軍神!西住不識庵みほ (フリート)
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プロローグ 夢の中の若僧

 西住しほは、ある日こんな夢を見た。

 

 そこは記憶にない見知らぬ森の中、夜なのか辺りは暗闇に支配された世界となっている。しとしと、ぽつりぽつりと天からの雫がしほの身体に一滴、二滴。冷たい夜の風が頬をさらりと撫でていく。

 耳を澄ませば、微かに風に乗って聴こえてくる音色。べぇん、べぇんと小川のせせらぎのような柔らかく心地の良い音色だ。

 

 (一体誰が弾いているのかしら?)

 

 是非とも奏者の顔が見てみたい。多分、この音色は琵琶の音色だ。過去に何回か聴いたことがあるけれど、これほどのモノは初めてである。

 きっと、この音色同様に心根が素晴らしい人が弾いているに違いない。楽器の音色には、奏でる人間の心根が宿ると言われている。であるから、これだけ美しい音色を奏でられる人の心もまた美しい筈なのだ。

 

 しほはまるで、この音色の奏で主に会うことが使命であるかのように一心不乱に歩いた。髪や顔が濡れるのを一向に気にせずに、しほは先を急ぐ。

 じょじょに音色が近付いている。もう少しだ。

 

(音が近いし、もう直ぐね。早く会って話がしたい。どんな方なのかしら。音を聞く限りでは、清らかな川のように穏やかで、だけど時には嵐のように苛烈で、そして自分の意思をしっかりと持つ、そんな方)

 

 音の奏で主に早く会いたいと、はやる心に応えながら地を踏み締めていく。

 すると、琵琶の音色が突然途切れた。明らかに曲は終わっていないのに。もしかしたら自分が近づいて来たからなのであろうか。残念だと、しほはその場に立ち止まって長い息をついた。。

 

 その瞬間、天が轟音と一緒に光輝いた。

 

 雷だ。

 あまりの轟音に、しほは咄嗟の行動として耳を塞ぐ。日常的に戦車に関わる身であり、轟音、爆音の類は慣れているとはいえ、無防備な状態で不意を衝かれるとたまらない。

 しほはこの時、巨大な気配を感じ取った。ピリピリと肌で感じ取れる気配に身震いを覚える。気配の正体は近くである。

 

 ゆっくりと顔を上げて天を見た。

 それはただただ大きくて、しほは圧倒されていた。

 天を雄大に泳いでいるのは、間違いなく龍である。頭は駱駝、目は兎、爪は鷲、角は鹿と言ったように身体の九つの部位が他の動物と似ているとされる空想上にしか存在しない怪物であった。

 龍の瞳がしほを捉える。

 

 恐怖はあった。手を握ればべったりと汗が出ている。それから逃げようともした。が、どうにも足の自由がきかない。逃げれないのならば仕方がない。もとより、逃げの一手は自分に相応しくない。覚悟を決める。

 自分が生半な人間でないことは自分自身がよく分かっている。気押されるばかりでは駄目だ、と震える身体に喝を入れて、龍を睨みつけた。

 

 美しい瞳だった。よく見ればよく見るほどに、清らかで澄んだ瞳の美しさが際立つ。しほはすっかり恐怖を忘れて、龍の瞳に見入った。

 どれほどの時が経っただろうか。

 龍が一鳴きすると、その身体を発光させながら球体に変わった。まるでその場に太陽が出現したかのようで、夜が生み出す暗闇は一気に吹き飛ばされる。

 

 続いて光の球体がしほの下に降下してきた。目を細めながらしほは様子をじっと眺める。

 球体はさらに形状を変化させた。

 しほの目には一瞬だけ、その姿が映る。

 甲冑を着込んだ騎馬武者。太刀を抜き放ち構えて、頭に純白の頭巾を巻いていた。この姿がほんの一瞬だけ映ると、直ぐに別の変化を見せた。

 

 龍であり球体であり騎馬武者だったものが、しほの目の前に降り立つ。

 そこには若僧が立っていた。墨染された法衣を身に纏っている。頭には竹の網代で作られた、所謂網代笠を被っており、手には杖である。見事な僧形だが、両眼だけは血走って爛々と輝きを放ち、これだけは僧として異質であった。

 ただ血走った目の奥底には、やはり龍の時と変わらない清らかさが見てとれた。

 彼は何かをしほに伝えたがっていた。

 だからしほは尋ねる。何か用があるのか、と。

 

 若僧はこう答えた。

 

「ちと、あなたの胎をお借りしたい」

 

 続けて言った。

 

「我は不識庵謙信である」

 

 しほは、はっとして息を呑んだ。

 どういう意味なのか、どうしてなのか分からない。この若僧があの上杉謙信というのは事実なのか。事実ならば何故しほの夢の中に現れたのか。そして、どうして自分が選ばれたのか。別に末裔だというわけでもないし、接点など欠片もない。考えてみたところで何も分からなかった。ただこの若僧の頼みに対する正しい返事は、これしかないのだと思った。

 だから、しほは迷わず首を縦に振った。

 

 

 ここでしほは目を覚ました。

 不思議な夢であった。内容は夢らしく現実味のない突拍子なことであったのに、どうにもしほはあれをただの夢だと認識できないでいる。本当に不思議な夢であった。

 ふと、上半身を起こして自分の腹部に視線を遣る。夢の出来事を鑑みれば、この中には、

 

(謙信公が私の子供として世に生を受ける。ふふ、良い夢を見たわね。まほ、貴女の弟か妹は、あの上杉謙信よ。今から、楽しみだわ)

 

 しほは腹部を撫でながら母の顔で笑った。

 

 

 これより九か月ほど経ってから、しほは一人の女の子を出産する。しほにとって二人目の子供で、二人目の女の子なその子供は、みほと名付けられたのであった。

 



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第一話 立ち上がる軍神
その①


 大洗女子学園生徒会長の角谷杏は一目見て確信した。彼女こそ、自分たちを救ってくれる存在であると。

 

 学園艦。

 その名前の通り船である。また学園という名が示すように、船に学校が建っている。学校だけではなく、民家、店など陸地とそう変わらない街がそこにあった。

 人の住んでいる人工島が常に海上を移動しているとでも思えば理解は速い。山や林だってあるのだ。

 

 杏が住む学園艦は人口約三万人。

 街として見れば最低限と言った規模であった。

 そんな大洗の学園艦であるが、現在消滅の危機に陥っている。

 文科省が盛んに推し進める学園艦統廃合計画。これの標的とされてしまったためだ。杏が生徒会長として、何よりも自身の住む学園艦を愛する一人として、統廃合阻止に向けて動き出すのは当然だった。

 

 しかし難航する道であるのは確か。

 大洗は近年特に目立った結果を残しているわけでもないし、統廃合から免れるほどの極まった取り柄があるわけでもない。どうするべきか、杏は頭を働かせた。

 すると、一つ方法を思い浮かんだ。

 

 戦車道である。

 華道や茶道と並ぶ伝統的な文化にして武道。女性たちが戦車に乗り込み、礼節ある大和撫子のごとき乙女を育成することが主目的とされている。日本だけでなく世界中で行われているものだ。

 噂によれば、文科省がこの戦車道に力を入れているらしかった。これを利用しない手は杏の中にはない。カードを一枚手に入れた杏は、早速統廃合担当者の下へ足を運んだ。

 

 話をした結果、戦車道全国高校生大会において優勝した場合のみ考え直すという言葉をもらった。勇躍する杏は、直ぐに学園艦に戻り戦車道を学校で始める準備に取り掛かる。

 大洗では過去に戦車道を行っていたらしく、一から全てを始める必要はなさそうだった。

 が、ここで重大な問題に直面する。

 

 人がいない。

 

 授業として戦車道を復活させるにあたり、最低限の履修者を確保する算段はついていた。けれど経験者がいないのだ。素人の集団を統率して優勝に持っていけるような人材がいなかった。

 

 杏は自分がどれだけ荒唐無稽なことを言っているのか分かっている。分かっているものの、望まずにはいられなかった。贅沢を言わないならば、経験者というだけでも良いので欲しい。いや、この望みすらも贅沢なのであろうか。始める前から弱気になる杏。

 そんな時である。一人の転校生が大洗に現れたのは。

 

 転校生は戦車道経験者だった。いや、ただの経験者ではなく、戦車道界隈において異名がついているほどの人物である。

 天が救いの手を差し伸べてくれたのだ。杏はそう思った。

 彼女の力を絶対に借り受けたい。

 

 いつもであれば、放送で呼び出すなり、人を遣わすところであるが、杏は自らの足で転校生を訪ねた。その昔、中華大陸において周の文王が太公望呂尚に、蜀漢の劉備玄徳が諸葛亮孔明に礼を尽くして彼らを幕下に迎え入れた。杏にとって転校生は、それら古の英傑、賢人と何ら遜色はない。自ら訪ねるのは当然であった。

 

 そうして訪ねてみれば、転校生は友達であろう二名の少女と教室で談笑していた。遠目から見ているだけで伝わってくる。普通の人とは違うということが。

 杏は転校生たちの会話がひと段落ついたところを見計らって声を掛けた。話があるので会長室に来て欲しいと言えば、転校生は二つ返事で承諾した。

 

 そして今、杏の眼前に転校生――西住みほは立っている。

 

「こちらにどうぞ」

 

 会長室にみほを連れてきたのは良いが、彼女が腰掛ける椅子がなかった。これまたいつもであれば、立たせたまま話を始めるのだが、今回そうはいかない。

 事前の調査で、みほが礼儀を大切にする人柄で、穏やかな見た目に反して豪胆であることは知っている。権威に価値を置く性格らしいが、転校先の生徒会長ごときの権威には何も思うところはないだろう。それなりに敬意は払ってくれるかもしれないがその程度。また、自尊心も中々強い人だと聞いている。なので生徒会長としての力を存分に活用した脅しなどにも膝を屈することはあり得ない。逆に返り討ちにあう可能性もあった。

 

 みほにはどうしても協力してもらわなくてはいけないのだ。飄々として強かな杏をしても慎重にやらざるを得ない。腹の探り合いなどではなく、誠実さこそが今回求められていることであった。

 

 杏はここでも会長室の一角に位置する応接間に自ら案内した。

 そんな杏を横目に不満そうにしている桃。生徒会広報河嶋桃。杏の片腕たる桃は、同席が許されていることから分かるように事情は把握している。その上で不満があるのだった。

 どうしてわざわざ座らせる必要があるのか。また、杏自ら案内する必要はあるのか。

 桃は、敬愛する会長がみほを対等扱いすることに納得がいかないのであった。

 

 杏はそんな桃の心情を完全に読み取りながらもそれを無視して、みほを応接間に案内した。相手は対等どころかこの場にあっては自分たちより上位とすら思っている。立たせたままで不快な思いをさせてしまったら、それだけで全てが水泡に帰してしまうであろう。

 対応には慎重に慎重を重ねなければならない。

 

「ありがとうございます」

 

 案内された応接間のソファを一瞥したみほは、三人に礼を述べた。

 二人は杏と桃である。もう一人は小山柚子。生徒会副会長にして杏のもう片方の腕である。凛とした雰囲気の桃と比較すると、全体的におっとりと柔らかな印象があった。

 

「失礼します」

 

 みほがソファに腰掛ける。

 背もたれを利用せずきっちり背筋を伸ばしていた。緊張しているわけでもなく平素でこれらしい。なるほど礼儀正しいという話は嘘ではなさそうであった。

 杏は今一度、ゆっくりみほの全体像を見た。

 

 先ほどの立ち姿を見た様子では、身長は平均的である。杏と比べると大柄なのだが、平均値をかなり下回る杏はあまり比較対象として相応しくないのでその情報は省く。

 身体の輪郭は華奢である。小柄で華奢。これだけだととても杏たちを救ってくれる存在には見えないのだが、杏には分かっていた。

 

 鍛錬をしているのだろう。肩幅は広く、首元も逞しい。筋肉質な身体なのである。

 

 さて、あまり不躾にじろじろと観察するのも失礼に値するだろう。時間に余裕はあると言え、早く話を始めることにした。

 

「えっと……あー、改めまして――」

 

「平常通りで結構です。お気になさらず」

 

 慎重に礼儀を尽くして言葉を選ぼうとする杏に気づいたみほ。そのみほの配慮に杏は感謝を覚えた。生徒会長として、年上の人と話す機会が多いので敬語は使い慣れている。とは言うものの、堅苦しいのは苦手なのだ。みほは堅物堅物している人物ではないようで、杏にはそれがありがたかった。

 

「そーなの? だったらこんな感じなんだけど、遠慮なく良い?」

 

「ええ」

 

 遠慮しないと言っても机に足を乗せたり、踏ん反り返ったり、肘をついたり、大好物の干し芋を食べながらなんてことは勿論しない。

 

「そんじゃあ、単刀直入にお願いがあるんだけど、戦車道やってくんない?」

 

「………………」

 

 杏が早々と本題を切り出すと、みほは笑みを浮かべたまま何も答えなかった。

 そんなみほに対して杏の左後方に控える桃は眉を顰める。どうして何も言わないんだ、と不快さが胸の内に溜まっているのだ。

 一方で、杏と柚子はみほの意図に気づいていた。優し気な笑みの中にあるのは要求である。詳しい話を聞かせてほしいと要求しているのだ。

 

 こうして対峙してみると隠し事の通用する相手でないことが杏には分かる。全てを見透かしてくるような瞳。もとより今回は誠実にやろうと思っているのだから、初めからこちらの事情を全て明かすことは予定の範囲だ。

 杏は学園艦が統廃合の対象となってしまい存続が危ないこと、次の戦車道大会で優勝すれば助かるという見込みがついていることなどみほに話した。

 

 長い話であったが、みほはしっかりと耳に、頭に入れていた。時には相槌を打ち、学園艦の現状に同情を浮かべ、危機に立ち向かおうとする杏たちの姿勢に感心もしている。

 手応えがあった。上手くいきそうだ、とみほの話を聴く様子を見て杏はホッとした。

 杏は全ての事情を明かした後で、もう一度言った。戦車道をしてくれないか、と。

 

「お断りします」

 

 しかし、みほの口から放たれたのは待ち望んでいた回答とは真逆のものであった。

 

「へっ?」

 

「えっ?」

 

「何っ?」

 

 杏、柚子、桃の三人が同時に声を上げた。

 まさか断られるなんて。一体どうして何だろうか。ショックが大きい杏と怒りが顔に出て言葉もない桃の替わりに、柚子がわけを尋ねた。

 

「どうしてなのかな?」

 

 みほは言う。

 

「この私が戦車道において勇名を馳せていることは、お三方はご存知の筈」

 

 三人は頷いた。

 知っているからこそ、こうして話をしているのだから。

 みほは続ける。

 

「私が戦車道にて名を轟かせる流派、西住流の血を引き継ぎ世に生まれて十数年。そして戦車道に身を置くこと多年。私はよく行い、よく活躍し、よく期待に応え、日本の戦車道に身を置くならば私を知らぬ者などないだろうというほどに名を挙げました。世間の人は軍神という異名でこの私を呼ぶほどです。大変名誉なことです。故人曰く、功成り名遂げた時こそ、身を退けるべきである。それが天の道だと言うではありませんか。私はこの道を進むべきなのです。母にも、私の決断を認めていただいております。そうして私はここに来たのです。そういうわけですので、私はもう戦車道から退いた身。申し訳ありませんが、他を当たって下さい」

 

 そんなことを言われても杏たちは、そうですか仕方ありませんね、などと退くわけにはいかない。みほが大洗に転校してきたのはまさしく奇跡で、もうみほ以外に頼るべき人は、いや、縋るべき人はいないのだ。

 

 みほの協力を得られなければ学園は終わりである。

 

 杏たちはどうにか首を縦に振らせようと説得するも、みほは一向に承服しようとしなかった。このままでは埒があかないと、桃が何かを決心し一歩前へ踏み出す。

 すると、桃の動きを察知してか知らずか、杏は急に立ち上がった。そうしてから、柚子と桃の二人に自分が座っていた椅子を少し後方に下げてほしいと言う。

 

 杏が何をしようしているのか理解できないまま、二人は言われた通りのことを行った。それなりのスペースが生まれると、杏は一歩、二歩下がる。続けて地に膝をつけてから、さらに両手をついた。

 

「何をしてるんですか、会長!」

 

「会長……?」

 

「黙ってて二人とも!」

 

 土下座であった。何としてもみほに協力してほしいという想いが行動として現れたのである。後がないからなりふり構っていられなかった。

 この時、頭を下げている杏には分からないことであったが、みほの様子が変化したのを柚子と桃は感じていた。

 

「伏してお願い申し上げます――」

 

 その声は震えていた。

 

 

 



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その②

 もろもろ思う仔細があって、みほは二度と戦車道に身を染める気はなかった。大洗は 二十年前まで戦車道を盛んに行っていたものの、今はその影も形もないという。であるから名門黒森峰女学園から転校する際に、目をつけたのであった。

 

 戦車道から身を解き放てば、みほにはやりたいことがたくさんある。普通の高校生のように友達と下らない四方山話に花を咲かせたり、買い物などして遊ぶも良し、趣味である琵琶、笛を極めるも良し、本格的に仏門の道に進むのも良いかもしれない。

 

 人間という生き物はいずれ死ぬ。だいたい七十、八十、長くて九十、百の寿命である。やりたいことを早いうちにやっておかなくてはあっという間だ。

 そんな心持でやって来た大洗の地で、みほを待っていたのは戦車道が復活するという話である。これだけならば別段どうということはない。やらなければ良いだけだった。けれども、事はそうそう上手く運ばないようだった。

 

「伏してお願い申し上げます。私たちは黙ってこの学園を、この街を奪われるわけにはいきません。しかし私たちの力では遠く及ばず……どうか力をお貸しください。最早私たちには、あなたに縋る以外の道は残されていないのです。どうか、どうか」

 

 呆然とする柚子、桃の視線の先で頭を下げる杏は落涙していた。その姿を見た時、みほは強い衝撃を受けたのだった。

 頭をこうして下げられて、嘆願されて、尚且つ自分の力をここまで買ってくれている。

 杏の言葉に偽りはない。みほの胸に伝わってくるのだ。言葉から、涙から、態度から、どれだけ学園を、街を大切に思っているかが伝わってくるのだ。

 

 この哀れなほど一途な姿を見ておきながら、何もしないわけにはいかない。仮に他の誰かが無視し嘲笑ったりしようとも、西住みほは彼女の力にならなければならないのだ。

 それは義であった。正義、大義、忠義、信義、仁義、義侠、義憤、ありとあらゆる人 としての倫理、道徳に適った正しい生き方である。

 

 みほが生きていく中で第一に掲げる行動規範だ。信には信、恩情を持って応え、真に救いを求める者には慈愛の心で接し、卑怯、卑劣、不義の輩には敢然と立ち向かう。

 義という価値観を心の根底に持つみほは、杏の救いを求める声を無視することはできないのだ。

 

(致し方あるまい。このまま彼女を見捨てるのは、義に反するであろう)

 

 みほは決意した。

 

「分かりました。これほどまでに自分の力を必要とする者の頼みを無下にするのは倫理の道に反するというものでしょう。不肖の身でありますが、力を尽くさせていただきます」

 

 微かに心に浮かんだ苦々しい思いを悟られないよう、みほは表情を柔らかくした。

 バッと顔を上げる杏は歓喜に打ち震えていた。思わず机に身を乗り出して、膝の上に行儀よく置かれていたみほの右手を胸元に持ってくると両手で包み込んだ。

 

「ほんとッ!? ありがとう西住ちゃん! 私は百万、いや、一千万の味方を得たような気分だよ」

 

 こうまで言われてしまうと、みほの自尊心がこしょこしょとくすぐられてしまう。笑みが目に見えて深くなると、

 

「そこまで思ってくれるとは光栄です。必ずや、望む結果をご覧に入れてみせましょう」

 

 みほは杏の握られた両手に左手を重ねた。

  

 

 

 

 

 

 その日の夜、学校が終わり寮の部屋に帰ったみほはある人物に電話を掛けた。

 西住しほ――すなわちみほの実の母である。杏の救いを求める声に応えて戦車道を再び行うことになったみほだが、しほに何も言わず始めるわけにはいかなかった。と言うのも、しほにどうしてもと頼み込んで戦車道から身を退いたのだから、再開するならばするでしほの許可を得るのが筋というものだからだ。無視して始めるという選択肢は、両親に深い敬愛を抱くみほにありはしない。

  

 電話を掛けてしほに繋がると、早速本題に入った。二人の間には世間話や家族間の話なんてものはない。今日びの世間一般的な母親であるならば、親元から離れた上、別の学校に移動した娘が電話を掛けて来れば、

 

「新しい学校はどう? 楽しい? お友達は出来たの? ご飯ちゃんと食べてるの?」

 

 と、至極当然なことを訊ねて来るだろうが、しほはそんなことをする母親ではなかった。

 それは子供に冷たい訳ではない。強い信頼を抱くからこそ、無用な心配をしていないだけなのである。確かに、元から口数が多い性格でもないというのもあるが。

 そんなしほの性格を、娘のみほはしっかりと受け継いでいた。だから電話を掛けても、

 

「母上ですか? みほです」

 

『用件は?』

 

 という流れになってしまうのも致し方なかった。

 

 みほが言う。

 

「文科省が故あって、私の通う大洗女子学園を廃校にするようなのです。なので生徒会がそれを阻止せんと動いております。その動きの一環として戦車道を復活させて、起死回生を狙おうとしているのです。生徒会長である角谷杏さんは、この私に救援を乞いました。私は救いを求める声を無視することができず、また己を知る者のために力を貸すことを決意しました」

 

『それで?』

 

「大洗女子学園は二十年前に戦車道をやっていたとはいえ、今は無名校もいいところ。故に私がこの学園を率いて結果を残せば、私の勇名はさらに広まり、そして西住家、西住流も名が上がるというものです。悪い話ではないと思いますが、如何に?」

 

 みほは人が義だけでは動かないことをよく知っている。人という生き物の本性は我欲旺盛で利を追求するものだ。その本性を抑え恬淡に潔癖に生きようとするみほの生き方は世において異質であった。このことをみほは知っているのだ。

 

 しほは俗物的ではないとはいえ、利を追求する人間である。なので、みほが掲げる義の心を理解できない。みほがそういう風に生きることは認めていても、彼女はあくまで西住家、西住流のためだけに生きているのだ。西住に利があるか否か、それがしほの判断基準である。

 

『…………………まあ、薄々こうなる気はしていました』

 

 沈黙を挟んでからしほが電話越しで長嘆した。

 

『許可しましょう。あなたに限ってそんなことはないと思いますが、くれぐれも無様を晒し西住の名を汚さないようお願いします。よろしいですね?』

 

「はい。承知しております」

 

 言われるまでもないことだ。

 みほには許せないことがある。勿論不義がそれに当たるのだがもう一つ――自分の武名、勇名を汚されることである。こんなことがあった。みほが黒森峰から去った時、とある雑誌にみほが逃げたというような趣旨の記事が掲載された。これを目にしたみほは激怒する。その怒りようは天地も揺るがすほどで、

 

「無実の誹謗をして私の名声に傷をつけるとは言語道断! 絶対に許さん!」

 

 と、普段の落ち着いた様子を一変させた。それはさながら火山が噴火しような、常人には、真似のできないほどの怒りようだった。

 

 ただ、記事自体はみほのこれまでの名があったので戯言で済み、世間に浸透することはなかったため、怒りに任せての暴挙は未遂で済んだ。が、とにもかくにもこのような事から分かる通り、名誉心を重んじるためか名を汚されることを極端に嫌っているのだ。

 

 母であるしほに言われずとも無様を晒すつもりはさらさらない。

 

『それでは、私はまだ仕事がありますので』

 

 電話が切れるとみほは手に持っていた携帯電話を机の上に置く。

 一先ずこれで戦車道を再開することが可能だ。そもそも始める事すら出来ませんでした、となると杏たちに合わせる顔がなくなる。みほはほっと一息ついた。

 

 それから部屋の少し離れたところに置かれている小さな仏像の前で、結跏趺坐の姿勢をとった。足背で左右それぞれの腿を押さえる、胡坐に近い禅定修行の座り方である。

 仏像は毘沙門天を象っていた。毘沙門天は仏法守護の武神であり、インドに伝わる四天王の一人多聞天でもある。北天を守護する役目を持ち、後に王城鎮護の神となった。

 

 その毘沙門天象に向かって合掌する。

 みほはこの毘沙門天を篤く信仰していた。最初は母のしほに言われてやっていただけである。姉のまほはこんなことやっていないのに、どうして自分だけがやらなくてはならないのか。当初は不思議がったものだ。だが、嫌ではなかった。どことなく惹かれるものがあったからである。

 

 成長するにつれて、みほは自分から祈るようになった。どうして毘沙門天に惹かれていたのかが分かった上に、本気で加護があると感じたからだ。

 今では一日たりとも欠かせない日課である。

 

「南無帰命頂礼毘沙門天…………」

 

 口ずさむと、みほの身体に毘沙門天の力が駆け巡るよう感じた。爽快な気分である。

 しばらくじっと祈りを捧げた後、みほは立ち上がってからベッドの上に寝転んだ。時計に目を移せば三十分経過したというところだった。このまま眠ってしまおうかと思ったが、まだ夕食を摂っていないことに気づく。

 

 仕方がない、と起き上がって冷蔵庫の下へ向かおうとした時、机の上で携帯電話が振動を始めた。

 誰あろう、しほが言い忘れた事でもあって掛け直してきたのか。予想しながら手に取ってみると、画面には『姉上』の文字だ。

 

どうやら電話の相手は姉のまほであるらしい。

 

「もしもし」

 

『もしもし? 私だ、まほだ』

 

 電話を掛けてきたまほはいきなり本題に入ることはなかった。この点はしほやみほと違う。彼女も彼女でどちらかと言えば一般的ではなかったが、姉らしい姉ではあった。

 新天地でみほが上手くやっているのか、自分は元気にやっているということ、みほが居なくなった黒森峰の機甲科は現在大混乱に陥っているということなどを語る。

 放っておけばいつまでも話していそうなので、切りの良い所で話を区切らせると本題に入ってもらった。

 

『聞いたぞ。お前、戦車道をまた始めるらしいじゃないか』

 

「情報が早いね」

 

『其の疾きこと風の如し、なんてな。つい先ほどお母様から聞いたんだ』

 

「そっか……」

 

 恐らくだが本題はそこではなく別にあるとみほは思った。先ほどの世間話の際、妙に黒森峰機甲科の話が多かった気がするのだ。しかもみほが居なくなってからというのを強調しており、やれエリカがどうだとか、小梅がどうだとか交流の深かった人物のことを語り、遠回しにみほを責めるようなところがあったのである。

 

 これに止めると決意した筈の戦車道を、もう一度始めることになったことを加味すれば、敏いみほである。姉が何を言いたくて電話してきたかが分かるというものだ。

 

「姉上、私は戻らないからね」

 

『むっ……』

 

 機先を制されてまほが言葉を詰まらせた。どうやら当たっていたらしい。

 戦車道を再開するのなら黒森峰に帰って来てほしい。そんなことを言うつもりだったようだが、あいにく帰るつもりは毛頭ないのだ。それに杏とのことがある。このまま一気に押し切ってしまおうとみほは続けた。

 

「確かに戦車道に再び身を染めることになったけど、それは私の私利私欲に基づいたものじゃないの。助けを乞われた以上、見過ごすわけにはいかなかったから。だから戻って来いなんて言われても戻るつもりはないからね」

 

 きっぱりと言い切った。

 

『だが、黒森峰にはみほが必要なんだ。お前の気持ちは重々承知しているが、私たちの気持ちも慮ってくれないか?』

 

 食い下がるまほにみほは言い返した。

 

「姉上やエリカさんたちの気持ちを慮るのはやぶさかでもないけど、あんなくだらない人たちの気持ちは知ったことじゃないし知りたくもないよ。そちらには姉上がいる。私が居たところでどうせまた……一つの身体に二つの頭は要らないんだ。それに助けを乞われてそれを受けた以上やることを果たさないと私は不義の輩になってしまう。それだけは耐えきれない」

 

『そうか……分かった』

 

 どうやら納得してくれたようだ。もとより、この話はダメもとなのだろう。残念そうにため息をつく姉の姿が目に浮かんでくる。

 姉には苦労をかけてしまっているがそれはそれ、少しばかり心は痛むものの、後悔は微塵もない。

 

『今度会う時は違う高校で敵同士か』

 

「そうだね。容赦はしないよ」

 

『こちらこそ。この際だ、どちらが優れてるのか決着をつけようじゃないか。何だかんだで本気でやり合ったことはなかったからな……負けるなよ』

 

 ムッとみほの表情が歪んだ。表面上穏やかであるものの、元来は気性が激しく、自尊心が強い。それにまだまだ年齢で言えば小娘である。まほの自分と戦うまで他の人に負けるなよ、という言葉はみほにとって侮りにしか聞こえなかった。誰に向かってモノを言っているのかと怒鳴りたくなったが、グッと抑え込む。

 

 そうして、厳しい口調ながら、しかし努めて怒りを表に出さず言った。

 

「私が弓馬を持ち、あるいは戦車に乗れば、人に劣るところは何もない。姉上の心配は無用のことだよ」

 

『ああ、そうだな。お前は強いからな』

 

 みほの自信たっぷりの言葉に電話越しでまほが笑った。相変わらずだとでも思ったのであろう。みほが黒森峰から大洗に転校してまだ半年とも経っていない。そんな時間ではそうそう人が変わることはないし、自我の強いみほであるから、住む場所が変わって十年、二十年経とうとも自分を貫き通すだろう。

 

『取りあえず話はこれで終わりだ。再会する日を楽しみにしている』

 

 とまほが言い残すと、通話がそこで切れた。

 みほは再び携帯電話を机の上に置く。ぐぐぅと腹が鳴った。また随分と長話になってしまったので腹が癇癪を起したらしい。

 早速夕食の準備に取り掛かった。

 

 今日の夕飯は、玄米の飯を山盛り、豆腐とわかめの味噌汁に焼け鮭、それと胡瓜の漬物に大好物の梅干しであった。食べ終ったみほは歯を磨いた後にぐっすりと眠りに入った。

 

 

 

 

 



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その③

 翌日の昼休み。みほは遅れながらに食堂へと足を運んでいた。

 昼休みが始まってニ十分が経過している。この時間ならば、まだ食事中に間に合うだろうと急ぐ。友人を二名待たせているのであった。

 

 昼休みが始まって直ぐ、みほは生徒会から呼び出されていた。何やら今日の放課後に選択必修科目のオリエンテーションをやるということで、その時間帯は一緒に行動してほしいと言われたのだ。特に断る理由もないので了承する。

 

 そうした話があったため、友人を先に食べさせるという事態になったのだ。手作りの弁当を包んだ布袋を片手に、みほは食堂に入る。昼食時で人が多い食堂を見渡すと、みほに向けて大きく手を振っている人物がいた。この人の多さだからいちいち探すのは面倒だと思っていたからありがたい。みほは目印の下へ向かい、椅子に腰掛けた。

 

「遅れてごめんね」

 

 一つ謝罪を入れた後に食器を見た。どうも予想していたほど中身が減っていない。大方食べ物を飲み込むより言葉を吐き出すことに時間を使っていたのだろう。そんなことを考えながら弁当箱を包む布を解き、蓋を開けた。

 

「あれ、みほさん……また梅干しが入ってますね」

 

「ほんとだ。それにいつも気になってたけど、ご飯の上に置くんじゃなくて別々に分けてるよね」

 

 みほの弁当を目にした五十鈴華と武部沙織はおかずの枠をそれなりに占拠している梅干しに興味を抱いていた。こうして三人で昼食を摂るのは、勿論初めてではない。みほが転校して来た初日からずっとだ。みほの方から話し掛けたのをきっかけにして三人の新しい仲が生まれた。以来、学園で行動する時は大体一緒である。

 

 こうして三人で昼食を摂る時、華と沙織は食堂あるいはコンビニで、みほは手作りの弁当だった。その弁当にいつもいつも梅干しが大量に入っているのを二人は気になっていたのだ。

 

「私、梅干しが好きなの」

 

 昨日の夕飯でもみほは梅干しを食していた。実はその前の晩もそうだし、昼と晩で梅干しを食さない日々はなかった。梅干しがなければ生きていけない、と思うほどみほは梅干しを食すのだ。

 

「酒の肴として食べるのが一番美味しいんだけど、でもまあ梅干しだけでも十分美味しいよ。そうそう、酒の肴と言えば、味噌も良いんだよこれが」

 

 あまり世間的に宜しくないことだが、みほはこの歳にして酒を嗜んでいる。特に梅干しか味噌を肴に静かな空間で杯を傾けるスタイルが好みで、梅干しは山と積まれたところからひょいっと片手で摘み上げて齧ると一杯、味噌は塊の中に指を突っ込んでそれを舐めながら一杯飲む。

 

 ただ彼女は日常的に戦車に乗る身であったから、酒を飲むのは戦車に乗らない休日だけであった。彼女に近しい者たち、しほやまほといった家族、エリカや小梅といった友人たちはこのことを知っており、それどころか一緒に飲んだこともあるのだった。

 

 これを聞いて、華や沙織は意外にも驚くことはなかった。別に何とも不思議には思わなかったし、脳裏にはみほが、縁側で月を見ながら粛々と杯を傾けている姿がありありと浮かんでくるのだ。違和感はなかった。

 

「何やら聞き捨てならない単語が出てきましたけど、私は聞かなかったことにしますね」

 

「みほはお酒飲んでるの? 悪い子だね!」

 

 華も沙織も笑って返す。

 みほはいつかこの二人とも飲んでみたいと思った。

 ここで梅干しの話は一旦終了した。時間は有限なので、話の前に食べてしまおうということになったのだ。それでもところどころ話を交えながら、三人は昼食を摂る。食べ終ったのは同じタイミングであった。

 

 昼食が終わると、早速とばかりに沙織が話題を出した。沙織は話すことが好きである。特に恋愛話が大好きで、でもそれ以外の話も好きだ。コロコロと感情豊かに話す。けれども人の不幸話は嫌いなのか、そういった話題には露骨に眉を顰める沙織は、みほにとって最も喜ぶところだった。

 話はみほと生徒会のことであった。

 

「昨日といい今日もそうだけど、生徒会に呼び出されてどうしたの? 何かしちゃったの? もしかして、お酒飲んでるのがばれたとか~?」

 

 沙織は興味津々にみほに尋ねた。華も興味があるのかニコニコとみほの答えを待っている。全てを話すわけにはいかないので、みほは言葉を選んだ。

 

「大洗に来てからは飲んでないよ……それはそうと、二人とも選択必修科目ってあるよね?」

 

「うん!」

 

「ええ」

 

「その選択必修科目に今年から戦車道が追加されることになってね。それで私は戦車道経験者だから、是非お願いって履修することを頼まれたの」

 

 みほがそう言うと、沙織がふ~んと気のない返事で唇をアヒルのように尖らせた。彼女の中では思っていたより面白い話ではなかったようでがっかりとしている。

 一方で華の反応は対称的であった。彼女は戦車道に何かを感じるところがあるらしい。それが何なのかはみほには分からなかった。

 

「華さんは戦車道に興味があるの?」

 

 尋ねてみると、華は弱々しく口元を緩めた。

 

「私は華道に身を置いているのですが、どうにも最近は思い悩むことが多々ありまして……というのは活けども活けども納得する作品が生み出せないのです。所謂スランプです。何とかしなくてはと考えた結果、一度別の道を歩んでみようと思い至った次第で、それで華道よりアクティブなことを経験してみたいと思ったのです。繊細さは十二分なのですが、勢い、力強さが私の花には不足しているようなので。ですから、戦車道ならばちょうど良いかと……」

 

 華が語れば、つまらなそうにしていた沙織の顔色が変わった。尊敬すると言いたげに華の横顔を見つめる。

 みほも立派な人だと思った。自分と同じ学年なので齢は十六、十七である。その歳でありながらこれほどの考えを持っている人物はそうはいない。

 しかしこうも思った。

 

(戦車道をやったところで何が身につくと言うのであろうか。逆に華さんに悪影響が出るのではなかろうか。少なくとも何か成長をした人は見たことない。戦車道をやっていて器量が良いのは、元々が良かっただけで戦車道の力ではないわ)

 

 本当に心からそんな風に思っているかと言えばそうでもない。だが、みほには戦車道に対して、あるいはそれをやっている人間に対して、少々不快な気持ちがあるのも事実だ。

 けれどもこうも思うのだ。

 

(華さん、あるいは沙織さんのような人と戦車道をやれたならきっと心地良いだろう。姉上やエリカさんとやっていた時は良かったのだから。黒森峰が彼女たちのような人だけであったら、私は今ここには居ないだろう)

 

 それは夢物語でしかないのだろう。人間の本質はやはりどこまで行っても我欲の塊なのである。みほが黒森峰を去った理由の一つは、人間の我欲に嫌気がさしてしまったからだ。

 潔癖なみほは自分の欲を全面的に出して来る人の考えが理解できなかった。別に構わないのだ、少々我欲を抱いても。みほにだって我欲がまったくないと言えば嘘になる。だけど人を傷つけても良しとする我欲は駄目だ。だが黒森峰ではそんな我欲が渦巻いていた。誰もかれもが自分の欲を優先する。その所為で、まほは日々頭を痛ませていたし、みほも悩まされ、苛立たされた。ついに我慢できなくなったので、とり憑かれたように黒森峰から転校することを決意したのであった。

 

(そうして転校してきた先で、再び戦車道を始める事となったが、どんな人材が集まることか)

 

 みほは沙織と華に視線を向けた。

 

「どうしたの?」

 

「何か顔についていますか?」

 

「ううん、何でもないよ」

 

 さほど良縁を期待しているわけではない。ただどうせやるなら、彼女たちのような人と戦車道がやりたい。願わずにはいられないみほであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後になって、大洗女子学園の全校生徒は体育館へと集められた。選択必修科目のオリエンテーションのためである。一年生から三年生まで館内を埋め尽くすほどの人で、その中に武部沙織と五十鈴華の姿もあった。舞台袖でその様子をみほが眺める。

 

「何人ぐらい集まってくれると思う?」

 

 みほの隣で見上げながら杏は言った。小柄な杏にしてみれば、みほは大柄な部類に入る。目を見て話すとなればいちいち目線を上げる必要があった。

 みほは杏と視線を合わせながら返した。

 

「そうですね。とんと見当がつきません」

 

「いっぱい集まってくれるといーな」

 

 数だけ集まっても仕方がないだろう、とみほは内心で思ったが、数が揃わないことには話にならないのも事実だ。数は一定数で良いから、苛立たせる人間だけは来ないことを切に祈るばかりだ。

 

オリエンテーション開始の時間である。

 

 館内のブラックカーテンが全て閉められると、巨大なスクリーンが降りてきた。そのスクリーンに映し出されるのは戦車道の映像であった。

 大きな鉄の塊がスクリーン内で動き回る。

  

『礼節のある、淑やかで凛々しい婦女子の育成を目指す……』

 

 ナレーションの女性に対して、みほは冷ややかな視線と一緒に失笑した。何を馬鹿なことをと言わざるを得なかった。見ているとムカムカと腹が立って来たので、みほは映像に集中する生徒たちの反応を探ることにする。どんな反応を見せているかで、大まかに戦車道を履修しそうな女生徒を割り出そうというのだった。

 

 みほは最初に沙織と華の反応を見ることにした。

 

 沙織も華も引き込まれるように映像を見ていた。沙織に至っては頬を蒸気させて、それはまるで恋をしている無垢な少女のようであった。食堂で話をした時と反応が百八十度違う。間違いなく戦車道に惹かれていた。華も決意をしたといった様子で、彼女たち二人は履修者となるに違いなかった。

 

 表情には出さないものの、みほは嬉しそうに頷いた。

 

 他の生徒の反応はどうだろうか。大部分は興味を持ってくれているが、沙織や華のような惹かれ方をしているのは両手と両足で数えきれる程であった。そこまでの人数は集まらないが、最低限は確保できるのではないかと思う。

 

「どう? 何人ぐらい集まりそう?」

 

 みほが生徒たちの反応を調べてるのを見て、杏が先ほどと同じ質問をした。

 今度はしっかりと答えた。

 

「二十前後でしょう」

 

「ちょおっと少ないね~」

 

「あまり高望みしても致し方ありません。集まってくれるだけでもありがたいものです」

 

「……そだね」

 

 やがて映像が終わりを迎えた。余韻に浸る暇もなく続くのは生徒会からのお知らせである。舞台袖から杏と柚子に桃の三人が現れ、今年度から戦車道を再開した理由、戦車道を履修した場合の特典について説明を始めた。

 その時にピクリと反応を示した生徒がいたことをみほは見逃さなかった。そのまま直ぐに眠りの体勢に入ってしまったが、あれは手応えがあったであろう。もう一人ばかり履修者が増えそうであった。

 

 特典の話で過敏に反応を見せる生徒は一人もいない。先の生徒にしてもそこまでがっつく感じではなかった。特典は単位を通常の三倍に、食券をプラスして、遅刻を二百回ほど見逃しにするという相当なモノで、もうちょっと食らいついて来ても良いと思うのだが、大洗の生徒たちは真面目なのか反応はいまいちだった。

 

 みほは少しばかり気分が良くなった。

 

 

 



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第二話 練習試合と麗しの乙女たち
その①


 戦車道の授業初日。みほの姿はグラウンド奥の倉庫前にあった。彼女と一緒に生徒会の三人もいて、その視界には五台もの戦車が並んでいる。これらの戦車は、杏率いる生徒会の面々と協力者たちによって用意されたものだ。Ⅳ号戦車D型、八九式中戦車、38t、M3中戦車リー、Ⅲ号突撃砲F型の五台で、これらはお世辞としてはともかく事実として強力な戦車とは言い難かった。また数も少ないときている。

 

 みほは、この戦車群とこれからやって来る素人たちをもってして、大会に出場し優勝へと導かねばならなかった。

 

 並みの人間であれば、いや古今東西の英傑であろうともこれには匙を投げることだろう。これを用意した杏も流石にと不安で心がいっぱいだった。柚子も顔を青白くするばかりで、桃はと言えば意外にも感情豊かである本性を晒し、涙ながらに悲観的な発言をして柚子に抱き付き宥められる始末である。

 それら生徒会の面々の反応を余所に、みほはどこ吹く風といった様子であった。さして気にすることもなく、どころかやる気に満ち溢れているのである。

 

(十分十分。これを目にしてなんの不満があろうか。この者たちの胸中には不安が渦巻いており、さもあろうことだがこの西住みほ。世に人身を受けてこの方、交わした約束を破ったことは一度たりともない。そも、相手は英霊や鬼神の集まりではない。サンダースや聖グロリアーナ、知波単に継続などは路傍の石を蹴り飛ばすが如く始末し、姉上と決戦の末これも討ち破り、私の義と武名のほどをさらに天下に広く知らしめてくれよう)

 

 大層な自信であった。みほは他の誰が無理であろうとも自分ならばいけると信じ切っていた。最早信仰の域ですらあった。実際にみほは公式戦や訓練の今までを含めると負けたのは一度きりである。昨年に行われた、第62回戦車道全国高校生大会決勝戦でプラウダ高校に敗れたのだ。ただこれも純粋に敗れたとは言い難い。プラウダの実力に押されたというよりは、内部で仲間割れがあった末の敗北だ。

 

 そんなのは言い訳で、チームを纏めきれていない時点でお粗末。西住みほ、西住まほ、と言うよりそもそも西住を過大評価し過ぎていたのではないか、という声も挙がってはいる。それはともかくとして、みほが遅れをとったのはこの一度きりで、後は勝利と引き分けだ。引き分けは訓練で、母であるしほと、姉であるまほの二人とのものである。

 

 こんな戦歴であるし、自分には軍神毘沙門天のご加護があると強く思っているから、負ける筈がないという自信に繋がっているのだった。

 それほどに傲慢とも言える自信は、しかしながら今の生徒会にとって悪いものではなかった。寧ろ極めて頼りとなる姿だ。身体の内より湧き出て来るそれは、杏たちを安心させ、勇気を百倍させるに至った。彼女に付いていけば大丈夫と思わせるのである。

 

 一時もすればぞろぞろと戦車道履修者が倉庫前に集結し始めた。その数十八人。オリエンテーションで恐らくと予想していた人物が全員集まっていた。みほと生徒会を含めると合計して二十二人と少数であるが、車輌数を念頭に入れるとちょうど良かった。

 恰好はバラバラの履修生たちは、行動も居並ぶ戦車に瞳を輝かせる者、生徒会と一緒に行動しているみほに疑問を抱く者など様々だが、共通しているのは戦車道を純粋に楽しみにしていることだった。

 

 良い目をしているとみほは思った。

 

「はーい、皆ちょっと整列してねー」

 

 履修生が全員集まったのを確認した杏は、取りあえず五つのグループに分かれさせた。戦車と同じ数だ。初めからそこそこのグループ分けはできていたので、これに時間が掛ることはなかった。武部沙織と五十鈴華に他二名を加えた四人と、みほが同じグループになって五人、元バレーボール部である四人、制服の上からお気に入りの恰好をしている四人、一年生を一纏めにした六人、ここに生徒会メンバーの三人で五つのグループである。

 

 生徒会とみほを除いて整列が完了すると、後はよろしくお願いしますとばかりに杏たちはみほの後方に控えた。これには何も異論はない。戦車道においては、全権を持つのは自分だと認識していたし、杏も端からそのつもりである。みほは一歩前に出た。

 

「初めまして、私は名を西住みほと言います。各々方にはこれより私の指揮下に入っていただきますので、先ずはそのことをご理解下さい。各々の心の中にはどうして生徒会ではなく私がという思いがあるでしょうが、私は多年に渡り戦車を操る身。経験はここの誰よりも積んでいますので心配は無用のこと。各々が戦車道を履修して良かったと心から思えるよう努力していく所存ですのでどうかよろしくお願いします」

 

 さわやかに、力強く、堂々とした物言いだった。おおぅ、と感心した声があがり、みほは履修生たちの心を掴んだ。これから彼女の指揮に従うことに何の疑念も抱かなくなった。

 すると履修生の一人が、みほを指さしてああっと甲高く叫んだ。

 

「やっぱりそうです! こんな所に居る筈は無いと、ただの他人の空似だとばかり思っていましたが間違いありません!」

 

 視線を集める彼女の名前は秋山優花里と言った。家は理髪店を営んでいる優花里は、幼い頃より戦車に愛を注いで生きてきた。故に当然と言うべきか、戦車を用いた武芸戦車道にも手を伸ばすようになり、昨年の大会も直接見に行く程であった。戦車道の経験こそ無いものの、界隈についてはそれなりに詳しいのである。みほの事を知らない筈はなかった。

 

 だんだんと顔が紅潮し、弾み上がる声を出した。

 

「西住の龍こと西住みほ殿。戦えば必ず勝ち、勝率十割を誇る軍神として天下にその名を轟かせる天才です! 西住殿に心を寄せる人は全国に数知れず! わたくし、秋山優花里もその一人でありまして……ああ、こんな所でお会いできるとは光栄です」

 

 優花里は感極まっていた。紅潮した顔を蒸気させ、目に涙を浮かべそうになっている。憧れの存在に会えたことが嬉しくてたまらなかったのだ。

 ちなみに優花里は勝率十割と言ったが、上記した通り一回負けている。これはみほを慕う者の中には、素直にみほの敗北を認めない者もいるということだ。みほ本人は、癪に障るが負けは負けだと認めており、その責任も全てではないものの自分にあるとしている。が、少なくとも自分の指揮が拙いせいで負けたとは微塵も思っていないのだが。

 

 履修生たちもみほが尋常ならぬ人物だと聞かされると驚きを隠せずにいるが、最も驚愕したのは華と沙織であろう。只者ではないとは感づいていたが、まさかそれ程の人物とは露知らず、親しい友人が軍神などと呼ばれるような人だったなんて。

 

「えええええ!? みほってそんな凄い人だったのー!?」

 

「あの、みほ様とお呼びした方がよろしいでしょうか?」

 

 華が真面目ぶった顔で言った。これが冗談交じりであることをみほにはきちんと分かっていたので、苦笑しながら断った。それは、様付けなど慣れているけれど、友人には普通に接してほしいという心からである。

 

 場の興奮が落ち着いてきた頃合いで、みほはグループごとの搭乗戦車を決めることにした。最初は好きな戦車に搭乗してくれとも考えたが、戦車の乗員数を念頭に置いた時、Ⅳ号戦車とM3中戦車リーは決まったも同然。それぞれ五人乗りと六人乗りだったので、Ⅳ号戦車にはみほたちが、M3中戦車リーには一年生たちが搭乗する。これが偶然であるのか上手く当たったもので、華たちも一年生たちも目を付けていた戦車の担当になった。

 

 残りの三輌は四人乗りだ。みほは残りのどのグループがどれに乗ったところで大して変わりはないだろうと思い、これは好きに選ばせることにした。結果、38tに生徒会が、八九式中戦車に元バレーボール部が、Ⅲ号突撃砲に残り一つのグループがという形に収まった。

 

「次は、役割分担をせねばなるまいな」

 

 呟くと、みほは全員に聞こえるよう声を張り上げた。

 

「各々方、搭乗する戦車が決まりましたら、次は役割を決めて下さい。車長、操縦手、通信手、砲手の四人です」

 

「西住ちゃーん! 私たちは三人しかいないんだけど」

 

「誰かが兼任して下さい」

 

「はいよー」

 

「先輩! 私たちは六人です!」

 

「砲手を二人にして、あと装填手も決めて」

 

「はいっ!」

 

 これもみほは本人たちに決めさせることにした。彼女たち一人一人が何に適性があるのか分からないので、みほがあれこれ口を出すよりやりたい役割をやらせるべきで、あまりにも見ていられないような状態に限り口を出すという結論に至った。

 みほもⅣ号戦車の搭乗員として、役割決めに意識を集中させる。

 

「コマンダーは勿論、西住殿で決定ですね」

 

 コマンダーは車長のことで、言うなれば頭脳である。こなす仕事は多岐に渡り、操縦手を誘導し進路を決定、周囲の状況確認を行い乗員に的確な指示を出すなど重要な役割だ。車長の説明がなされた時、満場一致でⅣ号戦車の車長にはみほが適任となった。みほもやる気であった。

 

 五人乗りなため、残りは操縦手、通信手、砲手、装填手の四つ。どれがやりたいのか訊ねてみると、すかさず声が挙がった。

 

「はいはーい! 私は通信手ってのをやるよ」

 

 沙織であった。メールを打つ速度は人並み外れているから、自分に向いているのは通信手に違いないとのことだった。メールを素早く打つことが役に立つかはさておきだが、やってみたいのならそれでいい。通信手は反対意見もなく沙織に決まった。

 

「私は……でしたら砲手をやってみたいです」

 

 続けて手をあげたのは華である。優花里も砲手をやりたそうであったが、早い者勝ちということで華に譲った。その優花里は装填手をやることになった。

 最後に操縦手は冷泉麻子の担当とあいなった。この冷泉麻子という少女は、大洗女子学園で秀才の誉れ高く、大洗一頭脳明晰なことで有名を馳せている。後にみほをして、

 

「私は戦う者として麻子さんに遅れは一切とらないものの、知能は七日ほどの遅れがあるだろう」

 

 と、言わしめるほどだった。

 低血圧で朝が弱いという明確な弱点はあるけれど、それを補って余りある才覚の持ち主だ。現に、備え付けてあったマニュアルに目を通しただけで、操縦を覚えていたのである。

 

「す、すごいですね」

 

 華が舌を巻くと、麻子の幼馴染である沙織が自分のことのように胸を張った。

やがて、続々と役割が決まったという声がみほの耳に届いた。皆は今か今かと待ちきれない様子でみほの次の指示を待つ。

 みほはこれよりどうするか考えた結果、先ずは動かしてみるべしとエンジンを入れるよう指示を出した。

 

 先手を切ったのは既にやり方を把握している麻子が操縦手のⅣ号戦車であった。これに続いて38t、Ⅲ号突撃砲、八九式中戦車、遅れてM3中戦車リーである。

 地獄の底から鳴り響くがごとき重厚な音が少女たちの耳を刺激した。

 

「あわわわわ、ちょちょっと、なになになになによこれー!? もの凄い音じゃない! 自動車と全然違うよー!」

 

 沙織が慌てふためきながら声を荒げる。他の皆も沙織と同じく混乱したり、あるいは驚嘆しながら戦車のエンジン音に負けない大きな声をあげた。中でも、

 

「イイヤッホー! 最高だぜぃ!!」

 

 という優花里の雄叫びは最も大きい声であった。

 続けてみほが指示を出した。

 

「練習場は既に確保されているようですので、そこまで運転してみましょう」

 

 またもや先陣はⅣ号戦車であった。慣れたような手付きで操作をする麻子の姿はとても初めてだとは思えなかった。

 

「ほう。みなみなどうして、大したものだ」

 

 上部ハッチ、所謂キューポラから上半身を出しているみほは、思わずといった様子でⅣ号戦車の後続に感心していた。小山柚子、おりょう、河西忍、阪口桂利奈の四人の操縦手も、麻子には劣るがしかしこちらも唸らせられる腕前であったからだ。

 こうなってくると、みほは他の者たちの腕前も気になるところ。これなら腕前に関しては期待しても良さそうだと思い、柔らかな笑みを浮かべた。

 



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その②

 大洗女子学園体育館脇に建てられた講堂の地下には、合宿施設が存在していた。体育会系の部活のためと用意されているここは、現在戦車道履修者の貸し切りとなっている。学園ではその影響力計り知れない生徒会が力を発揮し、この時間、戦車道履修者が利用できるようにしたのだ。

 

 大浴場があるため、この生徒会の行為には感謝の雨が降った。みほも例外ではなく素直に喜びを示し、シャワーで身体の表面の汚れを洗い流すと、風呂にゆったりとつかって今日を振り返っていた。

 

「才能とはあるところにはあるものだ」

 

 と、みほは呟いた。

 操縦手以外にもみほは驚かされてばかりだった。通信手と装填手は実戦でもやらない限り何とも言えるものではなかったが、車長、砲手には目を見張った。砲手は五十鈴華が際立っていたし、車長だと、澤梓という一年生は原石だ。磨けば磨くほど輝きを見せる事だろう。そして澤梓という原石を磨き上げる役目を担うのは、自分を置いて他にはいないのだと思った。これから常と傍に侍らせておこうかと考えたぐらいだ。

 

 驚かされたと言えば、河嶋桃もそうであった。あれもある意味では才能なのだろうか。人とは掛け離れた能力を持つと定義すれば、才能があると言えるだろう。

 当たらないのである。斜め上、あるいは明後日の方向に砲弾が反れるのだ。撃つ時に異常な興奮をしていることを差し引いても酷い。あれでは味方を砲撃する危険性がある。冗談にもならない話だ。桃には悪いと思ったが、杏と交代してもらったことは間違った判断ではない。幸い砲手が壊滅的なだけであって、他は大丈夫そうだった。

 

 才能があるのは彼女たちだけではない。大なり小なり、皆持ち合わせていた。

 

(恵まれている)

 

 周りに優れた人材が多く集まったことがである。

 

(ここまで恵まれておれば万が一はあるまい。いよいよもって、並み居る高校を悉く討ち果たし、優勝旗を大洗の地に掲げることに手間暇はいらんかろう)

 

 心の底からそう思った。狼の群れを龍が率いるのである。如何なる猛者が相手でも恐るるに足らなかった。唯一警戒が必要だとしている姉のまほにも彼女たちとなら絶対に勝利をモノにできると確信を抱いた。

 

 前祝に宴でもやって酒を酌み交わしたいなどと考えていたその時、広々としていたみほの周囲にわっと人が集まった。沙織、華、優花里、麻子の四人がぞろぞろとやって来たのである。

 それぞれ失礼しますと言ってから湯船に上半身をゆだねた。

 

「みほっ! 戦車道って凄いね!」

 

 興奮さめやらぬ状態で第一声を切り出したのは沙織だった。当初は欠片も興味を抱いていなかったのに、今では戦車道の虜となっている。みほは調子のいいことだと苦笑したが、沙織らしいと思ってやっぱり苦笑した。

 

 大げさに身振り手振りを入れて、沙織は砲撃音で心臓がバクバクと鳴っただの、座ってたらガタガタと振動でお尻が痛いだの、初体験特有の感想を力みながら語った。

 みほは話を聞いて自分の初体験を思い起こしてみたが、特に沙織が抱くような感想はなかったので共感することはできなかった。

 

「ほんと、告白されるより凄かったかも!」

 

 と、沙織が締めると、

 

「お前は告白なんてされたことないだろう……したり顔で何を言ってるんだ?」

 

 麻子がニヤニヤと揶揄う。二人は幼年の頃よりの付き合いがあり、幼馴染の関係と称されるもので、お互い遠慮がない。まあ、麻子は大概誰に対しても遠慮はないのだが。

 

「されたことあるわよ! 馬鹿にしないでよね! …………………………お父さんに、電話でいつも言われてるもん。大好きだよって」

 

 と、ぷくぷくと水泡を作りながら苦し紛れに沙織が反論した。

 一同はドッと腹を抱えて笑った。

 苦しい苦しいと笑い終えると、今度は自分がとばかりに華が感想を述べる。

 

「私は砲弾を放った時、ぞわぞわっと背筋に走る快感を忘れられません。今でも感覚が残っています。何だか、強い自分に生まれ変われそうで」

 

 話をしている内に思い出したのだろう。

 うっとりとしなだれるように女の色香を華が纏う。華は華道の家元の娘でやんごとなき育ちであるから、高貴な雰囲気もまじりあって同性でも心動かされること甚だしかった。沙織や優花里も吞まれそうになり、みほも少しばかり我を忘れかけたが、途端にはっと気がついたけれど言葉が出なかった。

 

「エロいぞ、お前」

 

 一人動じなかった麻子が言うと、華は恥ずかしそうに口元を押さえた。そしてみほたちの何とも言えない視線に気づくと、おずおずと身体を縮こめる。

 そんな華の反応にみほたちもカッと羞恥が襲ってきて、黙り込むことになった。

 予期せぬ静寂が訪れると、間もなく優花里がしずしずと言った。

 

「今日はとても充実した日でした」

 

 優花里としてはこんな日を自分が味わうことになるとは思ってもみなかった。戦車戦車で親しい者は血の繋がりがある両親だけ、その両親の愛の深さを思えば不満など抱こう筈もなかったが、それでも寂しかったのはまぎれもない事実だ。一人でも二人でも気の合う友人が欲しかった。戦車道とてやってみたくとも環境上断念するしかなかった。

 

 それが今日一日でひっくり返ったのだ。やってみたかった戦車道を始めることに成功したし、その戦車道を通して友人ができた。ことさら、できた友人の一人は憧れの尊貴な人だ。夢心地である。

 

「戦車道を始めることが叶って、皆さまとお会いすることができて、私は、私は感無量であります」

 

 優花里はきらきらとよく光る双眸で、みほ、沙織、華、麻子の顔を順に捉えた。胸がせまって涙声になっていた。

 こうなってくると先ほどの羞恥もどこへやら、みほも感動に心を動かされた。

 こちらこそ、再び戦車道を始めた地でそなたのような心根の美しいものに出会えて、言葉が出ないほどに感無量である、と言いたい。

 

「私たちも、優花里さんにお会いできて僥倖です」

 

 華の言葉は、ここにいる全員の心中であった。

 

 

 

 

 

 

 

 大浴場の風呂につかりゆるりと疲労を落としたみほは、寮へと戻らずに合宿施設の一部屋にその姿を置いていた。今日は疲れをとればそのまま解散という形であったから、みほも沙織たちと一緒に帰路につく予定であったが、そこに待ったと生徒会がみほの肩を掴んで来たのだ。ちょっとばかし話があるとのことで、沙織たちを先に帰らせておいてから、生徒会に部屋へと導かれたのである。

 

 柚子が用意した茶を、まるで酒を呷るように飲み干した。

 これを二杯、三杯。茶請けの干し芋に手を伸ばして、口の中にねっとり残った甘さを四杯目で胃に流し込んだ。

 そして五杯目には口をつけずに器を机に置いた。

 

「一体いかが為されたのです?」

 

 今度は何の用かとみほがいぶかしんでいると、杏は提案があるのだと語った。戦車道において物事を決める権限は生徒会ではなくみほにあるからこその提案である。

 なるほどと、みほは姿勢を改めた。

 

「伺いましょう」

 

「うん。今度の日曜日に、他校と練習試合をしないか、と思ってね」

 

 杏の語るところはこうだ。

 履修初日で初心者とは思えないほど才能を発揮する履修生たちに、同じく初心者ながらに驚かされた。このまま大会まで訓練を繰り返していけば相当なモノになるのは明白であるが、一度も実戦を経験しないのは心もとない。実戦を通して学ぶべきこともある。別にみほを信用していないわけではないが、でもやれることはきちんとやっておかないと、大洗には後がないのだ。少しの妥協も許すことはできない。故に実戦形式の練習試合をどこかの高校と行い、更なる力を身につけるべきではないか。

 

 これが杏の提案であった。

 

 この提案は大いに的を射たものだった。確かに杏の言う通りで、実戦の空気を知っているのと知らないのではまったく心構えが違う。練習試合とはいえ経験すれば大いに効果的なのは相違ないことだ。

 みほはほんのり赤く火照った顔に稲妻を受けたような衝撃が走った。正直な話、履修生たちの才能ばかりに目が行って、杏が言うようなことにまで気を働かせていなかったのだ。不覚をとっていたことを自覚すると同時に、杏の評価が上がった。

 

 思えば黒森峰にいた頃は、参謀や軍師のような立ち位置の人はいなかった。武辺者揃いで猛将と呼べる類の人材は吐き捨てるほどだったが。

 杏が黒森峰に、自分の傍かまほの傍にいれば、あんな惨めな事にはなっていなかった筈だ。今更ながらに腹立たしくもあったが、ただ、今こうして彼女が傍にいてくれると思えば、それはそれで幸せなのかもしれない。

 

「杏さんの言葉はいちいちもっともなことです。私はそこまでのことを考えていなかったものですから、慧眼には感心するばかりです」

 

「それじゃあ」

 

「はい。練習試合をやりましょう」

 

 と、いうことになった。

 さて、練習試合をすることになったが、重要な問題がある。試合があるのだから相手が必要であったが、この相手を見つけるのが至難の業であった。と言うのも、大会が近くなっているため、練習試合を行うとすれば戦力、戦術のほどを晒してしまいかねないため、どこも受けてくれないのである。

 

「黒森峰はどうでしょうか? 西住の元母校ですし」

 

 意見を出したのは、今まで口を噤んでいた桃であった。

 彼女としては、みほの古巣であり、それなりの地位にいた上に、姉が実権を握っているのなら頼めばやってくれるのではないか、という一応道理に適ったモノだ。

 しかし、みほはきっぱり無理だと断言した。確かにみほが頼めば、練習試合の相手として立ちはだかってくれるだろう。けれど、頼む時のまほの反応を想像した時、どのような返答となるかは手に取るように分かる。

 

「大会を勝ち抜く自信がないため、練習試合で戦っておこうという魂胆か? 天下に名を轟かせる西住の龍がやることとは思えんな。これでは文字通り地に落ちて龍だか蜥蜴だか見分けがつかんぞ」

 

 嫌だった。みほの溢れんばかりの自尊心と若さが耐えきれなかった。いくら愛情を持っている姉であろうとも、かかる侮辱の言葉を掛けられれば、自分で自分を抑えきれそうにない。

 だから桃の意見は却下である。

 と、同時に、

 

「聖グロリアーナはいかがでしょうか?」

 

 すかさず、みほは別案を出した。姉に侮辱されるのが嫌だからと本音を語るわけにもいかぬし、かと言って納得させられそうな言い訳を瞬時に考えつかなかったので、意識を別に反らさせ有耶無耶にすることにしたのだ。これが功を奏し、桃は黒森峰から聖グロリアーナへと意識を移した。

 

「聖グロリアーナ? そこなら受け入れてくれるのか、西住?」 

 

「はい。ここならば確実です」

 

 また、何も意識を反らさせるためだけに聖グロリアーナの名を口にしたわけではなかった。ここならば練習試合の相手になってくれると確信があっての発言であった。

 

「西住ちゃんが言うなら決定だね」

  

 杏が微笑して言った。

 

「よろしいです。ならば河嶋さんに交渉は一任します。是非一仕事お願いします」

 

「ああ、分かった」

 

 みほは冷めた五杯目の茶をグッと飲み干した。

 



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その③

 翌日に広報の河嶋桃は、聖グロリアーナ女学院との電話越しでの交渉に入った。

 桃の予想では難航するかに思われた交渉だが、意外や意外、二つ返事の末練習試合が決まったのである。

 聖グロリアーナ側曰く、

 

「来るもの拒まず。正面から受け入れるのが我が聖グロリアーナ女学院の流儀ですわ」

 

 とのことで、みほはこのことを知っていたからこその確信であったようだ。

 交渉の結果は直ぐさまみほの下に伝わり、二日後の金曜日をもって、履修生たちに知らされることとなった。

 空を夕焼けが色取る時刻、訓練終わりの履修生たちは倉庫前に整列していた。

 

「急な運びではありますが、今日より二日後の日曜日、練習試合を行う事となりました。相手は聖グロリアーナ女学院」

 

 思いもよらないことだ。履修生たちはおのれの耳を疑い訊き返したが、どうやら誤りはなかった。驚き呆れるところに、優花里が、

 

「聖グロリアーナ女学院は、大会で準優勝したことがあるほどの強豪校であります」

 

 という情報をもたらすと、顔を青白くするばかりとなった。

 彼女たちは戦車道を始めて一週間と経っていない。練習試合を行うなど時期尚早、百歩譲ってやるとしても準優勝経験校とだなんて正気の考えとは思われなかった。素人に産毛が生え始めてきた者どもに何をやらせる気だとも思った。

 

「ハハ、ハハ、各々の気持ちはよく分かりますが、我々にも考えあってのこと。何事も経験と申しますし、もう既に決まったことです。今回のことは前向きに考え、学びの時間としていただけると、この西住みほも喜びに絶えないところです」

 

 だが、みほが笑いながらそう言うと、それもそうだな、という雰囲気が出てきた。滅多にあるようなことではないし、胸を借りるつもりで頑張ろうという気持ちになったのだ。何、負けて上等、失うものなど何もないのである。

 

 よしよし、とみほが頷いてから、磯辺典子、カエサル、澤梓の名前を呼んだ。それぞれ八九式中戦車、Ⅲ号突撃砲、M3中戦車リーの車長である。正確にはカエサルだけ車長ではなく、チームリーダーだ。とにかく三人がチームの長である。呼ばれた人々は列を離れてみほの目前へと進み出た。

 

「河嶋さん」

 

「ああ」

 

 後方に控えていた桃の手から三つ束となった書類がみほに手渡された。受け取ったみほは、束を一つずつ三人に差し出す。受け取った三人は、ざっと書類の束に目を通した。内容は練習試合における作戦計画であった。

 

「昨日、私と生徒会の方々が練ったモノです。細かなことは当日の試合中に変化していくことでしょうが、大まかにはそこに記されている通りの動きとなります」

 

 典子、カエサル、梓の三人が、一礼してから列に戻った。

 三人が列に戻ったのを確認したみほは、履修生一人一人の顔を見てから、

 

「明日の土曜日は休日と致します。そこで疲れを取り払い万全の状態をもって試合に臨んで下さい。それと、初めての試合ですから、勝敗は極力気にすることなく楽しんでやっていただけるとよろしいかと思います」

 

 最後にこう言い渡して、この日の訓練は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早くも二日後の日曜日がやって来た。まるで土曜日がなかったかのようにあっという間であった。

 履修生たちは慣れない戦車道で疲労した身体を回復させるべく、授業もないことを良いことに、土曜日は泥のように眠りこけていた。なので時間も気付いたらこれこれこの通りという有様であったろう。

 

 みほはと言えば、毘沙門天への祈りに集中し過ぎて、こちらもあっという間だった。もう少しで飲食も忘れるところであったから、その集中具合は生半なモノではなかった。ただ、戦車道の試合前だとよくある話である。

 

 午前八時ごろ、履修生たちは大洗の陸地に集結していた。どれもこれも緊張した表情である。初めての練習試合で、相手は準優勝経験校で、気楽に気楽にと思っても緊張するのは仕方のないことであった。また、自分たちよりも早く到着していた聖グロリアーナ女学院の学園艦が、大洗のモノより倍近くの巨体であったことも、表情が強張る原因の一つかもしれない。要するに気押されているのだ。

 

 そんな履修生たちの気持ちを余所に、みほは悠々たる態度であった。試合の時間が始まるまでと、Ⅳ号戦車の上に胡座し、持参した琵琶を抱き上げて気持ちよさそうに爪弾いている。それがまた見事な弾奏で、清涼な音が風に乗って朝日のみなぎった青い空に響き渡り、胸の底にまで染み届き、聴いていれば自然と一体化する様な感覚に陥るのだ。

 

 何を余裕面して琵琶などを弾いているんだと思った履修生たちも、次第にみほの弾奏に惹かれていき、口を出そうにも出せなくなった。また、その弾奏しているみほの恰好が、白絹の頭巾で頭と顔を包み込み、大洗の制服の上から白地の陣羽織を羽織っており、その陣羽織の背中には『毘』の一文字が縫われているというもので、悠々とした態度も相俟って、古の英傑を彷彿とさせる雰囲気が口を出させ難くしているのであった。

 

 それでも麻子などは、何をやっているのかと声を掛けるのであるが、みほは機嫌良さそうにニコリとするだけであった。時折、何かの歌詞を楽しそうに口ずさんだ。

 最後の方になれば、もう誰も何も気にせず、緊張していたことなども忘れて、素直にみほの弾奏に耳を傾けた。みほ自身も我を感じなくなり、小川の如く流れるように手を動かす。

 どれぐらい弾き続けたのだろうか、曲はラストを迎え、みほが四弦を一気に弾き切った。

 

 その時であった。

 

「お見事ですわ」

 

 手を叩いて称賛の意をみほに示す、赤い服に身を預けた三人の少女たちがいた。

 お世辞ではなく心の底からの称賛なのが彼女たちの笑みから伝わってきたので、みほの機嫌が分かりやすく良くなる。

 この時、三人に視線を向ける中で、中央に立っている金髪碧眼の少女に目を強く惹かれた。

 

「拙いモノで、お耳を汚してしまったようで」

 

 みほは立ち上がると、琵琶を抱えたまま戦車から降りた。

 そこで、金髪碧眼の少女と自分の目線の位置が同じことに気づく。上から見た場合そこそこ身長は高そうに見えたが、きっちり背筋を張っているからであろうか。

 

「謙遜なさることはありませんわ。あれほどの弾奏はそうそう聴けるモノではありませんもの。私、琵琶は見た目通り専門外もいいところですが、それでも絶対の自信を持って言えますわ。素晴らしい弾奏でした、と」

 

「ありがたきお言葉です」

 

「ふふ、そうでしたわ。先ずは名前を名乗らなくては非礼に値しますわね。私としたことが……ダージリン。聖グロリアーナ女学院戦車道部で隊長の位を拝命しております、ダージリンと申しますの。以後お見知りおきを願いますわ」

 

 この時みほは、

 

(はてな?)

