マテリアル・シンカロン (始原菌)
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01
――――流れ星に祈ったことがない。
日が沈んだ帰り道、夜空を見上げる子供の名前は
私立聖祥大付属小学校に通う小学三年生。どこにでもいるような、至って平凡な普通の小学生――ではない。
とはいえ火を噴いたり、放電したり、総てを飲み込む闇の力とかは持っていない。外見だってごく普通の黒髪と黒瞳。極端に背が高くも低くもない。
ただし家族が居なかった。
両親、兄弟はもちろん。親戚だって一人も居ない――らしい。実際はその肩書が本当なのかすら知らない。物心ついた頃に後見人を名乗る男性に、そう教えられた。
そんな紫苑は町外れの一軒家に一人だけで住んでいる。
小学生の一人暮らしは極めて特殊――とまでいくかは微妙だが、まっとう、普通というにも微妙である。身寄りがないのなら施設に入るか、後見人の彼に引き取られる辺りが妥当だろう。
なのに紫苑は
特別扱いをされているのはわかる。
どうしてそうなっているのかはわからない。
気になるから調べようとした事もある。でも小学生には物理的にも情報的にも届く範囲が狭すぎた。結局何もわからないという事実を再認識したくらい。
なので。
まず、もうちょっと大人になるというのが当面の方針。
もしも自分の境遇に『何か』あるなら、ちゃんと知る事ができるように。
知った上でどうするかは、その時に改めて考えるしかない。とはいえ出来るならばきちんと向き合いたいから、そう出来る自分になっておきたいなと紫苑は思う。
これは目標であって、願いでないから祈らない。
とはいえ他に願い事が無いわけでもなく。さすがに小学三年生で『世に望みは無い』とかのたまうほど枯れてはいなかった。
「あちゃあ、また過ぎちゃった」
間に合わないのだ、いつも。
時間が足りないのではない。理由がそれだけなら、『無数の流れ星』に運良く立ち会えた今日ならば願えたはず。願う内容を迷ったのでもなく、そもそも――
「やめだ、やめ!」
ぶるぶると頭を振って、べしべしと頬を叩いて。
よどみ始めた頭の中を強制的にリセット。
「帰ってごはん食べてお風呂入って、寝る! よし!!」
健全な小学生としての予定を声に出して確認。
そもそもよく考えれば、先程の流れ星は数が多すぎた。20個近くあったのは普通におかしい。だとすればあれは真っ当な流れ星ではなかった可能性が高いのではないか。いやそうに違いない。なんか色もやたら青かったし。
ならば願えなくて結果的にはよかった! という事にしよう。
「まただ」
歩き出して間もなく、再度視界の端で光が瞬く。
いくらなんでも数と頻度が本当におかしい。
反射的に見上げた夜空では、流れている光が今度は一つ。
数はおかしくなかった。
速度がおかしいのかは見てはわからない。
ただ、色が。
星というより火の玉のようだ。それは一直線に、切り裂くように、星空の中を突き進んでいる。物凄いスピードで進む。進み、そして。
「あれ、何か近付いてな――近くない? ちょ本当に近くな近ァ゛ッ゛!?」
ぽかんと夜空を見上げていた紫苑に直撃する。
まるで吸い込まれるように、綺麗に顔面へと一直線だった。
▲▼▲
【Capture of the Material】
音のような、文字が点く。
▲▼▲
「が…………」
冷たい。
じわじわと戻る意識が真っ先に拾った感覚がそれ。
「顔面セーフッ!?」
バシャァ、と音を立てて半分以上水に浸かっていた身体を起こす。
流れ星が直撃して、吹き飛ばされて、転がって、川に落ちて――そこから先は曖昧だ。恐らくそのまま流されて、どこぞの岸に流れ着いたのか。
ぐるぐると腕やら腰やら回してみるも、どこも痛くもなければおかしくもない。流星(仮)が直撃したはずの頭も、傷一つなかった。
水をたっぷり吸った制服が重いわ張り付くわで鬱陶しかったが。そのくらい。
「え? 本当に顔面セーフだったの?」
疑問と共に見上げた空にすでに星は無く、昇り始めた太陽といくらかの雲しかない。ずぶ濡れの身体に陽光が心地よい。
「太陽? 夜なのに? ………………朝、え、朝!? 朝だ!?」
時刻を見ようと慌ててポケットから携帯を引っ張り出す。
水没からの必然の死。
「遅刻するかどうかすらわからんのですけど!? でもこの惨状で学校に直行はさすがにまずい! 今が何時であれ一旦家に帰…………そういえばどこだここ?」
見知らぬ場所から自宅へと辿り着いて。
予備の制服を出して着替えて。
鞄と教科書は今日は諦めるにしても明日以降のために干しておいて。
そして始業のチャイムまでに学校へ行く、と。
――どう考えても、無理がある。
▲▼▲
【………………】
▲▼▲
「ぜっ、ぜひゅ、はっ、はっ、ぜひゅー……ぜひゅー……!」
なんか、なんとかなってしまったぞ。
肩で息をして校門前で立つ紫苑を、すれ違う他の生徒たちが怪訝そうに見ている。当然だ。まだ始業まで大分時間がある。こんな時間にここまで急いで来る必要は、普通ない。
それにしても思っていた以上に人間の全力疾走というものは速度が出るらしい。遅刻に備えた覚悟を無駄にしてしまった。
代わりに体力の全てを朝一で支払ってしまったけど。
今日体育が無いのが、不幸中の幸いというべきなのだろうか。どう考えても幸不幸の比率がおかしい。もう少し幸の方にはがんばってほしい。
あとは始業まで教室でじっとしていよう。
と思っていたのだが。
保健室の前を通ったところで思い出した。
そういえば昨日流れ星が顔面に直撃したのだった。
早い時間だったがノックにはすぐ返事があった。これはなかなかの幸運ではないか。はやくも挽回の兆しです、これは期待できるかもしれませんよ。
「実は昨日、流れ星が頭に落ちてきたんですけど」
「――――何か悩みがあるの? なんでも話してね?」
「頭の心配をされてしまった……文字は合っているのに、俺が求めていた反応と何もかもが違う……」
ちょっと一人になりたくてやってきた中庭で、雲ひとつない青空を見上げていたら、なんだか無性に切なくなってきた。
説明は試みたものの、最終的には『そういう夢を見たのね?』に収束してしまった。納得がいかない。すこぶる納得がいかない。
でも頭はちゃんと診てもらえた。
物理的に。
精神的にではない。
決してない。ない……はずである。
「う――ん。でも夢が一番しっくりくるのも確かかぁ……」
試しに顔から頭をさすってみるも、手触りは普段と何ら変わりない。診断通りに、こぶ、腫れ、くぼみ、目立った外傷は何も無し。気分が悪くなったりもしていない。何かがぶつかった痕跡なんて、さっぱり存在していない。
でもどうしても夢とは思えない。
衝撃をしっかりと覚えている。
あの燃え盛るような赤色も、目に焼き付いている。
燃える――そう、炎のような。
そういえば、本当に、炎のように、
「やめだ、やめ」
ぶるぶると頭を振って、べしべしと頬を叩いて。
よどみ始めた頭の中を強制的にリセット。
「おはよう紫宮、今日は随分早いんだな」
「おはようございます先生。ちょっとスタートで盛大に事故ってですね」
「うん?」
「あー、いえ何でもないです」
「そうか。ああ、ところで悪いんだが手伝ってくれるか。プリント運んでるんだがまだ結構残ってるんだ」
「はい。いいですよ」
始まりこそ突拍子無くとも、後はなんともいつも通りなもので。
「紫宮――! サッカーしようぜ、人足りないんだよ!」
「うん。わかった」
特に変わったところもなく。
「後生だ後輩くん! 最後の焼きそばパンをこの情けない先輩に譲ってくれ、頼む、このとーり! もう一週間買い逃してるんだ!」
「ええ。どうぞ」
健全な小学生としての一日が終わる。
今はもう放課後。それも突入直後。
先生が解散を宣言したその直後。教室が騒がしくなる時間帯はいくつもあるが、今この瞬間は上位に食い込むこと間違いない。
とにかく速く帰ってしまう人もいれば、のんびりと談笑しながら仕度する人もいる。遊びに行く約束を取り付けている人も居れば、今ここで遊び始めてしまう人もいる。
こういった騒がしさが、紫苑は結構好きだった。
なんというか、こう、
さておき自身はどうしたものかと、喧騒の中でしばしぼんやり。
「今日どーする?」
「昨日買ったばっかのソフトがあるんだ、対戦しようぜ」
「マジか、よしじゃあ早速――いででっ!」
「あんったは、掃除当番でしょうがっ」
「げっ、そうだった! あ、紫宮! ちょうどいいとこに、変わってくれ当番ー!」
「うん。いいよ」
予定の方から舞い込んできたので、放課後は掃除に決定である。
「紫宮くんさあ、嫌ならちゃんと嫌って言った方がいいよ?」
「大丈夫大丈夫、ダメな時はちゃんと断ってる。何より嫌じゃない」
「でも私、紫宮くんが断ってるの見たこと無い気がするんだけど」
「なんか先月くらいはずっと断ってなかったか?」
「ああ、ハンドボール部の助っ人お願いされたから、そっちに専念してた時だ」
「うん。断れてないねそれは……」
他の当番のクラスメイト二人がなぜか生ぬるい感じで見てくる。
そんなにおかしいのだろうか。
向こうは用があるのだから、当番に時間や余力を割きたく無いというのはわかる。例えそれが遊びであっても、いやだからこそ。小学生にとっては十分に優先すべき『用事』なのではないか。
一方の紫苑は用事も予定も無く、当番を替わっても問題がない。
結果的に誰も損はしていない。それどころか上手く回るように調整された事になるのではないだろうか。ううむ。
首を傾げた紫苑を見て、クラスメート二人は顔を見合わせて溜め息ひとつ。
やや呆れが混じるものの、不快さの現れではない。『こういう性格だった』というもの。
「そういえばさあ、朝何か先生とかが騒いでたの何だったの、知ってる?」
「昨日の夜、近所で飼ってたペットが行方不明になったとかなんとか聞いた」
「え、それだけで?」
「いやなんか小屋とかメタクソに壊されてたらしくて――」
紫苑が長考に入ってしまったので、二人は別の話題を出したらしい。特に興味を引かれる内容でもないので、会話には入らなかった。
「クマとか山から降りてきたのかな?」
「居ないよこの辺には」
「ワイバーンとかかな」
「存在してねえよ」
「えー、じゃあ小豆あらいとかなの?」
「何ですごい勢いで離れてくんだよ! 何がじゃあだ!?」
入らないというか。
迂闊に入れないというか。
▲▼▲
【………………なるほど】
▲▼▲
紫苑に与えられた自宅は、どちらかというと町外れにある。住宅街からは離れているというより、山に近いと表した方がわかりやすい。
学校からはそこまで遠くもないが、かといって近くもない。掃除で帰りが遅れ、夕飯の買い物でスーパーに寄ったからか。そろそろ夕方から抜けて、夜にさしかかる事を空の色が示している。
「さすがに今日はもう落ちてくるなよ」
まだあまり星の見えない空を見上げて、うんざりとした声が勝手に口から出てきた。
すっかり忘れていたが、鞄や教科書は乾いているだろうか。もしダメになっていたら新調せねばならない訳だ。しまった。
まあどの道覚えていても今日の帰りは遅れただろう。なにせもっと
歩く向きを変える。
数年間住んでいれば、地理に多少詳しくもなる。
ちょっと林の中を通るが、こっちが近道なのだ。林といっても人の通りがあるから、道らしいものもある。初めて通る人でもそう迷わないくらい。朝通った全力ショートカット大自然ルートは初心者はちょっと――いや大半の人が迷うかもしれないが。
”いけない”
「う」
”そっちに行っては、いけない”
身体が意識を離れ、脚を地面に突き立てるようにその場で止まる。立ち止まるどころではなく。転んででも、それ以上一歩たりとも進まないとでもいわんばかりに。
(なにか)
『背筋が凍る』という言葉を生まれて初めて体感している。
悪寒が止まらない。冷たい汗がどっと流れて落ちていって、不快だった。身体は冷えているよう感じるのに、頭の奥が妙に
(
なぜわかるのかは、わからない。
なにがいるのかも、わからない。
”向きを変え、立ち去りなさい”
脚を浮かし、下ろす。そのたった一動作だけでどっと疲れたようなきがする。でも止めずに、続ける。焦らず、静かに、確実にゆっくりと後ずさる。
”今なら、気付かれていない”
意を決して、くるりと向きを変えた。このまま一気に駆け出せば、きっとこの『危険地帯』から抜けられる。今ならまだ、走っても捉えられない。何故だかそんな確信があった。
――紫苑の自宅はこの先の、町外れ森寄りにある。
市の中心や住宅街に比べれば確実に少ないけれども、人が全く住んでいない訳ではない。だからこの道が近道でなく、ただの帰り道になっている人も、当たり前に居る訳で。
くるりと振り向いた直後に、
ただならぬ様子の紫苑に怪訝そうな目を向けつつも、
帰りを急いでいると思しき子供が、
紫苑より
「――――ッ、」
このまま走り出せば、自分は安全だ。確信がある。
でも、代わりに、
「だめだ、それは――それはだめだッ!!」
地面の土を抉り飛ばすほど強く蹴飛ばして、跳躍手前の勢いで駆け出した。向きを変える前の方向に。最初に前だった方向に。人の気配の多い街の方ではなく、異質な何かの待つ林の方へ。
声をかける暇が惜しい。あっという間に追いついた小さな背中に、体当たり同然で飛びつく。勢いのままに、二人まとめて地面に転がった。
――その上を、巨大な塊が通り過ぎた。
ごう、と何かが突っ切ったのは見ずともわかった。余波で生じた横殴りの突風が身体を叩くから。薙ぎ倒された進路上の樹がバキバキと砕ける音がしたから。
突然体当たりで転ばされた子供は、がばりと起き上がった直後に固まった。恐らく紫苑に怒鳴るつもりだったのだろうその口が、半開きで止まっている。
何かが通り過ぎた向こう。
倒れた木々や葉で影になった暗闇に、赤い光が二つ見える。
それは、何かの”両目”だった。
立ち上がる。引きずりながら子供も立たせる。次いで顔を両手でつかみ、向きを無理やり変えた。林の逆方向、街の方向に。
「向こう。行って」
「ぅ、――ひっ」
「はやく」
怯えを遮るように、静かでも強い口調で。子供はそのろのろとした動きで、歩き出した。
赤い目はそれを――追わない。
今も紫苑の方を向いている。
紫苑も一歩、動いた。林の方向、街の逆方向に。赤い目はそれを――追った。
ならば、取るべき行動は決まっている。
「走れッ! 振り返るなッ!!」
子供の方が、紫苑の怒号に弾かれるように走り出した。街の方へ。
紫苑も叫びながら走り出した。林の奥へ。
走り出そうとしたのだけれど。
既に赤い両目の何かの巨体が、すぐそこに在った。
ぶつかる。避けられない。視界の端に薙ぎ倒された樹が何本も見える。人間の――子供の耐えられる衝撃でないのは間違いない。
すぐそこに在る、というか。
もう、身体にぶつかってい、
【Archaea Open.】
衝撃でちかちかした視界に、何か映った気がした。
巨大で分厚く、相応の重量を伴う塊が、速度を伴って激突すればどうなるか。その解答を、身を持って知る。
勢いを殺す術など知らぬ紫苑の身体は、紙くずのように乱雑に吹き飛ばされた。宙を舞い途中の樹にぶちあたり、へし折ってなおも止まらず。それを数本分繰り返したところで、ようやく勢いが尽きたのか、幹の一つが折れること無く紫苑の身体を受け止めた。
受身の取り方なんて知らない。知っていても取る余裕なんてない。べちゃりと地面に落ちた体から、だらりと四肢が投げ出される。
「あ――がっ、いって……!」
痛い。痛い。痛い。あとちょっと熱い。
ぐるぐるする視界と思考のままに、幹を頼りに立ち上がる。
そう、
確実に大怪我するはずの衝撃だったというのに。
いや、普通なら――まっとうな人間なら、死んでいなければならないはずなのに。
「か、」
知らない。
こんなの、知らない。
こんなことができるなんて、考えたこともなかったのに。
「
学校の制服はいつの間にか影も形もない。
身に付いているのは裾の長い上着と長ズボン。色は大半が黒で各部に白も見られる。通常の衣服というには各部の見慣れない傾向の装飾が異質さを放っている。
買ったおぼえも貰ったおぼえもない服だ。というか着替えたおぼえがない。そもそもこれは本当に服なのか。
これだけでも事態は紫苑の許容量を大幅に超過しているのだが、まだ序の口なのである。
見慣れぬ服を追った先、袖から出ている見慣れたはずの自身の右手。その中に、一切見慣れていない物が在る。
黒い柄に銀の刀身――――剣だ。
片刃のそれは小学生の紫苑にとって重くなく、長すぎず。それどころか握りやすく、手にしっくりと馴染んでいる。目で見るまで、自分が剣を握っているのと気付かなかったくらいに。
だからこそ余計に気味が悪いのだ。
初めて見る物体のはずなのに、体の方はずっと前から知っていると暗に言っているようで。認識の食い違いが無性に不安を掻き立てる。
そして最後。
最も異常な事態そのものが、ついに沈黙を破る。
【それとなく誘導するつもりだったのですが、上手くいかないものですね】
声ではなかった。
文字でもなかった。
どちらかというと――文字の方が近い、だろうか。
文字そのものというより、文字や文章を『読む』という行程をすっ飛ばして、内容の理解という『結果』だけ直接頭に打ち込まれている、ような。
【過度な干渉はしないつもりでしたが、こうなってしまっては仕方ありません】
これは外からの伝達でなく内側からの発生だ。
別の場所から声や意思が届いているのとは決して違う。紫苑の思考というか意識の
つまり、端的に言えば。
【はじめましてシノミヤ・シオン】
【
お前は誰だ
俺の中の
マジで誰
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02
▲▼▲
(………………これ、いわゆる精神が分裂したってやつでは?)
昨日の流星で物理的に頭をやられたか、日頃のあれこれで精神をやられたか、眼前の異常事態からの逃避でインスタントに狂ったか。
考えても原因がわかるわけもなかった。というか心当たりが多すぎるのがまず何よりもつらい。保健の先生の名医説が急浮上してきた。
紫苑はまともなままで、頭のなかに本当に誰かが居る――なんて、あるわけがない。
自分の中には、自分しか居ない。それが普通でまっとうな当たり前。別の誰かが居るという正常より、おかしくなったという異常の方がこの場合では正当になる。
【いいえ。貴方に異常は無く、ここに私は正常に在りますよ……ああでも、完全な正常というには少々損傷が大きすぎますか】
声に出していない考え事に、当たり前のように返事がくる。
会話とも違うこの現象にすこぶる違和感があるが、問題はそこではない。
【困惑も疑念も当然でしょう。説明したいのは山々ですが――まずは、目の前の脅威から逃れることを優先すべきかと】
「目の前?」
【来ますよ、構えて】
咄嗟に上げた腕、かざした物に激突するのは高速で迫ってきていた巨大な塊。巨大な獣――のような
一瞬でも事前に備えられたからなのか。為す術もなく吹き飛ばされた先程と違い。今度は押されながらも、飛ばされなければ潰されもしない。とはいえ受け止めきれてもおらず、ざりざりと地面を削りながら無理やり後ろに押されている、が。
「そうだったよこっちの物理的にヤバイ方も居るんだった! 体の外か頭の中かどっちか一つにしてくれ! もしくはせめて順番に来てくれ! 同時に来ないで欲しい!!」
眼前にある何かの容姿は、一言で表すと巨大な肉塊。
紫苑の身体より二回り以上は大きい。球というには歪だが、縦や横に長いかといえばそうでもない。表面からは腕や脚のなりそこないのような物が何本か突き出ていて、中には骨のような物体も見える。なのででこぼことした肉の塊と表すのが一番合っている。
どこからどう見ても、真っ当な生き物ではない。
いや、違う。
(あれ)
視界の端に何かが映った。元々紫苑が歩いていた場所、今では随分離れてしまった道。その傍に転がっている物は見覚えがある。よく寄るスーパーのビニール袋だ。
けれどもその状態に覚えがない。放り投げたから潰れたり汚れたりはしていてもおかしくない。だが何故――ぐちゃぐちゃに荒らされているのだろうか。
この何かは、一度紫苑を吹き飛ばしてから直ぐに襲ってこなかった。
荒らされたビニール袋の中身は夕飯だった。
昼間、ペットがいなくなったという話を聞かなかったか。
眼前の塊は、改めてよく見ればじわじわと膨張していないか。
直ぐ目の前にある赤い目の少し下が、開く。中でぐちゃぐちゃに並ぶ白い歯を見て、
「こいつ――
慌てて離れようと身を捩るも、遅かった。
頭から丸呑みは避けたが、左側のほとんどを覆うように食らいつかれる。
「あ、いっで痛い! でも痛いだけで済んでるすごいな!?」
身体のあちこちに何かめり込んでいる感触。けれども出自不明の衣服は、学校の制服の何倍も丈夫に出来ているらしい。突き立てられた歯は一つも通らない。が、化物は構わずに
【右手の武器を使うべきでは?】
「――!」
指摘されて思い出す。食らいつかれたのは体の左側。右側は外に出ているし、自由に動く。そして紫苑の右腕は――武器を握っている。
「こ、ん、の――――!!」
剣道の経験はない。剣術なんて欠片も知らない。考えてみればまともな武器を持つことすら今日が初めてだ。けれども振り上げて、振り下ろす程度はできる。この距離ならば、狙いをつける必要もない。可能な限りの力を込めて、右腕の剣と思しき武器を怪物の身体に叩きつけた。
”ご ぉ ん ”
身体が回る。視界も回る。生じた音と衝撃に、意識が盛大に振り回される。地面にべちゃりと墜落して、起き上がって、吹き飛ばされた怪物の身体を見て。
そこでようやく、音も、衝撃も、木々をへし折り地面を削るほどに、怪物の身体を吹き飛ばしたのも――紫苑が自身でやった事だと理解した。
「………………」
違和感があった。
小学生にあるまじき怪力、ではない。さっき防御力がおかしくなっていたのだ。攻撃力がおかしくなっていても、それは同じ異常の延長線上だろう。
視線の先は身体をべごんとへこませた肉塊がビクビクと脈打っている。正直気持ち悪いが、直ぐに動き出す様子はない。
なので感じた違和感、抱いた疑問のままに指をそーっと剣の刀身に近付ける。
「刃が、付いてない」
突いた指は無傷。試しにその辺の草に当てたらぺしっとなっただけ。
ひと目で分かるほどしっかりとした作りの剣は、刃を持っていなかった。道理で棒で殴ったみたいな手応えだった訳だ。
見た目が剣っぽいから剣と呼んでいたが、もしかしてこれは棒状の鈍器だったのではないだろうか。もしくはデラックスペーパーナイフ。
「……え? どうしろと? どうすればいいのこれで?」
脈打っていた怪物の身体がぼごんと鳴ってへこみを復元する。何事も無かったかのように起き上がって、こちらに向き直る。赤い目がぎらぎらと光を放ち、半開きの口からはしゅうしゅうと蒸気めいたものが漏れている。
怒らせただけなのではないか。
事態、悪化しているのではないか。
【戦う必要がありますか?】
「え、」
【先程の攻防で今の貴方の戦力は概ね理解しました。撃破は困難でしょう。けれども
「だめだ、できない。それはできない、だって――」
唸り声の出来損ないみたいなかすれ声と共に、肉塊が紫苑に飛びかかる。今度は受けない。こちらも飛び出して、右腕のペーパーナイフ(大)をフルスイング。ボールを打ち返すかのように、肉塊を吹き飛ばす。
推測だが。こいつは食った分だけ大きくなる。最初はもっと小さかったから、動物を襲った。襲って大きくなったら、次はもっと大きな獲物を食いに行くのだろう。
いや。
すでに紫苑が食われかけたのだから。
こいつはもう、人を捕食の対象にしているのだ。
「俺が逃げたら、こいつはきっと
今の紫苑は、小学生どころか並の大人の何倍もの力を何故か持っている。
振り回しただけの腕は自身の胴より太い幹を折れる。そんな力を込めて金属の塊を振り回せば、相応の威力を持つ。
ただ、効いているのか怪しい。殴りつければへこみはするが、直ぐに元通りになってしまう。さっきからずっと同じ事の繰り返しだった。
異常な変化をした紫苑の身体は、未だにほぼ無傷のまま。
逆に正常な人なら、とっくに命を落としているという事になる。
「きりがない! こういうのってどこに連絡すれば良いんだ!? 保健所は――無理だな! 警察か!? いや自衛隊とか呼ばないと駄目か!?」
【私はこちらの組織に疎いのでなんとも言えませんが。
「………………今なんか魔法とか言わなかった?」
逃げるという選択肢はもう絶対に選べない。この化物を放置すれば他の誰かが――紫苑と違って、まともで、まっとうな、普通の人達が困る。
だったらその『逆』の選択肢を選ぶしかない、選びたい。
けれども選び方がわからない。
【ええ、言いました。もしも貴方が――
「本当!?」
本当に、絶妙なタイミングの提案だった。
【代わりに一つ
「約束!? どんな!?」
飛びかかってくる肉塊を叩き落とし続ける。
紫苑は自分の身体がどうして変化したのか把握していない。だが体力、気力、精神力――使ったものは消費される事くらいは知っている。いつまでもこのまま動き続けられないであろうくらいは、推測できる。
【私は理の
「ごめん! 真面目な話の最中本当に悪いんだけど、もうちょっとわかりやすくというか短くお願いしますちょっと忙しくて全部聞いてられない!!」
叩きつけたはずのペーパーナイフが空振った。
避けられたのではない。当たるはずだった面の肉が、当たる前に先にへこんだせいだ。振り切ったのを見計らったかのように再度肉が元に戻り――刀身を、埋め込むように包み込む。
「やば――」
ぐるぐると振り回し、地面に樹に、何度も何度も叩きつけ、そうしてぽいと放られる。天と地がかき混ぜられるように曖昧になったまま、これまでとは比較にならない勢いで。発射されるように宙を飛ぶ。木々を突き破るように突っ切ってから、今度はそれまでと違う感触に突っ込んだ。
【ではそのように。私は今から困っている貴方を助けます】
自然物でなく、人工物。
周囲の管理のための道具が収めてある小屋の壁を紫苑の身体が突き破る。攻防する内に街の方でなく、山の方に移動していたからだ。
肉塊が、唸るように鳴く。開かれた口から蒸気と涎が零れ落ち、ぎらぎらと赤く光る目に理性や知性は見られない。きっと自分以外の何かにかぶりついて飲み込む事しか考えていない。それすらも考えているのか怪しい有様。
ただ何度も殴られた事に大して何かしら思うところはあったのか、この隙に方向転換はしなかった。『獲物』を目指し、小屋の内部目掛けて歪なその身体を猛然と進める。身体の半分以上を口として開きながら、食らいつくように、飛び出して、
【私も困っているので、助けてください】
「わかった、
【Reading of the Material.】
悲鳴だった。
鳴き声ではない。唸り声でもない。
通常の生命から大きく外れた個体が、喜怒哀楽といった感情を残していたかは怪しいものの。身体を削られた事に対して発せられたであろうそれは、きっと悲鳴だったのだ。
湧き上がる、
吹き荒れる、
燃え上がる――
【では、
ごうごう、ぱちぱちと音がする。
炎の燃え移った小屋が崩れていく。中は息をするのも苦しいほどの高熱が渦巻いているのに、苦もなく進んでいる人影があった。落ちてきた破片がぶつかる前に燃え尽きる。道を阻む崩れた壁の残骸も、静かに灰になって消えていく。
それらは当然の必然で、その人影こそがこの災禍の熱源にして発生源だから。
【私の魔導を預けます。
黒髪が、茶に。
黒瞳は、深い蒼に。
唯一衣服のみが黒のまま。
だがもう白はない、吹き出る炎と同じ色に変わっている。
「…………赤くなった」
周りで渦巻く炎を熱く感じているのに、焼かれる事は決してない。
むしろ周りで炎が流れているのが当たり前のようにすら思える。まるで最初からそういう生物だったかのように。根底から何もかもが変わってしまったようだった。
とはいえ本当に別人になった訳ではない。
だから今やらねばならない事も、忘れてはいない。
紫苑が踏み出したのを察知して、肉塊は逃げなかった。それどころか改めて飛びかかる。食らいつくために。焼かれて減った分を目の前の肉を喰って戻すために。
愚策だった。
逃げるべきだった。
「なるほど。殴ったくらいじゃ効かなくても、焼けば
一回り小さくなった肉塊に対して、突き出された右腕は拳だった。武器は握っていなかったが、代わりに炎が渦巻いている。
着弾。そうとしか呼べない音がした。
吹き上がるように爆裂した炎が片っ端から肉塊を、文字通りに焼滅させる。へこむどころの話ではなく、腕の形に肉の塊がまるごと欠損する。
掘り進むように、焼き進めながら腕が肉塊に沈んでいく。沈んだ先から周囲を更に焼き、内側からその身体を削り取るように焼滅させる。
「見つけた、これがお前の
紫苑が腕を一気に引き抜く。
けれども炎の大部分は腕に付いてこず、肉塊の内部に留まら――ない。外へ外へと燃え走る、焼いていく、炭に変え、崩していく。
巨大だったはずの肉塊は呆気ないほど短い時間で燃え尽きた。ほんの僅かの燃えカスも風に吹かれて飛ばされて、消える。
消える直前の最期に残った炭の輪郭が、ネズミのような形をしていたようにも見えた。始まりはそのくらいの大きさの生き物だったのかもしれない。
引き抜いた拳を解いて、開く。
掌の上には青い宝石のようなものがあった。
「なんだこれ?」
【私も初めて見る物です。高純度のエネルギー結晶体のようですが】
赤くなってから、肉塊の中央に強い力があるのがぼんやりと感じられた。核と狙って引き抜いてみたが当たりだったらしい。
小石程度の大きさだが、強い力が籠もっているのが
【ともあれ無事勝利できたようで、何よりです】
「うん、ありがとう。本当に助かった、ええと……シュテル・ザ・デストラクターさん、だったよね」
【『シュテル』で構いませんよ、シノミヤ・シオン。しばらくの間、協力関係になるのですから、お互いに遠慮はなしでいきましょう】
「じゃあ俺も『紫苑』で」
事情が変わってしまったのだ。
もう認めるしか無いだろう。紫宮の頭の中には本当に――自分ではない
(何でシュテルが俺の頭の中に居るのか、俺のこの変化は何なのか、さっきの化物は、その中の石は何なのか……切り抜けただけで何にも解ってないから、解決とはとても言えないか)
問題は山積み。正直どれも小学生の手には余る。
けれども適切な対応をしてくれそうな機関にも心当たりがない。取り掛かり方をまず考えていかなければならない。が、それにしても情報が足りないのだ。
「ところでシュテル、まず一つ急いで教えて欲しい事があるんだけど」
【何でしょう?】
ただ一つ。
とにかく今直ぐ解決しておかないといけない問題がある。
改めて見るのは自分の身体。そこに纏っている見慣れない衣服の装飾部分。最初は白かったが、今は赤く変わり――僅かながらちりちりと炎を揺らめかせている。
このまま帰れば、確実に、火事――!
