実力至上主義の学校に数人追加したらどうなるのか。※1年生編完結 (2100)
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プロローグ
速野知幸の独白
2019/12/07、大幅に改稿しました。元々の内容とは全然違うものとなっています。なので、既にお読みいただいた方も、ぜひもう一度お読みください。
「人間は平等か? 平等とは何か?」
これは、俺がある人物から受けた問いだ。
問われた時には質問者の意図が読めず、「いきなりどうしたんだ」と聞き返した。すると相手は「いや、なんでもない。忘れてくれ」と言って引き下がった。
それで俺もこの質問に関しては気に留めないことにしていたが……いま、なぜか急に思い出した。
せっかくの機会だ。ここで、その問いについて少し真剣に考えてみることにする。
まず一つ目、人間は平等であるかどうか。
これに関しては断言してもいい。
平等であるはずがない、と。
では、仮に人類が平等であるとして。
なぜ「平等であるべきだ」なる言説が称賛される?なぜ人々は必死に「平等」を訴える?
「平等であるべきだ」という主張は、平等でない現状を前提として、それを改革していくべきだ、という意味に他ならない。
したがって、人類は間違いなく平等ではない。
いや、こんな回りくどい言い方をしなくても、少し考えれば分かることだ。
性別、年齢、容姿、声質、出自、能力、所得、エトセトラエトセトラ。
不平等が生じる要因なんて、そこら中に転がっているのだから。
では次の問い、平等とは何か。
これは非常に難しい問いだ。
まず一口に平等といっても、大きく分けて2つの種類が存在する。
弱者に補助を与えることによる、結果の平等。
一切の操作を加えないことによる、機会の平等。
これらはしばしば、野球観戦の絵で例えられる。
身長175センチの成人と、身長130センチにも満たない幼い子どもが、スタンドの向こう側から野球を観戦している。
スタンドの高さを考慮した場合、子どもはゲームを観戦することはできない。これは不平等である。そのため、子どもに箱を与えてそれに乗せ、観戦できるようにしてやる。これが結果の平等だ。
しかし見方を変えると、この操作によって、子どもには箱を与えて、成人の方には箱を与えていない、という不平等が生じているとも解釈できる。
つまり、双方ともに箱を与えず放置しておくこと、これもある意味では平等であるということだ。
平等によって不平等が生まれ、不平等によって平等が生まれる。
このようにして考えてみると、「平等」とは非常に面白い概念であると思う。
いまの俺の思考は、先人たちが幾度となく通ってきた道だろう。
そして、不平等を完全に排除するのは不可能だということに気づいたのだ。
どちらの平等を目指すべきなのか、俺にはわからない。
だが一つ、自信を持って言えるのは、現代社会においては「機会の平等」も「結果の平等」も到底実現されそうにない、ということだ。
次回から本編に入ります。
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第1巻
ep.1
2019/12/07、大幅に改稿しました。以前ep.1、2、3として投稿していたものをひとまとめにしています。
展開に大きな違いはありませんが、バス車内でのやり取りなどを丸々削除し、表現も変えているところがかなりあります。
一度お読みいただいた方も、ぜひもう一度お読みください。
1
4月5日。
この日をもって、俺は晴れて高校1年生となる。
小中9年間の義務教育を終え、初めて自分の意志で入学する学校。
だからといって、別に俺自身に何か特別な変化があるわけではない。
変わるのは俺自身ではなく、環境だ。
制服、通学路、人間関係、学習の内容。
しかし、理論上はそうであっても、感情はそうとは限らない。
どこか新鮮でシャキッとした心持で、より大きく大人への一歩を踏み出したような気分だ。
そんな思いを胸に、俺は今日から3年間お世話になるであろう学校へと足を踏み入れる。
東京都高度育成高等学校。
日本政府が主導で作り上げた、これからの日本の未来を支えていく若者を育成していく全寮制の高校。
生徒が希望する未来に全力で応えます、と入学案内のパンフレットには書かれていた。
その謳い文句は伊達ではない。実際この学校は、就職率、進学率ともに100パーセントという現実離れした実績を持っている。
正直きな臭さを感じなくもないが……俺がこの学校に入学を希望した理由は他の部分にあった。
というのもこの学校、入学金、授業料、そして寮費、全てタダなのだ。
生徒側の負担はゼロ。
中学の担任教師からの推薦もあり、これはいくしかないでしょ、ということで受験。そして見事合格を果たしたというわけだ。
俺の配属されたクラスはDクラス。
教室に入ると、8列5行の40名分の座席があることが確認できる。
座席のひとつひとつにはネームプレートが置かれており、そこから自分の席を探すシステムのようだ。
それに従い、「速野知幸」と書かれたネームプレートのある、窓際の後ろから2番目の席に着席した。
一息ついて、まずは教室の様子を俯瞰する。
キョロキョロしてるやつ、ボーっとしてるやつ、机に突っ伏してるやつ、本や資料を読んでいるやつ、誰かと話しているやつ。大まかに分けるとこの5パターンか。若干一名、机の上に足を組んで爪を研いでいるやつがいるが、例外として扱うべきだろう。
さて、それを踏まえて俺は何をするべきか。
「入学関係の資料を読み込む」
まあなくはないな。家では斜め読みしただけだし。
ただ、生憎内容に興味がないので、これはボツ。
「寝る」
ありがちな案だが、眠たくないのに寝たふりをするのは無意味だ。ボツ。
「友達を作る」
やはりこれだろう。これから始まる学校生活、スタートダッシュでコケてしまうわけにはいかない。
ならば、当然誰かに話しかけるべきだろうな。
ただ……
―――できたらとっくにやってるわ、と心の中で吐き捨てる。
まず大前提として言っておきたいのは、俺は別にぼっちが好きなわけではないし、孤独がかっこいいなんて思っちゃいない。普通に友達は欲しい。
しかし、俺はどうも「コミュ障」に分類されるタイプの人間らしく、対人コミュニケーション能力が著しく低い。
上級生や目上の人に対してなら、むしろ楽だ。ひたすらドライに接すればいいだけなのだから。
問題は同級生。距離感の測り方が全然わからないのだ。
こんな俺でも、小4まではかなり多くの友達がいた。
しかし小5以降、だんだんと俺の周りから人がいなくなっていき、中学の3年間に至っては友達と呼べる存在はゼロだった。
だから友達が欲しいというのも、一人で過ごすことのメリットを十分わかったうえでの欲求だ。
ほんと、友達ってどうやって作るものだったっけなあ……いや、話しかけなきゃ始まらないってのは理解してるんだが、話しかけるにしてもどんな感じで話しかければいいのか……
と、そんなふうにあれこれと考えているうちに、このDクラスの担任の教師と思われる女性が入ってきた。
それを見て、生徒全員が自分の席に戻っていく。
この時間での友達作りには失敗したか……まあ、まだチャンスはあるはずだ。多分。
「えー、諸君、Dクラスの担任になった茶柱佐枝だ。主に日本史を担当している。まず、この学校にクラス替えなるものは存在しない。3年間同じメンバーで過ごしていくことになると思うので、よろしく。今から1時間後に体育館にて入学式が執り行われるが、その前にこの学校の特殊な決まりについて説明しておこうと思う。今から資料を配布する。これは入学案内に同封されていたものなので、すでに持っている人もいるかもしれないが」
へえ、クラス替えないのか。知らなかった。
配られた資料を見ると、なるほど確かに見覚えのある表紙だ。
そこから、資料の読み合わせが始まる。
この学校の特殊ルールとは、例えばこのようなものだ。
・生徒は3年間、敷地内の寮で生活する
・原則、敷地外に出ることは禁止
・敷地外の人間との連絡はできない
特に2つ目と3つ目。
この学校の特殊さが瞬時に分かるだろう。
つまり今日の朝、登校中のバスの中で見たのを最後に、しばらく俺は外の景色を見ることができないということだ。別に何の未練もないから一向にかまわないが。
ただその代わりこの学校の敷地内には、生徒が退屈しないように多種多様な娯楽施設がある。ショッピングモール、カラオケ、映画館等々。敷地全体が一つの街になっているような感じだ。
そしてもう一つ、この学校の特殊性が表れているシステムがある。
「これより、Sシステムに関する説明を行う。まずは学生証と個別端末を配布する」
今配布されている学生証カードには、この学校において現金の役割を果たす「プライベートポイント」がICデータとして入っている。この学生証カードを機械に通すことで、1ポイント=1円というレートのポイントによる決済ができる。この学校においてポイントで買えないものはなく、校内のあらゆるものを購入したり、施設を利用したりできる。
これがSシステムだそうだ。
そしてポイントは、毎月1日に自動的に振り込まれるとのこと。
「そしてこの端末を使って、ポイント関連の操作を行うことができる。ポイントの譲渡や受取、残高照会、さらにポイントの出入りの詳細が示される帳簿機能もついている優れものだ。また、この端末には通常のスマートフォンとしての機能もある。この中には自身の携帯電話を持ってきている生徒もいるかもしれないが、そちらでネット通信を行うことはできない。これは入学者への案内のうち要注意事項として通知していた通りだ。気を付けるように。なので今後は、この端末を自身の携帯電話として使用することをお勧めする。すでにポイント関連のアプリが端末にダウンロードされている。試しに残高照会でもしてみるといい」
とのことなので、早速アプリを開き、残高照会という項目をタップする。
それと時を同じくして、教室内がざわつき始める。
俺自身も「えっ」と驚愕の声をあげてしまった。
ポイントの残高は……10万。
そう、俺たちはいま、10万円相当もの大金を手にしているということだ。
「ふふ、額の大きさに驚いているようだな。この学校は実力によって生徒を測る。この学校に入学したお前たちには、その時点でそれだけの価値があると判断されたということだ。先ほどもいったが、このポイントが毎月1日に自動的に振り込まれるようになっている。なお、このポイントは卒業時にすべて学校側が回収することになっているので、その点は気を付けておけ。ポイントを何に使うかはお前たちの自由だ。遠慮なく使え。ただし、他の生徒からポイントを巻き上げる、なんて行為はするなよ? 学校はそういったことには敏感に対処する」
と、いうことらしい。
10万もの金を持っている俺たちに対し、積極的にポイントを使わせるような説明の仕方だった。
普通、これだけの金を提供したら「計画的に使え」とか「浪費はするな」とか、そんな注意があってもいいと思うんだが……そこは高校生。義務教育ではない、ということの表れなのだろうか。
「質問はないようだな。では、よい学生ライフを送ってくれたまえ」
10万という数字に対する興奮が冷めやらない中、それだけ言って茶柱先生は教室を後にした。
2
入学式。
それは新入生の新たな門出を飾る、重要な行事の一つ。
……と思っているのは、生徒の親などごく一部の人間だけだろう。
その他大勢にとっては、何にも面白みがない形式的なだけの行事に過ぎない。
入学おめでとう、というお決まりの祝福。
学校の理事やら役員らが話す、それはそれはありがたいお言葉。
そのつまらなさは、政府主導であるこの学校においても例外ではないらしかった。
そんな退屈な入学式を終えた俺たちは、その後教室に戻って各施設の簡単な説明を受け、解散を告げられた。
生徒の多くはそのまま寮に戻るようだ。
しかし、中には早くも仲良しグループらしきものを作り、早速得たポイントでショッピングやカラオケに行く生徒もいる。
当然、俺にそんな相手はいない。放課後も一人で過ごすことになる。
そのまま寮に帰ってもよかったんだが、俺はその足でコンビニエンスストアに向かうことにした。
先ほど端末に登録されている敷地内マップを調べていたのだが、この学校にあるコンビニは、大手コンビニチェーン店のどれにも当てはまらないものだった。
聞いたことのない店名が表示されており、品ぞろえの程が分からなかったので、それを把握しておきたい。ついでに昼飯もそこで買おうと思う。
校舎を歩いていて感じることは、やはり管理が行き届いているな、ということだ。
さすがは政府主導の学校といった感じで、目に見えるところに汚れなどは一切ない。非常に清潔に保たれている。
校舎を出て数分歩くと、目的地であるコンビニに到着する。
店内では、俺と同じ新入生と思われる10数人の生徒が買い物をしていた。
店の敷地面積はそこそこ広い。大きな棚に商品がずらりと陳列されている。
コンビニにしては、かなりいい品ぞろえなんじゃないだろうか。
何十種類ものカップ麺が同じ棚に並んでいる光景なんて、壮観ですらある。
「なあ、もしかしてDクラスでオレの前の席に座ってたか?」
ふと、そんな声が聞こえてきた。
Dクラスという単語が出てくるってことは、もしかして、俺に話しかけてる……?
そんな淡い期待を胸に、声のする方を振り向いた。
「……えーっと」
そこには、茶色がかった髪の男子生徒が立っていた。
顔をよく見ると……あー、確かに、俺の後ろの席のやつだ。配布物を後ろに回す際に見た顔で間違いない。
交友関係を持てるチャンスだ。これを逃すわけにはいかないぞ……
「あ、ああ……多分それで合ってる」
「自己紹介のとき、いなかったよな。どこに行ってたんだ?」
「……自己紹介?」
唐突に出てきたワードに戸惑ってしまう。
「先生が教室を出た後、みんなで自己紹介しようって話になったんだ」
「え、マジで……?」
「ああ」
マジかよ。そんなイベントがあったなんて……
後悔の念がどっと押し寄せてくる。
「いや、まあちょっと……雉を撃ちに行ってて」
「ああ、そうだったのか。悪いこと聞いたな」
想定外のことが起こった。こいつ雉撃ちで意味通じるのか。
「雉を撃つ?」と聞き返される予定だったんだが……気にしないことにしよう。
ちなみに雉撃ちとはトイレの「大」の方のことだ。
便意の解消と引き換えに、俺は自己紹介のチャンスを逸していたわけだ。
ただ冷静になって考えてみると、俺がクラスで自己紹介をしたところで効果があるのか、少し疑問だった。
俺は当たり障りのない自己紹介しかできない。クラスメイトの印象にはほとんど残らないだろう。よくて「なんか目つきが悪い人」どまりだろうな。
とりあえず、終わったことをいつまでもくよくよしていても何にもならない。今は目の前のチャンスをつかむことが先決だ。
「オレは綾小路清隆。よろしく」
どう会話を広げていこうかと考えていると、向こうから自己紹介をしてきた。
なるほど……どうやら、友達を欲しがっているのは俺だけではないらしいな。相手もまた、友達を作りたいと願っているということ。
礼節として、俺も自己紹介を返す。
「……速野知幸。こちらこそよろしく」
これだけではまだ友達とは言えないだろうが、「顔も名前も知らないクラスメイト」から「知り合い」くらいにはなったと思う。
綾小路にとってどうかは分からないが、俺にとっては非常に大きな前進だ。
「よかったわね、お仲間ができて」
「言い方に悪意を感じるんだが?」
「別に、好意も悪意もないわよ。あなたの交友関係に興味なんてないもの」
「そうですか……」
穏やかでないやり取りを繰り広げる綾小路。その会話の相手は、一目見て美人と言える女子生徒だった。
あれ、綾小路、女子とコンビニ来てたのか……こいつ実は中々やり手? いや、でも会話の内容を聞く限りだと全然仲良くなさそうなんだが……
まあそれはさておき、俺はこの女子生徒にも見覚えがあった。
ここは俺も勇気をもって話しかけていることにしよう。
「綾小路とは知り合いなのか」
「……私に話しかけているの?」
変なことは聞いてないはずだが、めっちゃ嫌そうな顔で聞き返されてしまった。
「一応、そのつもりだけど……」
「はあ……そうね。彼とは一応知り合い、ということになるわね。ちなみに誤解されるといやだから言っておくけれど、彼とここに居合わせたのは偶然よ」
「あれ、そうだったのか」
「やはり誤解していたのね」
いや、仕方なくない?
いくらあんなぎくしゃくした会話をしていたとはいえ、あの現場を見たら100人中97人くらいは一緒に来たものだと思うだろう。
「堀北とは不思議な縁があるんだ。今朝、登校したバスも一緒だったし、席も隣。今もこうして同じコンビニに居合わせてる」
「嫌な偶然がこうも重なると、呪われているのかと疑いたくなるわね」
「同感だな」
この女子生徒の名前は堀北っていうのか。把握。
にしても、そうか。綾小路の隣人か。とすると堀北は俺の右後ろの席。かなりの近所ということになる。どうりで見覚えがあったわけだ。
てか、この二人偶然重なりすぎだろ。さながらライトノベルの主人公とヒロインのよう。
「ねえ、これ……どういうことかしら」
堀北が少し驚いた表情で、あるワゴンを指さしている。
その指の先にあったのは、「無料コーナー」。
1か月3点まで、と注意書きがなされ、歯ブラシや絆創膏などの商品がワゴンに詰め込まれていた。
「なんだこれ……」
「ポイントを使い過ぎた人への救済措置、ってことかもな」
「1カ月に10万円も与えておいて、随分と甘い学校なのね」
同意だ。
この学校で生徒がポイントを負担しなければならないものなんて、食費、嗜好品費、娯楽施設費くらいのもの。もちろん、むやみやたらに散財を続けていれば月10万なんてあっという間だが、常識に則って計画的に使えば月6、7万でも十分すぎるほどだ。
学校側の意図はよくわからないが、無料で買えるというなら、ありがたくその恩恵を受けることにしよう。
俺は無料のワゴンから歯ブラシを2本、固形ハンドソープを1個取った。
「早速買うの? 浪費しろとは言わないけれど、このタイミングで無料の商品を取るのはかなりの守銭奴だと思うわよ」
「守銭奴って……」
きつい言い方だな。まだ会って2分くらいしか経ってないはずなんだけど……
「別に品質が劣悪なわけでもないんだからいいだろ。それに、安いもので済ませたいって思ってるのは堀北も同じなんじゃないのか」
堀北の持っているカゴの中にはシャンプーや保湿クリームなどが入っているが、どれも安価なものばかりだった。
「……まあ、浪費家よりはいいかもしれないわね」
納得したんだかしてないんだか、よくわからない答えが返ってくる。
堀北は相変わらず不機嫌そうな顔をしているが……これは同意を得られたということでいいんだろうか。
ここは自分に都合のいいように解釈しておこう。
さて、とりあえず昼飯を買わなければ。
まずはカップ麺を見て回る。
さきほども言ったように、非常に種類が豊富だ。
ただ、どれも食べたいとは思わなかった。
当然、カップ麺が嫌いなわけじゃない。単純に今日はカップ麺の気分じゃないということだ。
そう判断し、次におにぎりが陳列されている棚に移動する。
値段はコンビニ相応といった感じか。やはりスーパーマーケットよりは少し高めの単価だ。
俺は鮭おにぎりと牛カルビおにぎり、それに隣の棚にあったサラダを手に取ってレジに並んだ。
その直後、前方から何やら不穏なやり取りが聞こえてくる。
「っせえな、いま探してんだよ!」
「早くしてくれよ。後ろが使えてるんだから」
「あ? なんか文句あんのかよ!」
レジ前でもめ事が発生しているようだ。
片方はごくごく普通の生徒だが、いきなり大きい声を出し始めた方は赤い髪をしたガタイのいい男で、ザ・不良といった感じの風貌だった。
あれ、確か……こいつもDクラスにいたよな?赤い髪がかなり目立っていたから覚えている。
「何かあったのか?」
「あ? なんだお前」
その赤髪の生徒に話しかけたのは、綾小路だった。
「意外ね」
「……?」
俺の後ろに並んできた堀北がそうつぶやく。
「なにが?」
「事なかれ主義を自称している割に、あんなことに首を突っ込むなんて」
「事なかれ主義……?」
「彼がそう言っていたのよ。自分は事なかれ主義だ、と」
「ふーん……」
確かに、それが事実だとしたら言行不一致だ。
ただ、あの赤髪にビビることなく声をかけ、問題の解決に名乗りを上げてくれたのはありがたいことだ。
先ほどのもめ事は、どうやら須藤が一度寮に戻って学生証を忘れてきたことが原因らしい。綾小路が支払いを建て替えるということで、この場は収まった。
……てことは、赤髪が全面的に悪いじゃん。なんであいつあんなにキレてたの?
どうやら少し厄介な奴とクラスメイトになってしまったらしい。
綾小路の活躍でトラブルは解決し、つかえていた列が進んでいく。
俺と堀北はそれぞれ別のレジでほぼ同時に会計を済ませ、出口まで一緒に歩く。
「便利だな、この決済」
「財布や現金を取り出す手間が省けるのは、確かに楽ね」
これからは間違いなくキャッシュレス決済の時代が来る。そう確信した瞬間だった。
店を出る直前、レジ横のスペースでカップ麺にお湯を入れている綾小路を見つけ、俺たちは立ち止まった。
「カップ麺買ったのか?」
「買ったには買ったが、これは須藤……さっきの赤い髪のやつのものだ。オレのはこれだ」
あの赤い髪は須藤って名前か……覚えておこう。
「要するに、使いっ走りね。それともこれも友達作りの一環なの?」
「友達づくりっつーか……まあ、ついでだしいいさ」
「そう。私には理解できないわね。初対面からこき使われて、それを何も言わず受け入れるなんて」
堀北の気持ちはわからなくはないが、初対面の俺に向かって守銭奴呼ばわりしたお前がそれ言う?
反論されても面倒なのであえて口には出さないが、心の中で堀北にそうつっこんでおいた。
なんというか、堀北としゃべるのは楽だ。
俺は空気を読めない人で、堀北は空気を読まない人。そのため距離感を測る必要が全くない。
なので、言いたいことだけ言ってればいいのだ。
「カップ麺って作るの簡単だな」
「え、作ったことなかったのか?」
綾小路の意外な発言に、少し驚いてしまう。
「いや、そういうわけじゃないんだが」
「……そうか」
綾小路がお湯を入れ終わったのを確認して、3人でコンビニを出る。
退店してすぐのところには、先ほどトラブルの種となった須藤が座っていた。
綾小路が2つ持っていたカップ麺のうち1つを須藤に手渡す。
「まさかここで食べるのか?」
「当り前だろ。ここで食うのが常識だっつの」
綾小路は戸惑いを見せ、堀北は呆れたような溜息をついた。
常識かどうかは分からないが、確かにコンビニの前でたむろってカップ麺食ってる集団を、街中で何度か見かけたことはある。
ただ、行儀の悪いことなのは間違いない。
「私は帰るわ。ここにいたら、私の品位まで落ちそうだもの」
「あ? どういう意味だよコラ。お高く留まってんじゃねーぞ」
堀北に噛みつく須藤。しかし堀北は全く意に介していない様子で、須藤の声をスルーした。
須藤の沸点の低さもどうかとは思うが、堀北の言動もなかなかアレだよなあ。
誰とも仲良くするつもりがない、という姿勢はビシバシ伝わってくるが、それならそれで余計なこと言うなよ。
誰とも仲良くしないことと、自分から嫌われに行くことは全然違うことなんだが、堀北はそこら辺をちゃんとわかったうえでやってるんだろうか。
「おい、人の話聞けよ!」
「ねえ、どうしたの彼、急に怒り出したけれど」
「……」
おお、そこで俺に振りますか堀北さん。
キラーパスを受けた俺だが、当然何もすることはできない。
俺が口ごもっているうちに、須藤の怒りはどんどん増していく。
「こっち向けよ、おい!」
「おい須藤。堀北の態度も少し、いやだいぶ悪かったが、それにしてもちょっと怒りすぎだ」
例によって、綾小路が止めに入る。
しかし須藤の怒りは収まらない。
なんだろう、俺もちょっと帰りたくなってきた。
「ああ!?この女が生意気なのが悪いんだろうが!」
「やかましいわね。思い通りにいかないとすぐに怒鳴り散らす。2人とも、彼とは友達にならないことをお勧めするわ」
そういって、堀北は寮の方向へと歩き出していく。結局最後まで、堀北が須藤と会話をすることはなかった。
「待てこら! おい!」
「落ち着けって」
「クソが、なんなんだあの女! ああいう真面目ぶったやつが一番嫌いなんだよ俺は!」
怒りをぶつけるようにして、須藤は持っていたカップ麺をすすり始める。
堀北が真面目ぶってるかはさておき、人に好かれない性格をしているのは確かだ。
どうしたものか、という意味を込めて綾小路に視線を送るが、向こうも向こうで困ったような表情を見せるだけだった。
そして、災難というのはえてして続くものだ。
「おい、お前ら1年か? ここは俺たちの場所だぞ」
俺も寮に戻るか、と思ったところで、綾小路と同じように、熱湯を入れたカップ麺を持ってコンビニから出てきた3人組に声をかけられた。
口ぶりから上級生であることが分かる。
本当にここでカップ麺を食べるのが常識らしい。
「あ? いま俺が食ってんのが見えねえのかよ。失せろ」
さっきの堀北の件で、かなりフラストレーションが溜まっているであろう須藤。苛立ちを隠すことなく言い放つ。
「おいおい聞いたか? 失せろ、だってよ。こりゃまた随分生意気な新入りだぜ」
そういって、俺たちを馬鹿にしたように笑う3人組。
すると須藤はやおら立ち上がり、食べていたカップ麺を地面にたたきつけた。
あたりに飛び散る麺とかやくとスープ。あの、ちょっと俺の靴にかかったんですけど……なんて言い出せるような雰囲気ではなさそうだ。
「1年だからって舐めてんじゃねえぞ!」
「うるせえガキだな。ほら、ここに荷物置いてんだろ?」
そう言いながら、上級生の一人が須藤のぶちまけたスープを避けるようにして「今」荷物を置いた。
そして再び笑い出す。
「はい、ここに俺らの荷物がありました。わかったらどけよ」
「上等じゃねえかコラ……」
須藤の後ろには、メラメラと炎が見えてくるようだった。
ただこの件に限っていえば、須藤よりも、悪質な絡み方をしてきたこの3人組に非がある。そのため、キレている須藤を責める気にはなれなかった。俺の靴にスープがかかったことを除いて。
一つ気になるのは、天井で俺たちを撮っている監視カメラが回っている中で、須藤が暴力沙汰を起こしても問題にならないのか、ということだ。
あとこの上級生も。今日入学したばかりの新入生に対してこんなちょっかいのかけ方をするなんて、発覚したら注意される可能性もあるんじゃないか?
様子を見る限り、上級生たちはそんなこと全く気に留めていなさそうだが。今もブチギレている須藤を見て、愉快そうに笑っている。
「おー怖い怖い。お前らのクラス当ててやろうか? どうせDクラスだろ」
「あ!? だったらなんだっつんだよ!」
須藤がそう答えると、上級生は一瞬の間の後、今までよりさらに盛大に笑った。
「はは、やっぱりな! お里が知れるってもんだよなあ」
「は? どういう意味だよ!」
「うるせえ出来損ないだな。んじゃ、今日だけはお前ら『不良品』にこの場所譲ってやるよ」
そんな捨て台詞を残し、俺らに背を向けて立ち去ろうとする3人組。
しかし、須藤はまだ噛みつく。
「逃げんのか!?」
「吠えてろよ。どうせお前ら、いずれ地獄を見ることになんだからよ」
そう言って、3人組は俺たちの前から姿を消した。
「不良品」。それに「地獄を見る」。
どちらも不自然なワードだ。それに俺たちがDクラスであることが分かった瞬間のセリフも妙だ。
気になったが、質問しようにも3人の姿はすでにない。それにあの様子だと、聞いても馬鹿にされるだけで、答えてはくれないだろう。
「あーうぜえ。女といい上級生といい」
舌打ちをしつつそう言って、須藤は散らかったカップ麺の残骸を片付けもせずに立ち去ってしまった。
カップ麺まだ半分も食ってなかったっぽいし、多分須藤はあとで腹減ると思う。俺の靴汚した報いを受けやがれ。
まあそれはどうでもいいとして。
この場に残ったのは、完全にとばっちりを食らった形の俺と綾小路。
「……片付けるか」
「……そうだな」
2人してしゃがみこんで、片づけを開始した。
コンビニから出ていく生徒の「何やってんのこの人たち」みたいな視線が痛い。
全く同感だよ。何やってんだ俺たち。
明日にでも須藤にポイント要求しようかな。
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ep.2
2019/12/10、大幅に改稿しました。
大まかな流れは変わっていませんが、会話の順序や細かい表現などが元々とは異なります。一度お読みいただいた方も、ぜひもう一度お読みください。
1
ごみを片付けた後は、その場で綾小路と別れ、寮の部屋で昼食をとった。
綾小路は近くにあったベンチに座り、熱湯3分を4分もオーバーして伸び始めたカップ麺を食べていた。お気の毒さま。
ただ、「10分ど〇兵衛」なんて言葉があるように、伸びたとしても———いや、伸びた方がおいしくなるタイプのカップ麺も中にはある。
綾小路の買ったカップ麺がそのタイプかどうかは知らないが。
昼食を食べたあとは、まだ買えていない生活必需品を買いに行くことにした。
着替えるのは面倒だったので、制服のままだ。
向かったのはホームセンター。そこでシャンプー等のバスグッズ、指定のゴミ袋、歯磨き粉、洗剤など、細々としたものを購入した。しめて約3,000ポイント。まあ必要な支出だろう。
昼飯と合わせて、端末の残高には96,761pptと表示されていた。このpptとは“プライベートポイント”の略称だそうだ。
掃除機やドライヤー、電子レンジなど、基本的な家電は寮に備え付けのものがある。調理器具もフライパン、まな板、包丁、さじ等は用意されていた。食器も最低限はそろっており、材料を買えばすぐに調理ができる状況だ。
電気代、および水道光熱費はかからないことになっている。そのためポイントを節約したければ自炊するのが得策だが、10万ものポイントが支給された今、そんな億劫なことをする生徒はいないだろう。
買い出しから帰ってくると、時刻は16時を少し過ぎていた。
本格的にやることがなくなったので、俺は勉強を始めた。
真面目か!と突っ込みたくなるかもしれない。ただ、自分で言うのもなんだが本当に真面目なんだから仕方がない。
中学時代は、この学校を受けることが決まるころまで、勉強以外にやっていたことと言えばバスケットボールくらいだ。
もちろん、それも部活でやっていたわけじゃない。俺の数少ない趣味みたいなもんだ。
そんな感じで過ごしているうちに、早くも夕飯の時間帯になったので、外に出る。
どこで食べるか。コンビニでもいいが、昼とは違うところで食べたい。
となると、学食か。
確か、ラストオーダーは夜七時半までだったはず。いまが6時半過ぎだから、焦らなくても間に合うだろう。
学食は校舎内にあるので、寮からの道のりは通学路と同じものになる。
「明日から、この道を通って学校に通うのか……」
寮からそのまま校舎に向かうのはこれが初めてのことだった。
所要時間は大体7,8分ってところか。
それで学食に到着した。
学食は空いていたが、十人ほどが食事をとっている。新入生かどうかの判別はつかないが、大半はこの時間まで学校に残っていた生徒だろう。
早速メニュー表を見て、何を注文するかを品定めする。
「……?」
その時、俺の目に飛び込んできたもの。
それは昼間のコンビニと同じ「無料」の二文字。
「またか……」
日用品だけじゃなく、食事にも……
その無料のメニューは「山菜定食」と名付けられている。写真が載っているが、見るからに貧相で、はっきりいって美味しくなさそうだった。
「……いや、やめとこう」
興味本位で注文してみようかと思ったが、寸前で踏みとどまる。
夕飯はしっかりと普通のものを食べたい、という欲求が好奇心を上回った。
とはいえ、山菜定食も当然気になる。そっちは不味いこと覚悟で明日の昼にでも食べるとしようか。
結局、450ポイントの生姜焼き定食を選択。
お膳を受け取り、会計を済ませて適当なテーブル席につく。
飯に口をつける前にウォーターサーバーから水を入れてこようと思い、椅子を引いて席を立ち上がろうとした。
そのとき。
ゴツン
「あっ!」
「え」
バシャッ~
……うっそだろおい。
立ち上がろうとした瞬間、後ろを歩いていた生徒に引いた椅子が直撃。
そしてその生徒が、持っていたお膳を落とした。
結果、俺は頭から味噌汁をぶっかけられることになってしまった。
頭皮に広がる生暖かい感覚。
ブレザーにも味噌汁がしみこんでいく。
「あ、ご、ごめんなさい! いま拭きます!」
ぶつかってしまった生徒は女子生徒で、焦った様子でハンカチを取り出している。
「え、ああいや、大丈夫なんで……」
「で、でも拭かないと……」
遠慮したが、その女子はすでに俺のブレザーにハンカチを当てていた。
さすがにここまでされて無理やり拒否するわけにもいかない。素直に拭かれることにする。
そして、そろそろいいか、というところで声をかける。
「あの……もう大丈夫ですよ。いきなり椅子引いてすいません」
「い、いえ、私の方こそ味噌汁かけちゃって……本当に……」
お互いに平謝り。
まあ双方不注意だったし、それを自覚している。これ以上の問題はなさそうだ。
ただ、謝ってばかりでは先に進まない。
「あの、床も汚れてるし、そっち片付けませんか」
床には、米やおかずなど、彼女が注文したとみられるメニューが散乱していた。
「そ、そうですね」
しゃがみこんで、床を片付ける。
なんか、数時間前にも似たようなことした気がするんだけどなあ。
今日はたぶん厄日だ。
2
「水、どうぞ」
二つ持ってきたコップのうち、一つをその女子の前に置く。
「あ、ありがとうございます」
「いえ……」
その女子はそれを受け取り、ごくごくと飲み始める。
白く細い喉がかすかに動く様子が目に入り、視線を固定されてしまった。
襟足が長めの銀髪のショートボブで、色白。身長は平均的だ。目はくりくりとしていて大きく、かなりレベルの高い美少女だろう。
あと、胸がめっちゃでかい。
「あの、学年、教えてくれませんか?」
コップの4分の1ほどを飲んだその女子が聞いてくる。
「1年……ですけど」
「あ、そうだったんだ。私と同じ。よかったあ」
そう言って安心した表情を見せる。
うーん、個人的にはあんまり安心はしないな。例によって、俺は同級生とのコミュニケーションが苦手だ。
とりあえず頑張ってはみるが。
「私、Aクラスの藤野麗那。よろしくね」
明るく自己紹介をされた。
俺と違って、相当コミュ力が高いらしいというのがすぐに分かる。
「あ、ああ。Dの速野知幸だ。よろしく」
「うん」
頷いて、俺に笑顔を向けてくる藤野。
ああ、男女問わず人気者なんだろうな、こいつ。
いいことではないとは思っていても、やっぱり人って見た目で判断してしまうものだ。見てくれと雰囲気がいいやつってずるい。
にしても、どうすっかなあこの雰囲気。
普通に腹減ってるし、早く生姜焼きを食べたいんだが……なんかこう、食べづらい。
恐らく、俺が藤野の夕飯を台無しにしたことへの罪悪感に端を発したものだ。
なら……しかたないな。
「……藤野、これ食っていいぞ」
「え?」
「俺の不注意でお前の夕飯おじゃんにしちまったし……まだ手は付けてないから大丈夫だ」
「そ、そんな、悪いよ……それに、速野くんはどうするの?」
「山菜定食でも食べればいいだろ」
試すのは明日の昼、と思っていたが、まあいいや。それに、案外美味しいかもしれないし。
そうして再び注文カウンターへ行こうとしたのだが。
「ちょ、ちょっと待ってってば。そんなことできないよ」
「俺はいいから。気にせず食えよ」
「私がダメなの」
「ダメなの、って言われてもな……」
「うーん……あ、そうだ。じゃあ半分こしようよ」
「……はあ?」
突然わけの分からない提案をしてきた藤野。
「意味が分からん」
「そのままの意味だよ。お肉は2枚ずつ食べて、ご飯もサラダも半分ずつ。それから生姜焼き定食は450ポイントだから、その半分の225ポイントを私が速野くんに譲渡する。これでお互いすっきりするでしょ?」
「味噌汁はどうすんだよ」
「えっと……それは、まあ感覚で」
そこだけ適当かよ……やっぱ現実的じゃないだろ。
「俺のことは気にせず食えって」
「気にするよ……今回のことは、私にも責任あるし……」
申し訳なさそうにつぶやく。
……ここまで主張するなら、ちょっと面倒だがもう仕方がない。
「ああもう、分かったから。それじゃ先に食ってくれ。俺が残り食うから。ポイントはあとで払ってくれ」
藤野はそれで納得したのか、頷いて俺に笑顔を向ける。
こうして藤野の表情を見ると……うん、すごい美少女だなって思います。
俺の前にあったお膳を、藤野の前に寄せる。
「ありがとう。いただきます」
言うが早いか、藤野は豚肉、キャベツ、米を一緒につかんで口へ運ぶ。
「んー、おいしい」
その後も、次々と食材を頬張っていく。
ほんと美味そうに食べるなあ……作った人がこれ見たら喜ぶだろうな。
余計に腹減ってきた。
いい食べっぷりを見せる藤野は、5分と経たないうちにノルマである半分を完食してしまった。
「ごちそうさま。これ美味しいよー」
テーブルの上にあるティッシュで口を拭きながら、生姜焼き定食の感想を述べた。
次は速野くんだよ、と言いながら、お膳をこちら側に寄せてきた。
……なんか、すごい視線注がれてる気がする。
「……もう半分食うか?」
「えっ?あ、ううん、そんなつもりじゃないよ」
どうやら無意識だったらしい。
「そうか。それじゃ……いただきます」
豚肉のいい味が出ていて、サラダの食感とマッチしている。そしてそれを白米がうまく中和している感じだ。
注文してから時間が経っているので、少し冷めているのが残念だが、それでも美味い。藤野のさっきの食べっぷりにも合点がいく。
にしても……藤野は本当に半分ジャストを残している。
肉が2枚だったのはもちろん、サラダも半分。米に関しては真ん中でぶった切られたような感じだった。味噌汁も、この残量は恐らく半分くらいだろう。
めっちゃ律儀だ。
「ふう……美味かった」
俺もすぐに完食してしまう。
「美味しいよね。こんど友達も誘ってこようっと」
「……もう友達ができたのか?」
「うん。数人だけどね」
「ふーん……なんで今日は誘わなかったんだ?」
「今日初めて会って、さっき一回遊んだばっかりだしね。今日のところはこれくらいがちょうどいいと思うよ」
遊びに行ったのか……その時点で、俺の思う「ちょうどいい」の範囲は大きく超えている。
放課後はごみを拾って勉強してた俺には、理解のできない世界だ。
感服していると、突然藤野が思いがけない提案をしてきた。
「ねえ速野くん」
「ん?」
「連絡先交換しようよ。せっかくだしさ」
「……」
おお……これは感動してもいいんだよな?
初めて携帯を買い与えられて、今年で7年目。いままで家族の連絡先しか入っていなかった俺の携帯に、ついに赤の他人の連絡先が……!
「まあ、俺のでいいなら構わないが」
「ほんと? やった。クラスメイト以外では初めてだよー。速野くんは誰かと交換した?」
「いや……見ての通りだ」
端末で連絡先一覧のページを開き、ほぼまっさらな画面を見せる。
「あはは……変なこと聞いちゃったかな。ごめんね」
「……」
……え、入学初日に誰とも連絡先交換してないのって、別に普通のことじゃないのか?みんな数人と交換してるもんなの?
でも確かに、綾小路と交換しようと思えばできた場面はあった。
みんなああいう場面で交換するのが普通で、逆に俺と綾小路が変だってことか。
「はい、連絡先入れ終わったよ、ありがと」
「あ、ああ、こっちこそ」
藤野に渡していた携帯を受け取ると、画面には「藤野麗那」の文字があった。
「取り敢えず出るか」
「うん、そだね」
食器を片付け、学食を出る。
俺の中ではこの時点で藤野とは別れたものだと思っていたので、何も言わずに、寮とは違う方向へ歩きだす。
しかし藤野の中では違ったらしく、「ちょっと待って」と呼び止められた。
「もしかして、クリーニングに行くの?」
「ん、ああ。さっき調べたら、平日は8時までやってるらしい。今のうちに出しに行こうと思ってな」
学校から支給されたブレザーは2枚あるので、1枚クリーニングに出しても問題はない。
「じゃあな」
「あ、ちょ、待ってって。なんですぐ行っちゃおうとするの……?」
「いや……ここで解散じゃないのか?」
「私も一緒に行くよ」
「……なんで?」
クリーニング屋に服の所有者本人以外が行ってもなんの意味もないことだ。
「さっきも言ったけどさ、この件は私にも責任があるから……せめてこれくらいは、ね? もちろん、クリーニング代も半分出すよ」
「……まあ止めないけど、面白くはないと思うぞ?」
「面白さは関係ないよ」
さっきの食べ方といい、ほんと律儀な性格してるな、藤野は。
ただ、全員とこんな接し方をしているとは思えない。
この接し方を「いちいち細かい」とか「面倒くさい性格」などと思う人もいるだろう。
藤野は恐らく、この短時間で俺の性質を自分なりに分析して、それに適した接し方をしている。
だとしたら、恐ろしい人間観察力の持ち主だ。
「クリーニング屋さんって、どこにあるの?」
「ショッピングモールの一角のはずだ……ん?」
「ど、どうしたの急に……?」
急に立ち止まった俺に驚いている藤野。
「……いや、あの自販機」
「え? 普通の自動販売機じゃない?」
「左上のミネラルウォーター……0ポイントって書かれてるよな」
「あ、ほんとだ……無料、ってことだね」
また無料か。
「この学校、やけに無料のものが多くないか」
「あ、確かにそうかも。さっきの山菜定食もだし、遊びに行ったショッピングモールにも、ちょこちょこ無料の商品があったよ」
「ショッピングモールにも……?」
本当にいたるところに無料のモノがあるんだな。
さすがにかなり引っかかる。
学食も無料、水も無料。となると極端な話、食費をゼロに抑えることも理論上可能だ。
学校側は、たとえ生徒のポイントがゼロの状態でも、ある程度生活できるようにしているってことだ。
おかしくね?俺たち10万も貰ってるのに。
これが月5,000pptや10,000pptしか支給されないなら話は別だが……
……ん?
「確か……」
「どうしたの速野くん?」
よくよく思い出してみると……Sシステムの説明のとき、茶柱先生は「毎月100,000ppt」とは一言も言ってなかったような……
藤野にも意見を聞いてみよう。
「……ちょっと聞いていいか?」
「全然いいよ。なに?」
「俺たち、今月10万もらってるけど……今後、支給額が減るって、あり得る話だと思うか?」
聞くと、藤野は思案顔になる。
午前中の教師からの説明を思い出しているんだろう。
「そんな説明は受けてないけど……でも確かに、『毎月10万』とは一言も言ってなかったかも……」
どうやら藤野のクラスでも同じのようだ。
「……節約、した方がよさそうだな」
「うん……私もちょっと不安になってきた」
仮に支給ポイントが変動するとしても、学校側がこんな不親切な説明の仕方をするとは考えにくい。
ただ、可能性が捨てきれない以上、最初の1カ月間は様子見で節約を心掛けた方がよさそうだ。
せっかくあちらこちらに無料の商品があるんだ。利用しない手はない。
自炊は落ち着いてから、なんてさっきまでは考えてたが、明後日からでも始めよう。
「……取り敢えず行ったほうがいいな。時間に余裕があるわけじゃない」
「あ、そうだね。8時までだっけ」
立ち話をしている間に、時刻は7時40分を回っていた。
時間に遅れるとまずい。味噌汁がかかったブレザーを1日部屋に置かなければならなくなってしまう。
少し歩くスピードを速め、クリーニング店への道のりを急いだ。
3
「思ったより安く済んだね」
「……ああ、確かに」
1000ポイントくらいは覚悟してたが、意外にも600ポイント弱で引き受けてもらうことができた。割り勘で一人当たり約300ポイントの支払いだ。
仕方がないこととはいえ、これは防げた出費だよなあ……
店員のおばちゃんに「入学初日にここに来る新入生なんて初めてよー」と困り顔で言われたときは、まあそりゃそうだろうな、と思いつつ、苦笑いするしかなかった。
「ショッピングモール、まだ結構人いたね」
「そうだな」
「私たちと同じ新入生かな?」
「新入生もいただろうな」
中には俺のクラスメイトもいたかもしれないが、まだ顔も名前も覚えていないので認識はしていない。
紙袋を2つも3つも持って上機嫌に歩いていた女子生徒は、多分新入生だ。早速服か何かを買ったんだろう。あの様子だと、10万なんて1カ月でぱっと使い切ってしまいそうだ。
さっきは男子の姿は見なかったが、ゲーム機なんかにポイントを使う人は少なくないだろうな。
節約するなら、欲は大敵だ。俺がゲームにも服にも全く興味を持ってなくてよかった。
道中、こんな感じで会話を少しはさみながら、10分ほど歩いて寮に到着した。
寮の規定上、男子は下の階、女子は上の階ということになっているため、俺の方がエレベーターを先に降りることになる。
「今日はほんと、ごめんね」
「お互い様だ。こっちこそ悪いな、こんな時間まで」
「ううん、全然。次からは気を付けないとね」
「ああ。もう二度とこんなことはごめんだ」
「あはは……」
いや、冗談抜きでもうこりごりだ。クリーニング代かかるし、あと今まであんまり気にしてこなかったが、まだ髪の毛が味噌汁で若干湿ってるんだよな。
明日、学校に行ったら髪の毛からほんのり味噌汁の香りが……なんてことがあっては困る。
今日買ってきた新品のシャンプーで入念に洗おう。
「あ、5階ついたよ」
そうこうしているうちに、エレベーターが俺の降りる5階で停止する。
「じゃあな」
「うん、またね。あ、今夜連絡するね」
「ああ。……え?」
俺の疑問の声が藤野に届く前に、エレベーターのドアは完全に閉まり、上昇していってしまった。
いや、今夜連絡するって……社交辞令だよな、さすがに。
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ep.3
2020/1/11、大幅に改稿いたしました。ぜひお読みください。
1
厄日の翌日。つまり入学2日目。
昼飯の直前の授業の一コマを利用し、新入生に向けた部活動説明会が、体育館で開かれることになっていた。
俺たち新入生は、敷地外に出ること、および外部との連絡は一切禁止、という旨の説明を受けている。じゃあ対外試合の場合はどうするのか、ということは個人的に気になっていたが、それは普通にオッケーで、その代わりに現地では厳重な監視がつくらしい。
連絡といえば、昨夜、藤野から本当に連絡が来て軽くびびった。
確かに「今日の夜連絡するね」とは言われたが……あんなのふつうは社交辞令だと思うじゃん。
で、どんな会話をしたかというと、藤野の「よかった、ちゃんと繋がったね」、という言葉で始まり、今何してたかを言った後、話題が尽きて沈黙が流れ、じゃあまた明日、で終わった。
まったくもって面白味のないやりとりだったが、俺にまともな会話スキルを求めたのが悪い、と責任転嫁しておくことにした。すまんな藤野。
それにしても、どうしてこの学校は外部との連絡を固く禁じているのだろうか。
漏れたら困る情報があるのか。
悪評が広がるのを未然に防いでいるのか。
しかし現時点では、この学校に悪評が生じる要因なんてない気がするんだが。
不自然ではあるが、大量のポイントが付与されている。
それに昨日1日過ごしただけでも分かるが、設備のレベルも相当高い。
昨日改めてパンフレットを見てみたが、本当に多種多様の娯楽施設が完備されていて、おおよそ生徒たちは不自由しないだろう。強いて言えばテーマパークが存在しないが、高校3年間、遊園地の類に行かない人なんてザラにいる。
持ち上げているように聞こえるかもしれないが、ここで1日過ごしてみての素直な感想だった。
少し気になる点といえば、校内のいたるところに監視カメラがついているということ。
巧妙に設置されており、普段から神経質な人間でなければ気づかないだろう。
現に須藤は昨日のコンビニでの場面、カメラには全く気づいていなかった。
今日の朝、教室にも設置されているのを見つけたが、それも昨日の時点では分からなかった。
普通に考えれば、監視カメラをつける目的なんて防犯くらいのものだ。
しかしこの学校の特性や、教室にもカメラがあったことから、それだけが理由だとは考えにくい。
生徒を監視して緊張感を与える、という目的でつけるなら、生徒にカメラの存在を周知しておかないとその効果は期待できない。
とすれば、生徒の出来るだけ自然な姿を見たい、という事だろうか。
それなら、生徒に監視カメラの存在がバレるまでは効果的だと言える。
だが、それでも早い段階で監視カメラの存在は周知の事実になるだろう。もって2ヶ月くらいか。
効果的ではあるが、長続きはしない。こんな方法を政府が取るかといえば、少し疑問だ。
さて、なぜ部活動説明会の真っ只中にこんなことを考えているかというと、説明会に全く興味が湧かなかったからだ。
上級生たちは新入部員獲得のため、新入生の興味を引こうとして頑張っている。
たまにウケを狙ってくる人もいたが、ドン滑りで失笑を買うだけだった。
運動は得意でも不得意でもないが、それ自体が嫌いなわけじゃない。
少なくともバスケは好きだ。
だが、部活に入ってまでやりたいとは思わなかった。
部活に所属すると、知らず知らずのうちに自分の中で「練習行かなきゃ……」といった義務感が働く。
俺は、スポーツはやりたい時にやり、やりたくないときはやらない、というのが一番いいと思っている。
こんなこと言ったらプロを目指している人に怒られるかもしれないが、俺はただの趣味に義務感で時間を割くような真似はしたくなかった。
紹介された部活は、いま俺が言及したバスケ、バレー、野球、サッカー、陸上、水泳等々、王道な部活は揃っていた。
文化系部活もあったが、そちらはそもそも印象に残っていない。
ともあれ、俺が部活に入るということは、現時点ではなさそうだ。
「……」
そう結論付けると、いよいよ退屈である。
本当に退屈した時は、無性に体をひねったり動かしたりしたくなる。俺もその欲求に従って首を回し、ついでに周りを見回した。
割合にして半分くらいの生徒たちは、俺同様退屈している様子だった。
俺のように、部活そのものに興味がない人だけではなく、既に興味のあった部活の紹介が終わって退屈していた人も中にはいるだろう。
そして首が右を向いた時、隣に堀北がいることに気がついた。
もしかして最初から隣にいたのか……?気づかなかった。
その堀北の視線は、舞台上に一直線に注がれている。
もちろん、今は部活動説明会。本来そうすることが正しいのだが、堀北が向けている視線には、説明している先輩を見る目とは違う、何かしらの他意を感じた。
見ていることに気づかれても困るので、俺も堀北と同じ方向に目線を向けた。
「カンペ持ってないんですかー?」
1人の生徒のヤジが飛び、場内は笑いに包まれる。
堀北が視線を向けるその上級生は、舞台に立っているにもかかわらず、一言も話さない。
始めはみんな、その上級生をいじるような雰囲気だった。
しかし上級生は微動だにしない。
そのうち、体育館の中は妙な空気に包まれ始める。
徐々に、徐々に話し声が小さく、少なくなっていく。
そしてあのヤジから十数秒と経たないうちに、誰も一言も喋らない、いや、喋ってはいけないと思わせるような静寂が訪れた。
そのタイミングで、壇上の男は話し始める。
「私はこの学校で生徒会長を務める、堀北学です」
堀北。
その苗字は、隣にいる俺のクラスメイトと同じものだ。
「生徒会でも、他の部活同様、一般生徒から役員を募ります。立候補に必要な資格はありませんが、入会した場合は、他の部活動の掛け持ちは、原則認められません」
丁寧な口調で淡々と説明していく生徒会長。普通なら、特別な感情を抱くことはないはずだ。
しかし、体育館にいる新入生160名は、そのほとんど全員がこの人物の演説に聞き入っていた。
この生徒会長が、いや、堀北学という男が話す一言一言には、確かな鋭さがあった。
そして、と、生徒会長は言葉を続ける。
「生徒会は、半端な気持ちでの立候補者は必要としていない。もしもそのような気持ちで立候補した場合、恥をかくだけでなく、この学校に汚点を残すことになることを理解してもらいたい。この学校の生徒会は、それだけの学校からの信頼と誇りを持って活動している。本物の信念を持つもののみ、ぜひ私たちとともに活動していこう」
あまりの静寂に、拍手すら生まれなかった。
司会進行を務めていた橘という生徒が「堀北さん、ありがとうございました」と告げるまで、この場にいる者は誰1人として口を開くことができなかった。
説明会が終了し、新入生がゾロゾロと体育館を出ていく。
さて、俺も戻るか、と歩き出そうとしたところで、ふと、不自然な光景が目に入った。
「……おい、堀北?」
「……」
立ち尽くしたまま、一言も喋らない堀北。
無視して先に行ってもいいのだが、少し気になる。
「おーい」
「……」
やはり無反応だ。
これ、俺の声聞こえてないんじゃ……?
パンッ
「ひあっ!」
「……」
「……な、何を……」
「いや、呼んでも無反応だったから……」
ビンタしたわけではない。
顔の目の前で手を叩く、所謂猫騙しというやつだ。
堀北を驚かせて気づかせるのには成功したのだが、あまりに意外すぎる堀北の小動物的な反応に、逆にこっちが驚かされてしまった。
堀北自身も今の反応は恥ずかしかったのか、ちょっと顔が赤くなってる。
珍しいものが二連発で見れたなー、とか思っていると、堀北の表情はいつの間にか普段通りに戻っていた。
今後このことを言い出そうものなら殺すと堀北の目が語っている。言わねえよ。言わねえから睨むな。怖いなまったくもう。
「……みんな戻り始めてるぞ。早く歩けよ」
「先に行けばよかったでしょう。待ってほしいなんて頼んでないわ」
「……でも、お前あのまま1時間くらい立ち尽くしてそうだったぞ」
「……別に、少し考え事をしてただけよ」
堀北はそういって、何も問題がないことを強調する。
ここはひとつ、探りを入れてみるか……
「堀北、お前下の名前なんだ?」
「答える必要があるかしら。というかそもそもあなたには苗字も教えた覚えはないのになぜ知っているの?」
「昨日、コンビニで綾小路が口走っててな。てか、俺もお前に名前教えた覚えないのに、俺の名前知ってるだろ。同じようなことだ」
「言われてみれば確かにそうね。でも、下の名前まで知る必要はないと思うけれど」
「お前あの生徒会長と同じ苗字だし、一応区別するためにな。いやならいやでいいが」
生徒会長、という単語を俺が口にした瞬間、堀北の肩がわずかに跳ねた。
「……鈴音よ。鈴に音。これで満足?」
「……ああ、まあ」
俺が言った「生徒会長」というワードの影響かは分からないが、思っていたよりも素直に答えが返ってきた。
だが、さっきの反応で確信に変わった。これ、絶対何かあるな……
とは思うものの、他の家族の問題に首突っ込むような野暮なことは、面倒臭そうだししたくない。
そう思いつつも、すでに堀北とあの生徒会長が家族だという前提で話を進めている俺であった。
2
「速野くん、だよね?」
「……?」
放課後を迎え、寮に帰宅しようとしていると、突然名前を呼ばれた。
「僕は平田洋介。よろしくね」
「あ、ああ。よろしく。速野知幸だ」
爽やかな雰囲気で、且つイケメン。ザ・好青年という感じの男子生徒だった。
「……何か用か?」
「ああ、ごめんね。そんなに時間は取らせないつもりだよ」
「いや、急いでるわけじゃないんだが……」
平田は今朝、多くの生徒(特に女子)から頻繁に声をかけられていて、目立っていた。
そんなクラスの人気者が、いったい俺に何の用なのか。
「実は昨日、クラスで自己紹介をしたんだ。でも、速野くんはその場にいなかったよね?」
「ん……ああ、話は聞いてる。先生が出て行った後にやってたらしいな。ちょうどその時トイレに行ってたんだ」
昨日と同じく「雉を撃ちに行ってた」と言おうとしたが、やめた。
「そうだったんだ。安心したよ」
「……安心?」
俺がトイレ行ってたことで安心する要素なんてあるか?
強いていえば俺が便秘じゃないことが確認されたくらいだが……そうなると、平田が初対面の生徒の腸内事情を心配する変人ということになる。
「実は、自己紹介を拒んで教室を出て行ってしまった人たちがいてね……当然、強制することじゃないから、不快に思わせてしまったことを申し訳なく思ってたんだけど、速野くんはそういうわけじゃなかったんだ」
ああ、なるほどそういう話か。納得。
自己紹介を拒んだのは、多分堀北や堀北、それに堀北とかのことだろう。
話を聞く限り、自己紹介をやろうと発案したのはこの平田らしい。
きっとこれから、クラスのまとめ役的な存在になっていくんだろうな。
「今日の部活動説明会、何か気になる部活はあった?」
「いや……どこにも入る気はないな」
「そうなんだ。僕はサッカー部に入ろうと思ってる。中学から続けてるんだ」
「……そうなのか」
サッカー部か……なんというか、イケメン要素を詰め込んでるな。
いまここで俺に話しかけてるのは、自己紹介ができなかった俺への気遣いだろう。
……あれ?
俺が自己紹介をしてないってことは……
「そういえば平田、なんで俺の名前知ってたんだ?」
俺は自己紹介をしていないんだから、本来平田が俺の名前を知っているはずがない。
「ああ、君が持っていた教科書にそう書かれているのを見たんだ」
「でもそれだけだと、『すみの』と間違えやすいと思うんだが、よく『はやの』って読み方が分かったな」
「綾小路くんがそう呼んでるのを耳にしたからね。すまない、驚かせちゃったかな」
「ああ、謝る必要はないが、ちょっと驚いた」
小学校や中学校の先生も、俺の苗字の読み方を間違えることは多々あった。
些細なことだが、名前を正しく呼ばれるというのはうれしいことだ。
「ごめんね、急に呼び止めたりして。これからよろしく、速野くん」
「あ、ああ。こちらこそ」
そう言うと、平田は荷物を持って教室を出て行った。
確か、部活の申し込みは今日からスタートだったな。サッカー部に入ることをすでに決めている平田は、恐らくそれをしに行くんだろう。
俺はこれ以上学校にいる用事もないので、寮に帰宅することにする。
ただ、俺と同じように放課後に直帰するのは少数派だ。
多くの生徒は、与えられた大量のポイントを使い、昨日と今日で仲良くなったメンバーで娯楽施設に遊びに行く。
中には未だに友達を作れていない生徒もいるかもしれないが、一人でも楽しめる娯楽施設は敷地内に多数存在する。
「平田と何話してたんだ?」
自分の席に戻って荷物を背負ったとき、綾小路に話しかけられた。
「別に……世間話みたいなもんだ。昨日俺が自己紹介に参加してなかったから、気を遣って話しかけたんだろ」
「なるほどな」
綾小路と並んで教室を出る。
こいつもそのまま寮に行くらしいので、一緒に帰ることになりそうだ。
とはいえお互いによく話すタイプではないので、俺たちの間には沈黙が大半を占める。
……学食の無料の商品のこと、綾小路にも共有しておくか。
「もう学食行ったか?」
「いや、まだ行ってない。昨日も今日もコンビニだった」
確かに、今日の昼も教室でコンビニ飯食ってたな。
「実は、学食にも無料のモノがあったんだ」
「……本当か?」
「ああ。『山菜定食』ってメニューだったんだが、マジでおいしくなかった」
「食べたのか……」
「今日の昼にな。……悪いか?」
いいだろ別に昼飯に何食っても。
ちなみに山菜定食の味だが、先ほど言ったように確かに全くおいしくない。しかしポイントは、決してまずいわけでもない、ということだ。
美味しくないので積極的に食べようとは絶対に思わないが、「食べたくない」とは思わない。むしろ無料というメリットを考えると、「食べてもいい……のか?」と思ってしまう、非常にタチの悪い商品だった。
「コンビニの次は学食にも、か」
「それと、あそこにあるミネラルウォーターも無料だ」
「……本当だ」
マジかよ。今歩いてる場所から自販機まで割と距離あるんだが、見えるのか。目いいなこいつ。モンゴルの遊牧民かよ。
「ポイントが足りなくなったら、オレも使わないといけなくなるかもな」
「そりゃそうだろうけど、昨日堀北が言ってたように、10万も貰って足りなくなるって普通じゃないと思うけどなあ」
「まあ、確かに」
支給されるポイントが減る可能性については全く考えていない体で会話を進める。
そのことについても言おうか迷ったが、話がややこしくなりそうなのでやめておいた。
「なあ、速野」
「ん、何」
「一つ頼みがあるんだが」
「……急だな。どうした」
大したことではないだろうとは思いつつも、少し身構える。
「よければでいいんだが、連絡先交換しないか?」
……前言撤回。俺にとってはめちゃくちゃ大したことでした。
マジで急だな。いや、もちろん大大大歓迎なんだが。
「ああ、いいぞ」
交換の操作は滞りなく終わり、無事二人目(クラスメイトでは初めて)の連絡先を入手することに成功した。
「そういえば、Dクラス全体と、男子用のグループチャットができてるんだ。一応招待しておくぞ」
「あ、ああ、助かる」
もうそんなのできてたのか……
それに綾小路がすでに参加していたということにも、失礼ながら少し驚きを感じてしまった。
俺が招待された二つのチャットのルームにはそれぞれチャットへの参加人数が表示されており、クラスの方は35人、男子の方は18人が参加していた。
クラス全体で40人、男女比は半々だから、クラスチャットには5人、男子チャットには2人、それぞれ参加してない人がいることになる。クラスの方の5人のうち1人は絶対に堀北で確定だとして、それを除いてもあと4人も参加していない人がいるんだな。少し意外。
そういえば、綾小路は何人の連絡先を持ってるんだろうか。
せっかくだし聞いてみるか。
「今までに何人と連絡先交換したんだ?」
「速野含めて4人だ」
「……なるほど」
いや、何がなるほどなのかは自分でもわかってないんだけど。
俺の倍か。
4人という数字が少ないのかは分からないが、恐らく多い方ではないだろう。
対して、俺の2人という記録が少ない数字であることは間違いない。
そんな会話を交わしているうちに寮に到着し、エレベーターに乗り込む。
綾小路は4階、俺は5階に自室があるため、俺がエレベーターの中に残って綾小路を見送る形になる。
「じゃあ、また明日」
「ああ」
エレベーターのドアが閉じる直前に軽く手を上げて、綾小路と別れた。
ちょっと少なめですね。
文句や批判など、コメントは常時受付中です。ご感想よろしくお願いします。
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ep.4
2020/1/24、大幅な修正を行いました。すでに読んでくださっている方も、もう一度お読みいただけると幸いです。
1
「おはようっ」
「……?」
時計の針が朝の8時を回り、俺が教室に登校してきたとき、突如肩をトントンとたたかれ、朝の挨拶をされた。
あまりにも突然の出来事だったため、一瞬無言になってしまうが、挨拶をされた以上はこちらも返さないわけにはいかない。
後ろに振り返りつつ、挨拶をする。
「あ、ああ……おはよう」
そこに立っていたのは……見覚えのある女子生徒だった。
クラスメイトだからなんとなく見覚えがあるのは当然なんだが、そういう意味ではない。
まずこの女子生徒、めちゃくちゃ美少女なのである。
また、おととい昨日とみている限り、男女問わず多くの生徒が彼女に話しかけていた。そしてそれを本人もうれしそうに対応していたのを覚えている。つまりコミュニケーション能力もかなり高いということ。それは今この瞬間に俺に挨拶をしてきたことからもうかがえる。
「えっと、速野くん、で合ってるかな?」
「ん、ああ、合ってるけど……」
「あ、よかったー。初めまして、だね。櫛田桔梗です」
「はあ……速野知幸です」
デジャブだ。昨日の平田との場面と被る。
なんで俺の名前を知ってるかに関しては、人づてに聞いたんだろうと勝手に考えて質問はしないことにする。
「下の名前、知幸くんっていうんだ。よろしくね」
「あ、ああ……よろしく」
なんというか……すごい可愛いと思います。
元々の容姿が優れていることに加えて、櫛田本人が自分をさらに可愛く見せる方法を熟知している感じだ。
意地の悪い言い方をすれば「あざとい」という表現になるわけだが、不思議と嫌な感じはしない。
この点が男女問わず人気である要因の一つなんだろうか。
一体どんな自己紹介をしたのかも同時に気になるところだ。
「速野くん、入学式の前に自己紹介があったのって知ってる?」
「ん、ああ、平田と綾小路から聞いたよ。ちょうどその時俺はトイレに立ってたから、参加できなかったんだ」
「そうだったんだ。でも、同じクラスの友達なのには変わりないからねっ」
「……あ、ああ」
ちょっと待って、いまこいつ友達って言った?
まだ顔合わせて2分も立ってないのに、同じクラスってだけで友達になるのか?
櫛田の態度はこれ以上ないほどに友好的だが、いきなり「友達」と言われると違和感はぬぐえない。
「ところでさ。速野くんって、堀北さんと仲いいの?」
「……は?」
唐突な質問。
戸惑いつつも、返答する。
「いや……そんなことはないと断言する」
「でも、堀北さんが話してる相手、速野くんと綾小路くん以外に見たことないよ?」
「……まあ、多少話す関係ってことは事実だけど。でも、それがどうしたんだ」
「私ね、この学校のみんなと友達になるのが目標なの。でも昨日、堀北さんに話しかけたら拒絶されちゃって……」
「へえ……」
いまの「へえ」は櫛田が堀北に拒絶されたことに向けてのモノではない。「この学校のみんなと友達になる」という櫛田の一見無謀ともいえる目標に向けてのモノだ。
堀北が会話の相手を初手で拒絶するなんてもはや当たり前のことすぎて、反応を示すほどのことじゃない。
「堀北は誰かれ構わずそんな対応だと思うぞ。俺も最初に話しかけたときは滅茶苦茶いやそうな反応されたしな。気にしない方がいいんじゃないか?」
「そう、なのかな」
まあ、俺の言葉には微塵も説得力ないけどな。よりによってアドバイスを受ける相手が中学で一人も友達がいなかった俺とは。
櫛田は質問する相手を間違えている。
「うん、そうかも。私も頑張ってもう一度話しかけてみるね」
「お、おお……そうか」
どうやら櫛田に諦める気はないらしかった。
まあ、止める理由はないし、頑張ってくれとしか言いようがない。
「じゃあ、またね、速野くん」
「あ、ああ。また」
櫛田は、また別のクラスメイトの元へと駆けよっていった。
いつまでも突っ立っているわけにもいかないので、自分の席に向かい、荷物を置く。
「みんなと友達になる、か」
着席して一息つくと、櫛田のそんな言葉が耳に残る。
友達という存在に特別性を見出している俺からすると、全員と友達になるという行為はその特別性を失わせるものでしかない。全員と友達になったら、その友達は果たして本当に「友達」と呼べるのか、俺には疑問だ。
まずそれ以前に……俺には、初対面から数分しか経ってない人のことを友達と呼ぶことはできない。
2
今日もすべての授業を消化し終わると、Dクラスの生徒たちは今日もハイテンションで、敷地内の娯楽施設に遊びに行く約束を交わしている。
それ自体を否定するつもりはない。
せっかく大金を貰ったんだ。それを使って遊びたいと思うのは真理。俺にだってそういった願望がないわけじゃない。
ただ、「今日カラオケ行かなーい?」や「ゲーセン行こうぜー!」みたいな会話を、授業中に、それも大声でするのは本当に遠慮してほしい。
マジで超うるさい。
俺や堀北などを含め、真面目に授業を受けたいと思っている生徒も少なからずいる。そんな生徒にとって、ああいう話し声は邪魔でしかない。
……まあ俺の場合は、話し相手がいないから授業を静かに受けるしかない、という見方もできるが。
俺がこの学校に入ってから会話を交わした人の数は両手で足りる。
具体的に挙げると、綾小路、堀北、コンビニ店員、学食の店員、藤野、平田、そして櫛田。
つまり俺は綾小路、藤野以外に話し相手を作ることができないでいた。
藤野と面と向かって話したのは学食での事件が最初で最後だが、チャットでのやり取りは継続的に行われている。昨夜もチャットで雑談を行った。
だだ、藤野の人間関係を総合して見たときに、俺の序列は最下層だろう。
実際に会ったのは一度だけだが、あいつに非常に高いコミュニケーション能力が備わっていることは明らかだ。初日からいきなり遊びに行ってたしな。その遊び相手とは昨日と今日で関係を深め、しっかりと友人関係になっているだろう。
そういった人たちと比較すると、俺と藤野の関係は希薄というべきだ。つまり、現時点で藤野を友達に含めるのは不適切のはずである。
知り合い数人、そして友達ゼロ。それが今、俺の置かれた現状だ。
……俺、めちゃくちゃ成長してるぞ。
当然だ。以前まで話し相手すらゼロだったんだから。話し相手が「いる」ということ自体、確かな成長だ。
以前の俺がどれほど酷かったかというと、中学で俺の声知ってるやつはいるのか、自分で疑問を持つレベル。
あまりに会話をしなさすぎると声の出し方を忘れてしまう、という話を聞いたことがあるだろうか。あれマジの話だから注意したほうがいい(体験談)。
ちなみに今日は綾小路、堀北と話したからセーフだ。
さて。
そんな俺だが、実を言うと今日の放課後、予定が入っている。
俺がただの暇人じゃないことがこれで証明されたわけだ。
……まあとはいえ、当然のごとく一人なんだが。悲しい。
そんなわけで、俺が学校を出て向かう先は寮ではない。
目的地に向かうために、教室を出て廊下を歩きだそうとした時だった。
「あ、速野くん」
名前を呼ばれた方を見ると、そこには藤野の姿があった。
他クラスの生徒の来訪は珍しい。それに来た生徒が藤野という美少女、さらにいえば最初に呼び掛けた相手が俺ということで、周囲から大きな注目を集めていた。
なんで藤野がこんなところにいるんだろうか。
「どうしたんだこんなところで」
「実はちょっと用があってね」
用というと、誰かに会いに来たのか。
「そうか。Dクラスの誰だ?」
教室内に首を向けたが、藤野は首を横に振った。
「違う違う。用があるのは速野くんにだよ」
「……俺に?」
「うん。このあと、食品スーパーに行くんだよね?」
そう。藤野の言う通り、俺が今から向かう目的地は、敷地内にある大型の食品スーパーだ。
俺は今日から自炊を始める。そのための食材を買いに行くため、放課後にスーパーに行くことを決めていた。それを昨日、藤野とのチャット内やり取りの中で話した。
「ああ」
「それなんだけどさ。……私も一緒に行っていいかな?」
「……?」
非常に急な申し出で、答えに窮してしまう。
「……なんで?」
「私も自炊始めようかな、って思ってさ」
「……そう、なのか」
少し疑問が残るやりとりだったが、もちろん俺に断る理由はないので、頷いて承諾の意を示す。
「ほんと? ありがとう。じゃあ早速行こうよ」
「あ、ああ」
藤野の方も荷物は持ってきていたので、ここから直接スーパーに向かうことになる。
この時期に男女1対1の組み合わせというのは珍しいだろう。廊下ですれ違うタイミングで俺たちのことを二度見する生徒が多いことが、それを顕著に示している。
俺はあまり居心地がよくなかったが、藤野の方は気にしていないようで、すました顔で歩を進めている。
学校から食品スーパーまでは、ゆっくり歩いて5,6分の時間で到着した。
店内に入ると、空調の効いた、ちょうどいい温度の空気が中から流れて出てくる。
スーパーなので空調が効いているのは不自然なことではないが、この学校の凄いところは、校舎内のほとんどの場所で冷暖房が完備されているところだ。教室はもちろんのこと、廊下も過ごしやすい温度に調節されている。普通廊下にまではつけないよな。
だから、というわけではないだろうが、俺たちは季節を問わず、一年中ブレザーを着用することが義務付けられている。
今は大丈夫だが、夏にはちょっとつらいものがあるだろうな。
カゴを手に取って、まずは入り口付近に位置する野菜コーナーから何を取ってやろうかと吟味しようとしていたとき。
「速野くん」
「ん?」
「ちょっと私についてきてくれないかな?」
「……わかった」
あえて理由は聞かなかった。
藤野の背中についていきつつ、店内を俯瞰する。コンビニ同様、品揃えはかなりのものだ。組み合わせ次第でなんでも作ることができるだろう。
だが藤野はそれらには目もくれず、どんどん先に進んで行く。
そして、一番奥に到達した。
「あったあった。ここを紹介したかったんだー」
そこには、つい最近この学校の敷地内でよく見るようになった文字。
「……無料コーナー?」
「うん。友達に聞いてね。私も来るのは初めてだったんだけど」
「へえ……」
「驚いた?」
「ちょっと想定してなかった。スーパーにも無料のモノがあるなんて」
「よかったー。速野くんを驚かせたくってこんな紹介の仕方にしたんだよね」
藤野の言う通り驚きはある。だがそれ以上に、助かったという気持ちの方が強かった。
恐らくいま紹介されなかったら、無料コーナーの存在に気付くのに少し時間がかかっただろう。無駄なポイントを使わずに済んだ。
品揃えも品質も、当然一般のコーナーと比べればかなり劣るが、目的は美味しいものを作ることではなく食費を浮かせることなので全く問題はない。
期限ギリギリだろうと食えればそれでいい。
なんならちょっと過ぎたモノでも、俺は大丈夫だ。
「速野くんは、いつから料理やってるの?」
「えーっと……小6とか」
「あ、私も同じくらいだよ」
俺の場合、「料理を始めた」という表現は少し不適切だ。
正確には、「料理を始めざるを得なかった」。
だがいちいち訂正するほどのことでもないので、スルーして会話を続ける。
「こうやって友達と食品館に行くの、初めてなんだよね。普通友達と買い物っていったら、洋服とかファッション系だしさ」
「……」
そんな藤野のセリフに、少し黙り込んでしまう俺。
「どうしたの?」
「え、ああいや、悪い」
いま出てきた「友達」というワード。
今朝、櫛田にも言われた言葉だ。
「どこからが友達なのか、って思ってな」
「え?」
「いや、はっきりした基準がないことは分かってるんだが……」
例えば恋人同士ならば、どちらかが想いを告げて付き合ってほしいと言い、それをもう片方が了承することでその関係がスタートする。つまり明確な基準が存在するわけである。
しかし、友達は違う。
なんとなく話すようになって、なんとなく遊ぶようになって……気づいたら友達、というパターンが多いだろう。どこまでが赤の他人で、どこからが友達なのか、その基準はグラデーションのように曖昧で、はっきりしない。
「うーん、確かに、普通はないよね……」
藤野も少し考えこんでいる様子。
俺がまだたくさんの友達を持っていた小学校のころは、そんなこと全く気にもしていなかった。
今のように余計なことを考えなくても、自然と友達ができていた。恐らく、「友達」という曖昧な概念を、感覚だけで使いこなすことができていたんだろう。
「でも私は速野くんのこと、友達だと思ってたよ。速野くんは……違った、のかな?」
「……いや、悪いな。分からないんだ」
藤野と比較的仲が良いことは間違いない。少なくとも、今のように一緒に出掛けるくらいには。
だが、友達かどうか、と問われると、俺は自信を持って頷くことはできない。
「じゃあ、質問を変えるね。速野くんは、私と友達になりたいって思ってくれてる?」
その問いには、俺は自信を持って肯定した。
すると、藤野の表情がぱっと明るくなる。
「じゃあさ……」
そういいつつ、藤野は俺の手を取り、握手のような形にさせる。
「今この瞬間から、私たちは友だち。これでどうかな?」
「……」
面食らってしまった。
どこからどこまでが友達なのかは、俺には分からない。話を聞く限り、恐らく藤野もわかってはいないだろう。
しかし、客観的に見てある程度の仲の良さがあって、お互いに友達になりたいと思っているなら、その二人はもう限りなく友達に近い存在だ。あと一押しがあれば、友だちになることができるだろう。
その一押しを、藤野はこのように目に見える形でやってみせた。
「改めてよろしくね、速野くん。友達として」
「……ああ、分かった。よろしく」
俺は少しの間の後、藤野の手を握り返した。
そして10秒ほど経った頃、どちらからともなく手を離した。
「じゃあ買い物、しよっか」
「……そういや、何にもカゴに入れてないな」
友達がどうこうという俺が持ち出した変な話題に時間を費やし、まだ肝心の買い物が出来ていなかった。
「速野くんなに買う?」
「一回全部見てから決める」
「それ時間かからない?」
「まあかかるだろうけど……どうせ無料だしな」
藤野の言葉を素直に信じるなら、俺は藤野と友達になった。
久々の友達だ。
うれしくないわけはない。
だが、俺が友達なんて持ってもいいのだろうか。
鶏肉の炒め物でも作るか、と今日の夕飯のメニューを決めつつ、そんなことを思っていた。
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ep.5
1
いつもと変わらぬ眠い朝。
いつもと変わらぬ目つきの悪い俺。
いつもと変わらぬ騒がしい教室、と言いたいところだったが、今日の教室内は、どこか浮ついた様子を見せていた。
それつまりいつも通りってことだな。
「今日は待ちに待ったプール授業!」
「プールといえば女子の水着!」
「ああ、想像するだけで興奮してくるぜ!」
そんな、文字通りの馬鹿騒ぎをしているのは、クラスメイトの池と山内だ。
2人ともクラス内では所謂「お馬鹿キャラ」として定着している。
この2人に須藤も加え、「三羽カラス」ならぬDクラスの「三馬鹿」と呼ばれていた。
そんなことしてたら好感度落ちるぞ。落ちるような好感度があればの話だが。
はあ、そういえば今日は水泳授業だったな。水着を入れたカバンを持ってたの、すっかり忘れてた。
ああいうのが健全な男子高校生というやつなんだろうか。だったら俺は不健全で結構。
まあ俺が問われるとすれば、健全な男子高校生かどうか以前に、健全な人間生活を送っているか、だろうな。人付き合いの観点からすれば、俺はすでに余命宣告出されるレベルの危篤状態だ。
だが、ついに先日、俺にもはっきりした「友人」という存在が出来てしまった。危篤状態から、一気に脈拍安定くらいには回復したといえる。
このことに関連して、一つ俺の中で小さな驚きがあった。
それは、はっきりと「友人」になる前と後で、藤野との距離感や接し方には何の変化も生まれなかったことだ。
もうちょっと何か変わるかと思っていたが、実際のところこんなものか。
もしくは俺の中で、すでに前々から藤野のことを世間一般でいう「友人」にカテゴライズしていたから、変化を感じなかっただけなのか、よくわからなかった。
そんなことを考えながら席に座ってぼーっとしていると、先ほどの山内たちの話し声がもう一度耳に入ってきた。
「博士ー」
「呼んだか?」
博士、とはクラスメイトのあだ名。本名は外村というらしい。体系は小太りで、絵にかいたようなオタクである。
「何してるんだ?」
そこに須藤があらわれ、会話に加わる。
「実は博士に、おっぱい大きい女子ランキング作ってもらうんだよ」
「体調不良で休んで観察するつもりンゴ」
「……大丈夫かよそれ」
外村……博士でいいか。博士のわけの分からない語尾と、池たちのたくらみに、須藤は少し引いていた。
その後綾小路が呼び出され、野次馬の話に加わっていった。
会話からは、途切れ途切れに「長谷部」や「佐倉」などのクラスメイトの名前が聞こえてくる。
俺だってこれまで友人を作る努力をしてこなかったわけじゃない。今日までの間にクラス全員の名前は覚えた。……でも顔は覚えてない。意味ねえ。
こんな具合なので、2人の容姿までは知らない。ただまあ、巨乳なんだろうな。たぶん。
男子はこの手の話題(猥談)に敏感なのか、始めはほんの数人の集まりだったにも関わらず、ものの数分で10人強の規模の集団と化していた。
始めのうちは、周りには聞こえないように注意していたそのグループも、段々とボリュームが大きくなっていき、最終的に女子には丸聞こえ。全員がゴミを見るような目で見られていた。
一方で男子はその視線にも気づかず、猥談に花を咲かせていた。
「あなたも参加してきたら?」
後ろから堀北に話しかけられ振り向くと、俺の方まで軽蔑する目で見てきた。
「おい、そんな目線向けんな。俺は無関係だっつの」
「どうかしらね。本当は参加したくてたまらない、という目で彼らのことを見ていた気がするけれど」
「そんなわけないだろ。少なくとも俺は参加しない。勝手にやらしときゃいいんじゃないか?」
「やられる方からしたら、不愉快極まりないけれどね」
だろうな。だが、俺にはどうすることもできない。
「そんなに気になるなら自分で説得してこいよ。とはいえ話題が話題だし、お前は引き合いに出ないだろうから安心していいと思うぞ?」
言うと、堀北の睨みが一気に強くなる。
「……それはどういう意味かしらね。苦しさに這いつくばりながら死ぬのと、苦痛にのたうち回りながら死ぬの、どちらがいい?」
「……どっちも却下で」
やっぱり堀北にこんなことを言うのは間違いのようだ。
にしても、堀北といい高円寺といい、このクラスにはどうも曲者が揃っているらしい。他のクラスもこんな感じなのか?
2
「っしゃ、プールだ!」
着替えを終えた男子がみんなプールサイドに立っている。
屋内プールもこれまたかなり立派だ。
スイミングスクールでも25メートルが普通だろうに、ここは50メートルプールだった。
「女子はまだかっ……!!」
「着替えに時間がかかるからまだだろ」
「やべえ、俺興奮してきた……」
「あんまり水着とか意識しないほうがいいと思うぞ?」
「意識しない男がいてたまるか!……勃ったらどうしよう……」
「そんなことしたら櫛田ちゃんに一生嫌われるぞ!」
「そんなあああ!!」
いや、櫛田以外からも普通に嫌われると思うぞ。
まあ名指しで出てきたのは、櫛田が男子から大の人気を誇っているからなんだが。
ただ、その分苦労も多そうだな。例えば夜、一体櫛田は何人の男子の頭の中に登場してくるのだろうか。
……俺?俺はそんなことしてないよ?ホントホント。
いや、マジで。
「へー、すごい広ーい!」
「ホントだー!」
「「「「ぅぉぉぉぉぉ……」」」」
着替えを終えた女子が入ってきた。
男子が小さな声で、女子には聞こえないように唸り声をあげる。
男子の目は文字通り釘付け。今肩をトントンと叩いて、知らんぷりするゲームをやってもバレない自信がある。
しばらく鼻の下が伸びきっていた男子連中だが、次第にあることに気づきはじめる。
「あ、あれ、長谷部がいねえ!?」
「ど、どういうことだ博士!?」
「ンゴゴッ!?」
二階の見学者席の博士が唸る。だからそれ何語だよ。
「あ、う、後ろだ博士!」
指摘されて後ろを振り向くと、そこには長谷部、加えて先ほど話題に上がっていた佐倉もいた。
その後も、見学者組の女子が続々と姿を現す。
「巨乳がっ、見られると思ったのにっ……巨乳がっ!」
「キモ……」
池の叫びが聞こえていたのか、長谷部の嘲るような声が上から降りかかる。
長谷部に同意だ。今のは俺から見ても少し……いやかなりアレだと思う。
一方で池にはその声は聞こえていなかったようで、山内と血で血を洗っていた。
「落ち込んでる場合か池! 俺らにはまだたくさん女子がいるじゃないか!」
「そ、そうだよな。こんなことしてる場合じゃないよな!」
いいながら、2人で握手を交わしていた。
下心で繋がる友情かあ……あんまり羨ましくないなあ……
「何してるの?楽しそうだね!」
そこにやってきたのは、男子のほとんどが待ち焦がれていたであろう、櫛田だった。
男子の視線を一身に集めるが、その男子はみんな一瞬で目をそらしてしまう。
……あー、まあ、生理現象だものね。朝とかつらいよね。
だが、櫛田のスクール水着姿を見ているとそれも納得がいく。制服の上からでは分からない身体の細かなラインが、スクール水着によって明らかになっている。
すると、櫛田がこちらに歩いてきた。
「……みんなどうしちゃったのかな?」
疑問の表情を浮かべながら俺に質問してくる。
「さあ、どうしたんだろうな……」
俺としてはこう答えるしかなかった。
だって、これは男子の生理現象でだな……とか言えるわけないだろ。どうしても知りたいなら、国指定の保健体育の教科書を勧めていたところだ。
「綾小路くん、あなた以前運動部だったの?」
堀北のそんな声が聞こえてきて、俺もそっちを振り向く。
……確かに。須藤とは違い隆々ではないが、身体は運動部である平田よりも、ガッチリしている印象を受ける。
「いや、俺はずっと帰宅部だ」
「それにしては、筋肉の発達が尋常じゃないけれど……」
堀北は気になるのか、綾小路の全身を見ている。
「親から貰った恵まれた身体、ってやつじゃないのか?」
「それだけでここまでになるかしら……」
「何だよ疑い深いな。お前筋肉のフェチか? 命賭けるか?」
「そこまで否定するのね……」
渋々といった表情で引き下がる堀北。
すると今度は視線の先に俺を捉えたのか、こちらをさっきの綾小路と同じように見てくる。
「……どちらかというと貧相ね」
「おい」
ひどくね?確かにあんまり筋肉付いてないけどさ……これでも中学までやってた体力テストでは平均かそれ以上出してたぞ。握力以外。
お返しに堀北のも見てやろうか、なんてそんな勇気があるはずもなく、俺はその場から目をそらした。
そこから大体数十秒経ったくらいだろうか。
「おーし、全員集合しろー」
と、水泳担当の先生から集合がかかる。
「見学者が随分多いみたいだが……まあいい。早速だが、実力をチェックしたいので、準備体操してから泳いでもらうぞ」
「あ、あの、俺あんまり泳げないんですけど……」
「安心しろ。俺が担当するからには、夏までには確実に泳げるようにしてやる」
「で、でも、そんなに必死で泳げるようにならなくても」
「そうはいかない。泳げるようになれば、必ず役に立つ。必ずだ」
随分と「必ず」という言葉を強調したことに違和感を覚えながらも、準備体操をする。
それが終わると、体を慣らすためにウォームアップとして軽く泳ぐよう指示された。
プールか。小6の時に学年全体で行った以来だな。
泳ぐこと自体が3、4年ぶりくらいか。
確かその時、自由時間中の遊びに混じれなくてひたすら遠泳してた記憶がある。この学校に50mプールを30ターン近くノンストップで泳いだやつはいるだろうか。
「見たか、俺のこの華麗な泳ぎ!」
泳ぎ終えた池が叫ぶが、対して華麗でもなかったし、他のやつと大差なかったぞ。
「とりあえず、ほとんどの者は問題なく泳げるようだな。よし、じゃあ競争始めるぞ。50m自由形だ。女子は5人2組、男子は最初に全員泳いだ後、タイムの速かった者上位5人で決勝を行う」
「え、きょ、競争!?」
「男女別で最もタイムが良かった者には、先生から特別に5000ポイント支給しよう。その代わり、男女ともに最下位のやつは、それぞれ補習を受けてもらうからな」
一位にポイント支給、か。
茶柱先生が言っていた、「この学校は実力で生徒を測る」。その片鱗が早くも見え始めている。
この先生がサービス精神旺盛なだけなのか、それは分かりかねるが、一つ言えることは、これは社会の構図にもあてはまるということだ。
実力があって、結果も出せるやつは稼げる。
逆に実力がなければペナルティが待っている。
ここでは補習がそれに当たるが、社会なら減給なんてこともある。そういう意味では、支給額の減額措置があっても別に不思議ではない、と最近思うようになった。
俺がネガティブ思考に勤しんでいる中でも、プールサイドは騒がしい。
なんか「今日のおかずを確保するんだ!」って声が聞こえて来たが、おかずならスーパーとかに売ってるぞ。……あ、そっちじゃない?ですよねー。知ってた。
「おおおーー、堀北やるなーー」
その声に促されるように、プールを見てみる。
堀北は既に一位で泳ぎ終わっていた。それに続き、他の女子も続々ゴールする。
堀北が宣告されたタイムは28秒と少し。かなり速いと思う。俺勝てるかな……?
驚いている俺とは裏腹に、堀北は呼吸一つ乱さず涼しい顔をして歩いている。このタイムでもまだ本気ではないってことか。
「ふおおおおーー!」
男子の誰かが奇声を上げたと思ったら、どうやら次は櫛田が泳ぐらしい。
応援する男子に、櫛田が手を振っているのがみえる。それが余計に男子の興奮度合いを高める。
ほとんどの奴が櫛田に下卑た視線を送っていて、中にはバレないように股間を抑えている者までいた。そういう目で見ていないのは平田ぐらいのものか。
櫛田の組のレース展開は、水泳部らしい小野寺という女子がぶっちぎりで一位だった。櫛田もまあまあ速かったとは思うが、小野寺がいるためか、速さは。けど、男子は櫛田しか見てなかったな……
次に男子の番が来た。
俺は2番目の組で泳ぐことに決まった。
1組目には、かなり速いと予想される須藤と、体格に恵まれている綾小路がいた。
合図があり、一斉に飛び込むと、須藤の一方的なレースが始まった。とにかく速い。2位と4秒ほどの差をつけてゴールした。
綾小路は……まあ平凡なタイムだ。だが、フォームのそれは小野寺と似ている感じがする。理想形に近い、ということだろうか。
「すごいな須藤、25秒きってるぞ。水泳部にこないか?これなら、大会も十分狙えるレベルだ」
「俺は昔っからバスケ一筋っすよ」
水泳なんて遊び、と言いながら戻っていく。遊びでこれか。すげえな。
そして、いよいよ俺が属する組が泳ぐ番になる。
隣のコースには、Dクラスのイケメン筆頭、平田がいた。
スタート台に立つと同時に「きゃー」という女子からの叫び声が上がる。
男子から櫛田への声援の男女逆バージョンみたいなものなんだろうが、女子がやると別に気持ち悪がられないってずるいと思います。
平田は細身だが、しっかりと筋肉が付いている。かなり速いだろう。可能かどうかは別問題として、補習を免れるためには、平田についていけば間違いなさそうだな。
「頑張ろうね、速野くん」
「あ、……ああ」
そして俺に話しかける気遣いの心も持っている。誰か平田の欠点教えてくんない?
笛が鳴り、全員一斉に飛び込む。
と、ここで事件が発生した。
「やばっ……」
入水した瞬間、俺のゴーグルが外れてしまった。
足をつけるわけにもいかず、煩わしいので左手でゴーグルを取り、そのまま泳いだ。左手の使い勝手が非常に悪いが、この際仕方がない。
一応のこと泳ぎきる。組の中では3着だった。
平田は当然1着。タイムはおよそ28秒らしい。「サッカーだけじゃなくて水泳も得意なんだね!」とか「平田くんかっこいい!」などなど女子に囲まれて色々言われていた。
俺のタイムは35秒ほど。可もなく不可もなく、という感じか。
「速野くん」
プールサイドに上がって元に戻ろうとしていた俺に声がかかる。
声の主は櫛田だった。
「……なんだ?」
「最初に話して以来、速野くんとちゃんとおしゃべり出来てなかったからさ。迷惑……かな?」
ここで必殺上目遣いか。
天然でやってるのか、自分を最大限可愛く見せる方法を知っていらっしゃるのか。どちらにしても可愛いのでどうしようもない。男子って単純だよなあ……
「いや、そんなことはない」
「よかったぁ。それでさ、速野くん、泳ぐの速かったね」
「……そうか? そうでもなかっただろ」
「ううん、最初にゴーグル外れてなかったらもっとすごいタイム出てたよ!」
櫛田が一歩ずいっと寄ってくる。
「……」
以前、綾小路とパーソナルスペースに関して話をしたことがある。
人は他人に近づかれすぎると、不快感を覚える。
だが櫛田の場合は、なぜかそれが発揮されない、と綾小路は言っていた。
確かに、と、櫛田の凄さを実感する。だが、ギリギリのところでそれが発揮され、俺は一歩後ずさった。
「あ、ちょっと速野くん危ない!」
「え? あっ」
後ずさった先、それは……地面ではなく、水面だった。
「おおっ!」
ぐいっ、と櫛田に腕を掴まれるが、残念、それは悪手だ……
「きゃっ!」
「うわっ!」
ザッパーン。
俺の腕を掴んでいた櫛田も一緒になって落ちる。
背中にダイレクトでダイブの衝撃が行き、とても痛い。
「ぷはっ!」
水の上に顔を出し、酸素を吸う。
その瞬間、俺の顔の数センチ先に櫛田の顔があって、驚きで心臓が跳ね上がった。
「うおっ!」
水の中でもう一度後ずさる。
大げさに後ずさった理由は顔以外にあった。顔があれだけ近いということは……その……櫛田様のお胸が、水着越しに俺に押し付けられている状態でしてね……形が変わってるのが目に入って、さっきゴーグルなしで泳いだせいで、ただでさえ赤くなった目がさらに血走りそうになってですね……
「あ、あの……その、手が……」
「……手?」
櫛田に言われ気づく。
水中で何が起こったのか分からないが、俺の腕を掴んでいたはずの櫛田の手に指が、何故か俺の指に絡まっていた。
いやいや不自然にもほどがある。だが以前、そういった偶然とは思えないようなトラブルばっか起こる漫画がある、って聞いたことあるな……
「あ、ああ、悪い……」
「ううん、大丈夫だよ」
そう言いながらプールサイドに上がる。
すると、先生が俺の方を見て言う。
「おい、何をしてるんだお前ら」
「ごめんなさい、脚を滑らせちゃって……」
「桔梗ちゃんドジだなー」
誰かがそう言うと、プール内は笑いに包まれた。実際は脚滑らしたのもドジ踏んだのも俺だが、この場はこうしておいた方が丸く収まるだろう。
いや、そんなわけなかった。男子からの怒りの目線が俺に突き刺さる。だが櫛田が戻っていくと、その視線もおさまった。
通りすがり、堀北に声をかけられた。
「一体何をやっているのかしら」
「……俺にもよく分からんかった」
仕方ないだろ。俺からすればアクシデントだよ。
俺と櫛田が妙な喜劇を行っている間に男子最終組のレースは終了しており、高円寺が須藤を超える23秒22という驚異的なタイムをたたき出して、軽く騒ぎとなっていた。
toloveるは知ってるけどちゃんと読んだことはないです。
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ep.6
1
入学してからまだ2週間足らずであるにも関わらず、クラス内では、すでに仲良しグループの概形が出来上がっていた。
形成されたグループが顕著に表れるのは、主に放課後と、この昼食時間だ。
大体三、四人で集まり、食堂やカフェに飯を食いに行っている。
初めの1週間くらいは教室で食べているやつも一定数いたが、今やそれは極少数の人間だけだった。
俺といえば、起きる・朝飯→登校→授業→昼飯→授業→帰宅→夕飯→寝る、というルーティンを形成している。4日に1度のペースで、授業と帰宅の間に食材の買い出しが入る、という例外を除けば、俺の生活はかなり機械的だ。
徹底した節約と、藤野のレクチャーによって、俺はポイントを使う機会が生まれず、ポイントはまだまだ潤沢に残っていた。
節約のため、部屋には生活必需品以外の一切のものがなく、軽くミニマリスト状態だ。
やっぱり食費が浮いたのはかなりのプラスだ。校舎の食堂も寮の食堂も高くはないのだが、やっぱり無料は強い。
今日もスーパーで無料で入手した材料で作った昨日の夕飯の使い回しの弁当を箸でつつく。今日も今日とてぼっち飯である。
ルーティンを形成した代わりに、俺はグループを形成することができず、高校スタートからクラスでほぼぼっちの道を歩んでいる。
クラス外に藤野という友人と、クラス内にも綾小路という話し相手がいることで、なんとか本物のぼっちという状態は回避できている。
それに対し、綾小路はなんだか馴染んできている風だ。池や山内などと一緒にいるところを何度か見る。
だが、俺もクラスでの友人づくりを諦めたわけではない。
プール授業以降、俺は名前だけでなく顔も覚え、今では9割型、Dクラスの面々は把握した。
把握したところで、俺に話しかける勇気なんてないけど。
でも俺まだ諦めてないから。野球は九回ツーアウトからだっていうだろ?問題はそろそろコールドで試合が終わりそうだということだが。
その一方、俺の右斜め後ろの席に1人で座っている人物、堀北鈴音は、1人でコンビニで買ったであろう昼飯を1人で食って1人で本を読んで1人で過ごしていた。1人で。ここ大事な。
ひとまず弁当を食べ終わる。
夕飯の残り物は量が少ないのと、俺に話し相手がおらず黙々と食べものを口に運ぶことしかしていないため、大体5分ほどで食べ終わるのが常だ。
弁当箱を片付けながら、ふと教室の入り口付近に目を向けると、櫛田と綾小路が何事か話しているのが見える。もちろん会話の内容が聞こえてくるわけはない。
櫛田桔梗。
平田と双璧をなすDクラスの中心で、人気者だった。
盛り上がっている場所には、必ずと言っていいほど櫛田がいるし、盛り上がってなくても、櫛田が来れば自然と会話が弾む。そういう雰囲気を作り出すのは相当難しい。これも一つの卓越した才能だ。
一部男子からは「天使」なんて呼ばれているらしい。
「学校の全員と友達になる」という一見無謀な目標も、或いは櫛田なら、と思ってしまう。それだけの人的魅力が櫛田にはある。
だが、俺個人としてはあまり支持できない。
ドイツの学者ヴィルヘルム・ペッファーは、「誰の友にもなろうとする人間は、誰の友でもない」という言葉を残している。
友達1人も満足に作れていない今の俺は、友人という存在は異質で、特別なものだと捉えている。
特別性というのは、少数だったり、機会が少なかったりするからこそ与えられるものだ。それが当たり前になってしまうなら、それはもう特別なものとは言えなくなる。
友達ができるのが当たり前だったであろう櫛田とは、合わない考え方かもしれない。
……そもそもなんで俺が櫛田の信条について偉そうに語ってるんだって話だな。
そんなことを考えていた時、堀北から声をかけられる。
「あなた、それ弁当手作りでしょう。自炊なんてできたの?」
「ん、まあ少しはな」
「意外ね。……それはいいとして、さっきから随分と一生懸命あちらを見つめているようだけれど、やめたほうがいいわよ。変人……いえ、変態かしら」
「おい、勘違いを生むようなこと言うな」
「舐めるように櫛田さんを見ていたでしょう。目の前に犯罪者予備軍がいるなんて耐えられないわ」
「櫛田じゃなくて綾小路と櫛田のやりとりを見てたんだ。観察だ観察」
「だからそれが悪趣味だと言っているのよ。まあ、これから変態と呼ばれたいならずっとそうしてなさい」
「なんかもう俺が悪かったよ……」
俺が謝ると、この件に関しては興味が失せたのか、堀北は再び本に目を落としていた。
こいつの物言い、もうちょっとどうにかなんないの?
2
ホームルームが終わり、放課後を迎える。
今日は少し用事があり、早めに帰り支度を済ませていた。
校舎を出て向かう先は、スーパーの無料コーナー。今日は買い出しの日である。
品揃えが悪い棚から商品を見繕い、カゴに入れる。
ちなみにスーパーの無料コーナーにも、コンビニでのものと同様使用の制限はかけられていて、利用していいのは3日に1回に買い物カゴ1個分まで、となっていた。コンビニに比べるとかなり制限が甘い気もするが、遠慮なく利用させてもらっている。
買い物が終わり、他に寄るところもないので帰宅することにした。
時々、今から娯楽施設に遊びに行くであろう集団とすれ違う。1人でここを歩いてるのは俺だけという事実が重くのしかかり、めちゃくちゃ居づらい。ほんとここら辺リア充ばっかだよな……
寮に向かってさらに足を進めている時だった。
「……堀北?」
女子に大人気のカフェパレットから、堀北が出てくるのが目に映った。
向こうも俺に気がついたらしく、声をかけてくる。
「……今度は偶然、のようね」
「は? どういうことだ?」
「いえ、何でもないわ」
こいつも今から帰るらしく、進む道は一緒なので、自然と一緒に歩く展開になる。
「お前あそこに1人で行ったのか? さすがだな」
カフェパレットは、友達同士の女子生徒の団体客がほとんどだ。そこに1人で行く勇気はすごいと思う。そんなにあそこのメニューが気になっていたのだろうか。
と思ったが、どうやらそうでもないらしい。
「少し不愉快な出来事があったのよ。あなたがあの時教室にいたら、起こらなかったかもしれないわね」
「……俺のせい?」
「そうは言ってないわ」
いやいや今明らかにそういうニュアンスだっただろ。
とりあえず話を聞いてみると、ああ、確かにこいつが不機嫌にもなるわ、という内容だった。
なんでも、櫛田が堀北と仲良くなるために、綾小路や他のクラスメイトを使ってシチュエーションのセッティングを頼んだらしい。
その話を加味した上で、質問してみる。
「まあお前が不愉快になるのも分からんこともないが……そもそもの話をしていいか。何でそこまで櫛田を毛嫌いする?」
「言ったでしょう。私は1人が好きだと。それに一度、櫛田さんにはもう誘わないでとはっきり言っているのよ。それを根回ししてまでやろうとした櫛田さんにも不快感を感じるし、綾小路くんにも思うところはあるわ」
ただ単に1人を邪魔されたから、ってことか。
でもなあ……まあ、本人がそう言ってるならそういうことでいいか。
「この話はもう終わりでいいかしら」
「ああ。別に」
堀北としてもあまり好ましい話題ではなかったんだろう。俺もおとなしく従うことにする。
話題切り替えの皮切りに、堀北が話を始める。
「一つあなたに聞きたいことがあるわ」
「何だよ」
「この学校の制度について。この学校が国主導であっても、私たちは一介の高校生にすぎない。そんな人間に10万なんて大金を持たせることに、あなたは意味があると思う?」
ポイントについて、堀北も前から疑問に思っていたようだ。
「さあな。自己管理能力の向上を促すとか、そこらへんじゃないのか?」
「だったらこんな大金を積む必要はないはずよ。それだとむしろ金銭感覚がおかしくなって、余計に自己管理能力は下がるんじゃないかしら」
「確かになあ……それに、校内のいたるところに無料のものが置いてあるのも、俺としては気になる」
「同感ね。頑張ればゼロポイントでも生活ができそうだもの」
思い浮かべると、それも可能な気がしてきた。現に俺の食費はゼロだ。
「それに、授業中にしゃべっていても寝ていても、誰も何も注意さえしない。甘すぎるんじゃないかしら」
「放任主義、ってわけではなさそうだな」
もし今のDクラスの状況が全学年全クラスに共通するものだったら、この学校は学校として成り立っていないし、宣伝できるような成果もあげられているはずがない。
「俺らがまだ経験していないだけで、生徒の気を引き締めることにつながる何かがある、ってことか」
「そう考えた方が自然でしょうね。授業を受けていて分かるけれど、教師のレベルが高いことに間違いはないから」
「何人か有名な人もいるみたいだったな」
敷地内の本屋で参考書や問題集を見ていた時、監修や編集の人名欄に、ここの教師の名前をちらほら見かけた。
堀北の言うように授業のレベルも中々のものだ。
まあ、Dクラスの奴らほとんど聞いてないけどな。まだ先の話ではあるが、テスト期間になってどれだけ苦労することやら……
「まあ、ここでうだうだ考えてても答えは出ないんだし、もうちょっと様子を見るしかないだろ」
「……そうね。手遅れになっていなければいいけれど」
「……そうだな」
この学校には、まだ何か俺らが知らないような裏がある気がしてならない。
少なくとも、このまま全てが終わるとは思えなかった。
3
で、その高いレベルの授業を受けている最中も、やはりクラス内では堂々と談笑している奴らが多数見受けられる。
そいつらのおかげもあって、俺は授業に集中することがほとんどなかった。
まあ授業のレベルが高いとはいうものの、内容自体が難しいわけではないから、俺も集中して聞く気は起きないんだけどな。
授業開始のベルが鳴ってもガヤガヤしている教室に、茶柱先生が入ってくる。
「おーい、お前ら静かにしろ。今日は少し真面目に授業を受けてもらうぞ」
「どういうことですか佐枝ちゃんせんせー?」
今の受け答えからすると、真面目に授業受けていないことは自覚しているらしいな。ならそれ直せよ。
「月末だからな。小テストを受けてもらう」
「げ、マジで?」
「安心しろ、これはあくまで今後の参考資料にするだけだ。成績表には何ら影響はない」
成績表には、か。つまりそれ以外のどこかしらには影響が出る、ってことか?
前々から思ってたんだが、どうしてこの人はいつもいつも勘ぐりたくなるような言い方をしてくるんだろうか。
テスト用紙が手元に来て、早速解き始める。
一科目4問ずつの全20問。全ての問題に目を通してみるが、大体一瞬で答えの求め方が分かるものばかりだった。
そんな、ほとんどの問題が拍子抜けするほど簡単だった中。
「……」
ラスト3問に関しては桁違いの難易度だった。
英語、化学、数学。
英語の問題は、言っていることは単純なのに単語、文法のレベルが高すぎる。
化学に関してもかなりの暗記量と計算力が必要だ。
数学も計算が複雑な上に、そもそもこれは範囲でいうと高校1年のものじゃない。
この三問に関しては、問題文の意味を読み解けるやつがどれだけいるかすら怪しいな……
そもそも、この問題を出した意図がわからない。差をつける問題として出題したにしても、これでは正答率が低すぎて逆に差がつかないだろう。
俺はこの問題をどう捉えたらいいのだろうか。
4
一抹の疑問が残る小テストの後、午後の授業を消化して放課後となった。
俺が帰り支度を進めていると、いつもと違う人影が俺に近づいているのに気がついて、その方向に振り向く。
「速野。話がある」
突然俺に話しかけてきたのは、池と山内。いつも一緒にいる須藤は不在だった。須藤はバスケ部に所属しているので、部活にでも行ったんだろう。
「何の用だ急に」
仲がいいわけでもなければ、ましてや友達なわけでもないが、一応話したことがないわけじゃないので、普通に受け答えする。
「お前……まさか誰かと付き合ってるんじゃないだろうな」
「……は?」
藪から棒、或いは寝耳に水。一瞬言っている意味が分からなかった。
「あるクラスメイトからの証言だ!お前が放課後、俺らが知らない美少女と仲よさそうにスーパーに入って行ったのを見たんだってよ!」
「さあ、白状しろこの裏切り者!」
「裏切り者って……」
何だその根も葉もなければ日光も水も土もないような噂は。そのくせ情報源の秘匿だけはしっかりしてる。
ただ、思い当たる節はある。その美少女とやらは藤野のことだろう。
「はあ……馬鹿かお前ら。少し考えてみろ。俺だぞ?」
人差し指で自分を指しながら言う。
「な、なぜかすげえ説得力だ……」
……いかん、証拠として出したのは俺自身なのに、証拠能力認定されると悲しくなってくる……
「ってことは、お前を見たってのは宮本の勘違いってことか?」
おいちょっと、個人名出てるぞ。最初は隠してたのに。
「いや、それは多分本当だ」
「やっぱ裏切り者じゃねえか!」
「だから俺が何を裏切るんだよ……」
「俺らに抜け駆けして彼女を作った罪だよ!」
「だから彼女じゃないって言っただろ。ただの友達だ。人の話はちゃんと聞けよ」
てか彼女作ったら罪になるのか。なら俺は安心だな。
「……お前他クラスに友達いたのか?」
「なあ俺帰っていい?」
疑問を持たれるのは当然なんだが、改めて言われると急速に悲しくなる。そのうえなんで俺がこいつらにこんなこと言われなきゃいけないんだ。
「悪い悪い。でもただの友達と2人で出かけるのか?」
「やっぱ怪しいぜ」
池が疑問を投げ、山内がそれに乗っかる。厄介なコンビネーションだ。
「そんなこと言われても……本人から直接、友達だって言われたしな」
しかも思いっきり。
これで引き下がってくれるかと思ったが、この2人の回答は衝撃的だった。
「お前……まさか告ったのか?」
「ちょっと待て、なんでそうなる」
「違うのか? 告って、友達だって言われて玉砕したパターンかと……」
「……」
どこからそのシナリオが入ってきたんだろう……こんなに想像力豊かだとは思っていなかった。
俺はもう心底呆れているが、最後のまとめとして2人に言う。
「とにかく、だ。俺に彼女ができるなんてあり得ないから、安心していいぞ」
「本当だな!? 信じるぞ?」
「ああ、信じろ信じろ」
いい加減この面倒なやりとりから解放されたい一心で、乱暴に話題を終わらせる。
「本当だな? 言ったからな!? 俺のこの耳にお前の声は残ってるからな!?」
池が、俺から遠ざかりながらデカイ声で言っている。
俺はあまり大声を出したくないので、軽く手をあげるだけにしておく。それを見て納得したのか、2人とも教室を出てどこかに行ってしまった。
やっとこの理不尽な質問攻めが終わったか……
……それにしても、俺と藤野って外歩いてると付き合ってるように見えるのか?マジで?
よう実のssが段々増えて行ってますね。埋もれないよう頑張ります。
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ep.7
1
授業中には怠惰、放課後や休日には浪費を繰り返したDクラス。
そんな生活を続けて、1ヶ月が経過した。
5月1日、今日はポイントの支給日。多くの生徒は、またあの夢のような生活を送れるのだ、と信じて止まなかった。
しかしこの教室内には、浮かれるとか、ワクワクするとか、そんなものとは全く違う雰囲気が立ち込めている。
そんな異様な空気の中、教室のドアを開けて、茶柱先生が入ってきた。
そして茶柱先生が持つ雰囲気も、いつもとは違っているような気がする。
「せんせーどうしたんすか? 閉経しちゃったとか?」
「これより朝のホームルームを始める。その前に何か質問のある者はいるか? もしいるなら、今聞いておいた方がいいぞ」
池のアホ発言をガン無視し、茶柱先生は冷たい声で言った。
質問を促され、クラスの何人かが手を挙げる。その中の1人、本堂が口を開いた。
「あのー、今朝見たらポイントが振り込まれてなかったんですけど。ポイントって毎月の1日に振り込まれるって話じゃなかったんですか?」
「以前説明したことを忘れた訳ではなかろう? お前の言う通り、そういうシステムになっている。そして今月分のポイントは、既に問題なく振り込まれている」
「え、でも……」
Dクラスにあった異様な雰囲気の正体はこれだ。俺も朝、残りポイントを確認して少し驚いた。
4月30日時点と、5月1日時点。その間のポイント残高の変動が全くない。
「……本当に愚かだな、お前らは。座れ本堂」
「お、愚か……? え、さ、佐枝ちゃんせんせー?」
「座れと言ったはずだ。次はないぞ」
ただでさえ変だった茶柱先生先生の雰囲気が、さらに異様なものに変わっていく。
質問した本堂は、見たことも聞いたこともない茶柱先生の雰囲気と口調に戸惑い、或いは気圧され、席に座りこんだ。
それを確認してから、茶柱先生は再び話を始める。
「間違いなく、ポイントは振り込まれた。学校側のミスでもなければ、ましてやお前達だけ忘れられたなんて幻想もあるはずがない。分かったか?」
「い、いや分かったかって言われても……事実振り込まれてない訳だし……」
本堂は未だに分かっていないようだ。茶柱先生が何を言いたいか。
いや、学校側が何を言いたいか。
「はは、分かったよティーチャー。このなぞなぞのようなくだらない話の真相が」
足を机にあげながら、高円寺が笑って言った。
「要は、今月私たちに振り込まれたポイントはゼロポイントだった。そういうことだろう?」
「は?何言ってんだよ。毎月10万ポイント振り込まれるって言ってただろ?」
「私はそんな説明を受けた覚えはない。どこか間違っているかい、ティーチャー?」
「ふむ。態度には問題ありだが、その通りだ高円寺。全く、これだけのヒントをやっておきながら、気づいたのが数人とはな」
先生はあっけなく、1つの衝撃的な事実を告げた。その言葉が浸透していくと同時に、教室内はどんどん騒がしくなっていく。
「……あの、先生。質問いいでしょうか。腑に落ちない点があります。どうしてポイントがゼロだったんでしょうか」
騒然とした教室の中、そう主張したのはクラスのリーダー、平田だ。
その平田の質問にも、先生は冷たく答える。
「遅刻欠席、合計98回。授業中の私語や携帯を使用した回数、391回。一月でよくもまあこれほど怠惰を続けられたものだな。以前も説明しただろう。実力で生徒を測る、と。この学校は、クラスの成績がそのままポイントに影響する。この1ヶ月間のお前らDクラスの厳正な査定を行なった結果、お前らに対する評価は、『ゼロ』だ」
突如として明らかにされる、ポイントの支給制度、「Sシステム」の裏側。
なんと、俺が入学初日の夕食時に立てた仮説は、なんだかんだで当たっていたのだ。
貰えるポイントは増減する。
そして俺たちは今月、0ポイントを獲得した。
後ろでは、堀北がシャーペンを走らせるサラサラという音が聞こえてくる。
メモしているのは恐らく、先ほどの遅刻欠席などの回数や、先生の発言。事態の把握を狙っているんだろう。
「ですが先生、僕らはそんな説明は……」
「受けた覚えはない、か?」
「はい。もし説明を受けていれば、誰も私語や欠席なんてしなかったはずです」
「それはおかしな話だな。お前らは小、中学校で授業中の私語や遅刻はしてはいけないことだと習わなかったのか? そんなわけがないだろう。その程度のことを説明しないと分からないのか。お前らが当たり前のことを当たり前にこなしていれば、こんな結果にはならなかった。全てお前らの自業自得ということだ」
それは絶対的な正論だった。出来て当たり前のことを、俺らは出来ていなかった。それだけのことだ。
反論しようと思えば出来ないこともないが、この場で発言が必要なほど意味のある反論の内容ではなかった。
恐らく平田は今になって、授業をちゃんと受けようと、これまで注意してこなかったことを後悔しているだろう。
「大体、高校に上がったばかりのお前らが、なんの制約もなく1ヶ月に10万もの大金を使わせてもらえると思ってたのか?優秀な人材を育成することが目的のこの学校で?あり得ないだろう。常識を少しは身につけたらどうだ。なぜ疑問を疑問のまま放置しておく?」
確かに、それは俺の落ち度だ。質問して情報に確実性を持たせるべきだったのに、立てた仮説を仮説のまま放置していたのは悪手だった。
先生の言葉に悔しそうな表情を見せる平田だが、また新たな可能性を模索し、先生に言う。
「では……せめてポイント増減の詳細を教えてください。今後の参考にします」
「それは出来ない相談だ。人事考課、という言葉は知っているだろう。ポイントの増減は、この学校の決まりで公開出来ないことになっている。……しかし、そうだな。私も一応お前らの担任だ。一ついいことを教えてやろう」
そう言うと、茶柱先生に一気にみんなの視線が集まる。
「お前らが今後、私語や遅刻を完全に無くし、マイナスをゼロにしても、プラスになることはない。来月も、その次も0ポイントだ。つまり、お前らが今までやってきた私語も遅刻も、授業中の携帯使用もし放題というわけだ。どうだ、覚えておいて損はないだろう?」
皮肉たっぷりの先生の言葉に、平田の表情が沈む。俺も少し気分が悪くなり、先生を睨んだ。
……いや、或いはここでキレさせることが目的か。
そんな時、ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「どうやら、少し無駄話をしすぎたようだ。本題に移るぞ」
そう言うと、先生は持ってきていた大きな白い紙を黒板に張り出す。
そこには、A〜Dクラスの名前が表示されており、その横には数字が書かれていた。
Aクラスが940。Bクラスが680。Cクラスが490、そして俺らのDクラスが0。
Dクラスの数字から、これはポイントに関連することだろうと推測できる。
クラスごとに支給される額がこの数字に比例していると考えると、相場は、この表の1の値が100プライベートポイント、といったところだろうか。
にしても、AからDにかけて、随分と綺麗に数字が下がっている。
それを奇妙に感じたのは堀北と綾小路も同じらしく、後ろで何事か話しているのが聞こえてきた。
「お前らは入学してから昨日まで、贅沢三昧をした。もちろん、それを糾弾する気も否定する気もない。ただの自己責任だからな。事実、学校側はポイントの使い道に関しては制限をかけなかっただろう」
確かに、そのようなことも言っていた。「このポイントは振り込まれた時点でお前らのものだ。遠慮なく使え」と。
その説明は、俺らにポイント使用の権利を付与したとともに、ポイントに関しての無限責任を課すことにも繋がっていたということだ。
「そ、そんなのあんまりっすよ! こんなんじゃ生活できませんって!」
「バカが、よく見てみろ。お前ら以外のクラスには1ヶ月生活するには十分すぎるほどのポイントが支給されているだろう。言っておくが、一切不正は行われていない。査定は全クラス同じ基準で、厳正に行われた。段々分かってきたんじゃないか? お前らがどうしてDクラスに選ばれたのか」
「え? 理由なんて適当じゃないのか?」
「普通そうだよね」
「この学校では、優秀な生徒たちとそうでない生徒たちのクラスを順に分けて編成することになっている。優秀な人間はA、ダメな人間はD、とな。つまりお前らはこの学校では最下位。最悪の『不良品』というわけだ」
茶柱先生から、聞き覚えのあるフレーズが耳に聞こえてくる。
入学初日、コンビニで上級生に言われた「不良品」という単語。
この学校ではこの「不良品」という言葉が浸透しているらしい。
「私は逆に感心しているんだ。歴代Dクラスでも、1ヶ月で全てのポイントを吐き出したのはお前らが初めてだ。立派だよ」
再び皮肉のこもった言い方で、今度はぱちぱちと拍手まで加えてきた。
「このポイントが0である限り、僕らはずっと0ポイントということですか?」
「そうだ。だが安心しろ。お前らはこの敷地内で、無料のものを幾度となく目にしているだろう? ポイントがなくても死にはしない」
恐らく、俺が利用しているスーパーや自販機のミネラルウォーター、食堂の無料の定食なんかを指しているんだろう。先日堀北も言っていたように、無料でも生活できないことはない。
そこで、ガンッ、と音が聞こえてくる。
「……俺たちは卒業までずっとバカにされ続けるってことか」
「なんだ、お前にも人の評価を気にする気があったんだな。なら、上のクラスに上がれるように頑張ることだ」
「あ?」
上のクラスに上がる、とはどういうことだろうか。
「クラスのポイントは、個人の支給ポイントを示すだけではない。クラスのランクに反映される。つまり現時点でお前らが490より上のポイントを保有していたら、お前らはCクラスに昇格していたということだ」
上のクラスに上がる。それはDクラスにとって、文字通りゼロからのスタートだ。至難の道であることは火を見るより明らかだった。
「さて、もう1つお前らにお知らせがある」
そう言うと、先生はもう一枚の大きな紙を再び黒板に張り出した。
「いくら馬鹿でも、これが何のことかくらいわかるだろう」
その紙には、Dクラス全員の氏名、そしてその右には先ほどと同じく数字が書かれていた。
「先日行った小テストの結果だ。不良品にふさわしい結果だな。お前たちは一体中学で何を勉強してきたんだ?」
俺も点数の一覧を見てみると、少し驚いた。あのテストの問題は最後の三問を除いて解けて当たり前の問題が並んでいた。そのため平均点は8割近く、少なくとも7割はあるだろうと踏んでいたのに、実際には60点台が多くを占めていたからだ。
「これが本番でなくてよかったな。もし本番だったら、下位7人はすぐに退学になっていたところだ」
「は!? た、退学!?」
「この学校は、赤点を取ったら即退学だ。説明してなかったか?」
「お、おいふざけろよ!退学なんて冗談じゃねえよ!」
「私に喚かれてもどうしようもない。これは学校の制度だ」
それは初耳だ。
てか、そのルール厳しすぎね?確かに赤点を取るなんて論外だが、一発レッドカードなんて制度、聞いたことがない。
「ふっ、ティーチャーの言うように、このクラスには愚か者が多いようだね」
相変わらず机に脚を乗っけたまま、上から目線で言う高円寺。
「は!?お前もどうせアホみたいな点数なんだろ!見栄張るなよ」
「やれやれ、どこに目が付いているのか、甚だ疑問だねえ」
言われて、高円寺の名前を探して見る。
下から上へと視線が動いていき、高円寺六助の名前があったのは、上位中の上位。点数は90点だ。つまり、あの3問のうち少なくとも1問を解き明かしたことになる。
「そんな、須藤と同じくらい馬鹿だと思ってたのに……」
そんな声が聞こえてくる。
俺やクラスの奴らは、プールの件で高円寺の身体能力が驚異的だというのは知っていたが、ペーパーテストについてもここまで優秀とは、正直俺も驚いた。
「それともう1つ。この学校は高い進学率と就職率を誇っているが、その恩恵にあやかることが出来るのは上位のクラスだけだ。お前らは全員がこの特権の対象だと思っていたかもしれないが、お前らみたいな低レベルの人間が、自由に好きな大学、好きな就職先に行けるなんて上手い話が世の中で通るわけがないだろう」
「つまりその特権を得るためには、Cクラス以上に上がらないといけないということですか?」
「いや、少し違うな。CクラスでもBクラスでもだめだ。この特権を手にできるのは、卒業時にAクラスに所属していた生徒のみだ」
「え、Aクラスに!?」
「ああ。それ以外の生徒については、学校側は一切の保証をしないだろう」
Aクラスだけの特権、か……。てことは、藤野ってすげえやつなんだな。薄々感じてはいたが。
「そ、そんな!聞いてないですよ!あんまりだ!」
話を聞いてそう叫んだのは、幸村という男子。
小テストの結果は高円寺と同じく90点を獲得している。高得点だ。
「みっともないねえ。男が慌てふためく姿は」
そんな幸村に、高円寺の呆れたような声が降りかかる。
「お前……不服じゃないのかよ。Dクラスに配属されて、『不良品』なんて言われて! おまけに進学も就職も保障されないなんて!」
「不服? なぜ不服に思う必要があるのか、私には理解できないねえ。それは学校側が私のポテンシャルを測れなかっただけのこと。私は自分を誰よりも素晴らしい人間であると自負し、そう確信している。それに学校側がどんな評価を下そうと、私には何の関係もないということさ」
なんというか……言葉も出ないな。
高円寺はいま「学校側はポテンシャルを測れなかった」といったが、恐らく学校側は個人のポテンシャルのみを見て評価を下しているわけではない。
高円寺の他にも、学力の高い生徒はDクラスにいる。幸村もそうだし、堀北もそうだ。2人とも小テストの点数は90点と高得点だ。
それに、高円寺は水泳のときに見せた圧倒的な身体能力も備わっている。このことから、生徒の評価のパラメータは学力、身体能力以外にも存在することが分かる。
「それに、私は進学や就職を学校側に頼ろうなんて微塵も考えていないのでね。私は高円寺コンツェルンの後を継ぐことが決まっている。保障があろうとなかろうと、微塵も関係ないのだよ」
完全に別次元の世界からの言葉に、幸村も口を噤むしかないようだった。
「どうやら、自分たちがいかに愚かで、悲惨な状況に立たされているかは理解が及んだようだな。中間テストまで残り3週間。精々頑張って退学を回避してくれ。私はお前ら全員が赤点を回避して、退学を免れる方法があると確信している。それまでじっくり考えて、出来ることなら、実力者にふさわしい振る舞いを持って挑むことを期待している」
そう言い残すと、扉をピシャリと閉め、茶柱先生は教室を出て行った。
実力者にふさわしい振る舞い、とは何だろうか。さっきまで「不良品」と馬鹿にしていたのに。
この中に実力者と呼べるものがいる、と先生は考えているのだろうか。
2
その後、少しトラブルが起こったが、櫛田の力によってそれは解決した。
櫛田のマンパワーはとてつもない。この1ヶ月で、クラス全体を平田が引っ張って、櫛田が支える、という構図が出来上がっている。そこに付け加えるとしたら、軽井沢という女子生徒も、女子を率いるリーダー的な存在だ。
「みんな、少し話を聞いてほしい。特に須藤くん」
「あ?」
「僕らは今月、ポイントを獲得できなかった。これはとても大きな問題だ。まさか、このまま卒業までポイントなしで生活なんてわけにもいかないだろう?」
「そ、そんなの無理!」
「分かってる。だから、みんなで協力して、力を合わせて解決していかないといけない。出来ることから始めてみたいんだ。授業中の私語をお互いに注意し合うとか、遅刻をゼロにする、とかね」
「は? なんでお前に指示されてそんなことしなきゃいけないんだ。それやってもポイントは増えないって言ってたじゃねえか」
「でも、そこから直していかない限り、僕らのポイントはずっとゼロのままだ。今はとにかく、マイナス要素を削らないといけない」
「チッ、納得行かねーな。真面目に授業受けてもポイントもらえないなんてよ」
須藤は悪態をつき、乱暴に舌打ちをする。
真面目に授業を受けてもプラス査定にならないのは、学校としてはそれはできて当たり前のことだと捉えられているからだ。
しかし、俺らはその当たり前のこともできず、このような結果が生まれた。そんなことは自明のはずだが、須藤は認めようとしなかった。
この教室に須藤の味方は元々多くない。ましてや、対立しているのは平田。どちらが支持を受けるか、それは言うまでもないことだ。
段々と、須藤に非難のこもった視線が向けられるようになる。
それで居心地を悪くした須藤は、もう一度露骨な舌打ちをしながら、教室を出て行った。
「須藤くんほんと空気読めないよね。ていうか、生活態度一番悪いの須藤くんだし」
「あいつがいなければ、ポイントだって少しは残ってたんじゃないか?」
鬼の居ぬ間に洗濯、というか、不在裁判、というか。本人がいなくなった瞬間、須藤への批判が集まり始める。
そしてその様子を見ていると、これ来月もポイント入るのか……?と不安になってしまった。
「速野くん」
そんなことを考えていると、後ろから堀北に呼ばれた。
「参考までに、あなたは先月何ポイント使ったの?」
「えーっと……確か5000……いや、6000くらいだ」
「随分と切り詰めたのね。あなた自炊でしょう?」
「あれは全部スーパーにある無料の材料で作ってるものだ」
「そういうことだったのね……以前もそうだったけれど、あなたはこのポイントの件について知ってたの?」
「あり得ない話ではない、とは思ってた。でもそれ以上に、金銭感覚狂うのが怖かったってのもある。まあかわいそうではあるが、ポイント使い切ったやつは自業自得だな」
「概ね同意ね。ところで」
と、堀北が言いかけたところで、平田がこちらに歩いてきた。
「堀北さん、綾小路くん、それに速野くんも、少しいいかな。実は放課後、ポイントを獲得していくために、Dクラスがどうしたらいいか、話し合いを持とうと思ってる。そこに参加してほいんだ」
「何で俺たちなんだ?」
「全員に声をかけるつもりだ。でも、全体の場で言っても、真剣には耳を傾けてくれない人がいるかもしれない」
平田はそう言うが、俺ら3人に始めに声をかけたのは、参加する確率が低いと踏んだからだろう。事実、俺は乗り気ではなかった。
「申し訳ないけれど、遠慮させてもらうわ。他を当たってくれる? 話し合いは得意ではないの」
「無理に発言しなくてもいいんだ。参加してくれないかな」
「私は意味のないことに関わりたくないの」
「でも、これはDクラスの今後に関わることだと思うんだ。だから……」
「私は参加しない、と言ったはずよ」
「……そ、そっか、ごめん。でも、気が変わったら、いつでも待ってるから」
平田はそう言うが、堀北はすでにこちらに興味を示していなかった。
「綾小路くんと速野くんは、どうかな?」
「あー……悪いな」
「俺もパスだ。すまない」
「……ううん、こっちこそ急にすまなかった。でも堀北さん同様、気が変わったらいつでも言ってほしい」
そう言うと、それ以上強く誘ってくることはなかった。
平田が立ち去ってから、俺は堀北に聞く。
「……で、堀北、お前何か言いかけなかったか?」
「いえ、何でもないわ。気にしないで」
「ん、そうか」
「にしても、平田はああやって行動を起こせるところがすごいよな」
他のメンバーにも声をかけている平田を見て、綾小路が感心するように言った。
「それはどうかしらね。そもそも話し合って解決できる問題ではないわ。能力のない人間が集まって話し合っても、まともな結論が出るとは思えないもの。迷走して終わるのが関の山。それに私には、今のこの状況を受け入れることなんて、到底できない」
最後に付け足すように言った堀北の一言の意味を、俺は汲み取ることができなかった。
日常、終わっちゃいましたね。
これから主人公が少しずつですが動いていきます。皆様、これからもよろしくお願い致します。
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ep.8
1
その日の放課後。
Dクラスの生徒たちは、常々とは違う行動を取っていた。
いつも放課後にどこに行って遊ぶかを相談している連中は、平田の開く話し合いに参加するために席についている。
いや、そもそもそういった生徒にはポイントなんて残っていないだろう。
遊びたくても遊ぶ金がない。少なくとも1ヶ月間、我慢と禁欲の地獄生活が、彼らを待ち受けている。
ほんと節約しといてよかったー……おかげですぐに金欠になることはなさそうだ。
でもやっぱり、新しいポイントが入らないってのはちょっと辛いものがあるな。
一応予想していたシナリオの一つとはいえ、俺だって本気で考えていたわけじゃない。
そんなことあるわけないよな、ははは、程度のものだったのが、現実になってしまった。
まあ俺の場合「金」を使わない生活にはすでに慣れてるし、現時点ではあまり心配はしていない。
しかし普通は、1か月間ゼロポイントで生活するなんて考えられないだろう。教室を見渡していると、どうやらクラスメイトからポイントを貸してもらおうとする人もいるようだった。
たとえば、山内は綾小路にゲーム機を売りつけようとしている。絶対売れないだろうなあ。綾小路がゲームしてる姿なんて、ちょっと想像がつかない。
また、軽井沢に関しては「あたしたち、友達だよね?」という言葉を使い、確実に返すつもりがないであろうポイントをいろんな人から借りていた。
そろそろ話し合いが始まりそうなのを予期して、俺は1人で教室を出る。
その時、校内放送のピンポーンという音が校舎に鳴り響いた。
『生徒の呼び出しをします。1年Dクラス、綾小路清隆くん。1年の綾小路くん、茶柱先生がお呼びです。職員室までお越しください』
山内のゲーム機の押し売りを追い返し、櫛田と話していたとみられる綾小路に、哀れみの感情を含めた視線を送る。向こうは「そんな目で見るなら助けてくれ」とでも言いたげな表情だ。
だが俺にはどうしようもない。悪いな。
やはり綾小路は、自身の言う事なかれ主義という生き方が板についていないように思える。
どちらかというと目立ちたくない主義、という方がしっくり来る気がした。
なんで目立ちたくないのかは知らないが、その努力は身を結び、クラスでは地味で取るに足らない生徒、という評価が下されていた。小テストの点数も、ちょうど半分にあたる50点。平均をかなり下回る結果だった。あいつそんな頭悪そうには見えなかったんだけどな……
そんなことを考えながら、気を取り直して歩き出そうとした。
「ねえ、速野くん」
しかし誰かに呼ばれ、再び足を止めることになってしまう。振り向くと、後ろに立っていたのは櫛田だった。
「本当に参加してくれないの?」
少し不安げな表情を浮かべ、こちらを見上げる櫛田。
「ああ、悪いな」
「……そっか。うん。ごめんね? 急に呼び止めて」
「いや、いい。じゃあ、話し合い頑張ってくれ」
「うん、ありがと」
そう言い残して、俺は今度こそ、今度こそDクラスの教室から離れた。
俺が話し合いに乗り気ではなかったのは、堀北が断った理由とは厳密には違う。
あいつはバカが何人集まっても意味がないと言っていた。
対して、俺は話し合いそのものに意味がないとは考えていない。
話し合いで決まることが大体予測できるからだ。
一つ予言しておくと、この話し合いでは、授業中の私語を止めること、遅刻欠席を止めること、授業中、携帯の電源は切っておくことなどが提案されるんじゃないだろうか。
さらに言えば、中間テストに向けての提案として、勉強時間を増やすこと。もしくは、自分たちで勉強会を開くことなんかも可能性としてはあり得る。
そして学校に対する姿勢として、先生の話をよく聞き、疑問に思ったことはすぐに質問するよう意識することも、平田あたりは考えていそうだ。
だが、ポイントの増やし方が不明である以上、それは根本的な解決にはならない。そんなことは誰でも分かっている。
だからこの話し合いの目的は、解決ではなく、解決の糸口を掴むこと。
そしてもう一つ、クラス全体の意識や雰囲気づくり、一致団結のある種の儀式としての意味合いも強いだろう。
そういや堀北のやつ、今日はやけに早く教室出てったな。
2
「たうあ!?」
「どうした綾小路、私語か?」
「い、いえ、ちょっと目にゴミがですね……」
何やってんだこいつ。
そう思って後ろを見ると、堀北がコンパスを筆箱にしまっているのが見えた。
「……」
俺はガタガタと震え上がりながら、授業を終える羽目になってしまった。
衝撃的な始まりで迎えた、皐月5月。そこから1週間ほどが経過したある日。
茶柱先生の指摘以降、Dクラスの生活態度は劇的に改善していた。悪態をついていた須藤も、なんだかんだで改善はしてきている。授業中普通に寝てるけど。
昼休み、昼食のために各々教室から出てこうとしていたところで、平田が立ち上がった。
「茶柱先生の言っていた中間テストが2週間後に迫ってる。そこで、僕たちで勉強会を開こうと思うんだ」
それは平田からの提案だった。予想的中だ。やったね。
俺もしかしたら占い師とか向いてるかも。
「今日の5時からテストまでの間、毎日2時間、この教室で勉強会を開くことなった。途中で帰ってもかまわない。でも、出来ることなら是非参加してほしい。僕からは以上だ」
平田が座ると、須藤、池、山内を除く赤点組や、平田目当ての女子がこぞって平田の元に駆け寄った。
一番参加しないといけないのって、その3人なんだけどなあ……
そんなことを考えながら、いつもの通りに弁当箱を広げようとしたところ、堀北の声が後ろから聞こえてきた。
「あなたたち、お昼暇かしら?よければ一緒にどう?」
俺が振り返るが、特に堀北は違和感を見せない。呼びかけられたのは俺と綾小路で間違いないだろう。
「急にどうしたんだ? 怖いぞ」
「怖がる必要はないわ。山菜定食で良ければ奢らせてもらうけど」
「お前それ無料のやつだろ……」
「冗談よ。ちゃんと奢ってあげるわ。好きなものを食べて構わないわよ」
「……やっぱ怖いな。何か裏があるんじゃないだろうな?」
綾小路が疑いの視線を堀北に向ける。
しかしその視線を躱して、堀北は言った。
「人の好意を素直に受け取れなくなったらおしまいよ?」
「まあ、確かに……」
俺はそもそも堀北に善意が存在したことに驚きなんだが、綾小路は行く方針で固まったようだ。
「悪いが俺はパスな。弁当持ってるし」
「そう。残念ね。たまには少し高いもの、食べたくならない?」
「今日は随分食い下がるな、堀北。一度断ったあと、もう一度同じ提案される不快感は知ってるだろ?」
俺は実際に堀北が嫌がっているところを、櫛田の件と平田の件の二度目撃している。
そう言うと、堀北も諦めて引き下がり、綾小路と2人で食堂に向かって行った。
……カッコつけて啖呵切ってはみたものの……本当はあの日の生姜焼き定食、改めてちゃんと食いたかったなー……
3
放課後を迎えた。
さっさと帰ろう、と早々に帰り支度を済ませ、教室を出ようとしたところで声をかけられる。
なんか毎日声かけられてる気がする。この世界は俺に素直に帰宅させたくないの?