 

 と思った。

 ダージリンという名前はどこかで聞いた覚えがあるのだ。何時だったのか記憶を遡ってみれば、そうだそうだ黒森峰に居た頃、姉が油断ならぬ人物として名をあげていたではないかと思い出した。

 

 みほはダージリンを仔細に観察する。

 容貌は甚だ優れていた。目鼻立ちは端正で、雪を塗りたくったように白いが血色は良さそうだ。自然と自信に満ちている表情には、才智が見え隠れし、瞳は力強くみほを見据えている。動作の一つ一つにはいちいち気品が見受けられるし、稀有な才幹を感じ取れた。

 

 また、ダージリンの後方にいる二人も中々の人物のように思えるし、その二人からの信頼を得ているのも無視できない。

 

(ただの鼠かと思うておったが、これは本当に油断できん。聖グロリアーナにもこれ程の者がおったとは)

 

 完全に誤算であった。だが、誤算ではあったからと言って何かあると言えばそうでもなかった。敵が有能であろうがそうでなかろうがやることは変わらないのだ。戦うのならば潰す。ただそれだけのことであった。

 そんな心の内はおくびにも出すことなく、みほはダージリンとの会話を続けた。

 

「ああ、これは申し遅れました。私は大洗女子学園戦車道隊長の西住みほと申します。本日は急であった試合を受けていただき、この上なき喜びでございます」

 

「構いませんことよ。私たちもあなたと戦えることは光栄の至りですわ」

 

 それから暫く、みほはダージリンと機嫌良く談笑を続けた。その間、仔細に観察をすることも忘れない。そうして話す内に、あるいは観察する内に、ますます以て只者ではないという思いを心中に巡らす。同時に、好感も持ち始めてきていた。

 どうもダージリンという女は根っこの所に清潔感を備えた女だ。表の面では陰謀臭い所がありそうだが、本質は堂々としたもの。みほは良い人物だと感心した。

 間もなく、審判役を務めるという聖グロリアーナの少女が、

 

「ダージリン様。西住様。お時間です」

 

 と、開始時間の訪れを知らせにやって来た。

 

「あら? もうそんな時間なのかしら?」

 

 ダージリンは残念だとばかりに眉根を下げる。もう少し言いたいことがあったのだが、時間ならば仕方がないと、後方に控えていた二人を伴って一旦引き下がった。

 この時、みほに対して礼をする事も怠らない。

 ああ、戦車道界にもきちんと人はいたのだな、とみほは感慨深いものを覚えた。

 そうしてから改めて整列の際に、

 

「お互いに騎士道精神で、正々堂々と頑張りましょう」

 

 涼やかにそう言った。

 みほは二っと口角を上げて返した。

 

「あいにくと騎士道は存じておりませんので、武士道でよろしければ」

 

 ダージリンは白い歯を見せて笑う。それは年相応の少女の笑みであった。

 

 

 



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第三話 謙信の化身
その①


 審判の少女が、無線機を通して告げた。

 

『聖グロリアーナ女学院。大洗女子学園。両校は所定の開始位置に移動して下さい』

 

 これを聞き受けた後、試合に参加する全戦車が移動を開始する。大洗女子学園五台、聖グロリアーナ女学院五台の計十台である。

 先ずは大洗の市街地を突き進んだ。街の一部は今回の試合で戦闘区域に指定されているため、みほはキューポラから上半身を出しよくよく自分の目に焼き付ける。作戦ではここでの戦闘も想定しているが、地図上でしかみほは確認していなかったのだ。しっかりと直接確かめたかった。

 

 市街地を抜ければ所定の開始位置に当たる丘陵地である。北に砂地が広がり、聖グロリアーナ女学院は東へ、大洗女子学園は西へそれぞれ戦車を進めた。

 両校が開始位置に到着すれば、審判がルールの説明を行う。練習試合の形式はフラッグ戦ではなく殲滅戦が適用され、このルールは殲滅の名の通り敵の全車輌を撃破すれば勝利というものであった。フラッグ戦であれば、決められた一輌を撃破すれば勝利だが、こちらは全滅させる必要がある。素人ばかりの大洗にはことさら厳しい戦いになりそうであったが、みほは、

 

(面白い戦いになりそうだわ!)

 

 と、胸の内で気勢をあげていた。

 ルール確認が終わればいよいよである。雲も見えない青一色の空に、一筋の線が昇った。あれこそが試合開始の合図である照明弾に他ならない。昇りきったところで甚だ強き輝きを発した。

 

『試合開始!』

 

 審判の口頭での合図が無線機を通して響き、よし来たとばかりにみほが声をあげた。

 

「戦車を進めい!」

 

 五台の戦車が前進を開始する。一見すれば丁寧に隊列が整っている様に見えるが、細かいところを見ていれば、ズレは大きい。けれども、始めて一週間も経っていないことを考えれば、十二分のモノである。

 戦車を前進させていると、やがてみほが喉に当てているマイクを使い履修生たちへ、

 

「敵の戦車は甚だ装甲厚く、75mm砲をもって鼻先にまで近寄らねば我らが攻撃は通用せず、誰が見ようと我らの敗北を予想するでしょう。いかさまその通りでありますが、どうしてかな、私は負ける気が致しません。先日は勝敗を気にするなと申し上げましたが、どうせなら勝とうではありませんか。各々が自分を信じ、力を出し尽くせばいかに状況不利と言えども、天は我らに微笑むことと思います。敵の隊長ダージリンなる者は一廉の人物であり、その旗下の者どもも尋常ならざる勇士揃いではありますが、各々方の力は彼女らに劣るモノではなく、討ち破るに十分であると申し上げておきましょう」

 

 と、言った。

 それからも五台の戦車は意気揚々と大地を踏み締めて目的地を目指していく。途中でⅣ号戦車以外の四台の戦車を停止させた後、Ⅳ号戦車のみ更に突き進むと、みほは小高い砂山がある手前で戦車を停止させた。

 

「少し様子を見てこよう」

 

 と、みほは優花里を引き連れて自ら斥候に出た。身体を伏せて、双眼鏡を覗いた先に見えるのは、寸分の乱れなく横列を組んで前進する聖グロリアーナの戦車群であった。チャーチルを中央に配置し、左右にマチルダⅡを展開させている。イギリスの歩兵戦車を中心とした編制だった。チャーチルこそが隊長ダージリンの搭乗戦車であることは間違いない。

 周囲を探索、威圧しながら堂々と、さりとて濛々と立つ砂煙の中にあって優雅、気品すら感じさせながら進む姿にみほは笑った。ダージリンの姿をそこに見たのだった。

 

(物々しくも美しいわ。見事だ。見事だ。それでこそ潰し甲斐があるというもの)

 

 舌を巻いたかと思えば勇み立ち気力を満ちさせ、優花里と一緒にⅣ号戦車まで帰って来ると軽やかに乗り込み、

 

「では、作戦通り参りましょう。Ⅳ号戦車はこれよりやんごとなき方々を迎えに行って参りますので、みなは事前に取り決めた位置で待機をお願い致します」

 

 その場から戦車を後退させ始めた。Ⅳ号戦車は麻子の操縦の下でエンジン音をなるべく響かせずに粛々と後退して行き、しまいには四台の戦車を追い抜いて行った。

 Ⅳ号戦車がこれより向かう先は、聖グロリアーナ女学院の下である。進軍する敵の進路上に先回りし、一当てしてより注意を引きつけ、誘い込むのがⅣ号戦車の最初の役割であった。囮作戦である。

 みほは、この作戦が成功すればこちらには被害が一台あるものの、敵の被害は最高で二台、最悪一台は確実なものと計算していた。自分は戦いに負ける筈がないと自信しているが、被害なく勝てるなどと幻想は抱いていなかった。負けはしないがこちらも全滅近い被害があるだろうと想定していた。

 

 やがてⅣ号戦車は五台の敵戦車の姿を捉えた。みほはⅣ号戦車を停止させ、優花里に砲弾の装填準備を、華に砲撃の準備をするよう命じた。無人の砂地を無駄なく整然と進み行く聖グロリアーナ勢は、未だⅣ号戦車の砲口が自分たちに向けられていることに気付いていない。

 

「西住殿、砲弾の装填が完了しました」

 

 ハッチより顔を出した優花里が告げれば、みほは腕を振り上げて、やや強くそよぎ始めた朝風を切り裂くように、勢いよく振り下ろした。

 

「撃てい!」

 

 指示を受けて狙いつけておいた砲弾を、華が発射した。天地も崩れ去るのではなかろうかとばかりの大音響がすると、遙か先の聖グロリアーナ勢が駆ける足元近くを抉り取った。

 

「外したっ!?」

 

 しまった、と華が絶叫した。

 だが外しはしたものの失敗ではない。これは敵に存在を気付かせ引きつけることが重要なので、肩まで広がった白頭巾と陣羽織を朝風にたなびかせるみほの姿を捉えて、敵がこちらに進路を変更して来たのを見る限りでは成功である。

 悠然としながらもワッと威勢よく押し寄せて来る敵を認めたみほは、操縦手の麻子に反転を指示し撤退を開始した。

 追撃して来る敵は、逃がしてはなるものかと一斉に火を噴き、凄まじい響きを炸裂させた。砲弾は一発も当たらない。逃げるⅣ号戦車に向けて、次こそはと聖グロリアーナ勢が再び主砲を撃ち込むも、障害物を巧みに利用する麻子の操縦の前に、岩を粉砕し砂煙を上げるだけに止まった。

 

「みほっ! 危ないよっ!」

 

 思わずと言った具合でハッチを開き叫んだ沙織の表情は青ざめ、額には小さな玉となっている汗が浮いていた。先ほどⅣ号戦車を狙っていたチャーチルの主砲が、あわやみほの身体を的とするところであったのだ。戦車の主砲を生身で受ければ、勿論死を免れることはできない。もう少しで友人が死んでいたと思うと、沙織は瞳より大粒の涙も流そうものであった。

 しかしみほは聞いているのかいないのか、沙織に優しく微笑むだけであった。これには滅多に怒ることはない沙織であっても、胸の内に沸々と怒りが込み上げてくるのを実感した。こちらは心配をしているのに、と青ざめた肌をカッと赤くする。感情益々激しさを益し、何か言わねばと睨むような目つきでみほを見つめて、怒鳴るように言った。

 

「危ないって言ってるでしょ!? 早く中にはいっ……えっ?」

 

 けれど、最後まで激したまま言い切ることはできなかった。

 何故か。この時、沙織は見たのである。みほの身体から黒いモヤモヤが立ち上るや、それがみほの身体を霧のようにおし包んだ時、みほはみほではなくなっていた。そこにいたのは一人の男性であった。みほと同じ白絹の頭巾で頭と顔を包み、具足を身に纏い、顎にぎっしりと濃い髭を蓄えた男性が、みほと同じ微笑みを沙織に送っていたのだ。

 瞬きをした直後には、まるで幻覚であったようにみほの姿へと戻っていたが、確かに沙織は見たのであった。

 みほが微笑みのままで言った。

 

「敵の腕前は目を見張るモノがあるけど、行進間射撃……ああ、これは走りながら撃つことなんだけど、そうそう当たることはないんだよ。そもそも私には絶対に当たらないから大丈夫。当たらない。絶対に当たらないよ」

 

 普段であればみほがおかしなことを言っている、と呆れて一笑いするところであったが、今の沙織にはどうしてか根拠のない戯言のようなみほの言葉を信じることができた。理屈ではなく、ああこの人には当たらないんだろうな、と思わされるのである。

 

「沙織さんこそ危ないから、中に入って」

 

 みほにそう言われ、沙織は素直に従ってハッチを閉じた。

 

「当たろう筈もあるまい。私に当たるわけがないのだ」

 

 呟いた。これは戦車の中へ戻った沙織に言ったというより、自分に言い聞かせているようであった。

 こんな話がある。みほの母であるしほは、その昔に若僧が出て来る夢を見た。その若僧、驚くことに上杉謙信その人であったという。戦国の世で越後を治めた大名として活躍し、合戦すること七十を数え、その勝率は圧巻の九十五%であり、越後の龍、聖将、軍神と恐れられた古の英傑の一人である。その上杉謙信がしほの胎を貸してほしいと夢に現れ、承諾した結果身籠り、産まれたのがみほという話だ。

 この話を聞いた時にみほは、

 

「私は上杉謙信の生まれ変わりに違いない」

 

 と、思うようになったという。幼い頃より、しほに命じられるまま信仰していた毘沙門天に惹かれていたのも、自分が上杉謙信その人であったからだと納得したのだ。謙信は毘沙門天の熱烈な信仰者であった。これはしほ自身もはっきりと口にしたわけではないが、みほが謙信の生まれ変わりだと頭のどこかでは信じているであろうことも拍車をかけている。

 つまり、飛んで来る砲弾に自分は当たらないと理屈も根拠もなく思っているのも、

 

「上杉謙信に矢や鉄砲の弾が当たらないのなら、生まれ変わりである私にも当たるわけがない」

 

 という考えに基づいてのモノであった。

 であるから、今も付近を飛来するチャーチル、マチルダⅡの砲弾や、その砲弾により砕けて頭上から降り注ぐ岩などにも恐れを抱かずに上半身をキューポラより戦車の外へと出しているのである。

 みほは前方と後方に視線を送り、目的地までの距離と敵勢との距離を確かめつつ、無線で大洗勢に到着予測時間を伝えた。

 そして砲弾の雨を浴びながら目的地へ退却すること数分、Ⅳ号戦車は聖グロリアーナ勢を連れて目的地に出て来た。直進していたⅣ号戦車は右へと曲がり、

 

「38t! 八九式! 撃て!」

 

 みほが命じると、高所より見下ろすようにⅣ号戦車を待っていた二台が砲撃を開始した。38t、八九式中戦車の主砲が幾度か火を噴いた時、Ⅳ号戦車を追ってマチルダⅡが、砲撃をものともせずに二台飛び出して来た。

 ここだ、とみほは次の合図を下した。

 

「Ⅲ号! M3! 敵の横っ腹に撃てい!」

 

 Ⅲ号突撃砲、M3中戦車リーの砲音が高らかに鳴った。

 



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その②

 ダージリンは合点が行かなかった。

 Ⅳ号戦車を追撃しながら彼女は思案する。敵の作戦は間違いなく囮作戦であり、敵はこの先へと誘い込み待ち受けていた戦車群で自分たちを一網打尽にしようという全容の筈だ。それはもう明白なことであるが、彼女はこれに合点が行かないのである。

 これが凡庸な人が相手であれば、この単純明快な囮作戦も納得してよいのだが、相手がみほではそう簡単に考えられるモノではない。みほの戦術は天才的な鋭さがあり、その戦いぶりには烈火の如き攻撃性があることを知っている。映像や実際に戦ったこともある人物の話をかき集めて研究したのだ。こんなちょっと机上で学んだ程度の戦術を、みほがやって来るとは到底思えない。

 

「みほさんは、どんな神算鬼謀があってこんな凡才の真似ごとをしているのかしら」

 

 不安であった。

 どんな奇策を用いて来るのか頭を悩ませた。みほは絶対に自分にも思い寄らない戦いをして来るとダージリンは盲信していた。

 だから気付かなかったのである。この囮作戦が真に単純なただの囮作戦であることを。

 敵からの砲撃が始まって、先行するマチルダⅡが二台ともに白旗を掲げたことを審判よりの通達から知った時、ダージリンは、

 

「あっ!」

 

と、声を出しそうになって何とか押し止めた。危うく持っていたカップの中身である紅茶を、戦車内にぶちまけるところであった。

代わりに、チャーチルの装填手オレンジペコと砲手アッサムが、

 

「あっ!」

 

と、声をあげた。こちらも何とか紅茶をぶちまけずに済んだ。

 二人は狼狽えていたが、ダージリンは咄嗟に、

 

(隊長たる私が騒ぐわけには参りませんわ)

 

 そう考えて、わざと余裕の笑みを浮かべながら、泰然とした態度をとった。そうしてから頭の中では生き生きとした思案を展開し、聡明さを働かせていた。

 

(裏をかかれましたわね。私はみほさんならこんな単純な作戦をするわけがないと考えていましたが、彼女は敢えてそう言った作戦をとることで私を騙したに違いありませんわ。あるいは、これが別の人物が考えた作戦であり、みほさんが手を加えただけという可能性も……どちらにしても私の不覚ですわね。流石はみほさんですわ)

 

 だがやられたままでは終わらない。ダージリンは撃破されたマチルダⅡに構わず押し退けて進み出ると、気を立て直したアッサムに敵戦車を砲撃するよう指示を出した。狙いは今ようやく坂を上ろうとするM3中戦車リーである。

 坂を上った先の高所には38t、八九式中戦車、それからⅣ号戦車が反転しており、反対の坂にはⅢ号突撃砲がそれらに合流しようとしている。どうやらここから撤退して市街地戦に持ち込むつもりのようだ。

 

(一先ず、M3だけでも片付けておきますか)

 

 そう思った時にはアッサムが発射した砲弾が見事M3中戦車リーに命中し、走行を不能なモノとさせていた。その間にM3中戦車リー以外の敵戦車四台は、市街地へと撤退して行った。

 これで三対四とまだまだどうとでもなる。ダージリンは生き残りのマチルダⅡを引き連れて素早く市街地に向かおうとした。瞬間、はたとこう思った。

 

(過ぎてしまった以上後の祭りですけど、Ⅳ号戦車が私たちの前に姿を見せた時、私たちがそれに乗らなかったらどうなっていたのでしょう)

 

 みほの駆るⅣ号戦車が現れた時、ダージリンは追撃することを選択したのは誤りだと思っていない。大洗女子学園はみほ以外が素人の集まりだと聞いているから、必然的にⅣ号戦車の操縦手も素人で、ならば撃破することに手間を弄することはないと判断した。

 みほを撃破してしまえば後はじっくり料理するだけだと。だが蓋を開けてみれば、Ⅳ号戦車の操縦手はかなり腕の良い人物であった。結果、撃破できずにまんまと誘い込まれてしまったのである。

 

 では、追撃しなければどうなっていたのか。追撃をせずにこちらから攻撃も仕掛けず、待ちと守りの戦術を自分たちがとった場合、その後の展開が如何になるか。

 思うに、途中でみほが癇癪を起して総攻撃を仕掛けて来たのではあるまいか。

 西住みほにはこんな評価がある。

 

『西住みほは勇猛果敢である。また無欲であり、正義感が強く人を裏切ることは絶対にない。潔く、器量も大きく、人の心を察する上で優しい。中々例を見ない良人物なのは疑いようがない。しかし欠点もあり、名誉心が強過ぎることと、気が短く我慢弱いことである。だから、西住みほは完璧な人ではない』

 

 というものだ。

 ダージリンは西住みほの戦法は研究したが、人柄は詳しいことをやっていない。けれども、この評価は正しいのだと思う。交友関係のあるみほの姉、西住まほも時々みほのことを話してくれたが、同じようなことを話していたからだ。余談だが、みほが大洗に転校した情報はこのまほから教えてもらっている。だから今日の練習試合は楽しみにしていた。

 それはさておき、もし自分たちがそういった戦術をとった時、みほは次第に腹を立てて一気に攻勢に出ようとするだろう。彼女のように血気盛んな猛者は、往々にして辛抱する力はないのだ。そうした勢い任せの突撃は、黒森峰の頃の戦力でやられると堪ったものではないが、今の大洗の戦力であれば恰好の的である。

 

 ここまで考えた時、今から市街地へ行かずにここでずっと待っているのもありなのではないか、とダージリンは思った。ここで動かずにじっとしていれば、その内苛立ったみほが市街地より戻って来て、粗漏な戦いを仕掛けて来るのではないか。そうなってしまえば、後はこちらのもの。返り討ちにするなり、守備を固め敵の気力を削いでから、じっくりと料理をするという手もある。

 ただ、気に入らない勝ち方であった。聖グロリアーナ女学院には相応しくない勝ち方であった。

 

(我ながら愚かなことを考えましたわね)

 

 ダージリンは首を横に振って、これまでの思案を頭の中から消し去った。こんな恥さらしなことを実行に移すどころか考えるだけでもとんでもないことだ。ダージリンにはダージリンの、あるいは聖グロリアーナには聖グロリアーナの勝ち方、流儀がある。

 何を甘いことをと口にする者もあろう。戦いは非情で、効果があるのならばどんなに悪辣、不潔、陰険な戦術であろうと使うべきだと。だがこちらにも名誉や見栄があるのだ。それらから外れたことをしてしまうのは名を貶める行為である。特に戦車道は武芸の一つで、どんな手を使っても勝てば良いというわけではないのだ。

 

「全車、市街地へ向けて進軍開始」

 

 迷いなく市街地へ進むよう指示を出すと、チャーチル含めた三台の戦車が堂々と市街地へ走り始めた。これが私たちの戦い方だとティーカップに口をつける。その進軍はやはり堂々と気品があって、どこまでも優雅なモノであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 可愛い者たちだとみほは思った。

 M3中戦車リーの搭乗者たちのことである。彼女たちが撃破されたのは致し方ないことなのだ。M3中戦車リーかⅢ号突撃砲のどちらかが敗れることは作戦の内であった。作戦の内であって、敵勢はM3中戦車リーに狙いを付けてこれにやられたのだ。何も悪いことでも責任を感じることでもなく、もし責任があるとするならば、それは隊長であり采配者であるみほにある筈だった。

 けれども、梓を筆頭にした一年生たちは、

 

『やられてしまいました。ごめんなさい』

 

 と、まるで自分たちにこそ責任があると言うような通信を入れて来たのである。責任逃れをする人間は数多く見て来たが、関係のない責任を負う人間は初めてであった。そんな梓たちをみほは可愛いと思ったのだ。

 返信として、

 

「よく頑張ったね。何も気にすることはないから、後は私たちに任せて」

 

 そう、みほは笑って言った。

 一年生たちは、口々に頑張って下さいと応援の言葉を掛けて通信を切った。

 みほが一年生たちのことで一喜していると、大洗勢は市街地へと入った。戦闘区域に指定されている商店街である。入るや直ぐに桃が無線機越しで発言した。

 

『商店街に来たわけだが、これからどうするんだ西住? 商店街に来た以上は、地の利を生かした戦いを展開したいところ。私としては、四つの戦車がそれぞれ別の隊となり、各々戦車を伏せられそうな箇所へと向かい、そこに隠れ潜み、ノコノコとやって来た奴らに一撃を加える。こそこそとして私は好きではないが、勝つ作戦としては悪くないんじゃないか』

 

 桃のこの発言に、八九式中戦車車長の典子が賛同の意を見せた。

 

『広報さんに賛成! 強烈なアタックを決める!』

 

 典子を除いた元バレーボール部の面々も各々賛成の意見を述べている。

 他に意見はないのだろうかとみほはしばし待ってみると、Ⅲ号突撃砲の装填手カエサルが口を開いた。彼女はどうやら反対のようであった。

 

『私は反対だ。わざわざ戦力を分散することはないだろう。それに敵は二輌もの戦車を喪失し、いつも以上に慎重に行動することを心掛けるだろう。敵だってこの辺りの地図は持っているんだから、分散して行動なんかしたら、慎重に慎重を重ねた敵に隠れ場所を想定、発見され各個撃破されることは必定』

 

 自信を持って提案した作戦に反対意見が出たため、ムッと来たのだろう。桃がカエサルに怒鳴りあげた。

 

『だったら地図上にない場所に隠れれば良いだろうが! 店の路地裏とか!』

 

『店の路地裏なんかは警戒されるに決まってる! そもそも地図上にない場所に隠れるなんて、走りながら探す気か!? ナンセンスだ。そんなことをしている間にやられるのがオチだ』

 

『何だと! 別に初めて来たわけでもないんだから地理ぐらい分かるだろが! 大体ただの歴史オタクが私の作戦にケチをつけるな!』

 

『あなたよりは知っている! そもそもど素人のあなたこそ黙ってもらいたいな!』

 

『まーま、河嶋落ち着いて。そっちも、ね。言い争っている時間なんてないんだしさ。ぐずぐずしてたら聖グロ来ちゃうよ。ここはパパッと西住ちゃんに決めてもらおうよ。ってことで、西住ちゃんよろしく~』

 

 流石に見かねた、と言うより聞いていられなくなった杏が二人の口論を止めた。もう直ぐそこまで聖グロリアーナ勢は迫って来ている筈である。そもそも最後の方は口論ですらない上に味方同士で揉めている暇はない。

 聞き苦しそうに眉を顰め憂鬱気にしていたみほは、杏に言われてしばらく思案した。しばらくと言っても聖グロリアーナ接近を考えるとそう時間はかけられない。自分がダージリンであった場合大洗勢はどういう戦いをするだろうかと考え、桃やカエサルの意見も考慮し、細かな作戦を組み上げた。

 

「ではこうしましょう」

 

 みほは己が作戦を語った。

 



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その③

 聖グロリアーナ勢が商店街へと押し寄せて来たのは、大洗勢にしてみれば間一髪の時であったのかもしれない。もう少し早ければ、態勢の整っていないまま戦闘に突入するところであった。

 ダージリンらは十字路に差し掛かったところで三手に分かれた。一手は右の道を、残り一手は中央の道を進み、途中で更に分かれる。数が敵より少ないが、街は幅が細い道が多く固まって行動するのはかえって危険と判断したのと、大洗勢は恐らく街の各地に散らばって、地の利を利用し隠れている筈なので、それらを見つけ出し撃破するためであった。

 ダージリンはマチルダⅡの乗員たちへと、軽率な行動を絶対に取らず考えすぎというほどに慎重を重ねろと言い含めておいたのか、脇道や戦車でも入れそうな場所への警戒のほどは尋常なモノではなかった。

 

 そんな聖グロリアーナの動きを知らないがしっかりと予想していたみほは、計画通りにこちらも戦力を三手に分けた。一手を八九式中戦車、一手を38t、一手をⅣ号戦車とⅢ号突撃砲として、それぞれ行動を開始する。

 前者二手を敵勢二手の足止めに用い、みほたちの本隊が正面から各個の撃破に動く作戦である。みほは、隠れ潜むという桃の作戦はカエサルの言うとおりになると予想したが、かと言ってカエサルの言うように戦力を集中させるのは、ダージリンと同じく街の中でとる作戦としては厳しいものがあると判断した故での作戦であった。

 

 これは少し冒険心がある作戦だ。一同は上手く行くとは思えなかった。思えはしなかったが百戦の経験を積んでいるみほを信じた。もとよりあれこれ反対している時間もないから、隊長たるみほの決めた作戦に従うだけである。

 

 三手に分かれた大洗勢は、やはり三手に分かれていた聖グロリアーナ勢と正面から衝突した。八九式中戦車はマチルダⅡと、38tはチャーチルと接敵する。Ⅳ号戦車とⅢ号突撃砲はもう一台のマチルダⅡに攻撃を仕掛けた。みほにとって理想の形であった。

 もしかすれば、こちらも動き回るので逆に敵からの不意の攻撃があったかもしれない。あるいは成功しても、味方のどの戦車が敵のどの戦車を足止めし、みほたちがどの敵から攻撃することになるかは完全に運次第である。初っ端チャーチルと戦うことになったかもしれなかった。それでも勝てる自信はあるが、万全を喫するということではチャーチルは最後に回しておきたかったので良かった。これは毘沙門天の加護の力に違いないとみほは思った。

 

 敵勢は慎重過ぎるほど警戒していたと言っても、よもや隠れ潜んでいると思っていた大洗勢が、まさか堂々と仕掛けて来るとは思っていなかったのだろう。それぞれのマチルダⅡは動揺し、狙いを外した状態で主砲を発射したりするなど乗じる隙を作っていた。

 

「それッ……!」

 

 みほの大喝を合図としてⅣ号戦車とⅢ号突撃砲がマチルダⅡを攻め立てた。焦ってしどろもどろに立て直そうとしているが、立て直す時間は与えない。すると、不意を衝かれた形となり、主砲を発射してしまって反撃をすることもできないマチルダⅡは、ひとたまりもなく白旗を掲げた。撃破したのはエルヴィンらのⅢ号突撃砲である。審判からの報告でそれを確認したみほは、休む暇なく次の地点へと向かう。

 

 その地点では典子率いる元バレーボール部の八九式中戦車が劣勢ながらも奮闘していた。みほが早々に敵を撃破したことを知った典子たちは士気を上昇させたが、それは相手も同じことだ。仇を討ってやるとばかりに典子たちへの攻撃に激しさが益したのである。

 マチルダⅡの装甲は中々の防御力を誇っている。57mm戦車砲を装備しているが歩兵支援用のため、八九式中戦車ではまともに太刀打ちできない。車体後部の上手いところを至近距離で撃ち抜けばもしかしてと言ったところだが、操縦手たる河西忍にはまだ背後に回り込める技術はない。砲手である佐々木あけびもまだまだである。だが彼女たちに与えられた役目は撃破することではないのだ。本来の役目たる時間稼ぎぐらいはできる。何とか持ちこたえながら、みほ率いるⅣ号戦車とⅢ号突撃砲の到着を待った。

 

『今に西住さんたちが来る筈だ! 根性だ! 根性で耐えろ! バレー部魂を見せてやれ!』

 

『はいッ! キャプテンッ!』

 

『ファイオー!!』

 

 無線機越しから聞こえて来る典子たちの喚声に、

 

「そうだ! 耐えろ! 耐えろ!……」

 

 拳を強く握りしめ、みほは絶叫した。

 ここでみほに38tの杏から通信が入る。チャーチルを足止めしていた彼女からの通信に、みほは耳を傾けた。

 

『ごめーん、西住ちゃん。やられちった。多分、敵の隊長さんがこちらの作戦に気付いたみたいだよ。途中から私たちを完全に無視して八九式のところって言うかマチルダⅡのところに向かってたし。何とかしようとは思ったんだけど、この通り何ともできずにこ蠅を掃うかのごとくって感じだね~』

 

『こちらは審判です。聖グロリアーナ女子学院、大洗女子学園を一輌撃破』

 

 杏と審判からの通信が終えると、みほはすかさず生き残りの者たちに通信を送った。

 

「戦いは俄然我らが有利に運んでいます。勝利は目の前です。各々、奮起せよ!」

 

 戦いとは気のものだ。38t、味方がやられたとあっては戦い慣れしていない大洗勢は士気をがくりと落とすことであろう。それでは勝てる戦いも勝てなくなるというもの。

 みほは激励して士気の低下を防ぐと、急げ急げと商店街を戦車で駆け抜けていく。先の杏の通信で、彼女は切る前に位置をみほに伝えていた。お陰でチャーチルの現在地がどのあたりなのかは分かったが、これが意外と次の戦いの場に近いのである。チャーチルの鈍足ぶりは有名であるが、こちらもちんたらとやっていれば先に合流を許してしまいかねない。故にみほは急いだ。

 

 やがてみほたちが典子たちの下へとやって来た。そこにチャーチルはまだいない。典子たちが歯を食いしばって耐え抜いた甲斐があったのである。典子たちは安堵の息を吐いて、助かった、やり遂げたとばかりに張りつめていた気を抜かしていった。これが彼女たちのこの戦いでの命運を決めることになる。

 マチルダⅡの背後に出たみほは、華とⅢ号突撃砲の砲手である左衛門佐に砲撃を命じた。両戦車の砲塔が僅かに動き、標準を微調整していく。その間に最後を悟ったマチルダⅡも停車して標準を、本隊の到着で安心しきった八九式中戦車に定めた。

 

「撃てい!」

 

「撃てぇ!」

 

「砲撃!」

 

 みほとエルヴィン、マチルダⅡの車長の三者の声が重なり、三台の戦車が同時に発砲した。先ずはⅣ号戦車とⅢ号突撃砲の主砲がマチルダⅡを蹂躙し、白旗を揚げさせた。そのマチルダⅡの放った弾は八九式中戦車を捉え、吹っ飛ばした。白旗が揚がった。

 

「やられたか」

 

 横に倒れる八九式中戦車を見てみほはポツリと言った。最後の大物が残っているのでもう少しばかり活躍してほしかったが、しかし自分たちの役目を果たした末での結果である。よくやってくれたと労りの目を向けた。

 そして次の瞬間には、みほの意識はダージリンの駆るチャーチルに移っていた。砲塔を真っ直ぐこちらに伸ばし、いかにも誇り高い様子でみほと対峙している。

 

 お互い動きもなく睨み合っていると、チャーチルのキューポラが開いてダージリンが姿を現した。何かを言うつもりらしい。割かし距離があるものの、聞き取れないこともないだろう。彼女は微笑みながら、声を張り上げてみほに言った。

 

「こういう時はこう言うのでしょう? 聖グロリアーナ女学院戦車道部隊長ダージリン、推参なり!」

 

 呆気にとられたみほだが直ぐにハハと笑うと返した。

 

「心得た!」

 

 ダージリンが満足しながら戦車の中へ戻って行くのを見送ると、エルヴィンらに命じてⅢ号突撃砲をチャーチル目掛けて疾走させた。そのままⅢ号突撃砲がギリギリ横を追い抜いて行くのを無視したチャーチルは、Ⅳ号戦車に向かって駆ける。みほもダージリンの意図を察したのか受けて立つと麻子に命じて戦車を躍らせた。

 馳せ違いざまに両戦車同時に撃ち抜く。Ⅳ号戦車の砲撃は微かに装甲をへこませただけに終わり、チャーチルの砲撃は見事にⅣ号戦車を粉砕した。

 キューポラから身体を出しているみほが、戦車の中で紅茶を一口飲んでいるダージリンが同時に言葉を発した。

 

「私たちの勝ちだ」

 

「私たちの負けね」

 

 Ⅲ号突撃砲の轟音が鳴った。チャーチルを通り過ぎたⅢ号突撃砲は切り返し方向転換して、背後をとったのである。至近距離からの砲弾はチャーチルへと命中し、もくもくと煙をあげさせた。チャーチル及び近くのⅣ号戦車からも噴き上がる煙が両戦車を包み込む。

 みほがこれは堪らないと、今回の試合で始めて戦車の中へと入った。中へと入れば、沙織が話し掛けて来た。

 

「みほ、私たちどうなの? これ、勝ったの?」

 

 息を切らしそわそわと落ち着かない様子であった。

 みほは何も答えずに、ただ黙って窓の外の煙に目をやった。

 次第にゆっくりと煙が晴れていく。

 

『やった! 大将首を獲ったぞ、大手柄だ!』

 

『感無量ぜよ……』

 

 左衛門佐とおりょうが声をあげ、

 

『大洗女子学園、先ほどの一輌と合わせて二輌走行不能。聖グロリアーナ女学院、こちらも先ほどの一輌と合わせて二輌走行不能。聖グロリアーナ女学院、全車輌走行不能を確認。よって、大洗女子学園の勝利!』

 

 審判が告げた。

 みほは再びキューポラから顔を出して、青々とした空に目をやってから視線を下ろし、微笑を浮かばせた。

 煙が晴れた先には、Ⅳ号戦車とチャーチルが白旗をなびかせているのであった。

 

 

 



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第四話 思わぬ再会
その①


 練習試合終了後の大洗戦車道履修生たちは、まさしくお祭り騒ぎであった。無理もないことである。戦車道を始めて一週間も経っていない自分たちが、大会において準優勝を勝ち取るほどの強豪校に勝ったのだ。夢のような、奇跡のような出来事である。

 抑え切れようのない喜びが身体の中を駆け巡り、感情の赴くままに突き動かすのであった。学園艦の停泊する大洗町の船着き場で、牽引される戦車たちを見ながらの大騒ぎだ。抱き合い、手を叩き合い、踊り狂う。見ようによって見苦しくあるが、正しく勝者の姿であった。

 

「勝ちましたね、西住殿!」

 

 優花里が満面の笑みを浮かべてみほの下へと駆け寄った。後ろには沙織たち残りのⅣ号戦車の面子も集まっている。みな、例外なく嬉しそうであった。

 みほも無口ではあるが白頭巾の下でニコリとしている。

 

「まさか、勝てるとは思っていなかった」

 

 面に感情を見せることが少ない麻子も、今回の勝利には驚きを隠せないでいる。自分で吐いた言葉も信じられないというような面持ちだ。

 さもあろう、普通であればあり得ないことだ。

 

「私は勝てると思っていました。だって、みほさんがいらっしゃるんですもの。勝てたのもみほさんのお陰です」

 

「そうだよ! 無敗の軍神だっけ? そんなみほが一緒なんだから負けるわけないじゃん!」

 

 華と沙織が言った。特に沙織などは、試合が始まる前の自分の緊張ぶりを忘れているかのようであった。

 聞いて、まあ、そうだなとみほは思った。自賛するわけでもなく、いや紛れもない自賛であるが自分がいなければどうしようもなかったであろう。初心者の集団でありながら勝利の栄光を掴むことができたのは、ひとえにこの西住みほの力に他ならない。

 だが、お世辞でもなくみなの力のお陰でもあろう。誰か一人でも欠けていれば勝つことは無理だった。断言という形でみほは言える。

 また、運も味方に付けることができた。これも勝利には欠かせないモノであった。

 

 そんなことを思いながら喜びを分かち合う沙織たちを見ていると、背後より気配を感じた。

 

「みほさん」

 

 振り向けばそこに立っていたのはダージリンであった。何の用があるのだろうか。初心者の集団に負けたのが納得いかない。そんな様子ではなかったし、彼女がその程度の器でないことは分かっている。何より雰囲気からそうでないことぐらい読める。

 

「これを」

 

 ダージリンは一言だけ添えると、後方に控えているオレンジペコに、持たせていた洒落た籠をみほの前に出した。どうやら受け取ってほしいようである。

 無言で受け取ると、籠の中身は紅茶の缶だった。

 聖グロリアーナ女学院は好敵手と定めた相手に紅茶を贈るという。ならばこれもその一環なのだろうが、しかしどことなく違う気がした。

 

 どのような意図があるのか。

 ダージリンは何も語らない。

 ならばとみほはダージリンの瞳を見た。目は口程に物を言うと伝えられる。そしてダージリンの水晶のごとく澄んだ瞳はこう語っていた。

 

「貴女に惚れました」

 

 と。

 みほは瞠目した。

 それは、恋心的惚れた腫れたの感情ではなく、男惚れもとい女惚れとでも称すべきモノなのかもしれない。みほは男との愛欲の経験はない。勿論だが女との経験もない。知識として知っているが実際にどんなものなのかは知らない。けれどもダージリンの自分に惚れたという感情が、恋や愛の類じゃないことは彼女の瞳が教えてくれた。

 みほは嬉しくなった。彼女とて同じ気持ちだったからだ。

 出会って直ぐに、彼女の清廉な瞳や所作に惹かれていた。そこに小賢しい理屈はなかった。練習試合の中で、彼女は自分を曲げずに戦い抜いた。正々堂々と優雅に、勝ちにこだわりもせず自分を貫き通したのだ。これはそうそうできることではない。何よりまだ二十歳にも

なっていない、自分より一歳、二歳程度上の少女がやったのである。

 だからそんなダージリンと、相思相愛だということに嬉しくなったのだ。猛然と胸に込み上げて来るものがある。当然だが、彼女を鼠だと侮る気持ちなどは完全にどこかへと消えてしまっていた。

 

「最後、私に付き合っていただきありがとう」

 

 最後とは、Ⅳ号戦車とチャーチルの一騎打ちのこと。恐らく、ダージリンはそのことを言っているのであろう。みほはそれに対する返答をせず、

 

「いつかまた、私の琵琶を聴いて下さい」

 

 こう言ったのである。

 ダージリンもまた返さずに笑みを浮かべると、背を向けて去って行く。

 その後姿を、満ち足りた気持ちで見送った。

 

「なになに? どうしたの?」

 

 ダージリンの姿が見えなくなると、すかさず沙織がみほに話し掛けた。他の三名もみほの周りに集まった。ダージリンがいる間は、騒ぐどころか話し掛けるのも拙いと思って、そっとみほの傍を離れて黙って終わるのを待っていたのである。なので、みほと彼女に何があったのかは分からないが、取りあえず良いことがあったのだけは分かった。

 

「これは何でしょうか?」

 

 興味を抱いたのか、華がみほの後ろから籠の中を覗き込む。見習って、華以外の一同もそれぞれ覗き込んだ。

 

「紅茶、だな」

 

「凄いです! 聖グロリアーナから紅茶を貰ったってことは、好敵手として認められたってことですよ! 流石西住殿ッ!!」

 

 興奮気味に両手を広げる優花里に、みほは首を横に振った。

 

「えっ? 違う?」

 

 今度は首を縦に振ると、ぼそりと言った。

 

「友だよ」

 

 好敵手などではない。彼女は、ダージリンは、黒森峰のエリカたちとも沙織たちとも違う、まったく新しい友であった。

 

 

 

 

 

 

 

 楽しみであった。

 第63回戦車道全国高校生大会がである。

 みほは少し前まで高校戦車道に人なしと思っていた。大洗女子学園を救い、自分の武名を広める障害となるのは姉のまほだけである。彼女以外は鎧袖一触の下に蹴散らせるだろうと。

 しかし、その認識は先日に行われた聖グロリアーナ女学院との練習試合で覆された。聖グロリアーナの隊長ダージリンはみほが惚れるような人物であったのだ。彼女の中の騎士道は見事なモノだった。

 

 ならば他の高校はどうだろう。自分が知らない、あるいは眼中になかっただけでダージリンのような素晴らしい人物がいるのではないか。そんな人物と会えるのなら、大会にも楽しみができるというものだ。みほはそう考えたのだった。

 

 彼女の姿は今、生徒会及び沙織たちⅣ号戦車乗員と一緒にさいたまスーパーアリーナにある。今日は大会の抽選会があった。日本戦車道連盟が取り仕切る、この抽選会をもって対戦相手が決まるとあって、数百人ほどが会場のあちらこちらで気を張っている。その中の一角でわあっと声があがった。彼女たちの隊長がくじを引いたところであった。

 

「次、私たちだよね」

 

 杏が言ったと同時に、

 

『次は大洗女子学園!』

 

 マイクで増幅された声が会場中に響いた。

 

「行ってらっしゃい、西住ちゃん」

 

「ええ」

 

 みほがステージへと向かう。

 会場では聞き慣れない学校名に疑問が噴き上がるが、ステージに上がったみほの姿を見ると押し黙ってしまった。白絹の頭巾で頭と顔を覆い、羽織っている陣羽織の背に『毘』の一文字を縫っている、そんな恰好をした人間は戦車道界に一人しかいない。黒森峰から姿を消したことは知っているが、どうして無名校にいるのであろうか。会場内にあった無名校であるという大洗女子学園への侮りはなくなっていた。

 

 その会場内の空気を感じ取りながら、みほはステージから周りを見渡した。それなりの人物はいそうだが、ダージリンのように惹かれる感覚はない。これだけで決めるわけにもいかないが少し残念に思った。視界の端から見渡していると、そのダージリンと目が合った。彼女はみほと目が合うと軽く手を振って応える。みほは笑みで答えた。

 

 さらに視線をずらして行けば、黒のパンツァージャケットに身を包み込んだ一団がある。みほはその一団には目もくれずに、他を観察していった。一通りが終わると、歩みを進めて進行係の前に立ち、くじが入った箱の中に腕を突っ込んだ。

 

『8番、大洗女子学園』

 

 でかでかとボードに貼り付けられたトーナメント表の『8』の空欄部分が埋められた。

 瞬間、

 

「イエーイ!!」

 

 と腕を振り上げた金髪の少女がいた。

 気持ちの良い笑顔であった。同じ枯草色をした服の少女達が険しい表情をしている中で、一人だけ大喜びしている。この対戦は面白そうで、目一杯楽しんでやるぞという感じであった。成熟した女性の身体つきで、二カッと子供のようにはしゃいでいる。隣の少女が恥ずかしそうにやめさせようとしても一向に聞かず、逆にお前たちもやれと急かしているのが見えた。嫌々ながら仕方なく、最終的にはノリノリで少女たちも真似ていた。

 金髪の少女の瞳は、まるで遠足前に興奮している子供のようでいて、その瞳がみほを捉えた。

 

「ほう……」

 

 みほはトーナメント表に目をやった。大洗女子学園の初戦の相手となる『7』の番号には、サンダース大学付属高校と記されてあった。

 



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その②

 サンダース大学付属高校は全国的に見て裕福な学校であり、戦車の保有台数は全国一と言われる。人員も多く、一軍から三軍まで編成されており、今大会において優勝候補の一つであった。

 

 抽選会も滞りなく終了し、自由な時間を確保できたみほたちⅣ号戦車乗員たちは、優花里の提案で戦車喫茶ルクレールなる喫茶店で間食を摂っていた。店員を呼び出すボタンは砲音、店員の衣装は軍服と中々にユニークな店である。食事中の話題は先ほどの抽選会のことであり、初戦の相手であるサンダース大学付属高校のことであった。主に話しているのは戦車道界の知識がある優花里だ。

 

 その優花里が語るところ、サンダースが思わぬ強敵とあって沙織と華は息を呑んでいた。公式戦の一回戦は使用可能な戦車数は十台までとされ、砲弾の総数も決まっている。また殲滅戦ではなくフラッグ戦であった。とは言うものの、大洗女子学園が用意できる戦車は五台のみ。同格の聖グロリアーナ女学院に殲滅戦で勝利した実績はあるが、その時の戦車の数は同数だ。仮に聖グロリアーナが十台であれば負けていた。そのことを考えれば、初戦は絶望的であると、沙織、華が思っても仕方がない。

 麻子は聞いているのか聞いていないのか、ケーキを食べることに集中している。

 

 みほも話に加わらず内容も半分ほどに聞き留めながら別のことに意識を傾けていた。正直どうだって良いのである。サンダースがどういう学校なのかには興味がない。勝てるか勝てないかの話についても同じく。興味があるのは、大洗女子学園の番号が決まった時、一人だけ大喜びしていたサンダースの少女である。彼女は何者だろうか。あの子供みたいに純粋な笑顔、瞳を見てしまえばみほの嫌いで不倶戴天の敵たる不義の人種でないことは一目瞭然だった。まだ彼女という人物を認めたわけではないが、一度会ってしまえば認めてしまうだろう。そんな気がした。

 

「優花里さん」

 

 どうしても彼女のことが気になったみほは、優花里の話を中断させて訊いてみた。彼女の特徴をできうる限り伝えて、何とか名前を知ろうとした。

 優花里は頭を悩ませたが、恐らくという形で答えを示した。

 

「恐らくですが、西住殿が仰っているのは、サンダースの隊長ケイ殿のことでは?」

 

 ケイ。それが彼女の名前のようだ。

 名前を知ってしまえば、もうそれで良かった。後は実際に会ってみれば為人が気に入るか気に入らないかは分かることである。

 

 みほは先ほどよりあまり口をつけていなかった戦車型のケーキに、フォークを差し込んで掬い上げた。口の中に運べば甘さが広がる。戦車という奇抜な形をしているが味は普通のケーキだ。ふと、紅茶に合う味かもしれないと頭をよぎった。そう言えば、ダージリンに貰った紅茶に今の今まで一度も手をつけてないこともよぎった。淹れ方がいまいち分からないし、中途半端な淹れ方をして飲むのも悪いと思ってから飲むに飲めなかったのである。いつか教えてもらうなり、淹れてもらうなりしようと思った。

 

 それからもみほは、やはり話に加わらず黙ってケーキを食べていた。あまり甘い物は好まないが久しぶりに食べると美味しいもので、人より早くフォークを進める。

 

「……ふ、副隊長」

 

 そこに突然、震えた声がみほの耳を刺激した。

 この声に聞き覚えがあって、みほは一旦フォークを置いてから通路側に視線をやった。視線の先には見覚えがある人が立っていた。

 

 身体の大きさはみほとそう変わらない。ギュッと引き締まった戦う女の身体だ。銀の髪を肩まで無造作に伸ばしている。着ている服は見慣れたもので、大洗に来る前まではみほが着ており、抽選会の会場で意図的に目を反らした黒いジャケットだった。黒森峰女学園の逸見エリカである。みほが黒森峰にいた頃の友人の一人だ。

 

 どうしてこんなところにと困惑して、直ぐに納得した。ここの喫茶店はさいたまスーパーアリーナに比較的に近い場所に存在している。抽選会に来ていたエリカが居てもなんら不思議なことではない。

 

「ふく、副隊長……お、お久しぶりです」

 

 エリカの目は潤んでいた。胸をしゃんと張って強気に笑っている、みほにとってのいつものエリカはそこにいなかった。

 その姿に強く心を打たれたみほは、一瞬驚いた表情をすると直ぐに申し訳なさそうに顔を顰める。

 エリカの表情は複数の感情が入り乱れていた。あなたにこうして再び会うことができて良かった。元気そうにしていてくれて良かった。そんな嬉しいという感情が一つ。私の所為であなたを苦しめてしまった。そんな自責の感情が一つあった。

 

 この表情がみほには何とも堪らなかった。

 

 今ここで何とエリカに声を掛ければ良いのかとみほは思案に耽った。いや、耽らざるを得なかった、の方が正確なのかもしれない。ここで再会するとは想定していなかったのだ。再会するのは大会の決勝戦とばかりで、しかも会ってそうそうこの表情と来れば、少々頭の中が混乱している。

 

 それはエリカも同じだった。みほに会えば言いたいことは沢山あったのだ。だが何処へやら飛んでしまっていた。みほの姿を見つけて思わずであったが、感情が激して涙を浮かべるばかりであった。抑えよう抑えようとするも、人は時に自分の意志とは関係なく涙を流すもので、エリカにもどうしようもなかった。

 お互いがお互いに何を言うべきか考えている。

 

「あの~?」

 

 みほとエリカが考え込んでいると、蚊帳の外に追いやられていた沙織が口を開いた。ダージリンの時のように黙って見ていようとも思ったが、お互いにだんまりとして耐えきれない空気になったので二人に交じることにしたのである。華も優花里も同じ気持ちなのか苦笑している。麻子は相変わらず食事中だった。

 エリカは声を掛けて来た沙織の顔を見つめながら、頬を流れる涙を拭い去ると、背筋をピンと伸ばす。いつものエリカであった。

 

「突然悪かったわね。私は黒森峰女学園の逸見エリカ。副隊長……あなたたちの隊長の……友達、よ」

 

 エリカが名乗りを上げると、沙織たちも一人ずつ名を名乗った。沙織、華、優花里、ケーキを食べ終えた麻子が一通り名乗り終えると、そこから意外にも話は弾んだ。共通のこととして話せる話題はみほのことだったので、黒森峰の頃、逆に大洗に来てからのみほのことで盛り上がった。みほ自身もそれなりに話が弾んだ。

 話をしていれば、前々から気になることがあると言ったのは優花里であった。すると、私も私もと沙織や華も反応する。三人は顔を見合わせて、恐らく同じ疑問なのをアイコンタクトで確認した後、優花里が代表してみほとエリカに訊ねた。

 

「西住殿と逸見殿に質問なんですけど、どうして西住殿は大洗に転校して来たんでありますか?」

 

 みほとエリカの顔色が変わった。

 これは話が長くなる質問であった。

 さて、読者諸賢にはちょこちょこ小出しに話をしていたが、ここで全容を語ろうと思う。西住みほが黒森峰から去り戦車道を止める決意をしたわけを。

 

 先ず、みほが決意をしたのは第62回目の大会が終わった後である。今から一年前のことだ。この大会では準優勝となってしまい黒森峰十連覇の偉業は水の泡となってしまったのだが、別に負けたことそのものが原因ではない。大会が終わった後に起こったことが原因で、みほはこの時に黒森峰の機甲科に居ることが、戦車道そのものが嫌になり決意したのだ。

 

 当時、黒森峰には二つの勢力があった。すなわち西住まほ派と西住みほ派である。二つの勢力はまほやみほ、あるいはエリカや小梅と言った一部の者以外の仲は悪く、常々一軍の座を巡り争っていた。どんな小さなことでも争いの種にし、まほやみほは何とか調停を計らせたが、一つ解決すれば二つ三つ争いが起きて限がない。そして第62回の決勝戦でこの仲の悪さが災いし惨敗することになる。

 それから黒森峰で起こったのは、二勢力間による責任の擦り付け合いだった。お互いにお前たちの所為で負けたのだと罵り合う日々で、みほはこの姿に驚き呆れると共に、

 

「この者たちには自分が悪かったという自覚はないのか」

 

 と、怒りを通り越してある種厭人的な気持ちにさせられた。

 前にも語った通り、みほは気の長い方ではない。分類するなら短気である。その上潔癖なところもあり、快晴のようにからりとした爽快な生き方を好むので、二勢力間のねちねちじめじめとした関係、争いに我慢の限界が来るのは早かった。

 

 さらに追い打ちを掛けたのは、二勢力間の争いを裏から煽っていた者たちの存在が判明したことである。彼女たちは二年生、一年生ながらに隊長、副隊長の地位にある西住姉妹の存在が気に食わず、どうにか二人を失権させ、自分たちが黒森峰機甲科を支配しようと小賢しく頭を働かせていたのだった。

 これが決め手となった。もう一切の事が嫌になって、何もかも投げ捨てたくなった。そうして決意を固めたのである。黒森峰を去って戦車道も止めることを。

 

 黒森峰から去るにあたって、彼女は三つの理由を考えた。

 一つは、自分が去ることでまほに黒森峰を一つに纏めてもらうため。このままでは、下の人間も統率できないのかと隊長、副隊長の地位を取り上げられ、二勢力間の争いを煽っていた者たちの思惑通りになりかねないからだ。

 一つは、我慢できなくなったため。一軍の地位だろうと隊長、副隊長の地位だろうと欲しければ実力で勝ち取れば良いのだ。それをこそこそと卑怯な真似で手に入れようとする。また決勝でプラウダに負けた責任を人に擦り付けるという行為も頭に来る。こんな下らない者たちと一緒にいるのは嫌だった。そしてそんな者たちがいる戦車道そのものも嫌になったのである。

 最後の一つは、これまでの武名が汚されると思ったからだ。今回の敗戦において、幸運であったのかみほの名が落ちることはなかった。しかしこのまま黒森峰に居続ければいつか地に落とされるかもしれない。それは勘弁ならなかったので、そうなる前に身を退くことにしたのである。この三つが理由であった。

 

 このことをみほはしほとまほに話し懇々と二人を説いた。しほはそれまでの西住に対するみほの貢献と、西住に不利益を及ぼすことではないと判断して、みほの転校を許可した。

 あなたは疲れているのだから少し休めば良い。そんな母親としての愛情もあったが故の判断であったかもしれない。

 まほは納得していなかった。黒森峰を、西住をこれからも一緒に盛り立てていこう。最後までそう反対していたが、しほが許可した以上仕方がないと渋々認めた。

 こうして大洗女子学園へと転校したのである。

 これが全容であった。

 

「私たちの……私の所為よ」

 

 優花里の質問に答えたのはエリカであった。彼女はみほが転校した詳しい理由をまほから教えてもらったので知っている。その上で言うのだ。自分を友だと言ってくれた人が苦しんでいたというのに助けることができなかった。自分が悪かったのだ、と。

 みほはこれを聞いて、

 

「それは違うよ」

 

 と言った。

 エリカは何も悪くない。寧ろ、こちらの方がすまないという思いだった。自分が転校したことについては謝る気などさらさらない。ただ、自責の念を抱かせてしまったことについて頭が下がるところだ。

 場の空気がドッと重たくなった。

 

 やってしまった。優花里は顔を引き攣らせる。こんな空気を作るつもりはなかったのだが、よくよく最初のエリカの涙やみほの沈黙を考えれば想像できることであった。おろおろと二人の顔に視線を向けて、優花里はどうしたものかと思考する。

 その時であった。

 

「エリカ」

 

 重たい空気の中、隙間風のようにスーッと入り込んで来た者があった。その者はエリカと同じ服に身を包んでいた。

 

「何をやってるんだ。んっ? おお、みほじゃないか」

 

「姉上……ッ」

 

 涼し気な表情で西住まほがそこに居た。

 

 

 

 

  

 



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その③

 エリカの隣に並び立ったまほは、みほの姿とテーブル上の食べ掛けのケーキを何度も交互に見てから声を出して笑った。優花里が作り出してしまった重たい空気を一気に吹き飛ばす明るい笑いであった。誰もが唖然としてまほに集中する。何がそんなに面白いのであろうか。まほがヒイヒイ苦しそうに言った。

 

「似合わなすぎるぞ。お前がその恰好で喫茶店に入ってケーキ……いかん、腹が痛い」

 

 白絹の頭巾に陣羽織。確かに喫茶店で食事や談笑を楽しむような恰好ではない。

 違和感はなく似合ってはいるのだ。みほ以外の誰が、ここまで着こなせよう。そう思うほど完全に着こなしていた。威厳さえ感じるモノであったが、如何せんまほの言葉通り、喫茶店でケーキを食べるような恰好ではなかった。店内にみほが入った時、店員や他の客は二度見している。では脱げば良いだけの話だが、みほには、自分の家に帰り着いたわけでもないのに、戦装束を脱ぐなどの考えがないのだった。

 このまほの笑いは、エリカをぎょっとさせた。この中でまほを除けば、みほの性格を一番知っているのはエリカである。なので、いくら実の姉とは言え、笑い者にされて大人しくしているような人ではないこともよく知っていた。

 

「姉上も人のことは言えないよね」

 

 みほが席をゆらりと立ちあがった。

 怒っている。間違いなく頭に来ている。エリカだけでなく、その場の全員がはっきりと分かるほどに、顔に出ていた。自尊心が高く、短気で、二十歳にも満たない子供なみほは、憤懣やる方ないという感じであった。帯刀していたら、即座に抜き放ち、まほの鼻先へと切先を添えるだろうほどに。

 

 沙織たちは寂として声もなかった。エリカと違って、みほの怒った姿を見たのは初めてなのだ。精々が不機嫌なぐらいである。沙織や華などは普段の落ち着いて穏やかな所から、滅多に怒るような人ではないと思っていたから度肝を抜かれていた。優花里も、誰が評したのかみほの欠点である『気が短く我慢弱い』というのは正しかったのだと知らされた。

 

 それにしても短過ぎではないか。こんなことで一々激怒してどうすると人は言うだろう。みほにすれば当たり前のことである。自分を笑い者にされて、侮辱されて怒って何が悪い。芸人のように信念を持ちそれを商売にしているならいざ知らず、どうして馬鹿にされてへらへらと平気でいられるのだ。自分にもっと誇りを持て。そう思っているからこそ、みほは怒るのだ。これは正しい怒りなのだ。

 

「私はエリカに誘われたから来ているだけだ。それに女子高生なんだから来てもおかしくはないだろ?」

 

 まほはみほの怒りも何のその、平然としていた。

 

「私だってそうだよ。優花里さんに誘われたから来たの。それに女子高生だからって、私もそうだしあなたより年下だよ」

 

「お前が女子高生……? そう言えばそうだったな。お前は女子高生だったな。すっかり忘れていたよ」

 

「何が言いたい?」

 

「別に」

 

 エリカにはこの光景が懐かしかった。

 みほがまだ黒森峰女学園に居た頃、よく見るとはいかないまでもこうしたことはあったのだ。まほが揶揄い気味の言葉をみほに言って、みほがそれに怒りを表す。すると自分や小梅などがみほを宥めすかすなり止めるなりするのだ。

 

 あの頃は楽しかった。争いが絶えなくて苦労の連続であったが楽しかったのだ。今も楽しくないとは言わない。まほが黒森峰機甲科を完全に掌握してから苦労もなくなった。だけど足りないのだ。拭い去った涙が再びエリカの頬を流れようとする。懐かしさと思い出がエリカの胸を掻きむしった。 

 

 この時エリカは思い出していた。みほに会った時に言おうと思っていた言葉を。それは、楽しかったあの頃を、今の生活に足りないモノを取り戻す一言だ。

 今、言ってしまおう。

 

「副隊長、お話があります」

 

 みほを呼び掛けてエリカはふふと笑みを溢した。

 久しぶりだったのだ。黒森峰でエリカがみほを止める時は大体この手を使っていた。宥めすかすのは小梅の得意分野で、エリカは意識を逸らさせて止めるのだ。

 

 何か用なのか、とみほの優し気な眼差しがエリカの顔を捉えた。この瞳も久しぶりである。一見怒りを収めたように見えるが、これはエリカに考慮しているだけだ。あなたに怒っているわけではないということを表しているのである。抱いた怒りに関係のない人に、怒りを示すのは間違っているというみほの考えからだ。ただよく見てみれば、瞳の奥に殺気のようなモノを感じるのであった。

 

「黒森峰は一つになりました」

 

 言った一言はこれであった。これが全てであった。

 沙織たち黒森峰機甲科の内情を知らない者たちは、この脈絡のない言葉の意味が分からない。優花里のように第三者として詳しい者は、これを勢力が一つに纏まったと解釈する。

 だが違う。もっと深いのだ。勿論のこと、みほはエリカの真意を読み取っていた。これは、もう争ったりすることはなく、あなたが不快になるようなことはなくしたので黒森峰に戻って来て下さいの意である。

 

 意味を悟ったみほは、怒りを鎮めて薄く笑った。過去にも同じようなやり方で、みほを黒森峰に戻そうとした人物が居たのである。誰あろうか、それはまほのことだ。みほが杏に助けを乞われて戦車道を再開することになった日の電話越しのことである。

 まほと言い、エリカと言い、どちらも回りくどい言い回しだ。自分がそういうやり方を嫌っているのを知っているだろうに、何とまあ、二人して。

 みほの答えは当然決まっていた。

 

「それは良かったね。なら、皆で力を合わせて黒森峰をよろしくお願いね」

 

「その仰りようは如何なものでしょうか。ついこの間まで黒森峰にいらされた身です。そう素気無いお仰りようは、無責任ではないでしょうか」

 

「……私はもう大洗の人だから」

 

 無責任と言われては、流石のみほも一瞬言葉を失った。確かに無責任であったかもしれないと、自身の思慮が欠けていたことを思い知らされる。しかしながら、ここで何と言われようと黒森峰に戻る気はない。

 今の自分には大洗を救うという使命がある。エリカならそこの事情もまほから聞いているだろう。ならば大会が終わってからでも良いからという話になってくるが、黒森峰が一つに纏まっているのは、旗印が一つ消えてしまったからだ。ノコノコと戻って行けばまた荒れるに決まっている。みほの中には黒森峰機甲科への不信と懸念があった。

 

 エリカには、みほの考えていることが手に取るように分かった。不信と懸念のほどは最もなことだ。やはり言葉だけで説いてもみほの心には届かない。駄目で元々というつもりであったから、特に落胆することもない。また、エリカには考えがある。やれば必ず効果が期待出来る作戦があるのだ。ならばここは一旦引いて、後日にその作戦を実行に移すまでだ。

 

「分かりました。あまりこうして話し込んで店側に迷惑を掛けるわけにもいきませんし、一先ずここで失礼させて頂きます」

 

 あっさりと言い放ち、エリカはまほに視線を送った。

 まほが視線を受けて頷く。

 

「もう少し姉妹の再会を楽しみたかったが、まあ店側のことを思えば仕方ないだろう。私たちはここで退散しようか。ではな、みほ。次、会う時まで達者でいろ」

 

「副隊長、初戦はサンダースだそうですね。ご武運を祈っております。あなたたちも頑張ってね。くれぐれも副隊長の足を引っ張るんじゃないわよ」

 

 まほとエリカが身を翻してみほたちの前から去って行く。沙織たちはすくっと立ってから二人の背中に一礼して送った。二人を見送ってから一同席に着いた。

 

「みほのお姉さんに、逸見エリカさん。何だか凄かったね」

 

 はふぅと沙織が息を吐いた。

 

「どちらも西住殿に負けず劣らずの人物ですよ。特に西住まほ殿は、西住の虎の異名を持ち、軍神たる西住殿に唯一匹敵できると言われております」

 

 すかさず優花里が語ると、まあそうだろうなと沙織は頷いた。そういうことに敏感でもない沙織をしても、人としての格の違いを感じたのだ。一目で、ああこの人は凄い人なんだと分かった。みほに対しても同じ感覚がある。みほが凄いことは知っているので、そのみほと同じならば必然的にまほは凄い人物だ。

 納得してケーキに舌鼓を打ち始めた沙織の隣で、華が意外そうな顔をみほに向けていた。

 

「それにしても、私は吃驚です。みほさんって怒ったりするのですね」

 

「華さん、幻滅した?」

 

 みほが首を捻った。

 

「まさかッ!」

 

 誰が幻滅などするだろうか。人間であれば怒るのは当たり前のことである。それよりも嬉しかった。友人の一面を知れたことに。これでみほとの距離も縮まるというものだ。

 

 一時すると、沙織がケーキを食べ終えた。みほ、優花里、華、麻子の皿も空っぽであった。これで全員食べ終ったということで、みほは席から離れようとする。無論帰るためだ。沙織たちもその動きに倣おうとした時、強烈な爆音が店内に響き渡った。客が店員を呼び出した音だが、その音はみほたちのテーブルから鳴っていた。

 

「二つ目を頼んでも良いか?」

 

 ボタンの上に麻子の手が乗っている。

 苦笑したみほが首を振った。仕方のない人だという意味である。

 

 

 

 



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第五話 陽気な女の子
その①


だいぶ遅れてしまい申し訳ございません。

中々時間が取れず、これからもちょくちょく時間の取れる限りやっていきますので宜しくお願い致します。


 杏は何度目になるのか分からない、優花里のため息を聞いた。はあっと陰気な声音には、杏もつられるばかりである。またまた優花里がため息をつくのに合わせて杏も一つ。

 それにしても珍しいことだ。いつも口を開けば戦車のことで、ニコニコキラキラとしている優花里らしくない雰囲気。悩み事があっても内に秘めて笑っていそうなのに。

 夕刻、帰りのフェリーに一緒に乗った辺りからこの調子だ。一体何があったというのだろうか。

 抽選会が終わり自由時間となると、優花里はⅣ号戦車チームで喫茶店に向かったという。そこで甘味を楽しんだ後、街を散策するなどして充実した時間を過ごしたと、杏は聞き及んでいた。だと言うのに優花里のこの様子。自由時間中に何かあったと見るべきか。いつまでも辛気臭い様を見せつけられても困るし、思い切って杏は優花里に訊ねることにした。

 

「ねえ、さっきから顔色良くないけど、どったの?」

 

「えっ? 私、でありますか?」

 

「そだよ、秋山ちゃんだよ。な~んか様子が変だからさ。悩み事でもあんの? あるんなら聞くよ。生徒会長として悩める女生徒を放っておくわけにはいかないしさ」

 

「それは、そのぅ」

 

 もごもごと優花里が言いよどむ。何かあるのは確かなようだ。杏を見て、その両隣に腰掛ける桃と柚子を見て、上見て横見てと視線が躍っている。言い難いことなのだろうか。まあ、大して仲が良いわけでもないし、生徒会長と言えども悩みは打ち明けにくいということだろう。こういうのは身近な人に任せるべきだ。

 ということで、杏は優花里と特に仲の良いⅣ号戦車の四人に任せることにした。

 そこで四人の内誰が適任かと思案を巡らせる。周りを見回すと、四人の内三人、沙織、華、麻子は昼間の疲れでも溜まっているのか仲良く夢の中。となると、ここは残る一人に任せるべきだろう。杏の実体験として、みほならば親身になって悩みは聞いてくれる筈だ。今、彼女は外で夕陽を眺めている。呼びに行くと同時に自分たちは席を外そう。

 

「私に相談しにくいなら西住ちゃんに打ち明けると良いよ。今呼んでくるからさ」

 

 そう言って席を立とうとする杏を優花里が慌てて止める。

 

「待って下さい! 西住殿には」

 

 この様子に杏は首を傾げた。

 みほにも相談出来ないことなのだろうか。だとすると、困ったものだ。しかし待てよ、もしかすると悩みの原因がみほなのではないか。

 杏が姿勢を正すと、優花里は大きく息を吐いた。話す覚悟を決めたという風だ。何回か口を開ける動作をして、声を絞り出す。

 

「じ、実は西住殿のことで、そのぅ」

 

 やはり悩みの原因はみほだったようだ。桃と柚子がそのことに驚きを表す中、杏は詳しく知るために先を促す。

 

「それで?」

 

「今日、ルクレールで西住殿のお姉様にお会いしまして」

 

 ルクレール。喫茶店の名前である。お姉様は西住まほのこと。

 

「その時に、西住殿の新しい一面を見たと言いますか、まあケーキを美味しそうに食べてる姿も新しい一面でありましたが、とにかくそういうわけで。その新しい一面を見て、私は当たり前のことに気付いたのであります」

 

「当たり前のこと?」

 

「はい。西住殿も私とおんなじ、人間なんだなって」

 

「あー、そゆことね」

 

 戦車道履修の初日、優花里のみほを語る姿はまさに信奉する神のことを語っているようだった。その日以降も優花里のみほへの態度は畏まり過ぎているというか、表向き友達同士でも明らかにそうは見えないというか、優花里がみほを神格化しているのは第三者として容易に読み取れるものであった。

 神だと思っていた存在が自分と変わらない一人の人間。その当たり前すぎることに気付かされた優花里が抱く感情は、つまるところ、

 

「西住ちゃんに失望でもしちゃったの?」

 

 こういうことだろう。

 けれど、優花里はこれを強く否定した。

 

「違います! そんなことはありません! 失望するどころか寧ろであります」

 

「じゃあ、一体どうしたの?」

 

 柚子が怪訝そうに優花里を見つめる。

 

「それは……少し、心配だと言いますか」

 

「心配だと?」

 

「そうなんであります、河嶋先輩。今回の大会、サンダースとの初戦が大丈夫かなって、ちょっと不安が」

 

「どうしてそんな不安を抱くんだ」

 

「それは、サンダースのことを話してもまるっきり興味なさそうと言いますか、隊長のケイ殿にしか目が行ってないと言いますか、それが」

 

 思い起こされるのは、ルクレールでサンダースのことを優花里が説明していた時に、明らかに話半分で興味なさげにしていたみほのこと。

 優花里が口を閉じると、成程とばかりな杏。優花里の話を頭の中できっちり消化出来たようで、確認するように言った。

 

「かーしま、こういうことだよ。西住ちゃんが神様だと思っていた時は、心の底でサンダースが相手でも負けないと思っていた」

 

 ここまで良い、と杏が優花里に視線を送り、優花里が頷く。杏は満足気に笑って話を続けた。

 

「だけどお姉さんである西住まほさんとのやり取りで、西住ちゃんも普通の人なんだと気付かされた。それは別に良いのだけれど、秋山ちゃんはふと思ったわけだ。西住ちゃんは確かに凄いけど神様ではない。すると西住ちゃんのサンダース、というよりは他校に対する態度に不安が生じて来る。余りにも見下し過ぎなんじゃないかって。自分が負けるわけないというような西住ちゃんの態度、心構えのようなもの。これで足を掬われてしまうんじゃないかという不安」

 

 そうでしょ、と杏は締めくくった。

 特に優花里から訂正も何も出なかった。そればかりか、杏を見る優花里の瞳には感心が浮かんでいる。

 

「よく分かりましたね」

 

 柚子も敬意を含んだ視線を杏に向けた。

 これに杏は得意げに胸を張る。

 

「ふふん、どーよ」

 

 的確な杏であるがこれには訳がある。と言うのも、優花里の抱く不安、みほが他校や他人を見下し過ぎて失敗を犯し負けるんじゃないのかという不安は、杏も密かに危惧するところだったのだ。負けるわけにはいかない弱小校の身としては、みほの態度は頼りになる。実績もあるから、この人についていけばという思いがある。だが、心配にもなるのだ。みほの見下し癖は、傍から冷静に見てると本当に不安になる。

 まさかみほの崇拝者的立ち位置にいた優花里と、考えが一致するとは杏も思わなかった。でもこれは良い傾向だ。意外と弱点が多いみほを、裏から支えることが可能な人材は貴重である。優花里にはこれから沢山働いてもらおうと杏は考えを頭の中に張り巡らす。

 すると、優花里がおずおずと手を挙げて来たので、杏は一旦考えを停止して意識を優花里に向けた。

 

「今度は相談ではなく提案なのですが、よろしいでしょうか」

 

「うん」

 

「明日、サンダースに偵察に行こうと思うのですが、いかがでしょう?」

 

「偵察?」

 

「はい。先ほどもちょこっと話に出しましたが、西住殿はサンダースの隊長ケイ殿以外にまったく興味を示しておりませんし示そうとすらしません。しかし、サンダースほどの高校ならばケイ殿以外にも唸らせられるような実力者は必ず存在する筈です。その実力者に西住殿が足を掬われないと限りませんし、情報は最大の武器です。ですので、サンダースに潜入し、人材を調査、後諸々の情報を集めて来たいと思うのですが、どうでしょう?」

 

 悪い提案ではない。危険は多いが、危険以上にメリットがある。戦力の質も量も劣るこちらとしては、情報だけでも優位に立ちたい。戦いで重要なのは情報なのである。劣勢を覆せる可能性が情報には眠っているのだ。

 直ぐにゴーサインと行きたいところだが、そういうことを決定し実行に移す権限があるのは、ご存知西住みほである。なので、杏に提案しても仕方ないのだが、みほも軍神の異名を持つ者、情報の重要性は熟知している筈だ。却下されることはないだろう。

 

「それは良い案だね、秋山ちゃん。早速、西住ちゃんに提案してみよう」

 

 みほに優花里の提案を伝えるため杏が席を立とうとすると、またもや止められた。今度は自分から止まったとも言うが、目的の人物が外から戻って来たからの行動である。

 

「どうかされましたか?」

 

「西住ちゃん、ちょうど良いところに。今、秋山ちゃんと話していてね、良い提案が秋山ちゃんから出たもんだからそれを西住ちゃんに伝えようと思ってたんだよ」

 

「提案?」

 

 首を捻るみほに杏がサンダースへの偵察の件を話した。聞き終えたみほは急に笑い声を上げて言った。

 

「ハハ、ハハ、それは奇遇ですね。私も同じことを考えていました」

 

「西住殿も?」

 

「うん。流石、優花里さんだね」

 

「それじゃあ、採用ということで良いの、西住ちゃん?」

 

「はい。それじゃあ、優花里さん。明朝に迎えに行くから準備しといてね」

 

「はい、西住殿。精一杯お役目を果たすであります……って迎えに行く?」

 

「うん。私と優花里さんで一緒に行くから」

 

「西住殿も一緒にでありますか? なるほど」

 

 優花里は一拍おいて、

 

「ええぇぇえええええええええ!!」

 

 と、絶叫した。

 

「うわっ! えっ、何よ何なのよ!?」

 

 眠っていた沙織たちが飛び起きるほどの大きな声であったと記しておく。

 

 



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その②

 翌日の明朝。優花里の家にみほがやって来た。『秋山理髪店』という名の床屋で、みほが店内に足を踏み入れれば、出迎えてくれたのは散髪台やら様々な商売道具と、軽装でリュックサックを背負った優花里、それから優花里の両親であった。

 何やら朝早くより娘がバタバタと忙しそうで、何事だと思ってみれば友達が迎えに来ると言うではないか。秋山家に優花里の友達が訪ねて来たことなど一度もない。挨拶の一つ、二つぐらいはしたいというところであった。

 

「お初にお目にかかります。私は西住みほと申し、大洗女子学園にて戦車道の隊長を務めている者です。優花里さんとは、その戦車道で縁を結びました。以後、お見知りおきのほどを」

 

「こ、これはどうもご丁寧に。優花里の父です」

 

「優花里の母です。娘よりお話は伺っております。いつもお世話になっているようで」

 

 優花里の両親が頭を下げる。

 これにとんでもないとみほが返すと、

 

「私の方こそ助けられてばかりです。優花里さんがいなければ、私はどうなっていたことやら」

 

 本心でこう語った。

 優花里の父はみほの言葉を聞いて感極まったのか、瞳に涙を浮かべて言った。

 

「自慢の娘です。これからもどうかよろしくお願いします」

 

 こちらこそ、とみほは優花里の父の右手を両手で包み込んだ。

 

「お父さんも西住殿も、ちょっとやめて下さい!」

 

 顔を真っ赤にした優花里が二人の手を引き剥がし、そのままみほの手を掴むと外に向かって歩き出す。みほは苦笑しながら優花里の両親に頭を下げて、優花里に連れられるままその場を後にした。

 そして二人、これからサンダースに侵入しようというのだが、進入路はどうしようかとなって、お互いに案を出してみればこれが同じ案であった。

 

「コンビニエンスストアの定期便があるから、それに乗り込んでサンダースの学園艦まで行こう」

 

 定期便は一日に何回も学園艦を回っているのだ。

 そういうことになったので、みほと優花里は定期便へと忍び込む。息を潜め船員に気配すら悟られないよう身を隠し、船がサンダースの学園艦に着くと脱出、サンダースに素早く潜入した。

 サンダースはアメリカと連携しているとあって全体的におおらかで明るい雰囲気だ。元気な挨拶や笑い声が学園内に響き渡っている。

 

「優花里さん、こっち」

 

 みほは優花里を連れて人気のない所に行くと、変装を始めた。そのままの服装だと不審過ぎるので、生徒として紛れ込むためにサンダースの制服に身を包む。優花里は顔を知られていないので服だけの変装であるが、みほはそうもいかない。戦車道に身を置く者はみほの顔を知らない者はおらず、戦車道を知らずとも顔は知っているという者もいるにはいる。サンダースの恰好だけでは心もとないというものだ。

 制服に着替えるだけでなく、金のカツラで頭を隠し、黒縁の伊達眼鏡をかけて、声を張り、身振り手振りを大きくする。その変装ぶりは見事だと言う他はない。サンダースの空気に完全に溶け込んでいる。

 

「侵入し情報を集めるのなら、その道のプロになる必要がある。私たちはサンダースの生徒としてここにいる。これぐらいは当たり前だよ」

 

 みほの変装ぶりに感嘆する優花里に言い放つと、みほは堂々とサンダースの学園内を歩き回り始めた。我が物と言わんばかりである。優花里も倣って後に続いた。

 学園内の様子を探っていると、二人のサンダースの生徒が廊下で話しているのが目に留まった。耳を傾けて会話の内容を聞き取ってみれば、戦車道のことを話しているようだ。

 みほが二人に近づいてゆく。

 

「ヘイッ! ちょっとよろしいデス?」

 

 二人は近づいて来たみほを見ると、会話を中断して口角を上げて、白い歯を見せながら歓迎した。

 

「どうしたんだい?」

 

「何か御用?」

 

「さっき二人の会話で戦車道って聞こえたから気になりましたデース。ワタシ戦車道大好きで、詳しく教えてほしいデス」

 

 まるっきり別人のような調子のみほを横目に、優花里は黙って事の鳴りゆくを見守る。あんまり下手に介入するとぼろを出してしまいそうと思っているからだろう。

 サンダースの生徒二名は戦車道をやっているらしく、みほが戦車道に相当の好意を持っていると知って、元々良かった気をさらに良くして、ぺらぺらぺらぺらと話し出した。しかもその話す内容の中には初戦の情報もあって、みほは上手く合いの手を入れて聞けるところまで聞き出す。

 

(何と容易いことか。もう少し他人を警戒しようという気はないのか。まあ、私は助かるから良いがな)

 

 満面の笑みで目を輝かせながら、みほは内心でほくそ笑む。

 初戦でどの戦車を使うのか、どんな小隊編成でフラッグ車はどの戦車なのか。サンダースの二人は語るに語りまくる。

 二人の話がひと段落着くと、みほは訊ねた。

 

「初戦は大洗女子学園というところらしいデスが、勝てるんデスカ?」

 

 自信満々に二人は答えた。

 

「大丈夫さ。そんな無名校は敵じゃないね」

 

「そうよ。どういうわけかあの西住みほがいるようだけど、恐れるに足らず、よ」

 

(ほう?)

