異世界食堂another またはエル君の異世界食堂メニュー制覇記 (渋川雅史)
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1#洋食屋にいこう
笑える物語を目指しますので御贔屓の程を。
「洋食のねこや?」
そもそもの始まりはエルが見つけた扉である。
幻晶甲冑で「魔導噴流推進器」の試験運転ができそうな場所を求めて周りを物色していた彼が森の中にぽつねんと立つそれに近づいてみればそう書いてあったのだ。
もう既に「エルネスティ・エチェバルリア」としての人格を異常なまでの幻晶騎士への執着もろとも確立し、前世の倉田翼としての記憶は思い出すこともなくなりつつある彼の前にいきなり現れた「日本語」。彼は幻晶甲冑から降りると腕組みをして考えこんでしまった。
「うーん……つまりこの扉の中は洋食屋だという事ですか? しかし……」
扉の裏には何もない。
「非常ーにデタラメで常識外れですが、そもそもこれはそういうものなのかもしれません。……一つ開けてみますか……」
色々な意味でデタラメで常識外れの権化は相変わらず自分を棚に上げて行動を起こすのだった。
Menu-X1:カツカレー
チリンチリン……
「いらっしゃいませ!」
「わ!?」
「いらっしゃい。おや、新顔さんだね? ようこそ、異世界食堂へ」
満面の笑顔のウエイトレス――変わった髪飾りを着けている――の出迎えにエルは思わず半歩後退ってしまったが、奥から顔を出した男性の姿にすぐ我に返る。
その人物はそれだけの存在感があった。「コックさん」以外に形容の仕様がない服装の、がっしりとした中年の男性である。素早くその部屋――清掃の行き届いた椅子とテーブルが並び、厨房であろう奥からはいい匂いが流れて来る――を見渡したエルは、ここが紛れもなく「洋食屋」であり、目の前の男性が店主――オーナーである事を理解した。
「は、初めまして! 僕はエルネスティ・エチェバルリアと言います、フレメヴィーラ王国の……」
お辞儀の後の自己紹介を店主は笑いながら掌を突き出して静止した。
「ここでは自己紹介はいらないよ。ここは料理屋で君はお客さん、それで十分だからね。
アレッタさん、お客さんを席にご案内して」
「はい! こちらへどうぞ……すぐレモン水とおしぼりをお持ちします」
「どうも……。あの、異世界食堂って? ここは日本のどこかの『ねこや』っていう洋食屋ですよね?」
「そう、あのドアベルがマジックアイテムでね。7日に一回土曜の日に異世界と繋がって君も入ってきたのと同じ扉がいろいろな所にできるんだそうだ……が……」
新しく来店したお客への定番の説明をしていた店主は、目の前のエルの言葉に奇妙な違和感を覚えて珍しくその説明が途切れる。そしてエルのキラキラと輝く目がその違和感を倍増させる。
「凄い! 凄いです! 僕の世界にも魔法はありますし僕自身使えますけど、異なる世界を繋ぐ『どこでもドア』みたいな魔法は見たことも聞いたこともありません!」
「はあ!? 『どこでもドア』って、なんで君そんなものを知ってるんだ!? ……そういえば最初から店の名前を……君は日本語が読めるのか!?」
あちゃー……驚愕する店主の様子にエルは自分の失敗を悟った。
「童(わらし)よ、そのあたりを詳しく話してもらおうかの?」
どう説明したものかと考えていたエルの背後からいきなり声がかけられた。尊大で威厳があり、それでいてどこか聞き覚えのある女性の声。店主がさらに驚く。
「赤の女王様? ……あの、ビーフシチューはまだ……」
振り向いたエルの前には、確かに女王様がいた。燃える炎のような真っ赤なドレスと髪に、褐色の肌の大柄な美女。だが頭部の角と黄金色の瞳が異形の者であることを如実に示していた。彼女は店主の言葉に鷹揚に頷いた。
「承知しておるぞ店主。そちらはまた後刻もらうとしよう。
だが今は妾はこの童に用があるのだ。またぞろ『白』が妙な者を送り込んできたやもしれぬからな」
ずい! と見下ろされたエルの背筋に戦慄が走った。目の前の女性は陸皇亀(ベヘモス)などとは圧倒的にレベルの違う『何か』である事を全ての感覚が告げていた。
「ここは妾の領域。この店も店主もそこな娘もわが財宝の一員。これに仇為すものはわが名にかけて許さぬ。童よ、おぬしの素性をあらいざらい白状せい」
「は、はいっ!」
エルは完全に気圧されるまま自分の素性――前世と今生をあらいざらい、必死にプレゼンテーションしたのだった。
「……つまり君は日本人で、交通事故で死亡したプログラマー『倉田翼』の記憶と知識を持ったまま『エルネスティ・エチェバルリア』として転生したと?」
「はい……」
エルは店主の唖然とした呟きに相槌を打ったあと女王様に頭を下げた。
「あの女王様、信じていただけるかどうかわかりませんが今申し上げたことは嘘ではありません!」
「なるほどのう」
「は!?」
顔を上げたエルの前には先程とは打って変わって面白そうな表情の女王様がいた。
「道理で魂に妙なゆらぎがあるはずじゃ。得心したわ。店主、今日はビーフシチューができるまで待たせてもらう。
それまでは……そうさな、この店で一番強い酒を瓶ごともらおうかの」
「はい、承知しました」
一番奥のテーブルに座り、コニャックをストレートで飲み始めた赤の女王を眺めて、エルも店主もアレッタも、カウンターにいた常連2人も安堵のため息をついた。
「一時はどうなるかと思いました……あの方はどういう方なんです?」
「赤の魔竜じゃよ」
『ロースカツ』が声を潜めて教えてくれた。
「……竜――ドラゴンですか? ……僕の世界でも最強レベル『超師団級』の魔獣ですよ!?」
「『師団』というのは軍勢の『備』と同じようなものと考えてよいのか?」
『テリヤキ』の古風な表現に少しまごついたが即座に再起動する。
「はい、幻晶騎士約300騎で1個師団です。幻晶騎士というのは・・マスターは『ガ〇ダム』はご存知ですよね?」
「ああ。学生の頃、友人にファンが何人かいてビデオやら話やらで……」
「言うなれば『モビ〇スーツ』が剣と魔法で戦うんです! ……て、マスター以外の方にはわかりませんよね? まあ魔法で騎士が動かす巨大な鎧と考えてください!」
「「「ふーむ……」」」
「へぇ~」
その場の全員が分かったような分からないような微妙な相槌を打ったところで、店主がポン! と手を打った。
「まあ事情も分かった事だし、この話はここまでにしよう。エルネスティ君、注文はどうする?」
明らかに深入りを避けたいらしい店主の言葉に、エルもさすがにこれ以上は必要ないかと見て取る。
「そ、そうですね。メニューを見せてください。それから僕の事は『エル』と呼んでください」
「わかった。東大陸語……じゃなくて平日用のメニューを持ってくるよ。当然日本語で書いてある」
「ありがとうございます!」
ウエイトレスのアレッタさんによると、もう少ししたらカウンターの2人以外の食事の常連さんが、その後はお菓子類の常連さんが、さらにその後はお酒好きの常連さんが来店するとの事だった。
「ランチタイムには少し早い時間帯、という事ですか……ご迷惑を掛けずに済んでよかったです。さて、何を注文しましょうか?」
赤の女王がこの時間から居座っているというのは十分迷惑なのだが、そこまではエルには分からない。うきうきわくわくとメニューを開くエル。
「おおやはり定番のロースカツにメンチカツにコロッケがトップページに! ……いや待て、十数年ぶりの洋食店です、ここはレアメニューを選ぶべきでしょう。フレメヴィーラが完全無欠の内陸国であるからして全くご無沙汰の海産物はどうですかね……エビフライにシーフードフライ盛り合わせ! いいかもしれない!
……いやいや待て待て、ご無沙汰と言えば絶対にあちらでは手に入らない醤油味という手もありますよ! ……テリヤキチキンに豚の生姜焼き! いいですね! 次のページは……
ッ!?」
次のページを開いた瞬間、エルの頭が真っ白になった。すなわちメンチカツもシーフードフライも豚の生姜焼きも全て吹っ飛んだ。
「アレッタさんッ!!」
「はいっ!?」
いきなりの大声にアレッタが飛び上がって振り向いき、エルの『憑かれた』眼光にたたらを踏んで後退る。
「カレーをお願いしますっ! カツカレーでっ!!」
「はいっ! マスター、カツカレーを!」
「了解!」
「そうです、そうですよ! なぜ気が付かなかったのでしょう! レア中のレアであるアレを! 10年以上ご無沙汰のアレを! またアレが食べられるとは……フレメヴィーラ王国に転生したのと同様何処の誰に感謝すればよいのでしょうね。……ふふ、うふふ、うふふふふふふふふふ……」
「あいつ大丈夫なのか?」
「うーむ……」
おそらくキッドやアディでも「引いて」しまうようなエルのあり様である。初対面の「テリヤキ」&「ロースカツ」の頭を「触らぬ神に祟りなし」の言葉がよぎったのだった。
「お待たせいたしました、カツカレーです……」
完全に目がイッてしまっているエルに恐る恐るカツカレーを差し出すアレッタ。
「どうも。……カレーです……本物です……それもカツカレーです……うふふふふふふ……」
すーはーと深呼吸を一回、スプーンを取るとルーとご飯を混ぜて一口――
「!?!?」
カレーである。スパイシーさを優先させた専門店のカレーではなく、ブイヨンのコクを重視した洋食屋のカレーである。
『はっ! いけませんいけません、一口だけで真っ白になるところでした。……次は』
ルーとご飯。その上に切り分けられた、まだ油が爆ぜているアツアツのロースカツ。それらを一緒に口へ――
「……」
言葉が出なかった。エルはそのままカツカレーをかっ食らう! ガツガツガツガツ……
……「三つ子の魂百までも」とは言うが、味覚や嗅覚は過去の記憶にダイレクトに訴えかけて来る。エルの頭に浮かぶのはまさしく走馬燈だった……。
少年時代。家族の食卓に並ぶカレーライス、おかわりは2杯までだった。
青年時代。一人で食べるレトルトカレー、どこか寂しい。
社会人時代。行きつけのカレーショップ、納期に追われる中の同僚とのワーキングランチ。
……倉田翼の人生にはカレーが紛れもなくあった。……そしてあっという間に皿はカラッポになる。肩で荒い息をつくエル。そして彼は叫んだ。
「僕は今! モーレツに感動しているーッ!!!」
「「ワハハハハッ!!」」
左右からの大笑にエルは驚く。待っていた時からカツカレーに集中していたため、両側に客が座っていたことすら気づかなかったのだ。左右を見回して更に腰を抜かさんばかりに驚いた。
左側にはカレーを食している身なりの良い高位の、将官とも見える武人。それでも十分に驚く事ではあったが、右側にはそれを上回る衝撃があった。傍らに巨大な剣を携えた、カツドンの2杯目に取り掛かっている筋骨隆々の獅子の頭を持つ獣人の戦士だ。
「少年、実によい食いっぷりだったぞ! 惚れ惚れしたわい!」
「全くだ! こちらも負けずに食うぞ! カツドンおかわり!」
「は、ははは……」
更に店内を見回したエルは、「異世界食堂」の看板に偽りがないことを思い知った。が、ここで再び我に返った。
『危ない危ない、店の雰囲気に飲まれる処でした。こんな幸運を逃してはいけません。僕が今為すべき事は!』
「あのアレッタさん、ボールペンを貸してもらえませんか?」
「え? ボールペンって……マスター?」
「ああ、レジのところにあるペン立てにあるから持って行ってあげて」
アレッタから受け取ったボールペンでなにやら手持ちのノートに記入しているエルを「カレーライス」が不思議そうに眺める。
「少年、お主何を書いておるのだ?」
「はい、この店のメニューです!」
「何の為に?」
「無論この店のメニューを全て制覇する、その計画の為です!」
エルの宣言に一瞬店内が凍り付いた。その後大爆笑が起きる。 ……それは明らかに嘲笑だった。男性陣のみならず、パフェを食べていた上品そうな少女はくすくすと笑い、プリンを食べていた知的な美人は冷ややかな笑みを浮かべている。
「なにかおかしいでしょうか?」
「ええ」
プリンを食べていた美人が、すいと立ち上がりエルの処までやってきた。
「少年、ここの東大陸語メニューの一部は私が書いた。だから知っている、ここのお菓子を含む品数の多さを」
「それはわかります。しかし僕の場合あくまでも食事のメニューが対象で、お菓子や飲み物やお酒は数に入れていませんから……」
「メニューにあるのが全てじゃないわ。日替わりや裏のメニュー……ここの店の引き出しは底なしよ」
「それに先程のカツカレーの食べっぷりからして、おそらくは早晩君も何かのメニューの虜になるだろう。ここにいる全員のようにね。そうなれば制覇など不可能だ」
「僕もそう思うよ」
トーフステーキを食べている耳の長い女性と、ミートソーススパゲティを前にした商家のご隠居的な恰幅の良い初老の男性、ナポリタンを前にしているその孫であろう青年が実感の籠った言葉でさらに追い打ちをかける。しかし、
「なるほど、正規のメニューをベースにしつつイベントメニューにも臨機応変に対応する必要ありと……参考情報ありがとうございます!」
「プリンアラモード」「トーフステーキ」「ミートソース」「ナポリタン」…」全員全く動じないエルの言動に返す言葉がない。
「まことに面白い童じゃ。何故制覇など目指す、ん?」
奥のテーブルでコニャックを一瓶空にして、ウオッカに取り掛かっている赤の女王の言葉に再び店内が凍り付いたが――
「何をおっしゃいます! 行きつけの店の全メニュー制覇はランチタイム最大の贅沢であり楽しみ! その上で僕も自分自身の一番を見つけて皆さんのような『常連』になりたいのです!」
「あの、そこまで来店してくださったら立派な常連さんだと思いますけど?」
アレッタのごく真っ当なツッコミは再びの大爆笑――明らかに感嘆の――にかき消された。今回は拍手が混じっている。
「いやはや恐れ入った! なあ皆の衆!?」
拍手をしながらの「カレーライス」の言葉に、店内の全員が頷いたのだった。
「面白い! お前のような面白い者に会ったのはここの店主を除けば何百年ぶりかのう? ……じゃが一つだけ警告しておこう。ビーフシチューにだけは手を出すでないぞ! この店のビーフシチューはソース一滴に至るまで妾の獲物故な」
「は、はい分かりました女王様!」
「さて、すっかり長居してしまいました。向こうに帰ってやりかけの仕事を済ませてしまわないと。あの、お勘定をお願いします。
……って日本円じゃなくてこちらのお金でいいんですよね? どのくらいお支払いすれば?」
「大体銀貨一枚が千円、銅貨一枚が百円相当でね。一品料理は銀貨一枚、日替わりは銅貨8枚が目安だよ」
「そ、そんな金額でいいんですか!? なんだか申し訳ないような気がします」
「うちは値引きもぼったくりもしないのが先代――俺のじいさんからの方針でね」
「店主、ちょっと待ってくれ。少年、その銀貨と君の持っているほかの金を見せてくれんかね?」
「あ、はいどうぞ」
エルの質問に穏やかな笑みで答えて銀貨を受け取ろうとした店主だが、「ミートソース」がテーブルにやってきてこれを制した。そしてしげしげとフレメヴィーラの銀貨と銅貨を調べる。
「確かにこれは見たことのない貨幣だ……なるほど、君は私達の知らない国から来たのだね?」
「ミートソース殿がそう言うからには間違いないのでしょうな?」
どことなくエドガーとディートリヒに雰囲気の似た青年『エビフライ』が頷いた。そこへ軽装の鎧姿の女性が割って入る。
「私が量ってみましょうか?」
「そうか、『冒険者』のあんたなら天秤を……よろしく頼むよ」
「任せて!」
『メンチカツ』がポーチから携帯式の天秤を取り出してたちまち組み上げ銀貨を量り始める。ああ銀の含有率を調べてるんだなと納得したエルだったが、彼女の顔色がみるみる変わっていくのを見て不安にかられてしまった。
「あの、もしかして含有率に問題が?」
「大ありよ!なにこの含有率!?王国・公国・帝国、どこの銀貨よりも高いわ!おそらく貨幣の硬さを保つ為にギリギリの混ぜ物しか入ってないわよ!」
「凄いな! 君の国はとても豊かなんだね?」
「そうなんですか?」
ナポリタンの感嘆にエルはきょとんとした。もともと良質の貴金属鉱山が多い事に加えて、幻晶騎士開発の副産物として錬金技術も高度に発展したフレメヴィーラである。金銀銅の採掘、精錬、貨幣鋳造の技術は西方諸国を凌いでいるのだ。
「なるほど、銀銅の含有率で換算すると……銅貨8枚で千円相当か。銅貨はあるかい?」
「えーと、5枚しかありません。……わかりました! 銀貨1枚お渡ししますので次の来店時の精算にしてください!」
「いや、そういうわけにはいかないよ」
店主はエルの是非という申し出に頑として頷かない。結局、次回来店にエルの側が追加支払いするという約束で銅貨5枚を渡して店を出たのだった。
扉を出たエルの背中で、すぅ、と扉が消えた。その有様を見送った後、エルは幻晶甲冑に乗り込んで走る。
『さてどうしましょうか……。洋食屋としては当然ですが1品でお腹いっぱいになるようにメニューを作られているでしょうから、1回に1品が限界です。毎日ならともかく7日……1週間に1回では――
……待て待て、そうです! 1回に複数注文すればいいんです! みんなに対するこれまでのお礼にもなります! 一石二鳥とはまさにこの事ですね!?
さあ、そうと決まれば早速スケジュールの検討です! 忙しくなりますよー!』
笑顔のエルは走る! その笑顔は言わずと知れた『趣味人』のそれだった。アディ、キッド、バトソンが、その時得体のしれない悪寒を感じたかどうかは定かではない……。
さてそんなエルを他所に、閉店後の『ねこや』。まかないを囲む店主とアレッタの会話の中心は、強烈な印象を残したエルだった。
「……マスター、あのエル君の話本当なんでしょうか?」
「ああ間違いないよ。ほら彼がアレッタさんにボールペンを頼んだろう? あれは間違いなく常々使っているものを取ってくれっていう口振りだったからね」
「異世界の人がそんな風に言う訳はないですもんね?」
「そういう事。世界ってのは広いもんだ… …」
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2#友達にご馳走しよう 前編
「アディ、キッド、ちょっといいかしら?」
本日分のツェンドルクの調整を終えたオルターの双子はヘルヴィに呼び止められた。
「何ですか先輩…じゃなかった第3中隊長?」
「実はミーティングに付き合って欲しいの、非公式の。」
「非公式?…ああ成程、分かりました。ほら行くぞアディ。」
「……」
キッドは察した。つまりエル抜き、エルに聞かせたくない話だという事である。
「ねえキッド、アディはご機嫌斜めみたいだけどどうしたの?」
「ここ5日ばかりエルが授業とかツェンドルクに関わる以外では部屋に籠って書き物ばっかりやってて…拗ねてるんです。」
「…危険だわ…」
「はい…」
誰が、どう危険なのかは言うまでもないのでキッドとしては相槌を打つよりない。
いつエルがひょっこり覗くかもしれない会議室は使えない。工房の外の資材置き場が『非公式』ミーティングの定位置である。
議題は常に「団長殿の動向」であり、メンバーも銀鳳騎士団の公式幹部であるエドガー、ディートリヒ、ヘルヴィ、ダーヴィド親方、そしてエルの腹臣?であるキッドとアディ、バトソンと決まっている。
「さあて、非公式会議を始めるぞ。バト坊、オルターの坊主に嬢ちゃん、団長殿の近況報告を頼むわ。」
エルが何らかのアクションを起こした場合、真っ先に割を食う立場のダーヴィド親方が議長なのもいつも通りである。
そして3人は語った、アディの個人的感情を忖度しつつ纏めると以下のような事になる。
『ここ5日程エルからの問いかけが全くない。』
『こっちが問いかけても上の空の事が多々ある。何か考えていてるのは間違いない』
『時間があれば「ああでもないこうでもない」といった独り言を言いながらノートに何か書いている…つまんない!』
親方他3名の背筋に悪寒が走る。経験上エルがそういう状況にあるという事は、彼がまた『常識を世界の果てまですっ飛ばした企画立案』の真っ最中だとしか考えようがないのでる。
「…まあなあ、俺たち銀鳳騎士団は「常識を世界の果てまですっ飛ばした」団長殿の企画と設計を形にすることと、そーいう団長自身を守るための騎士団だからなぁ~」
早くも諦めモードの親方をヘルヴィが引き継いだ。
「確かにそうだけど…アディ、キッド、バトソン、もしエルネスティ…団長があなた達に相談を持ち掛けたら私達の誰かに知らせて、お願い!」
「止めなくていいんですか?…って無理か。」
キッドの言葉に自身を含めた全員が頷く、幻晶騎士にかかわる事で暴走特急エルネスティを止めるなど陸皇亀(ベヘモス)を幻晶騎士一騎で止めるに等しい。それができるのがほかならぬエル自身だけというのだからなおタチが悪いというべきであろう。
「銀鳳騎士団に入った時からとっくに覚悟は決めているが、やはり事前に知っているのと知らないとでは腹の座り方に差が出るからね。」
「要するに心の準備をする余裕が欲しいって事さ、そしてそれができるのは団長の側近である君たち3人だけだ。」
エドガーの言葉を受けたディートリヒの指摘にきょとんとする3名、ややあってバトソンが口を開いた。当然と言わんばかりに親方が答える。
「…俺たち、エルの側近なんですか?」
「あん?なんだ自覚してなかったのか?いつも一番最初に銀色坊主が無茶を持ち掛けるのが誰なのか考えてみろ。そういうわけだからよろしく頼むわ。」
「わ!出た!?」
「はい?」
「「ば、バカ!」」
エルは慌ててバトソンの口を塞ぐキッドとアディを見て首を傾げた。その姿にアディが『きょとんとしているエル君可愛い!』と叫んで彼に抱きつきすりすりする。
非公式ミーティングの後、釈然としないわだかまりを抱えつつも、兎も角はエルの様子を見に行こうという事になったのだが、部屋から出てきた本人と鉢合わせしたのである。
「丁度良かったでふ、3人ほ探しに行こふと思ってまひたから、立ちふぁなしもなんでふから中ひ…」
ホールドされてろれつの怪しいエルの言葉にキッド&バトソンはアディをエルもろとも彼の自室へ引きずり込んだのだった。
「えーでは本題に入りたいと思います」
「「ついに来た…」」
「んっふふっふ!…エル君分補充完りょー!」
およそ15分後、製図台の前の椅子に座ったエルとベッドに座ったオルター兄妹&バトソンが向かい合っている、定位置である。…『エル君分』を満喫したアディが上機嫌なのは言うまでもない。
「うふふふ、実は僕、この世界に存在しない料理店を見つけまして。そこへ4人で食事に行きましょう!」
「「はいぃーっ!?」」
「?…ええーっ!?」
今回は一体どんな無茶ぶりが出るのかと身構えていたキッドとバトソンは盛大にズッコケた、『エル君分』に浮かれていたアディの反応が遅れたのはご愛敬である。
「どうしました?」
「お、おいエル…もしかしてここ5日の考え事ってまさか?」
「はい!スケジュールを考えていました!」
エル渾身のストレートが3人をノックアウトした。もはや3人には『エルだからな~』以外の思考が存在しない。
「えーと、話を続けていいですか?」
「「「いい…」」」
「そこはここにはない凄いメニューがある店なんです!是非とも全メニューを制覇したい!ですが7日おきにしか行けない上にボリュームも充分出してくれるとーってもいい店なので一人一品が限度、残すなど以ての外です!」
「…つまり、4人で4品頼んで分け合えば…」
「1回に4品制覇できると…」
「その通りですアディ!キッド!即わかってくれて嬉しいです!」
キラキラと目を輝かせて力説するエルの尋常ならざる様子に対し、ようやくこっち側に引き戻された3人はほとんど条件反射で相槌を打つが、ここで奇妙な事にエルが『コホン』と咳払いをした。
「というのが本題の前座です。」
『まだあるのかよ!』と叫ぼうとした3人だったが、時折エルが見せる背筋が凍るような真摯な表情と眼光…陸皇亀事変の際対峙したディートリヒが呑まれたあの…に射すくめられて凍り付いた、が…エルはその表情のまま3人に向けて頭を深々と下げる。
「ありがとうございます、アーキッド・オルター、アデルトルート・オルター、バトソン・テルモネン。」
「お、おいエル…」
「エル君…」
「ど、どうしたんだよエル?」
知り合ってからこの方、フルネームで語りかけられた事などないしエルにこれほど深く頭を下げられたこともない。面食らう3人に頭を上げたエルがどこかはにかんだような笑顔…当然見たことがない…で語りかける。
「僕は銀鳳騎士団の団長を拝命しました。わかっていたことですけど『長』って大変ですね?実際のこまごましたことは中隊長さんたちが切盛りしてくれていますけど『長』が何もしないわけにはいかない、最終的には決断し、決済しなくちゃいけないんですよ…。
僕はこれまでやりたいようにやってきましたし、これからもきっとそうするでしょう。でもそれにともなう影響についてなにも知らないわけじゃないんです。ただそれでも止められないし止まらないだけなんです。
『長』としてはあまり褒めたものではないです、それでも3人はずっと僕の友達でいてくれた。それがどんなにありがたい事か最近分かるようになったつもりです。だから僕は皆にお礼がしたいです、いまの僕にできる最高のおもてなしをして『いままでありがとう、これからもよろしくお願いします』って言いたいです!それにふさわしい店を見つけた!だから3人には僕と一緒に楽しんで欲しいんです!」
ここで又エルは深々と頭を下げた、止まったような時間が流れ出したのはアディが頭を下げたままのエルにいきなり抱きついたその時である。
「もうエル君たら、今更何言ってるのよ」
「分かってるだろ、昔からお前は俺たちの親友で、師匠で、今は俺たちの『団長』だ」
「エルについていく以上に凄くて面白い事なんて他にないじゃないか。」
「ありがとう!では早速詳細説明をします!」
嬉々として製図台にスケジュールを貼り出してエルのプレゼンテーションが始まった、3人はやはり「エルだからな~」と苦笑するしかない。
「学園を出発するのは明後日の××時、身体強化で走ります…今回は僕達4人だけですけど順次中隊長さんたちや親方を1人ずつお連れするつもりです。」
「全員じゃなくて?」
「はい、責任者が一時的にせよ一度にいなくなるのはまずいですから。その次が家族の番です!僕の両親とおじいさま、二人の母様、バトソンのご両親を招待しますからそれぞれのスケジュールを把握しておいてください、その上で日時を決めましょう。」
「それはいい傾向だね?」
「全くだ。」
「『立場が人を作る』という事だろう、名言だ。」
「エルネスティ君も大人になったって事ね?」
プレゼンテーションが終わった後『遅れを取り戻すぞー!』の宣言と共に製図台に向きなおったエルを残して部屋を出た3名が早速中隊長達&親方に先程の件を話した際の反応がこれであった、4人とも腕を組んでうんうんと頷いている。
「大人に…ですか?」
「そうよ、団長としてこれまでの事を感謝してこれからの事を頼む。食事に招待するという行動で仁義を通す。子供にはできねえ事さ。」
「僕達もいずれ呼んでくれる訳だね?楽しみにしているよ…その、なんだったかな世界に…?」
「『この世界に他にない位美味しい店』なんだそうです。」
「そんな店をどうやって知ったのかしら?…」
「まあエチェバルリア家は下級貴族で、しかもラウリ校長が祖父なんだ。当然顔も広いはずだからそのツテじゃないかな?」
いたって常識的な結論に達した7名だったがこれを責めることはできない。だいたいエルの説明を比喩的にではなく実際の事として認識する人間がいたら、それはシャーロックホームズ並みに天才と狂人の境目にいる人物だろう。
「んっふっふっふ!エル君とおっ出かけ!エル君とおっ食事!」
「「……」」
「どうしたのよ二人とも、そんな顔して?」
うきうきとギャロップするアディがどこか浮かない顔のキッドとバトソンに声をかける。二人は顔を見合わせた後口を開いた。
「なあアディ、ディートリヒ中隊長や親方の言ったこと覚えているか?俺たちは『エルの側近』なんだって話。」
「友達じゃなくて『側近』だよ…いわれてみればそうだよな。エルは団長で僕たちは団員、公の立場ってものがこれからついて回るんだ
ヘルヴィ中隊長が言った通りエルは『大人』になっていこうとしているんだよきっと。」
「…俺たちも子供のままじゃいられないんだな…って考えると…ちょっとな…」
はにかんだような、どこか寂し気な男子二人の態度……だが女子は強い!
「そんなの問題なーい!ね、キッド?父さんの指示覚えてるよね『エル君と共にあるように』って。私はあの人に言われたからじゃなくて私の意志でエル君のそばにいるわ!絶対離れない、離さない!そのためなら何でもする!大人にでもなんでもなるわ!」
拳を握りしめて力説するアディに虚をつかれた二人だったが、決意を込めて頷きあった。
「そうだな、アディの言う通りだ!」
「俺たちも大人になろう!エルについていくために!エルの役に立てるように!」
3人がしっかり手を握り合う!感動的な光景であるがここで少し照れたキッドが茶々を入れた。
「アディはエルが大好きだもんな?エルを絶対離すなよ!負けるなよ!」
「と、当然よ!あんたたちだってそうでしょ?だいたいエル君は私の抱き枕…」
「はいはい、そういう事にしとこうか?」
「バ…バカバカ!」
顔を真っ赤にして食ってかかるアディを制したキッドが決意を込めた表情で拳を振り上げ鬨の声を上げた!アディとバトソンも続く!
「「「えい!えい!おーっ!えい!えい!おーっ!」」」
さて、幼馴染&友人&側近の3名が決意を新たにしていた頃 エルネスティ本人はといえば…
「んふふふふ…準備万端整いました!あえて『異世界』とは言いませんでしたから気づいていないでしょうね~
サプライズももてなしの一環!楽しんでくれるでしょう!『もう何日寝ると~♪土曜の日~♪』」
まるっきり誕生パーティーを指折り数えて待つ子供である、百年の誓いも冷めようという光景である、3人がここにいなかったのは全員にとって幸いであった。
2話目が予想外の分量になったので前後編及び別章としました。
後編はいよいよ4人の異世界食堂討ち入りです。
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2#友達にご馳走しよう 後編
「お、おいエル、どこへまで行くんだよ…?」
「大丈夫です、もうすぐですから!」
肩車したバトソンに軽く答えてキッドとアディを従える形で疾走するエル。バトソンとの出会いを彷彿させる有様に3人が感慨を覚えたのも束の間、先を走るエルは市街地を出ると森の中にずんずんと入っていく…ここで3人は奇妙なことに気が付いた。道ができているのだ、雑草や灌木が切り開かれていて3人がこの体勢で走るために整備されているとしか思えないのである。キッドが思い切ってエルに聞いてみると…
「はい、この日の為にカルダトアを拝借して道を作っておきました!」
…そういえば魔導兵装の試し撃ちをしたいからと言ってカルダトアを借り出した事があった…
「いいのかよ!?」
「問題ありません、道を作る為に撃ったのでなく撃ったら道ができるように試し撃ちをしましたから!」
「そういう問題かぁ?」
「さあ着きました!」
「「「な、なんだよこれ!?」」」
森の中にぽつねんと立つ扉を見て絶句する3人だったがなんの躊躇もなくすたすたと扉に近づいていくエルを慌てて追う。
「・・猫の絵?ちょ、ちょっとバトソンどうしたのよ」
アディがふらふらと扉に近づいていくバトソンに声をかけるが、彼は止まらない。扉に触れて熱心に調べる
「エル!なんだよこの扉、一枚板じゃなくて組み合わせでできてる?こんな綺麗な継ぎ目見たことないぞ!?…こんなになめらかな表面、どんなカンナとヤスリ掛け、と艶出しを塗ればこうなるんだ!?それにこのドアノブ!真鍮だけどどうやったらこんな綺麗な曲線と模様が作れる!?鍛造は無論鋳造だけでも無理だよ!」
「バトソン、今注目するべきはそこじゃないと思う…」
「ふっふっふっ…これは異世界への扉!向こうにあるのは『ねこや』という名の「この世界に存在しない料理店」なのですよ!詳しいことは中で説明します、さあ『異世界食堂』へレッツラゴー!!」
「お、おいエルーぅ!」
「エル君―っ!」
アディのツッコミは完全に宙に浮いた。扉の前にいたバトソンの腕を引っ張りつつ、ひとかけらの躊躇もなくドアノブに手をかけ扉を開けて中へ進むエル!キッドとアディが半ば反射的に後を追って中に飛び込む。
Menue-X2:カキフライ&エビフライ
チリンチリン…
「いらっしゃいませ!洋食のねこやへようこそ。」
「こんにちはアレッタさん、お話した通り友達を連れてきました!」
「はい、毎度ありがとうございますエルさん!皆さん予約席へどうぞ!」
「おやアディ、どうしました?」
「エエエエル君ーっ!何処なのここぉーっ!?」
「だから『洋食のねこや』、またの名を異世界食堂です。」
「ム、ジャマ、ドケ。」
「「「ひいいいぃーっ!!」」」
「あ、すいません『オムライス』さん。すぐ移動しますから。
ここにいては邪魔です、さあ予約席へ行きましょう」
『予約席(日本語)』と書かれた札が立っているのはカウンター近くに作られた4人席、ホストとしてエルが3人を一人ずつ席に案内し、椅子を引いて座らせると自分も席についた、アレッタがすぐにレモン水とおしぼりを持ってくる。
「注文は任せてください。予約した通りエビフライとカキフライ、テリヤキチキンとポークジンジャーを各2人前、パンとライスは2つずつで。それから取り皿を4枚お願いします、それから締めにソフトクリームを4つ」
「はい、マスター注文入りました、予約通りです!」
「了解!」
「さあて、料理が来るまで質問を受け付けますが…どうやら僕から説明した方が早そうですね?」
半分放心状態の3名にエルはこの店のあらましを嬉々として説明するのだった。
「・・というわけで、この店が異世界と繋がるのは7日に一度、それ以外はこの世界の人達に向けて営業しているそうです。」
「わかった、わかったよエル…」
「さっき奥から顔を出した人が料理人でご主人なんでしょ?なんでこんな営業してるのよー」
「そもそも異世界をつなぐ扉なんて…どーいう魔法だよ?そんな凄い魔法が使える人がなんで料理屋なんてやってるんだよぉー!?」
「ああそれはですね…」
バトソンもアディもキッドも、すっかり脳みそがウニの状態である……『人間』のお客はまだわかる。大きなガラスの盃で酒?を飲んでいるバドソンや親方に何となく似ている小柄で逞しい男2人や得体のしれない長く伸びたものを食べている美男子&クリームで飾られた菓子らしき何かを食べているドレス姿の美女の長くとがった耳も……許容範囲である。
先程道を譲った言葉を話す巨大なトカゲや獅子の頭を持つ歴戦の戦士(向こう傷の残る逞しい体躯からしてそうとしか思えない)、鳥もも肉を肴に大きな酒瓶を乾している頭に角を持つ大柄な男女(夫婦?)や下半身が赤い蛇となっている女性…彼らの常識からすれば魔獣としか思えない存在が暴れるでもなく食事をしている光景などというものは理解の限度を超えている。その点をエルに尋ねると…
「あの人たちは魔獣ではありません、僕達とは異なる世界、国で生きているそういう種族の方々なんです。ね?ロースカツさん、テリヤキさん。」
「おいおい、いきなりこちらに話を振るかね?」
「…さてはそのためにこの位置の席を予約したな?食えん奴だ。」
「はい!常連最古参のお二人に色々助けて欲しくてここを取りました!」
にこにこと笑いながらカウンター席の二人――魔法剣士であるアディとキッドには分かる、見事な白髪と白髭 白いローブ姿の老人はとてつもない魔力を持っている事が、色あせたマントを羽織り腰に反りのある刀を差した初老の男性はエルですら足元にも及ばない剣士である事が――と話すエル。3人は改めてエルの底知れなさを思い知るのだった。
「ま、よいか。この店の作法やルールを知らぬ一見客にこれを教えるのも、問題を起こした連中に対応するのも我らの役目だからな。」
「いつの間にやらそうなってしまったのう…少年少女よ、あの者たちを恐れる必要はないぞ。みな一見ではなくそれなりの常連なのでな、この店のルールはわかっておる。」
「ここは料理や酒、菓子を楽しむ店。あちらの事情を持ち込んでの喧嘩・戦はご法度。これを破った者にはきつい罰が下る。」
「…どんな罰です?」
キッドが訪ねた。ここの店主が腹の据わった人物であろうことはこの店を見ていればわかる、しかしああいった魔獣と見紛う存在と戦って勝てるような力を持っているようには見えない。
「おや、ちょうどいい。あの席の鬼(おうが)の夫婦の言動を暫く見聞きしているといい。ご法度を破った者がどういう目にあうかわかるはずだ」
テリヤキの言葉にキッドはもとより、エルを含む外3人もその耳目を向けた。鬼の夫婦に近づいていく人物がいる。背丈はエルと同じくらいだろうか、だがネズミを思わせるその顔はとても子供とは思えない。
「あの人は何です?」
「旅小人(はあふりんぐ)だよ、あいつは特にネズミと呼ばれておる・・何故かはすぐに分かるだろう」
「これはタツジの旦那にオトラの姐さん、その節はどうも。へへへ…」
「ネズミじゃねえか。よくもまあぬけぬけと俺たちの前に顔を出せたもんだな?」
「それは言いっこなしでさあ、あっしだって食われたくはありませんや。そのための代価は充分お支払いした筈ですぜ。それとも俺をここでとっつかまえて頭から齧るおつもりですかい?」
「けっ!そいつができない事を知っててぬかしやがる。」
「ここでそんな事をしたら古株の常連達が黙っちゃいないんだろ?第一あんた一匹の肉と引き換えに入店拒否を食らってこの『ろうすとちきん』や『しょうちゅう』を飲み食いできなくなるなんざ割にも何も合うもんじゃない、まっぴら御免さ!」
「だいたい食い逃げで入店拒否を食らってドアノブに触れねえてめえが、今回は誰に取り入って扉を開けてもらいやがった?」
「ヒヒヒヒ…ちょうど扉を使おうとしていた同族の料理人のつれあいに出くわしましてね、お相伴に預かった次第でさぁ。」
「だったらそっちのテーブルへ行きなよ、あたしらの目の届かない処へね!」
「酒がまずくなる、消えろ!」
「へい退散いたしやす、まあ縁がありましたらまた扉を開けてくださいましよ。」
「つまりあの扉に『入店拒否』されて、二度とこの店に入れなくなるんですか?」
「そうだ、二度とここの料理が食べられなくなる。」
「それはきついですね~?後悔は一生ものです。」
「おいエル、ここの料理ってそんなに美味いのか?」
エルとテリヤキのやり取りに割って入った大食漢のバトソンが、ゴクリとのどを鳴らして尋ねるのにエルが胸を張り断言する。
「それはもう!僕もこちらのお二人も請けあいます!
テリヤキチキンとポークジンジャーはそれぞれ鳥肉と豚肉を焼いたものですが、この世界にしかない『醤油』という調味料をメインにして味付けしているんです!特にテリヤキは砂糖と醤油を混ぜて…」
「「「砂糖っ!?」」」
半ば夢心地という雰囲気で歌うようにテリヤキを語るエルに3名は腰を抜かさんばかりに驚いた。言うまでもなくフレメヴィーラでは砂糖は薬並みの貴重品である。
「肉や魚は特にそうなんですが生では味も香りも立ちません、火を通しすぎれば硬くなりしかも味が抜けてしまいます。ここのマスターはそれぞれの食材について『食感を保ちつつ、最も美味しくする』火の通し方を見切っておられる達人なんですよ!溢れる肉汁とそれに負けないくらい強い醤油や砂糖、唐辛子やしょうがの味が混ざり合って…うううーっ!考えただけで生唾が出ます!」
エルの解説に食い入る食べ盛りの3人!だが…
「エビフライとカキフライ、これは何と海産物なのです!!」
「海産物だってぇーっ!?」
「そんな…そんなのって…」
「なんで…だよ…」
エルの宣言に更に驚愕する3人だが、バトソンとアディ&キッドの驚きのニュアンスが違っているのを説明に夢中のエルは気づかない。
「十数年ぶ…じゃなくて生まれて初めての海産物!海のエビは川エビの数倍の大きさがあり味はもっと濃厚です!カキというのはこの時期しかメニューに出ない貝です、たっぷりの汁を含んだ大ぶりの身!絶妙の火加減で活性化した汁の味にタルタルソースかウスターソースをかけたものを一口で!…」
「お待たせしました!エビフライとカキフライ、テリヤキチキンとポークジンジャーです!」
エルの力説に答えるようにアレッタが料理を運んできた。油の爆ぜる匂いと熱せられた醤油の立てる匂い、二種類の香ばしく素晴らしい匂いにエルとバトソンは嬉々とした表情でこれをのぞき込むがアディ&キッドの表情はなぜか硬い。
「うわあ、パンとライスは4等分、照り焼きと生姜焼きは4つに切り分けてくださったんですね?ご配慮ありがとうございます!今取り分けますから…ってアディ キッド、どうしたんですか?」
ここでエルはようやく二人の表情に気づいた、きょとんとしたエルに対して悲しさと悔しさと怒りの混ざったような複雑な表情を互いに見合わせたオルター兄妹は絞り出すような声を出す。
「エル、俺たちはそのエビフライとカキフライってやつはいいよ。」
「エル君とバトソンで分けて。」
「ど、どうしてです?完全無欠の内陸国であるフレメヴィーラで海産物なんて馴染みがないのは当然です。でも一度食べてください、本当に美味し…」
「海産物が旨いわけないッ!」
「海産物が美味しいわけないわッ!」
「キッド…アディ…?」
いきなり立ち上がってエルに食ってかかる二人!その眼には涙があった…今まで見たことのない二人の姿に呆然とするエルとバトソン…店の中も一瞬静まり帰った…荒く肩で息をつきつつ座り込む二人…
どのくらいの時が流れたか、二人が口を開いた。
「悪い…エル…」
「ごめん…エル君…」
「どうしてです?僕、なにか二人に悪い事をしました!?二人をそんなに怒らせて、悲しませるような事を言ったりしたりしたんですか!?」
今度はエルが二人に詰め寄った。キッドとアディは再び顔を見合わせた後エルに向き直り、重い口を開いた。
「エルは俺たち二人がセラーティ侯爵の妾腹…庶子だって知ってるよな?」
「はい、本妻や異母兄との関係もあって屋敷を出てライヒアラのあの家に住んでるのは…学園に入ってすぐ教えてくれました。」
「ほんの短い間だったけど私たち、屋敷にいたことがあるの…」
内陸国であるフレメヴィーラ王国で水産物と言えばマス・ナマズ・ウナギといった川魚や川エビ&カニと言った淡水物が一般的であり、料理法としてはマスについては塩焼き、ナマズ・ウナギは野菜との煮込み、エビ・カニは多めのバターで炒めるといったところである。
又この世界の人類はセットルンド大陸の全体を知らない。東のボキューズ大森界の奥や彼方がどうなっているのかは無論の事、西方諸国も西および南北に広がる海の向こうがどのような世界であるかを知らない。ましてやフレメヴィーラ王国の99.9%以上の国民にとって「海」とは、その存在を学校で習い、大陸地図にも載っているが一生実物を見ることもない、かかわりのない世界なのだ。塩も岩塩で自給できるのだから当然だろう。
そんなフレメヴィーラにも旅の商人が海産物を持ち込む事がある。無論干し物や燻製であり必ずしも質の良いものではないが世の中「希少性」が価値をもつ場合は多々ある、「海産物を食べる」という事をステータスとするという習慣がフレメヴィーラの一部…上級貴族や富豪…には確かにあるのだ。
(余談ながらエチェバルリア家にはそういう習慣はない。それなりに裕福な家なのだが教育者の家系らしいというか『虚栄の為の不味い食事など人生の無駄遣い!』というのが伝統である。その体現者であるエルの母 セレスティナ・エチェバルリアは家族に美味しい食事を作ることにプライドをもっている人であり、旨くもないのに無暗に高価な食材など見向きもしないのだ)
セラーティ家もそんな家の一つである。現当主であるヨアキムの嗜好・人格とは特に関係なく侯爵家の伝統として祝祭や記念日に海産物を食卓に上げるという事なのだが、そういった日はキッドとアディにとって屈辱と悲痛の日だった。
セラーティ家の本妻は虚栄心の強い女性である、二人の母親であるイルマタルに対しては強烈な敵意と侮蔑をもちつつ体裁にこだわって普段は「無視」以外はそれを表さないが祝祭日や記念日には露骨なまでにそれを示すのだ。
具体的にはそのような日には何かしらの理由をつけてイルマタルと双子を外に出して食卓に参加させない、その上で翌日の食卓で祝祭の際の海産物を使った料理がどれほど素晴らしかったかを滔々と称賛し、参加できなかった(させなかった)イルマタルをあてこする、あるいは参加しなかったことを口を勤めて非難するのである。この際侯爵自身は何も介入しないし嫡男のアートスは消極的に母親に賛同してイルマタルに侮蔑と憐憫の笑いを浮かべるのみ、バルトサールに至っては母親の尻馬にのってキッドやアディを母親と同じく言葉で弄り、時には暴力をふるうこともあった。
ある時見かねたステファニアが祝祭時の料理の一部(燻製のパイ包み焼きだった)を取っておいてイルマタルと二人に渡してくれたことがある、その時イルマタルは涙ながらに遥か年下のステファニアに頭を下げた上で料理を全て2人に食べさせてくれたのだが、それはお世辞にも美味しいものではなかった。2人はそれから「狐と葡萄」そのままに「海産物は不味い物」「母様や自分たちを虐める連中の食べる物」と信じてきたのだった…
「ごめんなさいッ!」
席から立ちあがったエルがキッドとアディに頭を下げる……そして二人は衝撃を受けた、ポツ、ポツとテーブルの上にできる染み…エルは泣いていたのだ…
「僕は…キッドとアディをびっくりさせたくて…喜んでくれるって思いこんで…二人に酷い事…無神経な事を…本当にごめんなさいっ!」
2人の記憶の中でエルはいつでも笑っていた、朗らかに、不敵に、時に陶酔して、狂気を孕んで…。母様と自分たちを無視し、蔑み、虐める者たちを見返してやりたい、母様を守りたい、強くなりたいと思いながらどうしていいか分からなかったあの頃、突然自分たちの前に現れたエル…強くなる方法を教えてくれただけでなくセラーティ家に絡むすべての事がもうどうでもいいと思える程素晴らしい世界を二人の前に開き、導いてくれたエル…バルトサールの陰湿な企みを文字通り切り裂いて自分達を助けてくれたエル…そのエルが泣いている。自分達がエルを泣かせたんだ!
「わかってる!エルは俺たちを喜ばせてくれようとしたんだよな!?嬉しいんだ、真っ先に俺たちを誘ってくれた事!」
「泣かないで!エル君は何も悪くないよ!私達が話さなかったのが悪いの!」
「キッド、アディ…僕の事許してくれますか?…」
「「当然!」」
「ありがとう!」
まだ涙が浮かんでいた目を拭いて無理に笑うエルの手を引っ張るように握る二人!口を挿めなかったバトソンもまた涙目を腕で拭った。
「じゃあこの二つは持ち帰りにしましょう、僕が持ち帰って…」
「駄目ですッ!!」
横合いからいきなり声がかかった!見てみればアレッタが泣きそうな表情で立っている。
「お、おいアレッタさん?」
彼女のいきなりの大声に店主が厨房から顔を出した、そちらにまず向き直ってアレッタが叫ぶ。
「給仕がお客様に意見するなんてルール違反なのは分かってますマスター!でも黙っていられませんッ!」
そしてアレッタは決意に満ちた表情でキッドとアディに歩み寄っていく…
「キッドさん、アディさん、見てください」
アレッタは髪をかきあげた…予想していたエルはともかく他の3人は息を呑む。彼女の角は…頭から生えていた…
「アレッタさん…それ…本物の角…なの?」
「はい。私、魔族なんです」
アディの唖然とした呟き…そしてアレッタは語る。七十年前の邪神戦争と魔族の敗北、破れた魔族の境遇、僅かな加護を受けただけの自分、両親の死により貧しい魔族だけの村から出ざるを得なくなる、王都での失業と貧困の日々…
「もう盗みをするか、身を売るか、飢えて死ぬかのどれかしかないって思っていた私の前に現れたのが『異世界食堂』の扉でした。迷い込んだ私は夢を見ているんだって思いこんでいて、マスターが朝食用に残しておいたスープを食べちゃったんです。厨房でそのまま眠ってしまっていた私を朝になってマスターが見つけてくれました。
最初は魔法使いのお屋敷に迷い込んだと思いました、だったら殺されても文句は言えない…。覚悟していた私にマスターは『二人で食う方が旨いだろ?』ってモーニング 朝食を作ってくれたんです。
私あの味を一生忘れません!ふわふわで香ばしくてバターたっぷりのパン!暖かいスープと食べただけで体全体が綺麗になるんじゃないかと思える野菜!とろとろのオムレツとカリカリの燻製肉! マスターにとってはいつもの、なんてことのない朝食だったと思います。でも私にとってそれは初めて見つけた『希望』だったんです!世界にはまだこんなおいしい食事があるんだって!私はそれを食べられる、食べていいんだって!
そんな私をマスターは給仕に雇って下さいました、あちらの世界の暮らしは決して楽じゃないけど前みたいには苦しくありません。だって7日目には私はあちらの世界のどんな王様や貴族より素晴らしい食事ができるんです!
私の人生はマスターと出会って変わりました、マスターが作る料理が変えて下さったんです!
