鋼鉄戦記 (砲兵大隊)
しおりを挟む

第一章 第一話

★―1923年6月 北方軍管区ノルデン戦区/第三哨戒線―★

「ノルデンコントロールよりトイフェル01!そこは既に戦闘地域です。すぐに退避を!」

多数の魔導反応の中でさえ明瞭に聞こえてくる通信にアリベルトは舌を巻く。山間部の上に、ブリザードが吹いているにも関わらずここまでの精度、他国とは五年以上の技術格差をつけているに違いない。
それでも、垂れ流される通信では、高度6千フィートにおいて宝珠を輝かせながら高速で移動することを止める理由にはならないのだ。
装備は訓練用の宝珠に小銃のみで手榴弾すらない。退避は許されている、にも関わらず戦地に向かおうというのだ。死に急ぎ野郎あるいは稀代の阿呆と誹りを受けるだろう。
アリベルトにはこの状況で命令違反をしてでも功績を得る必要があった。勿論身勝手な、人に言えば馬鹿にされる理由だが。

「トイフェル01、通信不良につき正確な情報の伝達が行えていない。軍事規定に従い現場における独自行動を行う」

「ノルデンコントロール、トイフェル01通信を……ザッザ……」

うろ覚えの知識から魔導式を作ることでノルデンコントロールへの通信妨害を自ら行う。訓練用の宝珠では使用術式が記録されないのが幸いした。
一つの尾根を越えると状況は一変する。相変わらず大地は一面の白銀景色であり、美しい景色に目が惹かれたことだろう。
しかし今や多数の火砲の硝煙により空は薄暗く黒い靄で覆われ、多数の魔導による光と泥と血が大地を汚している。
訓練?馬鹿らしい。これは実戦だ。緊迫した祖国の外交は失敗し、汚らわしい協商連合からの侵略を許してしまっている。
戦争なんて起こるはずがない、昨日街道で叫んでいた反戦主義者にこの光景を見せてやりたかった。

「あれか、何とか間に合ったか。数は…まだまだ居るな。来ては見たがどうしたものか」

遠くで術式の展開とともに閃光が放たれ膨大な魔導反応により感知が乱れる。魔導師にのみ許された身と宝珠さえあればできる自爆。
生きてなんぼの魔導師において忌避される行動を躊躇なく行うなど、アリベルトは一人しか思いつかなかった。
同空域を飛んでいる協商連合と思われる部隊の隊列は完全に乱れ、アリベルトの接近にも気づかず茫然と広がる爆発と閃光へと目を向けている。
たとえ新兵でも不意をつけるだろう格好の獲物。青い瞳が仄かに黒く染まった。

《自爆だと……》《中佐限界です!捕捉されます!》《……観測手は潰した!離脱…なんだ?》

黒い輝きが世界へと干渉し、翼のように逆噴射することで姿勢を制御。衝撃を逃しながら巨大な術式が何重にも重ねられて展開していく。
魔力とは、この世あらざる神の御業を人間が模倣しただけの欠陥品だとアリベルトは思っている。何故なら引き起こされるのは奇跡ではなく破壊だけだから。

《な、中佐、強烈な魔導反応を確認》《上を取られていただと?小隊規模の術式だぞ!》《馬鹿な。到達までの猶予はあったはずではないのか、各員散開》

極限まで抑えていた魔導反応を活性化させ高度6千、魔導師が到達できる限界ぎりぎりでアリベルトは停止する。
同時にもう必要ないとノルデンコントロールへの通信妨害を解除した。

「トイフェル01よりノルデンコントール。偶発的戦闘に巻き込まれ、撤退は出来そうにないな。判断を仰ぐ」

「此方ノルデンコントール。180秒後に増援が行く。それまで遅滞戦闘を続けよ」

三分間、人が死ぬには十分な時間だ。単独ではなしえない魔導収束、時限式空間爆裂術式が展開したことで訓練用に過ぎない宝珠は処理能力を超え火花を散らす。息を止め、体の震えを抑え込み、心の整理もつかないままに引き金を引いた。

「……トイフェル01。了解」

解き放たれた弾丸は収束した魔力を推進力に加速し、三秒間は起動しない。そいつが退避に失敗した協商連合の兵士へと吸い込まれるように着弾した。
痛みによる絶叫、思わず通信を繋いでいた協商連合は一瞬動きを止める。直後に命中した兵士を中心として巨大な火球が生まれた。
咄嗟に防殻で防いだのは流石正規兵だと感心するが、中心近くにいた二人は耐えられず焦げ滓となり大地に失墜していく。

《ブレイクッ》《バルド、カンニガムの両名反応ロスト、中佐!》《糞が、わかっている!ケツに付かれたら逃げ切れん!一撃離脱後、撤退だ!》

やる気かと身構えた瞬間、術式から放たれた閃光が私の防殻に突き刺さる。さらに挟み込むように両側から魔導師が魔導刃を輝かせて突っ込んでくる。
訓練兵相手に過剰な戦力。遠くからでも見える協商国連合魔導師のギラついた瞳は仲間の復讐心か、あるいは戦争の高揚か。

「やはり来たか……」

固まった体に活をいれると、宝珠が火花を散らすのも構わず防殻への魔力供給を増大した。直後に突き刺さった貫通術式が防殻の表面を青い波が伝わるように罅を入れる。幸いなことに防殻を貫くことはなかった。
デコイを出して逃げ出すように上昇をかける、僅かな時間を稼ぐだけの苦肉の策。装備で劣っているのだ、遠距離での撃ち合いは勝ち目がない。
魔導刃を突き出してくる魔導師に爆裂術式をばら撒いて退ける。更なる上昇に肉体が悲鳴をあげ、骨がぎちりと軋むような音が耳元で囁いた。

「私の体より先に壊れてくれるなよッ!」

罅が走った宝珠の限界容量を超えて、魔力を飛行術式に流し込んだ。急上昇からの急降下だ。肉体が散るのが先か、宝珠が沈黙するのが先か。高度は6千の壁を超え重力の檻が伸し掛かる。殆ど聞き取れなくなった耳が盲撃ちの弾丸が後ろを掠めていったのを知らせた。

《敵魔導師急速接近!》《馬鹿な!一人で突っ込んできただと!火力を集中させろ!》

この状況では目を開ける事すら難しい。逃げられないのなら活路は前にしかない、そう言い聞かせた。魔導師の隊列は基本的に後方にいる方が熟練度が低いとされている。教本で読んだことだ。ピンポン玉の様に空中で跳ね、術式を避けて敵の後方で此方を付け狙う魔導師へ一直線に向かう。
この常識が協商国連合に当てはまらなければ、態々熟練者に突っ込んだことになる。昔から賭けは苦手だった。

「撃てぇ!絶対に近づけるな!」

統制された射撃を防殻で防ぐ。長くは持たないがこれで十分。隙間のない銃撃の中をこじ開け、最大出力を込めて魔導刃を突き出した。
当たりだ。私の様な正規兵未満が言うのもなんだが、動揺が手に取るように分かった。意志と魔力が乗らない防殻は脆い。

「ようやく捕まえたぞ」

僅かな抵抗の後にするりと防殻に刃が入り込んで魔導師の肩口に突き刺さる。人の肉を切り裂く感触に不思議と嫌悪感は無かった。あるのは高揚と生存欲求くらいだ。
そのまま、剣を深く抉り込むようにして魔導師と共に高度を一気に下げていく。パニックを起こしているのか、手にもった小銃の銃剣で抵抗しようともしてこない。
吐息がかかる距離で、ゴーグルに覆われた青ざめた顔がはっきりと見えた。

「まだ生体反応はあります!」「くそっ!」

同士撃ちを避けてくれる優しい上官なのだろうさ。僅かな判断の遅れが致命的になるのだと、引きつる頬を誤魔化すように笑みを浮かべた。止まった此方への射撃にくるりとひっくり返り銃を上に向ける。

「やめろ!やめろぉぉお!」

それは自身が仲間の死に利用される故の絶叫か、これから起こる痛みに対する悲鳴か。確か協商国連合の言葉でありがとうはTakkだったか、お前のお陰で助かった。
銃剣を突き刺した魔導師を盾として狙撃術式をばら蒔く。体内で発動した術式の熱量より肉が焦げ付く嫌な香りが漂ってきた。
口に入った血と共に唾を吐く。痙攣し動かなくなった死体を投げ捨てながら大地に爆裂術式を射って雪を巻き上げ、身を隠した。

「流石に、賭けが過ぎたか」

宝珠から光が殆ど失われつつあった。更に見上げると、絶望を知らせるように編成し直された協商国連合の魔力反応が上空で展開されている。銃口はすべてアリベルトに向けられていた。
賭けたものは大きく、博打が過ぎる。しかし遠方に友軍の反応有り。天に見放されたと思っていたがどうやら悪運だけはあるようだ。

「あと30秒」

口の中で実感するように言葉を転がす。放たれた術式の数々が天より罰を与えるように降り注ぎ、雪を巻き上げていく。
避けきれない弾丸が罅割れた防殻を崩していった。シューティングゲームの一面ボスにでも出会った気分。残念ながら残基は元から一しかない。
この危機的状況にも関わらず眠気が襲ってくる。今なら雑に込めた魔力の魔導刃ですら防殻を容易く貫くだろう。だが幸いなことに相手は先の一撃で追撃してくることを控えてくれた。

「……間に合ったか」

遂に帝国魔導師が敵魔導師の集団に襲かかった。上空で始まった戦闘と共に、今度こそ散開しながら離れていく協商国連合を見送ってゆっくりと雪原を抜け、森林地帯へと高度を下げていく。
そこには雪に埋まりかけたターニャ・デグレチャフが居た。英雄になる見た目だけは幼い少女。軍服をぼろぼろにし意識を失いながらもきちんと胸を上下させている。

「トイフェル01よりノルデンコントロール。友軍の観測魔導師が重傷を負っている」

「ノルデンコントロール。増援に随伴し撤退せよ。代わりの観測魔導師を送る」

観測を引き継げと言われるか冷々したが流石に訓練兵にそこまでの無茶はさせないようだ。素直にありがたい、言葉にはしなかった。
これから必要なのは雑兵として無残に死ぬことではないのだ。まずは形からだと、震えそうになる唇を舐めた。

「トイフェル01了解」

通信を切って安堵の溜め息を吐き出し、黒い空を見上げる。訓練生にすぎない人間が救助と足止めと撃墜をこなしたのだ。これより起こる世界大戦の序盤にしてはまずまずの功績と言えるだろう。
再びターニャを見やる。もういいか。気を抜いた瞬間、糸が切れたように肉体が雪の上に放り出され意識を失った。

★―1923年11月3日 帝国軍大学図書館―★

結局のところ、アリベルト・バイエルの胸元には柏葉付突撃章が存在を主張することとなった。名誉ある勲章にふさわしい貢献をしたから当然ともいえる。
命を張ったターニャもまた銀翼突撃章を得たことに、アリベルトは安堵していた。手柄の一部を横取りしたようなものであるから、少しばかり後ろめたかったのだ。

それからターニャとは違い年齢、性別共に適正であるためラインに送られることなく一足先に軍大学へと入学した。
地頭が良くないため現代史を基にしたレポートや戦術、実戦は評価され落第はなかったものの成績は中の下といったところ。
当然ながら試験前になれば食堂で快談する同僚とは違い、机に噛り付かなければならない。周りの帝国人は優秀が過ぎる。

「バイエル少尉。少し構いませんか?」

「ブルーニ少尉」

どうやら、苦労を分かってくれる人間はなかなかに居ないらしい。かけられた声に思わず渋顔を作ると、分かっているのか居ないのか苦笑された。
取り敢えず立ち去ってはくれなさそうだ。教本を閉じてブルーニ少尉に椅子を勧める。

「まあまあ、時には息抜きが必要でしょう。それよりデグレチャフ少尉という名に聞き覚えは?」

「ああ。というよりも彼女のお蔭で私も勲章を得たようなものですが」

「やはり、ではノルデンのあの場に?」

頷くも大したことではないと肩をすくめる私に、ブルーニ少尉は苦笑し珈琲のポットを向けてきた。話の代金と言ったところだろう。
教本を置いて珈琲をカップに注いでもらった。いずれこの本物の珈琲でさえ飲むことが出来ない時代がやってくる。
今のうちに楽しんでおかなければ罰が下るに違いない。まあ、勿論のこと既に地獄へは落とされているので罰が下るかどうか難しいところだ。

「生きた銀翼突撃章もそうではありますが訓練期間中に柏葉付突撃章を授与されたのは少尉が初めて」

銀翼の称号は名誉ある死に贈られることも多い勲章だ。数年に一人くらいは授与されるため、訓練生であっても授与した例は存在する。
仲間のために身を通して宝珠の暴走を防いだとかなんとか。勿論当人は死んだが、宝珠が兵器として開発される黎明期の興味深い話だ。

「これは一本取られた。デグレチャフ少尉がどうかしました?」

「ああなんでもデグレチャフ少尉が軍事大学に入学してくるとか。ただ女性ですし風貌の話は伝わってこない。美しいとも醜いとも。どのような人物なのか、お会いしたことがあるのなら何か知りませんか?」

身を乗り出して目を輝かせるブルーニ少尉はまるで少年のようだった。今はまだ英雄への憧れというものがあるらしい。
後に彼が受けることになる驚愕と衝撃にご愁傷様と心の中で告げながら肩をすくめる。一方的に知っているだけだがデグレチャフ少尉はそういった人物ではない。
というよりかは性格もそうだが、見た目自体幼い少女だ。ブルーニ少尉が幼女趣味でないならば容易く憧れは打ち砕かれるだろう。

「言葉で説明するのは難しい。それに女性の容姿を安易に口にするのは失礼でしょう。ただし、軍が出しているポスターに載っていますよ。まあ、きっとブルーニ少尉ならば肩を並べる日が来る」

私は御免だ、という言葉を発することはない。会話は終わりだと一瞥して教本に視線を戻した。諦めたのかブルーニ少尉も立ち上がって陳列する本棚のほうへ歩き出す。
これでようやくアリベルトの人生における僅かな平穏が戻ってきたことになる。僅かに残った珈琲の一杯を飲み干した。

《アリベルト・バイエル少尉。第三教導室にてハング教官がお待ちしております》

鳴り響いたアナウンスに溜め息を吐き出して再び教本を閉じる。悪いことをしたつもりはないが呼び出しとは穏やかでない。
席をたって教導室に向かうと、扉の前で襟元を正し二度ノックする。声がかかり扉を開けたと同時に思わず私は動きを止めた。
渋い顔で座る教官の隣でアーデルハイト・フォン・シューゲル(マッドサイエンティスト)が笑みを浮かべていたのだ。私の驚愕と苦悩をきっとわかってもらえるだろう。
一度講義を受けたことがあるが、知る人ぞ知るマッドサイエンティストは実の所実験で数人の元同僚を駄目にしている。今度は私の番、というわけだ。

「……教官殿、遅れて申し訳ありません」

「構わんよ。それに今回の件に関しては多少の無礼は許すことにしている。ドクトル、シューゲル技師よりお話があるそうだ」

教官が声をかけると待ってましたとばかりに、マッドサイエンティストは唾を飛ばしながら此方へと乗り出してくる。

「バイエル少尉は95式というものを知っているかね。既存の概念をうち壊す新たな研究成果であり神の偉業だ!」

「95式、でありますか。申し訳ありませんが存じ上げておりません」

首を振り、思わず身を乗り出す振りをする。軍に所属するものならば新型と聞けば誰しも同じような反応をするに違いない。
勿論心は正反対なのだが、しかし染みついた欺瞞はどうしようもなく着いて回る。此処で渋れば教官からの覚えも良くないだろう。

「ふむふむ、無理はない。その95式をより安定し改良した宝珠こそが今回バイエル少尉にテストパイロットをしてもらいたい96式である」

「テストパイロットとは光栄であります。しかし……私は少尉にすぎず未だ教務期間を終了してはおりません。重要な軍事機密である新型の実験に関わるのは不適合かと」

抗命的発言は明らかに減点対象。一瞥するも、どうにも今の教官は会話を見逃してくれるようでパイプに火を点け話を聞いていない振りをしてくれた。
このマッドサイエンティストは軍ですら持て余しているらしい。優秀なのは確かなのだが性格に難があり過ぎる。

「ああ、なに分かっているともバイエル少尉!大変優秀だと聞いているよ。実戦においては訓練課程など必要ない程にね。だからその点は問題ないだろう。聞いてくれたまえ。確かにこれは神への冒涜になるかもしれない。しかしだ。一度でいい!一度でいいからもう一度神の啓示を私は受けたいのだ。奇跡とは常に偉大でなければならないが研究とは同時に多角的視野で成果を得る必要がある」

大げさな動作で天に向かって祈りを捧げる姿は確かに信者であったが、狂が頭につくことは間違いない。まったくもってマッドサイエンティストの演説は心に響いてこなかった。

「教官殿……これは」

目線で必死に訴えるも、教官の視線は明らかに逸らされた上に部屋の中の調度品を見始めてしまう。助けなどない。

「バイエル少尉は魔導模擬戦闘において大学で最も優秀だと聞いている。魔力係数もかなり高い上に第6層術式までを個人展開したそうじゃないか!現在の宝珠では物足りないだろう。96式は2つの宝珠を連結したことにより出力の増大と術式の安定化を図った、95式よりも安定志向型である。新型だ、新型!」

どうだね?と聞いてくるマッドサイエンティストに対して心はいいえでありノーでありナインであったが、実際に出来る選択肢など一つしかないことに気付いているだろうか。
宝珠の開発は軍の最高機密に位置する、聞いたうえで断れば隣の上官の銃口が私を向くかもしれない。教官に恨めしげな眼を向けながら敬礼した。

「拝命、致しました」

結局のところ人生に選択肢などないのだ。

★―エレニウム工廠―★

世界に名だたる帝国技術の最先端、エレニウム工廠。主に魔導工学と兵器開発を行っているとされる。
機密事項の塊なため秘匿性が求められるが、森林地帯を超えてなお周辺地域に響き渡る爆音が騒音被害となるため周辺住民は大体事情を知っていた。というよりかは説明がなければ抗議運動が日夜行われる程に酷い。
少しは自重しろと軍も勧告しているがマッドサイエンティスト達がその程度で止まるはずもない。結果として周辺には関係者以外殆ど住むことがなくなり、かえって密偵対策になったとか。

そのようなエレニウム工廠で今日もまたテストパイロット(生け贄)マッドサイエンティスト(研究馬鹿)の言い争いが響き渡っていた。
格納庫にて叫ぶ二人に一瞥する研究者も居たが、触らぬ神に祟りなしと己の作業に戻る。あるのはまた犠牲者が出るのかという憂鬱な気持ちだけだ。
身体欠損した者の悲鳴や、精神崩壊した者の呻き声が好きな者はいない。しかしながら、作業する彼らも必要ならば仕方ない程度に片付けられる無慈悲さを持っている。狂っていなければ新たな研究の発想が生まれることはないのである。

「それで、本当にこれが正しい方法なのか?私の目が可笑しいのかどうにも態と暴走させると書いてある。魔力暴走による自爆と同じ行為だぞ」

「それがいいのだ。やはり成功例は大事にしなくては」

資料を捲るアリベルトの手が心なしか震えていた。魔導工学の知識を多少学んだ魔導師ならば、当然の反応といえる。
ターニャ・フォン・デグレチャフがあのノルデンで生き残ったのは偶然ではない。自爆を生き残るというのは宝珠の臨界点による被害、それを全て流せるだけの防殻と制御が必要なのだ。
訓練用なら兎も角、普通の宝珠では一般の魔導師が全力程度の魔力を振り絞ったところで多少の不調を示すだけでしかない。
必死を込めてこそ可能な臨界点。それを制御とは矛盾が過ぎる。ましてやこれから開発しようという96式は連結式、単純にいって必要魔力は二倍、制御も二倍。
ターニャによってエレニウム工廠製95式が完成したことは、実際の所下地があったのである。だから無理だと叫んでも一向にこのマッドサイエンティストは耳を貸す気がない。

「……わかった。やってみよう」

しかしターニャが完成させた95式は四連結式、この96式の二倍だ。必用な労力と才能が単純に二分の一と考えれば出来ないことはない、かもしれない。
ましてやこのマッドサイエンティストと叫び続けるなど不毛が過ぎる。取り敢えず、の意味でそう言ったことを直ぐに後悔した。

「バイエル少尉、何故そこで止まる。行けるだろう君なら!まだ限界魔力の86%しか出力してないぞ!」

「ドクトル!人間は100%を出すことが出来ないように制限がかかっている!」

幸いなことにデグレチャフ少尉のデータを元により効率的な実験を受けている、らしい。まったく実感が持てないのは成功していないからでは断じてない。死ぬ確率に大差を感じられないからだ。
幸いなことに実験は地上で行われることになったため、汚い花火になることはないが地面の染みにはなる。どちらがいい?

「そもそもだ!ドクトル!ここから1%でも出力を上げた場合、均衡が崩れる!」

神の偉業を行おうという冒涜的行為。奇跡的に数値が合致し、奇跡的に出力が安定し、奇跡的に染みにならない。全てを成功しろなどと馬鹿にしているとしか思えない。
手に持った宝珠は既に青黒色に禍々しく輝き、飽和した魔力の渦が防殻を乱して地面を抉りだしている。80%を超えるあたりから現れだしたこの黒を多くの研究者達が興味深いと話し合っていた。
ターニャは黄金であったことから其々の個性が臨界点を超えると発現するのではとも。しかし死にかけている本人からしてみれば、そんなことはどうでも良い。

「では2%あげたまえ!それぞれ1%ずつ割り振れば均等だろう!」

既にこの86%を超えようと試すこと12回。運が良ければ魔力暴走で神経が断絶するような痛みを味わうか、運が悪ければ四肢が千切れ飛ぶような爆発が引き起こされる。反論する気にもなれなかった。
ほら全身に痺れが奔り、吐き気がこみ上げてきた。どうやら運のいいことに今回は前者らしい。八時間の検査を受けられる間は貴重な休憩時間だ。

「……まあ、バイエル少尉。君がそうやって怠け癖がついているのは私もこの一月の間に理解した」

ドクトルが嫌に物わかりが良いことに、此処で良かったとはならない。嫌な予感が吐き気と共に競りあがってくるだけだ。

「そこで私は昨日の間に宝珠に細工した。同僚や君に気付かれずに弄るのは大変だったよ」

私は迷わず震える脚に叱咤激励して管制室に向かって走り出した。最期の意地、死ぬくらいならば巻き込んでやる。
だがどうやら間に合わなかったらしい。まさか戦場以外で本当に死ぬことになるとは思っても居なかった。

「君が臨界点を超えるまでその宝珠は止まらないし、魔力を強制的に吸い取る」

魔力が死の間際まで吸い取られる感覚。燦然と輝く青黒い光が、宝珠より放たれた。その日、エレニウム工廠でいつもより大きな爆発音が響き渡ったという。

目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話

★―1924年3月5日 ライン戦線第103砲兵大隊上空/観測任務―★

爆発、爆発、爆発。繰り返される実験の日々と比べて、実戦の方が命の危機が少ないとは一体どういうことだ。どこからか観測されているのか、放たれた砲撃の嵐を一気に高度1万まで上昇することで回避する。
同時に旋回し時限式大空砲弾に向かって爆裂術式を展開。誘爆により空が茜色に染まる中、狙撃術式を防殻で弾いて撃ち返した。
眼下では塹壕と砲撃で深くまで掘り起こされ、月の表面のようになっている。敵の塹壕に向かおうとするちっぽけな兵達がまとめて吹き飛ばされた。

「アリベルト!これ以上の観測継続は魔力が持たない!」

高度6千で砲撃の洗礼を直に浴びたバディ、何だかんだと付き合いのあったブルーニ少尉が思わず弱音を溢す。何時もはお調子者の筈のブルーニ少尉が冗談を口に出来ないとは嫌な兆候だ。
しかし既にローテーションは限界であり、交代要員どころか増援すら見込めない。来るとすればブルーニ少尉か私のどちらかが挽肉に変わったときくらいだろう。命令は絶対、撤退は不可。

「ラインコントロールよりトイフェル01。敵航空魔導師小隊が突破しそちらへと向かっている」

「ブルーニ!聞いたか!」

唐突に入った通信に絶望を感じながらも地上の敵兵へのマーキングをやめない。直ぐにでも小隊への迎撃姿勢をとりたいが対空砲を排除しなければ真面な戦闘にすらなりはしない。
誰も彼もが必死な戦場で、何処かで手を抜けば代わりに自分か味方の誰かが死ぬことになる。当然死んだ穴を埋めるために誰かが死ぬ。

「此方トイフェル01!これ以上トイフェル02の作戦行動は不可能だ!彼だけでも撤退させてくれ!」

どうして此のような場所に私が居なければならないのかと後悔ばかり。他の誰よりも真っ先に覚悟していたはずだが気休めにもなりはしなかったらしい。

「ラインコントロール。撤退は認められない。遅滞戦闘を開始せよ。700秒後に魔導師中隊が到着する」

遅すぎる!ブルーニ少尉が叫ぶも司令より色よい返事はない。とてもではないが700秒もあれば一個中隊が全滅していても不思議ではないのだ。
この死が蔓延した地獄、ライン戦線で英雄など求められてはいない。必用なのは死ぬべき時に死ぬ兵士だけだ。

「ブルーニ!ダメだ!上昇しろ!」

気が逸れていたことで、ブルーニ少尉を注意するのを忘れていた。はっとなって叫ぶも対応するには遅すぎる。直後に正確な対空砲弾が満開の花を咲かせてバディへと叩きつけられた。
敵小隊が浸透してきたということは、観測術師も付随している可能性が高い。先ほどからの砲撃で分かっていたにも関わらず警告をし忘れていた。

《砲撃で一人撃墜を観測!》《対魔導師戦闘に切り替える》

地に黒こげた人型が失墜していくのを見送る。これでまた一人同僚を失った。だが私もまた、祈る暇など無く無事でいられるかすらわからない。急上昇した私を追いたてる様に狙撃術式が空間を貫いていく。残念ながら黒雲で空は覆われ、太陽を背にすることは出来なさそうだ。

「くそがっ!どいつもこいつも!」

勝手に置いて先に逝く。今まで使用していた宝珠をポケットに仕舞い、翼の形をした宝珠を取り出して起動する。同時に急速に魔力が吸われ始めた。
死の危険を代償に完成した96式はやはりと言うべきか大きな欠陥を抱えていた。神の奇跡の再現は人間には不可能だという証明だ。
高出力化と安定化に成功したものの消費魔力と制御は想定の約1.5倍。さらに余剰魔力が常に吐き出され続けるせいで翼の様に背後に魔力を垂れ流し続けることになる。
それでも従来の94式に比べ2倍の出力が出る。後先など考えず使うべき時に使わなければ宝の持ち腐れだ。