 

 ピクリとみほが反応を示した。恐れる必要がないというのは、みほとしてどうにも聞き捨てならない。この話は詳しく聞きたい。

 優花里も気になるところだ。

 二人は言った。

 

「確かに、最初は最悪だと思ったね。西住みほと初戦に当たるなんて、ついてないと皆が気を落としたものさ」

 

「でも私たちにはケイ隊長がいるもの。それに、アリサ副隊長、ナオミ先輩もいるわ。この三人にかかれば、西住みほなんて地を這う蜥蜴も同然よ」

 

「軍神だとか龍だとか煽てられて調子に乗ってるあいつに、現実をみせつけてやるさ」

 

 ハハハハ、と二人は陽気に笑う。

 だが、みほは笑えない。かかる侮辱の言葉を受けて、何も感じないでいられるほど精神が達観しているわけでもなければ、大人しくもない。

 

(よくもほざきおったな! この西住みほにそこまでの大言を吐いておいて、ただで済むと思うでないぞ!)

 

 みほは拳を握った。血が頭に昇り、自身の顔が熱くなるのをみほは感じる。今、自身が西住みほであると名乗り出れば、目の前の女たちは如何に思うだろうか。

 偽の髪を引き剥がそうと右腕を動かしたその時、がっしりとその動きが止められた。

 

「……抑えて下さい、西住殿」

 

 小声で、優花里が耳を打った。みほの右腕を抑え込むために力を込めているのか、声が少し荒い。この声を受けて、直ぐに冷静さを取り戻したみほは、握っていた拳を解く。

 それから再び訊ねた。

 

「ケイ隊長、アリサ副隊長、ナオミ先輩、デス? 名前と顔は一致しマスガ、詳しくは分からないデス。教えてくださいデス」

 

 ぬけぬけとみほは言うが、勿論嘘だ。ケイは分かるが、アリサとナオミなんて知らない。しかし、戦車道好きを公言した以上、知っておかなくては拙いのだろうということで、嘘を吐いたのだ。この二人はかなりちょろいが、それでもこの三人を知らないと言えば怪しまれる。

 

「三人がどんな人かって? そうだな……ケイ隊長は、戦車道の腕はずば抜けて凄いわけじゃない。超一流一歩二歩手前ってところか? 隊長が凄いのは、一緒の隊にいるだけで周りを強くしちゃうところだ。隊長が同じ隊にいる。それだけで、士気がドーンと上がっちまうんだ」

 

「アリサ副隊長は、サンダースの頭脳よ。特に小賢しさにかけては右に出る者はいないわ。何と言うか、小物界の大物って感じね。ナオミ先輩は仕事人。寡黙で課せられた使命を黙々とこなす仕事人よ。こんなところかしら?」

 

「なるほどデス」

 

 みほはうんうんと頷いた。

 一先ず、これで欲しい情報は出揃ったようである。優花里と視線を合わせると、優花里は一度小さく首を縦に振った。ここらで一旦お開きにしようという合図だ。

 

「色々とお話ありがとうございまシタ! とっても面白かったデス」

 

「良いってことよ」

 

「それじゃあね」

 

「はいデス。これで失礼しますデス」

 

 みほと優花里は一礼してから立ち去る。二人のサンダースの生徒とそれなりの距離を取ると、優花里が口を開いた。

 

「かなり有力な情報を入手しましたね。これだけの情報が集まり、もう特に欲しい情報もないことですし、大洗に帰りましょう」

 

 もうここに留まっている理由もない。正体が露見する前にとっとと帰ってしまおうという優花里だったが、みほの答えは否であった。

 理由は、まだ目的を達成していないから。

 どういうことだと訝しむ優花里にみほは言う。

 もともとみほが偵察に来ようと思ったのは、優花里のようにサンダースの情報を集める為ではない。それはついでのようなもので、本題はケイに会うことであったのだ。みほはケイのことを知ってから好奇心や興味が出て我慢出来ずに、こうして会いに来たのである。なので、ケイに会うまでは帰らない。

 理由を聞いた優花里は勿論止める。危ないの一言だ。近日中に会えるのだからそれまで我慢してここは大人しく退散するべきだと懇々と説いた。

 けれど、如何な説諭をしても、馬の耳に念仏であった。みほは決断力に富んだ上で我慢弱い。何と言われようと、こうすると決めたら絶対にやる。仕舞いには、優花里だけ帰れと言い出す始末だった。

 あわや二人の言い争いに発展しそうになったその時。

 

「喧嘩は駄目だよ。ユーたち落ち着いて、ね」

 

 みほと優花里の間に割って入る人物が現れた。

 あっとみほと優花里が声をこぼす。

 現れたのは、みほのカツラのごとく偽物ではない本物の金髪に、鍛えられた身体、子供のような眼差し。抽選会の日に、みほが見た人物と同じ。

 

「ケイ……さん」

 

 みほが名を呼ぶと、

 

「イエスイエス。ケイだよ」

 

 少女はからからと笑ってウインクをした。人を惹き付ける、爽やかな笑みだった。そうしてから二人の顔を交互に見ると、ムーっとまるで幼子が怒るように唇を尖らせて、

 

「もう、喧嘩はノーだよ。二人とも仲良くしなくちゃ駄目でしょ」

 

 みほと優花里の二人を優しく叱りつける。

 二人はいきなりのことで反応出来ずに言葉もなくケイを見つめていると、ケイはまたからからと笑った。

 

「二人とも面白―い。そうだ、折角遊びに来てくれたんだから楽しんでね」

 

 そう言われたみほと優花里はドキリと心臓を鳴らした。遊びに来たという表現を使ったということは、二人がサンダースの生徒じゃないことを悟っているということだ。ここで焦ってはいけないと、みほは努めて平静を保つが、優花里はそうもいかないようで。

 

「な、何のことでありますか!? 私は通りすがりのオッドボール三等軍曹であります!」

 

 必死に誤魔化そうとするが誤魔化しきれてない。これではもはや自分からばらしたようなものである。優花里は顔を青ざめ、みほは険しい表情をつくった。

 ケイはどういう反応に出るのだろうか。

 

「オッドボール? オーケーオーケー! ユーはオッドボール三等軍曹ね。それじゃあ、お隣は?」

 

「マサコ、デス。長尾政虎デス」

 

 名を訊ねられたみほは、無駄だと思うが咄嗟の偽名で答えた。

 これまでか、とみほが諦めかける。このまま捕まって拘束されるだろうか、そう思っていたみほに、ケイは予想もしない行動に出た。

 

「マサコ。オッドボールとマサコ。覚えたよ」

 

 それだけ言ってから、みほと優花里に背を向けて歩を進め出した。二人が言葉なく見送っていると、まだ言うことがあったとばかり、不意に上半身だけ振り返ると、

 

「今度はきちんと本名教えてもらうからね。大会、楽しみにしてるよ。気をつけて帰ってね。バイ!」

 

 言い残して、二人の前から去って行った。

 

「助かった……んでありましょうか」

 

 唖然とする優花里の隣で、みほが呟く。

 

「あれが、サンダースの隊長ケイ、か。次の戦いで、私が踏みつぶしてやらなくてはならない人物。なるほど、我が目に狂いなく、一廉の者だな」

 

 サンダースの隊長ケイの名は、みほの心にしっかりと刻み込まれたのであった。

 

 



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その③

 大洗へ帰って直ぐに、学園へと足を運んだみほと優花里。そこで初戦に向けて練習中であった杏たち生徒会と合流すると、一同は会議室に敷設された応接間へと移動し、そこで今回の偵察の報告が行われた。

 先ずは、杏が偵察に行った二人に労いの言葉を掛ける。

 

「二人ともお疲れ様。大変だったでしょ?」

 

「大変なんてもんじゃありませんでしたよ……もう少しで捕まるところでした」

 

 偵察中のことを思い出しながら、優花里は柚子の淹れてくれたお茶で一息。隣に腰掛けるみほが、うんざりとした面持ちで優花里を睨みつける。

 

「またその話? 優花里さんもしつこいなぁ。助かったんだから良いでしょ、別に」

 

 サンダースからの帰りの道で、幾度となるかも分からないほど、みほは同じ話を繰り返された。いい加減しつこいと、イライラとしたものが胸に溜まっていく。

 その言葉に優花里もキッとみほを睨み返した。

 

「しつこいとは何でありますか!? だいたいあれはケイ殿が海のように広い度量の持ち主だから助かったんであります。運が良かっただけ!」

 

「ふん、優花里さんはモノを知らないね。運も実力の内だよ。こういう運の良さというのも、一廉の人物には備わっているモノ何だから。つまり、無事に生還出来たのは、私の実力」

 

 そのような言い分を認める優花里ではなかった。

 仮にサンダースで捕縛されていれば、捕虜扱いとして試合が終わるまで解放されず、みほと優花里を欠いた大洗は見事初戦敗退。廃校が決定し、みほは学校を救うと約束したのに救えなかったとして義を果たせず、しかも捕虜となって試合欠場とあっては、武名も傷つき散々なことになる。

 廃校の件は優花里の認知するところではないが、捕まっていたら碌なことにはならなかった。情報を集めたらとっとと帰るべきだったと、怒りを露わにする優花里の気持ちも至極当然である。みほの態度は、往生際が悪いと言うか、開き直りも甚だしい。

 ここは一つ、強く物申しておかねばならないと、優花里はみほを睨みつける。

 

「良いですか、西住殿!? これからは慎重に慎重を重ね、石橋を叩いて渡るぐらいの心構えでやってもらいますからねッ! 分かったでありますか!?」

 

 みほの顔に、憂鬱という感情が露骨に浮かんで来た。

 

「煩いなぁ。優花里さんの度量はまるで水たまりのように狭いね。ケイさんを見習ったら?」

 

「私のことは別に良いんであります。と・に・か・く、分かりましたね! 返事ッ!」

 

「……はい」

 

 渋々といった様子で、みほはポツリと答えた。子供のようにムスッと険しい表情で、これ以上は小言を聞きたくないとばかりにそっぽを向く。

 当然のことながら、みほのこの態度が気に入らなかった優花里は、

 

「よく聞こえませんでした。もう一度、大きな声で!」

 

 と、言った。

 うんざりとしていたみほは、これでイライラが頂点に達したのか、クワッと目を見開いて溢れ出て来る激情を優花里に叩きつけた。

 

「ええい、分かったと言っておるではないか! いつまでも過ぎたことをぐちぐちぐちぐちと鬱陶しいわッ! その煩わしい口を今直ぐ閉じろ。さもなくば、そっ首刎ね飛ばしてくれようぞ!」

 

「うっ……」

 

 今まで聞いたこともないみほの怒声に、優花里が一瞬たじろいだ。だが、ここで押し負けてなるものかと怒鳴り返した。

 

「本性を現しましたね、西住殿! 首を刎ねるなどと、法治国家で出来るものならやってみるであります! この、中世の遺物!」

 

「ぬかしおったな? 帝国の亡霊めが!」

 

「ええ、申しましたとも。侍かぶれ!」

 

 みほと優花里が鼻先をぶつけ合いそうな距離で睨み合う。

 すると、

 

「あははははは!!」

 

 傍で様子を見ていた杏が手をバンバンと叩きながら声を上げた。桃と柚子も面白かったのかこちらも声を上げている。三人で大爆笑であった。

 

「はははは! いやぁ、距離が近くなったね、西住ちゃん、秋山ちゃん」

 

 嬉しそうに杏が言った。

 

「まるで、若殿と爺やのようだな」

 

 と、桃が二人を評すれば、

 

「二人とも女の子だから、どちらかと言えばお姫様と傍つきのお婆ちゃん」

 

 そう柚子が返す。

 ここで第三者の存在を思い出したみほと優花里は、羞恥で顔を真っ赤に染めた。それから一連の言い争いを思い出したのか、優花里が真っ赤な顔を真っ青に変えて、みほに頭を下げる。

 

「も、申し訳ありません、西住殿。私は何ということを……」

 

 自分の尊敬する人に対して怒鳴り声を上げるなどと、自己嫌悪である。

 みほにしても同じことであった。いくら頭に血が上ったからといって、首を刎ねるは流石にないだろう。それに素の口調で怒鳴ってしまったのも問題だった。

 静寂が訪れ、空気を重たくする。

 お互いに掛ける言葉が見つからなかった。

 一分ばかり黙り合っていると、横から杏が静寂を壊した。

 

「別に良いと思うけどな」

 

 みほと優花里が杏に視線を移した。

 

「秋山ちゃんは、これからもどんどん西住ちゃんに言っていくべきだよ。自分に意見してくれる人って貴重だからね。友達なんでしょ?」

 

「あっ、でも」

 

 渋る優花里であったが、みほは賛成なようであった。確かに、自分に意見してくれる人は重要である。特にみほのような人は、意見することはあってもされることは少ない。過去を振り返ってみても、家族以外だと、エリカぐらいしか思い浮かばない。他は遠慮しているのか言い難いのか、閉じた口を開いてはくれなかった。

 

「優花里さん、これからも思うところがあったらどんどん言ってよ。何も憚ることはないから」

 

 大洗には家族もエリカもいない。このままでは独裁的になってしまう。それが性に合っていると言えばその通りだが、どうせなら別の人間の意見は欲しい。聞き入れるか否かはさておきのことだが。それならば優花里に、近しい者として忌憚のない意見を述べてもらおう。

 杏とみほに言われて、優花里も二人が言うならということで、

 

「わ、分かりました」

 

 と、頷いた。

 

「それから西住ちゃんも素の口調でよろしくね。素を知っちゃたら、別の口調で話されると距離を取られてるように感じるし」

 

 それもそうである。だが、みほは母であるしほに、なるべく外で使わないようにとの指示を受けていた。何でも現代では、流石に違和感があるとのこと。姉のまほも出来れば使わないで欲しいとのことだ。気が昂ったりすると、先ほどのごとくたまに使ってしまうが、なるべくみほも指示を守ることを心掛けていた。だが、自分を偽るようで息苦しいのも事実。どうせなら口調ぐらい自分の好きなようにしたい。

 諸々を加味した結果、このメンバーでいる時のみという条件をつけて口調を戻すことにした。別の人がいる場合は依然としてということである。

 さて、ここでようやく本題に入ろうということになった。

 

「それじゃあ、偵察の成果を教えてよ」

 

 答えたのは優花里だった。服のポケットよりメモ帳を取り出すと、パラパラと開いて読み上げ始めた。

 

「出場車輌は全部で十輌。シャーマンM4/75mm搭載型を八輌、シャーマンM4A1/76mm砲搭載型を一輌、そしてファイアフライを一輌とのことです」

 

「なるほど……秋山ちゃん、他の情報は?」

 

「フラッグ車は76mmでこれが単独行動をするようです。他は三小隊を組む、と」

 

 優花里が言い終わると、みほが付け足す。

 

「それだけではありませぬ、サンダースには隊長のケイの他に、アリサとナオミと申す者がおるらしく、油断は出来ませんな」

 

「西住、勝てるのか?」

 

 桃が情報を聞いて表情を険しくする。生徒会も生徒会でサンダースの集められる情報は集めた。分かっていることだがやはり戦力差が絶望的である。桃は不安だった。

 その不安を、みほが笑い飛ばす。

 

「ハハハ、いささかも問題ございません。十分に勝機はあります。そこはどうか私を信じ下さいますよう」

 

「分かった。任せるぞ、西住」

 

「はい」

 

 次いで口を開いたのは柚子だ。

 

「それじゃあ、西住さん。大会までに私たちは何をするべきなのかな?」

 

 問われたみほは、顎に手を当てて二、三回撫でると考えが纏まったのか話し始めた。

 

「特別にこれと言って新しく始めることはございませんが、そうですな、試合までの数日間、練習の密度を上げましょう。布に水を吸わせるがごとく、数日とは言え力量は大幅に上昇することでしょう」

 

 大洗戦車道チームの才能のほどは目を見張るモノがある。たった数日とは言えどれほどになるのか、みほは楽しみだった。

 これ以降は五人とも話したいことはないようだったのでお開きと相成った。この後は、練習中の戦車道チームと合流し、みほの監督の下で厳しい練習が行われた。一日目、二日目、三日目、と一日が過ぎるごとにどんどん成長していく。

 彼女たち自身も成長を実感しているようで、大会への不安は次第に自信へと変わって行った。みほも皆の成長具合には満足だった。

 そして大会の前日。この日は厳しい練習で疲労した身体を休めようというみほの案で、練習は軽くやってから早い時間で解散となった。

 みほは優花里たちⅣ号戦車チームと帰路に着き、家へと帰ると、夕食、風呂の一切を済ませて、部屋の片隅に置かれた毘沙門天象の前に座って熱心に合掌を始めた。その両手には数珠が巻かれている。

 明日より始まる大会。この大会に優勝し大洗を救うために、みほは毘沙門天の力を存分に借り受けようとしていた。

 

「オン・ベイシラマナヤ・ソワカ」

 

 祈りを捧げながら真言を唱える。一時間ほど祈りを捧げたであろうか、途端にみほは身体に冷気を感じていた。身も心も凍てつくようで、これは夜がもたらす冷気ではない。もっと別のモノ。そう、毘沙門天の力に相違ない、と思った。毘沙門天が今ここに顕現している、とも思った。

 だからここぞとばかりに心で語り掛けた。

 

(毘沙門天よ、我と同化したまえ。我、前生において汝と同化し、国難を救い、国を富ませ、見事に越後の国を守護した)

 

 みほはきりりと歯を食いしばり、両腕に力を込める。

 

(毘沙門天よ、今再び我と同化し、汝が力を我に貸し与えたまえ。毘沙門天よ、守護神よ。我と同化したまえ)

 

 カッと勢いよく目を開けると、冷気が突如として止んだ。みほはこれを、毘沙門天と同化することでその力を会得し制御したのだと理解した。

 立ち上がると、ぽたり、一滴汗が落ちるや、ドバっと全身から噴き出て来た。みほは口角を上げる。この汗は気持ち良かった。

 汗をそのままに外へと出る。今度は夜の冷気が身体を突き抜けていった。その涼しさの中で、見上げれば空には月が浮いている。

 今夜は三日月であった。

 

(そう言えば、三日月に祈りを捧げ誓いを立てた武将がおるとか。今宵、私も倣ってみよう)

 

 みほは三日月にも合掌した。

 

「私は今より毘沙門天と化した。私は不識庵謙信であり毘沙門天である。我が全身全霊を賭して大洗女子学園を……必ずや守り抜いて見せよう」

 

 一瞬強く、三日月が輝いたように見えた。

 三日月も力を与えてくれるようだと、みほは感じたのだった。

 



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第六話 正々堂々
その①


 サンダースとの対戦、当日である。

 天はこの日を歓迎してくれている様に晴れ晴れとしており、時折、花火が撃ちあがっては、抜ける青さに刹那の彩を加えていた。

 一様に、昨日支給された濃紺のパンツァージャケットに身を包んでいる大洗チームは、余裕を持って花火を眺めている。初の公式戦とは言え、練習試合での聖グロリアーナに対する勝ち星、厳しい練習を積み重ねての実感した成長、自分の隊長の堂々たる背中が彼女たちから余分な緊張を取り除いていた。良い意味で弛緩している。

 

「う~、私のモテモテ道第一歩の始まりよ」

 

 大きく伸びをしていた沙織が、何かを見つけたのか仮設スタンドにポージングを決める。突然何事かと一同視線を仮設スタンドに向ければ、そこにカメラの姿を捉えた。

 

「テ、テレビですか?」

 

 華が呟いた。

 テレビに映されるとあっては女子高生として黙っていない。身だしなみを整え始め、てんやわんやと騒ぎ出す。

 そんな中でみほはと言えば、優雅に読書と洒落込んでいた。表紙には『源氏物語』と記されている。みほの愛読書の一冊だった。

 みほは試合の前によく本を読む。それは琵琶を奏でることもそうだが、単純に趣味なのと昂る気を抑えるためでもあった。

 心は安らかに、戦いは冷静を以って望むべきである。猪のように血を滾らせていればそれで良いというわけではないのだ。

 何回も読み込んで手垢の滲み込んだページを、丁寧にめくる。読みだしたら止まらない。紙面の中に作られた一つの世界に入り浸っていると、肩に軽い衝撃が走った。

 はてなとみほが見上げてみれば、

 

「ヘイ、気付いてくれた?」

 

 ケイだった。

 どうやらみほに声を掛けていたらしいが、全然反応しないので肩を軽く叩いたらしい。

 無視をする形になってしまったようで、みほは素直に頭を下げた。

 ケイは気にした風もなく、じろじろとみほの全身、特に頭部を見つめる。

 

「やっぱり、頭は隠してるんだね」

 

 言いながら親指を立てて、

 

「グッド! 先日は何か違和感バリバリだったけど、こっちは似合ってるよ。とってもクールね」

 

 カラカラと笑った。

 先日、優花里と一緒にサンダースに潜入したみほの正体を見破ったケイ。その時のみほは金髪のカツラで本来の髪を隠し、今は白い頭巾で覆っている。

 褒められたみほは嬉しげに、

 

「ありがたいお言葉です」

 

 と礼を述べた。

 ケイはうんうんと大きく首を振る動作をしてから、キョロキョロと周りを探り、優花里の姿を発見するや声を張り上げて手招きした。

 

「お~い! オッドボール軍曹、カモーンッ!」

 

 周囲の人が苦笑しながらケイとみほの所に行く優花里に注目する。オッドボール軍曹って何? と言いたげな様子だが、優花里は完全に無視した。

 みほの隣にしずしずと並んだ優花里に、ケイは抱きつく。優花里は、

 

「ひゃわっ!」

 

と、奇声を上げた。

 

「久しぶりね、オッドボール」

 

「お、お久しぶりであります、ケイ殿。先日はお世話になりました」

 

「はっはっは、別にお世話はしてないけどね」

 

 ギュッと優花里が少々の苦しみを覚えるぐらい強く抱きしめてから離れると、ケイはみほと優花里に名前を訊ねた。サンダースで別れ際、次会った時に二人の本名を教えてもらうと言っていたのだ。

 みほと優花里は偽りなく自身の名を告げた。

 

「先日は失礼をば。私は西住みほと申します」

 

「私は、秋山優花里であります」

 

「ミホとユカリ。う~ん地味だから、ユカリはオッドボールって呼ぶよ。ミホは、マサコでも地味だし……そうだ、ドラゴン。ミホはドラゴンって呼ぶね!」

 

 渾名というモノだろう。ドラゴンはみほの異名である、西住の『龍』から来ていると推測される。特別変な渾名でもないので、みほは文句をつけなかった。優花里は勘弁して欲しかったが、嫌だと言える雰囲気ではなかったのでこちらも受け入れる。

 この後、みほと優花里はケイと連絡先の交換を行うと、ケイはまだまだ話をしたい様子だったが、サンダースの選手の一人に連れて行かれた。

 携帯で時間を確認すると試合までもう少しある。

 古来より腹が減っては戦は出来ぬとあるので、みほたちは早い昼食を摂った。それで腹休めの時間も含めてちょうど良かったらしく、大洗は万全の態勢を整えて集合場所に整列した。

 向かいにはサンダースの一同も整列している。大洗とサンダースそれぞれの後方には、敵を屠る剣であり、我が身を守護する鎧でもある戦車が、互いの敵を威圧するように並んでいた。

 言うまでもないことだが、大前提として戦車道は礼に始まって礼に終わる。相手に一礼をしてから、お互い自分たちの戦車に乗り込んで開始位置へと向かった。

 

「みほ、今回の作戦はどうするの?」

 

 移動時間中、沙織がみほの裾を掴んで自身の疑念を晴らそうとした。また疑念は大洗チームの全員が抱く疑念であった。

 キューポラより上半身を出して、別の開始位置へと向かうサンダースの戦車を眺めていたみほは、喉に装着されたマイクを通して疑念に答える。

 

「サンダースは戦車の数、性能共にこちらより上。ならばそれらの利を活かして、じわじわと私たちを追い込み最後一飲みにしようとするに違いありません。戦力の分散や小出しはこちらが望むところですので、それはないでしょう。しかし――」

 

 事前の情報を加味すれば、サンダースはフラッグ車を埋伏させ、残りの全車輌でディフェンスラインを徐々に押し上げていくという戦法を取るように思われる。三・三・四の編制ではなく、フラッグ車だけを単独行動にしているのはそういう意図があるに違いない。よもや一騎当千であるとか、集団の行動に向いていないという理由からではない筈だ。

 大洗の取るべき戦法は、正面からは論外として、隠れ潜むフラッグ車を見つけ出し討ち取るか、機動性を活かし攪乱しつつ敵を分散して各個撃破するか、この二つの道がある。

 みほとしては前者を選びたい。地図を見れば大まかに埋伏先は想定できる。聖グロリアーナの練習試合とは違い、フラッグ戦はフラッグ車さえ倒してしまえば、どれだけ生き残りがいようが勝ちなのだ。この戦法には運の要素も絡むが、みほは己に天運があると信じている。

 後者を選んだ場合は堅実的だ。確実性を取るとすればこちらの戦法の方が良いだろう。

 二つに一つだが、みほにはある懸念があった。

 

「作戦を一手に担っているという副隊長のアリサさん。もしかすれば彼女が想定外の作戦を取って来るやもしれません。今回の試合は彼女が鍵となるのは間違いないかと思われます」

 

 それは、サンダースの副隊長アリサがみほの裏の裏をもかくような、古の諸葛亮、黒田官兵衛に匹敵する天才軍師、兵法家の可能性。潜入調査の際、情報を聞き出していた時、アリサの名前が挙がった。身内の評価だが、頭は切れるとのことで、それに小物であるとも。小物は総じて臆病なことが多く、軍師などは臆病なぐらいがちょうど良いとされているのだ。アリサがどれほどの人間かで話が変わって来る。

 大将首だけを狙うか、各個撃破を狙うか、はたまたまったく別の作戦を模索するべきか。黙りこくるみほの耳に、通信機からの声が入った。

 

『隊長、ここは慎重に行動しよう。一つ一つ堅実にやっていくべきだと私は思うよ』

 

 声の主はⅢ号突撃砲のカエサルであった。

 みほはハッとなった。優花里にも慎重に行動した方が良いと言われたことを思い出したのである。みほの気持ちは固まった。

 

「ありがとう、カエサルさん。それでは、私たちが執るべき作戦は、敵を分散させての各個撃破と致します。各々方、よろしいですね?」

 

 異論、反論はなく『おうッ!』という連帯した返事だけが、通信機から響いた。

 間もなく、きゅらきゅらと戦車が大地を踏み進める音が止んだ。試合開始位置に辿り着いたようである。

 それから十秒きっかり数えると、

 

『サンダース大学付属高校、大洗女子学園、指定の位置へ到着を確認。試合開始ッ!』

 

 審判の試合開始宣言が信号弾と一緒に高らかと空へ昇った。

 

 

 



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その②

 みほが集めた情報を基にアリサへの警戒心を強めているように、アリサの方もまた埋伏先でみほへの警戒心を存分に高めていた。

 アリサはサンダースの頭脳である。作戦はいつも自分一人で考え、実行に移し、勝利をもたらして来た。決して天才などではなく、先人たちの知識を学び、ああでもない、こうでもないと悩み、必死に努力して己を鍛えて来た。その結果が、自分は並の人間ではなく出来る人間だとという自負に繋がっている。

 その自負を抱えるアリサをしてみほは油断ならない。

 みほは別格なのだ。一人の人間として彼女に勝てる存在などそうそういない。自分も勝てるのかと問われれば黙ってしまうだろう。勝てると断言したい。負けないと声をあげたい。でも無理だ。そう簡単に負けはしないだろう、ぐらいが限界だ。

 不安だった。不安で不安でしょうがない。

 原因の一つは隊長のケイだ。

 

「今回の試合、全力で楽しもうね」

 

 ふざけるんじゃない。相手を誰だと思っているんだ。そんじょそこらの優秀と評価されている人間とはわけが違うんだぞ。楽しむ余裕などあるわけがないのだ。

 問題はそれだけでなくケイがみほを見逃したという点である。みほ自らサンダースに乗り込んで来たのには驚いたが、それをケイが見逃したのにはもっと驚いた。地団駄を踏まされた気分である。捕まえておけば初戦の勝ちは確定していたのに、みほと戦いたいという理由で見逃したのには本気で腹が立った。

 戦力はこちらの方が充実している。けれどもだから何だと言うのだ。聞くところによれば、聖グロリアーナを倒したと言うではないか。初めて一か月も経ってない素人集団を率いて、どうすれば勝てると言うのだろうか。自分が同じ立場だったら考えたくもない。

 そしてそんなことを出来る人物を欠場させることが可能な筈だったのに。返す返すも口惜しい。自分がケイと一緒にいれば、と悔やむばかりである。

 アリサは戦車の中で親指の爪を噛んだ。噛んだ爪から身体の震えが伝わって来る。

 

「大丈夫かしら。私の作戦は完璧な筈。だけど相手はあの西住みほ。もしかしたら、通用しないかも」

 

 今回の作戦もアリサは一人で立てた。そしてアリサの見るところ、みほのようなタイプは独断で作戦を立てるに違いない。意見を聞くことがあっても、結局は自分で全部決める筈だ。ならばこの試合は、アリサとみほの一騎打ちとも言える。どちらの読みが優れているのか。

 

「上等よ、やってやろうじゃない。私を誰だと思っているのよ。私はサンダースの副隊長アリサ様よ。いずれ、サンダースの隊長となって、サンダースを日本一にする女。ここで西住みほを倒せば、私こそが日本高校戦車道ナンバー1。チャンピンオンよ」

 

 自分に言い聞かせ、震える身体に喝を入れる。

 試合は既に始まっていた。時間的にそろそろ最初の戦闘が始まる頃合いである。身体の震えを抑えたアリサは、自問自答の類を止めて試合に意識を集中させた。

 その時、無線より隊長であるケイの声が届いて来た。前線で何か動きがあったようである。

 

『アリサ、敵がいたよ。B0885S地点、M3中戦車リーが一輌』

 

 ケイが率いる一隊がジャングルの地点にて敵の偵察を見つけた。さらにケイによる報告は続き、M3はこちらを誘い込むように逃げているとのこと。そのまま追撃するということで、一旦報告は途切れた。

 

「分散させて各個撃破を狙ってるのね。実はそう見せかけてという可能性が無きにしも非ずだけど、ここは深読みしないでおくわ」

 

 アリサは大洗の戦術を読み取ったが、別に驚きには値しない。大洗が採れる戦術は余程奇をてらわない限り二つしかないのだ。分散して各個撃破と隠れている自分たちに的を絞るという二つのみだ。サンダースの情報を根こそぎ持って行ったのだから、今回の試合で自分たちのフラッグ車が隠れ潜んでいるということに気付いているだろう。だからこそ、この二つである。如何にみほと言えど、選択肢はこの二つだけであったろう。

 ちょっとばかし意外だったのは、みほが前者の戦術を採ったことである。映像や話を聞く限りでは、フラッグ車に狙いを定めて一気に決戦に持ち込みそうな人格なのだ。大方周囲に強く反対でもされたのか。それでも強行しそうなものだが、まあ、今は置いておこう。

 

「先回りして隊長たちと挟撃し、M3を早急に始末しなさい」

 

 ケイとは別の隊にアリサは指示を出すと共に、この試合で用意した作戦を使う準備をした。情報は力である。事前では大洗に情報を奪われてしまったが、ならばこちらは試合の途中途中全ての情報を頂こうではないか。

 この作戦こそアリサがみほに、大洗に勝つために立てた作戦。戦車道史上初めてであろうし、おそらくこの試合で禁止される。でも、まだ禁止されていない。だから使うのだ。

 準備が整うと、アリサは全神経を右耳に集める。ここに大洗の情報が入って来るのだ。

 アリサの作戦とは――

 

『……挟撃された? 落ち着いて梓さん。直ぐに増援を送るから今しばし辛抱しててね。八九式中戦車は南西より北東へと進んで下さい。私たちは合流しM3中戦車リーを救います』

 

 無線傍受であった。財政的に余裕のあるサンダースだからこそ採れる作戦だ。これで大洗の動きは逐一筒抜けである。みほの、味方の危機にも全く動じていない冷静な声音が、アリサの耳をゆすぶる。

 すぐさまアリサはケイに指示を送った。

 

「隊長。隊長の隊は今すぐ追撃を中止し、南西に向かって下さい。現れるであろう敵をそこで迎撃お願いします」

 

『オッケー。だけどよくそんなこと分かるね?』

 

 冴えてるね、と付け足してケイは通信を切った。

 実はアリサ、大洗の無線を傍受して盗聴していることを、ケイには伝えていなかった。何のことはない。絶対に反対されるからだ。

 ケイは正々堂々、力と力のぶつかり合いが好きなのである。小細工や奇策を好まないのだ。ましてや無線傍受など許さないだろう。

 

「副隊長、本当に良いんでしょうか。こんなことやって」

 

 無線傍受に対して少し思うところがあると言ったのは砲手であった。彼女も彼女でこれは卑怯なことじゃないか、とアリサに苦言を呈する。

 けれどアリサはそう思わない。彼女にとってこれは卑怯でも何でもなく、数あるうちの作戦の一つなのだ。

 

「無線傍受はルールブックに禁止と記載されてないわ。だったらやっても何も問題は無いわよ」

 

 卑怯というのはルールや決まりを破ることを指すのだ。アリサとてそんな輩は大嫌いである。戦いの類でルールを破る者は人として最低限の倫理を持ち合わせていない者というのがアリサの持論だ。そのような者たちと自分を一緒にしてほしくはない。

 

「隊長の気持ちも分かるわよ。戦車道は戦争じゃないって隊長はいつも仰ってるけど、まったく異論はないわ」

 

 ケイに黙って無線傍受という作戦を採ったことは、ケイに対してアリサも悪いと認識している。勝敗よりもどれだけ楽しくやれるのかが大事というケイの考えも分かっているつもりだ。

 でも、勝ちたいじゃないか。勝敗があるんだから、どうせだったら勝ちたいだろう。それにケイのことを含めた三年生のことを思えば、彼女たちはサンダースで一緒に戦車道をやるのは今年で最後だ。

 勝たせてやりたい。優勝旗を掲げさせてあげたい。うれし涙で高校戦車道を締めくくって欲しい。

 

「それに、私は勝つ作戦を考えなくちゃならないの。責任があるから」

 

 皆は自分を信じて作戦を一手に担わせてくれているのだ。この期待にも、応えなくてはならない。

 そのためにも全身全霊でやる。今までの努力を全てつぎ込む。出来る事は何でもやって、サンダースに勝利という栄光をもたらすのだ。

 

「私は一切手を抜かない。全力でぶつかって、何が何でも勝利をもぎ取る。これが私の――正々堂々よッ!」

 

 きっぱりとアリサが言い切った。

 砲手の少女はアリサの心の内を聞かされて一瞬驚いた表情を作るも、直ぐに破顔して言った。

 

「あなたは最高のナンバー2です」

 

 ナンバー1ではなくナンバー2。しかしながら、これは誉め言葉としてはナンバー1である。

 正面から褒められて気恥ずかしかったのか、アリサは顔を紅潮させてふいっとそっぽを向いた。

 

 

 

(アリサなる者はただ者ではなかった。サンダースにおいて、最も警戒すべき相手はケイではなくやはりこの者だったのだ)

 

 見事に手玉に取られている、とみほは思った。

 心を見透かしているがごとく、先手先手を的確に打って来る。みほは初めての体験を味わっていた。

 あまりにも敵が鮮やかな攻めを見せて来るものだから、みほは場当たり的な対応しか出来ず、それも完璧に対処される。あっぱれ以外の言葉は出てこない。

 

『西住隊長ッ! 何とかして下さいッ!』

 

 追撃して来るシャーマン軍団からの砲弾の雨がⅣ号戦車と八九式中戦車に降り注ぐ。ケイの指揮の下で振るわれる力は勢いがあり、みほたちに反撃の隙を与えない。同じく勢いに定評のある八九式中戦車の磯辺典子も、今はただ悲鳴染みた声でみほに助けを求める以外になかった。

 

「ヘイヘイ、ドラゴンッ! 逃げてばかりじゃなくて戦ってよー!」

 

 砲撃による爆音と戦車のエンジン音他もろもろの音を、意に返さないようなケイのよく通る声が聞こえる。

 

「中々申して来るではないか」

 

 みほは苦々しく、さりとてどこか愉快そうに呟いた。

 確かにケイの言う通りで、試合が始まってからこの方、みほは森の中を逃げ回るばかりであった。偵察に送ったM3中戦車リーを狙われ、八九式中戦車と合流し救出に赴こうと思えば待ち伏せ、それから一時撤退先には必ず敵がいる。

 流れを持っていかれていた。これでは狩りの獲物である。じわじわと弱らされて、最後には狩人に狩られるのだ。

 しかし、この西住みほともあろう者が、このままむざむざとやられるわけにはいかない。何とかしなくてはならなかった。

 

「一先ず森を抜けるか。このままではサンダースの思う壺よ」

 

 みほはやや前方を走る八九式中戦車、ケイのシャーマン隊とは別の隊に追撃されているだろうM3中戦車リーに一旦森を抜けるように通信を入れた。この間にも敵の発砲は続く。

 

「麻子さん。進路を東にとって。森を全速力で抜けるよ」

 

 難なく敵の砲弾を回避した麻子は、指示通りに東へ進路を変える。八九式中戦車は進路を変えずに真っすぐと進んで行った。

 サンダースの追撃は、二手に分かれたⅣ号戦車と八九式中戦車の内、Ⅳ号戦車に狙いを付けたようだった。

 みほは砲弾を回避しながら森の中を走り続ける。次第に明るい場所が見えてきたが、やはりと言うべきかサンダースのシャーマンが待ち伏せをしていた。

 

「駆け抜け―!」

 

 前方からも後方からも天を打ち砕くような音と一緒に砲弾が飛んで来る。みほはただ一心不乱に突き進み、前方で砲塔を向けてくる二台のシャーマンの間を抜けて行った。森を抜ければ追撃はここで終わった。

 

「やっと人心地つけるわ」

 

 と、大きく息を吐いた。

 だが言うものの、本当に休むわけではない。これからサンダースが、いやアリサがことごとく動きを読んできたからくりを解かなくてはならない。そう、からくりをである。

 何かある筈なのは明白だ。それ程までにアリサの読みは的確過ぎるのである。これほどの読みを個人の能力だけで出来るのならもう異能者だ。だからからくりがある。そしてどのようなからくりなのかは、ある程度の予想はついた。

 

(最初は千里眼の類かと思うた。何らかの機械を使いリアルタイムの映像を送り込んでいるのかと。しかしそれでは動きが速すぎる。それに映像だけを見てあそこまで的確にこちらの動きを読み取るのは無理だ。だとするならば)

 

 みほが探るように見上げた先には、バルーンが一つ飛んでいる。空にふわりと浮かぶバルーンには、アンテナが付いていた。

 

(無線傍受……ハハ、ハハ、その手できおったか)

 

 なるほど通りで。無線傍受によりみほの指示は全部筒抜けだったのである。

 気分良さそうにしながら、みほは己の首に取り付けられたマイクを外す。続けて車内より顔を出す沙織にも首からマイクを外すよう指示を出した。

 いきなりの指示に困惑する沙織だが、みほの言うことである。何か訳があるのだと素直にマイクを外した。

 

「皆、上を見て」

 

 沙織がマイクを外したのを確認してから、Ⅳ号戦車の全員に向けてみほは言った。優花里、沙織、華、麻子は言う通りに空を見て、バルーンとそれにつけられている無線傍受機の存在に気付く。

 

「ああー! 無線傍受機ッ!」

 

 優花里がバルーンを指さして叫んだ。顔には紛れもない怒りの色が露わとなっている。

 

「無線、傍受? それって盗聴じゃん!」

 

 優花里の怒りに沙織も続いた。普段より穏やかな印象の強い華も、不快感からか眉を顰めている。

 

「別に戦車道のルールブックでは禁止されてないぞ」

 

 ぱらぱらとルールブックをめくっていた麻子が言う。彼女は別段、怒りなど抱いている様子ではなかった。

 

「ルールブックでは禁止されてなくても、こんなん卑怯じゃん」

 

 沙織が麻子に喰いつくように意見すると、優花里と華も同意の意を込めて頷いた。さらに怒りのままに三人はみほへ視線を移すと、怒りはたちまち治まった。

 優花里、沙織、華の三人、いやこの場合麻子も含めて四人としては、みほが一番激怒しそうな案件である。そのみほが随分と楽しそうに笑うので、怒りなどどこへやらだった。

 

「西住殿、怒らないんですか?」

 

「何故怒らなくちゃ駄目なの? 確かに私はこういう手段は採らないし、好みではないけど、卑怯だとも思わないよ。寧ろ嬉しいし、楽しい」

 

 どういうことだと、傾げられた首は四つ。

 

「相手は全力でやってくれてる。自分の持つ全てをぶつけて来ている。それが嬉しい。それにここまで好き放題にやられたのは記憶には無い。初めてだから楽しい。そして、今からこの作戦を打ち破ってみせる」

 

 最後の方は自信が満々と声に出ていた。

 策はあるのかと優花里が訊ねた。

 ある、というのがみほの答えだ。

 

「アリサさんが切れ者だということは十分に分かった。今だ無名校の大洗に対して油断はなく、おそらくは私を非常に意識している。そこを突くんだよ」

 

 からくりさえ分かってしまえば、やりようはいくらでもある。

 みほは優花里、沙織、華、麻子の顔をそれぞれ見回して、バルーンの方に視線を移しながら言うのだった。

 

「策士策に溺れる、だよ」

 

 

 

 

 



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その③

 無線傍受機を通してみほの声が聞こえなくなった。この事態が示すところは無線傍受機の露呈である。その事実を知らされたアリサの心中は至って平静だった。狼狽一つも見せずに、やはりという気持ちが強いようだった。

 

「流石ね。無線傍受機の存在を悟るなんて」

 

 とは思ったものの、いささか予想していたより早く見つかっているのも確かだ。そのことに関しては残念な気持ちを隠せはしない。けれど見つかるところまでは想定内である。だからこそアリサに焦りの色が見えないのだった。

 

「見つかったところで私たちが不利になるのかと問われればその通りではないわ。依然として私たちが有利よ」

 

 勿論理由がある。無線傍受機の存在を察知した大洗は無線による通信は出来ない。なぜならば作戦が丸聞こえだからである。とするなら、大洗は通信なしで戦わなくてはならず、それはみほが指揮を執れない。各々で勝手に戦わなくてはならないということなのだ。

 みほが指揮を執らないのならアリサに恐れるものはない。一輌一輌確実に仕留めていくだけである。みほも彼女の乗る戦車一輌だけなら敵にしてもそこまで問題ではないのだ。

 三部隊それぞれに散り散りになっている大洗戦車の探索をアリサは指示する。

 さらに念のために無線傍受機も作動させておく。よもや通信を使っては来ないだろうが、万が一ということがあるのだ。用心に越したことはない。

 万全の状態を保っておいてからアリサはサンダースの通信が入るのを待った。

 時計の秒針が一周ほど回ると、アリサの耳に人の声が聞こえて来る。

 

『全車輌、ジャンクションに集結して下さい。そこに身を伏せ、北上して来た敵を左右よりの攻撃で粉砕します』

 

 聞こえて来た声はサンダースの仲間たちではなく、驚くことにみほの声である。

 通信を傍受されていることに気付いておきながらどういうことだろうか。本当は無線傍受に気付いていないのか。そんな筈は無い。みほほどの人物が気付かない筈は無いのだ。ではこの通信にはどういった意図があるのだろうか。

 アリサは考えて、閃いた。

 

「これは罠よ。私たちを誘い出そうとしているに違いないわ」

 

 みほの意図をアリサはこう捉えた。偽の情報を流しノコノコとやって来たところ、別の場所に潜ませていた戦車たちで一撃を加えようというものだと。これは別の通信手段を構築したと判断するべきだ。本当の作戦は別の通信手段で伝えているのだろう。その通信手段とはおそらくだが携帯電話。携帯電話のメール機能を以って通信手段としているのだ。

 そんな手に乗るものかとアリサは思ったし、馬鹿にするなとも思った。この作戦はアリサが無線傍受を見抜かれたことを見抜いていない前提がないと意味がない。とうの昔に見抜かれたことに気付いている。

 

「これを逆手に取ってやるわよ」

 

 アリサは地図を広げてジャンクションの位置を確認した。そこから大洗の本来の伏せ場所を探り、ケイたちに指示を送る。

 

「隊長、聞こえてますか。0985の道路を進むとジャンクションがあります。そのジャンクションを一望できる高地だか丘だかに向かって下さい。大洗はそこにいます」

 

『オーケー。だけどさっきから本当に頭冴えまくりだよ? 何かしてない?』

 

 無線傍受のことをケイは疑っている。ケイはまだ気づいていないようだが、これも時間の問題だろう。しかしこの問答を長引かせて時間を取るわけにはいかない。

 

「今日の私は調子が良いんです。それではお願いしますね」

 

 と早々と無線を切った。

 これで撃破したという報告を待つばかりである。

 だけどここに来て妙な胸騒ぎがした。アリサはこれで正しかったのだと自分に言い聞かせて朗報に期待を寄せる。

 短い時間が経った。

 まだ報告はない。時間が時間だけに急く必要はないのだが、アリサの胸が高鳴る。

 今度は短くない時間が経った。

 そろそろ何か報告が来ても良い頃合いである。だけど何もなくアリサは段々と苛立ってきているのを感じた。焦慮も強いものになってきた。

 

「何故何も連絡がないの。もしかして私の読みが外れた? そんな筈はないわ」

 

 こうなったらこちらから通信をとアリサが無線に話し掛けようとしたその時、背後から砲撃音が鳴った。

 アリサが恐る恐る振り返れば、視線の先には砲塔を向けて来る八九式中戦車の姿が見える。何故こんなところにとアリサの思考は一瞬、二瞬と停止した。

 八九式中戦車が背を向けて逃げようとすると、アリサは停止していた時間を取り戻すように生き生きと思案を始めた。

 

(私は読み違えたのね。先ほどの西住みほの通信は誘い出す罠なのは間違いなかった。だけど狙いは私と隊長たちを完全に引き離すため。これは私一点に狙いを集中して来ている。そしてこの八九式は、私を誘い出すのが目的。誘い出された先には敵の戦車が待ち伏せしており包囲される。これには引っ掛からないわよ)

 

 アリサは操縦手に指示を出した。このままむざむざと、逃げる八九式中戦車を追えば馬鹿を見る羽目になる。ただ潜伏場所を明らかにされた以上いつまでもここにいるわけにはいかない。アリサの駆るシャーマンは八九式中戦車とは逆の方向に前進を始めた。

 これで取りあえずは良しと安堵に胸を撫で下ろし、やがて、えっと顔色を蒼白に染めた。

 

「そ、そんな……何で」

 

 潜伏場所を抜けた先にはいる筈のないⅢ号突撃砲とⅣ号戦車が待ち構えていたのである。

 

 

 

「策ばかり弄する者は、よく頭を使い、よく考える。それ故にいらんことまで考えて、無用な心配をし、結果このようなことになるのだな」

 

 みほはこちらに走って来るシャーマンを見て満足そうに頷いた。自分の人物評価もそう捨てたものではないと思ったからである。

 賭けであった。

 もしアリサがみほの通信を傍受して、初めからフラッグ車だけに的を絞り始めたことを察して守りを固められたら負けていた。最初の作戦は各個撃破としていたため、それを読み取ったアリサも瞬時に、作戦を大きく変更したことを察せなかったのだろう。

 もしアリサが八九式中戦車を馬鹿正直に追いかけていたらそれでも厳しいものになった。アリサが予想した通り、ジャンクション近くの丘には38tとM3中戦車リーがいる。フラッグ車を撃破するために九輌の敵を引きつけておく足止め役だ。間違いなく撃破されるであろうから三対十、八九式中戦車を撃破されれば二対十である。これで勝つのは奇跡を期待しなくてはならない。

 事はみほの描いた通りになった。

 賭けに勝ったのである。

 

「今こそ敵のフラッグ車を討ち取る時よ」

 

 数の利がある上、完全に不意をうった。この機を逃す理由はない。

 Ⅲ号突撃砲とⅣ号戦車の砲塔がアリサのフラッグ車を捉える。

 時間を掛けていては丘のニ輌を撃破した残りの九輌に合流されてしまう。みほが砲撃の合図を下そうとした瞬間、通信手の沙織が窓から顔を出してみほに叫んだ。手にはこの試合限りの通信手段である携帯電話を持っている。

 

「みほ! 38tとM3からだよ! 【やられた てき ろく】だって!」

 

 やられたと書かれつつやられる直前ぐらいに送って来たものであろう。内容の【てき ろく】を瞬時に理解したみほは眉間に皺を寄せて、

 

「撃てぇッ!!」

 

 と、急かすように荒い声をあげた。

 どうやら思っている以上に猶予がないようだった。

 丘の方に敵が六輌しか来ていないのなら残り三輌は……しかし遅かったようである。

 Ⅲ号突撃砲とⅣ号戦車のそれぞれの砲手である左衛門佐と華が指示を受けて砲撃し、爆音が大地を揺るがすと、Ⅲ号突撃砲が吹き飛んで、Ⅳ号戦車の近くでぐるぐると回転し白旗を上げた。

 

「おのれ、ここに来てッ」

 

 みほは歯軋りして新手を見つめた。思いもかけないことだ。シャーマンが二輌にファイアフライが一輌。大地を揺るがさんほどの爆音はファイアフライの砲撃らしかった。シャーマンの車長の一人はケイであり、ファイアフライの砲手はナオミである。

 何故ケイたちが現れたのかと言えば、これはケイの直感だった。蟲の知らせと言うべきか、何か嫌な予感のしたケイは自身と他二輌を率いてアリサを守るために来たのである。

 そんなことを知る道理もないみほは、裏をかいたと思っていたらその裏をかかれたのかと膝を力の限り拳で打つと、

 

「だが勝つのは私たちぞッ!」

 

 隙をついて逃げ出したフラッグ車を追撃しだした。これをさらに追いかけるケイたち。途中、八九式中戦車も合流し、Ⅳ号戦車の背後についた。大洗のフラッグ車であるⅣ号戦車を守るためである。

 各車両の砲撃が絶え間なく続く。激しい追撃と砲撃。お互いのフラッグ車への砲撃が三度繰り返される。ついにはファイアフライとシャーマンの砲撃が八九式中戦車を捉えた瞬間、Ⅳ号戦車はみほの指示で止まった。

 みほは咄嗟にこの試合二回目の賭けに出ることを決心したのだ。

 一発である。逃げる敵フラッグ車が照準に入った瞬間を狙う。

 これで決めなくては負けだ。

 みほは自身の武運を信じ、何より砲手の華に信頼を向けた。

 華は落ち着いた様子で照準器を覗いている。責任は重大であった。誰も邪魔しないように声も音も立てない。一撃に全神経を集中して、一瞬のタイミングを計って撃った。

 Ⅳ号戦車が龍の一撃を砲弾という形で放出した。

 砲弾は吸い込まれるようにアリサの駆るフラッグ車に着弾し黒煙を上げる。

 黒煙が晴れていくとそこには純白の旗が風にはためいていた。

 

『サンダース大学付属高校のフラッグ車、行動不能を確認。よって、大洗女子学園の勝利』

 

 ここにサンダース大学付属高校と大洗女子学園の一回戦が幕を閉じ、勝者と敗者が決まったのであった。

 

 



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その④

 試合が終われば再び向かい合って整列しお互いに一礼する。礼に始まり礼に終わるの、終わりの部分だ。審判の合図を以って、ありがとうございましたと、大洗、サンダースが声を合わせた。少女たちの疲れを感じさせない溌溂とした声が天にまで届かんばかりに周囲に響き渡る。

 

「ヘイ、ドラゴン!」

 

 礼が終わるとケイがみほの前にやって来た。両隣に人を連れており小柄で髪を二つに結んだ人物がアリサだと思われる。試合中、フラッグ車に乗っているところを見た。するともう一人、少しばかり背が高いのが推測するにナオミに違いない。

 ケイは負けたと言うのに、何とも思ってなさそうに陽気な笑みを浮かべて、みほを腕に抱きしめた。急なことでみほは反応が遅れる。害はなさそうなので好きにさせていたら、三秒も数えればケイは離れた。

 

「今日は楽しかったよ、サンキュー!」

 

 負けたことを何とも思っていないわけではないようだった。悔しいけれど、それ以上に楽しかった。二つの心理がケイの笑顔に見て取れる。

 一方でアリサとナオミ。アリサは負けたことを、負けさせてしまったことを悔やんでいるようだった。自分がもっとしっかりしていれば、と心の内が面に表れている。ナオミはそんなアリサに苦笑していた。

 自分をあそこまで苦戦させた人物とは如何なるものか。みほはじっとアリサを見つめた。

 視線に気づいたアリサがみほを睨みつける。それがなんとも悲しく弱々しい。

 みほはそのアリサの姿に好感を覚えた。

 

(勝たせてやれなかったことがそれ程悔しく悲しいか)

 

 と、しみじみとした気持ちになった。

 同時にこうも思う。

 

(私をあれ程までに追いつめたのだから、少しは喜んでも良いではないか)

 

 理不尽な怒りが胸に沸き立って来る。みほもそのことは自分で分かっているから努めて外に出さないようにした。

 ただ何か意識を別に集中しないと爆発しそうなので、みほはアリサに話し掛けた。

 

「アリサさん、少しよろしいでしょうか?」

 

「何よ?」

 

 気の強そうだが、鼠の泣くようにか細い声でアリサはみほに返す。どうやら質問には答えてくれそうだった。みほは試合中、疑問に思っていたことを訊ねた。

 

「試合の最後の方、三輌ほど現れた戦車はあなたの指示でしょうか?」

 

「あ~、あれは私の判断だよ!」

 

 質問に答えたのはアリサではなくケイだった。

 と言うことは、ケイが自分の作戦に気付いていたのだろうか。みほはむむむと唇をすぼめる。

 これは既に記したことだが、ケイたちが最後の方で現れたのは直感だ。みほの作戦の全容を悟ったわけではなく、理論的な行動をしたのではない。第六感に従って念のためにフラッグ車の下へ行ってみれば危うい所だったのだ。まったくの偶然である。

 かくかくしかじかとケイの説明を聞いたみほは納得した。自分の作戦が見破られたわけではないと知って嬉しそうに口角をあげる。

 

「ねえ、アリサ。私も訊きたいことがあるんだけど」

 

 ケイもケイで試合中に気になることがあった。試合中のアリサがあまりにも的確に大洗の動きを読んでいた理由だ。

 無線傍受のことを隊長たるケイに知らせてなかったのかとみほは驚いたが、ケイの人柄を知れば自分と同じでその作戦は好みそうにないことに気付き、アリサが教えなかった理由も理解する。

 

「それは……」

 

 俯いて、理由を話すことを躊躇うアリサ。彼女はケイに理由を話して疎まれることを恐れていた。

 

「貴女が話さなくとも、別の人が話すわよ」

 

 ナオミが梯子を外した。貴女が話さなくとも自分が話すとほのめかした発言であった。

 これで腹を括らざるを得ない状況に追い込まれたアリサは、青白んだ顔でゆっくりと無線傍受のことをケイに話し始める。

 そうして時間を掛けてアリサが話し終えた時、ケイは表情を無にしていた。

 そのまま無表情でケイはアリサを見下すと、右手を頭よりも上に持って来る。

 叩かれると思ったのだろう。アリサが目を瞑り歯を食いしばった。しかしいつまで経っても痛みは来ず、代わりに二度、三度、頭をぽんぽんと優しく叩かれた。

 目を開いてアリサが見上げると、ケイはいつもの豪快な笑いではなく、微笑みを伴ってアリサを見ていた。

 

「今日は、反省会ね」

 

 どこまでも労わるような声音だった。

 アリサはせきあげる涙を堪えながら、首を縦に振ることで返事とした。

 それからケイはアリサの頭を数回撫でて、もう一度みほの方へ振り向くと一言。

 

「またやろうね」

 

 それを受けて、みほは望むところだと力強く頷いた。

 

 

 

 

 大洗女子学園とサンダース大学付属高校の試合は、下馬評を覆す形で大洗の勝利に終わった。いくらみほが指揮を執るとはいえ、サンダースとて日本戦車道界に威風を吹かせている高校である。寄せ集めの戦車に素人の集団とあってはみほでもどうしようもないというのが、大方の予想だった。

 それがよもやという話である。

 まるで戦国の桶狭間のごとき戦い。一回戦で少ないながら観客たちは大いに盛り上がっている。大洗はまるで尾張の織田のようだと言う者がいれば、みほの出生を話題に上げて上杉謙信の生まれ変わりだと大興奮している者もいた。

 その観客たちに二人の少女が紛れている。彼女たちは特に騒ぐ様子はない。分かっていたからだ。始まる前から勝者が分かっていたのだから、彼女たちの中では逆転劇でもなく至極当然。よって取り立てて騒ぐ必要もなかった。

 二人の少女は、西住まほと逸見エリカである。

 

「ふむ、思っていたより苦戦していたな」

 

 大洗の五輌ある内の四輌が戦闘不能に追いやられたのを鑑みて、まほが言った。彼女の予想ではもう少し余裕のある勝利なのだ。ギリギリまで追い込まれるとは思ってもみなかった。

 

「私もそう思います」

 

 エリカがまほに同意した。元々同じ高校で仲間であったからみほの力は嫌というほど知っている。敵に回ればどれほど恐ろしいのかということも。そのみほを敗けるかもしれないところまで追い詰めたのは、素直に称賛に値する。

 サンダースの隊長ケイと副隊長のアリサの名がまほとエリカの頭に刻み込まれた。既にサンダースは大会を敗退しているので、黒森峰が今大会で戦うことはない。しかし来年ともなれば、三年生のケイは卒業していなくなっても副隊長のアリサはいる筈なので、エリカの前に敵として立ちはだかって来るだろう。名前を覚えておいて損はない。

 

「そう言えば、エリカ」

 

 突然、まほが何か思い出したのかエリカに訊ねかけた。

 

「例の物は準備出来ているのか?」

 

 一瞬何のことかとエリカは小首を傾げるが、直ぐに思い至ったのか答える。

 

「はい。機甲科全員分を集め終わりました。副隊長が黒森峰に帰って来て再び指揮を執ってくれると言えば、皆我先にと私に持って来てくれました」

 

 現在、黒森峰ではみほを連れ戻そうという計画がエリカの主導の下で進められている。みほが黒森峰を去り、まほが完全に機甲科を掌握して平穏を取り戻すと、どうにかしてみほに戻って来てもらえないかと、機甲科のあちこちからぽつぽつと声があがったのだ。その声をあげていた筆頭がエリカだった。

 故に戦車喫茶ルクレールでみほと再会した時、エリカは黒森峰の現状を話したのだ。無駄だとは分かっていたが、出奔した原因が改善されたのだと知れば、もしかしたら戻って来てもらえるかと思ったからである。

 結果は残念だと言う他はない。みほは自分が黒森峰に居なくとも問題ないと思っているようだったのだ。

 そんなことはない。黒森峰にはみほが必要なのである。みほを連れ戻す計画の中で、どうにかそのことを分かってもらおうと用意したのが、まほの言う例の物だ。

 

「そうか。それがあればきっと、みほも帰って来るだろう」

 

 まほにしてもみほには黒森峰に居て欲しい。来年卒業する身の上だ。来年の黒森峰を強力な権威者としてみほに引っ張って欲しいのである。また、機甲科の意見はこれに一致していた。みほ以外ではどんぐりの背比べ、権威者にはとてもなれず、忽ち乱離するだろう。

 仮にみほ以外で後を継ぐとすればエリカであろうが、エリカ自身、自分ではとても器量が足りず、黒森峰の内部崩壊を招くと思っていた。だからこそ、何が何でもみほに帰って来てもらうよう画策したのである。

 しかし今すぐに帰って来てもらおうとは考えていない。承知している通り、みほには大洗で戦わなくてはならない理由がある。約束すれば、骨になっても履行しようとする彼女である。帰って来てもらうのは、大会が終わってからになるだろう。

 

「そいつは準決勝が終わった後ぐらいに、みほに渡すことにしよう」

 

 エリカに異論はなかった。

 再び戦車道を一緒にやれる。近い未来のことを想像しながら、エリカは緩みそうな表情をグッと抑え、何となしに巨大なスクリーンに目をやった。

 そこにはちょうど、笑いあいながらケイと握手をしている現実のみほが映っていた。

 

 

 

 

 

 



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第七話 戦力増強
その①


 大洗は熱狂していた。わけは言うまでもなく、大会初戦突破を果たしたからである。過去に戦車道を行っていたとは言え、その頃とは全てが比べものにならない。良質な戦車は売り払ってしまい残っておらず、長いこと戦車道をやっていなかったので素人ばかり、名声は皆無で全くの無名校状態、これで強豪校の一つと数えられるサンダースを討ち破ったのだから驚愕の一言である。まるで大会で優勝を果たしたような盛り上がりようだった。

 そんな中で、無邪気にはしゃいでいない者たちも当然存在する。勝利することを当たり前と思っているみほと優勝以外に意味がないことを知る杏、桃、柚子の三人だ。

 みほたちはサンダース戦の翌日、会議室の応接間で二回戦のことを早速会議していた。裏方の仕事をさせれば、大洗で右に出る者はいないとされる程出来る女な桃。彼女は既に二回戦の相手を調べられるだけ詳細に調べ上げていた。先ずはこの情報を基に会議を進めて行く。

 

「アンツィオ高校、ねえ」

 

 ホワイトボードに黒文字で記されたアンツィオ高校の文字に、杏は好物の干し芋を口に含みながら呟いた。生徒会長として学園艦という形で存在する高校の名は一通り知っている。アンツィオ高校も例外ではない。

 

「ご存知なので?」

 

「うん、まあそこそこにね」

 

 小首を傾げるみほと頷く杏。

 みほも名前だけは知っているが詳しいことはとんと分からない。名前を知った時に興味がわかなかったので、すっかり記憶の隅で放置していた高校だ。優花里がこの場にいれば、これを機に興味の視野を広げろと苦言をみほに呈してくるだろう。みほ自身思うところがないわけでもないので、少しは改善しようかと考えた。

 

「イタリア色の濃ゆい高校だよ」

 

「ノリと勢いが強い高校なんだって」

 

「お前の元母校である黒森峰やサンダースに及ばないと言えども、強豪校の一つに数えてよかったマジノ女学院を下している。中々に強敵だと見ても良いだろう」

 

 杏、柚子、桃の三人が流れるように言葉を紡ぐ。

 

「それに私たちとそっくりだ」

 

「ほう? 気になりますな。お教えたまわりたい」

 

 自分たちと似ているというところにみほは反応した。人は誰しも似ていると言われれば大なり小なり気になるものである。

 手元の資料を確認しながら、桃が大洗とアンツィオの共通点をあげていく。

 

「大洗と同じくアンツィオの戦車道は一度廃れている。これをどうにかするために、愛知の方より招かれたのが、今の隊長安斎千代美。イタリア風にドゥーチェ・アンチョビと呼ばれているこの人物が、二年前にやって来て立て直しを図ったんだ」

 

 大洗の場合は廃れていた戦車道を復活させて、偶然大洗に転校して来たみほを隊長に据えることで、廃艦という運命に立ち向かっている。目的こそ違えど、確かに似ていなくもない。そして似ているとされるのはこれだけではなかった。

 

「アンツィオが使用する戦車は、基本的にカルロベローチェという戦車が主だ。主砲が八ミリの機銃のみ、最大装甲は十四ミリのこの戦車は豆戦車などと呼ばれている。これが主力という質の貧相ぶりは共通するところがあるだろう」

 

 それも確かに共通すると見ても良かった。事に寄れば大洗の方がマシだと言えるだろう。

 話を聞いたみほはアンツィオの隊長アンチョビの人物を想像した。この人物はもしや、自分に近しい性質の人物なのではないか。カルロベローチェを主力にして世間で強豪とされるマジノ女学院とやらを倒したのならば、生半可ではない。ふと、サンダースのアリサを思い出す。彼女の柔軟で奇抜な思考。アンチョビはアリサの思考を取り入れた自分、と言ったところだろうか。一応、そのように結論づけてみた。

 二回戦は組織としても人物としても、似た者どうしの対決ということになろうか。

 

「もう少し奥の情報が欲しい」

 

 この時みほは、サンダースの時のようにアンツィオに忍び込む決心を固めた。

 けれどもこの行動を許さない者がこの場にはいる。

 

「駄目だよ、西住ちゃん」

 

 杏だ。みほがぼそりと呟いた一言から、彼女が何をしようとしているのか察したのである。特にみほは前科があるから察しやすかった。

 また隊長自ら偵察など、杏は認めるわけにはいかない。前回捕まりそうになったと優花里に聞いた時は内心で驚いたものだ。捕まる危険性を証明された以上、こればっかりは断固として反対の意を示す必要がある。

 

「秋山ちゃんの言葉を忘れたの? 慎重に行動しろって言われたでしょ。それなのにまた西住ちゃんが自分で偵察なんて」

 

「忘れてなどおりませぬ。慎重の二字を謹んで胸の内に刻み込み、一時も忘れずの所存でございます。なに、前回のようなへまは致しません。ご安心下され。有力な情報を必ずや持ち帰って来ますから」

 

 こう言われて杏は呆れる他なかった。偵察中にいくら慎重を心掛けようが、根本的に隊長自らの偵察が慎重な行為ではないのだ。肝が据わっていると言うか大胆と言うか、とにもかくにも何と言われようと答えはノー以外にない。

 

「駄目なものは駄目。偵察なら秋山ちゃんに頼めば良いでしょ。西住ちゃんは隊長だからそんなことをしなくて良いの。って言うかしちゃ駄目なんだよ」

 

