

 

「あ、それなんですがシロウ君…」

 

真っ直ぐにこちらを見つめていた視線が逸らされた。

言いづらそうに、気まずそうな表情でルーラーは両手を合わせる。

 

「どうしたんだルーラー…ってまずい。そろそろ桜が来る頃じゃないか…?」

 

藤ねえと桜。二人はそろそろ朝食のためにここを訪れるはずだ。

ルーラーはともかくランサーを見られるわけにはいかないし、朝食の支度がおくれれば藤ねえに何と言われるかわからない。

それならば一刻も早く向かわなければ、と足を動かす。

だがそれは叶わなかった。腕をしっかりと掴まれる。

 

「シロウ君、あのですね…」

 

とん、とん、と廊下の方から音がする。

それはゆっくりとこの部屋へと近づいてきていて、その音が大きくなるにつれて腕を掴む力が弱々しくなっていく。

 

「昨夜の話、なんですが……」

 

音はこの部屋の前で止まった。

同時に、部屋の戸が遠慮がちに開いていく。

 

「先輩…?お身体の具合はどうですか?」

 

開かれた空間から聞こえる声はよく知る後輩のもの。

 

「あ…」

 

「桜……?」

 

そして

 

「え…?どうして……どうしてジャンヌさんが先輩の部屋にいるんですか!?」

 

大きな声で、俺の脳内は言い尽くせない疑問に包まれた。

 

 

 

「…………」

 

食卓には既に用意された食事が並んでいた。

それを用意してくれたのであろう後輩は無言で箸を動かしている。

 

「桜ちゃんのごはんもおいしいなぁ。あ、そうだ士郎もう体はなんともないの?」

 

「あ、ああもう治ったみたいだ」

 

「そっかー、ジャンヌちゃんには感謝しないとだね。ねぇ士郎?」

 

話はこうだった。

昨夜夕食のために訪れた二人は、ルーラーと遭遇。

大暴れしかけた藤ねえを何とか抑え、事情を説明したらしい。

 

「私はフランスから訪れたジャンヌという者です。右も左もわからない地で右往左往していたところをシロウ君に助けていただいたのですが、この地を案内してもらっていた最中体調を悪くしていたのかシロウ君が倒れてしまったのです。それでこの家に彼を運び今まで看病をしていたのです」と。

 

重要なことは話していないが、嘘ではない。

聖杯戦争についての事情を隠したまま正確に状況を表したうまい言い方かもしれない。

 

「もう、びっくりしたんだから。私はてっきり士郎が家に女の子を連れ込んだのかと思ったよ。でもジャンヌちゃんは偉いね、まさか朝一番にまた士郎の様子を見に来るなんて」

 

「い、いえ私としても気になっていましたから。………一晩中いたって言っちゃ駄目ですからねシロウ君」

 

囁くような声で付け足される。

 

「それにしてもフランスからねー、大変だったでしょ、それもこんな時期に。ここの所物騒だから夜は出歩いちゃ駄目よ」

 

藤ねえの言葉にルーラーは曖昧な笑みを浮かべた。

それも仕方のないことだろう。

いえ、夜に出歩かなければならない理由があるんです。とはまさか言えまい。

 

「それと士郎。今日の朝ごはんは全部桜ちゃんが用意したんだから。夕ごはんは期待してるからね」

 

その先に着いた米粒を飛ばす勢いで箸を突きつけられる。

正直はしたない。

 

「わかった。藤ねえが満足するものを作らせて頂きます。桜、ありがとな」

 

「………いえ」

 

僅かに視線を移したのみで桜は再び箸を動かし始める。

常ならば考えられない反応だ。

桜はいつも優しく、柔らかに微笑むような存在であるだけにその反応に戸惑う。

 

「どうしたんだ、桜」

 

「士郎?女の子の心、よく勉強しなさい」

 

藤ねえの言葉に更に首を傾げる。

 

朝食はいつもより静かなものだった。

口を開くのは主に藤ねえで、俺やルーラーはその言葉に返答するだけ。

いつもならば藤ねえと共に食事の時間に色を添える桜は今日はただ箸を口へと運ぶのみだった。

 

「………勘違い、ですよね。やっぱり」

 

隣から小さな声が聞こえる。

ルーラーがさりげなく桜に視線を送る中で、桜もまたルーラーを気にしている。

やはり、知らない奴がいるといつもの調子が出ないのかもしれない、と一人納得した。

 

 

「じゃあ私と桜ちゃんはもう行くけど、士郎も遅刻しないように来るのよ」

 

「先輩、行ってきます」

 

朝練へと向かう二人をルーラーと共に見送る。

 

「ジャンヌちゃん、もし良かったら夕食も食べにおいで。士郎のごはんはおいしいぞぉ?」

 

「え!?藤村先生、それは…」

 

「桜ちゃんの気持ちもわかるけど、外国から一人ってやっぱり心細いと思うの。士郎が助けられた恩もあるし、ね?」

 

小声で何事かを藤ねえが桜に囁く。その光景を目の前にしながら感じる耳への吐息。肩にかけられる小さな手。

ルーラーの小さな声が文字通り息のかかる距離から聞こえる。

 

「シロウ君、どうしましょう?…ライダーのことを考えると」

 

「行動を起こすならどちらにしろ夕飯の後だ。それに藤ねえも頑固だからなぁ。これからも会うかもしれないし、とりあえずここは頷いといてくれ」

 

こちらも小声で返す。

ルーラーの方へ首を向けるとその端正な顔立ちが視界一面に広がる。

彼女の瞳が僅かに見開かれ、その頬に緋色がさした。

 

「おーい、仲よさそうにしてるのはいいんだけど。お姉ちゃんの話聞いてる?」

 

「先輩、随分ジャンヌさんと……」

 

強烈な威圧感を感じる。特に桜から発せられるそれは凄まじい。

笑顔を浮かべてはいるが、笑顔は時に怒鳴られる声よりも雄弁に怒りの感情を伝える。

桜が今浮かべているのはそれだった。

冷たさと静かな怒気。肩に添えられていた手が素早く引っ込められる。

 

「さ、桜?一体どう───」

 

「夕食ですね!伺います!楽しみです!」

 

隣で大きく声があげられる。

藤ねえは大きく頷くと満面の笑顔を浮かべ、手を振りながら歩いて行く。

 

「先輩?早く、来てくださいね?」

 

桜も笑顔のままその後を追っていく。

気のせいだろうか。桜が去ると同時にあたりの温度が少し上がった気がする。

 

「なんだったんだろうな、桜のやつ」

 

「シロウ君……それは本心から言っているのですか」

 

心なしか呆れたような感情がルーラーから漏れている。

 

「ルーラーはわかるのか?」

 

「ふぅ…シロウ君は心の機微というか、女性の心理というか、そういったものに疎いのですね…」

 

やれやれ、とそう言いたげに首を振りながらルーラーが玄関を潜っていく。

 

「シロウ君、それを言うのは……ルール違反、ですので私からは言いません。ですが彼女に真っ直ぐに、素直に向き合えばきっとそれは見えてきます」

 

背中越しに投げかけられる声。

その意味はわからなくとも、そこには無視してはいけない何かが含まれている。

そう感じその言葉を心に刻む。

居間へ向かう廊下を先に歩くルーラー。その表情は金の髪に隠されていた。

 