《相手は残り一人だが油断して落とされるなよ!》《任せてください、少尉》

「ふざけるなよッ!貴様ら!」

また憂鬱な始末書を書かなければいけない。同僚が死んだことに対する怒りは、残念ながら湧いては来なかった。ブルーニ少尉で既に三人目、慣れてしまったのだろう。

「まずは頭から刈る」

冷静になれと確認事項のように口にする。どうにも通信からして少尉と呼ばれている小隊長が部隊の中心人物。特に信頼も深いようであるし殺せば隊列も乱れるはずだ。

《なんだあれは!黒い、翼……?》《呆けるな!来るぞ!》《速度330だと!速い!》

一気に隊の中心を駆け抜けると、当然のように敵は散開していく。隊列が乱されれば完璧な戦術に基づく隊列に隙が生まれる。

《ブレイクッ!》《なにかがおかしい!近付けさせるな!》

小隊長から放たれた貫通術式を蜻蛉返りで避け、至近距離から爆裂術式を解き放った。同時に発煙弾を起爆させる。
空気の抜ける音と共に上空で煙幕が垂れ落ちるように広がった。爆裂術式による反応の撹乱と発煙弾による視角の封鎖は、判断力を一時的に奪い去る。非常に効率的な組み合わせは気に入っている。
ここぞとばかりに小隊長へ弾丸を叩きつけて防殻をえぐり抜き、生身の肉体を襤褸雑巾のように引き裂いた。煙が流れた頃には死体の出来上がり。
最近では手馴れすぎて作業と化した手だがまだまだ有用。

《少尉が!》《ら、ラインの悪魔だ!》《怯むな!魔導反応が違う!ラインの悪魔ではない!》

ラインの悪魔?あれよりはマシだろう。
視野が制限された煙のなかを魔導反応を元に抜け出て次の魔導師に襲いかかった。デコイ術式の展開が甘すぎて手に取るようにわかる。
どうやら敵も人材不足に悩まされだしたらしい。訓練課程を終えたばかりの新兵の様だ。

「がっぐぁああああああ!!」

残り三人。直線的に高速で迫る物体を避けるのは容易くない。徐々に大きく見えるために距離感が掴めず、死への恐怖が判断力を鈍らせる。
血飛沫が舞い散った。すれ違い様に魔導刃が防殻をするりと貫いて右腕を切り落とし、一旦距離を置く。
通常の魔導刃よりも二倍の魔力を込める事が出来る、対防殻用の刃だ。96式に平行してコネと私財も投じてエレニウム工廠に作らせただけはある。

「一月、不味い戦闘食で我慢しただけはあるか!」

ピンを吐き出して旋回軌道を取りながら敵魔導師の狙撃術式を避けていく。胆が冷えるが照準も合わせられない奴に落とされる気はない。最早少なくなった攻撃に反転する。

《くそっ、カバーに入る!援護を頼む!》《ま、待て。このままでは各個撃破されるぞ!》

右腕が落ちた魔導師を助けようと近づいた敵を巻き込んで、引っ掛けておいた手榴弾が起爆し新たな犠牲者が生まれる。
手向けとして笑みを送って、注意が割かれた最後の一人を穴だらけのミンチへと変えた。きちんと周囲の安全を確認した後、96式宝珠への魔力供給をやめ通常の宝珠に切り替える。
途端、どっと疲れが押し寄せてきた。魔力消費による疲労もそうだが、精神的な疲労も大きい。今回は上手くいった。しかし連日この調子では身が持たない、バディの補充もだ。

「トイフェル01よりラインコントロール。小隊の撃滅に成功した。ただトイフェル02は……戦死した。ヴァルハラへと導かれただろう」

「ラインコントロール、了解。冥福を祈る。援軍を帰還させる。トイフェル01は観測を継続されたし」

命令に思わず通信機を押し潰しそうになった。ノルデンでの主人公の気持ちがわかるというもの。祖国のために死ねと言われている。

「トイフェル01、バディの補充はあるのか?」

僅かな沈黙の時点で明らかであり落胆した。既に帝国は人材不足の危機に悩まされはじめているようだ。希少な魔導師の人材は国力の縮尺図。
新兵を戦場に出さないだけ他国よりはまともだと思いたいがその分の皺寄せが来ている。舌打ちする気もおきない。

「ラインコントロール、1800秒後に補充要員を送る」

期待しないでおこうという言葉を飲み込んで、了解とだけ返す。どうにも私の地獄は未だに終わらないようだった。



空を見上げる。地獄にすら思えるだろう光景を、あるいは神の奇跡を目撃している。吹き荒れる砲弾の暴威の中で、どこか神秘的に見える姿。
塹壕は先日振った雨で沼の様だった。その中を這うように進む濡れ鼠のような我々とは根本からして違うのだろう。
魔力とは、魔導師とは神に与えられた恩恵だと誰かが言っていた。

「おい馬鹿何をしてる、呆けるな!くそがっ頭がおかしくなっちまった!こいつを下げろッ!」

また砲弾で同僚の右腕が吹き飛び、悲痛な叫びが木霊する。しかし直ぐにかき消えた。降り注いでいるのは雨かあるいは弾か分からなくなった。
耳がどうやらイかれたらしい、同僚が水から引き揚げられた魚の様に口を開いては閉じている。大丈夫だと笑おうとして、再び視界に魔導師が映った。
力の入らない両腕が掴まれ、後ろに引きずられていく。衝撃で下を向いた先には、自分の足が何故かなかった。

飛ぶ魔導師は空の守護者にして、現実から逃避させる象徴だ。だから、誰かの呟きが気付けば誰もが囁く噂となっている。
戦場で英雄は望まれず、しかし生まれるものだ。

★―陸軍参謀本部食堂―★

ハンス・フォン・ゼートゥーアは帝国の誉れある准将であり参謀本部におけるトップの一人でもある。白髪で面長のゼートゥーア准将は煙管を机の上に乗せた。
その様な人物が直々にターニャ・フォン・デクレチャフ大尉を呼び出していたのには大きな理由がある。後に最強の魔導大隊として知られることになる第二○三航空魔導大隊の設立だった。

「全力で取り組め。少佐と大隊長の席は確約する」

真っすぐに見つめたターニャ・デグレチャフ大尉の眼は澄み命令を疑っていない。その厚い信頼と期待に応える必要がある。
手向けが必要だ。ゼートゥーア准将は手元の資料をデグレチャフ大尉へと差し出した。ライン戦線における多大な功績によるネームド登録と剣付十字章の推薦状。

「これは?」

ネームド名は“黒翼”。敵方からはアルデンヌの烏と称されているアリベルト・バイエル中尉。直に大尉に昇格するであろうと言われている。
人事部の間違いにより交代要員を送られないこと6時間。たった一人で観測を続け、野戦重砲兵大隊の空を守り続けた。
その後も一月従軍し続けた間に落とした敵魔導師の数は未確認4名、重症16名、死亡12名。観測魔導師でありながら出血を強いる苛烈な攻撃に一時期敵の防空網に穴が出来る程。
当然のことながら間違いをおかした人事部員は更迭したが、謝罪にバイエル中尉は仲間の仇を討っただけですと答えたそうだ。

「アリベルト・バイエル中尉を貴様の大隊に追加したい。その事に関して忌憚なき意見を聞きたいのだよ」

目の前で思案顔を浮かべるデグレチャフ大尉が敵を食い殺す猟犬ならば、バイエル中尉は獲物に襲いかかる闘犬だ。
どちらも名犬であり、相応の実力と実績を兼ね備えている。少しばかり問題があるとすれば戦闘方針の反りが合わないということだろうか。

「見る限り絶賛されており、引き抜くことは大変難しいと小官は愚考しますが。新造大隊は西方・北方以外から形成するのではないのですか?」

隊を預かる者としては当然の危惧だろう。余計な恨みを持たれれば背後に気を付けなければいけなくなる。私事による僅かなすれ違いが時に致命的な欠陥となりうるのだ。

「心配は必要ない。私の秘蔵の酒が幾つか無くなってしまったが必要経費だ。バイエル中尉は取り扱いが難しいのだよ」

最大到達高度は1万2千という目の前のデクレチャフ大尉と同等であり、継戦能力の高さは結果が証明している。しかし能力の高さから観測魔導師の場合バディが足を引っ張ることになってしまうのだ。
観測魔導師に留めて置くには能力が高すぎるが、今更何処かの部隊に入れた所で軋轢がある。ならば新造の大隊に入れてしまえばいい。

「貴様とはノルデンにて偶然共闘したと聞いている」

訓練期間中にも関わらず偶発的戦闘で小隊を撃滅したと記録に残っている。白銀と名付けられたのもその功績からだ。

「残念ながら意識を失っていたため、面識はありません。ただ軍大学でも96式を成功させた唯一例だったとの噂は伺っております」

96式自体は軍事機密であり関係がなければ耳にすることはないだろうに、デクレチャフ大尉はエレニウム工廠と95式開発以来しっかりとした繋がりを持っているらしい。
研究所との繋がりは新兵器の斡旋などを受ける事も出来るため重要なパイプといえる。こういったところもゼートゥーアが推す理由であった。

「総合的に見て背後を任せるにたる人材だと愚考します」

彼女の言葉にゼートゥーアは心のなかで安堵の溜め息を吐き出した。
軍大学にいたからとてバイエル中尉の噂を耳にしないはずがないのだ。魔導師の間で囁かれるのはバディ殺しという異名。
事実既にバイエル中尉はバディを四人失っている。実態は怒りのあまり敵小隊を撃滅するほど仲間思いであるが、人の口に戸は立てられない。
迷信に過ぎないとしても、味方を殺す死神と共に居たい人間は少ない。

「そうか、頼む」

百年に一度居るかという天才が二人集う大隊が出来るのだ。間違いなく精強な部隊になるだろう。英雄のごとき個人とは時代が中世に逆行している。
多数の被害をこの二人によって浴びせられたラインの敵参謀は大いに肩身が狭い思いをしているに違いない。ゼートゥーア本人でさえ御免だ。

「60日後にバイエル中尉は帰還する予定だ。それまでに他の人員も目星程度はつけておくように」

戦術も戦略も数すらも個人に覆される事もあるのだと、被害もなく知れただけで収穫ともいえる。そう結論付けたゼートゥーア准将には未だ戦争の結末は見えていなかった。

★―帝国鉄道一等車両―★

一等車両ともなれば、ライン戦線の地獄を味わった身では帝室に見えるかもしれない。しかし対面に座るアリベルト・バイエル大尉はおくびにも出さず車窓を覗いている。
外に広がる穀物地帯は見事な物だがバイエル大尉の目は冷めきったままだ。机の上に投げ出された転属届けは皺が寄っていた。
レルゲン少佐は少し躊躇して、それでも口を開く。

「昇進おめでとう、バイエル大尉」

飲みかけの珈琲カップを置き、話しかけるとようやく此方の目を真っ直ぐに見つめてくる。

「有り難うございます、レルゲン少佐殿」

最初は礼儀をわきまえていた態度だったが、指令書を渡した途端この調子だ。会話が続かないさじか奇妙な空気が流れている。
エーリッヒ・フォン・レルゲンとしてみれば虎穴に飛び込むつもりで来たというのに肩透かしをくらった気分であった。
バイエル大尉はかのデクレチャフ少佐に次ぐ危険人物といえる。

胸に輝く柏葉付と剣付の十字勲章は軍における四大の誉れだ。残るは銀翼とダイヤモンド付であるがどちらも今年のうちに既におり、授けられることはない。
軍大学にて残したレポートと理論を読んだときにレルゲン少佐はデクレチャフ少佐にも劣らぬものを感じたのを今でも鮮明に覚えている。
ペンを握るのは苦手なのか、何処か理論が甘いところもあったが陸戦ドクトリンにおける火力運用と電撃戦、さらに後方のパルチザン抑制理論は見るべきものがある。
何よりも大尉と共通している点は人間を資材として換算している点であった。

「隊長はデクレチャフ少佐が務めることになる。確か面識があるそうだが、貴様はどう思う?」

まさか知らないということはないだろう。同期にしてどちらも並びうるエースだ。もしも時期が少し遅ければバイエル大尉が第二〇三魔導大隊の大隊長となっていたかもしれない。
心強い味方であることには違いないだろうが、きっとバイエル大尉にしてみればライバルだ。年齢的にも若すぎる彼女の下につく気持ちはどのようなものだろうか。

「とても素晴らしいと思います。彼女以外に大隊を指揮できる者は居ないでしょう。私は戦場で舞うことは得意ですが部下を率いる能力に欠けます」

バイエル大尉からかえってきたのはまさかの絶賛である。思わず言葉を詰まらせたレルゲン少佐は会話の流れを取られたことを自覚した。
あまり良くない傾向だ。ターニャと付き合う中で、レルゲン少佐は嫌な予感というものを実感できるようになっていた。

「ただ私のような独断行動ばかりする問題児が大隊に所属してやっていけるか、という話になれば別です。命令とあらば拝命致しますが大切な仲間が私が居ぬ間にラインで死んでいるのですから」

言外にレルゲン少佐は責められているのだろう。確かに命を出したのはゼートゥーア准将だが実際の手続きを行ったのはレルゲン少佐だった。
意外なことに人的資源と言いながらバイエル大尉はラインで共にした仲間を気にするだけの心もある。報告書では上がっていたが現実で目にすると感じるものも違う。
信じてもいないだろう神に祈るデクレチャフ少佐同様歪なのである。しかしデクレチャフ少佐よりは組みしやすそうなのも事実。

「配慮はしよう。それにしても失礼だがどうして軍へ入ったのだね?」

目を合わせて一歩踏み込んだレルゲン少佐に、珈琲を飲もうとしていたバイエル大尉はカップを置いた。それから少し思案顔になって目を見つめ返してくる。

「この戦争で消費される兵の殆どは志願ではなく徴兵です。自ら志願した筈の人間が有利な立場にあるというのは皮肉な話ですが、私は孤児でした」

やはり兵を“消費”といったバイエル大尉への驚愕が隠せないが逆に納得もする。デクレチャフ少佐と違いバイエル大尉の孤児院での生活は窮屈の一言だったと報告書にのっていた。

「早熟な私は異物であったため、孤児院での陰鬱な空気に耐えられず外に飛び出す事が多々ありました。その中で私は使い潰される老人、生活の出来なくなった退役軍人、そういう者を見てきたのです」

あとは言葉にしなくとも分かるというものだ。スラム街は何処の国にもある問題であり確かに命が無為に消費されている。
最近では戦争のお陰でスラム人口が減ったというのだから皮肉な話だ。きっと経験がバイエル大尉の思想を形作ったのだとも納得できる。
だからこそ、ある程度順風満帆な生活を送ったデクレチャフ少佐がよりいっそう不気味に際立つのだ。

「成る程。だが少し気を付けたまえ。今の発言は問題視されるかもしれない。聞かなかったことにしよう」

緊張していた頬の筋肉を正し珈琲に手を付ける。胸襟を開いてくれたことへの礼に忠告すると、バイエル大尉は困った顔で頬を軽く掻いた。
やはり実際に見たものでなければ信用できないのだ。バイエル大尉はデグレチャフ少佐より信頼の置ける人物であると分かっただけ収穫といえる。
同じ部隊に所属するのだからデグレチャフ少佐の良い留め具になってくれればとも思う。

「有り難うございます。確かに祖国への忠誠を疑われる発言でした。そういえば砲兵大隊の方達から幾つか贈呈品を戴いたのですがレルゲン少佐もいかがでしょうか?」

バイエル大尉が紙袋から取り出したのは今では値上がりしすぎて値がつけられない協商連合産のブランデーだった。

「相伴に預かろう」

煙草を嗜まないためレルゲン少佐の嗜好品は珈琲か酒くらいしかない。自然と少し頬を緩ませてガラスのカップを受け取る。
冷えきってしまった珈琲カップの存在から目を反らして。

立ち上がったレルゲン少佐を見送ると、入れ替わるように恰幅の良い中年の男性が対面に座った。胸元につけられた勲章は数知れず、胸元の階級章から中将であることがわかる。
アリベルトからしてみれば雲の上のような存在だが席から立ち上がることはない。相手も気にすることなく葉巻に火を点けた。

「私も頂いても構わないかね?」

ディータ・フォン・エッカート中将、西部陸軍司令。勲章を直接手渡されたことや、人事部の手違い以来個人的な繋がりを持っている。
お蔭で危険な任務には変わりないが、きちんと交代要員は組んでくれるし差し入れもあった。ラインでの生活が一〇〇倍真面になったのは目の前の閣下のお蔭である。
上官に目をかけられるということの利点を大いに堪能できたのである。本来なら礼を尽くすべきなのだが堅苦しいのは嫌いだと前々から告げられていた。

「はっ。それにしても閣下も同車両におられるとは」

「ははははっ、おっと久方ぶりの濃い酒に喉が焼ける様だ」

アリベルトが注いだブランデーを口に含んだエッカート司令は机の上を滑らすように資料を渡してきた。どうやら口に出すより読んだ方が早い、ということだろう。
受け取り、流し読むと恥ずかしい事に前半部分にはアリベルトが立てた功績に脚色がなされて書かれている。
最後まで要約するならば「此処まで功績を立てた人間を引き抜くとはどういう了見か。審議議会を発足することを要求する」だ。

「君が部隊の転属に不満があると聞いてね。実際の理由は、ああ話さなくて構わないとも。まあ、私も折角の象徴が中央に引き抜かれるのは好ましくない。そこで一計を講じようというわけだ。私も内地での仕事ついでに、この委員会に参加しようと思っていてね」

どうかね?と聞いてくるエッカート司令に私は壱も弐もなく頷く。願ってもない提案だった。だから誠意を込めて答える。

「地獄は御免なだけですよ」

目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話

★―1924年9月5日 ツークシュピッツェ演習場―★

「光学系術式を用いるならば完全な透明化ではなく、類似した自立型の鏡像を作るべきかと愚考します」

「確かに実戦では有用だろうが、更なる定員割れは免れない。流石黒翼と言ったところか」

目の前で偽装用の光学術式が解かれていく。執務机の裏に一段高い位置で多数の要職達がずらりと並んでいた。中には第二〇三魔導大隊を雪中訓練で鍛えている最中の筈のデクレチャフ少佐だけでなくゼートゥーア准将までも居る。

「観測任務では奇襲を受ける事も多かったため、光学術式には何度も命を救われました」

「成程。そうだな。デクレチャフ少佐からは何かあるかね?」

話を振られた少佐は真っ直ぐに私の目を射ぬいてくる。直接対面するのはこれが初めてだが、雪中に埋もれて眠っていた時と大分印象が違う。
成長した云々ではなく此方が本来のデグレチャフ少佐なのだろう。詩的な表現だがまるで黄金の鷹、対する私は蝙蝠よくて烏といったところか。

「確かに信頼にたる人材です。資料で分かってはおりましたが実物を見たことで確信致しました」

明らかにゼートゥーア准将は安堵の溜め息を吐き出していた。もしここでデクレチャフ少佐と合わないともなれば、大隊設立に躓くことになる。
既に殆どの東部・中部の魔導師が実力不足の烙印を押されている。人材を選ぶ選ばない以前に再度の教導が必用であり、新たな人材を引っ張ってくる余裕はない。
幸い多くの脱落者は出たものの雪中訓練では良好な結果が出ていると聞く、それだけが救いだった。

「はっ!宜しくお願い致します。つきましては質問をさせていただいても宜しいでしょうか」

「構わん」

代わりに答えた人事部長によって、バイエル大尉は笑みを浮かべた。長年の予感からゼートゥーア准将が不味いと雰囲気を感じ取った頃にはもう遅い。

「では失礼ながらデクレチャフ少佐の実力を疑うつもりは有りません。しかし、魔導師として大隊長殿の能力を伺ってみたいのも事実。無礼を承知で申し上げますが、一度その能力を伺う機会を頂きたいのですが如何でしょうか?」

最早質問ではなく提言に近いバイエル大尉の発言に戦慄が走る。ゼートゥーア准将自身も完全に闘犬と表現した事を忘れていた。
弱い実務部隊の上司の下につくつもりは無いということか、だがあまりにもリスクが高すぎる。これは実力を見る如何ではなく宣戦布告だ。
勿論第二〇三魔導大隊設立に関してバイエル大尉が勝利すれば軋轢は避けられない。

「ふむ、面白そうではないかね?ネームド二人が競いあうとなれば大いに戦意高揚となるに違いない」

ここで話に乗っかったのがエッカート司令だ。観測魔導師は陸軍に所属しているため、バイエル大尉を引き抜いた事を恨みに思っているのか。
なにより年功序列を是とする気質の司令は、デクレチャフ少佐が大隊長となるのを苦々しく思っていたに違いない。

「私も賛成であります」

さらに後追いしたのは東部参謀司令であり、少しでも失点を無くすためにデクレチャフ少佐を虚仮下ろせればと考えている。
完全に掴まれた流れはゼートゥーア准将であろうとも覆すことは難しい。あるいは既に根回しがされていた様にも感じる。

「どうだね?デクレチャフ少佐」

本人がここでナインと答えることなど出来るわけがないのだ。というよりも好戦的な笑みを浮かべているのだからどうしようもない。
ゼートゥーア准将は謀られたことを自覚しながらも場の流れに任せるしかなかった。

「宜しいかと。確かに戦場に至る前に仲間の実力を知れないのは問題外でしょう。断る理由もありません」

★―北方ロストック軍基地/天幕―★

国内へと軍が誇るネームドの戦闘力を誇示するために、多数の記者が珍しく軍基地へと招待されていた。なんとイルドア王国の記者や大使館員も観戦するというのだから軍部の力の入れようは大きかった。
演習場の端に特別に用意された天幕の中、アリベルト・バイエルは西部陸軍司令のディータ・フォン・エッカートとその付き人と共に居た。

「準備はどうかね?バイエル大尉」

軍服の袖のボタンをとめた後、襟元を緩めようとした手を女性に払いのけられて直された。どうせ乱れるというのに几帳面な事だ。
随分と積極的で遠慮がない。気になって胸元を見れば軍服は身に着けていないが、階級章をつけていることからどうにも軍人らしい。

「たとえ体調がどれほど悪かろうともラインの空は待ってはくれませんでした。問題ありませんよ」

エッカート司令へと肩をすくめて見せると朗らかに笑って返された。今回のデグレチャフ少佐との模擬戦は目の前のエッカート司令が立案し私が乗っかったものである。
私は第二〇三航導大隊に所属したくなく、エッカート司令は使い勝手の良い駒を手放したくなかった故に意見の一致に至った。
もしも此処で私が負けたとしてても奮戦すれば今回の場を用意したエッカート司令の面子は高まることになる。どちらに転んでもエッカート司令からしてみれば悪くない話だ。

「それにしても少し大げさがすぎませんか?」

天幕の隙間から覗ける先ではついでとばかりに魔導師によるアクロバット飛行が行われていた。その魔導反応の力強さから国防を担う中央軍の精鋭であるとわかる。

「丁度良い機会だったのだよ。他国への牽制は必要な事だ。どうせイルドアはこの光景を敵国へ報告するだろうからな」

煙管を口に咥えたエッカート司令の口元にすかさず女性がライターの火を差し出した。良くできているというより手馴れている。
遠慮のなさといい、もしや愛人かもしれない。付き人が関係を持っているというのは良く聞く話。私の視線に気づいたのかワザとらしくエッカート司令は煙管を離した。

「細かい事に気付くから良妻になると思うが、嫁にどうかね?」

どうにも今日のエッカート司令は容易く事情を話すし冗談が過ぎる。うっかり喋ってはいけない事まで聞きそうだと冷や汗が出る。

「まだ年若いですから身を固める気はありませんよ。それに祖国に妻を一人残すわけにもいかないでしょう」

確かに美しい金髪と碧眼は栄えある帝国系の血を引き継いだ美人だと思うが目元がきつい。嫁にはもう少しお淑やかな相手が欲しい。
予想通り愛人だとするならば、本人の前で話すようなことでもない。悪趣味が過ぎると顔に出ていたのか、エッカート司令はもう一度笑った。

「おや振られてしまったぞ、ローゼ。ああこの子は家の娘でね」

悪戯が成功したと笑うエッカート司令に思わず沈黙する。

「ではもしもこの勝負に勝ったらディナーにお誘いさせて頂けますか?フロイライン」

「私語は禁じられておりますが、期待しておきますね」

ならば頑張ろうと小銃を背負い、作り笑いを浮かべながら天幕を押しのけた。

★―北方ロストック軍基地/観測施設―★

ゼートゥーア准将からしてみれば目の前で起こる問題こそラインでの硬直の何倍も頭痛の種であった。

「さてどちらが勝つでしょうな」「ネームド同士の対決など見れるものではないですから」

外野は事情を知ってなお勝手な事を言ってくれると思わずため息を吐きそうになる。あるいは第二〇三魔導大隊を作ったことによる軋轢がここにきて噴出しているのではないかとすら思えてきた。
吹きさらしの大地に二人の英雄が遂に出てくる。
方や帝国人の血を色濃く残す神によって作られた未だ幼い天才、ターニャ・フォン・デグレチャフ。
方やどこか亜細亜系の血を感じさせながらも金髪青眼の戦場が生んだ俊英、アリベルト・バイエル。

「噂には聞いていたが少女ではないか」「私の娘の年頃だぞ」「ポスターで見たが本当だったか」

口々にデグレチャフ少佐を見て声を上げる記者とは違いゼートゥーア准将はアリベルトの方を注目していた。観測魔力は異常値を示している。
油断なく構えながらもその口元は獰猛に笑い、今から起こる戦争を心の底から楽しんでいるようだ。御せなければ内側から食い破る闘犬。

戦闘狂(ウォーモンガー)か」

もしも味方にいればこれほど心強い存在はいないだろうが、敵に回れば厄介なことこの上ない。ゼートゥーア准将ですら勝敗は神に祈るしかなかった。

「ではターニャ・フォン・デクレチャフ少佐とアリベルト・バイエル大尉の模擬戦を始めさせていただきたいと思います」

始めの合図と共にまずは背後をとろうと、双方が螺旋を描きながら急上昇を開始した。速度300、かかるGと強烈な気圧の変動は魔導師見習いでは失神して泡を吹く。
更に複数の光学術式がデコイを散らし、狙撃術式と貫通術式の応酬が空に青い魔力の花を咲かせた。

「高度8千、さらに上昇だと!?」「帝国の技術力はどれほど発展しているというのだ」

エースとして恥じない交戦はイルドア王国にさぞかし驚愕を与えたに違いない。高度、速度共に最早視認することは不可能。計測器と自動観測装置の映像だけが頼りだ。
高度9千にて停止した二人は、同時に其々の行動を開始する。デグレチャフ少佐は三人に分身、いや驚愕すべきことに自立型光学術式の鏡像を複数作成している。
対するバイエル中尉はまるで偽物など存在しないかというように目もくれず、デグレチャフ少佐本人に貫通術式をランスチャージの様に構えて突っ込んだ。
咄嗟にデグレチャフ少佐が宙返りで避けるも、貫通術式に仕込んであったのか放たれた爆裂術式が煌々と大空を染めてデグレチャフ少佐の防殻をわずかに削る。

