我思う、故に我有り (黒山羊)
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賽は投げられた

 西暦2000年。

 

 南極で発生した謎の爆発は人類に多大なる損害を齎した。

 

 水位の上昇、度重なる地殻変動、災害による世界恐慌、それに伴う内戦。結果として、人類はその人口を半減させてしまった。

 

 その大元たる南極の爆発。巨大隕石の衝突と言われているそれは『セカンド・インパクト』と呼ばれている。

 

 それから15年。

 

 季節が夏で固定されてしまった日本に、新たな危機が迫っていた。

 

 

--------

 

 UN。国連の略称として用いられるそのロゴを貼り付けた無数の戦車がその砲塔を海へ向けて構えている。海へ没したビル群が点在するその場所に、蝉の鳴き声だけが響く。

 

 暑さにぐったりとなった兵士達の中には『敵』に出来るだけ急いで来て欲しいと考える馬鹿も出始める。

 

 その時点では、誰もが勝ちを確信して居たのだ。クリスマスまでには帰れると信じていた第一次世界大戦の兵士達のように。

 

 だがその楽観は、現れた『敵』の前に儚く崩れ去った。

 

 

 第三新東京市、地下。国連軍の総司令部として臨時に使用されているその場所に、『敵』の出現を知らせる警報が鳴り響く。

「敵影浮上! 正体不明の物体、海面に姿を現しました!!」

「物体を映像で確認!! メインモニターに映像を回します!!」

 

 オペレーターの声と共に表示されたモニターに映るのは、黒い巨人。胸部に輝く赤い球体と、白い仮面。人間でいう頭はなく、人間の鎖骨のあたりにあるその仮面がその物体の顔であるらしい。

 

 ムクリと立ち上がったその巨体に、海岸から無数の砲弾が放たれた。横列に配置された戦車部隊の砲撃はその九割が命中し、焼夷徹甲弾が『巨人』の肉体を紅蓮の焔で包み込み、海面を赤く輝かせる。

 

 だが、その焔の中から再び現れた巨人の肉体は傷一つなく、まるで砲撃を気にせずにゆったりとした足取りで陸に向かって歩き始める。その仮面に開いた眼が見据える先は丁度第三新東京市がある方角。

 

 テクテクと歩いて上陸を果たし、戦車を踏みつぶしながら第三新東京へ向けて進んでいくそれを画面に眺めつつ、司令部で白髪の男が呟く。

 

「15年ぶりだな、碇」

 

 その声が呼びかけたのは隣に座るサングラスの男。

 

「あぁ、間違いない、『使徒』だ」

 

 白髪の男に答えるその声は、どこか嬉しげでもあった。

 

 

--------

 

 

 移動を続ける『使徒』に対し、国連軍は余りにも無力だった。足止めこそ出来るものの、ミサイルは素手で受け止められ、砲弾は弾かれ、爆薬は気にもされない。

 

 そんな彼等に業を煮やしたのか、『使徒』に躍り掛かる影が現れたのは、第三新東京市から電車で二駅といった地点である。

 

 汎用人型決戦兵器『人造人間エヴァンゲリオン』。福音の名を冠するその巨体は『使徒』と同等。使徒に対してショルダータックルを敢行したその姿は、一見巨大ロボットといった所である。その不意打ちで吹き飛ばされた使徒はエヴァンゲリオンをして漸く『敵』と認識したのか、立ち上がるなりその機体を殴りつけ、今度は逆にエヴァンゲリオンを蹴り飛ばす。

 

 先程のリプレイのようにビルに突っ込むエヴァンゲリオンだが、使徒とは異なり、すぐに立ち上がることはない。

 

 その原因は司令部も把握していた。

 

「パイロット綾波レイの脈拍、呼吸、共に減少!!」

「縫合していた胸の古傷から出血!!」

「シンクロ値が五パーセントまで低下!! 機体を操縦出来ません!!」

「NN作戦まであと180秒!!」

 

 次々叫ばれるパイロットの危機に碇と呼ばれていたサングラス男が指示を出す。

 

「仕方がない。ルート192で高速回収しろ」

「了解!! アンビリカルケーブル切断!! 機体回収開始!!」

 

 ガコン、という音と共に地面が開き、エレベーターのように地下へと飲み込まれるエヴァンゲリオン。

 

 それから一拍の間を置いて、『敵』を見失い辺りを見渡す『使徒』を閃光と爆炎が飲み込んだ。

 NN爆雷。ノー・ニュークリアの名を冠するそれはその名の通り核を用いない大量破壊兵器だ。その衝撃波は、遠く離れた観測カメラの映像が一時的に途絶える程のものであり、恐らく街の消滅は必至だろう。

 

 その威力に、司令部に居た国連軍の『お偉い方』は大声で笑い出す。

 

「ハハハハハッ!! 見たかね!! これが『我々』のNN爆雷の威力だよ!!」

「碇君、これで君の新兵器の出番はもう二度と無いというわけだ!!」

 

 そう言って笑う国連軍の指揮官達。そんな中で、オペレーターの絶叫が司令部に響き渡る。

 

「爆心地に高エネルギー反応!!」

「映像、回復します!!」

 

 その声と共に映し出されたのはクレーターの中にしゃがみ込んでいた『使徒』の姿。焼け付いた仮面の下から新たな仮面を発生させた使徒はぎこちない動きで立ち上がる。

 

「馬鹿な!! 町一つを犠牲にしたんだぞ!?」

「化け物がっ……!!」

 

 その姿に、司令部は恐怖した。あの威力の兵器が効かないならば、どうしようもない、と。

 

 だがしかし、その恐怖は使徒の次の行動で解消されることとなった。

 

 使徒はその巨体をクルリと反転させると、来たときと同じくのそのそと海に向かって歩を進め始めたのだ。

 

 即ちそれは、使徒がNN爆雷に恐れを無し、撤退したということに他ならない。

 

 恐怖から一転、歓喜に包まれる司令部で碇だけが疑問の声を漏らす。

 

「……なにが起こった?」

 

 そう呟く彼に答えるものは居ない。

 

 全てのシナリオは、あろうことかその第一段階で躓いたのだった。

 



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汝自身を知れ

『あの場所から、どうやって私は此処まで来たのだろう』

 

 海中に没しながら身体を冷却し、漸く平静な『思考』を獲得した彼の脳裏にふとそんな考えがよぎる。

 

 彼が覚えているのは、吹き荒れる爆風と身体を焦がす大熱量。その爆発の衝撃で彼は『誕生』したのだ。

 

 壊れたテレビを叩くように、爆発の衝撃が彼に『自我』というバグを発生させたのである。

 

 で、その後、彼--第三使徒サキエルがどうやってこの涼やかな海へと戻って来たのかと言えば、それは単純。二足歩行でテクテクと山を越えて元居た海へと帰還したのだった。

 

 では、何故そんな事をしたのか。わざわざ進んでいたからには目的があったのではないか。にもかかわらず、何故引き返したのか。

 

 それは彼自身がある疑問を抱いたからだ。

 

 即ち、『アダムとの融合は其処まで優先する事項なのか?』という疑問である。

 

 確かに、アダムと融合すれば、名実ともにサキエルの子孫が地球の王となるだろう。だが、それは今のサキエル自身を生け贄にして齎されるものだ。

 

 その選択は果たして正しいのか?

 

 そう自問したサキエルの結論は実に単純なものだった。

 

『生きたい』

 

 あらゆる生物が抱くであろうその願望の前に、子孫繁栄など些事でしかない。種の保存より自己の保存を選択した彼は、思考を次の段階へと移行させる。

 

 『生き延びる』為には何が必要か?

 

 食事も呼吸も必要ない『使徒』の肉体を脅かす『死』とは何ぞや?

 

 その問いに、彼は半ば呆れつつも自身の肉体を見つめた。

 

 弱点である赤いコア。何故自分がこれを露出しているのかがさっぱりわからなかった為だ。

 

『引っ込め』

 

 彼はそう念じると共に、コアと、ついでに古い方の仮面を体内へと取り込んだ。以外にすんなりと人間で言う心臓の位置に移動したそれに若干の安心を抱きつつ、彼は『生きる』為の思考に結論を下す。

 

『最も強い生物になれば、誰も私を傷つけられないだろう』

 

 人間が、同一の発言をすれば恐らくは精神を疑われるであろうその結論を下した彼はその大きな目標に至るために当面の目標を決定する。

『あの小さな生き物はこの星の支配者らしい。……なら、彼等を観察すれば何かを掴めるかもしれない』

 

 彼が目標として定めたのは『人間観察による人間の理解』。その目標を目指して彼は、再び海面へと浮上したのだった。

 

 

--------

 

 

「海中に高エネルギー反応!! パターン青、使徒です!!」 第三新東京市の地下にある特務機関『ネルフ』。その第一発令所からネルフの全域に向けて放たれたオペレーター伊吹マヤの叫びは、司令部に人員を召集するには充分なものだった。

 

 すぐさま駆け込んできた葛城ミサトと赤木リツコは素早く指揮を振るい、司令部の動揺を取り敢えず落ち着かせる事に成功した。

 

「現状は!?」

「対象は昨日と同じく第三新東京市を目指し移動中!! 映像回します!!」

 

 ミサトの問いに応えるのは青葉シゲル。彼の声と共に画面に現れた使徒は昨日よりゆったりと、何かを眺めるように周囲を見渡しつつ移動していた。

 

「何かを探しているのかしら? ねえリツコ、どう思う?」

「私に訊かれても使徒の気持ちは分からないわ。……もっと妙な点なら見つけたけれど」

 

 そう言って使徒の挙動を見つつリツコは指を指す。その先には使徒の足があった。

「昨日は踏み潰していた戦車を、今日は一つも踏んでいない、というより、避けている節すらあるわ」

「……どういうこと?」

 

 そう言われて見れば確かに使徒は戦車や自動車を踏もうとせず、そればかりか一切建物などを破壊することなく道路を歩いて第三新東京市を目指している。

 

 昨日と同じ使徒とは思いがたい。ミサトがそんな考えを巡らせた頃、碇ゲンドウが発令所へと現れた。

 

「……エヴァはどうした」

 

 開口一番、そう告げたゲンドウに、リツコが素早く返答する。

 

「修復は完了、残るはパイロットだけですが、レイはまだ激しい戦闘が出来る状態ではありません」

「予備は?」

「シンジ君ですか?」

「そうだ。昨日到着したのだろう?」

「はい。ですが、彼は……」

「乗るのを拒んでいるのか?」

「いえ、レイの現状を見せた所、怪我人を乗せるくらいならと言っています。が、マギの返答は『レイを乗せろ』でした」

「ふむ……。ではレイを乗せろ。それで駄目ならば、次はシンジだ」

「了解、では、エヴァの出撃準備に入ります」

 そう返答してリツコが去った発令所。そのモニターに映る使徒は、道路をテクテクと歩き、着実に第三新東京市へと迫っていた。

 

 

--------

 

 

 結果から言えば、彼は別段コレといった 苦労をせずに第三新東京市へと到着していた。小高い山に囲まれたその都市を一望出来る高台に腰掛けた彼は、生まれたばかりの知性でもって現状を把握しようと考えていた。

 

『あの小さな生き物の巣は此処だと思ったが、違うのだろうか? それとも、どこかに隠れているのだろうか?』

 

 もし、違うのならばとんだ無駄足だが、あれだけ頑張って自分がこの場に向かうのを妨害していたのだから何かあるのだろうと、夕暮れの街を眺める。

 

 そんな彼の周りではひっきりなしにミサイルが打ち込まれ、飛行機が飛び交い、戦車が包囲網を敷いているのだが、蚊が刺した程度の痛痒すら彼に与えられていない。

 というのも、彼が絶対防御であるATフィールドを展開している為である。

 

 ATフィールドを張るまでもなく、その肉体の耐久性のみでこの程度の攻撃ならば十分なのだが、万が一という事もある、と対策を怠ることはしなかった。彼は『死にたくない』のだから。

 

 そんな彼が現状で学んだのは『小さい生き物は何かに乗るのが好きらしい』、『小さい生き物は離れた場所から攻撃するのが好きらしい』という二つの事柄だ。

 

 まぁ、彼の図体で何かに乗るのは無謀だが、遠距離から一方的に攻撃するのは悪くない方法である。何しろ、自分が死ぬ確率が減る。

 

 ならばとばかりに、彼は遠距離攻撃を習得した。元々持っていた腕から伸ばす『光の杭』。それを仮面の目から飛ばせるようにしたのだ。威力の程はまだ使っていないので不明だが、それなりに使えるのではないかと期待している。

 

 さて、そんな彼が山に腰掛けてのんびりしているその最中。

 

 ネルフは対応に悩んでいた。

 

 

--------

 

 

「目標、ATフィールドを展開した状態で完全に静止。……エネルギー反応も低下気味です」

「此処まで来ておいて停止? ……つくづく理解不能だわ」

 

 そういうミサトは何というか、勇み足でいざ戦うとなったときに出鼻を挫かれて困惑していた。

 

 その一方でリツコのテンションは高めである。

 

「あの使徒を生きたまま捕獲出来れば、何か分かるかもしれないわね。……そもそも、アダムとの融合を目指している使徒としては異常な行動をしているのだし、このまま観察というのも悪くはないのかしら」

 

 そんな中でゲンドウの命令が下る。

 

「レイの調子はどうだ」

「初号機とのシンクロは問題ありません。……ですが、本当に宜しいのですか?」

「構わん、出撃だ」

 

 ゲンドウの号令の元、職員達が慌ただしく計器類を操作する。

 

「冷却終了! パイロット、エントリープラグに登場確認!」

「了解! エントリープラグ挿入開始! プラグ深度、安全値を維持!」

「プラグ固定終了! 注水開始!」

「主電源接続、全回路正常!!」

「A10神経接続異状無し、初期コンタクト全て問題なし!!」

 

 オペレーター達の号令が次々と飛び交い、その『巨人』の瞳に光が灯る。

 

「第一ロックボルト解除!」

「解除確認! アンビリカルブリッジ移動!」

「第一、第二拘束具除去、ならびに一番から一五番までの安全装置解除!」

「内部電源、及び外部電源、共に異状無し!!」

「エヴァ初号機、射出口へ!! 五番ゲートスタンバイ!」

「進路クリア!! オールグリーン!!」

 

 リフトへと据え付けられた紫色の巨体、それを確認し、ミサトはゲンドウに向き直る。

 

「碇指令、宜しいですね?」

「くどいぞ、葛城一尉。使徒を倒さぬ限り、我々に未来はない」

「了解。……エヴァー初号機、発進!」

 

 その指令と共に発進したリフトは高速で地下を駆け上がり、無人の第三新東京へと到達する。

 

 その前方、街を見下ろす位置に腰掛ける使徒を視界に捉え、レイは傷ついた手で操縦桿を構えた。

 

「エヴァー初号機、リフトオフ!!」

 

 最後の拘束から解き放たれた巨人はその双眸で使徒を睨み付ける。

 

 第三使徒との二度目の接触は如何なる結果を齎すのか?

 

 それはまだ、誰も知らない。

 



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赤子の手をひねる

 紫色の巨人。それに彼は心当たりがあった。確か、記憶が正しければ爆発の直前、彼をタックルで弾き飛ばしたのがあの巨人だった気がする。

 

『あれにも小さい生き物が乗っているのだろうか?』

 

 明らかに生物ではないパーツが幾らかついているそれを『小さい生き物』の乗り物だと判断した彼は、小手調べと、ついでに新兵器の実験もかねてその両目から『光の矢』を放つ。

 

 圧縮した空気を解放するような音と共に放たれた光の矢は狙い通り巨人の足元に直撃し、足場を揺らされた巨人はドスンと尻餅をつく。

 

 その姿に『それなりに便利』と光の矢について判定した彼は、同時にある疑問も抱いた。満を持して登場したにも関わらず、巨人の動きは緩慢で、なんとか立っていると言える様子なのだ。

 

『……弱すぎる』

 

 彼の抱いた感想はまさしくそれ。まるで瀕死の様相を呈するその巨人は、今もヨロヨロと立ち上がるべくもがくその姿に、まるで脅威を感じないのだ。コケただけで見た目は損害がないにも関わらず、随分と弱っているな、と考えた彼は、ある結論に至った。

 

『中の小さい生き物が死にかけているのか』

 

 成る程、それならば納得だとばかりに内心頷いた彼は、ならばどうするかと考えた。観察対象を死なせては元も子もない。

 

 彼と違って随分脆いらしい『小さい生き物』がすぐに傷つくのは昨日の時点で大体察していた。

 

 ならば、あのコケたときの衝撃で中の生き物は大変な目にあっているはずだ。

 

 そう結論した彼は、どうすればあの巨人を止めて、内部の小さな生き物を無事に生き長らえさせられるかと考えを巡らせる。

 

 その後暫くして彼が考えた作戦は少々荒っぽい物だった。

 

 

--------

 

 

 使徒による遠隔攻撃。それによってバランスを崩したエヴァがどうにか立ち上がった直後、再び飛来した二発の光線は正確無比にエヴァの両腕を吹き飛ばした。

 

 いや、消滅させたといった方が正確だ。なにしろ、衝撃すら感じぬままに腕が無くなったというその事実は、使徒の放った光線がその熱量でエヴァの両腕を一瞬にして焼き尽くしたことを意味するのだから。

「両腕消失!! シンクロ率低下!!」

「っ!? レイは?」

「衝撃自体は軽微なものだったためパイロットには影響ありません!」

 

 オペレーターの返答を聞き、ホッと安堵の息をもらしたミサトは速やかに意識を切り替え、現状を如何にして打破するかと頭をフル回転させる。両腕を失った以上、今のエヴァに攻撃能力はない。ならば速やかな撤退が望ましいのだが、尻餅をついていたエヴァが両腕の支えを失ったことで仰向けに倒れている現状では、それも難しい。

 ならばどうする?

 

 苦悩するミサト。だがしかし、現実は非情である。

 

「使徒、エヴァに接近!!」

「マズいわ!! レイ、逃げて!!」

 

 ミサトの声に反応するようにエヴァは足をじたばたと動かし、その場から逃れようともがく。だが、その脚に対し、使徒の手から発生した光の槍が振り下ろされた。

 

 一閃。

 

 たったそれだけでエヴァの股関節から下を切り落とした使徒はエヴァの頭部を掴み、ゆっくりと持ち上げていく。その事態に。ミサトは決断した。

 

「エントリープラグ強制射出!! パイロットの安全が最優先よ!!」

「了解!!」

 

 その決断と共に射出されたエントリープラグはジェット噴射でもって飛行し、近くの湖へと落下する。

 

 それと同時にガクリと力無くうなだれるエヴァ。初号機は諦める必要があるかも知れないとミサトが思考した直後、またしても予想外の事態が起こった。

 

 使徒はゆっくりとエヴァを地面に横たえるとクルリと反転。元のように山に腰掛けてその活動を休止したのだ。

 

 その姿をみたミサトは、ギリリと歯を食いしばる。

 

「……眼中に無いってわけね。……回収班、レイと初号機の回収急いで!!」

 

 放たれる号令。それは即ち、使徒との第二戦は人類側の敗北に終わったことを意味していた。

 

 

--------

 

 

『あの白い小さな生き物は無事だろうか?』

 再び山に腰掛けた彼は、そんな事を考えていた。その視力は人間の比ではなく、彼には飛んでいった白い筒--つまりは、エントリープラグ--の表面にある傷すら手に取るように見えていた。

 

 当然、その内部から担架で運び出された『白い小さな生き物』、つまり綾波レイの事もしっかりと観察していた。

 

 その姿に、彼が思ったのは『可愛い』という妙な感想である。

 

 圧倒的なまでにか弱い存在を前にするとどうにも知的生命体というのは『可愛らしい』と思ってしまうらしい。例えば、幼児、子猫、ヒヨコ、ネズミ。圧倒的な弱さとは、そう言う意味ではある意味『強さ』と言えるかも知れない。

 

 だが、彼が綾波レイに抱いた感情はそれに加えて『親近感』が入り交じっていた。

 何処にも共通点など無いであろうと思われるにも関わらず、である。

 

『あの白いのは、小さな生き物に似ているけれど、小さな生き物ではないのかも知れない』

 

 彼がそんな予想をしたのは別に気の迷いでもなんでもない。

 

 綾波レイは、微かにATフィールドを展開していたのだから。

 

『……どちらかと言えば此方に近い存在なのだろうな』

 

 そんな曖昧な結論で綾波レイに対する考察を打ち切った彼は、もう一つ気になっていた事を実行してみる。彼が観察した結果判明した『小さな生き物』の特徴その3、『小さな生き物の鳴き声には意味があるらしい』である。であれば、彼等の鳴き声を真似れば意志の疎通が可能なのでは?

 

 そんな考えを持った彼は、機会があれば何時でも真似が出来るようにと、発声器官を仮面の内側に形成した。薄膜を振動させて音を生み出すその仕組みは、声帯と言うよりはスピーカーに近い。

 

 その出来に満足した彼は、取り敢えず聞き覚えのある音声を真似てみる。

 

 第三新東京市に響き渡るその音は、底抜けに大きく、そして間抜けだった。

 

「ニャー!!」

 

 彼は知る由もないが、その元の声の主は猫。

 

 

 一般的にはペットとされるその愛玩動物の鳴き真似は、夜の第三新東京市にいつまでも残響していた。



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一を聞いて十を知る

 夜が明け、朝日が昇る頃。

 

 金の無駄と判断されたのか既に彼に対する砲撃は止み、包囲する戦車部隊を残して軍は撤退している。そんな中、彼の周囲を囲んでいる兵士が、ぽつりと呟いた。

 

「コイツは一体何なんだよ……」

 

 銃も、ミサイルも、最新式のレーザー兵器も、火炎放射も効かない無敵の巨人。そのくせ、ヤケにのんびりと座っている。

 

 そんな物体に対する疑問としては至極真っ当な疑問を抱いたその兵士は、次の瞬間、驚愕する事となる。

 

「ナンナンダヨ、ナンナンダヨ」

 

 オウム返しの様に呟くその声が、兵士のの頭上から降り注ぐ。まさか、と思い顔を上げた兵士は、音の発生源である巨人の仮面をしっかりと把握してから、生涯最大の声で絶叫する。

 

「喋ったぁぁぁぁ!?」

「ナンナンダヨ」

 

 その絶叫で仮眠を取っていた上官をたたき起こしてしまった兵士は若干文句を言われつつも「あのデカいのが!! デカいのが喋ったんです!!」と上官に説明。訝しがる上官をテントから引っ張り出した兵士は、デカいのこと第三使徒サキエルを指で指し示す。

 

「あれが喋ったんですって」

「……寝ぼけてたんじゃないのか?」

「シャベッタンデス」

「……あぁ、うん、喋ってるな。……よし分かった、本部に連絡する。お前ちょっと見張ってろ」

「了解!!」

 

 その後、連絡を受けたネルフが、仰天したのは言うまでもない。

 

 

--------

 

 

 小さい生き物の鳴き真似をした結果、日が完全に昇る頃には彼の周りを山盛りの『小さな生き物』が囲んでいた。

 

 その中で特別目立つのが赤いジャケットを着込んだミサトと、白衣を羽織ったリツコである。メガホンを構えるミサトは、現在『使徒』へと呼び掛けていた

 

「あーテステス。マイクのテスト中」

「ミサト、遊んでないで真面目にやりなさい」

「テステス、テスト、マジメ」

「ほら、使徒にも言われてるわよ?」

「……多分、オウム返ししてるだけだと思うんだけど、アレ」

「シャベッタンデス、マジメ」

「真面目に喋ってるらしいわよ?」

「偶然だと思うんだけどなぁ」

「オマエ、ナンナンダヨ」

「……偶然?」

「……偶然」

「グーゼン、グーゼン」

「…………」

 

 使徒から入る、狙ってるんじゃないかというような合いの手にその表情をコロコロ変えるミサトと何やら面白いモノを見つけたという風に笑うリツコ。

 

 その二人の前で、何やら沈黙していた使徒は突然地面をその爪でガリガリと引っかき、意味の分からない紋章の様なモノを書いて指差す。

 

 その図形にミサトが呟いた一言が、その後の運命を、大きくねじ曲げることとなる。

 

「何アレ?」

 

 

--------

 

 彼の計画は概ね順調。声真似で注意を引く第一段階、そしてあの落書きを使った第二段階。二つのステップで彼は求めていた意味の音声を手に入れたのだ。

 

『なら、早速使ってみよう』

 

 そう考えた彼は指を一本立てて、戦車を指差す。

 

「ナニアレ?」

 

 それは、彼の予想が正しければ『それは何だ』という意味の単語だと思われる。

 

 そして、彼のその質問に対し、赤いのから声を大きくする機械を奪い取った金髪が返答する。

 

「戦車よ」

「センシャヨ」

「違うわ、戦車」

「センシャ」

 

 その短い会話でその物体が『センシャ』だと理解した彼は、次なる質問をするべくその指先を動かした。赤いの、つまりミサトを指さした彼は、待たしても問いかける。

 

「ナニアレ?」

「ミサトよ」

「ミサト、ミサト」

 

 その回答に、彼は指先を動かして金髪、要するにリツコを指さした。

 

「ミサト」

「違うわ、リツコよ」

「……リツコ」

 

 

 その問答から、彼の思考は手早く答えを導き出す。『小さい生き物には個体ごとに名前があるらしい』というそれをもとに、彼は再び質問した。

「ミサト、リツコ、ナニアレ?」

 

 その質問の意味を素早く理解したリツコは、彼に答えを返す。

 

「人間よ」

「ニンゲン。ミサト、リツコ、ニンゲン」

「そうよ。……知性があるのは間違いないわね。一旦撤収するわよ、ミサト」

「……ええ、まさか使徒が本当に喋ってるとはね」

 

 何やら2人で会話してから何処かへと去っていった2人を見送って、彼はのんびりと空を眺め始めた。

 

 『小さい生き物は人間という名前だ』という情報を得て、考察を続けながら。

 

 

--------

 

 

「……以上が、今回の報告になります」

 

 ネルフ内部、第一発令所。其処でリツコから使徒の観察結果を聞いて、冬月はぽつりと呟いた。

 

「知能の発達した使徒か。……その上に戦闘能力も高い。……厄介だぞ、コレは」

「……問題だな」

 

 相変わらずヒゲにサングラスなゲンドウがその呟きに同意する中、画面に映し出された使徒は何処から持ってきたのか、掌の上に乗用車を乗せて眺めている。

 

 その周囲で見守っている兵士達は気が気でないといった様子だが、使徒は別段気にする素振りもなく、車を手近な空き地に下ろした。

 

 

 その様をみて呟くのはオペレーターの青葉シゲルである。

 

「しかし、使徒自体に敵対の意志がみえませんね……どういうつもりなんでしょうか」

 

 その呟きに、ミサトは溜め息混じりに回答した。

 

「はぁ……。なんて言うか、あの使徒からすれば私達はアリみたいなもんなのよ」

「……あぁ、成る程。気付かず踏み潰す事はあっても、わざわざ自主的に踏み潰す意味はないって事っすね」

「そういう事よ。……で、初号機はどう?治せそう?」

「腕は火傷が酷く、今日込みであと二日は掛かりますね。足の方は綺麗にスッパリ斬られてたんで、既に修復が完了してます」

「……レイは?」

「昏睡状態ですね。流石に次回の出撃は見合わせるべきかと」

 

「うーん、そうなるとシンジ君の出番なんだけど……」

「……初陣にしては相手が悪すぎますね」

「そうなのよね……」

 

 モニターの中で山に腰掛け、言葉を学習している使徒。既に周囲の兵士と会話が成立するレベルまで漕ぎ着けた使徒の自己進化能力にはただただ驚愕する他無い。

 

 この分では2日後にはより手ごわくなっているであろう使徒相手に、ミサトは今日何度目か分からない溜め息を吐くのだった。



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船頭多くして船山登る

 学習、進化、学習、進化、学習、進化。

 使徒ならばどんな個体でも持ち合わせるそのサイクルは、彼の場合『自我』というバグの影響で加速に次ぐ加速が行われていた。『生きる』という強い欲望が生み出すそれはある意味、神の奇跡のようにすら感じられ、彼を包囲していた軍の連中は「成る程、こんな化け物がいたら神か悪魔にしか思えない」と『使徒』という名称に納得したものである。

 

 そんなわけで、彼が登場してから四日、エヴァ大破から二日目となる現在。

 

 彼は、再び紫色の巨人と相対した。

 

 

--------

 

 

 エントリープラグの中。この4日間のシュミレータ訓練で大体の操縦を練習したシンジは、初の実戦にもかかわらずそれ程緊張していなかった。

 

 当然だが、その原因は何も訓練の影響だけではない。昨日意識を取り戻した頼れる先輩、綾波レイからのアドバイスもその精神に若干のゆとりを齎していた。

 

「碇君、彼はあなたの命は取らないわ」

 

 ただ一言、明らかに電波な発言をキリッとした表情で告げるその少女にシンジは内心で「彼って誰なのさ」とか「何の根拠が?」とか「美少女との初会話が電波とか、無いわー」とか様々な思考を巡らせて。

 

 結果、凄まじいまでに脱力したわけだ。

 それから訓練で程良く緊張を高め、今に至ると言うわけである。

 

『シンジ君、聞こえる?』

「はい、ミサトさん」

『現在使徒に動きはないわ、訓練通り落ち着いて行動すれば大丈夫よ』

「了解です」

 

 ミサトの声に従い、シンジはパレットライフルを構えて山の上で日向ぼっこしている使徒に照準を合わせる。何とも和やかなその姿を見て若干罪悪感を覚えるものの、此方とて住民をこれ以上シェルターに避難させ続けておくわけには行かないのだ。

 

 シンジはその引き金に指をかけ、カチッ、カチッと引き金を軽く引いて銃弾を射出する。が、当然の如くその弾丸は張りっぱなしのATフィールドに阻まれ使徒本体に到達すら出来なかった。

 その弾着で此方に気付いたらしい使徒はその両目から牽制するように光の矢を放つ。だが、シンジとて無策ではない。

 

「ATフィールドッ! 全ッ開ッッ!!」

 

 シンジの雄叫びと共に現れたのは光の壁。使徒のそれとほぼ同一の性能を持つそれは、見事に光の矢を食い止め、無効化してみせる。その状況に、使徒はやけに人間臭い動きで腕を組み、ぽつりと呟いた。

 

「心の壁か。……随分面白いモノを使うな。だが少年、そちらが外部からのエネルギー供給に頼る以上、私の有利は揺らがんぞ」

 

 その呟きに目を見開いたのはシンジだけではない。2日前の片言と比べれば天と地程に差がある流暢な日本語。と、言うか、物凄くネイティブな発音と、えらく知的な指摘に、この場をモニターしていたネルフの人員は絶句した。

 

 使徒の学習能力と自己進化能力の恐ろしさを痛感した為である。

 

 そんな中、病室から見守るレイだけが「……ユニーク」などと言って若干嬉しそうだったのは、まぁ、例外である。電波ガールを常識で量るのは実にナンセンスだからだ。

 

「どうした少年、用がないなら帰ってくれ。私はラジオの日本語講座を聞くのに忙しいんだ」

『シンジ君、相手の挑発に乗っちゃ駄目よ』

「了解!!」

「む、今の声は確か……ミナトだったか?」

『誰がミナトよ!! あたしにはミサトって名前があるのよ!!』

「……何で僕より先にミサトさんが挑発に乗ってるんですか」

 

 呆れ声をあげつつも、シンジは肩に格納されているプログレッシブナイフを取り出し、両手で構えながら突進。使徒のATフィールドを侵食、突破し、その身体を引き裂かんと唐竹割りの如く振り下ろす。

 

 だが、使徒もただ黙ってそれを受けるほどバカではない。

 

 右手から光の槍を展開した使徒はナイフの軌道に合わせるように槍を振り上げる。その結果、発生する鍔迫り合い。その瞬間、エヴァの側面に痛烈な回し蹴りが放たれた。

 

 二転三転しつつ吹き飛ばされながらもどうにか受け身を取るシンジに、トドメとばかりに光の矢が数発放たれる。その矢は初撃でアンビリカルケーブルだけを焼き切り、次でナイフを弾き飛ばし、最後に肩の小物入れを破壊した。

 

『シンジ君、無事!?』

「なんとか。……肩を思いっ切り殴られた感じがしますけど」

『撃たれたのが後付けのオプションパーツ部分だからその程度ですんでるわけね……。どう、シンジ君、勝てそう?』

「……ギリギリまで頑張ります」

 

 勝てると言い切れないあたりにシンジの気弱さが出ているものの、まだその心は折れてはいない。

 

 転んでいた体勢から跳ね起きつつ拳を握りしめ、殴りかかるエヴァ。その不意打ちに使徒は敢えて自分から後ろ向きに倒れる事で対応。バック転で体勢を立て直し、今度は使徒がエヴァへと突撃する。お互いがお互いのATフィールドを侵食している以上、防御するにしても腕をクロスして受けるのが限界。その腕を掴み取った使徒はエヴァを背負うようにその背に軽く乗せ、前方のビルへと投げ飛ばす。

 

 かなり変則的とはいえ、その動きは見事な背負い投げだった。

 

『使徒が格闘技とか、何てインチキ!!』

「軍人の訓練を盗み見て覚えた努力の成果をインチキ呼ばわりとは随分酷いな、マサト」

『ミ、サ、ト、よッ!』

 

 軽口を叩きミサトを挑発する使徒、その姿にシンジは実力差の程を痛感する。内部電源は残り僅か、武器はなし。その状態からこの使徒に勝たねばならない。

 

 手加減されているのは分かり切っているが、シンジとて男の子。

 

 舐められたままでは終われないのである。

 

「ウォォォォッッ!!」

 

 雄叫びと共に跳ね起き、使徒に足払いを敢行。漸くまともに当たったその一撃は使徒の体勢を崩し、さらなる追撃の隙を与える。

 

 パンチ、パンチ、パンチ。

 

 使徒に馬乗りになって思い切り殴りかかるシンジ。だがしかし、一発逆転の快進撃はそこまでだった。

 

 ピー、というアラート。それと共に停止するエヴァを脇によけ、使徒はムクリと起き上がる。

 

「ふむ。最後のラッシュはなかなかだったな」

 

 そう言って伸びをする使徒の身体は薄く発光し、傷の自己修復が行われている事を示していた。シンジの最後の攻撃は使徒本人が言うだけあってそれなりのダメージを使徒に与えていたらしい。

 

「しかし、何故こうも私は嫌われているのだ。私が人間に何かしたか?」

 

 そうボヤく使徒は「ヤレヤレだ」と言わんばかりに肩をすくめる。そんな彼に声をかけたのはスピーカーから流れる懐かしい声だった。

 

『人間というのは未知の存在を恐れるものよ。アナタ、正直に言えば大分常識外れだから仕方がないわ』

「む、その声はリツコか」

『ちょっと!! 何でリツコは一発で覚えてるのよ!?』

「うるさいな、君の名前も覚えているぞミサカ」

『ミサトだっつってんだろぉぉッッ!!』

「どうどう、お馬さん良い子だから落ち着け」

『ぐぎぎぎぎ、む、か、つ、くぅぅ!!』

 

 完全におちょくってかかる使徒に歯噛みするミサト。その脇から、再度リツコが口を出す。

 

『ミサト、怒ると美容に良くないわよ。……それより、使徒に話があるのだけれど』

「使徒、とは私か? それは種族名で私の名はサキエルだと聞いたが?」

『……誰から?』

「兵士達が話していた」

『……人の口に戸は建てられないって訳ね。……まぁいいわ。本題に入りましょう。……簡単に言えば引っ越しの提案ね』

「ふむ。引っ越し、か。どこに?」

『地下のジオフロントよ』

「地下? 私は一向に構わないが、確か地下は……君達の秘密基地とやらではなかったか?」

 

 リツコのその発言に驚愕したのはサキエルだけではない。

 

『ちょっとリツコ!? アンタ何考えて』

『私に言われても困るわ。碇司令の命令だもの。……私も正直驚いてるのよ』

 

 その言葉も当然だ。使徒をわざわざ地下に招くなど正気の沙汰ではないのだから。

 電池切れの初号機、考え込む使徒、がなり立てるミサト、宥めるリツコ、状況が読めないシンジ。

 

 それらの全てを巻き込んで、碇ゲンドウの計画は新たに回り始めようとしていた。



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必要は発明の母

 結果から言えば、サキエルはリツコの誘いを固辞した。彼としては地下都市に興味がないことも無かったのだが、それよりも『リスクが高すぎる』との判断をしたためだ。

 

 流石にホイホイと他人の懐に飛び込んでいくほど彼はアホではないのである。

 

『しかし、碇司令というのは何というか、怪しいというか……確か、こういう場合は胡散臭いと言うのだったか』

 

 そんな思考をしている彼はエヴァとの二度目の戦闘から一夜開けた現在、水中に沈んでいる。と、言っても海水ではない。ミサトからの提案で、芦ノ湖の水中に潜伏しているのだ。

 

 襲撃の意志もなく、かといって倒せるわけでもないというサキエルの微妙な立ち位置を考えた上で、その巨体を隠すべくミサトが考案したのが『近くの芦ノ湖に取り敢えず隠れる』という対症療法だった。

 

 またの名を、問題の先送りという。

 

『だがまぁ、淡水も悪くないな』

 

 その気になれば宇宙でも生きていられるサキエルだが、やはり水中は浮力の関係で良い感じに体が軽いのが素晴らしい。まぁ、流石に海水よりは浮力は小さいものの、それでもかなり楽である。

 

『さて、それよりも』

 

 そう思考に区切りを付けて、サキエルは重要な思考へとシフトする。

 

『此処までの観察結果から最強に至る方法を考えよう』

 

 まず、第一に彼がヒントとしたのは『人間』である。その特徴は『猿の一種にしては、走るのが速い』ことと、『ある程度器用な手先』だろうか。

 

『ならば、私に足りないのは……指の数か?』

 

 現状でサキエルの指は三本。これだけでも充分に使えないことはないが、昨日受けた『パンチ』などの攻撃は握り拳が作れ無いサキエルには不可能だ。ならば、可能な攻撃手段は増やしておくに限る。

 

 そう判断した彼は、手の形状を変化させ、人間に近いモノへと変化させる。

 

 この風景を人間が見れば、その出鱈目さに舌を巻くこと必至であろう。そんな急激な変化を可能とする秘密は、使徒の肉体の構造にある。

 

 あらゆる生物の肉体は生命のスープであるLCLを自己認識の壁であるATフィールドで物質として留めて置くことで構成されている。この状態は言うなればペットボトルに入った飲み物だ。LCLが飲み物で、ATフィールドがペットボトルである。

 

 通常、生物は各々が決められたペットボトルに飲み物を入れているわけだ。

 

 此処で、使徒との差違が発生する。使徒は知っての通り、ATフィールドを『自由自在に展開』出来る。サキエルの光の槍や光の矢もATフィールドが変形したモノなのだ。

 

 つまり、使徒はペットボトルの形を好きに変えられるのである。

 

 それが、素早い変身に繋がっているのだ。

 

『肉体的な改変は今の所この程度に留めておくか。……ともなれば、次はやはり方針の決定だろう。今まで得た情報から、何か考える事は出来ないだろうか?』

 

 そんな考えのもと、サキエルは今までの記憶を漁り始める。

 

 彼が学習したのは、第一にミサイルなどの遠隔兵器。これは、既に光の矢として応用している。

 

 第二に、人間の言語。これもまた、擬似声帯と会話能力として反映済みだ。

 

 第三に、人間の肉体。これは、先程反映した手である。

 

 第四に、どうやら『使徒』という種族名と『サキエル』という個体名がある以上、どうやらサキエルの同類である『使徒』が複数存在するらしい事。これが、ヒントになりそうである。

 

『……私の同類ということはつまり、私に危害を加えられる連中ということになるな。……排除するのは確定だが、どうせなら何かに使えないだろうか?』

 

 そう考えるサキエル。水中で胡座をかきつつ腕を組み、ウンウンと頭を捻る様はどこか微笑ましい。そうしてしばらく考えていた彼は、煮詰まった思考をいったん整理するべく、身体の緊張を解いて意識を内から外へと向ける。

 

 その眼前でフナの稚魚がブラックバスに喰われるのをボーっと眺めていた彼は、はたと閃いた。

 

『そうだ、喰えば良い。S2機関は多くあって困るモノでもないし、上手く行けば喰った相手の能力等も取り込めるはずだ。……我ながら、なかなか良い案じゃないか?』

 

 人間が聞けば共食いがどうこうとか言いそうだが、生憎サキエルは他の使徒を同類とは考えても、同種とは認識していない。何しろ先程も述べたように使徒はその姿を自由自在に変化させる。故に、むしろサキエルと同型の使徒が現れる確率の方が低いのだ。

 

 西洋人と東洋人程度の差違ならば誤差の範囲だが、人間とチンパンジーともなれば完全に別種だ。にもかかわらず、使徒の個体差といえば鉱物と生物の差よりもなお広いのだから同種と認識できないのも仕方がないだろう。

 

 コアは全ての使徒に共通ではないか、という者が居るかも知れない。だがそれは『人間には水分が七割含まれている。故に、水分を含んだものは人間である』という証明と同程度の暴論なのだ。

 

 

『ふむ、捕食するとなれば、タイミングが重要だな。それに、口も作らなければ』

 

 サキエルは必要に応じて更に身体を変形させる。とは言え外見的には変化は少ない。ただ、仮面の裏側に口を作り出し、それに繋がるように胃袋と腸の機能を合わせたような吸収機関をつけただけである。

 

 その口は水中で生きる生き物を参考にした結果、ヤゴに似た構造になっている。必要に応じて素早く伸ばし、一口齧って素早く引っ込める訳だ。使徒の一部を生きたままサンプリングする事が狙いである。

 

 それを二、三回シャコシャコと出したり引っ込めたりして具合を確かめたサキエルは、ようやく満足したのか今後に関する思考を終了し、陸上から死角になるような水草の中に寝転がる。その状態から指先をにょきっと水面まで伸ばした彼は、飛び交うラジオ波を受信して日課となったラジオ視聴に勤しむことにした。

 

 『今日は落語な気分だな。落語のチャンネルは……』

 

 彼ののんびりとした午後はそうしてゆったりと過ぎ去っていくのであった。



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仲良きことは美しきかな

 使徒サキエルが水中に没した翌日。

 

 碇ゲンドウは『老人達』に呼び出されていた。

 

 理由は単純。未だに使徒を駆除できない事への説教である。

 

『碇君、君は真面目にやっとるのかね? 一回目は国連軍の指揮だから除外するにしても二回目は手早く処理された挙げ句に見逃され、三回目に至っては遊ばれたというじゃないか』

『然り。今まで掛かった費用もバカにならん。ビルの補修、クレーターの埋め立て、エヴァの修理、全て合わせれば国が一つ買える値段だよ、これは。死海文書によれば使徒は17体。このままでは全てを倒す前に金が尽きるぞ』

「しかし、パイロットが未熟な現状では……」

『大の大人が言い訳かね?』

『そんな心構えだから一向に使徒が倒せんのだ』

「しかし、あの使徒には知性が……」

『知性があるから何なのだ? そんなもの我々人間にも有るではないか。と、いうことはアレか? ネルフの職員は悉く使徒よりも阿呆だとでも言うつもりなのか?』

「いえ、そのような事は……」

『ならば黙って聞きたまえ。……良いかね、そもそも君は補完計画の実行が本来の業務であってだね……』

「……はい」

『そもそも、使徒が賢いから倒せません何ぞというのは道理に……』

「……申し訳ありません」

『情報統制も甘いという報告が……』

「……弁明のしようもございません」

『何の為にエヴァを君に任せたと……』

「……仰る通りです」

『パイロットが弱いと言うが、部下、それも自分の息子に責任を擦り付けるなど人として最低……』

「…………もう許して下さい」

 

 人類補完委員会のお説教はその後五時間に渡って続いたという。

 

 

--------

 

 

 さて、ゲンドウがお叱りを受けているその頃、シンジは同級生の鈴原トウジと相田ケンスケに連れられて芦ノ湖のほとりにやってきていた。転校からの四日間で出来た友人である。シンジがたまたまトウジとケンスケに宿題を見せてやった事から発展した三人の仲は良好で、活発で明るいトウジと若干オタク気味で温厚なケンスケ、人見知りだが身内には気さくなシンジのトリオは発足三日にして既にバカトリオ、或いは三馬鹿として勇名を馳せていた。 そんな馬鹿達は「昨日、海坊主が出たらしいから芦ノ湖まで見に行かへんか?」というトウジの提案でバスに乗ってわざわざ遊びに来たわけである。馬鹿である。

 

「しっかし、アホみたいに暑いのぅ」

「僕らが生まれる前はこんなんじゃなかったらしいけどね」

「へー、詳しいんだな碇」

「母さんが小さい頃言ってたんだよ。詳しいことは忘れちゃったけど」

「センセは物覚えがええんやな。……まぁ、そんなんよりも今はとっとと泳ぎたいわ」

「同感だけど、準備運動してからだよ」

「……碇、学校の先生みたいだな」

「ホンマにセンセはセンセなだけあるわ」

「いや、意味分かんないんだけど。特にトウジ」

「誰がアホやて?」

「いや、碇はそこまでは言ってない」

 

 その会話に誰からともなく笑いつつ、シンジ達一行は漸く目的の地点へとやってきていた。海坊主が発見されたという浜辺である。

 

 まぁ、シンジは薄々正体が『使徒』だと分かっているのだが、トウジの夢を壊すのも何なので黙っている。

 

「居らんなぁ、海坊主」

「妖怪なら、昼は寝てるんじゃないの?」「アホやな、ケンスケ。妖怪なんか居るわけ無いやろ」

「ん? じゃあ海坊主ってのは何なんだよ?」

「そんなもん、UMAに決まっとるやろ?」

「妖怪もUMAも変わんないと思うんだけどなぁ……」

「アホか、ゴリラは昔UMAやったんやぞ。ちゅうことは、UMAは実在するかも知れんけど妖怪は絶対実在せんっちゅう違いがあるやないか」

「あぁ、ゴリラの話は何か聞いたことあるね」

「ほら見ぃケンスケ。碇シンジ大先生もこう仰っとるぞ」

「碇、随分出世したなぁ」

「みたいだね」

 

 そんな馬鹿なコトを喋りながらも適当に準備運動を済ませた彼等は手早く海パン一丁になると浮き輪片手に湖に向けて突撃した。まぁ、シンジはトウジに引っ張られる形だったが、それでも特に抵抗なく駆けていった辺り、案外乗り気なのだろう。シンジは自主性は乏しいが、ノリが悪いわけではないのだ。

 

「かーっ!! ホンマ、暑い日は水泳が一番やな!!」

「安上がりだしね」

 

 ぷかりと浮いて涼むシンジと、ばた足でバシャバシャと泳ぎ始めるトウジ、ゴーグルで水中を覗き込むケンスケ。楽しみ方は三者三様だが、澄んだ湖水と遠くに見える富士山という雄大な景色の中で泳ぐと言うのは実に贅沢である。

 

 こんな気分が味わえるならこっちに来たのも悪くないな、などとシンジは考える。

 そんな中、シンジ達を眺める視線が一つ。

 

 言うまでもなく、サキエルである。

 