「いや
【……………………………………】
「ちょっと」
光る! 鳴る! DXマテリアルドライバー
マテリアルプレート2枚付属
単4チヴィ3体使用(別売り)
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03
――何故ここにいるのか、わからない。
どうしてこうも妙な状況になっているのかも当然、知り得ない。残っているのは個体名称と根底の機能のみ。消滅していないのが不思議なくらいに、欠けている。
そして何故ここまで欠けたかすら、わからない。
忘れてしまったのではなく、無くしてしまったから。
血肉でなくプログラムで構成される
だがそれでも、残っている。
断片同然になりながらも。
目的の対象に関する記憶を欠損してしまっても。
この存在の全てがその為にあるがゆえに。奥底から求めている。
”
同じ存在達と共に、探していたのだ。見つけなければならない。手に入れなければならない、そうして初めて『私達』は■■に■、
【――ああ、ここまでですか。今の所は、消滅しなかっただけでよしとしましょう】
データの整理と記録の捜索を止め、復旧に専念する。
淡々と冷静に論理的に――見えるのは、きっと表面だけだ。その奥には、熱のこもった思いがある。単純な数式では決して説明できない、炎の如き決意がある。
▲▼▲
「じゃあ、昨日の赤い流れ星がシュテルだったって事なのか」
【はい。激突の際にどうやら妙な接触をしてしまったようで、私が貴方の魔導に取り込まれる形になっているのが現状です】
「まず俺は魔導とか持ってた憶えがないんだけど……あったんだろうな。何か変わったし」
小学生が帰る時間としては遅すぎるし、まず外見が完全に不審者のそれ。
けれども紫苑は誰にも咎められる事なく、家へと入る。両親が居ないという環境が生まれて初めてプラスに働いたかもしれない。状況が大分マイナスに寄っている気もするけれど。
帰るまでは本当にあっという間だった。
なにせ走る速度が倍じゃきかないほどに上昇している。力や頑丈さが跳ね上がっていた今までから推測するに、身体能力全般が跳ね上がっていると見るべきか。
怪物と戦ったあの場は――そのままにしてきた。
木々はあちこちベキベキで、小屋はバラバラ大炎上、周りもそこそこ焼け野原。普通だったら通報して事情を説明するのが妥当、なんだけれども。
今回端から端まで経緯がまともでない。説明したところで信じてもらえる可能性は低そうだし、そもそも紫苑自身が説明できるほど事態を把握していない。
「それで俺は君と同じような『マテリアル』と『何か』を探すのを手伝えばいい、と」
【はい】
「『マテリアル』の方はともかく、『何か』っていうのは少しざっくりしすぎじゃないか。せめてどういう形式のものかだけでも解らないと、探しようがない」
【その通りですが、今の私には『何か』としか言えないのです。いかなる名前、いかなる性質、その全てを損傷して無くしてしまっているので】
現在地がどこかといえば洗面所。
毎朝使っている鏡で、紫苑は自分自身を見ている。映っている自身の顔の『形』は朝見た時と何ら変わりはない。けれども『色』が大幅に異なっている。
具体的には髪は茶色に、目は蒼に。衣服から吹き出ている炎は帰り道の途中で止められたが、逆にそれ以外は何も元に戻っていない。
「じゃあ他の『マテリアル』が何処に居るか見当は?」
【ありません。ですが全く当てが無いわけでもありません。この世界には魔導がほぼ普及しておらず、私達のような存在は『異質』。活動すれば痕跡が残るはず。動くかどうかすらわからない『何か』と違い、『マテリアル』の方は無事ならば私と同じ目的で活動しているでしょう――この世界に居るのなら、ですが】
「……『この世界』?」
【それについてはまたの機会に。今はとにかく周囲だけを捜索してくだされば、それで】
服は最悪着替えればいいとしても。髪と目の色を変えて登校すれば唐突な小学校デビューになってしまう。それだけは何としても避けねばなるまい。
なのでさっきから洗ったり、引っ張ったり、突いたり――色々試している、いるのだが。一向に元に戻る気配はない。まるで元からこんな色だったといわんばかりだ。
それに鏡で見ている紫苑自身も『今の状態』にあまり違和感を抱けない。何故か、今の状態が間違っているとは思えない。
これはこれで、
「じゃあまず優先するのは『マテリアル』……だとしても、当面は足で探すしか無い訳だ。俺、平日の昼間は学校に行かなきゃならないんだけど――シュテルとしては仲間探しは最優先でしてほしいんだよな」
【ええ、勿論】
シュテルに『声』はない。意思だけが直接伝わってくる。
ここまで意思疎通をしてきて、抱いた印象は『平坦』だ。事務的というか、感情の振れ幅があまり感じられない。元々そういう性質なのか、気を許していないだけなのかは、今の紫苑には判別付かない。何となくだが後者な気がする。
ただこの返事は少しだけ違う。これまでより明らかに堅い。頑な――強固。譲りたくない事柄なのかもしれない。
「……うん。明確な当てが無いなら、昼は普通に学校に行くよ。俺の生活を優先する選択肢だけど、一応君にも得はある」
【お聞かせ願えますか】
「休もうと思えば休めるんだけど、休み過ぎると先生に心配される。そうすると大人の注意が向いてくる。どうも俺には不思議な力があるけど――それでも『社会』を敵に回していけば、絶対に動き辛くなる。確実に動くべき時に、動けなくなっているのを避けたい。あともう一つ、学校ってのは大勢の人間が集まる場所だ。何か不思議な事件が起きれば噂が回ってくるのが期待できる。小学生くらいの人間にとって、情報収集には最適な施設だと思う」
【わかりました。そういう事ならば異論はありません。ただしこちらも譲れない点を一つ。事態に変化や緊急性のある要件が発生した際には、こちらを優先してもらえますか?】
「わかってる。
これで当面の間、紫苑の生活とシュテルの目的は両立できるだろう。
なのだが、容姿面の問題がさっぱり全然解決どころか進展もしていない。
「戻れ、だと上手く行かないなら…………
考え方を、少し変えてみることにした。
この姿が違うと否定できないなら、肯定してしまう。ただし今は横に置いておく。この形も、正常。けれども最初にあった正常を、改めて中央に据え直すイメージ。
複数になった正常を、入れ替えるように――
「あっ、戻った! 良かった……これで突然の小学生デビューしないですむ……!」
ぱちんと切り替わるように、呆気無く再度の変化。
黒髪、黒瞳、白い制服。最も見慣れた状態の紫宮紫苑が、何事もなかったかのように鏡に映っている。
【ところでシオン、貴方の魔導は一体どういう仕組みになっているのです?】
「それはまず俺自身が一番知りたい」
▲▼▲
――夜の暗闇の中を、誰かが駆けている。
たった独りで駆けている。それに追い立てられるように、追われる影があった。一度また一度、誰かと影が交差する。
その度に自然ではあり得ない光が灯る。干渉を示す火花のように光が散る。
やがて、一際大きな光が広がった。
広がって、奔って、そうして――消えた。静かになった夜の森に『誰かの姿』は見当たらない。追われていた『影』の姿も見当たらない。
さっきまであれだけ頻繁に明滅していた――緑の光が、その夜にもう灯る事はなかった。
きっと目撃した者は誰もいない。
けれどもこの夜の、この出来事を。
本当に誰もが一切『知覚』しなかったか、どうかは――
▲▼▲
夢が入り込む余地のないほどに完全無欠の熟睡だった。
端的に言ってめっちゃよく寝た。
「ふわ……」
突拍子がないことに連続して出くわしても、いざ眠れば朝までぐっすりである。
むしろ大変だったからこそ疲れていてよく眠れたのか。ともかくおかげで体調は万全。昨日あれだけ動き回った上に火まで噴いたのが嘘のように、身体はいつも通り。
欠伸混じりにぼんやりと考えながら、紫苑は通学路(通常)を歩く。もう少し進めば同じ方面の生徒も見えてくるが、この付近で歩いているのは紫苑一人だ。
「でも夢じゃないんだよなー」
一日経って何となくコツがわかったというか。
今では頭の中のシュテルが『居る』のを何となくだが感じ取れる。そういえば今朝は一言も――厳密には一言とは違うのかもしれないが――発していない。
簡単に言えば
「あ゛っ」
もう一つ、あった。
昨日のことが夢でない証。制服のポケットの中に、物理的に存在している。
「これのこと完全に忘れてた……!」
手の上には青い石が在った。
引っこ抜いた直後は内部に篭った力を感じていたが、今ではちょっと綺麗なただの石にしか見えない。この石自体のスイッチ的なものがオフになっているのか。もしくは――紫苑が赤くないから解らないのか。
「うーん、どうにも嫌な予感がしてきたなあ」
改めて見ると、この『色』に見覚えがある。
二日前の流星群。最後の赤い流星の正体はシュテルだった訳だが、その前に無数の青い流星が落ちている。あれらは、紫苑の手の上にある石と、同じ色をしていなかったか。
「シュテル、ちょっと聞きたいことが――シュテル? シュテルさん? おーい」
【………………………………………………何か用ですか】
あからさまに様子がおかしかった。
というか応答までの時間がやたら長い。
「あれ、もしかして本当に寝てた?」
【いいえ。駆体がある時ならともかく、今の私に睡眠は必要ありませんよ】
「え、でも何か今――」
【ただちょっと修復に専念していただけであって急ぎすぎたあまり組み損ねて絡まったデータを解くのに朝までかかって修復どころか悪化してたった今ようやく返答するだけのリソースを確保した等という事は一切ありませんよ】
「…………」
【違うと言っているでしょう】
「あ、はい」
【用件は?】
昨日より三倍くらい態度が冷たくなっている気がする。
何もしていないのに何故だろう。
【昨日も言いましたが、私はこの魔導具がいかなるものかは知りません。ですが複数存在するのではないかという推測は、恐らく正しいと思いますよ】
「どうして」
【落ちる時に私自身、他に複数の魔力反応を察知していますし。それによく見てください――奥に
「……本当だ」
内部に刻まれているのは模様だとばかり思っていた。
けれどもそう言われて改めて見ると、たしかに数字に見える。
【貴方が見たという青い流星、そのすべてがこの魔導具と同じ物である可能性は極めて高いでしょうね】
「うわあ問題が増えた。あの怪物みたいなのがあと十数体居るかもしれないってのはさすがに放っとけない。でも通報してどうにかなるものでもないし……でもシュテルとの約束が先だし……う――――ん、どうしようかな、どうすればいいんだ……?」
当然無視できない。
家族が居らずともここは住み慣れた街だ。深い関係でないと言うだけで、馴染みの深い人や場所がいくつもある。
問題なのは石にしろ、怪物にしろ、それらは魔導――魔法の産物であること。
紫苑には対抗する術がある。あった。憶えはないが、実際にあったのだからもうそこは受け入れるしか無い。それに力を貸してくれるシュテルも居る。
紫苑は、出来る。
他の人には、出来ない。
選択肢など、あってないようなものだった。
【私自身はこの魔導具に用はありません。ですがこの件に関して私達の利害は一致するかもしれませんよ】
「そうなの?」
【この魔導具は『エネルギーの塊』です。他の『マテリアル』が一時的な『補給源』として回収に来る可能性があります。昨日の様に異常事態まで発展していれば、様子見に来る可能性も。私の目的としては寄り道ですが、利が無いわけでも無いのです】
「つまりついでにこの石も探していいって事?」
【そう受け取ってもらって構いません】
「ありがとう、シュテル!」
【利害の一致です。礼を言われる程の事ではありませんよ】
ぴしゃり、という感じ。
きっと本当に一切の利が無ければ無視、放置を求められたのだろう。
「エネルギー源として使えるならシュテルが使えばいいんじゃないの?」
【確かに上手く行けば一気に復旧できるかもしれません。ですが現状では制御に失敗する危険性があるので止めておきます、
「失敗すると?」
【破裂しますね】
「今シュテルが居るのって俺の頭の中だよね?」
【そうですね。そこで破裂します】
「ぜひ無理せずにゆっくり治してください」
【そのつもりですのでご心配なく】
【ああ、そうそう。もし実行するにしても事前に連絡はしますので】
「連絡すればいいってものじゃない!」
▲▼▲
頭の中にいるのは伊達ではなく。
シュテルとは実際に声に出して喋らずとも意思疎通が可能である。
すごいぞ魔導。説明不足もすごいけど。
【では私は復旧に専念していますので、また後程】
(うん。じゃあ放課後にまた)
青い石は壊れかけだったキーホルダーの金具を流用して鞄(復活)に付けておく。もし落ちているのを見かけたり拾ったりした人が居れば、これを見て反応するだろう。
「……………………平和って、こういうことだったんだなあ」
人間が居る。人間しか居ない。怪物は居ない。居ないから襲ってこない。襲われないから、のんびり歩いていられる。
勉強は嫌いではないが、特別好きではない。学校も嫌いではないが、特別に好きだったわけでもない。それでもこうしていつも通りに登校するだけで、何だか心が落ち着くのだ。
命の危険が滅多にないのは確かでも。
一切何も起こらないかというと、そんな事は別に無く。
今視線の先で、教材をこれでもかと抱えた先生が見事に足をもつらせて。
「あぶ――なぁっ!?」
フォローに入ろうと飛び出したはいいが、
制御を離れた紫苑の身体は受け止めに回れない。というかぶちまけられた教材やプリントの雪崩に突撃した。単純に惨劇を加速させただけである。あんまりにも盛大に散らばったせいで、周りの生徒や先生が片付けに参戦してくる程に。
「きれいだね、それ」
集まった生徒の内の一人が、紫苑のカバンを見ながら声をかけてくる。
その視線の先には、例の青い石。
少し、体が強張った。
「何かうちの庭に落ちてたんだよね、これ。とりあえず見た目が良いからキーホルダーにしたんだ」
「へえー」
身構えたものの、それ以上の追求も疑問もない。紫苑の答えで納得したのか、もう教材を拾い集める作業に戻っている。どうも単純に興味を惹かれただけらしい。
(ま、そんなすぐ知ってる人に会えるわけもないか)
教材を集め終わり、手伝いで寄っていた先生や生徒は散っていく。紫苑も被害の拡大についての謝罪を全命で行ってから、その場を離れる。
【今のは?】
「うわっびっくりした!」
突然跳ね上がった紫苑に、怪訝な視線が集中する。
慌てて周囲に何でもないと取り繕いながら、逃げ出すように歩きだす。
(今のって、なんの話?)
【先ほど話していた相手です。髪を両側で結んでいた】
相手は隣のクラスの
特別に親交のある相手ではない。それでも全く知らない訳でもない。数年間同じ学校に通っているのだし、同じクラスだった時もある。
(あ、高町さんの事か)
【タカマチ】
(うん。高町なのはさん。隣のクラスの人だけど、何か変なとこでもあった?)
【……………………………………いいえ、何も】
▲▼▲
放課後。
日常がチャイムと共に終わりを告げて。
非日常へと足を踏み入れる時間がきた。
「ごめん! 先約があるから無理!!」
かけられた様々な声にそれだけ返して、教室を飛び出した。そのまま廊下を抜け、校舎を抜け、校門を潜り抜け、街へと出る。進行方向は家とは違う方向。
【収穫は?】
(あんま無かった! 噂話とか、変な事件の話も今の所出回ってない。ただ以前からよく言われてる心霊スポットとか、人気の少なさそうな場所はいくつか教えてもらった。めぼしい情報が入るまではそこらを回って当たりか外れか潰していこうと思う。それでいい?)
【異論はありません】
隣町なのでバスで行く事にした。
黙々と、揺られるだけの時間が過ぎる。
【……魔導を使って走っていったほうが速いのでは?】
(死ぬほど目立つから無理、夜ならともかく)
隣町くらいなら放課後から移動しても十分間に合う。だがそれより遠くなると、放課後では時間が心もとない。帰りが夜になっていれば、それこそ走って帰る選択肢もあるが。それだと捜索の時間があまり取れないことになる。
「いっそ遠目の候補は休んで先に潰しとくかな……」
バスから降りて、後は歩き。
あっという間に周囲から人気が消えていく。そんな立地でなければ心霊スポットなどと呼ばれないだろうけど。
【静かですね】
「外れだったかな」
何事もなく、目的の廃病院にたどり着く。
が、昨日の怪物のような気配はない。
目を閉じて、もう少し深く周囲を伺ってみるが――同じ。何も感じない。
【そうですね、外れでしょう】
「まーありふれた心霊スポットにそうそう怪物とかが居るわけもないかー」
【
目の前を――形容し難い――固形の煙とでもいおうか。スモッグの塊のような、灰色のボールめいた何かが。ぐよんぐよんと跳ねながら横切った。
「居 る じ ゃ ん !!」
びっくりしすぎて普通に叫んでしまった。
目視できる距離で叫べば、当然相手にも聞こえる訳で。猛然とこちらに向き直ったスモッグ・ボールがこちら目掛けて跳ね上がり、
「ッ――アーキア、オープン!!」
意図して叫んだ言葉ではない。
咄嗟に勝手に出てきた言葉。昨日と同じように『変化』したいという心のままに、無意識のうちに選び出された適切なワード。
鞄が消える。制服が消える。ただの小学生である証が、どこかへと消えてなくなった。代わりに異質の証である白い装飾を持つ黒い衣服が体を覆っている。
そして異質の中心。右腕の先で――
初めて見たときから、使い古したかのように手に馴染むその剣の名前を。
紫苑はいつの間にか、知っていた。
【油断しすぎですよ、シオン】
「いやだって気配が――あるな! でも昨日のとなんか種類が違くない!? ず、ずるいぞお前!!」
思いっきり振り抜いた腕が、連動した刀身が灰色の身体をぶっ叩く。
ぶっ叩いて、すり抜けた。昨日とはまた違った手応えのなさ。煙のような見た目の通りに、煙のような手応えしか無い。
アーキアがでかいペーパーナイフなのはもう諦めるにしても。そもそも普通に殴ったり斬ったりが通じるかがだいぶ怪しい。
とすれば、方法は一つ。
「シュテル、炎貸して!」
【では契約どおりに――】
しーん。
「あれ? シュテル?」
【……………………おや? これは、ええとここがこうなって……こっちが……おや?】
「シュテル? シュテルさん!?」
頭の中に呼びかけながら、スモッグ・ボールの突撃を避ける。
昨日の肉塊めいた相手に比べればその動きは随分と遅い。だがこちらに攻撃手段がなければジリ貧なのは間違いない。
【ああ、無理ですねこれは】
「えっ!?」
【私の方から動かすのは、無理です。どうもこれまた妙な繋がり方になっているようで。とはいえ貴方の方から起動する分には問題ないかと】
「つまり、どういう……?」
【がんばってください】
「そんな――――!」
突撃を避けながら、考える考える、考え――閃いた。
戻った時と逆のことをすれば、また
「戻るでなく、変わ――……あ、駄目だ集中してる時間無いぞ」
やろうとして一瞬で諦めた。
この状況で動きを止めて精神集中していたら、三回はスモッグ・ボールに轢かれる。
もっと一瞬で、一気にイメージを固める必要がある。
剣と衣服を取り出した時のように。
ならば同じように、引き金になる
『変身』は――何か、何故か違う気がする。なら『着火』――はもっとしっくりこない。あの赤い炎はもっと猛々しい、暴力的な物だ。そう『火』でなく『炎』だ。それを付加する、着込むような状態を、的確にイメージできるような。
「――――――
ぼう、と風を裂くのでなく焼くように。
恐らくスモッグ玉は突撃とは別種の攻撃手段を繰り出す寸前だった。けれどもそれは叶わない。口を開いた段階で、身体の総てを焼き尽くされたから。
赤く染まった装飾と同色の炎を吹き上げて、突き出された拳が煙状の身体を一瞬で焼き尽くす。元に戻ろうとしても片っ端から、吹き荒れるように奔る炎が焼滅させる。ガワを焼き尽くされ――姿を表した青い石を紫苑は握りしめ、引き抜いた。
「これで二つ目だ」
【一瞬でしたね。私の魔導を用いているので当然ですが】
「それもあるけど、手応えが特別妙だった。生きても死んでもなかったから、昨日と違って生き物をベースにしてなかったんだと思う――よし戻った!」
髪、目、服、そして炎。
変わっていた総てが一瞬で元に戻り、ただの小学生がそこに立っている。
変化の制御に手慣れてきている実感があった。普通の小学生から勢い良く遠ざかっている気もするが、事態が事態なだけに仕方ない。
「んーっ、さて帰るかー」
【はい?】
「え?」
【この近場に候補がもう一件ありましたよね、次はそちらに行きましょう】
「いやでももう一件行くと帰りのバスが……」
【さっき言っていましたよね。夜なら
「はい……言いました……」
【では、行きましょうか】
静か、冷静、淡々、けれども奥底に炎を宿した意思に先導されて。
非日常は、続く。
ロックオン
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04
▲▼▲
――紫宮紫苑くんは、今日は熱が出たのでお休みです
実際に出かけてわかったのだが、放課後の時間というのは思った以上に短い。初日の探索を終え、家にたどり着いたのは日付が変わってからになってしまった。
次の日、早速ズル休みを行使する。
遠くに行く訳ではない。緊急性がない限り、本格的な遠場は土日に回せばいい。
なので今日は準備だ。
平日の放課後に効率的に動き回るために、足りないものを調達する。
携帯用の水と食料。周辺の地図をいくつか。それと制服で動き回ると目立ちそうなので、着替えも。あとそれらを入れるための邪魔になりすぎないサイズの鞄。
完成した探索用セットは、学校近くのコインロッカーに入れておく。それと遠出に備えて、交通手段や経路の把握と確認。
【何か手慣れていませんか。いえ、こちらとしては滞りがないのは良いのですが】
「前に見た映画がこんな感じでやってたから」
大体終わったのが午前中。午後は候補の一つに出向いて、探索。
今日は二件目は行かずに早めに帰る。もう一件行くとまた深夜になってしまう。すぐ倒れるほど疲れているわけでもないが、始まったばかりで無茶するのも良くはない。明日から本格活動する事にして、今日の残りは休息に回す。
「まーた普通に怪物が居る……」
【私の方は空振りのようです。さっさと排除して戻りましょう】
それでシュテルも納得してくれた。きちんと理詰めした内容なら、ある程度の譲歩はしてくれるようだ。そこら辺、何となくわかってきた紫苑である。
そういうのが無ければ決して譲らない性質なのも――何となく、わかってきた。
「まさか連日で当たりを引くとは思わなかった――っていうか、この辺の心霊スポットはちょっと怪物わきすぎじゃないのか」
【完全に空振るよりは良いことですよ】
「そうなんだけどね! 何かもう多少の怪物出てきても動じなくなってきてる、価値観の変化が複雑っていうか……!」
【はあ。そういうものですか】
シュテルとは心の声的なもので意思疎通が出来る。
とはいえ実際に喋ったほうがやりやすい。しかしこれには、学校や町中では独りで虚空に話しかけている危険な画になるという致命的な欠点がある。
一方、紫宮家は山のそばにぽつんと立っている一軒家だ。必然家に近付けば近づくほど人気が少なくなる。というか人気があった例がない。
なので家の近くでは誰かに聞かれる心配もないだろう。
「…………」
「…………」
その思い込みが致命的だったというか。
見慣れた玄関先で立っている、見慣れない女子とばっちり目が合った。
めちゃくちゃ怪訝そうな瞳が向けられている。それが意味するのはつまり。
「――――ヒェッ」
――聞 か れ た。
滝のように吹き出る冷や汗。生き恥現在進行系。しかも相手は女子。小学生の男子にとっては精神的ダメージが絶大である。
「えっと、お休みだって聞いたからプリント持ってきたんだけど……」
「ア、ハイ、ドウモ」
差し出されたプリントを受け取る。うっかりしていた、休んだ場合はこういう届け物が来るのだった。しかも間の悪いことに時間が学校の下校時刻に重なって、鉢合わせだ。
目の前にいる相手に対し、精神的な距離が著しく開いているのを感じる。確実に引かれている。体調不良でなく精神不良で休んだのだと誤解されかねない。
何とか上手く誤魔化せないかと考えて――気がついた。
「ちょっと待って。何で
「そ、それは、その……ちょっと聞きたい事というか、お願いしたいことがありまして」
目の前に居るのは、見慣れない女子だ。普段親交が無いのだから、自分から願い出ることはありえない。それでもクラスが同じなら、たまたま先生に頼まれたという事もありうる。
けれども『高町なのは』は隣のクラスだ。
ここに居る理由が、無い。
極めつけに、彼女はこう言った。
「昨日かばんに付けてた青い石、もう一回見せてくれないかな?」
「……なんですと?」
怪しい。
おかしい。
昨日はただの石としか見ていなかったし、興味がある様子でもなかった。仮に急に興味が湧いたのだとしても、紫苑が学校に出てきてから頼めばいいだけのはず。わざわざ家に押しかけて来たのは、どう考えてもおかしい。
のだけども。
じゃあどう確かめるか、という話になる。
怪物相手なら初手炎着からの焼却パンチで済む、今日もそうだった。
だが今回相手は同学年の女子である。
とはいえどう説明を始めたものか。
これまでの状況から察するに――『高町なのは』は
大分怖い。
だってただでさえ一人で話している(ように見える)場面を見られているのだ。事情を説明するなら、怪物だの魔導だのちょっとアレなワードがふんだんに混ざってくる訳で。
とりあえず『一発芸:早着替え』とかして反応を見ようか。いやそれはそれで変人だ――なんて考えていたら、救いが己の内より現れた。
【私にいい考えがあります】
(シュテル!)
【まず左腕を上げてください】
(うん)
【左腕はそのまま。右拳を握って、前に出して】
(うん)
紫苑の左手は上げられたままだ。なのはの視線も、突然上がった手に釣られるようにこれまた上へと向いている。その状態で前へ出された右腕は、いわば意識の死角を通っているようなもの。ゆえに気付かれること無く、なのはの胸の中央辺りまでたどり着き、
【
音と閃光を伴って、火花が散る。
開いた手と、なのはの胸の間の辺りで発生した赤いスパークが周囲に迸っている。
「きゃあああああっ!?」
「え、なにこれ。シュテル? シュテルさん!? 何かものすごいバッチバチバチなってますけどシュテルさん!?」
【……………………
「なのは! 離れて!!」
「ちょっと待ってなんかもう一人居ない!?」
ばぁん、と弾けた。
音も光も一際大きく膨れ上がり。周囲に衝撃を伴って散っていく。混乱の極みに叩き落された紫苑が、身体を叩く衝撃波に備えられるわけもなく。
吹き飛ばされるままに宙に放られる。
けれども突然吹っ飛ばされるのには慣れ始めている。
反射的に空中で
「けほっけほっ……びっくりしたぁ」
「なのは、大丈夫――レイジングハートが起動してる!? パスワード無しで!?」
「うん。なんともない、大丈夫だよユーノくん」
「よ、良かった」
相手の方は、そもそも吹き飛んでいなかった。
まず目に入ったのは、衝撃波を防いだと思しき桜色の光の壁。それは直ぐに音もなく消えて――姿があらわれる。
白かった。
学校の制服とデザインが似ているような気がする、けれども確実に違う服。さっきまで着ていなかったはずの服。持っていたはずの鞄が無い。代わりに現れている物がある。
先端に赤い宝玉、周りを覆う金属のパーツから伸びる長い柄――杖だ。
根拠も理由もなく、ただ感覚で。『魔法の杖』という単語を連想した。
【どうやら当たりのようですよ、シオン。彼女は――魔導の使い手です】
「……この確かめ方、もし高町さんが一般人だったら俺が社会的に死んでた気がする」
【そこは私の管轄外ですので】
「ちょっと……いやそんな場合じゃないか」
変わった『高町なのは』に向き直る。
紫苑が動いたのに対し、けれどもなのはは杖をかざすことはなく。たじろぐ――足元になんか居る何だあれ。なんかこうネズミを細長くしたようなのが。というかさっき確実にもう一人分声が聞こえてたんだけど、そっちは何処に行ったのだろう。
手を離したアーキアが音もなく消えていき、合わせて黒い衣服も消えていく。
色々と気になることはあるが。
とに、かく。
今は。
「驚かせて、ごめんなさい! 本当に申し訳ない!!」
合掌か土下座か悩んだ結果。
ならば両方すればよかろうということで。
合掌しながら土下座するという複合全命謝罪――――!
▲▼▲
「高町なのはです」
「ユーノ・スクライアです」
「紫宮紫苑です」
三人(?)同時にぺこりと頭を下げて、改めて自己紹介。
そんな訳で紫宮家の居間に珍しく来客の姿がある。
人間の姿は二人分。テーブルの向こうにちょこんと座っている、隣のクラス女子にしてもう一人の早着替え能力者こと高町なのは。反対側に紫苑。
「…………ネズミが喋るくらいじゃ驚けなくなってるな、もう」
「あの、一応ネズミでなくフェレットです」
「えっ、そうなんですか。どうりで妙に細長いと、いやすいませんそれは大変失礼を……」
「あ、いえいえお気になさらず……」
けれども声は三人分。
何故かと言うと、姿形が『人』ではないから。テーブルの上に行儀よく座しているのは、すげえ流暢に人語を話す
ちなみに意思で言うと四人分あることになるが、
【私から直接の意思伝達は難しいので、二人には適当に説明しておいてください】
地味にハードルが高い。
どう言えと。
「じゅえるしーど」
「はい。それがこの石の名前です」
「チアシードの新種か何か?」
「違いますね」
机の上に並べた青い石は3つ。
鞄につけていた一つ。昨日引っこ抜いてきた一つ。あとさっき引っこ抜いてきた一つ。
それらを前にして、ユーノさん(?)が事情を説明してくれた。
「つまり――ユーノさん? は別の世界の魔法使いで、このジュエルシードを発掘した人。しかるべき施設に運んでる途中に船が事故に遭って、この世界に散らばってしまったのを回収に来た、と」
「はい」
「高町さんの方は、怪我をしたユーノさんをたまたま見つけて。そしたらたまたま魔法? の才能があって。ジュエルシードを探すのを手伝うことにした、と」
「うん。そうなんだ」
「はあ、すごい偶然だねそれは」
「それが全く偶然というわけでもなくて。僕は一か八かで念話で周囲に助けを求めたんです。そうしたらなのはがそれを拾ってくれて、それで」
「ねんわ」
「そうだよ。すごいよね、思っただけで遠くにいてもおはなしできるのって」
「なにそれ便利そうだね」
素直に感想を言ったら、何故だか二人から怪訝そうな視線を向けられた。
「貴方も使えるんじゃあ……あれ、魔導師の方ですよね?」
「俺って魔導士だったの?」
「えっ」
「でも紫宮くんもレイジングハートみたいなの、持ってたよね?」
「
「それです。デバイス――魔導師の杖」
右手に出てきた黒銀の剣を見て、二人共こくこくと頷く。
そういえば何故かアーキアを出すと必ず服も変わる。何故だろうか。
「でばいす」
「あとその服も
「ばりあじゃけっと」
「……あれ? もしかして、知らない……?」
「今はじめて聞いた。そんな名前なんですか、これ」
しんとその場が静まり返る。
三人揃って『?』って顔でしばらく首を傾げ合う。
「えーと。何か認識にずれがあるみたいですけど、俺は数日前まで魔法とか知りもしませんでしたよ」
「そ、そうだったんですか。魔法技術が珍しいこの世界では、デバイスは持ち込まれないかぎり存在しないはずなんです。だからデバイスを持ってる貴方のことを、てっきりこの世界に在住してる魔導師の方かとばかり」
「じゃあ高町さんのそれは――」
「うん。レイジングハートは最初ユーノくんが持ってたんだよ」
「へー」
「ちょ、ちょっと待って下さい。じゃあ貴方のデバイスは一体誰が!?」
「さあ……」
「すみません、貴方のデバイスをちょっと見せてもらってもいいですか」
「いいですよ」
ごとん、とテーブルの上に剣を置く。
突然目の前に置かれた長大な物体を前に、しばしユーノは困ったように周囲をぐるぐると回る。
「あの、申し訳ないんですけど待機状態に戻してもらってもいいですか? この体でこのサイズの物を調べるのはちょっと大変で」
「待機状態?」
「デバイスの収納状態のことです」
「こんな感じの」
そう言って高町さんが首から下げている赤い宝玉をこちらに見せる。
あれは先程の杖の別の姿、という事らしい。
「なるほど」
剣のアーキアを消す。
そうして身体のあちこちと服のポケットを探す。
「無いみたいですね」
「え?」
「え?」
しんとその場が静まり返る。
三人揃って『?』って顔でしばらく首を傾げ合う。
【……私が接触した時点で、すでに貴方はその剣を所有していましたよ。現れていない時にどうなっているかは――恐らく貴方そのものに
「あ、そうなんだ? 何か昔から持ってたらしい――溶け込んでる? 待ってあんな金属の塊が身体のどっかに入ってるって事? 怖すぎないそれ?」
【物理的ではなく情報的に、でしょう。あの剣は私のような『マテリアル』に近い存在なのかもしれません】
「待機状態のないデバイス? いや、そんなはずは……」
「紫宮くん、さっきから誰かとお話してない? 家の前でもそんな風だったよね?」
ぎくり。
高町さんがこれまでとは別種の怪訝さで、こちらをじっと見つめている。考えるまでもなくシュテルのことだ。結局上手い説明を思いつけていないが、何とか説明してみるしか無い。
「あー、うん。ここらで俺の事情、というかいきさつ話したほうがいいかな」
幸いに、高町さんもユーノさんも良い人そうだ。頭の中に誰かいると言っても、魔法的な方にシフトして精神異常を疑われはしないだろう。
しないだろう。しないでくれ。たのむ。ここまで善良な二人に疑われたらちょっとさすがに立ち直れないかもしれない。
(シュテル、どこまで話していい?)