耐高高度術式を組んでいる上でデグレチャフ少佐は5つ同時展開、バイエル中尉は4つ同時展開。どのような思考回路をしているのか。
熟練したパイロットといえど2つか3つ程度が限界であるというのだからこの場で起こっていることは異次元の戦いだ。

「本当に光学系を見切るのが得意の様だな、バイエル大尉」

「デグレチャフ少佐こそどうすればその様な複数同時展開が出来るのか知りたいものです」

オープン回線で流れてきた音声でデグレチャフ少佐の言葉の端に喜びを感じ取れた。互角の実力に出会えて嬉しいのだろう。
あまり熱くなり過ぎなければいいが。交戦が激化し、一撃必殺の攻撃が牽制程度に使われ出した。二人を中心として発生した魔力の渦に計測班が悲鳴をあげるほどだ。

「遅れて申し訳ありません、ゼートゥーア准将殿」

思わず固まっていた顔をほぐして、見知った声に立ち上がる。どうやら試合に熱中しすぎていたらしい。

「構わんよ、レルゲン少佐。仕事を頼んだのは私だ」

使い走りの様に事態の調整に走らせてしまったレルゲン少佐に出来るだけの労いをかける。今回急遽必要となった軍基地への調整や各記者の身辺調査等を情報部と協力して一手に引き受けてくれた。
バイエル大尉に関する報告書含め、デグレチャフ少佐を何処か目の敵にする所以外は参謀において非常に優秀な出世株といえる。

「レルゲン少佐、貴様はこの試合の勝敗をどう見る?」

私の問いに微妙な顔をしたレルゲン少佐に嫌な質問だと発言してから気付く。レルゲン少佐もまた、ここでバイエル大尉が勝てば大隊が危うくなることを知っている。
第二〇三魔導大隊の設立自体、レルゲン少佐は初めから反対していたこともあり、彼の心情的には微妙なところだろう。

「実務的問題と実力から言ってデグレチャフ少佐が勝利すると思われます。実戦経験的には双方殆ど変らないため、未だ用いていない96式より95式の出力・回路差が勝敗に大きく関わる事になるでしょう」

確かに彼らは未だにその本領を発揮していないのだ。専用宝珠と言ってもいい2つの奇跡は大いに戦意高揚に役立つだろうか。
より恐ろしい何かを目撃しているのではないか。再び上空を見上げるとまるで示し合わせたように双方が、向かい合うように停止していた。

「主よ、私に羊を導くすべを与えたまえ」

黄金の魔力が渦巻き、上下左右に同時展開された術式により天に巨大な十字架を顕現させる。神への祈りは使徒の如き荘厳さを持って威圧を放っていた。

「此処で負けるわけにはいかない」

青から黒へ。魔力が地獄の門より吹き出し、後背へ流出。連なる術式は巨大な黒翼を顕現させる。聖書に語られる堕ちた天使が如き威圧を持って空間を歪ませていた。

正反対の姿は神話の再現で、思わず誰もが沈黙していた。無機質な観測機だけが異常を知らせる警戒音を鳴り響かせている。
同時に解き放たれた一〇にも及ぶだろう術式の応酬は空に銀色の光を瞬かせて、太陽すら霞ませた。
本物の羽の様に高速で空を飛びまわり、時には人体には到底可能とは思えない速度で術式を落としていくバイエル大尉。
対するデグレチャフ少佐はバイエル大尉の進路を阻むように、終わることのない多数の術式を同時展開しながら上昇する。

「御主よ。全能を示したまえ」

ついに接近を許したデグレチャフ少佐によって振り下ろされた魔導刃が、突き出されたバイエル大尉の魔導刃と激突し半ばで折れて吹き飛んだ。

「おおおおおおおおおぉおおおおおおおおお!!」

咄嗟にデグレチャフ少佐は腰の拳銃を引き抜く。士官用に用意された拳銃から9発の9mm×19パラベラム弾(汝平和を欲さば、戦への備えをせよ)の嵐が吹き荒れた。
爆裂術式がバイエル大尉を吹き飛ばし大地へと失墜させる。だが予期していたことなのか、即座にバイエル大尉は持ち直した。
吹き上がる煙の中クレーターの様にくぼんだ大地に術式を叩きつけ、反作用で急上昇することで再び接触を果たす。
デグレチャフ少佐には銃剣がなく、拳銃に弾は残っていない。苦し紛れに放った光学術式は見切られ、今度こそ突き出された魔導刃が刺さらんとした時。

「信神深き者に救済を、だ。大尉」

柄付きの球体がバイエル大尉の目の前に現れた。にやりとデグレチャフ少佐が笑みを浮かべる。強烈な閃光と爆発が防殻を貫く感触を、バイエル大尉は久方ぶりに味わったのであった。

★―1924年9月26日―★

燃え盛る炎が木枠の上をひた走るように広がっていく。混じる青がちらちらと視界の端で揺れて、どこか現実離れした雰囲気を醸し出す。
美しかった天地創造を描いたステンドグラスは溶けて変形しキリストの首が取れて此方を責めるように見つめた。
長椅子の群れは今や無残に砕かれ、かつての荘厳な気配など微塵も感じさせることはない。ただ床に投げ捨てられた聖書が炎に煽られて焦げ付きながら頁を捲っていくだけだ。
もしも信心深き聖職者が滅びゆく教会を見たのならば、悪魔の仕業だと叫んだかもしれない。

わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか

答えは炎に包まれた教会の柱が私の上に降り注ぐまで無かった。もしもあれが神だと言うのならば、既に神など死んでいるのかもしれない。

ふとノックの音に視界が開けていく。慌ててベッドから上半身を起き上がらせ、開いた扉の先を見つめれば特徴的な金髪のアホ毛が揺れていた。
その全体像を知るには少しばかり視点を下げなければならない。未だ乳の匂いが抜けない、幼い少女。ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐。
万全を期したうえで敗北し、部下に組み込まれた相手。あの模擬戦から会ってはいないが日付を見るにダキア戦役で忙しかったのだろう。

「いい身分だな、バイエル大尉。ああ無理をする必要はないとも、病院内で怪我をしたとなれば笑い物だ」

「はっ、このような形で失礼します。して、どのようなご用件で?」

皮肉を言いに来たわけではないらしい。デグレチャフ少佐は自身の頭より大きな、果物の詰められた籠を無造作に窓辺の机に置いた。

「性急が過ぎる、と言われたことはないかね?まあいい、ただの見舞いだ。私も退院した後でいいと言ったのだがな、セレブリャコーフ少尉とエッカート少尉がどうしてもというから来てやった」

「それは、有り難う御座います。エッカート少尉、ですか?」

話を聞くに、やはりエッカート司令は上手だった。デグレチャフ少佐が勝利した時のためにローゼ・フォン・エッカート少尉を隊に捩じ込んだらしい。
雪中訓練に参加させていたとなれば計画は模擬戦をやる二月も前、第二○三魔導大隊は出世株だが偶然ではないだろう。元直属上司の娘であるローゼを私は保身の為に守らなければならないため安全もある程度確保されている。先見の明がありすぎだ。

「空気が読めん奴だ。貴様が入院している間に我々第二○三魔導大隊はダキアへの襲撃に成功、華々しく初戦を飾った。実戦を経験していない者には良い薬になっただろう。マンハントみたいなものだった。いや、すまない。こういった話をすべきではないな」

デグレチャフ少佐に配慮されたという事実に、言葉が詰まる。ラインから此処、随分と精神的に参っていたらしい。それが病院に入院して一息ついた途端これとは。少佐は籠の中の林檎を無造作に抜いて、底から瓶を取り出した。

「梨酒というやつだ。エッカート少尉に持たされたダキア土産だが……私も貴様も表向きは呑めない身。何処か良い場所は知らないか?」

「ええ、特別な場所があります」

誤魔化すように笑って、気分を切り換える。此処から先はかつての自分とは違う、魔導師アリベルト・バイエルだ。宝珠を掴み、点滴の管を引き剥がしてベッドから降り立った。

向かった先は病院裏の柵に覆われた場所。面向かいの病室はなく、誰もがあえて目を逸らす共有墓地。病院の側に墓とは非常に効率的だが趣がなかった。

「趣味が悪いな」

「私もきちんとした墓を作りたかったのですが、最近品薄で値上がりしている上に安給で叶わず。遺族もここがいいと仰っていたので」

ブルーニ少尉が眠っている。勿論それ以外の多くの名も知らぬ兵士達の多くがだ。一度だけ共に出撃した相手の名など思い出すこともない。
泣きながら、それでも此処が良いと言った理由はなんだったのだろうか。貧困に喘いでいる様子もなく、金はあっただろうというのに。

「私は、こういったことは初めてでな。精神科医でもないしなんと声をかけていいのかも分からん。ただ貴様は私の大隊に入る身だ。時には無惨に死に果てることもあるだろうが、精一杯守ってやるさ。それとも幼子に庇われるのは嫌かね?」

「ええまあ、嫌ですとも。ただ産まれたときに誇りは置いてきたようでして。代わりに私も隊長が少女趣味の輩に狙われないよう守りましょう」

「いい冗談だ。覚えておけよ?」

内心新たな肉壁が手にはいったことに喜んでいるのかもしれない。デグレチャフ少佐がそういった人だとは知っているが、この場では何故か信じる気分になった。
差し出された酒を口に含んで、残りは名前の並べられた墓石にかける。甘くて呑めたものではないが、彼らも喜んでくれることを期待しよう。

「では行こう。少し早い退院だが隊の面子が待っている。それと、もう少し視野を狭くしたまえ。貴様は目が良すぎる」

デグレチャフ少佐が何時もの凶悪な笑みとは違う、年相応の笑みを浮かべた気がして。驚いて瞬きをした頃には既に背中を向けて歩き出していた。

★―中央軍基地商業区―★

ノルデン行きが決定していると分かっていたとしても、進みだした歯車を大尉程度では変えることが出来ない。特に元上司からの直接の言伝てともなれば断ることは不可能。
公私混同になろうとも軍は明確な縦社会だった。

「アリベルトはどちらが良いと思いますか?」

くるりと回って両手に下げられた服を見せてくるローゼ・フォン・エッカート少尉の言葉に思案顔を浮かべる振りをする。
女性がこう聞いてきた時は女性のなかで答えが決まっている、確かブルーニ少尉がそう言っていた。目線から白のワンピースと答えるとエッカート少尉は照れくさそうに笑った。

「少し若すぎませんかね」

「とても素敵だと思いますよ。まるで一輪の白薔薇の様だ」

ヴィーシャに叩き込まれた言葉の中から最適なものを捻り出せば、どうやら正解を引いたようだ。頷いて花柄の方を戻した。
エッカート少尉、今はロゼと呼べと言われているが女性との付き合いがこれほど面倒とは知らなかった。クリスマスのカップルを呪ったものだが隣の芝生だったらしい。
退院後に他に相手が居ないこともあって正式にエッカート少尉とツーマンセルを組んだ。その後、当たり前のようにエッカート司令から絶対に護るようにと忠告されている。
ただ、仕事だけでなく休暇中ですら駆り出されるとは思っていなかった。

「良い娘だろう?」

そもそも親同伴の時点で気まずい処の話ではない。後ろ手に組んで煙管を揺らすエッカート司令に出来るだけの笑顔を返す。ひきつっていないか心配だ。

「ええ、この時代の女性は強かですから。例に漏れずロゼ嬢も周囲への目を忘れていない」

「やはり君は少し固すぎるよ、アリベルト君。もっと柔軟な対応が求められるものだ」

困惑した表情を浮かべて誤魔化すのも様式美、エッカート司令も分かっているのか笑みを浮かべるだけ。娘が心配だというのはわかるが過保護が過ぎるというもの。
どうせ本格的な世界大戦が始まれば建前など何処かへ崩れ差って、地獄の様な光景が各地で見られるようになる。特に女性は悲惨だ。
しかしかの雪中訓練をエッカート少尉は特に融通もなく乗り越えたと言うのだから、ヴィーシャ同様に外見とは裏腹に強い女性なのだ。
勿論外見が一番一致しないのは我らが大隊長殿であることには違いない。この時代の帝国人女性はみな強かなのだろうか。

「それにしても戦時下というのに盛況な限りで何よりです」

首都といえども娯楽品等の販売も下がっていたというのに、軍基地の商業区は賑わいを見せていた。母子は当然のことながら居ないが、動きから軍人であることがわかる若い男女が多くみられる。

「最近では高い志を持って徴兵されずとも志願する者たちが後を立たなくてね」

苦々しく、それでも笑みを崩さないエッカート司令に納得する。金を落としてくれる程の裕福さを持つ家の出に、戦場での塹壕暮らしは文句も多いことだろう。
数だけは居る兵士というやつだ。そういうのはルーシー連邦の仕事だろうに帝国の人材不足は更に加速するに違いない。

「お父様、アリベルトと何をお話で?」

「ああロゼ。大したことではないよ。ちなみに家は娘以外に金の使いどころがなくてね」

年甲斐もなくウィンクをしたエッカート司令は会計をしにロゼの手を取った。やはり娘愛が過ぎる。エッカート司令の奥方が早いうちに亡くなったことも大きく関係しているのだろう。
ため息を吐き出して背後に立つ気配に振り向いた。別段防殻をいつでも展開できる魔導師相手に刺客もないだろうが警戒だけはしておく。

「アリベルト・バイエル大尉殿。ターニャ・デグレチャフ少佐が第3指令室にてお待ちです」

見事な敬礼をされては此方も敬礼を返すしかない。帝国軍人らしい刈り上げた黒髪黒目の面長な顔立ち。商業区だというのにきっちりと軍服を着た若い青年将校はデグレチャフ少佐に使い走りにされたらしい。
上の駒使いとして使われる以上、命令は絶対であり元上司よりも上司が優先される。だが感情論でいえば元上司を優先したかった。エッカート少尉が呼ばれないということは副隊長としての仕事だ。

「拝命した。待ち人に説明するまで待っていてくれるかね?」

困惑した表情を浮かべる青年を巻きこめたことに、安堵する。どうせ不機嫌になるエッカート司令を相手にしなければならないのだ。この青年将校に責任を全て押し付けてしまえばいい。
ヴィーシャに言われエッカート司令に指示されていた、プレゼント用の小包を予定よりも早く取り出した。

★―1924年11月6日 北方管区クラグナガ物資集積地点交戦地点―★

「西方で確認されたネームドが現れました!個体照合ラインの悪魔…違う。ラインの悪魔と、アルデンヌの烏です!」

突如現れたネームド、それも二人の出現に連合王国の観測手が動揺しながらも声を上げた。悪い冗談だと笑っていた噂だ。
ラインの上空を荒らしまわった悪魔と、アルデンヌの森への浸透を全て啄んだ烏。デスゾーンの死神で、既に大隊規模の魔導師戦力が屠られている、単騎で中隊規模の戦力を有する等。
共和国の連中は戦場の熱気にあてられて狂ってしまったのだと思っていたが存外現実は小説より奇なりだ。
更に大隊増強規模の魔力反応が確認されたというのだから、噂通りならば化け物クラスのネームド二人に率いられる部隊となる。
これは戦線が大きく動きかねない事態だと観測班は計測器に意識を集中させた。

「魔力で同定、間違いありません……なッ。あ、あり得ない!長距離砲撃術式を高速展開!」

「逆探されていた!電源を落とせ!」

だからこそ気付けた魔導反応に声を上げるが遅い。正確に用意されていた術式の通りに衝撃は司令部へと突き刺さり暴威を開放する。
魔力により膨張・拡大された爆発は吹き荒れた司令部内部を蹂躙し機材に引火したことで盛大な花火を打ち上げた。
火炎から吹き上がる黒い煙と巻き上がった白い雪が交じり合って大地を汚く染め上げる。中の人員どころかデータも回収も不可能なほどに消し飛んだ観測地は最早雪上のシミでしかない。

「バイエル大尉。性急に過ぎないかね?」

対物ライフルをおろし宝珠を96式から97式に切り替える。それから、空中で見下ろしてくるデグレチャフ少佐に肩をすくめて見せた。

「不快なことに此方を探知しておりました。覗き見野郎には鉄槌を、目が良いのも悪いことではないでしょう?」

対物ライフルのコッキングレバーを引いて調子を確かめる振りをしながら視線を逸らした。エレニウム工廠はまるで要望すれば望んだものが出る不思議なポケットだ。音を立てて排莢した薬莢が地へと落ちて見えなくなった。

「敵通信量激増しました。敵魔導師からのコールを多数確認。敵の戦闘指揮所だったと思われますが…」

ヴィーシャがおずおずと助け船を出してくれたお蔭でデグレチャフ少佐の視線が和らぐ。久方ぶりの戦場と個人火器とはいえ新兵器の試射に高揚していたらしい。今度から気を付けることとしよう。

「確かにその通りだ。ジェントルマンとしては注意してやらねばな。査定に加えておいてやろう。大隊諸君、どうやらバイエル大尉は敵を蹂躙したくて思わず手が出てしまったらしい。彼に全ての功績を持って行かれないように気を付けたまえ?」

「ははははっ鴨撃ちは得意です」「負けた小隊のおごりといきましょう」「25年ものがありますよ」

デグレチャフ少佐の言葉を即座に笑いで返す大隊の戦意は十分。満足げに頷いて振りおろされる鉄槌の如く、デグレチャフ少佐は拳を敵に向けた。向かう先は此方の上空をつけ狙う何処かの国から支給された爆撃機だ。

「よろしい。ならば私はあの肥え太った豚を潰すとしよう。貴様らは群がる蠅を叩き落とせ。バイエル大尉」

「はっ!では諸君、簡単な仕事だ。敵が居なくなるまで殺し尽くせ」

瞬時に展開した魔導大隊は網の如く敵中隊を包み込んでいく。司令塔が殺られた後の強襲を防ぐことは軍として規律を守る以上不可能に近い。
軽機関銃に持ち替えたバイエル大尉もまた紙の様な防殻を貫いて多数の敵を屠っていた。上空ではデグレチャフ少佐により次々と爆撃機が撃墜され大地に染みを残していく。

「これはスコアには乗せられない。余りにも脆すぎる、ラインの方がまだ固かったな。エッカート少尉」

「了解しました。では大尉のスコアは0ということで構いませんか?」

「はははははははっ!仕方ないな。大隊諸君!私の奢りだ、代りに華麗なダンスを見せたまえ」

『有難うございます、大尉』『降り注ぐ砲弾の雨に比べれば可愛いものです』『曲は何がよろしいでしょうか?』

通信中に無粋にも自爆覚悟で突っ込んできた敵に対して片手に魔力を込めて防殻を貫き、心臓を穿つ。向けられた銃を銃剣で叩き割り、限界まで稼働していた敵の宝珠を砕いて死体を大地へと蹴り落とす。
それから、生暖かい血塗れの自分の手を見た。どうやら今は仲間の血で汚れていないように見える。

「誰かハンカチを持っていないかね?」

目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話

★―ノルデン管区北洋艦隊母港第二○三魔導大隊宿舎―★

「揚陸戦、でありますか?」

「ああ、なぜかはわからんが上からのお達しだ。ルーデルドルフ閣下からは失敗時の作戦中止許可は降りている。渋られたがね」

ノルデンの冬は寒い。かつて初夏に華々しいデビューを果たしたこの地は冬将軍に閉ざされていた。視界を覆う白銀の雪原と、時折発生するブリザードは軍の兵站を破壊し指揮系統を混乱させる。帝国もまた雪が降るとはいえ、ここまでの寒さを軍は想定していない。
執拗なまでに閉じられた部屋の中で、軍規違反を犯してでも魔導で湯を沸かし酒を呑まねば戦争に耐えられない。と内心で言い訳をして第二〇三魔導大隊はノルデン到着後より出動要請が来るまでは与えられた部屋に隊員のほとんどが籠っていた。
だが今は積雪によって破壊された通信設備の除雪作業に殆どの人員が駆り出されている。この雪の中で通信もなく閉ざされたらという恐怖は、凍傷の恐怖に勝る。故に残ったのは第二〇三魔導大隊に咲く二輪の花と、肉体労働に向いていない幼女隊長、それから雑務を押し付けられた副隊長である。

「しかし、冬季攻勢は……」

「分かってるとも、セレブリャコーフ少尉。こういったことには頭が回るようだな。ルーシー連邦での経験かね?」

「はっ。雪の中はソリでないと進めません」

「その通りだ。ナポレオンの記憶は新しい。ルーシー連邦の……兎も角、我々でさえ飛べるとはいえ95式や96式と違い宝珠には技師と機材がなければまともに使ず、そして占領地の制圧は少数の魔導師だけでは行えん。ああ、エッカート少尉、珈琲を頼む。砂糖を多めにな」

デグレチャフ少佐が魔導式ストーブで暖まりながら専用のマグカップを突き出してくる。何時もなら毅然とした姿であるはずが頬を余熱で赤らめ猫のように背中を曲げている姿は、年相応に感じる。どうやら稀代の天才も寒さには敵わないらしい。

「これで5杯目ですよ。隊員達の分も残しておきたいのですが?」

「バイエル大尉。この小さい肉体では発熱に限界がある。優先的に回されるべきではないかね。それに貴様は何杯目だ?」

「……手が悴んでは書類仕事は出来ませんので」

「生意気な口を叩くようになったな。話の続きをしよう」

デグレチャフ少佐は新しく受け取ったカップに相好を崩した。どうやら加減はお気に召したようだ。最早、書類仕事をする気になれずアリベルトも椅子を動かして魔導式ストーブの前に座った。エッカート少尉も来て、ストーブを4人で囲む。

「おそらく上層部は連合王国の参戦を警戒している。現在も各戦場で所属不明の魔導師や部隊との交戦報告が上がっていると聞くが、しかしどうにも解せない。戦争を長引かせる、あるいは長引かせたくない理由でもあるのか」

「兵站の回復が見込めないのでは?」

「そこまで戦況が悲惨ではない、はずだ。実際こうして我々が戦場に出ず待機できている。何よりコペンハーゲンの要塞を抑えている以上、敵方が攻めきることは出来まい」

帝国と協商国連合の間にはバルト海が存在するため戦線は意外にも短い。広大な土地を戦線とするライン戦線とは違い重要拠点を確保するだけで戦線が維持できる。丁度、もっとも狭い位置にある都市コペンハーゲンは帝国の手に渡っていた。

「あの、ライン戦線が硬直している間は連合王国の参戦はないのでは?」

何気なくエッカート少尉が言った一言に、一斉に視線が集まった。その一言には少佐では知り得ることのない意味が込められている。エッカート少尉が、西部司令の娘であるからこそ知りえた事実。ターニャ・フォン・デグレチャフが動揺を見せた。

「まさか祖国はライン戦線をわざと硬直させている?」

「ええ、そう聞かされております」

事も無げに頷いたエッカート少尉はどれだけ、この一言が多大な影響を及ぼすのか分かっているのか。ことは前線の指揮に関わるだけではない。信じがたいが全ての現状があり得ると証明していた。
本来の帝国軍の計画では各地に戦線を張り、遅滞している間に本隊で各個撃破するというもの。しかし未だ本隊による攻勢が行われておらず帝国内で温存されている。更に最近のライン戦線は殆ど前線が変わっていない。
初めから、ということはないだろう。さもなければ彼処まで帝国は共和国相手に開戦時に右往左往することはなかったはず。

「何時からだ?いや、そこは重要ではない。問題は落としどころだ。ライン戦線を攻めきらないわけにはいかない。少数精鋭で命じられた揚陸任務の意味は捻出するだけの余裕は帝国にはないということ。ならばそう遠くないうちに戦況が動く」

はっとなったデグレチャフ少佐は思わず立ち上がり、珈琲を一気に飲み干した。喉が焼けるような熱さに顔をしかめるも、それどころではない。

「冬季に協商国連合を叩いておきたい理由は……春期、春期攻勢か!アリベルト大尉!」

「はっ!」

「隊員達を呼び戻せ!除雪など工作兵に押し付けるがいい。今回の揚陸任務、絶対に失敗してはならない!ルーデルドルフ閣下の発言の意味は私の軟弱な発言に対する失点だ」

駆けていくアリベルトを見つめるデグレチャフ少佐の瞳は焦燥に駆られていた。上官の言外の意図を酌めない者は優秀であろうと無能の烙印を押される。失った信頼を取り戻さねばならない。
支給された上級士官用の外套を羽織り、出て行ったアリベルトについていくデグレチャフ少佐の足取りに最早戸惑いはなかった。
残された二人は顔を見合わせる。

「本当なの?ロゼ」

「多分、お父様が私を心配させないために言った方便だと思います」

エッカート少尉の言葉に思わず頭を抱えたセレブリャコーフ少尉を責められる者はいないだろう。隊長が撤退しないとなればそれに付き合うのがバディである彼女の役目だ。
デグレチャフ少佐が勘違いされやすいのは、本人が勘違いしやすいからということもあるのかもしれなかった。

★―1924年12月3日―★

共和国艦隊は霧の中を進んでいた。地上にて陸軍が激戦を繰り広げる間、海軍もまた帝国とは何度も海戦を行い双方共に打撃を受けている。この一助が少しでも地上で戦う友のためになると信じて、彼らの士気は高まっていた。
しかしながら、深い霧のせいかどうも今日は敵艦隊の影すら掴むことが出来ない。艦隊決戦すらも上等と考えていた共和国艦隊は肩透かしを食らった形になる。これでは空振りもいいところ。
帝国海軍は艦隊保全を優先しているのか領海に引きこもり出てこないことが多いとはいえ、ここまで共和国艦隊の侵入を許したことは、今までになかった。

「どうにも嫌な予感がする」

「ド・ルーゴ少将?」

共和国が誇る国防次官、ピエール・ミシェル=ド・ルーゴは軍帽を深く被りなおす。視界に広がる、時化のない静かな海はこれから起こる嵐の前兆にも思える。臆病者だと笑われるかもしれないが祖国が敗北するよりはと振り返り、口を開いた。

「ビアント大佐、協商国連合に電報を頼む。オース・フィヨルドへの上陸があるかもしれんとな」

「オース・フィヨルド、ですか?」

ビアント大佐が疑問を抱いたのは正しい。オース・フィヨルドは協商国連合前線における補給路であり、喉元に近い。落されれば元々不毛な土地である協商国連合は補給路を失い瞬く間に壊滅するだろう。だが前大戦より落すことがそもそも不可能とされている。なぜならかの地は海軍にとって鬼門の強力な陸上要塞が建築された入り江だからだ。囲むように設置された砲台と機雷は侵入した艦を悉く沈めるだろう。
ましてや帝国との戦争に伴い、多くの兵が詰めているとも聞く。戦術的にも戦略的にも落ちるという想像が端から出来なかった。

