スレイン法国の滅亡 (西玉)
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1 凱旋と戦後処理
カッツェ平野において、リ・エスティ―ゼ王国の兵士18万人をたった一つの魔法で虐殺した魔導王アインズ・ウール・ゴウンは、結局使用することなく終わった自らの兵力を帰還させ、ついでに大地に横たわる18万の死体をナザリック地下大墳墓に回収すると、転移魔法を用いてナザリックに移動した。
自分に仕える守護者と呼ばれる強者の中でも、最精鋭の一人、階層守護者のマーレを伴ってである。
「お帰りなさいませ、アインズ様」
墳墓の中央にある霊廟前で、目の覚めるような美女が出迎えてくれる。
アインズの右腕であり、階層守護者の頂点である守護者統括アルベドだ。
黒と白のコンストラストが映える、絶世の美女である。白磁の肌に漆黒の髪、白いドレスに腰から生えた黒い翼と、まるで影絵の中から浮き出てきたかのような錯覚すら覚えさせる。
見えているもの全てが幻覚ではないかと疑いたくなる。それほどまでに、美しかった。
「出迎えご苦労」
アインズはナザリックにおける絶対者であるため、労うということはあまりしない。ただ、この日は少しだけ浮かれていたかもしれない。
自分の試みが上手くいき、その力に6万人の帝国兵が喝采したのだ。アインズの認識では、諸手を上げて喝采したのだと感じていた。浮かれても仕方がない。
アルベドとマーレを連れ、第九階層に転移する。
「守護者達は集まっているか?」
「はい。皆、アインズ様の執務室で、すばらしい魔法を堪能させていただきました」
「そうか」
ナザリックの第九階層はかつてのプレイヤー達の自室がある。一つ一つが大変な広さの部屋が、ギルドメンバーの数に加えて、予備の部屋まである。
その全てが、通路まで含めて目をみはるほどの贅が凝らされている。
銀色に磨き上げられた通路を、アインズは進む。
カッツェ平野で超位魔法を使うと知った守護者達が全員、近くで見たがったのだ。
結果として、マーレが同行することになった。全員が出動したら、それこそ魔法を使うまでもなく王国兵は全滅してしまうだろうことを危惧したのだ。
だが、もちろん自分たちの主人が、階層守護者ですら使えない超位の魔法を使うと知って、見たくない者はおらず、アインズの執務室で、全員で見ることになったのである。
アインズを迎えに来たアルベドにしても、アインズが帰還の連絡をするまでは他の守護者たちと一緒にいたはずだ。
「マーレ」
「は、はい」
少しだけ浮かれたままのアインズは、付き従う麗しい顔をした小さな女装の少年を呼ぶと、持ち上げて片腕に抱いた。
「ア、アインズ様……」
マーレが声を裏返す。しかし、逆らうことはない。ぶるぶると体を震わせながらも、結局はアインズに体を押し付けるように収まった。
「ア、アインズ様!」
マーレと全く同じ台詞を言いながら、明らかに違った感情を載せるのはアルベドだ。
「どうした? アルベド」
「ず、ずるいです。マーレばかり……わたくしも、守護者統括として……」
「お前の働きは、評価しているとも」
「で、でしたら、わたくしにも……」
と言われても、アルベドを抱いて歩くのはさすがに恥ずかしい。
アルベドの目は本気だった。血走っていたといってもいいほどだ。もともと瞳は金色なので血走ってもよくわからないが、らんらんと輝いているような気がした。
アインズは、ここできっぱりと断るのも悪いと感じた。確かに、アルベドはよくやっているのだ。何の不満もない。
「……これで許せ」
アインズは、付き従うアルベドに向けて、骨しかない片腕を差し出した。
「許すだなんて、とんでもございません。アインズ様は至高の存在。ただお命じくださればいいのです」
言いながら、アルベドはアインズの差し出した腕の骨に絡みつくようにしがみついた。アインズの逆の腕には、マーレを抱いたままである。うれしそうに体重を預けてくる少年を下ろしたいとは思わなかった。何より、100レベルのプレイヤーであるアインズは、重いとも思わなかったのだ。
一人を抱え、一人を引きずるように連れ、アインズは自室の前に至った。
一般メイドが一人、アインズの姿を見て目を丸くした後、表情を整えて深く礼をする。目を丸くしたのは、抱いているマーレと引きずっているアルベドを見たからだろう。
「マーレ、ここまでだ」
「……はい」
名残惜しそうにする闇妖精の少年を降ろす。
「アルベドも、もう離れなさい」
「よろしいではありませんか」
アインズの腕の骨に、まるで軟体動物のように絡みついているアルベドは『くふふ』と笑った。とろんと蕩けたような目は、欲情におぼれているようにしか見えない。
「シャルティアがうるさい。見られたところで構わないが、お前たちが口論を始めると、大事な話がはじめられないのだ」
アルベドは、じっとアインズを見つめた。目が大きく開き、すぐに、腕から離れた。理解してくれたのだろうかと思ったが、アルベドが妙なことを口にした。
「アインズ様……」
「どうした、アルベド?」
「先ほどの言葉、もう一度お聞きしとうございます」
「……どの部分だ?」
「『シャルティアに見られても構わない』……と」
アルベドの瞳が大きく見開かれている。これはまずい、とアインズは察した。扉一枚先に、守護者たちが集まっているのだ。通路の会話も聞いているかもしれない。
かつて、感極まったアルベドに押し倒された経験があるアインズは、危機を察して、アルベドを冷静にさせる言葉を探した。
「いくらでも時間はあるのだ。まずは、皆に報告をしなければな」
「はっ……そうでした」
アルベドの顔が普段の頼もしい守護者統括のものへと戻る。アインズは深呼吸したくなったが、肺は一体どこに行ってしまったのかわからない。呼吸すらできない身だ。
一般メイドに視線を向ける。
「いいぞ」
「はい。アインズ様がお戻りです」
メイドが部屋の扉に向かって呼びかけると、待っていたかのように執務室の扉が左右に開く。部屋の中にも、一般メイドが控えていたのだろう。
アインズの姿が見えた瞬間、部屋の中にいた全階層守護者、デミウルゴス、コキュートス、シャルティア、アウラ、加えて守護者ではないがセバスが、一斉に膝をつく。
その様を当然のこととして受け入れ、アインズは部屋に入り、執務机に向かってまっすぐに進む。
執務机を回りこみ、机の向こうから室内を見回す。
共に歩いてきたマーレも、アウラの隣に並んで同じように膝をつき、アルベドは執務机のすぐそばで、やはり同じように膝をつく。
全員が首を垂れ、最大の敬意を払っている。
「面を上げ、楽にせよ」
守護者たちが顔を上げ、一斉に立ち上がる。
「アインズさま、素晴らしい魔法でした」
「凄かったです」
「人間たちのあのざま、面白かったでありんす」
「サスガ至高ノ御方」
「お見事でした」
守護者たちが口々にアインズを絶賛する。どの顔も、きらきらと輝いて見える。表情の読みにくいコキュートスすら、感動しているような気がした。
先に感想を聞いていたアルベドに目を向けると、ほんのりとほほ笑んでいた。
「まあ、当然の結果だがな。だが、あれを5匹も同時召喚したのは、私だけだろうな」
「ご勇名が広く轟くでしょう」
「うむ。ありがとう、アルベド」
手をかざして守護者たちを落ち着かせながら、アインズは椅子に腰かけた。
戦争は終わった。
話し合わなければいけないことがあった。
守護者たちが落ち着くのを待ち、アインズが口を開く。
「一つ、はっきりしたことがある。ここに居るのは全員が100レベルの者たちだから言うが、我々は、もはやレベルアップすることはないようだ。10万以上の経験値が入っているはずなのに、私のレベルが上がった様子はない。だが、これは悪いことばかりでもない。この世界に間違いなくいるであろうかつてのユグドラシルプレイヤーが、私たちより格段に強いということがないと断言することができるからだ」
言葉を切り、守護者たちを見回す。どの顔も、一様に理解の色があった。アインズは頷いて続ける。
「我がナザリックが保有する世界級アイテムの数は、どのギルドよりも多い。この一点に置いて、我々が最強だと言える。だが、隙を突かれれば個人での敗北は常にある。これからも、油断することがないように」
「はっ」
デミウルゴスの力強い返事に合わせて、守護者たちが一斉に頭を下げた。
「さらに、我々が有利なのはマーレに渡した『強欲と無欲』があることだな。経験値を消費しなければ召喚できないシモベや魔法を、レベルダウンなしに使う事ができる。我々がレベルアップできるかどうかという実験は終わりだ。できないという結論を踏まえて、次の段階に進まなければな」
マーレは、両腕に世界級アイテムであるガントレットをつけていた。左は強欲、右は無欲だ。100レベルに達した者が、経験値を貯め込み、貯めた経験値を使用できるというものだ。ユグドラシルでは、世界級アイテムという割にはかなり微妙な能力のアイテムだったが、この世界では絶大な力を発揮するだろう。
「アインズ様、いよいよ決心なされましたか」
「アア。実ニ喜バシイ」
(なに? 何を言っている……デミウルゴスに、コキュートスだと?)
デミウルゴスはあまりにも優秀で、アインズの言葉から想定以上の結論を導き出すことは珍しくない。それも、このタイミングでは何を考え付いたのか全くわからない。それだけでも驚きなのだが、デミウルゴスと同じ結論に達したのが、唯一コキュートスであることは驚愕である。
コキュートスも経験を積んで成長している。単純にそれならば、むしろ喜ぶべきことなのだが。
「デミウルゴス、どういうこと?」
尋ねたのが、アルベドであることも驚く要因となった。ほとんどの場合、デミウルゴスが考え付くことは、時間差があってもアルベドは理解できるのだ。だが、全くわからないという顔をしている。
「アルベド、本気で尋ねているのかね? むしろ、君こそが望んでいたのではないかと思っていたのだがね」
「えっ? どう言う意味?」
(そうだ、どう言う意味だ?)
「アインズ様、以前にコキュートスと話していたことなのですが……アインズ様なら当然そのために、今日お話になったことと存じておりますが、理解できない者がいるようです」
「そうだな……デミウルゴス、皆に説明してあげなさい」
いつものパターンだな、と思いながら、アインズは一体デミウルゴスとコキュートスがどんなことを思いついたのか、興味を持って聞いていた。
デミウルゴスは、彼にしても珍しいほど、丁寧に説明を始めた。
「つまり、アインズ様は今までにも『強欲と無欲』に経験値を溜めることはできたが、ご自身のレベルアップができるかもしれない可能性を捨ててまでやることではないと、見送っていらしたということだ。それはつまり、今後は『強欲と無欲』に経験値を貯めるということを意味する」
(まあ、それは当然だな。守護者たちも、それがどうしたという顔をしているし……)
「アインズ様が経験値を貯めてまですべきこと。それが何か、考えてみたまえ」
「……アンデッドの副官の召喚かしら? 以前、お願いしたことがあったのだけれど……」
「それだけかね?」
正解ではなかったようだ。デミウルゴスは顔の前で指を振る。そんなきざなポーズが格好いいと思わせる男だ。
「魔法かな?」
呟いたアウラに、デミウルゴスはぴしっと指を向ける。正解だったようだ。
「超位魔法〈星に願いを〉」
「シャルティア、その通りだよ。我々守護者の全員が望んでいるにも関わらず、最後まで我々と共に残られた慈悲深いアインズ様が、唯一手をつけなかった事項があるだろう。しかも、アルベドとシャルティア、さらにプレアデスに41人の一般メイドの誰一人として、今までアインズ様のお手付きとなった者がいない」
(ちょっと待て……デミウルゴス、お前、何を言いだすんだ……)
アインズは焦った。アンデッドであることにより、精神の鎮静化が発生するほどに焦った。
「アインズ様は、高潔なお方だから……」
「アルベド、もちろんそれもあるだろう。だが、ナザリックに仕える全員がアインズ様のお子を望んでいるのに、それを顧みない理由は、他にあるのではと考えるのは当然だろう」
「な、何の理由? 私やシャルティアでは……至高の御方のお相手には不足だというの?」
「そんなことはないだろう。むしろ、より実際的な理由ではないかね。たとえば……アンデッドであるアインズ様が、どうやって子供を成すか、ということだがね」
(そういう話を……本人の前でするか……しかし、俺の子供をナザリックに仕える全員が望んでいるだと? どういうことだ?)
「た、確かに……でも……超位魔法であれば……」
「可能ではないか。そのために『強欲と無欲』を使用する。これほど、ナザリックの強化もでき、全員の望みが叶う使い方は他にないだろう。世界級アイテムをアインズ様は常備されているが、ご本人が受け入れれば超位魔法の効果は得られるだろうからね」
アルベドの視線が、マーレに向いた。明らかに目の色が違う。視線を向けたのはマーレ自身にではなくガントレットにだったが、マーレがびくりと震えた。
「マーレ、どのくらい、経験値がたまっているのかしら?」
アルベドはほほ笑みながら尋ねた。慈愛に満ちた、優しい笑みを浮かべていた。
「いえ、あの、使っていなかったので……」
「何ですって!」「どうしてでありんす!」
アルベドとシャルティアの声が響く。これはマーレの責任ではない。アインズの命令なのだ。
仕方ない。アインズは切り札を出した。
片手を上げる。
「騒々しい。静かにせよ」
もっとも練習した動作、口調である。いかにも支配者に相応しい、とアインズは思っている。
「はっ」
アルベドが控える。シャルティアも黙った。
「マーレ自身のレベルアップの可能性もあったのだから、使わないように私が命じたのだ」
「では、今後はわたくしが……」
「アルベド、お前はすでに世界級アイテムを自分のものとして携帯しているではないか。マーレに任せよ。それに……アルベドに任せると、経験値を得るために人間を皆殺しにしかねん。マーレ、お前なら心配ないと思うが、理由もなく殺すな。敵対しているわけでもない周辺国に対する攻撃も禁止する」
「はいっ!」
マーレは元気よく返事をした。アインズは正しいことを言ったと感じた。上出来だ。我ながら、支配者の演技が板について来たのだろうか。だが、アインズは、自分が致命的な失敗をしていたことを、デミウルゴスに気づかされた。
「アインズ様がその気になられたのです。後は、マーレが『強欲』に経験値を貯めるまでに、誰がお心を射止めるか、ということだね」
(あっ……そうか。マーレに『任せろ』って言ってしまったな。失敗した。でも……いいのか? いや、なんか違うぞ)
アインズは、動揺が表情に出ない現在の顔に感謝した。ただ、アルベドだけはどうしたわけか骸骨の顔に表情を読み取るらしい。
アルベドとシャルティアが、激しくにらみ合っている。アインズは、守護者同士が争うことを望まない。
「私がいただきます」
何を、とはさすがに聞けない。アルベドははっきりと断言した。一方のシャルティアは、余裕の笑みを浮かべた。
「いいでありんすよ。でも、アンデッドの体は、わらわが一番詳しいでありんす。超位魔法が本当に効果があるかどうかわからないでありんしょう。私は別の方法で、アインズ様のお体を研究させていただくでありんす」
「それはいいね。なかなか、面白い研究対象だ」
(デミウルゴス、お前はもうしゃべるな)
アインズは頭を抱えたかった。黙っていたアウラが元気よく手を上げた。
「あっ、じゃあ、あたしも!」
アルベドとシャルティアがぎょっとしてアウラを睨んだ。予想外だったのだ。アインズも驚いた。口を開いたのは、アインズが黙ってくれと願ってやまないデミウルゴスだった。
「ほう。アウラは魔獣を使役する。魔獣の繁殖はナザリックの強化に直結するね。そこから、何かわかるかもしれない。図書館の司書長に言って、私も儀式や魔法で解決できないか研究してみよう。ナザリックに属する者で、アインズ様のお子を望まない者などいないのだから」
(だから、俺の子供を全員が望んでいるという前提がおかしくないか?)
アインズは声を大にして叫びたかったが、デミウルゴスの最後の言葉には守護者全員がうなずき、セバスすら大きく首肯していた。
「そのような……」
アインズは、『くだらない』と言おうとして、自分を見つめるアルベドの視線に凍り付いた。大きな目がさらに見開かれている。否定的な言葉を口にしたら、確実に泣かれそうな雰囲気だ。アインズは空気が読める男だ。そう思っている。
考えた。何を言えばいいだろう。
咄嗟に、まだ話すべきことが終わっていないことに気づいた。
「……そのような、大切なことは、軽々に決めるべきではない。日を改めるとしよう。それほど重要ではないが、早急に決めるべき問題が残っているのだから」
「はっ」
アルベドが頭を下げ、守護者たちが真面目な顔になった。アインズはひとまず安どし、課題を上げる。
「問題は二つ、魔導国の都市となった人間の街、エ・ランテルをどのように支配するか、それと王国への賠償の請求だ。誰か意見はあるか?」
自分の考えはすでにあるが、という雰囲気を出しながらアインズは守護者を見回す。特に意見は無く、アルベドが守護者統括として口を開いた。
「アインズ様のお心のままに」
予想通りの答えが返ってきた。守護者たちにとって、関心が薄いことなのだろう。
「我が支配を受け入れる者は保護しようと思う。たとえそれが、人間であってもだ。では、エ・ランテルには平穏を与えよう。方法は、現在の街の統治者と相談して決める。それと、さきほどの戦いで、魔導国が王国に勝利したが、帝国の依頼を受けてのことだ。戦争の勝利国が敗戦国に賠償を請求するのは当然だと思うが、やはり帝国に筋を通すべきだろうか」
「必要はないかと。帝国兵は戦ってすらいないのですから。それならむしろ、帝国にも戦勝祝いを要求すべきかと」
アルベドは、さっきまでとは打って変わって事務的に話していた。普段は優秀なのだ。どうしたわけか、時々おかしくなるのだ。
「……それもそうだな。反対の意見は?」
誰も声を上げない。帝国のことなど、どうでもいいと思っているのが明白だ。
アインズはセバスを見た。ナザリックの家令として設定された老人は、つい最近王国で失敗をしたが、やはり交渉に出すのであれば適任だ。
「では、セバスよ。帝国に行き、ジルクニフに戦勝の祝いを要求してくるのだ。プレアデスを何名か同行させよ。アルベド、帝国に対する要求を文書にして、セバスに渡せ」
「はっ」
「それと……王国への賠償請求ということであれば、確かめなければならないことがある。カルネ村に行く」
カルネ村が国王軍に襲われたということは聞いていた。無事に退けたという話だが、一体どんな状況なのか、詳しくは聞いていなかった。
王国が攻めたというのなら、カルネ村の復興費も要求したほうがいいだろう。カルネ村の復興を手伝いたいという親切心ではなく、より高く要求してやろうという意地汚い考え方だが、必要なことだ。
一人で行っても危険はないだろうが、守護者たちがうるさい。それに、具体的に損失を計算するのであれば、アルベドかデミウルゴスを連れていくべきだ。
アルベドには別の命令を下したばかりだったので、アインズはデミウルゴスの同行を命じた。
何より主君に忠実な悪魔は、命令を受けて深く腰を折った後、隣で立ち、先ほどからずっと黙ったままで身動きもしないコキュートスに視線を向けた。
「さて、私はアインズ様から拝命したことを実行しなければならないのだが、そろそろ戻ってはこないかね?」
「そいつはどうしたんだ?」
「いえ。時折あるのです。妄想に囚われているのでしょう」
「……ほう。コキュートスにそのような癖があったのか」
意外だった。もっとも人間離れした外見に関わらず、まじめで、精神的にはもっともまともかと思っていたほどなのだ。
「その時の内容は、常に一緒ですが……コキュートス!」
「ハッ……アア……幻カ。実ニ楽シカッタ。ヤハリ、アインズ様ノオ子ニハ、少シデモイイノデ剣術ヲ学ンデイタダキタイ」
アインズは、病気になるはずの無い体で頭痛を感じた。
更新は週一ぐらいで、の予定です。
個人的には面白いと思っているんですが、不快でしたらごめんなさい。
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2 カルネ村の惨状
デミウルゴスと共にカルネ村に転移し、アインズは周囲の光景に驚いた。
死屍累々たる死体のほとんどが人間のものだった。
辺境の村であり、モンスターに襲われることを回避するための高い防塁が焼け焦げている。
物見台も倒され、射かけたのだろう矢のほとんどが木造の民家に突き立っている。
アインズは空間からお面を取り出し、顔にかぶせた。通称『嫉妬マスク』だ。さすがにそろそろ素顔でもいいのではないかという気がしたが、カルネ村ではずっとお面をつけていたので、もはや習慣となっている。
「あ、あなたは……」
村人だろう。アインズは、どこかで見たような記憶がある若い女が、半壊した民家の影から呟くのが聞こえた。
「どこかで会ったか?」
「い、いいえ。ただ、この村には、救世主様の像がありますので……あの……アインズ・ウール・ゴウン様でしょうか?」
「救世主様か……」
「まさに、その通りかと」
背後で嬉しそうな声を出すデミウルゴスは置いておき、アインズは目の前の女に話しかける。
「お前の名は?」
「ブリタと申します」
聞いたかもしれない。まあ、忘れていてもいいだろう。それほど親しいわけではないのは、さっきからの態度で明らかだ。
「村長に会いたい」
「はい。すぐに呼んできます」
「どこにいる?」
「今は、家だと思います」
「わかった。少し、村の様子を見てから行く。先に知らせておいてくれ」
「はいっ」
ブリタと名乗った女が走っていく。
「アインズ様、気になることでもございましたか?」
デミウルゴスは、アインズの態度が不思議だったのだろう。アインズの興味を引いたものが何かがわからなかったのだ。デミウルゴスは優秀だが、他の守護者同様、自らが強すぎるがために、見落としがちなものがある。
「ああ。この村は、私が最初に人間と出会った村だ。ゴブリンやオーガと共存し始めていたから、人間の兵士に簡単に滅ぼされはしないだろうが、あの数は多すぎる。ゴブリン将軍の角笛を授けたが、それだけであれだけの人間を殺せるものかと思ってな」
「確かに……どれだけのゴブリンがいれば……ということですか」
「そうだ。ルブスレギナの報告では、ゴブリンの数は十数匹だということだったからな。人間の死体は数千もある」
アインズは村の外に向かって歩き出す。
半壊した門を出た時、小さな姿が目の前に飛び出した。
小さく、緑色をしたゴブリンだが、普通のゴブリンではない。