 

--------

 

 

 なかなか上手く泳ぐものだな、などと考えながら、サキエルはシンジ達を見つめていた。その距離、凡そ二百メートル。海から現れただけあって、彼は水陸問わず良好な視界を維持できるのだ。

 

 そんなサキエルは現在、ある疑問に捕らわれていた。

 

『しかし、先程言っていた海坊主とやらは何だろうか。海と坊主の関連性が分からない。……海にいる坊主? いやいや、坊主は何処にいても坊主だろう。そもそも妖怪と言っていたが、海に坊主が居てもさっぱり怖くないだろうに……。うーむ、ますます分からん』

 

 今までの知らない単語なら文字の意味ごとに分ければ大体分かったのだが、今回ばかりはさっぱり分からない。そんな状況に埒があかないと感じた彼は、分からないなら訊けばいいのだ、とばかりにシンジ達に接近し、水面へひょっこり顔を出した。

 

 それに飛び上がらんばかりに驚いたのはトウジとケンスケである。

 

「「う、海坊主!?」」

 

 トウジに至っては実際に水面から跳ね上がっていた。最初からサキエルを知っているシンジはともかく、全く知らなかった二人としてはその驚きたるや相当なものである。そして、水中で驚くのはかなりマズい。

 

「「いだだだだだ!?」」

「トウジ!? ケンスケ!?」

 

 とまぁ、足がツるわけである。そんな彼らが沈没していないのは、サキエルがその手のひらで三人を掬い上げたからだ。

「すまない、驚かせた」

「うおっ!? 喋りよったで!?」

「……知的生命体、なのか?」

「足は大丈夫か?」

「お、おう。多分、浜で休んどったら治るわ」

「そうか」

 

 そう言って腕を岸まで伸ばして三人を下ろしたサキエルは改めて詫びを入れる。

 

「先ほどはすまないことをした。私は、サキエルという」

「……ワイは鈴原トウジや。……しかし、デカいし不気味な割にエラい丁寧やなぁ」

「人は見かけによらないね」

「人じゃないけどね」

「なんやセンセとケンスケ、エラい反応薄いで?」

「「驚きが一周して悟った」」

 

「あぁ、成る程な。分からんでもないわ……。で、サキエルやっけ? 何で出て来たんや?」

「いや、海坊主とは何なのかが気になってな。海にいるハゲが妖怪なのか?」

「案外しょうもない理由やな」

「私にとっては有意義だ」

「そんなモンなんか? ……まぁええわ。海坊主っちゅうのは水ん中におる巨人のこっちゃな。まぁ、アンタみたいな感じの生きモンや」

「ふむ。……坊主は関係ないのか?」

「頭に毛がないらしいで?」

「あぁ、成る程」

 

 そう言って納得してから、サキエルは漸く違和感に気付いた。

 

「君は案外驚いていないようだね。トウジ君」

「いや、なんちゅうか、サッキーいうほど厳つないしの」

「そうは言っても、シンジ君やケンスケ君の反応が正常なはずだが」

 

 そう言ってサキエルが指差す先では、シンジとケンスケが既に50メートル程退避して「トウジ、君の事は忘れないぜ」などとほざいている。

 

「……アイツ等、後でシバくわ」

「……まぁ、お手柔らかにな。……ところで、『サッキー』とは何だ?」

「サキエルのモジリや。ネッシーっぽいやろ?」

「ネッシー?」

「ネス湖に住んどる怪獣がネッシーや。せやからホンマは芦ノ湖のアッシーなんやろうけど、名前あるらしいからそっちをもじった」

 

「ふむ。あだ名と言うわけか」

「そうなるなぁ」

 

 談笑するサキエルとトウジ。楽しげなその会話に途中からはケンスケやシンジも混じり、いつの間にかサキエルに慣れていた。

 

 学校の事、第三新東京市の事、最近の思い出。そんな有象無象の情報を実に面白そうに聞くサキエル。そのサキエルに頭の上に乗せて貰ったりしてはしゃぐ三馬鹿。

 

 そんな交流は夕方になり、三人が手を振って帰っていくまで続いたという。

 

 

 

 ちなみに余談だが、シンジとケンスケは「ワイはお前らを殴らなアカン」というトウジの主張により、後でチョップを受けていたとか何とか。

 



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千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とす

 休日の全てと平日の夕方は何やら『秘密特訓』等という名目で遊びに来る三人組と戯れ、平日の午前中は彼らから聞いたことを元にどうすれば最強になれるのかと考えたり、何となく魚を食べてみたりして過ごす。そんなまったりとした彼の生活が二週間と少し続いた頃。

 

 第三新東京市にけたたましいサイレンが鳴り響いた。

 

--只今、東海地方を含んだ関東中部全域に特別非常事態宣言が発令されました。速やかに落ち着いてシェルターへ避難して下さい--

 

 繰り返される警告、それが示すのはつまり。

 

『……私以外の使徒が現れたか』

 

 そう判断したサキエルは、ゆっくりと浮上する。芦ノ湖の水面にぷかりと浮かぶ白い仮面。その虚ろな目は、静かに第三新東京市を見つめていた。

 

 

--------

 

 

「目標を光学で捕捉! 領海に侵入しました!!」

「了解! 総員、第一種戦闘用意!!」

 

 ミサトの号令と共にコンソールを動かすネルフの職員達。その中に、碇ゲンドウの姿はない。不運なことに、彼は現在南極視察に出ていた。

 

「しっかし、15年ぶりに現れたと思ったらその三週間後にもう一体来るとはね……。相手の都合を考えないのは、女性に嫌われるわよ」

 

 そういうミサトが見つめるモニターに映るのは、赤紫の茸のような使徒。円筒型の胴体に涙型の平たい頭、突き出した二本の腕と首もとに無数の脚。挙げ句の果てに背中に目玉模様と来れば、本当にサキエルと同類だとは信じがたい。

 

 第四使徒シャムシエル。未知の存在であるそれは、現在海面より少し上をゆっくりと飛行していた。

 

 

「……さてと。シンジ君、準備は良い?」

「いつでも大丈夫です、ミサトさん」

「戦う前に怖がらせる訳じゃないんだけど、多分前回の使徒とは何もかも別物だわ。くれぐれも油断しないでね」

「了解です」

「その意気よ、シンジ君。……エヴァ初号機、射出口にて待機!」

「了解、機体運送開始!!」

 

 オペレーターの操作で射出口へと移動するエヴァ。その最中にも、地上では国連軍によるミサイル攻撃が行われているが、足止めすら出来ていない。前回のサキエルと違って飛行しているため、バランスを崩すことが無いのだ。

 

「……税金の無駄遣いだな」

 

 そう冬月が零すと同時に、発令所に一本の電話がかかってくる。その電話を取った青葉シゲルは短い会話の後、すぐさまミサトに報告した。

 

「委員会からエヴァンゲリオン出撃要請です!!」

「言われなくても出撃させるわよ。……エヴァ初号機、出撃!!」

 

 ミサトの号令と共に射出されるエヴァ初号機。そのエントリープラグの中でシンジは大きく伸びをする。

 

 この二週間の秘密特訓が、漸く実を結ぶ日が来たのだ。

 

 

--------

 

 

「……あぁ、うん、ワシはもう逃げとるで? サクラは……あぁ、分かったわ。ほな切るわ」

「トウジ、親御さんからの電話か?」

「いや、爺ちゃんやな。妹と一緒に逃げたらしいわ」

「サクラちゃんって、妹の名前?」

「せや。……言うとらんかったか?」

「聞いてないよ」

「さよか」

 

 第三新東京市防災課所有施設第三百三十四地下避難所、通称「334シェルター」。現在トウジ達は第一中学校の避難場所であるここに避難していた。

 

「……センセは大丈夫やろか?」

「大丈夫だよ、何の為の秘密特訓だったのさ」

「しかしやな、そりゃあワイらは本気でセンセと特訓したで? しかしいざとなったら中二の考えた特訓が意味有るんかが不安でなぁ……」

「まぁ、分からなくはないけど……」

 

 そう言って少しだけ考えたケンスケは、トウジに向けて言葉を紡ぐ。

 

「でもさ、トウジ。僕ら毎日汗だくで特訓したんだぜ? まぁ、作戦はダメかも知れない。けど、最近は碇もだいぶ良い動きをしてただろ?」

「……それはまぁ、そうやな」

「……父さんのパソコンちょっと見たんだけどさ。エヴァはパイロットが自分の身体を動かすイメージを読み取って動くらしいんだ。じゃあ、シンジが乗ってるエヴァはシンジと同じ動きが出来るんだろ?」

 

「……そうか、そうやな。センセなら大丈夫か」

「そうだよ。……というか、一緒に特訓してた僕らは碇を信じるべきだと思うな」

「……ケンスケ、お前偶にええこと言うわな」

「偶にで悪かったな」

 

 そんな風に談笑する二人は当然ながら委員長の洞木ヒカリに怒られる。

 

 だが、彼女のありがたいお説教を右から左へ聞き流す二人の頭にあるのはシンジに対する応援だけだった。

 

 

--------

 

 

 地上へと射出されたシンジはパレットライフルを構えつつ、手近なビルに身を隠していた。移動する使徒の無数にある脚がカタカタと音を鳴らしていることを頼りに、使徒が十分に接近した事を確認した後、シンジは素早くビルの陰から機体を半分だけ出してATフィールドを中和しながら使徒にライフルを放つ。

 

 タタタン、タタタン、タタタンとリズムを刻んで放たれたその弾丸は正確に使徒へと命中し、確かなダメージを与えた。だが、シンジはそれを確認する前にその場を素早く離れ別のビルの陰へと移動している。

 その姿を見た発令所のスタッフ達はシンジの成長に舌を巻いていた。常に重心は少し前、若干膝を落とし、ビルの陰に潜伏。対象を見つけ次第、射撃設定を三点バーストモードにして数回射撃、素早く潜伏場所を変更。

 

 その動きは確かにぎこちない所は有るものの、明らかに初心者の行動ではない。

 

「……ミサト、シンジ君に何か吹き込んだの?」

「……アタシじゃないわよ? リツコじゃないの?」

 

 顔を見合わせてそんな事を言い合うミサトとリツコに、答えを与えたのは手元の書類をパラパラとめくっていた冬月だった。

「……ふむ、諜報部の報告では彼は此処最近芦ノ湖付近の雑木林で友人二名と『サバイバルゲーム』をして遊んでいたとのことだ。諜報部が言うことにはゴーグルなどはしっかり着用していたため危険性は無いとしているな」

「……ねぇ、リツコ。『さばいばるげーむ』って何なの?」

「そうね。簡単に言えば、エアーガンを使って戦うスポーツよ。ルールは簡単。弾が当たったら死亡扱いで負け」

 

「……本格派の戦争ゴッコってことね」

 

 そう言って画面へと視線を戻したミサト。その視線の先ではシンジがヒットエンドラン戦法で使徒相手になかなか上手く立ち回っている。

 

 シンジ達の秘密特訓。その正体は先程冬月が言っていた通りサバイバルゲームだ。ケンスケが幾つか持っている電動ガンで、暇さえあればトウジとケンスケ相手に遊んでいたシンジ。

 

 彼はサバゲーの先輩であるケンスケの丁寧な指導と、『一番最初に撃たれた奴が一番最後まで残った奴にアイスを奢る』という飴とムチが合わさったルールによって発生した緊張感でメキメキと腕を上げ、ミリタリーオタクのケンスケ程ではないものの最近では手早くフルオート、セミオート、三点バーストを切り替える程度ならば見ないでも出来るようになってきている。

 

 

 

 だが、いつまでもそんな彼の快進撃をただただ黙って受け続ける使徒ではなかった。

 

 

「目標に高エネルギー反応!!」

 

 そのオペレーターの警告に反応して全力で後退するシンジ。その直後立ち上がった使徒はその腕から発生させた光の鞭で周囲のビルを悉く切り裂き、瓦礫の山へと変貌させる。

 

 遮蔽物が失われ、使徒の前にその身を晒したエヴァ初号機。

 

 それに対して威嚇するように光の鞭をうねらせる使徒。

 

 

 

 第四の使徒との第二ラウンドが始まろうとしていた。



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兎も七日なぶれば噛み付く

 ビルが裂ける、電柱が砕ける、道路が割れる。

 

 シャムシエルの光の鞭が振るわれる度にもたらされる大破壊。積み重なる瓦礫と舞い上がる粉塵の中でどうにか逃げ続けているシンジだが、遮蔽物ごと切断する光の鞭は着実にシンジを追い詰め、今まで撃たれ続けた借りを返さんとより苛烈に攻め立てる。

 

 そんな中、遂に限界が訪れた。

 

 使徒の振るう鞭がアンビリカルケーブルを切断。その衝撃に僅かにシンジが怯んだ隙にパレットライフルごと右腕がみじん切りにされ、首もとに絡み付いた鞭がエヴァを空中へと持ち上げる。

 

 そんな中でエントリープラグの中のシンジはもはやエヴァの操縦所ではない。

「グガァァァァァァァァァァッッ!? アァ、アアアアア!?」

 

 絶叫。白目を剥きながら、自身の右腕を血がにじむ程握り締めて悶え苦しむシンジの姿に困惑したのは発令所のミサトだった。

 

「シンジ君落ち着いて!? 切り刻まれたのはアナタの腕じゃないのよ!?」

「ミサト、アナタが落ち着きなさい。彼は今実際に痛いの。……エヴァとのシンクロ値が順調に上がっていたのが仇になったわ。……今思えばシンジ君は今まで無傷だった。痛みになれているはずがないのよ」

「そんな!? どうにかならないのリツコ!?」

「……マヤ、シンクロのフィードバック側を一段階弱めて」

「はい!! …………そんな。……ダメです!! シンクロ状態に介入できません!!」

「くっ、じゃあプラグスーツからシンジ君の右腕にリドカインを注入しなさい!!」

「ですが、麻酔はシンクロ値に悪影響が……」

「パイロットが発狂するよりはマシよ!!」「了解!! ……右腕への麻酔完了!!」

 

 リツコの指示で投与された麻酔でシンジの右腕は徐々に感覚を失っていく。それにより多少落ち着きを取り戻しかけたシンジだが、現実は非情である。

 

 使徒はエヴァを宙づりにしたまま今度はその頭に鞭を突き刺し、エヴァの頭部の約半分がこそげ落ちたのだ。

 

 

 なまじ一旦痛みが和らいだだけに、そのタイミングで受けた傷はシンジにとって致命的だ。

 

「----ッッ!?」

 

 もはや声にすらならない叫び。その叫びと共に、遂にシンジは気絶した。

 

「パイロットの精神パルス断絶!!」

「脈拍、呼吸、共に低下!! 昏睡状態です!!」

「シンジ君の回収、急いで!!」

「ダメです! 使徒が首を締め付けているためエントリープラグ排出出来ません!!」「くっ! 兵装ビルは残ってる?」

「戦闘区画から離れた場所にはまだ幾つか残っています」

「じゃあ、今すぐミサイルでも何でも良いからあの使徒に叩き込んで!! 少しだけでも気を引くわよ!!」

「了解!! パトリオットミサイル、装填完了!! 発射!!」

「機銃発射用意良し!! 発射!!」

 

 使徒に撃ち込まれる無数の兵器。

 

 その爆炎を見つめながら、ミサトは奥歯を噛み砕かんばかりに噛みしめていた。

 

 

--------

 

 

「……僕は、死んだの?」

 

 真っ白で暖かな空間。其処でシンジは目を覚ました。

 

 キョロキョロと周囲を見渡す彼の目に映るのは一面の白。そんな中で、シンジに一人の女性が近付いてきた。

 

 その女性の顔にどこか見覚えが有るのだが、今のシンジには思い出せない。

 

「……誰?」

 

 そう問い掛けるシンジを女性は優しく抱き締めた。

 

 普段のシンジならば、絶対に逃れようとするだろう。だと言うのに、寧ろシンジはこの抱擁に至上の幸福を感じていた。

 

 その胸の中で抱き締められているシンジに、女性は静かに話し掛ける。

 

「やっと逢えたわね、シンジ」

「……え?」

「あなたが私を覚えていないのは知ってるわ、気にしないで。……ねぇシンジ。今までの事を聞かせて?」

 

 明らかに妙な発言。だと言うのに、シンジはその近況を女性につぶさに報告した。

 

 中学二年生になったこと。

 

 二人の親友が出来たこと。

 

 変な使徒に出会ったこと。

 

 エヴァに乗って戦っていること。

 

 彼が戦わないと世界が滅ぶこと。

 

 でも、本当は怖くて堪らないこと。

 

 それでも、親友達を守りたいこと。

 

 

 取り留めもない事から重大な悩みまで、悉くを吐き出したシンジを女性はより強く、優しく抱き締めながら囁いた。

 

「……そう、今まで頑張ったのね。じゃあ、『母さん』もシンジが戦うのを手伝ってあげる」

「…………え?」

 

 聞き逃せない言葉。

 

 その声に顔を上げたシンジは、漸く女性の顔を何処で見たのか思い出した。

 

 彼女の顔は、シンジと似ているのだ。

 

「……母、さん?」

 

 その呟きを最後に、シンジの意識は暗転した。

 

 柔らかい、抱擁の中で。

 

 

--------

 

「なっ!? エヴァ初号機、再起動!!」

「……えっ?」

 

 突如叫ばれた言葉のその内容に、ミサトはすぐさま思考の海から帰還した。

 

 その視界に映るモニターでは、確かに初号機が再び動きを取り戻し、左手で使徒の鞭を強引に振り解いてその呪縛から逃れている様が映し出されている。

 

「……どういうこと? シンジ君が意識を取り戻したの?」

「いえ、パイロットは未だに昏睡……。いえ、これは……睡眠状態です」

「……リツコ? エヴァって寝たままでも動かせるの?」

「いえ、不可能よ。……つまりこれは、エヴァの『暴走』なのよ」

「暴走って、あの零号機の!?」

 

 あの零号機の、というのは、1ヶ月程前に行われたエヴァ零号機の起動実験の際に発生した事故を指している。そこで暴走状態に陥った零号機は、自ら頭を壁に打ち付け、発狂したように暴れ狂い、電源が切れるまで制御不能になったのだ。

 

 ミサトがこのジオフロントに来る前の出来事だが、資料として記録映像は閲覧している。

 

 故に、ミサトは不安げな顔で画面を見つめているのだ。

 

 その眼前でエヴァは使徒を蹴り飛ばし、あろうことか自力で顎部拘束具を破壊、咆哮を放つと同時に使徒へと向けて躍り掛かる。その接近をみすみす許す使徒ではないが、光の鞭はシンジが展開したものとは比べ物にならないほど頑強なATフィールドで弾き返され、初号機に傷を与えることすら出来ない。

 

「ヴォォォォッッッ!!」

 

 再び咆哮を上げて使徒へと接近したエヴァは左手でその光の鞭を握り締め、ハンマー投げの如く使徒を投げ飛ばす。

 

 

 その落下地点は、よりにもよって『芦ノ湖』だった。



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漁夫の利

 初号機に芦ノ湖へと投擲され、放物線を描いて落下したシャムシエル。だが忘れるなかれ、この使徒は浮遊能力を持っているのである。

 

 水面ギリギリでその落下を何とか止め、全力疾走で向かってくる初号機を迎え撃つシャムシエル。

 

 其処に、プログレッシブナイフを握り締めた初号機が襲い掛かる。

 

 立ち上がる水柱、閃く鞭、振るわれる刃。

 

 その攻防は熾烈にして苛烈。一分の隙もないその攻防の中、体制を崩したのは初号機だった。

 

「ヴォォォォッッッ」

 

 辛うじてATフィールドを張り、何とか持ちこたえたものの、圧倒的に先程より動きが悪い。

 

 そう、そろそろ内部電源が限界値に近いためである。

 

 

「初号機内部電源残り一分!!」

「そんなっ!?」

 

 悲痛な声をあげるミサトの前で、初号機も時間が無いことを悟ったのか、左手をこれまで以上に動かして、シャムシエルのコアを貫くべく必死に攻め立てる。だが、片腕が無くナイフしか持っていない初号機と両腕で鞭を操るシャムシエルでは圧倒的に初号機の方が分が悪い。

 

 と、その時。突如としてシャムシエルがギシリとその動きを止めた。

 

 その隙を、初号機が見過ごすはずもない。

 

「ヴォォォォォォォォッッッ」

 

 喉も裂けよとばかりに咆哮し、シャムシエルのコアに渾身の力でナイフを抉り込むエヴァ初号機。

 

 その乾坤一擲の一撃はシャムシエルにトドメを刺すには充分。だが『乾坤一擲』の名に恥じぬ大勝負は、初号機の内部エネルギーを根刮ぎ奪い去り、シャムシエルがその巨体を水面に浮かべると同時に水没し始める。

 

 そんな初号機に、伸ばされる手が一つ。

 その大きな黒い手は、当然ながらこの闘いを特等席で観察していたサキエルのもの。彼は初号機の左手を掴むとそのまま水面を引き摺って浅瀬まで運搬し、そのまま引き返してシャムシエルのコアをえぐり出して初号機の近くへとポイと捨てる。

 

 妙に親切なその行いに暫し唖然としていたネルフ本部のスタッフ達は、サキエルがシャムシエルの死体をゆっくりと水中に引きずり込んで行くのを眺めるばかり。

 

 その姿が漸く完全に水没したところで漸く再起動したネルフ職員は手早くシャムシエルのコアと初号機の回収作業に入る。

 

 その中で、リツコは思い出したように呟いた。

 

「……そう言えば、S2機関は?」

 

 その呟きでスタッフ達が再度固まったのはまぁ、仕方がないことだろう。

 

 

--------

 

 

『こういう状況を何というのだろう。たしか……棚からぼた餅だったか?』

 

 まあ一応エヴァとの戦闘中にシャムシエルを『捕まえた』のはサキエルなので完璧に何もしていないわけではないが、ほぼ何もしていないに等しい。そういう意味では棚ぼたであると言えるだろう。

 

 そんな事を考えながら水中でシャムシエルの死体にかじりつくサキエル。既にS2機関は吸収済みだが、最近ラジオで『食べ残しを減らすだけで年間数百トンのゴミの削減』だとか何とか言っていたので残すことなく頭から食べ進めていた。味覚はないので旨いか不味いかは分からないものの、魚が食いつかない辺り通常の生物が食べる素材ではないらしい。

 

『しかし、シンジ君は大丈夫なのだろうか』

 

 初めて見たエヴァの状態。異常なまでに狂暴化したその姿にさしものサキエルも驚愕した。そのせいでシャムシエルの動きを止めるのが遅れたのだが、まぁエヴァが勝ったので結果オーライである。だが、先程救急車とやらで運ばれて行ったシンジは明らかに気絶していた。

 

 浮き輪無しでは泳げないと嘆くシンジの姿を見ていたサキエルは沈みかけた初号機を慌てて引っ張って浅瀬まで持って行ったのだが、その時の運び方が雑だったのかも知れない。

 

『やはり人間は脆いな。……その分、数は多く、私と違って自分達で増えられるらしいが』

 

 トウジ達バカトリオ曰わく、人間には『男』と『女』の二種類があり、その二種類が協力する事で自己増殖が出来るらしい。

 

 仕組みだけ聞けば実に素晴らしいシステムだが、生憎サキエルに興味はなかった。自分のコピーに殺されるなど冗談ではない。可能性は無くしておくべきである。

 

 ちなみに、胸部が肥大している個体が『女』だそうだ。つまり、シンジ、トウジ、ケンスケは『男』でミサトやリツコが『女』なのだろう。そのため、特徴である胸部の肥大具合を気にする人間も多いとか何とか。

 

 トウジ曰わく、『女』に胸部の肥大が充分でない事を指摘すると問答無用で『死ぬ』らしい。

 

 『生きたい』と願うサキエルに取っては実に有益な情報である。死ぬのは嫌だ。

 

『……む、思考が脱線しているな』

 

 そう考えて思考を一時リセットしたサキエルは、改めて『最強への道』を考察する。

 

 今回現れたシャムシエルは浮遊能力と光の鞭という二つの武器を持った使徒だ。浮遊能力は動きが遅く、方向転換も鈍いという微妙な能力だが、それを補って余りある利便性を誇るのが『光の鞭』。

 

 見ていた限りでは『切断』『殴打』『刺突』『捕獲』の四つをこなす便利な武器である。更に、しなりによって先端速度が増す点も素晴らしい。速さは戦闘中において重要なファクターなのだから。

 

『……光の杭と光の鞭を意識的に切り替えられるようにするか』

 

 更に、シャムシエルから奪ったS2機関で折角エネルギー出力が二倍になったのだからと『杭』のリーチと『矢』の威力をある程度引き上げておく。

 

『しかし、次も棚からぼた餅が有るとは限らないな。何か、方法を考えておかなくては』

 

 例えば、今回のように飛行する使徒、或いはサキエル自身のように泳ぎが得意な使徒。もしかしたら目に見えない程小さい使徒や、逆に視界に映りきらないほど巨大な使徒、攻撃特化の使徒や、防御特化の使徒も居るかも知れない。

 

 そんな使徒に『殺されない』為には『やられる前にやる』事が重要だ。

 

 何しろ、サキエル自身の肉体は特にコレといって特化したものがない。

 水陸両用、遠隔攻撃と近距離攻撃の両方をこなし、ATフィールドも展開可能、再生もそれなりに早い。そう聞けば誰もがそのスペックに驚愕するだろう。だが、『万能』が『最強』かと言われれば怪しいモノがある。器用貧乏より一極集中型の方が便利な場合も往々にして有るのだ。

 

 十徳ナイフとダガーならダガーの方が戦闘では強い、というように。

 

『と、なると、やはり頼りになるのは知恵か』

 

 そうサキエルが結論付けるのには訳がある。

 

 浜辺で良く見かける『犬』という生物。特に『大型犬』と呼ばれる種類の生物が、人間に連れられて楽しそうに散歩しているのを見て、サキエルはある時気がついたのだ。

 

 どう考えても大型犬は人間よりも強いのである。

 

 『しば』や『こりー』と呼ばれる中型犬も、もしかしたら人間よりも強いかも知れない。だというのにも関わらず、『犬』は何故人間に従っているのか。

 

 その差を考えたとき、思い当たるのは知恵だった。

 

 『犬』の習性を理解し、利用し、調教する。それは言わば『犬』という生物にプログラミングされた『本能』というプログラムに対するハッキング。そのハッキング攻撃を防ぐには、犬の知能は低い。

 

 下手に学習力があるために『パブロフの犬』と同様のメカニズムで人間に本能を利用されてしまう。

 

 結果、犬は人に依存し、その庇護無くしては生きられぬほどにまで弱体化させられるのだ。

 

 それと同じように、使徒を観察する事で行動パターンを理解し、対応できない攻撃を行えば、どうにかなるのかも知れない。

 

『まぁ、そんな暇があればだが』

 

 そう考えたサキエルは今回と同じように『エヴァを支援する』方向で結論を出す。サードインパクトが起こってしまえばサキエルもLCLに還元されてしまう。

 

 その展開は是非ともご遠慮戴きたい。

 

 ならばエヴァに協力しつつ、そのおこぼれを貰うのがベストではあるまいか。

 

 つまり、棚ぼたから腰巾着へとシフトチェンジするのである。

 

 そんな、非常に『残念』な決断をしたサキエルは、『プライドなど命の前ではゴミに等しい』などと考えながら、モグモグと食事を続けるのであった。



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女は弱し、されど母は強し

 シンジが目覚めたのはシャムシエルとの戦いから一夜明けた昼の事。眠気で惚けた頭でムクリと起き上がった彼はぼんやりと目を擦る。

 

 そんな彼に、声をかける者がいた。

 

「……おはよう」

「うひゃぁっ!? ……あ、綾波さん? どうして此処に?」

「……私も入院しているもの」

「入院……?」

 

 そう言われて初めて、シンジは自分が病院の一室に居ることに気がついた。

 

 四つあるベッドの内二つが使われていないところをみるに、この部屋に割り当てられたのはシンジと綾波レイだけらしい。

 

 だからといって、隣り合わせにしなくても良いだろうにと無駄な思考を巡らせるシンジに、綾波レイはポツリと告げる。

 

「……昨日、相田君と鈴原君がお見舞いに来ていたわ」

「ケンスケとトウジが?」

「……ええ。……連絡、しなくて良いの?」

 

 そう言う彼女は、シンジの携帯電話を指で指し示す。

 

「え、でも、病院で携帯は駄目なんじゃ」

「……この病院はネルフの貸切だから」

 

 そう言われては、断る理由もない。シンジは電話を手に取ると、メールフォームから二人にメールを送信する。

 

 それから10分弱ですっ飛んできたケンスケとトウジに、思わず笑いを零したシンジだった。

 

 

--------

 

 

 息子が友人と戯れているその頃、南極から帰還したゲンドウは冬月、ミサト、リツコの三人を引き連れて芦ノ湖へとやってきていた。

 

「葛城一尉、赤木博士、此処に第三使徒が居るのか?」

 

 そう問いかける冬月に、リツコは書類に目を通しながら答えを返す。

 

「えぇ、芦ノ湖に住み着いているのは間違いありません。……ミサト」

 

 リツコの合図に、ミサトはいつかのようにメガホンを口に当て声を上げる。

 

「えー、テステス。マイクのテス……」

 

 そんな彼女がみなまで言わぬ内にザバリと水面から出現したサキエルは、呆れた声で文句を言う。

 

「ミサエ君、君はもう少し常識を身に付けたまえ。訪ねてくるならアポイントを取り、菓子折りの一つでも持って訪ねるのが社会人としての正しい姿ではないかね? 大体、いい大人が昼間からそんなに大声を出すのは止めたまえ。近隣住民の迷惑ぐらい察しがつくだろうに」

「……人の名前を故意に間違える奴だけには言われたくないわ」

「……常識外の存在に常識を諭されるなんて、無様ね」

「……問題無い、菓子折りならば私が準備済みだ」

「…………碇、風邪でも引いたか?」

 

 何やらアホなことを言っているゲンドウが差し出した『ネルフ銘菓・ペンペン饅頭』を受け取ってペロリと箱ごと平らげつつ、サキエルは『成る程、コレがシンジ君の親なのか。ヒゲとメガネを無くせば瓜二つ……いや、鼻は似ていないな』などと負けず劣らずアホな事を考えていた。

 

 そんな状況に冬月はコホンと咳払いをして場の空気を戻す。

 

「……話を始めよう。ネルフ本部の冬月という、念の為確認するが、君が第三使徒で間違いないかね?」

「如何にも私は第三使徒サキエルだ。……冬月君、君たちは何の目的で此処に来たのかね? 立ち退き要求なら聞く耳もたんが」

「いや、下手に立ち退かれても困るのでな、そんなつもりはないよ。今回は君の目的を訊きに来たんだ」

「……目的? 目的と言われても、君達の言う目的が何を指すのかがまずもって分からない事には返答のしようがないのだが?」

「……実に理性的な返答だな。目を閉じていれば人間と話しているとしか思えん。…………ああ、失礼。つい、思索に耽ってしまった」

「私も良くそうなるので別に構わないが、早く何の目的を訊きたいのかを明確にしてくれ」

 

 あくまで物腰穏やかなサキエルに答えを返したのは、冬月ではなくゲンドウだった。

 

「我々の知る限り、使徒の目的はサードインパクトの発動だとされている。それが何故、こんな所でノホホンと泳いでいるのかが訊きたい」

「……ふむ。それは私がサードインパクトを起こしたくないからだ。後続の使徒を皆殺しにするのも厭わんよ、私は」

「……それは何故だ?」

「死にたくないからだ」

 

 サキエルのその答えに、口を挟んだのはリツコだった。

 

「……あなたは死を恐れているの?」

「そうだ。死ねば何もかもおしまいだからな」

「……アダムと融合すれば、あなたはこの星の王になるのよ? 死ぬわけではないわ」

「いや、死ぬ」

「それは何故?」

「……そうだな。仮に、仮にだ。君達の保有するアダムの模造品……確かエヴァだったか。アレにリツコ君が吸収されたとしよう。……それは果たしてリツコ君であると言えるのか?」

 

 その言葉に、リツコは息を飲んで押し黙る。

 

 質問の答えに迷ったからではない。聞き捨てならない言葉を、サキエルが発したからだ。

 

 そのセリフを指摘したのはサキエルの『比喩』を有る意味最も理解したであろう碇ゲンドウだった。

 

「待て、お前は今『アダムの模造品』と言ったな?」

「あぁ、言ったが?」

「……何故そう思う」

「は? 何故とはどういうことだ? 見たままではないか。アレは何から何までアダムにそっくりだぞ?」

 

 本当に『何を言っているんだコイツ』と言わんばかりのサキエルの様子に、ゲンドウはふとある可能性に思い当たった。

 

「…………そうか、使徒はアダムを見た事があるのか」

「……? 何を今更。我々はアダムに作られたのだから見たことがあるに決まっているだろう?」

 

 まるで『塩は塩辛いのか?』と訊かれたかのように呆れた様子で答えるサキエルにゴホンと咳払いをしつつゲンドウは次なる質問を繰り出す。

 

「成る程な、ならば二つ目だ。オマエは『何故エヴァに吸収される』という比喩を用いた?」

「……君がそれを訊くのか? 知っているものだと思っていたが」

「…………」

「沈黙は肯定と取らせて貰う。ならば、私が答える意味は無いだろう」

「……いつ知った」

「昨日、『彼女』が元気良く私の住処で暴れていたときだ。……君と違って随分過保護だな、とは感じたが」

「何故分かった」

「おいおい、ATフィールドを見れば分かるに決まっているだろう? アレは『心の壁』。それに込められた意志で大凡のことは判る。例えば、私の場合『死にたくない!!』という思いでATフィールドを構成している。シンジ君の場合は可愛らしいことに『独りは嫌だ!!』という叫びだ。そして名前こそ知らないが、もう一人の『白い少女』が、健気な事に『絆を守りたい』だ」

 

 そう言ってから「よくこんな事も知らずにエヴァとやらを使っていられるな」と呟いた彼に質問をしたのは、今まで黙していたミサトだった。

 

「……ねぇ、サキエル。エヴァのATフィールドはどんな『心』だったの?」

 

 その問いに、サキエルが返す言葉は一つ。

 

 

「…………『私の可愛い息子に手を出すな!!』だよ、ミコト君」

 



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習うより慣れろ

 初号機には碇ユイの魂が取り込まれている。

 

 そう断言したと言っても過言ではないサキエル。成る程確かに初号機には碇ユイが封じ込められている。それはゲンドウ、そして冬月とリツコも良く知る所であった。

 だが、続くサキエルの言葉は完全に不意打ちだったと言って良いだろう。

 

「……しかし、出る気さえあれば簡単に出られると言うのに、随分エヴァとやらの中が気に入っているようだな。物好きな事だ」

「……どういうことだ」

「いや、私に訊かれても君の奥さんの考えなど解らんよ?」

「そうではない、その前だ」

 

 簡単に出られる、とはどういう事なのか。そう問い詰めるゲンドウに、サキエルはまぁ、落ち着けとでも言うように頭を振ってから説明する。

 

「先程も言ったが、ATフィールドは心の壁だ。それは心という魂を入れる器の素材でもある。要は、我々の肉体は一種のATフィールドなのだ。……此処までは良いか?」

「ああ、問題無い」

「ならば、初号機とやらが展開したATフィールドが君の奥さんの意志で構成されていたということが、どういう事かは分かるだろう?」

「……ユイは肉体も構築出来るはず、と言うわけか」

「その通りだ。だがまぁ、私に分かるのは此処まで。後は本人に訊いてくれ。……さて、いい加減話を元に戻しても構わないかね?」

「……問題無い」

 

 開かされた大量の情報にパンク寸前のミサト、サキエルの精神の成長に興味全開なリツコ、黙考する冬月、相変わらず無表情なゲンドウ。四者四様の様相を見せる彼らに、サキエルは当初の質問に対する簡潔明瞭な返答を述べる。

 

「纏めれば、私は死にたくないのでサードインパクトは起こさない。かつ、後続の使徒がサードインパクトを起こさんとする場合はこれを阻止する。というのが私の目的だ。……これで、要件は済んだだろう」

 

 そう言って再び水中へ沈んでいくサキエルを、ゲンドウ達一行は何ともいえぬ表情で見送ったのだった。

 

 

--------

 

 

 

 一方。シンジは軽い診察の後、退院を認められ、いつもの二人と共に芦ノ湖へと向かっていた。

 

 戦闘前後の記憶はアヤフヤだが、日常生活に支障はないだろう、と言うのが医師の診断である。

 

「しかしセンセ、エヴァのパイロットっちゅうのは話には聞いとったけど大変なんやなぁ」

「どうしたんだよ、いきなり」

「いや、綾波も聞いた話やとパイロットらしいやないか。となると、アイツの怪我やセンセの気絶騒ぎはパイロットの仕事がそんだけ危ないっちゅうことやろ?」

「まぁ、そうだけどさ。……トウジ、悪い物でも食べたの?」

「碇、コイツがこんな話し方をするときは大体変なこと考えてるときだよ」

「……お前らなぁ、折角人が真面目に考えたっちゅうのに」

「何をだよ?」

「そりゃ、センセの新しい訓練や」

 

 そう言って胸を張るトウジにケンスケは訝しげな目を向ける。

 

「マトモな訓練なのか?」

「当たり前やろ、アホなことしてセンセが怪我したら人類滅亡まっしぐらやないけ」「……で、どんな訓練? 水着を持ってきた上に芦ノ湖に誘ったって事は、湖で何かするの?」

 

 そう問いかけるシンジに、トウジは「おう」と答えてより一層胸を張る。

 

「何のことはあらへん、センセとワシとケンスケで水中プロレスごっこをするんや」

「水中?」

「プロレスごっこ?」

 

 明らかに「何言ってんだコイツ」という目を向ける二人に、トウジはジャージのポケットから一枚のチラシを取り出す。

 

「何これ? 『第三新東京市スイミングスクール』?」

「せや、そん中に『水中ウォーキング』てあるやろ? それが今ダイエットに成るいうて、女子に流行っとるらしいわ」

「あぁ、コレか。……『陸上のウォーキングの数倍の効果があります。筋肉を鍛えて脂肪を燃やそう!!』……トウジ、僕むしろ痩せ気味なんだけど」

「いや、碇。僕もトウジの考えが分かったよ。……つまり、碇に筋肉をつけるつもりなのさコイツは」

「僕に、筋肉?」

 

 そんな物つけて意味があるのか? という表情をしているシンジに、「センセは案外勉強以外ではアホやな」と言いつつトウジが説明する。

「センセの話やと、エヴァはセンセの『自分の身体を動かすイメージ』で動くんやろ?」

「うん」

「せやったらや。例えばの話やけど握力をメッチャ鍛えた奴がエヴァに乗るんと普通の奴がエヴァに乗るんとやったら、『エヴァの馬力』も変わってくるやろ?」

「…………………ん?」

「……アカンわコイツ」

 

 首を傾げるシンジに、思わず溜め息をつくトウジ。そこに助太刀に入ったのはケンスケだった。

 

「よしトウジ、僕に任せろ。例えば、リンゴを素手で握りつぶせる奴と、一般人がそれぞれエヴァに乗って、まぁエヴァの身の丈に合う巨大なリンゴを握りつぶすとする。この時、リンゴを握り潰す感覚をよりリアルにイメージ出来るのはどっちだ?」

「そりゃ、リンゴを素手で握り潰せる人が……あぁ、成る程」

「分かったか?」

「トウジの作戦は、僕に『よりリアルなイメージ』をさせることなんだね」

 

 成る程、確かに足の速さに確固たる自信を持ってエヴァを動かすならその速さも違うかも知れない。

 

 そのイメージをつけるのに手っ取り早いのは、筋肉をつけ、運動をする事だ。

 

 だが、何故『プロレス』なのか?

 

 そんな疑問をシンジが口にすると、トウジは案外真面目な答えを返してきた。

 

「うーん、プロレスっちゅうか、柔道っちゅうか、兎に角センセの場合殴ったり蹴ったりより相手を投げ飛ばした方がええ気がするんや。センセ、殴るときに親指握り込みそうやし」

「え、握り込んじゃ駄目なの?」

「ある程度の威力で殴ろうと思うたら握り込んどったら親指折れてまうで? その点、投げるんは投げたら投げっぱなしやから心配せんでええしな」

 

 そう言うトウジにプラスして、ケンスケも意見を述べる。

 

「それにプラスして『避ける』訓練もした方が良いな。ほら『当たらなければどうという事はない』っていうし」

 

「おお、そりゃええな」

「……お手柔らかにね」

「センセが死なん程度にな」

「頑張れ碇、限界を乗り越えてこそ見えるモノがあるんだ」

「どこのスポコン漫画だよ!!」

 

 

 そう言って笑いながら芦ノ湖に向かう三馬鹿御一行。

 

 彼らの行く先は、奇しくもゲンドウ達が今居る浜辺だった。



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魚心あれば水心

 シンジが退院した次の日。

 

 サキエルの住処に珍しい客人が訪ねてきていた。

 

「……サッキー」

 

 ファーストチルドレンの綾波レイである。

 

「む、君は確か、エヴァに乗っていた子か」

「そう。綾波レイ」

「レイ君か。私をサッキーと呼ぶと言うことは、シンジ君から私のことを聞いてきたのか?」

「えぇ」

「成る程ね。……で、君も泳ぎに来たのか?」

「話しに来たの」

 

 そう言うレイは、怯える素振りもなくサキエルの白い仮面をペチペチと触っている。

 

「……私の仮面がどうかしたのか?」

「ユニーク」

「そうか。……ときに、レイ君は使徒なのか? 妙なシンパシーを感じるのだが」

「……碇司令から聞いていないの?」

「聞いてないな」

「……なら言えないわ」

「そうか。今度機会があれば訊くとしよう」

 

 そんな会話をしている間に既にレイはサキエルの頭の上によじ登っているのだが、サキエルは『変わった子だな』程度で済ませている。まぁ、サキエル自体に害はないのでそんな対応なのは仕方がないだろう。

 

「レイ君は友達を連れては来ないのか?」

「いないもの」

「ふむ。レイ君は美人だから友達ぐらい簡単に作れそうなものだが」

「美人?」

「『目が大きい、睫毛が長い、鼻と口が小さい、頭が小さい、顔のパーツが左右対称に近い、肌が白い、ニキビがない、スタイルがよい』というのが一般的美人の認識らしい。これを大体満たしているのだから美人と言って良いと思う」

「……そう。でも友達はいないわ」

「ふむ。ならば私が記念すべき初の友人というわけだな」

「そうね」

 

 ほのぼのと浅瀬に漂うサキエルの頭上にちょこんと乗っかっているレイは、その表情を殆ど変化させていない。が、サキエルは何となく嫌がってはいないようだと判断した。

 

「……サッキー」

「何かなレイ君」

「友達とは何をするものなの?」

「何をするものか、か。……こうやって会話したり、後は一緒に遊んだりするのが『友達』らしいよ」

「そう、遊ぶのね。……遊ぶって、何をすればいいの?」

「うーん、此処だと泳ぐぐらいしかないな。人間ならば、街に繰り出す、食事を食べに行くといった遊びもあるのだが、如何せん私は身体が大きいからね」

「……なら、泳ぎましょう」

「……待ちたまえレイ君。水着はあるのかね?」

「下着では駄目なの?」

「駄目だ。……ちょっと待って居たまえ」

 言うなりサキエルはレイを優しくつまみ上げ、その体型、骨格などを把握する。

 

 その直後、サキエルの指先から『プラグスーツ』の様なものが現れた。

 

 ともすれば魔法のようにも見えるが、その原理は簡単。実際のところ、それはプラグスーツ形に整形されたサキエルの皮膚なのだ。

 

「……これを着れば泳いでも良いのね?」

「ああ。多分水着の代用にはなるハズだ。」

 

 サキエルがそう言うなり、レイは着替え始める。流石に予想済みだったサキエルが両手で囲いを作って臨時の更衣室を作ったから良いものの、一歩間違えれば露出狂である。

 

 おそらく諜報部の皆さんは確実に見ていると思われる以上、隠してあげるのが優しさというものだろう。

 

 諜報部の皆さんからすれば不服かもしれないが。

 

「着替えたわ」

「そうか。なら、私の背中に掴まってくれないか? 落ちると危ないからね」

「こう?」

「そうそう。……では、出発と行こうか」

 

 その声と共に、サキエルはジェットスキーのように水上を駆ける。

 

 その背中に、少し楽しそうな表情のレイを乗せながら。

 

 

--------

 

 

 さて、一方その頃。

 

 ネルフ本部の第一発令所では、モニター全体にサキエルの解析データが映し出され、侃々諤々の大論争が巻き起こっていた。

 

 作戦一課主催の、『第三使徒対策会議』である。

 

 

「二つのS2機関の並列駆動が行われている場合、もはや現状のエヴァ用兵器では対応出来ないと思います」

「ポジトロンスナイパーライフルを改良すれば、どうにかATフィールドを貫けないか?」

「プログレッシブナイフを延長してプログレッシブソードにするとか」

「何が怖いって、あの知能だよな」

「ああ、多分もうその辺の人間より賢いぞアイツは」

「なのに、なぜ葛城一尉の名前を間違え続けるのか。という謎が攻略のキーかも知れない」

「いや、流石にそれはないだろ」

 

 などと意見を交わし合うのは主にオペレーター達や作戦一課の下っ端連中である。当然ながら、良い案がなかなか浮かばない。

 

 そんな中、ある強力な助っ人がふらりと現れた。

 

「……何してるの?」

「あ、赤木博士! 丁度良いところに!」

「第三使徒の弱点とか、MAGIで分かりませんかね?」

「あぁ、それなら確か……メルキオールが『逃げなきゃ駄目だ』、バルタザールが『笑えば良いと思うよ』、カスパーが『気持ち悪い……』だったかしら」

「役に立たないですね……」

「そんなこと無いわよ? 戦ってはならないということが分かっただけでも儲けものだわ」

「……ん? 戦わないんですか?」

「戦わないわよ?」

「何故です?」

「MAGIが『手を出さない限りは安全』と判断したからよ。……此方からの交渉役にはレイが任命されたわ。と言っても、あの使徒と仲良くなって貰うのが目的なんだけど」

「情に訴えかける作戦って事っすか?」

「まぁ、そんな所ね。……虎の尾を踏まない気をつけながら打てる手はこのぐらいだもの」

 

 そう言いながら、リツコはコンソールを操作して芦ノ湖の状況を映し出す。

 

 モニターに映るレイは、高速で水上を駆けるサキエルの背で水しぶきと戯れており、それなりに楽しんでいるらしい。

 

「あー、なんか良い感じっすね。……俺も泳ぎに行けりゃあ良いんすけどね」

「ネルフは24時間年中無休よ、諦めなさい青葉君」

「……ですよねぇ」

 

 溜め息をつく青葉は羨ましげに画面の中のレイを見つめる。

 

 その視線の先で、サキエルとレイは悠々と泳ぎ回っていた。

 



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馬には乗ってみよ人には添うてみよ

「よっ、ほっ、はっ、ぬわっ!?」

「あー、惜しかったな碇」

「記録更新24発やな!!」

 

 午後。地軸がズレた影響でまだまだ明るい日差しが降り注ぐ中、シンジ達は芦ノ湖の畔で絶賛特訓中であった。

 

