聲の形 (週刊少年マガジン読み切り版)より『硝子の気持ちと、将也の考え』 (GOHON)
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硝子編

<前書き>

これは、週刊少年マガジンの読み切り版『聲の形』の同人小説です。
出だしから4分の1くらいまでは、原作を硝子視点で振り返っての話にしているつもりです。
それからの4分の3くらいは、もう完全に僕の妄想で展開している話です。
一応、最初から最後まで、硝子が主人公の一人称小説のつもりですが、ちょっと反則なところがあるかも……



 

1.

 

 私、西宮硝子は小5の時に耳を悪くした。

 後に補聴器を使うようになって、ある程度は音を聞き取れるようにもなったけど、それまでの間は本当に苦労した。

……まあ、いくらかマシになったというだけで、それからも苦労自体は続いているのだけれど。

 それはさておき、今にして思えばとにかくタイミングが悪かったのだ、その耳を悪くしてしまった時期は。

父の転勤が決まって、転校する事も決まっていたその時期。

 はじめは、両親も私も、このタイミングでの発症は不幸中の幸いだとでも思っていた。

心機一転、新しい環境でやり直していこうと。

……でも、それは大きな間違いだった。

 発症がもう少し早ければ。

……だんだん、距離が離れていっただろうクラスメートの態度で、今の自分がどれだけ皆に迷惑をかける存在か自覚を持つ事が出来て。

転校先では、身の程をわきまえて最初から大人しくする事で、後の被害を少しでも減らせたかもしれない。

 あるいは、発症がもう少し遅ければ。

……転校先で、ちゃんと級友たちとの関係を確立した後だったなら。同情を誘って、これまた被害を減らせていたかもしれない。

 

──そういう訳で、そもそも耳が聴こえなくなる事自体が全くついていなかったのだけれど、

そのタイミングも最悪だった事で……私は転校先で、完全にイジメの対象になってしまったのだった。

 

─────────────────────────────────

 

 クラスメートの多分全員が、私の事を嫌っていたと思う。

けれど、その中でも一番苛烈に私を攻撃してきたのは、石田将也という少年だった。

 初めは、特にその少年だけが飛び抜けて──という訳ではなかった。

けれど、私が勇気を振り絞って、友人になって欲しいと伝えようとして……

いきなり握手を仕掛けてしまって、手酷く突っぱねられてしまった一件から。

彼は完全に、虐めのリーダーになってしまったようだった。

 

 今にして思えば、彼の気持ちもわかる。

元々私の事は嫌いだった筈で、私は彼に耳を怪我させられてしまった一件の直後で。

……そんなところに、愛想笑いを浮かべて握手をしてくるような人間が、気味悪くない筈はなかったのだ。

 ともかく、その時の一件で私の心も完全に折れてしまった。

 その頃には、もうすっかり亀のように固まって日々を過ごすようになっていたのだけれど、

それでも内心では、まだかすかに望みをもっていた。

こんな私でも、もしかしたらまだ、また。友達が作れるのではないかと──でも、再出発の望みをかけていたノートを捨てられてしまった、この時に。

 そんな淡い期待は、完全に打ち砕かれてしまったのだった。

 

 それからの生活は、とても苦しいものだった。

 彼を中心に、毎日毎日続けられる虐め──けれど。私は彼の事が、憎くはなかった。

いや、むしろいくらかの救いを与えてくれていた事に、感謝の気持ちすら抱いていた気がする。

 

 これは、今となってもあまり上手く説明できる気はしないのだけれど……多分、彼がとても楽しそうだったから、だと思う。

一番苛烈にいじめてくる彼だったけれど、一番邪気がないのも彼だったと思うのだ。

 他の人達は、そう直接的に私に手を出してくる訳ではなかった。

けれどその分、いつも蔑んだ目で私を見つめてきて、陰口を叩いていた。

 そんな中、直接手を出してくる彼だけが、本当に愉快そうに、笑いながら私に接してきていた。

物凄く好意的な言い方をするなら、幼稚園児がはしゃいでいるかのような、とでもいうか。

 

 少し話が逸れてしまうけど、私の両親は元々優しかった。

 でも私が耳を悪くして以来、更に優しくなっていた。

けれどそんな態度は、今の自分がそこまで気を使われなければならない程、駄目な存在だと言われているようで──かえって辛かったりした。

 

──話を戻して。

 そういう訳もあって、今の自分はなんで生きているんだろう、周りに迷惑をかけるばかりの存在なのに──

そんな風に、申し訳なさや絶望で一杯だった私には、虐められるという形であれ、

誰かを喜ばせていられるなら、そこには私の価値もあるのでは──と。

そんな風に思っていたのだ。

 

 虐められて嬉しいなどと、自分がそんなマゾな人間だとは思いたくないのだけれど。

……ま、まあ、そんな考えを持ってしまうほど、当時の私は追い詰められていただけだと、

そう思うことにしておこう、うん。

 

─────────────────────────────────

 

 そんなある日、突然虐めがなくなった。

……いや、なくなったというのは正しくなくて、矛先が変わっただけの話だった。

 何故か突然、虐められる対象は彼へと移り変わっていたのだ。

虐め集団の筆頭だった彼が、どうして突然そんな事になっているのか、最初はさっぱりわからなかった。

 けれど私はもう、クラスでは貝のようにして過ごす事しかできなくなっていたから、クラスメートに聞くわけにはいかなかった。

……そもそも、直接的な虐めがなくなっただけで、私を無視するような空気は継続していた事もあったし。

 それで自分一人で考え続けて、やがて答えにたどり着いた。

両親が、学校に何かしら働きかけた結果なのではないかと。

 イジメにあっているなんて事は、両親には隠していたつもりだったのだけれど、

なんども補聴器を壊したり無くしたりしていれば、流石に気付かれない筈もなかったのだ。

 もうバレてしまっているならと、両親に詳しい話を聞いて、彼一人が悪者にされていた事実を知った。

 最初は、慌てて否定しようとした。──けれど、それはすぐに思いとどまった。

 その頃には私も、子供達の残酷さは良く理解出来ていた。

真実を訴えたところで、事態が好転するとは思えなかった。

むしろ、より酷い事態を招くような気がして──結局、口を噤んだ。

 けれど、彼への罪悪感は膨らんでいく一方だった。

そんなつもりはなかったのだけれど、結果的に私の身代わりに

彼は虐められているようなものではないか──そんな風に私には思えたからだった。

 

 こそこそと縮こまってばかりの私に出来ることは殆どなかったけれど、

せめてもの償いにと、毎日酷い落書きで汚される彼の机を、誰よりも早く登校して綺麗にしたりと努めていた。

……それでも、やっぱり罪悪感は少しも拭うことは出来ず、更に膨らんでいっていた。

 

 何故なら──私はその状況に、またかすかに希望を持つようになっていたのだ。

同じ虐められている者同士なら、

友達になれるのではないかと──今度こそ、友達が出来るのではないかと。

 彼が酷い目に遭っているというのに、そんな利己的な考えが私の中には芽生えていて。

そんな醜い自分に、私は嫌悪感と罪悪感を膨らませていたのだった。

 

……けれど、彼はそんな醜悪な私の思い通りになどならなかった。

 ある日、手酷い暴力を受けたのか、

ボロボロな様子で床に転がる彼の顔を拭おうとしていた私に、彼は笑うどころか蹴りを見舞ってきた。

……見方によっては、彼は私に八つ当たりをしてきたといえるかもしれない。

でも、私はそうではないと思っている。彼は私が思っていたより強かったのだ。

そう思える理由は……いや、今はそれはいい。

 ともかく、彼は虐められたからといって、安易に他の人間に縋ろうとする人間ではなかった。

私のような、卑屈に愛想笑いを浮かべる人間におもねるなんて真似は、潔しとしない人間だったのだ。

……まあ、その時の私は、そこまで理解していた訳ではない。

 その瞬間の私は、ささやかなれど親切にしたつもりが蹴りで応えられ、

抱いていた小さな望みも、彼には叶えてもらえないと理解して──とうとう、キレてしまった。

 気がついたら、彼のことを殴っていた。

 口喧嘩さえ殆ど経験のなかった私が、誰かに暴力を振るったのなんて、後にも先にも彼に対してだけだ。

そうして、先生に止められるまでの間、彼と取っ組み合いを続けていたのだけれど。

 

……それにしても彼、見た目や態度の割に、喧嘩は弱かったんだな。

女子である私と、殆ど互角だった気がするのだけれど……

 

─────────────────────────────────

 

 その後しばらくして、両親が言うままに私は転校した。

 彼の机を綺麗にする "せめてもの罪滅ぼし" は、転校する時まで続けていたけれど。

結局、最後まで、彼とまともに話す事はなかった。

 

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 それから暫くの間は、それなりに穏やかな日々だった。

 私はもう目立たなく過ごす事を覚えていたし、

両親が新しい学校には随分と釘をさしてくれていたのか、教師たちも随分と気を遣ってくれて、

……まあ、教師達にやたら気を遣われる私に、みんな内心面白くなかっただろうとは思うけれど。

ともかく、以前のように直接的なちょっかいを出される事はないし、聞えよがしの悪口も聞かなくなっていた。

 

 中学になると、随分と楽しい事が増えた。ネット環境を与えてもらえたからだ。

 メールなどを通じてやり取りする分には、私も人と同じように出来る。

 こういう障害を負ってからは、必然的に娯楽といえば読書ばかりになっていたのだけれど、

大好きな本や作家さんについて、人と語り合えたりする日々は、

久しぶりに家族以外の人と深く関わりあえる事もあって、とても楽しかった。

……その分、学校生活に関しては、より窮屈に感じるようにもなっていったけれど。

学校ではとにかく空気のように存在感を消して、暇さえあればいつも本を読んで過ごしていくばかりになっていた。

 

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 その日は、本当に驚いた。

 高校に入って、間もない頃だった。

突然、私の腕を掴んできた少年がいたのだ。

 

 三重の意味で驚かされる事だった。

 感覚に障害を持つ人間にとっては、いきなりの接触など非常に心臓に悪い事なのだ。

 加えて、あの転校以来、基本的に腫れ物扱いばかりで

校内では誰かに触れられる事などずっとなかった私にとっては、いきなり接触してくる人間がいた事にも驚かされて。

 最後に、その相手があの石田将也という少年だった事に、もう唖然とする事しか出来なかった。

 

……ああいや、もう1つ、いや2つ驚かされる事が続いたんだった。

 その彼が、手話で話しかけてきたのだ。

それも、『自分たちは友達になれるだろうか』なんて。

 まるで予想だにしていなかった事があまりにも続いて、しばらく呆けてしまったけれど。

学校での友人なんて、もうずっと憧れるだけの、本当に飢えていた存在だったのだ。

 我に返ると、慌てて彼の手を握った。

──すぐに振りほどかれてしまった。何やら赤い顔をして喚いてもきた。

 なんだというのだろう。

「友人になろう」と言ってきてくれたのはそちらなのに。

……暫く会わない内に、彼は少しばかり不可解な人間になってしまったのだろうか?

 

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2.

 

 その後、図書室の一角──図書室の中でも特に人目につきにくいところで、

半ば私の専用席になりつつあった──へと場所を移して、彼と色々な話をした。

 

「だからだなァ、そういうんじゃなくて、オレはてめぇに借りをだな……」

 

 詳しく話を聞いてみると、どうやら彼としては『とりあえず "借り" とやらを返したいだけ』という事のようだった。

 

──正直、がっかりした。

 

 ようやく、本当に漸く、また身近に友人が出来ると思ったのに。

失意のまま俯いてしまったところで、慌てて彼が話しかけてきた。

 

「おいっ、勘違いすんなよ!! 別にテメーが嫌いっつってる訳じゃねーんだよ、

ダチってんなら、片方にでっかい借りが出来てんのはおかしーだろ?

まずは、きちんと借りを精算してからでねーと、ってオレが言いたいのはそういう事なんだよ」

 

 そう言われても、そもそも彼が言うところの "借り" というのが、何の事なのか私にはさっぱりわからなかった。

なので、素直にそう尋ねたところ、

 

「……とぼけてんのか……? だってオレがお前にしたコトといえば──」

 

──手酷く虐めたこと。

──自分が虐められるようになってからは、ずっと机を綺麗にしてくれていたりした事。

──更には介抱までしてくれたのに、厳しく突っぱねた事。

 

 彼はそういった事を挙げてきたのだけれど、

 

──別に気にしていない。貴方の態度に、救われていた部分もあったぐらいだから。

──あれは、せめてもの罪滅ぼしでやっていた事でもあるし。

──私だって、あの時にはしっかり殴り返したじゃないか。

 

 そんな風に答えると、彼は大きく溜息をついた。

 

「んな訳にもいかねーよ。

……オレがダメにしちまった補聴器だって、弁償しなきゃなんだからな……」

 

 彼は、今バイトを始めているとも言ってきた。

 

「7桁もの金額、いつになったら用意できるかわからないけどな──」

 

 そんな風にも言ってきたけれど、

彼が思っていた以上に責任を感じていた事を漸く理解して、私は慌ててしまった。

 確かに何個も買い換える羽目になったけれど、保険などで賄えた部分も大きかった筈なのだ。

だからそこまで気に病むような事ではないと必死に伝えたのだけれど、

 

「そうは言っても、全額ってワケでもねーんだろ?」

 

 それは……確かにそうだったろうとは思うけど。

 とにかく、私の両親も、そんな事は望まないと思う。

父も母も、とても穏やかで優しい人なのだから──そう伝えたのだが、

 

「まあそうかもな……テメーみてーな人間を育ててたってんだから、そりゃあ親も相当な筋金入りなんだろーけど。

でもこれは、オレなりのケジメの問題だからよ……」

 

  彼は軽く俯いて、やっぱり私の言葉に納得はしてくれなくて。

 私は、改めて狼狽える羽目になった。

あの傍若無人な少年が、まさかこんなに真面目に考えるようになっていたなんて。

 外見上は、あの頃のイメージそのままなのに。

目つきは随分とキツイし、制服はだらしなく着崩しているし、

髪型は野菜みたいな名前の、時々金髪になったりする王子様みたいな感じなのに。

  そんな不良みたいな外見の少年の、内面とのギャップが不思議で、自然その事を尋ねていた──

──考えていた事を、全部正直に伝えながら。

 

 すると、彼は頬をひくつかせて。

 

「て、てめー……本当はかなり毒舌だったんだな……やっぱり猫被ってやがったのか……?」

 

 そう言われても、私は疑問を正直に伝えだけで。

それが何故毒舌ということになるのか分からなくて、首を傾げていると、

 

「……ま、まー、いーか。

オレだって、高校にもなってこういうのがカッコいいとか思ってる訳じゃねーよ。

けど、オレのこの目つきの悪さは、もう生まれつきのモンでどーしよーもねんだよ。

ンな顔で髪型だけまともにしようったって、かえって滑稽なンだよ。

んで、顔と頭がそういうコトになると、もう結局似合う格好ってのは結局こんなモンにしかなんねーんだよ」

 

 彼が溜息を挟んで。

 

「……まあオレもあの一件以来、あんま人の群れには入っていきたくなくなっちまったしな。

こんな外見でもそこまで不自由はしてねーけどよ」

 

 そんな言葉で締めて、彼が苦笑を浮かべてきた。

その説明で、彼の外見と内面のギャップについては一応納得出来た。

……けれど、それにしても。

 

『そう言えば、私とケンカした時も。

私と互角だったくらい弱かったものね。本当、外見とのギャップが大きい人だったんだ』

 

 そう伝えて、私が微笑んでみせると、

 

「ああ!? ふっ、ふざけんな!! ありゃあ女子相手に本気なんか出せなかっただけだっての!!」

 

 彼が大声を上げて、ムキになって身を乗り出してきた。

 それに私は、改めて笑ってしまった。

まさか、彼の事をこんな風にからかえる日が来るなんて、本当、夢にも思わなかった。

 

 いつの間にか、声まで出して笑ってしまっていた。

──耳を悪くして以来、家族以外の健常者の前でそんな真似をするなんて、初めての事だった。

 そうして私が身体を震わせている間、彼は苦虫を噛み潰したような顔をしていたけれど、

 

「おい西宮っ、いい加減にしねーと、マジでこっちはキレんぞ?」

 

 そろそろ彼の我慢が限界を迎えそうだったので、どうにか笑いを引っ込めて、

 

『私のことは、"西宮" じゃなくて "ショーコ" と呼んで欲しい』

 

 そう伝えた。途端、

 

「はっはああ!? なっなんだそりゃ!? ナンでそんなコト……!!」

 

 彼が大袈裟に狼狽えた。何故彼がそんな反応をするのかはわからなかったが、

理由を尋ねられたのだから、とりあえずは答えた。

 

──"西宮" よりも、"ショーコ" という発音の方が、私にはわかりやすい。

──家族もそう呼んできていて、それを聞き慣れているのだから尚更だ。

 

 そう説明すると、彼はまたしかめっ面を浮かべてしまった。

 

「……言われてみりゃあ納得は出来ンだけどよ……にしたってだなァ……やっぱテメー、天然だったんだな……」

 

 その言葉の最後の方は、早口だったせいで、今ひとつ読み取れなかった。

 暫くの間、彼は唸ったり髪をかきむしったりしていたが、

 

「わーった、わかったヨォ!! ショーコだな、リョーカイだよショーコ!!」

 

 やがて、ついには大声で私の名を呼んでくれた。私はまた笑顔になって、

 

「よろしく、ショーヤ」

 

 そう、手話ではなく口に出してみせた。

 

……殴られた。

 

 何故いきなり殴られたのかさっぱり分からなかったから、頭を押さえて彼を睨んだのだけれど、

 

「なっ何調子に乗ってんだァ!? こっちは名前呼びなんて許可してねーだろォ!!」

 

 真っ赤な顔の彼が、随分大きな声で捲したててきた。

 早口で喋られては、私には言葉を読み取る事も出来ない。首を傾げてみせると、

 

「……テメェ。ホントはわかってて、こっちをおちょくってんだろォ……?」

 

 声は幾分静かになっていたが、そのヒクつく顔からすると、怒りは増しているようだった。

 何故、こんなに彼は怒っているんだろう?