立派な服に、頭にはきらびやかな頭巾をかぶり、手にふわふわした扇を持っている。
「どなたのご来訪かと思いましたが……おそらくは、噂に聞く魔導王陛下でしょうか」
羽扇を持ったゴブリンは、静かに腰を折った。
「ああ。アインズ・ウール・ゴウンだ。お前は?」
「エンリ将軍閣下の配下、ゴブリン軍師でございます」
「……ゴブリン軍師か……軍はどこだ?」
アインズは、軍師というぐらいだから、軍を率いているのだろう。と解釈して言ってみた。ゴブリン軍師とはなんだと大声で問いたかったが、背後にデミウルゴスがいるために聞くこともできなかった。
守護者の前で、自分の無知は出したくなかったのだ。
「はい。エンリ将軍閣下の命で、村の安全を確認するため、近くの森をしらみつぶしにしております」
「アインズ様、先ほどから出ているエンリ将軍閣下というのは、かつてアインズ様が助けられた人間でしょうか」
「……おそらくな。私も、将軍になったとは聞いていないが、この村の村長になっていたはずだ」
背後からこっそり聞いたデミウルゴスに気を使って、アインズも振り向かずに答えたので、知者である悪魔がどんな表情をしているのかはわからない。アインズはゴブリン軍師と話を続けた。
「お前たちは、角笛で呼ばれたのだな?」
「はい。その通りでございます」
「この村を襲った人間の兵士を殺したのも、お前たちか?」
「その前に、激しい戦闘がありました。呼ばれてすぐに駆けつけは致しましたが、村人にも、先任隊の同胞にも被害を出してしまったようです」
「それは仕方のないことだが……では、召喚したエンリ将軍に、これからも仕えるのだな?」
重要なことだ。角笛で召喚されたゴブリンは強い、らしい。ユグドラシル時代では省みもされなかった弱兵だが、監視役の戦闘メイド、プレアデスの一人ルプスレギナの報告では、集団戦を巧みにこなし、トロールゾンビすら倒して見せたという。
ふつう、トロールに遭遇したゴブリンは逃げ惑い、蹂躙されるものだ。
それが、この村にとどまり、エンリ・エモットに仕えるというのなら、まさに一大勢力になり得るのだ。
「はい。エンリ将軍閣下にお仕えするのが、我らが存在意義ですので、そのつもりです」
どこかで聞いたような言葉だ、とアインズ思い、いま背後にいる悪魔から聞いたのだと思いだす。
「ならば、この地はお前たち……いや、エンリ将軍に任せてもよさそうだな。ああ……呼びに行かせたつもりは無かったのだが、あちらから来てくれたようだ」
ブリタという女に伝言を頼んだが、待ちきれずに迎えに出てきてくれたようだった。村の中から、以前と変わらない汚れた服を着た村娘が走って出てきた。
「この地を……お任せいただける?」
ゴブリン軍師は、言葉をかみしめるかのようにゆっくりと発言した。仕えるエンリ将軍が走ってきているのに、そちらに視線を軽く向けるだけだ。それだけ、重要なことだと理解しているのだ。
軍師を名乗るのは、伊達ではないのだろうとアインズは思った。
「大事な話だ。将軍殿と一緒に話そうではないか」
「はっ」
ゴブリン軍師が腰を折ったとき、当のエンリ村長がアインズの前で停止した。
「ア、 アインズ様……わたし、わたし……また、やっちゃいました」
泣きだした。アインズは驚く。村を守ったのだ。ゴブリンの軍勢を召喚したのだ。何を泣くことがあるのか。
「ど、どうした?」
「アインズ様から頂いた……角笛、使っちゃいました」
「よいのだ。そのために渡したのだから」
「で、でも、あんな高価なもの……弁償できません……」
「一度渡した物を、買いとれとは言わないさ。そんなに高価なものか?」
この世界でのマジックアイテムの価値を、アインズはいまだに掴みかねている。ゴブリンを召喚するというと、どうでもいい品でしかないように思えるが、軍勢を召喚したというのなら、それなりの価値があるのだろうか。
「エ・ランテルで鑑定してもらったら……金貨数千枚だって……」
確かに、それは多い。ちょっともったいなかったかと、アインズは思う。デミウルゴスの作戦、通称『ゲヘナ』が成功した今、ナザリックに金銭面での不安はないが、少し前まではこの世界の金貨が足りなくて頭を抱えていたのだ。
ゴブリン将軍の角笛は山ほどある。だが、売りさばいて、ゴブリン軍勢があちこちに発生されても……困りはしない。
「アインズ様、賠償させるべきかと」
デミウルゴスが囁く。まあ、お前はそう言うだろうと思いながら、アインズはエンリとゴブリン軍師に視線を向ける。
ゴブリン軍師の顔色はわからなかったが、エンリは青い顔をしていた。突如、アインズの脳裡にひらめいた。何も、賠償をエンリにさせなくてもいい。そもそも、そのためにこの村に来たのだ。
「そうだな。村の損害、村に軍を送りつけた行為そのものに対して、そこにゴブリン将軍の角笛の代金を上乗せして、王国に請求することにしよう。そのうち、ゴブリン将軍の角笛の代金分を私に渡してくれれば、残りは村のために使うといい」
エンリはぱっと明るい表情になった。高価なマジックアイテムを消費してしまったことを気に病んでいたのだろうか。だが、ゴブリン軍師は顔を曇らせた。
「素直に応じるでしょうか」
「応じさせるさ」
アインズがデミウルゴスを見る。デミウルゴスは、任せてくれと言わんばかりに深く礼をした。
カルネ村を訪れたアインズとデミウルゴスは、村長のエンリと召喚されたゴブリン軍師に案内されて、戦場の痕を見て回った。
激しい戦闘と同時に、いかに村人が鍛えてきたか、先任隊と現在では呼ばれている19人のゴブリントループがどれほど勇敢に戦ったか、十分に理解できた。
先任隊の19人のうち、生き残ったのはゴブリン隊長ジュゲム以下12人であり、7人が死亡した。
村のほぼ中央に掘られた穴に、村人と一緒に並べられている。その他、トブの大森林から助けを求めて転居してきたゴブリンやオーガの死体もあった。
掘られた穴、並んだ死体の傍に、ゴブリントループの隊長ジュゲムが立っていた。エンリの姿を見つけ、頭を下げる。
「姐さん、葬儀はいつでもできますが……そちらは……アインズ・ウール・ゴウン様では?」
激しい戦いを潜り抜けたと聞いていたが、既に完治しているのは、魔法を使って治療したのだろう。アインズは片手を上げた。
「ああ……済まないな。我が国の戦いに、巻き込まれた結果になって」
アインズは死者たちの前に立ち、頭を下げた。慌てたのはエンリである。
「ち、違います。ア、アインズ様が来てくださらなければ、騎士たちが来た時に、村は皆殺しになっていました。アインズ様には感謝しかありません。どうか、頭を下げるようなことはしないでください」
「……そうか。しかし、ゴブリン殿、呼び出されたゴブリンは強い。埋葬しなくても、復活の魔法に耐えられるかもしれないが」
「それは、お断りさせていただきます。ありがたい話ですが。俺たちは、エンリの姐さんを守るために存在しています。そのために戦って、死んだんです。本望でしょう。それに……復活の魔法は、生命力を削るって聞きます。姐さんに世話になって、生き返って……それで弱くなっていたら……逆に、どうしてそのまま死なせてくれなかったんだって、怒るでしょうよ」
「わかった。私がここにいては、村人も気を使うだろう。村長殿の家に行っている方がいいと思うが」
「はい。ご案内します。ゴブリン軍師さん、お葬式の準備をお願いします」
「心得ました、エンリ将軍閣下」
エンリは、『将軍閣下』と呼ばれて少し恥ずかしそうだった。
アインズは、『気持ちは解る』と言いたかったのを、ぐっとこらえた。
「アインズ様、被害の査定でしたら、おおよそ終わっております」
「さすがだ、デミウルゴス。だが、しばし待て」
「はっ」
声をかけてきた悪魔にアインズが命じると、当の悪魔であるデミウルゴスは恭しく礼をする。
「この村に、まだご用があるのか……さて、アインズ様のことだ、何かお考えなのだろうが……ううむ……」
独り言だろうが、アインズの耳まで聞こえてきた。本気で悩んでいるらしいデミウルゴスだが、たまにはこういうことも有りだろうと思い、アインズは放っておくことにした。
デミウルゴスを従え、アインズは村長の家に向かった。
村長の家で出迎えてくれたのは、エンリの妹ネム・エモットと、ンフィーレア・バレアレだった。
アインズを見て無邪気に喜んでいるネムの頭を撫でながら、アインズはンフィーレアに尋ねた。ンフィーレアはエンリの恋人に収まっているが、本来は命を助けられたアインズの所有物となった身である。魔法薬の研究をさせており、ナザリック強化計画の一端を担う存在だ。
「研究は、あまり捗っていないようだな」
「すいません」
「恐れることはない。仕方のないことだ。私がこの村に住むように言ったのだし、この村は、色々とあったようだからな。村長が戻るまでに時間があるだろう。葬儀に出たいかもしれないが、何が起こったか、客観的に話してくれ」
「……はい」
アインズは、当事者であるエンリやゴブリンたちと同時に、近くで見ていたンフィーレアやネムからも情報を得るべきだと感じた。
複数から聴取することで、事実が真実に近づくというものだ。
その話の中で、アインズは何度もおどろくべきことを聞かされた。特に、ゴブリン軍が総勢5000もの大所帯で、エンリを守る側近の者たちは13レッドキャップスだというのだ。
レッドキャップはアインズも知るレベル43のモンスターで、おそらくこの世界のアダマンタイト級冒険者よりも強い。その他のゴブリンたちも、話を聞く限りレベルは20前後だろうと想像できた。人間の冒険者であれば、ミスリル級に匹敵するだろう者たちが、5000人だという。
「……なるほど」
話を聞き終わり、アインズは自分の考えに没頭した。といっても、何かを考えていたというわけではない。やることがなくなって、暇になったのだ。
隣を見ると、デミウルゴスは本気で考えているようだった。なら、任せておけばいいだろう。
ンフィーレアが緊張して硬くなり、アインズはネムを手招いて遊んでいると、エンリが戻ってきた。ゴブリン軍師と、先任隊のゴブリン隊長ジュゲムをつれている。
「ネム、失礼よ」
エンリ村長が慌ててネムに手を伸ばした。ネム・エモットは、アインズの膝の上にいた。
「いいや、構わないとも」
言いながら、アインズはネムを床に下ろす。アインズの股には肉が無いため、骸骨とばれると思い、太ももにクッションを敷いてあった。
「……なるほど、解りました……ようやく……しかし、まさかあの時に、ここまで読まれていたのか」
ぶつぶつとデミウルゴスが呟いている。
エンリとジュゲム、ゴブリン軍師がアインズの正面に座る。ネムも姉の真似をして正面に移動した。
「よほど恐ろしい目にあったのだろう。私のことを見て安心できるのであれば、嬉しい限りだ」
怖がられてばかりいるという自覚があるため、ついそんなことも言ってしまう。エンリが恐縮しながらも前に座るのを見て、アインズはデミウルゴスに視線を向けた。
デミウルゴスがしばらく考え込んでいたことが、ついに解き明かされたらしい。この優秀な男がどんな結論に至ったのか、聞いてみたくなった。
「では、子細はお前に任せてもいいかな? デミウルゴスよ」
「はっ。アインズ様のお考え、一端でも理解できたと思います。最善を尽くしたいと思います」
一々さっと立ち上がり、深々と礼をする。誰がどう見て立派な、と見える紳士なだけに、礼をされるアインズはきっと大会社の重役の様に見えるだろう。
実際には、国王なのであるが。
アインズはエンリに向き直った。デミウルゴスが再び座ったのを確認して言った。
「デミウルゴスから具体的な話があると思うが……まず……この村に何が起きたのか、ンフィーレア君に聞いた。大変だったようだね」
「……はい。ちょっと大変でした」
変な言い方だ。言葉としては可笑しいのだろうが、エンリの実感とアインズへの遠慮が言葉をおかしくさせているのだと思うと、却って印象度が上昇した。
「この村を襲撃したことに対する責任と、復興のために必要な費用は、私から王国に要求する。これは、先ほど言った通りだ。その中から、角笛の代金は徴収させてもらう。これで、私たちの間には貸し借り無しとしようじゃないか」
アインズは笑顔を作ろうとしたが、顔には肉がなく、そもそもお面で隠れている。
エンリ村長は座ったままぺこりと頭を下げた。
「はい。ありがとうございます」
「できれば、友人としてこれからも頼む」
「はいっ! ありがとうございます」
アインズの本心だった。エンリのことも、その妹のことも、アインズは出会った当初からは考えられないほど気に入っていた。
死んだとしても惜しくはないが、死んでほしくはなかった。それに、守護者たちのようにひたすらに平伏されるより、より親しく付き合える人間関係を作っていきたかった。それは無理な願いだと思わなくもないが、挑戦してみてもいいのではないかと考えた。
エンリの隣で聞いていたゴブリン軍師が羽扇を置いて、まじめな顔をして尋ねた。
「先ほど、魔導王様はこの地を我々に任せるとおっしゃったようですが……」
まじめな話、アインズは、一国の王であるという責任を少しでも減らしたかった。カルネ村は、支配地にしたエ・ランテルよりナザリックに近い。つまり、カルネ村は魔導国の一部なので、その統治をエンリやゴブリンに丸投げしたいというのが本音なのだ。
だが、それをして問題はないだろうか。アインズは、先ほどから何やら深く理解しているらしいデミウルゴスに視線を向けた。
「デミウルゴス、出番だ」
「はっ。お心に叶いますよう、努力します。では、ゴブリン軍師殿、不肖このデミウルゴスが話させていただきます」
「よろしくお願いします」
ゴブリン軍師は、ゴブリンとは思えない理知的な顔をデミウルゴスに向けた。体つきはゴブリンだ。より体が大きく、知恵が回るホブゴブリンではない。そこに奇妙な違和感を覚えつつも、(実際に目の前にいるんだから、仕方ないよなぁ)などと思いながら耳を傾ける。
「まず、この地を任せるということだが……この地というのは、カルネ村のことではない」
「……と申しますと?」
(よく尋ねた。頑張れゴブリン軍師)
優秀すぎるデミウルゴスの考えることは、アインズにも理解できないことが多いため、必死に食い下がるゴブリン軍師を内心で応援する。
「このカルネ村を北限として、南一帯を領地として支配したまえ」
「よろしいのですか?」
「この辺りは、アインズ様が治める魔導国の領地だ。その一部を、エンリ将軍に譲渡する」
デミウルゴスは言ってから、アインズをちらりと見た。間違っていないかどうかの確認だろう。
確かに、5000人のゴブリン軍団をカルネ村だけで維持できるはずがない。もっと広い土地が必要だ。
アインズは頷き返す。
「領地として与える。つまり、魔導国の貴族に叙せられるということでしょうか?」
間違いなくそうだろうとアインズが思ったことを、ゴブリン軍師は尋ねる。隣でエンリが青い顔をしている。アインズは、(「わかるよ」)と言いたかったが、我慢する。デミウルゴスは、首を振った。
(違うの?)
「この地より南を、エンリ女王を頂くゴブリン王国としたまえ。君たちは周辺各国よりも精強な軍勢を従えている。さらに、繁殖力の強いゴブリンや、ゴブリンを友とするオーガも受け入れている。エンリ将軍を慕って大陸中からゴブリンやオーガが集まってくるだろうからね」
「……魔導国から、独立せよと?」
「もちろん」
「属国ではなく?」
「アインズ様はおっしゃられた。友達付き合いとしよう。同盟国でもない。そうだね、友好国といったところだ」
「カルネ村から南、すべてでしょうか?」
ゴブリン将軍の問いに答える前に、デミウルゴスは再びアインズを見た。アインズは、デミウルゴスの狙いがわからなかった。せっかく魔導国を建国したというのに、さっそく領土を割譲してしまって、いいのだろうか。
(南……南? スイレン法国か……)
「東の境界線は必要だろう。だが、もともと明確な境界があるわけではないのだ。増えていくゴブリンの数に従って、徐々に南下すればいい。どこまでを領土とするのかは、その都度相談しよう」
ゴブリン軍師はアインズを直視した。アインズはいたたまれなくなった。エンリに視線を向ける。エンリは歯をがちがちと鳴らしていた。
アインズの視線に気づいたのか、エンリが身を乗り出す。
「あ、あの、アインズ様……わたし、そんな……王だなんて。わたしはただの村娘なんですよ」
「以前はそうだった。だが、今は違うさ。不安があるのはわかる。少し、話そう。デミウルゴス、ここは任せる」
「はっ」
アインズは立ち上がった。エンリにも立つよう促し、外に出る扉に向かう。
「さあ、エンリ王よ……失礼、エンリ女王と言うべきか」
「や、やめて……はぁ。わかりました」
受け入れた。アインズの手が導くまま、アインズが自ら開けた扉に身を入れる。
後のことをデミウルゴスに任せ、アインズは部屋を後にした。
割とまじめなお話になりつつあります。
どうやって法国が滅びるか、察した方もいるかもしれません。
滅んでいく過程をお楽しみください。
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3 ゴブリン王国の誕生
アインズとエンリが部屋を出た直後に、デミウルゴスは大きく息を吐いた。自らが仕える主人と長く触れあいたい、認めてもらいたいと思っても、どうしても近くにいれば緊張してしまう。
少しだけ崩した座り方に変えると、デミウルゴスはゴブリン軍師、隣に座るジュゲム、ンフィーレアに向き直る。ちなみにネムは、エンリと一緒についていった。
「アインズ様の狙い、説明したほうがいいかね?」
ジュゲムがうなずく一方、ゴブリン軍師は首を振る。
「ゴブリンたちを、スイレン法国の盾にするつもりでしょうね」
「もちろん。いつからお考えになっていたのかと思えば、背筋か寒くなるほどだ。アインズ様は、君たちを召喚するマジックアイテムを、はじめから二つ渡していた。スレイン法国は、人間種以外は認めない。森妖精(エルフ)すら奴隷としてしか認めない国だ。亜人種が隣接に建国したとなれば、確実に攻めてくるだろう」
「……解っていながら、法国と隣接する場所に、国を作れと言われるのか?」
「断れると思うかね?」
ゴブリン軍師はデミウルゴスをじっと見つめた。隣のジュゲムと視線を合わせる。確認だろう。しばらくして、長く、深い吐息をした。
「……あなた一人で、レッドキャップスをはじめとしたわが軍を全滅できるでしょうね。しかし、それだけの力がありながら、なぜ盾が必要なのです? 邪魔な存在ならば、自ら滅ぼせばいいのでは?」
「それをすれば、君たちは存在しなかった。それは、誰にとって利益になるのかね?」
ゴブリン軍師は驚いて目を見開いた。
「では、このジュゲムを召喚する前から、ゴブリン部隊で法国を滅ぼそうと考えていたということなのですか?」
「そういうことになるね。我が君の鬼謀は、常人の及ぶところではない。ただ滅ぼすだけではない。人間種最強の国が、ゴブリンに滅ぼされるということが必要なのだよ。それによって、人間という思いあがった者たちは、自分の価値を思い知らされるのだ。加えて、君たちゴブリンは忠義を尽くせる。何か問題かね?」
「……では、伺います。建国にあたっての支援は得られるのですか?」
「アインズ様は、王国に賠償金を支払わせるとおっしゃった。その金が最後だろう。君たちは、十分に力を持っているのだ。これ以上要求するのは、不興を買うことになるだろうね」
当然、それはスレイン法国との戦争に置いても同じことだ。ゴブリン軍師は、再びジュゲムに視線を向ける。エンリ将軍ともっとも長く戦った兵士に意見を聞きたいのかもしれない。
「……エンリ将軍閣下のお心次第です」
「それは心配いらない。今頃、アインズ様が直接説得しておられるだろうからね」
自らの主人の力を信じて疑わないデミウルゴスは、ただアインズの智謀に恐れをなしていた。とても敵わないまでも、少しでも役に立たなければと、ゴブリン軍師と建国に当たっての細かい条件を突きあわせた。
※
アインズは村長の家から外に出た。背後に、エンリとネムの姉妹が続く。
村の中は、多くの死者を出したという重い空気もありながら、決して暗くはなかった。自警団も多く生き残った。子供以外の村人のほとんどが戦いに臨んだという。以前のカルネ村からは、考えられない変化だった。
「そう言えば、食料は無事だったんだな」
「はい。でも……わたしが王だなんて、嘘ですよね」
エンリは周囲の視線を確認しながら、声を落としてアインズに問いかけた。エンリが王になるのだと聞かれれば、すぐにその話は広まるだろう。そうなれば、引き戻せなくなるのは間違いない。
正直言って、アインズも驚いていた。しかし、何よりデミウルゴスの考えだし、よく考えれば、悪くないアイデアだと思えた。
「村人の数がまた減ったが、全滅を免れただけでも、よしとするしかないのかな」
「……はい。あの……わたしが王だなんて、嘘ですよね」
「ゴブリンたちの食料としては、攻めてきた5000人の王国軍の死体を当てるといいと思うが……ゴブリンたちは問題ないが、村人には不快だろうか?」
「いえ……ゴブリンたちともほぼ打ち解けていましたし、命の恩人です。それに、わたしたちを殺そうとした人間たちです。ちょっと怖がるかもしれませんが、問題はないと思います。ところで、わたしが王だなんて……嘘ですよね」
村の中をゆっくりと歩くと、アインズを見かけた村人が深々とお辞儀をしてくる。アインズのことを救世主だと信じているのだ。結果的には、アインズが渡したマジックアイテムで、今回も生き延びたのだから。
「当面はいいだろう。だが、今後はどうする? ゴブリンたちを食わせるためには、ただ森に頼るだけでは無理だろう。数が多すぎる。移動しながら餌を求めるか、計画的に家畜を繁殖させるしかない。ああ……もし巨妖精(トロール)を捕獲できて、ゴブリンたちがトロールの肉を食うのに抵抗がなければ、無限に食い続けられるな。しかし、集まってくるのはゴブリンやオーガばかりではない。人間も、この村のことを聞いて逃げ込んでくるかもしれない」
「でも……わたしには……」
「私だってそうだったさ。ある日、突然支配者としてまつり上げられた。どう見ても私より優秀な連中が、命を投げ出すことも厭わずに私にひれ伏した。私はどうしたと思う?」
「……支配者として、君臨しているのですよね?」
魔導国の王を勤めあげている。まだ、王になったばかりだが、そう見えるだろう。
「毎日、胃の痛くなるような思いをしているよ。私の部下たちには、決して言えないがね。黙っていてくれると嬉しい。私たちだけの、秘密だ」
「うん」
元気よく、ネムが応える。よくは理解していないだろう。エンリは、自分のお腹を抑えた。同じように悩み、胃を痛めているのだろう。
「……できるでしょうか?」
「やるしかないだろう? 責任は重いさ。だが、他の者が変わることができないんだ」