キッドさん!アディさん!だからお願いです!マスターのエビフライとカキフライ食べて下さいっ!海産物でつらい事があったのは聞いてしまいました。でもマスターの料理を食べればそんなものはきっと吹っ飛んじゃいます!マスターの料理にはそれだけの力があるんです!」
「お嬢さんの言葉に同意だな。」
『カレーライス』が静かに、だが確信をもって頷く。
「異議ナーシッ!!」
『カツドン』が高らかに咆哮する。
…20年前、公国の命運のかかった重要な船団護衛任務とクラーケンの襲撃、殿(しんがり)となってクラーケンと相打ちになる乗艦、ただ一人流れ着いた無人島、島に生息する野獣・魔獣との戦い、糧を得るための闘いと彷徨、そして『異世界食堂』の扉と先代店主 カレーライスとの出会い、7日後のカレーライスを支えに生き抜く日々。1回目、2回目、999回目、1,000回目、1,001回目…
「ま、7,000日をただ待ち続けるのと、7日待つのを1,000回繰り返すのはまるで意味が違うという事だ。前者であればとっくにこの身はあの島の砂になっておっただろうよ。」
「…20年…」
唖然とつぶやくキッドにカレーライスがにやりと笑いかける。
「カレーは旨い!全く飽きることがない!そして新たな発見がある。エビフライもカキフライもロースカツもメンチカツも、カレーに合わぬフライものはまずない!ましてやここの店主の作るものだ。先代の味を引き継ぐだけでなくもはや超えておる!食ってみよ!」
…20年前、邪神戦争の後も東大陸の一画を牛耳り王を気取る、4英雄の一人との闘いと決定的な敗北、戦利品として剣奴に売られる、闘いではなく事実上の公開処刑……魔獣:マンティコアが相手、自信も覇気も失った中で出会った『異世界食堂』の扉、先代店主との出会い、自棄(ヤケ)で注文した「勝てる料理」に店主が出してくれたカツドンと「『カツ』は勝つ・勝利(Victory)に通じる」の言葉、覇気を取り戻してくれた料理と料理人、なまくらのたった3振りでついた勝負!
「『人生で一番いかんのは腹が減るという事と寒いという事ですわ!…ひもじい、寒い、もう死にたい。不幸はこの順番でやってきますのや』」
「なんだそりゃ?」
「僕が昔読んだ物語の中の、人生を逞しく生きてきた強いおばあさんの台詞です。」
「名言だ!」
感慨のこもったエルのツッコミ?にカツドンが豪快に笑う!ひとしきり笑った後アディに向き直った。
「人生ってやつは妙なもんだ、たった一つの出会いで生き死にが決まることもある。おまえさんの今回の出会いはそこまで深刻じゃあるまいが、食わなきゃ一生の大損だぜ!」
「……」
「…みんな…常連さんはマスターの料理に惚れ込んでるんですね?エルも…」
バトソンのこちらも感慨のこもった言葉に店主が照れ臭そうに頭を掻いた、エルも頷く。そしてオルターの双子は決意の視線を交わして頷きあった、思いは一つ!
『ここまで言われて食べなかったら、自分たちはもうエルの友達だなんて言えない!』
ざくり、エビフライにフォークを突き刺して一気に口にほおりこむ!
「キッド!アディ!」
「うわーっ待て待てっ!なんと早まったことをっ!!」
2人の決意と覚悟を感じて歓喜の笑顔で叫ぶエル。だがその後ろで『エビフライ』がこの世の終わりのような悲鳴を上げた!
「「!?」」
そのままガツガツと租借しゴクリと飲み込んだ、言葉が出ない・・やがて二人は顔を見合わせた。
「…何よキッド…泣いてるの?…バカ…」
「…アディだって泣いてるじゃねーかよっ!?…」
エルの言う通りだった、カリカリの表面とぷりぷりとした身は噛むとぷっつり千切れてその味が口の中一杯に広がっていく!熱にうかされたようになって2本目に伸ばした手がガシ!とエビフライにつかまれた…
「何するんだよ!」
「放してっ!」
「ならん!早まるなっ!・・エビフライは旨かったのだなっ!?」
鬼気迫るエビフライの表情に思わず怯む二人…エルすら口をはさめない…エビフライはそのまままくしたてる!
「そうだ、エビフライは最高だ!だが二人とも何故あと5秒いやさ3秒待てなかったのだ!なぜタルタルソースをかけずに食べてしまったのだっ!生涯初めてのエビフライが最高を超える至高のものでなかったのは何たる不幸!私がここにいながら何たる無念!エビフライを超える物、それこそ「タルタルソースのかかったエビフライ」なのだぁーっ!」
「落ち着いてくださいエビフライさん!エビフライはまだあります!食べてしまったエビフライは戻ってきませんが更に食べる事はできるのです!」
「そうであった!確か君の名はエルネスティだったな!?エルネスティよ、直ちにタルタルソースをエビフライに!」
「了解!ついでにカキフライにも!・・いや半分はウスターソースを掛けなくては!」
「何だと?」
「ご存じないんですか!?海産物のフライについてはタルタルソースに一歩を譲るウスターソースですがカキフライだけは別!この酸味と香辛料の味がカキのスープを活性化した味はタルタルソースより上かもしれません!」
「何とぉーっ!?」
エビフライの勢いに完全に巻き込まれたエルがまくしたて、その場の雰囲気に更に油を注ぐ!他3名が唖然とする中でエビフライ&カキフライにタルタルソース&ウスターソースを細心の注意を払って(!?)かけていく二人……
「『鍋奉行』が二人いるな……」
そう店主は苦笑するのだった。
「どうぞ!」
「「「いただきます……」」」
初めこそエルの勢いに引いていた3人だったが、食べ始めればそんなことは全く忘れてしまった!ガツガツガツ…
「どうでしたか!?」
「どうでしたかって…、こんなの…旨いって以外にどういえばいいんだよ…」
ひとかけらも残さずエビフライ&カキフライを平らげた3人にエルが問いかける、放心状態で目を潤ませているバトソンが先ず答えた。
「海産物って…こんなに美味かったのかよ…俺たちがこだわってたアレってなんだったんだよ…」
「…ステファニア姉様には悪いけど、あんな辛くてボソボソした燻製や干し魚をありがたがってる人間の気が知れないわ!バカみたい!」
「異議なし!!!」
「喜んでもらえて嬉しいです!」
キッドとアディの高らかな勝利宣言にエルが感激するが…その光景を見た店主が眉を顰めた…不思議に思ったアレッタが問いかける。
「マスター、どうしたんですか?」
「いや、ちょっとな…」
さて、少し落ち着いたバトソン、キッド、アディはいたって現実的な疑問をエルに呈した。
「なあエル、その…大丈夫なのか?…その、代金…?」
「エルは俺たちより俸給は多いだろうけど…」
「海産物…それも生の…をこんなに…それ以外の料理も…高いんじゃ?」
「ああその件ですか。心配無用です!エビフライとテリヤキチキンとポークジンジャーが一品銅貨8枚、カキフライが銅貨9枚ですので、締めのソフトクリームを合わせて…銀貨7枚ですね。」
「「「はいいいぃーっ!?」」」
金貨5枚とか10枚とかの返答を予想していた3人は盛大にズッコケた。
「エ、エル君…冗談よね?」
なんとか立ち直ったアディが引きつった笑顔で確認するが、エルはいたって涼しい顔で「説明」を始める。
「冗談なんて言いませんよ。フレメヴィーラの貨幣は常連の方々が支払う王国・帝国・公国の貨幣より銀銅の含有率がいいそうで、交換率は『メンチカツ』さんに確認してもらいましたから。
この店がある国は島国で、海産物はすごく豊富なんですよ。それにこちらの世界では食材を冷やしたり凍らせたりして保存する『技術』が発達しているんです。
氷を必要としないすごく性能のいい、移動だってできる『氷室』が至る所にあると考えてくださいね?」
「「「ひええぇーっ!?」」」
氷河や万年雪を頂く高山が近しいフレメヴィーラでは氷室は珍しくない。相応の家では必ず備えているが(エチェバルリア家、オルター家、テルモネン家にもあるし地域が共同で持っているのも珍しくない)切り出した氷を使う以上冷やせる温度には限界があるし、ましてや氷室が移動できるなど想像がつかない。しかし『エルのいう事でしかも異世界だからな~』と納得するより他はなかった。
ここでいきなりオルターの双子がポケットを探り始めた。そして卓上に銅貨を並べる
「4枚、アディそっちは?」
「こっちも4枚よ、ぎりぎりね?」
「どれか追加でも?だったら僕が…」
「ううんエル君、私達が買いたいの。母様への贈り物に。」
「母様にここの料理を食べさせたいんだ。俺たちはもうセラーティの食事なんて何もうらやましくなんてないって!」
「そうですか…しかし困りましたね…」
フライ類は時間がたって冷めると味が落ちるものが多い…カキフライなど特に…先程持ち帰ろうと言ったのは言うなれば非常手段であって推奨できる話ではないのだ。当然あちらには電子レンジもオーブントースターもない。
「何か冷めても大丈夫な品はあったでしょうかね?…」
縋るような二人の視線にメニューを持ってきてもらって見なおそうと考えた時である。
「エルネスティ、何を考える事がある!エビカツサンドを注文すればよいのだ!」
エビフライの言葉にびっくりして振り向くエル。
「で、でもメニューには載って…!?…これが裏メニューというやつですか!?」
「その通り!お主達は確かキッドとアディだったな?側室として辛酸を舐めた母上にこの店の料理を食べさせたいという心根や良し!このハインリヒ、微力ながら手助けするぞ!
店主、この二人にエビカツサンドを!無論持ち帰りだ!」
「はい了解!」
「「「「ありがとうございます!」」」」
何処か嬉しそうな店主の声。そして4人はエビフライに深々と頭を下げるのだった。
「でも代金は俺とアディが払います。幾らでしょうか?」
「分かっているとも。そうでなければ意味があるまい!代金は銅貨6枚だ!」
「コホン。さて、仕切り直しです
次はテリヤキチキンとポークジンジャーですが、その前に付け合わせの野菜とそこのパンを食べて下さい。」
3人が注目する中、再稼働したエルの「仕切り」が始まった。
「「「どうして?」」」
「まあこちらの『作法』というやつです。」
「「「へえ、そうなんだ~」」」
次の料理に期待しつつ、特に考えることもなくまずキャベツの千切りを口にした3人の目の色が変わった!マヨネーズのかかったそれの鮮度と歯ざわりと甘さ!次に横のトマトを口にした時、未知のその酸味と鮮烈な甘さに頭が真っ白になる。
ほとんど夢うつつといった状態でロールパンにバターを塗って口に入れたのだが、その柔らかさと香ばしさ、豊かな甘さが3人を完全にノックアウトしたのだった。
「どうです、美味しかったでしょう?」
「エ、エルぅーッ!!!」
切れたバトソンがいきなり満面に笑みを浮かべたエルの襟首をつかみ上げた!オルターの双子は今それを止める気力もない。
「どうしてくれるんだよっ!今の…今の野菜とパンの味で、エビフライとカキフライの…あんなに美味い味が全部!口の中から消えちまったじゃないかぁーっ!!」
「ええ、そのための付け合わせとパンですから。」
エルはつかみ上げられながらバトソンに平然とカウンターを見舞う。バトソンがエルを放し、へなへなと椅子に倒れこんだ。エルは更に追撃のジャブを繰り出す。
「さあさあ真っ白になっている場合じゃないですよ。前の料理の味をリセットしたからには次のメニューへレッツラゴーです!」
「お、お、おまえなぁ~っ!」
バトソンはほとんどやけっぱちという風でテリヤキチキンとポークジンジャーにフォークを突き刺し、二つ同時にかぶりついた!その時、「ああもったいない…」というエルの声を聴いたような気がする…
エルの言う通りだった「溢れる肉汁とそれに負けないくらい強い醤油や砂糖、唐辛子やしょうがの味が混ざり合って」それも火を通されて活性化したあるいは焦げた醤油と砂糖の香ばしい味と香りが追加されて…
ドクターストップがかかった…キッドもアディもバトソンと五十歩百歩の状況、魂が抜けたように椅子にへたり込んでいる。エルの一人勝ちであった。
3人ともその後の事はよく覚えていない。エルに勧められるままにライスをそのしっとりとした癖のない味を感じつつ食べ続け、時折「塩をかけてみてください」とか「ウスターソースをかけてみてください」とか言われるままに試してみて舌と頭を強烈に揺さぶられ、締めのソフトクリーム(シャーベットならともかく、こんなふわふわの氷菓子は食べたことがない)を食べていた時、地味だが仕立てのいいドレス姿の自分達より少し年上の少女が「冬の雲を食べているようでしょう!?」と嬉しそうに語りかけてくれていたようだが、すでにパンチドランカー状態の3人は自分が気絶しているのか覚醒してるのかすらわかってはいなかった。
「…エル君、薬が効きすぎたんじゃないか?」
「…そのようです…ほらキッドもアディもバトソンもしっかりしてください!お勘定も終わったし帰りますよ」
店主の呆れと非難9:1の視線と物言いに小さくなりつつも3人を順次揺さぶるエルだが、3人は一向にこっち側に帰ってくる気配がない。
「ドワーフの彼はともかく、お二人さんにはこれが効くんじゃないかな?」
笑って店主が渡してくれたのはエビカツサンドのパッケージだった。
「ありがとうございます!アディ!キッド!イルマタルさんへのお土産ができてますよ!」
「できたのかっ!?」
「できたのっ!?」
その一言で瞬時に戻ってきた二人がエルからパッケージをひったくる!それを挿んでひし!と手を握り合う両名を見てやれやれとため息をつくエル、そしてバトソンには彼の耳元でこう叫んだ
「やいバト坊!何ぼさっと突っ立ってやがるっ!!」
「うあぁーっ!親方ごめんなさいっ!」
「リカバリー終了だね?」
「はは…ははは…」
店主の揶揄交じりの言葉にエルは笑うしかなかった。
「お母さん、喜んでくれるといいね?」
「はい、ありがとうございます!アディ、これで母様も干物や燻製なんてもう気にもしなくなってくれる!」
「賛成!」
浮かれるキッドとアディは店主のどこか苦い笑顔に気付かない…そこへエルが挨拶する。
「マスター、お世話になりました。また次週…今度は親方を連れて来るつもりです。」
「お待ちしています。」
「またどうぞ!」
握手をする二人、アレッタの笑顔、そして4人は扉をくぐっていった。
「じゃあエル、俺たちはこれで!今日はありがとう!」
「エル君また明日!今日は本当に楽しかったよ!」
「ええ、また明日!」
身体強化の高速で走り去っていくオルターの双子…アディの腕の中にはあのパッケージがしっかりと抱えられている…を見送るエル。その様子を見ていたダーヴィド親方がバドソンに尋ねた。
「二人ともずいぶん嬉しそうに急ぐじゃないか?何かいい事があったのか?」
「はい親方!それにお母さんにお土産を早く食べて欲しいはずですから。」
「へえ~…次はそこに俺を連れて行ってくれるのってか、銀色坊主…いや団長が?」
「はいそうです、7日後になりますが。」
「おもしろそうじゃねえか…」
「マスターお疲れ様です。7日後にまた。」
「おう、お疲れさん。」
いつも通りまかないで夕食を済ませたアレッタを見送った後、店主はメモ用紙に何かを書きつつ考え事をしていた。そしてまとまった考えを口に出す。
「やってみるか。師匠に教わったきり、使う機会がなくてほとんどやったことがないから勘が鈍ってなきゃいいが…」
前書きの通り後編に変更しました。
次章は親方来店です
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3#親方にご馳走しよう
「なるほど、こいつが異世界への扉ってわけか?確かにすげえもんだ…」
ツェンドルクの試験歩行にかこつけて異世界食堂の扉に連れてきたダーヴィド親方が扉に触れて最初に発したのが感嘆の言葉だった。そのまましげしげと扉を調べていた親方がいきなりバトソン&双子に向き直って口を開く。
「おいバト坊、キッドもアディも、この扉がどう凄いか言ってみな!」
「え?…それはこんな綺麗な継ぎ目で組んであって…こんなになめらかで艶のある表面で…ドアノブも俺たちじゃとても作れない曲線で…」
「違うでしょバトソン!」
「そもそも異世界の食堂に通じてる扉だって事が…」
突然の質問に半ばしどろもどろで返答する3人に対し、親方は呆れ果てたと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「はん!それだけか坊主共!!
いいか、確かにこんな扉は俺たちじゃ作れねえ。だがここにあるからには誰かが作ったって事、その『異世界』って所にはこれを作れる工具・・木材をここまで滑らかにできるカンナやヤスリ、金属をこんなに綺麗に削れる工具や技術があって、それを操れる職人がいるってことだ。銀色坊主に付き合うからにはそのくらいの頭を働かせろ!」
親方の雷に首を縮めてしまう3人、そこへエルが割って入った。
「まあまあ親方、教育的指導はそのあたりで。」
「…ふん、招待者のおめえの顔を立ててそういう事にしておこうか。」
親方がエルにうさんくさそうな視線を送るが本人は動じた風もなく頭を下げ、そして宣告する。
「どうもありがとうございます。では行きましょう!『異世界食堂』へ!」
Menue-X3:シーフードフライ&フライ盛り合わせ
チリンチリン…
「いらっしゃいませ!洋食のねこやへようこそ。」
「おう、いらっしゃい!」
「こんにちわアレッタさん、マスター。今回はうちの親方を連れてきました」
「はい、毎度ありがとうございます!席は…」
「おーい娘っ子!こっちに案内してくれぃ!」
「待っておったぞ銀髪小僧!店主、娘っ子、これから相席が増えるかき入れ時じゃろう?先に詰めておいた方がよかろうて!」
「それは…エルさんたちさえよろしければ…どうですか?」
アレッタの質問にエルは即座に返答する。
「はいお願いします!…実をいうと願ったり叶ったりですから。」
店の内装・木目が更に美しい壁・天井・テーブルや椅子、落ち着いた魔法?の照明に愕然としていた親方は気が付いてみればバトソンと向かい合って席についていた。横の席にいるのは背は低いが恐ろしくがっしりとした体躯で髭面…彼に馴染みの風体…の2人組である。
「会いたかったぞいダーヴィド親方!わしはギレム、ドワーフの酒職人じゃ。」
「わしもドワーフでガルドと言う、ガラス職人が生業じゃわい。」
「『ドワーフ』っておい銀色坊主!?」
「はい、お二人は異世界の『ドワーフ族』なんです!」
さすがに絶句する親方にギレムとガルドが畳みかける
「いやはや、そこのバトソンという坊主と銀髪小僧の話を聞いた時はワシらも驚いたぞい!まさか異界にも『ドワーフ』がいるとはなあ!背は高いがその腕と足腰、面構えはまさしくドワーフじゃわい!」
「しかもとんでもないものを造っている鍛冶の親方じゃと聞いておる。是非とも話をしたかったんじゃよ!…まあ何はともあれ一杯やろう!娘っ子、生ビールを3つ頼むぞ!」
「ああちょっと待って下さい。」
呆然とした親方を置き去りにして盛り上がるギレムとガルドを店主が静止した。
「な、なんじゃい店主!?客の会話に水を差すなど・・あんたらしくもない」
「普通ならこんなことはしませんがね。親方さん、あなた年齢はお幾つです?うちでは未成年に酒を出せませんので。」
「おいおい店主、あんたほどの料理人が何を下らん事を聞いておるんじゃ?この御仁が未成年なワケなかろうが!?」
「…ああ、俺は成人だ。19歳だから…」
「そちらの世界は何歳で成年なんです?」
ここでエルが割って入った。
「フレメヴィーラでは法律でも習慣でも15歳で成年です。」
「本当に?」
店主の問い掛けにバトソン・キッド・アディがこくこくと頷く。腕を組みつつ、うーんという表情の店主に対し複数の常連が口添えする。
「よいではないか店主、15歳で一人前というのはありふれた慣習だ。私が家を出たのも19のころだったぞ。」
とはテリヤキことタツゴロウ。
「わしが元服したのも、息子や孫の元服も15の歳であった、初陣もな。」
とは山国の老武士デンエモンである、流石に店主も一目おいている二人の年長者から言われては否とは言えない。
「わかりました、アレッタさん生ビール3つよろしく。エル君、ほかの注文はどうする?」
「はい、シーフードフライ2つと日替わり5つでお願いします。」
「了解!」
「ご両者、口添え感謝するぞい!」
「なあエル、メニューは全部ノートにとってあるって言ってたよな?どうしてまた見るんだ?」
「エル君なら全部覚えててもおかしくないよね?」
エルの興味と執着するモノに対しての異様なまでの記憶力を知っているキッドとアディの疑問に対してエルは…
「まず第一にメニューの変更を確かめる為です。例えばカキフライは今ありません、7日前が最後でした。」
「そうか、冬だけの料理だって言ってたよな?」
「第二に日替わりのメニューを確かめる為です…ふっふっふっ、その甲斐はさっそくありました!」
「エル君、笑いが怖い…」
「本日の日替わりは『フライ盛り合わせ』、メンチカツ・ハムカツ・コロッケの3品の盛り合わせなのです!洋食屋の定番3品を一度に食べられるとは何たる幸運!これを逃すわけにはいきません!」
「エル君が…」
「燃えている…」
ドン引きするオルター兄妹。妙な形で盛り上がる隣のテーブルを親方が妙に胡散臭げに横目で見ていた…。
「お待たせしました!生ビールとシーフードフライの追加です。」
「おう待っておったぞ!」
「これはワシらが追加注文しておった分じゃが、遠慮はいらん!ドンドン食ってくれい!サーモンとイカリングとエビカツじゃわい!」
「お、おう…」
「うわあ~」
油の爆ぜる音と香ばしい香りが立つシーフードフライ3品をのぞき込む親方とバトソンにギレムとガルドがまくしたてる
「坊主、エビカツは知っておるじゃろう?そちらの双子が母者にエビカツサンドを土産にしたんじゃからな。」
「エビのすり身を纏めて『揚げた』んですよね?」
「…どうもその『揚げる』って料理法がよく分からねえんだが、カツレツを作るやり方とは違うのか?」
「おう。ワシらも直接見たことはないんじゃが、一抱えの壺ほどの油を熱くしてそこに入れるらしいんじゃ。」
「ここではカツレツもそうやって作るらしいぞ。ほれ『ロースカツ』殿が食っているのがそれじゃよ。」
「おい、そんな大量の油を何処から!?」
カウンター上のロースカツを見た後、親方が顔色を変えて問いただす・・フレメヴィーラに限らずセットルンド大陸では『油』はもっぱら照明用(貴重品!)であり料理にはバターを使うのが一般的である…がギレムは肩をすくめてこう答えただけだった。
「さあなぁ~、何とかという植物の種から大量に搾っているとか聞いたような記憶があるが…よくわからんわい。」
「そんなことよりビールじゃビール!ぬるくなったり気が抜けたら不味くなるでな!先ずは飲もう!」
「お、おう…」
「「乾杯!」」
「ッ!?ぷはぁーーッ!」
情報量が多すぎて整理がつかず、2人に勧められるままジョッキに口をつけた親方の目の色が変わった、そのまま一気に飲み干してしまう!
「なんだこりゃ!しっかりと味があるのにまるで後口が残らねえ!のど越しが最高じゃねえか!それにこの冷たさ!どんな氷室で冷やせばこうなる!?」
「その飲みっぷり気に入った!」
「娘っ子、親方にもう一杯頼むぞ!無論ワシらのおごりじゃぁーっ!」」
「これ食べていいですか!?」
「もちろんじゃ坊主!イカというのは元の形がさっぱり分からんが、コリコリとした歯ごたえで噛むと味が滲んでくる!」
「サーモンはかなり大きな魚の切り身らしいが、身が赤くて味が濃い!バター焼きにしてもフライにしても最高じゃぁ!」
「タルタルソースをかけるんですよね?」
「わかっとるじゃないか!?そうよ、『エビフライ』の台詞ではないが、最高のシーフードフライを超えるモノは『タルタルソースをかけたシーフードフライ』だけじゃわい!」
バトソンの合いの手にノリノリでギレムとガルドがシーフードフライを称えるのだった。
「盛り上がってますね~いい傾向ですよ~」
楽しげに隣の様子を観察するエルに対し、オルター兄妹は目の色を変えてタルタルソースのかかったシーフドフライに齧り付いている、付け合わせの千切りキャベツひとかけらまで二人が平らげたその時それはやってきた。
「お待たせしました。本日の日替わり『フライ盛り合わせ』です。ご飯とみそ汁はおかわり自由ですのでお申しつけ下さい。」
「ぬふふふふ…待ってましたよぉーっ! さあてウスターソース・トンカツソースどっちにしましょうかねー?」
「おい!まだ何か選択肢があるのかよ!?」
情報量がとっくに飽和状態となっている親方が悲鳴のような声を上げたが、エルは容赦なくその上に情報を積み上げる!
「はい!味のベースは同じですが香辛料の香りと味がストレートでスッキリしたウスターソース、とろみがあって味が濃厚なトンカツソース、どちらをかけるか悩み処なんです・・・親方はどっちがお好きですか?」
「知るかぁーっ!」
…結局『鍋奉行』エルネスティの差配の元、重複しない組み合わせでウスター・トンカツ両ソースを配分してかける事で落ち着いた。
その後4人がソースのかかったメンチカツ・ハムカツ・コロッケのトリプルパンチにノックアウトされ、エルの一人勝ちとなったことは言うまでもない。
「この『みそ汁』ってなんなの!?何の味かわからないのに美味しい~っ!」
「ちくしょう!わけがわからねぇー!」
「……っ!」
「うんうん、喜んでくれて嬉しいです!、親方はいかがですか?」
混乱し、ほとんど半泣きでみそ汁とご飯をかっ食らう(3杯目!)アディ&キッド&バトソンをにこにこと笑いながら眺めていたエルが親方に尋ねる。すでにみそ汁とご飯のおかわり五杯を数え、ほとんどグロッキー状態でギレムとガルドのウイスキーオンザロックに付き合っていた親方はため息とともにグラスを乾した。
「幻晶騎士ってのは魔導と錬金術と鍛冶が作り上げる対魔獣の兵器、騎士が操る身の丈10mはある巨大な鎧さ、」
「ゴーレムやガーゴイルとは違うようじゃな?」
「おう、言うなれば人の手で作った巨人…そう、その筈だったんだよ、あいつがあんなもの(=ツェンドルク)を造るまではよぉ~!」
親方が語るのは銀鳳騎士団結成までの物語。いきなり鍛冶士学科の面々の前に現れた『悪魔』、職人があらがえない魅力的で実現可能 それでいてこれまでの常識も定石も塵芥と化す『提案』に引きずり回される日々、気付いてみれば完成したのは100年ぶり(!)の新型機、ところが悪魔は満足しない「もっとすごい物がある、もっとすごい物ができる」、何処かの国に新型機を1機奪われてもはや更なる新型を造るより他はない、造れるのはその悪魔だけ。
「てな訳でその悪魔…俺達の団長殿でもあるんだが…の無茶苦茶でデタラメ、常識ってやつを世界の果てまですっ飛ばした企画と設計を形にする事とその『悪魔』当人を守る為に国王陛下の勅命で結成されたのが俺達『銀鳳騎士団』という訳さ」
「…凄い話じゃのぉ…」
「巻き込まれたあんたは…災難としか言えんぞ。」
ギレムとガルドの台詞に親方は肩を竦めて見せた。
「『引き返し不能地点』は超えちまったよ。行きつくところまで行くより他はないのさ。さりとて不満がある訳じゃない。これから何が起こるのか、むしろ面白くて仕方がないぜ。
俺達団員はあいつの毒にあてられて、全員もうとっくにイカレてるんだろうよ…」
「一度そやつの顔が見てみたいのぉ…」
「同感じゃわい」
「…くくくく…ワーッハッハッハッハァーッ!!!
ここで親方が笑った、笑い出した。腹の底からの最上級の愉悦の笑いが店内に響き渡る!
「お、おい大丈夫か?何がそんなにおかしいんじゃ?」
狂気を含んだ笑い、誇り高く嘲弄を容赦しない筈のドワーフであるガルドが戦慄を感じつつ問いただすが、
「これが笑わずにいられるかよ!ほら、そこにいるぜ!」
親方が親指で指すのは、ニコニコ笑顔のエルネスティ…ギレムとガルドが思わず腰を浮かせ、たたらを踏んで後ずさる。
「「お、お主がかぁーっ!?」」
「ああそうだ、赤の女王様にプレゼンした時店にいたのはロースカツさんとテリヤキさんだけでしたっけ…じゃあ改めまして、
銀鳳騎士団団長のエルネスティ・エチェバルリアと申します、お見知りおきを」
平然としているロースカツとテリヤキ、カツドンとカレーライスは「へえ~」「ほお~」で済ませるが…オムライスの目がギロリと動いてエルを凝視した、プリンアラモードのスプーンが止まった、チョコレートパフェが卒倒しそうになったのをコーヒーフロートが慌てて支える、ナポリタンとメンチカツは喉を詰まらせてむせ返り、エビフライがレモン水を吹き出した。
「あの子騎士団長なんだって、ビッケ。」
「すごいね~、バッケ。」
ハーフリング2人のお気楽な感慨が店内の雰囲気を引き戻した。それを期にエルがわざとらしい困り顔でこんな台詞を吐く
「ひどいです、親方だってノリノリだったのに全部僕のせいにするなんて…」
「わざとらしくかわい子ぶるな!気色悪い!」
「それもそうですね。でも悪魔よばわりはひどくないですか?」
瞬時に先程の笑顔に戻るエル…こういう冗談は願い下げだと4人は思った…に対し親方は恐ろしく真剣な顔で問いかける
「訂正しようか、お前本物の悪魔だろ?…そもそもオメエはいったい何モンなんだ?」
…親方の中に一つの恐ろしい推論があった、目の前の銀色坊主は初めからここの店のメニューがどんなものか全て知っている…材料も調理法も味も食べ方も…まだ数回しか来店してない筈なのにメニューを見ただけで把握できる筈がないし、忙しい店主に根掘り葉掘り確認できる訳はない。だいたい異世界の文字で書いてあるメニューがどうしてそんなにすらすら読める?…それはつまり…
キッド・アディ・バトソンのようにエルがどんな突拍子もない事を言おうが行おうが、あるいは何を知っていようが全て『エルだから』で片づけてしまえる程には病膏肓に至っていない親方だから至ることのできた考えだが、常識の最後の防衛線がそれを認めない。そんな親方にエルは笑顔で答えた。
「僕はエルネスティ・エチェバルリア。親方が目の前で見てきた、見ている通りの人間ですよ。」
…防衛線は破られ、親方の常識は白旗を上げた。『カツドン』すら呆れるほどの音声で親方は笑う!そしてエルの頭に手を置くと その銀髪をぐしゃぐしゃかき回しつつこう吠えた
「そうだな、オメエはオメエだ、それ以外の何者でもねえ!オメエがこれまでやってきた事とこれからやる事に比べればそんな事は取るに足らねぇや!これからもよろしくな!団長殿!」
「はい!よろしくお願いします!」
目の前の光景の意味が分からずきょとんとする他3名だがエルネスティの目的、親方へ「これまでありがとうございます、今後もよろしくお願いします」の意を伝える事は達成されたのだった。
頻繁な章変更申し訳ありません。
次回こそ中隊長来店です。
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4#中隊長にご馳走しよう 前編
Menue-X4:カツドン&ビフテキ
チリンチリン…
「いらっしゃいませ!洋食のねこやへようこそ。」
「おう、いらっしゃい!」
「こんにちわアレッタさん、マスター。今回は都合がついたので中隊長を2人連れてきました」
「はい、毎度ありがとうございます!席はこちらで。」
ツェンドルクの『荷馬車』牽引走行試験にかこつけて連れてきたエドガー第一中隊長とディートリヒ第二中隊長をオルター兄妹&バトソンがエルの開けた異世界食堂の扉に有無を言わさず引き込んだのだった。
「…ここが異世界の…」
「食堂なのかい?」
「はい!」
いきなりの異世界食堂に目を白黒させたディートリヒとエドガーだが、ダーヴィド親方からある程度の事は聞かされていたので客層にあたふたすることはなかった。内心はともかく落ち着いてホストであるエルが引く席に着く。
そしておしぼりとレモン水を持ってきたアレッタにエルが注文を出した。
「ご注文はお決まりですか?」
「今日はカツドンを6つ、それとビフテキを3つお願いします。」
「はい、マスター注文入りました!」
「あいよ!」
アレッタが目の前のグラスに注ぐレモン水をじっと見つめるエドガーとディートリヒ、それが全員にいきわたったのを見計らってディートリヒが口を開いた
「給仕のお嬢さん、ちょっといいかな?」
「はい、なんでしょう?」
「すべてのお客にこの氷入りの水がサービスで出されているそうだけど、ここにはそんなに大きな氷室があるのかい?」
「はい、奥に氷を作ったり食材を冷やして保管する銀色の部屋がありますけど、私には詳しい仕組みは分かりません。マスターやマスターの世界、つまりここの方ならご存知だと思うんですけれど。」
「そうか、確か君は別の世界の人だったね?忙しいところ済まない…しかし氷を作る魔法なんていったいどうすれば編み出せるんだろう?」
「それとなく構文士に聞いてみたが、見当もつかないと言っていたよ。」
「その件、興味深い。」
うーんと考え込む中隊長二人だったが、横から声を掛けられてそちらを見てみれば…そこには3人の男女がいた。ドレス姿の冷静さと知性を感じさせる美貌の女性(耳が長い理由はあえて考えないようにしよう)褐色の肌を光沢のある厚手の布地でぴったり覆った服装の貴公子とその妹(顔立ちに共通点がある)である。美貌の女性がまず口を開いた
「私は魔術師のヴィクトリア、ここではプリンアラモードで通っている。あなた達はエルネスティ騎士団長の部下?」
「はい、銀鳳騎士団第1中隊長エドガー・C・ブランシュと申します」
「同じく第2中隊長ディートリヒ・クーニッツです」
二人は立ち上がって一礼した。騎操士の教育には当然貴人に対する礼儀作法があり、目の前の3人は礼を示さねばならない『身分』の相手だとわかる。ヴィクトリア:『プリンアラモード』が二人に優雅な手ぶりで着席するよう勧めた。彼女もシャリーフ:『コーヒーフロート』及びラナー:『クリームソーダ』と共に近くに座る。
「ここでは私たちは皆一介の客、楽にしてくれていい。コーヒーフロートにクリームソーダ、先ずあなた達から聞いてみて欲しい」
「承知しました『魔女姫』…両中隊長に尋ねたい、君たちの国には本当に『冷却』の魔法はないのか?」
エドガーとディートリヒが同時に頷く。心底驚いたという表情のコーヒーフロートの後を受ける形でクリームソーダが前に出る。
「信じられないわ…いくら高地の国でも夏は暑いんじゃなくて?涼をとったり食材を
冷やしたりはどうしてるの?」
「いや、そもそもフレメヴィーラではそういった用途に魔法は使いません。我が国の魔法は魔獣と戦い、人の生きる事のできる地を奴らから切り取る為に編み出され、磨かれてきたものなのです」
「なるほど、納得した」
エドガーの返答にクリームソーダが絶句したが、プリンアラモードが深く頷く。
「エルネスティ団長やダーヴィド親方達の会話を聞いていてずっと気になっていた、あなた達の世界の魔法は私達から見るとひどく偏っている。初めから戦の為に編み出された魔法であったなら筋が通っている。
師匠、私はまた知識を得ることができた。やはり魔法の進歩はそれぞれの地の事情に大きく左右されるモノだという事。だからもっと多くの地の魔法を収集、比較して研究することが今後必要になる」
プリンアラモードがカウンター席のロースカツに宣言した後、2中隊長およびコーヒーフロート、クリームソーダに対して優雅な貴婦人の礼をした。
「ありがとう、あなた達のお陰で私がこれから追及するべき事を見出すことができた」
「い、いえ…」
「どういたしまして…」
狐につままれたような心持で返答した2中隊長だが、『さて』という呟きの後卓上のプリンアラモードを食する事に集中してしまったプリンアラモードの様子に大いに面食らってしまう。
…この200年あまり後、ビクトリアは東西大陸は無論の事、南大陸の魔法まで自身と弟子たちとで収集・比較研究して全世界の魔法の系統を分類統一した「全世界魔法大全」という書物を記して師を超える名声を得るのだが、この物語とあまり関わりはない。
「ねえねえエル君、カツドンって『カツドン』さんがいつも食べている料理だよね?どんな味なの?」
アディが舌なめずりしながらエルに向けて身を乗り出す。キッドもバトソンも続く。エドガーとディートリヒもつられてエルに注目し、エルが説明を始めようとした時である。
「それはですね…」
「よう、カツドンの話をしているのか?」
「「?…ひええぇーっ!」」
後からの吠えるような大声に2中隊長が振り返ってみればなまくらを担いだライオネル:『カツドン』が立っていた。親方から話は聞いていたがやはり聞くと見るとは大違いである。
「どうもカツドンさん、今日はごゆっくりなんですね?」
「おう坊主!いや騎士団長殿と呼ぶべきか!?昨日の夜一仕事片づけたんで身支度に手間取ってよ。返り血浴びたまま扉をくぐる訳にはいかねぇからな。へえ、また新顔を連れて来たのか?」
エドガーとディートリヒの悲鳴にも別に気を悪くした風でもなくカツドンはずい!と顔を2人に近づける。ひきつった笑いを浮かべて引く2人、その様子にカツドンは大笑いした。更にエルが笑顔で続ける
「二人はうちの中隊長です、今日はご存知の通り『勝つ』に通じるカツドンを注文してゲンを担ぐのが目的です!」
「成程!俺はライオネル、ここではカツドンで通ってる!その俺がカツドンについて教えてやろう、旨い!それだけだ!店主、いつも通りカツドンを大盛で!」
「あいよ!」
「お待たせしました、カツドンです!」
アレッタがエル一行とライオネルの前に並べるカツドン。ライオネルが歓喜の咆哮を上げ、エル以外の面々が流石に怯むが構わず続けた。
「よーく聞けよ?カツドンはカツだけでは味が濃すぎる、飯だけでは薄すぎる、両方一緒に口に入れるのが正しい食い方だ!」
それだけ言ってライオネルはカツドンをかっ食らう、その光景が一行全員の食欲を刺激した。彼に倣ってカツと飯を口に運んで…その後の5人の状況は言うまでもない。
豚ロースの肉と脂の旨味、砂糖(!?)の甘さと未知の調味料…『醤油』というらしい…の味を卵が包み込み、それを飯と一緒に!
「美味かったろうが!?…なんだ口も聞けぬようだな?結構結構!」
「招待者として喜んでもらえて嬉しいです!」
大笑いするカツドンとニコニコ顔のエル。他5名はテーブルに突っ伏すやら背もたれにもたれかかって惚けてるやら…
「やあ、相変わらず仕掛けが効いているようだね?」
呆れ半分の笑顔を浮かべた店主がビフテキを乗せたワゴンを押してやってきた、
「はい。キッドとアディとバトソンは免疫があると思ってたんですけど、カツドンは偉大ですね?」
「そうだろうとも!っておい、追加はビフテキなのか?」
「はい、ビフテキの『テキ』は敵(Enemy)に通じるのでカツと合わせて「テキ」に「カツ」、「敵に勝つ」っていうゲン担ぎで…ご存じなかったんですか?」
エルのカツドンへの答えが途中から疑問調になった、当然知っていると思っていたのだ。
「知らん!おい店主!どういうことだ!坊主の言ったことは本当か!?」
カツドンの殺気を含んだ怒号にエルの顔が青ざめた、ロースカツとテリヤキがそれぞれ杖と刀に手をかける、その他の者は凍り付いた。
「ええ、そういうゲン担ぎはありますよ」
店主の平然とした返答に店の空気が瞬時に氷点下まで下がったように思われる。
「ふざけんな!先代もあんたもなんで黙ってやがった!返答次第では…」
「ま、聞いてくださいよライオネルさん」
店主の口調は変わらない、出鼻をくじかれたカツドンが黙るとともに店主が淡々と語り始めた。
「先代のじいさんがあなたと最初に会った時、詳しい事情は分からなくてもあなたがのっぴきならない闘いを目の前にしてるのに自信を無くしているのはすぐ分かった筈だ。だからカツドンを出した」
「…そいつは分かる…」
「知っての通り『値引きもぼったくりもしない』のが先代からのうちの方針だ、このビフテキは今も昔もうちで一番高い料理です。だから先代はこいつを出すのはぼったくりだと思ったんでしょう。そしてあなたは見事に勝ってまたこの店に来てくれた、そんなあなたにもうゲン担ぎなんて不要、じいさんはそう考えたんでしょうね…俺もそう思います。
もっともライオネルさんのカツドンの食べっぷりがあまりに見事なんで、ゲン担ぎの
ことなんてすっかり忘れちまってたのかもしれませんがね?」
「…ククク…わーっはっはっッ!!!」
カツドンが笑った、今回は腹の底から楽し気に!そしてどっかりと席に着く。
「大したもんだよ店主!あんたもだんだん先代に似て来るじゃねえか!?
たしかにあのじいさんならそんな風に考えただろうな!?あんたも先代も絶対に客を不愉快にさせない、満足させてくれる達人だからよ!脅かして悪かったな、坊主も皆の衆も」
「どうもありがとうございます。皆さんもお騒がせしました」
店主が胸を手にカツドンに、そして客の全員に一礼した。誰ともなく拍手が起き、やがて店の全体を覆っていく…それがひとしきり終わった後エルが店主に頭を下げる
「すいません!僕が余計な事を言ったせいで!」
「まあ正直言うと少しビビったがね。ライオネルさんとはかれこれ10年以上の付き合いだ、話して分からない人じゃないのは知っているよ」
「ふん、よせやい。」
どう考えても照れているとしか思えないカツドンの呟きは店主とエル以外の耳に入ることはなかったろう…さらなる照れ隠しかカツドンはこんなことを言い出した。
「店主、今日カツドンはここで打ち止めだ、俺にもビフテキをくれ、それと酒を!…ビフテキに合う酒はなんだ!?」
「赤ワインですね。」
「ではそれを一瓶頼む!それからグラスは3個だ、そこの中隊長2人に!無論俺のおごりだ!」
「ちょ、ちょっとカツドンさん?」
驚くエルの頭をぐしゃぐしゃにして笑いながらカツドンが続ける
「いいって事よ、面白い事を教えてくれた礼だ!
本当ならお前さん本人に一杯おごりたいんだがそいつは店主が許しちゃくれねえ。
だからこれくらいはよ…そうだ!そっちのビフテキの払いは俺が持つぜ!」
「えーと…」
店主が上目で自分を見上げるエルにニコッと笑う。エルも笑って頷いた。
「それではお言葉に甘えさせていただきます!」
「おう!」
そしてカツドン、エドガー、ディートリヒは赤ワイン、その他未成年はコーラのグラスを掲げもっていた。
「音頭は俺に取らせてもらうぜ。ねこやの先代と当代に!乾杯!」
「乾杯!」
グラスを乾した面々だが、エドガーとディートリヒはこれまで飲んだことのない程
ボディの強いワインにむせ返る。
「ぐはっ!なんだこの葡萄酒!?こんなに濃くて強いのは飲んだことがない!」
「あ、ああそうだ…だが待てよ…」
ディートリヒはそのままビフテキに齧り付いた。
「お、おいディー?」
「美味いっ!」
ディートリヒの叫びに驚くエドガー、そのままディートリヒはまくしたてる
「君も食べてみろエドガー!この酒はこの肉料理と一緒に食べる事で真価が分かるんだ」
「何だって!?」
エドガーもビフテキに齧り付き、そして衝撃を受けた。絶妙の火の通し方で活性化した肉汁の味と複雑なソースの味、更に加わるボディの強い葡萄酒の味!3者ともいずれに引けを取ることもなく口の中でぶつかり混ざりあう!衝撃に打ちのめされながら次の衝撃を求めるように肉を口に、酒を口に、肉を、酒を…!
その頃未成年4人組はと言えば、
「口の中で弾けるぅーっ!うめぇーっ!」
「あまーいっ!おいしーいっ!」
「色なんてどうでもいいや!でもなんでこんな風に弾けるんだろう?」
「ああそれは二酸…ある種の気体を水に溶かすとこうなるんですよ」
「「「ふーん…」」」
コーラを堪能していた3名だが、微妙な表情でビフテキに注目する…フレメヴィーラでも牛肉の扱いは常連達の世界と変わりはない。牛は農耕&荷役用の家畜であり、肉となるのは怪我・病気・老齢で働けなくなったものだけ。味については何を言わんやというレベルである…その3人へまたしても『悪魔』が囁く
「うふふふ…マスターが言っていたでしょう『うちで一番高い料理』だって。普通の一品料理なら常連さんたちの世界の銀貨で1枚ですがビフテキは2枚です。なにしろこれは『肉牛』!食用にする為だけに飼育された牛の肉ですから!味の方は折り紙つきですよぉ~」
美味そうな見た目と匂いを押しとどめていた常識という名の堤防が決壊した、切り分けられた肉にフォークが突き刺されそして…3人はエドガーとディートリヒにやや遅れて同様の運命を辿ったのだった。
「いかがでしたビフテキは?どうも異世界では牛肉は不味いものらしくて不人気なので… そちらではどうなんでしょう?」
牛肉についての懸念を確かめに来た店主の質問にまずエドガーが我に返った。
「…ああ、いや…こちらでも同じです…しかしこの肉は…旨かったです」
「それはよかった。こんな店ですので高級肉という訳じゃないですが、満足していただいたようですね?」
店主の笑顔と言葉がエルを除く全員に更なる衝撃を与える。相変わらずニコニコ笑顔のエル以外はテーブルに突っ伏した。
「高級って…もっとすごい肉があるのですか!?」
悲鳴半分でディートリヒが叫んだ。無慈悲なエルの合いの手と店主の答えが更なる情報を積み上げる。
「この国の国産が高いんです。これはどこからの輸入肉ですか?」
「オーストラリア産だよ。アメリカ産は政治的事情というヤツで最近高くなったんだ」
「そうなんですか、大変ですね?」
「待った!この話はここまでにしてくれ!!」
これ以上の情報を積み上げられては精神的に持ちそうにないと判断したエドガーが無理やりのドクターストップをかけた。大きく深呼吸をした後で店主に向きなおる。
「店主殿、先程のライオネル殿への対応といい料理の力量といい、あなたは凄い方だ。エルネスティ団長が私達を招いてくれたのも当然です、最高のもてなしでした。
ありがとうございます団長」
「喜んでもらえて嬉しいです!」
2中隊長がエルに立礼し、エルも礼を返した。そこでディートリヒが店主に向き直って問いかける
「こちらではさぞかし名のある料理人とお見受けいたしますが、もしやどこかの宮廷にお仕えでは?」
「いやいや、私は一介の洋食屋の店主です。ここの商店街の全ての料理店の主はジャンルが違えど私と同等かそれ以上の腕前ぞろいでしてね、一日たりとも気が抜けないんですよ。宮廷とか偉い方が使う料理屋には我々なんぞ足元にも及ばないような料理人が多々おられますしね」
「おいしっかりしろディー!気を確かに持て!…この世界は一体何なのですかぁーっ!!」
論理回路がついにショートして目を回したディートリヒを、どうにか持ちこたえたエドガーが支えて揺さぶりつつ叫ぶ。
「こういう世界なのじゃよ、お若いの」
ロースカツの一言がエドガーにとどめを刺したのだった。
「ねえ、どうだったの…ってどうしたのよ二人とも?」
ライヒアラ学園に戻って来たエドガーとディートリヒに異世界食堂について質問したヘルヴィは、二人の精も根も尽き果てたといった風体に驚いた。
「あ、ああ。旨かったよ…」
「何よそれ、ほかに言い方がないの?どんなものが出てどんな味がしたとか!?」
「ほかに言いようがないッ!…いやすまん…」
「ちょっとどうしたのよディー?…エドガー?」
半分切れたようなディートリヒの言葉に思わず怯んだ後、正面から自分を見据えたエドガーの様子に思わず後退る。
「そう、あれは『旨い』というレベルの話じゃない、言うなれば『衝撃』だ!
いいかヘルヴィ。あの扉をくぐったら覚悟を決めるんだぞ」
「お、脅かさないでよ…」
「なあエル、どうして今回はヘルヴィ中隊長を誘わなかったんだ?