「貴様は自身の兵科を軽く見過ぎていると私は思うがね。まあ、頼むよ」

ド・ルーゴ少将は気難しげに笑うと、海へと向き直り口を開かなくなる。前線で仲間が戦っているというのに自身は上官の御守り。不満は尽きないが命に逆らうわけにもいかず、ビアント大佐は協商国連合に電報を送ったのであった。



洋上の輸送機上で、ターニャ含む第二〇三魔導大隊は降下の瞬間を待っていた。直前まで魔導反応を感知させないために空挺装備での降下だ。もしも降下に失敗すれば昨日の夕食に出たソーセージの中身より酷い事になるだろう。
現在時刻は明朝。輸送機のエンジンはカットされ、呼吸音だけが機内に響いていた。事前にターニャより作戦の内容と、撤退が許されないことは伝わっている。今までのような簡単とは言いがたいまでも撤退可能な任務とは違う。
異様な空気が支配していた。

「敵増援が現れた場合はいかが致しましょう?」

「潰せ、徹底的にだ。だが、任務を忘れて遊ぶことは許さん。確認する、我々の目標はオース・フィヨルドの設置された砲台と魚雷陣地の無力化ないし制圧だ」

破滅するならば共に。最低の考えであったが、誰も否と声を上げることはなかった。第二〇三魔導大隊各員は、自身の隊長を信じていた。隊長が勝てと言ったのならば勝つのが第二〇三魔導大隊である。
その心強き隊員達を見回すターニャの瞳は獣の様に鋭い。だが、深い深い食らいつくような笑みが浮かんでいた。

「諸君、この時をもって我々は英雄となる。だが違えるな。ビスマルクよりも我々は苛烈で、勇猛でなければならない。この一撃で協商国連合は瞬く間に粉砕されるだろう。貴様らに神の祝福があらんことを!」

「さあ行くぞ、降下開始!」

ハッチが開かれ、真っ先に飛び出したターニャに続いて、次々と第二〇三魔導大隊が降下していく。

初動の一撃は上手くいった。砲列の一斉射撃の様に蒼く輝いた爆裂術式が魚雷陣地に直撃したことで天にも昇る黒煙を噴き上げる。
だが、予定通りに進んだのは此処までであった。遅れながらも2個大隊規模に相当する魔導反応が後方陣地より活性化した。

「敵増援を確認……これは、2個大隊規模!」

「馬鹿な!諜報部はなにをしている!」

ターニャに一瞬の迷いが生まれる。増援に対して、此方も魔導師を当てなければならない。しかし、もし此処で第二〇三魔導大隊の半数をさいてぶつければ向かう先は、作戦成功の代わりに部隊の壊滅だ。
部下の大半を失えば信用も失う。
なによりエッカート少尉を此処で失うのは、よろしくない。速度・高度から見て一線級の相手に時間を稼ぐ方法をターニャは一つしか知らなかった。
ああくそったれ、と悪態をつきそうになって歯を食いしばる。上官の動揺は部下に伝わり、最悪の影響を及ぼすことを前世からターニャは知っていた。

「トイフェル01!応答しろ!貴様と私だけで切り込む!第一、第二中隊は後方より牽制!第三、第四中隊は任務を優先しろ!」

死ににいくようなものだ。声を上げようとしたセレブリャコーフ少尉を一睨みで黙らせ、少しでも敵の上を取ろうと急上昇を開始する。何故だか笑えてきた。
考えれば前世でも良くやったことだ。給料を超えたオーバーワークはサラリーマンの嗜みに過ぎない。

「もし―――私が自身の罪を告白するというのなら神はその罪を赦し、全ての悪から清めるだろう」

囁き、瞬きをしたターニャの瞳は黄金に輝いていた。

「おや、隊長は敬虔な信徒でしたか?そうは見えませんが」

同じ高度、一万二千にまで上がってきたアリベルト・バイエル大尉にターニャは笑う。分かっていたことではあるが逃げずに共に突っ込んでくれるらしい。
別段、雪中訓練の様に手ずから鍛え上げたわけでもないのにご苦労なことだ。あるいは天才、というやつかもしれない。
どちらにせよ、良い掘り出しものをした。

「生意気な口だな。合わせろ」

展開されるのは第七層制御、魔導砲撃術式が二連。その威力と貫通力は二八cm砲の一斉射撃に匹敵する。莫大な黄金と、黒の魔力が空間に渦巻いた。高い錬度を誇る協商国魔導師連中は、それを見せつけるように即座に回避行動に移るが意味をなさない。
空間がねじ切れる音と共に、一瞬戦場で瞬いた閃光は協商国魔導師二個中隊規模の編隊を飲み込んだ。

「ブレイク!」

余韻もなく、即座にターニャとアリベルトは散開した敵魔導師へと突っ込む。流石の敵も先の一撃に動揺して、立ち直りが遅れていた。
はなから時間がかかる弾丸で仕留めきることを諦めたターニャは、牽制程度に軽機関銃をばら撒きながら魔導刃を突き出した。
血がかかった目元を袖で拭い、空を這うように追いかける貫通術式を避ける。

「もうか!敵に優秀な上官が居るな!」

既に追う者と追われる者は逆転している。急速旋回軌道をとって尚、防殻に突き刺さる弾丸に舌打ちした。流石に数が多すぎる。
黄金の魔力で構築した防殻を貫かれることはないだろうが、同時にターニャの精神も音を立てて崩壊していくのを感じる。
神の魔力を使えば使うほど洗脳されていく。このままいけば敬虔な神の信徒。

「存在Xを信奉するのなんぞ御免だ。トイフェル01、隙を作れ!」

「了解しました!」

視界の端でターニャと同じく弾丸の雨に追われるバイエル大尉が、急に反転したのが見えた。気の抜けるような音の正体は発煙弾、それも3つもだ。少し離れた空域のはずのターニャまで巻き込んで白煙が広がった。
同時に強烈な魔導反応が渦巻き、弾丸が空間を暴れまわる。弾が当たった防殻が瞬き見え敵の位置が煙の中で露見する。

「雑だが良くやった」

黄金の魔力が込められた弾丸は、シェキナーの弓から放たれたが如く防ぐことは叶わない。容易く防殻を貫き、煙から飛び出すまでの数秒に5人の魔導師を正確に貫いていた。
だが優勢なのはそこまでであった。煙からいち早く脱出した協商国連合の魔導師は完全に立ち直り、隙を見せない。
空間を煌めく青い魔力の弾丸はけして、ターニャやバイエル大尉の接近を許すことはなく、猟のように追い込んでいった。

「砲台の破壊はまだか!」

『残り一ですが、敵の抵抗が強く破壊に時間がかかります!』

既に協商国連合の一部の部隊が抜けて、第三、第四中隊と交戦に入っている。援護は期待できず、砲台の破壊ももうしばしかかる。
一瞬の油断だった。砲台に注意がそれた瞬間に、狙い澄ましたように強烈な貫通術式がターニャの防殻に突き刺さっていく。

「ええい!クソッタレめ!」

今更吠えたところで如何ともしがたい。その場に縫い付けるように爆裂術式と貫通術式の雨が叩きつけられる。どうやらただの貫通術式ではターニャを仕留められないと学んだらしい。
ならば貫けるまで数で、ということだ。実際のところ、最もターニャに対して有効な戦略だった。

だがそこに踏み込んだ者がいた。

「これで貸し借りなしでお願いしますよ、隊長」

アリベルト・バイエル大尉が体ごと弾幕に捻じ込むようにターニャを突き出して、包囲から抜け出させる。

「貴様に貸しつけた記憶はないが?」

「では貸しということで。丁度増援も来ました。任務完了です」

「増援?」

空の彼方に二個大隊規模の魔力反応が確認された。作戦の通り進むはずならば、増援の大隊到着時刻はあと300秒後といったところ。
その二倍もの兵力となれば母港に駐屯している魔導師のほぼすべてを動員したことになる。守りを全てかなぐり捨てて此方に寄越すなど正気の沙汰ではない。
だがどのような手口を使ったのか、どうやら本当に増援らしい。一斉に協商国連合魔導師へと帝国の魔導師達は襲い掛かっていく。
目下でも最後の砲台がへし折れるのが見えた。

「エッカート司令が大分無茶をしたそうで」

なるほど、流石に愛娘の危機ともなれば公私混同もいとわないらしい。お陰で助かったのだから文句はない。安堵のため息を吐き出したターニャは、不覚にも意識が暗転するのを感じたのであった。



★―帝国軍第二〇三魔導大隊仮説駐屯地―★

オース・フィヨルドの陥落。大大的な報は世界中を駆け巡り、協商国連合の崩壊を予期させた。事実前線は既に崩壊し、撤退を繰り返している。兵站が着かないということもそうだが、兵達だけでなく士官の多くが心折れていた。
だがピクニックと称して帝国への進軍を決めた当事者達だけは諦めるという言葉を知らなかった。
政府は敗北したが国が敗北したわけではない。そう自身に言い聞かせ、アーバンソール外務評議員の脱出を決定したのである。

「ということだ、諸君。ゼートゥーア閣下からのお達しで、休暇は返上になった」

向けられたヘイトはより上官に押し付けるに限る。オース・フィヨルド陥落よりあったはずの一月の休暇はなんと一週間で終わってしまった。
しかしながら、第二〇三魔導大隊の誰もが不満げな顔をしていないのは流石としか言いようがない。前世の部下なら不満をまき散らしていただろう。

「海上での捜索迎撃戦になる。幸いなことに北洋帝国艦隊が本作戦に協力してくれることとなった」

いまどきサーチ&デストロイなど流行らない。だがやれと言われればやり遂げるのが職業戦士だ。即応魔導大隊という名を捨てて便利屋と改名した方が良いのかもしれない。
兎も角、まったくノウハウのない環境下での作戦任務となる。一昨日から通信機に噛り付かされるヴァイス中尉が哀れだった。

「ヴァイス中尉、状況説明を改めて頼む」

「はっ!昨日未明、北方方面軍第二二四夜間偵察隊所属の偵察機が集結中の艦艇を補足」

ボードに張り出された協商国連合の艦艇一覧と写真。列強とはいい難い艦艇数であるが、海軍国家ではない帝国海軍にとっては十分な脅威だ。
集結しているうちに撃滅して後の禍根を潰しておきたいところ。その上、未確認だが政府要人が尻尾を巻いて逃げ出そうとしているらしい。

「分析の結果、離脱を謀る協商国連合の艦艇と断定した。当たり前だな。だが中立国とやらが近海で演習中らしい。誤射には留意せよ」

やはりというべきか、連合王国は協商国連合の崩壊に我慢が効かなくなったらしい。宣戦布告とはいかないまでも交戦地域での露骨な演習とは、使い古された挑発だ。
前世の母国も嗜んだ手なので世界が変わろうと万国共通なのだろう。偵察機を割いて飛ばし続けなければならない海軍は苦心しているはずだ。

「バイエル大尉からは何かあるかね?」

「海兵魔導師の存在も確認されております。先の戦闘で協商国連合の魔導師の実力は知るところでありますし、留意すべきかと愚考します」

「成程、正しい意見だ。では各自完全装備で六〇分後に演習場滑走路に集合。以上だ」

戦意高く大隊各員は部屋を出ていく。どうやら信頼すべき部下達は、急な任務にまったく躊躇する気はないようだった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話

★―帝国北洋艦隊巡回地域―★

なぜギリシア神話、北欧神話において寒さは地獄の象徴とされたか。欧州において寒さとはそれだけ抗いがたいものだからだろう。凍傷は四肢の感覚を奪い、低体温症は自律神経の働きを損なわせる。
自然現象である温度変化に防殻は対応せず、分厚い軍用の外套と急遽隊費で購入した耐寒装備だけが頼りだった。
自身の位置すら見失いかねない海上では海図を開く余裕もなく、途切れがちな通信機と原始的なコンパスを見つつ進まなければならない。
更に言えば最悪なことに天候は荒れに荒れ、改善する見込みがない。涙より大きな雨粒が全身に叩きつけて、ただでさえ重い装備を亀の甲羅にしていた。
吐き出す吐息は既に白さを失っている。雪中訓練を果たした第二〇三魔導大隊の隊員も寒さに二日間の捜索で脱落者が出ている。
交代しているとはいえ、これ以上の継続的な捜索は不可能だった。帰ったならば参謀にどれだけ海上捜索を魔導師にやらせることが不毛か説かなければならないだろう。

「此方第二○三航空魔導大隊、応答願います。此方、第二○三航空魔導大隊、応答願います」

「ヴァイス中尉」

「駄目です。先程から通信を試みてはおりますが、この嵐の影響か反応がありません。隊長から広域通信で連絡を試みてはいただけませんか?」

先程から北洋艦隊との通信が途絶している。これでは態々母港に帰らなければならないだろう。実際のところ陸軍管轄の港より艦艇の方がいい暮らしが出来るし、何より帰りが楽だ。
今日はソーセージとポテトを潰した伝統料理だと思うと、憂鬱なことだった。だが任務を優先しなければ怠慢を疑われる。
ターニャは迷いを捨てるために口を開いた。

「ナインだ。捜索任務だというのに大声を張り上げて行進してどうする。無能王ですら尻尾を巻いて、いやこの喩えはおかしいな」

「失地王ならば命乞いをしだすでしょう」

「違いない。大隊各位は自身の魔力残存に注意しろ。私に背負われて帰るなよ?笑い話にもならん。あと半刻もすれば今日は帰還する」

軽口を叩けるかどうかは一種の才能だ。場の空気を和ませ、空笑いながらも気分を軽くさせる。そういった意味ではバイエル大尉よりヴァイス中尉の方が副官向けかも知れなかった。
だが、バイエル大尉を副官の座に縛り付けておかなければ、ふらふらと光物に集まる烏のように飛んでいきかねない。
そう考えて、バイエル大尉に注意を向けると、何故か歯を食い縛って遠くを見つめていた。向いている方はターニャの肉眼では暗黒の海が広がっているようにしかみえない。

「隊長!所属不明の艦艇を発見……いやこれは、船団です!協商国連合の残存だと思われます!数は10ほど、大隊規模の魔導反応も確認できました!」

「なに?目がいいな。だが最悪のタイミングだ!くそったれめ!」

どうやら部下は鷹の目を持っているらしい。敵の船団を捕捉できたことは純粋に称賛に値する。だが色々な要素が積み重なった結果、考えうる最悪の事態にあった。
北洋艦隊との通信が途絶しているため海軍との連携がとれず、また先程までの捜索で大隊各位の余剰魔力が絶望的だ。最悪、魔力切れて海の藻屑に成りかねない。
そもそも魔導師だけで艦隊に突っ込むのは、針のむしろに身を叩きつけるようなもの。ターニャとて御免だった。

「だが任務だ」

言葉に出して噛みしめる。この任務がゼートゥーア准将より直々に命じられたわけとは、試されている。試すということは疑心の裏返しだ。オース・フィヨルドの一件以来目を付けられていたのだろう。
信用と信頼は何よりにも勝る。此処で引けば再度の補足は困難になる。上官からの信頼を失ったうえ無駄足で帰るくらいならばラインで高射砲と戯れていた方がマシだった。
せめて一当てでもして損壊を与え、足を遅らせる必要がある。身を投じろと命じることに忌避はないが、そこには自身の命もつくとなれば話は別。

「諸君、喜ばしいことに我々は史上初の艦艇を沈めた魔導師として名を残すことになる!編成Cでの攻撃後、ヴァイス中尉率いる第三小隊は援護しつつ北洋艦隊との通信を試みろ。後は突っ込むぞ!」

「海軍の勲章まで頂けてしまいますな!」「我々の分も残しておいてくださいよ、隊長」「第四中隊は何時でもいけます」

威勢のいい声だった。口々に勝手なことを叫ぶ馬鹿共。だが、これから起こる悲劇に何人かは飲み込まれ昏い海の底へと沈んでいくことになるのだろう。
ターニャ・フォン・デグレチャフに軍人としての矜持が生まれていたのかもしれない。馬鹿らしい、一蹴にして黄金の瞳で船団を睨みつける。
逃げたい。だがここでキャリアを潰されてたまるか。

「諸君達に神の御加護があらんことを!」

爆発的な黄金の魔力が広がった。僅か三個中隊に過ぎない部隊より放たれるのは四枚の第八層連結砲撃術式。熟達した部隊による魔力の融通と天に届きうる巨大な術式は理論上38cm砲に達する。
それはつまり戦艦の砲撃と同等の威力を小隊単位の魔導師が解き放つという事。貫通力と破壊力に優れるが面制圧力は低く対地戦には向かない。
そもそも従来の94式では処理能力を超え、95式以上のナンバーでなければ展開すら許されない。馬鹿らしいとされた術式はエレニウム工廠により一月前に登録されたばかりであった。

「照準はバイエル隊長が持つ。貴様の目を信じるとしよう」

「お任せあれ」

短く返したバイエル大尉の瞳が黒く染まっていく気がした。戦争は変わる、時代の先駆者にいることを証明しよう。
上げられた手がゆっくりと振り下ろされる。包み込む翼の様に黄金の魔力が爆発的な光量を伴って闇を切り裂く。

撃てぇええ!!

音が死んだ。四筋の光の道が、やけにゆっくりと水面を照らし出し彼方へと向かう。波が砕かれ遂に戦艦の横腹へと激突する。
直後に吹き上がった炎の嵐は灯台の様に煌々と周囲を照らし出した。遅れて再び振り出した雨に、ターニャは言葉を失っていた。

「隊長!3名が魔力欠乏症を起こし、意識を失っております!危険な状態ですが……隊長?」

「ああ、いや見たところ沈没とはいかないようだな。だが十分な成果だ。無事な者は追撃を仕掛けるぞ」

「はっ!」

雨水とは違うものがターニャの頬を伝った気がした。かつて“核”を見た者はこれ以上の衝撃を受けたのだろうか。
別段、術式の威力を侮っていたわけではない。ただこれではまるで、神の奇跡だ。頭を振って思考を追い出す。最悪な兆候だった。
どうやら気付かぬうちに思考の深い所にまで存在Xの汚染は浸透しているらしい。

「敵の魔導師が出てくるぞ!混乱している今のうちに叩く!」

着いてこれる者は二個中隊規模程か、流石にあの術式は小隊規模で展開するには問題が多くある。フィジカル面で鍛え上げた第二〇三魔導大隊とはいえ魔力には才能によるところが大きい。
一般的な魔導師に比べて水準の高い第二〇三魔導大隊員であるが、抜きんでているのはバイエル大尉とセレブリャコーフ少尉くらいだ。
その中でターニャは中の上。存在Xの力を借りねばその程度でしかなく、体格に劣るターニャが黄金の魔力を常用することは仕方ないといえた。

より、聖人らしく。


幸運、それは神の加護だ。協商国連合側からしてみれば悪夢でしかない。突然の正確な長距離砲撃によりヴァンガード級が爆発炎上。
右往左往していたところに二個中隊規模の魔導反応を確認。応対する形で海兵魔導大隊を出撃。北洋艦隊の偵察に補足されたと判断し応対しようとしたのだ。

「どうやらウナギ以外も混じっていたらしい」

其処に帝国海軍北洋艦隊第一三潜水任務所属の巡回潜水艦が偶然にも現れる。直撃は免れるも、二本の魚雷がフリゲート級の操舵能力を奪った。
六本放ったうち、二本しか当たらない上に早爆したのだから舌打ちも付きたくなるが状況は数的優位に劣るはずの帝国側に傾いた。
協商国連合艦隊は既に敵北洋艦隊に補足されていると誤認したのである。丁度フリゲート級が司令となっていたのも災いした。
統率を欠いた各艦は各々の判断で分散し少しでも艦隊を保存しようと行動に入った。
こうして、帰る艦もない協商国連合魔導師と炎上を続けるヴァンガード級、操舵能力を失ったフリゲート級が取り残されることになる。

「二隻ではな」

対空能力が甘い、次々と砲が沈黙し魔導師が近接戦闘に入ったことで弾幕が薄れる。既に敵魔導師の頭をとった第二〇三魔導大隊の残存部隊は兵力で劣りながらも、互角の戦いを繰り広げることになる。
炎で照らされたことで、降り注ぐ雨の中も敵の姿がはっきりと見えた。だが余裕があるわけではない。大半の魔力を失った面々は37mm機関砲の至近弾を受けただけで落ちかねない。
愛称はポムポム砲と可愛らしいが、その音から名づけられた名に侮れば榴散弾の洗礼を浴びることになる。甘めの偏差射撃を目視で避けながら魔力を気にしつつ適度に貫通術式を軽機関銃でばら撒いていく。
だがどうやら楽ばかりさせてはくれないらしい。

「ラインの悪魔ぁあああああああああああああああああ!」

「貴様は?」

ターニャは記憶の片隅から突っ込んでくる男の顔を思い出そうとした。何処かで会ったのか、しかしどうにも思い出せそうにない。
名が知られてきたので仲間でも殺したのかもしれない。戦争で復讐だなんだと私情を持ち込まないでほしいものだ。軍人は国に奉仕する公務員であるというのに。
勿論人間的感情をターニャも持つからして同情心はある。しかしながら、自身の命を晒すほどではない。呆れ顔で突撃を避けた。

「隊長、この獲物は頂いても?私の残存魔力では艦艇への攻撃は困難かと」

「ああ、構わないとも」

ターニャは自身の精神状態を思い出して、割り込むように入ってきたバイエル大尉に頷く。後ろからわめき声が聞こえてくるが気にせずその場を離れた。
面倒を押し付けられるなら大歓迎。なにより鉄の棺桶と化した艦艇の僅かな高射砲を黙らせるのは魔導師を相手するより楽な仕事だ。
メアリーという誰かの名の絶叫を背に、ターニャはその男の存在を脳の隅に追い出した。

★―ライン戦線中部防衛線後方/曇り時々砲弾―★

帝国第二〇三航空魔導大隊は現地の艦隊と協力し、北洋にて中破したヴァンガード級とフリゲート級、また同海域にて不審な行動をとっていた連合の漁船母艦ライタール号およびM級潜水艦の拿捕に成功する。
同船には協商国連合のアーバンソール外務評議員が同乗していたこともあり、今後帝国は連合王国に外交的圧力をかけていくことになる。
さて、そうして海軍と協力し華々しい戦果を遂げた第二〇三魔導大隊には多大な恩賞と休息が与えられるだろう。

「まあ、そんなことはない。それに休みは海上でとっただろう?冗談だよエッカート少尉」

北洋での一戦はゼートゥーア准将からの極秘任務であるからして、“休暇中に緊急的処置で戦闘状態に入った”という建前が存在する。
つまり第二〇三魔導大隊は書類上既に海上で休暇を取り終わっているわけで満を持して人事部に提出した休暇願は却下された。
更に更に、エッカート司令の強い要望もあってラインに逆戻りすることになる。第二〇三魔導大隊の多くはライン戦線を経験していない。
慣れない任地に連日の戦闘もあり流石に根をあげた第二〇三魔導大隊は再び休暇願を提出するがこれも却下。職に忠実なのはいいが帝国人は勤勉が過ぎる。
アリベルトは天幕の隙間から砲撃降りやまぬ曇天のライン戦線を見上げながら、ゆっくりと口の中で溶けていく珈琲の熱を吐き出した。

「結果として、ですが良かったのでは?多数のつながりも出来ました」

「確かに我々は即応部隊であるからして他部隊との協力は不可欠だがな。この制度も問題だ。私の担当が他の隊の二倍ほどではないか。一日に8時間を超える労働は誇りある帝国軍として如何なものか。末期の戦時国か衰えた先進国かね」

そこで第二〇三魔導大隊は一計を講じた。必要な戦果をあげてしまえば文句はないだろう。ということで本来は第二〇三魔導大隊全員が参加する筈の任務に中隊規模のシフト制を設けたのだ。
これにより定期的な休暇と、シフト参加者への多大な苦労を第二〇三魔導大隊は手に入れた。既にライン戦線は末期であるからして共和国軍魔導師の底も見えてきたからこその荒業である。

「任務の責任所在などは隊長か副隊長が持ちますから」

その上でアリベルト・バイエル大尉は半分以上のシフトに入らされていた。何故なら、一応第二〇三魔導大隊ということであるので管制への通信や指揮権などを含めると相応の階級が必要になる。
因みに栄えあるデグレチャフ隊長は“子供に必要な就寝時間”のために必要な分以外の任務を放棄した。ブラック企業さながらの所業にアリベルトは文句の一つも言いたいが、言う相手が居なかった。

「失礼します」

ノックの音に気のない返事を返す。取り繕うのも面倒だった。入ってきたタイヤネン准尉の顔を見て、思わず顔を顰めたことは責められないはずだ。
厄介ごとの臭いがする。とりあえずは話を聞くだけ聞こうと椅子をすすめた。


「でだ、教導任務をデグレチャフ隊長が私にやれと?」

どうやら戦場での束の間の休息さえ一兵卒には許されないらしい。折角の休暇前だというのに新たな厄介ごとが舞い込んできた。
任務を行いながら、デグレチャフ隊長が広めた紙おむつをつけた新兵どもの教育をしなければならないらしい。おむつがあるからといってしょんべん臭さが消えるわけではない。
しかしながら無謀が過ぎる。なにせ頭上から砲撃が降り注がないか、戦車に塹壕ごと押しつぶされないか、狙撃兵の弾が外れないか、心配しながら救いもしない神に祈りを捧げることしかできない戦場だ。
新兵の実地訓練としては最悪もいいところだろう。きっとこれを計画した人事部は第二〇三魔導大隊の戦績だけを見て判断したに違いない。

「確かデグレチャフ隊長が一手に引き受けると仰ってなかったかな。タイヤネン准尉」

「はっ。しかしあまりにも二つの班の素行が悪いため教育せよとのことです」

既に偵察任務と遊撃任務を終えた中隊に休みを与えず追加の任務とは恐れ入る。人情としては助けてあげたい気持ちも、前世からの同情心もあるが飼うだけの資源はないのである。
私の第二中隊も余裕があるわけではないのだと、塹壕送りを提案してみた。地を這い蹲る鼠になれば簡単に童貞を捨てられる。勿論、タマがなくなる危険性は高かった。

「バイエル大尉に一任するとのこと。それと一言だけですが許可は貰っている、だそうです」

つまり教育のためならば多少の事故は問題視しません、ということ。ふと塹壕送りのようなもので、より建設的かつ効率的な方法が思い浮かぶ。
出かかった言葉を飲み込んで、にこやかに頷いた。誰もが最初は新兵なのだ。扱きは誰もが通った道であるし、嗜虐心も充足できる。
こうして悪習は連綿と続くのだ。気に食わないが仕方のない事と言える。