「……助けてくださいますか?」
「助けはしない。だが、愚痴ぐらいならいつでも聞く。その代わり、私の愚痴にも付き合ってねらうがね」
エンリは、青白い顔をしながら、少しだけ笑った。アインズが手を差し伸べると、エンリが握る。驚いた顔をした。アインズの手は、幻術の魔法で再現しているだけだ。
「……あの、手、どうしたんですか?」
「もう、素顔を見せてもいいだろう」
アインズはお面を外す。エンリはアインズの顔を直視した。肉や皮が一切ない、むき出しの骸骨だ。
「怖いか?」
「……いいえ。救世主様です」
「私はこの通り、人間ではない。食べることも眠ることもできない。悩みを抱えたまま、忘れるのに非常に時間がかかる。それに比べれば、眠ることによって休息を得られる分、エンリ女王がうらやましいというものだ」
アインズは再びお面をつける。村人には、まだアインズの正体を知って、忌避反応を示すものがいるかもしれない。それは、これからのエンリの統治に支障をきたすかもしれない。
「あの……国王って、何をするんですか?」
「私にもわからないさ。ゴブリン軍師に聞くといい。おそらく、何もしなくてもいいんだろう。部下のやることに許可を出して、責任だけとってやればいいのさ。その点では、私もエンリ女王も恵まれている。間違った許可を出しても、我々を攻めるような部下はいないだろう?」
守護者たちもシモベたちも、アインズを責めることなどあり得ないと断言できる。先ほどから見ている限り、エンリに呼び出されたゴブリンたちも同じに見えた。
「……そう、ですね」
エンリが、先ほどよりさらに緩んだ笑みを浮かべる。ゴブリンたちのことを思い出しているのかもしれない。
「それから……たまに無理な注文をだしてやると喜ぶようだ。やりがいがあるっていうのかな」
「……そうかもしれません」
エンリが苦笑した。経験があるのだろう。
「貸し出していたゴーレムも、返してもらうとしよう。もう、君たちだけでやっていけるだろう。もし必要というのなら、今後は有料でのレンタルとする」
「はい」
「お互いに、貸し借り無しだ。食料や必要な物資についても同様だ。困ったら相談するといい。相談は無料だが、食料は有料だ」
「はい」
「ゴブリン王国の覇王エンリか。これからが楽しみだな」
「楽しみじゃないですよ。なんですか、覇王って」
「ゴブリンたちの絶対支配者だ、ふさわしい名が必要だろう。私の、魔導王と同じくね」
アインズが覗くと、エンリは頬を膨らませていた。
手を伸ばし、骨だけの手で頭を撫でる。
エンリが破顔し、アインズの手に自分の顔を押し付けた。まるで、そうすれば安心とでも言うかのように。
「お姉ちゃんだけ、ずるーい」
ぴょんぴょん飛び跳ねるネムを抱き上げ、アインズは知者たちが待つだろう、村長の家に足を向けた。
※
同日、リ・エスティ―ゼ王国内にあったカルネ村に、ゴブリン王国が誕生した。
ゴブリン王、覇王エンリを頂点に、5000の精強なゴブリン兵を有する王国は、周辺の過当競争に敗れたゴブリンや亜人種を吸収し急速に拡大していく。
首都はカルネ村の南方、約20キロの位置に定められた新都市エモットである。
東西を山脈に挟まれた、攻めにくく守りにくい要衝の地に建設される。
建国の布告は、魔導国、法国、王国、帝国の4か国に大々的に出された。
ただし、決まっているのは首都の名前と位置だけで、いまだ建築には至らない。
カルネ村に首都を建築しなかったのは、宰相の地位についた小さな亜人が、将来の戦を見越したのだと言われるが、詳細は伝わっていなかった。
※
カルネ村での戦闘から二週間が経過し、城塞都市エ・ランテルの行政官たちが揃って逃げだしたことが判明した。
政治体制を構築するために駆り出されたデミウルゴスが必要な処置を終え、再び実験場がある聖王国に戻ろうとした時、守護者統括から呼び出しを受けた。
アインズはエ・ランテルに居場所を移したいという意向があるらしく、守護者たちの全員でそれをとどめようとしていたところだったが、アインズの決定に逆らうことはできなかった。
そのための相談かと思ったが、少しばかり違ったようだ。
守護者統括に呼び出されて向かうのは、アインズの執務室である。
予想通り、アルベドがいた。
「アインズ様の住まいのことですか? アルベド、その件については、アインズ様の意向どおりということで決着がついたはずですが」
「ええ。もちろんよ、デミウルゴス。来てもらったのは別件だわ。魔導国あてに文書が届いてね。少し、説明してもらいたいの。アインズ様の許可はもらって、開封してあるわ」
アルベドが羊皮紙を持ち上げた。デミウルゴスは前に出ながら手を伸ばす。
「どのような内容です?」
「アインズ・ウール・ゴウン魔導国の領内の一部に、新しい国ができたみたいね。その布告よ」
「その件なら、説明してあるはずですよ。法国に対する、剣です」
デミウルゴスは布告を受け取った。目を走らせる。大した内容ではない。隣に国を作ったから、仲良くしてね。という程度だ。布告とは、通常は、おおむねそのような内容だ。
「私は、盾だと思っていたわ」
「そう説明しましたか? しかし、かの法国のことを考えれば考えるほど、この一手は剣と言ったほうがいいのだと思いましたよ」
「……私が説明してほしかったのは……アインズ様がいつからこのことを考えていたかだけど、まず内容を聞かせてくれない? どうして、ゴブリン国が剣となり得るの?」
「法国の在り方を考えれば、簡単です。かの国は、人間種を絶対だと信じて、亜人をすべて殺そうとしています。エルフですら奴隷としてしか認めていないのはご存知でしょう。そのような国の隣接に、亜人の――この場合はゴブリンですが――国ができれば、間違いなく攻め入るはずです。しかし、あの国のゴブリン軍団は強い。当然、ナザリックの敵ではありませんが、まず人間の軍隊では歯が立たない程度には強い。アインズ様が警戒している、かつてアインズ様と同格だった存在や、それに連なる者を頼らなければ、攻めても敗北するだけのはずです」
「それを知っても、攻めなければならないの?」
「そうでしょうね。それがあの国の意義です。ゴブリンの国を滅ぼさずにいれば、国としての大義を失います。国として、存在する意義を失うのは避けるでしょう。ゴブリン王国の存在を国民に知られれば、まず世論を抑えきれません。法国の国民には、ゴブリン王国の体勢が整い次第、その存在が大々的に広がるよう、手配してありますしね」
「……なるほど」
法国を滅ぼす算段は付いているということだ。アインズが警戒しているプレイヤーがいたとしても、表に引きずり出せば、情報さえ得られれば、アインズが対処できないとは思えなかった。そのために、適度に強いゴブリンたちは絶好の餌だと言える。
「先ほどの質問ですが……アインズ様がいつから計画していたのかという……アルベドは、エンリ・エモットという少女を覚えていますか?」
「いいえ」
「アルベドも会っているはずですよ。アインズ様が助けた、最初の人間です」
「……ああ。あの、角笛をあげた……」
そこまで言って、アルベドは顔色を変えた。アインズが初めてナザリックの外部と接触を持った事件だ。その時、ゴブリン将軍の角笛を渡したのだ。
「でも……まさか……あの時から、計画していたの?」
「あの角笛を受け取った少女が、ゴブリン王国国王、覇王エンリです。しかも、ゴブリン将軍の角笛という、あまり価値のなかったアイテムの真の力を引き出し、5000の精強なゴブリンたちを呼びだしました。それが、アインズ様のお考えでなかったはずがないでしょう」
「そうね……その通りだわ」
アルベドは言葉を失う。
「私たちは、まだまだアインズ様の足元にも及ばないわね」
「私も、そう思います」
守護者たちの中でも優秀に作られた二人が、絶対なる知者の前にまるで子供のように遊ばれている。それが、二人の感覚だった。
絶対者への憧れと同時に、新たに忠誠を誓い、デミウルゴスは己の任務を果たすために聖王国へ向かった。
次回から、エンリの活躍が始まります。(予定)
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4 新都建設
この段階では、エンリはまだンフィーレアと〇〇していないと仮定しました。
その方が、夢があるかなぁと…。
カルネ村の村長、エンリ・エモット16歳は、自分の部屋で目覚めた。
王国兵5000の進行を受け、ほぼ同数のゴブリン軍団を召喚して2週間が経過していた。
最近では名前を聞かない日はない魔導王アインズ・ウール・ゴウンから、建国して王となるよう勧められて以来、あまり眠れなかった。
どう考えても、自分には荷が重すぎる。だが、その度にアインズと話した内容が脳裏をよぎる。あの魔導王ですら、部下からの期待に胃を痛めているというのだ。それでも、他の者にやらせるわけにはいかないから、必死になって頑張っている。
では、自分はどうなのか。そう考えたとき、魔導王と驚くほど状況が似ているのではないかと思ってしまう。
「やるしかないか」
何度も、自分に言い聞かせたことだった。
「そうだよ。頑張れエンリ」
隣のベッドで寝ていたンフィーレア・ハレバレの言葉に驚いた。どうやら、寝言のようだ。二人が恋人として意識し始めてから数か月が経過しているが、互いの気持ちを確かめ会った後も、ただ同居するのにとどまっている。こうして同じ部屋で寝るようになったのは二週間前からだが、同じ部屋で寝起きするようになってから、ますます二人は互いを意識してしまい、距離はむしろ離れたような気さえする。正式に結婚するまでは、このままの関係が続くのだろう。
あの日から、何もかもが変わってしまったような気がする。事実として、変わったのだ。
ンフィーレアと寝起きをともにするようになってから、他の人と結ばれることはもうないだろうと思っていた。そのことは後悔していない。昔から、たぶんこうなるだろうなと思っていたのだ。
色々な村から流れてきた人の話では、貴族に無理やり連れていかれた娘や、犯されて捨てられた話、もっと悪ければ商館に売り飛ばされた話なども聞く。それから考えれば、エンリは幸せなのだろう。ンフィーレア本人にとっても、徹夜で研究することがなくなった。
研究は進まなくなったかもしれないが、ンフィーレアの体にとってはいいはずだ。
ンフィーレアの研究は、魔導王のために、魔導王の指示で行っていることだ。現在の状況を知ったら、魔導王は怒るだろうか。むしろ、エンリは魔導王が祝福してくれる様子しか思い浮かばなかった。徹夜での研究をしなくなっただけで、ンフィーレアもさぼっているわけではない。
「リィジーのおばあちゃんもいるし、大丈夫だよね」
「……もちろんさ」
本当は起きているのではないだろうかと思う、絶妙の寝言を発するという特技を見つけたのはつい最近である。そのことを指摘しても、ンフィーレアは覚えていないらしい。
「先に起きているね」
「……うん」
エンリは寝言で返したンフィーレアの頬を撫でた。これも、ンフィーレアが起きていたら、恥ずかしくてできない行為だ。
魔導王アインズ・ウール・ゴウンがカルネ村を訪れてから、すぐにゴブリン軍師はゴブリン軍団の主力を引き連れて南方へ旅立った。
ゴブリン軍師が言うのには、カルネ村が領地の北限と定められた以上、この村を首都とするのはふさわしくない。また、村の立地が攻められやすく守りにくいことを上げ、より守りやすい場所を王都とすべきだと提案された。
王都とか、守るといわれても、エンリとしては『そうですか』としか返事のしようがなく、ほぼゴブリン軍師に丸投げしてしまった。
ゴブリン軍師は、カルネ村の人間たちから周囲の地形を聴きとり、どうやら王都を作るのにふさわしいとおもわれる土地をいくつか候補として挙げたらしい。
準備ができるとさっそく、ほぼ5000のゴブリン軍団を移動させたのだ。食料は、当面は死んだ王国の兵士の死体をあてるらしい。人間の死体を食べることに、ゴブリン自身は全く抵抗がないらしく、別に生きていても問題ないらしい。さすがに生きた人間を食べる相手と、人間との共存は難しいことを、ゴブリン自身も理解している。
村の物資を何も持ち出さず、人間の死体を担いで移動していく大群の様子は、微妙に不気味だった。もちろん、口に出す人間はいない。
エンリの親衛隊である13レッドキャップスが規格外に強いことも、最近知ったばかりだ。トブの大森林に入って、一人のレッドキャップがトロールを捕獲してきた時、誰もが驚いたものだ。そのレッドキャップは一体のトロールから、いくらでも食料が取れると自慢げに語っていた。
トロールの再生能力は驚くべきもので、炎や酸で修復不可能な傷を負わせない限り、ミンチ状態からも再生する。殺す方が難しいが、必要なだけ肉をとれるということだ。ただし、その肉はあまりにも不味く、人間の食用には適さない。だが、ゴブリンたちは不満がないらしい。
その13人いるレッドキャップから、約半数の7人がゴブリン軍師に従い、連絡役となった。どんなモンスターが徘徊しているか解らない土地に行くので、少数で組む連絡役は、強いほどよいのだというゴブリン軍師の判断である。
すでに、カルネ村から南南西約20キロの辺りに、王都の建築に耐えうる土地を見つけたと報告があった。すぐにエンリは判断した。
いわく、『任せます』である。
その報告をレッドキャップに託し、第二陣として出発したのは、カルネ村から近くの、トブの大森林を追われ、カルネ村に保護されていたゴブリンやオーガである。
ホブゴブリンではないかと思われるゴブリンの子供アーグを筆頭に、既に100人近くにまで膨らんだ集団が出発している。
最後に村に残ったのは、人間たちだ。
このカルネ村は、人間たちの開拓村として作られた村だ。
痩せた土地を耕し、少しずつ生活できるようにしてきた村には、思い入れもあるだろう。そう思っていたが、エンリが移動することを知ると、すべての村人が同行すると言いだした。
このままではカルネ村そのものがなくなってしまう。
それを寂しく思う人間も当然いる。だが、自分たちを守ってくれる者がいない状況で、この村で生活するのはほぼ無理なのだ。
ゴブリンたちは移動してしまった。村に残っている戦力は、元冒険者で現在ではレンジャーであるブリタが率いる自警団しかない。戦闘力は、ゴブリン軍団から比べれば紙の人形のごとき頼りなさだ。
結局、カルネ村には誰も残らない。
それは、仕方のないことだった。
国王となったエンリ・エモットも、第三陣での出発となった。王都とするべき場所は決まっていたが、まだただの丘陵であるらしく、そもそも住むことができない。
せめて、王都の予定地で野宿をすることなどがないように、と第一陣は主力が向かっている。王都予定地周辺のモンスターや敵対的な亜人を狩りつくし、人間でも生活できる最低限の環境を整えるためである。
もちろん、カルネ村の近くにはトブの大森林があり、いつモンスターが森から出てくるかわからず、決して安全ではない。カルネ村から王都の予定地への旅も、危険はあるだろう。
村には、人間の他には、最初にエンリが召喚したゴブリンたちが付き従っていた。リーダーのジュゲムを筆頭に全員で12名にまで減っており、二回目の召喚により呼び出されたゴブリン軍団よりも相対的に弱くはあるが、エンリが心を許せる相手でもある。
それに加え、ゴブリン軍団の中でも精鋭中の精鋭、13レッドキャップスと呼ばれる、人間であれば逸脱者級のゴブリンたちが影ながらエンリに害が及ばないように張り付いていた。
「さあ、行きましょうか」
もはや、国王になんてなりたくない。私はただの村娘だ。と言っているのが甘えでしかなく、ゴブリン軍団をまとめて弱い人間たちを守れるのが自分しかいないことは、エンリも半ば諦めながら認めていた。
「はい。準備はできています。みんな、待っていますぜ。姐さん……いえ、陛下」
「陛下はやめて。せめて、昔からの知り合いしかいない時はね。姐さんも以前はいやだったけど……それなら許すから」
エンリの部屋で、戸口にはゴブリントループのリーダーであるジュゲムが控えていた。王国兵5000人を皆殺しにした戦いでは、白兵戦を得意としたゴブリンたちが犠牲になった。軍団をもう少し早く呼び出していればと、後悔することも多い。
エンリの供回りとして日常生活でも手伝ってくれていたのは、白兵戦を得意とするゴブリンたちだった。その他には、ゴブリンアーチャーやゴブリンクレリックなどもいるが、後方に配置されたりオオカミに乗っていたりで、生き残った者たちは狩猟や治癒などに特別な力を持つ者が多く、必然的に別の仕事が割り当てられていた。そのため、一番長く接してきたゴブリンたちから、命を落とす結果となった。
「この服、変じゃない?」
ゴブリンに人間の服装について尋ねても、わかるだろうかとは思いながら、エンリはジュゲムに尋ねる。エンリが着ているのは、この日のためにエ・ランテルから取り寄せたものだ。
王になると決め、村人は認めてくれたが、寒村で建国しても、生活上は何も変わらない。
ゴブリンたちが王都建築に向かい、人々が移動を開始するタイミングが、エンリが王として人々の前に立つ最初の仕事だ。そのために、ンフィーレアが気を利かせてエ・ランテルで購入してきたのだ。
今では、ンフィーレアよりエンリの方が有名人になってしまっているからである。
カルネ村から一番近い都市であるエ・ランテルはアインズ・ウール・ゴウン魔導国の唯一の都市であり、エンリは魔導国と友好関係にあるゴブリン王国の国王である。
下手に買い物に行けば、国賓扱いをされかねない。
エンリはアインズのことを尊敬していたし、人物も好きだったが、ごく普通の兵士のようにデス・ナイトをこき使っているのは理解できなかった。
「よく似あっていますぜ。変っていえば……変ですが……しかし、変なのは、エンリの姐さんが妙に縦に長いからで、これはもう、仕方がないことですから」
ゴブリンの美醜に対する感性は、人間のものとは根本的に異なる。亜人すべてがそうらしいということも、ゴブリンたちから聞いていた。ゴブリンの感覚からは、人間は細長くて気持ち悪いらしい。
そのことを聞いのは最近だ。エンリがあまりの重責に(勝手に)押しつぶされそうになっているのを見て、ゴブリンたちはあえてエンリをこき下ろしたのだ。
エンリに対して絶対の忠誠を誓っているゴブリンたちとしては、あり得ないことだった。驚くエンリに対して、エンリがたとえ何者であっても、エンリに対する忠誠は変わらないと語った。
エンリとしては複雑な思いで、決して重責が軽くなりもしなかったが、それ以来、ゴブリンたちとの距離が近づいたような気がしている。
「似合っているなら、いいわ。ンフィーが選んだんだから、笑われたら、責任をとらせればいいしね」
「殴らないでやってください。兄貴じゃ、死んじまいます」
「……私、そんなに力ないわよ」
エンリの服は、野外活動に適した物ではない。神官が着ているようなローブを派手にしたような服で、かなりの値が張っただろうと思われる。この服がいいという感覚はエンリにはわからなかったが、ンフィーレアに任せた以上、着るつもりだった。ただし、下には動きやすいように、いつもの服を着こんでいる。
現在の季節は冬なので、いくら着こんでも暑いということはない。
「そう思っているのは、姐さんだけです。素でやっても、いまの姐さんには勝てる気がしませんぜ」
「……嬉しくないよ」
「本当ですって。下でみんな待っています。そろそろ、行きましょうかい」
「うん」
エンリが村長となってから使用しているちょっと周囲より立派な家も、これでお別れだ。少しだけ惜しんでから、エンリは部屋を後にした。
出発の日である。
エンリの前には、生き残った村人、周辺の村から焼け出された村人、さらには生活に困窮し、ゴブリン王国では人間も食べさせてもらえるという噂を聞いて頼ってきた人々が集まっていた。
中でも、スレイン法国の騎士たちに襲撃される以前からカルネ村の一員だった人々は、早くから戦う方法を学び、現在ではレンジャー部隊として自衛組織を作っている。
リーダーは元冒険者のブリタという女性である。エンリは、ブリタの突き出した胸には正直嫉妬したが、ブリタは胸の大きさを鼻にかけない気持ちのいい女性だった。戦いを学び、どうして兵士ではなくレンジャーかといえば、普段の戦闘の相手はたいていが森に潜む獣であることに由来する。
ちなみに、人間たちの一人としてゴブリン軍団の兵士とはまともに戦えないので、恐れ多くて戦士を名乗れないという事情もある。
人間の他にも、エンリの供回りと思われているゴブリントループ、親衛隊であるレッドキャップスが居並んでいた。
「さあ、エンリ」
この中で唯一、覇王エンリを呼び捨てにできる男が手で示したのは、粗末であるが演題と思われる、ちょっとだけ高くなった台座だった。
「……ちょっと、ンフィー……何? これ?」
「これから出発じゃ。ちょっとした、締めじゃよ」
ンフィーレアの隣で、祖母であり第三位階までの魔法を使いこなすリィジー・ハレバレが立っていた。
「ほらっ」
ンフィーレアに背を押され、妹のネムが手を差し伸べる。その手には、豪華ではないが丁寧に作りこまれたことがわかる錫杖がある。ワンドほどの大きさで、片手で持てる。
「お姉ちゃん、頑張って」
「……ネムまで」
エンリはネムから錫杖を受け取った。魔法的な力はこもっていないだろう。アイテムを魔化する、というのは特殊な技術だ。ポーションの作成者として人生を捧げてきたリィジーといえども、習得してはいないだろう。リィジーにできないことが、ンフィーレアにできるとは思えない。
腹をくくり、エンリは錫杖を手に台座に上がった。少しだけ高くなり、居並んだ全員の顔が見える。
人間が90名弱、ゴブリンが17名、一国としては、あまりにも少ない。だが、先行部隊は5000を軽く超える。
これからどうなるのだろう。そういう不安が、人々の顔にないことが、エンリを暗くさせる。エンリについていけば、なんとかなると思っているのだ。エンリに将来を託されても困る。
でも、やるしかない。
エンリは、口を開いた。
「今日、私たちはカルネ村を出ます。戻ってこられるかどうか、戻る必要があるかどうか、わかりません。カルネ村に思い入れがある人もいると思います。私もそうです。でも、悲しい思い出も沢山ありました。これから行く場所が、安全かどうかもわかりません。でも……これ以上、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に迷惑はかけられません。私たちができることは、私たちでしないといけません。カルネ村に残るより、私たちが生きられる場所が他にあるのなら、そちらに向かうべきだと思います。私に……着いてきてください。ゴブリンさんたちと一緒に……頑張りますから」