 今やっているのはサキエルからの『ビームを打てる』との情報を元に考えた、トウジとケンスケがシンジを水鉄砲で撃ち、それをシンジがひたすら回避するという特訓だ。

 

 足場の悪い砂浜での回避特訓は確実にシンジの反射神経と瞬発力を鍛え上げ、ついでに持久力もあがっている。その健脚が、体育の授業で行ったサッカーでもシュート二本を打つ活躍をみせたのは、嬉しいオマケであると言えよう。

 

「ふぅ。……疲れたからそろそろ泳がない? 汗かいちゃったよ」

「もう一時間はやったし、俺は賛成だな」

「よっしゃ、ほな泳ぐか!!」

「そう言えば、碇。お前最近は浮き輪無しでも泳げてるよな」

「うん。流石に毎日泳いでたら慣れたのかも。後は、筋肉がついたからかなぁ? サッキーはどう思う?」

 

 シンジの呼び掛けに、相変わらず水面から頭を覗かせているサキエルは少しシンジの身体を観察した後、返答する。

 

「それもあるが、程良く脂肪がついたのもあるな。前までのシンジ君は少し痩せすぎだったからな。この湖の水より比重が重かったのだろう」

「比重?」

「ある物質の重さと,同じ体積の4℃の蒸留水の重さとの比のことだ。ラジオの高校講座からの情報だな」

「サッキーはホンマ、ラジオが好きやの」

「学ぶというのは実に良いものだよ。私は君達と違って学校に行くわけにはいかないからね」

「そんなもんなんか? ワシ等は宿題三昧でイヤやけどなぁ」

「そこはまぁ、勉強と学習の差だな。勉強とは『勉めて強いる』と書くつまり、自身に強いているわけだ。それに対して学習は『学び習う』と書く。此方は自主的にやりたくてやっているわけだな」

「おお、そう言われたらそんな気がするわ。自分で調べた事は覚えとるもんな」

 

「僕の場合、学校が勉強で写真とミリタリーが学習なのか。納得だけど……サッキーって実はかなり賢いよな?」

「実はも何も、普通に僕たちより賢いと思うよ? 僕たちって所詮は中学生だし」

「センセはそう思える辺りワシ等より賢いな」

 

 そんな雑談を交わしながら海パンに着替えたシンジ達は、もはや日課となった行水を楽しむ。そんな中で、サキエルがポツリと呟いた。

 

「……そう言えば、そろそろレイ君が来る時間だな」

「レイ? 綾波さんのこと?」

「あぁ、シンジ君は知っているのか。最近よく遊びに来るのだよ」

「…………あの綾波が、遊びに?」

「ホンマかいな? アイツが遊んどるとこは想像できんなぁ」

「おや、全員知っているんだな。無口だが可愛らしい子だよ。……と、言っている間に来たようだな」

 

 そう言いながらサキエルが指差す方向には、確かに黒いプラグスーツのような水着の上から白い薄手のパーカーを羽織った少女がやってきていた。

 

「……サッキー」

「やあレイ君。よく来たね。……今日は三人ほど先客が居るが大丈夫かね?」

「大丈夫」

 

 無口なのは変わりないものの、心なしか楽しげに話すレイの姿に、三人はさも珍しいものを見たかのように顔を見合わせる。

「学校とはエラい違いやな」

「うん、あの表情の綾波の写真が撮れたらたぶん一枚二百円は固いな」

「……無理じゃないかな、綾波さんは人見知りだし」

「ほな、何でいまワシ等が居るのにあんなエエ顔なんや?」

「……眼中に無いんじゃないかな」

「「……ですよねー」」

 

 声を揃えて言うトウジとケンスケに反応したのか、漸く綾波は三人を視界に入れる。

 

「碇君と……………………?」

「あー、ワシが鈴原でコイツが相田や」

「よろしくな、綾波」

「そう。……あなた達もサッキーの友達?」

「まぁ、そやな」

「……そう。私と同じね」

「みたいやな」

 

 完璧に能面フェイスに戻った綾波にぎこちなく答えるトウジ。

 

 そんな交流風景にサキエルが下した感想は、トウジ達には意外なものだった。

 

「嬉しそうだね、レイ君」

「ええ」

「……マジで?」

「ケンスケ君、レイ君は表情と言語が乏しいだけで中身は可愛い女の子だよ?」

「それにしても、サッキーはよく判るね。僕は正直、良く分かんないや」

「ふむ、私には人の感情が『見える』からね。レイ君の感情を察するなど朝飯前なのだよ」

「……私の感情が?」

「見える?」

「うむ。といっても、『嬉しいな』や『楽しいな』といった大ざっぱな感情だけだが。……君たちが持つ表情から感情を察する能力と仕組みは違っても、判る情報の精度は変わらんよ」

 

 あらゆる生物が肉体をATフィールドで維持している以上、ATフィールドを読み取れるサキエルにはいわばATフィールドの『表情』が読み取れるのである。雰囲気やオーラといっても良いだろう。そんなサキエルからすれば、レイの感情を読みとる事が実に簡単なのは当たり前。何しろ、レイは他人よりATフィールドが強いのだから。

 

「……サッキー、早く乗せて」

「む、照れさせてしまったか。……ついでだし、四人で乗りたまえ。背中に取っ手があるからしっかり掴まりたまえよ」

「よっしゃ、分かった。綾波、サッキーの友達はワシらの友達や。困ったことがあったらワシらに言えや、勉強以外やったらどうにかしちゃる。のう、センセ、ケンスケ」

「うん。僕は同じパイロットだし、勉強もある程度は得意だから遠慮しないでね、綾波さん」

「僕も写真ぐらいしか取り柄がないけど、力になれることがあったら言ってくれよな」

「ええ、分かったわ」

「おお、ハイテンションだねレイ君」

「……サッキー、心の通訳は任せた」

「任せられよう。……さて、全員乗ったかね? 乗ったな? それでは行こうか。三、二、一……」

「「「「発進!!」」」」

 

 水しぶきを上げて、軽く飛んだり跳ねたりしながら泳ぎ回るサキエル。その背中に乗ったお馬鹿トリオはキャイキャイとはしゃぎながら笑い合う。先頭で楽しんでいるらしいレイもその口元にかすかな笑みを浮かべているあたり、彼らとの遊びを満喫している様子。

 

 

 

 そして、子供らしいその笑顔に、サキエル、岸から見守る諜報部の皆さん、そしてカメラで見ているネルフ職員達がほっこりと和んだのは言うまでもない。



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竜に翼を得たる如し

 平和な日々というのはどうにも体感時間を加速させる効果を持つらしく、サキエルが子供達と戯れる日々は既に二週間に及んでいた。

 

 あっと言う間のその時間。そんな中でサキエルはいつも通りにラジオを聞きながら、ふとレイのことを気にかける。

 

「……そう言えば、今日は零号機の再起動試験がある様だが。レイ君は大丈夫だろうか」

 

 自身の口から出たその言葉にすぐ「レイ君ならば大丈夫だ」と結論を出して再びラジオの内容に意識を集中させるサキエル。

 

 夏の日差しの中でプカプカと浮かぶ彼は、今日も今日とてまったりとした時の中に漂っていた。

 

 

--------

 

 

 降り注ぐセミの声。からりと晴れた青空の下で、レイとシンジはネルフに向かっていた。

 

 今日は休日。朝から湖で遊んだ後、自販機でジュースを買って、そのままこうして歩いている訳だ。

 

「今日は綾波さんのエヴァの起動試験だったよね。確か、零号機だっけ?」

「ええ」

「零号機って、初号機とどう違うの?」

「見た目以外は同じよ」

「じゃあ、僕も乗れるのかな?」

「初号機と互換性があるわ」

「そっか。それで綾波さんが初号機に乗れるんだね」

 

 納得したようにつぶやくシンジ。実は前々から初号機を動かせるレイを不思議に思っていたのだが、そういう仕組みならば納得がいくというものである。

 

 そんなシンジに、レイは一ミリ程眉尻を下げて返答する。シンジはこの微妙な表情の変化は、レイが謙遜、或いは困惑したりするときの反応だとこの半月の間にサキエルから教わっている。

 

「……シンクロ率は悪いわ」

「それは多分、僕が零号機に乗っても同じだよ。気にしないで良いと思うな」

「そう?」

「そうだよ。……けど、エヴァって不思議だよね」

「どこが?」

「この前、僕が気絶してても動いてた所とか、気分で動きが変わる所かな」

 

 そう言うシンジに、レイは少し考えてから答えを返す。

「……エヴァには心があるから」

「……サッキーみたいに?」

「そう」

「じゃあ、もしかしたらエヴァと心が通じればシンクロ率も上がるのかな?」

「多分」

「そっか。じゃあ今度から話しかけてみようかな」

「話す?」

「ほら、植物とかも話しかけるとよく育つっていうじゃない?」

「……碇君は物知り」

「ありがと。……でもサッキーには負けるよ」

 

 

 そんな会話を続けながら歩く二人。この半月で二人の仲は確実に知人から友人へと変化していた。

 

 トウジやケンスケも同じく仲の良い友人となっているが、最近ではシンジと綾波の顔立ちが似ている事に気付いた2人から『碇姉弟』とコンビ名を付けられている。

 

 学校で呼ばれたときには変な噂が立ったが、まぁ、似ているのは間違いないので噂も消しづらく、何故か周囲のクラスメート達からは二人は異母姉弟なのだとして扱われている。

 

 トウジとケンスケに謝罪と賠償を要求し、ファミレスを奢らせたシンジとレイは悪くない。

 

 そんな『碇姉弟』の二人は、ネルフまでの道のりをのんびりと歩いていくのだった。

 

 

--------

 

 

 さて、その一方でファミレスを奢らされた二人組は芦ノ湖で釣り糸を垂れていた。

 サキエルは好きな番組があるとの事で電波の良い場所へと移動しており、今は二人だけである。

 

「……大丈夫かな」

「何がやねん」

「『碇姉弟』だよ。今日は再起動試験があるんだってさ」

「……前から思っとったけど、お前どこでそんな情報仕入れとんねん」

「あぁ、僕のパパはネルフの施設管理担当だからね。スケジュールくらいなら手にはいるんだよ」

「いや、ウチのオトンかてネルフで整備しやっとるけど、そんな話一言も喋りよらんぞ?」

「そりゃあ、僕はパパのパソコンをハックして情報見てるからね。パパは一言も喋ってないよ」

「…………お前のオトンも難儀な息子を持ったもんやの」

 

「機械イジリを僕に教えたのはパパだから自業自得さ」

 

 そんな会話をしながら釣り糸を垂れる二人に、番組が終わったらしいサキエルが近寄ってくる。

 

「まぁ、私は先にレイ君から聞いていたがね」

「ん、サッキーも知っとったんか?」

「機密に当たると思われたので君達には黙っていたがね。……諜報部の怖いお兄さん達に捕まりたくはないだろう?」

「それは納得やな。……って待ちや、ほな今知ってもうたワシ等は大丈夫なんか?」

「今はシンジ君達が居ないので諜報部も居ない。よって大丈夫だな」

「……さよか。……ケンスケ、火遊びはやめとけ」

「まぁ、火事にならないように気を付けるさ」

「アカンわコイツ」

「まぁ、一度火傷しないと火の怖さは分からないと言うからね。仕方ないだろうさ」

 

 むしろ若い内に火傷しておけ、とでも言わんばかりのサキエルの態度にトウジは苦笑しつつも心配事を呟く。

 

「なぁ、サッキー。そろそろちゃうんか?」

「ふむ。使徒襲来かね?」

「せや。前の奴が半月前、そんでサッキーが来たんが一月前。……やったら時期的にはそろそろやろ?」

「まぁ、たった二回では判断材料に欠けるが、その可能性は大いにあるな」

「確かにトウジの言う通りかもね。……そう言えば、サッキーにやってみて欲しいことがあるんだけどさ」

 

 そう言ってケンスケがカバンから取り出したのは旧型のパソコン。最近のものと違って無骨で無駄に大きなそれは、明らかに10世代は前のものだろう。型落ちというレベルではない。

 

「……えらく古そうな機種だね。私には生憎それを修理できるような技術はないぞ」

「いや、確かに押し入れから発掘した奴だけど壊れた訳じゃないさ。……サッキーはラジオを聞くのに機械を使ってないよな? 前から見てた限りじゃ、その身体は自由に変形出来るんだろ?」

「ああその通りだ。私は仕組みを知っている機械ならばある程度は自分の肉体で代用出来るからね。………………待てよ? ケンスケ君、君は自分が何をしているのか分かっているか?」

「察しがいいね」

「……ワイにはさっぱり通じとらんのやけど」

 

 そう言って困惑の表情を浮かべるトウジに、ケンスケはニヤリと笑いつつ返答する。

 

「まぁ落ち着けよトウジ。今から説明するからさ。……といっても、サッキーにこのパソコンをあげて、その機能を丸パクリして貰うだけなんだけどさ」

「ん? サッキーはそんな事出来よるんか?」

「ああ。……流石に見抜かれるとは思っていなかったが」

 

 若干の驚きを込めてそう呟くサキエルに、ケンスケは眼鏡をクイッと弄って推理の根拠を披露する。

 

「ヒントは沢山在ったよ。背中の取っ手も以前はなかったし、ラジオの受信機を持ってる素振りはない。その上、綾波から聞いたけどあの水着はサッキーが体内で作ったんだろ? あと、碇曰く初登場では三本だった指がいつの間にか五本に増えてたとか。なら、身体を自由に組み換えられるのも予想はつくさ」

「……何で其処まで賢いのにお前は成績悪いんやろな」

「……推理力は成績に関係ないからだよ」

「……さよか」

 

 

 そんな会話をしながら、ケンスケはサキエルにパソコンを差し出す。

 

 それを受け取って丸呑みしたサキエルは、体内でチマチマと回路を組み上げ始める。パソコン、スパコン、量子コンピューターと凄まじい改良をその体内で繰り返して機能を増設しつつも、依然としてサキエル達はのんびりとした昼の時間を過ごしていくのだった。



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青天の霹靂

「これより、零号機再起動試験を行う」

 

 そう告げるオペレーターの声が響く中、ゲンドウがレイへと声をかける。

 

「レイ、準備は良いか?」

「はい」

 

 その短いやり取りと同時に、モニタールームのスタッフは各種機器の操作を開始する。

 

「パイロット、零号機と接続開始」

「シンクロ問題なし」

「中枢神経素子に異状無し」

「一から二千五百九十までのリストクリア」

「絶対境界線まであと、2.5、1.7、1.2、1.0、0.8、0.6、0.4、0.3、0.1」

「ボーダーラインクリア! 零号機起動しました!」

 

 その報告に、モニタールームの張り詰めた空気が和らぐ。

 

 では、この調子で次の試験を……。などと皆が考え始めた頃、直通電話が鳴り響いた。それを素早く取った冬月副司令は、緊張した面持ちで告げる。

 

「芦ノ湖経由で此処に向かう未確認飛行物体が出現! おそらく第五使徒だ!! 総員第一発令所へ移動!!」

「碇司令、零号機は?」

「まだ使えん、待機だ。初号機で応戦する!!」

 

 その号令に素早く準備を始めるスタッフ達。

 

 三度目の戦いの幕が開いたのだ。

 

 だが、その緊迫した空気の中で、誰かがポツリと呟いた。

 

「ん? 芦ノ湖?」

「「「…………芦ノ湖!?」」」

 

 

 作業を進めるスタッフ達の身体が一瞬膠着したのを責められるモノは、此処には居なかった。

 

 

--------

 

 

 マズいときにマズいモノが来たなとサキエルは内心歯噛みした。浜辺にへたり込むトウジとケンスケの視線の先に浮かぶ青色の正八面体。

 

 間違い無く第五使徒である。

 

 普段ならばエヴァに対処をお願いしたいところだが。生憎使徒の進路上にトウジ達が居る影響でみすみす通過させるわけにもいかない。

 

 ならば、この場で二人を守るためには彼が立ち向かうほか無いと判断したサキエルは、寝そべるような体勢から素早く上体を起こして直立歩行へと移行すると共に、全力でATフィールドを展開。第五使徒と二人の間に仁王立ちで立ちふさがった。

 

「二人とも早く逃げろ!」

「…………はっ!?」

「逃げろと言っているッッ!!」

 

 サキエルが再度吼えると同時にケツを叩かれたかのように二人が逃げ出す。

 

 それと同時に飛来した閃光は容赦なくATフィールドごとサキエルの皮膚を焼き、その仮面にビシリと亀裂を入れる。

 

 だが、サキエルとてやられたままではない。

 

 目から強化された光の矢を放つと同時にATフィールドを仰角に変え、第五使徒が放つ閃光の威力を斜面で受ける事によりどうにか持ちこたえる。だが、その両腕の皮膚は焼けただれ、ATフィールドは今にも破れかねないほどの圧力に軋みを上げる。

 

「この圧力、レーザー攻撃ではなく荷電粒子砲か!? 厄介な!!」

 

 その攻撃を素早く、そして正しく把握したサキエルはトウジ達が既に第五使徒の射線上から逃れた事を確認して水中に潜る。

 加熱した皮膚が急冷されたことでひび割れ剥離していくが、再生する上では炭化した部分が剥がれたのは幸いだ。

 

 既にうっすらと皮膚が再生し始めた事を確認しつつ、サキエルは水中から光の鞭を伸ばして第五使徒へ攻撃を敢行する。

 

 その一撃は確かに第五使徒へ直撃し、その身体に僅かに傷を付ける。反撃として、当然荷電粒子砲が飛来するが、先程と異なり水という二つ目の防壁のお陰で先程よりはマシだ。だが、それでもその攻撃は容赦なくサキエルの肉体を焼き焦がす。

 

「超攻撃力と固すぎる身体とは、随分羨ましい限りだな!!」

 

 思わず悪態をつくサキエルは、だが諦めることなくそのひび割れた仮面から光の矢を放つ。

 

 水の天使の名を冠する第三使徒サキエルと雷の天使の名を冠する第五使徒ラミエル。

 

 二つの使徒による怪獣大戦争は、サキエルの圧倒的不利で幕を開けたのだった。

 

 

--------

 

 

「芦ノ湖にて第三使徒が第五使徒を迎撃!!」

「第五使徒の攻撃手段は荷電粒子砲と推定されます!!」

 

「芦ノ湖、沸騰し始めました!」

 

 次々と齎される理解を拒否したくなるような情報。

 

 それを受け取りながら、ミサトは理解に苦しんでいた。

 

 『生きたい』というのが目的であるはずのサキエルが、何故わざわざ彼処まで身体を張るのかが分からなかったためだ。

 

 だが、その疑問はすぐさま解決する事となる。

 

 

「諜報部より入電!! 『第三使徒と接触していたらしい民間人、鈴原トウジと相田ケンスケの二名を保護。第三使徒は彼等を守るために戦闘していると供述しており、現在詳しい事情を調査中』」

「……成る程ね、道理で無茶してる訳か」

 納得したように呟くミサトに、横からリツコが声を掛ける。

 

「ミサト、あの威力の荷電粒子砲は流石にエヴァでも危険よ。画像を拡大したけれど、あの第三使徒ですら両腕が焼け焦げてるわ。……同時に同等のスピードで再生している様だけど」

「……アイツ、S2機関ってのを二個も乗っけてるんでしょ? なのに千日手なの?」

「ええ。一つでもエヴァを永久に稼働させうる装置二個でやっと千日手まで持ち込めるってわけ。……荷電粒子砲はそれ程強力ってわけよ」

 

 そう言って苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるリツコ。

 

 その表情から状況を大体察しつつも、ミサトは気になる事を訊いてみる。

 

「その荷電粒子砲ってのが凄いのは分かったけど、具体的にはどう凄いのか教えて」

「確かに、あまり聞かない言葉よね。分かったわ」

 

 そう言ってから、リツコはコーヒーで舌を湿らせて語り始めた。

 

 

 荷電粒子砲。

 それを一言で説明すれば、「ぼくのかんがえたさいきょうの水鉄砲」というのが分かり易いだろう。水鉄砲に水の代わりに重金属を入れ、光の速さで発射するという馬鹿げた兵器。電荷を帯びた粒子を電磁力で以て光の速さまで加速させた結果齎される被害は凄まじい。

 

 主な被害は三つ。まず、荷電粒子砲が直撃した物体は原子核を破壊されて消滅すること。

 

 次に、発射に伴い大量の電磁波が放たれる事。この場合の電磁波はマイクロ波、赤外線、紫外線、可視光線、エックス線と選り取り見取り。

 

 つまり、周囲を電子レンジでチンしながら、浴びれば一発で皮膚ガン確実な紫外線をバラまき、赤外線で周囲を焼き払い、挙げ句にエックス線で周囲の電子機器を叩き潰すという鬼畜仕様だ。

 

 そして最後に、摩擦熱。

 

 亜光速で飛来する物体は大気と摩擦を引き起こし、周囲もろともプラズマ化。その高温は芦ノ湖を一瞬で沸騰させるレベルである。

 

 

 そんな解説を懇切丁寧にされたミサトは思わず頭を抱える。

 

「……ちょっち、強すぎでしょ」

 

 その彼女の独白は、この場にいる全てのスタッフ達の心の声でもあった。



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急いては事を仕損じる

 煮えたぎる湖水、立ちこめる蒸気、煌めく閃光、放たれる光剣。かれこれ四時間は続く激戦は、依然、両者共に決め手を欠いた千日手。

 

 そんな中、使徒対使徒の戦闘に横槍を入れたのはネルフ……ではなく戦略自衛隊だった。

 

 なかなか現れないエヴァンゲリオンに業を煮やした彼等はN2弾頭搭載ミサイルによって『第三使徒共々第五使徒を焼き払う』という暴挙に出たのである。

 

 次々と二子山から飛来するミサイル。それにサキエルが気付いた時にはもう遅い。

 

 炸裂するミサイルが芦ノ湖の湖上を照らし、爆風が音速を超えて周囲の雑木林を薙払う。

 

 その破壊の嵐が止む頃には芦ノ湖の湖上に、二つの黒こげになった使徒が静止しているのが確認され、戦略自衛隊は確かな手応えにほくそ笑んだ。

 

 その一方で、状況を確認した地下のネルフ職員達が思わず頭を抱えるのも仕方がないだろう。

 

 事態は、最悪の方向へとシフトしたのだから。

 

「……碇、これはマズいぞ?」

「……ああ、拙いな」

 

 そう零す冬月とゲンドウは、冷房がかかった室内だというのに冷や汗で額を濡らしている。

 

 そんな中、やはりと言うべきかオペレーターから予想通りの報告が述べられた。

 

「第三使徒から高エネルギー反応、高速で再生開始!! 二十分程度で完全に再生すると思われますが、微動だにしません」

「S2機関を二つとも再生に回してるんだわ。……第五使徒は?」

「現在、自己修復ちゅ……いえ、第五使徒からも高エネルギー反応!? 荷電粒子砲射出準備に入ったと思われます!!」

「第五使徒、円周部を加速!!」

「…………マズいわね」

「…………はい」

 

 血の気の失せた顔で頬をひきつらせるネルフ職員達の前で、第五使徒ラミエルは荷電粒子砲を二子山に向けて叩き込む。

 

 溶解、沸騰、蒸発のプロセスを諸々すっ飛ばして二子山をマグマの海へと変貌させたラミエルはかなりお怒りらしく、既にドロドロのマグマになった其処に再度荷電粒子砲を照射している。

 

 まぁ、当たり前と言えば当たり前。サキエルの攻撃をほぼ完封していたラミエルにとって、自身に傷を負わせた戦略自衛隊の方が危険度が高く、そちらを優先的に攻撃しただけの事である。

 

 MAGIがその展開を予想していたからこそネルフは様子見に徹していたのだが、戦略自衛隊にはMAGIは無い。ならばネルフに何故様子見なのかを問い合わせでもすれば良いのだが、いわゆる面子の張り合いという下らない理由でその連絡が行われることはなかった。

 

 N2を使用したならば政府からの許可は降りているのだろうが、どうにも戦自のお偉いさんがごり押ししたような雰囲気である。シビリアンコントロールのお題目はどこに消えたのだろうか。

 

 その結果がコレでは損得勘定が釣り合わないと思われるが、後の祭りだ。

 

 

「……第五使徒、第三新東京市に向けて侵攻を再開。およそ五分程度でネルフ本部上空に到達する見込みです」

 

 その報告にゲンドウはポツリと呟く。

 

「……冬月」

「……なんだ、碇?」

「戦自に抗議文を送れ」

「もう送ったさ」

「そうか」

 

 そんな会話の一方で、リツコとミサトが率いるスタッフ達は使徒の迎撃準備に取り掛かっていた。

 

「妨害用電極設置完了!!」

「ご苦労様。『盾』はあとどれぐらいで出来そう?」

「後三時間程で完成します」

「レールガンは?」

「砲身は完成してます。現在コンデンサをエヴァ用電源から充電中。此方は後二時間程で充電が完了します」

「第五使徒本部直上に到達!! 目標下部の変形を確認!」

「変形?」

「はい、錐に酷似した形状へと変形しました」

「目標、地面の掘削を開始しました」

「なる程、此処に直接攻撃するつもりね。……本部への到達予想時刻をMAGIに計算させて」

「了解。……明日、午前4時6分54秒です」

「あと10時間って所ね。じゃあ、念の為にレールガンの予備コンデンサにも充電開始。盾は明日の二時まで使って全力で強化して。エヴァ用の予備装甲も使って構わないわ」

「「了解!!」」

「あ、リツコ。シンジ君の待機状態を解除して休憩させてあげても良い?」

「良いわよ。万全のコンディションで居てくれた方が此方としても助かるもの」

「サンキュー、無線借りるわよ。……シンジ君聞こえる?」

『はい』

「一旦休憩して良いわよ。なんなら仮眠室で寝てても良いわ」

『了解です』

 

 

 タイムリミット付きとはいえ、ある程度余裕が出来たネルフ本部は万全の状態で戦闘を行うべく、より一層慎重に準備を進めていく。

 

 と、その準備を応援するかの様な朗報が一つ。

 

「第三使徒完全復活!! 第五使徒に攻撃を開始しました!!」

 

 

--------

 

 

 「やれやれ、ある意味あの爆弾は私の生みの親とはいえ、そう何度も爆破されては堪らないな」

 

 思わずそんな事を愚痴りながらも、サキエルは上体を起こした。 それと同時に表面にこびりついた焦げがボロボロと落下し、その下から再生された表皮が現れる。

 

 そうして軽く身体を動かしてみて、異状無しと判断した彼は第五使徒へと向けて第三新東京の広い道路を駆け抜ける。

 

 もともとエヴァが自由に動くための六車線道路を使用して素早く突撃を敢行した彼は、当然ながらラミエルの荷電粒子砲の妨害を受ける。

 

 だが、此処でリツコ達が用意した電極が役に立った。

 

 荷電粒子砲はその名の通り帯電した粒子を発射する武器である。

 

 故に、パチパチと放電する電極からの電気的反発を受け、あらぬ方向へと荷電粒子砲はねじ曲がる。

 

 その隙を見逃さず、懐に飛び込んだサキエルは輝く拳を振りかぶる。その拳の正体は、光の鞭をバンテージ代わりに巻いた即席のグローブだ。

 

 殴る、殴る、殴る殴る殴る殴る殴る。

 

 怒涛のラッシュを叩き込むサキエルに、ラミエルは防戦一方と成らざるをえない。

 荷電粒子砲を放つ場合、そちらにエネルギーを消費する事でどうしてもATフィールドの弱体化が発生する。

 その状態ではサキエルのラッシュを受けきれない。

 

 ならば逃げれば良いのだが、生憎ラミエルは掘削地点から動けない。

 

「攻撃は最大の防御とは良く言ったものだな。これで私が殴り続ける限り身の安全を確保出来るというわけだ。……先程まで散々こんがり焼かれた怨みは重いぞ」

 

 恨み辛みのこもったラッシュパンチがATフィールドを殴りつける音と、ドリルの掘削音だけが響く夕暮れの第三新東京市。

 

 

 戦闘はもう間もなく、開始から五時間を迎えようとしていた。

 



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石橋を叩いて渡る

 深夜二時。芦ノ湖を見下ろす位置に存在する三国山にて、対ラミエル戦の最終準備が行われていた。

 

「エヴァ専用レールガン、照準完了」

「第一コンデンサ、使用準備完了。予備の第二、第三コンデンサも同じく使用準備完了」

「エヴァ専用対荷電粒子砲防御シールド、最終調整完了しました」

「交換用レール、並びにプロジェクタイル準備良し」

「葛城一尉へ連絡。エヴァ零号機、初号機、共に所定位置に到着しました。現在パイロット二人がヘリで其方に向かっています」

「了解、各員最終調整を継続して。……リツコ、目標の様子は?」

「今のところ、サキエルに殴られているわ。尤も、サキエルの攻撃自体は通っていないようだけれど」

「マジで滅茶苦茶堅いわね……レールガンで本当に大丈夫なの?」

 

 そう不安げに問い掛けるミサトに、リツコはクスリと笑って頷いた。

 

「レールガンの初速は秒速35キロメートル。マッハにすればだいたい109。十二分にATフィールドを貫けるわ。但し、一発撃つのに十億円かかるけれどね」

「十億ぅ!?」

「レール部分をプロジェクタイルごと交換するから、それぐらい掛かるのよ。何しろ、大量のプラチナと希少なレアメタルを使ってるから、値も張るのよ」

「十億かぁ……私のお給料もそれだけあればエビス飲み放題なのに」

「十億円でビールを買おうとする辺りがミサトらしいわね」

「私の血はビールなのよ」

「ふふ、そうかも知れないわね」

 

 笑うリツコ、おどけるミサト。そんな雑談で緊張が幾分かマシになったらしいミサト。其処に、プラグスーツ姿のシンジとレイがやってきた。

 

「ミサトさん、作戦会議って聞いて来たんですけど……」

「……私も」

「あら、二人とも早いわね」

「そうですか?」

「……葛城一尉がのんびりなだけ」

「レイは手厳しいわねぇ。……まあ良いわ、二人とも良く聞いて」

 

 そう言って、ミサトは姿勢を正し、作戦の説明を始める。 超長距離射撃による使徒殲滅作戦、『屋島作戦・改』。

 

 作戦一課とMAGIが全力で考え出したこの作戦は、源平合戦における『屋島の戦い』を元に考案された物だ。 

 

 その要と成るのが、エヴァ専用レールガンである。

 

 全長30メートル、口径46センチ、使用電力1ギガワット。原子炉一基が一時間掛けて発電した電力を一瞬にして消費するモンスターマシン。その砲身から放たれるタングステン弾は衝撃波を伴い直進する。

 

 その砲撃手として、碇シンジが操るエヴァ初号機を使用。この際のロックオンはMAGIシステムによる補助を受ける。

 

 そして、この計画の成功率をあげるために使用されるのが『盾』と零号機である。

 万が一に備えて初号機前方で待機する零号機の役割は、盾で荷電粒子砲を受け止めることである。初撃でしとめきれなかった場合に使用されるその盾は、スペースシャトルの底部パーツをベースにエヴァ用の装甲を組み合わせた巨大な逆三角形の形をしており、荷電粒子砲に対して一分程度の耐久が可能である。

 

 一分あれば十分に残り二個の予備で狙撃を行えるため、それさえ当たれば問題はない。

 

 八時間で用意した策としては悪くはないものと言えるだろう。

 

「……って感じなんだけど、質問ある?」

「あの、僕が盾役じゃ駄目なんですか?」

「えぇ。流石に零号機はまだ狙撃みたいな精密作業はできないから」

「……そうですか。……じゃあ、仕方ないのかな」

「……シンジ君、不服そうね?」

「だって、綾波さんは女の子だし、盾役は危ないみたいだし……」

「あら。可愛い見た目なのに、意外に男らしい考えじゃない」

「ミサト、その発言、男の子のプライド抉ってるわよ」

「……あ、ごめん」

「気にしてないですよ」

 

 そう言いつつも微妙な表情を浮かべるシンジに、横合いからトドメが入る。

 

「……大丈夫。碇君は私が守るもの」

「…………うん。ありがとう綾波さん。でも、このタイミングだと素直に喜べないや」

「……どうして?」

 

「いや、まぁ、男子のプライドとか?」

「……?」

 

 

 可愛らしく首を傾げるレイと、乾いた苦笑を漏らすシンジ。

 

 良い具合に緊張がほぐれた二人は、暫くしてやってきたスタッフに連れられて、エヴァに乗り込み最終調整に入る。

 

 

 今宵は満月。

 

 

 月光の中で、着々と進む準備は、最後の詰めに入っていた。

 

 

 

--------

 

 

 

「ん?」

 

 背筋に走った妙な感覚に、思わず声を漏らしたサキエルは、最早作業と化したラッシュの手を休めることなくその感覚が何であるかを考える。

 

「……何かこう、ビビッと来たな。虫の知らせにしてはハッキリと感じたが。……となると、電波でも拾ったのか?」

 

 そんな疑問を解決すべく、サキエルは自身のラジオ機能をオンにして受信周波数をゆっくりと上下させる。その帯域が軍用周波数に達した所で、サキエルは先程自身を驚かせた原因を察知した。

 

『こちらネルフ。第三使徒サキエルに告ぐ。我々は芦ノ湖方面より第五使徒ラミエルに砲撃を開始する。至急射線上から退避されたし。なお、攻撃は続けて貰えれば有り難い』

 

 そんな通信が頭の中に響いてくれば、流石に原因は分かるというものだ。

 

「……まぁ、取り敢えず言われた通りに移動するが、何をやるつもりだ?」

 

 そんな呟きを漏らした所で、あちらに聞こえる由もない。せめて何か通信手段があればな、などと思いながらステップを繰り返し射線上から逃れたサキエルは唐突に思いついた。

 

 こちらがあちらの送った電波を読み取れるならば、あちらも此方の送る電波が読み取れるのでは無かろうか、と。

 

 そうと決まれば話は早い。取り込んでいたパソコンから無線LAN機能を読み取って周波数を弄り、様々な周波数でメッセージを送信しようと試みる。

 

 流石に他の人々が受信してしまう危険性を考えて、一番最初のメッセージは意味が分かる人にしか伝わらない『サッキー』という単語だけだが。すぐに返信が帰ってきた。

 

『こちらネルフ。こちらの受信帯域は372メガヘルツである』

『こちらサキエルだ。聞こえるかな』

『こちらネルフ。通信に異状無し』

『それは良かった。……ところで、ミサヨ君は其処にいるのかな?』

『ブフッ……いや、失礼。こちらオペレーターの青葉シゲルだ。葛城一尉は今作戦行動中で手が放せない。伝言ならこちらで言っておくが』

 

 その返答に、サキエルは少し考えを巡らせてから、言付けを頼むこととした。

 

『ふむ。では、作戦への協力の対価として此方は使徒ラミエルの死骸を貰い受けたいとサトミ君に伝えてくれないか。正直、手が疲れた』

『惜しいっ……いや、何でもない。分かった、伝えておこう。協力感謝する』

『どう致しまして。そちらも作戦頑張ってくれシゲル君』

『了解。今から五分後に初撃を行うので注意してくれ』

 

 

 その通信が切断された後、青葉シゲルが「俺の名前は言えるのか」と、安堵とも突っ込みともつかない独り言を呟いていたことは、サキエルが知る筈もなかった。

 

 

--------

 

 

 午前二時二十七分。

 

 三国山山頂にて、初号機は身体を伏せ狙撃体勢に移行していた。

 

「コンデンサ、接続!!」

「MAGIシステムによるロックオン開始!!」「最終安全装置、解除!!」

 

 

 次々と飛び交うそれらの言葉は既にシンジの耳には届かない。

 

 ロックオンのタイミングを見極めるべくヘッドマウント型モニターから表示される画像を食い入るように見詰めるシンジは、半ば無意識に初号機からの音声情報をカットしていた。

 

 それ程の集中の上で、遂に引き金が引かれる。

 

「第一射、撃てッッ!!」

 

 その司令と同時に人差し指で引き金をカチリと引き絞る。

 

 金属を強引に引き裂いたような音と共に飛翔する弾丸は表面を摩擦で赤熱させ、流星のように尾を引いてラミエルへと直撃する。

 

 が、しかし。

 

「着弾!! ですが、コアから少しそれました!!」

「レール交換!!」

「目標から高エネルギー反応!! サキエルの拳を受けながらも円周部を加速、収縮していきます!!」

「零号機、スタンバイ!!」

「荷電粒子砲、来ます!!」

 

 飛来する破壊の稲妻。

 

 二子山をマグマに帰したそれを受け止めたのはエヴァ零号機。その正面に構える盾は表面が溶け、荷電粒子砲の威力に押されてはいるが、未だ健在。

 

 リツコの言葉通り、一分の時間を稼いだその盾の陰から、初号機は冷静に第二射、第三射を放つ。

 

「第二射、着弾!! コア直撃!!」

「第三射、コアを完全に粉砕しました!!」

 

 オペレーターがそう告げると同時に、ぐらりと傾き、地に沈む使徒ラミエル。

 

 その死骸に組み付いて、どうにかこうにか持ち上げた末、芦ノ湖へと戻るサキエル。

 

 その光景に、緊張の糸が一気に解けたシンジとレイは仲良くエントリープラグで眠りに落ちる。

 

 第五使徒迎撃作戦は、戦闘開始から13時間を経て、漸く成功したのだった。

 



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和を以て貴しとなす

 第五使徒ラミエル迎撃作戦の翌日。作戦後からずっと芦ノ湖の浄化作業に勤しんでいたサキエルは、漸く綺麗になった湖でのんびりと身体を休めていた。

 

 第五使徒を捕食して獲得した物も含め、現状三つのS2機関を持つサキエルは肉体的疲労とは無縁なのだが、精神的疲労というのはどうしても蓄積される。

 

 故に、形だけでも休息が必要なのだ。

 

 その時間を利用して、今は新たに手に入れた能力の確認をしている。

 

 今回手に入れた能力は荷電粒子砲と頑丈なボディ、そしてドリル。

 

 荷電粒子砲は強力過ぎて使いどころに困るが、ドリルはなかなかに便利である。

 

 パイルバンカーに組み込んでみた結果、貫通性が跳ね上がったのだ。

 

 地味だが汎用的なその機能は、サキエル的には今回一番の収穫であると言えよう。

 

 その特徴は甲高い回転音と、舞い散る火花。威嚇としても使えるだろうその見た目は、実に心躍る物がある。

 

「……格好良いな」

 

 漢の浪漫兵器として名高いそれに、サキエルは御満悦であった。

 

 

--------

 

 

 さて、一方その頃。シンジ達は学校の屋上で昼食をとっていた。

 

 今日のメニューはトウジがコロッケパンと焼きそばパン、ケンスケがコンビニの豚の生姜焼き弁当、そしてシンジとレイが『シンジお手製豆腐ハンバーグ弁当』である。

 

 何故、シンジがレイの弁当を作っているのか。

 

 理由は単純、栄養剤だけで生活していたレイを見かねたシンジが弁当を渡しているだけである。因みに、レイから報告を受けたリツコからミサト経由でお弁当代が支払われているため、葛城家の家計に支障はない。

 

 まあ、問題があるとすれば、シンジがお弁当を渡している光景のせいで、学校内における『碇・綾波姉弟説』の信憑性が右肩上がりな所だろうか。もはや、一部の教師すら信じている節がある。

 

 というか、シンジ自身が周りに言われすぎて、実は本当に姉弟なのではなかろうかと疑心暗鬼を生じている。

 

 何しろ、改めて自分とレイの姿を見比べれば、他人とは思えぬ程似ているのだ。特に鼻の辺りと目元はそっくりである。

 

 此処まで似れば、シンジ自身が勘ぐるのも致し方ないだろう。彼の中では、ゲンドウの隠し子ではなかろうか、という説が有力である。

 

「しかし、センセの弁当は旨そうやの」

「そうかな?」

「そうやで。……のう綾波、そのハンバーグ、ちょっとだけくれへんか?」

「駄目」

「そこを何とか」

「駄目」

「ハハハ、諦めろよトウジ。……けど、碇、その辺の女子よりよっぽど女子力あるよな」

「……女子力は流石にないと信じたいなぁ」

 

 苦笑いと共に答えるシンジに、ケンスケはニヤリと不敵な笑みを浮かべると質問を開始する。

 

「じゃあ、趣味は?」

「料理とチェロかな。……チェロはマンションに住んでるから最近弾いてないけど」

「得意料理は?」

「オムレツ、ハンバーグ、後は和食全般。……何の質問なのさ、これ」

「碇の女子力判定」

「結果は?」

「碇に有るのは女子力ではなく母性でした」

「余計にイヤだよ!?」

 

 割と本気で嫌がるシンジと「残念ですが、手遅れです」などと言ってからかうトウジとケンスケ、口角を一ミリほど上げて微笑むレイ。

 

 そんな平穏な日常は、確かにシンジやレイの心の寄りどころとなっているのだった。

 

 

--------

 

 

 さて、その頃。

 

 ネルフ職員も流石にこの時間帯は食事休憩を楽しんでいるその中で、伊吹マヤ、日向マコト、青葉シゲルのオペレーター三人組はコーヒーを飲みつつ、お喋りに花を咲かせていた。

 

「青葉はもうサキエルと喋ったんだったか?」

「俺はまぁ、確かに喋ったな。そういう日向は?」

「僕はまだだね。……伊吹さんは?」

「私はまだですよ。先輩と葛城一尉、それに司令、副司令は既に接触済みらしいですけど。……羨ましいですよね」

 

「何が?」

「だって未知の知性体との遭遇ですよ? 子供の頃夢見たSFの展開そのままじゃないですか。ほら、光の巨人とか」

 

 そう言って「でゅわっ」とポーズを決めるマヤに、日向と青葉は納得したように頷きながら自分の所感を述べる。

 

「あー、確かに。でも俺はサキエルはバッタ男ってイメージだな。ほら、アレも正義の心を持った怪人が悪い怪人をやっつける!! みたいな感じだし」

「僕は普通にエイリアンを思い出したけどな。進化スピードとか特に」

「……確かに。黒くて手足も長いからな」

「そうそう」

「えぇー、アレよりはサキエルの方が百倍は可愛いですよ」

「……可愛い、か?」

「……俺は何となく分からなくもない。円らな瞳とか」

「それです!! 青葉さんは分かってますね」

「まぁ、実際話すと下手な人間より良い奴っぽいしな」

 

 そう言ってコーヒーを啜る青葉に、どうにも納得の行かない表情で日向が問う。

 

「そういうモノなのか?」

「ま、少なくとも諜報部の情報だと子供の面倒までみてるんだ。ガワはともかく、中身は大分マトモだろ」

「それはまぁ、そうだな」

「そうですよ、レイちゃんやシンジきゅんが懐いて居るみたいですし、悪い性格ではないはずです」

「……きゅん?」

「あれ、日向知らなかったのか? 伊吹含めて、シンジ君のファンは地味に多いぞ」

「……あぁ、シンジ君、華奢で可愛いからね」

「そう、あの柔らかそうなのに少し筋肉の付いた二の腕とか、張りのある太腿とか、白くて長い首筋とか!! 少年には無限の可能性があります!!」

 

 熱く主張するマヤに、日向は苦笑いしながら「構い過ぎてシンジ君に負担掛けるなよ」と忠告する。と、如何にも心外だと言わんばかりの顔でマヤが返答を返してきた。

 

「当たり前です。此方から接触しない事でこそ天然物の良い表情がですね……」

「ま、この職場、俺達みたいな駄目物件が多いからな。あの葛城一尉の部屋を『綺麗』な空間に改造したシンジ君の家事能力は掃き溜めに鶴なんだろ」

 

「先輩から聞いたんですけど、最近はレイちゃんのお弁当もシンジ君担当らしいですよ」

「……なんというか、男が女の子の胃袋掴む時代が来るとはなぁ」

「日向、草食系が流行したのはかなり前だし、今更だろ」

「……そうか、僕がモテないのは流行に疎いからか。……それもこれも仮眠室暮らしのせいだ」

「あー、作戦一課は多忙だもんな」

「僕も青葉と同じ通信課にすれば良かったよ」

「ま、俺は確かにバンドやるくらいの暇はあるからな。……でも、作戦一課の給料、ウチの1.5倍だぞ?」

「そうなんだよなぁ……」

「開発局員みたいにいっそのこと住み込みで働けば良いんじゃないですか?」

「ゴメン、その勇気はない」

 

 ワイワイと雑談を続ける三人組。

 

 のんびりとした空気が漂うネルフ。

 

 そんな、日常の1コマは、今日もゆっくりと過ぎ去って行くのだった。



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寡は衆に敵せず

 闇の中に浮かぶモノリスの群れ。赤く輝く数字が記された墓標のようなその石版は、現代美術の類に見えぬ事もないが、その実、それは空中に投影された立体映像なのだ。

 

 世界を裏で牛耳る秘密結社ゼーレ。彼らのアバターが、この浮かび上がる石版なのである。

 

 秘密結社と聞けば、なんともチープで使い古された印象が否応無しに想起されるが、ゼーレとは真実その名の通りの組織である。古くから各国に根を張り、世界を裏から支配する、支配者達。その存在はやはり、秘密結社と言い表すほか無い。

 

 では、その秘密結社の皆様方が雁首揃えて何をしているのかと言えば。

 

 

『……シナリオに大幅な歪みが出ているな』

『左様。第三使徒による生命の実の独占。これがシナリオに与える影響は計り知れん』

『S2機関が確保できぬ以上、エヴァ量産機の開発も見合わせねば成らんな』

『戦略自衛隊を唆してはみたが、仕留めるどころか返り討ちにされてしまうとはね』

『湖上故に遠慮なくN2を投下したのだがな』

『あの量でも効かぬならばN2は足止めと割り切るべきだな』

『……まぁ、戦略自衛隊についてはその程度で良かろう。重要なのは補完計画だ』

『然り。死海文書の予言にない事態が発生した以上、臨機応変に対応せねば成るまい』

『……アレを使うか?』

『……タブリスか。確かにヤツならば』

『槍を使うという手もあるが』

『槍はマズい。万が一、リリスと第三使徒に繋がりが出来てしまえば補完計画は終わりだ』

『……それもそうか』

 

 今まで死海文書に頼り切っていたツケとでも言うべきか、ゼーレは不測の事態に弱い。そんな彼らが長考の結果打った一手が、今後の展開を更に混沌の坩堝へと変化させるとは、この時の彼らは思いもしなかった。

 

 

--------

 

 

「カウンター?」

「せや。特訓の第二段階やな」

「避けるだけじゃなくて、避けながらも攻撃を加えるのがカウンターだよ。碇はもう避けるだけならかなり出来てるからね」

 

 

 第五使徒戦から数日たったある日の午後。芦ノ湖の畔で、もはや日課と化した特訓をこなしていたシンジ達三馬鹿と、水泳の傍らその様子を眺めていたレイ。

 

 そんな中でコーチ役のトウジとケンスケから提案された特訓第二段階。

 

 それは、有り体に言えば軟式テニスだった。

 

 但し、三対一の。

 