 

「戻ってきたか」

 

「ああ、ランサー。おはよう」

 

居間にはランサーが静かに佇んでいた。

大方今の今まで霊体化していたのだろう。

確かにルーラーと違いランサーは人の前に出られる格好をしていない。

着替えようにも、おそらくあの肉体と同化しているような鎧が邪魔して着ることができる衣服など無い。

 

「ランサー、シロウ君。では昨夜の戦いを踏まえ作戦を立てましょう」

 

ルーラーの言葉に槍の主従が頷く。

食卓の隅に腰掛けたルーラーに倣い、その正面にランサーと共に腰を降ろす。

それを認め、ルーラーが小瓶を取り出した。

昨夜も見たそれは聖水。

彼女が振りかけた聖水が食卓の上に精細な地図を描いていく。

 

「ライダーはこの通り、一点に留まっています。私という裁定者に存在が知られた為でしょう。ですがそれを踏まえ、ここに留まっているということはこの場所は魔術師の工房であると考えられます」

 

「朝も聞いたけど、その工房ってなんだ?というか、慎二は魔術師なんだよな、気付かなかった。いや待てだとしたら桜も魔術師なのか?」

 

慎二との付き合いは長い。だというのに気付かなかった。

もっとも、俺も慎二には魔術師であることなど話してないし気付かれるような真似などしていない。

お互いに気付かなかったのも当然といえば当然か。

それよりも問題なのは桜だ。

今までこの家で自然に笑っていた、日常の象徴とも言える桜が魔術師───?

 

「桜───彼女がライダーのマスターと関係あるんですか?」

 

「ああ、桜は慎二、ライダーのマスターの妹なんだ。慎二が魔術師ってことは桜も」

 

妹、という言葉にルーラーが目を丸くする。

直接の会話はなくとも意外であったのかランサーもまた隣で短く声をあげる。

 

「妹───いえ、魔術というものは一子相伝。二人子供が生まれた場合片方は普通の子供として魔術を知らずに育ちます」

 

「てことは桜は何も知らないんだな。良かった」

 

安堵の声にルーラーは答えない。

口元に手を添え、何かを考え込んでいる。

 

「─それで工房ですが、工房というのは魔術師が魔術を行い、研究する場所。己が生涯をかけ創り出したものを残す場所です。故に魔術師は工房の防衛に全霊をかけます。いかなサーヴァントでも無策で飛び込むのは無謀と言っていいでしょう」

 

しばらくの沈黙のあと、ルーラーはそう説明を始めた。

 

「工房に挑むということはその家系の歴史に挑むと同義です。ランサーであれば制圧は容易いと思いますが…」

 

「わかっている。オレは魔力喰いだ、迎撃の魔術全てに対し応戦していてはシロウの魔力が枯渇する恐れがあると言いたいのだろう?」

 

ランサーの言葉にルーラーが頷く。

 

「私であれば単騎での侵入も可能ですが私ではライダーに対し有効打がありません。特権を使おうにも彼女のスピードでは必然的に白兵戦に持ち込まれるでしょうから」

 

ルーラーの特権の一つ、『神命裁決』。

全てのサーヴァントに対し二画の令呪、絶対命令権を持つ彼女だがそれを使うより早く彼女の短剣はルーラーに襲いかかる。

魔眼は彼女に対し効果がないようだが、あのスピードの前ではどちらにしろ同じことだろう。

 

「つまり、俺とランサー、ルーラーが行けばなんとかなるってことだな」

 

だがその言葉にルーラーが首を振る。

 

「いいえ。私とランサーです。わかっているんですかシロウ君。屋敷のどこにあるのかまでは知りませんが、工房に攻め込むということは今日この場所で食事をとっていた彼女にシロウ君が魔術師であると知られるかもしれないんですよ?それどころか、もしかしたら彼女のお兄さんを手にかける必要があるかもしれない。そんな場所にあなたを連れてはいけません」

 

心臓に冷たい剣が差し込まれた。

ずきずきと痛む胸が俺に現実を突きつける。

日常を失いたくないなら、私達に任せろと彼女が言う。

 

「──ライダーのことはオレとルーラーに任せておくがいい。シロウ、お前は行くべきではない」

 

お前はそんな役目を負う必要はないとランサーが言う。

 

その言葉に甘えてしまいそうになる自分がいた。

任せてしまえ、と誰かが囁いた。

任せてしまおう、と誰かが頷いた。

 

──だがそれはエミヤシロウではない。

 




この小説はほのぼの七割、唐突に入るシリアス三割で構成されています。
きっと。



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それぞれの秘密

夕暮れの太陽が遠くの空を赤く染める。

フェンスに寄りかかった背に僅かに冷たい気配を感じ、僅かに顔を顰める。

全く、今日は授業が頭に入って来なかった。

理由は明白。慎二、ライダー、そして桜のことだ。

 

俺は一刻も早く慎二を止めたい。この街に住む誰かのため、そして桜のために。

もう誰かを傷つけることをさせたくない。

そして、正直なところ追い詰められ不安定な慎二の元に桜を置いている事に抵抗がある。

このままではあいつが桜を聖杯戦争に、魔術の世界に巻き込んでしまう可能性が捨てきれない。

 

だから俺は早く決着を付けたがった。

だが──

 

「衛宮君お待たせ。って寒っ!こんなとこで待ってたの?悪い事しちゃったわね」

 

屋上の扉が開く金属の重い音と共に、真っ直ぐな声が響く。

 

「いや、気にしなくていい。そんなに待ってないからな」

 

現れたのは遠坂凛。

昼休みの途中、『衛宮君、話があるの。放課後空けといてくれる?』とクラスに尋ねてきたのだ。

その際のクラスの反応については割愛。

ともかく、セイバーのマスターである遠坂から話があると言われれば従う他ない。

ゆえに、放課後になったと同時に俺は屋上に向かったのだった。

 

「それで、話ってなんだよ」

 

恐らくは、いや確実に聖杯戦争の件だろう。

意識を切り替え、遠坂の目を見据える。

しかし

 

「──うん、一つ忠告が増えてさ。でもそれは後でいいわ、急ぎじゃないし。まずは衛宮君の話から聞こうかしら」

 

遠坂は不思議な事を口にした。

 

「俺の話──?」

 

意図するところがわからず首を捻る。

俺は何か相談があるとか何とか遠坂に言っただろうか?