考えてきた言葉などない。ただ、思うことが口を突いて出た。それでも、満足した。言うべきことは言ったと思った。最後に、深々と頭を下げた。
人々の意思を変えるための演説ではない。ただの挨拶だ。
それでも、人々の反応は怖かった。こんな小娘についていけるかと、怒号が飛んでも不思議ではないのだ。
小さな拍手が起こった。ネムだった。ンフィーレアが続き、突如大きくなったのは、ゴブリンたちが、手が痛くなるほどの拍手を始めたからだ。人間たちが続き、エンリは自分の胸を撫でながら台座を降りた。
「お疲れ様です。ここからの指揮は任せて」
ンフィーレアから手ぬぐいを渡され、嫌な汗をぬぐいだすと、ブリタが声をかけてきた。冒険者だったときから、ブリタは鉄級だったという。経験を重ねた今は銀級ぐらいはあるかもしれないが、それでも強いモンスターには歯が立たない。しかし、それ以外の人たちは、もっと弱いのだ。
ブリタも村人から受け入れられているし、ゴブリン軍師からも人間部隊の責任者にと推されていた。
「よろしくお願いします」
「お願いじゃなくて、命令でいいよ。陛下」
「辞めてください」
ブリタは笑いながら人々に向かい、出発の号令を叫んでいた。本当に、どうして自分なのだと声をからして叫びたくなる。
「でも、慣れないとね。アインズ様にも、言われたんでしょ」
「うう……できるかなぁ……」
自信がない。だが、逃げ出せない。もしエンリが逃げたら、ゴブリンたちは人間を全員放り出してエンリの元にはせ参じることがわかっているのだ。
ンフィーレアの手が優しく肩を叩く。その手をとり、これから夫になるだろう男の顔を見つめた。
「これで……しばらく、二人きりにはなれないね」
「……うん」
エンリは、ンフィーレアが将来の夫となることに疑いを持っていなかった。だが、ンフィーレアが好きだったのは村娘のエンリ・エモットだ。覇王エンリなどと呼ばれて、心変わりはしないだろうか。ひょっとして、ネムに行ってしまうのではないだろうか。
少し心配だったが、信じるしかない。いや、裏切られないようにするのだ。
人々が移動を始めるが、ゴブリンたちは二人の様子を見守っていた。
視線に気づき、エンリは今考えることではないと思い直す。
「出発……でも、歩けるから大丈夫」
ゴブリンたちは、エンリを乗せるための輿を用意していたのだ。担ぎ手は、もちろん屈強なゴブリンたちである。
ゴブリンたちの準備は、ある程度必要なものだった。
王としてふるまうために用意した豪華に見えるローブを着たまま、荒野を歩くのは負担が大きい。体力的な消耗も大きいし、服が汚れる。それを考えると、輿に乗れと言うのは正しいことだ。
エンリは、特別扱いが嫌だったため、王らしいと恋人が用意したローブを脱いだ。下には普段の服を着ている。
エンリが乗らないとわかったときの、ゴブリンたちの残念そうな顔が印象的だ。こんな思いをしているのは世界に一人なのではないかと想像しながら、なぜかアインズの顔を思い浮かべた。
同じ頃、アインズが銀色の体をした階層守護者に座って、居心地の悪い思いをしているかもしれないなどとは、決して思わなかった。
集団はブリタを筆頭としたレンジャーたちが率い、エンリは100人余りの集団の中央にいた。その場所が一番安全だからであり、ゴブリンたちが決して譲らなかったのだ。
大集団という訳ではないが、子供たちの歩みに合わせなければならないため、進みは遅い。
およそ20キロの道のりだが、整備された街道ではない。荒れ果てた大地であり、起伏も激しい。
拓けた場所なら、どこを王都にしても同じなのではないかという気持ちにもなってくるが、あまりにも見通しが良すぎる場所は危ないらしい。
20キロ先にどんな光景が待ち構えているのかと楽しみでもあるが、歩き疲れてくるとそんな気持ちにも意識がまわらなくなる。
体力には自信があるエンリは疲れを感じていなかったが、周りの人々の顔色から、疲労を感じ取っていた。
何度目かの休憩をとったとき、先任隊のゴブリンライダー、オオカミに乗ったゴブリンがかけてきた。ゴブリンライダーの役割のほとんどは偵察であり、この移動についても、周囲のモンスターの警戒任務にあたっていた。
そのゴブリンライダーの名はキュウメイである。エンリはぐったりと座りこむ周囲の人々に声をかけながら、真剣な表情で控えているキュウメイの報告を受ける。
「どうしたの? 慌てて」
「はい。この一団が出発してからすぐ、トブの大森林が動きました。まるで、陛下を追っているようです」
「……動いたの? 森が?」
エンリが、木々が自ら根っこを引き抜いて歩いている姿を想像していると、キュウメイが訂正した。
「森の中に住んでいる連中が動きだしたんです。森は動いていません」
「……ああ。そうよね。でも……『森の中に住んでいる連中』って?」
「あまり接近すると敵対行動にとられるかもしれないので、遠くから確認しただけですが……巨妖精(トロール)やオーガが何人かいたようです。かなりの数です」
エンリたちを追ってきたのだろうか。トロールやオーガは、人間を食料とみなしている。オーガのうちの何人かはエンリの軍門に下り、というかゴブリン相手に降伏し、人間と共同生活するまでに馴染んでいる。
かといって、亜人が人間を食うということに変わりはない。ゴブリンだって食べるのだ。この冬は、それで助かっている部分も大きい。
「村には、食べ物は残してこなかったはずだけど」
「連中は、村にはとどまっていないようです。このまま休憩していれば、追いつかれるかもしれません。あるいは……夜まで待つかもしれませんが」
エンリは迷った。背後にジュゲムが立つ。
「姐さん、先に行って下さい。俺たちで対処します」
ゴブリンたちのリーダーは、力強く言った。だが、エンリは首を振る。ジュゲムに頼りたいのは山々だが、頼ってばかりでは駄目だと思う。
エンリは、王になると決めた。
王になったからといって、何かしなくてはいけないということはない。アインズ・ウール・ゴウンも言っていた。何もしなくてもいいと。
だが、すべての責任は王にあるのだ。それが、王なのだ。
「わたしが話してみます」
「話ができる相手じゃないかもよ」
いつの間にか、ンフィーレアも傍に来ていた。エンリはンフィーレアを見つめる。
「ンフィー、ブリタさんたちと一緒に、先に行って。私はゴブリンさんたちと、追ってくる人と話してみるよ」
「危険です」
「俺もそう思います。姐さんは、大事な体です。こんなところで、危険な目には会わせられません」
「大丈夫よ」
そろって不安そうな顔をするジュゲムとキュウメイに笑いかける。
「だって、レッドキャップさんたちもいるんだよ。もし、本当に危ないんだったら、王都なんか造れるはずがないじゃない」
エンリは正しいことを言ったつもりだった。だが、ゴブリンたちの表情は晴れない。ゴブリンたちにとって、大切なのはエンリだけなのだということは、まだ変わらないようだった。
「……解りました。危険だと思ったら、俺たちを捨てて逃げてください」
「うん」
薄情なようだが、これがゴブリンたちの譲歩できる最低限だと知っているエンリは、小さく頷いた。
エンリって大変だなぁ…と他人事のように思います。まあ、そう書いているんですが。
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5 落ち武者たち
休憩を早めに切り上げさせ、出発する人々の中、エンリは逆方向に動いた。
妹のネムを恋人のンフィーレアに任せ、全体の指揮はブリタに託す。
自らはゴブリンたちと戻り、荒野の中に盛り上がった丘を見つけた。
随行していた6人のレッドキャップを隠し、自らはジュゲムを共に丘に登る。
エンリの前にはカイジャリ、クウネル、パイポ、ゴコウのゴブリン兵士が仁王立ちし、背後にはゴブリンクレリックのコナー、ゴブリンメイジのダイノ、ゴブリンアーチャーのシューリガン、グーリンダイが控え、機動力に優れたゴブリンライダーのキュウメイとチョウスケが走り回る。
丘の上で腕を組み、前方を睨みつけるエンリの視界に、土ぼこりを巻き上げる一団が見えてくる。カルネ村があるはずの方向だ。同時に、トブの大森林がある方向でもある。
一団の正体がはっきりするまで、少しの時間があった。その間、エンリは微動だにもしなかった。
ここは、弱みを見せてはいけないところだと自覚していた。
もうもうと土煙を上げていた行進が止まる。
先頭にいたのは、3人のトロールだった。森での生活が長いのか、緑色の肌と、長い鼻をしている。全身は巨体だが、体表はぶよぶよとしている。怪力なのは間違いない。人間よりも大きな棍棒を軽々と担いでいる。
トロールたちの間に、悪霊犬が10匹以上、唸り声を上げていた。真っ黒い巨大な犬で、産れつき体に鎖を巻きつけている。成長した悪霊犬は、その鎖を攻撃にも防御にも使う。
さらにオーガが30人、野生のゴブリンが500人、ホブゴブリンと思われる背の高いゴブリンが20人もいるだろうか。
エンリの周りで陣取ったゴブリンたちでは相手にならない。おそらく、トロールがいなくても、悪霊犬がいなくても、勝つことはできない。
「……お前は?」
トロールの一人が、だみ声で尋ねた。聞きづらいが、意味は解る。
「エンリよ。あなたは?」
「……貴様が、『血塗れ』か……」
「はぁ?」
「細いな。その体で、オーガの首を片腕でへし折り、生き血を浴びるとか」
「……誰のこと?」
エンリが尋ねたのは、隣りにいたジュゲムである。ジュゲムは困った顔をして、前に並ぶゴブリン兵士に声をかけた。
「パイポ、てめえが変なこと言うから、噂が広がっているぞ」
「す、すまねぇ」
「……どういうこと?」
「いえね。森に狩に行くとき、野生のゴブリンに、どうして俺たちがそんなに強いのかって聞かれたんで、エンリの姐さんの薫陶だって言ったんです。その時、パイポの奴が調子に乗って尾ひれをつけたんでさぁ」
パイポはゴブリン兵士の一人である。エンリを守るように前に立っていたが、振り向いて頭を掻いた。
「それで、てめえらはエンリの姐さんを倒して、名前を上げようって魂胆か?」
ジュゲムの声に、ゴブリンたちが一斉に身構える。
「ち、ぢがう。名前を上げるつもりはない。だげど、噂が本当かどうか、試したい」
ゴブリンたちの目が、一斉にパイポに向かう。エンリが親しくしてきたゴブリン兵士が小さくなるのを気の毒に思い、エンリが口を開く。
「試してどうするの?」
エンリの言葉に、びくりとゴブリンたちが震えた。どうして震えられるのか、エンリにはわからなかった。まるで、恐れているかのようだ。実に心外だ。
「おでらは、トブを追われた。西の魔蛇が支配地を広げている。グの配下で、魔蛇の配下になるのを断った者たちは、すべて殺されるか、追われた。『血塗れ』が噂通り強いのなら、あんたに仕えたい」
エンリはトロールを見上げた。弱いはずがない。かつて、バリケードを破って侵入したトロール一体に、ンフィーレアと共に逃げ回ったことを思い出す。あの時は、アインズのメイド、ルプレスギナが助けてくれた。もう、頼ることはできない。
エンリはゴブリンたちの後頭部に視線を落とす。逞しく、引くことを知らない。エンリが死んでくれと言えば、ゴブリンたちは迷わず死ぬだろう。そのことは疑っていない。だからこそ、死なせたくはない。
「みんなを死なせたくない」
「ああ。いいぞ。なら、一騎打ちだ」
「……いいわ」
ゴブリンたちが一斉にエンリに目を向けた。
隠れて伏せていた、レッドキャップたちも姿を見せる。
「……聞いていたでしょ。ジュゲム……」
エンリは『どうしよう?』と尋ねようとした。ジュゲムなら、あるいは勝てるだろうか。勝算がないのなら、レッドキャップなら勝てるだろうか。それとも、謝って逃げようか。そんな相談をしたかった。
だが、ゴブリンたちの反応は、エンリの予想とは違った。
全員が、一斉に頭を下げたのだ。まるで平伏するかのように、エンリに対して這いつくばった。
「姐さん、ご無事で」
「……えっ?」
「姐さんなら、間違いなく勝てます」
「……ちょっと待ってよ」
「油断は禁物ですが、相手の動きをよく見れば、一発です」
「……私が勝てるわけ……」
エンリの視線がレッドキャップに向かう。レッドキャップなら、けた違いに強いゴブリンのスーパーエリートなら、正しい答えを知っている。エンリが、勝てるはずがない。
「ご武運を」
エンリが見た、赤い帽子を被った一人が、礼儀正しく腰を折った。
体が震えた。震える体をしかりつけながら、ゴブリンたちがひれ伏した先を見る。
トロールたち、悪霊犬、オーガ、野生ゴブリンがはやし立てる中、エンリに一騎打ちを挑んだトロールがウォーミングアップとばかりに棍棒を振り回している。
「……嘘でしょ」
覇王エンリは、森巨妖精グリーントロールと一騎打ちを行うこととなった。
トロールの巨大な足が、大きな一歩を踏み込む。体躯からは短い足だが、エンリから見れば長い足だ。踏み込みも大きい。
踏み込みに合わせて、真横から棍棒が迫る。
避けられない。逃げきれない。
エンリは死を意識した。
無意識に、体を守るべく、棍棒が迫る左側の腕を引き上げた。
どしりと、重い音、衝撃がエンリの体を揺さぶる。
吹き飛ばされる。そう思いながら、右足に力が入る。
「おおっ!」
「さすがは姐さん」
うるさい、黙れ。と言えればどれほどいいか。だが、その余裕はない。エンリはトロールの巨大な棍棒の一撃をたまたまとはいえ受けきっていた。
一撃を受け、踏みとどまったのだ。
目の前のトロールの体勢が崩れている。
エンリは前傾姿勢をとった。離れれば不利だと感じたのだ。エンリは、武器すら持っていなかった。
(武器ぐらい、誰か渡してよ)
すでに手遅れである。エンリが踏み出し、目の前にトロールのたるんだ腹が突き出ていた。ぶつかる前に踏みとどまり、勢いのすべてを体の回転に変え、拳を打ち出す。
握った拳を振り抜いた時、かつてカルネ村を襲った、帝国の鎧を着た騎士の顔を殴りつけたのを思い出した。
あの時は、拳を痛めた。相手は怯んだが、ダメージは与えられなかった。かえって怒らせた。お面を被ったマジックキャスターが通りかからなければ、死んでいた。
「どぼぉおおおぉぉぉぉぉ!」
意味の解らない苦鳴を発し、トロールが体を折る。
地面に顔から落ちた。
驚いてエンリが飛びすさる。
ゴブリンたちが喝さいする。
トロールが顔を上げる。
「まだだ!」
「当然だ!」
叫び返したのはパイポだった。エンリが睨むと、パイポは青い顔をして下を向いた。
もっとも、ゴブリンの顔は緑色なので、本当に青くなったわけではない。
エンリは戦いたくなかったので、トロールの反応を待つために下がった。だが、言葉通り戦意は失わず、雄叫びを上げながら棍棒を振り下ろす。
頭上から振り下ろされる棍棒の長さに、エンリは下がっても避けられないことを視認した。まともに受ければ、無事では済まないことも理解した。
頭の中にいくつもの選択肢が浮かび出る。
迷う時間はない。エンリが選択したのは、接近することだった。
大きく踏み出し、拳を突きだす。棍棒を振り下ろす寸前のトロールが前のめりになり、自らの体を、エンリの突き出された拳に差し出す。
棍棒を振り下ろす途中で、トロールの体が宙を舞い、背中から地面に落ちた。
ゴブリントループの面々が喝さいを上げる。
「姐さん、武器を!」
「負けを認めさせねぇと、終わりません」
背後から飛んでくるゴブリンたちの声は、トロールの生態を理解したものだろう。
エンリは起き上ろうとするトロールのもとに駆け付け、手にしていた棍棒を蹴り飛ばす。
蹴り上げた足をトロールの顔面に叩きつけると、ぐしゃりとした音と、ものが潰れる奇妙な感触が足に残った。
「……参った」
トロールの一言に、エンリが従えているゴブリンたちが狂気する。
背後を振り返り、エンリは拳を突きあげた。
腕組みをして睥睨するエンリの前に、複数のトロールと悪霊犬の群れ、オーガの一団と野生ゴブリンの集団がひれ伏していた。
「血塗れの覇王エンリ陛下、これからおでたちは陛下の配下となります」
忠誠を誓われ、エンリは目を白黒させた。腕組みをして胸を反らすという態度は、ンフィーレアと相談して、困ったら王らしく振る舞うために、ということで開発したのだ。
台詞までは考えていない。ここには、黙っていても提言をくれるゴブリン軍師も、意味が解らなくても意見だけは出してくれるンフィーレアもいない。
エンリの目が泳ぎ、エンリと並んで腕組みをしているゴブリン先任隊の隊長、ジュゲムと目が合った。
「どうしました?」
気を利かして、ジュゲムが小声で尋ねる。
「……何て言えばいいの?」
我ながら情けない。これで王が勤まるのだろうか、とは思いながらも、エンリは正直に困っていることを告げる。
「配下にしてもいいと思います。エンリ姐さんが許さねぇっていうのなら、殺しますが」
「いいえ……顔を上げなさい」
ジュゲムに首を振り、トロールたちに声をかける。平伏していた者たちが、一斉にエンリに視線を向けた。
亜人種の群れである。単なるモンスターまで含んでいる。エンリは気おされないように、必死にこらえた。
「わたしの国の人は一切食べないこと。人間は死体を食べるのも禁じます。それ以外の死体を食べるのは、あなたたちが、それが当たり前なのだと思う範囲であればいいわ。それを守れるのなら、わたしに従って。わたしの国に協力するのなら、生きる場所は作ります」
「従います」
エンリと戦ったトロールが宣言し、少し遅れて亜人たちが唱和した。
「では、出発しましょう」
背中を見せる。背後で大群が立ち上がったのを感じる。少しびくっとしたが、エンリは怯えた様子を見せないように、ゆっくりと歩きだした。
「……あれでよかった?」
「さすがは姐さん、恰好よかったですぜ」
ジュゲムの言葉に、周囲のゴブリンたちが同意する。姿を見せていたレッドキャップが言った。
「奴らに、難しい規則は理解できません。陛下のお言葉で、まずは十分かと」
「……助けてくれると思ったのに」
エンリがいつの間にか立ち上げてしまったゴブリン王国でも最強の13人の一人、レッドキャップにエンリはジト目を向ける。
「我々は、演説に手を貸すなどできません」
「トロールのことよ。本当に勝てるなんて思っていなかったわ。レッドキャップさんだって、そうでしょ?」
「いえ。陛下なら勝てると思っていましたよ。勝てないと思っていたなら、一騎打ちなんかさせません」
レッドキャップはにやりと笑った。もともと怖い顔をしているので、むしろすごまれているのではないかと思う。
「……どうして、そんな風に思えるの?」
「陛下は、ご自分を過小評価しすぎです。陛下のことを弱いと思っているのは、ご自身だけですよ」
「そうかなぁ」
エンリは自分の手を見つめる。
最近、重い物を持った記憶がない。正確には、物を持って重いと感じた記憶が無い。
畑仕事をすることも少なくなったのに、体力が落ちるどころか、疲れるということもなくなってきた。
自分の体に、一体何が起きているのだろう。
さすがにレッドキャップには勝てるとは思えないが、トロールと対峙した時に、怖さを感じなかったのも事実だ。以前は、トロール一匹に、死ぬほど追いつめられたことを考えると、つい最近の変化だとしか思えない。
「まあ、いいか。でも……勝手に人を増やして、ゴブリン軍師さんに怒られないかなぁ」
エンリは周囲を見回した。
ジュゲムたちゴブリン先任隊は周囲を守っているが、レッドキャップたちは新参者の亜人たちに隊列を指揮していた。圧倒的強者であることを感じ取っているのか、トロールをはじめとした亜人が大人しく従っている。
再び移動を開始した時には、覇王エンリを守るように、亜人の大群が展開されていたのだ。
ンフィーレアとネムは、ブリタ率いる人間たちと一緒に少し行った先で待っていた。
待っていたというより、亜人に比べて体力に劣る人間が休憩をしていたところを追いついたといったほうが正しい。
ちなみに、エンリの体力は亜人を凌駕していた気もするが、エンリは気が付かない振りをした。
亜人だけで600人に迫る人数で、トロールやオーガを見たブリタは真っ青な顔で戦闘準備をしていた。せめて、子供たちを逃がすよう、大声で指示を出し、ンフィーレアは手持ちのマジックアイテムを地面に並べていつでも使えるようにしていた。
ネムだけは、一団を見て喜んだ。先頭にエンリがいることに、気が付いていたのである。
亜人の行進が止まり、エンリが抜けだした途端にブリタの腰が崩れ、ンフィーレアが抱きついてきた。
人前であることを考慮し、両手で防いだところで、吹き飛ばされたように後方に飛んで行くンフィーレアを見て、冗談が上手くなったとエンリは感じた。
駆け寄ってきた妹のネムを抱き上げる。
久しぶりにネムを腕に抱いたが、軽くなったような気がする。
「ネム、ちゃんと食べてる?」
「うん。どうして?」
「……痩せた?」
「全然、痩せてないよ」
自分の筋力が常人を凌駕し始めていることを、エンリは決して認めなかった。
「さあ、出発しよう。ンフィー、いつまでも演技していないで……ブリタさん、ンフィーを起こして」
エンリに突き飛ばされたンフィーレアは、思いの外深刻な状況だった。
100人超だった一団が、いつの間にか600人超になっていた。
大軍団である。ただし、9割が亜人である。
人間たちは亜人に守られるように移動した。亜人たちに慣れているとはいえ、トロールを含む亜人の軍勢に人間たちは真っ青な顔をしていたが、覇王エンリを絶対と仰ぐ姿勢に、目的地に着くまでに打ち解けつつあった。
前方に、砦が見えてきた。
砦かどうかはわからない。ただ、丸太を並べた頑健な壁ができていたのだ。
丸太の壁の向こうに、さらに高い位置に物見櫓が見える。その上にいた影が、エンリの率いる一団を見て動きだした。
しばらくして、丸太の一部が動いた。普段はただの丸太の壁だとしか解らないが、門として開閉することが可能として作られていた。
開けられた門の内側には、エンリが想像していた通りの顔があった。
ゴブリン軍団、12人の後方支援部隊の長、ゴブリン軍師が軍勢を引き連れて、エンリ一向を出迎えた。
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6 新しい秩序
これぐらい強さは当然、ぐらいに思っていたのですが。
ゴブリン軍師がゴブリン王国の首都の位置を決め、王都の建設に取り掛かって二週間である。
いまだ形にはなっていない。
エンリの目には、東西を高い山脈に挟まれた、狭隘な盆地に見えた。
北は開けた大地で、南側も荒廃した大地である。左右の山脈は高く太い木々が密集して生え、木材の供給源となっていただろうことがわかる。
まず外敵に対する備えを施し、木材を集めて最低限必要な簡易施設を作り、王都の設計図を作成して作業方針を決めた。
エンリ一行が到着したのはそんな段階だった。