「しかし――」

 

 なおも食い下がるみほに杏は止めの一撃を放った。

 

「西住ちゃんは、秋山ちゃんを信用出来ないの?」

 

 これを言われてしまえばみほは何も言えない。今回は大人しくしている他はないということだ。アンツィオへの偵察は優花里に一任が決定した。

 みほが諦めたことを確認した杏は話を次に進める。

 

「さてと、目先のことも大切だけど、準決勝、決勝のことも考えないといけないな。初戦は何とか勝った。でもこのままじゃあ、やっぱりきついよね」

 

「戦力の増強を考えないとですね。何か新しい戦車を買えないかなぁ」

 

 無理を言っているのは自覚しているのか、はあと柚子は息をつく。

 そんな柚子に真面目くさった顔で桃が答えた。

 

「戦車を買う金なんてうちにはないぞ」

 

 そもそも入用の金が手元にあるなら悩んだり苦労したりしない。かと言って、このままずっと変わらない戦力で戦うのはあまりにも無謀な話だ。

 みほとしても、今のままでやりようはあるし、勝てる気は十分だが、戦力を増やせるものなら増やしてもらった方が嬉しい。

 ただ当ては全くなかった。

 どうしようかと思案しても良案は浮かんでこない。

 一瞬、みほの脳裏に母のしほがよぎった。実家になら使える戦車があるだろう。その戦車を無心してもらうのはどうだろうか。しかし考えたのは良いが、母がそんな真似をしてくれるとは思えなかった。何より乞食、物乞いのようで、そんなことを本気で実行に移そうものなら、憤死する自信がある。みほは考えたことを恥じて、一人顔を赤くした。

 結局、何時まで経っても良案は出て来ず、

 

「仕方ないや。また発掘作業だね。運が良ければ戦車が見つかるかもしれないし」

 

 と、杏の妥協的な意見を採用との形になった。

 今ある五台の戦車は杏たちが、売れ残りでどこぞに埋まっていたり、放置されたりしていたのを探し出したものである。もしかしたら、探せば他にも売れ残りが隠れているやもしれない。

 続いて、では誰が大洗の船に眠っているだろう戦車を探すのかという話になる。順当な判断を下すなら、戦車道の履修者が探すべきなのだろうけど、これはみほが反対した。

 さして当てにならないものに、練習時間を割くわけにはいかないというのがみほの反対理由だ。それなりの報酬をちらつかせ、他の生徒たちに探させようという別案も一緒に出した。

 反対意見は出なかった。

 

「決まりですな。では、諸々の手配は河嶋さんにお任せいたします。私はこれより、優花里に偵察の件を話して参りますので、本日の所はこれにて御免」

 

 



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その②

 やはり自己流では限度がある。

 戦車道を始めてまだ半年も経っていないながらに、梓はその考えに思い至った。

 最初は興味本位で始めたこの武道。いつも時間を共にしている仲間たちが、大洗で戦車道が復活するということでやってみたいと言い出したのに乗っかったのだ。特別心に訴えかえるものがあったわけでも、やるべきだという運命論染みた使命感を抱いたわけでもない。新鮮なことだ、体験してみるのも悪くない。このぐらいの気持ちである。

 ただやるからには何事も全力なのが梓の持ち味だ。練習に全身全霊を注ぎ、自ら知識を収集し自己鍛錬に励む日々。一刻一刻と自分が成長しているのを実感のものとしていたが、どうも最近壁に当たってしまったのである。まるで四方に高くそびえ立つ岩を、手がかり足がかり、ついでに命綱もなしに登ろうとして、どうすれば上手く登れるのか考え込むような心境。つまりはお手上げだ。

 現在、大洗の戦車道チームは二回戦に向けての準備を進めている。未だ浅い経験を補うために戦車を乗り回し基礎を復習するのは勿論、話し合いで知識面を深めるということもやっていた。とは言うものの、話し合いはやっぱりお互いに素人なため、有用ではあるがどうにもというところである。

 故に、戦車道を良く知る人物に話を聞きたいと梓は考えた。だいたいにして戦車道とは何なのであろうか。戦車道において最も大事なこととは。この原点的な部分を享受賜りたい。そして、梓の身近な人物で戦車道を良く知ると言えば、隊長のみほに他ならない。

 日本の戦車道界にその人ありと謳われる若き天才。そのような人物が傍にいるのだから、教えを乞わなくては損と言うものだ。

 こういった経緯から梓はみほの下へと足を運んだ。

 一日の練習終わり、太陽が沈み始め、空が夕焼けの支配下に治まっている時間帯。

 畏まり気味に自分の下を訪ねて来た梓を、みほは諸手を挙げて歓迎した。どのような用件なのかを尋ねると、梓は相談ごとがあると言った。

 

「取りあえず私の家に来て、そこで話をしよう」

 

 一言二言では済まない長い話になりそうだ。

 みほの自宅に場所を移して、先ずは梓の胸の内をじっくりと解き明かしていく。

 何を思い悩んでいるのか。何が分からないのか。本当にみほから聞きたい話は何なのか。梓の望みとは。

 当初は自宅に招かれて緊張し落ち着かない様子の梓であったが、話していく内にその緊張も途切れたようであった。

 一通り話し終えると、梓は渇いた口をみほの用意した茶で潤した。これだけの会話で少し心が楽になったような気がする。もう壁を乗り越える方法が解けそうな心持であった。

 勢いのままに梓は質問した。

 

「戦車道では何を大切にするべきなんですか?」

 

 難しいことを言うものだ。

 人によっては勝利だと言い、楽しむことだと言い、はたまた礼であると言う。武道なのだから敵に打ち勝つことではなく、己に打ち勝つという克己が大切だと言う人もいる。千差万別の考え方があるだろうが、梓は誰かからの受け売りを聞きたいわけではないだろう。みほだって他人の考えをぺらぺらと喋りたいわけではない。みほがどう思っているのかをみほ自身の口から聞きたい。その思いを感じ取ったみほは、質問にこう答えを出した。

 

「義」

 

「義、ですか?」

 

 みほは言う。人が生きていく中で最も大切なのは義の精神である。義とは人としての信義を重んじ、公のために自分は何が出来るのかを追求する精神。私利私欲を抑えた理性の極致であると。

 

「私利私欲を満たすばかりの生き方など決して許されない。それは獣の生き方と変わらない」

 

 なので法が存在する。人間という獣を制御する鎖として。しかし義の精神を培っていれば、法などというものは大体にして必要ないのだ。義とは正しき心。人間として正しい行いを守ること。正しくない者がいるから法が必要なのであって、皆が正しく己を律して生きていけるなら無くても良いのだ。

 世の中は厳しいものである。普通に生きていれば義の精神など培う土壌はなく、さらには邪魔だと言わんばかりに欲が横行している。

 仏教の教えには欲界という世界が存在し、人間の住む世界もその欲界に含まれているのだと言う。これを聞いても、だろうなと思わず口にするだろう。それ程までに人の世は欲にまみれているのだ。

 だから戦車道で学ぶ。戦車道という武道で心を鍛え正しさを身につけ、このような世界でも正々堂々と生きれる術を見つける。戦車道だけでなく武道とは、義の精神を養うものなのだ。

 

「今の世では生き難いやり方なのかもしれない。そうであろうとも義を掲げて人は生きるべきなんだよ」

 

 みほは熱を込めながら梓に説いた。戦車道をやっているだけで義の精神が身に付くなど、そんな幻想は抱いていない。黒森峰にいた頃を思い浮かべれば、義とは真逆の世界だった。だけどみほは自信を持って説く。戦車道とは、武道とはこういうものなのだと。

 そうやって梓が義を知ってくれれば、義の精神に目覚めてくれれば嬉しい。欲の世界で一人でも義の精神を知る人がいれば、みほは頼もしくすらある。

 

「義の精神。人が正しく生きるための心」

 

 その梓は、みほの話に聞き入っていた。心気を澄まして、みほの声だけを頭に取り入れる。義の一字は梓の胸の底にまで澄とおり、心を高揚とさせる。魂が震えるような感じがあり、自分が一番求めていたものを知ったような気がした。これだ、と思った。

 

「何を馬鹿なことを、と思う?」

 

「いえ、西住隊長。私、感動しました。これなんですね、私が今求めていたものは」

 

 ぱあっと梓の顔に、本日の役目を終えたばかりの太陽が出現した。眩いばかりに輝く良い笑顔であった。

 みほは愉快な気持ちになる。ここに義の心を理解し納得してくれた人が現れた。実の母にも姉にも、理解はされても納得はされず、潔くはあるが、まるで純粋無垢に青臭い子供みたいな考えだと言われた自分の生き方を、梓という少女は分かってくれるのだ。

 途端に、みほは梓のことが愛おしくなった。完全な理解者を前にすれば、もっともっと自分の考えを伝えたいと思うのは人の常である。みほにしてみれば生まれて初めてのこと。みほが梓に一際大きく深い感情を抱くのも必然であった。

 梓とて同じ気持ちだ。もっともっと知りたい。みほの考えから何もかも、みほという一人の人間の全部を知りたくなった。

 二人はお互いに顔を見合わせて笑った。自然と茶の入った湯呑を片手に持ち上げて、ぶつけ合う。そうしてグイッとしずくも残さず飲み干した。茶がいつもより美味しく感じるのは、きっと気のせいではなかった。

 

「西住隊長、いや、みほさん。もう少し話を聞かせてもらえませんか?」

 

「梓さん……梓。良いぞ。少しとは申さず、存分に気の済むまで話してやろう」

 

 そう言って、二人はまた笑いあった。

 夜の帳は既に下りているが、みほと梓は一向に気にすることなく言葉を交わす。

 深夜となり、どこも消灯する時間となっていても、この部屋の明かりはいつまでも灯されていたのであった。

 梓はこの日以降も、時間が許す限りみほに教えを乞うことになる。みほも自分の持ちうる全てを、戦車道以外のことも含めて梓に伝え、薫陶を受けた梓はメキメキと成長し戦車道界に頭角を現していくことになる。

 彼女たち二人の間には、今までとは違う新しい信頼関係が誕生していたのであった。

 

 

 



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その③

 先日の会議で決まったアンツィオ高校への潜入調査。これをみほに頼まれた優花里が無事に戻って来たということで、再び会議室の応接間に人が集まった。みほと生徒会のいつものメンバーに加えて、梓、カエサル、典子と言ったそれぞれの戦車の大将分の者たち、そして優花里である。

 彼女たちが一様に視線を向ける先にはモニターが備えられており、映っているのは二回戦の相手であるアンツィオ高校だ。この映像は潜入調査に赴いた優花里が、自ら撮影したものである。手記だけより映像があった方が分かりやすいということと、今回留守になってしまったみほに、せめてもの慰めとしての配慮だ。優花里の配慮を受け取ったみほは大層な喜びようだった。

 映像は学園艦に潜入するところから始まり、校内の様子に移っていく。アンツィオ高校内では道行く道に屋台が出ており、生徒たちがそれぞれ経営しているようだった。毎日がお祭りのような賑わいがあるという。確かに、周囲を木々に囲まれた中で、蝉の合唱を聞いている気分が映像越しに味わえた。

 途中途中に優花里のグルメリポートが入るが、一同注目したのはやはり戦車道。校内を歩く映像内の優花里が一際盛り上がっている一団と合流するのだが、その一団こそアンツィオ高校戦車道部の面々だった。アンツィオの制服を着込んだ優花里が、違和感なく紛れ込む。カメラは当然、ハンディカメラではない。こんなものを持っていたら怪しまれるので、今回の映像は帽子に小型のカメラを仕込んで撮影している。

 広場の階段の下に整列したアンツィオ戦車道部に紛れ込む優花里が、二分、三分待つと三人の人物が姿を現した。

 

「ひなちゃん!?」

 

 この時、映像を見ていたカエサルが唖然と大口を開けた。どうやら三人の内の一人が知り合いだったらしい。金糸を紡いだがごとき美しい髪を風にたなびかせて、カルパッチョと呼ばれている少女がその知り合いのようだ。連絡はとっていても長いこと会っていなかったので、すっかり美しくなって驚いたらしい。

 このカルパッチョが左に陣取り、右には映像からでも元気が伝わって来る短髪の少女ぺパロニ、中央でマントと二つに結んだ薄い緑髪をはためかせている少女こそが、隊長の安斎千代美、通称ドゥーチェ・アンチョビであろう。

 彼女ら三人が上段に現れると一斉に『ドゥーチェ! ドゥーチェ!』とコールが響く。なるほど、アンチョビは下によく慕われているようであった。

 カルパッチョの指示でコールが止むと、アンチョビがよく透る声で言った。

 

『奴は必ずこう言っている。アンツィオの如きは手弱の極み。この分ならば三回戦への進出も心易きものである――とな』

 

 映像を見ていた者たちの視線がみほに集中する。アンチョビの言う『奴』とは間違いなくみほのことで、要約すると、アンツィオは弱いので勝ったも同然、ということだろう。

 

「西住ちゃん?」

 

 代表して杏が、そんなことを言ったのか、と問い掛けた。まあ、言ったかどうかなんて住む場所の違うアンチョビが分かる筈ないから、発言はアンチョビの想像の話だろうが、ただ似たようなことを言いそうではある。

 問われたみほは怪しい間を作りつつ、

 

「申しておりません」

 

 と、きっぱり答えた。ただ、言ってはおらずとも考えてはいたのだろう。それを証明するように、否定の言葉には無駄に強みが入っていた。

 杏たちは、さようでございますかとこれ以上の追及をすることなく、まだまだ続く映像に視線を戻す。

 映像では、アンチョビが秘密兵器を明かすと声を張っていた。これは聞き逃せない発言である。みほたちはモニターに食い入るように顔を近付け、映像内の優花里やアンツィオ戦車道部と一緒に秘密兵器の登場を待った。

 アンチョビが鞭で示す先には布で隠れた戦車が見え、カルパッチョとぺパロニが戦車を覆う布を取り払う。中から姿を表に出したのは、イタリア製の重戦車P40だった。映像内、映像越しに感嘆の声があがる。

 このP40で大洗を打倒するとアンチョビが勇ましく宣言し、再び『ドゥーチェ!』コールが始まった。そこで映像は終わる。

 

「アンツィオ高校はどうでありました、西住殿?」

 

 優花里が感想をみほに求める。みほはしばらくそのままの体勢で沈思していたが、やがて考えが纏まったのか言った。

 

「士気は高く、隊長のアンチョビさんはよく人心を捉えている。上も下も人は良さそうだね。ただ――」

 

 手元の桃が用意した方の資料に目を移しながら、みほは言葉を繋げた。

 

「ドゥーチェ・アンチョビ。奇、虚の術を好んで用い、よく敵を惑わす。つまるところアンチョビさんは奇道の戦術が得意な人。よく作戦を練って試合に臨むタイプだね。行き当たりばったりな人じゃない。だとすると、合わないね」

 

「何がですか、みほさん?」

 

 梓の口から疑問が出て来る。

 

「映像を見たところ士気が常に高い。確か、ノリと勢いが凄いらしいね。そんなところと緻密に作戦を練るタイプの人は戦術的に合わないってことだよ。勢いに任せたまま作戦を台無しにするのが目に浮かぶね。だからアンチョビさんと合わないって言ったの。アリサさん何かも絶対に無理だね。私が思うに、ケイさんなら、そういうノリと勢いを上手く操っていけるだろうね。アンツィオはケイさんと相性が良い」

 

「なるほど。だったらそこを狙ってアタックするんですね」

 

 この発言は典子である。

 相手の弱点に狙いを集中して攻撃するのは戦いの常道だ。卑怯は反吐が出るほど嫌いなみほだが、それはあくまで裏工作の類やルール破りが嫌いなのである。こそこそ、どろどろ、ねばねばと吐き気すら催す。だが弱点を突くのはそういうものではない。進んで自らやろうとは思わないが、別段それを卑怯とことさら攻め立てる気はさらさらなかった。

 座中をみほが見渡すと、典子に同意する動作が目立つ。他の意見は何もないようであった。ならばとみほが口を開く。

 

「磯辺さんの意見は道理に適っている意見だね。だけど私の考えるところは違う。この弱点に固執することは危険すぎる。アンチョビさん自身、あまりにもノリが良いのが自分たちの弱点だって気付いている筈。そしてこの弱点を上手く美点に変える手腕が彼女にはある。自分の作戦を台無しにされることを考慮して、さらに一歩先を見据えた作戦。これを考えられる頭脳があるんだよ。マジノ女学院を下したのが何よりの証拠。勿体ないなあ、何でアンツィオ高校にいるんだろ?」

 

 廃れた戦車道部を立て直すためにアンツィオに呼ばれたそうだが、そんな誘いは断ってそれこそもっと良いところに行けた筈である。アンツィオに恩でもあるのか、それとも頼まれて断り切れなかったのか。もしかすれば、彼女もまた、義を知る人間なのだろうか。

 そうこう思案して納得の行かないままに、話を元の対アンツィオに戻す。

 一応、典子の意見を却下という形にし、続けて話に上がったのが敵の戦力のことである。

 先ずは桃の集めた情報により、アンツィオはカルロベローチェと自走砲のセモヴェンテを使用していることが前もって判明していた。そこで優花里による調査の結果、P40が加わることを新たに知ったのである。

 自然と、こちらも戦力を増強すべし、そう言えばこの前の戦車探索の件はどうなったのか、という話になった。

 一任されていた桃が報告する。

 

「学園艦中を探し回ったんだが、成果はあるにはあった。ルノーb1bisが一輌、ポルシェティーガーが一輌、Ⅳ号戦車に搭載が可能な75ミリの長砲身が見つかった。しかし、全て今回の試合で使用することは厳しく、ポルシェティーガーに至っては三回戦でも使用は厳しいらしい。修理を担当している自動車部はそう言っている。報告は以上だ」

 

 大洗の戦車は全て、自動車部が修理、点検を行っている。彼女たちはそう人数が多いわけではなく、時間にも限りがあるので今回は無理だという話だ。

 その報告を聞いて、一同は残念そうに気を落とすも、元より期待してなかったみほは、見付かっただけ幸運だと思った。

 そして無いものは無いので仕方がない。今のままの戦力でアンツィオに勝つべく作戦を練る必要がある。

 すると、

 

「隊長、良ければこれを」

 

 言って、カエサルがみほに数冊の本と数枚のメモ書きを手渡した。役に立つかどうかと前置きされて渡されたそれは、イタリア語で書かれた戦車関連のものと、試合で役立ちそうなところだけ抜き出し日本語で記したメモ書きであった。

 

「エルヴィンから是非にと渡されてな。メモの方は私が書き出しておいたものだ。使ってくれ」

 

 エルヴィンは欧州の近代史を趣味として学んでいる。数冊の本は今回の試合の相手がイタリア風のアンツィオだと知って、何か役に立つかもしれないと用意したものだ。

 それらの本にはアンツィオが使用する戦車、P40を含めての情報が詳しく記されており、どのような活躍をしたのかも載っている。

 また、イタリア語は読めないだろうとカエサルが該当部分を日本語で翻訳してくれているのだ。

 

「ありがとう。私からも直接言うけど、エルヴィンさんにも伝えておいてほしいな」

 

 みほは感激しながらこれらを受け取ると、早速これを読む。付箋のついたページとメモ書きを見合わせながら、分かりやすいのか頻りに頷いている。

 一通り大まかに読み終わると、

 

「よし、これで今回もやることはやった。後は試合日を待つだけよ」

 

 こう呟いて、

 

「今日もやることはやりましたのでお開きとしましょう。今から私たちも練習に参加しましょうか」

 

 最後にこう言い渡し、誰も言葉を発せぬままに早足で会議室を出て行く。その後を少し遅れて梓が追いかけ、残った一同はそれぞれ顔を見合して苦笑を浮かべると、ぞろぞろと会議室を後にしていった。

 

 

 

 

 

 

 



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第八話 似た者同士
その①


 あっという間に二回戦の日が訪れた。

 この日は夏も盛りになろうとしていると言うのに、妙に冷える風が吹いている。まるで師走の風のようで、過去の人々はこのような異常気象が発生した時、何か不吉なことが起きるのではないか、あるいは起きているのではないかと心配したものだ。

 歴史を学ぶことが好きなⅢ号突撃砲の乗員たちも、過去の例にならって、今回の試合で大洗側に不吉な結果が起きることを暗示しているのではと騒然としていた。すると彼女らの雰囲気に巻き込まれて、他の大洗の者たちも、馬鹿馬鹿しいとは考えつつ無視出来ないでいるのか、不安そうにざわついている。

 みほはこういう暗示めいた話をそこそこ信じる方だった。故に言われれば、この異常気象にも何か意味があるのだと思い、独自の解釈をつける。そのみほが考えるところ、これは不吉を表しているが大洗のものではない。

 

「哀れにも二回戦でこの私と戦うことになった、アンツィオの不幸を暗示したものであろう。この風が運ぶのはアンツィオの敗北という結果だ」

 

 こう考えた時、ますますアンツィオの隊長アンチョビが不憫でならなかった。アンツィオではなくもっと強豪校と評判の高校へ行けば、勇名を馳せることも可能だったろうに。または二回戦の相手が自分でなければ、準決勝までは行っただろうに。物事は運ばかりが決めることではないが、かと言ってまったく関わりがないわけではない。アンチョビの運の無さを哀れと思うばかりだ。

 とにかくこの肌寒い風は大洗にとっては大吉の風である。歓迎こそすれ不安の種とすることはないと、みほはわやわやと心配そうな大洗チームを宥めた。

 心に不安を抱く人は、自信を持ってハッキリ大丈夫だと断言されれば安心に変わるものである。大洗チームの表情に安堵の色が浮かんだ。

 それから試合の準備を進めていると、どこからかエンジンの音が聞こえて来た。次第に音が大きくなっていることからこちらに近付いて来ているようだ。みほが音の方向に振り向いてみれば確かに一輌、オープントップ式のトラックが地面の砂を荒らしながら向かって来る。これが十分な距離に達した時、何者かが判明した。

 みほには見覚えがある。あれは優花里が偵察中に撮ってくれた映像に載っていた人物だ。

 灰色のジャケットは間違いなくアンツィオの戦車道部のもの。薄緑の髪を左右で黒いリボンを使って結び、手には鞭、切れ長の双眸から発せられるのは爛々とした眼光である。人の表面ではなく中身を見透かすような輝きだった。

 アンチョビである。先ほどまでみほが哀れんでいたドゥーチェ・アンチョビだ。曹操の噂をすれば曹操が来るなんて話が中国にあるが、まさにこのこと。

 トラックを運転している人物にも見覚えがある。あれはカルパッチョと言うアンチョビの腹心の一人にして、カエサルの友人だ。

 

「突然の参上、まあ許してくれ」

 

 フロントガラスより飛び降りたアンチョビがみほの前に立つ。

 一体何の用だと訊ねるみほに、アンチョビは試合前の挨拶だと返した。

 どうもそれだけだとは思われなかったが、案の定他にもあったらしい。曰く、誕生日を祝って欲しいという不思議な用事だった。

 

「アンチョビさんは今日誕生日何ですか?」

 

「いや、違うぞ」

 

「ではあちらのカルパッチョさんが?」

 

 みほが手で示した先には、久しぶりの再会を祝うカエサルとカルパッチョの姿がある。アンチョビではないのなら、彼女ということになるが、アンチョビはこれにも首を横に振った。

 要領を得ない。ならば誰の誕生日を祝って欲しいと言うのだろうか。そもそも何で誕生日を祝ってやらないといけないのか。

 頭に血が上り始めたみほに、アンチョビは不敵に笑った。

 

「アンツィオの伝説が今日から始まるんだよ。だからそれを祝って欲しいんだな、これが」

 

 何が言いたいのかみほは悟った。

 天下に名高い西住の龍を倒すという伝説を築くので、それを祝って欲しいと言っているのだ。加えて今大会の決勝戦で西住の虎ことまほをも倒すということだった。

 公式戦においてみほとまほを倒したのはプラウダ高校だけである。しかし、厳密に言えばプラウダ高校だけの力ではなく、黒森峰女学園での内部争いが大きな勝敗の要因となっていたのは周知の事実である。去年の全国大会決勝戦のことだ。

 であるから、自分たちの力だけで二人を倒した者は公式上存在しない。

 それを倒すのだ。龍虎の異名をつけられた二人を自分の力だけで倒す。これを為すことが出来れば、確実に戦車道界に名を残すだろう、伝説にもなろうというものだ。

 話を聞くと、みほはわなわなと震えが止まらなかった。大それたことを言う輩だと思い、猛烈な敵愾心が胸の内で膨れ上がる。このまま感情の赴くに任せて怒鳴り散らしたいところだったが、ふと冷静になると、今度は笑いが止まらない。腹を苦しそうに押さえる。

 

「ハハ、ハハ、ハハハ!」

 

「何がおかしいんだッ!」

 

 次はアンチョビが腹を立てる番だった。

 何とか笑いを抑えながらみほは言う。夢は寝て見るものであり、時刻はまだこれこれこの通り太陽が活発に活動している。夜更けまで時間があるので、その時まで見るのは我慢した方が良い。もし今意識を飛ばしており夢を見ているのなら、早く現実に帰ってきた方が良い。あと少しで二回戦が始まるから、というような内容だ。

 

「不可能なことを自信満々に語る貴女が滑稽です」

 

 このような意味がこもっているのだろう。

 事実として、みほにはアンチョビが妄言を吐いてるようにしか見えなかったし聞こえなかった。日本は広く、マイナーとは言え戦車道をやっている人はそれなりにいる。高校生だけでもそこそこの人数を数えるが、その中で自分と姉に勝てる人間など一人として存在しない。もし自分に勝てる存在がいるとするならば、それは姉のまほで、逆も然り。

 みほはまほ以外も認めている。黒森峰での友人逸見エリカ、戦い友として認め合った聖グロリアーナのダージリン、自分を一目で射止めたサンダースのケイや中々に追い詰めてくれたアリサ、心の底から理解しあった後輩の澤梓、そして目の前のアンチョビも。

 彼女たちのことは確かに認めているし、能力逞しく、一廉の人物だと思っている。

 だがそれとこれとは話が別である。

 如何に認めていようとも、自分やまほを超えた人物であるなどとは欠片も思っていない。戦えば勝つのは自分であり、まほである。

 こういう考えがみほの根幹にあるからこそ、アンチョビの言葉はみほにとって、戯言以下の道化の言なのであった。

 みほの心のほどを理解したアンチョビが吐き捨てる。

 

「傲慢もほどほどにしておいた方が良いぞ」

 

「私は傲慢ではありません。貴女のことをまったく侮っておらず、客観的に評価をしております。その評価の表すところ、貴女では私にも姉上にも勝てないと申しておるのです。純然たる事実です。寧ろ貴女の方こそこの私を見誤り、適切な評価を下していないものと思われます。傲慢なのははてさてどちらなのか、と」

 

 みほとアンチョビはお互いに睨み合う。冷たい風が吹き通り、アンチョビの頬を撫で、みほの羽織りをばさりと揺らした。二人の周囲は驚くほど冷たくなっているが、風による冷気だけではないだろう。

 

「もう言葉を交わす必要はない。私とお前、どちらが傲慢なのかは試合が終わってから分かることだ」

 

「楽しみにしております」

 

「ふん。カルパッチョ、帰るぞ」

 

 身を翻したアンチョビは、カエサルとの挨拶を終わらせたカルパッチョを連れてトラックに乗り込む。カルパッチョの方はカエサルとの久しぶりの会話に花を咲かせたようで、穏和に笑っていた。

 少しばかり雰囲気の変わったアンチョビに困惑しながら、カルパッチョはトラックを操作し、アンツィオの待機場へと戻って行く。

 そんな二人を、砂埃も含めて完全に視界からなくなるまで、みほは見送った。

 



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その②

 アンチョビが人物評価をするところ、西住みほと西住まほはある意味で最も姉妹らしく、驚くほどに奇妙な姉妹でもある。

 試合前の挨拶でみほと初めて言葉を交わして、評価に確信を得るものとなった。

 もし天に心があるならば作為を感じるほどに対称的な性格をしている。

 まほとも話をしたことがあるアンチョビだが、彼女は人当たりの良い性格で常に気が穏やかな印象があった。一定以上に興奮しない冷静さもある。

 対して妹のみほは、今日話した限りだと表向きは確かにまほと同じように優しそうではあるが、本性は苛烈にして激情の人。感情の振れ幅が激しいのである。貴女に勝つと宣戦布告をした途端に怒りで身体を震わせたり、大笑いしたのがその証左だ。

 容姿や雰囲気だけで判断するならば、まほは堅物的で厳しく、みほは穏やかで優しいという感じであろう。しかし実際に話をしたアンチョビだからその判断は誤りだと言える。どちらかと言えば逆だ。

 正反対の二人である。奇妙なほどに、作為的なほどに正反対なのだ。だからこそ姉妹的でもある。何故なら正反対ということは、協力すればお互いの弱点を補えるということなのだから。

 

「本題はここからだ」

 

 アンチョビはカルパッチョに向かって話している。今の時間は、大洗の待機場からアンツィオの待機場に向かうまでの時間だ。

 いきなりどうして西住姉妹の人物評価などを話しているのか、カルパッチョは不明だがここからが本題だとアンチョビは言う。この人物評価は今回の試合で重要らしく、つまり今からアンチョビが語る内容が試合に関係しているということだ。

 さて。

 性格が正反対の西住姉妹だが、戦車道においてもこの二人は正反対なのだ。

 二人の戦術を比較した時、アンチョビはこう評価する。姉のまほは秀才的で、妹のみほは天才的だと。努力と勉強の果てに戦術を身につけたのがまほであり、閃きによって戦術を生み出していくのがみほであると。結論づけるならば、大人な秀才のまほと子供な天才のみほと言えるだろう。大きく誤りはない評価だと自分で思う。

 

「それがどうかしたのですか?」

 

 トラックを運転しているため、アンチョビに視線を向けずにカルパッチョは訊ねた。アンチョビが何を自分に伝えたいのかまるで見当がつかない。大洗の隊長がただただ凄いことだけしか伝わって来なかった。

 

「慌てるな。西住みほが天才だというところが大切なんだ。それも神懸ったという形容がつくほどのな」

 

 アンチョビは言う。

 どこか惧れを含んだように。

 みほのような天才的な人物には奇策の類は通用しない。秀才的なまほならば、万事学問仕立てなのでその範疇を超えるような作戦は大いに効果が見込める。けれどみほのようなタイプは、柔軟的な思考をしているので奇策、小細工を感知しやすいのだ。

 ここまで話されれば、カルパッチョもアンチョビの意図を理解した。

 

「マカロニ作戦を取り止めにするということですか?」

 

 小道具を用いた小細工的な作戦――マカロニ作戦。

 簡単に全容を説明するとすれば、板でダミーの戦車を作り要の地点に置く。敵はこのダミーの戦車を見て迂闊に動けないところを、前後から本物の戦車で挟撃するという作戦だ。

 アンチョビは我が意を得たりとばかりに頷く。

 横目にアンチョビの長いツインテールが揺れ動くのをカルパッチョは確認した。

 

「分かりました。それでマカロニ作戦を止めるのならどんな作戦で行くんですか?」

 

 他にも言いたいことは山ほどある。

 急にこんな土壇場で言われても困るとか、マカロニ作戦は上手くやればそんな簡単に見破れる筈がないとか。

 ただ。

 既に取りやめることがアンチョビの中では決定事項になっているので、言っても仕方がない。ここはグッと堪える。

 それにしてもどんな作戦で今日の試合を乗り切ると言うのだろうか。やる前から否定していれば、キリがないように思われるけれども。何か秘策はあるのか。

 カルパッチョの疑問にアンチョビは答える。

 

「作戦はない」

 

「えっ!?」

 

 思わずブレーキを踏んでしまった。

 ガクンとつんのめるようにトラックが止まると、カルパッチョはアンチョビを見た。

 良い笑顔である。

 何を悟ったのか知らないが、頭を心配するような良い笑顔だ。

 もしや自暴自棄にでもなってしまったのか。勢いのままにみほという名の龍の逆麟を撫でまわしたことで精神を病んでしまったのか。

 カルパッチョの不安を余所にアンチョビはその心を語る。

 

「私は考えたんだよ。マカロニ作戦を含めてどんな作戦で臨めば西住みほに勝てるのかってさ。それで、ここに至って私は確信したんだ――今のアンツィオの戦力じゃどんな作戦組んでも無理だなってさ」

 

「え~、ドゥーチェ、情けないこと言わないで下さいよ」

 

「事実だからしょうがないだろ。西住みほは本当に凄いんだよ。あ~、今になって喧嘩売ったの後悔して来たぞ……パスタ食べたい」

 

 笑顔のままにアンチョビはため息をつく。

 

「パスタだったら試合が終わって食べれば良いじゃないですか! そんなことより作戦はないってどういうことなんです!?」

 

 流石に温厚で知られるカルパッチョと言えども怒声をあげたくなる。

 考えなしの発言ではなく思う仔細があっての「作戦なし」という言葉なのであろう。気落ちしていないでそこを語って欲しい。

 アンチョビは「それはだな――」と真剣な表情でカルパッチョの目を見ながら言った。

 

「逆転の発想だ。どんな作戦を立てても無駄ならば立てなければ良い。すなわち――正面から突撃するんだ」

 

 如何なる奇策も小細工も通用しない相手に対して、残された道はこれだけである。端から総力戦で一気に決着をつけようと言うのだ。

 アンツィオと大洗の戦力はそう大きく差を開くものではない。

 それに自分たちの長所は「ノリ」と「勢い」があるところだ。わざわざあの軍神に対して戦術戦を挑んで、この長所をみすみす潰すわけにはいかない。下手な作戦では悉く読み取られてペースを持っていかれる危険性が強いのだ。

 さらに、大洗側は自分たちがよもや策も何もなく突撃して来るとは思わないだろう。これまでずっと奇策や小細工で戦って来たのだから。

 開幕して直ぐ遮二無二突撃。みほは対処して来るだろうが、彼女とて自分たちの突撃は予想の範囲外。反応は遅れるだろう。そして大洗が今年から戦車道を始めた素人集団なのは把握済みだ。いくらみほでも混乱する素人集団を、完全に収拾することは出来ない筈。

 こうして流れを掴んだところをそのまま「ノリ」と「勢い」で押し切るのだ。

 

「天才の計算を崩すのは努力型の秀才でもなく、同じ天才でもない。天才の理解の外にある馬鹿な行為さ。馬鹿と天才は紙一重、違うようでいて実はそうでもない、この二つは対等な関係なのさ。天才に勝てるのは馬鹿だけだ。今回は、まさに正面から不意を撃つんだ。ああ、作戦はないって言ったけど、これも十分作戦だな」

 

 付け加えて、みほも「勢い」の人であるとアンチョビは述べる。

 ここで再び引き合いに出すが、まほは一歩一歩緻密に押し上げていくタイプで、みほは前へ前へと突き進んで行くタイプ。相手がまほならば正面突撃なぞ鴨でしかないかもしれないが、みほならば通用する。

 まだ高校生のアンチョビが言うことでもないが、若いみほには熱がある。はたまた若いゆえに慎重さが足りない。

 防御よりも圧倒的に攻撃に特化しているのだ。

 守勢になると弱い――アンツィオと弱点は同じだ。

 

「私たちは勢いを長所と成し、西住さんは短所と成す」

 

「うん」

 

 まさにその通りだとアンチョビはカルパッチョに返した。

 自分たちの長所をフルに活用してこそ勝機は見出せる。凝った作戦はそれこそ勝ち目を見失うのだ。「勢い」で押し切る以外にアンツィオの勝利はない。

 

「よく分かりました。流石です、ドゥーチェ。考えなしの自暴自棄でなくて良かったです」

 

「そうだろそうだろ。伊達や酔狂で適当なことは言わないさ。私は本気で勝ちを狙ってるんだ。本気で西住を――倒す」

 

 どるるるる、とエンジン音が鳴り響き再びトラックが動き出す。

 聞きたかったことが聞けたので、カルパッチョが運転を再開したのだ。

 道が不整地だったのでがたごと揺れながらアンツィオの待機場へと向かう。

 

「勝ったら大宴会だな」

 

「負けてもするんじゃないですか」

 

「まあな。それがアンツィオだ」

 

「ですね」

 

 カルパッチョは微笑んで、アンチョビは呵々と笑っていた。

 

 

 

 



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その③

 二回戦の試合会場は一回戦同様に森林の多いフィールドであった。また山岳と荒れ地も目立ち整備された街道は殊の外少ない。機動力を生かして動き回るよりも重要な地を早急に制圧し拠点を構築する。あるいは森林に砲台となる戦車を伏せて、敵を引き込み撃破するのが良さげであった。

 みほも当初はそのどちらかで動こうと思っていた。

 しかし、試合前のアンチョビの宣戦布告のごとき挨拶ですっかり気を変えたのだ。

 

(正面から完膚なきまでに叩き潰して、如何に自分が無謀で世を理解していない発言をしたのかを分からせてやるわ)

 

 と、闘志を滾らせる。

 勝てると思われるのが心外で、下に見られるのが大嫌いなのだ。

 奇策や小細工が得意だと言うのなら、こちらは一挙に兵を推し進めて小細工ごと踏みつぶす。どんな小細工を弄しようとも一つ一つ確実に堂々と踏みつぶしていく。地雷が仕掛けられようとも自ら足を置いていく。これほどまでやって完全勝利を掴もうとしていた。

 けれどみほの頭は非常に冷静である。身体の底から上りゆく苛立ちを胸の辺りに留めて、頭に上らないようにしていた。故に、血気に逸って拙い指示を出すようなことはしない。

 指示を出すその口調が、表向きのものなのが冷静な証拠だ。

 

「定めて敵の先鋒は、先ずもって十字路を押さえようとする筈。そして押さえた十字路に何か小細工を仕込むだろうね。両車輌は偵察に向かって。最初にその十字路の小細工を潰すから」

 

 そんな言葉が咽頭マイクを通して、M3中戦車リーと八九式中戦車に送られた。大洗で偵察と言えばこの二輌なのだ。

 

『了解です、西住隊長!』

 

『任せて下さい』

 

 気持ちの良い返事が通信越しに帰って来た。自信に満ちた返事は、みほの心を満足なものにさせる。満足な心のままに梓と典子の二人に激励を送ってから、二輌が集めて来る情報を待った。

 はてさてどんな下らない小細工を仕込んでくるのか。それとも下らなくはない小細工か。まあ、小細工は下らなくとも、下らなくなかろうとも、所詮小細工でしかないのだが――と、言葉遊びのようなことを考えていると梓たちから通信が入った。

 その通信の内容は予想だにしていないものだった。

 

『みほさん。十字路には何もありません。アンツィオの人も戦車も何もありません』

 

 これにみほは眉を顰めた。

 そんな筈はない。これまで集めたアンツィオとアンチョビの情報から、確実に十字路へ何かして来る筈である。何もないというのは考え難いことだ。

 が、現実に何もないのである。梓たちに少し遅れて通信を寄越して来た典子たちも、同じく何もないと言った。

 拍子抜けである。

 出鼻を挫かれたと言っても良い。

 どうしようかと指示を仰がれれば、敵がいないのであればどうしようもないので、偵察に赴いている梓たちにはその場で待機を命じ、みほも残りの全車輌を率いて十字路の方へ向かった。

 梓たちと十字路の中央で合流してみれば、確かに何もない。人も戦車も小細工も、気配のけの字も感じられなかった。

 

(先入観に捉われ過ぎたようだな)

 

 こう何度も言うことではないが、戦いにおいて情報は最も重要な要素だ。『孫子』には『謀攻篇』というものがあり、その中に有名な『彼を知り己れを知れば百戦殆うからず』という一文が載っている。古代から如何に情報が大切であったのかが知れるというものだ。

 今回はその情報を過信する形となった。アンチョビは奇策や小細工を好むという情報を鵜呑みにした結果がこの状況である。

 己の読み違いをみほは悟った。

 だが、特に何か問題があるような読み違いでもない。

十字路にどんな策を仕掛けても、自分には通用しないことを悟って何もしていないだけであろう。大方、試合会場の半分以上を占める森林に戦場を限定して戦おうという魂胆に違いない。木々に紛れた方が小細工もしやすかろう――みほはそう思った。

 そう思った上で、だったら望み通りにしてやろうではないかと意気揚々、北西、北東、南西、南東四つある内の、南西に位置する森林地帯に戦車前進の指示を送ろうとする。

 その時。

 みほの頭の中はたった一つの思考に捉われていた。

 いや、その時ではなく試合が始まって最初からと言うのが正しいだろう。

 すなわち、小細工諸共アンツィオを粉砕するという思考。

 だから、轟然たる一声とそれに続く大喊声が大気を揺るがすという事態は、みほにとって完全に思考の外からの事態だと言っても良かった。

 

「assalto!」

 

「sì!!」

 

 アッサルト――イタリア語で突撃を意味する――アンチョビの一声。

 スィ――同じくイタリア語ではいを意味する――カルパッチョたちの大喊声。

 すわ、何事かとみほが警戒したのも束の間、鉄の雨が大洗を襲うと警戒は瞬時に驚愕へと変わる。

 襲撃だ。

 アンツィオが正面から突撃して来る。

 全く、これっぽっちも、欠片も、ミジンコほども、アンツィオが突撃して来るなどみほは予想していなかった。

 けれども流石である。

 伊達に軍神、西住の龍などと他称されているわけではない。みほはすぐさまこの突撃に反応し対応を試みた。

 が、アンツィオの動きはまさに疾風のごとくであり、みほの反応を当たり前のように凌駕する。

 

「すっとろいぜ、大洗! お前ら、このぺパロニに続けッ!」

 

 突撃して来るのはぺパロニが率いるカルロベローチェ四輌とセモヴェンテが一輌。突撃隊の第一陣と言ったところか。機銃による弾幕と砲撃を伴いながら、まっしぐらに突進して来る。

 威力の方はさほどでもなさそうだが勢いが凄まじい。百雷が一時に落ちかかって来たような勢いだった。さしもの大洗勢も色めき、浮き立ち、たじたじとなる。そこにペパロニら疾風の一団がなだれ込み、散々と突き破って駆け抜けて行った。

 この様子にぎりぎりとみほは奥歯を噛み締める。不意であったとは言え、烏合の衆がごとく右往左往しみすみすペパロニたちに中央突破を許した味方への怒り、アンツィオがこんなことをして来ると想定していなかった自分への怒りが、胸の辺りで抑えていた苛立ちと呼応する。

 

「不覚であったわッ!」

 

 と、強くⅣ号戦車へ向けて拳を振り下ろした。

 何よりも、こんな変哲のないただの突撃をアンツィオに実行させたのが口惜しい。アンチョビにこんな突撃が自分、ひいては大洗に通用すると判断されたのが堪らなく、事実として通用しているのが許せなかった。

 何はともあれ、このまままごついているわけにはいかない。背後に回ってこちらを脅かそうとしている五輌と、第二陣としてもう目前にまで迫って来ている本隊の五輌に対処しなくてはならなかった。これ以上の恥を晒すような真似をしてなるものかとみほは思っていた。

 

「八九式中戦車! M3中戦車リー! この二輌は背後のカルロベローチェとセモヴェンテをお願い!」

 

 カルロベローチェだけならば無視しても良かったのだが、セモヴェンテがいる以上そういうわけにもいかない。

 浮足立っていた大洗勢は既に態勢を立て直していた。これも流石である。まだまだ素人集団ながらに、一見してそうは見えない動きだ。

 指示を受けた梓と典子が駆る二輌が反転し、砲撃を放ち、おのが敵へと向かって行く。

 続いてみほは前方を凝視する。厳しく引き締められた切れ長の瞳は、だんだんと大きくはっきりしてくる敵を見つめていた。

 迫って来るのはやはり五輌の戦車だ。それぞれ二輌のカルロベローチェとセモヴェンテ、そして隊長車たるP40が猛然と襲い来る。

 そのP40のキューポラからアンチョビは姿を見せていた。

 みほとアンチョビの目が合う。

 すると、みほはかっと激した。

 アンチョビは笑っていた。微笑とも得意げとも取れる笑いで、増上慢め思い知ったかとでも言いたげであるとみほは受け取った。これが考え過ぎであろうとも、自分を見てふっと笑われれば良い気はしないものだ。

 

「この程度で頭にのるな! そものこのこと出て来たのが貴様らの運の尽き! この状況こそ真に私の願うところと知れッ!」

 

 みほは自分自身を奮い立たせた。

 敵の大将が目の前に姿を現したのである。決戦しこれを討ち果たしてやろう。

 奮い立つ心のままに指示を出すと、Ⅳ号戦車、Ⅲ号突撃砲、38tの砲塔が突撃して来る敵に狙いを定める。

 

「撃てッ!」

 

 みほは叫ぶように声を張り上げると、右手を采配に見立ててびゅっと振った。

 一斉にドッと三輌の戦車が火を噴いた。けたたましい轟音と一緒に飛来する砲弾は、敵の突撃を弱めるばかりか、カルロベローチェを一輌吹き飛ばす。

 お返しだとアンツィオも撃ち立てて来るが、これを三輌とも危うげながら全て回避した。

 みほはここぞと再び采配を振るった。

 

「かかれッ!」

 

 Ⅳ号戦車、Ⅲ号突撃砲、38tが唸り声を上げ駆け出し、アンツィオ勢へと急接近すると、距離を潰して接触し、せめぎ合いを始めた。

 猛烈に攻め立てる大洗と、同じく勢いのおもむくままにがんがん攻勢に出るアンツィオ。車体をぶつけ合い、至近距離で砲弾を撃ち交わす。

 お互いの力量は互角だったので中々勝敗は決しない。

 変わらない戦況に業を煮やしたみほが、

 

「何をしておる! これしきの相手に手こずっておっては、決勝で姉上を相手にどうしようと言うのだッ!」

 

 と、叱咤をすればアンチョビも、

 

「一歩も引くな! 勝利も栄光も、ついでにパスタも目の前だぞッ! 私たちは弱くない、いや、強いんだ! 西住にも勝てるんだッ!」

 

 と、味方を鼓舞する。

 こうすると、両勢士気を上昇させ力の限りを発揮する。戦いはさらに激しいものとなった。

 



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その④

 敵味方の激化した戦いはしばらくの間続くことになった。両勢真に実力に差がないので、押されては押し返し、撃たれれば撃ち返し、ぶつけられればぶつけ返し、お互いにキリがなくなっている。進展のない状況に、みほの苛立ちも益々激しくなって来た。

 観客たち第三者は、素人も玄人も含めてどちらに軍配が上がるのか想像がつかない。固唾を呑んで激戦を見守るばかりであった。

 この状況の中で、先に勝機が生まれたのは大洗側だった。梓と典子の二人がぺパロニ勢を蹴散らし始めたのである。ぺパロニ勢は五輌のうち、四輌がカルロベローチェだ。乗員の力は互角でも、戦車の力には差があった。歩兵がいない戦車道では、所詮、牽制と攪乱を主目的に使う戦車である。地力の差がここに来て出始めたのだ。

 

『みほさん! こちらは敵を全滅させました!』

 

『アンツィオ高校、一輌、走行不能』

 

 梓からの報告と審判からのアナウンスを耳にして、今こそ竹を裂くように一気に攻め潰すべきだとみほは思った。

 仲間が次々と敗れて、尚且つ副将格のペパロニも撃破されたのだ。これにはアンツィオ勢も動揺は隠せないだろう。現にみほと相対しているP40は、アンチョビこそ冷静に指揮を執っているものの、操縦手はそうでもないようで、ところどころ操縦に隙が見え始めている。

 もう勢いはこちらのものだ。ここでさらに攻勢を強めるべきだとみほは見た。

 

「梓たち、あっぱれであるぞ! 他の者どもも後れを取るな! 今が好機だ!」

 

 と、咽頭マイクを通して絶叫した。

 口調を取り繕うこともなく気炎万丈するみほ。この励ましに大洗勢は大いに気を得て、動揺するアンツィオ勢をここぞとばかりに圧迫する。すると、次に次に嬉し気な報告と淡々としたアナウンスが交互に繰り返された。

 

『隊長、こちらⅢ突だ。敵将討ち取ったりってな』

 

『アンツィオ高校、一輌、走行不能』

 

『にっしずみちゃ~ん! やったよ~、誉めて誉めて』

 

『アンツィオ高校、一輌、走行不能』

 

 これで梓たちが撃破したぺパロニ勢と合わせて、七輌を撃破したことになる。また、最初の砲撃でカルロベローチェを一輌撃破しているし、戦いのさなか、もう一輌も撃破していたのだ。とするならば、残りはフラッグ車のP40だけということになる。大洗勢はまだ一輌も欠けていない。

 

『西住ちゃん。今から合流して皆でやっちゃおうよ』

 

 当然、こういう判断になる。

 フラッグ車を完全に包囲して袋叩きにしてしまおうと言うのだ。誰が見たってそうやった方が勝率が上がる、というか確実である。大洗勢も、観客たちも、ともすればアンチョビたちも、誰もがそうするべきだと考えていたし、そうするだろうと考えていた。

 しかし、みほはこの杏の提案をきっぱりと拒否した。

 

「それには及びませぬ。他の者どもも吉報を待っておれ」

 

 この時、みほの心を理解していた者は、本人を除けば梓だけであった。みほの薫陶を受けている彼女だけが、いや、彼女だけしか理解できなかったのである。

 それは、みほの名誉心が合わさった戦いにおける美学のようなものだった。例えば、芸術家には己が作品に対する美学があり、料理人には己が料理に対する美学がある。もっと単純に言えば、人という生き物には何事にも好き嫌いがあり、気に入る事と、気に入らない事がある。みほにとって、数を頼んで袋叩きにする選択は気に入らないのだ。卑怯なわけではない。でも気に入らない。

 真に奇妙な考えである。戦車道は武道であるものの、勝敗を決める立派な戦いだ。その戦いで気に入らないから嫌だ、などと随分にゆとりのある考えである。

 確かに、気に入らないからという理由で、戦いの選択を決める者は多々いる。みほの生家の西住家、及び西住流はそうだし、サンダースのケイが掲げる正々堂々さ、聖グロリアーナの騎士道精神もそうだと言ってもよい。 

 ただみほは、輪をかけてその傾向が強いのだった。どのように戦えば称賛されるか、流石だと拍手してもらえるか。自分は上杉謙信の生まれ変わりだと思っているから、彼のように戦い、彼の名を貶めないように戦う。戦い方を一つでも誤れば、それで全て終わりだ。天は二度と自分に微笑んではくれないだろうし、自分という存在はそこで死ぬ。極論すれば、戦いを一種の芸術のように見ているのだ。人をアッと言わしめる戦いぶりをしなければならないと、考えているような節がみほにはあった。

 

「数を頼む側は勝利を確信し気を緩めるであろう。それは敗北への道である。勝つか負けるかの瀬戸際に自らの精神を置き、常に気を張って敵に当たる事こそが必勝の道だ。故に、援軍は無用のこと。このまま一騎打ちにて決着をつける」

 

 表向きはこういう理由で、杏たちとの合流をみはは拒んだ。

 なるほどと納得出来る理由と言えば理由だったが、本心は、そのような戦い方は私のやり方ではないというだけの我儘だった。もう一つあるとすれば、一騎打ちの邪魔をするなという独占的な感情もあるのだろう。しほとまほが『潔いけど、子供みたい』とみほの生き方を評したことは既に記したが、こういう戦い方も含めて総評しての評価なのかもしれない。

 さて、合流を拒否された杏たちは、もう何もすることは出来なかった。無視して合流することも可能だが、戦いが終わった後が怖い。きっと憤怒の形相を浮かべて怒鳴り散らして来るのだろう。人間五十年の時代より、云百年、今や人間八十年、九十年の時代である。まだ、二十年も生きてないのに死にたくはなかった。

 何より、大丈夫だろうという気持ちがある。聖グロリアーナにサンダース、危ないところであったが、みほの言うことを聞いて何だかんだで勝利したのだ。今回も何だかんだで勝つだろう。

 みほは戦えば異常に強い。この異常というのが重要で、古今の歴史を紐解けば、戦の天才だとか評価されていた偉人、英傑は、運が飛びぬけて良かったものである。まるで天が味方をしたように。そう思えば、みほがこの二回戦で散ってしまうような運の無い人物とは到底信じられない。運も個人の力と言うし、みほの力を信じて勝利報告を待つことにしよう。

 

『そう? じゃあ、後はお願いね~』

 

『みほさん、それに皆さんも、頑張って下さい』

 

『根性だ! 根性で乗り切れ!』

 

『隊長こそ、まさに日ノ本一の武者……ここは戦車乙女と呼ぶべきか? まあ、お言葉に甘えて吉報を待ってるぞ』

 

 杏たちから通信が送られているこの時も、撃ち合いは続いている。Ⅳ号戦車の砲身が龍の息吹を吐き出すと、P40はこれを受けきり重戦車としての威容を見せつけ、お返しにと放たれた砲弾を、Ⅳ号戦車は軽々と回避した。

 みほは一言、二言発してから通信を切って、一騎打ちに集中する。

 よくよくP40の動きを観察していれば分かるが、どうやら焦りが出て来ているようだった。速く速く速くと動きがだんだん拙いものになっているし、アンチョビの顔に蒼白さが浮かんでいる。どうも、他の大洗勢が合流する前に倒そうと躍起になっているようだった。アンチョビは、あくまで一騎打ちで戦おうとするみほの意志を知らないのだ。

 これをどうしたものかとみほ。アンチョビに合流することはしないと伝えて、仕切り直し堂々と戦うべきかと一瞬だけ考えたが、それを信じてもらう術はないし、馬鹿にするなと一蹴されるだけである。

 このまま戦いを続行することにした。

 

「これならどうだ、くらえ!」

 

 雷喝と同時、Ⅳ号戦車の砲身が火を吹いた。常にP40より先手に砲撃を放つのは、驚異的な速度で装填する優花里の力である。

 砲弾はP40に当たるコースで飛来していくが、P40は辛うじて直撃を避け掠らせるに至った。

 

「しぶとい!」

 

 みほが声を上げたが、お互い様である。アンチョビとて、同じことを心中でぼやいていることだろう。

 さらに幾度か砲火を交わしたが、決着にはならなかった。随分と長い時間戦いが続いているので、さしものみほにも疲労の汗が額に浮き始め、白い頭巾を湿らせ、冷える風が心地よい状況である。況や、沙織たちは体力の限界が見えて来ていた。アンツィオも言うまでもない。

 猶予はなかった。

 次で最後だ、とみほは決意する。

 操縦手の麻子に何かを指示すると、Ⅳ号戦車が前進した。

 このⅣ号戦車の動きに合わせて、P40も前進し、お互いの側面を擦りながらすれ違う。そして、お互いに距離を取って旋回し、P40が砲撃を加えた。

 砲撃は、麻子の巧みな操縦、アンツィオの砲手の疲労と焦りが合わさり、これを回避。瞬間、Ⅳ号戦車は加速する。

 Ⅳ号戦車の狙いはP40の背後を押さえることだった。これまでも度々狙ったのだが上手く行かず、焦りと疲労で集中力と動きを鈍らせている今こそと勝負に出たのだ。

 そうはさせじと対処に出るP40だが、Ⅳ号戦車の方が速かった。P40の背後をとったのである。

 

「やれ!」

 

 轟音が大気を通じて周りの木々を揺らした。重戦車と言えど、背後からの直撃に耐えうるものではない。P40は完全に沈黙した。

 

『アンツィオ高校、フラッグ車、走行不能。よって大洗女子学園の勝利』

 

 審判のアナウンス。みほはそれを聞きながら、白旗を隠しながらもくもくと空に昇る黒煙を見つめていた。

 

 

 



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その⑤

 二回戦も大洗が制した。太陽は西に沈み始め赤々と天を染めようとしている。

 思った以上に長い時間、緊迫した状態が続いたとあって、大洗もアンツィオも疲労がこれでもかと溜まっていた。誰もがこのまま地面にどさりと横になりたい気分であった。

 そうしたいのは山々だったが、最後にやるべきことが残っている。お互い残りの力を振り絞って向かい合い整列し、ありがとうございます、と一礼を相手に送る。これで本日は終了ということで、大洗はさっさと帰路に着こうとした。早く帰って休みたいという気持ちを、各々行動に表す。

 みほも、久方ぶりにここまで疲れた、と顔や態度に表さないまでも疲労を確かに感じながら帰ろうとした。

 

「ちょっと、待ってくれないか」

 

 帰ろうとするみほたちをアンチョビが止めた。一体何の用かとみほが振り向くと、もう一度同じ言葉をアンチョビは言う。

 そして、何か指示をアンツィオ戦車道部員に与えた。するとアンツィオ戦車道部員は、途端に元気を取り戻し機敏な行動を始める。これにはみほも驚きを隠せない。どこにこんな元気を残していたのだろうか、と黙って様子を見守る。準備は一瞬の間に終わった。

 

「さあ、座ってくれ」

 

 準備されたのは様々な料理だった。パスタにピッツァと言ったイタリアを連想する料理の数々。どれもこれも大皿にたっぷりと盛られている。湯気が立ち昇り、風に乗って美味そうな匂いが漂って来た。何のつもりかまったく分からない。

 アンチョビが胸を張って説明した。

 

「アンツィオでは、試合が終われば対戦相手やスタッフを労う意味で、宴会をするのが流儀なんだ。そういうわけで遠慮せずに食べて行ってくれ。味は一級品だぞ。そこら辺の店で食べるより断然美味いから」

 

 ということらしかった。

 いきなり食べろと言われても困ってしまう。みほはどう対応しようかと頭を悩ませたが、最終的にはご馳走になることにした。押しつけがましいと言えばそうだが、折角作ってもらったのだから、礼儀として一切手を付けないというわけにはいかないし、何より腹が減っている。これほど美味そうなご馳走を前にすると、腹がうるさくて仕方がない。黙らせる意味でもアンチョビのお言葉に甘えさせてもらおう。

 

「どうぞ」

 

 案内されるままに、大洗の戦車道履修生たちも席に着いていく。彼女たちとて腹が減っている。食べて良いと言うのなら遠慮はしない。

 全員が席に着いたのを確認すると、アンチョビは前へと出る。

 

「諸君、今日はお疲れ様! さて、話したいことは山ほどあるが、こういう挨拶を長引かせるのはよくない! なので何も言わない! それから大洗の諸君は、遠慮せずに今日の宴会を楽しんでいってくれ! それじゃあ、いただきます!」

 

 いただきます、と声を合わせて大合唱すると、早速、みなが我先にと食事に箸をつけていく。みほもどれから食べようか迷っていると、隣の席にアンチョビが座って来た。

 

「先ずは一杯」

 

「これは恐れ入ります」

 

 みほのグラスに注がれる飲み物。透き通った色をしている。どうも、ワインではなさそうだった。日本酒か何かだろうか。一口、喉を鳴らした。

 

「何だ、ただの水ではないか」

 

 どうやら酒ではなく水だったようだ。アンチョビが先ずは一杯などと言うから勘違いしてしまった。久方ぶりの酒だと思っていたと言うのに。少し残念に思いながらも、いつも飲んでいる水より大層美味く、二口目でこれを一気に飲み干す。喉の渇きが潤った。

 

「おお、良い飲みっぷりだな」

 

 水に飲みっぷりもくそもあるかと思いながらも微笑して返す。

 

「お返しに、私からも献じさせていただきましょう」

 

「おっ、ありがとう」

 

 アンチョビは自らのグラスで水を受けて、一息に呷った。

 飲み干したグラスをテーブルに置いて、アンチョビはみほに笑い掛ける。

 

「今日は負けたよ、完敗だ。どうやら傲慢だったのは私だったらしい」

 

 嫌味かはたまた皮肉か。随分と女々しい奴だとみほは気分が悪くなった。男女に限らず、女々しい人は嫌いである。ねとねと湿気を帯びたような性格は、無性に身体を掻きむしりたくなるのだ。

 だが、誤解があるとするならば、アンチョビはそういう性格とは無縁な人物であるということ。彼女自身はからりと晴れのような性格をしている。そう言った意味では、みほと近しい性質の人間だった。

 先の発言とて深い意味はなく、見事だったとみほを、大洗を誉めているだけのことである。みほは何の邪気もないアンチョビの笑顔でそれに気付き、邪推したのを恥ずかしくなって、自分のグラスに水を注ぎ誤魔化すように口をつけた。

 

「あの時は私も言葉が過ぎました」

 

 苦笑してこう返すより他はなかった。

 

「傲慢なのはお互い様だったってことか、わははは!」

 

 如何にも愉快で堪らないといった風に、アンチョビは腹を抱えて笑った。

 みほは一層のこと苦笑を深くした。

 

「さあ、食え食え。よく見たらまだ一口も食べてないじゃないか。のんびりしていると直ぐになくなっちゃうぞ」

 

 周りに視線を向ければ、宴会は始まったばかりだと言うのにもう空になりかけの大皿が見受けられる。随時補充はしてくれているようだが、確かにこのままでは何も食べれず仕舞いになってしまいそうだ。

 みほも適当に小皿に移して食事を開始した。

 匂いで分かっていたことだが、やはり美味い。箸を持つ手がそれなりに動く。あくまでそれなりに。もともと、みほは少食なのである。食べるより飲む方が好きだ。周りの大洗やアンツィオ生のごとく、がつがつと胃袋を満腹にするのではなく、腹を大人しくさせればそれで良しぐらいの感覚だった。なので、いつもの食事より少しばかり多めに食すと、みほは食事を止めた。

 

「もう良いのか? まだたくさんあるぞ」

 

「はい。十分に堪能させて頂きました。大変美味でありましたので、いつもよりも多く食してしまいました」

 

「ふ~ん。もっとたくさん食べるイメージがあったが、意外にも少食なんだな」

 

 アンチョビはみほの少食ぶりに驚いてはいたが、追及することはなく、別の話題に話を移した。

 

「ところで西住、ああ、こうすると姉と被るな。みほと呼んでも良いか?」

 

「構いませんが」

 

「では、改めて、みほ。私たちは今日戦って、大洗が勝ち、アンツィオが負けた。それで負けた身としては、勝ったお前たちに是非とも優勝してもらいたい。だから、一つだけ、警告と言うか助言をさせてもらえないだろうか」

 

「それはありがたいことです。是非ともお聞かせ願えないでしょうか」

 

「よし、ならば言うぞ」

 

 姿勢を正したアンチョビは、最も真面目な表情を作り、目線をしっかりとみほに合わせて、きっぱりと言い切った。

 

「次の試合、このままだとお前、負けるぞ」

 

「何ですって?」

 

 思わずみほは訊き返した。

 またもや戯言を弄したなと身体に熱がこもって来る。美味い食事で気分が良かったのを、一気に吹き飛ばされた。顔が熱い。

 

「それだ! お前が負ける敗因は」

 

 アンチョビが赤く染まったみほの頬を指さす。

 

「今といい、試合が始まる前に私と話をした時といい、お前はあまりにも気が短過ぎる。ちょっと自分を馬鹿にされただけで直ぐにカッとなるその性格、どうにかしないと、次のプラウダ高校との試合は絶対に勝てない。断言する」

 

 まともに話を聞く気になったのだろう、みほは身体の向きをアンチョビの正面に持って来る。お互いに向き合う形となって、アンチョビは口調強く続けた。

 

「いいか、よく聞けよ。プラウダ高校の現隊長であるカチューシャは、お前と相性が最悪だ。あいつは人を見下し馬鹿にすることを生きがいにしているような女だ。間違いなく、お前のことを見下し嘲笑ってくるだろう。そもそもお前の癇癪持ちは有名な話だ。生きがい云々がなくとも狙ってくる」

 

 緊張の色がみほの赤ら顔に付加される。

 

「それだけじゃあないぞ。お前の周りにも侮辱を加えてくる筈だ。その時、お前は堪えきれるのか? 自分を侮辱されて、姉を侮辱されて、大洗を侮辱されて、黒森峰を侮辱されて、西住流を侮辱されて、西住家を侮辱されて、極めつけには、母を侮辱されて……お前は冷静にいられる自信があるか?」

 

 想像したのだろうか、みほの眼裂の長い、刀のような瞳が見開かれた。眩いまでの輝きを放っている。厳しく引き結ばれた口元、膝の上に置かれた拳が震えを見せて、形相は恐ろしいことになっていた。侮辱など、無論、黙ってはいられない。

 アンチョビは続けて言う。

 

「プラウダとはお前も因縁があるだろう。そのことも含めて、お前は冷静に戦えるのか。その様子を見れば、無理そうだな」

 

 その通りだった。想像の嘲弄(ちょうろう)だけでこれほどまでに激怒していては、実際ではどれほどのことになるだろうか。アンチョビの懸念通り、憤怒の感情に突き動かされて無理な指揮を執った結果、

 

「いくらお前でも、カチューシャは冷静さを欠いて勝てる相手ではないぞ。負けるだろうさ。それもこの上なく無様に、な」

 

 今度は、内訌(ないこう)があったからなどという言い訳は通用せずに、負ける。

 みほはハッとした顔になった。赤々と湯気を出さんばかりだったのを、死人のように青白くする。はっきりと最悪の未来がみほには見えた。

 頭が冷えたのか落ち着きを取り戻すと、みほはアンチョビの両手を握って、深々と頭を下げた。

 

「お言葉、感謝いたします。貴女の言葉を聞かぬままであれば、私は末代までの恥を世に残すところでありました」

 

「気にするなって。言った通り、私はお前たちに勝ってほしいんだ。ただそれだけのことで、ここまで感謝されることでもないよ。極論、私のためであってお前のためじゃないんだから」

 

「この御恩は必ずお返しします」

 

「大げさだなあ。まっ、何か私が困った時は、遠慮なく力を貸してもらうぞ」

 

「はい。その時は、必ず」

 

 晴れやかに笑うと、みほは身体の向きをテーブル側に戻し、再び箸を手に持った。

 

「あれ、もう食べないんじゃなかったのか?」

 

「いえ、今日はもう少し食したい気分になりましたので」

 

「そうかそうか、だったらもう一杯」

 

「でしたら、私からも」

 

 お互いのグラスに水を注ぎ、二人はグラスを軽くぶつけ合うと、揃って飲み干す。それから気分良く話に花を咲かせた。余程に気分が良いのだろうか、みほは酔ったように顔を赤く染め上げるのであった。

 

 

 



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第九話 望郷の白い世界
その①


 アンツィオ高校との戦い以降、みほは暇さえあれば膝を組むことが多くなった。自分が人より気が短い人間なのはよく理解しているところである。カッと血が頭を巡り、情が激して来ることはしばしば。しかし、これを悪いこととは思っていなかった。自分の怒りは正しい怒りである。卑怯、卑劣に対する憤り、自分や周りの人々を侮辱された時の憤り、怒るべくして怒っているから、何を弱点だの欠点だの世間が勝手に評価するように貶めなくてはいけない。寧ろ、自分はこういう時に正しく怒れる人間なのだと誇りにすらしていた。

 それが今回は仇となる。

 みほにしてみれば、次の対戦相手であるプラウダ高校のカチューシャは、忌々しいことこの上ない相手であった。わざわざ自分を怒らせることを狙ってやって来る人間なのである。アンチョビから詳しい話を聞かせてもらったが、カチューシャは相当に口が達者らしい。一度口を開けば、あれよあれよと頭の引き出しから侮蔑の言葉を引き出して来るようだった。

 腐っても鯛は鯛なように、戦車道は戦車道である。例え自分の欲望を丸出しにするような人間はいようとも、表向きの礼儀を疎かにするような人間はいない。だと言うのに、カチューシャなる者はそれすらもないようなのであった。

 

(おのれッ! 人として当然の礼儀を知らん輩め!)