「速野くん、少しいいかしら」
「今度はなんだ。昼といい今といい、ちょっと不自然だぞ」
「あなたは私の自然を知っているとでも言うのかしら?」
「……まあ、そりゃそうか」
同じクラスとは言っても、こいつと過ごしている時間は1ヶ月。
他のクラスメイトより話す機会が多いとはいえ、関係は希薄。それだけの期間で1人の人間を理解することなんて不可能だ。
「で、要件は?」
「歩きながら話すわ」
どうやらすぐに話すつもりはないらしい。歩きながら、となると、寮まで一緒に帰ることになりそうだ。
こいつと帰宅すること自体は2回目だが、教室から、というのは初めてだ。
てか、教室を誰かと一緒に出たことそのものが初めて。廊下を誰かと歩くというのは少し新鮮な感じがする。と同時に、俺がどれだけDクラスに話せるやつがいないかがうかがえると思う。
俺と堀北の身長差は大体20センチほどだ。それだけ歩幅も違ってくる。俺は特に気にせず歩いているが、堀北も文句は言わずについてくるので、これからも配慮の必要はなさそうだ。
学校から出て数分歩いたところで、堀北が言った。
「用件を言うわ」
「ああ、やっとか」
続きの言葉を待つが、堀北は何か迷っているのか、少し間が生まれてしまう。
だがそれも数秒の間で、決心したようだ。
「……今日の夜、私の部屋に来て」
ポク・ポク・ポク・チーン。
「……うん?」
「聞こえなかったかしら。今日の夜私の部屋に来なさいと言ったのよ。夕飯、こしらえてあげるわ」
「……うん?」
びっくりして、1回目と同じ反応をしてしまった。
「馬鹿なの?」
「いや、言ってる意味は分かる。わからんのは行動の意味だ。俺を部屋に呼んで、飯を食わせてどうする。餌付けでもするつもりか?」
「餌付けしても私が迷惑なだけよ。それにさっき、あなたも聞いていたでしょう? 人の好意は素直に受け取るものよ。スペシャル定食を食べて、綾小路くんは美味しそうな顔をしていたわ。たまにはこういうこともやってみるものね」
「……」
あ、怪しい、猛烈に怪しい……こいつが何をするつもりか知らないが、ひじょーーに嫌な予感がする。
脳内では、これは地雷だと言い張る俺と、ほらほら、女子の手料理だぞ?と誘うもう一方の俺がせめぎ合っていた。
この脳内の戦いは、しばしば「天使と悪魔の戦い」なんて表現されるが、この場合はどうなるんだ……?
一方が悪魔なのは確定だとして、もう一方は天使じゃないだろこれ。まあいいや。考えは理性的だし人間ということにしよう。
そして、生身の人間と悪魔が戦って、人間に勝ち目があると思うか?
答は否だ。
「……わかったよ。ただ、飯作ってくれるなら俺の部屋にしてくれ」
俺の部屋なら、材料は俺の部屋のものを使うことになる。期限ギリギリの材料を今日の夕飯と明日の昼飯に使って、明日買い足すつもりだったのだ。堀北の部屋で食ったら、1日ずれて材料が無駄になってしまう。
「それで構わないわ」
こちらの意図を汲んだのかはわからないが、ひとまずの了承をもらい、堀北に俺の部屋の場所を伝えてエレベーターの中で別れた。
4
「……どうしたの?早く食べないと冷めるわよ」
「あ、ああ……」
俺は今、崖っぷちに立たされている。
堀北は約束通り、俺に夕飯を作ってくれた。白米に味噌汁に煮付け。ザ・和食という感じのメニューだ。俺的にもありがたかった。おそらく、賞味期限ギリギリの材料を使い切ることのできるメニューを考えて作ったんだろう。
手際もよく、いい匂いが俺の食欲を刺激した、まではよかったんだが……
まず、用意された飯が俺の分だけで、こいつはただ見てるだけっていうこの状況が気まずいっていうのと……なんかこう、ここでいま、俺の箸に挟まっている大根の煮物を口に入れた瞬間、俺の中で何かが終了する気がした。
だが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
覚悟を決め、口に入れる。
うん、出汁がきいてて美味い。口の中に広がる味わいが「早速だけど、話を聞いてもらえるかしら」
「……」
俺の脳内食レポを遮って、堀北が言った。
やっぱり地雷だった……あの時のバトルは人間が正しかったんや……
「なんとなくこうなるのは知ってた……で、お前の本当の要件はなんだよ」
「潔いのは良い心がけね」
そう言いながら、話を始める。
なんでそんな上から目線なんですかね……
「Dクラスの態度は改善傾向にあるわ。でも、それはマイナス要素を削れただけ。ポイントを増やしてAクラスに上がるためには、プラスに持っていかなければ意味がない。そのためには、中間テストで結果を出すことが、間違いなく鍵になってくる」
さらっとすごいことを言ってくる。Aクラスに上がる、という目標をこいつは掲げているらしかった。
そういやこの前、この状況を受け入れられない、とか言ってたな。
自分がDクラス評価を受けたことに合点がいっていないのだろう。
「まあ、直近でいえばそうだな。平田も動いてた。5時から毎日2時間って言ってたから、今もやってるんじゃないか?」
平田の求心力は並ではない。参加率は高そうだ。
「ええ。でも、平田くんのところにも、全員が参加しているわけではないわ。特に赤点組のあの3人、最も参加しないといけないのは彼らのはずなのに……これは非常に大きな問題よ」
結局参加してないのか、あの3人。
後でちゃんと参加してくれれば……と考えていたが、参加していないらしい。考えが甘かった。
ここまでの堀北の話や口ぶりを総合して判断してみる。
「……で、つまりお前は自分で須藤たちのための別の勉強会を開くってことか?」
「物分かりがよくて助かるわ。概ねそういうことよ」
「なるほど……いやいややっぱりなるほどじゃない。なんでお前が進んでそんなことするんだ? お前、そんなボランティアみたいなことする善良な人間だったっけ?」
「それは喧嘩を売っているのかしら……? 私はあくまでAクラスに上がるため、自分のためにやっているだけ。勘違いしないで」
「……」
決して須藤たちのためではない、か。
こいつの場合、アニメでよくある「ツンデレ」とかいうパターンもなさそうだし、多分本気で言ってるんだろう。
「お前昼休みに綾小路とその話してたのか。で、奢られた飯のためにあいつは従わざるを得なかった、と」
そういえば昼休みの終わり頃、綾小路が須藤と池に話しかけているのを見た。これに関連したことだったんだな。
「で、どうなのかしら。私が言いたいことは分かるわよね?」
堀北の要求は、おそらくその勉強会に協力すること。それは半ば脅しに近いものだった。
料理、食べたわよね?と目で圧力をかけてくる。
だが、俺は悪あがきをやめない。
「ちょっと待て。綾小路が協力したんだろ?ならそれで十分じゃないのか」
「彼の役は、あの3人を勉強会に参加させることよ。あなたに命じるのはそれとは別。私と一緒に、彼らに勉強を教える役よ」
「命じるって、もう上司気分かよ……」
嫌味のつもりで言い返す。またどんな言葉が返ってくるのか、と身構えていたが、この時、堀北の雰囲気からいつもの強気な態度が消えていた。
「……それ、逆に聞くけれど嫌味のつもり?」
「は?」
「小テストの結果、90点で同率2位だった私と、『満点一位』を取ったあなた……どちらが教えるのに適しているかくらいは、理解しているつもりよ」
「……」
堀北の悔しそうな表情。前は焦った表情も見せてたな。入学当初から堀北=鉄仮面みたいなイメージ持ってたが、そうでもないらしい。
それはさておき、今はこの話を受けるかどうか……でも、俺もこいつの手料理完食しちまったし、美味かったし、何ならちょっと餌付けされてもいいかなーレベルで……いや最後のは流石に言いすぎた。
しかし、断る理由は特に見つからなかった。俺自身、須藤たちが赤点を回避し、この学校に残った方が俺らにとってプラスになるだろう、と踏んでいる。
それを踏まえ、堀北に返答する。
「……分かった。あの赤点3人が集まるならやってもいい」
「そう。では契約成立ね」
「……」
ころっと雰囲気が変わる堀北。
「勉強会は明日から始めるわ。今日の夜、発表されたテスト範囲の絞り込みをやっておいて」
堀北にそう命じられてしまう。
俺は開いた口が塞がらなかったが……まあ、さっきの堀北よりはずっと本人らしいな、と思っていた。
一つ言っておくが、俺は決してマゾヒストではない。断じて。あんまり信じてないけど、神に誓ってでもそれは言い切らせてもらう。
「では、そろそろお暇するわ」
俺が完食するのを見計らっていたかのようなタイミングで、堀北が帰宅を宣言する。
「ああ」
一応の礼節として、玄関先までは見送ることにした。
「さっき言ったこと、必ずやっておいて」
「テスト範囲の絞り込みだろ? 分かってるよ……」
「ならいいわ。これ、私の連絡先よ。何かあったら連絡するわ。では、さようなら」
連絡先が書かれた紙を渡され、呆気に取られているところで堀北が帰ろうとした。
しかし、それを俺は引き止める。
「ちょっと待て堀北」
「……何?あまりここに長居することは避けたいのだけど」
確かに、すでに日が暮れているこの時間帯、誰かに見られたら何事かと勘違いされかねない。
「すぐに終わる。聞きたいことは一つだ。お前がAクラスを目指すのは、本当に自分のためか?」
そう質問する。
前々から気になっていたことだ。普段から、何にも頼らず1人で解決しようとする性分の堀北が、こと就職や進学に限っては、この学校の世話になろうとするのだろうか、と。
確かに人生の一大イベントだから例外、という見方もできるかもしれないが、そう考えても、いまいち納得するには至らなかった。
堀北は一瞬目を伏せたが、すぐに向き直って、答える。
「……ええ、そうよ。さっきも言ったでしょう?」
「……ああ、そうだな」
言って、堀北はドアを閉めて俺に部屋を後にした。
堀北が声を発する直前、中途半端に生み出された「間」が少し気になる。
しかし、堀北のいう「自分のためだ」という主張も、嘘ではない気がした。
とにかく、なんだかんだで、俺は堀北の連絡先を入手してしまった。
やっぱりオリジナルって書くの難しいですね。作家さんたちに脱帽です。
これも本当にオリジナルかといえば、まあ、グレーゾーンってことで……
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ep.9
今回も長いです。
「ふう……」
堀北が帰り、皿洗いと風呂を済ませてから、あいつの指示通りテスト範囲に絞り込みを行なっていた。
今はそれがひと段落し、一息ついていたところだ。何かの場面と勘違いしちゃった人、滝に打たれて心を浄化して出直して来なさい。
冷蔵庫から水を取り、コップの4分目ほどまで入れる。
この水は買ったものではなく、水道から沸かして作ったものだ。
自分の部屋にあるものは、全て無料で使用できる。電気ガス水道はもちろん、テレビも無料だ。あと俺は髪があまり短くないので、ドライヤーも使わせてもらっている。
入れた水を飲み干し、コトン、とシンクの台にコップを置いた瞬間だった。
『♫ー』
初期設定のデフォルトから変更されていない着メロが部屋に響く。
ベッドの上で充電中だった端末をプラグから外し、画面を見ると、そこには「藤野麗那」の文字が表示されていた。
そういえば最近連絡取ってなかったな、と思いつつ、電話に出る。
「もしもし」
『あ、速野くん、今大丈夫?』
「ああ。どうした。久しぶりだな」
『う、うん。その、Dクラス大変みたいだったから……』
クラスのことを指摘されて思い出す。
藤野はAクラスだったな。都合のいい解釈をすると、最近連絡がなかったのは、気を遣われたってことか。
「大変といえば大変だな」
『速野くんは大丈夫?』
「おかげさまで」
俺がここまで節約できた大きな要因は藤野のスーパーの件だ。あれを知らなかったら、俺はもう2、3万ポイント使う羽目になっていたかもしれない。
「Aクラスは流石だな。ノーヒントのまま減ったクラスポイントが60だけなんて」
当たり前のことを当たり前に行える、というのは社会で生き残るために必要で、また有用な能力だ。
それでも60減っているということは、Aクラスの中でもそれができない奴が一部だがいた、という事なんだろうか。
『う、うん、そうなんだけどね……』
俺の羨望の声とは裏腹に、藤野の声は沈んでいた。
「……なんかあったのか?」
『……話、聞いてくれる?誰かに話すだけで気が楽になることもあるかもしれないから……』
確かにそれは間違いない。
心理的ストレスは発散しないと気が狂う。だから、一見ストレスがなさそうに、楽しく、優しく生きている人でも、見えないところでは様々な形でストレスを発散しているのかもしれない。
藤野のように誰かに話したり。あとは日記をつけるのも一つの方法だ。
だから話を聞いてやろうとは思うのだが、問題は、俺にその効果が期待できるかどうかだ。
藤野が先に述べたような効果を欲しがっているなら、俺よりも寧ろ櫛田の方が適任だろう。
「櫛田に相談した方がいいと俺は思うぞ。親身になって聞いてくれるだろうし」
『桔梗ちゃん、普段いろんな人から相談受けてて……あ、速野くんが暇そうだって言ってる訳じゃないよ? それに、誰かにこの事を相談したいって思った時に、はじめに思い浮かんだのは速野くんだったから……』
どういうことだろうか。
信頼度の点から言って、俺が櫛田に敵う項目なんて一つも存在しないはずなのに。
しかも、以前の名字呼びから名前呼びに変わっていることから、2人の仲は以前より深まっているとみて間違いない。
藤野の感覚は俺にはよく分からないが、向こうから話を聞いてくれ、というなら断る理由はない。
「……聞くだけなら、いいぞ」
『ほんと? ありがとっ』
電話口からでも分かる、安心したような声色。あまり過度な期待はして欲しくないな、と思いながら、俺は耳を傾けた。
『実は……クラス内がちょっと殺伐としてて……』
「というと?」
『なんか、派閥争いっていうか』
「……政争かよ」
少し戯けて突っ込みを入れてみたが、よくよく考えてみると、案外ハズレでもない気がした。
茶柱先生の言う通りなら、Aクラスは、この学校でも最優秀の生徒が集中しているクラス。優秀な者同士、意見や考え方がぶつかれば、そういうこともあるのかもしれない。
そして恐らくそれは、ただの高校生のくだらない内輪揉め、といった具合で済まされるものではないんだろう。
『それで、クラスが二分されちゃってて……今まで両方の人と仲良くしてきたけど、どっちつかずって言われちゃったらそれまでだし、そもそもこの立ち位置にいられるのも時間の問題でさ……』
「ふーん……」
両方の側の人間と仲良くできている、ということは、派閥争いが起こる前から、藤野はAクラスメンバーのほとんどと良好な関係を築いていたということか。
派閥争いの様相は全く見えてこないが、藤野を引き入れようと両方の派閥が取り合いになる構図は想像に難くなかった。
俺には無縁な悩みだな……
「悩み相談なんて初めてだからよく分からんけど、ここで俺が何か言っても、無責任になことにならないか?」
『そんな訳ないよ。相談したのは私だから……何か思いついた、ってこと?』
藤野は俺の発言をそう捉えたらしく、期待のこもった声で聞いてくる。
「いや、特には……取り敢えず選択肢は、頑張って中立公平を保つか、どちらかの派閥につくか……どっちかにつくにしても、その判断基準が何なのかで話は変わってくるな……自分に合った考えの側か、優秀だと思った側か、決めきれないなら、神様の言う通りにしてみるのも一つの手だ」
といっても、ここまでは藤野にも分かっているだろう。それが解決できないから相談しているわけだしな。
ここで一つ、考えてみる。
藤野麗那という女子生徒について。
「藤野。突飛な発想だが……」
『うん、何でも聞かせて』
コミュニケーション能力は櫛田並み。普段の様子を見る限り、Aクラスでは相当な信頼と人気を誇っている。そのことを加味した上で、俺は第三の選択肢を藤野に言った。
もちろん、これも藤野の中で思いついていたことだろう。
だが、藤野からは中々返事が返ってこない。
「……やっぱりぶっ飛びすぎだよな。悪い、今のは忘れてくれ」
『……ううん、なんか話しててすごいスッキリした。ありがとね、真剣に考えてくれて』
そう言う藤野の声には、言葉通り、さっきまでの不安そうな色は薄まっているように感じた。
「いや、別にいい。また悩み事があったら誰かに吐き出せよ。溜めこむと、ストレスにもなると思うし」
『うん。じゃあその時は速野くんに相談するね』
「……お手柔らかにな」
そう答えると、電話口からはクスッという藤野の微笑が聞こえる。
『本当にありがとう。おやすみ、速野くん』
「ああ、おやすみ」
お互いにそう言い、俺は画面の通話終了ボタンを押した。
藤野は冗談めかしていたが、Aクラスの悩み事はハイレベルそうだから、本気で勘弁してほしい。
それに対し、まずは中間テストを乗り切らなければ、というのが悩みであるDクラスの方が、格段にやりやすく思えてきた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今日は何やら、後ろの2人が微妙な感じだ。
なんでも、綾小路が櫛田に頼んで須藤、池、山内の3人を説得して参加を決めさせた。しかし、櫛田が綾小路の要求を呑む条件として提示したのは、自分も勉強会に参加することだった。で、そのことに堀北が腹を立てたということらしい。
堀北も苛烈だ。綾小路が呼びかけても応答はなし。しかしながら綾小路が無視を決め込む態勢をとると、すかさずコンパス攻撃準備。
これを例えるなら、『やる気がないなら帰れ!』→帰り支度を始める→『舐めてるのか!?』という理不尽。
綾小路はどうしていいか分からないだろう。俺にも分からん。
1日の授業の日程を消化し終わり、放課後、勉強会開始の時刻になる。
「勉強会に参加する人は、過不足なく集まったかしら?」
それまで綾小路のことなどガン無視だった堀北が、今日初めて綾小路と口を聞く。過不足なく、というのは櫛田のことを揶揄しているんだろう。
「櫛田が説得してくれてる。多分全員集まると思う」
「彼女に参加させない旨は伝えたの?」
「ああ、伝えた」
堀北はどうやら、どうしても櫛田を参加させたくないらしい。
こいつの他人に対しての当たりが強いことは、何も櫛田だけじゃない。平田にも突き放した言い方はしていたし、俺にも綾小路にもそうだ。
それでも、櫛田に関しては一際当たりが強いように見える。
櫛田は積極的に堀北と仲良くしようとしているが、堀北はそれに強く反発する。
堀北が櫛田を嫌う理由として以前聞いたのは、無理やり自分に関わろうとしてくるから。
堀北に普通が通用するかどうかはさておき、通例、好意を持って接してくる人を嫌う理由の多くは、嫉妬だ。
しかし、堀北が櫛田に劣っている部分なんてほとんどない。2人ともタイプは違うが、容姿はトップクラス。甲乙つけがたい。
勉強や運動の面においては、櫛田は堀北に及んでいない。
唯一目立って劣っているとすれば、コミュニケーション能力と、それに関連する顔の広さや人からの信頼度、求心力など。
だが堀北は、自分に友達やコミュ力がないことを(少なくとも表面上は)全く気にしていないのだ。
それにそもそもの話、堀北が嫉妬なんてする人間には思えなかった。
やっぱり、堀北が櫛田を一方的に嫌う理由を推察するのは難しい、か。今考えても、すぐに答えが出る問題でもない。
そう結論付け、勉強会の会場だと堀北に指定された図書館へ向かう。
勉強会に参加する人数は恐らく6人。櫛田が参加するとすれば7人。それだけの人数の席が確保できる机に腰掛けた。
少しして、赤点組のご登場である。
うまく説得することができたらしい。
櫛田が3人の来訪を伝えながら、図書館に入ってきた。
ここまでは予想通り。しかし、1人想定外の人物がいた。
「沖谷? お前赤点だったっけ?」
小さい体。この世に男の娘って存在するんだなあ、と思わせられる、そんな容姿をした男子だった。
「赤点じゃなかったんだけど……その、かなりギリギリで、不安だから……参加してもいい、かな? 平田くんのグループには入りにくくて……」
あー、わかるわかるその気持ち。あそこ女子が多いし、リア充限定みたいな雰囲気がある。
それに比べ、こっちは普段からぼっちの奴×3だ。さらに言えば櫛田に誘われたから行きやすくなった、というのもあるだろう。
「……そういうことなら、拒否はできないわね」
堀北が承諾すると、沖谷の表情がぱっと明るくなり、席に着いた。
そして、今度は櫛田が言った。
「あの、じゃあ私も参加していいかな?」
「あなたはギリギリどころか、上位の成績だったはずよ」
「あの小テスト、選択問題が多かったから、実はほとんど当てずっぽうの偶然だったんだ。実力的には、沖谷くんと同じか、それより下だと思うの……だから私も不安で」
これは櫛田の作戦だろうか。だとしたら素直に感心した。
沖谷の参加を認めさせることで、この勉強会への参加基準が赤点組かそうでないかではなくなる。
これで、堀北は櫛田の参加を拒否する理由がなくなってしまった。
「……分かったわ。好きにして」
「ほんと? ありがとう」
恐らく櫛田の狙い通り、堀北は参加を了承した。
だがもしこれが策略なら、櫛田の学力レベルは並以上ある可能性が高い。その場合、この場にいる全員に嘘をついたことになるし、沖谷は心理的に少しダメージを負うだろう。
そこまでして、堀北の開く勉強会に参加したかったのか。
堀北の変人っぷりばかり取り上げていたが、櫛田の執着のしかたも異常だと言わざるを得ない。
「では早速だけど、まずは問題を解いてもらうわ。あなたたちには、赤点のラインを余裕で超えられるレベルにまで伸びてもらうつもりよ」
「え、でもそれって大変なんじゃ……」
「ギリギリのラインを狙うのは危険が高すぎる。もし失敗したら、もっと大変なことが起こるぞ」
すなわち退学だ。
発言の意図は察してくれたらしく、堀北が渡した問題を解き始めた。
内容は数学の連立方程式。
「えっと、A+B+C=2150で……」
沖谷の方は、割と順調に連立方程式を組み立て始めていた。それを櫛田が笑顔で眺めている。
いやお前は解かなくていいのかよ。一応沖谷より学力低いって設定だろ。
まあ、そちらはどうでもいいとして、問題は赤点組の方。
「わっけ分かんねえ……」
「俺も……」
始めの問題から躓いていた。
ついひと月前の入試問題とは、とてもじゃないが比べ物にならないくらいに易しい問題だ。
それを「わっけわかんねえ」って……
これは教えるのに相当苦労しそうだ。
そして、解き方が分からない問題と睨めっこを続けるのは、苦痛でしかない。
「あーもう、やってらんねえ」
「こんなに早い段階から諦めてたら、この先無理だぞ」
シャーペンを放り出した須藤に、綾小路が警告を入れる。
「まさか連立方程式も分からないなんて……いい?これはこう解くのよ」
堀北がそう言い、ノートに文字式を組み立てて問題を解き明かしていく。
模範的な解き方。
しかし、それでも赤点組は理解できていなかった。
「やっぱ分かんねえよこんなの」
「これは考え方次第では、連立方程式を習っていない中学1年生でも解ける問題よ。もっとちゃんと考えてみなさい」
「え、じゃあこれも解けないって、俺ら小学生並み……?」
まあ、確かに中一でも解けないことはない。
連立方程式と似たような問題を解くために、難関私立中学受験の対策を行なっている塾では、鶴亀算やら仕事算やらを頭に叩き込ませているだろう。
「心配するな池。連立方程式以外の解き方で解ける中一は少ない」
「やっぱそうだよなー。そいつら、頭の構造からして俺らとは違ってるんだよ」
「いや、高校で連立方程式解けないってのは不味いレベルだぞ」
「えー、上げて落とす感じかよ速野ー」
「……」
反応するところそこかよ……てか、お前らを上げたんじゃなくて頭が柔軟な中一を上げただけだぞ。
その様子をみて、櫛田も会話に参加する。
「でも、堀北さんと速野くんの言う通りこれはちょっと不味いレベルかも。諦めないで、もうちょっと考えてみようよ。ね?」
「……まあ櫛田ちゃんが言うならもうちょっとやってみるけどさ。てか、櫛田ちゃんが教えてくれたらもうちょっと行けると思うんだけど」
「え、えっと……」
そう言われた櫛田は困ったような表情を向ける。
だが、手段を選んでいる場合ではない。何にしても、こいつらのモチベーションが上がるなら櫛田にやってもらうしかないだろう。
「えっと、これは堀北さんも言ってたように、連立方程式を使って解く問題なの。一回、問題文を文字で表してみるね」
そんな感じで櫛田の解説が続いていく。俺から見ればそこそこ分かりやすい解説だ。難しいことは特に言っていない。
だが問題は、堀北の解説のスローモーションのようになってしまっているということだ。
「だから、答えは710円になるの」
「……え、これで答え出るのか? なんで? てかそもそも、さっきから言ってる連立方程式って、なんだ?」
その言葉に、俺のみならず、櫛田や堀北も閉口していた。
そして、堀北から視線を送られる。
次はお前だ、とでも言いたそうだ。
一応俺も教える側としてここに来ているし、やることはやっておくべきか。
連立方程式の利用方法どころか、名前すら知らないこの状況では、堀北や櫛田の考えでは無理だ。
恐らく「文字で表す」ことの意味すら理解していない。
この勉強会にふさわしいとは言えないが、堀北が言っていた中一でも解けるやり方でやってみるしかない。
「数直線を使って考えてみる。まず、全体が2150だ。次にAとBの関係を書くと……」
文字を使っていないだけで、やっていることはあまり変わらない。それを具体的に数直線上で表しただけだ。
「で、590+120で、答えは710円だ」
何とか分かってくれ、という気持ちを込めて3人を見つめる。
「……なんか、急に計算の量が増えた気がするんだが……」
いかん、解き方の内容に突っ込んでくれない。
「今まで我慢していたけれど、あえて言うわ。あまりに無知・無能すぎる」
「あ?」
「聞こえなかったかしら。あなたたちは無知・無能だと言ったのよ。この程度の問題も解けない頭で、この先どうしていくつもりなのか理解できないわ」
「お前には関係ねえだろうが。勉強なんて不要なんだよ」
「何をもってそのようなことが言えるのか、気になるところね」
そこから、堀北と須藤の言い争いが始まる。
堀北が降りかざす論を、須藤が独自の考えで拒否していく。どちらが正しいのかは明らかだが、堀北の口撃には全員が唖然としていた。
そして堀北の言葉の矛先は、須藤の部活、つまりバスケにまで向いた。
「どうせ、練習に対しても真摯には取り組んでいないでしょう。あなたはさっきバスケットのプロになると言ったけれど、そんなに簡単にいく世界だと思っているのかしら。そもそもプロになれたとして、満足な収入が入ってくるとは思えない。そんな職業を選択する時点で、あなたは愚かよ」
「てめえ!」
須藤はブチギレ、堀北の胸倉を掴んだ。
しかし堀北は、コンビニの件同様引く様子を見せず、一層冷たい視線を須藤に送っていた。
「そうやってすぐに暴力に走り、場の雰囲気を壊すその性格も、あなたはクラスにとってマイナスの要素でしかない。今すぐに学校をやめてもらって構わないわ」
「……ああそうか、お望み通りやめてやるよこんなもん。じゃあな」
「そう。さようなら」
荷物をまとめて席を立つ須藤の姿を、堀北は侮蔑を込めた目線で見ていた。
すると、須藤以外の池、山内も片付けを始める。
「俺も帰る。そんな上から来られたら勉強する気もなくなるって。みんながみんな、堀北さんや速野みたいに頭いいわけじゃないんだからさ」
もうこの流れは止められない。勉強会は完全に崩壊した。
これ以上、池や山内の恨み言も、櫛田の説得も堀北には意味をなさない。
沖谷も帰り、残ったのは堀北、綾小路、櫛田、俺の4人だけとなった。
「……堀北さん、何であんなこと……」
「足手まといな人たちは、クラスのポイントが0で、実害がないうちに消えてもらった方がいいと判断した。それだけのことよ」
「そんな……2人からも何か言ってよ……」
「堀北がそう判断したなら、いいんじゃないか?」
「綾小路くんまで……」
「あの3人を見捨てたいとは思ってない。でも、俺にもどうにもならないからな」
「……速野くんは?」
今度は櫛田が名指しで言ってきた。
「あー……とりあえず堀北」
「何かしら?」
「場を乱す性格ってのは、間違いなくブーメランだと思うけどな」
「私は事実を事実として言っただけよ」
「そうか。それなら俺から言えることは何もねえよ」
言って、俺は堀北から目線を切った。
「そんな、何で……でも、私はなんとかしてみせる。大切なクラスのメンバーのために」
「あなたがそう言うなら勝手にやってちょうだい。でも、私はあなたが本心からクラスのメンバーのためにやっているとは思えない」
「どうしてそんなことばっかり言うの?意味わかんない。私、悲しいよ……」
言うと櫛田は俯き、悲しんでいる表情を見せる。しかしすぐに向き直り、カバンを持った。
「じゃあ、また明日、ね……」
短い別れの言葉を述べ、櫛田は図書館から出ていった。
終わってみれば残ったのは、堀北とその手下2人。
「これで勉強会は終了よ。あなたたちは、残りの人たちよりましな人間のようね。速野くんには必要ないでしょうけど、綾小路くんには特別に勉強を教えてあげても構わないわよ?」
「いや、いい」
堀北の誘いを断った綾小路は、荷物を片付け始めた。
「帰るの?」
「いや、須藤たちと雑談しに、な。俺は友達と話すのが嫌いなわけじゃない」
「友人と言っておいて、退学を止めようとはしないのね」
「さっきも言ったが、俺にはどうすることもできないからな」
「そう。勉強会は終わったのだし、自由にしてもらって構わないわ」
「ああ。じゃあな」
綾小路も退室し、残ったのは俺と堀北だけとなった。
「あなたはここで勉強を続ける?」
堀北はそのまま勉強を続けるらしく、新たに教科書を開いている。
「それもいいかもしれないが……そうだな、堀北。この問題解いてみてくれ」
「構わないけれど……」
そう言って、堀北は俺が差し出したノートを受け取り、問題に取り組む。
この問題は、さっき堀北が言い争っている間に過去にある参考書で出題されたのを思い出し、それを書いたものだ。
難易度は非常に高め。小テストの最終問題よりも難しいと思われる。
堀北は考えているが、これはそうそう考えて解けるものではない。こんな問題が出たら間違いなく後回しにする。
そのまま7分ほどが経ち、堀北はついにシャーペンを置いた。
「悔しいけれど、手に負えないわ。これは私が解ける範囲なの?」
「ああ。何なら中学の知識だけでも解けないことはない」
「……本当に?」
「ああ。つまりお前は中学生以下ってことだ」
「……何が言いたいのか分からないけれど、取り敢えず解説してもらえるかしら?」
「自力で解かなくていいのか?」
「この問題はテスト範囲外の上に、明らかに常軌を逸した難易度よ。実際の試験で出題されたらまず後回しにするでしょうね」
堀北が言っていることは至極真っ当だ。大学入試の数学は大体5~6割でも合格圏内に入る。そしてその中には捨てるべき問題も存在する。
だが、ここで俺が言いたいのは受験テクニックではない。
「お前の言い訳なんて知らん。何を言おうが、お前はこの程度の問題を解き明かせない無能ってことだろ?」
「この程度というけれど、この問題はほとんどの生徒が解けないはずよ」
「根拠に乏しいな。それはお前の主観でしかないだろ?」
「それは屁理屈と言うのよ」
確かに、堀北の言う通り俺が言っているのは屁理屈だ。
だが、堀北はそろそろ俺が何を言いたいか気づいてくれてるんじゃないだろうか。
「まあ、じっくり考えてくれ。その問題の解説は後で送るから。ただ、テスト勉強の妨げにならない程度にな」
言いながらカバンを持ち上げ、席を立った。
「……ええ。そうするわ。また明日」
「ああ」
図書館を出ると、広がっていたのは、以前にも見覚えがあるオレンジ色の空だった。
まあ、勉強会が始まってからまだ1時間も経ってないしな。
だだ長く感じさせてしまうのは、完全に実力不足です。これから精進していきたいと思っているので、応援よろしくお願いします。
コメント、評価など随時お待ちしております。
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ep.10
勉強会崩壊の後、俺はすぐには帰る気になれず、寮を通り過ぎて、散歩道を歩いていた。
やはり夕焼け空は綺麗だし、見惚れる。
だが、こんな話を聞いたことがある。
普段都会で生活している人が、田舎の満天の星空を見ると、「気持ち悪い」という感情を抱くことがあるらしい。
都会には高層ビルが乱立していて、空を見上げる機会などそうそうない。
そもそも「光害」によって、田舎のようにきれいな星は空に見えないのだ。
見る側の人となりや立場、環境によって、同じものを見ていても、抱く感情はこれほどまでに変わってくる、という典型例だ。
俺が住んでいたのも田舎ではなかったが、俺にはまだそう言ったものを綺麗だと思う感性は残っているらしい。
空を見上げながら歩くなんて、俺にしては珍しいこともあるもんだな。
「上を向いて歩こう」
ふと、そんなフレーズが頭に思い浮かんだ。
何かの歌詞の一部で、確かこの後には涙が溢れないように、と続いていた。
……俺が最後に涙を流したのはいつだっただろうか。
もう思い出せないほど遠い昔の記憶。
……あーいや、そういえばこの前寮でカレー作ってる時玉ねぎのせいで号泣したわ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
放課後に賑わうのは、カフェやショッピングモール。寮の奥側に行く人なんて誰もいないだろう。
寮を過ぎてからは1人も見かけなかった。
寮を過ぎて直進すると、小さなバスケットコートがあるということはどれほど知られているだろうか。
恐らく上級生は知っている。だが新入生は知らないだろうな。配られた地図や、端末に入っている学内マップには「バスケットコート」とは書かれてなかったし。
完全な気まぐれ。俺はそこを折り返し地点にすることにした。
一歩一歩踏み出すごとに、バスケットコートが近づく。
プレーしている人はいないようだ。
プレーしてる人は。
「……?」
バスケットコートの脇にあるベンチ。そこに座っている女子生徒を見つけた。
長めの髪を後ろで2つにまとめて、メガネをかけている。
その顔とその雰囲気には、覚えがあった。
「え……」
「……?」
向こうも、俺が突っ立っているのに気がついたようだ。
そして目が合う。
「あ、あ、……」
見られたくないシーンだったのか、その女子生徒は急いでカバンを持ってダッシュ。
「あ、おい……」
グアアアアアアアン
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「っぅぅ……」
「……大丈夫か?」
「あうう……」
その女子生徒、同じクラスの佐倉愛理は、猪突猛進で頭から電柱に突っ込んだのだった。
さぞかし痛かっただろう。ぶつかって倒れたときに目が回ってて、「佐倉、戦闘不能!」という声が頭の中で再生されて、ちょっと吹き出しそうになったのは別の話。
佐倉はどうやら、自撮りをしているところだったようだ。恐らく、ここなら誰も通らないと踏んでのことだったんだろう。そんなところにいきなり俺が来たら、まあ驚くし、焦るわな。
「あ、あの……」
「……ん?」
「その……こ、このことは誰にも言わないでくれますか……?」
「……電柱とケンカしたって?」
「そ、そっちじゃなくてっ。あ、そっちもだけど……そ、その、自分で自分を撮ってたこと、です……」
丁寧語で話す佐倉のセリフを受け止め、少し考えてみる。
……ふむ。でもそもそも言う人いないしなあ。
「別に言うつもりはないけど……」
そういうと、佐倉は少しほっとしたような表情になった。
確か水泳の授業のとき、佐倉は胸がでかいだの何だのと言われて、一時期男子から注目を浴びていた。「胸がでかい女子ランキング」の優勝候補にもノミネートされていた気がする。
ただし話題が沸騰したのはその一瞬だけで、あとは雰囲気の地味さからか、徐々にフェードアウトしていった、っていう流れのはずだが……
何だろう。今隣に座っている佐倉はからは、普段の地味さが微塵も感じられない。いや、地味どころか、容姿はクラストップレベルだ。はっきり言ってめっちゃ可愛い。
何で……と考えていると、普段の佐倉と今とで、決定的な違いがあることに気づいた。
「……佐倉、普段メガネかけてなかったか?」
「え!? あ、そ、そうなの! カメラの前ではかけないことにしてるんです!」
慌てふためいた様子で、メガネをかける佐倉。
カメラの前ではかけないってことは、その方が可愛く映ると自分でもわかっているということだ。
じゃあ何でわざわざ地味にしてるんだ……?
それにこのメガネ……いや、詮索はよそう。
何か事情があるんだろうし。
「あ、あの……」
再び、佐倉が俺に話しかけてきた。
「変、ですか?自分を撮るのが趣味なんて……」
恐る恐る、といった感じで佐倉が質問する。
俺に見られたことを相当気にしているらしい。
まあ普通に考えて、隠していた自分の趣味を他人に知られたら、恥ずかしいだろうな。俺は知られて困るような趣味もないしよく分からないけど。
「……さあ。他の人がどんな趣味持ってるかなんて知らないから比較していうことはできないが……でも、ちゃんとした趣味があるってのはいいことだと思うぞ」
「……ほ、本当、ですか?」
「ああ。別に他に迷惑かかってるわけでもないんだろうし……」
趣味は最大限尊重されるべきだとは考えているが、迷惑がかかるようなことは自重すべきだ。
法的な言葉を借りるなら、「公共の福祉」に反しない限り、個人の趣味嗜好を馬鹿にする権利は誰にもない。
まあ、たまにびっくりするような趣味持ってるやつはいるんだろうが……佐倉のはその限りではないだろう。佐倉とは方向性は違うと思うが、世の中の高校生なんてパシャパシャ自撮りしまくってるしな。
「……ありがとうございます」
「……別に感謝されるようなことは何もしてないぞ?」
「その、こんなところ誰かに見られたのなんて初めてで……もし見つかったらどんな反応されるんだろうって、怖かったから……」
俺は素直に感想を述べただけだが、対応の仕方としては、どうやら正解のくじを引いたらしい。
「……じゃあ、俺はもう戻る。じゃあな」
「あ、私も戻ります……」
そう言って立ち上がった佐倉は、猫背で、地味な雰囲気を持った、あるいは「意図的に醸し出した」いつもの佐倉だった。
寮のエレベーターで別れるまで、会話は一切生まれない。別れる際も、俺が少しだけ手を上げ、佐倉もそっぽを向きながら控えめに手を振り返す、というものだった。
まあ、仕方ないよね。コミュ障だもの。多分お互いに。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その夜、勉強の息抜きに、夜風にあたりに外に出た。
5月中旬とはいえ、夜も更けてくると少し肌寒い。
堀北の説得は難しいだろうが、俺はまだ勉強会を開くことを諦めたわけではない。最悪、俺1人でもやるつもりだ。
残酷なことを言うようだが、今この瞬間、短期的な視点で見れば、須藤たちにこの学校にいてもらう必要はない。
堀北の言っていた通り、現時点であいつらはクラスのマイナス要因だ。
だが俺はクラスポイントのため、勉強以外の面で、いつかあいつらが必要になると確信している。
適当な道を通って、数時間前と同じように散歩をしていると、ちょっと衝撃的な場面に出くわした。
「お前には上に行く資格も力もない。それを知れ」
そこにいたのは同じクラスの堀北と、生徒会長の堀北だった。
今、生徒会長が相手の方を投げとばそうとしている。
その瞬間だった。
「おい、あんた今本気で投げとばそうとしてただろ。下コンクリだぞ。兄妹だからと言って、やっていいこととダメなことがあるんじゃないか」
その生徒会長の手を取ったのは、俺の逆側の建物の影から出てきた綾小路だった。
兄妹って……まあ予想はついてたが、やっぱりこの2人は兄妹だったのか。
「手を離せ、というのはお互い様だ。そちらが離せ」
「やめて、綾小路くん……」
堀北の、怯えた猫のような震えた声が耳に入る。
こいつ、こんな声も出すのか……
そんな風にのんきに考えていた時、生徒会長のとんでもない速さの裏拳が綾小路に迫った。それを綾小路は腕で守る。その直後、急所を狙った蹴りが、またしても凄まじい勢いでとんでくるが、それを手ではたき落とす。今度は綾小路の服の襟を掴んで地面に叩きつけようとするが、それも手ではねのけた。
そうして、お互いに距離を取る。
何だこれとんでもねえな……
生徒会長の攻撃は、1発でもまともに食らえば確実に意識が飛ぶだろう。しかも速い。
そして、それを完全に防ぎきった綾小路。あれは全部の動きを見切っていた動きだった。
2人とも武道には精通しているんだろうか。ポケットに物を入れながら、3人の様子を息を殺して観察する。
その後綾小路と堀北と数言交わした生徒会長は、あろうことかこちらに向かってきた。
逃げようか、とも考えたが、今走っても見つかるのは必至だ。
結局俺がその場を離れたのは、それから十分ほど経った頃のことだった。全く、とんでもない息抜きタイムだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
午前中の授業を終え、昼飯の時刻となった。
直前の授業で使用していた教科書類をバッグに入れ、その代わりに、中から弁当箱を取り出す。
その蓋をあける直前、堀北に声をかけられた。
「速野くん、少しいいかしら」
「ん……なんだ」
「あなたが昨日送ってきた解説、わかりやすかったわ」
「そうか、なら良かった」
昨日の佐倉の件の後、寮に戻った俺は、堀北に図書館で出した問題の解説を要求されていたことを思い出した。
そして7分くらいでぱっと解説を作成し、勉強会のための業務連絡用としか考えていなかった堀北の連絡先にそれを送った。やっぱり連絡先があると便利なものだ。
「それで、その後に送ってきた不気味なファイルは何なの? 開こうとしてもパスワードがかかっていて開けなかったわ」
「ああ……悪い、あれはただのミスだ。あんま気にしなくていい。削除していいぞ」
「そう、ならそれでいいけれど……」
口ではそう言うものの、納得はしていないだろう。
昨夜のことを思い出すと、やっぱり俺は詰めが甘いな、と感じる。ちゃんと引き締めなければ。
「で、何の用だ?」
まさか、昨日の解説のことを言うためだけに話しかけてきたわけでもあるまい。
「今日の放課後、また一緒に来てくれる?」
なるほど、ここからが本題か。
放課後に何をすると言うのだろうか。以前の夕飯の件もあるし、正直乗り気ではなかった。
「……それ、断ってもいいか?」
「断りたいのね。それでもいいけれど、あなたの身の回りに奇怪な現象が起こらなければいいわね」
「……と、いうと……?」
「そうね…………で、どうするの?断る?」
何も言わないのが余計に怖い……
「放課後に何があるんだ。それが何かによる」
俺も学び取ったことはある。まずは要件を聞いてからだ。謎のままついていくと、どんな結末になるのか分かったもんじゃない。
「……昨日、あなたがなぜ私のことを無能無能と言っていたのか、分かったわ。私は、あの問題だけで無能と判断されるのはいい心地がしなかった。でも、私も彼らの勉強面だけを見て無能だと決めつけた。あなたはそこが気に入らなかったんでしょう?」
「……どう解釈しようがお前の自由だが、どうした。心境の変化でもあったのか?」
あったとすればあの時。
昨夜、堀北が綾小路に助けられた場面だが……
「ええ、そうかもしれないわね。どこぞの事なかれ主義のせいで」
そう言うと堀北は、机に突っ伏している綾小路を見た。
ということは、生徒会長がこの2人の前を去った後、綾小路が堀北をどうにかして言いくるめたのか。
「事なかれ主義のくせに、論破しちゃったのか」
「……」
綾小路の背中に言うが、反応はない。
「ちょっと、人の話を聞いているの? 頭は大丈夫?」
堀北は手のひらを綾小路の額に当て、その後、自分の額にも当てた。
「風邪を引いたわけではないようね」
「引いてねえよ! つか、失礼だろ!」
「人の話を無視して寝たふりを決め込んでいたのは誰かしら?」
堀北が即答で正論を言う。
「……ちょっと長めの回想に入ってただけだ。それで、オレに何か御用でしょうか……」
「須藤くん達にもう一度勉強会に参加してもらうために、あなたには体を張ってもらわなければならないわね」
「体を張るって……」
「具体的に言うと、土下座でもしてみたら?」
「なんでそうなるんだ……そもそもお前が揉めたんだから、お前が自分でなんとかしろよ」
「あの勉強会が壊れたのは学ぶ姿勢のなかった側の責任よ」
「おいちょっと、ストップストップ」
話についていけなくなった俺は、2人に会話を強引に止めた。
「お前ら、もう一回勉強会やるのか?」
「ええ。そうなんでしょう綾小路くん?」
「いや、開くのお前だろ」
「あなたが私を引き戻したんでしょう。最後まで責任を取りなさい」
その言葉で、綾小路は何もいえなくなる。
どうやら本当に堀北の説得に成功していたらしい。
綾小路がここまでするとは思っていなかった。昨日はどうすることもできないって言ってたのに。
まあでも、勉強会が再開されるというのは朗報だ。
「話を戻すわ。それで放課後だけではなく、今日のお昼時間にも来てほしいの」
「……分かった。行く。場所は?」
「まだ決まってないわ」
「なら、この弁当を持ち込める場所にしてくれ」
「そうね。あなたのせいで雰囲気を壊されるのは他人が迷惑するでしょうし」
「そうそう。ねえ、お前はディスを入れないと気が済まないの?」
「何か間違ってた?」
まあ間違ってはないんだけどさ……
そこで、綾小路が忠告するかのように言った。
「堀北。分かってると思うが、櫛田の協力は必須だぞ」
「……ええ。分かってる」
そう言うと、堀北は櫛田の席に向かい、話しかけた。
「櫛田さん。お昼、少しいいかしら?」
「堀北さんからのお誘いなんて珍しいね。うん、もちろん!」
櫛田は快諾。昼飯の場所に選ばれたのは、校内で絶大な人気を誇るカフェパレットだった。
なんか、流れに身を任せていたらパレットに来てしまったが……ここ、俺が弁当食ってもいいのか?
持ち込み禁止とは書いてなかったけど……
ま、いいか。とっとと食っちまおう。
「お代は私が出すわ」
「ありがとう。それで、お話っていうのは……?」
「須藤くんたちの勉強会。もう一度協力して欲しいの」
「それって、やっぱり……堀北さん自身のため?」
「ええ、クラスのためではなく、私のため。それでは手を組めない?」
「ううん、正直に言ってくれて嬉しい。それに私たち、クラスメイトだもん。喜んで協力するよ」
「ありがとう。助かるわ」
堀北が素直にお礼を言う姿は初めて見る。
1日でこんなに変化があるのか。
よっぽど綾小路の言葉が響いたらしい。
「堀北さん。もう一回聞くけど、これはAクラスに上がるためにやってるんだよね?」
「その通りよ」
「それって出来るのかな……あ、堀北さんを馬鹿にしてるんじゃないよ? でも、たとえ中間テストを乗り切っても、ポイントが入るかどうか……正直、クラスのほとんどの人は現実的に考えてないんじゃないかな、って……」
Dクラス内での認識として、概ね櫛田の言う通りだろう。
上に行きたいとは思っていても、精々頑張ってもCクラスに行ければいいかな、くらいにしか思っていない人がほとんどのはずだ。
いくら「進学、就職時の安泰」という入学目的があっても、俺たちは以前、教師から「不良品」と面と向かって言われてしまったのだ。
そして、それを表す顕著なポイントの差。
Aクラスっていいよね、という声はあっても、堀北のようにAクラスに上がりたい、という声は聞いたことがなかった。
しかしそれでも、堀北はブレない。
「私はやるわ。Aクラスに上がるために。私自身のためにね」
「綾小路くんと速野くんも?」
「ええ。2人とも私の助手として、Aクラスに上がるために日々活動していく所存だそうよ」
いきなり助手認定され、顔を見合わせる俺と綾小路。そんな俺たちの心情はスルーで、堀北と櫛田は会話を続ける。
「……うん。分かった。じゃあ、私も堀北さんたちの仲間に入れてくれる?」
「ええ。だから勉強会の手伝いをお願いしているのだし」
「ううん、そうじゃなくて。Aクラスを目指す仲間に入れて欲しいの。私にも何か協力できることがあるかもしれないし……ダメ、かな?」
言いながら櫛田は、堀北の表情を伺うように覗き込む。
俺、堀北、綾小路が3人集まった文殊の知恵でも足りないものを、4人目の櫛田は持っている。断る理由はない。
「ええ。では、この勉強会が無事成功したら、正式にお願いするわ」
「ほんとに?やった」
堀北の了承を得ると、櫛田は体を起こして、手をぱっと堀北と綾小路の前に差し出した。
両者ともに(綾小路の方は少し渋りつつも)手を握る。
そして今度は、俺の前にも手を差し出してきた。
「速野くんも、ね?」
少し抵抗があったが、俺も櫛田の手を取った。
女子との握手。それで少し藤野とのことを思い出した。
そして、少し考える。
今改めて、藤野と櫛田の雰囲気が似ているかどうか。
前よりも2人について詳しくなっているのが原因かは分からないが、以前よりも違いがはっきりするようになってきた。
ただ、未だにその違いが何なのかは見当もつかない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
櫛田が赤点組の3人を呼び、堀北が勉強会についての話を始める。
堀北が提案した勉強方法は、授業中にとにかく集中する、ということだった。
この3人は、もともと授業をまともに聞いていない。そのため、堀北の案をこなすだけで、単純に6時間ほど勉強時間が増える。
授業で分からなかったところは、休憩時間の十分以内に俺、堀北、綾小路、櫛田が解説する。
以前と比べて、かなり効率的な方法だ。これなら須藤が放課後に部活を休む必要もなくなる。
「私と速野くんが、授業中にテストに出題されそうな部分をまとめるわ」
「え、俺も?」
「当然でしょう。あなたは授業中暇を持て余しているようだし、これは私たちの勉強にもなる。違う?」
「……まあ、確かに」
授業の要点をまとめることで、俺自身のテスト勉強の効率化も測ることができる。さらに人に教えることで理解も深まる。一石二鳥というわけだ。
ここまで説明を終え、池と山内は好感触だった。
しかし、小テストでクラス最下位を記録した須藤は……
「……納得いかねえ。あのな、俺はお前が言い放ったことを忘れちゃいない。まずは謝罪から先だろ」
納得いかない、というより、納得したくないといった様子で突っぱねる。
プライドが邪魔しているんだろう。
それほど、バスケットと自分の夢を馬鹿にされた怒りは大きかったということか。
それに対し、堀北が言う。
「私はあなたが嫌いよ須藤くん」
「は!?」
「でも、あなたがバスケットを好きなのは伝わってくる。あなたはバスケットに対してなら全力を出せることも。その集中力を、今回は少し勉強に向けて欲しい」
それは堀北から須藤への、少しだが、明確な歩み寄りだった。罵倒するしかなかった昨日の堀北とは見違えるほどだ。
「……俺は興味ねえ。もう戻るぞ」
しかし、須藤には届かず。そのまま店を出て行こうとした。堀北もそれを止めない。
俺ももう無理か、と思ったとき。
それまでだんまりを貫き通していた綾小路が動いた。
「櫛田、お前もう彼氏できたのか?」
突然の綾小路の質問。櫛田も少し戸惑いながら答える。
「え、今はいないけど……ど、どうして?」
「じゃ、じゃあ、この中間テストで平均50点取ったら、俺とデートしてくださいっ」
そう言うと、キレのある動きで櫛田の前に手を差し出す。
その様子を見て、池も山内もすかさず反応した。
「な!? じゃ、じゃあ俺は51点取るから俺と行ってくれ櫛田ちゃん!」
「な、なら俺は52点だ!」
この2人は天然でやってるだろう。綾小路の狙いに気づいたとは考えにくい。
俺もこの流れに乗っておこうと思う。
「じゃあ、俺は53で……」
「「お前は満点取れ!」」
「無茶言うなよ……」
池と山内から思いっきり突っ込まれる。だが、満点取っても櫛田とデートすることはないから大丈夫だ。
「え、えと、私、テストの点数で人を判断したりしないよ?」
「でも、モチベーションの向上にも繋がると思うんだよ。頑張った後のご褒美みたいなもんで」
綾小路がそう言うと、櫛田も綾小路のやりたいことが分かったらしい。
「じゃ、じゃあ、一番点数が高い人と、っていうなら……目標のために頑張れる人って、かっこいいと思うな」
「「うおっしゃああー!!」」
「見とけよ速野!負けねえからな!」
「お、おう、頑張ってくれ……」
池の気合いに気圧されながらも、激励しておいた。
そうして、視線は残りの1人、須藤に集まる。
「……デートか、悪くねえ。俺も参加してやる」
綾小路がやったのは、須藤が参加しやすいようにするきっかけづくり。
結果、須藤も折れて参加が決定した。
「覚えておくことにするわ。男子は単純で馬鹿だと言うことを」
こうして、一度完全崩壊した勉強会の改修工事が終了し、再び機能することとなった。
最後のセリフは、堀北なりに考えた須藤を迎え入れるためのものだと信じたいが……多分9割9分本音だよなあ……
いよいよ終盤になってまいりました。評価、感想お待ちしております。
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ep.11
では、どうぞ。
「思ったんだけど、授業受けてみると簡単なところもあるな」
「ああ、それ俺も思った。地理とか、化学とかだろ?」
「そうそう」
綾小路と櫛田の遅刻によって、1分ほど遅れて始まった昼休みの勉強会。
その最中に、池と須藤がそんなことを言い出した。
「ちゃんと授業を受けたから分かったことだね」
櫛田も3人を励ます。
「油断は禁物よ。まだ提示されたテスト範囲の全てが終わったわけではないし、あなたたちの学力レベルはまだまだよ」
「うは、手厳しい!」
「それに、社会科に関しては時事問題も出題される可能性があるわ」
堀北はそう指摘する。
確かに、入試でも、この前の小テストでも時事問題は出されていた。
しかし、それを聞いた須藤の反応は予想の遥か斜め上を行くものだった。
「……ジジイ、問題?」
世の中のお爺さん限定の高齢化問題かよ。一応時事問題の内容としてあり得るものなのがムカついた。
「時事問題ってのは、最近起こった社会の動きとか、主に政治経済の分野から出される問題のことだ。お前らもネットは見るだろ? そこに情報はいくらでも載ってるから、調べといて損はないぞ」
外部との連絡の一切を断たれているこの学校の生徒が外の情報を手に入れるためには、テレビを見るか、ネットで検索するかしかない。
須藤たちが普段、ネットでナニを調べているのかは知らないが……
「定期テスト 時事問題」で検索すれば、何個もネタは転がっているはずだ。
「今はできることをやりましょう。だらだら過ごしている時間はないはずよ」
「うーい」
「じゃあ、私から問題ね。直径の円周角は直角である、この定理を発見した人の名前はなんでしょう」
「あー、なんか言ってたな……野菜の名前っぽかった気が……」
「なんだっけ……あ、キャベツ!い、いや違うな……」
「白菜でもないし……そうだ、レタスだ!」
「惜しい」
空振りとまでは言わない。かすってはいるが、これではファウルチップでアウトだ。
「レタスレタス……思い出した!タレス!」
「正解。よくできましたー」
出題者の櫛田はぱちぱちと手を叩く。
「おっし、これで満点は固いな」
「その自信はどっから湧き出てくるんだよ……」
山内の残念さを再認識しながら、俺は教科書に目を落とした。
「おい、騒がしいぞ。図書館で騒ぐなよ」
勉強を再開しようとしていたところ、俺たちは声をかけられた。
確かに今の音量は近所迷惑だったな。
「あ、うるさかったか?悪い悪い。問題解けたのが嬉しくってさ。タレスだぜ? 覚えておいて正解だろー」
「……あ、もしかしてお前ら、Dクラスか?」
この学校は「Dクラス」という言葉に敏感だ。それが聞こえた瞬間、それまで勉強に集中していた周りの生徒も一斉にこちらに目を向ける。
「は?なんだお前ら。Dクラスだからなんだってんだよ!」
「いやいや、別にどうとは言ってないさ。俺はCクラスの山脇だ。よろしくな。にしても、この学校が実力で生徒を分ける制度でよかったぜ。お前らみたいな『不良品』と一緒に過ごさなくて済むからな」
「喧嘩売ってんのかてめえ! 上等だ! かかってこいよ!」
「なんだ、喧嘩か?やってみろよ。どんな処分を受けるか楽しみだぜ。あ、減るポイントもなかったんだっけ?」
相手の安い挑発。しかし、沸点の低い須藤はそれに乗ってしまいそうになる。
俺はそれを止めることにした。
「おい止まれ須藤」
「るせえ!」
「……」
その一喝で、俺は引き下がるほかなかった。
ごめん、俺には無理だったよ。
それをだらしなく思ったのかは知らないが、次は堀北が止めに入った。
「やめなさい須藤くん。ここで問題を起こしても百害あって一利なしよ。それと、先程からDだDだと馬鹿にしているけれど、あなたたちもCクラスといったわね? そこまで上位とは言えないでしょう」
「AからCまでの差なんて誤差の範囲だ。ま、お前らはポイントがなくなっちまうほど別次元だけどなあ」
「ずいぶん都合のいい判断基準ね。私から見れば、Aクラス以外はどんぐりの背比べよ」
「はっ、底辺のくせして生意気だな。ちょっと顔がいいからっていい気になってんじゃねえよ」
「聞いてもいない情報をありがとう。私自身自分の容姿について興味はなかったけれど、あなたたちに評価されて非常に不愉快に感じたわ」
「っ、こいつ……」
あー、こういうのに堀北が関わると面倒なことになりそうだな……
「お、おい山脇、俺らから仕掛けたなんて噂になったら……」
噂になったら、何だろうか。
学校側に追求される?
ポイントを減らされる?
クラスからバッシングを受ける?
「ま、お前らからどれくらい退学者が出るか、楽しみだぜ」
「ご期待いただいてるところ悪いけれど、今回、Dクラスから退学者は出ないわ。それに、人のことばかり気にしてていいの? 油断していると、足元をすくわれるわよ」
「はっ、なんの冗談だそれ。俺たちはお前らとは違って、より良い点数を取るための勉強をしてるんだよ。大体、テスト範囲外の勉強をしてる馬鹿の、どこに勝ち目があるって?」
「え?」
「まさか、テスト範囲すら知らないのか? だから不良品なんて言われるんだよ」
……ちょっと待て。どういうことだそれは。茶柱先生から伝えられたテスト範囲は確かにここだ……
「良い加減にしろよてめえ!上等だ!」
しかし、頭に血が上りきった須藤にはそんなことは関係ないらしく、再び掴みかかる。
「おいおい、さっき言われたこと覚えてないのか?」
「こちとら減るポイントなんてねえんだよ!」
須藤が叫び、腕を引く。マジで殴るつもりらしいが、俺は他人を守ることはできない。
これでまたマイナス査定か、と覚悟した瞬間だった。
「はい、ストップストップ」
「あ?なんだてめえは。部外者は下がれよ」
「部外者? 心外だなあ、この図書館を利用させてもらってる関係者として、君たちの行為を止めに入っただけだよ。喧嘩するなら外でやってもらえる?それに、君たちもちょっと挑発が過ぎるんじゃない?これ以上やるなら、学校側に報告しなくちゃいけなくなるけど」
「わ、悪い、そんなつもりじゃないんだよ一之瀬」
Cクラスの連中は、今一之瀬と呼ばれたこの女子を知っているらしい。
だが、ただ知っているだけという感じではなさそうだった。
「お、おいもう行こうぜ……」
「あ、ああ、これ以上ここにいたら馬鹿がうつっちまう……」
そんな捨て台詞を残し、俺たちというより一之瀬から逃げるように退散していった。
「君たちも、図書館を利用して勉強するなら静かにやらなきゃね……ん?」
颯爽と自分がいた席に戻って行く、と思いきや、急に立ち止まった。
その姿を何気なく見ているうち、俺はその女子と目が合っていることに気がついた。
「君は確か……」
「……何ですか?」
「あ、ううん、何でもないよ。ごめんね。じゃあまたどこかで」
ばいばい、と言い残し、今度こそ自分の席に戻っていった。
「堀北とは違って、しっかりとこの場をおさめていったな」
「私は事実を述べたまでよ」
綾小路のセリフにも、堀北は動じることなく堂々とそう答えた。
だが今重要なのは、一之瀬という奴の人となりでも、Cクラスの幼稚な挑発でも、須藤と堀北のトラブルメーカー気質でもない。
「なあ、さっきCクラスが言ってた……」
「……うん。テスト範囲外って、どういうことかな……?」
「各クラスでテスト内容が違う、とか?」
「それは考えにくいわ。学年で問題を統一しなければ、定期テストの意味がなくなってしまうもの」
俺も同感だ。
この学校がクラス間競争の色が強いところを見ると、学年全体で基準が違うということはあり得ないだろう。
考えられる可能性として有力なものは2つ。
Cクラスだけがテスト範囲の変更を知っていた可能性。
そして、Dクラスだけが知らされていない可能性。
Cクラス連中の口ぶりからして、可能性が高いのは圧倒的に後者だ。
とにかく事実を確認するため、勉強を中断して職員室に向かった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
堀北は茶柱先生を問い詰めるように質問した。
「先生。私たちが伝えられたテスト範囲には確かにこの部分が含まれています。しかしある生徒から、ここはテスト範囲外だという指摘がありました。どういうことか、説明を求めます」
すると、茶柱先生は悪びれる様子もなく淡々と答えた。
「……ふむ。ああ、そういえば、テスト範囲は先週の金曜日に変更になったんだった。すまないな、お前らに伝えるのを失念していたようだ。これが新しいテスト範囲だ。堀北のおかげでミスがわかった。みんなも感謝するように、以上」
言いながら、サラサラっと新しいテスト範囲を書いた紙を堀北に渡す。どうやら変更は全科目で行われていたようだ。
「は!? そんな、どうしてくれるんですか!?」
「そんなこと言われても、失念していたんだ。仕方ない。それに、まだテストまでは1週間ある。今から詰め込めば間に合うだろう?」
「くっ、自分のミスのくせに……!」
須藤の顔が再び怒りで染まり始めている。怒りのメーターが上がったり上がったり忙しいやっちゃなお前は。
「行きましょう」
そんな須藤とは裏腹に、堀北は冷静に退室を提案する。
「で、でも……」
「こんなところで突っ立っていても何も始まらないでしょう? 急いで新しいテスト範囲の勉強を始めた方が、よっぽど効率的よ」
いや、少し訂正する。堀北も冷静ではなかった。
なぜならこの瞬間、俺らが今までやってきた勉強会は全て無駄足だったことを突きつけられたのだから。
そして何より不思議なのが、一担任の重大なミスであるはずなのに、職員室の教師たちは全く驚いた様子を見せない。
それどころか、何の先生かは知らないがこちらに向かって手をひらひらと振ってくる人までいる。
誰に向かってやってるんだ、と思って後ろを振り向くと、そこには微妙な顔をした綾小路がいた。
この2人は前に会ったことがあるのか……?
変更後のテスト範囲は、すでに授業で学習した部分であることは不幸中の幸いだが……赤点組3人はその授業をやっている時、まともに受講していなかった。
1週間の詰め込みでどこまで通用するのか、それは全く見当がつかない。
職員室を出るが、皆一様に意気消沈している。
「な、なあ……大丈夫なのか?」
「……新しく勉強会のスケジュールを組み直すわ」
努めて冷静に話す堀北。
だが、落胆ぶりは見て取れる。
「俺も今日からテストまで部活休む。それで何とかなるか?」
驚いた。
いま須藤が言ったことは当然合理的な判断だ。だが、それが須藤自ら飛び出るとは誰もが予想していなかっただろう。
「……いいの?1日勉強漬けなんて、あなたに耐えられるとは思えないけれど……」
「ムカついてんだよ。担任にも、Cクラスの奴らにも……だから、ちょっとは見返してやりたいっつーか」
そう言って、職員室を睨みつける。恐らく、この壁の向こうの茶柱先生を想定しているんだろう。怒りが良い方向に向いている。
「それに……勉強ってのは辛いもんなんだろ?」
そしてニヤリと笑いながら、堀北の肩をポンと叩いた。
「……それなら、私が……いえ、私たちが何とかしましょう。早速今日の放課後から始める、ということでいいわね?」
……堀北が自分以外の人間を勘定に入れたぞ。「私たち」って……
「ああ、どんとこい」
「それと須藤くん」
「おう、何だ」
「私の体に次接触するようなことがあれば、容赦しないから」
少し丸くなったと思えばすぐそれか……
「……可愛くねえ女」
「でも、なんかいい感じになってきたかも」
櫛田の言う通り、いい感じになってきたのは間違いではない。
吊り橋効果のミニバージョンとでも言ったらいいだろうか。
須藤が自分から勉強に対して前向きな姿勢を見せた。本人はもちろん、池や山内のモチベーションも今までと比べて高いだろう。
あとは結果。
だが、それが最大の難題であることに変わりはなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
テスト範囲の変更で、堀北率いる勉強会メンバーに衝撃が走ったのが、今から23時間ほど前のこと。現在、その翌日の昼食時間だ。
昨日の放課後の勉強会はかなりガタガタだった。
須藤たちにとっては振り出しに戻ったも同然だ。ゼロから知識を蓄えなければいけないため、教えるのにもこれまで以上に苦労することになるだろう。
今後の対策を考えていた時、俺の目の前の席に人影が現れた。
「……堀北? 何してんだお前」
「見てわからない? ここで昼食を済ませるのよ」
「いや、お前いつも自分の席で食ってただろ……」
「あなたと対策を練る時間は、この時間くらいしかないでしょう」
「……まあ確かに」
堀北は、俺の前の席の椅子を回転させ、こちらに向かいあわせるように座った。
「いつも綾小路と食ってなかったか?」
「彼はすぐに教室を出て行ったわ。それに、綾小路くんと食べるのが日課というわけではないし」
「ふーん……」
そういえば昨日、職員室から引き上げる時に「気になることがある」みたいなことを言ってた気がする。それに関しての用事かもしれないな。
俺も気になることはあるが、それを確認するよりも対策を練った方がいいと判断した。
「正直に答えなさい。私の解説はわかりやすい?」
それは唐突な質問だった。
「……なんだ急に」
「これからテスト当日に向け、ペースをさらに上げなければいけなくなった。そんな時に私の解説がわかりづらかったら話にならないでしょう? 客観的な意見が欲しいのよ」
「客観的も何も、そんなの本人に聞け、としか」
「あなたから見て、の話よ。彼らに聞いたところで具体的な話をしてくれると思ってるの?」
「……まあ、無理だろうな」
勉強会での知識をインプットするのに精一杯の上、勉強会を開くまで授業内容を一切理解していなかったあいつらのことだ。
意見を求めても「以前よりわかる」としか感じてないだろうしな。
「にしても意外だな、お前が他人に意見を求めるなんて。お前は独断専行とか傍若無人とか、あるいは唯我独尊とかそういう精神だとばかり……あ、いや悪い謝るだからそのコンパスをしまえ今すぐに」
「はあ……あなたは科挙圧巻の割に一言居士といったところもあるし、イメージでいうなら綾小路くんに似て曖昧模糊、隠晦曲折、いえ、烟波縹渺とかの類かしらね」
「一言居士はお前もだし、隠晦曲折はどっちかっていうとこの学校全体のことだろ。お前の場合、綾小路や俺を勉強会に誘った手口は強談威迫。頑固一徹かと思いきや、たまに委曲求全の一面も見せるし……なあ、もうこの遊びやめないか?」
「そうね。掉棒打星で飽きてきたわ」
「だからやめるっつってんのに……」
そういうところは軻親断機の負けず嫌いとも言えるし……おっと、俺も続けてた。
「話を戻すけれど、素直に意見を言ってちょうだい。細かいことでも構わないわ」
言われて思い出す。そうだ。アドバイス求められてたんだった。
「そんなこと言われてもな……俺自身、人に勉強を教えるなんて経験これが初めてだし、解説のうまさはお前に軍配が上がると思うぞ。悪いが俺から言えることはないな」
これは俺が本当に思っていることだ。
積極的に解説しているのは堀北だし、須藤たちも大抵堀北に質問している。
たまに俺にも質問が飛んで来はするが、質問される数の違いは信頼度の違いと比例しているんじゃないだろうか。
……まあ、堀北が女子だから積極的に質問してる、って線もあるが。
「そう……分かったわ」
具体的な意見は何も聞けず、期待はずれだという表情を見せながら、堀北は持っていたサンドイッチを頬張り始めた。
「ねえ、あなたもしかしてあの現場にいた?」
「……あの現場? なんだそれ」
「いえ……何でもないわ」
ごめん、いた。証拠もバッチリ。
その証拠は実はお前の一番身近にあるんだが……まあ、今はいいか。
だが、何をもって堀北がそう判断したのか、俺には分からなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
時間はいくらあっても足りない。そう意識すればするほど、人間は時間の流れを速く感じる。
気づけば、中間テストは明日に迫っていた。
ホームルーム終了直後、櫛田が立ち上がって言う。
「みんな、帰る前にちょっと話を聞いてもらえないかな」
櫛田の声は教室内全体に通り、帰ろうとしていた者も全員立ち止まる。
「みんな、明日に向けてすっごく頑張って勉強したと思うんだ。それで、そのことで役に立つかもしれないの。今からプリント配るね」
紙の束が、櫛田から各列の先頭に人数分渡されていく。
「……テスト問題? これ櫛田さんが作ったの?」
「ううん、実はこれ、中間テストの過去問なんだ。昨日の夜、先輩からもらったの」
櫛田の言った「過去問」というワードで、俺が気になっていたことは全て解決した。
「これ、使えるの?」
「うん、多分。一昨年の中間テスト、これとほとんど問題が同じなんだって。しかもこの前私たちが受けた小テスト、あれもほとんど同じ問題が去年出題されてたらしいの。だからこれを勉強したら、役に立つんじゃないかって思ったんだ」
「うああああ! まじか! サンキュー櫛田ちゃん!!」
突然の救いの手、あるいは蜘蛛の糸。
しかしこの糸は全員分ある上に、手繰り寄せれば寄せるほど有用なものになりそうだった。
中にはこのプリントを抱きしめている奴までいる。しわくちゃになるぞ……
「なーんだ。こんなのがあるんなら、今まであんなに必死で勉強する必要なかったな」
山内がそう漏らした。
……これ、配るのが今じゃなかったら危なかったな。絶妙なタイミング。櫛田はこれも読みきっていたのか?
「須藤くんも、今日はこれを使って勉強してね」
「おう、助かる」
「これ、他のクラスには内緒にしとこうぜ!高得点とってビビらせるんだ!」
それには賛成だ。
一瞬藤野にこれを共有しようか迷ったが……あいつにこれは不要な気がした。なくても、池や山内より点数が取れないなんてことはあり得ないはずだ。
俺はこれを利用するか迷う。テストは本来、こういう形でクリアされるべきではない。
自分本来の実力を発揮してこそのテストだ、と考えている。
だがこの過去問については、学校の方針に沿っている気がした。
テストをクリアするためには何を利用したらいいか、それを考えさせる。
以前茶柱先生が言ってた「赤点を確実に回避する方法」とはこのことだったんだろう。
結局、利用することにした。実力を身につけるなら、それは俺自身が確認できればいいだけの話で、何もテストでそれを測る必要性はない、という理由づけを行なって。
「お手柄ね、櫛田さん」
「えへへ、そうかな」
「過去問を利用することは私も全く思いつかなかったことだから。それに、これを公開したタイミングを今にしたのも正解ね。もし不用意に過去問の存在をばらしていたら、テスト勉強への集中力が削がれていたかもしれないわ」
「手に入れたのが昨日だったってだけなんだけどね。でも、もしこれと同じ問題が出されたら……」
「高得点、期待できるだろうな」
「ええ。それに、この期間中の勉強も無駄にはならないはずよ。あとは試験中に頭が真っ白にならないことを祈るだけね」
そこは一人一人の本番の強さ次第。俺らの管轄外だ。
「じゃあ、私たちもそろそろ帰ろっか」
そう言って、櫛田が帰る準備を始める。過去問配布の作業のため、まだ支度を済ませていなかったんだろう。
「櫛田さん、今日まで本当に感謝しているわ。あなたがいなければ、この勉強会は成立していなかった」
「そんな、気にしないでいいよ。Dクラスで上のクラス、できるなら、Aクラスを目指したいって私も思ってるから」
「そう。……櫛田さん、あなたに1つ、確認しておかなければいけないことがあるわ」
「確認?」
帰り支度を終え、教室から出ようとしていた櫛田が立ち止まる。
「ええ。あなたがAクラスを目指すために力を貸してくれるというなら、必要なことよ。綾小路くん、速野くんがいるこの場でね」
それはどういうことか、質問する前に、堀北が口を開いた。
「あなた、私のことが嫌いよね?」
「……」
「おいおい……」
俺は唖然とし、綾小路も驚きの声を出す。だが、綾小路の反応は俺とは違うベクトルのもののような気がした。
「……どうして?」
「そう感じるから、ただの勘に過ぎないけれど……間違ってる?」
「あはは、困ったな……」
持っていたカバンを肩にかけなおし、櫛田もまっすぐに言い放った。
「うん。大っ嫌い」
それは、今まで以上に清々しさすら感じる笑顔で。
「理由、話した方がいい?」
「いいえ、それが確認できただけでも十分よ。これからは気兼ねなくあなたと関わることができそう」
嫌いだ、と正面を切って言われたにもかかわらず、そんなことを言う堀北。
まさか、櫛田が堀北を好いているという考え自体が間違っていたとは。
堀北が櫛田を遠ざけていたのは、自分のことを嫌っているのに、それを表に出さずに関わってくる櫛田に不快感を感じたから、ということか。
じゃあなんで櫛田は堀北に関わろうとしているのか。それも執拗に。
1つの疑問が解消された瞬間、また新たな、そして以前よりも難しい疑問が出てきた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「速野くん」
靴を履き替え、帰ろうとしていたところ、声をかけられた。
「……櫛田?」
「あはは……一緒に帰らない?」
「……いいけど」
承諾し、歩き出す。
いつもの下校コースに沿って歩き始め、だいたい1分ほど立った時、櫛田が話を始めた。
「さっきの、びっくりさせちゃったかな」
さっき、というのは櫛田から堀北への大嫌いという告白だろう。
「驚いたといえば驚いた。でも、誰かに言うつもりはないから安心してくれ」
「……うん、ありがと」
やっぱり言いたいことはそこだったか。
「言っても得しないからな……それに、少し安心もした」
「え、安心?」
予想外のワードに、櫛田も驚いている。
「ああ。櫛田にもちゃんと好き嫌いはあったんだ、ってな」
「ちゃんとって……」
「誰からも好かれるのも考えものだが、誰のことも好きになるなんて普通無理だろ? みんなと仲良くしたいと思ってるお前にも、嫌う人はいた。人間らしいところが見れて、逆に少し安心した、って意味だ」
嫌いな人もいるが、それを飲み下してうまく人と付き合っていく。社会に出る上で重要な実力の項目の一つだ。
「そんな見方もあるんだ……速野くんって面白いね」
「人生で初めて言われたぞ、それ」
「そうなの?」
「ああ」
そもそも喋る相手もいなかったしな……陰口で、あいつって暗いよな、とかは言われたことあるが。聞こえてんだよそれもうちょい声潜めろよ。
ところで、と、俺は気になっていることを聞くことにした。
「綾小路はこのこと知ってたのか?」
「え……なんで?」
「いや、なんか堀北がお前に質問した時の綾小路の反応が知ってた風だったから」
綾小路がした「おいおい……」という反応は、「まずいんじゃないかこれ?」みたいなニュアンスが含まれているように感じた。普通は堀北の質問自体に疑問を持つはずなのに。
「……知ってた、かもね」
「やっぱりか」
微妙な反応ではあるが、どうやら予想通りだったようだ。
「……速野くんは、さ。もしも、もしもね? 私と堀北さんがぶつかるようなことがあったら、どっちの味方につく?」
突然の質問。それもかなりぶっ飛んだ内容だった。
堀北と櫛田が対決する、か。
いまいちイメージが湧かなかった。
「その質問、綾小路にも?」
「うん。したよ」
「あいつはなんて答えてた?」
「うーん、はぐらかされちゃった感じかな……」
「まあ、そりゃそうだろうな……じゃあ、俺は櫛田につく」
「……え?」
具体的にどちらにつくかを答えると、いつも柔らかな櫛田の表情が固まる。予想していなかった答えだろう。
もちろん、俺の本心ではない。
「なんて言ったら、お前はそれを信じるのか?」
「あー……うん、確かに信じきれないかも」
「なら、この質問に答えること自体が無意味ってことだ。俺も綾小路みたいにはぐらかしてもいいか?」
「でも、今ここでちゃんとした答えが欲しいな」
言いながら、櫛田は俺の顔を覗き込む。
これも俺の答えを引き出すための計算の上でのポーズ、ということなんだろうか。
堀北の件を知っていると、どうしてもそう考えてしまう。
だが、元々可愛い奴が、さらに自分を可愛く見せる方法を知っているとなるとタチが悪い。
男子高校生は、大抵それで落ちちまうんだから。
「……俺の得になるように対応する、とだけ言っとく」
いつかのプール授業のときのように、後退りながら答えた。
「……そっか。じゃあもしかしたら、私と堀北さんの両方の敵になるかもしれないんだね」
……少し驚いた。よく話を聞いてるな。
もしくは本音を読むのが上手いのか。
「まあどちらにせよ、今はお前と堀北がぶつかるってイメージが湧かないから、考えられないな」
「……そっか。急に変なこと聞いてごめんね?」
「いや、別に」
「テスト、絶対頑張ろうね!」
「……ああ、そうだな」
寮のエレベーターで櫛田と別れ、自室に戻って早速過去問を解き、内容の暗記を始めた。
明日はテスト当日。いろんな意味で混乱があったが、果たしてどうなるのか。
神のみぞ知るところだろう。
感想、コメントお待ちしております。
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ep.12
では、どうぞ。
「先生、僕たちは今回、赤点を出すことはありません。期待して待っていてください」
「ほう、それは随分と大きくでたな平田」
テスト当日、1時間目開始直前。
自信満々の平田はそう主張した。
俺は三バカ以外の学力事情を把握していないが、今日に向け一生懸命やってきたのは雰囲気で伝わってくる。平田の自信は、これまでの勉強量に裏打ちされたものだろう。
そこで、茶柱先生が口を開く。
「もしも今回、お前らが退学者を出すことなく乗り切ることができたら、夏休みにはバカンスに連れてってやろう」
「ば、バカンス?」
「ああ。青い海に囲まれた、夢のようなひと時が待っているぞ」
まるでどこかのCMのようなキャッチコピーだ。
そんな中。
〈健全な男子高校生の発想〉
夏の海→女子の水着→大興奮!(今ココ)
「みんな、やってやろうぜ!」
「「「「「うおっしゃあああー!!!」」」」」
池の音頭に続き、Dクラス男子のおよそ9割が叫んだ。俺は残りの1割なので悪しからず。
その勢いも、堀北の「変態」の一言で一気に引っ込んだが。
全員に問題用紙が配布され、準備完了だ。
「では、始め」
先生の合図と同時に、クラス全員が問題用紙をひっくり返した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「案外楽勝だな!」
「ああ、これなら120点も夢じゃないぜ!」
昨日の櫛田の予想通り、テストの問題の内容は過去問とほとんど一致していた。池や山内は余裕の表情。昨日の夜過去問にかじりつき、必死で暗記したんだろう。
それでも復習は欠かしていないようで、堀北の周りに集まっている今も、2人の手には英語の過去問が握られていた。
しかしそんな中、1人険しい表情で英語の過去問の解答をみている人物がいた。
「須藤くんはどうだった?」
櫛田がその人物、須藤に話しかける。しかし、須藤にその声は聞こえていないらしい。
「須藤くん?」
「……あ?ああ、わり、ちょっと今焦ってる」
言葉通り、須藤の額には冷や汗が浮かんでいた。
こいつまさか……
「おい須藤、お前過去問やらなかったのか?」
「英語以外はやったんだ。でも寝落ちしちまって……」
「「「え!?」」」
「くそ、全然頭に入らねえ……」
英語は異国の言語。
基礎ができていなければ、それは解読不可能な暗号のように、摩訶不思議な文字列に見えてしまっていても不思議ではない。
「須藤くん、配点の高い問題と、答えの短い問題を優先的に覚えましょう」
「あ、ああ……」
少し堀北も焦っているが、それでも素早い判断で取りに行く問題、捨てに行く問題を仕分け、暗記する。
それでもなお、須藤は相当苦労しているようだった。
そして無情にも、タイムリミットが訪れる。
「やれることはやったわ。あとは覚えている問題から順に解いて」
「あ、ああ、わかった……」
須藤は一瞬だけもう一度過去問を見て、机の中にしまった。
集まっていた全員が席に戻る、その直前。
「速野くん、協力して」
その言葉に続き、堀北が俺に耳打ちする。
「……なるほど、ああ、わかった」
そして混乱のさなか、英語のテストが始まった。
カンニングを疑われないようにそーっと須藤の様子を見てみると、「やばいやばいやばい」という心の声が聞こえてきそうなくらい、動揺しているのが分かった。
しかしもう、俺らが須藤に直接手を貸してやることはできない。
あいつの運に任せるしかないだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
テスト終了後、勉強会メンバーは、今度は須藤の席の周りに集まっていた。
「お、おい大丈夫か?」
「わかんねえ……あーくそ、なんで俺は寝ちまったんだ……」
自分自身への苛立ちを隠せず、拳をガン、と机にぶつける須藤。
櫛田が慰めようとするも、今の須藤に効果は薄かった。
そこに、堀北が姿を見せる。
「須藤くん」
「……なんだよ、説教か?なんとでも言え……」
「過去問をやらずに寝たのは完全にあなたの落ち度よ。でも、それは手を抜いた結果ではないでしょう? やれることをやってきた点については、自信を持っていいわ」
「は、なんだそれ、慰めか」
「私は慰めなんて言わない。事実を言ったまでよ。あなたがどれだけ苦労したかは見て取れるもの」
確かに、今朝の須藤の表情には疲れがあった。
連日続く勉強で、ついに昨日の深夜、限界がきてしまったんだろう。
それより驚くべき事実は、あの堀北が、しかも嫌い合っているはずの須藤を素直に褒めているという事実……最近、堀北に驚かされることが多いような気がする。
こいつにも変化が訪れているということか。
「それと、もう一つ」
「今度はなんだよ……?」
「訂正させて欲しいのよ。以前私は、バスケットのプロを目指すことを愚かだと言って罵ったわ」
「それ、今思い出させることか?」
「話を聞きなさい。あの後、バスケットについて調べたのよ。そして、プロになる道のりがそれほど大変か、以前より理解が深まったわ」
「で、だから俺には諦めろって言いてえのか」
「そうは言ってないわ。あなたが私の調べたことを理解していないはずがない。それを知った上で、あなたはその道を進もうとしているのね」
「ああ、そうだ。俺は馬鹿にされようとバスケのプロを目指す。お前に言われたとおり生活に困っても、その夢は諦めねえ」
強く言い切る須藤の目には、確かな意志が宿っている気がした。
「夢の実現の難しさや大変さを理解していない人間が、そのことについて語る資格はない。今はあの時の発言を後悔してるわ」
表情こそずっと真顔だったが、その頭は徐々に下がって行く。
「あの時はごめんなさい……私が言いたかったことはそれだけ。じゃあ」
「うわ、ちょ」
堀北は1人で教室を出るのかと思いきや、俺の手首を引っ張って、強引に教室の外に出した。
いきなりすぎてビビる。
「なんだよ急に。びっくりしただろうが」
「損な役回りを押し付けてしまったわね」
堀北の言わんとすることはすぐにわかった。あの耳打ちのことだろう。
『おそらく赤点の算出方法は、平均点の二分の一未満よ。できる限り点数を下げて』
「点数を下げろ、なんてな。驚いたよ」
「あなたと私で、合わせて少なくとも80点は下がったんじゃないかしら」
「ああ、でもこれでカバーできるかどうか……」
「でも、これが限界よ……もしダメだったら、私にも責任があるかもしれないわね」
「ん、まあそうだな。一回勉強会ぶち壊しちまったんだし」
「勘違いしないで、あなたにも責任の一端はあるのよ」
「……マジで?」
「当然でしょう」
当然らしい。
勉強会崩壊を止めなかったのが悪いんだろうか。
「……まあ責任っていうか、誰が一番悪いかっていう話なら間違いなく茶柱先生だし、お前が必要以上に責任を感じることはないと思うぞ。もちろん最低限は感じてもらわなきゃ困るが」
「だからそうだと言ってるでしょう」
同じことを言わせるな、という目で睨んでくる。
「悪い悪い……」
俺はそれを受け流した。
普通に怖いし。
「……にしても、お前変わったな」
「そうかしら。いつも通りだと思うけれど」
「いや、変わっただろ。自分に責任を感じてたり、須藤に謝ったり。以前ならあり得ないんじゃないか?」
「以前の私には責任感がないと言いたいのかしら?」
再び睨みを強める堀北。
でも、須藤に謝った点については突っ込まないんだな。
「まあ、側から見れば変わってるように見える、ってだけだ。俺のいうことなんてあんま気にすんなよ」
「保険は張っておくのね」
「誰かと違って責任感がないからな」
そう答えると、堀北は一瞬体を固め、その後すぐに真顔に戻って言った。
「……あなたは食えない人間ね」
そう言いながら、カバンを持って歩き出す堀北。
「どういう意味だよそれ」
「皮肉に決まっているでしょう」
無愛想にそれだけ言い残し、スタスタと歩いて行ってしまった。
「そうですか……」
俺と堀北の間の距離は約5メートル。
俺のつぶやきは、あいつの耳に届いていないだろう。
もうそろそろ俺も帰宅しようと、荷物を取るために教室に戻る。
そして、ドアを開けた瞬間だった。
「や、やべえ、俺、堀北に惚れちまったかも……」
顔を赤くしながら心臓に手を当て、須藤がそう言った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
教室内の雰囲気には、ただならぬものがあった。
いつもの通り、最初に平田が発言する。
「先生、今日は中間テストの結果発表日と聞いています。いつですか?」
「お前はそこまで気を張る必要はないだろう、平田」
「教えてください。いつですか」
強気で問う平田。
「喜べ、たった今発表する。放課後じゃ、手続き上問題があるからな」
問題、という言葉に、教室内の雰囲気が強張る。
「……どういう意味ですか」
「そう慌てるな。今点数を発表する」
茶柱先生はそう言って、以前の小テストの結果発表の時と同様、大きな紙を五枚、黒板に張り出した。
英、国、数、理、社。それぞれの教科の一人一人の点数が表示されている。
「正直に言って、感心した。お前らがここまでの高得点を取るなんてな。満点が10人以上いる科目もあるぞ」
各教科、一番上には100点の文字がずらりと並ぶ。その光景に、生徒たちは歓喜の声をあげた。
だが俺たちにとって重要なのは須藤の英語の点数、ただそれだけだ。
英語の順位表を上から下に見ていく。
そして、その一番下。
須藤の名前の横には、39点と表示されていた。
「っしゃ!」
以前の小テストの際には書かれていた、赤点ラインを示す赤い線は引かれていない。
須藤は思わず立ち上がって喜び、池、山内もそれに続いた。
「どうすか先生!俺たちもやるときはやるってことっすよ!」
「ああ、お前らが健闘したことは認める。ただし、だ」
妙なタイミングで言葉を切る先生。教室内には不穏な空気が流れる。
先生は赤ペンを取り出し、須藤の名前の上に線を引いた。
「須藤、お前は赤点だ」
「は!?おい冗談だろ!?赤点は31点だって言ってたじゃねえか!」
「そんなことは一言も言ってないぞ?」
「い、いや言ってたって!なあ!?」
須藤の抗議に続き、池もクラスに呼びかける。
「お前らが何を言っても結果は変わらない。今回の赤点ライン、その算出方法を教えてやろう」
すると、茶柱先生は黒板に何やら書き始める。
79.6÷2=39.8
「赤点ラインはクラスごとに違う。今回のDクラスの英語の平均点は79.6。その二分の一は39.8。つまり、39点だったお前は赤点ということだ」
「う、嘘だろ……そんなの聞いてねえって……」
「放課後退学届を提出してもらうことになるが、その際には保護者同伴が義務だ。私から連絡しておく」
淡々と須藤に報告する茶柱先生。その言葉が、ようやく事実として教室内に浸透していく。放課後だと問題が起こるというのは、このことだったのだ。
「せ、先生、待ってください。本当に須藤くんは退学なんですか? 救済措置はないんでしょうか?」
「ない。これはルールだ。受け止めろ」
「では、須藤くんの解答用紙を見せてください」
「構わんが、採点ミスはないからな」
抗議が出ることを予め予想してか、須藤の分の解答用紙だけを持ってきていたようだ。
平田がそれを確認する。
そして少し経ち、絶望した表情を見せながら、言う。
「採点ミスは……なかった」
「納得できたか、じゃあホームルームを続けるぞ」
須藤への同情は一切なし。機械的に須藤へ退学を言い渡した。
池も山内もさすがに空気を読み、須藤には何も言わなかった。
そして須藤は半ば放心状態だった。
しかし、中にはホッとした表情を見せる人もいた。
須藤がこれまでやってきたことのツケ、とでも言えばいいだろうか。
「先生、一つよろしいでしょうか」
そんな中、1人の生徒が手を上げた。
「なんだ堀北。珍しいな」
先生の言う通り、堀北の挙手は誰もが予想していなかっただろう。Dクラス教室内は1人残らず意外そうな表情を見せていた。
「今回の赤点ラインの算出方法は、本当に前回と同じものですか?」
「ああ、間違いない」
「しかし、それでは矛盾が生じます。私が計算した前回の平均点は、64.4。それを2で割ると、32.2。赤点ラインは32点未満。つまり、小数点以下を切り捨てているんです。にもかかわらず、今回は切り捨てられていない。これは間違っているのではないですか?」
堀北が見出した淡い淡い光。
クラスの須藤擁護派も希望を持ち始める。
「なるほど、お前と速野はそれを見越して点数を落としていたのか」
茶柱先生の言葉で、教室全体がハッとした表情になる。
俺も堀北も、英語以外は満点を獲得した。
しかし、英語だけは、堀北の耳打ちで点数を落としていた。
堀北は51点、俺は62点。
「お前ら……」
須藤もようやくそこで気づいたようだ。
「そうか、なら、もう少し掘り下げて話をしよう。お前自身も気づいているかもしれないが、お前の計算方法には一つ間違いがある。赤点算出方法は小数点以下切り捨てではなく、四捨五入だ。残念だったな。そろそろ授業が始まる。私はいくぞ」
堀北の最後の光も闇と消え、打つ手がなくなった。
「ごめんなさい……私がもう少しギリギリまで点数を削るべきだったわ」
いや、堀北はギリギリまで削った。
俺と堀北以外が全員満点を取ったとすると、落とせる点数は49点が下限だ。
これ以上落としたら、堀北の方が退学になってしまう。
なら、俺の方はどうか。
62点。
よくもまあこんな「ちょうど」に収まったものだ。
俺は席を立つ。
「お、おい、速野、どこいくんだ……?」
「トイレだ」
そう答えて俺が向かったのは、茶柱先生がいるであろう職員室。
早歩きで向かうと、窓を見て立ち尽くす茶柱先生の姿があった。
誰かを待っていたかのように。
そしてその誰かは、俺ではないんだろう。俺が現れた時に驚きの表情を見せた。
「どうした速野。授業が始まるぞ」
「分かってます。その前に、先生に聞きたいことがありまして
「なんだ、堀北に続いて珍しいな。それは今でなければダメか?」
「そうですね……」
これから言うことの恐ろしさを想像した時、俺は少し怖くなった。
一つ深呼吸してから、口を開く。
「先生、この学校は実力主義だと言う話を聞きました」
「ああ、その通りだ」
「その実力主義は、生徒だけに当てはまるものなんですか?」
「……それはどう言う意味だ?」
「つまり俺は、生徒だけでなく、教師にも実力至上主義というスタイルは当てはまっているんじゃないか、と踏んでるんです。優秀な教師はAクラスへ、俺たちと同じ『不良品』はDクラスへ」
「ほう、それは私への暴言と受け取っていいのか?」
「どう受け取るかは先生の自由ですが……でも、先生はテスト範囲の変更を伝え忘れるレベルの教師だ、ということは間違いないですよね」
「お前は自分が何を言ってるのか分かってるのか?」
やっぱこええ……でも、乗りかかった船だ、最後まで言うしかない。
「脅しですか。ですが事実ですよね。それに以前、先生はこう言いました。『優秀な人間はA、ダメな人間はD』と。生徒、とは言わなかった。これ、やっぱり先生も当てはまってるんじゃないですか?」
「そうだとして、お前に何か関係があるのか?」
「俺に直接関係はないです。先生が不良品だろうと知ったことではありません。ですが、これは悪い話ではないと思うんですよ。赤点を出したクラスの担任の評価が下がることはあっても、上がることはないでしょう?先生も、赤点の生徒を出さないことに異存はないはずですが」
「もちろん、お前の言う通りだ。だが、須藤は赤点を取ったこともまた、紛れも無い事実だ」
「先生」
そこまで話した時、もう一つ、新しい声が聞こえた。
俺が振り返ると、そこにいたのは綾小路だった。
「綾小路か。今度はなんだ?」
「俺からも先生に一つ、質問があります」
「なんだ」
「先生は今、この世界、この日本という国は平等だと思いますか?」
「はは、それはまた、速野より飛躍した質問だな。答えることに意味があるのか?」
「あります。答えてください」
「私個人の見解を述べるなら、もちろん、平等ではない」
「俺もそう思います。この世に平等なんて概念は存在しないと」
「お前が聞きたいことはそれだけか?」
「1週間前、先生は俺たちにテスト範囲の変更を告知しました。他のクラスより遅れて。これは、Dクラスだけ明らかに不利な状況です」
「そうだ。だが、世の中平等ではないことを表すいい例じゃないか」
「確かにそうです。しかし俺が言いたいのはそうではありません。少なくとも平等に見えるようにしなければならない、ということですよ」
「なるほど……」
綾小路が何を言いたいかが分かった。
「報告が遅れたのが偶然かそうでないかなんてどうでもいい。しかし、先生のミスが1人の生徒を退学に追いやっています。不手際があった学校に、適切な対応を求めます」
「いやだ、と言ったらどうする?」
「然るべきところに対応を仰ぐだけです」
「綾小路、お前の言い分は正しい。だが、速野にも言ったが須藤は退学、これは学校のルールだ。現時点でそれは覆らない。諦めろ」
また、この人は含みをもたせた言い方をする。
綾小路と先生の会話に割って入る。
「現時点で、ということは、まだ覆る余地があるということですか?」
「まずは綾小路、私は個人的にお前を買っている。過去問を入手し、それをクラスで共有することはテストをクリアする方法として正解の一つだ。だが、その発想自体は常識の範囲内だ。頭をひねれば誰でも思いつく」
あれ……過去問入手したのは櫛田じゃなかったのか?
「過去問を手に入れたのも、共有したのも櫛田ですよ」
「お前が目立ちたくない理由は察するが、お前が上級生と接触していたことは把握済みだ。何をしたかもな」
どうやら、本当に綾小路で間違いないらしい。本当何者だこいつは……
「だが、最後の詰めが甘かったな。須藤には徹底して過去問を暗記させるべきだった」
先生の言っていることは正しい。それに関してはまぎれもない俺たちの落ち度だ。
「そして速野、お前も個人的に評価している。お前はポイント制度にいち早く疑問を抱き、ポイントをギリギリまで切り詰めた。そして校内のいたるところに監視カメラが設置されていることも把握していたようだな。その洞察力と観察力には目を見張るものがある。だが、これも凡人より少し上程度の能力だ。ポイントのことについて、自分の意見をクラスで述べていたら?監視カメラのことをクラスで共有していたら?お前は結果的にDクラスの傷を広げたということだ」
なんだその気づいた奴が片付けろ的な理論は……だが確かに、平田や櫛田ならばこれらの情報を共有していたかもしれない。特に監視カメラについては。
「今回は諦めて、須藤を切り捨てたらどうだ?」
結論づけようとする先生。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
「待ってください先生。まだ言いたいことはあります」
「まだあるのか」
「先生は以前、こうも言っていましたね。校内において、原則ポイントで購入できないものはない、と」
「ああ。言った。そしてそれに間違いはない」
「ポイントで購入できる。つまり、ポイントを介したモノの取引は、原則無制限だということですね?」
「そうだ」
「つまり、取引の引き合いに何でも出すことが可能。言い換えれば、どんなものでも売ることができる」
少し溜めて、核心的な一言を発する。
「先生、俺の英語の点数を23点、ゼロポイントで買ってください」
俺が言いたかったのは、これだ。
計算したところ、Dクラス40人全員の合計得点は3182点で、今回のテストの正確な平均点は79.55点。それを四捨五入して、平均点79.6と表示されていたのだ。
赤点ラインを39点未満にするためには、平均点÷2の値が39.5未満、つまり平均点が79未満にならなければいけない。
平均点を0.55下げるためには、全体で22点下げなければならない。しかしそれでは平均点はちょうど79点。赤点ラインは40未満のままだ。だから、さらに1点下げて23点。そうなった場合、俺の点数も須藤の点数も39点。赤点ラインは39点未満。まさに間一髪というわけだ。
説明を終えると、茶柱先生は目を丸くして俺を見ながら、笑った。
「はははは、なるほど。確かにそういう捉え方もできるかもしれないな。だが速野。何か買取を頼む時、売る側には買取手数料が発生する。その額がお前らに払える額かは分からないぞ?」
「いくらなんですか」
「そうだな、私もこんな珍妙な取引は初めてだからな……よし、今回は特別に15万ポイントの手数料で買い取ってやる」
「……またギリギリのラインを攻めますね……」
俺らが払えるか払えないか、ギリギリのところを示してくる先生。
一人当たり、負担は75000か……痛い出費だな。せっかく「状況的に不利になってまで得た」ポイントも、これじゃマイナスだ。
それに綾小路も払えるかどうか。
そんな時だった。
「先生……私も払います」
「くくく、お前らはつくづく面白い生徒だな」
そこにいたのは堀北だ。
手には学生証を持っている。
一人当たり50000の負担に減った。これならみんな払うことができる。
「分かった。速野の英語の点数23点、手数料15万、一人当たり5万ポイントで買い取ってやる。須藤の退学取り消しの件は、お前らから伝えておけ」
「本当にいいんですね?」
「そういう約束をしたからな。やむを得ん」
突飛な提案に呆れた様子を見せながらも、どこか満足そうな表情を俺たちに向ける先生。
「どうだ堀北、少しは以前言った綾小路の優秀さが分かったんじゃないか?加えて速野の優秀さも表に出た。いい収穫だろう?」
「……そうでしょうか。私から見て、速野くんはただの問題児、綾小路くんは嫌味な生徒にしか思えません」
「なんだそれ……」
「点数をわざと落としたり、過去問の手柄を他人に譲ったり、点数の売買なんて暴挙を思いついたりするどこかの誰かさん二人組のことよ」
どうやら堀北は、過去問の話をしている時にはすでにこの場にいたらしい。
「お前らがいれば、もしかすると、上のクラスに上がることも夢じゃないかもな」
「彼らはともかく、私はAクラスに上がって見せます」
「Aクラスか、大きく出るな、堀北。過去、Dクラスが上のクラスに上がったことはない。お前らは学校から見捨てられた不良品だからだ。そんなお前たちが、どうやってAクラスを目指す?」
厳しい現状を突きつける茶柱先生。
「お言葉ですが先生、確かにDクラスのほとんどは不良品かもしれません。しかし私は、不良品は、少し変わるだけで良品に変わる可能性を秘めたものだ、と考えています」
堀北から飛び出したのは、驚きの言葉だった。
間違いない、堀北には変化が生じている。
他人や周りを足手まといだと見下し、突き放すことしかしてこなかった堀北とは、別人だった。
このクラスが上を目指すにあたり、堀北の変化は必要不可欠なものになるだろう。
それを感じ取ったのかは分からないが、茶柱先生がほんのわずかな笑みを見せ、言った。
「ほう、堀北からそんなセリフが出るとはな。楽しみにしようじゃないか。どうせ、お前らとは三年間離れられないんだ。担任として、見守らせてもらおう」
そう言い残し、茶柱先生は職員室に戻って言った。
用は済んだ。授業も始まるし、ここにいる理由はない。
「俺は先に戻る……」
そう言って、俺も教室に向かって歩き始める。
その背後で、
「うぷっ!!」
と、奇怪な叫び声が聞こえた。
その後、
「グヘッ!」
と、気持ち悪い俺の叫び声が廊下に響き渡った。
「何すんだこのやろう……」
痛みを訴えながら、堀北を睨む。
「……あなたにはこれから、今回以上に働いてもらうことになりそうね」
堀北の口から飛び出したのは、まさに悪魔の予言だった。
「……お手柔らかにな」
「それは出来ない相談ね」
「はあ……」
これからのことを予想すると、ため息が出た。
いや、この学校でそんな予想は無意味かもしれない。学校側も、生徒に予想されるような生半可な企画はしないだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その後に開かれた祝勝会も、それなりに楽しかった。
団体で集まってワイワイやるってのは、案外いいものだな。
協力してAクラスに上がる。
目標が高いのはいいことだ。目標の実現を目指す中で、様々なものを手にすることがあるだろう。本来そこで手に入れたものは目標達成のための道具でしかない。
だが、道具は使いよう。それが新たな道のりを切り開く鍵となるかもしれない。
時には、その道具こそを目標に定める奴がいたっておかしくない。
俺なら。
俺なら、どんな選択をするのだろうか。
問題文は白紙。
条件も仮定も設定することができない超難問。
何をもって答えとすればいいのか。
そもそも答えはあるのか。
何も分からない。
そんな無理難題から目をそらすように、俺は寮のベッドの上で目を閉じた。
タイトルと前書きであんだけ粋がった割に、結末は原作より悪化してますね。点数奪われた上に50000ポイント値上がりしてますし。
これで原作一巻分の本編は終了です。皆様、ご愛読いただきありがとうございます(少ないけどね!)
次回、ここまで語らなかった短いエピソードを公開しようと思います。それから、原作二巻分に入りますので、乞うご期待!
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ep.10.5
では、どうぞ。
生徒会長が近づいてくる。
走って逃げることも考えたが、それでは見つかるのは必至だ。
だから、俺は敢えて逃げず、迎え入れることにした。
足音が近づく。
街灯に照らされ、伸びた影が俺の真横に来ると同時に、俺は声を発した。
「……どうも」
その声に反応し、生徒会長は立ち止まった。
「お前は……あの時、トイレでハンカチを忘れた奴だな」
「覚えてるんですね……」
「俺は一度見た人間のことは忘れない」
すごい記憶能力をお持ちで……
「そのご時世はお世話になりました……」
「そんなことはどうでもいい。ここで何をしている」
「ただの散歩。通りすがりですよ」
そう答える。
すると次の瞬間、先ほどと同じような、ものすごい速さの正拳が俺の顔面に迫って来る。
「っ……」
その拳は、俺の鼻の前で止まる。
俺は避けなかった。
「……なぜ避けない?」
「俺は綾小路みたいに殴り合いの喧嘩はできませんから。……それに、避けない方が色々と都合がいいですし」
「どういう意味だ」
「いえ、特には。ただ……この学校が、恐らく最大の信頼を置く生徒会、その長も、監視カメラがなければあそこまで暴力的になるんですね。驚きました」
通常はあって、この空間にないもの。それは監視カメラの存在だ。
つまり、学校側の監視の死角。何をしてもバレない。
「この件を学校に報告するか?」
「そんな面倒なことはしない、いえ、したくないんですけどね……俺が何言っても、具体的な証拠を示せと言われるだけですし。綾小路や堀北が証言しても外傷はない……噂だけ流してあなたの信用を落とすことは出来るかもしれないけど、それでは俺は得しませんからね」
「その通りだ。そして、人の噂は七十五日。お前が具体的な証拠を見せなければ、その噂はすぐに収束するだろう。要するに徒労に終わるということだ」
「ええ、分かってますよ。……それが本当にただの噂なら、ですが」
「何が言いたい?」
「あなたの言う具体的な証拠……それがもしあったら?」
言いながら俺は、ポケットにしまっておいた学生証を取り出す。
「もう少し明確に言うと……例えばさっきの現場が撮影、録音でもされていたら?」
学生証端末を操作し、俺は撮影していた動画を流す。
『お前には上に行く資格も実力もない。それを知れ』
「それをどうするつもりだ」
「これ、お互い怪我してないだけで、あなたは暴力振るっちゃってますしね。停学、いえ、生徒会に置かれている信頼と、『生半可な気持ちで立候補すると、この学校に汚点を残す』というあなたのセリフを加味すると、Aクラスの特権剥奪や、退学、なんて事態もあり得ない話ではないんじゃないですかね」
信頼度が高い分、それを裏切った罪は重い。
会長は落ち着いた表情を作り、答える。
「お前が言っていたように、ここには監視カメラがない。つまり如何様にも出来るということだ」
要約すると、力づくで奪うこともできる、ってことか……
「……実力行使をするなら、俺は無抵抗に受け入れ、俺自身があなたの暴力の証拠になるだけです」
俺に生徒会長に応戦する力はない。武道の心得があるわけでもないし、喧嘩慣れもしていない。
だが今の一言で、会長は俺に攻撃できなくなった。
「もしそれをしても、お前に得はないぞ」
「もちろん、その通りです。問題にして、生徒会や3年Aクラスがどうなろうと俺には関係ないし……しかし、あなたはそれをされると困る。違いますか?」
「困らない、と言ったら?」
「いや、実際に困るはずです。もしあなたがこの暴力を生徒会長の肩書きを利用して隠蔽したら、嘘に嘘を重ねることになり、バッドトリップにはまる」
嘘を隠すには、それとはまた別のもう一つの嘘が必要になる。
処分の重さの詳しい基準は知らないが、嘘を重ねれば重ねるほど、発覚した時に下る処分は大きくなるだろう。
「これを手札に持ったまま、というのも一つの策ではありますが……一応会長には恩がありますから、あまり長引かせたくはない。でも、ハンカチ一枚と校内暴力ではわけが違う」
ここでトイレでの一件を出し、逃げ道を塞ぐ。
「なので会長。取引しましょう」
会長に提案する。
その言葉を聞いた会長は、少し間を置いてから答えた。
「取引の内容を提示しろ」
「分かりました。難しいことではありませんよ。今この場で……そうですね、70000、いえ、恩を考えて、少し値下げして60000ポイントを払うなら、俺はあなたが見ている前で、この端末にある映像を削除します」
恩を感じているのは本当のことだ。会長はAクラス。60000ポイントなんてはした金だろう。
「一つ確認しておく。その映像はいつ、何時も誰にも公開しない、そう誓えるか?」
「ええ、もちろん」
俺の言葉が信用に値するものだったのか、それは知らないが、要求通り、俺の端末に60000ポイントを譲渡した。
「これで言質と証拠は取らせてもらった」
「……は?」
会長はそういうと、端末を俺に見せ、画面をタッチする。
『60000ポイントを払うなら、俺はあなたが見ている前で……』
俺の声は録音されていた。
まずい。
「お前は誰かにその映像を送っているだろう。もしそうなら、お前の端末に残っていなくても、その誰かの端末にデータは残る。必要になったらその人物から改めてデータを得る。お前はその行為自体に問題はないと踏んだんだろうが……俺にそれがバレた時点でお前はアウトだ。誰にも公開しないと誓えるか、と俺が言ったタイミングで、すでに誰かに公開していたなら、お前はそれを告げなければならない。これは詐欺行為だ」
「……」
やられた。相手の話している文面をもっと注意して聞くべきだった。
これで実質同点、いや、逆転されたと見るべきだ。
まさか相手から俺に校則違反をさせるように仕向けられるとは。
「はは……」
「その笑みは何を表す?」
「……いえ、してやられました。こっちの作戦がこんな簡単に見破られるとは思わなかったです」
「お前の作戦が未熟だった、それだけだ」
そりゃそうだ。こういうバッサリと切るところは兄妹で似てるんだな……
「速野知幸。お前は詰めが甘い。お前の入学学力試験の成績は5教科総合で498点。入試は首席で突破している。これは近年で最も高い点数だ。誇ってもいい。だが、落とした2点は数学の基本問題1問。資料によれば数学が最も得意のはずだが、お前は実力を過信し、最後の確認を怠った。その詰めの甘さは、いずれお前に致命傷を負わせることになるだろう」
「ご丁寧にどうも……俺の個人情報は会長に筒抜けですか」
「そうでもない。俺は教師から話を聞かされただけだ。今年は面白い生徒が数人いる、とな」
「……?」
一瞬、ほんの一瞬会長が笑った気がしたが、すぐに無表情に戻り、こう言った。
「……俺を失望させるなよ」
「……!」
ゾクッ。
蛇に睨まれた蛙とは、まさに今、俺のことを表しているのだろう。
会長はすでに立ち去った。
やっぱり、この学校の生徒の頂点に立つ人間は、強い。
今の俺じゃ到底追いつけない。
いや、一生かかっても追いつけるかどうか。
結局俺がこの場所から立ち去ったのは、あの衝撃的な光景から十分ほど経った後のことだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
しかも脅した結果脅し返されてるっていうね。俺としては60000ポイントのプラスだから形的には勝ちでいいのだが、いらないリスクを背負ってしまったせいでお互いが弱みを握りあう形となってしまった。
因みに俺があの映像を送った相手は堀北だ。あいつ自身も言ってたように、パスワードを設定してファイル自体は開けないようにしてある。元から可能性は高くないが、そうすればこいつが他者に送る可能性がもっと低くなると考えたからだ。開くことが不可能な不気味なファイルを送ろうとは思わないだろう。その前にこいつに送る相手がいるのか謎だが。
送信先は藤野でもよかったんだが、数学の解説を送った後だったから送信履歴の一番上に堀北がいて、それを押してしまった、というわけだ。
ブスッ
「たぁぁぁう!!」
突然腕に激痛が走り、教室内で奇声をあげてしまった。
「おい、今刺したなお前……」
コンパス攻撃で有名な堀北を睨みつける。
「綾小路くんとは違って利き手ではない場所よ。感謝しなさい」
「感謝する要素なんてどこにもねえだろうが!ああいてえ……」
綾小路……コンパスで刺されるのってこんなに痛いんだな……しかもお前利き手だったもんな……改めて同情するぞ……
「あなたが呼びかけにも応じずボーッとしているからでしょう。そろそろ図書館に移動しないと間に合わないわ。早くして」
「わ、わかった……」
だからってそこまでする……?