……もしかして、私の歪な発音で名前を呼ばれた事が、そんなに不快だったのだろうか?

 彼との会話が楽しくて、つい調子に乗ってしまっていたのかもしれない。

とにかく、彼を不快にさせてしまったというのなら、謝らない訳にはいかなかった。

 

『ごめんなさい。怒らせるつもりはなかったの。

ただ、私には "イシダ" よりも "ショーヤ" のほうがまだまともに発音が出来ると思って……

……でも、やっぱり私の変な声で名前を呼ばれるなんて不愉快だよね……』

 

  謝っている内に、なんだか気分も落ちこんできた。半ば俯きかけていたら、

 

「だっ、だからァ!! そういうこっちゃねーんだよっ、なんでテメーはそう……!!

ああもう、これならおちょくってきてるだけって方がよっぽどマシだぜ。

こんな天然相手に、どうしろってんだよォ!!」

 

 慌てふためきながら、否定してきて。

……といっても、何が『そういうことじゃない』のか、私にはさっぱりわからなかったのだけれど。

 ともかく、最終的には私が名前を呼ぶ事も許可してくれた。

 

……けれど、さっきの彼の反応を思えば、

 

『無理してるんでしょう? 私に気を使ってるだけなんでしょう?』

 

 そんな不安が拭い去れないのは当然の事だった。だから、彼にも改めてそう確認したのだけれど、

 

「いっいや、ホントにいーってんだよ! ショーヤにショーコ!!

似た名前同士、ナンも遠慮なんかするこたァなかったんだからな、ハハハハハ!! ……ハハ……」

 

 そう言って、笑ってもくれたので、ようやく安心できた。

 

……それにしても。

さっきからの彼の、落ち着きのない、二転三転する言動。

 

 改めて思う。

やっぱり、彼はちょっと……いやかなり? 変な少年になってしまったと思う。

 

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「……お前。友達はいねーのかよ?」

 

 彼と再会してから、一週間ほど経った頃だった。

お昼休み、私がいつものように、他に人がいない空き教室で昼食をとっていると、そこへやってきた彼に話しかけられた。

 

「時々様子を見てたんだけどよ……お前、本読んでばっかでいっつも一人だよな」

 

 彼の言う通りだった。

私は校内に彼以外の友人は持っていないし、学校ではいつも本の世界へと逃げていた。

 

「……まさか、また虐められてたりすんのか……?」

 

 心配そうな顔で彼が尋ねてきたので、それは慌てて首を振って否定した。

 今では、昔のような虐めに遭うことなんてない。

それでも、腫れ物扱いではあったけれど。

……けれど、こうして一人でいる事こそが、多分ベストなのだ。

 

 下手に頑張ろうとしても……また、あの時の二の舞にしかならないだろうから。

そんな風に、あの頃の事を思い出して俯いていたら、

 

「……お前がそんな風に壁つくるようになっちまったのはオレのせいなんだよな……

オレにどうこう言える資格はねーのか……」

 

 彼の小さな声に、私が顔を上げると。

 彼は、私の前の席の椅子に跨ぐように腰掛けて、自分の分の弁当も私が使っている机の上に広げてきた。

 

「とりあえず、これからは昼飯、オレが付き合う。……いやか?」

 

 ブンブンと、さっき以上に大きく、首を左右に振った。

 学校で誰かと一緒に食事なんて、本当に久しぶりの事だった。

嬉しさのあまり、感謝や喜びの言葉を凄い高速で伝えて見せたら、

 

「わ、わかったわかった……ちょっと落ち着けよ。

そんな速いの、今度はオレが読み取れねーよ。

そんなんしなくても、お前のその大げさなツラ見れば気持ちはわかるっつーの」

 

 彼に苦笑されてしまったりもした。

──ただ、その彼の笑みには、満足気な色と、

でも同時に申し訳なさそうな色も滲んでいたような気がしたけれど、それは何故なんだろう……?

 

─────────────────────────────────

 

  そうして、彼と一緒に昼食を食べ始めて間もなく、

 

『あ。友達の話だけど、学校の外に出れば一杯いるの。だから心配しないでね』

 

 彼がここへやってきた時の、第一声だった質問に今更ながら答えた。

 

『ネットを通じての人ばかりだけどね。でも、ネットだったら私のハンデもあんまり関係ないから』

「ネット、ねぇ……歳も性別もわかんねーような相手ばっかってコトか?

リアルではいねーのかよ? 同い年くらいの、さ」

『一人だけどいるよ。同じような障害がある人達との交流会で知り合ったんだけど、1つ歳上の──』

「それって男か?」

 

 突然割りこまれて、面食らった。

 その人は女子だったのだけれど、それがどうかしたのだろうか。

なんだか気になったので、素直に尋ねてもみた。すると彼は、何故か「うっ」と息を呑んで。

 

「……いや。そのだな。

もしお前に彼氏とかいんなら、オレみたいな男がつきまとうのはマズイんじゃねーかと思ったんだよ」

 

 思ってもみなかった言葉に、私は大いに慌てた。

私に彼氏なんて。私にそんな風に寄ってくる男の子なんている筈ないと、ワタワタと伝えて見せると、

 

「ふーん……」と彼は呟いて。そっぽを向くと、

 

「お前、随分とカワイイ顔してると思うんだけどな……」

 

 小声で、そんな言葉を口にした。

……多分、彼は小声で、しかも横顔を向けながらの言葉なら読み取られる筈はないとでも思っていたのだろう。

でも、その時の彼の言葉は、何故か読み取る事が出来てしまった。

 

……ただ。彼からのそんな言葉なんて、それこそ予想外だった私の理解が追いつく前に、

彼は顔をこちらに戻すと、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて見せた。

 

「まあ、確かにお前の耳のコト知っても口説こうなんて、そんな男そうそういるわきゃねーか?」

 

 彼の言動の厳しさなんて、小学校の頃に散々思い知らされていた筈だった。

 あの頃のそれに比べたら、今の言葉なんて、全然可愛いもので。

悪意なんてなくて、ただ私をちょっとばかりからかってやろう、その程度のものだろう事もわかっていたのに。

 

……何故か、その彼の言葉は、やけに胸に痛かった。

 

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 それからは、彼は昼休み以外でもちょくちょく私の元へと来るようになっていた。

 そして、私の近くの席の女子へと話しかけては、私にも話を振って──つまり、通訳のような真似を始めたのだった。

そんな事をしてくれる必要はないのに。もうあの頃とは違うのだ。

 

 もし普通の人にどうしても話がある場合は、今の私はケータイを使う。

ケータイで文字を打って見せるほうが、手書きよりよほど早い。紙を無駄に使う事もない。

 だから、彼が通訳なんて頑張ってくれる必要はないのに。

 

……そう、そんな必要はないのだ。

 そもそも、私はもう。

まともに会話を交わせない人とは、深く関わる気はないのだから──

 

……まあ彼としては、そんな風に

 

『自分が間に入る事で少しでも他人とのコミュニケーションをとらせよう』

 

とでも考えていたのだろうけれど、結果的にその目論見はまるで上手くいかなかった。

 腫れ物扱いな私と、不良っぽい外見でぶっきらぼうな少年のコンビ。

……そんな存在、ますます普通の女子は遠ざかろうとするに決まっていたのだ。

 

『西宮さんをもし傷つけたりしたら、あの怖そうな少年が報復してくるのでは』

 

 女子たちはそんな風に思ってしまったようで、結局更に私とクラスメートの距離は離れてしまったのだった。

 

 後でその事に気付いた彼は、随分と凹んでいた。

けれど、私としては全然不満なんてなかった。むしろ嬉しい事だった。

 結局、この件に関しても彼は責任を感じたのか、

『どうせこうなっちまったんなら』

と開き直って、より長い時間私の傍にいてくれるようになったからだ。

 

 今までは、校内では本の世界に逃げ続ける事しか出来なかったけれど、

一人だけとはいえ、学校でも人とたくさん触れ合えるようになったのだ。

 その事を、私は無邪気に喜んでいた。

 

……そう、この時はまだ。単純に、ただ喜んでいたのだ。

 

 

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3.

 

 一学期の中間考査が終わると、私たちの学校ではすぐに文化祭が控えている。

 高校生活初の本格的な試験が終わって、開放的な気分になっているところで始める、

これまた高校生活初めてのお祭を迎える準備に、皆は浮かれているようだった。

……勿論、私を除いて、という事なのだけれども……

 

 私たちのクラスは、ベニヤ板を何枚も使用しての、巨大な絵を出し物にしようという事になった。

 クラスメートの中には複数の美術部員がいて、しかもその中の一人は中学の時にコンクールで

入賞経験もあったという事が決め手だった。

 その彼女が中心となって、皆が和気藹々と作業を進める中、私は徹底して裏方を務めるつもりでいた。

買い出しなどの、皆に迷惑をかける可能性が極端に少なくて、

……そして何より、皆の輪の中から外れていられる作業。そういった事だけをやるつもりでいた。

 

 けれど、彼がそんな事は許してくれなかった。

自分のクラスの事はそっちのけで、ずっと私のクラスにばかり顔を出し続けながら、

私を皆の輪の中に無理やり押し込もうとしてきたのだ。

 

(なんでも、『どうせあっちのクラスにもオレの居場所はねーんだから、気にすんな』だそうで……

……だったら、私に構いすぎるよりまず自分の心配をすればいいのに、などと、

目論見を壊されてしまった私は恩知らずにも、ついそんな事を思っていた)

 

 女子にこそ恐れられ、避けられていた彼だったけれど、男子たちにはそこまででもなかった。

それで彼は、女子の事は諦めて、私を男子たちのグループに押し込もうとしてきて。

 それに私が、

 

『男子たちの中に放り込まれるのは、いくらなんでも居心地が悪いよ』

 

 と彼に訴えのだけれど、

 

「ちゃんとオレがついててやっから。一緒に頑張ってみよーぜ」

 

 そんな風にしか答えてくれなかった。

 

 そういう無茶は、どうせ空回りに終わって、結局お互いに痛い思いをするだけなのに。

 その事は、小学生の時に痛いほど思い知っていた私だったから、正直、ありがた迷惑だと思っていた。

けれど、彼が私の為に頑張ろうとしてくれている事だと思うと……どうしても、突っぱねる事は出来なくて。

 結局、彼の言うことに従ってしまっていた。

 

……それは、やっぱり大きな間違いだった。

 

─────────────────────────────────

 

 いよいよ文化祭の日が近づいてきて、けれど、いくらかの余裕を持って完成させられそうだったイラスト。

 それは絵の事なんてよくわからない私でも、思わず溜息が出そうな程の出来で、その時の私は、現金な事に、この絵に関われた事に満足を覚えてしまっていた。

  彼以外の人間とは、相変わらず大したコミュニケーションはとれなかったけれど、

それでもずっと一緒に作業をしてきた数人とは、笑顔でいくらかのやり取りも出来るようになっていて。

 

……そんな風に、浮かれていたのがまずかったのだろう。

 彼とて、四六時中私についていてくれてる訳ではなかったのに、

その時、彼は私の傍についていてくれなかったというのに、完全に油断してしまっていた。

 恐らく、静止しようとしてくれていた誰かの声を聞き逃したらしい私は──気がつけば、ペンキの缶を蹴倒していて。

……完成間近だったイラストへと、大量にペンキを零してしまっていた。

 あっという間に、室内のあちこちから響きわたってくる悲鳴。

耳が悪い私でもわかってしまう、わかりすぎてしまう程の痛々しい悲鳴。

 ただ凍り付いているばかりの私の眼下で、慌てて缶を起こす生徒や、少しでも被害を食い止めようとする生徒、

そんなクラスメート達を、真っ白になった頭のままで見下ろしていた私は、突然突き飛ばされて。

尻餅をついた。

 何やら金切り声らしき音も聞こえてきて、その音の出所を見上げた。

私を突き飛ばしてきた人物でもある、その女子は──今回の作業でのリーダーである、美術部の女子だった。

その両隣にも、美術部の子が立っていて。

三人の美術部員が、すごい剣幕で何かを捲し立てて来ていた。

 

──彼女たちの怒りは当然だった。

 みんな一丸となって進めていた描画だけれど、その中でもこの三人の女子は、特に精力的に作業に努めていたのだ。

そしてその甲斐あって、素晴らしい作品が出来上がるところだったというのに、

私は注意の声すら無視した挙句、全て台無しにしてしまったのだから──

 

 多分、私の顔は蒼白になっていたと思う。

 せめて、謝罪の一言だけでも口にするべきだったのに、

普通の人に対して口を開く事に、私はもう完全にトラウマが出来ていたせいで、それすらも出来なくて。

 だからといって、こんな時にケータイを開いてメールを打ってみせるなんて、

それもまた失礼なのではないかとも思えて──完全に金縛りにあっていた。

 けれど、そうして何のリアクションも起こさない私に、彼女たちの怒りはますます膨れ上がっていったようだった。

リーダーの子が、ついには手を振り上げて、へたり込んだままの私へと振り下ろしてきて────その手は、

けれど私の顔に打ち下ろされる事はなかった。

 その手は、突然飛び込んできた、彼の顔へと命中していた。

慌てて飛び込んできたせいか、体勢が崩れていた彼は、叩かれた勢いもあって床へと倒れこんだ。

 

 彼女たちが、一瞬怯んだ。

 女子たちにとっては、未だに彼は怖い存在だった。

そんな彼を引っぱたいてしまって、しかもその彼が、身体を起こしながら彼女たちを

じっと見上げていたものだから、彼女たちは怯えてしまったのだろう。

  彼の顔を見慣れている私には、彼が申し訳なさそうに眉をひそめていたのがわかったのだけれど、

彼女たちは睨みつけられているとでも感じたのか、後じさりをしていた。

 それでも、さすがに今は恐怖より怒りのほうが上回ったのだろう、

今度は、彼へ向けて彼女たちは喚き始めていた。

 彼は床に腰を落としたまま、黙ってそれを受け止め続けていたけれど、やがて彼女たちの声が一段落したところで、

 

「……本当に、悪かった」

 

 一言二言口にして、一旦腰を軽く上げて──床へと正座した。

 

「お前らの怒りは、最もだと思う。怒って当たり前だと思うけど、

でも、そんな風に集団でコイツを責めるのは、なんとか勘弁してくれねーか」

 

 彼女たちが、また何かを叫ぶ。

けれど、もう彼の横顔して見ていない私には、彼女たちの声は相変わらず分からなかった。

 

「ずっとこのクラスに入り浸ってたから、ちゃんとわかってる。

お前らは、すげーいいヤツらだ。

そんなお前らだから、よってたかって一人の女子を……なんてマネ、後で絶対後悔する。

オレにはわかる。オレみてーな人間でも、後悔するハメになったんだからな。

……だから、お前らみたいな人間なら、後悔しねーハズはないから。頼む……」

 

  彼が、膝の上に置いていた拳を広げて、床へとつくと。

──頭を下げた。

 

「お前らの言う通り、元々悪いのはオレだよ。だから気が済むまで、オレの事は殴ってくれていーからよ。

コイツの事は、許してやってくれよ……」

 

 その時の彼の言葉を、私は全部聞き取れた訳ではなかった。

 それでも、彼のあまりにも過剰な私への庇いように、ようやく理解した事があった。

 

……私は、ずっと勘違いしていたのだという事を。

 

─────────────────────────────────

 

 最終的には、イラストはどうにか完成させる事が出来た。

 彼らが教師に頼み込んで、本来禁止されている、学校への泊まり込みでの作業が認められたお陰だった。

 

──まあそんな特例が認められたのは、私が起こしたトラブルのせい、という理由も大きかったのだろうけれど。

私の扱いに関しては、学校はいつだって随分と気を揉んでいるのだから。

 

 そうしてイラストが完成した、文化祭の前日。

 美術部の三人が、揃って私へと頭を下げてきた。

当然、私は大いに慌てた。悪いのはこちらなのに、彼女たちに頭を下げられては立つ瀬がない。

 すぐに彼女たちの頭を上げさせて、こちらも謝罪の言葉を伝えて、

でも彼女たちに手話が伝わる筈もない事に、戸惑う彼女たちの表情を見てから漸く気づいて、

メールを打とうとケータイを取り出したら、慌てすぎていたせいか、

わたわたとケータイをお手玉する羽目になって、結局取りこぼして、

しかも蹴飛ばしてしまったそれを、またまた慌てて追いかけていたら──後ろから、笑い声が聞こえてきた。

 振り返ると、

 

「ご、ごめんなさい西宮さん。笑ったりして……でも、そんなに慌てないで。

もう、西宮さんの気持ち、私達にもわかったから」

 

  距離を詰めてきたリーダーの子が、私の手を握ってきて。

後の二人が、私のケータイを拾うと手渡してきてくれた。

 

「あの時は、本当にごめんなさい。

……イラストが無事完成したからって、手の平返すみたいにこんな事を言うのは現金だと思うけど。

でも本当、石田くんが止めてくれてよかった……」

 

 はにかんだように、そう口にするクラスメート。

……けれど、あの時に思い知らされた事を改めて思い出して、私は内心、落ち込んだ。

 

「それにしても石田くんって、思ってたのと全然違う人だったんだね。

あの時の彼、すごく格好良かった。

あんな風に守ってもらえる西宮さん、ちょっと羨ましいな」

 

 そんな風に言われたけれど。

でも、あの時に気付いた真実は──私には、全く嬉しくなどない事実だった。

 いや、あんな風に私を全力で庇って、私の為に謝ってくれたりもした彼に、感謝の気持ちは勿論ある。

……けれど。

あの時の彼の言動で、自分が勘違いしていた事に気付いてしまった私は……やっぱり苦しかった。

 

 彼は、結局のところ罪悪感からの、罪滅ぼしの為に私の傍にいてくれているのだと。

 再会したあの日、彼は、はっきりと──私にそう伝えていたというのに、

私は呑気にも友達が出来たなどと……ずっと、とんでもない勘違いをしていたのだと。

 

 ようやく気付いたその真実に、私は酷く惨めな気分になっていたのだった。

 

 

─────────────────────────────────

 

4.