 

「そう、衛宮君の。見るからに悩んでますって顔で黄昏てるんだもの。協力して欲しいこともあるし、相談くらいなら乗ってあげるわよ」

 

どうやら傍目で見てわかるほど俺の様子はおかしかったようだ。

しかし丁度いい。慎二の件を教えることも含め、相談するのも悪くない。

 

「少し長くなる。いいか?」

 

頷く遠坂を確認し、口を開く。

慎二の凶行、ライダーとの戦い、その能力。

そして早期に決着を付けるための作戦まで。

 

「待って。その話本当なの?慎二がマスターだなんて。それはあり得ない筈よ。だってあいつには魔術回路がない。マスター以前に魔術師ですらないのよあいつは」

 

「だが確実に慎二はマスターだ。ライダーを従えていたし、ライダーもあいつの命令には従ってた。ほら、そんなのマスター以外にあり得ないじゃないか」

 

遠坂が納得出来ないような態度で低く唸るような音を出す。

しかし特に反論はないらしい。先を話せと目で訴えてくる。

 

「これ以上野放しには出来ない。だから早めに決着を付けたいんだが──」

 

「それで工房に攻め込もうってか。まぁルーラーにランサーがいれば負けはしないでしょうね」

 

「ああ、二人が言うには俺は来ないほうが良いって話だけどな」

 

そう言って自嘲気味に笑う。

もちろん二人は戦力的な意味ではなく俺を気遣った上でそう言ってくれたのであるが。

 

「ははーん。それが衛宮君には気に入らない、と。気持ちは分からなくもないけど従ったほうが良いわよ。工房に立ち入って生きて帰るなんて私でも難しいし」

 

遠坂がゆったりとした動きで隣のフェンスに寄りかかる。

きぃ、という音を立て空を見つめるその顔にはどこか納得できないと言いたげな感情が映る。

 

「ねぇ、衛宮君。どうしてそこまで早く決着を付けようとするのかしら。ルーラーは立場上わからなくもないけど、衛宮君にはそんな理由ないでしょ?外に出て来ない限りは周りに被害なんて出ないし、外に出てきたらそれこそ好機。今度こそランサーが叩き潰せばいいじゃない」

 

「それはだな──」

 

「ルーラーやランサーがそれが一番確実だと判断したから?それとも後手に回りたくないからかしら」

 

畳み掛けるような言葉を浴びる。

言い返す言葉は見つからず、しばし自分の内に答えを探す。

だが、そんな事をするまでもなく、やはり答えは既に浮かんでいた。

 

「やっぱり、一刻も早く憂いを断つためだと思う。遠坂の言う通り、後手に回りたくないってのが近いのかな。ランサーを信用してないわけじゃないけど、間に合わない可能性ってのは捨てきれない。それと──」

 

そこで一度言葉を切る。

不思議に思ったのか顔を伺ってくる遠坂に、今言うからと手で告げる。

 

何故一刻も早い決着を望んだのか、それは巻き込みたくないから。

誰を。関係のない大多数の人々を。それだけじゃない。

俺が、俺自身が踏み込む事を躊躇した理由、それは。

 

「桜って子、知ってるだろ」

 

「ええ。知ってるわよ」

 

「そいつ慎二の妹なんだ。慎二は今多分凄く不安定だ、桜を巻き込まないという保証はない。俺、桜には魔術なんてものを知らずに普通に暮らしてて欲しいんだ。だから──」

 

「それじゃ工房に踏み込むなんて以ての外じゃない。目撃される可能性もあるし、そうならなくても魔術師の家系にあるのなら何かに気づくかもしれない。無関係の人への被害に関しては速攻で終わらせるのが一番かもしれないけど」

 

きっぱりと切り捨てられる。

 

「一刻も早く終わらせたい理由はわかった。でもそれじゃ本末転倒よ」

 

「わかってる。俺は…その……」

 

「なるほど…。それが本当の悩みってことね」

 

はぁ、と遠坂は大きな溜め息を吐く。

やれやれ、とでも言いたそうに遠坂は呆れた視線で俺を見る。

それが気に食わなくて少し眉を寄せて遠坂を睨む。

全く、人が本気で悩んでいるというのに。

 

「それなら悩む必要なんてないじゃない。ライダーを倒すまででもいいから間桐さんを衛宮君の家に置いてあげればいいのよ」

 

そして、遠坂はとんでもないことを何でもないように言った。

 

「ば、馬鹿言うな!そんなこと、大体桜が嫌がるだろ」

 

「なんでよ。桜──は衛宮君の家によく来るんでしょ?ちょっと泊まるくらい別に嫌がらないと思うけど。嫌な相手の家にわざわざご飯作りに来ないでしょうよ」

 

反発の声に遠坂は呆れの視線を濃くする。

なんでそんなこともわからないのかしら、とでも付け足されそうな視線だった。

 

「なんだその目は。それに俺だってマスターだ、狙われる危険もあるしそしたら桜だって」

 

「何言ってんのよ。それはライダーも同じ。そして、正直な話ライダーの側とランサーの側なら圧倒的にランサーの方が安全よ?それはランサーの近くにいる衛宮君の方がよくわかってるでしょうに」

 

反論は完璧に論破された。

しかし、遠坂の言う意見は全くの非常識な手段というわけでもない。

とりあえず最善の手ではあり、嫌かどうかも桜に聞いてみなくちゃわからない。

 

頷きそうになったところで、遠坂の言葉におかしな点を発見しその動きが止まる。

 

「あれ、俺桜がご飯作りに来てるなんて言ったか?」

 

そう何でもない疑問を口にした瞬間。遠坂の瞳に動揺が走った。

 

「え、ええ。言ったわ、衛宮君は虚ろで覚えてないかもしれないけど、色々話を聞いてた時にね。ほら、さっきまで衛宮ったら悩みに悩んでぼうっとしてたじゃない。だから覚えてないのよ」

 

何となく納得できないが、遠坂が言うならそうなんだろう。

というかそれ以外に遠坂が桜のことを知る手段はないだろうし。

 

「そうか…俺そんなに悩んでたんだな、悪い遠坂。世話になった、遠坂の言う通り桜に話をしてみる」

 

「そうしなさい。それと、桜の事が上手く行ったとしても工房に踏み込むっていうの少し待ってもらえないかしら」

 

朗らかに微笑み、後押しする視線と表情のまま遠坂は襲撃に待ったをかける。

その話題の転換があまりに自然で、唐突でしばし反応する事を忘れてしまう。

それを否の感情と取ったか、遠坂はもう一度口を開く。

 

「正確に言えば、突入の前にルーラーと一度話がしたい。何ならそれが叶うまでは私とセイバーがライダーに睨みを利かせてあげてもいい」

 

「そりゃ、ありがたいけど、なんでだ?」

 

どうしてそこまでするのか。そこまでしてルーラーに何を求めるのか。

それがわからず、ただ疑問のみを投げかける。

 

「ま、私としてもライダーや慎二みたいなのはほっとけないし、この結界を止めるってのは元々私が言い出したことじゃない。それを私の知らないところで解決されても気持ちが悪いってだけよ」

 

遠坂らしい、と笑う。

責任感が強いというか、首をつっこまずにはいられないともいうのか、とにかくこいつは目の前に問題を見つければ対処せずにはいられない性質なのだろう。

無論、そういう理由なら断る理由はない。

 

「わかった。遠坂が味方なら俺も心強い。ルーラーならまだ俺の家にいるはずだから──」

 

「ちょっと待った。ルーラーが家にいるですって?全く、あなたもルーラーも何してんのよ…。仮にも中立の立場でしょうに」

 

呆れた、とばかりに遠坂がため息を吐く。

その言い分はもっとも。ルーラー本人も言っていた事ではある。

しかし彼女は別に衛宮士郎個人に肩入れしているわけではない。

ライダーの結界という問題解決のために行動を共にしているだけだ。

 