 

 と、まだ見ぬカチューシャへと敵意を燃やす。

 しかしこういう怒りすらも抱いてはいけないのだと、みほは自分を厳しく戒めていた。カチューシャと相対するには平常な気持ちを維持し続けなくてはいけない。感情の振れ幅が大きいと付け込まれるのである。怒りやすい性格を直すとまではいかないが、怒りをなるべく抑える必要があった。最悪、怒っても良いが、自分を見失うほどに激怒してはいけない。

 そのためにも一に打座、二にも打座とばかりに膝を組み結跏趺坐するのである。頭の中で想像上のカチューシャから侮辱の言葉を掛けられ、怒りを堪えて、払いのける。これを何度も何度も繰り返すことで、精神を鍛え上げるのだ。

 また限りある時間を有効的に活用するため、立って移動している間も打座をしているつもりで工夫を凝らした。

 そのためだろうか、街や校内を歩いている時、人に避けられることが多くなった。常に眉間に皺を寄せているので、機嫌が悪そうに見られるのだ。いや、事実機嫌は悪いのだが、とにもかくにも次の試合のため、みほなりの対策に励んでいるのである。周りの仲間たちも事情を聞けば止めさせることは出来なかった。特に前々から短気なことに思うところがあった杏や優花里などは、進んで協力をしていた。

 効果のほどは不明である。本番にならない限りどうなるかは分からない。もしかしたらまったく効果がないかもしれないし、多少改善されるかもしれない。

 こんなみほの様子を見て、沙織が言った。

 

「こんなことしなくても、顔合わせなきゃ良いだけじゃん」

 

 馬鹿正直に顔を合わせて侮辱の言葉を静々と受けるから問題なのであって、顔を合わせずに、話し掛けられようとも無視をしてその場を直ぐに離れれば良いのではないか。何となれば自分たちがみほの盾となり壁となり守護すればそれで良い。

 沙織の意見には方々から賛成の声があがったが、強く反論する者がいた。みほの弟子とも言える後輩、梓である。

 

「相手側に何か落ち度があるのならそれでも問題はないのでしょうけれど、今のところ、そのカチューシャさんがみほさんに無礼を働いた慮外者というわけではないのです。だと言うのにみほさんが顔も合わせず無視を決め込むとなれば、非礼に当たってしまいます。みほさんは礼を重んじる方ですから、そんなことは出来ません。それに、カチューシャさんを避けるというのは、逃げているようじゃないですか。みほさんにはさせられません」

 

 流石にみほから教えを受けているだけのことはあった。梓はみほの心の内を完璧に読んでいたのである。まさしく梓の言う通りなのだ。

 いくら虫唾が走るような人物であろうとも、それは話に聞いただけなのである。勿論、アンチョビは嘘を言うような人物ではないことは、承知のことだ。直接言葉を交合わせ、横に並んで食事を摂った仲だからこその信頼があった。であるからカチューシャが、みほにとって好感を持てない人物なのも確かなことだろう。

 だからと言って、今の段階で自分に何かしたわけではないのだ。何かしてくるのは明白だが、したわけではない以上、非礼を犯すわけにはいかない。謙信として、西住として、何より人として。勿論、逃げるわけにもいかない。と、するならば受けて立つしかないのである。これもまた一個の戦いなのだ。断じて負けるわけにはいかない戦いなのであった。

 

 

 

 ある日のこと。

 その日もみほは眉間の皺をいつもより深いものとしていたが、想像上のカチューシャによる侮辱を受けてのことではなかった。

 アンツィオ戦の前に見つけ出された、長砲身のⅣ号戦車への取り付けと、ルノーB1bisが修理し終わったという報告を、つい先ほど自動車部の面々より受けたのだ。これで戦力が増強されることになったのだが、みほには悩ましいことがあった。

 すなわち、誰をルノーに乗せるべきかということである。

 当然のことだが、今の履修生たちに余裕はない。五輌の戦車に対して丁度良い人数で纏まっているため、ルノーに割く人員はいないのだ。だから新しく履修生を増やす必要があるのだが、これをどうしようかと悩んでいるのだった。

 うんうん唸っていると、背後より声を掛けられた。

 

「ちょっと良い?」

 

 振り返ると、そこにいたのは前髪と後ろ髪をきっちりと切り揃えた、清潔感溢れる少女であった。みほはこの少女を知っている。大洗女子学園でこの少女を知らない者はいないが、特に知っている仲なのだ。

 園みどり子と言って、大洗で風紀委員長を務めている。大洗の秩序を守るため日々奮闘するみどり子の姿に心を打たれて、みほが声を掛けたのが関係の始まりだった。みどり子にしても、自分に敬意を抱き、人よりも殊更礼儀正しいみほに惹かれるものがあって、以来友好が続いている。

 

「おや、みどり子さん。こんにちは」

 

「ええ、こんにちは」

 

 互いに軽い挨拶を交わすと、友好の証明とでも言うように、打ち解けた様子で話を始めた。話は専ら、みどり子の風紀委員長としての活動の事が主だ。こういう校則違反者が居ただとか、どうすれば違反者が居なくなるのかなど。

 これに対してみほが、それはけしからん輩が居るものだと同調したり、こういう風にしてみれば良いんじゃないかとアドバイスをしたりする。

 

(真面目な方だ。しかし、今の世の中、こういう者が往々にして損をし、煙たがられたりするもの。嫌な世界だな)

 

 と、思いながらみどり子の話に付き合う。彼女のような人間には、何とか力になってやりたいと思ってしまうのが、みほの性分だった。

 五分ほど話し込むと、突然みどり子の表情に影が差す。悩み事でもあるのか訊ねてみると、逆に質問が帰ってきた。

 

「何かあったのはそっちでしょう? ここ最近、ずっと浮かない顔をしているじゃない。貴女がそんな顔をしていると、校内の雰囲気が悪くなって、仕舞には風紀が悪くなるのよ」

 

 みどり子はみほを責めているような調子で言った。

 

「申し訳ありません」

 

 それは悪いことをした、とみほは素直に謝罪した。

 みどり子にしても本気で責める気はなかったようで、直ぐに愁眉を浮かべて訊ねて来た。

 

「それでどうしたのよ。悩み事があるのなら私に話してみなさいよ。力になれるのか分からないけど、いつも貴女には助けてもらってばかりだから、たまには私が助けたいわ」

 

 話すべきか迷うところだ。

 話したところでみどり子にはどうしようもないような話だが、彼女は本気で心配してくれている。それを思うと、ここではぐらかしてもさらに心配を深いものとしてくるだろう。それに、第三者であるみどり子に話をすれば、根本的な解決にはならずとも、何か進展はあるかもしれない。そう考えて、話すことにした。

 

「そんな奴がいるのね。校則違反よ。この学園にいたらパパっとしょっ引いてやるのに」

 

 先ずはカチューシャのことを話した。アンチョビから聞いた人物像をそのまま話して、次の対戦相手にこういう人物がいるから困っていると続けた。侮辱されても耐えきるよう精神修行をしていたとも。その話の感想である。

 どういう人物をみどり子が想像したのかは定かではないが、不快な人物を想像したのだろう、眉を顰めた。

 みどり子の感想にみほは苦笑した。

 

「大洗に口を取り締まるような校則はなかったかと思われますが」

 

「ふん。ないなら作れば良いのよ」

 

 胸を張るみどり子。続けて呆れたような顔でみほに言った。

 

「まあ、理由は分かったけど、だからと言って風紀上の問題があるのよね」

 

「私も努力しておるのですが……次の試合までのことですので、どうかお見逃し下さいますよう」

 

「仕方ないわね。特別よ、特別。貴女じゃなかったら絶対に見逃さないわよ」

 

「ありがとうございます。それともう一つございまして、今日はそちらの方で頭を悩まされておりました」

 

 みほはもう一つの悩みである、ルノーに乗せる人員をどうしようか悩んでいたことも、みどり子に明かした。

 話を聞き終わったみどり子は、僅かに時間を掛けてからみほへと答えた。

 

「私でも戦車って乗れる?」

 

「乗れるかどうか実際に乗ってみなくては何とも、乗れなくはないと思いますが」

 

 一瞬、みどり子の真意を計り兼ねたみほだが、直ぐに言葉の内容を考え理解した。私がそのルノーとか言う戦車に乗ってやろうじゃない、とみどり子は言っているのだ。

 これは渡りに船なのでは、とみほは思った。みどり子ならば人員として申し分はなく、こちらからお願いしたいぐらいだ。

 大会も二勝し、そろそろ履修生たちにも浮ついた心が見え始めるだろう。みどり子のように、生真面目で場の空気を引き締める様な人物が必要なのかもしれない。

 ふと、みほはみどり子のような人物が黒森峰にも居てくれたら、と想像した。少なくとも、まほや自分の負担は減っていただろう。まあ、別の問題もあるかもしれないが。

 兎にも角にもみどり子なら是非にと言った具合だ。確認を取る。

 

「よろしいので?」

 

 みどり子は顔の前で拳を握った。

 

「力になるって言ったでしょ。私の力で良ければ貸してあげるわよ。他ならぬ、貴女のためなんだし。それと良ければだけど、風紀委員から数人動員するわよ」

 

 ありがたかった。これで人員の問題は解決される。みどり子に話をして良かった、と心から思った。

 

「是非、お願い致します」

 

 みほは深々と頭を下げるのであった。

 

 

 



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その②

 暦の上では夏だと言うのに凍てつく寒さが続く。

 次の試合が行われる場所は、極寒の北の地である。なので、大洗の学園艦は緯度五十度を超えた地点を進んでいた。少女たちは一昼夜にして夏と冬が逆転したような気温に頬を赤らめ、身体はかじかんで動きが鈍り、吐く息は白い。

 嫌な寒さだ。ついこの前までからりと気持ちの良い晴れ空であったと言うのに、どんよりと曇っている。心にまでどんよりと寒気が押し寄せ、暗鬱たる気分にさせられた。

 大洗の少女たちが季節外れの慣れない寒さに苦しめられている中、一人みほだけは何ともない様子であった。九州の熊本出身であるから北の寒さなど知らない筈なのに、どこか懐かしげですらある。

 

(私は熊本の出であり、この寒さは知らない。だと言うのに、まるで故郷に帰って来たかのような安心感がある。知らないのに知っている。はてさて、どういうことか)

 

 生徒会長室の窓よりはらはらと雪が舞い踊っているのを眺めながら、みほはそう思った。

 そのみほの背後には、暖房のために置かれた炬燵にしがみつく四人の少女。ストーブなどという大層な代物は存在していないので、寒さを乗り越えるために炬燵を存分に利用して生存を図っていた。

 四人の少女の一人、杏が感心と呆れを含んだ目をみほの背中へと送る。

 

「西住ちゃん、寒くないの?」

 

 振り返ったみほは、ここ最近では珍しいほど穏やかな笑みを浮かべて答えた。

 

「どうもそのようでございます」

 

 すると、梓が盆に六人分の湯呑を乗せて炬燵の下へとやって来た。一人一人に丁寧に手渡していく。みほも炬燵に腰を落ち着けてから、湯呑を受け取った。

 

「ごめんね、梓ちゃん。私がやるべきだったのに」

 

「気にしないで下さい、副会長。それよりも味が皆さんのお口に合うと良いのですが」

 

 もうもうと湯呑から立ち込める湯気にはほのかな温かさがある。両手に持った湯呑自体の温かさと合わせると、ほかほかとしていて快い。寒い時には温かいものに限る。冷えた両手を温めながら、ゆっくりと六人は茶を啜った。五臓六腑に染み渡る。

 

「美味いなぁ」

 

 自然と、ほんのりとした息と一緒に桃が感嘆を吐いた。他の者たちも口々に茶の味を誉める。勿論、みほも誉めた。

 梓の頬に血の色が差す。寒さによるものではなく、手放しに誉められて恥ずかしくなったのだろう。はにかみながら俯いた。

 

「そろそろですね」

 

 茶を飲み終わり数分後、再び梓は席を立った。柚子も一人では危ないと梓の後を追う。そうしてどこかへと向かい戻って来た二人は、大きな鍋を手にしていた。

 炬燵の中央部に置かれた鍋の蓋を開けると、ぐつぐつと煮え立っている野菜、そして大洗の名物であるあんこうが姿を現した。

 

「やっぱ、寒い時は鍋だよね~」

 

 待っていましたとばかりに、杏が手を叩いた。寒い時は温かいもの、中でも鍋は外せない。早く食べたいのか、皿と箸を人数分配ってから鍋に箸をつける。

 アンツィオでご馳走になった料理も美味かったが、こちらも負けてはいない。杏はもの凄い勢いで鍋の中身を減らしていく。

 

「あの、今更ながらでありますが、私もお相伴に預かっても良いんですか?」

 

 どうして自分がこの場に呼ばれているのか理解できないのか、優花里が小首を傾げる。

 今この部屋にいる六人は、みほ・杏・桃・柚子・優花里・梓の六人だ。どういう基準の集まりなのか優花里が理解できないのも無理はない。

 杏が外の雪で化粧したように真っ白な歯を見せて笑った。

 

「良いの良いの。だって、西住ちゃんの本性知ってる同盟の一人なんだし」

 

「それはどういうことでございますか?」

 

 みほの視線が杏を捉える。

 杏はさらにニヤリと口角をあげた。

 

「穏やかで落ち着いた性格かと思いきや、その正体は癇癪持ちの怒りん坊。エヴェレストも吃驚のプライドの高さで、世間から評価されることが大好き人間。それだけじゃなくて、お母さんとお姉さんのことも大好き。つまるところ、短気で自尊心と名誉心の塊で、おまけにマザコンとシスコンを併発したお子様。これが軍神西住みほの実態なのだ~ってね」

 

 うわははは、と杏は明るく賑やかに笑った。

 これに戦慄を覚える優花里。彼女はこの時、抽選会が終わって直ぐの戦車喫茶でのことを思い浮かべていた。その大好きな姉にすら冗談で笑われれば怒りを露わにするみほに対して、こんな馬鹿にするようなことを言えば腹を立てるに決まっている。

 恐る恐る優花里がみほに視線を送れば、怒りを堪えている様子であった。場の雰囲気を読んでか、それとも精神修行の成果が出ているのか、優花里はホッと胸を撫で下ろす。

 が、ここには馬鹿にされて怒る人物として、みほ本人以外にも一人存在している。みほの愛弟子である梓だ。怒れない師匠の代わりに自分が怒るとばかりに、ムッと唇を尖らせる。

 

「みほさんは憤ることが多いですが、理不尽な怒りを人に表すことはありません。自尊心は自分に誇りを持っており、名誉心は人に誇れる人間であろうとしている証左です。また、お母さんとお姉さんという家族に対して、愛を示すことは当然のこと。何もおかしいことではなく、これをさも奇異的に語る方がどうかしています」

 

 おお、と感心したように一同は梓を見やる。物は言いようという言葉の意味を実感するところだった。また、何と弁舌爽やかなことであろうか。弁舌と掛けるわけでもないが、舌を巻く以外の反応が一同には出て来なかった。

 教えを授ける者として、梓のこの見事ぶりはみほも感慨一入と言ったところである。堪えていた苛立ちはすっぱりどこかへと消え去った。

 これだけではありません、と梓は言葉を滔々と続ける。

 

「勇猛果敢で、頭は冴え渡り機知に富んでいて、清廉潔白で人を絶対に裏切らない。常に堂々としていて、器量は海のように広くて、教養は深く、礼節は整い、神仏に対する信仰は殊の外篤い、それに――」

 

「もうよい、いくら何でも言い過ぎではないか。何とも面映ゆい気分。梓、そのくらいにしてくれ」

 

 誉められることは慣れているとは言え、限度と言うものがある。

 梓の言葉を途中で遮ったみほの顔は熱を帯びていた。

 そんなみほに向けて、杏が梓の遮られた言葉に付け加える。

 

「それに、助けを乞われれば見捨てない、信頼に値する人でもある」

 

 思いもよらず、その言葉は場に静寂を生み出した。

 先のようにからかいが混じったものではない。しみじみと胸の内より吐き出されたものだった。杏は鍋にそっと視線を移しながら、口を開いた。

 

「もう準決勝かぁ。西住ちゃんがいなかったら、絶対にここまで来れなかった。私、西住ちゃんが西住ちゃんで本当に良かったって思ってるよ。然諾を重んず。危ない所もあったけど、何だかんだでここまで私たちを引っ張ってくれた。私たちがここまで来れたのは、西住ちゃんのお陰だよ」

 

 杏は小柄な身体を向き直してしゃんと正すと、真っすぐみほを見つめた。

 

「ありがとう。本当にありがとう」

 

 目が潤んで来た。杏の顔は上気し、みほに対する絶対の信頼と感謝をひしひしと感じさせる様子である。

 こんな思いを見せられれば多感なみほがどうにも思わない筈は無い。胸に迫って来るものを感じて、自分がいなければ本当にどうしようもない状況だったのだと、杏が酷くいじらしかった。

 ただ、感謝の言葉を受け取るのは今ではない。準決勝、そして決勝を勝ち抜いて大洗を廃校から救った時こそ受け取るべき言葉である。

 きっと容を整え、みほは言った。

 

「そのお言葉は、今は不要のものかと思われます。私は未だやるべきことをやっておりません。現在はその道半ばでございます。大洗に優勝旗を飾った時にこそ、そのお言葉は受け賜わらせていただきましょう」

 

「うん、分かった」

 

 杏は目元を拭って、大きく頷いた。

 再び、場に静寂が戻る。

 梓と優花里が顔を見合わせた。みほと杏のやり取りはただ事ではない。一体どういう意味があるのだろう、と考えてみるが、廃校を阻止するために生徒会がみほに助けを求めたなんて答えは、当然出なかった。故に二人は気にしないことにした。無理に考えずとも、いつか、知るべき時に知るだろうという判断だ。

 

「それじゃあ、早く鍋食べちゃいましょうか。温かいうちに食べておかないと」

 

 静寂を崩して柚子が言うと、それもそうだと一同は鍋を食べ始めた。和気藹々とした様子で、みるみる間に鍋の中身を胃に収めていく。鍋を食べて十二分に身体が芯から暖まった頃、何気なく外を見た桃が言った。

 

「プラウダの連中は、この寒さなど寒いとは感じないのだろうなあ」

 

「そうだね。プラウダ高校の人たちにとっては、日常のことだから」

 

 柚子が桃の呟きに答えると、みほが荒々しい言葉を放った。

 

「ならば私たちが寒さを味合わせてやりましょう。私たちの力を十分に見せつけ、奴らの心胆を寒からしめてやろうではございませんか」

 

「流石、西住ちゃん。頼りになるねぇ。そうだ、頼りになると言えば、澤ちゃん。さっきは凄かったよ。あれだけすらすら堂々と反論して来るとは驚いちゃった」

 

 そこでさ、と悪戯を思い付いた悪戯小僧のような顔で、杏が梓を見る。

 

「カチューシャが何か言って来たら、澤ちゃんが一々反論するってのはどう? 丁寧に、礼儀正しく、さ」

 

 ようは弁戦を仕掛けるのである。本戦前の前哨戦。上手く行けばこちら側の士気を上げることも可能だ。

 面白い。一泡吹かせてやろうじゃないか。六人の意見は瞬時に一致した。

 

「梓、やれるか?」

 

「はい」

 

「声を荒立てず、罵倒、嘲笑の類を厳禁とし、あくまで礼節を以って行うのだ。本当にやれるな?」

 

「任せて下さい」

 

「よし。ならば任せたぞ」

 

 梓はみほに頼りにされたということに瞳を輝かせ、何度も頭を上下させるのであった。

 



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その③

 みほは試合会場に足を踏み入れた。空を仰げば陽の光はない。とは言え夜ほどに暗くもなく、地上は細やかに輝き積もる雪の影響で明るい。

 こごえるような風が吹き立てみほの頬を撫でて、はたはたと雪世界に映えた白い頭巾を揺らす。しんしんと身に染みる冷気が、寧ろ心気を冴え冴えとさせて、気分を高揚させた。感動すら覚えながら、瞼を閉じる。

 

(雪が積もっている。四百年以上前、不識庵謙信は雪によりその動きを多々縛られることがあった。しかし今私は、この雪を踏み締めて戦おうとしている。人はもう、雪による拘束から解かれたのだ)

 

 時代の流れをその身で感じ感慨を覚えていると、梓が、

 

「みほさん。どうやらやって来たようです」

 

 と、伝えて来た。

 

「そうか。来たか」

 

 カチューシャがやって来たらしい。

 さて、どのような者であろうか、とみほは梓を伴ってカチューシャの下へと向かう。

 カチューシャは大変小柄な女であった。小さいどころではなく、子供ほどの背丈しかないのだ。しかも顔まで幼児のようでいて、言われなくては子供と勘違いしてしまいそうだった。待たされることが気に食わないのか、ありありと不機嫌が滲み出ている。

 そのカチューシャの半歩ほど後ろ、カチューシャとは対照的な大柄の女が一人。端整であるが冷めた顔立ちをしている。場所が場所だけに雪女と見紛ってしまいそうだ。情報によればノンナと呼ばれているらしい。

 みほが二人の前まで来ると、カチューシャは鼻息で苛立ちを表し、ノンナは視線だけをみほへと移す。

 

「お待たせして申し訳ありません。私が大洗女子学園戦車道の隊長を務めている、西住みほです。ようこそお運び下さいました」

 

「私は、澤梓と申します。どうぞお見知りおきのほどを」

 

 二人は礼に則って挨拶をした。アンチョビの話によればカチューシャは並の傲慢ではないらしいが、一体どれほど傲慢なのだろうか。みほと梓は反応を待つ。

 するとカチューシャは不躾な視線をみほに送った。そうして何が癇に障ったのか大きく舌打ちを響かせると、ノンナの名前を呼び、次の瞬間とんでもない行動に出た。

 呼びつけたノンナの背中をよじ登ると、肩車の体勢を取ったのだ。大柄なノンナに肩車をされていることで必然的に視点は高くなり、カチューシャはみほたちを見下しながら嘲笑した。どうも身長が低いことがコンプレックスなようで、自分がみほたちを見上げる立場にあることが気に入らなかったようだ。

 そんなことは知る由もなく、仮に知っていたとしても許しては置けない。全体的におおらかな風潮がある大洗戦車道履修生たちですら、カチューシャのこの態度に不快感を示し、梓も思わず呟いた。

 

「……何て、し、失礼な」

 

 この呟きの隣でみほは愕然としていた。カチューシャの礼を失した態度を目の当たりにし、梓の呟きは大いに意を得たものである筈なのに、容易く同意出来ないでいた。

 

「カチューシャめ! 鼠め! 無礼無礼と聞いてはおったが、これほどのものとは! もう許さん!」

 

 こんな気持ちがなかったわけではない。ない筈がない。だと言うのにみほの心には怒りが僅かも浮かんで来なかった。そればかりか、軽蔑すらしていない様子であった。ただただ言葉を失って唖然としていた。狼狽えていると言ってもよい。

 

(何だ? 何をやっておるのだ、この者は)

 

 初めてだったのである。十六年生きていればそれなりに人と会う機会があった。礼儀正しい者もいれば、無礼な者とて勿論いた。横暴、横柄な者には当然腹を立てた。けれどもカチューシャほどの者はいなかったのだ。初対面でありながら名乗りをすることもなく、こちらの挨拶を無視し、いきなり肩車をする人間。怒りや軽蔑を通り過ぎて驚くしかないのであった。

 ついには、

 

(傾奇者か?)

 

 こういう考えに至った。

 傾奇者とは、一見して変わった格好を好み、異様な振る舞いで人を驚かせることをこよなく愛する人種のことだ。カチューシャがこの傾奇者ならば、突然の肩車にも一応の説明がみほの中ではつく。

 だが的外れも良いところである。カチューシャは傾奇者などではない。肩車は身長差で見下されることを嫌っただけの話だ。みほを驚かせてやろうだなんて意思はまったくない。

 みほが思考していると、カチューシャがぷっと吹き出し、次いで大声を上げて笑い出した。

 

「ふふふふふ、あはははははは! なあに、その間抜け面! 西住みほ、貴女私を笑い死にさせる気かしら! おかしくってお腹痛いわ!」

 

 カチューシャはノンナの上で、みほを指さし腹を抱える。

 甲高い笑い声を聞いて、みほは次第に落ち着きを取り戻す。落ち着きを取り戻すと、腹の底から憤りが込み上げて来た。

 

(子供のようであろうと、傾奇者であろうと、一個の人間ではないか。ならば人としての礼儀を無視して良い筈がない。そもそもこの者は私より歳を重ねておるのだぞ。だと言うに斯くのごとき慮外ぶり。到底看過しておけるものか)

 

 と、思わずにはいられなかった。

 けれどこの憤りを表には出さない。幸いなことに精神修行が実を結んだのと、吹いて来る寒気が良い具合に怒りという名の熱の上昇を抑えていた。みほは極めて平静に努めながら、そっと梓に目配せをする。予ての通り、この無礼者めの対応はお前に任せる。良いようにせよ、という意だった。梓は悟ってから一歩前へ出る。

 カチューシャの注目がみほから梓へと移った。今梓の存在に気付いたかのように、何だこいつはと怪訝そうな表情をしている。

 梓はニコリと微笑みながらカチューシャを見返した。

 

「卒爾ながら少々伺いたいことがあるのですが、カチューシャさん、よろしいでしょうか?」

 

 得物を持たない戦いの口火を梓が切った。

 

「私は近頃、みほさんより様々なことを学んでいるのですが、まだまだ浅学だと言わざるを得ません。ですからカチューシャさんには、浅学な私に是非教えて頂きたいのですが、プラウダ高校では独自の礼儀があるのでしょうか? カチューシャさんが見慣れない挨拶をしていますので、気になったのです」

 

 貴女の学校では初対面の相手に対する挨拶として肩車をするのか? こう訊ねているのだが、言外に常識的な挨拶の仕方も知らないのかという意味を含めている。浅学な私でも知っているのに、貴女は知らないのかと侮蔑を込めているのであった。

 直接、非礼になるような物言いをすることは、逆に自分たちを貶める結果になるのでみほより禁じられている。なので、間接的に攻めているのであった。

 そんな梓の言葉の真意を読み取れないカチューシャではない。飛べば吹くような弱小校の分際で、私を馬鹿にしたな! 許せないという気持ちが口をついて出て来た。

 

「よくも、カチューシャを侮辱したわね! 粛清してやる!」

 

 流石にプラウダ高校戦車道の隊長をやっている者だ。子供のような容姿、声とは裏腹に人を威圧する凄味がある。

 しかし梓はたじろがず、微笑みを絶やさない。そればかりか腹の中では、何が侮辱しただ。お前だってみほさんにとんでもない失礼を働いているじゃないか。神様が許したって、私はただじゃ済ませないからな、と思っていた。

 梓は腹の中を上手く隠しながら、頭を下げる。

 

「ごめんなさい。侮辱するとかそんなつもりはなかったんです。ただ、どうしてなのかな、と思っただけで、本当にごめんなさい」

 

 ぺこぺこと頭を低くする梓に、カチューシャは反撃とばかりに吐き捨てた。

 

「ふんっ。まっ、こんな大ぼら吹きの教えを受けているようじゃ、貴女みたいなのになってもおかしくはないわね」

 

 自分でも気づかずに梓は拳を握った。

 

「大ぼら吹きですか?」

 

「そうよ。自分のことを上杉謙信の生まれ変わりだとか、ばっかみたい。そんなことあるわけないじゃない。こんな自分の隊も碌に纏められないような無能が、あの軍神の生まれ変わりだなんて、ちゃんちゃらおかしいわ」

 

 間髪を入れずにカチューシャは答えた。

 無能という言葉に反応して、外野でやり取りを見守っている大洗戦車道履修生たちが殺気立つ。彼女たちは大なり小なりみほのことを人として尊敬しているのだ。挨拶の答礼をせずに無視して来たことといい、見下すように肩車をして来たことといい、挙句に無能だなんて嘲弄、もう黙っていられない。何か言い返そうと足を一歩踏み出したその時、みほが右手でそれを制した。

 この場は梓に全てを一任しているのだ。梓を信じて、余計なことをせずに黙って見ていろ、ということであろう。履修生たちは従ってその場にとどまった。

 その様子を梓は横目で見ていた。嬉しいことこの上ない。何としてでもみほの期待に答えなくてはと思っていると、心の底から言葉が湧き出て来た。思いのままにカチューシャへとぶつける。

 

「私はみほさんが、上杉謙信さんの生まれ変わりだと信じています。みほさんに伺いました。みほさんのお母様が夢で上杉謙信さんと出会い、産まれたのがみほさんだと。確かに、生まれ変わりだと断言する科学的証拠はありません。ですが、否定する証拠がないのも事実です。ならば可能性はあるということ。それに上杉謙信さんもお若い頃、部下の人たちには苦労されたとか。偶然ですが、みほさんもそうなんですよね。他にも共通する点が多々あって、ですから私は信じているんです。そもそも信じることは勝手ですからね」

 

 このような調子で、先ずは生まれ変わり説の否定について反論した。みほが歴史上の上杉謙信と似通った人物なのは事実であり、生まれ変わりなのを否定する根拠がない以上、信じるのは勝手なことである。神や悪魔の存在を信じるのと変わらないことだ。

 

「隊を纏めきれなかったというお話も、先ほど言いましたが、上杉謙信さんもそういう時期がありました。それにみほさんは今、私たちを完璧に纏めています。一人一人が人一倍個性的だと断言出来る、癖の強い大洗戦車道チームをです。断じて無能ではありません。無能な人間では無理なことです」

 

 まだこれだけで終わらない。もっと言いたいことがある。梓は次々と湧き出て止まらない言葉を吐き続けた。

 

「第一、無能であったら、私たちはこの場にはいません。間違いなく初戦で負けていました。奇跡が起こっても二回戦で負けていました。ケイさん、アリサさん、ナオミさん、アンチョビさん、ぺパロニさん、カルパッチョさん。みほさんが無能ならば勝てる人たちではありませんでした。彼女たちに勝てたということは、みほさんが有能である証です。大体、みほさんが有能なことは、カチューシャさん、あなた達もよっぽど身に染みている筈ですよ」

 

 最後のは、昨年の大会のことを強調しているのだ。みほが無能であれば、まほの下で団結した黒森峰にあなた達は勝てなかった。有能であったからこそ、人を惹き付ける人間だったからこそ、あなた達は勝てたのだ。それを忘れて思い上がったことを口にするな。

 こういう意味の言葉で梓は最後を締めたのだった。

 カチューシャは黙って梓の話を聞いていた。合間に口を挟もうとしていたのだが、終ぞ出来なかったのである。

 話を聞き終わると、カチューシャは忌々し気にみほへと言った。

 

「大層な番犬を手に入れたわね」

 

 みほは訂正を強く、また誇るように返した。

 

「私の自慢の弟子です」

 

 その返しにカチューシャは何も反応を見せなかった。

 それから、ノンナ、とカチューシャが名前を呼ぶと、ノンナは小さく頷いて、初めてみほたちへと口を開いた。

 

「до свидания」

 

 さようなら。目礼と一緒にそう言うと、カチューシャを肩車した状態で、自分たちが乗って来た車の下へと戻って行く。

 去って行く後姿を見ながら、梓はほうと息をついた。

 みほが梓の肩を軽く叩く。

 梓が見上げると、

 

「よくやった」

 

 と言ってるかのように、笑みを浮かべるみほの顔がそこにはあった。

 

 



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その④

「どう、憧れの西住みほと会えた感想は?」

 

 複雑そうな表情でノンナに問いかけるカチューシャ。時は、大洗の待機所へと出向き、プラウダ高校の自分たちの待機場へと戻って来た後のことである。

 カチューシャはみほのことが嫌いだ。理由を説明しろと言われると困るが、何か自分とは合わないなあと思う。強いて言うならば、こう、身体から滲み出ている偉そうな感じがイラつくと言うか何と言うか。才能は凄まじいのであろうが、それを素直に認めたくないぐらいに大嫌いなのである。余談だが、同じ理由でまほやダージリンなども気に入らない。

 

「凄かったですね。肌をぴりぴりと突き刺す威圧感。彼女の鋭い目に見られると、魂がぞくぞく震えます」

 

 一方でノンナはみほに憧れを抱いている。中学生の頃に初めて目にして以来、ずっと惹かれているようであった。神様、仏様のように思いを寄せていた。

 親友が憧れの人に会えて楽しそうなのは嬉しいが、その憧れが自分の嫌いな人。嬉しさ、嫉妬、憎しみ、これらの気持ちが一気に面に出た結果の複雑な表情なのである。

 うっとりと、空に憧れの人の姿を思い描きながら、ノンナは胸に手を当てた。

 

「変わっていました。黒森峰から大洗に来てもっと素敵になっていました。黒森峰の長尾景虎から、大洗の上杉政虎、いえ、上杉輝虎へと変貌を遂げていました」

 

 ノンナが何を言っているのか、カチューシャにはいまいちピンと来ない。ニュアンス的には成長したという意であろうか。

 眉をハの字に曲げてカチューシャは自分の記憶を探る。

 黒森峰時代の西住みほと大洗の西住みほ、比較してみても変わりはなかった。どちらにしても、無駄に偉そうな雰囲気をまき散らしている。

 

「何が変わってたの? 私にはさっぱり分からないわ」

 

「変わっていましたよ。見た目とか雰囲気は相変わらず威厳に満ちて素晴らしかったのですが、内面が大きく変化してました。黒森峰の頃でしたら、カチューシャは成田長泰よろしく私の上から引きずり降ろされていた筈です」

 

「成田長泰? 誰、それ?」

 

 成田長泰。武蔵国(東京・埼玉・神奈川のそれぞれ一部)忍城城主成田下総守長泰のことである。永禄四(千五六一)年、鶴岡八幡宮において、上杉謙信の関東管領就任式が行われた。謙信三十二歳のことである。この時に成田長泰は謙信に対して下馬の礼を取らなかったので、怒った謙信に扇子で打擲された。長泰としては藤原氏の流れをくむ家に生まれて、その古例に倣っただけのつもりだったのだが、こんな辱めを受けて謙信許すまじと、謙信から離反したという話だ。

 この話は本当か嘘か定かではなく、また嘘である可能性の方が現在強くなっているが、謙信が相当な癇癪持ちだったことを示している話なのである。

 ノンナは、黒森峰の頃のみほであれば、カチューシャはただじゃ済まなかった。何事もなかった時点で、みほの内面が良い方向に変化していた証なのだと熱弁する。

 興味のない話を長々と聞かされては堪らない。カチューシャはノンナの話が一旦止まった瞬間を見計らい口を開く。

 

「ふ~ん。まっ、そんなことをカチューシャにしようものなら粛清よ、粛清。ってあああああ! 粛清と言えばあいつよあいつ! 西住みほの隣にいて、私に楯突いて来た奴! 何なのよあいつは!」

 

 突然、カチューシャが絶叫した。

 

「むっ、確か、澤梓と名乗っておられましたが」

 

 心なしか不機嫌になるノンナ。カチューシャがみほを気に入らないように、ノンナも梓が気に入らなかった。みほが自慢の弟子だと公言した梓という女は、立ち位置としてすなわち直江兼続である。みほへの憧れを持つ人々にとって、その立ち位置は羨ましい限りだ。

 

「私も謙信公もといみほさんの直江兼続になりたかったです」

 

 ノンナは梓への敵対心を燃やす。気持ちが表情に出にくいノンナだが、その敵対心は傍目にもはっきりと分かった。

 カチューシャは梓への怒りを忘れて呆れ返っている。カチューシャにとって、ノンナは文句なしに信頼を置ける大好きな親友だが、趣味だけは一向に理解できない。どうしてあんな女に憧れを持てるのだろうか。変な趣味をしている。しかし、こんなことよりも見逃せないことが一つあった。

 

「ちょっと、ノンナ! 貴女は西住みほのノンナじゃなくて、カチューシャのノンナでしょう。貴女は私のものなのよ! 直江兼続なんて目じゃない役どころが貴女にはあるの。そうねえ、まあ、私は信長ってところでしょ。日本に新しい風を吹かせた英雄、戦車道界に新しい風を吹かせたこのカチューシャにこそ相応しいわ。それでノンナはねえ――」

 

「でしたら私は明智光秀でお願いします」

 

「うん、光秀……って裏切り者じゃない!」

 

 その通りである。天下分け目の関ケ原で西軍を裏切った小早川秀秋に並ぶ、戦国裏切り者の代名詞だ。裏切った理由は諸説あり、情状酌量の余地が多分にありそうであったが、教科書に記されるような裏切りをやったのも事実だ。

 ノンナは何食わぬ顔で言った。

 

「ですが、同志カチューシャ。私はどう見ても柴田勝家という柄ではありませんし、秀吉という感じでもないでしょう。信長軍団一の知恵者と名高い光秀が一番適役かと思われます。それに、ふふふ……」

 

「何よ、その笑いは。まさかカチューシャを裏切ろうって言うの? 冗談でしょ? ねえ、ねえってば」

 

 カチューシャがぎょっとなった。

 ノンナに裏切られるようなことがあれば、人生儚くなって身を投げる自信がある。それだけ彼女には信頼を置いているのだ。実は、何てことになってしまえば、想像しただけで目頭が熱くなって来る。

 

「それは分かりません。物事には絶対がありませんからね。私の中に潜むカチューシャへの愛が、外へと溢れ出てしまって衝動的に、という可能性も無きにしも非ず」

 

「何よそれ、もう。驚かせないでよ」

 

 冗談だと思って、カチューシャはほっと息を吐き、ノンナは意味深長に微笑む。冗談かどうかはノンナにしか分からないことである。

 

「それにしても、大洗は随分と個性的な戦車だったわね。本当によくあんなので準決勝まで来れたもんよね」

 

 話を大洗のことに戻して、カチューシャが首を傾げる。試合に出場できる最低限の数で大して強くもない戦車ばかり。しかもみほ以外は素人だと来た。

 一回戦はサンダースで、二回戦はアンツィオだったらしいが、あれでサンダースやアンツィオをどうやって倒したのやら。

 カチューシャとて、人の実力を素直に認めることもある。そのカチューシャが認める、ケイやアンチョビをあれしきの戦力で倒したのには驚きを隠せない。

 

「流石、みほさんです。西住の龍の異名は伊達ではありませんね」

 

 ノンナが自分のことのように胸を張った。ただでさえ豊満で目立つ胸がギュッと強調される。

 ノンナのその胸に目を見張りながら、カチューシャは自分の胸を文字通り撫で下ろした。微かな抵抗もなく撫でる手のひらは滑り落ちる。

 悲しくなって涙ぐみたくなる切なさがそこにはあった。同時にみほをべた褒めするノンナにむかっ腹が立って、頬を膨らませる。

 

「運が良かっただけよ。西住みほが凄いわけじゃないわ」

 

 やれやれと首を振りつつ、ノンナがため息をついた。

 

「前々から思っていたのですが、どうしてカチューシャは素直にみほさんのことを認めることができないのですか? 好き嫌いがあるのは結構なことですが、認めるべきところは認めないと立派な大人になれませんよ。私はそんなこともできない悪い子にカチューシャを育てた覚えはありません」

 

「ノンナに育てられた覚えなんて……」

 

 無くはなかった。

 それに改めて言われると、どうして自分がみほのことを頑なに否定するのかが分からない。同じように気に入らないまほやダージリンのことは、その才能を買っている。でもみほのことは才能からして認めていない。

 

「そう言えば、どうしてなの?」

 

 空を見上げて考える。

 考えに考えて、ふとノンナの方に視線が向かった。答えが喉元まで出掛かるが、そこから先へと進まない。どうやらノンナが関係していることだけは確かなようだ。

 モヤモヤとするが、もうこのことを考えるのは止めた。忘れ去られた頃にでも答えが出るだろう。

 ノンナにしても真面目に聞きたいことではなかったらしく、深く追求して来ることはなく話を直ぐ別に変えた。

 

「カチューシャ。今回はどのような作戦で臨むのですか? みほさんには生半な作戦は通用致しませんよ」

 

 一々西住みほを誉めるなと思ったが、カチューシャは口には出さず思うだけに留めて置き、大洗にはどのような作戦が効果的かを思案する。

 カチューシャは弱小と罵る大洗にも手心を加えることはない。獅子は決して欺かない。兎を狩る時でさえ全力を尽くすのである。

 

「ノンナはどう考えてる?」

 

「私ですか? そうですね。大洗が元は戦車道をやったことのない素人の集まりであること。その上で全戦全勝であること。みほさんに喧嘩を売ったカチューシャが、澤梓にぐうの音も出ないほどに言い負かされたこと。みほさんへの信頼、敬意というものが強く、カチューシャがみほさんを馬鹿にしたこと。この四つを考慮すれば、おのずと作戦は決まるかと思われますが」

 

「……言い負かされたわけじゃないわよ」

 

 カチューシャはノンナに聞こえないようぼそりと呟き、

 

「私もノンナと同じ考えよ。大洗の奴らには慢心、油断がある。素人ばかりなのにも関わらず勝ち続けてしまったが故の弊害ね」

 

「それから、みほさんがいるから負けないという気持ちも生まれているでしょう」

 

「そんな西住みほを私が馬鹿にしたことで、あいつらは私に対する怒りがある。ただじゃ済ませない、思い知らせてやるというね」

 

「カチューシャが澤梓にやられてすごすご逃げ帰ったことで、カチューシャに対する侮りもある筈です」

 

「だからあれは……まあ、良いわ。おまけに今年から始めたばかりということは、圧倒的経験不足。これだけの条件が揃っているんですもの。釣りをする絶好のチャンスよね」

 

 生半どころか単純明快だが、これが今の大洗には最も効果的なものであろう。

 作戦は決まった。

 

 



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第十話 毘沙門天降臨
その①


 果たして、カチューシャらの推察はことごとく当たっていた。

 大洗戦車道履修生たちは確かに慢心が見て取れ、みほを侮辱されたことへの怒りは積もる雪をも溶かさんばかり、またカチューシャへの侮りも中々のものである。

 ただ、みほはこの現状をさして問題視はしていなかった。怒りや驕りは時に士気を高めることに一役を買う上、あまり口うるさく怒鳴ろうものならそれこそ士気の低下に繋がる。各車輌のリーダー級の者だけには気を引き締めさせ、それ以外には好きなように気を持たせていた。

 

「相手の隊長は大口の割には大したことなかった。見た目同様に器量の小ささが滲み出ていたぞ。我らの隊長と比べるのも可哀そうなほどだったな」

 

 左衛門佐が呵呵大笑すると、エルヴィンとおりょうがその通りだと続く。そこにカエサルが戒めを加えた。

 

「お前たち、油断は禁物だ。大体私たちは油断できるほどの余裕はない」

 

 このような光景がそれぞれのチーム内で見られた。よしよし、これで良いとみほは思った。皆が皆、気を張り過ぎて息巻くより理想的な形である。

 試合開始の時間が迫って来ると履修生たちは戦車へと乗り込んだ。それから雪の中を進んで、試合開始地点へと向かう。

 戦車の中は外同様に、あるいは外以上に寒かった。エンジンの熱で多少は緩和されるかと思われたが、鉄が寒気にやられたようである。痛いほどに冷たい。

 履修生たちは持ち込んだカイロで暖を取る。これで少しはマシになった。

 

「う~っ、これじゃあプラウダじゃなくて寒さに負けそうだよ~」

 

 カイロを頬に当てながら、冗談めかして沙織がぼやいた。

 でしたら良いものがあります、と優花里が自分のリュックを探る。取り出したのは小型のポットであった。

 

「ココア作って来ましたので、皆さん飲んで下さい。暖まると思いますよ」

 

 優花里は五人分の紙コップを用意して、そこにココアを注いでいく。戦車内にココアの甘い匂いが充満し、鼻孔の奥をくすぐる。

 

「それではどうぞこれを」

 

 一人ずつ丁寧に手渡していく。

 優花里はみほに渡す時にだけ、申し訳なさそうな顔をした。

 

「西住殿には大変申し訳ないのですが、お酒は無いのでココアで我慢して頂けると幸いと言いますか、何と言いますか……」

 

 その言葉に沙織と華がクスリと口元に手を当てた。二人はみほが酒を嗜んでいることを知っているので、優花里の言葉は十分にユーモアとして感じとれるものだった。

 

「残念だったね。お酒じゃなくて」

 

「ふふふ、お酒はまだまだお預けですね、みほさん」

 

 白く甘い吐息を吐きながら、沙織と華はふわふわとそんなことを言った。

 優花里からココアを受け取りながら、みほは困った様な笑みを浮かべる。

 

「流石に戦車に乗りながらお酒は飲まないよ」

 

 これに反応して来たのは麻子であった。真顔でほんの少し首を傾げながら、みほに言い放つ。

 

「西住さんは飲んでいても全然おかしくないと思うが」

 

 馬上杯のことを言っているのである。謙信は戦場にあって、馬の上で酒を飲んでいたという話があるほど酒好きなのだ。もうこの頃になれば、大洗戦車道履修生たちの間で、みほが謙信の生まれ変わりだという説は事実として認識されている。麻子の発言も、その説を信じるが故の発言であることは言うまでもない。

 

「いや、ハハ……」

 

 言われても飲まないものは飲まないのだ。渇いた笑いしか出て来ない。弱った。

 そうこうしている内に戦車は試合開始地点に到達した。時間はまだ少し余裕があるようなので、試合に関して最後の確認を行う。咽頭マイクを通して、みほの声が各戦車に伝えられた。

 

「今回もまたフラッグ戦。私が敗れるか、プラウダのフラッグ車を討ち取るか、勝敗はこの二つに一つです」

 

 大洗のフラッグ車は一回戦、二回戦と変わることなくⅣ号戦車であった。普通はフラッグ車をどれにしようか悩み、相手を攪乱させるものである。けれど、自分を恃むところが強いみほであるから、自分が乗る車輌以外をフラッグ車にしようという思考は欠片も存在していない。武運拙く自分が敗れるようなことがあれば、もうその戦いは負けだ。そう思っているのだった。

 

「サンダース、アンツィオ同様に敵の数は圧倒的ですが、何も数ばかりが勝利を呼び込む決め手でないことは、各々方は承知のことの筈。何より我らには毘沙門天の加護がある。焦らず、恐れず、悠々とやりましょう。さて、各々方の中で何か意見がある方はおられますか? 時間も少しあります故、聞きましょう」

 

 通信機越しで真っ先に声を上げたのはエルヴィンであった。

 

『隊長、悠々と言ったが、私としては速きに越したことはないと思うぞ。我々は今勢いに乗っている。聖グロリアーナ、サンダース大付属、アンツィオ高校、これらに勝利した余威をもって一気呵成、乾坤一擲に敵のフラッグ車を狙うのは如何か?』

 

 エルヴィンの意見に多くの賛同する声。その声の中には杏のものもあった。一理あるとみほの耳に通信が入って来る。

 

『後漢末期、その中でも三国志の時代で名を馳せた魏王曹操が愛した天才軍師、郭嘉曰く、兵は神速を貴ぶと言う。また、武田信玄の旗印風林火山の風は、其の疾きこと風のごとく、だ。遅いよりも速いだよ。特にこれが重要なんだけど、西住ちゃんって雪での戦いは初めてなんでしょ? プラウダ高校は雪慣れしている。謂わばホーム。何が起こるか分からない以上、長期戦は不利だと思うよ』

 

 みほは黙っていた。意見が気に入らないわけではない。他に意見はないのかと無言で問うているのである。

 ならばと答えたのは梓であった。

 

『エルヴィン先輩や会長の意見は、なるほど道理でしょう。しかし私は、道理ではあるが、危険だと見ます。サンダースさんとの戦いと同じです。結局はそういう作戦を採りませんでしたが、サンダースさんの時にフラッグ車だけを狙うという考えが出たのは、相手のフラッグ車が単独で行動して、尚且つ想定しやすい場所に身を潜めているという情報があったからです。ですが今回は違います。相手のフラッグ車が何で、どこにいるのか、そもそも単独か、周りを固めているのか、それすらも分かっておりません。なのに勢いのままに猛進し続けるのは危険です。ここは偵察を出し、進んで、止まる。そうしたらまた偵察を出し、進んで、止まる。これを繰り返し、着実に堅実に行きましょう』

 

 この意見にも賛同する声が多く上がった。

 意見は完全に二つに分かれる。こうなって来るとどちらの意見がより有用的なのか、皆、顔を合わせずに喧々諤々と罵り叫びあった。

 

『臆病風に吹かれたか。プラウダ如き何するものぞ。我々には謙信公が付いているのだ! フラッグ車を見つけ出すまで突き進み、邪魔する敵は叩き潰してしまえば良い!』

 

 エルヴィンが威勢よく言えば、

 

『私、知ってるよー。先輩みたいな人のことを匹夫の勇って言うんだよね。この前授業に出てた』

 

 M3中戦車リーの通信手・宇津木優季がたっぷりの嫌味を込めて返す。ただ上手く聞き取れたのはこれだけで、もう他はほとんど雑音同然であった。

 みほはやはり黙っている。いつまでも黙っているので、リーダー級の者たちが宥め始め、やがて喧騒は段々と静まっていき、ついにはひっそりと声を潜めた。

 すると、この時を待っていたように、審判が通信を入れて来た。

 

『大洗女子学園、準備はよろしいでしょうか?』

 

 みほは静かに答えた。

 

「はっ、こちらは準備が出来ております」

 

 返信を聞いて、審判は通信を切った。それから数瞬沈黙が続き、みほは各車輌へと通信を送った。

 

「どちらの意見も最もなことでした。私は確かに雪上での戦いには不慣れで、どのようなものなのかをいまいち理解しておりません。故に慎重論を採りたいと思います。急くのは私の持ち前ですが、抑える時には抑えます。勢いだけが戦いではありませんから、ハハ、ハハ」

 

 最後は笑って締めた。

 みほがこうやると決めた以上、もう反対する者はいない。通信越しから口々に、了解、という二文字が放たれてみほの耳朶を震わせる。

 不意にひゅるひゅると音が鳴って、陰々とした空に一筋の輝きが起こった。

 試合開始を知らせる照明弾である。

 

『プラウダ高校対大洗女子学園、試合開始!』

 

 審判からも試合開始の合図が成された。

 試合が開始したと思うと、突然にみほは昨年のことが頭をよぎる。昨年の決勝戦のことであった。

 

(負けなし、負けなし。軍神、軍神と呼ばれ畏怖されていた私が、唯一後れを取ったのが、このプラウダ高校。正々堂々負けようが、内輪揉めで負けようが、負けは負け。あの時の屈辱、今日、晴らしてくれようぞ)

 

 決意に胸を引き締め、ぎりぎりと噛み締める奥歯の隙間からひり出すように、力強く腕を振って指示を出した。

 

「全車進軍!」

 

 その指示に、六輌の戦車はきゅらきゅらと答えた。

 



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その②

 大洗の進軍は遅々としたものであった。少し進めば偵察を出すという用心深さに加えて、雪上ということもありいつもと勝手が違うのも要因の一つである。所々に存在する丘陵を登るのに苦戦しながら着実に一歩一歩進んで行った。

 みほはキューポラより上半身を出して、周囲を警戒する。双眼鏡を用いてプラウダの戦車が雪に紛れたりはしていないか注意深く観察していると、視界に三輌のプラウダ戦車が飛び込んで来るのが見えた。

 

「偵察か?」

 

 呟くと同時に砲塔が向けられ、ドオンと重たい破裂音が轟く。飛来する砲弾は大洗の戦車近く、高々と積もる雪を一瞬で抉り取った。

 これで、大洗の履修生たちもプラウダ戦車の存在に気付く。驚きの声は上がるが、狼狽えている様子はなかった。

 

「たった三輌で我らに挑むか……何を企んでおるのか知らぬが、望み通り相手になってやろう」

 

 みほは迎え撃つように指示を出した。

 長砲身となったⅣ号戦車とⅢ号突撃砲が砲撃を加える。砲弾はプラウダの車輌を的確に捉えて、見事に白旗を掲げさせた。真白な世界に映える黒煙が、空に立ち昇り溶け込む。この煙が二本視認出来ることから、ニ輌の戦車を撃破したと分かった。

 

「T‐34を二輌撃破しましたね。幸先の良いスタートではないでしょうか」

 

 優花里が嬉しそうに言った。

 その言葉にみほは素直に頷くことが出来ない。何か胸に引っ掛かるものがある。それが何なのかは不明だが、無視して良いものではなさそうだった。

 考えている間に、残りの一輌が逃走を図ろうとする。履修生たちは追撃することを通信越しにみほへと進言して来た。

 

『西住ちゃん、追撃しよう。みすみす逃す必要はないって』

 

「ふむ、よろしいでしょう。追撃します」

 

 これには素直に頷いた。

 大洗は逃走する戦車の追撃に掛かった。隊列を崩さず、雪を踏み鳴らして、まるで山が動くように揺るぎない前進を続ける。

 追撃して行くと、待ち構えるように数輌の戦車が行く手に姿を現した。逃走していた戦車は反転、これらの戦車に合流して大洗を迎え撃つ態勢に入る。

 

「撃てぇ!」

 

 みほは号令を掛けた。

 大洗が砲撃すると、プラウダ側も反撃する。数の上では互角であり、壮絶な撃ち合いになると思われたが、プラウダはあっという間に潰走を始めた。この撃ち合いで、プラウダはさらに二輌の戦車を失った。

 

『弱すぎるぞ、何だこれは!?』

 

 信じられない、と桃は驚愕した。こちらに被害は皆無だが、既に四輌の戦車を撃破している。強豪校の一角にしては何という手緩さであろうか。

 通信では、桃のようにプラウダの弱さに驚く声や、拍子抜けしたとでも言いたげな気の抜けた声が飛び交う。

 

『これでサンダースと同格なのか』

 

『なんかもう楽勝だよね~。ストレート勝ちしちゃったり?』

 

『私たちが強すぎるんじゃないの』

 

 みほは通信の声を聞きながら考える。

 

(確かに、他愛ないぞ)

 

 だからこそおかしい。

 昨年戦った時はこんなものではなかった。この程度であれば、内輪もめしていようが負ける筈がない。かと言って、たった一年でこれほどまでに弱体化したとあらば、準決勝にまで上り詰めることはないだろう。何かある。

 みほが考えていると、頻りに皆が追撃するべきだと言って来た。これだけ弱いのなら慎重になる必要はない。一気に攻め潰してしまおう。

 勝ちを確信したような通信越しの声は、みほの胸の引っ掛かりを解いた。同時に、手に取るようにプラウダの手の内が読めた。

 

(なるほど、なるほど。私たちを招き寄せて包囲し、悉く討ち取る心づもりであろう。弱兵ぶりはこちらを油断させるためのもの。確かこの先の窪地には廃村があった筈。そこでノコノコ釣られる私たちを待ち構えておると見たわ)

 

 間違いないだろうと腹の底から笑いたくなった。

 だが惜しいかな。プラウダの策はみほの想像した通りの策であったが、察知するのが少し遅かった。僅かの時間の差が、これからの展開を定める。

 みほがプラウダの罠を明かそうとした時、怒声のような声があがった。

 

『西住! 何をチンタラしているんだ! このままでは敵のフラッグ車が逃げてしまうぞ! 早く追撃の命令を出せ! ええい、お前が出さないと言うのなら、私が出す! 全車、敵を追うぞ! 進め!』

 

 指示を出したのは桃であった。

 潰走するプラウダ戦車の中には、フラッグ車が混じっている。フラッグ戦はフラッグ車さえ倒せば勝ちなのだ。むざむざとこれを逃がすという手はない。

 桃の指示に従ったのは、彼女の乗車する38tとⅢ号突撃砲に八九式中戦車。主に試合前の作戦会議で、慎重論ではなく速攻論を語った者たちだ。

 

『ごめん、西住ちゃん! だけどあれさえ倒してしまえば、私たちの勝ちなんだ。勝手は重々承知だけど、行かせてもらうよ!』

 

 これに息を呑んだのは、みほ以外の追撃に加わらなかった者たちである。気持ちは分からなくもないが、明らかな独断専行だ。

 

「皆、引き返して! みほはそんなことを言ってないよ! 戻って!」

 

 沙織が通信機に向かって怒鳴るも、追撃する者たちは喚声をあげていて沙織の通信に気付いていない。例え気付いたとしても止まらないであろうが。

 自分の言葉では止まらない。どうするべきかみほの指示を仰ごうと、沙織が小窓から顔を出してみほを見た。その時、みほは怒りを超えた悲しみの表情を浮かべて、じっと黙って前方を見つめていた。沙織はその表情に何も言えなくなる。

 

『みほさん、どうしますか?』

 

 代わりだとばかりに、緊迫した様子で梓が訊ねた。

 返答はなかった。

 暫くすると、遠くから間断のない砲撃音が聞こえて来る。どうやら追撃した者たちがプラウダの罠に嵌ったようだ。

 

「皆、聞こえる! 大丈夫だったら返事をして!」

 

『うわッ!』

 

 沙織の通信に、返って来るのは爆音と悲鳴だけである。何とかしたくはあったが、どうにも出来はしない。無事を祈る以外に沙織が出来ることはなかった。それは沙織以外の者たちも例外ではない。みほもただ沈黙を保っている。

 轟く砲撃音は鳴り止むことを知らなかった。すると、砲撃に晒されている者たちから通信が入る。

 

『西住ちゃん、聞こえる?』

 

 声の主は杏だった。

 弱々しくも切羽詰まった声で、追撃した後何が起こったのかを杏は話す。

 潰走するプラウダを追撃した杏たちは、廃村に進入した。そこでフラッグ車を見失ったかと思えば、四方八方を完全包囲される形で敵が出現。散々に攻め立てられるも、命からがら何とか脱出し、廃れた教会の中に逃げ込んで、現在籠城中とのことだ。

 

『ごめん。こんなことになって何と詫びれば良いのか分からないけど……本当にごめん』

 

『会長は悪くない。全ては私の責任だ。西住、済まん』

 

 涙ながらに杏と桃が謝罪をする。

 よもやこのようなことになるとは思っても見なかった。恣意的な行動を取った挙句に敵を倒したならまだしも、戦況を危機に陥れてしまったのだ。謝罪だけで許されることではないが、謝罪をする以外はない。二人に続く形で、他の者たちも先を争うように謝罪の言葉を口にした。

 その謝罪の言葉にみほはため息をつく。

 よくも勝手なことをしてくれたなという怒りのため息か、この愚か者どもめがと失望のため息か。杏たちの身体が震えあがった。

 しかし、このため息の意はそのどちらでもなかった。怒りも失望もなくはないが、仕方のない人たちだなというため息である。

 みほは、別段杏たちを責めるつもりはなかった。勝たなければ廃校。そのことを考えれば、桃の越権行為も焦燥に駆られたものであることは分かる。勝たなくてはという想いが先行したのであろう。それにきちんと心の底から謝罪をしてくれたのである。心を打たれたと言ってもよく、至って穏やかな気持ちだった。言い訳、開き直りをされれば決して許しはしないが、反省心を持つならばその限りではない。

 

「怪我はありませんか?」

 

 この言葉も穏やかな気持ちの表れであった。

 

『へっ? いや、だ、大丈夫だよ』

 

 予想していた反応と違う。火山が噴火したように怒鳴り散らして来ると思っていたのに、みほは優しく気遣って来た。しどろもどろに杏は答えるしかない。

 そうですか、とみほは頷き返事を送った。

 

「堪えて下さい。今からそちらに合流します」

 

『えっ? あちょっ――』

 

 杏の返信を待たずして、みほは通信を切った。

 それから梓たちへと鋭く言い放つ。

 

「今も敵の猛攻に杏さんたちは晒されています。彼女たちの自業自得とは言え、これを見殺すことは戦力的にも、心情的にも出来ないでしょう。私たちはこれより、彼女たちの立て籠もる教会へと駆け入って、救出します」

 

 みほがそう言いわたすと、先ず返事をしたのはみどり子である。

 

『私は西住さんに従うわよ』

 

 みどり子の返事は大多数の返事であったが、救出しに行くという決断を危ぶむ者たちも当然いる。軽率に過ぎるのではないか。今回の戦いは慎重にやると決めていると言うのに。代表として梓がみほを止めに入った。

 

『みほさん、お気持ちは分かりますし、仰ってることもごもっともなことと思います。ですけど早まってはいけません。いくらみほさんと言えども危なく、無謀極まりないかと思います。ここはもう少し様子を見て何か手立てを考えた方が――』

 

「それでは遅い」

 

 梓の言葉にみほは被せる。

 

「梓さん……いや、梓。お前は私のことをよく分かってくれているが、それでも完全には理解していないようだな」

 

『何を仰るんですか……!?』

 

「上杉謙信とはどのような男か……西住みほとはどのような女か……義とは何であるか……戦いに多少の犠牲は付き物である。それを知らぬ私でもなく、時に犠牲となるよう指示を与えることもある。だが、今回はそのような指示を与えた覚えはない。私の心は決している。止めるな」

 

 こうまで決意の固さを示されてしまえば、梓も口を閉じるしかない。みほを信じて付き従うだけである。

 他に止めようとする者はいなかった。みほは早速実行に移す。

 みほの指示に従い、Ⅳ号戦車、M3中戦車リー、ルノーB1bisが前進を開始し、そうして一丸となって廃村へと突入して行った。

 

 

 



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その③

 カチューシャは驚きを隠せなかった。不意討ちではない。予想していた通りの展開である。廃教会に追いつめて包囲している三輌の戦車を、みほが助けに来ることは分かっていた。彼女はこちらの立てた作戦に嵌ったのである。

 けれども、その上で仰天していた。

 作戦を立てたのはノンナだ。最初に二人で考えた誘き出し作戦は、半分成功半分失敗に終わった。大洗勢を廃村に誘き寄せるのには成功したのだが、誘き出せたのは三輌だけで、その中にみほはいなかった。血気盛んな三輌だけが釣られて、みほが駆る戦車を含めた三輌は釣られなかったようである。

 それでも半分は釣られたので良しだと、カチューシャは釣った三輌を撃破するよう指示を出そうとした。それを待てとノンナが止めたのである。

 

『彼女たちを利用して、みほさんを誘き寄せましょう。私に良い考えがあります。私が知っているみほさんならば、必ず来る筈です』

 

「どういうこと?」

 

『あの三輌を教会の方に誘導して下さい。彼女たちをそこに逃げ込ませて、完全に包囲。後は適当に倒さない程度の攻撃をし続けて下さい。全車輌ではなく、ニ、三輌だけで。そうすれば、みほさんのことです。救援にやって来るでしょうから、攻撃に加わらなかった残りの車輌でそこを狙いましょう』

 

 自信に満ちた口調だった。ノンナは自分の言った言葉に一切の疑問は抱いていない様であった。

 カチューシャとしては懐疑的にならざるを得なかったが、最も信頼するノンナが確信を持っていることに加え、殊更みほに詳しい彼女が言うならばと、作戦を実行に移すことにしたのだ。そうしてみほはやって来た。

 

「まさかッ!? 本当に!?」

 

 教会目掛けて真一文字に疾駆して来る三輌の戦車。先頭を駆けるⅣ号戦車のキューポラから上半身を出すのは、確かにみほである。白練の絹で頭と顔を行人包みにしているのが、うっすらと分かった。

 

『カチューシャ』

 

 すかさずノンナからの通信。指示を出せ。突進して来る敵へ向けて砲撃するよう指示を出せ。ノンナはそう言っている。

 言われるまでもない。こんな絶好の機会を見逃せるものか。どれだけ自分に自信を持っているのか知らないが、わざわざ討たれに来た様なものだ。半分の戦力。捨てるのは痛いが、自分ならば捨てている。その方が利口な考えと言うもの。やはりお前は無能だ、西住みほ。

 理解が及ばないみほの行動を心の中で嘲笑いながら、カチューシャは砲撃を始めるよう全体に申しつけようとした。

 その時、偶然か必然か、カチューシャの眼とみほの眼がまともに合わさる。肉眼ではっきりとしない程度の距離はあった。だが、眼と眼が合ったのだ。カチューシャの身体が凍り付いたように固まった。

 

「あっ、ああ……」

 

 異様に鋭い光を放つみほの眼に、カチューシャは気押されていた。恐怖していたと言い換えてもいい。何だあれは。何という恐ろしい眼をしているんだ。まるで人間とは思えない。理解に及ばないのは行動だけではなかった。しかもこれは笑えない。

 夢か幻か、カチューシャには確と見えた。七宝荘厳の甲冑に身を包んで、憤怒の表情を浮かべるその姿。自分を視線で射抜いて来る姿が見えるのだ。これはまさか――

 

「こ、殺しなさい!」

 

 思わず、カチューシャはそう叫びそうになった。自分の意思とは関係なく、反射的に。人が恐怖を覚えた時の自然過ぎる反応である。カチューシャはみほが怖かった。

 どうしよう。どうすればいい。カチューシャの頭の中は混乱している。とても冷静に指示を出せる状態ではなかった。

 

『どうしたんです、カチューシャ? 早く』

 

 通信越しのノンナの声。これがカチューシャにとって救いとなった。ノンナの声で気が落ち着いて来た。親友の声は安心する。

 それでも完全ではなく、さらに安心感を得ようと隣に視線を移した。少し離れた位置にノンナの姿が見えた。彼女は心なしか頬を赤らめているようだ。一瞬後、カチューシャの視線に気付いたノンナが振り向く。

 

『カチューシャ、このままではみほさんが……早く指示を出して下さい』

 

 ノンナは言うが、この通信、カチューシャの耳には入ってなかった。全て入っていないわけではない。実際は『みほさん』という言葉だけを聞き取っていた。

 

(な、何で……?)

 

 どうしてノンナは嬉しそうなんだ。表情からも声からも伝わって来る。何がそんなに嬉しいのか。いや、考えるまでもない。憧れている西住みほが、推察通りに現れたから嬉しいのだろう。憧れの西住みほと現実の西住みほが、見事に合致したことが堪らなく嬉しいのだ。完全に見惚れている。そうだ。これこそが私の憧れる西住みほだと言わんばかり。

 安心感はもう十分だった。頭の中は冷静を取り戻している。すると、むくむく唐突に一つの思念が浮上して来た。

 

(ノンナは、私のノンナなのに……!)

 

 その思念は小さな子供が母親を、思春期の少女がたった一人の親友を、恋を知る女が恋人を取られたような、そんな思念であった。カチューシャは、みほにノンナを取られたような気分になっていたのだ。

 

(そうか。だから私は西住みほを)

 

 ここに来て疑惑の鍵が一つ解けた。まさに忘れていた頃である。意味も分からず頑なにみほを拒んでいた理由が判明したのだ。

 妬みである。大切な親友に憧れを抱かれるみほを妬み、それが転じて全ての否定につながったのだ。

 

(西住みほから取り戻さなくちゃ! ノンナは私のノンナなんだから!)