荷馬車なら3騎のせられたろ?」
ここまで聞いたキッドはエルの表情を見てそれが愚問だったと悟った、エルの顔に張り付いていたのは例によって常人には理解しがたい事を思いついた際の笑いだったからだ。
「うふふふ……何故なら次回はお菓子をメインにしようと考えているからですよ!」
「お菓子ィーッ!?」
アディが歓喜の声を上げた、更にエルは畳みかける。
「そうです!あそこのお菓子の大半はマスターの友人がやっている「フライングパピー」という洋菓子店から仕入れているそうですが、これ目当てにやって来る常連さんも沢山いるとのこと!美味しい事はもちろん、これまであったことのない常連さんにも出会えるでしょう!特にアディは楽しみにしていてくださいね?」
「うれしいぃーっ!」
アディは満面の笑みと共にエルに抱きつくが、キッド&バトソンはとんでもない種族の常連に会うことがないよう祈りつつ天を仰ぐのだった。
次回はヘルヴィ中隊長の為のお菓子編です、今まで出てこなかったお菓子の常連中、誰が登場するかお楽しみに。
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4#中隊長にご馳走しよう 後編
「…チョコレートパフェ、フルーツパフェ…ホットケーキ…クレープは…パウンドケーキは日替わり…シュークリーム…チーズケーキはレア&スフレ&ベイクド…さすがにとおりいっぺんの事しか書けませんね~」
もはや魔窟というべきエチェバルリア家の自室にて、とことん怪しい笑いを浮かべたエルが倉田翼としての記憶を総動員して思い出したそれぞれの菓子の詳細を店主からもらった大きめの『ポス〇イット』にフレメヴィーラ語で書き留め、これまた店主に無理を言って貸してもらったメニューに貼り付けていく。
「これを使うのも十数年ぶりですが、こういう用途にこれに勝るものはありませんね。発明者は偉大です!…さて下準備は整いました、喜んでくれるでしょう!ヘルヴィ中隊長、アディ、待っていてくださいね。ぐふふ…」
Menue-X5:お好み焼き&焼きそば&ショートケーキ&シュークリームetc
チリンチリン…
「いらっしゃいませ!洋食のねこやへようこそ。」
「おう、いらっしゃい!」
「こんにちわアレッタさん、マスター。もう一人の中隊長を連れてきました」
「はい、毎度ありがとうございます!席はこちらで…ってお客様、大丈夫ですか?」
ツェンドルクの単座型建造のデータ取りと操縦に慣れてもらうためヘルヴィ&アディが操縦しているツェンドルクで異世界食堂の扉へやって来たエルとその一党。さすがに扉をくぐるまではスムーズだったのだが…
「ヘルヴィ先輩、先輩!?しっかりしてください!?」
「うわぁ完全に気絶してるぞ!おいバトソン、後から支えてくれ!」
「わ、分かった」
入店するなりヘルヴィは立ったまま卒倒し、キッドとバトソンが支えるやら席に運ぶやら…
「うーん、さすがにこれは想定外ですね~あははは……」
「「笑ってないで手伝えエル!」」
「はいぃーっ!」
右手を頭の後ろにしたエルの引きつった&乾いた&間抜けな笑いをキッド&バトソンが怒鳴りつける。もう顔なじみと言っていいチョコレートパフェ・プリンアラモード・コーヒーフロート・クリームソーダの他、パウンドケーキを囲んでいる聖職者らしい白い長衣姿の女性3人および3種のチーズケーキをそれぞれ前にしている鎧姿の大中小の女性3人はまだいい。ホットケーキの乗ったテーブルを埋め尽くす小人の群れやクレープ2種を囲む羽の生えた小人などというオトギバナシの存在は覚悟の遥か斜め上である。
「か、か、か…可愛いぃーっ!!」
「ちょっとアディ!あなたまでですか!?」
ヘルヴィとは異なり、可愛い物にオーバーヒートした挙句卒倒したアディを慌てて受け止めるエルであった。
「……」
「うへへへへへ…」
「あの~ご注文は…よろしいでしょうか?」
「…まあ、色々ハプニングがありましたが…まずは軽い食事にします。ミックスのお好み焼き2枚、焼きそば2人前を。」
「はい、マスター注文入りました…」
「あいよ!」
戻っては来たがテーブルに突っ伏しているヘルヴィ、店を出るリリパット達とクレープを囲んでいるフェアリー達を緩み切った表情で眺めているアディを横に珍しく疲れた表情のエルがアレッタに注文を出した、そのまま恐る恐るという体でヘルヴィに問いかける。
「あの~先輩…大丈夫ですか?」
「だ、だ…大丈夫なワケないでしょぉーっ!聞いてないわよここまではぁーっ!」
「すいません、僕も知りませんでした。」
切れるヘルヴィに頭を下げるエルだったがそれだけでは終わらないのがエルがエルたる所以である。
「お詫びと言ってはなんですが、お菓子の注文は時間指定の食べ放題にしますので、平にご容赦の程を!」
「…それは嬉しいけど…ここのお菓子がどんなものか分からないわよ。」
「そこは抜かりありません!これをどうぞ!」
フレメヴィーラ語訳の付箋を張り付けたメニューをすかさずエルはヘルヴィに差し出した、広げてみればスイーツ全ての名称と概略説明が張り付けてある。何よりメニューのビジュアルに彼女は釘付けになった。
「…こ、こ、これ全部食べ放題っ!?アディ!こっちを見なさいッ!」
ヘルヴィはアディの襟首をひっ掴んでメニューを突きつけた、アディの目の色が瞬時に変わってエルに抱きつく。
「エル君大好きぃーっ!」
「はははは…」
もとからの食べ放題の予定をあえてここで提示する、提案というものは行うタイミングによっては切り札にもなる…倉田翼の記憶による駆け引きは功を奏した。女性陣二人は他の事はケロリと忘れたようにメニューに食い入っている。エルは内心やれやれと胸をなでおろしたのだった。
よく焼かれた豚バラ肉の香ばしさ、イカ・エビ・タコから出る未知の味と歯ごたえ、キャベツの甘味と麺の旨さ、ソースとマヨネーズ・青のり・削り鰹の旨味とすべての熱さに全員が目を白黒させたのは当然であるが、これはあくまでも前座である。
『さあていよいよ本日のメインイベントです!が…何なのでしょうね、この店全体の雰囲気は…?』
一触即発の空気が店内を覆っている、ほぼ全ての女性陣(クリームソーダとトーフステーキを除く)の視線がエルに集中しているのだ。
常連の御多分に漏れず自分の好物こそ最高と信じている面々の関心事はただ一つ。「注文は何か?」である。
女のプライドのかかった静かな闘いの焦点である「中身がおっさん」の少年が平然とその均衡を破った。
「最初の注文は僕がします、その後あの時計の長い針が一周するまでは何を頼んでもいいですよ。アレッタさん、注文お願いしまーす。」
「はーい。」
「ショートケーキとシュークリーム、それからコーヒーを5人前お願いします。それから持ち帰り用にパウンドケーキ3ホールとクッキーアソート大缶を3つ。」
「はい、マスター注文入りました…って皆さん?」
ずべしゃ!全女性陣(アーデルハイドとラナー、ファルダニア以外)がずっこけている…恐ろしい事にヴィクトリアとティアナまで…エルは自分が虎の尾を踏んだ事にようやく気付いた。
「…シュークリーム…こ、これは勝ったと考えてよろしいのでしょうか?…」
「ええ、自信を持っていいわアーデルハイド。ね、お兄様?」
ラナーが視線を明後日の方向に向けガッツポーズをするアーデルハイドを持ち上げつつ、事の成り行きについていけていないシャリーフを肘で小突く『機会を逃すな!』と。
「も、もちろんだよアーデルハイド。君の勝利だ!」
「パウンドケーキは持ち帰り…持ち帰り…持ち帰り…」
「お気を確かにセレスティーナ様!これは決して敗北ではありません!」
「むしろ勝利というべき。」
必死に、あるいは冷静に呆然自失のセレスティーナをなだめるカルロッタとアンナだが、彼女は止まらない。
「いいえ、いいえ!…確かめなくてはいけません!」
セレスティーナが決然と席を立つ。
「ありえない、ありえない、ありえない!」
「あり得ぬ、あり得ぬ、あり得ぬ!」
「お、おい、落ち着かんかヴィクトリア!」
「お静まり下さい女王陛下!」
「私自身とプリンアラモードの名誉の為に!」
「クレープを愛する花の国の一族、その女王ティアナ=シルバリオ十六世の名にかけて!」
ほぼ異口同音を発したヴィクトリアとティアナはもはや師匠&臣下の言葉も一顧だにしない、彼らも見たことがない憤怒の表情で杖を手に席を立つ、テーブルから飛び立つ。
「チーズケーキが敗北するなど…認めない!」
「みなまで言うなヒルダ!これはあってはならん事だ!」
「チーズケーキの敗北はあたしたちの屈辱!この汚名を断じて雪ぐべし!」
「「おう!」」
女傭兵3人組 ヒルダ・アリシア・ラニージャが怒りに燃えて席を立つ。
ズンズンズンとエルに迫る5人と1妖精。もはやなすすべがない。
「何故パウンドケーキが持ち帰りなのか理由を説明なさい!」
「貴方を見損なった、プリンアラモードを知っていながら選ばないなど!」
「クレープを無視するとは許せぬ!返答次第によっては花の国と全臣民を敵とすると知れ!」
「チーズケーキへの侮辱はあたし達3人への侮辱だ!覚悟はできてるんだろうな!」
「ちょ、ちょっと待ってくださーいッ!」
「エル君を虐めないでっ!」
アディが叫び、大の字に手を広げて5人&1妖精の前に立ちはだかる!パウンドケーキ愛&プリンアラモード愛&クレープ愛&チーズケーキ愛連合の猛攻を、破れ口に立つアディのエル君愛が見事に支え切った!
「エル君はこの店に来るときは、いつだって連れて来る私達を驚かせて楽しませてくれようとしてるんですっ!今回だってヘルヴィ中隊長を…だからエル君が間違った事する訳がありませんっ!!」
「そりゃあうちの団長は常識をすっ飛ばした突拍子もない人だけど、理屈に合わない事はやらない人だよ!…矛盾してるケド…」
やや遅れてヘルヴィもアディを支える(微妙にフォローになっていないような…)予期せぬ壁にぶつかり勢いを殺された5人&1妖精はここで店主の咳払いを聞いた。
「うおっほん!お客さん方、うちはぼったくりも値引きも、『押し売り』もしないのは分かってらっしゃいますよね!?」
手を腰に厳しい表情で自分たちを見つめる店主の視線にはさすがに全員黙らざるを得ない。
「だけどよぉ~」
人一倍血の気が多いアリシアがそれでも食い下がる。そこへ珍しい人物が割って入った。
「まあまあ皆さんもご亭主も、ここは落ち着かねばなりますまい?」
「なんだよ、海国の陰陽師じゃねえか?あんたが口を挿むことじゃねぇよ!」
行き場を失った勢いをぶつける形でラニージャが凄むが、海国の陰陽師:ドウシュンは柳に風と受け流す。
「いやいやご亭主の言はもっとも。その上そちらの少年のお連れの2人の決意の程が分からぬ方々ではございますまい?まずは彼の話を聞いてみてはいかがでしょうか?」
「…そうですわね…」
「…異存はない…エルネスティ団長、あなたの考えを聞かせて欲しい」
セレスティーナの言葉に、落としどころと見て取った他の全員が同意し頷いた。そしてヴィクトリアが代表する形でエルに問いかける。
「はい…アディもヘルヴィ中隊長もありがとう…」
ここでエルは二人に頭を下げた、少し照れ臭そうに席に着く二人。その様子に微笑みかけた後エルは5人と1妖精に真剣なプレゼン用表情で向き直った。
「セレスティーナさんですよね?パウンドケーキはお分かりの事と思いますがお土産用です。向こうにはバトソンの同僚…こちらに連れてきていない鍛冶士の方が大勢います。彼らと親方、エドガー、ディートリヒ中隊長といっしょにこの店の味を楽しみたいのですが扉からみんながいる本部までの帰路はとても揺れるんですよ。だから固めのパウンドケーキは最適なんです。」
「ま、まあそんなに大勢の方がパウンドケーキを食べて下さるの?それは素敵ですわ!…そこまで考えておりませんでした、ごめんなさいね。」
「ヴィクトリアさん、えーと花国の女王陛下、それから…」
「あたしはヒルダ。こっちはアリシアとラニージャ、傭兵をやってる。」
「ではヒルダさん、アリシアさんにラニージャさん。プリンアラモードもクレープもチーズケーキも凄く美味しい事はよくわかっています。でもこの世界 この国では洋菓子店の良し悪しを知るための定石はショートケーキとシュークリームを食べてみる事なんです。僕達は皆さんと違って初心者ですからあえて定石を踏む事にしました。
が!無論プリンアラモードもクレープもチーズケーキも外すつもりはありません!ヴィクトリアさんがご存知の通りこの店のメニューを制覇するのが僕たちの目的ですから!」
エルのプレゼンは全員を納得させる力があったようである。
「…私達は大人げない事をしたらしい…エルネスティ団長、申し訳ない。店主もお騒がせした。」
「…魔術師殿の言う通りだ…両名にわが名にかけて詫びよう。」
「…そういう事なら…あたし達が文句をつける筋合いはないよ。アリシアもラニージャもいいだろ?…二人ともすまねぇ。」
「「お、おう」」
ややバツ悪げに全員席へ戻っていった。その光景を見たファルダニアが決め台詞を吐く
「しょうもな…。」
「お主、ずいぶんらしくない事をやったのう?」
「ほほほほ…『袖すりあうも…』と申しますが、『お好み焼き』と『焼きそば』の縁でございますよ。それに貴方が乗り出すとかえってこじれる事は目に見えておりました故…」
「ふん…」
こちらもお好み焼きと焼きそばの縁に感じて仲裁に乗り出そうとしていた山国の近衛武士:ソウエモンはドウシュンに向けて鼻を鳴らすと明後日の方を向いたのだった。
「お待たせしました、ショートケーキとシュークリームです。コーヒーもすぐお持ちしますね。」
「「「「おおおーっ…」」」」
明らかにほっとした表情でアレッタが注文の品を持ってきた。アディとヘルヴィはもちろんだがキッドとバトソンも席から身を乗り出してのぞき込む。
「これがケーキ…すごく真っ白…上の赤いのは果物なの?」
「ベリーの一種ですけど品種改良されて丁寧に栽培されてるんです。真っ白なのはクリームをしっかり泡立ててふわふわにしてるからです」
「『泡立てる』って何?」
「専用の調理器具でクリームの中に空気を含ませるんです、この世界の菓子職人の腕の見せ所ですよ。」
「「ふえええ…」」
ベリー類と言えば野生種、クリームと言えばそのまま飲むか(これだって贅沢)煮物に使うかしか知らないヘルヴィとアディが目を丸くするが、エルは更に畳みかける。
「アディ、コーヒーについてヘルヴィ先輩に説明してあげて」
「うん。先輩、このコーヒーってすごく香りが香ばしいでしょう!?でもその分濃くて苦いからそのミルクとこの砂糖を入れるんです…砂糖は2杯だよね?」
「いや、お菓子と一緒の時は1杯がいいですよ。お菓子の甘さを殺さないように。」
「なるほど、そうなんだ。いま入れますね?」
砂糖壺を開けてアディが掬ったグラニュー糖を見たヘルヴィが真っ青になった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!何それ砂糖なの?そんな真っ白な!?…いったい幾らするのよ!?」
「大丈夫!コーヒーやお茶を頼んだらタダですから!」
アディの笑顔と共に放たれた言葉は瞬時にヘルヴィへのストレートとなった。…セットルンド大陸で砂糖と言えばビート(砂糖大根)から作るものだが、全体として地味が必ずしも豊かではないフレメヴィーラでは穀物の生産が優先されるのでビートの生産を行える畑は限られる。更にビートの糖分含有率はサトウキビに比べ多くはないので砂糖は高価にならざるを得ない。また金属とは勝手が違う精製技術も高くはないのでここまで白いものは作りようもない…クラクラとしている彼女をキッドとバトソンが慌てて支える。
「だいじょうですか先輩?」
「な、なんとか…エドガーの言った通りだわ…それにしても…」
ヘルヴィの視線はエルに向いた、相変わらずニコニコ顔のエルは平然とそれを受け止める。
「エルネスティ団長、あなた本当に全部知ってるのね?…このお菓子が、コーヒーがどんなものか、どんな味なのか…どこで?…どうやって?…」
溢れんばかりの力と才を幻晶騎士に、ただそれだけに注ぎ込んで暴走する前代未聞の趣味人というのが銀鳳騎士団員全員の持っているエルネスティの人物像である。半ば呆れつつも彼の暴走の先にあるものに魅せられて(毒されて)それに乗っている内の一人であるヘルヴィだが、この時ばかりはエルのその奥にある何かを直感して戦慄していた。
「さあて、僕自身それはどうでもいい事だと思っていますよ。今僕は自分がフレメヴィーラ王国のエルネスティ・エチェヴァルリアだという事に満足していますから。だからヘルヴィ先輩にも僕という人間がそれ以上でもそれ以下でもないって思ってもらえたら嬉しいです。…それよりもケーキです!食べて下さい食べて下さい!」
肩を竦めた後はまるっきり自分の好物を人に勧める子供の笑顔でけしかけるエルを見て、疑ったり恐れたりするのが馬鹿馬鹿しくなったヘルヴィは『えいままよ』とフォークでショートケーキの一部を切り取り(その生地のふわふわに驚きつつ)口にした。
「!?!?!?」
エドガーの言った『衝撃』という言葉をヘルヴィはとことん思い知った。しっとりふわふわの生地とそれに挟まれた果物の甘煮、滑らかなクリーム、全てに共通するのは何の癖もない上質の砂糖の甘さ!勢いに任せて残りの全てを一口で!更に苺の瑞々しい酸味と甘さが加わって…
「お、美味しいぃーっ!」
「「うめぇーっ!」」
アディ&キッド&バトソンの叫びを半ば人事不詳の頭で聞き流しつつコーヒーでケーキを流し込んで…その芳醇な苦みに更に追いつめられる…
「うんうん、喜んでもらえて何よりです!さあて次はシュークリームですよ。」
「ちょ…ちょっと待ってよ…衝撃で…正直頭がおかしくなりそうなんだから…」
息も絶え絶えなヘルヴィにエルは容赦なく追い打ちをかけた
「いーえ、鉄は熱いうちに打てと言います!ほら見てください」
エルは自分の分のシュークリームを慎重に二つに割った、その断面…カスタードクリームとホイップクリームがシュー生地につまっている…の様子他に4名の思考が完全に停止する。
恐る恐るシュークリームを手に取った4名、そのずっしりとした重さが4名を震撼させる。
「この中身…全部クリーム…なの?」
「はい!遠慮はいりません、そのまま齧り付いてください!」
ヘルヴィの脳裏に『悪魔の笑顔』という言葉がよぎったがそれも一瞬の事、シュークリームに齧り付いた彼女は奇妙な納得感を覚えていた。
『ああ、この子…エルネスティは手段を択ばずに、心底私達を喜ばせようとしてくれているのね…彼の言う通り、そのほかの事なんてどうでもいいわ』
ここにヘルヴィへの「ありがとうございます、今後もよろしくお願いします。」の意を伝えるというエルの目的は達成された。
「さあいよいよ時間指定食べ放題です!何がいいですか?」
「ヴィクトリアさんがいつも食べてるプリンアラモードを!」
とはキッド。
「あのチョコレートパフェ!」
とはバトソン
「…こっちのクレープってこんなに中身があるの!?チョコバナナって何!?食べたいっ!」
とはアディ
「チーズをどうやってケーキにするのよ…この3種類全部!」
とはヘルヴィ
「分かりました。プリンアラモードとチョコレートパフェは人数分、チョコバナナクレープは5個、チーズケーキは3種類を各二皿、順番はお任せします」
「はい、マスター注文入りました!」
「あいよ!」
30分後…
「このプリンの味ってさっきのシュークリームと似てるな?」
「同じカスタード味で…」
「チョコレートってどういうものなんだ?」
「それにこのバナナって?」
「どちらもここでは穫れない輸入品で、西方諸国でも多分無理…」
「チーズの味がしっかりしているのに甘い!どうやって混ぜるの…」
「それはさすがにちょっと…」
食べてはの質問、食べてはの質問にあたふたと対応するエルは女の闘いの第二ラウンドが展開しているのを知らない…
「パウンドケーキの追加!願ってもないことですわー!」
「チョコレートパフェは無理でも、シュークリームの追加の数は!…」
「プリンアラモードの追加の皿数は…1,2…」
「女王陛下、そろそろ…」
「ううむ、クレープの数を最後まで見届けられぬのは無念!」
「ぐふふふ…圧倒的じゃないかチーズケーキは!」
一時間後
「この『モンブラン』て言うの追加お願いします!」
「私も!」
「な、なあアディ、ヘルヴィ先輩ももう時間だし、な?」
「「イヤ!」」
「お、おいどうするんだよエル…?」
「あははは…どうしましょうか…」
完全に据わった目でキッドの静止を即座に却下し更に皿を積み上げんとする2女子、エルにもなすすべがない。げに恐ろしきは別腹である…
「えらいことになってるな。」
岡目八目、全状況を見て取った店主がアレッタとクロを手招きし、何事か耳打ちした。頷く二人をつれてエルに歩み寄る。
「大変だねエル君?」
「はい…」
途方に暮れるエルに店主がこちらも耳打ちをする
「こういう時、女の子を止める魔法の言葉を知らないかな?『……』」
「そうか!?ありがとうございます!」
「後始末は任せてくれ。」
笑ってサムアップをする店主にエルも笑顔でサムアップを返した、そしてアディとヘルヴィに相対する。
「アディ、ヘルヴィ先輩!」
「「何!?」」
「いい加減にしないと『太りますよ』。」
店内の空気が凍り付いた、効果は絶大である。
「その…先輩…もう時間みたいだし…」
「そ、そうね?…」
「じゃあアレッタさん、クロさん、テーブル片づけて。」
「はい!」
『わかった』
「ああああああ……」×8
店主の指示通りわざとガチャガチャに皿&容器をトレーに回収する2人。かくて女の闘い第二ラウンドは水入りとなり、不発に終わった。
「今日はいろいろとご迷惑をおかけしました。」
頭を下げるエル、だが店主の笑顔は変わらない。
「ま、この商売をやっているとこんなことはしょっちゅうさ。はい、持ち帰り用のケーキとクッキーです。」
「ありがとうございます。キッド、バトソン手伝って下さいよ。」
「俺たちが?」
「持つの?」
「当然です、これがこういう時の男の役目です」
ここでエルは店主に向き直った
「それから次の土曜ですけど。…」
「分かっているよ。パーティーセット10人分予約受承りました。」
「おねがいします!」
さて、扉からの帰路のツェンドルクの騎内でアディとヘルヴィの会話。
「ねえアディ?…あなたやキッドはエルネスティ…団長が変だと思ったことはないの?」
「どうしてですか?エル君はいつだって変ですよ。」
「…そういうものなの?」
「そういうものです!」
「…わかったわ、そういう事で手打ちね。」
Menue-X6:クッキーアソート再び
銀鳳騎士団に事実上占拠されたライヒアラ学園の幻晶騎士整備棟にダーヴィド親方の声が響いた。
「おいみんな!騎士団長殿からの差し入れだ!」
「…もしかして、酒ですか!」
「バカ野郎!未成年が、しかもここで酒なんぞ食らうヤツがいたら俺がタダおかねえぞ!ケーキとクッキーだ。」
「お菓子―っ!?」
女性鍛冶士数人が色めき立つが野郎達の反応は鈍い、だが親方はそれを敢えて無視し、にんまりと笑いつつ…食べた後の展開など容易に想像がつく…指示する。
「手が止められる奴はこっちに来て茶の準備と盛り付けだ。手の込んだ部分を担当してる奴は早くキリをつけちまえ!」
そしておよそ1時間後、銀鳳騎士団鍛冶士の全員がエルの元に押しかけて来た。
「団長―っ!なんなんですかあのクッキー!」
「あの黒い粒はなんですかぁーっ!?苦くて甘くて…あんなの…あんなの…」
「中のフルーツは酒に漬け込んでるんですよねっ!?あんな強い酒どこにあるんですかっ!?」
「みんな落ち着いてください。あれは…特別な店で特別な日しか手に入らないモノですから…でも心配しないでください。また買ってきます!」
エルの返事に「おおおーっ」という歓喜の声が上がった。だがここで親方が宣告する。
「野郎ども、まさかこのまま団長にたかるつもりじゃあるまいな?」
「…どうすればいいんですか親方?」
「簡単なこった、金を出し合って団長に頼みな。」
「そんなぁ~」
「俺たちの俸給であんな高級品なんて…」
下手をすると金貨一枚するかもしれないと意気消沈する面々。だがネタばらしに期待のニヤニヤ笑いを浮かべた親方がエルに向き直ってわざとらしく尋ねる。
「そうだな~…団長、あのクッキー1缶いくらでしたっけね?」
「そうですね~大缶一つ銀貨2枚あれば…」
親方の悪戯に嬉々として乗ったエルの笑顔の一言が止めとなり、その場の鍛冶士達が全員ズッコケるのだった。
以後、7日おきに鍛冶士の面々がフライングパピーのクッキーアソートを心待ちにするようになったことは言うまでもない。
いよいよ家族招待が間近ですが、以後幕間に暫くお付き合いください
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幕間1#ねこや店主の『オトシマエ』
それは月曜日の16時過ぎの事である。この商店街の飲食店共通の端境…ランチタイムとディナータイムの間のポケット…の時間。中華料理店「笑龍」の春子さんは回覧板と少量のシュウマイを手に洋食のねこやを訪ねた。
「マコ君いる?」
「ああ春子さん、ちょうどよかった。味を試してほしい料理があるんですよ。」
「…どうですか?」
「うん、これいいわ!干しエビも干しホタテの貝柱ももどし方は完璧よ。歯応えとほぐれ方のバランスもいいし、出汁もうまく出てるわ。」
「そういってもらえて安心しました、乾物のもどし方なんて師匠に教わってからこっち洋食で使う機会がなかったんで、勘所を覚えてるか心配だったんですよ。」
「そうね…うちもフカヒレや干しアワビや干しナマコなんて使うような客層の店じゃないし、乾物なんてずいぶんご無沙汰だわ…お役に立ったかしら?」
「ええ、ありがとうございます。これなら平日のお客さんにも出せそうだ。」
「でもなんでわざわざ乾物を使ったの?マコ君の腕なら冷凍もので十分でしょう?」
「ちょっと『オトシマエ』をつけなきゃならない事がありまして、ある土曜日のお客さんの二人に。」
「異世界の?」
「はい。」
店主は春子さんに席を勧め、彼女が座ったところで話を始める。
「新顔さんなんですが、海なんて全く見たことのない内陸国の子達4人でした。うち一人が妙な事情でこちらの事に詳しくて、エビフライとカキフライで他の子達をもてなそうとしたんですけど、内二人は複雑な家庭の事情があって海産物は不味いものだと思い込んでいたんです。そのせいで長年の友人が気まずくなりかけまして…まあバイトの子や常連さん達の口添えのお陰でその子達はエビフライとカキフライを食べて喜んでくれて、友達との関係も更に良くなりました。それはいいんですがその二人の子達は今度は『乾物や燻製は食べるに値しないもの』だって思い込んでしまったんですよ…」
「…それは別に、マコ君のせいじゃ…」
「いやあやっぱり責任の一端は俺にあります、この国の料理人が乾物や燻製なしには夜も日も明けないのは春子さんもご承知の通りですし、どんな世界であれ不味い物を作りたがる職人がいる筈はありません。俺はその人達に顔向けができないことをやってしまいました…で、料理での失態は料理で挽回するのが料理人の流儀です。今週の土曜日にホストの子が友人とその家族を全員招待するんで、その際にこれを出すつもりなんですよ。」
「…マコ君、君は本物の料理人ね。」
しみじみとつぶやく春子さん。店主は照れ臭そうに頭を掻いたのだった。
3#後編の店主の件はそういう事です。
次の幕間はエチェヴァルリア家の事情となります。
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幕間2#エル君、セレスティナさんに叱られるの段
「ではこれより、エチェバルリア家・オルター家合同家族会議を開催します。」
トン!セレスティナが愛用の杖で床を打ち、家族会議…というよりは査問会ないし法廷の開廷を宣告した。
…ここはエチェバルリア家の食卓、下座にはエルを中心にして右にキッド、左にアディがちょこんと座っている。彼らから向かって左には双子の母であるイルマタル、右には奥からラウリとマティアスが座り、通常ラウリが坐する正面奥にはエルがこの十数年の人生で見たことがない程きつい表情のセレスティナが座っていた。
「あの~母様…これっていったい?」
状況がさっぱり飲み込めないエルが引きつった笑顔で恐る恐る尋ねるが、トンッ!再びセレスティナが床を打つ音に思わず首を竦めた。
「エルネスティ、私が何故怒っているか分かりませんか?」
いつも通り静かだが、絶対零度の怒気がこもったセレスティナの言葉にエルは真っ青な顔でコクコクと首を縦に振った。
「よろしい、説明してあげます。事の始まりはイルマタルさんから私への相談でした。」
…今や家族ぐるみの付き合いであるエチェバルリア家とオルター家の事である。イルマタルがセレスティナを訪ねて来るのは珍しくないし、主婦として母親としての悩みや話題で話を弾ませるのもいつもの事である。
だがその日は明らかにイルマタルの様子がおかしかった。
「セレスティナ様…私もうどうすればいいのか…このことは本当なら貴方にお伝えしないように言われている事です…でも私には貴方様しか相談する方がいなくて…」
嗚咽するイルマタル…おそらく誰にも相談できず、表に出せず悩み苦しんでいたのだろう。それでも意を決して自分に相談に来てくれたのだという事をセレスティナはしっかりと受け止めていた。
愛妾の身で多くの事に耐えながら二人の子供をしっかりと育てている忍耐強い彼女がこれほど苦悩する理由は一つしかない。
「アーキッド君とアデルトルートさんの事ですね?しかもエルが関係しているのですか?」
「…はい…」
「詳しく話してください。もしエルネスティが二人に不当な事をしているなら親として許してはおけません!」
セレスティナの剣幕にイルマタルがかえって驚いた。
「い…いいえ、そうではないのです!エルネスティ様はアーキッドとアデルトルートにとても良くして下さっています。あの子達にいつも言っているのです、今やエルネスティ様は騎士団長であなた方の主であることを忘れてはいけないと…なのに…あの子達へのエルネスティ様の心遣いは過分に過ぎて…。」
「?」
流石に事情が呑み込めずきょとんとしたセレスティナにイルマタルは大きく深呼吸をした後、語り始めた。
「事の始まりはもう1か月以上前の事、エルネスティ様が二人を食事に招待してくださった際にその店から二人がお土産を持って帰ってくれたのです。
『本当は直接齧るのが美味しいんだけど母様には無理かもしれないから切り分けるね?』と言って4つに切り分けて出してくれた料理でした。見たこともない程白いパン(?)に何かが挿んであったのです。どんなものか尋ねたかったのですけど『食べて食べて』と言うアーキッドとアデルトルートの笑顔があんまり嬉しそうでそのまま一つ口にしました。
…これまでの人生であんな美味しいものは食べたことがありません!ふわふわでなんの癖もない甘いパンに挟んであったのはカツレツでした。でもあれはただのカツレツではありません!何かのすり身を固めてその中にぷりぷりした食感の何かが入っていた、あのあり得ない厚み…なのに中まできちんと火が通っていたのです!カツレツにかかっていたソースは…酸味と香辛料と香草の味がまろやかに包み込まれた…更に挟まれていた野菜も…酸味と甘さが混然となった汁気たっぷりの赤い物やシャキッとした青菜…申し訳ありません混乱していて…とにかく今まで食べたことのない味だったのです!…一口で頭が真っ白になってたちまち全て食べてしまいましたから今申し上げた事は後で思い出した事です。
しばらく私は放心していたようでした。我に返ったのは『母様、母様』と二人が私を揺さぶっていたのに気づいたからです、そのまま二人はそれが当然であるかのように『美味しかったよね?』『美味しかったでしょう?』と聞いてきたので『ええ』と頷くと手を取り合って喜んでくれました。あの時私達は本当に幸せだった…
でもしばらくして、全く正体の分からない料理に不安になった私はあれがどんなものか聞いたのです。そしたらあの子達はとんでもない事を言い出しました!
『これは『エビカツサンド』と言うんだ。パンに小エビをエビのすり身でまとめていっぱいの油で『揚げた』カツを挟んであるんだよ。』
『ただのエビじゃないわ、これはね『海』で獲れたエビなの!』
『あ、あなた達…何を言って…いるの…?』
確かにあの味は川エビのそれに似ていなくもありませんでした。でも海で獲れたなんて!…海と言うのは西方諸国の更に遥か西、あるいはオービニエ山地の遥か南北の果てにある塩水を湛えた果てしない湖ではありませんか!?そこで獲れた生の物を明らかに1日経たずに調理したものなんて!?でも二人は笑って言うのです。
『エル君が私達を連れて行ってくれた店はそれを食べさせてくれる店だったの!』
『俺達もっとすごい物を食べたんだ!エビカツサンドの中に入っている小エビの何倍も大きいのを丸のまま揚げた『エビフライ』や同じ海で獲れた『カキ』っていう貝を揚げた『カキフライ』を!その場で食べなくちゃ旨くなくなるそうだから持って帰れなかったけれど…』
『そこの常連さんが教えてくれたのがこのエビカツサンドよ。『タルタルソースのかかったエビカツは冷めても最高だ!』って。』
二人はあまりの事に頭がまるで働かない私の手を取って真剣な表情でこう言ってくれました。
『母様、セラーティの家ではいつだって海産物の料理の事であの人に虐められたよね?俺たちがバカにされて叩かれるより嘲笑われても我慢してる、しなくちゃいけない母様を見るのが一番悔しかった!』
『ステファニア姉様が渡してくれた燻製のパイ包み焼きを私達に食べさせてくれたこと、絶対に忘れない!…でも今日わかったの、あの家の人たちは海産物の味なんて全然知らずにただ高価だからあんな辛いだけの料理をありがたがってるだけなんだって!バカみたいだわッ!』
『アデルトルート!』
『母様、俺達あんな料理の事二度とうらやましいなんて思わない!母様だってもうそんな事考える必要ないんだよ!』
私…私は正直胸が熱かった、涙が溢れました。私は二人をぎゅっと抱きしめていました『ありがとう、ありがとう…』と言いながら。だからその店の事はとても聞けなかったんです。
そんな私に二人はにっこり笑って言いました「これから7日ごとにその店に行くからお土産を楽しみにしていて。でもこのことはこの3人の秘密だよ」と。どういう事かと尋ねると
『遠からずエルは家族や母様、バトソンの両親をその店に招待してくれるつもりなんだ」
「その時母様以外の人をビックリさせたいらしいの、『サプライズもおもてなし』なんだって。』
『だから、特にエルの母様――セレスティナさんには内緒だよ?』
私はほとんど反射的に頷いていました、それがこの話をこれまで黙っていた理由です。」
「ああでもその後は!…二人は本当に7日毎にお土産を持って帰ってきました。
ひき肉を固めたものを揚げた『メンチカツ』を挟んだサンド、あんな分厚い肉にどうやって中まで火を通したのかいまだに信じられない『ロースカツ』を挟んだサンド…どちらも食べたことのない辛さと酸味を持った『トンカツソース』というもので味付けされていました…どんな調味料を使ったのか皆目分からない鳥の『テリヤキ』を挟んだサンド、とろとろふわふわの『生クリーム』そして『カスタードクリーム』というものと果物の砂糖漬け(!)を挟んだサンド…あまりの事にそれぞれがいったいいくらするのか問いただしましたが二人ともけろりと「一つ銅貨7枚か8枚」と言うのです!?そしてそれが嘘でない事は私には分かります!」
「そして先日、二人が持って帰って来たのはクッキーです。でも見てください、味はもとよりこの容器を!…セレスティナ様、私は恐ろしいのです。ありえない料理を銅貨たった8枚で入手できるというその店が!そして気が付けばそのお土産を心待ちにしている自分自身が!私は…いったい…どうすれば…」
顔を覆ってしまったイルマタルをセレスティナはしっかりと抱きとめてその背中を撫でる、そして決意を込めて語った。
「心配はいりませんよイルマ、ここは私に任せてください。エルにはしっかり、全て、きちんと説明させますから!」
「お父様、あなた、そう言う訳で家族会議の開催を求めます。」
かくして父であるラウリ、夫のマティアスすら怖気をふるう怒気のこもった表情と口調のセレスティナによる提案によりエチェバルリア家の家族会議は開催されたのだった。
「エルネスティ!」
「はい!」
「この世界に『存在しない店』にどうやって行ったのか、この世界に『存在しない料理』をどうやって手に入れたか、全て白状しなさい。」
セレスティナの凄みのこもった質問。がた!とラウリとマティアスがテーブルに突っ伏した。
「お父様、あなた、どうなさいました?」
「い、いやセレスティナ…その質問はどう考えてもおかしいだろう…」
「婿殿の言う通りじゃ…完全に矛盾して…」
「すごい、凄いです母様!どうしてお分かりになったんですか!?」
エルが心底からの感嘆を含んだ返答を発した。ラウリとマティアス、イルマタルが完全に目を回すが相変わらずセレスティナは凄みを湛えた笑みを絶やさない。
「初歩的な事ですよエルネスティ。イルマタルさん、あれを出してください。」
「は、はい!」
セレスティナに促されて戻って来たイルマタルが差し出したのはクッキーアソート小缶とサンドイッチが入っていた箱…証拠物件1及び2である。まずはクッキーアソート小缶をラウリとマティアスに渡した、これを手に取った二人は顎が外れんばかりに驚愕する!
「ご覧の通りですわ、こんな金属の薄板、それもこれほど美しく丈夫な塗装などフレメヴィーラどころかセッテルンド大陸の何処にもありません、更に…」
サンドが入っていた箱をセレスティナが開いて見せた、ラウリとマティアスは再度目を回す手前でかろうじて踏みとどまった…その箱は一枚の紙で立体を造る為に切込みを入れ、折られ、整形されていた…そしてその紙の頑丈さは!?
「こんな方法で箱を作るなどという技術はおろか発想すらセッテルンド大陸の何処にもありません、ある筈がありません。しかしこの二つはここに存在します。どれほどあり得ない事でも可能性が一つしかなければそれが真実です。エルネスティ、あなたは全くの異界への道を見つけたのですね?そこは私達が見たこともない料理を出す店がある、違いますか?」
「…参りました、母様…」
エルは立ち上がってセレスティナに向け上半身を90度に曲げて全面降伏した。そして語りだした、異世界食堂についての全てを…
「全く、あなたと言う子は…!」
トンッ!許容限界を超えて真っ白になっているラウリ・マティアス・イルマタルを横にこめかみに手を当て、心底呆れ果てたという表情のセレスティナが再び杖で床を打って続ける。
「お世話になった方々にお礼がしたいというのはよくわかります。そういう思いをあなたが持ってくれることは母親として嬉しく思いますよ。
でも『過ぎたるは猶及ばざるが如し』です!あんなとんでもないお土産がイルマタルさんにどれほどの不安を与えるか思い至らなかったのですか!?」
「申し訳ありませんっ!」
「謝るのは私に対してではないでしょう!?」
「はいぃーっ!、イルマタルさん、ごめんなさいっ!」
「アーキッド君とアデルトルートさん!」
「ごめんなさい母様!」
「よろしい!」
3人がセレスティナに油を搾られる事ほぼ半時間後…
「あのセレスティナ様、もうその辺で…」
「そうですね、あなた達3人への意見はここまでにしましょう。エルネスティ!3日後に私達をその異世界食堂に連れて行ってくれるそうですね?」
「は、はい!もう予約も済ませてあります!」
相変わらず迫力のあるセレスティナの笑顔にエルがすくみ上る、そして彼女はとんでもない事を言った
「そうですか、楽しみにしていますよ…なにしろその『店主』さんにもきちんと意見をしないといけませんから…お父様、これにて家族会議は終了いたします。」
「はいぃぃーっ!?」
夜も更けたのでオルター一家はエチェバルリア家に宿泊することになったのだが、そこでの3名の会話。
「だ、大丈夫かよエル?…」
「ティナさん…コワひ…」
「だ、大丈夫ですよ…マスターの料理の力は二人ともよく知ってるでしょう?…大丈夫ですって、多分…」
「エル君、顔が青い…」
赤の女王様へのプレゼンの方がよっぽど気が楽だった…今更ながら後悔するエルであった。
別室、エチェバルリア家の居間にいるのは同家の男2人…
「婿殿、まあ一杯やろう。」
「…義父上、この葡萄酒は確かクシェペルカからのとっておきでは?」
「そう、今日はとてもしらふではおれんわい。今こそこれを開ける時じゃよ。」
「正直、同感です…」
瓶の葡萄酒が半分程になった頃、マティアスが重い口を開いた。
「義父上。正直申し上げて、今日ほどティナの底知れなさを思い知った日はありません…」
「同感じゃよ。わが娘ながらなんという…これもエチェバルリア家の宿命であろうかの…婿殿、あの肖像画をみられい!」
「?」
壁を飾るのはエチェバルリア家歴代当主の肖像画だが、マティアスがあることに気が付いた
「女性の当主が多いのですね?」
「左様、我が家はどうも女系の血が濃い家系らしい。わしのように嫡男が当主になる方がむしろ珍しい位での。
…思えば婿を取った女当主であった母上がどうにも凄い方での。わしもさっきのエルと同じように絞られたことは1度や2度ではなかったわ…どうやら母上の血はわしを素通りしてセレスティナに全ていってしまったようじゃ。」
「なんともはや…エルは間違いなくその血を引き継いでいるのですね?」
「うむ、多分アレは間違えて男に生まれて来たのだろうよ。婿殿、苦労をかけるがこの家に婿養子に来たのが定めとあきらめてくれい。」
マティアスはにこりと笑ってグラスを差し上げた。
「それにしても3日後ですか…どうなりますでしょうか…」
「わしも考えるのが怖いわい…」
「名探偵セレスティナ」いかがだったでしょうか
しかし次回、セレスティナさんVSねこやの店主という我ながら恐ろしいカードを切ってしまいました。
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5#家族を招待しよう
そしてその日はやって来た。
「へぇ~、これが異世界への扉か?確かに凄いな。」
「だろ、父ちゃん?」
「作った職人に会ってみてぇな~」
「ホントだね。」
とはテルモネン夫妻。
「…本当に大丈夫なの?」
「大丈夫!マスターも女給のアレッタさんも凄くいい人だし、変わったお客さんもいるけど問題ないわ!」
「みんなマスターの料理に夢中な人ばかりだから、店に入れなくなるような騒ぎを起こす人なんていないよ。」
とはオルター家
「いよいよじゃなセレスティナ、婿殿?」
「一応覚悟は決めております…が…」
「討ち入りですわよ父上、あなた。」
「…母様、できれば杖は…絶対に危険はありませんから!」
「駄目です。」
「…はい、では参りましょう、異世界食堂へ…」
とはエチェバルリア家、エルは半ば観念して扉を開けた。
Menue X6:パーティセット&シーフードクリームシチュー
チリンチリン…
「こんにちわアレッタさん、マスター。」
「いらっしゃいませ!洋食のねこやへようこそ。」
「いらっしゃませ、どうぞ予約席へ」
エルとオルター兄妹とバトソン以外の面々は人外のお客に内心は驚きつつも6テーブルをまとめた『予約席(日本語)』に着いた。そこへ店主が挨拶の口上を述べる。
「この度は、『洋食のねこや』にご来店いただきありがとうございます。お楽しみいただけるよう勤めさせていただきますのでよろしくお願いいたします。」
「お招きありがとうございます。皆を代表してご挨拶させていただきます、私はエルの祖父ラウリ・エチェバルリア、これは娘のセレスティナと婿のマティアス、あちらはイルマタル・オルター夫人とテルモネンご夫妻です」
紹介された面々がそれぞれ店主に会釈し、店主も返礼する。そこへアレッタとクロが料理を運んできた。
「予約のパーティセットでございます、エルネスティ君のご依頼によりシーフードフライをメインとして盛り合わせております。」
期待のニコニコ顔のエル&オルター兄妹&バトソン以外の面々に緊張が走った、綺麗に配膳された料理一つ一つに店主の解説が入る。
「こちらの皿が海産系のフライ、エビ・ホタテ・タラ・サーモン・イカです、タルタルソースでお召し上がり下さい。次がコロッケとクリームコロッケ、ハムカツ、ソースでお召し上がりください。こちらが鳥の唐揚げとフライドポテト、特に何もかける必要はありませんがお好みで塩をおかけください。中央はポテトサラダとナポリタンスパゲティです、パンとライス、みそ汁はおかわり自由ですのでお申し付けください。ではこれよりワインをお注ぎいたしますので…」
「!?お待ちください、それは本当に葡萄酒なのですか!?」
注がれた透明な、それでいて芳醇な香りの紛れもない酒に驚愕する大人全員を代表する形でセレスティナが叫んだが、店主は平然と答えた。
「ああ、そちらには白ワインはないんですね?海産物のフライには赤よりも白が合います。おそらくお国の葡萄酒よりボディが強くて辛いのでフライのどれかを食べた上で一口飲んでみて下さい」
「さあさあおじいさまも父様も母様も、マスターの言う通りにしてみて下さい。アディもキッドもバトソンも勧めて勧めて…最初はやはり王道、エビフライがいいでしょう」
オルター兄妹やバトソンと共にせっせとフライ類にタルタルソース、ウスターソース、トンカツソースをかけていたエルがけしかける。眼前の料理と酒の香りに誘われるままエビフライにフォークを突き刺して口へ…その結果は言うまでもない。
サクサクの衣に包まれ、絶妙の過熱により最適化されたエビの甘さと旨味がタルタルソースと一体となって口の中に広がり、続いて含む白ワインがその味を引き立てつつ一気に洗い流す!後に残るのは白ワインの香りと鮮烈な辛味と一体となったエビフライの旨味!
全員(セレスティナ含む)の目の色が変わった。ホタテ貝の甘味が、タラのほくほく感が、サーモンの濃厚な味が、イカのコリコリとした食感とにじみ出る味が白ワインと絡み合って味覚と思考に激震を喰らわせた。
…その有様を見たエルが心の中でサムアップする『マスター、Good job!』
「…頃合いだな。」
あっという間になくなった海産系フライとワインの瓶、肩で息をしているラウリ・マティアス・セレスティナ・イルマタル・テルモネン夫妻の様子を見て取った店主は特別メニューを予約席へ持っていく。アレッタとクロが配膳している中、向かったのはオルター一家の席である。
「奥様、改めてご挨拶いたします。持ち帰りの品々は楽しんでいただけましたか?」
「は、はい、それはもう!…あのようなものは初めていただきました!」
「…そ、その件についてお話が…」
慌てて頭を下げるイルマタル、その声と様子に我に帰ったセレスティナがこれまた慌てて口を挿もうとするが、店主の語りを遮るだけの勢いがない…
「ここで特別メニューをお出しします。シーフードクリームシチューです。」
「こ、この上海産物なのですか!?」
イルマタルが半分悲鳴を上げるが店主はにっこりと笑って続ける。
「いささか仕掛けがありまして。特に奥様方、それからキッド君とアディさんに食べていただきたいのです。」
「…そこまでおっしゃるのでしたら…」
「仕掛けって…」
「どんなのが?」
イルマタル・アディ・キッドは聞き直すが店主の表情は動かない。暖かく信頼を感じさせるその笑顔に3人はシチューをしげしげと見つめた後スプーンで口に運んだ…
「!?」
「こ…これは…同じエビとホタテ…という貝なのですか!?」
「食感も味も全然違う!?」
「何ですって!?」
セレスティナが3人の言葉にシチューを食べて絶句した、カラン…膝の上の杖が床に落ちる…今回はエルもバトソンも含む全員がストレートを喰らった!エビもホタテも噛むとほろりと崩れ、先程のフライを上回る濃厚な味が口に広がる。その味はシチュー全体に広がっていてほくほくと、あるいは柔らかく煮あがった野菜にも染み入っており…全員すさまじい勢いで食べ続け、あっという間にシチュー皿は空となった。
「お召し上がりいただきありがとうございます」
呆然とする10名に一礼する店主。最初に我に返ったイルマタルが恐る恐る質問する。
「ご亭主…おっしゃっていた『仕掛け』というのは一体?」
「はい、このシチューは乾物、干しエビと干し貝柱を使っています」
「え、え、えええーーっ!?」×2
キッドとアディが完全に腰を抜かした。他の者は声も出ないがエルだけはポンと拳を打った。
「成程、乾物を戻したものですか?これは一本取られました。」
「ご名答。」
エルに笑いかけた店主は穏やかな表情で語った
「キッド君、アディさん、分かってもらえたかな?乾物は決して不味いものじゃないという事が。手順を踏んで戻せば、物によっては生ものより美味くなるんだ。
初めて来店してくれた時エビフライとカキフライを喜んでくれたのは嬉しかったが「干し物や燻製は不味い物」だと君たちが考えていたのがどうにも申し訳なくてね。」
「え、誰にかって?君たちやそちらのイルマタルさんはもちろんだが、そちらの世界とこっちの乾物や燻製を作っている職人さんたちにもだ。およそ『職人』てやつが好き好んで不味い食材を作る訳がない…ああテルモネンさん達もそう思われますか?…それが不味いとしたらそれは調理する人間がその扱いを知らないからだ。そのことをどうしてもわかってもらいたくてこのシチューを食べてもらったんだよ。
燻製についてだが、以前みそ汁を美味しいって言ってくれただろう?あれの出汁は鰹という魚の燻製を乾した鰹節…ほら以前お好み焼きにかけてあったのを食べてくれた…がベースなんだ。俺達の国の料理には乾物と燻製、どちらも不可欠のもの。これを作る事に誇りを持っているであろう職人達の名誉のために二つを嫌わないでくれないだろうか?」
一礼する店主…キッドもアディもイルマタルも言葉が出なかった。ただ胸が熱く涙があふれて来る…そして3人は頷き合った
「分かりましたマスター!」
「あたし達、もう二度と干し物や燻製をけなしたりしません!ね、母様!?」
「ええ…ええ…お願いです、その戻し方を教えていただけませんか!?」
「基本的には簡単です。およそ1日水につけて、その水ごと弱火でゆっくり煮る、柔らかくなったら取り出して冷ます。煮汁は出汁に使います。
そちらの干し物が具体的にどんなものか分かりませんから煮る時間は試していただかなくてはいけませんが。」
「わかりました、いつか必ずやってみます!」
「マスター、あんたは本物の職人だ!」
「その通り!」
テルモネン夫妻が感嘆の声を上げ、ガルドとギレムが呼応する。店主は再び一礼した。
「ご店主。」
ここでセレスティナが声をかけた。エルは止めようとしたが、憑き物が落ちたように穏やかなその表情に口をつぐむ。
「実は私はつい先ほどまで貴方に意見しようと思っていました。」
セレスティナの語るイルマタルの件…店主は少し驚いた表情でこれを聞いた
「そんなことになっていたんですか?」
「ごめんなさいマスター!僕のせいなんです」
店主は深々と頭を下げるエルにやれやれという表情をする
「お母さんの言う通り『過ぎたるは及ばざるがごとし』だな、反省する事だ…
しかし確かに責任の一端は俺にもありそうだ。未成年のお客の持ち帰りは問題が起きる可能性がありと…今後注意しますのでご勘弁下さい。」
「そんな、どうか顔をお上げください。」
イルマタルに再度店主は頭を下げた。下げられたイルマタルの方が恐縮してしまう。
その光景を見たセレスティナが続けた
「先ほどまではあなたが配慮に欠ける傲慢な方ではないかと考えていたのですが、それは私の誤解でした。
でも疑問があります。エルネスティに聞きましたがこの店はこちらではありふれた料理屋だそうですね?しかし私達にすれば驚愕の塊です。何故このような営業を続けておられるのです?それに恐らくこの店の料理は異世界の食に影響を与えずにはおられない筈。そのことをどう考えていらっしゃいますか?」
穏やかだが真剣なセレスティアの問いだが、店主の態度と口調はいつもと変わらない。
「そうですね。この異世界食堂はもう30年続く先代 爺さんの遺産でして、その頃からのお客さんもいますし皆さんのような新しいお客も来てくれます。料理人としては俺の料理を「美味い」と言ってくれるお客さんが来てくれる上に俺自身そのことが嬉しいんですよ。…言ってしまえばこの異世界食堂は俺の『趣味』ですかね…」
…エルがテーブルに突っ伏した…
「どうしたんだエルネスティ?」
「い…いえその…ここでその言葉を聞くとは思ってなかったので…」
マティアスの問いに引きつった笑顔で答えるエルだった。
「異世界の食への影響についてはある意味当然だと思ってますよ。そうだろうシリウス君?ギレムさん?」
話を振られた二人は「来たか!」という顔になった、そしてセレスティアに向いて語り始める…
「ええ、僕達アルフェイド商会は祖父の代からの客ですが、ずっとこの店のパスタソースを学んで商品にして来ました。おかげで多くの利益を得ているのは確かです。」
「おれもこの店の火酒を造ろうとして長年試してきて、最近ようやく人に出せるものができたところでさぁ…まだまだこちらのモノには及ばんがね」
「…あ、あなたはそれでよろしいんですか!?」
心底驚愕したセレスティナに対し店主は肩を竦めて見せた。
「『洋食』てのは海を越えてやってきた料理って意味がありましてね、俺たちの国はもう千年以上も海を越えたいろんな料理を学んで、作って、食って来ました。美味いものは放っておいても広がっていくものです。
だいたいこの店の料理自体はその気になれば家で作れるし、スーパ…惣菜を売っている店に出来合いのものもあるような代物ですよ。そいつを御馳走としてお客を呼ぶのがプロの矜持ってヤツですから、真似をされたところで文句をつける筋合いはないしそのつもりもありませんよ。正直異世界にうちの料理が広まっていくってのは結構痛快だと思ってますがね。」
「…おみそれしましたわ…」
セレスティアが白旗を上げた。フレメヴィーラに異世界のロボット文化を持ち込んでいるメカオタクは内心でガッツポーズをした。更に娘&妻が論破された光景を目の当たりにした父&夫は考えた「この店主恐るべし!」
「…しかしよくここまで海産物を…島国とは聞いておりますがどれほど海が近いのです?」
「それについては、アレを見ていただければ分かっていただけるでしょう…おやクロさん持ってきてくれたのか?ありがとう」
『どういたしまして』
マティアスの問いに店主は店の片隅を指そうとしたが、その意識を読んだクロがソレを持ってきてくれていた、『地球儀』を…
「うわあ地図じゃなくてこれを用意して下さったんですか!?ありがとうございます、手間が省けます!」
「なに、子供の頃買ってもらってそのまま置きっぱなしにしてたのを思い出しただけだよ。」
「父様もおじいさまも母様も見てください、ここがこの店がある国なんですよ…っておじいさまも父様もどうなさいました?」
エルが地球儀上に日本の位置を指さすが、ラウリとマティアスの真っ青な顔色に?となった後自分の失敗を悟った!