「了解した。何人かね?」

「四班と七班の計8人です」

「では我が隊には腐った芋ではなく缶詰を優先して回してもらうことで手を打とう」

流石にこう毎日芋ばかりでは飽きが来る。帝国製の缶詰は海軍との同一規格であるため多少は真面だ。珈琲を一気に飲み干すと椅子から立ち上がった。
出ていかなくてはならないのが名残惜しい。塹壕を天幕で整えただけの後方であるがトーチカよりは何時生き埋めになるか心配でない分マシ程度の差。
砲撃を受けるだけならば防殻で弾けるが、大地の肥やしにされてしまえば抜け出すことも叶わない。空を飛べない鳥は、とはよくいったもの。
これから新兵のためにそのような場所にいかなければならない。

「失礼します。補充人員が到着致しました」

「準備が早すぎるな。さては隊長は端から押し付ける気だったか。では顔を拝むとしようかね」

天幕を出た先にずらりと並んだ8人は成程、何処か抜けたところが多いようだ。一人二人は真面目な顔つきをしているが何処か浮ついた雰囲気を感じる。
祖国のために志願した者たちだろうか、戦場に何かを期待されても困ってしまう。血と硝煙の香りで噎せ返るだけだ。

「ああ、諸君。そう固くならなくていい。気楽で構わないよ、私はアリベルト・バイエル大尉だ」

どうせ直ぐに死ぬような目に合うのだからという言葉を飲み込んで、胸元の宝珠を96式に付け替える。これから大変な仕事になるため用意しておく必要がある。
あのデグレチャフ少佐を見た目だけで侮った彼らだ。印象重視ということで出来るだけフランクに接することにしよう。

「まずは、そうだな。貴様らはどうしてこの戦場に来たのか教えてくれるかね?」

返ってきた返事の多くは国の為等、何れも興味を惹かない事ばかりでやる気が失せるというもの。彼らは皆志願兵だというがナショナリズムが先行し過ぎていて身が出来ていない。
だが最後の一人の青年は瞳を輝かせて私に向かってこう告げたのだ、貴方の様な英雄になりたいと。此処は笑う所かと一瞬思考に耽る。
まさかこのアリベルト・バイエルの名を出して英雄と呼び、あまつさえ英雄願望を声高く主張するとは滑稽極まりない。
きっと帝国が誇るヴォルスンガ・サガでも読みすぎて頭がお花畑のようだ。セレブリャコーフ少尉とエッカート少尉に多少は分けてもらいたい。
勿論、防殻は確かに命を守ってはくれるが竜の血程万能ではない。

「成程、大変結構だ。まず貴様らは戦場にハイキングに行くとどうなるかを学ぶ必要がある」

教育に必要なのは反復と復習であり、地獄の戦場で戦うには生きて地獄の戦場を味わうべき、とされている。訓練された兵ですら戦場に立てば失禁する、ある意味当然である。
最悪錯乱して味方を巻き込みかねない。そのような新兵に近づくのも私は到底御免であるがデグレチャフ少佐がやれと言うのならばやり遂げなければならないのが中間職の辛い所。

「なに、デグレチャフ少佐殿のように非魔道夜間浸透戦に慣れよなんて高等技術は貴様らに求めない」

先ほど思いついたばかりの任務を口にする。上手く統制も出来ず、鉄の塊で大地を肥やすだけの砲撃の中からこちらに向かってくるものだけを迎撃する任務である。
実用効果は然程ではないが多少味方に降り注ぐだろう砲撃を阻止できる上に、デコイとなって襲い掛かってくる魔導師を我々中隊が狩ることもできる。
第二〇三魔導大隊は肉壁を手に入れ、ノルマも手早く終わる。幸いなことにシフトは時間でなく成果であるので、効果は高い。
なんだその程度かと安堵の笑みを浮かべる彼らに対して、私も笑みを返した。

「ただしノルマを設ける。降りることは許されない。任務中に日没を拝まないことを祈ろう。では諸君、早速仕事に取り掛かろうか」

今は朝の6時であるから12時間ほどの労働になる。勿論それまでに緊張などの精神的疲労で魔力は尽きるだろうが、そうなれば気絶するだろうし塹壕の中で休ませてやればいい。
必至に飛び、落ちる姿を見せれば砲兵の同情を買い、繋がりになる。信頼は観測任務の精度に直結するため、後々にも響いてくる。
満面の笑みで笑いかけるも、彼らの顔は引きつったままだ。早速動き出さないとはノルマを熟す気がないのかもしれない。
どうせデグレチャフ少佐が全責任を負うのだと構わなかったが、達成人数0人では寝覚めが悪い。発破をかけるとしよう。

「ああ、エッカート少尉。彼らが独断で落ちそうになった時は抗命行為として処理したまえ」

「はっ」

最初の二日だけで無事に生還することが出来たのは6人だけであった。しかし生き残ったうち2人もPTSDで強制送還。
流石の大失禁に塹壕の連中も近寄りがたかったのか救助が遅れてしまったことは残念でならない。私も近寄りたくなかったので貴重な真水を叩きつけて起こした。
他人に洗われるよりは自分自身で洗った方が羞恥心も薄れるだろう。せめてもの良心だが、既に手遅れな事は否めない。
尊厳が失われた姿を晒すことになるため、女性が居ないのは幸いだった。
今日は事前任務にて潰しておいたのが効いたのか、普段よりかは緩めの高射砲の嵐であった。それでも過酷な戦場によくも4人も耐えたものだと称賛に値する。

「私はもう半分になると思っていたがね。どうだろうか、エッカート少尉」

「減らしすぎかと。デグレチャフ少佐はもう少し手加減なさっていました」

嘘だろ?思わず素が出かかった。あのターニャ・フォン・デグレチャフ少佐の教導任務ならば一人しか残らず合衆国のキャラクター、スーパーマンの様になっているに違いないと思っていたのに。
あるいは、やはりというべきか愚昧な連中を此方に押し付けてきたということだろうか。そうに違いないと結論づけて振り返る。

「さて諸君。良く生き残った。特にテオドル・アイケー准尉は優秀な成績を収めた」

彼ら4人は此方に贈られてきたときに比べて、見違えるような変貌を遂げていた。希望に輝いていた瞳は戦場の沼のように汚れ、髪は泥を浴び過ぎたのか散々に軋んで痛んでいる。魔力欠乏症の影響か、肌は白く目が窪み隈が目立つ。
完璧な末期症状の魔導師だ。もしも夜中に出くわせば叫び声をあげてしまうこと間違いなし。驚くべきことは、私を英雄と呼んだ青年、アイケー准尉が生きているくらいか。

「そのような諸君には休暇を与える。私の休暇と同じ三日だが、休暇終わりにはまた任務を手伝ってもらいたい。いつでも、歓迎しよう」

笑顔は忘れないがどうやら気分を害した様だ。彼らに背中を銃剣で刺されないか気を付けなければいけないかもしれない。

目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話

★―1922年12月24日―★

鋼鉄と石炭で栄えた町、アレーヌ市。古くから続く歴史ある街並みは赤煉瓦の波で彩られ、中心にはカレリアン大聖堂が堂々たる門構えをしている。
産業革命以降、発展したこの町は共和国の9割にあたる鋼鉄の生産場でもあった。しかし繁栄の陰には戦争が見え隠れする。
独立気風なことや、微妙な立地であることから長年帝国と共和国に引き摺りまわされ戦火に飲まれたことも一度や二度ではない。
また産業地帯であることから両国の国民が流入し、大きな人種問題を抱えていた。

それは此処、神の膝元である孤児院もまた例外ではない。創世記を描いた美しいステンドグラスの隅には埃が積もり、並べられた長椅子の脚は今にも折れそうだ。
飾られたキリストの像も良く磨かれてはいるが経年劣化が見られた。迷える子羊を拾う孤児院は、どちらの人種も受け入れる為年々寄付の額は減っていった。
神の加護があろうとも寄付がなければ成り立たない。神父は清廉潔白な人物であったが、今や教会では身柄の引き取りが身売りのように行われている。

説法が終わり、誰も居なくなった教会でただ祈る。聖人の落ち窪んだ瞳は何を伝えようとしているのか、神はなにも答えてはくれない。
今年で15となったアリベルト・バイエルは来年にはこの孤児院を出て働かなくてはならない決まりだ。しかし住民に紛れ、時に俗物の如く民族の違いに怒り、偏執的な愛に溺れることが出来るだろうか。
はたして己が進む道は何処なのか分からなくなる。この止めどもなく湧き上る感情を思春期特有の悩みだと吐き捨てるのは簡単だ。
ただただ、脳裡の裏に炎が煌めく。

「幸いなるかな、心の貧しき者、ってか?」

「ラザロ。居たのなら声をかけろよ」

凝り固まった体を解すように、ゆっくりと振り返る。そこには皮肉気に笑う黒髪の堀が深い共和国らしいまだ幼さを残す青年が居た。ラザロはアリベルトと同期に孤児院に来た同期だった。
昔はアリベルトなどとは違い物心着いた頃に親に捨てられたことで、良く暴れ喧嘩を繰り返したものである。それが今や、アリベルトとは頭一つ分違う。今喧嘩すれば負けるだろうか。

「どうにも神父様と似てたもんでな。爺みたいだぜ」

「それは、嬉しいかもしれない」

「気に食わない野郎だ。流石は神父様の犬ってか?」

思わぬ皮肉に顔を顰め、非難気にラザロを睨みつけた。あまりにも馬鹿らしい話ではあるが、どうやらアリベルトという名は神父様の亡くなった犬の名だったらしい。
丁度犬が死んだ日に来たから、という理由だったらしいが、ラザロから分かる通りこの教会の孤児は聖人の名をつけられることが多い。
当然のことながら孤児院の中で、浮きに浮いた最初は苛められたものだ。

「泣き虫ラザロに言われたくはないな」

「殴られたいのか?」

実際の所ラザロは弱気でも泣き虫でもないのだが、良く御叱りを受けて泣かされていたので泣き虫と呼ばれるようになった。
これが更にラザロが捻くれるのを加速させたのはあまり楽しくない思い出だ。懐かしさに笑みを浮かべると今度はラザロが顔を顰めた。

「それよりアリベルト。お前、神父様の話を受けろよ」

「……?」

「だからほら、ここの跡継ぎの話だ」

思わず瞠目する。聞かれていたのか。どうやら成長したことで治ったはずの悪戯癖は未だに完治していないらしい。
アリベルトは神父様よりこの教会を継がないかと誘われている。それはきっと名誉なことなのだろうが、どうしてもアリベルトは頷くことが出来なかった。
心の中で燻る炎がどうしても心臓を鷲掴みにして離さないせいだ。

「お前はほら、頭がいい。聖書を全部朗読できるのもお前だけだし、昔から真面目で子供の世話が上手かった。それに神父様もお前を気に入ってる。この町の連中も、まあ帝国人らしいお前は難しいだろうが、それでも気に入ってるやつは多い。だろう?知ってるんだぜ。パン屋のさ、あの娘とか」

ラザロ、短く呼んで止める。それ以上話を聞くのは辛かったが一体何を言えばいいのか分からない。聞き耳を立てていたのはアリベルトもまた同じだった。
喧嘩が怖いわけでもないのに、きつく握りしめた拳を振り上げる勇気がない。止めろと叫ぶことすら出来ない。神は何も答えてはくれない。

「……実はさ。実は俺、魔力があることがわかってな。魔導師ってやつになれば軍から孤児院に金が払われるらしい。それもでかい金だ。時計屋にいったピエタの時よりも大きな額だ。で、この町にそんなに居られなくなるからさ。お前に後は任せたいって」

「ラザロ!」

名前を呼んだラザロが顔を歪める。言葉を続けようとして、口が凍りついたように開かなかった。なんと声をかければいいのだろうか。
おめでとう、と祝福するのが正しいのかもしれない。でもきっとそれは間違っている。この町の誰もが薄々と感じていた事であった。

戦争が起こる。

目を逸らしているのだ。共和国の首都に出かければ、各地で共産主義のビラが貼られている。それに反発する者との抗争が絶えないと聞く。
なぜか本国からの資金が増え、製鉄工場は何時も以上に稼働している。市に馴染めない帝国人の多くが本国へと帰還していった。
酒場では共和国人と帝国人との殴り合いが始まり、抗議運動がそこら中で行われている。ラザロが一度は断ったはずの検査が出来たのもそのせいだろう。
全ては戦争の火種だ、戦火に飲まれてきた町はとても硝煙の香りに敏感であった。それでも何もしない。この町の住民は何も出来ないと諦めて流されるばかりだ。

「お前は、ピエタはどうするんだ?」

「着いてきてくれるかはまあ、五分五分。どちらにせよ。明日、告白する」

吐き出した吐息が白い。消えかけた蝋燭に照らされたラザロの瞳の奥に、炎が見えた気がした。

「ラザロ。私は許さないよ」

教会の裏扉が開き、神父服を着こなした中年の男性がゆっくりと聖堂に入ってくる。何時もなら柔和な笑みを浮かべるはずの顔には怒りが浮かんでいた。
どうやら話を聞かれたらしい。ラザロの悪戯癖は引き継いだものだったのか。神父様、声をかけようとして俯く。神父様は戦争、特に軍を毛嫌いしていた。
魔力の有無を検査をするために訪れた軍人を追い出したほどだ。その時の神父様よりも、更に威圧感をました神父様の拳はきつく握りしめられている。
どこか抜けた神父様だがこういう時は怖い。殴打の音に思わず首をすくめた。

「ラザロ!」

吹き飛んだラザロが長椅子に勢いよくぶつかり、うめき声をあげる。対する神父様は息を荒げていた。

「神父様。俺は!」

「私は魔力検査を勝手に受けてはいけないと言ったはずだ。悪魔の力に属する、邪悪なものだ」

拳を受けたはずのラザロはふらふらと立ち上がって、気に入らねえと吠える。すまし顔であざ笑う誰も彼も、神父様が侮辱されるのも、家族が売られるのも。
頬は真っ赤に晴れ上がり四肢はふらふらだった。神父様の拳は還暦とは思えないほどに痛く、なにより響いてくる。

「神父様の拳なんざもう痛くねえよ!神なんざ救っちゃくれねえ!祈るのは御免だ!」

決別を叩きつける、最悪の一言だった。悲しそうにする神父様の姿に、ラザロの頬がひくつく。それから逃げるようにラザロは身を翻し、門より飛び出していった。
急いで追いかけようとした私を神父様が止める。首を横に振る神父様の姿に、私は致命的な失敗を悟った。遅すぎたということだ。
門の外で降り積もる白い雪の向こうで、炎が見えた気がした。あまり記憶にも残らない孤児院での日々の、聖夜の前夜を今でも鮮明に覚えている。





頭をぶつけ、目の前が白む。ゆっくりと泥沼に沈んだような意識が覚醒していくのを感じた。辺りを見回せば死屍累々の第二〇三魔導大隊。
久しぶりの隊全員が揃った休日に呑みにいったのを覚えている。だが、それ以降の記憶が無い。随分と飲みすぎたらしい。
嫌な記憶を思い出したものだ。あれから結局、ラザロは共和国軍に行った。そして私もまた、一年後に帝国軍に入ったのだ。
未だ上手く働かない頭で対面を見ればだらしなく酒瓶を抱えて、作画が完全に崩れているターニャ・フォン・デグレチャフ隊長が居た。
この姿は他の隊員には見せられないだろう。幸い、貸切にした酒場の中で起きている者は私と店主くらいなものだった。

「すまないが、水を頼む」

店主に水を貰い、一気に煽った。脳髄に響き渡るような冷水が、少しは脳にこびり付いた灰を押し流してくれることを期待する。
すると、店の中が妙に臭い事に気付く。どうやら誰かが吐瀉物をまき散らしたらしい。店主には本当に悪い事をした。

「隊長、デグレチャフ隊長」

他の隊員を起こさないようにゆっくりとデグレチャフ隊長の肩をゆする。幸い酒癖は悪くないのか、デグレチャフ隊長は黄金の瞳をゆっくりと開いた。
こうしてみればまるで妖精のようだ。勿論、その中身が功利主義者であり殺戮を是とする良心のない怪物であることは知っている。
人々を魅了する瞳は狂気の色、見つめ続ければ呑まれそうになって思わず目を逸らす。まるでメデューサだ。この目をまっすぐに見つめられるセレブリャコーフ少尉は流石である。
あるいは彼女こそ怪物でも、まがい物でもなく、真に優れた人物なのかもしれない。まあ、今は彼女もヴァイス中尉にしな垂れかかるあられもない姿をしている。
絡まれたのか、とても息苦しそうなヴァイス中尉のくぐもった鼾は聞かなかったことにしてやるべきだろう。ふと、視線を戻すと黄金の瞳がじっと此方を射抜いていた。

「ああ……バイエル大尉か。まるで冬季戦線の汚泥に浸かった気分になる」

「行ったことがおありに?」

「変な事を言ったな、忘れてくれ。まだ頭が何処かへ飛んでいきそうだ」

水を一気に飲み干したデグレチャフ少佐は、ふらふらと足取り怪しくも立ち上がり厠の方へと向かった。流石というべきか、あの小さい体で瓶一本以上は呑んだというのに立ち直っているらしい。
机の上に転がされた酒瓶と、中途半端に中身の残ったジョッキを見つめる。それから、辺りを見渡して一気に残りの酒を呷った。
きっと酔っているのだ。ひりつく喉は灰に焼かれたが如く、周囲は黒煙を上げる炎で包まれているように見えた。

「私に介抱させる気か?魘されていたようだが」

「デグレチャフ隊長」

何時の間にか、デグレチャフ隊長に傍に寄られていたらしい。酔っているからかもしれないが、まったく気配も感じなかった。

「貴様は戦場の残り香に酔うような奴ではないと思っていたがな。存外、人間らしいところもあるらしい」

「隊長がそれを仰いますか?」

思わず呆れ顔で頬を掻く。戦場に立つときも、ふとした日常も、片時もこの小さな軍人は軍人であることを辞めた様子を見たことがない。
精鋭と知られる第二〇三魔導大隊ですら弱音を吐くことはあるし、初めて魔導刃で敵を串刺しにした時は夜に悪夢を見るというのに。
心の無い怪物、あるいは戦争もない平和な日々にあれば普通の人間として擬態出来ていたのかもしれない。だがこの今こそが本質なのだろう。
私の返しに、デグレチャフ隊長は深く深く獣の様に笑った。

「勿論だとも。同情心も、愛国心もある。焼けた肉の臭いも、口に入ってきた血も嫌いだ。汚泥の這うのなんぞしたくはない」

どこかずれている。口にしようとした言葉を止める。酔ったはずの脳が痛みを訴えてくる。

「私もそれは御免です」

「だろう?だが仕事だ。職務の上ならば、人を殺すのも似たようなものだ」

アレーヌ市蜂起の報が入ったのは、この三日後のことである。

★―Xday アレーヌ市空域隣接圏―★

装備一式に実弾を詰め込み、ずらりと第二〇三航空魔導大隊の者たちが戦列を組んでいる。完璧な出撃体勢惚れ惚れするほど。
これより始まるのはけして戦争ではない。共和国軍と名札をつけられた市民を苛めるだけの虐殺だ。そのことを理解している者がどれだけ居るだろうか。

「当然のことであるが非戦闘員への発砲は著しく禁じる。ただし市街地戦につき物的破損については破壊許可が出ているためその対象とはしない」

アレーヌ市は工業地帯であり交通の要所だ。内通者が居るのかもしれない、兎に角、市民の一斉武装蜂起に憲兵の対応は間に合わなかった。
その上、航空魔導師の空挺降下を許す形になる。皮肉なことにオース・フィヨルドでの電撃的制圧と同様の戦術だ。模倣されたのかもしれない。
戦争の歴史は模倣と開発の歴史だ。新たな有効的戦術は真似るに限る。帝国は明確な危機にあった。

少なくとも、これによりライン戦線の後方が脅かされ前線が干上がりかねない事態に陥るのだと誰もが理解できるだろう。
既に各所から届かない物資に関しての陳情が上げられていると聞く。火消しをしているも、噂はそれよりも早い。広まれば士気にも影響する。

「降伏勧告中、交戦を一時切り上げることに留意せよ」

だから恐るべき一手を帝国は選択した。市民の定義とはなんだ?銃を持ち、此方に向けて引き金を引いてくる人間は守るべき市民ではない。
では、軍の降伏勧告に対してバリケードを築き立て籠もる場合はどうか?国際法を読めば、その条項は何処にも書いてはいない。
あるいはそもそも想定していなかったというべきか。少なくとも広義的に“反政府的目的が存在する武装勢力”は市民ではないのだ。
でなければテロリズムが正当化されてしまう。法律とは皮肉にも非常事態に対応できるようには出来ていない。市民を共和国軍として処理する、それが本作戦の要だ。
知らされているのはごく一部の高級士官のみ。現場で地獄を見ることになる兵達にはなんら説明されていない。

「今作戦において我々は急遽立ち上げられた新設憲兵部隊、武装親衛隊との協力体制を行う。よって軍事顧問としてクルトー・ダリュゲ大佐にお越し頂いている」

「新設された我々憲兵部隊の初仕事が、かの有名な第二〇三魔導大隊との共同任務とは喜ばしいことだ」

慇懃無礼に敬礼するのは、印象に残りにくい何処か傲慢そうな柔和な男だった。その背後にはアリベルトが教導任務を行ったはずのテオドル・アイケーも居た。
階級は既に少尉に上がっているらしい。そのまま陸軍航空魔導師に所属するかと思えば、憲兵隊に入っているとは思わなかった。
兎に角最初からターニャはこの連中が好きにはなれなかった。前世でのナチス・ドイツでの蛮行を思い出す、名前も一緒とはなんたる皮肉か。
だがアレーヌの現状を見るに現状の憲兵が無能なのは確か。何処もかしこも即応戦力を必要としていた。

「敵が降伏勧告を受諾すれば良し。そうでない場合は掃討戦に移行する。以上だが、大佐からは何かありますか?」

「そうだな。副隊長であるアリベルト・バイエル大尉は当該アレーヌ市出身だと聞いているが、交戦に関して問題ないのかね?」

「大佐」

何気なく放たれた致命的な一言。思わずターニャが声をあげたのも無理もない話だ。此処で副隊長に疑問を抱くというのは、答え如何に関わらず士気に患う。
まったくもって受け入れられたことではない。しかしそれでもダリュゲ大佐は柔和な瞳で詰問を辞める気はないようだった。
第二〇三魔導大隊内にも不穏な空気が流れ始める。最悪爆発しかねない。

「今回のアレーヌ市蜂起に関して帝国内の情報漏洩の疑いがある。我々は司令部直属の部隊として即座に密偵を炙り出さなければならない。これは軍の健全性のため何よりも優先すべきことだ、そうだろう?デグレチャフ少佐」

「……はっ!その通りであります」

それで前線の兵が助かるのか、吐き捨てようとする言葉を抑える。既にターニャはフィヨルドの時より嫌疑がかかっている。
不用意な発言は自身のキャリアを失うことになるのだ。自身の部下が不当な疑いをかけられようとも反論は許されない。

「で、どうなのかね?大尉」

「小官の過去をご存じであれば理解していただけるでしょうが、私は身寄りのない孤児です。また、帝国人であることから虐待を受けておりました。かの地は今回の件からも分かる通り反帝国思想が強く、既に故郷とは縁が切れております」

「成程、確かに貴様の記録からするに連絡を取った様子は軍属後ないようだ。疑ってすまなかったね」

「はい、いいえ。身の潔白を証明できたこと嬉しく思います」

自ら語りたくないだろう過去を切り出したバイエル大尉によって、その場の雰囲気はなんとか保たれた。だが痺れるような感触が肌に残っている。
ただでさえ、キャリアに傷がつきそうな今回のアレーヌ市掃討作戦に加え、これ(・・)とは気がまったく乗らない。
不穏な気配に胃を痛くする。だが作戦時刻は間近に迫っていたのであった。

★―連合王国波止場―★

美しい港。水平線に見える夕焼けが照らし出す町並みはさぞ見事なことだろう。だが今や港より漁船のほとんどは退去され、武骨な軍艦が並んでいる。
帝国の脅威から脱出した避難民達が合衆国へ向かうための中継地点に今はなっていた。その波止場で、一人の美しい少女が涙を流していた。
握りつぶされた新聞が地に落ち、一面の記事を晒し出す。紙面の内容は、協商国連合に対して行われた帝国の進撃である。
オース・フィヨルドの失陥と共に大分詳しく書かれた記事は軍関係者によってリークされた内容なのかもしれない。
ただ一つ言えるのは亡命しようとした評議員の死。しかし、書かれていない真実を少女、メアリー・スーは知っていた。
それは懇意にしている連合王国のジェントルマンから伝えられた北洋海域での自身の父の死と、それを引き起こした殺害者であるアルデンヌの烏の情報だった。

曰く、戦場に現れた魔人。悪魔と手を組んだ魔導師。圧倒的実力は父を軽く超えていたのだろう。父は勇敢に戦った。

だからなんだ?

「ゆるさない」

おお、神よ。何故かくも我らに辛き試練をお与えになるのでしょう!