速野は裏でこんなことをしてました。一応あちらこちら伏線は張ってたんですが、この件に関しては多分全部回収し切れたんじゃないかと。
次回から原作二巻分に入ります。また、どこかのタイミングで速野と藤野の高度育成高等学校学生データベースも書こうと思います。
では、次回もお楽しみください。
感想、コメントお待ちしております。
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第2巻
ep.13
では、どうぞ。
「だんだん暑くなってきたな……ん?」
傷だらけの3人が、手当もせずにフラフラ歩いている。
時刻は午後6時半ごろ。部活の終了時間を40ほど過ぎた頃合いだ。
今すぐにでも手当てするべきだと思うが、その3人の歩いている方向は、保健室でも寮でもなかった。
それは、何の変哲もない、いや、ないと思っていた、ある日のこと。
夏が近づき、気温が上がり始めた頃の出来事だった。
1
今日のクラスの雰囲気は、日常とは異なるものだった。
理由は簡単だ。
今日は七月の月初め。
クラスポイント発表の日なのだから。
俺たちDクラスは入学したての四月、怠惰に怠惰を重ねて、1000あったクラスポイントを0にまで減らしてしまった。
しかしこの学校のタチの悪いところは、支給されるプライベートポイントがゼロでもちゃんと生きていけるようになっているということだ。
俺は必死の倹約と、生徒会長との取引で得た60000ポイントをやりくりして生活している。
まあそのうち50000ポイントは須藤の件に費やしたが。それは必要経費だ、ということにしておこう。
それに、後悔はしていない。そうした方が今後の利益が見込めると踏んだ上で行動したからだ。
須藤はいずれクラスに必要な存在になる。その考えは今でも変わっていない。それに四月と比べると、須藤の問題児っぷりは幾分マシになっていた。
そして、だ。
プライベートポイントの使用用途がとてつもなく広いことも、その時の件で明確なものになった。ポイントを支払えば、点数すらも操作できる。
これまでは「貯めておいて損はない」だったのが、今は「貯めておけば得する」に考えが変わった。
と、そこまで考えたところで、茶柱先生が教室に入ってきた。
「おはよう。なんだ、今日は空気が違うな」
「佐枝ちゃん先生!俺らもしかしてまたポイントゼロだったんすか!? 朝見たら振り込まれてなかったんすけど!」
「なるほど、そのせいか」
池の主張に、茶柱先生が納得したような表情を浮かべる。
ここDクラスは、入学当初とは本当に見違えるクラスになっていた。
無断欠席、遅刻はなくなり、授業中の私語もかなり少なくなった。いつだったか堀北が言っていたが、マイナス要素はほとんど削れたはずだ。
にも関わらず、俺たちの端末にポイントは振り込まれていなかった。
「そう結論を急ぐな。Dクラスが頑張ったことは、学校側もしっかり把握している」
言いながら、持ってきていた巨大な紙を取り出して、黒板に貼り付ける。
「では、今月のクラスポイントを発表する」
広げられた紙を見る。
これは……
「あまり良くない傾向ね……まさか、もうポイントを増やす方法を見つけ出したのかしら」
堀北が不安そうに呟いた理由は、Aクラスのクラスポイントだ。1004clと、入学時のポイントをわずかに上回る結果となっている。Aクラスを本気で目指す堀北にとって、これは由々しき事態だろう。
だが、堀北と違ってクラスに大半は他のクラスのポイントのことなど眼中にない。
肝心なのはDクラスのポイント。
そこには……87clと表示されていた。
「87ってことは……8700ポイントってことか!? よっしゃあ!」
山内の歓喜の声を皮切りに、クラス中が沸き立つ。
その気持ちも分かる。約2ヶ月ぶりのポイントだ。喜ばないわけがない。
しかし、それを茶柱先生は制す。
「そう単純に喜んでいていいのか?他のクラスのポイントを見てみろ。お前らと同等か、それ以上のポイントを増やしているだろう。今月はテストを乗り切ったお前らに対する褒美のようなものだ。一定のポイントを全クラスに支給することになっていたに過ぎない」
なるほど、だから全クラス綺麗に上昇していたのか。
「堀北は逆に喜んでいないようだな」
「いえ、そんなことはありません。この結果から分かることもありましたから」
「え、なんだよそれ」
含みを持たせた言い方に、池が疑問を持つ。
なんでそんな言い方しちゃったんだこいつ……注目受けることくらいわかるだろうに。
しかし視線が集まっても、堀北は答える様子を見せない。
そこで、代わりに平田が口を開いた。
「これまで僕たちがやってきた私語は、見えないマイナスポイントにはなっていなかった、ってことであってるかな」
「そっか。見えないマイナスになってたら今月もゼロのはずだもんな」
頭の回る平田が予測を的中させ、わかりやすい説明で池を納得させる。
「あれ、じゃあなんでポイント振り込まれてないんすか?」
問題はそこだ。
前に張り出された紙にクラスポイント87と書かれていても、俺らの端末に8700のプライベートポイントは支給されていない。
「少しトラブルがあってな。ポイントの支給が遅れているだけだ。気にするな」
「えー、学校側の不備なんだから、お詫びでポイント追加とかないんですか?」
「そんなことを私に言われても困る。ポイント関連の決定権を持っているのは担任ではない。まあ、トラブルが解決され次第、問題なくポイントは振り込まれるはずだ。ポイントが残っていれば、の話だが」
そういうと、茶柱先生は次の連絡事項の伝達を始めた。
またこの人は意味深な一言を……
2
「変わってるようで変わってないよな須藤のやつ。退学した方が良かったんじゃないか?」
誰かのそんな言葉が耳に残る。
須藤は放課後、部活に向かおうとしていたところを茶柱先生に呼び出されていた。
さっきの言葉は、また何かやらかしたのか、というニュアンスと、呼び出しを受けた際の先生に対する態度が悪かったこと、この二つの意味で言ったんだろう。
だが、部活に情熱を注ぎ、バスケを人生の中心に置いている須藤にとって、その行く手を阻まれてまで呼び出されるのはよっぽど嫌なことだろうな、とは察する。
もちろん、須藤の態度には問題ありだが。
「あなた達もそう思う?彼は退学すべきだと」
さっきの声は堀北の耳にも届いていたのか、綾小路と俺に問うた。
「オレは別に」
綾小路がさらっと答えた後、俺も少し考えてから答えた。
「俺は須藤に関しては退学すべきじゃないと思う」
「綾小路くんとは違ってはっきり言うのね」
「理由は前に伝えた通りだ。体力バカのあいつは、いずれどこかで役に立つかもしれない。で、お前はどうなんだよ」
堀北も、須藤たちの勉強を全面的にフォローした身だ。多少なりとも思うところはあるのだろうか。
「そうね。須藤くんがクラスにとってプラスになるのか、それはまだ未知数ね」
どうやらそんなことはないらしい。
須藤よ、お前の想い他人はお前に無関心だぞ。
堀北は帰り支度を終えて立ち上がり、綾小路も同時に荷物を持って席を立った。
この2人は最近、寮まで一緒に帰ることが日常になっているらしい。
「お前も帰るか?」
「いやいい。いつも通り2人で帰れよ」
綾小路の提案を丁重にお断りする。
なんとなくの雰囲気で分かるが、あの2人の間には共有する秘密がいくつかある。
俺が綾小路について知っていることといえば、テストで点数がある程度取れる、喧嘩めっちゃ強い、顔もそこそこ良い。あれ、綾小路って意外に高スペックじゃね?
もっとも、点数が取れると言うのは俺が実際に目にしたわけではなく、堀北があの日、職員室の前の件で言っていたから発覚したことだ。
加えて、会長と綾小路が対決した時の綾小路のあの俊敏な動き。運動神経も相当なもののはずなのに、プールでは平々凡々の速さだった。
綾小路は意図的に自分の能力を隠している。これだけはどうやら間違いなさそうだった。
自分の秀でた部分を隠したがる、と言う意味では、佐倉もまたそのタイプの人間だ。
佐倉の容姿のレベルは相当高い。堀北や櫛田とは違うタイプの美人だ。
しかし、自撮りが趣味であると言う彼女は、カメラの前以外では眼鏡をかけてそれを隠し、地味な雰囲気を意図的に醸し出して、容姿の良さを表に出さないようにしている。
見た感じ、人付き合いは俺並みに苦手そうだ。人見知り具合とか、割と親近感を感じる。
ジェットコースターで自分より怖がっている人を見ると落ち着くのと同じで、自分よりオドオドしている人を見るとこっちは挙動不審にならない。そのせいで佐倉は、俺が人並みにコミュニケーションを取れると勘違いしているかもしれない。
藤野と初めて話した時のキョドリ具合や、綾小路にいきなり自己紹介されたときの驚き具合を見てれば、そんなことはないというのは一目瞭然なんだが。
綾小路と堀北に数分遅れて、俺も荷物を持って教室を出る。
教室を出て、廊下の角を曲がったところに、その人物はいた。
「あ、速野くん来た」
「悪い、少し遅れた」
俺の数少ない知り合いで、この学校で最優秀のAクラスに所属しているその少女は、名前を藤野麗那という。
綾小路が堀北と帰る習慣を作ったように、俺も3、4日に1日ほどの割合で藤野と帰る習慣がついていた。
と言うのも、俺も藤野も朝昼晩三食を全て自炊している。
もちろん、Dクラスの俺が単純に材料を買って自炊していたら、ポイントがいくらあっても足りない。
しかし、この学校の敷地内にはいたるところに「無料」のものが売られている。
それはスーパーでも例外ではなく、食品館の一角には無料の食材コーナーが存在する。
品質も品揃えも一般の有料のものとは比べ物にならないが、男子高校生がちっぽけな飯を作るだけならこれでも十分だ。
一度寮に戻ってからスーパーに出かけるより、学校帰りにそのまま行くほうが手間が省ける。そのため、事前に買い物に行く日を決め、ついでということで藤野と一緒に材料を買いに行っているということだ。
……なんか、リアルが充実してきている感じがするぞ。いい傾向だ。
靴箱で外履きに履き替え、外に出る。
季節は夏に近づき、気温が上がってくるこの時期。
このブレザーを煩わしく思うようになる日も近いだろう。てかすでに脱ぎたい。
「今日は何買うの?」
藤野の左手には、今日買う食材の一覧がメモされた紙が握られている。
「いつも通り、行ってから決める。メモ書いても、どうせ予定通りにいかないことの方が多いしな」
俺も最初のうちはきっちりメモをとって決めていたのだが、結局はスーパーにいるときの気分でメニューが変わることに気づき、以降は全く決めなくなった。
中に入り、無料のコーナーから今日は何を作ろうかと吟味する。
……今日は肉って気分じゃないし、野菜炒めでも作るか。
そう決め、まずはキャベツを取ろうとする。
その瞬間、女子のものとみられる細い腕が見え、瞬間的に手を引いた。
「……堀北?」
俺の右側にいたのは、綾小路と帰っていたはずの堀北だった。
「久々に嫌な偶然ね……あなたも買い物?」
嫌なのかよ。悪かったな。
「まあ、な。お前が綾小路と帰るときって寄り道無しじゃなかったか?」
「材料が切れていたのを失念していたのよ」
「珍しいな」
堀北でもこういうミスはするんだな。
考え事でもしていたんだろうか。
「あれ、速野くん?」
そこに、少し離れた無料コーナーで買い物をしていた藤野がひょこっと顔を出す。
「奇怪なこともあるのね。あなたが誰かと買い物するなんて」
「奇怪とまでいうか……」
「えっと……」
いきなりの見知らぬ人間の出現に、流石の藤野も戸惑いを見せる。
堀北の方は全く気にかけていないようだが。
「……お前のこと紹介しといていいか?」
「はあ……勝手にすればいいわ」
ため息をつき、うんざりしたようにそう呟く。
「同じクラスの堀北って奴だ。なんか悪かったな」
「ううん、全然。えっと、藤野麗那です。よろしく」
「よろしく。では、さようなら」
「えっ……」
そう言って、堀北はスタスタとレジに向かって歩いて行ってしまった。
俺たちが来る前に、既にキャベツ以外の材料は買い揃えてあったようだ。
「悪い、ちょっと」
「あ、うん……」
藤野に一言断りを入れ、堀北を追いかけて声をかけた。
「おい堀北」
「何? まだ何かあるの?」
少しは改善されたとはいえ、他人との関わりを嫌い遠ざける性質はまだまだ健在だ。
今回の場合、自己紹介を求められる雰囲気になる前に素早く退散したんだろう。
「言っておくが、あいつは多分お前が見下せるレベルの人間じゃないぞ」
「……どういうこと?」
「あいつについて知ってること、何かあるか?」
「あるわけないでしょう。今日初めて会ったのよ」
まあ、そりゃそうか。
「あいつの所属クラスは……Aクラスだ」
「………」
表情には出さないが、雰囲気がこわばったのがわかった。
「まあ、俺らとは違って超優秀ってことだな。これをどう受け取るかはお前の自由だが……現時点でのお前の目標なんだろ? Aクラス」
「……確かに私はAクラスに上がることを目標に設定したわ。でも、私はまだ自分がDクラスであることを認めてはいない」
「……つまり、お前はあいつより優秀な自信があるってことか?」
「随分彼女のことを持ち上げるのね。私と彼女のどちらが優秀かは測りかねるけれど、仮に彼女の方が優秀だったとして、そこまでの差があるようには思えなかったわ」
かくいう俺も、藤野と堀北のどちらが優秀か、それは分からない。
堀北に関しても藤野に関しても、知らないことが多すぎる。
藤野の学力レベルは堀北と同等。以前聞いたが、あいつの小テストの点数は90点。中間テストは5科目総合で494点。優劣はつけられない。
堀北は運動能力も高いが、藤野はその項目についてまだ未知数だ。
コミュ力は誰がみても藤野に軍配があがる。これは当たり前。
分かっている比較項目はこれだけだが、お互い、まだ明らかになっていない優秀な部分があるかもしれないし、期待外れに能力が低い項目もあるかもしれない。
「まあ、今の時点で判断はつかないが……お前が本気でAクラスを目指してるなら、藤野の関門は避けては通れないと思うけどな」
「……抽象的すぎるわ。全て想像でしょう?」
「そうだ。でも、変にポジティブな希望的観測よりよっぽどマシだろ?」
特に堀北のようにゴールが大きい場合、常に最悪のケースを想定して行動しなければならない。いくら用心してもしすぎることはない。
「……そうね。一理あるわ」
どうやら意見の一部を取り入れてくれるようだ。
「もういいかしら」
「ああ、言いたいことは言った。じゃあな」
「ええ、さようなら」
堀北は俺の方を見向きもせず、言葉だけでそう言った。
3
「私、嫌われちゃったかな……」
「あれで普通だから大丈夫だ」
あれでも改善されてる方だ、とは言えなかった。
まあ、フレンドリーな堀北なんて堀北じゃない。アレも一つの個性、と言ってしまえばそれまでだ。
買い物袋を手にひっさげて店を出る。
俺も藤野も2つずつ袋を持っていた。
少し歩いてから、藤野が思い出したように言う。
「そう言えば、なんかトラブルがあってポイントの支給が遅れてるって……」
「なんかそうらしいな。ったく、お前らが羨ましいよ」
Aクラスのクラスポイントは、今月1000超えている。それ以前も950弱のクラスポイントをキープしていたはずだ。
「参考までに、お前いくら残ってるんだ?」
「えっと、大体240000くらいかな……」
これまでに使ったのは大体40000ポイントか。藤野に友達が多いことを考えると、まあまあ切り詰めている方なんじゃないだろうか。
「速野くんは?」
「あー……当初のポイントは大体9000弱くらい使ったな」
「相変わらずすごい切り詰め方だね……」
「Dクラスの奴らは5月以降、1ポイントも使えてない奴もいるぞ」
四月の最終日に全てのポイントを使い切った、って奴もいたし。
「それに、一緒に出かける奴もいないしな……」
「ここでこうしてることはお出かけに入らないの?」
「これは金がかかってないからな。俺が言った『出かける』ってのとは意味が違うだろ」
「あ、そっか。……でもそう言えば、速野くんと週末にお出かけしたことなかったね」
確かに、週末はちょくちょくチャットのやり取りがあるだけで、実際に顔を合わせるのは学校のある日だけだ。
「そだ。今度遊びに行かない? Aクラスの人も何人か一緒にさ」
「それはDクラスの財布事情への当てつけですか……」
「あ、違うよ……奢ってもいいよ?」
「断る」
「えー?」
確かに奢ってもらえれば金銭的な負担はゼロになるが、そう言う問題じゃない。
「Aクラス、なんかギクシャクしてるんだろ?」
以前、クラス内で派閥争いがあってクラスが二分されていると相談を受けた。その時にちょっとしたアドバイスはしたが……まあ、間に受けてはいないだろうな。
「大丈夫だよ。一緒に行くとしても、ギクシャクした人同士は連れて行かないよ」
「まあそうだろうけど……それに、お前はどうか知らないけど、Aクラスの奴らは多分、大体俺らを『不良品』だって見下してるだろ。いい気はしないな」
Aクラスが、と言うよりは学校全体が、という方が正しいだろう。そういう風潮が、おそらく俺たちが入学する何年も前から染みついている。
「……確かに、ごめん。そういう雰囲気があるのは否定できないかも……でも、私はそんなことしないよ?」
「お前がそうだとは言ってない。それに、いい気はしないと言っただけで、見下すなと言ってるわけでもない。実際見下されても仕方のない結果が数字として出てるわけだしな」
Dクラスがポイントを全て吐き出した期間中も、Aクラスはしっかりとポイントをキープしていた。
格の違いは明らかだ。
「それから、知り合いの知り合いって一番気まずい位置なんだよ。さっき堀北がいた時、お前少し居づらかっただろ?」
「あー……確かに」
「それにあれだ、こんな形で奢られたら、俺も奢り返さないと気が済まなくなるからな」
「そんな、気にしなくてもいいのに……」
「味噌汁の件ではお前も同じようなこと言ってただろ」
何か施しを受けると、何かを以ってお返しをしないと気が済まない。
これはもう人間の性としか言いようがないだろう。ただより高いものはない、という諺の原義でもある。
「そっか、そうだよね」
「分かってくれたか」
「うん。でも、速野くんが遊びたかったらいつでも誘ってね?」
「それを考えるのはもうちょっとポイントが入ってから、だな」
「楽しみにしてるね」
藤野は笑顔でそう言った。
いつになるかは分からないが……藤野と遊びに行くのは、必要経費に入れてもいいんだろうか。
そんなことを考えつつ、寮への道のりを歩いた。
最近9000文字オーバーしてたので、今回は少なめです。
感想、コメントお待ちしております。
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ep.14
1
翌朝のホームルーム。俺たちに衝撃的な事実が報告された。
「須藤とCクラス生徒3人の間にトラブルがあった。分かりやすく言うと喧嘩だな」
喧嘩、というと、須藤の場合殴り合いでもしたんだろうか。
そんな風にしか考えていなかったのだが、事はそんな他人事ではなかった。
その報告に続き、須藤が停学処分を受けるかもしれないことや、クラスに連帯責任ということで、今月のクラスポイントが没収される可能性がある、なんて話まで出てきた。
頑張って貯めたクラスポイントがゼロになるかもしれない。その恐怖や理不尽さから、教室内はざわついていた。
「……結論が出ていないのはどうしてですか?」
平田が質問する。
Dクラス全体の雰囲気として、かすかな疑問点も質問するようになっていた。主に聞くのは平田だが、茶柱先生のように叩けば叩くほど埃が出てきそうなタイプには有効な手だ。
「須藤側とCクラス側で主張が食い違っているからだ。Cクラス側は一方的に殴られた、とのことだが、須藤は自分が呼び出されて喧嘩を売られた、と言っている」
「俺は嘘なんてついてねえよ。正当防衛だ」
須藤はそう主張するが、クラスメイトの多くはその言葉を懐疑的に捉えている。
「だが須藤、お前の言い分には証拠がない。違うか?」
「は? そんなもんあるわけねえだろ」
「つまり双方の主張のうち、どちらが正しいとも言えない状況だ。だから結論を出すのが長引いている。ことによっては責任がどちらに傾くかが大きく変わってくるからな」
双方の意見が相反している。つまり、どちらかが嘘をついているということだ。
須藤は正当防衛だと言ってたな。つまり、防衛手段としてそのCクラスに生徒に手を出したんだろう。
須藤が怪我をしているところを見たことがないことからすると、Cクラス生徒だけが一方的にやられた、ってところか。
そしてその時の傷がCクラスの訴えの根幹になっているわけだな。
「須藤がいた気がするという目撃者が出てくれば、状況に何らかの変化があるかもしれない。どうだ、誰かこの中で須藤とCクラスの生徒が喧嘩している場面を見た者はいるか?」
茶柱先生は目撃者に挙手を呼びかける。
だが、それは須藤のためというより、事務的、機械的に行われているものだった。
茶柱先生は言い回しが独特で面倒だが、どちらに肩入れするわけでもない中立公平な姿は、個人的には嫌いではない。
「残念ながら須藤、名乗り出るものはいないようだな」
「ちっ……!」
須藤はがっかりしたような表情を浮かべ、目を伏せる。
「今、全クラスで同じような呼びかけが行われているはずだ」
「は!? バラしたのかよこのこと!?」
須藤は狼狽しているが、クラスポイント支給の遅延の原因にもなっているこんな事件、遅かれ早かれ明るみに出ていただろう。
「とにかく、この話はここまでだ。責任がどちらにあるか、どのような罰を受けるのかも含めて、最終的な判断は近々下されることになるだろう。それではホームルームを終了する」
そう言って、先生は教室を出て行く。
それとほぼ同じタイミングで、須藤も教室を出た。
自分を疑っている雰囲気のある教室に居づらくなったのか、あるいはここにいると自分を抑えきれそうになかったからか。
もしも後者なら、須藤も少しは成長しているということか。
しかし、須藤が出ていくやいなや、次から次へと須藤に対しての文句が噴出する。
その中には、須藤と普段からつるんでいる池や山内もいた。
つるんではいても、不満はある、ってことか。
いよいよ収集がつかなくなってきた時、櫛田が立ち上がった。
「みんな、少し私の話を聞いてくれないかな。須藤くんは確かに喧嘩しちゃったかもしれないけど、本当に巻き込まれただけなの」
「巻き込まれたって、櫛田ちゃんは須藤の言ってること信じるのかよ?」
池は少し不満そうに櫛田を見る。
その視線をしっかり受け取った上で、櫛田は事の詳細を語り始めた。
要約すると、須藤がバスケ部のレギュラーを取りそうで、それに嫉妬したCクラスのバスケ部が、須藤にバスケ部をやめろと脅してきた事。須藤は先に仕掛けられ、防衛のために相手を殴った事。
俺らが知らなかった情報がどんどん入ってくる。
クラスのほとんどは櫛田の必死の説明に聞き入っていた。
「改めて聞きます。もしもこのクラスの中や、知り合いや友達にこの事件を目撃したっていう人がいたら、教えてください。お願いします」
そう言って、櫛田は着席した。
櫛田が説明した、嫉妬で喧嘩に発展、という流れは、確かにあり得ない話ではない。だが、それは並かそれ以下の高校なら、だ。
Cクラスに生徒がそんな短絡的思考で動くなら、Dクラスの何人かの方がよっぽどマシだ。平田や櫛田なんて、そもそもなんでDクラスにいるのか分からないし。
「でも、やっぱり俺須藤の言ってる事信じらんねえよ。あいつ中学の頃喧嘩ばっかやってたらしいしさ」
「私、廊下でぶつかった子の胸ぐら掴んでるの見たよ」
など、須藤の悪行を表すエピソードが出てくる。
櫛田の力をもってしても、クラス全員に賛同を得ることはできなかった。
こうして聞いていると、須藤という人間の悪名高さがよくわかる。
そもそも須藤の話が信頼されていないのも、須藤のこれまでの態度が原因の1つだ。
疑いがかけられてるのが平田だったら、男女口を揃えて「あり得ない」と言っていたはず。
築いてきた信頼度の差は大きい。
「僕は信じたい」
そう言ったのは、今ちょうど頭の中で思い浮かべていた平田だった。
「他のクラスの人が疑うならそれは仕方ないかもしれない。でも、同じクラスの仲間を信じてやれないのは、僕は間違ってると思う」
「私も賛成ー。濡れ衣だったらひどい話だし」
平田の声に続くようにして言ったのは軽井沢だ。平田と付き合ってるとかいないとか、そんな話を聞いたことがある。
軽井沢本人が持つリーダー気質と、平田のガールフレンドという肩書き。
Dクラス全体というより、Dクラスの女子のリーダー格だった。
その軽井沢が須藤擁護に回ったのを機に、女子はだんだんとその方向に流れ込んで行く。
それをみた男子の方も、須藤擁護という形でだいたいまとまったようだ。
集団行動が得意というべきか、我が弱いというべきか。
とはいえ、俺もとりあえずはその流れに逆らわないことにした。
須藤の無実が証明されれば、クラスポイントの没収がなくなったり、色々俺にとってもプラスになるかもしれないしな。
2
「フェードアウト、の予定だったんだけどな……」
「……ん、なんか言ったか綾小路?」
「なんでもない……」
よく聞き取れなかったが、まあいいか。
昼休み、食堂に集まっていたのは、1ヶ月半前の勉強会のメンバー7人だった。
俺はいつものように弁当を持ってきていたので、食堂で弁当を食べるという若干異様な光景が作り出されている。
「全く、あなたは次から次へとトラブルを運んできてくれるわね」
堀北が呆れた様子で須藤を見る。
「ま、仕方ないから助けてやるよ」
「ああ、悪いな」
ついさっき須藤のことを攻め立てていた池だが、本人を目の前にして手のひらを返したように態度を変えている。
「それと堀北、また迷惑かけちまって悪い。でも、本当に俺は悪くねえんだ。嘘ついてるCクラスに一泡吹かせてやろうぜ」
須藤は少しテンションを上げて堀北に言う。須藤は堀北を好いているようだし、また一緒に動けると思って嬉しいんだろう。
「悪いけれど、私はこの件、協力する気にはなれないわね」
だが、堀北はそんな須藤の声をバッサリと切り捨てた。
「あなたはどちらが先に仕掛けたかに話の重きを置いているようだけど、それは些細な違いでしかないことに気づいているかしら?」
「さ、些細ってなんだよ。全然ちげえだろ!」
「そう。そう思うなら、精々頑張るといいわ」
素っ気なく言い、堀北は飯にほとんど手をつけないままお膳を持ち上げ、立ち上がった。
「何だよそれ! 俺ら仲間じゃなかったのかよ!」
「仲間? あなたと仲間になった覚えはないわ。そもそも、何より重要なことに気がついていない愚かな人間と、話すことは何もないわ」
毒舌を浴びせ、須藤が唖然とする中、そそくさと歩いて行ってしまった。
「何だよクソっ!!」
「あっ」
須藤が拳を机に叩きつけた衝撃で、箸でつかんでいた人参が床落ちた。
「……」
おい、またか須藤。
言っとくが、お前が俺の靴をカップ麺のスープで汚したの、許した覚えはねえぞ。
汚れは水で流せても、この気持ちは水に流せない。
……まあ、今はそのことはどうでもいいか。
堀北の言いたいこともわかるが、あいつに少し確認したいことがある。
「悪い、ちょっと外す」
「お、おいお前まで抜けんのかよ!?」
「違う。弁当箱はここに置いとくから。すぐ戻る」
須藤を制しながら立ち上がり、堀北を追う。櫛田も不安そうな顔してるが……まあ、うん、なんかごめんね。
堀北の姿を捉え、声をかける。
「堀北」
「はあ……昨日と同じね。あなたストーカー?」
「お前を好き好んでストーキングするやつなんていねえよ……」
やったら殺されそうだし。
コンパスとかで。
「で、何か用かしら。まさかとは思うけど、野暮なことを言うつもりじゃないわよね」
「引き止めはしない。お前の言ってることも分からんでもないからな」
こいつは今回の事件、須藤にも原因があると考えている。
俺は須藤擁護派だが、須藤の責任がゼロかといえばそうは思っていない。
「ただ、お前何か知ってるだろ」
「何の話?」
「今日の朝、教室で櫛田が演説してたときのことだよ。まあ、これに関しては勘ぐったとかじゃなくて偶然なんだけどな……お前あの時、櫛田の話聞かずにどこか向いてただろ。一点見つめてたようだったけど、お前あの時何見てたんだ?」
そう聞いた俺を、堀北は睨む。
「……あなたに教える必要がある? それに、私が何を見ていたかくらいわかっているんじゃないの?」
「やっぱり何か見てたのか。言っとくが、何見てたかなんて本当に知らないからな。皆櫛田の話聞いてるな、と思って周り見渡したときに、全力でそっぽ向いてるお前が目に入っただけだ」
正確には、堀北が櫛田の話をどう聞いているかが気になって、ピンポイントで堀北見てたんだけどな。
それを言うと話が面倒な方向に行きそうだったので、こういう形での主張にした。
「まあ、話したくなければ話さなくて良い」
無理に聞いても何も話してくれないだろう。というか、無理やり聞こうとしたら俺の心が傷ついて終わりそうだ。
「ただ、綾小路あたりには話を入れといても良いんじゃないか?」
「……なぜそこで彼の名前が出てくるの?」
「他の奴よりマシだろ」
「……私の勝手にさせてもらうわ。話はそれだけ?」
「ああ、呼び止めて悪かったな」
そう言って堀北の前を離れ、須藤たちがいる場所に戻る。
取り敢えず、堀北が何か知っていることは確定だ。具体的に何を、かは皆目見当もつかないが。
「おせーぞ速野」
戻ってきた俺に、須藤が軽く手を上げて言う。
「ああ、悪い……あれ、櫛田は?」
「櫛田なら、知り合いがいるとか言ってさっきどっかに行ったぞ」
俺の質問には綾小路が答えた。
まあ、あいつ知り合いめちゃめちゃ多いだろうしな。
「で、何の話してたんだ?」
「そうそう、この中の誰が一番早く彼女作るかって話なんだけどよー」
「……」
こいつら、一体なんのためにここにいるんだ……?
3
昼休みに脱線しかけた話は、放課後に目撃者を探すということで意見がまとまった。
平田たちも似たような結論に至ったらしい。
クラスの二枚看板、平田と櫛田が本格的に動くことを決意し、クラス全員に協力を要請した。その2人をもってしても、やはり全員の協力を取り付けるのは無理だったようだ。
「じゃあ、私は帰るわ」
そして非協力的な立場を取っているのは、堀北もまた然りだった。他と少し違うのは、必ずしも須藤憎しでその立場にいるわけではないということくらいか。
「本当に帰っちゃうの?」
「ええ」
櫛田の呼びかけもばっさり切り落とし、そのまま教室をさっさと出て行こうとする堀北。
一瞬目があったが、向こうの方から目線を切られ、そのまますっと歩いて行ってしまった。
……いや、別に止めるつもりはありませんから。
その姿を確認してから、俺は池と山内が座っている場所に向かった。
「あ、速野。やっぱ堀北のやつ帰っちまったな」
「そうだな。まあ、俺たちでやるしかないだろ」
「でもよ、なんか冷たくないか?」
……果たして、ここで池と山内に堀北の真意(を俺が勝手に予想したもの)を伝えるべきだろうか。
須藤に伝えるのが得策ではないことは分かりきっているが、この2人となると少し判断が難しい。
須藤を助ける会のメンバーに櫛田がいる限り、この2人が抜けることはないと思うが、俺が与えた理屈を利用して手を抜くことも考えられる。
ひとまず、今は伝えるべきじゃないな。
そう結論づけたとき、櫛田と綾小路がこちらに来た。
「私、堀北さんを追いかけたい」
櫛田が開口一番、そう強く意気込む。
「いや、あいつ帰っただろ。それもたった今」
「それでも、諦めないで頼めば協力してもらえるかもしれない。それに、堀北さんがいてくれたら心強いし」
「そうだな。それは否定しない」
綾小路も櫛田の発言に乗っかる。
「池くんと山内くんは、ここで待っててくれるかな」
「「オッケー」」
「速野くんは……」
一瞬迷い、俺の表情を伺う櫛田。
「……いや、行くなら2人で行ってきてくれ」
「うん、分かった」
どうせ言われるのは、昼休みに言われたこととほぼ同じことだろうし。
納得した様子の櫛田は、綾小路の腕を引いて教室を出、堀北を追いかけた。
「な、おいてめえ綾小路い!」
「何してんだあ!」
その様子を見た2人は怒り心頭の様子だ。
「クッソー、綾小路のやつ……」
「落ち着けよ」
「これが落ち着いてられるか! い、いま櫛田ちゃんが綾小路の手を引いてっ……」
2人のうち、特に池が悔しそうに言う。
「まあ、あれだ。クラスのために一生懸命やれば好感度も上がるんじゃないの、多分」
その悔しさを何とかこの事件解決の動きへ昇華させようと、池にアドバイスした。
「そりゃそうなんだろうけどさー……てか速野。お前は櫛田ちゃんのことどう思ってんだよ」
「そういや聞いたことなかったな。で、実際どうなんだよ? 狙ってんの?」
突如として始まる質問攻め。もうほんと何なんだよこいつら……
「ちょっとは考えろよ。俺が櫛田のこと狙ってたら、さっきついて行くはずだろ」
さっきの行動を思い出させて納得させる。
「確かに。あ、てかお前彼女いるんだっけ?」
「俺それ前に否定したよね? 覚えてないのかよ」
「あー、そうだっけ。悪い悪い」
はあ、失礼なんだかバカなんだかコミュ力が高いんだか……でも、コミュ力高くても失礼じゃないやつはいるからな。平田とか藤野とか櫛田とか。逆にコミュ力ないくせに失礼なやつは堀北……と、多分俺も入る。
時々、申し訳程度に会話に参加しながら教室で待機していると、ドアが開いた。
「ごめん、ダメだった」
「そりゃ残念」
「櫛田ちゃんは悪くないよ。俺ら頑張るからさ!」
「うん、ありがとね。池くんも山内くんも」
是非とも2人には頑張っていただきたい。戦力になるかは別として。
「じゃあ、どこから聞いて回る?」
「なあ、Bクラスから聞くのはどうだ?」
提案したのは、意外にも綾小路からだった。
「え、どうして?」
「一番目撃者がいてほしいクラスだから、っていう理由だけだけどな」
はあ、なるほど。
「ごめん、ちょっとよくわかんない」
「綾小路は多分、利害の一致を言いたいんだと思うぞ。Bクラスとしては、Cクラス側に責任があるって分かった方が助かるだろ。Bクラスにとって、DクラスよりCクラスの方が脅威だしな」
「そういうことだ」
どうやら俺の説明は当たっていたらしい。
「確かに、じゃあCクラスに聞くのは最後にした方がいいかもだね。でも、それならAクラスでもいいんじゃないかな?」
「Aクラスに関しては、ちょっとわからないことが多すぎて気がすすまないな。それにAクラスにしてみれば、CとDの揉め事なんてさして興味もないだろうし」
俺としては、藤野がいる分Bクラスの方が知らないことだらけだが、それを加味しても、俺も綾小路と同じくBクラスがいいと思った。
「じゃあ、早速Bクラスにゴーだねっ」
「ちょいストップ」
「うにゅぅ」
「ふああああ……」
駆け出そうとした櫛田の首根っこを綾小路が掴んで止める。櫛田の可愛らしい反応に池も山内もメロメロだ。
「聞き込みには櫛田のコミュニケーション力が必要だが、これは友達を作るのとはわけが違うぞ」
「そうなの?」
「Bクラスに知り合いは?」
「いるよ。仲良くなったって言い切れる人は少ないけど……」
「なら、その人たちから当たってみよう」
綾小路なりの作戦なのだろう。信用できる人物から当たっていくのは、時間はかかるが良策だ。ただ、なんか今日は妙に主張するな綾小路。
「なんかすげえ面倒じゃねそれ? 一度にぱっと聞いた方が早いって」
「私もちょっと消極的すぎるって思うな。いい手だとは思ったけど、それだとタイミングが悪くて本当の目撃者に話がいかないこともあるかもしれないし」
「そうだな、確かにそうかも知れない。櫛田がいいと思う方法でやってくれ」
「ごめんね綾小路くん」
申し訳なさそうに謝る櫛田。綾小路は気にするなと言いたげな表情でそれを見ていた。
その数分後、聞き込みのためにBクラスの教室まで移動した。
Bクラスの様相は、意外にもDクラスとそこまで変わりがなかった。
Dクラスと違って落ち着いた雰囲気かと思っていたが、全くそんなことはない。むしろ雰囲気の明るさで言えばDクラスにも勝るだろう。
Dクラスをいいとこ取りしたようなクラスだな。
初めて他クラスの教室前まで来た俺は、今、Bクラスに臆することなく入っていった櫛田のすごさに感心していた。綾小路は予想通りとして、池や山内までちょっと帰りたそうな顔してるのに。
だが、結局須藤の喧嘩に関する有力な情報は手に入らず、そのまま教室に戻った。
実はこの時点で書き溜めが尽きました。更新スピード一旦遅くなると思いますが、これからもよろしくお願いします。
感想、評価お待ちしております。
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ep.15
ただ、少しはオリジナル要素入れました。丸10個を満点とすると、丸3個、つまり○○○オリジナルってことです。なんか卑猥ですね。
では、どうぞ。
1
7月に入って数日。日に日に暑さが増していく今日この頃。
高度育成高等学校の校舎内は、殆どの箇所で空調が効いており、授業中は暑さを感じることはない。
外界の気温を肌でひしひしと感じるのは登下校の時間だ。
学校へ向かう道のり、比較的汗をかきやすい体質である俺は、持参しているハンカチで何度も汗を拭きながら歩いていた。絶対後で臭くなるパターンだよこれ。
「あ、あのっ……」
突然声が聞こえて振り向くと、そこにはオドオドした佐倉が立っていた。
「佐倉……どうしたんだ?」
「え、えと、その、お、おお、おはようございませっ」
変なところで噛むなよ。いらっしゃいませと混ざってるぞ。
「……おはよう」
噛んだところには突っ込まず、一応俺も挨拶を返す。
焦り具合がバスケットコートの時よりひどい気がする。暑さでおかしくなったのか?
「どうしたんだ。俺になんか用か?」
聞くと、佐倉の身体がビクッと跳ねた。
挙動不審すぎる……
ひとまず歩きながら、佐倉の言葉を待つこと数分。
カップラーメンが一個できるくらいの時間が経ち、ようやく佐倉は口を開いた。
「あ、あの、実は、わ、私……」
「……」
「その、す、すうう……」
「……吸う?」
「す、すす、すど……」
「……すど?」
「す、素通りできない性格でっ! こえ、かけたんですけど……」
「そ、そうなんですね……」
あまりにも不可解な佐倉の態度に、俺はそう頷くしかなかった。
だが!普段の佐倉なら絶対俺のことなんてスルーしてるはずだ。
佐倉の言いたいことが分からない。
「で、ではっ!」
そう言うと、佐倉は小走りで先に行ってしまった。
「……佐倉は何がしたかったんだ?」
わけのわからない佐倉の振舞いに呆然としていると、肩をちょんちょんと触られた。
「ん?」
「おはよ、登校中に会うの初めてだね」
後ろに立っていたのは、先ほどの佐倉とは真逆の、明るい雰囲気を放つ藤野だった。
「ああ、おはよう」
「さっきの子、同じクラス?」
「ん、ああ。俺と同じでコミュ力がない子でな」
なんなら俺よりもひどいかもしれない。
俺も初対面の人に対してはかなり挙動不審になってしまうこともあるが、2回目以降なら多少和らぐはずだ。
「私思うんだけどさ。速野くんって会話の力がないってわけじゃないんじゃないかな」
「は?」
「なんていうか、会話っていうより、協調性がないんだよ、多分」
「それどう違うんだ……?」
「だってほら、私とはちゃんと話せてるでしょ?でも、周りに合わせて、っていうのはできなさそうだもん」
「……なるほど」
いや、まあバッチリメンタルにダメージは来てるんだが、確かにその通りだと納得してしまう。
俺は自分から話しかけるのはダメだが、人から話しかけられたら基本的には対応する。質の良い対応かどうかはおいといて。
みんなが「空気を読む」という能力を身につける時期にずっと一人でいたために、その能力がしっかり身につかないままに育ってしまったってことだろう。
「ところで、Dクラス、大丈夫?」
大丈夫、というと、十中八九須藤の暴力事件のことだ。
Aクラスにも、目撃者の挙手要請があったんだろう。
「まあ……大変といえば大変だ」
「私にも何か協力できること、ないかな?」
笑顔でそう問う藤野。
とても嬉しい申し出だ。藤野の顔は広いだろうし、目撃者探しもスムーズに行くだろう。
だが、少し疑問がある。
「お前はDクラス側の証言を信じたのか?俺に協力要請したら、自動的にDクラス側に付くってことになるが」
「主張の信憑性はDクラスの方が高いって思ってるよ。聞いたんだけど、訴えたCクラス側の3人のうちの石崎くんって人、中学ではかなりのワルだったらしくてさ。なのに話を聞くと、3対1なのに一方的にやられたって言ってるらしいし。不自然じゃない?」
初耳の情報だが、それが本当なら確かに不自然だ。
「……まあ、確かに。てか、それどこからの情報だ?」
「誰かは忘れちゃったけどね。確認したら本当のことだって」
「そうか……それ、Dクラス側で共有していいか?」
「もちろん。そのための情報提供だしね」
これで、Cクラス側の心証が多少下がるな。どちらが本当か分かっていない今の状況なら、須藤の責任も少し軽くなるだろう。
「なあ、聞いていいか?」
「うん。なんでも聞いて」
「訴えたCクラスの3人は、その石崎ってやつと、バスケ部の小宮、近藤だってのは聞いたんだが……あとの2人はどんなやつなんだ?」
「うーん、石崎くん以外の話は聞いたことないな……ちょっと友達にも聞いてみるけど、あんまり期待しない方がいいかも。何かわかったら連絡するね」
「頼む」
連絡、という単語で少し思い出した。
今の俺の端末の連絡先の数は大変なことになっている。
その数、なんと!
7人!!
ちなみに勉強会メンバー+藤野だ。祝勝会の時に櫛田に言われ、流れで全員と交換した。え、少ないって?うるせ、簡単に交換できるようなコミュ力持ってたら苦労してねえよ……多分。
校舎内に入り、DクラスとAクラスの教室への分かれ道。
「じゃあ、頑張ってね」
「ああ。情報ありがとうな」
「うん」
藤野は手を振りながら、廊下をまっすぐ歩いて行った。
2
「なんで俺最初からAクラスじゃなかったんだ……」
「Aクラスの人たちって、今頃夢みたいな生活してるんだろうなー……」
目撃者の情報交換から無い物ねだりに変わっていたDクラス教室内。どこで方向転換しちゃったのかね……
「一瞬でAクラスに行ける裏技でもあればいいんだけどなー」
「喜べ池、一瞬でAクラスに行ける方法は一つだけある」
池のつぶやきに答えたのは、教室前方の入り口の茶柱先生の声だった。
「またまた、嘘でしょ先生ー」
池は冗談半分に受け取ったようだ。
「本当だ。この学校にはそう言った特殊な方法も用意されている」
しかし、先生の様子に冗談めかした様子はない。
「え……じゃあ何なんですか、その方法って……」
山内が問う。教室内の注目も、みんな茶柱先生に向いていた。俺も知っておいて損はないと思い、耳を傾ける。
「入学式の日、お前らに説明しただろう。この学校にはポイントで買えないものはない、と。つまり、ポイントを支払えば強引にクラスを変えられるということだ」
そう言うと、茶柱先生は教室の角に座る俺、綾小路、堀北を見た。
俺は買えないものはない、から解釈して強引に取引を行なった。
あの時、俺の点数を売る以外に、須藤の点数を買うことも可能だった。実際どちらが安上がりだったんだろうと考えることもあるが……まあ、今更その件についてあれこれ考えてても仕方ないか。
「何ポイント貯めたらそんなことできるんすか!?」
「2000万ポイントだ。それを用意すれば、好きなクラスに上がることができる」
「に、にせんまんって……無理に決まってるじゃないですか……」
池が崩れ落ちる。まあ、今月の8700ポイントを必死に守ろうとしてる俺らには、ちょっと現実離れしすぎてるな。
「確かに通常は無理だ。だが、無条件で好きなクラスに行けるんだ。それくらいは当然だろう。もしも現実的な額になったら卒業前には全員がAクラスだ。そんなものに価値はない」
「じゃあ先生、前にそれでAクラスに行ったやつとかいるんすか?」
「残念ながら過去にはいない。さっきも言ったように、通常では不可能な額だ。もしも三年間、クラスポイントを1000のままキープしても、卒業までにもらえるのは360万。効率的にポイントを伸ばしても500万には届かないだろうからな。だが、システムが存在している以上不可能なことではない」
「そんなの不可能とほぼ同じじゃないっすか……」
「だが、禁止はされていない。これは非常に大きな違いだ」
段々、この学校の決まりの性格がわかってきた。ここの校則はネガティブリスト。物事を常識で測らず、どれだけ頭を使って発想できるかが鍵になってくる。
だが、教室内はこの話に関してほとんど興味を失っていた。理由はさっきも言った通り、現実離れしすぎているからだろう。
「先生、私からも質問よろしいでしょうか」
挙手したのは堀北。こいつも最近はよく質問するようになっていた。
「過去、最高でどれほどのポイントを貯めた生徒がいたのか、参考例としてお聞かせ願います」
「いい質問だ。数年前、確かBクラスの生徒だったと思うが、1200万ポイントを貯めた生徒がいたな」
「せ、せんにひゃく!?」
「まあ、結局ポイントを貯め切らないまま退学になったがな。そいつはポイントを集めるため、入学したての1年生に詐欺行為を働いたんだ。着眼点は悪くなかったが、ルール違反だ」
なるほど。入学したてなら騙されてもおかしくないな。てか、知識の浅い生徒を騙してたって言うならこの学校もそこまで変わらないと思うんだけど。
「どうやら、大人しくクラスポイントで上を目指す他なさそうね」
質問した本人である堀北も興味をなくしたようだ。
「……そうか。お前らの中に、まだ部活でポイントを獲得した生徒はいなかったな」
「は?なんすかそれ」
初耳の情報だ。
「コンクールでも、優秀な成績を修めると景品がもらえる場合があるだろう。それと同じことだ。部活で活躍した者には、その具合に応じてポイントが入る。恐らくこのクラス以外では既に伝達されているはずだ」
「そ、そんな酷いっすよ!なんで言ってくれなかったんすか!?」
「言っていたら部活に入っていたとでも言うつもりか?そんな気持ちで入った者に、ポイントが入るほどの活躍ができるか?そもそも、部活はポイントのためにやるものじゃない。このことをいつ知っても、さして問題はないはずだ」
「それは、そうかもしれないっすけど、分からないじゃないっすか!」
これもまた、伝達忘れか?俺らはまだまだ甘かったみたいだな……
「堀北。須藤を救う価値、少しは出てきたんじゃないか?」
俺が呼びかけられたわけではないが、綾小路の声に反応して後ろを向く。
「須藤がバスケ部のレギュラーになりそうだって話は聞いただろ?」
「あれ、本当の話だったのね……」
どうやら堀北は軽い冗談だと思って聞いていたらしい。
「まあ、ポイントは大いに越したことはないからな。あればあるほど行動の幅が増す」
「協力しろとは言わないが、須藤の存在も認めてやる必要があるかもな」
俺に続いて綾小路が言うと、その言葉を聞いた堀北は少し考えるような仕草を見せていた。
3
その放課後、俺は堀北の机の前に立った。
「堀北。一つ確認するぞ」
「何。私はもう帰るけれど」
言葉通り、堀北は既に帰り支度を済ませていた。
「俺が昨日言った、お前が演説中に見てたって言う人物……佐倉なんじゃないか?」
手間を取らせては不機嫌になるだろうと考え、声を潜めながらも単刀直入にそう聞いた。
「……どうしてそう思うの?」
「実は今日の朝、佐倉に声をかけられた。挙動不審で『すど、すど……』って言ってたんだよ。佐倉が須藤って言いたかったんなら、あいつが目撃者の可能性もあるだろ。もしそうだとしたら、佐倉の動きに不自然さが現れてもおかしくないし、それがお前の目に入ったんだとしたら、一本筋が通るだろ。佐倉の席はちょうどお前が見てた方向だったしな」
俺の席からは、他のやつに隠れて席に座る佐倉を視界に捉えることができない。だから堀北の視線の先に何があるのか分からなかったのだ。
根拠を説明し終わると、堀北は観念したように話し始めた。
「……認めるしかなさそうね。あなたの言う通り、私は佐倉さんを見ていたわ。彼女、櫛田さんの説明のときに話に集中するでもなく、興味なさそうにするでもなく、ただ目を伏せたのよ。自分に無関係なら、あんな態度は取らないはずよ」
「……なるほどな。それ、本人に確認はとったのか?」
「しているわけないでしょう」
「まあそうだよな」
堀北はこの件に関して非協力的だ。今、俺の予測に対して反応を見せたのも実は意外だったりする。今朝の先生の話と綾小路の言葉を聞いて、少し考え方が変わったんだろうか。
「……実は、今から確認を取ろうとしていたところよ。一緒に来てくれる?あなたの話によれば、彼女は何故かあなたには伝えようとしていたようだし、話してもらいやすくなるかもしれないわ」
「……まあ、別にいいけど」
綾小路に今日の放課後の目撃者探しには参加しない旨を伝え、その後堀北と合流。
廊下を歩くと、そそくさと帰ろうとする佐倉の背中を見つけ、堀北が呼び止めた。
「佐倉さん。少しいいかしら」
突然の堀北の声に、佐倉は身体を跳ねさせる。
「えっ?えと、何、かな……?」
「須藤くんの事件のことで、少し聞きたいことがあるわ」
「い、いや、その、わ、私、用事がっ」
「手間は取らせないわ。この件に関して何か知っていることがあれば、話してもらえる?」
「あ、わ、私は、本当に何も見てないんですっ!」
佐倉はそう言って、朝と同じように逃げ出してしまった。
「……お前、警察の取り調べかよ。めっちゃビビられてたぞ」
「単刀直入に聞いただけよ。それに、あなたも役に立たなかったでしょう」
「まあそうだけど……」
ただ、俺が質問しても大して結果は変わらなかったような気がする。一度言おうとして自分からやめてしまったし、そもそも、俺に言おうとしてたってのも俺の勝手な想像だしな。
「けれど……あの反応と受け答えからして、佐倉さんが目撃者だということは間違いなさそうね」
「……そうだな」
佐倉の対応には、挙動不審だったこと以外にも妙な部分があった。
「何か知っていることを話してくれ、って頼んだのに、何も見てないって答えるのは不自然だからな」
「ええ。彼女は墓穴を掘ってしまった、ということね」
気の毒そうに堀北が言う。まあ、佐倉は話す気なさそうだったのに俺らに勝手に目撃者認定されてるしな。
「それから、身近に目撃者がいたというのは……果たして、手放しで喜んでいいことかしら」
堀北の言う通り、あまり喜ばしいことではない。証言だけの場合、内輪では比較的話が聞きやすい分、他クラスから見ると、同じクラスをかばうための嘘だとも捉えられやすく、信憑性が低くなってしまう。
物証があれば話は変わってくるが……仮にあったとして、佐倉が協力してくれるかどうか。本人がその気にならないなら、俺は強く頼むことはできない。
何かきっかけでもあれば、佐倉も話す気になってくれるだろうか。
4
その後、今回の件について色々堀北と言い合いながら寮に戻った。
エレベーターに乗り、俺は自分の部屋の階のボタンを押す。
そして堀北は、何故か四階のボタンを押していた。
「お前どこ行く気だ?」
「綾小路くんの部屋よ。あなたの言う通り、彼には話を通しておくことにするわ」
「そうか……俺も少し気になることあるし、行くことにする」
「そう。別に気にしないわ。あなたのストーキングなんて」
「前にも言っただろ?お前を好き好んでストーキングする奴なんていないから」
やったらコンパスで眼球刺されそうだし。想像するだけで恐ろしい……
押した五階のボタンを放置し、四階でエレベーターを降りて綾小路の部屋に向かった。
時間も遅めだし、もう部屋にいるだろう。
堀北がインターホンを押すと、当たり前っちゃ当たり前なんだが、予想通り綾小路が出た。
「堀北、と速野もか」
「目撃者に関して進展はあったのかしら?」
「いや、まだ何も」
「あなたにだから話すけど、目撃……」
言いかけたところで、堀北の視線が下に向いた。
靴が5足。いつものメンバーで集まっていたということだ。
それに気づき、堀北が帰ろうとする。
「止まれ堀北」
言いながら俺は襟を掴んだ。
「うっ」
その瞬間首が絞まったのか、苦しそうな声が堀北から漏れた。
「……なんかすまん」
「あれ、堀北さんと速野くん?」
中から櫛田の呼ぶ声が聞こえる。堀北はそれにうんざりしたような表情を見せた。
「上がるしかなさそうだぞ?」
「……そうらしいわね」
玄関で靴を脱ぎ、綾小路の指示通り部屋に入る。
総勢7人。寮の部屋はこの人数を収容することを想定して作っていないんじゃないだろうか。
「お、おう堀北」
まず最初に反応したのが須藤。しかし、隣に俺の姿を捉えるとこっちを敵視するような目で見てきた。いや、その、なんかすいませんね。
「もしかして協力してくれるの?歓迎するよ!」
「別にそんなつもりはないわ。目撃者、まだ見つかっていないそうね」
「じゃあ、何しに来たんだ?」
「速野くんが気になることがあるというから、ついて来たのよ」
「おい堀北……」
突然の俺への濡れ衣。まあ確かに気になることがあるって言ったし嘘じゃないんだけど……お前さっき俺のことストーカー扱いしたよな?それでその言い草はなんなんだよ?お?と目だけで訴えておく。
「ああ、実はそうなんだ。俺がそのことを言ったら、堀北もどんなプランで行動しているのか気になる、って言ってな」
「ちょっと……」
自業自得だ、堀北。それに目撃者のことを大っぴらに言わなかっただけ感謝しろよ。
「でも、それでも嬉しいよ。速野くんは用事、もういいの?」
櫛田に言われて思い出す。そうだ、綾小路には今日用事があるからって言って抜けたんだった。
「ああ、もう済ませた」
「そっか。実は今、目撃者を目撃した人を探すのがいいんじゃないか、って話になってたんだ。事件の日、須藤くんじゃなくて、特別棟に入っていった人を見た人を探すの」
なるほど、難易度を一段階下げたか。
「悪い手だとは言わないわ。十分な時間をかければ、いずれ実を結ぶんじゃないかしら」
堀北は、暗に時間が足りていないと指摘する。確かタイムリミットは来週の火曜日だったはずだ。それまでにその作戦が功を奏すとは思えないな。
「現状は把握できたし、これで失礼するわ」
立ち上がり、俺に睨みをきかせる。いうんじゃねえぞ、ということだろうか。
「堀北。お前、何か知ってるんじゃないのか?目撃者のこととか」
しかし、それは綾小路にあっさりバラされてしまった。玄関で言いかけたもんな。仕方ない。
堀北も観念した様子で、もう一度座った。
「……あなたたちに一つ情報をあげるわ。ここで話し合っている期待の薄い作戦より、よっぽどプラスになる情報よ。須藤くんの言っていたかもしれない目撃者。いたかもしれないではなく、実際にいるわ。それもかなり身近にね」
堀北が言うと、全員が全員驚きの表情を見せる。
「な、なんだよそれ。目撃者を見つけたってことか!?」
「ええ。あとは彼から聞くといいわ。私は帰るから」
え、俺?
「お、おいいぎゃっ!!」
「さよなら」
止める間もなく、堀北は部屋を出て行ってしまった。つかなんで俺の足踏んづけてんだ……あれか、さっきの襟掴んだやつの仕返しか?
「だ、大丈夫?え、待って。速野くんも知ってるってこと?」
櫛田が言うと、一斉に俺に視線が集まる。注目の視線が痛い……まあ堀北から許可出たし、いいだろ。
「あいつが見つけた目撃者は……多分佐倉だ」
「佐倉さんって、同じクラスの……?」
櫛田は分かっているようだが、池や山内は誰そいつという感じだ。
「速野、根拠はあるのか?」
綾小路に聞かれる。一応示しておいたほうがいいか。
「俺が直接見たわけじゃなくて、堀北が言ってたんだけどな」
そう前置きして、堀北から聞いた通り、同じように説明した。
「じゃあ、その名倉が目撃者の可能性が高いのか」
「誰だよ名倉って……可能性が高いじゃなく、多分間違いない。実は放課後、堀北が佐倉に直接聞いたんだ。認めてはいなかったが、反応からして多分、な」
「あ、あいつ、俺のために……」
今まで協力姿勢を見せていなかった堀北が実は動いていたことに、一同感動しているようだ。まあ、俺もはじめびっくりしたよ。
「えーっと、これって堀北さんが手助けしてくれた、ってことだよね?」
「本人は否定するだろうが、まあ助けになったのは確かだな」
「なーんだ、堀北ってツンデレだったんだなー」
「それ、本人の前で言ったら殺されると思うぞ池」
にんまりと笑顔を見せる池に釘を刺しておく。さっきの容赦ない攻撃見たろ?未だに踏まれたところ痛えんだけど。
「速野くんは、このこと知ってたの?」
櫛田が俺に聞く。
これはどう答えるべきだろうか。正確にいうと今日の朝だが……
「佐倉が目撃者らしいって知ったのは今日が初めてだ」
「なんだそれ。じゃあ他のことは何か知ってたってのか?」
「堀北が何か知ってるかもしれないってのは、さっき言った櫛田が前で話した時から思ってはいた。あいつ、話の途中に一つの方向じっと見てたからな。変だなーとは思ってたんだが、その時堀北が見てたのが佐倉だったってことだ」
今日の朝、と言うとあの佐倉の挙動不審な態度と発言まで言わないといけなくなり、そうするとなんで佐倉が俺には話そうとしたのかってことに話が展開されていく。多分佐倉が俺に伝えようとしたのは……あれ、知り合いっていうなら櫛田でもよくね?なんで俺に……佐倉の容姿のことをしっかり秘密にしたままでいるから、その見返りの情報提供、ってことなのか?
よく分からないな、佐倉は。てか櫛田って基本的には信頼されてるけど、たまに信頼されきってない人いるよな。藤野も櫛田にはクラスのこと話してなかったっぽいし。
「てかさ、佐倉って誰だ?」
「俺もよく覚えてないな……」
「あ、あれだろ、須藤の隣のやつだろ?思い出したぜ」
いや、確か須藤の右斜め前だった気が……
「違うよ山内くん……須藤くんの右斜め前だよ」
櫛田は訂正する。よかった、正解だったようだ。
まあ佐倉は意図的に雰囲気薄くしてるからな。俺は印象が強すぎて覚えていただけで、ここは須藤たちを責めるというより佐倉を褒めるべきだろう。口止めされてるし、言わないけど。
「まだ分かんねえな……」
「やたら胸だけでかい子、って言えば分かるか?須藤もなんか言ってたじゃん」
「あー、あの地味メガネ女か」
うわ、ひでえ言い草……
「ダメだよそんな覚え方してたら」
櫛田に注意され、池も山内もなんとか誤解を解こうとするが、そもそも誤解じゃないんだよなあ。
「速野くん、佐倉さんはどこまで知ってると思う?」
「わからん。今から聞いてもらってもいいか?」
「うーん、多分電話には出てくれないんじゃないかな……」
「今から部屋行った方がいいんじゃね?」
「あんまりお勧めできないな」
多分佐倉はそういうのを嫌がるだろう。行くならせめて櫛田が1人で行った方がいい。
「……てか、佐倉ってどんな顔してたっけ?」
池が言う。どうやら本当に胸だけのイメージで覚えていたらしい。普通顔も覚えないか?
「あれ、てか山内って確か佐倉に告白されたって言ってなかったか?」
「え?……あ、ああ、なんかそんなこと言ったような」
一瞬驚いたが、どうやら嘘らしい。この虚言癖はなんとかならないのか……
結局明日、櫛田が1人で佐倉に確認するという方針で決まった。
綾小路の部屋を出てエレベーターホールに着く。上方向に行くのは俺と櫛田だけらしく、他のやつは隣のエレベーターで帰って行った。
「あ、ねえ、そう言えば速野くん、気になることがあるって言ってなかった?」
櫛田の指摘で、部屋に入った時のことを思い出す。
「ん、ああ、そう言えばそれで綾小路の部屋に行ったんだったな。一つ聞いていいか?」
「うん」
「訴えたCクラスの3人って、石崎、小宮、近藤なんだよな」
「そうだよ。小宮くんと近藤くんは須藤くんと同じバスケ部で、石崎くんは2人の友達」
「その3人についての目撃情報はあったか?」
「あ、そういえばその方向では調べてなかったかも……」
あの場でも話題に上がっていたのは須藤の目撃者か喧嘩の目撃者。訴えた側の話題は上がってなかったな。
「その3人の写真あるか?知らなくてな」
「写真?多分あると思うよ。ちょっとまってね……」
櫛田が端末を操作し、写真を表示した画面を開いて俺の隣に来る。近い近い……
「これが石崎くんで、これが近藤くん。その左に写ってるのが小宮くんだよ」
ふーん、なるほど……
「わかった、ありがとう」
「ううん、また気になることがあったら聞いてね。電話でもいいから」
「そうさせてもらう」
そのやりとりが終わったところで上りのエレベーターが到着し、俺と櫛田はそれに乗り込んだ。
主人公が綾小路たちと連絡先交換するシーンも書こうかと思ったんですが、突っ込む場面がなくて、描写をカットした祝勝会ですでに交換していることにしました。
ハーメルンのよう実ssで一番長かった作品が急に消えてしまいまして、現状今作品が一番文字数が多いことになってしまいました。少し気になりますが、帰還お待ちしております。
原作の大幅コピーという面で私自身も心配なんですが……大丈夫、ですかね……
感想、評価よろしくお願いします。
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高度育成高等学校オリジナルキャラクターデータベース
氏名 速野知幸(はやのともゆき)
クラス 1年D組
学籍番号 ??????????
部活動 無所属
誕生日 3月27日
学力 A
知性 A
判断力 A-
身体能力 C+
協調性 E+
本年度入学学力試験を全生徒中トップで合格するなど、申し分ない成績をおさめ、面接時の受け答え、身体能力なども平均を上回るが、小学校高学年以降、友人が1人もおらず、コミュニケーション力や協調性の面で大きな問題を抱えている。このことと、別途資料における記述を憂慮し、Dクラス配属が妥当である。
担任メモ
現在数人の友人がいるようですが、協調性の改善は見られず、経過観察を続けます。
氏名 藤野麗那(ふじのれいな)
クラス 1年A組
学籍番号 ??????????
部活動 無所属
誕生日 12月24日
学力 A
知性 A-
判断力 B+
身体能力 B
協調性 A-
学力、身体能力、面接時の受け答え、協調性など全方面が高い水準にある優秀な生徒。過去に不幸もあったが、それを乗り越えることができた強い精神力も評価に値する。これらを総合し、問題なくAクラスへ配属する。
担任メモ
生徒、教師からの信頼がとても厚く、学校生活を楽しんでいるようです。
これは梅雨時の一幕です。須藤の事件はまだ起こっていません。
「速野くんって、よく分からないよね」
ある日の昼休み、俺が教室で昼飯を食っていると、正面に櫛田が来て開口一番そう言った。
「なんだ急に……」
「だって、速野くんって勉強できるでしょ?手作り弁当だから料理もできるでしょ?プール授業見ると運動もできるでしょ?それに私から見ても結構イケメンなのに、なんであんまり友達が多くないのかなーって」
指を折り曲げながら俺の長所を上げてくれる櫛田に軽く惚れそうになった瞬間、落とされてガクッとくる。
「俺を褒めてるのか貶してるのかどっちなんだよ……」
「褒めてるよ。それにほら、見てよこれ」
言うと、櫛田は端末を操作して、何やら表を見せてくる。
「なんだそれ」
「男子のいろんなランキング。ちょっと古いものだけど、ほら、速野くんは見事にイケメンランキング10位にランクインだよ」
「ふーん……」
「あれ、あんまりうれしくない?」
「堀北のセリフを借りるわけじゃないが、自分の顔を気にしたことないからな」
堀北がこんなこと言ったのは確か、須藤たちのの勉強会でCクラスに絡まれた時だったか。
「てか、俺はお前の方が不思議だけどな」
「え?」
「なんであんな簡単に友達が作れるのか本当にわからん」
俺も小さい頃は普通に友達居たんだが、段々友達がいなくなり、今では作り方も何にも覚えていない。
「うーん、頑張って話しかけて、連絡先聞いて、何回か一緒に遊んで仲良くなる、みたいな感じかな?」
「だからなんでその流れが出来るのかが謎なんだよ……」
頑張って話しかける、ハードルは高いがここまでは分かる。いや、逆に言えばここまでしか分からない。なんで次に連絡先を聞くことができるのか……
俺とは見えてる世界とか住んでる世界が違うんだろうなーとつくづく思う。
「それとあれだな。櫛田って結構ストレス溜まりそうな生き方してるのに、それをまったく感じさせないところとか」
「そんな。みんないい人だから辛いことなんてないよ?」
「……」
そう言ってのける櫛田に「嘘つけ」という気持ちを込めて少しジト目を向ける。
「……今のはちょっと盛りすぎたけど、みんないい人っていうのは本当だよ?」
「ふーん」
やっぱ櫛田でもストレスは溜まるんだな。安心材料がまた1つ増えた。あと、今の俺のジト目が多分ストレスになって蓄積されただろうな。
ストレスの発散方法も気になるが……まあ、それは聞かない方がいいだろう。
櫛田らしい可愛い方法だったらいいが、エグい方法だったら普通に引くし。
こんな感じです。キャラの容姿に関しては、イメージ的に速野は「髪が黒くなって目つきが悪くなり雰囲気も暗くなった平田」です。藤野は作中に描写しているので、それを元に妄想を広げていってください。
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ep.16
では、どうぞ。
次の日の放課後、俺はホームルーム中に強烈な尿意を感じ、終了と同時にトイレに駆け出した。
ギリギリでトイレにたどり着き、なんとかセーフ。
高校生にもなって廊下でジョーというマジで洒落にならない事態は寸前で回避された。
少し長めのトイレを終え、手を拭きながら教室に戻る。
佐倉が目撃者かもしれない、という情報は、昨日集まったメンバーのうちでしか共有されていない。
平田たちは今日も変わらずに目撃者探しするんだろう。気が遠くなるような思いだったが、まあ仕方ないか。
そう思いながら教室のドアを開けた瞬間、ドンっ、と誰かと正面衝突してしまった。
「あっ、悪、い……」
俺は大丈夫だったが、相手の方が倒れてしまったので謝りながら見おろすと、そこには件の人物、佐倉がいた。
「あ、い、いえ、こっちこそ、ごめんなさい……」
そう言いつつ、佐倉は素早い手つきで俺の足元に落ちていたデジタルカメラを拾った。
ぶつかった衝撃で落としてしまったようだ。
カメラの無事を確認したいようで、電源を入れようとする佐倉だったが、その表情にはみるみるうちに焦りが現れていく。様子が変だ。
「どうかしたか……?」
「う、嘘、動かない……」
どうやら、落下障害で壊れてしまったようだ。
……ちょっと待て、佐倉の趣味が自分を撮ることってことは、そのカメラ……
「わ、悪い佐倉……大丈夫か?」
「は、はやのく……い、いえ、不注意だったのは、私なので……さ、さよなら」
そう言って、落胆した様子でカメラを両手で持って走り去ってしまった。
やっばー……どうしよう。これ弁償した方がいいのか?いや、でもこういうのって保証効いたりするし……てか、そもそも佐倉の連絡先知らないから実際どうした方がいいのか聞けない……
不注意だったのはお互い様なので、俺だけが責任を感じろという意見には断固反対させてもらうが、それでも申し訳ないことをしてしまったのは確かだ。
ため息をつきながら教室に入ると、堀北と須藤の間で険悪な雰囲気が流れていた。
「あなたのお友達すら協力する気にはなれないそうよ」
「ったく、なんで俺ばっかこんな目にあうんだ。使えねえ連中だな」
「その言葉がブーメランになってること、自覚して言ってるのかしら?」
俺が用を足してる間に何が起こったんだ……てか、今といい、入学初日の自己紹介の時といい、俺って割と重要な時にトイレにいるよな。何だろう、この嬉しくもない不思議な縁。
教室内の雰囲気が少し悪く、今日は帰ろう、と思って荷物を取りに行こうとした時だ。
「君は退学しておいた方がよかったんじゃないか?君の存在は、もはや醜いと言ってもいい。レッドヘアー君」
その声の主は、人に変なカタカナ語をつけて語る癖があり、ポテンシャルは計り知れず、クラスでも一際目立っている男、高円寺だった。
「あ?もう一回言ってみろクソが!」
「同じことを繰り返すなんてナンセンスだ。君は理解力が足りていないようだねえ」
手鏡を見て髪型を整えながら、須藤の方など向かずに独り言のように言う高円寺に態度に、須藤も切れていた。
ガンッ、と須藤が強く机を蹴り、それまで少しは茶化すような雰囲気があった教室だが、今のでそれが消えた。帰りたい……でも、動き出せない。
「そこまでだよ、2人とも」
勃発しそうになった喧嘩を未然に止めたのは、クラスのリーダー、平田だった。
助かった。この2人の喧嘩が始まったら、多分生徒会長か……綾小路くらいしか止められる奴いないだろうからな。
「私は産まれてから、間違っていることも悪いと思うこともしたことがないのでね。君たちの勘違いだ」
「上等だ。全身の骨へし折ってから土下座させてやる」
「も、もうやめてよ2人とも!友達同士が喧嘩するの、私もう見たくないよ……」
懇願するような顔で2人の間に入ったのは櫛田だ。
今日は一際険悪な雰囲気が流れる教室だが、Dクラスのシステムは正常だ。
喧嘩が勃発しそうになる→まず平田が止めようとする→それでも止まりそうになければ櫛田が止める→なんとか鎮まる。こういう流れは今までも複数回あったことだ。
まあ、こんなシステムが完成してるからこそ、Dクラスのまとまりのなさを日々感じるんだが……俺もはみ出し者でした。えへ。
平田と櫛田に説得され、須藤は高円寺を睨みつけながら教室を出て行った。高円寺の方も、デートの時間だ何だと言って出て行ってしまった。
ふーん……やっぱ須藤のキレやすさは相当だな。
「……私、頑張って佐倉さんを説得する。もし佐倉さんが証言してくれたら、この悪い流れも変わるかもしれないから」
「そうかしら。佐倉さんが証人として出てきたとしても、学校側はそれを素直には受け取らないでしょうね」
櫛田の言葉に堀北が反論する。以前堀北が言っていた、佐倉が証人で手放しで喜べない理由はこれだ。
「じゃあ、どんな証拠なら確実なのかな……」
「奇跡を願うなら、関係しているクラス以外で事件の一部始終を目撃していて、尚且つ信頼度の高い生徒が証人なら期待できるかも知れないけれど、そんな人いないわ」
「じゃあ、どうやっても須藤くんの無実を証明するのは……」
櫛田も希望を失いかけていた。
しかし、その時。
「今回の事件、教室で起こったとかだったら、すぐにでも片付いてたかも知れないのにな」
突然、綾小路がそんなことを言い出した。
「え、どういうこと?」
「ほら、教室にはカメラが設置されてるだろ。これなら、どっちが嘘をついてるかなんて一発だと思うんだけどな」
確かに、教室の他にも校内にはいたる所に監視カメラが仕掛けられている。恐らく、生徒を監視してポイント変動の参考にするため。
もちろん、プライバシーなどに配慮してつけられていない箇所はあるが、基本的に教室には全てつけられているだろう。コンビニにもあった。
「私、全然気づかなかった……」
「お、俺も……」
「案外気づかないものね。私も始めの1ヶ月は全く気づかなかったから」
「まあ、普通の人間はカメラの有無なんて気にしないからな。いつも使ってるコンビニの前にもカメラあること、気づいてないだろ?」
お、おう、俺今綾小路に普通の人間ではない認定されちまったんだけど……まあ、仕方ないか。カメラの位置把握してる人なんて、やましい考えがある人か、よっぽど神経質な人か、偶然目にして覚えていた人か。この三つに大別される。
……さて、お前はどっちのパターンなんだろうな、綾小路。
そう思いながら、俺は横目に綾小路の顔を見た。
「綾小路くん、一緒に帰らない?」
「……」
綾小路は堀北のその誘いを聞いた瞬間、堀北の額にそっと手を当てた。
あれ、なんか前もこんなことあった気が……ああ、あれは堀北が逆に綾小路に手を当ててたのか。
「……言っておくけど、熱はないわよ?少し聞きたいことがあるの」
「まあ別にいいけど……」
「なあ、やっぱお前らデキてんじゃねえの?須藤なんてこの前、肩触っただけで殺されそうになってたのに……」
池は疑いの目で2人を見る。
「……手、どけてもらえるかしら?」
「あ、ああ、悪い」
謝りながら綾小路は手をどけた。
「帰る前に、ちょっと寄り道していいか?」
「長くならないならね」
「10分くらいだ。それと、速野も連れてっていいか?」
うん?俺?
「……別に、構わないわ」
「悪いな」
なーんでそんな不満顔なんですかねえ、堀北さん……
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
結局俺も、綾小路と堀北のコンビについて行くことになった。
綾小路が寄りたいと言った場所は、5階の特別棟。須藤の暴力事件が起こった場所だ。
「暑いな、ここ」
「そうだな」
この特別棟に近づくにつれ、人は疎ら。この場所の周辺に差し掛かってから、俺ら3人は1人の人間ともすれ違わなかった。
これは、真相が明らかになってなくても不思議じゃないな。
「悪いな。こんな場所に連れてきて」
「あなた、これ以上何をしようとしてるの?目撃者もわかって、それでも打つ手がないことは分かったはずよ」
「ま、須藤は初めて出来た友達だからな」
「何だそれ。お前やっぱり事なかれ主義じゃないだろ」
「俺が1人でここに来たのは、櫛田とか、平田とかとグループで行動するのが苦手だからだ。事なかれ主義らしいだろ?」
「それ、矛盾してるわよ」
「人間なんてそんなもんだろ」
なんかちょっと壮大な話になってきたな……なんで須藤の事件から人間の本質まで話題が移っていったんだ?
「まあ、綾小路くんの考え方なんて私には関係ないし、干渉するつもりもない。それに、集団行動と彼らを嫌う姿勢には近しいものを感じるわ」
「俺は苦手なだけであって、嫌いとは言ってないぞ?」
「似たようなものよ」
苦手と嫌いの違いなんて考えるだけ無駄だと思うが、強さ的には苦手の方がマイルドな言い方ではあるな。
「……ここにはなかったわね。残念だわ」
「?ないって何がだ?」
「監視カメラよ」
「ああ、そう言えばそうだな。そんなものがあれば、確かに真相は一発だな」
堀北も綾小路も周りを見渡しているが、それらしきものは見当たらない。
「なんか、一応コンセントはついてるみたいだな。元々ついてたとか?」
「そうかもしれないな」
「ただ、付いてたとしても大分前だな。もし最近まで付いていたとしたら、円形の日焼け跡が残っているはずだ」
それこそ、この学校が始まった直後くらいに。まあ、設計上コンセントだけつけておいて、監視カメラは元々なかったっていう可能性の方が高いが。
「そもそもこの校舎、廊下にはカメラ付いてなかったよな?」
「ええ。それと更衣室やトイレの周辺にも付いてないわ」
「だな。あとは大体ついてると思う」
「一応、校舎の外にもいくつかついてるぞ。綾小路が教室で言ったコンビニ前もそうだし、通学路にも、寮の周辺にもな。一部を除いて」
一部を除いて、という俺の言葉を聞いた瞬間、堀北の雰囲気が少しだけ変わったのを感じ取った。
寮の周辺の監視カメラが付いてない一部。そこは、綾小路が自身のスペックの片鱗を初めて見せた場所でもあり、俺が生徒会長に敗北した場所でもある。
「……まあ、今更残念がることでもないかもな。そもそもカメラがあるんなら、学校側はこの事件を問題にもしてないだろうし」
てか、須藤にしてもCクラスにしても、監視カメラがあるんならこんなことしないよな。
「それで、須藤くんを救う手立ては思いついた?」
「そんなわけないだろ。それを考えるのは堀北と速野の仕事だ」
「ちょっと待て。いつから俺がそんな役割になった?」
「……違ったのか?」
「いや逆に違わないのか?」
少なくとも俺はそんな職業に就いた覚えはない。
「それにあれだ。堀北も俺がいたら邪魔になるだろ。1人の方が考えやすいんじゃないか?」
「ええ、それは間違いないわね」
知ってたけど、バッサリ切られるとこうも心が痛むんだな……
「須藤を救って欲しいとは言わないが、Dクラスがいい方向に転ぶ手助けをして欲しい」
「私を利用しようと?」
「佐倉が目撃者ってことで、逆に状況が悪化する可能性もある。手を考えておいて損はないはずだ」
どうやら、今回の件に関して綾小路は堀北の考えに少し近いらしい。須藤を救うこととDクラスのプラスになることとを別で考えている。だから、綾小路は須藤の無実を証明するのを手伝ってくれ、とは言わなかった。
てか、無実の証明なんて気軽に口にしてるが、これは所謂悪魔の証明で、ないことを証明するのは不可能。教室で櫛田が沈んだ表情で「どうやっても須藤くんの無実を証明するのは……」と呟いていたが、元々そんなことは不可能なんだ。
俺らが証明できるのは、Cクラスか須藤、どちらかが嘘をついていること、矛盾を発見することだ。
ただ、ここにいても何も得るものはなさそうだった。何か事件に関する映像でも残ってればよかったんだが……俺の周辺で、そんなの持ってる奴とかいないよな。そんな奇跡期待するだけ無駄だ。てかそもそも、俺の周辺にいる人の数の少なさと言ったらもう……
ここにいてもこれ以上得るものはないと判断し、綾小路も堀北も戻るようだ。
俺がそれまで立っていた場所的に、俺が先頭になってしまう。
角を曲がった時、数十分前と同じように誰かとぶつかってしまった。
「っと、悪い」
「あ、いえ、こちらこそ不注意で……」
「あ……」
なんと、ぶつかった相手も、数十分前と同じ佐倉だった。
「あーその、悪い……」
「い、いえ、別に……」
佐倉はその後、俺の後ろにクラスメイトの綾小路と堀北がいることに気がついた。すると、少し焦りが見え始める。
「え、えと、私、実は写真を撮るのが、しゅ、趣味で……」
……あ、もうそれ言っていいの?
「趣味って、何撮ってるんだ?」
「え?そ、その、外の風景とか、廊下、とか……」
ああ、自撮りっていうのは伏せるのか。
見ると、佐倉の手には携帯が握られていた。
なるほど、こんな場所で携帯を操作しながら歩いている不自然さの言い訳として、風景の写真を撮る、とだけ言ったのか。
考えられているんだか、そうじゃないんだかよく分からない嘘だ。自撮りが趣味だというのを伏せるのはいい考えだが、そもそも多くの人はどこで携帯をいじってても気に留めないし、自分からその理由の説明も始めたりしない。今ので綾小路と堀北の佐倉への疑惑度は上昇しただろう。
「佐倉さん、少し聞いてもいいかしら」
堀北の質問に、後ずさりする佐倉。綾小路は堀北を手で制した。
「さ、さよならっ」
小走りで逃げかえろうとする佐倉。その背中に、綾小路が声をかけた。
「佐倉、お前が目撃者だとしても、無理する必要はないからな。詰め寄られたらいつでも言ってくれ」
「わ、私本当に何も見てないから……ひ、人違い、だよ……」
あくまで佐倉は目撃者だということを否認する、か。まあ確かに、俺と堀北が佐倉を目撃者だと断定しているのも、根拠は状況証拠だけだしな。
「あれで良かったの?」
「本人が違うって言ってるんだ。無理強いするのは違うだろ。それに堀北も、Dクラスの証人は証拠として弱いって言ってたよな」
「まあ、そうだけれど」
果たして、綾小路の言ってることが本心かどうか。本心なら、なんであの場面で声をかけたのか。無理強いするなということは、イコールそっとしておいた方がいい、ということのはずなのに。それに綾小路は、詰め寄られたら自分に相談してくれ、とまで宣った。
深読みしすぎかもしれないが、綾小路の本心がどこにあるのかが全く分からない。
「ねえ君たち、そこで何してるの?」
思考のドツボにはまりそうだった俺の頭を抜け出させてくれた声に振り向くと、そこにはどっかで見覚えのある女子生徒が立っていた。
あー……確かあれは2ヶ月くらい前、中間テストの赤点組救済勉強会中、図書室で喧嘩騒ぎが起きそうだった時に誰よりも勇敢に間に入ってそれを止めた、のがこいつだったっけ。その時、Cクラスの山脇だったかに一之瀬、と呼ばれていたはずだ。
俺は苗字以外何も知らないが、確かあの時、こいつは俺のこと知ってる風だったような……
「私たちに何か用?」
「用っていうか……何してるのか気になるなーって」
「別に、うろうろしてたらここにたどり着いたんだ」
綾小路のちょっと苦しい主張。まあ、堀北の圧ってすごいもんな……
「なんとなく、ね。3人とも、Dクラスの生徒だよね?」
「……知ってるのか?」
「君とは直接話したことはないけど、2回くらい会ったよね。そっちの2人も図書館で見た気がする。そしてそのうちの君は速野くん、だよね。結構有名だよ?」
最後に俺のことを指差して言ってきた。
「……俺が?」
「ありゃ、これは自覚なしかな?四月に受けた小テストで、満点がDクラスから出たー、って話題だったよ?」
「そんなにか……?」
「確かあのテスト、Aクラスの一位が95点だったはずだから。先生たちもまさか満点が出るなんて思ってなかったと思うよ」
「ふーん」
だから図書館で俺のこと知ってる風だったのか。いやー、一躍有名人だなあ俺。なぜかあんまり嬉しくないけど。
一方的に知られてるって、少し不気味だな。
「でもそっか、なんとなくか。てっきりあの暴力事件について調べてると思ってたんだけど。昨日その件でBクラスに来たみたいだし。ここなんでしょ?事件が起こった場所って」
「仮に私たちの目的がそうだとして、あなたに何か関係ある?」
お前、その言い方だと俺らの目的がそうだって認めてるようなもんだぞ。綾小路もなんかちょっと不満そうな顔してるし。
「うーん、関係はない、かな。でも、クラスで事件の概要を聞いて変だなーと思ったから。ちょっとここに来てみたんだけど。……他クラスのことに興味持っちゃいけない?」
「いや、別にそんなことはないが」
綾小路の言う通り、別にダメなことではない。話を聞く限り別に妨害するでもなく、単なる興味本位という感じだし。
さっきの一之瀬のセリフからおそらく一之瀬はBクラスだと思われるが、Bクラスは他人の事情に首を突っ込む余裕があるということだ。そしてそれは同じく、昨日俺に協力を申し出た藤野にも同じことが言える。
今まで自分のクラスのことだけで精一杯だったDクラスは、どうやら他クラスの情報戦などにおいては完全に遅れをとっているらしい。
「話、聞かせてくれない?私たちは大雑把にしか聞かされてなくて」
綾小路は堀北の様子を伺って、問題ないと判断し一之瀬に事情を説明し始めた。
説明したのは事件の概要だけ。Dクラスに事件の目撃者がいるかもしれないという情報は伏せていた。賢明な判断だろう。まだみんなが一之瀬という生徒の信頼度が高くない状態で、内部の事情を変にひけらかすのは愚策だ。
「へえー、そんなことがあったんだ。初耳だなあ」
「……?」
一之瀬の反応を見て、俺は少し疑問を感じた。
取り敢えず、一之瀬は聞き上手で優しいやつかもしれない。ただし信用は下がった。あとで質問しよう。
「ねえ、それって結構大きい問題じゃない?どっちかが嘘をついてる暴力事件ってことでしょ?」
「だから一応調べに来てたんだ」
「君たちはクラスメイトとして、Dクラス側の……須藤くん、だっけ。の主張を信じてるんだよね?じゃあ、もしもの話だけど、須藤くんが嘘をついてて、その決定的な証拠も出て有罪確定だったらどうするの?」
「その時は、彼に正直に言わせるわ」
「うん、私もそれがいいと思う。嘘をつき続けてもデメリットしかないしね」
もし須藤が嘘をついてるとしたら、か……それは多分ないと思うけどなあ。勝手な推測だが。
「情報は与えたわ。もういいかしら?」
堀北は、あまり情報を与えることをよしとしていないらしい。
「うーん、あのさ。もしよかったら協力しようか?目撃者探しとか。人出は多くて困らないでしょ?」
「どうして他クラスに手伝ってもらう話になるのかしら?」
「これ、クラスとか関係ないと思うんだよね。クラス間で競わせてるこの学校なら、こういったトラブルはいつ誰に起こるかわからないから。個人的に見逃せないっていうのもあるし、嘘をついてる方を勝たせるわけにはいかないじゃない?それに、DクラスだけじゃなくてBクラスも一緒に立てた証拠っていうことなら、信憑性も上がると思うよ。どっちに有利なものかは分からないけど……でも、悪い提案じゃないと思うけどな」
両方の可能性を指摘した上で、悪い提案じゃないとこちらに言ってくるということは、一之瀬個人としてはCクラスの方に疑いがあるんだろう。Cクラスが嘘をついていて欲しいというBクラス側の希望的観測の側面もあるかもしれないが。
それとも、こう言ったボランティア活動みたいなことをやれば学校側がポイントでも恵んでくれるんだろうか。なんだよ、それなら俺毎朝ゴミ拾いとかしようかな。
いや、このどちらかが嘘をついている状態でその嘘を部外者が暴いて学校側に報告したなら、多少ポイントがゲットできる、という可能性もなくはない。ただ、一之瀬の他に動きを見せている部外者は藤野だけ。今の俺の考えが正しいなら、もっと動いている人数が多いはずだ。
あー、やっぱりこの学校はよく分からん。
「手伝ってもらいましょう」
考え込んでいた堀北が、俺と綾小路を見てそう告げる。
個人的には一之瀬が協力する分には構わないと思っている。そもそも知られて困るような情報なんて共有されてないしな。それに、そもそも決定権持ってるのは堀北だし。
「決まりだね。えーっと」
「堀北よ」
珍しく、堀北が自分から嫌がることなく自己紹介をした。協力関係だと認めたからだろう。
「うん、堀北さんだね。あと、綾小路くんだっけ。速野くんも、よろしくね」
「ああ」
「それから目撃者のことだけど、一応こちら側で見つけてあるのよ。残念ながらDクラスだったけれど」
一之瀬は堀北の残念ながらの意味を理解したのか、少し残念そうな表情になる。
「あー、まあでも、貴重な証人は大切にキープしておくべきだよ。それに、その人以外に目撃者がいないとは限らないでしょ?」
表に出てくるかは期待極薄だが、確かにそうだ。
「でも須藤くん、だっけ。一年生でバスケ部のレギュラーになれるかもしれないって、すごい財産だよ。学校は部活や慈善活動なんかも評価に入れてるし、試合に出て活躍したら、個人だけじゃなくてクラスポイントも……って、あれ、知らなかったの?」
「俺らが聞かされてたのは、個人にポイントが入るって事だけだった」
「あとで問い詰める必要がありそうね……」
堀北の怖い一言が耳に入る。やっぱり情報の伝え忘れ、残ってたか……
「なんか変だね。Dクラスの担任の先生」
「生徒に無関心なんじゃないか。そういう先生がいてもおかしくはないと思うが」
俺も別に不自然には思わなかったが、一之瀬は引っかかっているようだ。
「やっぱり変だよ。この学校の教師の評価って、卒業時のクラスで決まるんだよ?これも知らなかった?」
「それは初耳ね……」
「……そういや速野、お前あの時そんなこと言ってなかったか?教師にも実力主義がどうのこうの、って。知ってたのか?」
「は?」
突然話を振られて少し驚いたが、ああ、須藤の赤点をなんとかした時の話か。
「あれはただの推測だ。知ってたわけじゃない」
ただ、あの時先生は俺のその言葉を否定しなかった。今までも可能性はジリ貧であるんじゃないかと思っていたが、一之瀬の言葉でそれが確実となった。
ただ、当たってんなら肯定ぐらいしてくれればいいのに。与えられる情報が少なすぎて対等じゃない。
そう言えばあの時、評価が下がらないで済むっていう俺が提示したメリットにも大した反応を見せなかった。自分の評価はどうでもいい、という姿勢なんだろうか。
ほんと、何がしたいんだろう。
「ねえ、スムーズにやり取りしたいし、3人の連絡先教えてくれるかな?」
言われて、俺と綾小路は応じたが、堀北はそれを拒否した。堀北が特異なだけだろうが、これも男女の違いの一つか。俺としては一之瀬という女子生徒とは是非とも良好な関係を築きたいと思っている。……まあ、一之瀬普通に可愛いし?なんて下心も少しはあったりする。
それに、会話をしている限り、優秀だというのは伝わってきた。
一之瀬の登場回でした。
感想、評価お待ちしております。
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ep.17
一之瀬帆波という優秀な協力者が仲間に入った。Dクラスにとって追い風になるだろう。
一之瀬との連絡先交換後はその場で別れ、そのまま3人で寮に帰る、という流れになった。
しかし俺は堀北と綾小路とは離れ、今しがた別れたばかりの一之瀬の後を追っていた。
先ほどの話を聞いて、気になったことを聞くためだ。
一之瀬の歩いて行った方向に少し早足で歩くと、ストロベリーブランドの髪を揺らして歩く人の姿が見えた。
それに声をかける。
「一之瀬」
「あれ、速野くん? どうしたの?」
立ち止まって、こちらを振り返る一之瀬。
「一つ聞きたいことと、少し提案がある」
「何々? なんでも言って?」
「須藤たちの喧嘩騒ぎの詳細の情報、綾小路が説明したことがどこまでが初耳だったか、それを聞かせて欲しい。全部ってわけじゃないんだろ?多分」
聞くと、一之瀬は少し驚いたような表情を見せる。
「どうしてそう思ったのかな?」
根拠を求められる。一応複数個あるんだが、その中の一つを言うことにした。
「……お前の言う通り昨日、目撃者探しのために俺もBクラスに行ったんだ。その時、櫛田は須藤とCクラス3人の喧嘩を見なかったか、って聞いてたんだが、その時、誰1人訴えてきたCクラス側の人数が3人ってことに突っ込んでなかったし、主張が食い違ってるってことも櫛田は言ってたが、それにも意外そうな顔をした人がいなかった。だから、目撃者がいないかBクラスの担任が確認する段階でそこまでは説明されてたのか、と思ったのに、お前はそれを初耳だって言うし。ちょっと気になったんだ」
綾小路は櫛田とは離れた場所にいたし、疑問に思わなかったんだろう。
「ごめん、そこまで気にされちゃうんだったら、素直に知ってたって言ったほうがよかったかな」
「……なんで初耳なんて言ったんだ?仲間に入りやすくするためか?」
「うん、だいたいそんな感じ。あんまりバレたくなかったけど、バレちゃった以上は隠しても意味ないし、逆に信用落としちゃうからね」
一之瀬は観念した、という風に両手を上げながらそう言った。サバサバした性格だな。
「その、悪いな。細かいことをネチネチと」
「この学校だと、そういう姿勢の方がいいかもしれないよ。それに、君たちの担任の先生は必要な情報言ってくれないんでしょ?疑い深くなっても仕方ないよ」
気の毒そうな苦笑いでそう言う。一之瀬いいやつだなあ。
「でも、面白いことに気がつくね。こりゃ、速野くんも本格的に警戒対象に入れなきゃダメかな?」
「なんだそれ」
「私たちだって無造作じゃないよ。各クラスの要注意人物はちゃんとリストアップしてるから。この際だからいうけど、速野くんもその中の1人だよ?何たって暫定学年1位だもんね」
やっぱり、Bクラスは優秀、というより、まとまりがいい。おそらくこの一之瀬の人徳のなせる技だろう。バラバラのDクラス、分裂してるAクラスに比べれば格段にまとまっている。Cクラスは未知数だが、Bクラスより状況がいいとは思えないな、あれは。
てか、暫定学年一位は中間テストの結果的に俺じゃないと思うんだけど……
「そりゃ光栄なことで……」
警戒されるとちょっと動きづらくなるが、クラスにいる、俺よりもよっぽど優秀な奴がいずれ表に出てくるだろう。
なら、俺は今はその隠れ蓑でもいい。
「あ、そう言えば他に提案もあるって言ってなかった?」
言われて、俺の発言を遡ってみる。
「ん、ああ、そうだった。さっきお前は自分が加われば効率が上がる、って言ってたよな」
「うん。言ったね」
「それで思ったんだ。一人一人聞き取る今の俺らのやり方じゃ、いくら効率が上がっても程度が知れる。だから、一度に聞ける方法はないか、ってな。……例えば、放送室ジャックして校内放送使うとか……いやそれは絶対無理だな。メールで送って協力を呼びかけようにも限界あるし……すまない、俺じゃこんぐらいしか発想できない。意見をくれないか?」
一之瀬は知らないので言わなかったが、これは先ほどの教室での高円寺のセリフの影響も受けているものだったりする。
「何度も同じことを言うなんてナンセンス」。つまり、一度に聞ければ効率は格段に上がる。
あとはそれに適した方法を一之瀬が思いついてくれれば……
「そうだなー……あ」
「どうした?」
「掲示板みたいなところに情報を受け付けるとか。学校のホームページとかにさ」
「……ホームページ?」
「知らなかった?学校のホームページから掲示板にアクセスできるんだよ」
「……確かにそれを活用すれば、情報は今までより人目つくかもしれないな。……ただ、同時にスルーされやすくもなる気もするな」
呼びかける場所が目立つ場所であればあるほど、人はそれを目にする機会が多くなるが、同時に「こんだけ多くの人が見てれば、誰かがやるだろ」みたいな感じになって、無関心になる。コンビニのトイレの入り口に貼られている「猫探しています」みたいなのと同じだ。あれで本気で探そうと思ったやつはほとんどないだろう。
「確かに……じゃあ、報酬を用意するとか?懸賞金みたいな感じで」
「なるほど。それもいいかもしれないが……誰が用意するんだ?俺は節約してるからある程度ポイント面で協力はできるが、他のDクラスメンバーに協力を申し出るのはちょっと難しいかもしれない」
「その面は気にしないでいいよ。私たちが勝手にやろうとしていることだし」
「やろうとしてるって……やるのか?」
「多分ね。詳しいことは信頼できる人たちと話し合って決めるけど、提案したら通るんじゃないかな」
「そうか。なんか、何から何まで悪いな」
「ううん、私は興味本位で行動してるだけだから」
そう言い切る一之瀬。信じてやりたいが、興味本位でポイントまで捨てるか普通。
「……一之瀬。別にこれがお前の言ってた慈善活動で、クラスポイントを狙ってるっていうんでもいいぞ?俺も自分のプラスになるからやってるだけだし」
「うーん、まだ速野くんの中で私はまだ信用されてないみたいだね。でも安心して?妨害みたいなことは絶対しないから。自分自身の主義にも反するし」
そう言って、自信のある笑顔で俺を見てきた。自分の主義ねえ。
とは言いつつ、ポイント狙いの側面があることは否定しなかったな。まあ、仮にそうだとしても、今のところDクラスへの妨害にはならないし、気にすることでもないか。
「そうでもないぞ。こんな学校にもちゃんといい奴はいるんだって安心できたしな」
「ありがとう。でも、Dクラスにも優しい人いっぱいいるよね?平田くんとか、櫛田さんとか」
「まあそうだな。あの2人はちょっと優しすぎる気もするが……」
まあ、そういうところがあの2人の長所でもあるんだろう。そのおかげで、Dクラスはなんとか一つの学級として保たれている。
「じゃあ、またね速野くん」
「ああ、急に悪かった」
そう返事をし、一之瀬を見送った。
にしても俺、一之瀬に対してはなぜか会って間もないうちから自分で話しかけたな。何でだろう。
それにいくら細かいことを気にすると言っても、普段の俺ならこれくらいはスルーしてるはず。
やっぱり自分自身のコントロールなんてできないな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
次の日の放課後。今日は買い出しの日だ。
いつもの廊下で藤野と待ち合わせ、合流する。
「目撃者探し、今日は抜けていいの?」
藤野にはメールで、Dクラスが放課後に目撃者の捜索を行なっていることを伝えていた。
「ああ。一応目星はついてるんだが……本人たちが認めてくれなくてな」
「たち、ってことは2人以上いるってこと?」
……あれ?
「……俺今たちって言ったか?」
「うん」
何で俺そんなこと言ったんだろう……
「……多分ただの言い間違えだ。忘れてくれ」
「なんからしくないね」
「最近ちょっと疲れてるのかもしれないな……」
ここのところ、須藤の件でほとんど1人の時間が取れていない。俺のリアルが充実してしまってる説が何回か前に浮上したが、こんな疲れること毎日やってるのか……と思うと少しリア充を尊敬する。
今日は誰かに偶然会うこともなく、飯の材料の買い物を済ませた。
その帰り道。俺は少し思い立って、藤野に言った。
「悪い、ちょっと家電量販店で見たいものがあるんだ。行ってきていいか?」
「え、見たいものって?」
「イヤホンとかだ。最近少し聞こえが悪くてな」
端末に刺すと、たまにブチブチッという音がする。少し短い寿命だったが、そろそろ替え時かもしれない。
「速野くんも音楽聴くんだね」
「まあそれもあるが、英語のリスニングの訓練にも使ったりしてる。大学入試のリスニング試験って最近はイヤホンで聴くからな」
「あ、なるほど、そういう使い方もあるかー……」
イヤホンは、俺がこの学校に入って買った数少ない生活必需品以外の品物の一つだ。
「私も行っていい?」
「お前もリスニングか?お前は多分大学入試ないだろうし、大丈夫なんじゃないか?」
藤野は、希望の進学先、就職先に行けるという特権を得る可能性を、現時点で最も高く保有している集団に所属していのだ。
「大学入試もそうだけど、今後の定期テストでリスニング力問われた時にもしっかり対応できるようにしておきたいから」
「確かに、そういう方面からの出題も考えられるな……」
小テストでも中間テストでもリスニング試験はなかったが、いつそれがあるかは分からない。
定期テストはポイント変化にも関わってくるだろうからな。
「まあ別に、俺は来るなとは言えないしな」
「ごめんね」
「いや、いいよ別に」
藤野みたいなやつと俺なんかが2人で歩いてるなんてとんでもない役得だ。
それに、俺は藤野といて苦痛を感じない。お互いに隠し事も嘘もなく、なんてことはあり得ないが、俺は藤野をある程度信用していた。
嘘をついていたとしても、それは何か事情があってのことなんだろう、と、そう思えるまでには。
「ねえ、速野くん」
「なんだ」
「速野くんはこの事件、どう思ってる?やっぱり、Dクラスの須藤くん、だっけ。その人が無実っていうことを証明したい?」
「……まあ、怪我させてる時点で無実ではなくても、もちろん受ける処分は軽い方がいいと思ってる。それにDクラスの中には今回の事件、須藤が仮に巻き込まれた形でも、須藤も悪いっていう見方もある」
俺は堀北の意見を軸に、藤野にその話を聞かせた。
「そういう見方もあるんだ……速野くんはどっち派?」
「絶対に選べって言うなら、俺も須藤には悪い部分がある、って考え方の方が近いな。今俺が説明した意見にも俺自身共感してるし、あいつがもう少し自分をコントロールできるやつだったら、手なんて出してないはずだしな」
「そっか。ありがと」
「どういたしまして……」
その後もちょっとした雑談をしながら、家電量販店に到着した。
「あんまり人いないね」
「逆にごった返してる方が異常だと思うぞ」
平日にこんな時間は、ポイントに余裕があるやつは娯楽施設に行ったりしているだろうが、ポイントが余って行き先が家電量販店というのはちょっと結びつきづらい。ゲーム機とかなら別の施設にあるし。
イヤホンを売っている場所を探し出し、そのコーナーに入る。
断線しにくい!とか、音漏れ軽減!とかなんとか色々なことが書かれているが、こっちは3ヶ月ちょいでイヤホン買い換えを視野に入れる羽目になってるんですがねえ店員さん……
それとも、単に俺のイヤホンの持ち方が悪いんだろうか。夜寝るときなどは手に巻きつけてから外し、丸めておいている。学校へはそもそも持っていかない。
値段も質もピンからキリまで色々ある。家電量販店にも無料のコーナーはないものかと期待したが、どうやら無いようだった。
「藤野、何かいいの見つかったか?っていうか、お前今までイヤホン持ってなかったんだな……」
「音楽聴くときは部屋でそのまま流してたんだ」
「ふーん」
そういう楽しみ方もあるか。まあ、イヤホンのコードが煩わしい時もあるもんな。
「あ、これいいかも」
そう言って藤野が手にしたのは、色のついていない、真っ白なイヤホンだった。
その商品は上の方に試供品のようなものがあり、藤野はそれを耳につけると、首を傾げながら聞いてきた。
「どう、かな?」
どう、とは何を聞いているんだろうか。
「聞き心地なら本人にしか分からないと思うが」
「そ、そっちじゃなくて……その、見た目?っていうか、似合うかなーって……」
ああ、ビジュアルの方か。
「……まあ、似合ってる、んじゃないか?」
真っ白は一見地味だが、藤野の色白の肌と銀色の綺麗な髪によくマッチしている。
「そ、そっか。ありがと……」
「あーただ、細かいことだが、その付け方正確には違うんだよな」
「え、イヤホンの付け方?」
「ああ」
「付け方に正解ってあったんだ……どんな付け方?」
あの付け方はどう説明すればいいんだろうか。難しい。
「えーっとだな……まず、こう、逆なんだ。今つけてる方向とは縦横回して……って、俺がつければいい話か」
口で説明できなければ実践あるのみだ。
俺はもう一つの試供品を手にし、正確な付け方でイヤホンを装着した。
「こうだな」
「うーんと……」
俺の付け方を見るため、藤野の顔が俺の耳のあたりに近づいてくる。うっわすげえ近い……
もう理解したのか、離れていき、自分でもつけ始めた。
「こう?」
「ああ、そうそうそれだ」
「確かに、なんかフィット感ある気がするかも」
付け方を理解してちょっと満たされた表情の藤野に一言断って、俺はあまり広くない店内をぶらーっと一周した。
……品揃えは大体こんな感じか。
時間にして約5分。
そろそろ元いた場所に戻るか、というところで、見知った顔を発見した。
……あれは……佐倉か?
何してるんだあいつ、と思い声をかけようとしたが、今までとは何か雰囲気が違うことに気がついた。
オドオドとした怯えというより、ガタガタ震えている恐怖、と言ったほうが正確か。いまの佐倉に声をかけるのは得策ではない気がする。
そして恐怖の表情を浮かべながらも、その目は一方向に向けられていた。
その先にあるのは、修理受付カウンター。
あ、そういや俺佐倉のデジカメを……修理お願いしに来た、ってことか?
かと思いきや、カウンターには行かないまま佐倉は店を出ていってしまった。
佐倉は人付き合いを苦手としている。ただ、普段はそれ以上にカメラのことが大切なはずだ。
それでも渋らせる恐怖とは……と勘繰り、カウンターの方を見る。
いたのは男性の店員。少しぼーっとしているみたいだ。
こじつけた言い方をすれば、佐倉が走り去っていった方向を見つめている。
少し考え込んでいると、ポケットの中で端末の振動音が聞こえて来た。恐らく電話の通知だ。画面には予想通り、藤野の名前が表示されている。
通話で場所を確認して合流した俺らは、他に特に買うものもなかったので、店を出る。俺も少し悩んだが、イヤホンはまたの機会に見ることにした。
ちなみに藤野はさっきの白いイヤホンを購入したようである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
寮に戻った後、飯と風呂を済ませ、綾小路と少し連絡を取ってからベッドにダイブ。目を閉じながら、俺はここ最近のことを思い返していた。
えーっと、あれがこうなってここが、こう、なっ……やべ、ねむ……
完全に手放しかけていた意識は、携帯の着信音によって強制的に叩き起こされた。
「誰だこんな時間に……」
そう思って画面を確認すると、そこにはちょっと想定外の名前が表示されていた。
「もしもし?」
『あ、速野くん。ごめんね遅くに』
「どうしたんだ」
電話の相手は櫛田だった。
『あの、佐倉さんのデジカメ壊しちゃったじゃない?私が急に話しかけたせいもあると思うから、責任取りたくて……』
「責任って。別にお前が何か感じる必要はないと思うぞ。あの時ぶつかったのは俺だし、そういう意味では俺の方に責任あるしな」
少なくとも櫛田よりは責任の割合は大きいだろう。
『でも、何もしないわけにも行かなくて……保証が効いてるから修理に出すって言ってたけど、1人で行くのが怖くなったらしくて。それで明後日でいいならっていうことで、私も一緒に行くことにしたの』
多分佐倉が店を出た後、櫛田か佐倉のどちらかがどちらかに電話をかけたんだろう。佐倉も勇気を振り絞っていたが、及ばなかったということか。多分原因はあの店員だよなあ……
「俺も責任感じてるし行かせてもらうが……櫛田と2人の方がやり取りはスムーズになると思うぞ」
『そうなんだけどね。速野くんには別件で頼みたいことがあるから』
「別件……佐倉が目撃者じゃないか、ってことか?」
「堀北さんも速野くんもそう思ってるんでしょ?私も、まだ確信は持ててないけどそう感じたから」
俺は直接目撃していないが、櫛田に何かそう思わせるような材料があったんだろう。
「そうか……だとしたら綾小路でもよくないか?」
『私も頼むとしたら綾小路くんがいいとは思ってたんだけど……』
「お、おう、じゃあそうしろよ……」
ちょっと軽く傷ついたんだけど……
『佐倉さんにももう1人連れて行っていい?って聞いたら、綾小路くんじゃなくて速野くんの名前が出てきて……だから、その方がいいかなって思って電話したんだけど……どうかな?』
佐倉から直接のご指名か……よく分からんな。
「じゃあ、俺も綾小路もどっちも連れてったらどうだ?肩身の狭さ的にそっちの方が俺は助かるんだが」
このままでは、櫛田、佐倉の女子2人と出かけることになってしまう。さすがにきつそうだ。
「佐倉も、綾小路に悪い印象は持ってないと思うぞ」
『速野くんがそう言うなら、綾小路くんも誘ってみることにするね』
「そうしてくれ」
『うん。じゃあ詳しい時間とかは後で知らせるね。明後日はよろしく』
「ああ」
そこで通話は終了し、俺は端末を充電プラグにつなぐ。
そのまま寝ようかとも思ったが、電気点けっぱなしだということを思い出し、スイッチを切って再びベッドにダイブした。
そういや俺、週末に外に出るなんて初めてじゃね?