「ご、ご店主…これが地図ですとっ!?この球体がっ!?」
「…はい、全世界の陸地と海洋ですが…」
「この世界は全ての大陸と海が分かっているのですかッ!?」
「ええまあ…そうか、確かそちらでは大陸の西半分しか把握しておられないのでしたね?海についてもその先がどうなっているかはご存知ないと…」
ラウリ・マティアス・セレスティナが完全に腰を抜かした。
「ご店主…これらの料理の意味する事が今分かり申した…この世界の文明は我々とはかけ離れて進んでおられる…参りました。」
「全く…」
「本当に…」
「いやいや、こちらの世界には魔法も身の丈10mの巨人兵器もありませんから…まあこの件はここまでにしましょう。どうもキリがなさそうだ。…さて、次の飲み物は何にいたしましょうか?」
「…そうですな、ではあのビールという酒をいただきましょうか」
ラウリが仕切り直しの注文を出す
「承知しました。アレッタさんはジョッキの用意を、クロさんは空瓶とグラスを回収して。」
「はい!」
『わかった』
そして始まる歓談、一部を覗くと…
「家業を継いでくれると思っていたら、こいつ騎士鍛冶士になんぞなりやがって…」
「子供はそういうもんなんだろうねぇ…」
「そういうもんじゃよ。」
「うむうむ…」
グラス片手に語り合うテルモネン夫妻とギレム&ガルドのドワーフ4人。
「『揚げる』のに用いる油はどうやって…」
「油を多く含む「菜種」「紅花」とかの種をゆっくり絞るらしいんですが、詳しい事は…」
セレスティナの問いに答える店主…既にしっかり影響を受けている。
「この『コロッケ』のほくほくしたものはいったい?…」
「あ、それは私がお答えできます。ダンシャクの実…こちらではジャガイモという土の中に埋まっている『芋』という作物の一種で…」
イルマタルの問いに答えるアレッタ…影響その2である。
「うーん、エビや貝は形が分かるし。タラやサーモンって魚の切り身で…でもイカってどんなものなんだろう?」
首をひねるアディにすたすたとクロが近づいて来た、そして…
『これ』
「ひぇーっ!!」
「ほ、本当なのかおい!?」
『そう』
いつの間に書いたのか、伝票用紙の裏に書かれていたのは紛れもなくイカの絵だった。それを見たアディが瞬時に卒倒し、キッドが腰を抜かした!その絵をひょいと見たアルフォンスが少し驚いて呟く
「なんと、イカとはクラーケンの小さいものだったのか!?」
「クラーケンってカレーライスさんの船を沈めた魔獣ですよね?」
「うむ…そうか、あいつは食えるのか…」
「こちらの世界にも巨大なイカはいますが、肉は臭くて食えたものではないそうですよ」
キッドの問いにずれた感慨を持つアルフォンス、ズッコケるキッドに店主の笑いを含んだツッコミが止めを刺したのだった。
「ちょっといいか、銀髪小僧の爺さんと親父さん。」
ここでライオネルが話に入って来た。
「そっちの魔獣ってのはどんなモノなんだ? いやここ10年ばかりは人間や魔族の剣闘士なんぞ相手にならんので、猛獣とか魔獣ばかり相手にしてるんで気になってな。」
「それは…」
流石にその姿に気おされつつマティアスが魔獣のカテゴリーについて説明する。
「へえ~。親父さん、あんたはそいつらとやりあった事は?」
「決闘級なら何度も…」
「銀髪小僧、お前はどうなんだ?」
「はい、師団級を1匹倒しました!」
以前から知っていたアルトリウスとタツゴロウはともかく、アルフォンス・ハインリヒ・サラ・シリウス&ジョナサンは凍り付いた、今回はアーデルハイドのみならずラナーまで卒倒してシャーリフが慌てる、極めつけにヴィクトリアとファルダニア&クリスティアンがスプーン&フォークを取り落したのだった。
「…本当か?」
こちらも愕然としたライオネルの問いにフレメヴィーラ勢は全員頷く。
「…師団級ってのは幻晶騎士ってヤツ300騎でようやく相手になるって代物だろう?」
「はい、僕が相手にしたのは陸皇亀(ベヘモス)でした、全長80m超 全高50m超、全身を強化魔法で覆った巨大な亀です。」
「…そいつは…このなまくらでぶっ叩いてなんとかなる代物じゃなさそうだな…」
「それ以前に闘技場に入るまい?…どうやって仕留めたのだ?」
ライオネルとアルフォンスの問い掛けにエルは平然と『戦術級魔法・大気衝撃吸収で陸皇亀の突進力を殺して頭にとりつき。少し前に目を貫いた剣を通じて電撃魔法を喰らわせて中枢神経を焼き切った、一歩間違えば死んでましたけど』とのたまった。今度はライオネルが腰を抜かす…
「爺さん、親父さん、お袋さん…こいつはとんでもない野郎だな?」
「正直、わが孫ながら『末』どころか『今』が恐ろしいですわい…」
「それはいささか贅沢な悩みでござるな?」
予想もしない処から声がかかった、山国の老武士:デンエモンが立っている。
「祖父殿、ご父君にご母堂、武勇に優れ頭も切れ、今や騎士団長!誠に良き嫡子殿ではござらんか?」
「…い、いや実のところあまりに良すぎて…」
「そこが贅沢というものですぞ。…わが孫に爪の垢を煎じて飲ませたい位じゃて。」
「…お孫さんがどうされたのですか?」
マティアスの問いにデンエモンは大きく嘆息して語った。
「もともとはあのような者ではなかった…頑健で剣の力量も同年輩の中で抜きんでており、元服後の初陣では一番手柄を立て、これでわが家も安泰と思っておったのです。
ところが何を思ったか剣の鍛錬そっちのけで書物…特に医学書にふけり、あまつさえ家督は弟に譲り自らは医学の道に入りたいなどと言い出しましてな!当主の息子ともども困り果てている次第なのでござるよ…」
セレスティナ・ラウリ・マティアスは少し顔を見合わせた、そしてラウリが口を開く。
「デンエモン殿でしたな?はばかりながら我らは教育者の家系でわしも婿殿も教職の端くれ、娘も元は教師でしてな。そこから言わせていただければ孫殿がそうなったのには何かがあった筈ですぞ、その方の人生感を変えるような何かが…お心当たりはありませぬか?」
「…確かあれが変わったのは、あの籠城戦の後でしたか。
魔物討伐軍に加わった際、予期せぬ大群に遭遇。血路を開いて近くの山城に立て籠もったものの後詰が来援するまでの5日間激戦が行われ、多くの同期や年齢の近い者が討ち死にしたのです…
しかし武士たるものにとってそれは直面して然るべき事、あれがそれで怖気づいたとは信じられませぬ…」
「だがその時に何かがあった筈です、何か聞いておられませんか?」
「変わった事と言えば、ある年長者の介錯を務めたそうですが…」
「介錯…とは?」
マティアスの問いにデンエモンは平然と答えた
「深手を負い、もはや手の施しようがない者にとどめを刺してしんぜるのですよ。」
「な!?」
「あ、いや誤解されるな。これはあくまでも介錯を受ける者の頼みがあって行われるものでしてな、文字通り己の命を委ねるのですからよほど信のおける相手でなくては頼めませぬ。そして頼まれる者にとってもそこまで信を受ける事はこの上ない名誉なのでござるよ。
その者は1歳年長であったがあれが剣でどうしても勝てなかった相手で、いつか打ち負かす事を目指して日々鍛錬を怠らなかったのです。その者もあれのその心根を感じておったがゆえに介錯を頼んだのでしょう。ご両親も遺髪をあれが届けた際『お主の介錯を受けたのは息子の最後の幸福であった』と言って下さったのですから…」
マティアスは暫く考えた後、デンエモンに向けて口を開いた。
「今から申し上げるのはあくまで私の推論であることを御承知の上お聞きください。」
「承知した」
「もしかしてお孫さんが介錯をした方は助かる可能性があったのではないでしょうか?…いや異論がおありでしょうが最後までお聞きください…いかに名誉な事とはいえそのような方の命を絶ったことはお孫さんにとって衝撃であったはずです。悩み思うところがあって医学書を読んでそう考えられた。己に知恵があればその方を助けられたとの自責から医学を志された…私は剣技教官ゆえ剣を振るう方の心と思いを推し量った上での推論です。」
「ううむ…」
デンエモンもこれまでの孫の反応に思うところがあったのか考え込んでしまう。と、そこで『パンッ!』と甲高い音がした。見ればドウシュンが扇子で手を打っている。
「命にもののあわれを感じられるとは、孫殿は山国には珍しいよき方でありますなあ!」
「ふん、お主に褒められてもな!」
「いやいや、このドウシュン感嘆いたしましたぞ。いかがです、その方私に預けて下さいませぬか?ご存知の通り医術ならわが海国が山国より上。それに役目上よき医者なら何人も知っております故…」
「…何を企んで居る?」
「正直、海国としても後背の山国とのツテを増やしたいという意が一部にありましてな、渡りに船というわけでございますよ。」
「ほほほほ」と笑いながら語るドウシュンを見たデンエモンとソウエモンは彼の意図はそれだけではないのは察していたが、あえて問わなかった。山国としても海国と何らかのツテをつけるのは悪い話ではない。
「考えておこう。」
「よろしくお願い申し上げます」
この留学の縁による山国と海国の細々とした医学交流がやがて太い流れとなり、2国の関係改善…和親協定が成立するのはこれよりおよそ100年後の事である。
その後コロッケ・クリームコロッケ・ハムカツ・鳥唐揚げ・フライドポテトを肴にビールを心行くまで楽しみ、フレメヴィーラにはない『麺』とトマトの味をしっかり堪能した10名が異世界食堂を後にしたのはそれから1時間後の事であった。
数日後、ラウリにセレスティナとイルマタルが改まって頼んだのはライヒアラ学園への復学である、学部は農業学部であった。
…多くの協力者と共に二人がフレメヴィーラ中の種子という種子を調べ上げて大麦畑の畔に生える雑草が最も多くの油を含んでいる事を突き止めるのが8年後、家政学科や鍛冶学科と協力して効率的に油を搾る方法を見出すのが更に5年後である
『ナタネ』と名付けられたその作物の栽培が大規模に行われてセットルンド大陸全体で油が大量に生産され、『揚げる』という調理法が普及するには更に10年の歳月が必要となるがこれは余談である。
ミイラ取りがミイラになったセレスティナさんでした。
次回6話は「偉い人を連れて行こう」です、何故そして誰が行くのかはお楽しみに
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6#偉い人を連れて行こう 前編
事の始まりは藍鷹騎士団のノーラがクヌート・ディクスゴード公爵に持ち込んだ報告である。
「…お主…この報告…正気で上げてきたのか!?」
「見たままを報告しております。」
ノーラを絞め殺さんばかりの公爵の剣幕に対し、何の表情もない顔と何の抑揚もない声とは裏腹に困惑しきった彼女が答える。うがーっ!と奇声を上げた後、クヌートは頑丈な執務机にゴン!と額を叩きつけた。そのままピクリとも動かないクヌートの様子に流石に青くなったノーラが人を呼ぼうとした時、クヌートがようやく顔を上げた。
「よい!まだ生きておるわ!」
今なお脳の血管が無事である事自体が疑わしいクヌートはノーラに指示を出す。
「あれの所業の詮索などやるだけ無駄!直接本人に問い質す!ノーラ、すぐライヒアラに走りエルネスティを此処へ呼…いや此処に引っ張ってこいッ!直ちにだ!…セラーティ候の庶子2人もだぞ!候にはわしが直に話す!」
「ハッ!」
翌日早々、カンカネンの王城内・高位貴族の執務室区画への通路にエル・キッド・アディの姿があった。
「残念だな~、今日は『ドヨウの日』なのに。」
「仕方がありません、ディクスゴード公爵閣下至急の呼び出しですから。」
「エル君は分かるけど…父さんの呼び出しって何だろうね?」
「さあな…あ、ここだ。じゃあエル、またあとで。」
「エル君頑張ってね。」
「はい、また後で。キッドもアディも頑張ってくださいね?」
「あの~公爵閣下、お体の具合は大丈夫ですか?」
「誰のせいだと思っておるかっ!」
既に沸騰寸前のクヌートがエルの余計な一言で爆発した。その噛みつかんばかりの怒声に流石のエルも首を竦める。
「やっぱり僕のせいですか?」
話を振られたノーラが無表情に頷くが、思い当る節がないらしい『はて?』という表情に切れたクヌートが怒りのままにストレートを叩きつける!
「貴様7日ごとにいったい『何処』へ雲隠れしておるっ!きりきり白状せいッ!」
クヌートとノーラにそれぞれ視線を送った後、エルはポンと拳を打った。
「ああ、ノーラさんが報告されたんですね?」
ノーラの頷きを確認したエルはクヌートに満面の笑みと共に向き直り、そしてこう言った
「実は友人達と食事に行っておりました!」
ゴン!クヌートが再び執務卓に額をぶつけ、ノーラが顎が外れんばかりの大口を開けて固まった…
「…き、貴様…貴様というヤツはァーッ!!」
「いやいや落ち着き下さい公爵閣下、全てご説明いたしますので…」
ほとんど発狂寸前のクヌートにエルはあくまでにこやか且つ冷静にプレゼンする、『異世界食堂』を…
およそ『常識人』ならば信じるどころか語る人間を狂人扱いして然るべき内容―その異世界にある食堂の『この世界に存在しない』料理がどれほど美味いか、その料理を求めてどんな人々が常連として通って来ているか―を嬉々として語る様に、クヌートは改めて、目の前の一見人畜無害な美少年が、その根っこから、完全に、どうしようもなく狂っている事を戦慄とともに思い知った。そんなクヌートの内面を一顧だにせずエルは執務卓に手を突いてずい!と顔を突き出した後、いきなり頭を下げた。
「申し訳ありません公爵閣下、僕は大事な事を忘れていました!」
「なんだ!?」
引くクヌートへのエルの台詞は以下の通りである。
「公爵閣下やノーラさん他藍鷹騎士団の方々にもさんざんお世話になった件を失念していたとは、なんという失礼!母様に叱られてしまう処でした。又、論より証拠と申します。閣下もノーラさん達も僕の招待を受けていただきたくお願いいたします!」
「…その『異世界食堂』へか?…」
「はい!実は今日が扉の現れる日でした。ですから7日後に××においでください!…そういえばセラーティ候のキッドとアディへの用事もこの件ですよね?侯爵閣下もどうかご一緒にお越しくださるようお伝え下さい!」
「わかった、わかったから顔を近づけるなぁーっ!」
そして7日後、エル&キッド&アディは大いに困惑していた。
「えーと…」
「…どうしてステファニア姉様が?…」
「あら、このメンバーをお送りするのに滅多な御者は使えなくてよ。」
「それは分かります…しかしどうして『陛下』まで?…」
「ふっふっふっ…エルネスティよ、まだまだ甘いの?クヌートに指揮を任せているとはいえ藍鷹は元来王室直轄の騎士団、国王への報告ラインは維持されておる。まさかリオタムスが来るわけにもいかぬゆえわしが来たのよ」
腕組みで宣言するのは言わずと知れた先王アンブロシウス陛下である。その表情が『そんな面白そうな所にわしを置いていくとはどういう了見だ?』という本音を如実に伝えていた、クヌートが後ろで頭を抱えているのはいうまでもない。
『エルネスティ様、我らはここで結界を張ります、秘密保持と馬車はお任せください』
「お願いしますノーラさん、藍鷹の方々。お土産を買ってきますので楽しみにしていてくださいね?…では参りましょう、異世界食堂へ!」
『…お気遣いなく』
茂みの中のノーラに答えたエルが、仕切り直しの宣言と共にドアノブに手をかけたのだった
Menue X6:さんまの塩焼き&肉の日
チリンチリン…
「いらっしゃいませ!洋食のねこやへようこそ。」
「こんにちわアレッタさん。」
「おう銀髪坊主。ん、今日はずいぶん偉そうなメンツを連れて来たんだな?」
「あ、ライオネルさん ガガンポさん。今日はもうお帰りですか?」
「おうよ、あいにくヤボ用があってな!」
「オムレツ、デキタ。ミナ マッテル。」
「そうですか、ではまた7日後に。」
「おう、時間がうまく合えばな!…おいそこの新顔ども、何固まってやがる!?」
「ジャマ、ドケ。」
入るなりライオネル&ガガンポに鉢合わせして固まっていた4名だが、ライオネルの威嚇するような声に真っ先に我に返ったのはアンブロシウスであった、流石である。
「…これは失礼した。道を開けよクヌート。」
「は、はい…」
「父さまもステファニア姉様も…」
「わ、わかった…」
「…え、ええ。」
フレメヴィーラの面々は2人に道を譲った上でアレッタの案内する席に着くと大きく安堵の息をついた。そこへクロを伴った店主がやって来る。
「ようこそいらっしゃいました、当店『洋食のねこや』店主でございます。」
「うむ、世話になる。」
店主の一礼に頷くアンブロシウス、エルが皆を紹介する。
「先ずこちらがフレメヴィーラ先代国王のアンブロシウス・タヴァフォ・フレメヴィーラ陛下、クヌート・ディクスゴード公爵閣下。それからヨアキム・セラーティ侯爵閣下にステファニア・セラーティ嬢…キッドとアディの父上と異母姉妹でもあります。」
ざわ…ヨアキムとステファニアが紹介された時、店内の温度が少し下がった。
「…どうやら私はあまり歓迎されていないらしいな。」
「アーキッド!アデルトルート!」
「よい、二人は間違ったことは言っておらんからな。」
事情は聴いているステファニアがいささかバツ悪げなキッドとアディを問い詰めるが、ヨアキム本人は苦笑いしただけ。そして仕切り直しとばかりにあえてエルが明るい声を出した。
「陛下、注文は任せていただけますか?」
「それは頼むぞ。なにしろこの世界の言葉など読めぬしどんな料理があるのかもわからぬのだからな。」
「はい、マスター メニューをお願いします。」
「ではこれを…お決まりになりましたら声をおかけください。」
メニューをエルに渡してくるりと踵を返して厨房に向かう店主。だがその姿にクヌートが色をなして立ち上がった!
「待て!仮にも一国の先王に対し無礼な!注文が決まるまで待つのが当然であろうが!?」
「申し訳ありませんが厨房は一人で切り盛りしておりまして…そういう訳にはいきませんので。」
「な!?」
「まあ待たれよ公爵殿。これがこの店のルールでしてな。」
平然と答える店主に激昂するクヌートをアルトリウスが窘めた。エルが補足説明を入れる
「こちらはアルトリウスさん―ここではロースカツで通っておられる方です。この店最古参の常連さんですが、あちらの世界では知らぬ者がない魔術師なんです。…なんでも何十年か前、3人の仲間と邪神を滅せられたんだそうで…」
「!?」
クヌートはもとより、アンブロシウスもヨアキムもステファニアも流石に絶句したが、本人のにこやかな表情は動かない。
「なに、昔の事じゃよ。先王陛下と両閣下に申し上げるがここではだれしも一介の客。地位や身分、あちらでの事情を持ち込んでのいざこざはご法度でしてな…それに貴顕はさしてめずらしくありませんぞ。もう10年程前に逝ってしもうたが、わが東大陸3国の一国である『帝国』の皇帝が来ておりました…そちらがその孫であるアーデルハイド嬢、それに西大陸『砂国』の王太子であるシャーリフ殿と異母妹のラナー殿、あちらがワシの不肖の弟子でもある東大陸3国の一国『公国』の公女ヴィクトリア。それにそろそろ光の高司祭や現役の女王陛下が来店する頃合い…おや噂をすれば…」
チリンチリン…紹介されたアーデルハイド・シャリーフ・ラナー・ヴィクトリアが一礼したところで扉が開いて来店したのは…
「いらっしゃいませ女王様。」
「うむ女給よ、今日も国民たちとクレープを馳走になる…おや、新顔がきておるようだが、あれはエルネスティ団長関わりの者か?」
「はい、エルさんの国の先王陛下と公爵様と侯爵様だそうです。」
「ほお…」
完全に固まったヨアヒムとクヌートを無視してティアナがすい、とアンブロシウスの眼前の空中で正対する。
「よく来られた異界の先王よ。私は花の国の女王ティアナ・シルバリオ16世。見知りおかれい。」
「…ご挨拶痛み入る。フレメヴィーラ王国先王アンブロシウス・タヴァフォ・フレメヴィーラと申す。先だって息子に王位を譲った身軽な隠居の身故、このような面白い所へやって来これた次第。」
「か、か、可愛いぃーッ!!」
「でしょうステファニア姉様!」
ティアナとアンブロシウスが挨拶を交わす一方で、フェアリーの群れに感動した変態姉妹ががっしりと手を握り合って感涙にむせんでいたのはご愛敬である。
「…もう何が来ても驚かんぞ…」
「…全くですな…」
「二人とも何を言っておる?まだなにも食しておらんのだ。今からそれでは先が思いやられるわ。のうエルネスティよ…エルネスティ?」
もう既に腹いっぱいというクヌートとヨアキムに対し、アンブロシウスはまだ食い足りないという体で笑っているが…ここでメニューに喰い付いているエルの尋常ではない様子に気が付いた。
「すいませんっ!」
『はい』
やって来たのはクロだった、エルは誰も見たことがない取り乱し様でまくし立てる!
「今日の日替わりはこれで間違いありませんねっ!?」
『間違いない』
「なんという幸運!…そうか、もうこちらは秋なんですね?…日替わり8人前!それと陛下と両閣下には清酒をお願いしますッ!」
『了解』
「幸運…か、確かにな…」
アンブロシウスすら声をかけるのがためらわれる程、感動のガッツポーズを決めているエルに向かってタツゴロウが含み笑いと共に突っ込んだ内容は…
「方々は誠に幸運、初めての来店が『肉の日』とは。」
「?」
新顔4名がそれぞれ眼前の既来店者に目で問うが無論分からない、全員の視線がタツゴロウに向く。
「団長殿、定食や一品についている汁を見られい。」
エルが見たのはテリヤキに、メンチカツに、カレーに、エビフライに、共にテーブルに乗っている汁はすべて…
「豚汁!?」
「そういう呼び方もあるのか?そう、とん汁だよ。こちらの暦で毎29日=2(ニ)9(ク)の日のこの店のサービス。みそ汁&スープはすべてとん汁でおかわり自由なのだ!ドヨウの日と肉の日が重なるのは1年に1度あるかないか、われら常連でもめったにお目にかかれぬという日よ!」
「僕は…僕は…僕は今、モーレツに感動していまーすッ!!」
「エ、エルーッ!」
ほとんど失神状態で椅子ごと仰け反るエル、横のバトソンが支えねばそのままひっくり返っていたろう。そして…ぜいぜいと息をつくエルの呼吸が整うのを待っていたアンブロシウスがいささか引きぎみに質問する。
「…その『とん汁』というのは特別なものなのか?」
「それはもう!本来ならそれだけで1品になるという料理-豚肉とたっぷりの野菜を煮込んだ『みそ汁』なのです!それが付く上に食べ放題!幸運です!最上級です!ベストです!」
「…それは楽しみだ、期待してよいのだなエルネスティよ?」
「はい陛下、ご期待ください!」
ふっふっふっふっふっ…すっかり調子を取り戻したアンブロシウスとエルネスティが交わす笑い…当然突っ込めるものなど誰もいなかった。
『お待たせいたしました、本日の日替り定食『さんまの塩焼き』と清酒です。』
クロが配膳した眼前の皿、じゅうじゅうと音を立てている尾頭付きさんまにエル以外全員は真っ白になった…
「アーキッド!アデルトルート!これは一体いくらなのだッ!?」
「えーと、その…日替わりだから銅貨7枚…」
「馬鹿を申すなッ!」
「落ち着ついてくださいお父様!」
最初に切れたのは意外にもヨアキムだった、激昂する父親などというものを初めて見る令嬢&庶子二人は完全に引いてしまっている。
「おちついてください侯爵閣下。キッドの言っている事は本当です、僕が保証いたしますから…」
「信じられるかッ!」
見かねたエルが宥めにかかるがヨアキムは止まらない。そのままエルの襟首につかみかかる!…がその時、
「ヒャーッハッハッハァーッ!」×3
けたたましい笑いが響いた。笑っているのは女傭兵・チーズケーキ3人組のヒルダ・アリシア・ラニージャである。明らかな嘲笑にヨアキムの怒りの向きが変わる!
「何がおかしい!?」
「何がおかしいかって?これが笑わずにいられるかってんだ。ええ侯爵さんよ!?」
「本妻のイジメから愛妾の一人も守ってやれねえ甲斐性なしが、さんま一匹でその体たらくかよ?ご立派なお貴族様だぜ!」
「あたしらはしがない傭兵だが、オンナとしちゃあそんな野郎に礼を払ってやる理由はこれっぽっちもないね!」
「ぬ…」
戦場で、あるいは刺客として幾多の死を振りまいてきた魔族の戦士の凄みに加え、痛い所を突かれたヨアキムが言葉につまる。だがそこへ店主が割って入った。
「お三方、そのあたりにしておいてくださいよ。」
「ま、あんたならそう言うと思ってたぜ。」
「人様の事情には立ち入らないのがこの店のルールだよな?」
「それに言うだけ言ったらせいせいしたよ。」
一夫多妻は常連達の世界でも珍しくないとはいえ、正妻と愛妾のトラブルを捌けない『甲斐性なし』が女性陣にとって唾棄すべき存在であるのも又当然の事である。そんな来店女性陣の代弁者となった3人は肩を竦め、アディとキッドにそれぞれニヤリと笑いかけた後自席に戻っていった。
事は一応収まったと見て厨房に戻ろうとした店主。だがステファニアそれを呼び止めた。
「待って下さいご店主!…アーキッドとアデルトルートから聞きましたが『日替わり』というのは普通の料理より銅貨1~2枚は安いとの事…何故こんな大きな海の魚が出せるのですかっ!?」
「ああその件なら簡単です、今すごく安いからですよ。」
「な!?」
ステファニアが、ヨアキムが、クヌートが、アンブロシウスすら店主の返事に絶句した。
「このさんまは旬…一番脂がのった美味いこの時期にこの国へ大群で近づいて来る魚でして、当然大量に水揚げされます。うまくて安い、俺達みたいな商売の人間には実にありがたい食材です。だからこの時期週に2~3回は日替わりに使うんです。
又エルネスティ君が一緒に頼んだ清酒は俺達の国独特の酒ですがこういう塩焼きとの相性がこの世界一といっていい酒ですからこちらも是非ご一緒にどうぞ。ああそうそうエル君、醤油の件は?」
「はい、それはこれからです!…皆さん、このさんまの塩焼きと横についている白い『大根おろし』には必ずこの『醤油』と、このスダ…果物を絞ってかけて下さい。そして魚肉と大根おろしを共に口に入れるのが最もさんまを美味く食べるやり方です!ほらキッドもアディもバトソンもかけてかけて…」
「お、おう…」
「うん。」
いそいそと自分のみならず、目の前…エルはアンブロシウスの、バトソンはクヌートの、キッドはヨアキムの、アディはステファニアのさんまに醤油をかけ、スダチを絞る…
「…アデルトルート…アーキッド…お前たちはこれを食べたことはあるのか?」
ヨアキムの恐る恐るという体での問い掛けに二人は確信を持った笑顔で答えた
「シーフードフライなら何度も食べたけれど、流石にこれは初めてです。」
「でも大丈夫、エル君の言う通りにすれば間違いありません!」
「…何故そう言い切れるのだ?」
「だってこの店の、あのマスターの作った料理です。不味いワケがない!」
「うん!」
…焼きあがったさんまと醤油の香ばしい匂いとスダチの酸味の香り…さんまの頭の目と新顔4人の目が合った、物言わぬ筈のその口がこう言っているのが聞こえて来るのだ…
『オイデ、オイデ…ワタシハ旨イヨ…』
…恐ろしい沈黙を破ったのはアンブロシウスだった。
「全員覚悟を決めて食せ…食ったら最後おそらく後戻りはできんぞ!」
そのまま身をほぐして大根おろしと共に口へ!
「なんだこれは…こんなに脂の強い魚があるのかッ!?」
脂の乗り切った旬のさんまとそれに一歩も引けを取らない醤油の味、これらを引き締めるスダチと大根おろしの味の衝撃に耐えかねて清酒を口にするアンブロシウス&クヌート&ヨアキム!…結果など言うまでもない。余計な脂を流してそれらの味を何倍にも膨らませる清酒が全員をノックアウトした。未成年達の状況も言わずもがな、エルですら十数年ぶりの味に感涙にむせんでいる。15分も経たずして骨離れの良いさんまは8尾すべて骨と頭を残して跡形もなくなった…
「これが…これが海の…海の魚かぁッ!」
「馬鹿者、泣く奴があるかクヌートよ…よい歳をしてみっともないぞ…」
顔を覆ってオイオイと泣き崩れるクヌートを窘めるアンブロシウスの目からも滂沱の涙が溢れている…
「完敗です、お父様…」
「お前の言う通りだステファニア。…あれがここにいなくて幸いだ、もしこれを食べておれば間違いなく発狂しておろう…我が家では以後2度と海産物を食卓には出させぬ!これに比べればあんなものは…」
「駄目です!」
「それは違います!」
驚いて顔を上げたヨアキムとステファニアの前にあるのは今まで見たことのない強い意志のこもったキッドとアディの表情、そして決意を込めたその声に釘付けになってしまう。
「話した筈です、干し物や燻製が悪いんじゃなくて俺達フレメヴィーラの人間がその扱い方を知らないのが悪いんだって!」
「ここのマスターは本当に凄い人です!私達や母様に干し物を使ったものすごく美味しい料理を出してくれました。だから私達は約束したんです、もう二度と干し物や燻製をけなしたりしないって!」
「…本当にあるの…そんな方法が…?」
半ば呆然としたステファニアの問いにオルター兄妹は強く頷く。
「母様がマスターから基本の方法を教えてもらいました!いずれきっと干し物を使った美味しい料理を作ってくれます!」
「イルマが…か?」
「はい!」×2
アディとキッドの満面の笑みにヨアキムは『そうか』の一言の後がっくりとうなだれてしまった…だがそんな父親に二人は勢いに任せてさらに追い打ちをかけてしまう。
「それに、そこのとん汁にだって干し物と燻製は使われています。」
「…まさか…」
「本当です!ここ独特の海産物の干し物である『コンブ』と燻製の『カツオブシ』…どんなものなのかは流石に分からないけど…が一番ベースの出汁で、これなしにはどんなみそ汁もあり得ないというくらいのものだそうです!」
アディとキッドの説明はクヌートとアンブロシウスの耳にも入っていた。恐ろしい物を見る目でとん汁を眺めていた二人だったが、意を決したアンブロシウスが椀を持ち上げる。
「もはや前進あるのみよクヌート!」
「ええいままよ!」
一噛みすれば崩れる程柔らかく煮あがった豚肉・大根・人参・玉ねぎ・白菜の旨味と甘味、その味を吸い込んだ豆腐・油揚げ・蒟蒻、全ての味を溶かし込んで支える出汁と味噌の味に抗する事ができるものなどこの場に存在しない。あとは清酒と白飯とともにおかわりを重ねて行くだけである…
「ご満足いただけましたでしょうか?」
頃合いを見て取って一礼する店主にアンブロシウス(トン汁のおかわり4杯)はやっとの事で口を開いた。
「店主、お主に聞きたい事がある」
「なんでしょう?」
「5日間この世界の者達を客とするのが本来の仕事で、この『異世界食堂』は『趣味』でやっているそうだな?」
「はい。」
質問の意図を量りかねている店主と睨み合っていたアンブロシウスだったが、やがて破顔すると店中に響くほどに呵々大笑した!そしてエルに向き直るとその頭をグシャグシャにかき回す。
「よかったではないかエルネスティ、住む世界も依って立つ世界―料理と幻晶騎士―も違うとは言え同輩がここに居ったぞ!?」
「…はい、光栄です!」
目を輝かせた心からの笑顔でエルが首肯する!笑うアンブロシウスは更に店主に向き直って続けた。
「知っているとは思うがこやつはな、『趣味』で新たな幻晶騎士-我らが世界の中核兵器―を建造してくれる傾奇者よ!こやつの趣味のお陰で回りの人間が、そしてわがフレメヴィーラがどれほど振り回され、右往左往している事やら!…店主、お主も同じだろう?その料理でどれほどの異世界の者の人生をかき回してきた、ん?」
顔は笑っているが目は笑っていないアンブロシウスの問いだが、店主は肩を竦めただけだった。
「さあて、一介の料理人はただ来てくれるお客に美味い料理を出すだけの事ですよ。
…この世界この国に昔、『人をもてなす』って事を芸術に高めた聖人がいましてね、その人が言ったそうです『一期一会』…俺みたいな凡人には生涯届かないだろう境地ですが、客商売をやっている人間が常に思い知らなきゃならない言葉ですわ。」
「…その心は?」
「『人をもてなすのであれば、その人をもてなすのはこのただ一度と思い定めてもてなすべし!明日自分が、あるいはその人が死んだとしても悔いのないまでに!』ですか…」
「…ううむ、これは参ったわ…」
「…この世界の文明は奥が深い…」
「…確かに…」
アンブロシウスもクヌートもヨアキムも納得せざるをえなかった。そんな中エルが店主に歩み寄り一礼する。
「マスター、僕はとても嬉しいです。以前あなたから『趣味』って言葉を聞いた時は正直驚きましたが、今はとても光栄です!趣味に全身全霊を傾ける同好の士として僕を認めて下さいますか?」
店主がエルの背中をポン!と叩く、顔を上げたエルに不敵な笑いと共にサムアップをした。エルも不敵な笑顔でサムアップを返す。
「お互い趣味人は趣味人らしく人生を生きようや?」
「はい!」
「クヌート、ヨアヒム、それに銀鳳の者たちよ、我らはこれからも暴走する趣味人に付き合っていかねばなるまいよ…」
「…」
アンブロシウスの宣言にそれぞれがそれぞれの思いを胸に頷く…頷かざるをえなかったのだった、合掌…。
エルたち一行の後ろで異世界食堂の扉が閉じて消える。そこには馬車を守るノーラがいた。
「お疲れ様ですノーラさん、これお土産です。…藍鷹の方々の人数が分からないのでとりあえず3缶買ってきました、皆さんで召し上がって下さいね。」
「…ありがとうございます。」
結構かさばるクッキーアソート大3缶を渡されて目を白黒させるノーラだった。
帰りの馬車での一幕は以下の通り。
「ふふふふふ…」
「…陛下ぁ…、何を企んでおいでですかぁ?…」
「なあに、お主に累が及んだりはせんから安心せいクヌート。」
クッキーアソート中缶を抱え、お馴染みのろくでもない悪戯を企んでいるに違いないアンブロシウスの表情に頭を抱えるクヌートであった。
カンカネンのセラーティ家別宅での親娘のやりとりは以下の通り。
「なあステファニア、私はアーキッドとアデルトルートにとって良い父親でなかったのは確かだ。だがあの二人の私への態度は…初めて見る…」
「お父様…きっと二人はもうお父様も私も、このセラーティ家も必要としていない…必要としなくなったという事ではないでしょうか?」
「…親は無くとも子は育つ、か…」
「はい…」
次回中編、アンブロシウス陛下の悪戯爆発です(^;
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6#偉い人を連れて行こう 中編
「おう、兄者も呼ばれたのか!?」
「…まあな、しかしお前も変わらんなぁ…」
シュレベール城最深部、先代国王アンブロシウスの私室への廊下を歩くのは王太子となった第一王子のウーゼルと第二王子エムリスである。エムリスがクシェペルカから戻って以降、祖父の譲位やら父の即位やらで王族一同は忙しく 落ち着いて話をするのも久しぶりという次第であるが、ブランクは特に感じさせない兄弟の会話だった
もともとこの二人は仲がいい、一見落ち着いた貴公子であるウーゼルだがあの祖父と父の血筋であることはエムリスと変わりはなく、若いながら腹の座りようは常人離れしている。今も王室領の執政としてこれを抜かりなく治めているし、騎操士としての力量は並という処であるが時折の魔獣襲来時には騎士団を指揮してこれを撃退したことは1度や2度ではなく、将としての資質も認められている…己の立場を認識して努力と鍛錬を怠らない人物である。粗雑さが取りざたされるエムリスもこの兄には一目置いており、馴れ馴れしい物言いや態度も彼なりに兄の心労をおもんばかっての事、ウーゼル自身も部屋住みの身分で気楽な、それでいて豪放、騎操士としての力量が上の弟を少しばかりうらやましく思いつつその好意をありがたく受け取っているのだった。
「爺ちゃんからの呼び出しかぁ…なんだろうな?」
「『諸々の事が一段落したから茶会をするので付き合え』と言われたんだが…」
「なんだそうか…何か気になる事があるのか兄者?」
「いや、取り越し苦労ならいいんだが…」
ウーゼルとしては父王リオタムスからこの話を聞いた時の表情に引っかかる所がある。その危惧は残念ながら当たっていた…
「…陛下がお茶を入れて下さるのですか!?」
「おうとも。余人を交えず家族だけの茶会だ、侍従達を煩わせる事もあるまいよ。」
恐縮するウーゼルに対しアンブロシウスが茶葉を結構適当な分量でティーポットに投入しつつ豪放かつ気さくな調子で笑って見せた。
「孫ども、悪いと思うなら卓上の菓子を取り分けるぐらいせんか、ん?」
「お、おう…」
「…見た事のないクッキーですが、何処で購入されたのです?」
「ふむ、故あって×日前行った店の土産だ。これが実に美味い店での、リオやおぬしらにもその一端を食べさせてやろうと思ってな…」
アンブロシウスの口調と笑顔に危険を直感するエムリス&ウーゼル…リオタムスの渋い顔がそれに予感に拍車をかけるのだが、その正体を掴めぬまま卓上の開封された箱中のクッキーを皿に取り分ける…プレーン&チョコ&レーズン&ザラメ&ジャム&アーモンドの各クッキー…それこそが災厄そのものである事も知らずに…
「どうだ、美味かっただろう?」
呆然自失のウーゼル&エムリスに対し一人勝ちといったアンブロシウスが破顔する。
「じいちゃん!こんなもの何処で手に入れたんだっ!?…痛ててててっ!」
先に立ち直ったのはエムリスだった。礼節などというものを世界の果てにすっ飛ばしてアンブロシウスに掴みかかろうとするが、その手をがっしりと掴まれた挙句捻りあげられて無理やり席に押し込まれる。
「頭を冷やさんかこの馬鹿孫!」
「…すまねえじいちゃん。だがよぉ~」
アンブロシウスにとっては予定の反応であり、内心笑いが止まらないのだがあえて厳格な表情を作って見せる。
「どうだ、出所を知りたいか?」
「おうともさ!」
「是非にも!」
身を乗り出す孫二人に向かってにんまり笑ってアンブロシウスは言った。
「教えてやらん。」
王子二人がこけた…
「陛下ぁ~」
「じいちゃん~」
アンブロシウスは完全に脱力した孫二人を再び厳格な表情で睨んだ後、再び悪戯小僧のごとき笑顔でずい!と二人に顔を近づけた。
「情けない声を出すでない馬鹿どもが…この残りはすべてお前らにやる故、出所を調べてみよ。
…そう、明後日のこの時刻に報告を聞く。正解を報告したら面白い褒美をくれてやるぞ。」
「…どんな?」
「秘密だ。」
又もこける王子二人。アンブロシウスは呵々大笑しつつ『やることがある』と部屋を出て行き、後にはやれやれという表情のリオタムスと真っ白になった息子二人が残されたのだった。
さて、アンブロシウスの部屋を出て廊下を歩む親子の会話はといえば…
「…父上…陛下はこれの出所はご存知ないのですか?」
「『父上から』は何も聞いておらん。」
「左様ですか…」
父王の返答の微妙なニュアンスに気付かずがっかりするウーゼル&エムリスに対しリオタムスの宣告が下った。
「ウーゼル、エムリス、リオタムス・ハールス・フレメヴィーラがフレメヴィーラ家の当主として命ずる。先王陛下の命しかと遂行せよ。…これもまた王族としての修行と思え!」
「はっ!」×2
「…いささか薬が効きすぎたかな?」
「『悪戯の度が過ぎた』の間違いでしょう?…だいたい手掛かりが少なすぎではありませんか?あれでは…」
どこに隠れていたのかひょっこりとアンブロシウスが表れた、渋い顔のリオタムスが突っ込むがもう手遅れなのは承知の上である。伊達に何十年もこの父の息子をやっている訳ではないのだ。案の定アンブロシウスの笑顔は相変わらずである。
「いやいや大サービスだぞ、聞くところによるとエルネスティの母はあの容器を調べただけで正解にたどり着いたそうだ。今回は中身も袋もついておる、十分ではないか、ん?」
「あのエルネスティの母を基準とするのはいくらなんでも…」
リオタムスのしごく真っ当なツッコミであったが、道楽に人生をかけている父親には無論通用しないのだった…
「うーむ…」×2
シュレベール城内ウーゼルの私室にて兄弟二人はテーブルの上のクッキー缶を囲みつつ顔を見合わせて唸っていた、調査が八方塞がりなのである。
最初に二人がやったのは聞き取り調査だった。アンブロシウスの侍従長にここ数日の祖父の外出先を聞いたのだが…
「ディクスゴード公とセラーティ候と出かけて帰って来たのが4日前、その時しかない…」
「だが二人共もう3日前自領へ出立しているから追いかけても間に合わねえ。…にしても行き先がライヒアラという事は…間違いなく銀の長が絡んでるぞ。」
文字通り祖父と孫の年齢差はあるが、道楽に人生をかけるというか、道楽と心中する覚悟完了しているという共通点から意気投合しているフレメヴィーラ最強の二人を今自分たちは相手にしているという事に王子二人は改めて戦慄した。
「冗談じゃねえ!じいちゃんだけでも厄介なのによ…なあ兄者、やっぱり俺が馬を飛ばそうか?銀の長は確かに変わったヤツだが陰険な処はこれっぽっちもない…っていうか無類の説明好きだ、聞けばなんでも教えてくれるぜ。」
「…間に合わん。父上の『フレメヴィーラ家当主として』という言葉を忘れたのか?今回の件は『王家の私的な問題』であると我々に釘を刺しておられるのだ。王国の公的機関である早馬(駅ごとに馬を交換できる)は使えぬ。お主の馬術の腕は承知しているが早馬なしでは1日で往復するのは無理だ、馬が持たぬ…エムリス、俺たちは完全に嵌められたぞ。祖父殿は我々に『目の前の手掛かりだけでこの謎を解いて見せよ』そう挑戦しておられるのだ…」
「くそーっ!」
半ば切れて卓上の袋をぐしゃぐしゃにしつつ叫ぶエムリス…そこへウーゼルの声が飛んだ。
「待てエムリス、お前何をぐしゃぐしゃにしているんだ?」
「何って、こいつを入れていた袋だぜ。」
「…それはもとからこれを入れていた袋だな?見せてくれ。」
「お、おう…」
その袋―言わずと知れたビニール袋―を調べていたウーゼルの顔がみるみる真っ青になっていく。
「ど、どうしたよ兄者?」
「どうしたもこうしたもあるか!これはいったいなんだ?紙でも布でも皮でもないぞ、気が付かなかったのか!?」
「い、いや妙な感触だとは思ってたが…特に気にしていなかった…」
「…お前…いつも言っているが、その大雑把な所は直した方がいいぞ…調査方針変更だ!」
クッキー缶をやにわに掴んでウーゼルが部屋を出た、エムリスが慌てて続く。足早に向かったのは王城付随の鍛冶場だった。
「……」×2
調査は再び壁にぶつかっていた。
「こんな薄板はとても作れない…か…」
「どうやって作ったかは俺達が聞きたいんだがなぁ~」
王子二人は鍛冶士達から逆に質問攻めに会い、「王家の秘事」という事でその場は凌いだが更に困惑してしまったのである。更に更に大きな壁は…
「この翼の生えた犬は店の紋章だな…となれば下に書かれているのは店名の筈だが…」
「何なんだこれは?これが文字なのかよ…」
二人が困惑するのも無理はない、フレメヴィーラも西方諸国も建国経緯から文字は同一であり言葉の差異もせいぜいが方言という処、まったく別の文字などと言うものを想定できないのだ。缶の裏に貼り付けられている「製造元・製造年月日・賞味期限」記載がアルファベットではなく漢字&かな&アラビア数字なのだから尚更である。
「こうしていても仕方がないか…」
「だな?」
夜も更けたのでとりあえず一晩考えを纏め、明日朝相談しようという事で二人は別れて自室に戻ったのだったが、部屋に戻って暫くしてから白河夜船となったエムリスに対して夜通し考え抜いたウーゼルはある結論にたどり着いた。その結果まんじりともせず夜明けまでの時間を過ごしたのである。
翌朝、兄弟の会話は以下の通り。
「兄者、もしかして寝てないのかよ?」
「…眠れるお前がうらやましいよ…実はな、全く馬鹿げた事を思いついた。」
……
「…馬鹿な事を言った。忘れてくれ」
「流石は兄者だ!俺には到底考えつかねえ!」
「忘れてくれと言っている…」
「なんだよそりゃ?言ってやれよ爺ちゃんと親父に!」
「言えるかこんな事!」
ウーゼルの剣幕にはエムリスも不承不承ならが黙らざるを得なかったのである。
そしてアンブロシウスの部屋、2人は並ぶアンブロシウスとリオタムスの前に跪いていた。
「してどうだ、結論は出たか?」
前置きもなにもないアンブロシウスの質問に蒼白となるウーゼル、『言っちまえ!』と頻りにエムリスが兄を小突いている…そして彼はついに口を開いた。
「申し訳ございません先王陛下。非才の身故とても分かりませぬ、どうかお教えください。」
「なんだ降参か?不甲斐ないのぉ…」
アンブロシウスの冷ややかな口調にエムリスが切れた!
「爺ちゃん、その言い方聞き捨てならねぇ!」
「やめよエムリス!」
ウーゼルが静止するがエムリスは止まらない、立ち上がって真正面からアンブロシウスを睨みつけて叫んだ!
「この箱や袋はセットルンドじゃねえ何処かから持って来たんだろ、違うかよッ!?」
「…馬鹿…」
跪いたまま頭を抱えるウーゼル、言うだけの事を言ってぜいぜいと息をつくエムリス、奇妙な沈黙の後にんまりと笑ったアンブロシウスがパン!パン!パン!と拍手した後、口を開いた。
「正解だ。」
「はあぁぁーっ!?」×2
大口を開けて固まる二人を見て更に大笑いするアンブロシウスと大きくため息をつくリオタムス…ひとしきり笑った後アンブロシウスは面白そうな表情で腰を抜かした王子二人にずい!と詰め寄った。
「どのような過程をもってその答えにたどり着いた?包み隠さず全て説明せよ。」
ウーゼル&エムリスの説明が終わると、今度はアンブロシウスが大きなため息をついてリオタムスに向き直った。
「リオよ、残念な事にこやつらはまだ半人前以下、二人で一人前にも至っておらんようだ。」
「…はい、確かに…」
「な、なんだよそりゃ…」
エムリスの反駁はアンブロシウスの厳格な大喝に粉砕された。
「黙って聞け!ウーゼルよ、お主が日々将来に備えて研鑽に勤めているのは承知しておる。精勤はお主の美徳だ、だがお主は大事な事を忘れておるぞ、精勤とは全て『決断』の為の準備である事を…何故勇気をもって一歩を踏み出さぬ!?