 

 だから、カチューシャがこのような決意を抱いてもおかしなことではない。取られたものは取り返す。当たり前のことである。

 ではどうやって取り返す。簡単なことだ。憧れの対象を自分に移せばいい。自分の方が優れている。貴女が憧れるのに相応しい人物である。これを証明すれば良いのだ。この戦いで、誰が見ても文句なしに勝利して。

 奮い立つカチューシャ。いつしかみほへの恐怖は消えていた。

 

『何故、何も言わないのですか! カチューシャ!』

 

 通信越しにではなく、肉声が聞こえてくるような大声でノンナが言った。先ほどから反応がないカチューシャへの訝しみと、間近に迫りつつある大洗勢への焦りが読み取れる。

 対してカチューシャは、抑えたような声でノンナの通信を返した。

 

「待機。全車待機よ。あの猪のように猛進して来る奴らには何もしないで良いわ。撃って来るのならばやり返しなさい。そうでないのなら放っておきなさい」

 

 この思いもかけぬカチューシャの命令にプラウダ勢は呆然となった。特にノンナは、開いた口が塞がらないと、間の抜けた表情を晒している。

 ここで迫り来る大洗勢へ集中砲火を加え撃破するのは容易いこと。しかしそれでは意味がない。カチューシャにとって、今回の戦いはただ勝てば良いというわけではなくなったのだ。自分がみほより優れていると、ノンナに証明した上で勝利しなくてはならない。勝つだけでなく、ノンナを取り戻さなくてはならないのだ。

 そのためにも、当のノンナに言っておくことがある。

 

「ノンナ。今日は、貴女の助言はもういらないわ。私の力で、西住みほに勝つ。そうじゃないと意味がないから」

 

 ノンナの力を借りずに、自分が立てた作戦で、自分の指揮の下でみほを倒す。それが、みほを超えた事の証明となるのだ。

 カチューシャの言葉を聞いて、意味の全容をノンナは悟ることが出来ない。ただ自分に愛想を尽かした末の言葉でないことは痛いほど伝わって来る。

 

『何を考えているのです?』

 

 などとは訊かない。訊くのは無粋な気がしたのだ。一言、

 

『分かりました』

 

 とだけ返事をした。

 カチューシャとノンナがこうしたやり取りをしている間に、みほ率いる三輌の戦車が眼前という位置にまで距離を縮めて来た。肉眼ではっきりと見えるみほの瞳は、やはり爛々と眩いまでの鋭い輝きを放っている。それを見てもカチューシャに怯えはない。

 眼前にまで迫って来たみほは、何もせずにそのまま駆け抜けて行った。カチューシャも何もせずに見送る。見送る視線は、みほの背中に書かれた毘の一字に注がれていた。

 

「毘……毘沙門天、か」

 

 呟くカチューシャ。この時点で、カチューシャは対等で明確な敵としてみほを認識したのであった。

 



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その④

 みほの姿が視界に飛び込んで来た時、杏たちは真っ先に幻覚を疑った。しかし、直ぐに本物だということに気付く。その場にいるだけでひしひしと周囲に圧力を感じさせるのは、本物のみほを置いて他にはない。

 最初に戦車から飛び出したのは桃だった。その動きに合わせてみほもⅣ号戦車より飛び降りる。すると、桃はみほの前までひたかぶと駆け出し、おもむろに地面へと膝をつき、さらに両手をつき揃えた。

 

「済まん。本当に済まん!」

 

 壊れたレコーダーの如く何度も何度も繰り返す。

 桃に遅れてはならない。杏を含めて他の者たちもわらわらと戦車から降りて、桃に倣った。皆、額を擦り切れろとばかり地に擦り付け、謝罪の言葉を口にする。その声は震えていた。

 短な時間、この様子を凝視してから、みほは一言発する。

 

「面を上げて下さい」

 

 重厚感のある低い声だった。

 杏たちの身体がピクリと震えた。先ほどの通信では優しそうだったが、やはり怒っている。それはそうであろう。越権に独断専行、おまけに戦況不利の手土産。これで怒らない人はそうはいない。人より感情を激しやすいみほなら猶更だ。

 左衛門佐が隣のおりょうにだけ聞こえる声で呟く。

 

「……介錯を頼む」

 

「……私もされる側ぜよ」

 

 戦々恐々。二人の気持ちは平伏する者たち全員の気持ちである。

 ゆっくりと顔を上げた。そこにあったのは般若の形相……ではなく、柔和な菩薩の笑みであった。そうして次にみほの口から出た言葉は、表情同様に柔らかなものであった。

 

「皆、ご無事で何より。間に()うて良かった」

 

 胸がギュッと締め付けられた。

 何と優しい言葉か。軽蔑、罵倒、失望、これらの言葉が吐き捨てられることを予想していただけに、鮮やかに胸へと響く。

 行人包みの下より覗くみほの瞳は、ひたすらに温かみがあった。

 

「た、隊長……」

 

 典子の声は変わらず震えているが、これは別の震えである。罪悪感からの震えではなく、感動からの震え。身体の震えもまた同じ。

 感極まったのだろう。桃は大粒の涙を瞳に浮かべた。涙が筋をひいて、頬を伝う。伝った涙は地に落ち溶け込んで行った。

 

「にじずみぃ……」

 

 それから桃は、ワッとみほの足に縋りついた。

 他の者たちも感激の涙を隠せなかった。桃と同じようにみほへ縋りつく者、目元を腕で押さえて涙を堪えようとする者、みほへと祈りを捧げるように両手を組む者、様々な反応を見せる。それらに対して、みほはただ優しく笑みを湛えていた。

 その時である。この感激の涙を絶望の涙に変える言葉が、Ⅳ号戦車の中で無線に耳を傾けていた沙織の口から飛び出した。

 

「みほ。何か、天候が悪いから試合を中止するかしないかで協議中って、審判から」

 

 穏やかな微笑みは瞬時に険しくなる。足には桃たちが縋りついているため、みほは上半身だけ振り返り外の様子を確認した。激しい。ビュウビュウと風が鳴き、雪は荒れている。天候は何時の間にか吹雪に変わっていた。

 

「お、おお……!」

 

 思わず呻く。

 何かただ事じゃないことが起きている。みほの様子から感じ取り、杏の赤くなった目に疑問の色が浮かんだ。

 

「西住ちゃん、どうしたの?」

 

「いえ、面倒なことになったものだと」

 

「どういうこと?」

 

 戦車道のルールでは、悪天候などにより試合を中止する場合、その試合の勝敗は審判が決めることになっている。両チームの残存戦力を比較、また、どちらの方が優勢であったかなどを審査の判定基準とするのだ。

 

「今のところプラウダの方が優勢だからな。判定負けの可能性は極めて高い」

 

 そう言ったのは麻子だ。のそりのそりとⅣ号戦車から這い出て来る。残りのⅣ号戦車の乗員、M3中戦車リーの乗員、ルノーB1bisの乗員も続いた。誰も彼もが眉間に皺を寄せて、険しい表情である。

 その険しい表情は、杏たちには自分たちへの非難のように思えた。プラウダの策にまんまと嵌りさえしなければ。感激もそれまでに再び罪悪感へと飲まれ、顔を俯ける。

 

「どうしよう……」

 

 弱々しく言ったかと思うと、桃は縋りついていたみほの足を揺すり始めた。細いように見えて、しっかりと鍛えられ、猛獣のようにしなやかな足は大木のように動かない。それでも夢中で揺する。どうしよう、どうしよう、と。

 桃はみほ同様に感情が激しやすい。いや、以上かも知れない。自分の所為で負ける。自分の所為で大洗が廃校になる。そう思ってしまうと、もう自分で自分を抑えられない。繊細な心は重圧に耐えきれないのだ。十にも満たない小さな女の子のように、喚き出した。

 

「どうしよう、西住! どうしたら良いんだ!? 助けて! 助けてくれぇ! 私は嫌だぁ! 負けたくない! ここまで来たんだ! お前のお陰でここまで来れたんだ! だから負けたくないんだ! 嫌だよ、西住! このまま廃校なんて絶対嫌だぁ!」

 

 超然として落ち着いた性格という擬装が剥がれ落ちている。

 わんわんと泣き喚く桃。無意識に言葉を選んでいるためか、自分で何を言っているのか気付いていない。顔を涙でくしゃくしゃにして、鼻水まで垂らしている。

 杏と柚子は天を仰いだ。言ってしまった。出来る事なら秘密のままにしておきたかった大洗の廃校、よもやこんな風に露見してしまうとは。

 気付いていないわけはないであろう。現に履修生たちは目を瞠って桃に視線を集中させている。廃校という単語がぽろぽろと口から零れ落ちている。これでは誤魔化しようがない。腹を括るべきだ。この際、全てをぶちまける。

 

「廃校とはどういうことですか?」

 

 疑問を口にする梓は視線を桃から杏に移していた。

 この調子では桃が冷静に事実を語ることはあるまい。そして廃校ということを桃が知っているならば、生徒会長たる杏が知らない筈もない。詳しい話を是非お聞かせ願いたかった。

 良い振りをくれた。ここぞと杏は一息に語った。

 

「我が校は今年度いっぱいで廃校が決まっていてね。まあ、古いだけで特に目立った功績がある学校じゃないからさ、仕方ないっちゃ仕方ない。でも私たちは仕方ないで終わらせたくなくてね。無駄に足掻いてみることにしたのさ。それが戦車道。お上がこいつに力を入れていることを知ったから、優勝を条件に廃校を取り消してもらおうと思ったってわけ。普通だったら無理だけど、何の因果か、黒森峰から隠遁のような形で転校して来た西住ちゃんがいてくれた。だから私は助けを求めた。西住ちゃんは快諾してくれてね、こうして今に至るってこと」

 

 履修生たちは仰天した。優勝を条件に廃校を取り消すということは、負ければ廃校は決定的。廃校という事実だけでも驚きだと言うのに、それを負けるかもしれないというこの局面で明かされれば、驚きは一入である。

 一方で、梓と優花里はそこまで驚いている風でもなかった。先日、鍋を馳走になった際、垣間見えたみほと生徒会の特別な関係。どのような秘密があると思えば、なるほど、こういうことであったか。

 場が静まり返った。くぐもった桃の泣き声がよく聞こえる。

 

「あの、これを」

 

 沙織が桃の肩を叩き、ティッシュを手渡した。桃は奪い取るようにそれを受け取ると、涙を拭き取って、大きな音を立てながら鼻水をかんだ。

 そこで凍ったように動きを止める。場の異常さと、何より今までの自身の狂態に気付いたのである。使用済みのティッシュを握りしめ、ぎこちなく周囲を見回した。

 

「ああ、河嶋。廃校の件、暴露しちゃったから」

 

 自身が原因でありながら状況を把握していない桃に、さっぱりと杏は言った。

 拭き取った涙が、また溢れ出しそうになる。絶望の表情。終わりだ、全て。穴があったら入りたい。いや、死にたい。桃は責任感が強い。であるから窮すれば極端である。

 そんな桃にカエサルたちが言った。

 

「河嶋先輩だけの所為ではないさ。私たちも同罪だ。なあ、エルヴィン?」

 

「その通り。貴女一人に責任は押し付けんよ」

 

「腹を斬る時は皆で斬ろう」

 

「短い人生だったけど、自業自得ぜよ」

 

 追撃を指示したのは桃であるが、それに乗っかったのは他でもない自分たちだ。これで負けて廃校が決まったとしても、桃一人の責任にはしない。そんなこと出来はしないのだ。

 典子たちもカエサルたちと同じ気持ちだ。

 

「お腹斬るの、痛そうですね~」

 

「キャプテンがいつも言っているだろう。根性でやるんだ」

 

「本当に切腹なんてするんですか?」

 

「大洗が消滅し、私たちの悲願であるバレー部再興が露と落ちた暁には、それもまあ悪くないかもしれん」

 

 口々に悲観的な言葉が飛び出して行く。

 教会に陰気な空気が漂い始める。嫌な流れだ。既に敗北の気が出て来ている。梓たちやみどり子たちにも、この嫌な気は伝播し、士気は最悪な状態であった。

 いかん。そう思ったのはみほである。これでは勝てる戦いも勝てなくなる、と。

 みほは勝利の道を諦めてはいない。このまま天候不順で試合中止の令を出され、負けることなどはあり得ない。何故ならば、天は正しき者の味方だからだ。これまで天に背かれるような生き方をした覚えは微塵もない。欲の世界で誰よりも義を貫き通して来たつもりだ。だから天は何時だって味方なのだ。そうでなくては、何を信じて生きていれば良いのか。

 だからこの吹雪も天が自分たちのために降らせてくれているのだろう。そうに違いない。天のお膳立てだ。ならば自分は応えなくてはいけない。

 差し当たっては、低下した士気を高め直す必要がある。

 

「者ども、聞け!」

 

 声を張り上げた。みほは視線が集中するのを感じた。つい口調を取り繕うことを忘れたがもういい。このままでいこうと、先を続けた。

 

「何を悲観しておるのかは知らぬが、特に案ずることはない。お前たちが腹を召す必要も、廃校に嘆く必要もない。此度の戦いも我らの勝利に終わろうぞ」

 

「だけど、このままじゃ」

 

 M3中戦車リーの砲手、大野あやが俯き気味に言った。

 みほは大口を開けて笑い飛ばす。

 

「ハハハ! それこそまさに案ずる必要のないこと! 天は我らの味方だ! カチューシャの如き礼節知らずの輩にその恩恵を与えようなどとありはせん! あの吹雪はカチューシャめに怒りを叩き付けておるのだ!」

 

 皆が顔を見合わせる。

 そんな筈はない。そんな筈はないのだけれど、断言口調にみほが言えばそうだと信じたくなって来る。落ち込んでいた気が、急速に持ち直して来た。

 気は自らの正しさを信じて疑わぬところより生ずる。無茶苦茶な理論でも何でも、信じさせることが重要だ。まあ、みほにとっては無茶苦茶でもなく真理の言葉であるが。

 ともかく立て直して来ている。みほはたたみ掛けた。

 

「私を信じろ! 神に誓って私は嘘は申さぬ! 勝たせてやろうとも! 救おうとも! お前たちを、大洗女子学園を! 故に信じよ! それでも心から不安を消せぬと申すならば、祈れ! 神に、天に祈るようにこの私に祈れ! 勝たせてほしい、救ってほしいと祈るのだ! 私に、私の中の毘沙門天へと祈りを捧げよ! さすれば、願いは叶うであろう!」

 

 履修生たちの眼に輝きが戻り始めた。猛然と身体の内から熱が沸き出す。

 最後、みほは大きく息を吸った。一拍。出て来た言葉は、履修生たちの身体を雷に打たれたように痺れさせ、地震が起きたように教会内を振るわせるもので――

 

 

「三位一体! 我は西住みほなり! 我は不識庵謙信なり! 我は、毘沙門天なり!」

 

 

 瞬間、履修生たちは腕を突き上げた。示し合わせたわけでもなく、心を一つに、えいえいおー、と鬨の声を上げる。

 そうだ。不安に思う必要はないのだ。勝てる。勝てるぞ。だって私たちには最強の味方が付いているではないか。負けた時のことなど考えなくてもいいのだ。

 

「えいえい!」

 

「おー!」

 

「えいえい!」

 

「おー!」

 

 丁度十回、鬨の声を上げると、その勢いを冷めさせぬままに言った。

 

「どういうわけか先ほどからプラウダめの攻撃がない。恐らくは我らがこの教会を出た時に勝負を仕掛けて来る腹積もりであろう。正々堂々の力比べをしたいと申すならば、カチューシャめも可愛げがあるというものだが……まあ良いわ。優花里!」

 

「はいっ!」

 

「お前はこれより吹雪に紛れ、プラウダの陣営をつぶさに見て取って参れ。危険ではあるが、お前ならば出来よう。頼むぞ」

 

「はい、任せてほしいであります!」

 

 みほが優花里へと指示を出すと、左衛門佐、桃、典子の三人も同様の任を希望した。プラウダの罠に嵌った各チームは自責の念が深く、その償いをしたがっていることは明らかである。三人はその代表だ。みほは嬉しく、そして可愛いと思うばかりだった。

 

「左衛門佐。お前は優花里と共に行け! くれぐれもしくじるでないぞ」

 

「かしこまる!」

 

「河嶋さん、典子。優花里と左衛門佐と同様。二人協力して情報を」

 

「西住、いや、隊長。任せてくれ」

 

「了解」

 

「よし。皆、行け!」

 

 四人は勇躍して教会を出、吹雪の中に消えて行く。

 みほはそれを見送ると、他の者たちに言い渡した。

 

「皆はいつ何時出撃出来るように、暖を取り身体を温め、戦車を調整し、支度しておいてくれるように。よいな」

 

 はい、と皆が答えた返事は、教会内どころか外へも轟かんばかりであった。

 

 



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その⑤

 優花里たちが偵察より帰って来ると、みほは先ず言葉で労をねぎらい、冷えた身体を温めるようにと手ずからスープを与えた。そうしてから地図を広げ、プラウダの布陣がどうなっているのかの情報を求める。優花里たちはスープを飲み干して、丁寧に口頭で説明をしながら地図に書き込んでいった。

 

「完全に包囲されていますね。しかし、一部に手薄な部分があります」

 

 梓が地図を指さす先に視線が集中する。地図を中央にして集まっているのは、偵察に行った四人を含めリーダー級の者たちだ。彼女たちは、ならばこの手薄な場所を突破して脱出しようと口々に言う。これにみほは首を振った。

 

「それが敵の狙いだ。兵法における初歩の中の初歩。態とここの包囲を手薄にしておるのだ。このように包囲戦を仕掛ける時、どこも万全であれば、包囲される側は死兵と化して死に物狂いで戦わざるを得ない。だが、逃げ道を作っておけば、藁をも掴む心地でこちらに行くだろう。死兵と安心感がある兵では、戦いに歴然の差があるからな。プラウダの狙いはそれだ。故に、私たちはここへと突撃する」

 

 地図上の教会から真っ直ぐと人差し指を動かしていくみほ。突撃のルートはプラウダの包囲が一番厚い中央部であった。中央へと駆け抜け、そのまま敵のフラッグ車を討つ。

 敢えて最も万全な所を狙い意表をつくのである。わざわざ敵の狙い通りに動く必要はないので、危険そうでも有用だと思われるが、これには梓が反対の意を示した。

 

「プラウダはそれをこそ狙っているのではないでしょうか?」

 

「どういうこと?」

 

 杏は首を傾げる。杏だけではなく、他の者たちも梓の懸念が分からない。言ってみろ、と先を促すみほは笑っている。

 

「敵はみほさんのことを良く知っている筈です。ですから中央突破をして来ることも、読んでいるのではないでしょうか」

 

 先ほどみほは、包囲に手薄な個所を作るのは兵法の初歩だと説明した。であるならば、プラウダは知っている筈なのだ。自分たちが包囲に穴を開けた理由を、みほは知っているという事実を。知らずとも、兵法の初歩であるとするなら西住流の人間ならば学んでいるだろうという予想は容易に立てられる。だから敵が狙っているのは、手薄な個所を攻撃して来ることではない。

 

「プラウダはみほさんが中央突撃をして来ることを狙っているのです。意表をつかせたと私たちに思わせておきながら、悠々と待ち受けて殲滅する。だからその裏をかいて、ここの手薄なところを突破するべきです」

 

 仕舞いにとんとんと梓は地図を叩く。

 なるほど、確かにお前の申す通りだ。そう言ってやりたいみほであったが、まだまだ読みが甘いと言わざるを得ない。敵の狙いはやはり、手薄なところを突いてもらうことである。

 強豪校の一角を占めるプラウダ高校の隊長を務めるカチューシャ。礼節を知らない輩ではあるが、出来る人物ではある筈だ。みほに油断はない。

 

「梓。カチューシャめは私たちがそう読んでくることを、ほくそ笑んで待っておることであろうよ。奴はお前の一歩先を行っておるのだな。だが私はさらにその先を行く。裏の裏のそのまた裏をかくのだ。ハハ、しかしよくそこまで考えたな。お前がそこまで考えついたことは嬉しいぞ。これからも精進致すようにな」

 

 本当に嬉しそうに声を出してみほは大笑する。

 梓は頭を鈍器で殴られたような衝撃を味わった。まだまだ自分は甘いのだ。

 自分の未熟さを思い知ったのと、誉められて嬉しい――羞恥と照れが入り混じり、梓はポッと頬を赤らめる。と、同時に、みほへの敬意を一層深くした。

 二人以外の者たちは、やり取りに感心する他はない。自分たちはまったく気がつかないことに意見を発した梓に驚き、それ以上に敵の考えを読み解くみほの凄さを再認識した。

 作戦会議はこれで終わりだ。敵の包囲が一番厚い中央部への突撃と決まった。

 

「さてと、うん? おお、これは!?」

 

 みほが外へと視線を向けると、すっかり吹雪が止んでいた。作戦会議が終わった途端に降り止むとは、何と良いタイミング。直ぐにも作戦を実行に移せという天からの思し召しであろうか。やはり天は私たちの味方なのだ。

 

「よし、みな戦車に乗れ! これより教会を出、敵の包囲を突破し、フラッグ車を討ち取るぞ!」

 

 指示を出されると、大洗戦車道履修生たちは早々と動き出し、あっという間に出撃の準備を整える。それを確認したみほは、腕を大きく振った。

 

「突っ込めッ!」

 

 六輌の戦車が教会から飛び出す。

 すると、白雪の世界が砲音とそれを上回るような叫喚に引き裂かれた。

 

 

 

 

「皆、勝てる戦いよ。気張りなさい!」

 

 カチューシャは旗下のプラウダ生たちを励ましながら、今度は驚きもなく大洗の動きに対処した。みほを一人の敵として認めている今、彼女の心には流石だという思いが強い。本来であれば、包囲が手薄な個所を狙って来たところを一網打尽とするつもりであったが、自分の考えの奥まで読み取られてしまったらしい。見事だと言う他はなかった。

 こうして見ればノンナが惚れ込むだけのことはある。頭の回転は速く、常に先頭を切り堂々としていて、勇敢。でも負けない。勝つのはこのカチューシャだ。

 

「怯える必要はないわ。敵の突撃の勢いを止め、押し包んで討ち果たしてしまいなさい」

 

 最も包囲の厚い中央部は、八輌の戦車を二列に分けて配置している。前後それぞれ四輌で備えていた。まるで百や千の雷が一時に落ちかかって来ようとも、何ともないような剛健さを秘めている。そこに大洗勢は突進して来た。

 先ず前列の四輌が交戦状態に入る。激しい砲撃戦。押し止めようとするプラウダと防御を破ろうとする大洗。突撃の勢いは甚だすさまじく、優勢なのは大洗であった。

 

『プラウダ高校、76及び85、戦闘不能を確認』

 

 プラウダはたちまちに二輌の戦車を撃破された。やったのは38tである。無人の野を駆けるが如く雪上を疾走する38tが、汚名を返上するべく身を捨てんばかりに奮戦したのだ。続く形でⅢ号突撃砲、Ⅳ号戦車が二輌を討ち、これでプラウダの前列は全滅した。

 勢いそのままに後列へ向けて大洗勢が駆け出す。しかしカチューシャに焦りはない。接近をさせるなと、IS-2に、すなわちノンナへと主砲発射の指示を出した。

 

『お任せください』

 

 IS-2が特大の火を吹いた。一撃目、これでM3中戦車リーが粉砕された。ドッと吹き飛ばされ、雪上を三度回転し、ようやく止まると白旗が昇る。

 まだ終わりではない。二撃目はルノーB1bisを捉えた。動かなくなり黒煙が天へと向かう。白旗を見るまでもなく戦闘不能である。

 二輌撃破された大洗は、けれども突撃を止めることはない。ここで勢いを止めれば負けるということを分かっているのだ。遮二無二フラッグ車を討ち取らんとしている。

 

(フラッグ車だけを後退させるべきかしら)

 

 カチューシャは考える。突撃して来る大洗と迎え撃つ後列の隊は同じ四輌だ。プラウダは今回の戦いで十五輌用意し、その内八輌は撃破された。後列の隊が四輌となると、別の地点に残りの三輌がいる。どうするべきか選択肢は二つである。

 フラッグ車を後退させ、三輌で迎え撃つ。だがこれは、突破されてフラッグ車の追撃を許せば負ける可能性が高い。もう一つの選択肢は四対四での決戦。数の上では互角、そして戦っていれば他の地にいる三輌の戦車が合流して来る。そうすれば七対四だ。一気に押し切れるだろう。

 

(カチューシャにはカチューシャのやり方がある。決めたわ。有無の一戦。私が死ぬか、彼女が死ぬか、ここで決着をつけるわ!)

 

 堂々迎え撃とうではないか。もとよりフラッグ車だけを逃がそうなどと言う発想は、このカチューシャに相応しくない。敵に背を向けるなど恥ずかしいことだ。

 考えている間に、大洗勢は距離を縮めて来た。駆けながら四輌が同時に砲撃をして来る。砲弾はプラウダの戦車を掠める。そして一発はカチューシャの近くを通り抜けて行った。

 胸が引き締まり、噛み砕かんばかりに奥歯を噛み締めると、カチューシャは叫んだ。

 

「西住みほ! 尋常に勝負よ!」

 

 砲撃の音にかき消され聞こえはしないだろう。でも構わないと声を張り上げた。するとどうだろう、みほの返答が返って来たのである。

 

「心得たりッ!」

 

 これを合図に決戦が始まった。

 戦いは一進一退である。互いに中々傷を与えることが出来ない。そんな中で先手を取ったのは大洗であった。プラウダの四輌は、T-34/85が一輌でこれにカチューシャ、IS-2が一輌でこれにノンナ、残りの二輌はT-34/76であり、内一輌がフラッグ車だ。大洗が仕留めたのはフラッグ車ではないT-34/76である。このまま大洗が追い込むかというところに、思いもよらぬ方角からカチューシャらは援護する発砲音が鳴った。別地点にいたプラウダの三輌である。

 このプラウダの増援が加わると大洗は逆に追い込まれる形となった。38t、八九式中戦車、Ⅲ号突撃砲が瞬く間に撃破され、フラッグ車のⅣ号戦車も危うしという状況であったが、一瞬、プラウダのフラッグ車が油断を見せた。圧倒的優勢になったことで、気に緩みが出たと思われる。この油断を見逃すようなみほではない。

 Ⅳ号戦車より放たれた一発の砲弾は、吸い込まれるようにプラウダのフラッグ車を貫いた。白旗がパタパタと翻る。

 

『プラウダ高校、フラッグ車の行動不能を確認。大洗女子学園の勝利!』

 

 審判の声が通信越しに結果を教える。

 

「負けたわね……」

 

 白旗の上がる自勢のフラッグ車を眺めながら、カチューシャは呟く。とは言うものの、呟いたほどの無念さはなかった。たとえ負けたとは言え、自分らしく戦い抜くことが出来たのだ。何よりも――

 

「お疲れ様でした、カチューシャ。今日の貴女は最高にかっこよかったです」

 

 と、ノンナの笑顔と言葉。戦いには負けてしまったけど、果たすべき目的は果たせたように思える。ノンナはみほを敬愛し、このカチューシャのことも敬愛している。それで良いじゃないか。別にノンナがみほのものになったわけじゃなかったのだ。それが分かっただけで、今は爽快な気分であった。

 



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その⑥

「先ずは先刻の無礼を謝罪するわ。礼を尽くした貴女に対する非礼、ごめんなさい」

 

 試合が終わり、待機場所にまでみほたちが戻ると、時を置かずしてカチューシャとノンナがやって来た。どうせ負け惜しみでも吐き捨てに来たのだろう、と思うが追い返す気にはなれず、聞くだけ聞いてやろうと面会すれば、開口一番は謝罪であった。

 先刻の無礼。試合開始前のことである。握手を無視し、名乗りもせず、肩車で相手を見下す態度。カチューシャはこのことを謝罪しているのであった。

 意外だ。慮外者とばかり軽蔑していた人物であったが、このように己が非を認められる人物でもある。こうなって来るとみほは自分が恥ずかしい。たまらず頭を下げた。

 

「こちらの方こそ、貴殿のことを見縊っていたことを謝罪致します。このみほこそ、何を偉そうに貴殿は礼節を知らない悪党の如きと辱め、誠に頭が上がりません」

 

「いえ、貴女の評価は正しいわ。そんな評価を下されても間違ってない態度を貴女に対して取ったのだもの。だから私の謝罪を受け取って頂戴。貴女の謝罪も受け取るから。そうしないと、貴女は納得しなさそうだもの」

 

 そういうことになった。カチューシャはみほを見上げ右手を伸ばす。握手を求めているのだ。勿論、これに応えた。

 みほの背後で成り行きを見守っていた大洗履修生たちはざわつきを見せたが、直ぐに拍手を二人に送る。カチューシャの傍に控えているノンナも、目元を拭う動作をした。

 

「それにしても、今回は負けたわ。今なら貴女が上杉謙信の生まれ変わりだとか、毘沙門天の化身だとか言われても、何だか信じ切れそうね。見事だったわ」

 

 邪気なく笑うと、カチューシャは大型のスクリーンに目を移した。みほも釣られて目を移すと、そこには『決勝進出』の文字と大洗女子学園の校章が映っている。

 

「決勝戦。貴女たちと黒森峰女学園。想像したら楽しみになって来ちゃった。貴女が上杉謙信なら、西住まほは武田信玄よね。さしずめ第六次川中島合戦。因縁のライバル同士、現代で遂に決着! うん、ほんと楽しみ」

 

 上手いことを言っているのかは人によるだろうが、少なくともカチューシャの物言いをみほは気に入った。姉ほどの人物ならば武田信玄の生まれ変わりでもおかしくはない。何せ自分は謙信の生まれ変わりなのだ。その自分と対等に渡り合えるまほを信玄とするのは自明の理だ。第六次川中島合戦。何と胸が高鳴ることか。

 

「私だけじゃなくて、他の人だってそういう風に決勝戦を見てるわよ。無様な戦いなんかしたら承知しないんだから」

 

 そう言いながら、カチューシャはちょいちょいとノンナを呼びつける。呼ばれるままにノンナがカチューシャの隣に立つと、カチューシャは一歩後ろに下がった。

 何をしているのだと、ノンナはカチューシャを見るが、ニヤニヤとしているばかりで何も答えない。少しの沈黙後、口を開いたかと思えば、対象はみほであった。

 

「西住みほ、ちょっと良いかしら?」

 

「如何なされました?」

 

「お願いがあるんだけど、ノンナと握手してあげてくれないかしら」

 

 脈絡もなく突然の願い。

 このカチューシャの願いに、あわあわと慌てふためくのはノンナである。目を回し、両手をそわそわとせわしなく擦り合わせ、もじもじと太腿をぶつけ合い、頬は真っ赤に、頭から湯気を立ち昇らせていた。

 カチューシャはそれを見ると、腹を抱えて雪の上を転げまわる。普段から表情を変えずに常に冷静な親友が、柄にもなく緊張しているのだ。こんなに面白いことはない。

 恨めしそうにカチューシャを睨むノンナ。けれども感謝の気持ちをどことなく隠しきれていない。表情が緩んでいる。

 

「ノンナさん」

 

「ひゃ、ひゃい!」

 

 ノンナは背筋を伸ばしてみほと顔を合わせた。

 苦笑しているみほの瞳は生暖かである。こうまで分かりやすいと、人の感情に鈍い人物でも気付いてしまうだろう。ましてや人の感情に鋭いみほだから、ノンナの自分に対する想いには直ぐに気付いた。純粋な好意、敬意の感情はただただ嬉しい。

 

「あの、その、私は、みほさんのことをお慕いしておりました。きょ、今日はこうして直に言葉を交わすことが出来て、こ、光栄です」

 

 たどたどしくノンナは言葉を紡いでいく。

 

「ありがたいお言葉です。ノンナさんほどの人物に慕われる我が身の幸運、今までの生き方は間違っていなかったと感じ入るところです」

 

 スッと素早くみほが両手を出して、ノンナの右手を包み込んだ。

 はうっと息をついて、茫然と包まれた己の右手を眺めるノンナは、どこか遠い目をしている。自分の右手だと言うのにその感覚がないように感じた。でも確かに、今みほの両手に包まれているのは、自分の右手だ。

 

「あっ……」

 

 両手が離れると思いもよらず声が漏れ出た。

 

「えっと、その、あの……みほさん! また、会いましょう!」

 

 漏れ出た声を誤魔化そうとしたが、どぎまぎとしてしまう。そうして上擦った甲高い声を出したままにみほに背を向けた。続いて右手をじっと見つめ、その手を火照った頬に当てる。

 ほんのりとした温かみを感じながら、ノンナはそのまま立ち去って行った。スキップでもしそうにるんるんと身体が弾んでいる。

 

「あ~、面白いノンナが見れたわ。しばらくの間はこれでからかってやろうっと。じゃあね、ピロシキ~」

 

 ノンナの後を追うようにカチューシャも踵を返して行った。

 二人の姿が見えなくなるまでみほは見送る。

 その時だった。カチューシャとノンナの二人と入れ替わるように、みほの下へとやって来た人物がいる。黒森峰女学園機甲科のジャケットに身を包んだ、みほと容姿を近くする少女。こう言うと確答するのは一人、まほだ。噂をすれば何とやらと言うように、カチューシャとの会話で話題にあがったまほが姿を現した。

 

「決勝戦進出おめでとう。まあ、お前のことだから特に案じることはなかったがな」

 

 しゃらっと爽やかにまほは微笑する。

 戦車喫茶のことと言い、こう人が予想もしない時に現れる人物だ。神出鬼没とはまほのことを指す言葉に違いない。

 それはそれとして、一体何の用があって来たのであろうか。勝ち戦を祝いに来ただけとは思えない。宣戦布告でもしに来たのであろうか。本当は何の用事でこういう風に姿を現したのか、考えていると、まほがアハハと声を上げた。

 

「相変わらず分かりやすい奴だな、お前は。何の用事があって来たんだとか思っているんだろ。顔に書いてあるぞ」

 

 分かっているのならとっとと用事を済ませろ、勿体ぶるな、とみほは思った。こちらが勿体ぶられるのが嫌いなのは知っているだろ。やはり姉は武田信玄だ。このねちねちとしたところなどはまさに歴史上の信玄と似通っている、とも思った。

 

「おお、姉にそう殺気を向けるんじゃない。分かった分かった。手短に済ませるから、怒りを鎮めろ。用事というのは二つあるんだ」

 

「二つですか?」

 

「おう。先ず一つ目だが、お母様からのお言葉を預かって来た。それを伝えよう」

 

 今回の試合ではまほとみほの母であるしほが観戦していた。珍しいことだが、どのような言葉をこのみほに賜ろうと言うのか。姿勢を正して言葉を受ける準備を整える。

 実の母親の言葉を聞く娘の態度とは思えんな、と堅苦しすぎるみほにまほは苦笑いしながら、伝えた。

 

「では伝えるぞ。『ご苦労様。貴女が無名校を率いて次々と勝ち進んでいく姿は、西住家として、母として誇りに思うところです。貴女風に言うのなら、大義であった、というところでしょうか。次の試合はまほとですね。楽しみにしています』とのことだ」

 

 これ以上ないほどの誉め言葉である。みほは胸が迫って来て、目頭が熱くなった。打ち震えながら、賜った言葉を噛み締める。

 一時、みほは感激に浸り、やがてちょっと時間を経てから、二つ目の用事に入った。

 

「もう一つの用事がこれだ。と言うか、こっちが本命だぞ。お前は一々反応が大袈裟何だよ。おっと、怒るんじゃないぞ。何にせよ、取りあえずこれを受け取れ」

 

 まほが手渡して来たのは、両手に抱えるほどの紙束であった。どっしりと重い。これは何なのであろうか。

 

「私が口で説明することではないな。とにかくそれを見てみろ」

 

 そう言われれば仕方がない。みほはその場に胡坐をかいて座り込むと、受け取った紙束に目を通し始めた。一枚目を開いた瞬間にみほは目の色を変え、読み進めて行くごとに顔が青白んで行く。枚数に反して、読み終わる時間は速かった。

 読み終わると、打ちひしがれたようにみほは動かない。

 

「それではな。返事は決勝戦が終わった後に聞こう」

 

 まほが去って行くと、今の今まで様子を見守っていた大洗履修生たちが、みほの下へと駆け寄った。そして、紙束へと目を向ける。

 

「こ、これは!?」

 

 内容を確認して、皆が一様に驚愕した。

 一枚一枚書き方や内容が微妙に異なっていたが、根本は同じである。名前が記され、謝罪の文から始まり、自分たちの下へと帰って来てほしいと嘆願し、二度とみほに逆らい勝手な行動をしないことを誓っており、最後に血判が入っていた。

 つまるところこれは、黒森峰女学園機甲科全員分の、嘆願書兼誓紙であった。

 

 



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第十一話 義と信条
その①


 準決勝を勝利に終わらせ、学園艦へと帰還する大洗履修生たちの空気は重たい。とても勝者とは思われなかった。口一つ聞かず、大半の者たちは下を向いている。

 原因はⅣ号戦車の中で紙束を眺めているみほだ。心ここにあらずと茫漠しながらも、無意識的に一枚、二枚とめくっている。時折、優花里や沙織などが声を掛けるが、届いていないようだった。故に、そっとしておいてやろうという判断になるのは当然のこと。

 まるで敗者の様相で学園艦に帰還すると、その場で直ぐに解散となった。次の決勝戦のことには何も触れない。ただ一言、みほが言った。

 

「ちと、一人になりたい……。済まぬな」

 

 この言葉を残してみほが去って行くと、自然的に皆も解散した。

 翌日、さらにその次の日。みほからは何も連絡がない。そして連絡も取れないので、土曜日と日曜日の二日間は休みとなった。準決勝で傷ついた戦車たちを修理する時間が必要で、どの道練習出来ないから丁度いいと、杏が決めたのだ。

 

「まっ、西住ちゃんも二日あれば元通りになるでしょ」

 

 と、杏は笑っていた。他も同じ気持ちだった。

 しかし準決勝が終わって三日目、みほは杏の予想を裏切って学校に来ていない。未だ苦悩の中にあって、家に引きこもっているようだった。

 これは流石に拙い。大洗戦車道履修生たちは、あまりにも自分たちが事態を楽観し過ぎていたことに気付いた。正直なところ、みほの黒森峰嫌いなところを知っていたから、嘆願などと言う情に訴えかけるようなことをされても、一蹴すると思っていたのだ。

 けれどよく考えてみれば、嫌いな人間が相手でも真摯的な態度を取られれば一考するというのがみほである。こうなると予想して然るべきであった。

 

「もしかして西住殿……決勝戦の日まで来ないなんてことは……」

 

 冗談めかして優花里が言う。

 これに真面目な表情で桃が答えた。

 

「決勝戦までに出て来てくれるのならまだ救いがある。最悪、隊長は決勝戦の日になっても来ない可能性があるぞ」

 

 あり得ない話ではなかった。

 そんなことになってしまっては、とてもじゃないが決勝戦は戦えない。みほが居なくては、黒森峰と戦うことなど出来ないのだ。

 

「くそっ、隊長め。こんなところまで謙信公に似なくても良いものを!」

 

「それよりも黒森峰だ。隊長の性格を知っておきながら、卑劣だぞ!」

 

 左衛門佐とエルヴィンが愚痴り歯噛みする。

 そうは言っても仕方がない。こうなると取るべき道は、無理にでも家から引っ張り出す他はなかった。否が応でも何としてでも。

 みほの気持ちは分からなくもないし、出来る事ならこのままそっとしておいてやりたいが、そうも言っていられる状況ではなかった。

 

「ちょっとこれから西住ちゃん家に行って来るよ」

 

 杏が言うと、我も我もと皆が付いていこうとした。

 ぞろぞろと全員で行けばそれはそれで効果がありそうだが、ようやく戦車の修理も終わり練習が出来る状態になっているのに、練習をしないわけにはいかないので、少数で訪ねることになった。それぞれの学年を代表して、杏、優花里、梓の三人。

 午前中、昼食前の時間帯だ。

 道中、優花里がこんなことを杏に訊ねた。

 

「西住殿、どうするんですかね? やっぱり、黒森峰に帰っちゃうんでしょうか」

 

「さあね。私としてどっちでも良いかな。だってさ、帰る帰らないったって、決勝戦が終わった後の話でしょう。だから私としては、西住ちゃんの好きなようにしてくれれば良いと思うね。でもまっ、私の予想では帰ると思うよ。なんたって西住ちゃんなんだし」

 

 さらりと杏が答えると、ムッと梓が頬を膨らませた。

 

「何ですか、それ? 帰ってもらった方が良いみたいに……」

 

「そう怒りなさんなって、澤ちゃん。澤ちゃん的には帰って欲しくないかな? 大切なお師匠様だもんね。出来れば長くずっと一緒に居たいかな?」

 

「当然です。私はまだまだみほさんから教えて欲しいことがたくさんあるんです。それに……そのぅ……うう、とにかくそういうことです!」

 

 声を荒げる梓の顔は赤い。怒りか別の感情か。

 

「私だって帰って欲しくないでありますよ。折角友達になれたんですから」

 

「そんなお二人さんに良い提案があるよ。もし本当に西住ちゃんが黒森峰に帰ることになったら、お二人さんも黒森峰に転校すれば良いじゃん。そしたら一緒にいられるよ」

 

 そうだ、その手があったか。優花里と梓はぽんと手のひらを打った。名案だと分かりやすく顔を綻ばせる。

 からかい半分で言った杏は、これで本当にみほを慕って二人が転校したらどうしよう、と苦笑いを浮かべるのであった。

 

「さて、着いたね」

 

 そうこうとしている内に、みほの住まいに辿り着いた。

 寮住まいのみほの部屋は三階にある。三人は階段を使って三階まで上り、みほの部屋の前までやって来た。すると、杏はおもむろに携帯電話を取り出し、みほに掛け始める。六度ほど着信音を聞くと、掛けていた電話を切った。

 

「やっぱり、出ないね」

 

「でしたら、次はこれですね」

 

 ドンドンと優花里がドアをノックする。来客を告げる合図だが、みほが出て来る様子はない。

 

「大声で呼んでみますか?」

 

 ここの寮に住んでいるのは学生だけで、今日は月曜日で普通に学校がある。大きな音や声を出しても迷惑になることはない。杏と優花里は梓の提案に乗った。

 せーの、と三人は肺に空気を溜め込み、放出する。

 

「西住ちゃん!」「西住殿!」「みほさん!」

 

 反応は――ない。

 気付いていないのか、それとも気付いていながら無視を決め込んでいるのか。三人は顔を見合わせながら、はあ、と息をついた。

 

「まるで天の岩戸だね」

 

 けれどもここには、踊りで興味を引きつける天鈿女命(あまのうずめのみこと)も、戸を岩で塞ぐ手力男命(たぢからおのみこと)もいない。いるのは三人の高校生だけである。それでもどうにかするべく三人は知恵を振り絞った。三人寄れば、文殊菩薩と同等の知恵だ。数分を経て、杏が閃いた。

 

「寮の管理人さんに鍵を貸してもらおう」

 

 三日も連絡が取れない友人を訪ねたけど、反応がなくて心配になったとでも言えば貸してくれるだろう。くれずとも部屋の鍵を開けてくれはする筈だ。無理にでも家から引っ張り出すと決意して来たのだから、これぐらいはしなくてはならない。

 どうだ、と杏は二人の顔を見た。その顔はあまり乗り気ではなさそうである。

 

「二人ともどうしたの?」

 

「いやあ、そこまでする必要はない気がしまして」

 

「そうですね。会長さん、このままもう帰りませんか?」

 

 何を言うと思ったが、続く優花里の言葉で納得させられた。

 

「あのですね、考えてもみれば、こんなことをするのは私たちが西住殿を信用していないということに繋がるのではないかと。会長殿と言うより生徒会は、西住殿と約束したのですよね、大洗を廃校から救うことを。そして西住殿は承諾した。だったら大丈夫でありますよ。西住殿は約束を破るぐらいなら腹を切りかねない人ですから、私たちはこうしてあたふたとする必要はないであります。安心して待ちましょう」

 

 優花里の言う通りだと杏は思った。みほは約束してくれたではないか、大洗を救うと。だったら、何をこんな風に頭を抱え、おろおろとすることがあろう。ああ、恥ずかしい。みほを疑ってしまったことが、堪らなく恥ずかしい。

 

「秋山ちゃんの言う通りだ。私たちが今するべきなのは、こうして西住ちゃんの下に来ることじゃない。彼女を信じて、何時もの如くを演じることだった。ありがとう、秋山ちゃん、澤ちゃん。目が覚めた。帰ろう」

 

 優花里と梓は大きく頷いた。

 こうして三人はみほに会うこともなく学校へと戻った。学校へ戻った三人を戦車道履修生たちが出迎える。みほがいないことに気付くと、どよめき、何をしに行っていたのだと怒る者たちもいたが、先ほど杏にした説明を優花里が皆にも聞かせた。

 聞かされれば杏同様に、そうだなと納得する。何も心配する必要はなかった。みほが自分たちを裏切るような真似をするわけがないではないか。

 

「さあさあ、練習を再開しよう! 西住ちゃんが来た時に腑抜けた様を見せたりしたら、それこそ本当に失望されて引きこもられちゃうかもよ!」

 

 履修生たちは瞳を輝かせながら、おう! と声を揃えた。

 

 

 



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その②

 杏たちが気炎万丈と練習に励み出した一方で、みほは憂愁の色を顔に湛えて、部屋の毘沙門天象の前に座り込んでいた。三日間、碌に食事もせず寝てもいないせいか、頬は少し削げを見せて、目元には隈が目立つ。ただ瞳だけは変わらじと、陽の光も人工の光もない中で鋭い輝きを放ち、今のみほは美しいと言うより、恐ろしい相貌をしていた。

 

(帰ってくれたか……)

 

 実のところ、杏、優花里、梓の三人が訪ねて来たことをみほはしっかりと把握していた。携帯電話の着信も、優花里のノックも、自身を呼ぶ声も聞こえていた。聞こえてはいたが、心苦しいながらもそれらは無視させてもらったのである。

 黒森峰との決勝戦の日が近いことは重々承知の上だ。自分がいないと不安な気持ちも分かってはいる。けれども今は、何よりも優先したいことがあった。

 

(如何したものか……)

 

 黒森峰に戻るか否かの返事。これをどうしようか、はっきりと決めておきたかった。機甲科全員から送られて来た、嘆願書兼誓紙。読めば伝わって来る。彼女たちが心の底から自分の想いを綴っていることが。心の底から謝罪の意を示し、心の底から戻って来てほしいと願っていることが伝わって来るのだ。

 

(だからこそ、私は悩むのだ)

 

 もしも嘆願書兼誓紙がなければ、みほは迷いなく断っていた。どの口で戻って来いなどとほざく。黒森峰は豊かで人材も豊富なのだから自分なんかいらない。エリカ辺りが中心にでもなって勝手にやってろ、と返答していただろう。けれど、こんなものを見せられてしまっては、口が裂けてもそんな返答は出来ない。

 

(私の救いが、彼女たちには要ると言うのか)

 

 まだ誰にも言っていないことだが、みほは自分のこれからを決めていた。黒森峰を倒し、優勝旗を大洗にもたらし、廃校から救った後のこと。

 みほは世俗から離れようと思っていた。優勝を果たした後は、大洗にも自分は必要ないだろう。幸運にも後継者には恵まれた。大洗が戦車道を続けて行くのならば、全てを後継者に託し、自分は身を退くのだ。

 

(母上の面子もある故、高校だけは卒業しよう。高校にいる間は世俗世間にあって仏道に精進し、そして卒業後は、不安も迷いも憂鬱もなく、ただ御仏の懐に抱かれて生きてゆく)

 

 そうしようと決めていた。それが良い。大洗の者たちと戦車道をやるのは楽しかったが、続けようと思う気にはなれない。戦車道を止めようとも、別に二度と会えなくなるわけでもないのだ。梓にも、優花里にも、沙織にも、華にも、杏にも、皆にも、会おうと思えば何時だって会える。

 

(そう思っていたのに……!)

 

 決意が歪む。

 みほは自分の決意を歪めた機甲科に腹が立った。やはり邪魔をするのか、と。同時に胸が熱くなる。私を頼りにするのか、と。

 脇に積まれた嘆願書兼誓紙から一枚手に取った。もう何度読み返したことか分からない。震えながら書いたのか字が曲がっているところがあり、涙を流したのか滲んでいるところがある。それにはこう書かれていた。

 

「この度筆を取りましたのは、私の愚かさを反省するとともに、みほ様へと誠心誠意の謝罪の意を示すためであります。一切の言い訳は致しません。全ては私が愚かであったのです。それ故にみほ様へと多大な苦痛を与えたこと、真に申し訳ありませんでした。

 そして、何を申すかと思われになるでしょうが、今一度機会を設けては頂けないでしょうか。私たちには、みほ様がおられなくては、どうしようもないのです。もう一度、私たちを率いて下さい。私たちに、みほ様の配下として力を振るう機会を、どうかお願い致します。

 もう二度と、二心を抱くことなくご命令のままに従い、御前で粉骨する心づもりです。御心を煩わせた時には、如何様なりとも罰をお受け致します」

 

 所々を省略しているが、概ねこのような内容だ。

 記したのは上野という黒森峰の二年生である。この人物はみほ側の人間であり、まほ側の下平という人物とよく争っていた。争いの度にみほとまほは調停に掛かったもので、黒森峰時代のみほの悩み筆頭だと言っても良かった。

 目を通したみほは、両手に力を込める。ぐしゃりと紙が音を鳴らした。

 

(上野、お前の言葉に偽りはないのであろう。お前の本音なのであろう)

 

 上野だけではない。下平もそうであるし、他の者たちも上野同様に紙に想いを込めている。それは、みほの心を揺り動かすものであるが、決定打となるものではなかった。

 みほには一つの疑念があるのだ。これがある限り、よし、ならば戻ろう、という気持ちにはなれないのであった。

 

「だが、私が戻れば――」

 

 再び分裂するのではないか。

 みほが懸念するのはこれだった。自分が黒森峰へと戻った後に、何らかの理由で争いの虫がまた暴れだすのではないか。そのような疑心暗鬼に陥っており、これがみほの答えを出す邪魔をしている。

 

(救いを求めて来ているあの者たちを、私は信用出来ない。これだけ誠意を示されておると言うのに、私は信頼が出来ないのだ)

 

 こうして寝食もままならないままに、三日間悩んでいるのであった。

 

「毘沙門天よ。私はどうすれば良いのだろうか」

 

 悩んで悩んで悩み抜いても答えは一向に出て来ない。こうなるとみほが頼りとするのは、毘沙門天に他ならなかった。両手を合わせ、目を瞑る。すると、うつらうつらと意識が遠のいて行く感覚が生まれた。寝不足の所為だと、意識を保つためにカッと目を見開いた。

 その瞬間、何とも不思議な出来事が起こる。毘沙門天象が謎の光に包まれて、みるみると大きくなっていくではないか。気付けば、手のひらに乗る大きさであった毘沙門天象は、見上げるほどに大きくなっていた。

 

(な、なんと……ッ!?)

 

 みほは驚いて後ろに下がろうとするが、ピクリとも動けない。まるで何かに凄い力で押さえつけられているようだった。声も出なかった。その何かとは毘沙門天であろう。

 七宝荘厳の甲冑を鳴らした毘沙門天はみほを見下す。外敵を払う守護神としての憤怒の表情を、柔らかな、親が子供に向けるようなものへと変えていた。

 

「お前という奴は随分と下らないことで悩んでおるのう」

 

 下らないとは何事か。如何な毘沙門天と言えども聞き捨てならない。身体も動かず、声も出ないので、抗議の意を込めてキッと睨み付けた。

 毘沙門天は、ハハ、と笑った。

 

「下らないことよ。ようはお前、小心者なんじゃな。信用出来ない、信頼出来ないなどと、肝っ玉が小さいのう。やる前から、裏切られたらどうしよう、などと考える時点で、お前は紛れもない小心者じゃ。あの男であれば、お前の悩みなど笑い飛ばそうものよなあ」

 

 突如、毘沙門天は憤怒の形相に戻った。

 

「よくもその体たらくであの男の生まれ変わりなどと称しおったな。今のお前ではあの男の足元にも及ばんぞ」

 

 憤怒のままに毘沙門天は続ける。

 

「お前は角谷杏とか申す小娘の助けを求める声を受けて、今戦車道をやっておる。それと何も変わらんではないか。黒森峰の小娘たちは、お前に助けを求めておるのだぞ。角谷杏と同じように。だのに、お前は一方は助けて、もう一方はどうしようかなどと悩むのか? それがお前の義か! それがお前の信条か! 助けを求める声あらば、義によって助太刀するという心構えは嘘であったか!」

 

 みほはガツンと頭を殴られた気分だった。言われてみれば、なんと馬鹿なことで悩んでいたのであろうか。杏と機甲科。助けを求めているのはどちらも変わりはない。どちらも本当に助けてほしいと思って、自分を頼りにしている。

 一度裏切られたからなんだ。彼女たちは本気でそのことを謝罪し、心を入れ替えようとしているではないか。だったら、そんな彼女たちが助けを求めていると言うのなら、出すべき答えは決まっているじゃないか。悩む必要なんてなかったのだ。

 

「分かった様じゃな、お前が何をすべきかを。あの男同様に、儂はお前のことも格別に目をかけておる。あまり儂を失望させてくれるなよ。ではな、儂はこれからもお前の中で見守っておるぞ。先ずは、大洗を救え。黒森峰はその後じゃ」

 

 みほは瞬きをしたかと思うと、ハッとなった。

 身体は動くし声も出る。直ぐに毘沙門天象を見るが、手のひらの大きさのままだった。

 先ほどのは夢であったのか。本当は、うつらうつらとしていた時に意識を飛ばしてしまっていたのか。だが、何だってよかった。

 

(感謝致します、毘沙門天よ)

 

 みほは毘沙門天象に拝礼する。

 毘沙門天からの啓示で答えを見つけたのだ。

 暫くすると、みほは携帯電話を手にしてから、杏にメールを送った。迷惑を掛けて済まなかった、明日会おう、と。杏からの返信はない。どうやら戦車道の練習中のようだ。

 それから、闇が晴れたように清々しい気持ちで、みほは大きく伸びをする。窓のカーテンを開けて陽の光を取り込んでから、紙と筆を用意し机へと向き合った。

 

「あの者たちがこのようなものを用意した以上、私も返さなくてはなるまい」

 

 嘆願書兼誓紙を一瞥し、微笑みを浮かべると、みほはさらさらと白紙の上に筆を走らせ始めるのであった。

 

 



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その③

 翌日、杏にメールで伝えた通り、みほは大洗女子学園の倉庫前に姿を現した。

 頬は血色美しくふっくらとしており、眼裂の長い瞳は清く澄み渡っている。悩みを解決した昨日、よく食べ、よく寝た。身体も精神も盤石で、誰もがその場にいるだけで無視出来ない覇気を放っている。

 みほが倉庫前へとやって来た時、履修生らはずらりと整列し、みほの登場を今か今かと待ちわびていた。咳一つする者もなく、まるで深い森の中のように、清廉に静まり返っている。そこにみほが姿を現すと、姿勢を正して出迎えた。

 みほはつかつかと列の前へと歩み出て、履修生らと向き合う。

 

「皆の者、この三日間私情ながらに迷惑を掛けたな。しかし、決勝戦を前にどうしても決めておかなくてはならなかった。許せ」

 

 決勝戦後、黒森峰に戻るか、戻らないか。

 履修生らは大丈夫だとばかりに頷いた。貴女の気持ちは分かる、だから気にするな、という履修生らの意に、みほは感謝し頷き返す。良き仲間を得たものだと、みほは思った。

 

「よし。では、早々と練習に入ろう。時間は有限なのでな……と言いたいところだが」

 

 みほは列の左から一番目と二番目に視線をやった。見覚えのあるが列に混じっていることに疑問がある者が五人。そもそも見覚えのない者が二人。自分がいない間に何があったのだろうか。その七人から視線を外して杏を見ると、

 

「杏さん。彼女たちは?」

 

 と、詳しい説明を求めた。

 みほのいない間、指揮を執っていたのは杏である。彼女に説明を求めるのは当然のことだ。

 訊ねられた杏は、頷き、一歩前へ進み出すと説明を始めた。

 

「昨日、西住ちゃんがいない間に色々とあってね。先ずは自動車部の皆から紹介するよ」

 

 列の左から二番目に並んでいる四名だ。彼女たちは戦車の修理など裏方で活躍しており、みほも常に頼りとするところだった。自動車部がいなければ、大洗戦車道は立ち行かない。いなくてはならない存在なのである。

 

「アンツィオ戦の前ぐらいにポルシェティーガーが見つかったでしょ? あれのレストアが完了したんだけど、ちょっと問題があってさ。どうも欠陥機なんだってね、あれ。それでさ、まともに動かすことが出来るのが自動車部の皆だけってことでさ。まあ、そんなわけだから、だったらお願いして良いかなってことになったの」

 

 なるほど、そういうことであったなら納得を覚えるものだ。使える方法があるのだから使わない手はない。みほが昨日いたとしても、杏と同じ判断を下しただろう。

 

「自動車部の方々。決勝戦では期待させていただきます」

 

 ナカジマ・ホシノ・ツチヤ・スズキの四人は一礼することで、みほへの返答とする。

 その様子を見て、みほは微笑を浮かべた。さて、自動車部が列に並んでいる理由はこれで分かった。ならば残りの三人はなんであろう。

 するとその三人の内、みほが唯一見知り得ている人物の猫田が、おずおずと口を開いた。

 

「あの~、ちょっと良いかな?」

 

「んっ?」

 

「西住さんって、ボクのクラスメイトの西住さんなんだよね?」

 

 度の強い眼鏡の奥の目を伏せて、さらりと長い髪に隠れた口元から、ぼそりぼそりと蚊の鳴くような声を出して言った。

 みほは眉を顰めながら、

 

「何を言っておる。ここ三日間、いや四日間、金土日月と顔を合わせてはおらんが、基本は毎日のように会っておるではないか。何だ、この私の顔をここ四日で見忘れたと申すか?」

 

「い、いや、そうじゃないんだけど……何か、その……」

 

「教室にいる時と雰囲気が違って、まるで別人のようだと仰りたいのではないでしょうか」

 

 猫田の言葉を言い継いだのは華である。

 日を経るごとに戦車道のチーム内で素を見せるようになったみほ。プラウダ戦の終盤からは完全に素を出したみほだが、教室内では変わらず一切見せてはいない。猫田は教室にいる時のみほしか知らないので、今の素のままなみほに違和感があるのであった。

 華の援護に猫田はぶんぶんと首を振る。猫田の知っているみほは、お淑やかで女の子らしい、お姫様とまでは言わないが、ご令嬢のような人物だ。こんな鎌倉や室町の匂いを漂わせる人じゃ断じてなかった。

 

「ご令嬢って……西住ちゃんはどう見ても坂東や陸奥育ちの東国武士でしょ。義にはうるさいし、名誉にもこの上なくうるさいと古い頭をしている。西住ちゃんは九州の生まれだけど、東国生まれの私たちの誰よりもそれらしいからね」

 

 杏が言うと、猫田と他二人を除いて皆が笑った。みほも笑っている。言葉通りに侮辱したのではなく、誉めていることに気付いたからだ。

 

「まあ、こういうわけだから、ねこにゃーちゃんたちも承知しといてね。短い間だろうけど、よろしく頼むよ」

 

「ねこにゃー? 杏さん、何なのですか、そのねこにゃーとやらは?」

 

「ああ、オンラインゲームのハンドルネームだって。西住ちゃんはオンラインゲームって分かる? そもそもゲームって分かる? なんて説明しようかな……絵巻物みたいな――」

 

「分かっております。私は考え方が古いだけで、それ以外はすべからく現代に適応しております。虚仮にしないでいただきたい」

 

 拗ねたような、はたまた冗談のような調子でみほが言った。これにも皆がドッと笑った。今度は猫田たちもクスクスと声を漏らしている。

 

「ごめん、ごめん。それで、呼ぶ時はハンドルネームの方で呼んで欲しいってことだから、それぞれ、ねこにゃーちゃん、ももがーちゃん、ぴよたんちゃん」

 

 猫田がねこにゃー。桃の眼帯を着けた一年生がももがー。髪を一つに結んだ、そばかすの三年生がぴよたん。それは分かったが、この三人はどうするのだろう。戦車道をやることになっても、肝心の戦車がないのであれば何もしようがないのだが。

 そのことに関しては抜かりない、と杏は胸を張った。

 

「学園長が戦車持ってたから借りて来た。三式中戦車って言うんだけど、三人にはそれに乗ってもらおうと思うんだ」

 

 にしし、と白い歯を見せる杏に、みほは睨むような目つきで問い掛けた。

 

「よもや、学園長に対して無礼を働いたわけではありますまいな。生徒会の強権を利用して、盗賊まがいのことをやり、無理やりに接収したとか」

 

 付き合いの時間は短くとも、濃ゆいものである。杏がみほの性格を完全に把握しているように、その逆でみほも杏がどういう人間かを理解していた。

 杏ならやりかねない。長幼序あり、年少者は年長者に対して守るべきものがある。余程敬意を払うに値しない年長者でもない限り、年少者はしっかりと敬意を持つべきなのだ。そしてみほの眼から見て、大洗女子学園の学園長は敬意を払うに値する。そんな学園長に対して無礼を働いたとあっては、杏であろうとも考えなくてはいけない。

 

「やってないよ、そんなこと! ちゃんと事情を説明して、快く貸してもらったよ!」

 

 身振り手振り必死の語調で杏が弁解する。

 

「でしたらよろしいのです。その言葉を聞き、安堵致しました。既に杏さんたちが仰せでありましょうが、今日、私の方からも学園長へ礼を申し上げましょう」

 

「そうだね、それが良いよ! アハハ、ハハ」

 

 ぎこちなく杏が笑う後ろで、柚子が小声で一言漏らした。

 

「…………やろうとはしてましたけどね」

 

 幸運にもこの一言は誰の耳にも入らなかった。

 みほが猫田たちに向かって口を開く。

 

「未だ戦車に慣れてすらおらぬで身で、初陣の相手が姉上率いる黒森峰であるが、特に気負う必要はない。私の采配に従っておれば、無様を晒すことはなかろう。ねこにゃー、ももがー、ぴよたんさん、各々全力を尽くし、存分に働くが良いぞ」

 

 猫田たちは一瞬息を詰めると、

 

「はいい」

 

 と上擦った声で返事をした。

 

「うむ。これで自動車部の方々とねこにゃーたちがおる理由は分かった。私がおらぬ間に随分とまあ……杏さん、念の為にお訊ねしますが、他に何かございましょうか?」

 

「流石西住ちゃん、勘が働いているねぇ。じゃあ、二点ほど。先ず一つは、私たち生徒会の38tが目出度くヘッツァーに改造されましたあ、ぱちぱちぱち。実際はヘッツァーもどきだけど、ヘッツァーで良いでしょ」

 

 37ミリから長砲身75ミリ砲になったことで攻撃力が上昇した。少なくないデメリットもありはするが、メリットの方が強い改造である。

 

「もう一つは、西住ちゃんたちのⅣ号戦車にシュルツェン? とか言う装甲板を両側面にくっ付けて守りを固めてみました。以上の二つだよ」

 

「なるほど。それは随分と有意義なことでございます。それだけで戦術の幅が大きく広がりを見せるというもの。おっと、随分と時間を取ってしまった。明日は早くも決勝戦。今日という日の時間は一秒も無駄には出来ぬ。練習を始めることに致そう」

 

 みほが皆に指示を出そうとすると、ちょっと待って、と猫田が止めた。

 

「どうした?」

 

「度々、ごめん。だけど、ちょっと気になったことがあるんだ」

 

「構わん。申してみよ」

 

「うん。さっき、生徒会長が言ってたけど、短い間だけどよろしくの短い間ってどういう事? 西住さんとボクって同じ二年生だから、あと一年は一緒だよね。なのに短い間って」

 

 ああ、そのことか、とみほは至って軽い反応を見せた。

 その話であれば、練習終わりに言おうと思っていたが、別に今言っても、今日言うことに変わりはない。そう判断すると、みほはやはり世間話調に軽く言うのだった。

 

「決勝戦が終われば、私は黒森峰に戻る」

 

 



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その④

 決勝戦前の最後の練習が終わったのは、陽が沈み始め、蒼空が茜色に覆われた頃であった。いつもであれば星々の輝きが地を照らし出す時間までやるのだが、疲労を溜めて明日の障りとなっては大事だとしたのである。

 明日の準備を滞りなく終えると、みほは皆を集めて言った。

 

「私は黒森峰におったから、彼女たちの力量を最もよく知るところである。姉上の下に一つとなったきゃつらは、世辞でもなく天下に並ぶ者なしの軍団であろう。然れども臆することはない。大洗とて尋常にあらず。実力以上を発揮する必要はない。実力以下を発揮するでない。実力の限界で臨めば、大洗に栄光の旗が掲げられることであろうよ。では、本日はこれで解散と致す。今日は身体をゆっくりと休めると良い」

 

 その言葉でこの日は締めくくられた。

 皆はみほに言われた通り、学校に居残り練習をするでなく、それぞれのチームで揃って帰路につく。梓も例外なく一直線に家へと帰った。

 自身の家へと帰り着いた梓は、バッグを放るとベッドの上にどっかりと寝転んだ。窓から部屋の中へと差し込む、赤々とした陽光に眩しさを感じながら、茫然と天井を眺める。

 

「はあ……明日かぁ……」

 

 黒森峰との決勝戦が――ではない。確かにそれも、梓に憂いを帯びた悩まし気な吐息を吐き出させるのに十分だったが、それではない。

 彼女の心を支配しているのは、師のみほのことである。明日だ。明日、敬愛する師は自分の下から離れて行ってしまう。それを思うと、今日は休もうにも休めなかった。

 

(仕方のないことだよね……だってみほさんはそう言う人で、そう言う人だから黒森峰の人たちを見捨てようにも見捨てられなくて、私もそんなみほさんだから……)

 

 一度、黒森峰を見限っておきながらも非情に徹することは出来ない。この前みほに勧められて読んだ本に、佐藤義清(さとうのりきよ)という人物の話が載っていた。この人物は別名を西行法師と呼び、歌僧として日本の歴史に名を残している。その義清は出家する時に、自分に取りすがる妻子を縁側から蹴り落として家を出たと言う。義清はそれほどの覚悟を持って出家の道を進んだが、みほには自分に縋る者たちを蹴り落とすほどの覚悟はなかった。いや、覚悟と言うよりは、非情さがなかったのだ。

 

(私が縋れば、みほさんは大洗に、私の傍に残ってくれるかな)

 

 考えて、何を馬鹿な事をと首を振った。そんな事をしたところで、みほを無駄に苦しめるだけである。梓は自分の我儘な心に嫌気を覚えた。

 そんな心を払うために、目を瞑る。けれどもどうにもならない。払い除けようとしても、どうしても払い除けられず、みほのことがよぎっては心を掻き乱して行く。益々酷くなるばかりであった。ついには、

 

「逢いたいなあ」

 

 と、胸が焼けつくようになった。

 このままでは、明日の試合にも差支えがある。これでは実力の半分も出し切れない。そしてそんなことになれば、当然みほは梓に失望を抱くだろう。普段可愛がられているだけに、失望の幅も大きそうだ。そんな事は絶対に嫌である。

 

「よし、逢いに行こう」

 

 逢いに行く他はない。そうでもしない限り、明日という日に万全な状態で臨むことは出来なかった。だから、逢わなくてはならない。

 そうと決まれば梓の動きは速かった。ベッドから飛び降りると、着の身着のままに家を出て、みほの住まう寮へと向かう。もう何度も足を運んでいるから、道は慣れたものだ。

 梓がみほの寮へと辿り着いた時には、太陽はすっかり沈み終えていた。

 走った所為か、それとも別の理由からか、胸が高鳴る。この高鳴りを抑え、荒い息を整えると、梓は三回ドアをノックした。反応はない。もう三回ノックした。でも反応はない。

 

「あれ?」

 

 留守なのだろうか、と思っていると、部屋の中から声がする。厳かなその声は、間違いなくみほの声であった。梓が聞き間違える筈はない。

 ドアノブに手を当てると、鍵は開いていた。どうしようか逡巡した梓は、もう一度だけ大きくノックをし、それでも反応がなかったので、失礼だと思いながらも部屋に足を踏み入れた。

 

「失礼します」

 

 部屋の中に入ると、先ず香の甘い匂いが梓の鼻腔をくすぐる。匂いの心地よさを存分に堪能してから、部屋の奥へと向かうと、やはりみほは居た。

 毘沙門天象の前に結跏趺坐し、一心不乱に祈りを捧げている。

 

「オン・ベイシラマナヤ・ソワカ。オン・ベイシラマナヤ・ソワカ。オン・ベイシラマナヤ・ソワカ。オン・ベイシラマナヤ・ソワカ。オン・ベイシラマナヤ・ソワカ」

 

 梓にはまったく気付いていないようで、振り返りもせずに真言を唱え続けている。

 声を掛けようか掛けまいか悩んだが、みほにとって祈りがどれほど大切なことか梓はよく聞かされているので、邪魔にならないところに腰を落ち着け、終わるのを待った。

 ニ十分後、みほの声が止まった。本来であればまだまだ続くのだが、ようやくのこと、梓の存在に感づいて止めたのである。

 

「如何致した?」

 

 振り向かないままに、みほは訊ねた。

 訊ねられた梓は言葉に詰まって口を紡ぐ。逢いたいと思った。そうして思い立ったまま来たので、どうしたと言われても答えが出ない。かと言って何時までもだんまりとしているわけにはいかないので、正直に逢いたかったから来たと答えようとした。

 

「みほさん。本当に黒森峰に帰るのですか?」

 

 しかし、梓の口から出たのは別の言葉である。自分で自分に疑問が浮かぶが、このまま言葉を続けることにした。

 

「帰るとするならば、あのような態度で仰ることではないと思います。みほさんにとって、大洗とは何なんですか? あんな、休み時間に話すような戯言の感覚で仰るなど、大洗を離れることは、みほさんにとってその程度ということなんですか?」

 

 言い切って、しまったと梓は口を押さえた。こんな事を言うつもりではなかった。こんななじるような事を。けれども心の奥底では、なじる気持ちがあったのだろう。だから、言葉になってしまったのだ。

 みほが、私は黒森峰に戻るのだと、猫田の質問に答える形で履修生たちに伝えた時の軽い調子。あれでは、大洗を離れる事など、どうという事でもないようであった。

 知らず知らずの間に、梓の心にムカムカとしたものが湧き上がる。ただの苛立ちや怒りじゃなかった。憎悪にも似ているかも知れないが、少し違う。不思議な感情だ。自分じゃ理解出来ないこの不思議な感情を、梓は言葉に乗せる。

 

「みほさんにとって、私はその程度の存在だったんですか?」

 

 と、震える声で言った。弟子だ、唯一の理解者だと言っていたくせに。三日間悩みに悩んだ末の決断なのを知っていても、あんな風に言われたら、唯一の理解者という言葉も詭弁に思えてしまう。今までのみほとの思い出が夢、幻のよう。みほにとって自分は何なのであろうか。分からなくなって来た。

 みほは何も言わない。黙って、梓に背を向けている。

 梓も沈黙した。先ほどは心地よかった香の匂いが、今は鬱陶しい。

 幾ばくもかからずして、みほは梓の方に向き直し容を正した。緊張の色が浮かんだ梓の瞳を真っ直ぐ見据えて、口を開く。

 

「そうだな。先ずはお前をどう思っておるのかだが、これは愚問の事。私は、お前をこれ以上にないほどに大切に思っておる。師が弟子に抱くように、親が子に抱くように、兄姉が弟妹に抱くように、私はお前を大切に思っておる。誰がお前を軽く見ようか」

 

「でしたらッ!」

 

「しかし、大洗を離れる事は、それほど重く考えておらん。それ自体は気楽だ。何も深く思い悩む気持ちはない」

 

 みほは梓に進み寄って、肩を掴んだ。

 

「何故ならば、お前がおるからだ。私が居なくなった後にお前がおるから、安心して黒森峰に戻れる」

 

「私が、居るから?」

 

 梓はじっとみほの瞳を見つめた。みほの梓に対する親愛と信頼が、これでもかと言うほどに伝わって来る。

 

「うむ。私の心を受け継いだ、澤梓よ。お前がおるから、私は無責任な女とならずに済む。優勝旗を捧げて、これで良いな、ではさらばだ、と無責任なことをせんで済むのだ。お前という後を任せられる後継者がおるお陰で、私は何の憂いなく黒森峰に戻れるのだ」

 

 後継者という言葉に梓は目を見開いた。

 

「私が、後継者……?」

 

「何を驚くことがあろう。お前以外に私の後継者は務まらん。三年生は言わずもがな、優花里や沙織たちでは私の後継は務まるまい。お前しかおらんだろう。そして私は、お前以外に任せる気は毛頭ない。誰が何と言おうともな。まあ、誰も文句は言うまい、お前が私の後を継ぎ、大洗戦車道を引っ張って行くことに」

 

 梓はみほの言葉を聞いて理解すると、目くるめくような気持ちになった。身体中が炎になったように熱い。先ほどみほに対して抱いてしまった、もやもやとした不思議で嫌な感情も、この熱い炎で燃やし尽くされてしまった。思わず、みほに腕を伸ばす。

 

「私は……私は、私は、私は……」

 

 熱に浮かされたように繰り返し、腕を伸ばしながら上体を前のめりにして行く。とん、と梓の頭はみほの肩にもたれかかった。

 

「嬉しいです。みほさんにそう思って頂けて、本当に嬉しい。疑っていました。みほさんは私の事なんか何とも思っていないと。ただ気が向いたから付き合ってやっただけだと……馬鹿なことです。本当に私の馬鹿……そんな事ある筈ないのに、私は……好きです。愛しています。お慕いしています。敬愛しています。私は、私は……」

 

 梓は夢中になって喋り続けた。いつしか瞳から熱が滴となって頬を伝う。それを払うこともせずに、梓はみほの肩に顔を埋めた。

 

「そうか、そうか。お前は私にとって唯一無二の存在。弟子であり、後輩であり、妹のようであり、私自身の分身のようですらある。大洗は任せたぞ。何か困った事があれば、遠慮なく私に相談しろ。嫌になって何もかも捨てたくなった時は、そうだな、黒森峰に来ると良い。私のようにな、ハハ。歓迎するぞ」

 

 涙を擦り付けるように梓は頷いた。

 みほは両腕を梓の背中に回した。それを受けて、梓も迷いなくみほの背に両腕を回す。二人は、お互いを力強く抱きしめた。梓の身体は熱く、みほの身体も同じぐらい熱かった。

 

「今日は泊って行け。私が夕食を作ってやるから、一緒に食そう。風呂も容れるから、一緒に入ろうではないか。そうしてから一緒の寝台で寝よう。初めての事だ。私は意外とこういう事に憧れていた。良いか?」

 

 梓は何も言わなかったが、みほの肩から少し頭を離して微笑を浮かべた。それが返答であり、梓はもう一度みほの肩に顔を埋める。

 涙はもう、止まっていた。

 

 

 



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第十二話 吼えよ、龍虎!
その①


 女心とは複雑なものなのか。それとも男女に限らず人の感情が複雑に出来ているのであろうか。みほにはそれの答えは見えてこない。身体に籠っていた熱も、寝台に横になる頃にはすっかり冷めきっていた。明日の朝も早い、もう寝てしまわなくてはならないなと、電気の消えた天井を見ながら思った。

 反対に梓の熱は強くなる一方である。みほに覆いかぶさるように抱き付き、頬を身体に擦りつける。みほの反応がないのを感じると、さらに強く抱きしめ、さらに激しく擦りつけた。

 みほはそんな梓に愛しさを覚えると、その背に両腕を回す。そして言った。

 

「何故、私は女の身に生まれてしまったのであろうか。男であれば、きっとそなたを妻にしておったであろうに。恨めしいことだ」

 

 その言葉を聞いて、梓はそっと顔を上げた。暗闇に慣れた瞳が、みほの顔を捉える。

 

「梓……私の梓よ。明日の試合、そしてこれからの大洗のこと、期待しておるぞ」

 

 梓は無言で涙を頬に伝わせた。声もなく何度も何度も頷く。

 よく泣く女だな、とみほは小さく笑った。と同時に、梓の頬を伝い流れる涙に、何かが胸へとこみ上げて来るのを感じる。冷めていた筈の熱が再び動き出す。

 手を伸ばして、梓の涙をすくった。

 美しい。そう感じた時には、行動に移していた。

 梓の顔を自分の顔に近づけて、額に自身の唇を押し当てる。

 そっと手をはなして梓の顔をまじまじと見つめると、梓の白い肌が瞬時に赤々と染まっていくのが分かった。

 

「口吸いは、そなたを妻とするだろう男のためにとっておいてやろう。まあ、そんな男がこの世に現れるかは定かではないがのう」

 

「ふふ、そんな人は絶対に現れませんよ」

 

 今度は梓の番であった。頬を染める赤色をさらに強めて、みほが反応する間もなく唇を合わせる。熱い。お互いに唇の熱をしっかと感じる。

 唇をはなして梓はみほの耳元でささやいた。

 

「みほさん、私は言った筈です。貴女のことをお慕いしていると……ですから、未来永劫そんな人が現れることはありません」

 

 梓の呼気がみほの耳をくすぐる。

 みほはめくるめくような気持に襲われた。呼吸を荒くし、気付けば梓を乱暴に抱きしめる。それから梓の唇を吸った。先ほど自分が言ったことも忘れ、ただただ夢中になってむさぼり吸った。

 しばらくしてから、ハッとなって、みほは行為をやめた。

 

「済まなんだ。私は何ということを……」

 

「いえ、私はうれしかったです」

 

 梓は笑っていた。柔らかに微笑んでいた。

 

「黒森峰との試合が終われば、貴女は私から離れて行ってしまう。ですが、その前にこうして心を通じ合わせることが出来て……思い残すことはないと言えば嘘になってしまいます。出来ることならば、ずっと貴女の隣にいたい。貴女とこうして通じ合っていたい。このまま離れ離れになるなんて実に儚いこと……でも私の心は満ち足りています。みほさん、私の愛しい人……」

 

 甘く、魅惑的な梓の言葉。

 何と可憐な女なのであろうか。恋も愛も経験したことのなかったみほだが、自分の今抱いている感情を正確に理解していた。つくづく男として生まれなかったのが残念だったが、しかしそんなことはもうどうでも良いように思える。ただ、今は、目の前の女と離れたくなかった。

 そなたも私と一緒に黒森峰に来い。思わずそう言ってしまいそうになるも、目を閉じ深い呼吸を数度行うことで抑えた。やがて目を開くと、梓を抱いてから自身の隣に横たわらせ、低い声で言った。

 

「何も案ずることはないではないか。織姫と彦星であるまいに、会おうと思えばいつでも会える。声とて聞きたいときに聞ける。何も問題は無い。何より、心はいつも隣合わせだ」

 

 それは自分自身に言い聞かせているようであった。自分の中に生まれた欲を必死にこらえようとしている。

 

「もう寝るぞ。明日も早いのだから」

 

「はい……」

 

 微かに答えると、梓は素早くみほの手を握った。

 

「お休みなさい、みほさん」

 

 寝つきが良いのであろうか、それとも愛する人の隣であることに安心感を抱いているのか、直ぐに寝息を立て始めた。

 みほは眠る梓に表情を柔らかくする。

 

「良い夢を見るのだぞ」

 

 梓に向けて呟きながら、みほは訪れた眠気を隠すことなく大きくあくびをした。それから、握られた手より梓の温もりを感じながら眠りについた。

 

 

 夢を見ていた。

 どことも知れない道を歩いている。広大な平野だ。草がゆらゆらと踊っている。まるで緑色をした海のようだった。空を見上げれば、吸い込まれるような蒼天である。天地、海に挟まれているような奇妙な感覚。御伽に伝わる竜宮の世界のようだった。

 みほはそんな道を歩いている。周りには誰の気配もなかった。たった一人で景色を楽しむように一歩一歩地を踏み締めていく。

 

(ここは良いところだ。俗世の穢れをまったく感じない。いずれは、そうさな、梓と二人でこのような場所に身を置き静かに暮らすのも悪くない。私は御仏の教えと共に、梓と静かな生を送るのだ)

 

 そうしてひたすらに歩いていると、突如として気配が現れた。何だと思っていると、前方より緑を踏み散らしながら馬が走って来る。無粋な奴と思いながら見ていたその馬は白かった。そして、それに跨る人物も白い。だが、馬上の人物の瞳は爛々と朱い輝きを放っていた。

 

(おお!? あの男は間違いなく不識庵謙信!)

 

 馬上の人物が何者か直感すると共に、もう一つみほは気付いた。

 

(むっ? 女? 何だ、あの女は……)

 

 白馬には謙信以外の人物も跨っていた。女だった。その女は謙信の後方にあって、両腕でがっちりと謙信にしがみついている。

 白馬がみほの隣にやって来た。謙信も女もみほの存在を認識していない。みほが見上げれば、そこには男と女の笑みを浮かべた二人がおり、ただ事ならぬ関係のように思える。

 

(謙信にも、女がおったのか……?)