いずれ王宮が建築される予定の場所も、現在あるのはあばら家だ。カルネ村にいた方がよほどしっかりとした家で寝起きできるが、不平をいう者は誰もいない。
カルネ村に残ることは、村の救世主であるアインズ・ウール・ゴウンに背を向けることになる。建国を指示したのは、カルネ村の救世主なのだ。それに、亜人の集団を維持するためには、カルネ村では狭すぎた。
ゴブリン軍団の噂を聞きつけ、亜人の数は増え続けていた。
エンリが途中で仲間にした500人強の集団はまだ規模が小さい方で、軍団として召喚された以外のゴブリンだけで、1万を越えていた。この数を維持するためには、本来は餌を求めて移動し続けていなければならず、カルネ村周囲のトブの大森林では、食料をほぼ取り切ってしまっていた。
移動した先で食物を調達するにしても、半年ももたないだろう。その間に体制を整え、食糧問題だけでも解決する必要がある。
「食料は何とかなるでしょう」
王宮の建築予定地のあばら家で、エンリはゴブリン軍師の講義を受けていた。国の運営、集団の維持、諸国の動静など、学ぶべきことが多すぎる。
「どうして? 半年の間に、なんとかなるの?」
「エンリ陛下が途中で仲間にした亜人たちに、生きた国民は食べるな、人間の死体は食べるな、と言われたのは正に至言です。我々亜人は、同族の死体を食べるのに禁忌を感じません。それに、攻めてきた人間の死体なら食料にしてもよろしいでしょうし」
「……攻めてくるの?」
ゴブリン軍師は羽扇を優雅に動かしている。二人は低いテーブルを挟んで向かい合っていた。国の最高指導者と最高指揮官が向かい合っている時、邪魔をする者はいない。ンフィーレアやジュゲムですら、二人を見ると遠慮するぐらいだ。唯一の例外はネムだが、ネムはエンリの周りで遊んでいるので邪魔にはならない。
「攻めてくるように、仕向けるはずです。魔導国の御方は、そのために我らに国を作らせたのです。もし、攻めてこなくてもそれほど心配することはありません。運よく陛下がトロールを仲間にしました。トロールの肉は人間には不味いでしょうが、亜人にはそうでもありません。トロールは全身をひき肉にしても再生する種族です。陛下が命じれば、まず逆らうことはありません」
「……それは、最後の手段ね」
するな、とは言えなかった。食べるものが無くなり、飢えてやせ細るゴブリンたちを想像してしまった。
「もちろんです。次に、法を定めるべきでしょう。雑多な種族が入り混じる国になりました。難しいルールを定めることは避けた方がいいでしょう。魔導国の法を模倣することも考えられますが、魔導国はアンデッドが治安を守りますから、同じようにはいきません。陛下のお考え次第ですが、どのような国にするべきでしょうか?」
「それを言えば、法律は……考えなくていいの?」
「文案はわたしが考えます」
頼もしい言葉だ。しかし、エンリに国造りの根本を考えろというのは責任が重い。
どうしたものかと悩んだが、真っ先に思いついたのは、死んだ父と母のことだった。カルネ村を襲った最初で最悪の悲劇の場面だ。あれがすべての始まりだった。
「……弱い人を守れるような、そんな国がいい」
「解りました。では、こうしましょう」
ゴブリン軍師は紙とペンをとり、さらさらとしたためた。
ゴブリン王国憲法
すべて国民は以下を与えるものとする。
一つ エンリ国王の敵に死を
一つ 弱き者に保護を
一つ 弱き者を害する者に罰を
ゴブリンとは思えない綺麗な字だった。エンリは字が読めなかった。
「……何て書いてあるの?」
「文字の勉強もした方がいいですね」
ゴブリン軍師は苦笑しながら、自らが書いた文書を読み上げる。
「……うん。解りやすい」
「では、告示いたします」
「よろしく」
ゴブリン軍師は、書きつけた紙を持って退出した。
(……本当にあれでいいのかな? よくわからないよ)
泣きそうな気分だったが、泣くわけにはいかない。たぶん、いいのだろう。難しいことを言っても、解らない亜人もいるのだろう。
ジュゲムたちを良く知るエンリは、亜人の知能が低いという印象こそが理解できなかった。だが、ゴブリン軍師がやることに、間違いはないのだろうと信じていた。
一人になったエンリの元に、ンフィーレアが顔を出した。
「ンフィー、どうしたの? 研究は?」
「しばらくは休みかな。リィジーおばあちゃんは頑張っているけど、臭いが外に漏れるからね」
「そっか。早く研究を再開できるようにしないと、アインズ様にご迷惑がかかるね」
「そうかもしれない。でも、これだけのことができているんだから、いいんじゃないかな」
「……これだけのことって?」
「この街、だよ。ゴブリン後方支援隊、って、本当に優秀だよ。大工も鍛冶屋もいるから、カルネ村の人たちに教えて、カルネ村の人がゴブリンたちを指導して、凄い速さで街が作られているんだ」
「……そうなんだ」
「エンリ……陛下は、見ていないの?」
「陛下はやめてよ」
「うん。でも、部屋に閉じこもっていないで、外に出てみるといいよ。エンリを見ると、みんな元気になる」
「……うん」
王都の建築現場に着いてから、エンリはあまり外に出なかった。ゴブリン軍師から色々と相談されることが多かったこともあるし、自分がトロールと殴り合いをして勝利したことがショックだったのもある。
目の前のンフィーレアも、ゴブリンクレリックのコナーがいなければ危なかったのだ。危なくなった原因は、エンリがうっかり突き飛ばしたためである。
「行こうよ」
ンフィーレアが手を取る。少しだけ腰が引けているのを、責めることはできない。
「わかった。行こう」
エンリは久しぶりに外に出た。
あばら家から出ると、想像していた以上の光景が広がっていた。
その光景は、ゴブリン後方支援隊の能力の高さ、ゴブリンたちの働きのすさまじさを物語っているかのようだった。大工は一名しかいないが、その一名が人間やホブゴブリンなどの器用な種族たちの指揮をしているのだ。
ほんの数週間で、しっかりとした木造の家が見渡す限り立ち並ぶようになった。
エンリがいた場所を王宮へと決めたのが、理由のあることだとわかる。その場所は、王都と定められた土地を一望できるようになっている。
自然な土地の隆起からいって、まるでエンリをたたえるかのような配置になっているのだ。
しかも、人間たちの居住場所にはしっかりと配慮され、脆弱な人間を守るようにゴブリン部隊の精鋭たちが住む区域が定められていた。
現在のゴブリン王国の内訳は、人間が100、ゴブリン軍団が5000強、野生ゴブリンが10000、トロールが10、オーガが50、ホブゴブリンが30までに膨れ上がっている。
エンリが小屋から顔を出すと、親衛隊であるレッドキャップが数人、ごく自然に周囲を取り巻いた。
レッドキャップは最精鋭であるがために、危険が予想される場所に派遣されるが、どこに行くかは必ずエンリに報告が入る。
現在では、13人全員がエンリの護衛に着いているはずだ。
この地を縄張りとしているモンスターも存在していたはずだが、エンリが到着する前にゴブリン軍団によって駆逐されたという。
「……わたしが、この国の王なんて……どうしよう」
「エンリなら、大丈夫だよ」
「無責任だよ、ンフィー」
「ご免。でも……誰も代れないんだ。アインズ様だって、そうおっしゃっていたんだろう?」
それは、エンリとネムと三人で会話した時に言われたことだ。後日ンフィーレアにも話して聞かせた。アインズのことは二人の共通の話題だったから、何も隠すことはないと思っていた。
「そうだけど……またみんなの前で演説とか、するのかなぁ」
「仕方ないよ。でも、そんなに頻繁に演説するわけじゃないんじゃないかな。エ・ランテルの都市長は、普段ブヒブヒ言っているだけだしね」
エ・ランテルの都市長パナソレイの噂は聞いたことがあった。現在では逃げだし、エ・ランテルそのものが魔導国の首都のような扱いになっているため、都市長という職そのものが存在していないはずだ。
「その話、本当なの? どっちかっていうと、いきなり国王より、都市長ぐらいの方がよかったのに……」
辺りを見回しながら、エンリはゆっくりと移動する。確かに、外に出て正解だった。
話に聞くより、人々も亜人たちも、活き活きしているのが実感としてわかる。
みんな、ゴブリン王国に希望を感じている。
自分で大丈夫なのだろうか。
その思いは常に抱いていたが、エンリを王としたのは、誰あろうアインズ・ウール・ゴウンだ。ならば、やらなければならない。やるしかないのだ。
「ンフィー……」
「どうしたの?」
相変わらず目が隠れるほど長い前髪の奥から、ンフィーレアがエンリを覗き見る。
「わたしが辛そうだったら、支えてね」
「もちろんだよ」
「見捨てて逃げたら、許さないから」
「うん」
力強く頷いたンフィーレアだったが、エンリが握りこぶしを握って見せたとたん、顔色を蒼白にした。
ンフィーレアは絶対に逃がさない。その思いだけは、エンリはしっかりと抱いていた。
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7 スレイン法国の最奥で
スレイン法国の最奥たる神聖不可侵の間に、最高神官長をはじめとする入室を許された、六宗派の責任者たる神官長たちが集っていた。
二週間前、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の建国にいたる大虐殺と支配地のエ・ランテルにおける統治の状況に、手を出すのがあまりにも危険すぎるとして問題を棚上げにしたばかりである。
その時に決められたことは、人類の切り札である漆黒聖典の番外席次、絶死絶命を動かすことを評議国に了承させること、引退した元漆黒聖典のメンバーを現役に復帰するよう打診することの二点である。前者はエルフ国との戦争を一刻も早く片付けるためであり、後者はビーストマンに食糧庫とされている竜王国の援護のためである。
いずれも、魔導国に対する直接の手ではない。魔導国に対するための、戦力温存のための手段にすぎない。
では、今日集まったのは何のためか。
定例の掃除と祈りを済ませ、本日の進行役である光の神官長イヴォン・ジャスナ・ドラクロワが一同を見渡した。
「では、会議をはじめよう」
誰も意義を唱えないことを確認し、イヴォンが続ける。
「まず、前回からの懸案であった魔導国に関する情報と、エルフ国との戦況、竜王国に対する援護の報告を行ってくれ。その後、解決していない懸案事項、新しい問題について協議する」
イヴォンは協議すべき内容を並べていく。どれ一つとして、おろそかにできない重要事項だが、もっとも警戒すべきはどうしても魔導国だ。魔導国だけが桁外れの戦力を有ししているのは間違いがなく、まともに武力衝突などすれば、どれほどの損害を受けるかわからない。
しかも、戦争となった場合に、被害を出すのは一方的に法国側だろうと推測される。何しろ、魔導国の兵力のほとんどがアンデッドなのだから。
「魔導国だが、意外なほどおとなしいな。エ・ランテルに常駐している兵力だけで王国も帝国も滅ぼせるだろうに、そんな意図がないように見える」
「そう判断するのは早計だろう。まだ、動かない。それだけかもしれない。何を待っているのかは知らないが」
「それについて……帝国に潜伏している風花聖典から報告があります」
現在六色聖典のすべてを統括している土の神官長レイモン・ザーグ・ローランサンの声を受けて、一同が固まった。風花聖典は法国の目であり、耳である。いままでは、風花聖典こそが法国を支えているとも考える者もいた。ただし、魔導国については危険が大きすぎて、積極的な侵入すら控えている。
「続けて」
イヴォンに促され、レイモンがうなずく。
「帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが、魔導国に属国の申し入れをしたそうです」
「なにっ!」
「人間を売ったのか?」
「なんと早まったことを……はやり、信用してはならなかったのか」
「そうとは限るまい」
最後に口を開いた水の神官長ジネディーヌ・デラン・グェルフィに視線が向かう。ジネディーヌはこの中でもっとも高齢で、本人も引退を望んでいるが、ジネディーヌの知識と知恵はこの国に欠かせないものとして、現役を辞められないでいる。
「ジネディーヌ老、それはどういう意味ですか?」
「私には、ジルクニフも我々と同じ結論に達したのだと思える。人間という種の存続のために、最善を尽くそうとした結果なのではないか? それほど、絶望的な戦力差だと実感したのだろう。我らのように、漆黒聖典や神々から託された力の存在を知っているわけではないのだ。持ち得る力で人間という種を存続させるためには、魔導国という巨大すぎる力の傘に入るしかないと考えたのであろう」
「……確かに、帝国の戦力で魔導国に抵抗しようというのは、単純に自殺行為ですか。いち早く態度を決めたのは、かの皇帝らしいともいえますな。やはり、神人の存在を公にするべきだったのでしょうかな」
「それはないでしょう。神人だとて、無敵でも不死でもないのです。真に必要な時まで秘匿しておくのは当然です」
火の神官長であるベレニス・ナグア・サンティニが首をふりながら言った。
「火の神殿は、帝国で最も力のある神です。ベレニアス、何かこのことについてご存知ですか?」
「そうだね……神殿の神官たちが皇帝に会う約束をしたところに、魔導国の王が現れたぐらいか」
「なっ! ちょ、直接魔導王と接触したのですか?」
「神官たちは接触していない。ただ居合わせただけで、口も利いていないらしいよ。だが、極秘のはずの皇帝との面会に合わせて、魔導王が現れたと聞いている。帝国が法国を売ったとは、神官たちも結論付けていないようだが……信用できる相手ではない、と考えているらしい」
「では……魔導王の人となりについては、ジルクニフは把握しているということもでもあるな。いずれにしても、既に帝国は魔導国の属国になろうとしているのだ。パラダインがいることが、見切りを早めたとも考えられる。王国の馬鹿どもより、人間が直面している危機に対して明確に理解しているだろう」
「皇帝を切り捨てるのは早計か。しばらくは、様子見だな」
「では、新たらしい情報が出るまで帝国については不問といたします」
司会役の光の神官長、イヴォンが一同を見回す。異論は上がらない。イヴォンは続けた。
「次に、エルフ国との戦争の状況ですが……レイモン、度々すまんね」
「いえ。お構いなく。聖典の指揮を一手に任されている以上、当然のことです」
土の神官長レイモンが続ける。
「エルフたちは森での戦いに長けており、エルフ国の陣地での一進一退の攻防が続いておりましたが、火滅聖典の働きでエルフ国の首都がある三ケ月湖に拠点を築いたところまでは、ご承知の通りです。その戦に漆黒聖典の番外席次を投入するか否か、ということが前回までの課題でしたが、やはり評議国からは色よい返事は得られませんでした」
「異形種どもめ」
「奴らは、何と言ってきた?」
番外席次、絶死絶命はアークランド評議国との協定で、真に人間種の危機と言える状況でなければ外に出すことができない。それは、評議国の中でもっとも強い白金の竜王が、絶死絶命を八欲王ゆかりの人間だと考えているからである。
八欲王は500年前に一時大陸を支配し、竜王たちと激しい戦闘を繰り広げたプレイヤーである。当時の最強種であった竜王たちを絶滅寸前までに追い込み、現在の強い肉体能力を持つ一種族にすぎない存在にまで貶めた。
結果として竜王たちは八欲王を殺し、現在までその血は伝わっていないはずだが、白金の竜王はなぜか絶死絶命に八欲王と同じものを感じ取っているらしい。それが濡れ衣であることを神官長たちは知っているが、当のドラゴンが自説を曲げようとしないので、説得のしようがないのだ。
「依然と同じです。エルフ国と法国の戦争に、人間種の存続は関わっていない。あの娘を投入するのなら、自ら乗り出して殺すと」
「あのドラゴンに動かれては、我が国に甚大な被害が出かねん。では、打つ手なしか」
「しかし、悪い話ばかりでもありません」
レイモンの言葉に、神官長たちの視線が集まる。最近、悪い話しか聞いていない面々は、少しばかり期待したようだ。
「王都から見える位置に砦を築いても、かのエルフ王は戦場に姿を現しません。外に出ることができない事情があるのでしょう」
「あれが動かないとしても、そんな全うな理由ですかな?」
「案外、エルフの女どもに精力を吸い取られているかもしれませんぞ……あっ、これは失礼」
「いえいえ、私も、そんなことで動揺する歳ではありません。しかし、エルフの寿命は長い。エルフ王の現状について、探ることはできないのですか?」
この場で唯一の女性であるベレニスにとっては、女性として気遣われるほうが気持悪い、とでも言いたそうな顔をしていた。問われたレイモンが口を開く。
「あの国は、エルフ族だけで構成されていますからね。潜入して情報収集というのは非常に困難です。魔法的な諜報活動は可能でしょうが、魔導国に関連して、諜報系の魔法に対してもかなりの数の対応策があることが判明しました。相手を覗き見て、爆発させられるのでは割にあいません。その点の考察ができなければ、安易に覗くこともできません」
「占星千里が、魔導国を覗き見たのではなかったか?」
「あれは戦場を覗いただけです。魔導王を覗こうとすれば、今頃占星千里も爆発していたのではないかと思っています」
「では、過去にエルフ王を魔法によって監視したことはなかったのか?」
「いえ……過去にはありましたが、相手にダメージを与える対抗策があるとわかった以上、その解明が先かと」
「レイモン殿、その慎重な判断は非常に大切だとは思うが、前線に立つ兵士の命にかかわることだ。エルフ王国は、エルフ王さえ押さえれば、戦線の維持は難しくない。あの王の動きを探ることに注力してくれ」
「可能な限り」
レイモンの返事を受け、司会役のイヴォンが次の議題に移る。
「竜王国への援護についてですが、退役した漆黒聖典へ声をかけるということでした。これは私から報告させていただきます。声をかけた元漆黒聖典のメンバーは十五人、この内の十三人までが竜王国への援軍に同意してくれました。もちろん、強制はしておりませんし、威圧的に出たわけでもありません。さすがに漆黒聖典にいた者たちです。意識が高いといいますか……辞退した二人も、親の介護や子供の看病で手が離せないためです」
「相手がビーストマンだと聞いて、安心したのではないか?」
「さすがジネディーヌ老ですな。その通りです。魔導国の噂は、彼らの元にも届いていたようです。これが魔導国に行けと言われたら辞退していたという者がほとんどで、ビーストマンの国に出征していれば、魔導国の凶悪なアンデッドに向き合わなくて済むと考えたようですな」
「まあ、本音がどうあろうと、自らの意思で竜王国に向かってくれるのなら、我々が何を言うこともあるまい。多少腕が落ちていようが、ビーストマンに後れをとる者たちではなかろう」
「そうですな。では、竜王国についての議題はここまでといたします」
イヴォンは呼吸を落ち着かせた。ここからが本題だ。まだ未解決、というか、全く解決のめどが立たない問題があるのだ。
「では、次にアインズ・ウール・ゴウン魔導国への対応ですが」
最高位の神官長たちが、互いに顔を見交わすことも無く押し黙った。あまりにも理不尽な戦力を誇る隣国に、過去数百年にわたり人間最高の戦力を誇ったスレイン法国の指導者たちが沈黙する。
口を開いたのは、最高神官長だった。神官長たちが口をつぐむ中、自分が言うしかないと判断したのだろう。
「相手の戦力は、我が国より上だと考えるべきだ。いざ戦いとなれば、漆黒聖典の番外席次を動かしたとしても、評議国も黙認せざるを得まい。事がおきれば全戦力をもってあたる。それまでは、衝突を避けつつ、国力の増強に努める。その方しかあるまい」
最高神官長は、通常は会議を見守るだけで口を出すことはない。魔導国についての議題が、いかに重要かが知れる。
イヴォンは最高神官長に頭を下げた。
「ご意見のある方はおられますか?」
「最高神官長のおっしゃるとおりじゃろ」
「ああ。他の手だてはあり得ん」
「わかりました。では、次の議題です。魔導国とほぼ時を同じくして建国された、ゴブリン王国への対応ですが……」
イヴォンの言葉に、魔導国に対するものとは全く違った反応が起こった。
ゴブリン王国は、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の隣接、あるいは魔導国の敷地内と思われる片隅に建国された王国である。
魔導国から見て南西、つまりスレイン法国と魔導国に挟まれる位置を占めている。
明確な国境線がないため領地侵犯とは言い難く、魔導国はすでにゴブリン王国を正当な国家として認めるとの声明を発表しており、法国側からそれを否定することは難しい。魔導国との関係を悪化させることになりかねないからである。
首都は魔導国の中心都市エ・ランテルから南方に20キロ、南北に走る名も無いなだらかな丘陵地帯に挟まれた窪地で、荒れ果てた大地のためモンスター以外には住んでいなかったはずの場所だ。
距離的には魔導国にきわめて近いといえるが、魔導国は強固なアンデッドに守られており、周辺にゴブリンの国があろうが、気にしていないのだろうと想像された。
王は覇王エンリと呼ばれる女王で、文字通り人間で敵う者はいないと言われる。種族は人間らしいが、どういうわけかゴブリンたちの信頼が厚く、逆らったり裏切ったりするゴブリンは一切いないらしい。
ゴブリンに限らず雑多な亜人種を受け入れているほか、少数だが人間種も生存しているらしく、国民(亜人種を含む)はすでに2万人に達するという。
今回の司会役としてイヴォンは説明をしていったが、ここに居並ぶ神官長であれば当然知っているだろう情報だ。あえて説明したのは、認識の再確認の意味が強い。
「ゴブリンが2万匹か……トブの大森林とかいう場所には、かなりの数のゴブリンがいるとは聞いていたが……陽光聖典が殲滅の任務を果たせなくなってから、急に増えたのか?」
「言っても始まらん。問題は、ゴブリンの数ではないだろう。ゴブリンをまとめ上げ、国として独立させた者の存在が重要だ。位置からいっても、魔導国が関わっていないとは思えん」
「覇王エンリについては情報がないのか? 突然、そんな人間離れした存在が現れるとは……アインズ・ウール・ゴウン魔導王の例があるか……」
「魔導王と一緒にして考えると、覇王エンリもかの者たちということになるぞ」
「可能性はあるだろう。時期は一緒だ。アインズ・ウール・ゴウンは、存在が確認されてから、建国まで間があった。覇王エンリは王として突然君臨しだした。あるいは、魔導王に実力で建国を認めさせたということもあり得るだろう」