 

 文化祭から三日後のお昼休み。

 私は、またパニックに陥っていた──あの、ペンキを零してしまった一件に匹敵するぐらい。

いや、大勢の人に迷惑をかけてしまったあの一件と同列にするのはどうかと思うけれども、

でも正直、私の混乱具合が頂点に達してしまうのも、無理はないと思うのだ。

 

──だって、この私が、男子に告白されるなんて。そんな、あり得る筈のない事態を迎えたのだから。

 

 その日の昼休み、私がいつものように空き教室を訪れて、彼の到着を待っている間、本を読んでいた時の事だった。

 ドアが開く音に振り返ったのだけれど、そこに立っていたのは彼ではなく、

クラスメートの──イラスト制作中、ずっと一緒のグループにいた、一人の男子だった。

 ここに彼以外の人が現れるなんて初めての事で、戸惑っている内に、その男子はズカズカと室内へと入ってきた。

 何やら緊張した様子の、赤い顔をしている少年が、どんどん私へと近づいてくる。

なんだか怖くなって、私が立ち上がったところで、ピタリとその男子は足を止めると。

いきなりケータイを突き出してきた。何事かと、その画面を見てみると──

 

『西宮さんと一緒に絵を描いている間に、西宮さんの事を好きになりました。付き合ってください』

 

──目が点になる、というのは、この時の私の状態を指すのではないだろうか。

 私が完全に固まっていると、そのクラスメートは動かない空気に居た堪れなくなったのか、

突然身を翻すと、あっという間に教室を駆け去ってしまった。

 

 一人残された私は、それでも暫くの間、呆然と立ち尽くして。

やがて席へと戻ったけれど、頭は真っ白なままで、結局昼食をとる事も忘れさっていて。

 

 その日のお昼休み、彼は私の元へとやって来なかった。

 

……彼と一緒に昼食を摂り始めて以来、そんな事は初めてだった。

 

─────────────────────────────────

 

 放課後になるや否や、私は急いで彼のクラスを訪れた。

帰り支度をしていた彼の腕を引っ掴んで、ぐいぐいと引っ張って。

 他に人がいたところで、私と彼の会話を聞かれる事はない。

それはわかっていても、これからする話に関しては、完全に人目がない所でやりたかったから、屋上へと場所を移すと。

今日の昼休みに起きた、衝撃的な事件を彼へと明かした。

 

「ああ、知ってるよ」

 

……けれど、彼の反応はそっけないもので、

 

「事前に、あいつから聞いてたからな……あいつァいいヤツだし、いいんじゃないか? 付き合ってみても」

 

 ガンッ、と頭を強く殴られたような気分だった。

 その衝撃で、この瞬間には気付けなかった事だけれど。

彼のその言葉にそんなに強いショックを受けたという事は、

私は、彼が反対してくれるとでも思っていたのか、或いは反対して欲しかったのか、それともその両方だったのか──

ともあれ、目を見開くばかりで何も言えなくなっている私へと、

 

「これからはオレ、お前との距離をとろうと思ってんだよな」

 

 俯きがちな彼は、そんな追い打ちをかけてきた。

 

「……こないだの事は、本当に悪かったな。

元々はお前、イヤがってたってのにオレがゴリ押ししたせいであんなコトになっちまってよ……

……まあ結果的には、お前に惚れる男が出来たりしたんだから、悪いコトばっかじゃなかったのかもだけどよ、

やっぱオレみてーなのが傍にいても、お前の為には、ならなそーだわ。

……アイツと付き合うようになるってんなら、尚更な」

 

──なに、一体何の話をしているの。

──私はそんな事望んでいないのに。

──私はこれからも、貴方と一緒に。

 

 言いたい事はいくらでもあった筈なのに、

彼からの、ショックな言葉を立て続けにぶつけられた私は、完全に飽和してしまっていた。

 そうして私が何も言えないでいる内に、彼は立ち去ってしまって。

 

──それ以来、彼とは食事どころか、会話を交わす事さえなくなってしまったのだった。

 

 

─────────────────────────────────

 

5.

 

 結局、私は告白してきた男子と付き合うなんて事にはならなかった。

 

 別に、私がお断りした訳ではない。

向こうが、勝手に引いていってしまったのだ。

 屋上での話以来、彼は本当に私から離れてしまっていって、

私がその事にまだ気持ちの整理がついておらず、落ちこんでいた時の事だった。

 例の男子が私の元へやってくると、

 

『ごめん。返事はもういいよ。なんかオレが余計な事言ったせいで、変な風になっちゃったみたいで、本当にごめん』

 

 そう伝えてきて、それでこの話は終わりだった。

 正直、有難かった。

何故なら、その男子の好意に応えるような気持ちには、まるでなれなかったからだ。

 

……けれど、彼との仲は、もう元には戻らなかった。

別に、彼に無視されているという訳ではない。会えば、挨拶くらいは交わしてくれる。

 

……でも、それだけだった。

 文化祭の準備を通して、彼はこちらのクラスの男子とはそれなりに交友が結べたようで、

相変わらずしょっちゅう私のクラスへとやってきては、その男子たちと共に過ごしていた。

 

……なのに、私の傍にはもう、全然近づいて来てはくれなくて。

 

  寂しかった。

 

 それで時々、彼の様子を伺っていたのだけれど、そうすると目が合う事が良くあった。

 それで、彼がまだ私の事を気にかけてくれている事、

私の自立を期待して、あえて距離をとっている事は、なんとなく理解出来た。

 

──いっそ、わざと何かトラブルを起こしてやろうかとも思った。

 

 そうすれば、彼はまた私を助けてくれる。

 私には自立など出来ないと、一人ではどうにもならないと分かれば、

またずっと、私の傍にいてくれるようになるのでは──と。

 

 そんな、身勝手で醜い考えも浮かんだ。

 

……だって、寂しかったのだ。

 

 罪悪感でもなんでもいい、惨めな気分になろうとなんだろうと、

それでも彼が傍にいてくれない事の方が、よほど辛かった。それが本音だったのだ。

 

 けれど、勿論そんな事は実行出来なかった。

 だって、ようやく彼は、私から解放されようとしているのだ。

私に構ってばかりいるせいで、人付き合いが出来ないでいた彼が、今では幾人もの人たちと談笑出来ている。

 

 そうだ、いつまでも私に縛り付けてなんている訳にはいかない。

これでよかったんだ。

 耳を悪くして以来、私は耐えることには慣れっこの筈じゃないか。

一時とはいえ、また学校で友達が出来たという夢を見させてもらえただけでも、十分じゃないか。

だから、もう──と。

 

 そんな風に、気持ちの整理をつけたつもりでいた、ある日の事だった。

 お昼休み、私が昼食を終えて、教室へと戻ってきた時。

彼が、例の美術部のリーダーだったコと手を握り合って、何やら笑い合っている光景が私の目に飛び込んできた。

 

──別に、おかしな事はなかった。

 

 文化祭の時の一件は、女子達から彼への誤解を完全に解いていた筈なのだから、

彼が女子と一緒に笑っていたところで、何もおかしな事はない筈だったのに。

 彼の手が、女子の手と繋がれているのを見てしまった時──私は。

 

 一瞬頭が真っ白になって、次に、一気に灼熱の感情に支配されていた。

 気がつけば、小走りに彼のところへと駆け寄っていて、

彼がこちらに気付いて振り返った瞬間に、思いっきり平手を見舞っていた。

 

 机に腰掛けていた彼が、滑り落ちて床へと尻餅をついて。

あちこちからの談笑で騒がしかった筈の教室が、一瞬で静寂に包まれた。

 その静寂の中、

 

「~~~~~~~!!!」

 

 私の金切り声が、室内に響き渡った。

何と叫んだのかは、後になっても思い出せなかった。

 ただでさえ発音の覚束ない私が、ただ感情のままに叫んでしまったのだから、相当な奇声だったのだろうけれど。

その時の私には、そんな奇声をみんなに聞かれてしまった事も、注目を浴びてしまっている事もどうでもよかった。

 ただ、床に座り込んだままの彼の事で、頭が一杯だった。

その彼は、叩かれた頬を抑えて、唖然とした表情で私を見上げてきていた。

──当たり前だった。

 彼には、今、私に叩かれる理由なんて何もなかったのだから。

 それでも、私のこの灼熱の怒りが、彼にはまるでわかってもらえていないという事実に、

怒りは、悲しみへと移り変わっていった。

 一気に涙が溢れそうになって、慌てて身を翻すと、教室を飛び出した。

どこへ行こうと考えていた訳でもない、ただこの時は、とにかく誰もいないところへ行きたくて、

必死に廊下を駆けている最中、突然腕を掴まれた。

 

「おいっ、一体どうしたってんだよ!!」

 

 振り返らなくても、彼だとわかった。

 

「何だ、何かあったのか!? なんでお前泣いてんだよ!」

 

  私を追ってきてくれた。

それも、私からの理不尽な仕打ちにも関わらず、私の事を心配してくれてもいる様子だった。

  その事に、全身を支配していた悲しみが薄れて。彼の方へと体ごと振り返った。

 

『……ごめんなさい。何でもないの。いきなり叩いてしまったりして、本当にごめんなさい』

「何でもないワケねーだろ? よっぽどのコトでもなきゃ、お前が……」

 

──暴力をふるったり、人前で大声を出したりする筈はないだろう。

 彼がそんな疑問を抱くのも仕方なかった。

それでも、本当に何と説明していいのかわからなかった。

自分でも、何がそんなに腹立たしくて、悲しかったのか、さっぱりわからなかったのだから。

 

 けれど、彼には酷い迷惑をかけてしまったのだ、とにかく何かしら説明するしかなかった。

 

『本当に、自分でもよくわからないの。

ただ、貴方が女の子と手を繋いで笑っているところを見たら、急にすごく腹がたってしまったの』

「はあ? なんだよそりゃ……って、え!?」

 

 一瞬怪訝な表情を浮かべた彼だったけれど、突然、何かに驚いて。

 

「ちょ、ちょっと待てよ……いや……ええ!!?」

 

 何やら狼狽えだした彼が、口元を手で押さえて。軽く俯いて、何かをつぶやき始めた。

口を隠されての小声となると、私にはもう何もわからない。

 ただじっと彼の顔を見上げていたのだけれど、やがて彼は口から手を離すと、私の両肩へと両手を乗せてきた。

 

「……なあ、ショーコ。ここ最近、オレが男子たちとくっちゃべったり、じゃれあったりしてるトコ、お前ずっと見てきたよな?」

 

  頷いた。

 

「それに関しては、お前どー思ったんだ?」

『寂しかった。すごく寂しかった。でも、貴方が笑っていられるなら、それが貴方の為なら我慢できると思ってた』

「……そ、そっか。相変わらず人が良すぎるヤツだな……いっいや、それは今はともかく、

男子の時にはそう思えてたのに、オレが女子と話してたら、すげームカついて、我慢できないくらいだったんだな?」

 

 また頷いた。

 

「……なのに、お前……自分がなんでそんなに怒ったのか、わからないってんだな?」

 

 またまた頷いた。

すると、彼がいきなり天を仰いだ。

 

「……マジかよぉ……天然にしたって限度があるだろォが……」

 

 上を向いてのその言葉は私にはわからなかったが、次に彼はガクンと頭を前に倒すと。

大きな溜息をついた。

 

──彼に呆れられた、でも当然の事だ、いきなり引っぱたいておいて、その理由もわからないなんて酷すぎるもの。

 そう思うと悲しくて申し訳なくて、私もまた俯いた。

 

「……にしたって、まさかなぁ……ンなムシのいい事、絶対ありえねぇって思ってたんだがなぁ……」

 

 何やら呟いた彼が、いきなり私の顔を両手で挟んできた。そのまま、上向かせてくる。

 

「……あー。まずさっきの事だけどな、ありゃただ単に手相の話になって、ちょっと見てもらってただけの話だ」

 

 彼の言葉なら、多分間違えずに読み取れるとは思うけれど、

それでも、手話も混ぜてもらえたほうがより確実だと思ったのだけど、彼の手は私の顔を挟んだままだった。

 

「……んで、これから大事な事口にすっけど。三文字の言葉くらい、しっかり読み取れるよな?」

 

  彼の顔が赤くなってきていた。

私の顔をつかむ手にも、力が入ってきていた。

まるで、これから口にする言葉は、絶対に見逃して欲しくないとでも言うかのように。

 

「……オレは、お前のコトが──」

 

  そして、彼が口にしたその言葉。

特に最後の三文字は、ことさらゆっくりと唇を動かしてきて。

 

 勿論、その言葉は聞き取れた。

 そして、やがてその言葉を理解した私は……多分、

彼以上に赤くなっていったんじゃないだろうかという気がする。

 

……こんなに顔が熱くなったのは、きっと生まれて初めての事だったから。

 

─────────────────────────────────

 

6.

 

  障害を持ってしまった私は、もう恋なんてものに一生縁がないだろうと思っていた。

……なのに、あんなに私の事をいじめてきた彼が、まさか私の恋人になるだなんて。

 

『こんな摩訶不思議な出来事があるなんて、人生って、何が起こるか本当にわからないものだよね』

 

  そんな風に彼に伝えてみたら、

 

「お前みたいな小娘が、人生とか語るなんて10年はえーっての」

 

  彼は私と同い年の癖に、上から目線でそんな事を口にしながら、小突いてもきた。

その彼の笑顔には、いつかのような罪悪感はもう滲んでいなかった。

 

──その笑顔に安心して、私は今日も、また彼に笑いかけるのだった。

 

 

 

 

─────────────────────────────────

 

 

 

<後書き>

 

 

原作の連載も決まってるのに、こんなの書く意味はあんまりないとは一応思ったんですけど、

……でも正直、原作の連載にあたって、ちょっと不安もあったので、書いてしまいました。

この手の、ドラマ性の高い話を週刊少年誌で連載とかって、

どーもこう……『打ち切り』『引き伸ばし』を強制されて、グダグダになっていってしまうような、

そういう不安がですね(;一_一)

なので、先に自分好みの恋愛エンドを形にしておこうと思ったわけです。

 

あ、成長した硝子ちゃんが可愛かったのも理由の1つかも(^_^;)

 

……にしても、いざこうして書いてみると、

硝子の、普通の人への心の壁の問題がそのまんま放置で終わっちゃいましたね……うーん。

まあ僕は二次元恋愛脳なんで、とりあえず恋愛エンドにしてしまえば、細かい事はいいかなあ……と。

その手の重い問題については、連載版の原作が扱っていくに決まってますしね。

 

"彼" という表現は、将也に対してだけ使ってみたつもりです。

……うっかりしてなければ。

硝子に告白してきた少年とかに関しては、『男子』『級友』などばかりで、

一度もその少年の事は "彼" とは呼んでない……ハズ。

やっぱり、硝子の中で将也は別格であるという事を、僕なりに表現してみようと気をつけたポイントです。

 

今回のこの話を書くにあたって、引用とか思い出したりしたのは、

主に「図書館戦争」と「笑えない理由」ですね。

 

特に、図書館戦争シリーズ。原作の方です、それの中澤毬江ってコ。耳が悪いっていう点が共通点。

多分アニメにはいなかったと思うんですが……wikiで見てみたら、テレビ未放映なんですね。

障害者の話だから、テレビではやれなかった、か……うーん。

ああいう話だからこそ、広く見せるべきだと思うんだけどな……

まあそれはともかく、あの毬江ってコは結構萌えられましたね!!

素晴らしい一途っぷりで、僕の好みにジャストミートでした。

 

笑えない理由のほうは、イジメが共通点。

うーん、でもこれは、そんなにキッついイジメではなかったような気がするんだけど。

(あれは、古いキャラ持ちだしてあれなんですけど、

長谷部彩ちゃんとかがキライじゃない人には強くオススメ出来る傑作ですね~)

これの作者さんだったら、個人的にはスイッチも推したいとこなんですが。

一途ッコ好きーとしては、スイッチのヒロインのが可愛いく思えるんですよね。

だけど、面白いといえるのは、やっぱり笑えない理由かな。

 

将也が言う「顔がこれで髪型をマジメにしてもおかしい」ってのは、

「お茶にごす」からですかね……あれでの七三は、すごいインパクトあって忘れられない(^_^;)

 

あと、適当に設定変えちゃってるかもしれませんm(__)m

一番最初の読み切りのは小6だったらしいですが……

週刊マガジン版の読み切のは、エピローグとして五年後の二人が描かれているけれど、

多分高校入って間もなく発見してるって流れが自然に思えるんですよね……

すると、まあ始まりは小5あたりになるのかなあと。

ただ、硝子が転校していったのは冬辺りぽいからなあ……うーん。その辺が微妙になってくるんだけれど。

でも再会の場所は病院とか、硝子の学校を突き止めて訪問してきたとかも聞くし、

硝子視点で原作を振り返ってみたつもりだけど、『その解釈おかしくない?』ってトコも

多々あるかもしれません……すいません。

 

あ、そういえば、原作に出てきた音楽の先生?

