終わりのエクスマキナ (七月なご)
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時渡り(クロノス)1

  プロローグ 全ての終わり

 

 繁栄を極めた世界があった。

 多位、多層、多元、無限宇宙の謎を余すことなく解き明かし、素粒子よりも細かく分解された体は宇宙全てを生息域とした。

 データ化された心は肉体が無くとも生き続け、人と交わることなく安寧を得る。

 

 それは神の御技を通り抜けた果て、永久を求めた者の到達点。

 だが、たとえ永久を得ようとも、それが神の御技であろうとも、そこが到達点であるが故に終わりは等しく訪れる。

 

 一人の少女が舞い降りて、その世界は全てが終わる。

 積み木を崩すように、ガラスが砕け散るように、建物が、人が、文明が、生が、死が、宇宙が、神が、空間が、時間が、概念が、現世が、常世が、全てが平等に終わりを迎える。

 

 終わる。

 終わる。

 全てが終わる。

 

 それは始まりと対を成す絶対の終点。

 それは森羅万象の結末。

 それは機械仕掛けの大鎌を持った黒い髪の少女。

 その少女こそ──"全ての終わり"。

 

 表情ひとつ、心ひとつ持たぬ少女がただ立つそれだけで、全ては呆気ないほど容易く終わってしまう。

 故に少女の後ろには何も無く、少女の前にも何も無い。

 少女こそが全ての終わり。

 少女こそが約束された終の孤立者(ラストスタンド)

 

 虚無すら無くなったその場所で、少女はただ独り在り続ける。

 泡沫の夢。

 少女のみが知る世界の終わり。

 少女は独りたゆたう。

 

 それは約束された絶対の孤独。自身が終であるが故の宿命。

 彼女と世界の交わりは、終わりという名の点でしか結ばれない。

 

 彼女を知った者はその瞬間に全てが終わる。故に彼女の姿に意味はなく、彼女の心に意味はなかった。

 ただ少女は目を閉じ次の交わりを夢見る。次の終わりのその時まで──

 

「ふざけないで!」

 

 何も無いはずのそこに怒号が響き渡る。いや響くと言う言葉は不確かかもしれない、それは怒りと言う概念。

 

 黒い髪の少女は見開く必要が無いはずだった眼を開く。

 そこに居たのは白い髪の少女。全ての終わりを迎えた世界で神と呼ばれた存在の一人であり、全知全能を用いて世界を創造した者。

 

 全知全能である白い髪のその少女は、偶然世界の外に在ったことで全ての終わりから見逃された幸運な存在。

 そしてそれ故に、全てを終わらせてしまう"全ての終わり"を認識できた始めての存在。

 無論、黒い髪の少女にとっても初めての偶然であった。

 

「全ての終わり、貴方は全てを終わらせたつもりでしょうけれど、まだ全てが終わったわけじゃないわ。私はまだここに居るもの」

 

 白い髪の少女は強い意志をもって、黒い髪の少女を見据える。

 

「だから私は終わらない世界を作る。消えてしまったこの世界より先を作る。貴方が訪れることのないその世界を見ていなさい!」

 

 白い髪の少女は終りそのものである少女を睨みつけ、宣言するようにそう言うと、創造された新たなる世界へと駆け去っていく。

 黒い髪の少女は、自らと最も遠くなったその場所を眺め、独り静かに微笑んだ。

 

 ──それが"二人"の始まりだった。

 

 

 第一章  時渡り(クロノス)

 

 

 人の歴史は川にたゆたう小船の如し。

 小船進む先は静かな大河か、荒ぶる滝か。その先を選ぶは行く手も知らぬ無知なる船頭。

 故に彼らは暗躍する。人の世が荒ぶる滝に進まぬよう、無知なる船頭からその舵を奪うために。

 その暗躍者達は自らを──躍進機関と呼んだ。

 

 澄み渡った夜空には月と星々が煌き、大地には人々の営みが作り出す光の海が横たわる。

 時は新大正、機械仕掛けの時代。

 

 星海よりの来訪者であり、神と呼ばれる存在である月人(エトランジェ)。

 その月人よりもたらされた水蒸気循環式常温蒸気機関による第二次文明開化より早百年。街には数多の機械が溢れ、かつて人々が求めた夢が便利として叶っていた。

 

 それは全ての終わりを迎えた世界にあった平成と呼ばれた時代。

 ただし、平成と呼ばれた時代とは違い、街の天地に張り巡らされていた電線は影も形もない。

 

 その小さな差異は、この世界が全ての終わりを迎えた世界とは似て非なる世界であることの証。

 そして、そんな新大正の街を息を切らせて駆ける少女が一人。

 

「はあっ、はあっ!」

 

 その少女──平賀・S・小百合は雪兎のように真っ白な髪を振り乱し、触れれば消えそうなほど儚い淡雪のような肌を朱に染めて、人気のない夜のビル街を一心不乱にかけていた。

 その背後には小百合を追いかける怪しい人影がひとつ。

 

「待たれい! 待たれい! 待たれい!」

 

 ビジネススーツに天狗の面を着けた珍妙な男が芝居がかった口調で制止促し、前を行く小百合を猟犬の如く追いかける。

 

「ふん、止まるわけないじゃない。あんな怪しい奴に捕まったら、何をされるか分かったものじゃないわ!」

 

 小百合は真紅の双眸で後ろの様子を一瞥すると、前を向いて再び全速力で走り出す。その表情には突如自らに降り注いだ不条理に対する困惑と苛立ちが浮かんでいた。

 

 事の発端はおおよそ一時間前、繁華街近くの裏路地を歩いていた小百合は、天狗面をつけた男に声をかけられたのだ。

 夜の繁華街は健全な少女には不釣合いな場所。故に小百合は、自らを非行少女と思った警官辺りが声をかけてきたと思ったのだが、それも振り返るまでの話。

 一目で怪し過ぎるスーツ姿の天狗面に身の危険を察知し、小百合は振り返るや否や一目散で逃げ出したのだった。

 

 小百合は逃げる。秋風が僅かに冷やしたビルの隙間を、無人の大通りを、人気のないオフィス街を、裏路地をとにかく逃げる。

 腕組みしたまま走る天狗が、その後ろに張り付くように追いかける。

 地上に散りばめられた灯りの隙間を縫うように、繰り広げられる少女と天狗の奇妙な逃走劇。

 

 そして、そんな逃走劇の終わりはほどなくしてやってきた。

 ビルとビルの隙間を縫うようにするりと裏路地へと入り込む小百合。だがその一手が致命的な悪手だった。そこは逃げ道の無い袋小路。

 進む道を失った小百合は、ローファーの踵でブレーキをかけるようにして慌てて立ち止まる。

 

「くっくっくっ、長らくの逃亡劇もここでおしまいよな」

「──っ!?」

 

 小百合が向き直るよりも早く、背後から聞こえる天狗の声。

 壁の前で立ち尽くす小百合はびくりと肩を震わせると、鋭い表情を取り繕って声のする方へと向き直る。

 小百合がもう逃げられないと思っての余裕か、天狗はすぐに小百合を捕まえようともせず、道の真ん中で小百合を閉じ込めるように悠然と立ち塞がっていた。

 

「平賀・S・小百合さんで相違いないかな?」

 

 天狗は面の顎をしゃくりながら尋ねる。

 

「そうよ。でもだとしたら何かしら? 不躾だわ。人に名前を尋ねるときは、自分から尋ねるのが礼儀だって教わらなかったのね」

 

 きつい口調でそう言って、小百合は天狗を睨みつける。

 この窮地に呑まれて怯まないための精一杯の虚勢だった。

 

「ククク、これは失礼した。ならば受けとれい! 小百合殿!」

 

 天狗は胸ポケットから四角い金属片を取り出し、手裏剣の如く素早く投げつける。

 金属片は鋭く風を切る音と共に、小百合の横にあるコンクリート壁に浅く突き刺さった。

 

「っ────!?」

 

 小百合は体を少しだけ仰け反らせた後、恐る恐る突き刺さった金属片を手に取る。<秘密結社躍進機関構成員"天狗イの七七号">金属片にはそう掘り込まれていた。

 あんぐりと口を開けたまま、小百合、暫しの停止。

 

「ふぁあっ!? ふ、ふざけないで! なんで秘密結社を名乗る癖に名刺なんて作ってるのよ!?」

 

 少しの間の後に再起動した小百合は、開けたままだった口をへの字に結ぶと、金属製の名刺を力いっぱい地面に叩きつけた。

 

「怯えた私が馬鹿らしい! もう品行方正に逃げ回るのは止めよ! 止め止め! 躍進機関なんて裏警察気取りの胡散臭い団体に遠慮なんて要らないわ!」

 

 小百合は怯えた自身を嘲笑うようにふんと鼻を鳴らし、手に提げた巾着袋から刀身の無い機械仕掛けの柄を取り出す。

 そのまま機械仕掛けの柄を構える小百合。直後、柄からビルを照らすほどに眩く輝く刀身が顕現した。

 

「なんと! エレキテルの刀とな!? エレキテルは紛う事の無き有害指定文明ぞ!」

 

 わざとらしいほどに仰々しく驚く天狗。

 有害指定文明。それは人類の発展において多大な危険性を持つと月人が定めた技術の総称。有害認定された技術は地球上全ての国家で禁止され、重い罰則が設けられている。

 

「"百年以上前"から承知の上よ。安心なさい。これは護身用の特別製なの、斬られても痺れるだけで死にはしないわ」

 

 驚く天狗が動き出すよりも早く、小百合が容赦なく天狗に斬りかかった。

 

「ぬぅ!」

 

 気圧され一歩後ずさる天狗。

 小百合はこれ好機と天狗の脇をすり抜け、すれ違い様に天狗を容赦なく斬りつける。

 光り輝く電気の刃が、ビルの谷間を眩しく照らしながら天狗の脇腹を通過した。

 

「ふん、そこで朝まで寝ていなさい」

 

 天狗の後方で小百合は足を止め、後ろを一顧だにせずそう言うと、エレキテル刀の刃を消して再び夜の街へと歩き出そうとする──

 

「クックックッ、問答無用の実力行使とは、実にやんちゃなお嬢様よ」

 

 が、小百合の背後で、斬られて動けないはずの天狗が愉快そうに笑った。

 

「な……ッ!?」

 

 驚いた小百合が振り返るよりも早く、天狗は右側面のビルを蹴って軽やかに跳躍し、再び小百合の逃げ道を塞ぐ。

 

「嘘、どうして普通に動いてるの!? エレキテルの刃があたればまともに動けないはず……」

「くっくっくっ、我々が用も策も無く追いかけるとお思いかな? お主が有害文明に精通しているのは把握済みよ。見よ! これを!」

 

 天狗がスーツの上着のボタンを外す。白いシャツの上、黒ずんだチョッキが着込まれていた。

 

「まさか……対電刃用の防電チョッキ!? 研究すらもされていないはずの技術への対抗策……そう、読めたわ。躍進機関は有害文明の技術を独り占めしようと活動しているのね」

 

 小百合はエレキテルの刃を再び顕現させ、鋭い眼光を天狗に向ける。

 

「心外な。我等は有害文明を否定する側。これは全知全能なる我らが大天狗様から賜った物。そして、その霊知で行うは正義のみ。──即ち全ての終わりを防ぐこと!」

「ご高説ありがとう。でも、実際していることが少女を夜道で襲うことでは全く信じられないわね」

 

 両手の拳を強く握り締めて力説する天狗。

 小百合はそれを冷めた眼差しで鼻でせせら笑った。

 

「ふ、好きに言えい! お主を狙う理由は二つ。ひとつは有害文明の知識を深く所持していること、そして……もうひとつ、お主が時渡り(クロノス)の少女であることよ」

 

 天狗は曲芸の如き早業でスーツの上着を着用すると、腕を組んでポーズを決める。

 

「……そう、それは残念ね。とんだ無駄骨よ。私はそんな素敵な力を持った人間じゃないもの。もし、私が時渡りだとしたらこんな暗澹とした表情で夜道なんて歩いていないわ。大天狗の霊知とやらも程度が知れるわね」

 

 小百合は今でさえ鋭く睨んでいる眼光を更に鋭くして天狗を睨みつける。

 その眼光には他者を寄せ付けない棘と、その棘と対極にある何かがあった。

 

「ふむ、認めぬか。だが、お主が本当に時渡りだろうと、そうでなかろうと結果は同じこと。有害文明に精通したお主を見逃す道理はなく、大天狗様が求めるお主を見逃す道理も無し。大人しくお縄につけい!」

 

 天狗の言葉と共に着込んだスーツが隆々と肥大化し、その隙間から蒸気の煙が立ち上る。

 効率化の進んだ近代蒸気機関において、蒸気を排気するという行為は超高出力機関を搭載していると言う証。そう、それこそ用途が思いつかないほどの。

 

「──なっ!」

「このスーツはただのスーツにあらず。これぞ躍進機関の新式技術。蒸気筋肉鎧《スチームボディ》!」

 

 刹那、天狗が弾けるように疾走し、目を丸くしたままの小百合を一瞬のうちに掌底で吹き飛ばす。

 

「ッ──!? ぁぅ……」

 

 射的の的のように吹き飛んだ小百合は、背中から勢いよく後方の壁に叩きつけられ、糸の切れた人形のように崩れ落ちてしまう。

 

「許せよ、乙女。だが大天狗様は寛大。お主の命までは取らぬだろうよ」

 

 天狗はぴしりと人差し指を立てた後、膨らんだスーツを元の状態に戻す。そして、目的を達するべく気絶した小百合へとゆっくり近づいていく。

 

「ほう、こんな夜更けに怪しい天狗が少女を襲うか。止めておけ。確かにハロウィンも近いが流石に見逃せんぞ」

 

 天狗が小百合に手を伸ばした瞬間、それを遮る様に男の声が響いた。

 

「な、な、何奴!?」

 

 予期せぬ横槍に天狗は慌てて構えを取ると、袋小路の入り口へと視線を向ける。

 通りの灯りが僅かに届く路地の入り口前、そこに居たのは一組の男女。

 

 一人は青空のような水色の長髪を二つに結い、白を基調とするゴシック風の衣装を身に着けた少女。

 その姿は華やかで可憐で艶やか。だがそれと同時に、そのあまりに完璧な顔立ちとスタイルが、どことなく浮世離れした雰囲気を感じさせる少女でもあった。

 

 それと並び立っているのは黒いロングコートを身に着けた黒髪長身の優男。宵の雨がよく似合いそうな男だった。

 二人の組み合わせは見るからにアンバランスで、しかし元からひとつであるかのような不思議な一体感を持っていた。

 

「怪しい奴等め、何者ぞ!?」

 

 予期せぬ乱入者に天狗は焦りの声色で問う。

 

「ははは、怪しい? 面白いことを言ってくれるな。俺は躍進機関などという輩の方が余程怪しいと思うんだが、なあマキナ?」

 

 コートの男は愉快そうに口の端を歪める。

 

「はい、そうですね、エクス。でも、エクスが黒いコートで夜の街を闊歩する様も、怪しいことには間違いないと思いますよ」

 

 マキナと呼ばれた水色の髪の少女は、呆れたような表情をして小さく首を振った。

 

「とにかく、だ。俺の目の前で誘拐劇など承服しかねる。他の天狗のように鼻をへし折られたくなければ、さっさとそこの少女を置いて家に帰れ」

 

 夜風にコートを靡かせ、エクスが毅然と言い放つ。

 

「他の天狗とな……? なるほど、近頃躍進機関の邪魔をする二人組みが居ると聞いていたが……それがお主達か」

 

 天狗は天狗面の鼻先をエクスの方に向ける。その声色からは微かな緊張が窺い知れた。

 

「ふむ、邪魔立てなどをした覚えは無いが、人助けをした覚えは何度かあるな」

 

 対するエクスは余裕綽々の表情でコートをはためかせ、天狗との間合いを悠然と詰めていく。

 

「その蛮行、人助けと言うか! 全ての終わりを防ぐべく、日夜働く躍進機関の理念も知らぬ愚か者めぃ!」

「ほう、そうか、全ての終わりを防ぐか……。それは奇遇だな。俺達も同じ理由でお前達の邪魔をしている」

 

 エクスは余裕綽々の態度を崩さないまま、真剣な目でそう言うと、勢いよく天狗を指差し、

 

「さて、聞くべきことは聞き出した。後は頼んだぞ、マキナ!」

 

 その後の展開をマキナに全て丸投げした。

 

「えっ……?」

「なんと……?」

 

 天狗とマキナが同時に意外そうな声をあげる。

 

「どうした、マキナ? 出番だぞ」

 

 エクスはそんな二人を意に介さず、くいくいと天狗を指差してマキナに行動を促す。

 

「私……ですか? この会話の流れだと普通はエクスが相手取るものだと思うんですが」

 

 はじめに居た場所から動かず傍観者を決め込んでいたマキナが、ぽかんとした表情で小さく右手を上げた。

 

「まさに同意。啖呵をきっておいて、その始末は乙女頼りとは、流石にそれは男子としていかがなものか」

 

 エクスを挟んでマキナの反対に立つ天狗も、小さく右手を上げて同意する。

 

「そうは言うがな、マキナ。俺とお前は一心同体。そして俺は一仕事した訳だ。残りは俺よりも荒事の得意なお前が引き受けるのがフェアだろう」

 

 言って、エクスはちらりと視線を下に向けた。

 

「うぅん、はあ、なるほど、本当にもう……。申し訳ありません、天狗さん。どうやら私がお相手しないといけないみたいです」

 

 エクスの意図を察したマキナは、両手の指を合わせて申し訳なさそうな顔をすると、つかつかとエクスの前まで歩み出る。

 

「ああ、うむ、お主も難儀よの。だがしかし……」

 

 先ほど同様、天狗のスーツが蒸気の吹き出る音と共に肥大化する。

 

「我らが躍進機関の行く末は世界の行く末! 薄幸の少女と言えども邪魔立てはまかり通らん!」

 

 言い終るのと同時、天狗は立ち上る湯気をたなびかせ、弾ける様にマキナへと突進する。

 跳ねる天狗、電光石火一撃必殺の挙動。

 

 対するマキナは慌てず騒がずゆっくりとスカートの裾をつまむと、緩慢な動きのまま天狗の突撃をひらりと躱してみせた。

 

「なんと、乙女がこれを躱すとは……!」

「直線的ですから。簡単ですよ?」

 

 天狗は壁に両手をついて突撃の衝撃を和らげると、くるりと向きを変え、同じ場所に立ったままのマキナに突撃する。

 マキナは再びスカートの裾をつまんで、舞うようにひらりとそれを躱した。

 

「くっ! やはり当たらぬか!?」

 

 半ばやけくそ気味に次々と突撃を繰り返す天狗。

 だが、マキナは秋風に舞う木の葉のように、天狗の突撃をひらりひらりと全て軽やかに躱していく。

 

「そろそろ諦めて貰えませんか? 私は荒事をすると派手にやり過ぎてしまうきらいがありますから」

「そうはいかぬ! まだまだこれからよ!」

 

 歴然とした実力の差を見せ付けられつつも、なおも天狗の闘争心は衰えない。

 

「ふぅ……仕方ありませんね。攻撃、する他なさそうです」

 

 マキナは少しだけ俯いて困ったような表情をすると、キッと眉を吊り上げてふわりと跳躍する。

 直後、天狗が身構えるよりも早く、マキナの拳が天狗のスーツに突きたてられていた。

 

「うぐっ!」

 

 重力を感じさせない跳躍からの重い一撃に、天狗は堪らず腹部を押さえてよろめいてしまう。

 

「まだやりますか? その特別製のスーツでも私の拳は通るみたいですけれど」

「うぐぅ……その羞花閉月の容姿からは想像できぬ重い一撃よ。ならば蒸気筋肉鎧、真の実力を出すとしよう」

 

 天狗は声を搾り出すようにそう言うと、両手を力強く握ってガッツポーズのように構えを── 

 

「出さなくていい、寝てろ」

「グエエエエエ!」

 

 取る前に、エクスが背後から天狗の首筋にエレキテル刀を押し当てた。

 露出部に受けた不意の一撃に、天狗は潰れた蛙のような叫び声を上げてその場に崩れ落ちてしまう。

 エクスはすかさずしゃがみ込んで天狗の安否を確認すると、満足そうな表情をして立ち上がった。

 

「ふむ、マキナ、落ちていたのを拾ってみたがこれは便利だな。持ち主がそう言っていたように、無駄に怪我をさせないのが実にいい」

「もう、エクス……。やるのだろうと思って引き受けはしましたけど、後ろから奇襲のように使うのは卑怯な気がします」

 

 玩具を手に入れた子供のように光る刀身を出し入れするエクスに、マキナは渋面を作って抗議する。

 

「何を今更、卑怯も方便だ。お前でもそうしていたくせによく言う。天狗が動かなくなるまでタコ殴りにされる方が余程可哀相だからな」

「むぅ、それはそうですけれど……」

 

 釈然としないという風なマキナをよそに、エクスは倒れた天狗を一瞥して路地の脇で気絶している小百合の所へと向かう。

 そして、小百合を助け起こそうとしたエクスが、小百合の顔を見て動きを止めた。

 

「どうしましたか、エクス?」

「……似ている」

 

 呟くように言うエクス。

 そんなエクスの様子を見て、マキナも不思議そうな顔をしながら小百合の顔を覗き込む。

 

「……あ、確かに似ていますね」

「ああ、あいつにな……」

「全ての終わり、よく似たこの子の顔……この二つが偶然だといいですけれど」

「さてな。どちらにせよ躍進機関とやらを一層捨て置けんようになったのは確かだ」

 

 言って、エクスとマキナは星空に浮かぶ朧月を見上げるのだった。

 



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時渡り(クロノス)2





「ん……。ここは……どこ……?」

 

 穏やかな日差しを受け、目覚めた小百合が体を起こす。

 そこは綺麗に磨き上げられたフローリングの床に、モノトーンを基調とした家具が置かれた部屋。全ての物が整然と片付けられたその部屋は、まるでホテルのように生活感が無かった。

 

「お目覚めか、お嬢様。言いたいことはあるが、とりあえずは無事で何よりと言っておくべきだな」

 

 黒いソファに腰掛けたエクスが、目覚めた小百合に片手を上げて挨拶する。

 黒いコートを身に着けたままのその格好は、黒いソファと相まってまさに黒ずくめだった。

 

「貴方は……確か……」

 

 まだ意識がはっきりしていないのだろう。小百合は自らのおかれた状況が分からず、きょとんとした顔で自分の周囲を見回す。

 白いシーツ、白い枕、白い包帯、白い湿布、黒いエクスと対比するように小百合の周囲は白に染め上げられていた。

 小百合はしばらく考え込むと、やがて何かを思い出すような表情でまじまじとエクスをみつめる。そして──

 

「ッ! 天狗! 貴方が天狗の正体なのね! そう、ここが躍進機関のアジトなのね!?」

 

 その瞳に棘を宿してエクスを睨みつけた。

 

「ま、待て! 俺のどこが天狗に見える!? 俺は何一つ怪しくないだろう!? いかにも善良な一般市民だ!」

 

 慌てて両手をあげて立ち上がるエクスを、小百合は手近にあった枕を容赦なく投げつけて威嚇する。

 

「動かないで! 見るからに怪しでしょう!? 部屋の中で真っ黒いコートなんて着て! 私をどうするつもりなの!?」

 

 枕だけでは収まらず、小百合は置時計にルームライトと手近にあるものを次々とエクスへと放り投げていく。

 

「くそっ、マキナ、交代、交代だ。どうもこのお嬢様は俺が怪しくて仕方ないらしい」

 

 自らの怪我も忘れて物を投げ続ける小百合に参ったのか、エクスは両手を上げたまま近くに居たマキナにしかめっ面を向けた。

 

「無理もないと思います。せめてそのコートだけでも脱いでおけばいいのに」

 

 マキナは小さく苦笑いした後、小百合のベッド近くに置いてあった椅子に腰掛けた。

 

「はじめまして、私はマキナです。そして後ろの怪しい人はエクスですよ」

 

 言って、朗らかに微笑むマキナ。

 

「え、はじめ、まして……?」

 

 夜の黒が似合う男に次いで現れた昼の明るさが似合う見目麗しい少女に、小百合は手に持った引き出しを横に置き、目をぱちくりさせながら挨拶を返す。

 

「マキナ、お前まで怪しいはないだろう、怪しいは。大体俺の服装にケチをつける権利はお前だけにはないんだが──」

「昨日、天狗さんに攫われそうになった所を、私とエクスで助けたんですよ。覚えていないですか?」

 

 後ろで抗議するエクスをあえて無視して、マキナは優しい口調で話を続けていく。

 

「ん……。覚えて……いないわ」

 

 先ほどよりも精神的余裕ができたのだろう、小百合は周囲の様子をさりげなく探りながら返答していく。

 

「ううん、そうですか……。ええと、そうです、まずは名前を教えてもらっても構いませんか? お名前知らないとお話し難いですもんね?」

「…………」

 

 微笑みを絶やさず小百合の顔を見続けるマキナの顔を見て、小百合は暫し思案する。

 マキナは小百合を警戒させないよう、笑顔を作ったまま無言で返答を待つ。

 

「…………」

「…………」

「そうね、ジョン万次郎よ」

 

 無言と思案の末に小百合はそう答えた。

 

「む、むうぅん、ジョン万次郎ちゃんですか。ええ、はい、そうですか、それはクラシカルなお名前ですね……」

 

 あからさまな偽名を聞いて、マキナはしょんぼりとうな垂れて両手の指先を合わせるのだった。

 

「ハハッ、ほらみろ、マキナ。俺が怪しいのならお前だって怪しいに決まってる。なあ、小百合お嬢様?」

「ッ! 私の名前を知っているなんて……そう、やっぱり天狗だったのね!?」

 

 横から知らないはずの小百合の名を出すエクスに、小百合は僅かに緩んでいた表情を引き締め、エクスの方へ敵意を剥き出しにした表情を向け直した。

 

「馬鹿を言え、攫ったのならいちいち名前なぞ尋ねん。ちゃんと身分証を持ち歩くなんて、用意周到な逃亡者様じゃないか。ハハッ」

 

 エクスは小百合の身分証を指でつまみ上げ、ひらひらと振ってみせる。近くのテーブルには全ての中身を広げられた巾着が置いてあった。

 

「最低ッ! 普通、女の子の手荷物をチェックしたこと、そんなに楽しそうに語る!?」

 

 小百合はベッドから跳ねるように起き上がると、エクスの指から身分証を奪い取り、テーブルの上にあった手荷物をかき集めていく。

 そしてその間、手負いの獣のように殺気に満ち溢れた眼差しでエクスを睨み続けるのだった。

 

「ふん、よく言う。見るからになお嬢様が路地裏で倒れていたんだ。どこの誰か位は確かめて当然だろう? 俺はむしろ助けられて名前を偽るほうが最低だと思うが」

「う……。それはそうね」

 

 エクスの言葉が正論だと感じたのだろう。睨みつける眼光を緩ませ、小百合は申し訳なさそうに視線を逸らした。

 

「だがしかし、だ。マキナのスタイルがずば抜けているのは理解しているが、肉体年齢ではひとつぐらいしか違わんのだろう? その発育と言うのも哀れだな」

「…………へ?」

 

 小百合は丸くした目でエクスを見たまま、暫しぺたぺたぽむぽむと自分の胸の辺りを触る。胸を隠すものは巻かれた包帯以外に何もない。ついでに下も同様だった。

 かあっと顔を赤らめ、胸を隠すように腕を交差させる小百合。

 

「さ、さ、さ、さ、さ、さ! 最低ッっっっっ!! だいっきらいっ!!」

 

 小百合は慌ててベッドに戻り、剥ぎ取ったシーツを体に巻きつけると、部屋の角で追い詰められた猫のようにフーッと威嚇をはじめた。

 

「ふん、他者を度々最低呼ばわりするのなら、せめて助けられたお礼ぐらい言って見せたらどうだ? 嫌味のひとつも言いたくもなる」

「っく! そう、ええ、そうね、あ・り・が・と・う! でも私は孤独で結構。余計なお世話よ! 私は誰にも助けられたいなんて言ってないし、思ってないもの! 私は独りで十分っ」

 

 小百合は一瞬だけ寂しげな表情をした後、口惜しげにエクスを力一杯睨みつけ、部屋から飛び出そうとする。

 