王は時に、己自身の責にて理(ことわり)を超えた理を見出してこれを選ばねばならぬもの!王の真価を決めるのはその一事にあるのだ…これを選べなかった王は他にいかなる功を上げようとも『惰弱』『無能』以外の何者でもないと知れ!」
「…ハッ!」
恐縮して跪くウーゼルの横でバツ悪げにあっちの方向へ視線を泳がせていたエムリスにはリオタムスの叱責が飛んだ。
「エムリス!お前は少し自分の頭で考えることをせよ、すべてウーゼルの考えではないか!?お前のそれは決断とは言わぬ、上に立つ者が行き当たりばったりと直感だけで物事を決めて何とする!?理を飛び越える事ができるのは理を極めたものだけ、王の決断に『終わり良ければ総て良し』はない!そのような事をしていればいずれ取り返しのつかない誤りを犯し、お主自身はおろか全ての者に災厄を招くと知れ!」
「…へい…」
「ま、よいわ。なんにせよ正解したのであれば褒美を取らせる約束であったからの…喜べ馬鹿孫共、このクッキーの出所へ連れて行ってやるぞ。『異世界食堂』へな」
先程の威厳と迫力はどこへやら、すっかり『道楽者のご隠居』と言った体のアンブロシウスが嬉々として語る、異世界食堂を…
「エルネスティにはもう一昨日の内に知らせを送っておる、××日後に出立だ。エムリス、お前が御者をせい。ああそうだリオ、土産を楽しみにしておれよ。」
再び腰を抜かした王子二人…ウーゼルが恐る恐るリオタムスに尋ねる。
「…父上はその異世界食堂…の事をご存知だったのですか?」
「うむ。」
「な、なんだよ親父!一昨日は知らないって言ってたじゃねえか!?」
「…『父上からは何も聞いてはおらぬ』とは…もしかして?…」
「そうだ、藍鷹&ディクスゴード&セラーティからは報告を受けておった。」
「ずるいぞ!」
「『嘘』は忌避すべきものだが、時と場合によっては『韜晦』できるのも王たる者の心得だ、覚えておけよ」
破顔したアンブロシウスの大笑がその場を締めくくったのだった。
アンブロシウスの謎かけというか悪戯に振り回される王子達の光景はいかがだったでしょうか?名前しか出てきていないウーゼル殿下は若かりし頃、まだ修行中のリオタムス陛下のイメージで書いてみました。
次回はいよいよ王子二人の来店です
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6#偉い人を連れて行こう 後編
チリンチリン…
「いらっしゃいませ、洋食のねこやへようこそ!」
「アレッタさんこんにちは」
「エルさんいらっしゃい!…あ、またおいで下さったんですね陛下。そちらのお二人は王子様でしょうか?」
「うむ、わが不肖の孫二人だ。こやつらに美味いものを食わせてやりたくてな。今日もよしなに頼むぞ。」
「はい、マスターにお伝えいたします。それでは席に…」
「あ、ちょっと待って下さいアレッタさん。今日は席を選ばせてもらえますか?」
「ええいいですよ。」
素早く店内を見渡したエルが珍しく席を自分で指示した、その隣にいたのは…
Menue-X7:スパゲッティetc&カルパッチョ
「どうもシリウスさん、ジョナサンさん、今日は横に座らせてもらいますね。」
「…ああ、よろしく」
シリウスとジョナサンが怯むのも無理はない。目の前の一見人畜無害な美少年がいろいろな意味で突拍子もない規格外の権化である事を知らない常連はいない…エルの行動には一貫性が確かにあるのだがそれが本人にしか分からないので他者にしてみれば対応ないしつき合い方の見当がつかないのである…そんな二人にニコニコ顔でエルはこう言った。
「そんなに警戒しないでくださいよ、本日はスパゲッティをメインにした構成を考えていまして…その筋の権威というべきシリウスさんと腹心のジョナサンさんのお力を借りたいだけですから。」
「…そういう事なのかい?」
「はい、ぜひ各品のプレゼンをお願いします!」
「わかった、任せてくれ!」
シリウスに礼儀正しく一礼するエル…筋を通して頼まれたシリウスの商人(あきんど)魂に火が付いた、胸を張って宣言した後ジョナサンを促してアンブロシウス&ウーゼル&エムリスに一礼する 。
「異国の先王陛下及び両殿下には初めて御意を得ます。私は東大陸王国・帝国・公国を股にかけた食品問屋『アルフェイド商会』次期当主シリウスと申します。こちらに控えるのは専属料理人のジョナサン…本日はエルネスティ騎士団長のご依頼により各メニューのご説明をさせていただきます…エルネスティ団長、メニューは決めてあるのかい?」
「はい、ペペロンチーノ、バジル、ペスカトーレ、カルボナーラ、ミートソースの予定です。」
「お見事!」
「?」×3
シリウスの商人としての本領発揮、プレゼンが始まった。
「私が今食べている『ナポリタン』は一つの定番なのですが、スパゲッティはかける、和えるといった調理法。なによりソースによって千差万別な味が楽しめます。祖父がこの店を訪れて以来わがアルフェイド商会はこの店の味を再現する事に心血を注いでソースと調理法を開発し、販売することで隆盛を得てきました。」
「…そいつは少しズルくねえか?」
エムリスが突っ込むがその程度で動じるシリウスではない。
「その点についてはご亭主が黙認してくれています…もとはと言えば祖父が私達の世界でもこのスパゲティを食べたくて始めた事ですから…世界中から使える食材を集め、栽培を広め、それを独占的に買い入れて、調理法を再現する…もう10年以上続いている努力ですが、いまだにこちらの味には及びません」
「祖父殿の執念を感じる…」
「はい、そして今は私がそれを引き継いでいます。」
方や王国、方や商会の後継者の定めを負った者…感じるものがあるウーゼルとシリウスはお互いに頷きあった。更にシリウスのプレゼンは続く。
「ペペロンチーノとバジルはそれぞれ香辛料と香草を炒めて味と香りを出した油を麺に絡めたものです、麺自体の旨味を楽しむのにこれ以上のものはありません。
ペスカトーレはもともと漁師が作る海産物のごった煮のボリュームを増やす為、麺を混ぜたのが始まりだとか、海産物の旨さとこれに負けないトマト…私達の世界ではわが商会が探し当てたマルメットという野菜を使っていますが…その深みのある酸味が複合した味が見事です。
カルボナーラは塩漬け豚の燻製とクリームで作ったソースに麺を絡めたもの。これもシンプルな味ですが濃厚さは他に比べる物がありません。
そしてミートソース、祖父の大好物でありナポリタンと並ぶ定番!大量のひき肉をメインとしてこれもトマトと共に煮込んだソースは正直まさしく至高!と言うべきものです。
いずれにせよ、それらすべてを受け止めるだけの力をこちらの麺―スパゲッティはもっているのです。」
説明を終えたシリウスが再び一礼する。じゅる、とエムリスが舌なめずりをした。
「聞いているだけで生唾が出て来るぜ兄者…」
「全くだ。しかし惜しいな…お主のアルフェイド商会と取引できぬのが…」
「はい、私もフレメヴィーラ王国と取引できないのは残念です。大商いができるだけでなく商会にも更に箔が付くでしょうに。」
柔らかく、丁寧に、しかし王族に向けて物怖じせず堂々と商品説明をするシリウスにアンブロシウスが口を開いた。
「お主を見ておれば祖父殿がどれほど腹の座った商人かよくわかる…たとえ商売になる可能性はなくとも応対に手は抜かないのは家訓と見たが如何に?」
「はい。『一見無駄と思える事の中に、商いの種は潜んでいる。それを見逃さず掴み取る為には何事に対しても丁寧に、そして注意深く語り、観察し、行動せよ』というのが祖父のモットーです」
アンブロシウスはこの若旦那が率いるアルフェイド商会―この食堂の味の一端を受け継いだ者たち―との取引―食材の購入のみならず全く新たな作物の栽培を含めて―が始まったとしたらフレメヴィーラどころかセットルンド大陸全ての食文化が根底からひっくり返り、変貌するであろう事に戦慄せざるを得なかった…
「ご注文はお決まりだそうですね?」
厨房から出てきた店主にエルが笑顔で答える。
「はいマスター、ペペロンチーノとバジルは大盛を3皿、ペスカトーレとカルボナーラとミートソースは普通盛り7皿をお願いします…で、ワインは何がいいでしょうか?」
「そうだな…色々混ざっているからロゼが無難だろうね。」
「よろしくお願いします、今日は僕たちも飲みますから!」
「そうか、エル君にキッド君にアディさん、バトソン君も成年に達したんだったね?おめでとう!」
にっこり笑ってサムズアップする店主にキッド&アディ&バトソンも満面の笑みと共に一礼した。
「ありがとうございます!」×3
店主が厨房に戻ったところでエムリスがキッド&バトソンに問いかけた。
「…なあキッド、バトソン、お前さんたちは確かスパゲッティを食った事があるんだよな?」
「はい!お‥私達が…」
「『俺』で構わねえよ、堅苦しいのは苦手なんでな」
「はい、俺達が食べたのは今シリウスさんが食べているナポリタンです。具とトマトソースで炒め上げた麺はすごく美味かったです!」
「ほかにも調理法があるって聞いてましたけど…ミートソースはともかく他に4種類もあるなんて!?驚いてます。」
「いやいや君たち、4種類くらいで驚かないでくれ。軽く10種類はあるんだから…」
ジョナサンの言葉にキッドとバトソンが絶句する。
「エムリスよ、ついでに言うが酒も美味いぞ。ここの葡萄酒はこの世界としては安い物だそうだがフレメヴィーラはおろか西方諸国のどこにもないであろう程の代物だそうだ…最高級品がどんな味なのか想像もつかんわい。」
「ふええぇぇ…」
「凄いですな…」
アンブロシウスの言葉に驚く2王子。すっかりリラックスした様子の3人に『掴みはOK!』と心の中でガッツポーズをするエルだったがここで妙な事に気が付いた、アディが静かなのだ。はて?と振り向いてみれば…
「うふふふふ……」
「…ど、どうしたんですアディ?」
いつもの『可愛いもの』症候群笑いのアディに半分引きながら問いかけるエル。アディはその笑顔のままにエルに向き直った。
「見て見てエル君、あの席の子達。」
「…なるほど新顔さんらしいですが、あれは…」
「ね、可愛いっていうより素敵でしょう?」
足が完全に鳥のものであるのは気になるが、真っ白な羽を背中に持つ自分達と同じくらいに見える…傍目にも素敵なまでに打ち解けた少年と少女がそこにいた。
「きっと恋人同士だね?…(私もエル君とあんな風に)…エル君?」
アディがぎょっとなったのはエルが彼女に同意して纏っていたふんわりとした空気がいきなり変わったから…その視線は二人ではなくアレッタが二人の席に持ってきた料理に釘付けになっている。
「お待たせしました、×××ッチョ2人前です。」
「わあ!来たよアーリウス。」
「うん!7日ぶりだねイリス。」
「お食事中すいませんお二方ッ!」
「はい?」×2
アーリウスとイリスにいきなり声をかけるエル、その口調と表情に危険を直感したアディ&キッド&バトソンが慌てて席を立ったがそんなものをこの状態のエルが気にする訳がない。
「僕はエルネスティ・エチェバリルアと申します、再度お食事中に声をかけてすいません。…ちょっと教えていただきたいことがあるんです。」
アーリウスとイリスは顔を見合わせたが、ここでアーリウスが思いついたように口を開いた。
「ああ、君が噂に聞く僕達とは違う世界からのお客さんなんだ?僕はセイレーンのアーリウス」
「私イリス!」
屈託のない表情で答える二人だったが、エルは前世の記憶にある二人の種族名との違和感に戸惑う。
「あの、セイレーンって歌声で船を難所に誘って難波させるっていう…?」
「あー!その言い方酷―い!」
「ご、ごめんなさい!」
頬を膨らませて身を乗り出したイリスに思わず謝ってしまうエル、ここでアーリウスが間に入った。
「まあまあイリス、人間の世界では僕達はそういう魔物だって噂が流布してるんだからしょうがないよ」
「でもすごく不満で心外!私達は歌が大好きなだけなのにー!」
「…そうなんですか?」
エルに向かってこっくりと頷いたアーリウスが真顔で語り始めた。
「僕達セイレーンにとって歌と歌う事は生きる事そのもの…自分のテリトリーを主張するのも、テリトリー間で情報を交換するのも、つれあいを探して求婚するのも、全ては魔力を籠めた歌の力なんだ。」
「なんだか別の種族にはおかしな影響があるみたいだけど、べつに人間の船を沈めたくなんてないよ。だってそんなことしたってなんの得もないもの、食べられないし。」
「へ、へえ~…事実は物語より奇なり、ですね~」
感心するエル、ここでアディが割って入った。
「あのさっき『つれあい』って聞こえたけど、もしかしてあなた達は夫婦…もう結婚してるの?」
「うん!」
「ふえええーっ!?」
アディだけではなくキッドもバトソンも驚いたが、アーリウス&イリスはきょとんとした表情でその様子を眺めている。
「僕達セイレーンはつれあいを見つけて巣立ちするんだから当然だよ。」
「アーリウスは卵から孵った時から知ってる仲だけど、とっても素敵な歌と声で求婚してくれたわ、だから私も力いっぱい歌い返したの。」
「イリスの歌と声も素敵だったよ。」
「か、可愛いーッ!」
セイレーン独特のものらしいのろけとともに手を握り合って見つめあう二人の姿…それに感動して打ち震えるアディだった…。さて、ここでエルが本来の目的を思い出す。
「そ、そうだ。肝心な事を忘れていました・・・それ、カルパッチョですよね?」
「うんそうだよ。」
「初めて来た時驚いちゃった、人間が生魚を食べるなんて知らなかったから。」
「生魚を食べるのは僕達だけだと思ってたからね。でもこれは凄いよ、獲れた時にきちんと活〆をして、血抜きをした魚をさらに綺麗に捌かないとこんな味は出せないや。」
「かけている油や酢や香辛料や香草も素敵!私達ではこうはいかないもの…だからドヨウの日が楽しみなの!」
マグロのカルパッチョをじっと見つめていたエルが…にへら~と笑った。その笑いを見たアディ&キッド&バトソンが真っ青になる。
「…でしょうね~いやありがとうございます!…アレッタさーん追…もがっ!」
「アディ!」
「キッド!バトソンはエル君を席に引っ張って!」
「わかった!」
アーリウスとイリスに一礼したエルの口をキッド&アディが瞬時に塞ぎ、二人がかりで羽交い絞めにした。そのままの体勢でバトソンがエルを席に引きずり戻す…。
「もう、いきなり何するんですか!…って3人ともどういう表情ですかソレ?」
ぷんぷんと頬を膨らませるエルだったが、この世の終りを見たような3人の表情に首をかしげる。
「…な、なあエル、お前あの料理注文するつもりだろ?…」
「もちろんです!」
「お願いエル君ッ!」
「それだけはッ!」
「勘弁してくれッ!」
満面の笑みと共に宣告するエルに対し、アディ&キッド&バトソンはテーブルに頭を擦り付けて懇願する!さらにきょとんとするエル
「そんな大げさな…要するにちょっと変わったサラダですよ?」
「ちょっとじゃなーいっ!」×4
今回はエムリスが加わった、エルが口を挿む前に3人は更にまくし立てる。
「わかってる、分かってるわ…この店で出るって事はこっちではありふれた料理なんだよね!?」
「はい!この国では『刺身』と言って生魚の身を切ったものを醤油とわさ‥専用の香辛料で…」
「わかった、わかったから…マスターが不味い料理を出すわけないもんな!?」
「そうですよ~」
「だよな、だよな…でも俺達、正直言って生魚を食べる勇気がないんだよ!」
半泣き状態のアディ&キッド&バトソンに笑顔のエルが宣告した。
「では是非勇気を持って下さい、新しい世界が広がります!」
「エル~っ!」
「エル君~っ!」
「お願いです陛下、両殿下、エルを止めてくださいっ!」
「お、おう…銀の長よ、ここはダチの言う通りにした方がいい…」
「よいではないか。」
アンブロシウス&ウーゼル&エムリスを拝み倒すバトソン、顔色がないエムリスがようやく口を開くが…そこへ是を唱えたのは、なんとウーゼルだった。
「あ、兄者ぁーっ!?」
「取り乱すなエムリス、エルネスティの言う通りだ。異世界まで来たからには新たな世界へ向けて前進あるのみ!」
「決まりですね!?アレッタさん、カルパッチョ2皿追加お願いしまーす。」
「はい承りました、マスター!」
「はいよ!」
「…やるわい。」
この一事に一歩を踏み出す勇気を示そうとするウーゼルを見たアンブロシウスがニヤリと笑ったのだった。
「お待たせしました、カルパッチョです。」
アレッタが持ってきた2皿を真剣な表情で睨む5人―エルはニコニコ顔なのは言うまでもない、その上アーリウスとイリスがわくわくと見つめていたりする―そしてウーゼルがおもむろにフォークを手に取った。
「では私が先陣を切る!」
フォークを突き刺したマグロの切り身を一気に口へ!…5名が凝視する中、これを租借し飲み込んだウーゼルが愕然とした表情になる…
「お、おい兄者?」
「ウーゼルよ?…」
「…甘い…」
「はあ?」×2
「甘い、甘いですぞ陛下!エムリス!…何という事だ、生魚というのはこんなに甘味のあるものだったのか!?」
ウーゼルの一言が5人の背中を押した、それぞれにマグロを口に…絶妙の処理とドレッシングで臭みを消された生魚の、噛めば噛むほど出て来る甘味と旨味に全員がノックアウトされたのは言うまでもない。
「…以前のさんまといい、この料理といい、完敗だ。この獅子王潔く『幻晶騎士から降り』ねばなるまい」
「じいちゃん…」
「何という事だ、強き騎操士ではなく市井の料理人が陛下を打ち負かすとは…もはやわれらはフレメヴィーラの水産物で満足する事が出来なくなってしまった…」
「…おいエル、なんだかすごい事になってるぞ?」
「みたいですね~」
『おまたせしました、ペペロンチーノとバジルのスパゲッティです』
ここでクロとアレッタと店主が3人がかりでスパゲッティを運んできた、頃合いと見たエルが明るい声で宣言する。
「前菜は終了です、スパゲッティが来ました!陛下も両殿下も、深刻な話はそれぐらいにして大いに楽しんで下さい!」
「もっと深刻になりそうな気がするぞ…」
真顔でアンブロシウスが呟くのだった…
「こ、この赤い香辛料は!?」
「唐辛子と言います」
「こっちの麺ってのは…こんな味だったのか…麺の味だけでもすげえ…更にこの香草!」
「この葡萄酒は…雑味が全くない…見事だ!いったいどのような酒蔵が醸造したのだ?」
「…工場での大量生産品なんです。」
「ペスカトーレをお持ちしました」
「うわあ具沢山!?」
「イカに貝にエビに…」
「こ、これ全部海産物かよ!?それにこの真っ赤なソース…」
「シリウス、これがお主が言っていた『トマト』という野菜から作ったソースなのか?」
「ええ殿下、こういう煮込み用の品種です。」
「煮込み用?」
「ほかに生食用や加工用や、用途に合わせた品種がありまして…」
「うーむ、奥が深い…」
『カルボナーラとミートソースです』
「すげえ、すげえ!ガツンと来たぜ!この濃いクリームもひき肉も最高だ!いくらでも入るぞぉーっ!」
「少しは落ち着いて食えエムリス、陛下も…」
「遺憾ながら今回はエムリスに同感だ、とても落ち着いてられぬよ!」
「食った!」
「美味かった!」
ソースの一滴も残さず(パンで全て拭って食った)アンブロシウスとウーゼルが宣言した。
「満足していただけましたか?」
「無論だエルネスティよ。さて店主、土産に葡萄酒を一本所望したいのだが?…そうおもいきり腰の強いのがあればそれをもらいたい。」
「それはかまいませんが、お持ち帰りの際はお気をつけください。ガラス瓶ですので」
「承知した。」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ店主」
ワインを取りに厨房に戻ろうとした店主をエムリスが呼び止めた。
「なあじいちゃんも兄者も、葡萄酒一瓶なんてケチなこと言わずによ、店主にフレメヴィーラに来てもらえばいいんじゃねえか?」
「おいエムリス!」
「殿下駄目ですよ、5日間はこっちの世界でマスターの料理を楽しみにしている人達がいるんですから!」
ウーゼルとエルが窘めるがエムリスは止まらない。
「な、いいだろ店主?こっちに来て俺たちの国の食材でできる料理を教えてくれよ!…そう7日間でいいんだ!その間の報酬は無論出す!そうなればフレメヴィーラがセットルンド一(いち)の料理の国だ!」
マルティナの縁もあってクシェペルカではさほどでもないが、その他西方諸国がフレメヴィーラを野蛮な『魔獣番』扱いしている事に内心穏やかでなかったエムリスがまくしたてる。
「困りましたね…」
苦笑する店主の表情…その時フレメヴィーラの7人の頭の中に声がした
『それは駄目』
静だが強く、絶対零度の冷ややかさがこもった声…次の瞬間7人は漆黒の闇の中にいた。目の前にいるのは、無論クロである…
「こ、ここは…あんたは一体?…」
ずんずんと近づいて来るクロに正面から見据えられたエムリスはたたらを踏んで後ずさり、ついに腰を抜かしてへたり込んだ。そんな彼をクロは何の感情もない表情で見下ろす。
『ときおりあなたのように店主を自分のモノにしたがる者がいる。でもそれは駄目。あの店も店主もアレッタも『赤』の財宝、店と二人を守るのが赤からの依頼、そして今は私の意志…』
クロの手がすう、と上がりエムリスに向いた。エムリスは完全に蛇に睨まれた蛙状態であり動くことも声を出すこともできない…がそこへエルが割って入った!
「ごめんなさいクロさん!エムリス殿下には僕がきっちり言い含めますっ!
だから今回だけはどうか許してくださいっ!」
『赤』の一言で全てを察したエルはまさしく必死、クロの前に跪いて謝罪する!
「わしからもお詫び申し上げる、どうかこの不肖の孫を許してやっていただきたい」
「私からもお願い申します。」
アンブロシウスが、ウーゼルが、続いてキッドもアディもバトソンも跪く。
「クロさんお願いします」×3
『…わかった。エルネスティ、あなたに免じて今回だけは許す。でも2度はない』
そう言ったクロはすい、とエムリスの肩鎧にふれた…
「どうされました?」
店主の声に7人は我に返った、そこは言わずと知れたねこやの店内。店主とクロとアレッタが並んでいた。店主が緩衝材に包んだワインをアンブロシウスに渡す。
「あ、いやなんでもない…代金はわしが払うが、心づけは受け取ってはくれんのだったな?」
「ええ、値引きもぼったくりもしないのがうちの方針ですから。またいらして下さい」
ごん!
7人の後で扉がすい、と消えたと同時に顔面蒼白のアンブロシウスがエムリスの頭を拳骨で殴った!
「いてぇ…」
「こ、この馬鹿者が!あそこでエルネスティが割って入らねばお前はこうなっておったのだぞ!」
続いてエムリス自身も蒼白になった。黒く変色した魔獣皮の肩鎧がさらさらと砂のように崩れ落ちて行く…崩れ落ちた黒塵は更に黒煙となり風に吹かれて消えて行った、跡形もなく…
「ぎ、銀の長よ…あの女給はいったい?…」
「黒の魔竜です。僕が以前お会いした赤の女王様の同族、あの世界で神としてあがめられる魔竜の一柱…」
「ひえええーっ!」
目を回しかけたエムリスの襟首をアンブロシウスが掴んで引き戻した。
「考えなしに行動した結果がこれだ、よく覚えておくがよい!それからエルネスティに礼をせよ!」
「は、はいっ!銀の…エルネスティすまん、お前は命の恩人だ!」
…暫く後、王城でリオタムスが土産のワインの栓を抜いた際にエムリスは相伴に預かれなかったそうである。それが罰であった。
なお、その後エムリスが少しはものを考えるようになったかどうかはいささか心もとない
今回は遅くなりました。
次回は一応の最終回です。
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終章:しばしのお別れ
少しばかりの月日が流れ、エルたち銀鳳騎士団はオルヴェシウス砦にその本拠を移した。この砦がエルの実家に近いというだけの立地で建造されたのは周知の事だが、試験・演習地として砦内に内包された森に何が存在するかは言うまでもない…
以後一般の鍛冶士&中隊の面々もローテーションで来店するようになり、異世界食堂ががぜん賑やかになった。美味い食事に騎士団の面々の士気もうなぎ上り。更には視察にかこつけてやってきたリオタムス陛下も来店したりして…まあそういう喧騒の日々がしばらくは過ぎて行ったのだったが…
Menue-X7:ロースカツ
チリンチリン…
「いらっしゃいませ、洋食のねこやへようこ…そ…」
「アレッタさんこんにちは」
「今日はお一人なんですね?」
「ちょっと事情がありまして…あ、注文はロースカツでお願いします。」
「はい、マスター注文入りました。」
「…あいよ」
アレッタが一瞬困惑したのはエルが一人で来店したという事もあるが、その纏っている空気がいつもと違っていたから…ここでの食事を楽しみにしているうきうきとした空気ではないどこか重い、真摯な、それでいて陰のある愉悦感を伴った空気…一部の常連にとっては馴染みのそれであったからだった。タツゴロウが代表する形で「ほお…」と呟く。
そしてロースカツを店主が持ってきた。
「お待たせしました、ロースカツです」
「ありがとうございますマスター。よく考えてみればカツカレーやカツドンはよく食べましたけど『ロースカツ』を単品で食べたことがなかったですからゲン担ぎを兼ねてこれにしたんですよ。暫く食べられないですからよく味わいます。」
「戦かい?」
「ええ…わかりますか?」
どこか透明な笑顔で頷いた店主が続ける。
「知っての通りこの国は×十年、戦争をやったことがない。だがこの異世界食堂じゃ戦が日常の常連さんだらけだからね、わかるようになったよ。」
「改まって挨拶に来るという事は、話に聞く魔獣相手の討伐戦ではなさそうだな?
いずこかの国との戦か?」
「はい」
タツゴロウの質問にエルは答える。ボキューズ大山脈を挟む親戚筋の隣国であるクシェペルカ王国へ不正規の援軍となる件を…
「なかなか微妙な立場での戦のようだが・・・お主どこか楽しそうだな?」
「あ、分かります?流石タツゴロウさんですね。僕としてはそういう『セイジテキジジョウ』ってやつには興味がないんです。僕にとっての最大事はついに完成した『イカルガ』の実戦デビューですから!」
晴れやかな声と笑顔!嬉々として宣言するエルネスティ、そこに秘められた歪んで、狂った情念をその場の全員が感じた…彼が抱えた闇と狂気を…
「くっくっくっ…だろうな。前々から思ってたがお前もオレの同類ってワケだ」
「…ですね?だからライオネルさんは今でも剣闘士をやっているんでしょう?」
笑うライオネルの目を正面から見据えたエルがぞくりとするような笑顔で頷いた。
「おうよ!10年前に身代金を闘技で叩き出した後『飲む、打つ、買う』って暮らしをやってみた事があるが、退屈で退屈で10日と持たなかったぜ…俺はくたばるその日まで闘いとカツドンに生きるんだろうよ。」
「ええ、僕もおそらく幻晶騎士の操縦席で死ぬまで走り続ける筈です…泳ぎ続けなければ溺れ死ぬサメやマグロと同じですね。」
「へえ、そういうものなのか?」
店主とアーリウスとイリスが頷いたのだった。
ここでガルドとギレムが話に入って来た
「団長さんよ、親方から少しばかり聞いてはおるのだがそのイカルガという名の幻晶騎士はとんでもない代物らしいの?」
「なんでもお前さんが仕留めた師団級魔獣の心臓から作った魔力炉2つを積んでいると か?」
「お、おい本当か!?」
「はい!」
店内の驚愕を代表して問いただすライオネルにエルは又満面の笑みで頷いた。
「…すげえな…」
「でもどうしてそこまでの魔力が必要なの?」
絶句するライオネルに変わってラナーが魔導士として当然の疑問を投げかけるが、次の瞬間彼の嬉々とした表情にドン引きした。エルは明らかにその質問を待っていたのだ。
「空を飛ぶ出力を得る為です!」
…店内がしんとなった、誰一人しわぶきする者もない…どのくらいそうしていたか、ようやくシャリーフが口を開いた。
「あーエルネスティ…団長、聞き間違いだと思うんだが…今、君『空を飛ぶ』と言わなかったかい?」
「言いましたよ」
「空が飛べるのかい?」
「はい。」
「全高10mの魔法の鎧が?」
「最大速度は時速250㌔超、高度2000mは軽く!」
ガッシャーンッ!
「おいロースカツ!?」
「い、いやすまん!アレッタ嬢、始末を頼む」
アルトリウスがジョッキを取り落した…
ガシャンッ!
「ヴィクトリア様!シャリーフ様!ラナーもお気を確かに!」
「しっかりせんかドウシュン!」
アーデルハイドが悲鳴を上げ、ソウエモンが叫ぶ。魔導士3名と陰陽師1名がそろって卒倒した…
「…ちょっと大げさに過ぎるような気がしますが…」
爆弾発言―本人にとっては意外な―をしたエル本人がかえって驚いた様子である、困惑した様子でアルトリウスに質問した。
「そちらには『空を飛ぶ』魔法はないんですか?…あって当然だと思っていましたけど…」
ようやく立ち直ってアルトリウスを介抱していたヴィクトリア、師弟二人が顔を見合わせる、そしてアルトリウスが口を開いた。
「ない…」
「…どうしてです?」
「…物体を浮かせて別の場所に、特に高所に揚げるような魔法はある。でも鳥やそちらのセイレーン達のように自由に魔法で飛行するなど考えたこともない…」
後を受けたヴィクトリアがまだ半分呆然と続けるが、そこへ満面の笑みを浮かべたエルが答えた。
「なんだ、じゃああと一息じゃないですか?」
「???」×2
更に訳が分からないという二人に更にエルが畳みかけた。
「つまり浮かべたものに乗ってそれを推進し、進路や高度をコントロールする手段があればいいんですよ?」
アルトリウスが、ヴィクトリアが、ラナーが、ドウシュンが…魔導士&陰陽師がそれこそ頭をガツンと殴られたような顔で固まった。
「…言われてみればお主の言う通りじゃ…」
「ほうきに乗るようにだね?」
「ええそうですね。」
ここで笑顔の店主が割って入り、エルが相槌を打つ。怪訝な顔の魔導士達に店主は空を飛ぶ魔法使いについて語った
「この世界では魔法も魔法使いも伝説やオトギバナシの中の存在なのはご存知の通りですが、その中で魔法使いはほうきに跨って空を飛ぶというのがお約束なんですよ。」
「ほうき…か…」
アルトリウスはそのまま押し黙ってしまった。後を受けるようにシャリーフがまだ半信半疑という面持で口を開く
「しかしそれだけの魔力を使ってどうやって空を飛ぶんだい?」
「よくぞ聞いて下さいました!」
待ってましたとばかりにエルが説明を始める『魔導噴流推進器』について…
「成程、魔法を動力としたジェットエンジンか、君らしいね?」
「やはりマスターは分かってくださいましたね。」
ドウシュンやラナー、シャリーフはおろかヴィクトリアまでついて行けずに頭を抱え込む中でニヤリと笑顔を交わしあうエルと店主の様に訳が分からない思いのアレッタが問いかける。
「あ、あの…マスターはエルさんの話が分かるんですか!?」
「ああ、俺は魔法については全く分からないがジェットエンジンならよく知ってるからね。この世界では魔法じゃない燃料で動く同じエンジンで空を飛ぶ飛行機械-航空機が沢山飛んでるんだよ。…そうか。君にこういう話をしたことはなかったね」
「ふえええー!?」
アレッタが目を回してへたり込んでしまったのだった
「いやーロースカツにはやはりトンカツソースです!暫く食べられないと思うと余計に美味しい!…それにワインとよく合うんですよねー『美味〇ぼ』は偉大です!」
たっぷりソースをかけたロースカツとグラスワイン(チリ産)に舌鼓を打つエルに、意を決した表情のヴィクトリアが近づいて来た…
「エルネスティ、食事中済まない。」
「…どうされましたヴィクトリアさん、そんなに改まって?…あ、もしかしてさっきの追加説明が?」
「いいえ違う、『魔導噴流推進器』については私なりにこれからじっくり考えてみるつもり。実は前々からあなたに確認したいことがあった、しばらく会えないのならいい機会だから聞くことにした。」
真剣な表情のヴィクトリアにつられてエルも真剣な表情になる、そしてヴィクトリアの質問とは…
「あなたの世界に月はある?」
「…はい?」
その質問に思わずズッコケてしまいそうなエルだったが、ヴィクトリアの表情がそれを許さない、訳が分からないままこくりと頷くがヴィクトリアは更に畳みかける。
「その月はどんな形をしている?」
「…そうですね、ちょっと変わった形をしていますか…一部が欠けているというか…」
その場の雰囲気が無言ながら騒然となった!…ここに至ってエルはヴィクトリアの質問の真意と導き出された事実に愕然となる。
「…そういう事だったんですか?」
「ええ。」
真摯な表情で頷いたヴィクトリアの説明が始まった。
「ずっと考えていた、あなたのいるセットルンド大陸というのは本当に私達とは別の世界の大地なのかを…サラ、あなたが公表したあの手帳で南に更なる大陸がある事が分かったのだけどそれが本当に世界のすべてだろうか?」
「…」
ヴィクトリアの問い掛けにサラは言葉がない、ヴィクトリアの説明は更に続く
「私達の世界の船と航海術、そして海の状況では沿岸航海か航路の分かっている東西大陸を行き来するのが限界。そしてエルネスティ、あなた方の大陸では西半分―本当に半分なのかどうかは分からないのだと思うーで生きて行くのに精いっぱいで海の向こうの事を知りたいという意欲がない…もしかしたらセットルンド大陸というのは私達と同じ世界にありながら海で遠く隔てられた別の大陸ではないかと…
いまの質問で確信した、私の仮説は正しかった!」
ヴィクトリアがずい!とエルに顔を近づけて更に更に畳みかける
「あなたの地に×十年くらい前、大きな天変地異がなかった?」
「…さすがにそれは僕には…おじいさまにでも聞いてみないと…」
「…そうね、ごめんなさい」
ヴィクトリアは語った、それは師であるアルトリウスらが邪神を滅した邪神戦争のクライマックスの時、まさしく天と地を揺るがす異変が全大陸に起こったのだと…
「…正直驚きました、僕もそんなことは考えた事がなかったですから。」
「…す、すごーい!」
「うん、本当だ!」
驚くべき歴史的大発見にその場の全員が声もない中で感嘆の大声を出したのはイリスだった、アーリウスがすかさず同意する。そして二人はエルの席に来てその手をしっかりと握る!
「ね、ねエル!だったらいつか私達の島に来て!私達あなたと一緒に飛びたいの!」
「僕もイリスと同じ気持ちだよエル!きみの『イカルガ』を見たいよ!」
「ありがとう!…でも残念だけど無理かもしれません…さすがに海を渡るほどの長距離だと機関がもちそうにないですし、第一位置が分からなくては…」
「うーん、そうなんだ…」
カルパッチョが取り持つ縁で結構親しくしているこの若夫婦にエルは心から残念な思いで語った。イリスは意気消沈するがアーリウスの屈託のない笑顔は変わらない。
「なにも問題ないよイリス、歌おう!」
「そうか!そうだよねアーリウス!」
「?」
決意を籠めて頷きあう二人の様子の意味が分からず首をかしげるエルに対し、アーリウスとイリスは笑顔で向き直った。
「以前に話したよね、僕達セイレーンにとって歌う事が生きる事だって。物語も歴史もすべて僕達は歌で広めて受け継いでいくんだよ」
「私達あなたの事を歌うわ!そして一族全てに、そして子孫に伝えて行くの。いつかあなたとアディの子孫と出会って一緒に飛べることを信じてる!」
「ちょ、ちょっと待って下さい!凄い事ですし基本的には感謝ですけど…なんでここでアディが出て来るんですか!?」
真っ赤になって慌てふためくエルに二人がずい!と詰め寄った。
「駄目だよエル、君だってアディの気持ちはわかってるんだろ?」
「好意を持ってくれる異性にはきちんと返事をするのが私達の掟なの!中途半端は絶対ダメ!」
「…はい…」
小さくなってしまったエルの姿にその場の全員が大爆笑したのだった(^^)。
「どうだろう諸君、皆でエルネスティの武運長久を祈るというのは?」
「おう!」
「異議なし!音頭は頼むぜ!」
「了解!」
エルの食事が終わる頃合いを見計らったタツゴロウの呼びかけにアルフォンスとライオネルが呼応した。有志が続々と起立する…
「エルネスティ・エチェバルリア銀鳳騎士団長に武運あれ!」
チーン!
タツゴロウが、ソウエモンが、デンエモンが、ハインリヒが、サラが、アルフォンスが、ヒルダ・アリシア・ラニージャが愛刀&剣の鯉口を切った!
「武運あれ!」
ガン!ドン!
ライオネルが咆哮してなまくらを拳で打つ!ガルド&ギムレが斧を打ち合わせる!ガガンボが(やや加減して)尻尾で床を叩く!
「武運を祈る!」
ザ!パン!
アルトリウスが、ヴィクトリアが、シャリーフが、ラナーが杖を掲げ、ドウシュンが扇子を開いて位を正す!
「ご武運を…」
「白の神の加護を!」
アーデルハイドが貴婦人の礼をし、セレスティーナ&カルロッタ&アンナが祝祷する!
「ありがとうございます皆さん!」
満面の笑みと共に頭を下げるエル!おー!おー!おー!の歓呼三声がねこや店内に響き渡ったのだった。
「しばしのお別れですマスター、アレッタさん、クロさん。」
「元気で、またの来店をまっているよ。」
「私もです、またいらしてください!」
「ちょっとよいかの店主?」
「すいやせん。」
「これは…珍しい取り合わせですね?」
穏やかな笑顔の店主、そして目に涙を浮かべたアレッタとしっかり握手を交わすエル。そこへアルトリウスとネズミがやって来た。まずはアルトリウスがエルの前に膝立ちになってその手をしっかりと握る!これにはエルはもとよりその場の全員が驚いた。
「ア、 アルトリウスさん?」
「感謝するぞエルネスティ殿!お主はこの老いぼれに人生最後の為すべきことを示してくれた!わしは残りの人生全てをかけて魔法による飛行方法を作り上げて見せる!誠に全身全霊をかけるに足る仕事じゃよ!」
「すごいですアルトリウスさん!頑張ってください!」
エルもアルトリウスの皺だらけの手をしっかり握り返し、頷きあったのだった。
…アルトリウスが「矢」の形状を基にサドル(鞍)を乗せ、魔力で浮遊と推進を行い、操縦は矢羽(尾翼)を可動して行う飛行アイテムを完成させるのはおよそ10年後の事。本人は幾度目かの飛行試験中に遭遇した乱気流によって墜落死するが、その研究は弟子たちが引き継ぐ。
実用的な魔導飛行器が完成するのは彼の死後ほんの3年後。これが量産され飛行が可能となった魔導士達により東西大陸の情報伝達と戦のあり様が大変革を遂げるのは更に10年後の事である。
「ひひひ、あっしを忘れちゃこまりますぜ」
「えっと、ネズミさんでしたよね?」
特に話したこともないこの自称吟遊詩人が何の用か分からないエルが首をかしげるが、ネズミは意に介した風もなく続けた。
「ここのところあんたの事を題材にした詩(うた)をうたってるんですがね、これが大人気なんですよ!『吟遊詩人は見てきたような嘘をうたう』ってのはよく言われますがこいつはあんたが話した事やほかの団員さんたちが話してたこと、団員さんにあっしが聞いた事がネタですからリアリティってやつがありましてねぇ!…真が3分で嘘が7分ってのが話としちゃあ一番面白いんですよ。こんど大戦(おおいくさ)をされるって事ですから今度その話を聞かせて下さいよ。更に凄い話に仕立てて東西大陸全土でうたってみせますぜ!」
「…お手柔らかに…」
…ネズミのうたう竜戦艦ヴィーヴィルとの戦いをクライマックスとしたエルネスティ・エチェバルリア銀鳳騎士団長のクシェペルカ王国戦記は彼の思惑どおり東西両大陸で大人気を博すことになる。
彼自身はこの詩をうたいつついずこかで溶け消えるように死んでいったが、残った詩は時が経るにつれ更に尾ひれがつき、他の詩を飲み込んで巨大な叙事詩として歌い継がれていく事となる…やがて文学として纏められるが、遥か後に主人公たるエルネスティが実在の人物である事がセットルンドの人間との接触で明らかになり、この地の文学界がひっくり返る事になるのだが、この物語とさして関わりはない。
「クロさん?」
クロが差し出した手を握ったエルは次の瞬間、以前も見たあの漆黒の空間にいた。意味が分からずきょとんとしているエルに相変わらず無表情なクロがプツンと自分の髪の毛を一本抜くとエルに手渡す、そしてそのまま後ろに下がったと思うと…黒髪でウエィトレス姿のエルフは掻き消え、巨大な黒龍がエルの眼前にいた。
「…ああ、それがクロさんの本当の姿なんですね?」
『そう…エルネスティ、それを持っていくといい』
エルが渡された髪の毛を見ると、それはいつの間にか黒い小さな鱗に変わっていた。
『私は月からいつも世界を見ている。貴方が必要と思った時それで私を呼べばいい。
貴方の敵を私が一つ残らず滅殺する、草木一本残さず…』
「…いただいておきます…」
最終兵器のトリガーを渡されたようなものだが、とても断れる雰囲気ではない。引きつった笑顔で受け取るエルネスティだった。
「みなさんありがとう!お元気で!」
店主&アレッタ&クロ、そして常連達に見送られてエルは扉をくぐっていった…その後の彼の活躍はご存知の通りである。
そして月日は流れて…
チリンチリン…
「いらっしゃいませ!洋食のねこやへようこそ。」
「こんにちわアレッタさん。」
「おういらっしゃいエル君!」
「アレッタさんもマスターもお元気そうで何よりです!今日は来れる人を皆連れてきました!」
「こんにちは!」×※
「こいつは大盛況だね?…常連さんはみんな君の話を聞きたがってるよ。」
「はい!」
いかがだったでしょうか?
「ナイツ&マジック」と「異世界食堂」の物語が続いていく限り、エル君たちと異世界食堂の面々の来店と交流は続いていくという終わり方にしたつもりです。
以後は外伝となります。エル君は全く出てこないかあるいは脇役の物語…だれが来店するかはお楽しみに
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外伝1#飛竜戦艦の裏事情
オラシオ・コジャーゾ氏の事情は今回も全て私の創作であり、公式とはなんの関係もない事をあらかじめ申し上げておきます
それはエルが暫しのお別れを店主とアレッタ&クロ及び常連達に告げた日の事である。酒が目当ての常連達も去り、あとは赤の女王様の来店を待つだけ…3人がまかないを前にしていた葉境の時間、店主がふと漏らした言葉からこの話は始まる。
「…そういえばコジャーゾさんはどうしているかな?しばらく来ていないが…」
「?」×2
アレッタとクロの怪訝な表情に店主が続ける。
「二人が働いてくれるようになる少し前からぱったり来なくなった常連さんなんだ。まあ忙しくしているに違いない…ああいう人はやりたい事に没頭するとメシを食うのも忘れてしまうからなぁ~」
「どんな人なんです?」
『どうしていきなり思い出したの?』
そこで店主は苦笑しながら口を開いた。
「いや、今日のエル君を見て思い出したのさ…ある意味よく似ている人なんだ。エル君が『幻晶騎士』に憑りつかれているのと同様にあの人は『空を飛ぶ』事に憑りつかれている人でね…
そう、あの人が初めて来たのは今ぐらいの時間だったな…」
Menu-Z1:コロッケ&ボジョレー・ヌーヴォー
チリンチリン…
「いらっしゃいませ女王さ…おや、この時間に新顔さんとは珍しい。
ようこそ異世界食堂へ」
言葉もないとはこの事…オラシオ・コジャーゾは珍しくびっくりしていた。色々煮詰まっての考え事やらイライラやらで屋敷への道から外れて荒れ放題の庭の森に踏み込み、そこでぶつかった扉を何も考えずに開けてみればここにいたのである。回りの悪い頭で店主の促すままに席に付き、レモン水を一息に飲み干してようやく店主の説明を理解した次第である。
コジャーゾは一応技術士長なのでジャロウデク王国政府からは屋敷一軒を宛がわれているのだが、工廠に出ずっぱりの彼はほとんど屋敷に帰って来る事はない。維持管理の為の通いの使用人に任せっきりである。
…レビテートシップの建造は決して順調に進んでいるわけではない、まったく新規の兵器体系ともなると初期不良と言う名の技術上のごたごたは言わずもがな、更にはスポンサーである王国政府からの(主に予算面での)横槍はしょっちゅう、諸般の事情で組織構築・管理者としての力量も並々ならぬコジャーゾにしてもいい加減うんざりするような状況が続いていて半ば切れるような形で残務を放り出して帰宅してみればこのありさま…なんとなく笑いがこみあげて来るコジャーゾであった。
「『異世界』の食堂ですか。妙な事になったものですねぇ…」
コジャーゾは技術士として当然の興味として店内の設備―すべらかな内装や調度品、電気による照明etc-をある予感と共にしげしげと眺めていたが、突然壁の一画にその視線が釘付けになった、ガタン!と音を立てて立ち上がると足早にそこに歩み寄る!
「お客さん?」
その異様さに店主が声をかけるが耳に入らない…そこにはカレンダーが掛かっていたのだ。
「…シェフ、このカレンダーは正確ですかね!?」
「…ええ…」
壁に手をつき、食い入る様にカレンダーを睨んだコジャーゾのただならぬ様子に店主は引きながら肯定する
「ク…ククク‥‥ぎゃはははーーっ!やはりそうでしたかッ!面白い!面白いですよぉーっ!」
コジャーゾは一笑いした後完全に据わった目で店主に向き直った、更に引く店主の様子にお構いなくまくし立てる!
「シェフ、あなたは東洋人らしいがここはどこです!?シーヌ(中国)?インドシナ?」
「…日本ですが…」
「ジャポン!?ホクサイやウタマロ、ヒロシゲの国ですか!?更に面白いーっ!」
唖然とする店主を前に狂笑する事1分あまり。そのまま席に戻ったコジャーゾはコップ一杯のレモン水を一気に煽った。
「成程、優に1世紀以上ですか…氷も容易に手に入るようになっているとは、技術の進歩は目覚ましいですねぇ。
いやシェフ、驚かせて申し訳ない。もう腑に落ちたんで大丈夫ですよ。」
「そ、そうですか?」
まだ半信半疑の店主の様子に頭を掻いたコジャーゾはどこかしみじみとした表情と口調で切り出した。
「…ねえシェフ、あなた私が昔フランス人だったと言ったら信じてくれますか?」
奇妙な沈黙と睨み合いの後、店主がため息と共に肩を竦めた。
「…信じますよ、カレンダーはもとより葛飾北斎や喜多川歌麿、歌川広重を出されてはねぇ…」
「話が早くて助かります!」
そしてオラシオ・コジャーゾの独白が始まった
「シェフ。私はこのカレンダーからするともう100年以上前に死んだ人間でしてね、その頃はフランス陸軍の砲兵将校でした。…いえ操砲・射撃要員ではなく観測員、それも観測気球を運用していたんですよ。」
「始まりは祭りで幼年時代に乗った気球でした。あの浮遊感と上空からの眺めに魅せられて以降『空を飛ぶ』事に憑りつかれてしまったんですねぇ~。
しかし貧困とまではいかないが裕福とも言えない市井の人間が気球に関わる手段なんて限られてます…で、勉学にいそしんで士官学校に入学して砲兵科を専攻して、という次第です。そういえばこの時代の空はどうなっていますか?」
「…そうですか、リリエンタールという人物がグライダーと言うものを建造して以来動力飛行を多くの人間が目指しているのは知っていましたが…翼の揚力を用いた『飛行機』が主流になりましたか…ま、理由を聞けばもっともですし、この世界から退場した私がとやかく言うべき事でもありませんな。」
「話を戻しましょう。やりたいことを仕事として充実した日々は突然終わりました。珍しくもない話ですが事故ですよ、気嚢の水素がドカーン!上空から落下しておしまいです、最後の意識で考えたことは『まあしょうがないか』でしたね…私はさして信心深い人間じゃなかったんですが神様は実に粋なことをして下さるじゃないですか!?本来終わるはずの私の人生があの世界で再び始まったんです!」
「オラシオ・コジャーゾという人間が生を受けたのは代々魔法と工作を融合した技術を伝えて工房を営む技術士の一族でした。幼い頃は呑み込みの早い子だと言われつつ薄ぼんやりとした日々を送っていたんですがね、エーテルのふるまいに関するある技術体系を学んだ際『これを使えば空中浮遊ができるな…』と考えた瞬間、回路が繋がったというかスイッチが入ったというか、ともかく前世ってヤツの記憶を全部思い出しましてねぇ!!以後はあの世界の技術での飛行機械の開発に邁進開始、言うなれば再起動ですよ!