あの人、一見いい人そうだけど、ああいう人のがかえってタチ悪かったりもするような。

デリケートな問題に、いい人ヅラして中途半端に干渉した結果、硝子はあんなコトになってしまったとも思うんですよね。

とはいえ、干渉し過ぎるのも、放置しすぎるのも、更にまずい問題だろうし……

いやホント、よっぽどバランス感覚とれた人じゃないと、こういうのは上手く捌けないでしょーね……(;一_一)

 

自分としては、完全に男向けに書いてるつもりなんだけど、完全女子視点って、男性にとってはどうなんでしょう……?

自分が読者だった時のことを考えてみると。

ラノベにおいては、ヒロイン視点オンリーの話では、イマイチ気に入ったのないんですよね。

小説でも、荻原規子さんの白鳥異伝くらい?

でも僕は子供の頃から少女漫画にも慣れ親しんできたせいで、ヒロイン視点に抵抗ないだけの可能性もあるんですよね……

う~ん……一応、この話では硝子ちゃんに『天然』要素を付け足したりしてみて、

僕的には萌えポイントを追加してみたつもりなんですが。

 

今回の話では、最後の最後のトコだけすごい悩む羽目になりました。

あ、ちなみに最初は5章で終わりで、6章は全くない形でした。

でもこれじゃなんか寂しいなぁと考えて、ちょこっと6章を足してみるコトにして……

最初はどんなラストを考えていたのかは、↓のメモ的なモノの、一番下に一応載せてみました。

 

(パジャマな彼女って漫画の同人小説も書いてまして(そちらは長編)、こちらに投稿もしてたりします。

原作のエンドが気に喰わなかった方には、見て頂けると嬉しいですm(__)m)

 

 

──────以下完全に走り書きとかメモみたいなもの-------------------------

 

いや。ふーん。綺麗 可愛いのに、その耳じゃあな

彼のキツイ言葉は、聞き慣れていたハズだつたのだけど、なんだかやけに痛かった

 

あの頃はいじめに夢中になってて気づかなかったけど。お前かわいいんだよな

・もったいないな。まともなら、モテ放題だったろうに

彼の物言いは昔と変わらず辛辣だ。

壁をつくってる他の人の言葉よりは嬉しい……ハズだったのだけれど、最近何故だろう

時折、彼の言葉に痛みと──切なさを

 

時折、妙に硬い顔で接してきて→ 好きにならないように、勘違いしないようにしてる。

昔の自分がしたことをおもえば、そんなことアリエナイ 許せないと

 

自分のクラスでは浮いてるから。入り浸り? 通訳になったり。

 

好奇の目を向けられても気にしない……フリをする将也

 

トラブル、文化祭でダメにするとか運動部のダレかとか。

せめられるのに、「オレみたいなんでも後悔したんだ。お前らみたいなやつならもっとずっと後悔する。

怒りはオレにでも。(オレみたいなんならあとで後悔することもないだろう)

カレの言葉は完全には聞き取れなかったけれど、小学校の頃のことを口にしているらしいことは理解できた。

カレが私をかばってくれたコトは嬉しかった。

でも申し訳なかった。なんでそこまで私に。

……そして、少しだけ。罪悪感からだけで、こうしてくれてるんだと思うと・……悲しくもあった。

 

告白男子に責められた? そういう気持ちがないならベッタリするなと。

そんなんじゃ彼女を好きな男も近寄れないとか?

 

外見とか態度はそのまま……いや外見は勿論年月なりにかわってるのだけど。

かわってないのに、なんだか変なところだけマジメなような。

変な男の子だな 不良ぽいのにマジメでチグハグな変な人……ここで笑うとパジャカノとまったく同じだな……うーん

 

自分でいうのもなんだけど穏やかな気性→これは。事実なんだけど、やっぱ言わせたくないな……

 

いつも傍にいて、何かと冷やかされても堂々と「借りを返そうとしてるだけだ」と。

お前と以前に過ごしてた間と同じ期間、尽くすんだと。

そうはいっても、私と四六時中いるような人だ、基本的には孤立していく。

なんだかんだでそのあともいてくれるだろうと……たかをくくっていた

でも、その時がくると本当に離れてしまった。

そして彼は、ウソのようにまわりに溶け込んでしまったようだった

多分、文化祭の時の一件で、彼への誤解は一気に溶けたのだろう

 

頬を抑えて唖然として

こちらをみつめている。私の怒りがまるでわかっていない様子に、

怒りで喚いたけれど、私の口から出たのはきっと奇声だっただろう

ますます怪訝な様子に悲しくなった。

周りの視線なんか気にならなかつた

 

わからない でも、貴方が女のコたちに笑いかけているのが、なんだか酷くイヤだった──

「え、おいまさかそんな……あれが、男子とだったらどうだった」

それは以前も見かけてる。寂しさはあったが、腹立たしさはなかった。

そもそも、時期がくれば離れるというのは彼は宣言していたことで、

私が怒るのも筋違いなのに

「ええ……まさかそんな……ありえない許されないと思って自制してたのに」

うつむき続ける私の顔を、彼の両手が挟んで持ち上げてくる

「三文字の単語くらい、しっかり唇読み取れるよな? 今手ぇふさがってんだよ」

見たこともないほど真っ赤な彼が、そして口にした言葉は──

 

カレが口にした三文字のその言葉。

もちろん読み取れた、ようやく呑み込めて。

そして私の顔は、多分彼以上に赤くなったと思う

 

……私のような小娘が生意気な、と思われるかもしれないけれど。

それでも、本当、人生とはわからないものだと声を大にして言いたい。

だって、こんな障害を持ってしまった私は、もう恋なんてものに一生縁がないだろうと思っていたのに。

なのに、あんなに私の事をいじめてきた彼が、まさか私の恋人になるだなんて。

そんな摩訶不思議な事が起きたら、私のような小娘でも『人生って、本当に何が起こるかわからない!!』

なんて言いたくなるのも、無理もないことだと思う。

そうだよね、ショーヤ?

 




<後書き>


原作の連載も決まってるのに、こんなの書く意味はあんまりないとは一応思ったんですけど、
……でも正直、原作の連載にあたって、ちょっと不安もあったので、書いてしまいました。
この手の、ドラマ性の高い話を週刊少年誌で連載とかって、
どーもこう……『打ち切り』『引き伸ばし』を強制されて、グダグダになっていってしまうような、
そういう不安がですね(;一_一)
なので、先に自分好みの恋愛エンドを形にしておこうと思ったわけです。

あ、成長した硝子ちゃんが可愛かったのも理由の1つかも(^_^;)

……にしても、いざこうして書いてみると、
硝子の、普通の人への心の壁の問題がそのまんま放置で終わっちゃいましたね……うーん。
まあ僕は二次元恋愛脳なんで、とりあえず恋愛エンドにしてしまえば、細かい事はいいかなあ……と。
その手の重い問題については、連載版の原作が扱っていくに決まってますしね。

"彼" という表現は、将也に対してだけ使ってみたつもりです。
……うっかりしてなければ。
硝子に告白してきた少年とかに関しては、『男子』『級友』などばかりで、
一度もその少年の事は "彼" とは呼んでない……ハズ。
やっぱり、硝子の中で将也は別格であるという事を、僕なりに表現してみようと気をつけたポイントです。

今回のこの話を書くにあたって、引用とか思い出したりしたのは、
主に「図書館戦争」と「笑えない理由」ですね。

特に、図書館戦争シリーズ。原作の方です、それの中澤毬江ってコ。耳が悪いっていう点が共通点。
多分アニメにはいなかったと思うんですが……wikiで見てみたら、テレビ未放映なんですね。
障害者の話だから、テレビではやれなかった、か……うーん。
ああいう話だからこそ、広く見せるべきだと思うんだけどな……
まあそれはともかく、あの毬江ってコは結構萌えられましたね!!
素晴らしい一途っぷりで、僕の好みにジャストミートでした。

笑えない理由のほうは、イジメが共通点。
うーん、でもこれは、そんなにキッついイジメではなかったような気がするんだけど。
あれは、古いキャラ持ちだしてあれなんですけど、長谷部彩ちゃんとかがキライじゃない人には強くオススメ出来る傑作ですね~。
これの作者さんだったら、個人的にはスイッチも推したいとこなんですが。
一途ッコ好きーとしては、スイッチのヒロインのが可愛いく思えるんですよね。
だけど、面白いといえるのは、やっぱり笑えない理由かな。

将也が言う「顔がこれで髪型をマジメにしてもおかしい」ってのは、
「お茶にごす」からですかね……あれでの七三は、すごいインパクトあって忘れられない(^_^;)

あと、適当に設定変えちゃってるかもしれませんm(__)m
一番最初の読み切りのは小6だったらしいですが……
週刊マガジン版の読み切のは、エピローグとして五年後の二人が描かれているけれど、
多分高校入って間もなく発見してるって流れが自然に思えるんですよね……
すると、まあ始まりは小5あたりになるのかなあと。
ただ、硝子が転校していったのは冬辺りぽいからなあ……うーん。その辺が微妙になってくるんだけれど。
でも再会の場所は病院とか、硝子の学校を突き止めて訪問してきたとかも聞くし、
硝子視点で原作を振り返ってみたつもりだけど、『その解釈おかしくない?』ってトコも
多々あるかもしれません……すいません。

あ、そういえば、原作に出てきた音楽の先生?
あの人、一見いい人そうだけど、ああいう人のがかえってタチ悪かったりもするような。
デリケートな問題に、いい人ヅラして中途半端に干渉した結果、硝子はあんなコトになってしまったとも思うんですよね。
とはいえ、干渉し過ぎるのも、放置しすぎるのも、更にまずい問題だろうし……
いやホント、よっぽどバランス感覚とれた人じゃないと、こういうのは上手く捌けないでしょーね……(;一_一)

これが、僕の初めての一人称小説になります。
……まあ、硝子が完全には聞き取れていないハズのセリフもしっかり描写しちゃってたりするので、
ちと邪道かもですけど……

自分としては、完全に男向けに書いてるつもりなんだけど、完全女子視点って、男性にとってはどうなんでしょう……?
自分が読者だった時のことを考えてみると。
ラノベにおいては、ヒロイン視点オンリーの話では、イマイチ気に入ったのないんですよね。
小説でも、荻原規子さんの白鳥異伝くらい?
でも僕は子供の頃から少女漫画にも慣れ親しんできたせいで、ヒロイン視点に抵抗ないだけの可能性もあるんですよね……
う~ん……一応、この話では硝子ちゃんに『天然』要素を付け足したりしてみて、
僕的には萌えポイントを追加してみたつもりなんですが。

今回の話では、最後の最後のトコだけすごい悩む羽目になりました。
あ、ちなみに最初は5章で終わりで、6章は全くない形でした。
でもこれじゃなんか寂しいなぁと考えて、ちょこっと6章を足してみるコトにして……
最初はどんなラストを考えていたのかは、↓のメモ的なモノの、一番下に一応載せてみました。

という事で、お付き合いありがとうございましたm(__)m

(パジャマな彼女って漫画の同人小説も書いてまして(そちらは長編)、こちらに投稿もしてたりします。
原作のエンドが気に喰わなかった方には、見て頂けると嬉しいですm(__)m)




──────以下完全にメモ的なもの-------------------------

いや。ふーん。綺麗 可愛いのに、その耳じゃあな
彼のキツイ言葉は、聞き慣れていたハズだつたのだけど、なんだかやけに痛かった

あの頃はいじめに夢中になってて気づかなかったけど。お前かわいいんだよな
・もったいないな。まともなら、モテ放題だったろうに
彼の物言いは昔と変わらず辛辣だ。
壁をつくってる他の人の言葉よりは嬉しい……ハズだったのだけれど、最近何故だろう
時折、彼の言葉に痛みと──切なさを

時折、妙に硬い顔で接してきて→ 好きにならないように、勘違いしないようにしてる。
昔の自分がしたことをおもえば、そんなことアリエナイ 許せないと

自分のクラスでは浮いてるから。入り浸り? 通訳になったり。

好奇の目を向けられても気にしない……フリをする将也

トラブル、文化祭でダメにするとか運動部のダレかとか。
せめられるのに、「オレみたいなんでも後悔したんだ。お前らみたいなやつならもっとずっと後悔する。
怒りはオレにでも。(オレみたいなんならあとで後悔することもないだろう)
カレの言葉は完全には聞き取れなかったけれど、小学校の頃のことを口にしているらしいことは理解できた。
カレが私をかばってくれたコトは嬉しかった。
でも申し訳なかった。なんでそこまで私に。
……そして、少しだけ。罪悪感からだけで、こうしてくれてるんだと思うと・……悲しくもあった。

告白男子に責められた? そういう気持ちがないならベッタリするなと。
そんなんじゃ彼女を好きな男も近寄れないとか?

外見とか態度はそのまま……いや外見は勿論年月なりにかわってるのだけど。
かわってないのに、なんだか変なところだけマジメなような。
変な男の子だな 不良ぽいのにマジメでチグハグな変な人……ここで笑うとパジャカノとまったく同じだな……うーん

自分でいうのもなんだけど穏やかな気性→これは。事実なんだけど、やっぱ言わせたくないな……

いつも傍にいて、何かと冷やかされても堂々と「借りを返そうとしてるだけだ」と。
お前と以前に過ごしてた間と同じ期間、尽くすんだと。
そうはいっても、私と四六時中いるような人だ、基本的には孤立していく。
なんだかんだでそのあともいてくれるだろうと……たかをくくっていた
でも、その時がくると本当に離れてしまった。
そして彼は、ウソのようにまわりに溶け込んでしまったようだった
多分、文化祭の時の一件で、彼への誤解は一気に溶けたのだろう

頬を抑えて唖然として
こちらをみつめている。私の怒りがまるでわかっていない様子に、
怒りで喚いたけれど、私の口から出たのはきっと奇声だっただろう
ますます怪訝な様子に悲しくなった。
周りの視線なんか気にならなかつた

わからない でも、貴方が女のコたちに笑いかけているのが、なんだか酷くイヤだった──
「え、おいまさかそんな……あれが、男子とだったらどうだった」
それは以前も見かけてる。寂しさはあったが、腹立たしさはなかった。
そもそも、時期がくれば離れるというのは彼は宣言していたことで、
私が怒るのも筋違いなのに
「ええ……まさかそんな……ありえない許されないと思って自制してたのに」
うつむき続ける私の顔を、彼の両手が挟んで持ち上げてくる
「三文字の単語くらい、しっかり唇読み取れるよな? 今手ぇふさがってんだよ」
見たこともないほど真っ赤な彼が、そして口にした言葉は──

カレが口にした三文字のその言葉。
もちろん読み取れた、ようやく呑み込めて。
そして私の顔は、多分彼以上に赤くなったと思う

……私のような小娘が生意気な、と思われるかもしれないけれど。
それでも、本当、人生とはわからないものだと声を大にして言いたい。
だって、こんな障害を持ってしまった私は、もう恋なんてものに一生縁がないだろうと思っていたのに。
なのに、あんなに私の事をいじめてきた彼が、まさか私の恋人になるだなんて。
そんな摩訶不思議な事が起きたら、私のような小娘でも『人生って、本当に何が起こるかわからない!!』
なんて言いたくなるのも、無理もないことだと思う。
そうだよね、ショーヤ?


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将也編

1.

 

……えーと。

オレが西宮硝子と再会してから、2ヶ月くらいになるのかな。

その間なんだかんだあって、オレはショーコと付き合う……付き合える事になったんだが。

 

 いや、『加害者が被害者と付き合うとか虫がよすぎだろ』って眉をひそめられるのはわかってんだよ、

でもよぉ……いや、これはとりあえずはパスだ。

具体例と一緒に言い訳した方が、まだ説得力ありそうだからな。

 

 まあそんなワケで、話を変えて。

俺がショーコと付き合ってく上で、まずやらなけりゃならねー事は──

 

─────────────────────────────────

 

「今度、おまえの親に挨拶にいきたいんだけど」

 

 いつものように、ショーコと二人で空き教室で昼飯を食ってる時だった。

俺が切り出した話題に、ショーコが弁当箱から大学芋をつまみ上げたところで固まって、

(関係ねえけど、ショーコの弁当は大抵和風だ……まあコイツのイメージ通りな気もするけど)

ぽろりと芋を弁当箱へと零した。

 直後、

『コクコクコク!』

と、少し顔を赤くして何度も頷いてきた。

その顔は嬉しそうに笑ってもいて、

 

──あー、コイツなんか勘違いしてそうだなァ……

 

 そんな風にも思ったんだが、それを否定してもいい事はなさそうだったから、何も言わずに。

そのまま、次の日曜日にショーコん家に行く約束を取り付けた。

 

……さて、覚悟は決めておかなきゃ、だよな。

 

 

─────────────────────────────────

 

2.