今回はちょっと少なめでした。
感想、評価お待ちしております。
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ep.18
では、どうぞ。
そしてやってきた俺&櫛田の罪滅ぼしの日。俺の提案で綾小路も加わって、家電量販店に佐倉のデジカメの修理をお願いしに行く。奇しくもそこは、おととい藤野と一緒に立ち寄った場所と同じだ。
部屋を出ると、ちょうどエレベーターが降りてきている。待つ必要がないのはラッキーだな。
それに乗り込もうとした時、中には既に乗客がいることに気がついた。
メガネをかけ、マスクをつけ、長めの髪を後ろで二つにまとめて猫背の女子……あ、佐倉だこれ。
「お、お、おはよう速野くん……」
「……おはよう」
現在時刻は昼前なのでおはようが適切かどうかは分からないが、挨拶されたら返さないわけにもいかないので、ひとまず返答しておくことにした。
「……どうしてもっていうならいいんだが、マスクは外した方がいいと思うぞ。櫛田や綾小路も分からないだろうし……」
俺もこの場が人混みだったら、佐倉を佐倉だとは認識できなかったかもしれない。
「あ、そ、そうだよね、不審者っぽい、かな……」
「別に不審者ってわけじゃ……それにちょっと逆効果な気がする」
佐倉は目立ちたくない→顔を見せない、というような発想に至ってしまったようで、佐倉だと分からないようにするには適しているが、むしろ人の目につきそうだった。本末転倒というやつだな。
「そ、そうですよ、ね……」
言いながらゆっくりとマスクを外す。これで一応いつもの佐倉だ。後の2人も認識できるだろう。
違う部分といえば、服装か。
そういや、多分綾小路も櫛田も普段着で来るよな。この学校に入ってから、同級生の私服姿を目にするのは初めてだ。もちろん、俺も私服で外に出るのは初めて。制服を除けば、寝巻き以外着たことない。休みの日は一日中起きたままの格好なんてザラだったからな。
まともな私服は持ってないが、どうせ綾小路も似たようなもんだろうと踏んで特に気にしなかった。
集合場所付近に到着し、近くのベンチに2人で腰掛ける。
「2人は……」
「……まだみたいだな」
少なくとも櫛田はその場にいれば目立つ存在だ。見逃しているということはないだろう。
少し時間が出来てしまったが……どちらからも話せない。だから言っただろう、コミュ障同士はこんな感じだと……てかよくよく考えてみると、今日集まる4人のコミュ力極端すぎるだろ。櫛田はコミュ力異常だし、一番まともに近いのは綾小路かな。
「あ、あの、速野くんっ」
「……な、なんでございましょう」
「えと、今日は来てくれてありがとうございます……」
「ああ……いや、カメラ壊れちまったのは俺のせいでもあるしな。本当は俺から言い出せれば良かったんだが……」
チキンなのでそれは出来なかった、と心の中で付け加えておく。
「そ、その、速野くん、連絡先交換、しない……?」
「……いいのか?」
「う、うん、その、速野くんたちの役に立つかもしれないから……」
「?ああ、分かった……」
実際はよく分かっていないが、嫌ではなかったので拒否はしなかった。役に立つかもって……まあ、確かに俺としちゃ渡りに船だが……まさか。
と、ある考えに及んだところで声をかけられた。
「あ、いたいた。佐倉さんと速野くん」
隣のベンチのあたりに、綾小路と櫛田が立っている。
櫛田の私服はナチュラルな感じだが、本人が持つよさを存分に引き立てるものだった。綾小路は、予想通り俺と同じで特筆すべき点のない格好をしている。
取り敢えず人数も揃ったので、4人で家電量販店に移動を始めた。
店内に入ると、昨日と全く同じ光景が目の前に広がる。
「確か、修理受付はあそこの方にあった気がする」
言いながら櫛田が指さしたのは、店の一番奥。いまここからは直接見えないが、その方向であってたはずだ。
前に俺と櫛田。後ろに綾小路と佐倉が付いて来る形だ。
「速野くん、前にここ来たことあるの?」
「……なんで?」
「カウンターまでの行き方知ってるっぽいからさ」
「あー、そういうことか。実は一昨日ここに来たんだ」
その言葉に、後ろの佐倉がビクッと反応する。あ、そっか、佐倉も同じ日に来てたんだったな。
「そうだったんだ。何か買った?」
「何も。イヤホン見ただけだ」
「そっか。じゃあ、もし今月ポイントが入ったら奮発して買っちゃうのもいいかもね」
「……まあ、そうだな」
櫛田との会話は楽だ。基本櫛田は話題が尽きないので、飛んで来た質問に答えるだけで会話が成立する。
「着いた。ここだね、修理受け付けてくれるところ」
「あ……」
カウンターに到着したが、佐倉の表情には嫌悪の色がある。
見てみると、カウンターを担当していたのは昨日と同じ男性店員だった。
「あれ?どうしたの佐倉さん」
「あ、え、えと、その……」
佐倉の嫌悪の先が男性店員だと目星をつけているのは佐倉を除いて俺だけらしく、櫛田もなぜ佐倉が立ち止まったのか分かっていない様子だった。
……俺が苦手としているのは、同級生や知り合いなど、ある程度親しみを持たなければならない場面での会話だ。そういうものがなく、例えば今のように店員とのある種機械的なやりとりならいける。普通櫛田が適任だが、俺でも行けるだろう。
「佐倉」
「え?えと……」
名前を呼び、ジェスチャーで出て来いと伝える。それに着いて櫛田も来た。
「すみません。こちらの店で彼女が購入した品物が、どうも不具合を起こしているようで。修理についてお伺いしたいんですが」
「はい。購入したものは?」
「デジカメ、なんですけど」
今度は櫛田が答えた。
そこからは、俺の役割はほとんどないに等しいものだった。基本的には櫛田が対応し、佐倉はデジカメについての質問にだけ答える。
話を聞くと、落下した時に中の部品の一部が壊れ、正常に作動しなくなっているとのこと。保証期間中だったため、無料での修理が可能ということらしかった。
もういいか、と判断して、俺はそこを離れて綾小路と合流する。
「どうするんだ。下見するんならこれはいい機会だと思うんだが」
「お前、もしかしてそのために櫛田に俺を推したのか?」
「その側面もあるが、肩身が狭そうだってのは本当のことだぞ」
「……まあ、どっちにしても俺は別に何も狙ってないからな?」
「お前がそう言っても、俺はもうそうは思ってない。あの場で監視カメラの話を出したのは、俺や堀北にその方法を思いつかせるためだったんだろ?」
「違う、って言ったら信じるのか?」
「いや」
「じゃあ何言っても無駄だ」
あくまでも、か。
「じゃあ、なんで堀北に帰ろうと誘われた時、俺も誘ったんだ?」
「お前と同じような理由だ。肩身が狭かった」
「お前堀北と帰るのは珍しくなかっただろ……」
「気分だよ。てか、櫛田たち大丈夫か」
綾小路は少し強引に話題を変えてきたが、今の会話でよりはっきりした。俺はこいつの手に落ちかかっていたこと。昨夜の綾小路へのメールで、すでにほとんど手のひらの上に乗っかってしまったかもしれないこと。そして、堀北にも俺と同じ可能性があるということも。
と言っても、まだ可能性の話だ。本人が主張する通り、単なる思いつきでの発言や偶然が重なっただけかもしれない。
それに手のひらの上と言っても、まだ完全に乗っかったわけじゃない。綾小路は恐らく、俺に生徒会長と対決したのを見られていることを知らない。その他にも、綾小路に知られていない部分はたくさんある。
誰かの思い通りというのは、もちろんいい気分はしない。だが、決定的に対立しない限りは俺はその流れに逆らわないことにした。
基本的に綾小路の存在がプラスになることは確実だろうからな。
視線をカウンターに戻すと、どうやらあの男性店員が櫛田を軽くナンパしているらしかった。綾小路はこれを見て大丈夫かと言ったんだな。
いい加減先に話を進めたいと思ったのか、櫛田は話題をカメラの件に戻した。
残りの作業は、用紙に必要事項を記入するだけらしい。
しかし、佐倉はそれをためらった。
「佐倉さん?」
櫛田が疑問を投げかけるが、佐倉が動く気配はない。
すると、隣にいた綾小路が2人の元に駆け寄り、佐倉からペンを受け取った。
「修理が終わったら、連絡は俺の方にしてください」
「え?で、でも、このカメラは……」
「購入者と使用者が異なっていても問題ないはずですし、保証に必要な事項は既に達成されているはずです。法的に問題はどこにもないと思いますが。かかれる連絡先が彼女でないといけない理由がありますか?」
店員が答える前に、綾小路は記入を終えていた。
「い、いえ、大丈夫です……」
救世主綾小路のファインプレーによって、必要なことは全て終えた。修理には2週間ほどかかるらしいが、まあ、その点は佐倉は我慢だな。
「ちょっとすごい店員さんだったね……焦っちゃったよ」
「ちょ、ちょっと気持ち悪い……かも」
「き、気持ち悪いまではいかないけど……綾小路くんはどう思う?」
「まあ、少し近づき難いではあるかもな」
「速野くんは?」
「ん、ああ。まあ、そんな感じだな」
「それじゃ分かんないよ……」
不満そうな顔を見せる櫛田。
「佐倉、もしかして1人で行く勇気が出ないって、あの店員が?」
俺がそう問うと、佐倉は小さく頷いた。
「偶然見かけたんだが、一昨日もここ来てたよな。その時か?」
「その時も、だけど……カメラを買いに行った時に、声をかけられて……」
やっぱりそういうことだったか。概ね予想通りだ。
「じゃあ、それで綾小路くんが書いたの?」
「ああ。住所とか電話番号とか、色々書く必要があったみたいだからな」
「あ、ありがとう綾小路くん……凄く助かったよ……」
「別に気にしなくていい。修理が終わったって連絡が来たら、佐倉にも連絡するから」
「う、うん」
その後は主に櫛田と佐倉の会話のキャッチボールが行われていた。俺はその中に入ることができない。
そんな時、綾小路がこんな質問をした。
「佐倉って、景色専門なのか?例えば、人を撮ったりとかは?」
「え、ええっ?」
多分綾小路は自覚なく聞いたんだろうが、そこは隠れた地雷だ。多分俺しか知らないと思うが、人も何も、佐倉が撮っているのは自分自身なのだから。
「……ひ、秘密」
そう言いながら、その秘密を知ってしまっている俺の方を見る佐倉。
否定しないのかよ……まあ、嘘はつきたくなかったってところか。
「そうだ。ついでで悪いんだけどさ、ちょっと店内見て回ってもいいか?」
「何か買いたいものでもあるの?」
「ちょっとな。3人は適当にぶらぶらしてくれていいし」
「私も行くよ。ね?」
「う、うん、付き合ってもらったし、時間もまだあるから」
櫛田、佐倉は綾小路について行くらしい。櫛田は俺にも「行くよね?」的な視線を向けてくるが、俺はそれに答える。
「悪い、俺ちょっと抜けていいか?」
「え、速野くんも何か見たいもの?」
「たいしたことじゃない。店員に気になることがあるんで、それについて少しな。2人は綾小路と一緒にいてくれ」
「うん、わかった」
正直怪しさマックスだろうが、櫛田は特に追求してこなかった。俺はその場を離れ、元来た道を引き返した。
「すみません」
「あ、何でしょうか……」
「いえ、大したことじゃないんです。さっきの子、可愛いですよね。もしかして知り合いですか?あ、まさか彼氏さんとか?」
「え、えーと……」
「答えてくださいよ。彼女、結構人気あるんですよ?それに遠目から見てましたけど、あなたと彼女、なかなかお似合いだと思うんですよね。ほら、彼女も目が合って恥ずかしそうにしてましたし」
「や、やっぱりそうかなあ」
「……」
まさかここまでとは……
「聞かせてくださいよ。馴れ初め話、みたいな?」
「そ、そうだなあ。彼女と会ったのは確か、2年前だったかなあ。本当に可愛くて、雫ちゃん、ブログもやってて、僕がコメントすると返事が返って来たんだ。どうしてか、返事はしてくれなくなったけどねえ」
「ブログ?え、雫?」
「君は知らないんだねえ。雫ちゃんはアイドルなんだ。雑誌で一目見た時から運命を感じた。あの日、ここで再会した時は、僕は神様は本当にいるんだなあって思ったよ。そのことはブログにもコメントした」
すぐに携帯でアイドル、雫と画像検索すると、映っていたのはメガネを取った佐倉の面影を持っている美少女だった。
通常検索にすると、店員が言っていたブログも出て来た。
そのページに飛ぶと、この雫というアイドルが自分で撮ったであろう写真がアップされている。写真的にグラビアアイドルらしいな。
店員の言っていたコメントを見てみる。
基本的に応援のメッセージが寄せられているが、その中で一際不気味なコメントがあった。
その内容は、「運命を感じるよ」「目があったの、気づいた?」「神様は本当にいるんだなあ」などなど、店員の言っている言葉とほぼ一致していることから、この店員のものであるということは間違いなさそうだ。
ふーん、なるほどな……
「すごいですねそれは。応援しますよ。では、そろそろ時間なんでこれで失礼します」
そう言って、櫛田たちがいるであろう場所へ向かう。
去り際、その店員は俺の手元を見て心底驚いたという表情を見せた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
俺がその場所に向かう前に、すでに綾小路の用は済んでいたらしく、3人とすれ違った。
「もう終わってたのか」
「うん。速野くんも終わった?」
「ああ」
思いがけない収穫がいくつもあった。正直、いま佐倉をどんな目で見ていいか分からない。
そして今佐倉と目があった瞬間、今までとは違う雰囲気を佐倉から感じた。
……ああ、そうか。
多分気づいたんだ。俺が知ってしまったということに。
おそらく、俺が店員と佐倉について、いや、グラドルの雫について話したことも、多分看破された。根拠はない。だが、分かる。佐倉もその経験上、微細な変化であっても敏感に察知したんだ。
なら、佐倉の俺への信頼は崩れ去ったかもな。
店を出て歩き、最初に集合した場所に戻って来た。
「あ、あの、今日は本当にありがとうございました……凄く助かりました」
「大丈夫だ。これくらいなら、またいつでも協力する」
「うん。私たちにできることなら何でも相談して?でも佐倉さん、できればなんだけど、普通に話してくれないかな?同級生に敬語って、なんかちょっと変な感じしちゃってさ」
確かに、佐倉の口調は丁寧だが、櫛田にとっては普通に話してくれた方が嬉しいだろう。
「は、速野くんもそう思う……?」
「え?」
突然、意見を佐倉から求められる。少し驚いてしまったが、思っていることを返答することにした。
「そうだな……まあ、普通に話した方が親しくなった感じがしていいと思うぞ」
「そ、そっか。そう、だよね……分かった。やってみるね」
「あ、でも無理はしなくていいからねっ」
「だ、大丈夫。私も、その……」
ごにょごにょ、と語尾の方は聞こえなかったが、佐倉の表情からはわずかながら明るさが見て取れた。
櫛田もそれ以上はグイグイ行かなかった。なるほど。誰とでも仲良くできる、とは、誰とも適切な距離感を見出すことができる、ということか。
なら、堀北の時は意図的に無理に近づいていたのか、それはよく分からなかった。
「じゃあ、また明日学校で」
そろそろいい時間だと思っていた頃、櫛田が解散を切り出す。
俺も綾小路もそれに同意を示したが、佐倉はその場を動かなかった。
「あ、あのっ!」
その声に振り向くと、佐倉は真っ直ぐに俺たちの目を見ていた。すぐに逸らしてしまったが、今まで聞いた佐倉の声で一番大きかったかもしれない。
「その、今日のお礼って言ったら、少し違うけど……」
そう前置きし、今度ははっきりと言った。
「須藤くんのことっ……何か、協力できるかもしれない……」
自ら名乗り出るという想定外の佐倉の行動。3人ともお互いの目を見合わせた。
「それって、佐倉さんが須藤くんの喧嘩を見てた、ってこと?」
「うん、本当に偶然……信じて、もらえないかもしれないけど……」
「そんなことない。でも、無理はしなくていいんだよ?私たち、恩を着せるために今日来たわけじゃないし……」
機会があれば、とは思っていたが、俺もそんな恩着せがましいことをするつもりはなかった。
しかし、佐倉はそれを否定する。
「ううん、無理なんてしてない……それに言わないと、後悔する、と思うから……須藤くんを傷つけたいわけじゃなかったの。でも、名乗り出ると目立っちゃうし、ずっと、勇気が出なくて……」
目撃者として名乗り出るには、それだけのリスクがあった。佐倉はあくまでそれを警戒しただけ。誰も佐倉を責めることはできないだろう。
「ありがとう佐倉さん。きっといい方向につながるよっ」
そう言って櫛田は笑顔で佐倉に接した。
果たして、佐倉が見たものとは。
この争いはどうなるのか。
そして……
考え事をしながら、俺もその場を立ち去ろうとした時、服の裾を引っ張られる感覚があり、立ち止まった。
もちろん、それは佐倉だ。
何が言いたいかは、だいたい分かっている。だが、それを俺から言うわけにもいかない。
意地が悪いことは自覚した上で、どうした、と佐倉に聞いた。
「……知られちゃった、かな……」
「……佐倉も分かったんだな……」
もちろん、目撃者のことじゃない。
「……うん。その、今まで隠してて……」
「いや、それで正解だよ。ただ……もちろん、誰かに言うつもりはないけど、気づかれてもおかしくない、かもな。目撃者として名乗り出ちまったから……本当によかったのか?もしまだ迷ってるなら……」
「ううん、もう迷ってないよ。その、こういうの、覚悟を決めた、って言うのかな?」
「……そうかもしれないな」
その言葉を聞き、迷っているなら、なんて質問したことを少し後悔してしまった。
「……佐倉」
「な、なに……?」
「……無理に、とは言わない。一回、メガネを取ってくれないか?」
「……うん。いいよ」
ダメ元だったが、了承してくれた。
佐倉はゆっくりとメガネを取る。そして、マスクも何もつけていない佐倉の素顔を見た。
「……」
まさに、別人だった。いや、雰囲気も変わっている。それは普段の佐倉というより、カウンターで見た写真から感じた、人気アイドルのものだった。
「……も、もういい?」
「あ、ああ、悪い」
気づけば、何もかも元に戻っていた。
少し佐倉に翻弄された気がして、悔しい気持ちになる。
「……やっぱり、佐倉は佐倉だな」
「えっ……」
「まあ、無理するなってことだよ。色々と」
「……うん、ありがとう」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それから約3時間後、同じ場所。
そこにいたのは、1人の男子高校生と、サラリーマンのような形をした1人の男性だった。
「……ちゃんと来たんですね。騙されるとは思わなかったんですか?」
「ま、まさか、騙したのか!?」
「いいえ。あの時、カウンターで俺の手元の携帯に表示した通り、連絡先、教えますよ。切ないですもんね」
「あ、ああ……」
その男性は安心したようにそう呟き、それに対して、その男子高校生は……
誰にも見せたことのないような、温度のない営業スマイルのようなものを顔に貼り付けていた。
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ep.19
では、どうぞ。
目撃者佐倉という手札が加わった、翌日。
俺はいつも通りにエレベーターで一階に降りようとしていたところ、四階でエレベーターが停まってしまった。
「……おはよう」
「……おはよう」
乗って来たのは綾小路。割りと一緒に行動する機会が多く、クラスの中でも親しい方ではあるが、絶対評価で見たときに親しい仲だと言えるかどうかに関しては首を振らせてもらう。
お互いに何かを語るでもなく、寮を出て一緒に登校した。まあそうなるよな。
今日も暑い。持参していたタオルで顔の汗を何度か拭いているうち、綾小路が聞いてきた。
「汗、かきやすいのか」
「ん、ああ、まあな……不便だ」
割と切実だ。普通に臭くなるときがあるので注意したい。
校舎内へ入った瞬間、外界とは大違い。適温に調節された空気が身に染みるぅ……
現代人、みんなエアコン依存症だ。生活保護受給者でもエアコンの所持は認められてるし。
教室に向かう道のり、階段を登っているとき、その踊り場の一つの貼り紙が目に入った。
「これ……」
須藤とCクラスの事件に関する情報提供を呼び掛ける紙だ。ありがたい。恐らくだが、これはBクラスだろう。読み進めていくと、有力な情報提供者には報酬を支払う用意があると書かれている。一之瀬たちが動き出してくれた。
てか報酬のやつマジでやってるよ……Bクラスの懐はどんだけあったかいんだ。羨ましい。
「おはよー2人とも」
俺も綾小路も貼り紙に感謝していたところ、登校してきた一之瀬に声をかけられた。
「ああ、おはよう」
「この貼り紙、一之瀬が?」
綾小路が問うと、一之瀬は少し考えるような仕草を見せた後、こう言った。
「なるほどなるほど、そういう方法もあるか……」
「あれ、一之瀬じゃなかったのか?」
「これは多分……あ、いたいた。おーい、神崎くん」
一之瀬は歩いていた1人の男子生徒を呼び止めた。その男子は、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「おはよー神崎くん。この貼り紙、多分神崎くんだよね?」
「ああ、用意して貼り付けた。それがどうかしたか?」
「ううん、2人が誰がやったのか気にしてたから。あ、紹介するね。クラスメイトの神崎くん。こっちは、Dクラスの綾小路くんと速野くん」
「神崎だ。よろしく」
握手を求められ、俺はそれに応じる。綾小路とも握手を交わしていた。静かそうな雰囲気だが、案外話しやすそうな人だ。いいなあ、俺にもこんな会話スキルが欲しかったよ。とほほ。
「速野、と言ったな。噂は聞かせてもらってるぞ」
「え?あ、ああ、はは、そりゃどうも……」
どうやら俺は完全に警戒の対象に入ってしまっているらしい。
まあ、隣の住人からすれば、それが好都合なのかもしれないが。
「どう?情報集まった?」
「残念ながら、有力な情報は一つも」
「そっかー、残念。じゃあこっちの掲示板も見てみようかな」
「え、他にも何か貼り付けてるのか?」
掲示板、という言葉で、先日の一之瀬とのやり取りを思い出す。一之瀬はあの後ページを立ち上げ、マジでやっていたのだ。
「こっちにも報酬をつけてるんだな」
「あ、ポイントは気にしないでいいからね。私たちが勝手にやってるだけだから。それとこれ、速野くんがアドバイスしてくれたんだよ」
「ほう、そうだったのか」
神崎は興味深そうに俺を見る。だが、ちょっと違うだろそれは。
「いや……俺が言ったのは、一度にみんなが見られる方法を探したほうがいいんじゃないか、ってことだけで、ホームページを使うこと自体は一之瀬が考えついたんだぞ。俺は確か放送室ジャックして、とか馬鹿げたことしか言ってなかっただろ」
「あはは、そうだったね。でも、速野くんの視点がこれに繋がってるのは間違いないから……あ」
「どうかしたか?」
「何件か書き込みがあるみたい。えーっと……」
一之瀬は自身が読み終えた後、男子3人組にも画面を見せた。
「訴えたCクラスの石崎くん、中学では相当なワルだったんだって。喧嘩も相当強いらしいよ」
「……それ、俺が綾小路にメールで送ったやつだな」
「そういえば、一昨日そんなメールがあったな。この書き込み、もしかして速野が?」
「俺もこれはある人からもらった情報だからな。情報源は本人に確認してないからちょっと伏せさせてもらうが。それに、その人もその情報は誰かの受け売りらしいからな」
「じゃあ書き込みはその人かもしれないな。それにしても、興味深い書き込みだ」
神崎と一之瀬にとっては初耳の情報で、興味を示している。あー、事前に共有しといたほうがよかったかな。
「神崎くんはこれ見てどう思う?」
「もしかしたら、須藤にやられたのはわざとかもしれないな。そうだとすれば、何故須藤が無傷で済んだのかも説明がつく」
「うん、私もそう思う。速野くんと綾小路くんは、この情報を知った時どう思った?」
「俺も変だとは思ってたが、神崎のところまでは頭が回らなかった。速野は多分、神崎と同じ感じじゃないか?確かそう言ってたよな」
「ああ」
メールで俺の意見は一通り書いておいた。内容は今の神崎のものとほぼ同じ。違うところといえば、Cクラスの思考が短絡的すぎる、という個人的な意見を追加したくらいだ。
「この情報の裏付けが取れたら、須藤くんの無罪に一歩近づくかもね」
「でも、まだ弱いな。須藤が相手を殴ってしまったことが事実である以上、厳しいことに変わりはない。責任の割合を減らすことはできるかもしれないが……」
「あ、そういえば、Dクラス側で見つけたっていう目撃者はどうなったの?」
一之瀬の質問には、俺が口を開く前に綾小路が答える。
「それが、まだなんともいえない状況でな」
「そっか……何か事情があるのかな」
綾小路は、まだ佐倉が出ると確定していない以上はっきりしたことは言わないという考えか。もしくは、佐倉への配慮か。
だが、佐倉は出るだろう。本人はないと言っていたが、迷いも少なからずあるだろう。だが、俺の希望的観測も含めて、恐らく佐倉は証言台に立つ。
「でもいいのか?ここまでしてもらって。Cクラスには睨まれると思うが……」
「大丈夫大丈夫。元々睨まれてるし」
「その通りだ。問題ないさ。それに、今回のはルールから逸脱した場外乱闘だ。許していいことじゃない」
真っ直ぐだなこの2人は。ルールの道から逸れたことはしないだろう。そして見方を変えていえば、ルールの範囲をフル活用するとも取れる。
「Dクラスはもう知っちゃってたみたいだけど、この情報どうしようかな……ポイントは」
「無理しなくてもいいと思うぞ」
俺は払わないことを提案する。
「いや、ここは出しておいたほうがいい。情報提供の数にも関わってくるかもしれないからな」
神崎はそれに反論した。確かに、神崎と一之瀬はこれを有用な情報だと認めた。有力な情報提供者には報酬を出すと公言してる以上、払わなければただの詐欺行為だ。何より、Bクラスの評価を落とすよりはいいと考えたんだろう。一之瀬も払うことを決定した。
その情報提供者は匿名らしく、綾小路が一之瀬に匿名の人物へのポイント譲渡の方法を教えていた。なんで知ってんだよそんな方法……
「……ん?」
「……どうかしたか、神崎」
「ああ、掲示板を利用して情報提供を呼び掛ける書き込みが、一之瀬の他にももう一件あってな」
「そうか。まあ、多いに越したことはないんじゃないか。そのほうが一之瀬の出費も抑えられるだろうし」
「確かにそうだな」
「一つ聞きたいんだが、いいか」
「なんだ。答えられる範囲で答えよう」
「Bクラスの生徒、平均してどれくらいのポイントが残ってるんだ?一之瀬はかなり余裕ありそうだが」
「全員のものを把握してるわけじゃないから正確なことは言えないが、大体のクラスメイトは、入学してから60000から100000は使っていると思う」
つまり臨時収入が入っていない限り、大体みんな100000ポイント以上は残ってるということか。
「やっぱりちゃんと計画的だな。Dクラスの一部は初めの1ヶ月で全部使い切ったやつもいた」
池とか山内とか、あたし昨日ポイント使い切っちゃったー、って叫んでた女子とか。
「それは、さぞ大変だろうな。因みに、お前のポイント状況はどうなんだ?」
「四月に配布された100000から、大体10000くらい使ったな」
「随分と切り詰めるな……お前の方が計画的じゃないか」
「いや、その場その場でポイントを使わない選択をしてるだけで、それは計画的とはちょっと違うだろ」
俺のやっていることは、ある意味無計画な貯蓄とも言える。使うべき場面で金を使わないのはただのドケチだ。
ただ、毎日の食費がゼロになれば、これまでで10000の消費で抑えることは可能だ。
「今月、2ヶ月ぶりにポイントが入るかもってなったんで、須藤の件を聞いたときは少しがっくりきた。まあ、ポイント獲得のためにも頑張るつもりだ」
「こちらも、できる範囲でサポートする。何か意見があれば遠慮なく言って欲しい」
そう言って、神崎は自分の端末を取り出し、新しい連絡先の登録画面を開いて俺に見せてきた。それに応じ、連絡先の交換を行う。
……ちょっと待てよ、これで……
「……っしゃ」
「どうした?」
「ああいや、ついに連絡先の件数が二桁を突破してな」
それで少し喜んだのだ。
「……そうか」
「……ああ」
頼むから哀れみの視線を引っ込めてくれ……悲しい気持ちになってきた……
心の中でさめざめと涙を流しながらも、なんとか立ち直って、神崎に言った。
「感謝する。他クラスの協力はこちらとしても本当に助かる」
本当に、な。
綾小路と一之瀬のやりとりが終わり、全員それぞれの教室に向かった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ホームルーム終了後、教室を出ていった茶柱先生を職員室の前で呼び止める。佐倉が目撃者である旨を伝えるためだ。
「佐倉が目撃者?」
「はい。事件の一部始終を、佐倉さんが見ていたんです」
「と、櫛田は言っているが、どうなんだ、佐倉」
「は、はい……間違い、ありません……」
茶柱先生に睨まれつつも、ゆっくりと真実を話す佐倉。現場にいた者にしか分からないことだ。俺も知らない。
「なるほど、お前の話は分かった。だが、それを素直に受け取ることはできないな」
「え?な、なんでですか?」
「どうしてこのタイミングになって証言した。私がホームルームで呼びかけた時点では、何故名乗り出なかった?」
「先生、佐倉さんは」
「私は佐倉に質問している。口を挟むな」
反論しようとした櫛田を黙らせる。あら珍しい、その声には少し怒気もこもっていた。
「そ、その、人前に出るのが、苦手で……でも、私の証言で、クラスが助かるかもって……思ったので……」
「なるほど、お前なりに勇気を出してのことだったんだな」
「は、はい……」
「お前がそう言うなら、私は学校側にそう報告する義務がある。しかし、それがなんの疑いもなく受け取られ、須藤が無実になることはないだろう」
「そ、そんな」
「私はマイナス評価を受けることを恐れ、お前らがでっち上げた嘘なんじゃないかと疑っている。当然の話だ。Dクラスの人間となればなおさらな。放課後、人気のない校舎に1人でいて偶然一部始終を目撃した。出来すぎだ」
茶柱先生の言い分はもっともだ。しかし、反論はさせてもらう。
「ですが先生、嘘の目撃者を仕立て上げるならもっと早いタイミングでやっているはずだとは考えられませんか。それに、マイナス評価を恐れて嘘をついたらそれは本末転倒でしょう」
「それもお前らが事前に用意していた理屈かもしれないだろう?どっちにしても信憑性は高くない。だが、名乗り出た目撃者を無視するわけにはいかない。佐倉、お前には明日の審議に参加して証言してもらうことになるだろう。人前に立つのが苦手なお前にそれができるか?」
「そ、それは……」
「佐倉さん、大丈夫……?」
「う、うん……」
佐倉は明日のことを想像し、かなり萎縮しているらしかった。
まあ、このままだと須藤と2人で参加だもんな……ちょっとまともな話し合いになるとは思えない。
「先生、その審議には、当事者間以外に数人の同席が認められていたはずです。櫛田や綾小路を同席させる許可をください」
「お前の言う通り、須藤が認めれば同席は許可する。ただし、最大2人までだ。人選は考えておいたほうがいいぞ」
そう言い残し、先生は少し強引に俺たちを職員室から追い出した。
教室に戻り、堀北にそのことを話す。
「まあ、予想通りね」
「ご、ごめんなさい……私がもっと早くに出ていたら……」
「残念だけれど、これは遅いか早いかの問題ではないわ。目撃者がDクラスというのが不運ね」
その通りだ。その不利を消すためには、客観的な物証が必要になるが……
「それと櫛田さん。話し合いには私と速野くんでいかせてくれるかしら。あなたが佐倉さんの励みになるのは承知しているけれど、討論になるなら話は別よ」
「……うん、そうだね。私じゃ力不足だから」
「佐倉さんも、それで構わないかしら?」
「う、うん……」
櫛田、佐倉に確認した後、俺にも視線を向けてくる。鋭い視線だ。断らないわよね、と訴えかけてくる。
「……分かった、分かったから睨みつけるのをやめてくれ」
佐倉よりも俺の方が萎縮しちゃうでしょうが。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
放課後、藤野との買い物から帰ってきたあと、俺は明日の手立てを考えながら自室にいた。
そんな時、一件のメールが入る。
差出人は佐倉だった。
『明日、もし私が学校を休んだらどうなりますか』
なるほど……やっぱりまだ迷ってたか。
『どういうことだ?休みたいって言うなら俺は止めないが、無断欠席や仮病使うのはやめてくれよ』
『いま何してますか』
『部屋でぼーっとしてた』
『今から会ってくれませんか。できれば、誰にも秘密で』
『分かった。どこでだ』
『1106号室に今からきてくれませんか』
『できるだけすぐ行くが、少し待っててくれ』
完全に部屋着だった俺は、ズボンだけジーパンに履き替え、端末と鍵を持って部屋を出た。
ボタンを押して、エレベーターが来るのを待つ。到着したのは、俺の正面のエレベーターではなく右のものだった。
そこで、買い物袋を持った堀北と鉢合わせてしまった。
「……乗らないなら閉めるわよ」
「待て、乗る」
本当に閉ボタンを押しかけていた堀北は、その様子を見て開ボタンを押した。
それに乗り込み、11階のボタンを押す。
「10階じゃなくていいの?」
「は?」
「いえ、何でもないわ」
10階に何があると言うのだろう。帰りに寄ってみようかとも思ったが、やめておいた。
「買い物、か」
「ええ。あなたは何してるの?」
「特に何も。あれだ。エレベーター使って異世界に行くみたいなやつあるだろ」
「答える気がないのは分かったから、くだらないことをこれ以上口にしないで」
「すいません……」
これ以上言ったら買い物袋で殴られそうだ。
「お前の方こそ、明日大丈夫なのか?」
「大丈夫、とはどういうことかしら?」
「いや、明日は……やっぱ何でもない。気にするな」
無理に不安にさせることはないな、と、口を紡いだ。
「そう。まあ、何を考えていようが私には関係ないけれど」
「そうですね……」
ただ、堀北にとっては重要だと思うんだけどなあ。
明日は生徒会の人間も参加することは。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「どうぞ」
「お邪魔します……」
初めて入る女子の部屋。というか、そもそも女子の階に来ること自体、今が初めてだった。
「で……どうしたんだ急に」
「そ、その……大丈夫、なのかな……」
「……大丈夫って?」
「見たことをそのまま話せばいい、って分かってるのに……全然、イメージができなくって、怖くって……学校、休みたいなんて思っちゃって……あああ、何で私はいつもこうなるのぉ!!!」
オドオドした佐倉の突然の発狂に少し驚き、何も言わないまま一歩後ずさりしてしまった。机に頭を押し付け、足をバタバタさせている。
「はっ!?」
我に帰った佐倉は俺の方を見て真っ赤になり、必死に否定した。
「こ、これはそのっ、ち、違うの!」
「いや、違うって言われても……」
浮気現場を見つかったみたいな反応だが、これはこれで、佐倉の隠れた一面なんだろう。少し面白かった。
「そ、その……速野くんは、私がアイドルだって知ってても、変な目で見たりしないんだね……」
「……変な目?」
「うん。ずっと、見る目が変わっちゃうんだろうな、って思ってたから……その、男の人って、急に怖くなったりするから……」
「ああ、まあ確かに……」
あの店員が最たる例だろう。今何やってんのかな、あの人は。
そんなことはさておいて、俺は佐倉に向き直って、素直な意見を言う。
「変な目で、って言われても、俺の知り合いはアイドルの雫じゃなくてDクラスの佐倉だからな。普段通りに接するだけだよ。佐倉だって、学校でアイドルはやりたくないだろ?」
俺が学校で佐倉をそういう目で見ることは、佐倉にアイドルでいることを強制するものになる、と俺は思っている。公私混同はやっちゃいけないことだ。
「……ただ、本当に嫌な時は言ってくれ。佐倉が目撃者だってことは茶柱先生も把握してるし、俺からも言っておく」
「怒らないの……?」
「須藤は怒るだろうけどな。ただ、誰もお前を責めることはできないし、櫛田が責めさせないだろ」
あいつは佐倉の気持ちを十分に理解しているはず。人前で話すことが、佐倉にとってどれだけハードルが高いかということも。
「速野くんは、どうするのが一番だと思う……?」
ここで俺に意見を求めるか……難しいな。どう答えたら正解なのか。
「そうだな……同じことを前も言った気がするが、無理しないことが一番だ。結局、佐倉がどうしたいかだな」
俺は答えないという選択を取った。俺としては是非とも証言してほしいが、強要はできない。
「佐倉、なんで俺を呼んだんだ?励ましてほしいなら櫛田の方がいいと思うし、男の俺を部屋に上げるのも抵抗あっただろ?」
「そ、その、何となく、かな……速野くんは、あのこと、誰にも言わないでくれたから……安心、できたの」
確かに俺は佐倉の素顔を誰にも言わなかった。いう奴がいなかったということもあるが、それは俺なりの善意のつもりだった。自分で言うのもなんだけどな。
ただ、佐倉から信頼されていると自覚すればするほど、少し罪悪感が芽生えていた。
でも、俺はやったことを後悔はしていない。
それに自分自身、少しだけ安心した。
「じゃあ、そろそろ時間だし、俺はもう……」
「……う、うん。あ、ありがとう。その、会いにきてくれて……」
「別にいいんだ。もしまだ不安なら、また誰かに吐き出せばいい。櫛田とか堀北とか、綾小路とかにな。頼りになるやつは結構いるぞ」
平田でもいいんだが、佐倉と平田はあまり絡みはなかったと記憶している。
「……ありがとう。励ましてくれて」
「励ましになったんなら、よかった。……本当に、無理だけはするなよ。そんなこと誰も望んでないからな」
「うん。……わかった」
また明日、と言い残して、俺は佐倉の部屋を出た。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本当に、安心した。
俺にもまだ、罪悪感が芽生える余裕が残っていたんだと。
俺は佐倉がアイドルであることを利用して、あることをした。
実害が及んだ店員にも、少しは罪悪感を感じていたが、ついさっき佐倉のゴミ箱を見てそれは完全に消えた。
大量の白い封筒。一瞬だけ見えた、佐倉の写真。佐倉は別の方向を向いていたから、恐らくそれは盗撮だ。
証拠はない。ただ、確信があった。
あの日の夜、俺は……
佐倉を励ます役割は速野がやったほうが自然かな、と思い、こうしました。
感想、評価お待ちしております。
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ep.20
では、どうぞ。
そして、いよいよ運命の時。
いや、運命というより命運だ。Dクラスの命運。それが決まる日だ。
佐倉はちゃんと登校してくれた。朝顔を合わせたが、もう迷いは残っていない、ような気がした。
「心の準備はいい?須藤くん」
「ああ、ばっちりだ。むしろ遅すぎるぐらいだぜ。お前には散々ばかにされてきたが、言いたいことは言わせてもらう」
「勝手にしなさい。言って聞く頭じゃないでしょう?」
「けっ、相変わらず生意気な女」
そう答える須藤。こちらも迷いはなさそうだ。まあ、こいつは元々バリバリ無罪主張だしな。
「須藤、一応一つだけ言っておくぞ」
「あ?何だよ速野」
「相手の態度にムカついても、飲み下せ。自分から印象を悪くするような真似だけはするなよ」
「わーってるって」
どうだかなあ……こいつの怒りの沸点が低すぎるところは多々見てきたし、まあ、こいつが暴れそうになったら頭抑えつけよう。……いや無理だわ。
「みんな、頑張ってね」
櫛田のエール。俺は頷き、堀北はスルー、須藤はガッツポーズを作ってそれに応えた。やっぱり堀北はブレない。
「佐倉、大丈夫か?」
綾小路が、まだ席に座ったままの佐倉に声をかける。
これは……だいぶ緊張してるな。
「うん、大丈夫……」
そう答えはするものの、体が震えているのが分かる。ここにきてちょっとした不安要素だ。
だが、俺にはどうすることもできない。佐倉本人に頑張ってもらうしかないだろう。
「行きましょう。遅れると心証が悪いわ」
堀北が言う。気づけば、審議開始まで10分を切っていた。悠長にはしていられないな。
須藤、堀北、佐倉、俺の4人で職員室前に移動すると、そこにはふわふわした感じの先生が俺らに手を振っていた。
「やっほー、Dクラスのみんなこんにちはー」
この人は確か……Bクラスの担任の星ノ宮先生だ。綾小路は結構前から知ってる風だったが、俺はつい最近知った。
「なんか大変なことになってるんだってね」
「また何をやってるんだお前は」
「ありゃ、もう見つかっちゃったかー」
「お前がこっそり出て行く時は、大体私に見られたらまずいことがある時だ」
「ばれちゃった?」
と言いながらウィンクをかます先生。正直、こういう何考えてるかわからん人は苦手だ。計算尽くの態度なのか、ただの天然か。多くの場合前者なんだが。
駄々をこねる星ノ宮先生を職員室に放り込み、茶柱先生は俺たち4人を先導する。
「職員室でやるわけではないんですね」
「そうだ。この学校の審議は当事者間とそのクラスの担任教師、そして生徒会を交えて行われる」
生徒会、という単語に堀北が反応を見せる。
茶柱先生が今言ったことは、一応校則にも書いてあった。かなり隅っこの方だったが、読み込んでいてよかった。堀北の方は完全に計算外のはずだ。
「やめるなら今のうちだぞ、堀北」
「……いえ、大丈夫です。やります」
そういう堀北だが、その表情は動揺の色が隠しきれていない。やっぱエレベーターの中で言っておくべきだったか……まあ、今更後悔しても遅い。それに、あの場で言っていても同じように動揺していただけだ。
この話を聞けばこんな感じになるだろうとは予想していたので、俺はポケットにあるものを仕込んでおいた。
職員室から生徒会室に移動し、茶柱先生が扉をノックする。
ドアが開き、中に入るよう指示され、それに従う。堀北は一瞬ためらいを見せたが、中に足を踏み入れた。
これは、あんまり良くない展開になりそうだな……
室内には長机が用意されており、その片側には訴えたCクラスの生徒3人と、その担任教師である坂上先生が既に着席していた。
「遅くなって申し訳ありません」
「お気になさらず。予定時刻はまだですので」
そんなやり取りが聞こえてくる。
部屋の奥には、生徒会長である堀北学が、妹には目もくれずに書類を見ていた。
対する堀北鈴音は、兄が気になって仕方がないようだ。
頼むから始まったら集中してくれよ……
その願いは通じず、戦況は不利だ。
佐倉は人前で話すことを苦手としているが、俺だって別に得意じゃない。むしろ苦手だ。1対1でのコミュニケーションすら怪しいんだから。
そして堀北は現在無力化中。非常にまずい。これは、俺も腹くくってやらないといけないかもな。
司会進行を務める書記の橘という生徒が、双方に問う。
「須藤くんとバスケット部2人の間には、度々衝突があったと聞きますが」
「衝突というか、須藤くんが絡んでくるんです。彼は僕らよりバスケが上手く、それをひけらかしてくるんです。僕らも一生懸命練習していますが、馬鹿にされるのはいい気分ではありませんでした」
それに対し、須藤は反論する。
「何一つ本当じゃねえ。小宮たちが俺にちょっかい出してきたんだ。こっちが練習してる時も、邪魔してくるなんて四六時中だったじゃねえか」
どちらも平行線。決まらない。
俺も反応を示すことにした。これを皮切りに堀北も機能してほしいという願いも込めて。
「すみません。発言よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「今の話、どちらが本当か、それはバスケットボール部員に聞けば真偽が分かる話です。この話題に関しては判断の勘定に入れないほうがよろしいかと思います」
「判断の勘定に入れない、とはどういうことですか?何かまずいことでも?」
坂上先生が俺に聞いてくる。
「こちら側の主張に何一つ嘘はありませんので、まずいことなんて一つもありませんよ。ですから生徒会側とCクラス側のコンセンサスを得られれば、私個人としては後日証言を取るという対応でも構いません。どうしますか?小宮くん、近藤くん」
一瞬名前の呼び方に迷ったが、さん付けは変だし、呼び捨てもおかしいかと思ったので、君付けにしておいた。
しかし、それに反応したのはCクラス側ではなく生徒会長だった。
「速野、それは受け入れられない。時間を長引かせるだけだ」
「そうですか。会長がおっしゃるなら、このことは勘定に入れない、ということでよろしいですか」
「では、今ある証拠で話を進めるしかありませんね」
「僕たちは須藤くんに、一方的に殴られて怪我を負いました」
「嘘つくなよ。お前らが俺を呼び出してお前らから仕掛けたんだろうが。正当防衛だ」
Cクラスは焦点を怪我の事実に当ててくる。まあ、当然といえば当然の流れだ。Cクラスとしてはそれが最も強力で確実な武器。利用しない手はない。
「……」
堀北を見るが、全くこの場が見えていない。今最も無力なのは堀北だった。
これは……そろそろだな。
「Dクラス側、これ以上の証言がなければ終了しますがよろしいですか」
「……」
だめだ、打つ手がない。遅延させるか?いや、この会長の前では封殺されるだろう。
「どうやら、議論するまでもなかったようだな。どちらが呼びだし、先に仕掛けたにせよ、須藤が相手を殴り怪我をさせたというのは事実だ。それを元に判断を下す他ないだろう」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!納得いかねえ!こいつらが雑魚だっただけだろ!」
「ほう、力の差がある相手に正当防衛を主張するのか?」
「待ってください。力の差があるかどうかは相対してみないと分からないはず。相手の力が未知数の上で、須藤くんは先に仕掛けられたんですから、それに対して正当防衛を行なっただけのことです。その反論は的外れではないでしょうか?」
「だが、実際に怪我をしたのは私たちCクラスの生徒だけです」
俺も自分なりに頑張るが、それでも状況はこれ以上ないほど不利だ。
いい加減俺もしびれを切らし、今までの報復も込めて、俺はポケットからあるものを取り出した。
そして……
グサリ
「いっ!?」
グサリ、グサリ、グサリ
「いっ、がっ!?ちょ、何を……」
俺は堀北の体に、取り出したコンパスを刺していた。
ああ、もちろん針の方じゃなくて柄の方で。針で刺してたら堀北が血まみれになってしまう。
大体20回くらい刺したところで、手を止めた。殺される勢いで睨まれるが、俺は悪くない……悪くないんだ……でも怖い……
「いい加減にしろ堀北。お前の相手はCクラスだ」
「……」
「次集中してなかったら、マジで針の方で刺すからな」
体に強い刺激を与えたのが功を奏したのか、ようやく堀北は目を覚まし、現在の最悪の状況を把握する。
「……申し訳ありません。私からいくつか質問してもよろしいでしょうか」
ついに堀北が動いた。橘書記が生徒会長に了承を仰ぐ。
「いいだろう。だが、次からはもっと早く答えるように」
「ありがとうございます。先ほど須藤くんに呼び出されて特別棟に行ったと聞きましたが、須藤くんは誰を、どんな用件で呼び出したのですか?」
堂々とした立ち振る舞い、堀北の真骨頂だ。ちゃんと復活してくれたらしい。
「答えてください」
「俺と近藤を呼び出した理由は知りません。ただ、部活が終わって着替えている途中に、今から顔を貸せって言われて……俺たちが気に入らないとか、そんな理由じゃないでしょうか」
そう主張する小宮に、俺も反応する。
「……部活が終わった後着替えている途中に、と言いましたね。つまり、他の部員も同じ場所にいてもおかしくない。その部員に証言を頼めばよかったのに、あなたたちはそれをしなかった。なぜですか?」
「……その、須藤くんは、他の部員が帰った後に声をかけたんです。僕らは居残り練習をしていて、須藤くんは部室で僕らを待ち伏せしていたようですから」
「嘘だ、真逆だろうが!」
「須藤くん」
立ち上がって激昂する須藤を堀北が制し、さらに続ける。
「つまり、証拠はないということですね。続けます。では、なぜその場に石崎くんがいたのでしょうか。彼はバスケット部員ではないですし、無関係のはずですが?」
「それは、用心のためですよ。須藤くんが暴力的だというのは噂になっていましたから。いけませんか」
「では、暴力を振るわれることを想定していたということですね」
「そうです」
堀北も元々この質問をする予定だったんだろうが、Cクラスもそれはお見通しだったようだ。
「なるほど、それで中学時代、喧嘩が強かったという石崎くんを連れて行ったわけですね」
「自分の身を守るためです。それに石崎くんを呼んだのは信頼できる友人だったからで、喧嘩が強かったなんて知りませんでした」
「あなたたちが知らなかった、というのは証明のしようがありません。しかし、喧嘩慣れしていた石崎くんを含めてあなたたちは3人、こちらは須藤くんが1人です。一方的にやられたというのは不自然ではないでしょうか」
「それは、僕らに喧嘩の意思がなかったからです」
「喧嘩に発展した場合、無抵抗な者がそこまでの傷を負うことは通常あり得ないことだと思いますが」
「須藤くんにはその通常が当てはまらなかったということです。僕らは無抵抗に、須藤くんに殴りつけられた。その結果がこれです」
やはりCクラスが傷を負った、という証拠は強いか。
「Dクラス側の主張はこれで終わりか?」
堀北の兄、堀北学は冷たく言い放つ。
「……須藤くんが相手に手を出したのは事実です。しかし、須藤くんは先に相手に挑発を受けました。その様子をを見ていたという証人もいます」
「では、Dクラスから報告のあった目撃者は入ってきてください」
橘書記が佐倉の入室を促す。
そして、遠慮がちな佐倉が背中を丸めて入ってきた。
「1年Dクラス、佐倉愛理さんです」
「おや、目撃者がいるとは聞いていましたが、Dクラスの生徒とはねえ」
「何か問題が?」
「いえいえ、続けてください」
「では佐倉さん、証言をお願いします」
呼びかけられる佐倉だが、俯いたまま何も答えない。
「佐倉さん……」
堀北の呼びかけにも佐倉は無言のままだ。
「どうやら、彼女は目撃者ではなかったようですね。これ以上は時間の無駄でしょう」
「何を急いでるんですか坂上先生」
「急ぎたくもなります。このような無駄な時間で、私の生徒の貴重な時間が奪われているんですよ」
「確かに、そうかもしれませんね」
坂上先生はCクラス側に味方する一方、茶柱先生はどちらの味方もしていない。以前はこの姿勢に好感を持てていたのだが、何だろう、今になって非常に憎たらしい。
佐倉はまだ口を開かない。すでに入室してから2分ほどが経過していた。
俺も頼む……という視線を佐倉に向ける。
すると一瞬、目が合った気がした。しかしそれだけで、佐倉はまだ話を始めない。
これ以上は無意味だと判断した茶柱先生が、ゆっくりと口を開いた。
「もういい。佐倉、下がってい」
と、言いかけたところで急に佐倉が声を上げた。
「わ、私は確かに見ました!はじめにCクラスが須藤くんに殴りかかっていたところを……間違い、ありません!」
勇気を振り絞った佐倉の声。それは予想以上に大きく、部屋全体に響き渡った。
「すまないが、私から発言させてもらっても構わないだろうか。本来教師は口を挟むべきではないというのは承知の上だが、この状況は生徒があまりに不憫でならない」
「許可します」
「私は君を疑っているわけではない。だが、本当の目撃者なら、もっと早くに名乗りをあげるべきだった。そうじゃないかな?」
「そ、それは、その……勇気が、出なくて……人と話すのが、その、苦手なので……」
「なるほど。ではもう一つ。人と話すのが苦手な君が、どうして今になって名乗りを上げたのかな?このタイミングでの目撃者の出現、私は、Dクラスが口裏を合わせているようにしか見えない」
「わ、私はただ、本当の、ことを……」
「私は君を責めているわけではない。恐らく、須藤くんを救うため、クラスを救うために嘘をつくことを強いられたんじゃないのかな?」
次々と襲う坂上先生の心理的攻撃。見るに耐えかねた堀北が発言する。
「それは違います。佐倉さんは確かに人前で話すことが得意ではありませんが、本当の目撃者だからこそ、今この場に立ってくれているんです。それに、堂々と証言させるだけなら、他の代役を立てるだけでいいのではないでしょうか」
「私はそうは思いません。Dクラスにも優秀な生徒はいる、それは堀北さん、君のような生徒です。佐倉さんのような人を指名することで、目撃者にリアリティを持たせようとしたのではないですか?」
本気でそんなことを思っているわけはない。どうにかして難癖をつけようと頑張っているのだ。
だが、あまりのこじつけ論に俺は少し苦笑してしまった。
「何かおかしいことでもあるんですか?」
それを見た坂上先生が俺に言う。
「あ、ああ、いえ、お気になさらず」
だが、その難癖は確実に効果を発揮している。難癖をつけられるということは、逆に言えば証言が完璧ではなく難癖のつけようがあるということだからだ。以前堀北の言っていたように、身内が目撃者ということで信ぴょう性はガタ落ちする。
もうダメか、と思っていた時、佐倉が身を乗り出して言った。
「証拠なら、あります!!」
「はあ、もう無理はよしなさい。いい加減見苦しいよ」
すると佐倉は、机の上に何かを置いた。
「これが、証拠です……」
「会長、これは……」
橘書記が会長にもそれを見せる。
それは、特別棟で撮った佐倉の自撮り。いや、より正確にいうならばグラドルの雫の自撮りをプリントアウトしたものだった。
「少し待ってほしい。それは何で撮影したものだい?」
「坂上先生、パソコンに取り込んで日付データを変えたということはあり得ません。写真を最後までご覧ください」
言わんとすることをいち早く予想して回り込み、堀北が言う。
「こ、これは……」
写真の束の一番下には、まさに須藤とCクラス3人が写っていた。
それを見たCクラスは、明らかに動揺している。これなら佐倉の証言能力をある程度認めざるを得ない。
「なるほど、どうやら君がその現場にいたというのは本当のようだ。しかし、これでは本当に須藤くんが先に仕掛けられたのかどうか、判断はつきませんね」
しかし、坂上先生は素直には認めない。
「どうでしょう茶柱先生。ここはお互い、妥協点を見つけませんか」
「妥協点、ですか」
「今回の事件、私はDクラス側が嘘をついたものだと確信しています」
「なんだと!?」
「おい」
また立ち上がった須藤を、今度は俺が声で止める。
「いつまで続けても、まったく時間の無駄ですよ。双方、相手が嘘をついていると言ってやめない。決定的な証拠もない。そこで、妥協点です。私は、Cクラスの生徒にも幾ばくかの責任はあると思っています。3対1だったことや、石崎くんに喧嘩慣れしている過去があったことは問題でしょう。ですので、私の生徒には1週間、須藤くんには2週間に停学処分とする。違いは相手を傷つけたかそうでないか。これでいかがでしょうか?」
これは、Cクラスの譲歩だ。堀北の本領発揮や、佐倉の証言がなければ恐らく須藤の停学期間はもっと伸びていたはず。
「ざっけんな!冗談じゃねえ」
「あなたはどう思われますか、茶柱先生」
「聞くまでもないことでしょう。そちらの提案を蹴る理由はありません」
通常であれば、こちらも茶柱先生と同じ考えだ。隣を見ると、堀北は天を仰ぐように上を向いている。もう無理だ、と考えているのだろう。
いや、堀北はよくやったと思う。少なくとも、俺よりはよほど貢献したはずだ。
しかし俺は一つ、ある指示を預かっている。
『たとえ相手が譲歩してきても、何があっても、堀北に勝負を投げさせるな』
俺の後ろの席の、似非事なかれ主義からのお言葉だ。
なら、俺はその言葉を遂行するだけ。
なんせ、操り人形ですから。
「どうだ堀北。もう終わりか?」
少し挑発的な言い方になってしまうが、堀北の気を引くためにはこれがいい。
「俺はお前と違って頭でっかちだからな。この現状をひっくり返すために今打てる手は思いつかない。なんなら、妥協案を受け入れてもいいと思った」
「ふふ、そうでしょう」
「須藤の無実なんて誰も証明できない。坂上先生の言っていたように、佐倉が撮った写真だけじゃ、どちらが先に仕掛けたかなんて判断はつかない。例えばそれが動画だったなら、或いは証明できるかもしれない。だが、そんなものは元々存在しない。今の特別棟の設備じゃ、証明なんて無理だ」
一呼吸置いて、もう一度続ける。
「てか、そりゃそうだよな。どちらが嘘をついているにしても、証拠が残らないように最低限確認してからやるはず。おちおち証拠を残すようなヘマは期待できないってことだな」
さて、俺の役割はここまでだ。あとは堀北の国語力次第。
「もう1人語りは終わりましたか?では代表の堀北さん、意見をお願いします」
坂上先生は俺の言葉を敗北宣言と受け取ったようだ。Cクラスの生徒も同様。安心しきった表情を見せている。
「分かりました……私は今回、須藤くんにも、この事件に関して反省する余地はあると思います。普段の生活態度や、経歴、性格など、彼には非常に問題があります」
「て、てめえ……」
また声を上げようと凄む須藤を、堀北はさらに強く睨みつける。
「須藤……お前のそういう性格に付け込まれたことにそろそろ気づけよ」
俺もそれに乗っかって言った。
須藤ははめられた、これだけは間違いない。
「ですから私は元々、彼の手助けをすることに対して消極的な立場を取っていました。ここで変に手を差し伸べては、また二の足三の足を踏むだけだと考えていたからです」
「ようやく正直に話してくれましたね。これはもう決着がついているでしょう」
「ありがとうございました。着席してください」
橘書記にそう言われるが、堀北は従わない。まだ言い残していることがある、と言いたげに。
立ったまま、Cクラス側を凝視し、そしてついに口を開く。
「彼は反省すべきです。しかし、それは過去の自分の戒めという意味で、です。この事件に関しては、彼に非はなく、完全無罪を主張します。よって、どんな罰であろうとも受け入れるつもりはありません」
その言葉で、部屋中に衝撃が走った。当然だ。堀北はさっきまで、敗北宣言のようなことを口にしていたのだから。
「それは……どういうことだ?」
兄である生徒会長が、堀北の目を見ながら問う。
しかし、もう堀北は怯まなかった。
「私たちは今回の事件を、Cクラス側が意図的に仕組んだものであると確信を持っている、と言うことです」
「はは、何を言いだすかと思えば。生徒会長、あなたの妹は不出来であると言わざるを得ませんね」
「佐倉さんの言う通り、須藤くんは全面的に被害者です。どうぞ、慎重な判断を求めます」
「ぼ、僕らは無実です生徒会長!」
「俺が無実だ!こいつらの言ってることは全部嘘だ!」
「そこまでだ、黙れ」
嘘の押し付け合いに、会長が喝を入れる。それだけで場の主導権が一瞬で堀北学という男1人に移った。
「いま、これ以上の話し合いは無意味だ。どちらの主張も並行線。つまり、どちらかが非常に悪質な嘘をついているということだ。確認しておこう。Cクラス、お前たちの主張に嘘偽りはないな?」
「も、もちろんです」
「Dクラスはどうだ」
「俺は嘘なんか一個もついてねえ」
「では、明日の同時刻、同じ場所でもう一度審議を行う。その時刻までに相手の主張の嘘を証明できなければ、今ある材料のみでの判断を下す。以上だ」
生徒会長はそう言って締めくくった。
猶予は丸一日。その時間内に行動が間に合うかどうか、それをシミュレートする。
堀北は時間が足りないと抗議しているが、これ以上の延長は無理だろう。
限られた時間の中でやるしかない。
退室を指示され、その場にいた、生徒会の2人以外の全員が外に出される。
坂上先生は、泣きそうになっている佐倉に近づき、嘘つきがどうのと責め立てた。
俺は少し可哀想になったが、ここではどうすることもできない。
その時。
ドンッ、と体がCクラスの石崎とぶつかってしまった。
「ん、ああ、悪い。不注意だった」
「チッ、気をつけろよ嘘つき野郎」
そう悪態をつきながら、Cクラス側4人は立ち去って行った。
「随分と大見得を切ったな堀北。傷口を広げる結果になるかもしれないぞ?」
「負けるつもりはありません。では、これで失礼します」
そう言って、堀北がその場から立ち去る。須藤もそれに続いた。茶柱先生も、2人とは違う方向に歩いていく。
残されたのは俺と佐倉。
見ると、すでに佐倉の目には涙が浮かんでいた。
「ごめん、速野くん……私が、もっと早く名乗り出てればっ……」
「お前は悪くない。むしろ俺は感謝したいくらいだ。佐倉の証言のおかげで、もう1日チャンスがもらえたんだ。今はその結果だけで十分だ」
「っ……でもっ……」
坂上先生の追及や、須藤を救いきれなかった自責の念。様々な感情がないまぜになり、ついに佐倉の目から大粒の涙が流れた。
人の涙、か。
確かあれは……2年くらい前だったかな。
俺の身内が亡くなって、親戚はみんな悲しんでいた。
その時、俺は何をしてたっけ。
全く思い出せなかった。
ただ、その時の俺も、今の佐倉と同じように様々な感情が混ざっていて、非常に不安定な状態だっただろう。
数分経って佐倉の涙が収まり、教室へ戻ろうとした時。
「なんだ、まだいたのか」
感情のこもっていない冷たい声。生徒会室から出てきた堀北学のものだった。
「失礼、もう帰りますよ」
「どうするつもりだ」
「は?」
「お前と鈴音がこの場に来た時は、何か策を見せるものだと思っていたのだがな」
「Dクラスの俺に何を期待してるんですか」
「つまり、鈴音の暴走だった、と」
「さあ、妹さんの考えてることはよくわかりません……ただ、話し合いに参加していたのはあの場にいた11人だけではないですから」
会長はそれを聞いて一瞬意外そうな表情を作り、俺に言った。
「……なるほど、面白いことをしてくれたな」
「え?え?」
会長は恐らく、その一瞬で俺がやったことを看破したのだろう。書記のほうはまだ分かってなさそうだ。まあ、書記も優秀なんだろうし少し考えれば分かるだろ、多分。
「それから、佐倉と言ったな。目撃証言とその証拠写真は、確かに議論の場に出すだけのものだった。だが、その信用度はお前がDクラスということでどうしても下がってしまう。今回、お前の証言が素直に受け入れられるとは思わない方がいい」
「わ、私はただ……本当に……」
「ならば、それが戯言にならないよう証明するんだな」
「それは俺の管轄外です。妹さんなんかが上手くやってくれるんじゃないですか」
「ふっ、期待しておこう」
そう言い残し、会長は去っていった。
期待なんて一ミリもしていないだろう。できるはずがない、というような反応だった。
「佐倉、そろそろ」
「わ、私……」
「早く戻ろう。俺はもちろん、綾小路も、堀北も、櫛田も須藤も、誰1人としてお前を責める奴はいない」
「でも……」
「教室に入らなくてもいいから。いつまでもここにいるわけにはいかんだろ」
そう言って、俺は少し強引にこの場から離れさせた。
らしくないな、と思いつつも、佐倉の手首を引っ張って。
昨日は投稿できなくて申し訳ありませんでした。
感想、評価お待ちしております。
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ep.21
俺と佐倉は、並んで教室に向かって歩いていた。
「恥ずかしいところ、見せちゃったな……でも、ちょっとスッキリしたかも」
「そりゃよかった」
「速野くんは、その、あんまり泣いたりしなさそうだね」
「……まあそうだな。大泣きしたのは確か、5、6年前だったか」
玉ねぎのせいではない、本当に心から悲しくて泣いたのはそれが最後だと思う。
「……今日は、ありがとう。勇気出して良かったって思ってる」
「そうか」
「うん。本当に」
喜ばしいことだ。佐倉は今日、勇気を出すことによって得られるものを知った。俺が上から目線で言えることじゃないが、それは一つ、佐倉の成長につながったんじゃないだろうか。
それ以後お互い無言で教室に戻ると、そこには先に戻っていた堀北と、綾小路、Bクラスの一之瀬と神崎がいた。
「おっ、速野くんおつかれ様ー」
「あ、ああ、どうも……」
ふと後ろを見ると、佐倉はもうすでにいなくなったしまった。まあ、この空間は佐倉にはちょっと厳しいか……
「今、堀北さんから説明を受けてたの」
「説明?話し合いのか?」
「それも含めて、ね」
そして、一之瀬が話を始める。
明日の四時までに、具体的にどうするのか。どのような方法で解決させるのか。
そしてそれは、俺の……いや、今俺と目が合って視線を交錯させている似非事なかれ主義の思い描いたものと寸分違わないものだった。
「なるほどな……でも、いいのかBクラスは。特に一之瀬、お前の流儀ってものには沿わないものだと思うが」
「それは先ほど確認したわ。協力してもらえることになった」
「……」
この2人……一体何を考えてるんだ……?
よく分からない。こんなことをして何になるのか。
だが、取り敢えずやるべきことはやっておくことにした。
「一之瀬、俺からお前に20000ポイント譲渡する。買うときの足しにしてくれ」
「え?でも」
「大丈夫だ。それに、Dクラス的に言えば出せるのはこれが限界だからな」
それに、これはある意味返済だ。もらったものを返しているだけ。
「……そっか。じゃあ、受け取っておくことにするよ」
そこで、一之瀬は自分の端末を取り出す。
俺もそうしようと、ポケットに手を突っ込む。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「いや、その、端末がどっかに……話し合いが終わるまではあったと思うんだが……」
「ええ!?」
「悪い綾小路、お前の端末貸してくれ。確か連絡先交換したら位置情報わかるよな。少し長くなると思うが頼めるか」
「別にいいぞ」
「助かる。悪い一之瀬。これは明日にしてくれないか?」
「ううん、ポイントはもういいよ。その代わり、速野くんにも貸し一つだからね?」
それは天使の微笑みか、それとも悪魔か。
いや、どっちでもいい。一之瀬は一之瀬だ。
「わかった」
そう言って俺は、パスワードロックが解除された綾小路の端末で自分の端末の位置を確認した。動いている。
……よかった。
その次に俺は、綾小路の着信履歴を開いた。その一番上にあるのは、俺の名前。
通話終了時刻は、ちょうど話し合いが終わったタイミングだった。審議に参加していたもう1人の人物、その答えだ。聴く専だが。
俺はそれに、電話をかけた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その夜。端末を取り戻し、ベッドの上でゴロゴローゴロゴロー、あーあ、早くポイント入ってこないかな、みたいなギャグを1人でかましていた時、一本の電話が入った。
画面には、佐倉愛理の文字。
俺は通話を開始した。
「もしもし」
『は、速野くん……いま、大丈夫、かな』
「ああ。なんだ」
どうしたと言うのだろう。明日は佐倉は証言台には立たない。だから極度に緊張する必要もないのだが、どうも様子が変だ。
『あ、あのね?私、その……っ』
返答はせず、黙って次の言葉を待つ。
しかし、10秒、20秒経っても、俺が待っていた言葉は出ない。
「……佐倉。お前が何を言いたいのかは分からない。でも前から言ってるように……無理はするな。勇気と蛮勇は別のものだからな」
『……』
「……いや、俺がどうこう言えることじゃないな。ただ、俺はお前に無理をして欲しくない。それだけは言っとく。何をしても、佐倉は佐倉の自由だからな。俺は応援するよ」
『速野くん……ありがとう。私、頑張ってみる』
「?あ、ああ……」
『本当にありがとう、速野くん。ばいばい』
そう言って、電話は切れてしまった。
結局佐倉の言いたいことは聞けなかった。
分かったことは一つ。
佐倉はいま、現状を変えようとして無理をしている。それだけだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
翌日のホームルーム終了後。俺は昨日の佐倉の電話について考えていた。
結局何がしたかったのか。佐倉は何を頑張ると言ったのか。
なんのために、そんな無理をしようとしているのか。
ふと席を見ると、綾小路も佐倉もそこにはいなかった。綾小路は恐らく事件現場だろうが、佐倉はどこに行ったのか。
位置情報を確認しても、綾小路も佐倉もそれぞれ別の場所にいる。
てか、佐倉はこれどこに向かってるんだ?
「速野くん、そろそろ時間よ」
そこに、堀北と須藤の二人組が来た。
「あ、ああ……」
少し不安になりながらも、俺はその2人についていく。
その時、佐倉の位置がストップしていることに気がついた。
「……」
その場所に何があったのか。頭に叩き込んでいる地図と照らし合わせて佐倉の位置を予測する。
……いや、これちょっと、ていうかかなりまずい。
俺は無意識のうちにその場を駆け出した。
「お、おい速野!?」
須藤の声が聞こえるが、悪い、今は無理だ。
下手すれば一刻を争う事態になる。靴は履き替えず、上履きのまま、俺は佐倉の位置情報が示す場所へと走った。
「あれ、速野くん!?」
途中、同じ方向に走っていく一之瀬と綾小路に合流した。そっか、綾小路も佐倉と連絡先交換してたな。
俺と同じような嫌な予感がしたんだろう。
位置情報が差していたのは、家電量販店の搬入口の近く。そしてそこにいたのは……
「もう、こんなことはやめてください!」
「どうしてそんなことを言うんだい?僕は君が本当に本当に大切で、大好きなんだよ?雑誌で一目見たときからね。ここで会った時には運命を感じたんだ」
佐倉。そして、あのカウンターの店員だった。
「や、やめて!やめてください!なんでこんなこと!どうして私の部屋を知ってるんですか!?」
佐倉がカバンから取り出したのは、無数の紙の束。それは先日、俺が佐倉の部屋で見たものとおなじもののようだった。
「当たり前さ、僕らは心で繋がっているんだ」
「もう嫌!迷惑なんです!!」
そう叫んだ佐倉は、それを地面に叩きつけた。
「そんな、ど、どうしてこんなことを……君を想って書いたのに!」
「い、いや、来ないでっ……」
店員は佐倉に近づく。そして、腕を掴んでシャッターに押し付けた。
「今から、僕が本当の愛を教えてあげるよ。そうすれば君もきっと……メー」
ガンッ
店員が何かを言い出そうとした時、俺の脚が近くにあった金属製のものにぶつかってしまった。
「だ、誰かいるのか!?」
俺は謝罪の念を込め、綾小路と一之瀬に視線を送った。
すると、綾小路は一之瀬の腕を引いて出て行った。
「あーあ、見られちゃったっすねおっさん。エライことしてんなあ」
「へっ!?」
佐倉も俺も、聞いたことのない綾小路の口調に唖然としてしまった。
その先は俺にも聞き取れなかったが、とりあえず店員が追い詰められているということだけは理解した。
取り敢えず、あんなヤンキーカップルの真似みたいなことをやれる綾小路と一之瀬を尊敬する。
「ひっ!?ご、ごめんなさいもうしません!!」
店員がこちらに向かって走ってくる。
「……」
しかし、俺がいるとは気づかず、行ってしまった。
まあいいか。俺的にはその方が好都合だ。
もう遅いが、俺も出て行った。
「は、速野くん、も……」
綾小路に肩を支えてもらっている佐倉は、俺の方を見て驚きの表情を見せる。
「あ、ああ……綾小路と同じような経緯でな」
結局佐倉を助けたのは綾小路だったが。
「ねえねえ、さっきの人なんなの?ていうか、さっきアイドルって……」
「……」
一之瀬が綾小路に向かって言っていることから、綾小路が口を滑らせたものだとわかる。綾小路も知ってたのか。
俺は一度佐倉と目線を交わす。すると、佐倉もうなづいた。
「この佐倉は、実はアイドルなんだ。雫、って名前でな」
「え、アイドル!?凄い凄い、じゃあ有名人だね!握手、握手お願いしますっ!」
無邪気にはしゃぎながら握手を求める一之瀬。
「綾小路、お前いつから?」
「ついちょっと前だ。悪い、クラスでも何人か気づいてる」
「もしかしたら、これで良かったのかも……自分を偽り続けるのって、大変だから」
佐倉は少し微笑みながらそう言った。
「俺がどうこう言えるわけじゃないんだがな……佐倉、無理はするなって何回も言ったはずなんだけど?」
「あはは、うん、そうだね……怖、かったな」
「うわ、凄く可愛い。メガネでこんなに印象変わるんだ……」
一之瀬は携帯で雫のことを検索しているらしい。一之瀬のいう通り、ここまで違うとは誰も予測がつかなかっただろう。
だが、ファンだったあの店員にはそれは通じず、あんなことに発展してしまったということか……
「明日からメガネ外して髪型も変えたら、どうなるかな?」
「ああ、いいんじゃないか。Dクラス前がすし詰め状態になると思うけど」
突然の美少女の出現に、学校中が大パニックになるだろう。Dクラス内は多分、3日ほど授業に集中できないんじゃないだろうか。
「てか速野、いいのか。そろそろ審議始まるぞ」
「え?……あ」
そうだ、俺参加するんだった……
「悪い、またな」
「うん、また今度ねー」
一之瀬はそう言って大きく俺に手を振る。
佐倉の方も、遠慮がちに小さく手を振ってくれた。
綾小路の方は、相変わらず何を考えているかわからん不気味な目で俺を見ていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「はあ、はあ、はあ……」
「……あなた何をしているの?」
「いや、まあ、その……色々とな……」
体力が本当になくなってきてる……これは、この夏休みは体動かさないとまずいな。
俺は遅れてすみませんと言いながら、席についた。
「遅刻は本来許されるべきことではないが、まあいいだろう。この話し合いはすでに終了した」
「……え?」
「Cクラス側が訴えを取り下げたのよ。良かったわね、遅刻の責任を問われなくて」
「あ、ああ、そうだったか……でもなんでだ?」
「さあ、知らないわ。私たちにとっては渡りに船だったから受け入れたけれど」
茶番に近いこの会話を打ち切り、俺は生徒会長の方を向く。堀北と須藤、茶柱先生は退室していった。
会長は話を続ける。
「遅刻の責任がなくなったわけではない。本来全員均等に負担させるはずだった今回の話し合いの諸経費、お前に全体の7割の負担を命じる」
「いくらですか?」
「安心しろ。21000ポイントだ。お前なら余裕で払えるだろう?」
以前、会長から60000ポイントをぶん取ったことのある俺にだから言えること、だな。
「分かりました。払います」
速やかに支払いを済ませる。その時、一瞬だけ会長の目に俺の端末の画面が映った。
それを見た会長は驚きの表情を見せる。俺が見た中で一番、会長の真顔が崩れた瞬間だった。
「ふっ、なるほど、お前はどうやら隅に置けない奴のようだな」
「は?何を言ってるんですか?」
「橘、生徒会にはまだ空いている役職がいくつかあったな」
「え?は、はい、書記や会計などは空いていますが……何故?」
橘書記が戸惑う中、会長は驚きの一言を発した。
「速野、生徒会に入らないか?」
「……はい?」
「か、会長!?それは……」
「不満か?」
「い、いえ、会長の仰ることなら……」
いきなりの申し出。俺は少し困惑してしまったが、努めて冷静に答える。
「俺はDクラスだし、この学校をよくしていく自信も覚悟もなく、汚点を残すだけなんで遠慮させていただきます」
「こ、断るんですか!?会長の申し出を」
「理由は今言った通りです。……それに、生徒会に誘うべき人材は俺じゃないでしょう。もっと身近にいるじゃないですか、俺よりよっぽど優秀な奴が」
例えば一之瀬、藤野にも務まると思う。それから……
「そうか。だが、この話は覚えておけ。気が変わったら生徒会室に来い。待っている」
「評価していただいたことには感謝しますが、今回の件を解決したのは俺じゃないですよ。お間違えのないよう。では、失礼します」
出ていく俺を、会長と橘書記は無言で見ていた。
生徒会室のドアを閉めて初めに目に入ったのは、須藤がバッグを持って走り去っていく姿だった。
そして次に、茶柱先生と堀北。
「速野、こっちに来い」
「はい?」
「来いと言ったんだ。早くしろ」
「あ、はい……」
強い口調でそう言われ、少し小走りで2人に近づく。
それを確認して、茶柱先生は話を始めた。
「さて、お前らに問おう。何をした?」
「何を、とは?」
「とぼけるな。あいつらが何もなく訴えを取り下げるわけがないだろう」
「ではご想像にお任せします」
「なるほど、秘密というわけか」
追求されて困るのは俺らだからな。いうわけにもいかない。
まあ、あの3人がまた訴えを起こしてくるはずはない。それだけは確信できた。
「なら、少し質問を変えよう。この作戦を考えたのは誰だ?」
「……何故そんなことを気にするんですか?」
「この会議に参加していなかった綾小路が少し気になってな。そして速野、お前の言動にも気になる部分が多々あった」
「……俺のですか?」
「ああ。昨日、お前が突然始めた1人語り。あれは何が目的だった?」
「そんな目的がある風に取られていたとは心外でした……ただの妄言ですよ。まあ、堀北に勝負を投げて欲しくなかったんで、初めは少し挑発的な言い方をしましたが」
「勝負を投げて欲しくなかった?つまり、お前はこうなることを予想していたというわけか」
「さあ、それもご想像にお任せしましょう」
「ふふ、お前らは本当に面白い生徒だな。では堀北、以前問うたことを改めて問おう。速野のことをどう思う?」
茶柱先生は以前、これと同じ質問を堀北にした。確か須藤の英語の試験の点数の件で、俺が交渉しに行った時だ。
てか、本人いる前なんですけど?
「速野くんは……かなり優秀かと。試験の成績だけではないことは分かりました」
「らしいぞ速野。よかったな」
「何が言いたいんですか……」
茶柱先生が本当に聞きたいことは、それではないはずだ。
「もう一つ聞く。綾小路のことはどう思う?」
「彼は……未知数です。ですが、少なからず思うところもあります。彼が実力を隠しているのは明らかです。何故そんなことをしているのかは理解不能ですが」
「実力を隠している、か」
先生は何故かそこだけをリピートした。
「速野、お前はAクラスに上がる気があるか?」
「聞いてどうするんですか?」
「いいから答えろ」
「そうですね……堀北がAに行きたいっていうなら、クラスの一員として手助けはします。特権は欲しいですし」
「私はお前自身のことを聞いているんだ」
どうやら、今の答えでは納得いただけなかったらしい。
「俺自身としては、Aクラスに強いこだわりは持っていません。ですが、クラスポイントを増やすことにメリットは感じています。その結果としてDクラスが上に上がるなら、それは喜ばしいことじゃないですか」
これは間違いない俺の本音だ。茶柱先生もこれ以上は追求してこないだろう。
「そうか、ならいい。お前らに一つ、アドバイスをしておこう。Aクラスに上がりたいのなら、綾小路清隆という人間を今のうちによく理解しておけ」
「どういうことですか?」
「お前らにはもう、Dクラスには欠点を持った生徒が集まる場所であることは説明したな。ならば、綾小路の欠点はなんだと思う?」
「欠点……」
あいつの欠点。意識したことがなかった。
「彼は事なかれ主義です」
「ほう、それは普段の綾小路の行動から察したのか?」
「いえ、彼が自分で言っていましたから……」
初めは自信がありそうだった堀北だが、語尾は声が小さくなって行った。
「速野、お前はどうだ?」
「俺は……あいつの事なかれ主義という言葉に違和感を持ってました。以前の中間テストも、あいつは何故かあそこに現れましたし。それに以前、綾小路は先生に呼び出されてましたよね。なんのことを話していたか知りませんが、本当に事なかれ主義なら呼び出されるようなことはしないでしょう。色々不審な点が多すぎます。なんで、あいつのDクラスに落ちるような欠点は分かりません」
「ほう、お前はそう考えたか。なら堀北、お前は既に綾小路の術中にはまっているようなものだ」
その言葉に、俺は内心少し驚いてしまった。まるで、この作戦の全てを知っているかのような口ぶりだ。
「どういうことですか?」
「何故あいつが入試の点数を全て50点に揃えるような真似をしたと思う。何故、なんだかんだでお前らの手助けをしていると思う?」
「それは……」
入試の点数を全て50点に揃えた……?
そんなことが可能なのか。思い返してみれば、小テストのあいつの点数も50点だったはず……
俺にもできない、狙って点数を固定するなんて。満点を取るよりもよほど難しいことだ。
「これは私個人の見解だが、Dクラスで最も不良品たる生徒は綾小路だ。そしてその次に速野、お前だ。性能が高い製品ほど扱いが難しい。それを間違えれば、あっけなくクラスは崩壊するだろう」
「……」
俺泣いていいかな……とかそんなことを考えるが、ふざけている場合じゃないなこれは。
「お前らは綾小路という人間を知れ。やつが何を目的とし、その行動軸はなんなのか。そこには必ず一つの答えがある」
そう言い残し、茶柱先生はその場を立ち去った。
残されたのは俺と堀北。
「じゃあ、俺も帰る」
「待って」
堀北は俺の手首を掴み、それを止めた。
「なんだ」
「あなた……私に何をしたの?」
「それは想像に任せる、と言っていいのか?」
「答えなさい。今回私は、間違いなくあなたに動かされていたわ。あなたは何がしたいの?」
堀北は今回のことをそう理解しているらしい。
「……本当にそう思ってるのか?俺がお前を操ったと?そんなこと俺にできるっていうのか?」
「茶柱先生も言っていたあの時の1人語り……キーワードを私に気づかせるためのものだったのでしょう。今の特別棟の状況じゃ不可能、というのは、その現状を変えてしまえばいい、ということ。写真ではなく動画なら、と言ったのは、監視カメラを私の頭の中に連想させるためのもの。違う?」
「じゃあ堀北、そもそもを思い出してみろよ。最初に監視カメラの存在を揶揄した人物。そして特別棟に行った人物、行かされた人物を」
監視カメラが教室にあり、もしも存在すれば明確な証拠になる、と最初に口にしたのは綾小路だ。
「……まさか」
「まあ、俺もお前も同じってことだよ。じゃあ、今度こそ俺は帰るからな」
また明日、と堀北に言って、俺は移動した。
俺が不良品、か。
まあ、確かにそうかも知れないな。
もしかしたらもっと楽に解決する方法を取れたかもしれないのに、俺はそれを誰にも言わず、Dクラスのためではなく自分のために使った。
堀北が綾小路の手のひらに乗せられることもよしとした。
だが『 』、それはお前もなんじゃないか?
いや、周りの状況も違ったし、そうとも言えないか。
俺はこの場にいない人物を思い浮かべ、呼びかけた。
この学校には、目的がわからない奴が多すぎる。
これで原作二巻分本編は終了となります。主人公が何をしたのか、それは後々明かされますのでご期待ください。
次回は原作三巻分突入!の前に、夏休み突入とバカンスの間のオリジナルエピソードを書きたいと思います。
では、次回もお楽しみに。
感想、評価お待ちしております。
どうでもいいんですが、このep.23の合計文字数は7777です。
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番外編
ep.extra edition
では、どうぞ。
「はあ、はあ……ふう、きっつ」
手元には、大量の汗を吸い込んだタオルと自販機で買った無料の水。
そして、割と新品のバスケットボール。
これは先日、クラスポイントとして入ってきた87ポイント、プライベートポイントに換算して8700ポイントから出したものだ。
そろそろバスケがしたくなったのと、最近の体力低下を危惧して、運動不足解消のために買った。
因みに服は持っていなかったので、ジーパンだ。
場所は、佐倉と初めて会ったバスケットコート。今日もやはり無人だった。
まあ、その方が都合はいい。もし2人や3人と一緒になったら、シュートを外した時とかにボールを取ってあげないといけない暗黙のルールのようなものがコートにはある。そういうのは気まずいんで遠慮だ。
「速野?お前何してんだよ」
「?ああ、須藤か……」
そこに、セカンドバッグを持った須藤が現れた。
「俺は見ての通りだ。お前は?普段ここに人なんて来ないが」
「午後から部活なんだけどよ、始まる前に練習しとこうと思って早めに出たんだ。そしたら、誰かがバスケしてるっぽいから寄ったんだ。バスケ好きなのか?」
「ああ、まあ球技の中では一番だな」
「おお、いいこと言うじゃねえか!やっぱバスケが一番だよなあ」
「お、おう……てか、お前はどっちかって言うと個人競技向きのタイプだと思うんだが、他のスポーツはどうなんだ?」
こいつのスポーツの才能なら、基本的なスポーツならなんでもいけると思うんだがな。
「俺も元々はそう思ってたんだ。でも、やってみた中でバスケが一番しっくりきたんだよな」
「ふーん」
まあ、そういうこともあるか。
「時間あるし、ちょっとやろうぜ。1on1」
「お前が相手だと勝負にならないだろ……」
「やってみようぜ!いいだろ?」
「……わかったよ。俺が雑魚すぎて文句言うなよ」
「わあってるって」
ほんとにわかってんのかな……
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「はあ、はあ……お前、ダンクなんか止められるわけねえだろ……」
須藤の動きは、相対してみると予想以上だった。とにかく速く、でかい。
しかもダンクもかましやがる。身長差10センチ近いのに、俺が止められるすべなんてあるはずがなかった。
「もう時間ないし、ほら、お前のボールで最後な」
「ああ」
須藤が俺にボールを渡す。
それを受け取り、ボールをつき始める。
須藤は俺にあまり近づいて来ない。
それを見て、俺はスリーポイントラインの割と後ろの方からシュートを打った。
「は!?」
予想していなかった須藤は跳ぶこともなく、宙に浮くボールを眺める。
俺がバスケで一番自信があるプレーは、フリーの状態でのスリーポイントだ。
1人で黙々と練習できるからな。
ボールは狙い通り、綺麗にリングを通った。
「ふう……」
「ま、まじかよ……もっかいだ!」
「いや、俺はいいんだけど……時間がないって」
「いいからやるぞ!」
「分かったよ……」
もう一度ボールを受け取る。
今度は間髪入れずにシュートを……
「やらすか!」
須藤はそれを読んで反応する。
まあ、フェイクだけど。
「だからやらすかよ!」
須藤はそれも読んでいた。素早く反応して俺の前に回り込む。
俺は須藤の体重のかかっている方向を読んで、それと逆方向にボールをつき、須藤を抜き去る。
しかしそれにもついてきたので、さらにかわそうとターンアラウンド。そして台形のあたりでシュートを打った。
「届けっ……!」
「うお……」
追いつけないと思っていたのに、須藤は全力で跳んで阻止しようとした。
そして、ボールはリングに阻まれ、落ちた。
「くっそ……お前、触ったのか」
「指先だけだったけどな」
どうやら、須藤はボールに触れていたらしい。
「やっぱすげえな。レギュラーなのも頷ける」
「そりゃこっちのセリフだぜ。なんでお前、こんなに上手いのにバスケ部入らなかったんだよ。小宮とか近藤よりは上手いぞ」
このあいだの件のCクラスのバスケ部2人の名前が出る。
「買いかぶりすぎだ。体力的な面も考えて無理だろ」
「んなの後から付いてくるって。入れよ。顧問には俺から話しとくからよ」
「やめろって。俺は入る気は無い。いいからいけよ、遅れるぞ」
少し語気を強めてそう言った。
「あ、ああ、分かったよ。じゃあな」
「ああ、頑張れよ」
須藤は俺の態度に疑問を感じながらも、やはり遅れるとまずいのか、走って行ったようだ。
前にも言ったが、部活に入るとどうしても義務感が出てしまうため、あんまり好きではない。ポイントが入る可能性もあるかもしれないが、俺レベルでは恐らく貰えないか、貰えても大した分量ではないだろう。そういう分野での稼ぎ頭は須藤だ。
そこから15分ほどあと、帰り支度をしながら水を飲んでいるときだった。
「君、バスケ部に入る気は無いかね?」
「……は?」
須藤が監督に伝えたにしても早すぎるだろ、と思って、声のする方に振り向いた。
「やっほー速野くん」
ハイテンションで俺に声をかけてきたのは、一之瀬。そしてその隣にいたのは神崎だった。この2人の私服姿も初めて見るが、まあ、ファッションセンス高いな。ジーパンで運動してる俺よりは。
「お、おお……どうしたんだ?」
いつもはここ、誰も来ないはずなんだけどな……今日はどうしてか来客が多い。
俺はコートから出て、寮に向かって歩きながら質問した。
「今からお出かけだよ。そしたら、速野くんっぽい影が見えたからここに来たの」
「ふーん、2人でか」
見た所、他に人はいなさそうだった。もしやデートという格好か。
「違う。Bクラスの何人かで今から昼飯でも食べようという話になってな。向こうで待ってもらっている」
ああ、よく見たら3人か4人くらい集まってるな。
「じゃあ早く行ったほうがいいぞ。なんか悪いし」
「そうだな。速野、今から暇なら一緒にどうだ?」
「え?」
突然の誘いに、少し驚いてしまった。
「うん、それがいいよ。みんなも歓迎してくれると思うよ?」
「い、いや、俺普通にアウェイだろ……」
Bクラスで集まって、と言っていたし、俺以外は全員Bクラスだろう。
「大丈夫。みんないい人ばかりだから。ね?」
「俺としてもその方が助かる。男子の参加者が少なくてな」
神崎はそう言うが、女子は割とあんた目当ての気がするけど……
「ま、まあ、誘いは嬉しいんだが……遠慮させてもらう。今汗だくだし、少し風呂に入りたい」
言いながら、俺は自分の上着を指差す。汗に染まって、色が完全に変わっていた。
「うーん、そっか。じゃあ残念だけど、諦めるしかないね」
「ああ、悪いな」
「ううん、また誘うね。あ、もちろん速野くんからの誘いもウェルカムだよ?」
「機会と余裕があればな……」
Dクラスは、当然のことながら金銭的余裕は他に比べて少ない。俺も頑張ってはいるが、このボールに奮発してしまったからな。
それ以降も振られる話題に答えつつ、を繰り返していると、寮の出入り口に到達し、俺は2人に別れを告げて中に入った。
涼しいー……とエアコンの恩恵を一身に享受していると、隣に一之瀬がまだいることに気がつく。あれ、さっきじゃあなって言ったのに……
「何してんの……」
「あはは、ごめんごめん。ちょっと速野くんに聞きたいことがあってさ」
「聞きたいこと?」
「うん。今度から始まるバカンスがあるじゃない?あれについてちょっと意見を聞きたくて」
言われて、そういえばそんなのあったな、と思い出す。中間テストの時に男子が一斉に沸き立ったあれか。
「意見、って言っても……俺は正直憂鬱だ」
「え?楽しみじゃないの?」
「もう俺には船酔いしない未来が見えなくてな……酔い止めを今から大量に購入しとく必要があるな、と」
言うと、一之瀬が少し気の毒そうな表情をして答えた。
「へー、意外。酔いやすい体質なんだ」
「ほんとに不便なんだよな……」
何とかしたいが、何とかしようとして治るものでもないしな。こればっかりは仕方がない。
……ほんと、いろんな意味で遺伝子を恨む。
「えっと、私が聞きたかったのはそっちじゃなくて、学校側のこのバカンスの狙い?みたいなもの。速野くんはどう考えてるのかなーって」
「一之瀬は何かあると思ってるのか?」
「今までの経験から、私は何もないとは思えないなー」
「なるほどな……」
確かに、ただバカンスを楽しませるだけ、なんてこの学校がするとは思えない。何もないほうが不自然だ。
そこで、つい先日配られた日程表を思い出しながら言う。
「確か、大きく分けて二つ日程があったよな」
「うん。無人島のペンションで1週間と、残りが船上でくつろぐ、だったかな」
「じゃあ、そのどっちか、あるいは両方に何かしら仕掛けてくる可能性はあるな。油断はしないほうがいいかもしれない」
素直な意見を述べると、一之瀬はそれにうんうんと頷いた。
「だよね。貴重な意見ありがとう。じゃあ、お昼ごはん行ってくるね」
「ああ、楽しんでこいよー」
一之瀬は手を振って、Bクラスに合流して行った。
無人島で何かがある。
船の上で何かがある。
船上が戦場か。うん、我ながら気温を下げるいいダジャレだな。
その日からバカンスまで運動し続けたおかげで、そこそこ体力も戻り、体重が1キロくらい減りました。
豪華客船って言うから大丈夫だと思うが、船の揺れによってはそのバカンス中に3、4キロ減りそうだな。リバースで。
船酔いがひどくならないことを祈りながら、俺はバカンスに向けた荷物の準備を始めていた。
はい、次回から原作三巻分の本編に行こうと思います。
感想、評価お待ちしております。
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第3巻
ep.22
それと、活動報告でも仄めかしていたように、近々更新スピードの低下が予想されます。
では、どうぞ。
青い空。
青い海。
今の俺の居場所は太平洋。
つまり船の上だ。
船、といっても、多くの人がすぐに思い浮かべるレベルの旅客船じゃない。
豪華客船。そりゃもうやりすぎだろってくらいの。
高級レストラン、プール、シアタールーム、高級スパなんてものまで……しかもそれらが全て無料で使えるという待遇だ。
中間、および期末テストで赤点を出さないという条件を見事クリアした俺たちDクラスは、晴れてこの夏休みのバカンスにありつくことができた。
もちろん、それは大変喜ばしいことだ。普通はテンション爆上げだろう。朝の出発時にも、皆一様に浮かれた表情をしていた。
しかし……少し憂鬱になる生徒がいることもご理解いただきたい。
俺の今の最大の敵、それは「酔い」だ。
幸い出港前に服用した酔い止めが効いているのか、まだ船酔いはしてないが……油断はできない。
酔ったが最後、ここは逃げ場のない船の上だ。地獄の船旅が続くだろう。そのため船に乗り込んでからほとんどの時間を、俺は船内の自室で過ごしていた。
今も特に何をするでもなく、部屋のベッドでゴロゴロしてぼーっとしている。暇潰しアイテムがないのはこれほど辛いことなのかと実感しているところだ。
本なんて読もうものなら、一瞬でリバースの未来が見えるので今日は持ってきていない。勉強道具は一応持ってきはしたが……まあ、使うことはないんじゃないだろうか。多分。
酔わないだけならプールにでも入っていればいい。あそこはある程度揺れるのが当たり前だし、船の揺れを感じないので酔うリスクは少ない。ただ、今日はそこまで活動的になれなかった。何より、プールでは沢山の生徒が賑やかに遊んでいるはず。その中に飛び込む気にはどうしてもなれない。
思考を巡らせても、暇つぶしの方法は見つからない。
考えるのを諦めて再びベッドに寝ころがろうとしていたその時、ピンポンパンポーンというありがちな機械音が部屋内に響いた。
『生徒の皆様にお知らせします。お時間がありましたら、デッキにお集まりください。まもなく島が見えてまいります。数分間の間、非常に意義ある景色をご覧にいただくことができるでしょう』
そんな、一、二箇所突っ込ませてほしい内容のアナウンスが耳に入り、聞こえてきた方に目を向けた。いやまあ、目を向けてもあるのはスピーカーだけなんだけど。
酔うのを恐れて、これまでこの無駄に豪華すぎる客船内をまともに歩いたことがなかった俺だが、さすがに今の放送は気になって、指示の通りデッキに出てみることにした。
部屋にいた時から感じてはいたが、この船、かなり揺れが少ない。恐らくそういった設計になっているのだろう。歩いても、酔う気配はほとんどない。
この程度の揺れなら、あまり臆病になることもないかもしれないな。クルージングはあと2週間ほどある。程々に楽しんでみることにするか。
少し歩き、曲がり角に差し掛かった時だ。
コツン、と誰かにぶつかってしまう。
「っと」
「あ、ごめんなさ……じゃあ」
クラスメイトである堀北鈴音は、ぶつかったのが俺であると判明した瞬間に謝るのを止めて立ち去ろうとする。
「せめて謝罪し終わってから行ってくれよ……ぶつかったのは俺も悪かったが」
堀北はジャージの上下をつけ、上の方はチャックを完全に閉め切っている。船内は適温だが、堀北には少し寒かったのか。
それに、佐倉ほどではないが少し猫背の気もする。普段の姿勢のいい堀北であるからこそ少し気になるポイントだ。
それから、その手に持っている白い袋はなんだ?
「おい堀北、どこ行くんだ? そこはデッキじゃないぞ」
「デッキ……? 私はデッキには行かないわ。水を買いに行くのよ」
「……そうなのか。船酔いか?」
「私は乗り物には酔わない体質よ。さっきまで本を読んでいたもの」
「ああ、そう」
それだけ行って、堀北はその廊下の先の自販機に向かって行ってしまった。
堀北なら、今の放送に違和感を感じてもおかしくないと思ったんだがな。
そうでないとしたら、あいつは多分……
まあ、今気にしても仕方ないか。
そう思って、デッキに出た時。
「あ、あのよ堀北。ちょっと、いいか?」
「オレは堀北じゃない」
須藤と綾小路のそんな会話が聞こえてきた。
須藤が綾小路のことを堀北と呼び、綾小路はそれに対し当然の反応を見せる。なに、コント?
「何をやってんだお前ら……」
呆れた顔で俺が聞くと、須藤が反応した。
「お、おお、速野! じゃあお前でもいいや。今、堀北のことを名前で呼ぼうとしてるんだけどよ」
「今話しかけてたの綾小路だっただろ」
「だからその練習だ練習! さっきは綾小路を堀北に見立ててたんだよ。いいから付き合えよ!」
「近づかないで。気持ち悪い」
俺は少し顔を赤らめてそう言う須藤に、努めて突き放した言い方をした。
「な、なんだよそれ!一緒にバスケした仲じゃねえかクソが!」
須藤は俺の反応に少し切れたようだ。いや別にバスケやったのは関係ないんじゃ……
だが、こいつは半分勘違いをしている。
「いや……お前がさっきみたいなこと言った時の堀北の反応、だいたいこんなもんだと思うが……」
須藤は少し間の抜けたような顔をした後、ああ、と俺の言ったことの意味を理解したようだ。
そう、俺は須藤の言う通りしっかりと協力してやったのである。
「そういうことか……お前、やっぱいいやつだな」
「今回は別にいい。演技の必要もなかったしな」
「は? どういう意味だよ」
「なんでもない」
堀北が言いそうなことと、俺の本音が被ったってことだよ。
これ以上ここにいるとまた面倒なことになりそうだったので、その場を離れデッキの側面に移動した。
すると、柵から外を見ている1人の女子生徒の姿が目に入った。
「あ、速野くんだ」
この学年の最優秀クラスであるAクラスに所属しており、且つ俺の知り合いである藤野麗那だった。
船を叩く潮風が、藤野のショートボブカットの銀髪をなびかせる。
俺は軽く手を上げながらその場所に向かった。
「なんか久しぶりだね。最近買い物一緒に行ってなかったからかな?」
「まあ、多分そんな感じだろうな」
俺と藤野は須藤の事件の後、一度も連絡を取っていなかった。何故かは分からないが、お互いに連絡するのが気まずくなってしまったのだ。
そのため、約2週間ほど連絡を取らない状況が続いて現在に至るが……なんか、あっさりと話せたな。
「あ、島ってあれのことかな?」
そう言って藤野が指差す方向を見ると、たしかに島の輪郭が確認できた。
夏休みのバカンスの日程の一つ、無人島でのペンション宿泊はこの島で行われるのだろう。
船はどんどん島に近付いていく。もうすぐ到着だという話を聞きつけたのか、他の生徒たちもぞろぞろとデッキに集まってきていた。
そしてついに、島に生えている木の1本1本が肉眼で確認できるような距離にまで接近。このまま船着き場に船を停めるのかと思いきや、そこをスルーし、何故か旋回を始めた。
しかも割と速度が速い。
「結構綺麗だねえ……船が着いたら、ここのビーチで自由に泳げるんだよね?」
「ん、まあ、自由行動って書いてあったしそれもいいんじゃないか」
答えながら、俺は思わず藤野の水着姿を想像してしまう。
うーむ……そもそもこいつどんな水着着るんだろう?よく分かんね。
俺の妄想力はここまでだったよ……池や山内とかなら、そのさらに先の先まで行けるんだろうけど。
しかし何を隠そう、藤野は文句なしの美少女なのだ。
そんな横顔を見ていると、思わず胸が……ちょっとムカムカと……
やべ、酔ったかも……
「じゃ、じゃあ……その、良かったら……ってあれ? 大丈夫速野くん?」
俺の様子を見た藤野が少し戸惑った顔で言う。
「なんとか……な。あと、あんまこっちを目に入れないほうがいいぞ……」
「え……? あ、あー……うん、分かった」
意味を理解してくれたようだ。
いつリバースしてもいいように、俺は柵から顔を出して高速旋回が終わるのを待った。
なんで急に島の周り回るんだよ……しかもあんな速いスピードで……
文句を垂れつつも我慢し、1分ほどで船は完全に停止した。
『これより、当校が所有する無人島に上陸いたします。生徒は全員ジャージに着替え、所定の荷物と携帯電話を確認した後、それらを忘れることのないように持参し、30分後にクラスごとにデッキに集まってください。それ以外の一切の私物の持ち込みを禁止します。また、暫くお手洗いに行けない可能性がございますので、忘れずに済ませてください』
そんな注意事項が再びアナウンスで流れ、デッキにいた生徒は散って行く。
悠長にしている時間はあまりない。俺たちもすぐに戻って準備する必要がある。
だが藤野と別れる直前、最後に少し気になったことを質問した。
「なあ、お前さっき何か言いかけなかったか?」
「え?……あ、ううん、何でもないよ。気にしないで」
「……そうか、ならいいんだが」
「じゃあ、また後でね」
「わかった」
何でもない、と言われるが、そういう時って大体何かあるんだよな……まあ、踏み込んでくるなという意味だろう。無理な詮索はやめておいた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『敷地内への携帯の持ち込みは禁止だ。各担任にしっかりと預けるように』
拡声器から聞こえる声に従い、生徒がぞろぞろと船から出ていく。
太陽が容赦なくジリジリと照りつける中、下船には意外と時間がかかり、生徒からは暑い暑いと不満が出ていた。
時間を取っている原因は、タラップの両脇の教師が降りる生徒一人一人の荷物検査をしていることだ。
普通登校日は私物の持ち込みは自由なのに、何故バカンスであるはずのこの日だけはこんなにも厳しいんだろうか。普通逆じゃね?
それ以外にも気になることはいくつもある。
客船のヘリポートにとまっているヘリは何のためにあるのか。
また、無人島に建てられているペンションで1週間を過ごす、という話のはずだったのに、先ほど高速旋回した際に、宿泊施設らしきものは確認できなかった。
ふと、先日の一之瀬との会話が頭に浮かぶ。
『私は何もないとは思えないなー』
もう、この時点でお盆でも隠しきれないくらい怪しさ100パーセントだった。
しかしほとんどの生徒たちは、まだこれが単なるバカンスであると信じて疑っていないらしい。暑い暑いと文句は言いながらも、その表情は明るいものだ。
やがて荷物検査と下船を終えた俺たちに、担任の声が響く。
「これよりDクラスの点呼を行う。名前を呼ばれたものはしっかりと返事をするように」
素早く40人分の点呼を終え、ピシッと整列する各クラス。ジャージは長袖なので暑い。袖を曲げたいが、日焼け止めをつけていないこの状態では、蛇の脱皮のように皮膚が剥けてしまうだろう。
そんな中、1人の大男が用意されていた壇上に上がった。
以前藤野から話を聞いていた、Aクラスの担任の真嶋先生だ。堅物で真面目。一見体育系だが、頭脳は明晰で、複数の教科を教えることもできるらしい。
「今日、この場所に無事につけたことを、まずは嬉しく思う。しかし、1人の生徒が病欠でこの行事に参加できなかったことは非常に残念でならない」
それは可哀想だ。
普通の旅行でも悲しいだろうに、この訳わからんくらい豪華な旅行となれば、残念さの度合いも桁違いだろう。
まあ本当にこれがバカンスであったなら、だが。
そのうち、先生たちの行動に、生徒がようやく疑問を持ち始める。
特設テントに、複数台のパソコン。そして教師の険しい表情。
そして生徒が疑問を持つようになるのを待っていたかのようなタイミングで、一際大きい声が拡声器から鳴り響いた。
「ではこれより、本年度最初の特別試験を開始する」
「と、特別試験?」
やはり、何か仕掛けてきた。一之瀬の不安は的中していた。
「期間はこれより一週間。8月7日の正午に終了となる。試験の内容は、これから1週間、この無人島でクラスメイト全員と集団生活することだ。また、これは実在する企業でも実施されている現実的、且つ実践的なものであることをはじめに告げておく」
「無人島で生活って……この島で、寝泊まりするってことですか?」
「その通りだ。その間君たちは寝泊まりする場所はもちろん、食料や飲料水に至るまで、全て自分たちで確保することが必要になる。試験実施中、許可のない乗船は許されない。試験開始時点で、各クラスにテント2つ、懐中電灯2つ、マッチを一箱支給する。また、歯ブラシに関しては各生徒に1セットずつ、日焼け止め、女子生徒のみ生理用品は無制限で支給する。各クラスの担任に願い出るように。以上だ」
「は、はあ!? マジの無人島サバイバルかよ!? そんなの聞いたことないっすよ! 漫画の世界じゃないんですから! 第一テント2つで全員寝られるわけないじゃないっすか! てか、飯も自給自足とかどういうことっすか!?」
池がその場にいる全員に聞こえるほど大きな声で喚く。
しかし、真嶋先生はその声に呆れたように返答した。
「君は今聞いたことがないと言ったが、それは君が歩んできた人生が浅はかなものであったことにすぎない。はじめに説明しただろう。これは実際に企業研修でも取り行われているものだと」
「そ、そんなの特別じゃないっすか!」
「これ以上みっともないマネはするな。真嶋先生が言ったのはほんの一部。これは、誰もが知る有名企業でも取り入れられていることだ。それを、まだただの高校生に過ぎないお前らに否定する権利があると思ってるのか?」
そう池に冷たく言い放ったのは茶柱先生だ。
確かに、世の中には様々な企業が存在する。成人した社会人でもない俺らには頭ごなしに否定する権利はなかった。
しかし、それではいくつか疑問が残る。
「しかし先生、今は夏休みですし、この行事の名目は旅行のはずです。企業研修なら、こんな騙し討ちのような真似はしないと思いますが」
ある生徒が疑問をぶつける。それも俺が気になった部分の1つだ。
もう1つ気になったのは、中途半端に物資が支給されている点。食料は全員自給自足、日焼け止めや生理用品は無制限だからいいとしても、池の言った通り、テントが2つでは全員が寝られるようなスペースがない。もし企業研修なら、こんな不平等を生み出すだろうか。
真嶋先生は、質問した生徒に少し感心したように答えた。
「なるほど、確かにそういう点では不満が出るのも納得できる。だが特別試験と言っても、これは苦痛を強いるものではない。この1週間、君らは何をしようと自由だ。海で泳いだり、バーベキューをしたり。キャンプファイヤーで友と語り合うのもいいだろう。この試験のテーマは『自由』だ」
「んっ? え、試験、なのに自由って……? ちょっと頭こんがらがってきた……」
池がそうなるのも無理はない。他の生徒も困惑している。
「この無人島における特別試験では、まず、試験専用のクラスポイントを全クラスに300ポイント支給する。これを上手く使うことで、この試験を乗り切ることが可能だ。今から配布するマニュアルには、ポイントで購入できるすべてのものが載っている。食料や水、無数の遊び道具なども取り揃えている」
「つまり……その300ポイントで欲しいものがなんでも買えるってことですか?」
「そうだ」
「で、でも試験っていうくらいだから、何か難しいのがあるんじゃ……」
「いや。2学期以降への悪影響は何もない。それは保障しよう」
また、この学校は変な言い方をしてくる。
真嶋先生は「悪影響」という言葉を使った。
つまり影響がない、というわけではない。
俺たちにはまだ説明されていない、2学期以降に影響が出る何らかのルールがあるんだろう。
俺のその疑問を含め、次の真嶋先生の言葉ですべてが明らかになった。
「この特別試験終了時には、各クラスに残ったポイントをそのままクラスポイントに加算し、夏休み明け以降に反映する」
生徒全員に衝撃が走る。
やはりきた。2学期以降への「影響」。
つまり、これはプラスを積み重ねることを目的とした試験。
そして、今まで俺たちが経験してきたものとは別種の試験だった。
単純な学力や運動能力ではなく、忍耐力や環境への適応力が問われている。
「今からマニュアルを配布する。紛失の際は再発行も可能だが、ポイントを消費するので確実に保管しておくように。また、試験中に体調不良などでリタイアした生徒がいるクラスは30ポイントのペナルティを受ける。今回の旅行の欠席者はAクラスだ。よって、Aクラスは270ポイントからのスタートとなる」
Aクラス自体に驚きはなかった。しかし、他クラスにとっては無条件でAクラスとの差が30ポイント縮まった瞬間でもある。「おお!」と思った生徒も少なくはないだろう。
残りは各クラス担任から説明を受けるよう指示され、クラスごとに分かれて集まり始める。池は来月から3万だ!と喜び、女子もポイントが入ったら何を買おうか相談しながら歩いていた。
Dクラスの集合場所には、担任である茶柱先生が立っていた。
前の長テーブルの周りには、テントなど、最初に全クラスに配布される支給品が積み上げられている。
「今から全員に腕時計を配布する。試験中、この腕時計を許可なく外すことは認められていない。これには時刻だけではなく、GPS機能、体温、脈拍など、様々な機能が搭載されている。非常事態に備えて、学校側にそれを伝える手段も用意されている。緊急時には迷わずそのボタンを押せ」
「非常時って、まさかとは思いますけど熊とかいませんよね……」
「仮にもこれは試験という形を取っているからな。結果を左右する質問には答えられない」
「大丈夫だと思うよ。学校側もできるだけ危険を取り除いているだろうし。多分この腕時計は、僕らの健康管理が目的なんだよ」
平田がそう言って安心させる。
まあ、生徒の命に関わるようなことがあれば国として困るだろう。この学校は国主導だ。そんな責任問題になるようなことはしないはずだ。
客船にもヘリみたいなのがあったが、あれはドクターヘリということか。
「これ、つけたまま海に入ってもいいんすか?」
「完全防水だから安心しろ。万一故障した場合、直ちに担当者が代用品を持ってくることになっている」
やっぱり、準備に抜かりはない、か。故障の際には何かしらのサインがあるということだろう。
「先生、ポイントを支出しない限り、僕らは全て自分たちで何とかしなければならない、ということですか?」
「そうだ。解決方法を考えるのも、この試験の一環。私の関知するところではない」
「大丈夫だって。魚とか果物とか捕まえてさ、寝るのは葉っぱとかでなんとかすりゃいいじゃん。最悪体調を崩してでも」
池はそういうが、学校側はそれを認めていない。
「残念ながら池、お前の目論見は外れている。マニュアルの最後のページを見てみろ」
そこには注意事項として、マイナス査定の項目があった。
大きく体調を崩したり、大怪我をしたりして続行不可能と判断された場合はマイナス30ポイント、そしてリタイアとなること。
環境を汚染する行為を発見したら、マイナス20ポイント。
午前午後8時の1日2回ある点呼に遅れた場合、1人につきマイナス5ポイント。
最後には最も重い罰として、他クラスへの暴力、略奪行為、器物破損を行なった場合、そのクラスは即失格、対象者のプライベートポイントを全て没収するとあった。
最後を除いた3つは、単純な我慢比べになることを避けるため作られたルールだな。
「無理するのは勝手だが、リタイアする者が多くなればその努力は水の泡になることを覚えておけ」
10人がリタイアになれば、300ポイントは全て失われる。
「ねえ、それってある程度のポイントの消費は仕方ないってことじゃないの?」
「初めから妥協する戦い方は反対だぜ。やれるとこまで我慢すべきだ」
「でも、体調を崩したら大変だよ」
「そんなこと言うなよー。我慢あっての試験だろ?」
早速、池と篠原の間で意見が割れている。
俺はマニュアルに載っている、ポイントで購入可能なものの一覧のページを開いた。
真嶋先生の言っていた生活必需品は言うまでもなく、ボールやビーチフラッグ用の旗、パラソル、水上バイク、ボートなど、様々な遊び道具が取り揃えられていた。中にはこれ使う奴いるの?というものも。これだけ色んなものが取り揃えられているなら、この夏の思い出をしっかりと形にして残すことができるだろう。
少し不安になるのは、担任に申し出ることで誰でも申請が可能、という点。誰でも申請可能にして大丈夫なんだろうか。
「先生、可能ならばお答えください。300ポイント全てを使い切ってから、リタイアする生徒などが出てきた場合、ポイントのマイナスはどうなるんでしょうか」
堀北が挙手して質問する。
「その場合はリタイア者が増えるだけだ。ポイントがマイナスになることはない」
真嶋先生が言っていた、悪影響はない、とはそういうことだ。
だが、ずるい言い方だ。言葉通りに受け取ってポイントを吐き出したら夏休み明け以降他クラスとの差が広がり、実質悪影響にしかならない。その点Dクラスは最も影響が少ないとも言えるが。
「僕からもいいでしょうか。点呼というのはどこで行われるんですか?」
「クラスの担任は、自分のクラスのベースキャンプのそばに拠点を構えることになっている。ベースキャンプが決まったら報告しろ。点呼はそこで行われる。また、一度決めたベースキャンプは正当な理由なく場所を変更できない。それから、テントは8人用の大きなものになる。重量もあるので、運ぶ際には注意するように」
「なあ先生、話の途中悪いんだけどよ、トイレどこだ? さっきジュース飲んだせいで我慢できなくなっちまって」
発言したのは須藤。だからトイレ行っとけって言われたのに……
「トイレか。今から説明しよう。トイレは男女共用、クラスに1つ支給されるこれを使え」
そう言って茶柱先生が示したのは、段ボールだった。
「そ、そんな段ボール使うんですか!?」
「段ボールといっても、これは意外と優れものだ」
言いながら茶柱先生はスムーズにトイレを組み立てた。
手元には青いビニールと白いシートらしきものが見えた。
「これは吸水ポリマーシートといって、汚物を保護し固めるものだ。これで包んで汚物を隠すとともに、消臭する。その上にシートを重ねれば、1つのビニールにつき5回ほど使用できる。また、このビニールとシートだけは特別に無制限で支給される」
無制限で支給か。
しかし、女子の方は拒絶するような表情を浮かべている。
「む、無理! 絶対無理!」
「トイレくらいそれで我慢しようぜ篠原」
ギリギリまで我慢してポイント支出を抑えたい池はそう反論する。
「男子には関係ないでしょ。段ボールのトイレとか絶対無理だから」
しかし篠原も譲らない。
池と篠原がぶつかる。言い争いが勃発しそうなタイミングで、茶柱先生は興味なさそうにその場を離れた。
そこに近づき、茶柱先生に話しかける。
「先生、質問あるんですけど」
茶柱先生は冷たい目で俺を見る。
「なんだ。なぜさっき挙手しなかった?」
「恥ずかしいじゃないですか」
「……早く済ませろ」
俺の言い訳に呆れたようだ。いや、だって全体の場で質問するってなかなか勇気いるぞ?平田と堀北の度胸がいいだけで。気になっていることを質問しない理由なんて、たいていが恥ずかしいとか目立ちたくないとかそんなもんだろ。
まあでも先生からすれば二度手間だろうし、手短に済ませたほうがいいだろう。
「さっきビニールとシートは無制限支給と言ってましたが、それらの目的外使用は可能ですか」
あまり確率は高くないが、もし1日で2、3日分の食料が手に入った時、保存するのに使用するのも手だ。吸水ポリマーシートには消臭効果もあるようだし、汎用性は高いだろう。
「それはお前らの好きにするといい。ただし、説明した通り環境を汚染する行為は禁止されている」
「分かってます」
どれだけ使ってもいいが、むやみに捨てたりはするなということか。
その後少しのやりとりを経てDクラスの話し合いに戻ろうとしたとき。
「やっほー」
そんな気の抜けるような声が茶柱先生の後ろから聞こえてきた。
「……何をしてるんだ」
「うーん、スキンシップ、みたいな?」
声の主はBクラス担任の星ノ宮先生だった。
「お前は学校のルールを知らないのか?他クラスの情報を盗み聞きするのは言語道断だ」
「私だって教師なんだから、何か聞こえても漏らしたりなんて絶対しないわよ。それよりもさ、なんか運命感じない?2人揃ってこの島に来ることになるなんて」
言いながら茶柱先生に絡む星ノ宮先生。
俺はその話し方に引っかかりを覚えた。
茶柱先生抜きでなら来たことがあるというような口ぶりだ。もしくは、前に一度2人で来たことがあって、長い間二度目の機会がなかった、というようなニュアンスか。
この2人の勤続年数は知らないが、同じ学年の担当になったことがないということか、それとも……
「あ、速野くんもやっほ」
「……どうも」
この人とは三回くらいしか会ったことがないはずだが、やけに馴れ馴れしい。高校時代は櫛田に近いタイプだったんだろうなあ、と勝手に想像する。
前にもいったが、苦手なんだよなこの人。一応会釈はしたものの、多分いま俺の目は死んでるんじゃないだろうか。
「もー、そんな顔しないの。せっかく掴んだバカンスのお楽しみなんだからもっと楽しまなきゃ。ね?」
「そうですねー……」
そえ思ってるなら、ちゃんとしたバカンスを用意して欲しかったんですけどね。まあ初めからあまり期待してなかったけど。
「サエちゃんと私はねー、高校時代からの友達なんだよー」
へー、と適当に返事をする。
「おい、これ以上は問題行動として上に報告するぞ」
「う、分かったよー。そんな強く睨まないでよ。じゃあねサエちゃん、速野くん」
そう言って、星乃宮先生は立ち去っていった。
茶柱先生は心底疲れたような顔でため息をついている。
しかし、俺はどうも気が気でなかった。
思考を星乃宮先生に見透かされている気がして。
しかし、気になってしまったものは仕方ない。
「あの、先生」
「話は以上だ。この意味が、お前なら分かるだろう」
つまり、これ以上は何も答える気は無いってことか。
聞かれたくない質問をされることを予想した上で。
やっぱ、人の過去に踏み込もうとするもんじゃないな。
新たな人生の教訓を一つ学んで、俺はDクラスの集まりに戻った。
大部分が原作通りでしたね。
それとこれ多分原作の誤字なんですけど、吸水ポリマーシートが給水ポリマーシートって書かれてたんすよね。いや、逆に給水してどうすんのっていう。因みに3巻40ページの12行目です。
感想、評価お待ちしております。
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ep.23
では、どうぞ。
俺がそこに戻ると、池と篠原の言い争いは一旦収まったようだ。
星ノ宮先生もいなくなり、茶柱先生もそれを見計らって説明を始める。
「では、これより追加ルールを説明する」
「え、ま、まだ何かあんの……?」
「まもなくお前らにはこの島を自由に移動する時間が与えられるが、島の各所にはスポットという場所が設けられている。そこには占有権が存在し、占有したクラスにのみそのスポットの使用権が与えられる。ただし占有権の効力は8時間のみで、時間ごとに権利がリセットされる。つまり、その度に他クラスにも占有のチャンスがあるということだ。そして、一度占有するごとに1ポイントのボーナスポイントが与えられる。ただしこのポイントは試験中に使用できないので注意しろ。試験終了時にそのボーナスポイントは加算される」
「え、それめっちゃ重要じゃないっすか!ポイントも付くとか!今すぐ俺らで全部取ってやろうぜ!」
試験終了時刻が6日後の正午であること、スポットを探し出す時間を考慮し、スポットの場所をそのままベースキャンプにできると仮定すると、一つのスポットを占有しきれば試験終了までに16から17ポイントのボーナスが入る。そこそこ重要な要素だ。
だが、ひとえに占有しまくっていいものでもないらしい。
茶柱先生に指示され、指定されたページを広げて見てみる。そこには、スポットについての詳細と茶柱先生の言ったリスクが書かれてあった。
・スポットを占有するためには専用のキーカードが必要である。
・他クラスが占有しているスポットを許可なく使用した場合、50ポイントのペナルティを受ける。
・キーカードの使用権はリーダーのみが有する
・正当な理由なくリーダーを変更することはできない。
そして最終日、各クラスのリーダーを言い当てる権利が与えられ、他クラスのリーダーを1人当てるごとに50ポイントを得ることができる。反対に、言い当てられた場合は50ポイントずつ失う。そして、言い当てることができずに外してしまった場合は50ポイントのマイナス、そしてそれまでのボーナスポイントも剥奪。言い当てる権利も乱用していいものではなさそうだ。
学校側の性格が見え隠れするルール作りだな。
「リーダーは必ず1人決めてもらう。無理にスポット占有に走らなければ、見破られることもないだろう。リーダーが決まったら私に報告しろ。その際にリーダーの名前が記されたキーカードを渡す。また、今日の点呼までに決まらなければこちらで勝手に決めることになる。以上だ」
リーダーの名前が刻印されるということは、盗み見られてもダメということか。
そうなると……
「リーダーを誰にするかは後で決めよう。まずはベースキャンプをどこにするかが先決だね。このまま浜辺に陣取るのか、森の中に入って場所を見つけるのか」
平田がそう言うのに合わせて、もう一度追加ルールについて見てみる。
その後ページをパラパラめくると、目が止まったページがあった。
「……なんだこれ。白地図?」
おそらくこの島の簡易的な地図だ。地形図や等高線などは一切書かれていない。
そして個人個人にボールペンも用意されていた。恐らく自分たちで埋めろ、ということか。
「浜辺でいいんじゃね?先生たちもいるし」
「いや、ここには何もないからね。水や食料、自分たちで確保するにはある程度探したほうがよさそうだ。スポットの存在もあるしね」
平田の言う通り、浜辺に陣取るのは得策とは言えなさそうだ。いろいろ不便が多い。
それに、占有されたスポットの許可のない使用にはペナルティが課されている。裏を返せば、スポットには利用するメリットがあるという風にも受け取れる。ならば、スポットをそのままベースキャンプとして使用できる可能性も高い。
しかし、森の状況も分かっていない現状で森の中にむやみに入るのも危険が高い。ここは平田の指示待ちかな。
「つか、俺もう我慢できねえよ。トイレトイレ」
言いながら、須藤は先ほど茶柱先生が組み立てた簡易トイレを持って、テントを組み立てて中に入っていった。その様子を見て、簡易トイレに反発していた女子たちは無理無理と言ってドン引きの表情を見せる。
「ねえ平田くん、トイレのことも早めに決めておいたほうがいいんじゃない?」
「決めるなんて言ってもよ、あれで我慢するしかないんじゃ?」
「いや、そうでもないよ。マニュアルには、20ポイントで仮設トイレを買うことができるって書いてある」
平田は、試験用ポイントを使って購入することのできるモノの一覧を見ながらそう言う。
「絶対いる!てか、正直それでも嫌だけど……あんなトイレよりマシ!」
「ちょ、ちょっと待てよ!20ポイントだぜ!?一個もらってるんだからそれで我慢しろよ!」
「あんたが勝手に決めないでよね。意見をまとめるのは平田くんなんだから。ね?平田くん?」
篠原は池の意見を無視し、平田に同意を求める。いや勝手に決めようとしてんのはどっちなんだか……なんて思っても絶対に口にも態度にも出さない。女シ、コワイ。
「うーん、そうだね。少なくとも女子にはちゃんとしたトイレがあったほうが……」
「平田、お前が意見をまとめるのは勝手だけどさ、なんでもかんでも決めていいわけじゃない」
トイレ購入に賛同しようとした平田を、池が止めに入る。
「あーもう、軽井沢さんからも何か言ってよ!」
「え?あー、私は我慢してもいい、かな。ポイントは多く残したいし、学校は最低限の物は用意してくれてるみたいだし。我慢も必要じゃない?」
「そんな……軽井沢さん」
女子のリーダー格、軽井沢は我慢する側に回ったようだ。
そしてさらに我慢する派の幸村が参戦し、またこの不毛な言い争いは続いていく。俺はそれを傍観していた。
意見を取りまとめるというのは、多数ある意見を調合して適度な状態にすることと同義だが、今回の場合は真っ向から対立しすぎていて平田も苦労しているようだ。若干購入側である平田も、男子からの反対意見がある以上それは無視できない。
多数決を取ったら……どうなるだろうか。男子の7割くらいは我慢派だろう。女子も数人は軽井沢の意見に流されることを考えると、優勢なのは一応買わない派か。
「統率の取れていないDクラスを見ていると、先が思いやられるわね。平田くん、平和主義すぎるせいで意見の取りまとめがうまくいっていないじゃない」
俺と同じく傍観していた堀北が、重めのため息をつきながらいった。
「なら、お前がやってみたらどうだ?まとめ役」
「冗談でしょう。私にできると?」
ドヤ顔すんじゃねえよ。まあ確かにこいつは引っ張るっていうより引きずり回しそうだな。
「まあ、そういう意味でのリーダーはお前にはちょっと厳しいかもしれないな。でも俺は今回の試験、お前をリーダーに推す」
「リーダーって……カードを所有するリーダーのこと?」
「ああ。そこそこ優秀で、責任感も普通にあり、平田や櫛田、軽井沢よりも目立たない。その他諸々の条件もひっくるめて、俺はお前が妥当だと思ってるよ」
まあもしかしたら、クラスのほとんどは自分じゃなきゃ誰でもいいと思っているもしれないが。カードの管理や使用は責任重大だし、これを進んでやりたがる奴は少ないだろう。だが堀北はAクラスを目指している。やる気の面は申し分ない。
「まあ、誰もやりたがってなさそうなら立候補してみろよ」
「……あまり気は進まないわね。何もかもが未知数すぎる。まだ自分なりの考えもまとまっていないし」
「お前の得意分野ではなさそうだもんな」
「あなたも得意だとは言えなさそうだけれど」
「得意でもないが、集団生活って点を除けば別段苦手意識もないな。自然自体は嫌いじゃない」
自然の場合、答えが一つに決まってるからな。
「お前は我慢も苦にしなさそうだよな。上位クラスと差を詰めるチャンスなんだし」
「もちろん、我慢は必要よ。でも、それだけで1週間という期間を耐え抜くことができるかどうか、自信がないというのが正直なところね。何もかもが初見で分からないことだらけ。……あなたはどうなの?」
「俺も同じだ。何も分からん。でも風呂やトイレとかの長期間利用できるものに関しては、途中で瓦解するくらいなら初めから買っておいたほうが効率はいい」
俺がそう答えると、堀北は少し驚いた表情をした。
「意外ね。とにかく生活費を切り詰めている守銭奴の発言とは思えないわ」
守銭奴って……そこまで言うか。
「俺個人なら俺が我慢すればそれでいいが、集団生活となると勝手が違うだろ。俺はDクラスの忍耐力をそこまで高く見積もってない」
Dクラスというか、他のクラスもそんなもんじゃないかと思ってる。
1週間、まともな風呂トイレなしでの生活は可能なのか。それに伴って発生するストレス、不満などに耐えられるのか。
たぶん無理だ。
ならば、初めから長期間使うものに関しては初日から買っておけば7日間使い続けることができるし、これは買ったんだから少しは我慢しよう、という皆の意識も高まる。
初めから我慢しすぎるとそれが裏目に出て、耐えられなくなった時にそれが爆発して一気にポイントが減る、なんて事態にも陥りかねないしな。
堀北はそれを納得したのか、なるほどね、と呟いた。
「リーダーの話、ちゃんと考えといてくれよ。正直お前より適任がいないんだから」
一応、念を押しておく。それが本音だった。
堀北は少し考える仕草を見せ、言った。
「気乗りはしないけれど、ロクでもない人に決まりそうなら、考えておくわ」
「ああ、そうしてくれ」
それで堀北との目線を一旦切ったとき、ある女子の声が聞こえた。
「ね、ねえ、AクラスとBクラス、もしかしてもう話し合い終わったんじゃない?」
振り向いてみると、確かにそのようだ。
まとめるとは違う、統率力を持つリーダーがいるクラス。それがスピードの差に現れている。スポットは早い者勝ちみたいな部分があるし、方針が決まったのなら浜辺に留まる理由はない。
「あーもう、トイレの話なんかしてる場合じゃないって!スポットの場所とか探してくる。幸村、女子に勝手にポイント使わせんなよ」
「そのつもりだ」
幸村はトイレ購入を我慢する派だ。普段池と幸村はそこまで仲は良くないはずだが、利害の一致というやつか。
「池くん、ちょっと待って。無計画に森に入るのは危険だよ」
「ここで悩んでても解決しないだろ。ベースキャンプとかに使えそうな場所見つけたらすぐ戻るからさ。そのあと、全員そこで話し合えばいいじゃん。簡単だろ?」
一理あるだけに、平田も無理に止めることはできない。須藤と山内も池についていくらしい。
色々見つけてくる、と言って意気揚々と森の中に入っていった。
ふと周りを見ると、皆暑い暑いと言いながら汗を拭いている。汗をかきやすい俺はそれ以上で、もうやばかった。
平田もその様子を察知したらしく、みんなに言った。
「日陰に移動しようか。そこでも話はできるしね」
その声に続き、Dクラス全員、森へと足を向ける。
そんな時。
「ねえ……須藤くん、ちゃんとトイレ片付けたのかな?」
俺含め、女子の声が聞き取れた数名は、立ち止まってテントを見る。
この環境の中、テントの中の地獄絵図は想像に難くなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
目の前に広がる巨大な木々。奥も見えず、一見やばそうな場所だが、きちんと安全の確認はされているはずだ。
島の面積は、確かおよそ0.5平方キロメートル。マニュアルの地図にある島の形は円形に近い。直径はどんなに長くても1キロはないだろう。迷っても、6時間くらい同じ方向に進み続ければ海岸に出ることはできそうだった。絶対にオススメはしないが。
男子は荷物持ち担当。俺は、他の荷物を持っていて、自分の分を持つことができない人のバッグを4人分持って歩いていた。私物の持ち込みが禁じられ、中に入っているのが水着やタオル、着替えだけだったとしても、それだけ持っていたら多少重さも感じる。
そんなとき、危なっかしい様子で歩いている佐倉が目に入った。
今もあちこちの枝につまずきそうになりながら頑張っている。
佐倉は気分を良くしないだろうが、注意喚起をしておいた方が良さそうだったので声をかける。
「……大丈夫か。転けるなよ?」
「うぇっ!?あ、あ、うん、頑張るね……」
話しかけられて驚いたのか、またこけそうになる。大丈夫なのか本当に……
なんにせよ、ここで変に怪我してもらっては困る。今リタイアしてしまっても30ポイント失うだけだ。
しっかし、一応何かあるとは思っていたとはいえ、こんな予想の斜め上を攻めてくるとは。一之瀬もここまでの超展開は予想していなかっただろう。
1人が好きな人間は、当たり前だがこういう集団生活は苦手だ。堀北はある程度周りを無視できるし、状況が状況なだけに例外として、佐倉なんかはちょっと辛いバカンスになりそうだ。少し気の毒。
もう少し足を進めると、前の人が立ち止まり、俺も止まる。
「ここなら、誰かに話を聞かれる心配はないね」
「なあ、俺たちもスポット探索に動くべきじゃないか」
「僕もそう思う。でも、まずはトイレの問題が先じゃないかな」
「それなら支給されているもので我慢すればいいだけの話だろう」
ここでまた我慢派対購入派、平田と幸村の対決が始まろうとしていた。
「そのことについて、冷静になって歩きながら考えたんだ。結論から言うと……まずはトイレを一台購入すべきだと思う」
今までとは違う、少し語気の強い平田の口調。
「勝手に決めないでくれ。反対意見も出ていただろう」
「トイレの設置は必要経費だよ。本当に簡易トイレ一台だけで、30人以上のクラスを回しきれると思う?」
「そこは……うまく使うんだ」
それは無視できない問題だ。幸村も初めて言葉に詰まる。
「最悪の場合、トイレが1時間以上待ちなんてこともあり得ない話じゃない。言わせてもらうと現実的じゃないよ」
「それこそ現実味のない仮定だ。使う時間が1人3分だとしても、20人以上並ぶなんてそうそうないだろ。学校側も現実的だと判断したから一つだけ支給したんだ」
「幸村くんも、もう分かっていると思うんだ。トイレもそうだけど、支給されたテントもこれじゃ中途半端。これは学校側が、ポイントはある程度効率よく使った方がいいことを示してるんだと思う。それに、我慢がプラスになるとは考えにくいよ。不満やストレス、衛生面の問題もある。リタイアする人が出たら、30ポイントも失ってしまうんだ」
一応俺も購入派。平田の意見には同感だ。
それを抜きにしても、平田のロジックは強かった。最終的に全員とまではいかなくても、過半数の同意は得られると踏んで説得に踏み切ったんだろう。
「……分かったよ。じゃあ、買えばいいだろ」
幸村が折れ、我慢する派だった他の男子にも「まあ、仕方ないか」という空気が浸透していく。
重量は100キロ以上あるようだから、設置は少し骨だな。
トイレの設置問題は解決し、ようやく話し合いは次の段階に移行する。
「次に、さっきも意見が出てたけど、僕もベースキャンプの探索はすべきだと思う。ポイントの消費にも関わってくるからね」
確かにそうだ。ベースキャンプ、スポットの獲得は初日の最重要課題。
探索の志願者を募るが、挙手したのはわずか2、3人。まあ、好き好んで森に入りたがる奴はあまりいないか。池や須藤が少し特別なだけだ。
俺としては別に行ってもいいんだが……
「あの、私でよかったら行くよっ」
と、そこで櫛田が手を挙げた。
するとそれを皮切りにして男子が次々と手を挙げる。櫛田目当てが半分くらいだろう。
挙手ラッシュがすぎ、現在上がっている手の数は11本。少しキリが悪い。
「あと1人、挙げてくれたら3人ずつのチームが組めるんだけど……」
平田がみんなを見渡しながら言う。
誰も挙げる気配がなかったので、俺が手を挙げた。
「あ……」
同時に、佐倉も手を挙げた。
それに気づき、俺はすっと手を下ろそうとする。
しかし。
「ありがとう佐倉さん、速野くん。13人だけど、1チームを4人にすれば問題はないと思う。残りの3チームも、絶対に1人では行動しないようにしてほしい」
俺が手を下ろし切る前に平田が俺の名前を口にしたおかげで、辞退しようにもできなくなってしまった。
皆思い思いにチームを組み、残ったのは余り物。
俺、綾小路、佐倉。
そして……
「実に美しい太陽だ。私の体がエネルギーを欲しているようだねえ」
Dクラスの曲者代表、高円寺六助だった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
高円寺はどんどん先に進んで行ってしまう。こちらのペースなど意に介していない。
高円寺が先頭、綾小路と佐倉が並んで歩き、俺はしんがりを務めている。2人は何か話しているようだが、内容は聞こえてこなかった。
木陰とはいえ、やっぱり暑い。むしろ木陰だからこそ熱がこもっているようだった。
あんまり離れているとまずいな、と考え、俺は少し歩くスピードを早めて綾小路、佐倉との距離を縮めた。
森を見渡し、進行方向を向いたその瞬間。
「うわぅ!?」
奇怪な叫び声とともに、佐倉がこけそうになる。やば、と思って俺は瞬間的に佐倉の腕を掴んだ。
「……大丈夫か?さっきもだったけど、注意してくれよ」
「え、あ、あ、うん……あ、ありがとうっ」
言いながら目をそらす佐倉。その反応を見て、女子の体に触れることへの抵抗やためらいの感情が今になってやってきた。すぐに佐倉の腕を離す。
少し気まずさが流れる中、再び歩き出した。
茂みの深さによって、あちらこちらで進行方向が強制的に変更されるせいで自分がどこにいるかは分からないが、進んでいる大体の方向は掴んでいた。
「これじゃ、4人チームでも実質3人だな」
「……そうだな」
高円寺はメンバーとは言い難かった。というか、向こうもこちらをチームだとは毛頭考えていないだろう。あいつの迷いのない足取りに、俺たちはついて行くだけ。まあ進行方向に文句を言う必要がなかったからなんだが。
「佐倉に速野、悪いが少し急ぐぞ」
「えっ!?う、うん……」
高円寺に振り切られることを危惧した綾小路が歩くペースを上げる。
俺はあまり問題なかったが、佐倉の方はさっきにも増して危なっかしい。
「こ、高円寺くん速いね……」
「あれは異常だ……」
少し呆れながら佐倉に言った。
「高円寺、あんまり速く歩くのは危険じゃないか。迷うぞ」
綾小路が言うと、高円寺は立ち止まり、髪をかきあげながら振り返って言った。
「私は完璧な人間だ。この森ならば、多少のことが起こってもノープロブレム。困ることがあるとすれば、それは凡人の君らが私を見失った時だ。その時は諦めたまえ」
「この森ならば、ってどう言う意味だ?」
「ここは自然の森とは言えない。少なくとも、日中迷うような愚かなことはしないさ。ま、だからこそ多少興味もあるがね」
普段自分にしか興味がない高円寺が興味を持つ森。ただの妄言かもしれないが、高円寺がこの森を天然ではないと捉える根拠はなんだろうか。
高円寺は直後、歩くペースをさらに速めた。
「お、おい……」
「大丈夫。頑張るから」
佐倉がついていけるペースではないと判断し、高円寺に声をかけようとしたが、佐倉がそれを遮るように言った。
「……本当に大丈夫か?」
「うんっ」
正直、無理されるよりはここで立ち止まってもらった方がいい。怪我でもしたらリタイアになるリスクがある。
なので迷ったが、どうやら佐倉は決心固いらしい。
「……分かった」
ここは頑張ってもらうことにした。
内心すぐにばてるんじゃないかと思っていたが、結構頑張ってペースについてきていた。足元に注意して出来る限り大股で歩いて行く。相変わらず危なっかしいが、今までよりは集中しているようだ。
「凡人の君たちに質問があるんだがいいかな?」
急に高円寺が立ち止まり、そんなことを言った。
そして間髪入れずに次の言葉を吐き出す。
「君たちから見て、この場所がどのように映っているのかを聞かせてもらえないだろうか」
「ど、どう意味かな……」
言われて、周りを見渡してみる。
なんの変哲もない、森だ。
強いて言えば、先程から少しだけ歩きやすくなった。足場は特に変わっていないから、少し傾斜がゆるやかになっているということか。
「オーケー、もういい。やはり凡人は凡人ということだね」
興味を失ったように踵を返し、さらにずんずん進んで行く。あの無尽蔵の体力はどこから湧いてくるんだか……そういやプール授業の時、こいつ物凄い体格してたな。ほんとにポテンシャルが計り知れない男だ。
「あ、高円寺くん見失っちゃう……急がなきゃ」
俺の左隣にいる佐倉がそう言う。ちなみに俺が真ん中で、綾小路が一番右だ。
「いや、もう無理だろ……俺もちょっと疲れたし、これ以上行っても離され続けるのが関の山だ」
「俺も少しきつい。ゆっくり行きたいんだが、いいか?」
俺に続き、綾小路も言う。その提案には賛成だ。3人でペースを落とす。
「多彩な才能の持ち主だな、あれは」
「ああ……」
あの男には底が見えない。あれでもうちょいクラスに協力的なら……いや、もしそうならあいつはDクラスにはいないか。
綾小路が佐倉からハンカチを借り、木にくくりつける。こいつも高円寺の発言が気にかかるらしい。
その後数分、茂みをかき分けながら歩いて行く。すると、急に開けた場所に出た。
「これ、道、なのかな……」
「そうみたいだな」
太い木の幹が根元の方から切り倒され、通りやすくなっている、明らかに人の手が加わっている様子だ。
だとすると……
「わ、すごい……」
そこに、洞窟が現れた。これもどうやら人工物。重要な場所だと踏み、手元の地図に印をつけておく。
「これ、スポットかな……」
「さあ……近づいてみないことにはなんとも」
スポットなら、占有を示すための装置が設置されているはずだ。しかしここからは確認できない。
近づくために綾小路が一歩踏み出したところで、洞窟の中から人が出てくるのがわかった。俺は佐倉の腕を引っ張って左に、綾小路は逆サイドの物陰に身を隠す。
佐倉が声を出さないように、俺は佐倉の手を掴んで口に押し付けた。
やがて、1人の男が出てきた。スキンヘッドで身長も高めの男子生徒。割と目立つ見た目をしている。
男の手には、カードらしきものが握られていた。
すると洞窟からもう1人が姿を現し、会話が始まる。俺は耳をすませてそれを聞いた。
「この洞窟があれば、テントは二つでも十分ですね。でも、幸運でした。こんなに早くスポットが見つかるなんて」
「運?お前は船でのアナウンスで何も感じなかったのか」
「え……ただの観光目的のアナウンスじゃないんですか?」
「それにしては、旋回のスピードが速すぎた上に、内容も妙だった。そして、旋回の途中に開けた場所が見えていた。それがこの場所だ。あれは恐らく、学校側からのヒントだったんだろう」
「お、俺は全く気づかなかったです……でも、さすがです!成果が出れば、『坂柳』も黙るかもしれないですね!」
「内側に目を向けすぎていると足をすくわれるぞ。そして発言には気をつけろ。俺にはリーダーとしての監督責任がある」
「……す、すみません……」
「行くぞ弥彦。船からはあと二つほどスポットが見えていた。長居は無用だ」
「は、はい」
2人はそう言って違う場所に向かった。数分待ってから出た。
集中を切ると、近くから荒い息が聞こえてくる。
「あ、悪い……」
佐倉の口を塞いだままだということを忘れていた。解放された佐倉は呼吸を整える。
「はあ、はあ、し、死ぬかと思ったぁっ……」
「そ、そこまで苦しかったか……」
「あっ、ち、違うの!苦しいって意味じゃなくてっ、そ、その……」
言いたいことはよくわからなかったが、一応もう一度謝罪の言葉を述べた。
佐倉の息が整ったあと、洞窟に足を運ぶ。
そしてその内部には、壁に埋め込まれるように装置が設置されていた。
残り7時間55分、Aクラスと表示されている。恐らくこれがスポットの装置だろう。
藤野が言ってたようにクラス内で対立があるようだったが、学校側のヒントを看破した点はやはりさすがAクラスだな。
「ね、ねえ、さっきの人、自分がリーダーだ、って……」
そう、致命的なミスがあるとすればそこだった。だが、ちょっとあまりにも油断しすぎじゃないか。
洞窟の奥に入って調べてみるが、誰もいない。
ってことは……
「ど、どうしよう、すごい秘密知っちゃった……」
佐倉は興奮気味に言う。これでAクラスは高い確率で50ポイントとボーナスポイントを失うことになった。これはAクラスにとって痛いだろう。
「後で俺が平田に報告しておくよ」
そう言った綾小路の言外には、このことは誰にも言うな、というニュアンスが含まれているように感じた。
無理やり主人公を探索に突っ込みました。
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ep.24
集合場所に戻ったとき、はじめに探索に出ていた池が熱弁していた。
「川だよ、川があったんだよ!めっちゃ綺麗で、なんか装置みたいなものもあったんだ!あれがスポットってやつなんだよきっと!」
こちらとは違い、かなり確定的な成果を上げたらしい。この場に須藤と山内がいないところを見ると、2人は見張り番か。
「それはお手柄だね池くん。でもまだ2チーム戻ってきてないから、もう少し待ってから移動しようか」
「悪い平田、高円寺とも途中ではぐれた」
「ああ、高円寺くんならさっき戻ってきて海に行ったよ」
本当に1人で迷わずにここに戻ったようだ。
「ちゃんと統率がとれてなかったの?」
綾小路の申告を聞いていた堀北がため息をつきながら言う。
「あれは俺たちが制御できるような人間じゃない……歩くペースは速いし、森での身のこなしも完璧だった。多分、森の構造について詳しいんだろうな」
「なるほど……性格以外は本当に完璧なのね」
「ああ、まあ誰かと似てるな」
「それは誰を指しているのかしらね」
「何でもございません……」
強い視線で睨まれ、俺はその場を逃げるように立ち去った。鬼め。
そのすぐ後ろに佐倉の姿があったが、俺と目が合った瞬間にどっかに走って行ってしまった。そしてこけそうになる。おいおい……
残りの2チームも無事帰還し、池の案内で歩を進めるDクラス一行。
10分経たないくらいのところで、先ほどと同じような開けた場所にたどり着いた。
「うん、川もあるし、木陰で太陽も防げる。それに地面も整備されてるみたいだ。ここならベースキャンプに向いてるね」
周りを見渡して確認すると、不自然にでかい岩が一つある。
平田もそれに気づいて確認すると、どうやらそれにはスポットの装置が埋め込まれているようだった。
「なあ、この川って俺たちが使っていいんだよな。どうやって証明するんだ?」
確かに、川はかなり長く続いているようだ。気づかないうちに他クラスに使われてる、なんて事態もあり得ないことじゃない。
綾小路と堀北が川に沿って歩いていく。俺はその場にとどまったが、こちらからギリギリ確認できる距離に立て看板があることに気づいた。
語尾に禁ずる、と書いてあることはわかったが、それ以外は読めない。詳しい内容は後で2人に聞いとくか。
「ここをベースキャンプにするのは決まりだね。あとは占有するかどうか」
「するに決まってんじゃん!ポイントも入るんだし、メリットしかないだろ」
「いや、占有に動いたらリーダーを見破られるリスクも大きくなるよ」
「それは、あれだよ。こう、みんなで囲うようにして守れば見えねえって」
確かに、背の大きな生徒に囲ませれば隠れるか。多分他のクラスも同じような感じで動くだろう。最低限取るべきリスクだ。
「じゃあ、あとはリーダーを誰にするかだね」
鍵はそこだ。この重責を誰が負うのか。
櫛田は何か提案があるのか、みんなに小さく円を作るように言って小さい声で話を始めた。
「私ちょっと考えてみたんだけど、リーダーになるには、平田くんや軽井沢さんだと目立ちすぎるでしょ?でも、責任感が強い人じゃないといけないし……その二つを満たしてるのは、堀北さんだと思うんだけど、どうかな?」
櫛田からありがたい提案だ。本人はまさか櫛田から推薦があるとは思っていなかっただろうが、驚きの色は見られなかった。
「僕も賛成、というか、元々僕も堀北さんがリーダーに適任だと思ってたんだ。堀北さんさえよければ、頼めるかな?」
堀北は少し考えたあと、俺の方に視線を向けてきた。
俺は黙って、やってくれ、という気持ちを込めて見返す。
すると、小さくため息をついてから言った。
「分かったわ。引き受ける」
堀北が了承の意を示すと、平田はすぐに茶柱先生のところに報告に行き、キーカードを受け取って堀北に渡した。
そしてスポットの占有の操作を行う。もちろん一連の作業の間、池の提案のとおり全員で堀北を覆い隠している。
「よし、これで風呂と飲み水はいけるな!」
「え、まさかこの水飲むの……?」
「あんた正気?」
池はこの川を飲み水としても利用するつもりらしいが、当然反対意見が出る。
「なんだよ、綺麗な水じゃんか」
確かに見た感じ透き通っていて、飲んでも問題なさそうに見える。しかし抵抗を感じる人は大勢いる。
「ね、ねえ平田くん、やっぱり無茶だよ、川の水飲むなんて……」
「なんだよみんな、何が不満なんだよ。天然水みたいなもんだろ?せっかく見つけた川なんだしさ、有効活用しようぜ!」
「じゃあ試しにあんたが飲んでみなさいよ」
「は?まあ別にいいけどさ……」
篠原に言われ、池は川の水を手ですくい上げて一気に飲む。
「キンキンに冷えててうっめえー!」
「うわ、マジで飲んだよ。ドン引きなんだけど」
「はあ!?お前が飲めって言ったんだろ!?」
「無理無理、こんな野蛮人、私が一番嫌いなタイプだわ」
「なんだと!?」
はあ、今度は飲料水の問題か……あと、池と篠原は対立しすぎだろ。
先ほど川魚が見えた。魚が生息しているということは、その中には微生物やプランクトンが大量にいるということ。誰かが調子を崩さないとも限らない。俺自身、川の水を飲むことに抵抗がないといえば嘘になる。
だが、最終的な結論としては別に飲み水に使ってもいいと思った。プランクトンと言っても、身体に害を及ぼすようなものは学校側が取り除いている、と思う。少なくとも人の手が加わっていることは確かだ。でないとここまで澄んだ川は実現しない気がした。
まあ、元々水源が綺麗なだけかもしれないが。
それに単純な話、安全性が確認されればいいわけで。
「篠原、お前いちいち文句つけんなよ。みんなで協力しないといけない試験だろ、これって」
突然、須藤がまともなことを言い出した。その姿に少し驚いてしまう。
こんな冷静で常識人っぽい須藤は初めて見た。
「ちょ、なに笑わせにきてるの?それ須藤くんが言う?」
「俺が迷惑かけたことは分かってんだよ。それで分かったんだ。自分がやったことは自分に跳ね返ってくるってな」
「……なにそれ。結局須藤くんもポイント使いたくないだけでしょ?」
「そんなこと言ってねえだろ。寛治、お前も少し落ち着けよ。いきなり川の水飲むなんて言われたら俺も抵抗あるし。なあ、確か水って沸騰させたら殺菌できるんじゃなかったっけ?とりあえずそれで試してみるってのはどうだ?」
煮沸処理か。確かにそれでもいけるな。
「沸騰って、化学の実験じゃないんだから……思いつきで発言するのやめてよ」
だが、篠原の方は引くに引けなくなっている状態。須藤の冷静タイムも限界が来そうだったところで、平田が2人の間に入って言った。
「とりあえず解散にしよう。今喧嘩しても意味はないし、まだ時間もあるしね」
出た結論は、保留。
なら、その指示に従おう。俺はその場を離れ、川に近づく。
そしてジャージの内ポケットから、道具の目的外使用が可能かどうか確認した直後に俺が勝手に茶柱先生に申請した吸水ポリマーシートを取り出し、川の水に浸した。
これはちょっとした実験。
果たして、結果はどうなるだろうか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Dクラスのベースキャンプから少し離れた森にいた俺。日暮れの時間が近づいたので、持ってきたバッグを肩にかけて戻ることにした。
その道中、俺はある人物を発見する。
「……佐倉?」
「ふえっ!?あ、は、速野くんっ……ど、どうしたの」
「いや、俺が聞きたいんだけど……」
「そ、その、焚き木拾い。綾小路くんを手伝ってて……」
なるほど、佐倉は十数本ほどの枝を両腕で抱えている。
「……焚き木ね。じゃあ、俺も適当に拾ってみる。でも佐倉」
「な、なに?」
「湿ってる枝は多分ダメだと思うぞ。火つけるんだし」
俺はキャンプ経験がないから、焚き木にどのような枝が向いているかなんて知らないが、湿ってたら火がつきにくいことくらいは分かる。
だが、佐倉が持っている枝の中には湿ったものが結構あった。
「あ、そ、そっか……ありがと。でもこれどうしよう……」
俺の話を聞いて、佐倉は湿ったものを捨てようとしているらしい。
「いや、捨てなくていい。俺が言ったことが当たってるかはわからないし、一応持ってってくれ」
作業の量的にも、そっちの方が効率的だ。
「うん、分かった」
それで納得したらしく、佐倉は歩き出した。俺もその後ろについて歩き、乾いた枝を拾い集める。
木の枝の種類は二つの判断基準がある。
太さと長さ。
どの枝が適当か分からないので、俺は全種類を満遍なく拾う。
そんな感じで歩いていると、そこに山内が現れた。
「佐倉、それ重いだろ、って、なんで速野がここにいんだよ!?」
感嘆の声を出す山内。佐倉はビビったのか、俺の後ろに隠れてしまった。……いや、その、俺を盾にされても……
取り敢えず山内の疑問に答える。
「いや、偶然枝拾ってる佐倉見つけたから……焚き木拾いなんだろ?俺も手伝ってるんだ」
そう言って、山内に俺の腕の中の枝を見せた。
「く……で、でさ、佐倉。それ重いだろ?持ってやろうか?」
「い、いえ、大丈夫です……速野くんとか、綾小路くんとかの方を手伝ってあげてください……」
「かーっ、佐倉は優しいなあ!よし速野、持ってやるよ」
「綾小路の方手伝えよ。あいつ枝何本か落としてるぞ」
そう指摘すると、しゃあねえなあ、と言って綾小路の元へ駆けて行った。
「……佐倉、山内って最初からいたのか?」
「え、えっと、うん。綾小路くんが初めに誘った時は断ってたみたいだったけど……」
「あれ、そうなのか」
にしては山内の持ってた枝の本数、何故か佐倉より少なかったな……まあいいか。取り敢えず山内は佐倉への下心が隠しきれてないので間抜けだな。
佐倉のペースに合わせ、ゆっくり歩いていく。
「……佐倉って結構活動的なのか?」
「え?えっと……どうして?」
「いや、さっきの探索にも参加してたし、焚き木拾いもやってるし……やけに熱心だなー、と」
俺が考えていた佐倉の人物像と少し違う気がした。
「い、いや、そんなことないよ。ほんと、今もまだ混乱してて……」
まあそりゃそうか。ってか、佐倉でなくても混乱するよな、この状況は。バカンスかと思いきや無人島サバイバルなんて。
それでも、佐倉なりに頑張ろうとしてるのか。それならこれ以上何か言うのは野暮だろう。
もう十分か、というくらい枝を拾い終わり、ベースキャンプへの帰り道。
俺たちは、大きめの木にもたれて座り込んでいる少女を目撃した。
同じクラスではないので無視すればいいだけの話だが、この少女は顔に痛々しい傷を作っている。強い力で殴られた後のようだ。
それを見過ごせなかったのは山内だ。少女のもとに駆け寄ろうとし、綾小路に引き止められる。
「なんだよ?」
「あ、いや……悪い」
しかし綾小路はすぐに掴んだ肩を離した。
「なあ、大丈夫か?何があったんだ?」
「……別に、なんでもない。ほっといて」
「いや、なんでもないって……なんでもないような傷じゃないじゃん。誰にやられたんだ?先生よぼうか?」
「クラス内で揉めただけ。気にしないで」
自嘲を含んだ微笑を浮かべ、山内の申し出を断る。
「俺たちDクラスなんだけどさ、ベースキャンプに来るか?」
「は?そんなことできるわけないでしょ」
「ほら、困った時は助け合いっていうか、な?」
「私はCクラス。つまりお前らの敵ってこと。分かった?」
Cクラス……ふーん。
「いや、でもほっとくなんてできないって。な?」
山内の問いかけに、綾小路も佐倉も頷いて同意する。
俺は特に反応しなかった。
ほっとけないのは確かだが、それを素直に実行できないのはこの学校のシステムが原因だろう。
「女子1人残して行けないって。君が動くまで俺もここに残るから」
そう言って地面に座り込む山内。はあ、やっぱ根は善人なんだなあ……
まあ、その言葉もこの少女には届いていないようだが。
「にしてもさ、森の中ってジメジメして嫌な感じの蒸し暑さだよな。佐倉暑くない?」
「い、いえ、私はその……大丈夫です」
そう答える佐倉だが、これは嫌な暑さに分類されるな。カラッとした暑さなら心地よさも感じるが、こういうジメジメした暑さには不快感を感じる。
そこであの実験結果が大事になってくるんだが……後ででいいや。
そこから十分ほどたち、山内の粘りに負け、その少女は腰を上げた。
「……相当なお人好し。うちのクラスじゃ考えられない」
「困ってる子をほっとけないだけさ」
まあ、いい奴なんだよな、基本は。他クラスに自分たちの情報が漏れるリスクより救済を取ったんだから。
「でも、良かったわけ?お前らのキャンプの場所教えるなんて。案内までするとか」
「え?なんか不都合あんの?」
「……」
あ、ただリスクを分かってなかっただけなのか。大丈夫か本当に……
まあでも、ベースキャンプの場所なんていつかバレる。遅いか早いかの違いだ。
それに大事な情報さえ漏らさなければ大丈夫だろうし、手はある。
「大丈夫だ。別に問題はないと思うぞ」
「だよな?じゃあノープロブレムってことで。俺は山内春樹。よろしく!」
「やっぱり馬鹿だ……私は伊吹」
傷跡のある頬をなでながら言った。
そしてその手の爪には、何故か土のようなものが挟まっている。さっきまで座っていた場所の土が掘り返されたような感じになっていることも少し気になった。
「最近の女の子って殴り合いの喧嘩すんのかよ……こわっ」
「ほっとけよ。他のクラスには関係ないことだろ」
恐らく、山内の予想は外れている。誰がこの傷を作ったか、俺はなんとなく想像がついた。
我慢はしているが、時々痛そうに頬を撫でる。
そしてどこか煩わしそうにカバンを持ち直した伊吹の仕草を見て、山内は突然綾小路に持っていた枝を押し付けながら言った。
「な、カバン面倒臭いんだろ?持ってやるよ。な?」
なるほど、さっき山内が持ってた枝の本数が少なかった理由と綾小路の枝が数本落ちてた理由がわかった。
「いいって、ちょっと、やめろよ」
伊吹はそれを拒絶し、山内から離れようとして体を移動させた瞬間、バッグが木にぶつかってゴン、という鈍い音がした。
「わ、悪い、悪気はなかったんだって」
「分かってる。でも、私はお前らのことをまだ信用してない」
そう言うと、伊吹はそれっきり黙ってしまった。山内もそのまま歩きだす。
綾小路に押し付けた枝を取ることなく。
「……綾小路、少し持とうか?」
「……悪いが頼む」
俺は上の部分の湿ってない枝を数本取り、自分の枝に加えた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
結果から言えば実験は成功だ。一応平田に報告しておこうかと思ったが、ちょうど出かけているらしく、姿は見当たらなかった。
「俺に任せろよ!いいとこ見せるからさ!」
早速火をつけるらしく、山内が意気込んでそう言う。
俺はまだ自分が拾ってきた枝を持ちっぱなしだったことに気がついた。
あ、と思ったが、気付いた時にはもう遅く、数十回チャレンジした山内がマッチに火をつけることに成功する。
まあ、後で追加する用ってことでいいか……
少し諦めかけたが、予想は外れて木には引火しなかった。
「あれ?」
「もっとじっくり火をつけるんじゃないか?」
「おし、じゃあ次はもっとじっくり……くそ、また折れた。不良品じゃねえのこれ?」
不良品は俺たちだけどな、と言おうとしたが、空気がぶっ壊れるのが予想できたので口にしなかった。俺成長してる。
山内は次々に失敗し、火がつかないまま折れてお役御免となったマッチが一本、また一本と地面に落ちていく。
3本目の失敗のあたりでいい加減心配になってきた。久しぶりにダジャレっぽくなっちゃったっ♫
そんなことはどうでもいいんだ。
「山内、このままのペースだと1週間もたないぞ」
「大丈夫だって。まだこんなにあるし」
言いながら、マッチが大量に入った箱を見せてくる。いやまあ、多いは多いんだが……大丈夫かな本当に。
「おし、ついた。今度こそ!」
ようやく成功し、今度は綾小路の指示通りじっくりと火をつける。
しかし、火は枝を少し燃やすだけで簡単に鎮火してしまった。
「くっそ、なんでだよ。俺どこも間違ってないよな!?ちょっと先生に聞いてくる」
そう言って山内は駆け出していくが、あの先生が俺らにアドバイスする確率はゼロに近いだろう。期待しない方がいいな。
綾小路が、火をつけようとしている枝に近づく。俺もそれを見てそこに移動し、佐倉もそれについてきた。
「なんでつかないんだろうね……やっぱり速野くんの言った通りなのかな?」
「速野、なんて言ったんだ?」
「え?あ、ああ、佐倉には湿ってる枝はやめといた方がいい、とは言ったな。水分含んでちゃ、火がつきにくいのは当たり前だろうし。他に何か気付いたことあるか?」
「もしかしたら、火は予想以上に弱いものなのかもしれないな」
佐倉には綾小路の言いたいことが伝わらなかったようで、首を傾げている。
「テレビとかで見る焚き木って太いイメージあるだろ?だから俺らはイメージ通りの太い枝を持ってきたけど、最初からこんなに太い枝じゃ火がつかないんじゃないか?速野の言ってるように湿ってるのも多いし。ちょっと手間だけど、乾いた細い枝とか枯葉とかを……」
「あれ?何してんのお前らこんなところで」
綾小路の発言の途中で、池が戻ってきた。
「ちょっといま焚き木に苦労しててな」
「焚き木……って、そんな太いのでつくわけないじゃん。最初はもっと細い枝からやっていかないと上手くいかないぜ?それに湿ってる枝も多いし。だっせー」
「あ、それ綾小路くんが……」
「そうなのか。よかったら教えてくれないか?」
フォローしようとした佐倉を遮って、綾小路が言う。
「しょうがないなあ。俺がレクチャーしてやる。まずはそこらへんで手頃な枝を……あ、速野が割といいの持ってんじゃん。それ貸してくれよ」
「あ、ああ」
池に持っていた枝全てを手渡す。
そして山内とは違い、一度も失敗せずスムーズにマッチに火をつけ、まずは細い枝から火を放っていった。その後頃合いを見て太い枝を追加していく。すると、見る見るうちに俺たちが思い描いていた焚き火になった。
「ま、ざっとこんなもんだな」
「やっぱキャンプ経験者は違うな。ありがとう」
「焚火のやり方は基礎中の基礎だからな。やり方がわかれば誰でもできるさ」
池がキャンプ経験者……だから川の水に一切抵抗がなかったのか。この合宿、池がうまく機能することがクラスとして重要事項になりそうだな。
「くっそ、先生何も教えてくれな……って、なんで出来てんだよ!?」
戻ってきた山内が悔しそうに言う。お前がいない間に池が全部かっさらっていったぞ。綾小路も焚火の仕組みには気づいてたみたいだが。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
しばらくして平田が戻ってきたので、俺は実験の結果の報告をすることにした。
「は、速野くん」
「……?」
「さっきから気になってたんだけど、その……手に持ってるシートって何?」
佐倉がてとてとと小走りで近づいて俺に問う。
「あれだ、簡易トイレに使うシートだよ。ちょっとそれに関して報告してくる」
俺は持っていたシートを佐倉に手渡す。
「あれ……なんだか冷たいような……」
少し驚いたような反応を見せる佐倉。これで確信した。成功だ。
平田の元へ近づく。佐倉もそれについてきた。フリーになるタイミングを見計らって声をかける。
「平田、ちょっといいか」
「速野くん。どうしたの?」
「これ簡易トイレのシートなんだが、暑さ対策に使えそうだ。タオルがわりに」
「え、タオルがわり?」
俺は佐倉に頼んで、さっき渡したシートを平田に渡してもらう。
「冷たいね……もしかして川の水につけたの?」
「ああ。大体2時間くらい前に」
「2時間前……そんなに冷たさが保たれてるの?」
佐倉も平田も驚いている。
「ちょっと説明してくれないかな」
俺にシートを手渡しながら平田が言う。
「このシート、茶柱先生は吸水ポリマーシートって言ってただろ?高分子吸水ポリマーって物質は、保冷剤の中身にも使われてるんだ。それでこれも保冷できるかもしれないと思って、解散直後に川の水に浸して実験してた。役に立つかと思って」
本当にただの勘だったが、結果が伴ってよかった。
「そういう使い方もできるんだね。すごいよ速野くん。このシートは無制限に支給されるからいくらでも作れるね」
「使い終わったシートはビニールにまとめれば環境の汚染の方も大丈夫だろ。ああそうだ。ビニールも何かに利用できないか?」
この特別試験でポイントを残すには、用意されているものを使用用途以外に工夫して使うこともポイントになると思う。まあ微々たるプラスにしかならないが。
「ごめん、ちょっといまは思いつかないかな。でも本当に助かるよ。早速明日から探索するときにはみんなに持って行ってもらうことにしよう」
「ああ、じゃあそれ頼む」
「うん、わかった」
そう言って、俺はその場を離れた。ずっと俺の後ろに隠れていた佐倉もそれに合わせてくる。だからなんで俺を盾にするんだよ……
「平田と話したことないのか?」
「あ、あるには、あるんだけど……その……話しかけてきてくれるのに、やっぱりどうしても会話するのは苦手で……」
「綾小路とは普通に話せてるみたいだし、頑張ればいけると思うぞ」
「……うん、ありがとう」
返事した佐倉の表情は、微笑だった。これは安心を表している、と捉えておこう。
この合宿をきっかけにして、佐倉にもちゃんとした友達ができることを願う。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「おい、速野、ちょっと」
「は?いや、おい……」
佐倉と別れ、先ほどの焚火の場所をうろうろしていたところ、急に山内に引っ張られた。
「なんなんだよ急に……」
「なあ、俺たちって友達だよな?」
おお、こういうセリフを吐かれたことがないからなんと反応すればいいのかわからん……
「友達かどうかは知らんが、クラス内では比較的親しい方なんじゃないか。連絡先交換してるし」
一応無難なことを言っておく。
「な、ならその親しい奴を応援してくれるよな?」
「なんの話だ急に……」
文章に目的語がなくて意味がわからない。
「綾小路にも言ったんだけど、ここだけの秘密な?」
「お、おう……」
「俺さ……佐倉を狙おうと思うんだ」
この場合の狙う、とは、どうにかして恋人同士の関係に持っていきたい、という意味か。
「ああ、だからお前枝拾いに参加したのか……」
やけに佐倉に下心持ってるなー、とは思ってたが、なるほどそういうことだったか。
「なんでまた急に。あいつがアイドルだからか?てか、お前池と一緒に櫛田狙ってなかったっけ?」
山内は、佐倉がグラドルであることを知っている1人だ。綾小路に知っている人リストを報告された。佐倉本人の希望でまだほとんど広まってないと思うが。
「それもあるし、なんと言ってもあの胸だぜ。やばすぎだって。それから櫛田ちゃんはレベル高すぎて無理だし、この際佐倉で、いや、佐倉がいい!それに佐倉って人と関わるの苦手だろ?優しいとこ見せたら落ちると思うんだよな」
本人が聞いたら確実に嫌われるであろうことを次々言ってくる。
「お前なんでか知らないけど佐倉と仲いいじゃん?是非とも協力してほしいわけよ。な、この通りだ!」
手を擦り合わせてお願いしてくる山内。
リア充ってこういう相談が普段から飛び交ってるんだろうか。なんていうか、友達多いやつのデメリットの部分を垣間見た気がする。
「はあ……別に邪魔するつもりはないし、応援もする。ただ協力はしない。佐倉本人の意思も関わってくるだろうからな」
少なくとも現時点で、佐倉の山内に対する印象は良くないだろう。それに、俺が協力したとして事態が好転するとは思えなかった。
「綾小路と同じようなこと言うなよー。お前も狙ってんのか?」
「なんでそうなるんですか……」
綾小路もそんな感じのことを言ったらしい。
薄々感じていたことだが、俺と綾小路の価値観は割と近しいものがある、気がする。少なくとも俺はそう感じていた。あいつには色々謎が多すぎるからよくわからないが。
数字で例えたら分かりやすいかもしれない。綾小路を0として、一般の人が10離れているとしたとき、俺と綾小路の距離は大体7か8くらい。あれ、あんまり他の人と差なくね?