「馬鹿ね。傍から見ればそんなの関係ないわよ。まぁいいわ、そこらへんも踏まえて話しましょ。じゃ、夜になったら橋の近くの公園で待ち合わせね。ほら、衛宮君達がライダーと戦ったって場所」

 

「ん?話ならうちですればいいじゃないか」

 

「もう、本っ当に鈍いわね衛宮君は。今日から桜が泊まるんでしょうが。少しはデリカシーってもんを学びなさい」

 

「ああ…悪い。そうだな、仮にも桜の家に踏み込もうって話なんだ。同じ家でする話じゃないよな」

 

「理由はそれだけじゃないんだけど、衛宮君に言っても仕方ないか。とにかく、そういうことで。じゃあ、また夜にね」

 

何度目かのため息を残し、遠坂が背を向け歩き出す。

だが、まだ遠坂の用件を聞いていない。

背中越しにひらひらと手を振るその姿を呼び止める。

 

「おい待て、今度は遠坂の番だ。話あるんだろ?」

 

「あ、ううん。やっぱりいいわ。急を要する話でもなし、夜にまとめて話す」

 

「なんでさ、遠慮すんなよ。世話になっちまったし、力になれるかはわからないが話なら聞くぞ」

 

先を促すも、遠坂はらしくない反応で首を振る。

どうやら本当に今のところは話す気になれないらしい。

 

「もうすぐ部活終わっちゃうし、衛宮君は桜を迎えに行きなさい。慎二に知られたら絶対ややこしくなるから、その前にってことで」

 

ばん、と大きな音が俺の背中から響いた。

無論、犯人は遠坂。早く行け、と言いたいのだろう。

 

「いっっ!…わかった、それなら今日は聞かない。でも弓道部は片付けがあるからな、終わるのはもう少し後だ」

 

「そ。なら私は先に行くわね。また後でね、衛宮君」

 

そう言って遠坂は扉の方へと歩いて行く。

振り返らず、立ち止まりもせず、再び金属の扉を開けて遠坂が階下に消える。

その間際。

 

「遠坂!ありがとな!」

 

返事はなかったが、薄く赤らめた頬が確かに見えた。

 

 

 

「話は終わったようだな。多少強引な手ではあるが、悪い手ではない。何やら秘めた事情もあるようだが」

 

扉の閉まるがたんという音と同時、ランサーがその身を現す。

 

「そうだな。にしても本当にお人好しだな遠坂は。結局色々アドバイス貰っちまった」

 

何となく頭をガリガリと掻く。

そんな俺の様子を見てランサーが口元に薄く笑みを浮かべる。

 

「安心するがいい、お人好しの度合いで言えばシロウも負けてはいない」

 

「安心するところか?それ。ま、褒め言葉として受け取っとく。っと、少し早いけど俺──」

 

 

弓道場に向かおうと足を踏み出す。

眼下には部活終わりの生徒達がちらほらと校門をくぐって行くのが見える。

片付けの時間を考慮すればもう少し時間があるが、まぁ許容範囲だろう。

 

「待て、シロウ」

 

それを、ランサーが押し留める。

 

「なんだ、ランサー」

 

「要らぬ心配かも知れんが、用心するがいい。セイバーのマスターもまた敵対する魔術師ということに変わりはない。皮肉にも彼女自身も口にしただろう、オレ達はルーラーの件もあり狙われやすい立場にある」

 

ランサーの言葉に、そうだなと頷く。

遠坂は騙し討ちなんてする性格ではないだろうが、他のマスターはそうもいかないだろう。

ルーラーのことが発覚していれば最も狙われやすいのは俺だ。

何せ彼女には多くの特権がある。彼女味方につけていると思われれば、脅威と取られても仕方のないことだろう。

 

「ああ、気を付ける。遠坂については心配はいらないだろうけどな」

 

「そう願いたいものだな。オレは彼女に借りがある」

 

言葉を交わした回数など遠坂とランサーの間では指折り数えられる程度しかない筈だがランサーはおかしな事を言う。

それを疑問に思うも、答えはなく。

言葉のないままランサーはその身を解き、赤く染まり行く空に消えていった。

 

 

「お、衛宮じゃないか!もう部活終わっちまったけど衛宮なら大歓迎だよ、久しぶりに射でもやってくかい?」

 

弓道部の入り口、桜を迎えに来たのはいいのだが面倒な奴に捕まってしまった。

 

「やらない。桜に用事があったから来ただけだ」

 

そりゃ残念、と豪快に笑う目の前の女生徒。

彼女は美綴綾子。弓道部の主将をしている元クラスメイトだ。

 

「間桐ならもう少しで来ると思うよ。それにしても今日はお客様が多いね」

 

「ん?俺の前にも誰か来てたのか?」

 

「ああ、遠坂の奴がね。て言っても遠坂は何故だかよく見学に来るんだ。だからあいつは珍しくないんだけど」

 

へぇ、と口の中だけで感想を漏らす。

遠坂が弓道部によく寄る、というのは自分がここを辞めた後だろうか。少なくとも弓道部にいた頃に遠坂を見かけた記憶はない。

ともかく遠坂は屋上から立ち去った後ここに訪れたらしい。

出くわさなかったことから察するに、本当にただ顔を出したという程度だろうが。

まぁあいつも色々あるのだろう、と一人頷く。

 

「あ、また何やら自分一人で納得して。衛宮の悪い癖だね、こりゃ」

 

「なんだよそれ。言っとくが遠坂の事については俺も何もわからないぞ」

 

そうだろうね。と美綴はまた笑う。

そこへ、たたたと短い音を連続させ一人分の足音が近づいて来る。

 

「あ、先輩……。ど、どうしたんですか?」

 

「来たね間桐。衛宮のやつがあんたに用事だってさ。あたしは少し話に付き合ってあげてたってわけ」

 

「話に付き合ってたのはどっちかというと俺なんだが…。お疲れ、桜」

 

部活を終えた桜に片手を挙げて挨拶する。

しかしそれが見えなかったのか、意図的に無視したのか桜はそれに反応する事なく視線すら合わさない。

 

「お、おい桜…?」

 

そんな桜の様子に美綴も訝しげな表情を浮かべている。

どこか重苦しさの漂う空気の中、一つ唾を飲み込む。

なんというか、朝の不機嫌さが抜けていないらしい。

いつも柔らかに微笑んでいる桜だけにその落差に必要以上に戸惑う。

 

「聞こえてます。用事ってなんですか、先輩」

 

つん、とそっぽを向く桜。

 

「おい衛宮、あんた何したのさ。間桐のこんな様子、あたし初めて見たんだけど」

 

「何、って。何もしてないぞ俺」

 

必死に心当たりを探すが、やはり思い当たる節はない。

ルーラーは何やらわかっているようだったが…いや待て、桜が不機嫌になり始めたのはルーラーが来てからで。つまりは…

 

「いや、ないない」

 

たまたまタイミングが被っただけだろう。ルーラーは嫌われるような人物じゃないし、桜も誰かを無闇やたらに嫌う奴じゃない。

 

「…ふふふ」

 

思考の世界に旅立ちそうになっていた意識に小さな笑い声が届く。

音の出どころを探せば、桜がおかしそうに口元に手を当て微笑んでいた。

 