「あっ、待ってください、小百合ちゃん!」

 

 慌てて静止するマキナの声も聞かず、小百合は干してあった自らの服をむんずと掴むと、シーツ姿のまま扉を蹴破るように走り去っていってしまった。

 

「……エクス」

 

 嵐が過ぎ去り静かになった部屋で、マキナがエクスを非難するように冷ややかな視線を浴びせた。

 

「む、すまん。あまりの非友好的な態度に余計な挑発をしたのは認める」

 

 エクスはむすっとした表情で、もたれるようにソファに深く腰掛けた。

 マキナはその様子を見て軽くため息をつく。

 

「もう、不器用なんですから。照れ隠しで毒を吐かずに、そんな態度じゃ余計に心配ですよって言ってあげればよかったのに」

「ふん、そんな恥ずかしいことを面と向かって言えるものか。そもそもだ、マキナ。お前はあいつがそれで可愛く頷いてくれるように見えたのか?」

「う、うぅん、どう見ても見えません、よね……」

 

 マキナは軽く苦笑いをしながら困ったように言う。

 

「そう言うことだ。あいつは俺達に心なんぞ開いていなかった。籠の鳥ならいざしらず、野生の鳥なら飛び立つさ。俺達はそれを邪魔などできまい」

「でも……あの様子ではまた襲われちゃいますね」

「元々躍進機関には用があるんだ。そのついでだ、助ける。あいつに似ているだのの前に、あんな顔で孤独で結構だのと言われたのなら……友好的でなかろうが助けるしかないだろう、俺達は」

 

 マキナはその言葉に何も返さず、窓を開けて静かに空を眺めた。

 先程まで青空だった空には雲が広がり、今にも雨が降り始めそうだった。

 



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無限転生者(リインカーネーター)1

 

 第二章  無限転生者(リインカーネーター)

 

 新大正の夜は明るい。

 

 かつて月人(エトランジェ)がもたらした新型常温蒸気動力は、石炭を用いた古い蒸気機関を瞬く間に駆逐し、それまで研究されていたエネルギー全てを意味の無い物へと変えた。

 パズルを組み立てている最中に完成品を手渡された。そう皮肉げにいった研究者も居た。

 だがそれでも、新型蒸気機関は煤と黒煙に奪われた青空を人々へ還し、失われるはずだった種と自然を守った。その恩恵は間違いなく、人々もその事実を理解していた。

 

 それから百年。新型蒸気機関は人々にとって当然の物となり、社会の隅々にまで組み込まれていた。

 

 故に灯り溢れる新大正の夜は明るい。

 故に百年前よりも澄み渡った星空は明るい。

 

 その街と夜空の両方を一望する高層ビル──新都庁。オフィス街の中心に鎮座する、ランドマークともなっている高層ビル。

 その上層、周囲の街並みを見下ろすように全面ガラス張りされた大広間で、スーツ姿の天狗面達が踊り狂っていた。

 

「いあ、いあ、天狗! これ、天狗! いあ、いあ、天狗でよよいのよい!」

 

 緋毛氈の敷き詰められた高級感溢れる空間に灯りは無く、月明かりだけが部屋を仄かに照らしている。

 その中を大勢の天狗達が舞い踊る。その姿は宴会芸のようでも、できの悪い盆踊り大会のようでもあった。

 

「さあ、もっと踊るのですわ! 今宵は大天狗様が降臨なさる日ですわよ!」

「承知! 風華様!!」

 

 舞い踊る天狗面の中心で、一人素顔を晒した少女が発破をかける。

 整った顔立ちに豪奢なブロンドの髪、エメラルドの瞳。その豊かな胸を見せ付けるように、スーツではなく露出度の高い忍び装束のようなものを着込んだ少女。

 風華と呼ばれたその少女は明らかに他の天狗達とは一線を画した存在だった。

 

「大天狗様がいらっしゃるのはそろそろだと思いますけれど……」

 

 言って、風華は部屋を見回す。

 月明かりに照らされていたはずの大広間は、月が隠れたわけではないのに先程よりも暗くなっている。

 

 そして更に数分、大広間は無明の闇に支配される。

 

 上下も左右も分からなくなったその場所へ、徐々に近づく何かの気配。

 程なくして無明の闇に一本の赤い線が伸びる。それは紛れも無く天狗の鼻だった。

 

「天狗じゃ! 大天狗様じゃ!」

 

 無明の闇の中、誰かが歓喜に満ちた声で叫ぶ。 

 

「おお! 大天狗様! 大天狗様!」

 

 それを皮切りに巻き起こる「大天狗様」コール。踊り狂う天狗達のボルテージは最高潮に達していた。

 伸び続ける天狗の鼻は大広間の空間を超越し、因果地平の彼方まで伸び、その付け根に真紅の天狗面が顕現した。

 

「さて皆の者。大儀じゃったのう」

「「「「ははぁ!」」」」

 

 真紅の天狗面から響いた声に、全ての天狗が踊りを止めて平伏し、その頭を見えない床へと擦り付ける。

 

「では、早速お主達の活動報告を聞くとしようかのう」

 

 大天狗が脳に直接響くような声でゆっくりと語る。

 

「では、はじめに風華。有害文明研究者に兎刑を与えましたわ」

「うむ」

「次に天狗ハの六六号。蒸気機関の効率化に邁進中です!」

「うむ」

「て……天狗イの七七号。時渡り(クロノス)の少女を追い……見事敗北いたしました」

「なんじゃと?」

「ははあっ!」

 

 静かに問い返す大天狗に対し、イの七七号はただただ頭を垂れる。日本に古来より伝わる最強の謝罪戦略"ひたすら土下座"だった。

 

「ほう、なるほどのう……」

「ははぁっ!! なにとぞ、なにとぞお許しを!!」

 

 愉快そうに大天狗の面が揺れる度、イの七七号がより深く頭を垂れていく。

 

「よい、それは仕方ないことじゃ。時渡りの少女、儂が思う通りの者ならば一筋縄ではいかぬのは当然のこと」

「ははぁ、なんと寛大な御心!」

「終の時、儂の元に時渡りの少女が居ればそれでよい。儂も近々その地に降りよう。皆々の者、励むのじゃぞ」

「「「人類の未来のために! 全ての終わりを防ぐために!」」」

 

 全ての天狗面が平伏し、声を揃える。

 

「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ……」

 

 天狗が平伏する中、大天狗は一句詠んで闇の中へと消えていく。

 

 大天狗の長い鼻が全て消えると、部屋には再び月明かりが差し込み、元の薄暗さが戻った。

 

「大天狗様がこの地に降りられる……。その時までになんとしても時渡りの少女を捕獲しないといけませんわね」

 

 風華は物憂げな表情で星空を見上げると、振り返って大広間の天狗達に号令をかける。

 

「さあ、定例活動の続きですわよ。続けるのですわ!」

「はっ! 有害文明研究者の裁きをお願いします!」

 

 天狗が一斉に立ち上がり、整然と円を描くように整列していく。

 

 次いで、巨大な台車に乗せられ、両手足を縛られた白髪の男性が風華の前に引き出された。

 普通の格好をしていれば理知的な老紳士だろうその男は、残念なことに女性物のバニースーツを着用していた。

 

「くそっ! お前達、私にこんな格好をさせてどうするつもりだ!?」

「お名前は……片山啓吾さん。再三の警告にも関わらず、有害文明の研究に勤しんだ頭の残念な方ですのね」

 

 叫ぶ男に一瞥もくれず、風華が手にした資料を読み上げる。

 

「有害文明だと! 無知な輩が勝手に有害扱いしおって! 私の研究が実れば、より安価な動力源を手に入れることができるのだぞ!」

「まあ、流石は頭の残念な方。想像力にも乏しいのですわね。そのプアな頭脳には同情いたしますわ」

 

 力強く言う男の言葉に、無知を嘲笑うかのように風華が口元を歪める。

 

「もしも貴方の研究が実って、そのエネルギーが人類に広く広まったとしましょう。その代償としてまずは大気汚染が深刻化しますわね」

「ぐっ……。だが多少大気が汚れた所でそれ以上の恩恵が……」

「ありませんわ。理論上の最大変換効率から考えて地球上の埋蔵量は大よそ百年分。加えて、大規模に埋蔵されている地域は一部地域に限られる。うふふ、そうなれば利益を求めた者達同士の衝突は必至。正に貴方は死を呼ぶものですわねぇ」

 

 資料を読み上げながら愉快そうに笑う風華。

 それに対して男の顔色は蒼白としていた。

 

「ど、どうしてそんなことまで知っているんだ!? 私でさえそこまで詳しく知らないと言うのに……」

「貴方の浅薄な知恵が出した答えなど、全知全能たる大天狗様が知らないはずがないでしょう。人類にとって有害であると考えて、その動力源はあえて選ばなかっただけですわ」

「馬鹿な……」

 

 男は暴れる手足を止め、天を仰ぐように天井を見つめている。

 

「うふふ、お分かりいただけましたかしら? 大人しく自らの無知蒙昧を認め、大天狗様に忠誠を誓いなさい。そうすればこのまま帰して差し上げますわ」

「断る! そ、そんなことはデタラメだ! 私の半生をかけた研究が既知の失敗作であるわけがない!!」

 

 自己を肯定するように強く言い切る男の言葉に、風華の顔が強張る。

 それと同時に男の周囲を天狗が取り囲んだ。

 

「まあ、なんて見苦しい……。言うまでもなく有罪確定ですわね。兎刑の準備を」

「はっ!」

 

 嫌悪感を顕にした眼差しで男を見下ろす風華。

 そこに天狗がすかさず太い人参を手渡した。

 

「そ、それを使ってどうするつもりだ!? 私は脅しには屈さんぞ!」

「どうするも何も、人参は食べるものでしょう? だから、私が……たっぷり食べさせてあげますわよォ!!」

 

 風華は嗜虐的な笑みを浮かべ、人参を振りかぶった──

 

 

 

 

『次のニュースです。先日より行方の分からなくなっていた片山啓吾さんが、花魁町で保護されました。片山さんは過度の興奮状態にあり、肛門に人参を挿していたことから、研究中の事故と見て──』

 

「はぁ、くだらない。何が研究中の事故よ。無理やりなこじつけすぎるわ。明らかに変態趣味なだけじゃない」

 

 小百合は歩く足を止めると、巨大な街頭ビジョンから流れるニュースを眺めて深々とため息をつく。

 空は夕焼けに染まり、街には灯りがともり始めている。

 足を止めた小百合の横を通り過ぎる人々は家路を急ぎ、小百合を気にも留めていない。

 

 小百合は少しだけ寂しげな表情で行き交う人々の顔を観察すると、再び大きくため息をついた。

 

「さてと、これからどうしようかしら……?」

 

 帰る場所がないわけではない。小百合は天涯孤独の身の上ではあるが、"今回"の両親が残した立派な邸宅も莫大な資産もある。

 だが、小百合は最初から決めているのだ。誰かを頼らず想わず独りで生きていくと──そう、小百合が"生まれてくるずっと前"から。

 

 故に小百合には帰るべき我が家などと言うものはない。

 そもそも、名義上の自宅などとうの昔に躍進機関の監視下になっていることだろう。

 

「昨日の二人、やっぱりお礼ぐらいは言っておいた方がよかったのかしら。私を助けてくれたのは事実だものね」

 

 だがそれでも心に宿ってしまった一抹の寂しさを吐き出すように、小百合は弱々しく呟いた後、

 

「……いいえ、私は独りで孤独に生きていくって決めているんだもの。助けられたからってそんな弱い考えをしてどうするのよ。私は他人のことなんて私は一切考えないわ。そう、他人なんて居ないも一緒!」

 

 そう言い直して、自らを奮い立たせた。

 

「まあ、健気。頼もしい限りですわ」

 

 不意に小百合の肩に押し当てられるやわらかい感触。それは女性の豊かな胸だった。

 

「──っ!?」

 

 驚いた小百合が振り返るよりも早く、小百合の後ろに立つ女は、艶かしい手つきで後ろから小百合の手首を掴んだ。

 ゴクリと小百合の喉が鳴り、蛇に巻きつかれたようにその身が硬直する。恐怖と言う名の直感は絶えず警鐘を鳴らし続けている。

 その女は小百合の直感を肯定するかのように、舌なめずりをして口を開く。

 

「うふふ、わたくしは風華と申しますの。小百合さん、貴方を私達の躍進機関にご招待しますわ。来てくれますでしょう?」

 

 言葉と共に、小百合の首筋にも何かが押し当てられる。それは冷ややかな刃だった。

 自然に、穏やかに、流れるように行われた脅し。夕暮れの街を歩く他人が小百合の窮地に気づくことはないだろう。

 

「…………」

「貴方も命が惜しいでしょう? 来て、くださいますわよね?」

 

 嬲るようにゆっくりとした口調で風華が肯定を促す。

 だが、その嬲るような脅し文句が、逆に恐怖に怯えた小百合の心を落ち着かせる切っ掛けとなった。

 

「ふぅん、そう、命……命ね。別に惜しくないわ。どうせ死なんて大したことがないもの」

 

 小百合は前を向いたまま事も無げに言い放つ。

 思いもよらない言葉に、今度は風華が顔を僅かに顰めた。

 

「この際だから言っておくわ。貴方達は私を時渡りだと思っているみたいだけれど、私はそんなに便利な人間じゃないわ。私は無限転生者《リインカーネーター》。死んでも同じ記憶同じ姿で別の人間となる、不便極まりない人間よ」

 

 首筋に刃を突きつけられたまま、小百合は僅かに振り返り、冷たい眼光で風華を一瞥する。

 年若い少女のものとは思えない冷めた眼差しは、小百合の言葉が嘘ではないと信じさせるには十分なものだった。

 

「だからどうぞご自由に。今の自分に未練もないし、死なんて何度体験したかすら覚えていないわ」

 

 小百合は疲れたように息を吐くと、冷たい眼差しのまま行き交う人々を眺める。

 そんな小百合の姿はこの窮地に動じていないようでも、既に諦めているようでもあった。

 

 小百合の様子に気圧されたのか、思索を巡らせているのか、風華は暫し無言だったが、やがて我に返ったように口元を歪めると、小百合の耳に生暖かい息を吹きかけた。

 

「ひっ!?」

 

 思わぬ返しに小百合が上ずった声をだして目を見開く。

 

「うふふ、強がってしまって可愛いですわ。でも大丈夫ですの。死を恐れなくても、もっと怖いことなんていくらでもありますもの。だから一緒に行きましょうね……?」

「──っ!」

 

 言い知れぬ悪寒に襲われた小百合は、怪我を承知で抜け出そうと試みる──が、いつの間にか小百合の周囲はスーツ姿の人間に囲まれ、逃げ出す隙間など微塵も残されていなかった。

 そして、そのまま小百合の意識は遠のいていくのだった。

 



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無限転生者(リインカーネーター)2

 

「んほぉ! もうらめ! お尻に人参はいんないよぉ!! やめゆ! 研究やめゆ! だから、ばぶぶぶぶぶ!」

 

 病院のベッドで、怯える子供のようにぷるぷると震える中年男性。

 エクスは顎に手を当て、その様子を観察するようにまじまじと眺めていた。

 

「あっ! あおっ! おっ! おっ!」

 

 隣で観察しているエクスなど意に介さず、男は雄たけびを上げながら腹部を跳ね上げる。

 

「ふむ、これはダメだな。話にならん」

 

 エクスはその様子を見てそう結論付けると、懐から取り出した携帯型通信端末を起動し、半立体映像を浮かび上がらせた。

 片山啓吾(会社員)。有害文明指定されているエネルギーについて秘密裏に研究。入院場所、桜都病院三階特別室。

 

「烏丸の奴に無理を言って得た情報も、これでは役に立てようも無い」

 

 エクスは端末と男を見比べて、やれやれと首を横に振る。

 

「しかし、全ての終わりを防ぐと言うお題目で、していることがこれとは笑えんな。ああ、見舞いのリンゴはここに置いておく、後で美味しく頂いておけ」

「無理無理! リンゴはいんないよぅぅ! あおおおおォン!」

 エクスはベッド脇の棚にリンゴの入った籠を置くと、ベッドの上で仰け反る中年男性を無視して病室を後にする。

 病院の廊下、窓の外は音を立てて大粒の雨が降っていた。

 

「通り雨か……。厄介事には不向きな天候だが仕方あるまい」

 

 エクスは目を細め、病院の玄関で黒ずんだ空を見上げると、コートの内ポケットから折り畳み傘を取り出す。そして、後ろをさりげなく一瞥して傘を開く。

 院内にはエクスの動向を窺う人影がひとつ。エクスはそれを確認すると、人気の無い裏路地へとゆっくり歩きだした。

 

 大通りを抜け、線路脇を歩き、人影には気がついていないような素振りでエクスは悠々と街を歩く。

 

「さて、そろそろ出てきたらどうだ。ここなら他人様に迷惑を掛けんで済むだろう」

 

 十分ほど歩いた後、目的の裏路地に着いたエクスは足を止め、振り返って人影に声をかけた。

 

「ほう、我の尾行に気がついていたとは見事なものよ。いつから気がついていた?」

 

 エクスの言葉を受け、物陰からスーツ姿の天狗面が愉快そうに面を揺すって現れる。

 

「病室に入る前からだ。病院でそんなにも趣味の悪いオーデコロンをつけられていてはな」

 

 エクスは傘を畳んで天狗の方へと向き直ると、腕組みをしてニヤリと笑う。

 

「くくく、文字通り鼻が利くと言うことであるか。ひとつ確認しよう、時渡りの少女を助けたのはお主であるな?」

「そうだ、もっとも助けた小鳥は空へと飛び去った後だがな」

 

 言ってエクスは小さく雨雲に包まれた空を指差す。

 

「それだけ聞ければ結構! お主の度重なる邪魔立て、もはや黙認できぬ。悪いが実力行使で大人しくしてもらおう!」

 

 天狗は宣言するようにそう言うと、手につけた革の手袋から蒸気を発し、拳法のような構えを取る。

 

「何、遠慮するな。ついでにお前には情報を置いていって貰う」

 

 エクスも畳んだ傘を壁に立てかけ、懐から借りたままの柄を取り出てエレキテルの刃を顕現させる。

 が、顕現したエレキテルの刃は雨を伝って、エクスへと牙を剥いた。

 

「っ!」

 

 エクスは慌てて刃を消して柄を手放すと、電刃に襲われた右手を大きく振った。

 

「くっ、雨を伝う? まさか電気とやらにこんな特性があったとは……」

「ぶあふぁふぁ! 道具の特性も知らぬで振り回すとは失笑を禁じ得ぬわ! その浅薄な知識が全ての終わりを招くのよ!」

「ふん、よく言う。俺としては全ての終わりを防ぐためは、お前達がもう少し大人しくした方がいいと思うんだがな」

 

 エクスは右手と右半身を後ろに下げ、左半身を前に出すような形で構えを取る。

 

「ほう、苦し紛れの割には様になる構えよ」

「好きに言え。この玩具が無いと言うことは貴様が痛い目に遭うと言うことだ。俺の優しさを失笑で返したことを後悔しろ」

 

 構えを取りつつエクスは天狗を睨みつける。

 

「ふぁふぁふぁ、笑止! ならば改めてお教えしよう、鞍馬山に伝わる蒸気拳法の真髄!」

 

 天狗が構え、それと同時に袖口から噴出す圧縮蒸気。

 雨の路地を滑るように跳ねる天狗。

 蒸気を出した両手袋が暴れ狂い、天狗の拳打が双頭の大蛇の如く牙を剥く。

 

 右、左、右、左、右、左、右右左右左。エクスに向けて矢継ぎ早に繰り出される拳打の雨あられ。

 

 だが、エクスはその全てをつまらなそうな表情で躱していく。

 

「ぐぅ! 当たらんだと!」

「その反応はついぞこの前、お前の仲間から聞いたばかりだ。ワンパターンなサービスは要らん。痛い思いをする前に大人しく情報だけ置いて帰れ」

「なんの! 勝負はこれからよ!」

 

 天狗は姿勢を前のめりにして更に拳を繰り出していく。

 

「ふん、暴力的な奴だ」

 

 エクスは拳打を躱しながら軽くため息をつくと、ふわりとコートを翻す。

 それと同時に天狗は吹き飛ぶように宙を待っていた。

 

「オゴォォォ!?」

 

 更に強まった雨脚と共に、天狗がゴミ捨て場のポリバケツへと降り注ぐ。 

 

「ふん、すぐに暴力に訴えかけるのは関心せんぞ。お前が怪我でもしたらどうしてくれる? 実に迷惑極まりない。反省しろ」

 

 雨の降りしきる裏路地で、エクスが倒れ伏した天狗を見下ろす。

 

「この御仁、よく言う。私には見えたぞ、無慈悲なほどの数多の拳打が……」

「確かにお前が殴らず無抵抗だったなら、俺の所業は最低の畜生だ。それは素直に認めよう。だが、お前は無抵抗だったんじゃなく、当てられなかっただけじゃないか。ならば等しく同罪だ。馬鹿者」

 

 エクスは倒れた天狗の鼻をつま先で蹴飛ばしてへし折る。

 

「グエエエエ!」

 

 鼻をへし折られた天狗が仰々しく叫ぶ。

 

「全く、どこから見てもその鼻は作り物だろうに。実にサービス精神旺盛な奴だ」

 

 エクスは天狗の懐から通信端末を奪い取ると、無理やり指紋認証させて端末を起動する。

 

「宣言通り、情報はいただくぞ」

 

 端末のパネルから浮かび上がった映像を指で滑らせ、エクスは目的の情報を捜索していく。

 

「ほう、娘さん明日が運動会なのか。パパにお誘いのメールだなんて可愛い子じゃないか」

「うおお!! 頼む! 止めてくれ! 娘は! 娘だけには手をださんでくれええええ!」

 

 エクスは必死に立ち上がろうとする天狗の上半身を軽く踏みつけて動きを制する。

 

「するか、馬鹿者! 俺を外道扱いするな。心外だ!」

 

 エクスは一度天狗に吼えた後、改めて端末の操作を開始する。

 と、エクスが情報を見つけるよりも早く、ポコンと言う音と共に目的の情報が浮かび上がった。

 

『連絡。時渡り(クロノス)の少女を捕獲せり。二十一時より三十二階大ホールにて執行開始』

 

 更に少し遅れて表示されるサムズアップする天狗の画像。

 

「ははは、やはりもう捕まっていたか。面倒をかけてくれるお嬢様だ」

 

 エクスは呆れるように苦笑いすると、天狗の端末をパキリと二つにへし折る。

 そして、自らの懐から端末を取り出すと耳にあて、マキナに連絡をはじめた。

 

「ああ、俺だ、俺」

『詐欺ですか?』

「違う」

『はい、分かっています。どうしましたか、エクス』

「マキナ、今天狗を締め上げたんだが、三十二階の大ホールとやらに心当たりはないか? なければ眼下に転がるパパに、今以上の惨事が降りかかってしまうんだが」

『それはかわいそうです。何とか避けてあげたいですね。うぅん、三十二階……。この辺りは月人(エトランジェ)の御所が近いので建築制限がありますから。近辺で思いつくのは新都庁ぐらいでしょうか?』

「新都庁か……」

 

 わざと口に出したエクスの言葉に、天狗が僅かに体を動かす。エクスはそれを見逃さずニヤリと口元を歪めた。

 

「ああ、マキナ。どうやらそこで間違いないようだ。俺は適当に助ける理由を見繕って先に行く。お前も後から合流してくれ」

『烏丸さんからは無茶をしないと言う条件で情報を貰ったはずですが』

「心にも無いことを言ってみるな。あのお嬢様を助けるためだ」

 

 エクスは返答を待たずに通話を終え、雨に塗れた端末をコートの袖でぬぐって懐にしまうと、端末と入れ替えるようにコートの内ポケットから折りたたみ傘を取り出す。

 

「手間をかけたな。娘さんのためにも、俺に迷惑をかけん程度に仕事をがんばってくれ」

 

 エクスは天狗がこれ以上雨に濡れないように傘を立ててやると、黒いコートをはためかせてその場を立ち去るのだった。

 



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無限転生者(リインカーネーター)3

 

 同日二十時五十分、新都庁三十二階大ホール。

 

 巨大な台車に乗せられ、バニーの格好をした小百合が、風華の待つホールの中心へと運搬されていく。

 小百合の両手足はピンクのリボンで拘束され、大の字で台車の上に横たわっていた。

 

「まあ素敵。やっぱりバニーの格好は、汚い中年男性ではなく可愛い女の子に限りますわね」

 

 風華がぱあっと明るい顔をして、嬉しそうに手を合わせる。

 

「くっ! この変態! 何なのよ、躍進機関はそういう趣味の集まりだったわけ!?」

 

 小百合は風華を睨みつけて、リボンを引きちぎろうともがく。

 

「うふふふ……。必死になる様子も素敵ですわぁ」

「変態! 変態ッ!!」

「うふふ、好きに言ってくださいな。この体勢での強がりなんて嗜虐心をそそらせるだけですわ」

「くっぅ、変態……!」

 

 風華は必死に罵る小百合を楽しそうに見下ろす。

 

「風華様、時間が押しています。この者に罪状の確認を……」

「ああ、そうでしたわね。もう問答無用で兎刑にするつもりで居ましたわ」

 

 耳元で囁く天狗に、風華はつまらなそうに右手をひらつかせた。

 

「では、小百合さん、質問ですわ。エレキテル、その技術の出所はどこなのですかしら? エレキテルは数ある有害文明の中でも特に取り締まられている技術ですの」

「出所なんて無いわ。私が護身用に勝手に作っただけよ」

「あら、そうですの」

 

 言いながら、風華は冷たい眼差しで小百合を凝視する。

 

「ほ、本当よ」

 

 風華の眼力に気圧されつつも小百合が答える。

 

「では貴方は独力でエレキテルを完成させたと言うのですわね?」

「そ、そうよ。何よ、文句あるの!?」

「それは不思議なお話ですわ。大天狗様曰く、そのエレキテルの技術はこの時代の水準を遥かに超えているらしいですの」

「言ったでしょ、私は無限転生者(リーンカーネイター)だって! 独力って言ってもかけてる時間が違うのよ!」

「では、エレキテルの研究を始めたのはいつで、そこまで辿り着いたのはいつですかしら?」

 

 風華は小百合を冷ややかな眼差しで凝視したまま更に問う。

 

「……お、覚えてなんていないわ。貴方だって十年前の出来事すらあやふやでしょう!?」

「信じられませんわね。貴方が人類史において常に在ったとしても、独りで人類の千年先は行けないでしょう? もし可能だとすれば、貴方の英知は大天狗様のように未知の領域。無限転生者ではなく時渡りの方がまだ納得できますわ」

「っ……私は嘘なんて言っていないわ。それで信じられないって言うのなら好きにすればいいわ!?」

 

 値踏みするように小百合を見下ろす風華を、小百合は思い切り睨みつける。

 

「ええ、元よりそのつもりですわ。うふふ、好きにさせて貰いますからね」

「っう……!」

 

 邪悪な笑みを浮かべる風華に、小百合は嫌悪の表情を浮かべて押し黙る。

 

「では、小百合さん、これから何が起こるか分かりますかしら?」

 

 風華はうっとりとした表情で小百合に問いかける。理性を感じた先ほどまでとの問いかけと違う、欲望と嗜虐に満ちた口調だった。

 

「知らないわよ! 知りたいとも思わないもの!」

「エレキテルの出所が分からない以上、小百合さんを野放しにはできませんわ。ですから兎刑に処しますの」

 

 風華はしゃがみこみ、小百合の開いた胸元を舐めるように撫で上げる。

 

「……ッ! 止めて、変態! 何が兎刑よ! そんな刑罰知らないわ!」

「なら思い出してくださいな。街頭ビジョンのニュース」

「え……?」

 

 片山さんは過度の興奮状態にあり、肛門に人参を挿していたことから、有害文明研究中の事故と見て──。

 

「へ……? うそ、うそ!? あ、頭おかしいんじゃないの? 私は嫌よ、嫌っ!?」

 

 これからその身に降りかかるであろう惨劇を理解し、一気に血の気が引く小百合。

 小百合は全身を激しく揺さぶって戒めを解こうとするが、頑強に結ばれたピンクのリボンは千切れるどころか緩むことすらなかった。

 