「まあ、頑張ってくれ。ちゃんと応援はするから」
「ちい、分かったよー。頼むぜ?」
協力はしないと分かった瞬間、急に頼み方が雑になった。
まあいいか。山内は本能に割と忠実みたいだし、そこが短所でもあり長所でもあるんだろう。
虚言癖は直したほうがいいけど。
主人公はこんな実験をしてました。一応ググってみて保冷剤の中身だってことは本当らしいんですが、吸水ポリマーシート自体には保冷効果はないかもしれません。知っている方は教えてください。ただ、当作品は実在する団体、個人名、「現象」を必ずしも元にしたものではありません。御都合主義です。ご了承ください。
次話投稿にはまた少し時間がかかるかもしれません。申し訳ありません。
感想、評価お待ちしております。
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ep.25
では、どうぞ。
夕食の時間が近づいてきた。さっきから腹が何度か鳴っている。
池がアウトドアに精通していることがわかり、先程から目覚ましい活躍を見せている。
「これ、クロマメノキだよ。桔梗ちゃんが見つけたの?すげーじゃん。あ、こっちはアケビだぜ。甘くて美味いよ。いやー、懐かしいな」
俺たちがみたこともない植物の種類を、一目見ただけで当てる池。どうやら食料としていけるらしい。とても助かる。
その流れで、先ほどの真っ向から池と対立していた篠原も仲直りできたらしい。
今までで一番クラスがまとまっている瞬間かもしれないな。
そして平田はこれを好機と見て、話を始める。
「皆、少し聞いてほしい。この試験を乗り切るためには、クラス全員で協力していかないといけない。揉めることもあって当然だ。でも、慌てず騒がず、力を合わせて乗り越えていきたい」
そこで一旦言葉を切り、次にマニュアルを手にしながら再び話し始める。
「誰だって1ポイントでも多く残したいよね?そこで、僕なりに現実的な数字を叩き出してみたんだ。その結果、試験終了時に120ポイント残せるかどうか、それがカギになると思う」
「つまり180ポイント使うってことか?納得し難いな」
幸村がそれに反論する。
しかし、平田はあくまで落ち着いた口調でつづけた。
「まずは最後まで聞いてほしいんだ。ここにポイントの内訳を書いてあるから、みんな見てほしい」
視線を移すと、そこには細かい計算結果が書かれていた。
栄養食と飲料水のセットが一食10ポイント。日に二食、今日の夕飯と試験終了日を一食ずつで合計12食。テント2つ、トイレ、その他諸経費を加算して180ポイントという計算だ。
「残りポイントが少なく感じてしまうのは、皆300ポイントっていう印象が強いからだと思ってほしい。今までのクラスポイントの変動から見ても、120っていう数字は決して低くないプラスだと思うんだ」
確かにそうだ。先月のDクラスのポイントは87のプラス。Aクラスでも、プラス値は100に届いていなかった。
「それに、この数字はあくまで最低ラインだ。例えばみんなの1日分の食料と水を確保できたら、それだけで20ポイント節約できる。さらに飲み水に困らないっていうことなら、4、50ポイント近く削減できるんだ」
飲み水に困らない、つまり、川の水を飲料水として利用するなら、ということだ。
それにボーナスポイントが加算されれば、得られるポイントはさらに多くなるだろう。
「俺はそれでいいと思うぜ。120ポイントから、俺らが頑張ればどんどん増えていくってことだろ?やろうぜ」
開始時に300ポイント全て残す気でいた池とはまるで別人。この現実的な策を受け入れた。幸村の方も、池が折れたことで納得せざるを得なかったようだ。
その後も、平田の意見に異論が出る様子はない。これには、平田の言葉選びの上手さも効果を発揮しているだろう。
マイナスの面から伝えて、最後にプラスの面を一気に知らせる。そういう順番にするだけで、人が抱く印象は大きく変化するのだ。
「そうだ平田、ちょっと確認……」
綾小路が平田に声をかけようとしたが、活発な話し合いが行われている今、そこに入り込む隙はない。
恐らくCクラスの伊吹のことを伝えようとしているんだろう。今は平田に言うのは無理だと判断したのか、遠くからこちらを傍観していた伊吹の方へ歩いていった。
「聞きたいんだけど、川の水を飲んでもいいってやつ、手を上げてくれないか?」
池がそう呼びかける。どうやら話し合いの話題が次に移ったようだ。
様子を伺っていると、少数の女子と約半数の男子は手を上げている。
だいぶ前、池は川の水を飲んでいた。もし飲んだらまずいものが川に入っていたら、すでに体調に何らかの変化が訪れていてもおかしくないはず。しかしそんな様子は見られない。結果的に池が実験台となって、川の水の安全性を高めたことになる。
川の水は信頼しても良さそうだな。
俺もすっと手を上げた。
「さっき健が言ってた沸騰させるって話、悪くないと思う。怖かったら、まずはそこから始めてもいいんじゃないか?」
池がそう言うと、さらに6人ほどの手が上がる。
篠原も渋っていたようだが、自信なさげながらもゆっくり手を上げた。
そして最終的に、堀北と綾小路以外全員が挙手するという展開が出来上がってしまった。
それに気づいた2人も面倒くさそうにしながら手を上げた。視線が集まるのが不快だったのか。
「みんなありがとう。ただ、いきなりはやっぱり厳しいと思うから、まずは今日の分の水を買いたい。ペットボトルも再利用できるしね。いいかな?」
平田の声に、皆一様に頷く。
「池くん、お願いだ。これから力を貸してくれないかな?キャンプ経験を生かして、僕らを手助けしてほしい」
「……まあ、どうしてもっていうなら」
「ありがとう!」
これで、Dクラスには池という手札が本格的に加わった。かなり強力だ。
その後の話し合いでは、シャワーと釣竿、調理器具などを追加で購入することが決定。話の流れの中で、平田がシートの保冷効果についても説明してくれた。
追加での支出はあったが、クラス全員が川の水で我慢することを決定したことで、最低ラインよりは少し多めのポイントが期待できそうだ。
「あのさ。そこにいる子って、確かCクラスの伊吹さん、だよね?」
1人の女子生徒が尋ねる。
「えっと、なんかクラス内でトラブルがあったらしくてさ……」
事情を少しだけ知っている山内が説明する。
「そっか。それはいい判断だね。困ってる子は放って置けない」
「で、でも平田くん、あの子スパイかもしれないよ?」
「あ、そっか、リーダー当てるってルールが……」
山内は、そこでようやくリスクに気がついたようだ。
「それも確かめよう。綾小路くんと速野くん、いいかな?」
伊吹と関わった俺たちが呼び出される。佐倉が外されたのは平田の配慮だとしても、山内が外されたのは……交渉には向かないと判断されちゃったんだろうか。
伊吹が座り込んでいる場所に向かい、まず平田が話しかける。
「ごめん、少し時間いいかな?」
「邪魔だろ私は。今まで居座ってて悪かったな」
「そうじゃないよ。……話を聞かせてもらえないかな?力になりたいんだ」
「話したところでどうにもならないことだってあるだろ。それに、これ以上作戦が筒抜けになるのも嫌じゃないのか」
伊吹には先ほどの俺たちの話が聞こえていたらしい。
「もしも君がスパイなら、自分から追い出されるようなことはしない。違う?」
「とにかく、これ以上世話になるつもりはない。私は自分で寝るところを探すだけだから」
意地でもここに残るもりはないらしい。よっぽどクラス内での揉め事がひどかったのか。
「女の子が1人で野宿なんて危険すぎる」
「危険でもそうするしかないんだ。私を助けて何になる?」
「損得は関係ない。困ってる人を助けたいだけだよ」
そう言い、笑顔を向ける平田。こいつは本気でそう思ってる。眩しすぎるくらいだ。
「……クラスである男と揉めて叩かれた。それで追い出されただけだ」
言いながら、苦々しい表情を浮かべる。これは本当のことのようだ。
「ひどいな。女の子に……」
「これ以上詳しくは話さない。じゃあな」
「ちょっと待って。事情はわかった。クラスの子に君を置いてもらえないか頼んでみるから、少し時間をくれないかな?」
そう言うと、平田は俺を連れてDクラスのみんなに確認を取る。
結果、クラスの7割ほどは賛成した。平田は喜んでそれを伝えに行く。
と言っても、クラスのみんながみんな善意からというわけではなかった。伊吹がずっとここに留まることで、Cクラスは点呼のたびに5ポイントを吐き出す。最終日まで続くとしたら、60ポイントを失うことになる。そう言うリターンも勘定に入れた上での納得だった。
やがて日が暮れ、夕食の時間。今日の分の食料はさすがに購入するしかなく、手元には栄養食と飲料水がある。
俺含め一部の男子生徒は川の水を飲んでいる。平田の提案で、飲料水を川で済ませる人の分のペットボトルは川に入れて保存し、冷やしておくことにした。川には、まだ未開封のペットボトルが10本ほど浸されている。
伊吹は、櫛田から手渡されたものを食べていた。櫛田たちはグループで分け合うことにしたらしい。
「馬鹿じゃないのどいつもこいつも。お人好しすぎ」
そんな反応を示す伊吹。平田と櫛田は、クラスに1人2人はいるお人好しという人種だ。以前も言った気がするが、俺はどうしてこの2人がDクラスにいるのか全く理解できない。
「なんかさ、女子のグループってかなりはっきりしてるよな」
女子の方を見ていた山内が言った。
女子グループは大きく分けて五つ。軽井沢グループ、櫛田グループ、篠原グループ、で、単品で堀北、佐倉。後ろ二つに関してはグループですらないが、まあ、独立しているということで。
男子は円になって食べている。夕飯が配られる直前にその場にいなかった俺は円から若干外れてるが、そこに隔たりらしきものはなかった。
男女の特性の違いというやつだろう。
そんな風に考えながら、男子が形成している円を俯瞰した時、あることに気づいた。
「……高円寺は?」
「あれ、そういやいないな」
俺の左前にいた池が反応する。
「ああ、高円寺なら先ほど体調不良でリタイアして船に戻ったぞ。つまりお前らは30ポイントマイナスだ。高円寺には、船内で治療と休養が義務付けられた」
「「「はあああ!!!???」」」
「何考えてんだあいつ!!」
悲鳴とともに、幸村が地面を蹴り上げる。
勝手にリタイアするのは想定外だった。あいつにとっては一月3000ポイントの損よりも、このバカンスを満喫することの方が魅力に感じたのか。
それとも、この森に対する興味は既に失われたのか。
その日の夜、堀北や平田の判断で更新のタイミングをずらし、次の更新時刻が翌朝8時の点呼のタイミングと重なる時刻に設定した。つまり日付が変わる直前。
一応そこにも立ち会ったが、俺はしばらくの間起き続けた。
地面固くて寝られたもんじゃないし。
まあ、夜遅くまで起きたことである程度成果もあったが。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「……やの、速野!起きろって!点呼だぞ!」
「……ん?」
身体中が痛む、最悪の目覚めだった。
須藤に叩き起こされ、テントの外に出ると、既にクラスの大半が一ヶ所に集まっていた。
茶柱先生が呼ぶ順に返事をして、確認していく。この時点でCクラスは5ポイントを失っているはずだ。
点呼を終え、各々自由行動を開始する。
俺はひとまず川の水で顔を濡らし、就寝中にかいた汗を拭き取り、その後歯を磨いた。
支給された歯ブラシセットなどをバッグの底を覆うようにして片付けていると、突然の来客があった。
「ずいぶんと質素な生活してんなー。さっすがDクラス」
ポテトチップスやジュースを口に入れながら、馬鹿にしたように言う男子生徒2人。
それは以前、須藤の事件で関わったCクラスの小宮と近藤だった。
そこに行って見てみると、2人と一瞬目が合ったが、すぐに逸らされてしまった。まあ、色々あったしな。
「龍園さんからの伝言だ。バカンスを満喫したかったら、今すぐ浜辺に出てこいよ。こんな草や虫食ってるような生活が嫌になるような夢の時間を共有させてやるから」
突然出てきた、『龍園翔』の名前。俺はそいつについてほとんど情報を持っていないが、以前、「Cクラスをまとめているのは龍園という男だ」と誰かが話していたのをたった一度だけ耳にしたことがある。
その後10分ほど、地面にポテチをわざと落としたりして俺たちに対して嫌がらせを続けた2人は、人だかりができ始めたのを引き際と見て、立ち去って行った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「速野くん、少しいいかな」
「ん……?なんだ」
綾小路と堀北がCクラスの様子を見に行った後、突如として平田から声をかけられた。
「昨日してくれたシートのアドバイス、凄く役に立ってるみたいだ」
平田の指差す方向を見てみると、トイレ用のシートをタオルがわりに使っているクラスメイトが多数見受けられた。
「そりゃよかった」
「速野くん。クラスがこの1週間を乗り切るために、君の知恵を貸してほしいんだ。お願いできるかな?」
一瞬迷ったが、まあいいか、とすぐに返事する。
「別に構わない。気づいたことがあったら、俺が言える範囲でお前にも共有するよ」
「ありがとう!助かるよ」
すんなり返事を貰えるとは思っていなかったのか、少し大きな喜びようだった。平田の中で俺がどんな人となりをしているかは知らないが、今のは不自然だったか?
「なあ、早速いいか」
「なんだい?」
「寝るとき、地面が固くて痛いんだ。それを改善したいんだが」
昨日は全員色々疲れて熟睡だったが、快眠とまではいかなかったはずだ。満足に疲れを取るのは難しいだろう。
「それについては僕も考えてたんだ。昨日速野くんが言ってた、ビニールも何かに利用できないか、って考えを軸にね。そこでなんだけど、テントの下にビニールを大量に敷き詰めてクッションの代わりにする、っていうのはどうかな」
中々いい案だ。俺もそれに賛成の意思を表明する。
「いいと思うぞ。ただ、ビニールの中にシートをまとめて詰めて、それを敷き詰めた方が柔らかさは増すと思う」
折角無制限なんだし、色々活用していかないとな。
「そっか……それがいいかもしれない。あとで皆にも提案してみるよ。意見ありがとう。これからもよろしくね」
「ああ、わかった」
そう言って、平田はみんながいる場所に駆け出していった。
一応、平田からのある程度の信頼は得られた、ということか。
悪い気はしないな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
午後3時を回ったころ、俺はベースキャンプを離れ、浜辺に向かっていた。
今朝の2人の口ぶりからして、Cクラスは浜辺付近に陣取っているようだし。その方向なら、昨日通った道を辿ればいいだけだから覚えている。
そこを迷うことなく歩いているうち、後ろから佐倉が追ってきていることに気づいた。
「どうしたんだ?」
「はあ、はあ……ど、どこに行くのかな、って……」
「ああ……朝、Cクラスの奴らが浜辺に来いって挑発してきただろ。だからそこに向かってる」
挑発に乗っかるみたいで癪ではあるが、俺も個人的に気になっていたので行くことにした。
「そ、その……私もついていってもいい、かな……?足手まとい、だけど……」
少し申し訳なさそうに佐倉が言う。
「足手まといって……俺は別にそんなこと思ってないけど、じゃあなんでついて来るんだ?」
「っ……」
少し棘のある言い方になってしまった。佐倉は怯えたような、不安そうな表情を俺に向ける。
「あー……悪い。別について来る分にはいいんだけどな。ただ森の中は足場悪くて危ないし、何も面白いことはないと思うぞ?」
「そ、そんなことないもんっ!!」
佐倉の予想外の反応に少し驚いてしまった。
「あっ、そ、その、そういうことじゃあぁ!!うわああーっ!」
「……」
こんなテンション高めな佐倉を見たのは久しぶりだ。以前須藤の件で証言する前日に、佐倉に部屋に呼ばれた際に見た以来。正直見ててちょっと面白い。
なんだ、こいつそんなCクラスの様子気になってたのか。
「……じゃあ、行くか?」
「う、うん……」
顔を真っ赤に染めながら頷く佐倉。
置いて行くわけにもいかないので、歩くスピードを少し落とす。佐倉も頑張ってついてきていた。昨日よりは危なっかしさが取れている。
そこから数分歩いて、目的地の浜辺に出た。
そこにあったものは。
「なんだあれは……」
Cクラスは、文字通り豪遊していた。
遊び呆けている奴らだけではなさそうだったが、遠目から確認できるだけでも、水上スキー、バーベキュー道具、パラソルなど、今朝のセリフ通り、このバカンスを満喫しているようだった。
「す、すごいね、どうやって……」
それは言うまでもない。買ったんだろう。クラスのポイントで。
俺は茂みに隠れながらさらにCクラスに接近する。すると、段々中の詳しい様子が見えてきた。
木陰に立てかけられている大量の釣竿。仮設トイレは3台、シャワーは4台。の割に仮設テントは1台しか購入しておらず、そこには人ではなく日光よけのターフに守られた大量の栄養食が保存されていた。おそらく、あれだけで2日分ほどはあるだろう。
「佐倉。悪いけどここで隠れて待っててくれないか」
「え?」
「頼む。すぐ戻るから」
「う、うん……速野くんが言うなら」
佐倉の了承を得て、俺はさらに近づいた。
しかし相変わらず足場は悪く、少しよろけてしまう。それが悪かったのか、俺は立てかけられていた釣竿を数個倒してしまった。
「やべ……」
左手でグリップの部分を持って一つずつ立て直す。
「何をしてるんですか」
その最中、女子生徒に声をかけられた。
綾小路とは違ったベクトルでつかみどころのないその女子。少し垂れ目で、雰囲気はかなり大人しそうだ。
「今朝、Cクラスの生徒に浜辺に来いって言われたから来ただけだ」
「あなたは今、この釣竿を倒しました。他クラスへの妨害行為にあたると訴えてもよろしいですね?」
無表情のまま、脅しのように言ってくる。
恐らく訴えられても何もないだろう。だが、言い切ることは出来ない。
「……そりゃ困る。勘弁してくれ」
「では、今すぐ立ち去ってください」
「ああ、そうさせてもらう」
言われた通りに立ち去ると、その女子生徒は左手に無線機を持った男と何事か話していた。
すぐに佐倉のいる場所に戻る。
「悪い、少し話してた」
「う、ううん、大丈夫……何、話してたの?」
「ここで何してるんだ、って言われてな」
佐倉に釣竿を倒してしまったことも、軽く脅されたことも合わせて伝えておく。
「た、倒しちゃったんだ……それって大丈夫なの?う、訴えられたら……」
もしそうなれば、佐倉はまた俺についてきていた人間として証言しなければならない可能性が出てくる。恐らく佐倉はそれがこわいんだろう。
「いや、多分あいつらは訴えてこない。前回、Cクラスが妙なタイミングで訴えを取り下げたことは教師の頭にも入ってるはずだし。今回に関しては向こう側が不利になるはずだからな」
それに、今朝のCクラスの挑発行為や、ポテチを落とすなどの環境汚染の行為にあたるかもしれない案件がこちらにはあるのだ。Cクラスが訴えるメリットはほぼないだろう。
まあ、向こうも訴えられたとしても痛くもかゆくもないと思うけど。
「でも、これでどうしてCクラスが伊吹を連れ戻しにこないかわかったな」
「え?えっと……ど、どうしてなの?」
「ほら、先生言ってただろ。ポイントがゼロになったら、それ以降はマイナスにならないって。あの様子だとCクラスは多分、今日までにほぼ全てのポイントを吐き出してる」
意味を理解した佐倉が、驚愕の表情を見せる。
「そ、そんな、じゃあCクラスはこれからどうやって……」
佐倉に問われて少し考えたが、案外すぐに答えは出た。
「多分、ほぼ全員リタイアするんだと思うぞ。そうすれば船に戻れる」
「そ、そっか、そういう……」
ポイントを全て使ってビーチで夏を満喫した後は、豪華客船でのんびり過ごす。これで完璧なバカンスの完成だ。多分高円寺も今頃……はあ……
本当の体調不良でなくても、仮病でもなんでも使えばいい。ストレスに耐えられない、とか。そうすれば学校側は仮病かどうか判断がつかず、たとえこの特別試験で生活態度のモニタリングを行なっていたとしても個人の評価は下がらない。
それに、外傷があれば堂々とリタイアできる。
だから俺はずっと疑問を抱いていた。
なぜクラスを飛び出した伊吹は、とっととリタイアせず、野宿をすると言ってまでこの島に残ろうとしているのか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日が暮れる直前、俺は出先から戻ってきた。
ああ、もちろん1人で。アイアムアぼっち。
ベースキャンプでは、平田が俺の案を取り入れ、シートを詰め込んだビニールをテントの下に敷き詰める作業を行なっていた。
作業が終わった女子用テントから声が聞こえてくる。
「これすごい寝やすいよ!」
「ほんとだ、ふかふかー」
完成後のテントから歓声が上がる。
完成後の歓声。あら、今日は氷河期かしら。
そんなことを考えていると、突然肩を突かれた。
「ん?」
「ねえ、一つ聞くけれど、この試験中、あなた一之瀬さんに会った?」
俺の後ろに立っている堀北がそう聞いてくる。
「は?……なんで」
「今日、Cクラスの様子を見に行ったついでにAとBのベースキャンプにも足を運んだのよ。その時、Bクラスの一之瀬さんは、あれと似たような方法で地面の固さの問題を解決していたの」
「俺は会ってないし、ビニールを使ってクッションがわりにするのをはじめに思いついたのは平田だぞ。シートを敷き詰めるのは俺が提案したが」
「……彼がそんな提案を?」
「ああ」
どうやら堀北は、平田の能力を低めに見積もっていたらしい。
にしても、一之瀬もやっぱり工夫してたか。堀北から偵察の成果を聞いていると、大体Dクラスの上位互換といった感じだ。
「それから、Bクラスにも、Dクラスと同じようにCクラスの生徒が1人いたわ」
「Bにも?」
まあ、一之瀬が見捨てるわけはないか。あの性格だもんな。
その後、CとAの様子も報告しあい、数分後に別れた。
俺はその日の夜、10時ごろに散歩に出かけた。
少し長い間いないかもしれないが、心配しないでくれ、と平田に付け加えて。
これからは1週間に一度更新を目標にします。
感想、評価お待ちしております。
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ep.26
では、どうぞ。
「綾小路、どっか行くのか?」
3日目の、太陽が南中する1時間ほど前だろうか。綾小路がベースキャンプを離れようとしているのを見つけ、声をかけた。
「高円寺が一昨日、思わせぶりなこと言ってたから佐倉のハンカチで目印つけただろ。そこに行くんだ」
「ああ、あそこか」
そういえば、佐倉のハンカチはそこに放置されたままだったな。回収も兼ねて、ということだろうか。
「お前も来るか?その方が助かるんだが」
「え?あー……」
少し迷うが、特にやることもないし、まあいいだろう。俺も高円寺のあのセリフは気になっている。
「分かった。一緒に行く」
「あ、あの……私も一緒に、いいですか?」
後ろから、肩で息をした佐倉が言った。
ハンカチは佐倉のだし、拒否する理由はないな。
「ああ、いいぞ」
「あ、ありがとう」
足場の悪い土の上を歩きながら、少し考え事をする。
四月から今までの流れを。
怠惰を続けたDクラス。藤野の存在。支給ポイントの裏。Cクラスの策略。佐倉の一面。操られていた堀北と俺。操っていた綾小路。そして今。
俺は今も、隣にいるこいつの手のひらの上なのか。こいつの手のひらの上にいることは、俺にとってプラスになることなのか。
……いや、考えるまでもないな。
綾小路の中で、俺は既に完全に手駒。そして現時点で、それに反発する必要性は皆無。それが結論だ。
「そういえば……あの男、事件の後退職したらしいな」
綾小路のそんな声が耳に入る。
佐倉、いや、アイドル雫の熱狂的なファンで、ストーカーに化けてしまった家電量販店の店員。あのまま業務が正常に続けられるとは思っていなかったが、退職したというのは初耳だ。
「あの時はありがとう……綾小路くんと速野くんのおかげだよ」
「いや……俺は何もしてない。感謝なら一之瀬や櫛田に」
俺がしたことといえば、事件の現場で変なタイミングで金属音鳴らしたくらいだ。
「あれから何も起こってないよな?」
「大丈夫。今はブログの方も止めてるから」
ブログの方は、外部とつながりを持つこともできる。佐倉の判断は賢明だろう。
ちなみに外部とのつながりができるのはネットだけだ。俺らが持っている端末は、この学校の敷地内にいる人としか連絡先が交換できないようになっているらしい。
それ以降も、綾小路と佐倉の会話に時々入りながら目的地まで足を進めて行く。
そして急に綾小路が立ち止まった。
俺はそれにぶつかってしまい、バランスを崩して倒れる。
それに驚いた佐倉も枝につまづいてこけてしまった。
「いたた……」
「いって……」
「……なんか悪い」
こんな事態は予測していなかったのか、少しキョトンとした顔で謝ってくる。
「何で立ち止まったんだ?」
「少し休憩入れた方がいいかと思ってな」
休憩、という単語で、佐倉が少し安心した表情を浮かべた。
綾小路が木の根に腰掛ける。佐倉がその隣に座り、俺はもう一つの大きめの根に腰を下ろした。
ふう、と一息ついた時、一枚の葉っぱがひらひらと佐倉の頭に落ちた。それには本人も綾小路も気づいていない様子。
俺も特に気にはしていなかった。しかし、どうも様子がおかしい。風はほとんど吹いていないのに、なぜか不自然に動いている。
それに注目していると、葉っぱが落ちた。
そして、動きの正体が判明する。
「あっ……」
思わず声が出てしまい、2人がこちらを向く。
「あっ……ついな、やっぱり」
「?う、うん、そうだね……?」
何と粗末な誤魔化し方だろう。佐倉が天然で助かった。
誰でも、あんな気持ち悪い物体がうねうね動いていれば驚いてしまう。
佐倉の頭を這っていたのは、毛虫だった。
どうすりゃいいんだこれ……直接告げたら、佐倉がパニックを起こす未来が容易に想像できる。そうなれば、今よりまずい事態になるだろう。
……バレないようにそーっと取るしかないか。
かと言って、直接手で触るのは抵抗がある。俺はそこらへんに落ちていた葉っぱを拾ってそーっと近づけ、毛虫の大量の足と佐倉の髪の毛の間に差し込む。
それは上手くいき、何とか葉っぱに乗ってくれた。
その直後。
「速野くん?」
「えっ!?あっ、いや、何でもないぞ?」
急に佐倉が振り向き、俺は毛虫の乗った葉っぱを隠す。
「?」
「……」
俺の反応が不振だったのか、首を傾げながら俺を見てくる佐倉。
そして次の瞬間。
「うわああああああ!!!!」
ゾワっという感覚が手のひらに走り、俺は奇声をあげながら全力で手をぶん回してそれを振り払った。佐倉の反応を気にしている間に、葉っぱから俺の手に毛虫が移動したらしい。なんとか毛虫はどこかに飛んで行ってくれた。
「……色々と大丈夫か速野?変だぞ」
「あ、ああ……」
この感触は……ちょっと気持ち悪すぎる。
いやな経験をした後、適当に雑談をしながら目的地に向かった。
佐倉のハンカチが巻き付けてある木を発見し、周りを見渡してみる。しかし、どこにも違いはないように思えた。
「……この近辺を3人で探してみるか。ただし、お互いがお互いを確認できない距離までは離れないように時々確認しながらな」
綾小路の提案だ。俺と佐倉も首肯し、それぞれ三方向に別れて捜索開始だ。
あの時高円寺が見ていた方向は……確かこの辺りだったな。そこを重点的に探そう。
大体の目処をつけそこに向かうと、何やら一際茂みが濃くなっている場所に来た。……ん?
それをかき分けながら進むと、その空間は周りを茂みに覆われて、何故か土の色が少し違っていた。
しかも、何か黄色の実が姿を見せている。
「これ……おい綾小路、佐倉。高円寺が言ってたのって、もしかしてこれのことじゃないのか?」
2人を呼んで、その光景を見せる。
この黄色の実は恐らくトウモロコシだろう。茂みに囲まれた中には大量に植えられていた。
「うわっ、すごい量だね……」
「トウモロコシ、みたいだな」
明らかに人の手によって植えられている。高円寺はこれのことを言っていたのだ。それを伝えなかったのはあいつの性格か……高円寺には何をやっても敵う気がしない。
試しに一本だけ引き抜いてみると、学校敷地内のスーパーの一般のコーナーで売っていてもいいような、形のいいトウモロコシが出てきた。かなり管理が徹底されているんだろう。
「鞄、持ってくればよかったね……一度には無理だよ」
そういえば、佐倉が焚き木拾ってる時に俺カバン持ってたっけ。今も持ってればなあ……
「取り敢えず、往復で取るしかないな。俺がここに残るから、2人はベースキャンプに戻って人を呼んできてくれ」
俺がそう提案すると、2人とも頷いてベースキャンプの方向に歩いていった。40分くらい後にカバンと人手を引き連れて戻ってきてくれることだろう。
ひとまず佐倉のハンカチを回収し、俺はトウモロコシの区画のその先にある大木のところに向かった。
「……もう俺しかいないから出てきてもいいぞ」
その木の裏に隠れるようにして体を屈めていたのは、藤野他2人。その2人は、初日にAクラスのベースキャンプに行ったときに弥彦と葛城と呼ばれていた男だ。
俺が声をかけると藤野は少し驚いたような表情を浮かべた後、観念したように体を上げた。
「あはは……いつから気づいてたの?」
「最初にこの茂みに入った時にお前らが隠れるのが見えた」
「かなり最初の方からだね……何でその時に言わなかったの?」
「面倒な展開になると思ったからな」
特に佐倉は、見知らぬ3人が急に現れたらあたふたするだろう。それよりはベースキャンプに戻って人を呼んできてもらったほうがいい。
「あ、紹介まだだったね。この2人は葛城くんと戸塚くん。こっちはDクラスで、私の友達の速野くん」
「Dクラス……って、スパイに来てたクラスだな!?」
「は?」
葛城が戸塚の頭をごつん、と叩く。
「すまない、この男にも悪気はないんだ。許してやってくれ」
「は、はあ……」
「それから、ここにあるものは君らが見つけたものだ。横取りするつもりはないから安心してくれ」
「ほ、本気ですか葛城さん?」
戸塚の反応はもっともだ。
「見つけたのはあんたらも同じだから、別に取られても文句は言えない。誰にも独占はできないしな」
「君らが3人で来たのは正解だったな。1人が残って見張ることができる。制度上は独占が不可能でも、ある程度のプレッシャーにはなるだろう」
「この人数になったのは偶然だけどな」
佐倉が申し出なければ、俺は綾小路と2人でここに来ていただろう。
「行くぞ2人とも」
「ほ、本当に帰るんですか?」
「ああ、俺は取らないと決めた。長居は無用だ」
少し不服そうな表情の戸塚だが、葛城の指示に従う。
「私は後から戻っていい?道は覚えてるから」
「あまりお勧めはしないぞ。道に迷うなよ」
「大丈夫だよ」
「なら、わかった」
そう言うと、葛城と戸塚はAクラスのベースキャンプの方向に歩いて行った。
「で、なんで残ったんだ?」
葛城と戸塚の後ろ姿を見ていた藤野に声をかける。
「うーん……速野くんとお話しするため?」
「それだけのためにわざわざ残ったのか……」
何かちゃんとした理由があるかと思ったら……。森の中で1人で動くことは高いリスクを伴うはずだが。
「前、速野くんに電話で相談したことあったでしょ?」
「ああ……クラスが二分されてるってやつか」
「うん。そのうちの一つの派閥のリーダー格が、さっきの葛城くん。もう1人は坂柳さんって女子なんだけど、このバカンスには初めから来てないの」
そう言えば初日に全体で整列した時、一名参加できなかった生徒がいるって言ってたな。それが坂柳ってやつのことか。
「そんなに大きく対立してるのか?」
「うん。2人ともタイプが本当に真逆でさ……葛城くんはかなり慎重な人なんだけど、坂柳さんは攻撃的でどんどん進んで行く感じ。それでどっちもすごい優秀だから、もしあの2人が和解したらすごいことになると思うんだけどなぁ……」
「そりゃ怖い……」
なんせ、対立した現状でも高いポイントをキープできているのだ。歯車が噛み合えば恐ろしいクラスになるだろう。
「お前は葛城派なのか?」
「そういうわけじゃないよ。一応まだ中立を保ててるけど……この特別試験では坂柳さんがいないから葛城くんがクラスを引っ張ってるの。それについていってる感じかな。坂柳さん派の人たちは気乗りしてない感じだけどね」
「まあいくら派閥が違うっていっても、葛城以上に優秀な奴がいなければどうにもならないからな」
やっぱりその2人が頭一つ抜けてるってことだ。
「Aクラスのベースキャンプの場所、知ってる?」
「なんだ急に?」
意図がわからず、質問し返す。
「なんとなく。速野くんなら把握してそうだなーって」
「Bクラスの一之瀬って奴は知ってて、その一之瀬から教えてもらった奴ならうちのクラスにいるぞ。一応そいつから説明は受けた」
「そっか。ガード堅かったって言ってた?」
「なんか、随分と秘密主義だったってことくらいは」
堀北がそう言っていた。
「葛城くんの作戦だからね。石橋を叩いて渡るタイプだから」
「そうなのか」
それほど慎重な男なのか、葛城は。なるほどな。
坂柳がどのような人物なのか気になるが、今はいいだろう。この場にいないんだし。
「そういえば、なんでここに?」
「葛城くんがここら辺に何かあるって思ったみたいで、私は戸塚くんに誘われて来たの」
だから少し不思議な人数構成になっていたわけか。
「じゃあ、私もそろそろ戻ろうかな。一緒に来る?歓迎はされないと思うけど……」
「いや、ここで待ってることになってるし、急にいなくなったらびっくりするだろ、あいつら」
「それもそうだね。じゃあ、またね」
「ああ」
そう言い残して、藤野は自分のベースキャンプへと戻って行く。
二分されたAクラス。葛城派としては、対立相手のいないこの無人島試験で成果を上げようと必死だろう。だがもし坂柳が妨害してきたら、クラス内から崩れてしまう事態もありうる。
クラス内に裏切り者がいるなんて、この学校は想定していないんじゃないだろうか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
午後2時。一番暑い時間帯だが、太陽は雲に隠れて少しだけ緩和されていた。
といっても、薄い雲だ。いずれ厳しい日差しが俺の身体を襲うだろう。
トウモロコシを収穫し終わり、ベースキャンプに戻って少しした後、俺はもう一度先ほどと同じ方向に足を運んでいた。
行き先はAクラスのベースキャンプ。……ではなく、その周辺。
初日に葛城が言っていた通り、船でのアナウンスと高速旋回は俺たちへのヒントだった。だから俺は崖の場所を正確に把握し、この白地図に書き出すことができた。
そして、船の上から見えたのは崖だけではない。
記憶を頼りに、Aクラスのベースキャンプがある洞窟の崖に沿って道を進んでいくと、見えづらい場所にハシゴが設置されているのを発見した。錆もなく、頑丈だ。それを伝って下に降りて行く。
そこには、いくつかの小屋が確認できた。それぞれに装置が付いており、これらが全てスポットであることがわかる。この場所は目隠しもあり、占有してもリーダーを見破られる確率は低そうだった。
この場に誰もいないことを確認し、俺は小屋の中に足を踏み入れる。Aクラスが占有しているが、中に入るだけなら違反ではないはずだ。
中には数本の釣竿があった。ポイントで購入したものには必ず付いている『貸し出し用』というシールがないことから、この場所に元々あったものだとわかる。
隣の小屋も見てみると、そこにも釣竿が5本ほど。しかしそれにはシールが貼られてあった。
「えーっと……」
俺はその中の一つ、シールの中に空気が入り込んでしまっている釣竿のシールをはがし、粘着面を確認する。
「……なるほどな」
作業を終え、小屋を出る。
船で見た景色を思い出しながら、記憶を頼りにして進んで行く。もう一度ハシゴを使って上へ登って歩いて行くと、少し大きめの施設が目に入った。
その建物にもハシゴが打ち付けてあり、伝って屋根に上がる。そこからは、浜辺を一望することができた。俺らが乗ってきた船も確認できる。だが、それ以外には何もなさそうだった。
そんなに高い屋根ではなかったので、ハシゴを使わずに飛び降りる。草原がクッションとなり、落下時の衝撃を和らげてくれた。
その後装置を確認するが、占有はされていなかった。いい判断だ。ここは開けていて、誰に見られているかわからない。リーダーを見極められる可能性が高くなる。これも葛城の作戦だろう。
「そこで何をしている。ここは俺たちAクラスが利用している場所だ」
急に声をかけられて振り向くと、2人の男子生徒が俺を取り囲むようにして立っていた。恐らくだが、俺がハシゴを使って登ってくるところから見られていたんだろう。
そのうちの1人が装置を確認する。占有したかの確認か。
「誰だお前は?」
一之瀬は俺のことを有名と言ったが、こいつには認知されていないらしい。男子生徒の1人は木の枝を喉元に突きつけてくる。だが、ここで暴力を振るうことはできない。誰かに見られれば、いらぬ弱みを握られてしまう。
もしくは、俺がここで一歩進んで喉を怪我すれば、こいつらを退学に追い込むことができるだろうか。
いや、証拠不十分だ。俺が訴えただけではどうにもならないだろう。
「Dクラスの速野だ」
「速野……そうか、お前が速野か。聞いたことがある。それで、何の用だ?スパイか?」
「なんで俺がスパイなんて」
「他クラスの場所に行くなんて、それくらいしか目的がないだろう」
「……ただの散歩だ」
「それで信じると思ったか?何か持っていないか調べろ」
そう言うと、指示を受けた1人が俺のポケットに手を突っ込んだり、服の中に何か仕込んでいないか調べてくる。
「ボールペン?……なるほど、地図か」
「返せ。略奪行為はペナルティになるぞ」
特に何もないと考えたのか、ボールペンで紙を挟み、俺の足元に放り投げた。
「もう一度聞くぞ。何が狙いだ?これはお前1人の行動か?」
「……俺が何を答えても、お前らは信じないんだろう?なら言っても無駄じゃないか」
「信じるか信じないかは、お前の答え次第だ」
別に信じられる必要はない。だが、すこし考えてから言う。
「……俺はそもそも、1人で何か行動を起こせるほど優秀じゃない。ただの下っ端だ」
「不良品の自覚はあるようだな。幸村と似たようなものか」
幸村は、学力成績で言えばAクラスの上位にも食い込む生徒だが、それ以外の性格面などに問題があり、Dクラス配属となった生徒だ。
「Dクラスはさぞかし居心地が悪いだろう。何を頼まれたかは知らないが、これ以上は余計な行動をしないことだな。ベースキャンプでおとなしくしていろ」
ずいぶん高圧的な態度だ。初対面で木の枝突きつけるところとかも含めてなんでこいつらAクラスなんだ?戸塚という生徒もそんなに優秀には見えなかったし。
「お前らは監視なのか?」
「お前には関係のないことだ。余計な真似はするなと言っただろう。ああ、それともう一つお前に言うことがある。キーカードを受け取ったリーダーが誰かを言えば、報酬を支払う用意があるぞ」
「……クラスを金で売れということか?」
「どう解釈しようがお前の勝手だが、これは早い者勝ちだということは理解しておけ」
つまり、他の奴にも同じような話を持ちかけるのか。
クラスを金で売って何になる?もしリーダーを当てられたら、俺らは50ポイントマイナス、ボーナスポイントも全没収だ。つまり合計で65ポイントほどのマイナスとなる。
そんなことをして、俺になんのメリットがあるというのだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「……分かった。言おう」
「ほう、随分簡単に売るんだな」
「さっきお前が言った通り、居心地が悪いんだよ、Dクラスは。ポイントもろくに使えず、次から次へと問題を持ってくる。と言っても、お前らの言葉を鵜呑みにするわけにはいかない。念書でも書いて形に残るようにしてくれ」
「……まあいいだろう。この紙にリーダーの名前をかけ」
あらかじめ用意していたのか、紙を俺に手渡してくる。
「……待て、まずお前ら2人の名前をここに書いてくれ。それから、リーダーの名前を書くのは一番最後だ」
「どうした。何か不都合なことでもあるのか?」
「ペナルティを設定する。その方が信用度が上がるだろう。お互い、他クラスの奴の言うことを信用できないだろ?」
話を煮詰めながら、条項を決めていく。どちらかが誤魔化すことを防ぐために、全く同じ内容が書かれた紙を2枚用意し、お互いが一枚ずつ持つ。直筆のサインで筆跡もあるし、不自然な指紋も残っている。文書を偽造しても、そこにはどちらか片方の指紋しか残らないため、誤魔化しは絶対に効かない。
そもそも、設定したペナルティ的に、嘘をつくなんてできない。いや、俺が嘘を吐くメリットをなくすためにあえてかなり厳しい条件を設定した。
「さあ、早くDクラスのリーダーの名前を書け」
「分かったよ。今のリーダーの名前は……」
いいながら、俺は名前を書き込む。
「普段は平田や櫛田が纏めてることが多いけどな」
「そんなことに興味はない。だが、あまりにもペナルティが厳しすぎないか?」
「そんなの、慣れっこじゃないか。定期テストで赤点とったら一発で退学の世界だぞ、ここは。嘘をついていなければペナルティの条項はあってないようなものだろう。それに条件的に言えばこちらに厳しくしてる」
「……まあいいか。嘘をついていればそちらが苦しくなるだけだ。じゃあ、もう帰っていいぞ」
「ああ、次は船でな」
そう言い残し、俺はその場を立ち去った。
太陽は雲から顔を出し、容赦なく照りつける。
とても貴重な条項が書かれた紙を持って、俺は堀北から聞いていたBクラスのベースキャンプに向かった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Aクラス、Dクラス学級間協定
・8月3日、DクラスはAクラス側にDクラスの現在のリーダーの名前を教え、本用紙に記述する。
・Aクラス側は、Dクラス速野知幸に報酬として合計35万ポイントを支払う。支払いに関しては、8月7日午後10時に船の屋上のラウンジに集合とし、30分以上遅刻した場合は違約とみなされる。
・本用紙の記述は、全て事実であることを証明する。もし記入の時点で内容に虚偽があった場合、偽証者は相手側に100万ポイントを支払う。
・この協定を無効にする場合は違約と見なされる。
・違約の場合、相手側に合計100万ポイントを支払う。
Dクラスのリーダー『堀北鈴音』
主人公がついにやらかしました。
感想、評価お待ちしております。
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ep.27
では、どうぞ。
俺はDクラスを裏切った。その証拠であるこの紙を誰にも見られるわけにはいかない。
どう保存しようかと考えたが、支給されるビニールにいれて地面に埋めるのが最善だという結論に至った。
だが、日中はみんなの目があるので不可能。やるなら夜遅くだ。俺はこの試験中こまめに昼寝をしているので、他のクラスメイトより眠気は少ない。
時刻が午前2時を回ったころ、俺は皆が寝ているのを確認して、隠し通していた紙を持ってテントの外に出た。
あらかじめ茶柱先生に要求していたビニールに紙を入れ、テントから離れたところ、しかし離れすぎてもいない場所を見つけ、土を掘り返す。
これくらいか、というところで手を止め、紙の入ったビニールを入れて再び土を戻した。
掘り返された跡。爪の間に挟まった土。薄汚れた手。
それは、初めて伊吹を見た時の状況と酷似していた。初日に焚き木を拾っていた周辺まで足を運ぶ。
「確か、この木だったよな……」
元から、機会を見てここは調べてみるつもりだった。大体のあたりをつけ、掘り返す。
すると、予想の範疇のものが出てきた。
「無線機か……」
これで、一つ目の謎は解決した。そして同時に、伊吹はCクラス、恐らく龍園から送りこまれたスパイであることも。BクラスにいるというCクラスの生徒も同じだろう。
二つ目の謎は、伊吹の鞄が木にぶつかった時に聞こえた鈍い音。船から持ってこられる私物の中で、あんな音が出るような固いものはない。
再び土を元に戻し、俺はみんなの鞄があるところに移動する。1人だけ色の違う鞄を開けて、中を探った。
何かを隠したい時には、底に入れるのが定石だ。カバンの底に、タオルや着替えなどで覆い隠すようにしてあったカメラを発見した。
「これか……」
木にぶつかった時の外傷もある。少し傷ついていた。恐らくこれでキーカードを撮影するつもりだったんだろうが、電源がつかない。故障しているようだ。
ただの故障か。木にぶつかったはずみで壊れてしまったのなら納得できないこともない。実際、佐倉は一月ほど前にカメラを落として故障させている。
だがもし、あの時点ではカメラは壊れていなかったとすれば、誰かの手によって意図的に壊された可能性がある。
カメラの存在に勘付くことができる人間は、あの場では伊吹を除いて4人。
俺、佐倉、山内、そして綾小路。
間違いなく俺ではない。佐倉や山内にそんな行動力はない。この故障が意図的ならば、やったのは100パーセント綾小路だ。
だが、行動の意味はわかっても、その先にある目的は全くわからない。これまでの綾小路は、やる気はないながらも、堀北の協力者という体でのらりくらりと協力してきた。堀北を利用することはあっても、ゼロから進んで行動を起こしたということはなかった。
なのに今回は完全な単独行動だ。少し様子が違っている。
綾小路に何かあったのだろうか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
試験4日目の午後。俺は綾小路と共にCクラスの現状を知るため、浜辺へと向かっていた。
「Cクラスのポイントの使い方、お前はどう見てるんだ?」
綾小路が俺に聞いてくる。綾小路の考えは、以前堀北を介して聞いている。
「お前と同じ感じだ。多分全員リタイア作戦だろうな」
浜辺に出ると、この前までのお祭り騒ぎは何処へやら、ガラーンとしていてほとんど人はいなかった。まだ数人リタイアしていない生徒がいるようだが、恐らく今日までにはリタイアするだろう。一応身を隠しながら光景を見つめる。
「いやー、ほんとびっくりだよ。ここまでやるなんて。神崎くんの言ってた通り、リタイア作戦かもね」
「お前らも偵察か?速野、綾小路」
後ろから声が聞こえたので振り向くと、そこにはBクラスの一之瀬と神崎が立っていた。
一応偵察だが、この場では何も言わないほうがいいか。
「俺らは探索係だ。食べ物探してたら、たまたまこっちに出ただけだ」
「そっか。Cクラスのリーダーくらい当ててみようかと思ったんだけどねー。これじゃ無理かな。全員リタイアなら、リーダーも何もないもんね」
というかそもそも、Cクラスはポイントを全て吐き出している。リーダーを当てられたとしてもペナルティは何もない。Cクラスが本当に全員リタイアしているなら、だが。少なくとも伊吹とBクラスの金田はリタイアしていないわけだし、そいつらがリーダーである可能性は捨てきれない。俺らがまだ見つけていないスポットがあって、夜にそこを更新しているのかもしれないし。
「あんまり褒められたことじゃないけど、この作戦、結構すごいよね」
「奇抜な発想だが、思い立っても実行しないことだ。ポイントをプラスに持っていくことを放棄した時点で龍園の負けは決まっている」
神崎がそう主張する。
「この件はあんまり関わらないほうが良さそうだね」
「手堅く試験を乗り切るのが正解らしい」
「うん。私たちには地道なやり方があってるよね」
そんな会話を繰り広げるBクラス2人。それは嘘か本当か。地道な作戦はマイナスにならないことに強く効果を発揮するが、プラスに持っていくことに関しては向いていない。BクラスとAクラスのクラスポイントの差は大体300ポイント強。この差を詰めるには、地道な作戦だけでは絶対に不可能だ。どこかでダッシュをかける必要がある。
どのタイミングで、かは知らないが。
「一つ聞きたいんだが、Aクラスの葛城と坂柳って仲が悪いのか?」
「うーん、仲が悪いっていうか、クラス内で対立してる感じだね。それがどうかしたの?」
昨日藤野から聞いた話と同じような内容の会話が聞こえてくる。聞き流してもいいだろうと判断し、俺は遊び終わってリタイアしようとしているCクラスの生徒に目を向けた。
こちらには気づいていない様子だ。だが、気づかれたところで何もないだろう。残っているのは不要な遊び道具とテントだけだ。向こうとしても既に見られて困るものなんてないだろう。
強いて言えば、何もないことこそが一つの答えにつながっているのかもしれないな。
「俺たちもそろそろ戻る。手ぶらで帰ったらどやされそうだからな」
「うん。怪我には気をつけてね?」
「分かった」
「じゃあ、また今度」
そうして4人はそれぞれ自分のベースキャンプへと戻っていった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
以前にもいった気がするが、俺はこまめに昼寝をしている。この試験を乗り切るためには、体力温存は必須だと考えているからだ。
だが昨日はそれをし過ぎたのか、午前4時ごろに目が覚めて以降、ほとんど眠ることができなかった。
そのため2日目の朝とは違って意識は覚醒しており、やけに怒気を含んだ女子の声もすぐに耳に飛び込んできた。
「ちょっと男子、集まってくれる?」
第一声、恐らく篠原のものと思われる声に反応した男子は1割ほど。他の男子は深い眠りについている様子だった。
しかし女子に声はそれに続き、さっさと出てこいだの何だの、穏やかではない口調で男子テントに向かって言ってくる。
いい加減うるさくなった俺はテントの入り口のジッパーを開ける。平田も起き出して同じタイミングで外に出た。
「どうしたの?」
「あ、平田くん……悪いんだけど、男子全員起こしてきてもらえる?」
篠原が申し訳なさそうに平田に言う。
女子たちは、こちらを強く睨んでいた。やはり怒りが含まれている。
平田の声かけに応じ、目をこすりながらぞろぞろと男子が出てきた。
「こんな早朝にどうしたんだい?」
「ごめんね、平田くんには関係ない話なんだけど……今朝、軽井沢さんの下着がなくなってたの。これ、どういうことか分かる?」
「え、下着が……?」
「今、泣いてる軽井沢さんをテントで慰めてる……」
一瞬視線をテントに向けた篠原だが、すぐに男子たちに戻し、強く睨みつける。
「え、なに、俺たち疑われてんの!?」
「当たり前でしょ。どうせ、夜中に誰かが荷物を漁って盗んだんでしょ?荷物はテントの外にまとめてあるから、誰にでもできたわけだしね!」
「いやいやいや、え!?」
池は大慌てだ。
「そういやお前、遅くにトイレに行ったよな、結構長かったし……」
「いやいや、あれは暗かったから苦労しただけだって!」
「ほんとか?」
「マジだよ!」
男子の中でもなすりつけ合いが始まる。
「とにかくこれ大問題だと思うんだけど?下着泥棒がいるなかで一緒に生活とかありえないし」
「だから平田くん……犯人、見つけてもらえないかな?」
「でも……男子が犯人だって証拠はないんじゃないかな。紛失しただけっていう可能性もあると思うし」
「そうだ!俺らは犯人じゃねえ!」
必死で無実を主張する男子一同。
「平田くんが犯人じゃないのは分かってるけどさ……取り敢えず、男子全員の荷物検査させて」
女子たちは一貫して男子を疑っている。もちろん、それが自然だ。
「は?意味わかんねえし。断れよ平田」
「取り敢えず、男子で集まって話してみるよ」
「ちょっと待ってくれ」
俺は、自分の意見を言うことにした。もちろん、これは俺が苦手としている行為だが、この場ではそうした方がいいと判断した。
「何よ」
「荷物検査をするのには反対しない。でも、もし平田のバッグから出てきたらどうする?」
「は?馬鹿じゃないの?そんなことあるわけないでしょ」
「決めつけるなよ。俺だって平田が犯人だなんて思ってない。仮定の話だ。いいから少し考えてみてくれ」
「そんなの、平田くんに誰かがなすりつけたに決まってるでしょ。……」
「そうそう、そういう可能性もあるんだよ。だから荷物検査をして誰かの鞄から出てきたとしても、犯人の特定はできない。それを理解してくれ」
「何よそれ。あんたが自分で盗んで、自分のバッグに入れたのを誤魔化すために言ってるだけなんじゃないの?」
やっぱり聞く耳を持ってくれないか……
「勿論、その可能性もあり得る。そういうのも含めて、全員が平等に犯人の可能性があるってことだ」
「とにかく、荷物検査はさせてもらうから」
「ああ」
それで見つかるなら見つかるでいい。だが、平田はもし誰かのバッグから見つかってもそれを言わないんじゃないだろうか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「さっきはありがとう、速野くん。女子たちもあれで少し冷静になれたと思う」
「あ、ああ……そんなに変わってないと思うけど」
見方によっては、疑いの目を全員に広げたというのもまた事実な訳だし。
「それでも、助かった。……実は、綾小路くんが軽井沢さんの下着を持っていた」
「は?」
「でも綾小路くんが言うには、池くんの鞄から下着が見つかって、自分が押し付けれてしまったらしい」
荷物検査の時にあそこら辺がもたついてたのはそれが原因か。
「そうなのか……で、お前はそれを信じたのか?」
「綾小路くんには犯人探しを頼んだんだ。頑張ってくれると思う」
なるほど、いい手だ。
俺もああは主張したが、誰かが持っていたとすれば、必然、その誰かが犯人である可能性は高く想定される。綾小路が犯人である場合は、犯人探しをさせることで再犯の抑止につなげる。犯人でなかった場合には、単純に信頼して探偵役を頼んだという形にできる。どちらに転んでもいいようにしたわけだ。
直接的な表現はしなかったが、平田は綾小路のことを全く信用していない。
「お前はそれを誰にも言わないつもりだったんだろ。なんで俺に話した?」
「それは……1人では無理だと思ったから。君が協力してくれたら本当にありがたいと思ったんだ」
と、ここで考える。平田は俺の裏切りに気づいているのかどうか。
昨日、紙は小さくたたんでポケットに入れ、バッグを開ける自然な流れでそっと忍ばせた。見つかるタイミングはなかったはずだ。
だとすれば平田は、俺のことを単純に信頼しているのか。
「疑われてることは気に食わないし、勿論協力する。でも、あんまり期待はしないでくれ」
「ありがとう。協力してくれるだけでも嬉しいよ」
信頼されているなら、それに答えておかないとな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
女子たちの主張によって、平田と綾小路、そして俺が女子用テントの場所を男子から遠ざけた。
当初の予定では平田だけが協力する予定だったのだが、堀北の謎の推薦によって俺と綾小路も手伝わされることとなった。その時にむっつりスケベだの人畜無害だの言われたが、気にしない気にしない……気に、しないっ……!
「堀北。そんなところで何してるんだ?」
作業を終えて一息ついたところで、日陰に突っ立っていた堀北に声をかける。
「見ての通りよ。何もしていないわ」
「なら、食糧の探索に付き合ってくれないか。声かけやすい状態なの、お前しかいなくてな」
普通なら綾小路を誘うところだが、あいつは作業を終えた後数分経ってからテントに引っ込んでしまったため、声をかけづらかった。
「……別に構わないけれど」
「助かる。平田に頼まれててな」
了承を得て、森の中に入る。相変わらず湿度が高くて不快だ。足場は悪く、隣の堀北は早々に肩で息をし始めている。
「下着泥棒の件、お前はどう考えてるんだ」
「男子が犯人である可能性が高いことに間違いはないわ。けれど、決めつけることもできない。 軽井沢さんは女子のリーダー的存在だけれど、恨まれやすい性格でもあるわ。女子が怨恨でやった可能性もある。あるいは彼女、伊吹さんがクラス内の撹乱を狙ってやった可能性も否定しきれないわね」
「まあ、そうなるよな」
女子は男子が犯人である可能性を相当高く見積もっているようだが、残りの2つの可能性も捨ててはいけない。というか、男子が犯人で、動機が変態的な理由なら、わざわざ荷物の中に隠さないだろう。荷物検査や身体検査が行われるであろうことは想像に難くないはずだ。
「……あなたにも報告しておくわ」
「は?何をだよ」
ここで話題が切り替わる。
「あなた、テントを持ち上げた時に何か感じなかった?」
「テント?……さあ、3人で運んでもやっぱり重いなーとしか思ってなかったから……」
「テントを運ぶ直前、女子がテントの入り口を閉め切ったのは分かったわよね?」
「あ、ああ、なんか慌ただしかったな……」
閉めるから近づかないで、中見ないで、などなど色々言われた。俺はただ単にこの件の反動で男子の視線に過敏になっているだけだと感じていたが、堀北の口ぶりからしてそうでもないようだ。
「あの中には、軽井沢さんたちが勝手に購入したものがあるのよ。勿論、女子用テント両方にね」
「は?マジで?」
「ええ、私が見た時には全てが揃った後だった。綾小路くんにもこのことは言ったけれど、あなたたちの反応からして平田くんは男子には情報を共有していないようね。だから彼は信用ならないのよ」
予定外の出費だ。堀北の話によれば、テント2つ分で8ポイント。もし平田が床の件を解決していなければ、恐らくフロアマットまで購入されていただろう。
だが、別に平田は悪意があって隠したわけではないだろう。事実、下着が見つかったという情報もまだ女子には通達していない。混乱を避けるためのあえての黙秘。だが、堀北はそれが気にくわないらしい。
「俺に話したのは、協力して欲しいってことか?綾小路がいるなら俺はいらないと思うんだけど」
「ええ、あなたの優先度は、私の中では綾小路くんより下ね」
「そうですか……」
「でも、クラスの中ではその次に信用しているわ。消去法だけれどね。だからあなたをテント移動の手伝いに指名したのよ」
「面倒なことを……」
堀北の中での信頼度が比較的高めだというのは素直に喜べることだが、そのせいで億劫な作業が俺に回ってきたのは少し腹立たしかった。
「……あなたは今回、何もしていないの?」
「は?なんだそれ」
「須藤くんの件では綾小路くんと共闘して色々やっていたんでしょう?」
「いや別に共闘なんてしてないけど……俺たちはただ利用されただけだ」
「普通、自分が利用されてるなんて気付かないわよ。あなたはそれでいいの?」
何度か自問自答してきた質問が堀北からも飛んでくる。
だが、俺の答えは変わらない。
「今の段階で綾小路はクラスにとってマイナスになることはしないだろ。なら別に、変なプライドで抵抗するより、利用されてたっていいんじゃないか」
「……そういう考え方もあるのかしら」
「まあ、あるんだよ」
プライドが高い堀北には理解しがたいものがあるのかもしれないが。
その後食べ物を見つけたはいいものの、少し道に迷ってしまい、1時間半ほどかけてなんとかベースキャンプに戻ってくることができた。
「はあ、はあ……あなた、方向音痴なの?」
「悪かったって……でも、お前も道把握してなかっただろ」
「あなたが探しに行こうと言ったんでしょう……?」
「……まあそうだけどさ」
とにかく、うまく戻れてよかった。
「汗流してこいよ。だいぶ疲れただろ」
「言われなくてもそうするつもりよ……はあ……」
よほど疲れたのか、堀北の足取りはおぼつかなかった。まあ、色々険しい道引きずり回したからな。ゆっくり休んでくれ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「うわああああああ!!!」
誰かの叫び声で飛び起きた。周りを見渡すと、どうも声の主は綾小路らしい。こいつこんな声も出るんだな。まあ俺も同じような叫び声出したけど。あれは本当に思い出したくない感覚だ。
腕時計を見ると、二度寝している時間もなさそうだ。テントを開けて外に出る。
「これは……」
「夜中、少し降ったみたいだな」
隣で綾小路がそう呟く。テント付近には小さな水たまりがてきている箇所もあった。そして今も曇っている。かなり厚い雲だ。6日目にして、いよいよお天道さんも機嫌を悪くしてきた。暑さはある程度緩和されるだろうが、湿度が高くなるせいで不快感は増すだろう。
程なくして点呼を終え、それぞれやるべきことに取りかかる。最優先事項は食糧の確保だ。それぞれ班に分かれて行動する。
俺が配属されたのは、綾小路、堀北、山内、佐倉、櫛田のチームだった。
「櫛田、このグループでよかったのか?」
「あー、えっと、うん。ちょっとね」
俺の問いかけに対して、少しばつが悪そうな反応を見せる櫛田。仲違いとは思えないし、男子には言えない、または言いにくい事情なんだろうか。
だが、それでも不可解だ。こんな余り物グループの他には櫛田と仲のいい人物が固まっている班があるはずなのに、それをしていない。
というかそもそも、櫛田は初日にも不可解な行動を取っていた。
「堀北さんとは旅行中ほとんど話せてないから、おしゃべりしたいなーって」
どうやらそんな理由らしい。お互い嫌い合っていながら、櫛田はグイグイ行く。この2人の関係はよく分からない。
「伊吹、お前も一緒に来ないか?」
出発の直前、綾小路は伊吹に声をかけた 。
「私……?」
「嫌なら無理強いはできないが……」
「……Dクラスには助けられた恩もあるから、分かった。手伝う」
そうして伊吹の加入も決定。女子が増えたことに、山内はテンションが上がっているようだった。こいつのこれはスルーするとしても、何がしたいんだ、綾小路は。
山内は機会があれば佐倉に話しかけているが、その度に佐倉はどんどん離れて行く。だからそんな目でそんな方向見るからだっつの。人に話しかけるときは胸じゃなくて顔を見なさいって教わらなかった?
「少し急いだ方が良さそうね。雨雲が近づいてるわ。予想より早く雨が降るかもしれない」
腕時計にはコンパスの機能も付いており、それをもとにすると雨雲は南西の方から来ている。堀北の言う通り、あまり時間はかけられないだろう。
「ねえねえ速野くん」
名前を呼ばれたので振り向くと、背後には櫛田が立っていた。
「なんだ?」
「速野くんと綾小路くんって、堀北さんと仲いいよね。どうやって仲良くなれたの?」
「いや、これは仲が良いとは違うと思うが……それに、俺より綾小路の方が親しくしてると思うぞ。ほら、今も隣歩いてるし」
「確かに。うーん……」
そう答えると、再び考える仕草を見せる。まあ、クラスメイト、どころか学校全員と仲良くなろうとしている櫛田のことだ。その手法が気になるではあるんだろうが、綾小路と堀北はただの協力関係だ。櫛田もその中には入れているのだから、立場的に言えば綾小路も櫛田も堀北とは同程度の関係だと言える。
差が出ているとすれば、堀北が櫛田を嫌っていること。恐らく一朝一夕でどうにかなる問題でもないんだろうと思う。
「あっ」
「どうしたんだよ櫛田ちゃん?」
「私、見つけちゃったかも。速野くんと綾小路くん、それに堀北さんの共通点」
「え?」
俺たち3人の共通点、と聞いてすぐに思い浮かぶのは、僕らは友達が少ない、略して「はがない」くらいだが、櫛田が言ってるのはそういうことではないだろう。
「なんだよそれ」
「3人の共通点はねー……全員、ほとんど笑顔を見せない!」
言われて、少し思い出してみる。確かにほとんど笑ったことはない。佐倉の行動に吹き出しそうになったり、諸事情で笑顔を見せなければいけなかった以外には、俺は基本的に真顔だ。
堀北の笑顔は本当に一度も目にしたことがない。
「あの2人はそうかもしれないけど……でも俺は笑ってるだろ?」
「苦笑いとかなら見たことあるけど、本当に心から笑ってる顔は綾小路くんのも見たことないよ。私に見せてないだけ、とか?」
言いながら、櫛田は綾小路の顔を下から覗き込む。今日も櫛田は健在だ。
「この辺りを探しましょう。絶対に2人以上で行動することだけは心がけて。良いわね」
堀北のその声を皮切りに、それぞれグループを作っていく。櫛田は伊吹と。山内は佐倉と。堀北は綾小路と。そして俺は……俺はっ、余り物の中の余り物、つまり真の余り物だ!何これすっげえ悲しいんだけど……
「速野くん、私たちと来てよ。男の子の手も欲しいからさ」
空からの涙よりも先に心の中で涙を流しているところに、櫛田からありがたい申し出があった。
「悪い、そうさせてもらう」
一言断りを入れ、櫛田と伊吹に合流した。
ここでも、櫛田は話題を尽きることなく振ってくる。伊吹も櫛田の会話量に驚いて少し目を逸らしながら時々話す。俺も話を振られたらそれに答えるという感じで、弾んでいるんだかそうでもないんだかイマイチわからん会話が繰り広げられていた。
食べられそうな木の実などを採集していた中。
「あっ!」
綾小路のそんな声が聞こえて来た。すぐに振り向くと、目に映ったのは堀北が何かを上着のポケットに入れている場面だった。
「どうしたんだろう?」
「さあ、何か落し物じゃないか」
それか、単に毛虫を見つけて驚いたとか。やべ、思い出したくなかったのに……
堀北は何故か激怒していて、綾小路を鬼の形相で睨みつけていた。それにたじろいだのか、綾小路はその場を離れ、佐倉と作業をしていた山内に声をかけていた。会話の内容は聞こえてこないが、山内は何か神妙な顔をしている。
「速野くん?」
「え?……あ、ああ、悪い。集中する」
櫛田の声かけで我に帰り、再び作業を続けた。
「うはははは!泥だらけだぜ堀北!いや、ドロ北だドロ北。あははは!!」
そんな頭の悪そうな笑い声に反応して振り向くと、泥にまみれた堀北が無言で立ち尽くしていた。
犯人は山内。その山内は堀北に綺麗な一本背負いを喰らっていた。
山内の身体が宙を舞った瞬間、俺は綾小路のやりたいこと、全てを理解してしまった。
今更過ぎるんですけど、綾小路って一人称「オレ」なんですよね……今更ということもあるので、今のところ修正は考えていません。
感想、評価よろしくお願いします。
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ep.28
食糧探索からベースキャンプに戻って来てからというもの、俺は綾小路と伊吹の行動を注視していた。
すると案の定、不可解な行動を取った。
綾小路は荷物をまとめてある場所に行って何かを取り、伊吹は堀北が水着姿で現れたタイミングでシャワー室へと続く行列を一度離れ、脱衣スペースで何かをしてからわざわざ最後尾に並び直した。
堀北は、汚れた髪を川で洗い落としている。本人としてもシャワー室の方が良かっただろうが、結構並んでいることもあり、綾小路の提案で川を使っている。
「佐倉」
「えっ……な、何?」
シャワー室で汗を流し終え、髪を乾かしている佐倉に声をかける。少しタイミングミスったか。
「山内が堀北に泥投げつける直前、山内と綾小路が何か話してただろ。その会話の内容、聞こえてこなかったか?」
「ご、ごめん、その時結構離れてたし、声も小さかったから……何も聞こえなかったよ」
「……そうか。分かった。悪いな、こんなタイミングで」
「う、ううん、大丈夫」
まあ、そりゃそうか。俺の予想が当たってれば、あの会話を聞かせてはいけないランキングのトップ2のうちの1人は佐倉だ。
山内のあの行動は、恐らく綾小路の指示だ。見返りを提示してやらせたんだろう。そしてその見返りは佐倉がらみ。あの会話が聞かれていては、そもそもが成立しない。
そして今、堀北は川を使っている。
……全ては、綾小路の思い通りに行っていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「お、おい火事だ!トイレの裏でなんか燃えてるぞ!」
事件は突如として起こった。ただならぬ状況を察知し、俺も現場に向かう。
すでに火の手は大分大きくなっている。すぐにでも消火が必要だ。
伊吹は炎が上がるその光景を見て、驚愕と混乱が混ざったような表情をしていた。
平田も現場に駆けつけ、状況を理解して感嘆する。
「だ、誰がこんなことを……」
下着泥棒、そしてこの火事騒ぎ。この特別試験が折り返しを迎えてから、Dクラスは災難続きだ。
「平田、取り敢えず消火だ。川や注文したペットボトルから水が欲しい」
「わ、分かった。みんな、お願いできるかな」
平田も切羽詰まっているようで、少し早口になっていた。そこから危機感を感じたクラスメイトが、すぐに水をかけて消火してくれる。
「これでとりあえず燃え広がる心配はないな……」
水を運んで来てくれたうちの1人である綾小路がそう呟く。
燃焼が収まったところで、ようやく現場の状況が詳しくつかめてきた。
「燃やされたのは……これはマニュアルね」
燃え残った残骸の中に、僅かながらに見覚えのあるイラストが見える。間違いなくマニュアルだ。
「僕がちゃんと管理していれば……マニュアルは、全員分をカバンにまとめて保管してあったんだ。昼間だからって油断してしまったんだ……」
平田が自らを悔いるように歯噛みする。
「……最終日で良かったな。あと1日なら、別にマニュアルがなくても乗り切れる」
「……そうだね」
平田に声をかけるが、慰めにすらなっていないだろう。
「もう無理。ここに下着泥棒の変態と放火魔がいるなんて、もう耐えらんない!」
「俺らじゃねえよ!いつまで疑ってんだよ!」
「み、みんな待って……」
「分かんないじゃない。もしかしたら誤魔化すためにやったかもしれないでしょ?」
「んなことしねえよ!」
「みんな、お願いだ。落ち着いて話し合おう……」
また先日のように、犯人の押し付け合いが始まる。だが、この件はじきに片付くだろう。といっても、真相が明るみに出ることは、恐らくないんだろうけど。
雨が降り出した頃、Dクラスの騒ぎの様子を横目で見ながら、森の中に足を踏み入れた。
これまで見たことのない、異様な雰囲気を放つ平田を気にかけながら。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
森の中に入ったのは、当然伊吹を追いかけるためだ。それから、もしかしたら答え合わせもできるかもしれない、という期待も込めて。
雨が降っているので、ぬかるんだ地面に伊吹の足跡はくっきり残っているだろう。だが、それでは気づかれる可能性が高い。俺は伊吹が森に入っていった入り口ではなく、その隣の隙間からの追跡を試みていた。
雨足が強まってきた。雨音で俺の足音がかき消されている。好都合だ。
ふと後ろを見ると、堀北の姿が確認できた。だが、その足取りは昨日にも増してふらついている。
それでも、堀北の進行方向は伊吹のそれと同じだった。恐らく足跡を追いかけているんだろう。俺は追跡の対象を伊吹から堀北に切り替え、堀北が俺を追い越したあたりで前進を始めた。堀北には気づかれないだろう。
この時点で、伊吹は堀北が追ってきているのに気がついたようだ。雨音に紛れて2人の会話が聞こえてくる。
「単刀直入に済ませましょう。私から奪ったものを返しなさい」
「なんだそれ。知らないな」
答えはしたものの立ち止まることはせず、伊吹はそのまま進んでいく。
そして、ある場所で急に立ち止まった。身を潜めて様子を伺うと、そこには白いハンカチが結びつけてある木がある。その大木は、俺が初めて伊吹に会った時に伊吹がもたれかかっていた木であり、無線機を発見した場所でもあった。
伊吹が地面を掘り始めたのを確認して、一旦その場を遠ざかる。そしてある程度高い木を見つけ、姿を見られないように注意しながら登った。これで伊吹と堀北の様子が分かる。
スペースを見つけて、そこに腰掛けながら2人のやり取りを伺う。雨音に紛れて、途切れ途切れに2人の会話が聞こえてきた。
降りてくる雨水の重みに木の葉が耐えられず、ポタン、ポタンと大粒の雫となって俺の髪や肩に落ちていく。
前髪の水を払った瞬間、伊吹が堀北に攻撃を仕掛けた。暴力行為は即失格だが、どちらから暴力を振るったのか、この状況では学校側は正確に把握できないだろうという判断か。俺は目撃者ということになるが、Cクラスはすでにポイント全てを吐き出しているし、伊吹のプライベートポイントが奪われたところで俺にはなんの得もない。そもそも、俺はDクラス。以前の佐倉と同じように、証言能力は皆無に等しい。
「はあ、はあっ……」
苦しそうな堀北の息遣いが聞こえてくる。
伊吹の戦闘力は凄まじかった。生徒会長や綾小路には劣るものの、この最悪のコンディションをものともしない俊敏な動き。何かやっていたんだろう。
もし自分が堀北の立場だったら……どのようにして伊吹に倒れてもらうか。
「おしゃべりは終わりだ」
「うっ……!」
その呻き声を最後に、堀北は完全に意識を手放した。
それを確認した伊吹は、先ほどの大木の根元を掘り返し、ビニールに入った無線機を取り出して何者かに連絡を取る。
そのまま30分ほど経っただろうか。1人の男が姿を現した。
「よう伊吹、ご苦労だったな。上出来だ」
「……当然でしょ」
Cクラスを統べる男、龍園翔。こちらには気づいていないようだが、俺は警戒心を高めて息を潜める。
「お前もこっちに来て確認しろよ。元々はお前が提示した条件なんだぜ、葛城」
龍園のそんな呼びかけに対し、茂みから1組の男女が出てくる。
この試験でAクラスを引っ張っている、葛城。そしてもう1人は……
俺の友人である、藤野だった。
「ほう、お前も一緒だったか、藤野。随分とご執心だな葛城」
「くだらん話はやめろ。まずは確認が先だ」
「そう急かすなよ。見せてやれ伊吹」
龍園の指示に従って伊吹がポケットから取り出したのは、各クラスのリーダーが所有しているキーカードだった。
それには、はっきりと「ホリキタスズネ」の名前が刻印されている。
「本物のようだな」
「こんな場所で複製なんざ不可能だ」
「Dクラスの裏切り者が言っていたことも、嘘ではなかったか」
AクラスとCクラスが手を組んでいる。そのことは3日目の時点で分かっていた。
こいつらがどんな契約を結んだのかは知らないが、綾小路だけじゃなく、龍園の考えた通りの展開でもあったわけだ。
「さあ、早く決断しろよ」
俺は少し勘違いをしていたようだ。こいつらの間で、まだ契約は交わされていない。契約を結ぶ前の条件提示の段階だったというわけだ。慎重な葛城のことだから、他クラスのリーダーを確実な証拠で以って示さない限り、契約は成立させないつもりだったんだろう。
だが、Cクラスはそれをこなした。
「今手柄を立てておかなくてどうする。これを逃せばもうチャンスはないぞ。ここで決断できないようなタマなら、Aクラスは大人しく坂柳に明け渡すことだな」
「葛城くん……」
藤野は急かすようにして葛城に声をかける。
「……分かった。契約成立だ」
「ふっ、それでいい葛城。お前は正しい判断をした」
葛城は不満そうな表情を残しながらも、藤野とともにその場を離れた。
少ししてから、Cクラスの2人組も姿を消した。
さて、そろそろ堀北と伊吹を操った首謀者がここに現れるはずだ。
俺は木から飛び降り、Aクラスの2人が向かった方向へと足を進めた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
森の中を、音を立てないようにして歩く。そして、俺はあるところで立ち止まった。
「……藤野」
「!?……速野、くん?」
藤野が、雨を避けるようにして木の下に座り込んでいた。
そこで、俺はある異変を発見した。
「おい……お前、どうしたんだその怪我?」
藤野の左足には深い切り傷があった。血も流れ出ている。見ていて少し痛々しい。
「……歩いてる途中に枝かなんかで切っちゃって」
雨の影響や、日が暮れて視界が悪かったということもあったんだろう。藤野の怪我はかなり予想外だったが、葛城がいないのは好都合だ。
「とりあえず止血するぞ」
「え……でも、そんな道具なんて」
「ある」
もちろん、本格的な道具なんてあるはずがない。
俺はジャージの下に着ていた体育着の右の袖の部分をビリビリと破き、長さを調節して藤野の足に巻きつけた。ジャージを着ていたため、体育着はほとんど湿っていない。
「取り敢えず、応急処置だ」
「……ありがと。でもいいの?体育着……」
「あと二着くらいあるし、必要になったらポイント貯めて買えばいい。今回の試験である程度は増えることだしな」
「……」
珍しくポジティブな考えをしている俺に対し、藤野の表情は浮かない。
「……多分私は、次の点呼には遅れて、その次の点呼でリタイアさせられる。速野くんに処置はしてもらったけど、ちょっと痛くてとてもじゃないけど歩けないから……」
足の傷を見ながら、顔をしかめる藤野。かなり痛そうだ。
「……それなら、次の点呼に関してはもう大丈夫だ」
「……え?」
「腕時計の非常時ボタンを押しておいた。多分、数分しないうちに担当者が来るだろうな」
藤野の足の怪我を見た瞬間、迷わずにボタンを押した。歩けないほど痛そうだというのは分かったし、藤野も言っているようにこの怪我では続行不可能とみなされてリタイアさせられることになるだろう。遅いか早いかの違いだ。点呼の時間に遅れさせてからリタイアさせることも考えたが、それだとその時間まで俺もその場にいなければならなくなり、俺自身も点呼に遅れることになってしまうのでやめておいた。
「……だめだなあ、私。クラスに迷惑かけちゃった……」
「葛城には怒られるだろうな」
この不注意で、葛城からの信用は落ちるだろう。トウモロコシ畑の近くでAクラスに遭遇したとき、あの慎重な葛城が藤野の自由行動を認めた。あれは相当な信頼が置かれていた証拠だ。
だが俺としては少し気になることもある。
「お前、俺には葛城派じゃないとか言っといて、バリバリ葛城の側近じゃねえか」
藤野はなんであの場面で中立だと言ったのだろうか。それを確認したかった。
「ほんとに私は中立だよ?今回は葛城くんが引っ張るってすぐに決まったし、私としても対立するよりは協力してポイントを増やした方がいいと思ったから、葛城くんに従うって決めただけ。普段私は何もしないけど、今回は他のクラスを突き離すチャンスだから」
つまり今回限り、ということか。
恐らく嘘ではないだろう。
「……速野くんは、クラスを売ったんだよね?」
やはり、俺の名前はAクラスの間で広がっていたようだ。
「ああ、リーダーの名前を流したのは俺だ」
「……それ、大丈夫なの?もしAクラスがこのことを流したら……」
そうなれば、Dクラスでの俺の立場は失われ、肩身の狭い思いをこれから三年間ずっと味わい続けることになるだろう。
「そりゃ困る。まあ、その時は素直に認めるよ。お前らの側に証拠物もあることだしな」
「そうだけど……」
それに、うまいこと説明できればDクラスは納得するはずだ。
「一応頼んでおくけど、情報は流さないでくれよ」
「私からは流さないけど……誰かが流すのは止められないよ」
正直、少し後悔している。取引の口外を禁止する条項も付け加えておくべきだった。
「その時はその時だ。でも、できるだけ止めてくれ。要求するなら、報酬を支払っても……」
「ううん、いらない。でも頑張ってみるから」
「助かる」
単純に藤野の優しさなのか、それとも何か狙いがあるのか。どっちかは知らないが、これはもう藤野の頑張りに期待するしかないだろう。
だが、もし止められなかったとしても手は打てる。要は綾小路に乗っかればいいのだ。
もし必要があれば、だが。
その数分後、緊急連絡を聞きつけた担当者が来た。藤野の怪我の状態を確認し、藤野はこの段階で強制リタイアとなった。
俺も点呼に遅れないように元来た道を戻る。今度は誰も追跡していないため、素直に足跡を辿った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
明くる日。リーダー当てが行われた直後に時刻は正午を過ぎ、試験の全日程が終了となった。
リーダー当てを行なったのは平田。だが、平田自身は直前まで誰がリーダーなのか検討も付いていなかっただろう。
初日に集合した浜辺には、ぞろぞろと生徒の群れができていた。まだ全員は揃っていない様子だ。
『ただいま試験結果の集計を行なっています。試験はすでに終了していますので、飲み物やお手洗いを希望する生徒は休憩所をお使いください』
アナウンスと同時に、生徒たちが休憩所に集まってくる。あの人だかりに突っ込んでいく勇気はないので、俺は休憩所ではなく、仮設テントにあるテーブルの席について休んでいた。
「お疲れ様、速野くん。色々ありがとう」
そこに、平田が冷水の入った紙コップを1つ、俺に手渡してきた。
「ああ……あんまり役に立ってなかったけどな」
「そんなことないよ。本当に助かった」
そう言い残し、平田はもう一度水を入れに行った。他のやつにもおすそ分けするんだろう。
堀北は昨晩、体調不良によりリタイアとなった。加えて、綾小路は点呼に遅れてペナルティを受けた。高円寺の分も合わせると、Dクラスはこれだけで合計65ポイント失ったことになる。
果たして結果は……どうなることやら。
「そのままリラックスしていて構わない。既に試験終了時刻は過ぎている。束の間ではあるが、自由にしていてくれ」
真嶋先生が拡声器を使って生徒全員にそう伝えた。だがこの学校の場合、当然のごとくリラックスなどできるはずがない。放送後、浜辺は静まり返った。海水の波の音が心地いい。
「この1週間、我々は様々な角度から君たちを見させてもらった。試験への挑み方は様々だったが、総じて素晴らしい結果だったと思っている。ご苦労だった」
今回の試験では、クラスの方針や考え方が見え隠れした。
Aクラスは対立。Bクラスは王道。Cクラスは邪道。Dクラスは困惑。だいたいこんな感じだ。
このクラス間の特徴が、来年、再来年にはどのように変化しているのか。それは誰にもわからない。
「では簡潔にではあるが、試験結果を発表する。結果についての一切の質問は受け付けない。自分たちで受け止め、分析して次に繋げてほしい」
結果発表と聞いて、生徒の緊張感も一層高まる。
「まず最下位は…………Cクラスで0ポイント」
「ぎゃはははははっ!!!やっぱ0じゃねえかよ!笑わせんな!」
声のする方に顔を向けると、腹がよじれんばかりに爆笑している須藤がいた。その隣には、事態が把握できないといった様子の龍園。
「続いて3位がAクラスの90ポイント。次いでBクラスの140ポイントだ」
誰もが予測できなかった順位。何が起こっているのか分からず、浜辺は騒めいていた。
「そして1位が……Dクラスで225ポイントとなった。以上で結果発表を終了する」
浜辺は驚愕の渦に包まれていた。Aクラスでは葛城を取り囲んで質問攻めが始まっている。自分たちの計算とかけ離れた数字に驚きを隠せていない。
だが、それ以上に驚いていたのはDクラスだ。
「うおおおおお!なんかよく分かんねえけどよっしゃあ!」
「ど、どどどういうことだよこれ!?」
とにかく喜びを露わにする須藤と、事態の把握ができずに困惑している池。なんというか、須藤はもうちょい大人になってもいいと思うんだよね。
まあ、これでも成長した方だろう。この特別試験では、須藤は積極的にクラスの役に立とうとしていた。しっかりと変化が訪れている。
真嶋先生により解散が宣言されたあと、興奮冷めやらぬ雰囲気の中、出発までの2時間、束の間の自由行動となった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
俺は疲れて部屋で爆睡していた。目覚ましで21時45分にセットしていたのだが、それよりも15分早く目が覚めてしまった。ルームメイトの沖谷はシャワーを浴びていて、三宅は飲み物を買いに行くといって出払っていた。
この旅行の部屋割りはクラスごとに自由。俺は普通に最後まで孤立していたが、まだメンバーが足りていなかったこのグループに自動的に配属されることになった。
軽井沢の下着を盗んだのは伊吹。そしてそれを見抜いたのは堀北。加えてAクラスとCクラスのリーダーを見抜いたのも堀北ということになり、堀北の人気は急上昇。リタイアしたことも不問となった。
そしてクラスのあの反応を見ると、俺の裏切りもまだバラされていない。よかったよかった。この時点でバラされていなければほぼ大丈夫だ。
安心して、取引現場に行くことができそうだ。
次回、答えあわせです。
感想、評価よろしくお願いします。
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ep.29
では、どうぞ。
「ちゃんと来たな」
場所は屋上のラウンジ。五分ほど待ったところで、俺と取引を行ったAクラスの生徒2人がやって来た。
部屋を出る直前に酔い止めを飲んだ俺は、そのままの流れでペットボトルの水を持っている。
この2人は契約の紙を持っていないようだ。残念。
「お前……俺たちを騙したのかっ……?」
向けられる視線は敵意剥き出しだ。
「騙した?そんなことするわけないだろ。契約の内容覚えてないのか?」
そう、あのルール設定では俺は嘘をつくことができない。ついても、バレれば俺が損をするだけだからだ。
「それに、葛城からもちゃんと確認取れたんだろ?あいつは俺たちのリーダーだったやつのキーカードを見てるはずだ」
「っ……それはそうだが……」
あの時点で俺の言ったことが嘘ではないことは、Aクラス自身が目撃し、証明している。俺は何1つ契約違反などしていない。
この2人は何も気づいていないようだ。保険も打ってあったのに、それも必要なかったな。
「じゃあ、早く払えよ。違約で100万ポイント払うことになるぞ?」
「くっ……」
ポイントが大量にあるAクラスのことだ。100万ポイントだって払えないことはないだろう。俺としても、それならそれで万々歳だが、こいつらがそんな展開にさせるわけがない。契約内容に素直に従い、俺の端末に35万ポイントを譲渡した。
「……どんな手を使ったんだ?」
「だから、別に何も騙してないんだって。お前らの計算違いじゃないのか?」
「まだとぼけるのか!」
「人の話は聞けよ……」
「くそっ!」
そう吐き捨て、Aクラスの2人は去っていった。どんなカラクリかはいずれ分かることだ。もし一生わからないなら、それはもう諦めるしかないな。
「ちょっと」
その場から立ち去ろうとした時、突如として怒りのこもった声が俺に降りかかった。
「さっきの、どういうこと?あなたはクラスを売っていたということ……?」
声の主は堀北だ。
表情を見ても分かる。怒り心頭。軽く逃げ出しそうになるが、その後のことを想像してなんとか踏み止まる。
「……まあ、そうなるな」
当初の予定通り、素直に認める。
「なんでここに?」
「あなたにも話を聞きたかったからよ。でも、いくら電話をかけても出ないから、端末の位置情報で場所を突き止めたけれど……来て正解だったわね」
……そうだった。
連絡先を交換した相手が許可すれば、その人の端末の位置情報がすぐに分かる。そうだ、あの時に許可設定にしてから変更してなかったな。抜かった。
「これは大問題よ。けれど、今このことをクラスに明らかにしても混乱するだけ。黙っていてあげるかわりに、あなたがこの特別試験で行ったことを、包み隠さず全て話しなさい」
強い口調でそういう堀北。
「……何から聞きたい?」
「全てと言ったでしょう。最初からよ」
「最初からな。分かった。ちなみに聞くが、綾小路からは話を聞いたのか?」
そう質問すると、堀北は目を見開いて驚いた表情を見せた。
「あなた……彼のやったことを知ってるの?」
「……まあ、大体は」
だが、綾小路の話はとりあえず後だ。今は堀北に真実を語ろう。
「試験が始まる前から、お前体調悪かったろ?」
「……気づいてたのね」
「ああ。お前ならもう分かったと思うが、俺がお前をリーダーに強く推したのはそれが理由だ。もし仮にリーダーが見破られても、きちんとした『正当な理由』でリタイアさせ、リーダーを変えられると思ったからな」
まあ、ここら辺は綾小路から説明を受けているだろう。Dクラスのポイントが高かった理由の1つはこれだ。
ちなみに、もし俺の解釈が間違っていて、リタイアの場合でもリーダーは変更不可だったとしても、堀北なら務まると思ったのは本当だ。
「俺は初日、綾小路と佐倉も一緒に葛城がキーカードを手にしていたのを見ている」
「葛城くんの隣にいた弥彦という男子生徒がリーダーだったと聞いたわ」
「ああ。綾小路は一目見ただけで確信が持てたらしいが、俺はそれには至らなかった。そこで、探りを入れることにした。具体的には2日目の夜に」
「2日目の夜……そういえば、あなた確か散歩に出かけて長い間帰ってこなかったわね。まさかそのときにAクラスのベースキャンプに行ったというの?」
「ああ」
「一体どうやって……懐中電灯の明かりだけでは絶対に不可能よ」
確かに、普通は無理だ。森には道しるべが存在しないから。
だが、存在しないのなら自分で作ってしまえばいい。
俺は持っていた紙を一枚、横長に使って、間を空けながら左右交互から途中まで切り込みを入れた。そして、堀北の前で広げる。
「こうやって切った紙を伸ばせば、一枚の紙でも結構な長さになる。これを標識に使って、Aクラスのベースキャンプ付近まで行ったんだ」
これなら、懐中電灯で地面を照らし、この紙の続いている方向へ歩けばいい。もちろん、試験中に使ったのは無制限に支給されたシートだ。
「船でのヒントのことはもう知ってるだろ?あの洞窟の近くにはスポットがいくつかあった。見つかりやすいものから、はじめに目をつけていなければ絶対に見つからないものまでな。俺は見つかりにくい方のスポットを観察して、リーダーが戸塚だってことが分かった」
1日目に俺が目撃した時点で、リーダーは葛城か戸塚。2人のどちらかだ。だが、2日目の夜に見に行ったとき、スポット更新の場に葛城はいなかった。これでやっと確信が持てた。そして、この部分が葛城のミスだろう。
まあ綾小路は分かってたようだからいらない情報だったが、もし平田がリーダー当ての紙に書いた名前が葛城だったら直していた。
「AクラスとCクラスが協力関係にあったのは知ってるか?」
「綾小路くんがもしかしたら、と言っていたわ。事実なの?」
「ああ。2日目の午後くらいに、俺も佐倉とCクラスの様子を見に行ったんだ。そのとき、大量の食糧がテントの中に保管されてあったのに、釣竿が数本あったんだ。変だと思わないか?」
「……そうね。食糧が大量にあったなら、釣竿を注文する必要はないわね」
俺たちは食糧を確保できることを期待し、その都度一食分しか注文しなかった。Cクラスは初めからそれを諦めていたということだ。
「そうだ。それから、ポイントで注文するやつには必ず貸し出し用ってシールが貼られてるだろ。食糧があるなら釣竿はいらないはずだ。この釣竿の行き先が気になって、そのシールの粘着面にペンでちょっとした模様を描いたんだ」
わざと釣竿を倒し、それを直すフリをして行ったことだ。疑われたかと思ったが、模様もシールの様子もそのままだったことから、バレはしていなかったんだろう。
「その後、3日目にもう一回Aクラスの探索に行ったときに、そのシールが貼られた釣竿を発見したんだ。リーダーの名前を教えるって取引も、そこでやった。伊吹がスパイだってことは、BクラスにもCクラスの生徒が拾われてたって話を聞いたときに薄々疑ってたしな」
そして案の定、カメラと無線機を発見した。
また、俺がこまめに昼寝をしていたのは、夜通し起きるためだ。伊吹が何か行動を起こすとすれば夜だと考えたから。だが、俺はその前に寝落ちしてしまったようだ。伊吹が下着泥棒だということは俺には分からなかった。
「……つまり、一概にクラスを売ったとも言えないというわけね。はじめから綾小路くんの狙いに気づいていた、というより、同じことをやろうとしていたんだもの」
そう。俺が綾小路の狙いに気づくことができたのは、俺も同じようなことをやろうとしていたからだ。
「もしかして、食糧探索だと言って森の中を連れ回したのは、わざと私の体調を悪化させるため?」
「ああ。気の毒だとは思ったが。でも、お前4日目か5日目の時点でかなりきつかっただろ。言い訳みたいになるが、俺が何もしてなくても、お前は体調崩して強制リタイアだったと思うぞ」
伊吹の後を追う足取りを見ていれば、相当ヤバイ状態だったことは想像に難くない。
「山内がお前に泥塗りたくったときに、綾小路がお前をリタイアさせようとしてるって分かったから、後は綾小路に任せたけどな」
伊吹にベースキャンプを抜け出す機会を与えるためにマニュアル燃やすとは思ってなかったが。
「はあ……あなたたち2人に、全員がいいようにやられたというわけね。開いた口が塞がらないわ……」
堀北からすれば、綾小路だけでなく、俺にも利用されてしまったことは心底気に入らないだろう。
「……あなたの実力がここまで高いとは、正直思っていなかったわ。どうして今まで隠していたの?」
「別に隠してなんかないぞ。バレたらまずいことはバラさないようにしていただけで」
結果的に堀北にはバレてしまったが。これに関しては完全に俺のミスだ。
「あなたのやったことは気に入らないし、受け入れる気もない。でも、このクラスがAクラスに上がるためには、あなたや綾小路くんの協力が必要よ。手を貸して」
形的にはクラスを売ったことになっていて、その秘密を握られている身からすれば、拒否権はない。
そして同時に、拒否する気もなかった。
「綾小路は手を貸すことになったのか?」
「ええ。理由は言わなかったけれど。でも彼の過去には興味はないもの」
綾小路が、この特別試験で積極的に動いた理由か。
気にならないといえば嘘になる。だが、本人が話したくないのならば、話すことを強要するのは間違っている。誰にでも、知られたくない過去の1つや2つあるはずだ。
「……分かった。Aクラスに上がるために協力しよう」
俺は承諾した。
堀北と協力関係を結べば、プラスにつながることを期待して。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
コンコンコンコン、と国際標準マナーに従ってノックをする。
「入っていいよ」
「失礼します……」
場所は地上5階、502号室。
5階はスタッフが寝泊まりする場所となっている。そしてこの502号室に泊まっているのは……
「久しぶりだね速野くーん。4日ぶりくらい?」
「まあ、そんな感じですね……」
Bクラスの担任教諭、星之宮先生だ。
「約束通りポイント払いに来ました。まあ、先生に打ってもらった保険は使わなかったですけど」
「あら、Aクラスの2人は気づかなかったんだね」
俺は3日目、契約を交わした後Bクラスのベースキャンプに行き、星之宮先生と会った。そこで、こんな取引をしたのだ。
もし仮に試験終了前にリーダーが変更になったとしても、契約内容は変更されず、通常通りポイントを支払うことになる、というのを署名付きで一筆書いて欲しい、と。
結果、5万ポイントで受けてもらえることになった。
そのため、Aクラスがカラクリに気づいたとしても何もできない手筈になっていたのだが、そもそも気づいてすらいなかったな。
譲渡が完了し、俺は携帯をポケットに入れる。
「クラスにバレたら速野くん、袋叩きだね」
「まあ、どうとでも誤魔化せますよ」
Dクラスが1位だったことで、大抵のことは不問になるだろう。
契約内容が書かれた紙は、俺の側は既に処分したが、Aクラス側のものはまだ処分されていないだろう。もし取引の現場であいつらが紙を持って来ていたら、事故に見せかけて持って来ていた水をこぼして紙を消すつもりだったんだが。そう思惑通りにはいかなかった。
「このことは内密にお願いしますよ」
「もちろん。でも、もしバレても私は責任負わないよ?」
「分かってますよ」
では、と言い残して、俺は自室に戻った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
以前、櫛田にこんなことを問われた。
もし自分と堀北が対立したら、どちら側につくか、と。
俺は自分が得する方につく、と答えたはずだ。
どちらの味方にもなり得るし、どちらの敵にもなり得る。
なあ、櫛田。俺や綾小路ですら勘付いたんだ。お前が堀北の体調不良に気づいてないわけがないよな。
なら、どうしてお前は堀北をリーダーに勧めたんだ?