 

 んで、その当日。

オレは朝から、格好や髪型について悩んでいた。

『もっと真面目そうに見える服がいいか?』

『今日は髪を下ろして行った方がいいんじゃねーのか』

とかな……

 でもそうやって自分なりに決めたつもりの見た目は、鏡で確認してみっとやっぱミョーでなァ……特に髪型。

七三なんかにしてもみたけど、正直ヤクザみたいなんにしか見えないんだよォ、クソったれ……

 

 そういう訳で、もう見てくれに関しては諦めて。

いつも通りの、ショーコ曰く『野菜みたいな名前の王子様ヘアー』で行くことに決めた。

 

……そもそも今日は、好感度稼ぎに行く訳でもねーんだ、

ガラの悪ぃ外見のまま行ったほうが……多分、オレの目的の為には都合がいいコトになるハズだった。

 だから、手土産なんかも勿論用意しない。

……だがまあ、もしかしたらって事もあるから、

数カ月分のバイト代(10万足らずという、目的の額には全然足りねえけど高1のオレにとってはすげー大金)

を一応、しっかりと懐に収めて。ショーコとの待ち合わせ場所に向かった。

 

─────────────────────────────────

 

 オレが着いた時には、もう先にショーコが来ていた。

オレだって一応、時間前には着いたんだが……まあこの辺はショーコらしいよな。

 それはともかく、ショーコの私服姿を見るのは小学校以来で……

 

……………………。

 

『……どうかしたの?』

 

……どうやら結構な時間呆けてたらしい。

ショーコに話しかけられてから、ようやく我に返った。

 

──クソ、カワイイじゃねーかよ。

 

 格好も色合いも大人し目の、はっきりいって地味っていってもいいくらいなのに、

コイツの清楚な感じをより引き立たせている気がして、本当によく似合っていると思った。

 

……そんな風に思っちまうのは、オレが完全にコイツに惚れ込んじまったせいなのか……?

 

 とは言っても、だからといって

「オマエの私服姿、すげーカワイイな」

なんてセリフ、オレのガラでもねーし。適当に誤魔化して、ショーコの家へと向かった。

 

 そうやって案内してもらう道中、ショーコの機嫌は相当によかった。

 

──やっぱり、コイツわかってねーんだな……

 

 その笑顔が後でどうなるかを思うと、ちと胸が傷んだが……

例えショーコを騙すような形になるとしても、これはぜってー避けて通るワケにはいかない事だ。

心ン中だけでショーコには詫びて、やがてショーコの家へと辿り着いたんだが、

 

──す、スゲー家だなオイ……

 

 圧倒されちまった。

勝手に一般庶民の家を想像してたんだが……平均よりずっと大きく、何より洒落たデザインつーか。

ショーコの質素なイメージからは、随分とかけ離れていた。

 

 門扉の所で立ち尽くしてぽかんと家を見上げていたら、

オレが呆けている事に気付かなかったショーコはすたすたと歩いて行って、もう玄関へと辿り着こうとしていた。

 オレが慌てて玄関まで駆け寄ろうとした所でショーコがドアを開いて、

 

……そこで、今日三度目の、そして今日一番の圧倒に見舞われた。

 

 ドアの向こうに立っていたのは、三十から四十代くらいに見える男──普通に考えて、ショーコの父親だろう。

そこまでは予想通りだ、何も驚くことじゃない。

 

……けどそれが、身長2メートルくらいありそうで、

しかもムッキムキのとんでもなくゴッ──ツイおっさんとなれば話は別だろ?

 

──こ、これがショーコの親父さんだってのかァ……!?

 

 あまりにも予想外過ぎて、オレが何も言えずに固まっている間に、のそりとショーコの親父さんが家の外へと出てきた。

 明るい昼間の陽の下、改めてその姿を見つめていると、ふと既視感が湧いた。

なんだかつい最近、この人によく似たヤツをどっかで見たような……

そうだ、こないだテレビでやってた、もう随分昔の映画。確か、ターミネーターとかいう名前の──

 

『鉄拳』

 

 それは、正にその一言だった。

 目を見開いたままのオレの視界の中、親父さんの右手が持ち上がって。

その次の瞬間には、ゴリラみたいな顔した俳優の事を思い出しかけていた思考ごとオレはぶっ飛ばされた──んだと思う。

 だって、親父さんの右腕が霞んだと思ったらすんげー衝撃があって、

次の瞬間オレの視界には一面の空が広がっていたから。

これはつまり一撃で意識が飛んで、その間に宙をぶっ飛んで、地面に倒れ込んだ衝撃で目が覚めた──ってトコだろう。

 そんな分析をぼんやりとしていたら、

 

「二度とウチの娘に近づくな」

 

 その親父さんの声に、まだ身体はあまり動かせなかったがどうにか頭だけ持ち上げると、

親父さんに家の中へと押し込まれていくショーコの姿が見えた。

 顔いっぱいに呆然の表情を浮かべて何度もこちらと父親を見比べているその姿は、

『私は夢でも見ているんだろうか?』とでも言わんばかりで。

一体何でこうなったのかさっぱり理解していない様子だったが、それもすぐにドアに遮られて見えなくなった。

 

──ショーコ……お前ホンキで、こうなる可能性を欠片も思いついてなかったんだな……

 

 オレからすりゃあ……ていうか、普通に考えたら。

こうなる以外の可能性が、むしろ殆どなかったと思うんだがなァ。

 ショーコお前、もしかして、

『初めての彼氏を、誇らしげに家族に自慢』とか『私なんかに彼氏ができたんだよ!お父さんたちも喜んでくれるよね』

とでも考えてたんじゃねーだろうな?

 

……でもなあ、ショーコ。

 

 オレは『石田将也』なんだ。オマエを『手酷く虐げていた男』なんだよ。

 

 これがオレ以外の男だってんなら、お前が思い描いた通りの反応、親はしてくれたかもな。

けど、オレじゃあダメだ。オレだけは、ぜってー認められねー筈なんだ。

 

 なのに、本当にこうなる可能性をわかってなかったってんなら、

それは流石にお花畑すぎるぞ……ってそうか、ショーコの中ではあの頃の話は、

完全に過去のコト、終わった話、オレを恨む気持ちなんて全然残ってない、ってコトなのかもしれねーな。

 

 アイツは親のコトも随分尊敬してるみたいだったし、

『自分が気にしてないぐらいなんだから、尊敬する親が恨みになんて思ってる筈がない』

みたいな考え、してたのかもしれない。

 

「……ぉぐっ……つぉお……」

 

 ゆっくりと、どうにか身体を起こしてから。よろよろと立ち上がる。

 いや、ホントとんでもねー一撃だった。

ガキの頃からケンカばっかしてたし、『あれ』以来ボコられた経験もそれなりにはあったんだが、

あんなのは所詮ガキのケンカだったんだな……と、心底思い知らされたぜ。

 これは後で気づいた事なんだが、その一発で奥歯まで折れてたんだからなぁ。

 

……そーいや小学校の頃、オレ、ショーコにも勝てなかったっけ。

あいつのあの強さ、もしかして父親譲りだったのかね……?

 

 そんなしょーもないコトを考えながら、家路について。

とぼとぼと歩きながら、ポチポチとケータイを打った。

 相手は勿論ショーコだ。

ちゃんとフォローしとかねーと、我にかえったショーコがパニくりそうだし。

 

……つってもまあ、今すぐに送信しちまうと、

もしかして今頃はショーコのヤツ、親父さんに詰め寄ってる最中かもしんねーし。

 今このタイミングで届くメールなんて、オレからじゃないかと親父さんに見咎められそうだからな。

ショーコなら後でぜってー謝罪メールを送ってくるだろうから、それが届いたら即返信出来るように下書きを拵えていく。

 

 それにしても、この顔、明日は相当酷いコトになるんだろうな。

……あー、せっかくショーコのクラスの連中とは仲良くなれたんだけど。

こんな、明らかに殴られた跡を見せつけちまったら

「……やっぱり、不良だったんだ……」

とかって、また避けられるようになっちまうんだろうか……

 

……………………。

 

……でもまー仕方ねーよな。これは当然の報いだし。

 そもそも、

『オレがショーコのクラスの連中とギスギスしてたら、オレの傍にいるショーコまで変な目で見られちまうから』

ってのを免罪符にして連中と打ち解けようとはしてきたけど、

ショーコがオレのせいであんな風に壁を作るようになっちまってるのに、

それを差し置いてオレだけが友人を増やしていこうってのが虫のいい話だったんだ。

 

……だな、自業自得、身から出た錆、自分で蒔いた種。

 

 自分がやらかしたコトの結果なんだ、自分で受け入れる以外の選択肢なんてあるワケねーんだよな。

 

─────────────────────────────────

 

3.

 

 んで次の日、いつもよりちょっと早めに登校したオレは、教室にカバンを置いて、

……ちなみに、ウチのクラスにちらほらいた連中のオレを見た反応は、

『うわ……何アレ……』といった感じの眉をひそめた視線と、ひそひそ声だった。

 

 まあそんなのは予想通りだし、いつもの反応とさほどかわんねーしで、別に気にしねーで。

こちらもいつも通り、ショーコのクラスに向かった。

 

 けどショーコはまだ来てなかったようで。

 さてどうしたもんか、今のオレがここに居座ると空気悪くなっかなー、と危惧していたら、

オレを見つけた何人かの男子──オレとよくつるんでくれる、有難いヤツラだ──が駆け寄ってきた。

 

「おい石田っ、その顔どーしたんだよ!?」

「え、え!? い、いや……ちょっと殴られた、だけなんだけど……?」

 

 ちょっとした剣幕で詰め寄られて、ちょっとばかし引いちまったら、

 

「ちょっとって……! そんなでかい絆創膏でも隠しきれねーくらい腫れてるじゃんか!」

「なんでそんなコトになっちゃってんだよ!」

「不良かなんかに絡まれたのか? ──くそっ、お前見た目のせいで誤解されやすいけど、全然マジメなヤツなのに! ひでーコトしやがるっ」

 

……これは予想外の反応だった。

全く、ショーコのクラスの連中は、ホントクソったればっかだ。

ちくしょう、やめろってんだよ。泣きそうになっちまうじゃねーか……

 

 本当の事を言うわけにもいかず、けれどショーコの親父さんを悪く言わせておくのも忍びなく、 

オレが上手く話せないでいると、そこにショーコがやってきた。

 

「……ぁ……」

 

 小さくではあるけど、珍しく人前で声を出したショーコが、オレの顔に目を留めて固まった。

特に、腫れ上がった頬に注視したんだろう、くっと顔をしかめて一直線にオレの所にやってくると、

オレの手をひっつかんでずんずんと歩き出す。

 

「あ、お前ら、心配してくれてありがとーな! ……めちゃ嬉しかったわ」

 

 首だけ振り返って、さっきまで話してた連中に礼を言って、後は逆らわずにショーコについていく。

オレとしても、話をするのに場所を変えることは賛成だったし。

 手話だけなら周りの連中にオレらの会話が聞かれるコトはないんだが、

オレ、ショーコと話してる時、手話と口からの言葉と併用しちゃうクセがあるしな……

それでもし昨日の顛末が知れ渡ったりしたら、やっぱショーコにとっても良くない事だし。

 

 あ、ショーコの名誉の為に言っとくと、この時のショーコは別に保身とか考えてたワケじゃないぜ?

『私と、私の家族の不始末をヒトに知られたくない』っていうようなのとは違う。

単純に、恥ずかしがってるだけなんだ。

 付き合いだしてから、どーもショーコは、人前でオレと話すのをやたらと恥ずかしがるようになった。

なんでも、クラスメートの女子に

 

「西宮さん、石田クンと話してる時って、完全に二人きりの世界作ってるよね~。

周りがうるさい中でも、二人だけで静寂の空間作り上げて、二人にしかわからない会話をして。

……なんかロマンチック~~~!!」

 

 みたいな事を言われたようで、それ以来らしい。

 

……オレからしたら『なんだそりゃ』な話なんだがなァ。その辺り、女子の感覚はわからねェ……

 

 おっと、話がそれちまったが。

 ともかく、いつも昼飯を食ってる空き教室までやってくると、

ショーコはグルン! と振り向いてきて、ガバッ! と腰を90度曲げて頭を下げてきた。

 

「な、おい!? ちょ、やめろって……!」

 

 非なんて全くない『カノジョ』にそんな風に平身低頭されても、こっちは困るっつーの。

慌てて頭を上げさせたが、相変わらずショーコの眉はハの字のままだった。

 そんなショーコがハッとなると、突然紙袋を突き出してきた。

 

「……なんだコレ?」

『せめてものお詫びにと思って。菓子折りを持ってきたの』

「……………………」

 

 うん、まあなんだ。

しっかり謝罪しようという、その心意気はコイツらしいと思うし、好ましくも思いはする。

 

──けど、『カレシ』へのお詫びに『菓子折り』。

 

……コイツ、再会当初、オレの事を「なんか変な人になっちゃったなあ」とでも思ってたフシがあるんだが。

やっぱ、おかしいのはコイツの方だと思うんだよあ……

 

─────────────────────────────────

 

 その後もぺこぺこ頭を下げ続けるショーコをどうにか落ち着かせたところで、もう朝のHRの時間は間近になっちまった。

そんな訳で話は一旦保留ということになって、昼、改めて昨日の話をする事になったんだが、

 

『それにしても、お父さんは酷すぎると思う……!』

 

 眉をハの字にする事はどうにかやめてくれたショーコだったが、今度は逆八の字の眉になってしまっていた。

弁当をつつくのもおざなりに、プリプリと怒り続けてやがる。

 コイツの怒り顔なんてのは、かなりレアだ。

俺が知るかぎりでは、他には小学校のケンカん時と、女子との手相占いで嫉妬された時ぐらいか?

なもんだから、しばらくはポケーッとみとれたりもしてたんだが、

いつまでもほっとく訳にもいかないんで、ショーコの勘違いを解くことにした。

 

「あのなぁ、ショーコ。親父さんの対応は、別に全然フツーだと思うぞ」

 

 オレがそう切りだすと、ショーコは『どこが!?』と言わんばかりの顔になったが、

 

「お前、自分のコト過小評価してそうだからわかんねーのかもしんねーけど……

いや、お前をそんな風にしたのはオレだろうけど、よ……まあそれは今はともかく。

逆の立場になって考えてみれば、お前にもわかるだろ?」

『……?』

 

 ショーコが首を傾げたんで、喩え話をしてみる。

 

「例えばだ。お前の親父さんを酷く虐めている人間がいたとし……て……」

『……お父さんが、虐められ……?』

 

 とりあえず話しだしてはみたんだが、すぐに無理がある事に気づいて尻すぼみになっちまった。

……あんなとんでもないボディービルダーみたいなのが、イジメの被害とかありえねえ気が……

ショーコの方も『 ? ? ? 』みたいに何度も首を傾げている。

 

「い、いやまあなんだ。大人って色々あんだろきっと!?

ほら、逆らうわけにはいかない上司にネチネチ嫌味言われるとか!

客の理不尽なイチャモンに黙って頭下げ続けなきゃいけないとか、そんなんが一杯あると思うんだよ!」

 

 そんな風に畳み掛けたら今度はショーコも一応頷いてくれたんで、

 

「うん、そんな感じでよ。

例えば、いっつも親父さんの手柄は横取り、自分の失敗は親父さんに押し付け、

みたいなヤツがいたとすんじゃん?

そんなヤツがある日いきなりお前の前に現れて

『私はお父さんの親友なんだ。これからも君のお父さんには "色々と" お世話になるつもりなんでよろしく』

……なんて言ってきたらどう思うよ?」

『……そんな、ひどい話……! そんなの友達でも何でもないし、許せない!』

「……だろ……?」

 

 狙い通りの反応は引き出せたんだけど、やっぱショーコのその言葉は、オレには痛かった。

それを顔に出しちまったんだろうな、ショーコがはっとなって、

 

『あっ!? でっでも! その喩え話と貴方の場合は全然話が違うと思う!

あれはもう昔の話だし、私は気にしてないんだし、

やっぱり話も聞かずに問答無用で殴り飛ばすなんて、あんまりだと思うの!』

 

 ショーコのフォローは有りがたくはあったが、オレはそれに甘える訳にはいかない。

けれどこの話を続けても平行線になりそうだったから、

 

「そんなコトよりよ、いいのかお前? ホントは、親に『オレともう会うな』とか釘刺されたんじゃないのか」

「……っ!」

 

 ショーコが息を呑む。だよな、やっぱりそう言われたに決まってんだよな。

 

……正直、そんな風に親に言われたハズのショーコが別れ話を切り出すんじゃないかって不安があったんだけど。

どーもこの様子だとそれは杞憂だったみたいで、そのお陰で実はこの時のオレ、結構機嫌が良かったりもしたんだけど。

でも反対にショーコは、この話題に暗い顔になっちまって、

 

『……そんな意地悪言わないで』

「へ!? いっいや、違うぜ!? 別にそんなつもりじゃ……」

 

 単に、確認はしておきたかっただけだった。

んだけど、ショーコの方は責められてるような気分になっちまったのか、俯いて、

 

『……私は』

 

 一度は俯いたショーコだったが、その顔をすぐに上げて、まっすぐにオレの顔を見つめてきた。

 

『お父さんたちに何と言われたって。……もう絶対に、貴方の傍から離れるなんて嫌』

 

……そのはっきりとした意思表示に。オレは痺れちまった。

 

 ショーコはきっと、親の言う事にはきちんと従うような、模範的な娘だった筈だ。

 そんなコイツが、オレといるためには親にも逆らってくれる──その事実が。

申し訳ないって気持ちもあったけど、それを遥かに上回る感動と嬉しさで胸がいっぱいになっちまって、何も言えなくなった。

 

 それで黙りこんでいたら、

 

『……貴方の方こそ。あんな目にあって、もう私の事は嫌になった……?』

 

 ショーコが悲しそうに眉をひそめたもんだから、

 

『……もしそうなら。貴方の方こそ嫌になったのなら、それは──』

「今度の日曜も、またお前んち、行くからな」

 

 ショーコの言葉をぶった切ってやった。

『え……?』って感じで、まだ理解出来てないショーコに、

 

「へっ。悪魔の申し子みたいなこのオレさまが、あんなヘナパン一発でどうかになるとでも思ってんのかよ?