「ごめんなさい、先輩。少しからかってみただけです」

 

「そ、そうか。良かった…」

 

ふぅ、と深く安堵の息を吐く。

同時に隣からも同じ音。美綴もまた、桜らしくないその様子に息が詰まっていたようだ。

 

「ふふ、焦った先輩って中々見られないから新鮮でした。それで用事ってなんですか?」

 

「ん?あ、えーと……一緒に帰らないか、と思って。それだけだ」

 

美綴がいるこの状況でまさか『しばらくうちで暮らさないか?』とはとても言えない。

だからこその言葉だったのだが、それをどう受け取ったのか、桜は顔を薄く赤らめ、美綴は瞳を猫のように輝かせ口元を三日月に歪ませている。

 

「は、はい!よろしくお願いします!」

 

「ほうほうほう。あの衛宮がねー。こりゃ邪魔者は退散するとしようかな」

 

それはどういう意味だ、と問う間も無く美綴が駆けて行く。

その姿は瞬く間に小さくなり、少しもしないうちに部活動生達の波に紛れて行った。

 

「全く美綴の奴…。とりあえず行くか、買い物も一緒に済ませよう」

 

「そ、そうですね!そうしましょう!」

 

やたらと勢いの良い返事だ。

別に悪いことではないが、何となく場にそぐわないように思えて苦笑する。

 

「どうしたんだ桜」

 

「あ、いえ、その先輩と一緒に帰るなんてなかったなーと、思いまして…それで、あの、意識し──何でもないです!」

 

「そういえばそうだな。部活もあるし、家の事もあるからな…。まぁ、今はそれはいいんだ。行こう」

 

そう言って歩き出す。

顔馴染みの生徒に挨拶して、どこか気後れした様子の桜の手を引いて商店街への道を歩く。

冬の刺すような空気は男の俺でも微かに痛みを感じる程で。

そんな空気だから柔らかく白い肌の桜には辛いのだろう、桜は少しでも暖かさを求めたのか体が密着する程の距離でぴったりとくっついている。

 

「今日は… 何にしようか。桜、何かリクエストはあるか?」

 

「そうですね…今日は凄く寒いですから、お鍋とかどうでしょう?というより藤村先生が食べたいって言うような気がします」

 

「確かに、藤ねぇなら有り得る。シメまできっちり頂いてる姿が想像できるぞ。よし、それじゃ鍋にしよう」

 

そう言って商店街を二人して歩き回り食材を買い込んで行く。

──正直に言おう、楽しかった。

料理という共通の趣味がある事に加え、今まであるようで中々なかった二人きりの時間。

会話が弾むのは当然のことで、桜はいつにも増して笑顔を見せてくれていた。

 

──そう、楽しかった。

───あれ、士郎君。あの金髪姉ちゃんはどうしたんだい?

 

そんな言葉をかけられるまでは。

 

「ふーん。先輩、ジャンヌさんとデートまでしてたんですか」

 

「い、いやデートというか、恩返しという名の街案内と言いますか…。あの、桜…さん?」

 

「もう先輩なんて知りません」

 

再び桜は不機嫌モードへと入ってしまった。

日の落ちた坂道を大股にどんどんと先へと進んで行く。

袋いっぱいに詰められた食材を持つ両手は重く、それを追うのにも一苦労で軽く息が切れる。

 

「ちょ、桜。待ってくれ」

 

呼び止める声に桜の動きが止まり、彼女は勢いよく振り返る。

両手の袋に視線が移り、桜の表情に焦りが浮かぶ。

 

「あ、ごめんなさい先輩!今持ちます──いえ、やっぱりやめました」

 

だがそれも一瞬。袋へと伸ばされた手はすぐに引っ込められる。

 

「嘘吐きな先輩にはいい罰です」

 

「嘘吐きって──」

 

「昨日、ジャンヌさんずっと先輩の家にいたんですよね」

 

呼吸が止まる。

特にやましい理由など一つもないのだが、確かにその点については嘘を吐いていた。

図星を突かれた俺の額に汗が浮かぶ。

 

「隠したってわかるんです。訪ねてくるには早すぎる時間帯ですし、服装も変わっていませんでしたし」

 

勘付いた根拠をつらつらと並べつつ、桜は坂道を登って行く。

その歩幅が先程より狭くなっているのが救いか。

おかげで追いつくのには苦労しない。

 

「先輩の事ですから困っている人を見過ごせないのは仕方ありませんけど、私だって……」

 

気付けば昨夜の交戦場所である公園へと辿り着いていた。

家まではもうすぐだが、両手いっぱいの荷物のことを考えると歩きながらの会話は難しい。

少し休憩だ。と桜をベンチへと促す。

 

「その、悪かった。やましいことはないんだが…」

 

「いえ、言えるはず…ないですよね。だからもういいんです。何もないなら私───うん、気にしません」

 

か細く付け足された声は彼女自身に言い聞かせているもののようで、どこか虚ろな瞳には何も映っていない。

そんな姿を見れば「そうか、じゃあこの話は終わりだ」なんて言える筈もなく、かといって口に出す言葉も見つからず、ただ桜の横顔と暗い景色の中間を見つめる事しかできない。

そんな空気がどれくらい続いただろうか。

桜の両手に微かに力が篭り、その両手の下のスカートがくしゃりと皺を立てた。

 

「先輩、ジャンヌさんはずっとあの家にいるんですか?」

 

ぽつりと呟かれた内容はやはりルーラーの事。

 

「別にうちに置く予定はないけど──桜はジャンヌが苦手、なのか」

 

見ないふりをしていた、いや先程まで勘違いだとして気付いていなかったその事を問う。

ルーラーの話題、桜が不機嫌になるトリガーはそれであった為に彼女はルーラーに苦手意識を持っているのだと流石に気付かずにはいられない。

しかし桜は予想に反し、曖昧な笑顔を浮かべる。

 

「どう、なんでしょう。綺麗な人で、素敵だとは思います。まだ知り合って間もないですからよくはわかりませんが──でも、先輩の言う通り少し苦手、かもしれません。えと、怖い──とも思ったり…」

 

「怖い──?」

 

およそルーラーには似つかわしくない表現に首を傾げる。

ルーラーが桜の前で恐怖を抱かせるような行動をしただろうか。

いや、ないはずだ。そもそもルーラーと桜は出会って一日と経っていない。

 

「少しだけ、です。それよりも私は──いいえ、やっぱり大丈夫です。先輩に迷惑かけたくないから、我慢します」

 

音もなく、ゆっくりと桜が立ち上がる。

含みを残した物言いに思うところはあれど、声をかけることを桜の纏う静かな雰囲気が邪魔する。

そしてもう一つ、脳裏に響く声が時間切れを告げている。

 

「桜、悪いんだが先に帰っていてくれないか。少し急用を思い出した」

 

驚いた顔で振り返る彼女の背中をそっと押す。

なるべく早くここから離れろ、と言外に言い含めるように。

 

「詳しいことは話せない。でもすぐに帰るから、大丈夫だ」

 