「うふふふふ、思い出してくれましたわね。可愛い可愛い小百合さんですもの、それはもう入念に、ねっとりと兎刑に処してあげますわね」

 

 ぺろりと風華が舌なめずりすると同時に、天狗の集団が小百合の周りを取り囲む。

 

「じょ、冗談でしょ……? 私は何度転生しても記憶を引き継ぐのよ? そんなことされたら永遠に苛まれちゃうじゃない……」

「まあ、それは素敵。まさに一生物の思い出ですわね。大丈夫、小百合さんは女の子ですから沢山人参が挿さりますわよ」

 

 風華はニタァと邪悪な笑みを浮かべ、両手に人参を持った。

 

「こ、これ以上するのなら舌を噛み切るわよ!」

 

 何とか兎刑を止めさせようと、目に涙をためて小百合が必死な顔で脅す。

 

「あら。痛みと快楽の交響曲を御所望ですの。構いませんわ。私は美少女相手に責めるなら、大概ウェルカムですから」

「──ひっ!?」

 

 脅しを意に介さぬどころか、うっとりとした表情をする風華に、小百合の表情に恐怖が満ちる。

 

「そう、それですの! その恐怖に満ちた表情が見たかったのですわ! さあ、天狗達! 合唱なさい!」

「ハッ! ロの五三号、音頭取ります! はい! 小百合ちゃんの! かっこいいとこ見てみたい!」

「そぉれ」

「いっき!」

「いっき!」

「いっき!」

「いっき!」

「いっき!」

「いっき!」

 

 パパンのパン。飲み会のようなコールが巻き起こり、一糸乱れぬ動きで天狗達が手拍子を繰り返す。

 天狗達は狂っていた。間違いなく。

 

「嫌!? なにこれ!? なにこれぇ……っ!?」

 

 圧倒的な熱量を持つ狂気に気圧され、意地と生の諦めで締め上げていた小百合の思考が綻ぶ。

 なぜ。なぜ。どうしてこの人々は皆で平然と狂えるのだろうか。

 

 小百合は今まで何度も転生してきたが、それでもこんな狂った場面に出くわしたことはなかった。

 そして、どうして小百合自身がその狂気を一身に受けなければならないのだろうか──

 

「ひっ!? いや、止めて……!」

 

 小百合はたまらずその身をよじらせる。

 だが、ピンクのリボンで拘束された手足は、小百合が逃げ出すことなど許さなかった。

 

「うふふ、流石にいいお顔をしてくれるようになりましたわね」

 

 風華は手にした人参を小百合の視界に入るように見せつけると、人参で小百合の内ももをなぞった。

 

「ひぃっ!? い、いや、いや、いやっ……!」

「その顔、最高にそそりますわぁ……」

 

 悦に入った風華の顔が小百合の恐怖を最高潮にまで引き上げる。

 

「も、もう……止めて? 本当に嫌よ、嫌なの……」

「ご安心なさい。だぁれも助けなんて来ませんわよ」

 

 そんなことは小百合にも分かっていた。

 それでも歯はかみ合わずガチガチと音を立て、渇いた口から自然と悲鳴が漏れる。

 泣き言は言わない。すがりもしない。ただ孤独に生きると決めたはずの心が叫びをあげ、自らの意思とは無関係に、自らが拒絶しているはずの誰かを捜し求めて突き動かす。

 

 誰か、誰か、誰か──

 

「誰か助けて!!」

「ハーッハッハッハッ! そこのけ、そこのけ、お馬が通るうぅぅっ!!」

 

 それは示し合わせたような間だった。

 

 エクスの高笑いと共にホールの扉が勢いよく叩き壊され、エクスの乗った白馬が疾走し、小百合の前に立つ風華吹き飛ばす。

 完全に不意を衝かれた風華は受身もとれず、ゴム鞠のように弾んだ後、床に倒れて動かなくなった。

 

「なんぞ! なんぞこれは!?」

 

 地上三十二階に突如現れた白馬。それに跨るエクス。

 未だ速度を緩めず、大広間を暴走する白馬の上で、エクスはエレキテル刀を振り回して天狗達を容赦なく切り伏せていく。

 狂気を弾き飛ばす狂気に満ちた光景。今度は正気に戻った天狗達が慄きざわめき出す。

 

「……え、エクス?」

「おや、奇遇だな。そこの貧相なボディのバニーは小百合じゃないか。野駆けをしていたら偶然こんな所に出てしまったようだ。仕方が無いな、何しろお馬さんは人参が大好物だからな。ハハッ!」

 

 小百合の前で停止した白馬の上で、エクスは小百合に向かって不敵な笑みを浮かべる。いかにもこの出会いが偶然であると言いたげな様子だ。

 

「の、がけ……?」

 

 小百合は一瞬のうちに目まぐるしく変化した状況についていけず、目をぱちぱちと白黒とさせる。

 

 そのやり取りを見ていた数人の天狗達がひそひそと話しだし、代表と決まったらしい天狗が小さく手を上げた。

 

「ま、待たれよ、そこの御仁。その筋書き、些か無理がなかろうか。ここは地上三十二階。とてもとても野駆けというのは……」

「いいや、野駆けできた。馬が人参に釣られて暴走しただけだ」

 

 足元に転がる人参に見向きもせず、白馬が雄たけびをあげて上半身を起こす。その上でエクスは断然と言い切った。

 その自信あふれる反応に、天狗達はそれ以上なにも言えなくなってしまった。

 

「さて、野駆けのついでだ。助けて欲しくば助けてやらんこともないが、どうする?」

 

 エクスは小百合の方を向いてニヤリと笑う。

 小百合は一瞬だけエクスを睨みつけたが、すぐにしおらしい表情となって──

 

「っう……たす……」

 

 と、言いかけた所でエクスがすかさず小百合の口を塞いだ。

 

「むぐっ!?」

「出会って間もないが、お前が強情で助けてなんて言わないのは分かる。野駆けのついでだ、今日は言われんでも助けてやる。ついでだからな、恩に着る必要も無いぞ」

 

 言って、エクスはそのまま小百合を抱き上げると小脇に抱えた。

 

「い、いかん! 呆けている場合でないぞ! 者共! 急いで出口を塞げい!!」

 

 白馬の行く手を遮るべく、扉の前にまだ動ける天狗達が次々と集結する。

 しかし、大広間の扉を突き破って廊下側から強烈な拳打が炸裂し、集結した天狗が次々とボウリングのピンのように弾け飛んだ。

 

「エクス。目的を達成したのなら早く帰りましょう。このビルにはまだまだ沢山の天狗さんが居るみたいです」

 

 天狗を吹き飛ばした張本人であるマキナは、誰も居なくなった扉の前を悠然と歩いていく。

 

「ああ、分かってる」

 

 マキナは進路を妨げぬよう、ゆっくりと扉の脇へと避ける。

 その横をすかざず白馬のご一行が駆け抜けていく。

 

「それではおやすみなさい」

 

 襲ってくる天狗がもう居ない事を確認すると、マキナは散乱した人参を一箇所に集め、緋毛氈の上で倒れる天狗達に一礼をして踵を返す。

 

 倒れ伏す天狗達の中、風華がその手をぴくりと動かした。

 



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無限転生者(リインカーネーター)4

 

 夜の街を切り裂いて駆ける白馬。

 混乱に乗じて逃げ出したエクス達一行は、暴走する白馬が切り開いた道を突き進み、今現在は都庁から少し離れた裏路地を走っていた。

 

「はあっ、はあっ……。少しだけ休ませて……」

 

 バニーの格好をしたままの小百合が、ビルの壁面に片手を付いて乱れた呼吸を整える。

 

「小百合ちゃん、飲み物をどうぞ」

「あ、ありがとう……」

 

 マキナからペットボトルを受け取ると、小百合は恐怖と疲労で乾いた喉を潤わせるように一気にそれを飲み干す。

 

「ほう、今回はちゃんとお礼がいえるじゃないか。最初からこの位素直なら手間がかからなかったんだがな」

「……ッ!」

 

 小百合は水分でいつもの思考が戻ったのか、面白そうに小百合を見ているエクスを睨みつけた。

 

「以後気をつけろよ。いつも誰かが助けに来てくれるとは限らんぞ」

「っ! べ、別に私は助けてなんて……」

 

 言いかけたところで小百合の言葉が止まる。エクスに口を塞がれ口にはしていなかったものの、小百合が助けを求めていたのは明白。

 助けを求めていなかったなどと口で言っても、小百合自身虚しいだけだと気が付いてしまったのだ。

 

「と、とにかく、これ以上は関わらないで! 私は独りで生きていくってもう決めてるの!」

 

 目に薄っすらと涙を浮かべつつ、小百合は精一杯の虚勢をもってエクスを睨みつける。だが、その姿はどう見ても寂しい少女が意地を張っているだけだった。

 

「ふふふ、そうですわ。邪魔をされては迷惑ですわよね。だって小百合さんはあれから楽しいところでしたものねぇ」

 

 突如、ビルの谷間に響く甘い声。

 

「小百合ちゃん、危ないです!」

 

 エクスを睨みつける小百合の体をすかさず抱きかかえ、マキナが軽やかに後ろに飛び退く。

 間髪入れず、先ほどまで小百合のいた場所に、豪奢な金髪の少女──風華が音もなく飛来した。

 

「あら、うふふ……。小粋な真似をしますわねぇ。そこの可愛い貴方も一緒に兎刑に処してあげますわね」

 

 ゆらりと向き直る風華。それは先ほどまでの恐怖の再来だった。

 

「ひっ……!」

 

 風華と目が合い、百合が怯えた顔でのけ反る。

 エクスとマキナは同時に半歩踏み出し、小百合を庇う様に風華の前に立ち塞がった。

 

「フッ、どうする小百合お嬢様。これでも関わるなとでも言ってみるか?」

「意地悪はいけませんよ、エクス」

 

 小百合の腕を掴みつつ、マキナが空いた右手の人差し指をピッと諭すように立てる。

 

「あらあら、良かったですわね、小百合さん。素敵な騎士様が二人も居て。でも……私は男を嬲る趣味はありませんの──!」

 

 言うと同時に、風華がエクスに向けて名刺手裏剣を投げつける。

 

「ちぃ!」

「私が嬲るのは可愛い女の子だけ! 男は先にさっさと死なない程度に半殺しにしてさしあげますわぁ!」

 

 コートを翻して手裏剣を叩き落したエクスに、間髪居れずビルの壁を蹴って舞い上がった風華が匕首を振り下ろす。

 エクスは小さく弧を描いて身を躱すが、匕首がコートの裾を縦に引き裂いた。

 

「あらあら、うふふ、本当にもう……。さっさと死ねばいいのに」

 

 風華が向き直り、興奮で頬を赤らめ口元を歪める。

 

「ったく、こんな危険人物が野放しな現代社会はどこかおかしいな。マキナ、小百合は任せた。俺がやる」

「エクス、やはり止めたは聞きませんからね」

「言わんさ。それと忘れ物を借りてるぞ、お嬢様」

 

 エクスは懐からエレキテル刀を取り出し、光り輝く刃を顕現させる。

 

「さあ来い、変態。貴様を今から更生施設送りにしてやる」

「あらあら、強がって、でも駄目ですわ。いくらアピールしても男は可愛がりませんの」

 

 風華は手にした匕首をぺろりを舐めると、独楽(こま)のような挙動で空に跳ねた。

 

「大天狗様に逆らう有害文明推進者として処分されるがいいですわ!」

 

 言うと同時、エクスの首筋に向けて刃が弧を描く。

 エクスは上半身を仰け反らせてそれを躱すと、その流れで上段からエレキテル刀を振り下ろす。

 

「うふふ、甘いですわ。浅薄ですわ」

 

 風華は独楽のようにくるくると回りながら、横に滑ってエレキテル刀を躱す。

 更に流れで匕首を横に薙ぐが、エクスはそれを難なく躱した。

 

「有害文明推進者だと? だが、このエレキテル刀をお前達に渡せば、小百合から手を引く訳でもないんだろう?」

「ええ、勿論ですわ。知識持つ人間を野放しでは意味がありませんし、これは大天狗様の勅命ですもの。ならば小百合さんを手に入れるのはこの世界に必要なことですの」

 

 風華はビルの壁を蹴りこんで、右から左から代わる代わる斬撃を繰り返す。

 

「ふん、この世界とは大きく出たな。信奉しているんだな、大天狗とやらを」

 

 対するエクスもエレキテル刀を横に大きく振り回して、風華の斬撃を弾き飛ばしていく。

 

「大天狗様を知れば分かりますわ。あの方は有害文明を禁止することで、戦争や環境破壊を未然に防いでいますの。貴方達が想像もつかないだろうスケールで、正解を選び続けているのですわ」

「それは神気取りの所業だな……ああ、なるほどな。なぜ都庁に居るかと思えば、躍進機関は月人(エトランジェ)の絡みなのか」

 

 エクスの言葉に風華がピクリと反応する。

 

「あらあら、いけませんわね。お利口さんなのはいいですけれど、月人様を怪しむのは重罪でしてよ?」

 

 風華は胸の谷間から更にもう一本の匕首を取り出し、両手に匕首を持つと、エクスに斬りかかる速度を早めた。

 

「エクス! 手数が倍以上になりますよ!」

 

 横から静かに観戦していたマキナが堪らず声を出す。

 

「ちぃっ! 分かっている! こいつ、嬲らんと言っておきながら手を抜いていやがったな!?」

「うふふふふふふ! だって、私、本気になると止まりませんの! 可愛い女の子を喘がせるまで! 衝・動・がっ!!」

 

 歪んだ笑みを浮かべ、風華が嵐の如く匕首を振り回す。

 エクスはエレキテル刀の柄で匕首を受け止める。

 

 金属のぶつかり合う音と共に、振るわれる匕首は更にその速度を増していく。

 荒れ狂う刃の嵐に押され、エクスが半歩後ずさった。

 

「くそっ、なんとかに刃物とはこのことか!」

「あらあら、ふふふ! 抵抗しなくてもいいのにしぶといですわ。私が嬲りたいのはあそこの可愛いお二人ですの!!」

 

 風華が振り回す匕首は更に精密さと速度を増して、エクスに代わる代わる牙を剥く。

 

「お洋服の一枚一枚を徐々にひん剥いて! 白い肌を羞恥に染め上げて! あの澄ましたお顔を快楽に染めて! その火照りをわたくしがその舌で慰めてさしあげますの!」

 

 狂気と恍惚に満ちた表情で匕首を振り回す風華。

 

「エクス、早くその卑猥な物体を止めてください。小百合ちゃんが怯える子兎のようになっています。私も凄く不愉快です」

 

 横で怯える小百合を抱え、マキナが凍りつきそうな眼差を風華に向けた。

 

「分かってはいるんだがな。これでこいつはかなり、やる!」

 

 エクスは風華の攻勢を何とか避けていくが、風華が繰り出す刃の旋風はなおも勢いを増していく。

 

「うふふふふふふふ!! そして羞恥はいつしか快楽に変わり、行き着くのは忘我体け……う……ぐご……っ!?」

 

 言葉の最中に身を屈め、呻き声をあげる風華。テンション高く匕首を構えた風華の腹部には、鈍い音を響かせてマキナの蹴りが入っていた。

 

「お、おい、マキナ──」

「エクス、交代です。私で淫らな妄想をしないでください。もう耐えられません。有害です」

 

 マキナは心底不愉快そうな表情をした後、足を振り抜いて風華をゴミ捨て場に叩き込んだ。

 

「いや、マキナ。……交代と言う前に蹴りが入っていたぞ」

「問題ありません。そもそもの所、精神的陵辱行為をされていたのはエクスではなく私ですから。実害のある私が実力行使に出るのはごく自然な流れだと思います」

 

 動かなくなった風華の方を向いたまま、ツンとした表情のマキナが答えた。

 

「……全く、容赦なしとは困った奴だ。普段は似ていないのかと錯覚しそうになるが、一皮めくればやっぱりそっくりだな、俺に」

 

 エクスはマキナを見ながらやれやれと頭をかくと、小百合のほうに向き直る。

 

「何はともあれ、終わったぞ」

 

 エクスの言葉を聴いた小百合は無言でしなしなとその場にへたり込むのだった。

 

 

 

 

 その後、小百合はエクスとマキナの住居に戻っていた。

 

 あれよあれよと言う間に連れて来られた小百合だったが、流石に今回は逃げる素振りは見せなかった。

 ただ、少しだけ赤らんだ頬を膨らめて、テーブルとにらめっこをしているだけだった。

 

「それで、何よ。聞きたいこととかあるんじゃ……ないの? 私がどうして襲われるか、とか」

 

 テーブルの向かいに座ったまま何も言わないエクスに、小百合が恐る恐る声をかける。

 

「別に聞きたいことはない」

「ん……っ」

 

 ぶっきらぼうに返答され、小百合が小さく体を揺らす。

 

「じゃ、じゃあ、なんで助けてくれるのよ。親切心だけで助けてくれる限度を超えてるわ、これ」

 

 小百合は俯いたまま、上目遣いでじっとエクスの顔をみつめる。

 エクスはしおらしい小百合の様子に、少し困ったように口を開いた。

 

「お前を助けたのは俺の知り合いに似ていたからだ。だから本当にお前に感謝されるようなことじゃない。今まで通りにしていればいい」

 

 エクスは照れくさそうに小百合から視線を背け、ひらひらと手を振ってみせる。

 

「今まで通りになんて……できないわよ。私は一人で生きていくって決めたのに、貴方達に二度も助けられて、頼ってしまって……全然好きにできてないもの」

 

 小百合は薄っすらと目に涙を浮かべ、頬を更に赤く染めてより深く俯いた。

 

 それを見たマキナがエクスに目配せをする。

 エクスはマキナと見合った後、バツが悪そうに口を開いた。

 

「お前がどうして襲われるかは天狗が勝手に喋っていた。時渡り(クロノス)だそうだな」

「……私は時渡りなんて便利なものじゃないわ。私は無限転生者(リインカーネーター)、死んだら記憶と姿そのままに全く別の誰かになるのよ」

 

 小百合は俯いたまま、意を決したように語っていく。

 

「だから、誰とも関わらないように、誰とも親しくならないようにしてきたわ。最も耐え難い痛みは孤独と喪失の痛みだもの」

「その台詞は矛盾しているな。孤独が痛いのなら何故孤独を求める」

「……孤独が癒されるのが怖いのよ。そうしたらまたいつか失って傷ついてしまう。傷から血を流し続ける方が、治った傷をまた抉られるよりも安らかだわ」

 

 今日の出来事で自らを孤独に押し留めるための心の枷が外れてしまったのだろう、小百合は堰を切るように心の内を語っていく。

 

「なのに……あの時は助けてって叫んでた。きっと心のどこかで貴方達を期待していたのよ。最低よ、私……最低過ぎるわ」

 

 それだけ言うと、小百合は拗ねる様に口を尖らせて再び俯いた。

 エクスは視線をだけをマキナに向ける。

 マキナは小さく頷いて小百合の前へと歩いていく。

 

「それなら、小百合ちゃん。私達の所に住んでみませんか? あの変態から小百合ちゃんを守ってあげられますし、私達も小百合ちゃんがいた方が楽しいですから」

「えっ?」

 

 驚いた小百合は、見開いた目でマキナの顔を見る。

 マキナは両手の先端を合わせてにっこりと微笑んでいた。

 

「つまりだ、お前の心を満たせるものは結局、お前が捨てたつもりでいたもの以外に無いんだろう?」

 

 小百合が否定の言葉を紡ぐ前にエクスがそう続ける。

 

「でも、言ったでしょう? 私はこれ以上誰かを失うのが怖いの」

「なるほど、先を見越すのは賢いことだ。だが、まだ見ぬ終わりに恐怖して、今という時の価値を無くすのは恐怖じゃないのか?」

「今の価値……。そんなこと、考えたことも無かったわ」

 

 小百合は俯いたまま膝の上の両手を握り締めた。

 

「そもそも、出会いも、別れも、人生が一度きりでも度々あるものじゃないか。それを恐れていても仕方あるまい」

「この一歩を踏みしめてみましょう、小百合ちゃん。だって、貴方は心の底では誰かを求めていたんですよね?」

 

 小百合は腕組みをして不敵に笑うエクスと、両手を合わせてにっこりと微笑むマキナの顔を、ゆっくりと交互に眺める。

 

「……そう、ね」

 

 呟く様に言った小百合の言葉に反応し、エクスが立ち上がる。

 

「言ったな。よし、もう反故にはさせんぞ。マキナ、料理の準備を頼む! 歓迎会でもするか! ハーッハッハッ!」

 

 エクスは小百合にこれ以上有無を言わさぬよう、マキナの返答も待たずにコートを翻して部屋から出て行ってしまう。

 小百合がその様子をじっとと眺めていたが、

 

「弱いわ、私……。結局、人恋しさに負けちゃうなんて……」

 

 やがて諦めた様な表情してため息をついた。

 

「大丈夫ですよ、小百合ちゃん。その感情はきっと必要なものですから」

 

 マキナはそんな小百合を見て優しく微笑むのだった。

 



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月人(エトランジェ)1

 

 第三章  月人(エトランジェ)

 

 小百合がエクス達の下で居候をはじめて数日。

 小百合は通りに面したアパート二階の窓から、外の風景をぼんやりと見下ろしていた。

 

 先ほどまで色とりどりに咲いていた雨傘は既に折りたたまれ、人々は雨上がりの道を水溜りを気にしながら歩いている。

 数日前は暴走した白馬で騒然としていた街も、今は平時の落ち着きを取り戻していた。

 いや、平時よりは少し賑やかかもしれない。

 

「いつもながら月人の降臨祭は賑やかになりそうね」

 

 街灯から街灯へと煌びやかな飾りを繋げている者。ここが大きな通りで無いにも関わらず、出店の準備をしている者。それは祭りの前の煌びやかな風景。

 月人の来訪を間近に控えたこの国は、どこもかしこも月人の滞在期間に行われる降臨祭の準備で大忙しなのだ。

 

「あら、あそこには親子連れ。あれは準備じゃなくて子供の誕生日ね。大昔は私も誕生日が楽しみだったわよね。……大昔、か。そのうち今のこのささやかな幸せも終わりが来るのよね」

 

 小百合は窓枠に肘を置いて頬杖をつくと、路上の親子連れを見ながら深々とため息をついた。

 

「燻ってるな小百合。降臨祭が気になるのか?」

 

 そんな小百合を嘲笑うような笑みを浮かべ、エクスが小百合の後ろから窓の外を眺めた。

 

「エクス……。誕生日の子供を見ていたら、昔を思い出したのよ。それで今の生活もいつかは終わるんだろうなって」

 

 小百合は遠い目をして再び深々とため息をつく。

 

「全く、お前はネガティブな考え方が染み付いているな」

「仕方ないでしょう。それが嫌で独りだったのだもの。貴方達と暮らしはじめたってこの思考はすぐには抜けないわ」

「なるほど、お前はまだ孤独が癒えず人恋しくて堪らないわけだ。マキナが食材を買ってきたら改めて三人で出かけるか。そんな気分のときは皆で人間浴でもするのが効果的だぞ」

「な、なんでそうなるのよ! そんなことないわ! そもそも私は追われている身の上だもの、出かける理由が無いでしょう!」

 

 小百合は顔を赤くしながら両手を大きく振って否定する。

 

「ふむ、理由か……。小百合、お前の誕生日はいつなんだ?」

「嫌よ。嫌です。言いません。別に祝って欲しくなんてありませんからね。この話題の流れだもの、意図が見え透いてるわ」

 

 むっとした表情で口を尖らせる小百合。

 

「いつだ?」

 

 聞くなと眼力で威圧する小百合をあえて無視してエクスが聞き返す。

 

「忘れたわ」

 

 小百合は口を尖らせたままそっぽを向いた。

 

「ほう、確か身分証に書いてあった気もするな」

 

 エクスは小百合が邪魔できるように、わざとゆっくり小百合の巾着に手を伸ばす。

 

「ちょ、ちょっと止めなさいよ! 最低っ!」

 

 小百合は慌てて巾着を手に取って両手で抱きかかえた。

 

「そこまで隠したいものでもなかろう。別に減るものでもないんだ、素直に教えれば問題あるまい」

「……今日よ」

 

 小百合は恥ずかしそうに視線を横に逸らすと、いかにも渋々といった風を装って答えた。

 

「は? 今日、だと……?」

「きょ、今日なのよ! 誕生日は選べないもの、仕方ないでしょう。悪い!? だから言いたくなかったのよ。言うと私が催促しているように聞こえるから!」

 

 驚愕の表情を浮かべるエクスに対し、小百合は赤い顔でギャーと吼えた後、両手で自らの顔を隠していやいやと体を揺すった。

 

「はっはっはっ、なるほどな、そうか今日か。それは重畳」

 

 エクスは恥ずかしがる小百合を見て、ニヤリと企んだ笑みを浮かべる。

 

「祝わないで! 絶対に! 絶対に祝わないでちょうだい!」

「ははは、いいアピールだ。これは嫌でも祝えと言われているようなものだな」

「違う! アピールじゃないわ! 本当にお祝いとかしてくれなくていいの!」

 

 勝ち誇った顔のエクスに、小百合は顔を真っ赤にして騒ぎ立て続ける。

 

「……くっ、そうだわ。ならエクスも私の質問に答えてちょうだい」

「な、なに、俺のことだと? 何故その帰結に辿り着く」

 

 思わぬ逆襲にたじろぐエクス。

 

「私だけ個人情報バンバン抜かれるなんて不公平だからよ。そう、不公平よ。だって私、考えてみたらエクスのこと全然知らないもの」

 

 小百合は顔を赤くしたまま膨れっ面でエクスを睨む。

 エクスは顔を僅かに背けて見せるが小百合はそれで手打ちにしない。今度は逆にエクスが追い詰められる番だった。

 

「むぅ……。なんだ、何を聞きたい」

「そうね、それじゃ……私によく似た人とのお話が聞きたいわ」

「却下だ。面白い話じゃない。別のにしろ」

「いいじゃない、別に減るものじゃないでしょう?」

 

 困った様子のエクスを見て、小百合はここぞとばかりに勝ち誇ったように笑みを浮かべる。

 

「くっ……。本当に面白い話じゃないぞ」

 

 エクスは腕を組むと体を横にそむけながら言う。

 

「それでも構わないわ。その人が居たから私を助けてくれたんでしょう? 私を間接的に助けてくれたんだから、その人のことを知っておきたいだけなのだもの」

 

 いつしか真剣な表情になっている小百合を見て、エクスはバツの悪そうな顔で軽く頭をかいた。

 

「むっ、そういうことか。……なあ小百合、お前は自分と言うものを認識するのに何が必要だと思う?」

「え? なによ、いきなり哲学的な話をして」

 

 小百合が怪訝そうな視線をエクスに向ける。

 エクスはそんな視線を意に介さず話を続けていく。

 

「他人だよ。自分と言うものは他のものがあってはじめて意味を持つ。そいつは独りだった俺にはじめて他者と言うものを認識させた奴だ。だが、俺はそいつのことはそれ以上知らん」

「むっ、変な話題の構成だと思ったら、結局知らないで逃げるつもりなのね」

「最後まで聞け。だからお前を助けた理由は本当の所、お前がそいつの姿形に似ていたからが二割、孤独と言ったお前に昔の俺を重ね合わせてしまった不覚が八割だ。それを理解したら自らのあり方でも考えろ」

 

 言い終えると、エクスは腕組みをしたままソファにどすんと腰掛けた。

 小百合は少しの間ぽかんとしていたが、すぐにエクスの意図を理解してエクスを見つめなおした。

 

「だから……私をそんなに気にかけてくれたのね。私も貴方に似て、独りで居ることで私自身を失っていると思ったから」

 

 ソファの上で照れくさそうに腕を組むエクスに、小百合は目を細めて優しげな視線を向ける。

 

「まあ、お前のスレンダーもどきな体型も、マキナの体型と比べてはじめて貧相だと理解するわけだからな。ハハッ」

「……ああ、もう! どうしてそんなに余計なのかしら。最低! 余分な一言がなければ私も反省して素直に感謝できるのに」

 

 小百合は拗ねるように頬を赤らめてぷうっと頬を膨らめる。

 エクスは怒る小百合の様子を見て愉快そうに笑った。

 

「二人とも楽しそうですね」

「あら、マキナさん。お帰りなさい」

「はい、ただいまです、小百合ちゃん」

 