「しかし……ゴブリンだぞ。魔導国のアンデッドと同列に考えるべきではないだろう。2万匹のゴブリンが、我が国の脅威になり得るのか? 問題は、魔導国がどの程度関わっているかということだけではないのか?」
「ゴブリン王国の戦力はどの程度だ? 強いモンスターが警備に着いているのか?」
話を振られた司会役のイヴォンは、六色聖典を管理しているレイモンに視線を向けたが、首を振られた。レイモンが把握していないのであれば、この場にいる誰も知らないだろう。
「ゴブリン王国だが……魔導国以上に人間の数が少ないようだ。その人間も、全員が顔見知りのようで、潜入するためには一切姿を見られない必要がある。そんな難易度の高い計画を立てるなら、はじめから殲滅部隊を送ったほうが早いぐらいでしょう」
「なら、殲滅部隊を送ったらどうだ? 陽光聖典でなければ勤まらないということではないだろう」
「しかし……魔導国は真っ先に建国に対して支持する態度を表しているのだ。刺激するのは懸命ではない」
「では、少数部隊が適任、ということになるな」
「解りました。漆黒聖典に適任者がおります。しかし……問題はもう一つあります。我が国の、国民の反応です。従前から評議国と隣接することを避けてきたとおり、我が国の国民は亜人に対してきわめて悪感情を持っております。隣接にゴブリン王国ができたと知れば、世論が黙っていないでしょう」
レイモンの言葉に、ジネディーヌ老が眉を吊り上げた。
「その前に殲滅してしまえばいいだけじゃが……そこまでレイモンが言うからには、既に不都合なことが生じておるのか?」
「おっしゃる通りです。すでに、国民にゴブリン王国の建国について告知が出ております。建国記念パーティーの案内が、我が国の街中にばらまかれております」
「……誰がやった?」
亜人を殲滅することでは、歴代でも指折りの戦果を挙げている風の神官長ドミニク・イーレ・パルトゥーシュが声を荒げた。ドミニクから見れば、侮辱されているのも同然だろう。
「不明です。ただ……ゴブリン王国の建国前に準備されていたことは明白です。気が付いた時には、我が家にも案内が届いていました」
神官長の住まいは秘密でもなんでもない。この国の指導者というより、聖職者として認識されているので、住所を知られて困ることもない。
「国民の反応は?」
「ゴブリン王国を滅ぼすための民兵の募集が始まっております」
「……誰がやっている?」
神官長たちが誰も知らない間に、戦争が始まろうとしている。しかも、正規の軍を抱えるスレイン法国において、民兵を組織するほどに国民の動きが速い。誰かが先導していないはずがないのだ。
「不明ですな。言えるのは……国民の間から自発的に起こったもの、に見せかけているということでしょうか。すでに民衆は動きだしています。正規軍を動かさなくても、戦争状態になるでしょう」
「止める方法は一つじゃろう。民兵が終結する前に、速やかに殲滅することじゃ。それで……民兵の規模は?」
「現在の見込みですと、3万です。戦いの経験はないものばかりですが、士気は高いとのことです」
「なら、それに任せるということもできるな」
「死者もかなり出るぞ。勝手に戦って勝手に死んだ、として見て見ぬふりをすることはできないだろう。戦死者への弔慰金だけで、かなりの出費だ。それに……問題は魔導国の反応だということを忘れている」
「そうだな。すまん。では、イヴォン、まとめてくれるか」
ドミニクに託され、イヴォンが首肯する。今日の会議内容を総括するのだ。
「レイモン、漆黒聖典の一員に命じて、ゴブリン王国を殲滅してくれ。一刻も早く。ゴブリン王国なんか、はじめからなかったことにするのだ」
「任せてくれ」
土の神官長レイモンが頭を下げ、スレイン法国の最高会議は終結した。
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8 エルフ王国
エルフ王国の三ケ月湖畔に立ち、戦闘の指揮を任されていたエルフ、ゴトフリー・ワイナイナは報告を受けていた。
エルフ王の傍女の一人で、王の子供を三人産み、育て、捨てられたエルフの女性である。
それだの仕打ちを受けてもなお、エルフ王に仕えることを辞めない。それが忠義ではなく、恐怖からによるものだとゴトフリーは知っている。
「それで、王は何と?」
「はい。あの程度の兵に滅ぼされる程度の国なら、滅んでしまえと」
女のエルフは、三ケ月湖の先に視線を向けた。
そこには、数週間前に建設されたスレイン法国の砦があった。
法国の兵は強い。しかし、戦争は一進一退の攻防を続けていた。それは、森を戦場に選んだエルフの知恵による結果だ。
しかし、数週間前から法国は戦いの方法を変えてきた。森に非常にうまく潜伏し、エルフを上回る隠密能力で次々にエルフを狩っていき、ついには王都を望む三ケ月湖に面した砦を築くまでになった。
戦いは終盤を迎えていることは、ゴトフリーは理解していた。もとより、平地での戦いではエルフ側に勝機はないのだ。
王都の直前まで攻めたてられた段階で、後はいつ攻め落とされるかを待つしかない。
「自分で始めた戦争だというのに、いい気なものだ」
エルフ王がスレイン法国の神人である女性をかどわかし、手籠めして子供を身ごもらせた。誰が聞いても耳を疑うような理由で戦争が引き起こされ、ゴトフリーはそれからずっと、前線で指揮をとっている。
外見は若いエルフと変わらないが、エルフ族は長命である。数十年に及ぶ小競り合いを、ずっと目の前で見てきたのだ。
「今エルフ族を生き永らえさせるためには、戦争に勝つことではなく、いかに皆を逃がすかだが……逃げたエルフはあの王が殺しに行くと宣言している。我々は、無駄死にだとわかっていながら、戦うしかないのか」
「ゴトフリー将軍、それについてですが……提案してよろしいでしょうか」
意外だった。目の前のエルフの女は、ただエルフ王の寵愛を取り戻すことしか考えていないのだと思っていたのだ。
ゴトフリーにしてみれば、エルフ王はただ強いと言うこと以外、唾棄すべき男である。恐怖に囚われるあまり、愛情と勘違いしたのだろうと思っていた。
「どうした? 妙案か?」
「法国の北に、新しい国ができたという噂があります。その国に……」
「助けを求めることは王がゆるさんだろう。王に知られないように……か。王は、囚われて奴隷にされたエルフたちには興味はないようだ。ならば……法国に捕えられたと見せかけて……その国を目指すか」
「私が言わなくとも、もともとお考えだったのですね」
「ずっと、戦に勝つことではなく、エルフ族をどうやって生き永らえさせるかを考えていたのだ。しかし、その国、信用できるか? 魔導国の王は、恐ろしいマジックキャスターだと聞く」
女エルフの顔が、少し崩れた。笑ったのだ。崩れても、整った顔立ちは美しい。エルフらしい長い耳が、少しだけ揺れる。
「私が申し上げたいのは、魔導国ではありません。魔導国の南、法国と魔導国に挟まれるように、ゴブリン王国が誕生したとか」
「……ゴブリン王国? ゴブリンの王が国を作ったのか? そんなもの、すぐに法国に潰されるだろう。我々エルフは人間種だが、ゴブリンは亜人だ。法国の連中が存在を認めるはずがない」
「つまり、ゴブリン王国に戦力を向けるはずです。その間に……決戦を挑み……」
「あえて破れて、この国を離れるか……それも、いいかもしれんな。だが、そう上手く行くか? ゴブリン王国の動向がわかるまい」
女エルフは小さく頷いた。
「私たちは……エルフ王のためにはもはや戦えません。しかし、それが同族のエルフたちを生き延びさせるためであれば、最後の一人まで戦いましょう。ゴブリン王国と法国を戦わせ、その間に、私たちは法国に攻め込み、戦わずに進軍し続け、リ・エスティ―ゼ王国に庇護をもとめてはどうでしょうか」
「法国の領土を縦断することになる。可能か?」
「……耳を落とせば」
女エルフは、自分の長い耳を切り落とす所作をした。奴隷のエルフは、耳を切られるとは聞いていた。それは、エルフとしての誇りをへし折るためだ。
それに、広い国土の全てをくまなく監視しているわけではないだろう。途中で街に寄らなければ、縦断するだけなら可能かもしれない。
「耳を切ることに、抵抗は?」
「もちろんあります。しかし……生き残りさえすれば、我々の子供はまた長い耳を持って産れるでしょう。長い時を、耳を失って生きることになろうとも、子供たちが立派な耳を持って産れてくれれば、それだけで十分かと」
ゴトフリーは腰に刺した剣に目を落とした。先代の王から、エルフ王国の将軍に任じられたときに託されたものだ。
あの時は、歓喜に身が震えた。
エルフ王国の敵には、死を与えるものと誓った。
だが、実際に当時の王から託されたことは、エルフという種族の存続だったのだと思いだす。
200年以上前の記憶だが、いまでも王の顔ははっきりと思いだせる。
腰に刺した剣の柄を一撫でし、ゴトフリーは王の居城を見上げた。
自然物を尊重し、人工的なものを蔑視するエルフ族は、天然の崖地を穿ち、城として利用してきた。
現在の王が大規模に修繕させ、中はすっかり人間の城のようになってしまっている。それでも、外装まで作り変えるのはさすがに無理だと断念し、王は現在でも崖地の城に篭もっている。
エルフの街は、本来は深い森の中にあり、現在のように平地に築いたりはしない。三ケ月湖の周りに生え茂った背の高い木々を切り倒し、建物で覆ったのも現国の王の指示だ。
それがなければ、これほどまでに戦局が悪化することはなかったのだと思うと、いかに現国王が凡庸で愚かかが知れる。ただ、強いのだ。
エルフ王国の最高指導者は国王である。
ただし、エルフを種族として生き永らえさせるためであれば、王は現在のところ害悪でしかない。
「……南方に行けば……砂漠の地に天空の城があると聞く。そこは、かつての八欲王の城だという。そこまで逃げられれば……いや、駄目か……」
「そこにたどり着く前に、亜人や魔物に狩られましょう」
「そうだな。やはり、我々が生き延びるためには、ゴブリン王国こそが鍵となるのだろう。よし、兵を集めよう。スレイン法国に打って出る」
打って出て、そのまま敗戦し、逃亡するのだ。
「今の話、どこまで聞かせましょう」
「まだ、誰にも言うな。スレイン法国にしかける前に、まず数名でゴブリン王国を目指させるのだ。そのために、あらかじめ耳を切り落とし、奴隷に扮する役割の者と、奴隷商人の役を演じる人間が必要だ」
「人間なら、捕虜としたスレイン法国の兵士を利用しましょう」
「危険だと思うが?」
「心配はいりません。篭絡いたします」
「……自身があるのか?」
意外なことを聞いたと、ゴトフリーは尋ねる。エルフは生来細身で、人間からすれば、魅力の無い体つきなのだと聞いたことがあった。
尋ねた女エルフは、少しばかり自慢げに言った。
「捕虜の中に、同族の者たちの体を舐めるように見る者が若干ながらいるようです。話を聞くと……ロリコンとか言うらしいですが……」
「ふむ。人間の性癖の一つなのかな? まあいい。そちらは任せる。私は、次の戦の準備を進めておく」
「はっ」
女エルフが見上げたのは、背後の王の城である。
王の城を見上げるエルフの表情に深い恨みを見つけ、ゴトフリーは仕えるべき王にすっかり愛想をつかしている自分に気が付いた。
エルフの将軍はオリキャラです。あまりにも情報が少ないので、仕方なく…ですね。ご了解ください。
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9 襲撃
ゴブリン王国の首都であり、現在のところ唯一の都市であるエモットを、都市と同じ名を持つ少女ネム・エモットが、姉の恋人であり薬師の師匠でもあるンフィーレア・バレアレと共に歩いていた。
覇王エンリは、最近王としての務めが忙しく、あまり相手をしてくれなくなった。恨んでいるわけではない。エンリとネムは姉妹とはいえ違う人間なのだ。いつまでもエンリに甘えているわけにはいかないことぐらい、理解している。
だから、エンリの恋人であっても直接会うことが少なくなってきたンフィーレアに弟子入りしたのだ。
それほど前のことではない。エンリがこのエモットに入場してから、まだ二週間ぐらいしか経っていないのだ。ネムが弟子入りしたのは、ほんの二日前である。
カルネ村にいた大工とゴブリン後方支援隊の大工や鍛冶師の指導の元、怪力のオーガやトロールが力を振るい、街の建設は急ピッチで進んでいた。
丸太をそのまま使用したような武骨な建物ばかりだが、丁寧に仕上げるには時間がかかる。人間は弱いし、亜人も決して強者の部類ではない。
まずは身を守る程度の都市を作り上げ、ゆっくりと建て替えていけばいい。そうゴブリン軍師は判断した。
ゴブリン軍師はあくまで覇王エンリ直轄のゴブリン軍団の軍師であったが、現在はゴブリン王国の宰相のごとき位置にいる。他に適任者がいないこともあったし、ゴブリン王国の中核は、やはりゴブリン軍団なのだ。
ネムはエンリではない。ネムとンフィーレアが外出しても、ゴブリンたちは積極的に護衛を申し出ることはない。ただ、周辺のモンスターや敵対的な存在が一掃されたわけではないため、エンリの指示でレッドキャップのうち2人が護衛についている。
遠巻きにしているため、その姿は認められないが、鋭敏な知覚を持ったレッドキャップが守っているというだけで安心できた。
「ンフィー師匠は、いつお姉ちゃんと結婚するの?」
早くも出来上がりつつある街並みの中を森に向かって歩きながら、ネムは尋ねた。いつもの問いである。いつものようにンフィーレアは戸惑いながら、やはり応えてくれる。
「僕はいつでもいいんだけどね。エンリがいいって判断したときじゃないかな。なにしろ、今は女王だし」
「でも、早くしないと、とられちゃうよ。お姉ちゃんの回りには、色々な人がいるじゃない」
「人間がいないから大丈夫だと……うん。そうだね」
長く前髪を垂らして目さえ見えないいつもの風貌は、ンフィーレアを頼りなく見せていたが、薬師としては一流で、マジックキャスターとしてもそれなりの腕だ。
この街にいる人間の中では、もっとも高い能力を持っているとも言える。ただし、優秀な亜人種がこの都市には五万といる。
街の中ではまだまだ家が足りず、丸太を担ぐゴブリンやオーガが立ち働いている。亜人たちは屋根が無い場所でも平気で寝るらしいが、ゴブリン王国の国民は屋根のある建物を住処とするよう、国王名でお達しが出ているのだ。
「師匠、今日はどこに行くんですか?」
「薬草が何種類か足りなくなってきたから、補充に行こうと思う」
ネムは元気よく返事をする。
森に行く。ネムにとっては恐ろしい場所だ。
だが、そうも言ってはいられない。薬師を目指す以上、避けられないことだとはわかっている。
首都エモットの周囲は、丸太を突き刺したような囲いに覆われている。ゴブリン軍師が真っ先に作ったのが、女王の住むべき場所の建設と囲いである。
その外に出る。
確かに不安だったが、囲いのすぐ外には森が広がっている。
周囲の強いモンスターは、ゴブリン軍団の精鋭が討伐しているはずだし、危険は少ない。
現在では、ゴブリンやオーガといった亜人種は、むしろ友好的な存在なはずだ。
行く先々で、ネムを見かけたゴブリンたちが挨拶をしてくる。
たどたどしい人間の言葉を発する者もいれば、大柄で流暢な言葉を発するホブゴブリンもいる。オーガはネムの顔がわからないらしかったが、近づくとエンリと同じ臭いを感じるらしく、硬直して頭を下げた。
亜人種たちにここまで心服されている姉を誇らしく思いながら、ネムはンフィーレアに連れられるように囲いの外に出た。
囲いの外側にすぐ森が広がっているのは、加速度的に増えていく亜人種たちを多く迎え入れるため、可能な限り広い面積を都市の範囲としようとしているからだ。
おかげで、一歩踏み出しただけで薬草に関するンフィーレアの講釈が始まった。
ゴブリンやオーク、その他の亜人種たちも薬草の識別ができず、カルネ村の人たちだけで採取できる広さではないため、ほぼ手つかずで貴重な薬草が取り放題だった。
ネムもエンリの手伝いで薬草を潰したり煎じたりすることには自信があるが、ンフィーレアの知識は正直に凄いと思った。
亜人たちは、ゴブリン軍団だけではない。ほぼすべての亜人が戦闘を厭わない。戦力にならない者は、たぶん子供たちだけだ。現在では、カルネ村の人たちも、野伏のブリタを中心に戦闘訓練を続けている。
周辺の森に出る魔物はよい訓練相手であり、すっかり掃討されてしまっているため、不安を覚えることもなく、ネムはンフィーレアの教えを受けながら、少しずつ森の奥に分け入っていった。
「待って、ネム」
突然、ンフィーレアがネムの手を引いた。目の前に咲いた綺麗な花に手を伸ばそうとした時だった。
「あの花、毒でもあるの?」
「違う」
「ひょっとして、お姉ちゃんから乗り換えるつもり?」
「冗談でも、二度と聞きたくない」
「ごめんなさい」
ネムは素直に謝った。では、どうして止めたのだろう。
ンフィーレアは自分の唇の前に、指を一本立てた。静かにするように、という合図である。
目の前の下草が揺れた。何かが音もたてずに降りてきた。
悲鳴を上げようとしたネムの口を、突然現れた何者かが塞ぐ。
逞しく、筋張った、緑色の手だった。
ゴブリン軍団、13レッドキャップだ。ゴブリン軍団でも最強と噂が高い。
ネムの口を塞いだレッドキャップは、視線だけを動かして周囲の様子を探っているようだ。ネムと目を合わせ、小さく頷いてから、ネムの口から手を離した。
「何?」
声は出さず、息の音だけで問う。
「でかいのがいます。仕留めるのは簡単ですが……一頭じゃないようだ。囲まれるとやっかいだな」
「どんなモンスターか解る?」
さすがにンフィーレアの声も緊張している。
「待ってください。来たようです」
再び目の前の下草が揺れ、今度はがさりと音がした。緑色の体をした人影が降りる。
『来た』というのがモンスターだと思い込んでいたネムは、驚いて声を上げる。
「キャッ!」
ンフィーレアがネムの口を塞いだが、間に合わなかった。レッドキャップはもはや気にしない。たぶん、それどころではない。現れたのも、赤い帽子を被った一人だった。
「どうだった?」
「ギガントバジリスクだ。数はおよそ十体」
「ま、まさか。そんなはずがありません。ギガントバジリスクは交配時期以外に群れを作ったりしない。それも、二体が最大のはずです」
ンフィーレアに視線を向けてから、レッドキャップは冷静に言った。
「誰かが呼びだしたか、けしかけたんでしょう。どこに向かっている?」
「こっちだが、狙いは王都だろう」
「呼び出したなら、術者が近くにいるはずだ。捕まえに行ったほうがいいと思うが……」
「ネムさんとンフィーレアの兄さんの安全が優先だ」
「わかっている」
「ご迷惑をおかけします」
ンフィーレアが深々と頭を下げた。ネムには、その意味がわからなかった。
「ンフィーだって、凄いマジックキャスターなんだよ。そんなに強いの?」
「仕留めるのは簡単ですが、少しばかりやっかいな力があります。目を見ると、石化するんですよ。石化に利くポーションがあるっていうのなら、大丈夫かもしれませんが」
「無理だよ。ギガントバジリスクは、アダマンタイト級の冒険者じゃなければ倒せない。僕には無理だ。ネム、レッドキャップさんたちの言うことを聞いて。僕も一緒にいるから」
「……うん」
ネムは頷いた。この時はまだ、事態の深刻さを完全には理解していなかった。
※
覇王エンリは、ゴブリン軍師に連れられてゴブリン軍団の訓練を見回っていた。さすがに高レベルのゴブリンたちである。カルネ村の人々の訓練には参加したことがあるが、力強さも迫力も全く異なる。
ゴブリン重装甲歩兵団の突進力は、どんな頑強なモンスターでもひとたまりもないだろうと思われた。ゴブリン長弓兵団は、離れた森のハチさえ射殺すのではないかと思えるほど正確だった。
上空をフクロウが舞っていた。
エンリはどういう顔をして訓練の様子を見て回ればいいのか、いまだに解らなかったが、エンリが近くに来ると、ゴブリン軍団の戦士たちはいずれも手を止めて平伏する。
訓練をねぎらい、続けるように言うと、畏まって訓練に戻る。
「ゴブリン軍師さん、わたしの対応、あっている?」
解らないことは聞けばいいのだ。ゴブリン軍師はトレードマークの羽扇を動かしながら、笑った。
「ほっほっ。上出来だと思いますよ。エンリ陛下はいてくださるだけでも十分でしょうに、あれほど慈愛に満ちた言葉をかけられれば、命に代えても訓練を行うでしょう」
「わたし……そんなに慈愛とか満ちていないし……命を賭ける場所、間違っているんじゃない?」
「なるほど。さすがは陛下、よくお気づきで」
ゴブリン軍師が何に感心したのか、エンリにはわからなかった。上空を舞うフクロウを指で示した。さっきから、気になっていたのだ。
「ゴブリン軍師さん、あのフクロウ、誰かが飼っているのかな?」
「……ほう。さすがは陛下、よく気づかれました。この時間に、フクロウが活動しているのは不自然ですね。しかも……真紅のフクロウとは……何者かが召喚したのかもしれません。いかがいたしましょうか」
「……悪いもの?」
「何者かの偵察でしょう」
「じゃあ、何とかした方がいいよね」
「解りました。ゴブリン長弓兵団団長、覇王エンリ陛下の意を示せ!」
「覇王エンリ陛下配下、ゴブリン長弓兵団団長、お任せを!」
高く上空を待っていた真紅のフクロウの背に、矢が生えたように見えた。あまりの矢の速度に、エンリは目で負うこともできなかったし、フクロウは回避行動すらとることができなかった。
体を貫かれ、空中で姿勢を立て直そうとしている真紅のフクロウに、さらに矢が突き刺さる。
体から数本の矢を生やし、クリムゾンオウルが地面に落下する。
オオカミにまたがったゴブリンライダーが駆け出した。
「さすが、凄い腕だね」
「過分なお言葉、ありがとうございます」
ひときわ長い弓を持つ、ゴブリン長弓兵団団長が跪く。
ゴブリンライダーが戻ってきた。エンリが最初に呼び出した19人のうちの一人で、キュウメイである。最初の19人以外の者たちに名前をつけるのは、エンリは放棄した。代わりに好きな名前を名乗っていいことにしたのだが、自分たちで名乗らないため、エンリは把握していない。
腹部から何本もの矢を生やして屍となっていたのは、遠目に見た通り真紅のフクロウだった。
「珍しい種類だね」
「この辺りの種類ではありませんね。召喚されたのだと見た方がいいでしょう」
ゴブリン軍師が、真剣な顔でフクロウの死体を検分する。
「召喚……何のために?」
「すぐに、解るかと」
ゴブリン軍師の視線を追う。遠くから、白銀のオオカミにまたがるゴブリン聖騎士団がやってくる。素晴らしい速度でエンリの前まで来ると、騎乗していた白銀のオオカミから降りて報告する。
オオカミをどうやって躾けるのかわからないが、ゴブリンの隣できちんとお座りをして待っている。