何ヶ月かかろうが何年かかろうが、お前の親に認めてもらうまで通い続けてやるに決まってんだろ」

「……っ……!」

 

 ショーコのヤツにあんな熱い告白されちまったら、こっちだってビシッと言ってやるしかねーってもんだ。

 ついでに不敵に笑ってみせてやると、ぱっとショーコの顔に笑みが浮かんだんだが、

しかしそれもまたすぐに暗い顔に戻っちまって、

 

『……でも。お父さんのあの様子じゃあ、本当にまた殴り飛ばされると思う……』

「望むトコだっての。それはそれで、オレの望み通りなんだからな」

『……え?』

 

 オレの答えに、ショーコが不思議そうな顔になって。

すぐに強がりや冗談じゃないとわかったのか、何か納得したような表情になると、

 

『貴方もマゾだったの?』

「……なんでそうなる!?」

 

 思わず、ツッコミのチョップまで放っちまった。

 

 こ、この天然娘はよぉ……!

オレなりに決めてつもりのセリフを変態ゼリフにしてくれやがって。

 

……ていうか、『貴方も』ってなんだ『も』って。

 

「んなわきゃねーだろが。そうじゃなくて、贖罪つか禊っつーか……きちんとした罰を、もっと受けておきたいんだよ」

 

 オレは確かに、天罰っていうか因果応報っていうか、

俺がショーコに与えていたモノを他の連中から与えられる事になった。

 けど、本来それをオレに与えるべき人物はアイツラじゃなくてショーコであるべき筈だ。

しかし、このショーコでは、どうにもそれは果たしてはくれなそうで──

そうなると、娘を害された親から報復してもらうのが道理だって思うんだよな。

 

……本当なら。

 ショーコに再会するのは、もっともっと先になる筈だった。

ショーコにもう一度会いに行く為には、少なくとも1,700,000円を貯めてからでないと。そう考えていたんだけど。

 

 けど、高校に入ってすぐに、ショーコもこの高校にいると知って。そんな決意は揺らいじまった。

 一日はとりあえず我慢したけれど、学校が同じってんじゃあ、その内バッタリ顔も合わせてしまうだろう。

それならもう、と開き直って。

 大事にしまっておいた『オレが放り捨てたノート』を引っ張りだして。

ショーコを探しまわって、走り回って。コイツを見つけちまったんだ。

 

……そして、オレの話を聞いたショーコに。

『何を今更!』とひっぱたかれて、嘲笑されて。

 オレの五年間の思いを粉砕されて、あれからずっと抱いてきた恋心を完全に踏みにじってもらって、

それでようやく本当の罰になるはずだったのに。

 

……ホント、アレには参ったぜ。

 

 いや、ショーコが小学校の頃とかわんねー性格してたら、

オレが覚悟してたような展開にはならないだろうって可能性、もちろん頭の片隅にはあったぜ?

それにしたって、せいぜいが『もういいよ、昔の話だし』って感じでさらりとスルー、くらいなもんだと思ったんだが。

 

……コイツが返したきた応えは、『握手』、ときたもんだからなァ。

 

 アレで、更にコイツに惚れ直す羽目になっちまったんだよな……全く。

 

「ホントは、再会時、お前にぶっ飛ばしてもらう筈だったんだよ。それが一番筋が通ってるだろ。

……ケド、残念ながらお前はあの頃から変わらず、天使サマみたいに優しーままだったからなあ?」

 

 オレにしちゃー珍しく、素直にショーコの事を褒めるような事を口に出来たんだが、

けどそれを聞いたショーコは『うっ』という感じで怯むと、何やらもじもじとし始めた。

……といっても、褒められて恥ずかしがってるという感じじゃなく、何かを言いにくそうにしている様子で。

 親しくなってからは、ショーコがそんな風に言いよどむのはちょっと珍しい。

 

「なんだ、どうした?」

 

 促すと、ショーコは申し訳無さそうに縮こまりながら。

 

『天使みたいに優しい人は、嫉妬したからって全力で平手なんて振るわないと思うの』

「ぶはッ!? ──ハハハハハハハ!! そ、そりゃ……!」

 

 オレが腹を抱えてゲラゲラ笑い始めると、ショーコのヤツは

『え、え? な、何が可笑しいの?』と狼狽えてやがる。

 

……ホンット、コイツは……!

 

 ああそうだ、この話を始めた時に言いかけてた事、ここで言うのがちょうどいいや。

 

 可愛くて、性格も出来過ぎで。その上、こんな風に笑わせてもくれる。

 こんな最高の女に好かれてると分かったら、罪悪感があろうがなんだろうが、

その誘惑に逆らえないのは……男だったら当たり前って思わないか?

 

 

─────────────────────────────────

 

4.

 

 そんな訳で毎週日曜、ショーコの家に殴られにいくのをスケジュールとして決めてみたワケなんだが。

 正直、『毎回毎回歯をへし折られていったら最後には総入れ歯か……!?』

なんてショーコに隠れて戦慄してたんだけど、その心配はいらなかった。

 

 二度目の訪問では、腹への強烈な一撃だった。

多分、威力そのものは初訪問の時のそれより弱かったと思うんだけど、その苦しさは一度目を凌駕していて、

随分と長い時間うずくまって悶絶する羽目になっちまった。

 ボクシングの話で、ボディーでダウンする時は地獄の苦しみ、とか言われるのがよーくわかった一撃だった。

 

 その次の週は、ビンタだった。

──まあ、ビンタつっても身体が一回転するような、すんげーヤツだったけどな……

 

 そしてその翌週は、バケツで水をぶっかけられるだけで済んじまった。

 

 そんな調子で、相変わらず玄関の内側にも入れてもらえない日々ではあったけど、

覚悟してたよりも遥かに早いペースでの親父さんからの『洗礼』の軟化に、

オレとしては話だけでも聞いてもらえる日は意外と近いのかな──なんて考えてたりした。

 ただ、それは有難い事の筈なのに、なんかイマイチ嬉しくないというか、ミョーにザワザワするというか、

物足りないものがあるような……そんな感情もあったりしたんだけど。

 

……まさか、マジでオレ、マゾとかじゃないよな……!?

 

 ま、まあそれはともかく、ショーコの方はというと、こちらは100パー納得がいかないようで、

親父さんが軟化していってるのにも関わらず、反比例するかのように不満を貯めこんでいってる感じだった。

 

「いや、お前の親父さん、やっぱすげー優しい人だって。本気で殴られたのは、最初の一回だけだぞ」

『私の為に怒ってくれているのはわかった、だから一回だけならまだわからないでもない。

でも、その後も私の話も聞かずに暴力を振るい続ける人は、とても優しいなんて言える筈がない……!』

 

 オレが一応フォローしてみても、どうにもショーコの怒りは治まらないようで。

この優しいショーコが、オレの為にはこんな風に怒ってくれるんだな、と思うと、

ちょっと──いや、かなり嬉しくもあったんだけど。

 オレのせいで、良好だった親子仲が悪くなるのは申し訳ねえし、どうしたもんか──なんて悩んでた日曜日。

『今日は、いつもより早めに来てほしい』というショーコからの連絡があった。

 これはちょっと珍しい事だった。

 オレが何の話もさせてもらえず追い返される日々に腹を立てていて、

むしろオレを家からは遠ざけようとしてたぐらいのショーコからの催促。

 これはもしかして、とうとう親御さん、オレに話をさせてくれる気になって、

それ故にショーコからこんな連絡来たのか? な~んて考えが浮かんだりしたんだが、

 

……まあそれは、見事な早とちりだった。

 

─────────────────────────────────

 

 ショーコん家にいつもより早く着いたオレは、ついにショーコの家の敷居を跨ぐことが出来た。

そして今、土間に立つオレの目の前には、初めて目にする人物──ショーコの母親が、式台に立っていた。

 

……木刀を両手でしっかりと握りしめて、オレの顔面へと突きつけながら、だ。

 

「い、いい加減にしなさい……! 何度も何度もしつこく嫌がらせに来て!」

 

 ショーコのお袋さんを見たのはこれが初めてだったんだが、うん、これは確かに美人だった。

多分ショーコが二十年くらい年をとったらこうなるんだろうなあ、というイメージそのままの顔で、

『ショーコ、お前は母親似でホントよかったよなあ』

なんて感想を抱いて、必死に母親にすがりついているショーコを見つめてみたり。と、

 

「主人は、すぐにでも帰ってきます……あ、あの人がいない隙を見計らったのか知らないけれど、それまでは私が硝子を守りますから!」

 

 その言葉で、ピンときた。ショーコなりに案じた一計が、裏目に出ちまったんだなと。

 いつもいつも、父親に追い返されてしまうオレ。ならば、母親ならどうだろう。

母には父のような腕っ節はないし力ずくに追い返す事は出来ない筈で、それなら話をするくらいには持ち込めるのでは。

父がいない間なら、これはチャンスではないのか、と──そんな風にショーコは考えたのかもしれなかったが、まあ、その結果は目の前の光景だった。

 

「そ、そうやって睨みつけていれば怯むとでも!?」

 

 いや、勿論そんなつもりはなかったんだけど。

こういう場面になっちまうと、ホント生まれつきの目つきの悪さは、ろくな方向へと働きかけてくれない。

 溜息でもつきたい気分だったが、しかし恐怖と緊張からか、ぶるぶると震え続けている母親の手に

ますます力がこめられていく様子が見て取れて、内心焦った。

 父親の鉄拳もメチャクチャ厳しかったが、素人の木刀はもっとやばい。

狙いも無しに、力任せに突き出されたそれが、目や喉に突き刺さろうものなら──それはちょっと洒落にならない。

 

「いや、その──」

 

 とりあえず愛想笑いでも浮かべて、どうにか落ち着いてもらおう──なんて考えたんだけど。

 

 しかしまあ、そのヤバい状況に、オレも実はかなりテンパっちまってたんだなー。

 極悪な人相のオレが、引きつった笑いなんか浮かべて──それが初対面の人間にどう捉えられるか、

そんな分かりきったコトを失念しちまってたんだから。

 

「ひっ!?」

 

 唇の片方だけを釣り上げた、(オレにとっては)愛想笑いに、母親は一瞬の悲鳴を上げると。

ブンッ、と木刀を大上段に振り上げて。

『ヤベ!?』と思った瞬間には、もう一気に振り下ろしてきた。

 

「っ!!」

 

 ギリギリ、頭は傾けて頭部への直撃は避けたんだが、

 

──グシャッ!

 

 そんな鈍い音が、オレの左肩──正確には鎖骨かな──辺りから。

身体の中を伝わるようにして、聞こえてきた気がした。

 

「────ッッッ……!!」

 

 閃光のように、鋭く痛みが脳内を走って、そして次の瞬間、ブワッ、と全身から脂汗が吹き出した。

 打たれた箇所は火でもつけられたみたいに熱いのに、そこ以外の体中からは一気に熱が奪われていくような。

突然雪国にでも放り出されたような寒さを感じて、大きく震えると。ガクっと両膝をついて、うずくまった。

 

 そこで、カラン、という音がして。

きつく閉じていた眼を開いてみると、木刀が目の前に転がっていて、

ショーコの母親もペタン、と廊下に座り込んでいる姿が目に入った。

その顔色は蒼白で、全身がカタカタと震えてもいて。

 その様を見てオレが思ったのは、

 

『……ああ……本当に悪いコトしちまったな……』

 

 って事だった。

 きっと暴力なんかにはずっと無縁だったんだろう、

なのに、オレが押しかけて怯えさせてしまったせいで、そんなマネをさせる羽目になっちまって。

そしてそのせいで、こんなにもショックを受けさせてもしまって。

 

 本当に、申し訳ないって思った。

 

……けど、その時のオレには、反省で落ち込んでいる暇もなかった。

 

「──ルあニォをオオ!!!!」

 

 突然、そんな叫び声が聞こえたと思ったら、

その声の主──ショーコが、座り込んだまま茫然自失に陥っている母親を押し倒すと、そのまま馬乗りになって。

拳を振り上げやがったんだよ。

 

「な!? ちょっ待て!!」

 

 靴を脱ぐヒマなんてある筈もなく、慌てて家の中に上がり込んでショーコの振り上げた手を掴んだ。

 

「ナんぜ! アんでェええ!!」

 

 それでもショーコは落ち着かなかった。

今度は反対側の手を振り上げてきて、でも今のオレには片方の腕しか使えねーし。

 

「バッ、落ち着けよ!?」

 

 ショーコの腹に右腕を回して、母親からひっぺがした。

二人してドスン、と尻もちをつくような勢いで廊下に座り込んだが、それでもまだショーコは暴れる。

 コ、コイツってキれるとヤベーんだな……!

 

 っていうか、あーくそ、これもまたオレの失敗だった。

 親のオレへの対応に、ショーコがどんどんストレスを貯めこんでいってるのは分かってたのに。

それにいつかの嫉妬ビンタの時の事も鑑みれば、コイツは散々溜め込んだ挙句に爆発するタチ、ってのは

予想出来た筈だったのに。

 

 うーん、今後ショーコと付き合ってく上では、やたらと貯めこむ前にちゃんとガス抜き出来るようにしてやるのも

課題の一つだな……

 

 しかし今は、反省している場合でもなく、ショーコを落ち着かせるのが先だった。

……それに密着した状態で暴れられてちゃ、ますます肩がヤバく……

 背後からでは

「いてーから落ち着いてくれ」

つっても、オレの唇が見えてないショーコには伝わらねーから、

どうにかショーコの顔の前に右手をかざして、全部の指を曲げた手を左右に動かした。

 それでようやく我に返ったのか、ピクンッ、と反応したショーコが暴れるのをやめて、勢い良く振り返ってきた。

 

『大丈夫!? 痛いって──大丈夫!?』

「あー。お前が暴れるのやめてくれれば、なんとか平気ではあるかな」

 

 なんとか笑顔を作って嫌味っぽくからかってもみせると、ショーコは『うっ』と気まずい顔をして、それから完全に落ち着いてくれた。

 

「とりあえず、お袋さんを休ませてやってくれ」

と促して、ショーコが未だ呆けている母親を連れていっている間に、

オレは土足で汚してしまった廊下やら、とりあえずハンカチで拭いてみて。それから、式台へと座り込んだ。

 

「……あー……いってー……」

 

 肩を押さえて、前かがみになる。

ショーコと取っ組み合った際に無茶したせいか、ズキズキという重い痛みが強くなってきている気がした。

 つってもまあ、ショーコに情けねー顔を見せて、また心配させるワケにもいかない。

ショーコが戻ってきたら、また無理してでも笑って見せて、それから病院だな──なんて考えていたら、

 

 ガチャ、と正面にあるドアがいきなり開く音がして──オレが顔を上げると、そこにはショーコの親父さんが立っていた。

 

「──ッ! 私たちの家に、なに入りこんでいる……!?」

 

 オレを見た瞬間、親父さんの顔に憤怒の表情が浮かんで。

 正直、絶望したわ。

今の状態で、親父さんの鉄拳とかもらった日には……マジで死ぬ気がしてよ。

絶句して顔を引き攣らせちまったんだが、そこで親父さんの顔色が変わった。

 オレの様子を探るような目つきになって、多分蒼白になってるオレの顔色とか、肩を押さえて座り込んでいる状況、

それから視線を巡らせて木刀も目にしたようで、

 

「……どうした!? 何があった」

 

 と訊かれたんだが、

「あんたの奥さんをビビらせちまった結果、肩を木刀で砕かれたんだ」

 

──なんて、色んな意味で答えにくいじゃん?

それで、もごもごと口ごもってたら

 

「とにかく、じっとしていなさい。すぐに戻る」

 

 そう言い置いた親父さんが、ドスドスとショーコ達が消えていった方──多分そっちが親父さん達の寝室かな──

へと歩いていって。そして一分程で、もう戻ってきた。

 

「とにかく、まずは病院へ。私が車を出すから」

 

 そうして、あれよあれよという間に車の助手席に押し込められて、オレは病院へと運ばれる事になった。

普通にシートベルトを着けるのは苦しかったんで、右手を左肩とベルトの間に差し込んだりしてな。

 そんなオレのケガを気遣ってくれているのか、親父さんの運転する車はとてもゆっくりと走ってくれたんだが、

 

──この状況で、オレにどんな話をしろっていうのか。

 

 気まずい雰囲気の中、じっと黙りこんでいたんだけど、

 

「ご両親にも連絡しないといけないな。連絡先を教えてほしいんだが」

「……えっ!? なっなんで……?」

「何でって……こんな事になってしまって、謝罪だってしない訳にはいかないだろう?」

 

 それは、親父さんからしたら当然の申し出だったのかもしれない。

けど、オレからしたら『冗談じゃねえ……!』話だった。

オレとしちゃあ、今回のケガは、何が何でも『事故、あるいはチンピラに絡まれた』で誤魔化しきるつもりだったからだ。

 

 オレにカノジョが出来た事は、一応、親には話してある。

そしてウチの親は、その付き合いに、特に反対もしていない。

……でも、相手が『西宮硝子』、『オレが虐め抜いていた人物』だという事には

やはりひっかかるものがあるのか、心配はしてくれていた。

 事情はよく分かってくれているから、オレがショーコの親にぶん殴られた所で

「まあ、それも仕方はないか……」と納得はしてくれるだろう、それでも、骨を折られるという所までいったら。

 そんな事を知ったら、これは流石に、一応は静観してくれていたウチの親だって反対の立場に回るかもしれない。

 

 これ以上、ショーコとの付き合いに障害が増えるなんて。

そんなのは、絶対に『冗談じゃねえぞ!』な話だ。だから、

 

「……も、もういいっす……! オレ、歩いて行きますから──いづっ!」

 

 シートベルトを慌てて外して、その際左肩が傷んで悲鳴を漏らして、

でもそれに頓着している余裕もなくドアのロックに右手を伸ばして、

 

「──バカ、何をしている!? 走行中だぞ……!!」

 

 こんだけゆっくり走ってんだから、飛び降りたってどうって事ねえだろ。

そう頭ん中だけで答えながら今度はレバーに指をかけた瞬間、ガッと右肩を掴まれ。

ダンッ、と背もたれに引き戻された。

 

「ぎっ……!!」

「わかった、わかったから落ち着きなさい!!」

 

 また悲鳴が漏れた。

あ、でもこの悲鳴、背もたれに強く引き戻された時に左肩が痛んだせいって思うだろ?