 買い物袋を手にしたマキナは、小百合に笑顔で挨拶すると、エクスの座るソファの傍に立つ。

 

「どうした、マキナ?」

「エクス、お客さんです。烏丸さんが来ています」

 

 マキナは買い物袋を持ったまま、小さく入り口の方を指差す。

 

「烏丸か? 珍しいな、奴がわざわざここまで来るのは」

「暴れるなと言われていた所を派手に暴れましたから」

「……まあ、そうか、そうだろうな。ならば文句を言われてやらんといかんのだろうな」

 

 エクスは渋々と言った風に立ち上がると、アパートの入り口へ向かう。

 

「マキナさん、烏丸って誰なの?」

「エクスの年の離れた友人で刑事さんです。たまにお手伝いしてこっそりお金を貰ってるんです。小百合ちゃんも知っての通り、エクスは厄介事に首を突っ込むのが好きですから」

 

 小百合はエクスの姿を見た後、納得するように頷いた。

 

「そう言うことだったのね。それじゃ、私と出会ったのもお仕事がきっかけ?」

「いいえ、躍進機関の邪魔はあくまで個人的にです。ただ、その際に情報を分けて貰っていたんです」

 

 程なくして、エクスに招き入れられた中年の男──烏丸が部屋に入ってくる。

 よれたベージュのスーツに無精ひげを生やしたその姿は、何とかだらしなくならない一線ギリギリを保っていると言った風だった。

 

「エクス、お前どこに喧嘩売った?」

 

 部屋に招き入れられて早々、烏丸は不機嫌そうな顔でエクスを問い詰め始めた。

 

「開口一番それか、せっかちな奴だ」

「ったり前だろうが! 確かにオレは躍進機関の情報はくれてやった! なのに、どうして月宮庁がお前達を探してるって噂が飛び込んできやがる!?」

 

 月宮庁。それはその名の通り、神とも呼ばれる月人が地上に居る間の警護やお世話をするための専用行政機関。

 ただし、月宮庁は形式上は行政機関ではあるが、月人の直属と言うその特別な立ち位置から、国家の枠組みを超越した特別な権力を持っていた。

 

「ほう、月人絡みだとは思ったが、いきなり月宮庁が動いたか。俺の勘も捨てたものじゃないな」

 

 エクスは満足したように頷くと、不敵に笑ってソファに腰掛ける。

 

「満足してんな、テメェ! マジで月人に喧嘩売りやがったのか!? 月人は完全に治外法権、しかも不老不死だの神通力だのを持った文字通りの人外じゃねぇか!?」

 

 烏丸はエクスの胸ぐらを掴んで、ソファからエクスを持ち上げる。

 

「月人に喧嘩を売った覚えは無い。ただ躍進機関と派手に揉めただけだ」

「チッ! そう言うことかよ……」

 

 エクスの回答を聞いた烏丸は忌々しげに舌打ちすると、掴んでいた胸ぐらを乱暴に離した。

 

「烏丸さん。その、エクスの置かれた状況はそんなに悪いの?」

 

 二人の話を横で聞いていた小百合が、心配そうな顔で烏丸に尋ねた。

 

「このお嬢ちゃんは?」

「居候だ。養ってる」

「養われてなんていません。私はちゃんとマキナさんに生活費渡してますから。エクスよりもきっと甲斐性があるわ」

 

 小百合はジトっとした目つきでエクスを睨みつける。

 視線を向けられたエクスはわざとらしく肩をすくめてみせた。

 

「んで、居候の嬢ちゃん、名前は?」

「小百合」

 

 小百合は烏丸に警戒心をあらわにして答える。

 

「そうか、エクス。つまり……この小百合の嬢ちゃんが絡んでんだな?」

 

 烏丸はマキナが用意した椅子に腰掛けると、テーブルに肘をついて尋ねる。

 

「ノーコメントだ」

 

 エクスはソファに座ったまま腕を組んで目を閉じる。

 それを見た烏丸は少し困ったような顔をして息を吐いた。

 

「ったく……派手に揉めたってってのはそう言う事かよ。そりゃあお前とマキナの嬢ちゃんなら助けるわな……」

「小百合ちゃんのせいではありません。私達は元から躍進機関の邪魔をしていましたから」

 

 烏丸にお茶を出しつつ、マキナが小百合に柔らかな笑顔を小百合に向ける。

 そんなマキナの気遣いをよそに、小百合は心配そうな表情で烏丸を見続ける。

 その様子に烏丸は渋々と言った表情で口を開いた。

 

「まあ、嬢ちゃん……なんだ、正直な所あんま良くはねぇな」

「つまり時間の問題なのね」

「月人を抜きにしても、月宮庁は元々魑魅魍魎の類を狩っていただの、異星人との交渉窓口だっただのと噂される位でな、今の一般常識から離れた技術を持ってる奴等なんだわ」

 

 烏丸はお茶を一気に飲み干すと、天井を見上げて「ふう」と息を吐く。

 それを聞いた小百合は思いつめたような表情で俯いた。

 

「こいつの言葉は気ににするな、小百合。どうせなるようにしかならんさ」

「なるようにってのは、明日お前が海でエビの集合住宅になってるって意味か? オレはそれでも驚かんぜ、ええ?」

 

 平然としているエクスに対し、烏丸はわざと脅すように言う。

 

「烏丸さん、あまり脅すような言葉は止めてあげてください」

 

 さりげなく俯いた小百合の方を指差すマキナ。

 烏丸はようやく深く翳った表情の小百合に気がつき、申し訳なさそうに頭をかいた。

 

「ちっ、ワリィ……嬢ちゃん。別に俺はお前さんを責めようなんて思って言ったわけじゃなくてな。それを言うなら、俺こそこいつらに情報渡した責任があるだろ、な?」

 

 烏丸は小百合に弱々しく苦笑いを向けるが、既に時遅し。小百合は翳った表情をしたまま何も返答をしない。

 

「……弱ったな。心配して来てやったつもりが、逆に邪魔になっちまった。エクス、くれぐれも目立つなよ。お前とマキナのお嬢ちゃんなら隙を見て逃げおおせるかもしれねぇ」

 

 烏丸は苦い顔で片手をあげると、逃げるようにそそくさと部屋を後にしていった。

 

「うぅん、烏丸さんにも、小百合ちゃんにも後味の悪い結果になってしまいましたね」

 

 重苦しい沈黙を遮るように、マキナが困ったような顔でエクスに話しかける。

 

「悪いやつではないんだがな。熱くなると少々配慮に欠けるきらいのある奴だからな」

「烏丸さんは悪くないわ。事実を言っただけだもの。私、やっぱり出て行った方がいいのかしら……」

 

 二人の会話を聞いていた小百合は、物憂げな表情で唇を尖らせた。

 

「ハハッ、お前はろくでもない所で殊勝だな」

「な、何よ。ろくでもない所でって!」

「そうだろう? 何しろ、俺は別にお前に出て行けなど言わんし、思ってもいないんだからな」

「そうですよ。だって私は小百合ちゃんが出て行ったら寂しいです。逆に困ってしまいます」

 

 小百合の顔を見てマキナがにっこりと微笑む。

 

「エクス、マキナさん……」

 

 その表情に小百合の曇った表情が少し晴れる。

 

「さて、改めて出かけるか。曇った心は早い内に気晴らしするに限る」

「な、なによう。別に私は曇ってなんて……」

「ははは、そうだな。お前は特段曇ってないな。俺とマキナがお前を連れて外出したいだけだ」

 

 そう言うエクスの横でマキナがてきぱきと支度をし、あれよあれよという間に小百合を外へと引っ張っていくのだった。

 



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月人(エトランジェ)2

 

「んもう、外出なんてしたらいつ躍進機関に襲われても不思議は無いわ。アパートの場所だって知られるかもしれないし……」

 

 小百合はむすっとした表情で文句を言いながらも、エクスとマキナと一緒に繁華街へ向かって歩いていた。

 

「前にも言ったがな、お前はいつか来る脅威に怯えすぎだ。刹那的に生きろとは言わんが、果て気にしてしまえば誰もまともに生活できんだろう?」

「それは……そうかもしれないけれど、これは十分刹那的な行動よ。これで残りの人生を棒に振りたくはないわ。ようやく私も今が楽しいって少し思えてきたのだもの」

「大丈夫ですよ、小百合ちゃん。もし襲われても私とエクスが守りますから。ね?」

 

 心配そうな顔をする小百合を見て、マキナがにっこりと笑った。

 

「マキナさん……。でも、私は臆病なの。私は知り合いが傷つくのも居なくなるのも嫌よ。嫌だから知り合いを作らず、独りで生きていくって決めていたのだもの」

 

 小百合は拗ねるように頬を赤らめた。

 

「何、俺とマキナは居なくならんさ。だから安心して今を楽しめ。バカのように」

「はぁ、貴方って本当に一言多い性格よね。最後の一言が本当に蛇足」

 

 小百合はむっと眉を吊り上げ、エクスに鋭い視線を浴びせて非難する。

 

「ははは、すまん。お前があまりにいい反応をするからつい、な」

「っな! つまり一言多いんじゃなくて、最初から私をからかっていたのね!? 最低! 本当にさいってい!」

 

 小百合は頬を膨らめて顔を真っ赤にすると、ずかずかと早足でエクスとマキナよりも先へ歩いていってしまう。

 

「マキナさん、行きましょう。エクスなんて置き去りにして!」

 

 小百合は眉を吊り上げたまま、エクスをシッシと手で追い払って、マキナを手招きする。

 

「ははは、エクスにマキナさんか……これは思わぬところで差別化がなされたな」

 

 そんな小百合の様子を見てエクスが言う。

 

「んもう、エクス。ほどほどにしないといけませんよ。いくら素直じゃないと言っても、本当に小百合ちゃんに嫌われても知りませんからね?」

「分かってはいるんだがな……。本当にいかんな、この性分は。よくお前がこの性分を押さえ込めていると感心するよ」

「そこはそう言う役割分担ですから。私がついしてしまう前に、エクスがしてしまうと言うのもありますが」

 

 言って、マキナがエクスを真似てニヤリと笑う。

 そのあまりにそっくりな表情に、エクスは思わず苦笑いするのだった。

 

「と、言うことで早く小百合ちゃんを追いかけてあげましょう」

「ああ、そうだな」

 

 二人が小百合を追いかけようとしたその時、川沿いにできた人だかりの前で小百合が足を止めた。

 

「どうした、小百合?」

「川の所で何かがあったみたい」

 

 そこでは先ほどまでの雨で増水した川で、一匹の猫が必死に泳いでいた。

 

「ミミちゃん! 誰かミミちゃんを助けて!」

 

 橋の上では飼い主らしき少女が、板切れがついたロープを何度も猫に向かって放り投げていた。

 それを見たエクスは、川に向かって走り出すべく人混みをかき分ける。

 

「ちょっと、エクス! 止めて! 貴方までおぼれたら私、困るわ!?」

 

 咄嗟にエクスの手を掴む小百合。

 

「そんな仮定は、目の前で起こっている他者の危機を傍観する理由にならん。俺は助ける」

「っ……!」

 

 毅然と言い切ったエクスに、小百合の手が緩む。

 そして、エクスが改めて川に向かって駆け出そうとした瞬間。既に川辺に到達していたマキナが迷い無く川へと飛び込んだ。

 マキナはそのまま泳いで猫まで辿り着くと、猫を抱きかかえるように保護して、難なく川を渡りきるのだった。

 

「マキナも同時に動いていたみたいだな。まあ、誰でもいい。双方無事で何よりだ」

「…………」

 

 満足げに頷くエクスと対照的に、小百合はぽかんとマキナの姿を眺めた後、バツの悪そうな顔で俯いた。

 

「どうした、小百合? 猫が助かって良かっただろう」

「別に。ただの自己嫌悪よ。二人はそうやって私も助けてくれたんだろうなって……。なのに他人のことになると引き止めて……私、最低よ、最低だわ」

「やれやれ、お前も俺に負けず劣らず難儀な性分だな」

 

 俯く小百合の頭に、エクスはポンと軽く手を置いた。

 

「お前の意見も間違いじゃなかっただろう。それでミイラ取りがミイラになってはそれも不幸だ。まあ、どちらが良かったか大いに悩め、悩めることは実に贅沢だ」

 

 エクスは小百合の頭を軽くぽんぽんと叩く。

 小百合は手を乗せられたまま、上目遣いでエクスを眺めて口を尖らせた。

 

「そうね……それで、でも気持ちとしては、やっぱり私も誰かを助けてあげたいわ。できることなら貴方達のように」

 

 言って、小百合は視線をマキナの方に向ける。

 マキナは猫を飼い主に手渡し、衆目を集めながら二人の所に戻って来る所だった。

 

「猫ちゃん、無事みたいでよかったです。水も飲んでいなかったみたいですから」

 

 周囲の視線をさして気にせず、マキナは両腕で胸を挟むように手を揃えると笑顔でそう言った。

 

「……ッ!」

 

 物憂げにマキナを眺めていた小百合だったが、無防備なマキナの態度に気がつき、頬を赤らめると、慌ててマキナの手を掴んで人混みの外へと引っ張っていく。

 

「お、おい、どうした小百合?」

「どうしました、小百合ちゃん?」

 

 驚くエクスを置いてきぼりにしながら、小百合はぐいぐいと裏路地までマキナを引っ張ると、頬を赤らめたままマキナの胸を指差した。

 

「マキナさん。その……胸」

「はい、胸ですか?」

 

 両手を小さく広げて不思議そうに自らの胸を見るマキナ。

 

「マキナさんの服、胸の部分が白くて、それが濡れてるから、胸……透けているわ」

 

 恥ずかしげに言う小百合。

 小百合の言うとおり、濡れた服はしっとりと張り付いて、マキナのたわわな胸のラインを余すところ無く見せ付けていた。

 

「あ、風邪を引かないように早く着替えないといけませんね」

「そ、そうだけど、そうじゃなくて! マキナさん必死だったかもしれないけれど、見られて恥ずかしいでしょ」

「別にいいだろう、それ位。別に裸で猥褻物を陳列している訳でもあるまいし。下着も水着も大差は無いだろう」

 

 小百合必死の訴えを横で笑い飛ばすエクス。

 

「水着で街を歩くのも問題だし、大差あるに決まってるでしょ! というか、エクスも見ちゃダメ。デリカシーの問題よ、デリカシー!」

 

 小百合はばたばたと両手を動かしてエクスの視線を遮る。

 エクスはその様子に小さく手を上げておどけてみせた。

 

「そうなんです? 今の所は変態忍者みたいに卑猥な視線を向けられてはいないですし、周囲をそんな風に疑うのも失礼かなって思いますけれど」

「んもう、マキナさんまで! マキナさんはこれでもかってぐらい美人さんなんだから、ちゃんと自分でも気をつけないと」

「うぅん、ええと、分かりました。以後気をつけます」

 

 思い切り力説する小百合に、マキナは唇に指を当てたまま少し首をかしげた後ゆっくりと頷いた。

 

「とにかく、まずは一度帰って着替えましょ」

「はい、今日の小百合ちゃんは保護者さんみたいですね」

 

 マキナの腰を押して、マキナを促す小百合。

 それを見たマキナが楽しそうに微笑んだ。

 

「おやおや、楽しそうな談笑の最中ですが、少しお時間よろしいですか?」

 

 突如会話を遮る男の声。

 三人の会話を遮ったのは眼光の鋭い男。短く刈り揃えられた髪に、銀縁眼鏡。高級そうなスーツはきっちりと手入れされ、いかにもやり手と言った風な男だった。

 突如現れた男に対し、小百合はマキナを隠すようにマキナの前に立ち、エクスは更にその前に立ち塞がった。

 

「ほう、月宮庁のエリート官僚殿が俺達に何の用事だ? その三日月のバッチを自慢したいだけなら御免蒙りたいんだがな」

 

 エクスは腕組みをしてニヤリと笑ってみせる。

 

「ああ、これは失敗しましたね。ですが、ご心配には及びません。貴方のお時間は一切不要。用があるのはこの前同様、そこの白い髪の小百合さんだけですので」

 

 鋭い眼光を向けられ、小百合が背筋を少し仰け反らせる。

 

「無用心だな。自分から月宮庁が躍進機関と通じているような発言をしていいのか?」

「既に風華様から聞いていますから。貴方は既に感づいているだろうとね」

 

 言って、男はビジネスバッグから天狗面を取り出し、自らの顔に装着した。

 

「あ、あの天狗達ってエリート官僚だったの!?」

 

 それを見た小百合は驚きの表情をした後、

 

「……最ッ低。それがあんな卑猥なことしてるなんて、この国の未来は暗澹としているわ」

 

 驚きの表情を心底蔑んだ顔に変え、突き刺さるような棘のある視線を天狗に向けた。

 

「理解してくれなどとは言いませんよ。民を守る仕事とはそういうものですから」

 

 天狗はチッチッチッと立てた指を振る。

 

「そして、貴方を求めるのも民のため。大天狗様が仰っていました。全ての終わりを遠ざけるには貴方が必要だとね」

 

 天狗の言葉にエクスとマキナが同時にピクリと反応する。

 

「時渡りの少女、最終確認です。ご同行願えませんか?」

「有るわけ無いわ。あんな末恐ろしい体験二度とごめんだもの。未遂でも最低最悪のトラウマよ!」

「仕方ありませんね。こちらロの三八! 対象との交戦開始。急行中の者は戦闘準備をされたし!」

 

 天狗が三日月型のバッチにそう言うと同時に、天狗から湯気が立ち上り、ボシュコォと言う音と共にスーツが肥大化した。

 

「急行中と来たか……マキナ! 俺がやる。家に帰ったらマキナは丸くて甘いアレでも作っておいてくれ」

 

 エクスの言葉にマキナが無言で頷く。

 

「エクス。大丈夫なの?」

 

 心配そうな顔で小百合が尋ねる。

 

「フッ、小百合は安心してマキナに任せていろ」

 

 エクスがそう言うと同時に、天狗が革靴で大地を蹴って弾丸のように突撃してくる。

 

「いざ参るッ!!」

「やれやれ、忙しない奴だ。こっちはまだ準備が終わっていないんだがな」

 

 エクスは漆黒のコートを脱ぐと、闘牛士のように天狗に被せて視界を塞ぐ。

 エクスが天狗にコートを被せると同時に、マキナが阿吽の呼吸で小百合を抱きかかえて一目散に駆け出す。

 

「マキナさん、エクスは……!」

「あれは囮になるから先に行けと言う意味です。ここで戦っても、三人で逃げても、他の追っ手に追いつかれますから」

 

 マキナは小声でそう言うと、迷い無く裏路地から姿を消した。

 

「流石はマキナ、言わんでも分かるというのはこう言う時に便利だな」

 

 エクスは満足げに頷くと、コートを振り払った天狗と正対する。

 

「おのれ、小癪な真似をしてくれる!」

「さて、暫しの間俺の話し相手にでもなってもらおうか」

 

 壁を走って突撃する天狗。

 エクスはそれを腕組みしたまま蹴り飛ばす。

 

「ちいっ!」

「さて、貴様に聞きたい。先ほど貴様が言った全ての終わりとは何だ?」

「決まっています。全ての終わりとは終末戦争のこと! 大天狗様は幾度と無くそれを防いできました!」

 

 言いながら、天狗は衝撃波を伴う拳打を次々と繰り出す。

 エクスは腕組みをしたまま、それを軽々と躱していく。

 

「ほう、大天狗がそう言ったのか?」

「大天狗様は多くは語らぬ方。ただ行動で正しさを証明していくだけ!」

 

 天狗渾身の拳打。

 それをも軽々と躱すエクス。その後ろでビルの壁がグシャリとへこむ。

 常人では追いきれないような攻防の最中、二人は動きを止めることなく会話を続けていく。

 

「ふむ、お前達が言う程度ならどうでもいいのだがな。問題は大天狗も同じなのかどうかだ。……こればかりは機を見計らって直に確かめねば分からんか」

「何を大それたことを言う! そのような行為を我々が許すはずがありません!」

 

 壁で反動をつけ、天狗が大砲で打ち出されたような突撃から拳の嵐を雨あられと繰り出す。

 

「そうは言うがな。お前と話していても、俺はお前が何も分からんことしか分からんだろう?」

 

 エクスは跳躍し、拳打を放った天狗の腕に飛び乗ると、そのままバク宙して天狗面を蹴り飛ばした。

 

「ブァ!? この動き、風華様並かっ!?」

「俺の身体能力はマキナほどではないが、それでも十分に人間離れしているらしくてな。物理法則に対してフリーダムと言う奴だ」

 

 余裕の表情で嘲笑うエクス。

 天狗は首をぶんぶんと振った後、再度拳打を繰り出していく。

 エクスはそれを上半身を動かすだけで軽々と躱すと、そのまま天狗の面を鷲づかみした。

 

「うぐっ!?」

「この前の変態に比べて随分と劣るな。逆に時間が余りすぎて困る」

 

 エクスは鷲づかみにした天狗を片手で悠々放り投げると、再度腕組みをして倒れた天狗の前に立ち塞がった。

 

「さて折角だ、貴様にはもうひとつ質問に答えてもらうとしよう」

「これ以上質問があるのならば、全知全能たる大天狗様に頭を垂れ、教えを乞うが道理!」

 

 力強くそう言って立ち上がろうとする天狗。

 エクスは体勢を起こそうとした天狗の上半身を踏みつけて、再び地面へと沈める。

 

「ぐっ!」

「俺の質問はお前個人に、だ。……お前だったら誕生日プレゼントに何を贈る? それを聞きたい」

「……は?」

 

 エクスの唐突な質問に天狗の動きが止まる。

 だが、エクスの表情は真剣そのものだった。

 

「言え、お前に拒否権は無い。ちなみに相手は年頃の女の子を仮定しろ。ついでに好みも良く分からん」

「わ、私ならば一緒に買い物に行って本人に選んで貰う」

 

 少しの間の後に天狗が馬鹿正直に回答する。

 

「却下。そんな素直ならば苦労はせんだろう、質問するまでもない」

「な、ならば小粋な店を選んでディナーでも」

「却下。小粋な店は今更予約が間に合わん」

「……この御仁無茶なんと無茶な。好みも分からず時間も無いでは選択肢も何もない。誕生日という一大イベントを前にその心構えでは始まる前に敗北は必至」

「……うぐっ! 俺とて準備期間が十分ならば様々な策を張り巡らせる程度の知恵はある! ええい。役に立たん奴だ、卵からやり直せ!」

 

 呆れるように首を振る天狗面の鼻を、エクスは八つ当たりのように思い切り蹴り飛ばした。

 

「ぐえっ!?」

「もういい、時間稼ぎは終わりだ。やはり現地で見繕う!」

 

 エクスがコートを再び身に着けて、裏路地を立ち去ろうとしたその時、駆けつけてきた天狗が行く手を遮る。

 

「ええい、待たれい!」

「退け! 今の俺にお前達と戯れている暇は無い!」

 

 エクスはエレキテル刀で天狗達矢継ぎ早に乱れ斬りすると、マキナ達が逃げたのとは逆方向に駆け出す。

 

「待たれい! 待たれい!」

 だがそれを遮るように次々と現れる天狗の群れ。群れ。群れ。

 寂れた裏路地が通勤電車のように天狗で満ち溢れていく。

 

「やれやれ、忙しい今日に限って大サービスじゃないか。これ程気の効かんサービスは他にあるまい。チップはやらんぞ」

 

 エクスは大きく息を吐くと、天狗達との間合いを測るようにエレキテル刀を横に振り、自ら天狗達の群れの中に飛び込んでいく。

 

「だが、今更退くわけにもいかん。あの意地っ張りで臆病なお嬢様に、価値のある今を見せてやらねばならんからな!」

 

 エクスは縦横無尽に天狗の間をすり抜け、エレキテル刀を振り回す。

 右薙ぎ、袈裟切り、左薙ぎ、逆風。斬撃の嵐を天狗に浴びせ、エクスは隙間を抜けて振り返りもせず再び路地を疾走する。

 それを追って斬られたはずの天狗も走りだした。

 

「待たれい! 待たれい!」

「ちいっ! この天狗共は防電チョッキとやらを着込んでいたか! お利口さんな奴等め!」

 

 エクスは忌々しげな表情をすると、エレキテル刀を懐にしまって拳を握り締める。

 そして、覚悟を決めて振り返ろうとしたその時──

 

「こっちだ」

 

 よれたベージュのスーツを着た天狗面が、路地裏の扉から手招きをした。

 それを見たエクスは口元歪めると、手招きされた倉庫の入り口へと素早く滑り込む。

 数秒後。遅れて曲がり角を曲がって来た天狗達が、扉の前の道を慌しく駆け抜けていった。

 

「……ふむ、これで不要な暴力は避けられたな。礼を言うぞ、烏丸」

「ったく、言った矢先に派手に荒事を起こしやがって。自重しやがれ、オレも一応心配してんだよ」

 

 烏丸は天狗面をはずすと、面倒くさそうに頭をかいた。

 

「それは素直に感謝しておく。だが、俺達が奴等の邪魔である以上、衝突は避けられんだろう」

「はぁ? それを何とか回避するのが知恵ってもんだろうが!? 何でも力ずくで解決するんじゃねぇ!」

「ほう、至言だな。グゥの音も出んほど正論ではあるが、悩ましいことに避けるだけでは俺の一番避けたいものに直撃しかねん」

 

 言いながら、エクスはドアノブに手を伸ばす。

 

「おい、ちょっと待てエクス! まだ外には天狗がわんさか残ってる。せめてもう暫くここで大人しくしておけ!」

 

 烏丸はエクスの手を引っ張って制止をかける。

 

「そうはいかん。ゆっくりしていてはデパートの営業時間に間に合わなくなる」

「は……? お前、とうとう頭がイカレちまったか?」

 

 烏丸は心底渋い表情をしてエクスの顔を見直した。

 

「いいや、俺は至って正気だ。小百合は今日が誕生日らしくてな、プレゼントを買って無事帰還せねばならんのだ」

 

 エクスは腕を組んで、一人で納得するようにうんうんと頷いた。

 

「誕生日プレゼント? テメェはこの期に及んでそんなことを言いやがるのかよ。狂気の沙汰だぞ!」

「この期だからだ。果ての未来に怯えて、今を苦行にするのでは寂しかろうと思ってな」

 

 エクスは茶化す風も、誤魔化す風も無く、まじめな表情で平然とそう言い切る。

 その姿に烏丸は諦めるように大きくため息をついた。

 

「はぁ……ったく、相変わらず浮世離れしてんな、お前も」

「ふむ、俺としては俗世慣れしたつもりなんだがな。俗世の理とは実に度し難いな。以後気をつけよう」

 

 烏丸はエクスに呆れたような視線を浴びせつつも、懐の財布からスーツと同じくよれた一万円札を取り出した。

 

「ったく……ついでだ、こいつも持ってけ」

「どういう風の吹き回しだ? 俺はお前に施しを受ける言われはないぞ」

「バカタレ、誰がお前になんざにやるかよ。誕生日、小百合の嬢ちゃんなんだろ? 別に今朝の埋め合わせなんて殊勝なこたぁ言わねぇけどよ……オレの分もプレゼントを頼んだ」

 

 烏丸はバツが悪そうな顔で蒸気煙草(スチームパイプ)に火をつけると、フーッと大きく煙を吐いた。

 

「そういうことか、承知した。お前がその場で選んだかのような物を贈っておいてやる」

「ケッ、それじゃ大顰蹙だろうがよ。自慢じゃねぇが、オレは自分のガキのプレゼントすらまともに選べる自信はねぇんだよ。お前の見立てでいいものを選んでやれ」

「ははは、そうか、俺はそれも愛嬌だと思うんだが仕方あるまい。出資者の意向には逆らえんからな」

 

 いいなと念を押す烏丸を横目に、エクスは愉快そうに口元を吊り上げたまま倉庫の扉を開ける。

 

「……いいか、エクス。オレも危なくねぇ程度に調べとく。だから最後まで面倒見てやれよ。それが責任ってヤツだぞ」

「ああ、勿論だ」

 

 エクスは片手を上げて、振り返らずにそう言った。

 



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月人(エトランジェ)3

 その後、エクスはデパートの一角に居た。

 そこはキュートなキャラクターグッズが所狭しと鎮座したファンシーフロア。

 