「陛下、東の森でギガントバジリスクの群れが発見されました」
「東の森?」
エンリの妹、ネムがンフィーレアと一緒に薬草の採取に行くと言っていた。その場所が確か、東の森だ。
「ギガントバジリスクは群れを作りませんぞ。どの程度の群れなのか、わかりませんか?」
「発見したレッドキャップスの話によりますと、10体前後かと思われます」
「……10体ですか。リ・エスティーゼ王国を半壊、バハルス帝国でもかなりの被害を出せる数ですな。誰かがやっているとして……法国の手の者でしょう。国家レベルで対応すべき状況ですな。陛下、いかがいたしますか?」
「ち、ちょっと待って……ひ、東の森には、ネムとンフィーが……」
「二人だけ、ではないでしょう」
「レッドキャップさんが二人一緒だけど……でも、ぎ、ギガントバジリスクなんて……一体でも、村ごと非難するようなモンスターに……」
ネムとンフィーレアが死ぬ。エンリが感じたのは、身内が死ぬことの恐怖だった。いかに人間が簡単に死ぬか、エンリはよくわかっていたはずだった。それでも、生き延び来たのだ。こんなに簡単に死ぬはずがない。そう、信じ切れなかった。
「陛下、ご安心ください。レッドキャップが着いていれば、ギガントバジリスクごときでは脅威にはならないでしょう。退治するのは簡単です。問題は、この状況をいかに利用するかです」
「……誰かがやったのなら……許せない」
エンリがはっきりと言った。エンリは、レッドキャップの強さとギガントバジリスクの強さを正確には知らない。だが、ゴブリン軍師が大丈夫だというのなら、そうなのだろうと少し落ち着いた。ゴブリン軍師は賢く、決してエンリを甘やかそうとはしない。現実が厳しいのなら、厳しいと言ってくれる。だからこそ、信じられる。
「解りました。首謀者の捕獲を優先します。討伐軍の編成ですが」
「ゴブリン軍師さんに任せます」
エンリ自身が驚くほど、その声は冷静だった。冷静で、落ち着いた声が出た。
「はっ」
羽扇を持ったゴブリン軍師が深々と腰を折った。
※
ネムは必死に隠れていた。ンフィーレアも一緒である。
木の洞に潜り込み、体の震えを止めることができなかった。
レッドキャップスに、ここに隠れるように言われたのだ。
そう言って、レッドキャップスは姿を消した。
洞の外で、どさりという重い音があがる。
同時に暗くなる。
木の洞が、生々しいひび割れた鱗で塞がれていた。
ギガントバジリスクの皮膚に違いない。
ネムは体の震えを止められなかった。
がたがたと震え、それでも、何とかしなければと思った。
薬草には根が重要な場合もある。薬草を根ごと採取するために持ってきた木製のシャベルを振り上げた。
ひび割れた灰色の肌に振り下ろそうとした時、ネムは抱きとめられた。ンフィーレアだ。
「だ、駄目だよ。まだ、僕らに気づいていないんだ。僕らの居場所を教えることになる」
「……うん。ご免」
洞の入口をこするかのように、ずりずりと灰色の鱗が移動する。ンフィーレアは冷静だ。諦めていない。そのことが、ネムを勇気づけた。
ンフィーレアが一緒なら、きっと生きて戻れるのだと感じた。
「こんな時だけど、聞いていい?」
「何だい? ネム」
「お姉ちゃんと、まだ結婚しないの?」
「こ、こんな時に、聞くことじゃないね。こ、答えないといけないかい?」
温かい。ンフィーレアは温かい。さっきより温かかった。顔が熱くほてっている。
「ううん。でも、誰かがお兄ちゃんになるなら、ンフィーがいい」
「ありがとう」
ンフィーレアがネムを抱き寄せた。ネムも怖かったので抱きついた。同時に、灰色の壁に赤い筋が走った。上から下に、まっすぐな赤いラインが入ったかと思うと、大量の液体がほとばしった。
ネムの顔に、温かい、赤い液体が振りかかる。
「ここに居ましたか」
輪切りにされたギガントバジリスクの肉を割り、レッドキャップスが現れた。
「う、うん。ありがとう」
ネムの声が震えた。間一髪を助けられた。二人がかりでもただ逃げ回ることしかできないモンスターを、簡単に輪切りにしてのけるゴブリンが味方だ。だが、それだけではない。がくがくと体が震えた。
「エンリ陛下のところに一人報告に行かせましたので、私が一人で相手をしなければならず、ご心配をお掛けしました。ギガントバジリスクの数は10、現在9です」
「ギガントバシリスクが9匹? やっぱり……さっきの話は本当だったんだ。国家を滅ぼせる戦力じゃないか」
ンフィーレアが甲高い声を上げる。その声は、いつもはネムが好きな声だった。この時だけは、脳の中に襲撃を与えて響き渡った。
「誰かが放ったと見るべきでしょうが、それを突き止めるのは私の役割ではありません。私は、お二人を無事陛下の元にお連れするだけです」
「う、うん……解っているよ……」
ンフィーレアは、時々自信がなさそうに肩を降ろす。ンフィーレアは十分に凄いのだ。早くエンリと結婚してほしい。だが、ネムは言葉にできなかった。
全身が痛い。
理由が解らない。
「ン、ンフィー……」
「ネ、ネム? 大変だ。ギガントバジリスクの血は猛毒なんだ」
「どうします?」
ネムが聞いた中で、レッドキャップスがここまで焦った声を出すのは初めてだった。
「毒消しを持っているけど……利くかどうか。僕は、信仰系魔法は詳しくない。ポーションで中和しながら、街に戻ろう」
街とは、首都エモットだ。自分たちのファミリーネームがついた都市の名は、はじめは恥ずかしかった。最近では、ちょっとだけ誇らしい。
「ンフィー……」
「ネム、静かに。大丈夫だから。絶対、助けるから」
「お姉ちゃんと……幸せにね」
「縁起でもないこと言わないでよ」
「……うん」
泣きそうな顔をしたンフィーレアから渡されたポーションは、紫色をしていた。
それを飲み干し、ネムは意識を失った。
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10 迎撃
丸太をぴったりと並べて立てた厳重な壁は、首都エモットの外壁として建てられたものだ。
東の壁の先には、いまだ未踏の森が広がっている。危険であることは覚悟の上で、ぎりぎりまで都市の敷地を広げるしかなかった。あまりにも、亜人種が増えすぎたのだ。
エンリ・エモットは鋼鉄の胸当てと帽子のような半球状のヘルム、丸盾と錫杖という装備で東の壁を睨みつけた。ゴブリン軍師にはできるだけ重装備をすることを勧められたが、時間が惜しかった。とりあえず、装備するのに時間がかからないものだけを身に着けた。足は長いスカートのままである。
王たる姿ではない。だが、ゴブリン後方支援隊は優秀で、みすぼらしいという恰好ではなかった。
丸太を組んだ壁の前には、およそ300のゴブリン足軽弓兵団が陣形を整えている。エンリが召喚した者たちではない。ゴブリン王国の噂を聞いて、頼ってきた者たちだ。
全員がゴブリンである。亜人種は、生きるために戦うことを当然と考えていた。ごく小さな子供や腹に子供がいる雌は別にして、集ってきた者たち全員が戦士であることを当然として受け入れた。
鍛えたのはエンリが召喚したゴブリン軍団の面々である。
弓を使うことを得意とする、ゴブリン長弓兵団の傘下ではあるが、実力的には五段階ほど劣るため、ゴブリン足軽弓兵団と名付けられている。
その他、エンリが直接召喚した精強なゴブリン軍団以外の兵団には、全て『足軽兵団』の呼称をつけて区別している。
「来るわ!」
森のざわめき、重い足音、鳥たちの悲鳴、それらの全てが、エンリにギガントバジリスクの存在を告げた。エンリはレンジャーではない。ただ、薬草の採集が得意な村娘である。
そのはずだった。だが、なぜか解った。森の呼吸、生物の存在が、エンリに訴えかけてくるようだった。
「構えーーっ!」
エンリの言葉を受け、ゴブリン長弓兵団団長の声が鋭く響く。ゴブリン足軽弓兵団に伝達される。
エンリは、全軍を見降ろす位置にいた。ゴブリン足軽弓兵団の背後に、2000のゴブリン足軽歩兵団、500のオーガ部隊、20のトロール部隊が控えている。
ギガントバジリスクの10体程度であれば、エンリ直轄のゴブリン部隊は使わない。そう判断したのは、ゴブリン軍師である。
丸太の壁の向こうから、巨大な顔が覗いた。トカゲに似ているが、ずっと大きく、醜悪だ。その目は、生物を石に変える力を持つという。
「放て」
「放てーーーーーーっ!」
ゴブリン長弓兵団長の怒声と共に、ゴブリン足軽弓兵団300の矢が一斉に放たれる。
狙いはギガントバジリスクの目である。
大量の弓矢を受けても、ギガントバジリスクは怯まなかった。そもそも、分厚い皮を貫通できない。矢の勢いが足りないのだ。
「また来るわ」
「第二射用意!」
指示が伝わり、ゴブリン足軽弓兵団が矢をつがえる。
もう一つ、ギガントバジリスクの顔が覗いた。最初に現れた一体が、壁を乗り越えて胴体までが壁の上に乗る。
「全軍を突撃」
「了解」
エンリの隣で戦況を見守っていたゴブリン先任隊隊長、ジュゲムが角笛を口にした。ゴブリン軍団を呼び出す魔法の品ではない。ただの角笛である。
ぶーぶーという音は、だが効果を顕す。戦場の隅々まで響き渡り、合図を受けたゴブリン足軽歩兵団、オーガ部隊、トロール部隊の全てが前進を始める。
「弓兵を後退させて。邪魔になる」
「放て!」
第二射を打ち出した後、ゴブリン長弓兵団団長は後退の指示を出す。すでに一体の巨大な魔物が侵入し、もう一体も壁を乗り越えようとしていた。
さらに二つ、ギガントバジリスクの頭が壁を越えている。
「悪夢みたいね」
「全くです」
「ほっほっほっ、そうでもありません。ギガントバジリスクの強さは、あくまでも個としての強さです。死を恐れずに向かってくる軍勢に対して、たった10体で何ができるでしょう」
いつの間にか、ゴブリン軍師が隣に並んでいた。優雅に羽扇などを持っているが、目は油断なく戦場を見回している。
トロールの一体が石となり、地面に転がる。ギガントバジリスクの口に、ゴブリンが飲み込まれている。
「ギガントバジリスクは、石にできるのは一度に一人だけみたい」
「ほっほっ。さすがは陛下、よく見抜かれました。それがわかれば、軍として相対する相手に、いかに小さな戦力か解ろうというものです。今回は、ちょうどよいテストです。エンリ陛下に従う者たちが、果たして本当に死兵となって戦えるのか、試す絶好の機会です」
「でも、犠牲が大きいわ」
「ギガントバジリスク10体を討伐するのに、2000の兵で済んだのであれば、むしろ犠牲は少ないといえましょう」
計算上はわかる。ギガントバジリスクは、一体でも小さな都市なら壊滅できるだけのモンスターだ。10体であれば国家を滅ぼせる。
だが、無敵ではない。最大の脅威である石化の能力で、一度に大量の兵士を石に変えられるならば、用意した2000の兵団は瞬く間に全滅したはずだ。
実際にはそうならなかった。
トロールやオーガが次々に石に変えられていくが、ゴブリンたちには石化の能力を使わない。一度に一体にしか能力を使えないのだ。
いかに体か大きかろうと、力が強かろうと、数の前では限界がある。
犠牲を出すことを問わずに攻めかかる死兵の前では、いかにギガントバジリスクでも多勢に無勢だ。
「私も出ます」
「お待ちください。陛下が出られては、最前線に立つ者の死が意味の無いものに……」
「いえいえ。ほっほっほっ、さすがは陛下。私の真意をお読み取りですな」
自らギガントバジリスクを倒しに行くと言ったエンリを、ジュゲムが止め、さらにそのジュゲムをゴブリン軍師が止める。
エンリは、かつてトロールを拳だけで沈黙させたことがある。だからといって、ギガントバジリスクはさらに遥かな強者である。自信があったわけではない。だが、王となったのだ。兵士たちだけに戦わせ、安全な場所にいるわけにはいかない。
「どういうことですか?」
色めき立ちジュゲムが、ゴブリン軍師に食って掛かる。ゴブリン軍師は、笑って羽扇を頭上に高々と持ち上げた。それが合図だったのだろう。4頭の悪霊犬が引く小さな台車がエンリの前に進み出た。人間が二人乗ればそれ以上は乗れない程度の大きさで、大きな車輪が左右についている。
エンリは知らなかったが、これは戦車と呼ばれるものだ。
「お使い下さい。お前たち、頼んだぞ」
「はっ」
エンリが戦車に乗り込むと、レッドキャップスがその周囲を取り囲む。レッドキャップスの足であれば、走っても悪霊犬が引く戦車と同じ速さが出せるのだ。
「一応言っておくけど、私は戦力にならないわよ」
「ほっほっほっ、十分ですよ。ギガントバジリスクを仕掛けた者が、エンリ陛下を知っているか否か、何を仕掛けてくるか、それを知りたいだけですので」
「陛下を囮に?」
「あの人たちの犠牲を、少しでも役に立てたいの」
ジュゲムはなおもゴブリン軍師に腹を立てていたが、エンリが止めた。エンリは、自分の隣の空いた空間を指で示した。
「先任隊長殿、陛下がお呼びですよ」
「俺で、いいんですかい?」
ジュゲムのレベルは12であり、後で呼び出されたゴブリン軍団の面々より、はるかに低い。
「命を預ける相手に相応しいのは、強さではないということですよ」
ゴブリン軍師が笑い、ジュゲムは頭を掻きながら、エンリが手綱を掴む戦車に乗り込んだ。
ギガントバジリスクの視線に次々に石化し、毒を浴びて倒れ、巨体に押しつぶされながらも、徐々に追いつめていく。
対峙しているのは、周辺の森林や山々からエンリを頼って合流した亜人たちである。
大量のゴブリン兵の死体が積み上げられ、オーガも次々に倒れていく。トロールだけはいくら傷ついても立ち上がったが、視線により石化した者はもはや戦力にはならなかった。
十体いるというギガントバジリスクのうち、首都エモットにたどり着いたのは8体であり、そのうちの6体が、丸太でくみ上げられた城壁を越えた。
対した亜人兵は当初2000人だったが随時投入され、戦場は常に亜人であふれていた。
弓兵に目を潰されたギガントバジリスクの顎を、エンリが拳で突き上げると、一斉に歓声が上がった。どうやら、最後の一体だったようだ。
エンリは常に戦場にいた。
最後の一体が沈んだ時、屍の山と喜びに沸く亜人たちに囲まれていた。
「勝ったわ!」
エンリが再度拳を、今度は突き上げる相手もいないのに、天高くつきだして勝利を宣言する。さらに亜人たちの歓声が爆発した。
エンリの名を連呼する亜人たちに手で答え、エンリは再び悪霊犬が引く戦車に乗り込む。
先任隊長ジュゲムが手綱を引き、エンリは歓声に包まれながら戦場を後にした。
王都は、建設を始めて以来の静けさだった。誰もが息をひそめている。ただ隠れているわけではないのは、人間の街が襲撃にあった時との、明確な違いだった。
自分たちの出番はまだかと、武器を構えて命令を待っているのだ。
亜人種は、極端に戦闘能力を欠く者を覗いて、ほぼ全員が戦士である。子供も性別も関係ない。戦力にならない弱者とは、自らの意思で歩くこともできないほどの状態であることを意味するのだ。
その者たちが、エンリが乗る戦車を見て、喜んで飛び出してきた。
戦闘が終わったこと、勝利したことを確信したのだ。
エンリも期待を裏切らず、手を振って勝利を伝えた。
ジュゲムは戦闘の終結を、戦車を操りながら角笛で知らせていた。
国民の声援を受けながら、エンリは簡素だがどことなく立派な感じがする丸太小屋、王宮にたどり着いた。
高揚した気分から一転して、戦場に立った恐ろしさがこみあげてきたエンリは、悪霊犬が引く戦車から降りると同時に、へたり込んでしまった。
「エンリ!」
聞き知った声が背後から降りかかる。
首をめぐらすと、そこには恋人のンフィーレアがいた。その視界が、すぐに隠された。目の前に、妹のネムが飛びついてきたのだ。
「お姉ちゃん! 良かったーーーーーーーーっ!」
「ンフィー、ネム……良かった、無事だったのね。私、てっきり……凄く、心配したんだよ。二人が、もしかしたら死んでいるかもって……よかった。よかったよ。うわーーーーーっん。良かったよぉーーーーーー」
「エ、エンリ、落ち着いて」
ンフィーレアも駆け寄って、エンリとネムをしっかりと抱きしめた。ンフィーレアは、ちょっと頼りないがしっかりとした男の子だと思っていたが、最近ではとっても頼りないような気がしていたため、エンリはもう決して離すまいと誓ったかのように、ンフィーレアとネムを抱きしめた。
「お、お姉ちゃん、苦しい」
「死んじゃうよ」
「えっ? 折角生き残ったのに、そんな冗談やめてよ」
「冗談じゃないと思いますよ。陛下が本気で抱きしめたら、背骨が折れちまいますから」
ジュゲムが穏やかに諭したが、エンリはなんだか自分が人間ではなくなってくような、奇妙な感覚に囚われていた。
エンリが驚いて腕を離すと、ンフィーレアは力なく頽れた。ネムがエンリに抱きつく。エンリが抱き返そうとしたが、ネムは見事にかわしてみせた。
「陛下、再会を邪魔して申し訳ありませんが、捕虜の始末について相談したいのですが」
ンフィーレアの背後、つまりエンリの正面に、レッドキャップスが忽然と登場した。膝をつき、頭を下げている。
慇懃な態度のゴブリンで、信用できることはわかっているが、エンリはどうしても苦手だった。
「捕虜? ギガントバジリスクは、全部殺したんじゃないの?」
「はい。亜人たちの食料になっていますが……呼び出した者がいたようです」
「そういえば……自然に発生したはずがないって、ゴブリン軍師さんも言っていたわね。捕まえたの? 呼び出した? ギガントバジリスクって、呼ぶと出てくるものなの?」
「普通は違うでしょう。ですが……我々と同じです」
レッドキャップスは言うと、ジュゲムに視線を送った。エンリが信用するゴブリンたちは、全てエンリが角笛で召喚したゴブリンたちだ。自然に発生したゴブリンではない。
同じような方法で、召喚されたギガントバジリスクがおり、それが今回王都を襲った者たちなのだ。
「捕まえたのね?」
「はい。監禁しています」
「……どんな人?」
「見た目は人間です。ですが……俺たちには、人間の見分けはつきません。特徴はよくわかりません」
「そう……わかった。会ってみる。ンフィー」
「何?」
ンフィーレアは顔を真っ赤にしていた。背骨を折られそうになったからか、エンリが抱きついて照れているのか、はっきりとはわからない。
「近くにいて」
「不安なの?」
「それもあるけど、どんな人かわからないから、魔法で注意していて」
「ああ、そうだね。もちろん、任せてよ」
ンフィーレアは胸を叩いたが、ゴブリンたちのほうが遥かに頼りになることは、もはや言うまでもないことだ。
エンリがレッドキャップに案内され、ゴブリンのジュゲムとンフィーレアと訪れたのは、念のためにという理由で作られた、罪人を捉えるための檻だった。
三つの檻の一つに、一人の人間が囚われていた。初めてこの檻を使った。使うとは思っていなかったのだ。
ゴブリン軍師ですら、この檻を作るのには懐疑的だった。エンリも作りたくなかった。
だが、二人の間には若干の認識の違いがあった。
エンリは、100人以下しかいない人間が犯罪を起こすはずがないと信じていたし、ゴブリンたちのことも信じていた。
ゴブリン軍師は、人間たちが犯罪を犯すとは考えていなかったが、エンリが召喚した以外の亜人たちのことを信用していなかった。だが、ゴブリン軍師は犯罪者を捉える檻を作ることには懐疑的だった。というのも、ゴブリン王国の法は決めてある。その法を犯した亜人は、全て殺して、食料にすればいいと考えていたのだ。
ゴブリン軍師の考えを聞いた瞬間、エンリは牢の建築を即決したのである。
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11 クアイエッセ・ハゼイア・クインティア
牢は地下にはない。むしろ、監視しやすいようにという配慮から、人が集まる広間の上に、まるで鳥かごのように晒されている。
エンリ・エモットは、恋人であるンフィーレア・バレアレとゴブリン軍師と共に、捕らえられた男の元に向かった。妹のネムには見せたくなかった。ゴブリン先任隊隊長のジュゲムに、王宮という名の大きめの掘っ建て小屋に連れて行ってもらっている。
その男は、ギガントバジリスクという強大な魔物を複数同時に召喚し、エンリが王を務めるゴブリン王国にけしかけたことを認めているという。
ただし、その目的も、何者であるかも、一切口を開かないのだ。
エンリが歩くと、高い位置にある牢に向かって思い思いに物を投げていたゴブリンたちが平伏した。
エンリが歩く度に、波が引くように平伏するゴブリンの列が出来る。
「……ちょっと、大袈裟よね」
「……うん」
すぐ背後についてきていたンフィーレアは首肯した。だが、意見を異にする者もいた。
「ほっほっ。エンリ陛下の偉業を目に焼き付けたばかりなのです。当然の反応ですよ」
ゴブリン軍師だ。ゴブリン軍師は、いつもエンリを過大に評価する。
「偉業なんて……私は何も……」
「陛下の陣頭指揮の元、ギガントバジリスクを10体、大した被害もなく仕留めたのです。陛下抜きでは一体すら仕留められず、この国は滅んでいたでしょう。偉業と言わずして、なんというべきなのです? それに……ご覧下さい。平伏しているゴブリンたちは、いずれも陛下の角笛で招集に応じたものではございません。皆、陛下の庇護に与れるよう、自主的に集ってきた者ばかりでございます。まさに、陛下のお力と言わずして、なんと言えばよろしいのですか?」
「……被害、たくさんあったじゃない。いっぱい死んだじゃない……私に、力なんてないよ」
「我々、ゴブリンの一人一人を心配して下さる。これ以上、心底お仕えしたいと思う方はございません」
さらにエンリは言い返したかったが、口論でゴブリン軍師に勝った試しはない。
目の前に、牢が置かれた台に登る階段が現れたので、エンリは言葉を切って階段を上った。
全部で13ある階段を登りきる。13という数に、感慨はない。
牢は、硬いという評判の鉄樹という木材を組み合わせたもので、まず人間には破れない。トロールでも逃げ出せないと評判だ。
その中に、男はいた。
両手首を背後で縛られ、膝をついた姿勢で、静かにうなだれていた。
全身にあざが浮き上がり、裂傷ができていることから、いかに激しい戦いの末の捕獲だったかが知れる。
その男は、全身が汚物で塗れていた。捕まった後、野次馬のゴブリンたちに投げつけられたのだろう。
殺さず捕らえたのは、ゴブリン軍師の命令によるはずだ。エンリは、ギガントバジリスクを操るような術者が存在することすら、想像できなかった。
捕らえたと聞いてから、会う必要があると感じたに過ぎない。
「……陛下、お気をつけ下さい。アインズ様配下のデミウルゴス殿からの情報によりますと、人間の中には、一定の条件下で特定の質問をすることにより、死ぬ呪いをかけられている者がいるそうです」