納得のいかない、何が何だかよくわからない、といった桜を説き伏せ家路を急がせる。

藤ねぇは不思議に思うだろうか、ルーラーは全てを察するのだろうか、そして桜には悪いことをしてしまった。

だがそういった平和な日常のことに思いを馳せるのはもう少し後にした方がいいだろう。

背後には既に白い槍兵が佇んでいる。

 

「悪い、待たせたな」

 

闇に覆われた大地に、黄金の輝きを纏い黒き大槍を携えてランサーが闇の奥を睨む。

ゆっくり、ゆっくりと大きな何かが近づいてくる気配がする。

それは辺りの黒と同化し、輪郭さえ朧なままで、しかし確かな存在感と叩きつけるような殺気を放ち俺たちの方へと歩を進めている。

 

「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎!!」

 

咆哮が鳴り響く。本能のまま、思うがままの殺意を込めたその咆哮に体が強張る。

 

「ふふ、あの女のことはいいのかしら、お兄ちゃん?」

 

歌うような声が聞こえる。それはいつだったか確かに聞いた声で。

 

「さぁ、行くとしよう。マスター」

 

撃鉄の落ちる重く激しい音が体の内から鳴り響いた。

 






お久しぶりです。多忙につきなかなか更新できずにいました。
その間にfateも色々ありましたね。
まだ映画版Heaven's feelも見れていませんが、桜ルートの漢らしい士郎君を見て彼のファンが増えてくれる事を切に願っております。
そしてextella link発売決定!
早く6月になってほしいですね。
更にド派手になったカルナさんを動かしたい…。


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神話を見た日

「女の子…?」

 

口をついて出た言葉は疑問だった。

あたりを覆う闇によく映える白いドレスと髪、充満した殺気に不釣り合いな小さな体。

そして傍に控える黒く大きな巨人とのミスマッチさにしばし目を奪われる。

 

「豪胆だなマスター。しかし後にしろ、まずは迎撃する」

 

ランサーの言葉にはっと気付いた時には既に遅く、轟音を響かせ黒い巨体が跳んでいた。

振りかぶるはその両手に携えた大剣。岩を削り出したかのような見た目のその大剣を上段に構えたまま、二メートルを優に超えるその大きな影が月を覆う。

落下の勢いと巨体に任せた流星の如き一撃。

開幕の初手としてはあまりに強烈なそれを目の前にして、脳裏に死という文字が浮かぶ。

 

しかし同時に感じる浮遊感。何かに空へと引っ張りあげられる非日常と共に眼下で再び轟音が響いた。

同時に四方へと飛び散るコンクリートの破片。

人外の膂力を持って放たれた一撃はそれすらも凶器に変え、浮遊から落下へと移行するこちらの身を襲う。

無数の刃と化したそれを受ければ、この身はあっという間に新鮮な肉片へと成り果てるだろう。

 

しかし、敵が人外に位置する怪物ならばこちらには最上の英雄がいる。

俺の身を左手に抱えたまま、ランサーの右手がしなる。

一瞬の振動と、鈍い破砕音。空を駆ける凶器の全ては彼の振るう槍の煌めきで塵となった。

 

すとん、と軽い音を立て足と意識が地上へと降り立つ。

傍らに控えるランサーに礼の言葉を言うより早く、白く尾を引く軌跡となってランサーが疾駆する。

 

地面を抉り弾き飛ばし、敵へと駆ける彼の腕が大槍を構える。

狙うは眉間、未だ地に獲物を叩きつけたままの無防備な肉体へと照準を合わせる。

放たれた槍は鋭く、強烈。先の巨人が見せた一撃が地を割る衝撃ならこちらは津波に大穴を穿つ鋭さを持っているだろう。

 

鋼鉄に鉄塊を叩きつけたような分厚くそれでいて甲高い音、攻撃の成功を告げるそれと共に巨人の体が宙に浮かぶ。

だが、ランサーの表情に現れるのは疑問のみ。

サーヴァントといえど致命傷を免れないその一撃を受けて尚、ゆらりと何事もなく起き上がる巨人の姿に眉間の皺を濃くする。

戸惑い、とまではいかないが受け入れることの難しい現実にランサーの思考が僅かにズレる。

 

その瞬間。

 

「◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎!!」

 

怒りの咆哮と共にバーサーカーが駆ける。

地を抉り、空気を叩き、標的を打ち砕く為の荒々しい突進。

それは大型トラックが暴走するよりも大きな威圧感と破壊力を持ってランサーへと襲いかかる。

 

「────!!」

 

そして、音が炸裂した。

吹き上がる粉塵と、立っていられない程の音の衝撃。

膝を付き、両の手で耳を塞ぎながらも両騎の激突から目が離せない。

 

地を砕くほどの一撃をその大槍で受け止めるランサー。

あれ程の一撃を受けて尚折れないその槍とそれを手繰る彼の力と技術はどれほどの賞賛の言葉をもってしても伝えきれまい。

しかし、それが長く続くはずもなく。

 

「◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎!!」

 

さらなる咆哮、盛り上がる腕の暴力的なエネルギーに彼の姿が白い砲弾となって吹き飛んでいく。

 

「ランサー!!」

 

彼の姿を覆い隠す程の土埃が、その安否を俺に知らせることを拒む。

まさか、いやそんなはずはないと悪い思考を否定する。

青いランサー、ライダーという強敵を圧倒し、遠坂やセイバー、果てはルーラーにすら一目置かれているランサー。

その強さを知っているからこそランサーなら大丈夫だという考えが不安をかき消していく。

 

「ふふ、なかなかやるみたいね。お兄ちゃんのサーヴァント」

 

だが何故だ。どうしても心の隅に嫌な予感が張り付いている。

やられた筈はない、それは確かだ。ランサーとの魔術的な繋がりを未だ俺は感じ取れている。

だがしかし、

 

「でもそのサーヴァントじゃどうやったって敵わないわ。私のバーサーカーは最強なんだから」

 

肌をビリビリと焼く殺気、濃密な猛獣の如き凶暴性。

そして先刻見たランサーに匹敵する速さと彼を大きく超える豪腕。

────格が違う。

 

悟る、理解する。

地を擦る音が聞こえ、足元を見れば一歩後ろへと下がった自らの足。

 

「どうやら分かったみたいね、お兄ちゃん。それでいいわ、抵抗なんかしたって意味ないんだから。じゃあ殺しなさいバーサーカー、あのランサーが起きる前に──」

 

「させると思うか?バーサーカーのマスター」

 

辺りの闇を、俺の暗い思考を切り裂く声が響く。

軽い音を立て、飛び上がった白い姿が俺の目の前に、脅威から守るように降り立つ。

 

「すまない、少々不覚をとった」

 

背中越しにこちらへ語りかけるランサーの姿にダメージは見て取れない。

身体を覆う鎧にも、肌にも深い傷は一つもない 。

 

「どうして?バーサーカーの攻撃が直撃した筈なのに──」

 

独り言のように呟かれた疑問にランサーは答えない。

代わりに見据えるのは黒き巨人。

大槍を脇へと構え、ランサーが踏み出す。

 

「いくぞバーサーカー。我がマスターを殺させる訳にはいかんのでな、ここでお前を倒させてもらう」

 

「◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎!!」

 

静かな闘志、激しい咆哮。

白く鋭い疾走と、黒き破壊の突進が再度激突する。

 