【お任せします。貴方が知っている事で、知られて困る情報はありませんので】
(あ、はい)
意を決して、口を開く。
「事の発端は3日前に流れ星の直撃を受けたことから始まるんだけど――」
「えっ!?」
「えっ!?」
▲▼▲
――あまり、よくない流れだ。
シュテルにとっても、件の魔導具――『ジュエルシード』の情報はある程度プラスになる。
けれども色々と判りすぎてしまった、という気持ちがあった。
【ずいぶんと
一日を観察に当てたシュテルは紫宮紫苑を『善良な一般人』と判断した。
加えて約束事に対しての許容のハードルが低く、『言い方』や『頼み方』次第で行動のコントロールが可能とも判断した。事実それらは間違っておらず、ここまではほぼシュテルの思い描いた通りに上手く事を運べている。
今のシュテルは自身での行動が一切不可能だ。たとえ短い時間でも、目的のために動かせる駒があるのは随分と足しになる。
だが情報が増えたことで、変化が起きた。
今までは推測でしかなかった『複数存在する』、『危険度が高い』、『回収を急いでいる』が事実と証明されてしまったからだ。
シュテルと違い、仮宿の主である紫宮紫苑にとってこの土地は生活拠点である。この判明した事実から、ジュエルシードの対処への優先順位が上がる事は想像に難くない。
未だ当てのない『マテリアル』や『何か』の捜索は後回し、ジュエルシードの回収が終わってから――それは、十分に理に適っている。
なにせ存在のあやふやなシュテルと二つ返事で契約するような相手だ。情報体のシュテルの頼みを断れない人間が、『同じ人間』から危険を伝えられて無視できるとは思えない。
【さて、どうしたものですか】
(――シュテル、シュテルってば。おーい)
【何か】
「集めたジュエルシードはユーノさんに返そうと思うんだけど、いいかな」
【構いませんよ。すでに言いましたが、私の目的には不要な物です】
(わかった。ありがとう)
【必要のない礼は不要ですよ。こちらもすでに言っているはずです】
(な、なんか機嫌悪くない……?)
【気のせいでしょう】
思った通りに異世界から来た魔法使い――ユーノに対して、紫苑は協力的である。
このまま進めばシュテルにとって不利益な方向に進むだろう。最悪の場合を考慮して、少々無理な選択肢を実行に移すことも視野に入れておかねばならない。
そのために必要なピースは手に入れている、
「じゃあ、どうぞ」
「いいんですか!?」
「良いも何も、持ち主に返せるならそれが一番だよ。俺が持っててもキーホルダーくらいにしかならないし」
「あ、ありがとうございます!!」
「それと、俺もジュエルシード探します。というかどの道拾っていくつもりだったし。届ける先が出来てちょうど良かったというか」
【…………】
どうしたものかと、思考する。
全く手が無いわけではないが、リスクも大きい。具体的にはシュテルの魔導を貸さねばよいのだ。紫苑の戦闘能力はシュテルよりもたらされた『炎』に大きく依存している。
だが脅したところで、拒絶されればそれまで。加えて万が一シュテルの助力なしで危険に飛び込み、紫苑が生命活動の停止に追い込まれたとする。その場合は中のシュテルが無事で済む保証もない。
「でもごめんなさい! 今の最優先はシュテルとの約束なんだ! だから、何かあった時は手伝えない! 本当にごめんなさい! だけど、これは譲れない!」
その瞬間だけ。
思考を忘れなかったと言えば嘘になる。
【良かったのですか?】
時間が遅くなったので話の続きはまた後日。
そう言って解散し、高町なのはとユーノ・スクライアが去った直後にシュテルは問うた。
およそ自分にとって最上の事の運び方をした。
なのにわざわざ確認するような事をした理由は――わからなかったから。
紫苑が自分の予測とかけ離れた結論を出した事が。それと、都合が良いはずの結論に対してシュテル自身が僅かながらも動揺した事が。
それらの困惑や疑惑が混ざり合った結果として。
思わず、問うてしまったのだ。
「え、なにが?」
【具体的な当てのない私の要件よりも、ユーノ・スクライアへの助力を優先すべきだったのでは?】
「そうだね、そうかもしれない。そうなんだとも、思った。でも俺は――約束を守るよ。君を助ける。他の全部はそれからだ」
【はあ。そういうものですか】
「そういうものなんだよ、
判断を改める。
シュテルの思った以上に、紫苑は『約束』に対して律儀だ。けれどもあくまでそういう傾向があるだけだろう。絶対の保証にはなりえない。それは考えれば解る、当然の結論だ。
シュテルは『マテリアル』だ。
紫宮紫苑は『人間』だ。
共に在っても、別々の二であって決して一ではない。
それどころか二つでもないし、二人でもない。
一つと一人だ。
形態が違う。
生態が違う。
目的が違う。
何もかもが違う。
信用はしないのでなく、できない。
信頼はしないのでなく、できない。
わかりあえないのでなく、できない。
【駆体の構築率――――67%』
推測ではない。予想でもない。事実として、何時か必ず――破綻する。
「あれ? え、シュテル今喋らなかった?」
【まさか。気のせいでしょう】
そのための準備が。
今この瞬間にも進んでいるのだから。
フルボイス化の予感
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05
▲▼▲
高町なのはとユーノはジュエルシードを捜索するチーム。
紫宮紫苑とシュテルはマテリアルを捜索するチーム。
初邂逅からおおよそ一週間ほどが経過した現在。
二つのチームは合流はしていないが、協力関係にはある。
「ここからここまではもう探した」
「僕達の方でこっちまでは確認済み」
場所は紫宮家。テーブルの上に広げられたのは海鳴市の地図だ。
赤ペンであちこちに書き込みや塗りつぶしがされている。大きな○が書かれているのはジュエルシードを回収した地点。塗りつぶしは探したけれども何も無かった地点。
それを覗き込んでいるのは紫苑とユーノ。それぞれの調査結果に従って、書き込みが更新されていく。
なのはは不在。今日は放課後に友達と約束があるから、ジュエルシードの捜索は行くにしても夜からであるらしい。家で留守番のユーノは夕方も空いているので、今の内に情報共有となった。
「よし、これで全部かな」
「そうだね。僕達の分も全部反映したよ」
ユーノは聞いたところなのはや紫苑と同じくらいの歳らしい。
本人の希望もあって、敬語はなしになった。情報共有の機会が多いせいか、それとも単純に男同士だからなのか。今ではある程度打ち解けている。
「ジュエルシードの方は、改めて見ても適当に散らばってるって感じだなあ。法則性とか無さそうだ」
「船の爆発で放り出されたからね……でも思ったよりずっと広範囲に散ってる。紫苑達の方で探索を手伝ってもらって、本当に助かってるんだ」
魔法の能力で言うならば。高町なのはがメンバーの中でトップだ。
彼女一人でもジュエルシードの捜索、発動していた場合の沈静化、そして封印まで滞り無く行える。
けれども彼女は一人しか居ない。
一度に行ける場所は一つだけ。探索も魔法で行うにしても、その範囲には限りがある。
なので紫苑達が『ついで』でも同時に別場所を探していれば、単純に効率が二倍になる。紫苑側としても、なのは達が探している側が『外れ』だと解るので損にはならない。
「こっちはこっちでユーノが色々教えてくれるの、物凄く助かってる」
「そうかな。なら、よかった」
何より紫苑にとってはユーノの情報が貴重だった。
別の世界の魔法使いであるユーノは、今の時代における魔法の一般常識を知り尽くしている。シュテルも魔法側の存在だが――損傷による欠落、それと根本的に
ユーノはずいぶんと親身というか念入りというか、色々と教えてくれた。
重点的に教えられたのは、周辺へ被害を漏らさない類の魔法であったのは、
『けっかい? 決壊? 血塊?』
【非殺傷設定? 何ですそれは?】
『なんてことだ……』
ジュエルシードを強火で炙って鎮静化と封印をゴリ押し、ついでみたいに周辺の建築物や地形をごそっと焼滅させた紫苑を見て――このまま放置しておくのはまずいと思ったのだろう。
その過程で判ってきたが、紫苑の魔法の資質はあんまり一般的ではないらしい。
わかりやすくいうと大体何もできない。
普通の魔導師ならば使えるそれらを一切紫苑は使えなかった。加えて燃料の総量自体があまり多くもない。『リンカーコア』――魔導師が必ず持つ魔力生成機関の働きはそこまで活発でないようだ。魔法の色も能力の薄さを表すかのように『透明』である。
唯一使える魔法(?)は『
紫苑が何故か知っていて、無意識の内に使っていた術式。名前の通りに身体能力を引き上げるシンプルなもの。
ただ、性能はやたら優秀らしい。
消費に比べて信じられないくらいの強化倍率、単純使用なら負担も少ない。一つしか使えないからなのか、それとも術式が優秀なのかは不明である。
そしてこれらの前提が。
炎着をするとほぼ総て変わる。
やや不安定ながらも、普通の魔導師に可能な事は一通り可能になる。
リンカーコアも平均以上に活発になり、魔力の総量が跳ね上がる。魔力光はシュテルと同じ赤に染まる。更に借り受けた炎が加わることで、攻撃に大分傾いた性能に変化する。
変化前の性能はやや特殊。
変化後の性能自体はそこまで特殊ではなく、むしろ一般的に近づいている。
けれども劇的すぎる変化そのものが何よりも特殊。
そんな訳で。
何もかも判った、というよりかは。
どう判らないのかきちんと判った、といった感じである。
あとデバイスかどうかすら怪しいアーキアは一番怪しいが、怪しすぎて何もわからないので今は放置するということになった。
「ジュエルシードは今合計9個だっけ。もうちょっとで半分だね」
「うん。問題はこの先かな。近辺は結構探索が進んだから」
「気軽に行ける範囲で全部集まればそれでいいんだけど、残り半分だとちょっと厳しいかなあ」
「発動すれば遠くても位置は判るけど……可能ならば発動前に回収したい。僕がもう少し回復すればもっと広く行動できるんだけど」
一瞬。
早送りみたいなスピードで動き回る
実際はそんなフィジカルな方向でなくもっと魔法的な意味なのだろうけど。
「こっちはそろそろ遠出を視野に入れてるよ。でもついでで探すにはちょっと俺の探索範囲が狭いのがなー。ジュエルシードのサイズだと見落としそう」
「そうなんだ。じゃあその時は僕も連れて行ってもらえないかな」
「あ、そりゃいいや。ユーノがこっちの探索も手伝ってくれればすごく助かる。でも遠出は気になる噂が入ってるから、そっちを確かめた後かな」
「噂?」
「うん。何か『黒尽くめの怪しい人影みたいなのがうろついてる』ってのが、最近になって急に出てきてる」
「格好がおかしいだけなら、この世界の人の可能性もあるけど……」
「俺も最初はそう思ったけど――なんか放電してるらしいんだよね」
「それは怪しい」
「怪しいでしょ。実際に周囲の電子機器とかにトラブルも起こってるみたいでさ。今まで回収したジュエルシードに、そんな特徴の個体は居なかった。新しく発動したならユーノか高町さんが気付いてないとおかしい。だからジュエルシードとは『別口』な気がしてる」
「わかった。僕達の方でも気を付けてみるよ」
「お願い」
今までで一番期待できる。とはいえこれも外れなら、さっきも言った通りに行動半径を広げる必要性が出てくるだろう。
「あ、そろそろ時間だ。僕はなのはと合流するよ」
「送ってく。どうせ俺もこれから動くし」
「うん、じゃあお願いしようかな」
差し出した手を登って、ユーノがするりと肩に乗る。家を出ると陽は大分傾いていて、そろそろ夕暮れから夜に変わる時間帯と見て取れる。
フェレットであるユーノは当然ながら身体が小さい。身軽で素早くはあるが、長距離を移動するのはあまり向いていない。
なので、
「アーキア、オープン」
【Physical extend】
こうして、ユーノを乗せた俺が魔法ダッシュをした方が手っ取り早いのである。
跳ね上がった身体能力は、いとも容易く木々を飛び越える。適当な枝から枝へ飛び移っていれば直ぐに森を抜け、住宅街へ。今度は屋根から屋根を飛び移り、街を一気に突っ切っていく。
肩のユーノが認識阻害の魔法をかけているので、誰かに見られても気付かれることはない。魔法技術を用いていないこの世界の映像記録にも残らないのだとか。
炎着すれば紫苑も同じ魔法を使える。が、この状態で炎着するとユーノが焦げる危険性があるのだ。
待ち合わせ場所の公園、その上空にさしかかる。
手を振っているなのはの姿も、直ぐに見つけられたので近くに着地。
「こんばんは、高町さん」
「こんばんは、紫苑くん。ユーノくんもおかえり」
「うん。ただいま、なのは」
「…………」
器用になのはの方の肩に飛び移るユーノ。
ユーノとなのはの二人は、実際には友達もしくは仲間という括りになるのだろうけども。こうしているとペットと飼い主にしか見えない。
「じゃあそっちもがんばって。火力が要るなら呼んで、この後は炎着してるから念話通じると思うから」
「そっちも気を付けてね」
紫苑達となのは達は協力しているが、一緒に行動することはあまり無い。
なのでいつも通りに別れようとしたのだが。なのはから返答がなく、それどころか何故かじっとこちらを見つめている。
「どうかしたの高町さん。俺の顔に何かついてる?」
「紫苑くんわたしのこと、まだ名前で呼んでくれない」
「…………うん?」
ちょっとだけ。
気付かないふりをして、さっさと離れるべきだったかなとか。
「もうだいぶお話するようになったし。それにせっかく魔法のことも話せる人なんだから、私はもっと仲良くなりたいかなって」
「いや別に仲が悪いから呼ばないわけでなくて。女子を名前呼びはちょっとハードルが高いといいますか」
「ユーノくんは名前で呼んでくれるのになあ」
「的確に追い詰めてくるの止めて」
なのはの肩の上に居るユーノと目が合った。というか合わせた。
付き合いこそ短いながらも、ある程度は視線での意思疎通も可能であろうと信じて試みる。
『たすけぶねとか、ないですか』
『ちょっと、むりそうですね』
可能だったが何も解決しなかった。
別に嫌な訳ではないし、何か特別な理由があるわけでもない。
単純に恥ずかしいだけである。だからこそ簡単に頷けないのであるが。
「でも高町さん、考えてみて欲しい。確かに俺と高町さんは前よりずっと仲良くなったといえる。でも切っ掛けは魔法に関することだ。互いの呼称を親しい方向に突然変えたら、周りからどうして仲良くなったのかを聞かれた時に困ると思いませんか」
「うーん、そっかぁ……」
うんうんと、思考中とでも言わんばかりに唸るなのは。
このまま納得して欲しい。それに魔法に絡みの出来事がなければ、高町なのはと紫宮紫苑はただの同級生だったのは事実なのだ。
嘘は言っていない。
騙してはいない。
ただちょっと誤魔化しているだけである。
『でもそれだとなのはが名前呼びするのも駄目って事になるんじゃ……』
『それ絶対口に出さないでね。こじれるからね、本当にやめてね』
ユーノとの視線でのやり取りがこの短時間で洗練されてきた気がする。
「あ、じゃあ普段から魔法以外のことで遊んだりすればいいんじゃない?」
「嘘だろ更に追いつめられたぞ」
「なのは、こういうところはグイグイくるからなあ……」
▲▼▲
とん、と踏み出した。
実際に起こる音はもっと重たいドン、という音。
「炎着」
夜空へと打ち上げられた最中に、色々な色が変わる。
この状態ならば紫苑にも認識阻害の魔法が使えるので、即時発動。ちらちらと赤い炎を零しながら、さっきの何倍もの速度で街を通り過ぎていく。
「今日行く方向は――あっち、と」
一定間隔で探索魔法を発動しつつ、屋根から屋根を飛び移って移動し続ける。出る前に見た地図を思い出して、まだ探していない方向へと
この状態ならば探索魔法も使えるようになるが、ユーノやなのはが扱う魔法に比べて範囲がぐっと狭い。ならばどうなるか、答えは簡単である。
移動範囲でカバーすればいいのだ。
範囲を広げられないのなら、ひたすら走り回って広い範囲を埋めるのである。
【名前で呼ぶことに、特に問題があるとも思えませんが】
「突然だね」
ここ数日、シュテルはあまり表に出ていなかった。
探索の進捗等の情報共有はしているが、そうでなければ基本引っ込んでいる。
紫苑が呼びかけても応えが返ってこないことのほうが多い。無視しているのではなく、返答に割くリソースすらも惜しんで別の『作業』を進めているためだ。
【タカマチ・ナノハの事を、貴方はどう思っているのですか?】
「好ましく思ってるよ。というか彼女みたいなタイプは嫌われる方が少ないんじゃないかな」
【ならば尚更、要請に応えるべきと思うのですが。ユーノ・スクライアや私に対しては即座に呼び方を変えていたでしょう。何か違いが?】
やり取りの間に、すでに隣町の端までさしかかっている。
紫苑の魔法は限定的な分、効果が極端に高い場合があった。特に身体能力の強化に関しては、シュテルも底を測りかねている。
「ユーノは話した感じ本当に同年代って感じだったし。シュテルに対しては求められたからそうしてる」
【判りません。それならばタカマチ・ナノハも同じことでは】
「そうなんだけどね。高町さん、女の子だから抵抗がちょっとある」
【性別で何か違いがあると?】
「うん、まあ。出自と魔法は妙だけど、他の部分は結構普通に男子小学生なもので」
【つまり貴方にとって彼女は
「そこまで大げさなものじゃないけど、前と違って知らない仲ではなくなってるね」
好きか嫌いで言われれば、紫苑はなのはの事を確かに好きなのだろう。
ただ好きにも色々と種類がある。今回の紫苑の言う好きは、それらの中でも軽い。当然損得が絡む話など全くしておらず、もっとあやふやな感情の話でしかない。そもそもの原因がただ照れくさい、恥ずかしい、というだけなのだ。
【なるほど。
「そう?」
けれども
このやり取りを、紫苑はなのはを特別扱いしていると受け取っている。
有事の際には
「じゃあ、シュテルは高町さんのことどう思う?」
【そうですね。脅威と楽しみが半々でしょうか】
「完全に予想外な答えが来たぞ」
【傍で見ているだけで十分判りますが、彼女の魔導の才は本物です。もし彼女が敵に回れば非常に厄介でしょう。そしてそれだけの相手、競うには申し分ありません】
「へえ、シュテルって戦うのとか好きなんだ?」
【でなければ
「そうなんだ。ありがとう、参考になったよ」
【そうですか】
紫苑は単純にシュテルの新しい面が知れて喜んでいるだけだ。
けれどもシュテルは情報を渡しすぎたのかと危惧している。好戦的と明かしたから、危険視されるのではと懸念している。
「ところで、出てきたって事は作業の方は区切り付いたの?」
【ええ、まあ。一段落というところです】
探索魔法に反応はない。ジュエルシードどころか異質なものは何も無い。人々の生活の灯りを見下ろしながら、一人と一つは共に夜空を裂いて進んでいく。
『急いだ分、何とか形にはなりましたか』
他の誰にも、最も近くに在る人間にも届かぬように細心の注意をはらい。
具合を確かめる確認も兼ねて、シュテルは得た『声帯』を震わせる。
『後は、相応しい時に』
一人と一つは、
こっそりフルボイス化済み
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06
▲▼▲
週末。土日。
一週間の内で学生が最も自由に動き回れる期間。
そんな訳で土曜日にやや遠目の場所に出かけたはいいが、相も変わらずマテリアルの方は空振りである。
ただしジュエルシードには出くわした。地味にやたら紫苑側の発見率というか遭遇率が高い。放っておく訳にもいかないので追いかけねばならないのだが、見つけた時間が悪かった。
「どうせ出てくるなら夕方の内に出てきてほしかった……」
陽も暮れきった夜。もう切り上げて帰ろうか――というタイミングでの遭遇である。おまけに猫か何かが発動させたのか、恐ろしく素早いのだからたちが悪い。
夜通し追いかけ続けて走り続けて。何とか捕まえて封印した頃には夜が明けていた。朝日に疲れ目を焼かれつつも、帰り道を走破。日曜の昼下がりになってようやく見知った街へと帰ってきた。
帰ってきた、のであるが。
見知った街は、何だかやや見知らぬ様子になっていたというか。
「環境破壊、というか……」
その単語はニュースだとか、授業の時に度々聞いている。
人の生活や文明が自然に与える害が云々。日頃から自然に配慮した生活を心がけましょうで締められるそれ。ただ、今この場面においては全くの逆で。
「環境が破壊している、というか…………」
巨大な樹木が、道路や建物を突き破って生えまくっていた。人工物が大自然に全力で蹂躙されている光景がここに在る。
これが科学の敗北というやつなのだろうか。
確かに人の街は自然を切り開いて築かれる。けれども海鳴市はまだ緑が多い方だ。ここまでされる謂れはないのではないか。いやこういった考え方こそが人間の奢りで、だからこそ植物達の怒りを買った可能性が……?