 いや、違うんだよこれが。

勿論、その時の衝撃が響いて、左の鎖骨も痛んだのは確かなんだけどさ、

でもこの時オレが一番痛かったのは──親父さんに掴まれた右肩だったんだよ。

 

「君の望み通りにするから、バカな真似はやめなさい……!!」

「わ、わがり、まじたから……て、はなじてくだざ……!!」

 

 焦った様子の親父さんがガッチリと握りしめてくるオレの右肩からは、ミシミシという嫌な音が聞こえてきていて。

もう、逃げようなんて考え、完全に吹き飛ばされちまった。

 

 まあそんなこんながありつつ、病院へと着いて。レントゲンとって、診察受けて。

その時、先生から訊かれた事なんだが、

 

「左鎖骨の骨折は硬いモノで殴られたせいだそうだけど……右肩のヒビは、一体どういう理由で?」

「…………………………」

 

……ショーコの親父さん、マジパネエ……

 

 

─────────────────────────────────

 

5.

 

 まあそんな調子で、一日に二度も骨折するという、なかなかにハードな日曜日を経験したりもしたんだが、

災い転じて何とやらっつーか。

 結果的には、オレにとって有難い転換点になってくれた。

次の週の日曜日、ついにオレは、正式に西宮家に招待される事になったんだ。

 

 初めて西宮家にちゃんと靴を脱いで上がり、広いリビングへと案内されて、フッカフカのソファへと腰を下ろして。

ガラスのテーブルを挟んだ向こうには、ショーコの両親が揃って、これまたソファへと腰を下ろしてこちらを見つめてきている。

 親父さんもお袋さんも、これまでオレに向けてきた厳しい表情はすっかり鳴りを潜めて、穏やかな顔はしてくれてるんだけど、

それでもこの状況にはガッチガチに緊張しちまう中、ショーコがお茶を運んできてくれた。

 そしてショーコがオレの隣に座ろうとしたんだけど、

 

「ショーコ、お前は部屋に戻っていなさい」

 

 父親からのそんな言葉に、ショーコが目を見開いて抗議するそぶりを見せたんだけど

 

「今更、石田君をどうこうしたりはしないから。

そんなつもりなら、こんな風に招いたりなんてしないだろう? だから安心しなさい」

 

 そんな風に諭されて、それでも心配そうにオレを見つめてくるから、どうにか強がりで不敵に笑ってみせると、

渋々といった様子で、何度もこちらを振り返りながらリビングを去っていった。

 

……さて、ショーコという緩衝材もなくなり、どんな風にお叱りが始まるのかと覚悟したところ、

 

「「本当に」」「済まなかった」「申し訳ありませんでした」

 

二人が、出だしだけステレオで、後半は別々の言葉で、深々と頭を下げてきた。

 

「……え。あっあの……何を……?」

 

 家に招待されたとはいえ、話をしてくれる気になったというだけで。

きっと罵倒の嵐が待っているだろうと覚悟していたオレにとっては、訳がわからなかった。

 それでも、ショーコの両親はずっと頭を下げたままだ。

 

「えっちょっ、なんですか、やめてくださいよっ……謝らなきゃいけないのはこっちの方で!」

 

──オレはアンタ達の娘を嬲った、ケガもさせた、170万もの機械も壊した。

土下座したって許されないのはこちらの方だろうに……なんでそっちが頭を下げてるんだよ!?

 

 そんなオレの疑問を読み取ったのかは分からなかったが、

 

「報復も、やり過ぎれば暴虐でしかない。先週の一件で、今度はこちらが加害者になったんだ」

 

 二人が漸く頭を上げて、そして親父さんがそんな言葉を紡いできた。

 

「今日は、呼びつけるような真似もして、本当に申し訳ない。

本当は、こちらから君の家を訪ねて親御さんにも平身低頭すべきだとは思う。

しかし君は、それは困るという──その理由も推察出来るが、

それはともかく、謝罪の為に君が嫌がる事をしていては本末転倒だ。

だから、君の言葉に甘えさせてもらう形で本来とるべき責任をとらない事も、重ね重ね済まないと思う」

 

 またショーコの両親が頭を下げたが、その言葉はオレの耳には痛かった。

 何故なら、『謝罪と言いつつ嫌がらせ』というのは、

ここ一ヶ月、正にオレがこの両親に対してやっていた事だったからだ。

 二人からしたら、オレの顔なんて見たくもなかった筈で、ただ黙って娘から離れればもうそれでいいと思われていた筈だった。

そしてオレは、本当に謝罪をするつもりなら、そうすべきだったのに、

それでもオレは、どうしてもショーコを諦める事は出来なかった。

 まだショーコと付き合う前、ショーコに好かれてるなんて夢にも思わなかった頃だったら

出来なくもなかったかもしれないが、今となってはもう。

 アイツの嬉しそうな笑顔を向けてもらえる、その心地よさを知ってしまった今では、

どうしてもショーコから離れるという選択肢は選べなかったんだ。

 

「……これ。まだ全然足りないんスけど……補聴器の弁償代、とりあえず用意出来た分です」

 

 結局オレは、自分のワガママを押し通そうとした、ただのガキでしかない。

口先だけで「すいませんでした」なんて、この誠実な人たちに言えるはずもなくて、

だから親父さんの言葉には答えずに、この数カ月で貯めたバイト代(漸く10万超えた)を差し出した。

 けど、

 

「受け取れないよ。それより、君の治療費や慰謝料をこっちが支払わなければいけないだろう」

 

 そんな言葉と共に、逆に親父さんが分厚い封筒──かなりの金が入っているんだろう──を差し出してきた。

 

「相場より多めに用意したつもりだが、足りないようであれば勿論遠慮しないで言ってきてほしい」

「そんな……! こっちこそ受け取れないっす! そんなのはいいから、受け取ってください!!」

 

 補聴器の弁償は、オレが贖罪の一つとしてずっと心に決めていた事だった。それを拒否されてしまったら、オレは──!

 

 すがるように、必死な思いで親父さんを見つめていたら、親父さんはやがて溜息をついて。

 

「……これも君なりの拘り、なのかい。

けどね、補聴器に関しては保険や学校側が負担してくれた事もあって、私達の懐を痛めた訳でもないんだよ。

だから、こうしよう。硝子や私達に詫びるために用意したお金というのなら、

そのお金は、今後の硝子との付き合いの為に使ってほしい。

弁償という名目よりはその方が硝子も納得してくれるだろうし、私達としてもそうしてくれた方が嬉しいんだ」

「そ、それは……! でもっ、それじゃあ……え?」

 

 オレにとって都合が良すぎる提案じゃないか──そう思って反駁しかけたけれど、そこではたと気づいた。

今、なんて……? 『今後の、硝子との付き合いの為』……? それって……

 

「硝子の事、宜しくお願いしますね。

あのコは、耳のせいで随分と縮こまって生きるようになってしまいましたけど、

でも貴方の事となると、どうにか普通の感情を振る舞えるみたい。

私達では引き出せなかった心ですから、どうかそれを守ってあげてください」

 

 お袋さんからも、そんな風に言われて。今度こそ理解できた。

 

……オレ。ショーコとの付き合いを、親に認められた、のか。

 

 

 

 

 

──こんなに、あっさり……?

 

 

 

 

 

 

「……ちょっと待ってくださいよ……」

 

 

 

 

 

 

──ありえねえだろ。そんなの。

 

 

 

 

 

「なに、そんな簡単に認めてるんスか……!? オレがショーコに何してきたか、忘れたんスか……!」

 

 ショーコの両親の言葉を理解できたオレが抱いた感情は、──喜びとかじゃなくて、怒りだった。

その感情のままに噛み付いて。絶対、目も据わっていた筈だ。

 怒鳴られ、目つきの悪いオレに睨まれて、お袋さんが竦む。一方、親父さんの方は軽く目を見開いた。

 

「……ふむ。もしかして、とは思ってたけど。やはり君、強迫観念みたいなモノに取り憑かれてるね?」

「は? なんスかそれ」

 

 ワケのわかんねーコト言い出すなよ。オレの事なんていい、ショーコの話を──

 

「硝子との付き合いを認めて欲しくて、君はここへ通い続けていたんじゃないのか?

なのに、私達がそれを認めたのに君は怒りだした。君、それを自分でおかしいとは思わないのかい?」

「……え……」

 

 一瞬、頭が真っ白になった。

それは……それはそうなんだけどよ、でも! そういう事じゃねーだろ!!

 

「そっそれはそうスけど! でも、こんな簡単に! そんなあっさり済ませていい話じゃないでしょ!?」

「簡単に? どこが簡単なんだい。

歯をへし折られ、悶絶して地を舐めさせられて。最後には骨まで砕かれて、これのどこが簡単だというんだい?」

「──っ……そ、それは……」

「どうしてそこまで罰を欲しがる?

はっきり言って、客観的に見れば君がした事なんて『子供のいじめ』がいくらかエスカレートしただけの話じゃないのか?

被害者である私達にとってはそりゃあ大事さ、けれど加害者のほうの君が、どうしてそこまで内罰的に考えているんだ」

 

 待って……待ってくれ。

 

「当時は、あれ以上突付いてもかえって硝子の為にはならないだろうと思って追求はしなかったけれど、

硝子を虐めていたのは君一人ではなかった筈だ。

なのに、他の連中は硝子や君を虐めていた事なんて綺麗に忘れて、今もヘラヘラと笑っているんじゃないのか。

それなのに、どうして君だけが罰を受け続けなければいけない?」

 

 やめてくれよっ、そんな畳み掛けられたら、落ち着いて考えることだって──

 

「君は──」

「──知らねーよそんなのッ! ただそうしなきゃ気が済まないんだよォ!!」

 

 もう聞いていられなかった。

まだ何かを言ってこようとする親父さんの声を遮って、耳をふさいでうずくまる。

 そうしてしばらくそのままじっとし続けていたら、やがてポン、と腕に手を置かれた。

ゆるゆると顔を上げると、お袋さんが優しく微笑んでこちらを見つめてきていた。

 

「あのですね、石田さん。私達、先週の事があってから、ようやく硝子から詳しい貴方の話を聞いたんです」

「恥ずかしながら、それまでは頑なに聞こうとはしなかったんだ……君の事を」

「高校に入って再会してから、本当に硝子の為に色々尽くしてくださったんですよね。

以前の硝子は学校へ向かう時、いつも憂鬱な顔をしていました。その硝子が、随分と明るい顔をするようになって」

「本当は、私達もとっくにわかっていた……あのコがよく笑うようになったのは、君のお陰だと。

けれど、一度は硝子を苦しめた相手だと思うと、身勝手な親としてはどうしても認め難かったんだ」

「それでもこの一ヶ月の間、貴方はただ黙々と罰を受ける為に通い続けてくださった。

……そんな貴方だから、もう大丈夫だと思ったんです。

だから、決して『簡単に』貴方を認めた訳ではないんですよ?」

「…………」

 

 何も言えなかった。

オレの『簡単に認めるな』という発言は、ショーコの両親にとっては的外れだったと諭されて。

それでも……やっぱり、どこか納得がいかなかった。

 

「……まだ納得できないかい? さすが、君は本当に頑固だね」

 

 親父さんが苦笑して、続けてくる。

 

「まあそんな君だからこそ、安心出来るんだけれどね。

付き合いは楽しいことばかりじゃない、時には硝子を傷つけてしまう事もあるだろう、けど。

それでも今の君なら、決して硝子を裏切る事だけはしないってね」

「……え……」

 

 何で、こんなオレをそんな風に信じられるんだ……?

そんなふうに訝しんでいたら、

 

「君、もしも『あの頃』に干渉出来るとしたらどうする?」

「……え?」

「勿論、現実にはそんな事は不可能だけど、でも想像してみてほしい。

──硝子を虐める前に、過去の自分を過去の硝子から遠ざけて、

後にやり玉に上げられることもクラス中から虐められる事も無くせるとしたら、君はそうしたいかい?」

「……っっ……!!」

 

 想像してみて、ゾワリと総毛立った。

 

 だってそれは、オレにとってはあまりにも悍ましい『if』だった。

 

 もし、オレが率先してショーコを虐めていなかったらどうなっていたか?

……そんなのは明白だ、『他の誰かが先頭に立ってショーコを虐めていた』。

ショーコにとっては酷すぎる話だが、あの当時のクラスの雰囲気からして、そうなる事は間違いなかった。

 そしてそのイジメは、俺が先頭に立っていた時同様、エスカレートしていくかもしれない。

最後には、やっぱり校長が出てくる大事になるかもしれない。

そして、そうなった時にはオレではない、その時先頭に立っていたヤツが生贄に選ばれるのだろう。

 

 けれど、そうなった時のオレは『痛み』を知らない。

ショーコのイジメからは遠ざける事が出来ても、そんなオレなら、その新しいターゲットへの虐めには参加するかもしれない。

いいや、きっと、絶対に。参加する。

 そうして、どうしようもないクズのまま、変われるきっかけすら得られなかったオレは、

その後もクズらしく振る舞い続けて、更に他の人間も傷つけ続ける筈で。

 

──そして、そんな救いようのないクズのオレは、ショーコともう一度交われる未来すら完全に無くして──

 

「──嫌だ!! それだけは絶対に嫌だっ!! あんなクズで居続けるのだけはっ、死んでも嫌だ……っ!!」

 

 拳を膝の上で握りしめて、俯いて歯を食いしばる。

 冗談じゃなかった。

そんな、恐ろしくて悍ましい『if』、想像するだけで全身に鳥肌も立った。

あんなに鈍くて目出度いクズで居続けるくらいなら、徹底的にボコられて総入れ歯にでもなってしまう方が遥かにマシだった。

 

 だって、そうだろう。

 劣悪な人間のまま、ショーコとも疎遠な人生。

そんな人生に、何の希望が持てるっていうんだ?

 

 恐怖の想像に、ぶるぶると身体が震え続けて。

ただひたすら歯を食いしばって、ぐっとこらえ続けていたら。

 

「君は、本当に強い人間になったんだな」

 

 親父さんの声が聞こえて。

どうにか顔を上げると、親父さんが温かい目でオレを見つめていた。

 

「親友だった相手に袋叩きにされて、クラス中に無視され、嫌がらせもされる経験まで経て。

 その痛みをよく知っていながら、

それでも、そんなつらい過去を無くせる事よりも、あの頃の自分に戻りたくはない──そう言い切れる君は、

本当に強い人間だ。だから、今の君は信じられるんだ」

「……親父、さん……」

 

 親父さんの目に、オレへの確かな信頼を感じて。ぼぉっとその目を見つめ返していたら、

 

「許すよ」

 

 ぽつりと、親父さんからの一言が放たれた。

 

「……え?」

 

 その一言の、前後の脈絡がわからなかった。

 

「君は随分と不器用みたいだから、硝子にもちゃんとした謝罪は口にしてないんじゃないか?

口先だけの詫びより、行動で示そう、とか考えてそうだ。

 そもそも硝子も『許すも何も』という感じのコだからね……硝子には、この言葉はもらってないんだろう」

「じゃあ、私達が代わりに言ってあげるしかないですよね」

 

 そしてショーコの両親が二人で目配せしあったんだけど、え、一体何を──

 

「もう、君は悪くない」

「私たちが、許します」

 

「────……………」

 

 二人からの、その言葉を聞いた瞬間。頭が真っ白になって。

 

……そして、ポロッ、とオレの目から涙がこぼれた。

 

「……え!? な、なんで──」

 

 いきなり涙なんて。自分で訳がわからず、顔に手をやった瞬間、

 

「もう、君は罰を受けなくていいんだ」

「だって、貴方はもう許されたんだから」

 

 また、二人からそんな言葉が飛んできて。その言葉を理解した瞬間、

 

「────ッッッ……!!!」

 

 オレの中で、一気に熱い感情が爆発して。涙になって、ボロボロと溢れだした。

 

『ゆるす』

 

 それは、ショーコからでは聞く事が不可能な、三文字の言葉。

 あの頃の事などもはや何の恨みにも思っていない、欠片の凝りもないショーコでは

発想すらできない言葉で、それ故に、ショーコからは決して聞く事が出来ない筈の言葉だった。

 

「~~~~~~~……!!」

 

 声はなく、ただ強く息を吐き出すように、嗚咽が漏れた。

 

 そうだ、今、漸くわかった気がした。親父さん達が指摘してきた事の意味が。

 

 オレはきっと、『許しを得られない』のなら罰を受け続けるしかないのかなって──そんな風に、

心のどこかで思っていた気がする。

 

 そして、オレは確かに。

その三文字の言葉を、すごく渇望していたんだって。

 

 その事に気づいたら、もう泣き止む事なんて不可能で。涙は、次から次へと溢れてきた。

 

「……ぐぅうう~~~っ……ふぐぅううう~~~……っ……!!!!」

 

 もう、嗚咽を息だけで済ませる事も出来なくなって、必死に身体を折り曲げて、顔を膝に押し付けて。

少しでも声を押し殺そうと試みたけど、あまり上手くいかなかった。

 

 ショーコが机を拭いてくれていた事を知った一件を最後に、オレは泣いた事がなかった。

というより、泣けるハズがなかった。

 

……だって、ショーコは泣かなかった。

陰ではきっと泣いていたのかもしれないけれど、少なくともオレらの前では絶対に泣いたりしなかった。

なのに、身体にハンデなんてなくて、しかも加害者であるオレが、どのツラさげて泣くことが出来るっていうんだ?