「絶対に、許さない」

最後に抱きしめられた感触を覚えている。涙を流して再会を誓ったことを覚えている。愛する自身の家族を殺されて、怒りの咆哮をあげぬ者は居ない。
神はなにも答えてはくれず、ただ見つめるだけ。この手で罰を下すことになんの躊躇いがあるだろうか。何処にでもある悲劇だ。
しかし、一つだけ違うとすれば彼女は選ばれた人間であるという事。

瞳に黄金が宿る。

「天にましますわれらの父よ」

少女とは思えぬ鬼の形相をしたメアリーはひしゃげた新聞を踏み潰し、踵を返す。仇は生きているのだ、ならばやることなど決まっていた。
何故神は救いの手を差し伸べてはくれないのか。日が落ち始め、茜色に染まる湾には海風に飛ぶカモメを襲う烏の姿があった。

見よ。わたしが暴虐と叫んでも答えられず、助けを呼び求めても、裁きはしない。

彼は私の道に垣をめぐらし、超えることの出来ないようにし、行く道を暗闇に置かれた。

協商国連合の敗北、しかし誰もが地獄の戦争はまだ終わらないのだと心の奥底で理解していた。戦後の人々が幾ら物を書こうとも、この過酷な時代の真実を知ることが出来るのは当事者だけだ。
血に対する支払われるべき血の代償は未だ果たされていない。神の思惑が蔓延る戦場で、新たな神意が芽生えようとしていた。

剣を恐れよ。怒りは剣の罰を来たらすからだ。これによって貴方方は裁きがあることを知るだろう。

目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話

★―1925年5月4日 アレーヌ市空域―★

大陸に位置する国家の中で共和国は列強に名を連ねる。しかし近年、不況により経済基盤が揺らぎイデオロギー的動揺の煽りを最も受けた国でもあった。
かつての植民地の多くを失墜し今や二流国家に落ちる日も近いだろうと言われている。それでも尚、大国として名を連ねるだけの軍事力を当時の共和国は保持していた。
その興亡だけで弱兵だと侮ることも多いが正しくはない。共和国こそライン戦線に180万人規模の正面戦力を費やした大陸有数の国家である。
これは大陸最強の軍事国家である帝国のライン戦線正面戦力とほぼ同数であり、武装も合衆国や連合王国からのレンドリースにより充足していた。
当然、兵力の縮尺図である共和国軍の魔導師も僅かに帝国に劣りながら十分な兵力を有している。

今回アレーヌ市へと降下したのはその中における精鋭中の最精鋭、特殊作戦群に所属する魔導師はエースぞろい。対する第二○三魔導大隊は数々の戦闘を繰り広げてきたとはいえ急造部隊かつ即応部隊にすぎない。
また、掌握された市街地戦という不利な戦況が地獄を生み出すことになる。後世において帝国の虐殺ばかり取りざたされるアレーヌ市攻防戦は、しかし一方的な展開にはならなかった。

「また来るぞ!魔導反応の展開を確認。撃ち落とされるなよ!」

各々が飛行術式を急速展開し、アリベルト・バイエル率いる第二〇三魔導大隊第二中隊は散開する。直後に空間を貫通術式の青い輝きが蹂躙した。
アリベルトより熱い吐息が漏れ出る。アレーヌ市における砲兵の蹂躙、それは敵航空魔導師の撃滅、または定刻をもって行われる。
だが果たして時間まで交戦を続けることが出来るかどうかも難しい所。家屋内部より放たれる術式は精度が悪いものの容易く防殻を貫く威力を秘めている。
これがまた厄介だった。建物ごと粉砕した程度では防殻がある敵魔導師を始末することができない。

「さっきと同じだ、炙り出す」

お返しとばかりに爆裂術式をばら撒き、歴史ある家屋を粉砕する。崩壊する瓦礫に隠れるように飛び出した敵魔導師に対して、中隊の火力が集中し捕殺せしめた。
千切れ飛んだ肉片が噴出する埃に紛れて見えなくなる。だがその間に他の敵魔導師は雲隠れしたようだ。仲間の救助も考えない迅速な行動。
これだけで敵は技量だけでなく戦術も良く教育された精鋭であることがわかるというもの。ノルデンの二線級や、一線級ですら格が違う。

「中隊長、きりがありません!一時大隊長殿との合流を!」

「トイフェル02!この嵐の中で大隊長殿を捕捉出来るというのなら構わんとも!」

開戦時点で最悪なことに第二〇三魔導大隊は敵の損害を無視した空対空攻勢により分断されていた。以来、嵐の様な通信妨害の影響で他の隊と顔合わせすらしていない。
だからといって高く飛び上がり周りを見渡すことは、いい的になる。結果として窓や扉からの奇襲を受ける覚悟で低空飛行せねばならなかった。
これだけの通信妨害では敵魔導師間でも通信不可に違いない。つまり、パルチザンの口伝に頼っているということ。よくもまあ帝国が対処に動き出すまでに通信網を構築したものである。
だが感心ばかりもしていられない。たとえ鋭い爪と牙を持っていようとも第二〇三魔導大隊は袋の鼠であった。

「ラインコントロールへの広域通信もダメか、くそったれ」

口の中で舌打ちを溢し、97式宝珠を95式へと切り替える。敵の魔力は鮮明に捉えていた。だが家屋が邪魔で攻撃することが難しく市民によってこちらは捕捉されている。
逃げ切る術を持たないままに新たな魔導反応を2個中隊規模確認。敵の魔導師は二個大隊規模だと事前に通達されている。おそらく敵も分散しているだろうことから本隊とみて間違いないだろう。
疲弊した此方を各個撃破しようとしているに違いない。此処で本隊を叩ければ大きいだろうが、まともにぶつかりあえば多数の損害を受けるばかりでなく全滅しかねない。

「総員遊撃体勢、一撃当てたあと即座に遅滞戦闘に入る!」

何時も通りの術式の応酬とはいかず積極的に近接戦闘を挑んでいく。敵の遠距離統制術式は悔しいが相当の練度を誇っていることを認めねばならない。
背後を見せれば簡単に防殻を貫かれ、先ほどの敵魔導師のように無残な死体と化すだろう。活路は前にしかなかった。
羽ばたくように魔力を爆発させて、一気に加速。精細にみえた引き金の瞬間に、ターンを決めて弾丸の横をすり抜ける。
なりふり構って等居られない。音を立てて崩れていく精神に、活力を宿して更に一歩踏み込む。他の隊員を信じているわけではない。
単純に気にする余裕などなかった。逃げるように身を引く敵魔導師に吐息がかかる距離まで近づく。

「え、エンゲージ!カバ、あ」

魔力を込めた銃剣は、弾丸よりも強固な貫通力と、砲弾よりも圧倒的な破壊力をもって防殻を容易く貫いた。一瞬の堅い手ごたえを抜けて、柔らかい身を串刺しにする。
幸いなことに従来の戦法を重視していた共和国軍は最精鋭とはいえ、近接格闘能力が低い事は証明されている。
植民地支配に力をかけた故のドクトリンは数的不利に向いていないのだ。泥臭くとも、そこを突くしか勝算はなかった。

「おぉおおおおおおおおおおあァアアアアア!!」

不格好な咆哮をあげる。まったくもって似合わないと自覚しながら、物言わぬ屍となった敵の肉体を鉄槌のごとく振り回し、近くの敵魔導師へと叩きつけた。
直後に回り込んでいたエッカート少尉が貫通術式で屍ごと食い破る。

「撃破いただきます!」

「仕方ないな!きちんと補助記録も残しておけ」

動揺が広がる隙に上空に上がり、展開したまま発動せずにおいた燃焼術式を空に向けて解き放つ。一人は巻き込んだが後は逃げられた。
攻撃の意味は薄い。開放された空間での炎は、酸素すら生成できる魔導師に対して動揺させる程度。だが信号弾程度の役割は果たしてくれる。
今まで敵本隊の位置がわからず逆効果になりかねないため迂闊に出来なかったが、吹き上がる炎は市中から見えただろう。

「レオがっ」

仲間の叫び声に思わず振り向く。視界の端に失墜していく帝国魔導師の軍服が見えた。
一目見て死んでいるとわかるほど、ぼろ雑巾のようだった。強烈な敵の術式の嵐を防ぎきれなかった不運な奴が居たらしい。
第二〇三魔導大隊に入って初の犠牲者。レオ・ライヒャルト、マニュアル通りの堅さが抜けなかった、酒を呑ませられてすぐに吐いた下戸だった。
死体すら回収してやれそうにない。せめても枕元に立たれぬために、敵の屍で墓標くらいは築いてやらねばならないだろう。
感慨に耽る暇はなかった。燃焼術式を抜け出て魔導師が魔導刃を煌めかせて逆落としが如く突っ込んでくる。

続けようとした思考が白く染まる。

「……アリベルト?」

思わず迎撃しようとした動きが思考に釣られて止まる。死んだと思った瞬間敵もまた振り下ろされようとする刃が止まり、奇妙な空白が生まれた。
嚥下する。一瞬の動揺を隠すように敵魔導師の銃身を魔導刃で切り落とし、大地へと蹴り飛ばす。思わず吐息のように名前が口から漏れでた。

「ラザロ」

気のせいだ。感情では理解していても、理性ではすべてを否定したかった。間近にまで顔を合わせた時、ゴーグルの奥の瞳を見てしまった。

「アリベルト。お前、そうだろ!」

雪の中でも消えることのない炎が見えた。誤魔化すように爆裂術式を絨毯爆撃の様に叩きつけていく。黒い炎が吹き荒れた。
石畳が抉れ、消し飛ぶ。しかし十分な練度を積んでいることがわかる動きで躊躇なく家屋に飛び込むことで回避される。
ゴーグルと口元までの覆いを剥がして此方を見つめてくる姿は、確かに認めなければならないだろう。堀の深い黒髪黒目の顔立ちは歳がたっても面影を残していた。

だが全ては遅いのだ。

「お前、帝国軍に入ったのかよ!なあおい!アリベルト!」

第二中隊に動揺が広がるのを感じる、敵の魔導師にもだ。ただでさえ内通を疑われているというのに最悪な出来事が、最悪のタイミングで訪れる。
何時か出会うかもしれないとは思っていた。あるいは広い戦場のどこかでのたれ死んでいることを期待していた。
なにより、此処で会いたくはなかった。

眼下で、懐かしくも廃れた孤児院が崩壊してく。避難が遅れたのか、する気がなかったのか瓦礫の山から突き出た幼い手が見えた。

「ラザロ。私は帝国軍魔導師で、お前は敵だ」

声が震えてはいないだろうか、動揺が顔に浮かんではいないだろうか。決断は即座に行われた。言葉を証明するように、魔力を練り上げて貫通術式を解き放つ。
不思議とラザロは先ほどとは違い避けることはしなかった。

「ぐぁあああああああああああああああああああ!」

今までよりも深く黒い魔力は防殻を紙のように貫き、ラザロの右肩を貫き穿った。これでもうラザロは銃をまともに握ることは出来ない。
カバーに駆けつける共和国魔導師達に、黄金の魔力が降り注ぐ。続々と集結する魔導反応は第二○三魔導大隊のもの。
凶悪な術式が粉塵を巻き上げ、共和国魔導師と此方を分断した。デグレチャフ隊長が攻撃を仕掛けながらも反転する。
黄金の相貌は珍しく乱れていた。他の部隊も苦心したらしい。ちらほらと見知った顔も居ない。実質的敗北だった。

「副隊長!作戦開始時刻だ。撤退するぞ!」

「……はっ!」

アリベルトが振り返ることはなかった。踵を返し、その場を立ち去る背中は何処か何時もより小さく見えて。教会の残骸の中でキリストの頭はじっと見ていた。


《あ、悪魔だ!悪魔が来るっ》《そこには市民がいるんだぞっ》《あぁああああああああ》《空爆……違う、これは砲撃だ!なんてことを!》
《聖堂が崩壊した!下敷きになる前に退避しろ!》《何処もかしこも燃えてやがる。生きている隊はあるのか!》《ダメだ!逃げ切れない!至急応援を》《たすけ……》

「アレーヌが、燃えている」

瓦礫に半身を飲み込まれた男が必死に天へ向かって手を伸ばす。直後に降り注いだ砲撃によって塵すら残らなかった。
焼夷弾と榴弾の雨が降り注ぎ、追い立てるように外縁部から中央へ向かって炎の渦が広がっていく。神話に語られるソドムとゴモラの如き様。
既に市民や魔導師からの抵抗等ありはしなかったが、虐殺による精神負担と駆り立てる恐怖は更に砲撃を激化させた。
定刻から始まった市外に担ぎ込まれた三百に及ぶ砲門は二刻を過ぎても尚、なりやむことはない。果たして人があの中で生きていけるのだろうか。


皮膚が焦げ付くような熱量に顔をしかめる。第二○三魔導大隊は特等席でアレーヌが地獄の竈と化すところを見学することを、余儀なくされていた。
結果として第二○三魔導大隊の欠員は三名。敵を優秀だと誉めるべきか、自身の無能を恥じるべきか。少なくともデグレチャフ少佐は後者のようだった。

「アリベルト・バイエル副隊長」

頬が赤く照らされる中、何時もとは声色が違うデグレチャフ少佐に思わず瞠目する。誰も彼もが今回の戦いにおいてなんらかの爪痕を残していた。

「私は……、いや職務は円滑に引き継がれねばならないか。もしだが、私が更迭された場合は貴様がこの大隊を引き継げ」

何時もなら言わないはずの弱音は、しかし何時も通り事務的な話だった。だがそれが全てであるかのようにこの小さな軍人は。
自身の中の迷いを今だけは飲み込まねばならないだろう。

「申し訳ありませんが、私は地獄の底まで着いていきます。代わりに隊長としてグランツ少尉などいかがでしょうか?」

「……っははははははははは!そこはヴァイス中尉にしておけ。グランツ少尉ではさじかばかり不安が過ぎる。それより、エッカート少尉の様子を見に行きたまえ、あれはあれで脆い」

哄笑をあげ、獣のように笑うデグレチャフ少佐には既に動揺が見られない。立ち直りがはやい、あるいは私の言葉が少しでも届いたことを願う。
少しだけ振りかえると、体より大きな銃を背負った小さな背中は、何故か大きく見えた。見つめ続けるわけにもいかず言われた通りエッカート少尉の元へと向かった。


救護用に用意された天幕の外で、じっとエッカート少尉は蹲っていた。顔は青く染まりながらも釘付けにされたように見開いた眼はアレーヌを見て離さない。
まずい兆候なことは素人目でみても明らかだった。どう声をかけようか迷い、結局は普段通りにアレーヌから立ち塞がるように近づいた。私を目に映したエッカート少尉の視点がようやくあう。

「アリベルト」

呼ばれたのは階級ではなく、名前。今はそれも仕方ないのかもしれない。自身でさてどういった言葉をかけて欲しいのかも解らないのに、かける言葉があるはずもない。
不器用にも程がある。ただ、空気に飲まれるようにエッカート少尉が話すのを待つしかなかった。もしもこれがデグレチャフ少佐ならばどういった声をかけるだろうか。
精神力が足りないと切り捨てるか、あるいは。

「私は、私はもう殆ど廃れてしまったけれど一応貴族です。エッカート家に生まれる男児は軍役は義務でした。でも、私しか生まれなくて、それで……ごめんなさい、何を言っていいのか」

「構わないとも。耳くらいは貸してやろう」

こう言っただろうか。

「……ありがとうございます。ずっと昔のことでした。私はお父様と一緒にアレーヌに来て、とても美しくて活気が溢れていて。白いワンピースを買って貰ったんです」

エッカート少尉の瞳の奥で見えたのは、黒い炎だ。全てを焼き尽くす、復讐とも、悲哀とも違う。心の奥でずっと燻る靄のような炎。
蜃気楼のように掴み所がなく正確には表現できないもの。この世界でいつの間にか誰もが抱えるようになってしまったものだ。

「こうして燃えてしまいました。きっとあの町並みを出歩いていた人に銃を向けて、引き金を引きました。私は、平和のために戦争をするものだと、思っていました」

ナショナリズムをもって戦争に関わったわけではなく、平和に繋がると信じて関わったが故の悩み。守るべき者に中指を突き立てられ、銃弾で返す意味。
それを祖国の為の戦争だと一笑に伏すことが出来ない。戦争に関わった前線に立つ誰もが一度は考えたはずだ。何故我々は闘っている?

「私は、私の為に闘っている」

だから少しばかり気の迷いを話そうと思ったのだ。目元を潤ませながら、疑問符を浮かべるエッカート少尉に紡ぐように言葉を吐き出す。
しかしそれもまた、きっと欺瞞だ。

「信じる者は救われる、何度も見返して脳髄に焼き付いた忌々しい言葉だ。私は救われなかった。勿論、私は救われるべき人間でもない。当たり前のことで」

嘘だ

「ただ知りたいから此処にいる。神は人を救うのか、とな。死んだらわかるだろう?」

最低の嘘つきだ

「……いったい、何時から宗教に嵌まったのですか?」

「私は孤児院出身だぞ。仏教徒だがな」

空元気ながらも、笑ったエッカート少尉に釣られて私も笑う。エッカート少尉の拭った目元は赤かったが、新たな跡が残ることはなかった。

「ありがとうございます。今は、アリベルトのいえ、バイエル副長の意外な一面を見れたことで満足しようと思います」

勢いよく立ち上がり頭を下げたエッカート少尉は、思い返したように顔をあげた。

「そういえば私も白のワンピースより柄物が好きです」

今度は、笑えなかった。

★―ライン戦線共和国第二ライン中央上空―★

アレーヌが地獄の竈だとするならば、ラインは地獄の鉄火場だ。止まない砲撃の雨に怯えぬ日はない。降り注ぐ44mm砲弾に直撃すればたとえ魔導師であろうとも一発で使い物にならなくなる。
そして、まともに飛べなくなったところに二発目の直撃は死に直結する。しかし今日ほど吐き捨てようとする言葉すら、酸っぱい味へと変わる日はあっただろうか。

アレーヌにて爪痕を残された第二○三魔導大隊は、関係者を始末するためが如くラインに投入された。それも、今まで通りの偵察や防空任務だったならばどれだけ救われただろうか。
数日前のライン戦線すら羨ましくなるとは信じがたい。戦死者が出ていないのは奇跡だが私の中隊も3分の1が後方へ下がっている。
何時狙撃されるかわからず、防殻は全力稼働だ。集中力以前に魔力が持つかすらわからない。帝国最強の増強大隊ですらこの有様であった。
当然バイエル大尉こと私も燃費の悪いエレニウム96式宝珠など使えるわけがなく量産型の97式を必死こいて使っているだけ。
それでも魔力量によって敵魔導師相手に優勢を保てる私と違い、他の隊員は限界が近い。だが撤退は許可されない。

「大隊長!これ以上は持ちません!」

デグレチャフ隊長以外第二○三魔導大隊には今回の作戦の意図は説明はされなかった。責任を取らされるように敵の前線を突破し費用対効果の薄い敵の後方への打撃任務。その間に友軍は悠々と後退するらしい。
倦怠した前線をあえて後退する理由とは。アレーヌでの被害が甚大すぎたのか、エースの魔導大隊を磨り潰すだけの理由になるのか。

祖国は敗北するのか。

第二○三魔導大隊としての自負がそうヴァイス中尉を叫ばせたが、返ってきたのはデグレチャフ少佐の冷たい視線だけである。

「エッカート少尉!下がれ!貴様は限界だ!」

鬱陶しい砲撃を潰す為ツーマンセルを組んでいた敵観測魔導師に襲い掛かる。たとえ96式が無かろうとも人以上の魔力は健在だ。
苦し紛れの光学術式を旋回軌道で見切り、至近距離まで一歩踏み込む。挟み込むように動こうとする敵の相方はタイヤネン准尉が引き付けた。

「まだやれます!」

短機関銃から吐き出される弾一つ一つに貫通術式が挿入され、敵の防殻をすり潰し肉塊へと変えた。絶望を写したような顔はグランツ少尉にも似ている。

「黙れ!」

かのアレーヌの惨劇以降、エッカート少尉は何かに追い立てられるように必死になり過ぎていた。あれではとても背中を任せるのは怖い。

「ですが!」

「抗命行為だぞ、エッカート少尉!タイヤネン准尉、貴様もだ!共に後方に下がれ!」

引き付けていた魔導師に爆裂術式を叩きこんで大地へと失墜させる。いつかはこの不幸な戦いは終わるのだと信じている。
だが何時だ?一分後?一時間後?
タイヤネン准尉によって羽交い絞めにされたエッカート少尉が無理矢理彼方へと飛んでいく。更に減少した中隊は既に継戦能力の殆どを失っていた。
第一防衛ラインを突破した大隊は後方に下がる能力が残っているのかすら怪しい。周囲を見回せば敵、敵、敵。
未だ魔導大隊の強襲に敵方は混乱しているため、中隊規模による散発的襲撃しか受けてはいないが何時かは限界が来るというもの。
時限式対空砲は収束率を増し、少しでも速度を乱数軌道から変更すれば集中火力によって追いつかれ大地の染みとなるだろう。

「大隊各位へ通達。対魔導師戦闘だ。我らに挑む愚を教育してやろう」

ここに来て目の前に展開するのは共和国魔導大隊。魔力反応を見てラザロが居ないことに安堵する。あり得ないとわかっていても心残りはあった。
頭を切り替えて、獣のように冷え込んでいく。きっとこの日、隊員の全てが敵魔導師5人以上を撃墜したエースと呼ばれるに違いない。
敵は補給線が近くスクランブル発進といえどきちんと整えられた部隊。出し惜しむことは出来ない。96式を握りしめ、黒い魔力を吹き出した。

《か、烏だ。相手は精鋭中の精鋭部隊だぞ!》《糞が、なんて日だ!》《防殻を強化しろ、遅滞戦闘に努めるんだ。エンゲージ!》

まったく少しは通信をおとなしくすることは出来ないのだろうか。あるいは此方の集中力を削ぐ作戦かもしれない。既に精神力は限界だと言うのにこの仕打ち。
叫びたいのは此方だと歯を食いしばり、足へと術式を展開する。防殻に弾かれて打ち出すように一気に加速した。

デグレチャフ少佐とバイエル大尉が敵魔導大隊前衛に巨大な穴を開け、続くように第二〇三魔導大隊が切り込んでいく。
別段不思議なことではない。幾つもの戦域を乗り越えてきた精鋭達は格闘戦(ドッグファイト)に慣れ親しんでいた。大隊長本人であるデグレチャフ少佐が防殻に任せた格闘戦を好むからでもある。
そして人員がすり潰される戦争においてそもそも格闘戦が得意な熟練魔導師など殆ど残ってはいない。質の差はより大きく開き、エース・オブ・エースの名と信仰は確かなものへと変化していくのだ。

「地獄に落ちろッ」

前衛の崩壊と共に正確に打ち出された光学系狙撃術式は指揮官を徹底的に皆殺しにし、指揮系統の分断、包囲撃滅を行う。
高速離脱すらする暇を与えず数の利が瞬く間に逆転したことで戦闘はマンハントへと名を変えた。今はまだ総体的な実力は崩壊してはいない。
魔導師の厄介な点は防殻によって生き残りやすく、多くの戦場を経験することで習熟すること。逃すわけがなかった。

「逆探に成功。敵の集積地を発見しました!」

「よくやった、セレブリャコーフ少尉。大隊諸君、敵を追い立てながら火遊びだ。燃焼術式用意」

最後の一人の心臓を直接魔導刃で穿って、96式を止める。先鋒を務めるため、多くの魔力を消費したが息が何時もより荒い。
だが中隊長としてここで降りては指揮に大きな影響が出るのは間違いないだろう。何時も鋭いエッカート少尉はいないのだ、やせ我慢大会といこうではないか。
ただただ、この苦痛の時間が終わればと願い続けるのみである。

★―共和国ライン戦線中央司令部―★

「誰か、誰か、解決策は?」

広げられた地図に存在した塔の形をした重しは取り除かれていき、代わりに×印の重しが置かれていく。少しでも地理を知る者が見ればライン戦線中央部の詳細地図だと気付けるだろう。
ついでにいえば塔のあった地点は集積地と軍の重要拠点が密集していた地域だ。×印は文字通り破壊されたことを示し、報告が上げられる度に被害の甚大さを理解していく。

「このっ!」

共和国司令官の机に叩きつけた拳の隙間から僅かに血が漏れだした。勝利に飢えていた共和国の元に飛び込んできたアレーヌでの市民の一斉蜂起。
確かに後退し始めた帝国軍に対して計画された一斉反撃作戦。折角国中から集められた物資は綺麗に敵に吹き飛ばされていったのだ。
敵の識別名はラインの悪魔とアルデンヌの烏率いる魔導増強大隊。各戦場で遊兵として参戦していることから、まさしく帝国本部が誇る精鋭中の精鋭だろう。

だから仕方ない?