「って、んなこと考えてる場合じゃないな!」
眼前の地面を無数のヒビが走り抜ける。
巨大な樹木は今この瞬間も成長を続けていた。より遠く、広くへと根が巡っていく。新たに伸びた一本がが地中から突き出て、紫苑目掛けて振り下ろされた。
「炎着ッ!」
けれども、何にも当たること無く燃え尽きる。
巻き上がった炎は根だけでなく、降り注ぐ建物や道路の残骸や破片も焼き尽くしていく。
街中という位置があまり良くない。紫苑の炎は、範囲指定というか規模の調整と言うか――とにかく『雑』なのだ。その分破壊力はあるのだが。
『――苑、紫苑! 聞こえる!?』
『今聞こえるようになった。これもしかしてジュエルシード案件?』
『うん、さっき発動を感じた。今なのはとそっちに向かってる』
『何か規模がいつもよりでかい気がするんだけど』
『詳しい説明は後でするけど――多分『人間』が発動させてる。直ぐに広域の結界を張るから、それまではくれぐれも大火力は控えて!』
『早めにお願い』
ユーノとの念話の間に
「うわ。思ったより広いな」
見渡す限り、緑多い街どころか緑多すぎる街と化している。地面を這う根だけでない。あちこちに太く高い幹がそびえ、伸びた枝や茂る葉がビルや建物を突き破っていた。
ふいに、空気の肌触りが変わる――おそらくユーノが結界を展開したのだろう。結界魔法は指定範囲の空間を切り取って隔離するものであるらしい。事実、魔法の使えない町の人間はその姿を消している。また結界内での破壊状況は、解除時に反映されない。極端な話、結界が維持されている間は街を更地にしても問題ないのである。
「これで、遠慮なく焼ける訳だけど――」
だん、と強めに地を蹴って手近な枝へと飛び移る。着地はせずに、殴りつけた。無論拳の先端から腕にかけては赤い炎が巻き付いている。
接触した箇所は物理的な破壊力を叩き込まれて砕け散る。周囲も燃え移った炎が奔って広範囲を焼いていく。家一軒に匹敵する大質量が、瞬く間に炭の塊になり下がって、風に吹かれて散っていく。
「切りがないか。大本潰さないと駄目だこれ」
が、同じだけの質量が別の場所で生え続けている。炎の範囲と威力を可能な限り引き上げて、腕を振るい続けたとしても。全ての樹を燃やす前に紫苑の魔力か体力が尽きるだろう。
ならばどうするかは至極単純で、これ以上生えなくすればいいのだ。
この樹木は発動したジュエルシードの放つ魔力によって生成されている。封印さえしてしまえば少なくともこれ以上は生えてこなくなる。今までのケースから推測するに、封印に伴ってすでに生えてしまった樹が消える可能性もある。
「んー…………んん、あれこれ駄目じゃないか」
それにも問題がある。広がりに広がったコンクリートジャングル(緑)の中から、石一粒をピンポイントで見つけなければいけない事だ。
炎着状態ならば紫苑は探査魔法を使える。使えるのだが、精度が悪い。
範囲の狭さもそうなのだが、ぼんやりとこの辺に『何かある』くらいしかわからないのだ。大きさや形はまるで拾えない。
だからこの場で使っても『周り全部なんか変』とかいうすこぶるふわっとした事しかわからない。というかそんなことは見れば判る。
「となると。片端から削っていって、再生の規模と速度に差があるかを割り出せれば――」
恐らくだが中核に近づくほど再生が確実で速く、離れるほど後回しで遅くなるはず。
必要なのは威力でなく範囲と数だ。調整が効かないなりに、普段右腕に集中させている炎を左腕にも炎を灯す。一度だけぐるりと首を巡らせて周囲を把握。範囲を絞るために最低限削る必要のある箇所を割り出す。後は順に燃やしていけばいい。
『ユーノ。こっちは核探すためにあちこち燃やして回るしか無いんだけど。そっちの魔法で探せたりする?』
『あ、いや、今なのはが――』
『大丈夫』
紫苑は、このジュエルシードにまつわる経緯を一切知らない。
だから何故そうなったかは、推測もできない。それでも高町なのはの声が、真剣そのものだという事は判った。
『
横向きの『柱』だった。
事実はどうあれ、少なくともそう見えた。桜色の魔力が、柱と見紛うほどに束ねられた魔力の塊が。紫苑の上空を一瞬で通り過ぎ、そして。
辛うじてそう認識した時には、おおよそ全てが終わっていた。
周囲に好き放題に伸びていた樹木が光になって解ける様に消えていく。周辺の魔力反応も規模がどんどん小さくなっていく。それらが意味する事は一つ。ジュエルシードの
「…………嘘ぉ」
光が伸びてきた方向に視線を向ければ、杖を構える高町なのはの姿が見える。
魔法を使って身体能力を引き上げているから、見える。肉眼ではただの点にしか映らない程の距離がある。そこから撃って、当てた事になる。
【やはり。砲撃型でしたか】
「わかるの、シュテル」
樹木の消滅に伴って、建物の幾つかも支えを失って崩れていく。驚くのを後に回して足場として成立する場所に飛び移る。その最中にシュテルの意識が浮上してきた。
【砲撃魔法に封印術式を乗せて放ったのでしょう。特異な才能が必要とまでは言いませんが、素人が咄嗟で扱える物でないのは確かです】
「でも練習してたとか聞いた覚えもないんだよな。飛行とか防御はユーノが教えてるって言ってたけど」
【ええ、ですから。この場で覚えた――
「シュテルって、何かやけに高町さんのこと気にしてるね」
【………………そうですね。そうかもしれません。貴方に言われて気が付きました。引っかかってはいたのです。実際に急成長を目の当たりにして――いいえ。成長が早い、というより。本人の気分次第でああも伸びしろが変わるのは……】
――そう遠くない内に
結局シュテルはその続きを形にしなかった。故に紫苑にその先は拾えない。それでも明らかに言葉を途中で止めたシュテルに対し、小さな違和感を抱く。
「…………シュテル?」
【頃合いかもしれませんね。少し急かもしれませんが、遅れてタイミングを逃すよりかはいいでしょう】
疑問に返答はなかった。
淡々と、結論付けた意思だけが一方的に紡がれて、そして。
▲▼▲
「この辺でいい?」
【はい】
場所は紫宮家の近く。山へと繋がる林の中。
すでに陽は大分傾き、次にやってくる夜の徴候が出始めた時間帯になっている。
ユーノ達との合流を後回しにして、炎着状態も解除せずに。こんな所までやってきたのにはもちろん理由がある。まあシュテルの提示した『一旦街や人から離れてほしい』という条件に適した場所が、ここだったというだけの話なのだが。
ともかくこの周囲には『人気がない』。
多少何か起こったところで、騒ぎにはならない場所だ。
【シノミヤ・シオン】
「うん」
普段と様子が明らかに違うと判ったからこそ。
何も聞き返さずに、紫苑はシュテルの意思の続きを待った。
【貴方に問います。私との『契約』を果たすと頷いた事、相違ありませんか?】
「え? うん。でもどうしたの急に」
【では――遠慮なく』
「待って、今確かにシュテル、声、」
『
ごう、と炎が渦巻いた。紫苑の変化した衣服、赤く染まった装飾部分から赤い炎が吹き出ている。見た目は炎を使う時と同一。けれども今回は意味合いが異なる。
放出しているのではなく、
髪の色が茶から黒に変わる。瞳の色が蒼から黒に変わる。赤く変化していた装飾は色を忘れたかのように白へと変化していく。
まだ炎は止まらない。どころかごうごうと勢いを増していく。何かに向かって放たれるのではない。近隣の草木や地面を焼くのでもない。
炎の渦、その中心に赤く輝く一点の光。まるで炎で肉付けしていくかのように、炎が光を包んでいく。小さな星のようであった光は炎に覆われ見えなくなった。
代わりに炎の内に影が――
「まあ、こんなものでしょう」
渦巻く炎は何かを焼いていないだけで、何も焼けないわけではない。むしろあらゆるものに食らいつき、焼滅させる業火の類だ。
けれども
「高町、さん……じゃない、同じ『形』……?」
「その通りです。先日手に入れた彼女のデータを基に、駆体を構成しました」
見覚えがある姿だった。
眼前に立つものは、高町なのはと『同一』の形をしている。
「それ肖像権とか大丈夫なの?」
「そこは私の管轄外ですので」
同じなのは『形』だけ。
魔法を知らぬ人間からすれば、髪や瞳や頭のリボンの色彩以外は驚くほどに瓜二つ。けれども人によっては、雰囲気や表情等の無数の些細な違いに気付くだろう。少しでも魔法を扱える人間ならば、魔力の波長で完全に別物だと気付く。
形を得た『シュテル・ザ・デストラクター』であるのだから。
「待って、ちょっと、待って。何が、なんだ、か、あれ――」
紫苑の言葉がぶつ切りなのは、混乱しているからではない。
無論混乱はしているのだが、もっと単純な理由がある。
これで、精一杯なのだ。
文章未満の単語を幾つか呟くのが難しいほどに、今の紫苑は
ろくに喋れない人間が、立っていられる訳もなく。紫苑の意思に反して、体は勝手に膝を折る。何とか首を持ち上げても、霞がかった視界ではもはや朧気な画しか拾えない。
「無理をしない方が懸命ですよ、シオン。魔力を始め、可能な限りのリソースを頂きました。妨害されても面倒なので。しばらく動けないでしょうが、貴方の頑丈さならすぐに回復するでしょう」
逆に。炎を纏って立つシュテルは何事もなく立っている。
どころか更に、『完成』していく。
周囲の炎がシュテルの身体に向かい、四肢に着く。燃焼と反対の現象である筈の生成が行われ、瞬く間に衣服上の物質が形成された。
次いで傍らで揺らめいていた一際大きな炎塊に、シュテルは無造作に右手を突き込み――内に在った
バリアジャケットもデバイスも、デザインは
「駆体が戻った以上、貴方の助力はもう必要ありません。元よりこれは私の使命。この機会に、お互いそれぞれ相応しい場所に戻るとしましょう」
紡ぐ言葉に嫌悪は無い。
見下ろす瞳に好意はない。
ただ単純に何もない――無関心が一番ふさわしい。
「ああ、それと。
掲げた指先には青い石が握られている。昨夜回収したジュエルシードの一つ、紫苑がポケットに入れていたはずの一つ。かつてシュテルはジュエルシードを
その言葉に一切の嘘はない。
だが実際に使えるようになった後に、利用しないとは
シュテルの一方的な提案に、承諾も拒否も返ってこなかった。それをこの場で唯一行える紫苑は、完全に地に伏せて動かない。返事どころか言葉が届いているかどうかすら定かではなかった。
「では、これで。二度と会わぬ事を願います」
シュテルが自力で行動不可能だったからこそ、協力関係が成立していた。
紫苑が活動し、代わりにシュテルが炎熱で補助を行う。そういう契約であったはず。
こうしてシュテルが活動できる駆体を手に入れた現状。紫苑がシュテルにもたらせる利は無い。何よりも、紫苑がシュテルに
そう判断したから、シュテルはそう言い残した。
意識のないであろう相手にわざわざ言い残したのは、妨害が増える面倒を無意識に嫌ったのか。それとも多少なりとも関わった相手と争う事をほんの僅かでも嫌ったのか。
真偽は、もう誰にもわからない。
当のシュテルが、その思考を瑣末事と切って捨ててしまったから。
意識を失って倒れ伏す一人を置いて。
マテリアルは
好感度がちょっとでも足りないとすっからかん以下にされてそのまま反省会に直行するやつ。
あとこの時点でのシュテルの外観は無印なのはの完コピ(髪型も同じ)です。
次回から追撃戦。
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07
▲▼▲
暗い夜道を、小さな影が駆けている。
一匹のフェレットに見えるそれは、一人のユーノ・スクライア。
そばになのはの姿は無い。ユーノが一人で向かう先は、協力関係にある魔導師(仮)の紫宮紫苑の家だ。会う約束をしていた訳ではないし、緊急の要件がある訳でもない。
とはいえ向かう理由が一切無いわけもなく。ジュエルシードの騒動が収まった辺りで紫苑が姿を消している事に気付いたからだった。一言も無くいつの間にか居なくなっている上に、念話や電話も一切通じない。
何か変だと考えるには十分である。
ただ紫苑が向かう先や起こった事に心当たりなどある訳もなく。まずはユーノが紫宮家に様子を見に行く。時刻がすでに夜であるため、なのはの方は一度家に帰っておかないと不審がられる可能性がある。明確に何か起きているようなら改めて合流する取り決めだった。
「紫苑! 紫苑ってば! しっかりして!!」
結果として家まで行く必要は無かった。
今ではそれなりに通り慣れた林道の途中にて、ユーノは地面に転がる黒い塊――倒れ伏す黒い衣服の人間を見つける。
「そんな、一体何が……!」
フェレットの小さな身体では、さほど大きくない紫苑といえども揺さぶったりは出来ない。精々顔をつついたり、身体の上を走り回るくらいである。それらの挙動、加えて降り注ぐユーノの呼びかけにも紫苑は答えない。ただ静かに――
「寝てる! 完全に熟睡だ……! 何でこんなところで……!?」
焦燥よりかは困惑を主としたその叫びに、返事はない。
異常事態なのは確かだが緊急事態とも判断し難く。ならば自分はどうすればいいのかと混乱して、おろおろと周囲を回るユーノ。一方の紫苑は地面にうつ伏せのまま、器用に寝息を立てている。
▲▼▲
音もなく。炎だけを揺らめかせて。
周囲から一際高いビルの上にシュテルは降りた。
両足の傍らに発現していた
次いで四肢を軽く動かし、駆体に異常が無い事を確かめる。慣らしも兼ねてそれなりの距離を移動してみたが、目立った異常は見られない。
それでも念入りにチェックをしていく。なにせ急ピッチで組み上げた駆体だ。思わぬ不具合が出ないとも限らない。
『高町なのは』のデータをベースに造り上げた駆体は、概ねシュテルの想定通りに仕上がっている。ただ少しだけ魔力の回りが悪い。それと魔力の消費は想定通りだが、回復がやや滞っている。万全に使うにはもう少し慣らしが必要、といったところ。
「一歩。これでようやく自ら一歩を。随分と時間がかかってしまいました。遅れを取り戻さねば。私が、私しか居ないのだから――」
今のシュテルには身体がある。
単純な意思のみ表出していただけの時とは訳が違う。大本の感情の震えは、声帯を震わせる指示も微妙に震わせて、発せられた言葉まで伝わってしまう。
『急いでいる』、『焦っている』――誰が聞いてもわかるほどにわかりやすく。口から出る呟きは揺れていた。今のシュテルは
けれども、決して鈍っている訳ではなく。
僅かに上げられた右手の杖が、かちゃりと音を立てる。
外装の形状こそ高町なのはのレイジングハートそのままだが、中身はシュテル自身の杖――『ルシフェリオン』。
「パイロシューター」
そして放つ魔法もまたシュテル自身の術式から紡がれたもの。
ルシフェリオンのコア部が僅かに明滅。直後に魔力で生成された赤い火球が暗闇と大気を裂いて飛翔。シュテルの死角から迫る『影』に直撃し、小規模な爆発を引き起こす。
「ようやく心置きなく目的に専念できると思った矢先に」
声量は大きくない。でも明確に苛立ちと敵意が含ませて。
ルシフェリオンの穂先を構えて、シュテルは『影』の方に向き直る。
「どちら様ですか。貴方のような形状の知り合いを持った覚えはありませんが」
返答は無く、声ではなく音が鳴る。
がしゃん、がしゃん、と金属が擦れる――足音。それだけでもまともな相手と判断するには十二分。さらに加わり爆煙の向こうに見えるシルエットは『人型』であるが『人間』とは言い難い。
煙を引き裂くように振り払い、『影』が姿を表した。
簡単に例えるのならば、『鎧を着込んだ騎士』である。
全長は平均的な成人男性よりやや大きいくらい。大人が鎧や大量の装甲を着込んで一回り膨れ上がった辺りのサイズ。つま先から頭頂部まで、全てが金属。他の材質は見当たらない。
よく見れば本体の人型部分はむしろ細身な印象を受ける。男性的というには細すぎるが、女性的なシルエットかというとそうでもなく。
人型であるだけで、きっと人ではない。
胴体と四肢の接続部、腕や脚の一部は、中に人間をしまうには細すぎる。関節の位置や構造からも、内部に肉体を格納することを前提にしていない。
頭部も口や耳どころか目にあたる部分に穴やスリット等は見受けられない。頭部と兜の中間のような造形の金属の塊が、首の上に乗っているだけである。
左腕には『剣』を握っている。
刀身は長くも短くもなく、真っすぐな両刃剣。分厚い刃に美麗という感想を抱く事は絶対になく。破壊力や殺傷力という印象が滲み出るかのような無骨な剣――武器。
反して右腕には何も握っていなかった。
何も無いどころか
色は、すべてただ黒一色。
不自然なまでに光を反射しない、濃い黒。
(人間ではない。私達のような存在とも違う。ジュエルシード……でもない。とはいえ完全な人工物にしては、何か妙な……)
黒い鎧騎士は一歩、また一歩とシュテルへと確実に近付いてくる。
先程放ったシューターは直撃したはずだが、鎧に損傷した様子は無い。見た目どおりかそれ以上の防御能力を持っている。
ならば、
「より高い火力で、焼き尽くすのみ――!」
未だ相手から言語他の返答は無いが、既に意思疎通は諦めている。そもそも武器を握って死角から近付いてきた時点で、シュテルはこの黒騎士を『敵』と認識している。
シュテルの足元を赤い光が走り抜けながら魔法陣を描き、ごう、と炎が渦巻いた。
応えるように重々しい駆動音を伴って、ルシフェリオンが姿を変える。先端部が
変形した穂先を覆うように発生する数個の環状魔法陣。術式に流された魔力は加速増幅され、より熱く、より強大な炎へと練り上げられる。
「ブラストファイヤーッ!」
魔力を束ねて撃ち出す、砲撃魔法と呼ばれる術式。炎熱変換が加わるシュテルの砲撃は、より攻撃力に特化する。解き放たれた炎の渦が一直線に黒騎士へと向かう。炎弾ではとても収まらない規模、炎の噴流。
黒騎士は今度も避けなかった。ただ受けもしなかった。左腕の黒い剣でもって炎の渦を切り裂くように振り払う。
「どうせなら、戦闘機能の慣らしとさせていただきましょう」
シュテルに攻撃を防がれたことによる動揺は無い。『防いだ』のならば、相手は攻撃を受けることを嫌がったという事。通じる可能性は十分にあるという事だ。
次弾術式装填。パイロシューター。シュテルの周囲に、意のままに操作可能な炎弾が8つ生成される。
今度は先に黒騎士が動いた。一瞬だけ身体を沈ませ――その金属の体を弾かせるように駆け出す。疾走しつつ左腕の剣を翳し、シュテルへ斬りかかる。
打って変わって明確な攻撃態勢。先程の砲撃で黒騎士もシュテルを脅威と認識したのか、それとも別の理由があるのか。
「パイロシューター」
シュテルにとって理由など、どうでもよいのだ。
眼前の相手がどう動くにしろ、何を思うにしろ関係がない。視界に入り続ける限り、邪魔者である限り――倒して進むという決定に変わりはない。
複数の炎弾が黒騎士目掛けて直進する。黒騎士は迎撃しない。振り下ろした剣がシュテルに届く位置への移動を優先する。あの炎弾では装甲が抜かれないことを知っているためか。
「通らないのは、
炎弾が直撃する寸前で、下に落ちる。爆裂した炎弾が地面を吹き飛ばす、黒騎士が今まさに脚を下ろす地点をえぐり取る。急な地形の変化のため、一瞬だけ黒騎士の勢いが緩み、巨体がぐらりと傾く。
追撃。残りの炎弾が剣を握る左腕の指へと殺到する。着弾、爆発する炎弾。黒騎士の傾きに合わせた攻撃は、武器を弾き飛ばすのと、体勢を崩すためのもの。
が、足りない。関節を的確に狙い撃ったにも関わらず、黒い腕は黒い剣を手放さず。黒い巨体は逆に勢いをつけて倒れ込み、一瞬だけ中で横回転した後に万全の体勢で着地。
シュテルもすでに、動いている。
場所は屋上でなく空中。足元に発生させた炎の羽根で夜空へと飛び上がっていた。構えたルシフェリオンは環状魔法陣を伴い、次の砲撃準備が整っている事を告げている。
「ディザスター」
即座に黒騎士が跳び上がって追撃に移る。バガッ、と踏み込みの余波で砕かれた地面は、驚くことに屋上全体に亀裂を走らせる。得た勢いは尋常なものでなく、常人ならな目で追うのも難しい高速。
「ヒート!!」
炎の渦が黒騎士に迫る。跳躍しつつ振るわれた剣が炎を切り裂き――きる前に、
今度こそ防ぎきれず、炎の渦が黒い鎧を飲み込んだ。爆炎が咲き、爆音が響き、爆煙が広がっていく。シュテルは中心地点に更に砲撃を放つ。爆煙を突き破って現れた黒騎士は砲撃を掻い潜り夜空を
驚かない。動揺もしない。事前に出しておいたパイロシューターを進路上に飛ばす。シューターで牽制しつつ砲撃を差し込んでいき、距離を詰めさせないように立ち回る。
黒い鎧には砲撃の直撃によって鎧に焦げや黒煙が見て取れる。が、その程度だ。動きに衰えはない。相当に頑強であるらしい。
(飛行魔法は使っている……射撃魔法を使う様子はない。完全に近接型と判断するにはやや早計ですか)
均衡している。
シュテルの攻撃は黒騎士の装甲を抜けない。黒騎士の剣はシュテルを捉えられない。
あの装甲を抜ける攻撃をシュテルは撃てる。だが足を止めて準備が必要だ。黒騎士の攻撃は近接戦闘のみだが、単純なそれに専念しているためか隙がない。
(…………あまり、よくない)
このままでは埒が明かない。
更に、気にかかることが発生している。
戦闘によって短時間で魔力を大量消費したからこそ気付いたトラブル。
魔力の回復が、明らかに悪い。
悪いどころか、
今直ぐに空になるほど魔力に余裕が無いわけではないし、ジュエルシードという緊急の補給の目処もある。だがシュテルは今後長期で単独活動が必要になる。このトラブルは致命的だ。一刻も早く原因を調べ、可能ならば修復せねばならない。
「どうしたものですかね……!」
意図せず漏れた呟きは、無意識での苛立ちを明確に反映したものだった。
これ以上戦闘で魔力を消費すれば、利がないどころか明確に害になる。だが黒騎士はいかなる理由かシュテルを執拗に狙って攻撃を続けてくる。逃がすくらいなら最初から襲いかかっては来ないだろう。
即座に浮かんだ選択肢は幾つかある。
(ここで、無理をしてでも倒しきるか)
今後の憂いを断つという意味でも、シュテル自身の気質としてもこれが最も相応しい選択肢だ。だが問題も多い。相手の戦力が未だ不透明だ。シュテルにとってのジュエルシードのような切り札を相手が持っていないとも限らない。
(離脱に専念するか)
ただシュテルの魔導は相手を倒す事に特化している。
誤魔化しや隠匿の助けになる魔法は得手不得手以前に覚えがない。こちらも確実とは言い難く、手間取れば無駄に魔力を消費する。
(もしくは――)
シュテルが移動すれば、恐らくこの黒騎士は追いかけてくる。そのまま移動して
タカマチ・ナノハの魔導は戦力になる。それは今使っている駆体が証明している。
単独では上手く魔導を扱えない紫宮紫苑の方は論外だ。それにシュテルの駆体の生成に使用した魔力は全部紫苑から引っ張った。数日まともに動けないだろう。
最も消費が少なく、確実な選択肢は。
タカマチ・ナノハにこの黒騎士の相手を押し付けて、シュテル自身は離脱する方法だ。
それは間違いない。
ないが。
「それは、できない。信用が、できない、されない」
シュテルの意図を察して、黒騎士共々シュテルの敵に回る可能性がある。タイミングも悪い。シュテルの側から関係を切った直後だ。紫宮紫苑の状態が知られていれば、有無を言わさず攻撃されるかもしれない。
――『
本来の『シュテル』なら、もっと柔軟な発想が出来たのかもしれない。単純にちょっと手を貸してくれませんか後で適当に返しますので、くらい言えたのかもしれない。
けれどもここに居るシュテルは、欠けている。自身のデータも、記録も、そして何より共に在る仲間と切り離されて、たった独りに追い詰められたシュテルだ。
「出来る限り、いいえ。やらねばならない。一人でも、一人だからこそ、私が――!」
攻防の合間を縫って、ねじ込むように砲撃を叩き込む。生じた僅かな空白。これまで次の牽制の用意や予備動作に回していた時間で、飛行魔法に回す魔力を引き上げた。
両足の炎の羽根が一際大きく広がって、力強く羽撃いた。
急加速――海鳴市とは反対側に。
追ってこなければそれでよし。撃ってくるのならばそれを含めて戦術を組み直す。振り切れないなら切り札を使ってでも倒し切る。
瞬く間に流れていく風景の中で、いつでもどこにでも向けられるようにルシフェリオンを構えて、シュテルは飛ぶ。
黒騎士は予想通りに飛び去っていくシュテルを追ってきた。
それまでと違い、一気に距離を離されたことで黒騎士の思考ルーチンに変化が生じる。理由は不明なれど、黒騎士はシュテルを狙っている。そのシュテルが速度を上げて離れていくのなら――黒騎士の側も
【Reading of the Material.】
「――――ッ、」
追い抜いた黒騎士が、シュテルの前に回り込む。
振り上げた剣に。その身体に。移動の痕跡のように空に残る軌跡に。
「まさか、それは、
上から下へ。動作としてはただの振り下ろし。剣技ではない基本動作。けれども込められた破壊力は落雷そのもの。
動揺と混乱に支配された思考で、避けられる速度ではない。瞬間に魔力盾を出せただけでも十二分に優秀であろう。だが優秀では足りない。最適と最硬を用意できなかったのならば、最速に砕かれるのは必然なのだ。
ほんの僅かな拮抗で赤い魔力盾は粉砕され、翳したルシフェリオンが発する軋みを聞きながら。シュテルは眼下の地面へと叩きつけられた。オリジナルと同じように結ばれていた髪の左側がリボンごと千切れ飛ぶ。
「ぁ、がっ――ぐ、ぅ……!」
二度バウンドした時点で、足元の羽根が輝きを増して宙を舞う身体の制御を試みる。緩やかにもう数度転がってから、ようやくシュテルの身体が停止した。
落雷の如きは剣戟だけでなく、本体の移動速度もであった。
顔を上げたシュテルの視界が黒く染まる。他に何も見えないほどの近くに、既に黒騎士が迫っている。突き。身体が軋むのも構わず見を捻る。右側を通り過ぎた剣が髪の房を切り落としただけで空を切る。
「パイロシューターッ!」
文字のとおりに四方八方から迫る炎弾。
切り落とされる、撃ち落とされる。何倍にも引き上がった斬撃速度による迎撃は、全ての炎弾を一瞬で叩き落としたと錯覚するほど。
逃走はもう選ばない。シュテルにとってこの黒騎士は逃げる相手から、
「ディザスター……ヒ――トッ!!」
一発目。高速移動によりかわされる、更にシュテルの背後に黒騎士が回る。読んでいた。くるりと砲身を回し、振り返らぬまま二発目。赤炎の砲撃が至近距離で青雷に切り裂かれて、消失。シュテルの脚で炎の羽根が爆発するかのように燃え上がる。得た加速のままに高速の回し蹴り。身体のサイズから想像もできない破壊力を持つ炎槌。
「か」
轟音とともに直撃した蹴りは、ほんの僅かに黒騎士を傾かせる。三発目、崩した体勢に撃ち込む本命の砲撃。けれどもぎりぎりで翳された剣が雷を迸らせ、炎を相殺する。
炎と雷が衝突し相殺して晴れるまでの一瞬、用意したのは
「え」
打ち出されるは拳。ルシフェリオンを握らない左手に炎を灯し、拳自体を弾丸と化す。魔力を大量に込めて破壊力を高めた、決死の一撃――ヴォルカニックブロー。
「せえええぇぇぇッ!!」
翳されたままの剣をくぐり、胴体へとねじ込むように。直撃すれば装甲を砕く威力の炎拳が――届いていない。黒騎士もまた空いた右手を持ち出して、炎弾と化したシュテルの腕を掴み取る。
シュテルは砲撃型の魔導師だ。
だが特に砲撃に長けているのであって、近接戦闘が不得手という訳ではない。近距離でも敵を打倒するのに十分な戦闘能力がある。当然腕を掴まれた程度では決め手にならないし、この距離この状況からの逆転は十二分に可能である。
ただしそれは。
今回だけは、この相手だけには当てはまらない。
「――え、ぁ」
掴まれた腕が、
組まれていた駆体が、分解されている。
実体化が維持できない、ただのデータに戻っていく。
消えていく。
▲▼▲
「………………行かないと」
「うわぁっ」
紫苑が何の前触れもなく突然起き上がったせいで、乗っていたユーノが転げ落ちる。とはいえ紫苑の動きは緩慢かつ上体を起こしただけ。高さも勢いもないから大事には至らない。
「目が覚めたんだね、良かっ、……?」
ユーノはまだなのはに連絡を取っていない。紫苑がただ『寝ている』と思っていたから。異常事態ではあるが緊急事態ではないと判断していたから。
間違いだった。
うつ伏せだから、顔が見えなかったから勘違いした。
紫苑の顔色は蒼白だった。悪い以外に例えようがない色だ。
上体だけ起こしたのではなく。
飛び起きて立ち上がる力が残っていなかった。
「よいしょっと」
「ちょ、ちょっと待って紫苑! 一体何があったんだ!」
傍らのユーノの声に紫苑は答えない。ゆっくりと立ち上がって――ふらついた。倒れないまでも、立っているだけでぎりぎり。ぐーぱーと手を動かす。動くだけで、そこに力がほとんど込められない。
身体能力が、かなり下がった状態で固定されている。
なんとなくだが、わかる。それがわかるなら十分。下がっているのなら、引き上げてやればいい。これまでと違い、今の紫苑は方法を知っている。
「フィジカルエクステンド」
ふらつきが消えた。確かめるように動かした四肢は普段通りの運動能力を発揮している。
今の紫苑の動作だけ見たのなら、誰も弱っているなど気づかない。ただし一層悪化した顔色を見れば、弱っていると誰もが気付く。
「強化して強化前の普段どおりくらいか。動けるけど
「ちょ、無理しちゃだめだよ、動かない方がいい!」
紫苑に何が起きたか、どういう状態であるかをユーノは詳しくは知らない。けれども酷い状態なのは見ていれば嫌でもわかる。ユーノの判断に間違いはなく、正しく妥当な制止である。
止めるのは、ユーノにとっての必然。
でも紫苑にとっての必然は、そうではなかったというだけ。
「ごめんユーノ。ちょっと急いでる。戻ってこれたらあとで説明するけど、
一度だけユーノに向き直って。でも言うだけ言って、返答は待たなかった。
直ぐに身を翻して、目的の方向へと身体を向ける。
「フィジカルエクステンド
足りないのなら、足りるまで足せばいい。一度の強化で元に戻るのならば、もう一度強化すれば元を上回るのは必然だ。重ねがけは、不思議と『できる』という確信があった。
走り出す、という当たり前の動作。けれども込められた力が通常とは比較にならない。蹴った地面が吹き飛んで、余波として突風を巻き起こす。至近距離に居たユーノが吹き飛ばされるわ土を被るわで地味に散々である。
風の如くよりも早く、風を置いていくつもりで走る。
身体能力は引き上がっている。が、術式を重ねているせいか細かい制御が普段より効かない。枝や木を総て避けることは諦めて、小さい障害物は強化した身体で吹き飛ばして進む。
(だめだ、まだ、まだ遅い……!)
今この瞬間も。
何となくだけど、判る。解る。何故と言われても、わかるのだから仕方がない。
元々これは
減っている。無くなっていない。
残っているなら、無くなるまで――
「フィジ、カル、エクステンド――――もう、一回…………ッ!!」
森を抜ける辺りで、強く、深く踏み込んで、そして跳ぶ。
巨大な槌で地面を叩いたかの如き陥没、轟音。そして紫苑の体は更に更に爆発的かつ致命的な加速をする。風景は何が映っているか判別不可能になるほどの勢いで過ぎていく。
ごうごうというのは風の音か耳鳴りか。身体全部がぎしぎしと軋みを上げている。明確な無茶に対して発生した反動が、当たり前のように身体を叩く。
今まで生きてきた中で一番の痛みで、一番の辛さだった。でも今まで生きてきた中で一番急いでいて、一番必死だったから、そのまま走り続ける。
僅かにしか残っていないのだから、使えば直ぐに無くなるのもわかってる。
使い切ってしまえば
過ぎ去っていく街の景色はよく見えない。その中に混じっている、無数の明かりが朧気ながらも判別できる。そこに誰かが生きている証。紫苑と違って、
――紫宮紫苑には家族が居ない。
本来あるべきものが、欠けている。
食べるのに困っていない、身体も健康そのもので、暮らしに不自由もない。家族がいなければ生きていけない訳ではない。それに家族の居ない人間が、居る人間より何かが劣っているなんて事は決してない。
それはただの事実だし、理解もしている。
理屈ではそうだと、わかって、いる。
けれども。それでも。街で見知らぬどこかの家庭を見るたびに、話し声を聞くたびに、誰も居ない家に帰るたびに、どうしても、どうしようもない気持ちになる。
紫苑は自分のことを、無価値とまでは思っていない。
ただ、他の無数のありふれた人たちより――価値が一つ下がるとは、思っている。
だから、誰かの頼みを断らない。他の誰かの役に立った時、劣った自分が肯定されたと思えるから。すでに何かを頼まれた後なら断るのは、自分の限界を知っているからではない。万が一にも『果たせなかった』時が怖くて仕方ないから。
できないお前に価値は無いと言われたことはないけど。
できなくても価値があると、言ってもらったこともない。
中でも『約束』は更に上位に分類されている。
昔何かあったとか、その単語に因縁があるなんてことはなく。ただ子供心に単語に特別な響きを感じているというだけの話であるのだが。でもだからこそ、重いのだ。
劣等感から始まった話なのだから、重要なのは実際そうであるかでなく、紫苑がどう感じるかになるのだし。
他の人より一段劣っていると思っている。
そこに『約束も守れない』というマイナスが加わる事が耐えられない。許容できない。だってそうしたら、あまり見出だせていない自身の価値が、今度こそ消えてしまうような気がするから。
もう少し前だったら、ここまで思考が凝り固まっていなかったかもしれない。
もう少し後だったら成長や出会いに助けられて改善されていたかもしれない。
でもそれは『もしも』の話。
今の紫苑は約束のために命を懸けられる思考回路のもとに、動いている。
だから、こうして
生きている限りは、絶対に止まらない。
▲▼▲
あれだけ燃え盛っていた炎は、すっかり鎮まっている。
ルシフェリオンのコア部が力なく明滅し、やがて光を失った。
(まずい、まずい、迂闊だった、いけない、これはまずい、早く、早く離れないと、これは――ッ!!)
シュテルはこの黒騎士を知らないが、黒騎士はマテリアルを
込められるだけの全力と、自爆覚悟の最大火力で。例え掴まれた腕を引き千切ってでも離脱を測る――意思とは裏腹に、力の抜けた駆体が自重を支えきれずに膝をついた。
完全に解けているのはまだ腕だけ、けれども全体の輪郭がぼんやりと薄くなっている。すでに魔法を使うだけの余力が残っていなかった。
(…………………………消え、る?)
崩壊が、思った以上に早い。外部から駆体の維持を放棄するようコマンドを打ち込まれている。残ったリソースを総て注いで、ぎりぎり維持だけが出来る。維持以外は何も出来ない。
ただでさえ回復しない魔力が、維持に削られてどんどん減っている。
完全な状態ならば、マテリアルは駆体が消えた程度では消滅しない。
だが今のシュテルはシステムから切り離されてしまっている不完全で不安定な状態だ。消滅した後に再起動がかかる保証は一切ない。
まずバックアップを残す場所をなくしている。
再起動をかけてくれる、かけ方を知っている仲間も――なくしている。
(消える、消えてしまう、こんなところで、まだ私は何も、誰も、私が――消えてしまっては……)
黒騎士が掴んでいたシュテルの腕を離す。駆体が音もなく地面に落ちる。まるで重さが消えてしまったかのよう。
(
見逃されたのではない。物理的な接触の必要無くなったから離されただけだ。だから駆体の崩壊も止まらない。このまま消滅――するのだろうか。
(
消えるだけで、済むのか。
思い出すまでもない、さっきの戦闘。黒い剣から奔っていたのは何だった。その内側に何が――
(
助けを呼べない。呼ぶ声が出ない。誰にも手を伸ばせない。崩れかかった身体がすでに稼働しない。もうすでに、ほとんど
(だれか、たすけて)
残った欠片みたいな力で辛うじて顔と目が少しだけ動かして。視界に入るのは翳された黒い腕の形をした鎧。
何も握っていなかった右腕が、手を開く。
まるで、改めて本来の装備を握り直すように、だんだんと閉じられていく。
その光景すらも、霞んでいき、消えていき、そして
――みー
【Capture】
――つー
【of the】
――けー
【Mater「たああああああぁぁぁぁぁッ!!」
衝突である。
爆発ではない。そう錯覚するほどの爆音と衝撃波が発生したが、そうではないのだ。
だいぶ硬い金属の塊に、無理やり恐ろしく硬くした肉体がおかしい速度で衝突しただけである。
目の前にそびえ立っていた脅威が。黒騎士が、すっごい速さで横方向にスライドしていった光景が異様すぎてシュテルは単純に驚愕した。
駆体が消えかかっていなかったらビクゥってなっていただろうし、心臓が嫌な跳ね方をしていたのは必死である。驚き切るだけの機能が損なわれていたのは不幸中の幸いだろうか。何か違う気がする。
「ぜー……ぜ、ひゅ――ぜひゅー……ま、うぇっふ……まにあっ、げぇっほッ!」
黒を押しのけて現れた色もまた黒い。
黒騎士よりは見慣れた黒の防護服。シュテルの魔導を失ったため、装飾部分は白く、瞳は黒い。髪も黒に――少し見ない間にそこに白が混じっている。
「シ、オン……?」
出なかった声が、出るようになっている。黒騎士の介入が今度は停止したのか、駆体の崩壊が止まっていた。それでもここまでの維持に魔力を使いすぎている。大半の機能を閉じなければ直ぐに消滅するだろう。
「なぜ、ここに」
「何でって……っぇっほげふ……
「やく、そく……助ける……? 本気で言っているのですか……?」
信じられない物を見る目のシュテルに、紫苑は返事をしなかった。
代わりに大きく深い呼吸を繰り返す。きちんと答えるために一旦息を整える。あと酸素が足りなさすぎて返事する前に倒れそうだった。
「それだけ? たったそれだけで、そんな
「いいや。それだけでもたぶん、俺はここに来たけど。でもね、それだけじゃない、ないんだよシュテル」
酷使した足が痛い。繋がっている胴が痛い。肺が痛い。何故胃も痛いんだ。心臓のペースが明らかに狂っている。頭痛がする。目眩がする。耳鳴りもする。汗びっしょりなのに、寒気が酷くて震えている。指先の感覚がまったくなくて、そこに指があることをうまく認識できない。
死に体という文字のとおり、言葉のとおりに。
このままいけば死ぬのだなと、今の紫苑はぼんやりと理解している。
「あの日、俺は君に命を救われたから」
――命を救われるという、最大級の恩を受けた。
あの日。紫苑が普通でないと気が付かされたあの日。
怪物から子供を助けた時に、抱いていたのは正義感でも何でもない。死ぬなら独り身の紫苑の方が損失が少ないと思っただけ。
街へ行かせないよう怪物の前に立った時に、抱いていたのは勇気でもなんでもない。他の大多数よりも価値の劣る自分に、『逃げる』という選択肢が許されていないと思っただけ。
自身の価値に、誰よりも紫苑自身が自信を持てていない。
そんな紫苑の命を、シュテルは
打算だったのかもしれない。ただ他に選ぶ道がなかったと言うだけなのかもしれない。でもそれは感謝しない理由にはならない。だって、事実として紫苑の命は救われている。
その相手に、
――ならばそれに報いるためにすべき事は、決まっているのだ。
生まれて初めて無茶をして、身体というものはこんなにも脆かったのだと思い知る。
生まれて初めて必死になって、心というものはこんなにも底がないのだと思い知る。
「私はマテリアルです、人間ではありませんよ」
「それは約束を守らなくていい理由にはならない」
「……私は、貴方を騙しているかもしれませんよ」
「命を救われたことは変わらない」
「…………来たせいで、今度こそ死ぬかもしれませんよ」
「君に返せないままになったら、どのみち申し訳なくて生きてられない」
この場に来たら死ぬのかもしれない。
けれど来なくても、紫宮紫苑は死ぬのだ。
物理的ではない、精神的に。生きるために必要な心が死ぬ。もっと根本的な部分が死ぬ。ただでさえ見出だせていない価値が本当に消えてしまう。出来損ないですらいられなくなってしまう。のうのうと生きている事を、他の誰でもない紫苑自身が許せなくなる。
「だから、来るよ。どんな時にも、どんな場所へも」
――シュテル・ザ・デストラクターはマテリアルである。
シュテルはおおよそ人間がどういうものかという知識がある。けれどもシュテル自身は人間ではない。自身とは違う存在を完全に理解しているかと問われれば、首を横に振る。
推測自体が間違っていた訳ではない。ただ当てはめる前提が異なっていた。人間にとっての一般論としては無難な物だったが、目の前の『個体』には相応しくない。
シュテルの中で『前提』が改められる。
(この人間は、たかだか口約束のためだけに――死すらいとわない、と)
本気で言っている。本気でやっている。
嘘をついてるようには見えないし、嘘を用いてまで行う理由がない。
人体に理解の疎いシュテルが見ても解るほどに消耗している。無茶をしている。行動の果てに利を得るのはマテリアルのシュテルの方だけだというのに。それこそが利だと、言っている。
口で言われただけなら、信じられなかったかもしれないが。
すでに行動で大部分が証明されている――理に適っている。
改められた前提を当てはめ直して、シュテルの思考が稼働する。
そうして、弾き出されたのは。
(信じて、いい……?)