単純に堀北のことが嫌いで、体調不良を悪化させようとしたのか。
それならまだいい。
だが、何か別の目的があった場合。
櫛田の言っていた、堀北と真っ向から対立するシチュエーションは、案外近いところまで来ているのかもしれないな。
はい、これにて原作3巻分が終了です。お読みいただきありがとうございました。
このep.31と30を繋げるかどうか迷ったんですが、文量が多くなり過ぎてしまうので分けることにしました。なので今話はかなり短めになっています。
次回は、以前のように番外編は入れず、直接原作4巻分に入っていこうと思います。次回もお楽しみに。
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第4巻
ep.30
では、どうぞ。
無人島における特別試験が終了し、丸3日ほどが経過した。
高度育成高等学校一学年一行は、贅沢すぎる豪華客船の上で贅沢すぎるバカンスを贅沢に満喫していた。なんかこうして同じ形容詞を並べていると、「無駄に洗練された無駄のない無駄な動き」ってフレーズを思い浮かべてしまう。このセリフ考えたやつ天才だと思うんだよね。
俺はある奴に呼び出され、最上階のデッキへと向かっていた。そこは正午あたりだとめちゃくちゃ混んでいるが、夜、特に9時を過ぎてからはほとんど人通りがなくなる場所だ。Aクラスとのポイントの取引場所に選んだのは間違っていなかっただろう。堀北にはバレちゃったけど。
エレベーターを降りると、そこには眩しい光景が。みんな楽しんでいるようで何よりです。
「あ、速野くん、ここだよ」
俺の視界の右隅に入って来たイケメン、平田が俺の名前を呼ぶ。俺もそれに反応し、席に向かった。綾小路もいる。
俺を呼び出したのは平田だ。昼飯を一緒に食べないかと言われて、少し迷ったが、ちょうど腹も減ってたので承諾した。
夏休み前は平田の連絡先なんて知らなかったが、無人島試験が終わった翌日、これからもクラスのためによろしくとか言われて、その時に連絡先を交換した。これ、俺がリーダーの情報売ったって分かったらどんな反応されるんだろう。
にしても、この組み合わせはちょっと歪だ。俺と綾小路が一緒にいるのはまだ分からんでもないとしても、それに平田が加わるとこうも不自然さが増すのか。
サンドイッチやポテトフライなどの軽食のイメージ画像が掲載されているメニュー表に目を落としていると、平田がゆっくりと口を開いた。
「実は……2人にちょっと相談があるんだ」
やはり、ただ昼飯を食べるだけではなかったか。綾小路も納得したような表情を浮かべる。まあ、何か明確な目的がなければ、こんな変な組み合わせで食事なんて平田も提案しないだろう。
「僕と堀北さんの橋渡し役を2人に頼みたいんだ。この先、Dクラスが力を合わせて上に上がるためには、堀北さんの存在は不可欠だと思う」
平田の言うことはもっともだ。そして堀北に関することであれば、俺と綾小路以上に可能性が高いやつはいないだろう。Aクラスを目指す協力関係という名目で、一応ではあるが平田よりも親しくさせてもらっている。
「でも、俺や速野が橋渡ししてうまくいくような話なら、苦労はないんじゃないか。堀北はそういうのを嫌うタイプだしな」
綾小路の言う通りだ。こいつは以前、櫛田と堀北を近づけるために櫛田に協力し、堀北の反感を買っている。
「それは分かってるつもりだ。だから、2人には僕の考えを2人なりに変換して、それを堀北さんに伝えて欲しいんだ。僕の名前は伏せた上でね」
つまり、親しくなるための橋渡し役ではなく、伝書鳩になってほしいということだ。
うーん、堀北に意見する俺たちか……怪しさマックスだ。勘ぐられるのが関の山だな。
「普段俺らは堀北に意見してるわけじゃないから、突然主張しだしたら疑われると思うぞ」
「でも、もうこれしか考えが浮かばないんだ。今の段階で、僕個人が何をしても堀北さんを説得できる自信はない」
今の平田は少し冷静さを欠いているように映るのは俺だけだろうか。今の段階で無理なら、次の段階を待とうとするのが平田の考え方だと思っていたが。
無人島でも、平田は冷静さを失った場面があった。綾小路がマニュアルに放火し、伊吹が抜け出したのを見て俺がそれを追いかける直前。明らかに様子がおかしかった。
クラスのリーダーで、誰とでも仲良くでき、何でもそつなくこなしてしまう、「不良品」と罵られるDクラスにいるにはどう考えても不釣り合いな生徒。
あれは、平田がDクラス配属となった理由の一端と見ていいのだろうか。
「いまそれをするのは早計だと思うぞ」
綾小路も俺と同意見のようだ。
「……そうだね。少し焦りすぎていたかもしれない。方法をしっかり考えないとね」
そうそう、その感じだ。いつもの平田が戻ってきた。
少し安心していた時、ポケットの中の端末が二度、小さく振動した。メールが来たことを告げる合図だ。2人は話を続けているが、俺はそこから集中を外して画面を見る。
振動の正体は佐倉からの連絡だった。今から4階で会えないか、と書かれている。
平田に次いで、佐倉もか。俺実は人気者説が一瞬浮上するが、俺の脳内選択肢が全力で否定する。ひどい。
平田の相談事はもう終わったようだし、もういいだろう。俺は承諾の返事を出し、注文したサンドイッチを持って立ち上がった。
「悪い、ちょっと用事ができた。先に戻る」
「うん。来てくれてありがとう。また今度一緒に食べよう」
そう言って手を振ってくる平田に、俺も手を上げて答えた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
場所は変わって4階。ここは女子の客室がある階だ。深夜0時から朝6時までを除き、特段男子の立ち入りは禁止されていない。
「はあああああ…………………はあー………」
「佐倉?」
「うやぁぁっ!?は、速野くん……」
深いため息をついていた佐倉に声をかけたが、かなり驚かれてしまった。てか、驚かせないように佐倉に声をかける方法ってあんの?こいつ毎回驚いてる気がする。
「どうしたんだ?」
「あ、ううん、その、ちょっと緊張してただけで……」
この呼び出しに緊張する要素はないだろ、と思ったが、俺が異性を呼び出す場面を考えてみると、佐倉の緊張の意味も少しわかる気がする。
例えば俺が櫛田を呼び出す場合、うっかり恋に落とされそうにならないかなーという男子高校生的な意味で緊張するし、堀北を呼び出す場合は、うっかり地獄に落とされそうにならないかなーという戦慄の意味で緊張する。
ただ、佐倉を呼び出す場合は緊張しそうになかった。俺以上に佐倉が緊張するであろうことが分かっているからか。
「で、どうしたんだ急に?」
「その、実は……ルームメイトのことで悩んでて」
「……というと、仲良くできない、ってことか?」
「どう、なのかな……仲良くしたいって気持ちも、1人がいいって気持ちも両方あって……その、もう分かんなくて……速野くんなら、何かアドバイスしてくれるんじゃないか、って思って……ご、ごめんね、迷惑、だよね……」
「いや、別に迷惑ではないが……」
ただ、この相談なら会う必要はない気がする。緊張であんなため息までついて待ち合わせするくらいなら、普通にメールで相談という選択もありなんじゃないだろうか。
まあ、佐倉には佐倉なりの考えがあるんだろう。
「ルームメイトは誰なんだ?」
「えっと、篠原さん、市原さん、前園さん、だよ」
「おお……」
また随分と個性的なメンバーが集まったもんだな。3人とも、佐倉とはとてもじゃないが相容れない性格だ。
「……ただ、俺も別にルームメイトとはうまくいってるわけじゃないからな」
沖谷と三宅はたまーに会話してるが、2人とも俺との会話はほぼゼロだ。まあ、所詮は余り物ってことだろう。
「……頼ってくれたとこ悪いが、俺も誰かにアドバイスできる次元じゃないな」
「そ、そっか……ご、ごめんね、勝手に頼ったりして……速野くんも忙しいのにね」
「いや、超絶暇だぞ」
そう答えた時、廊下にキーンという高い音が鳴り響いた。
入学時点で説明があった、学校側からの一斉送信メールだ。
「な、なんだろう……」
「さあ……」
メールを見ようとしたとき、アナウンスが入る。
『ただいま、全生徒に一斉メールを送信しました。記載されている内容の指示に従ってください。受信できていない生徒は、近くのスタッフに申し出てください。重要事項ですので、確認漏れのないようお願いします。繰り返します……』
なるほど……ついに仕掛けてきたということか。
メールにはこう書かれてあった。
『間もなく特別試験が開始されます。各自以下の文章の指示に従い、行動してください。本日19時20分までに、202号室に集合してください。10分以上遅刻した場合、ペナルティを科す場合があります。所要時間は20分ほどですので、お手洗いなどを済ませ、端末はマナーモードか電源をオフにしてお越しください』
また特別試験か。どのような内容なのかは予測不能だ。前回のように、ポイント変動の大きい試験か。
「速野くんは、なんて書いてあったの?」
「ん、ああ」
説明するのも面倒なので、直接端末を手渡す。それと交換するようにして佐倉の端末を受け取った。
内容はほぼ一緒だった。
同じ文面で、集合時間と集合場所が違う。佐倉は18時40分までに203号室に来いとのことだ。
「なんで時間と場所だけ違うんだろう……?」
「分からないが、いい予感はしないな……」
と、そこでチャットを受け取る。堀北からだ。
『今、メールが届いた?』
『ああ。指定時間はいつだ?どうも個々人で違ってるらしいんだが』
『私は19時20分よ。そっちは?』
『同じだ。偶然か?』
『そのようね。綾小路くんは18時らしいわ。とりあえず、行ってみるしかないわね』
『そうだな。話はそれからだ』
そう返信したきり、堀北からの返事は返ってこなかった。
また、面倒なことが始まりそうだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
指定された時間に部屋に向かい、ノックして返事をもらってから入る。
まず、正面には茶柱先生が座っていた。
そして椅子が3つ並べられ、そのうち2つの席はすでに埋まっている。
1人は堀北。2人目は南という男子生徒だ。堀北とは同室だったか。軽く会釈する。
空いている残りの1つの椅子に座ろうとすると、そこに一枚の紙が置かれてあるのに気がついた。
「悪いが、その紙はこちらに持ってきてくれ。ただし、裏返すことは許さない。後でほぼ同じ内容のプリントを配る」
『ほぼ』同じ内容か。どこかに相違点があるということだ。
だが、少なくともこの面には何も書かれていない。
紙を持っていく途中、裏返しはせず、光を当てて裏面から透ける文字で内容を見ようとしたが、鏡文字を一瞬で理解できるほどの目は持ち合わせていない。だが、その左下には注意していなければ分からないほど小さく、アルファベットの大文字でS、小文字でcと書かれているのが見えた。
なんだこれ、と思って一瞬立ち止まるが、茶柱先生の早く渡せという声で、大人しく渡さざるを得なくなる。
紙を手渡し、席に戻った。
「まだ指定時間までに1分ほど余裕があるが、全員揃ったので試験の説明を始める。今回の特別試験では、1年全員を13のグループに分け、そのグループ内で試験を行う。試験内容はシンキングだ。今の段階での質問は一切受け付けないので、まずはしっかり説明を聞くように」
13とはまた不吉な数字だ。なんで12で分けなかったんだ?その方がキリがいいし、干支になぞらえたりすることもできただろうに。まあ質問は受け付けないというし、「なんで12グループじゃないんですか?」と聞いてもまともに答えてはくれないだろう。
「社会人に求められる基本的なスキルは、アクション、シンキング、チームワークの3つに大別される。無人島試験ではチームワークに比重が置かれた内容だったが、今回はシンキング。つまり考え抜く力が必要になる」
そう説明する茶柱先生だが、内容も明らかになっていないのに外側から説明されても謎だらけだ。
「ここまでで何か質問はあるか?」
「どうして少人数での説明なんですか?試験の内容からクラス単位というのは無理でも、グループ単位で説明を受けた方が手っ取り早いと思いますが」
堀北が質問を飛ばす。
「今回の試験では、各クラス3から4人を抽出してグループを作るためだ。事前に説明していなければ、混乱をきたす恐れがあるだろう」
「え、違うクラスとグループ組むんですか?」
先生の言葉に、反射的に南が質問する。
「そうだ。それに関してはこれより説明する。まず、お前ら3人が同じ組になることは決定事項だ。そして、お前らはグループI。ここにグループIの全員のリストがある。持ち出しと撮影は禁じるが、メモは取っても構わない」
その言葉で、堀北は素早くメモ帳を取り出す。お前それ携帯してんのか……
茶柱先生から、ハガキほどのサイズの紙を受け取る。
Aクラス…神室真澄 里中拓人 和田琴美
Bクラス…浅田真美 佐藤ゆかり 葉山隼輝
Cクラス…石崎大地 椎名ひより 山田アルベルト
Dクラス…速野知幸 堀北鈴音 南節也
各クラス3人ずつ、合計12名だ。13グループに分かれていることから、妥当な人数だと言える。恐らく、12名グループが10個、13名グループが3個あるんだろう。これで159名。バカンスに参加していない1人を除いた一学年の総人数となる。
表示順は、各クラス毎に、苗字の頭文字順か。ふりがなはふられておらず、1人読み方が分からんのがある。
「先生、Bクラスの葉山ってやつの名前、なんていうんですか?」
「それに関してはいずれ分かることだ。試験期間は明日から、1日の完全自由時間を挟んで4日間とする。その間、お前らは午後1時と午後8時から1時間、指定された場所でグループ内でのディスカッションを行ってもらう。ただし、初顔合わせの際に自己紹介と連絡先交換が義務付けられている。連絡先に関しては、プロフィール設定の全てを記載しろ。そしてグループのメンバーの連絡先は試験終了のアナウンスが流れるまで削除することを認めていない。これらを守らなかった生徒にはペナルティを科す」
自己紹介に関してはまだ納得できるが、連絡先交換の強制は理解に至らない。
「個人情報を開示しろ、ということですか?」
「その辺の詳しいルールはこの紙に書かれている。そしてこの紙には、この試験の結果に関する重要事項も記載されている。この紙に関しても撮影、持ち出しを禁止する。メモを取るか、頭で理解して覚えろ」
「試験結果、ですか?」
「この特別試験の結果は、4通りしか存在しない。どのような方法を取っても、この4通りの結果になるように設計されている」
茶柱先生から紙を受け取り、読み込んでいく。
夏季グループ別特別試験説明
本試験では、グループ毎に割り当てられた優待者を基点とした課題となる。定められた方法で学校に回答することで、4つの結果のうち必ず1つを得る。
・試験開始当日午後8時に、一斉メールを送信する。『優待者』に選出された者には、同時にその事実を伝達する。
・1日に2度、所定の場所においてグループ内で話し合いを行うこと。ただし、指定されたこと以外の話し合いの内容に関しては、全て生徒に委ねるものとする。
・回答時間は試験終了後、午後9時半から午後10時までの間のみ、優待者が誰であったかの回答を受け付ける。また、回答は1人一回までとする。回答は、自身の端末で学校側に送信することでのみ可能である。
・『優待者』には回答権が存在しない。
・自身が配属されたグループ以外への回答は全て無効とする。
・試験の最終結果については、試験終了当日の午後11時に全生徒へメールで伝える。
基本ルールはこんな感じ。そして禁止事項として、連絡先交換をした者への迷惑行為などが書かれている。
そして、結果の一部が掲載されていた。
結果1…優待者、及び優待者の所属するクラスと同じクラスのメンバーを除くグループ全員が回答時間内に回答し、全員が正解していた場合、グループ全員に50万ポイント、優待者は100万ポイントを得る。優待者の所属するクラスと同じクラスのメンバーも、同様のポイントを得る。
結果2…優待者、及び優待者の所属するクラスと同じクラスのメンバーを除くグループ全員が回答時間内に回答した中で、1人でも不正解、または未回答者がいた場合、優待者のみ50万ポイントを得る。
これは……試験と言えるのか?まだ残り2つの結果が明かされていない段階だが、これだけではどのグループも結果1を目指すに決まっている。
それにこの優待者は、言葉通りかなり優遇されている。選ばれた時点で50万ポイント以上を得ることが確定的だ。羨ましすぎる。クラスを売って手に入れた30万ポイントはなんだったんだ……
「残りの2つの結果はなんですか」
「まずはここまでのルールを理解できたか?そうでないと先に進めない」
「問題ありません」
「南、お前はどうだ」
「……なんとか大丈夫です」
俺はこの南という生徒と接点を持ったことはないが、俺と堀北が孤独型ということもあってかなり居づらいだろう。さっきから体が縮こまっているのがわかる。
「この試験の肝は1つ、優待者を当てることだ。優待者は原則として各グループに1人存在する。例えば速野、お前が優待者に選ばれた場合、グループIの答えは『速野』ということになる。グループ全員がそれを回答時間内にメールに記載して送信すれば、結果1が成立するということだ」
原則として、か。この学校の場合、その原則に当てはまらない例外が最重要だったりするから注意が必要だ。
「ここからが残り2つの結果の説明だ。優待者をより早く暴き出すことで、結果の3つ目と4つ目が現れる。紙をめくれ」
指示を受け、3人とも裏面を見る。
結果3…グループ内の何者かが、試験終了を待たずに回答し、正解していた場合、正解者には50万ポイント、正解者の所属クラスには50ポイントのクラスポイントを与え、優待者を当てられたクラスは50ポイントのペナルティを受ける。なお、この時点でグループ内の試験は終了とする。また、優待者と同じクラスに所属するメンバーの回答は無効とする。
結果4…グループ内の何者かが、試験終了を待たずに回答し、不正解だった場合、回答者の所属するクラスは50クラスポイントのペナルティを受け、優待者には50万ポイント、優待者の所属するクラスには50クラスポイントを与える。なお、この時点でグループ内の試験は終了とする。また、優待者と同じクラスに所属するメンバーの回答は無効とする。
……なるほど、そういう仕組みか。裏切り者のルール。しかもクラスポイントにも関わってくる。となれば、優待者の情報を共有するわけにもいかず、見破られてもいけない。この2つの結果の存在だけで、試験の様相はがらっと変わった。
その次に、匿名性についての説明が行われた。優待者が誰であるか、回答者が誰であるかは学校側は一切明かさず、個人的なプライベートポイントの支払いについても、仮IDの発行も可能ということで匿名性に配慮。
そして、優待者は全クラスに有利不利が生じないように公平な調整になっているとのことだった。公平な調整とはちょっと意味のわからない日本語だが、それよりも気になることがある。
「先生、先ほど優待者はグループ内に1人と聞きましたが、それでは1クラスだけ優待者が4人いるクラスが出来ませんか。公平性に著しく支障をきたすと思いますが」
堀北がしっかり代弁してくれた。茶柱先生は少しうなづいてから、こう答えた。
「先ほど言っただろう。『原則』1人だと。つまり、優待者が1人だけでないグループが存在するということだ」
その説明で、俺らの頭には一気にハテナマークが大量生産された。
「それについては今から説明する。まずは先ほどまでに配った紙を全てこちらに返却しろ。新たに紙を一枚配布する」
紙を返し、新たに一枚受け取る。
そこには、驚愕の事実が記載されていた。
「そこにも書いてあることだが、口頭でも説明しておこう。お前らが振り分けられる13のグループのうち、1つだけ性質の異なる『特殊グループ』が存在する。そのグループには、優待者が各クラス1人ずつ割り当てられている。そしてそこには3つの結果が存在する」
結果1…特殊グループにおいて、自身のクラスの優待者以外の全てのクラスの優待者を全員が正解した場合、優待者は100万ポイント、グループのメンバーは50万ポイントを得る。
結果2…特殊グループにおいて、1人でも不正解、または未回答者がいた場合、回答されなかった、或いは外された優待者のみが50万ポイントを得る。
結果3…特殊グループにおいて、試験終了を待たずに回答した者がいた場合、その回答者は正解、不正解の数によってポイントを得る。例えば、優待者と思われる人物を2人回答して1人が正解だった場合、正解が1つで50万ポイント、不正解が1つでマイナス50万ポイント、合計で0ポイントとなり、この回答者のポイント変動は無し。1人回答してそれが正解だった場合、回答者は50万ポイントを得る。また、得るポイントが0以下の場合はポイント変動はないものとする。また、回答者のクラスのクラスポイントも、1人正解ごとに50ポイントプラス、1人不正解ごとに50ポイントマイナスを受けるものとし、クラスポイントに関してはマイナスの値も適用する。この結果で、回答者に回答されなかった、或いは外された優待者は50万ポイントを得る。逆に正解された優待者のクラスはマイナス50ポイントのペナルティを受ける。このグループは他のグループと異なり、グループ内合計で優待者だと思う人間を3人分回答しない限り通知せず、試験は続行する。
そしてその紙の表面には、先ほどと同じように、アルファベットが2つ書かれていた。説明文と比較すると、少し印刷が濃い気もする。さっき裏面からも字が見えたのはこのためか。
そこには、小文字のq、大文字のOという文字があった。
「また、特殊グループがどのグループにあたるかは学校側は一切説明しない。必要があれば自分たちで調べることだ」
「え、えっと?つまりどゆこと?」
南は複雑すぎるルールに戸惑っている。堀北の方はすでに理解したようだ。
この特殊グループがどのグループかを見つけ出すこと自体は簡単だ。単純な話、クラス間で情報を交換して、優待者が被ったグループ、それが特殊グループだ。
だが、それは同時に大きすぎるリスクを伴う。誰もそんなことはしないはずだ。つまり、特殊グループを見つけるのも、優待者を見つけるのも恐ろしく難易度が高い課題ということになる。
「これでこの特別試験の説明は全て終了だ」
「先生、最後に1つよろしいでしょうか。この右下に小さく書かれているアルファベットに、何か意味はあるのでしょうか」
「ああ、それは印刷時に設定された紙の記号のようなものだ」
あっさりと答えたが、恐らくこの文字列に関するこれ以上の答えは望めない。堀北もそれを察してか、これ以上は追求しなかった。
部屋を退室した直後、俺と堀北は南から質問攻めにあった。
この小説における船上特別試験では、原作と大きく異なる点を意図的に作っています。現時点での違いは、堀北のグループ移動、そして干支ではなく単にアルファベットで分け、グループが1つ増えていること、特殊グループとルールが存在すること、同じグループ内での連絡先交換が義務付けられていることです。かなりルールがややこしくなってますので、質問があれば遠慮なくどうぞ。
感想、評価お待ちしております。
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ep.31
南にルールを理解させた後、堀北と2人になった。
これから説明を受けるであろう生徒達で騒がしかった廊下を外れ、今はしんとしている。
「あなたはどう思う?この試験」
恐らく、これを聞くためにわざわざ移動したのだろう。こちらの考えを相手に聞かせる必要はない。
「どう思うか、と言われれば、かなり複雑で面倒な試験だとしか……」
結果3、4の裏切り者のルールまではまだいい。だが、実質5つめ以降の結果となる特殊グループに関する決まりで、だいぶかき回されてしまった。
課題は大きく分けて2つ。最優先事項は優待者の特定。その上で特殊グループがどこかを発見できればなおのこといい。だが、他のクラスとの情報交換が実現しなければ発見はほぼ不可能だ。
だが、学校側はノーヒントで課題をこなせと言っているわけではない。先ほどの説明の時にも、あちらこちらにヒントが隠されていた。
「少し個人的な意見になるけれど、連絡先の交換義務というのが気に入らないわね。試験中に必要になるのかしら」
堀北は1人を好む以上、むやみに連絡先の交換はしたくないんだろう。俺と交換したのだって、元々は業務連絡用みたいなもんだしな。
「確か、プロフィールも絶対に書かないといけないんだったな」
俺も茶柱先生の説明内容を思い出しながら言う。
「もう1つ気になるのは、あの右下のアルファベットね……茶柱先生はああ言っていたけれど、間違いなく意図的よ。綾小路くんもそれには気づいてた。アルファベットの文字はAqだったらしいわ」
「Aq……」
言われてすぐに思い浮かんだフレーズは、アンサーとクエスチョンの頭文字。だが、それに何か意味があるとは思えない。
「……実は、俺が席に座るときに持っていったあの紙にも、同じようにアルファベットが書かれてたんだ」
「本当?」
「ああ」
当初言うかどうか迷っていたが、綾小路が漏らしたんならいいだろう。
「大文字のSと小文字のc。俺らが渡された紙同様、かなり小さくな。それから、俺はそれを裏側から読んだ。つまりあれは鏡文字。俺らが見た小文字のqと大文字のOも同じ理屈だとすれば……本当に学校が見せたかったのは、大文字のOに小文字のpってことになるな」
わざわざ鏡文字にする必要があったのは、入室した際に椅子の上にあった紙に載っていたアルファベットを、紙を裏返したまま俺らに見せるためか。そうだとすれば、これはもう100パーセント学校側からのヒントだ。
「それから……優待者の説明があった時の『厳正な調節』という言い回しも気になるわね。振り分けにはある程度の法則があるということかしら?」
「……その可能性は高いな。優待者の特定には、その法則性を見つけるのが鍵ってことか」
つい先日の無人島研修前の「有意義な景色」というのと同じ感じだ。微妙な言い回しによってヒントを与えるのは、この学校の常套手段。無人島の時は堀北のコンディションがコンディションだったから仕方がないとしても、今回の堀北はしっかりアルファベットにも気づいたし、学校側の微妙な言い回しもよく聞いている。やっぱりこいつも優秀だってことだ。
優待者の法則性。ScとOp、そしてAqの意味。
アルファベットは、上の3つも含めて13通りあると見て間違いないだろう。全てのアルファベットを知るためには、この情報をクラスで内密に共有する必要がある。
堀北に今の考えを伝えた上で、提案する。
「堀北、平田の協力が必要だ。あいつ以上に拡散力があるやつはいない」
「それに関しては同意するけれど、彼と連絡を取る手段はあるの?」
「普通に連絡先持ってるからな」
「……意外ね。似合ってないわよ」
「うっせ、自分でもそれは分かってる」
俺と平田が連絡先を交換したとしても、別に友達同士になったわけじゃない。向こうの認識は知らないが、俺からすれば平田と連絡先を交換するのも、堀北と交換したのと同じ理由。クラスが上に上がっていくための協力関係。コミュニケーションの効率化だ。
それに、平田といつでも連絡を取れるというのはかなりプラスに働く。今までもこれからも、平田はDクラスの情報庫になるだろうからな。
恐らくは櫛田も。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
試験開始まで残り3分。俺は一足先に指定された部屋にいた。
12人分の椅子が並べられている以外は、何の変哲も無い無機質な部屋。ドアの外側には、ここがグループIの集合場所だと分かるように『I』という文字が刻まれたタイルが付いていた。
昨日堀北と別れたあと、俺は平田に連絡を取ってアルファベットの件をクラスのほとんどに伝えてもらっていた。その結果、20時以降に説明を受けた組に加え、元々気づいていた人がいたグループのアルファベットが明らかになった。
グループCはGe。グループDはCa。グループEはLe。グループKは、グループDと同じくCa。
おさらいしておくと、俺と堀北が所属するグループIはOp。綾小路や一之瀬が属するグループLはAq。そして調べた結果、俺が見たScというアルファベットはグループHのものであることが分かった。
何かの頭文字か、或いは元素記号か……とも思ったが、元素記号ですらないものが含まれている。頭文字だとしてもこれだけではまだ全く分からなかった。この文字が何を示し、それを解くことができればどのような成果が得られるのか。
そして他のクラスでは、このアルファベットの分析がどこまで進んでいるのか。何も分からない。
今確実なのは、俺も堀北も優待者ではなかったという残念なお知らせと、やはり、このグループ分けには確実に意味があるということだけだ。
その証拠に、グループKのメンバーは錚々たるものだった。
Dクラスからは櫛田と平田、王という女子。
Cクラスからは龍園。Bクラスからは神崎。そしてAクラスからは葛城と藤野。
誰がどう見ても、学校側が仕組んだものだ。だが、それにしてはあってもおかしく無い名前が存在していない。
1人は堀北。グループKにクラスの中心を集めているのなら、堀北の名前はあってしかるべきだ。
そして次、これは堀北以上の疑問なんだが、一之瀬だ。
Bクラスは、間違いなく一之瀬を中心に回っている。あの場にいない理由が全くわからない。
まあ、それは今考えても仕方のないことだ。
試験開始1分前を切ったところで、続々と部屋に入ってくるグループIのメンバー。堀北は俺とは1つ椅子を飛ばして座った。
入室してくる面々を見ていると、見知った顔があった。須藤の冤罪事件で色々あった石崎。向こうも俺と堀北を認知しているのか、少し強めに睨まれるが、すぐに視線は外された。
そしてもう1人、俺がCクラスのベースキャンプに探りを入れに行ったとき、釣竿に細工し終わったところで俺に声をかけてきた大人しそうな女子生徒。グループの名簿からすると、こいつは椎名ひよりという奴だろう。
そして、高校生とは思えない巨体を持つ、色の黒い男子生徒も入ってきた。なんかこのグループすごいな……
『では、初めのディスカッションを開始してください』
そして、ついに試験が始まった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1時間後、初めのディスカッションが終了した。
何のことはない、学校側からの指定があった自己紹介を簡単に済ませてからは、流れ的にBクラスの浅田が場を仕切る形になり、ディスカッションは進んで行った。
だが、Aクラスは話し合いに一切参加しないという提案をしてきた。話し合いを持たなければ優待者が見破られることはなくなり、必然的にクラスポイントに影響の出ない結果1または2になる。一見デメリットのない提案のように思え、グループ内でもその方向で進もうとしていた。
だが、Bクラスはその意見が出ることを予見していたように、それは下位クラスからすれば上位クラスに追いつけるチャンスを棒にふる行為で、一概に損がないとも言えないと反論した。
討論自体は浅田と里中が行なっていたが、恐らく中身は別。
一之瀬と葛城は、俺や他の生徒たちの見えないところでバチバチ火花を散らしている。この2人のやり取りは非常に高度だ。
結果的にAクラスは、そちらが話し合いをしたければ勝手にやれという態度を取り、時間が来て解散となった。
Aクラスのこの作戦は、間違いなく葛城が提案したものだ。だが、先ほどの話し合いの中で、葛城の名前が出た瞬間に雰囲気が変わったやつが少なくとも1人いた。
同じくAクラスの神室という女子生徒。俺の勝手な予想だが、神室は坂柳の派閥に属しているんだろう。ディスカッションへの不参加を最初に提案した里中という平田級のイケメンは恐らく葛城派。残りの和田に関しては何とも言えなかった。藤野と同じく中立を保っている奴なのか。
ひとまず話し合いのことは一旦そばに置いておき、俺は5分ほど前に届いたメールをもう一度見返した。
昨日に引き続き、俺は佐倉に呼び出されてしまっている。場所は船首だ。
そこには、タイタニックの真似事でもできそうなほど広い空間が広がっていて、そこにいるのは隠れるようにして縮こまっている佐倉だけ。人通りも少ないし、いい場所だ。
今度は驚かせないように……と注意しながら近づいていく。
「……んだけど、どう、かな?」
佐倉との距離が縮まるにつれ、何かごにょごにょと声が聞こえてくる。
「そ……その、わ、私とで、でー……」
だが、その声ははっきりと聞こえて来ず、何を言っているのか分からない。
「……」
「とぅぉをおおおおおおおおおおおおおおお!!?は、速野くんいつから!?」
「い、今です……」
突如ボリュームを上げた佐倉の反応にこちらまで驚かされてしまった。
「え、じゃ、じゃあ聞こえちゃった!?私が今言ってたこと!!?」
「い、いや、声小さかったし、波の音でかき消されて……」
「は、はああ………よかった……」
そんなに俺に聞かれたくないことだったのか。だったら俺を呼び出したタイミングでやらなきゃいいのに。
「それで、今度はどうしたんだ?」
肝心の要件を聞くと、少しギクッという表情をしたあと、誤魔化すように付け加えた。
「え、えーとぉ、そ、そう!グループのことでちょっと……」
いつもより声がでかい佐倉に少し疑問を感じながらも、差し出された紙を見る。確か佐倉はAグループだったな。
Aクラス…沢田恭美 清水直樹 西春香 吉田健太
Bクラス…小橋夢 二宮唯 渡辺紀仁
Cクラス…時任裕也 野村雄二 矢島麻里子
Dクラス…池寛治 佐倉愛理 須藤健 松下千秋
はあ、どうもこのバカンス中、佐倉にはことごとく運がないらしい。まだ話すことのできる堀北と同じグループに属す俺は幸運な方だ。
「この件に関しても……残念ながら俺は役に立てそうにないな。悪い」
池や須藤に佐倉と仲良くしてやってくれと言うのも不自然だろう。それにそれは佐倉が好むかどうか。ディスカッション中の閉鎖空間で急に2人から話しかけられたら、佐倉は耐えられないだろう。
あと、松下に関しては顔と名前以外ほぼ何も知らない。
「う、ううん、大丈夫。私の方こそ……その、事あるごとに呼び出したりなんかして……」
「別にいい。解決できるかは分からないが、話を聞くだけならいつでも」
「……ありがと」
そうやってお礼の言葉を言われると、やっぱり少し胸が痛むな。
だが、佐倉が徐々に自分のことを発信しようと頑張るようになっている。これまでの佐倉なら、グループ内の人間関係なんて諦めていただろうに、それもなくなっている。
このバカンスで一番変化があったのは佐倉かもしれないな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
午後8時からのディスカッションも進展ゼロで終え、現在時刻は23時50分。試験の経過の話し合いをするとのことで、俺は綾小路、平田、幸村、高円寺が宿泊している部屋に来ていた。
「来てくれてありがとう、速野くん」
「いいよ別に。暇だったしな」
そんな会話の隣では、上半身裸の高円寺が逆立ちのまま腕立て伏せをしている。マジでなんなんだこいつは……末恐ろしいというか、掘っても掘っても底が見えて来そうにない。
「高円寺くんも参加してくれると嬉しいんだけどね」
「すまないね平田ボーイ。私は今、肉体美の追及中だ。邪魔しないでくれたまえよ」
はっはっは、と笑いながら言う高円寺。すまないね、とは微塵も思ってないだろう。
正直、高円寺が味方になればこれほどすごいことはないと思うが、あいつが俺らに協力するなんて地軸が180度変わってもあり得ない気がする。つまりあいつのことは気にするだけ無駄ということだ。
「実は、僕のところに2人、優待者が名乗り出てくれたんだ」
「何?……それは誰だ?」
幸村は、平田の衝撃の告白に食いつく。
「それは……言えないよ。信頼して教えてもらってるからね」
「俺たちが信用できないっていうのか。お前が知っている以上、俺らにも知る権利はあるはずだ。それに優待者の情報を共有することで、何かわかるかもしれないだろ」
「……そうだね。僕も相談したいと思っていた。実は……」
「平田、一応携帯かなんかに打ち込んだほうがいい」
平田が人物名を口に出す直前、俺はそれを引き止める。平田もそれがいいと思ったのか、携帯を取り出して文字を打ち始めた。非常になれた手つき。メールに慣れてない俺の5倍くらい速そうだ。
『グループKの櫛田さん、グループIの南くん、グループGの吉野くん』
ほお、南が優待者だったとは。全く気づかなかった。
「平田、こいつの連絡先持ってるか?」
平田の端末の画面に表示されている吉野の文字を指で示す。南のは同じグループなので元から持っている。
「え?うん、持ってるけど……ただ、本人の許可なく連絡先を教えることはできないよ」
「俺が知りたいのは連絡先じゃなくて、プロフィールだ」
ずっと変だと思ってはいたのだ。なぜわざわざプロフィールを全て書かせる必要があるのか。グループのメンバーに個人情報を共有する必要があるのか。
その理由を求めることも含めてシンキング、ということなんだろうか。
その旨を伝えると、平田は少し迷ったようだがプロフィールを見せてくれた。俺は部屋に備え付けてあったメモ帳とペンを取り、それをメモする。
学籍番号、名前、ふりがな、生年月日、血液型。これらの情報から得られるものは……
アルファベットということなら、一番は血液型との関連性が考えられる。でもpとかLとかあるし、違うなこれは。そもそも13ってのと繋がらない。
一旦考えるのをやめ、話し合いに意識を向けた。
「グループLでも話に出たんだが、恐らく優待者は各クラス同じ人数存在する。特殊グループを合わせたら、1クラスにつき優待者は4人。少なくとも、あと1人黙っている奴がいる」
幸村の言うことは恐らく正しい。そして他の生徒もそう考えたからこそ、葛城のあの案に皆流されかけた。
「うん、僕もそう思う。でも、名乗り出ることを強制はできないよ。本人の意思の問題もあるし、誰かに話せばその分リスクが高くなるわけだしね」
平田の言う通り。つまり平田は今そのリスクを取っているわけだが。
そんな感じで話を煮詰めていく中、部屋に中に鼻歌が響き出した。どうやら発生源は高円寺。逆立ち腕立て伏せをしながら鼻歌歌えるってどういう構造してるんだこいつの体は。
それに集中を乱された幸村が、しびれを切らして高円寺に言う。
「ああくそ高円寺!気が散るから鼻歌を止めてくれっ!それと、最後までちゃんと試験に参加してくれよ。無人島の時みたいなことは絶対にするな」
「そう言われても、私はあの時本当に体調を崩したんだ。無理はできないさ」
「っ、仮病のくせにっ……!」
無人島から船内に戻った際、高円寺の身体は1週間みっちり焼かれていたことが目に見えた。こいつが体調を崩したと言っても信じる奴は1人もいないし、高円寺もそんなことはどうだっていいんだろう。
「ふむ、この面倒な試験があと2日も続くのは面倒だねえ」
「面倒って、まともに考えてもいないくせに何言ってるんだ」
「意味のないことを真面目に考えても仕方がないだろう?嘘つきを見つけるだけの簡単なクイズさ」
言いながら、ベッドの上に置いてあった携帯を取ると、何かを打ち込んで再びベッドの上に戻した。
「お、おい、何をしたんだ!?」
そう叫ぶ幸村だが、時すでに遅し。高円寺が操作を終えるのとほぼ同じタイミングで、この部屋にいる5人全員に一斉にメールが届く。
『グループDの試験が終了いたしました。グループDの方は以降の試験に参加する必要はありません。他のグループの妨げにならないよう、注意して行動してください』
「おい、グループDってお前のグループだろ高円寺!」
「その通りだよ。私は晴れて自由の身となったわけだね。では、アデュー」
そう言ってバスルームへと消えていく高円寺。俺らは呆気にとられてしまい、何も言うことができなかった。
「くそっ、なんてことをしてくれたんだ……俺らが必死に考えてる間にっ!」
「まだ分からないよ。彼なりの考えがあったのかも……」
「考えが甘い!あいつは自分がよければそれでいいんだ!最悪だ!」
幸村が叫ぶ。だが、本人もその性格はよく理解している。三ヶ月前のあのバスの中で、高円寺ははっきりと自分はそう言う性格だと自己紹介していた。
だが高円寺はもしかしたら、さっきの言葉通り「嘘つき」を見つけたのかもしれない。
高円寺の行動により、全生徒は混乱を起こしていた。このバカンスに入る直前に、綾小路に入らないかと言われて初めて入ったクラス内のグループチャットの通知がどんどん溜まっていく。それとは別で、堀北からもメールがあった。
「ごめん、みんな混乱してるみたいだね」
そりゃそうだ。初日時点で裏切り者が出るなんて誰も予想できなかっただろう。
「くそ、あいつのせいで話し合いどころじゃなくなったじゃないか」
幸村の我慢も限界らしい。話し合いが行われないのなら、俺はもうここにいる必要はないな。
「じゃあ、俺は戻る」
そう言って、俺は部屋を後にした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「速野」
自分の部屋に向かっている最中、背後から声をかけられて、振り向くと、綾小路が立っていた。
「なんだ?」
「少し話せないか」
「話すって、何を?」
「その前に場所を移したいんだが、いいか」
「……ああ」
綾小路の背中についていき、行き着いた先は、今日の昼に佐倉と会った船首だった。
「で、なんなんだよ、話って」
「速野、お前の無人島試験でのことは堀北から聞いた」
やっぱり、その話題だったか。
堀北から、綾小路に話した、という報告は聞いていない。だが、堀北が話しているなら話しているでいい。俺は綾小路の行動を把握してたわけだし。
「そうか。でも、お前は俺を責められないだろ?」
俺と綾小路のやろうとしていたことはほとんど同じだった。他クラスにリーダーの確実な証拠をリークした上で、最後の最後に堀北をリタイアさせ、リーダーを変更する。その過程で取る手法などは違っていたとしても、行き着くゴールは同じだ。
「別に責めるつもりはないさ」
そう答える綾小路。
普段と比べて、雰囲気がだいぶ違う。俺には無能を装う必要がなくなったからか。ここはある程度警戒した方がいいだろう。利用されるだけならば構わないが、俺が不利になることがあれば対処する必要がある。
「お前の優秀さを買った上で、頼みたいことがある」
「なんだそれ、嫌味かよ」
「そうじゃない」
俺以上に優秀なこいつにそんなこと言われても素直に受け取ることなんてできるはずがない。そもそも、俺の行動を堀北から聞いたというのもどこまで本当か分からない。
恐らく堀北から聞いたのは本当なんだろう。それは堀北に確認すればすぐに分かることだ。今、こいつが俺に対して嘘をつくメリットはない。だが、堀北に聞く以前から綾小路が俺の行動を把握していたのなら、そこには見えない嘘が発生する。
まあでも、たとえそうだとしても俺にはなんの不利益もない。
「分かった。話は聞く」
「助かる」
そして最後まで詳しく話を聞き、理解する。
綾小路の提案は、とても面白いものだった。確かにこれは有効な一手だ。ルールを上手く使っている。
そしてそれはクラスのポイントへと繋がる。
「もちろん、それ相応の対価としてポイントを支払う用意はある」
「いや、いらない」
「どうしてだ?」
「不確定な約束をしたくないだけだ。お前のその作戦にはまず自クラスの優待者が必要。そいつが協力してくれるか分からない以上、安易には言えないな」
「……そうか、分かった」
納得したらしく、小さく頷いた。
「俺はちょっと酔い止め飲むための水買いに行くが、どうする?」
「俺はいい。ちょっと夜風に当たりたくてな」
「そうか。風邪引くなよ」
「ああ」
短い会話を済ませ、俺は船内へと戻っていった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
恐らく綾小路も理解してくれたはずだ。
もちろん、綾小路に直接言ったこともポイントを断った理由のひとつではある。
だが、俺の本音ではない。
俺がポイントを受け取るということは、綾小路は短期で俺に見返りを払い終わるということ。実に楽な方法だ。
だから俺は言外にこう言ったのだ。
ポイントはいらん。貸しひとつだぞ、と。
答えがわかってしまった方は、感想などでは言わず、「うっわこの作者レベルひっく」と思ってください。
感想、評価お待ちしております。
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ep.32
綾小路との話し合いを終え、水を買うべく一階へ。
買うと言っても、この船内は全てが無料だ。それは自販機も例外ではない。だがそれでも一応、ゼロポイントの購入手続きとして端末は必要だ、という説明が旅行前にあった。
このあたりは生徒の立ち入りはほとんどない。居酒屋やバーなど、主にスタッフが利用するであろう店しかないからだ。
そこに近づいていくと、何やら話し声が聞こえてくる。会話の内容からして生徒のものではなさそうだ。
俺は音を立てないように、そーっとその場に近づいた。
「私関係深くなるとすぐに冷めるタイプだから。やることやったらポイって感じ」
「それは普通男がやることなんだがな」
バーにいたのは、Aクラス担任の真嶋先生、Bクラス担任の星之宮先生、そして我がクラスの担任である茶柱先生だった。
教師同士といっても、この場はプライベートな空間。それも酒の席だ。会話の内容がちょっとくらいぶっ飛んでても、すでに大人の階段を登っている方々なので特に驚かない。
「それより……どういうつもりだチエ」
「わ、急になに?」
「通例では、ランダムに決めたグループにクラスの代表を集める方針だろう」
「別に私は大真面目だよー?一之瀬さんは確かに優秀だけど、社会での本質はそれだけじゃ測れないもの。私は私の判断で、一之瀬さんには乗り越えるべき壁があると判断しただけ」
「だといいんだがな」
「何か引っかかることでもあるのか?」
「個人的な恨みで判断を誤まらないでもらいたいだけだ」
「やだ、10年前のこと言ってるの?あんなのとっくに水に流したって」
「どうだろうな。お前は私の行動に一々先回りしていなければ気が済まないタチだ。だから一之瀬をグループLに入れたんだろう」
「別に偶然偶然。そりゃ、サエちゃんが綾小路くんのこと気にかけてるのは気になるけど、別に船上試験が終わった後、Dクラスのリーダーが綾小路くんだったことなんて全然気にしてないから。ぜーんぜん」
「そういうことか」
いい情報をもらった。クラスの代表が集中しているグループLは、くじか何かでランダムに決められたということ。そして、教師の手が加わっていたのはグループLだけではないこと。
「ていうか私ばっかり責められるのおかしくない?グループLに龍園くんをぶつけてきた坂上先生も変だし、サエちゃんの采配も不自然でしょ。なんで速野くんと堀北さんを一緒のグループにしたの?2人ともクラスのリーダーって言ってもいいくらいだと思うけど?」
「協調性が皆無である者同士、この試験でその改善をと考えただけだ」
星之宮先生の発言で、少し思い返してみる。
須藤の件で、Cクラス側が堀北や綾小路の狙い通りに訴えを取り下げたあの日の、茶柱先生の発言。
綾小路清隆という人間は、何を考え、何を軸に行動しているか、それを知れ。
まるで茶柱先生はそれを知っているような口ぶりだった。そして綾小路が何かをしたこと、いや、何かをできるほどの実力者であることも全て把握していたからこその発言に思える。
しかし今までの状況から判断すると、茶柱先生を除く教師側から見た綾小路はただの一般生徒。あいつがどれほど優秀なのか、少なくとも星之宮先生と真嶋先生は把握していないようだった。
学校という制度上、担任だけが本来のあいつの実力を知っているなんてことがあるんだろうか。同学年の担任同士なら共有されていてもおかしくない情報だ。だが、茶柱先生はそれをしていない。ということは、意図的に隠している可能性がある。
なんのために?いや、この疑問の答えは割とすぐに出る。茶柱先生も上のクラスを目指している1人だということだ。
だが、それにもう1つの疑問を組み合わせることで、自体は一気に複雑化する。
茶柱先生が綾小路の実力を知っていて、全員に隠していること。
綾小路が無人島試験で大胆に動いたこと。
この2つの事象を繋ぐ何かが、当事者間では起こっている。そう感じられずにはいられない一幕だった。
結局水を買うことなく、俺は自室に戻った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
起床後、端末のランプが点滅していることに気がついた。
見てみると、メールが合計2件。そのうち1件は堀北からのもので、試験前に話がしたいとのことだった。返信は来ないだろうことを見越しながらも、一応承諾のメールを送り、さっと着替えて部屋を出た。
指定されたのは、屋外にあるカフェテリア。そこに向かうと、堀北と綾小路が何事か話している。
最近綾小路との遭遇が多いなーとは思いながらも、ここまでは想定内。しかしもう1人、思いもよらなかった人物がそこにはいた。
「龍園か……」
どうする、このままここで突っ立ってるのも変だ。
俺は絡まれることを覚悟で、その3人の元へ向かった。
「金魚の糞2個目か?っと、少しはマシな糞か」
いきなりこちらを馬鹿にする態度丸出しの龍園。こいつと面識はないはずだが、それがこいつの特徴なんだろう。どうやら俺は少しはマシな堀北の金魚の糞という立ち位置らしい。
この分だと、堀北は自分の所属グループについて龍園にうだうだ言われたんだろう。
「まあ、糞がいくら増えても変わんねえぜ。俺はそろそろ詰めの段階に入らせてもらうか。またな鈴音」
そう言うと、龍園は立ち上がり、どこかに歩いていってしまった。
それを見ながら、俺は堀北に話しかける。
「詰めの段階って、どういう意味だ?」
手では携帯を操作し、画面を2人に見せる。
『椅子の下に龍園が携帯置いていった。多分録音されてる。不自然にならないように会話続けてくれ』
その文字を見て、2人ともうなづいた。
「彼はクラス全員に携帯を提出させて、自クラスの4人の優待者の情報を手に入れていたわ。法則を見つけ出すんだそうよ」
「ふーん」
確かに、法則を求めるためにはそれは必要は作業だ。だが、4人だけで確信を持てるかといえば……俺は少し自信がない。
「もし本当だとしたら、中々大胆な試みだな」
「ええ、どこまでが本当か分かったものではないけれどね。……でも、可能性としてはありえない話じゃないわ。あまり時間は残されていないかもしれないわね」
少し歯がゆそうな表情を見せる堀北。
確かに、堀北が龍園のグループに配属されていればもっとスムーズにやり取りができたかもしれないな。だが、こればっかりは茶柱先生の判断だ。仕方ない。
「あなたたちにも動いてもらうわよ。馬車馬のようにね。すぐにでもグループの優待者を見つけ出す必要があるわ」
「そんなこと言われてもな。俺には無理だぞ」
「過度な期待はしてないわ。ただグループLの情報が欲しいだけよ」
ちゃんと自然だ。綾小路がいかに平々凡々であるか、それをアピールしつつも露骨に話題はそらさないようにしている。
「まあ、それくらいなら俺でもできる」
そういい残し、綾小路はエレベーターの方に消えていった。
俺と堀北は場所を移る。別に聞かれたらまずい話をする気はないが、わざわざ聞かせてやる必要もない。
「浮かない顔だな。自分が配属されたグループに納得がいってないか?」
「そうね」
まあ、そうだろうな。こいつは自分がAクラス配属でなかったことを「受け入れられない」というほど自己評価とプライドが高いし、そして能力も高い。
「でも、それはあなたも一緒じゃないの?あれだけの能力がありながらDクラスに配属されてる。その現状に少なからず不満はあるでしょう」
「別に俺はどうしてもAクラスに行きたいって目標があるわけじゃないからな。前にも言ったが、ポイントを増やしていく過程で上のクラスに上がれるならそれはいい話だ、ってくらいにしか思ってない」
「そうだったわね」
以前話したことを思い出したようだ。
「……あなたは今回、何か動くの?」
さっき馬車馬のように動いてもらうと言ったセリフとは真逆の質問をしてくる堀北。
「さあ、今のところはなんとも」
まだ自分から動く予定はない。ちょっとやりたいことはあったが、今の段階でそれは俺個人の問題だ。いずれDクラスにも影響が出てくるかもしれないが、あったとしてもそれは随分先の話。今堀北に共有する必要はないだろう。
にしても、綾小路の隠れ蓑となり、クラス内外に自らを優秀だと思わせているこの現状を、堀北はどう感じているんだろうか。
あまりいい気持ちはしないだろう。堀北は俺とは異なり、たとえ目的や利害が一致しても、誰かに利用されてばかりというのは耐え難いと感じる性格だ。
堀北のギアが一段階アップすること。本人のためにもクラスのためにも、どこかのタイミングでそれが必要になるのは明白だった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして迎えたディスカッションの時間。と言っても、ディスカッションの体など取れていない。
相変わらず、Aクラスの3人は一切話し合いに参加する気がない。Bクラスの方は上手くやろうとしているみたいだが、まともに話せているのはCクラスの1人とDクラスの南くらいだ。優待者の南に積極的に話をさせるのはどうかと思ったが、初めの方針を変えても怪しまれるだけだと判断し、特に声かけはしなかった。それに本人も勘付かれてはいけないことくらい分かっているだろう。
巨漢の男、山田アルベルトは完全に浮いている。俺も堀北も1人で過ごしていた。
そんな時。
「お久しぶりですね」
「……ん?」
ひたすらぼーっとしながら過ごしていた俺の頭の上から声がかけられた。
そしてその声は、無人島試験中、Cクラスのベースキャンプ付近で聞いたものと全く同じ。
「……ああ、そうだな」
確か名前は、椎名ひよりと言ったか。
「ところで速野さん。あなたは左利きですか?」
「……は?」
突然の質問に、少し間の抜けた声が出てしまう。俺と椎名の会話はボリュームが小さいので周りには聞こえていないと思うが。
「いえ、少し気になっただけですので。深い意味はありません」
本人はそういうが、何をもってそんなふうな考えに至ったのか。俺は右利きだし、普段端末を使うときも右手で操作している。この空間で、俺が左利きだと判断できる材料は皆無。
……まあ、答えはすでに出たようなものだ。この空間でないのなら、椎名がそう考えた根拠はCクラスのベースキャンプでの出来事。あの釣竿を倒し、そしてそれをなおす際、俺は右手でペンを持っていたために左手で作業せざるを得なかった。右利きなら普通、右手を使って作業するだろう、という判断か。
「……質問の意味がよく分からんが、一応答えておくと俺は右利きだ」
もし仮に疑問を持たれたとしても、気分だ、と言えば済むことだ。右利きだからって落とした消しゴムを右手で拾うとは限らない。それに今このことを発言して、墓穴を掘りに行く必要もない。答えるのは聞かれた時だけで十分だ。
「そうでしたか。失礼しました」
用はそれだけです、と言い残し、椎名は元の場所に戻っていった。
「彼女、知り合い?」
隣で本を読んでいた堀北が、視線は本に落としたまま声だけで聞いてくる。
「まあ少しな」
「そう。ならいいけど」
こいつは俺がまたクラスを売ると考えているんだろうか。もちろん警戒は大事なことだが、もし本当に俺がクラスを売ろうとしているんだったらこんな場所でその相手と会話なんかするはずがない。
少し無人島試験のことを思い出したので、ついでに堀北に聞いておく。
「堀北、体調はもう大丈夫なのか」
「ええ、『おかげさまで』」
「……そりゃよかった……」
皮肉たっぷりに返されてしまった。まあ当然か。体調悪化させようとしてた奴が言うセリフじゃないよな。
それ以降は、閉鎖空間の中、優待者や特殊グループの規則性について頭を回した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
二階の廊下を歩いていると、一之瀬と偶然すれ違った。
「あ、速野くん久しぶりだね」
「ん、ああ」
ひらひらと手を振りながらこちらに向かってくる一之瀬。
先ほど椎名にほぼ同じような内容を言われたのに、それを言う人間と言いかたによってここまで与えられる印象が違うとは。改めて表現方法の重要さについて思い知らされる。
しかし、ふと疑問が浮かぶ。
「あれ、確か一之瀬って綾小路と同じグループだったよな。なんでここに?」
俺は綾小路と一之瀬のいるグループLの部屋はすでに通り過ぎた。なのに一之瀬は俺と向かい合う形ですれ違っている。俺の疑問の意味がわかったのか、一之瀬は手をぽんとついて答えた。
「ちょっとグループKの方に用があってね」
グループKといえば、各クラスの代表格が集まっているグループだ。確かそこは櫛田が優待者のはず。上手く立ち回ってくれているんだろうか。もしくは……
「速野くんは確か、浅田さんと同じグループIだったよね。どんな感じ?」
浅田、というのは、1日目の初顔合わせのときに司会進行的な立ち位置にいた女子だろう。
「まあ、特に成果はなしだな。堀北の頑張りに期待するよ」
「そっか。やっぱり2日目もAクラスは相変わらず?」
「ああ。一切話し合いに参加してない」
誰かから質問されたら答えたりはしているが、それ以外は基本的に、Aクラスとそれ以外のクラスのコミュニケーションはなかった。実に葛城らしい戦略といえる。
グループ内の様子を思い浮かべながら答えると、そこで一拍おいてから一之瀬は再び口を開いた。
「速野くんにも1つ聞いていいかな?」
「なんだ?」
一之瀬からの質問。俺『にも』という部分が気になったが、話を聞いてから質問することにしよう。
「この試験で、クラスの壁を越えての協力関係は成立すると思う?」
言われて、俺はその質問の意図を考える。それはつまりDクラスと協力したいと言っているのか、それ以外の目的があるのか、ただ単純に素朴な疑問を俺にぶつけてきただけなのか。
「協力ってのは、優待者の情報をクラス間で共有する、ってことか?」
「それもひとつだね。でもそれだとリスクが大きすぎるから、優待者じゃない人を見つけ出していって、優待者の候補をできるだけ少ない人数に絞る、っていう方法もありだと思うな」
「はあ、まあそれならできないこともないんじゃないか。単純な話、学校側からのメールを見せればいいだけだし」
自クラスに優待者がいないと把握できたなら、有効な一手だとは思う。3つのクラスで協力関係が築けたのなら、残るは1クラス。そのクラスの中に優待者がいる可能性が極めて高いということになる。
ただ、自分のクラスに優待者がいた場合はそれだと自分たちが不利になってしまう。まあ、状況的に例外もあるけどな。
「うん、私もそう思う」
一之瀬もうんうんと頷く。
「実はさっき、龍園くんがこんな話を持ちかけてきてさ」
すると一之瀬は、先ほどグループKで起こったであろう出来事を語り始めた。
概要を切り取ると、B、C、Dクラスの優待者の情報を共有し、特殊グループを突き止めるとともにそれらを組み合わせて優待者の決定の規則性を見つけ、Aクラスを一気に追い詰める、というものだった。それを龍園が提案したものの、ほぼ全員からの反対意見を受けて否決された、ということらしかった。
「そりゃ否決されるだろ……」
「そうだよね」
提案者が一之瀬であっても、恐らく俺は信用しない。ましてや龍園だ。信用なんて言葉からはかけ離れている男の提案を素直に飲み込むほどのアホはいないだろう。
「クラスのまとめ役ってのも、いろんな方向から大変そうだな」
クラス内の統率はもちろんのこと、クラス外のことに関しても人一倍気を使わなければならない。しかも、今のような提案を受けるのも、目をつけられるのも当然本人だ。誰かを隠れ蓑にして裏で動く綾小路のようなことはできない。
特に一之瀬の場合は龍園とは違い、信頼を勝ち取って行動していくタイプだ。他クラスへの印象を落とさないためにそう簡単に人を裏切ることはできないし、裏切るにしても、状況を詳しく的確に把握し、ここぞという時にしなければ状況が逆に不利になってしまうことだってある。
「名前には龍なんて入ってるけど、あれはまるで蛇だよ。掴んだ獲物はどこまでも逃さないって執念を感じたよ。それから、今は私よりも堀北さんの方が心配かな。さっきの話し合いのときも結構頻繁に名前に出してたし」
よほど堀北が気にかかっているらしい。恐らくそれは、須藤の暴力事件を堀北が片付けたという実しやかな噂が広まってからだろう。そして、まだ綾小路の存在はほぼ気にかかっていないと見ていいだろう。須藤の件も、無人島試験も暗躍したのは綾小路。この様子だと、今回も、そして次回も、さらにその次も綾小路は何かしらの形で暗躍し続ける。自分は事なかれ主義だと言っていた頃が嘘のようだ。
「そうか。じゃあ、余計なお世話かもしれないが警戒するように言っておく。あと一之瀬、お前さっき俺にも質問するって言ってたけど、もう1人誰かに聞いたのか?」
はじめに気になっていたことを率直に聞く。
「綾小路くんにも同じこと聞いたよ。それで話し合ったんだけど、協力してもらえることになった。私たちのグループでは、さっきの方針で行動していくことになるかな。優待者を絞ることが、今回の試験のクリアにも繋がると思うから」
それは間違いなかった。優待者を把握できれば、状況次第で結果1にも結果3にも持ち込める。しかも、もしその時に自分のクラスのメンバーの中にも優待者がいたら、その瞬間にそのグループが特殊グループだということが確定する。優待者が一番のキーであることに疑いの余地はない。
「まあ自分のグループのこともよく知らないのに、今は他のグループを気にかけてる余裕はちょっとないな」
「焦る必要はないよ。リスクも大きいから」
「分かってる」
「じゃあ、ここでばいばいだね。また今度ね」
「ああ」
そんな短い挨拶を最後に、俺と一之瀬は広い廊下の中で別れた。
一之瀬は知ってか知らずか、俺に大きすぎるヒントを与えてくれた。
いや、恐らくは無意識だろう。もしも意識して言っていたとしたら、今の段階で試験が続行していること自体がおかしい。何か別の狙いがあるのならば話は別だが、いくら一之瀬と言っても、そこまでの状況ならば攻撃を仕掛ける以外に選択肢は存在しない。
すなわち、「全てのグループの優待者を把握できる」状態で、何もせずに放置するのは悪手以外の何物でもないということだ。
取り敢えず、一之瀬には感謝しないといけないかもしれないな。
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ep.33
では、どうぞ。
2日目の、夜のディスカッションを終えた。
状況に今までとの違いはほぼない。今まで通りAクラスは会話には不参加。俺はぼっちで堀北もぼっちだ。試験中といえどその状況は全く変わらない。
今までと変わったことといえば、Bクラスの生徒が2人トランプを持ってきて、グループ内の数人でそれで遊んでいたことだ。俺もやらないかと誘われたが、別にいい、と言って断った。堀北も断ったが、南はそれに参加していた。
トランプは心理戦だ。ここから読まれて、南が優待者だと特定されなければいいんだが。
グループLでは、午後1時からのディスカッションからトランプを使っていた、と一之瀬本人の口から聞いた。
トランプといえば、数字は1から13まである。奇しくもその数字は、この船上試験でのグループ数と同じ。さらに付け加えるなら、絵柄の種類は4種。こっちは学級の数と一致している。
手がかりが少ない状況なら、藁だろうがプランクトンだろうが掴む対象を選んではいられない。この視点から考えてみるのもよかったかもしれないな。
「堀北」
部屋を出たところで、声をかける。
「ちょっと話したいことがある。時間もらってもいいか」
「……分かったわ。行きましょう」
他のクラスに聞かれてはまずいことだと察したのか、堀北は人気のない場所へ移動する。人が1人も通らなくなったところで足を止めた。
「で、何かしら?」
「……お前にも協力してほしい。優待者の件について」
俺がそういうと、堀北の表情に一気に緊張感が走る。改めて周りに誰もいないことを確認し、小声で話しを続ける。
「……あなたは誰が優待者なのか知っているというの?」
「ああ……機会があって、平田から教えてもらった」
その時は全員を教えてもらえたわけではなかったが。
「それで……誰なの?」
「少し待ってくれ」
端末を起動し、平田から教えてもらった優待者の情報を打ち込んで、堀北に見せる。もちろん、このことは平田にも確認済みだ。
『グループGの吉野、グループLの南、グループKの櫛田』
「本当に……?」
「ああ、間違いない。後で平田に確認してくれて構わない」
別に嘘をついてるわけじゃないし、嘘を言う理由もない。
「まさか私たちのグループにいるなんて……思いもよらなかったわ」
それはそうだ。俺も始め知った時にはびっくりした。
堀北は櫛田のことには言及しなかったが、内心どう思っているんだろうか。
「俺も聞いた時は驚いた……だがそうと分かった以上、絶対に守り抜く必要がある。お前にも手伝ってほしいんだ」
「それはもちろんそうだけれど……」
俺の言葉を否定しないながらも、どこか腑に落ちていない様子だ。
「何故今まで黙っていたの?」
どうやら、今になって報告したことに疑問を感じているらしい。
「俺がこの話を平田から聞いたのは昨日の深夜だ……その時間から今まで、話す機会がなかったのと、今みたいにリスクを背負ってまで共有する必要があるかも迷ってた」
堀北からすれば不本意なことだろうが、平田も言っていたように、知る人間が多ければ多いほど露呈のリスクは高まる。安易に話す選択はできなかった。
「話してくれたことには感謝するけれど、言うならもっと早く言って。残りは明後日1日だけよ。……といっても、現状では放置が一番良さそうね」
「ああ。いま変に動くと逆に怪しまれる」
南だが、なんだかんだで上手く立ち回ってはいるようだ。
まあ、そう簡単に嘘なんて判断できるもんじゃない。それをするためには、1人1人の一挙手一投足、細部まで見逃さずに詳しくチェックする必要がある。やろうと思うと面倒で果てのない作業だし、異変を察知できるかなりの高さの観察眼が必要だ。
「待って、放置が最善ならわざわざ話す必要はないんじゃない?」
「単純に考えるならな。でも、もしもってこともあるだろ。例えば、どこかのクラスが優待者を突き止めるために、優待者じゃない人は名乗り出てメールを見せないか、なんて提案してきたとき、俺たちはそれに乗るわけにはいかない。そういう時の対応を迫られたときのことを考えると、話しておいたほうがいいからな」
たとえこのことを話していなくても、堀北の性格上その提案を蹴る可能性は高い。だがこうして事実を見せることで、100%堀北はその提案を蹴る。
「……あなた、また私を利用しようとしてない?」
懐疑的な目線でこちらをうかがう堀北。
「利用って、どう利用するんだよ。前回と違って優待者の変更は如何なる理由でも許されないって言われただろ」
「それは……そうだけど」
俺が堀北にこのことを伝えたもう1つの理由としては、伝えておかないと後々面倒なことになりそうだったからだ。協力すると言ったのに、その協力者、ましてや同じクラスの人間に優待者を伝えていないとなれば、協力関係にもヒビが入る。その場合の堀北の説得には時間がかかるだろう。
これは堀北には伝えなくていい理由。もう一つ、堀北に気づいてほしいことがあった。
「……堀北。実はもう気づいてるんだろ?何か行動を起こすには、平田や、あるいはその他のクラスメイトの協力が不可欠だってこと」
堀北の能力は常人のそれを大きく超えるものだが、1人で何かをやるには限界がある。
そもそも、このバカンスが始まるまで、俺と堀北の信頼度は似たり寄ったり。むしろ堀北の方が高かったくらいだ。だが現状、俺は優待者を知っており、堀北は知らなかった。この違いは何か。
俺は平田と協力関係を築くことができた。無人島の試験でクラスのためにいつもより積極的に動いたのは、平田からの信頼を得るためでもあった。俺らしい行動ではないことは重々承知の上でそうしている。
綾小路もその手立てを考えているだろう。若しくはすでに実行段階にあるか。
どちらにせよ堀北は、俺や綾小路の協力では補えない部分、クラスとのパイプを作る必要がある。
「……優待者の件は、色々な状況を想定して考えておくわ。じゃあ」
「おい……」
止めようとはしたが、それを無視し、堀北は足早に自室に戻っていった。
悪くない。むしろ好感触だ。ああいう反応は、本人に自覚がある証拠と言ってもいい。堀北にはちゃんと響いてる。あとは遅いか早いかの問題だ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ディスカッション終了から2時間が経過した。時刻は午後11時を回った頃だ。
飲食店やその他の店が立ち並ぶ区画。俺はその一角、あるカフェの席に1人で座っていた。
俺の場合、カフェであってもどこであっても1人で座っていることなんて珍しくないし、むしろそれが自然なのだが、今に限っては完全にぼっちというわけではない。
人気がなく、音もない空間。紅茶を口に運び、カップをソーサに置く際のカチャ、という音を出すことすら躊躇われる静けさだった。
そんな中、コツ、コツ、と足音が聞こえてくる。
店の入り口の方に目を向けると、その足音は店の中に入ってきた。
「お待たせ、速野くん」
こちらに小さく手を振りながら、俺を見つけて少し小走りで向かい側の席に座る女子生徒。
俺の友人で、Aクラスの藤野麗那だった。
ボブカットの綺麗な銀髪はまだ完全には乾ききっていない。少し前まで風呂に入っていたんだろう。
今から1時間ほど前、俺は藤野から、話がしたいのでここに来てほしい、と連絡を受けた。
俺自身、藤野には少し聞きたいことがあったので承諾し、今に至るというわけである。
「ごめんね、私から呼び出したのに遅れちゃって……」
「いや、それは別に」
藤野が遅れたわけではない。俺が少し早かっただけのことだ。
「足はもう大丈夫なのか?」
無人島での一幕を思い出しながら言う。あの時の傷は、素人目に見ても結構深く、痛々しいものだった。歩くこともままなっていなかったことから、かなり痛かったのは想像できる。
「うん、もう大丈夫。あのあと、船に戻ってすぐに手当てしたから。今は綺麗さっぱり」
「そうか」
店に入ってくる足取りを見る限り普段の藤野だったし、もう完治しているんだろう。
藤野は紅茶と茶請けを注文。その際、俺も茶請けとしてクッキーを頼んだ。もちろん、全て無料。ポイント不足で生活に困窮するDクラスの日常では味わえない優雅な夜だ。
「ん、美味しい」
俺が初めて藤野と会った時にも思ったが、こいつ本当に美味そうに食べるよな。作った側としても、こういう顔を見ると嬉しくなるだろう。そういう意味では、堀北が俺に夕飯作ったときの俺の反応はさぞ面白くなかっただろうな。
頼んだクッキーをサクサク食べて、紅茶を口に運んだとき、藤野が言った。
「カステラ食べる?」
俺の目には、ふわふわしていて美味そうなカステラが映る。正直、食べたいとは思っていた。
「ああ、じゃあもらう」
その言葉を聞いた藤野は、フォークでカステラを一切れ切り分け、俺に差し出した。
フォークの方を。
「はい、あーん」
カステラが目の前に迫ってきて、藤野の声かけとともに口が勝手に近づいていく。
「あー……っと待ったストップ、何やってんだお前」
口に入る直前、俺はこれからやろうとしていたことの恐ろしさに気づいた。
「あはは、冗談冗談。はい、どうぞ」
今度こそ皿の方を差し出してくれ、俺はひと口サイズのカステラを素手で掴んで食べる。
うん、うまい。
「ありがとう。クッキー一個食っていいぞ」
「ほんと?じゃあいただきまーす」
サクサクと音を立てながら、藤野の口の中でクッキーが噛み砕かれていく。一回噛むごとに藤野の表情の幸福度合いが増していくのがわかった。
「おいしい。ありがとね」
「ああ。……にしても、冗談きついぞお前。びっくりしたわ」
「あはは、ごめんごめん。……別に…た…て…も良かった…に」
「……」
最後の方が聞き取れなかったが、聞き返すなんて野暮なことはしない。俺は難聴系でも主人公でもないしな。
それから少しの間雑談が続き、俺が店に来てから20分が経過した頃。
俺は一回咳払いをして雑談の流れを打ち切ってから、藤野に言う。
「それで……なんだよ、話って」
まさかこんな時間に呼び出しておいて、ただ今みたいな雑談がしたかったというわけでもあるまい。それだけならこんな深夜でなくてもいいわけだし。
「あー……うん、そだね。そろそろ……」
一旦そこで一呼吸おき、続けた。
「……速野くんは、本当にクラスを裏切ったの?」
俺の目を真っ直ぐに見て、そんな言葉をぶつけてくる。さっきと今とでは、出ている雰囲気が全く違う。そのギャップに少しだけ驚いたが、ひとまず答える。
「……何が言いたいんだ?」
「あの無人島試験の結果は、速野くんの想像通りだった。間違ってる?」
「……じゃあどうやって予測できたっていうんだよ」
自分の口から説明するわけにもいかず、そう問う。
「速野くんが結んだ協定の紙を見たときに、ちょっと不自然だなって思う箇所があったの。嘘をついた時のペナルティで、『記入の時点で内容に虚偽があった場合』って前置きされてた。記入の時点で、っていう文、普通ならいらないよね。これって、書いた時には嘘じゃないけど、後々、その事柄が変更された時には問題なく契約が成立する、ってことだよね。つまり速野くんは、試験終了ギリギリでリーダーが変わるのを知ってて、この契約を結んだ」
刹那の沈黙のあと、藤野は続ける。
「リーダーが堀北さんなのは本当だよね。キーカードに書いてあったから……でも、堀北さんが体調不良でリタイアすることによって、リーダーが変更になった。これがリーダー変更が可能な『正当な理由』だったんだよね?もし本当に絶対に変更できないなら、この船上試験の優待者みたいに『如何なる理由でも交代は不可能』って書くはずだから」
どのタイミングでかは知らないが、藤野もそれに気づいてたか。
……これはもう、隠し通すのは無理か。というか、もう既にほぼ丸裸の状態だしな。
「……ああ、そうだ。この結果になることはある程度予想できた」
「……やっぱり、クラスを売ったなんて嘘だったんだね」
藤野は少し苦笑いしながらこちらを見てくる。
藤野が予想を超えて優秀だった。まさか全て見抜かれるとは。葛城も自力ではたどり着けなかった事実だ。
しかし、そうだと仮定すると、また新たな疑問が生まれてくる。
そしてそれは、俺が藤野に確認したかったことと直結する。
「……藤野。俺からも確認させてほしいことがある」
「え?えっと……なに?」
攻守交代。ここからは俺の攻めだ。
「ちょっと前の話になる。須藤が暴力事件を起こして停学になるかも、って騒ぎがあっただろ」
「あー……うん、あったね」
事態はなんとか収束したが、正直危なかった。
「お前はあのとき、俺に情報をくれた。石崎は中学の頃、問題行動が多かったって」
藤野はそれにも頷く。
「変なんだよ、どう考えても」
「え?」
「Bクラスのやつに確認したら、ホームルームで伝えられたのは『Dクラスの須藤とCクラスの3人が喧嘩になった』ということだけだった。つまり普通、Cクラス側の人間の1人が石崎だなんて知らないはずだ。なのにお前はそれを知っていた。それって……お前は、あの事件、それかその前後の目撃者だった、ってことじゃないのか」
俺が一之瀬の後を追ってまで事の真偽を確認したのは、一之瀬の言っていたことが本当だとすると、藤野は不自然に詳しすぎると言うことになり、藤野が何か隠し事をしていることになると考えたからだ。
確認して見た結果、一之瀬も100パーセント本当のことを言っていたわけではなかったが、同時に藤野への疑惑も増した。なぜ藤野はその情報を知っていたのか、それはただ一つ。藤野が事件の一部始終を目撃していたからだ、という結論に至った。
「……分かっちゃったか。うん、速野くんの言う通り私は事件直前の目撃者だった。石崎くんたちが『絶対に自分たちから須藤に手を出すな』とか、『絶対に失敗するなよ』とか話してたのを聞いてたの」
その会話の内容で、Cクラス側が仕組んでいたってことは分かったわけか。
「やっぱりそうだったんだな」
「うん。……ごめんね、黙ってて。そういえば速野くん、『目撃者たち』って言ってたよね。もしかしてあの時点で気づいてたの?」
少し思い出してみると、藤野と放課後に買い物に行った際、そんな言い間違えをした覚えがある。
「そうじゃないか、とは思ってた」
「そっか……じゃあ、さ。私がなんで黙ってたかも、分かったりするかな?」
それに関しても、俺は大方の予想がついていた。
だがそれを解く前に、前提となる事実が必要だ。
「その前にもう一つ聞かせてくれ藤野」
「うん。なに?」
「無人島試験で、お前は多分早い段階でカラクリに気づいてただろ。お前が共有しておけば、Aクラスが失うポイントはもっと少なくて済んだはずじゃないか」
「……」
藤野は俺だけでなく、自分のクラスにも隠し事をしていた。
「お前がその情報を共有しなかったのは……お前にとって、葛城は敵だったから、じゃないのか?」
「……」
無言を貫く藤野。もう少し踏み込むか。
「お前がクラスで、葛城派と坂柳派のどっちにも所属してないのは本当だろう。でもそれは中立ってわけじゃなくて……お前は葛城でも坂柳でもない、別の派閥に属している。違うか?」
真っ直ぐに藤野を見つめ、言った。
俺の核心的な一言で、藤野の表情が再び苦笑に変わる。
「……速野くんって、なんでも分かっちゃうんだね。速野くんの言う通り、葛城くん、坂柳さんとは別の勢力がAクラスにはあって、私はそこに入ってる。今まで中立だった人たちも、みんなそのグループだよ」
「やっぱり……」
「でもさ」
藤野が俺の言葉を遮り、言う。
「……覚えてるよね?それは速野くんのアドバイスだったって」
「……ああ、それはもちろん」
第3の勢力を作るのが俺のアドバイス。それは今から約三ヶ月前、俺が藤野から「クラスが二分されていて困っている」という相談の電話をしてきた時に遡る。
「藤野。突飛な発想だが……」
『聞かせてほしい』
「……もしどうしようもない時は、自分で三つ目の勢力を作る、ってのも手だと思う」
『…………』
「……悪い、やっぱりちょっとぶっ飛びすぎてるな。今のは忘れてくれ」
『……ううん、なんか話しててすごいスッキリした。ありがとね、真剣に考えてくれて』
つまりこいつは、俺が言ったそのアドバイスを本当に実行してしまっているということだ。
「お前は試験結果を悪い方向に持っていくことで、葛城の失脚を狙った。そしたら今度は坂柳派に白羽の矢が立つ。お前はそれも影で妨害して、最終的に自分にお鉢が回ってくるのを待ってるってことか?」
「大体そんな感じかな」
「じゃあ、お前が葛城とよく行動を共にしてたのは……」
「うん。出来るだけ内部の情報を知るため」
簡単に言うとスパイのようなものか。
俺はここで、さらに気になっていることを聞いた。
「もし違うなら一刀両断してほしい。お前が俺に石崎の情報を流したのに、目撃者だってことを名乗り出なかったのは……俺を試してたのか?」
目撃者として名乗り出ない理由としては、そのほとんどが関わり合いたくないからだろう。だが藤野の場合は違う。関わり合いたくないなら、俺に石崎のことを言うのは変だからだ。
考えられるのは、自分が知り得ない情報をわざと俺に言って、俺がそれに気付くかどうかを試していたということ。自意識過剰と言われればそれまでかもしれないが、一番可能性が高いのはこれだと思う。
「……うん、全部速野くんの言う通り。試してたの」
藤野は観念した、という表情でそう答えた。
「それで……結果は?」
「もう、予想以上過ぎて測れないよ……」
どうやら、ちゃんと高評価を頂いていたらしい。
「まさか速野くんがここまで凄いなんて……なんでここまでの人がAクラスじゃないのか分かんないよ」
「そりゃ、俺に協調性がないからだろ、多分。堀北も同じ理由でDクラスに入ってるし」
「……そうなのかな」
「俺にはそれしか心当たりがない」
中学の頃の授業態度や学校生活では何もトラブルは起こさなかった。テストの点数もちゃんと取ってたし、課題も必ず期間内に提出していた。問題があるとすれば、中学3年間をぼっちで過ごし続けたことくらいだろう。
他に何か原因があったとしても、今ここで考えることに意味はない。
「……速野くん」
「……ん?」
居住まいを正した藤野が、改まって言った。
「……都合のいいお願いだってことはわかってるけど……でも、お願い。私に協力してほしい」
いつになく表情は真剣だ。
「……それはつまり、試験の合格通知って意味か?」
「そんな上から目線なこと、もうできないよ……私自身、速野くんを試したのは後悔してるもん」
「……」
恐らくその藤野の後悔の念が、俺たちの間になんとも言えない気まずさを生み、一時期連絡が途絶えることに繋がったんだろう。
「……俺とお前とじゃ学級が違う。この学校のシステム上、藤野の派閥に協力することで、俺が不利益を被ることだってあり得るんじゃないか?」
「だったら、それ以上の見返りを私たちが用意する。もし速野くんが見返りに納得できなかったら協力しなくてもいい。それに、クラスを裏切れ、なんて頼んだりしないよ。少なくとも速野くんがDクラスにいる間は、Dクラスのマイナスになるようなことは絶対しないって約束する。……プラスの要素を奪っちゃうことは、あるかもしれないけど」
例えば今の船上試験で例えるなら、Dクラスの優待者が分かっても指名しない、とかそう言うことを言いたいんだろう。
「それから、これは個人的な望みになっちゃうんだけどね……」
そう前置きして、藤野が言った。
「私ね……速野くんと同じクラスで卒業したいって思ってるの。もちろんこれは私が勝手に思ってることだから、速野くんが気にする必要はないんだけど……速野くんが、私たちとの協力を通して2000万ポイント貯められたら、その時は私たちのクラスに来て欲しい」
今ここで協力すると言っても、その都度見返りに納得できなければ協力しないという選択肢も取れる。内容の自由度は高い。デメリットといえば、Dクラスが獲得するはずだったプラスがなくなってしまう可能性があることだが、その場合は、さらに大きい見返りで相殺するか、Dクラスの利益も損なわない方法を考えればいい。要は俺次第ということだ。
恐らく藤野の言っていることは信じていいだろう。どこかに罠が仕掛けられていないか検証してみるが、今の段階ではそれは思いつかなかった。
「分かった。協力する方向でいく」
「ほんとに!?」
「ああ。ただ、俺は自分の利益を最優先させてもらう。貯めたポイントをクラス異動に使うかどうかも、俺の判断で決めさせてくれ。その条件が呑めるなら……」
「もちろん。速野くんに無理強いすることだけは絶対にないよ」
「分かった」
こうして、ここに俺と藤野の協定が成立した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
頼んだものを全て食べ終わり、店を出た俺と藤野。
「……じゃあ、またな」
「うん。……頑張ろうね」
「ああ。頑張ってくれ」
そう言い残して、自室に戻るために歩き出した時。
背中に少し衝撃が走り、服が引っ張られる感覚がある。
後ろを振り向くと、そこには俺の背中に顔を埋めた、さっき別れたはずの藤野が立っていた。
「……藤野?」
「……もう一つ、頼んでもいい……?」
さっきとは違う、か細い声。
「……こんな形になっちゃったけど……この協力関係を抜きにして、速野くんとはずっと友達でいたい。……いや、かな?」
少し不安そうな表情を浮かべ、こちらを見上げる藤野。
本当に心から、俺を友達だと、そう思ってくれているのだろうか。
……だが少なくとも俺はもう、後戻りできないところまで藤野のことを友人であると認識してしまっている。協力関係があってもなくても、今更その認識を変えることはできそうになかった。
なんせ藤野は、俺が『こう』なってから初めてできた友人なのだ。
「……いやじゃない。俺もお前のことは友人だって思ってる」
本音を伝えると、藤野の顔は満面の笑みに包まれた。
「……ありがとう」
「……本音を言っただけだよ」
「だからこそ嬉しいんだよ?」
そんな感じで、部屋に向かって歩き出しながら、適当に雑談を続ける。
俺も藤野も、お互いが友達同士であると認識している。
そうは言っても、お互いに利益を追求する目的の協力関係を結んだ以上、今まで通りとはいかないかもしれない。
小学校低学年以来の友人。好きとかそういうんではなく、友人。
藤野に出会った瞬間から感じている、友情とは全く別の、「俺はこいつのことを大切にしないといけない」という妙な感情の根元がどこにあるのか、俺は皆目見当もついていなかった。
これまでの伏線にかなり踏み込んで書きました。展開は広がりましたが、迷走しないように、上手くまとめて着地できるように頑張ろうと思います。
感想、評価お待ちしております。
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ep.34
では、どうぞ。
俺の中で疑問に感じていたことがいくつか片付き、昨夜は気分良く寝ることができた。
今日は完全自由日。あの何一つ進展のない不毛なディスカッションも、今日は開かれない。
堀北に協力要請はしたし、よほどのことがなければ南が優待者だとバレることはないだろう。
そして今目の前にいる少女は、その『よほどのこと』が起こったかもしれないグループに属している。いや、属していた。
「私、何か余計なことしちゃったかな……」
佐倉は、少し不満そうな面持ちでそう呟く。
「いや、このメールは誰かがグループAを裏切った証拠だ」
今朝起きた時に、メールでグループAの試験が終了したと書かれてあったため、こうして佐倉を呼び出し、話を聞かせてもらっている。
「佐倉、お前が優待者だったってことは?」
「ううん……私は違うよ。でも、須藤くんたちはどうなのか、分からないけど……」
「まあ、分からなくて当然くらいの気持ちでいいと思うぞ」
こちらも、ディスカッションから得た情報なんてゼロに等しい。
「……ありがとう。そう言ってくれるだけでも嬉しいな……」
「……ところで、Aクラスはやっぱり会話には不参加だったか?」
「うん、話し合ってる時も、Aクラスの人たちだけ円から外れてて……」
まあ、俺たちと似たようなものか。葛城の案は、Aクラス全員に徹底されていると見ていいだろう。
裏切ったクラスとして一番可能性が高いのは、イメージ通りでいうとCクラス。だが、何もかもがわからない今の状態ではどの可能性も捨てきれない。いくら慎重な葛城派といっても、例えば、メールを偶然見るなどして絶対の自信を持って優待者が判断できた場合には、裏切る可能性もある。Dクラスも、須藤や池が早まって突撃してしまった可能性は否定できない。
Bクラスも然り。だが、様々な観点から見て一番可能性が低い気がした。
聞くところによると、龍園は優待者の法則を見つけ出そうとしているらしい。だが、もしそれを解き明かしたとしたらもっと多くのグループの試験が終了しているはず。これは、まだ龍園が答えに辿り着いていない証拠でもあった。
「急に呼び出して悪かったな。何かあったら連絡してくれていいから」
「うん、ありがとね速野くん」
手を振る佐倉に俺も手を上げて答え、その場を立ち去った。
歩きながら、考える、
この状況の中、俺はどのような選択肢を取るのが正解か。
Dクラスが勝つのが最善なのか、それとも、気を緩ませないためにそこそこの結果に収まった方がいいのか。
どちらがこれからのDクラスにとって良い影響を与えるかによって、対応の仕方は全く違ってくる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
佐倉との接触を終えた俺は、船内に戻り、ある場所のベンチの上でグデーっと寝転がっていた。俺のそばには水。そして市販の酔い止め薬。誰の目にも、俺が今どんな状態かは明らかだろう。
ここは人通りが少ない場所だ。だから恐らくずっと俺1人だろうと思っていたのだが……
「あれ、速野くんっ?」
そこに一之瀬が通りがかった。スカートのポケットに持っていたものを入れて俺に近づいてくる。俺がここにいるのを心底驚いている様子だった。
「どうしたのこんなところで?」
「察してくれ……」
その言葉で、一之瀬は俺のそばにある水、酔い止めを目にする。
「あちゃー、恐れていた事態が……」
バカンスに出発する前に一度一之瀬と遭遇し、その時に俺が乗り物酔いしやすい体質だということは伝えていた。俺の症状を察し、苦笑いで言った。
「大丈夫?」
「今はなんとかな……もう少し落ち着いたら部屋に戻る」
硬いベンチより柔らかいベッドがいい。だが、今ここを動くのは得策ではない。落ち着いてからの移動の方がいいだろう。
「一之瀬の方こそ、どうしたんだ?」
「ちょっと野暮用があって通りがかっただけだよ」
通りがかったってことは、ここに直接用があるわけじゃないのか。どうやら何か故障したりして問題があるってことでもなさそうだった。
「ほんとに大丈夫?ちょっと放って置けないし、私、部屋までつき添う?」
「え……いいのか、野暮用ってのは?」
「大丈夫大丈夫。まだ時間に余裕はあるし。それよりさ、ほら。部屋で休んだ方がずっといいよ?」
そう言って、こちらに手を差し出してくる一之瀬。
「……それもそうだな。悪い。じゃあ頼めるか」
「オッケー」
その手を取って、体を引かれながら立ち上がる。
いつもの半分ほどの速さのゆっくりとしたペースで歩いていく。
「速野くんたちのグループはどう?成果ありそう?」
「いや、これと言って特にないな」
ディスカッションから得られる情報だけでは、この試験をクリアすることはほぼ不可能と言っていい。優待者は絶対に名乗り出ない。
「一之瀬はどうなんだ?」
「うーん、まあぼちぼちって感じかな?」
「ぼちぼち、ねえ……」
無い、とは言わないんだな。ディスカッションから何か得られたのか。それとも、別のクリアルートを見つけたのか。どちらにせよ、一之瀬に油断は禁物だろう。流石に今のこの厚意を疑うつもりはないが。
「……まあ、お手柔らかにな」
「あはは、こちらこそ」
ゆっくり歩いて10分ほどで、俺の部屋の前に到着。お礼を言って、一之瀬と別れた。
まあ、俺も成果はぼちぼちってところか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「次で最後の試験ね。綾小路くんの方はどうなの?」
場面は変わって試験最終日。午後1時からの1時間のディスカッションを終えてから5時間ほどが経過した頃、俺、堀北、綾小路の3人は外に出向き、集合していた。
「何一つ進展はなし。このまま優待者の逃げ切りを許しそうだ。そっちは?」
俺と堀北の両方を見て、綾小路が問う。
恐らく、あまり期待はしていなかったはずだ。
「勝つわ」
短く答える堀北を見て、綾小路は少し意外そうな表情を浮かべた。
「抜かりはない、ってことか?」
「まあ、そうだな。どこで誰が聞き耳立ててるか分からないからここでの言明は避けるが……」
綾小路の反応はわざとだろうか。俺と堀北の所属するグループIの優待者はDクラスにいるのをこいつは知っているはず。多分、俺と同じように面倒を避けるためか。ここでその事実を告げたところでなんの意味もないからな。
「それで、私に話って何かしら。あなたとしても、私と不用意に接触するのは避けたいところじゃないの?」
たしかにその通りだ。堀北と綾小路は接触の回数が多い。接触を繰り返せば、いずれ綾小路も怪しまれるだろう。
「いつまでも龍園の目に怯えてるわけにもいかないだろ」
「というと、何か手立てでもできたのかしら?」
「まあ、そんなところだ」
頷いた綾小路を見て、堀北は若干驚いた表情を見せる。
「平田と協力関係を結べそうだ。平田がこっちについてくれれば、色々有利になるだろうからな」
「……私にもそれに加われ、と言いたいの?」
言いながら堀北はこちらを睨む。2日目の試験終了直後に俺が言ったことと酷似していたからだろう。やっぱり綾小路は綾小路で策を考えていたのだ。
「別に加われなんて言ってないさ。お前と平田が直接関わりを持つ必要はない。話は俺らで勝手に進めておくから、適当に合わせてくれるだけでいいしな」
平田には恐らく、堀北がこれこれこういう風に言っていた、と伝えるのだろう。つまり、平田が提案した堀北との橋渡し役を引き受ける形を取るということだ。
どうやったかは知らないが、綾小路は上手くことを運んでいるらしい。
「……気に入らないわね。裏でこそこそ動かれるのは不快だわ」
「だったら、話し合い顔だけ出せばいい。平田もお前に発言を強制することはないだろうし。それならこそこそ動くも何もないだろ?」
「……まあ、そうだけれど」
参加不参加の権利を与えられたことで反論の機会を失い、少し不服そうな堀北。だが、頭では理解しているはずだ。無人島試験でクラスをまとめ上げた平田の手腕が、上に上がるためには必要不可欠であることが。
「平田も含めて、2人に紹介したい人がいる。試験が終わったら時間取ってくれ」
「ちょっと待って。勝手に人を増やさないでくれる?」
「お前が表に立つことを決めた代償とでも思ってくれ。絶対に役に立つはずだ」
「大方の予想はつくけれど……いいわ。次の試験が終わったらここで落ち合いましょう」
紹介したい人物か。他にも何か手を回していたってことか?
携帯で時刻を確認すると、試験開始30分前となっていた。
「この試験、いくつのグループで裏切り者による投票が行われるのかしら」
「さあな。でも、そう簡単に優待者が尻尾を見せるとも思えないし、結局は優待者逃げ切りの形が一番多くなるんじゃないか」
「……やはりそうよね」
そう答えながらも、堀北は一瞬目を伏せる。
「何かあるのか?」
「いえ、別に。少し腑に落ちないものを感じただけよ。でも、何も間違えたことはしていないはず。安心してくれていいわ」
まあ間違えるも何も、グループIでは特に誰も仕掛けてこなかった。もしかしたらBかCクラスあたりで何かあるんじゃないかと思っていたが、それもなさそうだ。このグループに関しての堀北の心配は杞憂に終わるだろう。
「……頼むぞ」
「……ああ」
綾小路との別れ際、堀北には聞こえないようにそんな言葉を交わした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
グループIの部屋への道のり、俺と堀北は2人で歩くことになる。
綾小路と別れてから数分続いた沈黙を破り、堀北が口を開いた。
「ねえ、優待者もそうだけれど、試験前に説明のあった特殊グループについて、あなたはどう思ってるの?」
そういえば、あまり話題に出てこなかったな、特殊グループ。忘れていたわけではないんだが、全員それよりも優待者を突き止めることに集中していたからだろう。
「さあ、考えが及んでなかったな」
「どこなのかしらね。Dクラスの優待者がいるグループG、I、Kのどちらかがそうである可能性は極めて高いけれど……」
だが、Dクラスにはあと1人優待者がいる。それが誰なのか分かっていないならば判定もできないな。特殊グループの中では裏切りが既に起こっているかも知れないが、3つ以上回答されなければ生徒に通知がいかない。
「まあ取り敢えず、今は優待者のことを考えた方がいいな。直近の問題はそれだ」
「……そうね」
特殊グループがどこなのか分かっても、優待者が誰なのかが分からなければあまり効果はない。優先すべきは優待者。南を守り抜くことだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ディスカッション開始から30分が経過した。そこにはいつもの光景が広がっており、なんの変わり映えもない。誰かが仕掛けるということもなく、グループIも、このまま優待者の逃げ切りを許すことになるんだろうか。もちろん、Dクラスに優待者がいる以上、堀北や南の狙いはそれしかないが。
試験開始当初、誰かが優待者の炙り出しをしてもおかしくないと思っていた。簡単に言えば、優待者じゃない人間が自分のメールを見せ、絞り込む。俺が堀北に協力を要請した理由の一つでもある。だが、誰もその気配が感じられないことから、さっきの午後1時からのディスカッションの時点でその線は捨てた。こちらとしても、それはありがたいことだしな。
「いよいよ最後ですね、速野さん」
俺のことをそんな風に呼んだやつは1人しか知らない。Cクラスの椎名だ。
「ああ、そうだな」
「何か成果はありましたか?」
「あったらとっくに実行に移してる。何もないからこうしてダラダラ過ごしてるんだ」
「それもそうですね」
なんなんだこいつは。なんで堀北じゃなく俺に話しかけてくる?警戒の対象は堀北じゃないのか?
龍園の中では俺が警戒されてて、椎名に俺を調べさせてるってことか?だとしたら、色々よろしくない展開だ。龍園の手が綾小路に届くときが早まるかもしれない。
「そっちはどうなんだよ。やっぱり成果はないか」
「はい。見ての通りです」
言いながら椎名は、俺の視線をCクラスの3人に誘導する。
石崎は携帯をいじっており、山田は寝ているようだった。そして椎名。どう見ても全員やる気がないのは明白だった。
まあ側から見れば、俺も堀北もやる気がないようにしか見えないだろう。Dクラスで唯一やる気があると認識される可能性があるやつといえば、優待者の張本人である南だ。優待者が積極的に動くはずがない、と全員に認識されていたとしたら、このこともプラスに繋がるかもしれない。……と信じたい。
「この分だと、優待者逃げ切りで決まりか」
「そのようですね」
そこで会話は打ち切られ、椎名は先ほどまで自分が座っていた位置に戻っていった。
その様子を見ていた堀北が口を開く。
「彼女、随分あなたに注目してるみたいね」
堀北も、椎名の2度目の俺への接触に疑問を感じているようだ。
「龍園くんは、無人島試験での私たちの結果は、私ではない誰かが裏で何かしら動いていたからと見ているそうよ。その黒幕探しの一環じゃないかしら」
「なんだそれ。あの結果はお前が何かしらからああなったんだろ?龍園ってのもただの駄々っ子だな」
みんなの耳があるから口ではそう言うしかないが、内心龍園に驚かされていた。
龍園の読みは当たっている。Cクラスの頂点に立っているだけあって、相当な洞察力を持っているんだろう。だとすれば、俺が裏で動いた人物の容疑者の1人に上がるのも不思議なことではない、か。
そんな感じで考察していると、ポケットに入っている携帯が震えだした。メールが来たサインだ。
そのメールを開いてみるが、訳の分からん内容だったのですぐに消す。こういうのは即削除に限る。
俺はそのままの流れで、ある人物に電話をかけた。
2コール、3コール……と、9コール目でようやく出た。
「もしもし綾小路?お前出るの遅えよ。ちょっと聞きたいことあるんだけどさ……綾小路?おーい」
呼びかけてみるが、さっきから全く返答がない。
「おい無視すんなよ。綾小路?」
プツン。
結局一言も話すことができず、通話は切られてしまった。
「なんだあいつ……」
口に出して、少し悪態をつく。まさか無視されるとは思っていなかった。逆無言電話とはまた斬新だ。
「ちょっと、あなた電話のときそんなに声大きかったかしら?」
本を読んでいた堀北は、俺の声に集中を乱されてしまったらしく、睨まれてしまう。
俺の声は本当に大きかったらしく、部屋の中にいる生徒の殆どの目が俺に向いていた。
「いや……悪い悪い。電話して、繋がったまでは良かったんだが、なぜか何も答えてくれないまま切られてな……」
「……哀れね」
「うるせえ」
そんなやりとりをしているうち、俺はみんなの痛い視線から逃れた。はあ……注目されるのって、結構きついもんがあるな。特にこういう好奇の目はつらい。次から声の音量ちゃんと調節しよう。
そう決意した直後、試験終了5分前のアナウンスが入った。5分以内にグループを解散し、自室に戻るように指示を受ける。
「うーん、優待者見つけられなかったかー。じゃあみんな、お疲れ様。ありがとねー」
グループIの仕切り役的立場だったBクラスの浅田が残念そうに呟く。全員に対しての労いを忘れていないあたりが好印象だ。といっても、正直なところお疲れ様と言われるほど何もしてないけど。
さて、上手く行ったんだろうか。
〜side 綾小路〜
「ねえ、ちょっと待って」
出て行こうとするオレの肩に手を置いて、それを制止する一之瀬。
その瞬間、部屋の空気がピシッと張り詰めていくのを感じた。
「この携帯入れ替え作戦、誰の立案?」
「堀北に決まってるだろ」
「そっか。じゃあ堀北さんに伝えてくれないかな?作戦大成功だったよって」
「大成功?失敗も失敗だろ。一之瀬に見破られた」
「あはは。同じ作戦を思いついてたっていうのはちょっと想定外だったかもね」
同じ作戦を思いついていたからこそ、一之瀬はオレの作戦を見破ることができた。
「騙すような真似して悪かったな。協定があるのに。怒ってるか?」
「まさか。私たちも勝手に作戦決行しちゃったし、お互い様だよ」
「そう言ってくれると助かる」
今度こそ部屋を出ようとした。
「わ、ちょっとタイムタイム。肝心の話がまだ終わってないよ?」
「肝心の話?」
「もー、とぼけないでよ綾小路くん。さっき言った通り、たしかにSIMカードは端末ごとにロックされてて交換できない。でも、交換する方法はあった……だよね?星之宮先生に確認したら、お店に行ってポイントを払えば簡単に解除できるって言ってたもん」
チリ、と、頭に電気が走るのを感じる。
「嘘のあとに出てきた答えを、人は真実だって思ってしまう。偶然かかってきた電話で、パスワードを解除してみせた幸村くんは優待者じゃないことが分かった。綾小路くんと携帯を交換してたことも。もう誰が見ても綾小路くんが優待者だって思っちゃうけど、それこそが罠。私はこの入れ替え作戦は未完全って言ったけど、この一手はかなり有効だもん。二重以上にトラップを仕掛ければ、の話だけどね。これをやられたら、もうほんとうの優待者が誰なのか誰にもわからない。それからあの電話も多分仕組まれたものだったんだよね?いくらなんでもタイミングよすぎるもん」
一之瀬には、この作戦の裏の裏まで見通されていた。
まず、大前提としてオレは優待者ではない。幸村も違う。だが、オレは幸村に対して優待者として接した。優待者に選ばれた、という内容のメールを見せてそれを信じ込ませた。だが、この時見せた携帯の本当の所有者は軽井沢。自分が優待者であることを全員に隠していたようだが、平田にだけはその事実を明かしていた。そして真鍋たちを利用して軽井沢をいじめさせた後、携帯やメールの履歴の入れ替え、そしてSIMカード交換もポイントで行った。
オレがあの時速野に頼んだのは、交換した幸村の端末から速野に空メールを送った直後に、オレの携帯のSIMカードが入った軽井沢の端末に電話することだった。空メールを送るタイミングは、誰かに嘘を見破られ、オレか幸村のどちらかに電話がかかってきた時。グループ全員と連絡先を交換しているので、さっきもやったように、1度目ならば「かけ間違えだ」と言って、もう一度かけてもらうことができる。そして2度目の電話が一之瀬からかかってくる前に、速野からの連絡が来て、大きな声でオレの名前を部屋に聞こえるように言ってもらうことで、オレと幸村の携帯が交換されていたことが明らかになる。
幸村はオレが優待者だと思い込んでいる。成功の瞬間が近づけば否が応でも気持ちが高ぶるし、失敗が確実になれば焦り、動揺する。それは本物の反応だ。それが真実になる。
単純な人間なら、オレと幸村が端末を交換していることにも気づかない。少しキレる奴がこれを見破っても、本当の優待者が軽井沢だという真実には絶対にたどり着くことができない。そういう寸法だった。
「もしDクラスに優待者がいなかったらどうしてたの?」
「お前と同じだ。他のグループで、自分が優待者だと明かしているクラスメイトと交換すればいい」
「ありゃ……バレちゃってたか」
一之瀬は左右両方のポケットから一つずつ、端末を取り出した。
「もしかして、速野くんが報告したんじゃない?」
「どうしてそう思うんだ」
「昨日私がSIMカードを交換しに携帯ショップに行った時、お店の目の前のベンチに速野くんが寝込んでたから。本人は船酔いしたって言ってたけど、それは嘘で、誰がSIMカード入れ替えを実行するか見張ってたんじゃないかなって」
当たりだ。オレは昨日の夜にメールで速野から、「一之瀬が端末のSIMカード入れ替えに行ってたみたいだから、お前と同じ作戦を思いついてる可能性がある。外村や軽井沢に裏切らないようにと釘を刺してくれ」との報告を受けた。オレは言葉通りにそれを外村に伝えたが、それとほぼ同じことをやってみせたのでさぞ驚いただろう。
「ちなみにこれは私の予想なんだけど……」
一之瀬は、持っていた片方の携帯を操作して、オレにみせてくる。
「本当の優待者は軽井沢さん、だったりして」
一之瀬の画面に映っているのは、学校側に優待者が誰かを送る裏切りメール。送信ボタンを押した瞬間、裏切りは成立する。
しかしその瞬間、俺と軽井沢の携帯が同時に鳴った。
『グループLの試験が終了しました。結果発表をお待ちください』
「あーあ、やっぱり誰かが裏切っちゃったか。AクラスかCクラスのどっちかかな」
「なんで軽井沢だって分かったんだ?」
「幸村くんと同じ理由かな。いつもは気にかけてない綾小路くんのことをずっと目で追ってたり、他にも色々変だったから。でも、違う可能性もあったから結局送れなかったけどね」
「なんでそのことを言わなかったんだ?少なくとも嘘は見抜けてただろ」
オレが問うと、一之瀬は笑って答える。その笑顔は、今までに見たことがないほどに深淵なものだった。
「そりゃそうだよ。だってAクラスとCクラスのどっちが間違っても、私たちにとってはプラスになるもん。このグループのBクラスに優待者がいないって分かった時点から、私は誰かに裏切らせることしか頭になかったから。多分Aクラスあたりが裏切ってくれると思ってたけどね」
「町田か?」
「違う違う、森重くんだよ。彼は坂柳さんの派閥だから、葛城くんの方針には極力従いたくなかっただろうし」
そこまで読み切った上での作戦だったということか。
一之瀬はオレに背中を向けながら言う。
「綾小路くんて何気にすごいよね。今の会話は即席でしょ?」
「堀北を褒めてやってくれ。今回のことは全部あいつの指示だからな。いろんな可能性を聞かされてただけだ」
一之瀬への評価を、オレは改めた方がいいかもしれないな。
そう思った瞬間、再び、オレと一之瀬の端末が同時に鳴る。
『グループIの試験が終了しました。結果発表をお待ちください』
「ねえ、グループIって確か……」
「速野と堀北がいるところだ」
どういうことだ。あのグループの優待者は確か、Dクラスの南。まさか見破られたんじゃ……
そのメールから10秒ほど置いて、再び端末が鳴り出す。
今度は一度ではおさまらず、4度。
「ねえ、これ、どういうこと……?」
不思議そうな表情を浮かべ、一之瀬はオレに端末に表示されたメールをみせてきた。
感想、評価お待ちしております。
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ep.35
では、どうぞ。
「まさか……見破られてない、わよね……?」
「南の行動で見破られとは考えにくい。だが、正直自信はない」
グループIの試験終了のメールを受け取った。Dクラス以外の誰かが裏切ったということになる。
「……あなたまさか」
「……前科があるから疑われるのは仕方ないけどな。俺じゃないとだけ言っておくぞ」
優待者の情報を敵に漏らしたりはしない。前回のように優待者入れ替えも通用しない。綾小路や一之瀬が取ったのと同じ方法で優待者を誤認させることもできたが、グループIではそれも行われなかった。
なら、だれがやったのか。そして俺が裏切っていたとしたら、どこのクラスにDクラスを売ったのか。堀北の頭の中はそれでいっぱいだろう。自分は再び失敗してしまったのか、と自責の念に駆られているのかもしれない。
「おう堀北。どうしたんだ?浮かない顔してんな」
そのなんともバッドなタイミングで現れたのは、ここ最近姿を見かけていなかった須藤だ。
「何?」
「いや、どこ行くのかと思ってよ」
「あなたが行く必要はない場所よ。消えてくれるかしら?」
いつもより言葉が鋭利なのは、あの裏切りメールのせいだろう。
だが、堀北に対し熱い恋心を燃やす須藤はそれを飲みくだし、あまつさえついて行くようだった。堀北は諦めに近いため息をつき、足を進める。
時刻は午後11時5分前。俺と堀北、そして途中から合流した須藤の3人は、外にあるカフェにきた。そこにはすでに綾小路、平田、軽井沢の3人が腰を下ろしている。
「……この集まりを見ると、少しため息が出るわね」
「やっと来たな。てか、どうしたんだ?」
「気にしたら負けよ。背後霊というか、私の影みたいなものよ」
「そりゃないぜ堀北。試験中はピリピリしてるだろうからって気にして話しかけなかったんだぞ?」
残念ながら須藤、今の方がピリピリしてるぞ。
「もう一度言うけれど、邪魔だから消えて」
「そう言うなって。俺なりに全力で試験に取り組んだんだからよ」
「で、成果は残せたの?」
「……あと少しまで行ったんだけどよ。一足先に誰かがメール送っちまったらしくてな」
誰でもわかる嘘をつく須藤に呆れ、堀北は須藤の相手を諦めたようだ。俺としてももう少しまともな言い訳を考えてほしかったものだ。
俺も椅子を引っ張って腰を下ろし、須藤も隣のテーブルから椅子を調達してそれに腰掛けた。どうやら話を聞くつもりらしかった。
「ねえ、さっきの立て続けのメール……」
「うん、僕もそれが引っかかってるんだ」
先程きた、延べ5通ものメールは全て、試験終了を告げるものだった。裏切りを受けたのは、それぞれグループE、G、H、I、M。グループIの通知だけ少し先走っていたが、ほぼ同時だった。
「グループGは吉野、グループIは南が優待者だったよな」
「ええ。もしかしたら見破られてしまったのかもしれないわ……もし私たちのクラスの結果が芳しくなければ、私にも責任の一端があるわ。ごめんなさい」
そう言って、素直に謝る堀北。以前は考えられない光景だが、以前、中間テストの際に須藤に謝ってから、堀北の中で何かが変わってきているんだろう。
「そんなに自分を責めないで堀北さん。もし結果が悪くても誰のせいでもない」
平田らしく、堀北に優しい声をかける。
「なあ平田。残りの3つのメール、Dクラスの誰かが送ったって可能性は?」
「僕もそれを危惧してみんなに連絡を取ったんだ。でも、男子の中からメールを送ったと思われる人は出てこなかったよ」
まあ、ある程度信用していいだろう。
「山内は大丈夫だったのか」
「あ、うん。山内くんはグループEだったんだけど、メールを送ろうとはしてたみたいなんだ。でも、最後まで悩んで、最終的に送らなかったようだよ」
「どこの誰だかは知らないけれど、先に裏切ってくれたのは好都合ね」
綾小路がなぜ山内の名前を出したのかは知らないが、送っていたらほぼ間違いなく外していただろうな。
「女子の方も私が確認した。誰も送ってない」
軽井沢はそう力強く言い切る。
「……そう」
こういったクラスのまとめ役は堀北にはできない。軽井沢の長所、そして自分の短所を自覚しているところだろう。
「それにしても今回の試験、あのアルファベットの意味はなんだったんだろう」
平田は、まだ解けていない謎に疑問を呈する。
「結局、特殊グループがどこなのかも分からないままだね」
「あのアルファベットはかなり徹底されていたようだし、意味のないブラフという線もなさそうだけれど……分からないわ」
堀北にも解読は不可能だったらしい。綾小路にも目配せするが、首を振られた。こいつにも解けていない。この分だと、誰かが解いて公開するまで真実は闇の中だな。
「それよりも気になるのは、あの5通のメールがほぼ同時に届いたってことだね」
「そうね。最後に裏切る時間が30分しかないとしても、あの短時間に集中するのは不自然よ」
「ただの偶然じゃねえのか?」
須藤はそう思っているらしい。
「高円寺くんが裏切りのメールを送ったとき、送受信の間の時間がほぼなかった。ってことは……」
「1つのクラスが示し合わせて送ったのかもしれないわね。自分たちが送ったと誇示するために」
平田、堀北の華麗な言葉のパス回し。
「そして、そんなことをわざわざするのは1人だけ……」
堀北がシュートを放つ。
「やっぱりここにいたのか」
そして7人目の来訪者、龍園が現れた。
「龍園……!!」
須藤が威嚇するようにそう叫ぶが、龍園は見向きもせず、堀北の隣に椅子を引っ張って座った。
「裏切りを食らったお前と結果を楽しもうと思ってな」
「何を白々しいことを。あなたの指示でしょう?」
「はっ、にしても鈴音、お前にしちゃ大所帯だな。どういう風の吹きまわしだ?」
「そうね。あなたにしつこく付きまとわれて困っている、と相談していたところよ」
「堀北につきまとってんじゃねえぞ!」
「あなたは黙ってて」
「お……おう」
吠える須藤を堀北が制止する。
こんな大所帯となったのは恐らく、綾小路の策略。人数を多くして龍園の目を誤魔化すためのものだろう。
「あなたの方は随分と余裕そうね。手応えはあったのかしら」
「クク、そうでなきゃわざわざ出向いたりなんかしねえよ。ちょうど前回と同じ連中もいる。一匹虫もついてるがな」
その虫ってのは俺のことか。
「はっ、そういや前回、あんだけ自信満々だったくせに負けてたよなお前。今思い出してもわらけてくるぜ」
須藤は前回のことを思い出しながら龍園を笑い飛ばす。堀北もそれが分かっているからか、どこか龍園を見下したような態度を取る。ただ、絶対の自信はなさそうだった。
「おいおい虚勢張るなよ鈴音。あとで後悔するのはお前だぜ?俺は自分のグループの優待者も、お前らのグループの優待者も分かってたんだからな」
「そう。それは良かったわね」
「だが安心しろ。俺の慈悲深さを知れば、感動で股を濡らすだろうな」
なんとも下品な言葉を使い、堀北を挑発する龍園。
「……なら聞かせてもらおうじゃない。あなたが見抜いた優待者」
当然、堀北は答えられるはずがないと思って聞いたはずだ。だが龍園は、堀北のその言葉を待っていたかのように不気味に笑う。
そして射抜くような視線でこちらを見て、言った。
「櫛田。そして南」
「……え?」
この場にいる者全員に衝撃が走った。
「ど、どうして……?それを見抜いていたのなら、あなたはグループKの試験も終わらせていたはずよ。試験終了までそれをしなかったってことは、少なくともグループKの優待者は、試験が終わってから知った。違う?」
「悪いが俺は最終日の始めのディスカッションの時点で気づいてたぜ。こいつが必死にバレないようにしてんのが面白くってよ。俺に見抜かれてるとも気づかずにな」
龍園は平田を見て嘲笑するように言う。
「鈴音がその場にいたらどんな顔すんのか想像してたら、時間が過ぎちまったってわけだ」
嘘か本当か分からない龍園の言葉。だが、現に龍園は優待者を的中させている。全員の表情に動揺が走っていた。
「どうやって……あなた、何をしたの……?」
「クク、そいつはすぐに分かるさ。まあ安心しろ。一番悲惨なのはAクラスだろうからな」
そして午後11時を回り、生徒全員にメールで結果が通知される。
グループA…結果4とする
グループB…結果2とする
グループC…結果2とする
グループD…結果3とする
グループE…結果3とする
グループF…結果2とする
グループG…結果3とする
グループH…結果3とする
グループI…結果3とする
グループJ…結果2とする
グループK…結果1とする
グループL…結果4とする
グループM…結果3とする
各クラスポイント増減
Aクラス…マイナス150cl プラス300万pr
Bクラス…マイナス50cl プラス250万pr
Cクラス…プラス100cl プラス550万pr
Dクラス…プラス100cl プラス400万pr
「……は?」
「……どういうことだ?」
Aクラスが最下位。そして、CクラスとDクラスが同率トップとなる、龍園含め、誰もが予想できなかった結果となった。なぜDクラスがCクラスと並ぶことができたのか。
そんな時、龍園の携帯が鳴った。どうやらメールらしい。
「……クク、面白え」
そう呟き、不気味に笑う。
そして携帯を閉じ、堀北の方向を見て言った。
「……何をした鈴音?」
「それはこっちのセリフよ……一体何が起こってるの?」
Dクラスサイドはこの結果に驚きを隠せない様子だ。
「……相変わらずムカつかせてくれるじゃねえか」
龍園としてもこの結果は予定外だったかもしれないが、先ほどとは違うタイプの強い視線を送ってくる。どこか好戦的ですらあった。
「だが、よかったなあ。俺に情報が漏れたグループKはみんな仲良く結果1だ」
だがもちろん、挑発も忘れていない。正直、俺にとって一番の謎はそこだった。
この試験、しかも龍園のグループで、この結果に導くことが可能なのか。
「俺は今回、厳正なる調節、優待者の法則を見つけ出し、全ての優待者を把握した上でAクラスだけを狙い撃ちしたのさ。だが、もう容赦しねえ。次の標的はお前だ、鈴音。身も心もズタズタに引き裂き、絶望を味わわせてやるよ。2学期を楽しみにしとくことだな」
そう吐き捨て、龍園は立ち去った。
無人島のこともあり、今の龍園は相当フラストレーションが溜まっているだろう。
「龍園くんが情報を集めて優待者を見破ったまでは理解できる。でも、グループKの結果はどういうことなんだろう?」
平田もやはりそこが気になるようだ。だが、その言葉に続く者は誰もいない。正解が思い浮かばないのだ。
可能性があるとすれば、龍園が試験終了間際に櫛田が優待者であることを伝えたって線だ。龍園の発言なんて誰も信用しないから、裏切りの時間では投票できないが、マイナスがなくなる正規の投票時間になれば、ノーリスクで実行できる。
だが、全員が全員そういう発想になるだろうか。
「堀北。……もしかしたら俺たちはこれから、窮地に立たされるのかもしれないな」
「窮地って、龍園くんにかしら?彼が上手く立ち回ったのは事実だけれど、これからも苦戦するかしら。それに、事実あなたのグループは勝っているわ。違う?」
「……そうだな。俺の考え過ぎかもしれない。気にしないでくれ」
綾小路はこの試験結果に、特にグループKが出した結果1という戦果に、何か危ういものを感じているようだ。
火のないところに煙は立たないというが、やっぱりそうだ。俺も危うい何かを感じていないといえば嘘になる。
この流れは一体どこから来ているのか。まあ、それはいずれ明らかになることだろう。
まだ、打てる手はある。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「これで大丈夫なんだよね……?」
目の前の少女は不安そうに呟く。
「ああ。俺らが結びついてるってことはバレない」
そう答えた。
すでに日付は変わっている。2時間ほど前まで、ここにはDクラスの面々がいた。
今は俺と藤野の2人だけ。最初からここで落ち合う予定だった。
「じゃあ、私たちは150万ポイント速野くんに譲渡すればいいんだよね?」
「ああ。頼む」
この試験中、すでに俺と藤野の協力関係は動いていた。
龍園は優待者の法則を見つけ出したらしいが、それを解き明かしたのはあいつだけではない。俺も法則の解読に挑み、2日目終了時点でほぼほぼ確信を得ていた。
「Dクラスはあんな結果で良かったの?もし全部を共有してたら、Dクラスは今頃大躍進だったのに……」
目の前のポイントを追い求めるなら、確かに藤野の言う選択肢を取るべきだった。
「少し上から目線みたいになるけどな……まだDクラスは、追われる立場になるのは早すぎると思ったからだ。それに今ポイントが増えたら、気が抜けて、堕落していく可能性もある。勝負をかけるなら、もう少し雰囲気が変わってからにしたほうがいい」
そういう意味で、今回の特別試験でDクラスが得たクラスポイント325ポイントは、ラインギリギリだったと言える。これなら、まだ上を目指すモチベーションは維持されるだろう。
今むやみにポイントを増やして気が抜け、クラスがマイナス査定を受けるくらいなら、この結果を別の方向から利用するのが最も有効だ。
「ねえ……その、出来れば教えてくれないかな?優待者の法則」
「……やっぱ気になるか」
「うん。すっごく」
俺は藤野の裏切りの可能性も危惧し、その法則の詳細までは伝えていなかった。あくまでも伝えるべきことだけを伝えた。
「今回の特別試験、優待者の法則に辿り着くために学校側が出したヒントは大きく分けて3つある。1つは、お前も多分気づいたと思うが、特別試験の説明の時に渡された紙に印刷された、不自然なアルファベットの鏡文字だ」
「あ、私はAqだったよ」
やっぱり、そこら辺の洞察力は備えているか。
「そして2つ目は、グループの構成。13グループのうち、1グループだけ性質が違う、つまり仲間はずれがあるってことだ」
「13ってことは数字はちょっと不思議だったんだよねえ……12の方が分けやすいのに、って」
そこは恐らく誰もが思ったことだろう。だがそれは学校側からのヒントだった。
「そして3つ目は、グループ内での連絡先交換とプロフィール記入の強制だ」
「あ、あれもヒントだったの?」
少し驚いた表情をしながら言う藤野の言葉に頷く。
「俺がまず考えたのは、13のうちの1つが仲間はずれっていうところからだった」
言いながら、俺は胸ポケットからメモを取り出す。
13、そして1つの仲間ハズレという条件だけで思いついたのは4つ。まず最初に、レオナルド・ダ・ヴィンチの不朽の名作、『最後の晩餐』。作品には、イエス・キリスト、そして12人の弟子の合計13人が描かれている。そして12人の弟子の中には、有名な裏切り者であるユダもいる。
イエス・キリストは全員を率いていた。それをこの試験に当てはめると、クラスのリーダー格が揃っていたグループKだ。そして裏切り者のユダのポジションは、13個のグループの中で唯一性質が違う特殊グループ。ここまでの辻褄は合っていて、行けるか、と思ったが、アルファベットをどのように当てはめても、作品の中の13人には結びつかなかった。俺はこの時点で『最後の晩餐』説を捨てた。
次に思いついたのがトランプ。特殊グループがジョーカーだと仮定できるかと思ったが、ジョーカーを入れてしまうとトランプは14種類になってしまう。『トランプ』説もない。
そして次が干支。もちろん、干支は12個だ。だが、絵本の『十二支のおはなし』という作品を知っているだろうか。あれに書かれているエピソードの中に、猫は鼠に騙され、十二支の仲間入りを果たすことができなかったとある。つまり、このエピソードの猫にあたるのが、特殊グループ。ここまでは良かったんだが、これだとやはりアルファベットの意味は解読できなかった。十二支の動物全てを英語にした頭文字でもなかったし、ローマ字読みの頭文字でもなかった。
そして最後が、星座。これは、無意識のうちに一之瀬がくれたヒントが答えにつながった。
星座といえば有名なのは、黄道十二星座。だが、国際宇宙ステーションの公式発表では、黄道上にある星座は13個ある。十二星座に弾かれてしまったのは『蛇遣い座』という星座だ。これで、13と1つの仲間はずれはクリア。あの時一之瀬が言った「龍園はまるで『蛇』だ」という言葉でピンときたのだ。
星座関連でいうと、よく聞くのは星座占い。自分の誕生日で運勢を占うというものだ。ここで思い出すのは、グループ内で連絡先を交換する際にはプロフィールの記入が義務付けられていたこと。プロフィールには、学籍番号、性別、生年月日、クラス、血液型が載っている。これで、連絡先交換とプロフィール記入の強制はクリアだ。
最後にアルファベット。これらは全て星座の頭文字だった。例えばグループCの紙に印刷されていたGeは、双子座を表すGeminiの頭文字。グループLのAqは、水瓶座を表すAquarius。こんな感じで当てはめていくと、全て成立した。しかも、グループ名のアルファベット順に4月生まれの誕生日から並んでいたことから、グループDのCaは蟹座のCancer、グループKのCaは山羊座にCapricornだということがわかる。グループの優待者に指定されているのは、それぞれのグループの星座と、その人の誕生日の星座が一致している人だ。ただし、ここでいう誕生日の星座は黄道十三星座に対応させたものであることが鍵だ。
特殊グループは、『蛇遣い座』にあたるグループ。蛇遣い座のスペリングは、Ophiuchus。頭文字はOp。
そう。特殊グループに指定されていたのはOpと紙に書かれていたグループI、つまり俺たちだったのだ。
ここまで完璧に辻褄が合い、俺は優待者の法則を看破した。事実、櫛田、南、吉野はそれに完璧に合致した。あとで優待者であることが分かった軽井沢もしっかり合致。
ひとまずここまでを説明し終わる。
「すごい……完璧に解いてたんだね……でも、なんでそこまで分かってて行動に移さなかったの?」
「100パーセントの確信を持つためには、あともう2人か3人の材料が欲しかったんだ。ここまでは俺の勝手な予測なわけだし、外れてるってこともあり得るからな。そうなると取り返しがつかないほどの大ダメージになる」
「じゃあ、あの時に確認したのは、速野くんが答えに自信を持つためでもあったんだね」
「ああ」
俺は3日目の夜にも藤野と会い、話をした。そこで俺は、俺が予測していた法則に則って求めたAクラス所属の優待者を全て藤野に伝えた。そこで全て合致していたことで、俺は確信を持って行動することができたのだ。
ちなみに、藤野たちが派閥を作っていることは、その派閥に所属している人間以外、もちろん、葛城も坂柳も誰も知らないとのことだった。つまり、藤野も藤野で秘密裏に行動する必要がある。
このバカンスでの藤野の目的は、Aクラスの緩やかなポイント減少による葛城派の失脚だった。つまり俺らの勝利は、AクラスとDクラスが最大のクラスポイントを得ることではない。俺の場合は、目立たない程度にDクラスのポイントを伸ばすこと、藤野の場合は不自然じゃない程度にAクラスの勢いを落とし、葛城派を失脚させること。
その両方を満たすためには、ただ各クラスの優待者を当てて回っていくだけでは絶対に無理だ。そこで俺は、自分が特殊グループに属していることを利用した。
綾小路の作戦は成功すると読んでいた。この時点でDクラスは50ポイント。それから、これは予定外だったのだが、高円寺が優待者を的中させるとは思っておらず、俺はここでマイナス50ポイントだと踏んでいた。もう一つ予定外だったのが、吉野が属するグループGも、Cクラスの裏切りにあってマイナス50となった部分だ。そして、俺が属する特殊グループでDクラスは50ポイントを稼ぐつもりだった。当初の予定ではDクラスはプラス50ポイントだったが、予定が狂ってプラス100ポイントになり、龍園の関心を引いてしまった。正直、これはミスだ。
そしてAクラスだが、まず大前提として、俺はCクラスがAクラスだけを狙い撃ちすることを知っていた。放っておいてもAクラスは大量のマイナスを計上する。
だが、ここは俺が藤野に譲歩を求めた部分だ。Dクラスがプラス50ポイントとなり、俺が藤野からの見返りを含めたプライベートポイントを最大量獲得するためには、特殊グループにおいてAクラスにもプラス50ポイントになってもらう必要があった。
具体的にどのようなプランか。
特殊グループの説明の際、俺らは3個以上の回答を得られない限り通知されず、試験も終了しない、との説明を受けた。このポイントをうまく使うのだ。
3人以上で通知、ということは、2人までなら通知されず、試験も終了しないということだ。
俺はまず最初に、自分の端末でAクラスとBクラスの優待者を学校側にメールで送った。そしてグループIに属していて、かつ藤野の派閥である和田に、CクラスとDクラスの優待者の情報を流して最後のディスカッション終了直後にそれをメールで送るように藤野に話を通してもらった。グループIを裏切ったのはCクラスではない。AとDの共謀によるものだったのだ。
こうすることで、グループIにおいてはA、Dクラスがプラス50、B、Cクラスがマイナス50となり、A、D両方とも合計100万プライベートポイントを得る。
藤野はグループKで50万ポイントを手にしている。
俺が望む見返りは、優待者を全て把握した時点で全グループにおいて裏切り行為を働き、俺が卒業までに獲得していたであろうポイントと、現実に手に入れているポイントの損益分の相殺だった。
もしも全てのグループを裏切っていたら、Dクラスの獲得ポイントは、先に裏切りが発生していた二つのグループを除いて計算する地合計500ポイント。卒業までには155万ポイント。そして、俺自身が手に入れるポイントが150万ポイントだ。合わせて305万ポイント。
しかし、実際に俺が卒業までに獲得するポイントは、31万+100万で131万。
損益は174万ポイントだ。この額を求めるんでもいいんだが、俺が確信を持てたのは藤野の優待者のリークがあってこそだ。それに配慮して、24万ポイントは恩賞として返還。俺が得るのは150万ポイントだ。
ポイントを譲渡し終わり、これで、俺の特別試験は完全終了だ。
「ふう……お疲れ様。やっぱり速野くん、すごすぎるよ。これは、私も頑張らないとなー」
「そうだな。流石にこんなのが毎回続くと、ちょっと体力が持たないかもしれない」
「あはは。それはちょっと困っちゃうかも」
微笑みながらそういう藤野。
すると、俺に手を差し出してきた。
「……ん?」
「ありがとね、速野くん。それから、これからもよろしく。仲間として、ライバルとして……友達として」
仲間と友達のカテゴリを分けたあたりに、藤野のこだわりというか、想いを感じた。
「……ああ。まあ、よろしく」
以前にもこうして握手したっけな。三ヶ月ほど前のことなのに、なぜか懐かしく感じてしまった。
俺のやっていることはDクラスへの裏切り行為なのか、そうでないのかはわからない。
だが、俺としてもこれは良かれと思ってやったことだ。
これからのDクラスの行く末。その鍵を握る人物は、果たして誰なんだろうか。
堀北を移動させた理由は、櫛田と堀北の誕生日的に、どう調節しても星座が同じになってしまうからでした。設定変更が気に食わなかった方、申し訳ございません。
これにて原作4巻分は終了となります。引き続き4.5巻分も執筆して公開しますので、しばしお待ちを。
ご愛読ありがとうございます。そして、これからもお読みいただけると幸いです。
感想、評価お待ちしております。
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第4.5巻
ep.36
4.5巻分は、原作をがっつり書くつもりはないです。
では、どうぞ。
一癖も二癖もあった、高度育成高等学校一学年におけるバカンス。という名目の特別試験。
無人島試験も船上試験も、ほどほどに楽しみつつ過ごすことができた。
もちろん、俺以上に満喫したやつがほとんどだろう。豪華客船なんて、目一杯楽しもうと思えばあの滞在期間で手に負えるようなものじゃない。
だが、旅行から帰ってきた後の虚無感や喪失感は、程度の大小はあれど生徒全員に訪れる。寮に戻ってきて、ベッドにダイブした瞬間のあのなんとも言えない空気。どうせならあの映画とか観ときゃよかったなーとか思っていた。だが、後悔先に立たず。航海だけに。フヘッ。
結局その夜は猛烈な疲労感から、電気を消すのも忘れて眠ってしまった。
俺が起きたのは翌日の午後3時。おやつの時間。
だが、四月に藤野のアドバイスによって食費をゼロに押さえつけて以降、俺はお菓子を買っていない。もちろん糖分は必要なので、どうしても食いたくなった時は自分で作っている。
作っているといってもそんな大げさなものではない。無料コーナーで作ることの出来る範囲だ。ホットケーキミックスにはお世話になっている。
少し前にケーキを作ったこともある。美味いことは美味いんだが、手間の割にはって感じの上、保存も効かないので一度作ったきりだ。
クッキーはいい。保存も効くし、ケーキと同じで少し手間はかかるがいい糖分摂取になる。ここで紅茶でもあったら最高なんだが、あいにく紅茶の茶葉は無料コーナーに売っていない。
俺はDクラスの中では大量のポイントを所持している。実際もう無料のもので我慢する必要はほぼない。だが、金銭感覚を狂わせてはいけないし、せっかく今まで抑えてきたんだ。ここで投げ出したら負けだ。
ちなみに余談だが、投げ出すのが得意な人は柔道の世界に入るといい。投げるが勝ち。柔道家に怒られそうなのでこれ以上はやめておこう……
俺はこのバカンスで、大きく分けて3つのものを手に入れた。
まずは大量のポイント。
Aクラスのやつから35万。船上試験で、優待者を2人的中させたことでまず100万。藤野への協力の報酬として150万の、合計285万ポイント。星之宮先生に5万譲渡したので、俺がバカンスで手に入れたポイントは合わせて280万ポイントだ。これはかなりでかい。
次に、平田の信頼と、それを介してのクラスとのパイプ。
クラスの情報は出来る限り握っておきたい。もちろん俺がいってるのは個人情報とかではなく、ポイント変動が考えられる試験での重要事項。先の船上試験での優待者なんて、その最たる例だ。
船上試験での2日目の朝、俺は2件のメールを受け取った。そのうち一つは堀北から。
そしてもう一つは、平田からのものだった。
平田のメールの内容は、優待者に関する情報。俺はあの時に初めて、軽井沢が優待者であることを知った。
そして3つ目が、藤野との協力関係だ。
これでAクラスの現状をいち早く正確に知ることができる。もちろん安易にクラスに情報を共有したりはしないが、一之瀬とは別の他クラスとの協力は大きいだろう。
これからどう動いていくか。龍園は。綾小路は。堀北は。櫛田は。平田は。藤野は。俺は。
まあ、今それを考えたところで答えなんて出るはずないか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
入学直後に気にしていた「凡ミス」のクセだが、治ったかと思っていたらそうでもないらしかった。
生徒会長のありがたいご指摘を受けてから、出来るだけ無くそうと努力はしているが、まだまだ足りなかったようである。
もしも治っていたら、教室に忘れてきた参考書を取りにわざわざ制服に着替えて校舎内を歩く必要もなかったかもしれないのに。
外出は暑いし非常にめんどくさい。空調が効いている校舎内はいいが、そこから寮までの道のりは地獄だ。やっぱ自宅とエアコン最高。金さえあれば引きニートでいいわ俺。嘘です。
すでに時刻は4時半を回っているが、外の気温はまだまだ高い。校舎を出て、寮まで歩いていかなければならないことを考えると少し憂鬱になるが、そうも言っていられない。
用が済んだのならさっさと帰るのだ。あのパラダイス(自宅)に……っ!!