「ふざけるな!何故勝てない!」

三個魔導大隊に到達する程の被害をたった二日の間に一個大隊に食われた。なにがエース・オブ・エースであろうとも物量の前には勝てないだろうだ。なにが相手は多数の戦闘で疲労しているだ。
さらにいえば此方のネームドですら食われているのだ。帝国が撤退の兆しを見せているから良いとはいえ、ライン中央の防空網はガタガタだ。
肩身を狭そうにする防空参謀を睨みつけると即座に目を逸らしてきた。今すぐ参謀の首をねじ切ってやりたい気持ちになる。
今度こそ司令の握力によって机の端に皹が入った。

「何度やられた!?データは幾らでもあるはずだろう。フィヨルド沖で、ラインで、数々の戦争で我々は敗北してきたのだから!」

何度も何度も我が軍の魔導師たちが挑み、血と鉄の塔を生み出してきたのだ。その積み重ねすら、たった1個大隊ひいては2人の魔導師に届いていないのだから笑わせる。
敵大隊の殆どがネームドであることを考えればこれからも化け物共の首を落とすことは困難だ。もしも落とせる時はそれこそ断頭台に立たさなければならないだろう。
共和国の上層部は戦争が終わると喜んでいた。この結果を見てからほざくがいい。クソッタレのお友達が教えてくれたことだ。
帝国の錬度は底が知れず後方にもまだ中央軍を残しているという。だがライン中央の司令官風情が大局に対してなにが出来る。
これが罠だという可能性を知りながらも、前線は進むことを余儀なくされた。

「げ、現在戦闘履歴を解析しておりますが、どうやら烏には一切の光学術式による欺瞞が効いておらず……」

「では防殻に魔力を回せば攻撃を防げるのかね?」

答えは当然ノンだ。全力展開した共和国の魔導師を貫通術式でひき肉に変えたのが鮮明に映像に残っている。根本的に限界を推定できない程の膨大な魔力を化け物共は有していた。
なにせ共和国の戦線を荒らしまわった後だというのに、最後っ屁とばかりにラインの悪魔は第7層砲撃術式を展開し最大の集積所を吹き飛ばしていったのだから!
起こった大規模火災と二次被害の対応に追われ追撃どころの話ではなかった。

「現状でかの増強魔導大隊と当たった場合の対応策は?」

集積所を吹き飛ばされたが、攻勢作戦は変わらず決行するのが上の意志だ。多少兵站に負担がかかろうとも連合王国などよりかき集めて最低限の補充は行われるだろう。
ならば次に考えるべきは既に崩壊寸前の防空網で如何にしてかの化け物共が出てきたときに対応するかだった。

「……中隊規模の魔導師を当て続けるべきかと」

一瞬参謀が何を言っているのか理解できなかった。否、理解したくなどなかった。思わず陸軍参謀が言葉をなくして口をあんぐりと開けたほどだ。狂人の戯言、告げられた言葉はまさしく兵をすり潰すということだ。
柔軟な対応が出来る航空魔導師といえど編隊や術式の変更は一瞬で行われるものではなく多少の時間を要する。
いちいち中隊規模の魔導師を食い殺すために化け物は足をとめるだろう、遅滞戦闘と呼んでも良い。ただし高速離脱しようとした魔導師が食い殺されている以上、全滅は必定。
将として死を覚悟する作戦を命じる覚悟はある。だが、死が決まった作戦などとても告げられることではない。

「ま、まぐれ当たりの対空砲ですらラインの悪魔は何事も無かったかのように飛んでおります。魔導師の火力ではそもそも防殻を貫くことは不可能です」

「わかった。ああ、良く分かったとも」

貫けない防御といえば帝国で唄われる竜殺しの英雄を思い出す。まさか本当に物語の英雄が飛び出してきたのかもしれないと、妄想に縋りたくなる程絶望的だった。
だが未だ背中の菩提樹の葉は見つけられない。クソッタレがと吐き捨てて司令は決断を下した。

より絶望的な戦場へ。

目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話

★―第二○三魔導大隊臨時作戦会議室―★

地獄の行軍の翌日、窓のない陰湿な会議室に隊長と副隊長を除く第二〇三魔導大隊の主要人員が集められていた。つまり、ヴァイス中尉、そしてセレブリャコーフ少尉、第四中隊を率いるケーニッヒ中尉だ。
僅かな照明と分厚い壁に囲まれた此処は機密事項を話すにはうってつけだ。つまりそれだけ重要なことなのではあるが、我らがデグレチャフ少佐からの緊急招集でありながら定時になっても訪れることがない。
デグレチャフ少佐としては珍しく、セレブリャコーフ少尉は欠伸をかみ殺した。
普段は規律然としている彼らも昨日の今日では疲労が隠しきれていない。ましてやヴァイス中尉ともなれば片腕を吊るしている。
術式で肉体を弄れる魔導師とはいえ筋肉が抉れている上に複雑骨折ともなれば治療期間は一月といったところ。そのような中であっても緊急招集に応じたのは流石と言えるだろう。

「すまない、遅れたな」

扉が開きデグレチャフ少佐が入ってくる。ちらりと腕時計を確認すると半刻の遅れと言ったところか。だがそれなりの理由はあるらしい。
部屋に入る前に掻き毟ったようで髪は乱れきり、目の下には隈がある。何時もより薄く開かれた瞳孔はありありと不満を指示していた。

「会議はいかがでしたか?」

「ああ本当に無駄な時間だった。コミュニストどもと政治の話をするよりも、だ。珈琲を……」

デグレチャフ少佐は部屋を見回すと舌打ちを立てた。この部屋には普段常設されているポットなどは、毒の混入の危険を考え置かれていない。
顔を歪め、荒々しくパイプ椅子をひいて座る。今日のデグレチャフ少佐はいつもより機嫌が悪い、即座にうとうととしていたセレブリャコーフ少尉が身だしなみを正す。

「今回招集した理由だが、今作戦理由に関して伝える許可が下りたため、だ。不本意な事に上層部は慎重が過ぎるきらいがあってな。だが流石に我々の大隊におけるこれほどの損害は見逃せなかった。皮肉な事だが戦力的にも忠誠的にも信用されていない、というわけだな」

「では、教えて頂けるのですか?」

「ああ。だが此処にいる人員のみに対してしか許可されていない。他の隊員には口外することを禁じる」

曰く霧と太陽作戦(Nebel und Sonne)、ライン戦線での硬直をやめ、インフラの整備された帝国内に敵を引き込み出血を強いる。
これにより共和国に大きな負担を強い前線を崩壊させる。共和国に対しての連合王国の支援負担を強化し嫌煙させる狙いもあった。
しかし敵も馬鹿ではない。敵の情報網は軍事に傾いた帝国より数段上と予想され、容易に乗っかるはずはないとされた。
そのためアレーヌ市での暴動を大きく告知し国民感情を煽ることで引けなくし、少数精鋭による無理な攻勢で撤退を真実の様に醸し出した。
この特攻を演じた部隊こそが第二〇三魔導大隊である。少しばかり上層部の想像以上に与えた被害は甚大であったが誤差の範囲。
全ては前線の兵に知らされることなく少佐以上または大隊長格以上の将校にのみ伝えられるほどに情報統制されていた。

「なるほど。確かに、全ては作戦の範囲内だったのですね」

「……で、あるはずだった」

ヴァイス中尉の言葉に被せるようにデグレチャフ少佐が口を開く。思わずヴァイス中尉が瞠目したことも無理はないだろう。
苛立たしく組んだ腕の上に頭を乗せたデグレチャフ少佐は深い深いため息を吐き出す。陰鬱な空気がさらに深く沈む、珍しいことだ。
それだけ嫌な予感が競りあがってくるというもの。ぶるりと自然と身震いする。

「詳細は語れないがな。どうやら上層部は共和国に対する決着を急いでいるらしい。我々は更なる深浸透を求められた、試されているわけだ。その結果如何によって、甚だしいことに特殊任務が与えられる」

「ですが隊長。既に第二〇三魔導大隊は継戦能力が瓦解しています」

思わずフォローをいれたセレブリャコーフ少尉の言葉は事実だ。先の戦闘で運よく死者は出なかったものの三分の一の重軽症者が出ている。
魔導師であるがゆえに骨折程度ならば数日で治るが魔導師の怪我の多くは魔力欠乏症による神経作用への影響や精神摩耗が主だった原因になる。
勿論複雑骨折などの患者も多く、数日で治るような怪我ではない。デグレチャフ少佐は吐き出すように頷くと、囁いた。

「脳内麻薬術式のモルヒネ常用解除許可がおりた」

「馬鹿な!……いえ、ありえません。軍規定違反です!」

ヴァイス中尉が思わず叫ぶ。現在でも魔導師は軍規定に基づいた脳内麻薬術式を用いている。所謂アドレナリンのようなもので、精神状態に魔力が左右される魔導師が恐怖で使い物にならなくなることは致命的だからだ。
勿論軍以外での使用は固く禁じられているが、それは一応のところ即座に人体や精神に影響を与えるようなものではない。
だがモルヒネは研究により精神になんらかの欠陥を及ぼす可能性があることを示唆されている。主に重傷を負った場合にのみ使用される劇薬だ。
当然その中毒性と精神への負荷から特定用途以外の使用を禁止されていた。

「法とは常に変化するものだとも。特に軍規ともなれば、歴史からしてみればあまり良くはない傾向だが致し方あるまい。それにだ、我々第二〇三魔導大隊の信用はこれまでの作戦の多くで失墜してきた。勿論それは私の責任も大きい」

「そのようなことは断じて、隊長はッ」

だが、と言葉を続けるデグレチャフ少佐には躊躇いが見て取れ、思わずヴァイス中尉は押し黙った。嫌な沈黙が会議室の中を満たす。

「バイエル大尉をこの会議室に呼ばなかった理由を理解したまえ。最近憲兵……いや、武装親衛隊に嗅ぎまわられている。仕方がない事だが奴らは国家の犬気取りだ」

まるで史実を見ているようだ、忌々しい。ターニャの言葉は口の中で溶けて消える。史実とは違う、上層部の合理的作戦整合性に感動したとすればこれだ。
亡命の準備も考えねばならないだろうと、自戒する。あるいはこれこそがシカゴ学派における「競争市場」の本質といえるかもしれない。
つまり、無能は淘汰されるということ。生まれながらにして勝つことを志としているターニャからしてみれば御免だ。

「ご再考をお願いいたします!兵が駄目になっては誰が戦うというのですか!」

天才と比べれば鼻で笑われるだろうが、最低限の幸福な生活を送る権利は勝ち得なければならない。ではどうすべきか?
今回出されたのはあくまで許可だ、強制ではない。命令であれば実行せねばならないが、ただ愚直に言われたことを繰り返すだけでは良い駒止まり。

私は後方でぬくぬくと過ごし、次いで帝国が勝利すれば言うことなし。

「……やめだ」

「は?」

「ヴァイス中尉の言うことはもっともだとも。上層部の意向を裏切ることになるが、脳内麻薬解除の件に関して我々第二〇三魔導大隊は使用を禁じる」

賭けは嫌いだ。嫌いだがこれは賭けではない、勝算の存在する勝負だ。そういい聞かせてターニャは自身の心のままに決めつけた。

「隊長、ですがそれは」

「我々はなんだ?ダキアで、フィヨルドで、ラインで数多の戦果をあげた第二〇三魔導大隊だ。魔術でとち狂って戦う理性をなくした獣ではないということを証明せねばならない」

麻薬で知性を失えば本当に亡命しなければならない時にはもう遅い可能性もある。なにより、麻薬でとち狂った幼女など前世で広告を誤クリックした先のサイトのようではないか、断じてお断りだ。
ただでさえ酷い存在Xからの精神汚染も馬鹿にはならない。麻薬で弱ったところに漬けこまれればたまったものではなかった。

「上層部すら驚かせる戦果をあげればいいのだ」

「隊長!ありがとうございますっ!」

やけに煩く騒ぎ立てるヴァイス中尉から視線を逸らして、天井の照明を見つめると、白い球体から何故か餅が食べたいと思った。
そういえば今年の新年は戦場で迎えたために祝うことはなかった。孤児院に居た頃は祭日など面倒くさいと思ったものだが存外思う所があったようだ。

「ヴァイス中尉、そういえば餅を知っているかね?」

「は?いいえ。存じ上げておりませんが作戦でありますでしょうか?」

駄目か。当然とはいえ当たり前のこと。バイエル大尉ならば少しは日本……いや秋津島皇国の文化を知っているかもしれない。聞いてみる価値はある。
まったくやつには迷惑を掛けさせられる。だが迷惑をかけられるだけの戦果は上げているのだ、多少は目を瞑らねば上司としての才覚が問われるだろう。

亡命させてくれるなよ、帝国

★―アレーヌ市近郊とある農村―★

鈍い痛みがラザロの頭を刺し貫いた。潰れるような感触と共に瞼が痙攣し、薄ぼんやりと虚空から開いた視界に切り替わる。
目ヤニを擦ろうとして、利き手が効かないことに気付く。仕方なく左手で擦ると黄色く糞のような目ヤニがぼろりと落ちた。
ゆっくりと視点を合わせると、換気扇が音を立てて回っているのが見える。肌触りからするにベッドの上のようで、どうやら自分はしぶとく生き残ってしまったらしい。
あるいは死後の世界ならばどれだけ良かったか。ゆっくりとラザロは身を起こす。引っ張られた点滴が落ちていくのが見えた。

「おぉれは……」

喉が掠れ上手く発声することができない、どうやら随分と長いこと眠っていたようだ。全身に巻かれた包帯が酷く痒みを訴える。
周囲を見回せば壁には聖人の像が見られ、窓は締め切られ、板で封じられているのがわかる。脱出を考えてみるも、弱々しくしか動かない痙攣する指先を見て諦めた。
張り付くように固定された右腕は動く様子がない。入念に包帯が巻き付けられた先には無惨に穴が空いているのだろう。

夢では、なかったのだ。

「てき、か」

嫌ってなど居なかった。むしろ家族として愛していた筈だった、だが銃を向けあった。どうしようもない、数年ぶりの決別の実感。
どうしても信じられず、吐息のように疑問が漏れ出す。

「ありべると、なぜ?」

笑わない、冷たいやつのように見えて、本当は穏和で人気者だった。喧嘩もけして得意ではなく、拳の握り方もなっちゃいなかった。
神父を継がなかったことは知っていたがそれが、何故帝国軍に。あるいはラザロが共和国軍に入ったからこそだろうか。
それほどまでに……。

扉が軋む音に、飛び起きて壁に身を寄せる。

「ラザロ、起きたのね」

入ってきたのは黒髪の妙齢の女性だった。何処にでもいるような農村の娘の格好をしながらも、その美貌は隠しきれていない。
ラザロは思わず安堵して崩れ落ちた。特殊作戦群に参加してからの癖だが慣れというものは恐ろしい。無理な動きに節々が痛みを訴える。

「ずまない、ピエタ。いや、ありがとう」

ピエタ、告白しても着いてくることはなくアレーヌに住み続けた三歳年上の先輩。何処か疲れの取れない様子を見せながらも、あの頃から変わった様子はない。
また、彼女はこのアレーヌ決起において、解放隊を発足した一人だった。だがどうやら決起は失敗に終わったらしい。

「漸く感謝の言葉が言えるようになったのね。そこまでボロボロになって、結構なことだわ。それよりあんまり床で寝転がらないで、汚れる」

少しばかり強引に左腕を引かれて、ベッドに座らされる。鼻を擽る匂いは何処か機械油とアルコールが混じったような、女性らしくない香りがした。
そうして座らされると慣れた手つきで腕以外の包帯を剥がされていく。此処まで上手くはなかったはずだ、あるいは自分が気絶している間に慣れてしまうことがあったのか。
どうしても聞くのが怖くて、自分のことが精一杯で、なんと口を開けば良いのか分からなかった。ただじっと彼女の頭を見つめる。

「なによ?」

「い゛や……ごほっ」

「ああ、水ね。少し待ってなさい。大した食料は残っていなけれど水くらいなら井戸からいくらでも出てくるわ」

「そうじゃ、ないんだ。ピエタ、どうなったんだ?アレーヌは、俺たちの部隊は」

沈黙が訪れた。漸く口にした言葉は地雷も地雷、それでも聞かなければならない。アレーヌを決起させた責任だった。
それから、ゆっくりと吐き出すように、絞り出すようにピエタは口を開く。脳裏に浮かび上がる光景は焼け尽くす炎。

「……燃えたわ。散り散りになって、生きているかどうかもわからない。ただ、祖国は、成功したと伝えているようね」

「馬鹿な!いや、伝えなければ、祖国は」

殆ど意識が残っていなかったラザロですら解った。あれは成功などではなくただの虐殺だ。扇動した者たちの責任はあるにしろ、あまりにも酷い。
だがなによりもこのままでは祖国が危ない。意図的にしろ、まるで協商国連合が「ピクニック」と称して進軍した時のようではないか。
立ち上がろうとしたラザロを、ピエタはベッドへと突き飛ばした。それからひんむくように強引に包帯を引っ張る。

「貴方こそ馬鹿ね。今は帝国の検閲も相当厳しくなってる。利き腕が使えないようじゃ国境までも辿り着けないわ。それに武器もない」

「だが、俺は」

アルコールを体にぶちまけられて、痛みに悲鳴をあげる。思わずベッドの上に転がったラザロを、ピエタは何処か悲しそうな目で見つめていた。
それから水を取ってくると言って、呆れたようにピエタは部屋を早足で出ていく。その後ろ姿は本当に変わっていなく見えて。

「結局貴方も、故郷なんて忘れてしまったのね」

小さな呟きはラザロの耳に深く深く根を張った。




カチリ




壁にかけられた時計が止まった。故障かと疑念を抱くと、更なる違和感に気づく。扉のすぐ向こうにいるはずのピエタの足音がしない。
なにか一瞬で世界が変革したような、それでいて神聖で厳かな雰囲気。ラザロはこれを知っていた、あるいは知ってしまっていた。

「愚かな羊」

侵してはならない荘厳な声が部屋中に響き渡る。否、それは壁に掛けられていた磔の聖人の像が口を開いているのだ。
ありえない、非現実的だ、だがラザロは憎々しく手元の包帯を像へと投げつける。それはけして力のこもったものではなく弱々しく途中で地に落ちた。

「愚かな羊よ。かつて嘆きの中に聖者を見送ったように、愛深き者よ。何故、怒りの日が如く故郷は燃え、家族との心は離れたか」

部屋の隅より炎が燃え上がり、焼け尽くさんばかりに広がっていく。喉を焦げ付かす黒の灰は溶かすようにカーテンを黒く変色させる。
包帯などとうの昔に焼失し撫で付けるように神言を囁き出す。気づけばラザロの周囲を除いてすべてが炎に包まれていた。
だがその奇跡を目撃したとして、ラザロの怒りはとめどもなく溢れてくる。

「五月蝿い黙れ!お前に!お前になにがわかる!」

「かつて私はお前に告げたはずだ。悪魔の子は殺さねばならぬ、さもなくば災いをもたらすだろうと。今どうなっているのか自身でも理解できているだろう。それを拒絶した」

「当然だ!」

「愛深き者よ。何故それほどまでに愛を持ちながら、信仰心に目覚めることはないのか。私は考えたのだ。この信の衰えた哀れな世界で」


「試練を与えれば良いと」


一方的に、聖人の像は理不尽を叩きつけた。話などはなから聞く気がないのだろう。あまりにも、ラザロは全身に怯気がはしった。
取り返しのつかないことがこれからおこる予感。

「……どういうことだ。お前、お前また俺から奪うのか!」

ラザロの叫びに像は返すことなく、世界は愚かにも時を進め始める。燃えていたはずの景色は元通りになっていた。人間には抗うことの出来ない、おぞましい神の奇跡を残して。

★―1925年5月25日某所―★

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか!」

熱風に焦がされひりつく喉の奥は血の味がする。それでも神は我々を見捨てたと、神の子と同様に叫ばずには居られないのだ。
教会への祈りを怠ることはなく、敬虔な信徒であったはずだ。妻と子は不徳することなく幸せな家庭を築いていたはずだった。
だが聖職者が並べ立てる屁理屈は嘘だと悟ってしまった。神の子でさえ死を前にすれば哀れな子羊に過ぎないのだと。
積み上げられた瓦礫と死体の山が炎の渦の中で蜃気楼のように燃えていた。
悲鳴と喧騒が響き渡る世界の空を見上げれば、星に混じり血と鉄で錬成された魔導の光が幾つも瞬いては消えていく。

黎明の子、明けの明星よ。あなたは天から落ちてしまった。

大いなる反逆を引き起こした全ての原典、知恵に満ちた美の極みこそかの魔王。墜天は神が万能であることを否定する。
きっと悪い夢だと目を閉ざし、耳を塞ぐことが出来たならばどれだけ救われただろうか。祖国に残した妻と子はどうなってしまうのか。
どれだけの損害を受けたのか想像も出来ず、これより起こる帝国による逆襲を祖国は防ぐことは出来ない。分かりきった敗北の二文字を受け入れるしかない。
我々はきっと手を出してはならなかったのだ、地獄の窯の底を覗けば引きずり込まれる。祖国に死と恐怖の旋風が巻き起こるだろう。

「生存者は!火の手が強すぎる、誰か、誰かいないのか!」

僅かに無事だった者が必死に瓦礫を押し退けようとしていた。しかしながら建物は崩れ落ちるばかりで、次第に炎の渦が飲み込んでいった。
この状況を唯一解決できるだろう魔導師は、必死に今も悪魔を殺さんと空で立ち向かっている。だが無情にも徐々に青い魔力の輝きは消えていった。

「くそったれ」

天に夜闇より深い漆黒が星々を染め上げる。翼の様に世界を覆い尽くしていく様をみて、哀れな子羊は吐き捨てた。

目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話

★―1925年5月25日 衝撃と畏怖作戦―★

馬鹿馬鹿しい(der Quatsch)

美しい円錐形を描く鋼鉄の塊、尾翼は鋭く、切り離すためのエンジンが否応にも目に入る。全長は意外にも短く10mといったところだろうか。
帝国軍の脅威の科学技術により生み出された軍事用液体燃料ミサイルV1。とはいえ所詮は試作品に過ぎず音速の壁を突破するだけの耐久性を持ち合わせてはいない。
それ(史上初)が余りにも、戦術家に見せても笑われるだろう史上初の作戦に用いられようとしているのだから皮肉な事だ。

本来爆薬と燃料が詰められる筈の中央部は大きく刳り抜かれ、人一人がやっと入る程度の隙間が空いている。代わりにこれでもかとエンジンが後部につけられていた。
カタログを見るに正式呼称は有人型Fi-103といったか、もっと的確な表現があるに違いない。たとえばそう人間爆弾とか。
第二〇三魔導大隊で選別、とはいえ既に多くの者が病院送りではあるが。兎に角、無事な隊員は特に説明もされず特殊作戦としてこの工房に集められていた。
そしてこいつを見せられ、作戦を説明されたわけだ。敵の作戦本部に突っ込んで爆弾と共に粉砕しろという単純明快な作戦を。

「砲弾の雨の中を躍ったことはありますが砲弾になるのは初めてですな」

珍しくタイヤネン准尉が呆れ顔でため息を吐き出した。比較的隊長の無茶振りに慣れていないグランツ少尉など阿呆面を晒して茫然自失だ。
これほど巨大な物を見るのは誰もが初めてだろうが、しかし爆撃機に搭載するような無誘導ミサイルの存在は教本にすら載っている。
あれをそのまま大型化させた姿をしているのだから第一印象は言わずもかな。ましてや、爆弾と共に乗れと言われているのだ。

「砲弾ではなくロケットだ。ま、慰めにもならんか」

軽口を叩くも実際の所、気付けば膝が震えだしそうだった。戦場など何度も味わってきたに関わらず、言い知れない本能的な恐怖が競りあがってくる。
あるいはこれが命のやり取りをするようなものではなく、酷く無機質で、残酷な物に見えるからかもしれない。少なくとも隊員達の前で無様を晒すわけにもいかないのは確か。
気付かれぬように吐息を吐き出すと、黄金の魔導反応に振り返る。

「私語を慎め、と言いたいところだが分からなくもないとも。バイエル大尉」

入念に視察していたデグレチャフ少佐が舞うようにタラップから飛び降りて、目の前に着地した。無意識か飛行術式を使っているらしく減速が著しい。
この時ばかりはデグレチャフ少佐にも余裕がないのか、何処か遠い目をしているが口元は笑っていた。黄金の瞳の下にただでさえ隈を作っているというのにまるで幽鬼のようだ。
勿論口に出すことはないのだが、何時もデグレチャフ少佐の身嗜みを整えようとするセレブリャコーフ少尉も今日ばかりは余裕がないのか。

「本来ならば隊の円滑な存続のため副隊長として貴様には残ってもらう予定だったのだがな。人員の損害が激しい上に適正がある者は……」

「理解しております」

「結構だ。それと、作戦開始時刻まであまり余裕はない。予定されていた試験飛行はなしだ。上層部に鼠が紛れ込んでいたらしい。憲兵共は相変わらずの無能を晒してばかりだな」

こともなげに言い放ったデグレチャフ少佐の一言に耳をそばだてていたグランツ少尉の顔が引きつるのが見えた。
ヴァイス中尉の治療が間に合わなかったため人数合わせで呼ばれたグランツ少尉には同情を禁じ得ない。彼はデグレチャフ少佐に扱かれて以後ろくな長期休暇がないのだ。
ご愁傷様としか言いようがなかった。

「あ、あの、バイエル大尉。やはり、私が志願します」

そのグランツ少尉の肩をつかんでエッカート少尉がするりと前に出てくる。囁くように告げてくる提案は心底有り難い。
グランツ少尉との息はあっているとは言い難いし、付け焼刃に近いグランツ少尉と比べれば実力の問題もある。しかし有り難いが到底賛成など出来ない。

「エッカート少尉、貴様はグランツ少尉より耐高高度術式の適正が基準値より下回っている」

勿論、ばっさりとデグレチャフ少佐が切り捨てた。エッカート少尉を連れて行けない理由としては幾つかあるが何より上からの“お願い”だ。
到底無視することなど出来なかった。それが隊全員の生存に繋がるとしても、だ。首を亀の様にすくめたエッカート少尉が下がったのを尻目にデグレチャフ少佐が再びタラップに乗った。

「さて諸君。間もなく作戦開始時刻だ」

少佐は一歩を踏み出し、工場の中心に置かれたV1の前で、天高々に声を上げた。既に僅かに見えていた動揺や不安すら分厚い幼顔の仮面の下に隠している。
あるいは今までのが演技ではないかと思うほどに美しく、鮮烈だ。虚空に振り下ろされた拳は88cm砲の一撃が如く。
ずらりと今までV1を検分していた隊員達がデグレチャフ少佐の前に並ぶ。一糸乱れぬその姿は慣れ親しんだもの。

「戦友諸君、祖国に神の御加護があらんことを。ただし、我ら将兵がヴァルハラに有給を取る限りにおいて!」

振り返り、笑みを浮かべ、選別された我ら魔導中隊と敬礼する残りの魔導大隊に宣誓する。
あの小さな体の底には恐怖すらかき消す光が宿っているように感じて、自然と感じていた震えは収まっているのだ。
きっと私ではこうはならなかっただろう。

「我ら神に代わりて祖国を救う!カエサルのものはカエサルに!我が戦友諸君、人間による戦争の時間だ。勝ちに行くぞ!」

笑みは敵を威嚇する攻撃的表情と言われている。だが、これほどまでに人は獰猛に笑えるものか。私の様な偽りではない、本物の英雄が此処にいる。
あのデグレチャフ少佐ならばと誰もが思うのも納得した。改めて理解させられたというべきか、輝かしい光が見えるのだ。

有り方そのものが英雄だ(うらやましい)

気付けば自然と足はタラップへと踏み出していた。ノルデンで、軍大学で、ラインで、北洋で、気付けば此処まで来ていた。
振り返れば信頼しきった表情で送り出そうとする仲間たち、前回の怪我が治って居ないというのに態々病院から抜け出してきた。
背中に背負った降下傘がやけに滑る。今の私は笑えているだろうか。

「アリベルト」

完全に機体に入り込んだ後で、頬に湿った暖かい吐息がかかり唇を落とされたのだと理解した。
見上げると何処か暗い表情を浮かべたエッカート少尉が、名残惜しげにそっと離れていくのが見えた。言葉を口にすることはない。
手動で完全にハッチが閉じ、空圧からか耳鳴りが始まる。接続された宝珠からロケットへと魔力が流れ込み、青白い輝きと共に防殻を展開。

「10……9……8……」

孤独な空間の中、モニターの無機質な光とテンカウントだけが支配する。じんわりと滲んだ頬の汗を肩口で拭った。

『01より各位。我々は祖国を勝利に導く英雄となる』

「0」

私の全身に轟音と衝撃が、ドラムの様に叩きつける。あまりの速度に視界が白み、頬の肉が引きずられるような感触に顔を歪めた。



第二〇三魔導大隊が参加したこの衝撃と畏怖作戦の実態を知る者はあまりにも少ない。後世に置いては帝国の夜間無差別爆撃か強行偵察の結果ではないかと長らくされてきた。
上層部により厳重に秘匿されたため資料が一切残っていないことや、それだけ爆弾に人を乗せるという発想自体想像の埒外であった。
なにせ特攻とは本来戦争が末期時に不利な戦況を覆すために行うものだと秋津島皇国の例もあることから思われていた。
しかしながら近年V1が未完成であったことなどの真実が明らかにされるにつれ、一説として上げられるようになる。
当時の記録によればその日、12に及ぶ流れ星が帝国の上空で輝いていたそうだ。


★―共和国目標C地点上空―★

『01より各位、最終工程に入る。状況知らせ』

「09より、異常なし」

窓のない人間ロケットの中で、座標指定だけが唯一己が地図の上に存在していることの証明だった。万が一迎撃されてしまえば爆弾を抱えた我々は空に花火を打ち上げることになるだろう。
ドア・ノッカーと呼称されたトン級の爆薬は防殻を容易く吹き飛ばし塵すら残さないに違いない。音速を超えるため実際はこの思考も一瞬なのだ。
白んでいた意識を無理やり引き上げる。

『01より各位。時間だ。距離測定、角度算出急げ』

『05より、01。目標捕捉』

「09より、01。目標捕捉」

『大変結構。各位の突撃準備完了を確認』

指揮する小隊の刻々と変わる通信データを見つめながら時計を一瞥する。手動のバーに触れた手がやけに汗で滑った。
ただ来たるべき時が来るのは一瞬だろう。失敗すれば帰り道すら覚束ないこの任務は、三部隊の目標の何れかに敵の司令があることを祈るだけ。
隊員達のことを思い出し自然と高鳴りだす心臓を押さえつける。