ほとんど動かないシュテルの身体を抱え上げて、紫苑が跳躍する。一瞬遅れて振り下ろされた剣が地面を割った。
雷撃の奔りのような追撃が来る。次いで振るわれた横薙ぎを黒銀の剣が迎え撃つ。一瞬の拮抗の後に紫苑側が吹き飛ばされる。受けきれないと判断して自ら退いたのだ。
接触しているから、一撃どころか一挙手一投足で、紫苑の身体の内側が軋みを上げているのだと判った。長くは保たないのだなとも、わかった。
「シノミヤ・シオン」
一撃受ける度に、状況が悪くなっている。
想定以上に強化された身体能力だけで、ぎりぎり食らいついている。この強化が途切れた瞬間に互いに消える事になるだろう。
「相手はマテリアルを
「返すよ、恩を」
まともな人間なら到底受け入れがたい事を今から言おうとしている。普段のシュテルなら提案を持ちかける事自体を無駄と判断する内容の事を。
「貴方がすでに余力を残していない事を承知した上で、逃走を選択した方が互いの生存率が高いということを承知した上で、言います。その死に体で、私のために、」
「守るよ、約束を」
人間とマテリアルは造りが違う。一度死ねば死ぬ生き物と、ただの消滅では消失しない存在。二つの前提は本来ならば噛み合わない。
けれども。それでも。この相手にはもしかしたらと思ったから、言う、願う、頼る。
『死んでくれ』とほぼ同じ意味の提案を、すがるように投げかける。
「本当に、本当に――
「助けるよ、君を――命をかけて」
ごお、と剣が振るわれる。雷を纏った斬撃、ではなく。雷そのものが放出された。咄嗟に眼前に突き立てたアーキアが紫苑に向かう雷撃を引き付ける。だが周囲一面を走り抜ける雷撃総てを防げるはずもなく。地形が雷撃に縦横無尽に蹂躙されていく。
巻き上がる土煙や破片が視界を塞ぐ。けれども黒騎士に眼球はない。その程度では目標を見失わない。当然のように追撃のために走り出す、左手に握る剣から雷が奔る。
突き立てられたままのアーキアを通り過ぎ、武器を失ったであろう紫苑へ、シュテルへ迫る。試したら紙も切れなかったペーパーナイフ以下の金属の板でも一応は武器である。いくら強化していても、生身の腕では黒騎士の雷剣を防ぐには心許ないのは確か。
「貴方に
未だ晴れぬ土煙が、尋常でない威力と速度の跳躍に伴って無理やり散らされる。
確かに、武器は失った。
けれども、
「炎ッ!」
【Reading of the Material.】
「着ッ!!」
今度は真なる、完全版。
激突からの爆発。水色の雷を纏った斬撃を、赤い炎を着けた拳が真正面から弾き飛ばした。白髪交じりの黒髪に、色素の薄まった黒瞳はもうどこにもない。抱えたシュテルと同じ色の茶髪に蒼い瞳に変化している。身体にも白はどこにもない。装飾部分は総て赤色――吹き出し、燃え盛るは紅蓮の炎!
「う――おおおおおあああああああッ!!」
爆発からの爆発、更に爆発。炎熱が周囲を覆い、収まりきらぬ内に次弾の砲撃。拳に乗せた砲撃を続けざまに打ち出した可能な限りの連続攻撃。
『総て』という言葉に偽りはなく。読み込んだのは魔力変換資質等の基礎部分だけではない。シュテルの保有する戦闘術式、戦闘方法――その総て。不完全だった魔力運用は完全な形で解放されている。
(でもこっちの最終目的はマテリアルの奪還だ。普通に倒していいの?)
【構いません。むしろ可能な限り破壊して下さい。最低でも右腕と剣だけは確実に。恐らくあの剣が
肉声でもなく、念話でもない。節約のために一切の消費の無いやり取りを示し合わせることもなく、互いに自然に選ぶ。慣れ親しんだ、やり取り。
【とはいえ配分を考えてください! 本当に保ちませんよ!?】
(速さで負けてる。攻めに回したら逆転される! 無茶でも畳み掛けて短期決戦に持ち込むしかない!)
【いいえ。あれなら――】
紫苑の言い分は事実。残りの燃料が僅かなのは事実なのだ。稼働が安定している内に勝負をつけなければならない。
けれどもそれを許してくれる相手でもなかった。これまでの砲撃は黒騎士の動きこそ止めて防戦一方に持ち込めてはいる。だがそれだけ。黒騎士が剣でなく、身体全体から青雷を噴き出し――消えた。
【右後方、振り下ろし!】
「――――ふッ!!」
回し蹴り。死角からの斬撃を受け止め――着火、加速、爆発。炎が雷を食い破るように飛び散って、鎧の巨体を押し返す。
【速度にしろ、威力にしろ。本来の使い手ならばこんなものではないのです。使いこなせていない。この程度なら読み切れる】
紫苑はマテリアルの炎を使っている。
黒騎士はマテリアルの雷を使っている。
ここまでの条件は同じ。
けれどもそこから先が違う。紫苑は炎を最も知り尽くした心と一緒に戦っている。黒騎士は雷を最も知り尽くした心と一緒に戦っていない。
黒騎士はそれが出来ない。力を
赤い炎と青い雷が幾度となくぶつかり合い、喰らい付き合う。互いの身体から噴き出る炎と雷が、夜の闇の中に幾筋もの光を描く。
(それでも互角だ。こっちがどっちも弱ってるのもあるけど、基本的なスペックでは向こうのほうが上なんだな。ここから更に強化は――できなくもない。でも次こそ本当に動けなくなる。使う事に躊躇いはない。でも使い所を間違えたら詰む。もう一手こちらに流れを引き寄せる要素を足したい――シュテル)
【はい】
(全部使っていいんだよね)
【もちろんです】
即答の承諾を受けて、紫苑の中で枷が外れた。無意識下にかけていたブレーキが、また一つ外れる。元々知っていたが、使わなかったから気付かなかった『機能』が目を覚ます。
【Reproduction......】
身体能力のこれ以上の強化は本当に最後の一手。戦闘技能の瞬間的な向上は無理な話。ならば後は、使える魔法の質を引き上げるしか無い。
近接攻撃用の術式を剣に乗せて使っている黒騎士と違い、紫苑が拳で『砲撃』をしている。射撃という形式に沿っていない。砲身がないから、収束と威力に無駄が出ている。練度上げればこのままで使えるのかもしれないが、今はそんな時間はない。
(今の俺にはシュテルと
無数のパイロシューターが飛翔する。本命の砲撃への伏線と読んだか、面で放たれたパイロシューターを黒騎士は避けずに叩き落としながら向かってくる。
その、無駄な動作が欲しかった。
瞬間の間が欲しかった。
【Completed】
必要なのは付け焼き刃。
紫苑の未熟さを補ってくれる――代わりに適切な砲身となってくれる外部装置。紫苑は見たから知っている。シュテルの魔導に最もあった
握った拳を開く。
その中で炎が灯る。最初は点だったそれは一瞬で燃え広がる。炎の中で、何かが形を成していく。渡されたデータの通りに生成されて、燃え出づる。
「バーンアップ――――
炎の中から、杖が出る。
シュテル・ザ・デストラクターの魔導に寄り添うのに最も相応しい
【ルシフェリオン!? 私の――ではない、もう一本
(あ、ちょっといじるね)
【えっ】
ガガガガッと音を伴ってルシフェリオンが変形する。先端部分はブラストヘッドへの変形とほぼ同じ。取り回しやすいように柄は一気に縮む。そこから柄の形状が更に握りやすいように微調整されていく。
『シュテルのルシフェリオン』から、シュテルの魔導を得た紫苑が扱いやすい――『紫苑のルシフェリオン』に変わっていく。
【えっえっ何ですかこれ怖い】
データの改造という行為より、紫苑がここまでデータを弄れる能力があったという事実がシュテルの精神に大ダメージを与えている。
紫苑はその気になりさえすれば、シュテルそのものを
紫苑が文字通り約束に死ぬほどこだわる性質だったから事無きを得た、だけで。
盛大に紫苑を乗り捨てた(つもりだった)あの時に。思いっきりぶっ叩かれて消滅していた未来もあったのだ。というか普通ならそうなっていた。焦っていたとはいえ蜘蛛の糸の上を命綱無しで全力疾走していたようなものである。
ちなみにこれでまた一つ『命がけ』の証明がシュテルの中でカウントされていたりもした。
(シュテル、次で決めよう)
【はい】
伊達に理のマテリアルを名乗っていない。一瞬でシュテルは意識を整え直した。
突っ込んでくる黒騎士に、紫苑達も突撃する。雷を纏った剣が振り下ろされる。合わせて紫苑の右腕に収まったルシフェリオンが炎を灯し、迎え――
「フィジカル――――エクステンドォォォォォッ!!」
斬撃を、右腕だけで抱え込むように受け止める。ルシフェリオンでは受けない。貯めた魔力と回した術式に万一の事があっては困るから。
身体能力の強化を防御能力に一点集中させて、身体そのものを盾とする。無理に無理を重ねた事で、内臓が、筋肉が、骨格が、血液までもが絶叫を激痛に変えて発する。
肩口に剣がめり込む。肉と骨がすり潰されて、ごちゃりと音がした。奔る雷が紫苑の身体を駆け巡りながら焼き焦がす。
でも、そこで止まる。斬撃が、何も切らないまま停止する。
もう一撃喰らえば、きっと今度こそ紫苑は死ぬ。邪魔者が居なくなったから、シュテルも黒騎士の手に落ちるだろう。
でもそれは、次があればの話で。
【待っていましたよ、この時を――!】
【
黒騎士の四肢を赤い光輪が縛り付ける。
ただの拘束魔法だ。けれども可能な限り力を込め、念入りに構成した、とっておき。数秒は確実に解けない拘束具。
総てはこの魔法を通すため。
超高速で動き回る黒騎士を『停止』させるため。
「全身、全霊、全命――ブラスト――」
紫苑の砕けかけた右腕が、歪な音を立てながらも駆動する。激突の前からすでに起動した術式が唸りを上げている。
可能な限り魔力を込めに込められ、更に増幅され、加速され――炎が猛る。
振り下ろされたままで固まった剣先に、ルシフェリオンの穂先を密着させて、そして
「ファイアアアアアアァァァァァッ!!」
その瞬間だけ、夜が明けた。
炸裂した炎が雷剣を、握る黒騎士を、紫苑を、抱えられたシュテルを、そして夜の闇さえも飲み込んで膨れ上がっていく。
【あ、つい――私が、
炎を使い、炎を放つシュテルでも無視できない程の高熱が発生している。確かに相手の装甲を考慮すれば威力は高い方がいい。
だが耐性のあるシュテルの魔導を用いているとは言え、マテリアルでない生身の人間がこの熱に果たして耐えられるのか。
シュテルは反射的に紫苑を見上げ――拘束魔法の光が見えた。
紫苑が自分で使ったルベライトだった。吹き飛んでしまわぬように、自身をその場に縛るためのものだった。最期まで、全うするのだと。その姿が告げている。
「砕け、散、れええええええええぇぇぇぇ――――――ッ!!」
びしり、と破滅の音がした。
それを皮切りにびしびしと音が連続していた。紫苑の手にあるルシフェリオンが、魔法の負荷に耐えられずに砕けていく。外装がぼとぼとと焼け落ちていく。内部機構が露出した傍から熱に焼かれて駄目になっていく。それでも魔法は止まらない。炎は燃える。くべられた命に相応しい輝きを放つ。
音は二つだった。
黒騎士の剣も、また先端から無数のヒビが根本へと伝搬している。
互いの武器が立てる破砕音は段々その数と勢いを増していき、そして。
一瞬の静寂を置いて、爆発。
黒騎士と紫苑のルベライトも、その瞬間に散った。身体を固定した物が無くなり、黒騎士が吹き飛ぶ。紫苑が吹き飛ぶ。抱えられたままのシュテルも合わせて吹き飛ぶ。
大地を震わす轟音も、夜に溶けて消えていく。
夜を覆い返さんばかりだった炎も、緩やかながらも鎮まっていく。
――そうして、総てがおさまった。
「逃げ、られた……!」
被さった土砂を払い除けて、何とか起き上がったシュテルが口惜しげに呟いた。相手の武器が砕けるところまでは確認した。それでも本体部分は最後まで健在だった。周囲に残骸は無い、だが襲ってくる気配も無い。逃走したと推測するのが確実だろう。
解き放たれた
「進んだとも戻ったとも言い難い、けど、これ以上は、もう」
敵が居ないという認識が、シュテルの身体に最後に残っていた意思の力を奪う。脱力に引き摺られるようにその場に座り込む。心底無念なのも確かだが、切り抜けられた事への安堵もあったからだ。
がしゃり。
後ろで音がする。足音だった。振り向いた先で――紫苑が、未だ立っていた。
一歩、進む。また一歩。すでに目に光がない。意識があるか怪しい。真っ黒に焼け焦げた右腕に、ルシフェリオンだった残骸がぶら下がっている。
「口惜しいですが、今回は、ここまでとしましょう。これ以上の稼働は、お互い次が無くなります。その、貴方は……本当に、よくやってくれました、改めて感謝と先程の一方的な略奪のお詫び、を……?」
語りかけるシュテルの横を、紫苑は通り過ぎて歩いて行く。
それは黒騎士が吹き飛んだ方向なのだと、シュテルは察した。
本当の、本当に。死ぬまで、止まらないと、言っているようだった。
「もう、いいです。それ以上はもう、――待って下さい、待って!」
ぐちゃりと音がした。
シュテルが駆け寄って制止するよりも早く、シオンの身体が崩れ落ちた。おおよそまともな倒れ方ではなかった。糸の切れた人形のような、最後の力すらも――失ってしまったような。
「シオン?」
返事はない。
『シオン?』
返事はない。
【シオン?】
返事はない。
「そんな、まさか」
返事は、ない。
誰の声もしない。シュテルの呟きしか、声どころか音がない。
――でもこれは、シュテルが望んだ結果ではないか。
死にかけている相手を戦いに駆り立てた。最後まで戦えと願った。相手はそれに応えた。ならば健闘を讃えるべきだ。感謝をするべきだ。
こうならない選択肢などいくらでもあった。選ばなかったのはシュテルだ。信用がしきれないからと、最初に離れた所から間違え続けているのもシュテル自身の判断だ。
「そんな、そんな……」
呆然としたまま、辺りを見回す。
莫大な熱量に焼かれて周囲はすっかり見晴らしが良くなっている。
――誰もいない。何もない。
独りに、戻ってしまった。
ようやく信じられると思った相手は、もう動かない。他の誰でもなく、
ふらふらと、倒れた相手へ歩み寄る。燃え尽きたようにあちこちが白い、残骸のようになってしまった相手へ歩み寄る。
シュテルに無事を願う資格も必要もない。解っている。分かっている。判っている。でもいざ独りに戻ると、耐えられない、耐えられなくなっている。一時でも、欠けた部分を埋めてもらった事で。どれだけ今の自己が不安定なのかを、きちんと自覚してしまったから。
理性で理由を理解していても、
それ以外の部分が、心細さで潰れてしまいそうだった。
「うそ、嘘でしょう。戦ってくれると言ったでしょう。まだ、まだ何も終わっていない、これから先もあるんですよ…………待って、待ってください、私を一人にしないで! シオン! シオン!! ――――
「ぐぅ……」
「………………………………………………寝ている」
お互いに、一番
ちなみに今回で好感度ゲージがたまったとかではなく、ゲージそのものが発生してここからたまり出すとかそんな感じです。
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08
【――】
あの鎧に見覚えはない。
どこかでちらりとだけでも見たことすら無いと、断言できる。
でも、何もかもを全く知らないと、どうしても言い切れない。
何かを、わずかに、ほんの一欠片だけ知っているような、気がする。この感覚をなんと言えば良いのか俺にはわからない。
一つだけわかっているのは――あの鎧は俺と同じ事ができる。
俺は、あの鎧と同じことが出来る。
俺は、生命を持たないのに動き回る怪物のような存在と――同じことが出来る。
【――――、】
わからない。
あれが何なのかわからない。
あれと無関係ではないであろう俺が何なのかもわからない。
俺は、一体、『何』なんだろう。
【――――――紫苑】
▲▼▲
「あれ。家だ、あれ?」
目が開いて、視覚に自宅の天井が映って。
そこでようやく紫苑は自分が『起きた』のだと自覚した。
数度まばたきしている間に、思考が立ち上がっていく。程なくして、どうして意識が途切れたのかに行き当たる。脳裏に浮かぶのは、赤い炎、青い雷、ルシフェリオンと剣、最後の砲撃で黒騎士の剣が砕けて――それで、それで
「――っいでででで!!」
飛び起きようとして失敗した。全身を走る激痛で飛び跳ねることには成功した。
落下の衝撃で激痛もう一回。
「うおおおお痛い! 身体の内側が全部痛い!」
全身、激痛、大絶叫。無理やり立ち上がったら物理的にもだいぶバキバキ鳴った。関節が癒着してるのではと錯覚するほど身体が固まっている。
ただ痛みがあるのは内側だけで、外傷は見当たらない。痛みこそあるが、動かないわけでもない。
いやそんな事はどうでもいい。紫苑の事は、今何よりどうでもいい。
――シュテルは、
紫苑の『中』に居ない事は、何となく感じられる。
近くに姿は見え無い。なら何処に行ってしまったのか。
最悪の想像が頭をよぎる。戦闘の結果がどうなったか、紫苑は知らないのだ。
もし負けていたのなら、あの雷同様に
「シュテル!?」
「はい」
「居た!」
「居ますよ」
意外とすぐに返事があった。
これは紫苑の中からの意思ではなく、ちゃんとした声だ。ならば『駆体』で実体化しているはず。なのに、見回す周囲に人影は無い。
「おはようございます紫苑……とはいえもう夕方近いですが。思ったよりも元気そうですね」
「あの、シュテルさん? 何か声だけして姿が見えないんですけど」
「居ますよ、貴方の前に」
「前?」
「前」
「……え? どこ?」
「ああ、もうちょっと下ですね」
目線を下げる。そこにあるのはテーブルだった。別段おかしくもない、紫宮家に最初からあったもの。そこにシュテルは居た。確かに居た。同時に何故今まで気付かなかったのかも理解した。
「す げ え 縮 ん で る !?」
姿形のベースは昨夜見た『高町なのは』の写しのまま。
少しだけ変わった髪型もそのまま。
ただ、なんというか、全体的に
2~3頭身のデフォルメボディ。
全体的なサイズも
テーブルの上に、シュテル・ザ・デストラクターがちょこんと座っている。
「縮んだ、というより『縮めた』のです。通常規格の駆体は急造品の上に、昨夜かなりのダメージを受けましたので。これは機能と消費を可能な限り抑えた緊急用ですね」
「そんな気軽に縮められるものなんだ……」
「サイズこそ小さいですが、飛行や魔法の行使も十分に可能ですよ。さすがに戦闘は無理がありますが、探索には十二分かと」
屈んで目線を合わせた先で、シュテルが得意気に語る。感情の動きに合わせるように、
基本の外見は、色違いかつ髪型違いの『高町なのは』の縮小版。しかし今のシュテルにはそれ以外の要素が何故か――本当に何故だかわからないが増えている。
「…………だめだどうしても気になる、聞いてもいいかなシュテルさん」
「はい。何でしょう」
頭に、人のではなく猫のような耳があって。
腰から、猫のように尻尾が生えている。
端的に言って――ひどく、猫めいている。
「その
「偽装用です。この状態で――こうしていれば、誰も私が魔法生命体だとは気付かないでしょう」
ひとつまみのドヤを混ぜた無表情とでもいえばいいのか。
シュテルが四肢を投げ出してその場に倒れ伏す。なるほど確かに。これなら普通の人にはマスコットやぬいぐるみにしか見えない。
「あれ、でも魔法使えるんだよね。認識阻害できるんだから偽装する必要ないんじゃ……?」
「――――――――――――」
こんなにも『無』になったシュテルは初めて見た。
いやまあ表情を見始めたのが昨日の夜からなのだけれども。
▲▼▲
道を進む紫苑の頭の上に、無から復活したシュテルが陣取っている。
飛べばいいのではないだろうか。
「ああ、そういえば。一応朝の段階でタカマチ・ナノハとユーノ・スクライアには念話で連絡を入れておきました。簡単にしか説明していないので、後で詳細を聞かれるでしょうが」
「そうなんだ。ありがとうシュテ――待って、念話したの? 二人に?」
念話を飛ばしたということは、シュテルの『声』を聞いた訳で。
そうするとどうなるかっていうと。
「物凄く訝しんでいたので、後で適当に説明しておいて下さい」
「そうなるよねー!」
やらなければいけない事リストに肖像権への対処が追加された。用事は他にも色々とあるのだが、それら総てを一旦置いて。紫苑は家を出て街へ向かっている。
目は覚めたものの好調とは程遠い。走るどころか歩くだけで身体がギョリギョリ鳴る。どう考えても寝ていたほうがいい。
だがどうしても外に出なければいけない用事があったのだ。
――お腹が空いているのである。
要するに、買い出しだ。
現在の紫宮家には一切の食料が残っていない。本当に何も残ってない。氷くらいしか無い。辛くとも外に買いに行かなければどうしようもないのだ。
無論、普段はレトルトやインスタント食品をある程度買い置きしてある。
最初は紫苑もそれらで済ますつもりだった。ただ出そうと棚に向かったら、開ける前に扉が開いていた。中身も全部空いていた――すでに全部、食われていた。
『うわ無い、全部無い!? 何これ泥棒!? ピンポイント空き巣!?』
『いえ全部貴方が自分で食べたんですよ』
『……え?』
『家に運んだ後に、意識がないまま手当たり次第にひたすらバリバリと』
『怖ァ!!』
紫宮紫苑――自身の出自というか存在について過去最高に訝しんだ瞬間である。
容器や空箱をきちんとゴミ箱に捨てていたのが唯一の救いかもしれない。救いだろうかそれは。逆に意識ないのにきちっとしてるの、怖くないだろうか。
立ち直れなくなりそうなので、後回しにする事にした。
というか何か食べないと物理的に立てなくなりそうだった。
普段は徒歩だが、今日は荷物が多くなりそうなので自転車での移動だ。
通い慣れた店だと学校が終わる前にうろついてる事を怪しまれかねない。ちょっと面倒だが店を変える。買って即食べられる惣菜も多いコンビニを中心に、食べ歩きで臨時補給しつつ食べ物を買い込んでいく。空になってしまった買い置き分のレトルト食品やインスタント類もついでに補充、
「あ、これも入れて下さい紫苑。おいしかったので」
「さり気なくシュテルも食べてるじゃんか! というかマテリアルって食事要るんだ?」
「不要といえば不要ですが、魔力の方は修復に回したいのです。この駆体の維持分だけでも外からの補給で賄おうと思いまして。あ、ついでにこっちもお願いします。それとこれも――」
「多い多い多い!」
シュテルは短くなったリーチを補うためかルシフェリオン(ミニ)を展開。棚からあれもこれもぐいぐいとカゴに押し込んでくる。
「もちろん本気で止めに入られたらこの駆体の私には為す術ありません。ですが紫苑。認識阻害で他者から見えない私を止めに入ってしまうと、周囲にどう映ると思いますか?」
「は、図ったな!」
「図りますよ。理のマテリアルですので」
ちょいちょい攻防を織り交ぜたせいか、買い出しに予想以上の時間を費やしてしまった。家に戻ってきた頃にはすでに夕方である。
買い込んだ食料を広げつつ、今後に向けた作戦会議である。
そろそろ下校時刻であるから、なのはが様子を見に来る可能性がある。なのはが来ずともユーノが来る可能性もある。二人共『良い人』なので、相手が紫苑でも少しは気にしてくれるだろうから。それに協力関係にあるのだから、昨夜の事は説明しておいたほうが良いだろう。
ただ空腹も限界なので食べながら。
行儀は良くないが、まあ誰も見ていないのでセーフということで。
「高町さんは普通にそのまんま話せばなんとかなる気も、する。むしろ誤魔化しとか変に混ぜると気付かれてこじれそう」
「はあ。そういうものですか」
「相手に
シュテルは『高町なのは』の姿を写し取った。
けれどもそれは悪意や攻撃ではない。行為自体は決まった形を持たない『マテリアル』にとっては自然かつ必要なもの。
「人間とマテリアルの前提と意識の違いってだけで、きちんと話せば咎められることは……無いと、思う、たぶんだけど。ただ今後も使っていいよって言われるかは聞いてみないとわかんないかなー」
「ではこちらも利を出しましょうか。駆体形状の利用を認めてもらえるなら私もジュエルシードの捜索に協力する、辺りで」
「……シュテル、もしかしてだけどその姿だいぶ気に入ってる?」
「ええ、はい。すごく。びっくりするほど私の魔導に馴染むのです、この
真っ先に話題に上るのは、一番説明の難しい肖像権絡みについて。
ちなみにシュテルは(いつの間にか買い物カゴに入っていた)クッキーを抱えるようにして齧っている。この短い間で小動物ムーブがどんどん洗練されていっている。
「おや」
ふいに、シュテルの耳(猫の方)がぴこぴこぴこと規則的に振動を始めた。
「念話ですね、ユーノ・スクライアから」
「何でそんな機能つけたの?」
「どうします? 私が出ましょうか」
「スルー。あー、うん。代われるなら俺が出るよ」
「わかりました。では」
ぴょんとシュテルが頭の上に飛び乗った。炎着小規模版。服は変わらずに髪と瞳の色、それと内側の特性のみが変化する。紫苑単体では魔法が使えないのは変わっていない。
食べかすが降ってきたのは見なかったことにした。
『あーテステス、ユーノ。聞こえる?』
『――え、紫苑? 紫苑!? 良かった、無事だったんだね! 心配したんだよ! 昨日あんな状態で居なくなるし! 少し後に大規模な戦闘もあったみたいだし! あと『シュテル』って名乗る人が念話してきたんだけど、あれが君の言う『シュテル』なのかも判らないし……あれ、何だか念話がすごく鮮明になってるような?』
『うん。まだ普通に生きてるよ。念話は昨日ちょっとアップデートが……まあそれも含めて、色々説明する。要件はそれ?』
『そのつもりだったんだけど、なのはがジュエルシードを見つけたらしくて。今からそっちに向かうんだ』
『そうなんだ? じゃあ俺も――』
行こうか、といい切る前に。
頭の上から飛び降りたシュテルが紫苑の眼前に回る。小さな腕を思いっきりクロスさせ、バツマークを形作る。
『なんかNG出た。俺行けないけど大丈夫かな』
『もちろん。反応はいつもと変わらないから僕達だけで対処できると思う。何があったかは知らないけど、無理してでも紫苑に来てもらわなくても大丈夫』
『わかった。ありがとう。高町さんにもよろしく』
『うん。じゃあ片付いたらまた連絡するよ』
念話が切れる。
視線の先ではまだシュテルが全身でバツマークを表現したままだった。表情に明確な変化は無い。無いのだが、何か怒っているようにも見える。
「紫苑」
「はい」
「何を考えているのですか、貴方は」
「いや何って……何が?」
「昨夜の戦闘で受けたダメージが残っているのをもう忘れたのですか。緊急でもないのに、無理に動いて支障が出たらどうするのです」
「えっと、もしかして心配してくれてる……のかな?」
「そう受け取ってもらって構いません。紫苑は今私が頼れる貴重かつ唯一の協力者です。貴方の不調は、直接私の戦力の低下につながるのです。きちんと自覚してもらわないと困ります。おざなりにされれば怒ります」
「それやっぱり怒ってたんだ」
「見て判りませんか。ほら、この尻尾の荒ぶりよう」
「だから何でそういう機能付けてるの」
省エネ駆体という謳い文句の割に、楽しいオプション機能が多すぎる気がする。
「ふむ。あちら側がこれからジュエルシードの回収に向かうのなら、終わるのは夜に差し掛かるでしょう。ならば直接の説明は明日に改める事になるでしょうから、先に私達の方針を再確認するとしましょうか」
「方針っていっても、目的はマテリアルの捜索と回収のままだよね」
「そうですね、最優先はその二つです。加えて――今後はあの黒い鎧騎士との戦闘が発生するでしょう」
「それなんだけど、剣を砕いたのは憶えてるんだ。なら相手が持ってたマテリアル、何処に行ったんだろうか」
「不明です。それにマテリアルの解放は直接確認できていません。それに解放出来ていてもいなくとも、恐らくあの黒騎士は立ち塞がるでしょう。私も狙っていましたし。避けては通れぬ相手です」
「シュテルの知り合い、って訳じゃないんだよね」
「見覚えのない相手です」
「……………………そっか」
「紫苑?」
「何でもない。でも何なんだろうねあれ。生き物じゃないのは判るけど、じゃあ何かって言われると断言できないっていうか。ただの無機物って感じでもないし」
「わかりませんし、わかる必要はありません。こちら側の対応としては『倒す』以外を選ぶつもりはありませんし。問題なのは――あの黒騎士が
シュテルはそこで一度、言葉を切って。
「だから、紫苑――
マテリアルであるシュテルは、絶対的に不利だ。恐らくシュテルが全ての機能を取り戻し、更に強化したとしても、相性差でひっくり返される。
けれども紫宮紫苑は有利でもなければ不利でもない。普通に戦える。普通に相手より強ければ、普通に倒せる。
「絶対に確実に、
「うん、わかった。それで君を助けられるなら」
紫苑がどう答えるかをシュテルは予想していたし、実際にその通りになった。
それでも確認を挟まねば、実際に言葉にしてもらわねば信用できない。安心できない。
過ごした時間は短く、互いの理解もまだまだ浅い。関係性そのものがまだ芽生え始めたばかりなのだ。
それでもこうして確認さえ取れれば、信じられる所までは来ている。孤立した状態で、寄り掛かる先が出来た事を改めて確認できる。
「ありがとうございます。本当に――あなたに、会えて良かった」
満面という言葉からは遠い。
僅かに目尻が下がっただけで、口の端が上がっただけのもの。頭に微が付く程度のもの。
でもそれは本物だった。
紫宮紫苑が初めて見た、シュテル・ザ・デストラクターが初めて見せた――笑顔だった。
▲▼▲
炎熱変換の特性や所有している術式について説明を始めたシュテルが、いつの間にか赤縁メガネをかけている。もう気にしない事にした。
「私は『私の魔導』の扱い方を教えます、可能な限り、徹底的に。最終的な調整は貴方にやってもらうしかありませんが」
戦力を上げる手っ取り早い方法は、魔法の練度を上げる事。
紫苑の戦闘用の魔法についてはシュテルが当然ながら扱い方を熟知している。
けれどもそれは『シュテルがシュテルの魔法を使う』事を前提にしている。『紫苑がシュテルの魔法を使う最適な方法』ではない。
シュテルの言う『調整』はその差を埋める作業のことだ。
教わった魔法を紫苑は『自分が使いやすい用に』変える必要がある。やらなくても使えないわけではない。が、急場しのぎでは昨夜のように相打ちが精一杯であると証明されている。
「うーん。それなんだけど、一つ試してみたいというか」
「はい、何か?」
「ルシフェリオン、もうちょっと形変えていいかな。シュテルの魔法って『撃ち出す』形式のが多いんだけど。杖って形がどうも個人的にしっくり来ないというか、できればもう完全に『銃』とかに変えちゃいたいというか」
「…………………………は?」
「あ、いえ何でもないですごめんなさい」
「いえ。いいえ。咎めているのではないのです」
表情は変わらないが、シュテルがあからさまにそわそわしている。
というか耳と尻尾がそわそわしている。もしや感情センサーなのだろうか、あのオプション。
「……そこまで大幅な形状変更が、可能なのですか?」
「うん。昨日咄嗟にやった時の感じは覚えてるから、いけると思う。何で出来たかはわかんないんだけど」
「貴方のルシフェリオンは代価として渡した一部です。好きにしてもらって構いません。それでですね、そういう事ならついでに頼みたいというかですね」
「頼み?」
「…………私のルシフェリオンも、変えてもらえますか?」
数十分後。
シュテルの手には、ミニサイズの『ルシフェリオン』が握られている。
赤紫をメインとした色彩、より鋭角的で刺々しく攻撃的な印象を持つ形状。誰が見ても『レイジングハート』の色彩違いとは思わない、完全に独自の姿にして存在を得たデバイス。
シュテルの魔導に最も適した中身を持つ杖であり。
シュテルの魔導に最も適した形状を持つ槍である。
「すばらしい」
メモ用紙八枚に渡るびっちりとした注文から始まり、数十回のリテイクと調整を繰り返した果てに完成したデバイスを見上げて、シュテルは感嘆の息を漏らす。
「気に入ってもらえたなら、良かったよ」
紫苑は今回休息目的でジュエルシードの回収に参加しなかった。なのだが同じくらいどっと疲れた気がしないでもない。それでもシュテルが大喜びしているのを見れば、むしろ満足感があった。
相変わらず表情は余り変わっていないのだが、その分ピンと立った耳と尻尾が感情を表しているから一目瞭然である。
「すばらしい」
本当に気に入っているようだ。
紫苑の方の『ルシフェリオン』もさくさくと形状を変えていく。
色彩はルシフェリオンベースのまま。銃身部分はレイジングハートの砲撃形態に似ていて、グリップに行くほどにルシフェリオン(新)に似ていく。足して二で割って銃にしたとでもいえばいいのか。
「ヒートバレル、ブラストバレル、ディザスターバレル……よしちゃんと変形するな」
シュテルの方に比べれば本当に外見だけざっくりと弄った物だが、それでも紫苑の手に合わせているから前よりずっと扱いやすい。
「シュテル、一応変形機構も確認して……」
「すばらしい」
「だめだ聞いてない」
その後ジュエルシード回収成功の連絡がユーノから入った。
シュテルの予測通り、時間も遅いので明日の放課後に改めて合流して説明することで落ち着いた。
途中念話に乱入してきた高町さんから心配のマシンガントークを飛ばされたりもしたが、まあ想定内である。上手くかわして事なきを得た。
大まかな問題を明日に先延ばしにしたとも言う。
「…………」
今日はもう寝るだけ、となった所で通りかかった居間で。座布団の上に赤紫の物体を見つけた。よく見るとそれはシュテル(ミニ)であった。
マテリアルって眠るんだ、とか。
行動が本格的に猫に寄ってきてないか、とか。
ただ何よりも目につくのは、
「めっちゃ気に入ってる…………」
眠るシュテルは――夕方から出しっぱなしのルシフェリオンを、まるで宝物のように抱えていた。
少し余裕ができて本来の茶目っ気を取り戻し始めたヒロイン(マスコット)。
ルシフェリオン(新)はReflection版とほぼ同じ形状です。
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09
▲▼▲
高町なのは――シュテルの『姿』のオリジナル。
形を得たシュテルに対し、なのはがどう反応するのか。それによって今後の紫苑たちの行動はかなり変わる事になる。
何事もなくすんなりと、『姿』の使用許可を得られればそれが最善。そうなるようにと用意した、交渉材料もいくつかある。とはいえ無断で写し取ったシュテル側が不利なのは確か。
最悪の場合、今の協力関係が破綻して敵対関係に変化する。
なのはの性格からして即戦闘に入ることは考えにくい。だが数少ない魔導師が『味方でなくなる』事は、確実に今後の活動へ悪影響を与えるだろう。
シュテルと紫苑は事前に入念に打ち合わせを行って、いざ対面――!