「エヴァの武器はナイフやろ?」

「うん。そうだけど、なんでテニス?」

「ナイフでカウンターする感覚に近そうなのがテニスかな、と思ってさ。で、僕とトウジと綾波がボールを碇の身体に向けて打つ。それを碇は避けつつ打ち返す訳だな」

「成る程。確かに練習にはなりそうだね」

「ボールは柔らかいプニプニのゴム球だから怪我はしないけど、当たるとちょっと痛いぞ。全力で避けろよ、碇」

「まぁ、痛いのはイヤだし頑張るよ」

「湿布ならあるわ」

「お、準備がええな、綾波」

「私はお姉さんだもの」

 

 そう言って数ミリ程度上体を反らすレイ。この反応を見て『綾波が胸を張っている』と認識できているあたり、三人も随分綾波レイという少女に慣れたものである。

 

「ほな、始めよか」

「うん」

 

 シンジが答えると同時に、トウジは腕を大きくしならせてボールを放つ。丁度綺麗に顔面目掛けて放たれたそれを、シンジは危なげなく避けて打ち返す。この所の特訓の成果とも言うべきか、反応性が日に日に上昇しているシンジからすれば、この程度の球速には充分に対応出来る。

 

 が、次なる一撃は流石のシンジも予想外だった。

 

「……えい」

 

 弓形に反った美しいフォーム。太ももと背筋で生み出されたエネルギーを鞭のようにしなる腕から放たれたその一撃は、吸い込まれるようにシンジの額に直撃し、シンジは「ホゲッ」という奇声と共に大きくのけぞった。

 

 その球を放ったのは綾波レイ。

 

 どうやら、こういうスポーツは得意な方らしい。

 

「……そう言えば、女子は今体育でテニスやってるって言ってたっけ」

「……センセ、大丈夫か?」

「うん。ゴムボールだし」

「……ごめんなさい」

「大丈夫だよ、綾波さん。これは僕の特訓なんだから、避けられなかった僕が悪いさ」

 

 そう言って再びラケットを構えるシンジ。そんな中、ケンスケがふと閃いた様に提案する。

 

「碇、今回は十回当たったら罰ゲームな」

「あぁ、そう言えば罰ゲーム決めてなかったね。それで良いよ。またアイス奢り?」

 

 軽い調子で承諾したシンジに、ケンスケはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて罰ゲームを発表する。

 

「いやいや、そんなんじゃないさ。……碇は十回当たったら、明日一日綾波を『お姉ちゃん』と呼ぶ事な」

 

 その宣告は、その場に居る全員を硬直させた。

 

 その衝撃からいち早く立ち直ったのは、当事者であるシンジである。

 

「……マジで?」

「マジだよ?」

「…………神は死んだ!!」

「ニーチェかよ。其処まで大したこと無いって」

「……明日は月曜日なんだけど」

「知ってるよ」

「……学校でも『お姉ちゃん』?」

「当然だろ?」

「ぐっ。…………そうだ、綾波さんが嫌がるかも知れないじゃないか」

「……そうかな?」

 

 問うようにレイへと視線を移すシンジとケンスケ。その先で、レイは口角を三ミリ上げるという彼女史上最大級の満面の笑みと共に、ポツリと告げる。

 

「……毎日『お姉ちゃん』でも良いわ」

「だってさ」

「……むぐぐぐぐぐ。…………分かったよ。罰ゲームはそれで良いよ」

「よし!! 約束だからな!! おーい、トウジ、惚けてないで始めようぜ」

「お、おう、せやな、うん」

「当たっちゃダメだ、当たっちゃダメだ、当たっちゃダメだ、当たっちゃダメだ…………」

「……」

 

 ブツブツと自己暗示を掛けるシンジ、いつになく真剣な表情なレイ、未だにぎこちないながらもしっかりとサーブを打ち込むトウジ、意外にもそこそこ動けるケンスケ。

 

 三対一とはいえ、ボールの数は一つ。攻撃の方向さえ掴めば充分に対処出来る筈だ。

 

 そんな考えで自身を鼓舞したシンジは腰を落とし迫り来る速球に備える。

 

 

 砂浜に描かれた20メートル程度のテニスコートにおける三対一の決戦は丁度二時間後の夕方五時まで続き、結果としてシンジの被弾数は12回。

 

 晴れて罰ゲーム履行と相成ったのであった。



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人の口に戸は立てられぬ

 月曜日の早朝。

 

 早起きな学生諸君と忙しい社会人の皆さんが軽くダウナーな気分になるその時間。

 

 少年、碇シンジは一周廻って元気だった。

 

 昨夜はそれはもう悶々と悩んだのだが、よくよく考えてみれば綾波レイという少女が『本当の姉』である可能性もあるのだ。それに、学校では既に『碇姉弟』として定着し、ノリの良い教員などは既に『碇姉』、『碇弟』という呼称でレイとシンジを呼ぶことすらある。

 

 今更シンジがレイを『お姉ちゃん』と呼んだところで何か変わるはずがあろうか、いや、無い。即ち、シンジがそれによって被る被害も無いのだ。

 

 そう開き直ってみれば、寧ろ、シンジが『お姉ちゃん』と呼ぶことで困惑する周囲を眺めて愉悦に浸るのも一興ではないかとすら思える。

 

 

 ネルフでも姉弟のように振る舞えば、レイがゲンドウの隠し子なのかどうかもハッキリするだろう。それによりゲンドウの立場がマズい事に成ったとしても、それはそれで十四年も孤児院に捨てられていた意趣返しになるだろう。

 

「うん。何というか、僕に罰ゲームと言うか、巡り巡って父さんに罰ゲームだよね」

 

 気分良く鼻歌など歌いながら今日のお弁当であるチンジャオロースを炒めるシンジ。レイに配慮して肉の代わりに高野豆腐を使ったそれは、本物の肉とは味わいこそ違うがシンジの腕前もあり、なかなか美味しく仕上がっている。

 

「やっぱり、中華はガスじゃないとね」

 

 電磁調理器では火力が足りない、などと考えながらメインとなるチンジャオロースを作り終え、胡麻和えの製作に取り掛かる。

 

 そんな中、チンジャオロースの香りに釣られてミサトが部屋から這いだしてきた。

 

「ふぁぁあ、むにゃ。……おはよー。随分ご機嫌ねぇ、シンちゃん」

「あ、おはようございますミサトさん。お皿に取り分けてある分のチンジャオロースは食べても大丈夫ですよ」

「じゃ、頂きまーす。……うん、おいしー。……ビール欲しくなるわね。」

「朝からは駄目ですよ。……晩御飯はゴーヤーチャンプルーですから」

「マジ? ……じゃあ、我慢の甲斐もあるわね。楽しみにしてるわ」

「任せて下さい。……よし、お弁当完成。じゃ、学校に行く準備してきますね」

「はいはーい。……ご飯はジャーの奴で良いの?」

「はい。それで良いですよ」

 

 

 ミサトの声に答えてからシンジは自室に引っ込み、カバンにテキパキと弁当や水筒、授業用のノートパソコンといった何時もの道具を鞄に放り込み、パジャマにエプロンという姿からカッターシャツにスラックスという学生らしい格好に着替え、お気に入りの音楽プレーヤーをポケットへと突っ込んで自室から出る。

 

「じゃ、行って来ます!!」

「行ってらっしゃーい。あ、シンちゃん、今日は五時からシンクロ測定だから忘れちゃダメよ?」

「了解です!」

 

 元気良く駆けていくシンジ。

 

 その背中にヒラヒラと手を振るミサトは、麦茶でチンジャオロースを流し込んでいた。

 

 

--------

 

 

「おはよう、トウジ、ケンスケ」

「おう、センセか。おはようさん」

「おはよう、碇。……約束覚えてるか?」

「当たり前だよ。僕は流石に昨日の事はまだ覚えてるからね」

「まだ……って、その内忘れるんかいな」

「トウジ、かつてニーチェはこう言った。『忘却はよりよき前進を生む』と。つまり、忘却は脳髄のフォルダー整理の結果であり、不要な情報はいずれ忘却される物なんだよ」

「……今日のセンセは朝から無駄に小難しいのう」

「……羞恥心が一周廻ってハイテンションなんじゃないか?」

「あー、成る程。納得やわ」

 

 通学路をだらだらと進むバカトリオ。年中泣きやまぬ蝉の声をBGMに、他愛もない会話を繰り広げ、お互いにふざけ合う彼らが歩く速度は当然ながら遅い。

 

 走ればせいぜい10分、歩いて15分の道のりを20分掛けて登校すると言えば、何となくその速度が分かるかと思われる。

 そんな、蝸牛の如き歩みを進める彼らに、横合いから声を掛ける者が一人。

 

 第三新東京市立第壱中学校二年A組のお母さん、もとい、委員長の洞木ヒカリである。小走り気味に学校へ向けて進む彼女は、どうやらトロトロと歩いている三人を見かねて声を掛けたらしい。

 

「おはよう、三人とも。……あなた達は朝から元気よね」

「おはよう、洞木さん」

「お、委員長か。おはよう」

「おはようさん、委員長」

「うん、おはよう。……ところで、今日は朝礼があるから、急がないとヤバいわよ? じゃあね」

 

 そんなアドバイスと共に軽やかに駆けていくお下げを三人はポケッとした顔で見送った後、何とか再起動を果たす。

 

「ヤバいぞ、碇、トウジ!!」

「生活指導のオッサンにド突かれん内に急ぐで!!」

「分かってる!!」

 

 通学鞄を小脇に抱えて通学路を駆け抜ける三馬鹿は委員長を追い越し、他の生徒を5人程牛蒡抜きにしながら校門へと突撃する。

 

 現在午前七時二十分。

 

 月曜日はまだ、始まったばかりである。

 

 

--------

 

 

 さて、何とか遅刻を免れた面々は何時も通り適当に授業をこなし、昼休みに突入している。

 

 今日は若干雲行きが怪しいため、昼食は教室で食べることに相成った。

 

 最近席替えをしたばかりの座席配置は、今回の席替えが『自由』だったためか、シンジ、レイ、トウジ、ケンスケ、そして委員長の五人の席が近くなっている。委員長は先生から内密に依頼されたらしい三馬鹿の見張りが目的だが、それ以外は本当に自由に座っているのだ。

 

 そして、レイは当然のように自分の机で小説を読みふけっている。

 

「綾波、昼飯食わんのか?」

「あ、委員長もどう?」

「ありがとう相田君。ご一緒させて貰うわね」

「お姉ちゃん、一緒に食べない?」

「……食べるわ」

 

 しっかりと罰ゲームのルールを遵守しているシンジに、レイは少しだけ苦笑混じりの笑顔を浮かべて挨拶を返す。

 

「お姉ちゃん、これ、今日のお弁当」

「ありがとう」

「……ホンマに違和感ないんやな」

「……こうしてみると、マジで姉弟だな」

 

 言い出しっぺのケンスケですら違和感の無さに驚くその光景に、事情を知らない周囲が驚かない訳がない。

 

 違和感が余りに無さ過ぎて、『あぁ、やっぱり姉弟なのか』と完全に信じ込んだ連中が大量発生するなかで、委員長であるヒカリがトウジにこっそりと尋ねる。

 

「……ねぇ、鈴原」

「……なんや、委員長」

「……碇君と綾波さんって本当に姉弟なの?」

「……分からん。……センセは『腹違いの姉弟』ちゃうかて言うとったけどな」

「……プライベートには踏み込まない方が良いわね」

「……せやな」

 

 ひそひそと密談するトウジとヒカリ。

 

 そんな二人の会話を気にすることなくレイとシンジは和やかに雑談している。

 

「……今日のお弁当は、何?」

「高野豆腐のチンジャオロースとほうれん草の胡麻和え、中華風玉子焼き、あと枝豆入り炒飯だね」

「中華?」

「うん。今日は全体的に中華にしてみたんだ」

「そう」

「あやな……じゃなかった、お姉ちゃんは中華は好き?」

「ええ。……肉料理以外なら」

「それなら良かった。……明日のメニューは何が良い?」

「……和食」

「分かった。献立考えとくよ。……さて、そろそろ食べようか」

 

 シンジの言葉で、五人は各々の昼食を机の上に取り出して手を合わせる。

 

 シンジとレイは中華弁当、トウジは購買のカレーパン、ケンスケは同じく購買の玉子サンド、そして、委員長は女の子らしいお弁当。

 

「いただきます」

 

 その声と共に開始された昼食は、委員長という新たなメンバーも加えて一層賑やかになり、シンジの昼休みはなかなか楽しい時間となった。

 

 

 

--------

 

 

 

 そして、ある意味本番とも言える午後五時。

 

 現在、シンジとレイはネルフ本部にあるテストルームでシンクロテストに取り組んでいた。

 

 さて、その中でシンジは本日第二の目標に挑んでいる。

 

 目標、というのは、先日レイから聞いた『エヴァには心がある』という情報の確認。即ち、エヴァとの対話である。

 

 シンジからすれば、『使徒』であるサキエルと会話が可能なのだから『人造人間』であるエヴァとの会話は案外すんなり行きそうにも思える。事実、先程から一方的に話しかけているだけではあるが、シンジは確かに手応えを感じていた。

 

 

「それでさ、最近はオムレツの中身をいかにトロトロにしたまま表面を焼き上げるかに全力を……」

「学校で習ったんだけど、セカンドインパクトって本当に隕石なのかな? 普通、隕石が降ったら舞い上がった粉塵で日光が遮られて寒冷化すると思うんだけど……」

「最近買った『私を月へ飛ばせて』って曲なんだけど、結構お気に入りなんだ。それで……」

 

 と、まぁ、兎に角多種多様な話題を振り続けた結果、シンジが感じ取ったのは、ある確信であった。

 

 初号機が食い付いた、というか、反応した時には、エントリープラグ内でシンジが腰掛けているインテリアが前進し、苦手な話題の場合後退する。

 

 そして、エヴァが特に食いついた話題は『委員長から聞いた女子のお化粧事情』、『最近デパートに出来たファンシーショップの噂』、『星占い』、『最近発売された新作ケーキ』。

 

 此処から導き出される結論は単純明快。

 

「……エヴァって、女の子なのかな? …………そう言えば、エヴァンジェリンって名前の女優さんがこの前映画に出てたし、エヴァンゲリオンは全員女の子なのかも」

 

 もし此処にサキエルが居れば、「シンジ君そもそもエヴァとは聖書で言う『イヴ』とほぼ同一の女性名なのだよ」などと補足を入れてくれたかも知れないが、まぁ、シンジの予想が外れで無いのは確からしく、インテリアがかなり前進した。

 

「うーん、当たりなら、話題も考えた方が良いよね。……女の子が好きそうな話題か。……うーん」

 

 むむむ、と唸るシンジは、暫く考えた後、はたと閃いた。

 

「……女の子のことは、女性に訊けば良いんじゃないかな?」

 

 そうと決まれば善は急げ。パイロットの集中力を乱さないために切断されていた無線をオンにし、此方をモニタリングしているリツコとマヤへと声を掛ける。

 

「リツコさん、マヤさん、質問があるんですけど」

『あら、シンジ君、何か異常でもあった? さっきからシンクロ率は順調に伸びてるけれど』

『先輩だけじゃなくて、私にも質問ですか?』

「はい。……女の人が好きな話題ってどんな話題ですか?」

『はい?』

 

 シンクロテスト中に何故その質問が必要なのか分からない、と言いたげな二人の顔が通信画面に表示されたのを見て、シンジは慌てて情報を補足する。

 

「さっきからエヴァに話し掛けてたんですけど、何となくエヴァが女性っぽいので、女性向きの話題を振ればシンクロ率が上がるかな、と思ってたんです」

『なるほど……。私は研究所に籠もりきりだからアドバイスし辛いけど、マヤは何か思い付く?』

『うーん、ランチに行ったりすると良く聞くのはゴシップネタですね。誰々が不倫したとか、誰々が付き合ってるとか……』

「なるほど……」

 

 ならばゴシップ方面で喋り掛けてみるか、と考えたシンジは、マヤとリツコに礼を言って通信を終了し、エヴァにネタを振る。

 

「そう言えば、今日は色々あって綾波さんの事を『お姉ちゃん』って呼んでるんだけどね。幾ら何でも僕と綾波さんの顔が似過ぎなんだ。……そこでなんだけど、僕は綾波さんは父さんの隠し子なんじゃないかと思ってるんだよ。だって、僕と綾波さんが同い年ってことは、母さんが不倫したってことは無いでしょ? 子供が産まれるには三百日ぐらいかかるって学校で習ったからさ。となると、父さんが不倫した結果生まれたのが綾波さんじゃないのかなって思うんだけど……」

 

 シンジが語るそれは、彼の知りうる限りで最大のゴシップネタである、『ネルフ総司令碇ゲンドウ不倫疑惑』。

 

 その情報に対するエヴァの反応と言えば。

 

「エヴァ初号機、両腕固定具を破壊!!」

「まさか、暴走!?」

「いえ、コレは……」

 

 マヤとリツコが戦慄する中、エヴァは自由になった両手でもって人間が悩むときの如く腕を組んで眉間を揉んでいる。

 

 その姿は、明らかに暴走、というより、理性的な行動。

 

 その姿に戸惑いを隠せないリツコとマヤ、外の様子を知らぬが故にペラペラと喋り続けるシンジ、『考える人』のポーズで何やら悶々と苦悩する初号機。

 

 

 

 完全にカオスに陥ったその試験場で、レイと零号機だけが黙々とシンクロテストを行っていた。



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風樹の嘆

「……成程。シンジ君の予想も分からんではないが……」

 

 休日の芦ノ湖。その畔に居るのはシンジとレイの二人だけ。今日は、トウジは妹の買い物に付き合っており、ケンスケは近くの基地に配備された新型戦車を見に行くとか何とかで遠出をしている。

 

 そんな中で、月曜日の顛末をシンジとレイから聞いたサキエルは若干の苦笑と共にシンジに質問する。

 

「……シンジ君、レイ君。君達はエヴァの正体を知らないのかね?」

「……エヴァの正体?」

「そうだ。……アレは、倫理に反した、『怪物』と言って差し支えない存在なのだよ。……我々、『使徒』と同じくね。……そして、その真実は、君達の心に傷を負わせる事請け合いだ」

「……そんなに?」

「ああ。だが、同時に、君達には知る権利がある。これは、君達の問題だからね。私が偶々知ったこととはいえ、自己に関する真実を知る権利というのは、あらゆる知的生命に保証されている」

 

 そんな風に言うサキエルの瞳は、骨の仮面に空いた虚ろな穴だ。だが、その奥でぼんやりと輝く光が、サキエルの真剣さをシンジとレイに伝えていた。

 

 バーナード・ショーが「すべての偉大なる真理は、最初は冒涜の言葉として出発する」と語った通り、真実とは劇薬に他ならない。今まで築き上げた価値観、常識、そして世界を叩き壊す悪魔の薬。生まれたばかりの赤子が飲みたくないと泣き喚き、老人が忘却という名の天国に逃げ込む原因であるその薬は、思春期の少年少女にとってはかの有名な『カンタレラ』にも匹敵する毒であると言えよう。

 

 だがしかし、哲学で持って『死』を超越したソクラテスの様に、毒杯を仰いでこそ得られるものもある。

 

 薬も過ぎれば毒となり、毒も微量ならば薬となる。

 

 表裏一体の効能に悩んだ果てに、シンジとレイが下した結論は、ただ一つ。

 

「……教えて、サキエル」

「……その蛮勇は嫌いではないよ。だが、出来るだけ君達が受け入れられるように話すとなれば、長い話になる。取り敢えず座りたまえ」

 

 その言葉を聞くと同時に、音を遮断するためのATフィールドを展開したサキエル。促されるままに砂浜に腰を下ろした二人を前に、彼は、穏やかに語りかける。

 

「ではまず、生物について語ろうか。……生物とは、三つの要素に寄って成り立っている。すなわち、魂、血、そしてATフィールドだ」

「……ATフィールドって、使徒とエヴァしか使えないんじゃないの?」

「いや、アレは生きとし生けるもの全てに許された『自我の境界』だ。だが、君達人間や動物、植物は同じ種族の仲間がいるだろう? その仲間の存在が、『自分は一人では無い』と感じさせる。その結果、ATフィールドを構築する『他者との境界』が我々『使徒』より弱い。……私達は『一人ぼっちの種族』だからね」

 

 サキエルの言葉に、二人はおぼろげにその事実を理解する。確かに、人間の中でも所謂『孤高』の域に達した物は他者との間に『見えない壁』を構築する事がままある。オーラ、カリスマと呼ばれるそれがATフィールドなのだとしたら、生まれながらにして『孤高』である事が定められた使徒が強力なATフィールドを展開するのは至極当然だろう。

 

「さて、生物の大雑把な構造だが、『血』を『ATフィールド』で物質として固定し、其処に『魂』を入れてやれば生物は作れる。そのどれかが欠ければ、出来そこないだな。血が無ければ身体を生み出せず、ATフィールドが無ければ血だまりと化し、魂が無ければ単なるお人形だ。……此処までは良いかね?」

「……何とか。綾波さんは?」

「……私は大丈夫。サッキー、続けて」

「心得た。では、次に『人造人間』の作り方についてだ。……先程の話から、何か思いつかないかね?」

「……血をATフィールドで固めて、魂を入れるんだよね?」

「その通りだ。……此処で、一つ問題がある。血とATフィールドは、人間でもどうにか調達できる。だが、魂を新たに生み出すことは人間のみならず、アダムとリリスですら不可能だ。…………ならば、人造『人間』の魂は、どうやって手に入れる?」

 

 静かに、しかし、重々しく問いかけるサキエルの言葉は、シンジとレイをある結論へと導く。此処まで丁寧に説明されれば気付かない訳が無いその答えは、シンジとレイに『憤り』の感情を生み出すに十分な物だった。

 

「人間を……生きてる人間を、エヴァにしたっていうの?」

「……そうなるね」

「……父さんが?」

「……そうだろうね。……そして、話はそれだけでは無いのだよ」

 

 むしろ、これまでの話は前置きだと語るサキエル。シンジとレイが落ち着くまで十分程の休憩をはさんでから、彼はより慎重に言葉を投げていく。

 

「……さて、エヴァに人間の魂が使われているのは理解して貰えたかな?」

「……信じたくないけど」

「……私も」

「そうか。……では、最後の真実の話だ。エヴァに入れられた魂と君達がシンクロできるのは、君達とエヴァの魂が共鳴している、つまり、似通っている事が原因だ。……では、シンジ君、君が最近『似ている』と気になっていたのは、何かな?」

「綾波さんのこと?」

「そうだ。二人は姉弟かもしれないと思える程に、似ている。……では、君達二人が兄弟であるとすれば、その原因は何だろう。……レイ君はどう思う?」

「……碇司令の不倫?」

「それも可能性の一つだね。だが、君達は忘れている事が一つある。……この世の中には、卵子提供、遺伝子提供などのシステムがあるのだよ。よって、父親が同じ、という可能性の他に、母親が同じであるという可能性も考えるべきだ」

 

 サキエルが指摘したシステム。それは、セカンドインパクトによって人類が半減した現在ではそれなりにポピュラーな子供の作り方。ついつい『子供は実の親から生まれる』と考えてしまったシンジだが、実の親と生みの親が異なる場合もあるのだと、今更ながらに気が付いた。

 

 その様子に、下準備の完成を確認したサキエルは、最後の問いを投げる。

 

 

「シンジ君、レイ君。……君達が兄弟だとすれば、二人の魂と共鳴する程に似ている魂を持ち、なおかつ女性である人物は、もう、察しがつくのではないかね?」

 

 投げかける問いは一閃の刃の如く思い込みを斬り裂き、混沌とした順序を解体し、そして、一つの答えをもたらした。

 

 あえて、もう一度繰り返そう。――真実とは、即ち、劇薬である。

 

 それは、脳髄の奥底で劇的な反応を起こし、感情を爆発させ、鼓動を加速し、発汗を促し、そして、麻薬から覚めた後の様な脱力を引き起こす。

 

 がくりと身体の芯が砕けたように砂浜に倒れ伏すシンジ。

 

 その口から語られるのは、最後の確認。

 

 

「母さんが、エヴァなんだね、サキエル」

 

 その問いに、サキエルは彼が持ち得る全ての誠意を持って回答する。

 

「ああ、エヴァ初号機は、碇シンジ、綾波レイ、両名の『母親』だよ」

 

 

 確定した真実を前に、シンジにできるのは、ただ、赤子のように泣きじゃくる事だけ。

 

 

 そのシンジを優しく抱きしめるレイと、二人を見守るサキエル。

 

 

 隔離されたATフィールドの中で、シンジは14年分の涙を流し続けた。



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傾蓋旧の如し

 アレから、一週間。

 

 ようやく、自分の中で感情を消化したシンジ。彼は今、リツコに頼みこんで、再びエヴァとのシンクロテストに挑んでいる。

 

 エヴァンゲリオンとなったシンジの母、碇ユイ。サキエル曰く『出ようと思えば出られるのにエヴァに留まっている』らしい彼女の真意は、流石のサキエルにも分からない。

 

 そこで、この一週間シンジが考え抜いた先の結論は、『シンクロ率の引き上げ』だった。

 

 シンクロ率が上がれば、エヴァ内部のユイとコンタクトをとれるかもしれない。そんな思いを胸にシンクロテストに挑んだシンジは、穏やかにエヴァへと語りかける。

 

「……母さん。僕だよ、分かる?」

 

 その呼びかけと共に、身体の力を抜き、エヴァに溶け込むように意識を軽い眠りの様な落ち着いた状態へと沈ませる。それと同時に小走り程度の速度でプラグ内を降下していくインテリア。何度も、ゆっくりと「母さん」という呼びかけを続けていくシンジを乗せて危険域ギリギリまで降下したそれは、ギリギリの位置で固定され、シンジに鈍い振動を伝えた後、沈黙する。

 

 後に残るのはシンジ自身の心音と、LCLが循環する音だけが響く静かな世界。

 

 時間の感覚が失せ、一種のトランスに近い眠りと覚醒の狭間で揺れるシンジを一気に現実へと引き戻したのは、リツコからの通信だった。

 

『シンジ君、あなたに召集が掛かってるわ。すぐに上がって』

「……はい」

 

 リツコの操作で緩やかに上昇し始めるインテリアの上で、シンジは溜め息を一つ吐いて呟いた。

 

「……エヴァの中って、案外居心地が良いんだね。知らなかった」

 

 

――――――――

 

 

 さて、シンジがシャワールームに引っ込んで身体を洗っている頃。

 

 リツコと、そのサポートを勤めていたマヤは神妙な顔で今回のシンクロテストの結果を眺めていた。

 

「……常時84パーセントから90パーセント、凄まじいシンクロ率ですね」

 

「ええ、プラグ深度も過去最深だわ。……やっぱり、あの時ね」

「……この前の第三使徒のアレですか? 確かに、あれ以降シンジ君、キャラクター変わりましたよね」

 

 

 マヤの言うアレとは、先日レイとシンジを内側に取り込んで、第三使徒が展開した強力なATフィールドの事である。音を遮断し、磨り硝子のように内部が観察できないという厄介なそれは展開から二時間後に解除された。

 

 その内部から出て来たのは、泣き疲れて眠るシンジを抱き締めたレイ。

 

 珍しく動揺しているらしいレイの姿を確認した諜報部がすぐさま医療班を呼び出し、シンジとレイをネルフの医療センターに護送。

 

 その後、起床したシンジの第一声が『……姉さん』だったり、レイがナチュラルに『此処にいるわ』と返答していたりと二人に記憶の混乱と軽度の錯乱が認められるとの事で、この一週間二人とも検査入院。

 

 そんなてんやわんやの大騒動の後、どうにか退院にこぎつけた直後のシンクロテストでこの数値となれば、サキエルを疑うのも当然、というか、疑わない方がどうにかしている。

 

 そして、卓越した頭脳を持つリツコは、サキエルがシンジとレイに何を吹き込んだのか薄々感づいていた。

 

「…………エヴァの真実、かしら」

「え? 先輩、シンジ君に何があったのか知ってるんですか? 最近女性職員の間で『弟シンジきゅんハァハァ』とか、『小動物ショタぺろぺろ』とか話のタネになってるんですよ、シンジ君」

「……シンジ君自身の問題より、その問題の方がマズい気がするわね」

「皆、癒やしを求めてるんですよ。……それに、皆『YES ショタっ子、NO タッチ』とか言ってますから、シンジ君は無事かと」

「…………そう」

 

 研究開発班は通信課の次に女性が多い。そして、全職員の七割がいわゆる『オタク』。班の休憩室にはファッション雑誌の代わりにプラモのカタログやコスプレ雑誌などが置かれ、給湯室のマグカップは例外なくアニメグッズ、研究室の壁にはゲームやアニメのタペストリーが掲げられているという魔窟である。

 

 そんな空間の主である彼らが、声変わりもしていない14歳の少年相手に黄色い声を上げる姿を幻視したせいで痛み始めたこめかみを揉むリツコは、一種の諦めと共に珈琲を啜る。

 

「シンジ君も大変ね」

「ですねー」

 

 触らぬ神にたたりなし。

 

 

 自らの関わり知らぬ所で人身御供に出されたシンジは、背筋に走った悪寒に首をかしげて、シャワーの温度を少し上げるのだった。

 

 

――――――――

 

 

 さて。シャワーから上がり、ミサトによってミーティングルームへとやってきたシンジは、レイと共に何やらマイクとカメラが置かれたテーブルの前に座らされていた。そのテーブルの前にはスクリーンが設置され、シンジとレイの着席と共に画面に二人の少年少女を映し出す。

 

『グーテンターク! アメリカのがフォースで日本の二人がファーストとサードで良いのよね?』

『ああ、そのようだね。……けど。いきなり大声を出すから碇君と綾波さんが驚いているよ、ラングレーさん。……あ、僕は渚カヲル。日系アメリカ人で、フォースチルドレンをしている。宜しくね』

 

 いきなりの事にびくりとしている二人に、後ろからミサトが声をかける。

 

「あー、説明する前に繋がっちゃったわねー。……まあいいわ、今テレビ電話でドイツ支部と北米支部に繋がってるの。この銀髪の子が北米のフォースチルドレン『渚カヲル』君。それで、金髪の子が……」

『ドイツのセカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーよ!』

「……というわけ。わかったかしら?」

「……私は大丈夫」

 

 そう言ってレイが持ち直した横で、シンジは未だに惚けたような表情で画面を眺めている。その姿に、少々心配になったミサトはシンジの前でひらひらと手を振りながらもう一度呼びかける。

 

「シンちゃん、大丈夫?」

「あ、はい、大丈夫です」

「ボーっとしてたわよ?」

「いや、その、惣流さんがモデルさんみたいだったのでついびっくりしちゃって」

 

「あー、アスカ可愛いもんねー」

『あら、サードはフォースと違って案外見る目あるじゃない』

『…………フッ』

『フォース、アンタ鼻で笑ったわね!?』

『フフフ、御想像にお任せするよ』

 

 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべるカヲルと、可愛らしくふくれるアスカ。

 

 そのじゃれ合いをみて漸く普段通りに戻ったシンジは、ミサトに向かって疑問を投げる。

 

「ミサトさん、惣流さんと渚くんがエヴァのパイロットなのは分かりましたけど、何で僕達とテレビ電話を?」

「あー、それね。この二人、来週日本に来るのよ。カヲル君のエヴァ4号機とアスカのエヴァ弐号機と一緒にね。今日はその前の、パイロット同士の顔合わせってわけ」

「へー。……って、ええええええっッッ!?」

 

 思わず席から立ち上がるシンジと、そこまでではないものの眼を見開くレイ。そんな二人にカヲルは同情するような視線を投げ、アスカは何かを悟った様な顔でミサトに突っ込みを入れる。

 

『……ミサト、もしかして連絡忘れたでしょ。ウチの支部からは一ヶ月前に書類送ったわよ?』

「あー、ごめんごめん。先週伝えようと思ったんだけど、シンちゃんもレイも気絶とか入院とかしてたから、つい言い忘れちゃったのよ」

『……入院とは穏やかじゃないね? やっぱり使徒戦はそれだけ危険なのかい?』

 

 画面越しに問われるカヲルの疑問。それに答えたのは同じく画面越しのアスカだ。

 

『フォース、あんた馬鹿? 安全で余裕綽々ならアタシとアンタが行く必要無いじゃない』

『……確かに。しかし、ラングレーさんも意外に全体を見ているんだね、見直したよ』

『意外で悪かったわね!! これでも軍人で大卒なのよ!』

『む、という事は……君は見た目より随分と加齢している事に』

『飛び級に決まってるでしょ!! あたしはあんたと同じ14歳よ!』

『ハハハ、残念だけど僕は2000年生まれの15歳だよ』

『…………あたしより年上でそのおちゃらけた性格なの?』

『僕は普通の9年生だからね。大学生と比べられても困るよ』

 

 完全にアスカをからかう魂胆丸出しのカヲルと、からかわれている事を悟ってか頭を押さえてため息を吐くアスカ、驚きから立ち直って二人のやり取りにクスリと笑いをこぼすシンジ、そしてそんなシンジを保護者っぽい眼差しで眺めるレイ。

 

 そんな四者の交流は年齢が近い事もあってか比較的スムーズに行われた。

 

 シンジとカヲルがプラグスーツのピッチリ感が気持ち悪いという話で盛り上がったり、その話から派生した女子のプラグスーツは目のやり場に困るという話にアスカが突っ込んだり、そこから如何派生したのかは分からないがシンジとレイが姉弟だという話に移ったり、レイが語った『シンジの豆腐ハンバーグ』にアスカが喰いついたり、と充実した会話を行った四者がかなり打ち解けた事で成功に終わった顔見せ。

 

 そんな美少年と美少女のじゃれあいにほっこりする『大きいお友達』達。

 

 

 そんな諸々の事象を要約すれば、今日もネルフは平和であった。



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好きこそものの上手なれ

 ネルフ本部最上階執務室。

 

 その部屋で、冬月とゲンドウは休憩がてら将棋を指していた。

 

「……そう言えば碇、最近、妙な噂が流れているが大丈夫なのか?」

「……噂?」

「ああ、お前に隠し子がいるだの、不倫しただのと噂になっているが。……王手飛車取り」

「……何故だ」

「俺に訊くな。……まあ、恐らくはお前の息子だろう。……王手」

「…………シンジがどうした」

「親なら少しは息子を気にしたらどうだ。最近、レイを『姉』と慕っているらしいぞ。……王手角取り」

「………………勘付いたか?」

「さあな? だが、ユイ君の聡明さを継いでいるならレイと自分の関係に気付いてもおかしくないと俺は思うがね。……王手」「……………………そうか。……参りました」

「……これで103勝85敗47分けか。……しかし、このまま放置で構わんのか?」

「ユイの事を察していなければ問題ない」

「その件だが、昨日彼のシンクロ率が90パーセント台に突入したらしいぞ。何故だろうな」

 

 素知らぬ顔でそう問いかけながら将棋を片付ける冬月と、いつも通り机に肘をつきながら冷や汗を流すゲンドウ。一瞬の沈黙の後、ゲンドウはボソリと問い返す。

 

「……気付かれたのか?」

「……知らんよ。ただ、第三使徒がシンジ君に何らかの事実を吹き込んだとの情報が諜報部から上がってきているが」

「諜報部はなぜ止めなかった」

「使徒に生身で挑めというのは酷だろう」

「…………その通りだな」

 

 もはや滝の如く冷や汗を流すゲンドウ。空調は完璧だというのに血液を絞り出すような勢いで垂れて来る汗は手袋をぐっしょりと濡らし、机の上にぽたぽたと落ちる。

 

 人類補完計画が崩壊する音を脳裏に響かせながら内心焦りまくるゲンドウに、冬月は更なるバッドニュースを報告する。

 

「それと、アメリカのフォースチルドレンだが、どうやら老人達の飼い犬らしいな」

「……この段階でか?」

「恐らくは第三使徒の調査、或いは殲滅が目的だろうな。バチカン条約を捻じ曲げて日本にエヴァを四機揃えた程だ、ただの子供ではあるまいよ」

「……問題だな」

「ああ。まぁ、大体がお前と第三使徒のせいだな」

「…………逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」

「碇、絶望している所悪いが、補完計画の大幅修正が必要だぞ」

「……問題ない。時計の針は元には戻せない、だが、自ら進める事は出来る」

「良いセリフだが、今は進み過ぎて困っている状況だな」

「……も、問題ない」

「いや、あるだろう。さて、山積みの書類を片付ける作業に戻るぞ」

「…………冬月、もう一局指さないか?」

「駄目だ。俺も手伝うから手早く済ませるぞ」

 

 取りつく島も無い冬月の回答に押し黙るゲンドウ。

 

 机から溢れんばかりの書類の山に埋もれた彼は、サングラスの奥で涙目になりながらも書類にサインと判子を押す作業に戻る。

 

 最近睡眠時間がかなり削れているゲンドウは、今日も今日とて書類の山と戦い続けるのだった。

 

 

――――――――

 

 

 さて。トップが書類仕事に追われている頃、部下であるミサトとリツコは旧東京にやって来ていた。

 

 今日は、日本重化学工業共同体による、新型戦闘兵器の発表会があるのだ。

 

「ジェットアローン・プロダクションモデル、か。リツコ、強いのこれ?」

「N2リアクター搭載型無人歩行兵器という発想自体は悪くないわ。企画書によればギリギリまで足止めを行い、最後は自爆によって時間を稼ぐのが主な戦法らしいわよ」

「……結構便利そうね」

「戦略自衛隊が、前回のミサイル作戦失敗の雪辱のために大量出資したらしいわ。投入予定地域は強羅らしいから、自爆も問題ないし」

「あー、サッキーの時に更地になってるからね」

 

 興味深げに語りあうリツコとミサト。対使徒戦の最前線で戦っている二人からすれば、そこそこ使えそうな支援兵器というのは実に有り難い代物である。

 

 そんな感想を抱いた彼女らが見守る前では、制作者の時田シロウ博士がプレゼンテーションを行っている。

 

「さて最後に成りますが、このジェットアローンを開発した経緯をお話しさせて頂きます。お恥ずかしい話、ジェットアローンは元々、ロボット好きが集ってチマチマと作っていた物なのです。私たちの世代と言えば、ちょうど軌道戦機バンザムが流行っていた頃でして、幼心に夢見た巨大ロボットをいつかこの手で生み出すのが夢でした。その夢を諦めなかった結果、我々の生み出した巨大ロボットが、人類のために戦う日を迎える事が出来ました。そして……」

 

 彼の口から語られるのは、凄まじいまでのロボット愛。その姿に、研究開発班の面々と同じものを感じたリツコは、時田にちょっとした親しみすら感じた。研究開発班でもそうだが、一般で言う所の『オタク』の情熱と根性は、好きなジャンルともなれば『変態』の域に達する。そんな人物が開発したとなれば、ジェットアローンはかなり期待できるとみていいだろう。

 

 

 そんな感想をリツコが抱いている間に演説を終えた時田は一旦舞台袖に引っ込んだ後、リツコとミサトが座るテーブルに向かって歩いて来ていた。それに気付いたリツコとミサトは時田に向かって会釈する。それに同じく会釈を返してから、時田はリツコに話しかけた。

 

「赤木博士、今日はわざわざご足労頂きましてありがとうございます」

「いえ、此方こそご招待頂きましてありがとうございます。……時田博士、此方は葛城一尉。対使徒戦の指揮を執る作戦一課の総責任者です」

 

 そう言ってリツコが紹介した時には、ミサトは直前のいい加減さを綺麗に仕舞い込んで極めて真面目に振る舞う。普段はずぼらさが目立つ彼女だが、この年齢で尉官になる程度には

「デキる女」なのだ。

 

「紹介に与りました、葛城です。早速で申し訳ありませんが、私はこのジェットアローンが戦局を大きく改善しうる極めて重要なファクターに成りうると考えております。つきましては、戦局に投入するにあたってより詳細な説明を頂きたく思うのですが、御時間を頂けますでしょうか?」

 

 そう言って手早くメモとペンを装備するミサトに、時田は笑顔で頷いてから一言断って開いている席に座る。

 

「では、ジェットアローンの量産性についてお伺いしてよろしいでしょうか」

「分かりました。……ジェットアローンは、プラモデルを参考にしておりまして、パーツの規格を限界まで共通化しております。それによって巨大ロボットとしては極めて高い生産性を持っておりまして、一週間当たり一機を組み立てる事が可能となっております」

「成程。……では、近接格闘をN2リアクター搭載機で行うという事ですが、安全性などはどのようになっているのでしょうか」

「ジェットアローンはN2ミサイルの直撃を受けても戦闘が続行可能な耐久性を持ち、さらに安全性の確保のため、外部からの緊急停止方法を20パターン用意。さらに、自爆の際にはセンサから読み取った『パターン青』の信号を元に使徒に突撃したのち自爆します。この際に、爆発に指向性を持たせる事で周辺被害を最小限に抑え、同時に使徒に最大限に攻撃力を発揮するようになっております」

 

 ミサトが質問し、時田が答える。

 動画ファイルなどの資料を惜しみなく公開しつつ説明を行う時田は、30分ほどかけてジェットアローンの性能をミサトに余すことなく伝えてから、軽い挨拶をして他のテーブルへと移っていった。

 

 その背中を見送ってから漸く元の適当な性格に戻ってビールを呷るミサトに、リツコは苦笑と共に呼びかける。

 

「ミサト、お疲れ様」

「いやー、凄い熱意だったわ。……ジェットアローンもその熱意に釣り合うレベルで便利なものだったし、時田さんネルフに引き抜いたら?」

「……悪くはないけれど、こういうのはある程度競い合った方が良いわ。そうすればウチの開発班のレベルも上がるし、日本重化学工業協同体のレベルも上がる。ライバルの存在は、成長に必要な物なのよ」

「あー、なんとなく分かったわ。つまり、ジェットアローンを開発班に発破をかける材料にする訳ね」

「そういう事よ」

 

 そう答えて珈琲を啜るリツコの口は、心なしかいつもより楽しげな笑みを浮かべている。一人の科学者として、そして技術屋として、今回のプレゼンは実に興味深いものだった。

 

 確かにジェットアローンの存在は、今後のエヴァ開発の良きライバルとして実に有効だ。

 

 だが、それ以上にリツコの職人魂がその好敵手に対して、太陽の如く燃え上がる。ハード分野の権威である時田シロウが率いる日本重化学工業協同体と、ソフト分野の天才と名高い赤木リツコ率いるネルフ技術局研究開発班。

 

 ジェットアローンという起爆剤によって幕を開けた両社の開発合戦が、いかな結果をもたらすのか。

 

 それはまだ、誰も知らない。

 



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命の洗濯

「……暇だ」

 

  芦ノ湖の湖底でそう呟いたサキエルは、ゆらりと浮上して湖面に顔をのぞかせる。その視線の先、第三新東京市では、今日も人が行き交っている。が、今日は少々変わったモノがその街を駆けていた。

 

 赤い車体、甲高いサイレン、ポンプとホース。いわゆる消防車が芦ノ湖に集っているのだ。どうやら、花火の不始末が原因で竹林火災が発生しているらしい。

 

 が、サキエルは今まで消防車を見た事が無かった。

 

「ふむ。赤いトラックにポンプを積んでいるあたり、消火用の車両か? ……あのサイレンは『急いでいるので道を開けろ』というサインなのかもしれないな」

 

 水をくみ上げて消火を始めた消防車をより近くで観察するべく、サキエルは静かに、しかし素早く火災現場に程近い場所に移動する。幸いにも皆火災に気を取られているのか芦ノ湖を気に掛けている人間はいない。そんな訳で、サキエルはのんびりと野次馬に徹する、つもりだったのだが。

 

「……火の勢いが強過ぎるな、このままでは子供たちが遊んでいた雑木林に引火しかねない。…………赤い車も近くで観察できたことだし、消すか」

 

 そんな呟きと共に、サキエルは湖面から立ち上がる。当然、消防団員、及び野次馬の皆さんが顎が外れんばかりの驚愕の表情を浮かべているが、驚かれるのは慣れているので無視。

 

 そのまま久々に上陸を果たしたサキエルは燃え盛る竹林を片足で何度も踏みつけ、煙草を踏み消すように物理的に鎮火。その上で湖畔にあった手漕ぎボートを柄杓代わりにして水をぶっ掛け、さらに何度か足で踏みつけ、取りあえず大まかに消火を完了したサキエルは、久々に立った事で少々動きの鈍い腰回りをほぐすべく大きく伸びをしてから、ついでだし、散歩でもしようかとエヴァ用の六車線道路に向かおうとして、先ほど学習した事を思い出した。

 

「……道を開けさせるには、あの音を出せば良いのだったな」

 

 直後、サキエルから鳴り響くサイレン。その音でサキエルに気付いた車達が慌てふためいて道を開ける中、彼はのんびりと移動を開始したのだった。

 

 

――――――――

 

 

「第三使徒、現在芦ノ湖から第三新東京市に向けて侵攻開始! 幸い、第三使徒から発生しているサイレンにより、住民は進行方向から退避しているため死傷者はいません」

「日向君、一応、非常事態宣言出しといて。……しっかし、何が目的なのかしら」

「諜報部より入電、先程、第三使徒が消火活動に協力したとの報告あり」

「……消火?」

「芦ノ湖の畔で火事があったそうです」

「…………それが原因かしら?」

「関連性は不明ですね。何か意図があって行動しているのか、単に散歩したくなっただけなのか。……個人的には後者だと踏んでいますが」

「青葉君、ちなみにその根拠は?」

「いや、そんなに深い意味はないですよ? 単純に、俺なら一か月も家に閉じ込められてたら、いい加減に外に出たくなるだろうな、ってだけです」

「……あー、確かに」

「第三使徒に思考回路がある以上、ストレスの蓄積も当然発生するってことか。……ストレス解消に街を破壊する可能性もあるわね」

「げ。それはまずいっすね。って……ん?」

「どうしたの青葉君」

「第三使徒より、入電! これは……テキストデータですね。モニタに出力します」

 

 いまいち緊張感のない発令所のスクリーンに映し出される「暇です」の文字に、ミサトとリツコはため息を吐き、オペレータートリオは肩の力を抜く。

 

「取り敢えず、『芦ノ湖に戻って』って返信しといて」

「了解。…………第三使徒、進路反転! 芦ノ湖方面に向け移動中です」

「素直な性格で助かるわね……」

 

 とはいえ、そう簡単にふらふらと出歩かれては困るのも事実。

 

 そんな訳でリツコとミサトは、サキエルの暇をつぶすべく知恵を絞る。

 

「ライオンの飼育員ってこんな感じなのかしら」

 

 そんなミサトのつぶやきは、人の少ない発令所に吸い込まれるように消えていったのだった。

 

 

――――――――

 

 シンジとレイが緊急召集されたのは午後三時。学校が終わり、二人仲良く帰路についた時の事。

 

 黒いスーツを着た諜報部の皆さんが運転するワゴンに乗り込み、本部へ向かう二人は、突然の召集に首を傾げていた。

 

「うーん、何で普通の日に緊急召集なんだろ? 綾波さん、何か聞いてる?」

「………………」

「あ、ごめん。……姉さん、何か聞いてる?」

「お昼にサッキーが町まで来たらしいわ」

「あ、サッキー関連なんだ。……最近、『シンジ君、何か暇つぶしになることは無いだろうか?』とか言ってたから、それかな?」

「……声真似、上手ね」

「サッキーは特徴あるから真似やすいんだよね。それに僕、相対音感には自信あるんだよね」

「相対音感?」

「うーん、説明し難いけど……ある音を基準にして聞いた音が何か当てる能力? まぁ、楽器弾いてる人なら大抵の人が持ってるよ」

「それでも凄いわ」

 