頑迷な長老連中が色々横槍を入れてきましたがそんな事は想定内です。私の手下(てか)やシンパをあらかじめ育成しつつスポンサーを物色していたらうってつけの国があったんですよ!」
「その国は先祖代々10代を超える累代の王が由来の怪しい全大陸再統一を目指し続けているというから酔狂な話じゃありませんか!まあ私にとってはそこが狙い目、二次元―平面での戦いしか知らないあの世界で三次元―空から見下ろす戦いができるようになると売り込んだら即飛びついてきましたよ!あちらでは私は家族との縁が薄いらしく父母もとっくに他界していたし兄弟姉妹もいない。で、賛同者と共に一族の工房を飛び出してその国で工廠を開設して今に至る、と言う訳です!」
パチパチパチパチ…講釈を終了し、再びコップ一杯のレモン水を飲み干したコジャーゾに店主は半ば呆然と拍手をした。
「いやはやなんとも…大変な人生を送ってらっしゃる…」
「そこはあなたも同じでしょうシェフ、異世界の住人相手の料理屋稼業…ウェルズもヴェルヌもこんな話を聞いたら真っ青になるでしょうなぁ~」
ここで二人はひとしきり笑い合う、そして店主がこんなことを言い出した
「あなたの話を聞いていると、何やらフォン・ブラウンを思い出しますよ。」
「どういうドイツ人ですソレ?」
「『月へ行く』事に憑りつかれた男ですよ」
「…月ってあの…頭の上のアレですか?」
「ええ」
「ひえええーっ!」
驚愕のあまり大口を開けて固まるコジャーゾ…彼がこちらで生きていた頃のフランスとドイツが宿敵であった事を知りつつも店主は昔「〇光なき天才たち」で読んだフォン・ブラウンの一代記を語らずにはいられなかった。月へ行くという目的の為に恩師を裏切り、組織を乗っ取り、独裁政権に協力して新兵器―ロンドンにドイツから打ち込めるミサイルを開発し(前世で砲兵士官であったコジャーゾはこのくだりで再び驚愕した)、ドイツの旗色が決定的に悪くなった時点で技術とスタッフを丸ごと抱えて躊躇なく米国に転がり込み、結局そこで月に行くロケットを作成した男の物語を…
「まあ流石に本人は月には行けませんでしたが、彼の開発したロケットは確かに飛行士を乗せて月に到達しましたよ。私にとっては過去の、あなたにとっては未来の話です。」
「…いやはやなんとも…その人物に比べれば私なんぞまだまだですなぁ~見習わなくては。シェフ、面白い話を聞かせてくれてありがとう」
「どういたしまして」
礼を交わす男二人…気づいてみれば珍妙な光景に再び笑ってしまう両名だった。
「さあて、料理屋に入ったからには何か注文しないと失礼でしょう。メニューを見せてもらえますか?」
「そのことですが、なにぶんこんな時間ですのでお出しできるものが限られてまして…それと英語は読めますか?申し訳ありませんが平日用のメニューの表記は日本語と英語だけなんですよ…」
「仕方ありませんね、フランス語の知識自体カビが生えてますが何とかなるでしょう。できるものを教えてくださいよ」
「承知しました。」
結果的に全ての心配は杞憂だった、コジャーゾの目はある一品に釘付けになったのだ。
「シェフ、これクリケットですよね!?できますかっ!?」
「できますよ、油の火を落してなくてよかった…ただ…」
「ただ?」
「このクリケット…コロッケはこの国に伝わって数十年、あなたの記憶にあるものとは随分違ったものになってるハズですがよろしいですか?」
「かまいませんよ!あちらで生を受けて×十数年あまり、食事に文句はないが唯一ジャガイモがないのが残念無念…こんな機会は逃せません!…ああそれとワインをお願いします。」
「ボジョレー・ヌーヴォーがあるんですがどうです?」
「Bonn!turban!」
「いやーこのクリケットは最高です!何よりこのジャガイモの味!」
「男爵芋を気に入っていただけるとは日本人として光栄です」
「バロンのジャガイモ…ですか?」
「川田男爵という方が広めた品種でしてね、この国で栽培されるジャガイモの主流です。こういうマッシュする料理にはうってつけでしてね」
ここでコジャーゾはしんみりとした表情でつぶやいた
「ジャガイモの味とクリケットの製法、パンのこの甘さにバターの味、ボジョレー・ヌーヴォーの味、それを極東で味わえる…そもそもここにあなたのような凄腕の料理人がいる…時の流れとそれに伴う技術―栽培、品種改良、醸造、製造、調理、物流その他もろもろの進歩を感じますよ…」
ここでコジャーゾはワイングラスを掲げた
「時の流れに、乾杯!」
チリンチリン
と、ここでドアベルが鳴った。来店したのは…
「7日ぶりだな店主、今宵もビーフシチューを馳走になるぞ!…おや、この時間に他の客がおるとは珍しいの?」
「いらっしゃいませ女王様、こちらはコジャーゾさんと言って拠無い事情でこの時間に来店された新顔さんです…注文はコロッケですのでご心配なく」
「ふむ左様か。コジャーゾとやら、妾は『赤』。見知りおくがよいぞ!」
「へへーっ」
一見大柄な美女だが赤銅色の肌と燃え上がるような赤毛、頭の角と金色の瞳は尋常な存在であろう筈がない。加えて身にまとう圧倒的な迫力に裏打ちされた尊大な物言いに圧倒され、立ち上がって一礼するコジャーゾ…店主が恭しく席を引いてビーフシチューを配膳し終わったのを見計らって小声で手招きする、
「シェフ、シェフ…あちらはどなたです?」
「赤の魔竜の女王様ですよ」
「…ド、ド…ドラゴンですか!?じゃああの姿は?」
「無論変身した仮の姿です、そのままでは店に入れませんからね。」
「美味い!」
ビーフシチューに舌鼓を打ち、細い炎を吐く女王様の姿に腰を抜かすコジャーゾだったがそれで終わらないがこの人物の凄い(『呆れた』あるいは『イカれた』)所である。真剣な表情で何か考えていたと思うとニタリと笑った…店主が嫌な予感を感じる間もあればこそ行動に取り掛かる…
「シェフ、ボジョレーまだありますか?」
「ええ…」
「じゃあもう一本下さい。」
店主が『まさかなぁ~』と思いつつボジョレー・ヌーヴォーをもう一瓶持って来るや否や止める間もなく赤の女王のテーブルの横で跪いたのだ。
「?」
「お食事中大変失礼いたします女王陛下。某(それがし)はオラシオ・コジャーゾと申す一介の技術士でございます。そちらの世界での神であられる方と同席させていただく栄誉に感謝し、ここに捧げ物を奉る次第であります!」
店主がはらはらしながら見守る沈黙を破ったのは赤の女王だった、凄みのある笑みと共に鷹揚に言葉を発する
「人にしては殊勝な事よな、もらっておくとしようかの。」
「ありがとうございます!シェフ、ワイングラスをお願いしますよ!」
「…承知しました…」
…相変わらずはらはらと店主が見つめる中、コジャーゾは給仕よろしく赤の女王のテーブルの横に立ち、ワインを注ぎ続ける。やがてビーフシチューの皿もボジョレー・ヌーヴォーの瓶も空になるタイミングを見計らって店主が寸胴鍋をもって来た。いつも通り金貨5枚を支払う赤の女王だが、ここでコジャーゾに向き直った。
「さてコジャーゾとやら、お主妾(わらわ)に何か望みがあるのだろう?」
「…お分かりになりますか?」
「見くびるでないぞ、その程度はお見通しじゃ」
いささかバツ悪げなコジャーゾに赤の女王は凄みのある笑顔を向けた、目が全く笑っていない…返答次第では消し炭にしてくれようという顔であった。さすがの店主も口を挿めない空気の中悪びれもせずコジャーゾが高らかに叫ぶ!
「やつがれの望みはただ一つでございます。あなた様の真の姿を、それも空を飛ぶ姿をお見せいただきたくお願い申し上げます!」
「な…?」
店主がズッコケ、赤の女王が口を開けたまま固まった…暫しの沈黙の後、赤が笑い出す、腹の底から楽し気に!
「店主よ!誠に面白い者を妾に引き合わせてくれたな!?」
「は、はあ…恐縮です…」
どう言っていいか分からず頭を掻く店主。更に赤は畳みかける。
「よかろう、お主の望み叶えてやろう!妾とともに来るがよい。…店主、この者が戻るまで扉を開けておけよ。」
「は、はい…」
「感謝申し上げます!」
そして赤の女王の座、執事のバルログと財宝の山に内心恐怖していたコジャーゾだったがドレスを脱ぎ捨てた赤の姿が溶け消えて出現した巨大な赤龍の姿にそれらは全て吹っ飛んでしまった。そして赤はひょい、とコジャーゾを爪の先で引っ掛けると掌に載せ、座を振るわせるような雄叫びと共に空へと舞い上がったのだ!
…凶暴なまでの気流と加速度、連なる低層雲を眼下に月の輝く夜空!それがコジャーゾが感じ、見たものの全てだった。
…完全に魂の抜けたような表情で帰って来たコジャーゾは声をかけるにかけられない店主の姿も目に入らない様子でテーブルに戻るとコロッケとロールパンの残りに齧り付き、ボジョレーの残りをラッパ飲みで一気に飲み干した!当然ガホガホと咽返る。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、はいはい大丈夫ですよ…シェフ、お願いがあります!」
背中をさすってくれていた店主の手をコジャーゾはいきなり握り返した!完全に引く店主の様子にかまわずまくし立てる!
「証人になっていただきたい!」
「証人?」
「そうです!」
ここでコジャーゾはまたレモン水を煽った、コホンと咳払いをした後真剣そのものという表情とガッツポーズで宣言を開始する。
「決めました!私は必ずあの赤の女王様の姿を模した船を建造します!全大陸の空を睥睨し、君臨する無敵の船―空飛ぶ戦闘艦を!」
流石にどう言っていいか分からず絶句していた店主だったが、男として賛同できるものを見出してこう言ったのだった。
「頑張って下さい。」
「メルシーボークー!」
「てなことがあったのさ。それからたまに―夜に帰宅できた日らしいが―には来店してコロッケとワインを頼んでくれた。こういう店だからワインは毎回フランス産という訳にはいかなかったが国産・オーストラリア産・南米産も美味いといってくれたなあ…」
「…変わった人はどこにでもいるんですね?」
「そういう事」
どう言っていいか分からないアレッタの感慨に苦笑しつつ頷く店主。その様子を眺めたクロは赤が来店したらその時の事を聞いてみようと考えて一人頷くのだった…
そんなことがあってから数か月後の夜の事…
チリンチリン、バタン!
「ジャジャジャジャーン!シェフ、ご無沙汰しておりました!」
「…い、いらっしゃいませ、洋食のねこやへようこ…」
ひどく乱暴に扉が開いたと思うと、すさまじいばかりにハイテンションな人物が入って来た、言わずと知れたコジャーゾである。たたらを踏みつつ挨拶するアレッタにずいと顔を近づけたと思うと破顔する。
「おや女給さんを雇われたんですね?商売繁盛大いに結構!わははは!」
「おひさしぶりですねコジャーゾさん…余程いい事があったと見えますね、それと徹夜明けですか?」
「分かりますか!?実は丸3日ばかり寝てないんですよ!というか寝てる場合じゃない!ついに、ついに完成しましたからねぇー」
「飛行戦艦?」
「その通ーり!」
ここでコジャーゾは店内を見回した。『えらく騒々しい奴が来た』という表情でこちらを見ているのは夜の常連達―アルトリウス、ギムレとガルド、タツジとオトラ、ロメオとジュリエッタである。好意的とは言い難い視線を気にするでもなくうきうきとテーブルにつく。
「ご注文はコロッケとワインで?」
「いや…シェフ、シャンパンは出せますか?」
「ええ、10分ほど待っていただければ調達できますよ」
「ではここにいる方全員にお願いいたします!」
「承知しました!」
酒好き揃いの店内の空気が一変したのは言うまでもない。
「さて、オラシオ・コジャーゾじゃったの?奢ってもらった礼を言うが、何に乾杯するのかね?」
アルトリウスの質問にコジャーゾは高らかに宣言した。
「ヴィーヴィルの為にお願いします!さあさあシェフも女給の二人も一緒に祝ってくださいな!」
「あんたが建造した竜形(りゅうぎょう)の空飛ぶ戦船(いくさぶね)の名かね?」
「いかにも!さあ、ヴィーヴィルの為に!」
「…ヴィーヴィルの為に!」
シャンパングラスが掲げられた、全員一息に飲み干す。
「…おいしい…」
「…なんて素晴らしい味だ…コジャーゾ殿、感謝する」
ジュリエッタとロメオが全員を代表した感慨と共に礼を述べたのだった。
「いやいや、喜んでいただいて何よりです!」
ここから(頼まれもしないのに)コジャーゾの事情説明が始まった。
「実は危ない所だったんですよ。何がかって?ヴィーヴィルの建造です、危うくお蔵入りになる所でした」
「スポンサーのジャロウデク王国がレビテートシップの配備とともにとうとう戦をおっぱじめました。これが連戦連勝!まあ当然ではあります、こっちは3次元 あちらは2次元の戦です。もう一つの大国であるクシェペルカ王国も征服して当面の目的は達せられたワケですが…それが私にとっては仇になってしまいました。要するにこれ以上強力な新兵器はいらない、資源は既存の船の増産に回すべきという事です。
スポンサーの意向とこの状況には流石に抗し切れません、今回は泣く泣く諦めざるをえないかと思っていたら予想外の事態が惹起して風向きが180度変わったんです!」
「王国軍総大将のクリストバル第二王子が討ち死にしました。『鬼神』…私らはそう呼んでいますがフレメヴィーラ王国のエルネスティ・エチェバルリアという人物が作ったなんと空を飛ぶ幻晶騎士に討ち取られたんですよ。
何もかも想定外!あそこはクシェペルカとは縁があるとはいえ介入してくる程の理由があるとも思えなかった上、援軍の『銀鳳商会』…まあ偽装した騎士団ですがそこの幻晶騎士が鬼神を筆頭にどいつもこいつも呆れたような規格外の性能の連中でして、ここからは口八丁手八丁!対抗する為という事でヴィーヴィルの建造を再開させることに成功!こう言っては何ですがエルネスティ・エチェバルリア氏には感謝感激雨あられです!…この思いはいずれ伝えるつもりですよ。ヴィーヴィルが彼と彼の鬼神を討ち取るという形でね!
ああそうだシェフ、確かVSのブランデーがありましたよね!?あれ一本お願いします、流石に閉店間際までいられないので私からという事で赤の女王様に献上していただきたく…あれ、みなさんどうかされましたか?」
店内の微妙な雰囲気をみてとったコジャーゾが首をかしげる、最初に沈黙を破ったのはやはり店主だった。
「コジャーゾさん、あなたセットルンドの方だったんですね?」
「はいいぃー?」
店主は語る、常連であるが最近来店していないエルネスティ・エチェバルリアの事を…
コジャーゾが顎が外れんばかりに驚いたのは言うまでもない。
「なんともはや…暫く来ない内にそんな事になっていたとは!世界は意外に狭いものですねぇ~
にしても惜しい!昼間に来店していればエルネスティ・エチェバルリア本人にご対面できたものを!色々と面白い話ができたでしょうに…」
「今や敵同士、ですか…因果な話ではあるが浮世の常ってヤツでしょう…料理屋の店主が口を挿める状況でないのは承知していますよ。」
ここでギムレとガルドが口を挿んだ
「コジャーゾさんとやら、あの銀髪小僧は色んな意味で手ごわいぞい。」
「勝算はあるのかね?」
「無論です!」
コジャーゾは意気揚々とヴィーヴィルのスペックを語る…全員が驚くやら呆れるやら…特にアルトリウスはまたしても卒倒しかけたのだった。
「…まああたしらはさしてあの銀髪小僧に関わりはないクチだけどさ…」
「正直、そんな代物とやりあうあいつには同情を禁じ得ないな…」
オトラとタツジの言葉にロメオとジュリエッタがこくこくと頷く。
「でしょうでしょう!?わはははは!…今日はクリケットが特に旨い!」
ひとしきり笑った後3皿目のコロッケに齧り付くコジャーゾであった。
「さて、これでお暇しましょう…すいませんねシェフ、お得意様を減らすことになってしまって。」
代金を払い終え扉に向かうコジャーゾの不敵な台詞に店主は肩を竦めて見せた。
「その時はあなたが新たな常連になってくれるという訳でしょう?気になさらんでください」
「そういやそうですね、では又!」
「またのご来店をお待ちしております。」
嵐は去った。そして店主にアルトリウスが語りかける。
「どうなる事じゃろうな?」
「『神ならぬ身に知る由もなし』ですよ」
「…違いないの」
イカルガVSヴィーヴィルの勝敗はご存知の通りだが、早々に小型レビテートシップで脱出したコジャーゾの独り言は以下の通り。
「ま、勝敗は是非もなき事。フォン・ブラウンの顰に倣って技術の売り込み先を探すまでです。
が!残念無念はもうクリケットが食べられない事!…万已むをえざる時はフレメヴィーラに行きますか…エルネスティ・エチェバルリアが来店しているという事はあそこに扉があるという事ですからねぇ~」
「あのオラシオ・コジャーゾさんが来店してたんですか!?」
西方戦役に一応のカタがついて最初に一人で来店したエルがそのことを聞いて流石に驚いたのは言うまでもない。(その前にヴィーヴィルとの戦を滔々と語って常連達を驚愕せしめたのは当然だが…)。
「そうか、君が勝ったという事はコジャーゾさんは…」
「いえいえ、あの人は生きてますよ。小型レビテートシップで飛んでいるのを見ましたから。
しかしフォン・ブラウンですか…何処に自分を売り込みにいったのやら。いずれあの人とは再び相まみえるでしょう…」
「そのときはねこやの店主がよろしくと言っていたと伝えてくれるかい?それにもしかしたらフレメヴィーラ王国に売り込みに来るかもしれないよ」
「あり得ますね、そうなったら…多分喧々囂々の論争の挙句殴り合いになりそうです」
「違いない」
店主とエルの笑いがその話題を締めくくったのだった。
外伝いかがだったでしょうか。
ジャロウデク側の登場人物中「竜血炉(ブラッドングレイル)」で油まみれになっていたあのシーン以降、感情移入はできないがさして憎めない2人のうち一人がこのオラシオ・コジャーゾです。
フォン・ブラウンとイメージが被るのは私だけでしょうかね?
次回予告は
「女王と騎士、道行きの第一歩」
です、来店者はあのお二人。どうぞお楽しみに
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外伝2#女王と騎士、道行きの第一歩 前編
なお、作中のあるシーンについては規定にかからない表現を心掛けたつもりですが不可であればご指摘ください
今回も戦況及び戦後状況は私の創作であり、公式とは何の関係も無い事を申し上げておきます。
華燭の宴は新生クシェペルカ王国の復興を内外に示す目的もあり勤めて盛大なものとなった。国外からの出席者はロカール諸国連合中再興された国の君公、そして孤独なる11国の大使達。フレメヴィーラ王国からはリオタムス王とともに当然のごとく銀鳳騎士団の面々がいる。
「おめでとうキッド!…いや、いやしくも一国の王配にこの呼び方はもういけませんね…おめでとうございますアーキッド・オルター・セラーティ・クシェペルカ殿下。」
「そ、そうだね、キッ…じゃなくアーキッド兄上、エレオノーラ様、おめでとうございます!」
「よせやいエルもアディも…」
「いやいや、こういう事はけじめが大切です!」
妙な所で律義なエルとキッドの会話をくすくす笑いながら見つめていたエレオノーラが優雅な仕草でアディの手とエルの手を取った。
「アデルトルート、これで私と貴方は義姉妹ですね。そしていずれはエルネスティ様とも…」
「きゃ!」
「女王様!」
「アディ、言うだけ野暮だが何処へ飛んで行くか分からないコイツをしっかり捕まえておけよ!エルはいい加減覚悟を決めろ!」
「うん!」
「…はい…」
それぞれの表情で真っ赤になる2人に追い打ちをかけるキッドだった。
そして初夜、二人はこれまでの想いの丈をぶつけ合う。キッドはエレオノーラを強く、逞しく貫き、エレオノーラは痛みと共にキッドの全てを受け止めた。
「愛してる!…エレオノーラッ!!」
「私も…愛して…います…アーキッドッ!あなたぁーっ!!」
二人はお互いの名を叫びつつ同時に果て、崩れ落ちる…
熱い時が過ぎ、月明かりの中二人は見つめ合う…エレオノーラの目には涙があった。
「…ごめんエレオノーラ、その…辛くした?」
「いいえ、嬉しくて…だってあなたが私を『エレオノーラ』って呼んでくれた…そう呼ぶことができる存在になって下さった…その事が…」
こみあげて来る想い、キッドはエレオノーラの涙を拭うと口づける。手を握り合って貪るようなキスを交わす二人はしかし、ヴィクトリア…長い耳の美しく、狡猾なまでに賢く、自分達より遥かに年上の『魔女姫』の言葉を思い、これが始まりである事を見据えていた。
『二人で人生を歩む、その覚悟を示しなさい…』
Menu-Z2:チョコレートパフェ再び
ここで話は数年前に遡る。
「ん……」
「どうですかエレオノーラ様?」
「え、ええ…不思議な味だけどとても甘くて飲めます…」
「よかったぁー…フレメヴィーラでは何処の家でも作る薬酒なんです。俺やアディも寝込んだ時は母様によく作ってもらいました。」
「そうなんですね?ありがとうアーキッド様」
フレメヴィーラの一部で獲れる薬用植物の根(朝鮮人参的)を煮詰めたものとたっぷりの蜂蜜を葡萄酒に入れて温めた物をキッドはエレオノーラに作ったのだった。
キッドの心遣いが嬉しくてエレオノーラが笑った。やつれてはいるが久しぶりに見た彼女の笑顔にキッドも胸を撫でおろした。
もともと食の細かったエレオノーラだったがここ暫くは酷い食欲不振が続いていた。理由は分かっている。クシェペルカ王国や旧ロカール諸国連合の戦後処理を急ぎ済ませねばならないのである。クシェペルカ自体の復興だけでも多難な中の激務で決して頑健ではないエレオノーラがまいってしまうのは当然であったろう。
ジャロウデクの西部戦線、孤独なる11国との戦いは後者が圧倒しているように見えるがフレメヴィーラからの支援として藍鷹騎士団からもたらされる情報ではジャロウデク側は意図的に戦線を縮小しつつ乾坤一擲・伸るか反るかの反攻を準備しているらしい。この会戦の勝敗によっては戦況の膠着が予想される、その時こそ最大の講和の機会。単なる講和ではなくジャロウデクを関の向こうに逼塞させ、西方諸国の主導権をクシェペルカ王国が握れるか否かが掛かっているのだ。
閑話休題、ここでクシェペルカ王国の戦後状況についてお話しておこう。
第一王女カタリーナと共にデルヴァンクール在のジャロウデク軍主力が事実上壊滅し降伏して以降、更に西部に存在したジャロウテク軍残存部隊(占領地維持の為の第二線兵力)―統制を失いなし崩しの総退却を開始した彼らに対しクシェペルカ王国軍は凄絶な追撃・掃討戦を開始した。組織的戦闘力を失った彼らはできの悪い標的のごとく薙ぎ払われていくが、そこで戦死した者はいっそ幸運であった。
魔獣という脅威に対して団結心の強いフレメヴィーラと異なり、西方諸国の一般国民は国に対しての忠誠心というものはさして強くない、一定の治安を維持してくれれば税をそこに納めるだけの事である。だから国に掲げられている旗が変わった所でさして気にする事もない筈だったがジャロウデクの占領行政はマズすぎた。傲岸に法外な挑発を行い役務を課すだけでなく兵の暴行略奪を統制しないどころかこれの停止を懇願する者を反逆者として虐殺するにあたってはなにをか言わんや…
状況がひっくり返った時、逃げ遅れた間抜けや敗残兵に対する一般国民の復讐は凄惨だった。馬鍬で貫かれ、鎌で首を抉られ、鋤で頭を割られるのはこれまた運のいい方である。首だけを出した姿で生き埋めにされて酸欠で口をバクバクさせつつ窒息死するかその状態で食肉獣に首を、顔を喰らわれ餌食となる。あるいは真っ裸で木に逆さ吊りにされ耳目口鼻全てから血を吹き出して、或いは腕で縛り上げられて吊るされ、関節や軟骨が全て外れる苦痛に泣き喚きながら鳥に目をほじくり出されて2~3日かかって絶命するよりは、という事ではある…。
カタリーナ他捕虜となった者達もその多くが安穏ではない。身代金が期待できる相応の身分の者は牢獄にすし詰め状態で監禁され、最低限の食糧で飼い殺しとなったがそれ以外の者はクシェペルカ軍が追撃を停止した旧ロカール諸国連合とジャロウデクの自然国境である不毛の荒野(岩砂漠)に着の身着のままで追放された。引き返そうとするものは法撃で吹き飛ばされるだけである。遮るものとてない直射日光と岩からの照り返しで肌を焼かれ、乾き、行き倒れる者はこれまたまだ幸運。わずかな水を、あるいは倒れた者(息がまだある者を含む)から引き剥がした衣服あるいは靴を争う『共食い』…フラフラの者たちが石で殴り合い、首を絞め合う…の果てに歩き続けて倒れ、次に服と靴を引き剥がされ、そして引き剥がした者がまた…といった地獄絵図の果てに野垂れ死ぬよりは、という事ではある…。
ところでこんな中、統制を保ったまま小隊規模で生きてジャロウテクにまでたどり着いた一団がいる、指揮官はあのグスターボ。とにかく戦える者を集めて旧ロカール諸国連合国境地帯の村を襲って殲滅し、水と食料 牛馬と馬車を略奪して荒野の踏破を図ったのだった。これまた苛烈なトリアージー勝手に水や食料に手を出す者は切る、歩けなくなっただけでなく立って小用が出来なくなった者(=一週間は持たない者)は始末する―の結果である。自他ともに認める『切る』事にしか興味のない半狂人というのがグスターポの評だったがドロテオの武人としての仕込みは決して無駄ではなかったらしい。
「義親父(おやじ)よ、ありがとうよぉ…」
という呟きを共に帰還した者達数人が聞いているのだった。
そんな形でクシェペルカ王国内はもとより旧ロカール諸国連合領域までジャロウデク軍の掃討・駆逐を完了したクシェペルカ軍はそこで停止した。ここからの更なる侵攻は主に補給の問題でできなかったのだ。
残敵掃討の後始まった戦後処理、クシェペルカでもロカール諸国連合でも貴顕層は軒並み戦死するか粛清されており統治機構には大幅変更が必要だった。
まずクシェペルカ国内では中央護府に従っていた役人や下級貴族は相応の処遇差を課しつつも罪に問うことなく地位を保証し、領地を安堵して混乱を避ける事となったがこの処遇と論功行賞のさじ加減が実に頭の痛い問題だった。一歩間違えば後日大混乱の元、更には内乱の種になりかねないのである。
それに加えて旧ロカール諸国連合の問題があった。クシェペルカは今後のジャロウデクとの対抗上これらの国々の再興(クシェペルカが主導権を握った大同盟を視野に)を大義として掲げていたのである。
旧ロカール諸国連合の君公はクシェペルカ・ジャロウデク双方の政治的影響力が過度になることを防ぐために孤独なる11か国の王族ないし貴族との縁を重視していたので新たな君公はそちらの縁を辿ればある程度なんとかなりそうだった。特にマルティナの夫であった故フェルナンド大公が旧ロカール諸国連合との取次ぎ役でその家系に詳しかったのも幸いであっただろう。
対空衝角艦ジルベールとイカルガ…エル他銀鳳騎士団とエムリスが孤独なる11か国を文字通り飛び回ってこれはという家に接触して(示威行為を兼ねる)君公への即位を打診する…クシェペルカの主導という点に不満はあるものの、東方にツテを維持できるというのは11国にとって悪い話ではない。半数程の国については再興の目途が立ったが半数ほどは新君公にふさわしい血縁者がいなかったり、村落・都市代表からの申し入れでクシェペルカ内の自治領として編入される事となったが、これにともなう統治機構の再構築や新君公の受け入れと同盟条約の折衝…複雑怪奇なることこの上ない仕事が重なっていたのである。
「…不甲斐ないですわ。宰相を引きけて下さったマルティナ叔母様達はあんなに頑張っておられるのに私はこんな有様で…」
「エレオノーラ様…」
エレオノーラの体調はストレスからくるものである事は本人もキッドも分かっている、医者からは
「とにかく何か食べていただかない事には…それできっと元気になられる筈なのです」
と言われているのだが喉を通らないという状況は本人にも如何としがたく、それが更にエレオノーラの心労を追加していた、悪循環である。ここでキッドは無念と悔しさの果てにせんない事とは思いつつもこんな言葉を口にした。
「ちくしょう…異世界食堂…『ねこや』にいけたらなぁ…」
食事の旨さもさることながら、エレオノーラには気持ちを和らげてくれる環境が必要なのではないかとキッドは思っている。言うなれば転地療養である。あの店の落ち着いた雰囲気と客をもてなす達人のマスター、アレッタやアーデルハイド、ラナーといった女性陣との出会いが彼女に素敵な休息を与えてくれる筈だ。しかし現実には扉は大山脈の向こう側…歯噛みするような思いのキッドだったが事態は思わぬ方向に動き出す。
きょとんとした表情のエレオノーラがこんな事を言ったのだ
「アーキッド様、今『異世界食堂』『ねこや』とおっしゃいましたよね?どうしてその名前を…そもそもあの店は本当に実在したのですか?」
「はいいぃーっ!?」
盛大にズッコケるキッド!更にきょとんとした表情になるエレオノーラに逆に質問を浴びせた。
「エ、エレオノーラ様どうしてねこや…異世界食堂の事を…まさかあそこに行ったことが!?」
「ではあの出来事は夢ではなかったのですね!?…ええ、あれはお母様が崩御した葬儀式が終わった日の事でした…」
エレオノーラはキッドに語った、10年程前の不思議な体験…素晴らしい菓子と温かな出会いの思い出を…
その日、父王も叔父である大公と叔母も…親族家臣達が弔問外交や式の後始末に忙しい中、放置される形になっていたエレオノーラは目に涙を一杯ためながら普段は誰も足を踏み入れない王城の深部を彷徨っていた。
幼い彼女には『母の死』を、母にもう会えないという事をどうしても深い所で受け入れることができなかった。母はこの城のどこかにきっといる!私が見つけるのを待っている!というおよそ根拠のない事は頭ではわかっている思いにとらわれて城の部屋と言う部屋を探し回っていた時にその扉に出会ったのだ。部屋の中央にぽつねんと立つ不思議な扉…この向こうにきっとお母様はおられる!彼女は扉を開けた…
「当然ですがお母様はおられなかった、そこで出会った方々は…」
チリンチリン
「おや、お嬢ちゃん一人かな?異世界食堂―洋食のねこやへようこそ。」
入店したエレオノーラに先代がニカッと笑いかけたのだが…彼女の目からみるみる涙が溢れて…
「う、うわあぁ――んっ!!」
「お、おいお嬢ちゃん?」
「おいなにやってんだよ店主?女の子を泣かせて…」
顔を覆って泣き崩れてしまったエレオノーラの様子にどうしてよいか分からずおろおろする先代にメンチカツ:ウイリアムが呆れた調子で声をかける。
「人聞きの悪いことを言わんでくれ!何もしとらんぞ。」
「じゃああんたの顔が怖かったんだ?」
「メンチカツよ、そこまでにしておけ」
ここでコロッケ:ウィルヘルムがメンチカツを窘めるとすっと立ち上がって二人に近づくと先代に向かって頷いた。意を察した先代が下がりエレオノーラの前に膝をついて屈んだ、そして優しくその頭を撫でる…
「あの方の事は忘れられません、冷たくて皺だらけだけど大きな手…ゆっくりと優しく私が落ち着くまで私を撫で続けてくれました。禿頭で髭は真っ白、相当なお歳だった筈ですが王服としか思えない服をまとった威厳に満ちた姿…私を落ち着かせるだけの力がありました。」
ウィルヘルムはエレオノーラ…服装からどこかの貴顕の令嬢であると見抜いている…の頭を撫でつつ落ち着くのを待っている、流石と言うべきか彼女にはとても悲しい事があったに違いない事がわかっていた。やがて少しエレオノーラの涙の勢いが減じたのを見て口を開く。
「姫よ、この老人に名前を教えてはくれないかね?」
「…エレオノーラ・ミランダ・クシェペルカ…でございます…」
『はて、そんな国あるいは王侯貴族の家は知らないな』とウィルヘルムを含むその場の客全員が思ったが、ウィルヘルムとしてはその件はさて置いてエレオノーラににっこりと微笑みかけた。
「エレオノーラ姫、どのような悲しいことがあったのか話してはくれまいか?…そうか、母君が崩御されたか…」
ウィルヘルムはそっとエレオノーラを抱きあげると自分の席の前に座らせた。きょとんとしたエレオノーラに微笑みかける。
「姫、もう泣くのはおよし…今とても美味しいお菓子を御馳走してあげよう。そなたが今まで食べた事のない『冬の雲』をね?」
「『冬の雲』?」
「そうだよ、店主?」
「おう了解!バカ孫!」
「もう準備してるよ、それとバカは余計だ。」
笑いを含んだ先代と当代のやりとりににっこりと笑うウィルヘルム、エレオノーラも思わずつられて笑ってしまった。そこへ笑顔の当代がやって来る。
「おや笑ってくれたね?どうぞ、チョコレートパフェです」
「俺、それ食べた事があります!甘くて冷たくてフワフワで黒い『チョコレート』は苦くて甘くて!」
「でしょうでしょう!?」
異世界の菓子の味で盛り上がる女王と騎士、奇妙な光景ではある。
目の色を変えてチョコレートパフェをパクついていたエレオノーラはグラスが半分になった当たりで我に帰った。
「ありがとうございますおじいさま…申し訳ありません、遅ればせながら名前をお聞かせいただけませんか?」
「私の名はウィルヘルム、帝国の皇帝だった。今は息子に帝位を譲った隠居の身だがね。」
「『テイコク』?国王陛下ではあられないんですか?」
聞いたことのない言葉をオウム返しにするエレオノーラにウィルヘルムは笑みと共に言葉を続ける。
「まあ似たようなものだよ、言い方が違うだけだと思ってくれればよい」
「やはりそうでしたか。ウィルヘルム陛下、改めてお礼を申し上げます。
…でもどうして見ず知らずの私にこのように良くして下さったのですか?」
ウィルヘルムは席を立って貴婦人の礼をするエレオノーラの質問に、穏やかな笑みと共に席に着くよう促してから答える。
「私にはちょうどそなたと同じ年頃の孫娘がおるのだよ…父である今上帝も母も多忙な上、病弱で私が預かっておる故に何やら他人に思えなくてな」
「そうでしたか…」
一応納得して再びパフェを食し始めたエレオノーラを穏やかだが真剣な表情で見つめつつ語り始めた。
「エレオノーラ姫、今から話す事は今のそなたには難しいだろうから聞き流してくれればよい。耳から体と心を通せばいずれ思い出すこともあるだろう…」
「?」
「私の孫の事は話したね?今は私があの子を庇護してやれるがこの歳だ、いつまでそうしてやれるか…」
「…そんな!?駄目ですウィルヘルム様!…その方の為にどうかお元気でいて下さらなくては!」
ウィルヘルムの孫と自分、母とウィルヘルムを重ねたエレオノーラが再び涙目になって叫ぶが、ウィルヘルム自身は笑顔でぽんと彼女の頭に手を置いた。
「そうだな?だが別れと言うものは時に否応なくやってくるのだよ…そなたの母君もそうだったのだろう。そなたを残し逝く事はどれほど心残りであったろうな…」
「…」
「生きる事には常に苦労と苦難がつきまとうもの…いや生きる事自体が苦労と苦難なのだろうな。それはどのような立場・生まれ・貧富も関係はない。それでも人は生きて行かねばならぬものなのだよ…一滴の幸せや他の誰かの笑顔を糧として。
姫、そなたはそのような人生の第一歩を否応なく踏み出したのだ。これからも同じような、或いはそれ以上の苦労と苦難があるだろう。だから見つけねばならない、その中に有っても押しつぶされぬような幸せを…それがどのようなものかは分らぬが…私にとってはこの店の一皿のコロッケなのだがね」
「『チョコレートパフェ』を食べ終わった私をウィルヘルム様とご店主、その孫の料理人の方が扉から送り出してくださいました。私はそれからその部屋に何度も行ったのですが扉を見つけることができなかった…今の今まであれは何かの夢ではなかったかと思っていたのです。」
「夢じゃありませんよエレオノーラ様!…あの扉は7日おき、あちらの『ドヨウの日』だけ現れて開くんです!」
「7日…そうだったんですね?」
ここでキッドは部屋にあった暦と小型黒板、チョークで計算を始めた。異世界食堂に最後に行った日から計算して次に開く日は…
「今日だ!」
「ええっ!?」
「エレオノーラ様、その部屋の場所は忘れてませんよね?」
「もちろんです!」
夜も更けて、密かに寝室からキッドはエレオノーラを連れ出した(幻晶甲冑使用!)そして彼女の記憶にある部屋へ赴く二人…いろいろな意味で危険な行為だがキッドもエレオノーラも止まらなかった。
「アーキッド様、なんだかわくわくしますわ。」
「…あった!計算が合っていた。」
そこにはキッドにとっては1年超、エレオノーラにとっては10年ぶりの異世界食堂の扉があった。
「行きましょうエレオノーラ様、異世界食堂へ!」
「はいアーキッド様!」
二人が手を合わせてドアノブを回す…チリンチリン…
戦中戦後の状況は、「歴史〇像」で読んだ中世欧州のそれと「ドキュメント太〇洋戦争」のガダルカナル戦&インパール作戦のそれを参考にしたものです。
次回いよいよ二人の来店です。常連の誰と出会い、どのようなことと相成るかはお楽しみに
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外伝2#女王と騎士、道行きの第一歩 後編
チリンチリン
「いらっしゃいませ、洋食のねこやへようこそ。」
「アレッタさんこんばんは、お久しぶりです。」
「キッドさんお久しぶりです!マスター!」
「おういらっしゃいキッド君。エル君達から事情は聞いていたが、そちらでも扉があったんだね?…という事はそちらの方はもしかして?…待てよ、確か一度…」
「はい、お久しぶりですご店主。」
優雅にエレオノーラが一礼する。
「10年程前一度来店したエレオノーラ・ミランダ・クシェペルカです、あの時はお世話になりました。
先代様がお亡くなりになった事はお聞きしました、謹んでお悔やみを申し上げます」
「ご丁寧な挨拶痛み入ります女王様、お国の事情はエル君達からお聞きしております。大変な中ようこそご来店下さいました、アレッタさんお席へご案内して」
「はい、こちらへどうぞ。すぐ冷水とメニューをお持ちいたします」
席に着いた二人に早速冷水をアレッタが持って来た。続いてエル謹製フレメヴィーラ語訳付きメニューを持ってきた店主にキッドが質問する。
「今日エル達は来たんでしょうか?」
「いつもと同じくらいの時間にね。」
「やっぱり…さすがに時間を合わせるのは難しいな…」
「あのご店主、ウィルヘルム様はお亡くなりになったそうですが孫のアーデルハイド姫が来られているとお聞きしました、お会いしてお悔やみを申し上げるとともにあの方の事をお聞きしたいのですが…」
「アーデルハイドさんはやはり日暮れ前には帰る方ですから。」
「そうですか…」
「そう落胆せんでもよいよ」
「アルトリウスさん?」
「あなた様は…あの時もおられましたね?」
残念そうな二人に笑顔でアルトリウスが声をかけた、
「この老人がその件については役にたてる。エルネスティ団長やアーデルハイド嬢にはわしから話を繋ごう。あの二人の使っている扉はあちらでの都合をつければ夜に来店できる場所にあるからな。」
「ありがとうございます!」
「私からもお礼を申し上げます。」
「礼には及ばんよエレオノーラ殿。思えば先代を知っている常連も少なくなってしまった。その頃の縁を忘れずに弔意を示してくれた事への返礼だ。」
他人に喜んで礼を言ってもらえる…最近なかった経験にあたたかな思いの笑みを浮かべたエレオノーラの表情に胸が熱くなるキッドだったが彼には難問が立ちはだかる。
『何を注文すればいい?』
自分だけならフライ盛り合わせやポークジンジャーが食べたい所なのだが精神的にリラックスして体調が回復基調とは言えエレオノーラに揚げ物や肉類は重過ぎる。さりとてお菓子類では体に力をつけるには物足りない…
「アーキッド様?」
真剣なあるいは難しい顔のキッドにエレオノーラが怪訝な顔を向けるが本人は気付かない。
『考えろ、考えろアーキッド!美味いだけじゃなく重過ぎず、でもしっかりしていて、更にエレオノーラ様の心を弾ませてくれるような料理は?』
今まで自分が食べただけでなく、ほかの常連たちの注文の記憶をめくっていたキッドはある常連の事を思い出した。その風貌になんだか似つかわしくないな…という感想を抱いていた人物(?)が常に注文している品を…
「アレッタさん、オムライスをお願いします!」
「承知しました。マスター、オムライス2人前注文はいりました!」
「了解!」
「アーキッド様?」
少し驚いた顔のエレオノーラにキッドは『任せてください』という思いを込めて頷いた。
Menue-Z3:オムライス
「うわあ…なんて綺麗な!」
「でしょう!?」
黄色い卵に赤いケチャップの鮮やかな色のコントラスト、そして甘酸っぱい香りにエレオノーラが目を輝かせる。その光景にキッドが心の中で『成功!よっしゃぁっ!』とガッツポーズをしたことは言うまでもない。
「で、でもアーキッド様、こんな綺麗なものをどうやって食べればよいのですか?」
「見ててくださいよエレオノーラ様!」
「!?」
キッドは間髪入れずにスブーンでケチャップを全体に広げ塗った後、更に全体の1/4あたりにサク!とスプーンを入れた。
「ア、ア、アーキッド様っ!」
「ほら見てください。」
叫ぶエレオノーラにキッドは笑いながら切り口を見せた、中にぎっしり詰まったこれまた真っ赤なチキンライスにエレオノーラは目と口を丸くして絶句する…そしてキッドに促されるままに彼が切り分けた部分を口にして…ほど良いケチャップの酸味・甘味・辛味のライスと中の鶏肉&タマネギの味とそれを包むふんわりとした卵の味に衝撃を受け…あとは言うまでもない。
「こ、こんな美味しいものがあったなんて!この中身の穀物は何なのですか?」
「ライスー米というこちらの国の主食だそうです、気に入っていただけましたか?」
「はい、もっと食べたいです!」
目をキラキラさせるエレオノーラにキッドは笑顔で断言した
「駄目です。」
エレオノーラがこけた。
「ア、 アーキッド様ぁ~!」
「今までほとんど食べていないのに大食いをすると危険です。エレオノーラ様は大事なお体なんですから気を付けないと…」
「誰の為に…ですか?」
少し拗ねたようなエレオノーラの問いかけにキッドは顔を赤らめてしまう…そしてどきまぎしながら口を開いた。
「クシェペルカの邦民…それと俺の…為に。お願いします…」
「はい!」
「お熱いねえお二人さん!」
満面の笑みをとともに頷くエレオノーラ、そこへ横合いからかかった野太い女声の方向に二人は目を向けた、声の主はオトラである。彼女だけではなくタツジがにんまり笑いながら、ロメオが笑顔で、ジュリエッタが頬を赤らめながらこちらを見ていた。流石に二人は赤面してしまう。
「今更照れるこたぁないだろぉ~」
「あの、お二人は恋仲なのですね?お似合いです…わ…」
「……」
ここでジュリエッタは自分が口にした言葉を後悔した、二人の間に流れる微妙な雰囲気…女王とお付きの騎士…元人間で貴族の令嬢であった彼女はその意味する所をすぐ察する事ができたのだ。
「申し訳ありません、余計な事を申し上げてしまって」
「…いえ、お気になさらないでください…」
「かーっ!まったく人間てヤツは面倒くさいねぇ!」
「まったくだ、腹が減ったら人だろうが獣だろうが狩って食らう、惚れたら愛しあう、目障りなヤツは殺す、そして寝る。俺たち鬼(おうが)は気楽なもんさ。…おいおいそう引きなさんなよお二人さん」
「ここじゃそんなことはご法度なのはよく知ってるよ、入店拒否されたくはないしアルトリウスのダンナに退治されたくもないからねぇ~な、そうだろ吸血鬼のご両人?…おやそうか、あんたたちの世界には魔獣はうじゃうじゃいるが魔物はいなんだったね?」
「我々は人であれ獣であれ、その血を吸って生きる夜の眷属なのです」
ここでロメオが自らの種族について語った。妙に顔色の悪い(青白い)二人の様子を疑問に思っていたキッドとエレオノーラは、特に吸血した者を自らの眷属とする事ができるという事に二人は衝撃を受けたのだった。
「で、ではジュリエッタさんは元人間だったんですね!?」
「でも人間である事を捨てた…ロメオさんとともに生きる為に…」
「はい」
決然とした表情で手を取り合い、頷く吸血鬼の夫婦を呆然と見つめる二人。やがてエレオノーラがジュリエッタの手を取った。
「ジュリエッタさん、あなたは本当に重い決断をなさったのですね?尊敬しますわ、私にはできないことですから。」
「なんでだい?」
オトラの質問にエレオノーラはしっかりとした、それでいてどこか寂し気な表情で答える
「私は女王ですから…私の女王としての最初の命令はジャロウデクとの開戦でした。
私は見たのです、見続けた。私の一声で軍勢が動き戦う有様を、敵味方の将兵たちが戦い、死んでいく光景―戦場を。すべて私の責なのです、私は一生あの光景から逃げることはできない、だからどれほど力及ばずとも立って前に進む事を決めたから…」
「俺は…俺にできることなんてそんなにないかもしれないけど、エレオノーラ様の役に立ちたい、いや立って見せる、そう誓いを立てたんです。」
「人それぞれの人生じゃのう…」
「全くです。」
アルトリウスと店主がしみじみと呟いたのだった。
手を繋いで見守るキッドとエレオノーラの前で扉が消えた、やがてキッドがエレオノーラの前に跪いた。
「アーキッド様、本当にありがとう。すごく元気が出ました!」
「お役に立ててうれしいです!」
見つめ合う二人…やがてエレオノーラがキッドに手を差し出してキッドがその手を取る。そのままキッドは立ち上がり二人は口づける。触れるようなキスだったが思いは伝わった。
「アーキッド様、愛しております」
「愛してます、エレオノーラ様」
ここで二人はくすりと笑いあった、そこで気恥ずかしさ半分でキッドが口を開く。
「そ、そうだ、早急にマルティナ様やイサドラ様、モデスト様を異世界食堂にお連れしないといけませんね?」
「ええ早急に!」
今日は大過なく済んだが、夜な夜なこの二人が連れ立って何処かへ消えているなどということが噂になった日には『醜聞(スキャンダル)』となるのは必定である、そうなればキッドが色々な意味で危ないので、これを防ぐ為には実力者にあらかじめ話を通しておこうということ、微々たるものではあるがこの二人が政治人として成長しているという事だろう、よい傾向である。
さて、それからは。
「…(絶句)」×3
「叔母様、これから私達は7日おきにこちらに来店しますのでご承知ください」
「僕たちもキッドと会いたいのでよろしくお願いします宰相閣下、内政総監閣下」
まずエルやアディと久しぶりに再会し、マルティナ(宰相)&イサドラ(女王秘書官)&モデスト(内政総監)をシーフドフライ(カキフライ含む)と白ワインで丸め込み…
「オムライス ウマイ。アナタモサンセイシテクレル、ウレシイ」
「は、はい…その…今日はオムレツを注文してみようと思っています…」
「オムレツ ムラノミンナマッテル コレモウレシイ アナタモオイシイ シアワセニナッテホシイ」
「あ、ありがとうございます…」
ガガンボと半分青くなったエレオノーラのオムライス&オムレツについての会話をキッド・エル・アディ他銀鳳の面々が半分苦笑しつつ暖かく見守ったり(笑)…
「エレオノーラ女王陛下、お会いできて光栄です。祖父への弔意にお礼申し上げます」
「私もお会いできて嬉しいですアーデルハイド殿下、どうか祖父様の事をお聞かせください。」
チョコレートパフェを囲んで二人が故ウィルヘルムの事をしみじみと語り合ったり…とまあ面白くも幸せな日々をキッドとエレオノーラは過ごしていたのだが…
その日の夜、エレオノーラとキッドはある決意を秘めて異世界食堂の扉をくぐった。
二人は珍しくそろってロースカツを注文して黙々と食べ、目で頷きあった後立ち上がるとそろってアルトリウスの席へと向かった。
「アルトリウス様、本日はお願いがあって参りました」
「ほう、どうやらお二人とも覚悟を決めたと見えるな?」
「お判りになりますか?」
「年の功というやつじゃよ」
「私は…ウィルヘルム様が教えてくださった事がようやくわかりました…日々の重圧に立ち向うための幸せとはこんなところにあったんですね?それを教えてくださったアーキッド様を私は…愛しています!アーキッド様にこれからも私の一番傍にいてほしいのです!」
「俺も…エレオノーラ様を愛しています!エレオノーラ様の横にいたい!誰よりも近くに!俺の力の限りエレオノーラ様の幸せの為に尽くしたいんです!
でも、こんなことを相談できる人は誰もいなくて…」
マルティナはエレオノーラとキッドの想いを承知してはいるが立場上支援できないし、生粋のクシェペルカ人貴族層にとってはキッドの西方戦役における貢献を認めつつ(認めざるを得ない、ヴィーヴィルにとどめを刺したのは彼だ)フレメヴィーラ出の彼に対しては隔意がある。つまるところこの二人の恋は孤立無援なのである。それでもこの想いを貫きたい!そう決意した二人が助言を求めるべき相手を考え抜いた末の頼みであった。
しばらく髭を撫でつつ考えていたアルトリウスがおもむろに口を開いた。
「王というのは国の中で最も孤独なものよ…故に邦民に思いをはせ、その孤独と不幸を慰める事ができる心を持ち、その力を用いることができる。エレオノーラ殿、あなたはよき王になれる資質がありそうじゃ…」
「では!」
「うむ、じゃがわしよりも適任者がおるぞ。おいヴィクトリア!」
アルトリウスは公国の公式行事の絡みで珍しく来店が遅かったヴィクトリアに声をかける。一心不乱にプリンアラモードを食していた彼女が怪訝な表情で視線をアルトリウスに向けた。
「何?師匠。」
「事情は聴いておったろう?この若い二人に助言をしてやれ。」
「師匠、私が政(まつりごと)に関わらない事はあなたが一番よく知っているはず。」
「じゃが『観察』はしておるじゃろう?」
「う…」
口調こそ砕けているが鋭いアルトリウスの切込みにヴィクトリアが珍しく言葉を詰まらせた。アルトリウスの言は止まらない
「魔法自体の研究はもとより、それが世にどのような影響を与えるかまで突き詰めるのがお前さんの性分…ありきたりではつまらないと言っておったのを忘れてはおらんぞ…公国の政に口こそ出さんがその動きを、言動を、横眼で睨みつつ思考実験を繰り返しておるのだろうが?いよいよ実験の好機がやってきたのに逃すつもりかな?」
「…師匠…相変わらず人を乗せるのが上手い」
「人生経験の差じゃよ。この点はまだお前に負けん…わしがくたばるその日その時まではな。」
アルトリウスの見え透いてはいるが効果抜群の扇動にヴィクトリアは乗った。やれやれという表情とともに…彼女は二人をすい、と手招きする。
招かれるままにヴィクトリアの前に座ったキッドとエレオノーラは戦慄を覚えた、彼女の纏う空気とその表情…それはすべてを言葉と論理とで切り刻み、本質を抉り出しにかかる非情なまでの分析・研究者、『魔女姫』のそれだった事を二人は後で思い知ることになる。
「さてエレオノーラ女王、あなたの国の現状とあなたとキッドの置かれた状況は、エルネスティ団長の話他である程度把握しているので私の質問にいくつか答えてほしい」
二人が脂汗と冷や汗を交互にかくようなヴィクトリアの質問が終わった…
「まず指摘しておこう、あなたたちは大きな勘違いをしている。二人の身分の差はあなた方がお互いを伴侶とするための最大の問題ではない」
「ええっ!?」
「それはどういうことです!?」
「対応は難しくないという事」
驚愕する二人に一切頓着することなくヴィクトリアの語りは続く
「要はキッド、あなたがエレオノーラ女王の伴侶にふさわしい身分になればいいだけの事。あなたが父方の血でつながっているセラーティ家というのはフレメヴィーラで大貴族の部類に入る家、養子縁組でその家の嫡出子となれば文句はないはず。」
「そ、それは…」
「無理です!前セラーティ侯の正妻も現当主もアーキッド様の事を!」
「その前正妻は嫉妬深くて虚栄心の強い女性、現当主も母の資質を受け継いでいるのでしょう?…実に『扱いやすい』…」
「!?」
二人の背筋が凍った!ヴィクトリアの笑顔―絶対零度の軽蔑と嘲弄を含んだ冷笑に!