「ふんふんふーん」
「ナノハ、やめてください」
「あっごめん、嫌だった?」
「いいえ。撫でるなら喉の下辺りでお願いします」
「はーい!」
(五分と経たずに打ち解けてしまった…………)
居間では上機嫌のなのはが、抱えたシュテル(ミニ)を愛でながらごろごろしている。
『自分を写した』と聞かされた時点ではそれなりに緊張していたのだが。いざ猫要素たんまりの手乗りマスコットが出てきたら――ご覧の有様である。
一方の紫苑はフルスイングの肩透かしを受けて若干無に入りかけていた。呆然としていると、ふいにシュテルと目が合う。
(見ている……ものすごく得意げな顔でこっちを見ている……!
ちなみにただの得意顔ではない。あくまでも無表情をベースとしつつ、別種の感情を混ぜているという器用なドヤだった。
普通にドヤればいいのではないだろうか。
「紫苑、どうかした?」
「いや姿形が似てるからか、あの組み合わせも割りとしっくりくるなって思っただけ」
「うん。そうだね。想像してたのと結構違ってて僕はちょっとびっくりした」
「元はたぶんユーノの想像通りな感じだったんだけどさ、色々あって縮んだんだよね」
「えっ」
台所の方のテーブルでは紫苑とユーノが向かい合って座っている。
こちらは向こうと違って少し真面目、例の黒騎士についての情報共有。
といっても紫苑達もあの黒騎士の正体や詳しい性能を把握している訳ではない。言えるのは『何かこんな感じのヤバイのがうろついてるから気を付けて』程度だ。それでもとっさの不意打ちへの対処や判断の助けにはなるだろう。
――後は、あの日何があったのか。
まず、黒騎士が襲ってきた。
緊急故にシュテルが実体化して、引き離した。
後から追い付いた紫苑が交戦して、一旦退けた。
駆体について事後報告になったのは緊急事態ゆえ。
紫苑を行動不能にしたのも仕方なく。
紫苑がろくに説明しなかったのは、ユーノ達を巻き込みたくなかったから。
「でも紫苑。気を付けたほうがいい」
「何が?」
「あの時の君の消耗具合は尋常じゃなかった。ううん、あれはもう『衰弱』だった。実体化の負担は、きっと君が思っているよりずっと大きなものだと思う。今後は慎重に判断した方がいい」
「そこまででもないけど」
「それは『今の姿』の話だよね。僕が言ってるのはこの前の――『戦うための姿』のシュテゅッ゛」
時が止まった。
正確にはそう思えるほどに静まり返った。
話の途中だったユーノも言葉を止めたし、聞いていた紫苑も固まったし、横で猫耳のモフ感を堪能していたなのはも手を止めたし、存分に撫でを堪能していたシュテルも止まった。
(噛んだ……)
(噛んだ……)
(噛んだ……)
「ん、んん゛ッ……!」
二人+1キャットによる視線の集中砲火。
フェレットフェイスがみるみるうちに赤面へと炎上していく。
「では」
誰も二の句が告げないじんわり気まずい沈黙。
その静寂を破ったのはシュテルであった。
「この姿を『シュテゆモード』と名付けましょう」
「さんせーい」
「さんせーい」
「ちょっとー!?」
シュテル(ゆ)を掲げて逃げ回る小学生二人。真っ赤な顔で追いかけ回すフェレットが一人。きゃあきゃあと騒ぐ声だけが、しばらく家の中に響いていた。
「もうシュテゆでいいですっ……!」
「ご、ごめんねユーノくん。つい……」
「ごめんてユーノ。ほらクッキーあるよ、食べて食べて」
「紫苑、それ私のです」
「ふんだっ!」
「紫苑、それ私のです」
紫苑が差し出したクッキーをふんだくったユーノは、二人に背を向けて猛然と齧り出した。完全なやけ食いである。ちなみに頭の上に陣取るシュテルが、ルシフェリオンの柄の打突で猛然と抗議を続けていたりした。
「痛い痛い地味に痛い。今度二倍にして買い足しとくから、今は我慢して」
「わかりました。それで手を打ちましょう。さすがは私の協力者です」
▲▼▲
そんな訳で。
マテリアル捜索チームとジュエルシード捜索チームは、これまでと同じような協力関係を維持している。
ただ相変わらず合流はしていない。互いに基本の目的は『捜索』だから、合流しないほうが都合がいいのも変わらない。
この週末も同様。紫苑達は遠く離れた街まで探索に出かけ、友人と約束があるというなのは達は海鳴に留まっている。
今後もこんな配置が多くなるだろう。ジュエルシードの落下の中心が海鳴近辺であるらしいから、どちらかは海鳴からあまり離れない方がいいのだ。
そうなると留まるのはジュエルシードの捜索をメインにし、あまり長時間家を空けられないなのは達の方が都合がいい。
家族の居ない紫苑は長時間家を空けても咎められない。加えて海鳴から離れるほどに『ジュエルシード以外』である可能性が上がることになるので、二重に都合がいい。
紫苑単独での探索における懸念点は魔法の精度だが、炎着が完全版になりシュテルがサポートに入った事で解消されている。
「到着っと」
「では、今日の飛行訓練はここまでにしましょう」
「なんとか飛べるようにはなったかな」
「ええ。基礎はもうしっかり出来ていますよ。筋も悪くありません。後は研ぎ澄ませていくのみです」
なのは達の側は『探索』と『回収』がメインなのは変わっていない。けれども紫苑とシュテルはそこに『戦闘』と『撃破』が加わっている。
そのため最近の日常にはシュテルによる魔法戦闘の講義と実習が追加されていた。今日の遠出も目的地までの移動に飛行魔法を使い、道中で空戦の実習を兼ねる。
まずは『飛ぶ』事に慣れることから始め、一通りの空戦における基礎やセオリーを短時間に濃縮して。真っ直ぐは飛べるだけのスタートから、最終的にはただ乗っているだけのシュテルを落とさないまま飛び回れる程度には上達した。
「今の所は普通の街だね」
「ええ。こちらでも今の所目立った異常は見つけられていません。いつものように直接見て回るとしましょう」
降りたのは適度な高さのビルの上。見下ろせるのは山に面したごく普通の街。初めて来た街だから、見渡す限り見知らぬ風景。持参した地図を広げて、実際の街と見比べて頭の中で地形を把握していく。
「ところでこの街、何か食べ物で名物などはありましたか」
「観光に来たんじゃないんですよシュテルさん」
「冗談ですよ」
当然、何の当ても無くこんな遠くまで来た訳ではない。
数日前の学校で、クラスメイトの一人から聞いた話。この街に住む兄が『怪物を見た』と興奮気味に語っていたらしい。当のクラスメイトはまるで信じていなかったが、紫苑達には心当たりが大分ある。
『怪物』という時点でジュエルシード案件の可能性が高いが、他にマテリアル案件の当てもない。それにもしジュエルシードの暴走体だったとしても、『魔法戦の経験』という利になるとはシュテルの談。
「ぱっと見で人気の少ない箇所が見抜けるようになってきたの、正直複雑です」
「成長しているのなら良い事ではありませんか」
範囲も時間もかかる山の方向は後に回し、街の中で人気のない箇所や朽ちた建物を回っていく。だが、まずそんな場所が少ない街であった。
定期的に頭の上のシュテルが探査を走らせているが、目立った反応はない。歩き回るほどに、普通の街だという印象が補強されていくだけ。
何もおかしい物は無い。
何かおかしい人も居ない。
「……街の方はたぶん歩き回っても無駄だ。山の方に行こう」
「何か気になることが?」
「あったっていうか、居ない。ここまで――」
紫苑が開きかけた口を止める。シュテルは一瞬怪訝に思うも、直ぐにその理由を察して追求をしなかった。
今の紫苑は、なのはやユーノの眼には『頭の上にぬいぐるみ(ゆ)を載せた小学生男子』に映る。だがそれ以外の人間には『ただの小学生男子』にしか映らない。
キキッと短く鳴るブレーキ音。寂れた廃屋へ視線を向けて『一人で立っている紫苑』の横に、自転車が停まった。
「君、どうかしたかい?」
「はい、俺ですか?」
まるで声をかけられて初めて気が付いた、という風で。
紫苑は声をかけてきた
「こんな何もない所で一人で立っているものだから、気になってね。見慣れない顔だけど、もしかして迷ったのかな?」
「いえ、大丈夫です。
見慣れなくて当然と思われる情報を混ぜる。
子供が言ってもおかしくない理由を使う。
今後の行動の目処が立っていると伝える。
それらを詰まらず、どもらず、自然に話す。
「そうかあ。最近の子には退屈な所かもしれないね。送っていかなくて大丈夫かな?」
「はい、大丈夫です。帰り道はわかりますから」
「じゃあ気を付けて帰るんだよ、何もない街だけど、最近は少しだけ物騒だからね」
「はい。ありがとうございます。お仕事頑張ってください」
変に食いついて聞き返さない。僅かでも異変があると判ればそれでいい。最後は本当の本音の激励を足して。手を振って、走り去っていく警察官を見送った。
「――実体があるから油断してたけど俺ずっと独り言喋ってた事になるんだな。街中では俺の方からだけでも念話にしといた方がよさそうだ」
「前々から思っていたのですが。貴方は思いの外、口が回りますね。正直意外でした」
シュテルは黒騎士との戦闘を経て、紫宮紫苑の行動原理の特異性について認識を改めている。だがそれ以外では、本人が常々口にする通りに『まっとう』という認識のままである。
そんな常日頃を知っているからか、平気な顔で『嘘』を扱う事に意外性を覚えるのだ。
先程や、先日のジュエルシード探索組への説明の時も。自分の都合の良いように組み替えた内容を、さも事実のように気取られること無く話してみせる。
「んーと………………俺って境遇が境遇だから、何でもそのまま話すと
辛そうに語る『大丈夫』は逆の効果を生むのを、紫苑は理解していた。普通の顔で語る『大丈夫』は、『天涯孤独』という前提が付くと信じてもらえないのを実感している。
相手を陥れる、苦しめるといった方面の目的だったら上手くないし、なりたくなくもない。
でも関わった相手に
意図的に磨いた、という話ではなく。
やっていたら身に付いてしまったという話。
(………………あれ?)
話してから気が付いた――話す必要があったのかという事に。そもそも、まさにこういう時に話を
なのにどうして、あるがまま、全部話してしまったのだろう。
「なるほど。納得がいきました。付け焼き刃でなく、持ち札の一つでしたか」
「あんまり褒められたものじゃないけどね」
「私としては助かりますよ。下手な言い訳で余計な手間や時間を取られてはたまったものではありませんので」
シュテルは淡々と、紫苑の『技能』を肯定する。そこに気使いや思いやりは一切含まれない。単純な利害に基づいた判断だ。
マテリアルであるシュテルに行為の発端、過程、善悪などはどうでもよいのだ。要は自身の行動に都合がいいかどうか。その点で紫苑の行動はシュテルの望むべきものであったため、文句が出てくる訳もない。
一方で。悪印象を持たれたらどうしようと心配していた紫苑は、安堵する。
誤魔化さずに話してしまった時は失敗したと思った。でも結果として、偽らないままあるがままを感情論抜きで受け入れてもらえた事になる。話してしまったことはきっと正解だっ、
「いやしかし良いことを聞きました。今後の交渉の際には存分にその口車を回してもらうとしましょう」
「ちょっと」
▲▼▲
足りない。
足りない。
足りない。
もっと多くの■がいる。
だからもっとたくさん■らねばならない
ただでさえ
より多くを取らねばならない。
自然の中に、不自然なまでに同化している。
息を殺し、身を潜め、じっと機を待っている。
動かないのは肉体のみで、肥大化した思考は忙しく動き回っている。
そう、考えている。考えることが出来る。この生物はすでに多くを学習している。本能のままに貪ることをしない。後々の事まで思考を伸ばした行動を選べる。
更に幾つかの経験を潜り抜けたことで、
――『獲物』が狩場に迷い込む。
テリトリーに侵入された事に反応し、音もなく身を起こして移動する。
まずは観察。歩き方等の挙動を始めとした一挙手一投足から、相手の『種類』を推測する。
あれは『普通』の生き物だ。
ごくごく稀に混じっている『特別』ではない。
つまり――生物に対抗する術を持たないという事だ。
街中ならば、時間帯もあって別の判断をしたかもしれない。それでもそろそろ限界だった。自身はともかく■■■の飢えが限界に来ている。
ならば、まずは眼下の個体から。
「待ってたよ」
完全な不意打ちのはずだった。
眼球の可動範囲外のはずだった。
葉の一枚だって揺らしていなかった。
だというのに獲物は当然のように狩人に向き直り――――
狩られる側から、
▲▼▲
ざっくり一言で表すのなら、それが最も相応しい。
鱗に覆われた身体、大人の男よりも一回り高い背丈。細長い四肢の先端に鋭く尖った爪を持っている。
絶対に現代日本では自然発生しないであろう生物だが、それは確かに存在しているのだ。なにせ樹上より今まさに降ってくる真っ最中である。
音、気配――様々な痕跡を可能な限り消して行われた奇襲だった。テリトリーであるがゆえに、この周囲では臭いも紛れている。
けれども紫苑の察知は、相手の初動とほぼ同じ。襲撃者の位置はすでに死角ではなく真正面。戦闘準備も――
「
整った。
色彩の変化を伴う内側の性質変化と、武装の構成を一括で完了。
発射された炎弾が飛翔、着弾、炸裂。炎が鱗を吹き飛ばして肉を焼く。間髪入れずに次弾――外れ。すでにその場には何も居なかった。
羽根を持たないリザードマンは、伸ばした尾で枝を叩いての方向転換をしてのける。自動で追った炎弾は周囲の木々に阻まれて、幹の表面を焼き削るのみ。
巨体は炎弾から逃れながら、木の陰にするりと潜り込む。その場に留まっているはずもないが、移動しているような音は聞こえない。木々も風に揺られるばかりで、さっきの怪物なんて居ないかのように、周囲は酷く静まり返っている。
【………………気配が薄い。探査魔法に引っかからない訳です。いやまず、紫苑。貴方は何故あれが居ると気付けたのです?】
「街の端々になんか獣っぽい臭いがしてたから」
【は?】
「あとここに来るまで――いやここに来てからでも、人間以外の
【そういえば、見ていませんか】
「野良犬や野良猫が居ない街なら珍しいけどおかしくない。でも野鳥一匹居ないのは何かおかしい。極めつけに、ここまで
【はあ。なるほど……なるほど?】
どの方向にも銃口を向けられるよう構えながら、紫苑はその場に留まっている。だが周囲はしんと静まり返り。何かが襲ってくる兆候どころか、生き物の気配すら無かった。
とっくに逃げてしまったと判断してもいいような状況。
けれども紫苑は
――あの怪物は、相手を選んでいる。
あれがただの怪物なら、動物から先に食い尽くされるなんて事態には絶対にならない。ならば意図的に人間以外のみを襲っていた事になる。
もし好き放題に人も食い散らかしていたら、あっという間に怪物の存在は知れ渡っただろう。そして人間は即座に出現した外敵の排除に乗り出す。そうなれば怪物は何をするにも追われ続ける。狙われ続ける。それは人間が居なくなるまで続く。
だが存在を気付かれなければ――それはすべて、発生しない。
噂話程度の超常存在を、人間は信じない。
無論隠れ住むにも限界はあるだろう。その後の事まで怪物が考えていたかまでは、判らない。だが現時点で『隠れ住む』という選択をしているのは確か。
ならばこのまま紫苑を逃すはずがない。逃した紫苑が仲間を呼ぶ、怪物の存在を周知させる――そこに思い至るだけの
【とにかく戦闘開始です。戦い方は教えたとおりに。油断はしないよう】
「わかってる。ちゃんと倒すよ」
あの怪物は人間を
でなければ、出てこなかったはずなのだ。
いくら紫苑が『一人迷い込んだ子供』を装っても。本当に人間を襲わないのなら、姿を見せるはずがない。だが出てきた。躊躇なく、狩りに来た。それは
がさり、と草が揺れた。野生動物が恐らく全滅しているであろうこの周囲において、音を出せるほどの大型の生命体は二つ。紫苑が動いていないのだから、答えは一つ。
紫苑が振り向いた瞬間に。正確には振り向こうと体を動かし始めた瞬間に。
「ヴォルカニック――――」
紫苑は振り向く動作を止めない。
足の先で炎が灯った。ごう、と噴射によって身体の回転が急加速する。炎は一瞬だけ羽の形に、けれどもそこで止まらず覆うように膨れ上がり。
「シュートッ!!」
背後を正面に戻すついで、放った蹴りがリザードマンをぶっ叩く。
炎が爆ぜて、打撃と同時に焼き焦がす。
吹き飛んだ巨体は今度は単純に宙を舞い、幹をぶち折って停止した。
立ち上がる前に追撃。ルシフェリオンの銃口を向け――装填、
立ち上がるよりも早くうねった長い尾が、炎弾を叩き落とそうと繰り出される。
だが直進しか出来ない分、貫通力を優先した炎弾は叩き落されない。進路を阻む尾を貫いて直進する。小気味よい音と共にリザードマンの身体に幾つか穴が空いた。
痛みからくる悲鳴か、それとも怒りか。
リザードマンの絶叫が、周囲をびりびりと震わせる。紫苑は特に気にしないでそのまま撃った。化物にはもう大分慣れているのだ。
今度は回避を選んだリザードマンが、その場から飛び退いた。ただの跳躍、けれども巨体が飛翔のごとき勢い。
リザードマンは着地と同時にまた更に吠えて、そして、
めきめきばきばき音を立てて、その身体が盛り上がっていく。
身体のあちこちから角のような突起が生え、四肢先端の爪は長さと太さが倍ほどに。
極めつけは体の中央、胴体の真ん中の肉を押しのけるように現れた、光を放つ
戦闘準備を終えた獣が跳ぶ。宝石と同じ、青い光をその目に宿らせて。
その疾走は先程までのように、森に溶け込む巧みなものではない。だが単純にただただ、速く。鋭く。暴力的だった。
引き金を引くよりも爪が届くほうが速い。銃身に振り下ろされた爪を、魔力盾で受け止める。
【魔法……いやもっと単純な、魔力を宿した強化程度ですか。使ってくるのは想定外ですが、性能は想定内なので問題ないでしょう】
人も獣も残った方の腕を敵めがけて突き出す。
人の腕どころか胴に匹敵しかねない太さの爪。迎え撃つ腕はそれに比べて余りにも細い。丸太と小枝ほどの差がある。しかし細いながらも幾重にも炎を巻きつけている。衝突と同時に爆発した拳は巨大な爪による必殺を容易く相殺する。
今度は脚。紫苑は蹴り合いを避け、僅かに退く。伸び切ったリザードマンの脚を踏んで跳躍。頭上を飛び越す最中にルシフェリオンが炎弾を放つ。身を捩って躱される。
追うように跳んだリザードマンが、紫苑の身体を引き裂かんと四肢を振るう。一呼吸の間に数十と放たれる四肢、爪、牙、尾。
ルシフェリオンが宙へと放られた。
弾き飛ばされたのではなく、紫苑が自ら手放した。
足先に灯った炎が輝きを増しながら羽ばたいて――加速、前へ。
渦のように繰り出される攻撃の中に、紫苑は自分から飛び込んだ。掠めた爪が髪やジャケットの端を刻む。だがそれだけ。身体に届く軌道の爪は左右の炎拳で叩き落とし、逸らし、弾き飛ばす。
肉薄、そして――
「パイロシューター」
銃口ではなく紫苑の周囲に無数の炎弾が発生する。生じた傍から炎弾は宙にあるリザードマンの身体目掛けて殺到する。
炎弾の一発一発は、表面の鱗や肉を焼く程度。だが無数の炎弾が一発当たる事に、リザードマンの身体が
足場になりうる木よりも、ずっと高い位置。四肢を伸ばそうとも尾を伸ばそうとも、何にも届かない。だからもう――動けない。
――砲撃形態《ブラストバレル》》
放られて、宙を舞っていたルシフェリオンが重々しい音を伴って拳銃から小銃へ。重力に引かれたデバイスが紫苑の手の中に落ちてくるのと、変形の完了は同時だった。
銃口が空を向く。炎弾に炙られて、空中に磔になったリザードマンへと。
照準は更にその中心――輝く宝石へ。
「ブラストファイアッ!!」
ごう、と火柱が立った。
ほんの一瞬。しかし盛る炎はこれまでの炎弾の比ではない。
申し訳程度に翳された爪を腕ごと焼滅させ、周囲を鎧う肉を焼滅させ、その中核たるジュエルシードを撃ち抜いた。
身体に穴を開けたリザードマンが落ちていく。すれ違うように紫苑は飛び上がり、宙に取り残されたジュエルシードを掴み取った。
「封印」
「お見事です」
ぽんっとやたら軽い音と共に、引っ込んでいたシュテルが実体化する。すっかりお馴染みのシュテゆモード。そのまま浮遊して、紫苑の頭の上に陣取った。
飛べばいいのではないだろうか。
「強かったね」
「ええ。ジュエルシード絡みでは確実に最強でしょう」
確かに強かった。
決して弱くはなかった。
けれども紫苑もシュテルも、
だからこの程度の相手には引けを取らないし、取っていられない。
「ただ、強かったのもあるけど……なんていうか、
「ジュエルシードを内燃機関として上手く使っていた、と。そう考えれば魔力運用めいた動作をしていたのも納得ですが。通常の生物にそんな芸当が出来るとは思えません】
「多分だけど、魔法の才能があったんじゃないかな。宿主になった生き物が」
「無い…………とも言い切れません、か?」
「もしくは、時間経過で自然に馴染んだのかもしれない。どちらにせよ、身体がもうジュエルシードありきな構造に完全に変わってるんだと思う。だから
「なるほど。それは確かに、あるかもしれません」
視線の先では、胸に穴を開けたリザードマンが転がっている――そう、
これまではジュエルシードを封印すれば、取り憑かれた生き物に戻っていた。この姿が元の姿ということは絶対にない。ここは現代日本だ。その巨体が魔法の力によって得た物なのは確か。
だが要のジュエルシードを引き抜かれたにも関わらず、元に戻る気配がない。つまりはこの異形の姿こそが自然な状態に、
「何にせよ、ジュエルシードは回収しました。これ以上用はありません」
頭の上のシュテルが、手綱を引くようにくいくいと紫苑の髪を引っ張る。
同時、ノーモーション、無音、跳ね起きたリザードマン、前のめりに跳躍、飛びかかる、襲いかかる、狙いは弱い方、頭の上の小さなマテリアル、到達まで瞬き一つもかからな、
「させる訳ないだろうが」
それよりも、更に早く。
先程無数に放たれた後に、消えずに
力の源を抜かれたからか。先程までは弾けていた攻撃に、鱗も肉もあっさりと屈した。リザードマンの腕は炎弾の直撃であっさりと千切れ飛ぶ。衝撃で吹き飛ぶように転がり回る――が、即座に体勢を立て直し、その場から猛然と逃げ出した。
「…………あの状態でまだ息があったとは」
「うん。あそこまで動けるとは思わなかった。シューターを残しといて良かったな」
「生きているの自体は解っていたと?」
「生きてるかどうかは見れば何となく判るじゃないか」
「は?」
紫苑も駆け出した。数秒遅れだが、先程までに比べてリザードマンの速度は遅い。すでにただの生き物に成り下がったからだ。移動の痕跡も音も気配も、何もかも隠せていない。
「追うのですか? このまま放っておいても、長くは保たないと思いますが」
「ジュエルシードは確かに封印した。でもこの周囲がまだ何か
街に向かっていたら、地形を変えてでも最大威力の砲撃で一気に消し飛ばすつもりだった。人の多い方向に行くのなら、それはきっと『食べて補う』ためだろうから。
だが怪物だった生き物はそうしなかった。
既に生き物を食い尽くしたであろう森の奥へと向かっている。独特な気配を未だ残す周囲に合わせて、それがどうにも引っかかる。
本気を出せば今直ぐに追いつける。だが紫苑はそうしない。逆に速度を犠牲にしてでも、潜むように駆ける。
察知能力も落ちているのか、それともすでに紫苑を気にする余裕がなかったのか。だんだんと速度を落としながらも生物はそのまま進み続ける。紫苑も追い続ける。
数分ほど移動した後に。
生物が足を止めた。
潜む理由が無くなったと判断して、急加速。からの跳躍。
手頃な枝を全力で踏み抜いて、更に高く跳躍。意図的に空けていた距離を一気に詰める。鬱蒼と茂る木々を邪魔な箇所だけ焼き払いながら――
「………………………………ああ、そういう、事か」
既に立って歩く力が残っていないのか。四足を地に付けた、怪物だった生き物がそこに居る。紫苑が接近したのに、振り返るどころかぴくりとも動かない。
怪物の目と鼻の先に――
球とはとても呼べない、ぼこぼことした歪な物体だった。
てっぺんの辺りに開いた穴が、催促するかのように蠢いている。定期的に脈打って震える、肉の塊のようなものが無数に並んでいる。
それは、きっと
隠れ住んでいたのも。
人間以外を狩り尽くしたのも。
敵わないと悟っても紫苑から逃げなかったのも。
全部、子を生かすためだったのだろう。
この生物は怪物だったけど――親でもあった。
歪で、異形で、自然の摂理から外れた生命の群れなのは間違いがなくとも。
「……………………………………」
母体の怪物はジュエルシードを取り込む事で、あり得ない生命として成立していた。だがこの卵にはそれが無い。歪な生命を支えて維持するために、一番必要な物が最初から欠けている。だから卵の段階で、こんなにも
卵に穴が開いているのは――『口』だ。足りない何もかもを、外からの供給で補うための。今日まで形を保っていられた理由。
でもそれも今日で途絶えた。
無理な生命を支える外的要因はもう残っていない。
このまま放置しておいても、孵ること無く朽ちる可能性の方がずっと高い。
だが、そうならなかったらどうなる?