しかし、世の中そう上手くいかないのが常である。
「久しぶりだな」
声のする方に顔を向けると、夏用の制服を着けた我が校の生徒会長、堀北学と、よく行動を共にしている橘書記が立っていた。
「はあ……どうも」
「うわ、失礼な反応ですね」
いけね、無意識のうちにため息が。
「態度には気をつけた方がいいですよ?ここにいるお方をどなただと考えてます?」
そりゃ、この学校で恐ろしく強い権力を持つ生徒会長様だろ。
そして俺が、その生徒会長様に無謀にも喧嘩を売った馬鹿な1年坊主。ただの噛ませ役だろこれ。
「速野。今から時間があれば、付き合ってもらいたいんだがな」
「か、会長?」
「なんですか急に。無理だって言ったらどうするんですか」
「えぇ、その反応!?」
俺に話をしようとした会長と、二つ返事で承諾しなかった俺のダブルで驚いている橘書記。
「お前が暇な時で構わん。学校が始まってからでもな」
意外な返事が返ってきた。そこまでして俺に話さないといけないことなんだろうか。
「……まあ、忘れ物とりにきてるだけで、暇なんで今でいいですけど。どうしたんですか?そこまでして俺に通したい話があるなんて思えないんですけど」
「立ち話でいいのか。嫌ならば空き教室を用意しても構わない」
「いいですよ別に立ち話で」
わざわざ移動する方が面倒だ。会長はそうか、と答えると、話を始める。
「生徒会に特別試験の結果の報告が上がってきた。大変だったか」
「……前から思ってましたけど、なんでそう簡単に結果の報告が上がってくるんですか」
「決まってるじゃないですか。会長だからこそですよ!」
言いながら橘書記は、尊敬の目で会長を見る。
「安心しろ。個人の具体的な活躍までは不明だ。だが、情報とは時に漏れるもの。無人島試験では鳴りを潜めていたようだが、船上試験でお前のグループが奇妙な結果を残したことは聞いている」
いやいや、ダダ漏れじゃん。
「奇妙な結果、ですか?俺は結果3だとしか聞いてないですけど。それにもしそれが奇妙な結果なら、妹さんが何かやったんじゃないですかね。俺と同じグループだったし」
「無人島試験に関しても、なぜか堀北鈴音の名前が上がっていた。他クラスを出し抜いた、とな。だが無人島にしろ船上にしろ、あいつはそんなことをする奴でも、出来る奴でもない。俺はその件、お前が関わっていたと見ている。特に船上試験の方はな。あの結果は、特殊グループがどれか、そして優待者が誰かを全て見抜いた上で自クラスのクラスポイントのために動かず、他クラスとつながっていたという事実がなければ成り立たない」
結果の詳細バレバレだ。だがバレていたのなら俺が疑われても仕方ないかもしれない。
堀北なら、優待者を把握した瞬間にタイミングを見計らって全てのグループで裏切らせるだろう。俺のようなことは絶対にしない。もちろんそうするのが普通だし、正解だ。
「でも、綾小路も関わってそうじゃないですか?堀北とは協力関係みたいですし」
自分でも白々しいとは思うが、この生徒会長は綾小路のことをどう捉えているのか単純に気になった。
「無人島試験の最後にDクラスのリーダーの名前が綾小路に変わっていたことも、あいつが所属していたグループKで優待者当てのミスを誘ったことも把握している。だがお前のやったことにあいつは関わっていないだろう」
その読みまで完璧か。今回俺が何をしたかを知っているのは、藤野とその派閥の一部の奴ら、そしてこの会長と、隣で話を聞いている橘書記だけ。Dクラスは誰1人として把握していないはずだ。
「もう俺が何かやったのは確定なんですね……でも、なんで俺や綾小路をそこまで気にかけるんですか?学力の高さなら幸村も、それこそ堀北も優秀じゃないですか。Bクラスの一之瀬やAクラスの葛城だって」
「一つ勘違いをしているようだが、俺はDクラスの人間を愚かだと思ったことはない。この学校は優秀な人間から順にAクラスから振り分けているというわけではないからな」
「あ、あの会長……余計なお世話かもしれませんが、少し話しすぎでは?」
「問題ない。こいつは当然それを理解している」
生徒の振り分け方に関しては、前々から疑問に思っていたことだ。Aクラスにいるには明らかに実力不足だろうという人間もいれば、なんでこいつがAクラスじゃないんだ、という人間もいる。
だが、全体的な実力の傾向としてAクラスからDクラスにかけてどんどん下がっていくのは確かだ。それは初めてのポイント発表の時にすでに明らかになっている。
いくつか振り分け方の可能性も考えた。だが、現時点では確定的な要素は皆無だ。
「……何はともあれ、平穏に学生生活を送りたいってやつもいますし、ほどほどにしてやってくれますか」
今の俺のセリフを聞いたら、綾小路は喜びのあまり泣き出すだろう。アニメみたいに涙で虹ができるレベル。
その意図を知ってか知らずか、会長はまたとんでもないことを言い出した。
「速野。以前にも言ったが、生徒会に入る気はないか?」
今の思いつきの発言ではない。恐らく、俺を呼び止めたのはこれを言うためだろう。
「……まだ埋まってない席があるんですか?」
「か、会長、1年生からは先日1人取りましたし、2年生からも新しく受け入れました。それで終わりでは?」
「知っているだろう橘。まだ埋まっていない役職があることを」
「か、会長!?」
驚愕の表情を見せる橘書記。どの席が埋まっていないというのだろう。
「副会長、そして会計。お前が望むのなら、俺の権限で好きな席に就けてやる」
「え、えぇ!?」
「いやです。そんな重責負いたくないですし」
「しかも断ってるしぃ!?」
この橘という生徒はいわゆる天然という人種なんだろうか。反応がいちいち大げさというか。
まあそれはいいとして、これは少し変だ。
一般的に生徒会というのは、自分で学校を引っ張っていきたいという意思と自信、そしてその実力を兼ね備えた人間が集まる場所。入会の形式は、自分で志願する自己推薦の場合がほとんどだ。しかも、それでも落ちることがある。そういえば、Aクラスの葛城は落ちたと聞いた。
だが、俺が今やられているのはスカウト。ましてや、俺はその誘いを一度断っている。そんな人間にわざわざ頼み込む理由があるのか。
「来年以降、この学校の制度は大きく変わるだろう。それも望まない方向に。その時のストッパーとしての派閥を作っておかなければならない。すでに遅すぎるくらいだがな」
「あの、それって南雲くんが生徒会長になった場合の話ですよね?……彼が悪い学校づくりをするとは思えませんが……」
南雲。初めて聞く名前だ。上級生か。来年生徒会長になる有力候補なら、高2である可能性が高い。
そして今、俺はどうして綾小路があの特別試験で大胆に動いたのか、その疑問の答えの一つの可能性にたどり着いた。
「さっきも言った通りそんな重責を負うつもりはないんで。生徒会に入ってどんなメリットがあるかは知りませんけど、俺が生徒会の人間なら、俺みたいな生徒を相手にしたくないです」
これは本当に心からの本音だ。
俺は人を引っ張っていくことや、この学校をよくしていくことには微塵の興味もない。だから判断材料はリスクリターンだが、仕事内容やメリットデメリットが明らかになっていない以上、現時点で判断を下すことはできない。だが、俺は綾小路とは違って事なかれ主義ってわけでもない。これに関しては状況に応じて手を打っていく必要があるな。
「ふっ、その気持ちは分からなくもないな」
「だったら交渉やめろよ……」
「ああ、もう無理には誘わない。だが気が変わったら、いつでも生徒会室に来るといい」
そんな言葉を残して、生徒会の2人は立ち去っていった。橘書記は不満顔だったが、特に何もいうことなく歩いていく。
もし会長が特別試験で俺のやったことを分かっているのなら、俺の考え方も大体理解しているはずだ。その上で俺に頼み込むってことは、会長もああ見えて切羽詰まってるってことなんだろう。
あと8ヶ月ほどで、あの人もこの学校からいなくなる。実力至上主義の学校の生徒の長にまで上り詰めた男は、果たして、進学先、就職先、自らの将来に何を選択するんだろうか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
堀北会長と話し込んでいたせいで、寮に戻るのは5時を回った頃になってしまった。
寮のロビーにたどり着き、そのままエレベーターホールに向かう……予定だったのだが、横から声をかけられる。
「速野」
声のする方を見ると、そこにはロビーに設置されているソファに腰掛けている綾小路、そして葛城がいた。
「なんだ。ってか随分と珍しい組み合わせだな」
綾小路と葛城の接点といえば、船上試験のときくらいだ。綾小路は数度平田のグループに行っていたようだから、その時に顔を合わせたんだろう。
「少し知恵を貸してくれ」
「知恵?お前に?」
「それもそうだが、今回は葛城にだな」
聞き返した意図は少し違っていたが、まあ葛城の前だし仕方ないか。
「なんだ。話は聞く」
そう答えて、葛城が座っているソファまで向かった。
「いいのか?つまらないことだぞ」
「別にいいさ。無人島でのトウモロコシのお礼とでも思ってくれ」
「……感謝する」
俺と協力関係にある藤野が失脚させようとしている人間に手を貸すのもおかしなことだとは思うが。まあ別にいいだろう。藤野もこの状況なら確実に手伝っていたはずだ。葛城のことを憎んでいるわけじゃないだろうしな。
話を聞いてみると、この学校の敷地外にいる双子の妹に誕生日プレゼントを渡してやりたいとのこと。そのため生徒会に相談したが、やはりダメだったらしい。
「じゃあ2人とも制服なのは生徒会に立ち寄ったからか?」
「そうだ。そういえばお前も制服だな」
「俺は忘れ物を取りに行っただけだ」
答えながら、教室から取ってきた参考書を指し示す。こいつらも校舎にいたのか。どこかで入れ違いになったんだな。
「ふーん……校則で禁止されてることはポイントでも無理、か」
「ああ。そう言って突っぱねられてしまった」
「だったら会長本人に賄賂払うのが手っ取り早かったんじゃないか?生徒会の権限は計り知れないし、プレゼント送るのも簡単にできそうだ」
俺の発言に、葛城は少し驚いた様子を見せた。
「……なんかまずいこと言ったか?」
「いや、そうじゃない。新たな視点の意見を聞かせてもらった」
単に予想外だっただけか。
とはいえ、もし今の方法を思いついたとしても、葛城が上級生をポイントで雇うみたいなことをするかといえば、それは少し考えづらかった。だが、常に冷静沈着で慎重な葛城が危険を冒してまで送ろうとしているところをみると、何か特別な思い入れがあるんだろう。もしかしたらその方法を取っていたかもしれない。当然綾小路はその可能性に気づいていたはず。なのに言わなかったのは、葛城に無用な警戒をさせるのを避けるためか。
だが協力すると言った以上、一応真剣に考えてみる。今言った以外の方法を。
十数秒たった頃、綾小路が言った。
「とりあえず、俺の部屋に来るか?何か思いついたとしても、ここで話せる内容じゃないだろ」
「……それもそうだな。お邪魔する」
葛城も立ち上がり、続いて俺も立って、エレベーターに乗り込んだ。
綾小路の部屋に入り、地べたに座り込む。俺と同じくほぼ何もない、入寮したての頃のような部屋だ。
「何か思いついたか」
部屋に入って数分が経った頃、綾小路が話しかけて来る。お前は多分思いついてるだろうに、性格の悪いやつだ。
「さあ……でも、肝は敷地外にプレゼントを運び出すことだろ」
「それはそうだが、それが出来たら苦労はしていない」
そりゃそうだ。
「じゃあ、敷地を出入りできる人物に頼むしかないな」
「出入りできる人物?まさか従業員ではあるまいな。協力するどころか、校則違反をしようとしたこちらを訴えて来るだろう」
従業員、と聞いて、俺はある人を思い出した。
従業員は普段、生徒のサポートをすると同時に監視の役割も果たしている。もちろん正式ではないだろうが、もしも自分たちが校則違反をしたら、葛城の言う通り学校に報告がいくと見て間違いない。
だが、時として従業員はとても有利に働く。
まあ、今回そこまでする必要はないし、関係ない話だ。
「まあ従業員もそうだけど、たしかにそれは厳しいだろうな。ほかに誰かいないか?」
従業員ではなくて、敷地内を出入りする機会がある人物。
「部活の対外試合、か」
葛城は一つの答えにたどり着いた。
「なるほど。従業員よりは可能性があるかもしれないな」
「そうだな」
「だが、学校側もその可能性は想定しているはずだ。荷物検査が行われるだろう。危険が高いことに変わりはない」
「そうかもしれないが、身体検査みたいな真似まではされないと思うぞ」
「それはそうだが……当てはあるのか?」
その質問に、俺は綾小路の方を向く。
「ある。だが、説得はあんたが自分でやる必要があるけどな」
「それは承知している」
葛城のその言葉に頷くと、綾小路は何者かに電話をかけた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
綾小路が電話をかけた相手は須藤。そして十分ほどの交渉の結果、須藤は大役を引き受けてくれた。もちろん、葛城からの報酬付きだ。
少し意外というか、驚いたのは、葛城に病弱な双子の妹がいて、プレゼントを贈る相手はその妹だったと言うこと。須藤もその事実を聞かされて断りにくかったようだ。
綾小路の部屋を出、エレベーターを使って自室に戻る俺と葛城は並んで歩いていた。
「色々世話になってしまったな」
「感謝するなら須藤にしろよ。さっきも言ったが、トウモロコシの礼みたいなものだ」
あの時採集を断念してくれたのには非常に助かった。
「一つ聞いてもいいか」
葛城は、少し改まった様子で俺に聞く。
「なんだ。答えられる範囲で答える」
「船上試験は覚えているな」
少しギクリとしたが、それを悟られないように振る舞う。
「そりゃ、忘れてるやつはいないだろうけど」
「試験が終了した翌朝、俺の部屋のドアにAクラスで優待者に選ばれていた者全員の名前のリストが貼られていた。どうやら、BからDクラスにも同様のことが起こっていたらしい」
そういえば、平田がそんなことを言ってた気がする。
「いいのか、そんな情報、違うクラスの俺に共有しても」
「全クラスにやられていたことだ。いずれ明らかになることであれば問題はないだろう。それにただ話したわけじゃない。他クラスがこのことをどう捉えているのか、意見を聞く機会が欲しかったのでな」
意見、といっても、俺がここで本当に思っていることを話すのかどうかは分からないことは、葛城も承知の上のはずだ。葛城の狙いは恐らく、俺がどんな発言をするのかを知ることにある。
「……とりあえず、現時点ではラッキーだ、としか言えないな。それってつまり全クラスの優待者を導き出した奴がいるってことだろ?少なくとも龍園は見抜いてた」
龍園の名前を出すと、葛城は少しばつが悪そうな表情を浮かべた。まあ、無人島から船上試験、Aクラスは龍園にしてやられたと言っても過言ではないからな。
「もし優待者が全員当てられていたら、って想像するだけで恐ろしいな。そのクラスの躍進は相当なものになるだろうし」
「そうだな。ありがとう。貴重な意見を聞かせてもらった」
「別に」
貴重な意見なんかではない。俺が言ったのは世間一般のありふれた意見。誰が言ってもおかしくないようなことだ。
社会で生きていくためにはああいう社交辞令も必要になるのか、とか色々考えながら、俺は葛城と別れて自室に戻った。
ちょっと終わり方が中途半端になってしまいました。
感想、評価お待ちしております。
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ep.37
この間からルーティンに組み込まれたバスケット。うだるような暑さの中でそれを終えた俺はシャワーを浴び、昼寝をして、ベッドに寝転びながら本を読んでいた。
そんな時、脇にあった携帯が震えだした。
「……佐倉から?」
バカンスでの特別試験が終わってから、佐倉とは電話やメールを一切していない。何の用事だ、と思いながら、端末を操作して電話に出る。
「……もしもし?」
『あ、速野くん……いま、大丈夫?』
「ん、ああ、別に」
ただひたすらダラダラしてただけだしな。
「どうしたんだ」
『そ、その……実は、櫛田さんに呼び出されてて、大事な話があるからって……』
「櫛田から?」
『うん……で、でも、覚えがなくて……私何かしちゃったのかなって不安で……』
「ふーん……」
櫛田から呼び出しか。大事な話ならお互いの部屋のどちらかですればいいとは思うが……わざわざ暑い中、外で話すメリットとは。
「櫛田だろ?悪いようにするとは思えないけどな」
『う、うん、そうなんだけど……あの、迷惑じゃなかったら、一緒に来てくれない、かな?』
「え……1人で来いって言われてるわけじゃないのか?」
『い、一応、言われてないかな……』
なんだ、ますます意味がわからん。1人で来いと言うと佐倉が警戒すると思ったんだろうか。
「まあ、いいぞ」
『ほ、ほんとにっ?』
「暇だしな」
『ありがと』
「いいよ別に。で、いつなんだそれ」
『えっと、30分後なんだけど……』
随分急だな……と思ったこちらの意図を察したのか、俺に連絡するか今の今まで迷っていた、と付け加えた。
「分かった。じゃあ10分後くらいに」
『うん。ご、ごめんね、わざわざ』
「いいって」
そんな感じで通話を終え、携帯を閉じる。
櫛田からの大事な話なら俺が行かないに越したことはないんだろうが、あの店員の件が佐倉の中でトラウマになっていてもおかしくはない。
店員があの行動に出たのは、ある意味俺に責任の一端があるわけだしな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
約束の場所に向かうと、佐倉はすでにそこに立っていた。
「悪いな。待ったか」
「う、ううん、全然……」
「時間まではあと20分か……」
少し早い気もするが、時間にルーズよりはいいだろう。
「わ、私、何かしちゃったのかな……」
まあ、急にこんな形で呼び出されたら不安にもなるか。でも櫛田だしな。それに佐倉も、誰かに迷惑をかけるようなことをするとは思えない。
「あー……無責任かもしれないが、多分大丈夫だと思うぞ」
「そ、そうかな?」
「ああ。何かしたわけじゃないならな。何言われても、自分の本音を言えばいい」
櫛田が本音で言うとは限らない。学校生活での様子を見ていると、本音で語っていない割合の方が多い気がする。もちろん俺の勘違いで、本当に櫛田が善意の塊だというのならそれでいいんだが。
俺はどうも、櫛田のことを信用しきれない。
いや、まあそれは櫛田に限らずなんだけど。
「そろそろ行ったらどうだ?まだ時間は早いが、向こうがもう来て待ってたら悪いしな」
「う、うん、そうするね……、あ、あの」
「ん?」
歩き出そうとした佐倉が足を止め、こちらを振り返る。
「ま、待っててくれる?」
「……ああ、分かった」
そう確認を終え、安心した表情を浮かべながら佐倉は指定された場所に向かっていった。
何だこれ。保護者かよ俺は。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
10分ほどがたち、佐倉がゆっくりとした足取りで戻ってきた。
「お疲れさん」
「う、うう……」
「……」
少し目を逸らされてしまった。
と、そこで佐倉の手に白い封筒が握られているのに気づく。
「その封筒は……?」
条件反射的に質問してしまう。だがそれを聞いた瞬間、佐倉はさらにあたふたし始めた。
「え、ええ、えっと……その、綾小路くんから、渡されて」
「……は?」
一瞬混乱してしまう。え、綾小路が?佐倉に?なにそれ想像できない。
「ていうか、呼び出したの櫛田じゃなかったのか?」
「じ、実は綾小路くんが頼んでたみたいで……」
……事態が飲み込めない。
「なんか、他の人から渡してくれって頼まれた、みたいで……その、このラブレター……」
「あー……なるほど」
やっと理解できた。綾小路が渡しにきたってことは、多分そのラブレターを書いたのは山内だろう。そして櫛田に呼び出しを頼んだのも恐らく山内。だが勇気が出ず、手紙を渡すのを綾小路に頼んだってところか。
「それで……読んだのか?」
「それはまだだけど……1人で読んだ方がいいよね?」
「まあ、多分その方がいいだろうけど……」
ラブレターなんて書いたこともないし渡されたこともないからよく分からないが、佐倉に好意を抱いて書いたラブレターを俺にも読まれるというのは嫌だろう。
「どう返事するにしても、手紙はちゃんと読んでやってくれよ。もしかしたら好きな人からかもしれないしな」
「その可能性はもうないし……」
「……え、なんで分かるんだ?」
手紙はまだ読んでないはずだが。
「あ、えっと、その、私好きな人いないからっ……!」
「そうか……」
それにしては妙な言い方だったが、まあ気にするのも野暮だ。佐倉は自分で考えて自分で答えを出せばいい。佐倉がどんな結論を出そうが自由だ。俺の関知するところではない。
だが、エレベーターに乗っている間、佐倉は終始不安そうな表情を浮かべていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
夕飯と風呂を済ませ、そろそろ寝ようとしていた頃。夕方に引き続き、携帯が鳴った。今度は電話ではなくメールらしい。
『いま大丈夫?』
佐倉からの短い文面のメールに返信する。
『ああ』
『起こしちゃった……?』
『大丈夫だ』
『ごめん。今から電話かけてもいい?』
『ああ。というか、一々確認取らなくてもいいぞ』
『ありがとう』
そこで連絡方法がメールから電話に切り替わる。
『もしもし……?』
「どうした。不安か?」
『う、うん、明日の5時に山内くんに返事をしなくちゃいけないんだけど……あっ、山内くんだって言ってなかったね』
「別にいう必要はなかったぞ」
予想はしてたし、綾小路に確認すれば済むことだ。
『返事をする前に、会えないかな……?』
正直、より深く事情を知っている綾小路の方が適任だとは思うが
『その、やっぱりそのことを考えると、不安で寝付けなくて……』
告白される側っていうのも、やっぱりそうなってしまうのか。佐倉みたいなタイプは特に顕著だろうな。
「俺にはその気持ちはよく分からんけど、慣れてるとかじゃなければ全員そうなるんじゃないか」
恋愛小説なんかが売れるのは、登場人物の気持ちに共感する人が多いからだと考える。映画でもそうだ。ストーリーによって、甘かったり、時に悲しかったり。そういった紆余曲折を全てひっくるめて恋愛なんだろう、と、恋愛経験ゼロの俺は思っている。うわあ、説得力ゼロ。
『あ、あのね?余計なことかもしれないけど……』
「なんだ」
『その、速野くんは、あの、好きな人とか、いたりするのかな、って……』
「?聞いてどうするんだ」
『あ、や、やっぱり嫌だよねっ。ごめん、忘れて?』
「いや別にいいんだけど……一応言っておくといないぞ」
『そ、そうなのっ!?』
「ああ。なんでちょっとテンション高いんだ……」
『あ、えっと、私と同じだな、って!』
「……」
好きな人はいない。これは佐倉の答えだと受け取っていいのだろうか。
「……もう大丈夫か?」
『う、うん、ありがと。どうにか眠れそう』
「そりゃよかった。じゃあおやすみ」
『うん、おやすみ』
そこで通話は終了し、電話口からプー、プー、という機械音が聞こえてくる。
俺は人を好きになったことはないし、嫌いになったこともない。
ただ1つ、絶望したことはある。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
翌日、俺は佐倉に指定された場所に、指定された時間通りに来ていた。
場所は第2体育館前。山内は、この近くにある校舎裏を返事を聞く場所に指定したらしい。
佐倉はそこに立ち尽くしている。俺の来訪に気づくと、ゆっくりと顔を上げてこちらに近づいて来た。
「ごめんね、わざわざ来てもらって……」
「いい。それより、考えはまとまったか?」
山内には5時にと言われたらしいが、すでにその時間まで残り20分を切っている。
「うん……私、断ることにする」
静かに、佐倉の気持ちを俺に告げてきた。だが、未だその表情には不安の色が見え隠れしている。
「……そうか」
「でも、まだ勇気が出せなくて……その、私なんかのことを気にかけてくれたことに、罪悪感みたいなのも感じてて……私に人の気持ちを否定する資格なんてあるのかな、って思ったりするの……」
人の気持ちを否定する権利、か。
「これは俺個人の意見だから、聞き流してもらってもいいが……」
「……ううん、聞かせて」
これはあくまで佐倉と山内の問題。俺と綾小路は付属品みたいなもので、本来ならこの件には関わることのなかった人間だ。そんな立ち位置の俺が意見することには少し気が引けたが、今のままでは佐倉はかなり中途半端な返事をしてしまうだろう。
「お前が今言った、人の気持ちを否定する権利だけど……そんなの誰にもないと思うぞ」
「……え?」
「ああ、そういう意味じゃない。告白を断るっていうのは、別に気持ちを否定することにはならないんじゃないか、ってことだ」
気持ちを否定するというのは、好意そのものを否定してしまうことだ。だが、佐倉は一度その好意を受け止めているからこそ、ここまで悩んでいる。そして受け止めることと受け入れることは、こと人の感情に関しては全くの別物だと俺は思う。
「それに、気にかけてもらったことに対して罪悪感を感じてるなら、むしろはっきりと自分の気持ちを言った方が俺はいいと思うけどな」
佐倉が山内の告白を断ることは既に確定している。ここで俺が告白を断るなとか、断れとか、そんなことをいう意味はないし、それこそ言う『権利』がない。
だが、恋愛経験ゼロの俺でも、これだけはわかる。中途半端に期待を持たせれば、後々面倒なことになる。それは佐倉にとってはもちろんのこと、山内にとってもマイナスでしかない。
「少し強い言い方になるが……受け入れる、断る、どっちにするにしても、告白に対して返事を返すのは権利じゃなくて義務だと思う」
思いが叶ったら嬉しいし、叶わなければ悲しみ、そして少し時間を置いてスッキリした感情が流れてくる。
だが、無視された場合はどうだろうか。
自分の存在を認識されない、あるいはいないものとして扱われる感覚は、嫌いだと面と向かって言われることよりもつらい。
「……そう、だよね。直接、はっきり言わないとダメだよね……」
「ああ。それがお互いのためでもあるんじゃないか」
「わかった……断るね」
言っている内容は先ほどと同じ。だが、佐倉にあった不安は少しだけ軽減されている気がした。
「……そろそろかな。行ってくるね」
「ああ、頑張ってくれ。俺は戻るから」
「ま、待って!ここにいてくれない、かな……?」
立ち去ろうとした俺の服の袖を掴み、そう言う佐倉。
「お願いっ……」
その腕は少し震えている。
「……わかった。待ってるから早く行けよ」
「……ありがとう」
佐倉は腕を離し、山内が来るであろう校舎裏へと向かって行った。
正直、告白の現場に立ち会いを頼まれる可能性すら考えていたが、待っているだけならお安い御用だ。
佐倉が戻って来るのを待っている間、少し意味は違うが俺も告白しようと思う。
俺がなぜ佐倉に罪悪感を感じているのか、その種を。
時間は須藤の事件のあと、佐倉、櫛田、綾小路、俺の4人で家電量販店に行った日に遡る。俺が動いたのは、その夜のことだった。
「……連絡先、教えますよ。心が繋がってるだけじゃ、ちょっと寂しいですよね」
目の前にいる男は、佐倉のストーカー。俺はこの楠田という男を使ってあることをしようと考えていた。
「ほ、本当に教えてくれるんだね……?」
「はい。持ってますから」
数時間前、綾小路と櫛田が帰ったあとに少し佐倉と話した空間。監視カメラがないことは既に確認済みだ。
「じゃ、じゃあ、早速……!」
アイドルの連絡先をもらえる、それだけが頭にある男は、少し興奮気味で俺に迫って来る。少し気持ち悪いが、牙を剥くのは今じゃない。
「……その前に、これは個人情報の漏洩だということはお分りいただけます?」
「そんなことどうでもいいじゃないかっ」
「よくないです。もしバレたら俺は終わる。その危険を冒してあなたに接触してるわけですから、それ相応の対価を頂かないと……」
「ぽ、ポイントかい?いくら欲しい……?」
ここから、商談スタートだ。
「そうですね……理想をいえば、100万は欲しいですね」
「ひゃ、ひゃく!?何をいって……!」
「アイドルのグッズに何百万かける人もいると聞きます。今回の場合はそれが妥当では?」
「し、しかしっ……そんな大金……」
「じゃあ、諦めますか?」
「くっ……じゅ、10万なら……」
「話になりませんね」
あまりに少ない金額を提示してきたので、即座に否定する。
アイドルの連絡先にどれほど金をかける価値があるのか、俺には分からない。だが、この人は間違いなく熱狂的なファン。ブログへの粘着、ストーカー行為まで働いてる始末だ。うまくいけばものすごい大金を引き出せる。その見通しからして、10万は少なすぎるのだ。
「じゅ、15万っ……」
「80万」
「じゅ、18万……」
「75万」
「た、高すぎる!」
「知りません。払えなければ破談です。……あなたが本当にそれでいいのなら、ですけど」
大きすぎる金額に負けて未練を捨ててもらっては困る。それではここで交渉した意味がない。
「に、20万だっ……!」
「はあ……」
わざとらしいとは思いつつも、大きくため息をつく。
「だ、だがこれ以上は……」
「60万」
徐々に譲歩していく。
「最初は100万だったんです。これくらいで妥協しませんか?」
「ぐ、くぅっ……」
悩みに入ってる。好感触だ。最後のセリフで、60万という金額ではなく、100万から40万も値下げされている、という事実を植え付けることができた。
「まだ決断できませんか?」
「くそっ……!じゃ、じゃあ、50万だ!これ以上は無理だ!」
50万、という数字を聞いた瞬間、俺はにやけそうになるのをこらえながら、言った。
「……分かりました。最初の半額。俺としてはもう少し上乗せしたいですが……それで手を打ちましょう。まずはポイントを支払ってください」
「まさか、払った瞬間に逃げる気じゃないよね……?」
「ポイントを支払う間、俺の端末をあなたにお渡しします。それでいいですよね」
俺はポケットから携帯を取り出し、楠田に手渡す。
そこから俺と楠田はポイント譲渡の手順を終え、俺の端末には50万のポイントが入った。
よし。
「じゃ、じゃあ、連絡先を……」
「はい。画面開くんで、こっちに向けてください」
こちらに指示通り、俺が操作できるように画面をこちら側に見せて来る。
俺が操作すると、連絡先と思われる文字列が並んだメモが表示された。
「これです。メモっていいですよ」
「ああ、こ、これが、雫ちゃんの……っ!!へへへへ!」
その声に、俺は何も答えない。
「もういいですか」
「あ、ああ」
短く答え、楠田は俺に端末を返して来る。
「では、この現場を誰かに見られるわけにもいかないんで、俺はこれで失礼します。それから一つアドバイスをしておくと、送ったメールは消した方がいいですよ。あんまり大量に履歴が残ると、ちょっと不自然ですから」
「ああっ……雫ちゃんの、雫ちゃんの……!」
狂気じみたその声を背に、俺は寮に戻った。履歴は多分消してくれるだろう。
この取引には、一つ大きな嘘がある。
俺はたしかに、アイドル雫の連絡先をダシに楠田からポイントを奪った。
だが俺はこの取引の間、一言たりとも「アイドル雫の連絡先」という単語を出していない。
この事実が指し示すことは、簡単。
俺があの男に教えた連絡先は、佐倉のものではない。
じゃあ、誰のものなのか。
あの男は間違いなく、アイドル雫へと向けたはずのメッセージを1日に何十件も送信するだろう。もちろんほかの人に知られないように、俺のアドバイスした通り履歴は消すはず。
ちなみにだが、学校側はポイントが誰から誰に譲渡されたか、そして誰が誰に連絡を取ったかまでしか把握できず、その内容までは分からない。
このことを利用し、俺のリスクを排除した。
まず、俺が教えたあのメールアドレスは佐倉のものではなく、俺自身のものだ。佐倉本人のものを教えるわけにもいかなかったということもあるが、そこにはもう一つ、別の狙いがある。
俺には恐らく、大量のメールが送られて来る。もちろん返信はしない。その都度削除していく。
何の反応もしなければ、佐倉本人に確認しない限り、この連絡先が佐倉のものではないとバレることはない。佐倉があの男と接触した際、俺が変な金属音を鳴らしたのはそれを話題にさせないためだ。一之瀬が出て行きそうだというのは想像できたしな。
だが、もしバレた場合。
その時はただ、あの男のストーカー行為を知って、口外しないよう脅された、と言えばいい。
その供述につながる状況証拠もある。
俺に送られて来る大量のメールは、誰にも言うな、という脅しのメール。
払われた大きすぎるポイントは、俺がその時に要求した口止め料。
そしてあの男が異常なのは、調べれば調べるほどどんどん出てくる。
それに加え、あの男は迂闊に警察には相談できない。
ここまでの状況を加味した上での行動だった。
無人島のときの綾小路のセリフが嘘でないとすれば、あの男は退職した。それは多分、俺の影響によるところも大きいと思う。
俺はそこから2日ほど後、あの店員がいないタイミングを見計らってあのカウンターに行き、女性店員にこう話した。
この店の楠田という店員が、どうもアイドルのブログに粘着行為をしているらしい。自分は脅されているので、あまり大ごとにはしないでほしい、と。
こう伝えておくことで、あの男が何か問題行動を起こした時、処分が大きくなる。退職してくれればなおのこといいとは思っていたが、まさかここまでうまく行くとは。
こんなことをしておいて何だが、これが佐倉に罪悪感を抱いている要因だ。
俺が生徒会長に目をつけられているのは、恐らく、須藤の事件の訴えが取り下げられて俺がポイントの多くを支払うことになった際、60万近いポイントを所持していたのを目にしたからだろう。正直、あの時もう少しうまく隠せていれば、と後悔している。相変わらずどこかで必ず凡ミスをする癖は治ってないな。
と、そこまで考えたところで、佐倉が戻ってきた。
「……お疲れ」
「……ありがとう。待っててくれて」
「別に。……ちゃんと言えたのか?」
「うん……断っちゃった」
「それが佐倉の決断なら、誰も責めないだろ」
きっと山内も覚悟の上だったんだろう……と勝手に思ったりしている。
「……?」
急に、佐倉が右手を広げながら空を見上げる。
それにつられて俺も見上げた瞬間、目の中に水が落ちてきた。
「っと……雨か?」
俺がそう呟いた瞬間、バケツをひっくり返したように雨が強まった。
「うわっ……」
「……取り敢えず屋根の下行くぞ」
「う、うん……」
2人で屋根の下に移動し、これ以上の被害を防いだものの、既に体はずぶ濡れだ。
「はあ……大惨事だな。大丈夫か佐倉」
「う、うん。私は大丈夫……速野くんは?」
「俺も別に」
こうしてずぶ濡れでいると、無人島でのことを思い出すな。あの時よくも風邪ひかなかったなーと自分でも思う。
にしても、危なかったな。告白のタイミングじゃなかっただけ良かったのか。
「あ、あの、これ良かったら使って?」
佐倉はそう言うと、俺に白いハンカチを差し出してきた。
「い、いや、俺はいいから」
「でもずぶ濡れだよ?」
「それはお互い様だろ。お前から拭いてくれ」
「私結構丈夫だから」
俺が頑なに拒否していると、佐倉はなんと背伸びをして俺の髪や肩を拭いてくれた。
「……佐倉?」
「……うん、ちゃんと拭けた」
そう言いながら頷いて、そのハンカチで自分の髪も拭き始めた。
俺はいま唖然とした表情をしているだろう。佐倉がこんな突拍子もない行動に出るとは思っていなかった。
「……色々ワガママ言っちゃったから……その、お礼……」
「……ぃや……」
あ、あれ、佐倉ってこんなやつだったっけ……?なんかキャラが……いや、でもたまに発狂するしな……やっぱよくわかんねえや。
「ま、まあ……ありがとう……?」
どう反応していいかわからず、微妙な返しになってしまう。
「……うん」
佐倉は静かに頷いた。
この後一緒に寮まで戻ったのだが、さっきの行為が恥ずかしくなったのか、単純に俺といるのが嫌なのかは知らないが、佐倉は「うぅ……」と呟きながら頑なに俺と目を合わせてくれなかった。
いや、ちょっと恥ずかしかったのはお前だけじゃないぞ……俺が言ってもキモいだけかもしれんけど。
はい、一つの伏線を回収し終わりました。次回もお楽しみに。
感想、評価お待ちしております。
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ep.38
夏休みの最終日、の前日。
明日のことを思い浮かべつつも、明後日から学校かー……と憂鬱な気分になりながら、タオルケットを被って寝ようとしたとき、突如として携帯が鳴った。
画面に表示された名前は綾小路。あら珍しい。
「もしもし」
『速野か。今大丈夫か?』
「ああ。で、何の用だ」
こんな時間にわざわざ、ってことは、何か急な用事か?
『明日、予定空いてるか』
「明日……?」
明日の予定を聞かれてるってことはあれか、遊びの誘いか。別に急用というわけでもないらしい。
だが、都合が悪かったな。
「残念だが、実は先約があってな。無理そうだ」
『先約が……?』
そう呟く綾小路の口調には、かなりの驚愕の色が見て取れた。
「……おい、その疑問符はなんだ。流石に傷つくぞ」
『いや悪い。そういうわけじゃない。分かった。池たちにそう伝えとく』
「え、池たちって、あの3人も一緒なのか?」
頭の中に、池、山内、須藤の顔を思い浮かべながら聞く。
『ああ。一応な』
「ふーん……まあどっちにしろ俺はちょっと無理だな。誘ってくれたとこ悪いが他当たってくれ」
『分かった。じゃあ、おやすみ』
「ああ」
そこで通話は終了した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
翌朝、8時半少し前。荷物を持って自室を出、エレベーターに乗り込んだ。一階のボタンを押して、そこにたどり着くのを待つ。
この時間だし、恐らく直接行けるだろう。そう思っていたのだが、俺の部屋がある五階から一階降りた四階でエレベーターは停止した。
ドアが開いて、このエレベーターを停止させた犯人の顔を拝む。
「……お、おはよう」
「お、おう……」
なんと、その犯人は綾小路だった。
昨日遊びの誘いを断った手前、少し気まずい。一階までのエレベーターの時間が長く感じた。
ようやく到着し、エレベーターを出て歩く。すると、ロビーがやけに賑やかなのに気づいた。
「……なんか賑やかだな」
「今からあいつらとプールに行くんだよ。それにお前を誘おうとしてたんだ」
「……え?」
「お前は何しに行くんだ?」
「あ、いや、ちょ、え?」
突如の報告を受けて焦る俺の声を遮るようにして、横から声が聞こえてきた。
「あ、速野くーん」
俺の名前を呼びながら手を振っていたのは、その賑やかな集団にいたうちの1人。
そして、俺が昨日綾小路の誘いを断らざるを得なかった先約の人物。
Aクラス、藤野麗那だった。
「あ、ああー……」
ようやく状況が理解できた。
俺は藤野との約束があり、それを理由に綾小路の誘いは断った。
だが、綾小路たちが遊びに行く先は俺たちと一緒で、奇しくも集合場所や時間まで一致してしまい、それをみた藤野は瞬時にその集団に溶け込んでしまったというわけだ。
「速野くん、おはよ」
藤野と話していた櫛田が、俺の方に向かってそう言う。
「あ、ああ、おはよう」
「麗那ちゃんと2人で行く予定だったんだよね?麗那ちゃんからはオッケーもらったんだけど、よかったら一緒に行かない?」
櫛田からの申し出。藤野が了承したのなら俺に拒否する理由はない。
「ああ、分かった」
「うん。楽しもうねっ」
「あ、ああ、ってうぁっ……!」
櫛田との会話を終えたところで、俺の腕が何者かに引っ張られる。
「なんだよ……」
振り向くと、そこには鬼の形相(あんまり怖くない)をした池と山内が立っていた。
「おい速野、どう言うことだよお前、あんな美少女と2人でプール行くつもりだったのかっ……!?」
「あ、ああ……」
「やっぱお前付き合ってんじゃねえか!」
そういえば以前、2人から2回ほどその件について問い詰められたっけ。俺その度に違うって説明したはずなんだけどな……
「前にも言っただろ。あれが俺の友人だ。てか、事情聞いたら納得すると思うけどな」
「な、なんだよ、何か事情があんのかよ……?」
「ああ、これは今から12時間くらい前のことなんだがな……」
俺は池と山内に言い聞かせるようにして、昨夜の出来事を告げた。
夕飯を食っている最中、ベッドの上で充電していた携帯が鳴り出した。
食事中ということもあり少し面倒だったが、無視するわけにも行かない。携帯を操作すると、それは藤野からのものだった。
「もしもし?」
『あ、速野くん?今いいかな』
「……まあ、飯食ってたけど大丈夫だ」
『あー、そっか。かけ直そうか?』
「いやいい。用件を言ってくれ」
後回しにすると逆に面倒だ。
『じゃあ手短に済ませるね。速野くん、明日予定空いてる?』
「明日……?まあ、空いてるが」
少し間を開けたが、本当は考えるまでもなく暇だ。
『よかったぁ。あのさ、今、普段水泳部が使ってるプールが解放されてるの知ってる?』
「プール?ああ、なんかメールで来てたな」
プールは夏休みの最終日、つまり明日までの三日間、一般生徒向けに解放されている。ただ、初日に人がごった返していたらしく、それ以降は1人1日限りの使用のみ認める、と学校側からメールで通達があったのだ。
『その……よかったら、一緒に行かない?』
藤野の声は、少し遠慮がちだ。
「……一緒に?」
『う、うん……』
言われて、少し状況を思い浮かべてみた。
かたや、Aクラス所属で学年トップクラスの美少女。
かたや、Dクラス所属で学級トップクラスの地味男。
「いや、多分無理じゃないか」
『え、どうして?』
「なんと言ったらいいか分からんが……不釣り合いというか。てか、他の友達誘えなかったのか?いくらでもいるだろ」
『その、今まで当たった友達はみんな昨日と今日で行っちゃってたみたいで』
なるほど。だが、そうなるともう一つ疑問が浮かぶ。
「なんでお前はそのどっちかに行かなかったんだ?」
『情けない話なんだけど、今日の朝まで熱出してて……いろんな子から誘われてたんだけど、全部断っちゃってさ』
「……そりゃ気の毒に」
藤野も夏バテするんだな。まあそりゃそうか。人間だもの。
「あー……俺はいいんだけど。お前はいいのか?俺で」
『もちろんだよ。よくなかったら誘ってないよ?』
うーん……
「……分かった。いいぞ」
『ほんと?』
「ああ」
『やったっ。じゃあ混まないうちに行きたいから、明日8時半に寮のロビーに集合でいい?』
「あ、ああ」
『じゃあ、楽しみにしてるね』
「分かった。明日な」
さっきの遠慮がちな声とは真逆で、若干弾んでいるように感じる。
……まあ、俺も楽しみじゃないといえば嘘になるな。
「と、いうわけなんだ」
「いやいやいや、バリバリデートっぽいじゃん!」
どうやら納得いただけなかったらしい。
「もっとよく考えろよ。藤野は俺にあたる前、何人かに聞いたんだ。つまり、あいつの中で俺の優先度はそれくらいってことだよ」
「いや、関係ないって。結局2人で行くつもりだったんだろ?」
「……まあ、そうなるな」
それは事実だ。
「くっそー……!いや、でもよくやったぜ速野」
「……お、おう?」
藤野がこのプールに遊びに行く集団に参加したことを言ってるんだろうか。まあ、あいつが参加したのはこいつらにとっても嬉しいことだろうけど。今も藤野ちゃん胸でっかーとか言ってるし。聞こえないようにしとけよ。
池と山内から目線を外し、周りを見渡していると、珍しい顔を見つけた。
「……堀北?お前も参加してるのか」
「いけない?」
「いや別にダメじゃないが。お前参加するようなやつだっけ」
「……色々事情があるのよ。放っておいて」
「……まあ、そこまでいうなら」
堀北の逆鱗に触れるのもよろしくない。ここは退散することにした。
「あれ?堀北さんたちじゃない?おっはよー」
そんなハイテンションな声のする方に耳を傾けると、寮から一之瀬とその友達と思われる女子、合計3人が降りて来た。
「もしかして君たちもプール?」
一番入り口に近い位置に立っていた俺に問う一之瀬。
「ああ」
「じゃあせっかくだし一緒に遊ばない?」
「もちろん歓迎だぜっ!!」
一之瀬の合流を聞きつけた池が、ソファーから立ち上がりながら喜んでそう言った。
「でも悪いな。今、1人寝坊してる友達を待ってるんだ。移動はそいつが降りて来てからでいいか」
「うん、オッケー」
綾小路も、付け加えるようにしてそう言った。
「寝坊?」
「須藤がまだ来てないんだ」
「……そういえば見当たらないな」
360度どこを回してもいない。あいつこんな時にも寝坊するのか。
にしても、須藤が来たら総勢12人か。随分と大所帯だなこりゃ。何より、その集団に俺が入ってるってのが感動的すぎる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「あはは、すごい偶然だね」
須藤があくびをしながら到着し、プールに向かって移動を始めていた時。どのタイミングで俺がこの集団に参加することになったのが偶然だということを聞きつけたのかは知らないが、一之瀬が事情を聞いて来たので素直に話した。
「でも意外だよー。速野くんと藤野さんがこんなに仲よかったなんて」
「あー、まあ、流れでな」
少し失敗したかもしれない。ここで俺と藤野を結びつけてしまった。
いや、今はいいか。ここでそんなことを考えるのは場違いだし、いずれバレていたことだ。
「ちょっと予想外のことになっちゃったね」
「ああ……」
件の藤野が、俺の隣に並んできた。
「もう風邪は大丈夫なのか」
「うん、今はバッチリ。それに、怪我の功名ってこのことかもね。お陰で速野くんと初めて週末に遊びに行けるし」
「……そういやそうだったな」
確か以前、週末にもいつか遊ぼうと言われて、ポイント的に無理だって断ったんだっけ。
だが、今はもうそれに敏感になる必要はないな。まあ節約はし続けるけど。ドケチですから。
「……ねえ、池くん、と山内くん、だっけ。前歩いてる2人」
「ん、ああ」
「なんかやけに荷物重たそうじゃない?」
言われて見てみると、確かに。基本的に着替えやバスタオルくらいしか持っていくものはないはずだが、2人ともかなり重そうにしている。
「あなたもそう思う?藤野さん」
同様の疑問を持ったのか、堀北が珍しく自分からコミュニケーションを取りに行った。一応この2人は顔見知りだ。
「うん。ちょっと変だなーって」
「やはりそうよね……」
プールでの遊び道具という線もあるが、あの2人だからこそ疑いが深まってしまっているのだろう。
にしても、堀北は藤野相手だと普通だな。誰かれ構わず嫌悪感を振りまいているというわけではないらしい。
その後も適当に雑談をしながら、大型プール施設への道のりを歩いて行った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「な、なあみんな、俺たちにとって、今日という日は特別な日になる。そんな予感がしないか!?」
「ああ、俺たちはクラスの誰よりも先に進むんだっ!」
プールの更衣室に入るや否や、池と山内がでかい声でそう叫んだ。
いくらなんでもテンション高すぎやしないだろうか。ちょっとうるさい。
「おい、お前ら少し落ち着けよ。あんまり騒ぐとまずいだろ」
「……そ、そうだな。悪い悪い、あだっ!」
須藤が2人の頭をぶつけあわせて黙らせる。やっと静かになった。
「須藤は意外と冷静なんだな」
「元々そこまで期待してねーしな。それに、嬉しい気持ちとそうでない気持ちも半々だ。冷静に考えてみりゃ、鈴音が悲しむことをするわけだし。無防備な鈴音をあいつらに見られるのも気に入らねえ。男なら自力で女を落としてこそだ」
「……」
須藤の言ってる意味がちょっと分からない。そりゃ男なら自力で、って部分の認識は正しいだろうが、何に対する期待がそこまでなんだ。それと、堀北が悲しむことってなんだ?
なんか、プールだけに水面下で何かが起こってる気がする。答えてくれるかどうかは定かではないが、一応後で綾小路に聞いてみることにしよう。
着替え終わり、プールサイドに出た俺と綾小路。人前で肌を晒すのが苦手なため、2人ともラッシュガードをつけている。
何をやっているかは知らないが、池と山内、それに須藤は遅れていた。
ひとまず壁にもたれて全員の到着を待つ。綾小路が一之瀬に体をめちゃくちゃツンツンやられていて吹き出しそうになったのは別の話だ。
と、そこで池、山内、須藤の3人がようやく更衣室から出てきた。女子はすでに全員出ているし、これで全員が揃ったということになる。
「うほぉ……」
堪えきれなかった感嘆の声が、池と山内の口から漏れる。
「え、ちょ、藤野ちゃんの、佐倉と同じくらいじゃ……」
人の体を比較し、その評価を口に出してしまう始末。褒められた行為とは言えないが……うん、でもちょっとその気持ちもわかってしまう俺がいる。
藤野、一之瀬、佐倉。この3人の胸囲は脅威である。……いやまじで。男子高校生には凶悪すぎるぞこれは。
藤野はウエストが他の2人と比べて少し細い……気がする。だから余計に強調されているのかもしれない。脅威(誤字に非ず)が。
女子の身体に目線が引きつけられてしまうのは、欲求階層説の最も低次の欲求である生理的欲求に由来している。低次だが、人間が初めて感じる欲求だ。本能といってもいいそれに逆らうことはできない。綾小路であっても恐らくそれは例外ではないと思う。
「それじゃ行こっか。奥の方の席が空いてるみたいだから」
飛び入り参加の一之瀬だが、自然と場を仕切っている。もうこれは天賦の才能と言ってもいいな。櫛田や藤野とはまた違ったタイプの人心掌握術だ。
歩きながら、この大型プール施設を俯瞰する。
「これは……」
「凄いね……」
俺の言葉の続きを先回りして言うようにして、藤野が声を漏らした。
「普段使えるのが部活動だけっていうのがもったいないよ」
「……それは確かに」
プールは大きいのが3つに分かれている。普通のプール、流れるプール、そしてバレーのネットがいくつか設置されているスポーツ用プール。しかも、なんか焼きそばやらたこ焼きやらを売っている出店まである。ってか、店員この学校の上級生じゃないの?売り上げ競争でもあるんだろうか。……なんか、あってもおかしくないような気はしてきた。だってこの学校だし。
「速野くんって泳ぐの得意?」
「あー……どうかな。苦手ではないな。でも別に得意分野ってわけでもない」
四月にあったプール授業を思い出した。確かあの時、飛び込みでゴーグル外れてそのまま泳いだんだっけ……ダサい。想像してみたが猛烈にダサい絵しか思い浮かばない。
「あれ、一之瀬たちじゃん。そっちも今日来てたんだな」
「あ、柴田くんたちだ。やっほー」
俺の残念な姿を想像しながら歩いているところで、そんな声が聞こえた。一之瀬の知り合いか、と思って声のする方を向くと、3人の男子生徒が一之瀬と話している。その中には一応知り合いの神崎もおり、恐らくBクラスの男子たちだと予想がつく。
「うわあ……あれ凄いね」
隣にいた藤野が、スポーツ用プールを見て感嘆の声を漏らす。俺もその方向を向いた瞬間、バッチャーンという大きな音とともにボールが水面に叩きつけられた。誰かがスパイクを放ったんだろうが、それはものすごい威力だったことが見て取れる。
そこでは、上級生たちとみられるグループがバレーボールをやっていた。
「今打ったのは……多分あの人だな」
俺が目を向けたのは、こちら側から見て左側のコートに立っている金髪の少年。一見細身だが、無駄のないがっちりとした筋肉がついているのが分かる。
しかもこれが、雑誌のモデルにでも起用されそうなくらいの美少年ときた。ギャラリーには女子生徒が多いみたいだが、多分この人目当てがほとんどだろう。
続いてのボールも件の美少年が大きく飛び上がり、威力の強いスパイクを打ち込む。相手側もいい動きでボールを上げようとするが、ポイントには繋がらず、結局また美少年サイドのポイントとなった。
「い、イケメンでスポーツもできるとか……」
「相当なものね。彼1人であの場を支配してる」
かなりの実力者であることは間違いなさそうだった。
「あの人は2年A組の南雲先輩。現生徒会副会長で、次期会長は確実だって言われてる人だよ。頭もすごくいいみたい」
一之瀬がそう言った。
南雲という名前は会長と接触した時に聞いたが、あんな完璧超人だったとは。
「聞いたことあるか?」
「ううん、ないよ。でも生徒会なら、多分だけど今の生徒会長が凄すぎるってことなんじゃないかな。あの人の前だとどんな人でも霞んじゃいそうだし」
「確かに……」
藤野の言葉を聞いて納得する。あの人から出る強者オーラは尋常ではない。歴代最高の生徒会長だ、なんて話も耳にしたことがある。
そんな藤野の言葉に続くように、一之瀬が口を開いた。
「でも、南雲先輩も実力では負けてないって話だよ。実際、去年の生徒会選挙の時はまだ1年生だった南雲先輩と堀北会長で争ったらしいし」
「やけに詳しいな」
「私生徒会に入ったから。自然に覚えちゃったの」
「……生徒会に?」
その事実に、堀北が驚愕の表情を見せる。
そういえばあの時、橘書記が1年の女子から1人取ったって言ってたな。それが一之瀬だったってことか。少し納得した。
「南雲先輩は私の目標でもあるんだよね。元々Bクラスだったっていうのもあって、私と境遇が被ってたりさ。それがもう次期生徒会長確実ってところまで来てる。私も同じようにいつか……なんてね」
一之瀬には一之瀬なりの目標がある。それでいいんじゃないだろうか。
「スタートが出遅れてる時点で、彼のポテンシャルを察するべきね」
「おいおい……」
「お前……もしかして自分がDクラスだってことをまだ認めてないのか?」
「当然でしょう」
本当に当然だと言わんばかりに言ってしまった。
「うーん、でも堀北さんが不思議がるのも無理はないかも。単純な能力によるクラス分けってわけでもないっぽいしね。頭の良さももちろんそうだけど、人間としての成熟さや協調性とかね。速野くんや堀北さんがDクラスに配属されているのを見ると、そういうのを全部ひっくるめた上での判断じゃないかな」
「つまり……私が総合力で劣っているということ?」
「ごめん、そう受け取られちゃったなら謝るね。でも、堀北さんは基本的に自分を信じるタイプ。それって言い換えたら、自分本位ってことにもなっちゃうじゃない?社会に出た時、自分本位な人と指示に的確に従う人、どちらが優秀かはケースバイケースだと思わない?」
「……納得できないわね」
一之瀬のいうことも一理ある。だが、俺はそれとは別のことを考えていた。
冷静に考えれば、周りに従順な行動を堀北に求めるやつはいないだろう。それに一之瀬の説なら、欠点らしい欠点のない一之瀬がAクラスでないのはおかしいはずだ。
能力判断の項目がもっと多いのか。
それとも、人によって判断基準が違うのか。
まだまだ、この学校の秘密には悩まされそうだ。
原作ヒロインのスリーサイズが公開されてますが、藤野のスリーサイズも公開した方がいいですか。特に拒否されなければ次の後書きに書きます。
感想、評価お待ちしております。
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ep.39
では、どうぞ。
柴田や神崎などのBクラス男子メンバーも参加が決まり、全員でバレーをやろうという話になっていた。堀北は始め乗り気ではなかったが、一之瀬からのわかりやすい挑発に乗っかり参加が決定した次第である。この性格は苦労しそうだな。自他共に。
ちなみに、負けた方は勝った方に昼飯を奢るという賭け付きだ。
「えっと、じゃあ私は抜けた方がいいかな?」
チーム分けはDクラスとBクラス。必然的に、藤野はどのチームにもあぶれてしまう。
「藤野さんは私たちがもらっていい?人数もちょうどになるしさ」
「ああ、それでいいぜ」
この試合ではDクラスの圧倒的主役になるであろう須藤が同意し、これで7対7となった。ちなみに佐倉は抜けている。
「あなたが使えるかどうか、試させてもらうわよ須藤くん」
「おう。よく見とけ鈴音」
自信満々に答える須藤。
試合前のその言葉通り、須藤の活躍は目覚ましい。
「おっしゃ任せろ!」
水中からこんなところまで跳べるのか?というほどのジャンプ。そこから全身の力を腕に伝えて振り抜くと、ボールは勢いよく水面に叩きつけられた。
「っしゃ!」
そのアタックをBクラスチームは誰も止められず、再びこちらの得点になる。試合開始時から、この場は須藤の独壇場と化していた。歓声をあげる人はいないものの、先ほどの南雲という上級生並みのアタックだ。
「凄いね今の球!」
「へっ、まあ落ち込む必要はねーぜ。女に俺のアタックは返せねえよ」
「おっ、それは女性蔑視かな?こっちだって負けないんだからね!」
須藤の言葉にも楽しそうに返す一之瀬。得点は7対3とDクラスがリードしていた。
次のサーブは山内。放たれたボールを神崎が打ち上げる。
「よし、俺にくれ一之瀬!狙い目を見つけた!」
「オッケー!」
理想的な位置にトスが上がり、スパイクを打ったのは柴田だった。
須藤ほどのスピードも勢いもないが、運動神経の良さを伺わせるアタック。そのボールは綾小路めがけて迫っていった。
「取れよ綾小路!」
そんな須藤の声に呼応するかのように綾小路は動き出す。伸ばした腕にボールが当たるが、明後日の方向に飛んでいってしまった。
「うげ……」
「いえーい!」
その様子を見て、一之瀬たちはハイタッチを交わした。
「なんだよ今のヘナチョコレシーブは!?」
「悪い……まあ、どんな形で取った1点も結局は1点ってことだな」
「ふざけんなよコラ。あれくらいせめて上にあげろよ」
そう言われる綾小路だが、できないものはどうしようもない、と言いたげな表情をしていた。
次にBクラス側、藤野のサーブだ。
高く上がったボールは、細い腕によって振り下ろされたとは思えない鋭い軌道で俺の正面に向かってきた。
「っと」
オーバーかアンダーかで迷ったが、今立っている位置の顔の目の前だったので、一歩前に出てオーバーでレシーブしてボールを上げた。比較的上手く行ったんじゃないだろうか。
「堀北」
「ええ」
言われなくても分かっている、という動きで綺麗にトスを上げる。
「おらっ!!」
大きな声の気合と共に腕が振り下ろされ、ボールは敵陣の水面にワンバウンド。こちらの得点だ。
「あちゃー、取られちゃったか」
「藤野さんサーブ速いね。もしかして経験者?」
「うん。小学校5年生くらいからやってたよ。中1で辞めちゃってからはやってないけどね」
なるほどそういうわけか。言われてみれば確かに、今までの動きも経験者を感じさせるものだった。一之瀬や堀北も素人とは思えないほどのレベルだが、纏っている雰囲気みたいなものが藤野の方が一枚上手という印象を受ける。
順番が巡り、俺のサーブの番になった。
俺にはスピードのあるサーブを打てる藤野のような技術もなければ、須藤のようなパワーもない。それ以外の面で工夫するほかなかった。
相手は、前衛に一之瀬と柴田、後衛に藤野と神崎の2人を置き、なるだけ隙がないようにしていた。
俺は藤野と神崎の間の、申し訳ないがBクラス側の中では一番動きが鈍いと判断した女子生徒にめがけてサーブを放った。
スピードのない、「文字通り」フラフラとしたサーブ。取るのは簡単そうだったが、その女子はしっかりと捉えることができず、腕に当たったボールはプールサイドへ転がって行ってしまった。
「あ、あれ?」
「ドンマイ千尋ちゃん!今のは仕方ないよ」
一之瀬はミスした生徒にも優しく声をかける。うちの須藤とは大違いだ。といっても、別に須藤を否定するわけじゃないが。
俺の元にボールが返ってきて、再びサーブを放つ。次も同じ位置を狙った。さっきよりスピードは出ていたが、やはり遅い。千尋と呼ばれたその女子はオーバーでレシーブをする構えを見せる。
しかしボールは思ったより手前で落下し始め、オーバーではレシーブできない。しかし今から構えを変えることもできず、オーバーの構えのまま前のめりになってボールを前に押し出す形になってしまった。
ボールはネットにかかり、そのまま落ちる。再びこちらの得点だ。
「やったねっ」
隣にいた櫛田が手を差し出してくる。ハイタッチを求められているとわかり、ゆっくりと伸ばした俺の手が櫛田の手に触れた。
さらに、前にいた堀北にも声をかけられる。
「あなた、経験者、ではないわよね?」
「ああ」
「じゃあ1球目の無回転サーブや、今の高速回転のサーブは勘でやったということ?」
「まあ、テレビで見たのを思い出して見よう見まねでな」
無回転サーブはボールの軌道がゆらゆら揺れ、レシーブが難しくなる。文字通りのフラフラサーブだ。
2球目は打つ瞬間に手首を巻いてドライブ回転をかけ、ボールを落下しやすくした。それで2球ともあの女子はボールを上げられなかったのだ。
「パワーがないから、スピードのあるサーブは打てなくてな。これくらいしか工夫をこらす点がなかったんだ」
「……そう。では、3球目はどんな工夫をこらすのか、楽しみにしておくわ」
「素人に期待すんなよ……」
思いつくだけはすでにやってしまった。ネットのギリギリに当てて落とすという作戦も考えはしたが、そんな技絶対無理だと断念した。
結果、1球目の無回転サーブを打つことにする。しかし打つコースをミスし、ボールは藤野のところへと飛んでいった。
「えいっ」
綺麗に上がるボール。それを柴田がトスした。そして最後、一之瀬も藤野も跳んだことで、どちらが打つか判断がつかない。そして跳んだ瞬間、2人の胸に実った柔らかいバレーボールに目を奪われている池と山内と綾小路。俺?俺はボールに集中してたんで(すっとぼけ)。
結果的に一之瀬がスパイクし、球は堀北の元へ。堀北はそれを難なく拾い、俺がトスを上げる。そして須藤が跳躍し、強くスパイクを放ってこちらの得点だ。
「っしゃ!ナイスだぜ」
須藤からお褒めの言葉を賜った。だが、褒めた気持ちの割合的には俺1に対し堀北99くらいだろう。下手すりゃもっと。いや、むしろ俺褒められてない説がある。
そのままの流れでサーブを打つが、ボールは狙いとは大きく外れ、一之瀬の正面へ行ってしまった。
「あ、やべ」
スムーズな流れで、Bクラスチームはアタッカーへとボールをつなぐ。
スパイクされたボールは、綾小路の方へ向かっていった。
その動きはさっきとは見違えるほどスムーズ。しかし、レシーブすると同時に不恰好に足を滑らせ、プールの中に転んでしまった。
やるな、綾小路。
「うわ、下手くそだなー綾小路」
「下手でもなんでも上がりゃオッケーだ!行くぜ!」
そして、須藤の体から再び凄まじい勢いのスパイクが放たれた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「あっちゃー、負けちゃったか。完敗だよ」
プールから上がった一之瀬が悔しそうに言う。
「まあ、須藤の一人勝ちみたいなもんだけどな」
「そうね。ほとんど彼1人の得点だし」
俺の言葉に続き、素直に須藤を褒める堀北。須藤の存在はDクラスにとって大きい。堀北は今、そのことを実感しているだろう。
「じゃあ約束通り、だね。お昼ご飯にしよっか」
一之瀬の提案で、全員でぞろぞろと売店へ向かう。
さて、今日のバレーで一之瀬の中のDクラスメンバーのプロファイルはどうなっただろうか。
特に綾小路。レシーブした時にこけたあのプレーは、一之瀬から観察されている視線に気づいたからだ。あのプレーが怪しまれてなければいいんだが、あの動きは俺から見ても不自然だった。一之瀬の綾小路への警戒度のギアは一段階上がったと見ていいだろう。
まあ、取り敢えず今は飯だ。俺は食欲が強い方ではないが、好きなものを食っていいというし、遠慮なくそうさせてもらうことにしよう。
量も値段も気にせず、適当に食いたいと思ったやつを2、3品ピックアップし、商品を受け取って空いている席に座った。
「悪いな。ご馳走さま」
「賭けの結果だからねー。遠慮しないで食べてね」
「ポイントはお前が全負担するつもりか?」
「うん。言い出しっぺだし」
「ふーん……」
一之瀬が昼飯の負担をする人数は、佐倉や彼女自身の分も加えて9人分。1万近い出費になりそうだが、これは一之瀬にとって必要経費ってことなんだろうか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「楽しかったねっ」
「そうだな」
男女更衣室の分かれ目、俺と櫛田のそんな会話を最後に、互いに自分の更衣室へと入っていった。
「……?」
中に入るが、例の3人、特に池と山内の様子が落ち着かない。
「なんかソワソワしてないか、お前ら」
「え、え!?いや、そんなことないぞ!?な、なあ?」
「お、おう!」
怪しさマックスだ。こいつらは嘘のつき方を知らないんだろうか。
「……ならいいか」
気にはなるものの、気にするだけ無駄だろう。
スパッと着替え、水着をビニール袋に突っ込んでバッグに入れた後何か忘れ物がないかチェックする。
「……ゴーグル……くそ」
チェックしておいてよかった。
濡れないために靴下を脱ぎ、プールサイドに移動したその時。
「ははははは!」
プールの中で戯れている軽井沢と綾小路の姿を発見した。すでに閉館時間を迎えており、中にいる2人は監視員に当然咎められる。
「何やってんだ……ていうか、なんだよあの組み合わせは」
軽井沢恵。Dクラスの女子のリーダー格で、俺が知る限り、綾小路と関わり出したのは船上試験から。もちろん以前からという可能性も排除はできないが。
どちらにせよ、ちょっと想像しにくい絵だった。
俺は一旦更衣室に戻り、綾小路の帰還を待つ。池たちの姿はすでに消えていた。まあ当然か。
2分ほど経って、綾小路が戻ってくる気配を察し、歩き出す。
「……あれ、どうしたんだ速野」
「中にゴーグル忘れてきたから取ってくる」
それだけ言って、俺は再びプールサイドへと足を踏み入れた。
塩素による殺菌が行われているプールで、独特の匂いがある。さっきバレーをしたところからほど近い場所に俺のゴーグルは放置されていた。
「よかったよかった」
声量はかなり小さかったはずだが、広いプール施設では響く。
用は済んだので、そろそろ帰宅だ。そう思ってスタスタと歩いている最中、ゴミ箱を発見した。
何となく中が気になり、覗き込む。そこには売店で売られていたたこ焼きやら焼き鳥やらが入っていたと思われる使い捨てトレイが入っていた。
そしてその上から、折れ曲がったプラスチックのようなものを発見した。そこにあるのには少々不釣り合いなものの存在に目を引かれる。
「……ん?」
少し汚いが、それを拾い上げた。
「SDカード?…………あ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「一之瀬、アイス下から溶けてってるぞ」
「え?うわほんとだっ!!」
プール施設を出て、コンビニに立ち寄った俺たちは全員アイスやかき氷を購入して思い思いに食べていた。
コンビニを利用するなんていつ以来だろう。入学初日に立ち寄った覚えはあるが、それ以降はない気がした。
意外だったのは、アイスを食ってる時の綾小路の周りにすごい幸せそうな空気が漂っていたことだ。まるで初めて食べるかのような顔。まさかこの世に生を受けて15、6年ほど、一度もアイスを食べたことがないなんてあり得るんだろうか。
少し気は引けたが、そんな綾小路に声をかける。
「ちょっといいか」
「どうしたんだ?」
和気藹々とアイスを食っている集団から10メートルほど距離を取ったところで足を止める。
「単刀直入に聞くぞ。あの3人、池と山内と須藤はこの遊び中に何したんだ」
回りくどく聞いても、こいつの前ではあまり意味をなさない。
「オレに聞かれても困る。本人達に聞いたらどうだ」
「答えてくれるわけないだろ……」
それが分からないこいつではないはずだ。やっぱり何かを知っている。
「……まあ、いいか。あいつらが何をやらかしたかは知らないが、問題はないんだろ」
「何が問題なのかは知らないが、ただふつうにプールを楽しんだだけだ」
「ならいいんだ」
こいつが軽井沢を使って何かをしたのは分かっている。なら、こいつの中では既に問題は解決済だということだ。
あの3人の不自然な様子。そして綾小路が握りつぶしたと思われるSDカード。これらの条件から俺が予測するのは、池たち3人は女子更衣室の盗撮を試みていた、ということだ。
どんな手段で、かは知らない。それを綾小路は知っていて、どうやったかは知らないが軽井沢と結んでそれを阻止したってことだ。
つまり俺の予想が正しければ、俺のポケットの中のハンカチに包まれている握り潰されたカードには、女子更衣室の様子が映ったデータが入ってるってことだ。
「……アホか」
俺は持っていたアイスの袋に粉々のカードを入れ、そのままコンビニのゴミ箱に捨てた。俺の予想が当たっているにしろそうでないにしろ、こんなのいつまでも持ち歩いているわけにもいかない。そもそもあんな形状になったらデータなんて残ってないだろうし。残っていても見るつもりはない。
「?速野くんどこ行ってたの?」
「ちょっとそこで内輪話をな」
不思議そうな表情を浮かべる藤野にそう答え、この15人の大所帯は寮へと足を進めていった。
4.5巻終了でございます。断水のくだりと占い師のくだりは省いたので、かなり短くなりました。
誰からの拒否反応もありませんでした(号泣。みんな反応してぇ!)ので、前話の予告通りにしようと思います。
藤野のスリーサイズ(作者の願望てんこ盛り)…94(G)/58/87
ここで一つ謝罪を。
まだ5巻の研究が終わっておらず、構成を練り切ることが叶っていません。投稿開始が遅れることが予想されますが、ちゃんとやりますので、皆さま、応援よろしくお願いいたします。
では、いつもの言葉で終わりにしましょう。
感想、評価お待ちしております。
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第5巻
ep.40
7巻読みました。すごかったっすね。あの展開を書き切らないと行けないとなると、かなり骨の折れる作業になりそうです。まあ、それだけ執筆のしがいもあるってことで(白目)。
では、どうぞ。
「かなり複雑な仕組みだったんだね……」
2学期の始業日。午前でお勤めを終えた俺たちは、綾小路、堀北、軽井沢、平田、俺という少し難解なグループで、学校に併設されているカフェパレットに集まっていた。
「速野くんが言ってたあの2文字のアルファベットが、星座が鍵だと気づくためのヒントだったわけだね」
「どうもそうらしいな」
「私は本来魚座だけど、十三星座でいうなら水瓶座。だからAqって紙に書かれてた私のグループは私が優待者だったんだね」
「同様に櫛田さん、南くん、吉野くんにも同じことが成り立つわ」
俺たちは、自力で星座という答えにたどり着いたわけではない。
学校側はもちろん公式発表をしたわけではないだろうが、それでも噂は立つ。何より、龍園は法則を見破っていたのだ。情報は漏れても仕方がない。8月下旬あたりだっただろうか、『星座』が答えにつながるという話をちらほら聴き始めたのは。
言っておくが、情報を流したのは断じて俺ではないし、藤野でもない。この噂に関しては本当に無関係だ。
「龍園くんは、多分自力で法則性にたどり着いていたよね」
「でも、それならなんでミスしてるわけ?っていうか、私たち同率1位になっちゃってるし。どういうこと?」
軽井沢の疑問はもっともだ。
「私も気になってはいたわ。でも、単にクラスのメンバーの早とちりという線が濃厚じゃないかしら。あのクラスには不満を溜め込んでいる人間が結構いそうだもの」
「僕も概ね同意見だよ。統率しきれていなかった生徒が誤った可能性は高いと思う」
現時点で下せる判断はそれくらいだろう。裏に隠された真実とやらがある可能性は捨てきれないが、俺も堀北や平田の意見はいい線いってると思う。
「けれど、Dクラスの謎の高得点に関しては見当もつかないわ。何回か計算してみたけれど、やはり何かあったのは私たちのグループで間違いなさそうだし」
この場にいる全員、俺が船で何をしたかは知らないし、俺と藤野が協力関係にあること、Aクラスに第三勢力が生まれていることも知る由もない。
先の試験では匿名性に配慮し、ポイントを受け取る者は素直に受け取らず、分割して受け取ったり、仮IDを発行したりする手段を取ることができる。
俺が着目したのは仮ID。あれは案外優れもので、自分でポイントを追加で振り込むことができる。つまり俺は二つ目の財布を手にしたことと同義だ。俺はその二つ目の財布の中に、元々振り込まれていた船上試験で手に入れたポイント100万に加え、藤野から見返りとして受け取った150万、佐倉のストーカーからぶん取った50万ポイントを振り込み、保存している。
Aクラスから受け取った35万ポイントも振り込もうかと考えたが、堀北や綾小路は俺がその件で何をしたか知っている。万が一端末が見られ、俺にポイントがなければ不自然に感じるだろうことは予想できるため、あえて入れなかった。
「これは今まで共有していなかった情報なんだけど、いい機会だから話すね。実は船上での試験が終わったあと、僕の部屋の扉にDクラスの優待者全員の名前が書かれていた紙が貼られてたんだ」
葛城もそのようなことを言っていた。
「これは……龍園くんの仕業と見ていいのかしらね」
「僕もはじめはそう思った。自分が見抜いた全クラスの優待者が書かれた紙を、そのクラスの代表がいる部屋の扉に貼る。彼ならやってもおかしくないことだね」
「はじめは、ってことは、今は違うと思っているということかしら」
「うん。実はそれと同じ行為がAクラスからDクラス、漏れなくやられていたそうなんだ。もちろんCクラスにもね。彼がやるなら、Cクラスの分までっていうのは不自然じゃないかな」
「なるほど。それには同意だわ」
龍園がやったとするなら、確かに自クラス分までやる必要はないな。目的は俺らへのアピールなんだろうし。
「ちょ、ちょっと待って。その龍園以外にも法則を見抜いたヤツがいたってこと?」
「そういうことになるね」
少なくとも2人以上に優待者を見抜かれた状態で、Dクラスがあれだけの成績を残せたことは奇跡に近い出来事だった。
「誤解を恐れずに言うと、今回の結果はその2人に感謝しないと行けないかもしれないね」
「そうね……悔しいけれど」
堀北は歯噛みしながらも、平田の言葉に同意する。
「何にせよ、こうして堀北さんや綾小路くん、それに速野くんと話し合いをもてて嬉しいよ。無人島で速野くんが加わってくれて、船上試験では綾小路くんも協力してくれるようになった。そこに堀北さんが加わるなんて、頼もしいよ」
「仕方ないでしょう。船上試験や無人島試験は、1人では絶対に攻略が不可能なものだった。今後もそれが予想されるなら、協力するしかないもの」
あくまで堀北の中では必要悪という形で処理されているだろう。今はそれでもいい。1人で戦うことはほぼほぼ不可能だと言う結論に達してくれたなら、堀北は以前より確実に成長している。
「僕から一つ提案があるんだけど、いいかな」
平田の発言に無言を貫く堀北。話せ、ということだろう。
「クラスが一丸となるために、櫛田さんを仲間に引き入れたいんだ。僕ら4人では補えない部分を、彼女なら補ってくれると思う」
クラスのまとめ役である平田は、あくまでも「クラスの」まとめ役だ。言っている意味がわからないと思うが、悪く言えば個々人に対しては強い影響力を持たない場合があると言うこと。女子からの人気は絶対的だが、一部男子からは嫉妬のような感情を向けられていて、上手くコントロールできない可能性もある。平田はその部分を櫛田に頼ろうとしているわけだ。
「不要ね。あなたと軽井沢さんが力を貸してくれれば、問題はそれで解決されるはずよ」
もちろん、堀北は櫛田を認めない。
「誰かさんのように捻くれていなければ、だけれど」
そう言って綾小路の方を見る堀北。
「失礼な。俺は長いものに巻かれる有象無象の1人だ。つまりコントロールが効く程度の小さい人間ってことだな」
堀北や俺を隠れ蓑にして裏で色々動いてきた奴がよく言う、とは思う。ただ、別に責める気はない。
綾小路が前回、前々回と積極性を持って動いたのは、恐らくそうせざるを得なかったから。ここまでの状況を整理すれば、茶柱先生から何らかの圧力が掛かっていると考えた方が自然だ。
そう考えたとき、俺にはその心当たりがあった。1学期の終業式の日、今日と同じく午前中で授業を終え、ホームルームの直前。綾小路は茶柱先生にホームルーム終了後に指導室に来るよう言われていた。
一度茶柱先生に接触の機会を持ってみるのもいいかもしれないな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「さて、二学期が始まったわけだが、一ヶ月間、体育祭に向けて体育の授業が増えることになる。新たな時間割を配布するのでしっかり保管しておけ。また、付け加えて体育祭の資料も配布するので、確認しておくように」
前の席から配布資料が2セット回ってきて、そのうちの1セットを取ったのち残りを後ろの綾小路へと回す。
俺の場合、時間割は配布された時点で携帯に全てメモしているので、保管に関してはそこまで神経をとがらせる必要はないだろう。
にしても、体育祭か。
俺は正直言ってあまり好き、というか得意分野ではない。体育祭で求められる要素は、その多くがスピードやパワー。どちらも俺が不得手としているものだ。球技と違って単純なため、その差はより如実に現れる。
特に二人三脚とか借り物競走なんかは苦手中の苦手だ。理由は察しろ。ただし言うなよ?目から発汗する俺を見たくなければ。
「先生、これも特別試験の一環ということなんでしょうか」
クラスのリーダー、平田が質問する。だが茶柱先生からの返答は意外なものだった。
「どう捉えるのもお前たちの自由だ。まあ、どちらにせよクラスポイントに影響を与えることに変わりはないがな」
随分と曖昧な言い方だが、生徒の半分ほどは気に求めていない様子。運動の得意な生徒からは歓喜が、逆に苦手な生徒からは悲鳴が上がっていた。
少し教室がざわついている中、俺は資料を読み進めていく。
そこには、少し意外な内容が書かれていた。俺の斜め後ろに座る堀北に目を向けると、向こうも俺と同じように資料を読んでいたのか、少し驚きを含んだ表情で俺を見返してきた。
「すでに読み進めている者もいるようだが、この体育祭では全学年を紅白2つの組に分けて競う方式を取っている。抽選の結果、今年度の赤組はAクラスとDクラス、白組がBクラスとCクラスという組み合わせに決まった」
これは……喜んでいいんだろうか。
Aクラスには藤野がいる。個人的ではあるが協力関係を結んでいるため、一見好都合といえば好都合。だがそれは同時に、今までよりAクラスの目がDクラスに届きやすくなるということだ。油断して動いたら、藤野筆頭の第三勢力の存在が明るみに出る可能性がある。
葛城は既に失脚したも同然だ。だから残る問題は坂柳という女子だが、俺はその生徒についてほぼ情報を持っていない。藤野から、葛城とは真逆で攻撃的な性格だということは耳にしているが……性格はともかく、実力がいかほどかが最重要だ。
相当高いであろうことは想像がつく。坂柳は夏休み中にあった2つの特別試験を欠席しているにも関わらず、勢力を着々と伸ばしているらしい。
そんなことを考えながら、俺は資料のページをめくった。それと同時に、茶柱先生から体育祭のルールの要点の説明が始まる。
どうせ紙に書いてあることとほぼ同じことだ。俺は俺で勝手に紙を見て理解することにした。
・全員参加競技の点数配分について
個人競技については、1位15点、2位12点、3位10点、4位8点、5位以降は1点ずつ下がっていく。団体戦の場合、勝利した組には500点が与えられる。
・推薦参加競技の点数配分について
個人競技については、1位50点、2位30点、3位15点、4位10点、5位以降は2点ずつ下がっていく。最終競技のリレーでは3倍の点数が与えられる。
・組の結果について
全学年の点数を総合して負けた組のクラスは等しく100クラスポイント引かれる。
・クラスの結果について
学年ごとのクラス別の点数による結果に応じ、クラスポイントが以下のように変動する。
1位のクラスには、50クラスポイントが与えられる。
2位のクラスのクラスポイントは変動しない。
3位のクラスは、クラスポイントが50引かれる。
4位のクラスは、クラスポイントが100引かれる。
・個人競技の報酬について
各競技で上位を獲得した生徒には、以下の報酬が与えられる。
1位を獲得した生徒には5000プライベートポイント、又は筆記試験における3点分の点数が与えられる。
2位を獲得した生徒には3000プライベートポイント、又は筆記試験における2点分の点数が与えられる。
3位を獲得した生徒には1000プライベートポイント、又は筆記試験における1点分の点数が与えられる。
※筆記試験における点数は次回中間テスト時のみ使用可能とし、他人への譲渡は不可能である。
各競技で最下位を獲得した生徒は、1000プライベートポイントのマイナスを受ける。所持ポイントが1000ポイント未満である場合、筆記試験における点数を1点減点する。
・成績優秀者の報酬について
全生徒の中で最も高い得点を獲得した最優秀生徒には、10万プライベートポイントが与えられる。
学年別で、最も高い得点を獲得した優秀生徒上位3名には、それぞれ1万プライベートポイントが与えられる。
※ただし、最優秀生徒に選ばれて10万ポイントの贈与を受けた者には、学年別の報酬は与えられない。
・反則事項について
各競技のルールを遵守すること。違反者は失格同様の扱いを受け、悪質な者については退場処分や、それまでの獲得点数を剥奪する場合もある。
「ちょ、先生!筆記試験の点数って……!」
これまで、個人の報酬として採用されていたのはプライベートポイント。だが今回、筆記試験の点数という初めて見る項目があった。
「お前の想像している通りだ山内。使用できるのは次回の中間テストでのみとなるが、テストで獲得した点数を補うことができる。大いに役立ってくれるだろう」
勉強が不得意な山内にとっては渡りに船だ。だが当然、学校側が用意するのはプラス面だけではない。
資料には、こんなルールも記述されていた。
・体育祭終了後、全競技で獲得した点数を学年別で集計し、下位10名にはペナルティを課す。ペナルティの内容は学年ごとで異なる場合があるため、各自担任に確認すること。
「せ、先生、このペナルティって……」
「今年度の1年生に課されるペナルティは、筆記試験における10点の減点だ。どのような形で減点されるかについての質問はここでは受け付けない。試験説明時、下位10名とともに通告する決まりになっている」
「まじかよ!?」
もしその中に入ってしまうと、次の試験はかなり苦しいものとなる。少なくとも、赤点を余裕で回避できるほどの点数を取らなければいけない。
池の悲痛な叫びをターニングポイントとして、話は体育祭の競技そのものへと移っていった。
資料にはこう書かれてある。
全員参加競技
・100m走
・60mハードル走
・男子棒倒し
・女子玉入れ
・男女別綱引き
・障害物競走
・二人三脚
・騎馬戦
・200m走
推薦参加競技
・借り物競走
・四方綱引き
・男女混合二人三脚
・3学年合同1200mリレー
全員参加競技は、文字通り全員に参加が義務付けられる競技。つまり少なくとも9競技には強制的に出場ということだ。
「うわ!めちゃくちゃハードじゃんこれ!普通1人がやるのって3つか4つだろ!?」
「1日でできないっすよこんなの!」
「競技の多さに関しては、学校側も配慮してある。この学校の体育祭では、応援合戦や組体操などは一切用意していない。あくまでも体育祭は身体能力を競う行事だ」
いや、それでも大分ハードなのに変わりはない。体育祭翌日は筋肉痛で寝込むことも覚悟しておいたほうがいいかもしれない。今のうちに湿布買っとこうかな……
冗談半分にそう考えている中、非常に重要な情報が耳に入ってきた。
「静かにしろ。非常に重要なことを話すぞ。今回の体育祭、お前たちは競技に参加する順番を全て自分たちで決め、この参加表に記入して担任の私に提出する。文字通り全てだ。どの競技の何組目に誰が参加するかまで、全てお前たちが話し合って決めろ。提出期限は体育祭の一週間前から前日の午後5時まで。それ以降は如何なる理由があっても変更は受け付けない。また、提出期限を過ぎた場合はランダムで組まれるので注意するように」
なるほど。
今までに行われた行事でも同じようなことがあった。無人島ではキーカード、船上では優待者が、なによりも守り通さなければならない存在、クラスの最重要機密事項だった(情報を売った俺が言うのもどうかと思うが)。そのトップシークレットが、今回の体育祭の場合はこの参加表というわけか。
「私から質問してもよろしいでしょうか」
俺の右斜め後ろの堀北が手をスッと上げる。茶柱先生からの承諾を得、発言した。
「当日、欠席者が出た場合はどうなるのでしょうか。団体競技の場合、競技そのものが成立しない場合があると思いますが」
「『全員参加』の競技で必要最低限の人数が確保できない場合は失格だ。例えば二人三脚の場合、一組少ない状態で臨むことになる。ただし救済措置もある。『推薦参加』競技の場合は特例として、ポイントを支払うことで代役を立てることを認めている」
「ポイント、ですか……」
最下位のDクラスにしてみればよくない条件だ。
「必要ポイントはいくらですか」
「各競技につき10万プライベートポイントだ。高いとみるか安いとみるかはお前たち次第だが」
「……分かりました」
一部の生徒、例えば船上試験で結果1となり巨額のポイントを獲得したグループKの櫛田、平田、王と、綾小路によって優待者の存在が守り通されたグループLの軽井沢にとっては出せない額じゃない。俺も支払い能力はあるものの、本来あるはずのないポイントのため出すつもりはない。堀北に俺のポイントを公開されたら流石に認めるしかないが。
「これ以上質問がないならここで打ち切る。次の時間は第一体育館に移動し、他学年との顔合わせとなるが、それまでの時間、どう使おうとお前らの自由だ」
茶柱先生が教卓を離れると、クラス内は一気に話し声でうるさくなる。思い思いに体育祭について語っている様子だ。
俺はどう動くか。運動は得意分野ではないが、今回のように複雑な利害が絡まっていない案件なら全力で挑まない理由はない。まあ俺の真後ろの住人は今回も手を抜くんだろうけど。
携帯を取り出し、ある人物にメールを送る。
すると、すぐに返信がきた。画面には「しないつもりだ」の文字。
逆方向に動くことを防ぐために確認を取ったのは正解だったな。これで方針は決まった。どちらにも動くことができたが、今回はこっちか。こそあど言葉ばっかで何言ってるか自分でも分からなくなりそう。
平田に少し提案があったものの、今話し合って決まることでもないし、あの状況で俺に話しかけるのはハードルが高すぎてくぐりたくなるレベルなので今は無理だ。チキン野郎め、と思ったかもしれないが、軽井沢、篠原を筆頭とするトップカースト女子たちと喋ってるんだぞ。今俺が平田に声をかけたら「邪魔すんなKY」という無言の圧力と視線が俺のハートにぐさりと刺さり、心の中で「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」と祝詞のように唱える羽目になるのは目に見えている。
俺の背後の堀北の席には須藤に池、山内が集まり、何やら話し合いをしている。どうやら、能力で優先度を決めるか、全員平等にチャンスを与えるかで意見が対立しているようだ。
勝つためには前者がいいことは火を見るより明らかだが、個人的な報酬や、単純に楽しむという視点から見た場合、後者の選択肢も全否定することはできないか。
「これから先、クラスでの話し合いは不可欠でしょうね……」
悩ましそうに呟く堀北。まあ、いらないなんてことはないだろうな。この場の対立だけでは済まされないことが予想されるので、機会を得てクラス内のコンセンサスを取ることは必要になってくる。
上から目線な言い方になるが、堀北に自分から話し合いをするという意見が出てきたあたり、しっかりと成長しているんだろう。
嬉しいことなんですが、お気に入りめっちゃ増えててびっくりしました。ありがとうございます。
前書き、後書き、コメントの返信でそれぞれテンションが違うことはご勘弁ください。自分でも自分のキャラがよく分かってないんで。丁寧な時もあれば、ちょっとふざける時もある。ただの情緒不安定かも。
感想、評価お待ちしております。
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ep.41
では、どうぞ。
茶柱先生の話していた通り、この時間は体育館で他学年との顔合わせだ。Dクラスも時間通りに移動し、まとまって並ぶ。赤組白組で分かれているのか、隣には1年のAクラスが座っていた。
この学校は生徒の数が固定されており、1クラス40人の一学年4クラス。全校生徒は総勢480人となっている。数人の退学者はいるだろうが、教職員も合わさったこの体育館にはおよそ500人がもの人数が集まっていた。
席が近いこともあり、俺、綾小路、堀北の3人は体育館でも近い場所にいた。堀北に目を向けると、どこかソワソワしている様子。恐らく、兄である生徒会長の堀北学を探そうとしているんだろう。
本人に直接確認したことはないが、恐らくこいつはお兄ちゃん大好き人間だ。態度の節々にそれを感じさせる要素がある。5月ごろに盗み見したあの光景や、先日のプールで南雲先輩と生徒会長の話題になった際も、やけに現生徒会長の兄を持ち上げる態度を取っていた。
まあ、そんな家庭の事情を一々気にする必要はない。それに、見つけるのは容易ではないだろう。
体育座りで待機していると、上級生とみられる生徒数名が前に出てきた。
「俺は3年Aクラスの藤巻だ。今回、赤組の総指揮を執ることとなった。まず始めに、1年生に1つアドバイスをしておく。一部の連中は余計な世話だと思っているかもしれないが、この体育祭は非常に重要なことだということを理解しろ。この経験は必ず次につながる。これからの試験は一見遊びのように思えるものもあるかもしれないが、それら全てが、例外なくこの学校での生き残りをかけた戦いとなる。今はまだ自覚がないかもしれない。だが、やる以上は勝ちに行く。それだけは肝に命じておけ」
アドバイスの内容は曖昧だが、これらが今までの経験に基づくものなら藤巻という先輩の言っている内容は的確なんだろう。
「3学年合同のリレーを除き、競技は学年別のものばかりだ。残りの時間は学年に別れた話し合いを好きにやってくれ」
そう言って、藤巻先輩はAクラスの集団へと引っ込んでいった。指示通り、学年ごとに分かれた集団が形成される。
「奇妙な形で協力することになったが、仲間同士、滞りなく協力関係を築いていきたいと思っている。よろしく頼む」
「こちらこそだよ葛城くん。一緒に頑張ろう」
積極的協力関係、というわけではないだろう。同じ組になった以上は足の引っ張り合いだけはしないようにしよう、という感じか。Aクラスにしてみれば、最下位クラスであるDクラスと組むメリットは本来ないわけだしな。
「……ん?」
ちょっと想定外の光景が一瞬目に入り、その方向を振り向いた。
「話し合いをするつもりはないってことかな?」
俺が向いた方向とほど近い場所から、一之瀬のそんな声が響いた。
体育館はその様子を見てざわついている。理由は簡単。Cクラスが体育館から出ようとしていたからだ。龍園を先頭に、出入り口付近に固まっているCクラス。独裁政権は揺るぎなし、か。
「俺はお前らのことを考えてやってんだぜ?俺が協力しようと言ったところで、お前らが素直に受け取るとは思えない。なら、初めからやらねえ方がいいってことさ」
「なるほどー。時間の無駄を省くためなんだねー?」
「そういうことだ。感謝するんだな」
「協力なしで、今回の試験に勝てる自信があるの?」
「クク、さあな」
船の上のカフェの時のように不気味に笑い、そのまま体育館を後にしていった。その瞬間、石崎、小宮、近藤の3人と一瞬目が合うが、こちらが見返すとすぐに逸らした。
石崎は龍園の側近のような立場だ。以前不良で喧嘩慣れしているということもあり、Cクラスの龍園体制への不満を力で押さえつけているんだろう。山田アルベルトもその1人かもしれない。伊吹……は多分違うだろうな。戦闘力は申し分ないが、あいつは本気で龍園を嫌っている。
「早くも動き出した、ということでしょうか」
そんな落ち着きのある声が後方から聞こえ、それにつられて多くの生徒が後ろを振り向いた。
声の発信源は、とても小柄な少女。藤野とはまた違う、藍色がかった銀髪。落ち着いた雰囲気なのに、どこか強い意志を感じさせる目。
何より注目を集めたのは、多くの生徒があぐらをかいたり、体育座りで過ごしている中、その少女は杖を持ち、椅子に腰掛けていた。異様に細い体躯も合わさり、体を不自由にしていることは容易に想像がつく。
そんな時、右肩をツンツンと叩かれ顔を向けると、そこには手を振りながら笑っている藤野が立っていた。俺の隣に座りながら話しかけてくる。
「坂柳さんが気になる?」
「ああ、やっぱりあれが坂柳だったのか」
坂柳は夏休みの特別試験を欠席している。それがあの体の不自由そうな生徒なら辻褄があう。
「うん。坂柳有栖さん。訳あって、学校から杖や椅子を許可されてるの」
体が不自由で、と直接言うのは気が引けたんだろう。遠回しにそう伝えてくる。
「別に遠慮して言う必要はありませんよ、藤野さん。隠すことでもありません」
カツ、カツ、と杖をつく音とともに、坂柳はこちらに近づいてきた。
「残念ですが、この体育祭、私は戦力としてお役に立てません。全ての競技で不戦敗となります。ご迷惑をお掛けすることになるでしょう。その点についてまずは謝らせてください」
「謝ることはないと思うよ。そのことについて追求することはないから」
平田の言葉通り、そんなことをする人間は1人もいない。須藤もだ。どうしようもないことを責めても仕方がない。
多くの人は、どこか前評判と違う印象を坂柳に受けたんじゃないだろうか。攻撃的な性格とは思えない。口調も穏やかで、礼儀正しい。かく言う俺もだ。想像とはいささか乖離している。
だが、今受けている印象の通りの人となりや考え方なら、葛城と真っ向から対立するとは思えない。今は感じられない何かがあるんだろう。
「あなたが速野くん、ですね。お噂は予々。藤野さんのご友人で、とても高い成績を保持していると聞いております」
「は、はあ……」
「申し上げた通り、私は今回参加は叶いませんが、Dクラスの皆さんのことも影ながら応援させていただきますね」
「あ、ああ、是非よろしく頼む」
妨害されたら溜まったものではないが、応援してくれると言うなら素直に受け取ることにする。
「では、頑張りましょうね」
「……ああ」
そう言い残し、坂柳は椅子に戻っていった。
前では、平田と葛城のスムーズな話し合いが行われている。その様子を見て、俺は藤野に言った。
「一応まだ影響力はあるんだな。葛城は」
「今回は、っていうか今回もだけど、坂柳さんが参加できないからね。葛城くんに引っ張ってもらわざるを得ないんだと思う。見ての通り対立はしてるけど……」
藤野の言う通り、Aクラスは一見クラスでまとまって座っているようで、葛城派と坂柳派が綺麗に分かれている。
だが、数の差は圧倒的だった。現時点で坂柳派に属す生徒がクラスの大半を占め、葛城派には数人の男女がいるだけだ。当初は均衡していると聞いていたが、ここまで坂柳派が勢力を伸ばした理由は、単にバカンス中の葛城の失態だけではないような気がする。坂柳も、俺らの見えないところでしっかりと成果を残していると言うことか。
「今も葛城派に属してるわけじゃないんだよな?」
「うん。私は中立だよ」
一方で、影で第三勢力を作りクーデターを狙っている藤野。
藤野が当初目的としていた葛城の失脚はすでに達成されたと言っていい。残るは坂柳。葛城としても相手に実権を渡したくはないだろうし、利害の一致ということで(もちろん藤野側の利益は伏せて)葛城派に属している可能性があったが、そうではなかったか。
気になることが1つあったので、声を潜めて聞く。
「藤野……1ついいか」
「どうしたの?」
「……あの中の何人がお前の派閥なんだ?」
あの状況から鑑みるに、どちらにも属していない中立の生徒は大体10人ほど。その中の何人が藤野が第三勢力を作っているのを知っており、またそれに属しているのか。
「……7人、かな。私を含めたら8人」
……なるほど。いや、非公式にしては上々の出来だろう。葛城派の人数と大差ない。
「俺がお前と協力してるっていうのは知ってるのか?」
「うん。ただ、速野くんの名前は和田さん以外には出してないよ。和田さんにも口外しないように言ってあるから。速野くんもその方が都合がいいでしょ?」
「……まあ」
「1つ謝らせてほしいのは、最後まで隠し通す自信はないってことだけどね。私と速野くんがこうやって話すのを見られるたび、速野くんって存在が仲間の頭の中に残っちゃうから」
「……聞きづらいが、仲間の裏切りの可能性は?」
「悔しいけど、ゼロとは言えないかな。今だって、出来るだけ信頼できる人に声をかけて、考え方も含めて協力できると思った人だけに協力をお願いしてるけど、どちら側かのスパイを私が見抜けなかったって可能性もある。でも、これに関しても時間の問題じゃないかな」
藤野から依頼を受ければ、俺はそれに協力して坂柳の妨害をするだろう。いずれ坂柳も何者からかの妨害を受けていることに勘付く。第一に疑われるであろう葛城派がシロだとわかった場合、次に疑われるのは中立派だ。そうなれば、第三勢力の藤野派の存在が明らかになるのは必至だろう。
まあ、それ自体は大分先の話になりそうだが。
「取り敢えず、今回に関しては動いても大した効果は望めそうにないな」
「そう、だね。特別試験じゃないみたいだし」
藤野もやっぱりそこには気づいていたか。今回の体育祭に関して、教師も上級生も資料にも「特別試験」という記載は一切ない。ポイント増減の仕組みが特別試験と同じだとしても、そもそもの試験の根幹、求められているモノが根本的に違う。体育祭で問われるのはあくまで運動神経。無人島試験の際のリーダー探しや、船上試験での騙し合いなどの特殊な要素はほとんどない。唯一あるとすれば参加表の守り合いだが、よほどのことが無ければ流出はほぼないだろう。
逆に言えば、クラスを落とそうと思えばどん底に落とすことも出来る。
「何かできるとすればお前だが……別にお前もAクラスを落としたいわけじゃないだろ」
「それはもちろん」
藤野の目的はあくまで葛城、坂柳両リーダーの失脚。妨害するにしてもBクラスに追い越されない程度にしなければならない。9月1日現在、Aクラスは994ポイント、Bクラスは753ポイントで、その差は約240クラスポイント。初めより少しだが詰まっている。
ちなみにCクラスは592ポイント、Dクラスは412ポイント。詰まってはいるものの、まだ先は長そうだ。
「じゃあ、今回は純粋に体育祭楽しもうよ。せっかく同じ組だしさ」
「……まあ、それもいいかもな」
平田と葛城のやりとりを見てると、同じ組とはいっても深入りしないということで話はついてるようだが。それに男女だと協力する機会もあまりないだろう。
だがまあ、外に気を回さなくて済むというのは好都合だ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
放課後を迎えた。俺は平田と体育祭での基本方針について話し合っていたため少し残ったが、今は帰路だ。同じく残っていた綾小路にも声をかけたが、「オレはもう少し残る」と言ったので放置した。何やってんだろあいつ。
寮へと戻る通学路、俺はホースを抱えている茶柱先生に遭遇した。
「……ちょうどいいな」
こんなに早く機会が訪れるとは思っていなかった。近寄って声をかける。
「こんにちは、先生」
俺の存在に気付き、向こうも顔を向けてくる。
「速野か。お前は放課後すぐに帰るタイプだと思ってたんだが、今日はどうした」
「ちょっと平田と作戦会議を」
「ほう、お前にも仲間ができたんだな。素直に感心しよう」
「それはどうも……」
たしかに、俺はもう入学当初のぼっちではなくなっている。
だが、俺は茶柱先生と友達100人できるかなプロジェクトの途中経過を話したいわけではない。
「本題に移っていいですか」
「この会話に本題があったのか。聞こうじゃないか」
なら、遠慮なく。
「先生、綾小路を利用して何をしようとしてるんですか」
いきなり本陣に切り込む。茶柱先生の表情を伺うが、特に変わった様子はない。
「なんの話だ。あいつを利用して何になる」
「それはもう、今その結果がクラスポイントに反映されてるじゃないですか。これは綾小路が動いた結果でしょう」
「そうかもしれないが、なぜそこで私が利用していることになる?」
「あいつ、言ってましたよ。理由は言えないが、1学期終業式の日の放課後、指導室でAクラスに上がるために協力しろ、って先生に脅されたと」
それを言うと、少し空気が変わる。
「あいつとそんなやり取りはしていない。個人的な相談だ」
「その個人的な相談が脅しだったんじゃないかと言ってるんですよ」
「私は否定しているだろう。お前の言っているような事実はない。諦めろ」
まだ本当かどうか分からないが、どちらにせよ認めるつもりはないらしい。
そこで、新たなフェーズに移行する。
「この学校、生徒からしてみると怖いんですよね。教師だったり、監視カメラだったり、まさに壁に耳あり障子に目ありって感じで。どこで何を見られてるか分からない」
「……何が言いたい?」
さらに雰囲気が変わる。
「教師が脅してきたなんて、綾小路が言って初めから信じるわけないじゃないですか。信じるに足る客観的根拠があったんですよ。例えば、指導室でのやり取りを録音したりとか。あいつならそれくらいやりそうでしょ」
「……なるほどな。だが、もしそれを持っているなら今頃私は敷地の外にいるだろう?」
生徒への脅し行為として厳罰を受け、解雇処分になってるはずだってことか。
「それを公開できない理由があるんじゃないですか。推測ですが、もしあいつがその証拠を提出する動きを見せたら、先生の方が逆に綾小路を退学に追い込むぞと脅しているとか。教師なら、生徒1人を退学に追い込むくらいできそうですし」
どの教育機関でも、教師が敵になったら生徒は終わりだ。
「……ふっ、お前はなぜか信頼されてるようだな」
そう、俺はその声を待っていたのだ。
「先生……つき通す覚悟のない嘘はつくもんじゃないですよ」
「……なるほどな、私はお前にカマをかけられ、はめられたということか」
ワンテンポ遅れて、茶柱先生はここまでの展開を理解する。
「ええ。あいつは録音なんてしてませんよ。全部俺の推測です。指導室への呼び出し以来、綾小路の動き方がガラッと変わったのでもしやとは思っていたんですが……ああ、それとこの会話は録音してます」
「その予想はついていた。そもそも、お前を綾小路と同じ境遇に持ち込む材料が私にはない。安心しろ」
やっぱり、この2人の間には何かがある。それが何かは当人間の問題で、追求する気は全くないが。
「先生は、実はAクラスに行きたいという願いが人一倍強いんですね」
「そうかもしれないな」
ぼかした言い方をしているが、100パーセントそうだろう。危険を冒してまで綾小路を動かしているのが証拠だ。
「先生、いい機会です。無人島での話の続きをしましょう」
俺が示しているのは、初日、Dクラスの群れに星之宮先生が乱入してきたときのこと。あの時は強制的に打ち切られたが、今はそうも行かない。
「先生って、多分ここのOGですよね」
「……なぜそう思う?」
「あの時の星之宮先生との会話の内容からなんとなく。っていうか俺には、星之宮先生が俺にそのことを気づかせるためにわざとあんな言い方をしたようにしか思えないんです」
あの時星之宮先生に考えを見透かされてる感じがしたのは、ただ単に俺がその方向に誘導されただけだったのかもしれない。
「……なるほどな。あいつらしいといえばあいつらしい」
船の上で偶然聞いた茶柱先生、星之宮先生、真嶋先生のバーでの会話で、星之宮先生は茶柱先生に「何事も私の一歩先を行っていないと気が済まない性格」だと評されていた。その性格の現れだったのかもしれないな。
「つまり、その在学中に何かがあって、茶柱先生はAクラスへ昇格したいという欲が人一倍強くなった、って感じですか」
「そうだ。だが、これ以上の詮索はするな」
「分かってます」
在学中にあった「何か」は、それだけこの人の消したい過去の一つなんだろう。遠慮してやる必要はないが、俺は別に茶柱先生の過去を詳らかにすることが目的じゃない。
「先生には二、三頼みごとがあるんですが……一つ先に予言みたいなことしてもいいですか」
「ほう、なんだ」
「この体育祭、Dクラスはトップはおろか、最下位になるでしょう。綾小路が動いたとしても。いや、綾小路はそれを狙ってると言ってもいいですね」
「……どういうことだ?」
寝耳に水の内容だったかもしれないな。だが、恐らくはそうなる。
「綾小路は、この体育祭でDクラスを1位に持っていくことは、広い目で見たときにプラスにならない、と考えてるんです」
「……つまり、Dクラスが打ちのめされることで、未来のプラスにつながる、ということか」
「はい」
朝三暮四、とは少し違うかもしれないが、目先の利益にとらわれてはいけない。
「……分かった。今回Dクラスが大きく後退したとしても、そう捉えることにしよう。この件で綾小路が退学になることはない。これで満足か?」
「…はい」
俺の狙いの1つには気づいてたのか。
「やけに綾小路を庇うな、速野。どういう風の吹きまわしだ?」
「別に、友人が学校からいなくなるって寂しいじゃないですか」
「そんな分かりやすい嘘はつくな」
本当なんだけどなあ。1割くらいは。
まあここで嘘をつく理由もないので、正直に話すことにする。
「ただ単に、Dクラスから優秀な人材が抜けるのが嫌なだけ、っていうのでは理由になりませんか」
「……まあいいだろう」
未知数のスペックを持つ高円寺を除けば、Dクラスで綾小路以上に優秀な人間はいないと思う。積極的ではないためプラスとして活用するのは本来難しいが、失えば多大なマイナスになることは間違いない。それは避けたい事態だ。
「それで、なんだ。お前から私への頼み事は」
無駄話が過ぎたな。そろそろいいだろう。
「……他言無用でお願いしますね」
そう前置きし、俺は頼み事の内容を茶柱先生に告げた。
皆さんは、鉄板にデカデカと1枚運ばれてくる肉と、小分けにされたサイコロステーキ、どっちが好きですか?ちなみに私はサイコロステーキ派です(どうでもいい)。
何が言いたいかというと、今のように7、8000文字で長めの1話という構成にした方がいいのか、3000文字そこそこで短めに小出しにしていく方がいいのか、未だに分からないんですよね。もちろん今のスタイルを変えるつもりはありませんが。最初の肉の理論に従うと、作者はサイコロステーキ派なのに、こと小説に関しては小出しにしてるわけじゃないって、軽く矛盾してるんですけどね。こんなんでよければ、これからも是非よろしくお願いします。
感想、評価お待ちしております。
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ep.42
では、どうぞ。
体育祭へ向け、始まった話し合い。やはりというか、意見は対立していた。
堀北や須藤が推す、実力を基準にして推薦競技の出場を決める案。篠原の推す、全員にチャンスを与える案。
だが、篠原側の旗色は悪い。須藤の運動神経が飛び抜けていることをクラス全員が理解しているからこそ、須藤の言葉には普段の何倍も重みと強みがある。
話し合いは能力優先という方向でまとまりそう、と思った矢先のことだった。
「ちょっといい?あたし反対なんだけど。篠原の言うように他の生徒が泣きを見て、クラスで一丸になれるわけ?」
席を立って反論したのは軽井沢だった。
「一丸になるとはそういうことよ。分かるでしょう」
「全然。ねえ、櫛田さんはどう思う?」
今日、まだ一度も発言していなかった櫛田に話が振られる。
「難しい、よね。一番いいのは2人の意見を汲んだ解決策だけど……」
「双方が納得する方法は考えてあるわ。上位に入った人のプライベートポイントと、最下位になった人が失ったプライベートポイントを相殺すればいい。それなら文句はないでしょう」
「でもそれってポイントだけで、入賞の可能性は減るじゃん。みんなはどうなわけ」
有利な状況に持っていくためか、普段軽井沢が一緒にいる女子に意見を求める。
「私は……軽井沢さんが反対なら、反対かな」
「ちょっと待って。彼女が反対だから反対?全く論理的じゃないわ。他のクラスにあなたたちのような愚か者は絶対に存在しないわ」
「そんなの分かんないじゃん。現に私反対だし。もっと他の人のことも考えてよ」
「ちょっと待って。意見がまとまらないときは多数決を取るしかない」
いち早く平田がレフェリーに入り、膠着状態の話し合いを止める。
「洋介くんが言うならさんせ」
「……そうね、私としてもクラス内で揉めている場合ではないと思うし。あなたたちが正しい判断を下すと期待するわ」
堀北はそう言うが、どちらが正しいかなんてのは誰にも分からない。それを決めるために今から多数決をとるわけだし。例外はあるが、数が多ければそれが正しい。
「じゃあ、堀北さんの、勝つことを最優先にした案に賛成の人、手をあげて」
俺含め、半数近くの生徒が手をあげる。俺は活躍できない側の人間だろうが、私情を抜きにしてクラス全体の方針という話ならば俺が堀北の案に手をあげるのが自然だろう。
「16人、だね。ありがとう。じゃあ次に、軽井沢さんの案がいいと思う人」
平田の第一声に対してあがった手の数は疎ら。だが軽井沢が手をあげると、続いて女子数人も手をあげた。
「軽井沢さんが12票。残りは無投票でいいんだよね?じゃあ、クラスの方針は勝つことを最優先に、ということでいいかな?」
多数決で決まった結果に異論は出ない。ようやくスタートラインに立てた、という感じだ。
その前に、気になることを綾小路に聞いておく。
「なあ、変じゃないか、軽井沢のやつ」
「え?どこがだ?」
「彼女が変なのは常でしょう」
「……否定はしないけどな」
俺が聞きたかったのはそういうことじゃない。
「無人島試験のとき、篠原に意見を求められても簡易トイレで我慢する派だった軽井沢が、今回は逆の立場を取ってるのが気になってな」
「……そういえばそうね。でも、彼女の行動を一々分析していてもキリがないわ」
さっき同様否定はしないが、軽井沢に対して当たりが強いな。いつものことと言えばいつものことだが、議論に滞りが生じた恨みか。
「まあ、気分なんじゃないか。気にすることでもないと思うぞ。……ん?」
「どうした?」
俺の疑問に答えた綾小路が、奥の天井の方向を見て不思議そうな表情をする。
「いや……なんでもない」
気にかけるほどのことでもなかったのか、すぐに天井から視線をそらす。俺も綾小路が見ていた方向を見るが、これといって想定外のものは確認できない。幽霊でも見えたの?