 可愛らしいがぎゅうぎゅうに詰まったそのコーナーに、宵闇の如く黒いコートを靡かせた男が一人。

 怪しいを鼻歌交じりのスキップで通り越した取り合わせに、フロアの店員は「やだ何あの人、何かの撮影かしら」「でも、ちょっとかっこいいかも」などと好き好きにのたまいながら、エクスの動向を逐一観察している。

 

 だが、当のエクスはそんな様子を全く意に介さず、フロアの端から端まで精査するように何度も往復していく。

 そして何往復目か、二つの大きなぬいぐるみを抱きあげてレジへと動いた。

 

「これが欲しい」

「え、あ? はい! お、お会計は一万六千五百五十四円になります……」

「ああ、ラッピングはギフト用のピンクうさちゃんで頼む」

「は、はい!」

 

 しどろもどろする店員などどこ吹く風。

 エクスはラッピングされたぬいぐるみを満足げに眺めると、大切そうにぬいぐるみを抱きかかえて意気揚々とデパートを後にする。

 

 ──だが、デパートの出口には既に何人もの天狗が待ち構えていた。

 人通りが多いデパート前の道には撮影中と書かれたテープが張られ、人々は奇矯な天狗の一団を横目で見ながらテープの外を行き交っている。

 どうやら天狗達はこれから起こる出来事を撮影中の一シーンだと言い張るつもりのようだった。

 

「ほう、まるで動物園の檻の中だな。俺は買い物に来たつもりだったんだが」

「ふふふ、目的のものは買えたかな?」

「ああ、だからそこを退け。俺のポップな手荷物を見て、全てを察し、優しい眼差しでゆっくりと道を空けろ」

「ふぁふぁふぁ、品行方正な若人ならば素直に道を空けよう。だが、お主の行いならばそうはいかぬ」

 

 人々の好奇の目も、眉間に皺を寄せるエクスも一切気にせず、大通りで高笑いする天狗達。

 エクスはピンクの包みを両手に抱えたまま、殺気を込めた視線で天狗を睨みつけた。

 

「いざ、今日こそ年貢の納め時よ!!」

 

 ボシュボシュと次々に音を立て、蒸気筋肉鎧を肥大化させていく天狗達。

 街灯を蹴り飛ばし、柵を飛び越え、街路樹を飛び移るように、天狗達が縦横無尽に街を飛ぶ。

 

「時間がないのに全くもって面倒な奴等だ。少々痛い目に遭わせるぞ。重々反省しろ!!」

 

 ピンクの大包みを両手に抱え、黒いコートのエクスが跳ねた。

 

 

 

 

「……ふう」

 

 台所で料理をしているマキナの横、小百合は物憂げな表情で壁掛け時計を眺めると、深々とため息をついた。

 

「どうしましたか、小百合ちゃん。そんな物憂げな顔をして」

「エクスが遅いなって、それと……少し自己嫌悪ね」

「自己嫌悪ですか?」

 

 マキナが不思議そうに首を傾げる。

 

「エクスもマキナさんも、平気な顔をして誰かを助けることができるのよね。なのに私は自分のことばっかりだなって」

 

 言い終えて小百合は再びため息をつく。

 

「うぅん、そんなに大層なものではないと思いますよ? 私とエクスの場合、ただ好きでやっているだけですから」

「そうやって事もなげに言われるから、余計に私は自分を省みてしまうのよね」

 

 小百合は困ったような表情をして苦笑いした。

 

「小百合ちゃん、そうやって悩めるのは素敵なことですよ。自分を省みることができるのは、その向こうに他の人が居るからですから」

 

 マキナはにっこりと笑ってみせる。

 

「そう、なのかしら。私自身としては恥ずかしいことなのだけれど」

 

 小百合は頬を赤らめ、視線を下に向けたまま軽く頷いた。

 

「はい、大丈夫です。悩むのは成長している証拠ですから。後はその優しさを他の誰かに分けてあげることができれば、きっと小百合ちゃんの世界は広がっていきますよ」

「……ん、マキナさんもエクスと同じようなことを言うのね」

「え、エクスも言ってましたか? うぅん、それは仕方ないです。私とエクスの思考は概して一緒ですから」

 

 眉の端を少し下げてマキナは苦笑いする。

 

「ねえ、マキナさん。常々思っていたのだけれど、エクスとマキナさんってどういう関係なの?」

 

 事もなげに一緒の思考だと言い切るマキナの態度に、小百合は不思議そうな顔をして尋ねた。

 

「え、私とエクスの関係ですか?」

「そう、今日の天狗の時もそうだったけど、阿吽の呼吸って言うか、凄い信頼関係だもの」

「うぅん……そうですね。言われてみると不思議な間柄に見えますよね」

 

 粉がついたままのすらりとした指を唇に当て、思案し始めるマキナ。

 

「あ、興味本位だから失礼な話ならそう言ってくれればいいのよ?」

「いえ、大丈夫ですよ。ええと、小百合ちゃんは同位体(パラレル)……って言っても分かりませんよね?」

 

 マキナは少しだけ思案した後、小百合をチラリと見ながら、確かめるように恐る恐る尋ねた。

 

「ぱられる? 平行世界?」

「ごめんなさい、やっぱり分かりませんよね。そうですよね、良かった。気にしないでください。この前読んだ専門書の内容なんです。それで私とエクスの関係ですよね」

 

 マキナは安堵したような笑顔を浮かべると、少し早口で喋って本題へと誘導していく。

 この話題には極力触れられたくない。そんな意思が露骨に見て取れるほどだった。

 

「私とエクスの関係は、本人と言う表現が一番近いと思います」

「本人って……。マキナさん、それは同一人物って意味よ? 常に片方しか見たことがないのならともかく、私もそれは流石に違うって言い切れるわ」

「え、う、うぅん、そうですね、そうなっちゃいますよね。言葉って難しいです。え、ええと……なら双子とか言う関係でしょうか。相棒という奴ですね」

「双子と相棒は全然違うものだと思うのだけれど……とりあえず、エクスとマキナさんは双子だったのね」

「はい、一般的な双子のイメージよりは、少し複雑怪奇で仲良しだと思いますけれど」

「ふぅん、双子だったのね。てっきり私は恋人みたいな男女関係の延長線だと思っていたわ」

「……小百合ちゃん、そう言う疑念は冗談でも止めてください。私とエクスが恋人だなんて、考えただけでもおぞましいです。怖気がします」

 

 納得するように頷く小百合に、マキナは眉を吊り上げると人差し指を立てて「くれぐれも止めてくださいね」と強く念を押した。

 

「ははは、その通りだ。マキナと俺が恋人だなんて、クレイジーなジョーク以外の何物でもない」

 

 と、丁度その時、アパートの扉が開き、ボロボロになったエクスが部屋の入り口に倒れるように座り込んだ。

 

「エクス!? ボロボロじゃない、大丈夫!?」

「待て」

 

 エクスは心配そうに駆け寄る小百合を手で制止すると、壁に手をついてよろよろと立ち上がる。

 

「な、何……?」

「はーっはっはっ! ハッピーバースデイ! 小百合ちゃん!」

 

 エクスがコートの内ポケットから取り出したクラッカーを引く。

 パンと軽快な音が鳴り、カラフルなテープが宙を舞う。

 カラフルなテープを頭に乗せたまま、暫しぽかんとする小百合。

 

「へ? へ、へ? ……ば、馬鹿じゃないの!? どうして心配までさせてそんなことするのよ!? 私がどれだけ心配したと思ってるの!?」

 

 暫しの間の後、小百合は今にも涙が流れそうだった目を丸くして、真っ赤な顔でエクスを睨んだ。

 

「お前の誕生日とやらは何度来たのか、これから何度来るのか俺には分からん。だが、今のお前が迎えるこの歳は一度だけで、俺達と出会った最初の誕生日は今回だけ。だから祝いたかった」

「それは、そう、かもしれないけれど……」

「まあ、なんだ。つまるところ今日がお前の楽しい思い出になればいいと思ってな。辛い記憶ばかり溜め込む必要などなかろう」

 

 照れくさそうにそう言って、エクスは穴の開いた二つの包みを差し出す。

 

「俺と烏丸からだ。まあ途中、穴が開いてしまったが……まあ、愛嬌だと思え」

 

 エクスは顔を横に背けながら、押し付けるように二つの包みを小百合に手渡す。

 小百合は少しの間、手渡された包みを眺めていたが、

 

「こんな子供みたいな扱いを受けたのっていつ以来かしら。ありが……」

 

 やがて照れくさそうに感謝の言葉を──

 

「……と、まあ大仰な言い訳をしてみたが、勘違いするなよ。俺はお前の誕生日を好き好んで祝っているんじゃない。ケーキが食べたかっただけだ。さあマキナ、ケーキを切り分けるぞ」

 

 言い終わる前に、エクスは小百合の言葉を遮ると、グッと親指を突き出してマキナに向けてサムズアップした。

 

「それなら感謝の言葉ぐらいちゃんと言わせてくれればいいのに、本当に意地悪よね、貴方……」

 

 そんなエクスの態度に、小百合は拗ねるように唇を尖らせて頬を赤らめた。

 

「あの、エクス……。小百合ちゃん、今日がお誕生日だったんですね」

 

 そんな二人のやり取りを、ぽかんとした表情のまま眺めていたマキナが、恐る恐るエクスに確認する。

 

「マキナ、珍しいことを言うな。そうじゃなきゃ、俺がケーキなんて頼まないだろう」

「いえ、まあ、その……。私もその情報さえ貰えていればケーキを作っていたと思いますけれど……」

 

 歯切れ悪く言って、マキナは視線を宙に泳がせ続ける。

 

「どうした、マキナ? 何が言いたい? 俺がお前の発言を理解できないというのは相当のことだぞ」

「丸くて甘いあれ……。ほら、丁度十五夜は雨でしたから」

 

 マキナは悲痛な表情をして俯く。

 

「まさか……」

 

 ハッとした表情をするエクス。

 

「マキナさん、一生懸命作っていたわよ。月見団子をだけど」

 

 小百合が呆れた顔で机の上を指差す。そこにはまさしく小百合が述べたとおり、いくつもの月見団子が置かれていた。

 

「ごめんなさい、小百合ちゃん。私、お誕生日だなんて知りませんでした……」

 

 マキナはしゅんとした表情で身に着けたフリルのエプロンの肩紐を噛んだ。

 

「仕方ないわよ。だって、いくら同じ思考だのって言っても、知っていることが違えば答えは違うのだもの。それに二人が居れば、私は月見団子でも十分に楽しいわ。さ、お団子を食べましょう?」

 

 小百合は勤めて笑顔を作ると、二人に微笑みかけるのだった。

 

 

 

 

 

「……そう、逃げられましたのね。仕方ありませんわ。月人様をお迎えしないといけない以上、これ以上の戦力は割けませんわ。貴方達も戻っていらっしゃい」

 

 包帯をビキニのように巻いてバニーのつけ耳をつけた女性。月宮庁特別専忍次官──服部風華は本物の耳に着けたイヤホンのスイッチを切って、大きくため息をついた。

 

 月人(エトランジェ)が地上に居る間に滞在する月人御所の一角。

 光り輝く幾何学模様が刻まれた円形のスペースであり、儀式の祭壇を思わせるそこは月人専用の発着場。

 無論、発着するのは飛行機や飛行船などではない。発着するのは月人が乗る宇宙船。

 そう、ここはこの国でも数少ない宇宙船発着場だった。

 

 そして正に今、その発着場にひとつの円盤が飛来していた。

 月を覆い隠すように音もなく飛来したその円盤は、今現在は地上で輝く幾何学模様を覆い隠しながら、刻々と地上へと近づいていく。

 月宮庁の職員たちは全員整列し、その様子を固唾を呑んで見守っている。

 

「着陸確認。さあ、全員準備なさい!」

 

 やがて、円盤が完全に着陸停止したのを確認すると、風華は控えている月宮庁の職員達に指示を出す。

 雅楽団は慌しく楽器を構え、バニースーツの乙女達は円盤前に並んで道を作る。

 その様子を確認した後、風華は『猛烈反省中』と書かれたプラカードを首にぶら下げた。

 

 程なくして黒い円盤の端にある扉が徐々に開き、漏れ出す光が扉の形を作り出す。

 それに合わせて雅楽の音が周囲に響きはじめる。

 

 光の扉から現れたのは白い髪の少女。巫女服のような衣装を身につけ、顔には兎の面を被っている。

 一見すれば年若いだろう普通の少女。だが、その少女こそが月宮庁が貴賓として迎える月人その者に間違いなかった。

「お待ちしておりましたわ、羽絶兎(バゼット)月之大神様。高貴なる月人の来訪、国民一同大いに喜んでおりますわ」

 

 バニーが作った道の真ん中で風華が恭しく礼をする。

 極限まで張り詰めた空気の中、バゼットと呼ばれた月人は、しゃんしゃんと鈴の音を鳴らしながら地上に降り立っていく。

 それは現代に再現された神話の一シーンそのものだった。

 

 地上に降り立ったバゼットは、列を成して出迎えたバニー達を労うようにその手を横に滑らせ、ゆっくりと口を開いた。

 

「うむ、皆の者も壮健そうで何よりじゃ」

「それと……バゼット様。時渡りの少女のこと、知らぬとはいえ大変失礼を致しましたわ」

 

 風華は目の前に立つバゼットに対し、プラカードをぶら下げたまま深々と頭を下げる。

 

「構わぬ。言いふらすことではないと思い、お主にまで言わなかったのは儂の迂闊じゃ」

 

 バゼットは顔を上げて遥か先まで広がる街並みを眺める。

 ビルの灯りは綺羅星の如く輝き、天に花咲く星々と共に大地を照らしていた。

 

「それよりも風華、この街の夜も少し見ぬ間に随分と眩くなったものじゃな」

「その灯りはバゼット様の与えたもうた物でございますよ」

 

 頭を上げた風華は、ごく自然にバゼットの後ろに控えた。

 

「そうじゃな。平成の世と同じ輝きじゃ」

「平成?」

「主達、いや儂以外の月人も、そう誰も知らぬ世界にあった時代の話じゃ。もはや過去とも呼べぬそれは、儂にとってももう幻に過ぎぬのかもしれぬ」

 

 バゼットは顔を上げたまま、しばらくその街並みを眺めていたが──

 

「文明、生命が作り出す尊き灯り……人の世はこれから更に発展していくことじゃろう。やがて星を飛び出し、数多の宇宙を越えて──」

 

 バゼットは言いかけたまま暫し黙する、そして──

 

「されど、その栄華……果てにあるのは"全ての終わり"」

 

 そして、バゼットはそう言葉をつなげると、一枚の枯葉を拾い上げて自らの手の平に乗せた。

 

「アポトーシス……。新緑満ち溢れる緑の葉もいつかは枯れ落ちる。滅びもまたこの世を巡らせる確かな摂理。……じゃが、"全ての終わり"はその滅びすらも終わらせる」

 

 鈴の音が鳴り、発着場に肌寒い秋の夜風が吹く。

 夜風はバゼットの白い長髪をなびかせると、枯葉を巻き上げて宵闇の中へと消えていった。

 

「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ……。我が同位体よ、お主はどのような思いを持って、この夜を過ごしているのじゃろうな」

 

 バゼットはそう詠って、バニー達が控える道をゆっくりと歩き出すのだった。

 



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同位体(パラレル)1

 

 第四章  同位体(パラレル)

 

 百数十畳はあろうかと言う畳敷きの大広間。

 その中心で頭を垂れる初老の男。

 

 広間はシンと静まり返り、その場に居る全員が御簾の向こうで肘をつく月人(エトランジェ)の言葉を待っている。

 この国の宰相であるはずの男が、叱られている子供のように恐れるその姿を、烏丸は勤めて無表情を作りながら横目で観察していた。

 エクスに宣言したとおり、あれから烏丸は月人と躍進機関を探るために行動していた。

 そして、伝手と貸しを使い、男の警護として月人の傍に立つこの機会を得たのだった。

 

「ほう、なるほどのう。儂の予想通りの時節にこの問題が顕在化したのう」

「流石は月之大神様。見事な見識でございます」

「うむ、お主達に儂の英知の一端を与えよう。たちどころにその問題は霧散するであろうぞ」

 

 部屋に流れる雅楽の音と共に、バゼットはしゃらんと鈴の音を鳴らして右手をあげる。

 廊下に控えていたバニースーツの女が部屋へと立ち入り、三方に乗せた書類の束を男の目の前に置いた。

 

「ははっ! この国のために役立てて見せます!」

「うむ、それよりも葦原。儂に謝罪すべきことがあるのではないかのう?」

 

 再び肘置きに肘をついたバゼットが言うと、男は頭を垂れたまま凍りつく。

 その表情は床を向いているため誰にも見えなかったが、青ざめた表情をしているのだとその場の全員が理解していた。

 

「この土地は遊閑地とするよう言っておいたはずじゃが、儂に無断で病院なぞが建っておるようじゃのう?」

 

 しゃらんとバゼットが袖口の鈴を鳴らすと、天井から掛け軸のようなものが下り、病院の映像が映し出された。

 

「も、も、も、申し訳ございません! ですが……」

「民は己の幸せを求める、それは偽り無き人の性。じゃがのう、その今が彼方先の未来に影を落とすのじゃ」

 

 男が言い終わるのを待たず、バゼットが言う。

 

「は、はい! 心得ております!」

「あそこは然るべき時に然るべき場所となる。刹那の享楽に使わせるわけにはいかぬ。病院を潰してでも、直ちに遊閑地に戻すのじゃ。よいな?」

 

 先ほどまでとは変わらない口調に、静かな威圧感を含めてバゼットが言う。

 

「その……」

「よいな?」

 

 有無を言わさず同意を求めるバゼット。

 バゼットが男の意見など聞くつもりがないことは明白だった。

 

「こ、心得ました!」

 

 男はバゼットの言葉を全身に刻みつけるように硬直した後、大声でそう言って畳に頭を擦り付けた。

 

「うむ、では即座に立ち上がり、直ちに実行せよ」

 

 バゼットが言うと同時に、青ざめた顔をしたまま男は立ち上がる。

 

「それと、烏丸。お主はここへ残るがよい」

 

 その最中、バゼットは烏丸に声をかける。

 男の後ろを歩いていた烏丸の足が止まり、その背筋に冷や汗が流れる。

 烏丸はどうにか断る口実を探そうと思索を巡らせるが、

 

「月人様がそう言うのならば残れ。月人様のお言葉は絶対だ」

 

 男は青ざめたままの顔で烏丸に強くそう言って、足早に他の護衛をつれて立ち去ってしまう。

 置き去りにされた烏丸は、苦々しげに小さく下唇を噛んだ後、覚悟を決めて御簾の向こうに居るバゼットに視線を向ける。

 バゼットは肘をついたまま微動だにしていなかった。

 

「どうした、何も言わぬのかのう? 儂は多少の無礼は許す度量を持っているつもりじゃが」

「……とは言われましてもね。オレは月人様に呼び止められても、盛り上がるような話題は持っていませんのでね」

 

 烏丸は気圧されつつも、勤めて平静を装う。

 

「ほう、そうかのう? お主が儂のことを知りたがっていると聞いたでの。ここに来れる様に手引きしてやったのじゃが」

 

 バゼットは口元を手で隠すと、仮面を揺らして愉快そうに笑う。

 

「い、いえ、オレにはそんな大層な野心はありませんな。ただ他の人間と同じく月人様の英知を恭しく受け取るだけです。失礼します」

 

 烏丸は搾り出すように何とかそう言って立ち上がると、部屋から出るべく閉じられていた襖を開く。

 ──そして絶句した。

 

 烏丸が部屋に入るときに使った左の襖を開けた先は、外へと繋がる廊下ではなく、この部屋の右側の襖だった。

 合わせ鏡のように連なる自らの後ろ姿を眺め、烏丸は何故あの男があそこまで怯えていたかを理解する。

 それは幾度か体験したことのある死への恐怖とは全く異質のもの。自らが到底理解できぬ未知への恐怖、畏怖と言い換えてももいいかもしれない。

 

「まあ、どちらでもよい。暫しの間、儂の話し相手にでもなって貰うかのう。例えばお主の好きな躍進機関なぞの話題でもよいのじゃぞ?」

 

 先ほどまでと全く同じ語調でそう言うバゼット。

 バゼットが烏丸の行動を完全に把握しているのは明白だった。

 

 烏丸は恐怖に支配されかけていた思考を総動員し、必死に状況を打破する手立てを思案する。

 だが、どれだけ思考を巡らせても打破する手立ては当然の如く思いつかない。

 その代わりに思考の冷静さを取り戻した烏丸は、覚悟を決めてその場に胡坐をかいて座り込んだ

 

「ああ、もう止めだ止めだ。ここまでくりゃ敬語も何も要りやしねぇ。話し相手にもなってやろうじゃねぇか。ただしテメェの知りたい情報は完全黙秘させてもらう」

 

 恐怖に震える我が身を律し、烏丸はとびきりの眼光でバゼットを睨みつける。

 それを見たバゼットは愉快そうに笑った。

 

「ほほほ、話に聞く通り、お主は面白い者じゃ。安心せよ、お主の口を割らせようと呼びつけたのではない。そも、既に主から欲しい情報などないでのう」

「ケッ、じゃあ何だってんだ?」

「儂の思いやりとでも言おうかのう? 主の性分も調べは付いておる。野放しにしては無闇矢鱈に躍進機関と対峙し、無駄に怪我をするじゃろうよ」

「好きに言いやがる。月人様ってのはくたびれたオヤジのお守りもしてくれるってのかい?」

 

 烏丸は胡坐をかいたまま勤めて無礼に振舞う。烏丸にとってそれがこの場でできる最大の抵抗のつもりだった。

 

「無論、目に見えぬ微生物から人の一人、果ては月人も、全て儂にとっては等しく我が子じゃ。いや、意思持つ者でなくとも素粒子一つ、数無限にある宇宙、平行領域、その他全てを導く義務がある」

「それはそれは大層なこって、けどオレについては躍進機関が穏便に働いてくれりゃ済む話だろうよ」

「それができぬので呼び寄せたのじゃ。何、玉手箱が欲しくなるほどは留まらせぬよ。儂が本来の全知全能を取り戻すまでで十分じゃ」

 

 バゼットは淡々と宣言するように言葉を紡いでいく。

 先程男としたやり取りと同様に、バゼットには烏丸の意見を聞く気が無いのは明白だった。

 この時、烏丸もようやく理解する。

 バゼットは烏丸と会話しているようで、最初から会話などしていないのだと。

 他者の言葉を聞いて自らの意見を述べるのが会話だとすれば、バゼットがしているのは"説明"であり"命令"なのだ。

 バゼットは他者の意見を踏まえた上で自らの答えを述べるのではなく、自らの出した回答への理解を他者に強いているに過ぎない。

 自身の中で全てが完結し、そこに他者の介在は存在しない。

 他者が居ない事を孤独と言うのなら、恐らくバゼットは孤独なのだ。

 

「ケッ、胸糞悪ぃ。ああ、そうかいなら好きにしな。どうせお前さんのやることは変わんねぇんだろ?」

 

 嫌悪感を露にして吐き捨てる烏丸。

 バゼットは当然その言葉も表情も全く意に介さない。

 もう話は終わったとばかりにただ烏丸を眺めるだけだった。

 間もなくして現れたバニースーツの女性達が烏丸を別室へと連行していく。

 

「さて、我が同位体よ。主が現世で遊び呆けるのも終いじゃ。全ての終わりを迎えぬためにも、再び共に歩もうではないか」

 

 バゼットは烏丸が連行されていく様子を見届けると、独り残った部屋でそう呟くのだった。

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 その日、エクスとマキナはかつてなく真剣な表情で対峙していた。

 相手は躍進機関ではない。テーブルの上に乗った食べ物"らしき"物体とだ。

 それは名伏し難き形状と、大よそ食品には似つかわしくない色相を持って、皿の上から二人を嘲笑っていた。

 

「二人とも、せっかく作ったのだから遠慮せずにどんどん食べてちょうだい」

 

 無言で料理と睨み合う二人とは対照的に、エプロン姿の小百合は明るい調子でその物体を摂取することを二人に勧めている。

 

「…………あ、ああ、分かっている。だが、なんだ、お前が料理をするだなんて珍しいからな。理由を考えていた」

 

 エクスが歯切れ悪い調子で答える。

 無論、エクスが口に出した理由は小百合を気遣っての嘘であり、直ちに食さない理由は他のところにある。

 

「ふん、何よ、珍しいって。貴方があれだけしでかすんだもの、私だって少しぐらい変わらないとって思うわよ」

 

 その言葉に、小百合は少し顔を俯かせ、上目遣いでエクスを見ながら拗ねる様に口を尖らせた。

 

「あ、ああ、ふむ、なるほどな。見上げた心意気だ」

 

 エクスは感心するように頷いた後、「参った、そう言われては断れんぞ」と小百合に聞こえないような小声で呟く。

 

「はい、そうですね。そこまで言われては食べるほかありませんね」

 

 マキナは不安げな表情をしたまま料理を見つめていたが、やがて意を決してフォークで料理をつつく。

 フォークが触れるやいなや、料理はまるで生物のようにその端を反らせて、痙攣するようにぷるぷると震えあがった。

 まるで生きているかのような料理の様子に驚き、マキナは咄嗟にフォークを引っ込めてしまう。

 

「きゃっ!? さ、小百合ちゃん、このお料理、動きますよ!? 食べたらお腹を食い破る……とかはありませんよね?」

「大丈夫よ、マキナさん。心配性ね。材料はマキナさんが買ってきたものしか使っていないもの。生きてるわけながないわ」

「……そう、ですか。で、でも、熟練の錬金術師は生物をも作り上げると何かのご本で読んだことがありますし」

 

 マキナはフォークを構えたまま、料理との睨めっこを再開した。

 

「ねえ、二人とも……気が進まない様子だけれど嫌なの? それなら無理をして食べることはないのよ。料理するのは七転生前ぐらいぶりだから、確かに少し失敗しちゃった部分もあるもの」

 

 一向に食べようとしない二人を見て、小百合は留守番前の子犬のような表情をして言う。

 

「い、いえ、決してそんなことはありませんよ。そうですよね、エクス」

「は……はははっ! 当然じゃないか。俺はマキナの料理を奪うタイミングを狙っていただけだ。丁度今のようにな!」

 

 エクスは無理やり作った笑いを顔に貼り付け、マキナの皿の上の料理と自分の皿の上の料理をあっという間に平らげていく。

 その後、ハムスターのように両頬を膨らめたエクスは、死んだ魚のような目でマキナに目配せをする。

 マキナは全てを察したように潤んだ瞳をエクスに向けた。

 

「ちょ、ちょっと、エクス! 一人で食べてどうするのよ!? 私はマキナさんにも食べて貰いたかったのに」

「そ、そうですよ、エクス。私も小百合ちゃんのお料理を食べたかったですー」

 

 棒読み気味に同意するマキナ。

 

「は、ははは……すまんな。しかし、見てくれの割りに意外といけたぞ。だが、転生以来だのと言うだけあって、少々現代向けではないな」

 

 額に脂汗を浮かべながらも、エクスは必死にいつも通りの表情を取り繕う。

 

「う、うん、そう。そういうもなのかしら? 自分では普通の味付けなのだけれど」

 

 その言葉にエクスとマキナは揃ってギョッとしたが、急いで勤めて平静を装った。

 

「そ、そうか。ならば今度はマキナと一緒に料理を作ってみたらどうだ? それなら勘を取り戻すにはちょうどいい」

 

 小刻みに痙攣する指をテーブルの下に隠しながら、エクスはいつも通り不敵に笑う。

 

「は、はい。それはいいアイデアです。ね、小百合ちゃん、今度は一緒にお料理を作ってみましょう」

 

 胸の前で指先を合わせて、マキナがにっこりと微笑む。

 

「確かに料理の勉強ならそれがいいわね。でも……そうなると恩返しじゃなくて、またマキナさんにして貰うことになるわ」

 

 難しい顔をして小百合は考え込む。

 

「ははっ、お前は難しく考えすぎだ。そう言うものは、そんな風に収支計算してこなしていくものじゃないだろう」

 

 エクスはそんな小百合の姿を軽く笑い飛ばした。

 

「むっ、そうね。けれどそうやって笑う必要はないでしょう? 本当に少し余計ね、貴方って」

 