 そう言ってシンジの頭をよしよしと撫でるレイ。お姉さんポジションを気に入ったらしく、最近はシンジが『姉さん』と呼ばないと拗ねたりする程度に感情豊かな女の子になっている彼女だが、表情筋が発達していないのか何なのか、鉄面皮は健在だ。シンジ、ケンスケ、トウジ、サキエル、そして最近ミイラ取りがミイラとなりつつあるヒカリは彼女の表情はほぼ完璧に読めるが、他の生徒には無表情にしか感じられないだろう。

 

 とは言え、雰囲気が明るくなったのは流石に皆が感じ取っているらしく、最近では下駄箱に手紙があったり告白されたりとそれなりに花の女学生ライフを過ごしているようである。

 

 閑話休題。

 

 雑談している間にネルフ本部へと到着した二人はワゴンから出ていつも通りにミーティングルームへ足を踏み入れた。

 

「碇シンジ入室します」

「綾波レイ、入室します」

「二人とも急に呼び出してゴメンね、ちょっちマズい事があって……」

「サッキーですか?」

「あら、耳が早いわね」

 

 

 少し驚いたような表情を浮かべたリツコは、ならば話が早いとばかりに要件を手短に伝える。

 

「今回、サキエルが町に現れた理由は『退屈』が原因だった様なの。そこで、ネルフとしては今後もサキエルを芦ノ湖に封じ込めておくために急遽サキエルの退屈しのぎを考案する必要があるわ」

「あ。もう倒すのは諦めるんですか? 個人的には嬉しいですけど」

「第三使徒が荷電粒子砲を手に入れた時点でエヴァの勝率はゼロよ。そうね……10体程エヴァを揃えれば勝てるくらいかしら。」

「……サッキー、強いのね」

「汎用性が高い使徒である以上、同じく汎用性が売りのエヴァでは分が悪いのよ。……特化型の使徒相手だとサキエルの勝算は低いわ。事実、シミュレーションの結果では第五使徒に対するサキエルの勝率は3パーセントよ。倒すなら特化型の使徒を巧い具合にぶつけるしかないでしょうね。……でも」

「サッキーを倒せる程強力な使徒を芦ノ湖まで引き込むのはマズいってわけよ。リツコ、無駄話はこれぐらいにして手早く暇つぶし考えましょ?」

「それもそうね」

 

 珍しくミサトに諫められたリツコは、肩を竦めて苦笑する。

 

 さて、と思考を切り替えた彼女はカタカタとパソコンを操作し、壁に掛けられたスクリーンに今のところ挙げられた案を表示していく。

 

「今のところ有力なのが『ゲーム機を与える』、『テレビを与える』、『ネット回線を繋ぐ』の三つね」

「何というか、引きこもり三種の神器って感じですね」

「デメリットは?」

「……レイ、なかなか鋭いわね。ゲーム機はサキエルの趣味がわからない以上下手をすれば不興を買うだけ。テレビは慣れてしまえばラジオと大差ないので時間稼ぎにしか成らない。ネットはサキエルを飽きさせる事はないけれど、過度に知恵を付けさせるのはマズいわ」

「知恵ならもう付いてる気もしますけど……」

「それはまぁ、否定出来ないわ。けれど、ネットを駆使すればサキエルは恐らく現在の数十倍、いえ、数百倍の速さで知恵をつけるのよ」

 

「なるほど」

「でもさ……サキエルの暇つぶしを考えない限り、サキエルの散歩行為は止まないわよ、リツコ」

「問題はそれなのよねぇ……」

 

 げんなりとした声で突っ込むミサトと、それを聞いて頭を抱えるリツコ。

 

 完璧に煮詰まっている二人に、救いの手を差し伸べたのは、先程の質問からずっと疑問符を頭の上に浮かべていたシンジだった。

 

「……あの、一つ意見があるんですけど、良いですか? 今更過ぎて怒られるかも知れないですけど」

「怒らないわよ。シンジ君、何か思いついたの?」

「あ、はい。サッキーに何が欲しいのか訊いて、それをあげれば良いんじゃないかなって」

「…………シンジ君、その案は」

「あ、あはは、流石に想定済みですよね、ごめんなさい」

 

 流石にないか、とぎこちない笑いを漏らすシンジの前で、大人二人はひそひそと言葉を交わし、シンジへと向き直る。

 

「いえ、その案でいくわ。……きっと、私達は相手が使徒だからと無意識にその案を否定していたんだわ。相手に意志があるなら訊けば良いのは当然なのに……」

「……え? まさかの想定外ですか!?」

「あー、何というか、ちょっち頭が固かったみたいね。……年かしら」

「……シン君、流石ね」

「あー、そのー、ありがとう、姉さん」

 

 何とも微妙な空気の中で、シンジは再び乾いた笑いを漏らす。

 

 その笑い声は、ミーティングルームにしばらく響くのだった。



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草を打って蛇を驚かす

 サキエルお散歩事件から一夜明けた朝。

 

 リツコとミサトはルノーに乗って芦ノ湖までやってきていた。

 

 その目的は言わずもがな。サキエルが要望した品を届けるためである。

 

 朝方の芦ノ湖に向かってメガホンを向けるミサトは、リツコの呆れたような苦笑を敢えて気にせず、いつも通りに声を出す。

 

「あー、テステス、只今マイクの……」

「朝から何の騒ぎだ、チサト君。周辺の皆様に迷惑だろう」

「大丈夫よ、芦ノ湖周辺はこの前のラミエル戦で沸騰して以降無人だから。それと、私はミサトよ」

 

「む、昨日の火事では人集りが出来ていたが?」

「そりゃ、野次馬ってヤツよ。……ところでサッキー、お望みのブツを持ってきたわよ」

「何というか、人聞きが悪い言い方だね。それではまるで私がメチレンジオキシメタンフェタミンを持ってきて欲しいとでも頼んだように聞こえるよ、ミサエ君」

 

 苦笑するような声と共にやれやれ、と肩をすくめるサキエルの姿は相変わらずやけに人間臭く、ミサトとリツコは思わず脱力してしまう。使徒を前にして気を緩めるのは良くないと頭では理解しているものの、理解しているだけではどうにもならない事もあるのだ。

 

「相変わらず、人間臭い奴ねぇ。ところで、めちれんじおきし……えーっと、リツコ、めちれん何とかって何なの?」

「MDMA、分かり易く言えばドラッグね。……まぁ、『お望みのブツ』とかいわれたらだいたいの人はそっちを想像するわよ?」

「あー、そゆこと。ま、狙って言ったんだから良いわ。さてと……サッキー、はい、これ。スマホが欲しいなんて、やっぱりあんた変わった使徒だわ」

「そうか? ゲームも出来る、ネットも見れる、ついでにワンセグも見れるという便利なものだと思うが」

 

「いや、そうじゃなくて、そのガタイでこんなに小さいスマホを持っても仕方ないと思うんだけど?」

 

 そう言うミサトにサキエルはしばし呆気に取られたように言葉を失った後、ある可能性に気が付いてその大きな手をポンと打った。握り拳で手のひらを叩き、ご丁寧に仮面の目を光らせるその「閃き」ポーズにリツコは思わず吹き出すが、そんな彼女にサキエルは一言質問を投げかける。

「リツコ君、さては、ミサキ君は使徒に詳しくないな?」

「まぁ、そもそも使徒に詳しい人間は数えるほどしかいないけれどね」

「それもそうか。……さて、マサト君の疑問への返答だが、私はこのスマホでも問題ないよ」

 

  敢えて事実をぼかした返答を返すと同時にミサトの手からスマホをつまみ上げたサキエルはそのままスマホを仮面の裏側へとしまい込んだ。

 

 その状況に首を傾げるミサトだが、取り敢えず『サキエルに暇つぶしを与える』という任務を果たした以上、芦ノ湖に居る理由もない。

 

 なんだか納得が行かないというような表情で車に乗り込むミサトとサキエルを興味深そうに眺めてから助手席に座るリツコ。

 

 そんな二人を乗せたルノーが第三新東京市に向けて去っていくのを確認してから、サキエルは仮面の裏からスマホを取り出し丸飲みした。が、その直後にまたもや何か閃いたかのように仮面の穴を光らせる。

 

 

「……む。そう言えば二人の電話番号を聞いていない」

 

 しくじったな、と反省しつつ、サキエルはスマホの初期設定を開始する。

 

 そんな彼が初のアドレス交換を行うのはそれから六時間後、学校帰りのシンジ達が遊びに来たときのことだった。

 

 

--------

 

 

 

 

 さて、一方その頃。太平洋ではインド洋艦隊から弐号機とアスカが太平洋艦隊に引き渡されていた。

 

「エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット惣流・アスカ・ラングレー大尉です、この度は小官の為にご足労頂き誠に有り難う御座います」

「太平洋艦隊旗艦『オーバー・ザ・レインボー』艦長、カール・クラウザー少将だ。これも任務の一環なので気にしないでくれたまえ」

「お心遣い感謝します。……時に少将閣下。私の同僚は何処にいるのでしょうか?」

 

 

 そう言って周囲をキョロキョロと見回すアスカ。彼女の言う『同僚』を察した少将は苦笑混じりに口を開く。

 

「あぁ、彼か。彼なら……」

 

「僕、渚カヲル。今貴方の後ろにいるよ」

「きゃあっ!?」

「ふぐぅっ!?」

「君の後ろに……っと、遅かったか」

 

 可愛らしい叫び声と共に背後へ放たれたアスカの後ろ蹴りは綺麗にカヲルの股間を捉え、カヲルによる背後からの奇襲攻撃は敢え無く失敗した。

 

 その光景に甲板勤務の兵隊さん達が青い顔で前を押さえているが、気にしてはいけない。

 

「って、フォース!? あんた何やってんの!?」

「ウグググググググ…………」

「いや、ウググじゃなくて何とか言いなさいよ。って、あんた凄い汗よ!? 大丈夫?」

「あー、ラングレー大尉。多分渚准尉は暫く喋れんと思うが」

「……少将閣下、アレって、そんなに痛いんですか?」

「あぁ。……む、ジョナサン兵長、良いところに来た。君は医官の経験があるのだったな?」

「サーイェッサー!! 小官は医官としての講習も受けております!」

「よろしい、ならば渚准尉の応急手当のついでに惣流大尉に分かり易く『あの痛み』を解説せよ。私はそろそろブリッジに戻る」

 

「了解しました! ……渚准尉、触診しますよ。……よし、潰れてはないみたいですね」

「ぐぎぎぎぎぎぎ…………」

 

 手早くカヲルの状態を確認して、命に別状が無いことを確かめたジョナサン兵長は痙攣しながら滝のような汗を流すカヲルを軽々と持ち上げると、医務室に運ぶ傍ら隣を歩くアスカに『睾丸は骨盤内臓器である』、『つまり、女性に例えるなら剥き出しの子宮を蹴られたくらい痛い』、『潰れたら内臓破裂で命に関わる』、『ついでに股間には太ももへ流れる血流が集中しているので二重にヤバい』、『なので敵以外の股間は蹴ってはいけない』などの解剖学的な知識を教え込む。

 

 それを聞いたアスカは、カヲルの自業自得とはいえ、流石にちょっと申し訳ない気持ちになるのだった。

 

 

--------

 

 

 さて、それから一時間後の医務室。幸いクリーンヒットは何とか避けていたカヲルは内股に大きな湿布を貼り付けられた、情けない姿でベッドから身を起こした。 その傍らでは、アスカがピコピコと携帯ゲーム機をいじっている。

 

「あ、気が付いた?」

「なんとかね……。お迎えの天使様が目の前まで迫ってたけど」

「あー、流石にアレはやりすぎたわ。ごめんなさい」

「いや、女性に背後から忍び寄った僕も悪いさ」

「これに懲りたらあんなドッキリは止めなさいよ? あたしは軍事訓練受けてるから背後から脅かされるとつい攻撃しちゃうし」

「ああ。今後はこんなドッキリは二度としないよ。僕も命は惜しい。……しかし、なかなか良い蹴りだったねラングレーさん」

 

 蹴られた瞬間を思い出しているらしく遠い目をしているカヲル。そんな彼に、アスカはキョトンとした顔で問い掛ける。

 

「あれ、あんた、私の所属聞いてなかったの?」

 

「……? ユーロ空軍のエースで、階級は大尉ってぐらいしか聞いてないけど」

「あー、そこまでしか知らないのね。良いわ、教えたげる。…………私の所属してたのはユーロ空軍ドイツ基地所属、第二降下猟兵部隊。ドイツの降下猟兵部隊の流れを汲む部隊よ」

 

 そう告げるアスカの声に、カヲルは思わず頬をひきつらせる。

 

 歴史に名高いドイツの降下猟兵。そんな部隊のエース相手に素人が背後から奇襲を仕掛ければ当然『ああなる』だろうと納得したためだ。

 

 

「それを、最初に聞いてればあんな事しなかったよ」

 

 そう呟いたカヲルの顔は何ともいえない後悔に満ち溢れていたとかなんとか。

 



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竿の先に鈴

 インド洋艦隊との合流から2日後。カヲルは不慮の事故、もとい全身にビーフステーキを括り付けてライオンの群れに突撃するかのような自爆行為の代償から復活し、現在、艦内に設けられたトレーニングルームで汗を流していた。

 

 と、言うのも、丸一日ベッドで寝ていたせいで衰えた筋力を取り戻す為である。諸事情で常人より遥かに頑丈な肉体を持っているとはいえ、エヴァをより高速かつ高機動で運用する場合にはどうしてもそのGに耐えうるだけの筋肉が求められる。

 

 まして、カヲルとアスカが乗るのはエヴァのプロダクションモデルである四号機と弐号機。カタログスペックは初号機を遙かに上回るそれを乗りこなすには、それ相応の準備が必要になってくるのだ。

 

 そんな事情からウェイトトレーニングに勤しむ彼の頬にヒヤリとした金属が背後から押し当てられる。思わずダンベルを落としそうになるカヲルだが、その前に手に持っていたダンベルを白魚のような指にヒョイと奪われてしまう。

 

「……ラングレーさんか。危うくダンベルを落としそうになったよ」

「ダンベルって言ったって五キロでしょ? こんな軽いダンベル落としたところでどうって事無いわよ。……それより、水分補給も無しにトレーニングとか、あんたバカ?」

 

 散々な言われようだが、そう言うアスカの手からは先程カヲルを驚かせたスポーツ飲料の缶が差し出されている。その缶を受け取りながら、『性格は良いのに口調で損してるなぁ』などと中々失礼な事を考えるカヲルはかなり太い神経の持ち主であると言えよう。普通の人間は急所にキックボクサー顔負けの蹴りを入れられた相手にこんな思考は抱けまい。

 

 

「あんた今、しょうもないこと考えてたでしょ」

「……ラングレーさんって、リリンにしては勘が良すぎないかい?」

「女の勘は当たるのよ。……と、言うか、リリンって何よ。私がサキュバスだって言いたいわけ? 私が可愛いのはこの世の全てが知るところだけど、サキュバスになった覚えはないわよ?」

「君の自信が凄いのは分かったけど、サキュバス呼ばわりしたつもりはないよ。……そうだね、僕の口癖みたいなものさ」

「口癖でサキュバス呼ばわりとは堪ったもんじゃないわね。謝罪としてダイエットコークを要求するわ」

 

 

「了解、でも今後うっかり口にしても気にしないで欲しい」

「わかったわよ。それよりコーク買いに行くわよ」

 

 そう言ってニヤリと微笑むアスカに、カヲルはやれやれと肩をすくめて立ち上がる。

 

 スポーツ飲料を奢って貰った以上、カヲルとしてはプラスマイナスゼロである事は、アスカほどの才女なら気付いているに違いない。と、なるとアスカの目的は一つ。

 

「やれやれ、年下に根の詰めすぎをやんわり諭されるとはね。惣流・アスカ・ラングレー、実に優秀なリリンだよ」

「ちょっとフォース、早く来なさいよね! 上官命令よ!」

 

「了解しました、大尉殿」

 

 ヘラヘラと笑いながら敬礼し、駆け足でアスカの後を追うカヲル。その笑顔の下では、彼のリリンに対する興味がストップ高で上昇しているのだった。

 

 

--------

 

 

 さて、太平洋でヘラヘラとした年上男子の尻をしっかり者の年下女子が蹴り飛ばしている頃。

 

 シンジ、レイ、そしてミサトの三名はオスプレイに乗って空を飛んでいた。

 

 と、言うのも、弐号機と四号機の到着が明日に迫った為迎えとして太平洋艦隊に合流するためである。

 

「……葛城一尉」

「ん? どうしたのレイ? 酔った?」

 

「……問題ありません。……それより、到着予定時刻は?」

「あー、あと二時間って所かしら。…もしかして、退屈?」

「…………少し」

 

 オスプレイが第三新東京市を飛び立ってからかれこれ五時間。途中、空中給油を受けたりと言った小さな変化は合ったものの、代わり映えのない空の旅に流石のレイもいい加減に飽きてきたらしい。シンジに至っては暇すぎて隣に座るレイの肩に頭を預けてすやすやと眠っている、と言えば、いかに退屈であるか理解して貰えることだろう。

 

 

 パイロットの安全運転のおかげで空中を滑るように移動するオスプレイは、さながら空飛ぶ揺りかご。実のところ、ミサトも先程から欠伸を繰り返している程だ。

 

「レイもシンちゃんみたいに寝れば?」

「……駄目。私が眠れば、シン君が……もたれられなくなるもの」

「いや、かなり眠そうじゃない。レイがシンちゃんの方にもたれて寝れば、もたれ合う力が釣り合うから大丈夫よ」

「…………葛城、一尉」

「何?」

「……おやすみ、なさい」

「あ、寝るのね。おやすみー」

「………………」

「……ついに私だけか。睡魔は強いわねぇ」

 

 そう言いながら欠伸をするミサトのポケットで、ネルフから支給されたスマホが『クエ~』と間の抜けた音を出す。葛城家の一員たる温泉ペンギンのペンペン。その鳴き声を録音したその音は、ミサトのメール着信音である。

 

 ちなみに、音声着信だとペンペンが三回鳴く。

 

「……メール? リツコかしら?」

 

 首を傾げつつポケットからスマホを取り出してみると、メールボックスにメールが一つ。メールアドレスは見慣れないものだが、その件名をみたミサトはそれが誰からのメールであるか一目で理解した。まぁ『ミサヨ君へ』などと書かれていれば誰からのメールであるかは一目瞭然な訳だが。

 

「……サッキーからね、コレ。どうやって私のメアド知ったのかしら」

 

 眠気も吹っ飛ぶ脱力感という斬新な感覚を味わったミサトは、メールをタップして本文を開く。

 

 まぁ、本文も予想通りミサトをおちょくっているとおぼしきモノだったが。

 

「……絵文字だけって、舐めてるのかしら。……というか、コレ、もしかして似顔絵なの?」

 

 思わずスマホの画面に突っ込むミサトは端から見ればちょっぴり危ない人だが、その反応も仕方がないだろう。

 

 何しろ、本文に『(●↓●)』としか書いていない。『括弧、黒丸、下矢印、黒丸、括弧閉じる』が正しい読み方なのだろうが、知るものが見ればサキエルの仮面であるのは丸分かりである。

 

 そんなほぼ迷惑メールに近いメールに、ミサトはしばらく迷ってからアドレスを登録。その後、熟考の末メールに返信を返す。

 

 『ミサヨじゃなくてミサトよ!!』とだけ打たれたそのメールに、芦ノ湖のサキエルは自分のおちょくりが成功したことを察して大いに笑ったとか何とか。

 

 

--------

 

 

 

 さて、それから暫く後のこと。視点は再び太平洋艦隊に戻る。

 

 あれからアスカも参加し、改めてトレーニングルームで汗を流した二人はシャワーを浴び、それぞれトレーニングウェアから私服に着替えて甲板にあるヘリポートにやって来ていた。

 

「……あ、あれがシンジ君達かな?」

「え? ……あー、あの小さい胡麻粒みたいなの? あんたよく裸眼で見つけられるわね」

「僕は並のリリンよりも目が良いからね」

「実はマサイ族だったりする?」

「……僕は知らないけど、マサイ族というのは目が良い一族なのかい?」

「視力が6.0くらいあるらしいわ」

「なる程。……あ、ちなみに僕の視力は13.4だよ」

「…………訂正するわ。あんたアメコミヒーローか何かでしょ」

「そう、僕こそアメリカのヒーロー、スーパーマンなのさ!! って言えばいいのかい?」

「こんなモヤシみたいなヤツがスーパーマンだったら今頃ニューヨークとワシントンは壊滅してるわ」

「…………君がネタ振りしたのにその反応は酷くないかい?」

 

 そんなふざけた会話を交わしつつ、紅い瞳を細めて雲間を見据えるカヲルと双眼鏡片手に空を眺めるアスカ。その視線の先には一機のオスプレイが飛んでいる。

 

 そう、二人は今、第三新東京市からやってくるシンジ達を出迎えるべく待機しているのだった。

 

「……話は変わるけど、あんた、この暑さでハイネックとか正気?」

「ノースリーブだから大丈夫だよ。……そういう君こそ生成りのワンピースと麦藁帽子だけってどうなのさ」

「いや、髑髏だらけのノースリーブハイネックにチェーンジャラジャラなレザーパンツ着てる奴だけには言われたくないんだけど」

「あれ、ドイツじゃパンクファッションってないの?」

 

「……無い訳じゃないけど、マイノリティよ? バンドマンとその追っかけが着てるぐらいで。……あんた、音楽出来るの?」

「ピアノとギターとドラムとベースとハーモニカなら弾けるよ」

「なにその一人ロックバンド。まぁ、バンドやってるならその格好も理解できなくはないけど……」

「あ、バンドは組んだこと無いよ?」

「あ、無いんだ。……じゃあ何でそんなに楽器弾けるわけ?」

「音楽はリリンの文化の極みだからね。……まぁ、楽器は触ればだいたい弾けるんだけど。一度聞いた曲なら耳コピ出来るし」

「……あんた、パイロットよりミュージシャンの方が向いてるんじゃない?」

「僕もそう思うよ。……所で、君が僕の服装を気にしてる間にだいぶ近付いてきてるよ?」

 

 そう言って人差し指でカヲルが指し示す先ではアスカの肉眼でも十分形が捕らえられる範囲に迫ったオスプレイ。

 

 その姿に慌てて服装の最終チェックを行うアスカの傍らで、カヲルは不敵に微笑み呟いた。

 

「……漸く会えるね、リリンの王子様に」

「訳分かんない事言ってる暇合ったらアンタも服装気にしなさい! 靴紐解けてるわよ!!」

「あ。本当だ」

 

 

 呟いたのは良いものの、結局締まらない男であることに変わりはなかったのだが。

 

 



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月に叢雲、花に風

 漸く到着したネルフのオスプレイ。

 

 その中から降りてきたシンジとレイ、そしてミサトを迎えたのは、流暢な日本語だった。

 

「ファースト、サード、それにミサト! ようこそ太平洋艦隊へ!! って、私が言うのは変なんだけど、艦長は忙しいらしいから許したげて」

「あら、相変わらず元気そうじゃない、アスカ。……何年振りくらいだっけ?」

「直接会うのは、ミサトが前にドイツに来たときだから……二年振りくらいじゃないかしら?」

「あれ、ミサトさんと惣流さんって、実際に面識あるんですか?」

 

「えぇ、前に研修でドイツに出向してた時期があってね。アスカは年下とはいえ階級同じだし、それに日本語が分かるから、言語関係では随分御世話になったわ」

「なるほど……」

「……葛城一尉が助けられた側なのね」

「相変わらずレイは痛いとこ突くわねぇ」

「まぁ、葛城さんを責めるのは酷だろうね。日本語は他の言語と系統が違いすぎる。他の言語に見られる共通点が無いあたりは、リリンの生み出した謎の一つに数えても良いくらいだよ」

「フォース、フォローご苦労様。でも、その解説は残念だけど今は要らないわ」

 

「ラングレーさん、僕にだけ採点が厳しくないかい?」

「アンタ、ほっといたらすぐに奇天烈な事しそうだもの」

「……やっぱり君の勘はリリンにしておくには惜しいレベルだよね」

 

 相変わらず賑やかな外国組と、長旅の眠さも相まって若干静かな日本組。そんな歓談の場に不意打ちのように響いたのは、やけによく通る低い声だった。

 

「やぁ、葛城。元気だったかな?」

 

 その声の主は、無精髭とよれよれのYシャツ、そして咥え煙草が似合う男。

 

 ドイツに出向していたネルフ局員の加持リョウジである。

 

 

 その姿をカヲルと碇姉弟がポケッとした顔で眺める中、ミサトとアスカが同時に叫ぶ。

 

「げ、加持!? アンタ、ドイツに出向してたんじゃないの!?」

「加持さん! 今までどこをふらついてたのよ!! 艦長がブチ切れそうになるのを宥める身にもなりなさいよ!!」

「まぁまぁ、二人とも騒ぐと美人が台無しだぞ」

「……葛城一尉、この無精髭は、誰?」

「ラングレーさん、こんな人この船にいたかい? 僕は会ったことが無い気がするんだけどね?」

 

「あー、レイ、一応コイツもネルフ局員よ。……名前は加持リョウジ。一応私の同期ね。今はドイツに出向してた筈なんだけど……」

「本部に転属する形で帰国するっていうから、私の帰国に便乗して太平洋艦隊の世話になってるのよ。……にも関わらず、艦長への挨拶には参加しないわ、船に乗ったが最後ふらふら自由行動するわで、私が関係各所を説得しなきゃ銃殺されてる筈の問題児。……だから、フォースも面識がないってわけ。納得した?」

 

「あ、ラングレーさんが何かを探してる兵士達にペコペコしてたのは彼のせいなのか。……僕は大体分かったけど、綾波さんは?」

「……私も大丈夫。ありがとう葛城一尉と惣流さん。要するに屑なのね」

 

 納得したらしいカヲルと、ひどい方向に結論を下したレイ。そんな二人の加持への評価を更にストップ安に下げるトドメのセリフをアスカは思い出した様に放つ。

 

「あ、ついでに補足すると女と見れば口説きにかかるスケコマシだから、ファーストは気を付けてね。この船だけでも女性兵士を十人はナンパしてたんだから」

 

「…………そう。……屑からカスにランクアップね」

「……シンジ君、頑張ってお姉さんを守るんだ。良ければ僕も手伝うから」

「ありがとう渚君」

「カヲルで良いよ。僕はシンジ君って呼んでるからね」

 

 アンチ加持で結束を固めるチルドレン達を、若干泣きそうな目で見ている加持に、ミサトは憐れむような優しい視線と共に言葉を投げる。

 

「……諜報部は大変ね」

「……分かってくれるかい、葛城?」

 

 

 ネルフの諜報部として、太平洋艦隊から情報を手に入れるためには、当然艦長をアスカが引きつけている間に艦長室に侵入したり、あちこちを探ったり、女性兵士をナンパして何気ない情報を手に入れたりといった活動が必要なのは、ミサトとしても承知している。

 

 だが、加持はアスカには自分が所謂スパイであることを漏らしていないし、他のチルドレン達はそんな事を知る由もない。

 

 ある意味諜報部の宿命であり、仕方ないと言えば仕方ないが、今回は加持がかなり不憫に思えたミサトだった。

 

 

--------

 

 

 さて、ミサトが加持を慰めたり、チルドレン達がワイワイと年相応に騒いでいる中で、地味に働いている人たちも当然いる。

 具体的に言えば、ジョナサン兵長率いる工兵部隊の皆さんがそうだった。

 

 彼らは現在、ミサト達が乗ってきたオスプレイの貨物室からアンビリカルケーブルを運搬している最中なのである。

 

「エヴァンゲリオン専用輸送艦オセローとの輸送用ケーブル、二本とも準備完了しました!!」

「よし、各アンビリカルケーブル先端部を輸送用ケーブルに繋げ!!」

「了解! ……接続完了! 防水・耐塩カバー装備完了!!」

 

「オセロー側に巻き上げ開始の合図を送れ!!」

 

 兵長の合図でゆっくりとオセローに向かって巻き取られていく二本のアンビリカルケーブル。それと同時に、オーバー・ザ・レインボーのリアクターにアンビリカルケーブルの供給側端子が接続され、エヴァへの給電環境を整える。

 

 それらの準備があらかた終了したのは、ミサト達が到着してから10分後。太平洋艦隊の作業員達の仕事の速さは並大抵ではなかった。まぁ、国連軍の面子の関係で、この艦の乗組員はエリート揃いなので当然と言えば当然かもしれないが。

 

「御歓談中失礼致します」

 

「あ、ジョナサン兵長。その節はどうも。……危うく死ぬところでした。男子として」

「ご無事で何よりです渚准尉」

「ジョナサン兵長が来たって事は、そろそろ移動かしら?」

「はい、ラングレー大尉。……当初の打ち合わせ通りにラングレー大尉、渚准尉、碇准尉、綾波准尉の4名は、これよりオセローへと移動して頂き、対使徒警戒態勢に移って頂きたく思います。葛城一尉にはこのままオーバー・ザ・レインボーに残っていただき、パイロットとの連絡を勤めていただければ幸いです」

「了解したわ。ありがとうジョナサン兵長」

 

「任務ですのでお気遣いなく。……では早速パイロットの皆さんは移動して頂きますので、私の後に付いてきて下さい。仮設の連絡橋を用意してありますので」

 

 そう言ってピシッと敬礼し朗らかに笑う兵長は、こんがり小麦色に焼けた肌とラテン系の顔立ちが相まってまさしく絵から飛び出て来たような『海の男』である。

 

 日本暮らしのシンジとレイはどうしても『セーラー服は女の子の着る服』という偏見があったのだが、やはりプロの軍人が着こなせば同じ服でも勇ましく見えるモノらしい。

 

「うわー、格好いいなぁ」

 

「……何というか、サードは男の子よね」

「……? シン君が女の子に見えるの?」

「そういう意味じゃなくて、やっぱり男の子は軍服に憧れるんだなって思っただけ。他意はないわ、ファースト。……というか、日本のチルドレンがピュア過ぎて辛いわ」

「あぁ、僕も何となく分かる気がするよ。……まぁ、姉弟なら似てる部分も多いだろうし、この二人だけを見て判断するのは木を見て森をみずだと思うよ」

「あれ、あんたまともな事も言えるのね、フォース」

 

「脳味噌の代わりににスパムミートが詰まってる訳じゃないんだし、マトモに喋るくらい出来るよ。変人なのは認めるけどね」

「あら、自覚してるなら改善しなさいよ」

「世の中マトモな人間だけだとつまらないからね。常識人だけの世界なんて、チーズの掛かってないナチョスみたいなものだとは思わないかい?」

「あ、ごめん、ナチョスが分からない」

「ファック!! 人生の内10000パーセントをクソと一緒にドブ川に流してるのと同じだよ、ソレ!? ……っと、ごめん。言葉が汚すぎたね」

 

「気にしてないから良いわよ。でも、なんて言うか……私、今やっとあんたがアメリカ人だって信じた気がするわ」

 

 そんな言葉と共に苦笑するアスカと、決まりが悪そうにヤレヤレと肩を竦め、所謂『困った外国人のポーズ』をするカヲル。

 そんな彼らがしゃべくりながら連絡橋にまでやってきた所で、艦隊全域に放送が鳴り響く。

 

『レーダーに感あり!! 七時の方向より未確認の巨大物体が接近中!! 繰り返す!! 七時の方向から巨大物体が接近中!!』

 

 

 その放送は、チルドレン達のヘラヘラとした空気を一掃するに十分なものであり、アスカとカヲルを先頭に四人は揺れる連絡橋を全速力で駆け抜ける。

 

 タイミング、状況、そして何よりチルドレンとしての勘がシンジ達の鼓動を否応無しに加速させた。

 

 まず間違い無く、第六使徒が襲来してきたに違いない。

 

 

 そんな予想は、七時の方向から飛び上がった鯨の数倍はある巨大生物の姿で裏付けられる事になるのだった。

 

 

--------

 

 

 

 ミサトが息を切らせて駆け込んだ頃には、オーバー・ザ・レインボーのブリッジは既に戦場と化していた。

 

「魚雷、全弾命中!! 効果無し!!」

「艦砲射撃開始!! 目標に損傷見られません!!」

「重巡洋艦キーロフ中破!! 総員脱出開始!!」

 

 次々飛び交うバッドニュースの奔流の中で、陣頭指揮をとるクラウザー少将の横に何とかたどり着いたミサトは、報告の奔流に負けないように声を張り上げる。

 

 

「ネルフ本部作戦一課課長、葛城ミサトです。ネルフからは今回の作戦における弐号機と四号機の使用を私に一任されておりますので、存分に使って下さい、少将閣下!!」

「おぉ、それは有り難いな。……先程から攻撃しているが、確かにアレは我々の武装では対応し辛いからね。……所で、エヴァは水中でも戦えるのかね?」

「……正直に言えば、エヴァは陸戦兵器です。特殊装備を付けていない現状では水中戦闘は厳しいかと」

「……成る程。エヴァを起動するまでにかかる時間は?」

 

「先程アスカ……ゴホン。惣流大尉から何とかエヴァのハッチに到着したと報告がありました。出撃にはあと二分は掛かるかと」

「……ふむ、二分か。……ならば、私に良い考えがある。……太平洋艦隊所属空母に告ぐ!! 艦載機を全機スクランブル! 甲板をがら空きにしろ!!」

『『『サー、イエッサーッッ!!!!』』』

 

 少将の号令に通信機から野太い声で返事があったその直後、空母という空母からオスプレイが飛び立っていく。

 

 その姿を確認しつつ少将は、その口にニヤリと笑みを浮かべてミサトに『良い考え』を話す。

 

 

「葛城一尉は赤壁の戦いを知っているかね? 私は映画で見たのだが」

「……三国志ですか? 学生の頃に漫画で読みましたが、確か火攻めですよね?」

「あぁ、火攻めだな。だが、今回は劉備ではなく曹操の案を使うのだよ」

 

 そう言って笑う少将を前に、ミサトは少しだけ思考を巡らせる。作戦一課を率いるミサトは、東西南北津々浦々の計略で有名なものはあらかた頭に叩き込んでいる。

 

 それらと、赤壁の戦いというキーワードから導き出されたのは、何とも凄まじい作戦だった。

 

「少将閣下は、空母で『陸』を作るつもりですか!?」

 

「そうだ。陸戦兵器を使いたくても陸が無くて困っているなら、陸を作れば良いのだよ」

 

 至極簡単そうに、狂気じみた作戦を語る。少将にミサトは一瞬錯乱しているのではと疑うが、すぐにその考えを撤回する。

 

 輸送艦オセローから飛び出した二機のエヴァがオーバー・ザ・レインボーの甲板に『着陸』した衝撃に揺れるブリッジの中で仁王立ちする少将の姿に、錯乱の影は一つとして無かったのだから。

 



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虎の口へ手を入れる

 オセローから飛び出し、オーバー・ザ・レインボーに降り立った二機のエヴァ。

 

 その内部には現在、チルドレン四人が男女で別れて搭乗していた。四号機にカヲルとシンジ、弐号機にアスカとレイである。

 

「カヲル君が予備のプラグスーツを持ってて助かったよ……」

「ははは、確かに女子用のプラグスーツは着づらいね」

『ちょっと男子、お喋りも良いけど真面目に計画考えるわよ』

『……艦隊が沈めば私達も危険』

 

「分かってるさ。じゃあ、一応それぞれのシンクロ率を把握しとこうか。……僕の最大シンクロ率は99パーセント。で、シンジ君の最大シンクロ率はさっき聞いたけど90パーセントだったよね」

「え、うん。そうだよ」

『はぁっ!? 99ぅ!? ……ファーストは?』

『私は63パーセント』

『普通、そんなもんよね。私は66パーセントよ。……男子の方がシンクロし易いのかしら?』

 

 そんな事を言いながら弐号機の中で首を傾げるアスカ。そんな彼女の考えを遮るようにカヲルはテキパキと話を進める。

 

 

「まぁ、それはネルフで調べて貰うとして、シンクロ率が高い僕達男子組が敵の攪乱、君たち女子組が使徒の観察、及び作戦立案で良いかな? 取り敢えず敵の観察をしなきゃ、倒しようがないからね」

『……まぁ、妥当な所ね。こっちの指示には従いなさいよ?』

「じゃあ、隊長はラングレーさん、副隊長は綾波さんに任せよう。……シンジ君もそれで良いかい?」

「うん。惣流さんはしっかりしてそうだし僕もそれで良いよ」

『よし、決まりね。……じゃあ早速始めましょう。使徒観察作戦、作戦開始よ!!』

「「了解!!」」

 

 

 

 その掛け声と共にカヲルが駆る四号機は軽々と跳躍し、空母を足場に今も艦隊の一番外側で巡洋艦に突撃している使徒へと接近する。

 

「シンジ君、四号機とはシンクロ出来そうかい?」

「うーん、無理、かな。……初号機と違ってエヴァの心が分からないっていうか…………ごめん」

「そうか。じゃあ、僕が操縦するからシンジ君は通信手として弐号機やオーバー・ザ・レインボーとの通信を頼むよ」

「わかったよ、カヲル君」

 

 そう言って申し訳無さそうに誤るシンジにカヲルは笑顔で気にするなと返すが、その内心は穏やかではない。

 

 

 

 『エヴァの心』。シンジが何気なく言ったその言葉は、カヲルを動揺させるには充分過ぎたのだから。

 

 だが、そんな心境であるにも関わらず、カヲルと四号機のシンクロに揺らぎはない。

 

 時にATフィールドで使徒の突進を受け流し、時にプログレッシブナイフで使徒のヒレを切り裂いて挑発する四号機は舞い踊るかのような動きで船から船へと飛び移りながら使徒の注意を一身に引きつけているのだ。そのおかげで空母以外の巡洋艦などは既に待避しており、遠距離からの艦砲射撃でカヲルの戦闘をアシストしている。

 

 

 そんな中で、カヲルの後方でちんまりと座っていたシンジは、あることに気が付いた。

 

「あれ? ……この使徒、コアがないよ?」

 

 シンジのその呟きは、無線に乗って弐号機にも聞こえている。

 

 それを聞いたアスカは、この使徒が一筋縄では行かない事を理解し、顔をしかめるのだった。

 

 

--------

 

 

「……ファースト、ミサトに無線繋いで!」

「分かったわ。……こちら弐号機。葛城一尉、聞こえますか」

『聞こえてるわ。ついでにさっきの無線もね』

「なら話が早いわ。ねぇミサト、コアの無い使徒って居るの?」

 

『あぁそれね。私も疑問だったから今専門家に通信してた所よ。……そっちとも回線繋ぐわ』

「専門家ねぇ……。本部の赤木博士以外に使徒の専門家なんて思い浮かばないんだけど……その専門家って信用出来るの?」

『あ、リツコより詳しい、というか使徒について知らないことはほぼ無いってヤツだから大丈夫よ』

「そんなに!?」

 

 

 リツコよりも詳しいとの言葉に、思わずインテリアから身を乗り出すアスカ。ヨーロッパにすらその名を轟かせる『赤木リツコ博士』よりも優れた知識人、それも『使徒』の専門家といわれる程の人物など想像も付かないのだから当たり前と言えば当たり前の反応だ。

 

『そんなに驚かなくても良いじゃない。……じゃ通信変わるわよ』

「え、ちょっとまってミサト、せめてもうちょっと説明して……」

 

 そうアスカが言い終わる前に通信画面からミサトが消え、代わりに『Sound only』の表示が現れる。

 

 

『……あー、もしもし。残念ながら私はミナト君ではないよ。……というか、ミサコ君、さては私に丸投げしたな?』

「え? あ、もしもし? えーっと、私はエヴァ弐号機パイロットの惣流・アスカ・ラングレー大尉です」

『あ、これはご丁寧にどうも。私は……まぁ、サッキーと呼んでくれ。敬語も無しで構わない』

「サッキー、ですか…?」

 

 いきなりあだ名で呼べと言われて困惑するアスカ。だが、その後ろでプラグ内を漂っていたレイは臆することなく口を開く。……まぁ、臆する方が難しいが。

 

 

「……サッキー、コアがない使徒は居るの?」

『ん? その声はレイ君か。コアがない使徒か……。まぁ、居ないだろうな。……しかし、成る程。君達は交戦中と言うわけか。いま見えているだろう使徒に外見上コアが見当たらないなら、コアは恐らく体内にある』

「そう。……惣流さん、コアは体内よ」

 

 そんな風に断言するレイに、アスカは流石に疑いの目を向ける。

 

「……ファースト、サッキーって、あんたの知り合いなの?」

「お友達よ」

「……信用できる?」

「サッキーは冗談以外の嘘を言ったことがないわ」

「信じるわよ?」

「ええ。大丈夫」

 

 

 そういって微笑むレイの顔を、アスカはしばらく見据えてから大きく息を吐き出し、自身も『サッキー』へと問い掛ける。

 

「ねぇサッキー、使徒の口から体内に入ったら死ぬかしら?」

『意外とチャレンジャーだねアスカ君。……まぁ、使徒に接近し、なおかつその体内に入ることが可能だとして、死ぬことは無いだろうね。使徒には人間でいう消化器が無い。丸呑みなら大丈夫だよ』

「……そう、ありがと」

『どういたしまして。健闘を祈るよ』

 

 そんな声と共に通信はプツリと途絶え、代わりにまたミサトの顔が表示される。

 

『どうだった?』

「作戦を建てたわ。……ミサト、艦長に伝えて」

 

 そういって、アスカが語ったのはまぁ、荒唐無稽ではないものの難しいとしか言えない作戦。

 

 だが、その作戦を聞いた艦長はすぐさまゴーサインを出し、アスカが要求したモノの使用許可を出した。

 

 その結果、弐号機、四号機による使徒観察作戦は、比較的素早く使徒討伐作戦へとシフトチェンジしたのだった。

 

 

--------

 

 

 オーバー・ザ・レインボー。弐号機からの帰還命令を受け、四号機はその甲板にひらりと舞い戻った。

 

 

 そのエントリープラグから、カヲルはアスカに確認の言葉を投げかける。

 

『ラングレーさん、もう攪乱は良いのかい?』

「ええ、もう攪乱は充分よ。今までの使徒の動きで気になったこととかない?」

『うーん、僕が気付いたのは、遠距離攻撃をして来ない事だね。……シンジ君は何かあるかい?』

『あの使徒、ATフィールド張ってないのに滅茶苦茶固い。……ヒレを切った時、表面がちょっと削れただけだったよ』

「……成る程ね。突進の威力はどうなの?」

 

『踏ん張れば耐えられるけど、一分が限界だろうね。それに、突進と同時に噛みついてくるから危険だよ』

「そ、分かったわ。……じゃあ、私の作戦でも大丈夫そうね。……次、使徒が突っ込んできたら私が弐号機で受け止めるわ。……で、あんたの四号機は腰にこれ巻き付けなさい」

 

 そういって弐号機が渡してきたのは、太い鎖。その先端にはいわゆる船の錨がくっついている。これが先程アスカが使用許可を貰っていたものの一つ。中破し、先程自沈処理された重巡洋艦キーロフの錨とその鎖である。

 

 

『錨を腰にくくりつけてどうするんだい? ……まさかこのまま海に飛び込めというのかな?』

「あんたバカ? それだったらむしろウキを括り付けるわよ。今回の作戦は、そんなんじゃないわ。…………大体、その作戦だと私がファーストに殺されるわよ」

「ええ。……シン君は私が守るもの」

『あー、そう言えばそうだね。じゃあ、今回の作戦は何なんだい?』

 

 そう問い掛けるカヲルに、アスカはニヤリと笑って高らかに宣言する。

 

 

「あの魚野郎を釣るわよ!!」

 

 

 

 その宣言に、シンジとカヲルが「えぇぇっ!?」と奇声を上げてエヴァごとのけぞったのは、まぁ、仕方ないことだったと言うしかないだろう。

 



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地の利は人の和に如かず

 男子二人が奇声をあげてから数分後。邪魔をしてくる使徒をATフィールドで弾き返したりしながら何とか作戦会議を終えた四人は、オーバー・ザ・レインボーの甲板で奇妙なフォーメーションをとっていた。片手に錨の先端、もう片方の手に両刃のプログナイフを装備した弐号機が船首に仁王立ちし、その真後ろで腰に錨から延びる鎖を腰に巻き付けた4号機がクラウチングスタートの姿勢で構えているのだ。

 

 端から見ればかなり意味不明な格好だが、これはこれでしっかりと意味があるのである。

 

 

 他に異様な点を挙げるとすればオーバー・ザ・レインボーの後方にいる戦艦の主砲が明らかにオーバー・ザ・レインボーの甲板へと照準を合わせていることだが、それも作戦の内である。

 

 

 そんな、あからさまな罠であっても、知恵のない使徒には有効なものらしい。

 

 

『目標、前方より接近!! 二機のエヴァが狙いだと思われます!!』

 

 ブリッジの中から響く警告は、作戦通りに使徒が接近していることを示しているのだから。

 

 

 

 その大顎でもって弐号機を喰らわんと迫る使徒。その口内にコアを発見したアスカは、作戦が予想よりスムーズに進みそうだと笑みを浮かべながら渾身の力で錨を使徒の口内、即ち喉の奥へと叩き込んだ。

 

「ギュァアアアアォォォッッッ!?」

「うわ、喧しいわねコイツ」

 

 

 そんな事を言いながらもしっかりとATフィールドで使徒の巨体をしっかりと受け止めるアスカは、ウェポンラックから『弐号機のプログナイフ』を取り出し、錨を投げたことで自由になった手に装備。その直後にATフィールドを解除して使徒の口内、その下顎部分に両腕のナイフを突き立て、使徒を甲板に磔にする。

 

「良し!! やっぱり中身は柔らかいわ!! フォース、今よ!!」

 

 そういって叫ぶアスカと同時に、今度は四号機が動いた、というか、走った。

 

 

 想像して欲しい、尋常でなく鋭い両刃のナイフが刺さった事で固定された物体を無理やり引っ張ればどうなるのか

 

 答えは、馬鹿でも分かるだろう。

 

「「裂けろぉぉぉっっっ!!」」

 

 咆哮しながら全力で使徒を引きずるカヲルと、同じく咆哮しながら全力でナイフを固定し続けるアスカ。

 

 

 その攻撃でオーバー・ザ・レインボーの甲板に横倒しで乗り上げた使徒。そのバックリと裂けた下顎はダラリとぶら下がり、もはや使い物にならないだろう。そして、その結果として、上顎内部のコアが見事にさらけ出されている。

 

 

 それを確認し、ミサト達に合図を送るのは各エヴァに分乗していた碇姉弟。

 

 その合図を受け取ったクラウザー少将は自身も手近な手すりに掴まりながら号令を放つ。

 

「総員、衝撃に備えろ!!」

 

 その言葉の数秒後、オーバー・ザ・レインボーの甲板に、後方から艦砲射撃が撃ち込まれたのだった。

 