ゴブリン軍師が囁いた。つまり、エンリが質問することによって、せっかく捕らえた首謀者の男が突然死んでしまうかもしれないということだ。
ゴブリン軍師が心配したのは、情報源が消えてしまうことではあるまい。自分のせいで人間が死んでしまった場合、エンリは非常に重大な精神的負担を抱えることになるだろう。その負担を心配したのだ。
エンリは、ゴブリン軍師の心遣いに感謝しながら、牢の中の男の前で仁王立ちした。
「国を襲ったギガントバジリスクのおかげで、たくさんの罪もないゴブリンたちが死にました。ある国の王様が、私に教えてくれたことがあるわ。こういう場合には、賠償を請求すればいいのね。ゴブリン軍師、どのぐらいの被害になるの?」
牢の中の男は、エンリに対して冷たい視線を向ける。ただ眼球のみの動きで、相手を殺せそうなほどの強い眼光だった。
だが、エンリには通じない。ゴブリン軍師が答えた。
「正確な被害は計算中ですが……おおよそ3000といったところでしょう。賠償額、慰謝料を含めまして、交金貨15000枚程度が相場かと」
「……はっ。ゴブリンごときを大量に殺して、賠償の請求とは戯言だ。そんな請求に、我が国が応じるものか」
「応じさせるわ。でしょう?」
エンリは、かつて聞いたデミウルゴスの言葉を真似た。真意はない。たぶん、そうなんだろうなぁ、としか考えていない。
「……本格的に戦争になる。勝てるつもりなのか?」
「そのつもりよ」
エンリは背を向けた。ゴブリン軍師とンフィーレアとともに檻の前から立ち去る。
群衆に見送られて、エンリは王宮に向かった。
木製の玉座に座る。目の前には、やはりゴブリン軍師とンフィーレアがいた。
「……ふぅ。緊張した……」
「ほっほっ、エンリ陛下、お見事でしたよ」
ゴブリン軍師は、いつもは自分を仰いでいる羽扇でエンリに風を送った。エンリを気遣っているのだろうか。
「『お見事』って、どういうこと? 僕には、よくわからなかったけど……」
ンフィーレアが首をかしげる。実は、エンリもわかっていない。下手に質問をすると死ぬ呪いが発動するかもしれないと警戒して、結局何も質問できなかった。
「ほっほっ。エンリ陛下のおかげで、多くのことがわかりましたとも。かのバジリスクの群れが、人為的に召喚されたことを認め、しかも、あの表情から察するに、あの男が召喚した張本人であることは間違いないでしょう。ゴブリンの王国だと知っていながら、ゴブリンが死んでも賠償金は支払わない。このことから、亜人を敵視するスレイン法国のものだと特定できます。さらに言えば、戦争はしたくはないのでしょう。うまくすれば、バジリスクの群れだけで我が国を滅ぼせると思っていたのかもしれません。レッドキャップス、いますか?」
「はっ」
ゴブリン軍師が言うと、どこから現れたのか、エンリには全くわからなかったが、エンリの目の前で平伏する、赤い帽子を被ったゴブリンが現れた。
「あの捕虜の監視に、常時二人ずつつくように。一対一で負けるとは思いませんが、どんな力を隠しているかわかりませんからね。それから……周辺の様子を探るために派遣した者たちは、全てスレイン法国方面に向けるよう、隊長に連絡をお願います」
「承知いたしました」
赤い帽子のゴブリンが消える。エンリは尋ねた。
「あの人……仲良くなれないのかな?」
「期待なさらない方がいいでしょう。根っからの亜人嫌いの国の者でしょうから……ゴブリンたちの見世物になっているのです。精神が壊れる可能性のほうが高いと思います」
「……そう。ンフィーはどう思う?」
黙って二人を見ていた恋人に話を振る。目が隠れるほど前髪を伸ばしたンフィーレアは、組んでいた腕をほどいた。
「エンリ……知らないうちに、僕よりとっても頭が良くなっているんだね。僕は、そこまで考えられなかった。凄いや」
「……やめてよ。私がわかっているはずないじゃない」
「ほっほっ。陛下は奥ゆかしくていらっしゃいますからな」
「もう……ゴブリン軍師さんが変におだてるから、ンフィーが誤解するんじゃない。それより、賠償金はどうするの? 本当に金貨15000枚要求するの?」
羽扇の向きを自分の方向に戻し、ゴブリン軍師は笑った。レッドキャップスよりよほど穏やかな顔つきをしているが、笑っても威嚇しているような顔つきになるのは種族上やむを得ないのだ。
「どうせ、支払うつもりはないのです。もっと多くてもよいでしょう」
「ゴブリン軍師さん……スレイン法国と戦争するつもり?」
「まさか……しかし、最終的に妥結するのが、今回の要求額となることもありうるでしょう。ならば、中途半端な金額を提示するのは、やめておいたほうがよろしいかと考えます」
「……そう。任せるわ」
「御意に」
ゴブリン軍師は恭しく頭を下げるが、エンリ自身はどんどん泥沼にはまっている気分になっていた。
エンリが玉座を置いた部屋からさらに奥の自室から、エンリの帰還を知ったためか、ゴブリントループのリーダージュゲムと妹のネムが顔を見せた。
「ごめん、待った?」
「いえ。勝手に待っていただけですので」
ジュゲムは頭を下げる。ネムは、ジュゲムから離れてとてとてと駆け寄ってきた。
「……待ったよ」
声が震えている。やはり、怖かったのだろう。ギガントバジリスクに追われ、命がぎりぎり助かったばかりだと聞いている。ジュゲムに預けて執務に行くのは、姉としては早すぎたのだ。
エンリは反省して、震えるネムの背を優しく叩いた。
「……あれっ? ンフィーは?」
エンリは、ずっと傍にいたはずの男がいないことに気がついた。ゴブリン軍師すら気づかなかったようだ。首を巡らせる。
エンリはネムを抱き上げて玉座に腰掛ける。玉座の座り心地には未だに慣れなかったが、せっかくの椅子である。ゴブリン後方支援隊の力作で、エンリが座らなければ誰も座らないという椅子なので、エンリが腰掛けるしかないのだ。
「ンフィーはすぐにくるでしょう。ゴブリン軍師さん、あなたの考えを聞かせて。あの男の人、スレイン法国の人で間違いないの? スレイン法国は、ゴブリン王国の敵なの? これからも、襲ってくるの?」
「ほっ、ほっ……陛下、ご心配はわかります。ですが……物事には順序がございます。すこしばかり、整理をさせてくだされ。陛下に申し上げるのには、材料が足りないのです」
「……そう」
エンリは、自分が名君だとも賢明だとも思っていない。むしろ、そういうのは人に任せてきたのだ。
現在も、ゴブリン軍師が考えている。そう思っている。
エンリに話せないこととはなんだろう。すぐに不安になった。
エンリが口を開こうとしたところに、前髪を長く伸ばした華奢な男の子が入ってきた。
「エンリ、ごめん……あの人に呼び掛けられていたから……ちょっと戻って、話していたんだ」
「……あの人?」
「うん。クアイエッセ・ゼパイル・クインブラって言ったかな……ギガントバジリスクを召喚して、僕たちを襲わせた人だよ」
つまり、ンフィーレアは囚人と話してきた。それは、いいことなのだろうか。エンリが戸惑っていると、ゴブリン軍師が笑った。
「ほっほっ。ンフィー殿のおかげで、パーツが揃ったようですな。エンリ陛下……私がこれまで集めた情報をお知らせいたしましょう。今回、ギガントバジリスクを使って我が国を混乱させたのは、スレイン法国の重要組織、漆黒聖典のようですな。スレイン法国とは、戦争になるでしょう。いや……スレイン法国を合法的に滅ぼすために、我が国は建国された。陛下に黙っていたのは……心苦しかったのですが……全ては、アインズ・ウール・ゴウン魔道王の策でございます。現在、スレイン法国は我が国を攻め落とす準備を進めていることでしょう。我が国は、ただ踏み潰されてはなりません。抵抗し、抗うのです。結果として破れても、ゴブリン王国がこの地にあったことは残さなければなりません。そうでなれば、魔道国の全戦力が、世界を滅ぼそうとすることでしょう」
「……どういうこと?」
ゴブリン軍師が恐ろしいことを言ったのはわかった。だが、内容については、エンリにはさっぱりわからなかった。
助けを求めてンフィーレアを見る。頼りになる薬師は、力強く頷いた。
「殴られたら、殴り返せってさ」
「……本当に、そう言ったの?」
「ほっほっ。まあ、短く言うと、そうなりますか」
ゴブリン軍師はほがらかに笑ってみせた。
今話は少し解りにくいかもしれません。
次回は場面が変わり、法国に潜入したある方々の話です。
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12 フードファイト
大陸最強の人間の国、スレイン法国の辺境の街に、有志が集結しつつあった。
北側で国境を接する魔道国には、あまりにも凶悪な戦力を持つために手出しができないという噂はあった。
だが、人間こそ至上の種族だという教義を掲げる法国の臣民にとって、どれほどの強大な存在だろうと、人間以外の国であれば、攻め、滅ぼすべきである。それが当たり前の考え方だった。
魔道国に対してすら、そうなのだ。その間に、突如生まれたゴブリン王国の存在を、国家として見過ごしにしていることなど考えられなかった。
法国の全てを司る神殿勢力は動かない。背後にいる魔導国の影を警戒して動けないのだとは理解しない法国の国民は、国が頼りにならなければ自分たちでと、ゴブリン王国に最も近い街に、次第に集まってきた。
ゴブリン王国の打倒を叫び、人々に集結を呼びかけたのが、銀色の仮面を被った破綻者であることは、気にされなかった。現にゴブリンの王国がある。法国と国境を接している。そのことは、まぎれもない事実だったのだから。
戦うことを望む烏合の集が寄り合う、法国の辺境のアルカラット街で、3人の美しい娘たちが怒られていた。
食堂の片隅で、大勢のいかつい男たちに囲まれてうなだれていた。
理由は簡単である。つまみ食いだ。
娘たちはいずれも劣らぬ美貌の持ち主だが、怒られる理由は、子供でもなかなか無いことだ。だが、それには事情がある。
「あんたたちは料理番だろう。それが、調理中に味見して、今日の食材を全て食べきっちまうってのは、どういうわけなんだ」
たくましい男が腕組みをして凄んだ。
「ご、ごめんなさい。お腹が空いていて……我慢できなかったんです」
女はふるふると震え、目から涙をながした。
「……勘弁してくれよ。どうして、こんな腹ペコのお嬢ちゃんを食事当番にしたりしたんだ」
「いや……腹ペコのはずがないんだ。だって、昼間にも山ほど食べただろう。じゃがいもの塩茹でを山盛りで3皿は食べたはずだ」
別の男が言った。顎髭を生やしているのとは無関係に、食べ物の世話をしてくれた優しい男だと、昼までは思っていた。
「……本当です。お腹が空いて、倒れそうだったんです。シクススも、リュミエールも、決して悪気があったわけじゃないんです。せめて……美味しく食べようと努力していたら……気がついたら、食べきってしまっていたんです」
「フォアイル、その言い方だと、初めから自分たちで食べるつもりでいたように聞こえるわ」
「だってリュミエール……ここの粗末な食事じゃ……私たちの体は維持できないわ」
「待て。ちょっと待て」
怒られている仲間たちで議論を始めそうになったのを見て、最初に話をした逞しい男が止めた。
「……はい」
シクススが居住まいを正す。明るい黄色の髪が、窓から侵入してきた沈みゆく陽光を受けて輝いた。
取り囲む男たちが息を飲んだような気がしたが、シクススにはその理由がわからない。
「じゃがいもの塩茹でを山盛りで一皿では、全然足りない、というのか?」
「……いや。3皿だ」
「3人いるから……一人……何? 一人3皿か? 3人で、9皿?」
「そうだ。だから、腹が減っているはずがないって言ったんだ」
「お前こそ、どうしてそんなに喰わせるんだ! それだけの芋があれば、何人の子供が飢えずに済むと思うんだ」
「仕方ないだろう。もの凄く、美味しそうに食べるんだよ。それで……もっともっとってせがまれて……我慢できるはずがないだろう」
「……お前のことは後だ。あんたたち……毎回雇われた先で、ご主人の館を食い潰しているのか?」
男が凄む。フォアイルが首をかしげた。
「ご主人様は……使用人のご飯は用意してくださるものだと思いますけど……」
「あんたたちの食費をまかなえるご主人様ってのは、どんだけの金持ちなんだよ」
「それじゃ……私たちがまるで、大食らいみたい……」
「その通りだろうが!」
「酷い! 酷いわぁぁぁぁぁっっっ!」
フォアイルが泣き出した。普段は冷淡な態度をとるが実は仲間思いのリュミエールが、優しく肩を抱く。
この男は敵だ。シクススは判断した。
男がシクススの手を掴んだ。シクススは抵抗しようとしたが、ナザリックの中でも最も弱い一般メイドである。そのレベルは1に過ぎない。男の力は、シクススにとっては絶望的なほど強かった。
「何するのよ」
「食べた分の代償は払ってもらう。当たり前だろうが」
「……わかったわ。何をするの? 料理は……材料がないわ」
「ああ。これ以上、あんた達に食材を近づけるわけにはいかない。せめて……体で払ってもらおう。その大量に食った食料でできた体だ。さぞかし、楽しませてくれるんだろうな」
「スケベ」
「変態」
フォアイルとリュミエールのツッコミで、シクススは自分が何を求められているのかを理解した。
「嫌よ」
抵抗しようとしたが、男に頬を叩かれた。
首が痛い。それほどの衝撃だった。
男の背後には、10人近い、同じような体格の人間たちがいる。全員が、薄ら笑いを浮かべている。
シクススは、全身から力が抜けた。恐ろしい。自分たちは、これから汚らわしい人間たちに蹂躙されるのだ。
腰が砕け、シクススはへたり込んだ。シクススに隠れるように、一般メイドの二人も背後に張り付く。何の助けにもならないことは3人ともわかっているのだ。
「やめて……やめて……下さい。乱暴……しないで……」
シクススの声が震えた。情けなかった。ただの人間に、ナザリックに属することもできなかった哀れな連中に、蹂躙される。これほどの屈辱があるだろうか。
「ああ。大人しくしていれば、乱暴はしない。逆に、気持ちよくしてやる」
男が服を脱ぎ出した。
「……ひっ……」
「いい声だ。もっと、啼かせてや……」
下卑た声を出した男の言葉が止まった。口を半開きにしたまま、額に赤い点がついた。
やや遅れて、額に点がついたのではなく、穴が空いたのだとわかった。
大量の血と脳症が飛び出し、男がくずれた。
「おい、どうした?」
「……死んでいるぞ」
その場にいる全員が騒然となった。死んだ男を助けようとした2人が、頭から同じように血を流し、倒れ伏した。
男たちが悲鳴をあげ、食堂の出口に向かおうとした。
その先に、小さな影があった。
「どこから入った!」
「退け!」
「……駄目」
静かな声だった。その声に、シクススは体が震えた。
「……来てくれた」
「……シズちゃん」
シクススの背後で、フォアイルとリュミエールの声が震えた。シクススも同じ思いだった。
食堂から出ようとした男たちが、実に鮮やかに、血しぶきをあげて倒れる。全滅だ。
男たちの死体を縫うように軽やかな足取りで、とても背の低い、金色と赤が入り混じったような長い髪をした、左を眼帯で覆った厚着の少女が近づいてくる。
シクススたちも、人間からその容貌について絶賛されるが、とても敵わない領域にいる絶対的な美少女の表情は固く、少ない。
「……大丈夫?」
口数の少ない少女が、静かに問いかける。シクススは、全力で頷いた。
「……シズちゃん、ありがとう」
まだ床にへたり込んでいたシクススたちの前で膝をつき、あまりにも麗しい少女が白い手で頭を撫でる。
見た目の年齢ではシクススたちのほうが上かもしれないが、少女はある意味では格上の存在で、何よりシクススたちにとって憧れの存在だ。
「遅くなった……済まない……」
「そんなこと、ないです。来てくれただけで……もう……」
シクススは、自分が泣いているのがわかった。少女を心配させる。それがわかっていても、自分の意思で止めることができない。
少女が困ったように首をかしげる。感情表現が苦手なのだ。そんなところも、シクススたちは大好きだった。
少女の目が背後の二人にも及ぶ。シクススに抱きついていた二人が、少女に導かれるように移動するのがわかった。
「……連絡する。少し、待って」
「はい」
少女が立ち上がり、『伝言』のスクロールを使用した。
『シズですか。どうしました?』
『伝言』の魔法は、使用している者以外にその声は聞こえない。だが、シクススには聞こえた。不思議に思って仲間たちを見ると、フォアイルもリュミエールも聞こえているらしい。
その秘密はすぐにわかった。シズが、通信相手の声を真似て発しているのだ。シクススたちに秘密にすべきではないと考えたのか、単に面白いからやっているのかはわからない。
シズの声色は完璧だった。声帯を合成して作り出しているのかもしれない。自動人形であるシズの芸の幅は計り知れないのだ。
だから、通信相手が誰かはすぐにわかった。ナザリックでも切れ者と名高い、悪魔デミウルゴスだ。シズが連絡した相手がデミウルゴスだというだけで、シクススは緊張した。シクススたちの任務は、メイドたちだけの問題ではない。ナザリック全体に関わる問題なのだと、見せつけられたような気がしたのだ。
「……失敗」
「ひっ」
シズの一言に、フォアイルが悲鳴をあげる。課せられた任務に失敗したとなれば、自分たちは不要な存在だと言われてもおかしくはない。そういう相手だ。
『3人とも死亡ですか?』
「……生きている……怪我もなし」
『ならば、まだ失敗とはいえないでしょう。正体がばれて、磔にされる直前というわけですか?』
「……問題ない。ただ……9人殺した」
『仕方ないでしょう。何人に見られました?』
「そんな、ヘマはしない」
『でしょうね。でしたら結構。死体は同行させたシャドーデーモンに回収させなさい。死体が見つからなければ、人間たちは行動が遅れるでしょうから。本当はうまく利用したいところですが……死体を操る能力を持った人を送り込むのには時間がありませんから……シズはそのまま、3人を護衛していなさい。3人は……別の場所に移動して、食料庫を喰らい尽くすまで続けなさい』
「……わかっ……た」
少女とデミウルゴスとの会話の内容は、シクススたちにも聞こえている。なんだかとても失礼なことを言われたような気もしたが、相手が階層守護者のデミウルゴスだと、聞き間違いだろうと気にしなかった。
ただ、シズがずっと一緒に居てくれるらしいことだけは理解し、メイドたちが喜んでいると、相変わらず表情を変えず少女が立つように促した。
CZ2128⊿という一風変わった名を持つ少女は、自動人形というさらに変わった種族の出だった。
乏しい表情に関わらず、非常に愛らしい外見と、武器を自由に付け替えられる汎用性の高さからくる強さ、また、実際にレベルはこの世界の人間なら人外の領域にいると言われる強さから、シクススたち一般メイドからは、アイドルのように慕われている。
シクススたち3人を立たせ、CZ2128⊿通称シズは短く命じた。
「シャドーデーモン……死体を隠して……」
「はっ」
シズの影が不自然に動き、人間たちの死体の下に潜り込んだかと思うと、死体が誰も手を触れていないのにずりずりと動く。
「……行く」
「は、はい」
シクススが返事をする。背後のフォアイルとリュミエールも激しく頭を縦に動かしている。
シクススたち、戦闘力を持たない一般メイドが、何故ナザリックから遠く離れて、スレイン法国の辺境の街にいるのか。
ナザリックの智者として名高いデミウルゴスから、お腹いっぱい食べていられる仕事があるのだが、誰か志願者はいないか。最近では、ナザリックの台所も苦しくなって来ている。一般メイドの食費が、かなり負担になって来ているのだと言われれば、嫌とは言えなかった。
単なる世間話の程をしていたが、実際には3人を呼び出して、目の前で独白されれば、強要されたのも同じことだ。
ただ食べるだけの仕事を失敗などできない。シクススたち3人は固く結束し、早速ひどい目に合うところだった。
憧れのシズが助けに来てくれるとは思わなかった。
シズを先頭に食堂から移動する。
建物を出ると、武器を磨いている粗野な人間たちがたむろしていた。
「おい。ねーちゃん……そろそろ飯の準備が……凄え綺麗な子だな……」
シクススたちを見て声をかけて来た男たちが、シズを見て黙る。シクススは誇らしくなった。
「過ごしでしょ。あんたたちなんか、靴の裏だって舐められないのよ」
「けっ。何言ってやがる。靴の裏なんか……泥じゃねぇか……」
「歩いた後なら舐めてもいいわよ」
フォアイルが茶化した。シズが立ち止まり、片方しかない目を向ける。途端にフォアイルは俯いた。
シズが再び歩き出す。
「でも……シズちゃん。私たち、もう首なんじゃない?」
「うん。料理係で……食材を全部食べちゃったら、今度はどこで働かせてくれるの?」
「……心配ない……料理前の食材を保管した倉庫が……ある」
相変わらず静かに告げる。きっと、事前に調べてあるのだ。
「その倉庫で……何をするの?」
「たぶん、見張り……掃除していてもいい」
「えっ……私たち、別に掃除しないといられない子達じゃないですよ。ただ、ナザリックのあのお部屋は……特別ですから」
「……なら、いい」
いくつか建物を迂回し、シズが大きな倉庫の前に立った。
誰もいない。食料を積んであるだけの倉庫である。そうそう見張りはいない。
鍵がかかっている。
「……見張りって、勝手にやるものなの?」
シクススが尋ねると、シズは機械化している手を出した。その先端が、銃器のように筒状になっている。
静かに鉛の弾が射出され、倉庫の鍵を破壊する。
「わぁ……大胆……」
フォアイルが目を丸くしている。誰かに見られるとまずいという感覚は持ち合わせていたシクススは、急いでシズとともに倉庫の中に入る。
倉庫には、保存食が積み上げられていた。
乾燥した干し肉に、チーズに、乾パンだ。
「一日は、もたせる」
言うと、シズは閉ざした倉庫の扉を溶かしていた。ただ溶かしているのではない。金属部分を溶かして癒着させている。ようは、溶接をしていたのだ。
「……うん。お腹すいたし、さっそく頂こうよ」
シクススが言うと、リュミエールが不安げに尋ねた。
「……でも……今度見つかったら、もっと酷いことされるかも……」
「シズちゃんがいるじゃない」
「ずっといてくれる?」
フォアイルが厚かましいことを尋ねたが、シクススも知りたかった。
「……いる」
短い。だが、とても力強い言葉だ。
「じゃあ……ご馳走になろう。ナザリックのために」
「ナザリックのために」
「ナザリックのために……いただきます」
食料を平らげることがどうしてナザリックのためになるのか、それは考えていなかった。
次回はシズ中心のバトル展開です。
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