 小百合はエクスを睨みつけると、空になったお皿を持って台所へと向かっていく。

 エクスはそれを見届けるとテーブルの上に勢いよく突っ伏した。

 

「お疲れ様です、エクス」

 

 小声でマキナが言う。

 

「ああ……。悪意なら幾らでも足蹴にしてやるが、善意は無下にできんからな。それも、ついぞこの前まで他人を知らんと言っていたお嬢様の善意なら尚更だ」

 

 テーブルに突っ伏したままエクスが答えた。

 

「本当に小百合ちゃん変わりましたね。戻ったと言うのが正しいのでしょうけれど」

「だろうな。後はあの馬鹿天狗共が諦めてくれれば安心なんだが、今までを見るに大天狗とやらに直談判せねば解決せんだろうな」

「そうですね。近いうちに行くしかなさそうです」

 

 言って、マキナはエクスの背中をポンと軽く叩く。

 突っ伏していたエクスは慌てて体勢を起こす。

 エクスが体勢を起こし終えると、間もなくして隣のキッチンから小百合が帰ってきた。

 

「二人とも何の話をしていたの?」

 

 小百合が不思議そうに小首を傾げる。

 

「ん、ああ……あまり楽しい話じゃない。天狗の話だ」

「あ……そうね、最近は静かだからすっかり忘れていたわ」

「降臨祭も近いからな。月宮庁も忙しいのだろうさ」

 

 エクスはくいっと視線を窓の方へと向ける。

 

「はぁ、あれで月宮庁なのだものね。困ったものだわ。せめて、そのまま諦めてくれれば皆で降臨祭にも行けるのに」

「でも、ここまで動きがないのも逆に心配ですね。この間までは執拗に追いかけてきましたから」

 

 マキナがそう言った瞬間、その疑念に回答するかのように携帯端末から着信音が鳴り響いた。

 

「珍しい。お前の端末に俺以外から連絡が来るなんてな。誰からだ?」

「烏丸さんですね。何かあったんでしょうか?」

 

 マキナは端末に表示された烏丸の名前を見て首を傾げる。

 

「かもしれん。早く出てやれ、あいつは厄介事の最中には端末を連絡に使わん。それでも掛けてくるなら相当だ」

 

 真剣な顔をしてそう言うエクス。

 マキナは重々しく頷いて端末を耳に当てた。

 

「はい、マキナです」

 

 暫しの沈黙。

 

「もしもし?」

『ふふ、はぁ……はぁ……』

 

 端末越しに聞こえた音声は烏丸のものではなく、荒い息遣いをした女のものだった。

 その聞き覚えがある声に、マキナは至極不機嫌そうな顔をする。

 

『うふふ、マキナさん、今日のパンツとおブラの色と形はなんですのぉ?』

「…………」

 

 マキナは静かに端末を耳から離し、眉ひとつ動かさず端末の電源を切る。

 そして、テーブルの上に有った食卓塩を端末にパラパラとふり掛けはじめた。

 

「どうした、マキナ。急に端末に下味をつけ始めて。精密機器に塩はまずいぞ、せめて胡椒にしろ」

「お清めです。唐突に耳が汚されました。不愉快です」

 

 端末を当てた側の髪の毛を撫でつつ、マキナは据わった目で端末を睨みつけた。

 

「マキナさん、それってまさか……」

「はい、そのまさかです。盛りのついた声で下着の色と形を聞かれました。あの変態、早く収監されて欲しいです」

「でも、どうして烏丸さんの……」

 

 と、小百合が言いかけた瞬間、小百合の巾着に入っていた通信端末がジリリと鳴りはじめる。

 

「ひいっ!?」

 

 ビクリと体を震わせ、小百合が恐る恐る端末を手に取る。そこには烏丸の名前が表示されていた。

 血の気が引き、焦点の定まらない瞳で、必死に端末の方を指差す小百合。

 

「次はそちらに来たんですね、小百合ちゃん」

 

 電話の主を察したマキナが、小百合に代わって厄災と対峙すべく端末を受け取る。

 それを更にエクスがマキナの手から端末を掠め取った。

 

「ここは俺に任せろ。マキナが出ても奴を悦ばせるだけだろう。見せてやる、カウンターインテリジェンスというものをな」

 

 言って、エクスがパネルに浮かび上がっている受話器型のボタンを押した。

 

「ハーッハッハッ! よく聞け、小百合の下着は黒のティーバッグだ!」

 

 相手の声を確認するより早く、大声で叫ぶエクス。

 叫びで有名な絵画の如く、ぐにゃぁと顔を歪ませて飛び上がる小百合。

 端末からは既に通話の切られたツーツーと言う音だけが聞こえている。

 

「フッ、俺の勝ちだ。変態忍者は誤情報に踊れ」

 

 エクスは勝ち誇った顔をすると、小百合に向けてサムズアップする。

 そんなエクスに、小百合は顔を真っ赤にして詰め寄り、マキナは地面に撒き散らされた汚物を見るような視線を向けた。

 

「な、なんだ、その顔は!? マキナまでそんな顔をするだなんて理解できんぞ!?」

 

 ようやく自らの行動が歓迎されていないと悟り、エクスが狼狽した様子で二人を交互に見直す。

 

「ふぁあああ! バカ! 何が……何がカウンターインテリジェンスよ! 私はそんな攻撃的な下着着けないわよ! って言うか何、私は常在戦場設定なの!? 最低! 最低! 最低! 貴方って紛う事なき最低のクズだわ。さいっててててい!!」

 

 ギャアアと烈火の如くまくしたてる小百合。

 

「い、いや、だからそれは誤情報だろう。事実と違えばお前は何も問題はあるまい? な?」

 

 小百合の勢いに、エクスは冷や汗を浮かべてうろたえる。

 

「それで私がそんな下着を着けてると思われたら一緒よ! 完全に風評被害じゃない! 嘘な分余計に悪いわ!」

「そうです、エクス。エクスはあの変態に性的な視線を向けられていないから分からないんですね。失望しました」

 

 眉を吊り上げて小百合の援護に入るマキナ。

 勝ち目がないと悟ったのかエクスは両手を挙げて大きく首を振る。

 

「分かった分かった、俺の失策だ。それよりも、だ。あの変態が烏丸の端末を持っているのが解せん」

 

 自らの失敗を強引に押し流すように、エクスは両手をあげつつ話題を無理やりに終わらせる。

 

「むぅ……そ、そうね。異常者のせいですっかり忘れていたわ。烏丸さんに何かあったのかしら!」

 

 不服そうな顔をしつつも、烏丸の安否の方が優先だと思ったのか小百合が同意する。

 

「確かめる手段は掛け直すしかありませんね」

「至極不本意だがな。リスクを覚悟であの変態と接触するしかあるまい」

 

 エクスは自らの端末を起動し、連絡帳に記載された烏丸の名前をタッチする。

 それと同時にどこかでレトロなメロディが鳴った。

 

「…………チッ。二人とも身支度をしろ、すぐに、だ」

 

 メロディを聴いた瞬間、立ち上がって忌々しげに舌打ちするエクス。

 

「エクス、もしかして……」

「ああ、あの古臭いメロディは一昔前の刑事ドラマのもの。烏丸の端末の着信音だ。近くに居るぞ、変質者が」

「あらあら、変質者だなんて失礼な物言いですわね」

 

 その声に、三人が合わせて部屋の入り口を向く。

 音もなく開いた扉から、ブロンドの髪をふわりと舞わせて風華が姿を現した。

 

「烏丸の端末を持っていた時点でそうかとは思ったが、ついにここまで来たか。勝手に来るとは礼儀を知らん奴だ」

 

 エクスは小百合を隠すように前に一歩踏み出る。

 

「うふふ、だって気になるでしょう? 可愛いお二人がどんなお部屋に住んでいるかって。ついでにおまけも生息しているみたいですけれど」

 

 エクスの敵意を平然と受け流し、烏丸の端末を手にしたまま風華が愉快そうに笑う。

 

「お前の変態趣味はこの際置いておく。烏丸をどうした?」

「人参を……烏丸さんに人参を挿したの!?」

 

 怯える表情をしながら小百合がエクスの言葉に続いた。

 

「そんなことしませんわ。この一件が終わるまで、月宮御所に滞在していただいていますけれど、荒事は何一つしていませんわよ」

「本当に……? 信じられないわ。だって、貴方は楽しそうにあんなことができるのだもの!」

「ふぅ、小百合さん、貴方は大きな勘違いをしていますわ。私は可愛い女の子を恥辱と快楽に染め上げるのが趣味であって、人を嬲るのが趣味ではありませんの。特に小汚い男に兎刑を処すのはこの身を引き裂くような辛く苦しい職務ですのよ」

 

 風華は心底辛そうな表情をすると、自らの胸を抱きかかえて身を振るわせた。

 その様子に小百合は慄いて一歩後ずさり、後ずさった小百合をマキナがすかさず抱きかかえた。

 

「小百合ちゃん、深く考えてはいけません。あれは異常者です。深淵を覗く者は、自らも深淵に覗かれてしまうんですよ」

「うふふ、それでマキナさん、まだ大切なことを聞いていませんわ。貴方の下着はなんですの?」

 

 たおやかな笑みを浮かべて尋ねる風華に、マキナは何も答えずゴミを見るような視線だけを向けた。

 

「あらまあ、素敵な視線ですわねぇ。そんな視線を向ける方を屈服させるのはさぞ快感でしょうね」

「本当にダメですね、この人。詰んでます」

 

 マキナは冷たい視線を向けたままため息をつく。

 

「ああ、本当に始末に負えんな」

「あらあら、せっかくの楽しいお話の最中ですのに、男の声なんて不愉快ですわね。その不快音は消音(ミュート)になさい」

 

 風華は視線も向けずに右手だけを横に滑らせると、エクスに名刺手裏剣を投げつける。

 

「ちいっ!」

 

 エクスの声帯を的確狙った名刺手裏剣を、エクスはとっさに手にしたクッションで受け止める。

 ボス、ボス、ボスと音を立て、三枚の名刺手裏剣がクッションに埋め込まれた。

 

「あの小汚い男も貴方同様に無価値ですし、近いうちに返却して差し上げますわ。ですから……代わりに小百合さんを頂きたいですの」

 

 エクスが名刺手裏剣を受け止めたのを確認すると、風華は気だるそうな動きでエクスへと向き直る。

 

「ふん、断るといったら?」

「うふふ、月並みな台詞ですけれど、力ずくで頂くまでですわ。ちなみに、貴方達にはもう選択権なんてありませんからあしからず」

 

 言うと同時、部屋の扉から何人もの天狗達が一糸乱れぬ動きで侵入してくる。

 天狗達は風華の後ろで部屋の扉を守るように立ち塞がった。

 

「ふん、団体様のご到着か。ご近所の目もあるんだ。少しは遠慮して欲しいものだがな」

「うふふ、これでも皆さん遠慮しているのですわよ。お外にも順番待ちが居ますもの」

「ふん、それは悪いな。ならば俺達の方が外に出向いてやる!」

 

 エクスは言うと同時に窓から飛び降りる。

 追随してマキナも小百合を抱きかかえたまま窓から飛び降りた。

 

「うふふ、追いかけっこの始まりですのね。外の天狗に連絡を、エスコートして差し上げるのですわ」

 

 風華は慌てず騒がずエクス達を悠然と見送ると、天狗に指示を出す。

 

「ですが……風華様、これではまた逃げられてしまいます。前回までとなんら変わりがありませんぞ!」

「うふふ、この程度はバゼット様の筋書き通り。竹取物語の最後を思い出してご覧なさい。下界の者共がどんなに頑張ろうとも、月人様には抗えないのですわ」

 

 言って、風華は寝室に踏み入ってマキナのベッドに顔を押し付けると、残り香を愉しむように思い切り空気を吸い込む。

 

「ふはぁぁあ! はぁっ、はぁっ……。名残惜しいですけれど、この前の恨みはまた今度、たっぷりと嬲って返してさしあげますわぁ!」

 

 風華はベッドに顔を押し付けたまま荒い息遣いで悶えると、美しい髪を振り乱してシーツを巻き取るようにベッドの上を転げ回った。

 

「…………我関せず」

「…………右に同じ」

 

 後ろに控えていた天狗達はその姿を見てドン引きするのだった。

 



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同位体(パラレル)2

 

 部屋から抜け出した三人は人の行き交う通りを横切って、細い裏路地を路地を縫うように走る。

 その後ろを天狗の一団が勢い良く追いかけていく。

 

「天狗さん、日中でも容赦なく追いかけてきますね。人様の迷惑です」

「ああ、常々思うがあいつらは後ろめたさが足りんな。ご近所の評判が下がったらどうしてくれるつもりだ」

「それでエクス、これからどうするつもり!?」

 

 マキナに手を引かれながら、小百合が不安げな顔で尋ねる。

 

「決まってる。月宮御所に殴りこむ。大天狗とやらに話をつけるしかあるまい」

「しょ、正気なの!?」

「いつかはそうするつもりでしたから。それに自宅にまで来られた以上、もう逃げるという選択肢はありません」

「さて、大通りを横切るぞ。天狗共が人様に迷惑を掛けんように迅速にな」

 

 言って、裏路地を抜けて大通りに飛び出す三人。

 その時、裏路地にしゃらんと鈴の音が鳴る。

 

「鈴の音……?」

「どうしました、小百合ちゃん?」

「マキナさん、今鈴の音が聞こえなかった? どうしてかしら、凄く気になるわ」

 

 言って、小百合は通りを見回す。

 だが、鈴の音がしそうな物は何もない。

 それどころか、普段ならば商店が立ち並び人が溢れているはずの大通りには、人影一つなかった。

 

「誰も居ない? 何もない? 嘘。ねえ、エクス。ここは夜も人波が途切れないあの大通りよね? 昨日だって通りかかった時には降臨祭の飾り付けがあったはずなのに」

「そのはずだがな……これも天狗の仕業か」

『ふぁふぁふぁ、その通り!』

 

 聞きなれた天狗口調の機会音声が周囲に響く。

 

「ふん、お出ましか!」

 

 直後、飛来した大質量の塊が大地を揺らす。

 エクス達の目の前に飛来したのは、五メートルほどの人型機械。

 

「え、何あれ……ロボット? まさか……あれ、動くんじゃないわよね」

 

 小百合の不安に応えるように、鉄色の全身を持つ人機はその両腕両肩両足から蒸気の煙を吹き上げ、力強くゆっくりと立ち上がった。

 ズシリとアスファルトを軋ませ、人機が二つの足で大地を踏みしめる。

 

「ひいっ!? 本当に動いた!」

「人形遊びとは天狗共も意外と少女趣味だな」

「な、な、何を悠長なことを言ってるのよ!? 逃げないと! っていうか、これは人形でも女の子じゃなくて男の子が好きなほうでしょ!?」

 

 立ち塞がる脅威などどこ吹く風、興味深そうに人機を観察するエクス。

 小百合はエクスのコートを力一杯後ろに引っ張って撤退を促す。

 

「ふぁふぁふぁ、ここは大天狗様が創造せし平行世界! 残念ながら既に汝等逃げ場なし! 大天狗様が来るまで逃げ惑うがいい!」

 

 人機頭部に置かれた台座の上、鋼の腕をつけた天狗が吼える。

 

「我こそは躍進機関イの十二号! 我が機甲闘法、人の身では到底抗えぬと知れい! いざ参る!」

 

 台座の上で拳を振り上げる天狗。

 人機が蒸気を吹き上げてそれに呼応し、天狗の動きをなぞる様に拳を振り上げた。

 

「エクス、あれは人間では勝てない物体なんでしょうか? 私はエクスよりもその辺の感覚が疎いので」

 

 そこまでぽんやりと人機を見上げていたマキナが、エクス同様あまり危機感のない様子でエクスに尋ねる。

 

「いや、勝てるだろう普通に。変態忍者の方がどう見ても手強い」

「あ、やっぱりそうですよね。良かった、私もコモンセンスです。なら普通に倒してしまっても問題ありませんね」

「この期に及んで減らず口とは! ならば受けて後悔せよ、我が鉄の腕! いざ! いざ! いざ! 覚悟ッ!」

 

 機械の上で天狗が右拳を振り下ろし、それと連動して人機が右の拳を振り下ろす。

 マキナはふわりと後ろに飛び退いてそれを回避する。

 

「なんの! 拳は一つだけではないぞ!」

 

 続いて左の拳を振り下ろす人機。

 続いて右、更に左。人機の拳が一撃毎に大地を揺らし、マキナを捉えるべく隕石のように大地に突き刺さっていく。

 

「ふぁふぁふぁ! 結局は逃げるだけか! 安心するがよい、大天狗様の創りしこの世界、人死には出ん! 安心して鉄の拳を味わえい!」

「ではエクス、ここは私が相手をしますから小百合ちゃんを頼みました」

 

 意気揚々と連打する人機の目の前、特にあわてた風もなくマキナが言う。

 

「ああ、任せた」

「任せたって、まさか……マキナさん、あれに勝つつもりなの!?」

「はい、あれは大きくて堅いだけですから、変態忍者よりも余程簡単ですよ」

 

 言って、マキナは人機の足元へと滑り込む。

 

「ぬう! 小癪な! 踏み潰してくれる!」

 

 天狗が左足を振り上げ、それに連動して人機が左足を振り上げる。

 

「それは下策です。バランス、崩れますよ」

 

 マキナは軽く跳躍した後、そのままくるりと体を捻って、人機の右足に後ろ回し蹴りを入れた。

 

「お、お、お、おっ!?」

 

 太股位置に受けた衝撃にぐらりと人機が揺れる。

 そこにすかさずマキナがもう一度回し蹴りを入れる。

 そして、更にもう一度。

 要塞のように鎮座していたはずの人機はいとも容易く揺れ動き、その上に乗った天狗が振り落とされまいと必死にもがく。

 

「ぬおおおお! 強靭無比と聞いていたがこれほどとはっ!?」

「止めです」

 

 ただ粛々と単純作業のように人機を攻撃していくマキナ。

 度重なる衝撃を受け、完全にバランスを崩した人機は、ついに轟音と共に地面に仰向けに倒れてしまう。

 あまりにあっけない幕切れだった。

 

「さて、再起されても面倒だ、潰すぞ」

 

 小百合を小脇に抱えたまま、エクスがすかざず人機の右足に飛び乗り、膝関節部分を力一杯踏み抜いた。

 

「はい、念のため左足も潰しておきますね」

 

 左足に飛び乗っていたマキナが、エクスと同じように膝関節を踏み砕いた。

 

「さて、お前の負けだ天狗。さっさと俺達を元の世界に戻せ」

「ふ、ふふふ、ふぁーっふぁっふぁっ! 何を呆けたことを既に勝負は決している!」

 

 人機の台座から投げ出され地面にうずくまりながらも、天狗はエクスの言葉に高笑いで答えた。

 

「どういう意味だ? 俺達にも分かる様に言え」

「全ては神務多忙な大天狗様に暇ができるまでの時間稼ぎ! 我の敗北など折込済みということよ!」

 

 言うと同時、エクス達が身構えるよりも早くしゃらんと鈴の音が鳴る。

 周囲の風景がかき混ぜた様に捻じれ、無人の大通りに居たはずの三人は広い庭園の真ん中に立っていた。

 

「──っ!? 何、何が起こったの!?」

「恐らく、元の世界に戻ってきたのだろう」

「はい、ここは……恐らく月宮御所近くの公園ですね」

 

 周囲を見回す三人。

 その三人を取り囲むように、待ち構えた大勢の天狗が輪を作っていた。

 

「ふっふっふっ、これが月人様の神通力を堪能できたようであるな。もはや主達は籠の鳥。覚悟はよいかな、お三方?」

 

 リーダー格の天狗が勝ち誇った様子で言う。

 

「ふん、覚悟だと? そんな薄い囲みで覚悟を求められても困るな」

 

 道を切り開くべくエクスは囲っている天狗へと駆ける。

 だが、天狗達の輪に向けて駆けていったはずのエクスは、いつの間にか輪の内側へと駆けていた。

 勢い余ったエクスは、そのまま目の前に居たマキナを巻き込んで芝生に転がっていく。

 

「きゃっ!? 何をしているんですか、エクス!」

「む、すまん、マキナ」

 

 マキナを押し倒すように地面に倒れ伏すエクス。

 

「ふぁふぁふぁ、籠の鳥と言った意味、ご理解いただけたかな? 諸君らは既に捕まっておるのだよ」

 

 リーダー格の天狗は腕を組んで愉快そうに高笑う。

 エクスは倒れた体を起こしながら、無言で高笑う天狗を威圧する。

 

「ぐ……に、睨みつけようとも無駄! 手出しできぬことは分かっているのだからな」

 

 反射的に仰け反った体勢を戻してリーダー格の天狗が言う。

 それに追随してエクスを挑発するように次々とポーズを決めていくその他の天狗達。

 

「こいつら……無闇矢鱈な挑発をして、憎しみは余計な争いの火種にしかならんと知らないようだな」

「ふぁふぁふぁ、愉快愉快! 先日までの借りはここで返してやるわ!」

 

 天狗達は円陣を組むと三人の周りをぐるぐると回り始める。

 

「くそ……。回転数を上げすぎて虎バターにでもなってろ」

「馬耳東風! 実に愉快愉快!」

「程度の低い行為は止めよ。役目を担う者には品格も必要じゃ。この者達も結果の変わらぬことを長々とやられては気分が悪かろう」

 

 鈴の音と共に凛然と響く声。

 円陣を組んでいた天狗達はピタリと動きを止め、直立不動の体勢をとる。

 エクスとマキナは同時に小百合の方を向いた。

 

「な、何よう……?」

 

 小百合は不安げな顔をしたまま不思議そうに首を傾げる。

 

「小百合……お前じゃないのか?」

「わ、私が静止なんてかけても天狗が言うこと聞くわけないじゃない!」

「そうじゃ、時渡りの少女ではない。今の声は儂じゃ」

 

 天狗が作っていた輪の一部が割れ、鈴の音を響かせて兎の仮面を着けたバゼットが現れる。

 

「儂はバゼット。主等が気にしていた躍進機関の大天狗であり、この星……宇宙、ひいてはこの世界の創造に多大な影響力を持つ月人じゃ」

「月人!」

 

 驚きの声を上げる小百合。

 

「…………」

「…………」

 

 エクスとマキナは苦々しい表情をして、無言のままバゼットと小百合を見比べる。

 

「姿、形、声、似ているな……」

「はい、もし同位体(パラレル)だとすると……」

 

 マキナがエクスの独り言に繋げるように小声で呟いた。

 

「エクス、マキナさん……」

「大丈夫です、小百合ちゃん。もし貴方が何者であろうと、私にとっては小百合ちゃんですから」

 

 不安そうな声色で二人の名を呼ぶ小百合に、マキナは苦々しい表情をバゼットに向けたまま答えた。

 

「バゼット、お前に尋ねたいことがある!」

 

 小百合をバゼットから隠すように前に出てエクスが言う。

 

「ふむ、儂としても敢闘したお主達の疑念に答えてやりたい所じゃがのう。儂がこの星に留まる期日は決まっておる故、無駄にできる時間がないのじゃ」

 

 バゼットがしゃらんと鈴の音を響かせる。

 瞬間、小百合が上空から照らされたサーチライトのような光に包まれ、ふわりと宙へ浮き上がった。

 

「故に今宵はここで失礼させてもらおう」

「え? ええっ!?」

 

 突然の出来事に、小百合は訳も分からず、浮き上がった体を地上に戻そうと泳ぐように宙をかく。

 

「小百合ちゃん!?」

「なんだと!?」

 

 小百合の異常に気がついたエクスとマキナが後ろへ振り返る。

 天まで届く光の柱の中、小百合の体は既に手が届かない高さまで達していた。

 

「エクス! マキナさん!」

 

 エクスが視線を夜空に向ける。

 小百合を浮かび上がらせていく光の柱、その先にあったのは宵闇のような黒に幾つもの発光体が散りばめられた円盤だった。

 

「エクス、上空に円盤があります!」

「くそっ、円盤まで引っ張り出してくるとは派手にやってくれる!」

 

 エクスとマキナは真剣な表情で必死にもがく小百合を見上げる。

 だが、いくら二人が小百合の身を案じようとも、二人にはどうすることもできず、ただことの成り行きを見守ることしかできなかった。

 

「風華並みの身体能力を持っていると聞くが、さしものお主達もこれでは手出しできまい。安心せよ、時渡りの少女を無下には扱わん。あれは"儂"じゃからのう」

 

 言って、バゼットはふわりとエクス達に背を向ける。

 

「……っ! やっぱり同位体!」

 

 バゼットの言葉にマキナが真剣な表情で呟く。

 

「待て、バゼット! ならばせめて質問に答えてから行け!」

 

 エクスとマキナがバゼットに詰め寄ろうと一歩踏み出す。

 

「作り変えた空間法則も明朝には元に戻る。それまでは大人しくしておるのじゃな」

 

 だが、バゼットはエクス達の言葉に答えない。

 背を向け終わると同時に、バゼットの姿は声だけを残して幻のように消え去っていた。

 

「…………くそっ、話を聞かん奴め!」

 

 バゼットの居なくなった空間を、エクスは忌々しげに見据え続ける。

 

「ふぁふぁふぁ、如何な地上の蛮勇とて月人様の前には無力か。願わくはこれ以上拙者達の邪魔もせぬで欲しい所よ」

 

 天狗達も思う存分高笑いをした後、エクス達を一瞥して庭園を去っていく。

 エクスとマキナはどうにかして空間の檻を突破しようとするが、創造主自らが法則を操作した空間内では同じ結果が繰り返されるだけだった。

 

「馬鹿共め、全知全能が全てを決して統べる世界など……即座に全ての終わりだ」

 

 庭園に取り残されたエクスとマキナはそう呟いた。

 

 

 

 

 

 円盤で月人御所に連れ去られた小百合は、発着場に控えていたバニー姿の女性達に恭しく迎え入れられていた。

 ついぞこの間とは真逆とも言える待遇を小百合は不審に思ったが、バニー達の礼節を弁えた態度に強くは出れず、そのまま巫女服にウサミミを着けた侍女に御所内を案内されていた。

 

「ねえ、貴方達も月宮庁の職員なの?」

 

 美しい庭園を一望できる廊下の途中で、小百合が前を行く長髪の侍女に尋ねた。

 

「はい。その通りでございます」

「私をこれからどうするつもり? 大天狗とか言う奴の生贄にでもするの?」

「生贄など滅相もない。バゼット様とゆっくり"再会"していただくだけです」

「再会。再会って……どういう意味なの? 昨日、庭園で会ったことじゃないのよね」

 

 警戒心よりも疑問が勝った小百合は、不思議そうな表情を隠さずに侍女に尋ねる。

 侍女は何かを答える前に、廊下の奥で足を止め小百合の方へと向き直った。

 

「こちらの部屋でバゼット様がお待ちです。全ては全知全能たるバゼット様が明らかになさるでしょう」

 

 小百合はまじまじと侍女を見つめるが、侍女はそう言ったきり眉ひとつ動かすことをしなかった。

 

「分かったわ。入るわ。入ればいいんでしょ? そうね、どうせ私には選択肢はないのだから入るしかないものね」

 

 小百合は顔を強張らせると、その真紅の瞳に棘を宿す。

 

「……ふん、随分と久しぶりな気がするわ。こんな顔をしたの」

 

 小百合は自嘲するようにそう言うと、勢いよく襖を開けてバゼットの待つ部屋へと踏み込んだ。

 

「やれ、騒々しいのう。お主は礼節を知らぬのか? それとも悪の権化じゃと思うておる儂と対峙すべく意を決したのかのう?」

 

 余裕綽々で愉快そうに笑うバゼット。

 それに対して、小百合は踏み込んだ瞬間に絶句していた。

 今小百合とバゼットが居るのは変哲のない八畳間。ただしそれは床だけのこと。他は全て、天井も、壁面も、入ってきたはずの入り口も、全てが宇宙空間になっていたのだ。

 

「な、なに、これ……」

 

 バゼットから勤めて視線を逸らぬようにしつつも、小百合は丸くした目で周囲を確認する。

 何度も確認する必要すらなく、そこは宇宙空間に浮かぶ八畳間であった。

 

「驚いたようじゃのう、時渡りの少女。ここは現世(うつよ)の名である平賀・S・小百合とでも言った方が趣きがあるかのう」

 