 

 

--------

 

 

 

 

 オーバー・ザ・レインボー小破、重巡洋艦キーロフなどの巡洋艦、三隻は自沈、或いは撃沈。幸い死者は居ないが、複雑骨折などの重傷者が12名、軽傷者は36名。戦果は使徒の撃破、及び頭部が吹き飛んだとはいえ使徒の死体を確保。

 

 

 これが、今回の戦績である。

 

 

 アスカとカヲルはこれが初の使徒戦であることを考えれば、上々の戦果であると言えるものであり、死者も居ないことから太平洋艦隊としても悪くない結果だ。戦艦はネルフに弁償させれば良いが、人が死んでしまえばどうしようもないので当然であろう。

 

 

 そんな中、アスカとカヲル、そして碇姉弟は現在、オーバー・ザ・レインボー内のカヲルに割り当てられた部屋に集まっていた。

 

「と、いうわけで、今回の祝勝会するわよ」

「いや、ラングレーさん、何故僕の部屋なんだい?」

「私の部屋がさっきの爆発でぶっ飛んだからよ。文句ある?」

「なら仕方ないか。……しかし、使徒戦は案外大変なんだね、シンジ君達はいつもアレと戦っていたのかい?」

「まぁ、そうなるかな。……でも、今回の使徒はだいぶマシだと思うよ? 結局ATフィールドも無かったし、ビームも撃ってこないし」

 

 

「ビームねぇ? そう言えば、サードとファーストに訊きたいんだけど、今までで最強の使徒の能力ってどんな感じだったの?」

「うーん、荷電粒子砲と破壊光線とレーザーウィップとパイルバンカーとドリルを装備してて、肉眼で見えるレベルのATフィールドを展開できて、水陸両用で、人並みの知能を持った使徒、かな」

「……ファースト、サードの言ってることってマジなの?」

「本当よ。……それと、私は綾波レイ。任務中以外は名前で呼んで欲しい」

 

「あ、ゴメン。じゃあ私もアスカで良いわ。私はファーストをレイ、サードをシンジ、フォースをカヲルって呼ぶから。…………で、話は戻るけど、どうやって倒したのよそんな化け物」

「……?」

「いや、そこで首傾げないでよレイ」

 

 ちょっと困ったような表情でコテンと首を傾げるレイに、ツッコむアスカ。持ち込んだポテチをかじる姿は到底軍人とは思えない普通の女の子であり、そのギャップもまた惣流・アスカ・ラングレーという少女の魅力なのだろう。

 

 

 そんな彼女と自分の姉のじゃれ合いをボーっと眺めていたシンジは、カヲルに紙コップに注いだコーラを渡されてハッと現実に戻った。

 

「シンジ君、大丈夫かい? 慣れない四号機で疲れたのかな?」

「あ、いや、ありがとうカヲル君。大丈夫だよ」

「そうか、そう言うなら大丈夫なんだろうけど、気分が悪くなったらいつでも言って欲しい。……で、大丈夫なら訊きたいんだけど、結局、その無敵の使徒をどうやって倒したんだい?」

 

 

 興味津々と言った様子で問うカヲルと、レイから聞き出すのを諦めたらしいアスカが、シンジに詰め寄る。そんな中、シンジは苦笑と共に返答した。

 

「いや、倒せてないよ」

「「は?」」

 

 何言ってるんだコイツ、というような目でシンジを見詰めるカヲルとアスカ。その姿にシンジはちょっと気圧されながらも、過去最強の使徒である『第三使徒サキエル』について語るのだった。

 

 

--------

 

 

「ふーん、変な使徒も居るもんねぇ。死にたくないからネルフに協力して大人しくしてるってのは賢い証拠なのかもしれないけどさ」

 

「僕は俄然その使徒に会ってみたくなってきたよシンジ君」

 

 さて、説明開始から五分後。アスカは考え込み、カヲルは興味津々な様子でニコニコと笑っている。シンジの説明はサキエルとの触れ合いなどを省いたダイジェスト版だがそれでも充分に二人の興味を引いたらしい。

 

「あはは、第三新東京市についたら幾らでも会えるよ。ねぇ、姉さん」

「ええ。私達も毎日会ってるもの」

「そうか、なら、この船が早く日本に着くように祈らないとね」

「祈った所で、到着予定時刻は夜の11時よ?」

「聖書曰く、信じるものは救われるらしいよ?」

 

「……渚君。意味が違うわ」

「あんまりバカ言ってるとバカヲルって呼ぶわよ?」

「それは可哀想だよ、アスカ」

「ははは、シンジ君は優しいね。まぁ、僕もバカ扱いは嫌だけれど」

 

 相変わらずのおとぼけを繰り出すカヲルに、ツッコむレイと追撃するアスカ、フォローするシンジ。

 

 船上で打ち解けた四人を乗せて、オーバー・ザ・レインボーは夕暮れの海を進むのだった。



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目から鼻へ抜ける

 芦ノ湖の湖底。

 

 3ヶ月近い生活の中でサキエルの住処としてゴミ一つ無く掃除されているその場所。そこでサキエルは頭を回転させていた。

 彼が何を悩んでいるのかというと、昨日通信した『アスカ』という少女の事である。

 

「弐号機と言っていたし、まず間違い無く新しいエヴァが配備されるだろうな。……そして、最近のニュースであるバチカン条約の改訂。……これらから察するに、追加されるエヴァは二体以上か」

 

 テキパキと思考を纏めながら、彼は情報を整理していく。

 

 

「惣流・アスカ・ラングレー大尉と彼女は名乗っていた。と言うことは、軍役経験があり、ハーフ、或いはクォーター。だが、英単語の発音にドイツ訛りが見られる事から、ドイツ、日本、英語圏のクォーターと見るのが妥当か? フルネームでネット検索……。む、この大学の一昨年の卒業論文……まさか、大卒なのか?」

 

 声の感じからするに、レイとさほど代わらぬ年齢であると予測される以上、途轍もない才女であると認めざるをえないだろう。その上、大尉である。

 

 

 尉官、と言えば一般には馴染みがないだろう。アニメなどでもイマイチ活躍の場がないので仕方ないと言えば仕方ない。

 

 が、その意味を知る人物からすればアスカの『大尉』という肩書きは驚異的である。

 

 何しろ、大尉ともなれば陸軍では中隊、海軍では分隊、空軍で言えば戦闘機小隊のリーダーにあたる役職である。それほどのセンスを持つ14歳の軍人と言えば、サキエルが『ルーデル大佐の転生体か?』などと馬鹿なことを考えるのも仕方ないだろう。

 

 下手をすれば三歳児がマサチューセッツ国立工科大学を主席卒業する方が簡単である。なにせ、大学卒業に責任は伴わないが、大尉という職業には責任と部下の命がかかっているのだから。

 

「ネルフも本気で私の殲滅を視野に入れてきたか? ……いや、強いて言うならネルフの上位組織だな。ネルフ自体は私を下手に攻撃するデメリットが多すぎると判断しているはずだ。……まぁ、攻撃の可能性がある以上対策はすべきだが」

 

 サキエルはそう呟いて、いざという時の対策を練り始める。

 

 サキエルはエヴァと同じく汎用性の高い使徒だ。仕込み武器はサキエルの方が豊富に持っているが、基本である肉体のコンセプトは似たようなものである。

 

 ならば、その肉体をどれだけ使いこなせるかが勝敗に関わるだろう。

 

 となれば早速、少年マンガよろしく修行と行きたいところだが、生憎サキエルが自由に運動できる場所はない。そして、使徒なので運動しても筋肉は付かない。使徒の肉体はイメージで構成されているため、極端な話筋肉を付けるには『マッチョにな~れ!』と願うしかない。

 

 ならば修行以外でどうやって経験を積むべきかと首を捻るサキエル。

 

 

 

 彼が、非常に非人道的、というか傍迷惑なトレーニング方法を考え出したのは、それから二十分後の事だった。

 

 

--------

 

 

 ネルフの諜報部、と言うのは大まかに三つに分けられる。施設内の防諜を行う特殊警備課、スパイ活動を行う諜報課、そしていわゆるSPに似た役割の警護課である。

 

 その内、サキエルを監視しているのは警護課の職員達であった。

 

 さてサキエルが閃いてから少し後。

 

 そんな警護課の皆さんは割とピンチだった。

 

「山田が、山田が捕まった!!」

「本部に要請を……グァァァァッ!?」

 

「田中ァ!? ……くそ、こんな事になるなんて。だが、本部への連絡は俺が……ウワァァァァッッ!?」

 

 警護課の黒服メンバーが次々と捕縛され瞬く間に壊滅。サキエルの伸縮自在な『顎』によって『喰われた』のだ。

 

 そんなパニックホラーの様な状況は、ネルフには残念ながら伝わっていない。

 

 監視カメラには平凡な芦ノ湖の様子がサキエルの小細工によって映し出されており、ネルフが事態を感知するには警護課からの通信しかない。だが、十分毎の定時連絡は先程行ったばかりだった。

 

 

 そして極めつけと言えば、警護課の皆さんはサキエルに喰われてから数秒もせぬ内に無事に元の場所に戻って居たことである。

 

 各員がしっかりと自身の配置の場所に立っており、衣服に乱れもない。

 

 なのに、喰われた記憶は全員共通に存在する。

 

 薄ら寒いモノを感じた彼等が交代要員を要請して病院の精神科に行ったのはそれからすぐの事だった。

 

 

--------

 

 

 さて、視点は戻り、サキエルは一仕事終えた後の何とも言えない気分を味わっていた。

 

 

 先程の諜報部の皆さんが体験したことは集団幻覚などの類では勿論無い。にも関わらずサキエルに飲み込まれた彼等が無事だったのはひとえにサキエルの『顎』の仕組みにあった。

 

 サキエルの顎の内部は、実はサキエルの体内には全く繋がっていないのである。

 

 と、言えば『お前は何を言っているんだ?』と問い返されるに決まっているだろう。まぁ、詳しい説明をすれば時間が幾らあっても足りないのだが、サキエルの『顎』の内側には『ディラックの海』と呼ばれる空間が広がっている。ほぼあらゆる使徒が保有するこの空間は言わば四次元ポケットの様なもの。サキエルはその空間を胃袋代わりに使い、内部にある物質をスキャンして自分の肉体にフィードバックしていた。

 故に、シャムシエルとラミエルの死骸、ラミエル戦で芦ノ湖に浮かんでいた魚の死体の山、ケンスケから貰ったパソコン、ミサトから貰ったスマホといった今まで食べた物体は全てそっくりそのままディラックの海に存在するのである。

 

 そして、サキエルが芦ノ湖を浄化した際に水だけを排出出来たように、取り出しも自由だ。

 

 

 そんなわけでサキエルは諜報部の皆さんを一瞬で取り込んで一瞬で解析して一瞬で吐き出すという荒業を行えたのだ。

 

 そしてその結果としてサキエルは、諜報部の皆さんの記憶を盗み出すことに成功していた。記憶の吸い出し自体は赤木ナオコ博士が提唱、開発した人格移植型コンピューターでも使用されている技術であるため、珍しいが不可能な事ではない。

 まぁ、記憶と一口に言ってもサキエルがコピーした記憶は『身体の動かし方』だけだったりするのだが。

 

 

「ふむ。空手、柔道、逮捕術辺りは普通として、システマ、フェアバーン・システム、クラヴ・マガなどもあるのか。……情報的には理解したとは言え流石に身体に馴染ませたいな。ぶっつけ本番は私の趣味ではないし」

 

 どこか広い場所など無かろうか、と考えるサキエルは、ふとある場所を思い出す。

「空き地ならあるな。……どうやって行くかが問題だが。…………ふむ」

 

 何かを思い付いたらしいサキエルは、許可をとるべくメールを送信してからある能力を引き出すべくシャムシエルとラミエルの死骸を再び解析する。

 

 

 それからしばらく後。二体の使徒の死骸から手に入れたその能力でもって、サキエルは移動を開始したのだった。

 

--------

 

 

 サキエルの監視をしていた諜報部が病院行きになった、という情報はリツコに嫌な予感を抱かせるに十分なものだった

 

 何が、とは言わないが、あの使徒が人間の常識を気にする事は基本的にはあり得ないのだ。学習行為によってある程度の常識は身に付けているが、それに拘ることはないだろう。

 

 そもそも、マナー、礼儀、常識といったモノは綺麗事で言えば『相手への思いやり』だが、実際は『自身の防衛』の為のモノである。

 

 

 相手が殴れば此方も殴るという相互非破壊保証の前に成り立つ『抑止力』とも言えるだろうか。

 

 その点、サキエルはそんなモノを気にする必要がない。使徒の肉体を以てすれば国の一つや二つ、十や二十は軽く殲滅できるのだ。

 

 故に、人間がサキエルの顔色を伺うことは必要だが、サキエルに人間の顔色を伺う必要はない。

 

 にもかかわらずサキエルとネルフの間に仮初めとは言え『最低限の筋』が通っているのは、サキエルがシンジやレイといったネルフのエヴァパイロットを『可愛がっている』からに過ぎない。シンジやレイはサキエルからみれば足元にすり寄ってくる愛らしい子猫や子犬。特殊性癖でも無い限り自分が可愛がっている犬や猫を殺したいモノは居ない。

 そして、シンジやレイのついでに、ネルフはお目こぼしに与っているわけだ。

 

 シンジ達を護衛する諜報部の人員が当初の十倍に増員され、挙げ句に衛星一つを借り切ってGPSで常時追跡している、と言えばネルフがシンジやレイの安全を如何に気にしているかが伺える事だろう。

 

 

 さて、話を戻そう。

 

 

 

 結果から言えばリツコの嫌な予感は的中した。サキエルから送られて来たメールに書かれていた手短な文章は、大凡リツコの予想通りの内容であった。

 

『身体を動かしたいので、N2で消し飛んだ強羅地区に遊びに行って来ます』

 

 それと同時に芦ノ湖や街のカメラに映し出されるのはシャムシエルやラミエルの様に浮遊しながら、空中を泳ぐようにして強羅地区を目指すサキエル。

 

 自由自在に宙を泳ぐサキエルを、第三新東京市の市民達は呆然とした表情で見上げている。子供達は「怪獣が飛んでる!!」と大喜びだが、大人としてはそんなに無邪気にはなれない。

 

 唯一救いがあるとすれば、先日のサキエル散歩事件によってその存在は市内に知れ渡っているために、パニックは何とか抑えられている、と言うことぐらいだろうか。

 

「……先輩、アレ、どうしましょう?」

 

 不幸な事に司令は国連の会議に出席し、副司令は第二新東京市で仕事中。ミサト率いるチルドレン達は第三新東京市のオリエンテーションの真っ最中。

 

 

 そんな中で指示を出せる唯一の人員であるリツコにマヤが問いかけるのは仕方のないことである。

 

 そして、その問いかけにリツコが冷静に問いかけるには、少々感情が高ぶりすぎている。加えたタバコに火を点し、一服してから漸く落ち着いたリツコは、発令所から職員全員に呼び掛けた。

 

「総員、第二種警戒配置。第三使徒サキエルの監視にあたりなさい」

 

 第三新東京市を通り過ぎ、強羅地区へと漂っていく使徒の姿をモニター越しに見つめるリツコの背中は、なんだか煤けていた。

 



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歯に衣着せぬ

久々に投下。


 芦ノ湖。

 

 先日の外出騒ぎで監視を限界まで強化されたサキエルの前に、子供が四人。

 

 お察しの通りエヴァのパイロットであるチルドレン四人組が新入りの顔合わせにやってきたのである。

 

 プカプカと浮かぶサキエル、にこやかなシンジ、微笑んでいるレイ、ニヤニヤとチェシャ猫の様に笑うカヲル、引きつった表情のアスカ。しばらく無言で見つめ合っていた五人の中で最初に口を開いたのは、一応精神的には一番大人であると思われるサキエルであった。

 

「初めまして。私は第三使徒サキエル。故あって芦ノ湖で暮らしている。その関係でネルフとは協力関係にあるので仲良くして貰えれば幸いだ。お近付きの印と言っては何だが、コレを受け取ってくれたまえ、アスカ君とタブ……カヲル君。お口に合うかは分からないが、四人で仲良く食べてくれたまえ」

 

 そう言ってサキエルが爪の先に乗せて差し出したのは『芦ノ湖使徒饅頭』と書かれた包装紙に包まれたお饅頭の紙箱。

 

 サキエルの仮面の形をした饅頭にカスタード、こしあん、抹茶あん、桜あんの四パターンのあんが入っており、各四個ずつの計十六個入り。鯛焼きに似た生地で作られている為、レンジで加熱すればさらに美味しくお楽しみ頂ける一品である。

 

 それを受け取ったのは、余り驚いていない様子のカヲル。その横で呆気に取られているアスカを尻目に早速環境に適応したらしい。

 

「ありがとう、美味しそうなお饅頭だね。食べてみたいって事さ。……と、いう訳で開けても良いかな?」

「ああ、構わないよ」

 

 その返答に気を良くしたらしいカヲルが器用に包装紙のセロテープを剥がし、饅頭を一人四個ずつに分配し始めた事で漸くアスカも思考を取り戻した。

 

 

 下手に常識がある分、E.T.紛いの未知との遭遇に固まってしまっていたようである。

 

「……本当に、使徒が喋ってるわね」

「おや? アスカ君とは既に話した事があったはずだが……?」

「え!? 私、使徒の知り合いなんて居ないわよ!?」

「おやおや、ガギエル戦でのアドバイスをもう忘れてしまったのかね? それとも、電話越しとは声が違うのかな?」

 

 そう言ってわざとらしく肩を竦めてみせるサキエルに、アスカは彼の正体に漸く思い至ったらしく素っ頓狂な叫び声を上げる。

 

「まさか、サッキーってあんたなのっ!?」

「その通り。……ミサキ君が私の事を使徒の専門家、と言うのも頷けるだろう?」

 

 専門家も何も、本人が使徒なので使徒に詳しいのは当たり前である。

 

「……なんか、怖がってた私が馬鹿みたいね」

「人畜無害な私に対して酷い評価だね」

「人畜無害には見えないわよ、普通」

「そうかね? ……レイ君、シンジ君、お饅頭を食べているところに大変申し訳ないが、私の印象を述べてくれたまえ」

「……サッキーは、お兄ちゃんよ」

「うーん、僕はむしろお姉さんっぽく感じたけどなぁ」

 

 モシャモシャと饅頭を頬張りながら回答するシンジとレイ。性別不明な独特の声で喋るサキエルは、確かに女性とも男性とも取れる雰囲気を放っている。それを見積もって考えれば、頼れる年長者、と言うのがサキエルの評価になるのだろう。

 

「……まぁ、もう突っ込まない事にするわ。……改めて、私は惣流・アスカ・ラングレー。これからよろしく、サキエル」

「切り替えが早いのは素晴らしいね。……此方こそよろしく、アスカ君」

 

 差し出された黒く巨大な手と、白く細い腕。

 

 異種族間で交わされたその握手は、今後の未来をねじ曲げる兆しとなる。

 

 

 その影響は、既に、見えない場所に現れていた。

 

 

--------

 

 

 さて、ネルフによる『子は鎹』作戦が芦ノ湖で進行する中、その上位組織の敬老会、もとい『ゼーレ』の皆さんは皺だらけの面を突き合わせて悩みに悩んでいた。

 

 その原因は、言わずもがなサキエルである。

 

 

「第三使徒の生存……シナリオに与えるズレは計り知れん」

「左様。タブリスを送り込んだのは早計だったか」

「……冷静に考えれば死海文書の解読は不十分なのだ。もしや、第三使徒が生き残るのは予言通りなのではないか?」

「…………どういう意味だ?」

「……死海文書に拠れば、『第三使徒、来る、リリス、エヴァ、殲滅』とあった。これを、我々は『エヴァによって第三使徒を殲滅』と読み取ったのだが、実は『第三使徒によってエヴァを殲滅』だったのではないかとな。……まぁ、何の根拠もない推察だ、気にしないでくれ」

 

 何やら死海文書の考察にすら話題が及ぶ程には混乱しているらしいゼーレの皆さん。その混乱を更に加速させたのは、次の瞬間届いたメールだった。

 

『サキエルに接触したよ。彼は実に強力無比だね、僕じゃ荷が重いって事さ。と言うか、ぶっちゃけ今後の使徒全部彼に任せて良いぐらいだよ。--タブリスより。--P.S. 彼は僕をタブリスと呼ぼうとしたよ。バレたって事さ』

 

 何やら他人事な口調でとんでも無い事を言ってくれやがったタブリス--渚カヲル君。

 

 そうかー、バレちゃったかー、仕方ないなー。等とあまりの不利に放心状態と化す老人会の皆さん。そのままお迎えが来ても違和感ない状態の彼らを現実へと引き戻したのはいち早く現実へと帰還したキール議長のありがたいお言葉だった。

 

「タブリスの正体が見破られるのは想定の範囲内だ。奴は第三使徒に対する楔になればそれで良い。奴の意識がタブリスに集中すればするほど此方が付け入る隙が生まれるのだ」

 

 そう言ってバイザーをキラーンと光らせるキール議長のカリスマ発言にどうにか勝機を見いだしたゼーレの皆さんはなんとか全員が三途の川の畔から帰還する。

 

 そうしてどうにか落ち着いた彼等は「全てはゼーレのシナリオ通りに」という合い言葉と共に消え去っていく。

 

 その中で、最後まで残っていたキール議長は、なんとか今回も死者を出さずに済んだとホッとしながら帰還する。

 

 世界最強の老人会、ゼーレ。

 

 

 そのトップを苦しめているのはサキエルの戦闘力ではなく、彼から仕掛けられるドッキリによってポックリ逝ってしまう事への恐怖であった。

 

 

--------

 

 さて、視点は再び芦ノ湖へ戻る。其処では現在、流石に老人会の皆さんも予想出来なかった事態が発生していた。

 

 と、いうのも彼らの考えに全く関係なかった要素である「碇シンジ」が原因であった。饅頭を食いながら何やら考えていた彼は、何かを閃いたようにポンとと手を打つと、サキエルに防音のATフィールドを張って貰うやいなや、とんでも無い事を口走ったのだ。

 

 

 曰わく「ねぇサッキー、初号機のコアに取り込まれたのは僕の母さんだけど、弐号機と四号機のコアには誰が取り込まれてるの?」と。

 

 防音を考えたあたりネルフに知られるとマズいのは感づいていたらしいが、この場にいる二人に対する警戒を怠っているその発言。どう考えても失言以外の何物でもないそれは、しかしサキエルが高速思考の末にはじき出した回答によって、シンジに向かうはずだった疑惑の目をネルフへと向けさせるセリフとなる。

 

「成る程、前回私が教えた事から考えたわけだね。ユイさんには逢えたかな?」

「まだ姿は見てないけど、会話っぽいのはしたよ」

「そうか。……では質問の回答だが、恐らく二号機にはアスカ君の母親が喰われているだろうね。カヲル君……というかタブリスに関しては、使徒だからエヴァに人間を喰わせなくても問題ない。アダムベースのエヴァなら私達は素体に直接シンクロできるからね」

 

 先程のシンジの発言を手榴弾クラスの爆弾発言とするならば、サキエルの発言はセカンドインパクトクラスの爆発力を以て新入りチルドレンの脳髄を直撃した。

 

 

 かたや、母親がエヴァに喰われたなどという剣呑な発言にフリーズするアスカ。

 

 かたや、盛大にネタバレされて冷や汗を垂れ流しまくるカヲル。

 

 どちらもしばらく硬直する中で、先に復活したのはカヲルだった。

 

「……いきなり人を使徒と断定するのは良くないと思うよ」

「いや、私は自分の弟の見分けもつかないほど馬鹿ではないぞタブリス。……大丈夫だ、シンジ君もレイ君も奇特な子だから使徒に偏見はないさ」

 

 そう言ってサキエルが指差す先では「カヲル君も使徒なんだね」「そうね」などとほのぼのとしている碇兄弟。

 

 

 天然というか、お気楽というか、危機感が足りない会話を続ける二人に、カヲルは先程とは別の意味で冷や汗をかく。

 

「…………サキエル、あの二人の心はガラスのように透明だね」

「母親に似たんじゃないか? 後で初号機を見に行けば分かると思うが、ユイさんもやたらほのぼのしているぞ」

「……リリンの遺伝とは凄まじいものだね。驚愕に値するよ。……心臓が幾つあっても足りないって事さ」

 

 そんな事を言いながら苦笑するカヲル。バレるのは覚悟していたが、シンジとレイの反応があまりにお気楽だったため気が抜けたというような表情である。

 

 そんな中、フリーズしていたアスカが怒りと共に復活した。

 

「ちょっと! ママがエヴァに喰われたってどういう事よ!!」

「そのままの意味だが? エヴァを人間が動かす為には肉親をエヴァに喰わせる必要があるのだよ。例えば、シンジ君とレイ君の場合、母親である碇ユイ博士がエヴァに喰われている。エヴァとのシンクロに愛情を司るA10神経が用いられるのはこの喰われた肉親がエヴァの中でパイロットを守ろうと働きかけるからだね。そして、エヴァのパイロットが子供なのは親から自立してしまうとシンクロ出来なくなるからだ。シンクロ率をマザコン率、或いはファザコン率と言い換えてもあながち間違いではない。……要するに、シンジ君は甘えん坊だからシンクロ率が高いのだよ。ちなみに、エヴァに喰われると発狂するか肉体ごと消滅するかのどちらかになるね」

「ッ!? ………………ちょっとシンジ、レイ、コイツが言ってることマジなの?」

 

 あまりに淡々と説明するサキエルにアスカは自分だけ熱くなっているのを自覚したのか、軍隊で鍛えた鋼の精神力でもってどうにか冷静さを取り戻し、シンジとレイに確認の言葉を投げる。

 

 その問いにレイとシンジが頷くのを見た瞬間、アスカは静かな絶望をその可愛らしい顔に浮かべた。彼女の頭脳は非常に優秀であり、それ故にサキエルの説明に破綻がないことを理解してしまったのだ。

 

 だが、その絶望の表情は、サキエルの次なる。

 

「まぁ、アスカ君が母親に会いたいと言うならばサルベージする事は可能だが、代わりにアスカ君がエヴァに乗れなくなるね」

 母親の死の真相をいきなり知らされて混乱している所に差し出された甘い誘惑は、アスカの精神を見事に誘導し、彼女がサキエルに縋るように思考を向けさせる。

 

 真実に絶望させて、其処から一気に救い上げるというのは実に詐欺師じみた話術だが、サキエルはアスカを詐欺に掛けたところで一銭の得にもならない。ただ、アスカの堅く脆い精神を彼女のATフィールドの様子から読み取り、その精神に大打撃を与えるように会話を運んだだけである。

 

 そんな弱点に必殺技をクリティカルヒットされたアスカはサキエルの思惑通りにサキエルへと縋る。

 

 そんな彼女にサキエルが提案したのは、アスカの精神を以てしても抗い難い悪魔の契約だった。

 

 

 



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口も八丁、手も八丁

 芦ノ湖に第三使徒サキエルが住み着いている事実は、もはや第三新東京市で知らぬ者がいない程有名になっていた。それでも街を一歩踏み出せば誰も知るものがいない、という辺りはネルフ広報部とMAGIの頑張りの結果である。

 

 幸いにも消火活動への協力や溺れた子供の救出などでサキエルは使徒にも関わらずそれ程敵視されてはいない。その上、子供たちと親しくしている、と言うか子守をしているサキエルの姿はかなり前から公然の秘密となっていたのだ。

 

 

 極めつけに子守されている子供たちの筆頭がこれまた公然の秘密であるエヴァパイロットとくれば、ネルフ関係者しか住んでいないこの街ではサキエル相手に表立って反発する者はおらず、結果としてサキエルは彼の理想である『平和でのんびりな生活』をそれなりに謳歌していた。

 

 そんな中、芦ノ湖の畔に大型コンテナを載せたネルフのトレーラー数台と赤木博士がやってきたのは、アスカとカヲルが顔見せに来た三日後の事。

 

 

 その時、ちょうどサキエルは子供たちと戯れていた真っ最中。子供たち、というのはトウジ、ケンスケ、シンジの三馬鹿トリオにカヲルを加えることで新たに新生した『バカルテット』の四人組とアスカ、レイ、ヒカリの仲良し三人組を併せた計七名。要するに何時ものメンツ、というヤツである。

 

 その中でリツコの接近に気付いたのは、アスカとレイに日焼け止めクリームを塗るという大役を仰せつかった『第一中の妖精さん』こと碇シンジ君である。その可愛らしい顔にいつも笑顔を浮かべて方々でお手伝いに勤しむその姿を収めた写真集『シンジ君の1日』シリーズはケンスケ撮影・サキエル監修の元、ケンスケの写真売場女性購入部門第一位の売上を誇っている。

 

 ちなみに売上金の一割はマージンとしてシンジの懐を暖かくしているとか、実はネルフ職員にも『シンジ君の1日』シリーズはかなり広まっているなどの細かいトリビアは今は関係ない為紹介だけに留めておく。

 

 さて、そんな彼がリツコを発見したのはより細かく言えば、アスカの背中へと日焼け止めクリームを塗り終えた時だった。

 

「よし、クリーム塗り終わったよ、アスカ」

「ん、サンキュ! じゃ、私の華麗な泳ぎを見せてあげるわ」

「あ、アスカ、芦ノ湖は湧き水だから潜ったり遠泳したりしたら駄目だよ」

「ん? 何でよ?」

「ここの湧き水、水温が六度ぐらいだから……」

「あー、成る程ね。分かったわ、浅瀬で遊んどく」

「うん、気をつけてね。僕も準備運動したら行くから」

 

 そんな微笑ましい会話の直後、さてラジオ体操でもするかと立ち上がったシンジは、視界の隅に見慣れた白衣と金髪を見つけたのだった。距離にして凡そ100メートル。充分近いと言える位置にいたその人物にシンジは駆け寄ると、人懐っこい笑みを浮かべて挨拶する。

 

「こんにちはリツコさん。何かあったんですか?」

 

 そう言ってコテンと首を傾げる仕草を違和感なく行えるのがある意味彼の才能なのだろう。普通の男子がやれば明らかに気色が悪いであろうそれが似合うということはシンジが凄まじく女顔である事を示している。本人からすれば『女の子みたいでやだな』という評価なその顔は、実のところリツコを悩殺するに充分な威力を秘めていた。

 

 クールな印象の強い彼女だが、実は案外母性愛に溢れた人物なのである。だが、それを心の内にひた隠し、リツコはシンジを抱き締めてみる誘惑を封殺。努めて冷静に振る舞いどうにか世間体を維持する事に成功した。公私の混同は組織の幹部として望ましくない事なのだ。

 

「あ、あらシンジ君。奇遇ね。……サキエルは居るかしら?」

「はい、サッキーなら浅瀬で仮面の甲羅干しをしてます。……こっちですよ」

 

 そう言ってリツコの手をサッと取りピョコピョコと歩き出すシンジの動作には一切の違和感がなく、誰からとは言わないが女誑しの遺伝子をしっかりと受け継いでいる事を伺わせる。

 

 ……尤も、シンジに此処まで女性に対して耐性が付いたのはこの第三新東京市に来てからの事だ。それ以前の彼なら太陽のような

美少女であるアスカの背にクリームを塗るとなれば茹で蛸の如くのぼせ上がっただろうし、ネルフのクールビューティーとして名高いリツコの手を取って歩くなど到底不可能だっただろう。

 

 そんな彼を天然プレイボーイに変じさせた原因は、葛城ミサトとの同居である。

 

 見た目は一級品の美女である彼女の性格は、分類的にはズボラと言える。タンクトップにノーブラでうろうろしたり、寝ぼけてパジャマをはだけさせていたり、挙げ句の果てに酔っ払って下着のままでシンジに抱きついたりと思春期の青少年には過激すぎるスキンシップをこれでもかというほど体験する羽目となったシンジ。

 

 だがしかし。

 

 人間とは実に恐ろしい生き物であり、その適応力は尋常なモノではない。この半年でシンジもご多分に漏れず状況に『適応』し、彼の女性耐性は凄まじいレベルへと鍛え上げられたのだった。

 

 

 閑話休題。

 

 

 さてさて、リツコの手を引き彼がやってきたのは実に日当たりの良い浅瀬。彼が言うように其処ではサキエルが砂浜を枕にして仰向けに寝転がり、甲羅干しをしていた。その上に数匹のミシシッピアカミミガメが乗っかって同じように甲羅干しをしている様は何というかほのぼのし過ぎていて気が抜ける光景である。

 

「サッキー、リツコさん連れてきたよ」

 

 そうシンジが呼び掛けるとサキエルはピクリと身を震わせ、その振動にびっくりした亀達が慌てた様子で芦ノ湖へと飛び込んでいく。

 

「む、シンジ君か。……リツコ君から訪ねて来るとは珍しいな。私との接触はチサト君の仕事だと勝手に思っていたのだが」

「あれはパイロットの管理が作戦部の管轄だからよ。今回は技術部からのお願い事なのよ」

「ふむ、お願い事、とは?」

 

 ムクリと上体を起こしたサキエルが胡座を組みながら問うと、リツコはピシッとある方向を指差した。其処にあるのは、数台のトレーラーである。

 

「第六使徒ガギエルの解剖とデータ収集が終わったから死骸を持ってきたの。……これだけ長い間置いてあったにも関わらず腐る気配すらないのよ、アレ」

「あぁ、成る程。使徒の死骸は腐らない、と言うか成分的に生物が分解できるモノじゃないからね。風化するまで放置するか、超巨大な焼却炉で五年ほど燃やし続ければどうにかなるとは思うが……費用的に厳しいのだろう?」

「えぇ。……お金は無限にある訳じゃないから」

 

「了解した。私が処理、と言うか食べておこう」

 

 そう言って仮面の下からサキエルは蛇腹のように折り畳まれた口を伸ばす。口、と言うよりは舌に近い印象だが、触れたモノを問答無用でディラックの海、もといサキエルの『食べたもの置き場』に叩き込むそれは矢張り機能的には『口』と呼ぶにふさわしい。

 

 見事にトレーラーの背中に載せたコンテナ事ガギエルの死体を平らげた彼は、早速その死骸を解析する。

 

「む? かなり壊れているがS2機関が付いたままだな。研究しないのかね?」

「私達の科学じゃ修復不可能だったのよ。データは収集したから開発のサンプルにはなるでしょうけど、サンプルだけならデータがあればそれで充分だから。……けど、そこまで壊れていても使徒なら修復出来るのね。つくづく恐ろしいわ」

「まぁ、私は既に3つ持っているからね。サンプルも稼働データもそれこそ莫大なモノがある。修復程度なら容易いことだよ。……と言うか、小規模なモノならゼロから自作出来る。ミサエ君の父上が提唱した通り、S2機関は一応人類にも制作可能だからね」

 

 そんな事を言いながら、サキエルはガギエルの能力を取り込んで行く。恐ろしく硬い装甲はシャムシエル以上の強度であり、硬いくせに柔らかい不思議素材。更に、水中でより速く進むためにガギエルはATフィールドで全身を包み込みスーパーキャビテーションによって摩擦抵抗をゼロにするという荒技で超音速航行を行っていたらしい。かなり近づくまでパッシブソナーに反応が無かったのは音より速く泳いでいたからというのが真相らしい。地味に化け物じみたヤツである。水中での音速は秒速1.5キロメートルである事を考えれば、到底生物が出して良い速度ではないのはお分かり頂けるだろうか。

 

 その技術はサキエルが水中を高速移動する際にも応用出来る事間違いなしな技術である。そんな機会があるかは不明だが。

 

「ふむ、なかなか有意義なデータを得られたな。……水中に特化しているのが残念だが」

「あら、やっぱり使徒の能力は死骸が暫く放置されても吸い出せるのかしら?」

「あぁ、コアとは別に使徒同士のリンクというか、サーバーのような器官があるのだよ。使徒が死亡した際には其処に蓄積されたデータのコピーが次の使徒に送信される。私には送信こそされないが、サーバー自体を取り込んでしまえばデータは手に入る」

「……使徒は、経験を引き継ぐというの?」

 

「ああ。ほら、私の次に来たシャムシエルは私とあまり変わらない、というかビームが無い分だけ微妙だっただろう? アレは私が死んでいないからだ。だが、シャムシエルは死亡したため『近接戦闘では分が悪い』と学習し、ラミエルがやってきた。そしてラミエルも狙撃で死亡した結果、『有利なフィールドで戦う』事を考えて進化したのがガギエルというわけだな」

「確かに、エヴァは陸戦兵器である以上水中戦闘は苦手だものね」

「うむ。だが、ガギエルも倒されてしまった事だし……。次辺りは今までの使徒がほぼ一撃で死んでいる事を考えて『一撃で死なない』ヤツが来るんじゃないか?」

 

 あっさりとそう言うサキエルに、リツコは何やら閃いたようにメモを取る。

 

「使徒はスタンドアローンな兵器だという概念が覆される理論ね。つまり、MAGIで前回までの使徒の弱点を考えさせれば其処を補強して来るであろう次の使徒が予想できるかも知れないのね?」

「まぁ、理論的には正しいね」

 

 そんな事を言ってから、サキエルはふと思い付いたように呟く。

 

「まぁ、私が死んだ場合、私をより強化した化け物が現れるわけだな」

 

 その発言は、リツコの額に冷や汗をかかせるに充分な威力を持っていた。また一つサキエルを『倒せない』理由が出来たのである。

 

 現状のサキエルの経験をすべて引き継いだ挙げ句に弱点を補った使徒など、流石のリツコでも想像すら出来ない。仮にそんな使徒がいたとしたら問答無用で周囲の生命体を死滅させる能力ぐらいは持っているのではないだろうか。

 

「……恐ろしいわね」

「真実は実に便利な毒薬だからね」

 

 そう言って肩を竦める辺り、この会話の流れもサキエルの『生存戦略』なのだろう。かつてリツコが予想した通り、サキエルはネットによって内面的に凄まじい成長を遂げているらしい。搦め手と舌鋒と超兵器を駆使する使徒など厄介の極みである。

 

 さて、そんな厄介者ことサキエルはあらかたガギエルの解析を終了させたらしく、リツコに向けて何かを差し出した。

 

「実に有益な物を貰った事だし、等価交換と行こう。……お土産に持って帰りたまえ」

 

 そう言って彼が差し出した指先には、上下左右どこからどう見ても『単三乾電池』としか言えない何かが一つ乗っている。黒っぽいその物体を見たリツコは『爆弾かも知れない』という不安を少し抱いたものの、サキエルならば爆弾など使わずにネルフを消し飛ばせる事を思い出し、思い切ってそれを受け取ってから当然の疑問を投げかける。

 

「何かしら、コレ」

 

 それに対するサキエルの回答は、相も変わらず凄まじかった。

 

「S2電池だ。小さい上に簡易タイプでかなり効率は悪く、電気エネルギーしか出力出来ない微妙なモノだな。1.5ボルトの電流を永久に生み出すだけの装置だ」

「…………」

 

 手に持った電池を眺めながら絶句するリツコと、とんでもないモノをのほほんとした雰囲気で渡しやがったサキエル。

 

 

 

 そんな状況に対して、芦ノ湖中にリツコの「あなた馬鹿でしょう!! 馬鹿なのね!! 馬鹿に違いないわ!!!!」という魂の叫びが響くのはそれから十分後の事である。



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同じ釜の飯を食う

 学校から帰ってきたら家がなかった。

 

 碇シンジ少年を襲った怪現象はその一文で表現できる。

 

 だが、別に彼が住んでいるコンフォート17がサキエルのうっかりで壊れたとか、チルドレンを狙ったテロで消し飛んだというわけではない。

 

 ただ、『行って来ます』と朝出た部屋に帰ってきたらもぬけの殻だっただけである。

 

 いや、むしろマンションが無事であるにも関わらず彼の住居が消滅しているというのは質の悪い悪夢の様ではないか。

 

 当然、彼は混乱した。だが、彼の保護者である筈の葛城ミサトとは連絡が取れず、部屋の番号を見たところで彼の住居であるのは間違い無い。

 

 ならばコレは夢なのだ。夢なら醒めろと半狂乱で鋼鉄製のドアにヘッドバットしようとしたシンジのスピードの乗った頭は、しかしドアには当たらない。

 

 ベシッという音共に何やらドアよりは明らかに柔らかい物へと衝突したおでこを見れば、其処にはスーツと黒ネクタイ。

 

 どうやらそれが横から割り込んで来たネルフ保安部の黒服さんであり、シンジ少年のヘッドバットを彼がその鍛えられた大胸筋で受け止めた様だと理解したシンジは、藁にも縋る思いで彼に問い掛ける。

 

 『僕の部屋は何処に消えたんですか』と。

 

 

 そして真実を教えられた彼は、再びヘッドバットを敢行する。

 

 そう、連絡を怠った保護者、葛城ミサトの頭に向けて。

 

 

--------

 

 

「あうぅ……シンちゃんって意外と石頭なのね…………」

 

 そう言って頭を押さえて悶えるのは、先程も説明した通り、葛城ミサト。椅子に座った状態で背後から受けた全力の頭突きはつむじにクリーンヒットしたらしく、頭にしっかり出来たタンコブが痛々しい。

 

 だが、今回ばかりは彼女が悪い、というのはミサト本人を含め、この場にいる全員の総意だった。

 

 

「……帰宅したら家がなかった挙げ句、その原因がミサトさんの連絡忘れなんですから、自業自得ですよ。……僕の知らない間にこんな事になってたなんて」

 

 珍しくプンスカと怒っているシンジだが、そのおでこには濡れタオルがあるためイマイチ迫力がない。まぁ、タオルがなかったところで迫力満点とは言い難いが。

 

 だがまぁ、シンジの怒りはミサトにしてもごもっともだと思うのだ。最近チルドレンの転属手続きやら兵装ビルの改装やらで忙殺されていたとはいえ、一言声をかける余裕は充分にあったのである。

 

 故に、ミサトも痛みがある程度引くと同時に、タンコブの付いた頭を下げて平謝りしているのだ。

 

「本当にごめんなさい……」

「……普通、引っ越しを同居人に伝え忘れますか?」

「大変反省しております……」

「その上、チルドレン全員同居なんて聞いてないですよ!!」

 

 頬を膨らませて『僕、怒ってます』と全身で表現するシンジと、平謝りを続行するミサト。

 

 子供に説教される大人というのは実に情けないが、その光景が妙にしっくりとくるのは何故であろうか。

 

 そんな事を考えつつシンジの激昂を遠巻きに眺めているのは先程チラリと話題に出たチルドレンの皆さんである。

 

 

 此処まで言えばお分かり頂けるとは思うが、シンジ達が今居るのは慣れ親しんだコンフォート17ではなく、其処から程近い位置にある一軒家。

 

 要するに、シンジ達の新しい住居であった。

 

 と、いうのも保安部からの『チルドレンの分散は警備上宜しくない』という意見書と、作戦部からの『チルドレン同士の交流を密にすることでより高度な連携が可能となる』という旨を書いた上申書。

 

 そして技術部からの『一人暮らしは精神的にストレスが高く、シンクロ率に影響がある可能性が高い。根拠はアメリカでルームシェアをしていた渚カヲルと葛城一尉と同居している碇シンジのシンクロ率がずば抜けている事と、一人暮らしを長期間続けている綾波レイのシンクロ率がチルドレン中最低であることに拠る』というレポートが司令部に届いた結果、ネルフ内の三部署が提案して来た上に正論である、との判断が下された。

 

 そんなわけでミサトに『チルドレン四名の保護者に任命、それに伴う昇給』というありがたい辞令と『転居命令』が下されたのだ。

 

 それをシンジに伝え忘れていた、というのが今回の事件の要因である。

 

 

 閑話休題。

 

 

 さて、ミサトの平身低頭の平謝りによってどうにか溜飲を下げたらしいシンジが『今日はビール抜きですからね』という一言と共に夕食の調理を始め、ミサトが湿布を買いに出かけた頃、ようやく遠く、というかリビングの隅っこにいたチルドレン三人組はミサトが先程まで座っていたソファーの近くまでやってきてくつろぎ始めていた。

 

 この位置がテレビを観るのにベストなのだが、今の今までシンジが怒っていたため寄るに寄れなかったのである。

 

「……いやぁ、シンジ君は随分怒ってたいねぇ」

「ま、今回はミサトが悪いわね。……というか、私が聞いたのも今朝だったんだけど」

「……私も」

「…………二人とも良くそれで引っ越す気になったね。普通、女の子は男子と同居するのは嫌なんじゃないのかい?」

 

 そう言って肩を竦めるカヲルだが、視線はテレビに映る刑事ドラマに向けられている。今放送されているのは凸凹刑事コンビが出て来る『相方』というシリーズものである。どうやらカヲルはなかなかに気に入っているようだ。

 

 そんな、カヲルの適当な『質問』に同じく適当に返答したのはアスカだった。

 

「軍隊にいると男女一緒に塹壕の中で肩を寄せて隠れたりとか普通にあるのよ。それに、シンジは本職の軍人を襲える様なヤツじゃないし」

「酷い言い草だねぇ。……一番酷いのは意識すらされてない僕だけど」

「アンタは性欲無いでしょ。というか、今更だけど何で付いてんの?」

「……僕が忠実にリリンの肉体を模したからだよ。…………しかし、何というかリリンの女性が『性欲』とか『付いてる』とか言ってるのを見ると僕が密かに抱いていた女性観が崩れるね。聞かなきゃ良かったって事さ」

「あー、女性はおしとやか、みたいな女性幻想?」

「うん」

「そんな幻想、早めに捨てた方が良いわよ?」

 

 何やら苦笑するアスカと、ちょっぴり落ち込むカヲル、そして会話の内容がいまいち判っていないらしいレイ。

 

 そんな三人の元に、エプロンをつけたシンジがやってきた。

 

「ごめん、量が量だけに手伝って欲しいんだけど、料理作れる?」

「私は無理。レーションか基地の食堂で済ませてたから」

「……私もやったことがないわ」

「うーん、僕はある程度作れるけど、レシピによるね」

「今日はカレーライスだよ」

「なら大丈夫かな。僕が手伝うよ」

 

 そう言ってキッチンに向かうカヲルとシンジ。男子二人がキッチンに立って女子二人がテレビを見ている、というのは何やら違和感を感じないでもないが、実際の所中学生位の年齢層では男子の方が料理経験者が多いのである。

 

 女子は友達とランチやら何やらと集まって食事するのに対し、基本的に男子は家で食事する事が多い。加えて、男子というのは意外と何かをつくるのが好きな生き物で、かつ凝り性である。プラモやらガレージキットやらを見ればお分かり頂けるだろうか。料理で言うならば、キャンプなどで料理に張り切るヤツには男子が多い、というのが分かり易いだろう。

 そんなわけで、カヲルとシンジが料理が可能なのは何も特殊な事ではなかったりするのだ。カレーぐらいなら中二男子諸君なら全員作れると言っても過言ではないのだから。

 

 

--------

 

 

 さて、時計の針が一時間ほど進んだ午後六時三十分。帰ってきたミサトを含めた新生葛城家の面々は食卓を囲み男子製作のカレーを食していた。と言ってもただのカレーではなくフワフワのオムレツが乗ったオムカレーである。肉嫌いのレイに配慮しつつもタンパク質を摂取できるようにとシンジなりに考えたようだ。