万が一
歪な生命を埋めるために、直ぐ側に居る同族を貪るかもしれない。もしくは他の生命を喰らいに行く
根本的に歪んだ生命だから、きっと強くもないし長くも保たない。それでも生命である以上、一秒でも長く生きるために動き続けるのは間違いがない。
紫苑にはそれが判る。
ここで紫苑が見逃せば可能性が残る事も、判る。
他の誰かが、よりまっとうに生きている誰かが被害を被る可能性が、一欠片でも残る。
――独りの紫宮紫苑は、きっと
それでも、だからこそ、逃げることは許されない。誰かがやらねばならない事なのだ。やりたくないから、嫌だから、資格が無いからと、逃げることは紫苑自身が許さない。
「どうします?」
「殺す」
炎弾が無数に出現する。
直接卵に向かって飛ぶのではなく、怪物だった生物を含めて円形にぐるりと取り囲むように配置。高速で周回を始める。炎弾が瞬く間に連なって燃え上がり、巨大な炎の渦と化す。
環境の変化を、命の危機を感じ取ったのか、僅かに震えるだけだった卵が一層激しく蠢き出した。それどころか、ばぢゅばぢゅと音を立てて
でも手足のなり損ないで這おうとも、四方は炎の壁である。辿り着いた傍から、辿り着く前から為す術もなく焼滅していく。一部の個体は手足でなく頭部と思しき場所だけ生やし、傍にあった死体に――親だった生物に食いついた。その間にも炎は容赦なく燃え広がり、補った傍から焼滅させていく。極端に成長の早い個体は、災禍の原因たる紫苑を排除せんと向かって来た。が、辿り着く前に燃え尽きた。
使っている術式はそこまで複雑ではない。ただし可能な限り魔力を込めている。全身の装飾が赤く光るどころか、炎を噴き出して、まるで紫苑自身が燃え上がって見えるほどに。
リンカーコアが悲鳴を上げていた。
火力はかつて黒騎士に叩き込んだ全力に匹敵するどころか、更に上回る。生じた負担を無視して、苦痛を封じ込めて、もっと強く、熱く。
確かに生きていた全ての生命を、細胞一片残さず焼き尽くす。
ここまで歪んでしまったら、もう地にも還せない。
災厄と呼ぶべき勢いの炎は、魔法のように綺麗さっぱり消えている。
円形の黒焦げの跡と、僅かに積もった塵芥だけが残っている。
「ふむ。魔力の炎熱変換をかなり扱えるようになりましたね。この分ならば、もう少し複雑な術式も扱いこなせるでしょう」
襲いかかってきた時点で、あの生物をシュテルは『敵』に分類している。
故に相手にいかなる事情があろうと、その一切を砕いて進むことに躊躇はない。無論その中には、直接の脅威ではない卵も含まれている。
この世界の文化には、魔法が浸透していないからだ。
半端とはいえ魔力に汚染された案件を処理出来る機関がない。技術がない。放置しておいて万が一に事態が悪化した場合、再度魔法を扱える人間が出向かねばならなくなる。
故に。跡形もなく焼き払うのは『理』に適っていると判断している。ならば
ただ、
「…………」
「紫苑? どうかしましたか?」
すでに火は消え、事態は収束した。
だというのに紫苑は、動くこと無くその場に佇んでいる。深刻なダメージを負っているはずもないし、魔力だってまだ十分に残っている。しかし、動かない。
怪訝に思ったシュテルが、小首を傾げて尻尾を揺らす。考えていても埒が明かないので、顔の見える位置に移動しようかと思った辺りで。
紫苑が突然、自分で自分の両頬をぱちん! と叩く。
いきなりの音にびっくりしたシュテルは、耳と尻尾の毛を逆立てながら硬直した。飛び上がる直前で固まったせいで、頭の上から転げ落ち――る前に。慌てて紫苑がキャッチ。
「うわわ、っと。どうしたのシュテル」
「…………………………それはこちらのセリフですが、何なのですさっきから」
「あっ怖いごめんなさい」
ジト目で睨めつけられて、たじろいだ紫苑はそそくさとシュテルを
「それで、どうしたのです。何か問題でも起こりましたか」
「どうかはしてる。でも大丈夫、進めるよ」
「では行きましょう」
「うん。行こう」
理由はいくつもある。御託はいくらでもある。
けれども結局は自身の都合のために一方的に奪った事に代わりはない。
だからこそ、歩き出すのだ。
止まっていたら、それこそ奪った事が無駄になる。
他の生命を押し退けてでも生きる
▲▼▲
コンビニに入ってレジに行くまでの僅か数分間の出来事である。会話の中に巧妙にあんまんを捻じ込み続けるという理論的ゴリ押しに紫苑は容易く屈した。
そこまでは良いのだ。良くない気もするが、今はおいておく。ご所望のあんまんを渡してから、シュテルが一言も発していない。怪訝に思って呼びかけても返事がない。
「な、」
突いても反応がないのはいよいよおかしい。
なのでもう、頭の上から降ろして見る事にした。
口にあんまんがすっぽり嵌まって目を回しているシュテゆ・ザ・キャットがそこに居た。
「なんで一口でいけると思っちゃったの!?」
思わず出た絶叫に返事はない。
虚空に向かって叫ぶ紫苑の姿に、周囲から奇異の視線が向けられるのみである。全力ダッシュでその場から離れつつ、シュテルの口からあんまんを引っこ抜く。
取れない。地味にジャストフィットしている。四苦八苦しつつ何とか半分ほど取れたというか千切れた辺りで、シュテルの耳(猫の方)が規則正しく振動を始めた。
念話の着信である。
「ああっこんな時にとりあえず炎着っ!」
路地裏に飛び込みながら変化して、シュテルの代わりに念話に出る。手元では質量が半分に減ったからか、復活したシュテルが猛然と咀嚼を開始し、
「あひゅい…………」
餡が熱かったらしく涙目になっている。
とはいえ、もう大丈夫だろうと判断して念話の方に専念することにする。元々念話を飛ばしてくる時点で相手はユーノかなのはの二択。
今回はユーノの方だった。予定にない連絡という事は、またジュエルシードが湧いたとかそんなのであろう。
「え?」
「む」
が、話の内容は予期せぬ方向に展開する。いやジュエルシード自体は湧いていたのだが、続きがあった。その内容が完全に予期せぬ物だったから、紫苑だけでなくシュテルも反応する。そして、二人同時に聞き返した。
「「…………魔法少女が、増えた?」」
歪んだ生命にやたら縁のある紫ボーイ。
本当は二話分の予定だったんですけど、切りどころが上手く出来なくて溶接しました。
次はもうちょっと短い予定なので、その分もう少し早く組み上げたいところです。
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10
時間は少し巻き戻る。
これは星が降った夜のこと。
偶然、ジュエルシードが掘り出され。
偶然、それを運搬している船が事故に遭い。
偶然、魔法文化の無い地球の海鳴市に降り注いだ。
この事件は連続した偶然が重なり合って起こった――――
本当に偶然だったのは、スクライアの一族が遺跡からジュエルシードを掘り出した所まで。その後は何もかもが第三者が意図的に仕組んだものである。
だからこそ、ジュエルシードは
魔法の無い世界に、降ってきたロストロギアを観測する技術は無い。そのため『この世界に降った』という記録がそもそも残らない。
事故の痕跡から仮に落下先が特定できたとしても、魔法文明の無い地球では捜索にかなりの手間と時間がかかる。
捜索が困難になるのは、あくまでもジュエルシードが『落ちてから』探す場合。
事故の直後ならば、予め落下地点が分かっているのならば、話は変わってくる。
▲▼▲
――夜空に女の子が居る。
両側で結んだ金の髪と、黒いマントが風に吹かれて揺れている。
空中に浮いているという状態も不可思議ならば、格好もまた不可思議である。極めつけに右手に斧のような武器を携えた少女は、赤い瞳を夜空に向けている。
「…………来た」
星だけが輝いていた夜空に、突如別の色の光が混じる。ほんの小さな紫色の光だ。目を凝らしただけでは足りず、魔法を用いねばまず見ることが出来ない光。
未だ点にしか見えないそれは小さなケースだった。周りを覆う紫の光は衝撃からケースを守りつつ指定した場所まで運ぶ魔法である。
少女の役目はあれを回収する事。
中に何が入っているかは知らない。ただ必要というだけで、何に使うのかも知らされていない。でも疑問は抱かない。それどころか、役目を完遂しようという決意のような光が瞳に宿っている。
よほど特別なアクシデントがない限り、少女が回収を失敗することは無いだろう。それでも万が一何かあった時のためのバックアップ要因が地上に待機している。
「アルフ、サポートを………………アルフ?」
呼びかけは確認のためである。念話の相手に出番が無い可能性の方が高い――はずだった。だが、直ぐに来るはずの返事が無い。少女が『何か起きた』と察するのと、原因が現れるのはほぼ同時。
「――――ッ!?」
超高速で地上より昇ってきた『何か』が少女の横を通り過ぎる。このサイズで飛行している時点で、地球の物ではない。魔法に関する存在だ。姿がよく見えないのは夜闇だけが原因ではなく。全身が真っ黒だから。
「……誰?
疑問はそこまで。少女は即座に思考を切り替える。その何かが、降ってくる最中のケース目掛けて飛行していたから。
「待てッ!!」
風を切り、空を飛ぶ。黒い何かも速かったが、少女の方が更に速い。追いつくまでほんの一瞬。接近したことで鎧騎士のような姿をしている事を認識した。
この速度では射撃が躱されると判断し、手にした斧での打撃を選択する。倒せるかどうかは問題でない。とにかく一撃を入れて、注意を引きつける――空振った。
「!?」
確かにそこに在ったはずの姿がない。
残滓のように青い雷がぱちぱちと宙で舞っているだけ。
少女の
『Blitz Action』
今度は騎士の攻撃が空振った。
目で追えていたわけではない。気配を察していた訳でもない。ただ鎧の挙動と使ったであろう魔法が、少女の得意とする物と同系統だったからこその直感による回避。
『Photon Lancer』
電子音声。同時に少女の周囲に小型のスフィアがいくつも発生。即座に内に蓄えていたエネルギーを黒い鎧目掛け、直射弾として開放する。鎧が使ったのと同じ、雷の魔法。けれども色が異なり、少女の放つ魔法は青ではなく金色だ。
高速戦闘に特化した相手ならば、きっと避けてみせる。だがあえて撃つ。
一瞬の攻防で、少女はすでに相手の回避先にいくつも罠を仕込んでいる。相手がどの方向に逃げようとも対応可能、かつ戦局を有利な方へと傾けられる。
が、
鎧が右手に備えた
紅蓮の
炎の渦による『面』の攻撃。少女が事前に備えた上での全速の機動ならば、範囲外へと逃れられたであろう。けれども不意を打たれた形ではそれは叶わず。
『Defensor』
「ぅ、あ――!?」
咄嗟に貼った魔力盾も拮抗できたのは僅か数秒。巻き起こった爆炎に、小さな体は容易く吹き飛ばされて地面へと落ちていく。
このまま追撃すれば、無力化はもちろん息の根を止めることも容易いはず。けれども黒い鎧は少女への興味をなくしたかのように、別方向へと向き直る。
最初に向いていた方へ――落ちてくるケースの方へ。
ガゴンと音を立てて、右手の長槍が展開した。周囲で吹き上がった炎が槍の先端へと集まっていき、膨れ上がっていく。相当な破壊力を持つであろうその炎の魔法が、何を狙っているのかは一目瞭然であった。
「さ、せる――」
『ThunderSmasher』
だから少女は堕ちない。
歯を食いしばって踏みとどまり。ダメージを無視して術式に魔力を回す。ばぢばぢと迸った雷が一瞬で束ねられ、砲撃魔法として完成。発射。夜空を雷光が走り抜け、放たれた魔法は黒い鎧へ直撃した。
確かに当たった。しかし鎧は揺らがない。装甲は魔法の光で照らされこそすれ、削れもしなければ傷つきもしない。砕ける様子など欠片もない。
魔法の直撃を
「かああああぁぁぁ――――ッ!!」
故に少女も止まらない。
魔法を
鎧がいかなる存在なのかを少女は知らない。
けれどもあの鎧はケースを奪うどころか、『破壊』しようとしているのは解る。
咄嗟で撃った魔法があの威力。長々とチャージをした上での砲撃ならば、ケースは中身ごと跡形もなく消し飛ぶだろう。少女はそれを許せない理由がある。
「それは!
絶叫しながら少女が『着弾』したのと、炎の魔法が解放されたのは全くの同時。
結果として少女は発射を阻止できなかった。けれども自分自身を叩きつけてまでの一撃は、穂先を逸らすことには成功した。
放たれた砲撃は大きく逸れ、その端でほんの僅かにケースを掠めただけに留まる。それでもケースを覆っていた魔法は消し飛び、ケースそのものも一瞬で溶け落ちた。
少女の捨て身の一撃は、狙った通りに黒い槍に直撃していた。
それも展開していたために露出していた、内部機構にである。大量の魔力を用いた最大出力時、かつ内部への直撃。少女の全力の一撃が、槍が制御下に置いていた魔力に引火して。
大爆発が、何もかもを吹き飛ばす。
無事だったケースの中身――いくつもの青い宝石が四方八方に散らばって落ちていく。
力を使い果たした少女は、今度こそ地へと落ちていく。槍を失った黒い鎧も同様に。何もかもが夜の闇に紛れて消えていく。
そして、一番最後に。
▲▼▲
そして時間は今へと至る。
紫苑とシュテルが中華まんを齧りながら、念話の内容に首を傾げているのと同時刻。けれどずっと離れた場所。偽装用の結界で厳重に覆われた建物の一室。
ソファに腰掛けて、金髪の少女は軽く息を吐く。
脳裏に浮かぶのはこの世界での最初の夜の事だった。
正体不明の乱入者との交戦は、少女の予定をこれでもかと大きく狂わせた。肝心のロストロギア――ジュエルシードの破壊こそ防いだものの。21個の宝石はこの世界のあちこちに散らばってしまった。
少女自身も魔力を使い尽くした上に怪我を負った。少女はここまで意図的に姿を見せなかったのではない。直ぐにでも探索に飛び出したい精神に、ダメージを負った身体が付いてこなかったのである。
だがそれもつい先日までの話。
完全な回復ではないが、動き回るのはもう十二分に可能。無論、戦うことも。
すでに少女の手にはジュエルシードが二つある。加えて今日は遭遇した別の魔導師を容易く無力化している。復調の証明としては十二分であろう。
「少し、邪魔が入ったけど。大丈夫だったよ」
心配そうに足元に擦り寄ってきた獣に、少女は優しい声色で語りかける。
犬、と呼ぶには巨大過ぎる。『狼』と呼ぶべきだろう。それもかなり大きい。街中で連れていれば、保健所どころか機動隊を呼ばれそうなサイズだった。
「幾つかは……あの子が持ってるのかな?」
立ちはだかるのがあの黒い鎧ならば、倒すことに躊躇いは無かっただろう。
けれども今日現れたのは魔導師――人間。それも少女と同い年くらいの、女の子。出遅れた事で、別の探索者の介入を許してしまった事になる。
遭遇して、無力化して、警告した。
どうして――
どうして、
「大丈夫だよ――迷わないから」
思考を、止める。
傍の狼に語りかけているようで、少女は自身に言い聞かせる。
無意識の内に、本心を奥に奥にと仕舞い込む。だから再度相見える事があったとしても、少女はきっと戦える。迷うかもしれない。躊躇うかもしれない。傷付けて、傷付くかもしれない。
それでもきっと止めはしない。
「待ってて、母さん」
どうしても、止まれない理由があるから。
▲▼▲
一体何をどうやったらそうなるのか。
ここに
発動していないにも関わらず、青い宝石は落下する事もなくその場に留まっていた。
実際はほとんど発動しかかっているのだが――僅かでもエネルギーが発生した瞬間に、
そのため結果的にプラスマイナスゼロで収まって、変な安定状態になってしまっているのだった。だからここまで際立った異常を起こしていない。下で暮らす人々にも、何か最近よく曇るなくらいしか思われていない。
けれども着々と蓄えられている事に変わりはなく。
満ち足りてきた事を示すように、青い雷が一瞬だが放出される。
よく食べ、よく眠り、そう遠くない内に訪れる再起動に備えている。
【うーん……むにゃむにゃ……あと五年…………】
いる、はず。
たぶん。
だいたいフェイトちゃんの
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11
▲▼▲
何だかんだ色々あって。
高町なのはと紫宮紫苑は、単なる顔見知りよりは上の付き合いになっている。
とはいえ深い関係かというとそんな事もなく。委員会や部活動が同じになったので前よりは話すようになった、くらいのものだ。
間違いなく親友ではないし、友人と言えるかもかなり怪しい――なのはに言わせるとまた違った答えになるかもしれないが。
なので高町家の家族旅行に同行しないのは当然である。
しかも高町家単独でなく、他に付き合いのある家との合同家族旅行であるという。
頼み込めば確かに断られないかもしれないが。なんせ知り合った理由がほぼフルで魔法絡みなので説明ができない。しなくていい誤魔化しが必要になり、行動に疑いをかけられて制限される危険がある。
それに
――そうして正論と事実を重ねた理のある説明の結果。
ようやく温泉に付いていきたいと荒ぶるシュテルの説得に成功した。
紫苑と離れすぎると躯体の維持ができないので、シュテル単独では同行できないのである。
最終的には、なのはにお土産のリストを渡すことで解決となった。
ただ、それ以降に家のあちこちに温泉街のチラシやパンフが
とにかく温泉旅行の話はそれで収束となった。
なった、のだが。
終わった後に、結果だけ見れば。
無理にでも同行するほうが正解だった。
現在の海鳴在住魔法使い組が抱えている問題は、ジュエルシードの捜索とマテリアルの捜索。そして最近追加されたのが、増えたという新たなる魔法少女。
なのはは旅行先でその内の2つ――ジュエルシードと魔法少女に同時に遭遇してしまったのである。
念話を受けて紫苑も直行はしたが、物理的な距離がありすぎた。肝心の戦闘には間に合わず、ジュエルシードは謎の魔法少女が持ち去ったという。
「一旦整理しましょうか」
「うん」
放課後の帰り道で頭の上のシュテルに返答する。
シュテルと紫苑は増えた方の魔法少女に直接は遭遇していない。けれどもなのは達から話は聞いている。容姿、使う魔法の種類、狼の使い魔を連れている――そして行動の内容。
「目的はジュエルシードの回収とみて間違いないでしょう。なぜ欲し、何に使おうとしているのかは判りませんが」
「名前はフェイト・テスタロッサだっけ。話を聞く分にはマテリアルの方とは無関係みたいだけど」
余談だが。
初回の遭遇の際になのはから謎の魔法少女は雷の魔法を使うと聞いたシュテルは、そのまま飛べるのではと思うほど尻尾を高速回転させていた。
魔力光は青でなく金色と聞いた途端に表情が無になってしまったが。
最初に期待した分反動が大きかったのか、ため息を吐きながら縁側でしばらくごろごろしていたくらいである。生態が日に日に猫に寄っていっていないか。
「今の所、私達に積極的に敵対する理由はありませんが……ナノハが遭遇した2回とも交戦になっています。戦わずに済むとは考えないほうが良いでしょう」
謎の魔法少女――フェイトなる人物の目的がジュエルシードであるならば。ついでとはいえ回収している紫苑達を無視することは無いだろう。
紫苑としても、目的や理由が明らかになっていない相手に危険物を渡せない。
何よりもこのチームの決定権を握るシュテルは、どんな理由であれ
「今後は対魔導師を想定した訓練も組み込んでいきましょうか」
「うん」
戦え、とシュテルは当然のように言う。
戦う、と紫苑は当然のように了承した。
拒否されるとは微塵も思っておらず、拒否するつもりも微塵もない。葛藤も躊躇いも何もなく、ただの確認だった。
「ではまず、あそこに見える屋台でたい焼きを買ってください」
「うん?」
▲▼▲
『あたし達と話してんのがそんなに退屈なら、一人でいくらでもぼーっとしてなさいよ!!』
とぼとぼ、と。
高町なのはが一人で帰り道を歩いている。
普段の快活な様子はどこへやらで、なのはを知る人間が見ればひと目で何かあったと判るくらいには落ち込んでいる。
高町なのはには家族がいる。友人がいる。
本来はプラスに働くそれらが、けれども今回ばかりは僅かながら後ろ向きに引っ張る枷となってしまっている。
原因はフェイトと名乗る魔法少女の存在である。
そもそも高町なのはがジュエルシード集めを手伝っているのは、純粋に誰かを助けるためであり、傷つけないためである。
だからジュエルシードを巡って争う相手が出てきてしまうと、話が根底から変わってしまう。他人と戦う事になのはは大いに迷うし、悩むし、躊躇う。
なのはの方は友人を巻き込む訳には行かないので、どれだけ悩んでも決して相談はできない。友人の側から見れば、あからさまに困っているのに誤魔化して一人で抱えるなのはに対して苛立ちを覚える。悩みが深まれば、苛立ちも募る悪循環。
そうして今日、とうとう友人の側の不満が爆発した。
些細な言い争い程度ではあるが、友達とのケンカという事実は小学生の心を沈ませるには十分な出来事なのだ。
(寄り道して帰ろう)
沈み続けるままの気持ちに、連動するように立ち止まる。
このまま考え続けていても、落ち込み続けても、何も解決はしない。それでも気持ちを整理する時間が欲しかった。
(皆に今の顔見られたくないから)
何より、こんな顔で家に帰ってしまったら。
今度は家族相手に同じ問題が起こるのではと思ってしまって、それがとても怖かった。
とはいえ別に行きたい所があったのではない。
ただ時間を潰せればそれでよかったのだ。たまたま見つけた屋台でたい焼きを買ったのだって、帰宅の時間が遅くなったことへの言い訳にするためだ。
そんな訳で。
たい焼きを買って、もぐもぐしながら歩いていたのだ。
――ビュオオオオオオオ
人気のない寂れた空き地でたい焼きが踊っている。
別にそんな音が本当に鳴っていた訳ではないのだが、そう聞こえてきそうな光景が目に入ってきた。
いや、いや違う。
踊っているように見えるだけだ。たい焼きよりも更に凄まじいスピードで動く2つの何かが、たい焼きを奪い合っている。そのせいで中心のたい焼きが、空中でブレイクダンスしているかのような光景になっているのだ。
「え、何してるの二人とも……?」
これで荒ぶっているのが見知らぬ人間であれば、無言のままそそくさと通り過ぎたのだが。不幸中の災いにも見知った相手だったのである。
「あれ高町さん!?」
人間台風みたいな速度で跳ね回っていた紫宮紫苑が、声をかけられて思わず動きを止める。 それが、致命的な誤りとも知らずに。
「隙あり――!」
一閃、シュテゆ・ザ・キャット。
「ウ゛ワ゛――――ッ!!」
たい焼きを口にくわえたシュテルが華麗に着地する一方。顔面に大きなバツの引っ掻きキズを刻まれ、もんどり打って倒れる紫苑の絶叫が響き渡る。
「何が、何が起きて……!?」
完全に事態に置いていかれ、高町なのはは呆然と呟くのみだった。
「特訓? あれが?」
空き地に転がっていたコンクリートブロックの上に、なのはと紫苑は並んで座る。シュテルは紫苑の頭の上でたい焼き(戦利品)の踊り食いの真っ最中。
全力困惑のなのはは間違っていない。どう見ても野良猫と早送りでケンカしているだけだったのだから。
「ちゃんと特訓ですよ。フェイトという魔導師が雷を主として扱うのなら、
もっもっもっ、とたい焼きを頬張りながらであるのに器用にシュテルは喋る。いっそ念話を使えばいいのではないだろうか。
シュテルの格好が面白い一方で、なのはの顔があからさまに曇る。
「高町さん、戦いたくなさそうだね。そのフェイトって人と。2回出会って2回とも一方的に襲われたのに」
「………………うん。何か理由があるって、どうしても思うんだ。悪いことを、する子だってどうしても思えない。根拠はなんにもないんだけどね」
「高町さんみたいな人が『悪人じゃないな』って思ったなら、多分合ってるんじゃないかな」
「そ、そうかな?」
えへへと照れくさそうになのはが笑う。
紫苑は会ったことのないフェイトの事は何もわからない。だが高町なのはの善性は信じている。感じるものがあったのなら、完全な正解でなくとも決して間違いではないはずだ。
「ただ善人なのに、それでも
「…………そう、なるよね」
はあーとため息を吐くなのは。
食べ終わったシュテルが紫苑の頭をたしたしと叩く。横の紙袋から新しいたい焼きを取り出して、頭の上に差し出す。踊り食いリスタート。
「紫苑くんは、相手の人になにか理由があるのだとしても、戦える?」
「戦える」
即答だった。迷いが微塵も無かった。頭の上のシュテルも頷いている。
それをすごいなとも、羨ましいな、とも思う。
だが習いたいとは思わない――高町なのはは、習ってはいけない気がする。
話してもどうせ無駄と、切り捨てたくはない。それもやり方の一つなのだろうけど、それは
伝える事を諦めては、いけない。
わかろうとする気持ちを捨てては、いけない。
どうしても戦わないといけないのだとしても。傷つけ合う事になるのだとしても。何もわからないままそうするのは、絶対に嫌だ。
迷いなく戦えるという別の方向性の意思を見て、なのははそう自覚する。
紫苑達となのはの方向性はきっと根本的に違う。だからこそ、なのはの選びたい、選ぶべき道への朧気な指標にもなりうる。
「わたしは、どうしたらいいんだろう?」
夕焼け空を見上げたなのはの言葉は、恐らく紫苑にもシュテルにも向けられたものではない。独り言、呟き――自分自身がどうしたいかという悩みへ潜るためのもの。
「やることは決まってると思うよ」
「簡単な問題ですね」
だが横の二人はその手の感傷にさっぱり疎いので、聞かれたと勘違いして普通に返答した。
「とりあえず強くなればいい。どうやってもぶつかるんだから。戦いながら話せばいいんだよ」
「そして戦える時間が長くなるほど、ナノハが話せる時間も長くなるという訳です」
「えぇー……」
当たり前みたいなツラで語る炎上系戦闘民族ペア。
高町なのはは思わず顔を引き攣らせた。
▲▼▲
迷おうとも、迷わずとも。
事態は誰も待ってはくれない。
――
紫苑とシュテルの視界で、夜空にオレンジ色の光が昇っていく。
どう考えても自然現象ではなく、魔法によるもの。
魔力光からして、なのは達の魔法ではない。フェイトという魔導師――の色とも違うが、連れているという狼の使い魔の魔力光に該当する。
「仕掛けて来ましたね」
「あれ何してるんだ?」
「魔力流を周囲一帯に撃ち込んだのでしょう。範囲内にジュエルシードがあれば発動するので、結果として位置を割り出した事になりますね」
「市街地のど真ん中でか。無茶するな」
紫苑の足首が燃え上がり、はためいた炎翼が重力を焼き切って身体を浮かせる。
光柱はなのはとユーノのペアが今日探索していた箇所に近く、紫苑達からはそこそこ遠い。それでも全力で飛ばせば今回は確実に間に合う。
恐らく例のフェイトという魔導師に、紫苑達もとうとう遭遇することになるだろう。
「高町さんと合流しよう」
「待ってください。向こうは恐らく私達の存在を知りません。そのアドバンテージを有効活用すべきでしょう」
「なるほど。初撃で完全に不意を付ける」
「そういう事です」
紫苑の身体と魔法から、色が抜ける。
炎着状態を解除した事により、飛行魔法も解除される。
【Physical extend】
強化された身体能力は、墜落を着地に変える。そのまま周囲の建物を蹴り上がって、手近なビルの屋上へ。そこからはビルを飛び移って移動する。
通常状態の紫苑は魔法をほぼ使えない。つまりは魔法使いとしての特性が薄い。魔導師相手に忍び寄る場合は、かなり都合が良いといえる。
風を切りながら進む。
移動している間にも事態は進行している。ユーノの貼った広域結界がすでに周囲を覆っている。空に昇った光はもう消えているが、今は桜色と金色の光が瞬いているのが見える。
「もう始まってる!」
「ナノハなら簡単には落とされないでしょうが、援護が早いに越したことはありません。急ぎましょう」
「わかった! フィジカルエクステンドもう一回ッ!」
更に移動速度が上がる。景色が流れる速度も上がる。
このまま可能な限り接近し、狙撃ポイントを確保。相手の隙に最大火力を叩き込み、流れを一気にこちらに引き寄せる。
というのが、当初の目的だった。
だが。
【――――紫苑!】
「炎着ッ!!」
事態を認識して、シュテルは即座に内に引っこんだ。声に伴い中身が変わる。色彩が変わる。魔力が生まれ、炎が噴き出す。
炎翼が再燃し、はばたく。紫苑を丸ごと包んでも余るほどの、一層大きな炎と化す。得られたのは最大速度。合わせて腕に纏う炎は最大出力。それらを合わせた最大火力。
「炎、もう一人――ッ!?」
2つに結んだ金の髪に赤い瞳。黒を主体とした衣装に、黒鉄色のデバイス。
話だけで聞いていたフェイトという魔導師の姿を、紫苑はここで初めて視認する。フェイトの方も紫苑という魔導師を認識し、驚愕する。
ちゃんと向き合ってよく見れば、紫苑にもなのはの言いたいことが何となくでも解ったのかもしれない。
今の紫苑には、ただ見る余裕すらもなかったが。
そのまま最高速度を維持して、更に加速して――フェイトの横を
「え、」
困惑の声を上げたのは、高町なのは。
このまま行けば、業火と化した紫苑の着弾地点に居る少女。
「伏せろ!!」
ベースにしたのはヴォルカニックブロー。
だが実際はとても魔法と言えない乱雑なもの。最大火力による体当たり――着弾。轟音と爆炎が一気に広がり、込められていた破壊力が叩き込まれる。
高町なのはに、ではない。
その背後に居た物だ。いつの間にか、誰に悟られることもなく。
そこに居た鎧姿――
「紫苑くん!?」
爆発に吹き飛ばされた黒騎士は近くのビルに轟音とともに突っ込む。そして紫苑もまた反動を殺しきれなかったのか、別のビルに轟音とともに突っ込んだ。
慌てて駆け寄ろうとしたなのはだったが、それよりも紫苑が再度飛び出してくる方が早い。
「俺はこっちに専念する! 今回ジュエルシードは手伝えない!」
すれ違いざまにそれだけ言うと、紫苑は炎翼を一層大きくはためかせて更に加速。その先では黒騎士もまたビルから飛び出してきている。
『まずい! なのは、ジュエルシードが!』
「――っ、!」
謎の乱入者とアクシデントに驚いたのは、その場に居た全員だ。
それでも、二人は最適な行動を選択する。
一人は宿敵に遭遇した紫苑。もう一人は――フェイト・テスタロッサ。
「取った!」
フェイト・テスタロッサの目的はジュエルシードの捕獲である。
誰が何人増えようと、何が起きようと。ジュエルシードを確保できればフェイトの勝利であり、逆に確保できなければ何がどうなっても敗北である。
故に黒騎士の登場で全員の意識が逸れた瞬間は、最大の好機であった。
なのはの位置からでは飛ぼうとも撃とうとも間に合わない。ユーノはフェイトの
フェイトを止められる者は誰も居ない。