 仮面を揺らして愉快そうに笑うバゼット。

 小百合は怯える表情を必死に隠して自らによく似た体躯の少女を睨みつける。

 

「ふん、貴方が大天狗の正体ね。貴方の部下には言ってあるけれど、私は時渡りではなくて輪廻転生者なの。時渡りを期待して攫ったのならとんだ無駄足ですからね」

 

 その言葉を聴くと、バゼットは仮面の口辺りを手で隠して更に愉快そうに笑った。

 

「くっくっくっ、流石じゃ流石、気丈に振舞うのう。安心せよ。お主の認識する範囲では輪廻転生者かもしれぬが、お主は紛うことなく時渡りじゃ。厳密には異なる世界をと言う但し書きが付くがのう」

「……どういう意味?」

 

 愉快そうに笑うバゼットとは対照的に、小百合は不愉快さを隠さずに尋ねた。

 

「風華も言ったそうじゃな。主のエレキテルはこの文明を凌駕しておると」

「それが、どうしたのよ? 出所は別の星とかかもしれないでしょ。異なる世界とやらよりもよほどありそうだわ」

「そうではないことは主が一番知っておろう。何しろ主はその姿でしか転生せぬのじゃからのう」

「それは……」

 

 小百合は歯切れ悪く押し黙る。

 

「その知識、源泉はこの世界ではない。かつて今の世とよく似た世界があった、昭和平成なる年号を経たその世界は、宇宙全域に渡る大いなる発展をし、そして……全ての終わりを迎えた」

「つまり終末戦争が起こったのね」

「否。そのようなものはそれが最も高次元の宇宙であろうとも、数多の平行世界が同時に滅ぼうとも、理の範疇に過ぎぬ。全ての終わりは文字通り全てが等しく終わる瞬間。連なる幾重もの世界も、絶対も、全知全能も、全てが等しくじゃ」

 

 バゼット強い口調で断言する。

 それに呼応して部屋を取り囲む宇宙空間に亀裂が入った。

 

「じゃが……全ての終わりに運良く見逃された儂は、一人この世界を再び作り上げた。それが時渡りじゃ」

「何それ、スケールが大きすぎるわ。それに……それじゃ私じゃなくて貴方が時渡りじゃない」

 

 小百合は軽く頭を抑えながら、理解ができないと言った風に大きく首を振る。

 

「そう、流れ着いたのは独り。そして儂も時渡りであり、お主も時渡り。つまりはそういうことじゃ」

「……それが同位体(パラレル)とか言うものなの? 私には分からないわ。全く」

 

 自らに言い聞かせるようにそう言う小百合。

 だが、言葉とは裏腹に、睨みつける小百合の目はバゼットの髪へと向いてしまう。

 その髪は小百合によく似た、白百合のような長髪。

 髪だけではない。巫女装束のような服装に包まれたその体躯も小百合にそっくりだった。そう、幾度転生しても決して変わらぬ小百合の体躯と瓜二つ。

 そして、バゼットが言うことが事実であるのならば、恐らく仮面の下に隠された素顔も──

 

「賢しいお主じゃ、分からぬはずもなかろう。それが意味することはただひとつ。お主と儂が元来"ひとつ"の存在であると言うことじゃと」

 

 言ってバゼットは仮面を外す。仮面の下にあったのは真紅の瞳をした少女の顔──即ち小百合そのものだった。

 

「っう──!」

 

 視界が歪み平衡感覚が失われるような衝撃を覚え、小百合は吐き出せる言葉全てを呑み込むように息を呑む。

 会話のやり取りの僅かな間が永遠とも思える静寂を生む。

 驚き、恐怖、猜疑、様々な感情が小百合の中で渦を巻き、小百合の視線は吸い込まれるようにバゼットに釘付けられ目を逸らせない。

 

「焦がれたぞ、儂の同位体であるお主との再会を。頬に紅差し一日千秋の思いで恋焦がれる乙女のようにのう」

「どうして!? どうして私なの!? どうして私と貴方が同じなの!?」

「高位の月人はその強すぎる力故に、ただ"ある"だけで世界の理を歪めてしまう。故に単一の自分を二つの器に分けてその力を弱める必要がある。その器が同位体じゃ。もっとも、儂達の場合は均等な配分ではないのじゃがのう」

「嘘よ、嘘。そんなの貴方の出鱈目だわ! 月人だもの、顔真似ぐらいは平気でしてみせるでしょう!」

 

 小百合はゆっくりと近づくバゼットを払いのけ、一歩、二歩と宇宙空間との境まで後退する。

 

「嘘ではない。そもそも無限転生などが人の身でできるはずはなかろう? 人の体(うつわ)が滅びた後は月人の神性が不死を呼び覚まし新たなる生を得る。そして、その姿は遺伝子と言う理を凌駕し、月人である儂と同じ姿となる。それこそお主が月人の同位体である紛れもない証」

「…………」

 

 無言でバゼットの言葉に耳を傾ける小百合。

 最初から小百合も分かっていたのだ。バゼットの真剣な眼差しが、自らの言葉に嘘はないと語っていることに。

 

「さあ来るのじゃ、小百合。お主には月人の権能はない。じゃが、儂が本来の全知全能を取り戻すにはお主が必要じゃ。再び有るべき儂に戻り、世界を導こうではないか」

 

 小百合と全く同じ顔で手を差し伸べるバゼット。

 小百合は差し伸べられた手を取らず、ただその手を睨みつけた。

 

「……なら、もし、私と貴方がひとつになったとしたのなら、今の私はどうなるの?」

「恐れることではない。今までの無限転生となんら変わらぬ。ただ持つ記憶が倍に増えるだけじゃ」

「そう、今の私は居なくなるのね。なら……嫌よ、嫌。私は貴方とひとつになんてならない」

 

 小百合はできる限り鋭い眼光を作ってバゼットの手を払いのける。

 

「ほう……?」

 

 バゼットは意外そうな顔をすると、まじまじと小百合の顔を見る。

 

「今の私が仮初めだとしても、今の私には大切な人が居て、やりたいことがあるの。今の自分をそんなに簡単に捨てられないわ!」

「要らぬ。そんなことは全て些事じゃ。世界の行く末と天秤に掛けられる事ですらない」

「──ッ!」

 

 表情ひとつ変えずに断然と言い切るバゼット。

 小百合はその言葉に明確な嫌悪感を抱く。

 

「要らない……要らないですって? 嫌よ、なら尚更嫌。私の大切なものを要らないなんて言う人間に、私がなりたいわけがない!」

 

 小百合は目に涙を浮かべ、全身全霊でバゼットを否定する。

 

「そうか、主は儂を否定するか……」

 

 バゼットはそんな小百合を寂しげな眼差しで少し見つめた後、

 

「愚かしきことじゃのう。同位体となるときに、記憶だけでも分けておくべきじゃった。全ての終わりの訪れを防ぐ、儂の責務すら忘れるとは」

 

 寂しげな眼差しを冷たい眼差しに変えて小百合を見据える。

 他者を省みず他者を寄せ付けないバゼットの瞳。

 小百合は理解する。バゼットが小百合自身だと言うのなら、それは過去の自分、孤独を気取ったかつての小百合そのものなのだと。

 

「……そう、孤独なのね。貴方」

「そうじゃな。孤独じゃ。記憶がなくとも他ならぬお主だけは儂を理解できる、そう思っておったのじゃがのう。儂の心の内を知るものは独りとして居なかったようじゃ」

 

 バゼットはしゃんと鈴を鳴らして右手を掲げる。

 どこからか伸び出でた無数の赤い糸が小百合の体に絡み付いて自由を奪う。

 

「っう! 結局無理やりするのね!? 自分の意見だけに従って、だから貴方は孤独なのよ!」

 

 小百合は赤い糸を振りほどこうと必死にもがくが、その意思に反するように体から力が抜け落ちていく。

 

「主が己の本義を忘れるからじゃ。今はこれから至る歴史において大切な時期。これ以上問答に使う時間も勿体無い」

 

 縛られた小百合をゆっくりと引き寄せるバゼット。

 

「ならないわ……自己中心的で高慢よ、貴方。私はそんな貴方とひとつになんてならない!」

 

 小百合はバゼットを目一杯睨みつける。

 

「好きに言うがよい、結果は同じこと。儂と主は本来一人。岩に隔てられた川の流れが一つに戻るが如く、互いが無意識に一人に戻ることを望むのじゃ」

 

 バゼットの指が触れ、小百合は動かない体で搾り出すように悲鳴をあげる。

 小百合に対する自らと同じはずの存在が行う容赦のない行為。

 小百合は自問自答する。自分は拒む相手にあんな表情をできるのだろうか、そんなことはできない。いいや、絶対にしないと。

 しかし、目の前に居るもう一人の自分は、平然とそんな行為を行ってしまう。

 

 小百合は決意する。体も、心も、意思も、何もかもが奪われても、バゼットとひとつになどならないと。

 ──だが、やがてその意思も、小百合の何もかもが朧げになっていくのだった。

 



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異性体(パラレル)1

 

 第五章  異性体(パラレル)

 

 エクスとマキナは庭園の芝生に座り込んで空を見上げていた。

 明けた夜は透き通った青を経て、既に黄昏色に染まっている。間もなく再び宵闇へと包まれることだろう。

 

 バゼットが言ったとおり、庭園の空間法則は夜明けと共に本来の状態に戻った。

 だが、それでも二人は動かず、無言のまま揃って空を見上げ続けていた。

 

 途方に暮れている訳ではない。

 二人には取ることができる手段がある。

 否、このままでは二人がもらたしてしまう結末がある。

 だが二人はその結末を望まない。故に躊躇っているのだ。

 二人がもたらしてしまう結末は、"全てを終わらせてしまう"かもしれないと知っているからだ。

 

「万物は相互に干渉し変化していく……生も死も概念も、全てはそのための過程に過ぎないのならば」

 

 灯り始めたビルの明かりを眺め、エクスがぽつりと呟き。

 

「独りが選び統べる世界は、それが全知全能であろうとも感情の熱的死した世界。……ですね」

 

 同じくビルの明かりを眺めたままマキナが言葉を継ぎ足した。

 

「そしてその先に待つのは"全ての終わり"、か……」

 

 言って、エクスは再び黙りこくる。

 再び訪れた沈黙。マキナは仕方がないといった風に目を閉じると、すぅと小さく息を吸い込んで口を開く。

 

「エクス」

「…………」

 

 一言だけ名前を呟いたマキナに、エクスは何も答えない。

 

「エクス」

「言わなくても分かる。……別人ぶっても所詮俺はお前で、お前は俺だ」

 

 二度の呼びかけに、渋々と返答するエクス。

 

「それでも、口にします。これが私達が"二人"で居る間の取り決めですから」

「…………」

「エクス、私達がそれを認めないのなら、小百合ちゃんを無理やり攫ったバゼットを否定できません」

「分かってる。同位体(パラレル)の各々が違う答えを持っていると認めないのなら、この世界は"全ての終わり"の訪れから逃れられん」

 

 エクスは自らの顔に手を当てると、迷いを払うように大きく首を振った。

 

「はい、そうです。だから貴方はエクス。私はマキナですよ」

 

 マキナは優しく微笑みながら、エクスと自身を順番に指差して、諭すように言う。

 エクスは暫しの間無言だったが、やがて自嘲するように笑った後、いつも通りの不敵な顔でゆっくりと立ち上がる。

 マキナはそれを見届けると自らもゆっくりと腰を上げた。

 

「なあ、マキナ。小百合はバゼットとひとつに戻ったと思うか?」

「大丈夫ですよ、エクス。月見団子とケーキです。私とエクスですら違う答えを出せるんですから」

「ふっ、愚問だったな。ならば俺達も保護者の務めを果たすとするか。行くぞ、小百合を助けに」

「はい、行きましょう。遅れた分だけ大急ぎで」

 

 二人は遠めに見える街並みを眺める。

 ビルの灯りは綺羅星の如く輝き、夜空に現れ始めた星と共に大地を照らしていた。

 

「あの灯りの分だけ人が居て、感情があって、意思がある。多種多様、刻々と変化する世界はその世界が生きている証、ですね」

 

 言って、マキナは静かに歩き出す。

 

「果てを求めるが故に終わりを呼び寄せる者と、終わりであるが故に続く煌きを信じられる者。バゼット、因果なものだな俺達は」

 

 エクスはもう一度だけ街並みを眺めると、漆黒のコートを翻す。

 そして、先を行く"自分自身"を追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

「何、備品のサイドカーが奪われたとな! 承知した、こちらも迎撃体勢に入る! 後は任せておけい!」

 

 月人御所の南門付近に広がる庭園。

 通信端末で報告を受けた警備の天狗面は、端末のスイッチを切ると慌しい様子で周囲に指示を出す。

 

「報告! 例の二人組みは我らのサイドカーを奪った模様! 門を閉めて迎撃体勢にあたれい!」

 

 天狗の大声と共に、荘厳な作りの門が閉まり、閂が通される。

 庭園の灯篭に灯りがともり、玉砂利の音を響かせて天狗面達が次々と集結していく。

 その光景はまさに天狗だらけの百鬼夜行。

 

「注視せよ! 神出鬼没の奴らよ、いつ来てもおかしくはないぞ!」

「応!」

 

 秋の虫達が静かな音色を奏でる中、天狗達は無言で来るであろう襲撃者に備える。

 やがて虫達の恋歌に混じって、蒸気動力の駆動音が聞こえ始めた。

 

「来たぞ!」

 

 堰を切ったように、一斉に天狗達が武器を構えて門の前に立つ。

 それを嘲笑うかのようにサイドカーが夜空を舞う。

 

「上、上、上! 上だっ!!」

 

 虚を衝かれて浮き足立つ天狗達。

 門の上を飛び越えて現れたサイドカーは、そのまま斜め四十五度の角度で深々と庭園の玉砂利に突き刺さる。

 サイドカーの壊れた蒸気動力から蒸気が漏れ出し、辺りを霧のように包んでいく。

 

「馬鹿な……。なんと言う向こう見ず。呆気ない結末よ。仕方ない、救護班に担架を持ってくるように言ってやれい!」

 

 ひときわ鼻の長いリーダー格の天狗は呆れるように肩をすくめると、脇に控えていた天狗に指示を出す。

 

「フッ、気遣ってもらってすまんな。あつかましいついでに担架の追加を頼む。お前達全員を乗せるには二つでは足りんからな」

 

 ぽつぽつと雨の降り始める中、じゃりじゃりと足音を立て、漏れ出す蒸気の中からエクスとマキナが姿を現す。

 

「なんと! 無事とな!? なんと頑強な若人よ!」

「さて、残念ながら今日の夜勤は終わりだ。親切な天狗を虐げるのは忍びない。素直に退け」

「怪我をする前に退くなら今のうちと言うことです。今日は本気を出す予定ですから」

 

 エクスが黒いコートを夜風に靡かせ、マキナがカフスのボタンをはずして腕まくりをする。

 

「ふぁふぁふぁ!! それは流石に慢心が過ぎると言うもの。如何に人間離れした強さでも、完全装備のこの人数相手に勝てると思うでないぞ!」

 

 リーダー格の天狗が、刺股(さすまた)のような獲物を手にして歌舞伎の如く大見得を切る。

 それに追随するように周囲の天狗達も構えを取った。

 

「仕方ありません。……それでは粉砕します」

 

 マキナは鋭い眼差しで迫り来る天狗達を見据えると、近くで蒸気を上げているサイドカーを軽々と持ち上げ、天狗達めがけて思い切り投げつけた。

 

「っふぉふぉ、なんとおおおっ!?」

 

 蒸気筋肉鎧の力を最大発揮して全力後退する天狗達。

 マキナは天狗達がサイドカーを回避したのを見届けると、逃げた天狗の一人を蹴り飛ばし、天狗をドミノ倒しのように連鎖させて次々と吹き飛ばしていく。

 

「ははは、マキナの奴め、今日は相当ご立腹と見える……まあ、俺もなんだがな」

 

 エクスはエレキテル刀の刀身を顕現させると、天狗達の大きく振り回す。

 

「馬鹿め! 我等は皆防電チョッキ着用済みよ! うごっ……」

 

 高笑っていたはずの天狗は、皆腹部を抑えてその場に崩れ落ちた。

 

「馬鹿者はお前達だ。同時に拳打を入れたのにも気が付かんとは笑わせる」

 

 ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。好き放題に蹂躙される天狗達。

 あれよあれよと言う間に天狗達は積み重なって丘になり、山となった。

 

「ふん、呆気ないものだな」

 

 積み重なった天狗の山を見て、エクスが鼻で笑う。

 

「いいえ、まだ前哨戦みたいですよ」

 

 マキナが真剣な表情のまま視線を横に動かす。

 庭園に隣接した廊下を駆ける天狗の群れ、群れ。

 エクスとマキナの居る庭園に向けて、先ほどの天狗達の数を遥かに超える、天狗津波が押し寄せてきていた。

 

「なるほど、中々どうして手間をかけてくれる」

 

 忌々しげに言うエクスをよそに、四方三方から次々とやってくる天狗。天狗。天狗。

 天狗印の金太郎飴もかくやと、天狗達は際限なく中庭に集合していく。

 

「少々多いですが……戦うしかありませんね」

「仕方あるまい。バゼットの所に行く前に追いつかれるのは目に見えている。天狗共がバゼットとの話し合いに巻き込まれては困る」

 

 エクスとマキナが天狗達と対峙する覚悟を決めたその時、銃声が聞こえ、一人の天狗が崩れ落ちた。

 突然の出来事に慌てふためく天狗達。

 

「ケッ、死にゃあしねぇよ。警官用の異性体不殺弾(スタンバレット)だからな」

 

 廊下に隣接する部屋の障子を蹴破って、拳銃を構えた烏丸が二人の前に現れる。

 

「無事だったのか、烏丸」

「無事だぁ? 嫌味かそりゃ。テメェ等の足を思い切り引っ張って、どさくさに紛れて逃げ出したのが無事っていえるんなら無事だろうさ。手助けしたつもりがとんだクソッタレが居たもんだぜ」

 

 烏丸は吐き捨てるようにそう言うと、二人を追い払うようにシッシッと手を振った。

 

「行きな、東の方が手薄だ。ここは俺が引き受けとく。嬢ちゃん、助けるつもりなんだろ? 最後ぐらい役に立たせろよ」

 

 烏丸はエクスとマキナと入れ替わるように前に進み出ると、迫り来る天狗達を迎え撃つ。

 

「はい、お言葉に甘えさせていただきますね」

「ああ、任せた。せっかくのお膳立てだ、無駄にはせんさ」 

 

 烏丸は何も言わず、背を向けたまま拳銃を持った右手を上げる。

 エクスとマキナはそれを確認すると踵を返して、バゼットの居る御座所を目指して駆け出した。

 



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異性体(パラレル)2

 烏丸と別れたエクス達は、散発的に現れる天狗を次々と蹴散らして、バゼットの居るであろう御座所を目指して突き進む。

 だがその最後の最後、御座所を目前にした中庭で、一人の女が雨に濡れながら二人を待ち構えていた。

 

「あらあら、うふふ……来てくれると思っていましたわ」

 

 先を急ぐ足を止め、身構えるエクスとマキナ。

 風華は強まった雨脚など気にもせず、雨に濡れた髪をかいて愉快そうに口の端を歪める。

 

「出ましたね」

「ああ、居るとは思っていたがな」

「うふふ、良かったですわ。マキナさんがちゃんと来てくれて……。うふふ、ここなら私も容赦なく本気を出せますもの」

 

 風華が腰につけた鉄の筒からシュゥゥゥと蒸気が漏れ出し、風華が独楽のように自らの身をよじらせる──直後、風華の姿が消えた。

 

「──!!」

 

 危機を察知してと咄嗟に身構えるマキナ。

 直後、マキナの衣服の袖口が切り刻まれ、その白い柔肌が露出する。

 

「うふふ、驚きましたかしら?」

 

 振り返るマキナ。

 その遥か後方で、パシャパシャと言う水音と共に、風華が余韻を刻むように小さく跳ねていた。

 

「加速装置……ですか」

 

 マキナは不機嫌そうな顔で風華の方へと振り返る。

 

「ええ、その通り。この筒は蒸気式物体加速装置(スチームアクセラレイター)。バゼット様が千年後に人類に与えるはずの物。遥か先の未来にオーパーツと呼ばれる物ですわ」

 

 言い終わると同時、風華の姿が蒸気音と共に再び消える。

 

「っう!」

 

 マキナは身構えるが、またしても衣服が切り刻まれ、スカートの丈が半分になった。

 

「っ、嬲るつもりですか」

「勿論、貴方の身に着けた衣服が一枚一枚剥ぎ取られ、その美しい柔肌が露になる度、私は至福に包まれますの」

 

 腰につけた筒の束をこれ見よがしにじゃらりと鳴らし、風華はぺろりと唇をなめ回す。

 

「……病的ですね。パブリックエネミーもほどほどにして欲しいです」

「まあ、睨みつけてかわいいですわぁ……。貴方の私に対する辱め、忘れていませんわよ。ですから……貴方は私以上に辱めて差し上げますわっ!!」

 

 冷たい視線を浴びせるマキナを見て、恍惚の笑みを浮かべる風華。

 そして、次の瞬間、またも風華の姿が消え、風華の匕首がマキナを襲う。

 服の胸元が切り取られ、下着と共に露出したマキナの胸が柔らかく揺れた。

 

「むぅっ……!」

「うふふ、一度に剥いでしまっても情緒がありませんものね。ゆっくり、ゆーっくりと脱がせてあげますわ」

「変態ですね。更生すらも生ぬるいです」

 

 興奮気味に頬を赤らめてトントンと小さく跳ねる風華。

 マキナは静かなる怒気を宿してそれを見据えた。

 

「マキナ、手に負えそうか? お前の公開ストリップショーは、俺としても自分の身包みを剥がされているようで正直きつい」

 

 苦戦するマキナを見かねて、横で静観していたエクスが堪らず声をかける。

 

「エクスはそこで見ていてください。エクスが割って入ったら、即座にそのまま切り刻まれます」

「なるほど、ならば仕方あるまい。俺は大人しくしているから任せたぞ」

 

 エクスは濡れないように軒下に移動すると、瞑想するように目を閉じて腕組みをはじめる。

 

「あらあら、流石はマキナさん、ちゃんと分かっていますわね。うふふ、お互いに利のある提案でしたわよ」

「お礼は要りません。貴方を駆除するのに必要な手順ですから」

「あらまあ、言いますわねぇ。なら次は順番を飛ばして、そのお胸に着けた下着をいただいてしまいますわよ」

 

 風華は匕首をぺろりと舐めて蒸気式物体加速装置を起動する。

 

「っ──!」

 

 風華の姿が消える瞬間、それに合わせてマキナが身を翻す。

 

「あらあら? まあ!?」

 

 マキナの遥か後方で、雨に濡れた髪を振り乱す風華が驚きの声を上げる。

 

「多少慣れてきました」

 

 言って、風華から視線を逸らさぬまま、マキナは切り取られた衣服の端と端を結ぶ。

 風華の刃は、本来の狙いと別に衣服のへそ辺りを縦に切り裂いていた。

 

「うふふ、凄いのですわね。謝りますわ、ごめんなさい。正直な所、私は貴方を見くびっていましたわ」

 

 強まる雨脚の中、風華は懐からもう一本の匕首を取り出し、蒸気式物体加速装置を二つ同時に起動する。

 

「ですから、最大限の敬意をもって辱めて差し上げますわ──!」

「っう!」

 

 腕を交差させて身を守るマキナ。

 それを物ともせず縦横無尽に繰り出される刃が、マキナの衣服を細切れにして剥ぎ取っていく。

 

「あらあら、大胆で扇情的な格好になりましたわね。でも、この雨では寒そうですわ」

 

 雨の中、湯気を立ち上らせて、愉快そうにぺろりと匕首を舐める風華。

 マキナの姿は既にほぼ下着だけになっていた。

 

「外道……本当に外道ですね。エクス、頃合です」

「分かった。着ろ、マキナ」

 

 軒下で静かに目を閉じていたエクスが腕組みを止め、来ていたコートをマキナに投げ渡す。

 

「感謝します」

「あらあら、ここで衣服を足してしまいますのね。いいですわよ、どっちにしろ次でおしまいですもの」

 

 風華は再び蒸気式物体加速装置を二つ同時に起動する。

 加速装置がボシュオォォと音を立て煙を吐き出す。

 マキナは風華を睨みつけて、コートの内ポケットに手を伸ばす。

 

「その後は……押し倒して、その凍える体を温めてさしあげますわよおぉぉぉおぉ! めしべと! めしべが! ぺったんこですわああああああ!!」

「いいえ、これでおしまいです。卑猥で不愉快な外道は……即刻退場、ですっ!」

 

 消える風華の姿。

 それに合わせてマキナも動く。

 マキナは前に飛び込むように跳躍すると、内ポケットから取り出したエレキテル刀を後ろへ投げ飛ばす。

 体勢を低くしたマキナの上を風華の匕首が通り過ぎる。

 

「っな……よけっ──」

 

 勝利を確信した剣閃に動きを合わされ、驚きの表情をする風華。

 風華は匕首の軌道を調整しようとするが、その加速が仇となり、調整する前にそのままマキナの居た場所を突っ切っていく。

 

 それを追うように刃の顕現したエレキテル刀が濡れた地面を転がっていく。

 加速を終えた風華は振り返り、再度加速装置を起動しようとする。

 だが、それよりも早く、風華を追うように雨に濡れた地面をエレキテルの刃が走り、風華の全身に牙を剥いた。

 

「ひゃっ!? ぴゃっううああああああああ!?」

 

 風華は叫び声を上げると、金縛りにでもあったかのように全身をピンと伸ばしてその場に倒れ伏す。

 

「ふん、マキナを嬲るのに熱くなり過ぎだ。変態が仇になったな」

 

 エクスは風華の敗北を見届けると、倒れた風華を一瞥して御座所の方に歩いていく。

 マキナは余程気分が害されたのか、倒れた風華を見ることもせずに無言で先を歩いていた。

 

「っう……で、でもいいですわ……。マキナさんの下着の色、分かりましたもの……」

「本当に筋金入りだな、貴様」

 

 足元で満足そうにそういう風華を見て、エクスは心底呆れたと言う風に肩をすくめる。

 マキナは御座所の方を向いたまま、両手で自らの体を抱きしめて身震いするのだった。

 



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エクスマキナ1

 

 第六章  エクスマキナ

 

 もしもその身が終わりそのものならば、その全てに意味はない。

 終わりとまみえるという事は無すら残さず消えうせるということ。

 手の届く場所はなく、目に映る風景もない。うつろうものもうつろわざるものも全ては無価値。

 故に全ての終わりたる少女には心も意味もなかった。

 

 されど、偶然が彼女に心をもたらした。

 自らの作り上げた世界に訪れた全ての終わりに対し、終わらぬ世界の道中で宣言した全知全能の神が一人。

 

 その時、全ての終わりに新たな意味が宿り。その姿に、その心に、意味が宿った。

 そして、心は全ての終わりの前に立つことを願った。

 ただあるだけで全てを終わらせる、同位体(パラレル)でも収まらぬ強大すぎる己の身を異性体(ふたつ)に分けて。

 

 孤独な誰かの心に意味を宿らせることができるように。

 自らの異性体(パラレル)が、再び"全ての終わり"に戻らぬことを願いながら──

 

   ***

 

 風華を退けたエクスとマキナは月人の御座所に踏み入る。

 そこには外の空間からは想像もつかないほど広大な空間が広がっていた。

 大広間に敷かれた畳は果てが見えないほど連なり、時折ロウソクのように揺らめく周囲の景色は、宇宙やいつの時代のどこの星かも分からない風景へと移り変わっていく。

 

「チッ、既に時間と空間が歪んでいる。バゼットの奴は全知全能を取り戻したようだ」

 

 先ほどまで大広間であったはずの空間を見回し、エクスは忌々しげに呟く。

 

「どうしますか、エクス? 一応、歪んでいるものの空間自体は繋がっているとは思いますが」

「皆まで言うな、無茶は少ない方がいい、根性で走るぞ。どうせ空間と一緒に時間も歪んでいるんだ。外から見れば結果は同じだ」

「はい、そうですね。そう言うと分かっていました」

 