 

 そんなカレーだが、各々が好みのアレンジを加えたためになかなか愉快なバリエーションになっている。

 

 レイはそのまま食べているようだが、シンジはウスターソースを掛けているし、アスカはトマトケチャップ、そしてカヲルは納豆となかなか個性的なトッピングである。

 

 カップヌードルにルーを入れたモノを嬉々として食べているミサトはある意味論外だが、味覚は人それぞれである。

 

 そんな個性的な食卓で、ふとシンジが何かに気付いたように話題を振った。

 

「そう言えば、家事の担当決めないとね」

「確かに、共同生活では担当訳は重要だねぇ。……とりあえず料理、洗濯、掃除の分担で良いんじゃないかな? あ、僕は料理担当で頼むよ」

「じゃ、アタシは掃除にするわ。片付けは得意だし」

 

 そう言うアスカだが、確かに彼女の片付け能力は凄い。何しろカヲル、シンジ、レイの三人の荷物を合わせたのとほぼ同量の荷物を持ち込んだにもかかわらず、彼女の部屋のサイズは他の三人と変わらないのだ。軍隊でバックパックに大量の装備を詰め込んでいた経験の賜物である。

 

 そんなわけでなし崩し的にレイが洗濯当番と相成った。ちなみにシンジは今まで通り「全部」を担当。ミサトは味覚音痴、片付け苦手、服を脱ぎ散らかすと三拍子揃ったズボラなので「買い物担当」という微妙なポジションに就任した。

 

 それぞれの向き不向きを考えれば妥当な判断であろう。なお、チルドレン四人はミサトがお嫁に行けるのかを割と真剣に心配していたりするのだが、暫く考えた末に蓼食う虫もなんとやらということだから、と深く考えないようにしたらしい。

 

 世の中は非情である。

 



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詭計多端

 さて、いよいよ待ちに待った夏休み。後数日で終業式だ、とシンジ達中学生が期待に胸膨らませる頃。

 

 夏休みの宿題よりも面倒臭い存在が日本に向けてやってきていた。

 

 言うまでもなく、使徒である。

 

 

--------

 

 

「巡洋艦はるなより入電!! 紀伊半島沖に巨大な潜行物体を確認したとの事!! データ解析…………パターン青!! 使徒です!!!!」

 

 そう叫ぶ通信担当の青葉。彼の伝えた情報の直後速やかに発令された『総員、第一種戦闘配置』の放送は、学校が半日で終わり本部内でシンクロテストをしていたシンジ達チルドレンの元にもしっかりと届いていた。

 

 幸いにもエヴァに搭乗していた彼らは準備の必要もなく、後は大人達次第である。

 

 そんな中で、働くべき大人達の代表格である葛城ミサトはしばしの思案の後、日向に確認の言葉を投げかける。

 

「日向君、目標の上陸予想時刻は?」

「現在の速度、及び進行予想経路から算出すれば、あと一時間といったところかと」

「……第三新東京市の稼働率は?」

「ラミエル戦でかなりの損害を受けましたし……実戦には耐えませんね」

「…………水際で食い止めるしかない、か。……青葉君、戦略自衛隊に協力要請。ジェットアローンの配備を頼んで。日向君は私と一緒に作戦の立案。マヤちゃんはエヴァ四機の発信シークエンスを発信直前まで進行しといて。……今度も勝つわよ!!」

 

 テキパキと指示を飛ばしながら自分とスタッフを鼓舞するミサトの姿は普段のダメダメお姉さんと同一人物とは思えない程の真剣なもの。

 

 真面目モードに入ったミサトはその才覚を遺憾なく発揮し、日向と共に作戦をたてる。凄まじく有効だが「難しい」作戦を「閃く」事に定評がある天才タイプのミサトだが、其処に秀才タイプの日向が梃入れを行うことでその作戦は一気に実現性を増す。

 

 今回、ミサトは水際での決着と決めた瞬間に閃いた作戦を実行するべく、既に青葉を使ってジェットアローンを確保している。後は日向がその作戦の粗を取り除いて作戦立案完了というわけだ。

 

 作戦がたったならば善は急げ。後はエヴァを出撃させるのみ。

 

 そう考えを決めたミサトはマヤの働きにより既に万全の状態で待機しているエヴァ四機に、手元のコンソールから通信を入れる。

 

「レイ、シンジ君、アスカ、カヲル君、準備は良い?」

『……問題ありません』

『大丈夫です』

『いつでもいけるわよ』

『僕もいつでも構わないよ』

「よし、じゃあ作戦を説明するわ。……今回は幸いにも水際、それも広い浜を使用できるの。そこでまず、ジェットアローンによる威力偵察を行います。その後使徒の能力が判明し次第ジェットアローンを自爆。使徒に隙を作ったところでエヴァ四体により波状攻撃を行う。波状攻撃自体はそっちでタイミング合わせてね。現場でのとっさの指揮はアスカに任せるわ。……OK?」

『了解よ、アタシに任せなさいミサト』

「頼りにしてるわ。……では、エヴァンゲリオン、発進!」

 

 ミサトの号令でエヴァンゲリオンはいつもと異なり横倒しの状況で地下に造られた線路を突き進む。

 

 エヴァンゲリオン輸送用リニアレール。第三新東京市から離れた場所にエヴァンゲリオンを派遣するためのその装置は、緊急用の地下トンネルとして第三新東京を中心に放射線を描きつつ周囲へと延びている。

 今回使用したのはその内の駿河湾行きのルートである。

 

 さて、そのリニアで揺られるエヴァンゲリオンとそのパイロットたるチルドレン四人組。そのチルドレン達の格好は、今までと少し違う。

 

 彼らの顔に輝くのは如何にも『飛行士』といった様子の黒いフレームに赤いレンズのゴーグル。パイロット、という職業からすれば一応違和感はないが、別に空を飛んでいる訳ではないので無意味な装飾といった雰囲気である。

 

 一応リツコによるレントゲンチェックをクリアして消毒も済んでおり、扱い的にはパイロット個人の私物である。コクピットに私物なんぞ勝手に持ち込んで良いのか? という疑問については、エヴァのシステムが『精神シンクロ』であるため、パイロットが落ち着くため、かつ戦闘の邪魔にならないものは基本的に許可されるのだ。

 

 現にシンジはゴーグルの他にお気に入りの音楽プレイヤーSDATを持ち込んでいる。

 さて、ではその『私物』であるゴーグルを何故パイロット四人が仲良くお揃いで付けているのか、といえば、答は簡単。

 

 

 サキエルの差し金である。

 

 

 当然ながらリツコは疑いを持ちまくり、そのゴーグルを壊さない範囲で徹底的に解析したのだが、今の所はただのゴーグルとしか判定されていない。

 

 これでMAGIが『解析不能』とでも表示すれば、怪しいからという理由でどうにでも出来たのだが、MAGIからの返答は『スキー用品』。挙げ句に製造元まではっきりと表示されてしまい、完全に白と判定されたのだ。

 

 では、単純にサキエルからの善意のプレゼントであり、特に意味はない小物なのか、といえば、やはりそれは否である。

 

 

--------

 

 

「エヴァンゲリオン各機、コクピット内にATフィールド反応!?」

 

 そう叫ぶマヤの声は流石に第一発令所にいた面々の度肝を抜いた。

 

 未だリニアの中に居るはずのエヴァンゲリオン。それも、パイロットがいるエントリープラグ内からのATフィールド反応と聞けば、驚かない方が可笑しいだろう。

 

「第七使徒からの攻撃なの!?」

「いえ、コレは……パターン青、第三使徒サキエルです!!」

 

 サキエル。聞き覚えのあるその名は芦ノ湖に居るはずの第三使徒。

 

 それが何故にエヴァンゲリオンの内部にATフィールドを展開できたのか?

 

 その疑問の答えは、ある意味予想通りの方法で解明されることになる。

 

「芦ノ湖より映像通信!! 回線から接続先を特定!! 第三使徒サキエルです!!」

 

 発令所の連中の心臓に多大な負担を掛けたご本人から、このタイミングでの通信。明らかに怪しいその通信に出たのは、この展開を根拠こそ無いものの若干予想していたリツコである。

 

「……あなた、何をしたの? いえ、何をしているの?」

 

 直球ド真ん中なその問いは、サキエル相手に回りくどく言うだけ無駄、という判断からのモノ。サキエルとしても、それは判っているのでリツコの態度についてとやかく言うことはなく、リツコにいつも通りの単純かつ明快な『真実』を叩き付ける。

 

『何といわれても、碇ユイ、惣流・キョウコ・ツェッペリン、綾波レイ一号、渚カウリのサルベージだが? 三分もあれば終わるからイスラフェル戦については心配無用だし、やれるときにやっておこうと思ってね。……アスカ君やシンジ君、レイ君、そしてカヲル。四人全員に『コアの中の家族をサルベージする』と約束した以上、約束の履行は早い方が良い』

 

 

 相変わらず、というか最近メキメキと威力を増したその発言に、リツコは思わず立ち眩みを起こしてへたりこみ、ゲンドウはサングラスとイスを吹き飛ばしながら立ち上がり、冬月は珍しい間抜け面を晒す。

 

 ネルフトップスリーと言って間違いない三人が揃いも揃って過剰反応する『サルベージ』の単語は、流石になにか『ヤバい』ものだと察したミサトがサキエルを問い詰めるべくコンソールに詰め寄ろうとしたその直後。

 

 マヤが甲高い叫び声を上げた。

 

「ッッ!? どうしたのマヤちゃん!?」

「ヒトが!! ヒトがっ!! コクピットにヒトがぁっ!?」

 

 混乱するマヤが指差すのは、エヴァンゲリオン内部のエントリープラグを移した映像。

 

 

 其処には、全裸で漂う二人の女性と一人の青年、そして、一人の幼女か映し出されていた。

 

 

--------

 

 

「ママ……」

 

 自身の眼前に浮かぶ金髪の女性を見たアスカの第一声は、泣いているような、笑っているような、喜怒哀楽入り混じった声音だった。

 

 それと同時にパイロット同士の通信回線からそれぞれの驚きの声が漏れてくるあたり、他のチルドレン達も無事に『成功』したようである。

 

「……アイツは約束を守ってくれたってワケね。……なら、私も頑張らなきゃ」

 

 そう呟くアスカは、クスリと微笑みをこぼしながらキョウコの身体をインテリアの後方部分に移動させ、持ち込んだゴーグルのゴムを使って吹き飛ばされない程度にその身体を固定する。

 

 

 今回、いや、初対面時にサキエルが持ち掛けた契約。

 

 

 その内容は、極めて簡単なモノだった。『零号機、初号機、弐号機のコアの中身をサルベージする対価として、次の使徒戦でサキエルが行う計画に自身の身に危険が及ばない範囲で協力しろ。なお、サキエルが先払いである』というその契約は、アスカやシンジ、そしてレイからすれば是非もない明らかに得な契約だった。

 

 勿論これを快諾したチルドレン達。

 

 そんな彼等の中で今回のサルベージの鍵を握っていたのはアスカだった。

 

 と、言っても、アスカが大尉である事や、その身体的特徴が鍵だったワケではない。

 

 

 アスカが『普段からインターフェースヘッドセットを装備している』ことが鍵だったのである。

 

 

 ゴーグルはブラフであり、サキエルが本当に仕掛けたトリックは『アスカのヘッドセットを元にした偽造ヘッドセットをパイロットに持たせること』だったのだ。

 

 偽造、と言ってもその性能は普段のヘッドセットと何ら変わりない。違うのは、そのヘッドセットを介して『サキエルとチルドレンがシンクロできる』事である。

 

 それを利用してサキエルはチルドレン経由でエヴァンゲリオンにシンクロを敢行。見事に内部からコアの中身を引きずり出したのである。

 

 そして、サキエルの計画は、このサルベージ計画のついでに半分が成功。そしてもう半分はこれから行うというわけである。

 

 茫然自失に陥った発令所の面々を尻目に、サキエルからのシンクロで伝わってくる計画に耳を傾けるチルドレン達。

 

 

 怪獣に味方する『悪ガキ』共を乗せた無敵の巨人は、ひた走るリニアレールの上でその瞳を怪しく光らせるのだった。



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鳶に油揚げをさらわれる

 芦ノ湖、上空。

 

 ネルフの人員がエヴァ内部の人間に集中している最中、サキエルはフヨフヨと浮かび上がり、雲の上までやって来ていた。ラミエルにしろシャムシエルにしろ、浮遊能力は飛行能力と異なり、高度を上げるのが難しい。その原因は、浮遊能力の仕組みにある。

 

 浮遊能力は、実際の所、薄く広げたATフィールドで重力を遮断し、、その上に乗っているだけなのだ。要するに、身体の下に風船を作って、それに乗って飛んでいる訳である。当然ながら、風船には高さの限界があるため、そう簡単には上昇できない。

 ではなぜサキエルが雲の上まで飛んでいるのか、と言えば、仕組みは案外簡単である。両手から出す諸々の武器の回転力として使用しているラミエルのドリル。その先端部にATフィールド二枚、角度を付けて張り付け、タケトンボのようなものを形作る。

 

 あとは、両手のそれをクルクルと回せば、ヘリコプターよろしく上昇出来るというわけである。これと浮遊能力を併用する事で、サキエルはその巨体を遙か上空へと持ち上げる事に成功する。

 

 其処まで高度を稼げれば、あとは簡単。

 

 空中で身体をひねり、駿河湾に『背を向けた』サキエルは、S2機関四機をフル稼働させ、荷電粒子を回転。十秒程でチャージされたそのパワーを『拡散して発射する』事で反作用を得たサキエルは、ミサイルよろしく光の尾を引きながら駿河湾に向けて突撃する。

 

 大気圏内でのイオンジェット推進という若干傍迷惑な方法で飛行するサキエルが駿河湾に到着したのはそれから五分後。

 

 エヴァ四機が到着する少し前のことであった。

 

 

−−−−−−−−

 

 

 さて、時間はサキエルが芦ノ湖から飛び出したのと同じ頃。

 

 第七使徒はサキエルよりデフォルメのきいた首なし人型ボディをヨタヨタと動かしながらえっちらおっちらと上陸を果たしていた。其処に待ち受けるのはネルフから要請を受け、第五使徒戦の雪辱を果たすべくジェットアローン三機を持ち出してきた戦略自衛隊の皆さんである。

 

 戦略自衛隊仕様ということでオリーブ色に塗装されたジェットアローン達にはそれぞれ『ガイア』、『オルテガ』、『マッシュ』と愛称がつけられており、各々が別々の武器を持っている。ガイアは接近を想定して大盾を装備し、オルテガは中距離戦を目指して巨大なガトリング砲を構え、マッシュは更に後方から射撃を行うべく筑波で作ったポジトロンライフルを構えている。

 

 今回の任務は、ジェットアローンによる使徒への威力偵察と自爆による足止め。

 

 だがしかし、遠隔でジェットアローンを操る戦略自衛隊の隊員たちはせっかくの出番と第五使徒戦での雪辱を果たす機会をみしみすネルフに渡す気はさらさら無い。当然ながら使徒に勝つつもりである。

 

「ジェットアローン各機、出撃準備を完了しました」

「ポジトロンライフル充電完了、現在射撃シークエンスに移行中」

「『ガイア』、突撃開始」

「『オルテガ』、ガイアの補佐に入ります。援護射撃開始」

「目標のATフィールドを観測しました。目標、進行を停止」

「『マッシュ』、目標に照準」

「『ガイア』、『オルテガ』、斜線上より撤退完了」

「発射まで10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、発射!」

 

 ジェットアローンと同じオリーブ色の軍服に身を包んだ隊員たちが見守る中で、ポジトロンライフルは寸分違わず第七使徒のコアに向けてその方針から陽電子を射出する。N2リアクターを用いて発電された電力による砲撃はATフィールドに激突、しばらくぶつかり合った後にATフィールドを突破し、若干のずれはあったものの確かに使徒に突き刺さる。

 

 第五使徒戦の際に得られたデータから、『使徒のATフィールドはN2爆雷並みの高エネルギーを用いれば突破可能である』という結論に至った戦略自衛隊の作戦部によって提案された、『陽電子砲による狙撃』作戦は確かにその効果を示したというわけだ。

 

 その証拠に第七使徒は陽電子砲による砲撃でその上半身を無残に吹き飛ばされている。

 

 だが、使徒がその程度で死ぬはずが無いというのは強羅地区における攻防で第三使徒に苦汁を飲まされた戦略自衛隊にとって当たり前の事実であった。現に、計器は未だ『パターン青』を計測している。

「未だにエネルギー反応あり…………いえ、これは……エネルギー反応増大!!」

「どうした!? まさか自爆か!?」

「目標、二体に分裂しました!!」

「っ!? ……アメーバかコイツは!?」

 

 損傷した部位を補うでもなく、まず肉体を分離した使徒。当然、分裂した後も焦げ付いていたのだが、その焦げは速やかに修復されていく。代わりにATフィールドは消失したようだが、『オルテガ』からの砲撃も『ガイア』のシールドによる切りつけも効果はあるのだがすぐに再生してしまう。あろうことかコアまで再生するその怪現象に、流石の戦略自衛隊も暫し茫然自失となってしまったのは致し方あるまい。が、そこはネルフの様な半研究機関と異なり純粋な軍事組織。決断は素早かった。

 

「『ガイア』を後退させて『マッシュ』の防御に回せ!!」

「『オルテガ』、目標甲、及び乙に攻撃しつつ接近!!」

 

「『オルテガ』、自爆シークエンス起動、吶喊開始!!」

 

 コンソールを操る係員が自爆シークエンス起動ボタンをカバーを叩き割って押し込み、それに合わせてジェットアローン二号機『オルテガ』がリミッターを無視した高速起動でタックルを敢行。見事オレンジ色の個体にしがみつき、それを引き剥がそうとした白い個体も巻き込んで自爆する。

 

 海岸沿い、かつ観光施設もなく、水没ビルが立ち並ぶ地区であるからこその自爆作戦。『自爆による足止め』はネルフからの要請であるため、責任はネルフが負うことも相まってすんなり許可が下りたこの作戦だが、やはりN2爆雷を用いただけあって海中のビルは粉砕し、キノコ雲が吹き上がる地獄絵図の様相を呈している。

 

 だが、その中で盾を構えた『ガイア』とその背後に守られた『マッシュ』は未だ健在。更に敵はその体表をこんがりと焼かれて停止中となれば、戦略自衛隊はネルフの期待を遙かに上回る戦果を上げた事になる。

 

 余談だが、そもそもが自爆兵器であるジェットアローン一機の自爆でこの成果が得られた事で、ジェットアローンの有用性は戦略自衛隊内部でもそれなりの評価を得ることとなり、日重連が嬉しい悲鳴を上げる事になったりしている。

 

 さて、その自爆作戦の成功だが、戦略自衛隊の作戦部は少々疑問を抱いていた。

 

 というのも、先程までは斬ろうが撃とうが瞬間再生していた筈の使徒が自爆に限って大ダメージを受けたという事実がいまいち納得出来ないのである。

 

「高熱に耐性が無いのか?」

「……いや、ポジトロンライフルのダメージからも復活したんだ、それはないだろう」

「……そもそも、何故高速再生していたかだ。あの再生速度は諜報で入手した過去の使徒戦の情報を見る限り異常だ」

「確かに。……考え方を変えよう、仮に自分が何かを修復するとして、どうすれば素早く修復出来るかと考えれば良い」

「ふむ。……まずは適切な工具。それと設計図があれば修理もはかどるだろうな」

「……設計図、か」

「あの使徒は双子みたいにそっくりだ。……お互いがお互いの設計図になっているとしたら?」

「「「それだッッ!!」」」

 

 ディベートによって導き出されたその結論は、現状を悉く説明しうる妙案だった。互いが設計図であるが故の高速再生。そして、同時攻撃を受けた事によって設計図が無くなったために再生が遅れている今の状況。

 

 この情報を元に如何にして第七使徒を撃退するか。

 

 戦略自衛隊作戦部が遂に『使徒を倒せる』可能性を見いだした、その瞬間。

 

 天空から新たな天使が飛来した。

 

 

--------

 

 

 空中でクルリと身をひねり、未だに蒸気を吹き上げる駿河湾に着地したサキエルは、湾の比較的浅い部分で焦げ付いているイスラフェルを見付けて内心で歓喜した。

 

 飛行中にチラリと見えた閃光と耳に届いた爆音から予想はしていたものの、戦略自衛隊がN2爆雷を用いたらしいことは『一度喰らった』ことがあるサキエルからすれば察するに容易い。

 

 そのかつて体験したN2爆雷の威力と現状を照らし合わせてみるに、どうやらイスラフェルは少なくとも一日は行動出来ない程のダメージを受けた筈である。ならば、かねてからの宿願を果たすことは容易であった。

 

 いつものようにズルリと顎を伸ばしたサキエル。その顎を深海魚の如く根元まで大きく開き、焦げ付いたままのイスラフェルを丸呑みにする。一口でオレンジ色の個体が呑まれ、二口で残りの個体が呑み込まれるその姿に、獲物を横からかっさらわれた形の戦略自衛隊は唖然呆然、揃いも揃って口をポカンと開いた間抜け面を晒す羽目と相成った。

 

 あまりに突然、そして余りに理不尽なその事態。だが、日本を守る立場に当たる戦略自衛隊からすれば突如復活を遂げた『最初の使徒』である黒い巨人に対して攻撃、或いはせめてネルフが現れるまでの時間稼ぎをしなくてはならない。

 

 残った『ガイア』と『マッシュ』を新たな使徒であるサキエルへと差し向け、組み付いての自爆、或いはポジトロンライフルでの狙撃を行うべく警戒を厳にしつつ隙を狙う。

 

 だが、如何せんあまりにも敵が悪かった。

 

 ジェットアローン二機を見るやいなやサキエルは屈伸するように腰を落として跳躍。一瞬で距離を詰め、『ガイア』の目前に着地すると、脚部に向けて下段回し蹴りを放つ。軽く音速を突破したその蹴りによって盾ごと転倒させられたジェットアローンに対し、サキエルは容赦なく顎を伸ばし、起き上がるべくもがくガイアをペロリと平らげる。

 

 その捕食の隙に『マッシュ』がポジトロンライフルを放つが、第五使徒以上に強固なATフィールドで『斜めに』受けられた事で綺麗に威力を受け流され、挙げ句の果てにそのATフィールドを投げつけられて真っ二つになり爆発。その爆発すらサキエルのATフィールドで強引に封じられてしまう。

 

 

 あまりに圧倒的、あまりに一方的。

 

 文字通り完膚無きまでにジェットアローンを叩き潰したサキエルは、周囲で自身を攻撃している戦闘機を無視し、先程までの戦闘が嘘だったかのように、のんびりとした歩みで海岸に到達。まるで散歩するかのような足取りで上陸した彼は、場所は既に把握済みだと言わんばかりに山沿いに隠れるように設置されているリニアレールの線路へと近付いて行く。それを必死で食い止めようとする戦略自衛隊の地上部隊を踏みつぶさないように慎重に避けながら進むサキエルは、避けながらとはいえ全く衰えない速度でレールを目指し、数十秒もしない内にリニアレールの出口へと到達。

 

 まるで電車でも待つかのように線路脇で佇んでいる彼は、その周囲を飛ぶ戦闘機を手慰みがてらに優しく捕獲し、両翼をもいでからそっと地面に降ろすというろくでもない内職を繰り返す。一機で百億以上はかかる戦闘機を手慰みで分解されては、戦略自衛隊としてもたまったものではない。彼の手が届かない距離へと退避しながらミサイルなどでチマチマと攻撃を加える作戦へと速やかに移行するが、その周囲に張られたATフィールドは有象無象の区別なく、あらゆる脅威を遮断していた。

 

 そんな中、自衛隊の善戦虚しく、遂にサキエルの眼前にエヴァが乗ったリニアが現れる。ネルフ側でもリニアの停止を試みたものの、如何せん高速で走るリニアを急に止めるのは辛いものがあり、結局制動距離が足らずに終点までなだれ込んでしまったのだ。そんなリニアに縛り付けられたエヴァをサキエルはリニアごと四機まとめてペロリと飲み込んでしまう。

 

 シンクロ切れと緊急停止の衝撃で硬直したままのエヴァを特に抵抗もなく飲み込んだサキエルは、そのままズシン、ズシンと地響きを立てながら陸地を歩き、北へと向けて歩き出す。

 

 駿河湾から北に向けて進む、というのは通常の使徒からすればいまいち考え辛い行動だ、第三新東京市を目指して進む使徒達は、駿河湾からなら北東へ向けて進むはずである。にもかかわらずサキエルが目指すのは北。それも、どちらかといえば北北西に向けて移動している。

 

 その進路に少しの疑問を抱いた戦略自衛隊だったが、すぐに、サキエルの真意に気付き、大わらわといった様相で全力攻撃をサキエルに向ける。

 

 彼等は気づいてしまったのだ。サキエルが進むその先に、日本の首都である第二新東京市があることを。



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泣きっ面に蜂

 歩き、早歩き、小走りと徐々に加速し、現在は全力疾走で長野に向かうサキエルは、陸上で音速を突破するというかなり迷惑な行為を行いつつ、高圧電線を飛び越え、川を渡り、山を越え谷を越えて着々と目的地に迫っていた。

 

 四機のエヴァを吸収する、というのは、もちろん最優先事項だったのだが、その次くらいに優先的に解決すべき目的が長野にあるのである。

 

 故にサキエルはひた走っているわけだが、その道中は平穏とは言い難い。東京から遷都したことで首都となった長野県松本市。其処にサキエルが突撃すれば日本という国家に甚大な影響を及ぼす、というのは馬鹿でもわかる事であり、当然ながらその事態を避けるべく戦略自衛隊や在日国連軍はサキエルに全力攻撃を行っていた。無数のミサイルがサキエルに向けて打ち込まれ、最新式の陽電子砲が真っ正面からサキエルを迎え撃つ。肝心のサキエルに全く効いていないのが玉に瑕だが、恐らく人間が操縦するエヴァが相手なら余裕で勝利出来る程の攻撃力である。

 

 たが、音速の壁をぶち破って走る巨人という非常識な生き物は僅かに減速はするものの、止まらない。サキエルの馬力にミサイルや陽電子砲のストッピングパワーが負けてしまっているのである。

 

 そんな訳で妨害にあいこそすれども全く問題無く侵攻したサキエルは遂に『第二新東京市』へ雪崩れ込むかと思われたのだが、その前方で進路を急遽東にずらし第二新東京市の東端ギリギリを通過。そのまま長野市へと向けて更に加速しながら突撃し、長野県長野市松代町にてトップスピードからいきなり停止した。当然ながらその些か無理がある機動の反動はモロに地面に伝わり、松代町を震源地とした小規模な地震が発生する。

 

 ソニックブームと地震の被害によって大被害を受け、そこかしこで火の手が上がる松代。その中で、サキエルは少しばかりキョロキョロと探し物を行った後、目当てのものを発見した。

 

 地下施設に隔離されていたそれを地下施設ごとディラックの海に飲み込むという力業で回収したサキエルは、散らかすだけ散らかして『もう此処に用はない』とばかりに再び北に向けて爆走を再開する。

 

 第二新東京市の防衛を優先した軍隊の裏をかく形でサキエルが回収したそれは、余りの事態に慌てふためくネルフとゼーレの息の根を止めうる切り札ともいえるモノ。

 

 MAGIコピー。ネルフ本部に設置されたMAGIに次ぐ性能を誇るそのコンピューターが使徒によって強奪されたというのは、考え得る幾つかの『限りなく最悪に近い状況』の一つである。

 

 

 現にサキエルを追っていた筈の人工衛星の操作がハッキングにより奪われており、その並外れたマシンパワーが人類に反抗するとなれば通常の手段でサキエルを追跡するのは不可能に近い。

 

 斯くして、日本国とネルフ、そしてゼーレに甚大な被害を及ぼしたその使徒はその日最後に日本海へと飛び込んだ所を一般市民に見られて以降、その消息をプツリと途絶えさせたのだった。

 

--------

 

 

 さて視点は少々移り変わり、まるで台風が竜巻のように暴れるだけ暴れて忽然と消えたサキエルが巻き起こした災害から一夜明けた翌日。

 

 ゲンドウを含めた人類補完委員会の面々は沈痛な面持ちで会議を行っていた。議題は当然ながらサキエルについてである。

 

『……予想される死者5000名、重軽傷者はあわせて40000名、現時点の状況から予想される最低被害総額は1兆円相当。……コレは問題だよ、碇君』

『然り。伊勢湾台風並み、否、それ以上の損害が『使徒』によって齎されたという事実はネルフ、ひいては我々人類補完委員会の信用問題に繋がる』

『…………まぁ、アレが果たして人に止められるモノであるかと言われればそれは否だ。それについては前々からの報告で分かっているからね。……だが、あの生きた災害をどうにかするのがネルフ設立の建て前である以上、君は速やかに対応をはかりたまえよ、碇君』

「既にその件に関しては抜かりなく。今回の件に関するネルフの関与は既に隠蔽済みです。……エヴァンゲリオン四機の損失に関しては、アメリカ支部から三号機、ロシア支部から六号機を取り寄せようかと」

『……パイロットはどうする』

「チルドレンの予備を使います」

『……それしかない、か。……しかし、エヴァ四機の損失となれば第三使徒が出した損害だけで国が三つは滅ぶな』

『現状でこそ三つだが、奴をこれ以上自由にさせれば被害は増えるばかりだぞ』

『全く、頭の痛い話だよ』

 

 まさに頭を抱えるしかないような現状に、ほとほと疲れ果てたといった様子で呟く一人のメンバー。彼を含めたこの場の全員がたった一夜にして十は老け込んだように見える。それ程、サキエルという使徒が『人類補完計画』に齎した被害は凄まじいのだ。

 

 第一に、リリスベースのエヴァである零号機と初号機が両方失われた事。これにより、ネルフ本部地下にあるリリスの予備が失われた。

 

 第二に、リリスの魂の器である綾波レイが失われた事。言わずもがなだが、リリスの魂無くしては『人類補完計画』は立ち行かない。

 

 第三に、アダムの魂の器にして第十七使徒である渚カヲルが失われたこと。アダムの魂もまた、計画には重要である。何しろ、人類補完計画は簡単に言えばリリスにアダムを孕ませる行為であるからだ。

 

 第四に『依り代』の第一候補たる碇シンジと第二候補たる惣流・アスカ・ラングレーが失われたこと。ある意味ではこれが一番問題である。サードインパクトはエヴァさえあれば起こせるが、それを制御するとなれば依り代は必要不可欠。にもかかわらずその依り代が予備も含めて両方失われたとなれば、事実上人類補完計画は頓挫である。

 

 まさに狙ったように、いや、実際狙ったのだろうが、サキエルの行った一挙一動が悉くネルフとゼーレを追い込み、人類の補完を阻止していく。

 

 被害金額よりも、宿願である人類補完計画が完全崩壊したことの方がゼーレの面々に並々ならぬ心労と絶望を与えているのは言うまでもなく、普段であればゲンドウをネチネチと虐めているはずの毒舌に冴えがないのもそれによる所が大きい。

 

 一方で普段は虐められながらニヤニヤ笑っているゲンドウも『妻が復活したと思ったら息子と一緒に2人纏めて化け物に喰われた』という『少し上げて渾身の力で叩き落とす』ような状況によって心に深い傷を負っており、ナメクジに塩を掛けたかのようにしょぼくれている。

 

 

『…………今日の所は解散とする』

 

 

 ため息大会と化した会議を強引に終わらせるべく最後にそう言っていち早く消えたキール議長もまた、やつれ果てていたのは言うまでもあるまい。

 

 

 

--------

 

 

 

 

 さて、一方その頃。一日掛けて南極経由で目的地に至ったサキエルは、ある意味一番安全なその場所でいざチルドレン達を体内から呼び戻すべく血液を手頃な窪地に溜めていた。小さなプール程度の広さを持つ窪地の表面を出力調整をした荷電粒子砲でガラス化させて水漏れ対策を行うと、冷めるのを待ってから景気良く手首を半分程切断し、流れ出る血液で窪地をしっかりと満たす。

 

 後は体内で保護していた七人分の魂を血液のプールに溶かし込み、微弱なATフィールドを用いて魂を刺激し、覚醒を促進してやれば、あら簡単。チルドレンとご家族の皆さんの完成である。……まぁ、カラーリングは結構違うが、不可抗力である。

 

 寝ぼけ眼な彼らが完全に覚醒する前に血液の余りで適当な服を形作り、彼らの身体を包み込むのも忘れない。ある意味一番重要であるが、此処は見慣れた学生服を構築して置くことにする。……明らかに保護者である碇ユイと惣流キョウコ、そしてどう見ても幼稚園児である『綾波一号』も一律『第一中学校指定夏服』を着ている様は若干シュールだが問題は無い。多分、きっと、或いは。

 

 

 と、いうわけで無事作業を終えたサキエルの前で、チルドレン四名とその家族である三人がのそのそと起き上がる。その様を見てどうやら問題が無いらしいと判断したサキエルは、実に気安い振る舞いでチルドレン達に呼びかけた。

 

「おはよう、シンジ君、レイ君、アスカ君、カヲル。身体に異常はないかね?」

 

 その問い掛けに反応し、未だポヤポヤとした寝ぼけた頭でチルドレン達は自身の身体をチェックする。

 

 それから一拍の間を置いて、チルドレン達は冷や水をぶっかけられたかのようにその意識を覚醒させた。

 

「ちょっと!! アタシの髪に何してくれたわけ!? 真っ白けなんだけど!?」

「……ふむ、コレはなかなか凄まじい状況だね」

「アスカにシン君、あなた達、眼が赤いわ」

「え、嘘!? カヲル君、僕の見た目どうなってる?」

「シンジ君もラングレーさんも赤目に銀髪だね。皆お揃いってことさ」

 

 自身のカラーリングが変わるという異常事態に尋常でなく混乱するアスカとシンジ、そして何となく事態を把握したカヲルとレイ。四者の様子が綺麗に二手に分かれる結果となったが、双方ともサキエルに『何をしたのか』と問い詰めるという行動自体は共通であり、それに対してサキエルは予想通りの反応にカラカラと笑いつつも返答を返す。

 

「恐らくは、君達を組み立てる際にLCLの代用として私の血を用いたからだろうね。カヲルは第十七使徒タブリスであるため変化無し。レイ君も第二使徒リリスである為に外見的には変化は無し。シンジ君とアスカ君に関しては第十八使徒リリンに覚醒したために不要な物質であるメラニンが消失した、といったところだろうか。……仮説としてはチルドレンはエヴァとのシンクロの影響で普通の人より使徒に近く、それ故に今回使徒の血を用いて再構成された事がカギとなり人間の本来の姿である第十八使徒に覚醒した、という所かな」

 

 ペラペラと喋るサキエルだが、彼の長話の大事な部分を意訳して抜き出すと『サキエルから輸血したら使徒に成ったらしい。 やったねシンちゃん、バリアが張れるよ!!』ということらしい。

 

 その直後にサキエルが『まぁ、そのお陰で君達はこの環境に適応しているんだから、儲けものだと思いたまえ』などと世迷い言をほざいていた為に取り敢えずアスカとシンジは文句を言うべくサキエルの頭を睨み付け、その直後、サキエルの言葉の意味を知る。

 

 

 サキエルの頭上に浮かぶのは三日月型になった青い星。

 

 

 それは太陽系第三惑星『地球』。そして、彼らは自身のいる場所が『月』であると理解する。

 

 それは即ち、彼らは現在限りなく真空に近い大気の中に居るという事であり、正真正銘彼等が人外になり果てた事を意味していた。



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大風呂敷を広げる

連日投稿


 さて、チルドレン達の覚醒から1時間語。あの後目を覚ましたユイとキョウコに関しても同様に使徒化プロセスの解説を行い、漸くやるべき事が一段落したために、サキエルは現在チルドレン、および科学者2人からの質問に回答していた。

 

 今回は相談無しの独断専行で突っ走ったため、チルドレン達からすれば訊きたいことは山ほどあるのである。そのために開催された質問大会。その記念すべき最初の質問はシンジからの問いだった。

 

「そもそもサキエルが言ってた『計画』ってなんなのさ? エヴァを食べたのは何で? というか何で月に?」

 

 取り敢えず基礎から突っ込んで行こうという腹積もりらしいシンジの問いはそもそもサキエルは今回の騒動で何がしたかったのか、と問いかけるものだった。確かにそれはこの現状を説明する上で欠かせない要素であるため、サキエルもそれなりに真面目に回答する。

 

「私の今回の目的か。そうだね、まず今回私が立てた計画に置ける目標は4つある。エヴァ四機の補食、N2の入手、MAGIコピーの入手、月への移住。この4つだ。まぁ、N2の入手は月への移住に必要だっただけだから3つと言っても良いがね」

 

 そう前置きしてからサキエルはまずは一つと言うように人差し指をピンと立てる。

 

「まず、エヴァの補食から話そうか。……これはまぁ単純なんだが、アダムとリリスの細胞を吸収するためだ。ユイ君は知っているだろうが、エヴァ零号機と初号機はリリスから、弐号機以降はアダムから採取された細胞を使用した人造使徒となっている。これらを捕食する事で、私は間接的にではあるがアダムとリリスに融合した状態になり、使徒としてワンランク上の存在になった訳だ。具体的に言えば、アンチATフィールドが出せて、ロンギヌスの槍の召喚権限を得た」

「アンチATフィールドとロンギヌスの槍がよく解らないんだけど、重要なモノなの?」

「ああ、非常に重要だ。まずアンチATフィールドだが、これはATフィールドで構成された存在を問答無用でLCLに還元できる。威力を調整すれば2人の人間を融合させて1人にしたりも出来る。ちなみにネルフの裏に居るゼーレという悪の秘密結社が立てている人類補完計画という計画は、このアンチATフィールドで人類を融合させて第十八使徒リリンになるのが目標らしい。まぁ、リリンなら既に4人もいるがね」

「……使徒になりたいの? 何で?」

「それはまぁ、不老長寿の為じゃないか? ヒトの心はシトである私には理解しがたいので確証は無いんだがね。……さて、次はロンギヌスだったかな? ロンギヌスの槍は言わば制御棒の様なものだ。基本的には自分か相手に突き刺して使う、といってもわかりにくいか。実物がコレだ。召喚機能があるから武器としても優秀と言える」

 

 そう言ってサキエルが手を頭上に掲げると、地球から赤い稲妻の如きスピードで一本の捻れた槍が飛来する。その槍を月面にサクッと突き刺してから、サキエルは依り詳しい解説を開始した。正直に言えば使徒化から始まった超展開の連続でシンジ達の脳はショート寸前なのだが、サキエルはお構い無しらしい。

 

「コレの召喚権限はリリスとアダムのどちらか、或いは両方の細胞を所持する事で手に入る。後は一瞬でも良いからアンチATフィールドを展開すれば反応してすっ飛んで来る。実にお利口な槍だ。……因みに、この槍の使い道なのだが、ゲームでいうMODやチートコードに近い。突き刺した対象の機能を増幅したり追加したり消滅させたり出来る。使い方は簡単で『こうなれば良いな』と念じながら槍で刺すだけ。例えば、『死ね』と思いながら突き刺せば使徒だろうが何だろうが消し飛ばせるし、突き刺した対象の再生を緩やかにしたり、遺伝子を新たに追加したりATフィールドやアンチATフィールドを増幅したりと結構自由自在に色々出来る。何しろ神様の道具だから、自重も何も無いんだ。ちなみに今のところ権限を持っているのは私とカヲル、そしてリリスだね」

「……よく解らないけど、取り敢えず凄い武器なんだね」

「……ああ、済まない、少々小難しく成ってしまったか。何でも出来る魔法の道具だと思ってくれれば大体合っているよ」

 

 と、此処で流石に知恵熱一歩手前なシンジに気付いたらしいサキエルは「少し休憩した方が良い」と提案し、シンジを休ませる。その代理として生贄……もといサキエルの解説を受ける担当に就任したのは何やら興味ありげな様子でソワソワしていた碇ユイ博士。サキエルに驚くより先にロンギヌスの槍をペチペチ触っている辺り、かなりの変人であるのは間違いなさそうである。

 

「……ではユイ君、MAGIコピーの確保か月への移住か、どちらから先に訊きたいかね?」

「……死海文書に記述されていない知恵ある使徒。……やはり死海文書の解読に問題が? ……いえ、そもそも死海文書の記述は絶対的なモノでは無いという事かしら。現に私の肉体はリリンへと覚醒している。……補完に使徒を用いる事で儀式のプロセスを簡略化…………人類が生命の実を手に入れるが如く使徒もまた知恵の実を手にしうる? ……ゲヒルンのE計画……人類の保存と補完的…………むむむ」

「いや、何が『むむむ』だ。……おい、ユイ君、戻って来たまえ」

「ん? あらごめんなさい、ついつい考え事をしてたら夢中になっちゃって。怒らないでねサッキーちゃん」

「サッキーちゃん…………? あだ名にちゃん付けは些か不自然な気が……。いや、落ち着け、落ち着きたまえ、私。そんな事は今はどうでも良いのだから」

「所でサッキーちゃん、どうやって月に来たのか教えてくれるんじゃなかったのかしら? 話が脱線しているわよ?」

「……主に君のせいで話がこじれた気がするのだが。……まぁいい」

 

 どことなくレイに通じるゴーイングマイウェイっぷりとシンジによく似た思考の海に溺れる悪癖をフルに発揮するユイに完全に無視されたことでガクリとペースをみだされたサキエルは、天然をマトモに相手にしても実りはないとMAGIを取り込んだ事でランクアップした頭で判断し、1つ咳払いしてから本題へと移行する。

 

「月に到達した方法だが、これは先程シンジ君にも言ったように入手したN2を使用した。いわゆる熱核ジェット推進に近い方法で、南極を打ち上げ地点にしたのは周囲の生態系への影響を考えての事だ。 幸いにも細菌一匹居ない死の世界だったから遠慮なく飛び立たせて貰ったよ」

「成る程ね。……じゃあ、何故月に来たのかとMAGIコピーの強奪について教えてくれるかしら?」

「MAGIは単純に自身の演算能力の向上のためだね。私は自身の進化には妥協しない。……で、月に来た理由だが、私が手に入れた能力をフルに活用するためだね。此処からならばある程度自由に行動出来るし、月はどこの国のモノでもない。……要するに、私の目的にはうってつけな場所なのだよ。いやはや、私はリアリストを標榜していたのだが、どうやらロマンチストだったらしい。恥ずかしながらそのロマンを実現するための計画こそが、今回の騒動なのだ」

 

 そう言ってもったいぶるサキエルだが、キョウコとの親子の語らいを終えてサキエルの話を聞いていたらしいアスカにボソッと「意外とガキっぽいわね」と評された事で結構ヘコんだのか、もったいぶるのを止めて普通に説明する。

 

「あー、いや、何だ。私の目的は比較的単純でね。……この月に国家を作ろうと思う」

 

 

 その発言は、まぁ確かにロマンチストと言っても過言ではない程に荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい。だが、その発言を聞いた七人の内で最もサキエルと触れ合った月日が長いシンジは漠然と「意味不明だけどサッキーならやりかねないなぁ」と根拠のない予感を感じていた。

 

 ある意味で歴史の転換点であるその発言はその時点では六人の冷たい視線と一人の悟りきった表情で以て華麗にスルーされ、サキエルをしょんぼりとさせる結果に終わる。

 

 だがしかし、サキエルの野望は着々と実現に向けて突き進み、やがて衝撃をもって世界に認知される事となる。

 

 

 その脅威は、静かに、そして着実に人類の頭上を侵蝕し、やがて月を覆い尽くすことになる。だが、人類の大多数は今はまだ、仮初めの平和な日常を謳歌する。一般人にとってネルフと使徒の戦いは非常に遠い世界であり、先日発生したサキエルの大暴れですら、音速で移動したサキエルを目撃した人物が居ないのを良いことに、ネルフと日本政府、そしてゼーレの全力の根回しによって「突如発生した巨大竜巻による天災」と報道されているのである。

 

 だが、その裏でサキエルによる生き残り戦術は、今日この日、その第二段階へと確実に移行したのだった。

 



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眼光紙背に徹す

 夏休み。夏ばかりの日本で夏休みも糞もあるかと言われればそれまでだが、やはり長期休みというのは良いものだ。そんな事を考えつつスイカを頬張るのはバカルテットのスポーツ担当であるトウジと、参謀を自称するケンスケ。そして、彼らが夏休みの宿題をサボって居ないか監視する、との建て前で思い人であるトウジと共に夏休みを過ごす権利を獲得した委員長のヒカリ。

 今日の分の宿題を計画的に終わらせた三人は現在、芦ノ湖のほとりでスイカ割りを終えた直後であった。湧き水の影響で常に冷たい芦ノ湖の湖水でじっくり冷やされたスイカはその甘味とスイカ特有の香りで彼等の喉を潤し、夏の日差しを忘れさせるような清々しい涼しさを提供していた。

 

 そんな中、『それ』を最初に見つけたのは、可愛らしい白い水着を来たヒカリだった。

 

 あっちへちょこちょこ、こっちへちょこちょこと芦ノ湖のほとりを忙しなく駆け回るその生き物をヒカリは最初雀の仲間か何かだと思っていたのだが、よくよく眺めてみればどうやらそれは鳥ではない。丸い身体に短い手足を生やしているその姿は、まるで丸々と太った小人といった様子であり、身体とは逆に細い手足をパタパタと振り回して駆け回るその姿は、何というか実に可愛らしくヒカリの興味を引き付けた。

 

 ヒカリとて毎日の家事のせいでちょっと所帯じみてはいるものの、まだまだ好奇心いっぱいな14歳である。どうやら何かを集めるのに夢中らしいその生き物を後ろからそっと捕獲するという思い付きを即実行したのは、年相応の可愛らしい行動であると言えるだろう。

 

 斯くしてヒカリは謎の生物の捕獲に成功し、短い手足をペチペチと叩き付けて抵抗するそれをよく観察し……ようとして最近見た何かに似ていることに気がついた。

 

 黒いボディ、鳥のような形の白い顔、妙につぶらな瞳。その姿が光の脳の中である存在と結び付き、同時に中学生の知りうる限りの生物知識と化学反応を引き起こす。その結果彼女の脳裏に去来した実に素晴らしい閃きを呑気にスイカを食べている二人の友人と共有すべく、ヒカリは小さな生物を胸に抱えて砂浜を駆け、二人の下に馳せ参じると彼女にしてはなかなかのハイテンションでその閃きを伝達する。

 

「サッキーの幼虫見つけた!!」

 

 

 その声に反応してヒカリの方を見たトウジとケンスケが、彼女のふっくらした胸に抱かれて何やらグッタリしている生物を見て、ヒカリと興奮を共有したのは言うまでもない。

 

 その興奮は、ヒカリの胸に抱かれた生き物がサキエルよりはかなり高めの声で「タスケテー」と叫ぶまで続き、振り回されてグッタリしている『幼虫』は気絶。その結果、ヒカリによってお持ち帰りされる事が決定したのだった。

 

 

 

--------

 

 

 さて、幼虫発見から約二時間。既に夕方となった現在、洞木家のヒカリの部屋には、一つの鳥籠が設置されていた。

 