 

 唖然としているみほをしり目に、白馬は駆け抜けて行った。

 さっと駆け抜けて行った方へと振り向いたが、もうみほの視界には映っていなかった。

 訝しいこともあったものだが、謙信とて男だもの、歴史上では妻がいなかっただけで恋人はいてもおかしくはない。そう思いながら視線を元の位置に戻すと、先ほどの女が目の前に立っていた。

 

「なっ、いつの間に!?」

 

 みほが身構える。

 もう一度振り返り後方を確認する。そこにははるか彼方にまで続く平野が広がっているばかりだ。一体何がどうなっているのか、みほは困惑しながら女を見た。

 神聖なる美がそこにはあった。黒々と宝石を散りばめたように輝く髪。合わせるだけで魅入られそうになる瞳。尋常の美しさではない。異常だ。

 女は不思議な表情をしていた。自分を愛欲の眼で見つめておきながら、一方で母が子に向ける様な柔らかな眼でもある。どうしてそんな顔で自分を見つめるのか。

 すると女が口を開いた。

 

「これもまた運命なのでしょう」

 

 神秘的な声である。この声とて到底人の出す声とは思われない。みほは聞き入ってしまっていた。

 

「我が夫の加護を受けた貴女が、我が加護を受けたあの子と結ばれる。これは運命なのです。みほ、貴女があの子と結ばれたのは決して偶然ではないのです。必然、なのですよ。この必然の前には、如何なる障害もあって無きようなもの。みほ。西住みほ。我が夫の化身を称する少女よ。あの子のことは任せます。そして己の義を貫き通しなさい。さすれば、貴女の道は良き方向へと開かれるでしょう。私が貴女に言いたかったのはこれだけです。では、また遠い日に再会しましょう」

 

 みほはこの異常で神秘的な女の正体を理解した。自身に加護を与える者と言えば、それは毘沙門天に他ならない。その毘沙門天を夫と呼ぶ女。そんな女はたった一人しかいない。

 

「もしや、貴女様は!」

 

 言葉を続ける。

 

「吉し―う―て――」

 

 しかし言い切る前に視界が歪んでいく。

 まだだ。まだ聞きたいことがある。もうしばし待て。そう願うも叶うことはない。やがて女の姿も歪んではっきりと見えなくなり、視界が揺れた感覚に気持ち悪くなって目を覚ました。

 閉じられたカーテンの隙間から、自然の明るさが見える。どうやら朝が来たようだった。みほは、壁に掛けられた時計を一瞥して呟く。

 

「不可思議な夢だったな……」

 

 次いで隣に視線をやった。

 梓が無垢な表情を晒して眠っている。その寝顔が天女のように思えて、また、夢の女に重なって見えた。

 みほは、寝ている間もずっと握られていたらしい右手に少し力を込めてから、上半身だけを起こし梓の頭を左手で撫でた。そうすると、梓はみほの名をこぼしながらにへらと笑みを浮かべる。

 

「梓……」

 

 みほも梓の名を口にした。

 続けて夢の女に言われたことを頭の中で繰り返す。繰り返すこと五度、みほは一つの答えに辿り着いた。答えに辿り着くと髪が震え、肩が震えた。あまりにも驚いてしまったが、辿り着いた答えは、そう、必然なのである。

 この澤梓という女はみほにとって、弟子であり、後輩であり、妹分であり、自身の分身のようなものであり、何より、

 

「そなたは、私の吉祥天であったのだな」

 

 と、言ってから、何も考えずにゆっくりと梓の顔と自身の顔の距離を縮めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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その②

 早朝。

 いつもより早めの朝食を梓と共にとったみほは、二人並んで大洗女子学園の倉庫前へと向かった。辿り着けば、そこには二人以外の戦車道履修生が勢ぞろいしている。

 新参者である猫田たちや自動車部を除く履修生たちは先ず、みほと梓が並んで歩いて来たことと、距離の近さを見て、二人の間に新しい関係が構築されたことを把握した。驚きよりも祝福の心が先んじて、それぞれ破顔する。  

 それから関係の事には一切触れず、いつものように挨拶をした。みほは履修生たちに感謝の意を心の中で示しつつ、これまたいつものように挨拶を返す。

 

「皆、おはよう。突然ではあるが、一人ずつ私の前に来てこれを飲め」

 

 履修生たちの視線が、みほの両手に集まる。右手にはペットボトルに入った水らしき液体、左手には柄杓があった。何のつもりだろうと履修生たちが思う前に、梓がスッとみほの前に立つ。みほは梓に柄杓を手渡すと、ペットボトルの中身を注いだ。

 梓はこれが何なのかを知っていたので、迷うことなく柄杓に注がれた液体を飲み干した。

 

「これは私が毘沙門天に捧げた神前の水である。皆も、私に祈りを捧げながらこの水を飲み干せ。さすれば、私の中におる毘沙門天が加護を与えるであろう」

 

 みほが言うと、履修生たちは納得したようで頻りに頷き、順々に柄杓を手に取っては飲んだ。最後の一人が飲み終わる頃には、外の明かりも増し、港が近いものとなって来る。

 すると、みほは余計なことを言う必要はないとばかりに、履修生たちに三回の鬨の声を上げさせた。履修生たちは、渾身に気をみなぎらせながら戦車へと乗り込む。

 港に学園艦が到着した後、試合会場へは、駅の輸送車両を利用した。試合会場となる東富士演習場へと向かう間に、一同は富士山の姿を視界に収める。日本の魂とも言うべきこの山に、特にみほは心を奪われていた。

 

「美しい。そして雄大だ。どっしりと場に鎮座し、その存在感を見せつけておる。言葉なくとも偉大さが伝わって来るというもの。私もそういう人間でありたいものだ」

 

 富士山に心を奪われている間に、試合会場である東富士演習場に着く。富士山の余韻冷めきらぬままに、みほがⅣ号から出て地上の人となった。後から沙織たちも続く。

 暑い。朝の風は涼やかなものである筈なのに、暑かった。観客の作る熱気もさることながら、どうもここに来て己は興奮しているようだ。決勝戦だからと言うより、姉との決着をつける試合であるからだと、みほは自身の心を客観視する。富士山も理由の一つであろう。

 

「この胸の高鳴りのままでは、姉上の上手な戦術の前に不覚を取ることは間違いない。しばし心を落ち着けねばならんだろう」

 

 そう言って手にしたのは、得意の琵琶であった。みほは興奮を抑える時にこれを弾くのである。

 試合前の最後の準備でいそいそとしている履修生たちから、少し離れたところに腰を下ろし、琵琶の弾奏を開始した。ベン~、ベベベ~ン、と緩やかに空気が震える。

 突然の音色に履修生たちは首を傾げ手を止めるも、それがみほの琵琶の音だと知るや直ぐに作業の方に戻った。それにしても、相も変わらず心静まる音色であると、落ち着きながら作業を続ける。みほの琵琶は、みほ以外にも効果があるのだ。

 そんなことなど露知らず、自身の琵琶の音を背景に、先ほど脳裏に焼き付けた富士山を鮮明に思い浮かべるみほ。一人、別の世界に入っていると、華より取次があって、一旦弾奏を止めた。

 

「お客様が、みほさんに面会をご希望です」

 

 通せ、とだけみほが言った。

 華は頷いてみほの前より立ち去る。戻って来た時には、二人の人物を導いて来ていた。役目は終わりだと華は再び去りゆき、二人の客は、みほの正面に腰を下ろす。

 

「お二方、よく来られました。おもてなしの類は一切出来ませぬが、どうぞ、ゆっくりして下さい。ダージリンさん、ノンナさん」

 

 みほは目に見えて機嫌をよくした。自身が認めた数少ない友の一人と、自身を慕う女。奇妙な組み合わせの二人ではあるが、ともあれ歓迎に値すべき二人だった。

 二人の客は、それぞれ流の挨拶をしてから、用件を話す。

 

「こうして貴女を訪ねたのは、深い理由があるわけではありませんわ。ただ、一言二言話がしたかった、というだけのこと」

 

「本来でしたら、カチューシャを含め何人もいたのですが、あまりぞろぞろと来てはみほさんのご迷惑になるかと思い、代表して二人だけ」

 

「ふふ……代表を決める時、凄かったですわね。思い出すと笑いが止まりませんわ」

 

「あ、あれは忘れて下さい!」

 

 揶揄いの笑みを浮かべるダージリンに、ノンナが声を荒げる。代表になりたくてちょっとばかり必死だっただけなのに、どうしてこんなに笑われなければいけないのだろうか。そう開き直れるほど、ノンナは器用ではなかった。わたわたと顔の前で両手を振っている。

 暫く二人の寸劇を眺めてから、切りの良いところでみほは口を開いた。

 

「それで、お話とは一体?」

 

 ノンナが顔を青くした。下らないことを私の前でするなとみほは怒っているのか。狼狽しながらみほの方へ向き直して、ほっと胸を撫で下ろす。至って穏やかな調子で、みほに怒っているような節はなかったからだ。

 一方でダージリンは、口元を手で隠して肩を震わせていた。ノンナとは昨日今日知り合ったような仲ではない。それなりに交流があったが、その月日の中で、彼女がこんなに年頃の少女のような反応を示すことはなかったのだ。顔を赤くしたり青くしたり、みほの挙動に反応したりと、見ていて飽きない。ついつい笑いがこぼれてしまう。そうして笑いながら、視線をみほの膝に横たわる琵琶に落とした。

 

「決勝戦の前だと言うのに、琵琶など弾いている余裕がありますの? 私の時のような練習試合とはわけが違いますのよ?」

 

「ハハ、余裕があるから弾いておるのではありません。その逆です。心に余裕を持たせるためにこうして弾いて、気を落ち着かせております」

 

 理解したのか、ダージリンはそれ以上追及してくることはなかった。

 次いで、本題に入る。ダージリンとノンナの二人がみほの下へとやって来たのは、一言激励の言葉を掛けるためであった。聖グロリアーナ、サンダース、アンツィオ、プラウダ、これまで大洗が戦って来た高校の幹部クラスの面子からの一言である。

 

「聖グロリアーナからは私の言葉を送ります。友よ、貴女の勝利を肴に紅茶を頂きますわ」

 

 サンダースからはケイとアリサの一言。これをノンナが伝言する。

 

「ヘイ、ドラゴン! タイガーとの試合、ポップコーン片手に楽しみにしてるよ。それから、この私を破った以上、下手な策を披露することは許されないから、だそうです」

 

 みほは頷き、先を促す。

 

「アンツィオのアンチョビからは、勝って宴会をしよう、とのことですわ。費用はあちら持ちだそうです」

 

「そして同志カチューシャから、万が一、貴女が西住まほに不覚を取ったなら、潔く生き恥を晒さず腹を切りなさい、そう伝えるようにと。後、私から……応援してます」

 

 ノンナが言い終わると、

 

「皆は何となしに申しておるのでしょうが、私にとっては、どれも背中を支える様な頼もしき言葉ばかりです」

 

 と、答えた。続けて、

 

「此度の試合、私と姉上との公式の試合という事で、日本戦車道の歴史に燦然と輝くものとなる事は明白。見ていて下さい。私は神々も手を叩いて称賛する様な戦ぶりを、今日は行うつもりです」

 

 こうも答えた。

 これに、ダージリンとノンナは期待に胸を膨らませた。みほの戦いぶりは舌を巻くものである。教科書通りの戦い方から、まるでど素人のような戦い方、神業とでも言いたくなるような戦い方、それらの戦い方で彼女は無敗の道を突き進んで来た。

 そんなみほが、今日はどんな戦い方を見せてくれるのか。ましてや、相手はあの西住まほである。尋常なものになるとは思われなかった。

 とにもかくにも、これでダージリンとノンナの用件は済んだ。二人は立ち上がり席を外そうとすると、それをみほが止めた。

 

「お待ちください。折角こうして私の下に来て下さったのです。おもてなしの類は何も出来ぬと申しましたが、しかしまことに何もしないのは名折れというもの。どうか一曲、聴いて頂けませんか? 特にダージリンさんには、もう一度聴かせると約束があります」

 

 そう言われては断る理由はない。ダージリンとノンナの二人は、座り直し、みほの弾く琵琶の音色に耳を傾けた。心に染み渡り、ありとあらゆる一切を洗い流すかのような清らかな音色は、ダージリンをうっとりと惚れさせ、ノンナに至っては瞳に涙を浮かべる。こうして感動を胸に、二人は帰って行った。

 二人が帰った後も、みほは琵琶を弾き続けた。心を落ち着かせる音色を出していた琵琶は、弾き続けるうちに次第に厳かなものとなっていく。

 

「オン・ベイシラマナヤ・ソワカ」

 

 毘沙門天よ、我に勝利を。曲の最後に真言を唱えると、同時に試合開始の時刻がやって来た。

 

 

 

 

 

 



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その③

 試合開始時刻になると、会場の熱気はいよいよ上がるところまで上がろうとしている。可視化せんばかりの熱は、観客一人一人が小さな太陽のようであった。勿論、本物の太陽とて負けていない。天に座して小さな分身たちを見下ろし、これこそが真の光だとばかりに晴れ晴れと輝いている。

 そんな中にあって、大洗女子学園と黒森峰女学園の戦車道チームは、お互い緊迫した面持ちで向かい合っていた。誰一人身動きを取らない。いや、取れないと言った方が適切な表現なのかもしれない。

 大洗側は、初めて決勝戦という空気に触れて、緊張が著しいものとなっているように思われた。気付かず手足を震わせる者、音を立てて生唾を飲みこむ者がいる。

 対して、黒森峰女学園の緊張ぶりは大洗以上であった。彼女たちは一様に、不安や動揺、負い目を宿した視線をみほに向けている。平常ぶりを示しているのはまほだけだった。

 

「ちっ……これから試合だと言うのに何という面をしておるのだ」

 

 と、みほは苛立ちを露わにしている。彼女たちの気持ちが分からないみほではなく、逆に痛いほど心に響いて来るものがあるが、それはそれ、これはこれである。

 晴れの決勝戦だというのに辛気臭い表情をされると、こちらの気まで滅入るというもの。よもやそれが狙いではないだろうか。みほが黒森峰の実力を把握していると同時に、黒森峰とてみほの強さはよく理解しているところである。

 

(この私に本来の実力を発揮させないようにこのような癪な真似を……薄汚い奴らめ)

 

 そう思った。

 しかし、みほの脳裏に嘆願書に書かれた彼女たちの本音がよぎると、すぐ思い返した。

 

(いや、彼女たちに下賤な思惑は存在していない。ただ一途に私の事を思っているのだ。可愛い奴らではないか)

 

 物は言いようであり、気もまた持ちようである。

 みほは微笑を浮かべた。温かい笑みである。

 笑みを向けられた黒森峰女学園の少女たちは、表情を安堵の色に塗り替えた。安堵と共に、闘志も湧き出て来たようである。顔つきが勇士のものとなった。

 これで良しと、みほは審判に目で相槌を打つ。

 

「黒森峰女学園、大洗女子学園、隊長か副隊長、こちらへ来てください」

 

 大洗女子学園からはみほが進み出る。黒森峰女学園からはまほだ。審判の目前にまで足を進め、伸ばせば手が届くところまで二人は距離を縮める。みほとまほは、互いの鋭い瞳に視線を合わせた。

 

「みほ、ついにこの日が来たな。一日千秋の思いを胸に随分と待ちわびたよ。誰がこの日を想像していただろうか。無名校で素人だらけの高校が、こうして決勝戦に臨むことを。如何に率いるのがあの西住みほでも、と誰もが思っていた筈だ。だが、私は、私たちは想像し、確信していた。私たちの最後の敵は、お前なのだと」

 

 まほが口を開いた。最初の言い出し方は常日頃の冷静なものであったが、次第に感情が前面に出て来るようになっていた。胸の内から激する感情を抑えようと瞼を閉じる。

 みほも全く同じ気持ちになった。先ほどの黒森峰女学園の少女たちに対する気持ちはすっかりどこかへ行ってしまい、頭の中はまほ一色となっている。

 

「姉上、今日こそ勝負を決するぞ。私が強いか、姉上が強いか、二つに一つだ」

 

 きっちりと調子強く断言した。みほは全身に精気をみなぎらせ、陶酔的な快さを抱く。

 ここでタイミングを見計らったか、審判が決勝戦のルール説明に入った。決勝戦は、これまでの試合と変わらずフラッグ戦である。事前に分かっていたことだが、つくづく大洗にとってありがたいことだ。

 正直な話、殲滅戦になってしまっては大洗に勝ち目はない。

 みほも軽々しく勝てるなどと口には出来なかった。これが、相手が黒森峰でなければ、まほでなければ自信満々に胸を張るだろう。けれども、戦うごとに必ず勝利を収め、天下に対し悉く恐れ憚らない武勇の道を歩むみほにしても、まほだけはやはり別格なのである。

 自分と唯一対等で、同じ道を歩む女。みほにとって姉とはそういう存在だった。

 

「両校整列!」

 

 審判が声を張り上げた。

 すると、まほが拳を握り顎のあたりにまで上げて来る。意図を理解したみほも、拳を握ってまほの拳に軽く当てた。トン、と拳同士がぶつかり合った。

 そうしてから二人は踵を返し列に戻って行く。二人が列に戻ったのを確認すると、審判は挨拶の指示を出した。礼に始まり礼に終わるのが戦車道である。

 

『よろしくお願いします!』

 

 白練の布で行人包みにされた頭が、深々と曲げられた。

 

 

 

 

 礼が終わって直ぐ、大洗も黒森峰も審判の次なる指示に従って颯爽と戦車に乗り込む。乗り込めば向かう先はそれぞれの試合開始地点であるが、途中、優花里がみほに発言した。

 

「みほ殿、釈迦に説法とは思いますが、黒森峰は強大な戦車と鍛え抜かれた練度を以て、一気呵成に攻め立てて来るものと思われるであります。恐らくは森の中をショートカットして来るでしょう。そこを待ち伏せしましょう」

 

 右手に視線を遣れば、濃い緑の葉で単純に着飾った木々が見える。戦車が通れるかどうかと言ったところだが、黒森峰の練度であれば、平地と変わらない動きが出来るであろう。

 森を抜けて強襲して来る可能性は、黒森峰の戦い方を考慮すれば十分にある話だ。高火力にものを言わせて突っ込んでくるのは、みほがいた頃も暫しやっていた。

 だが、みほは首を横に振る。

 

「優花里の意見は道理のものだと私は思う。私とてその事を考えないでもなかったが、ちと別の事を考えた。優花里が申す戦術はまさに西住流の戦術であり、黒森峰でも常道の戦術である。姉上も西住流の人間であれば、かような戦術を取って来ると優花里が思うのは不思議なことではない。だが、姉上は他人が言うほど西住流に傾倒はしておらん」

 

「どういう事でありますか?」

 

 優花里が小首を傾げる。

 疑問は、優花里のものだけでなく、みほの肉声や咽頭マイク越しの声に聴き耳を立てていた者たちの疑問でもあった。

 

「先日、プラウダのカチューシャさんが姉上を武田信玄に例えておった。それを聞いた時、私の胸にすんなりと落ちた。思い返せば、姉上の根本となる戦い方は、信玄坊主と似ておる。一歩一歩、臆病なまでに準備を整え着実に、奇策だって使用する時は使用する。私ほどの者が相手なのだ。必ず、姉上は慎重に慎重を重ね過ぎな上で来る筈だ」

 

 まほの事を良く知るのは、やはり妹のみほを置いて他にはいない。そのみほがこう言っているのだから、優花里たちは納得する以外にはなかった。

 が、納得したは良いものの、新たなる疑問が生まれる。大洗としてはどういう戦術を取るべきなのか。勿論、みほはその疑問にも答えを出した。

 

「全車、207地点に押し上る」

 

 言われて履修生たちは試合会場の地図に目を通した。207地点は丘となっており、頂上にまで達すればそれなりの高地である。なるほど、ここに陣を構え天然の要塞と成し、黒森峰を迎え撃とうという魂胆か。履修生たちは理解したが、それは間違えだとみほに笑われた。

 

「そのような安全策の如き事を私は考えておらん。丘を確保するのは二つの理由がある。実質は一つなのであるが、まあお楽しみというやつだ。そうさな、一つだけ申せることは、やはり今回の試合でも思い切りが必要という事だ」

 

 みほはこれ以上語らなかった。

 とにかく207地点を確保すべし。履修生たちは互いに確認し合う。

 そうこうしている内に、審判が試合開始の合図を出す。空を花火が彩ると、大洗勢はみほの指揮の下に行動を起こした。二キロ以上の道のりを障害なく駆ける。

 

「やはり出て来なかったか」

 

 みほは自分の予想が当たって嬉しそうである。

 何事もなく丘につき、今度は頂上を目指した。この時もまた苦も無く登りきると、大洗勢は丘から見下ろすように戦車を配置につけ一息つく。丘の下には、黒森峰の戦車の姿は見えない。

 

「それで、ここからどうするの?」

 

 沙織が振り返りみほを見る。

 何やらごそごそと足元をあさっていたみほは、目的のものを探し出したのか子供のようなうきうきとした表情を沙織に向けた。

 向けられた沙織は、驚きを通り越して呆れている。沙織だけではなく、華も、麻子もそして優花里も開けた口が閉じらない。

 

「今、試合中……」

 

 そんな沙織の呟きが聞こえているのかいないのか、みほは手に持ったものを口元に近づけた。そうして涼やかに奏でられる音色。沙織たちは初めて聞く音色だったが名前は知っており、華は何回か聞いたことある音色で思わずポロリと言った。

 

「これは……尺八ですか?」

 

「私は琵琶以外にもこれが得意だ。小鼓があればもっとそれらしくなって風情があったのだがのう」

 

 みほは心底残念そうに眉を顰めた。

 



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その④

 試合開始の合図が出て、直ぐに動き出したみほとは反対に、まほは開始地点から一歩も動いていなかった。動かざること何とやら。彼女は偵察に向かわせる者を選別し指示を出したきり、後は黙って情報が来るのを待っていた。

 そして大洗勢が207地点に登り陣を構築したという情報がもたらされると、閉ざされていた口をおもむろに開いた。

 

「あいつめ、何を考えている……」

 

 高地に陣をとった。それの意図するところは、単純に考えれば高地を天然の要害と成し、押し寄せる自分たちを見下ろし圧倒するというもの。こちらが力ずくで攻略に掛かれば甚大な被害を被るばかりか、撃退されるやもしれない。なるほど、基本的だからこそ油断のない作戦である。だが、

 

「みほだぞ」

 

 まほは訝しさしか感じなかった。

 このような戦術の教科書を少し齧ったような戦法をみほが採るだろうか。確かにそれが有用ならば執るだろう。しかし、引っ掛かる。直感とでも言うべきか。あのみほのこと、別の意図があるように思えるのだ。

 すると、新しい情報がまほに寄せられた。207地点に陣取ったみほに次の動きが起こったという。通信越しに聞かされたまほは、眉間の寄せた皺をさらに深いものとした。

 

「尺八だと?」

 

『その通りです。副隊……敵の隊長西住みほは、大変に機嫌よく尺八を吹いて遊んでいる模様です。他の者たちはその尺八に聞き入りながらも、どこか呆れた様子が見受けられます』

 

 尺八。確かにみほは尺八が上手である。暇があれば尺八を吹いたり、琵琶を弾いたりしていた。だが、試合中にやったことは一度もない。

 何かある。みほが尺八を試合中に吹くことに、何か意味がある筈だ。

 その時、エリカの声がまほの耳に届いた。

 

『隊長、私、副隊長が何をなさりたいのか分かったかもしれません』

 

「本当か? 聞かせてくれ、エリカ」

 

 まほが先を促すと、エリカはまさかと思いながらも、みほならやりかねないというような気持ちのこもった声でまほに言った。

 

『恐らくですが、再現なさっているのではないでしょうか』

 

「再現? 再現……あっ!」

 

 まほは気付いた。確かに、みほならあり得ない話ではない。

 再現である。この時、まほの脳裏には今回の決勝戦のキャッチフレーズが浮かんでいた。それは、決着! 川中島決戦!! というもの。つまりみほが再現しているのは、

 

「あいつは、第四次川中島合戦を再現しているのか!?」

 

 で、あった。

 第四次川中島合戦。上杉謙信と武田信玄の一騎打ちという伝説があった戦いと言えば、多少分かる人もいるのではないだろうか。

 では、この戦いの何をみほが再現しているのか。謙信は第四次川中島合戦で、妻女山という山に布陣した。そうして川中島を見下ろしながら、茶臼山という地に陣取った信玄の動きを、琵琶を弾いたりしながら悠々と眺めていたという。

 

「なるほどな。あいつらしいことだ。観客の期待に応えてやろうというわけか」

 

 みほが戦いにおいて芸術家的気質があることは、以前述べた通りである。自分の戦いを見ている者たちの心を如何に捉えるか、こういう一種の遊び心のようなことも、みほにとってみれば十分な戦術であった。現に、まほたちが知る由もないが、観客たちはみほの行動に大いに盛り上がっている様子である。

 

「面白いことをする。流石はみほだな」

 

 と、まほは賞賛の言葉を送る。

 ならば、黒森峰が採るべき戦術は啄木鳥の戦法であろう。第四次川中島合戦で、武田軍が採った戦法である。啄木鳥が獲物を捕らえる時、獲物が潜む木の穴の反対側をつつき、獲物が驚いて穴から出て来たところをパクリとするのだ。啄木鳥の戦法とは、部隊を二つに分け、一つの隊で敵の後方を衝き、逃げ出して来たところを待ち伏せしていたもう一つの隊でパクリとするという戦法だ。みほが過去の戦いを再現するような行動に出たならば自分たちも、

 

「まっ、今は第四次川中島合戦でもないし、私は武田信玄本人でもないから、みほの誘いに乗ってやる理由が欠片もないんだな、これが」

 

 とはならないのが、まほである。みほとは正反対に現実主義者なまほには、遊び心などというものは存在していない。極論、観客なぞどうでもいいし、相手が奇抜な行動を起こして来たとしても、冷静に対処するだけである。

 それでは、高地に陣取ったみほに対してどうするべきか。相手は、堅固な城に立て籠もっているようなものである。孫子に曰く、攻城戦を行う場合は十倍の兵力が必要だ。近代戦となると違うかもしれないが、無視していいことではないだろう。

 

「正直、二倍程度の兵力差で十分な気もしないではないが、かと言って短絡的に総攻撃というのも考えものだ」

 

 けれども、相手の動きが変化するまで睨み合うなんてことは出来ない。これが合戦であればそれで良いのかもしれないが、生憎と試合である。睨み合ったまま両校動かないとあったら、審判から警告が飛んで来るのは火を見るより明らかだ。

 

「誰でもいい、名案はないだろうか」

 

 まほはマイク越しに意見を求めた。ここもまた、みほとは違う。

 みほの場合、今はほんのちょっとだけ改善されたが、基本は独断である。自分一人で決めて、決めた案を伝えて、それを実行に移す。他人の意見など一切求めていない。同意も反対も別案も聞かず、ただこれこれこの通りにやれというだけだ。

 一方で、まほは人の意見をよく聞いた。反対意見があれば改善をほどこし、別案がありそれが有用ならばそちらを採用することもある。優柔不断なわけではない。算盤を弾いて計算する回数が人より多いのである。

 意見を求めると、総攻撃をするべきという案が多かった。戦車の質及び数の利から一番有効な作戦だと口を揃える。だが、まほはもっと別の意見が聞きたかった。故に他を促すと、総攻撃を反対する形でエリカが述べた。

 

『総攻撃をやるには少し早いかと考えます。敵の気力が盛んなうちは、ひたすらその気力を削ぐことに力を費やすべきです。さもなくば手痛い反撃を受けるでしょう。それに……総攻撃は副隊長が最も望むところです』

 

 

 どういうことだろう。皆がエリカの発言の先を待った。

 

『副隊長は、一か八かの決戦を望んでいるのです。私たちが総攻撃に移れば、副隊長はフラッグ車、つまり隊長目掛けて遮二無二に攻撃を加えて来るでしょう。隊長は勿論のこと、皆も知っていることですが、あの方は天の意思、運命というものを信じています。そんな方ですから、命知らずなことも、あの方の中では必勝の算です。隊長が目の前に現れれば、必ずやるでしょう』

 

 みほのことを知っているまほたちだから、エリカの発言は大いに頷けるものだった。高地に陣取ったのは、何も第四次川中島合戦の再現をするためだけではなかったのである。質と数に任せて全車高地に向かわせれば、みほは嬉々として駆け下って来るだろう。

 冗談に出来ないほど、本当に天に愛されていると言いたくなるようなみほだ。もしかしたらが現実になると考慮したら、迂闊なことはやれない。ましてや慎重派なまほは、エリカの話を聞いて、総攻撃をしないことを決断した。

 

『だったら、フラッグ車以外で総攻撃をするのは如何でしょうか?』

 

 このような発言が出ても、まほは首を縦に振らなかった。

 まほには、みほの天運以外にも懸念することが内部にあるのだ。そのことが、気にかかってしまっている。それは、部隊内での連携のことだ。

 元々、対立しあっていた機甲科生。みほが大洗に行ってからは、心を入れ替え協力し合うようになったのだが、如何せんそれぞれに戦い方の癖があった。まほ流の戦い方とみほ流の戦い方だ。その癖が連携の邪魔をしている。外から見ればきちんと連携し合っている様に見えて、見る人が見ればお粗末なところが多々あった。

 総攻撃するとあったら、自分が直接指揮を執らなければ、その不十分な連携を衝かれて粉砕される危険性があった。このこともあって、総攻撃をしない決断をしたのだ。

 

「総攻撃はしない。そう決めたのだが、ならばどうするべきか」

 

 他の案が思い浮かばない。これが相手がみほじゃなければ、さっさと電撃的に強襲して瞬殺しているところだと言うのに、味方の時は頼もしく、敵になると恐ろしい人物だ。

 しばらく黙していると、一人、案を生じさせ出した機甲科生が現れた。

 赤星小梅である。小梅は、言うとするならみほ派の筆頭格であり、黒森峰においてはまほやエリカ同様に、みほに信頼されていた。柔らかな眼差しと態度が心地の良い人物である。その小梅が口を開いた。

 

『隊長、私にヤークトティーガーを二輌程お貸し願えないでしょうか。多少の犠牲は払いますが、突破口を切り開いてみせます』

 

 声音は相変わらずの優しさであったが、まほはその中に宿る覚悟と自信を読み取った。自分を除いて、当時もっともみほに近い人物であった小梅であるから、彼女の発言には興味がある。

 

「聞こう。小梅、詳細を頼む」

 

 まほは、マイク越しの柔らかい声を一言も逃すまいと、集中を始めた。そうして小梅が語り始めると、有無もなく数回頷くのであった。

 

 

 



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その⑤

 きっちり三曲吹き終わったところだった。余韻に浸ることもなく尺八を片付けたみほは、さっとその場で立ち上がる。眼下に視線を落とすみほは、場の空気がざわついているような感じがしていた。何かある。と言うよりは、ついに黒森峰が動き出したのだろう。

 見下ろす先に黒森峰の姿はない。ただ、大地を踏みつける音が、鉄の獣たちの唸り声がかすかながら聞こえる。見えはしないが、気配はひしひしと伝わって来るのだ。

 

「来たか!」

 

 吼えるように、みほが呟いた。

 そうしてから、沙織たちに急いで戦闘態勢に入るよう指示を出した。命を受けた沙織たちが準備し、態勢に入る頃に虎の群れが姿を現す。二列になって今にも襲い掛かってきそうな勢いだ。数は十を超えて、二十は数えない。

 みほは唇を噛み締めた。予定では全車この地に集結している筈であるのに、見下ろす先にはその半数ほどしかない。やはり、黒森峰は然る者の集まりである。

 

「見抜かれたか」

 

 己の考えをだ。逃げ場のない高地、天然の要塞ではあるが死地でもあるこの地に陣取り、敵のフラッグ車、すなわちまほを誘き寄せて決戦に持ち込み一気に雌雄を決しようという考えは、見事に読まれてしまったらしい。

 残念だと思いながらも、流石は、と心の中でまほたちを褒め称える。そうでなくては面白くない、とも思った。自然と笑みが出て来る。

 

「さて、もうここには用は無い。下りるとしよう」

 

 そう言い放つみほに、迎撃はしないのかと皆は首を傾げる。

 勿論、しない。そんなことをしたところで、何にもならないことが分かっているからだ。何故ならば、黒森峰勢が盾のようにしているヤークトティーガーという戦車は、ようにと言うよりはまさに盾である。前面装甲は厚く、今の大洗の砲弾では抜くことが出来ない。迎撃などしたところで無駄玉なだけだ。

 

「奴らの考えは読めた。ヤークトティーガーを前面に押し出し、この地に押し寄せ我らを追い出そうというのであろう。我らに何時までもこの地に籠られては堪らんということだな。全車で押し寄せれば、そこには当然姉上がおり、私の思惑通りとなる。しかし姉上がいなければ統制が取れない。だからこそ、統制が取れるだけの数で来たのだろう」

 

 みほは履修生たちをかえりみながら、真白な歯を剥き出しに笑う。

 

「ハハハ。良いだろう、健気な考えではないか。その健気さに免じてここから下りてやろう。しかし、ただ下りるだけではつまらない。奴らが上り始める前に、不意を打つが如く全速で駆け下りてしまう。すると、想定外のことが起きた奴らは混乱し、統制が乱れる。そこで一撃食らわせて一泡吹かせてやろう。各々方、そういうことだ。良いな」

 

 問答する時間などないので話を打ち切る。何か言いたいことがあった履修生たちも、こうも一方的な物言いをされると何も言えなかった。今回ばかりは梓だろうが、優花里だろうが、杏だろうが、口を出させる気はない。

 

「そら、下りろ!」

 

 みほは話を打ち切った後、間髪入れずに高地より駆け下りるよう、腕を采配代わりに振って大音に叫んだ。Ⅳ号戦車を先頭に最後遅れて三式中戦車が、眼下の黒森峰目掛けて突進を始めた。地鳴りのような重厚感溢れる音が響く。

 見込みは半分だけ違わなかった。突如として疾駆して来る大洗に、二輌のヤークトティーガーは面を食らったのかもたつきだした。想定外のことに動揺しているようだ。

 

「よし、このまま……何だと!?」

 

 そう、半分だけ違わなかったのである。残りの半分、ヤークトティーガー以外の戦車は、動揺するどころか極めて冷静であった。列を成していたのを、瞬時に左右に展開し大洗を迎え撃つ態勢に入る。まるで、大洗の行動が予定通りと言わんばかり。

 これには、みほの驚きもこの上ないものであった。

 

(私の考えを完全に読み取られた。なんたることだ!)

 

 大会初戦のように、通信傍受による作戦バレではない。純粋に、みほの動きを読み取られたのである。不覚だとした言いようがない。

 みほの身体が小刻みに震えた。むらむらと怒りが湧き上がって来る。こうまで鮮やかに読み取られてしまった自分に対してだ。自分で自分の誇りを傷つけたような気分であった。

 

(誰だ? 姉上か? エリカか? それとも他の誰かか? 誰が私の考えを読んだのだ)

 

 その時、みほの視界に飛び込んだのは一人の少女であった。距離があるから目をこらしてもおぼろげであるが、見えなくはない。ぼんやりと大まかな輪郭から、少女が何者か理解すると合点がいった。

 小梅だ。彼女ならば、納得のいく話だ。黒森峰に居た頃はずっと傍にいたのだから、手に取るように自分の考えを分かってもおかしくはない。同時に、ヤークトティーガー以外の戦車を操る者たちが、元々自分の下にいた者たちだと気付く。

 

(そうか、完全に読み取ったということではないのか。私ならばもしかしたらこうするかもしれないと、各々が頭の中の片隅に置いて警戒をしていたから、奴らだけ対応して来たのか)

 

 綿密に計画を練り規律正しく正確な動きを旨とするのがまほ派の特徴だ。だから、突発的な事態に対処できない。丁度、動きを乱している二輌のヤークトティーガーのように。対してみほ派は、大まかな皮だけを決めて、後は臨機応変にやっていくというのが特徴。お互いのトップの性格が実に分かる特徴である。

 

(これでは、迂闊なことは出来んな)

 

 思うと、みほは嬉しくなった。感動すら覚えてくる。

 瞬間、轟音が鳴った。天に轟く雷のようだ。当然、これは表現であって、本当に雷が鳴っているわけではない。今、何が行われているのかを念頭に置けば、おのずと音の正体は判明する。言うまでもなく砲音だ。

 

(感動している場合ではなさそうだ。それにしても、序盤の序盤でこうも不覚を取るとは……一本取られた、だが、真に面白くなって来たぞ。必ず借りは返す。勝つのは私だ。そのためにも、一先ずこの場を乗り切らねば)

 

 咄嗟に考えて、みほは引き締めた表情で真っすぐ前方を見つめた。前へ前へと疾駆するにつれハッキリと見えてくる黒森峰の姿を、厳しく引き締まる眼が捉える。

 やはりヤークトティーガーが穴だ。あの二輌の態勢整う前に突破するべし、とみほは判断し、二輌のヤークトティーガーの中央を抜けるよう麻子に指示した。

 

「はあ、遊園地の下手な絶叫系アトラクションよりスリル満点だね」

 

 みほの指示を、立てていた聞き耳で聞き取った沙織がため息をついた。

 飛び交う砲弾。息をもつかせまいと弾を乱射する黒森峰の猛攻は、まるで火のように激しいものであった。これを麻子が巧みな操縦で回避していく。

 

「安心しろ、沙織。身の安全は保障してやるぞ」

 

 麻子が不敵にニヤリと笑った。

 連動するかのように、華も口角をあげる。撃たれてばかりでただ逃げるのも面白みがない。標準を合わせ、応射する。これに我もと続いて、Ⅳ号より後方の車輌も応戦を始めた。

 玉煙が充満し、濛々と辺りを包み隠す。その煙の中からワッと大洗の戦車が飛び出した。

 激しい砲撃戦の末、大洗は黒森峰の戦車を二輌撃破する。その上で、先ずⅣ号戦車が黒森峰の備えを突破した。続く形で八九式、ルノーB1、Ⅲ号突撃砲、ポルシェティーガーも駆け抜けて行く。しかし、この五輌が抜けた頃には、ヤークトティーガーもようやくのこと、態勢を立て直した。

 

『みほさん。私たちは別へと向かいます。このまま駆け続けて下さい』

 

 梓がみほに通信を送る。ヤークトティーガーが態勢を立て直した以上、突破はもう無理だ。強行などすれば、M3中戦車リー、ヘッツァー、三式中戦車の三輌は全滅を免れないだろう。だからこそ、梓は瞬時に決断したのだ。

 方向を転換し、M3中戦車リーを先頭にみほたちとは別方向へと駆ける。すると、黒森峰はみほたちに見向きもせず、梓たちを追撃しだした。

 

『隊長、このままではあの三輌が危ない。反転し、あべこべに黒森峰を追撃しよう』

 

 カエサルは言うが、みほは千載一遇の好機が訪れたと思っていた。このまま梓たちに小梅の相手をさせてやれば、まほの周辺はかなり手薄となる。黒森峰が、まほが、小梅が何を考えているのかは不明だが、ただ訪れた好機を逃す手はない。

 

「梓、その方に小梅の相手は任せた。どんな手を使っても構わんから時間を稼ぎ、そいつらを姉上と合流させるな」

 

 みほは梓に通信し言い放つと、顔と頭を包み込んでいた白練の布をきっちりと包み直した。

 



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その⑥

 これまで、数多くの人が西住みほを評価して来た。

 義に篤い人である。名誉心と自尊心に執着する人である。裏切らない人である。潔く器量も大きく優しい人である。短気で横暴で暴力的な人である。子供みたいな人である。家族を大切にする家族愛の深い人である。

 赤星小梅はこれらの評価がどれも正しい評価だということを知っていた。少なくない月日を近くで過ごしていたから、みほの為人はよく知るところである。

 

(彼女を敵に回した時、どう戦うべきでしょうか)

 

 みほが、大洗学園の隊長として現れた抽選会の日から決勝戦の今日まで、小梅は心中密かにそのことを思い続けていた。

 みほは神だった。黒森峰で彼女の旗下であった者たちにとって、神格化の対象であった。それなりに近しい関係であった小梅も、無意識か、僅かに意識の内か、みほのことを自分よりも上に位を置く存在だと認識していたのだ。

 

(どう戦えば、勝てるのでしょうか)

 

 考えた時、小梅が注目したのはみほの為人である。みほに勝つためには戦い方を研究しても埒があかないことは理解していた。過去の戦いを分析、研究したところでその通りに戦うことは、まずあり得ない。ならば、みほの為人から必勝の策を考えるしかない。

 そこで、小梅はみほの本質を探ることにした。彼女由来の性格。これを知ることが重要だと思ったのだ。

 

(生まれながらに宿した、みほさんの本質。心掛けたり、作られたものじゃない、本当の性質)

 

 それは何だろうか。

 小梅は最初、自分なりに本質ではないだろうみほの為人を除外していくことにした。義に篤く裏切らない、これは彼女がそう心掛けているが故のものであろう。上杉謙信の生まれ変わりだと信じているから、彼のように生きようとした結果だろう。名誉心と自尊心の強さもそこに起因する可能性がある。

 

(隊長とお話をする時は、ちょっと雰囲気違いましたっけ)

 

 思い出すのは、みほがまほと話をしている時の光景だった。他愛ない世間話をしている時、揶揄われてまほに対し怒りを表している時、みほはいつもと少し違った。そしてそれが、小梅の求める答えである。

 

(家族愛。と言うよりも、自分と近しいものに対しての愛の深さ、これがみほさんの本質なのでしょうね)

 

 さらに思い起こしてみれば、他の人に比べると自分やエリカに対しても対応の仕方が違った。距離が近く気を許しているような感じであった。その事実を念頭に置くと、みほの本質は身内に対する愛が深いことであると推測できる。この性質は、上杉謙信には起因していないであろう。

 判断を下すと、連鎖的に掘り起こされた記憶が浮かび上がる。みほが黒森峰に居た頃、他校との練習試合があった。その際、小梅の乗る車輌が敵戦車に撃破されてしまったのだが、後から聞いた話によると、撃破された際、みほに動揺の様子が見られたらしい。当時、みほと同じ戦車の乗員が小梅に教えてくれたのだ。

 

(話を聞いた時はそういうところもあるんですね、と軽く流していましたが、なるほど、これは使えます)

 

 為人を利用することに罪悪感が頭をよぎるが、これもまた戦場の常と自分を納得させる。何はともあれ小梅の対みほ戦術は決まった。

 それから次の工程に移る。

 小梅は大洗でのみほの周辺を探った。目的は、大洗でみほが気を許している人物は誰なのかを見つけ出すことである。探っていると、有力な候補は何人かいたが、確実だと言える人物が一人見付かった。それが、澤梓だ。

 

(この澤梓さんという方に対して、みほさんは絶対の信頼を預けていますね。少し嫉妬しちゃうな。私以上に信頼されている気がする。私の方が長く一緒に居たのに……それはともかく、彼女が鍵ですね。彼女を先に倒してしまえば)

 

 みほの動揺はいかほどのものであろうか。小梅は結論を出した。

 迎えて対大洗戦である。みほと梓の分断を図り、成功させた小梅は現在、逃げる梓を執拗に追跡していた。既に梓の駆るM3中戦車リーと共に背を向けていた、ヘッツァー、三式中戦車は討ち取っている。

 三式中戦車は操縦に慣れていなかったのか、自滅に近い形で討ち取った。プラウダとの試合にはいなかったことから、急場備えの参加者であろう。戦車道歴一週間にも満たないと見たが、そう考えると末恐ろしい才能を感じる。長くない時間とは言え、自分たちから逃げることが出来ていたのには。

 そうしてそれはヘッツァーも同じことである。開けた平原を追跡中に、ヘッツァーは反転するや小梅たちに牙を剥いて来た。梓を逃すために殿を引き受けたということであろう。大洗側にも梓の存在が重要だと認識している者がいたようだ。

 突然のヘッツァーの行動に、追跡隊は不意を衝かれる。砲身から火を吹き散らしながら、しかし砲撃戦よりも接近戦を挑まんばかりに距離を縮めて来た。迎え撃つ黒森峰側の砲撃をあざ笑うように、人車諸共に体当たりをするかのような戦いぶり。

 

「無茶なことをする人たちです。ですけど、私は嫌いじゃありません。まるでみほさんを彷彿させるような戦い方、敵ながらあっぱれです。みほさんの薫陶を受けた私たちとしては、あなたたちの挑戦、意地、想い、正面から受けさせて頂きます。逃げて死ぬぐらいなら戦って死ね……ふふ、みほさんがそんなことを仰っていたのを思い出します。彼女たちがただ逃げているわけじゃないのは分かっていますけど。さあ皆さん、あの勇者たちをその誇りと共に散らせてあげて下さい」

 

 小梅の号令が下ると、黒森峰の乗員たちは互いに競い合うようにして奮戦した。戦車を駆って、我先にとつぎつぎに砲弾を撃った。だが、ヘッツァーはこれらの猛攻に負けじと戦った。

 恐れげもなく車体を黒森峰の陣に滑り込ませ、殆ど零距離とも言えるところから撃ち抜く。勇猛果敢にして冷静な動きだ。一弾放てば、直ぐに二の弾を番え、次の獲物に狙いをつける。ヘッツァーに狙いをつけられて白旗を挙げた黒森峰の戦車は三輌にも上った。

 

「ただ一輌にここまで被害を与えられるとは計算外です。しかしその猛攻ぶりもここまでです」

 

 小梅の言葉通りであった。黒森峰を翻弄しただ一輌で暴れ回ったヘッツァーは、その全身を砲身に包まれている。逃げ道はなく、詰みの状態であった。

 そして最早これまでと観念したのか動きを止める。動きの止まったヘッツァーから、一人の少女が上半身を外に晒した。少女の瞳が小梅を見つめる。

 

「やあやあ、降参降参。もう抵抗しませんよっと」

 

 少女は杏であった。両手を挙げておどけるように言う。いつでも撃ち抜かれる状況でそういう態度を取れることに、小梅は感心を覚えた。

 

「私は角谷杏。大洗女子学園生徒会長やってるよ。以後、お見知りおきをってね。よければ、お宅の名前を教えて欲しいな?」

 

 試合中に何を馬鹿なことをと思わないでもない小梅であったが、名乗られた以上名乗り返すのが礼儀だと、杏に応える。

 

「私は赤星小梅と申します。そちらの隊長である西住みほさんとは、親しい間柄だと自負しております」

 

 小梅の名を聞いた杏は、顎に手を当てて考える様な素振りを見せると、「ああ~」と首を縦に振った。

 

「聞いたことのある名前だと思ったら、お噂はかねがねってところかな。西住ちゃんから度々話を聞かせてもらったよ。黒森峰に居た頃、お姉さんや逸見ちゃんと同じぐらい信頼していた人だって。そっか、君が赤星ちゃんか。雰囲気、澤ちゃんに似てるね」

 

「私の事を知って頂けているのは光栄ですが、そろそろよろしいですか?」

 

「もうちょっと時間稼ぎに付き合ってよ。ねっ? 良いでしょ?」

 

 馬鹿正直に真っすぐすぎる言葉だった。ただ小梅はこの手の正直さは嫌いではない。寧ろ好きだと言い換えても良かった。大洗を調査した時、みほが気を許している人物の候補に挙げたが、みほが気に入りそうな人柄である。少なくとも小梅は気に入った。

 気に入った故に、時間稼ぎに付き合ってやることにする。小梅がみほから受けた影響は、何も戦術とうとうのものだけではない。この遊び心のようなものもまた、そうであった。

 

「よろしいでしょう。少しだけですよ?」

 

「おっ、話が分かるね。黒森峰はお堅い連中の集まりかと思っていたけど、んじゃ、遠慮なく。一つ訊きたいことがあってさ……ああ、この話は通信切ってるから他の皆に聞こえてないので安心してね。さてと、訊くけどもしかしなくとも、澤ちゃん狙い?」

 

 やはり気付いていたらしかった。小梅の狙いをである。

 確信しているらしいので、はぐらかしても意味はないだろう。こちらとしても杏に隠す必要はもうないので小梅は肯定してみせる。

 

「やっぱりね。高地から脱出する時のことが気になってね。何かうまい具合に分かれさせられちゃったなあってさ。それに、私たちを包囲部隊全員で追跡するってのもなんかね。そしたら案の定ってわけか」

 

「だからこそ、あなたたちは澤梓さんを逃がすためにこうして残って時間稼ぎをした、と」

 

「そういうこと。そして、私は見事に役目を果たしたってわけさ。よし、訊きたいことは訊けたし、これで時間もちょっと稼いだ。話に付き合ってもらってありがとう。もう良いよ」

 

 言いたいことだけ言ってから、杏は戦車の中へと戻った。もう良いよ、とは、もう撃っても良いよ、ということだろう。

 そんな杏の合図に苦笑いの混じった微笑みを浮かべつつ、小梅は自分の乗る車輌の砲手に砲弾を撃たせた。砲弾は唸り声と一緒に一直線に進み、目標に当たると力強い音を響かせた。威力を物語るように、ヘッツァーから黒煙が立ち昇り白旗を掲げさせる。

 

「では、皆さん行きましょう」

 

 ヘッツァーを撃破したことを確認すると、既に影も形もなくなったM3中戦車リーの追跡に戻る。追跡中、黒森峰生の一人がぼそりと呟いた。

 

「あれで本当に、戦車道を始めて一年も経っていないというのか」

 

 小梅とて同じ気持ちである。大洗女子学園は、みほ以外全員が今年から戦車道を始めた者ばかりだ。にもかかわらず、こうして決勝戦にまで来て、そして自分たちと対峙している。才能の一言では片付けらないような者たちばかりだ。

 

「みほ様だけではない。大洗女子学園、決勝の相手に不足はないというわけだな」

 

 誰しもが同じ気持ちであった。油断は禁物とばかりに気を引き締めなおす。小梅も皆に倣って顔に力を込めると、ふっと向かい風が頬をなぶるように吹き過ぎて行った。

 

 

 

 

 



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その⑦

 杏たちの奮戦によって、梓たちM3中戦車リーの乗員は黒森峰の追撃を振り切ることができた。だが梓は浮かない様子で俯き、自身の膝に視線を落としている。浮かないというよりは、苦悩の表情と表現した方が適切かもしれない。

 梓がそんな表情を浮かべるのは、何も殿を請け負った杏たちを思ってのことではなかった。彼女たちは自分の役割を果たしたのだ。そこに称賛の意はあっても、負の気持ちなど抱くことはない。ならば何を苦悩しているのか。

 

「このまま背を向けて逃げ続けるのは、私だけじゃなくて、私を教え導くみほさんの名を汚すことに繋がっちゃうんじゃ……」

 

 この一点であった。

 梓自身、背を向けてただ逃げることに抵抗がないわけじゃない。どちらかと言えば羞恥を覚える方である。けれども覚えるだけだ。

 しかしそのことで臆病者呼ばわりされ、ひいてはみほの評価に響くのは堪えられない。

 師弟という関係だけでなく、恋人という関係が加わった今、梓はいつも以上に敏感であった。己の行動が、愛する人の評判を下げることは何としても避けたいのである。

 

「別に気にすることないんじゃない? 考え過ぎだって」

 

 梓の独り言に副砲砲手の大野あやが反応する。栗色をした二つ結びの髪を揺らしながらニコニコと笑う。

 これに主砲砲手の山郷あゆみが同調した。

 

「そうだよ、梓ちゃん。なるべく時間を稼げって言ったのは先輩だし、時間を稼ぐんだったら逃げるのが一番だって。三十六計逃げるに如かず、だよ」

 

「そうかもしれないけど……でも……」

 

 言われても梓は煮え切らない。頻りに「でも」「だけど」と繰り返してはせわしなく視線を動かす。梓にとっては問題が問題なだけに簡単に割り切れるものではない。

 そんな時、あや、あゆみとは別の人物が口を開いた。その人物の意見は、二人とは全く正反対のものであった。

 

「じゃあ、戦っちゃおっか~」

 

 おっとりとしながらも、言葉には力強さがこもっている。太い眉の下、普段は緩んでいる眼差しを鋭くするのは、通信手の宇津木優季であった。

 梓は思わず呆けた顔で瞬きを数回、どういうことかと優季の次なる言葉を待つ。

 

「要はやられなきゃ良いんだよね? やられなきゃ、戦っても良いじゃん。逃げずに踏みとどまって戦っても、やられなきゃ時間稼ぎって意味では、大丈夫だよー」

 

 言葉の最後に優季は大きく頷いた。

 とは言うものの、時間を稼ぐならこのまま逃げ続けた方が確実である。わざわざ危険を冒す必要はない。それに戦うことを選択した場合、何のために杏たちが殿をしたのか、ということになって来る。

 杏曰く、追撃して来る黒森峰の部隊は、梓を撃破することを最重要の任務にしているらしかった。理由は分からない。だが、だからこそ、杏たちが犠牲になってでも梓を逃したのだ。だと言うのに梓が戦うことを選んでしまうのは、気が引けるというものであった。

 

「だけど」

 

 梓は何度目になるか分からない「だけど」を言葉にした。ただこの「だけど」からは、先ほどまでの迷いが一切なかった。天啓が下ったとでも言うように、梓の瞳に光が宿る。

 すると、以前梓がみほに言われたことが口から声となって出て来た。

 

「人に誇れない戦いだけはするな。天も地も、相手も観客も、そして己自身も誇れる、褒め称える戦いをしろ。無様だけは決して許さん」

 

 あやは梓の纏う空気の変化を感じて、唾と一緒に言葉を呑み込んだ。自分の心も瞬時に変化したのを感じたのだ。そうだ、どうせなら、カッコいい方が良い。

 一方であゆみは自分の意見を曲げなかった。万が一があってからでは遅い。もし戦って負けて優勝を逃すようなことになれば、大洗は廃校になる。そうしたら梓たちと、大切な友達と離れ離れになってしまうかもしれない。そう考えると、あゆみの中から慎重さが抜けなかった。

 

「やられない根拠なんかないじゃん。寧ろやられる確率の方が高いよ。私たちはこの一輌しかないけど、敵はいっぱいだよ。止めた方が良いって」

 

 梓は、あゆみの強い意志が見える瞳を見つめた。

 普通であれば言うまでもなく、あゆみの意見が正しいのであろう。それは梓にも分かっていることだが、でも決めたのだ。今、自分たちが置かれた状況で逃げ続けることは、天も地も相手も観客も恥ずかしいことだとは思わないかも知れない。知れないが、少なくとも梓自身は羞恥を覚えるのだ。

 梓とあゆみは互いに視線で語り合い、一歩も譲らない。優季やあやが口を噤んで見守っていると、予期しない方向から沈黙が破られた。

 

「かみ」

 

 一同の一か所に集められた視線の先には、丸山紗希の姿があった。滅多に声を出すことがない紗希であるから、梓たちは彼女の言葉を聞き逃すことのないよう集中する。

 己に集まる視線を一向に気にせず、ぽつりぽつりと紗希は言った。

 

「かみ、びしゃもんてん、かご、まけない」

 

 単語だけで直ぐには意味が理解出来なかった。十数秒後、逸早く読み解いたのはあゆみである。頭の中で読み砕いた単語を繋ぎ合わせ文へと変えた。

 

「毘沙門天様の加護があるから、決して負けないってことかな」

 

 合っているのだろう、紗希はあゆみに微笑んでみせた。

 あゆみは瞼を閉じる。浮かぶのは、太陽が目を覚ます前にみほに飲まされた水のことだ。あの行為で毘沙門天の加護が宿ったと言う。そうは言うが、あゆみはそれをさして信じているわけではなかった。一種のゲン担ぎのようなものだと思っていた。そも信じていたら、戦うことに反対はしない。

 

「うん、分かったよ、紗希ちゃん」

 

 けれど、あゆみも紗希に微笑み返した。

 加護云々は紗希のように信じていないが、その考えがいまいち分かり難い紗希ですら、戦うことに賛成している。このまま自分一人反対を叫ぶよりは、一蓮托生、気持ちを一つにするべきだと判断したのだ。

 

「梓ちゃん、私も覚悟を決めたよ。やろう!」

 

 ここであゆみに応えたのは梓ではなかった。操縦手の阪口桂利奈が、くりくりと大きな丸い目を吊り上げ気合の声を張り出す。

 

「おっしゃあ! やったるぞー!」

 

 轟然たる響きに続いて、その他の者たちも「おー!!」と気合を入れた。

 その後しばらく戦車を走らせると、梓が辿り着いたのは市街地だった。見上げるほどに高く戦車をすっぽりと影で覆う巨大な建物が、あちらそちらに立ち並ぶ。舗装された道々は、一度に通れる戦車の数を制限している。敵を迎え撃つのはここを置いて他にはない。

 

「桂利奈ちゃん、ここで止まって」

 

 梓が桂利奈に指示を出し、適当な路地のところで停車させる。

 息を潜めて待っていると、周囲を圧する様な気配を伴った複数のエンジン音が耳に入って来た。追撃部隊がどうやら現れたようである。

 今しばし、今しばしと堪えていれば、黒森峰は一輌、二輌と目前を通り過ぎて行った。五輌目が通り過ぎて、六輌目が通り過ぎようとする瞬間、

 

「撃て!」

 

 梓が大音に叫んだ。

 叫びに呼応して、割れ鐘のごとき唸り声をあげながら、砲弾は黒森峰の戦車を撃ち抜いた。撃ち抜かれた戦車はドッと横転し、撃破された証の旗を掲げる。

 そのことを確認する前に、桂利奈はすかさず路地から戦車を飛び出させた。これまでと違い、黒森峰の背後をとるような形となる。

 

「いざ、尋常に勝負! 勝負!」

 

 あやが言えば、桂利奈、あゆみ、優季らも「勝負、勝負」と繰り返す。

 黒森峰側は奇襲によって混乱していた。撃破された車輌の乗員を気遣う者、砲塔を後方に向けて反撃に移る者、足並みが乱れていた。

 これは黒森峰側としてまったく予想していない展開である。よもや逃げずに立ち向かって来るとは思いもよらない。杏たちが時間稼ぎで残ったことを念頭に置けば、梓たちの行動は考えつくものではなかった。

 だが、やられてばかりの黒森峰では勿論ない。

 

「流石、もう立て直して来た」

 

 梓の言葉通り、黒森峰の混乱は長くは続かなかった。キューポラから身を乗り出す小梅が、矢継ぎ早に指示を下すと、瞬時に足並みを揃えてからの応戦に入ったのである。

 後進し砲撃の雨を降らせる黒森峰。その黒森峰の動きを一瞬の内に理解した桂利奈が、梓の指示を待たずに後進状態に入り、巧みな技術で鉛の雨を回避する。

 再び、両者の状況は逆転した。

 

「こっからが腕の見せ所だよ、桂利奈ちゃん。黒森峰、何するものぞ~」

 

「あいあい。任せて、よっと!」

 

 優季と桂利奈が軽口を叩き合う。

 その間にも黒森峰の猛攻は続くが、見た目よりはどこか余裕がある梓たちであった。黒森峰の好きにばかりさせてなるものかと、あやとあゆみの砲撃が黒森峰へと向かう。

 飛び交う砲弾に眉一つ動かすこともなく、梓は冷静に黒森峰を見据えていると、小梅と目が合ったかのような感覚があった。はっきりとは見えないが、小梅は笑っている様に見える。釣られて、梓も口角をあげた。

 それから、梓が戦車の中へと戻ると、あゆみが揶揄うように言った。

 

「梓ちゃん、やっぱ止めておけば良かった、とか思ってない?」

 

 にやにやとイヤらしい笑みのあゆみに、梓はあげた口角のまま返した。

 

「思ってないよ。それどころか、私、今とっても楽しい」

 

 続けて梓の指示が、桂利奈へと飛んだ。

 

「桂利奈ちゃん、突撃!」

 

 指示を受けて桂利奈の動きが一秒ほど固まる。とても信じられない指示だと思ったからだが、それよりも面白いと思う心が勝った。我に返ってから、素早くギアを前進に入れた。

 M3中戦車リーはまっしぐらに突進する。

 再び梓がキューポラより上半身を出して映った視界には、小梅が大口を開けている様子が見えた。それを見た梓は、白い歯を外部に晒して満面の笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 



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その⑧

 梓や杏たちが己の戦いを全うしている頃、みほたちは黒森峰フラッグ車の車長、まほとの接敵を果たしていた。ただ、我死ぬか、彼死ぬかといった戦いは起こっていない。

 当初、まほの姿を目認したみほは、雌雄を決するべし、と強い心意気で戦闘開始の号令を出した。狙うは大将首のみで他は捨て置け、との指示も出している。見渡しの良い平野、指示を受けた五輌の大洗戦車乗員たちは、気を奮い立たせて砲撃に移った。

 このまま激しい砲撃戦に入り、みほとまほ、どちらかが撃破されて決着となるかと思われたが、そうはならなかった。

 

「退け」

 

 低く、鋭く、冷静に出されたまほの指示は、反撃ではなく退却を表すものであった。振るわれた采配に従い、黒森峰の戦車が規律よく後退して行く。

 まるで狐に化かされたように気を削がれたみほは、惚れ惚れするほど美しい退却ぶりを眺めているしかなかった。

 どうなっているのかと、小首を傾げた優花里が、みほに話し掛けてくる。

 

「黒森峰にはどういう思惑があるのでありましょうか。正直、あちら側の立場に立ってみた時、退却する理由がないと思われますが……、みほ殿、これは一体?」

 

 その通りだった。黒森峰側から状況を分析した場合、開けた平野、勝っている数と質、さらに相手が決戦を望んでいる、とこれだけの材料が揃っている。優花里が、黒森峰に退く理由がないと判断を下すのも無理からぬことであった。

 みほは二つのことを考える。

 一つは、用心深い姉上の奴め、今決戦を行うのは危険だと判断して、もう少し様子見をして準備を整えてからにしようと思ったのか。あり得ない話ではない。

 あるいはいやらしい戦い方も得手とするところだから、何かの罠にこの西住みほを嵌めようとしているのではないか。こちらも考えられることだ。

 

「分からん。分からんが、立ち止まりそのことを議論するのは止めておこう。このまま逃げる奴らを眺めているだけというわけにもいかぬし……追撃だ。奴らが、姉上が何を企んでおるのかは知らんが、敵が悠々と撤退するのを黙って見過ごして置けるものか。思惑があろうと、それごと叩き潰してくれる」

 

 敵の大将を前にして、今更小賢しいことは気にしない。ここまで来れば敵の首が飛ぶか、自分の首が飛ぶかのどちらかである。息巻くみほは、全車に追撃するよう命じた。

 

「そうそう逃がしてたまるものか。姉上、覚悟しろ!」

 

 やがて逃げる黒森峰に追いつくと、決して逃がすまいぞと砲を構えて一斉に撃ちたてた。今度は黒森峰も反撃のため応射してくる。燃え盛る火のように激しい攻防が始まった。互いに砲の筒先を揃えて敵方にこれでもかと乱射する。

 

「敵は我らと出会うや臆病風に吹かれて一目散に逃げだすような弱兵ぶりだ! これしきの敵、なにほどのものか!」

 

 怒鳴りたてたのはカエサルである。これにより、大洗の勢いが増したようであった。息もつかせぬ砲撃は、あたかもすり鉢にものを入れて力のままにすりたてるよう。

 しかしさすがのまほであるから、一歩も引かないどころかみるみると大洗を押し返して行く。もとより地力の方は黒森峰が上である。大洗はまるで烈風に吹かれる枯葉のように崩れ立ちそうになるが、辛うじて持ち堪えていた。やられてばかりなるものか、大洗も負けじと攻勢に移る。

 火薬庫へと爆弾を放り込んだように、戦いは激化の一途を辿って行った。が、直ぐにそれは収まることになった。

 

「ここまでやれば十分だ。撤退するぞ」

 

 黒森峰はまたもや背を向け始めた。激しい砲撃戦によって、濛々と立つ砂煙と玉煙によって一面が閉ざされている。それに紛れての撤退であった。

 みほは見た。蒙と立ち込める煙の中で濃くなったり薄くなったりする黒森峰の戦車が、その姿を消していくのを、煙の中にあって美しい見覚えのある銀の髪が、たなびきながら遠のいて行くのを見たのである。

 

「また逃げるつもりか? そうはさせてなるものか!」

 

 大洗の誰もが心に思ったことを、みほが声を大にして言った。逃がしてなるものかと気持ちを一つにするも、そんな彼女たちをあざ笑うように黒森峰は逃げ去ってしまう。

 ならば地の果てまで追いかけてやると、大洗は追撃を再開した。すると黒森峰とまた遭遇し、砲撃を交えてから暫くすると黒森峰は背を向ける。これが繰り返されると、次第に大洗側の心境に変化が出て来た。

 

「このまま闇雲に追いかけたって、私たちの方が先に疲れてダウンしちゃうわね」

 

 みどり子の口からため息が漏れた。既に肉体的にも精神的にも疲労の色が見え隠れしているようである。

 

「少し休んだ方が良いかもね」

 

 ポルシェティーガー車長兼通信手であるナカジマも、みどり子に同意する素振りを見せる。他の者たちも口々に同じようなことを言い始めた。

 戦意を削がれてしまったと言うべきか、このまま追撃しても幻を追いかける様なものだ。もしや、こちらの戦意を削ぐことが黒森峰の目的であろうか。

 とにもかくにも、一旦、休憩するなり別の案を考えるなりするべきだと思ったのは典子で、みほに判断を仰ごうとハッチより顔を出す。

 

「西住隊長。このままじゃ……西住隊長?」

 

 声を掛けてもみほはうんともすんとも言わない。そればかりか典子の方に目を向けることすらしない。聞こえてないわけではなさそうだが、どことなく様子がおかしかった。

 ここで沙織も異変を感じ取ったのか外に顔を出し、見上げてみほを確認する。

 みほは震えていた。口元、肩、背中、どこもかしこもぶるぶると震えている。寒いというわけではなさそうで、ならば何を震えているのであろうか。

 

「みほ、ちょっとどうしたのって、あっ」

 

 みほの口元より上に視線をやって、沙織は震えの理由を悟ったのか間の抜けた声を出した。みほがどういう性格なのかを考えてみれば、沙織が悟った震えの理由は、間違いではないだろう。のらりくらりと大洗を翻弄する様な黒森峰、みほの性格、みほの血走った瞳、これで答えは出たようなものである。みほの悪いところが表に出て来たのだ。

 すなわち、みほは今、苛立っていた。

 

「はあ、はあ、はあ」

 

 みほの呼吸が荒い。周りの声を遮断して、怒りを必死に抑え込まんとしているようであった。けれども、抑えても抑えても腹は煮えくり返って、抑え切れない怒りとなり身体のあちこちを震わせる。怒りの原因は、黒森峰、というよりも姉のまほに対してあるようだった。

 

(何故姉上はまともに戦おうとせぬ!? 何故姉上はこのような戦い方をする!? 何故姉上はこの私をこうまで苛立たせる!? 何故姉上は――)

 

 ぎりぎりと奥歯をきしらせながら思案を巡らせるが、沸騰し始めた頭では答えなど出よう筈もなかった。それでもなお思案を張り巡らせていると、ふと、声が聞こえてきた。典子や沙織の声が聞こえないほどのみほだったが、この声は驚くほど鮮明に耳に入って来る。

 そうして聞こえて来た声の内容を認識すると、みほの中で何かが切れる音が鳴った。

 

『大洗女子学園、M3中戦車リー走行不能!』

 

 この時、小梅の立案した、梓を撃破することでみほの動揺を誘うという策は、失敗に終わった。梓の駆るM3中戦車リーが撃破されたと聞いても、みほに一切の動揺は見られなかったのである。とは言え、意味がなかったわけでなく、完全に失敗したわけでもなかった。

 冷静さを奪うという点では成功していたのである。小梅の策に乗ったまほが、時間稼ぎのためと大洗の気力を出来るだけ削ぐために仕掛けた、少し戦っては逃げるという戦法で苛立ちを高めたみほは、梓が撃破されたという情報で限界を超えたのである。

 

「追撃!」

 

 突如として、みほは大音声を轟かせ、指示を下した。

 指示を受けた大洗生たちは、自分の考えるところと正反対の指示に困惑を覚えるが、反対意見を述べることはなかった。今まで見たこともないほどに激しているみほに対して、恐れが先行して口を開けないのだ。大洗生たちは、黙々と指示通りに黒森峰を追撃する。

 幾ばくかもないうちに、本日数度目となる接敵を果たした。追いついたというよりも、黒森峰は待ち構えていた。ようやく、本腰を入れてきたのである。

 砲撃戦が始まった。最も激しい戦いとなり、戦況は二回、三回互いに進退するものとなる。これに、みほがカッと腹を立てた。

 

「貴様ら、なんだそのざまは! 何をちまちまとやっておるか! 臆したとでも申すか! 口だけは達者で、実際はこれか! この臆病者どもめ!」

 

 言葉での辱めを受けて、大洗生たちもカッと頭に血を上らせた。

 そこまで言われる筋合いはないと、やけくそ気味にうわっと叫びながら黒森峰の陣へと戦車を進める。さらに戦いは激しくなった。

 大洗の誰も彼もが燃え上がる炎のように激している中、一人冷えた思考をしている麻子は、唇を噛み眉を顰めていた。

 

「このままじゃ、拙いな。西住さんがあのざまだと、勝てる戦いも勝てない。何とか頭を冷やしてもらわないと……それに、少々時間を掛け過ぎている。これ以上、この場で戦っていたら――」

 

 麻子の言葉を遮るように、砲弾が飛来して来た。その砲弾は、Ⅳ号戦車の真横を抜けて、目前の地面を抉る。背後から飛んで来たに相違ない砲弾だった。

 確かめるまでもない。この砲弾は、梓を撃破して本隊に合流して来た小梅が率いる隊のものであろう。最悪の事態であった。大洗は挟撃される形となったのである。

 

「みほ、お前らしいと言えばお前らしいが、いささか間の抜けた展開だったな。最早、袋の鼠と言う奴だ。潔く、腹をくくれ――全車、敵を殲滅しろ!」

 

 まほの号令が下ると同時に、黒森峰の戦車隊は喚声を上げながら大洗の陣へと突き進んで行く。血が上りまともではない大洗勢は、忽ちのうちに突き崩された。

 ここに来てようやく、みほの視界が広がった。自身が置かれている現状を把握すると、唖然と息を漏らす。

 

「何と言うことだ。あれほど、あれほどに自戒しておったと言うのに、私は、何と愚かなことをしてしまったのだ」

 

 怒りに我を忘れ、八つ当たりのように仲間を理不尽な罵倒に晒す。出来うることならば、五体を投地して仲間たちに謝罪の意を示したいところだった。が、今はこの場を切り抜けることが先決である。負けが確定する前に立て直しに入らねばならない。

 

「皆、血路を開いてこの場より脱出する。全車、私に続け」

 

 みほが言った。その声はいつものように、傲慢なほど自信に満ち溢れたものではなく、弱々しい、一人の女の子の声であった。

 



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その⑨

 沙織はみほのことが大好きだった。恋愛対象などではなく、ただ人として、一緒に居ると胸が高鳴って世界が夜の星空のごとく輝いているようであった。

 優しく微笑み掛けてくるところが好きだ。粉雪を連想するように淡くふわりと笑うのである。その笑みを見るだけで、沙織は一日の活力が沸いて来るようですらあった。

 傲慢なまでに自信に満ち溢れた姿が好きだ。己の勝利・成功を疑わずに真っすぐ突き進んで行くところを見ていると、沙織は安心感に包まれる。

 そうしてもう一つ、これが最も好きなところであり、尊敬に値するところだ。人に対して誠実なのである。時代錯誤なまでに「義」の精神を重んじるみほと、友達であるというだけで沙織の心に誇らしさが浮かんで来るのだ。痺れるほどにカッコよくて、憧れるほどに素敵な、歴史上の偉人みたいな人であった。

 けれども今のみほには、痺れるほどのカッコよさも、憧れるほどの素敵さもない。

 

(仕方のないことなのかな)

 

 とは、沙織も思う。

 何故ならば、みほはまだ若いのだ。まだ二十年にも満たない人生の中で、決定的な失敗を経験したことがなかったのだろう。それを経験してしまったのだ。

 母校の廃校がかかった一戦で、自身の姉との運命的な一戦で、怒りに呑まれるという言い訳のしようもないほどに自分の失敗で、仲間を犠牲にして背を向けて逃げる。

 

(恥ずかしいんだよね? 恥ずかしくて、悔しくて、大きな声をあげて泣いてしまいたいんだよね? みほの気持ちは分かるよ)

 

 目の前で、道に迷った幼子のように震える女の子に、沙織は胸が締め付けられるようだった。自信を喪失して、青ざめて、力なく腕を流した、俯き気味の女の子。

 これがあの西住みほなのだろうか。姿、形が同じなだけで中身は別人なんじゃないだろうか。そう思わせてしまうほどの変貌ぶりだった。しかしこうも思わせる。どれだけ威厳があろうが、どれだけ驚愕するような精神性をしていようが、どれだけ自分と違う価値観を抱いていようが、みほはただ一人の女の子なのだ。

 

(普段の私であれば、このまま暫くそっとしておいてあげよう、とか、お世話してあげなくちゃ、とかなるんだろうけど……)

 