思い切り伸ばされた手が、ジュエルシードを掴み取った。
【いっただきま――――す!!】
触れたジュエルシードからそんな意思が伝わってきて、フェイトは困惑で硬直する。
フェイトに判るはずもない。ジュエルシードと同時に、その外側に取り憑いていた物も
前触れなくジュエルシードから迸ったのは水色の雷。
フェイトは、為す術もなく直撃を浴びる。変異体ならともかく。眼前にあるのは剥き出しのジュエルシード。ここまで明確な指向性のある攻撃を受けるなぞ想像していなかった。
「ぅ、うあ゛あ゛あああ゛ぁぁぁ――ッ!?」
雷光がフェイトの身体を余すことなく奔ること数十秒。
放り投げられるように、雷から解放される。まるでもう、用は済んだと言わんばかりに。
「フェイト!!」
弾き飛ばされたフェイトが地面に落ちる前に、
「フェイト! しっかりして、フェイト! 何だってんだ! 一体何が起こったっていうんだい!?」
アルフの叫びには誰も答えない。答えたとしてもきっと聞こえない。
なぜならここはすでに嵐の最中になっている。ジュエルシードから迸った水色の雷が凄まじい勢いで渦巻いている。余波で周囲の建築物が片っ端から砕けていく。気を抜けば魔導師でも、雷に飲み込まれて無事では済まないだろう。
雷はひたすらに渦巻いて増大し迸り膨れ上がり――そして収束する。
今しがた奪い取ったデータを基に、ジュエルシードの莫大な魔力を注ぎ込み、一気に
この事態を正しく理解できるのは、
そしてシュテルを宿す紫苑もまた、この雷には見覚えがあった。
「シュテル! あれは、あれはまさか!」
【ええ。ええ! 間違いありません、間違えるものですか! あれは、あれこそが
雷が散るたび、朧気な輪郭が確かな像を持ち実体となる。
容姿、背丈、髪型――その総てが
「
名乗り上げに応えるように。
一際苛烈な雷が、レヴィの周囲を迸る。
Detonation公開で一回蘇生してたんですが、Detonationが面白くてですね、消化するのに時間がかかってしまってですね。
あとマテリアルの設定が思った以上に変わっててひっくり返るくらいびっくりしました。
とはいえこの話では根本がゲーム版の方で、おそらく最後までそのままです。
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12
▲▼▲
この2基はマテリアルである。
大まかにはデータ――電子生命体に分類される。故に本来『性別』など存在しない。少女の姿をしているのは、写し取った対象がその姿だった以外の理由はない。
だから、そこに居るのは
少女の姿の形をした
ただし。
これを正確に把握しているのは、当のマテリアル達と関わりの深い紫苑のみ。
なので、なのはを始めとする他の大多数にとっては。
今この状況は――レヴィと名乗る女の子が全裸で突っ立っている以外に見えないのである。
「だめ――――――っ!!」
耳まで真っ赤になったなのはが紫苑にグワバァ! と飛びかかった。動作的には倒す、吹き飛ばす、ではなく。自分の体全部で紫苑の顔(視界)を塞ぐ感じである。
「もがが」
紫苑もさすがに顔をすっぽり塞がれては身動きが取れない。
というかまず息ができない。
「フェイトちゃんお洋服! お洋服貸してあげて!!」
「きっ、着替えなんて持ってきてないよう!!」
フェイトもなのはに負けないくらい真っ赤っ赤な顔でおろおろしている。
何せ自分そっくりなレヴィが全裸なのだ。フェイト的には自分が全裸なのとほぼイコールである。おそらくこの場で一番恥ずかしいであろう。
【紫苑! ゴー! ゴーゴーゴー!!】
「もがががが」
シュテルが全力で急かすも、紫苑は呻くのみ。
さすがになのはを力づくで引っ剥がすのは躊躇が大きい。というよりか、一瞬で視界が綺麗にすぽっと塞がれたので自分の状況がよくわかっていないだけである。
【いい加減にしなさいナノハ!!】
「だめ! 紫苑くんはだめ!!」
「もっがもがもっががもがが」
「はっ……私のジャケットを脱いで渡して、もう一度ジャケットを構成すれば実質二着になる……?」
「フェイトーっ! 早まるんじゃないよ!!」
「僕どうすればいいんだこれ」
大炎上のシュテル。頑なに紫苑の顔面にしがみつくなのは。絶対的に酸素が足りない紫苑。混乱しすぎて自分も脱ぎ始めたフェイト。必死に主人の奇行を食い止めにかかるアルフ。事態の混沌さに手も足も出ないユーノ。
しっちゃかめっちゃか、である。
戸惑う、騒ぐ、慌てる。それに必要なのは感情、心。ではそれがないのならば、いかな状況であろうと揺れることはない。
わいわい騒ぐ一団を一切気にせず漆黒の鎧は歩を進める。
荒れ狂う雷をその鎧で跳ね除けながら、黙々とレヴィを目指して。
黒い両腕は表面装甲が破損し、めくれ上がっている。だがそれはあくまで表面のみ。腕としては何の支障もなく稼働する。その右腕をレヴィに向けて、
【Capture of the Ma......】
「うるさいな」
目前の鎧そのものか。もしくは発動しようとしたコードに対してか。
レヴィの顔に明確な嫌悪が浮かび――
立っているだけのレヴィから、雷が噴き出す。雷撃であり、洪水でもある。それほどまでに莫大な量が。
干渉に対し、レヴィの姿は解けない。どころか逆に向けられた腕どころか、決して軽くないはずの漆黒の鎧がいとも容易く吹き飛んだ。
そこに種も仕掛けもありはしない。もっと単純な道理。強制力を――より大きな単純な『力』で押し流しただけ。
ついでにまーだわちゃわちゃしていた魔導師たちの一団も余波で丸ごと吹っ飛んだ。
「何だおまえは。僕はおまえなんか知らないぞ。知らないけど――何故だか
ぎりぎりと、レヴィの顔が敵意に歪む。
感情の昂りに呼応するように、更に雷がその激しさを増した。すでにレヴィの周囲は放出した雷で破壊しつくされているというのに。それだけの凄まじさであるのに。
まだ、上昇する。
「僕の魂が、こう叫ぶ」
無秩序に跳ね回る雷が、突如反転しレヴィに群がる。
そのまま雷に焼かれるかといえば、当然ながら否である。
「
レヴィの身体を駆け巡りながら、雷が物質へと変じていく。形状は
衣服を構成してもなお余りある膨大な雷をレヴィは
「殺してしまえ。糧としろ。そうすればこの不快感もきっと消える――ッ!!」
一撃の様相は落雷に似て、しかし遥かに超える破壊力。音を追い越しかねない速度の一撃が
先程吹き飛ばされ、レヴィの眼前に居ないはずの黒騎士に。
理由は単純明快。振り上げて、振り下ろす。その間に『移動』が挟まっていただけ。ただし、目に映らないほどの超高速。
インパクトによる衝撃で黒騎士の身体が杭打ちのように地面にのめりこむ。加えて一拍遅れて発生した
「
「でもシュテルのお友達なんだよね!? じゃあ、戦う必要はないんだよね!?」
【ふむ……】
周囲では無秩序に跳ね回る雷に加え、無数の瓦礫が飛び交い続けている。常人は当然にしても、並の魔導師ですら立ってはいられないだろう。紫苑もなのはも前面に高出力の魔力盾を展開して、何とかその場に踏み止まっている。
【いえ。これは戦わないと無理ですね】
事態の
「なんで!?」
【先程から色々と接触を試みていますが、一切通じている様子がありません。今のレヴィは常に大出力の雷を
「シュテルが出ていけばさすがに気付くんじゃないのか」
【ええ、もちろん。ただ出られないのです。これだけ膨大な魔力の渦の中では、シュテゆモードでは駆体が維持できない。通常駆体はまだ使えませんし】
レヴィは『力』のマテリアル。
攻撃力が高いのは元々の特性だ。大出力の攻撃を放つために、大きな力を扱う機能がある。
けれども、決して無限の出力を持っている訳ではない。大量に使えばそれだけ早く息切れする。外部からの干渉を丸ごと吹き飛ばす程の大出力、本来ならば数秒も保つまい。
それが出来ている理由は一つ。
減ると同時に、補給されているから。
【恐らくレヴィ自身にもこれは
原因という名の魔力タンク。色合いから本来の装備品と間違いそうになるが、後付であるそれ。レヴィの胸の中心で輝き続ける――
【だから戦う必要があるのです。殴りつけてでもレヴィからジュエルシードを引き剥がさない限り、事態は決して好転しません】
「わかった。行こう」
シュテルの許可が出たのなら、紫苑に進む必要はあっても躊躇いは一切無い。
爆発の如きはためきで、炎翼が嵐を突き破る推進力を発揮する。飛来する瓦礫は魔力盾で弾き、噴き出た炎で焼きながら。レヴィめがけて一直線に飛翔する。
「やら、せるか……っ!」
「だめだ、フェイト! 危ない!!」
水色の雷を押しのけるように金色の雷が奔り、フェイトも動く。主人にアルフも続いた。
迂闊に動けない状況であるのはフェイトも当然判っている。それに紫苑とシュテルの目的はレヴィであって、ジュエルシードではない。だがそれをフェイトは知らない。自分より先にジュエルシードに誰かが向かう事を、見過ごす事はありえない。
「二人とも待って!」
『なのは、無茶しないで!』
「でも放っとけない!」
二人に遅れてなのはも飛び出した。ユーノが念話で静止するのは、離れた位置に居るから。この災害の如き事態が現実へ干渉するのを抑えているのは、ユーノが貼った結界のみ。だからユーノは吹き飛ばされた際にあえて更に離れ、結界の補強と維持を真っ先に行っていた。
動く影はもう一つ。
めくれた地面をもう一度めくり返すように、黒騎士が這い出てくる。
凄まじい力で地面に叩き込まれたにも関わらず、鎧の表面には一切の損傷が無かった。
「………………邪魔だ」
レヴィがぽつりと呟いた。
黒騎士は雑に蹴り飛ばされ。
紫苑は振るわれたバルニフィカスの直撃を受け。
アルフは自分が魔力弾を食らったと気付く間もなく気絶し。
唯一回避したフェイトも後先考えない機動を制御できず墜落し。
最も後だったために唯一防御の間に合ったなのはの魔力盾が一瞬も保たずに砕け散る。
――たった一言を呟き終わるより先に、全員への攻撃が完了している。
速い。早い。ただただ単純に、疾い。
この場の魔導師の中で最も反応速度と行動速度の速いフェイトですら、全力を振り絞っても避けるだけしかできない。それでいて最も防御能力の高いなのはの魔力盾をたやすく砕く威力がある。
魔導師でなく生物でもない黒騎士のみが、純粋な装甲の防御力でもって一撃を耐久する。起き上がった黒騎士は、しかし思考ルーチンに変化が生じている。その右腕より黒い光が染み出していき、巨大な突撃槍を形作る。
「僕は帰るんだ。あの温かな闇の中に。血と災いが渦巻く永遠の夜に」
まだ動いている相手が居ることを確認して、レヴィは一際高いビルの上にまるで落雷のように着地する。
「我が剣の前に……みんな死ねッ! 僕は飛ぶッ!!」
殺意に応えるように、バルニフィカスの先端より光刃が奔る。
避けるための速度が無い。
耐えるための防御力が無い。
それは、
倒れていい理由にはならない。諦めていい理由にはならない。その程度で止まることなど、紫苑自身が自分を許さない。
――
だから紫宮紫苑は立ち上がる。
ダメージはある。激痛もある。立っただけで、口から血液が吹き出ていく。生命がこぼれているという感触があった。けれど。身体がどのような状態でも、心が尽きぬ限り紫宮紫苑は稼働する。
――
恐怖はない。高揚だけがある。
燃える、燃える、炎が燃える。尽きぬ闘志の証明として紅蓮の炎が噴き出して、燃え上がる。吐き出した血液はこびりつく間もなく、蒸発して消えていく。
「バーンアップ――――ルシフェリオン」
見上げる先にて迸る、災害の如き雷光に挑む。
――命をかけて、約束を果たせ
寝 ぼ け て る 時 の レ ヴ ィ
超高火力+スーパーアーマー+EN回復(特大)+目視が難しいレベルのスピード = つよい
寝惚けてる時は一人称が「僕」なので表記は仕様です。起きたら戻ると思います。
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13
▲▼▲
僕は力のマテリアル。
それはちゃんと憶えている。あとは――あとは、えーとなんだっけ?
いや憶えてる。憶えてはいる。なくしてない、決して。ただ思い出せない。はっきりとしない、すっごくあやふやだ。
――ああ、それにしても体が軽い、
何から何まで力が溢れて止まらない。気分が良すぎて精一杯。他の何もかもが、今の僕に付いてこれない。
じゃあ吐き出そう。いっぱい暴れよう。その名の通りに『力』を振るおう――でも。それは何のためだっけ? 僕は何をしたかったんだっけ?
思い出そうとしても、心の底から上がり切る前に奔流に吹き飛ばされて、散り散りになってしまう。奥底にはちゃんとある。いくら吹き飛ばされても決して消えない。それだけは判る。でもそれが何なのかが判らない。
えーっと、うーんっと、あ、あー! 何か! 何かこう、闇的な……王的な……探してた? ような? たぶん? たしか、そうだった……ような……そうだったかな……そうかも……!
探しているのなら、どこかに行けばいいってこと。
じゃあまずは立ち塞がる何もかもを打ち倒そう。うん、思いっきり暴れるのは気分もいいからそれがいいんじゃないかな。
ああ、一つ思い出した。
それが
敵を倒す。先陣を切って■の障害を排除する。そう、教えてくれた、そうしたいと思った――誰が言ってくれ、誰のため――ああ奔る、奔る。雷が奔る。力が僕を待っている。はやくはやくと、駆体を内から焦がしながら叫んでいる。戦おう、薙ぎ払おう、蹂躙しよう、殺し尽くそう何もかも。
この身を嵐と化して、
▲▼▲
今のシュテルに戦闘能力は無い。
シュテゆモードの戦闘能力は地域のボス猫とギリギリ渡り合えるくらいである。強力な攻撃魔法を使えば反動で自壊する。何よりこの場においては、渦巻く魔力にまず耐えられない。
が、無いのは
――条件を整理する。
紫苑とシュテルの第一目標かつ最優先事項はレヴィの確保。そのためにまずレヴィからジュエルシードを引き剥がさねばならない。
ここで重要なのは、シュテル達のジュエルシードへの優先度が大幅に下がっているという事。これに関してはなのは達にも事前に通達してある。故に同盟関係への違反にはならない。
極端な話、今回のシュテル達はジュエルシードが誰の手に渡ろうが
確実にレヴィを狙っている黒騎士は明確な競合相手である。
だが、今この場において――フェイト達とは
『という訳です』
『…………それを、私に信じろと?』
『信じられないのであれば撃ってもらっても構いませんよ。その分こちらも撃ち返しますが。とはいえ、互いに無駄な消耗をしている場合でもないでしょう』
わずかに動きを見ただけだが、フェイト・テスタロッサは優れた魔導師であるとシュテルは判断した。少なくともこの場の魔導師の中では抜き出ている。
ただ決して万能ではない。
速さと鋭さに特に優れ――その分、打たれ弱い。強大な攻撃力の化身、かつ自身を上回る速度を持つ今のレヴィとは致命的に相性が悪いはず。
『役割分担、といきましょう』
シュテル達は前に出て、レヴィの無力化に専念する。その間だけフェイトは邪魔をしない。シュテル達はその後のフェイトの邪魔をしない。
持ちかけた提案は大まかにはこうだ。
何の保証も強制力も無い、仮初の決まりごと。だが互いにこれを守った方が都合がいい。
フェイトはジュエルシードの確保は絶対に譲らない。しかし他の事では話が通じる。事前になのはから聞いていた印象は恐らく間違っていない。
『では、忙しいのでこれで』
『………………』
フェイトからの了承はなかった。
しかし跳ね除ける否定の言葉が無いのなら、肯定も同然だ。
(こちらは、まあこんなものでしょう。後は――)
戦闘能力が無いからといって。
戦いに参加できない訳ではない。
▲▼▲
【さて。こちらの事前の準備も済みました。そちらの用意は?】
「できてる」
紫苑の右手にあるのはルシフェリオン・ガンナー、ヒートバレル。
高速戦闘でブラストバレルの長い銃身を取り回す技量もなければ時間もない。そもそも射撃を当てられる相手ではない。
だから射撃武器としては使用しない。右手の中のグリップをくるりと回し、銃をトンファーのように持つ。左手ではアーキアの柄を強く握りしめた。
【征きますよ】
「うん」
出力を一気に引き上げる。
紫苑の奥底でリンカーコアが稼働し、魔力を吐き出す。
言葉のとおりに、出し惜しみなしの――
「パイロシューター、ブーストバレット!」
銃口に炎弾が灯る――が、発射はされない。あくまで銃口の先端に留まったままで、燃焼。銃器ではなく即席のブースターとして扱うための特別弾頭。
発射のような飛翔。
更に加速、加速、炎熱変換の特性すべて加速に費やして紫苑の身体が加速し続ける。最高速度を容易く更新しつつ、雷の渦へ――
「遅い遅ーい! 全然遅いッ!!」
辿り着く前にレヴィの攻撃が命中する。
遠慮0のフルスイング。振るわれたバルニフィカスはもはや雷光のそれ。一撃だけでも墜落し、地面にのめりこむほどの破壊力がある。
だが墜落し切る前に次が来る。墜落しても次が来る。衝撃でバウンドして跳ね上がる最中にも次が来る、次、次――合計十二発の直撃の後に、ようやく攻撃を受けたと知覚する。痛みが次の痛みで上書きされて、今感じているのが果たして最新の痛みなのかすらも判らない。
「……、…………ッ!」
故にフルドライブ。
だから
「――――――――ッ!!」
声を出してなどいられない。口を開ける時間が惜しい。雷の嵐に翻弄される体と視界を、吹き出した炎で立て直す事を試みる。
やることは決まっていて、かつシンプルだ。
耐える。
進む。
リソースはそれだけに割り振る。
攻撃はしないのではなく、できない。余裕がない。
だが紫苑はシュテルというジョーカーを有している。ほんの一瞬でも接触して、こちらにシュテルが居ると気づかせればそれでいいのだ。
だからなによりも、前へと進むことだけを優先する。
痛みを押しのけて。息をするのも惜しみながら。一歩進んだら、数十歩分を戻されるのだとしても。食い下がり続ける。
訪れるその時を、決して逃さぬように。
攻撃を受けた紫苑が地を転がるも、吹き出す炎で無理やりに制動。一撃の重さは変わらないが、今度は場所が悪かった。
そこは緩やかに前進を続けていた黒騎士の進路上であったから。レヴィのみを見据えている紫苑は振り向かない。後ろで振り上げられている長槍に気付いていない。
進路上の紫苑をどかすように。
無機質かつ無造作に。黒い槍が振るわれた。
けれどもシュテルがそれを捉えている。
あくまで外に出ていないだけで、シュテルもまたずっとフル回転状態にあった。
紫苑の意識は、どうしても攻撃を受けた地点に注意が向く。そうすると他の箇所への割り振りが僅かとはいえ薄くなる。
シュテルはそこを埋める。
降り注ぐ攻撃に対して最適な魔力防御を割り振り続ける。いくら紫苑が頑丈でも、この補助がなければとっくに落ちているだろう。
【おや?】
すでに緊急回避の用意も終えて――振るわれた漆黒の長槍が、曲がる。正確にはその軌道が、曲がる。横合いから飛来した
次いで飛来する数発が黒騎士の体勢を崩す。装甲は抜けておらず、恐らくノーダメージ。しかしレヴィの攻撃と行動の余波が渦巻く最前線で、それは致命的だ。揺らいだところに流れ雷を受けた黒騎士の姿が、明後日の方向に流されていく。
【割り込みを抑制しただけのつもりでしたが、思った以上に上手く運びました。とはいえ、あまり当てにはしないように】
シュテルの注意に、紫苑は答えない。
シュテルも答えが来るとは思っていないし、求めていない。
二言三言の間にも、雷は休むこと無く降り注いでいる。それどころか、激しさを増しているようですらあった。
いや、確実に増していた。
それは、何故かといえば。
▲▼▲
「こいつ」
レヴィの漏らした小さな呟き。
そこに隠しきれない苛立ちがあった。力の限り、何にも構うこと無く、吹き荒れていた嵐の主に。激情という、乱れが走る。
「こいつ……!」
撃っても、殴っても、斬っても、打っても、叩いても、焼いても!
立ち上がって来る。食い下がってくる。視界に入ってくる。鬱陶しい以外に、どう言えば良いのかわからない。すこぶる爽快に、気分良く暴れ回っていたのに、今ではすっかり苛立ち一色。
「こいつ、どうやったら死ぬんだッ!!」
とうとう我慢しきれずに、咆哮のような怒声が飛び出た。
レヴィとしてはすでに気持ち三回くらい殺しているのだが、相手は何事も無かったかのように向かってくる。
たまたま視界を羽虫が横切る程度なら、大抵そこまで気にはならない。ましてやわざわざ殺そうなどと思うほうが稀。適当に振り払って終わりだろう。
しかしその羽虫が再度こちらに向かってきたらどうだろう。それも振り払っても何度も何度も向かってきたらどうだろう。
そうなったら、障害物から排除対象へ変えざるをえない。
本気で、叩き潰すつもりで叩かれても。それは仕方がないことだ。
とっくに殺すつもりでやっているのに、一向に死なない。
苛立つほどに心を揺さぶられる理由は、実のところもう一つ。
紫苑が向かってくれば来るほど、必然として目に入る――その炎。それもまたレヴィの心の奥を逆撫でていく。
「あ゛――ッ! も――――ッ!! あったまきた!! まとめて吹き飛べッ!!」
駄々をこねるようなに、いやいやと頭を振るレヴィ。それだけで周囲が抉り取られるような太い雷が何条も撒き散らされる。今のレヴィは、その行動の総てに破壊を伴う。
しかし今までは、ただ行動に破壊がくっついていただけで。
「天破ッ!」
天高く掲げられたバルニフィカスに、雷が吸い込まれていく。
これは
「雷! 神!! 槌!!!」
振り下ろしたバルニフィカスが地面に吸い込まれ、ほんの一瞬だけ静寂があった。
直後にはただひたすらに破壊があった。
レヴィを爆心地として、巨大な雷が迸る。何もかもを飲み込み、その全てを砕いていく極大の雷。その規模たるや通常の破壊は当然として、眩い稲光が視覚をも砕くようで、轟く雷鳴が聴覚を砕くようですらあった。
本来より桁違いの魔力を流し込まれたそれは、もはや広域範囲殲滅術式と呼べるもの。
逃げ場はなく。
逃げるよりも早く。
全てを、蹂躙する。
▲▼▲
【そう。それを】
(それを、待っていた!)
どれだけ紫苑達が防御を固めようとも、意思が固かろうとも。この魔法を至近距離で喰らえば無事では済まない。残りのリソースをすべて防御に費やしても、戦闘不能は確実。
ただ、事前に来ることが判っていたとしたら、どうか。
来ると判っていて、備えていたとしたら。
『――ナノハ!!』
「うん!」
事前の
雷が弾けるその寸前。狂ったように続けていた前進から一転、最大速度で紫苑が後退する。代わるように、その前に飛び出す人影一つ。
白いバリアジャケットの魔導師の少女――高町なのは。
この場で最も高い防御能力を持つ、魔導師。
「レイジングハート――お願い!!」
『Round Shield』
ここまで高町なのはが戦闘に参加していなかった理由は一つ。
彼女は『盾』という役目を請け負っていたから。
あえて撃たせた大規模攻撃を受け止めるためだけに、ここまで温存し、準備をさせていた。生じる桜色の見た目は、小さな円形の盾。津波のような雷に対して、あまりに頼りない。
しかしそれは高町なのはが全リソースを注いだ盾だ。
他者から善性を信頼される少女が、守るために行使した魔法だ。
「う、うぅ……う゛ぅ゛ー…………!!」
軋むだろう。
圧されるだろう。
ひび割れもしよう。
――けれども決して砕けない。
高町なのはは、誰かが危ない目に遭うのを見過ごせない。ジュエルシード集めが危険でもユーノを手伝う理由はそこにある。
暴走するレヴィで荒れ狂うこの場において、本来じっとしてはいられない。
どれだけ止められても、どれだけ無茶をしてでも。紫苑達や、あるいはフェイトを助けるために危険に飛び込んでいくのだろう。
シュテル達にとって、なのはの存在も能力も決して害ではない。
ただ不確定要素ではある。前線の人数が増えて乱戦になれば、予期せぬ事態も考えられる。とはいえただ来るなと言って、素直に聞くなのはではない。
だから。
シュテルはなのはに
止められぬのならば、存分に動いてもらえばいい。
最もなのはの得意な分野かつ、最もシュテルの利になる役割で。
「通さ、ない……!」
津波の落雷に晒されても、高町なのはは屈しない。
盾だけでなく、レイジングハートの外装にも亀裂が走る。けれども、白い魔導師は屈しない。水色で渦巻く中で、ちっぽけな桜色の光が決して消えることはない。後ろで誰かを守っているという状況が、彼女の魔法をより輝かせる。
永遠に続くかと思われた雷の津波が、少しずつ緩やかに収まり始めた。発動の時とは逆に中心へ向かって消滅していく。
桜色の盾も消えていく。レイジングハートが外装の破片を零しながら、内部構造を展開し排熱。コアの宝玉が頼りなく明滅している。限界、という言葉が連想される状態だ。
それは、杖だけでなくその持ち主も。
白いバリアジャケットの端々が、相当に焼け焦げている。すすで汚れた顔は疲労が色濃い。足にも力が入らないのか、がくりと膝をついた。
『期待以上ですナノハ!』
「高町さんありがとう! 行ってくる!」
級友達が、自身の影から飛び出していく。
▲▼▲
「ふー……すっきりしたー!」
すっかり見晴らしの良くなった周囲を見回しながら。
レヴィはあーひと仕事終えたーみたいなノリで呟いた。大規模な魔法による消耗がむしろ心地よい。気分爽快! みたいな表情である。
「さーってと。これからどうしよっ、か…………うん?」
無意識に、口から出た言葉は途中で止まる。
何故、今、まるで隣の誰かに問いかけるような言葉を発したのだろうか。
横を向いても誰も居ない。
逆を向いても、誰か居るわけがない。
「あれ?」
ぽつんと、一人立っている。
そのことに強烈な違和感があった。
けれども周りには誰も居ない、何も無い。
たった今、レヴィ自身が吹き飛ばしてしまったから。
「…………あ、れ?」
レヴィの体が、がくんと傾く。
力が抜けたのではない。魔力はいまだ十二分以上に駆け巡っている。
なのに何故か、身体がうまく動かない。高揚感がするすると身体から引いていく。代わりに身体の端から倦怠感が登ってくる。
まるで気付いてしまった心の喪失に、身体が連動しているようだった。
「……ん? んん!?」
そんなレヴィの意識と視界で、炎が灯った。
連続する爆発で進路上の瓦礫を振り払い。迫ってくる人影がある。それは赤い炎を推進力に変えて、突撃してくる紫苑の姿。
気付くのが遅く、紫苑が速い。あっという間に距離が詰まる。それでもレヴィのスピードならば、ここからでも十分に巻き返せる。
はず、だった。
「まだ生きてたのかお前、――」
バルニフィカスをフルスイング――遅い。先程までより明らかに遅い。それに先端の魔力刃が消えている。レヴィは消した憶えがないのに。
――レヴィは『力』のマテリアル。
その名に違わぬ高い攻撃力を持ち、大規模な出力運用を想定している。
だが、常に
無限の供給に耐えきれず、駆体の方に必ず限界が来る。
紫苑達が攻撃を喰らい続けたのも、好き放題暴れさせたのも、大技を誘ったのも、総てはこの瞬間のため。
「ッ――こ、のッ!」
確実に劣化している一撃。
だがそれでもまだ速く、重い。
戦斧が紫苑の胴、左側にめり込んだ。鋼鉄の塊の刃が半分以上その体に沈み込む。ずぐり、と何かが砕けるような、潰れるような音と共に。ごぶ、と口からこみ上げた体液が、レヴィの顔を赤く汚す。
がらんと音を立ててアーキアが地面に落ちる。空けた左手で、胴にめり込むバルニフィカスを抱え込みながらぐいと持ち主を引き寄せる。
がちゃりと音を立ててルシフェリオン・ガンナーが落ちる。空けた右手で、眼前のレヴィの肩口を――掴む。
「届いたぞッ!」
「だからどうしたッ!」
同時に吠える。
赤い炎と青い雷。互いの身体より放たれた魔導が押し合うように衝突する。
実のところ、限界が近いのはどちらも同じ。けれどもただの力の押し合いであれば、供給源が健在なレヴィが確実に有利。
ただの押し合いであれば、だが。
『いくら寝ぼけているとはいえ。私のことがわからないなどと言ったら、さすがに怒りますよレヴィ』
もう、
すでに触れている。ただ一言の呼びかけが、決着の合図。
「…………………………ぁ」
獰猛な獣のようだったレヴィの顔が
呆気にとられた表情に変わり。
何が、誰がそこに居るのかを理解していけばいくほど、崩れていき。
くしゃくしゃの、泣きそうな顔で、そして。
「あ、ぁ――し、シュテ、」
大切な。大切なその相手の名前を呼、
『い ま で す ! !』
シュテルが好機! と全力で吠えた。
接触しているのでレヴィにも聞こえたそれは、指示だった。
何かこう、気のせいでなければ、いまだやってしまえみたいに聞こえる指示。
「え?」
そう、まだやる必要がある。
レヴィが止まって終わりではない。半ば融合しているジュエルシードを引っ剥がさねばならない。だが今の無茶苦茶なレヴィに、生半可では通じまい。
――とっておきの無茶に、火が入る。
レヴィの眼前、超至近距離でドッ! と赤い炎が本日最大の燃焼を見せた。
上昇する出力はもはや発光で収まらず、装飾より実際に炎となって立ち昇る。
「え???」
渦巻く炎はより強く、より熱く。
膨れ上がるのではなく内へ内へと凝縮され、そして。
「ヴォルカニック――――バアアァァ゛ァ゛ンッ!!!」
生命をふり絞るが如きの絶叫。
魔力と命を注がれて発動するは極炎の魔導。
その改変である
まあ、要するに。
自爆である。
「ア゛――――――――――――!?」
レヴィの悲鳴を伴って、立ち昇る火柱が周囲を明るく染め上げた。先程の広範囲殲滅雷撃に比べれば範囲こそ狭いが、その分一点集中だ。破壊力では劣らないだろう。
ちょっと離れたところで見守っていたなのはは、なんかいい感じに明るくなった周囲に『あれ、もう朝?』みたいな声を上げていた。
もっと離れた所で
火柱が鎮まっていき、押しのけられていた夜の色が周囲に降りていく。
あらわになるのは、夜の闇よりなお黒く焼け焦げた爆心地。
立っているのは、一人だけ。
【Capture of the Material】
状態を正確に言うのならば。
内に
「し、紫苑くん! 大丈夫!?」
なのはが駆け寄りながら呼びかける。
紫苑は立っている。いるが、見事に全身真っ黒だった。
無事! と言い切るには苦しい見た目である。
「ぼへっ」
紫苑は炭混じりの声未満の呻きを上げながら、右手をぐっと掲げた。
顔中を真っ黒にすすで汚して、口からぷすぷすと煙を吹き上げながら。その様に深刻さはなく。ちょっと間の抜けたもの。
「あっ思ったより大丈夫そう……」
回収回。
本来の味方を味方に焼き戻しただけで敵対勢力は割と健在な模様。
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