 

 親友だと思ってたヤツらが敵になって、多分好きだった女子にもシカトされるようになって、泣きたくなった。

あの頃の自分を思い返す度に、惨めで、腸が煮えくり返って、泣き喚きたくもなった。

 けど、オレには涙をこぼす事だって許されないと、いつも必死でこらえてきた。

そうして、実際今まで我慢できていたのに、もうダメだった。

 

……そのまま、随分と長い時間オレは泣き続けてしまったんだけど。

親父さんたちは何も言わず、オレが泣き止むまでずっと見守り続けてくれていた。

 

 

─────────────────────────────────

 

 

「ス、スイマセンした……みっともないトコ見せちまって……」

 

 どれぐらい泣いたかわかんねーけど、どうにかこうにか落ち着いたオレが謝ると、

(……そーいや、俺がショーコの両親に対してちゃんと謝罪を口にしたのって、これが初めてか……?)

 

「いや、気にしなくていいよ。咽び泣く程に感動してもらえるなんて、こちらとしても許した甲斐があるってものさ」

 

 オレの気を和らげようとしてくれているのか、そんな風に答えてくれた親父さんがウインクまでしてきた。

 

……意外と茶目っ気あるんスね。でも、ゴリラ顔でウインクとかちょっとキモイすよ……

 

 まあそれでも、なんとなくまったりした雰囲気になったところで。親父さんが続けて、

 

「それにしても、まあ。君が硝子に惚れてしまうのはまだ分かるんだが、

硝子が君に想いを寄せるようになるというのは、やっぱりどうにも不可解だ……普通、

虐められた方は恨みを決して忘れないモノなんだがね」

「あ、それはオレも確かに不思議で」

 

 親父さんの言うことには、全くもって同感だった。

そう、オレの事を許せるっていうか、もうどうとも思ってない、

くらいまでだったら性格が天使ってコトで納得は出来るんだけど。

 それでも、オレの事を好きにまでなるってのはなあ……そりゃ、

リアルではずっと一人で寂しかったとかもあるんだろうけど、それにしたって。

 だってオレだったら、いくら一人が寂しいからって、島田なんかがいきなり

「よう将也、久しぶり。いきなりだけどあの頃は悪かったな。まあ昔の事だし、綺麗に忘れてまた仲良くしようぜ?」

なんて言ってきた日にゃあ、問答無用でぶっ飛してた自信があるんだけど。

(その辺を後日硝子に話してみたら、『貴方は強いから、そんな風に思えるんだよ』と微笑まれた。よくわからん……)

 

 まあ、あれはオレには『必要な因果応報』だったし、復讐とかしてやろうなんて事は思わないが、それでも。

やっぱり、アイツらに対する負の感情自体は決して消えていない。

 そう、それくらい虐げられた記憶は強く心に残るんだ──って、あれ? いや、それはそうなんだけど、でも……?

 

 そこまで考えていて、ふと気づいた。さっきの親父さんのセリフ。どうして──

 

「あなた、石田さんが不思議がってますよ。

『どうしてこの人に、虐められた人間の気持ちがわかるんだろう?』って」

 

 オレの疑問を、お袋さんが代わりに口にしてくれた。

 そう、そうなんだよ。

いつか、ショーコには喩え話でムカつく上司とか無茶な客なんかの話をしてはみたけれど、

実際問題、こんなスゲー親父に絡める人間なんて普通いねえだろ。

つまり、虐められた経験なんてないハズで、なのに何でわかるんだ?

 

「ああ……それはね。いや、私も子供の頃は痩せっぽちの虚弱体質でね。よく虐められていたんだよ。

それが悔しくて鍛えてみたら、ちょっとばかり身体が大きくなったみたいなんだけど」

「……………………」

 

「……いえ、その身体は全っっ然、ちょっとなんてモンじゃないでしょ」

──なーんてコトは、オレは口にはしないぜ? その辺り、オレは天然毒舌のショーコとは違うからな!

 

─────────────────────────────────

 

……まあ、『口にはしないぜ!』

なんて偉そうにはしてみたが、実際の所、顔にはしっかりと呆れの感情を出していたらしい。

オレの顔を見てお袋さんがクスクスと笑い出し、親父さんがムッとなっちまって。

 

「あっ、いや! カ、カッコいいっす親父さん!! まるでシュワルツネッガーって役者みたいで──」

 

 慌ててそんなフォローを口にしてみたんだが、

 

「ほう!? 君、シュワちゃんを知ってるのかい!?

いや、若いのに感心だな!

そうなんだよ、あの人は私の憧れでねっ。正にあの人を目指して身体を鍛えはじめたんだ──!」

 

……すごい勢いで食いつかれた。

 

「い、いやあの。たまたまテレビで見た、ターミネーターとかいう映画でしか知らないんスけど……」

「なに!? 君、それはいけない!!』

 

 よくわからない内に『ターミネーター2』『プレデター』『コマンドー』という三本のDVDを押し付けられる事になった。

「いいかい? "コマンドー" は、必ず吹き替え版でも見るんだよ!?」というセリフと共にな……

 

 

……ま、まあ……これからはバイト減らしてもいいのかもしれないし。映画鑑賞の趣味も悪くはない、よな?

 

 

─────────────────────────────────

 

6.

 

 なんかよくわかんねー内に、急激に親父さん達と打ち解ける事が出来たみたいだったんだけど。

(ちなみに、お袋さんもアーノルドが大好きだそうで……まあこんな旦那を持つぐらいなんだから当たり前か?)

 親父さんは筋肉俳優の魅力を語る合間に、

 

「そう言えば、初めて家に来た時の事もすまなかったね。

ちゃんと手加減はしたつもりだったんだけど、予想以上に激しく吹き飛んだもんだから、内心かなり焦ったんだよ」

 

 なんてトンデモ暴露してくれて、

『あ、あれで手加減とか……! 本気だったらオレ、マジで死んでた!?」

とか改めて戦慄させてくれたり。

 ホント、この親父さんに驚かされるのはもう何度目になるのか、

まあそんなこんながありつつ、やがてようやく開放される時が来たんだが、

 

「次の機会には、もう一人の英雄、スタローンの『ロッキー』『ランボー』『オーバー・ザ・トップ』を貸してあげるからね?」

 

 そんな言葉と共に満面の笑みで送り出されて、オレは頬を引き攣らせつつ、苦笑するショーコと共に西宮家を後にした。

 

……そう、ショーコは今、オレの隣を歩いている。親父さん達に「途中まで送ってあげなさい」と言われて、だ。

 

 本当に、親父さん達に『許して』もらえたんだな。

改めてそれを実感すると、なんかこ~、嬉しいとか、幸せとか、そんなのは勿論なんだけど。

 何つーか、身体が軽くなったっていうか。

今まではショーコと一緒にいても、こんな風な身体まで軽くなる感覚はなくて、

その初めての気分にオレは浮き足立っていたんだけど、ショーコの方はちょっと複雑そうな顔をしていた。

……まあ、その理由はわかるんだけどな。

 

『あの……お父さん達と、どんな話をしたの?』

 

 恐る恐るといった感じで、ショーコが尋ねてくる。

まあ、気にはなるよな。こうして送り出してくれたくらいだ、漸く認めてもらえた──

という事はわかってるんだろうけど、でも、オレの今の顔。

 

 大泣きした後、洗面所を借りて顔を洗った時に気づいたんだけど、すんげー勢いで目も鼻も赤くなってんだもんなー。

 この顔みりゃー、そりゃーボロ泣きした事もバレバレか。ショーコからしたら

『両親とは和解出来た筈なのに、どうして? そんな、貴方が泣くほどの何か厳しい事も言われたりしたの?』

みたいなトコなんだろう。

……つってもなあ、やっぱり本当の事は言いづらいだろォ。惚れた女に、弱みなんて見せたかねーし。

 

「あー、この顔みて何か勘違いしてんのか?

こりゃ親父さん達のシュワ推し話が退屈で、欠伸しまくってた結果なだけだぜ」

 

 無理がありすぎるのは承知の上で、そんな風に誤魔化して。不敵に笑ってみせた。

するとショーコのヤツは『……ん……?』と不思議そうな顔をすると。

パチパチと瞬きをして、マジマジと俺の顔を見つめてきた。

 

「な、なんだ? オレの顔になんかついてんのか?」

『……ううん。そんな事はないんだけど、ちょっと……』

 

 ちょっと、何だというのか。

しかし、ショーコはその先は続けずに。別の話題を切り出してきた。

 

『……ねえ。今度は、私も貴方のご両親に挨拶に行くべきだよね……?』

「あ~……そうだなァ。でもオレの場合とは事情が違うし、まあ、いつかその内とかでいいんじゃねえか?」

 

 そう答えると、ショーコは『……うん……』と、力なく頷く。

あー、これはなんか変な心配してんな?

 

「あのな、ウチの親は別に、俺達の付き合いに反対とかはしてねーから」

『……でも。私の耳の事、とかご存知ないんじゃ……』

「知ってる。全部知ってる。オレが付き合ってるのが『虐めていた相手、西宮硝子』だって事までちゃんと」

 

 そうはっきり伝えてやると、ショーコはぽかんと口を開けた。

 

『……え。こんな私と付き合ってるってご存知で、なのに反対とかされてない、の……?』

「されてねーな。……あー、強いて言えば、心配はしてる。

『昔虐めていた相手が付き合ってくれるだってぇ?

それ、騙されてたりしないかい?

アンタに復讐する為に、今は優しい顔してるんだけじゃないかい?

アンタがそのコに完全にお熱になった所で、手酷く振ってみせる、とかさあ』

みたいな心配はしてくれてたわ」

「────にャアああ!!?!?!」

 

 ショーコが奇声を上げて、凄まじい早さで手をバタつかせ始めた。

いや、なんて言ってるか分かんねーよ。てかそれ、手話でもなんでもねーじゃんか。

 

 いきなりパニくり出したショーコだったけど、やがてどうにか落ち着くと、

 

『そんな恐ろしい事考えた事もないよ!? 本当だよ!? お願い、貴方にそんな風に思われるなんて──!』

「わーった、つーかわかってるよ。ンな心配すんな、オレがどんだけお前に惚れ込んでると思ってんだよ。

お前を疑うなんてこたぁ死んでもねーから」

 

 ポン、とショーコの頭に手を置いて、笑ってもやる。

すると、またショーコはポカンとして。すぐに、オレの顔を近くから穴が空きそうな勢いで見つめ始めた。

 

「な、なんだおい? お前、さっきからちょくちょく凝視してくっけど」

『……やっぱり……違う』

 

 なんだよ、何が違うってんだよ。

そう訊いてもみたんだが、ショーコは答えずに。何かを考え込み始めた。やがて、

 

『……あのね。私、最近すごく不思議に思ってる事があるんだけど。聞いてくれる?』

 

 いや、そりゃ聞くけどさ。つか、ショーコの話を聞かないなんて選択肢、そもそもオレの中にはねーし。

 

『私はね、耳のハンデがあるから。

もう恋愛とかに一生縁がないんじゃないかなって思ってたりもしたの。

なのに今、私の隣には貴方がいて。

……私の事を随分と虐めてくれた貴方が、私の恋人なんだよ?

こんな摩訶不思議な出来事があるなんて、人生って、何が起こるか本当にわからないものだよね』

「…………」

 

 それは多分、初めての事だった。

ショーコが『貴方は私の事を虐めていた』と、はっきりオレに対して言葉にしてきたのは。

 

 あの頃の話題に関しては、いつもオレを気遣うばかりだったショーコが、

どうして今、突然こんな風に言ってきたのか。

そのショーコの目は、どこかオレの表情を観察しているように感じたけれど、その理由もオレにはわからなかった。

 

 けど、まあ。

この時のオレは、その初めてのショーコのセリフも、特に気にはならなかった。

 昨日までのオレだったら、ショーコの口から『あの頃の虐め』の話題が出ていたら、

きっと心に杭を打たれる気分だった筈なのに。今のオレは──痛みを感じなかった。

 だから、

 

「プッ──ハハハ! お前みたいな小娘が、人生とか語るなんて10年はえーっての」

 

 笑い飛ばしながら、ショーコの頭を小突いてもやった。

 

……わかってるよ、ショーコの両親に認められたからって、何もかもが片付いたわけじゃない事は。

 コイツは相変わらず、オレ以外の他人には壁を築いたままだ。

文化祭のゴタゴタの後、いくらかは女子と話したりするようになったみたいだけど、

オレから見たら、緊張の壁が分厚いままなのがはっきりわかる。

 それはオレのせいだから、絶対に何とかしてやらなきゃいけない事だ。

でも、オレみてーなバカが慌てて何かやろうとしても、また文化祭の時みたいに失敗しかねないしよ。

 だからこれは、ゆっくりと時間をかけて。確実に解きほぐしていかなきゃならない。

 

──いや、『いかなきゃならない』じゃねーな、『そうしてやりたい』んだ。

今のオレには、そっちの言葉の方がしっくりくる気がする。

 

……まあ、難しいコト考えるのは、やっぱオレの性じゃねーんだよ。

 考えるにしても、それは一人の時にでもやればいーじゃんか。

せっかくショーコと二人っきりでいられる時にまで、ウダウダ小難しいコトなんて考えたくねーよ、

今この時には、ただ笑っていてーんだ。

 

 そんな風に開き直って。ショーコの『人生観』を笑い飛ばして、頭を小突いた結果。

 

……ショーコが、笑った。すっげー、嬉しそうに。

 

いや、力は入れてなかったけど……それでも一応、小突かれたのに、だぜ?

 

 けどまあ正直、その時のオレには、そんなコトどうでもよかったんだけどな。

 

 だって、そのショーコの笑顔、メチャクチャ可愛かったんだよ。

んだから、一瞬その顔に見とれて、そしてすぐに──キスをかました。

 

 それが、ショーコとの初めてのキスだった。

 

─────────────────────────────────

 

7.

 

 その直後の、ショーコのリアクションがまた凄かった。

後で思い出しても、随分と笑えるものだったんだけど、……しかし、オレの拙速のツケは大きかった。

 

 それからというもの、ショーコはオレの顔を見るたんびに真っ赤になって逃げまわるばかりでよ。

随分と寂しい思いをしている最中なんだよなァ……

 

 いや、でもさぁ……ショーコだって悪いだろォ?

あんな無防備に、最高カワイイ笑顔向けてきてさァ……そんなん、キスしてくれって言わんばかりじゃねーかよ。

 

……うん、いやまあその。勿論、反省はしてる。

ショーコが奥手そうなのは分かってたし、やっぱりもっとゆっくり進めるべき事ではあったと。

 

……そう、一応反省はしてるんだけど。

 

 

 

 でも、後悔はしていないぜ!

 

 

 

─────────────────────────────────

 

 




 <あとがき>

 硝子編の方で『自分の中では』綺麗に終わってたんですけど……原作連載版での、
将也のへし折れっぷりがあまりに哀れで。
自分の好みに合う将也は、読切版ラストから連想できる『表面上はあの頃のまま粗野、でも根っこには強い罪悪感』
だったもんですから、その辺を形にしてみました。

 硝子編と違って、結構苦労しましたかね……
硝子の一人称文章は、自分が好む地の文に近いものだったんでサクサクいけたんだけど、
将也の一人称文章は、ちょっと意識して口が悪い感じを心がけなきゃいけなかったせいかな、と……

 連載原作だと、植野が将也に惚れてた展開になってたので、こっちは将也が植野に惚れてた設定にしてみました。
まあ今のままでは特に意味はないんですが……もしも更に後日談を書くなんてコトになった時に使えるかな、と……

 それなりに達観しているよう(にしたつもり……)な将也ですが、実はなかなかに歪な状態だったと。
それを硝子父に指摘させてますが、僕の中のイメージではもう一点、歪んでるトコがあります。
『ショーコのクラスの連中はいいヤツらで、自分のクラスの連中は──』
みたいなトコです。
実際はそんな違いがあるワケでもなく、単に『打ち解けようとしてきたか、そうでないか』の差で
周りの反応が違うだけだったりなイメージです。
その辺りに気づけないというのも、原作のようにぽっきりと心折られたりはしていないけど、
それでも確かに捻じ曲げられてしまった部分の一つ──みたいなのをイメージしてました。

 硝子パパがなんだか目立ち過ぎちゃったかなあ、とか反省はあるんですが、
『自分の中では』将也の大きな凝りを解消してやれたし。
最後ら辺は自分好みのラブコメっぽく出来た気もするので、まあよしとするかなあ、と……

 この後の、硝子と将也のこっ恥ずかしい感じのいちゃつきも断片的な感じでなら脳内にあるんですけど、
一つの話としてまとめられる程の量は現状ムリぽいので、さらに続きを書くかどうかは……
 原作の続きを見ていって、また何かしらのネタとか思いついて、それと絡めて一本の話に出来そうとかになれば、
書けるかもしれないんですけどねー……


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