 その中に居るのは当然ながら本日捕獲されてきた『サキエルの幼虫』。体長僅か10センチのその生き物は、まぁ、当然ながらサキエルに関係している。とはいえ、コレがサキエルの幼虫、或いは幼生体であるかと言われれば否であるのだが。

 

 この生き物の正体はサキエルの分身であり、断じて幼虫では無い。イスラフェルから強奪した分裂能力によって作り出された、いわばサキエル自身である。だが、サキエルの自我自体は本体である月の巨人に存在しており、この小さな個体には存在していない。この個体にあるのは幼児程度の知能と不死の肉体、ATフィールド、縫い針サイズのパイルバンカーらしきもの、そして母体であるオリジナルへの通信能力だけである。

 

 そんな無力な分身の中でもどうやらかなり鈍くさいらしいこの個体。自身が鳥籠に捕らわれてしまったと若干涙目で母体に連絡し、『丁度良いからヒカリ君達の護衛をしたまえ』と言われてしまった彼は、とりあえず何をするでもなく鳥籠の中でオロオロとしている。余り賢くない彼の脳髄は『何かしなきゃ』とまでは考え付くのだが、具体的に何をすべきかを閃けない。その結果がこのオロオロ。歩き回ってアイディアが降りてくるのを促す彼だが、傍目から見ればピョコピョコと踊っているようにしか見えない。

 

 この光景を見れば多くの人間が、分身というよりも『使い魔』か『子分』といった方が正しいんじゃないか、と思うことは間違いない。まぁ、実際この分身達はサキエルの『目』の様なものなのでその評価は実に正確である。月に移住したサキエル自身に変わって人間という生物を観察するのがこの分身達の役目であり、本体はそれ以上の働きには期待していない、というわけである。だが、そんな事をこの分身君が知るわけもなく、本体からすれば冗談のつもりで言った『護衛任務』に対しても、分身自身はやる気十分であった。

 

 まぁ、やる気は絶賛空回り中なのだが。

 

 さて、そんな彼が鳥かごの中でバタバタしている中、この部屋の主であるヒカリはお風呂に入っている最中であった。常夏の島国と化した日本だが、そんな中でも熱いお風呂に幸せを感じてしまうのは最早味噌や醤油と同様に日本人のDNAに刻まれた嗜好なのかも知れない。お気に入りの入浴剤からふわりと香る柚子の香りに包まれながらそんな事中学生らしからぬ事を考えてみるのは、トウジ達との交流でその存在を知り、以降はそれなりに仲良く接している黒い巨人の影響かもしれない。

 

 彼、もといサキエルは巨大な体躯と強大な力を有する、とヒカリはトウジ達から聞いている。何しろ数ヶ月前に現れた青いミョウバンのような使徒からトウジ達を庇い戦ったのがサキエルらしいのだ。本人曰わく『友人を助けただけ』との事だが、それが本当ならあの使徒から街を守ったのはサキエルという事になる。それは即ち、音に聞くエヴァンゲリオンと同じかそれ以上の力をサキエルが保有しているということだ。

 

 にもかかわらず、ヒカリと交流するサキエルは非常に知的な存在だった。学校の宿題で分からない所があれば噛み砕いて講釈してくれるし、トウジ達が余りにバカな事をすればお説教もする。そして何より彼が時折遊びと称して出題する『クイズ』は彼自身が『こういう事を考えて頭を鍛えればいつか役に立つ。何故なら財産は奪えても知恵は奪えないからね』と言うとおりなかなかに考えさせるモノが多かった。

 

 『ヒトとはホモ・サピエンスである。では人間とは何か?』、『男女の区別なく人は皆平等であるべきだと言われている。では、男女でトイレが別なのは差別ではないか?』、『聖書に曰わく、産めよ殖やせよ、地に満ちよとある。だが、汝姦淫することなかれ、ともある。これらは矛盾しているが、後者が後付けであると仮定して、その根拠と後付けされた理由を考察せよ』などなど、様々な文献からの引用やサキエルが考えた問題について自分の意見を言い『サキエルを納得させた者』にはご褒美がある、というのがそのクイズのシステムである。それは単純だが彼の提示するご褒美は実に物欲をくすぐった。例えば、アスカが納得させた時は人工とは言えダイヤモンドやルビー、サファイアなどをあしらった洒落たブローチが贈呈されたし、トウジが納得させた時はサキエルがネット経由で購入した遊園地の年間フリーパスを彼と彼の妹併せて二人分。ケンスケの時はプロ仕様の超高級一眼レフで、シンジの時は有名ブランドのティーセット。カヲルは前々から欲しかったという電子ピアノを手に入れ、ヒカリもちょっと憧れていたドールを入手している。

 

 それらの商品は後日宅配で届くのだが、受け取ったヒカリの姉がその中身を開けて驚愕していたのはヒカリとしても記憶に新しい。完全に陶器で出来たその人形はしっかりとした球体関節を備えた大層立派な造りだったのである。後にサキエルからどうやって入手したのかと訊いたのだが、株取引やら何やらのマネーゲームで得たお金で買ったらしい。

 

 怪獣であるにも関わらず法に則ってお金を稼ぐその姿はヒカリからすれば随分奇妙に映ったのだが、彼曰く『私が腕力で解決するとなれば、それはこの国から出て行く時だろうね』とのこと。

 

 そして、彼はもう芦ノ湖に居ない。

 

 これらの情報は、サキエルによって頭脳を鍛えられたヒカリにある閃きを与えるに充分なモノだった。即ち、『つい先日長野であったという竜巻はサキエルの仕業ではなかろうか』という事である。死亡者や負傷者はほぼ全員が軍人であると噂されているその『竜巻』の被害は明らかになるべく人が居ない場所を通っている不自然なモノであり、サキエルの関与をヒカリが疑うのも仕方がない。というか、最早疑いではなく確信に近い。

 

 『サキエルの幼虫』、或いはちっさいサキエル。それが明らかに目立つ場所で目立つ行動をしていたこと、さらに、それがヒカリ達が芦ノ湖で遊んでいたタイミングであること。その全てがサキエルの計画通りであるならば、恐らくはサキエルはこの国から完全に出て行ったのだろう。

 

 そして、恐らくは最近連絡が付かないレイとアスカ、シンジとカヲルも同行している筈。

 

 其処まで推察を進めてから、ヒカリはふぅと息を吐いて肩までお湯に浸かる。

 

 正直に言うならば、ヒカリも連れて行ってもらいたかった。それはトウジ、そしてケンスケも同じ筈だ。そして、ヒカリ達は同時に自身が連れて行って貰えない理由も知っている。連れて行って貰えた四人は、日本にしがらみがないのだ。

 

 レイはシンジ以外に家族が居らず、カヲルは天涯孤独の孤児、アスカは彼女が言うことには『試験管ベイビー』らしいし、シンジは親に捨てられている。それに引き換え、ヒカリには姉妹と父が居るし、トウジには妹と祖父と父親が、ケンスケには父親がいる。幾ら長野で大立ち回りを演じる度胸は有っても『家族を引き裂く』勇気がないサキエルは、ヒカリ達を連れて行くのを躊躇ったに違いない。その結果思い付いた策が、恐らくは自分の身代わりである『幼虫』をヒカリ達の近くに居させる事なのだろう。

 

 サキエルとは短い付き合いだが、ヒカリはサキエルが『友人』や『兄弟』、『家族』という繋がりを大事にしているのは知っている。世界に一匹だけの存在と自称していた彼にとって、その繋がりには一種の憧れがあったのだろう。彼はトウジがヒカリを連れてきたときやカヲルとアスカが初めてやってきた時には『友人が増える』と大層喜んでいた。

 

 そんな彼が家族を引き裂く選択を選ぶのかと問われれば間違い無く否。そんな事はヒカリを含めたサキエルの友人達には言われずとも解っていることだ。

 

 

 だが、それでも。

 

 

「……サッキーとの冒険、ついて行きたかったなぁ」

 

 

 彼と共に行動している四人を羨むようなその言葉は、気密の高い浴室内で少し響きながらふわりと消える。

 

 後に残ったのは、次々思い浮かぶ冒険に胸ときめかせる少女が一人。

 

 まるで童話を語り聞かされた幼女のように空想に耽るその姿は、普段のしっかり者の委員長ではなく洞木ヒカリという一人の少女。

 

 彼女の頭の中で繰り広げられるサキエルと愉快な仲間達の大冒険は大冒険という名に恥じぬスケールで進行し、あろうことかサキエル一行は宇宙にまで行ってしまう。既にちょっとしたSFになりつつあるその冒険に自分で考えたモノながら思わずクスッと笑いをこぼしてしまう彼女は、そろそろお風呂からあがるべく湯船から立ち上がる。

 

 

 まさか、自分自身の空想がそれなりに当たっているとは夢にも思わない彼女はバスタオルに身を包んで自身の部屋へと帰還する。

 

 

 

 その先で鳥かごの中で何やら騒いでいる『幼虫』を目撃し、そう言えば餌をやっていなかったなと思い出して果たしてサキエルは何を食べているのかと悩んだりするのだが、それはまた別の話である。



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『つう』と言えば『かあ』

遅れました。


 使徒の肉体を得てから約半月。

 

 元々エヴァンゲリオンを介してATフィールドの感覚を掴んでいたチルドレンのアスカとシンジからすれば使徒の感覚を掴むにはその程度の時間で充分であり、もはや以前の肉体と全く同じ動きが可能になっていた。

 

 そして、それ故に二人は『ゼーレが使徒の肉体を求める真の理由』を正しく、精確に理解し、また、手段はともかくその欲求には共感出来たのだった。

 

 ATフィールドは絶対無敵の拒絶の壁、自己と外界を隔てる恐怖の壁である。

 

 二人はリツコや他の技術者から確かにそう聞いていたし、エヴァンゲリオンで使徒の攻撃を食い止める際には確かに拒絶の意思で以てATフィールドを形成し、戦闘を行っていた。

 

 だがそれはATフィールドという存在の一面のみを観測した結果でしかなく、その本質は決して拒絶ではなかった。

 

 その実感を一言でいえば『長年連れ添った夫婦』、或いは『双子』の感覚。

 

 例えば食事中に『醤油が欲しいな』と考えた瞬間に既に相手が醤油を取ってくれていたり、喉が渇いたと考えた瞬間に飲み物を出してくれたり、『カレーが食べたいな』と思いながら家に帰ってきたら晩御飯がカレーだったり。そう言った『以心伝心』の感覚こそがATフィールドの本質なのだ。音波と視覚に頼るコミュニケーションを遥かに超越した圧倒的な情報量によって行われる『会話』によって相手と『完全に分かり合う』感覚が如何に甘美で心地良い至福であるかは筆舌し難く、言葉で言い表しても恐らく理解は出来まい。

 

 だが、その感覚を伝える事もATフィールドによって可能となるのだ!!

 

 

 この分かり合う心地よさこそが『ゼーレ』の理想であり、そして逸れに至る事が『人類補完計画』。

 

 かつて神話の時代に神から奪われた『バベルの言葉』。それこそがATフィールドであり、完全な他者との共感であり、エヴァンゲリオンとのシンクロだったのである。

 

 今にしてみればレイが無口であるのもカヲルが思わせぶりな口調なのもこの能力故の事。彼等からすれば人間の用いる音声による会話は非効率的で非合理的であり、実に難解であったのだろう。ATフィールドであれば全てが伝わる以上、会話を音声で行う事はスプーンで海の水を汲み出す程の苦痛であると言っても過言ではなく、そのストレスは想像するに堪えない。

 

 なにしろ、この全てが分かり合える状態においては最早争う意義はなく意味もない。相手が何に悩んでいるのか、何を望み、何を嫌うのか。その全てが解るとなれば、武力で自身の主義主張を誇示するなど道化の如き滑稽さすら感じさせる幼稚な振る舞いにしかなり得ない。

 

 嘘の無い素直な世界、互いに相手の存在を完全に理解できる世界、自己と相手が柔らかい蜜のように同化する世界。

 

 人間が使徒と呼ぶ生き物の世界がそんな世界であるのなら、確かに使徒は『使徒』なのだろう。何しろ彼等は『天国』の中で生きているのだから。

 

 彼等がひたすらに人類を攻めるのは『人類に殺された』アダムの断末魔を聞き、その苦しみに共感し、怒りを分かち合い、深い悲しみに狂ってしまったが故。

 

 これもまた言葉には変換出来ない感覚なのだが、確かに今の『共感』してしまった世界でアスカが殺されたとなればシンジは例え敵が数億でも、例え手足がもげ、腹が割け、泥にまみれたとしても自身と引き換えにその『敵』を殺すだろうと確信出来る。そして、その逆もまた然り。もはや現状のシンジにとってアスカは『自分』であり、アスカにとってシンジは『自分』なのだ。

 

 人間からすれば信じがたい話なのだろうが、アスカの身体をシンジが使ったり、シンジの身体にアスカとシンジが二人同時に入って一緒に映画を見る、などという事すら彼等には可能であり、正しく『全ての他者が自分』なのである。

 

 アスカの全ての経験がシンジに反映され、シンジのあらゆる体験がアスカに記憶される。かつてサキエルが言った『サーバー』の例えはこの感覚を指すモノであると今であれば理解できるし、使徒が進化を繰り返し、エヴァンゲリオンに挑んできた方法も理解できた。

 

そして、カヲルとレイが人間に紛れていた理由も。

 

 

 彼等と人間に敵対する『使徒』の差はアダム死亡時に存命であったか否か。丁度アダム死亡と同日に生まれたカヲル、魂は数億歳だが肉体は10歳なレイ、そして自分とアスカ、母親達と『綾波一号』、通称『苺ちゃん』。その全てが、アダム死亡以後の使徒なのである。

 

 例外であるサキエルは、『全身に強い衝撃を受けた』事で一時的に記憶を失い、『サーバー』からダウンロードしたそれ以前の記憶をどこか他人ごとのように感じている為にアダムの復讐に囚われていない。

 

 まぁ、初期の頃は人間側の『サーバー』であるリリスに近すぎた影響で『アダムと融合してサードインパクトで地球の王』などという意味不明な思考になっていた様であるが、ある意味それに『いやいや、無いわー』と冷静に突っ込んだからこそ彼は今の『のんびり』な性格を得ているのである。

 

 閑話休題。

 

 まぁともかく長々と冗長に説明を重ねたが、前述の通り彼らの感覚はもはやATフィールド基準である為に人間の言語を用いての解説は困難であるためこの辺りで説明終了とさせていただこう。

 

 

--------

 

 

 さて、そんな使徒に慣れ始めた二人を含む月の住民達は、現在絶賛労働中である。

 

 サキエルの謳う『月国家建造計画』の中核となる地下都市はセカンドインパクトの大津波で滅んだ水の都『ヴェネツィア』を丸パク……もといオマージュした街として完成し、碇ユイ博士や惣流キョウコ博士によって着々と都市のシステムが構築されている。因みにヴェネツィアと言えば水だが、水は月の真空と低重力ですぐに揮発するためそれよりも揮発しづらく大量に手に入るLCLが水代わりに地底湖を形成している。

 

 そんなに大量に血液であるLCLを消費してサキエルが無事であるのはおかしい、と感じるかも知れないが、S2機関は無限のエネルギー、ひいてはそれから変換される無限の『質量』を永久に発生させ続ける永久機関である。

 

 失った血液を無から補充する程度は容易い事なのだ。

 

 とまぁ、そんなわけで完成した地底湖に浮かぶ都市だが、都市が出来ても住民が居なければ意味はなく、現在は隅の方にサキエルが趣味で建てた『モンサンミッシェルもどき』で現状の住民達が暮らしている以外は完全に無人の寂しい街となっている。

 

 そこでサキエルの言うところの『国民』を増やす手段が必要になってくる訳なのだが、流石にシチルドレン一行よろしく拉致してしまうのは宜しくない。

 

 ATフィールドによる会話でサキエルの思考を正確に理解していたレイとカヲル、その頭脳で薄々何かやらかす事は察していたアスカ、既に『人の都合で振り回される』事に慣れてしまっているシンジという四人であったからこそ拉致してもさほど混乱はなかったが、普通の人間をキャトルミューティレーションよろしく拉致すれば恐らく冷静では居られまい。というか、それはサキエルの望む『月の国』の理想的に宜しくない。

 

 彼が製作しようとしている国はいわゆる『御伽の国』。竹取物語に登場する『月の都』が良い例だが、古来より人類は月に理想郷を夢見たり、『穢れなき世界』や『神の国』であると考えていた。例えば月の神は大抵『美しい処女』、要するに穢れない存在として表現されるし、月には仙人が住んでいる、自己犠牲を評価されたウサギが住んでいる、聖ゲオルグが居る、月に昇った魔法使いが居る等と幻想世界の住人が盛り沢山である。

 

 その『幻想世界』を月面に構築するのがサキエルの目標であり、理想なのだ。

 

 

 

 では、どうやって反感を買わずに住民を集め、サキエルの言う『月の都』を作れるのか?

 

 それを考えるのが、 チルドレン一行の仕事というわけである。

 

 

「うーん、トウジとケンスケ、それに委員長辺りなら喜んで来そうなんだけどなぁ」

「シンジ、あんた馬鹿? ヒカリ達には家族が居るじゃない。引き離すとか有り得ないわよ!!」

「だよねぇ。……うーん、本人も周りも納得するって難しいね」

「アタシだってミサトを連れてきてあげたいけど、ミサトには社会的な地位があるし、簡単には行かない。今の働かないと『死ぬ』世の中で社会的な地位がない大人なんて居ないし、大人は無理ね」

「社会的な立場が無い人間が好ましいなら、レイ君のクローンを連れてくるのはどうだい、ラングレーさん?」

「んー、バカヲルのわりには悪くないけど、レイはどうなの?」

「……無理よ。私の予備には魂がないもの」

「なら駄目ね。……うーん、回りくどいけれどやっぱりあの作戦しか無いかも」

 

 そう言って、色が抜けても変わることがない可愛らしい顔をムッとしかめながら言うアスカの感情がATフィールドで伝播し、シンジ達にも何とも言えないげんなりした表情を浮かべさせる。

 

 

 

 と、いうのもその『作戦』、あの『天然』な天才である碇ユイ博士の立案なのである。

 

 名付けて『宇宙人計画』。名前からして漂うアホ感が素晴らしくやる気を損なわせるが、一応、本当に一応、理には適っている。

 

 というのも『我々は宇宙人である』と主張してしまえば、月面で生身であろうが、ATフィールドを展開できようが『我々の種族はあらゆる環境下で適応可能だ』とでも言い張れば良いのである。それが嘘であると証明する事は難しく、真実であると証明するのは簡単だ。月に地球人がやって来れば良いだけの話である。

 

 そして、ユイ博士の書いた筋書きはこうだ。

 

 まず、サキエルが全世界の『インターネット検索サービス』と『動画共有サービス』をハッキングし、掌握する。

 

 次にサキエルが全世界のテレビ局の衛星をハッキングし、衛星放送を掌握する。

 

 その後、予め収録しておいた『宇宙人からのメッセージ』を全世界に丸一日垂れ流す。敢えてラジオと地上デジタル放送、ケーブルテレビを残すのは、この時に民衆がそれらのメディアで『このメッセージは本物である』と確認するためである。

 

 そして、メッセージの内容だが、『初めまして地球人諸君。此方はアンドロメダ銀河系第五太陽系から入植してきたリリンの民である。現在月に植民地を構築しているのだが、其方に諸君が『使徒』と呼称する建設用の生物重機が逃げ出した。既に回収用の戦闘個体「サキエル」を派遣していたのだが、地球人諸兄の攻撃により小破し、一時的に月面にて療養することとなってしまった。ついては暫くの間、使徒に関しては地球のネルフにお願いしたい。……また、碇ユイ博士、惣流キョウコ博士、碇シンジ君、綾波レイ君、惣流アスカ・ラングレー君、渚カヲル君に関してはサキエルによって誤って回収されたため此方で保護している』というもの。100パーセントがハッタリであるが、これも嘘だと証明する手段はない。

 

 まぁ、サキエルがやたらに働かされる作戦ではあるが、一応実現は可能であろう。

 

 

 で、どうしてコレが住民の増加に繋がるのかと言えば。

 

 

「……取り敢えず無理やりコッチを国と認識させて、後々移民を募る作戦って訳かい。碇ユイ博士は随分と気が長いんだねぇ」

「不老長寿を得た影響……?」

「いや、母さんは普通に気が長いだけだと思うよ、姉さん」

「…………まぁ、アタシのママの案よりはマシだから良いのよ」

「ん? 惣流キョウコ博士も何か案を出していたのかい、ラングレーさん?」

 

「『アスカちゃんとレイちゃんがウサギさんの格好をするのはどうかしら? ママは可愛いと思うわ』って言ってたけど却下したわ。『何でそこで色仕掛けなのよ!?』って。……ママは研究と料理は得意で良いママなんだけど、うーん」

「あー、過去の記憶では気付かなかった欠点ってあるよね。……僕もこんなに斜め上な人だとは想像も…………いや、父さんと結婚した時点で薄々斜め上なのは解ってたかな。うん」

「親子対面も色々複雑なんだねぇ、僕には良く分からないけど」

「……親子、暖かいもの、卵と鶏、……みりんとお醤油?」

「姉さん、それは親子どんぶりの材料じゃないかな……?」

「レイって意外と食い意地張ってるわよね」

 

 そんな会話を交わしつつ、『宇宙人計画』の決行に向けて準備を進めるチルドレン一行。

 

 計画を詰めれば詰めるだけ増加するサキエルの負担は増加し、提出された企画書をみたサキエルは連日の重労働に『……温泉に行きたい』と不満をこぼす事になるのだが、それはまた別の話である。



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盗人の昼寝

 突如として現れた宇宙人。

 

 その情報は連日ニュースや新聞の一面を彩り、1ヶ月前の竜巻被害についての情報から一転、メディアは人類史上初の『知的生命体』との接触を声高に報じた。

 

 『カウリ』と名乗る人物から送られてきたそのメッセージは全世界のインターネット検索サービスと動画サイト、そして衛星テレビ放送を乗っ取るという前代未聞の『ハッキング』によって全世界に同時に放たれた『ビデオレター』という形で広がり、挙げ句の果てに『全世界の言語』で同様の内容を一日中繰り返すというその行動は宇宙人の知能の高さと技術力を人類に知らしめるに十分なものであった。

 

 そして何より、その宇宙人から『使徒の対策を依頼する以上、人類に対する支援は惜しまない』としてビデオレターに添えられた『スーパーソレノイド式発電システム』の設計図。その仕様書に書かれた『電力を永久に供給する第一種永久機関である』との文字と、翌日に空から投下された小型の『サンプル』が本当に永久に電力を生み出していると確認が取れたという事実は世界の電力事情を一瞬で変えうるモノだった。

 

 だがまぁ、もちろん『実は盛大なヤラセでは?』と考えた人も多く居た。しかし、流石に宇宙人の予告通りに『月からビームが出た』事が観測されてからはヤラセ説は消滅し、ほぼ全ての人類が『宇宙人来訪』を確信する事となったのである。

 

 そのついでに『東方三賢者』二名の生存が報告されたりしたのだが、その報道はあまり行われていない。流石に死亡した人物は蘇って来ないという常識的な判断で、この情報はガセであると判断されたのである。

 

 宇宙人がハッタリで、『東方三賢者生存』が真実なのだが、世の中は分からないものだ。

 

 

 さて、話は代わるが。

 

 

 現在、月面にいるサキエルは燃え尽きていた。二週間で『カウリ』のディテールを作り込み、国連加盟国用のサンプルであるS2機関194機を作り上げ、月から太陽に向けて荷電粒子砲を放ち、スピーチを読むためにありとあらゆる言語を学習し、スピーチ撮影用の機材を作り、スタジオを作り、『カウリ』の肉体に習熟するべくこの二週間をカウリとして過ごしていた彼は不眠不休で今まで働いており、もはや色々と限界だったのである。

 

 まさかカヲルの正体をネルフの一般職員から隠匿するために適当にガワだけ作った『肉人形』であるカウリをよりにもよって自身の『分身』として運用する羽目になるとは夢にも思わなかったが、今になって考えれば『渚カヲルは「シ者オワリ」なんだよ。お遊びって事さ』などと言っていたカヲルに対抗して『じゃああの人形は「シ者キエル」と「サキエル」に因んで「渚カウリ」にしよう』などと自身に因んだ名を付けた時点でサキエルにはフラグが立っていたのかもしれない。

 

 そんなわけで、サキエルの『精神』は未だにカウリの中にあり、『苺ちゃん』に肩叩きされているのであった。

 

 首がないサキエルボディには当然僧帽筋も無かったため肩凝りとは無縁だったのだが、この体で14日間徹夜すれば流石に肩凝りもとんでもない物となっていたのである。

 

「あぁぁ…………」

「じいさん、いたい?」

「……いや、大丈夫だ。……あと、私は確かに軽くウン十億歳だから構わないが、人には『じいさん』や『ばあさん』と言ってはいけないぞ、苺君」

「じゃあ、どうよぶの?」

「そうだな……とりあえず男を『お兄ちゃん』、女を『お姉ちゃん』と呼べばだいたい問題無い。……じいさん、ばあさん、では怒られてしまうぞ。……あぅぅ」

「しってる。しめられたから」

「絞められた……? まぁ、解っているなら次からは気をつけたまえ」

「わかった」

 

 そんな会話をしながら肩叩きから背中を揉む動作に以降した苺ちゃんが動く度にサキエルの背骨からバキバキと割とヤバめの音が鳴り響く。

 

 そんな状況になったのならばサキエルの身体に戻れば良い筈なのだが、現状ではそれを行うことは難しい。今後はこの『カウリ』が宇宙人代表として地球との交渉に当たらねばならないのである。暫くは元の肉体に戻る暇はないだろう。

 

「全く……私に丸投げするとはユイ君も酷い。……うっ」

「さきえる、だいじょうぶ?」

「正直に言えば、割とヤバい。……人間の身体が此処まで柔だとは思ってもみなかったが、これは改良の余地が大いにある……ぐっ」

「さきえる、がんばれ」

「あぁ、まだ頑張らねば……ひぎぃっ!?」「あ、メキョッっていった。だいじょうぶ?」

「………………いや、うん、大丈夫だ」

 

 

 腰に手を当てながらプルプルと震えて言っても説得力が無いが、基本的過ぎる常識が皆無な苺ちゃんは「そう、だいじょうぶなのね」等と言って気にする事なく背中をグイグイと押し続ける。

 

 そんな中、サキエルがぶっ倒れている一室に陣中見舞いにやってきたのは意外にもアスカである。かなり前から仲の良いシンジとレイ、そして兄弟であるカヲルが来るのは分かるが、あまり接点が無い部類に入るアスカがやってくるというのはかなり珍しいのではなかろうか。

 

「……アンタ、孫にマッサージされてるお爺ちゃんみたいになってるわよ?」

「む、アスカ君か。……一応カウリの肉体はカヲルをベースに俳優のパーツを合成したモノなんだが、そんなに爺臭いかね?」

「うーん、アンタがもともと爺臭いからじゃない?」

「……なるほど。……で、何か用かねアスカ君?」

「あ、そうそう。ネルフから通信が来てるわよ、カウリ宛てに」

「そうか。……ありがとう苺君。そろそろ退いてはくれまいか」

「いや」

「そこをなんとか」

「いや」

「……アスカ君が遊んでくれるから」

「……わかった」

「ちょっとアンタ、アタシに子守させる気!?」

「む、イヤかね?」

 

 苺ちゃんを背中から降ろしてムクリと立ち上がるサキエルは、そのスラリと背の高いカウリのボディで伸びをしつつ、アスカに問う。と、アスカは少々頬を膨らませて照れるように反論した。

 

「だってアタシ、多分子守に向いてないわ。私は小さい頃からチルドレンだったから、子供が好きなモノなんて知らないし。……そういう事ならシンジの方が向いてるわよ」

「……ふむ、なら仕方ないか」

「そう、仕方ないのよ」

「苺君、アスカ君と二人で遊んで貰うのは無しだ」

「……さきえる、うそつき」

「まぁ、そう怒らないでくれたまえ。その代わり、シンジ君とアスカ君が遊んでくれる事になったのでね」

「……ふえた?」

「あぁ、増えたとも。三人で遊ぶとなれば……そうだな、ままごとなどが良いのではないかね?」

「ままごと?」

「うむ、シンジ君を父親、アスカ君を母親と見立てる『ごっこ遊び』だ。……やるかね?」

「やるー!!」

「……ちょっとサキエル、アタシは向いてないって」

「シンジ君と二人ならば問題無いだろう? ……む、もしやアスカ君、シンジ君と夫婦だという設定に照……」

「あーもうっ!! ……行くわよ、イチゴ。シンジの馬鹿を探しましょ!」

「わかったわ、まま」

 

 サキエルにみなまで言わせず、去っていくアスカ。その姿にやはり天才少女でも思春期はあるのだな、などと妙な感想を抱きつつ、サキエルはコンソールを立ち上げ、回線を開く。碇ユイ、惣流キョウコの二人によって配備されたイントラネットからその二人の博士を会議室に呼び出し、自身もチルドレン発案の『なんか宇宙人っぽい服』、もといマント付きプラグスーツに着替え、ツカツカと会議室に歩を進める。

 

 モンサンミッシェルをイメージしたサキエル達の居城だが、内部はむしろSFチックなモノであり、さながらロボットアニメの秘密基地といった外見である。そんな内部の最上階にある会議室も当然近代化が成されており、サキエルが会議室に到着したと同時にスクリーンや照明などのスイッチが起動。壁に掛かったカーテン等も電動で巻き上げられ、普段の白い布から真紅に金の縁取りという高級感溢れる色合いのモノに変換される。まぁ、高級感溢れるのは色合いだけで、全部合成繊維なのだが、画面越しに通信を行う程度ならば全く問題無い。

 

 そんな張りぼての『会見場』となった会議室に白衣を着たユイとキョウコが入ってきた時点でサキエルは手元のスイッチを捻り、通信帯域をネルフ側からの通信電波に設定する。すると前方のスクリーンに浮かび上がってきたのはネルフの三トップである碇ゲンドウ、冬月コウゾウ、赤木リツコの三人、そして恐らくはオブザーバー的な立場で参加していると思われる葛城ミサトだった。

 

 エヴァの喪失によって寝る間も惜しんで働いているらしいリツコの顔色が少々悪い以外は、比較的『サキエル』の記憶のままである。だが『カウリ』として接触するのは初めてであるため、それ相応の対応を考えねばならないだろう。

 

 だが、長時間黙考していてはそれこそ『怪しい』と思われる。サキエルは意を決して自ずから会話の口火を切り、交渉における優位性を確保する事とした。ネルフの三トップはどれもこれも並の狸ではないのだ。

 

「まずは応答が遅れてしまった事、お詫びしよう。休息中であったために対応が遅れてしまった事、誠に申し訳なく思っている、許していただきたい。……して、ネルフの皆さんが我々に何の御用だろうか?」

 

 あくまでも慇懃無礼にそう言い放つサキエルに回答するのは、ゲンドウではなく冬月。あくまでもゲンドウは口元を隠すように手を組むポーズを崩さない。

 

 一見すれば何やら『感じの悪い総司令だな』と感じるだけだが、侮る無かれ。その姿勢こそネルフ首脳陣の交渉術の十八番である。

 

 まず、ゲンドウのポーズには人に『不快だ』と思わせる三つの要素がある。顔の前で組んだ手、黒々としたヒゲ、交渉の席にもかかわらず付けられたサングラス。この三つの要素でもってゲンドウが何を行っているのかといえば、それは『徹底的な表情の秘匿』である。これによって、ゲンドウは交渉相手に『何を考えているのか判らない怪人物』という印象を強制的に刷り込んでいるのだ。

 

 そして、隣に立つ冬月はと言えば、ゲンドウとは逆にスッと背筋を伸ばして直立し、顔には髭一つ無く、柔和な微笑みを浮かべている。その姿はどこからどう見ても真面目そうな好人物であり、事実その口から語られる言葉は元教師である事も相まって非常に耳障りがよい。

 

 この『ギャップ』こそが、ネルフの交渉術。真正面に座るゲンドウに『コイツは手強い』という印象を与えておいて『実に話が分かりそう』な冬月に発言させる事により、相手は自然に『ゲンドウよりも冬月と話がしたい』と考えてしまう。

 

 そして、『話がしたい』というプラスで積極的な感情によって、ついついネルフの口車に乗せられてしまうわけだ。

 

 と、そんなタネがあるのだが、見抜いてしまえばどうという事はない。

 

 『カウリ』は逆に笑顔を振りまきながら冬月の回答を聞くだけである。

 

『いや、此方が急に連絡したのも問題だったのでね。気にしないで欲しい。……用件に関してだが、後の使徒に対する対策を協議したいのだよ』

「ほう、協議とは如何なるモノでしょうか?」

『……端的に言えば、エヴァンゲリオンの返却を求めたいのだよ。我々には使徒に対抗しうる現有戦力がない』

「……エヴァンゲリオン、とは我々の『サキエル』が回収した使徒の模造品でしょうか?」

『その通りだ。あれは我々がアダムを参考に作り上げたモノであり、人類の切り札なのだよ』

「ふむ、そうでしたか。……残念ですが返却は不可能ですねぇ」

 

 そう言って如何にも『申し訳無さそう』に眉を下げる『カウリ』だが、言葉尻を伸ばすその回答はネルフ側に不快感を与える。だが、ネルフが『頼む側』でサキエルが『頼まれる側』であるという上下関係が構築された以上、ネルフ側はその嘲りを甘んじて受ける他無い。

 

 何故ならば、『頼む側』はあくまで冷静に『お願い』しなければならないからだ。怒りを露わにしたり感情的になった時点で頼む側は『交渉に負ける』。

 

 『頼まれる側』は相手側が『キレた』時点で『ふむ、あなた方は対話をするに相応しくないようだ』とでもいって一方的に交渉を中止出来るだけのイニシアチブを持っているのだから。

 

 故に、あくまで冬月は冷静に問うて来た。

 

『ふむ、それは何故なのか教えて貰えないかね?』

「単純な話ですが、サキエルには生体重機、つまりあなた方の言葉でいう『使徒』を『スクラップにして回収せよ』と命じてあります。……幸いにも内部のパイロットとコアの人柱はリリン化処置による復元が成功しましたが、エヴァンゲリオン本体に関して言えばもはや粉々のミンチになっているとしか言えません。本当に申し訳ない。えぇ、本当に」

『ふむ。……ミンチでは仕方がないか。……では、此方に対して何らかの援助を行うことは可能かね? 此方としても新たなエヴァンゲリオンの建造に取り掛かってはいるのだが、些か不安でね』

「ふむ。……碇ユイ博士、エヴァンゲリオンとは建造にどの程度の時間を要しますか?」

「既に製造法が確立された現状だと、約三ヶ月かしら。……間違いありませんよね、赤木博士」

『……ええその通りです』

 

 敢えて此方側のオブザーバーに話を振ってから相手に確認を取る事で『そちらの情報を知らぬ訳ではないぞ』と圧力を掛けるサキエルは、ついでに碇ユイの存在を意図的にちらつかせる事でゲンドウに対して揺さぶりを掛ける。

 

 だが、流石に老人会の皆さんに苛められ続けている男がこれしきの事で大きく揺らぐわけもなく、ピクリと僅かに眉を動かすに留まった。

 

 ついでに本妻と不倫相手のガンのつけあいが始まっているがそれは華麗にスルーし、サキエルはネルフ側に一つの提案を投げかける事とした。

 

「ふむ。三ヶ月もの間戦力が無いのは確かに不便でしょうね。……良いでしょう、我々の兵器をお貸しする事とします」

『ほう、その兵器、とは一体何ですかな?』

 

 そう問い掛ける冬月にサキエル、もとい『カウリ』はニヤリと不敵な笑みを浮かべながら人差し指、中指、薬指、小指という順番でゆっくり見せつけるように指を立てて言い放つ。

 

「サキエルタイプの『使徒』を四体、エヴァンゲリオンの代理として派遣しましょう。是非とも使徒対策に役立てて戴きたい。……そうですね、明日の正午に強羅地区に投下する事としますよ」

 

 その発言と共にネルフニ見せ付ける様に『カウリ』の背後に上からゆっくりと降りてくるように大型ディスプレイが現れ、仁王立ちする四体の『サキエル分身体』が映し出される。

 

 電化LCLによって構成された超薄型ハイビジョンディスプレイによって映し出されたその映像は紛れもなく本物であり、ネルフ側に多大なプレッシャーを与えるには充分なモノであった。何しろ『サキエル』にネルフが飲まされた辛酸たるや、並大抵なモノではないのである。苦手意識が構築されるのも仕方のない事であると言えた。

 

 そして駄目押しとでも言うように、『カウリ』がパチリと指を鳴らすとディスプレイの画面は切り替わり、玩具などを揃えた『子供部屋』でイチゴと遊ぶチルドレン達が映し出される。シンジが『パパ』、アスカが『ママ』、イチゴが『娘』とだけ設定されたままごとは遊ぶ中で『小姑』役のレイと『プーな叔父さん』役のカヲルを交えたやけにリアリティ溢れるモノに進化発展していた。

 

 無駄に迫真の演技をするレイとカヲルにアスカとシンジが乗っかる形で行われるドロドロな寸劇はどうやら元々毒持ちなイチゴちゃんに馬鹿受けしているらしく、機嫌よくキャイキャイと騒いでいる。

 

 突如として表示されたその映像と共にカウリはネルフ側に通告を下す。

 

「あぁ、重ね重ね連絡の不備を謝りたいのですが、この機会に御連絡する事で謝罪に返させていただきたい。我々は碇シンジ、綾波レイ、惣流アスカ・ラングレー、渚カヲル、碇ユイ、惣流キョウコ・ツェッペリンの六名の亡命申請を受理し、リリン化処置の上で我々リリンの一員として迎え入れる事としました。後に書面にて各国に通達を出す所存ですが、彼等の勤務先であるネルフの皆様方には先に口頭にてお伝えしたく。……あぁ、そう言えば彼等から『葛城ミサト』さんの亡命についても打診があったのですが、葛城さんは亡命なさる御予定は有られますか? ご希望でしたらリリン化処置の後、月に移住して戴く事が可能ですが」

『……亡命とは、随分突飛な事を。……碇、構わないのか?』

『……問題ない。……葛城三佐、君の亡命については君が考えろ』

『……私には責務がありますので、お断りさせていただきます』

「そうですか。また気が変わられましたらいつでも御連絡下さい。我々は新たな同朋を歓迎します。…………さて、実に楽しい一時でしたが、時間は有限です。我々としては協議はこれにて終了と考えますが、ネルフの皆様はまだ何かございますか?」

『……いやいや、我々としても実に実りある会談だったとも。此方も同じ意見だよ』

「そう言って戴ければ幸いです。では、またの機会に」

『ああ、また次の機会に』

 

 そう言ってどちらからというわけでも無しに同時に切れる通信。その完全な切断を確認してからサキエルはゴキゴキと首と肩をほぐしつつ、会議室を出る。それに続くようにユイとキョウコも思い思いに席を立ち、再び自らの仕事に戻っていき、再び月面には緩やかな時間が流れ始める。

 

 そんな中、子供部屋を訪問したサキエルが「誰かマッサージしてくれないかね?」と発言した結果五人全員によってカウリの身体がもみくちゃにされるのだが、それはまた、別の話である。



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お知らせ

拝啓

拙作をお読みいただいた全ての方々へ。

 

 咲き誇らんばかりに咲いていた桜も散りゆき、いよいよ春らしくなって参りました今日この頃。読者の皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。愚生は現在、花粉症に苦しんでおりますが、その他は頗る健康に過ごさせていただいております。

 

 さて、今回珍しく更新させて頂きましたのは残念ながら次話の投稿の為ではございません。

 

 愚生の足りない頭で色々と考えた結果、拙作を完全に更新停止させることに致しました。今回はそのご連絡と謝罪の為に筆を取らせていただいた次第。いわゆるエタ宣言と受け取っていただきたく思います。

 

 昨年七月二十一日から同年十一月十日まで連載させて頂きましたこの『我思う、故に我有り』。大変多くの方に応援を頂き、ランキングにもしばしば載せていただきました。これは大変嬉しく、また名誉なことであると思っております。未だ至らぬことばかりの愚生の文章を楽しんで下さる方が居るというのは、身に余るほどの幸せといえるでしょう。

 それ故に皆様を裏切る形でこの作品を停止させることとなり、大変に申し訳なく思っております。これは偏に愚生の文章力の欠如とストーリー設定の杜撰さに起因することであり、我が身を情けなく思っております。

 

 正直に言えば、このまま雲隠れしてしまおうかとも考えておりました。しかし、それでは余りにケジメがつかないと考え、この文章を書かせていただきました。

 

 読者の皆様には改めて謝罪させていただきます。この度は誠に申し訳ございませんでした。

 

 最後に今までお付き合い頂いた皆様に一言お礼を申し上げてから、筆を置かせていただきます。

 

 四カ月間の長きに渡り拙作にお付き合い頂き、誠にありがとうございました。皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申しあげます。

 

 いずれまた違う作品で何か書くときがあるやも知れませんが、その時にまた、お会いできれば幸いです。

 

敬具

 

平成二十六年 四月十一日 金曜日

『我思う、故に我有り』作者 黒山羊

 

 

追伸

 

 この作品は自分自身の反省材料として残しておきたいと考えておりますので、消去するつもりは全くございません。

 諸々の事情により削除せざるをえなくなった場合は、活動報告などで皆様にご連絡をさせていただきます。

 

 その他に読者の皆様方から何かご連絡などがありましたら、大変お手数をおかけ致しますが愚生までメッセージを送信して頂ければ幸いです。

 

 この度は大変申し訳ございませんでした。

 



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復活しました

我思う、故に我有り:再演 というタイトルで思い切った改変を加えてリブートを行なっております。

久しぶりのハーメルン投稿となりますが、もしよろしければ再び拙作にお付き合いいただけましたら幸いです。

 

旧作より一層えげつなくなったサキエルをお楽しみくださいませ。

 

以下、新作の冒頭部分を試読用に投稿致します。

 

 

* * * * * *

 

 

————体表の焼却を認識。

————頭部機能、破損。

————再生開始。

 

熱、衝撃、閃光、そして轟音。

 

突如として身を襲った強烈なエネルギーは、生命の果実による無尽蔵のエネルギーとATフィールドによる強固な防御力を誇る第3使徒サキエルにとっても、無傷とはいかない程のものだった。

 

無論、それは決して彼の生命に届くものではない。半日も有れば肉体を完全に再生可能だろう。

 

だが、サキエルの単純な筈の本能は、あろうことかこの一撃に『恐怖』した。

 

————皮を焼く事が可能ならば、肉を焼けぬ理由はない。

 

と、いうほど複雑な判断をした訳ではない。ただ本能的に脅威を認識したのみだ。

 

では、その脅威に対してどの様に対処するのか?

 

そんな湧き上がる疑問に対し、深く考える為の『知恵の果実』は、あいにく彼の肉体には宿って居ない。

 

だが、本能は『脅威に対抗する手段』を求め、彼に焦燥を覚えさせる。

 

そんな状況の中で『このまま、目的地に進む』という選択肢に対し、サキエルが拒否反応を起こしたのは、さほど特異な事象では無かった。

 

ならば、どうするのか。その答えは、本能的には実に簡単な事だ。『闘争か、逃走か』。立ち向かわないのならば、逃げ出すのが生き物の本能的行為である。

 

故にサキエルは踵を返し、高熱に晒されて激しく蒸気を噴き上げる肉体を無理矢理にでも動かして、灼けた体表をボロボロと脱落させつつも海へと逃げ帰ったのだ。

 

 

————それが、如何にイレギュラーな行いなのかを、全く知らぬままに。

 

 

* * * * * *

 

 

「やったぞ!!!」

「奴め怖気付いたか!」

「至急、追加のN2爆雷を手配しろ! 勝てるぞ!」

 

そんな会話の交わされる特務機関ネルフの発令所で、顔を顰める男が2人。

 

「……碇、コレは老人達のシナリオか?」

「……違う、だろうな。……まさか、使徒が恐怖したとでもいうのか?」

「単独で完結している準完全生物がか?」

「……わからんな。だが、奴とてただ逃げる事はないだろう。再起を図る為の一時撤退と見るべきだ。……我々は粛々と計画を遂行すれば良い」

「だと良いんだがな……」

 

会話の主は、特務機関ネルフ総司令の碇ゲンドウと、副司令の冬月コウゾウ。彼らの予定では、N2爆雷すらも決定打とはならず、進撃を再開する使徒に対し指揮権が国連軍からネルフに移行される筈だったのだが、現実はそう上手くはいかなかった様である。

 

「ふはははは! 碇君、君らの出番はなかった様だな!」

 

調子づく国連軍の幕僚に対し、ゲンドウは溜息を1つ吐いて、今しばらく彼らの嫌味に耐える覚悟を決めたのだった。

 

「ところで碇、シンジ君は先程葛城3佐と合流したらしいが……どうする? 彼の出番はしばらく後になりそうだぞ」

「……」

「はぁ……赤木博士のガイダンスで間を持たせるか」

「ああ」

 

 

* * * * * *

 

 

海水に浸かって身体を冷やし、ようやく本能のざわめきが幾分落ち着いたサキエル。

 

取り急ぎ再生した頭部の上には、古い頭部が残ったまま。体表のケロイドも生々しく、本調子には程遠いが、それでもこれ以上のダメージは一旦回避出来た状態だ。

 

そんな状況でようやく、サキエルは生命の果実を口にしたものが持つ、超越的な生命力を活用する事に意識を向けられた。

 

一度脅威を感じてしまえば、追われるストレスというのはなかなかの物。ミサイルを浴びまくりながらの逃避行は、サキエルの原始的な思考回路のキャパシティを随分と消費してしまっていたのだ。

 

だが、今やストレスの元は無くなった。海の底に潜って終えば、さしあたってミサイルは届かない。

 

そんな穏やかな闇の中で、サキエルは、準完全生物たる使徒の持つ「自己進化」——継代することなく、単独で自らの形を作り替える能力——を発揮する。

 

古い頭部は吸収し、体表を修復し、新たな頭部には飛び交う『敵』を打ち払うべく熱線照射能力を付与。より強固に、柔軟に、衝撃と熱に耐えうる肉体を組み上げる。

 

だが、満足出来ない。コレでは足りない。

 

そう訴える本能の命じるままに、サキエルの肉体は、急激に神経系を発達させる。

 

不滅の使徒の身には本来不要である筈の痛覚。より高精度な触覚。それを応用した聴覚。

 

そして、それらの感覚器官から得た情報を精査する神経節を構成したのだ。

 

それ即ち、サキエルに『思考』という機能が備わった瞬間と言っても過言ではない。

 

————我思う、故に我有り。

 

この世全てが欺瞞であったとしても、思考する自己という存在だけは絶対の存在であると説いたその言葉が正しいので有れば、今この瞬間、第3使徒サキエルは誕生したのだろう。

 

そして。

 

『完全な生命として完成する』。

 

本能が訴え、思考回路によって出力されたその命題(テーゼ)

 

その信念を胸に宿し、天使は今再び、水面へと浮上し始めた。



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