「─っ!なによ、やっちゃいなさいバーサーカー!そんなサーヴァントにあなたがやられる筈ないんだから!」

 

猛る豪腕が、振るわれる大剣がランサーの身を叩き潰さんと縦一線の軌跡を描く。

その破壊力、そして速度は正に極限。

戦士とは思えぬ腕力に任せきりの斬撃はしかし、その最上の身体能力によって並び立つもののない至高の一撃となる。

技も工夫もない、いやそんなもの使う必要がないのだ。

バーサーカーの攻撃の全ては回避、防御共に困難な物。つまりは全てが必殺。

振るうだけで相手を追い詰める攻撃には技術などという不純物が混じる余地などない。

 

現に、上段からの一撃を紙一重で躱したランサーだが反撃の手が出せていない。

躱されればもう一度、それも躱されればもう一度。

ただそれだけを嵐のように激しく、これ以上ない速度で振るわれ続ければどんな英雄だろうといつかは潰れてしまう。

 

賞賛すべきはランサーだ。災害の如き剣舞と、彼はその身一つで戦い続けている。

躱す、受け流す、逸らす。戦士としての経験と技術、修練が彼の身を未だこの世に留めている。

しかしそれは渦潮へと突き進む小舟のようなもの。

破滅の決まっている抵抗だ。

 

俺は何をしてるんだ、と拳を握る。

怒りという感情が内から溢れでる。

何か俺にできることはないのか、何かある筈だと思考の海に沈む。

だが浮かぶ答えなど一つもない。その事実に拳の力が更に強くなる。

 

だが、衛宮士郎は知らない。

バーサーカーは確かに最上のサーヴァントだが、ランサー──いや、カルナもまた並び立つもののいない英霊であることを。

 

縦横無尽に繰り出される嵐の剣舞、その真ん中でランサーの体が業火となって燃え上がる。

魔力放出──己の魔力をエネルギーとして出力するものだが、カルナのそれは通常のサーヴァントとは一線を画するものだ。

鉄をも溶かす灼熱、吹き上がる炎にブーストされる突進、神業と呼ぶに相応しい槍技。

真に渾身と言うのであろうランサーの一撃がバーサーカーの胸に突き刺さる。

 

浅い──だが構わずランサーはその槍を更に突き立てる。

バーサーカーの巨体が宙へ浮く。

凄まじいエネルギーの全てを受け、大きく吹き飛ばされる巨人。

 

「◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎!!」

 

両騎の激突により半壊した大地に巨人の指がかかる。

地面を削る重く連続した音と、削り飛ばされるコンクリートを残し、ようやくバーサーカーの体が止まる。

 

「──やはり貫けんか。バーサーカーであるお前に言っても詮無きことかもしれんが、もしその眼に理性の光があればと思わずにはいられんな。しかし今はお前という強敵と打ち合える幸運を噛み締めるとしよう」

 

ランサーの言葉通り、悠々と立ち上がる巨体には生命の光が未だ激しく輝いており一点の曇りもない。

だが、さしものバーサーカーといえど無傷では済まなかったようだ。

灼熱の豪槍を受けた胸には深いとは言えずとも決して無視できない穴が作られており、肉の焼けた跡と言える煙がゆらゆらと漂っている。

 

無論軽傷の度合いに収まる程度ではある。

しかしその軽度の損傷に動揺を隠しきれない人物がいた。

 

「バーサーカーに傷を付けるなんて…。ふうん、いいわ普通のサーヴァントじゃないってことだけは認めてあげる」

 

だがその動揺もただの一瞬のみ。

思い違いかとも思えるほどの刹那の時間で、少女は再び静かな笑みを浮かべる。

その根源と言えるものはやはりバーサーカーへの絶対的な信頼。

 

「◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎!!」

 

その信頼に応えんとするは黒き巨人。

大樹の如き腕に溢れんばかりの剛力、猛る闘気が迸る。

 

「──サーヴァントへの絶対的信頼、あるいは盲信か。いずれにせよサーヴァント冥利に尽きるというものだなバーサーカー。その肉体を動かす力にそれが幾ばくか関わっていることは狂戦士であるお前にも否定できまい。──だがオレにも意地がある。お前がマスターの矛であるように、オレもまたマスターの矛であり、そして盾でなければならん」

 

空気を叩く音が響く程の闘気、雄叫びを受けて尚、ランサーの涼しげな表情は変わらない。

だがしかし、彼の内側に燃え盛る意志の力が湧き上がっていることも事実。

槍を深く構え、碧眼が敵を鋭く射抜く。

 

二騎のサーヴァントはすでに臨戦態勢。

息をすることすら耳触りとなるほどの静けさの中、互いの気迫がそれぞれを牽制する。

 

そして、

 

「◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎!!」

 

やはり先に動いたのはバーサーカーであった。

己が膂力に物を言わせた斬撃は、ランサーに負わされた傷をもってしても変わらず、圧倒的な速度と破壊力のまま。

であればやはり、そこからの攻防が先の焼き直しになることも必然だろう。

 

嵐の剣撃をランサーがいなし、反撃の刃を繰り出す隙を伺う。

剣の作り出す烈風の音を、空を穿つ槍が食い止め、互いの織りなす大地の破壊音が絶え間なく鳴り響く。

やがて、鋼の打ち合う音が百を数えた時、遂にランサーの槍が赤く染まった。

 

それはやはり先と同じ灼熱の槍撃。バーサーカーの肉体に赤々と焼ける傷を付けた必殺の刃。

 

「ふふ」

 

しかしそれを見て少女の口元に笑みが浮かぶ。

まるで悪戯に成功した妖精のように。

まるで望みの物を手に入れた子供のように。

 

──まるで、もうそれはバーサーカーには届かないと知っているかのように。

 

「──!」

 

ランサーの眼が驚愕で見開かれる。

彼が繰り出した一撃は確かに先の一撃と然程変わらないものではあった。

故に先の必殺と比べれば効果は格段に落ちる。

しかしそれでも、バーサーカーの見せた絶対的な隙に叩き込んだ槍は先と同じように巌の肉体を穿ち、吹き飛ばすだけの威力を持っていた。

 

それがどうだ。

 

「◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎!!」

 

ランサーが驚愕するのも無理はない。

彼の灼熱は、バーサーカーに有効打を与えるどころか、傷一つ付けられてはいなかった。

 

「──そうか、お前の宝具は」

 

「そう、バーサーカーの宝具はその肉体そのもの。Aランクに満たない攻撃を受け付けない神の呪い──それとね、バーサーカーには二度同じ攻撃は通用しないの。自分の力に溺れたのかしら、ランサー?惜しかったわね、でもこれでおしまい」

 

戦士とは常に自らの一撃に絶対的な自信を込めるものである。

その一撃を羽虫の如く打ち払われて尚、冷静に状況を分析し真実に辿り着いたランサーの精神力は並ではなく。

しかし、時既に遅し。

上段より振り下ろされた岩の剣がランサーの肩へと食い込み

 

「ランサー!!」

 

彼の白い頬、艶やかな首筋に鮮血が飛び散った。

 

「叫んだってどうにもならないわ。いくらサーヴァントが霊体といっても核を破壊されれば消えるしかないのよ、お兄ちゃん」

 