「要はその虚栄を満足させてやればいい。一国、それも大国の王配の義母&義兄になれるという『エサ』を投げ与えてやるという形で…そういう人間はエサさえ旨ければ他の事など顧みない、たとえそれが乱杭の植わった落とし穴の上に置かれていたとしても…」
「最も心配しなくてはならないのはあなた方が結ばれた後の事、おそらく数年後には何らかの形で惹起するクシェペルカ人貴族や官僚達の反抗…今のクシェペルカはフレメヴィーラの影響が強すぎる。宰相はフレメヴィーラの王族、侵略者を退けた中核はフレメヴィーラからの援軍、その上王配がフレメヴィーラの貴族…いまは侵略者を退けた余波が効いているが年月が経つうちに必ず譜代の者たちの不満と反感が持ち上がる。
さらに論功行賞の不満が必ずこれに絡む、中央護府に従った者のペナルティに対する不満とあなたに従って戦った者の不満―功に見合った恩賞がなかった、あるいは中央護府に従った者に比して蔑ろにされているという不満が…」
「そんな!叔母さまもモデスト卿もそういった不満が出ないようにされて…」
「どれほど注意と配慮を払おうとこういう不満が生じるのは絶対に避けられない。そういう不満のターゲットは間違いなくキッド、あなたになる。事実はどうあれ『君側の奸』と呼ばれて…この件を上手く裁かねば起こるのは間違いなく内乱かクーデター…あなた達は必ず生木を裂くように引き離されて最悪キッドは処刑、エレオノーラ女王は傀儡として生かされるか退位させられて幽閉され、最終的には始末される」
慄然としたヴィクトリアの未来予測に顔色をなくす二人!だがここでヴィクトリアはそんな二人に微笑んで見せた。
「譜代の者たちの不満には対処療法で臨むより仕方がない。でもその不満をキッドに向けさせない手段はある。」
「どんな手段ですか!?アーキッド様を守るためなら私はどんな手段でも講じます!」
「俺も!エレオノーラ様の足を引っ張らずに済む為なら何でも!」
ここで二人は息を呑んだ、ヴィクトリアの冷たく厳しい眼光に…
「『なんでも』と言った…その言葉に嘘はない?」
ヴィクトリアの視線に気おされつつ二人は頷いた、しっかりと手を握り合って…
「では覚悟を示しなさい、あなたたちが結ばれる事によって生じる危機に対抗するためにありとあらゆるものを『利用』して事に当たる覚悟を!」
高山の吹雪以上に厳しく鋭い言葉の鞭が飛ぶ。二人は身じろぎもできずただ握り合う手に力を込めた!
「要はキッド、あなたが完全にクシェペルカ側の人間である事を譜代の者たちに示せばいい。ここであなたの義母と義兄の存在が役に立つ」
「?」
「これは主役を嵌める為の大芝居。適当な時期に二人あるいはどちらかでもよい、クシェペルカに招き入れた上で挑発してあなたあるいはエレオノーラ女王に無礼を働かせる、その事をもって彼女あるいは彼を抑留する…あなたが実家ではなくエレオノーラ女王に、クシェペルカ王国にこそ忠誠を示す王配であると国内に示す。二人はそのための『贄』」
「!?」
「そ…そんな!?」
「これが芝居であることはエルネスティ団長やエムリス王子あたりに『ここで』話を通して協力してもらえばいい。現当主がそういう人物であればフレメヴィーラの現国王もクシェペルカとの関係を秤にかけさせてこちら側に引き込む事は難しくない。
さすがに命まで奪わない、フレメヴィーラ側の顔が立たないから。でも彼および彼女の政治的生命を抹殺することは必要、報復心すら抱くことのできないほど徹底的に。
クシェペルカの生命刑―死刑以外の刑罰は?…ちょうどいい、犯罪者の印として耳鼻を削ぎ、額に刺青を入れる刑があるならそうしてやればいい。そのあと憤死するなり自殺でもしてくれれば手間と問題が省けて助かる」
「…セラーティ家はどうなります?」
「あなたの父を復帰させ、いずれは義姉の子を養子に迎えるという形で存続させるよう取り計らうようフレメヴィーラの現王に働きかければいい…副産物だがあなた自身の復讐もこれで完成する。
ああそうだ、いつも通りプリンアラモード4つ持ち帰りで」
「はい承りました!」
そして何事もなかったかのようにプリンアラモードにとりかかり、アレッタに持ち帰りを注文するヴィクトリアに対し、さっきまで蒼白だった顔を真っ赤にしたエレオノーラが噛みついた!
「な、何もかも計算づくで運ぶのですか!?」
「『覚悟』とはそういう事。それがあなた方が踏み出し、生きる政治の世界…やらないのはあなた達の選択だがそうなれば再びクシェペルカは戦場となる、しかも同国民同士の」
『戦場』の言葉にエレオノーラはわっ!と顔を覆ってしまった。
「それが運命…なのですか?」
「そんな運命なんて!?」
「運命は避けることも誤魔化す事もできない。どれほどの努力も手練手管も通用しないー人為の及ばない『壁』、それを人は運命と呼ぶ。運命とはそう呼ばざるを得ない物の事。変えられる物など運命ではない…だが人は変えられるものと変えられないものの境界を知ることはできない。自らの人生で試行錯誤していくしかない…誤った時の屍山血河を引き受ける覚悟があるならやってみるといい」
ヴィクトリアの冷酷な託宣に顔を伏せ、歯を食いしばって苦悶していたキッドが決然と顔を上げる。そしてしっかりとエレオノーラの両手を握った!
「わかりました…やりましょうエレオノーラ様!そうなったときはあなただけに手は汚させません!」
「アーキッド…様…」
キッドとエレオノーラを見送ったヴィクトリアとアルトリウスの会話は…
「羨ましい…」
「何がじゃね?」
「『取り換え子』の私には誰かと結ばれるという選択はあり得ないから…幸せになって欲しい。」
「そうじゃったな、真の運命の手ごわさを知っておるお前さんの忠告じゃ、きっとあの二人もわかってくれよう」
ヴィクトリアの策を二人が発動させるのはこの後×年後の事である。それが正しかったのか否か確かめる術はどこにも存在しない。
いかがだったでしょうか。今回はいささか苦い終わり方になりました。
これが「風の谷のナ〇シカ」のク〇ャナ殿下の言うところの「血塗られた道」を歩んでいく二人の道行きの第一歩です。
ヴィクトリアがあんな忠告はしないだろうとのご批判は承知の上、私がどうしても
「田村ゆかりVS田村ゆかり」がやりたくて書き上げました。ご容赦のほどを(^;
次回は
一飯の功徳、剣鬼へ
言わずと知れたあの人が来店します
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外伝3#一飯の功徳、剣鬼へ
先だっての予告の人物が来店する前にどうしてもこの人が書きたくなってしまいました。
「立てる奴はいるかーっ!いたら立て!……おいその二人に肩を貸してやれ!
いいかくたばるんじゃねえぞ!次の野営地まで頑張れ!少しだが水と食料があるんだからな!」
「…候補生、今日もよろしく頼むわ…助かるよ、俺っちは葬儀のやり方も祈りの言葉も知らねえ…さあ出発だ!」
後日「白骨峠」と称される事になる旧ロカールとジャロウデク間の自然国境である荒野の中の峠道に今日もグスターボの怒号が響く。行き倒れの一団の中からよろよろと立ち上がった2名を馬車に乗せ、その他の息のある者にはグスターボ自身が止めを刺した後剣を掲げて弔意を示し(他の者が剣も鎧も捨てた着のみ着のままなのに、流石というべきか彼だけが剣2本と砥石を持っていた)、一団の中にたまたまいた神官候補生が葬儀の祈りを挙げた後、彼が率いるさながら幽鬼の群れのごとき敗残兵の一団が行軍を開始した。
そこには十名あまりが転がっていたが息のあるものは半分程、立てない者は止めを刺してやる以外はない。小便を垂れ流している者はあと3日、死肉に群がってくる虫を追わない者はあと2日、瞬きをしない者は明日には死ぬ、それがこの十数日で彼らが否応なく知った余命判断だった…馬車にはもはや手の施しようが無い者を乗せる余裕はないのだから。
Menue-Z3:カツドン&エビフライ再び
チリンチリン
「いらっしゃいませ、洋食のねこやへようこそ。」
「な、なんじゃここはぁーっ!?」
『ありが…とう…ございま…』
野営地にて…今日助けた2人は水を一口飲んだ後、グスターボ達に笑って礼を言った後こと切れた。その他の手の施しようのない者を選別しグスターボが止めを刺し、候補生が葬儀を行う…ここ20日ばかり野営地で繰り返された光景である。
他の者が泥のように眠りこけたのを見届けた後、グスターボは一人野営地を離れた、
「ケエエエェーーッ!!!」
狂声と共に剣を抜き、背負い込んだ合計百人を超える死者と生者の命を振り払うようにグスターボは剣を振り回す!一見無茶苦茶な動きだが体に染着いた修練が全てを型稽古のそれとしている…こんな事は体力の消耗に過ぎない事は百も承知している、ここで崩れれば あるいは剣が折れでもしたら兵達の反乱を誘発し、自身は嬲り殺されるだけ…強権的に水と食料の配給を管理し、もう持たない兵を始末してきたのだからそれはそれでもう構わない(!)がそれはこの集団の全滅を意味するのだ。逃れえぬ重荷に抗する為に彼は剣を振るう、振り下ろす、突く、薙ぐ…ひとしきりそうした後 野営地に帰ろうと振り向いた瞬間ぶつかった『扉』を開けてみればここにいたのだ。
「いらっしゃい新顔さん、まずは席へどうぞ…アレッタさん水とおしぼりを」
「はいマスター!」
「水―ッ!?」
あまりの事に思考停止に陥ってギクシャクと席についたグスターボは目の前に置かれたレモン水をがぶ飲みした後店主の説明を聞いて更に腰を抜かしたのだった。
「じゃ、じゃあここは料理屋なんだな!?だったらあいつらを連れて!…」
「…申し訳ありませんがそれは無理です。」
事情を聴いた店主は心から申し訳なく思いつつ語る、一度入店したらあちらの扉は消えている事、退店したら扉は消えて7日後にならないと現れないことを…
「なんだよそれは…なんとかならねえのかよぉーっ!?」
「はい、俺にはなんとも…」
「お若いの、そのマジックアイテムを扉に仕込んだ者が初めにそう定めてしまったのでな。」
「ウワアァーッ!!」
店主とアルトリウスの言葉にグスターボは泣き崩れた、テーブルを叩きながら叫ぶ…
「なんでだよ、なんでなんだよ!…あっちには58人いるんだよ!ギリギリ歩けるヤツが41人!もう歩けねえが水と食い物さえあればまだ何とかなるヤツが17人!」
「わかってますよグスターボさん、持ち帰りと災害備蓄用を総動員するつもりですから。」
「よろしく頼む店主!」
声の方向に視線を向けてみれば真剣な表情のハインリヒとアルフォンス、ライオネルが立っていた。
「おいグスターボと言ったな?まずは食え!」
ライオネルの姿には流石にビビるグスターボだったが、目の前に置かれた手付かずカツドンの香りに思わず唾を飲み込み、そのまま掻っ込む!
「肉―ッ!なんだよこの味はァーッ!旨ぇーっ!」
「ワハハハッ!そうだろうそうだろう!?カツの味も卵と出汁と醤油の味も最高だぜ!」
「カツドンを食べ終わったらこれを食ってくれ、タルタルソースをかけたエビフライは更にうまいぞ!」
グスターボにこれまた手付かずのエビフライを勧めた後、ハインリヒはアルフォンスと頷きあった後店中の客に向かって呼掛ける。
「諸君!このハインリヒこの通り頭を下げて願う!今店内にある飯とパンの全てをここのグスターボ殿に提供してもらえないだろうか!?
無論そうなれば飯とパンのおかわりは不可能になる、だが扉の向こうにいる餓死寸前の58人の為曲げてお願いしたい!この通りだ!」
「私からも頼む!」
「異存はないぞ、のう皆の衆!」
「おう!」
更にアルフォンスが頭を下げ、タツゴロウの返答に常連たちが呼応した、店主達も動き出す。
「アレッタさん、クロさん、奥の野菜が入っていたダンボールを持ってきてくれ…組み立て方は教えるから中にラップを引いてくれるか?俺は災害備蓄用の乾パンと貯水用ポリタンクを持って来る」
「はいわかりました!」
『了解』
「店主、握り飯を作るのは任せてもらえるかな?」
「いや、店内でお客さんに調理を任せるわけには…」
「いやいや店主殿、飯は全部われら3人で買ったのだから食おうが譲ろうが勝手じゃろ?」
「天災にあった者への炊き出しだと思えばよいのではないか?」
「…そういう事にしておきましょうか。」
苦笑しつつ店主が了承した。
「あのご店主、皆様、パウンドケーキならば日持ちがする筈ですわ。ある物はすべて購入しますのでそちら様にお渡しください。」
「それを言うならクッキーアソートがもっと持つよ、私が在庫分の代金を全部払うわ。」
「その話乗ったよ、あたしらも金を出す!二人ともいいだろ?」
「おうさ!」
その有様にグスターボは唖然とする。
「お、おい…なんでそこまで…」
「ここは自然災害が結構多い国でしてね、そういう時は損得抜きで食事を出すんですよ。
お三方じゃないが『武士は相見互い』ですな」
「これは先を越されたな店主…それにお主、なかなかの戦人(いくさにん)と見た、部下共々飢餓で死なすには惜しいのでな」
「異議なし!」×3
タツゴロウとソウエモン、デンエモンが笑い、ヒルダとアリシア、ラニージャが賛同する
「これも光の神官としての修練ですわ。あなたの旅に神のご加護があらんことを。」
セレスティーナが微笑んで祝祷する。
「飢えの辛さはよく知っています。グスターボさんも扉の向こうの皆さんもねこやの味で元気になって欲しいです!」
「いい事言うねアレッタ」
アレッタとサラが相槌を打った
「我々は借りを返す…あるいは功徳を詰むというヤツだな。」
「そんなもんだな。」
不敵な笑いと共にアルフォンスとライオネルが語る、自分達と異世界食堂との出会いを…
「…あんたら…ここに来て命を拾ったのか?」
「おうよ!オレもアルフォンスのダンナもかれこれ20年生き延びたワケだ。」
ここでライオネルがグスターボの背中をどやしつけた。
「オレが言うのもおかしいが、人間生きるか死ぬかの土壇場は腹いっぱいになればけっこう何とかなるもんだぜ!だから今は食え!」
「ライオネル殿の言う通りだ!」
ハインリヒが正面からグスターボを見据えてその肩をつかむ!
「お主は今、扉の向こうの58人の命を背負っているのだろう!?倒れる事は許されぬ!」
ハインリヒは語る…魔の森から現れたモスマンの群れの襲撃。砦の命運のかかった援軍要請の伝令に出る。モスマンの毒で倒れる馬。剣以外の全てを捨てて走る!走る!走る!…飢えと渇きで倒れる寸前で出会ったこの異世界食堂、水とエビフライとパン!
グスターボは3人、特にハインリヒがここまでしてくれる理由を腹の底から理解した。目の前の人物は100人近い数の命を背負って走り切った男だったのだ…この剣鬼が滂沱の涙と共にテーブルに頭を擦り付ける…
「すまねえ!ありがてぇ!恩に着る!この通りだ!」
サンドイッチ・おにぎり・ロールパン・パウンドケーキ・クッキーアソート・乾パンを詰めたダンボールおよび水を満タンにしたポリタンクとミネラルウオーターの箱を扉近くに積み上げた後、グスターボは決然とハインリヒに一本の剣を差し出した。
「ハインリヒさんよ、こいつを受け取ってくれ。」
「いや、それは…」
「いいから!」
騎士や戦士が帯剣を渡す意味を誰よりもよく知っているが故に渋るハインリヒの手にグスターボは無理矢理に剣を押し付けた。
「この先の旅がどうなろうと俺っちはもう二度とこの店には来られねえだろう。あんたが初めてこの店に来た時と同じく俺は無一文さ…荷物になるだけの金はもうとっくに捨てちまったからよ。
俺っちが礼として渡せるのはこれだけだ、だから受け取ってくれよ!これでも少しは名のある業物だから目利きに渡せば相応の金にはなる筈だ。そいつで店主や女給の二人、客人達になんでもいいから礼をしてくれや!…みんなありがとうよ!」
「道中お気をつけて!」
「他の方々によろしく!」
「神のご加護を!」
キーン!ゴーン!
アレッタと店主の別れの言葉、セレスティーナの祝祷、ハインリヒ・アルフォンス・タツゴロウ・デンエモン・ソウエモン・ヒルダ・アリシア・ラニージャ・サラが剣&刀の鯉口を切り、ライオネルがなまくらを打ち叩く。箱とタンクの全てを扉の外に出したグスターボがもう一本の剣を掲げて答礼し、扉の向こうに去っていった。
「あれがジャロウデク…エルネスティ団長の敵国の兵か…」
「そうですね…」
「敗戦とは過酷なものじゃよ」
タツゴロウと店主、アルトリウスの呟きがこの状況を締めくくったのだった。
Menue-Z4:サンドイッチ&おにぎり&パウンドケーキ&クッキーアソート
「おい起きろ!食い物と水を手に入れた、運ぶのを手伝え!」
「いいか、まずはこのサン…ええと何だったかな…とにかくこの色々挟んだパンが最初だ!よく味わえよ。
馬車の連中にはまず水をたらふく飲ませてやれ、食い物はそれからだ!」
いきなり今まで食べた事のないサンドイッチを目の色を変えて詰め込んだ歩ける41人が人心地ついたところでグスターボに、どこでこんな食料を手に入れたかと聞いたのに対し、彼の返答は…やにわに剣を引き抜くと先頭の一人の鼻先に切っ先を突き付けて…
「覚えとけ、この後その質問をするヤツは切る!
いいか、この食料はとてつもなく旨いがもう二度と手に入らねえ!大事に食って何としてでもジャロウデクにたどり着く!腹ぁー括れよッ!!」
次の日はおにぎりを、2日目と3日目はパウンドケーキとロールパンを、そのあとはクッキーアソートと乾パンで食いつなぎ、水場を見つければポリタンクと空ペットボトルに詰め込んで…ジャロウデク最辺境の砦に最後の31人がたどり着いたのは水も食料も尽きた翌日の事だった。
「…あそこで扉に出会わなけりゃ全員野垂れ死んでたかよ…ありがてえ…本当にありがてぇ!」
およそ半月後、グスターボが率いる幻晶騎士独立中隊はジャロウデク西部戦線・絶対防衛線であるカンガー関にいた。ここは西部から王都へ続く唯一の道、多方面から侵攻する11国の軍が集まらざるを得ないチョークポイント…連携皆無と言っていい11国の各軍に対して旧式幻晶騎士(老兵&少年兵騎乗)の旅団が金床となって敵を拘束し、槌である打撃連隊が叩き各個撃破する。旅団の破れ口を火消し役として塞ぎ打撃連隊到着までの時間を稼ぐのが彼の率いる独立中隊-グスターボと共に帰還した30名―に宛がわれた役目だった。
「ケッ!要するに『死んでこい』ってことだな。」
生きてジャロウデクの砦にたどり着いたグスターボ以外の30人(例の神官候補生を含む)は結局全員騎操士だった。やはり日頃の鍛錬による体力がものを言ったという事だったのだろう。
無論彼らは全員王宮に招かれてカルリトス王子より叙勲を受けたのだが、グスターボは見てしまったのだ、カルリトス王子の目を、
『負け犬がどの面下げて帰ってきた!?疫病神共め!』
その目はあからさまにそう語っていた…
謁見の場で臣下が王族の顔を覗く…今のグスターボがカルリトスに含む所があるが故の無礼である。西部戦線の事情は承知しているがレビテートシップを一隻でも捜索に回せば優に1個大隊規模の人数(=兵力)が助かった筈なのだ。つまるところ自分達は捨て殺しにされたのである。
「あの生き地獄を知っている俺たちは汚染物質ってワケだ。誰一人帰ってこない事情を隠蔽する為 敵に始末させようって腹だろうがそうは問屋が卸さねえ!
野郎ども死ぬんじゃねえぞ!この戦にケリがついたらあの食料の出所へ連れて行ってやる。そこにはあの食料どころじゃねえ旨い料理がごっそりあるんだからな!
特に候補生!おめえにはカツドンってやつを奢ってやる、あれは旨いぞぉーっ!」
彼方に赤い信号法弾が上がった、戦線が破られたのだ。デッドマンズソードⅡを先頭にグスターボ独立中隊が破れ口へ突撃を開始する!
「行くぜ、旨い料理を腹いっぱい食う為だ!11国の連中をボコって生き残れよ!」
グスターポはコジャーゾと同じくどうも憎めない人ですが、彼のキャラに私はどうしても『人斬り以蔵』を連想してしまいます。
いけしゃあしゃあと大往生しそうなコジャーゾと違い、彼はいわゆる『畳の上では死ねない』人物と考えています。彼の結末は次回に…
次回こそは
或る入店拒否者の末路
となります。
誰の事なのかはおそらく皆様もうお分かりでしょうね?
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外伝4#或る入店拒否者の末路
ようやく書きあがりましたが、後味の悪い結末ですのでご容赦のほどを・・・
ズルズルズル…旧ジャロウデク王国西方領の峠道、雪の降る中ズタ袋を引きずる馬を引く3人の女性がいる。やがて彼女たちは峠道の半ば、一際谷の深い場所で馬を停めた。
「ここいらでいいだろうさ」
「どうどう…」
一人の言葉にもう一人が馬を御し、もう一人は馬とズタ袋を繋いでいた縄を切って中身を転がしたが、それは簀巻きになった人間だった。
『屑!』『亭主を返しな!』『息子を返せ!』…打撲傷、裂傷、切傷だらけで血塗れ、更に右肩がひしゃげ潰れたその男を3人は更に罵りながら絶壁へと蹴り転がして行く。
やがてその男が何か口にしたのに気付いた1人が耳を聳てたかと思うと血相を変えて馬の所へ戻り、拾い上げた馬糞を彼の口にねじ込んだ。
「これでも喰らいなよ!…悪魔の所へ行っちまえ!!」
最後の蹴りで彼を谷へ蹴り落した彼女達は更に谷へ向け唾を吐きかけた後せいせいしたという顔で帰っていった。
「ひもじいよう…腹が減ったよう…なにか食べさせてくれよう…なんでもいいんだよう…」
谷底、その男はまだ生きていた…耳朶を削がれた両耳はもう何も聞こえない、外鼻を削がれむき出しになった鼻腔からの冷え乾いた空気が肺を刺す痛みも、投石と犂 鎌で切られ殴られた傷と投げ落とされた石臼の上石で潰れた肩の苦痛ももう感じない。そんな彼が谷底で引っかかっていたのは…あのねこやの扉だった。
「お、おおお…」
どこにそんな力が残っていたのか、男は扉のドアノブに手を伸ばしたが…その手はノブをすり抜けた、彼はそのまま転倒し這いつくばるだけ…死にゆく者が見るという走馬燈の中、ある記憶が彼の脳裏を支配した。そして彼は絶叫する。
「ハムサンドォーッ!タマゴサンドォーッ!コロッケサンドォーッ!…ツナサンドォーッ!!」
それがジャロウデク王国第一王子、カルリトス・エンデン・ジャロウデクの断末魔…最後の言葉だった。
Menue-Z4:サンドイッチ再び&ココア
チリンチリン
「いらっしゃいませ、洋食のねこやへようこ…」
「ふざけるなぁーッ!」
「きゃあーっ!」
身なりは豪勢だが酷く顔色の悪い新顔の男は、半ば警戒しつついつもの笑顔で挨拶したアレッタをいきなり怒鳴りつけたかと思うとその胸倉をつかみ上げた!
「ちょっとお客さん!」
只ならぬ声に店主が厨房から飛び出てきた、瞬時に目の前の人物は荒事も厭わない―時折来店する暴力団員より更にタチが悪そうな―上、理由は定かではないが精神的に追い詰められている事を見て取った。
「黙れ!貴様がここの首魁かぁーっ!…わがジャロウデクの祖廟にこんなものを作りおって、その分には捨て置かん!」
「落ち着いてくれませんかね?」
ギラリ!その男-ジャロウデク王国第一王子、カルリトス・エンデン・ジャロウデクは腰の短剣を抜き放ち、切っ先を店主に向けた。だが店主は怯まない、伊達に10年以上こういう客商売をやっているワケではない、弱みを見せたら負けだと瞬時に察してずいと更に前に出る!
『アレッタを放しなさい』
クロがすう、と歩み寄りカルリトスに手を翳したのを見た暦とアルトリウスが真っ青になった!
「アレクッ!」
「おう!」
どこをどう駆けたのか…次の瞬間カルリトスの右目にピタリ、とアレクサンデルのレイピアの切っ先が突き付けられていた。
「女給を放しなよ兄ちゃん……あんたが出ると大事になっちまう、ここはオレに任せてくれないか?」
『……わかった、大丈夫アレッタ?さあ…。』
「は、はい」
視線を微動だにしないアレクサンデルの後半の台詞はクロに向けられたものだった。
アレクサンデルのみならず店主の祖母であるヨミ改め暦の意を汲んだクロはカルリトスが否も応もなく手を放して床にへたり込んだアレッタを抱えてそのまま下がる。内心戦友二人と同様冷や汗をかいていたアレクサンデルはやれやれと胸を撫でおろしつつもそんな様子は欠片も見せずに台詞を続けた
「兄ちゃんよ、おいらは怒ってるんだぜ。こっちはかれこれ70年ぶりに死んだと思ってた戦友との旧交を温めてたんだ。旨い料理とあっちじゃ手に入らない旨い酒でな。その気分を台無しにしてくれたオトシマエをどうつけてくれるよ?
おーいヨミ、こいつこのまま殺っちまおうか?」
「ダメよアレク、ここはうちの人と今はこの子の店よ。血で汚すなんてとんでもないわ!」
「えーいいじゃねえか?おいらの腕は知ってるだろ。このまま目から脳ミソを貫きゃ血なんて大して出ねえよ。ちょいと拭けばいいだけ…」
「ばあちゃんの言う通りですアレクサンデルさん…こっちの警察―治安機関はすごく優秀でしてね。血痕があったら拭こうが洗おうが痕跡を検出する手段があるんですよ。まあ死体は扉の向こうに捨てられたとしても警察が入って『この店でなにか事件があった』なんて噂が流れた日には平日営業に関わりますし、商店街の他の店にも迷惑がかかりますから」
「ホントかよヨミ?」
「ええ」
…「科〇研の女」(店主は長年のファンだったりする)の定番シーンを思い浮かべつつ語る店主の言葉を暦に確認したアレクサンデルは『へえー』という表情とともに切っ先を目から頸動脈のあたりに移した。
「まいったね…この世界には魔法はないのにおいら達にとっちゃ摩訶不思議な『技術』があるとはアルから聞いてたが…じゃこいつどうする?」
「…そうですね、ちょっとしたものを出しますんでそれを食べてもらってお引き取り願いましょう。それでいいだろばあちゃん。」
「そうして頂戴。」
「あなたもそれでいいですよね!?」
「わ、わかった。」
この状況下では店主の念押しにカルリトスは頷くしかない。その有様を見たアレクサンデルが半ば呆れた様子で口を挟む
「かーっ、何か食わせてやるってか?なんつー太っ腹!流石にヨミの孫だ、恐れ入ったよ。」
「ま、私は料理人ですから」
アレクサンデルの揶揄をさして気にした風もなく肩を竦めた店主はそのまま厨房へ戻っていく。その背中にアレクサンデルはこんな声をかけた。
「そういうことなら代金はおいらが持つぜ…トドメを刺すにせよ戦利品として売り飛ばすにせよ、一旦剣を向けた相手には最後までかかわるのがオレのモットーなんでね。」
「まいどあり!」
「さあて」
抜くと同じく納める手も見せずにレイピアを鞘に納めたアレクサンデルは柄でカルリトスを4回叩く、トン、トン、トン、トン…
すると彼はいつの間にやら近くの椅子に座っていた。テーブルの向かいには先程から自分にレイピアを突き付けていた奇妙に長い耳の美青年が、すぐ横には今更ながら気が付いたが秘めた威圧感を持つ老女(先程の『店主』の祖母?)と老人が料理の皿を手に移動してきた…たった4回、軽く叩かれただけで椅子に座っている自分…ここでカルリトスはアレクないしアレクサンデルという目の前の美青年が人体の構造と機能-筋肉や骨、関節の動き、どこを打てば人体がどう動く―を知り尽くしたとんでもない剣の達人であることに思い至って戦慄した…ようやく異常事態に気が付いて質問を絞り出す
「…ここはいったい何処なのだ?」
「ここは『異世界食堂』、そして私はヨミ改め暦、ここを異世界食堂にした張本人」
「な…?」
…傲岸不遜の権化というべきカルリトスも暦の説明には完全に毒気を抜かれて絶句するより他はなかった。更に暦は続ける。
「そういえばあんたの名前を聞いていなかったわね、それから扉が祖廟に現れたとも聞いたけれど…」
「…余はカルリトス・エンデン・ジャロウデク、ジャロウデク王国第一王子・王太子にして摂政」
「…そういう王国は知らないけれど、先祖を祭る祖廟に扉が現れた事は一応お詫びするわ。あの扉は仕掛けた私にも出現する場所をコントロールできないから。」
「…」
頭を軽く下げる暦にやや鷹揚に頷くカルリトスだったが、ここで暦の一言に対して食ってかかる
「だがジャロウデクを知らぬとは解せぬ!セットルンド一の大国にして大陸全てを統一する唯一の正統なる国ぞ!」
「あんたヨミの説明を聞いてなかったのか?おいら達はそのセットルンドって世界を知らないんだぜ…」
「いや、知らなくもないがね。」
アレクサンデルの冷ややかな皮肉をアルトリウスが遮った
「我々が生きている東大陸と西大陸はあんたのセットルンド大陸とはかけ離れた所にある世界なんじゃが、そっちから来店している常連がいるんじゃよ、今日はもう帰ったがね。じゃからわしや一部の常連・それに店主はあんたの国の事を知っておるよ。大陸全土統一戦争を始めた挙句大敗したんじゃろ?」
「違う!、あれは逆賊どもに対する征伐、そのように言われる筋合いはない!」
「ほお、そこのところをこの年寄に詳しく聞かせてくれんかね殿下?」
「…はじまったなヨミ?」
「ええ、何十年ぶりかしら」
アルトリウスがその常連が誰なのかを伏せたのは当然だが、それでも『大敗』の言葉にカルリトスが再び激高しての語りをアルトリウスが巧みに誘導する…暦とアレクにとっては数十年ぶりに見るアルトリウスの誘導尋問による情報収集である
さて、カルリトスが語っているというバイアスを除いたジャロウデク王国の現状は以下の通りである。
カンガー関の会戦で孤独なる11国を各個撃破したジャロウデクではあったが、事態は更に悪化する。東方よりクシェペルカ・ロカール連合軍がついに自然国境を越えて侵攻を開始したのだ。
全戦力を西部戦線に集中している今、東方からの侵攻を防ぐ術はなかった。旧式機と老兵・少年兵の拘束旅団は戦闘での損耗率が4割を超え、ティラントー装備の打撃連隊は戦闘での損耗は1割程度だが魔力変換炉の酷使による稼働不能機が5割を超えて自壊状態、とても戦える状況ではない。東方領土は王都を囲むジーレ山脈の手前まで占領されたのだが、ここでクシェペルカから使者がやってくる、デルヴァンクールでの講和会議への招待である。
「来ないのは勝手だが、その場合占領地は当方(クシェペルカ・ロカール連合・孤高なる11国)で勝手に分割する。その上で再度戦端を開く」
と親書にあっては行かぬ訳にはいかない。かくてカルリトスは一度は占領したクシェペルカの王都へ敗戦国の代表として入ることとなった、十分に屈辱的なシチュエーションだがこれは序の口に過ぎなかった。
まずロカール諸国連合・孤高なる11国の王侯が居並ぶ中、カルリトスは対面するエレオノーラに跪く事を強いられた。彼はまだ王位についていない王太子の身分であという名目である。歯噛みしながらエレオノーラに膝を屈して講和会議へ招かれた感謝を述べざるを得なかったのだったが示された講和条件は読んだその場で彼が気絶するほどの物だった。
1. 西部占領地は11か国にすべて割譲する。分割地の線引き配分はクシェペルカが責任をもって調整する。
2. クシェペルカ・ロカール連合軍は賠償金支払いと引き換えに撤退する、賠償額は―省略―とするが物納可、支払い完了まで占領地の貢納は賠償金の一部に充当する。
3. 戦争犯罪人はジャロウデク側の責任で斬首し、11か国側にその首を引き渡す。
4. 以後、クシェペルカ王国・ロカール諸国連合・孤独なる11か国はジャロウデクの王位を認めない、元首は大公に留まり国号も『ジャロウデク大公国』に改める。
5. ジャロウデク祖廟に存する年代記および系図の原本を捏造品と宣言し、クシェペルカ王国・ロカール諸国連合・孤独なる11か国代表の前で焚書する。
…1 2 3は想定内である、4は想定外であったが受け入れざるを得ないだろう、だが5は…ジャロウデクという国そのものの存続に関わる程の条件だったのだ!
世界の父(ファダーアバーデン)の復興というジャロウデクの大義名分は昨日今日出てきた話ではない、10代を超える歴代の王達が受け継いできた野望ないし野心でありその根拠こそがジャロウデク王家がファダーアバーデンの正統なる血統と伝える一族である事を記した「系図」とクシェペルカ王国・ロカール諸国連合・孤独なる11国の父祖達がどれほど悪辣にファダーアバーデンの領土を侵食し、その家を滅ぼしたか、それにジャロウデクがどう抗したかを謳った「年代記」なのである。(両巻とも門外不出、閲覧は王族のみ)
…無論事実はずいぶん異なる、ファダーアバーデンが魔獣からその領域を切り取って行くにあたっては実際に戦い、領域を切り取った臣下や将、豪族にその領域を安堵し、時に王として認めるのは当然のことであったし、一旦王として認められたからには絶対的な服従を強要される謂れはない。又ジャロウデク王家がファダーアバーデンの血統なのは事実だが傍流ではあったし、その衰亡にあたっては最も熱心な旗振り役だった。
つまるところそういった事を我田引水の限りを尽くして隠蔽改ざんしたシロモノがこの二巻なのである。もっとも誰が言ったか「嘘も百年つき続けると、ついた本人も信じだす始末」でありジャロウデクの王族にとってはこれが事実なのであった…笑うべき状況ではある。
11国の王達に水をぶっかけられて強制的に覚醒させられたカルリトスはずぶ濡れのまま声を嗄らしてその場の全員を罵倒し、抗議を喚いたが誰一人聞く耳を持つ者はいない。
当然である。「積徳」などという事をジャロウデクという国はおよそやったこともないしむしろそういったものを腹の底から軽蔑していた国である。11国もロカール諸国連合もそれぞれの間での国境や王位・公位に関する揉め事・紛争はままあることだがそれに土足で踏み込んで来ては自らの都合と利益を押し付けたうえで『謝礼』と称して領地や財物をむしり取られたことはどの国にとってここ数十年だけでも1度や2度ではない。こういった場合一国一国に対して個別交渉を行い切り崩しを図るのが外交のセオリーというモノだが今のジャロウデク、カルリトスにはそのツテすらない…実質追放されほうほうの体で王都に戻ってきた在11国のジャロウデク大使の内2人を怒りに任せて切り捨てて以降その他の8人はさっさと11国側に寝返った…彼ら大使がジャロウデクの横暴さの権化として着任国に蛇蝎のごとく嫌われていたのは確かだが、交渉の為の相手側のキーマンや担当者を知っているのは彼らだけなのだ、最悪の行為のツケは高くついたワケである。
「…どうやって年代記と系図の件を知った?…あれは門外不出の…」
「事あるごとに国内でその二つの内容を持ち出し、私達を『唾棄すべき謀反人の末(すえ)』と代々宣言し続けていて門外不出もないものですね?」
エレオノーラの冷ややかな言葉にカルリトスはぐうの音も出なかった…この件は寝返った大使達が詳細を暴露したものと確信したカルリトスだったがそれでどうなるものでもない、押し黙ってしまった彼をクシェペルカの近衛兵2人が引っ立てる形で退場させにかかる。
「放せ無礼者!これが一国の王…いや王子にして摂政へのクシェペルカの礼儀か!?」
「貴方に選択の余地などありません。それに負け犬に払ってやる礼など存在しない、さっさと帰って我々の命令を遂行なさい!」
エレオノーラの宣告に、流石にカルリトスは愕然とした、それは代々ジャロウデクの王が、そして彼自身が突き付けてきた最後通牒の台詞そのもの…そのまま会議場から蹴りだされるカルリトス…エレオノーラを始めとするクシェペルカの、ロカールの、11国の積もり積もったジャロウデクへの復讐が始まったのである。
「祖廟の宝物を明け渡す事は即ち国の魂魄を抜かれる事。本来受け入れるべきことではないが、この状況ではとても抗しきれまいな殿下?」
「…あ、あの謀反人の末、逆恨みのクズ共が!正統の王家に何様のつもりか!」
激高するカルリトスだが目配せを交し合うアルトリウス・アレクサンデル・暦の視線は冷ややかだった、3人の共通認識は
「こののぼせ猫につける薬はないのう?」
「ねえな」
「ないわね」
という事になる。
「ま、政治的事情ってやつは私らが口を挟めることじゃありませんがね、カルリトス殿下。
あなた最近ろくなメシ食ってないんじゃないですか?
人生で一番まずいのは「寒い」事と「腹が減る」事とだそうですよ、これを食べて少し落ち着いて下さい。サンドイッチのセットとココアです」
クロがテーブルに置いたのはハムサンド・タマゴサンド・ツナサンド、そしてコロッケサンドである。そのあと店主がマグカップのココアを差し出した。更にクロはコロッケサンドをアレクサンデルの前に差し出した、更にココアを彼の前に置く。
「あれ、おいらは頼んでないけど?」
「それは私のおごり、この件での迷惑料よ」
「そっか、それじゃありがたくもらうよ…やっぱりコロッケはいいなぁ~このトンカツソースってやつが特にいい、パンに挟んでも最高だぜ!…ふぉい兄ひゃん、ほさっとしてなひで食ひなよ。」
「…うむ…!?!?」
暦の穏やかな笑み…それに数十年前の彼女の美貌が重なりガラにもなくドキッとしたアレクサンデルがわざとそっけない態度で礼を言うとコロッケサンドにかぶりついたままカルリトスに目の前のサンドイッチを勧める、その態度に内心むっとしつつも目の前の見たこともない程白いパンと挟まれた具に引き寄せられるように先ずはハムサンドを口にした
『燻製肉なのだろう!?これがか!?…ゆで卵だと!?どんな味付けだこれは!?…これはなんの肉なのだ!?…このコロッケというのは何だ!?…う、旨いっ!!』
ムシャムシャ・・・傍目にもまさしく餓鬼のごとく全てのサンドを詰め込んだかと思うとココアをあおる!その香ばしい苦みと甘さにカルリトスは卒倒したのだった。
「気に入ってくれたようで何よりだわ」
「どうぞ、おかわりです」
「…馳走になる」
人体の急所を心得たアレクサンデルにこっちに引き戻されゼイゼイと肩で息をついているカルリトスに暦が声をかけ、店主がもう一皿とココアを差し出した。2皿目で流石に余裕を取り戻したカルリトスが呟く。
「店主、どれも実に旨いがこの『ツナサンド』とはなんなのだ?今までこのようなものは食べた事がない。」
「ツナって海の魚の油漬けですよ。」
「な、な、な!」
流石に愕然として立ち上がるカルリトス(当然ながら海の魚など、いかに大国の王族とはいえ数えるほどしか食べた事はない)に対し店主は笑顔で手を振った。
「そう驚かんで下さいよ。こちらでは缶詰…と言ってもわからないでしょうがね…保存のきくお手軽な食材ですから。ま、どんどん食って下さい。」
更に目の色を変えてツナサンドに齧り付くカルリトスを暦は穏やかな笑みと共に眺めていた。
『客を見る目とちょっとした気配り、ますますあの人に似てくるわ…』
そう、興奮剤であるコーヒーではなく鎮静効果のあるココアを出す…ごく自然なその配慮に暦は孫の成長を見ていた、戦後の混乱期から闇市での営業、遅々とした復興を一変させた特需、そして高度経済成長…どのような時代であれ食材が足りない事は結構あったが、ちょっとした工夫で決して自分や家族にひもじい思いをさせたことのないあの人…邪神を滅する為だけにおぞましい方法で生み出された自分ではなく夫の血を受け継いでくれた孫の背中に思わず胸が熱くなる暦だった。
「ヨミよ、お前のダンナさん…先代は本当にいい男だったのぉ?」
「ええ…」
「…あーあ…少し妬けるぜ…」
しみじみとしたアルトリウスの言葉に目頭をぬぐう暦、その有様にあえて冗談めかした台詞を吐いたアレクサンデルは、その感慨を誤魔化すように目の前でごくごくとココアのマグカップを飲み干しているカルリトスに向き直るとこんな事を言った。
「で、王子さんよ。あんたこれからどうしたい?」
「?」
「命が惜しいかい?名が惜しいかい?…こいつは年長者のおせっかいだが、命が惜しけりゃ恥も外聞も気にせずさっさと逃げるこった。名が惜しけりゃ講和なんぞ蹴って戦いなよ。まあどっちにしたって行き着く先は変わりゃしねーだろうがね。」
「なんだそれは!?だいたい年長者とは!?」
「本当の事じゃよ殿下、こいつはこんな風体じゃがわし等より2~30年は年上さね…さあてアレク、おまえさん今いくつじゃったかな?」
「そいつは最高秘密さ、たとえお前さんにだって話せないね。特にヨミのいる所ではよ」
「……」
「さて店主、アレクサンデルとやら、馳走になったな」
「まいどあり」
ここでカルリトスは咳ばらいをした後胸をはってこんなセリフを吐いた
「ジャロウデク王国第一王子・王太子にして摂政カルリトス・エンデン・ジャロウデクの名においてこの地をお主に安堵することを宣言する!ありがたく受け取るがよい。」
「…そいつはどうも」
一応手を胸に一礼する店主だが、次のカルリトスの台詞には正直呆れた。
「ついては上納金を納入せよ、今日は売り上げの二分の一でよいが次には年収額を準備しておけ!」
「お断りしますよ。」
「何!?」
「こっちにも『みかじめ料』の名目で金をふんだくりにかかる連中はいますがね、そういうのにビタ銭一円たりとも払わぬってのがこの町のルールだ。」
「き、貴様!?…」
「アレク、レイピア貸してくれるかしら?」
「おうよ」
暦がアレクサンデルのレイピアを一振りし、空気を切り裂く。ギレムとガルドが斧を手に立ち上がり、タツジとオトラが指をポキポキと鳴らす、ロメオとジュリエッタが吸血鬼としての本性を現して強烈な魔気を叩きつける・・・夜の常連たちの殺気に満ちた姿を背中に立つ店主に対し拳を振り上げたままたたらを踏んで後ずさるカルリトス。この店の上りは相当なものになると踏み、あわよくば店主自身を連れ去ってジャロウデク再建の一助にしようなどとという思惑は完全に裏目に出たのだ。
そして彼は後ろにいた誰かにぶつかる、更に後ろから振り上げた腕をものすごい力で握られ、肩が外れんばかりの力でつるし上げられたのだ。
「痴れ者が来ておったの?」
「これは女王様。」
恭しく一礼する店主の視線に必死で振り返ったカルリトスの背筋が凍った。そこにいたのは言わずと知れた「赤」…深紅の髪と角に爛々と輝く金色の瞳、姿こそ女性だがとても尋常な存在ではない事は直に分かる。
「痴れ者、この店は妾の領域、店主もアレッタもわが財宝よ。その上前を撥ねようとはな?…そうさな、バルログへの褒美に持って帰るか。あれも最近人間を喰っておらぬからな~」
ふうー…吐いた息は紅く燃える炎。カルリトスは恥も外聞もなく絶叫した
「さ、先程の言葉はすべて撤回するっ!どうかお赦し頂きたいっ!」
赤が無造作に手を放してカルリトスは床に這いつくばった、その姿を一顧だにせず店主の引く席に着いた赤はこうのたまった。
「妾はこれからビーフシチューに取り掛かるのでな、貴様のような痴れ者に関わっている暇はないのだ。さっさと退散するがよい。…言っておくが今度妾の前にその顔を見せたら骨も残さず焼き尽くしてくれようぞ!」
「ひぃっ!」
脱臼していない方の腕でかろうじて立ち上がったカルリトスはほとんどこけつまろびつという体たらくで扉に向かったが、弱り目に祟り目…最後の災難がそこに待っていた。
チリンチリン…
「アーキッド様、今日はカレーというものに挑戦してみようと思います(^^)」
「気を付けて下さいよエレオノーラ様、あれは旨いですけどかなり辛…い…」
入ってきたのはキッドとエレオノーラだったのだ!
「…カルリトス…王子…?」
「…クシェペルカの売女(ばいた)がぁっ!?」
「エレオノーラ様っ!」
どちらがより驚いたかはわからない、身体強化魔法を発動させる間すらないキッドがカルリトスにタックルを食らわせるが距離が近い事から体勢を崩すまでには至らない、
「無礼者がぁーッ!」
「アーキッド様ッ!」
エレオノーラの悲鳴!カルリトスは短剣を振り上げキッドの背中に突き立てた…筈だったが、捨て身のキッドが唖然とする、痛みも何も感じない…その時カルリトスは自分の手を眺めていた…短剣が消えていたのだ、指4本と共にきれいさっぱりとである。
「あ…あ…あ…ギャァァーーツ!!!」
カルトリスは床に再び這いつくばって泣きわめく、その様を見たアレクサンデルが振り向いてみればクロがすう、と手を翳していた
「あーあ、結局大事になっちまった。」
ここで店主がすたすたと前にでてカルリトスを見下ろす。
「こちらには「仏の顔も三度」ってことわざがありましてね、私の事はともかく他のお客さんに手を出したとあっては寛恕できませんな。カルリトス王子、あなたは入店拒否にさせて頂きますよ!アレクサンデルさんお願いできますか?」
「いいぜ…ああうるさいな、喚くなよ兄ちゃん…あばよ!」
アレクサンデルは泣き喚くカルリトスの襟首を掴むとそのまま扉まで引き摺り、彼にしか分からないやり方でカルリトスを立たせるとアルトリウスが開けていた扉からこれを蹴り出したのだった。
「ま、待てェーッ!」
ようやく振り向いたカルリトスの前で扉が消えた、扉にしがみついた彼はそのままつんのめって倒れ伏す…
「…待て、待ってくれ…待ってくれ…詫びる…詫びるから…頼む……う‥うわあぁぁーっ!」
痛み以上の悔恨と喪失感に泣き伏すカルリトス。それが何なのかは分からない、だが確かに自分は何か取り返しのつかない事をしたのだ…頭でどれほど否定しようとも心と体の一番深いどこかがそう告げていた。
さて、怪我の手当てを済ませたカルトリスが最初に取り掛かったのは11国の言うところの「戦犯」…グスターボ独立中隊 その最後に残った15人を「処理」する事…彼らの労をねぎらうという名目で開いた宴で毒を盛ったのだ。
「ペッ!!!、野郎ども吐けッ!毒だァーッ!!」
ドロテオが尋常な武人でなかったところはグスターボに毒物の味についてもみっちり仕込んでいた事だった(若い頃敵国との交渉の席で毒殺されかかった事があったそうな)が遅すぎた、彼以外は全て喀血して崩れ落ちている。グスターボは一番近くにいたあの神官候補生の襟首を掴んで起こすが…彼は、
『どう…し…て…』
この一言を残してこと切れた。その彼を必死に揺さぶりグスターボは叫ぶ
「おい死ぬなぁーッ!死ぬんじゃねぇっ!お前にはまだカツドンを奢ってねえんだぞっ!」
…そこからグスターボは一匹の修羅と化した。後ろから剣を振り上げた近衛兵の喉に隠し持っていた太い針を突き立てると瞬時にその剣を奪い、次の2人の斬撃を彼を盾としてしのいだ後一人の親指を切り落とし、返す剣でもう一人の頸動脈を絶つ…1対多数の白兵はお手の物、止めを刺す事は初めから度外視して指を、腕や足の筋を、目を切り戦闘不能とする、切り伏せた者や鍔迫り合いに至った相手を盾とし切れ味の落ちた剣はそのまま相手に突き立ててその剣を奪う…死者と重傷者の山を築きつつ一歩一歩カルリトスに近づいていくグスターボだが終わりは唐突にやってきた、ついに彼も血を吐いたのだ。それでも更に3人を切り伏せた後どう!とぶっ倒れたグスターボに青くなった顔に憎々し気な表情を浮かべたカルリトスは近づいていく。
「クズが、てこずらせおって!」
ここでグスターボがカッと目を見開いた、そして血交じりの唾をカルリトスの顔に吐きつける!