 生憎そういうわけにはいかないのである。まだ試合は終わっていないのだから。

 先ほどの黒森峰との戦闘で、五輌の内二輌の戦車は撃破された。八九式中戦車とポルシェティーガーである。残りはⅣ号戦車、Ⅲ号突撃砲、ルノーB1bisの三輌だ。

 対して黒森峰は、まほの本隊九輌と、小梅の別動隊四輌の、合わせて十三輌である。小梅の別動隊が五輌ではなく四輌なのは、梓たちが最後の奮戦の際に一輌倒したからだった。ともあれ約四倍の戦力差だ。戦況は目を覆うような状況である。

 負ける気はしない。どんな状況であれ負ける気はなく、そもそも負けることは許されないのだが、そのためにも、今直ぐ、みほには立ち直ってもらう必要がある。

 意を決して沙織は容を改めた。

 

「みほ、いつまでそうしてるの?」

 

 口を開いた沙織に、その場の全員が顔を向ける。全員の中には勿論、みほの姿もあった。

 

「いい加減に、そろそろ次にどうするのかを考えてくれないかな? 落ち込むのはみほの勝手だよ? みほのせいでこうなってるんだから、寧ろいっぱい落ち込んで反省してほしいところなんだけど、それはこの試合が終わった後にしてくれないかな?」

 

 誰もが沙織の言葉に驚いた。沙織自身も内心驚きを隠せなかった。らしからぬ厳しい言葉だったからだ。もしかすれば、先の戦闘でみほに罵倒されたことが、心のしこりとなって口をついて出たのかもしれない。止まらず、沙織は続ける。

 

「うじうじうじうじとナメクジみたいなことは止めてよ。みほらしくないじゃん。さっさといつものみほに戻ってよね」

 

 ゆらゆらと陽炎のように揺れるみほの目を、沙織は強く強く見つめた。

 みほは何も言わない。沙織は知らず知らず拳を握りしめる。ここまで言われておきながら、どうして何も反応がないのだろうか。いつものみほであれば、富士山が噴火したように大激怒しているだろう。それなのに、みほの瞳は弱い輝きのままだった。

 ムクりと衝動が沙織の身体を支配した。あっ、と誰かが声をもらした時にはもう遅い。鞭のようにしなった手が、みほの頬を捉えた時、乾いた音が場に響き渡った。

 沙織は唾を飲み込みながら、自分の平手とみほの顔を交互に見る。数瞬して、大きく息を吐いた。思わず手を出してしまった、が、謝るつもりは毛頭ない。

 

「……ああ、やってしまいましたね」

 

 誰に言うでもなく紡がれた華の言葉を、沙織は聞き取った。沙織を心配するような声音であった。みほの怒りが飛んで来やしないかという心配であろうが、どんと来いというやつである。今のみほは、怖くもなんともない。

 

「沙織」

 

 腹に響く低い声でみほが沙織の名を呼んだ。来るのか、と沙織は身構えるも、名を呼ぶだけ呼んでみほは何もしなかった。信じられない、とでも言いたげに沙織を見据えるだけであった。拍子抜けすると共に失望の二文字が頭をよぎる。こうまでやってもこの調子ならば、もうみほは駄目かもしれない。

 沙織が諦めかけたその時、

 

「これで西住の名は地に堕ちましたね」

 

 優花里の声だった。

 このたった一言で、みほの様子はがらりと一変する。

 

「みほ殿がいつまでもこの調子でありますと、これまで築いてきた名声は全部パアでありますな。軍神、西住の龍の名は剥奪、伴って西住流の名も汚れることに。さて、お母様は何とおっしゃいますかな。いやはや、これからみほ殿も大変でありますな」

 

 やれやれと優花里はわざとらしく首を横に振る。

 沙織は素直に感心した。優花里には分かっているのだ。言えば必ず効果がある言葉を分かっているのだ。効果のほどは抜群の効き目であった。

 先ず効果が現れたのは顔にである。青白かった頬には赤みが戻って来て、瞳は爛々と強い輝きを取り戻していた。キッと容を正してしっかと視線の先に焦点を合わせている。鮮やかなまでの反応であった。沙織の失望は安堵に変わった。

 

「ダージリン殿も、みほ殿に紅茶を渡したことを今頃後悔しているかもしれません。ノンナ殿も長い夢から覚めることでしょう。他の方たちだって、何と思うか。そして黒森峰の皆様が望んでいるみほ殿は、一体どんなみほ殿なのでしょうね」

 

 命を惜しむな、名をば惜しめ、を地で駆け回るみほには、胸に突き刺さる文句ばかりであった。みほの脳裏には、ダージリンやノンナらのみほに対して信頼しきったような顔が浮かんで来た。友だと、憧れだと言ってくれた二人だ。それだけではない、数多くの人の信頼を裏切るところであったのだ。心底から嫌っている筈の、不義を行おうとしていた。その事実に、みほは胸を掻きむしりたいほどの、苦しみを覚えた。

 

「母上……姉上……エリカ……小梅……ダージリンさん……ノンナさん……私は、ああ、梓っ!」

 

「彼女たちだけではありません。みほ殿は、私たちのことも裏切ろうとしていたのであります。貴女を信じてこうしてここまで付き従って来た大洗の皆さんを、貴女はたった一度の失敗で我を失って、裏切ろうとしたのであります。会長殿にした、大会を優勝して大洗を廃校から救うという約束を、貴女は自分の都合で破ろうとしているのです!」

 

 いつしか優花里の言葉には鋭さが帯びてきて、みほを責める調子になっていた。その言葉は、多くの人々の心を代弁したものであった。沙織の心も代弁されていた。

 みほは瞼をゆっくりと閉じる。口元は厳しく引き結ばれていた。

 怖い、とみほは思っていた。瞼の裏に浮かぶ母の瞳が、姉の瞳が、愛する人の瞳が、友の瞳が、その他自分を慕う人々の瞳が、侮蔑の色をいっぱいに含んだ眼差しを送って来るのを心の底から怖いと思っていたのである。

 

「みほ殿、お願いです。私たちに、貴女を軽蔑させないで下さい。私はいつまでも、どんな時でも、強い貴女でいて欲しい」

 

 最後の優花里の言葉は懇願となっていた。これが止めとなったのであろうか、みほはカッと目を見開いて眼裂の長い目に収まる瞳を、優花里に、沙織に、他の者たちに向ける。

 それから、大きく息を吸っては吐き、吸っては吐きを繰り返し、膝を地につけ、流れるように両手もつけた。

 ぎょっとして沙織たちは己の目を疑う。幻覚でも見ているのだろうか。いや、古来より使い慣れた手だが、頬を抓ってみると痛みがある。現実だった。

 ぽつり、ぽつり、みほの頬を伝って光が地に落ちていく。沙織はその光景を美しいものとして見ていた。あのみほが泣いている。外聞なく泣いている姿は、ただただ美しかったのだ。

 

「済まなかった。この私が至らないことであった。そうだ、優花里の言う通りただ一度の失敗ではないか。まだ全て終わっていない。だと言うのに、私は取り返しのつかない罪を犯すところであった。礼を言おう、優花里。そして、沙織。お前たちのお陰で目が覚めた。他の皆もまことに要らぬ心配を掛けて、申し訳ないことであった」

 

 最後には、額すら地に擦り付けてみほは謝罪した。声は上擦っていた。

 みほの心の内が痛いほどに伝わってくる。沙織の心の奥底に沁み込んでくる。申し訳なかった、という言葉が身体の隅々にまで溶けだして、目頭が熱くなった。

 

「私もごめん。みほだけの所為じゃないんだ。それなのに、私は全部貴女に押し付けようとしてた。私こそ無責任で、私こそ反省しないといけなかった。私たちは仲間だもん。だから、どんなことも一緒に背負っていかないといけないのに、都合の悪いことだけ貴女に押しつけようとしてた。本当にごめんなさい」

 

 沙織も泣いた。泣いて、泣いて、泣き喚いた。濡れた顔で見上げるみほの背中に腕を回し、抱きしめてから一層強く泣く。みほも抱きしめ返して、嗚咽の声をあげた。

 しまいにはその場の全員が泣いた。全員が隣の人と肩を抱き、腰に手をまわして抱擁し合いながら涙を垂れ流した。思う存分に泣き晴らすと、幼顔を形作る瞳を片手で三回擦ってから、みほは言い放った。

 

「もうしばし、不甲斐ないこの私に従い支えて欲しい。私は生まれてこの方約束を違えたことはないのだ。故に、私はこの戦いに勝利をもたらす。そして、勝利をもたらすためにはお前たちの力が必要不可欠だ。どうか力をかしてくれ」

 

 漲る若さを含みながらも、とても二十歳前の少女とは思えない威厳に満ちた声だった。いつも通りのみほへと戻ったことに沙織たちは言いようもない頼もしさを感じた。

 出し尽くしたと思っていたが、再び沙織たちは涙ぐんだ。

 沙織たちは目に浮かぶ涙を抑えることもなく、破顔して肯定の意を示した。

 



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その⑩

 最早見えなくなったみほの後姿を幻視しながら、まほは暗然としていた。頭を両手で抱え込んで、なにか激しい言葉を口から吐き出そうとしては、歯を食いしばり必死で堪えている様子である。端整な顔が鬼の面の如く歪んでいた。

 まほが、じろりと視線を動かす。

 視線の先にいた黒森峰生たちは、その眼光の鋭さにぎょっと肩を震わせた。まほの心中を図り知ることは出来ない。恐らくは、みほを討ち漏らしたことに怒りを覚えているのだろう。まほが戦車に拳を叩きつけると、鈍く、頭に響く音がした。

 叩きつけた拳に強い力が加わっていくのを見て、次は自分に飛んで来るのか、と思った黒森峰生の一人が、恐懼して頭を下げた。

 

「申し訳ございません。我々の不手際で千載一遇の好機を逃してしまいました」

 

 まほはちらっと発言者の方を見たが、直ぐに視線を戻した。それがまた恐怖を誘うのか、発言者は頭を上げずにひたすら許しを乞うような姿勢を続ける。

 何か言わなければいつまでも同じ姿勢を取り続けるだろう。他の黒森峰生たちも、まほの反応を待つばかりであった。はあ、と息を一つ吐いて、まほは言った。

 

「頭を上げろ。みほを取り逃がしたのは、お前の所為ではない。誰の所為でもないんだ」

 

 一度そこで言葉を区切った。

 誰の所為でもないことはないだろう、と思ったのだ。誰かの所為ではある。しかしまほは、低頭姿勢を取り続ける者や、他の黒森峰生たちの不手際や力不足とは思っていない。無論、自分の所為だとも思わない。ならば大洗の所為なのかと思えば、それは表現としておかしな話になってしまう。敵を逃したことを敵の所為にするというのは意味が分からない。

 では誰であろうと頭を捻らせて、まほは空を見上げる。答えが出た。

 

「そうだ、これは天の仕業だ、そうに違いない。天があいつに味方をし、天があいつを生かしたのだ。断じて我々の所為ではない」

 

 真面目な顔でまほは断じた。

 その言葉が面白かったのか、一人、また一人と笑みを浮かべてしまう。まほが冗談で言っているわけではなく、また、みほに限っては冗談にならないということが嫌というほど理解している。けれどもこうして言葉にされると、そこはかとなく凄い責任転嫁だなと思えてしまうのだ。

 

「天の所為ならば、仕方がありませんね。貴女もそんなに気に病むことはないわよ。だって、天の所為だもの」

 

 エリカは笑いながら言った。ツボを突かれたのか腹を抱えながら、目には涙までも浮かんでいる。

 この大笑いは周囲に伝播した。笑いの大合唱が巻き起こり、まほも手を叩いて笑いの度合いを示した。

 

「いやあ、笑った笑った。一生分を笑った気がするな。さて、気を取り直してお前たちに訊こうじゃないか。落ちのびたみほが、次にどう動いて来るのかを」

 

 空気が変わった。大合唱がピタリと止んで、皆の気が引き締まる。

 これに満足気を表しながら、まほは答えが返って来るのを待った。彼女の中では既に答えは出ている。みほのこれまでの戦いぶりと性格からして、どう動いて来るのかが手に取るように分かっていた。ただ、独断を嫌っているので、他人の意見を聞くのである。

 先ず反応したのは小梅だった。

 

「論ずるまでもありません。みほさんは間違いなく、フラッグ車のみを狙って攻勢に出て来るでしょう。戦力差を考えずに、いや考えていてもそうする筈です」

 

 小梅のこの発言に、エリカが強く同意の意思を言葉にした。

 

「ええ、副隊長が小賢しい策をこの期に及んで弄してくるとは思われないわね。戦いは正々堂々と正面からやるもの、と常々語っておられたから。無礼な物言いになってしまうけど、副隊長は考え方も戦い方も古いのよ。美意識に拘りが深いし、フラッグ戦、殲滅戦どちらであっても、大体はフラッグ車、つまりは大将首を狙う。源平時代の戦い方なのよね。でも、そういう戦いをするからこそ、あの方は強く、そして人を惹き付けるのだけれど」

 

 同感の声が方々より上がった。

 まほも全くの同意見である。であるから、話は調子よく進んで行った。

 黒森峰は、確実だとされるみほの動きに対して、迎え撃つという姿勢を取ることにした。また、迎え撃つだけではなくこちら側からも攻勢に入るために隊を三つに分ける。一つはまほ率いる六輌、ここにエリカや小梅も加わることになり、残り二つの隊を四輌と三輌に分けて、みほが逃げて行った方角へと進ませた。

 

「これで本当に決着だ、みほ」

 

 まほは剥き出しの頬を風がさらりと撫でていくのを気にする様子もなく、時が来るのを待った。幾ばくが時が経てば、まほの下に二つの隊から連絡が入る。どうやらそれぞれの隊が、Ⅳ号戦車以外の残存戦力と戦闘状態になったようだ。

 ついに来るか。頬を撫でる風が乱暴になったように感じた。何度か咳ばらいをしながら、その時が来るのを今か今かと待ち続ける。

 まほは段々と自身の発する鼓動が速くなるのを実感していた。

 

「まだか、まだなのか」

 

 もうそろそろ現れても良い頃合いだろう、と思いながら、急いている自分の心に苦笑して、自分で自分をたしなめる。

 すると、聞き慣れた物音が遙か先より風に乗って耳に入って来た。そうして物音の主は、大地を踏みつぶしながらまほの視界に入り込む。

 

「来たかッ!」

 

 まほは思わず身を乗り出した。

 見込みに違わず、Ⅳ号戦車を駆るみほが猛然と直進して来る。相も変わらない白地の布で頭部を包み隠した僧形ぶりで、表情には凛としたものがあった。怒り狂った表情でも、失意に沈んだ表情でもなかった。近付いて来るみほに、エリカたちが言った。

 

「副隊長、お覚悟のほどを!」

 

 先制攻撃は黒森峰であった。猛進して来るみほに向かって数多の砲塔が火を吹く。黒煙の霧がⅣ号戦車を覆い隠した。霧は深くみほの姿は黒森峰側の視界から消える。

 一瞬後、黒霧の中からⅣ号戦車が飛び出して来た。戦車上のみほは笑いながら、エリカたちに一喝する。

 

「推参であるぞ! 貴様らなどに用はない!」

 

 みほの狙いはあくまで大将首のみである。証明するようにエリカたちには目もくれずに、まほの駆るティーガーⅠへ発砲した。

 これは予想されたことである。難なく回避した後に反撃の一射を放った。続けてエリカたちも二射目を撃つが、この猛攻もみほには通用しない。火のような激しさであるものの、Ⅳ号戦車を操縦する麻子の極まった技術が一枚上であったのだ。

 再び、お互いに一射を撃ち放って、またもや撃ち外した。

 

「六対一でこれか、流石はみほだ。各車両に通達する。密集せずに散開して戦え! 密集して戦っては互いに邪魔となってしまう!」

 

 黒森峰はまほの指示を受けて、それぞれ思い思いに距離を取った。

 みほはと言えば、散開する黒森峰の動きを見ても一切意識を向けることなく、遮二無二まほに狙いを向けていた。フラッグ車さえ倒してしまえば勝ちが確定する以上、言ってしまえば一将兵に割いている手間はないというわけだ。

 原っぱを鉄の馬が縦横無尽に駆け回る。ゆらゆらと揺れる草は踏みつぶされ蹂躙され、散っては風に乗ってどこかへと流れていく。時には砲弾で跡形もなく消し飛ばされた。

 やがて、みほとまほに新たな情報がもたらされた。

 

「むっ、奴らが破られたか」

 

「よし、これで十三対一だ。まだまだ安心の域ではないが、しかし勝利まではもう直ぐだ」

 

 別の場所で起こっていた戦闘が集結したのである。戦闘の結果、大洗はⅣ号戦車を残して全滅、その大洗を壊滅させた七輌の黒森峰戦車は、こちらの戦闘に合流するべく向かっているようであった。

 

「まだ終わってはおらん。敵にどれだけの戦力が残っていようと、フラッグ車を倒してしまえば我々の勝利だ。天運は我らにあるぞ! この試合は必ず勝てる!」

 

 奮起を促すみほの声が、Ⅳ号戦車の乗員たちに届いた。もとより負ける気など皆無であったが、さらに勇気を百倍、疲労も忘れて己が役目を果たすべく力を発揮する。

 大洗も黒森峰も敵のフラッグ車を倒すため奮戦した。

 先に有効打を出したのは黒森峰であった。これまで麻子の操作技術で回避し続けたものの、ついに捉えられたのである。捉えたのはエリカの放った砲弾だった。

 

「しまったッ!」

 

 麻子の怒号にも似た声が、Ⅳ号戦車内で発せられた。

 まだ勝敗はついていない。有効打と言っても決定打ではなかった。エリカの砲弾はⅣ号戦車の側面を削り、外部装甲であるシュルツェンを飛ばしたのだ。

 大洗は追い詰められる所まで追い詰められた。みほは顔色を変えない。

 

「姉上の戦車に密着しろ!」

 

 Ⅳ号戦車が風の如く疾駆し、ティーガーⅠへと突進する。

 まほは受け流そうとするも間に合わないと判断したのか、受け止める形を取った。衝撃が互いの戦車乗員たちを襲う。まほは何とか距離を取ろうとして、みほは寄せて離れられた分の距離を縮めた。

 

「ええい、しぶとい奴め! いい加減に見苦しい真似を止めて、潔くお前の負けを認めろ、みほ!」

 

 と、まほは怒鳴った。

 

「誰が勝てる戦いで負けを認めると思うか! そも我が肩には大洗三万人の進退がかかっておるのだ。姉上はこの私に、彼らを捨てて負けを認めろと申すか! そのような義に悖る行為は断じて出来ぬ。例え無様と呼ばれ恥を晒そうとも、この戦いだけは負けるわけにはいかんのだ!」

 

 ピタリとまほの動きが止まった。

 それはみほの熱を宿したような言葉で、心に重くのしかかるものがあったから、というわけではない。まほが動けない、と言うよりもティーガーⅠが動けないのである。

 大洗にとっては幸運で、黒森峰にとっては不運な出来事だった。まほの戦車は、味方の流れ弾で履帯を損傷したのである。まほがみほより距離を取った瞬間を狙った砲撃が、流れ弾となったのだ。砲手が撃つべき適当な時を見計らい損ねたことや、そもそも疲労があったことなど、様々な要因が重なった結果だった。

 みほはこれを見逃さない。ここしかなかった。心の中で喝采をあげ、天や神に感謝を捧げながら、

 

「姉上、受けよッ!」

 

 という呶声と共に、砲弾を撃ちつけた。

 身動きが取れないまほは、この砲弾を甘んじて受けるしかなかった。己が運命を悟って瞼を閉じる。耳を狂わせる爆音が轟いた時、全身の力を抜いた。

 停止する戦車のキューポラより上半身を出して、みほは満面の笑みだった。

 

「勝った……勝ったのだ。よし、よし。勝ったのだ、私は勝ったのだ。ハハ、ハハハ、ハハハハ――」

 

 審判のアナウンスが黒森峰の敗北と、大洗の勝利を告げる。

 みほはそのアナウンスを聞きながら、空を仰ぐ。空は太陽が沈み始めており、もうすぐ暁色に染まる頃合いであった。

 



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エピローグ

一先ずこれで完結です。
劇場版編は目途が立ち次第始めようと思います。
とにもかくにも、ご愛読ありがとうございました。



 試合が終わった。

 太陽が益々西に傾いているのを横目に、大洗と黒森峰は互いに整列し礼をする。傾く太陽が降り注がせる真紅の光は、両校の健闘ぶりを褒め称えているようであった。

 顔を上げたみほは、その夕陽の眩しさに目を細める。温かな風が吹きつけてきて、はたはたと頭部を包み隠した白布をなびかせた。目を閉じれば、風に乗って、観客席から万雷の拍手が届いて来る気がした。

 

「勝ったぞ」

 

 幾度も口にした言葉を、また口にした。

 勝った、という言葉を口にすれば、身体が心地よく熱くなる。この快い興奮は酒の酔いと似ており、ほんのりと頬を赤らめながら身を委ねていた。

 何時までもこの心地よさに酔っていたい気分であったが、視界に杏の姿を認めたため出迎える準備に入る。桃と柚子を両脇に従えた杏とみほは対面した。

 

「西住ちゃん、本当にありがとう。これで大洗は救われたよ。全て西住ちゃんのお陰だ」

 

 と、開口一番、杏はそう言うと、みほは首を横に振りこちらこそ、と続けた。

 

「今日も含めて、私はこれまで数えきれないほどの不覚を取り申しました。全て私のお陰と申されるのは、過分な評価であります。この私がもう少し気をつけていれば、貴女方ならばここまできつい戦いになることもなかったのではないでしょうか。返す返す、足を引っ張る形となって、申し訳ないことです。私の方こそ、皆に救われました。まこと、ありがたいことです」

 

 自分がおらずとも勝てたと言わないあたりがみほらしく、杏たちの顔に笑みがこぼれる。それから姿勢を正して極めて改まった様子となり、深々と頭を下げた。

 別に自分と貴女方の仲だからそこまで畏まる必要はないと思ったが、みほは杏たちのさせるままにした。生徒会室で初めて対面した時のように、互いに姿勢を正して、杏たちは改まって礼を述べ、みほは改まって受け取った。

 

「みほさん」

 

 次にみほの下に足を運んで来たのは、恋人の梓であった。

 思えば公私にわたって彼女にも随分助けられたものだ。梓の存在がなければ、自分はどうなっていたのだろうと考えて、みほは鼻をならした。考えても詮無きことである。実際に梓はこうして存在しているのだ。

 

「梓」

 

 みほは梓の名を呼んで、自身の懐に抱きいれた。服の中にあってなお感じる柔らかな身体の感触を堪能しつつ、これからどうするべきか悩んだ。

 みほの胸に顔を預けていた梓は、上目遣いにみほに視線をやった。恥ずかしさで頬を上気させつつ、表情に満開の花を咲かせる。

 美しいと感じた時には、みほはその小さな唇に自身の唇を当てていた。梓の唇は爽やかな甘みと燃えるような熱さがあった。この愛しい人との間に無駄な言葉は不要だ、と思いながら夢中で唇を吸う。梓の両腕が首筋に絡んでくるや、一層強く吸った。

 やがてどちらかともなく唇を離すと、みほは言った。

 

「梓、大洗は任せた」

 

 梓はみほの首筋に回していた両腕を離し、みほから二歩分の距離を空けると、目を合わせてしっかと頷いた。

 

「はい」

 

 気付けば、みほの周りに大洗生が全員集結していた。これで別れだということもあって、最後の言葉を待ち望んでいるようである。優勝し廃校を免れたにもかかわらず、名残惜し気に悲哀の色を顔に塗りつけている。

 今生の別れでもあるまいに、みほは特に何かかける言葉があるわけでもなかった。ただ何も言わずに去るのも味気がないもので、取りあえず何か言おうと思った。

 

「皆、壮健で――」

 

 もう少し何か気の利いたこと言ってやろうと思い直し、言葉を切り替える。

 

「私の後は全て梓に任せておる。補佐は優花里、お前に頼む。皆はこの二人を助けながら、大洗を盛り立てていってもらいたい。また、何か危急のことあらば、遠慮せずにこの私に助けを求めるが良い。必ず力になろう。ではな」

 

 お互いに涙はなかった。

 だが、自分との別れに未練がましく悲しむ姿に、みほは嬉しさと寂しさの二つの感情を持った。もう少し一緒に居たいとも思ったが、こういう感情をずるずると長引かせては碌なことにならないと思ったので、すっぱりと断ち切ることにした。

 後ろ髪を引かれそうになるのを振り払い、大洗生たちに背を向けて歩き出す。その時、大洗生たちの声が背後より聞こえた。

 

『西住隊長! 今まで、ありがとうございました!』

 

 みほは一切その声に反応せずに、その場を離れる。

 大洗生たちの下から離れて向かった先は、黒森峰生の下である。彼女たちは、みほが来たのを知るや歓喜した。決勝戦で負け、またもや優勝を逃してしまったのだがそれはそれ、大洗生とみほとのやり取りを遠目ながら見守っていたので、自分たちの嘆願書の返事は知っている。だからこそ、喜びがあふれて止まらないのだ。

 大洗とは真逆である。まほを見て、エリカを見て、小梅を見て、他の者たちを見る。何から言おうかみほは悩んだが、思うままに言ってしまおうと口を開いた。

 

「最初に言っておきたいことがある。私は戦車道を辞める」

 

 どういうことだろうか。黒森峰生たちは自分の耳を疑い、耳が正常なのを確認するや仰天して驚いてしまった。一体どういう意味なのかとみほの顔に視線が集まるが、みほの穏やかな表情を見て、話しに続きがあるのを理解し、次の言葉を待った。

 

「理解が早くて助かる。確かに私は戦車道を辞めると申したが、それは高校を卒業してからのことよ。高校にいる間は勿論続ける。お前たちと共にな」

 

「それでは!」

 

 みほは正面で声をあげたエリカに、懐から畳まれた紙を手渡した。静々と受け取ったエリカは、紙を開いて上から下までじっくりと読み込む。他の者たちは一体何が書いてあるのだろうと、固唾を呑んで見守った。読み終わったエリカが、まじまじとみほの顔を見つめた。

 

「お前たちの気持ちに心を打たれたのだ。お前たちを一度は捨てて大洗に来たことを、後悔はしておらぬが浅はかなことであったとは思う。また、私はこうむずむずと遁世したくなる時がある。であるから、こうしてお前たちに誓書を差し出しておこう。黒森峰を卒業するまでは、決して遁世などと賢しらなことはすまい。ここに誓おう」

 

 黒森峰生の一人が安堵の息を吐いた。正直な話、戻って来ても再びみほが居なくなってしまうのではないか、という懸念はあがっていたのだ。一度居なくなってしまった以上、二度目もあるんじゃないかと疑うのは人として当然である。しかし、その懸念もこうして無用のものとなった。みほがわざわざ誓ってまで共にいると約束してくれたのだ。彼女は約束を絶対に破らない。

 

「それは安心致しました。またいなくなられてしまっては、今度こそ黒森峰は破滅を迎えることになります。私たちも誓った通り、努めてみほさんの心を煩わせるようなことはしません」

 

 落ち着いた態度と柔らかな声音は変わらぬことであったが、いつもと違って小梅の表情には恭しさがあった。続けてまほが言った。

 

「こうしてお前が戻って来た以上、何時までも私が出しゃばるわけにはいかないな。これからの黒森峰はお前が率いていくんだ。みほ隊長」

 

 こちらは何も変わらない。みほに対して少し冗談めかして言うのは、通常通りである。とは言え、話の中身は冗談ではない。まほはこの日を境に自身の持つ全てをみほに譲るつもりである。大会も終わり、こうして後継ぎも戻って来たのだ。世代を交代するのは早い方が良い。

 

「みほ隊長!」

 

 みほが戻って来たと同時に新隊長が誕生した。大変めでたいことであり、黒森峰生たちの喜びの声は、沈み行く太陽を再び昇らせんばかりの咆哮となる。

 チラリとみほは、大洗の方に意識を向けた。向こうも優勝したことで気が上がっているのだが、やはり自分との別れが響いているようであった。これではどちらが優勝をしたのか分からんな、とみほは苦笑しながら、ふと大洗での日々を頭に浮かべる。

 

「まるで一瞬のことであったな。思い浮かべれば全てが昨日のことのようだ。そうして次は、黒森峰での生活がまた始まる。これもまた一瞬なのであろうなあ。謙信もこういう気持ちであったのだろうか」

 

 四十九年、一睡夢とは謙信が詠ったものであるが、みほの胸に思いが去来する。

 自分を歓迎する咆哮を聴きながら、みほは時間の許す限り思いを巡らせるのであった。

 

 

 

 

 



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劇場版 軍神の系譜
プロローグ


 その日は休日であった。黒森峰に帰還して初めての休日であり、エリカを自宅に招いて、久方ぶりに二人きりでの食事を楽しんでいたのだ。

 みほが黒森峰を離れて以降、どんな出来事があったのかを互いに話し合って、笑い合って、心地の良いひと時を送っていた。そんな時である。二人の水入らずの時間に、水を差し込んで来た客人の姿が見えたのは。突如鳴らされたインターホンに会話を中断させられると、エリカが応対するため憮然と席を立った。

 

「折角話が盛り上がって来たところだったのに……隊長、私が行きます」

 

 隊長。エリカはみほをそう呼んでいた。また、エリカに限ったことではなく黒森峰機甲科はみなそう呼ぶのだ。みほが帰って来て直ぐ、前隊長であったまほがさっさと手続きを済ませて、自身の地位をみほに譲り渡したのだ。

 決勝戦が終わって隊長を譲ると宣言したまほだが、早々にその宣言内容を実行に移したのである。故に、大洗に引き続いて黒森峰でも、隊長の座にみほは座ったのだ。

 暫くして、客の応対に出向いていたエリカが、緊張の色を顔に浮かべて戻って来た。何かあったのか、とみほが訊ねる前に答えが現れる。

 

「やあ、みほ君。事前に連絡もなく、またお友達と食事中に訪ねて来てすまないね。君が礼儀に欠けることは蛇蝎の如く嫌っているのは重々承知しているが、どうしても君の顔が見たくなったんだ。少しの間、お邪魔しても構わないかい?」

 

 エリカの背後より現れたのは、中年の男性であった。前髪を左右にきっちりと分けて、上下スーツを着こなし清潔感に溢れている。勿論、鼻下や顎鬚、口髭の剃り残しはない。実年齢よりも若々しく見えて、美男と言っても良かった。

 客人の姿を認めたみほは、さっと立ち上がり衣服を整える。御見苦しいところをお見せして申し訳ないと言いたげに、バツの悪そうな顔で出迎えた。

 畏まるみほに男性は笑った。

 

「何をそんなに改まるんだ。私と君の仲じゃないか。もっと気楽にしてくれ。それはそうと、都合の方は大丈夫なのかい? もし悪いならこのまま帰るよ。君の顔を見るという当初の目的は果たせたわけだからね」

 

 とんでもないことだ。そんなことをさせるわけにはいかない。

 客人は辻廉太という名前なのだが、彼には文部科学省学園艦教育局長という肩書があった。学園艦を統括している、みほにとっては雲の上の存在である。そればかりか、日頃親しく付き合いがあり、可愛がってもらっているという自覚があるため、無下には出来ない。

 このまま帰すだなんてことは許されないことだ。

 

「ハハ、何を仰せられますか。いやいやようこそお運びくださいました。今、見苦しいものを悉く片付けますので、少々お時間のほどを」

 

 急いでテーブルの上の食事をみほが片付けようとする。みほだけにはさせまいとエリカも片付けに加わろうとしたが、辻が二人を止めた。

 

「いや、そんなに気を遣う必要はないと言うのに。ああ、みほ君、一つ聞きたいことがあるのだが、その料理は誰が作ったのかな?」

 

「私でございますが……」

 

 何とも歯切れの悪い回答であった。辻の視線の先には、大皿にこんもりと盛られた二口、三口程度の大きさのハンバーグが載っている。エリカの好物であり、こんがりと程よい焼き目が付いていて、作った自分でも美味そうだった。実際に食したら美味かった。

 このハンバーグに何か問題でもあるのだろうか。みほが不安そうにしていると、辻は浮き浮きと弾んだ声で言った。

 

「そうか、君が作ったのか。良ければなのだが私にも食べさせてもらえないだろうか。こうして良い匂いを嗅いでいると、お腹が空いてきた。勿論、タダとは言わない」

 

 土産がある、と持っていた大きめの紙袋より辻が取り出したのは、一本の酒瓶だった。勿論、空ではなく中身が入っている。みほと、二人のやり取りを見守っていたエリカは顔を青くして狼狽えた。ちょっと待ってほしい。

 文部科学省学園艦教育局長という地位にあるものが、学生の家に酒を持ち込んだ。これがマスコミに知られればとんでもないスキャンダルである。辻は無論のこと、みほやエリカもただでは済まないだろう。軽率なことをする、とみほは辻の好意が苦々しかった。

 とは言え、中々値が張りそうな酒である。まあ、辻ほどの男であるから、マスコミ対策などは抜かりがない筈だ。ここ最近は一切飲んでいなかった酒であるし、無類の酒好きであるみほが、苦々しく思っても辻の好意を拒否するわけはなかった。

 

「頂きましょう」

 

 三人でテーブルを取り囲んだ。みほの前には杯が、エリカと辻の前にはコップがそれぞれ用意されており、土産の酒が並々と注がれている。

 みほは喉を鳴らして一杯目を飲み干した。大変美味な酒だ。辻とエリカが一口飲み終えるまでに、さらに二杯飲み終えた。そうして酔いが出ていない顔で食事を摘まむと、また杯に口をつけた。

 

「もう少し味わって飲まれてはいかがですか?」

 

 このままではみほが、土産の酒を全て胃に流し込んでしまいかねない。しかめっ面と苦笑い半々の顔でエリカが声をかけると、うっとりとした声音で答が返って来た。顔に酔いはなかったが、声には酔いが出ているようであった。少し高音だ。

 

「ちゃんと味わって飲んでおる。それに美味い酒とはこうして飲むのが正しいのだ」

 

 この返答が面白かったのか、辻は愉快そうに大口を開けた。アハハ、アハハ、と軽快な響きは聞いている方も同様の気持ちとなり、エリカも思わず口元を緩める。

 それなりの時間、三人は酒と料理に舌鼓を打って、エリカのコップの中身が半分ほどになった時、辻がこのような話を切り出した。

 

「そう言えば、恋人が出来たらしいじゃないか。おめでとう、みほ君」

 

 正直な話、割かし付き合いは長い辻だが、みほに恋人ができるなどと欠片も思っていなかった。彼女自身が恋愛に興味を持っていなかったのもそうだが、そもそも彼女が己の恋人として認めるような人間が現代にいるとは思っていなかったのだ。

 そのような人間は数百年以上の時代を遡るか、テレビ画面の中にしかいないものと断定していた。それがこうして現代で見つかって、しかも女性である。世の中は狭いようでいて、広くもあるのだなあ、と感心を抱いていた。ともあれめでたいことだった。

 

「あれほどの者と巡り合えた私は、当代一の果報者でありましょう。地獄に仏、堪えがたき人身を受けて生まれたものの、梓の存在あるならば然程の苦痛でもありますまい」

 

 上機嫌でみほは口を開いた。酒が入ると口数が多くなる彼女であるが、今日はいつも以上に口のすべりが良好なものと見えて、夢中で梓のことを話し続けている。くどいほどに梓がどれほど素晴らしい女性であるかを話しているのだが、珍しい惚気話だけあって、エリカと辻は飽きずに耳を傾けていた。

 

「私も恋人が欲しいわ」

 

 ほうっと息を吐きながら、エリカが虚空を見上げる。みほが幸せそうに恋人のことを話しているのを聞いていると、自分も途端に欲しくなってきたのだ。

 その呟きを耳聡く聞き取ったみほが、ふわふわとしたことを言い出した。

 

「エリカには姉上がおるではないか。互いにまんざらでもあるまい。何なら私がお膳立てしてやるぞ。然様なことになれば、エリカは我が義姉となるのだな。こいつは良い、さらに酒が進むというものだわ、ハハ、ハハ」

 

 確かにエリカにとってまんざらでもない話だ。まほと愛を語らい、みほとの姉妹仲を深める。想像が捗ると酒が美味くなるもので、エリカの酒を飲む速度が、目に見えて速くなった。

 こうなってくると、辻も男として負けられないと酒を飲み続ける。

 飲むことに関しては、三人が三人とも人には負けないと思っていたから、ぐいぐいと器を傾けてはグビリと喉を鳴らし続けた。

 

「おや、酒が無くなってしまったようだね」

 

 三人でいくらでも飲み続けていれば、一瓶などものの直ぐであった。だが、これで終わるわけがない。辻の残念そうな声に反応したみほは、おもむろに席を立つと別部屋から新たな酒を持って来た。三人は酒盛りを再開する。

 時計の針が二周した頃、みほが杯をテーブルに置いて、辻の顔を見た。

 

「そろそろ頃合いかと思われます」

 

 何のことかな、と辻は言わなかった。来るべき時が来た、という風に顔を引き締める。

 やはり何かあったか、とみほは思った。辻は多忙な人である。自分の顔を見たい、自分と酒を酌み交わしたい、そんな理由で突如訪ねて来るとは考えられなかったのだ。それなりの話があると睨んでいたが、どうやら正解らしかった。一旦酒を止めて、辻の話を聞く。

 

「単刀直入に話そう。八月三十一日を以て、大洗女子学園は廃校になる。みほ君……君や大洗女子学園の生徒たちには大変申し訳なく思っているよ。約束を果たせなかったのは、偏に私の力不足が招いた結果だ。済まない」

 

 戦車道の大会において、大洗女子学園が優勝を果たせば廃校を取り消す。辻は大洗女子学園生徒会長の杏とそういう約束を行っていた。口約束ではある。しかし約束は約束であり、その約束を守れなかったのだ。

 思いがけないことだった。が、みほの頭は至って冷静さを保っていた。

 辻は本当のことを話している。酒に酔った末の戯言ではなく、真面目な話なのは表情を見れば分かるものだ。本来、約束事を破った辻に対して、然るべき怒りを覚えなくてはならないのに、そんな気は微塵も起きない。黙って頷くに留まった。恐らく、話に先がある。腹を立てるのは話の先を聞いてからでも遅くはない、という考えだった。

 事実、辻の話は続いた。

 

「しかし、このままで終わらせる気はない。私は何とかして、大洗の廃校を取り消してみせる。今回の問題には、私よりもさらに上の人間が動いている。一筋縄ではいかないだろうが、必ずやり遂げてみせるよ。ついてはみほ君、お願いがあるんだが、今回の一件、君には大人しくしておいてもらいたい」

 

「何ですって?」

 

 また驚かされた上に、今度は少しムッと来た。大人しくしていてほしいとは、つまり今回の一件から手を引いてほしいということである。

 そんなこと出来るわけがなかった。大洗の者たちが廃校の取り消しが無理だったと知れば、再び阻止するために動き出す筈だ。そしてみほに助けを求めて来るだろう。みほとて約束をしたのだ。杏には大洗を救うと、他の者たちには助けが必要だったらいつでも助けると約束した。辻の要求はこれらの約束を破れと言っているに等しい。無理な話だ。

 

「何故、私を遠ざけようとするのです。訳を伺わないでは、首を縦に振るわけにはまいりません。納得の行く訳をお教えくださいませ」

 

「君は自分が思っているより影響力が強い。今回の一件で君が表立って動けば、事はさらに拡大しどんな展開になるのか予測がつかないんだ。勘違いしないでほしいのは、時が来れば君の力も貸してもらうということだ。だからその時が来るまで、お願いだ。いや、お願いしますよ、西住みほ君」

 

 みほと親しい友人の辻廉太ではなく、文部科学省学園艦教育局長としての頼みだった。これでは拒否することなど不可能と言っても過言ではない。友人としての辻にならやんわりと断りを入れることも出来たが、文部科学省学園艦教育局長としての辻となれば。

 けれども杏たちと交わした約束を破りたくはない。それはそれで嫌だった。

 

(致し方あるまい。こう言われてしまっては、私は何ともすることは出来ん。だが約束は果たさねばならん。ふむ、良い方法を思いついた。これならば、問題は無い筈だ。後は、梓に任せることにしよう)

 

 深く悩み抜いた末、みほは一つの結論を出した。

 

「委細承知致しました。時来るまでは、黒森峰で吉報を待つことに致します」

 

「済まないね」

 

「いえ、しかしこれぐらいの手助けはお許し願います。エリカ、済まぬがお前に頼みごとがある。こういう事情で私は動けぬから、どうか大洗に力を貸してやってくれ」

 

 辻は何も言わなかった。それなら認めるということだろう。

 自分が動けない以上は、他の人に頼むしかない。エリカならば自分の望む以上の働きをしてくれるであろうし、大洗の者たちとも上手くやるに違いなかった。

 みほはエリカに全てを託したのだ。

 

「お任せください、隊長。きっと、貴女の心を煩わせることはないでしょう」

 

 コップの酒を飲み干し自信満々の表情を浮かべるエリカに、みほはこの上なき頼もしさを覚えるのであった。

 

 



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その①

 大洗女子学園の図書室で、梓は本を読んでいた。冷房によって作り出された涼やかな空間は、今が夏であることを忘れさせる。夏の風物詩とも言える蝉の鳴き声、緑や土の匂いが感じられないことも、夏を忘れさせる一因となっていた。

 そんな中で、梓は本の細かい文字を懸命に目で追っている。両肘と本を机の上に立てて、余程面白いのであろうか、その表情には笑顔が見られた。

 

「『上杉謙信で見る義の精神』ねえ……梓ちゃん、最近こういう本ばっか読んでるね」

 

 何が面白いのとばかりに言ったのは、あゆみである。折角の休みの日だと言うのに、かれこれ二時間近くは、梓の読書に付き合わされていた。いや、付き合うことを決めたのは自分であるし、強制されてるわけでもないので梓に非はないのだが、愚痴の一つぐらいは勘弁してほしい。机を枕代わりに、ぐったりと視線を右に左に動かすと、何冊かの本が視界に入って来た。どれもこれも『上杉謙信』の名前入りの本ばかりだ。

 

「そりゃあ、彼氏の事が書かれた本だからね。面白いに決まってるじゃん」

 

 あゆみの漏らした言葉に、口角をニヤリと上げたのはあやだ。揶揄い気味の口調であゆみに答えたかと思えば、意識は隣で本を読んでいる梓に集中していた。

 あやもあやで、最近の趣味として梓弄りなるものを楽しんでいた。梓の恋人であるみほのことで揶揄うと、瞬間湯沸かし器のように顔を真っ赤にするのが楽しくて、思わずやってしまうのである。今回も、梓の反応に期待を寄せる。

 だが、梓はあやの揶揄いを、本に夢中でまったく聞いていなかった。ページをめくることにいっぱいで、あやの期待する反応はない。

 

「ちぇっ……」

 

つまらなそうにあやは舌を打った。

 

「もう、あやちゃん。梓ちゃんに意地悪するのはやめなよ~」

 

 あやの向かいの席で本を読んでいた優季が、苦笑しながら本を閉じた。こちらはさして本に熱中していたわけではないらしく、あやたちのやり取りをしっかりと聞いていたようだ。

 閉じた本を机に置いて、硝子窓の奥に広がる大空を眺める。悠々と浮かぶ雲、眩い太陽、吸い込まれそうな青々とした空、これを見ると、今は確かに夏だった。

 

「夏だね~、アイスが食べたいな~」

 

「アイス!?」

 

 アイスという単語に桂利奈が喰いついた。先ほどまで、梓の読んでいた本を借りて、その難解さに回していた目を、これでもかと輝かせている。

 その背後に、いつの間にかふらりと姿を消していた沙希も、ぼうと立っていた。彼女もアイスという単語に惹かれて戻って来たのだろうか。こちらも心なしかわくわくとしている。

 

「賛成。異議なし、異論なし。そうと決まれば早速行こう」

 

 きびきびと席を立つあゆみ。彼女は特にアイスが食べたいわけでもなかったが、現状の退屈を紛らわせるということで行く気になっている。

 こうなって来ると、あやも拒否するという選択肢はなかった。言われてみると食べたくなるもので、肯定的意見を出しておく。

 こうしてアイスを食べに行くことになったのだが、梓のみ残して行くことになった。声を掛けても、

 

「うん、行ってらっしゃい」

 

 と、おざなりな返事しか返って来ないからだ。アイスを食べるよりも、こうして本を読んでる方が良いらしい。一応、メモ書きだけ残してから、あやたちは図書室を後にした。

 それから梓が本を閉じたのは、時計の針が半周したころである。読後の余韻に浸りながら息を吐くと、そこで、気付けばあやたちが居なくなっていることを認識し、机に置いてあったメモ書きに目を通す。

 

「そう言えば、アイスクリームを食べに行くとか言ってたっけ。まあ、良いや。別の本、読もっと」

 

 読み終えた本を置いて、別の本に手を伸ばす。

 その本の表紙には『上杉謙信の後継者、直江兼続』と記されていた。

 梓は上杉謙信の本だけでなく、この直江兼続の本に関しても色々と漁っていた。何だか、自分に当てはまる人物のような気がしてならないのだ。隊長の座を譲られた身の上、つまり梓はみほの後継者なのである。謙信の真の後継者と呼ばれている兼続に学ぶところは多い筈だ。自他ともに謙信と同一視しているみほの後を継いだ梓としては、他人とは思えない。

 早速、本を開こうとしたその時、梓は声を掛けられた。

 

「隣の席、良いかしら?」

 

 どこかで聞き覚えのある声だ。

 自然と声のした方向に視線を移せば、そこに居たのは見覚えのある人物である。みほと共通した眼裂の長い瞳、銀を紡いだような髪、半袖だから見える引き締まった腕。それはここにいる筈のない人物だった。

 

「逸見、エリカさん」

 

「こんにちは、澤梓さん。それで隣は空いてるかしら? 見たところ空いているようだから、失礼するわね」

 

 梓の答えを待たずに、エリカは隣の席に座った。そうして、重ねられた本の山から一冊手に取ると、団扇代わりに軽く仰ぐ。額やうなじにはうっすらと汗が浮かんでおり、暑い暑いと愚痴をこぼした。お嬢様然とした容姿ながら、妙に動作が様になっている。

 どうして黒森峰のエリカが大洗にいるのだろうか。唯一理由になりそうなみほは、既に黒森峰に帰っているというのに。遊びに来たと言っても、特段大洗には物珍しいものはない。

 暫く梓が頭を悩ませていると、エリカが小首を傾げた。

 

「どうしたの? それ、読まないの?」

 

「えっ?」

 

「いや、えっ? じゃなくて……と言うかあなた、ふふ、隊長も随分愛されてるわね」

 

 梓が手に持つ本、積み重ねられた本、そして団扇代わりにしていた本を見て、微笑ましそうな表情がエリカの顔に浮かんだ。

 今度はきっちりと聞こえていた。咄嗟に下を向く梓。恥ずかしさで頬を赤くする。

 

「初々しいわねぇ。そう言えば、あなた一人なの? 隊長から聞いた話では、友達がたくさんいて、大体一緒に行動してるって聞いたけど」

 

 未だ恥ずかし気な梓は、上目遣いに問いに返した。

 

「皆は、アイスクリームを食べてくるって」

 

「ふ~ん。暑いからってアイスを食べるのは感心しないわね。知ってる? アイスってものすごく糖分が入ってるのよ。と言うのも、人の舌は冷たいものの甘みを感じにくくさせるからなんだと。戦車道やってるし、というか女の子なんだから、そういうところは気を付けた方が良いと思うのよね、私は。まっ、偉そうに言いつつ、ついつい私も食べちゃうんだけど」

 

 おどけた風にエリカは舌を出す。

 見た目より取っ付きやすく、おちゃめなところがあり可愛らしい人だと梓は思った。恥ずかしさも、ついでに緊張感もなくなったので、真っすぐエリカの目を見てから言った。

 

「あの、みほさんはお元気ですか?」

 

「隊長? そりゃあ、もうバリバリ元気よ。相変わらず直ぐ怒るんだけど、怒声が記憶にあるものより二割ぐらい増してるのよね。この前、まほさんが隊長を揶揄った時なんかは、本当に龍が咆哮したって感じで凄かったんだから。でも、日常が帰って来たんだなって思うと、何だか嬉しくなっちゃって、うっかり隊長を止めるの忘れちゃってね。まほさん、涙目よ。おかしいったらありゃしないわ」

 

 梓はその光景を頭の中で想像してみた。まほの涙目はちょっと想像出来ないが、みほの怒り顔は鮮明に浮かんで来る。自分はそこまで怒られた印象はないけれども。

 すると、突然頭の中のみほが爽やかな笑顔になった。笑顔の先には梓がおり、みほは梓の名前を優しく呼ぶ。

 

『梓、今日もお前は美しいな。済まぬ、私は我慢弱いのだ』

 

 力強くみほに抱きしめられ、そしてお互いの顔が近付き、

 

「うふふ、みほさん」

 

 頬に両手を当てて、梓は左右に首を振った。

 

「何を想像したのかは大体察するけど、あなたは想像力が豊かなのね」

 

 この想像、と言うより妄想までも微笑ましいと感じるようなエリカではなかった。

 

「はっ!? いや、これはそのぅ」

 

 エリカの心配と不審が入り混じった眼差しに、血液が梓の頭の方へ駆け上る。思わず声が上ずってしまった。またもや頬を赤く染めるのだが、今度は耳元まで真っ赤に染まる。

 

「なるほど、まあ、秋山さんたちがいるから、そんなにつまらないことはないと思っていたけど……ちょっとこれからが楽しみになって来たわね」

 

 あうあうと口を開閉する梓を見ながら、エリカはおもむろに立ち上がった。その際に、本を元の位置に戻すことを忘れない。

 

「貴重な時間を私とのお話に使ってくれてありがとう。悪かったわね、読書の邪魔をして。私はもう行くから」

 

 エリカは梓が手に持っている本の表紙に視線をやってから、

 

「これから短い間になるけどよろしく頼むわね、山城殿。じゃあね」

 

 片手をあげて、歩き去って行った。

 梓も遅れてエリカの背に手を振り、見送る。

 

「山城殿、か」

 

 エリカが言った山城殿とは、直江兼続の通称である。山城守という位にあったことから、そう呼ばれていたのだ。梓としては、そのように呼ばれるのは満更ではない。

 

「そうだよね、みほさんが謙信公なら、やっぱり私は兼続公。これからもっともっといっぱい勉強して、兼続公みたいな人になるんだ」

 

 決意を新たに梓は本を開いた。

 

「そう言えば、短い間になるけどよろしくってどういうことだろう?」

 

 一瞬疑問を浮かべたが、本の内容が気になる梓は直ぐに疑問を頭の中から消して、文字の世界へと入って行く。そして部屋が閉まるまで、梓が椅子から離れることはなかった。

 



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その②

 図書館を後にしたエリカは、その足で学園内の生徒会室に足を踏み入れていた。

 休みの日だと言うのに、室内には決して少なくない人がいる。また、それだけ人がいるにも関わらず、人の声は一切しない。カタカタとパソコンのキーボードを叩く音、カリカリと紙面上にペン先が走る音だけが聞こえている。

 その室内の様子を、感心とばかりに視界に収めながら、堂々とエリカは歩く。あまりにも堂々としているので、役員たちは他校の生徒であることに気付いていない。作業に集中し、エリカを呼び止めることはしなかった。

 

「会長室はここね。それにしても、随分と金掛かってそうねぇ、扉見ただけで分かるわ。まっ、うちほどじゃないけど」

 

 独り言をこぼしながら、会長室の扉をノックする。

 

『どうぞ~』

 

 間の抜けた返事だった。

 特に気に留めることもなく、エリカは中へと入って行く。

 失礼します、と頭を下げて、徐々に視線を上げれば、先ず目に入ったのは返事の主である杏の姿だった。椅子の背もたれに背中を思いっきり預けて、机の上に足を伸ばしながらもごもごと口を動かしている。右手に持っているのは干し芋だった。

 大きく喉を鳴らして口の中を空にしてから、

 

「やあやあ、よく遠いところから来てくれたね。いらっしゃい」

 

 ふわふわと笑みを浮かべた。

 至って気楽な言動に、エリカは驚かされた。何だか、漫画に出て来そうなお気楽生徒会長という印象である。直接的な関りはないにしろ、みほから話を聞いているから、どういう人物なのか前情報はあった。けれども、前情報とそれによって抱いたイメージを大きく超えるような人物像であったから、驚く他なかったというわけだ。

 自校の生徒会長を頭に思い浮かべてみると、もう一回驚く。同じ生徒会長でこうも違うものなのかと。自校の生徒会長は、真面目一辺倒だった。黒森峰女学園を擬人化したみたいな、まさに鋼鉄の女である。まあ、今は関係のない話だ。

 

「話は西住ちゃんから聞いてるよ。何だか、大変なことになっちゃったね」

 

 碌な挨拶もないまま、世間話でもするかのように、杏はいきなり本題を放り込んで来た。

 

「いやあ、嫌な予感はしてたんだよねえ。すんなりってわけでもなかったけど、廃校がそう覆ったりするものかなあ、とか考えたりしちゃって。そしたら、西住ちゃんから電話がかかって来てさ。あ~、なーるほどー何て思っちゃったりね」

 

 へらへら飄々とした口調であったが、どうにも言葉にこもる力が強い。怒りを抱いているのであろうか、目が笑っていない。

 気持ちは痛いほど分かる。約束を反故にされただけでも許し難いのに、これまでの努力や頑張りを完全に無に返されたのだ。一緒に戦った仲間たちに何と詫びを入れれば良いのやら。はらわたが煮えくり返るとは、まさに杏の気持ちを表している。

 今、堪えようにも堪えきれない怒りが、杏の口を通じて出ているのだろう。

 

「でもさ、このままじゃ、終われないよね。やっぱり廃校になります。はい、分かりました。何て殊勝な性格をしていたら、そもそも戦車道なんて始めてないわけだしさ」

 

 いつの間にか、杏は姿勢を正していた。足は地に置き、背筋は垂直に、見本のように美しい姿勢で、思わずエリカの口から感嘆の息がもれる。

 なるほど、隊長が珍しく人を誉めるわけだ、と思った。

 いや、今となっては、みほが人を誉めることは珍しいことではない。大洗での生活で一皮剥けたのか、彼女はよく人を誉めるようになったのだ。

 大洗に行くまでは、言葉の端々に人を見下すようなところがあった。実のところ、彼女はエリカや小梅を格下だと思っていたし、下手をしたら姉のまほも自分より下の人間とか思っていたやもしれない。少なくとも、確実にエリカは見下されていた。

 

(それが黒森峰に帰って来たら、サンダースがどうだの、聖グロがどうだの、プラウダがどうだの……人が変わったみたい。短気なところはそんなに変わってないけど……まあ、少しは我慢することを覚えたみたいではあるわね。結局、怒るけど)

 

 とにもかくにも、大洗での生活はみほにとって実りのあるものであったようだ。そして、目の前の小さな少女との出会いは、実りの一助となったことは間違いない。

 杏に内心で感謝しつつ、エリカは口を開く。

 

「お気持ちは分かります。そして、教育局長も隊長も今回の件には納得していません。口約束であろうが約束は約束です。それを一方的に反故にするなど、例えどんな政治的意味合いがあろうが、許すことは出来ません、ですから」

 

「逸見ちゃんが来た」

 

 杏が答えた。

 

「さっきも言ったけど、話は全部西住ちゃんから聞いた。今回は、西住ちゃんの力を借りることは難しいことも。局長さんの懸念するところはよく分かるなあ。ずっと身近にいたから忘れていたけど、西住ちゃんって本当に凄い人。西住ちゃんを神様として信仰している人が全国に少なくない数いるって聞いてるよ。最初の頃は、秋山ちゃんもその一人だったし。そんな西住ちゃんが、政府と敵対だなんてことになったら、日本という国が混乱状態に陥る。冗談抜きで暴力事件やテロリズムが横行するかもしれない。そう考えると、局長さんの英断に拍手喝采だよ」

 

 一笑に出来ない内容だ。そんな馬鹿なことがある筈がない、とは言い切れるものではなかった。エリカの知る限りでも、そんな馬鹿なことをやらかしそうな人物はぽつりぽつりと、黒森峰機甲科に存在している。頭の痛くなる話である。

 思っていると、本当に痛くなってきたのか、頭を押さえながらエリカはやれやれと首を振った。そんなエリカとは反対に微笑む杏。

 

「でもま、西住ちゃんの協力が得られないからといって、そこまで心配しているわけじゃないんだよね。こうして逸見ちゃんが来てくれたわけだし、局長さんも協力してくれる。何より、頼りになる仲間がいっぱいいるしさ」

 

 それに、と言葉を続ける杏の表情に、自信の色が浮かび上がる。

 

「西住ちゃんが言ってた。神様は正しい人の味方をするって。そして、強いから勝つんじゃなくて、正しいが故に勝つって。だから負けないよ。約束を反故にするような人たちに、神様が味方してくれるわけないよね。私たちの方が正しい、故に勝つ!」

 

 杏は信じているようだった。聞けば誰もが嘲笑しそうな理論を、大真面目に信じ切っているようだった。

 しかし、実際に聞いたエリカに嘲笑するという選択肢はない。別に杏のように信じているわけではないが、そういう心持ちは大切だと考えているからだった。

 エリカは大きく頷いて、同意であることを示してみせた。

 

「逸見ちゃん、頼りにしてるからね」

 

 ここで、杏は張っていた気を緩めた。

 この話はここまで、ということらしい。エリカも便乗してリラックスしていると、杏の傍に控えていた河嶋が書類を杏に手渡す。同じく傍に控えていた小山が杏に耳打ちをする。

 その様子を眺めながら、エリカは河嶋と小山の前情報を思い出していた。

 

(河嶋桃。勉学が不得手であることと、阿保であることは同義ではないことを体現する女。小山柚子。いつ何時も己を崩すことはない、見た目や言動に反して豪胆な女。この二人のことも、隊長はよくお褒めになっていた。さてさて、どれほどの人物なのかしらね)

 

 すると、次の話題が見つかったのか、杏がエリカに話し掛けた。

 

「早速なんだけど、逸見ちゃんに訊きたいことがあるんだ。良いかな?」

 

「何なりと」

 

「うん。廃校云々も大事なんだけど、それよりも目先の問題があってね。何かさ、エキシビジョンマッチ、とか言うのをやらないといけないらしいじゃん。逸見ちゃんなら知ってるでしょ? 詳しい内容を教えてよ」

 

 勿論知っているので、隠すことなく全て答える。

 

「全国大会の優勝校の地元で行われる試合のことです。四校によるチーム戦で、上位四校の内、準優勝校以外の三校と、準優勝校が一回戦で戦った高校の四校で行われます。振り分けとしては、優勝校と一回戦の高校、それ以外という形になります」

 

 聞いた話を咀嚼して、河嶋と小山が言う。

 

「準優勝校は黒森峰だな。そこと一回戦で戦ったのは確か、知波単学園、だったか?」

 

「そして、私たちと黒森峰を除いた残りの上位四校と言うと、聖グロリアーナとプラウダ高校だね?」

 

「その通りです」

 

 杏は目を瞑って黙り込んだ。同じように河嶋と小山も険しい表情で俯く。

 エリカには三人の思っていることが分かっていた。勝てるのであろうか、そのことを悩んでいるのであろう。

 廃校の話が出ている以上、エキシビジョンマッチとは言え、無様に負けてしまえば付け入る隙になってしまう。勝つのが最善、せめて善戦しなければならない。みほがいなくても、大会の優勝校である、というところを見せつけてやらねばならないのだ。

 とは言え、聖グロとプラウダを相手にした時、厳しいと言わざるを得なかった。みほがいない大洗が、ダージリンとカチューシャにどこまで食らいつけるのか。知波単学園はそこまで期待は出来ないだろう。現隊長はみほが気に入りそうな人物ではあるけども。

 

(協力はするし、協力するとなれば私は全力を尽くすけど、ダージリンとカチューシャが相手じゃ、私は力不足というのは否めない。恥ずかしい話だけど)

 

 その時、エリカは図書館で会った梓のことを脳裏に過らせた。今後の大洗の指揮は、彼女が執ることになる。みほとは似ても似つかないほど穏やかな、見るからにお花屋さんとかお菓子屋さんとかをやっていた方が似合っているような少女。みほが直々に弟子にした彼女が、ダージリンとカチューシャの相手を務めることが果たして出来るのか。

 

(澤梓に対する隊長の評価が、恋人故の過大評価でないことを期待するしかないわ。隊長が評価を盛るとは思えないけど、でもあれほどの溺愛っぷりだもの。本人が知らず知らずに盲目になってる可能性もなくはないわ。だって西住みほという人物は、客観的に、冷静に見れば見るほど、人として駄目なところ多いから)

 

 数日前のことだが、怒って物に八つ当たりしているところを目撃したからこそ、その他にも色々とあるからこそ、少しだけ心配である。

 ふと、杏が目を見開いた。どうやら、覚悟が決まったものと見える。

 

「うん、大丈夫。考えてみれば、聖グロもプラウダも一回勝った相手だし、そんな怖じ気づくことじゃないよね。今回だって上手く行くさ。あんまりネガティブに物事考えちゃだめだよね。かーしま、小山、そんなに考え込まなくても大丈ブイ、だよ」

 

 ピースのサインを右手で示し、二カッと白い歯を杏は見せる。それに安心したのか、河嶋と小山も顔を上げた。

 

「そうですね。一回勝った相手ですから、今回も勝てますよね」

 

「そうだな。隊長、じゃなくて西住はもういないわけだが、逸見が来てくれたわけだしな。問題は無いな」

 

「そういうことー。それに、西住ちゃんの置き土産である澤ちゃんがいるんだし、ね」

 

 意気を揚々とさせる三人に、エリカは自然と顔を綻ばせた。

 

(確かに考え過ぎても仕方ないか。ケセラセラ、人生なるようにしかならないものね。それに、隊長に任されて私はここにいるわけだし、しっかりと役目を果たさなくちゃ)

 

 エリカもまた、強く覚悟を決めるのであった。

 

 

 



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その③

 ダージリンはエキシビジョンマッチの日を心待ちにしていた。実のところ、大会の時よりも期待に胸が膨らんでいるぐらいであった。

 ダージリンの傘下には、諜報に長けた人間が多く存在する。そんな彼女たちの能力をフルに活用することで、世の動静、実情をしっかりと把握していた。だから、今回のエキシビジョンマッチで対戦相手となる大洗に、みほが抜けた代わりとしてエリカが加わっていることも既に知るところであった。

 

(それにしても、大洗も災難なことですこと)

 

 ティーカップに注がれた紅茶で喉を潤しながら、考えるのはエリカが大洗に来ることになった経緯。大洗が廃校の危機にあり、それを無くすための条件として大会に優勝することを決意し、見事優勝したのは周知の事実だ。誰しもこれで廃校問題は無くなったと思ったわけだが、どうもそう簡単な話ではなかったらしい。優勝を条件に廃校を取り止めにするという約束事は反故にされ、大洗は廃校への道を否応なく進んでいる。

 しかも、大会で大洗を優勝に導いた立役者たるみほは、文部科学省学園艦教育局長という政府のお偉いさんの命によって、表立って大洗に力を貸せない状況にあった。そのため、みほの意を受けたエリカが大洗に向かったのである。

 未だ大洗の中で生徒会しか知らないこれらの一連の流れもまた、ダージリンは漏れなく把握していた。

 

(逸見さんなら、みほさんの代わりは十分に務まるでしょう)

 

 それに、どうも大洗に向かったのはエリカだけではないらしい。エリカ以外に二名ほど、他校の戦車乙女が大洗に足を踏み入れたという情報が、ダージリンの下に届いていた。この動きの裏には、やはりというべきかみほがいるという情報もあった。

 

「表で動けないから、裏でこそこそやっているようね」

 

 声に出して言うと、ダージリンは思わず破顔してしまった。こそこそという表現が、自分で言ったことながら面白かったのだ。ダージリンの知る中で、こそこそという表現が、みほほど似合わない人物もいない。正々堂々が服を着て歩いているようなみほだから、こそこそとはまるで正反対なのである。だが現実、みほは廃校阻止を目論み、裏でこそこそと何かをやっているみたいだった。

 

(あのみほさんがねえ……)

 

 ただ考えてもみれば、彼女は意外に裏で動くことが多いような気がする。大会の初戦の時、自ら対戦校であるサンダースに忍び込んでいたと聞くし、どうもみほの中ではこそこそにも善悪というか、そういう良いこそこそと駄目なこそこその基準があるように思える。その基準がダージリンにはいまいち分からないが、そういうことなのだろう。

 それにしても、

 

「こそこそ……」

 

 ダージリンはまた笑った。何だかツボに入ってしまったというか、暫くはこの単語だけで笑えそうである。ティーカップに口をつけながら、心の中で単語を繰り返す。

 そんなことを二分か三分、あるいは五分ほどやっていると、オレンジペコが姿を現した。

 

「ダージリン様、お客様がお見えです」

 

 誰であろうか。今日は誰かが来るという報告は受けていないが、まあ良いだろう。

 客を通すようにダージリンが言うと、オレンジペコは一礼してから、自身の後ろに控えている客を部屋の中へと通した。それからオレンジペコの姿はなくなり、部屋にはダージリンと客の姿だけとなった。さて、客とは誰なのか。

 

「ぷっ……」

 

 客の正体を知ったダージリンは、笑いを吹きこぼした。

 客は、ダージリンのそれを見て、ムッと顔を顰めさせる。

 

「な、ぶ、無礼ではないですか! いきなり人の顔を見るなり笑うなどと」

 

 怒気を含む口調で言う客の正体は、西住みほその人であった。

 なるほど、みほにしてみれば怒りを抱かざるを得ない。人がいきなり自分の顔を見て笑えば、温厚な人間でも機嫌を悪くするだろう。況や沸点の低いみほだから、如何に友達であるダージリンと雖も怒りたくなるものだ。

 けれども、ダージリンにも言い分はある。先ほどまでみほを題材に挙げて笑っていたのだから、その張本人が現れればついついというやつなのだ。とは言うものの、どちらにせよ無礼であることには変わりないので、ダージリンは素直に謝った。

 

「ごめんなさい。思い出し笑いをしてしまいました。不快な思いをさせたことを謝罪致しますわ」

 

 椅子から立ち上がり、頭を下げるダージリン。

 謝罪をされれば、みほとて殊更怒りを継続する気はない。

 

「左様でしたか。何か私の衣装におかしな所があるのかと思いました」

 

 ほがらかに笑みをうかべながら、みほは自分の恰好を見回す。

 それについてダージリンは首を横に振った。

 

「確かに見慣れない格好ではありますが、よくお似合いです」

 

 みほの恰好は、まるっきり尼僧そのものであった。そしてこれがまた様になっているのである。ここでダージリンは思い出した。みほが将来的に仏門の道に進む気でいる話を。戦車道は高校生で終わり、そこからは仏道修行に本格的に励むらしい。

 ダージリンとしては、友達が自分で選んだ道なのだから、背中を後押ししてやるだけである。それはともかくとして。

 

「さっ、みほさん。こちらへお掛けになって下さいな」

 

 いつまでも客に立たせておくわけにはいくまい。ダージリンは自分の対面の席を手で指し示した。

 

「では、失礼を」

 

 みほは一言断ってから示された席に着く。

 みほが席に着いたのを確認すると、ダージリンは手ずから紅茶をティーカップに注いで、みほの前へと用意した。

 

「これは、忝い」

 

 早速、紅茶を味わうみほ。先ず、紅茶の風味で驚きを顔に出し、口に含んでからますますの驚きようであった。

 

「美味い。このような美味なる紅茶を飲むのは初めてです」

 

「あら、そうなの?」

 

「ええ。以前頂いたものを自分で用意してみたのですが、これほどのものではありませんでした」

 

「紅茶を淹れるにはコツがあるの。今度、淹れ方を教えて差し上げましょうか?」

 

「是非、お願いしたい」

 

 みほは心底美味そうに紅茶を飲む。その姿を、ダージリンは嬉しさと楽しさ半々の表情で眺める。そうしてから、みほの飲む段が一区切りついたところを見計らって、すかさず話を切り出した。世間話は省いた。

 

「近頃、みほさんはアンツィオとサンダースを訪問なされていますが、何か意図でもおありなのでしょうか?」

 

 遠回しをせずに直球な質問だった。

 みほの眉がピクリと動いて、僅かに警戒の色が顔に浮かび上がる。普通であれば見逃しそうな動きだったが、ダージリンはその手のことが得意だったので、見逃さなかった。

 みほ自身も、自分の感情の変化を読み取られたことに気付いたのか、今度は露骨に険しい顔つきを晒した。何を知っている、と目が語る。

 

「両校ともに貴女が訪問なさって直ぐ、生徒が一人ずつ大洗に向かった。それも戦車道をやっている生徒が。貴女の訪問で何かがあったと見るのが普通でしょう。そして、次はこの聖グロリアーナへの訪問。一体、何を企んでいるのです? お聞かせ願えませんこと」

 

 みほは沈黙したままだったが、それは僅かの時間であった。直ぐに、観念したように口を開いた。

 

「どうやら、全てご存知のようで」

 

「ええ。私、情報収集能力なら、高校戦車道界ナンバーワンを自負しておりますの。貴女と局長様のお話も、逸見エリカさんが大洗にいる事も、存じ上げております」

 

 そう言うと、感心したとでも言いたげに、ほう、と息を漏らすみほ。

 

「そこも。だとするならば、寧ろ話は早い。良いでしょう、話しましょう」

 

 みほは紅茶で一息ついてから、語り出す。

 

「御大層な意図があるわけではありません。今の私に出来る範囲内での、大洗への援助と申しましょうか、はたまた梓個人への援助と申しましょうか」

 

「澤梓さんへの?」

 

「ええ。彼女は私の恋人であると同時に教え子でもあります。私は師として、彼女に様々な教えを施してきました。ですが、まだ教え足りないことは山ほどあります。しかし、ご存知の通り、私は大洗に戻れる身ではありません。ですから、私の他に良き教師を送ろうかと考えた次第でございます」

 

 こちらへ参ったのは単純なことで、貴女と話をしに来ただけです、と言葉を締めた。

 ダージリンは納得がいった。なるほど、確かにアンツィオとサンダースから大洗に向かった二名は、教師として適してるように見える。彼女たちならば、みほも安心して梓を任せることが出来るだろう。みほ自身がその能力を認めた二人なのだ。

 そこまで考えてから、ダージリンの思考は、どうして二人が大洗に向かうことを承諾したのか、という方向になった。まあ、可能性としては、大洗を初めて負かすのは聖グロリアーナとプラウダじゃない、と言ったところだろうか。負けず嫌いの二人であるから。

 

(これはますます面白いことになって来ましたわね)

 

 大洗にエリカが加わる事だけでも満足ものなのに、この上、高校戦車道界にその人ありと名を轟かせた二人が、大洗の現隊長たる梓に自身の技能を伝授する。

 みほがいた頃とは全く別の大洗に生まれ変わるのだ。それがどんなものなのか想像するだけでもワクワクするし、何よりも――潰し甲斐がある。

 

「最初に謝っておきますわ。申し訳ありません、みほさん」

 

 何の事だとばかりに、みほは小首を傾げた。

 何の事と言うのは勿論、大洗の廃校に関してである。友達が裏でこそこそ廃校阻止に向けて頑張っているみたいだが、その頑張りを水泡に帰させよう。大洗は今回のエキシビジョンマッチの結果を以って、廃校にする。この私が、廃校にさせる。生まれ変わった大洗を完膚なきまでに叩き潰して。ダージリンはカッと胸の内が熱くなった。

 

「エキシビジョンマッチの日が、待ちどおしいですわ」

 

 この言葉と、闘志を剥き出しにするダージリンの姿で、みほは謝罪の意味を理解したようであった。とても仏の道を目指そうとしている人とは思えないほどの気を、ダージリンに負けじと発する。

 

「私も、梓の晴れ舞台が楽しみです」

 

 ダージリンとみほはお互いに笑い合った。笑い合ってから、ティーカップに残った紅茶を飲み干す。すっかり冷めきっていたが、昂ぶり火照った身体にはちょうど良かった。

 

 



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