そんなことはわかっている。

肩口から袈裟に斬り裂かれたランサーの体には鮮血が浮かび、その衝撃で膝を突こうとその体勢を崩している。

そしてそのまま地へと倒れ伏すのだろう。

それが確実な未来として目に見える程にバーサーカーの一撃は重く、深く、強烈だった。

 

しかし、それでも関係ない。

崩れ行くランサーに向かい両の足を全力で動かす。

それは最早疾走さえも超えて跳躍。地を進むことすら時間が惜しいと足元を蹴り飛ばし我が身を前へと吹き飛ばす。

 

その行為は無意味どころか誰にも理解さえしては貰えないだろう行為。

マスターたる士郎が死ねばランサーが消えることに変わりはなく、そもそもランサーは既に。

だから、彼の行為には何の意味もない。むしろランサーの命にくわえて衛宮士郎の命まで消えて無くなるのだから事態を悪化させているだけと取れなくもない。

 

だが、それでも。それを理解していながらも衛宮士郎の動きに迷いはない。

加速する両脚に紫電が奔る。

ランサーへと追撃を加えんとするバーサーカー。その姿がやけにはっきりと網膜に焼き付けられる。

眼前へと伸ばした両の手が空を掴む。

皮の下、肉の内側、神経の一つ一つにナニカが食い込んでいく感触。

その違和感と共に頭皮の一部が灼け、視界に映る赤い髪が白く染まっていく。

 

「そこを、どきやがれ───!!」

 

投影(トレース)───

 

己の頭蓋、体の内側に流れ込むいつかの記憶、経験。

磨耗し、薄汚れ、焼け焦げて、しかしそれでも彼の経験が力となる。

 

両の手に掴む幻が現を創る。幻想を現実へと貶めて、エミヤシロウの手繰る剣が──。

 

「─シロウ。そこまでだ」

 

不意に聞こえた、聞こえる筈のない声に意識を白くする。

途端に霧散する剣の幻。現実を侵食しきれなかったその欠片が儚く散っていく。

同時、空間に木霊する鋼の音。バーサーカーの大剣を弾き飛ばし、ランサーの白い姿が目の前へと舞い降りた。

 

「お、お前──」

 

「どういうこと!?さっきみたいに槍が間に入ったわけじゃない、確かにバーサーカーに両断されたはず──!!」

 

白く、そして黄金の鎧を纏い月夜に輝く姿はまさしくランサーのもの。

両断されたはずの胴に傷跡はなく、鎧にも変わった箇所はない。

ただ一点、白い肌にまだらに飛び散った多少の血液のみが先程の光景が嘘でないことの証だった。

 

「─我が鎧は日輪の輝き、剣戟一つで崩れるものではない。だが──見事だ、バーサーカーそしてそのマスターよ」

 

「バーサーカーと同じ防御に特化した宝具…。それもあの一撃を受けてほぼ無傷だなんて…。加えて高位の魔力放出による火力の向上、速力の増大──」

 

黒き大槍を軽く振るい、構え直すその姿を直視しイリヤスフィールの警戒度が上昇していく。

与えたダメージは明らかに軽微。A+の筋力を誇るバーサーカーの一撃を受けてそれは余りに異常である。

加えて宝具によりAランク未満の攻撃を無効化するバーサーカーの肉体に風穴を開けたその攻撃力もある。

速度に関しては瞬間速度ならランサーが上、平均速度であればバーサーカーに軍配が挙がるだろうか。

無論、攻•防•速全てを単純なスペックだけで見ればバーサーカーが上回ってはいるだろう。

だがここまでの攻防で見せたランサーの技量、スキル、精神力を鑑みるとそれは圧倒的な優位であるとは言えないだろう。

 

故に今、イリヤスフィールの思考において、ランサーとバーサーカーの戦闘力は拮抗していた。

 

「──このままでは勝てんか」

 

それに対し、ランサーはこの先自分の敗北が濃厚であると冷静に分析していた。

魔力放出はもう通じない。渾身の一撃でも軽傷を負わせるのがやっとという現状。

それは相手も同じ事で、故にこの先は持久戦となるであろう事が容易に想像できる。

それはランサーにとって余りによろしく無い未来。

何故なら破格の英霊であるランサーは他のサーヴァントに比べ多量の魔力を消費する。

魔力放出や宝具を使わないのであればまだしも、全力で戦闘するとなるとそれはもう湯水の如く魔力を食い尽くす。

平均的なマスターであれば10秒意識を保っていられれば上出来という程に。

故にランサーにとって持久戦というのは絶対に勝てない戦であり、避けねばならぬ道なのだ。

 

「シロウ。頼みがある」

 

「なんだ?何でも言ってくれ」

 

間髪入れず返ってくる、信頼を込めた返答。

心なしか重心は前に傾き今にもバーサーカーへと疾駆しそうである。

無論、後先考えずにそんなことはしないだろう。

だが頼みの内容によっては迷いなく突撃を実行するだろう。

それは、サーヴァントに対しての信頼の表れ。

二人であれば勝てる、一緒であれば負けることはないという強い想い。

 

そう、今この戦場でその信頼という二文字が足りないのは唯一自分であった。

衛宮士郎は言うに及ばず、バーサーカーとイリヤスフィールも深い信頼で結ばれている。

だというのに自分は彼を守るという目的の余りに、彼に負担をかけないよう戦っていた。

それはマスターという存在を軽視すると同じ。

共に戦うと誓った衛宮士郎に対する裏切りに等しい。

 

そしてランサーは己がマスターに伝えるべき頼みを口にする。

これからは、真に共に戦うために。

 

「魔力を貰う。気を失わぬよう気をつけるつもりだが─」

 

「なんだそんなことか。俺に気を遣って使い過ぎないようにしてたって事か?なら気にしなくていい。いくらでも持ってけよ、足りるかはわからないけどな」

 

またも間髪入れず返される言葉、僅かに唇の端が上がることを自覚する。

 

パスを通じ、流れ込む魔力の奔流。吸い上げる魔力はランサーの周囲に炎となって燃え上がり、内なる枷を取り払う。

 

「──良くないものを呼び起こしてしまったみたいね。一体どんな英霊を呼び出したって言うのよお兄ちゃん」

 

平静に、常時と変わらぬ鈴を転がすようなその声。

それはやはりバーサーカーを従えているからこそであるが、それでも湧き上がる根源的な恐怖の全てを消すことは出来ない。

今こそランサーという存在は有象無象のサーヴァントの一騎ではなく、全力をもって叩き潰すべき強敵となった。

 

「似た言葉を先日も耳にしたな。どうやらオレは得体の知れないものという認識のようだ──だが、バーサーカーのマスターよ。その正体をお前が知ることはない。お前のサーヴァントは今ここで打ち倒す」

 

宣告と共に、魔力が吹き荒れる。それは空気に触れると共に火炎となり、寄り集まって燃え盛る業火となる。

地を覆い夜空を焼いて、ランサーがその存在を誇示する。相対するサーヴァントに、この地に、一騎のサーヴァントの降臨を告げる。

 

今こそ冬木の地、聖杯戦争の只中に最強のサーヴァントが降り立った。

 

 



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