『01より、総員へ。フェーズ7へ移行せよ。繰り返す、フェーズ7へ移行せよ』

バーを一気に引いて空中でミサイルは崩壊する。前方は多量の弾薬が乗せられたドア・ノッカーで視認することが出来ないが、強烈な暴風が全身に叩きつけた。
敵の発見を遅らせるための非魔道降下を何度も訓練で行った。しかし実戦ではたった二度のみ。何れにしろ慣れる気はしない。
速度メーターが赤く250を示す。このまま墜落すればひき肉にもならず血塵となるだろう。

「通信封鎖だ。小隊のみの回線に切り替える。繋げ」

次々と送られてくる確認に安堵の吐息を吐き出すと、規定値ぎりぎりで腰の紐を引く。専用に作られたパラシュートは無事に開いてくれたようだ。
胸元の安全帯が引きずられる強烈な衝撃に肺の中身が全て吐き出された。だが想像外の事態が此処に来て発生する。

『此方、10!パラシュートが開きません!』

よりによって私の隊、それもグランツ少尉の機材不備!あのマッドサイエンティストめが、なにが万事上手くいくだ!
舌打ちしたい気持ちを抑えて、自然と高まる心を落ち着かせる。此処まで来てしまったのだから腹をくくるしかない。

「09より、小隊各位!宝珠の使用を許可する!魔導戦闘に切り替え、衝撃に備えろ!」

悪いことは一度起これば連鎖的に繰り返すものだ。人間爆弾から切り離された爆薬が大地に突き刺さり、巨大な花火を噴き上げた。
高速で過ぎ去る視界の中、たった一発だけが敵の建造物に直撃したことを悟る。黒煙でまったく見えなくなるが目標の建造物はあと二つ、潰しきらなければならない。
96式を起動し、空中で短機関銃の梱包を破り捨てる。何時他の場所より増援が来るかも分からない、四の五の言っている場合ではないのだ。
パラシュートを切り離すも、展開した飛行術式が完全に速度と姿勢を制御してくれる。

「申し訳ありません、隊長!」

「構わん、爆裂術式用意!後で研究者共を一発殴る許可をやる!」

急降下し即座に編隊を組んだ小隊は真下へと爆裂術式を投射した。巨大な火炎が巻き起こり、全身火だるまの人間が飛び出していくのが見えた。
決まった初撃を確認して次の目標を目指して飛行する。だが我々の不幸はこれで終わりではなかった。地獄の始まりだ。

「魔導反応確認。2個中隊規模!?」

「……情報部は、何をやっているッ!」

やっと絞り出せた言葉は余りにも不甲斐ない味方への罵倒。なにが重要拠点の守りは低いことが想定されるだ、クソッタレ。
嘆いても仕方ないと意識を切り替えて、敵の通信を傍受する。混乱しているのか流れていく情報に耳鳴りを覚える。
だが聞き取った。

「上がってくるぞ!小隊各位は対魔導師戦闘…いや、次目標の破壊を優先しろ!」

「ですが隊長!」

「私が時間を稼ぐ!増援が期待できない以上、遅滞戦闘は不可能。目標の完遂が優先だ!」

心配してくれるのは嬉しい。最も、この作戦で司令部を潰せなければ敵の腹の中で孤立し、統制された敵の追撃を受けることになるのだ。何としても避けなければならない。
祖国はエース・オブ・エースを幾らでも使い潰しが利く便利な駒とでも思っているに違いない。震える脚に拳を叩きつけて活を入れる。

《な、何が起こったんだ!》《訓練か?》《違う!帝国軍だ!いいから空に上がれ!格好の的だ!》《嘘だろ、此処がどこだと思っている!》《前線が崩壊したのか!》

付け入る隙は通信から見る限り、一部対応が早いものも居るが敵の殆どが新兵という所だ。ならばラインで繰り返したようにネームド付きによる戦場の洗礼を受けるがいい。
誇示するように魔力の供給量を増大させ未だ上昇していない魔導師に弾丸をばら撒く。軽快な音を立てて吐き出す短機関銃の弾丸はすべて燃焼術式を封入した、大盤振る舞い。
目の前で、防殻によって火炎を免れた魔導師たちが脱出するために壁を破壊したことでバックドラフトが偶発的に起こった。
フラッシュバンを食らったように閃光で視界の全てが掻き消える。慣れてきた視界の中でも、耳鳴りが止まらない。
少なくとも未だ上がっていない2個小隊は今の損害で立ち直れないことを祈るしかない。鉄骨がどろどろと溶けて螺子曲がっていくさまがはっきりと見えた。

《相手は烏だ、ネームドだぞ!》《何でこんなやつが此処に!》《統制射撃だ。絶対に近づけるな!》

「甘いんだよッ」

急速旋回し未だ隊列を組む前の敵中隊に飛び込む。圧倒的数の差を相手にするには指揮を掻き乱し、1対少数の状況を無理にでも作り出すしかない。
高速軌道をとる96式においつける宝珠は未だ共和国では確認できていない。利点と欠点を見極め最大限利用すべきだ。

「09より、10!これより小隊の指揮と01への通信は貴様がとれ!」

『了、了解しました!隊長に神の加護の有らんことを!』

気付いてはいないだろうが、グランツ少尉より送られた最大の皮肉に自然と口角が上がった。絶望的な戦場に立つ兵が思わず笑みを浮かべるというのがわかる。
笑うしかないのだ、なら盛大に邪悪に笑うがいい。相手が少しでも怯え、攻撃の精度が落ちるように祈る。

「右も左も獲物ばかり、啄むには困らない!」

オープン回線で咆哮を上げて、私の進行方向から逃げるように乱数軌道をとった敵を執拗に追いかける。これを囮として。既に捉えていたカバーに入ろうとした本命に貫通術式を叩きこんだ。
恐怖に顔を歪ませた敵の戦意は削り取られ、放たれる弾丸も狙いが覚束ない。態々、あえて撃たずに唇を落とせる距離まで近づいた。

Bonne soirée(こんばんは)

「うわぁああああああああああああああああ!」

狙い通り誤射を避けるため、私への他からの射撃が甘くなる。リロードしている余裕があるか分からない。弾の節約にもなる一石二鳥だ。
手刀で防殻を貫き、至近距離で弾をばら撒こうとする銃口を掴んで背後から接近する魔導師へと逸らした。
盛大な同士討ちを音だけで確認しつつ魔導刃を突き立て喉を掻っ切る。蹴り飛ばせば、助けに行こうとする魔導師諸共爆裂術式で吹き飛ばす。

「はっははははははははははははははっ。共和国魔導師諸君!貴様らは今まで何をしてきたのかね?おままごとか?どうやらオムツも取れてないらしい」

喋ることで動揺を誘い、わずかな時間を稼いでリロードする。実際の所、V1に乗っている間に展開し続けた防殻によって普段より消耗が激しい。
何より相手の数が多すぎる。一騎当千なんぞ大隊長でもあるまいし、早く敵の司令部が潰れることを祈るばかり。
ただ、神に見放された時点で私が祈ろうとも意味はなさそうだ。

《01から03小隊は前衛だ!一斉に襲い掛かるぞ!》《再編しろ、指揮権を一時移行する!》《第04小隊は私に続け!狙撃術式で援護を!味方に当てる間抜けは居ないな?》

「貴様が指揮官か」

「ッ!」

通信を基に特定し、最大加速で対応する前に貫通術式で防殻を貫き胴体に風穴を開ける。ライン戦線の空を守り続けた時にやり続けた常套手段は今でも有効らしい。
出来るだけ宝珠は破壊するようにはしているが、多数の交戦データは取られているだろう。そろそろ対策されても可笑しくない。

「帝国の化け物め!」

「罵倒の言葉も稚拙で、品位の欠片もない」

魔力の爆発で弾かれるように移動すると、先ほどまで居た場所に統制された狙撃術式が突き刺さる。更に追いかけるように宙を舞う光の弾丸は私に食いついて離さない。
どうやら相手は新兵を肉壁にし、それなりに使える部隊で縫いとめる作戦の様だ。大変結構、むしろ格闘戦が楽になって狩り放題だ。
下でもう一つの目標がグランツ少尉達によって爆破されたことに、一瞬意識が向いた敵に襲い掛かる。既に位置取りは終えていた。
爆裂術式を即興で接触式から時限式に変え、視界を封鎖する。出来るのかは知らないが今度魔導技師に煙幕術式の製作を依頼しよう。
最低限の装備しか持ち込めなかったため発煙弾がない事に舌打ちをしながら、魔導刃を振り下ろした。

「貴様ッ」

「烏ぅううううううううううう!」

胸を魔導刃で貫いたはずだ。それでも名も知らぬ女性の魔導師が、憤怒の表情で銃口を押し付けてくる。殺した相手に恋人でもいたのか。
随分と恨まれているらしい。だが此処で死んでやることは出来ない。
放たれた弾丸を防殻で弾き手刀を傷口に差し込んで抉り取った。吐血された血が視界を鈍らせる。女性にこの様な事をする羽目になるとは。
だが吐き捨てる暇すら与えられない。一瞬でも足を止めた鳥は格好の的とばかりに防殻に貫通術式が幾筋も突き刺さる。
死体を盾にするも一発の貫通を許し、右肩に灼熱の激痛が走る。言葉にならない悲鳴を上げ、力の抜けた手より短機関銃が零れ落ちていった。

「死ねっ烏!」

一瞬呆けた思考を何とか取戻す。魔導刃を煌めかせて突撃してきた魔導師に左腕で拳銃を引き抜き、術式を即座に再計算。貫通術式を封入して叩きつけた。
大隊長殿の猿真似。士官用の名作拳銃は防殻を貫ける程度の威力はあったようで直前に失速した敵兵から強引に短機関銃をはぎ取る。
魔力は限界、吐く息は荒く、耳鳴りは止まず、視界は朦朧、全身の寒気と震えが止まらない。まだ施設の破壊も終わってはいないか。

「大変結構。貴様ら程度を片づけるのに何の問題もない」

やせ我慢を吐き出した瞬間、

「これ、は」

―――それは起きた。魔力が勝手に放出され黒翼を天に拡大し続ける。鳴り響く終末を告げる法螺と、錆びついた亡者共の悲鳴。
身を引き裂く苦痛と止めどもなく流れ出した漆黒の魔力が意識を塗りつぶしていく。一度体感したこの感覚を忘れることはない。
あるいは似たようななにかか。地獄の門が開き、三千世界の烏の羽ばたきがリフレインする。

誰かの吐息が耳元にかかり、閉じゆく世界の中ぐるりと全てが黒く深く消えていった。



★―同時刻C地点破壊目標―★

Der Hölle Rache kocht in meinem Herzen, Tod und Verzweiflung flammet um mich her♪

「グランツ少尉!しっかりしろ!」

タイヤネン准尉の振り上げられた組んだ拳が胸部を殴りつける。視界がチカチカと明滅し、徐々に沈んでいったはずの意識が浮上していく。
モルヒネを打たれたのだろうか。思考が焼けつくように痛みを発し、痺れるような感触が全身に行き渡った。

「かはっ」

漸く唾液と共に止まっていた呼吸が再開しだす。随分と荒い救命行為をされたらしく、折れた肋骨の鈍痛が悲鳴をあげさせた。
なにが起こったかをヴォーレン・グランツ少尉は思い出す。嵐のような対空砲火と敵魔導師の妨害の中で、被弾し意識を失っていたようだ。
対空砲に当たったとなれば、デグレチャフ少佐からきつい説教と指導を食らうに違いない。それは、嫌だな。

「まだ任務は終わってないぞ!馬鹿野郎!」

呆けた顔をしていたのかタイヤネン准尉によって殴りつけられた。切れた唇から鉄の味が喉の奥へと流れ込んでいく。

Fühlt nicht durch dich Sarastro Todesschmerzen, So bist du meine Tochter nimmermehr♪

「っは……はい!」

考えすぎるな、ともかく生き残ることを考えたまえ。デグレチャフ少佐の言葉が、頭の中でリフレインする。
ぐっと力を込めて起き上がった。幸いなことに破片の多くは防殻が弾いてくれたのか、咄嗟に庇ったのだろう右腕が襤褸雑巾のようにずたずたになっただけで済んだ。
これならば適切な治療を受ければ治るだろう。何処か他人事のような思考がそう結論付けて、左腕で引きずるように銃を掴んだ。
周囲は炎の渦に包まれ、アレーヌを思い出させる。だがあれよりは真面な方だろう。

「いや、だが良くやった。あの頃よりは随分と見れる顔だ。お前の果たすべき義務を果たせ」

タイヤネン准尉が優しく肩を引き上げてくれる。それに甘える形で転びそうになりながらも立ち上がった。

Verstossen sey auf ewig und verlassen, Zertrümmert alle Bande der Natur♪

私が、果たすべき義務

ライン戦線の地獄で、学んだ狂気のこと。罅割れた宝珠に青い輝きが灯り、飛行術式を展開していく。
そうして、空を見上げたことで、漸く気付いた。いや気付いていたのにも関わらず目を無意識の内に逸らそうとしていた。
黒い、何か悍ましい者が炎が吹き上がる夜空に生まれ出ようとしている。それを果たして魔力と呼んでいいのか、皮膚を突き刺す茨の感覚。
自然と頭を垂れそうになるナニカ、少なくともあれを人間と呼んでいいのか判別がつかない。あるいはデグレチャフ少佐の様な。

Wenn nicht durch dich Sarastro wird erblassen♪

「あれは?」

「……隊長か?だがこんなことは」

漸く気付いたのか、タイヤネン准尉も知らないようだ。果たしてアリベルト・バイエル副隊長の魔力はああ迄身を凍えさす威圧を放っていただろうか。
星の光さえ包み込む闇がゆっくりと広がり、魔力の高まりと共に強大な魔方陣を描き出していく。見たことのないそれは、第一〇層術式。
地獄の竈がゆっくりと牙を剝いて開きだし深淵が顔を覗かせた。

「まずい。この場が消し飛ぶぞ!……クソッタレ!」

タイヤネン准尉が私を庇うようにして押し倒す。そして、直後に視界の全てが闇に覆われて―――


Hört Rache, Götter! Hört der Mutter Schwur♪

Sie versinkt.


『拝啓
親愛なるツイーテ・フォン・タイヤネン中尉の御家族様

小官はターニャ・フォン・デグレチャフ魔導少佐。彼の上官だった者であります。

このたび、まことに残念ながら御家族の皆様にとってかけがえのないツイーテ・フォン・タイヤネン中尉の戦死をご報告させていただきます。

彼は優秀な魔導師であり、勇敢で皆から信頼されるかけがえのない私たちの戦友です。

僅かばかりの慰めになることを願って、小官の名で十字章銀章、特例一代貴族階級及び二階級特進を贈らせて頂きます。

末筆ながら、彼によって多くの戦友が助けられたこと、感謝を述べさせていただきます。

敬具
帝国軍魔導師 ターニャ・フォン・デグレチャフ魔導少佐』

目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 幕間

★―1925年 4月20日―★

それは酷い曇り空の日だった。今にも雨が降り出しそうな日に、ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐は呼び出されていた。
傍にはヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ少尉とローゼ・フォン・エッカート少尉もいる。アレーヌの惨劇直前の事で3人とも女性とは思えない程に荒んでいた。
その後ろには顔を青白くしたアリベルト・バイエル大尉が肩を落としながら着いていく。彼だけは極秘任務と称されたこの任務の詳細を知っていた。
兎に角残りの三人は司令本部の直々の指名ということで呼ばれたのである。

「……確かに此処で正しいのだな?バイエル大尉」

底冷えするような声をターニャが吐き捨てるように呟いた。恐る恐る頷きを返すバイエル大尉も今日ばかりは力ない。
護送車に乗せられ連れてこられた、目の前にあるのは劇場だ。それも帝国の伝統的な華美な踊りを披露する紳士の社交場。
大理石の劇場は年代を感じさせる。勿論ターニャはこの存在を知っていた。というよりかは一度利用したことすらある。
けして此処で軍の機密を話すようには見えない。

「もう一度聞くが、極秘任務、で間違いないのだな?」

「はっ!」

やけっぱちになって叫ぶバイエル大尉も可哀そうなものだがターニャは睨みをきかせ続ける。思い出すのはライン帰りのおり、軍の広報活動として随分と不快な思いをしたことだ。
今でもその時に撮られた、自身の無理な笑顔が載せられたポスターを見ると破り捨てて回る。だが不快な事に第二〇三魔導大隊宿舎ではターニャの身長では届かない場所に貼られているのが殆ど。
結果として美しいドレスを着させられた自身の顔を毎日拝まされている。
そんな不快な思い出を作った場所、つまり心から男である筈のこの白銀ターニャ・フォン・デグレチャフが屈辱を味わされた場所が此処ということだ!

「あらあらターニャちゃん。時刻通りね」

妙齢の軍服の女性が劇場から出てきた。おそらくターニャらを入り口で待ちわびていたのだろうが、ターニャの顔が酷く引きつる。
あのラインの悪魔に心からの悲鳴を上げさせたとなれば共和国にいけば勲章間違いなしに違いない。
しかしターニャは不屈の意志で笑顔を作る。一度は敗北したこの身だが二度目はないと不退転の決意をする。

「今回はセレブリャコーフ少尉及びエッカート少尉が居る。私は軍人として規律ある……」

「そういうのはアルデンヌの烏殿がやって頂ける手はずになっているわ」

「軍人の低下による損失を補うために」

「ターニャちゃんのために新しい服を態々取り寄せたの」

出された少女用のふりふりが着いた華美な紅のドレスを前にターニャは轟沈した。協商国連合ならばこの女性は英雄としてその名を遺しただろう。

だが女性は帝国軍所属である。

思わず笑いを堪えたバイエル大尉を誰が攻めらるだろうか。勿論直ぐ様、鋭いターニャの視線が恨みがましく貫いたことで表情は固まった。
ぎつぎつのコルセットをついでに差し出してくる女性はターニャの手を優しく掴むと劇場へと有無を言わさず引き摺って行く。
宝珠を使わなければ少女でしかないターニャは抵抗できない。だが、事前の身体検査で無情にも宝珠は取り上げられていた。

「待て。待ちたまえ。バイエル大尉!バイエル大尉!貴様…貴様、許さんからなぁっ!」

広報活動の写真撮影のため軍に貸し切られた劇場の扉が、魔界の入り口のように目元を濡らしたターニャを飲み込んで閉じる。
あまりにもあんまりな隊長の姿に残された三人は唖然とした表情をしばらくしていたが、互いに顔を見合わせると劇場へと着いていく。
一番後ろのバイエル大尉の表情が死んでいたことは言うまでもない。これは第二○三魔導大隊において禁句とされた記録である。


前進せよ、さらに前へ前進せよ。生きて足踏みすることは許さん。


果たしてこれは前進なのだろうか?頬に薄くのせたパウダーチーク、薄い色が似あうと五色以上試された末に塗られた口紅、アイシャドウで愛くるしい目は更にぱっちりに。
乱雑にセレブリャコーフ少尉に任せていた髪は後ろで結われ引きずられる頭皮が酷く痛む。手入れしても砂埃がつまていた爪は磨かれ薄くマニキュアが塗られている。
全身を細く見せるためのコルセットは関節の駆動を封じ込め、紅のドレスと編み上げ靴は走ることを不可能にする。
完全に拘束だ。幸いなことに95式宝珠はペンダントのように胸元に飾られたが、暗殺者にでも狙われれば容易く命を落とすだろう。
勿論士官用拳銃は取り上げられている。白銀ターニャ・フォン・デグレチャフは借りてきた猫であった。

「あら隊長、見違えましたね」

処刑台の前に立つ気分だったターニャに近づいてい来る気配が二つ。セレブリャコーフ少尉とエッカート少尉である。
彼女たちは手馴れたもので、とはいえセレブリャコーフ少尉は少しばかりの恥じらいを見せていたが同じように着飾っていた。
ターニャの派手な紅のドレスと比べて白と黒と大人しめな色合いのドレスであることに間違いはないだろう。

「くっ、私は軍人として模範的なな」

ただ先達の英雄の様に乗馬用のズボンと張りつめた士官用軍服、それと磨かれた軍靴さえあれば十分。その筈だ、プロパガンダとしても最適解。
だが統計上ではターニャ含む女性達のポスターが増えたことで軍に入隊する者が増えたそうだ。確かに英雄などと言われても一般人には困るのである。
それよりは見目麗しい女性の方が人を集めるのは当たり前といえよう。

このロリコン共め!言われなき中傷をターニャは吐き捨てた。

「ターニャちゃん、はやく撮りますよ。笑顔、笑顔」

ついで扉から現れた写真家の言葉にターニャの目が死んだ。
だが既に洗脳済みなようでターニャの口は自然と柔らかな笑みを浮かべてしまっている。今や花を愛でる可憐な少女ではないか。
普段のターニャを知るヴィーシャは可愛いと思うと同時に心底不気味だと身を震わせる。あの、ラインで敵を皆殺しにした悪魔のはずだ。

「大変よろしい。これなら五日で終わりそうですね」

「いつか……?」

ターニャの言語能力が消失したように可憐な声で、たどたどしく写真家の声を繰り返した。そこにはこの世の終わりだとでも言うような絶望が込められている。
この事を知っていたのだろうバイエル大尉の様子がおかしかったわけだ。そのバイエル大尉当人が顔をひきつらせて入ってきた。

「た、隊長はとても可憐でして、その……いえ。とても美しいですね。見惚れ直しました、エッカート少尉。勿論、セレブリャコーフ少尉も」

逃げたな。ヴィーシャは確信したがバイエル大尉のためにも口を開くことなどなかった。なにより前提条件の時点で既に駄目だったようでターニャの顔は鬼神もかくやである。
追い打ちをかけるほどバイエル大尉のことを嫌ってはいない。

「バイエル大尉……貴様っ」

察するにこの手の任務は事前に当人の意思があれば直前でなければ辞退することが出きるわけで。しかしながら上層部はデグレチャフ少佐の拒否を望まなかったようだ。
中間職の副隊長故、ということで連れてくるように言明されたのだろう。巻き込まれたヴィーシャからしてみれば複雑な気持ちだがそこまで拒否感はない。
あまりドレスというものも近頃着る機会もなかったことだし丁度良いともいえる。なにより最近花がないと親友に笑われたばかり。
しかしながら事前通達くらいはして欲しかったものだ。デグレチャフ少佐に告げる懸念があった、ということなのだろうが。

「その、大尉もとても格好いいですし」

「あ、ああ、有り難う」

ロゼが放つべた甘な空気から逃れるためにヴィーシャは思考に埋没する。第二〇三魔導大隊が誇るもどかしいバカップルである。
いや男ばかりの第二〇三魔導大隊にカップルなど一つしかないのだが、いや最近グランツ少尉とヴァイス中尉が怪しい気も。
兎も角、ロゼと大尉は親の同意まで貰っているというのに照れあって一歩進む気配がない。
そのような彼らの姿を微笑ましく隊員は見守っている。ヴィーシャもまた雪中訓練以後喧嘩することもなく友達となったロゼを応援する気持ちもある。

「おい、セレブリャコーフ少尉」

だが対するヴィーシャは少しばかり惨めになるのだ。周囲に男気がない、いや第二〇三魔導大隊は男ばかりなのだがそういうことではなく。
旧い友達の近況報告で婚約者が出来たと聞くし早ければ結婚もだ。貴族の娘ではないとはいえヴィーシャの年頃に彼氏もいないというのはその……。

「セレブリャコーフ少尉!」

「はっ」

妄想の中で現実と向き合ったヴィーシャは苦虫を噛み潰したようなデグレチャフ少佐の声に顔を上げる。

「私は隊長に一生着いていきます!」

「……なんのことだ?まあいい。直ぐにこの任務を終わらせるぞ」

思わず変なことを口走ったばかりに頬が熱を持ち始める。案の定、ロゼは怪訝な目というよりか馬鹿を見る目で此方を見つめてきた。
やってしまったとため息を一つ、呼ばれた通りに撮影所へと向かう。酷く歩きにくそうに編み靴でよたよたと歩くデグレチャフ少佐を支えるバイエル大尉が酷く滑稽だった。

「そういえば集合写真でも撮りましょうか?皆と一緒に最初は撮った方がターニャちゃんの表情も解れるでしょうし」

「ああ、では折角ですし隊全員の集合写真でも……ッ!」

写真家の提案に我が意を得たりとバイエル大尉が返した。その背中をデグレチャフ少佐が見えない位置で抓る。
だが傍から見れば歳が離れた兄の服の端を摘まんで歩く妹である。顔立ちは整っているものの別方向でありまったく似ていないのが残念だ。

「あらいいわね。ターニャちゃん達の部下は前から気になっていたのよ」

「いえ、あの、しかし」

「決まりね!」

再び白銀は撃墜された。こうまでデグレチャフ少佐が頭があがらないことは珍しい。結果として押し切られる形で休暇をとっていた隊全員が集められることになる。
誰もが笑みを浮かべ、全員が入るために態々屋外にまで出て押し合いへし合い。隊長の姿に笑い、睨みで黙らされ、フラッシュがたかれる。

これが第二〇三魔導大隊所属48名が揃った最後の記録写真である。

ヴァイス中尉と肩を組むライヒャルト少尉、グランツ少尉の頭を抑えつけるタイヤネン准尉、彼らが撮った最後の写真でもあった。
今でも第二〇三魔導大隊宿舎には貼られ、隊員各々もまたロケットなどにいれて持ち歩いているらしい。戦争の中で芽生えた美しい思い出だった。



★―とある記録―★

タイヤネン准尉についての話を聞きたいと?珍しい。いやだが構わないとも。第一印象は、そうだな。阿呆らしいだよ。
それもプロフィールだけでだ。なにせ本名はツイーテ・ナイカ・タイヤネンだぞ?秋津島皇国の言葉はわかるかね。
わからないか、記録係として少しは他国の言語も学びたまえ。兎に角、その国では、そうだな、運がないという意味の名だった。
妙に笑えたから雪中訓練までは残すことに決めたのだ。ああ今の発言は不適切だったな、消したまえ。でだ、実際に会ってみればこれまた面白い男だった。
なにせ本当に運がない。雪崩には一番に巻き込まれるし、軍用犬には執拗に狙われた。勿論最初は落とす気だった。
だが愚直な奴だった。当時のタイヤネン准尉は今ほど術式の展開も上手くなく、代わりとでもいうように泥の様に眠りこける仲間を尻目に見張りには必ず立っていた。
それから、なんだかんだとその後に気難しいバイエル大尉と仲が良くなったことも大きい。その後のグランツ少尉ともな。
グランツ少尉には先輩面を吹かせていて笑えたものだが……一種の才能だろう。隊のムードメーカーとも違う、つまり適切な言葉が浮かび上がらないが。
楔みたいなものだということでいいかね。いや、すまない。これまでの発言を消したまえ。隊員にポエム好きだと思われても困る。
後日適切な文章を送付する。では失礼。

目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。