「オレがクズ…ならあんたは外道…よ…あっちで待ってる…ぜ…」
「ウワァァーーッ!!」
カルリトスはグスターボに剣を突き立てる!、1回、2回、3回…ザク!ザク!ザク!…
「で、殿下、もう死んでおります!」
「やかましいっ!!死ね死ね死ねっ!…わははははーッ」
そしてグスターボの首を自分自身で搔き切り(剣2本を折った)その場に放り出すと死体を始末せよと言い放ち笑いながらその場を去った…生き残った近衛兵たちがどんな目でその背中を見ているかも知らずに…
グスターボ以下15名の首を差し出し、系図と年代記をデヴァンクールで焚書したカルリトスの右手の指4本がない理由をキッドとエレオノーラだけは知っている。憎々し気なその視線をエレオノーラはしっかりと受け止めていた。
そして復讐を胸にジャロウデク王都に戻ったカルリトスを待っていたのはクーデターだった。玉座の間に入ってみれば遠縁の甥(王位改め公位継承権5位)の少年が玉座に座っている、何の真似だと誰何してみれば『もう我々は貴方を王改め公とは認めない』との返答、怒りと侮蔑のままに近衛兵達に『謀反人共を殲滅せよ!』と命じたのだが、彼らの剣は全て自分に向けられた。
「貴様ら、このカルリトスの恩を忘れたか!」
「恩、恩ですと!?」
近衛隊長がカルリトスにつかつかと歩み寄ると鞘に入ったままの剣で彼を殴り倒した
「王国を守る為に勇戦した騎操士達をあのように殺した貴方にそんな事を言われる筋合いはない!今度は我々の番ですかな!?」
そして即決裁判が行われた、カルリトス・エンデン・ジャロウデク及びカタリーナ・カミラ・ジャロウデクは全身分を剥奪の上「追放」=法の保護外に置かれたのだ。その印として頭は剃り上げられ2度と髪が生えないよう有毒の魔獣油が塗られ、破門者として大神官により両耳と鼻がそぎ落とされたのだった。
「…大神官、貴様もか!?」
「殿下、いやカルリトス。息子の恨みを晴らさせてもらいますぞ…あんたが毒殺した神官候補生はよんどころない事情で別れた先妻の子でしてな…」
「な!?ギャァァーーツ!」
そして2人は素っ裸で城門から叩き出された。町の住人や村人が2人を見つけるなり石礫の雨あられで追い立てたのは当然だが、彼らは乞食をすることも身を売る事もできなかった。乞食や売春婦にもそれぞれの仁義と縄張りがあり「追放者」を受け入れる事などありえない、彼ら及び彼女らに袋叩きの目にあって街道をさまよっていたカルリトスとカタリーナだったがたまたま成功した美人局(つつもたせ)が罠となった、獲物の分け前での口論の挙句カルリトスはカタリーナを撲殺してしまったのだ。
「あ、兄上…」
「うわぁぁぁーっ!…カタリーナ…カタリ…ギャァーツ!」
血塗れで自分を見上げるカタリーナの顔にグスターボの死にざまを見てしまったカルリトスは彼女をズタズタになるまで殴り続けたのち我に返った…ついに妹を手にかけた挙句どこをどう走ったかある村にふらふらと入ってしまった彼は呆けた顔で外にいる者は誰一人いない村の道を歩くうちに2階から複数の石臼が投げ落とされ、うち1つが肩を砕く!倒れ伏し絶叫してもだえ苦しむ彼に三々五々と現れた村人達…ほとんど女性、男は戦争から帰ってこなかった…犂鍬鎌その他もろもろで袋叩きとなり、冒頭の状況につながるというワケである。
…やがて扉が消え、支えを失ったカルリトスの骸は谷底へ落ちていった。願ってもないごちそうに群がる食肉獣たち。骨の髄も脳みそも啜られ、ばらばらになった骨…春がきて草が繁茂してそれを覆い隠していった…
絨毯一枚にも満たない骨が散らばったその土地…それが10代にわたる妄執の果てにジャロウデクの最後の王が得た全てだったのである。
こういう雰囲気の話は書く方もしんどいということに改めて気づきました。
いうなればこれはナイツマ世界の架空歴史もの、好き嫌いがはっきり分かれる代物だったようです。
私はジャロウデクを春秋戦国時代の秦、クシェペルカを同時代の斉のイメージで考えています。秦という国は「周王家だけが行い得る筈の天を祭る儀式を建国以来代々密かに行い続け」天下に対する野心を持ち続けてきたとか(by宮城谷昌光)…その帰結が始皇帝による統一となったワケですが…カルトリスはこれにしくじった始皇帝=秦王政にして「悔い改めなかったスクルージ(by C.ディケンズ)」のイメージでキャラを作りました。
次回は「新年営業の来店者たち」です。
異世界食堂のフォーマットに従い、料理を素直に楽しんでくれる方々を書くつもりですのでもう少しお付き合いください
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外伝5#新年営業の来店者達
むくり…アルフヘイムの奥の院で大老(エルダー)キトリー・キルヤリンタは体を起こし立ち上がった、無論異例の事であるが、毎年繰り返されているという意味ではそうでもなかったりする。
『我ながら、らしくもない事を毎年続けているものよ…』
キトリーは一人ごこちた…齢数百年を経て研ぎ澄まされた彼女の体内時計は正確無比、更には月の満ち欠け、日光が作る影の長さと角度はもとより太陽とこの大地の距離を重力の強弱で感じる事ができる彼女は今日がその日であることを確信している。あの店で出される至上の甘味もさることながら自分よりはるかに年上‥千年の齢を数える「友人」との年に一度の出会いとお互いの思索の交換は究極の面倒くさがりの彼女をすら動かすものだった。キトリーはあらかじめ準備させていた銀貨を手に取ると奥の院に現れたその扉を開けた、チリンチリンというベルの音…言わずと知れたねこや、異世界食堂の扉である
Menue-Z5:お汁粉(白玉団子version)
コツン、コツン…普段は喧噪に満ちてはいるが1月1日 年の初めのこの日、誰もいない国騎研(ラボ)をガイスカ工房長は穏やかな笑みと感慨を胸に歩いていた。
『まるでこの世界にわし一人しかおらぬようじゃなあ…』
廃材はかたづけられ、再生可能なものとそうでない者は分別され、治具工具はきちんと整理されて収まり、幻晶騎士も普及型幻晶甲冑(モートリフト)も定位置にある、事務所に行けば全ての管理台帳が作成されており、何処に何がどれだけ存在するかが直に分かる…去年ラボを挙げて計画し、半年がかりで行ったラボ全体の整理と清掃の結果である。
ガイスカはただ一点、これを年内に終わらせる事にだけは拘った。理由はただ一つ、今年いっぱいで引退する前にこんな工房を歩きたかったのだ…
フレメヴィーラの新年はそれぞれの家で静かに家族縁者が集まってささやかなご馳走を囲み、静かに今年の安全・無病息災・豊作豊漁・商売繁盛を祈る日である。冬至とほぼイコールのこの時期には多くの魔獣は冬眠状態にあり、襲撃もかなり減る、無論ゼロではないのだが当直の騎操士達にも一杯の温めたワインが振舞われる…そんな静かな数日である。
だからここで働く者たちも全て帰省している中、ガイスカは気の向くままにあちらこちらに足を運び、時に足を止めてその整った有様を眺める…稼働すればたちまち喧騒と共に散らかるであろうが、今だけはこの光景は自分だけの物なのだ…と思っていたのだが。
「うん?」
こん、こん、こん…
ガイスカは耳を澄ました、最初は空耳かと思っていたが確かに足音が近づいてくる。やがて現れたのは。
「オルヴァー所長?」
「あれ?ガイスカ工房長…?」
双方ともにびっくりしていた、どちらも誰かにここで会う事を全く予想していなかったのだから当然である…
「新年早々何用ですかな?」
言葉遣いこそ丁寧だが明らかにむっとした口調と表情でガイスカはオルヴァーに尋ねた、正直待ちに待っていたこの状況に土足で踏み込まれたのだから当然だろう、だがオルヴァーの反応はガイスカの予想を超えていた。
「ああそうか、工房長はここでお一人の時間を楽しんでいたんですね?
邪魔をして申し訳ない、お詫びいたします」
オルヴァーは手を胸に跪いて頭を垂れた、長身を折ってガイスカの目線までへりくだった最大級のお詫びの姿である、年の功というべきか口調も態度も心からオルヴァーが詫びているのがガイスカには分かる
「あ、いや…お手をお上げ下さい。」
謝られたガイスカがかえって恐縮してしまった…かつてガイスカはオルヴァーを「王に取り入って所長に収まったいけ好かない若造」という目で見ていたが、偏見を取り払って見ると一見若い彼がどうも妙な人物であると考えるようになっていた。豊富な知識も対人関係の機微も『老練な』という形容がピタリとくる…実は見た目よりずっと歳月を経ているのではないかと…まああまり踏み込むのも非礼であるし(こう考えること自体ガイスカが相応にオルヴァーを信用するようになっていたという事である)近く引退する自分がとやかく言うべきでもないだろうと思っていたのだが、流石に気になってしまった。
「所長、あなたはいったい…?」
だがオルヴァーはその質問にはあえて答えず、にっこりと笑ってガイスカにこんな提案をした。
「どうでしょう、お詫びに軽い食事に付き合っていただけませんか?無論私の奢りです。」
「…別に構いませんが…いったい何処で?」
このあたりの店が全て休みである事を知らぬはずはないオルヴァーの提案だが、どう見ても聞いても本気である事が分かる。困惑するガイスカをオルヴァーは笑顔で促した。
「まあ一緒に来てください、実はここに来たのはその店に行く為だったんですよ。」
ぽかーん…ガイスカはその扉の前で言葉もなく佇んだ。以前廃材が山積みになっていた平地(今はすっきりと整理されて人が通れる)にやってくるとオルヴァーは魔法で見事に枯れ草を焼いて道を開いた、しかも杖を使わずにである。その道の先にあったのがその扉だった。
「い、いったいこの扉は!?」
その存在もさることながら扉に取り付いてそのものの作り…板や塗装、見事なまでにすべらかなドアノブの構造に目を見張っていたガイスカにオルヴァーは告げた。
「これは異世界食堂『ねこや』への扉。さあさあ参りましょう」
チリンチリン…
「いらっしゃいませ、洋食のねこやにようこそ…あ、新顔の方ですか?」
「いや、ずいぶんとご無沙汰していた者さ。君は最近雇われたんだね?」
「はい、アレッタと申します どうかお見知りおき下さい。」
「おや、オルヴァーさんでしたよね?お久しぶりです…前に来られたのは爺さんが他界した直後でしたからもう10年くらいになりますか?」
「ええ、諸般の事情で使えなくなっていた扉がまた使えるようになったので久しぶりにこちらの味を楽しむのと、それから…」
「キトリーさんですね?奥におられますよ。」
「みたいですね、後で挨拶に行きます…早速ですがお汁粉をお願いします」
「わかりましたが…お連れさんもお汁粉で宜しいんでしょうか?」
「ええ」
ここで店主はガイスカに視線を移したのちこんな問いかけをした。
「ご老体、お汁粉なんですが『白玉団子』で宜しいですか?」
「…ああ、エルダーと同じものですね?工房長、その方が確かにいいですよ」
状況をまだ把握できていないガイスカは店主とオルヴァーの勧めにこくこくと頷くしかない、「まいどあり」の声と共に厨房に下がる店主を見送ってオルヴァーの引く席に着き、彼からここの説明を受けて驚愕しつつもとりあえずは納得した。
「所長、『諸般の事情』とはもしかして…?」
「ええ、扉が廃材に埋もれてたからです。まさか『異世界への扉があるからこれをどけてくれ』とはいえないですからねぇ~」
「ですな…」
冗談めかした口調で肩を竦めるオルヴァーにガイスカは頷くしかなかった。
「さて、工房長はここでお待ちください。私はちょっとご挨拶をしなくてはならない方がいますので…はい?…よろしいので?…承知しましたエルダー」
声の聞こえない誰かと会話するような―奇妙に丁寧なオルヴァーの独り言に目が点になるガイスカ、そんな彼にオルヴァーが改まった&真剣な表情でこう言った。
「エルダーがあなたにもお会いしたいとの事ですが、これからの事はあちらでは他言無用に願いますよ、私の事も含めてね」
そう言ってオルヴァーはターバンを外した、
「しょ、所長っ!?あなたは!」
そしてガイスカはこの異界にぽっかりと出現した人外魔境にいた。目の前にいるのはその正体を現したオルヴァーと明らかに彼の同族だがどこか透き通ったような髪の色といい造形がおよそ人間離れ・・・否本当に生きている存在なのか解からない女性(?)と、男女各一人・・・長く尖った耳はまだいい、女性の方は異様なまでに透徹した眼差しを含む顔が人というより研ぎ澄まされた彫像を思わせ、こちらも本当に生きている人間(?)なのか甚だ疑問である
「エルダー、こちらは国騎研の工房長 ガイスカ・ヨーハンソン殿です」
「衛使オルヴァー、お主の部下であるな?…我はアルヴの長(おさ)大老キトリー・キルヤリンタ」
「…初めまして…」
声も口調も、およそ人間が語っているとは思えない。一応挨拶はしたものの何をどう言ったらいいのか判らないガイスカはオルヴァーともう一人の金髪の男性(まだ生きている存在だと実感できる)に視線を回した…そこへ出し抜けに黒髪の女性がどこか冷ややかな調子で口を開く。
「我はセレナ。異郷のドワーフであるガイスカよ、ここに汝を呼んだのはこれから語る事の証人とするためだ…クリスティアンよ。」
「はいセレナ。オルヴァー、早速ですがとうとう我々が一つの大地…惑星の住人である事を突き止めた者が現れましたよ。」
「そうですかついに…どういった経緯で?…ははあ成程、又エルネスティ君が関わっていましたか?それにヴィクトリア女史、魔女姫殿が絡んで?…ある意味当然の成り行きですねぇ~。」
くっくっくと面白そうな笑いと共にクリスティアンの報告に相槌を打つオルヴァー、二人の会話中の情報量がとっく飽和状態で飲み込めないガイスカへクリスティアンが更に情報を積み上げる!
「それからセレナとそちらの大老(エルダー)殿がついにセットルンドと東西大陸間の距離算出を完了されたそうですよ。なんでも東大陸最東端から方角は××度、直線距離で×××、ほぼお互いに惑星地表の反対側に近いそうです。」
「ほほう!エルダー、セレナ殿、とうとう10年越しの課題に決着がつきましたか!?おめでとうございます!」
オルヴァーが跪いて頭の上で合掌し、そのまま頭を下げる‥アルヴの民の最上の礼である。そのあとセレナに向き直って口を開いた
「セレナ殿、アヴルヘイム謹製の魔法動力の月齢表記付き万年時計はお役にたったようで何よりです、我々としても作った甲斐があるというものですよ。」
「うむ、冬至・夏至・春分・秋分の日の出日の入りの方向と南中の角度、それぞれの時間。月の満ち欠けの周期と出入りの時間、いずれも正確な時計がなくては観測が意味を持たない。あいにくと私はキトリー殿と違って時間や天体の位置を感知する感覚を千年を超える齢の中で磨いてはこなかったのでな。重宝させてもらったぞ。」
「ちょ、ちょっと待って頂きたい!今までの話をお聞きする限り我々が住むセットルンド大陸の西×××離れた先にそちらのセレナ殿やクリスティアン殿、他来店者達の住まう3つの大陸があるという事ですかな!?」
蚊帳の外で混乱状態にあったガイスカがようやく立ち直って半ば悲鳴を上げるように割って入る!
「その通り、ようやく理解したか?…ドワーフの融通の利かなさはそちらでも変わらぬようだのキトリー、オルヴァー。」
「なんと!いくらなんでもその言い方は!?」
「まあまあ、セレナ殿は随分な年月お一人で生活されているそうですから、ここは穏便に…おや、これは間がいい」
ドワーフに対するエルフの特有の冷ややか あるいはつっけんどんな態度そのままのセレナの物言いに噛みつくガイスカを宥めにかかるオルヴァーだったが店主とアレッタが注文の品をもって来たのに安堵する。
「うちもカフェ・ドゥ・フロールやル・ドーム・モンパルナス並みの店になったという事ですな~」
「なんですかそれは?」
店主の笑いを含んだ呟きにクリスティアン&オルヴァーが異口同音に尋ねる、その場の空気を収める為か意図的に冗談めかした口調で店主は続ける。
「もう100年位前からある海外‥こちらの外国であるフランスはパリのカフェ…まあコーヒー店ですがね、当時は無名で懐がからっけつだった芸術の巨匠とか文豪とか大学者とか今たたえられている面々が一杯のコーヒーや安酒でたむろして激論やら与太話やらで日がな一日時間をつぶしていたっていう店です。他に2 3件ありますよ。」
「激論はともかく与太話というのは聞き捨てならんぞ店主?」
「失礼いたしました」
なんとなくそのあたりの機微を…クリスティアンの目配せもあって…感じたらしいセレナのさほど強くもない抗議に店主が一礼する、そしてようやくアレッタが口を開く事ができた。
「えーと…お待たせいたしました。セレナさん・クリスティアンさん・オルヴァーさんには餅、キトリーさんとガイスカさんには白玉団子のお汁粉です」
「…」
真っ黒な中に白玉団子の鮮やかな白、何よりも蒸せるような甘い匂い…異世界の菓子に口をつけるのを躊躇しているガイスカは何とも言えない表情で何の躊躇もなくお汁粉を啜っている他4名を上目遣いに眺めていたが、ついに腹をくくって匙を口に持って行ったが・・
「うぷっ!?」
「やはり甘さに驚かれたようですね?」
相変わらず面白そうな笑いを含んだオルヴァーの言葉…数秒後立ち直ったガイスカが叫ぶ
「こ、こんな甘さ…いったいどれ程の砂糖を!?…まさか価格は金貨では!?」
「いやいや、こちらの世界では砂糖はとても安価ですよ。ビート(砂糖大根)より糖分が濃い『サトウキビ』というものから作るそうですが南国で集中栽培されて大量生産されているそうですから。」
「…」
暫し絶句していたガイスカだったが目の色を変えてがぶがぶとお汁粉をかき込み始めた!、その途中で白玉団子を口にするが…噛むとホロリと崩れ、ほのかな甘みがお汁粉の甘さをリセットしてくれて更に食が進んだのだった。
「気に入っていただけて何よりです。おかわりはいかがです?」
「いただきましょう!」
「まいどあり!・・・ああそうだ、おかわりの前に口直しの塩昆布をどうぞ。」
「? 所長これは?」
ガイスカは小皿の塩昆布をきょとんとした顔で眺めた後オルヴァーに質問したが
「店主のおっしゃる通りの口直しですよ。コンブという『海藻』の干物を煮詰めて作ったものでしてね…ああご心配なく、この国は海産物の豊富な島国でして、日々の食事の副菜としてありふれた食材ですから。」
オルヴァーの説明に半信半疑のまま塩昆布を口に入れたガイスカが塩辛いだけではないその旨みに驚愕したのは言うまでもない。
「どうぞ、おかわりです」
「どうも店主殿…一つだけ質問があるのですがよろしいかの?」
「なんでしょう?」
ガイスカはオルヴァー・セレナ・クリスティアン、そしてキトリーのお汁粉の椀に目をやった後、真剣な表情で店主に向き直った。
「お汁粉に入っているのが所長やそちらのセレナ殿・クリスティアン殿は『モチ』という物だそうですがワシとキトリー殿が白玉団子というものなのは何故です?…いやワシもあれを食べてみたいと思いましてな。」
「ああ成程、理由は簡単です、あなたやキトリーさんに餅が危険物だからですよ。」
「はあ!?」
事情が呑み込めないガイスカに店主は明るいが真摯な表情で続ける。
「ガイスカさん、あなたはかなり多くの歯を失っていらっしゃる。餅はご覧の通り伸びる食材でして、噛み切ることができないと喉に詰まらせる危険があるんです。実際こちらの世界では歯を失い、或いは噛み切る力の衰えた高齢の方がのどに詰まらせて亡くなる事故が後を絶たないんですよ。」
「大老キトリーはもう咀嚼するのも面倒になってしまっています、餅が危険なのは同様ですのでね。」
「左様でしたか…ご配慮ありがとうございます。」
「どういたしまして」
ガイスカは今度はゆっくりと味わいながらお汁粉を啜っていたが、オルヴァーにしみじみと呟いた
「所長、料理の腕もさることながらあのご店主の客への配慮は見事なものですなあ~」
「ええ、先代もそうでしたが見事なものですよ」
さて、かくてガイスカもめでたく(?)ねこやの常連になったのだが彼が嵌ったのは…
「おじさま、今日はパフェではないのですね?」
「左様殿下、今日はまずシュークリーム、そのあとチーズケーキを注文するつもりですわい」
「じいさん分かってるねぇ!」
「…甘党のドワーフ…」
「情けない!」
ギムレとガルドの冷たい視線もどこ吹く風、アーデルハイド・アリシアらとニコニコと話を弾ませるガイスカであった。
…暫しの後、ガイスカは来店したデレシアと鉢合わせして、祖父がいきなり甘党になったのと引退したにも関わらずやたらと工房に顔を出す理由を知られて1月ばかり(デレシアがシュークリームにハマるまで)口をきいてもらえなくなった…てなことがあったのだがこれは余談である。
随分間が開いてしまいましたがいかがだったでしょうか。
次回はグランドフィナーレとなります。
エル君とアディは原作でとうとう結婚しました…めでたい!のですが先を越されたのはいささか残念です。
次回は二人の結婚式前の一場面です
「マリッジブルー:エルネスティ・エチェバルリアの告白」
お楽しみに
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外伝6#マリッジブルー:エルネスティ・エチェバルリアの告白
「? おい銀色坊主、この図面、ここの計算間違ってないか?」
「え?…あ、本当だ…ごめんなさい親方。これは…」
「しっかし珍しいこともあるもんだ、あいつがあんな間違いをするとはよ…ここ10日で3件目だぜ
…体調が悪いようでもないしどうしたんだろうな?。」
「ヘブケン、あんたバカかい?」
「おい、そりゃどういう意味だ!?」
心底不思議そうに首を捻るダーヴィドの様子に心底あきれ果てたという表情でデレシアが言った。やや不機嫌な表情になったダーヴィドに何の遠慮も躊躇もなく続ける
「アディとの挙式までいよいよ二カ月を切ってるんだよ、マリッジブルーに決まってるじゃないか」
「あいつがかぁ!?…」
その言葉自体は知っているが・・半信半疑というよりは一信九疑という表情のダーヴィドにデレシアは更に畳みかける。
「アタシの大団長との付き合いはあんたみたいに長くないけど大団長がありとあらゆる意味で常識ってヤツをすっとばした変人なのはシルフィアーネの件でよーく分かったつもりさ。
だけど『結婚』はぶっちゃけそれすら凌ぐ人生の大事(おおごと)だろ?色々と悩む所や想う所があって当然じゃないか?」
「そういうもんかね?」
「そういうもんさ。ま、正直安心したよ、大団長も人の子だってことにね。」
「そーいやそうか。」
うんうんと頷き合うダーヴィドとデレシア…結論から言うとデレシアの推測は半分間違っていた、エルがアディとの結婚にあたって悩んでいるのは事実だったがその悩みの内容というのがおよそ普通ではなかったのである。
「父様、母様、おじい様、お聞きしたい事があります!」
ここはエチェバルリア家の食卓、久しぶりに帰ってきたエルの為にセレスティナが腕を振るった夕食の場でこの上なく真剣な表情のエルが口を開いた
「アデルトルートさんとの結婚に不安なのね?エルネスティ。」
ちょっとびっくりした表情でエルは母であるセレスティナを見つめた、そのあと父であるマティアスと祖父であるラウリに視線を移す、この問いかけがあるであろうことをあらかじめ予想し、穏やかな中に真摯…自分の不安に全身全霊で向き合おうとしてくれている3人にエルは心から感謝しつつ問いかける。
「はい、僕は父様も母様もおじい様も他の皆さんも見ての通りの人間です、アディはそんな僕で…というよりは僕だからいい、と言ってくれました‥僕はそのアディの想いを受け止める事を決めたんです、でも…父様と母様は職場結婚だったんですよね?…物凄く失礼な質問なのは承知の上でお尋ねします、後悔されたことはありませんでしたか!?」
「ないな」
「ないわ」
二人の即答に驚愕するエル、そのあと二人は互いに微笑み合う…その光景にエルは思う
「アア、ボクハコノ御二人ノ子供ニ生マレテ良カッタ…」
…ライヒアラでは事あるごとに未婚教職員を集めてのパーティがある、学部が違えば顔を合わすことがない広大な学園で出会いの場を提供する為だが、教師の多くは中~下級貴族や富農・豪商の家出身であり、家同士のやりとりの中であらかじめ相応の段取りがついているのものなのだ。
「あの時もワシが引き合わせた5人の候補の内、セレスティナの眼鏡にかなったのが婿殿であったのだよ」
「マティアスとは半年程お付き合いして、この人ならと決めたわ」
「私から求婚したのだが、あれは明らかに乗せられて、だったなぁ~」
ここでマティアスはエルをちょいちょいと手招きして耳元で囁いた
「それ以来夫婦生活の主導権を持っているのはティナの方さ、婿養子という立場を割り引いても『尻に敷かれている』という状況は否めないな~」
「やっぱり…」
「あーなーたー。」
「ま、これほど左様にわが奥方様は恐るべき御仁なわけだ。」
これ見よがしの男同士の会話に凄んで見せるセレスティナとそれに肩を竦めて見せるマティアス…そこに垣間見える二人の信頼関係にエルは脱帽せざるを得ない。ここでセレスティナとマティアスがエルを正面から見据えて口を開いた。
「あなたの父様はお付き合いを始めてから今に至るまで私にありとあらゆる事で『誠実』あるいは『誠意』を貫いてくれたわ。女として妻としてこれ以上何を望む必要があるかしら?」
「エルネスティ、『愛』そして『結婚』とは感情ではなく『意志』、特に男にとっては『義』だ。夫婦生活は決して平坦なものではない、私達にもすれ違いや喧嘩もままあった…結婚式という『儀式』はだから必要なのだよ、今後いかなる事があろうともお互いに誠意を貫いて行くと宣言する、すなわち『義』を立てることを近親者を含む多くの人たちと超越者に誓う為に!…逆に言えばそれほどの事を行わねば継続する事能わないのが結婚というものだと私は思う。」
「‥ありがとうございます父様!母様!おじい様!迷いが晴れました! 僕もアディ アデルトルートに誠実を尽くします、尽くし続けます!」
立ち上がってほぼ90度に一礼するエル!そんな息子&孫の姿に微笑みながら両親&祖父は力強く頷いた
「さあさあこの話はここまでにしましょう、料理が冷めてしまうわ」
「はい母様、いただきます!」
…セレスティナもマティアスもラウリも知らない、エルの言うアディに尽くすべき「誠実」の内容が一体何なのかは…
Menue-Z6:ビールセット&カツカレー再び
「皆さん、明日の『ドヨウの日』は僕とアディだけで行かせて下さい」
「…残念だが仕方ねえな」
「ヤボは言いっこなしだよヘブケン、二人だけで話したいことが色々あるだろうさ」
「披露宴用料理の相談と予約もしてきます、楽しみにしていてください!」
「そいつはいい!」
「異議なーし!」
バトソンを含む鍛冶師全員が唱和したのだった。
チリンチリン…
「いらっしゃいませ、洋食のねこやにようこそ!今日はエルさんとアディさんお二人だけなんですね?それに時間も」
「いらっしゃいエル君、頼まれた席は開けてあるよ。」
「ありがとうございますマスター」
「あ、そうか…もうすぐお二人は結婚するんだから色々お話をするんですよね?前にも申し上げましたがお幸せに!」
「ありがとうアレッタさん、アディを席に案内してください、僕は少しマスターと話がありますから。」
「はい、アディさんこちらへ」
「エルくーん、なるべく早くこっちに来てねー」
アディはエルを一度ぎゅっと抱きしめた後、アレッタの案内で一番奥の席へ向かった。
…オルヴェシウス砦で皆に振舞うパーティセットの中身はもう決めてある、正式な注文を書いた紙を渡された後店主が口を開いた。
「いよいよあの件を話すんだね?」
「はい…賭けみたいなものではあります」
「分のいい賭けかな?」
「五分五分でしょうかね」
「がんばれよ」
「ありがとうございます」
エルと店主はニカッと笑い合い、サムズアップを交わした。
時間は17時少し前、お菓子と夕食の端境…アルトリウスがいるのはともかく何故か暦さんがカウンター席にいた
「うーん、少し夕食には早いよね?私ショートケーキとコーヒーにする。エル君は?」
「ビールセットをお願いします、大ジョッキで。」
「はーい、マスター注文入りました」
「了解!…流石に素面では無理か…」
店主の呟きにアルトリウスと暦が頷いた
「どうぞ、ビールセットとショートケーキセットです」
アディの前にはイチゴの赤も鮮やかなショートケーキとコーヒー、エルの前にはビールの大ジョッキと枝豆・ソーセージとフライドポテトが並ぶ
「じゃあアディ、乾杯しましょう!」
「うん、乾―杯!…へ?」
軽く打ち合わされるコーヒーカップと大ジョッキ、コーヒーカップに口をつけたアディは唖然とした表情で固まった。目の前でエルがゴクゴクと大ジョッキを飲み干しにかかっている。そして…
「ぷはぁーっ!やっぱりビールは生ジョッキに限りますね~・・・ねえマスター、こちらの生は何処のやつです?」
「×××ビールだよ。」
「ビンゴ!嬉しいですねぇ~!そうだアディ、枝豆食べてみませんか?流石に『丹波の黒大豆』とはいきませんが普通の大豆もオツなものですよ~」
「う、うん…」
鞘に入ったままの枝豆を渡されて困惑しているアディにエルは笑いながら「こうやって食べるんですよ」と言って鞘を抑えて中身を口に入れて見せる、基本器用なアディは直にまねして口に入れて…野菜の新鮮さと豆の甘味を併せ持つその味は素晴らしかったが、それ以上に彼女を困惑させていたのはエルのその場とビールセットへの尋常ではない(『エル君だからな~』で納得できるレベルではない)馴染み方である。
もろもろの考えと記憶が頭の中をぐるぐると駆け巡った後、あてはまったのはギムレとガルド、ダーヴィド親方の姿…アディがボソッと呟いた
「なんだかエル君、オジサンみたい・・・」
・・・泣いているのか笑っているのか…べそをかいているような顔で笑っているエル。アディはその時のエルの表情を生涯忘れなかった、忘れられなかったと言っていい。
「ええそうです…ねえアディ、僕はオジサンなんですよ。あなたやキッドより少なくとも28は上ですから今40代ですね~」
普通なら「冗談ばっかり~」とか笑って流すような話だがアディは笑えなかった、エルネスティという人物はおよそ冗談とは無縁、彼の言動はいつでも『本気』なのである(それはそれでとてつもなく厄介なのだが)。更に困惑して黙ってしまったアディにソーセージとポテトを勧める。『量産品と冷凍もののはずですがこれもいけますよ~』という言葉の後、エルは一つ咳払いをすると口元は笑っているがまるで笑ってない目でアディを正面から見据えて口を開いた。
「アディ、これからオトギバナシに付き合ってください。」
「オトギバナシぃ~!?」
「はい、オトギバナシです、少し長くなります・・・あちら、セットルンドであなただけに話す 母様も父様もおじいさまも知らないオトギバナシです…。」
エルが語り始めたのは…この世界にかつていた‥生きていた「倉田翼」という人物の生涯である。
「‥彼が生まれたのは、遠い昔この国の中心だった…都があった地、今は古く巨大な墓とこれまた古い寺院が残るだけの街、名を『奈良県斑鳩(いかるが)市』という地でした」
「…『いかるが』ぁ~?なんでイカルガと同じ名前なの?」
「当然です、イカルガの名はその地の名をつけたんです。彼のルーツを」
「え、ええぇーっ!?」
エルの語りは続く、小学生の頃のポケットコンピューターとの出会い。プログラムの面白さにのめり込み、学んで、実行して、失敗して、学んで、改良して、実行して…やがてこれを職として「最終防衛ライン」の異名を持つ達人となって行く光景を…
「ぷろぐらまーって、構文士の事なの?」
「はい、アディも知っている通りこの世界は『電気』というもので動いています。ありとあらゆる動くものを制御する電気の術式ですね。
ところで彼にはもう一つの側面がありました、趣味の領域です。これがまた一風変わっていましてね…」
魔法も幻晶騎士も現実にはない世界、だが虚構の世界は魔法とロボットとそれらが活躍する物語があふれている世界、物語の中のロボット(『幻晶騎士と同じものだとまあ考えてください』とはエルの台詞)を形とした『プラモデル』を作るのが彼の趣味…
仕事と趣味、倉田翼はこの二つの、二つだけの世界に生きる人間だった。
その日も厄介な仕事を見事に捌いて次は趣味に没頭しようとした帰宅時での事故、そして死・・・最後によぎった思いは
「ああ、積みプラモ結局消化できなかったな~」
だった。
「普通ならこれで話は終わるんですがね、オトギバナシはこれからが本番なんですよ」
「…」
何なのかもわからない喪失感を持ちつつぼんやりと生きていたその幼児は運命の出会いをする、彼が今生きている世界は魔法とロボット(=幻晶騎士)が存在する世界!記憶が、或いは回路が繋がった!そして彼は動き出す、本物のロボットを手に入れ、これを操縦するという唯一無二の目的に己が人生の全てをかけて!
魔法を、剣を学んで…やがて魔法術式が魔法動力のプログラムである事を看破し、学んで、実行して、失敗して、学んで、改良して、実行して…
やがて鍛錬の途中、彼は屋根の上で家出を目論む双子の兄妹と出会った…
「彼のそこから先はアディもよく知っている通りです。」
アディの頭の中でエルの語ったオトギバナシがぐるぐると渦を巻いている…長いような短いような沈黙の後、彼女はようやく口を開いた。
「…じ、じゃあエル君はそのクラタって人なの!?」
「うーん、そうであるとも言えますし、そうでないとも言えます…確かに僕は彼の一番コアな部分―ロボットオタクと凄腕プログラマー―を引き継いで生きていますがセットルンドで生きてきた15年を超える人生は全て僕にとって事実あり真実です、僕はマティアス・エチェバルリアとセレスティナ・エチェバルリアの息子でアーキッド・オルターやバトソン・テルモネンの友人、銀鳳騎士団の大団長…そして今現在の所アデルトルート・オルターの婚約者であるエルネスティ・エチェバルリアです。」
…そう語るエルの顔をアディはじっと見つめていた。エルは相変わらず笑顔だったがそれは明らかに作り笑いだった、そんな表情のエルをアディは見たことがない…
「だからでしょうかね、こっちの…倉田翼の両親や兄弟、友人や仕事仲間達の事はあんまり思い出すことがないんですよ。薄情な話とは思いますがこちらで僕は完全無欠の死者ですからそのあたりは割り切っているつもりです。
…アディ、僕はこういう凄くおかしな人間なんです、この話を聞いても僕と…その…!?」
エルの言葉が途切れたのは、席を立ったアディがエルの後ろに立っていつもやっているように彼を抱きしめたから…あの時と同じく身体強化までかけて…アディは感じる、エルの震えを…だからアディはエルを抱きしめる、強く!強く!
「エル君、私わかったよ、親方やヘルヴィ中隊長にエル君が言った『僕はエルネスティ・エチェバルリア、あなたの見た通りの人間です』って言葉の意味…どうして私に打ち明けてくれたの?」
「…奥さんに人生の重大時を伏せておくのは…不誠実ですから…」
「うん、ありがとうエル君…私を信じてくれて。凄く嬉しいよ。
私は『エルネスティ・エチェバルリア』が大好き!愛してます。」
それがエルの誠意へアディの全身全霊をかけた返答だった。エルの表情が花が咲いたように明るくなる…が
「あの、アディ…ちょっと苦しいんですケド…」
「あ、ごめんごめんエル君。」
アディのホールドに危うく落とされるところだったエルは席にもどったアディを前に大きく深呼吸をしたあとこういって席を立った。
「正直安心しました…で、安心したらちょっと気が抜けてしまいまして…お手洗いに行ってきまーす!」
ポツ、ポツ…
小用を足した後 手を洗うエルは蛇口を既に閉じているのに洗面台に落ちる水滴を見つけた。あれ?と思って正面の鏡を見てみると…
「…おかしいですね…なんで僕…泣いて・・あは・・・アハハハハ!」
洗面台に置いた手を突っ張らせ、仰け反ってエルは笑った…体の真っ芯、奥底から絞り出すような涙と共に彼は笑いながら号泣する!が…当然それは外まで聞こえる。
「エル君!…え?」
お手洗いから響くエルの尋常でない笑声に驚いて立ち上がろうとしたアディだったが、誰かに肩へすっと手を置かれたかと思うとそのまま椅子に座らされた…本当に手を置かれただけ、力を込めて抑えられているのでもないのに動けない…首だけで後ろを振り返り、肩に手を置いている人物を見上げる…それは美しい老婦人だった。若い頃の美貌は言わずもがな、年齢に左右されない美しさと強さを持った女性、圧倒されるとともに肩に置かれた手から感じられる凛とした優しさにアディの中にあった抵抗心は掻き消えてしまう…
「貴方はどなたですか?」
「私の名は暦、先代の妻でここを『異世界食堂』にした張本人よ。」
穏やかな笑顔と共に暦が名乗る
「俺の婆ちゃんさ。」
「またの名を『勇者ヨミ』わしの古い戦友じゃよ」
「え?ええぇーっつ!?」
…この店に流れる噂やアルトリウスの昔語り、一度だけ会ったアレクサンデルとのやりとり(ナンパされた!)で名前だけは知っていた、×十年前邪神を滅した4英雄の中核、ケタ外れの戦闘力と魔力を持つ勇者、邪神の断末魔の力でこの世界に飛ばされてねこやの先代と出会って結婚して…今は完全無欠のこの世界の住人…暦はそのままアディの両肩に後ろから両手を置いて語り始める。
「今はあのままにしてあげなさい、男の子は女の子に泣き顔を見られたくないものよ。特に愛する人にはね?…今彼はきっとこれまで経験したことのない感激に心も体も一杯になっているわ。そんな時、人間は笑うか泣くかしかないのよ。」
「…どうしてわかるんです?」
「私もそういう経験をしたから…私のオトギバナシも聞いてくれる?」
「…はい。」
「さっきアルは私の事『勇者』あるいは『英雄』と言ってくれたけど、私自身にとってそんな称号は正直疎ましいだけ…」
「どうしてです?私も騎操士(ナイトランナー)だから『勇者』なんて呼ばれる方は尊敬します、憧れちゃいます!」
「ありがとう。でもね、『伝説』というものには往々にして『タネも仕掛も』あるものなのよ…」
邪神を滅ぼし、魔族を殺戮する為だけに最強最悪の鬼の子種で闇の巫女を孕ませることによって生み出された…否、作られた自分。ほとんど民族浄化に等しい邪神戦争の実態とまぎれもなくその中核であった『勇者』…否、殺戮機械に等しい呪われた存在…暦の淡々とした語りにアディは愕然とする。
暦の語りは続く…文字通り流れ着いたこの地、国が大戦(おおいくさ)に大敗して命からがら大陸から戻ってきたという先代と出会い、ある勘違いから世話を焼かれた(飯を食わせてもらって)のが縁でついに結婚に至る二人の人生…
「私も自分のそういった出生と身の上は結婚式の前に全部話したわ。でもあの人は平然と…まああの人の知識と感覚ではよくわからなかったんだろうけど…受け入れてくれた…あの人がその時何て言ったと思う?
『へえ~お前もえらい目にあってきたんだな~ま、俺にはかかわりのない話さ、俺はこのねこやの看板娘で俺の嫁さんの暦しか知らないし興味もないしな~』
だって!…あの時の喜びを私は生涯忘れない!その夜私は精も根も尽き果てるまであの人を求めたわ…それ以外にその想いを現す術(すべ)を知らなかったから!…何度も昇りつめたけど、それすらあの時の喜びには届かなかった…同じくらいの喜びを感じられたのは産みの苦しみを超えて息子や娘たちをこの手に抱きしめた時だったわね…」
目の前の元女勇者が歩んできた人生の厚みに圧倒され、言葉をなくしているアディに暦はにっこりと微笑んで続ける。
「アディさんだったわね、今あなたはあの人が私にしてくれたのと同じことをエル君 あなたの婚約者にしたのよ…予言しましょうか、彼は絶対にあなたを裏切ったりしない、全身全霊をかけてあなたを愛してくれるわ」
ここで暦はそっとアディの頬に触れた、『あらあら』ともう一度微笑んでアディの耳元で囁く
「そう…あなた達、まだ肌を合わせていないのね?」
「…はい…どうしてわかるんですか?」
「女の肌は正直なのよ。」
真っ赤になってうつむいてしまうアディ。その耳元で暦は穏やかだが楽し気に続ける
「もう一つ予言してあげる、初夜は覚悟を決めなさい…彼は精も根も尽きるまであなたを求めてくるわ、私と同じようにね?」
「おいヨミ、もうその辺にしておかんかい。」
「ばあちゃん、さすがに少年少女にはきつすぎるよ」
ますます真っ赤になって縮こまってしまうアディに助け舟を出すアルトリウスと店主だった。
「あの…暦さん…」
「なにかしら?」
すーはーと深呼吸をして無理矢理に落ち着いたアディが決意を込めて口を開いた。
「私思うんです。暦さんが全部教えてくれた今、改めてエル君に何かしたい!先代さんが暦さんにそうしたようにエル君に『私はあなたの全てを受け止めたい』って態度で伝えたいんです!何かいい方法はありませんか?」
「そうねぇ~…じゃあこういうのはどうかしら?」
「わかりました!マスター、お願いします!」
「…それはいいが…アディさん、大丈夫かい?」
「はい!」
エルがなにやらバツの悪い顔でお手洗いから出てきたのは1分程後の事だった、
「アディ…その…ごめんなさい、みっともない…」
「お待たせしました、カツカレーと生ビール各2人前でーす!」
努めていつも通りの声と態度でアレッタがカツカレーと小ジョッキを配膳した
「アレッタさんありがとう!」
「え?カツカレー2人前って…ちょっとアディ!?」
エルが驚くのも無理はない、実はアディはここでカレーを注文したことが一度もないのだ。キッドやバトソン、エドガーやディートリッヒにダーヴィドといった男性陣や鍛冶士の女性陣が『美味い美味い』と言っているのも香ばしい香りもわかってはいたが、アディやヘルヴィは飯にどろりとかかったルーの色と有様がどうも好きになれなかったのだ。それは好みの問題だし、この店には美味いものは色々あるのだから気にすることではないとエルは考えていたのだが…そのアディがわざわざ自分の好物であるカツカレーを注文した、エルはその意味と眼前のアディの笑顔の意味を噛みしめ、飲み込みつつあえてもったいぶった態度でこんなことを言った。
「えー…こほん。アディ、カツカレーの美味しい食べ方を教えますね。ウスターソースをカツだけにかけます、僕はたっぷりかけるのが好きですがこの辺りは好みですね?」
「ふんふん…あ、はみ出ちゃった…」
長年の経験というか、見事にカツだけにウスターソースをかけるエルに対し、おっかなびっくりでこれをかけるアディの方はどうしてもはみ出てしまう…エルはそんなアディに笑いかけながらこう続けた。
「何も問題ありません、ルーにかかったところは味のアクセントになりますしウスターソースのかかったライスの美味しさは知っているでしょう?…で、こうルーとライスを混ぜてカツといっしょに口に入れるんです。」
カツとルーとライスを口にするエル。それを見ていたアディは自分のスプーンの上にあるカツとルーとライスに目をやり、一瞬の逡巡の後目をつぶって口に入れる。
ぱくり…
「…アディ、どうですか?」
もぐもぐ、ごくん…咀嚼し飲み込んだ後そのままうつむいてしまったアディに恐る恐る声をかけるが…ここでアディはいきなり顔を上げて叫んだ!」
「エル君ッ!」
「はいっツ!」
「私、これまでの人生損してたっ!」
「はあ?」
「とっても辛いって聞いてたけどそんなことない!いや、確かに辛いけどそれ以上にいろんな辛さや甘さが交じり合って!それがライスを包んで!更にソースのかかったカツの香ばしくてしっかりとした味が加わって!…んーっ!、とにかく美味しいーっ!!」
ぱくぱくぱく!ものすごい勢いで(口の周りをルーでべとべとにしつつ)カツカレーをかき込むアディを唖然として眺めていたエルはおもむろに自分のカツカレーを口にして気が付いた。
「甘口だ…マスターっ!」
凄い勢いで厨房に視線を回すエル、店主と目があった瞬間にサムズアップする!店主も笑ってサムズアップで応答するのだった。
あっという間にカツカレーを平らげたアディは生ビールのジョッキを掴んだ、エルが説明する間もなくごくごくとこれを干していく
「ぷはぁーっ!これが親方達やエル君が言ってた『のどごし』なんだね!?最―高っ!」
「アディ…オバサンみたいですよ…」
「オジサンに言われたくなーい!」
「…あは…はは…あはははは!」
「…うふ…うふふ…ははははは!」
暫しのにらみ合いの後、どちらともなく二人は笑い始めた。お互いの手を取り合って心から楽し気に笑うエルとアディ!そんな二人を店主と暦とアルトリウスは暖かく、アレッタは目を潤ませながら見つめていた…
チリンチリン…
「いらっしゃいアルフォンスさん、すぐカレーをお出ししますね。」
「うむ…おや、この香り…カレーを頼んだ先客がおるのだな…なんと!あの嬢ちゃんか?」
「まあ色々ありまして(笑)」
「いやいや、同好の士が増えるのは大歓迎じゃわい!わはは!」
「うーん、エビフライも美味しいーっ!」
「でしょうでしょう!?」
2杯目(エビフライカレー)をぱくつくエルとアディ(バカップル?)の有様にアルフォンスが大笑するのだった。
「あ、ちょっと待って」
「はい?」
支払を済ませた二人を暦が呼び止めた。しっかりと手を繋いだままエルとアディが振り向くと暦はまずアディの頬に優しく両手を添え、そのまま額に口づけた、そのあとはエルにも同じく頬に手を添え額に…びっくりした表情の二人に暦が微笑む。
「勇者の祝福。わたしのような存在のそれにどれだけ効果があるかは分からないけれどね…お幸せに。」
「ありがとうございます!」×2
そしてしばらくの時が流れて…
「エル君…」
「大丈夫ですよアディ、僕に任せてください。」
「うん……あ!」
華燭の宴が終わった初夜、アディは暦の予言の確かさを思い知ることになった、エルのキス、舌、手、指…体全体に翻弄され、何度も頂点に押し上げられて『来てっ!』と懇願し、一つになった後は自分の中で弾けるエルを感じて更なる頂に昇りつめる!何度も何度も!
「はあ‥はあ‥はあ‥」
「あ…」
…やがて本当に精も根も尽き果てたエルが自分の体に倒れ込んで来た、アディは痺れ切った腕を背中に、足に腰をまわしてエルを抱きしめる…
「いや、動かないで…このままでいて…」
「アディ、重く…ないですか?」
「ううん、エル君の重さが嬉しい。私今体全体でエル君を抱きしめてるんだよ…私の中にいるあなたを…」
「…アデルトルート、愛してます。」
「私も愛してる、エルネスティ…」
…朝、瞼を開けたアディの眼前にはエルの笑顔があった
「おはよう。」
「おはよう、エル・・君・・」
「とっても素晴らしかったです、アディ…」
触れるようなキスの後、エルが言ったこの一言が昨夜の記憶を呼び覚ましてアディは真っ赤になる…あまりの恥ずかしさ故か逆切れした彼女はそのままエルにかみついた!
「エ、エ、エル君っ!なんであんなに手馴れてたのっ!?まさか私の知らない所で別の人とっ!?」
「そんなことがあり得ないのはアディが一番よく知ってるでしょう?」
平然と受け流すエルだがアディは止まらない
「じゃ、じゃあもしかしてあっちで…クラタさんだった頃に!?」
「惜しい!…実はですね、あちらの世界ではこっちで言う春画とか男と女のそーいう事を書いた話とかが質・量ともにこっちと比較にならない位発達してるんですよ~
その頃の僕は、まあ当然ながらおよそ女の子と縁がなくて…でも人並みに性欲はありましたからそういったモノに随分お世話になりました(笑)。それにそういった題材を扱ったゲームのプログラム作成に関わった経験は数知れませんしね~」
けろっとした顔で説明するエル…怒るのがばかばかしくなったアディだったが顔だけは怒った表情でエルを抱きしめる。
「痛ッ!」
「え?…あ、ごめんエル君、私…」
エルの肩口には噛み痕、背中は爪を立てられ、掻き毟られた傷が複数…無論昨晩アディが刻んだ傷である。
「いいんですよ、アディが喜んでくれた証ですから…これからもいっぱいあなたが僕にこうするような事をしますよ、アデルトルード、僕の奥さん」
ぎゅっ!泣きたくなるような熱い想いに満たされながらアディはエルを抱きしめた
「そうだよ、エル君は私の旦那様なんだから いっぱい私を可愛がってくれなくちゃダメなんだからね!?…エルネスティ…あなた…」
今度は深く唇を重ねながらアディは想う…
『暦さん、素敵な予言と祝福ありがとう…あなたもこんな気持ちだった?…私凄く幸せだよ…』
更に歳月が過ぎて…
Menue-Z7:お子様ランチ
チリンチリン…
「いらっしゃいませ、洋食のねこやにようこそ!」
「アレッタさんこんにちは」
目の覚めるような美人に成長したアレッタがいつも通りの笑顔で迎えてくれる
「おういらっしゃいエル君・アディさん…そうか、ついに?」
「はい、この子の異世界食堂デビューです!さあご挨拶して」
「…こんにちは…初めまして…」
少し頭が白くなった店主が厨房から朗らかに語り掛けてくれる。
エルは改めて店内を見渡した。いつしか古株の常連は姿を見せなくなり、新たな常連がある者は賑やかに、ある者は淡々とこちらではありふれた、当人にとっては驚異の料理を食している…店主がいて、この店が異世界食堂である限り続いていく光景を…
「父様、母様、ここは?」
「ここは異世界食堂」
「とっても美味しい…私達の世界では食べられないものを食べさせてくれるお店よ」
『ご注文は?』
相変わらず気配を感じさせないクロが注文を取りに来た
「お子様ランチ3つ、いいですか?」
『…店長?』
店主がニカッと笑って親指と人差し指で丸を作った。
『注文受け賜りました、お子様ランチ3つ』
「あいよ!お子様ランチ3つ‼」
完
完結です!
色々と批判もいただきましたが私としては異世界食堂&ナイツ&マジックのクロスオーバーでやりたいことはやりつくさせていただきました。
また新たなクロスオーバーを投稿しますので御贔屓の程よろしくお願いします!
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