 揺らめき移り変わる異界の遠景に落ちぬよう注意しながら、二人は畳と襖の広間を駆ける。

 一歩前に踏みしめた畳が過去の宇宙へと変わり、二歩前に踏みしめた畳が未来の平行世界への扉となる。

 ただ足元の畳だけが確かな空間を二人は迷い無く駆け抜けていく。

 そして、二人の体感時間で数十分以上駆け抜けた後、広間の果てに御簾が浮かび上がった。

 

「エクス、見えました!」

「ああ、これ以上空間が歪む前に踏み込むぞ!」

 

 御簾を突き破るようにして突き進むエクスとマキナ。

 次に二人が足を踏み入れた先は、宇宙空間に浮かぶ八畳間だった。

 

「ふむ、途中で諦めるかと思ったが、お主等の根性には敬服するのう。よく己の場所を見失わなんだ」

 

 肘置きに肘をつき、素顔のバゼットが面白そうに顔を歪める。

 

「……エクス、バゼットちゃんの姿はそのままのようですね。ですが権能は取り戻しています、不思議です」

「そのようだな。バゼット、小百合をどうした」

「ほほう、見上げたものじゃ。儂の素顔を見てもその言葉を放てるか」

 

 バゼットは感心したように目を細めた後、静かに上を指差す。

 宇宙の果てに赤い糸に雁字搦めにされた小百合が虚ろな瞳で浮かんでいた。

 

「小百合ちゃん! 返してください、小百合ちゃんを」

「返す? まこと不思議なことを言う。あれは所有物でもなんでもない。儂じゃ、身も心も紛う事なき同一の」

「それでも……小百合ちゃんは小百合ちゃんです。貴方が小百合ちゃんの有り方決めることはできません」

 

 静かに静かにマキナが言う。

 その瞳には溢れんばかりの怒気が宿されていた。

 

「ああ、なるほど。我が同位体が儂とひとつに戻ることを拒んだのはお主達の影響か」

「小百合は拒んだか。そうか……あいつも今に価値を見出せたか。ならば俺のおせっかいもたまには役に立つというわけだ」

 

 エクスは満足げに頷く。

 

「何を嬉しそうにしているのじゃ。儂としては余計な手間をかけさせたお主等に、文句のひとつでも言ってやりたい所なのじゃがのう」

 

 冷たい視線を向けるバゼット。

 

「……ふん、なるほど。その目、以前の小百合と同じだな。警告だ、止めておけ。そんな目で全知全能を振るえば全ての終わりが訪れざるを得んぞ」

「警告? この儂に警告とは面白いことを言うのう。そもそも、お主達は知らぬのじゃ。全ての終わりが何を意味するかを」

 

 断然と言い切り、冷たい視線のまま二人の無知を嘲笑うバゼット。

 

「いいえ、知っていますよ。その意味を知る者は異なる数多の世界を含めても貴方と"私"の二人だけです」

 

 マキナはバゼットの冷たい視線を全て受け止め、その上で言ってのける。

 

「なんじゃと……?」

「"全ての終わり"とは停滞の果てへと辿り着いた世界に訪れる終わりそのもの」

 

 マキナの言葉に継ぎ足すように言葉を繋げるエクス。

 バゼットはその言葉に小さく体を震わせた。

 

「全ての外にあり、終わりと言うただ一点でのみ他と交わる、哀れな君臨者」

 

 更にマキナが言葉を繋げる。

 

「自らが終わりそのものであるが故に、終にただ一人立つことを約束された者」

「それが全ての終わり」

 

 エクスとマキナが代わる代わる言葉を繋げ──

 

「そう、つまり……それが"私"だ」

 

 最後に一拍の間を空けてエクスが言った。

 

「お主達、いやお主は一体何を言っておる……?」

 

 バゼットは思わず立ち上がって身を乗り出すと、まんまるになった目でエクスとマキナの顔を凝視する。

 

「ほう、存外に鈍いのか、認めたくないのかどちらだ? つまり私とエクスも、お前と小百合と同じ関係……異性体ということだ。です」

 

 言って、マキナが髪をほどいて不敵に笑う。エクスと似つかぬはずのその姿には、はっきりとエクスの面影があった。

 その顔を見たバゼットは青ざめ、ごくりと息を呑む。

 バゼットはその顔に覚えがあった。否、顔ではない。それは世界の外より眺めた終の光景そのもの。

 

「まさか、まさか、まさか、お主は……ッ!」

「エクス、私は信じています。この世界は未来の果てにある"私"ではなく、今ここを選ぶと」

「ああ、俺もだ。終わりまでの道中に立つ二人の異性体(パラレル)は願う。意地っ張りで臆病な月人の同位体が歩き続ける今を」

 

 エクスがマキナに手を差し出す。

 

「されど原義の"私"が告げる。感情の熱的死を迎えた世界は"全ての終わり"だと」

 

 マキナがエクスの手を取る。

 

「故にはじめよう!」

「今ここで!」

「今と果ての未来を分かつ!」

「「快刀乱麻の幕引きを!!」」

 

 エクスとマキナの姿が重なり、世界におけるその存在が完全に同一点に収束する。

 ──そして、"それ"は世界という器から、認識できる全てから悠々と溢れ出した。

 

 世界を構成する方程式全てを通り過ぎ、因果律はその意味を失う。

 時間、空間、全てが崩壊し、死刑執行前の囚人のごとく粛々と絶対者の執行を待つ。

 全ての法則は例外なく平伏し、概念が跪いて道を開ける。

 多層多次元の宇宙、平行世界、異世界、世界に連なる全ての要素が砕け散る。

 

 その瞬間、全てを支配していた絶対も、世界も、有も、無も、何もかもが平等に──全てが終わる。

 そこに"ある"のは漆黒を纏い、黒い髪を靡かせたマキナ。いや、エクスでもあるその存在はエクスマキナと呼ぶのが正しいのだろう。

 

「や、やはり……お主は!」

 

 バゼットが恐怖と絶望に満ちた眼でその姿を認識する。

 エクスマキナはそれを見て口の端を吊り上げると、機械仕掛けの大鎌を取り出して自らの傍らに浮かべた。

 

 それは機械仕掛けの大鎌を持った黒い髪の少女。

 それは森羅万象の結末。

 それは始まりと対を成す絶対の終点。

 その少女こそ──

 



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エクスマキナ2

 

全ての終わり(エクスマキナ)!!」

「互いに因果な身の上だな。お前は果ての未来を望むが故に私を呼び寄せ。私は続く世界を望んでも、我が身が自らの立つその場所すらも終わらせてしまう」

「なぜじゃ!? なぜじゃ!? なぜじゃ!? なぜお主が終わり以外に存在した!? お主とは終わりそのもの! 何故、お主が存在してなお世界があった!? 今、儂が居る!?」

 

 恐怖で顔をぐしゃぐしゃに歪め、泣きじゃくりそうな顔をして、バゼットがエクスマキナに怒号を浴びせる。

 

「お前と小百合のおかげだよ。お前が私を認識したとき、私もはじめて他者を認識し、私は私という意味を得た。そして、私は世界を終わらせぬよう、自らをエクスとマキナと言う異性体に分けて終わりの前に立った」

「じゃが、それでもお主は……お主は今再び全ての終わりとして世界を終わらせる!」

「違う、言うなれば今の私は"全ての終わり"たる本来の私に至る直前。存続を望むエクスとマキナが与えた世界に対する最後の猶予だ。さもなくば、例え全知全能の月人だろうと世界諸共に終わっている」

「猶予じゃと? 何を偉そうに、お主が訪れねば全ては続いていくというのに!」

「哀れだなバゼット。お前は全ての存続を求めるが故に見失い、全ての終わり(わたし)を呼び寄せた」

 

 エクスマキナは目を細め、哀れむような眼差しでバゼットを見つめる。

 

「哀れじゃと……? 概念ですらもない絶対の終わりが、感情でも持ったというか!?」

 

 対するバゼットは瞳に全てを拒絶するような棘を宿してエクスマキナを睨みつける。

 

「かつて儂が生み育んだ世界を終わらせたお主が! 今この世界をも終わらせようとするお主が! 足掻き続けた儂の全てを哀れみで済ませるな! 全ての終わりッ!!」

 

 バゼットは懐から取り出した天狗の面を宙へと放り投げる。

 それが号令となり、エクスマキナに破壊された世界を上塗りするように、墨汁をこぼしたような黒が全てを塗り潰していく。

 やがて黒に染まったその場所に一筋の光が灯り、最上位宇宙が創造される。 

 最上位の宇宙は内に数多の宇宙を生み出し、生み出された宇宙は更に下位の宇宙を無限に形作っていく。

 無限に連なる宇宙は枝葉のように並行世界(パラレルワールド)を生み出し、それに巻きつくように異世界が起こる。法則や因果が動き出し、その全てが集まって巨大なひとつの"世界"を作り上げた。

 

 それは名ばかりの全知全能などでなく、世界を統べるバゼットにのみ許された、正真正銘の全知全能たる御技。

 既に新たに創造された世界は、今の今までエクスとマキナ達が立っていたその星、宇宙さえも点にも満たないほどの規模を誇っている。

 

 バゼットはその新たに創造された世界に降り立ち、対するエクスマキナも静かに世界に立つ──その世界を終わらせながら。

 そう、その世界は"ある"だけで全てを終わらせてしまうエクスマキナから、元ある世界を保護するために創造された世界。最大規模の緩衝地帯。

 エクスマキナも当然その意味を理解している。故に世界を即座に終わらせぬよう細心の注意を払ってその場に居るのだ。

 

「バゼット、これが意味することは、私を相手に暴力的話し合いをすると言うことだぞ? だが、私がその気になれば全てを意に介さん。分かっているな?」

「そんなことは承知の上! じゃが、今のお主は自らを世界に対する猶予じゃと言った! ならば去れ全ての終わり! この世界にはまだ続きがある!」

「ふむ、誰かによく似て強情だな。ならば仕方あるまい。お前が悔い改めるまでの間、全知全能などという脆弱極まりない力を持って世界を繋ぎ止めてみせるがいい」

 

 エクスマキナは静かに目を閉じる。

 

「存続を望む我が異性体(パラレル)が望む結末はひとつ。小百合を返して悔い改めろ。それが果てに届かん明日だ、バゼット」

 

 言って、エクスマキナは再び目を開け、大鎌の歯車を回し、無の衣を靡かせる。

 

「黙れ、認めよ。儂が導いたこの世界の存続を! 儂が終わらせてしまったあの世界、その正統なる続きを!」

 

 拍子木の音が鳴り、響くはずのない宇宙に響く天狗囃子。

 今ここに終わりへ続く舞台の幕が開ける。

 そう、全ての舞台は幕が開けたその瞬間から終わり(フィナーレ)に向けて駆け抜けていくのだ。

 故に万物は走る。己の全身全霊を賭け悔い無きように。

 

「儂が世界を終わらせぬ! この世界は儂がお主の及ばぬ果ての果て、儂がまだ見ぬ永劫の先へと導くのじゃ!」

「残念だが、お前の夢に先は無い。せめて描いた夢の終わりは壮大なフィナーレで飾ってやろう。そのくだらん夢物語は今、ここが"終わり"だ」

 

 エクスマキナが大鎌を振りかぶると同時、無限の宇宙全てを埋め尽くす天狗面が顕現する。

 出現した天狗面の鼻が伸び、鎌を振りかぶったエクスマキナへと襲い掛かる。

 エクスマキナの居たはずの場所に次々と天狗の鼻が襲来し、空間全てが紅に染め上げられた。

 バゼットはその場所を泣きそうな目をして睨み続ける。

 

「バゼット、先に言っておこう。私を防ぐために新しく創り出した世界ならば、私は誕生の傍から容赦なく終わらせていく」

 

 紅の中でエクスマキナが言う。

 紅に音もなく黒い亀裂が入る。

 黒い亀裂は急速に広がり、世界自体を軋ませて全てをひび割れたガラスのようにしていく。

 黒い亀裂の中に鎮座するエクスマキナが大鎌を一振りすると、僅か二メートルほどしかない刃が、世界そのものをガラス細工を砕くように粉々に砕き飛ばした。

 

 創造された無限の宇宙とその平行異世界、その全ての終わり。

 それはあまりに呆気ない、ひとつの世界の終わりだった。

 

「ッ! 全知全能の後ろ盾があろうとも、壊す気になれば世界なぞ一瞬で終わらせてしまうか!」

 

 目に涙を浮かべ、再度新しい世界を創造するバゼット。

 エクスマキナは振り終えた大鎌を浮かべ、表情もなく静かにバゼットを一瞥した。

 

「当然だ。自らが求めなくとも例外なく全てを終わらせてしまう、それが私の原義なのだからな。分かったなら、大人しく小百合を返して悔い改めろ」

 

 エクスマキナは大鎌を携えない右手をバゼットの方へと突き出す。

 

「こと…わる! 儂はこの世界の統治者であり、かつて全ての終わりを迎えた世界の全知全能神でもあった。ならばその両方を兼ね揃えた未来を作り上げる義務がある!」

「私が終わらせてしまった世界、その続きをこの世界でするつもりか」

「そうじゃ、この世界はかつての世界における終に続く枝葉を剪定し、果てへと続く道筋のみを残しておる!」

 

 バゼットは恐怖に震える手を握り締め、ギリと歯を食いしばって言った。

 

「だが、それは裏目だったわけだな。お前のその目論見は、私の訪れによって既に失敗している。そうだろう?」

「くっ……! それは、それは……儂がまだ全知全能を使って導いていないからじゃ! まだ儂には世界を終わらせぬための選択肢がある!」

 

 バゼットは自らに言い聞かせるようにそう言って、手を突き出す。

 エクスマキナの周囲で更に幾つもの宇宙が始まり、創造された世界がエクスマキナの周囲の世界を押し潰していく。

 エクスマキナは軽くため息をつくと、無の衣をひらりと翻してその全てを誕生の傍から終わらせた。

 

「そうか、儂には、か……。私と小百合が見つけたものをお前はまだ見つけていないんだな」

「なんじゃと?」

「答えを自らの中にしか見つけられん今のお前には分かるまい。だが、待たんぞ。全知全能如きでは私を永く世界に繋ぎ止められまい。よって小百合はここで返してもらう」

 

 エクスマキナの漆黒の髪がふわりと浮き上がる。

 バゼット、そしてそこから幾重もの世界を隔てた果てに居る小百合に向けて、エクスマキナが跳ね飛ぶ。

 意味を成さない空間を押し潰し、止まった時を更に切り裂いて。エクスマキナはバゼットへと迫る。

 

「何故、お前は儂の同位体にそこまで固執する!? 何故、儂を無価値と断じ、同位体だけに価値を見出す!?」

 

 バゼットは慌てて二人の間に新たな世界を横たえる。

 だが、エクスマキナはもはや世界など意に介さない。ただ余波で世界に終わりを与えてなおもバゼットに迫る。

 

「小百合がエクスとマキナを構成する存在意義の一因だからであり、お前が自分が何を失ってしまったのかすらも分からんからだ」

 

 エクスマキナが大鎌を大きく振りかぶる。

 振りかぶった大鎌の切っ先が世界を切り裂いて虚無を灰燼と化す。

 

「戯言を、儂は何も失っておらぬ! 何を失ったというのじゃ。儂が!」

「全ては自分以外に認識され、初めて己という存在に意味を持つ。自身と他者を分ける境界線に生まれるものが感情ならば、感情の熱的死した世界は停滞し、全ての終わりを迎える」

 

 新たな世界を軋ませながら、エクスマキナがバゼットの目を見据える。

 バゼットは恐怖に涙し、上ずった悲鳴を上げた。

 

「故に求めるは、他人──。さあ、バゼット、覚悟はいいな? 終わり(フィナーレ)だ」

 

 エクスマキナが大鎌を静かに滑らせる。

 目を瞑るバゼット。

 大鎌は恐怖で立ち竦むバゼットの横を通り過ぎ、幾重もの世界を紙を裁つように終わらせながら、小百合を縛り上げる赤い糸を快刀乱麻した。

 

 世界の軋みが加速度的に増していき、全知全能の後ろ盾を失った世界が、エクスマキナの存在に耐え切れず砕けるように終わっていく。

 砕けた世界の破片が最後の灯火となって、星空のように元居た世界を照らす。

 

 やがて辺りは宇宙空間に浮かんだ八畳間に戻った。

 エクスマキナは大鎌を無に押し戻すと、腕を組んでその場に静かに佇んだ。

 その眼前には這い蹲ったバゼットと、気を失って倒れ伏したままの小百合が居た。

 

「……何故じゃ! 何故、儂を否定する!? 全ての終わり、お主が他者に世界の価値を見出すのなら、かつての世界では救えぬはずの命を救い、失われるはずだった命の灯火が生き続けるこの世界を、未来へ動き続ける数多のそれを否定するのじゃ!?」

 

 畳の上に這い蹲ったまま、涙ながらにバゼットが訴える。

 

「その数多を否定しているのはお前だ。数多があれども、出す答えが全知全能の一答では意味が無い」

「違わぬ! 儂は他者を否定してなぞおらん!」

 

 バゼットが涙を浮かべ、棘を宿らせた瞳でエクスマキナを睨みつける。

 

「いいや、否定している。現にお前は嫌がる小百合に、自分の答えを押し付けたじゃないか。(エクスとマキナ)にとっては、それだけでも十分以上の理由だ」

「儂が儂に戻って何がおかしい! 元よりひとつであった存在じゃぞ!」

「そうだな。つまりお前はおまえ自身にも否定されたわけだ」

「うぐっ……。何故じゃ、何故、儂をお前達は否定する。儂は真摯にこの世界を思うて行動しておる。出した答えも間違っているはずはない……」

 

 バゼットは悔しげに唇を噛む。

 

「お前の中にこの世界の誰かはいるか? お前の行動にこの世界の誰かが居るのか? 居ないだろう。それがお前の欠落だ」

「っ……! それは……」

「お前の導く道筋は確かに正しいのかもしれん。だが、お前が望む世界はお前だけでは作れない」

「……ならば、ならば儂はどうすればいいのじゃ。儂の求めた答えが違うというのならば、世界を皆に託して儂は消え去れとでも言うのか」

 

 バゼットは悲痛な顔をして唇を噛み締めて押し黙る。

 その答えは自らが口にすることでないと主張するように、エクスマキナは何も答えない。

 

「違うわ、違うのよ、バゼット」

 

 バゼットの問いに答えたのは、目を覚ました小百合だった。

 

「お目覚めか、小百合。いい所で目覚めたものだな」

「ええ、おぼろげな中で見ていたわ。バゼットも、今の貴方がエクスでありマキナさんであることも。だから私がここで何をすべきかも分かるつもりよ」

 

 小百合が小さく頷くと、エクスマキナも頷き返す。

 そして、小百合はゆっくりとバゼットの所へと歩いていく。

 

「何じゃ……儂の同位体であるお主までも、儂を嘲笑いに来たとでもいうのか」

「違うわ。おぼろげな意識の中でずっと考えていたの。貴方が私だとしたら、貴方は何を思ってこんなことをしたのかって」

 

 涙を流し瞳に棘を宿すバゼットを見て、小百合は優しい顔をする。

 

「貴方も臆病なのよね。私と一緒で」

 

 バゼットは目に涙を溜めたまま何も言わない。

 

「だから、貴方が今ではなく果てばかりを見るのかも分かるわ。怖いのよね、大切なものを失ってしまったことが、これから失ってしまうかもしれないことが」

 

 小百合は優しく微笑み続ける。かつてマキナが自らにしたように。

 

「でもね、今の私は分かるの。失うのを恐れて果てだけを見ることは結局、今を失っているのだって」

 

 小百合は言う。かつてエクスが小百合に言ったように。

 

全ての終わり(エクスとマキナさん)は言ったわ。感情の熱的死をした世界は全ての終わりだって。それってつまり、皆が独りになった世界はお終いってことよね? なら逆に貴方が独りでない限り終わりはしないと思うの。例え目の前に全ての終わりがあったとしても。だから他人を恐れないで」

 

 小百合は泣きじゃくるバゼットを強く抱きしめる。

 

「だから、変わればいいのよ貴方も。大丈夫、絶対にできるわ。だって私にもできたのだから」

 

 全ての終わりは去り、エクスとマキナに戻った二人は、その様子を静かに見守っていた。

 



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エピローグ

 

  エピローグ

 

 百数十畳はあろうかと言う畳敷きの大広間。

 その中心で頭を垂れる初老の男。

 この国の宰相であるその男は、御簾の向こうで肘をつく月人に呼び立てられ、再び月宮御所を訪れていた。

 

「のう、葦原。ついぞこの間言った、病院の話じゃが」

「も、申し訳ございません! 必ず実行いたしますので、もう暫くの猶予を!」

 

 男は畳に擦り付けるように深々と頭を下げる。

 

「そうではない。主に尋ねたい。お主はその病院とやら必要だと思うかの?」

「月之大神様の御心に反して必要なものなどございません」

 

 怯えるようにそう言う男。

 バゼットはその様子に男の心情を察して言葉を繋げる。

 

「儂を抜きに答えるがよい。主個人として必要と思うかが聞きたいのじゃ。それで儂は主に対する心情を変えぬと約束しよう」

「は……その、あの病院は近隣住民の強い要望によるもので、皆が求めるのならば必要なものであるかと愚考いたします」

 

 恐る恐る言う男。

 バゼットはそれを聞いて「ふむ」と頷いた。

 

「そうか、皆が必要と思うか。ならば、異なる方策を用いるべきは儂の方じゃな。よかろう、その病院とやら存続させるがよい」

「は……ですが、よ、よろしいのですか……」

「構わぬ。それが主達の出した答えなのじゃろうからな」

 

 男はバゼットの意図が掴めぬという風にその場に凍り付いている。

 

「他意はない。呼びつけた用事はそれだけじゃ。もう下がってよいぞ」

「は、はいっ!」

 

 恭しく座礼した後、男はそそくさと立ち去っていく。

 

「あらあら、うふふ。バゼット様が珍しいことをなさるから、逆に不安になってしまいましたのね」

 

 男が立ち去り、バゼットが庭園を眺めはじめた頃、部屋の隅に控えていたバニー姿の風華が愉快そうに言った。

 

「儂は自らの在り方は変えられぬ。それでも皆の意見を取捨選択する程度はできよう。他者が居ると言うことは、変わると言うことなのじゃろうからな」

 

 バゼットはしゃらんと袖口の鈴を鳴らすと、口元を隠して愉快そうに笑うのだった。

 

 

 

 

 飾り付けられた路上を行き交う人々。

 喧騒と共に流れる祭囃子。

 屋台は地上の星の如く輝いて大地を照らす。

 

 月人とは比べられぬ小さな人々が作り上げた様々な光が、主役である神輿が進む夜道を照らす。

 それが降臨祭の風景だった。

 

 そんな華やかな夜の世界の中で、明るい祭囃子におよそ似つかわしくない二人の男が仁王立ちして並んでいた。

 

「……んでだ、エクス。お前はどんな手品を使って月人に意見を呑ませた? アレは他者の意見を聞くようなタマじゃなかったぞ」

 

 その片割れである烏丸はトレンチコートのポケットに手を突っ込んだまま、もう片割れであるエクスに尋ねる。

 

「別に特別なことはしていない。ただ話し合っただけだ」

 

 腕組みをしたまま神輿を眺めて、エクスはぶっきらぼうに言う。

 エクスの言葉はぶっきらぼうだったが、その顔は小さく笑みを浮かべていた。

 

「へいへい、そうかよ。ま、今回はこれ以上何もいわねぇ。だがな、次からは無茶するんじゃねぇぞ。テメェには意地張って守る相手が増えたんだからな」

 

 烏丸はわしゃわしゃと髪をかくと、クイッと顎を動かす。

 その先には夜店の前で楽しそうに語らうマキナと小百合の姿があった。

 

「分かってる。だが、無茶はお前の方が気をつけるべきだろう」

「ケッ、一言余分だねぇ、テメェは。言われなくても重々承知してるってんだよ。月宮庁に軟禁されてたせいで、カミさんにもこっ酷く罵られちまうしとんだ災難だぜ」

「そこは花束片手に"遅れたけれど結婚記念日おめでとう"とでも言っておけば大分違ったと思うんだがな。どんな感情も形にしなければ相手に伝わらんぞ?」

「……訂正してやる。テメェは一言余計どころか大きなお世話だ。さっさとお嬢ちゃん達の所にいっちまえ」

 

 烏丸は鋭い目つきで睨み付けた後、シッシッとエクスを手で追い払う。

 エクスはそんな烏丸の様子を見て愉快そうに笑った後、烏丸に背を向けて片手を上げた。

 

「あら、エクス。烏丸さんとのお話は終わったのね」

 

 出店の射的で悪戦苦闘しながら小百合が言う。

 

「まあな。思ったより早かった」

 

 エクスは必死で的に狙いをつけている小百合の後ろに立つと、小百合の姿を楽しそうに眺め始める。

 小百合の撃ったコルク弾は次々と的の横を通り過ぎていく。

 

「おじさん、もう一回よ」

 

 小百合は言いながらじゃらりと硬貨を台の上に置くと、新しいコルク弾を手に取った。

 

「エクス。また烏丸さんに余計なことを言ったんですね」

 

 必死に射的をしている小百合を見ながら、マキナは横に居るエクスに言う。

 

「今回の場合は至って普通の親切心なつもりだったんだがな。ああ、小百合、熱くなるのはかまわんが、その体勢だとブレて余計に当たらんぞ。そのぺったんこな胸を台に押し付けておけ」

「間違いなく烏丸さんに余計なこと言ったわね。今の私に対してみたいに」

「ふむ、俺は余計なことを言ったつもりはないんだがな」

 

 不敵に笑ってみせるエクスに、小百合はジトッとした視線で応酬する。

 

「っていうか、エクス? 私も少し慣れちゃっていたけれど、よくよく考えてみたら私に対するその弄り方、勝者の余裕よね」

「む、何がどうして勝者の余裕だ?」

「だってエクスはマキナさんでも全ての終わりでもあるんでしょう? つまりエクスもスタイル抜群で美人さんなのよね。それなら私のスタイルが貧相に見えても不思議はないわよねぇ」

 

 ジトッとした目つきのまま、わざと刺々しく小百合は言ってみせる。

 

「な、何? 気に障るから止めて欲しいのなら普通に言え。烏丸だってお母さんが居るなら女の人だろう。それと何が違う」

 

 思わぬ形の反撃にたじろぐエクス。

 

「そ、そうですよ、小百合ちゃん。それは酷い流れ弾です。私とエクスは別人設定ですからね、別人設定ですっ」

 

 うんうんと首を大きく振ってエクスに同意するマキナ。

 慌てふためく二人の様子は、小百合にとっても思わぬ光景だったようで、小百合は目を丸くしていたが、やがてぷっと吹き出して笑い始めた。

 

「っ、ふふ、ごめんなさい。二人がそこまで慌てふためくとは思って居なかったわ」

 

 小百合はそう言って、エクスの助言に従って体を固定してコルク弾を放つ。

 ポンッと快音を響かせたコルク弾は、棚に乗った的を大きく揺すって落とした。

 

「大丈夫、そんな余計な一言でも私は感謝しているわ。ありがとう」

 

 景品を受け取った小百合はくるりと向き直ると、はにかんだ表情でエクスとマキナに景品を手渡す。

 エクスとマキナは景品を眺めた後、お互いに見つめ合い、同時に小百合の方を向く。

 

「ありがとうございます。小百合ちゃん」

「ああ、礼を言う……」

 

 マキナは笑顔で、エクスは照れるようにそう言うと、景品を大事そうにしまいこむ。

 

「取った景品をあげようと思ったのだけれど、二つ取るのに結構手間取っちゃったわ」

 

 言って、小百合は二人を先導するように人混みを歩き出す。

 

「さあ、行きましょう。やりたいことを全部するには時間が足りないものね」

 

 小百合は行き交う人々の中を軽やかな足取りで進んでいく。

 

「眩しいですね。小百合ちゃん、ううん、この世界が……」

「ああ、だから俺達は焦がれたのだろうな。道中である今この時に」

 

 エクスとマキナはゆっくりと辺りを見回すと、楽しそうに先を行く小百合を追いかける。

 二人の居るその場所は、いつか来る終わりなど感じさせないぐらい眩しく輝いていた。

 



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