その後の話し合いでは、推薦参加競技の出場者が決まっていく。須藤を筆頭に、堀北、平田、水泳部の小野寺など。須藤は全ての推薦競技に出ることが決定していた。無論、方針が決まった以上そのことに反論は出ない。
黒板に貼られている参加表。現時点で、推薦参加枠の3分の1ほどが埋まっていた。
「おい高円寺、お前は出ねえのかよ」
須藤が高円寺を軽く睨みつけながらいう。須藤に対抗できるとすれば、須藤と同等かそれ以上のポテンシャルを持つと思われるこの高円寺だけだ。須藤もそのことを理解しているからこその声かけだろう。
「興味ないねえ」
「てめえふざけんなよ」
「ふざけてなどいないさ。君らに参加を強制する権利があるというのかい?まあ、あったところで私には関係ないがね。君たちで好きにやってくれたまえ」
「ここで無理に誘うのは良くないよ須藤くん。高円寺くんにも得意不得意があるかもしれないしね」
そんな高円寺の態度を批判するでもなく、須藤を宥める平田。クラスのまとめ役は今日も健在だ。
「競技については、今決めるのはここまでが限界だと思う。でも、今決めておかないといけないことがもう一つあるんだ。この参加表の管理については、いま決めておいた方がいいと思う」
「決めるっつっても……平田が持っておく、じゃダメなのか?」
「他に提案がなかったら、僕も受けるつもりだった。でも昨日の放課後に速野くんから提案があったんだ」
俺の方に目を向けながら平田が言う。俺は昨日、参加表の管理について平田と話した。
「速野くんの提案は、教室で管理すること。メリットは話し合いの後に動かす必要がなく、なくす危険性を抑えられることだね。逆にデメリットは、教室に入られたら他クラスの人に見られる危険性も高まってしまうこと。ただ、このデメリットはダミーの参加表をいくつか用意しておくことで避けられる。そして、誰か1人に責任を押し付けるなんて事態も防げる。みんなどうかな」
平田が肯定的な意見を発したことで、クラスは全体的に賛成の方向に傾く。
ちなみに、俺が平田に提案したのはダミーの参加表のことまで。責任がどうのこうのの話は平田が付け加えたものだ。
数十秒経って反論が出ないことを確信した平田は、頷きながら言う。
「じゃあ、決まりだね。茶柱先生、参加表ですが……」
「ああ、複数枚用意することに何も問題はない。渡すのは明日以降になるが、異存はないな?」
先生の言葉に全員が頷く。
ダミーの参加表の用意。これは、俺が昨日茶柱先生に接触した際に「ついでに」した頼み事だ。茶柱先生の受け答えがスムーズだったのはそれのおかげもあるだろう。過去に同じ作戦をとった人がいたなら話は別かもしれないが。
「クラスの参加表は絶対に外に知られたくないものだから、決定したら自分の番とパートナーだけをメモして残して欲しい。携帯電話で撮影したりして記録を残さないようにね。参加表そのものを見るのも極力避けてほしい。ダミーの方を間違って確認しちゃったら大変なことになるからね」
念には念を入れてそう言う平田。有効な手立てだろう。
正しい参加表については、例えば「平田が開幕スタート」というような確定した情報を共有し、ダミーの参加表にはそれが被らないように作れば判断できる。まあ、平田の言う通り確認しないことがベストだが。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
いよいよ、本格的な練習が始まった。グラウンドで各々練習に励んでいる。
先日握力を測ったのだが、須藤の記録は82.4kgというとんでもないものだった。もちろんクラストップ。そして次に強かったのが、綾小路で60.6kg。3位は平田で57.3kgだ。
そして俺はというと、37.7kgという不甲斐ない結果だった。男子の中では下から3、4番目。なんならクラスの女子4人くらいには負けてそうだ。握力だけはどうしようもなく弱い。
まあ、ほかの殆どの競技でも俺の成績は平々凡々だろう。平均より上にはなんとか食い込めるだろうが。100m走は13秒前半くらい。まさにまあまあというタイムだ。
一方、須藤は無双していた。どんな競技をやらせても誰にも負けない。スポーツに関しては若大将名乗ってもいいくらいだ。何をやっても誰にも負けぬ。ちょっと古いか。いや、だいぶ古いな。古すぎ。
須藤が開幕スタートということは、確定した情報として万が一の時に正しい参加表が判断できるようにクラス全員で共有している。参加表本体は、ダミーの参加表9枚とともに平田のロッカーに入っているはずだ。
すでに参加表は全ての項目が埋まった。当然といえば当然だが、俺は推薦競技には一つも参加しない。実をいうと、出場者をじゃんけんで決めた借り物競争で、綾小路と俺とでどちらが出るか、その椅子(出場しない側の)を賭けて最終決戦の一騎打ちになったのだが、俺がグーで綾小路がパー。滑り込みで綾小路の参加が決まった。悪いな綾小路、その競技は6人用なんだ。頑張ってくれ。
今回、Dクラスは須藤を中心に動いている。多数の推薦があり、須藤をリーダーに据えることになったからだ。はじめは渋っていたが、堀北からも認められて決定した。
「パワーも重要だけどな。こういうのは腰を使って引くんだよ」
向こうで数人に綱引きのコツを教えている須藤。やはり得意分野にいるとあって生き生きとしている様子だ。
「は、はあ、はふう……」
その横で、100mを走りきった佐倉がゴールした。佐倉が走り終わったトラックにはもう誰もいない。
「……お疲れさん」
肩で息をする佐倉に労いの言葉をかける。
「は、速野くん……はう……」
呼吸を整えるのには数分かかるだろう。
ここ最近の佐倉は、以前とは違いクラスのこういったことに積極的だ。その努力が結果で報われれば何よりだな、と思いながら、俺は二人三脚でパートナーとなった三宅の元に向かった。
足の速さは三宅が俺を大きく上回るが、二人三脚のパートナーを模索して取っ替え引っ替えやっていた中、三宅がベストだという結論に至った。向こうも同様に感じていたらしく、すぐにパートナー結成が決定した。
勝手な予想だが、走る時の歩幅の大きさが俺と三宅でかなり近いんだろう。大して違和感を感じることなく走れる。
「じゃあ、いつも通り行くぞ」
「ああ」
スタートの合図に合わせて、結んだ足の側から先に前に出し、徐々にスピードを上げて行く。いい加速だ。
二人三脚で1番の理想は、相手がいないかのように走れること。それに近い感覚を感じることができる。トップスピードに乗ったときの速さは、ちょうど10キロ走のラストスパートくらいか。
他の組と10メートルほどの差をつけて1位でゴールした。
「ふう……本番もこんな感じなら、多分大丈夫だろうな」
「ああ。入賞は狙えると思う」
二人三脚に関しては心配いらないな。一言二言交わし、三宅と別れた。
「意外ね。あなたも三宅くんも、人に合わせるのは苦手だと思っていたけれど」
俺の正面にいた堀北が声をかけてくる。
「合わせてるわけじゃない。偶然合ったんだよ。まあ、ドンピシャで相性が良かったってことだろうな」
「そう……」
これに関しては本当に運が良かったとしか言いようがない。
「意外といえば、俺はお前と小野寺の方が意外だったけどな」
走力の高いペアの2人だが、どうにもタイムが伸びず、結局パートナー解消となってしまったのだ。
「もうちょい合わせてやれよ。スピード以前に怪我するぞ」
「さっき綾小路くんに同じようなことを言われたわ……その必要性も感じてる。体感したもの」
「体感?」
聞き返すが、答えはもらえなかった。
「今回の体育祭、正攻法が有効だというのは間違いないわよね?」
「聞くまでもないことだろ」
「そう……よね」
自信がなさそうに呟く堀北は、普段の様子とはかけ離れている。無人島試験や船上試験で何もできなかったことが尾を引いているのかもしれない。
そんな堀北に付け加える。
「何かしようとしても、動くにはもうすでに遅いくらいだ。何か小細工を働きたいなら、体育館の顔合わせの時点で何か動き出しておく必要があった。龍園は初めの段階で動いてただろ」
あの時、龍園がBクラスと一切の話し合いをせずに体育館を去ったのは何か策があってこそできることだ。他クラスとの話し合いや協力を無効化する、核心的な作戦が。
そして、それがあることを隠そうともしていない。快楽主義か何なのかは知らないが、これまでの経験から龍園の考え方などは大体見えてきた。
「まあ、要はもう体育祭まではひたすらしっかりと練習するしかないってことだな。今から何か他に手はないか考えるより、須藤に力の入れ方のコツでも習った方が有意義だ」
ここで須藤の名前が出てきたことにはあまり納得していない様子だったが、俺は堀北をその場に残して立ち去った。
その後、ちょっくらハードルの練習でもするか、と思い立ってそこへ向かう。授業も終盤を迎えているし、走れても1回が限界か。あまり並んでいないので、順番はすぐ回ってきそうだ。
だが、短い列に並ぼうとした時。
「速野。ちょっといいか」
綾小路に呼び止められ、足を止めて振り向く。
「なんだよ」
「次の土日、予定空いてるか」
4日後の予定を聞いてくる綾小路。
「随分先の予定聞くんだな。まあ問題なく空いてるが」
これまでも、俺の週末に予定が入ったというのは数えるほどしかない。なんなら多分片手で足りる。
「他クラスの偵察がしたくてな」
「偵察?俺とお前でか?」
「いや。堀北、それから櫛田にも誘いを入れようと思ってる」
「……なるほど」
普段は謎だらけの綾小路だが、今この瞬間に考えていることは手に取るようにわかった。
「了解。一応終日予定は入れないようにしておく」
一見俺が予定を空けるよう努力するかのような文面だが、つまりはいつも通りに過ごすということだ。
「助かる」
綾小路のその言葉と同時に、授業終了のチャイムが学校全体に響いた。
え、ちょ、ハードルの練習……
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして迎えた放課後。今日は藤野との買い出しの日となっていた。
「お待たせ」
俺の姿を見つけて、藤野が小走りでやって来る。そのまま靴箱に向かった。
「速野くんたちはどんな感じ?」
「まあ、普通に練習してる。それ以外に方法がないからな」
「やっぱりそうだよね。私たちも同じ感じかな」
DクラスとAクラスは定期的に簡素なミーティングを行っており、騎馬戦や綱引きなどの協力しなければならない競技に備えている。藤野もその席に参加していると聞いた。
「分裂とかは大丈夫なのか?」
「大丈夫、っていう領域は通り越してる。分裂してるのが当たり前で、逆に問題は起こってないよ」
「ああ、そういう……」
葛城も坂柳も、変に干渉し合わないという形を取っているんだろう。坂柳派は坂柳派で、葛城派は葛城派で完全に分かれて練習に励んでいる様子が目に浮かぶ。
「坂柳さんが何も仕掛けてこないとは思えないけど、少なくとも練習でそれはしないんじゃないかな」
「やるなら本番か」
「うん。その方が動揺も大きくなるだろうし、坂柳さんの性格を見てもそうじゃないかな。葛城くんにはあんまり影響ないと思うけど……」
藤野の言う通り、どんなに困難な状況に陥っても、葛城は冷静に考えて、分析し、堅実な案を出すだろう。
だが、それ以外の奴に関しては別。完全なイメージだが、戸塚弥彦という葛城の側近的な立場にいるあの男子生徒はかなり動揺するんじゃないだろうか。影で発足している藤野の派閥にもそのような生徒はいるだろう。
「内部に癌を抱えている」AクラスとDクラス。1年の最下位クラスと最上位クラスは、実は似ているのかもしれない。
「藤野、先に言っておくことがある」
俺は、茶柱先生に言ったことと同じことを藤野にも告げた。Dクラスが最下位になり、足を引っ張ることになるだろう、と。
「もちろん全力は尽くす。だが、それだけでは補いきれない問題があるんだ」
「……もう確信しちゃってるの?」
「残念ながら、ほぼ確信してる」
俺が頷くと、藤野は少し考える素振りを見せてから口を開いた。
「そっか……速野くんが言うならそうなのかも」
藤野がそう呟いたと同時に、俺たちはスーパーに到着した。自動ドアが開き、店内に足を踏み入れる。いつもの通り無料コーナーへと向かっていった。
5ヶ月も続けていると、もう手馴れたものである。どのワゴンに何があるのか、そのほとんどを体が覚えていた。それは藤野も同じようで、はじめの頃のように目当ての商品がどこにあるか分からずに探す、ということはほとんどなくなっていた。
ここまでくると、もはや軽く専業主婦の気分ですらある。ちなみに、休日の俺の過ごし方は、起床、就寝、飯、掃除、洗濯。時間が余ったら勉強し、たまにテレビ視聴や読書をしたりする。勉強ってとこ以外完全に主婦だろこれ。俺の適正職業が専業主夫だったとは……問題は俺を養ってくれる異性が誰もいないという現実だが。
「あ、この前売り切れてた醤油入荷されてる。私これが一番好きなんだよね」
「そうか?俺はこっちの方が口に合うな」
調味料に関しては、俺も藤野も少量サイズを短いスパンで使うという手法を取っているので味の違いがわかる。そろそろ醤油も切れそうだったのを思い出し、カゴに入れた。
ついでにカレーのルーも入れて、これで完了だ。
今日の夜は野菜炒め、明日はカレー、明後日が肉じゃがの予定である。カゴに入っている形の良くない野菜の量を見るが、これで次の買い出しまでは持つだろう。
「そろそろ会計行くか」
「うん、オッケー。会計っていってもゼロだけどね」
「そりゃそうだ」
短くそう返すと、藤野も笑う。
俺はこのスーパーで有料のものを購入したことがない。お陰でレジ打ち係の店員の間ではドケチ客として俺と藤野が有名らしい。レジで何回か対応を受けているうちに藤野と仲良くなったおばさん店員が言ってた。
会計を終え、外に出た俺と藤野。他愛もない会話で寮までの時間を潰していたのだが、その他愛もない会話が成立しているところにも俺の成長を感じられる。
「速野くんは推薦競技出る?」
「いや、一つも」
「あれ、意外」
「俺はスポーツに関しては得意ってわけじゃないからな。お前は出るのか?」
プールで見せたあの動きは、身体能力の高さを感じさせるものだった。
「リレーと借り物競走に出る予定だよ。借り物競走、助けてね?」
「お題のものを持ってたらな」
一応腕時計とハンカチくらいは持って行こう。ほら、見事借り物競走の最後のひと枠に選出された綾小路の手助けになるかもしれないし。
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ep.43
では、どうぞ。
そして迎えた土曜日。綾小路との約束の時間が迫ってきて、俺はそれに遅れないようにエレベーターに乗った。
「……そういえば、あなたも誘ったと言ってたわね」
偶然、かと問われればそうは言い切れないかもしれないが、堀北と乗り合わせてしまった。
「いちゃ悪かったか」
「別に」
そうは言うものの、不機嫌オーラは隠しきれていない。こいつが積極的にこの偵察に参加したがったとは思えないし、半ば強制的に綾小路に丸め込まれたんだろう。
堀北とともにロビーに降り立つと、備え付けのソファにはすでに綾小路と櫛田が腰掛けていた。俺と堀北の来訪に気づいた櫛田が立ち上がる。
「おはよう堀北さん、速野くんっ」
櫛田の明るい社交辞令には軽く手を上げて返す。櫛田の姿を見た堀北の不機嫌オーラがさらに大きくなった気がしたが、それでいて尚こんな対応ができる櫛田には尊敬の念を抱かざるを得ない。
櫛田がいるとは言え、この4人の間に世間話なんてものが生まれるはずもなく、足早に目的地であるグラウンドへと向かった。
「おー、やってるね」
グラウンドでは、サッカー部が学年ごちゃ混ぜで紅白戦を行なっている。その中で俊足を生かしてプレーする平田の姿を発見した。
っと、今は他クラスの情報収集だったな。平田から視線を外し、改めてグラウンド全体を俯瞰する。
「なんか諜報活動みたいでドキドキするね」
「そんな立派なもんじゃないけどな。偵察と言っても、見えるものは限られてる」
「でも、堀北さんはそうは考えなかったんだよね?」
「ええ。情報は多いに越したことはないわ」
綾小路の言ったことも堀北の言ったことも真理ではある。
だが一つ言えるのは、偵察に成功して多くの持って帰ることができたとしても、何組目に出るのか、自クラスの誰と当たるのかが運要素である限りは強力な一手にはなり得ないことだ。
「今日私を誘うって決めたの、堀北さんじゃないよね?」
目線をグラウンドから櫛田に向ける。
「どうしたんだ急に。なんでそう思った?」
「あはは、人が悪いよ速野くん。私と堀北さんの仲が良くないのは知ってるでしょ?堀北さんが自分から私を誘うとは思えない。決めたのは速野くんか綾小路くんのどっちか、だよね?」
まあ、その結論に至るのが自然ではある。
「俺は堀北から綾小路を介して誘われたけど、別に不思議でもないんじゃないか?例えばだが、1学期中間テストの時の勉強会、覚えてるか」
「うん。皆で頑張って乗り越えたよね」
ここにいる櫛田以外の3人が5万ポイント失ったアレである。
「一度勉強会が崩壊した後、改めて勉強会を開くにあたってお前を誘うことを決めたのは堀北だったし。好き嫌い関係なく、適材適所ってことじゃないのか?」
最後だけ堀北に向かって言葉を投げかけるが、当の堀北は口を開こうとしない。
俺の言っていることに嘘はない。中間テストのことも、こういった情報収集には櫛田が最適であることも。が、櫛田がどういう印象を受けるかはわからない。肯定とも否定とも受け取れない反応を示している。
話を一旦打ち切り、グラウンドに向き直って偵察を再開する俺たち4人衆。
いや、4人というより、2つの意味で3人と1人という表現が正しいかも知れない。
まず、一つ目の意味は櫛田が1人の側であるという捉え方。
これはまあ単純で、綾小路本来の実力を知っているかどうかの違いだ。
そしてもう一つ。それは、俺が1人の側だという捉え方だ。は?いつものことだろと思ったそこのアンポンタンはお口にチャック。
分断する基準は何かというと、いま目の前にいる櫛田桔梗という生徒の裏や闇といった類の部分をどれほど知っているか。
俺が知っているのは、櫛田が堀北のことを嫌っているということ。だが綾小路と堀北は恐らく、それ以上の何かを知っている。具体的に何か、は知る由もないが。
一人であれこれ考えながらぼーっとグラウンドを眺めていると、平田以外にもう一人、知っている奴がいることに気づいた。
「あれ……確か柴田だったよな。プールの時にいた」
「うん。平田くんがよく僕より上手いって褒めてるよ。仲良いみたいだね」
柴田は上手さだけじゃない。平田をも上回る速さも兼ね備えている。プールでのバレーの時から運動神経はかなりいいとは思っていたが、足の速さだけなら須藤にも負けていないと思われる。
「やってるやってる。今日も元気があって最高だなー!」
そんな時、やたらテンションが高くさわやかな声が後ろから聞こえてきた。なんだ、と思って振り向くと同時に、その人物が俺の横を通り過ぎる。
「南雲先輩、おはようございます」
櫛田は顔見知りなのか、声をかけた。
「お、君は確か桔梗ちゃんだね。ダブルデート?」
「い、いえ、そういうのじゃないんですけど……ちょっと気になって見に来ちゃいました」
「じゃあ、ゆっくりしていくといいよ。うちの部はいつも本気だから、実力測るにはバッチリだしネ」
こちらの考えてることは見通されているようだが、南雲先輩にも不満はないだろう。同じ赤組だし。向こうとしてもこちらには勝ってほしいはずだ。
「なあ、生徒会と普通の部活の掛け持ちってありだったか?」
グラウンドに向かって走っていく南雲先輩の背中を見ながら、綾小路がそう呟く。
「絶対禁止、ってわけじゃないみたいだけど、今は退部してるって聞いたよ。でも辞めても一番上手いから、こうしてたまに練習に参加してるみたい」
確かに生徒会の説明の時、掛け持ちは『原則禁止』って言ってたな。掛け持ちしてもいい、あるいはせざるを得ない条件があるのだろう。
南雲先輩がグラウンド、もといピッチに入ると、一気にそこにボールが集まり、マークも厳しくなる。
そんなものを物ともせず、一人二人、そして三人をするすると抜き、ミドルの位置からシュート。大きくカーブがかかった球はキーパーも上手く反応出来ず、そのままゴールネットに突き刺さった。
「うま……」
思わず感嘆の声が漏れ出る。
「次期生徒会長の肩書きはダテじゃないってことだな」
「……運動神経はね」
兄が生徒会長という手前、堀北は南雲先輩を素直に認めようとしない。
聞いた話によれば、この人は堀北兄の望む方向とは違う場所へこの学校を導いていく方針らしいが……どのような公約を掲げるのかは未だ不明。というか、そもそも堀北兄が何を望んでいるのかも知らない。少なくとも言えるのは、生徒会長の意志という鶴の一声は学校の方針を180度変えることすらできるということだ。
「そんな目で見つめられても困っちゃうなー」
隣から、櫛田のそんな声が聞こえてくる。
「これ以上オレからは何も聞かないと約束する代わりに、ひとつだけ教えてくれないか」
「……ずるい言い方だよね。これ以上聞かないって」
「どうしても気になってな。……お前と堀北の不仲の原因はどっちにあるんだ?」
これ以上は何も聞かないという条件を付けることで、踏み込んだ質問にも答えさせることができる。
「本当にこれだけだからね?」
櫛田もそう念押しする。
「……私だよ」
普通、仲が悪い者同士は、その原因を相手に求めようとするものだと思ってたが……やっぱりただならぬ何かがある。そういうことか?
俺は櫛田の返答を聞いて堀北の様子を伺ったが、綾小路と櫛田のやり取りを無言で見つめているだけだった。今は、こいつから何もいうつもりはないんだろう。
元から櫛田と堀北の関係に関する情報には二歩も三歩も遅れを取っている。この件は綾小路と堀北に一任した方が良さそうだ。俺が最優先に注意すべきはあくまでその先。
「やめだ。考えるだけ無駄な気がしてこた」
「あはは、そうだよ。今は偵察が優先でしょ?」
「そうだな……」
綾小路は、あの船上試験のグループKの結果には龍園と櫛田が噛んでいると見ている。櫛田に探りを入れたかった、ってところか。望んだ答えが返って来たのかは知らないが。
紅白戦を終えたサッカー部が休憩に入る。直後、南雲先輩と何事か話していた平田と柴田がこちらに駆け寄ってきた。
「4人ともおはよう。珍しいね、こんなところに来るなんて」
「おはよ桔梗ちゃん。それから……速野と綾小路、堀北ちゃんだっけ。ダブルデートかー?」
「いや、違うって」
なんでノリが南雲先輩と同じなんだ。それから綾小路、なんで名前覚えてもらってたのが嬉しいからってイロモネ○で笑いこらえてる観客みたいになってんの?
「今日はどうしたの?珍しい組み合わせだね」
「偵察だ。他クラスの情報を集めようと思ってな」
「お、じゃあこの快速柴田マンはマークしてくれたか?」
バッチリマーク済みなので安心してほしい。あれだけ速ければ、仮に須藤と当たってももいい勝負するんじゃないだろうか。
「本当に要注意だよ柴田くんは。Bクラスでは一番速い。僕も同じ組では走りたくないな」
「へへ、でも油断しないぜ洋介。お前も速いんだからな」
一般校の体育祭には、多分こんな感じの光景が随所に見られるんだと思う。誰が速いとか、上手いとか、俺この組なんだよな、とか。本来なら、隠し事やら裏切りやらを警戒して挑むものではない。こんな人間不信に陥っても良さそうな学校、高校生にとっては精神不衛生にもほどがある。俺がいうのもアレだけど。
平田と柴田はグラウンドに戻った。それを見て俺たちもその場を立ち去り、他の部を見て回る。
今はテニスコートを見て、体育館に向かっている最中。堀北がこんなことを言い出した。
「櫛田さん。あなたのことには興味ないの」
「わ、いきなり手厳しいね」
「でも、私にはひとつ聞かなければいけないことがあるわ」
「綾小路くんに続いて、だね。何かな?」
「夏休みの船での試験、自分が優待者であることを教えたのはあなたなの?」
綾小路の狙いは恐らくはじめからこれだったんだろう。サッカー部もそうだが、バスケもテニスも、Dクラスには部活に入ってるやつがいるからそいつに聞けばいい。本来偵察する必要があるのは不確定要素。つまりスポーツ系部活以外の部活生、そして帰宅部だ。
だから今日の本当の目的は偵察ではなく、堀北と櫛田が会す場を作ること。そして櫛田の裏切りの可能性について堀北が言及すること。
質問した堀北だが、直後にこう続けた。
「聞かなければいけないとは言ったけれど、答える必要はないの。終わったことを掘り返しても意味がないわ。でも、私はこれから、あなたをクラスの仲間として信頼してもいいのかしら」
「もちろんだよ。私はDクラスの皆んなでAクラスに上がりたいって思ってる。堀北さんがなんでそんなことを聞いたのかは分からないけど、信じてほしいな」
いつもの笑顔を見せながらも、真剣に堀北を見返す櫛田。
「じゃ、俺は帰るわ」
「は?」
「元々提案したのは堀北だし、櫛田の人脈があれば事足りるだろ」
「いや、ちょ、そういうことじゃなくてだな……」
止めようとしたが、綾小路はスタスタと寮の方へ歩いて行ってしまった。
「……」
えー……どうすんだよこれ。
ここで抜けるってのをあいつだけの問題だと思わないでほしい。険悪な仲の2人に俺が加わったらどうなるか。
答えは気まずくなる。それ以上でもそれ以下でもないが、俺にとって地獄と同義である。呪うからな綾小路。
「とりあえず歩こうか」
櫛田の提案に乗り、元々の行き先だった体育館へと足を進める。
やっているのはバスケ。サッカーと同様紅白戦をやっているらしく、須藤が出場していた。以前揉めたCクラスの2人はベンチにいる。
「やっぱり須藤くんすごいね」
プレーの様子を見て櫛田が言う。
当然だが、俺が以前須藤とやった時とは比べものにならないほどの速さとキレがある。今やってもボールに指一本触れられそうにない。
「確か、1年生でベンチ入りしているのは須藤くんだけだと言ってたわね」
「……ああ、多分」
「なら、これ以上ここにいて得られるものはなさそうね。他に出ている1年生もいないようだし」
他学年の情報は、今は役に立たない。退散するのも手か。にしても哀れ、須藤。堀北は須藤のプレーには見向きもせずに体育館の前を立ち去ってしまった。
「堀北さん、帰るの?」
「ええ。もう十分よ。悪かったわね、付き合わせて」
綾小路ではなく堀北からの提案だと言う体裁を保つため、そう説明する堀北。櫛田は疑っているだろうが、あえてここで突っ込むようなことはしない。
「ううん、そんなことないよ。それに、堀北さんもちゃんとクラスのこと考えてくれてるんだなって思ったから」
「必要なことはするわ。仕方なくよ」
「私も頑張らなくちゃね」
以前に比べて多少丸くなった堀北と、嫌いという感情が全く態度に出ない櫛田。この2人の仲が険悪なのか、見抜ける人物は多くはなさそうだ。
堀北も寮に向かって歩いていく。俺も帰ろうかと思ったが、ここは櫛田の意見を聞いてみることにした。
「お前はどうする?帰るか?」
櫛田が帰るなら帰るでいいし、何か提案があるのならばその時考える。
「どうしようかな、まだ時間はあるし……あ、そうだ」
何か得策を思いついたらしい櫛田に言葉の先を促す。
「よかったら、お昼ご飯一緒にどうかな?ショッピングモールのフードコートで」
すぐに承諾してしまいそうになるが、押しとどまって少し考える。
櫛田は何がしたいのか。腹の探り合い?いや、それを今日やることに意味はあるのか?
狙いがないなら、断る理由はどこにもない。何かあるとしても乗ってみるのも手か……
「ああ、いいぞ」
ここからショッピングモールまではそこまで遠くない。それも計算に入れての提案だったのだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箸が皿にあたる音があちらこちらでカチャカチャとなる中、俺も例に漏れず、食事を口に運ぶ。米をつかむ際に、俺の茶碗からもカチャッと音が鳴った。
俺と櫛田が足を運んだフードコートには、この高校の生徒と見られる17、8歳ほどの人が大勢いた。俺の顔が不良が活躍していそうな裏路地並みに狭いせいで俺の知り合いは見つけられないが、目の前の櫛田の知り合いデータにはビシバシヒットしているだろう。
「美味しいね」
「ああ」
いくら俺とはいっても、流石にこの場面で無料のものを食おうとは思わない。しっかりとポイントを払って買っている。ちなみに注文したのは肉じゃが。安定して美味い。日本人はやっぱこれだねー。最後まで汁たっぷり。問題はその汁が余ることだが。
最近金遣いが以前に比べて荒くなってきた気がしないでもない。少し抑えるよう意識しよう。
改めてこの状況を吟味してみると、少しあの時を思い出す。
俺と藤野が初めて出会った日。
俺が席を立ち上がったところで藤野にぶつかり、あいつのお膳がひっくり返って、結局俺の注文したものを半分ずつ食べることになった。そもそも俺が立ち上がったのも、食事に手をつける前に水を取ってくるのを失念していたからで、要は藤野との出会いのきっかけは俺の凡ミスの癖だとも言えるな。皮肉だ。
だが、それがもう半年ほど前の出来事なのだ。少し懐かしさを感じる。
櫛田と藤野は似ているのか。
あの時以降、俺は何回か自分自身に問うていた。
4月の時点では結構似ていると思っていた。
今の見解を示そう。
似ている要素はある。だが、この2人には決定的に違う部分がある。
それは、俺が2人に対して抱く意識だ。
藤野に抱いている「大切にしないといけない」意識や、「裏切ってはいけない」意識。そういうものを、俺は櫛田に感じていなかった。だから俺が櫛田を裏切っても罪悪感は少ないだろう。
櫛田をけなしているわけじゃない。そもそも俺は、赤の他人に自分を裏切らないことを期待すること自体がおかしいと思っている立場の人間だ。だから櫛田はノーマル。より正確に言うと、藤野の存在が不思議過ぎて、俺の中で理解が及んでいないだけの話だ。
そんなことを考えていると、無意識のうちに櫛田を凝視してしまっていたらしい。それに気づいた櫛田がこっちを向いて笑いかけてくる。そうそう、そういうところはちょっと似てるんだよな。
「速野くんと2人でご飯、なんて初めてだね」
「そうだったか?」
「うん」
まあ、考えてみるとそれもそうか。誰かと飯を食うこと自体が稀だし。綾小路と堀北とは前に食べたことがあるが……そういえば、藤野ともないな。
朝夕の食事を一人でとるのはまあ当たり前。俺の場合、昼食も教室で一人で食べることが多いからな。佐倉や堀北も教室組だが、ほぼ会話することはない。綾小路もたまに教室で食べることはあるものの、大体は須藤たち3人と学食に食べに行っている印象がある。俺と須藤たちは仲が悪いわけではないし、男子の中ではむしろ比較的親しくしているが、食事に付き合うほどではない。結果的に一人で食べることになるわけである。おい誰か「ぼっち飯の法則」として学会に発表しろよ。
その後も、櫛田の話に時折首肯しながら食べ進める。櫛田はやはり話が上手いし、話題が尽きない。常日頃から誰よりも人と接している賜物だろう。
そろそろこの不思議な食事会も佳境を迎えた頃。白米が入っていた茶碗の底が見え始めたあたりで、俺は口を開いた。
「櫛田、ひとつ聞いていいか」
「速野くんも質問?あはは、いいよ」
箸を置いた櫛田。それを見て、話題に切り込む。
「お前が前に言ってた、堀北と対立するって話、それが今なのか?」
1学期中間テストの前日、俺のいる前で堀北のことが嫌いだと明かした櫛田は、帰る際に自分が堀北と対立することがあったら自分側についてほしいと言ってきたのだ。あの時は少し衝撃を受けたが、今はどうだろうか。
「違うよ。体育祭はみんなで助け合ってやっていかないといけないから、私は出来る限りクラスのために頑張らなくちゃって思ってる」
「さっき言ってたな」
「うん。本心だから」
櫛田の発言を、『客観的事実』から考えてみる。
「……そうか、なら安心だな」
俺はそう結論を出した。
「速野くんは、何か推薦競技には出るの?」
「いや、予定はない」
「そっか。でも全員参加の競技もいっぱいあるから、頑張ろうね」
「そうだな」
参加するからには、俺も全力でやるつもりだ。今回ポイントを得られるのは、裏工作をした者ではなく、単純に実力で誰よりも上回る者。そして何より、運が良かった者。
たとえこの時点で、Dクラスの最下位が確定していたとしても。
次回から体育祭本番に入ります。ただ、期末テスト2週間前ということでちょっとまた遅くなるかもしれません。
感想、評価お待ちしております。
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ep.44
では、どうぞ。
ついに開幕した体育祭。
入場行進や開会宣言を終え、早速競技が始まる。
初めは100m走。全員参加の個人種目は、全て1年生から始まる。最初に1年男子で始まって3年女子、途中休憩を挟んで1年女子から3年男子、という風に切り替わっていく仕組みだ。
競技に参加するため、1年男子がぞろぞろとグラウンドへ出ていく。
須藤は開幕スタートの1組目。俺は7組目で、綾小路は……確か5組目だったか。
各クラス、どの組に誰が走るかは今初めて明らかになる。須藤がまず指定されたコースに入った。
「1位は健で決まりだなー。なんかデブとガリしかいないし」
酷い言いようだが、確かに須藤以外に足が速いと聞く生徒はいなかった。池の言うとおり須藤のトップはほぼ確定だが、考えようによっては運がないとも言える。須藤としては、ここで有力な生徒を叩いておきたかっただろう。
1つの組には各クラス2人ずつが配属され、合計8人で競う。Dクラスからは須藤ともう1人、外村(博士)が選出されていた。
そして合図がなり、スタート。
同時に全員が体を起こすが、須藤だけは別格で、初めから体二つ分ほど抜け出したかと思うと、最後には圧倒的な差をつけて1位でゴールした。
「っしゃ!!」
ゴールでは須藤がガッツポーズ。そしてこのタイミングでようやく外村が最下位でゴールした。
そして、間髪入れずに次の組の用意に入る。プログラム上、こういう風にぎゅうぎゅう詰めにしないと消化できないんだろう。
1つの組が用意してからゴールするまで大体30秒ほど。1学年男女10組ずつの3学年なので、全員が走り終えるのには30分ほどかかる計算だ。
そうこうしている間にも順番は進んでいく。葛城、神崎のいた3組目は神崎が1位、葛城が3位という結果に、平田、綾小路のいる5組目は平田が僅差で1位、綾小路は5位という結果に落ち着いた。また4組目には龍園がおり、1位を取っていた。ちなみに3組目には高円寺もいたのだが、やはりというか、出場していなかった。恐らく高円寺はこれから全ての競技に出ないつもりなんじゃないだろうか。
まあ、それはもうどうしようもない。とりあえず今は俺の番だ。
7組目のDクラスは俺と池。パッとしない組み合わせとなっている。
他のコースも見てみるが、足が速いと有名な生徒はいない。これなら入賞は狙えるかもしれないな。
パン、の合図と同時にスタートする。俺にはクラウチングスタートなんて無理なので、野球の盗塁スタイルだ。須藤が特殊なだけで、一部の生徒や陸上部以外は大体この走り方だろう。
圧倒的でもなく接戦でもなく、特に盛り上がりどころのない7組目。ここでは1位のやつが頭半個分くらい抜けて速く、俺は2位という好順位を取ることになった。ちなみに池は5位。
そこから2分と経たないうちに、1年女子へと交代する。すでに1組目はスタートしていた。
そんな中、コテージの方が騒がしいことに気づく。それはまさに、須藤が高円寺に殴りかかる瞬間だった。
「おいおい……」
しかし、その拳を高円寺は何事もなく受け止める。
これだけでも状況は読めた。須藤のあの性格からして、不参加の高円寺を問い詰めようとしてたんだろう。
平田が働きかけ、須藤は怒りを撒き散らしながらも身を引いた。
そんな時、スタートの合図が耳に入った。どうやら2組目がスタートしたらしい。
トラックの方向に目を向けると、すぐに目に入ったのは佐倉の姿。見知らぬ女子と抜きつ抜かれつの最下位争いを繰り広げている。
1位がゴールしてから6秒ほど経った頃、その2人はほぼ同時にゴール。だが、わずかな差で佐倉が上回ったようだ。
「おお……」
言っちゃ悪いが、佐倉は外村と同じ最下位要因だった。クラスでの練習も、最下位じゃなかったことはない。それを免れたことは、ポイント的にも大きいだろう。運が良かったと言える。
少し経って、佐倉が息を切らしながらこちらに向かってくる。
「はあ、はあ……み、見ててくれた?私、初めてビリじゃなかったよっ……!」
「お、おう、とりあえず呼吸整えろ、な?」
興奮気味の佐倉を宥めるようにして言う。佐倉にとって最下位脱出は、俺が考えている以上に嬉しいことなのだろう。
俺は一旦佐倉から目を切り、再びトラックの方へと視線を移した。
「堀北と……伊吹、だったか」
伊吹澪。無人島試験の際、龍園からDクラスに送られたスパイの役割を果たしていた。その際に体調不良でボロボロだった堀北と一戦交えており、かなりの身体能力の持ち主だと記憶している。
スタートの合図と同時に飛び出す女子。やはり抜け出したのは伊吹と堀北。その中でも、若干ではあるが伊吹がスタートダッシュを制した。
付かず離れずの熾烈な争い。半分を走ったところで、堀北がほんの少し前へ出た。
そしてラストスパート。この段階で、伊吹がジリジリとその差を詰めていく。並ぶか、並ばないか、という微妙なところで、2人ともゴールした。
「す、すごい速いね、堀北さんも、伊吹さんも……」
隣の佐倉は2人の走りに感嘆の声を漏らす。まあ、佐倉の目にはあの2人が超人か何かのように映っていても不思議じゃないな。自分が走った直後だし。
結果から言うと、堀北が接戦を制したようだ。ゴール付近には定点カメラが設置されており、恐らくビデオ判定を行ったんだろう。肉眼で差を見極めるのは不可能に近いものだった。
だが見た感じ、伊吹は走っている途中、正面ではなく堀北の背中を見ていた。少し意識が強かったのかもしれないな。
にしても、これまた少し残念といえば残念。堀北、伊吹を除くさっきの組の他の女子生徒のレベルはかなり低かった。
「速野」
グラウンドに目を向けてぼーっと立ち尽くしていた俺に話しかけたのは、二人三脚で俺のペアとなる三宅だった。
集団での行動を好まない三宅は、普段1人で行動することが多い孤独体質(最近はそうでもなくなってきている……と信じたいなあ)の俺と二人三脚以外でも割と気が合う。というか、気を使わなくて済む。お互い口数が少なく、話すのも楽だし、もちろん無言もオーケー。むしろウェルカム。こういうのがドライな関係というものなのかは知らないが、少なくとも俺はこの付き合い方は性に合っていると思っている。
「ああ、どうしたんだ」
「2位だったらしいな」
「まあ、組み合わせに恵まれてな。そっちは?」
「俺も2位だ。できれば1位になっておきたかったけどな」
「まあ、仕方ないだろ。1人や2人速いやつに当たるのが自然だ。お前もその速い方にカテゴライズされるだろうし」
確かに、と言って、三宅は引き上げていった。そうそう、切り替えは大事だ。俺もたまに往生際悪いことあるけど。
「……ん、次は藤野か」
女子の8組目の3コースにスタンバイしている藤野が見えたので、レースを見ることにする。
スタートしてすぐ、2人の生徒が飛び出した。1人は藤野。もう1人は、さっきは藤野に隠れて確認できなかった一之瀬だ。
「おいおいかなり速いぞあれ……」
勉学や頭脳においても性格においても非の打ち所がない2人には、どうやら運動能力まで備わっているらしい。伊吹と堀北の勝負と同じくらいの速さかもしれないぞこれは。
2人はほぼ同時にゴール。だが、わずかな差で一之瀬が勝利した。
「すっげえええ!見たかよアレ!」
「ああ、やばかったな!」
興奮したように池と山内が言う。伊吹と堀北のときもそうだったが、観客席から小さく拍手が巻き起こった。観客席には、この学校で働く従業員などが疎らだが来ている。あ、いつも使ってるスーパーのレジのおばさんだ。
「これで今日のは決まったぜ!」
「勿論だ!」
「「あの乳揺れっ!!!」」
まあ、そんなこったろうと思ってたけどさ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
続いての競技はハードル走。
ハードル走は、公式陸上と同じ110m区間。ハードルは10個ある。間隔は知らんが。
だが、この体育祭のハードル走には大きな違いがある。
普通、ハードルには触れても問題はないし、極端な話倒していってもオッケーだ。しかし今回、そのような行為にはゴールタイムに一定の秒数を追加するというペナルティが設けられている。ハードル一個倒すごとに0.5秒追加、接触で0.3秒追加だったはずだ。
「えー、外村くんいませんか?不在の場合は失格となります」
スタート地点にいる審判からの警告。
「せ、拙者腹痛でござるよ……欠場してもいいでござるか……?」
「あ?どんな手使っても死んでも完走しろ」
「ひ、ひぃぃっ!こ、ここにいるでござるよ!!」
須藤の脅迫に負け、怯えながらコースに入っていった。まあ、最下位でも得点は入るからな。失格よりはマシだ。結局、練習でもハードルをほとんど跳ぶことができていなかった外村は案の定全てのハードルを手で倒してゴールした。
そんな外村は1組目。俺は今回2組目に配属されている。そしてそこには……
「よ、速野。よろしくな」
「……お、おう」
Bクラスの快速柴田マンがいた。しばった(しまった)なー。はっはっは。少し冷え込む日も出てきた今日この頃である。
まあ、こういう風に冗談で笑い飛ばしたくなるほどの速さが柴田にはあると思ってくれればいい。
柴田以外は……速くも遅くもない、俺と同じ中堅層の選手みたいだな。これが100m走や200m走なら順位を覚悟した方が良かったかもしれない。
俺は2コース、柴田は4コース。合図と同時に飛び出した。
一歩目を早く踏み出したのは俺だった。だが、その後一瞬で柴田に追い抜かれる。俺はスタートが割と得意だが、その後のスピードがないので取れるリードは微々たるものだ。
だが、このハードル走に関しては俺は柴田にも食らいついていく所存だ。俺はこの体育祭、比較的自信を持っている競技がいくつかある。三宅と組んでいる二人三脚、そしてこのハードル走がその一つだ。そしてクラスの練習では、とにかくその自信のある競技だけを練習し続けた。
それぞれのハードルまでどの程度の歩幅で何歩進めばスムーズに跳ぶことができるのか。幾度となく検証し、なんとかそれをつかんだのである。
おかげで減速することなくハードルを跳べる。一瞬柴田に追いつくが、次のハードルまでの直線でまた離される。跳んで追いつき、走って離される……を繰り返していき、9個目のハードルを跳んだところでついに前に出ることに成功した。
だが当然、10個目までの区間で離される。そこからの直進では柴田に敵うはずもなく、結局ゴール地点では接戦とは言い難い差が出ていた。
「ふう……」
「速いな、速野。ハードル跳ぶのめっちゃスムーズじゃん!もしかして陸上やってた?」
前評判通りに1位を取った柴田に声をかけられる。
「今まで部活とかクラブの経験は一回もない」
「それであの動きかよー。すげえな!」
「ああいうのは元々得意だったからな……でも、その得意分野でもお前には勝てないって分かった結果になったな」
「へっへー」
得意げに胸を張る柴田。
聞くところによると、須藤は堀北に対する名前呼びを賭けて学年1位を目指しているらしい。これは須藤もおちおちしていられないな。柴田も学年1位候補。須藤のライバルだ。
ひとまず俺はその場を離れ、Dクラスのテントに戻る。
1年男子は全員走り終え、次は1年女子だ。
Dクラスの1組目には堀北と佐倉が選出されている。堀北に緊張の様子はないが、佐倉は緊張でカッチカチやで〜状態だ。
「ちょっと良くない組み合わせになったね、堀北さん」
「ん、そうなのか」
「うん。Cクラスで一番速いと言われてる陸上部の矢島さんと木下さんがいるんだ」
「ふーん」
スタートするが、堀北はリードを奪えない。食らいついてはいるものの、ついた差が縮まる気配は残念ながらなかった。
結局堀北は3位。平田の言っていた女子2人がワンツーフィニッシュとなった。
「やっぱダメか」
「……速野くん、これ、ちょっと変じゃない?」
隣で見ていた平田が訝しむように呟く。
まあ、それが自然な反応か。
「……まあ、確かにそうだな」
Dクラスは勝つために、速い人を同じ組には入れなかった。しかし、Cクラスは足の速い2人を同じ組に突っ込んだ。あの速さなら、違う組に入れて両方に1位を取ってもらう作戦がいいはずなのに。
それをしなかったCクラス、龍園には、何か別の作戦があるというのか。なんとも不気味さの残るレースとなった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
続いて、男子団体競技の棒倒し。
「お前ら絶対勝つぞ。高円寺のクソがいない分気合入れろよ!」
須藤が前に出て、A、Dクラスの男子に喝を入れる。
俺は対戦相手となるB、Cクラスの方を見た。
棒倒しでは、速さと同じかそれ以上にパワーが要求される。体格でみると、俺らにとって1番の脅威はCクラスにいる黒人のハーフ、山田アルベルトという生徒か。それ以外にも屈強そうな生徒はいるが、果たしてどうなるのか。
今回は、二本先取した方の勝ちとなる。事前の話し合いで、クラスごとに攻めと守りを交互にやることを取り決めていた。まずはDクラスからオフェンス。須藤の突破力を考えてのことだろう。
「ま、心配いらねえぜ。俺が1人でも相手ぶっ倒すからよ」
「倒すのは人じゃなくて棒で頼むぞ……?」
「保証できねーな。高円寺の件でイラついてるからよ」
言いながら相手に向かってファッ◯サインを示す須藤。
暴力行為は違反なので非常に心配だが……まあ、うん。大丈夫であることを願うしかないな。
そして試合開始のホイッスルが鳴り響く。鳴る前から前のめり状態だった須藤はすぐに飛び出していった。
俺も全力ではないが走り出す。相手側の攻撃陣の数人とすれ違うが、接触は禁止されている。あくまで攻撃側は防御陣に向かって攻めていかなければならない決まりになっていた。
どこかのバスケアニメの「僕は、影だ」くんなら気づかれないうちに敵陣に侵入し棒を倒してしまうだろう。だが俺は存在感があるわけではないにしても、流石に長所になる程の影の薄さは持ち合わせていない。人目を盗んで、なんてことは無理そうだ。
「止めろー!須藤を止めるんだ!」
防御側のBクラスの男子が叫ぶと、一斉に須藤に人が集まる。
「がっ、くっそ、何人来るんだよ!?」
初めこそ、言葉通り相手を吹っ飛ばしながらとにかく前進を続けていた須藤だが、棒に近づくにつれ苦しくなっていく。
俺も棒を目指して進んでいくが、そこに1人の生徒が立ちはだかった。
「久しぶりだな、速野」
Bクラスの神崎。確かに、相対するのはプール以来、話すのは2ヶ月ぶりくらいかもしれない。
「ああ、お手柔らかにな」
「お互い様だ」
俺は素早く右足を一歩踏み出す。神崎が反応したところで、今度は左へ。もちろんこれも阻んでくる。それを見て次は右、と見せかけてそのまま左へ突っ切る。だが、神崎の運動神経は並ではない。置き去りにしたと思いきや、追いついてきた。そして前に行かせないよう服を掴まれる。
そこで一旦ストップ、したところで間髪入れずに再びダッシュをかけた。
「く……!」
普段冷静な神崎から悔しがる声が聞こえる。なかなかレアだな。
神崎の足は速い。追いつかれるわけにもいかないのでダッシュを続けるが、今度は2人の壁に阻まれる。
俺は進行方向を右にいる方の生徒に向け、全力ダッシュ。当然相手は身構える。そして組み合いになるか、というギリギリのところで、俺はさらに右へ移動した。人の壁を完全に避け切ることはできないが、相手はさっき身構えた分体重が前に行っている。その体をさらに前に押してやれば、必然、相手は倒れる。
「うわっ!」
俺はパワーがゴミクズな分、こういう風に工夫しないと全く役に立たない。
そしてこういう戦術が通じるのは、相手が少人数の場合だけだ。
「これは……」
当たり前だが、棒の周りには人が密集していて、一度入ろうものならもみくちゃにされて放り出されてしまうだろう。ここからはまさにパワー勝負。通用する人員は限られている。
「や、やばいぞAクラスが!山田なんとかってハーフが暴れてる!!」
Cクラスにはそれがいる。Dにもいるが、須藤は人海戦術により食い止められているため、接近もままならない。
これはダメか、と思ったところで、1試合目終了を告げるホイッスルが鳴った。
後ろを振り向くと、赤組陣営に立っていた棒の姿が確認できない。防御していたAクラスの足元に無残にも転がっているはずだ。
「クソ、何やってんだよお前ら!もっと死ぬ気でいけよ!」
「そ、そんなこと言ってもよ……あいつら結構強いぜ?いつつ、脚ちょっと擦りむいてるしよ……」
「一本取られてしまったことは仕方がないよ。今度は僕たちが守る番だ。頑張ろう」
須藤の怒りも上手くまとめ上げる平田。流石といったところか。
「わーってるよ……ちっ、お前ら次は絶対守り通すからな!」
「分かってるよ!やれる限りはやるって」
「やれる限りじゃねえんだよ。死守だよ!何時間でもよ!」
その気合いには感服するが、残念なことにそれについて来る者は少ない。
こういう行事に積極的なBクラスと、龍園の絶対王政を敷くCクラス。それに対し、Dクラスのモチベーションは高いとは言えなかった。
「Cが攻めてこい……」
そう呟く須藤の声が聞こえてくる。俺としては、体格のいい生徒が多いCクラスは避けたいんだが……
「っしゃ来た!」
開始のホイッスルと同時に、Cクラスの生徒が勢いよく走ってきた。そして突撃してくる。
「おおっ……」
俺はすぐに吹っ飛ばされ、防御の機能を果たさなくなる。他の生徒もCクラスの勢いに押され、防御壁はみるみるうちに枚数を減らしていく。
ここでも活躍しているのは山田アルベルト。圧倒的な体格差とパワーで、須藤ですら追いすがるのがやっとという感じだ。
「ぐっ、がっ!誰だ今腹殴りやがったのは!?」
須藤の苦悶の声が聞こえてくる。どさくさに紛れて須藤に直接攻撃を加えている輩がいるようだ。
さっきも言った通り、暴力行為は違反だ。つまり、バレないと絶対の自信を持ってやっている。そして事実、やり方はうまい。人が入り乱れて砂塵が巻き起こっている中、その接触が偶然なのかそうでないのかを見極めるのは非常に難しい。
だが、間近で見ている者にはわかる。
先ほどから須藤に攻撃を仕掛けているのは、Cクラスのトップに君臨する男、龍園だ。
その素足が、須藤の背中を踏みつける。
「がっ!」
その一撃で、今までなんとか踏ん張っていた須藤が崩れ、防御が意味をなさなくなり、人と一緒に崩れるようにして棒が倒れた。
勝敗が決し、須藤は龍園を睨みつける。
「はあ、はあっ……てめえ、反則だろうが……!」
「なんだ、そんなところにいたのか。気づかなかったぜ」
そう言って悪びれる様子もなく去っていく龍園。
「ぐっ……」
背中の痛みからか、須藤はすぐに立ち上がることができないようだった。
「クソが……次やったら殴り飛ばしてやる」
「よせ、それこそ龍園の思うツボだ」
相手の思う通りにさせたくない。そういう気持ちを喚起させる言い方をする事でなんとか踏みとどまらせる。
「あー、イラつくぜ!全勝するつもりだったのによ!」
須藤の叫びは1年の赤組陣営に浸透する。Aクラスの数人から睨まれていた須藤だが、頭に血が上っているせいか、元々敏感なタイプでないのも相まって全く気づいていなかった。
反論しようとする者に関しては葛城が抑える。
「すまない、攻めきることができなかった」
「ううん、僕らもしっかりと守れなかったから。また次頑張ろう」
こんな時でも、平田と葛城は落ち着きを持ってクラスのまとめ役という大役を全うしている。
果たして、平田の言う「次」という名のチャンスがいつまであるのか。
そもそも、今の時点でチャンスなるものは存在するのか。
まあ、それは体育祭の全日程が終了して初めて、結果論として言えることだ。
全員、一度陣営に戻り、女子の玉入れを見守ることにした。
苗字が速野の割に特段速いわけでもない。遅くもないですが。
感想、評価お待ちしております。
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ep.45
では、どうぞ。
「合計54個で、赤組の勝利です」
女子の玉入れの結果がアナウンスで報告される。先ほど敗北を喫した赤組の男子はホッとしただろう。
だが、それも束の間。すぐに次の競技、綱引きに関する説明が始まる。
綱引きも先ほどの棒倒しと同様、2本先取した組の勝利という規定になっている。
「綱引きは直接の接触がないから、向こうも単純な力で勝負するしかない。さっきみたいなことにはならないはずだよ」
「まあな……だからこそ負けらんねえ」
互いの距離が離れているため、不正をすればその事実を隠すことはできない。勝つには正々堂々やるしかないだろう。
「打ち合わせ通りに一気に叩く。いいな?」
「うん、わかってるよ」
平田と葛城が作戦の最終確認を行う。
まあ作戦といっても複雑ではない。単に身長順に並ぶことだ。だが、事前に打ち合わせていなければできない作戦でもある。相手がこちらの手の内を今知っても真似はできないだろう。
外患はクリア。しかし、内憂の方といえば。
「葛城くんさー、いつまでも偉そうに仕切らないでもらいたいねー」
「……どう言う意味だ橋本」
長めの髪を後ろでまとめた男子生徒。身長は高い方で、雰囲気は柔らかそうだが葛城に対しては馬鹿にしたような目を向けていた。
「どういうって、そのまんまだよ。あんたのせいで今Aクラスが失速してるんじゃないか?本当にこの作戦で勝てるって言い切れるの?」
おそらく、坂柳派の人間だろう。橋本と呼ばれた生徒に続き、葛城の作戦に異を唱える者が出てくる。
拭えない今更感。ちょっとタイミングがおかし過ぎやしないだろうか。
そもそもの話、今は作戦について話し合うべきときではない。クラス内で議論する時間はいくらでもあったはず。だが、状況から見てその時に異を唱えた者がいるとは思えない。
坂柳の指示だというのは想像がつく。問題は目的だ。俺らにクラス内での対立、そして自らの派閥の優位性を見せつけるため?坂柳は攻撃的だと聞くし、ありえない話ではないかもしれない。
「Dクラスも動揺している。冷静に進めるべきだ」
「答えになってないなー」
もしここで葛城が「何か案があるのか」と問えば、どうなるだろうか。
いや、これは愚問か。葛城の性格上それはしないだろう。今ここでそれを話しても無意味だし、もし坂柳の側に戦略があるのであれば、提案された時点で葛城派はまた窮地に追い込まれる。葛城ならそこまで考えているはずだ。
「俺の決定を疑う気持ちは理解するが、これ以上場を乱すようなことがあれば坂柳の責任が生まれるだろう。それでも構わないか?」
「何も見えてないねー葛城くんは」
橋本は何やら意味深なことを言うだけで、真面目に受け答えしている様子はない。
そんな時、Aクラス陣営から声を上げたのは、この次の競技に当たる女子綱引きに向けて後ろでスタンバイしていた藤野だった。
「橋本くん、派閥が違うって言っても、今はなりふり構っていられないんじゃないかな?もし橋本くんたちがすごくいい案を今出しても、Dクラスのみんなはついてこれなくなっちゃうし。今は勝てるかどうかじゃなくて、勝つために全力を尽くすべきだと思うな」
どちらの派閥にも属していない中立(表向きは)の立場からの発言に、葛城陣営は勢いづく。
一方の橋本、および坂柳派は、初めから言葉通りのことは考えていなかったのだろう。さっきと特に変わった様子もなかったが、ここが引き際と見たのか、自分が担当する縄の位置につきながら言った。
「じゃあ、やろうか。連携不足と言われても癪だしねー」
その点に関しては時すでに遅しの気もするが、始まるのならそれでいい。
「ったく、不安だぜ。やっぱただのガリ勉連中かもな」
須藤もそれをひしひしと感じ取っている様子だ。
俺は身長がほぼ同じ平田の前。俺の前は見知らぬAクラス生徒だ。綺麗に身長順になっている。他方で、1年白組は連携を取っていないためにクラス単位で前方後方の縄の担当が綺麗に分かれていた。縄の前方を握るBクラスは俺たちと真逆で、身長が高い順に前から並んでいる。縄を引く位置を高くすることが狙いか。Cクラスは特に何も決めていないのか、バラバラだ。
「こっちが有利だぜ!行くぞお前ら!」
試合開始の合図とともに、思いっきり縄を引く。まあ俺の思いっきりって須藤0.3人分くらいだと思うが。
「オーエス!オーエス!」
本当にこんな掛け声するんだな、と思いながらも、一応俺も声を出す。
これはシャウト効果とかシャウティング効果とか言われていて、アスリートもよくやっていることだ。詳しいメカニズムは知らないが、声を出すことによってパワーが上がることは確かだろう。実感もある。
「オラオラオラ!余裕余裕!!」
初めこそ均衡が保たれていたが、連携を取っているこちら側が優勢。20秒ほどで決着がつき、赤組の勝利となった。
「しゃー!見たかオラ!」
縄の一番後ろを担当する須藤が吠える。
「BクラスとCクラスは、本当に協力してないみたいだね」
「……みたいだな。まあそっちの方がありがたい」
可哀想なのはBクラスだが……
「なー、やっぱ協力した方がいいぜ?相手強いしさー」
柴田がそう言うが、龍園は全く相手にしていない様子だ。
「よしお前ら配置変えるぞ。チビから順に並べ」
指示というより命令という感じだ。龍園の指示通りに小さい順から並んでいく。完成した白組の並び方は、ちょうど弓なりになっていた。
「へっ、楽勝だな。あんなんで勝てるわけないぜ」
「いやそうとも言い切れん。全員気を抜くな」
「でもさっきも余裕だったじゃん?俺らみたいに小さい順に並んでるわけでもないしさ」
「そうじゃな……いや、今は時間がない。とにかく全力で引け」
インターバルが終わったため、葛城は説明を諦めざるを得なかったようだ。
「オーエス!オーエス!」
試合開始とともに掛け声が響く。だが、異変を感じたのはここからだった。明らかにさっきと重さが違う。
「おら粘れよお前ら。簡単に負けたら死刑だぜ」
龍園の呑気な号令が飛ぶ。すると、また少し縄が重くなった気がした。
あの弓なりの形に、何か秘密があるんだろうか。
「ぐああ、痛い痛い!!」
前方で苦しむ声を出す池たち。
1回目よりもさらに長引いた勝負は、わずかな差で白組が勝利を収めた。
「なんでさっきと違うんだよ!?誰か手抜いたんじゃねえだろうな!?」
「落ち着け須藤。相手が正しい陣形の一つを取ったこと、そしてこちらの油断が主な敗因だ。だがこれで分かっただろう。相手は連携がなくても戦う力がある。次は油断せず、気を引き締めて縄を引くことだ。それから縄を引くときは斜め上に向かって引くようにするといい」
流石にAクラスをまとめ上げてきただけのことはある。荒ぶる須藤を止め、且つ的確なアドバイス。今打てる最善の手だ。
「よーしお前らにしちゃよくやった。次も同じようにやりゃいい。勝てると思ってるカスどもに思い知らせてやれ」
クラスを支配しているからこその鼓舞の仕方。龍園の場合は飴と鞭とでもいうべきか。
そして、最終戦が始まった。
「オーエス!オーエス!」
掛け声とともに綱に力を込める。
さっきと同様、なかなか決着はつかない。だが、試合開始時の足の位置より後ろにいるところを見ると、わずかではあるがこちらに引かれているようだ。
「ぜってえ勝つぞ!もう一息だ!引けええええ!!」
須藤の叫び声に合わせ、気持ちさらに力を入れて引く。
しかし。
「「「うわああ!!?」」」
その瞬間、綱の重みが一気に解消され、体重が後ろに行ったまま倒れてしまった。
前を見て状況が分かる。白組、それもCクラスが、急に縄から手を離したことが原因だろう。Bクラスとしてもこれは予想外だったらしく、数人倒れている生徒がいた。
「ふざけてんのか!?」
「勝てないと思ったから手を休めたんだよ。よかったなお前ら、ゴミみたいな勝ちを拾えて。這い蹲る様は面白かったぜ」
「テメエ!」
棒倒しの件もあり、頭に血が上った須藤が走り出そうとする。しかし、葛城は腕を掴んでそれを止めた。
「やめろ須藤。こうやって怒らせるのもあいつの作戦の一部だ。体力を消耗させる、それから暴力行為で反則勝ちを狙っているかもしれない」
「けどよ!」
「落ち着け。龍園のやったことは褒められたことじゃないが、ルール違反ではない」
龍園のやり方は低空飛行だが、一線を超えているわけではないからな。
これ以上はいても仕方ないと思ったのか、龍園はCクラスを従えてせっせと立ち去ってしまった。
「くそ、勝ったのになんかスッキリしねえ」
恨み言を漏らす須藤。その様子を見ながら、俺も自陣へと歩いていく。
その時、俺の隣に並んで歩幅を合わせてくる人影が現れた。
「あはは……さっきはみっともないところ見せちゃったね」
少し苦笑いを浮かべながら話すのは、先ほど橋本を説得(?)していた藤野だった。
「いや、お互い様だろ。須藤がうるさくて悪いな」
アレは一応気合いが有り余ってのことだからフォローのしようはあるんだけどな。限度は考えて欲しいが。
「すごいね、須藤くん。とっても頑張ってるの、見たら分かるよ。今のところ全部1位だよね?」
「多分な。最初から学年1位は狙ってるだろうし、狙えるやつだからな、あいつは」
柴田も確か全部1位だったはずだ。どこかで直接対決をする場面があれば、そこが一つのポイントとなるだろう。
「須藤くんも言ってたけど、ちょっと水差されちゃったね。流石、って言った方がいいのかな……?」
「まあ俺はあんまり気にしてないけどな。結果的には勝ったんだし」
「でも気持ちよく勝たせてもらえないのって、次に向けてのモチベーションとかテンションにも響かない?」
「……まあ確かに」
試合に勝って勝負に負けるとはよくいったものだが、俺は基本的に試合に勝ってんならいいじゃんみたいな感じだからな。だが、転んでもただでは起きないという龍園のスタンスは、須藤みたいな人間には効果てきめんだろう。
どの場面でも必ず何かを仕掛けてくる。そしてそれが当たり前になってくると、面白いことに「何もしない」ことすら仕掛けたことになってしまうのだ。
「まあ、頑張ってくれ」
「うん。オッケー」
そう言い残し、藤野は女子の綱引きへと向かっていった。
ちなみに結果から言うと、女子の方は負けてしまった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
続いての競技は障害物競争。
用意されている障害物は、平均台、網潜り、頭陀袋。難易度は高くないが、どれもスピードダウンを余儀なくされるものだ。まあ当たり前か。障害物だし。
今から俺が配属された7組目のレースが始まる。6組目のレースには綾小路が出て、結果は3位だった。100m走やハードルの時よりちょっと速かったんじゃないかと思ったのは気のせいか?
そして俺と同じ組には、Cクラスの石崎がいた。
なんていうか、よく会うなこいつと。船上試験の時も同じグループだったし。こいつとは色々あるが、というかあったが、変な縁でもあるんだろうか。
「おい速野!変な順位取るんじゃねえぞ!」
最終組に配属された須藤からそんな声が飛び、俺は振り返って頷くことでそれに答える。
前に言った俺が自信を持っている競技。それの2つ目がこの障害物競争だ。
開始の合図とともにスタートする。
初めの平均台までの直線で1位だったのはBクラスの生徒だ。
俺はその生徒と石崎に続き、3位で平均台に突入する。
だが、俺はここで前の2人を抜き、一気にトップに躍り出ることに成功した。走るスピードほぼそのままで平均台を渡りきり、次の網潜りへと向かう。
網潜りに関してはスピードにほぼ差が出ないため、そのまま順位をキープ。急いで頭陀袋に足を通してぴょんぴょんぴょんぴょん。この時点ではリードを保つことができていたが、ラスト50mの直線で先ほどのBクラスの生徒に追い抜かされ、3回連続の2位となってしまった。
ちなみに頭陀袋が異常に速いやつがいて、そいつに抜かれた石崎は4位だったことを報告しておく。
走り終え、歩いて戻っていくと、俺の正面に堀北が立っていた。
「どうした。女子はもう向こうで準備してるが」
「……お手洗いよ」
「……」
……うん、ちょっとまずいことを聞いてしまったな。
そんな微妙な空気を払拭するためか、ただ単に気にも留めていないのかは知らないが、堀北が言葉を続けた。
「あなた、足が特別速いわけではないのに身のこなしが上手いわね。何か訓練していたの?」
「訓練って……別にそんな軍隊みたいなことはしたことないぞ」
そう、訓練なんかじゃない。俺がしたくてやったこととも言えるし、状況的にそうせざるを得なかったとも言える。
「まああれだ。どこかの綾小路よりは素直でいいだろ?」
「……そうね。彼は謎の多い人間だから。それから、あなたは物言いがずけずけとしている時がたまにあるけれど、素直だと思ったことは一度もないわ」
「そうですか……」
やっぱりこいつの中で俺はひねくれ者らしい。嬉しくない情報だ。
そろそろ時間もやばくなってきたところで、堀北に列に戻るよう促す。
「まあ取り敢えず、次も強敵と当たるだろうけど頑張れよ」
「?……ええ、負ける気はないわ」
そう言って、堀北は駆けていった。
俺も、レースが行われているトラックに目を向ける。
それと同時に、池の叫び声がこだました。
「はあ!?健のやつまた野村と鈴木じゃん!ズルすぎだろ!」
ちょうど最終組がスタートする直前だった。確かにCクラスから出ている生徒は、いっちゃ悪いが明らかに運動音痴だろってやつだ。
だが、その組に現状須藤の最大の敵が立ちはだかる。
Bクラスの快速柴田マンだ。
スタートした瞬間、やはりというか、須藤と柴田が一気に抜け出した。
その中でも、わずかではあるが須藤がリードしているように見える。誰よりも速く平均台を渡った。柴田もそれを背後から追いかける。
網潜りも、2人ともとてつもない速さでクリアした。まだ須藤がリードを保っている状態だ。
須藤は跳躍も得意だ。次の頭陀袋で少し離したが、それでもわずかだ。ラスト50m、いよいよ柴田の本領発揮。須藤は背後の柴田の気配を感じているだろう。
柴田がどんどん追い上げてきている。これはやばいか、と思ったが、わずかなリードをなんとか保ったまま須藤が1位でゴールした。
かなり厳しい戦いだったんだろう。須藤は肩で息をしていた。
それより驚きは、純粋な直線の勝負なら柴田に分がありそうだという事実だ。組み合わせ次第では須藤も磐石とは言い難いのかもしれない。
「オラ見てたぞ寛治!おめえ6位だっただろ!」
「お、お前だって危なかったじゃんかよ!アイコだろ」
いや、全然違うと思うけど。
「1位取ったじゃねえかよ。ま、柴田のやつも結構速かったけどな」
池を羽交い締めにしながらも、1位という結果に須藤は一安心していたようである。池は離してやれよ……
次は女子の障害物競争だ。その後には二人三脚も控えており、あまりダラダラしていられない。
女子の1組目には堀北がいる。そして同じ組には、先ほども同じ組だった矢島と木下がいた。
「さっきも見た展開だな」
隣にいた綾小路がそう呟いた。
「ああ」
一応返事をしておく。
スタートすると、まず抜け出したのは木下。二番手が矢島、その後ろを堀北が追っている状態だった。
堀北の足は速い。だが、その道を極めている人には敵わない。
だが、向こうもいつもの土俵ではないため、多少の苦戦は強いられている様子だ。差は案外ついていなかった。
この時点で抜き出たのは矢島。しかし少し驚いたのは、木下が頭陀袋を外す際にバランスを崩したことで堀北がリードを奪ったことだった。
「お……」
そしてラストの直線を全力で走り抜ける。後ろの様子が気になるのか、堀北は何度も木下の方を振り返っていた。それが失速につながったのか、木下に追いつかれてしまう。
そして次の瞬間、2人の足が互いに絡まり合い、かなりのスピードのまま転倒してしまった。
「おおお!?なんか凄いことになったぞ!?」
倒れた2人の横を5人が通り過ぎ、順位が一気に落ちる。ようやく堀北が起き上がって7位でゴール。対する木下は競技続行不可能ということになり、最下位という扱いになった。
「……」
「どうしたんだい綾小路くん」
「次も同じ『偶然』が起こるなら、もう『偶然』ではないかもしれないな」
隣で静かに綾小路がそう呟いた。
「やっぱり君もそう思う?他の生徒たちも気づき始める頃だと思う。状況は悪いみたいだね。速野くんはどうかな?」
平田がこちらを向いて、俺の意見を求めてくる。
「え?ああ、まあ、そう考えるのが自然だな」
特に不自然なポイントは、今の堀北と須藤だろう。Cクラスに都合のいい偶然が起きすぎている。
「もし気づく生徒が出てきたら、ケアを頼めるか?」
「もちろんだよ。それが僕の役目だからね。でも……何か手はないのかな?」
「あればいいんだけどな」
そう言い残すと、不自然な足取りで堀北が歩いてきたのを見て、綾小路はそちらへ向かった。
「……大丈夫、かな」
不安そうに呟く平田。
「さあ……まあ、一つでも高い順位を目指すしかないだろうな」
「……そうだね。頑張ろう」
「ああ」
女子の障害物競争が後半を迎え、そろそろ次の競技への準備に入る。直前、前方のテントの方を見やると、木下はまだ保健室には向かっていないらしかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
二人三脚のスタンバイ中。隣には三宅がいる。
俺と三宅の組の前には、俺の少し前に準備を済ませたと見られる龍園の姿も確認できる。
そして今、須藤と池のコンビがスタートしたのだが……
「どわああああああ!!」
須藤は池を半ば持ち上げた状態でトラックを暴走していく。一応池の脚は地面に付いているので違反にはならないが、作戦を分かっていても池はびっくりしただろう。
そして結果、1位を獲得してしまった。
「おいおい……」
ゴールした2人を苦笑いで見る三宅。
「……須藤ならではの勝ち方だな」
「頼もしいんだかなんだか……」
頼もしいことは頼もしいが……あのじゃじゃ馬を制御できる人間が現時点ではいないんだよな。人材はいるのに。
そんなことを考えていると、次の組にいた平田&綾小路がスタート。ペースは順調。相性の良さもあり、須藤に続いて1位を獲得した。あ、こっちはちゃんと正攻法で。
「きゃー!平田くんかっこいい!!」
平田に向けられた女子の黄色い声援が耳に入る。
ああいうミーハーみたいなのが本当にいるんだな……と思いながら、心の中で綾小路に手を合わせておく。チーン。まあ、あいつはそういうの求めてないだろうけど。
「龍園も一位か」
三宅がそう呟く。
そういえば龍園もほとんどの競技で1位を取ってたな。
「……とりあえず、今は競技に集中だな」
「ああ」
スタートのコールと同時にハイペースで飛び出す。全速力とまではいかないが、この時点で他の組を置き去りにすることができた。練習の通り、動きに狂いはない。そのまま2位と5、6mの差を保ったまま1位でゴールした。
男子の障害物競走10組のうち3組目の1位。まあ躍進した方ではあるだろう。
「ふう……目標は達成だな」
呼吸を整えながら三宅に言う。
「ああ。お疲れ」
お互いの脚を結んでいた紐を解き、どちらのペースに合わせるでもなくDクラスの場所へ戻って女子の観戦に移る。
2組目のDクラスは、櫛田と堀北のペアとなっている。正直事情をある程度知る身としてはこの上ないほど不安なのだが、一応一番タイムが良かったペアらしいので大丈夫だとは思う。
堀北が大丈夫なら、だが。
「綾小路、堀北の足の状態はどうなんだ?」
「正確なことはよくわからないが……期待しない方がいいな」
スタートした2人の姿を見ながら答えた。
出だしは良かったものの、堀北の怪我の影響もあってか徐々に失速していく。速く走りたいという意思に反し、堀北の足は全くついていかない様子だ。
「やっぱり動き固いな」
気づけば最下位争いに転落していた。
競う相手はBクラス。現時点ではわずかにリードしている。
2人はBクラスの進行方向を妨げ、逃げ切る戦法を取ることにしたようだ。Bクラスの2人も必死に追う。
そんな時、一瞬の隙が生まれ、Bクラスに追い越されてしまった。
「ああ!惜しい!!」
結果、堀北と櫛田は最下位という順位に終わった。
堀北の足の状態が悪かったにしても、1位を取ることを狙っての組み合わせだったため、この敗戦はDクラスにとっては痛手になるだろう。
障害物競争の次の競技は騎馬戦だが、その間に10分間の休憩がある。それ以降は男女の競技順が逆転する決まりになっていた。
その場にとどまると体が固まってしまう恐れがあるため、グラウンドの外側を軽くウォーキングしながら休憩時間を過ごした。
感想、評価お待ちしております。
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ep.46
では、どうぞ。
休憩時間が終了し、次は1年女子からのスタート。初めの種目は騎馬戦だ。
その名の通り4人1組で騎馬を作り、相手の騎馬の騎手がつけているハチマキを取ることでポイントを狙う。1クラスから4騎ずつ出る決まりとなっており、紅白8騎ずつということになる。残りのメンバーはリザーバーだ。
騎馬はそれぞれポイントを所持していて、敵のハチマキを奪えば、1本ごとにそのポイントが手に入る。それプラスで、最後まで生き残っても同様にポイントが入るルールだ。
4つのうち1つの騎馬は大将騎と役割づけされている。通常の3つの騎馬の所持ポイントは50だが、大将騎は100ポイントが配分されるのだ。
強気で攻めれば大量のポイントを期待できる反面、自分も奪われやすくなるリスクがある。Dクラスはリスクを負わない方を取り、運動神経がいいとは言えない森を大将騎の騎手に選出。それを残り3つで守る狙いだろう。
スタートと同時にB、Cクラスの騎馬が迫ってくる。
特にCクラスは、その足取りに迷いがない。
「な、なんだあれ!?」
池が驚くのも無理はない。Cクラスが狙ったのはただ一つ。堀北の騎馬だった。他の騎馬には目もくれていない。
いや、より正しく言うならば堀北本人、か。
あっという間に4対1の構図が出来上がる。頼みの綱のAクラスは様子見だけで、救援しようとはしていない。
「龍園の指示だろっ。あのクソ野郎が!」
「仕方ないだろ。リーダーを潰すのは作戦として邪道なわけじゃない」
悔しそうな須藤の声に、綾小路の冷静な指摘が入る。
そんな中、救援に動いたのは軽井沢の騎馬。しかし、Bクラスの大将騎である一之瀬がそれを阻む。
軽井沢の騎馬は仲良しのメンバーで組まれているのに対し、一之瀬の騎馬はBクラスでも指折りの実力者だった。
だが、仲良しチームの連携力も負けていない。正直すぐに決まるんじゃないかと思っていたが、軽井沢vs一之瀬の勝負は意外と長引いた。
「あ!!」
ここで状況に変化が訪れる。堀北がハチマキを取られ、落馬してしまったのだ。
悔しそうにしながら立ち上がる堀北。足のこともあるので少し心配ではあるが、体は大丈夫だろうか。
そしてここからはB、Cクラスの各個撃破作戦が炸裂する。堀北が狙われている間にハチマキを奪えなかったDクラスの軽井沢以外の2つの騎馬はあえなく撃沈。その後、その騎馬が一之瀬に加勢し、軽井沢は一瞬8対1という状況を作られてしまった。
こうなるともう勝ち目はないと悟ったのか、軽井沢は自爆覚悟で特攻し、Bクラスの1騎のハチマキを奪って相打ちで勝負を終えた。
1騎減ったとは言え、数の上では向こうが圧倒的だ。残りのAクラスの騎馬も総攻撃を喰らい、こちらは全滅。向こうの損害は2騎だけという完全敗北を喫してしまった。
まあ、これに関しては仕方がない面もある。まずAクラスがすぐに救援に向かわなかったこと、漁夫の利を狙ったのに敵のハチマキを奪えなかったことが敗因の多くを占めるだろう。
だが、終わってしまったことは仕方がない。
「っしゃ行くぞお前ら!」
須藤の叫び声とともにスタンバイする。
騎馬には須藤、綾小路、三宅。騎手に平田を擁立した最強の騎馬。初めはこの騎馬を大将にする方向で話が進んでいたのだが、どこでどう間違えたか、俺が騎手を務める騎馬が大将騎ということに決定してしまっていた。
「はあ……」
女子が全滅という結果になってしまったので、なおさらその責任は重大だ。思わずため息が漏れてしまう。
まあ、もう騎馬の池、山内、南に頑張ってもらうしかないだろう。
俺が騎手をやると決まった時点で、俺が騎馬役に頼んでいた作戦。それは制限時間の3分間、絶対に囲まれないようにただひたすら逃げ回ることだ。敵のハチマキを奪うことなんてこれっぽっちも考えない。初めから逃げることだけに100パーセントを出し切る。みっともないと言われるかもしれないが……いやまあ、実際みっともないのでなんも言えない。大将なのに逃げ回るとか大将の器疑うレベル。だから平田たちを大将騎にしろって言ったのに……
「頼んだぞ」
「おう!」
平田にもこの話は承諾してもらっている。何か作戦会議のようなことをやっているが、俺は攻撃には参加しないので話半分に聞いていた。
そして、スタートの合図が鳴る。
「狙うはクソ龍園の首一つ!ぶっ飛べやオラあ!!」
スタートと同時に、俺の騎馬を除く赤組の7つの騎馬が突撃していく。その様子を見ながら、Cクラス大将騎の騎手である龍園は不敵に笑っていた。
須藤のあの馬力と平田のテクニックなら、あのエース騎馬だけで2、3騎は潰せると踏んでいる。そして1騎は釘付けにできるだろう。それ以外の4騎は他の騎馬になんとかしてもらう。
俺の騎馬は、複数騎が仕掛けてきたときのことを警戒して、体力温存のために自陣からほぼ動かない。
だが、戦局は予想以上に良好だった。
須藤は敵に向かって体当たり作戦を発動し、白組の騎馬を合計3騎崩していた。もっとも騎手が落馬しただけのためこちらにポイントは入らないが、それでも大金星と言っていいだろう。
Aクラスは3騎失いながら、柴田や神崎擁するBクラスの大将騎のハチマキを奪った。その他2騎も倒し、敵の残りは龍園の騎馬を含めて2騎だ。
「うわ!こっち来た!!」
龍園でない方の騎馬がこちらに向かってくる。
「よし、練習通りに頼む」
「わ、わかった!」
まあ、練習通りと言っても大したことはしてない。左右への方向転換をスムーズにするように頑張っただけだ。それでもまだまだガタガタだが、逃げることだけに100パーセント集中していればなんとかなるだろう。
「くそ、待てえ!」
敵の騎手の声が聞こえてくる。
待たないから。
「はあ、はあ……は、速野、そろそろ限界が……」
「……え、もう?」
「し、仕方ないだろ!で、どうすんだよ!?」
前線の様子を伺う。
そこでは、少し不思議な光景が広がっていた。
「なんで挟んでないんだ……?」
なぜか平田の騎馬と龍園の騎馬で一騎討ちが行われていた。その横には2騎いるのに、加勢する様子がない。
気になるが、それは今はいい。龍園がこちらに来る様子はないし。ここも一騎討ちに持ち込めるだろう。
「止まってくれ。迎え撃つ」
「で、出来んの!?」
「じゃあ走るか?無理ならもう仕方ないだろ。残り時間40秒くらいだし、なんとかする」
俺がそう言うと、3人とも止まって、相手の方を向く。
その様子を見て、相手の方も止まってこちらへの攻撃の機会をうかがっているようだ。
攻撃はいい。とにかく避け続けることだけに集中すれば、一騎討ちの今の状況ならいけるはず。
敵の騎手が素早く手をハチマキに向けてくる。俺はそれを後ろに反るようにして避けた。するとさらに近づいてきたので、今度は腕自体を受け流して防御した。
「くっ……」
その後も同じようにして避け続ける。攻撃の意思が全くなく、ただただ避けるだけの俺は心底うざったく映っているだろう。攻撃しないことで、守備にも隙が生まれづらい。対して相手は、こちらが攻撃してこないということがある程度分かっても、俺が攻撃する可能性への警戒を怠ることができない。一騎討ち、かつ防御に徹して欲張らないということを心に決めておけば、守備側が絶対的に有利なのだ。これは葛城あたりが好みそうな戦法かもしれないな。
残り時間が迫る。残り4秒。ここで相手は防御を捨て、無防備に手を伸ばしてきた。
俺はそれを体をそらして避け、伸ばした腕をさらにこちら側に引っ張ってバランスを崩させる。
「うわ!?」
体が前に倒れると、必然、ハチマキを巻いた頭がこちらに近づく。
取られる、と察知した敵が後ろに下がったが、すでに俺はハチマキを掴んでいた。終了の合図が鳴ると同時にそれが相手の頭からするっと外れる。
そこで終了。相手、特に騎手はかなり悔しそうな表情をしていた。
「ふう……」
「すげえじゃん!ハチマキ取ったよこいつ!」
「ああ、まあ相手がラストスパートで無防備に攻めてくれたからな……」
何はともあれ残ってよかった。さっきの俺のプレーはカウントされるか審議されていたようだが、なんとか得点になった。
先ほどの平田たちの方に目を向ける。
しかし、平田を含めさっきまで残っていた騎手のハチマキは龍園の手にあった。
「……全員取られたのか?」
少し話を聞きに行く必要があるかもしれない。俺はたまたま近くにいた平田の騎馬の1人、三宅に質問した。
「何があったんだ?」
「速野か。実は……」
そこで、龍園が須藤を挑発してタイマンに持っていく方向に誘導したこと。須藤を説得できなかったこと。龍園のハチマキを何度か掴んだが、不自然に滑って取るには至らなかったこと。結果的に自分たちが取られてしまったことなどの説明を受けた。
「なるほどな……」
俺はため息混じりに須藤の方を見る。
「おいコラ反則だろテメエ!ハチマキになんか塗りやがったな!?」
「あ?知るかよ。なんかついてたんなら髪のワックスだろ。負け犬がいちいち騒いでんじゃねーよ」
それだけ言い残し、龍園は愉快そうに戻っていった。
対して須藤は怒り心頭。今すぐにでも角が生えてきそうだった。
「……どうやらそういうわけだったらしいな」
「ああ」
龍園が試合終了直後に見せびらかすようにハチマキをぶん回していたのは、湿っていたのを隠すためなんだろう。つまり追求しても黒にはならない、という事実を突きつけられた形になる。
序盤は有利だった騎馬戦。結果的にお互いの大将騎が生き残り、ハチマキを取った数も換算すると白組には敗北。
さらに最悪なことに、ついに須藤がキれ、平田を殴ってしまった。そこに至る過程は見ていないので詳しいことは分からないが、大方の予想はつく。平田がかけた言葉に須藤が爆発したんだろう。もっとも、原因は須藤本人にあるんだろうが。
「やってられっか。勝手に負けてろよ雑魚ども。体育祭なんざクソ食らえだ」
そう吐き捨てた須藤は、つかつかとどこかへ行ってしまった。
「……大丈夫か、平田」
「うん。ちょっといいのをもらっちゃったけどね……でも、この状況は流石にまずいね」
体育祭でクラスが勝つことを第一に考えている平田は、須藤に殴られたこともあまり気にしていない様子だった。
平田の言う通り、今のDクラスは客観的に見て非常にまずい状況だ。
全ての元凶である龍園の方を見て、少しため息をついた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
校舎の方から戻ってきた俺は、最後の全員参加競技である200m走に向けて準備を始める。
時間になっても須藤は戻ってこない。絶対的エースの不在。Dクラスにとってはかなりの痛手だ。
「平田。須藤はどうした。便所か?」
不気味な笑みを浮かべながら、龍園は後ろにいる平田に声をかけた。
「彼は訳あって休憩中なんだ。すぐに戻ってくると思うよ」
「クク、根拠のねえことは言うもんじゃねえぜ」
俺はこの徒競走、龍園と同じ組に選出されている。しかも隣だ。龍園の名前が呼ばれた直後、俺の名前も呼ばれ、スタンバイする。
「龍園くんは、個人競技全てで1位を取ってるって聞いたよ。運がいいみたいだね」
「ああ?何が言いたい」
「君の考えてることはわかってるということだよ。君がDクラスの参加表を知っていることも、それを利用してることもね」
俺にとっては初めて聞く事実。それが平田から告げられたが、近くにいた綾小路には驚いている様子はない。
「それがハッタリじゃなきゃ面白いんだがな。これまでの状況を見てれば気づく程度のことだ。いくらでもカマはかけられるだろうからなあ?」
「うん。だから君に一つ宣言しておくよ。この体育祭が終わるまでに面白いものを見せるって」
「面白い物だと?そいつは楽しみだな」
なんだよ面白いものって……なんか、俺だけ会話についていけてない。
龍園はその平田の謎発言も本気にはしていないようだ。
龍園が4レーン、俺は5レーンで、スタートした。
まあ、細かいレース展開については語るまでもない。低レベルというわけでもなく、熾烈な争いがあったわけでもなく、起伏のないレース。順位の変動もあまりないまま、龍園が1位、俺が3位でゴールした。
俺は少し息を整えている中、龍園は涼しい顔をしている。身体能力に開きがある証拠か。
「ふう……木下の具合はどうだ?」
「あ?……はっ、誰かと思えば、船の上で鈴音といた金魚の糞じゃねえか」
俺が誰かを思い出したらしい。
「なんだ、謝罪する気になったのか?」
「謝罪?なんで俺が。俺はただ木下の様子を聞いただけだ。で、どうなんだよ」
「すぐに分かるだろうさ。鈴音に覚悟しとけっつっとけ」
「……?」
最後に妙な言葉を残し、龍園はその場を立ち去った。
……まあ、これでも十分か。
俺は一瞬龍園の方を振り向いた後、逆方向にあるDクラスのテントへと戻った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
昼飯の時間。ランチタイム。
なんでも、昼食は無料で食べられる高級弁当が敷地外から取り寄せられているらしく、ほぼ全生徒が慌ただしく受け取り場所まで走って行った。俺もそれを利用するが、流石にあの人混みの中に飛び込む勇気はないので少し落ち着いてから行くことにした。
その間に、俺は綾小路から話を聞く。
「綾小路、堀北に何言ったんだ」
さっき2人は長めに話していた。そしてそのあと、堀北はテントを飛び出していった。こいつが何か吹き込んだんだろう。
「別に、気にするほどのことは言ってない」
「じゃあ、あいつは今何してるんだ。須藤か?」
「だといいんだけどな」
なるほど……大体分かった。触発したのか。
「お前も飯は取り寄せの弁当食べるのか?」
綾小路が話題を切り替える。
「ああ。人混みが緩和されてから取りに行くつもりだ。……そろそろいいかもな」
弁当が用意されている方を見てみると、さっきよりは少なくなっている印象だ。
「じゃあ、取りに行ってくる」
「ああ」
手短な会話を終えて、弁当求めて三千里。いや遠すぎか。大体0.05里くらい。メートルにして200m。
こういった単位の計算は非常にめんどくさいことが珍しくない。海外のニュース映像が流れた時に、天気予報で気温がファーレンハイト温度で「temperature:76」とか表示されて初見だと「はっ!?」とか反応してしまうアレだ。温度表示の統一は割と需要ある気がする。
閑話休題。
俺が到着する頃には混雑はほぼなくなっており、スムーズに弁当を受け取ることができた。
弁当箱を片手にDクラスのテント付近に戻る。
「速野くん。今から昼ごはん?」
そんな時、通りがかった平田に声をかけられた。
「え、ああ、まあ」
「じゃあ、一緒に食べない?みんなで食べた方が美味しいし、速野くんとご飯を一緒に食べる機会は持ててなかったからね」
平田は少し離れたところにいる男女数人のグループを見ながら言う。その中には軽井沢や前園などの女子、それに池、山内、綾小路もいた。平田が声をかけてドッキングしたんだろう。
「……じゃあ、そうする」
断ってもよかったが、このままでは1人寂しく(いつも通りに)食べることになりそうなので、承諾した。
敷かれたブルーシートの上に胡座をかき、弁当をかきこむ。さすが高級弁当ということもあって美味い。普段手作りなので余計に強調されている。
集団の中でも、平田や軽井沢のようによく話す人と俺や綾小路のようにあんまり喋らず飯を食っている人がいて、食べ終わる時間にも差異が出てくる。
俺と綾小路、それに池が食べ終わったところで、平田が話を切り出した。
「龍園くんは、やっぱり動いてきたね」
平田の言う龍園の動きとは、さっきのハチマキのことなのか、それとも……
「それで裏切りものは誰なわけ?洋介くんは知ってるんでしょ?」
軽井沢の言葉で、それが「Dクラスにいる裏切り者」のことだと分かる。
その裏切り者がいつからDクラスを裏切り始めたのかは分からない。だが、少なくともその存在と、そいつがこの体育祭で何かしでかすということは予見していた。
「僕は知らないよ。いくつか分からないことがあるんだ。それを解消してもらえないかな」
平田の口ぶりからすると、綾小路が裏切り者の正体を知っていることを知っているらしい。
軽井沢も知っているという事実を俺はどう受け取ったらいいんだろうか。綾小路と軽井沢の間にもなにかがあることはほぼ間違いないんだが、確信にたどり着くことは叶っていない。
「いずれはそうするつもりだ。だが、今ここで誰が裏切り者かを言うことはできない」
「はあ?なんでよ」
「クラスで混乱が生まれる可能性があるからだ」
本心でそう思ってるとしても不自然ではないが、こいつの場合他に何か目的があると考えた方がしっくりくる。
「ちょっと待った。まずなんでお前知ってんだよ」
「それは話すほどのことでもないさ。偶然のことだったしな」
言うつもりはないらしい。
「分かった。それらについてむやみに聞くことはしないよ。でも、どうしてそのまま提出してしまったんだい?もし気づいてたなら、場合によっては有利にことを運べたかもしれないのに……」
「そうだな」
「なんでそんな他人事みたいな反応なわけ……そんな呑気でいいの?」
言いながら軽井沢は、身近な人間にそれがいるかもしれない、と疑惑の目を向けている。
「裏切り者の道徳心を測ってる、ってとこか」
「は?道徳心?」
想定していなかった言葉に思わず反射的に返してしまった。
「こちらから追い詰めることなく改心してほしい、ってことだよ」
「この話は堀北さんの指示のもと、ってことなんだよね?」
「ああ。そうだ」
なるほど。平田にはそう説明してるのか。信じられてるかどうかは分からないが。
「それで、その堀北さんはどこにいるわけ?」
「……須藤を探しに行ってる、んだっけか?」
綾小路からはそう聞いている。
「そうだといいんだけどな」
「うん。僕らにとっては須藤くんが頼りだ」
そうだ。Dクラスがどれだけ食い下がれるかは、須藤が戻ってくるかどうかにかかっている。
そして、それができるのは堀北のみ。クラスの命運は堀北が握っているといってもいいかもしれない。
これは堀北にとっても、さらに言えば須藤にとってもチャンスである。
堀北がAクラスを目指す上で、片腕をゲットできるかどうか。
須藤のこれからの学校生活がどのようになっていくのか。
まあ、俺がそのことについて気にかけても仕方ない。結局、当人間でなるようになるんだろう。
女子の騎馬戦は描写する必要なかったかも……と思い始めた今日この頃。「原作通りじゃん。つまんね」と思ったら飛ばしてください(後書きで言うことじゃねえ)。私としてはオススメしませんが……たまーにその描写に伏線突っ込んだりするので。伏線なんて立派なものじゃないかもですけど。
感想、評価お待ちしております。
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ep.47
では、どうぞ。
昼飯を終え、午後からは推薦競技が始まる。
今はその一つである借り物競走が行われていた。
俺は推薦競技には一つも出場予定はない。したがって、午後は全て観戦だ。
Dクラス全体の雰囲気としてはあまりよくない。須藤も抜け、堀北も抜けた。まあ、堀北に関してはあの足の様子だといても戦力になるかどうかはさておき、少なくともDクラスではトップクラスの身体能力を持つ二人が抜けたことで、強烈な敗北ムードが漂っていた。
……あまり良い居心地じゃないな。
元からDクラスでの俺の肩身は広くない。俺はDクラスのテントから少し距離を取った。
そしてそのタイミングで、ある人物がこちらに向かって走ってきた。
「速野くんっ。端末持ってない?」
赤いハチマキを巻いた藤野だ。少し急いでいる様子だった。
「端末?」
「借り物競争で男子の端末が必要なの!ほかの人にあたってみたけど誰も持ってなくて、そういえば速野くんは持ってくるって言ってたの思い出したから!」
「あー……」
そういえば電話でそんなこと言ったな。
まあ、体育祭会場に端末持ってくるやつなんて普通いないわな。俺はひとまずポケットから端末を取り出して藤野に手渡す。
「ありがと!終わったら返すね!」
「ああ」
そう言って、藤野はゴールへと全力疾走。様子を見ている限り1位でゴールしたようだ。
にしても、クラスのテントから離れておいて正解だったかもな。今この状況で他クラスのやつに協力したなんてなったら俺は袋叩きにあっていただろう。平田は止めてくれるかもしれないが。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
体育祭も終了の時間が近づいてきた。
結局Dクラスは推薦競技でも良い成績を残すことができなかった。公開されているのは組のポイントだけで、クラスごとのポイントの詳細は明かされていないが、Dクラスが最下位だということは分かる。それほどボロボロだったと思ってくれたら良い。
平田は須藤と堀北の穴を埋める代役のために30万ものポイントを出していた。船上試験で平田のグループが50万、櫛田は100万を獲得したとはいえ、小さくない支出だ。それでもクラスや仲間のためなら、と躊躇わずに実行できるのが平田という人間なんだろう。
俺がポイントを多く所持していることは平田には今のところ知られていないから、俺は出すに出せなかった。この場に堀北がいたら咎められていたかもしれないが。
そんなことを考えていたとき、向こうの方から声がした。
「悪い!遅くなった!今どうなってる!?」
それはDクラスのエース、須藤だった。後から少し遅れて堀北もこちらに向かってくる。
「戻ってきてくれたんだね」
「……悪い。ちょっとウンコが長引いた」
今までの須藤とは持っている雰囲気が少し違っているように感じる。どこか晴れ晴れとした感じだ。
だが、須藤に向けられる表情は歓迎とは程遠い。
「まず謝らせてくれ。俺がキレたせいで平田を殴っちまったし、クラスの雰囲気も壊した。今ピンチなのも俺の責任だ」
そう言って、須藤は深々と頭を下げた。
正直驚いた。須藤がこんな行動に出るとは、誰もが想像していなかっただろう。
「んだよ健。らしくねえな」
「間違ってたもんは認めねーとな。お前にも謝らせてくれ寛治」
事あるごとにヘッドロックを決めていた須藤は何処へやら。池にも素直に謝っている。
「別に負けてんのはお前のせいじゃねーし。俺も運動あんまできねえしさ……役に立てなくてごめんな」
そんな須藤をみた池もみんなも徐々に寛容的な態度になっていく。
「リレーの代役がまだ決まってねえなら、俺に走らせてくれ」
「もちろんだよ。君以外に適任はいない」
こちらとしても、須藤が走ってくれるなら拒否する理由はない。
「私は代走をお願いしてもいいかしら……この足では満足な結果は残せそうにないわ」
「いいのかよ堀北。お前、このリレーのために頑張ってきたようなもんだろ」
実は堀北は、このリレーでアンカーを志望していた。
それは、アンカーを走るであろう堀北の兄、堀北学と少しの間でも同じ空間にいたいという堀北の願望だった。
「仕方がないわ。この状態では……ごめんなさい」
須藤に続き、堀北も頭を下げた。
今までで一番素直になってるんじゃないだろうか。
この体育祭で、堀北はとことん叩き潰されたはずだ。それが堀北の成長に繋がった。そういうことなんだろう。
結局堀北の代役には櫛田が立つことになった。これで平田、須藤、三宅、前園、小野寺、櫛田の6人が代表になることが決まる。
そんな時、平田が口を開いた。
「あの、急で悪いんだけど、実は僕……」
しかし、それと同時に三宅が口を開いた。
「待ってくれ。悪いんだけど……俺も代役を頼めないか?実は午前中の200m走で足捻ってさ……少し経てば治ると思ったんだけど、まだ痛むんだ」
そういえば、さっき見たときに歩き方に若干の違和感があったようにも思える。あれはそういうことだったのか。
だが、こうなると男子からも1人、代役を立てる必要がある。
「なあ、俺が走ってもいいか?もちろん、代役のポイントは俺が出す」
そんな声をあげたのは、綾小路だった。
周りは、今まであまり目立たなかった綾小路が声をあげたことに驚いている。俺自身も驚いていたが、俺の場合は驚くところが少し違った。
なんで今になって名乗りを上げたのか。全くもって理解できない。
「僕は賛成だよ。今までみんなを見てきたけど、きちんと結果を出してくれる人だと思う」
平田のそんな言葉で、クラスの所々から出ていた反対意見がすぼんでいく。
さっきから平田の様子も少し気になるな。あのとき龍園に言った「面白いもの」がこれなら、もしかしたら綾小路がリレーに出るところまで予定調和だったのかもしれない。さっき何か言いかけてたのが、自分が怪我をしたと言って綾小路に譲ろうとしてたんだとしたら説明がつく。
イマイチ目的は掴めないが。
「Dクラスはベストメンバーじゃないから、先行逃げ切りの作戦はどうかな。最初に内側のコーナーを取れるのはプラスだと思う。須藤くんがとにかくリードを作って、後ろの人たちに託すんだ」
「……ま、しょうがねえな。勝つにはそれしかねえだろうし」
スターターが須藤、2番手に平田。3、4、5に前園、小野寺、櫛田の女子3人を置き、アンカーに綾小路を配置することに決まった。
各クラスの精鋭たちがグラウンドに集まる。その中には柴田や一之瀬、藤野の姿も確認できた。それに加えて生徒会長の堀北学、次期会長候補らしい南雲雅もいる。
だが、一番のダークホースは綾小路。あいつの本気の走りを見たことがあるわけではないが、運動神経の良さの片鱗を俺と堀北兄、それに堀北は見たことがある。
「……少しいいかしら」
レース展開を予想していたところ、まだ少し不自然な歩き方をした堀北に声をかけられた。
「なんだ」
聞き返すものの、どうにも歯切れが悪い。何かを言おうとしては、再び口を閉ざしてしまう。
それが数回繰り返された後、意を決したように口を開いた。
「……恥を承知で頼みたいことがあるの」
「……」
プライドの高い堀北がこんな頼み方をするとは思わなかった。さっきから少し調子狂うんだが。
「……なんだよ」
「……あなたに借金を頼みたいのよ」
「待て待て。何があった?」
経緯を説明してくれなければ、軽々しく借金なんて受けることはできない。
「……全ては私の無力さが原因。そこはしっかり理解しているわ。昼食時間、私がここを離れたのは気づいていたかしら。そのとき、櫛田さんに保健室に呼ばれたのよ。そこには龍園くんと、怪我をした木下さんがいた。向こうはこの問題を掘り返されたくなかったら、土下座して100万ポイントを支払えと言ってきたわ。……これが私が借金をする目的よ。もちろん、この分は時間をかけてでもしっかり返すわ。あなたが望むのなら、利子をつけてもいい」
ふーん、なるほど。接触は昼休みだったか。
「……もう他に策はないのか?」
「あったらあなたに借金なんてしないわ。向こうが切り出してきた条件だもの」
こちらからポイントを支払った形跡があれば、向こうがこの問題を掘り返してきたことこそが問題になる。
もし櫛田とこいつの仲が良ければ、船上試験で巨額のポイントを手にした櫛田から借りるんだろうが、無理だ。色々問題がありすぎる。主に櫛田の側に、だが。堀北に非があるとすれば、相手の作戦にまんまとハマってしまったことだろう。
これを掘り返されると、Dクラスとしても面倒だ。
だが、ひとつ確認しておかなければならないことがある。
「……これから龍園と戦う覚悟はできたのか?」
「……ええ。もちろんよ」
周りを見下してきた今までとは違う、決意を持ったと感じ取ることができる目。
それで、俺も決めた。
「分かった。貸してやる。貸し出しの金額は30万。完済し切るまでの月末ごとに俺に100ポイントを払う。これが条件だ」
「……分かったわ。あなたにしては随分甘いのね」
「そうか?」
「ええ」
まあ、たしかに甘いかもしれない。卒業まで返さなかったとしても、こいつが払わないといけないポイントは3000ポイントにも満たない。
だが、別に構わないのだ。堀北はそれを払うことなく返済を終えるのだから。1ヶ月ごとや1年ごとにどれだけ法外な利子を設定したところで関係ない。
「別にこれでいいんだよ。卒業まで返済持ち越されたらかなわないしな」
「……ありがとう」
「……」
それだけ言って、堀北は元いた場所に戻っていった。
だから調子狂うんだっつの。
俺は再び、リレーの出場者が並ぶトラックへと目を向ける。
そしてついにスタート。須藤はその初動から他の追随を許さないスピードで走る。
「はっや!!」
各所から須藤のスピードに感嘆の声が聞こえてくる。
初めに飛び出した須藤は内側を獲得。2年3年も速いが、後ろは混戦しているお陰で須藤はさらにリードを大きく広げた。
そして平田にバトンが渡る。手堅い足の速さを持つ平田は、須藤が作ったリードをキープしたまま3番手にバトンパス。だが、問題はここからだ。女子が続くDクラスのこの順番だと、順位ダウンは免れないだろう。
案の定、前園が走り出す段階で2年Aクラスに抜かれ、その後も後続が追い抜いていく。櫛田にまわる段階で、Dクラスは7位にまでなってしまった。
しかし、ここで異常事態が発生した。3位でバトンを受け取った堀北兄が、なぜかその場に留まって走り出さないのだ。
「……何やってるんだ?」
前にもこれと似たような状況があったのを思い出す。あれは確か入学して間もないころ、部活動説明会の時だったか。全員が押し黙るまで、生徒会長が一言も発さなかった。
しかし、直後にそのカラクリが明らかになる。綾小路が櫛田からバトンを受け取ると同時に、堀北兄も走り出した。
お互いに全速力。驚異的な速さを見せる2人に、周囲からは歓声が湧き上がる。速さは須藤と同じか、それ以上。
ものすごい速さで、前を走っていた走者を置き去りにしていく。
ここで2人ともトップスピード。レースはさらに加速していった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
走り終えた綾小路に好奇の視線が向けられる。
結果から言うと、綾小路は堀北兄に敗北した。だが、これは2人の驚異的な追い上げに慌てた走者がこけて綾小路の進路を塞いでしまうという不確定要素が絡んだもの。それがなければどうなっていたか分からない。
来年以降の体育祭がどうなるかは知らないが、その時は綾小路は初めから本気で挑んでくると思っていいんだろうか。
レースの結果自体はそれほど重要ではない。着目すべきは、これで綾小路に注目が集まったということだ。
とまれこうまれ、これで体育祭の全日程が終了した。
得点が開示され、各クラスの順位が明らかになる。俺たちは他学年の順位には目もくれず、1年だけに注目した。
1位 1年Bクラス
2位 1年Cクラス
3位 1年Aクラス
4位 1年Dクラス
「うわ!やっぱ俺ら最下位かよ!」
予想通りの順位。唯一の救いは、赤組白組の対決は赤組が制したということくらいだろう。これによってCクラスもDクラスもマイナス100ポイントとなり、差は開きも縮みもしなかった。1年は全クラス後退だ。圧倒的大差をつけて勝利した2、3年のAクラスには感謝しないといけないかもしれない。
また、須藤が狙っていた学年別最優秀賞には柴田が選ばれた。やはり欠場が響いたか。須藤はとても悔しそうにしていた。
「須藤くん、約束は覚えているわよね?」
「……ああ。分かってるさ。これからは堀北って呼ぶ」
「いい心がけね。……そう、一つ思い出したことがあるわ。あの時、私はあなたに一方的に要求を突きつけられただけで、私は何も言っていなかったことを」
「は?なんだよそれ」
「あなたが目標を達成できなかった時の要求を、私がする権利はあるはずよ」
「まあ、そうだけどよ……」
「要求は……そうね。今後金輪際、正当な理由なく他人に暴力を振るうことを禁止する。クラス関係なく、ね。約束できるかしら」
「……ああ、罰ってやつだろ。守るさ」
堀北の言葉にも大人しく従う須藤。
今回一番成長したのはこの2人かもしれない。
「……そうだわ。今回、私はあなたのように結果を残せなかった」
「あ?怪我したんだからしゃーねえだろ」
「でも、私自身を許すことができないの。だから自分にも罰を与える。あなたが呼びたいのなら、私を下の名前で呼ぶことを許可しても構わない」
堀北のそんな言葉を聞いた須藤は驚愕の表情を浮かべる。
「は?お、おい……」
「これが私の罰」
そう言うと、堀北は須藤から視線を外して後ろを向く。
「最下位だったけれど、お陰でこれからの戦いに希望が持てた。感謝しているわ」
「お、おう……」
須藤は、少し照れ臭そうに鼻の下を擦りながら、グラウンドを立ち去る堀北の姿を見つめている。
「うおおおおおおおおおっしゃああああああああああああああ!!!」
勢いよく腕を振り上げた須藤の大絶叫が、体育祭の余韻の残るグラウンドに響いた。
「よかったな須藤」
「おう!」
「盛り上がってるところ悪いんだけど、ちょっといい?」
そんな中、1人の静かそうな雰囲気を持つ女子が綾小路に声をかけていた。
見たことがある。船上試験で俺や堀北と同じグループIになったAクラスの人間だ。確か名前は……神室真澄といったか。
「着替えた後でいいんだけど付き合ってもらえる?」
「……なんでオレが?」
「話があるから。5時になったら玄関に来て」
「お、おいおい、なんだよ、どういう展開だよ綾小路!?」
須藤が言外に示しているのは告白の可能性だろうが、もしそうだとしたら、その相手にこんなにうんざりしたような態度で接してくるだろうか。
「おい、話って……」
綾小路が質問しようとするが、神室はそれには反応すらせずにその場を立ち去ってしまった。
「なんだよ、お前にも春が来たのかよ」
「そんな風には見えなかったが……」
「いや、最後の走りを見て一目惚れしたやつがいてもおかしくはないぜ」
「参ったな……」
なんとも青春っぽい会話をしながら着替えに戻っていく綾小路と須藤を見ながら、俺はその場にとどまる。
グラウンドには、片付けをしているスタッフ以外はほぼ誰もいない。
いるとすれば、俺。そして……
「お疲れさま。速野くん」
その後ろにいる、藤野だけだ。
「端末返そうかなと思って」
「ああ、助かる」
「はい」
藤野が手渡してきた端末を受け取り、ポケットの中に入れる。
すると、藤野が思い出したように聞いてきた。
「そういえばさ、なんで速野くん端末持ってたの?男の子は殆どの人が教室に置いてきてたのに」
「まあ、そうだろうな……」
競技中に携帯触る馬鹿はいないだろうし、紛失の可能性も高まる。女子なら思い出づくりのために持ってくる人も割といそうだが、男子は女子に比べそこらへんが無頓着だ。
「ちょっと撮りたいもんがあってな」
「あれ、もしかして写真好き?」
「いや、全く違うけど。まあ目的物は撮れたよ」
「?そうなんだ……」
藤野はまだ腑に落ちていない様子だ。協力関係がある以上いずれは話すだろうが、壁に耳あり障子に目ありというし、今ここで話す必要はないだろう。それに、Aクラスとは直接の関係はない。
「じゃあ、俺は戻るけど」
「あ、待って待って」
頭に巻いていたハチマキを外しながらロッカーに戻ろうとするが、腕を掴まれ止められてしまう。
「なに」
「折角速野くんが携帯持ってるからさ、一緒に写真撮ろうよ」
「写真?」
「うん」
ニコニコしながら手を広げてくる藤野。携帯貸してという意味だろう。
……まあいいか。
俺は承諾して頷きながら、端末のカメラアプリを開いて手渡す。
「ありがと。じゃあ行くよ?」
「あ、ああ」
インカメラモードで、こちら側の映像が反転した状態で映し出される。藤野の顔が近い近い。あと俺の肩に髪の毛当たってる。いいのかこれ。そんな感じで頭が錯乱状態のまま、藤野の親指によってシャッターが切られた。
あー……なんかどっと疲れた。自分の携帯を持つようになってから人と写真を撮ったことなんてなかったから知らなかったが、写真1枚撮るのってこんなに疲れるのか……
「ん、撮れたよー」
「お、おう……」
ようやくこれで緊張の瞬間が終わるかと思ったが、あろうことか、藤野は撮った写真を俺にも見せるためにさらに密着してきてしまった。こ、今度は胸が……主張のめっちゃ強い胸が……ちょっと当たってるんだが……気づいてないのか?こりゃ気づいてなさそうだな。
ようやく離れてくれて、上がりきった心拍数が落ち着きを取り戻す。
「あとで私にも送ってくれない?」
「分かった」
藤野から手渡された端末をポケットに仕舞い、俺はロッカーに向かって歩き出した。
「途中まで一緒に戻ろうよ」
「ん、ああ、いいけど」
藤野が俺の隣に並んで歩いてくる。一応の配慮として少しだけ歩幅を縮めた。
体育祭で撮れる写真は酷いものだけかと思っていたが、最後にいい思い出ができただけ喜んでおくべきだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その40分ほど後。高度育成高等学校のある廊下には、速野から30万ポイントを譲ってもらった堀北と、櫛田、龍園の3人がいた。
櫛田、といっても、それは普段Dクラスで見せている善意の塊のような姿ではない。自らの過去の汚点を消すために、その一端でも知る者は排除しようとする凶悪な姿だった。そしてそのために龍園と手を組み、Dクラスの体育祭の参加リストのすべてをCクラスに流した。
体育祭でボロボロにやられ、会話の内容を録音するという最後の抵抗も龍園に看破され、打てる手を全て失った堀北は、今まさに櫛田と龍園の前に跪こうとしていた。
その時、この場には似合わない、ピロリンという電子音が立て続けに2回鳴り響いた。
一つは龍園の携帯。もう一つは櫛田の携帯。
龍園は特に何かあるとは思っていなかっただろう。ただ気になったから画面に目を向けただけ。しかしその瞬間、それまで不気味な笑みが浮かんでいた表情から余裕が消える。
『今からDクラス、そして鈴音を潰す策を授けてやる。木下、お前が鈴音に接触して転ばせろ。なんでもいいから転倒するんだよ。そのあと俺がお前に怪我を負わせて鈴音から金をぶんどってやる』
そんな録音データだった。
龍園の表情の変化を見て何かを予感した櫛田も、携帯の画面を見る。もちろん、メールの差出人は不明。
『りゅ、龍園くん、私、やっぱり……』
『おいおい、50万やるっつったら承諾したのはお前だぜ木下。安心しろ。すぐに終わらせてやんよ』
『ぎゃあああああああああああ!!!』
少々グロテスクな映像に、櫛田は思わず画面から目を逸らした。その映像は、人気のない校舎で、龍園が木下の足を踏み潰しているものだった。
「……なるほど。なるほどなるほど。なるほどなあ。クク、面白え。これがどういうことかわかるか?裏切り者はCクラスにもいるってことだ。そしてそれを影で操ってるそいつは、桔梗の裏切りも、鈴音が敗れることも全て計算尽くで、お前らだけじゃなく俺も手のひらの上で踊らせてたってことさ!面白え!お前の裏にいるやつは最高だぜ鈴音!」
「ねえ、どういうことなの?」
「利用されたんだよ桔梗。お前の裏切りは最初から予想されてた。じゃなきゃお前にこんな映像送りつけたりしねえよ」
「裏切りを読んでた……?誰にそんなことできるっていうの?もしかして綾小路くん?たしかにあの足の速さは知らなかったし……」
「まあ決めつけはしねえ。鈴音も綾小路も、場合によっちゃ平田すら操れる存在の可能性も考えて、これからじっくりあぶり出すんだよ」
この瞬間、2つの影が堀北の脳裏に浮かんだ。何をしたのかはわからない。でも、あの2人が櫛田と龍園に何か罠を仕掛けた。それだけは確信できた。
と同時に、1つの推測も立った。
あの2人は、私の裏でずっと前から高次元のやり取りをしているのかもしれない。
「今回はこれで終わりだ。メールに差出人も、これ以上は追求してこねえよ」
「それでいいの?もしこのネタでゆすられたら……」
「そうするつもりならもっと後で出す。土下座こそさせそこなったが、目的は半分達成できた。俺としちゃそれで十分だ」
これではまだ証拠として弱い。
築いてきた信頼を崩す可能性があると思わせるためには、もっと強固なものにしなければならない。
あとひとつ。
材料が揃えば、そこが動く時だろう。
はい、原作5巻分が終了しました。今回はあまり大きな動きはなかったですね。いずれ明らかになりますので、この作品を粘って読み続けていただければ幸いです。
ここで少し雑談を。
まあ雑談といっても、今日の朝ハーメルンにいこうとしたら、急にログインIDとパスワード聞かれて答えられず、新しくパスワード発行し直したって言うつまらない事件なんですが。マジでビビりました。
自分の中で、5巻から7巻まではひとまとまりみたいな扱いになっているので、このまま投稿したいと思……っていましたが!原作6巻分に入る前に、ちょっとしたスピンオフ的なものを書こうと思います。
では、これからもどうぞ、この作品をよろしくお願いします。
感想、評価お待ちしております。
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番外編
ep. extra ediction
では、どうぞ。
「いててててててて……」
どうも、体育祭で大した活躍してないくせに全身筋肉痛の速野です。
こうなることは分かっていたので、体のあちこちにあらかじめ買っておいた湿布貼ってるんだが、今のところあんまり効き目がない代わりに部屋に独特のにおいが充満してちょっと臭い。なので、換気のために窓を開けていた。涼しくなってきたからこそできる。
まあ、いずれこの湿布が痛みを吸い取ってくれるだろう。
腕は痛いが、料理くらいはできる。まあ朝飯なので食べるのはパンくらいだが。パンを焼いて、その上にひたすらフライパンで混ぜたいり卵乗っけて食うだけなので合わせて10分もかからずに朝食を終えた。
そういえば中間テストが近い時期だ。周りもそろそろ勉強を始める頃かもしれない。流石に今日は体育祭翌日の振替休日ということもあってあまりいないだろうが。
勉強しようにも、匂いが取れきっていない部屋の中でする気にはなれない。この学校には窓を開けてても侵入してくるような不届き者はいないだろうし、俺は窓を放置したまま図書館へ向かった。
そういえば、須藤や池、山内と櫛田は綾小路の部屋の合鍵を勝手に作って出入りしたことがあるらしいが……大丈夫だよね?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
高1のこの時期になってくると、古典が煩わしく感じてくる。助動詞の活用とか、推量とか伝聞とか、副詞の呼応とか係り結びとか。教科書の巻末に載ってる分はほぼ全部覚えたが、大学入試レベルになると文章の分解もかなりの難度だ。
まあ、古典の基礎から標準の部分は99パーセント暗記だ。応用レベルになるとかなりの読解力も求められるが、それはこれから積み重ねていけば身につくだろう。そのための問題集なわけだし、傾向からして中間テストは今解いている問題集より2、3段階レベルの低い問題になると思うのであまり不安はない。
ひとまず問題をひとつ解き終わり、採点を終えた。点数は7、8割ほど。まあこんなもんだろう。
一息つくために、図書館内にあるコーヒーサーバーへと向かい、ブレンドコーヒーを淹れる。俺は甘いものは割と好きだが、コーヒーには砂糖は入れない。今日はブラックでいい。
席に戻ろうとした時、声をかけられた。
「速野。中間テストの勉強か?」
俺の前に立っている男子。体育祭において二人三脚でペアだった三宅だ。
「まあな。お前もか?」
「一応。部活も休みだし、不安な科目も少なくないからな。できたら教えてくれないか?」
三宅の得手不得手は知らないが、手に国語と世界史の教科書を持っていることからすると苦手科目はこの2つ、というか文系科目か。
「まあ、俺でいいなら」
こうして、俺と三宅の勉強会が始まったのである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「これはここに構文があってな……だからこう読める」
「なるほど……」
今は三宅に古文を教えているが、ちょっとこれは割とまずいレベルかもしれない。池、須藤、山内とまではいかないが、基礎的なところが大きく欠落していると言っていい。
「なあ、前回の期末テスト、国語何点だった?」
「実はかなり危なかった。44点だ」
「本当にギリギリだな……理系は?」
「数学は70点。化学は77点」
ガチガチの理系か……世界史の点数も振るっていないだろうな。
正直なところ、体育祭やる時期間違えたんじゃないかと思う。中間テストまでは残り10日。余裕があるようでない微妙な期間だ。国語に時間を費やせばいい点が期待できるが、それだとそれ以外の科目が疎かになってしまう。
「文系科目は赤点取らない自信あるか?」
「正直ほとんどないんだ。毎回40点から50点の間をうろうろしてる感じだ」
ちょっとまずいなこれは。もし平均点が高い時、その点数だったら赤点もあり得る。といっても、今から本格的な勉強を始めてもタイムオーバーだ。
どうやって危険ゾーンを抜け出させようかと考えていると、1人の女子がこちらに近寄ってくるのが見えた。
「あれ、みやっちと速野くんじゃん。ここで勉強してんの?」
確か……長谷川?いや、長谷部か。みやっちとは三宅のことだろう。
「そうだ。あんまり邪魔しないでくれよ」
「私も混ざっていい?速野くん頭いいし」
みやっち、じゃなくて三宅の話を聞いているのかいないのか、そんな問いを俺にしてくる。
「……まあ、三宅がいいなら」
俺としてはどっちでもよかったので、三宅に選択権を渡した。
「はあ……分かった。静かにやってくれ」
「分かってるってー」
返事からは不安しか感じなかったが、その後30分間、俺への質問以外は長谷部は本当に静かにやっていた。
3人のキリのいいところで一旦休憩を挟む。静かだった雰囲気の糸が切れて、全員リラックスしている。
今ならいいだろうということで、ひとつ気になっていることを長谷部に聞いた。
「長谷部、今まで話したことすらないやつと勉強するのって気まずくないのか」
俺が聞くと、長谷部はうーんと少し考えてから答える。
「そりゃみやっちに比べたら気まずさはあるけど。でも速野くんも私たちと同じでクラスの子と付き合い薄い側じゃない?妙な親近感があるっていうか、とにかくそんな感じなんだよね」
ふむ。特定のグループに属さない、所謂無派閥という共通点からくるシンパシーか。
人付き合いやコミュニケーション能力に関しては、入学時と比べると格段に向上している自覚はある。でなければ三宅とこんなに関わることもない。まだコミュ障の域は脱していないだろうが、中学の頃の俺が見たらたまげるだろう。
それでも、まだ長谷部のいう親近感を理解するには及んでいないらしい。
「速野くんって案外話せるね。もうちょっと暗くて取っ付きにくいイメージあったけど」
「話せるかどうかは置いといて、暗くて取っ付きにくいに関しては自覚がある」
長谷部は割とストレートにものを言うタイプらしい。俺も以前、堀北に「発言をオブラートに包まない」と評されたことがあるが、この点俺と長谷部は少し似ているかもしれない。
「俺が意外なのは長谷部の方だけどな。お前誰かと一緒に勉強するような柄じゃなかっただろ」
この2人が知り合うのにどういった経緯があったかは分からないが、三宅は長谷部のことを結構知っているらしい。
「まあ、それは偶然ってことで。図書館で勉強するつもりで来たら、同じように勉強してるみやっちと、質問したらどんなものでも答え返って来そうな速野くんがいたわけだし。実際返ってきたしね」
なんか俺機械みたいに見られてない?まあでも、いきなりフレンドリーな奴よりは俺としてもそう扱ってくれた方が接しやすい。
さっき俺と長谷部はちょっとだけ似ているかもしれないと言ったが、似ているといえば、俺よりも長谷部と三宅だ。この2人を見ていると色々驚かされる。さっきの30分間、長谷部も三宅も俺に4回ずつ質問してきたが、質問する箇所、内容、解き方全てが酷似している。
「長谷部、前回の期末テスト、国語の点数は44点だったか?」
「え?いや、惜しいけど違うよ。前回は45点。なんで分かったわけ?」
「お前ら2人とも、考え方が相当似てる。三宅からさっき点数聞いたからそれを言ってみただけだ。ちなみに前回、数学は70点前後だっただろ?」
「前後っていうかジャストだけど。ねえ、なんか運命感じないみやっち?」
「感じねえ」
「あ、そ」
恐らくだが、点数だけじゃなく、当たっている箇所や間違い方なんかもほぼほぼ一致しているかもしれない。
これは驚きを通り越して逆に面白いぞ。こんな偶然、なかなか目の当たりにできるものでもない。
「2人はこのあとも勉強するのか?」
柱にかけられている時計を見ながら、三宅が俺と長谷部に聞いた。
「まあ、一応は」
「私は昼ごはんの時間まではやる気だけど」
「なら、席を離してやらないか。俺ら以外に人はいないみたいだし、そっちの方がお互い合ってるだろ」
たしかにそうかもしれない。言った本人の三宅はもちろん、長谷部も1人の方がいいらしいしな。俺は言わずもがな。
「さんせー。んじゃ、私あっちでやるね。質問あったら行くからよろしく」
「はあ……」
言うが早いか、長谷部は広げていた勉強道具一式を持って向こうの机に行ってしまった。
「どうする速野。この席使いたいなら俺がどくけど」
「いやいい。そんだけ広げてると手間だろ」
俺は問題集一冊しか広げていないのに対し、三宅は教科書、ノート、ワークブックなどが机の上にある。俺が移動した方が効率的だ。
こうして、3人はそれぞれ離れた席で勉強を始めた。
やはりというか、2人とも質問する箇所が全く同じだったので少し吹き出しそうになってしまう。
なので、俺はこの中間テスト「だけ」をクリアするための勉強法を教えた。
世界史は、教科書で太字になっているものとそれの説明を覚えるまでノートに書くこと。
現代文は、選択問題に関しては本人達に頑張ってもらい、記述問題については、これじゃないかと思うところを抜き出し問題じゃなくても本文丸写しで書くこと。
古典は、文法問題は捨て去り、出題範囲の本文と現代語訳をとにかく頭に叩き込むこと。
これを10日かけてやれば、平均点には及ばないだろうが、赤点ラインはクリアできると思う。まさに中間テストのため「だけ」の勉強。学習内容はほぼ身につかないので本来はあまりやってはいけない方法だが、本格的にやるには時期が遅すぎた。
だが、勉強に対する姿勢は前向きだし、1学期中間テストの時の須藤、池、山内よりは格段にいい。この2人ならなんとかするだろう。
その後、各々自由に勉強し、3人バラバラで解散した。そしてそれ以来、この3人で集まって勉強するなんてこともなく、テストまでの期間を過ごした。
最近は平田や藤野など、コミュ力がオーバーヒート気味の人といる時間が長かったのでわからなかったが、こういう良い意味で自分勝手な、緊張感ゼロの付き合い方もいいかもしれない。気を使う必要がなく、使わなくても何も言われないし、言わない関係。
まあ、平田や藤野といるときに俺が気を使ってるのかは甚だ疑問だが。特に藤野との場合は、はっきりとした友人ではあるものの、それ以外にも様々な要素があって色々特殊だし、同列に考えない方がいいかもな。
それにそもそもの話、平田や藤野との関わり方に現状文句があるわけでもない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
テスト前日の放課後。今日は食材の買い出しの日だった。
この藤野との買い物の習慣はかなり続いている。テスト前でもそれは例外ではなかった。唯一途絶えたのが夏休み前だが、それも色々事情があってのことだ。
すでに買い物を終え、荷物を持って寮までの道を歩きながら、俺は英語を、藤野は世界史を勉強していた。たまに問題を出し合う。
藤野の出す問題は高難度だ。絶妙なところに引っ掛けが潜んでいたりするため面白い。問題を慎重に聞いてなんとか正解していく。俺も出来るだけ難易度の高いものを出すが、藤野はそれらをことごとく正解する。
問題の出し合いがひと段落して、藤野が口を開く。
「速野くんは、今日は部屋で勉強するんだよね?」
「まあ、そのつもりだけど」
テスト前日ともなれば、今ごろ図書館は人でごった返しているだろう。そんな場所で好き好んで勉強しようとは思わない。自室の方が集中できるし、慣れている。
「私、去年の2学期中間テストの過去問持ってるんだけど、一緒に解かない?もちろん、速野くんが良ければなんだけど……」
「俺の部屋でか?」
「私の部屋でもオッケーだよ」
過去問は非常に有効だが、今回はその過去問と同じような問題が出ることは期待しない方がいいだろう。1学期期末テストは、中間テストの時よりも過去問との類似点が少なかった。
だが、出題形式はほぼ変わらない。演習ができるというなら乗らない手はないか。
「じゃあ頼めるか」
「オッケー。私の部屋、来る?」
「……分かった」
そう返事すると、藤野は頷きながら微笑んだ。
「あ、悪いが一回部屋寄っていいか」
言いながら俺は、手に持っている買い物袋を藤野に示し、部屋に置いておきたいということを言外に暗示した。
「うん、いいよ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
俺の部屋の玄関に買い物袋を置いて、藤野と俺は藤野の部屋に向かう。今すぐに冷蔵、冷凍しないといけないものは買ってないし、大丈夫だろう。
藤野の部屋は12階にあった。エレベーターを降りて背中に着いて行き、部屋に到着。
「ここだよ」
言いながら鍵を開け、俺を招き入れてくれる。
「お邪魔します……」
女子の部屋に入るのは佐倉以来2度目だが、やっぱりちょっと緊張する。空気感が男子とは全く違う。まあ男子の部屋も俺のと綾小路のしか知らないんだけど。それに行き慣れてるのもそれはそれで問題ある気がするし。
「いま過去問持って来るから」
「ああ」
俺の部屋に寄った際、買い物袋と同時にバッグも置いてきたため、手元にあるのは筆箱だけ。それを足の短い丸テーブルに置き、カーペットに座り込んで待っていると、紙の束と、コップ一杯の水を持った藤野が戻ってきた。
それらを手渡しながら藤野が言う。
「はい。解くのそこで大丈夫?」
「お前が机使うんだから、他に場所ないだろ。それに特に不満はない」
「なら、いいんだけど」
受け取った過去問を広げ、早速解き始める。それを見て、藤野も机に向かって問題を見始めた。お互いに無言の状態がしばし続く。
男子が女子の部屋の階に居られる時間は制限されているので、スピードを意識して解いた結果、全て合わせて80分で終わってしまった。背伸びをすると、身体中からゴキゴキゴキ、というものすごい音がする。
その音に反応してか、藤野がこちらを振り向いた。
「すごい音だね……」
「あー、悪い。集中乱したか」
「ううん、ちょうど2科目おわったところだから……え、速野くんもう終わったの?」
テーブルの上の様子から察したらしい藤野は、驚愕の表情を見せる。
「ああ、まあ」
「速いね……」
「スピード重視でやったからな。その分いくつか間違いはあると思うが」
「いや、それにしてもだよ……私も解こうっと」
「落ち着いてな」
「うん」
まあ藤野は俺と違って変なミスを3つもしないだろう。先に丸つけをしておくか。
採点結果。
国語100点。数学100点。英語97点。理科98点。社会98点。合計493点。英語はスペルミス、理科は単位のつけ忘れ、社会は漢字ミスと、ザ・凡ミスのオンパレードである。数学で計算ミスがなかったこと、国語で漏れがなかったことは誇っていいだろう。今回は全部15分から20分ほどで解いたが、明日は見直す時間が30分以上ある。しっかりやれば、取りこぼしも無くすことができる。
……まあ、女子の部屋という緊張のなかでこんだけ取れれば十分だろう。
自分の採点が終わった1時間後、藤野も全科目の回答を終えた。
「んー、やっと終わったー……」
藤野が先ほどの俺と同じように伸びをする。その姿勢は当然、豊満な胸元を強調する形になるわけで。俺は反射的に目を逸らし、すでに全てを終えた過去問に視線を移した。
「速野くん、全部で何点だった?」
丸をつける時にペンから発せられる特有の音とともに藤野が聞いてくる。
「493点」
「高いね……敵わないかも」
ペーパーテストは俺の得意分野だ。これに関しては堀北にも勝ちを譲る気はない。まあ、いまあいつに求められてるのは学力とは別の力なんだけどな。
教室では堀北が須藤に懸命に教え、須藤が必死で理解しようとしている光景を最近よく目にするようになった。体育祭でのアドバンテージもあるし、須藤に関しては多分大丈夫だろう。
そんなことを考えながらぼーっとしていると、赤ペンを机にぱっと放り出して、藤野が言った。
「できた。490点。化学の最後、ちょっと難しくなかった?」
藤野が失点したのはどうやらそこらしい。確かに少し立式が複雑だったかもしれないな。答えは出たが、俺が単位のつけ忘れで失点したのもそこだった。
「今は多分焦ったからだろ。本番で落ち着けば解けないレベルじゃない」
「うーん……早く解けるようになるコツとかってあるの?」
「とにかく演習していろんなパターンを経験しとく、とかか」
通信教材の宣伝に入ってくる漫画なんかで、「あ、これベネ○セで出たやつだ!」とか「あ、これZ○で出たやつだ!」とかいう場面があるのをご存知だろうか。要はあの状況を頑張って作るのだ。勉強は量だけでは伸びない。ただ、量をこなさなければできるようにはならない。高1のガキが当たり前のことを何を偉そうにって感じかもしれないが、今までにやってきた勉強量なら、俺はそこらの受験生とも張り合える自信がある。狂ったようにバスケと勉強だけしかやってなかった時期があるからな。
「やっぱりそれしかないよね……」
「少なくとも俺はそれしか知らない」
他に効率的な方法があるなら是非とも教えてほしい。特に藤野に。
その後、お互いの解き方などを確認して十数分が経過。ふと時計を見ると、時刻は8時40分を過ぎようとしていた。
……ちょっと遅くなったな。
「藤野、これ持ってっていいか?」
「いいよ。どっちもコピーだし」
要るのは国語と社会だけなんだが、それ以外を残していくのも変だし、全部持っていかせてもらおう。
「ちょっと遅くなっちゃったね……」
「まあ、全部解いたしな……」
藤野も1科目30分ほどで解いている計算だから、決してスピードが遅いわけではない。
「じゃあ、解散しよっか」
「ああ。長居して悪かったな」
「そんな。私から誘ったんだもん」
もちろん、こんな時間になることは予想していなかったわけではないが、「こんな夜に女子の部屋にいる」という事実を体感すると、こうも重くのしかかってくるのか。
雰囲気が変になる前に出よう。
「じゃあ」
「うん。また一緒にやろうよ」
言われて、少し考えてみる。
緊張はしたが、心地が悪かったわけではない。そもそも藤野といる時間はそういう感じであることが多い。その時々でどんな感情を抱くにせよ、嫌気が差すとか、帰りたいとかそういった類のものは感じたことがない。流石に初対面のあの状況のときはかなり居心地が悪かったし、帰りたいと思ったが。
「わかった」
「ほんと?ありがとっ。またね」
「ああ」
出て行く直前、軽く手をあげると、ドアが閉まって見えなくなるまで、藤野がこちらに手を振り返してくれた。
この場面を誰かに見られるのはあまり望ましくない。ささっとエレベータホールに移動すると、片方のエレベーターが到着した。
そこから、制服をきた女子生徒が降りてくる。
「あ、速野くんじゃん」
数日前に図書館で一瞬一緒に勉強したクラスメイト、長谷部だった。
「なんでこんな時間に?あ、もしかして彼女?」
「違う」
「なーんだ」
聞いてきた割に超興味なさそう。
まあ、遭遇したのが長谷部だったことは、ラッキーと同時に好機と捉えるべきだろう。見られたのが池や山内だったらまた変に追求されてたかもしれないし。今ここでもう一つの目的も果たせる。
「お前、三宅の連絡先持ってるよな?」
「みやっちの?まあ一応」
「なら、これ、お前に渡すから三宅にも送ってやってくれ」
「?」
一瞬渡されたものが分からなかったようだが、中身を見てすぐに理解する。俺が渡したのはさっき藤野から譲り受けた過去問のうち、国語と社会の問題だった。
「あったんだ。助かるよー。みやっちにも送っとくね」
「ああ、頼む」
そこでちょうどエレベーターが到着し、長谷部と別れることにする。
「じゃあねー」
「ああ。明日な」
それだけ言い残し、長谷部はその場を立ち去る。俺もエレベーターに乗り込んでやり取りを終えた。
とりあえず、是非とも赤点は回避してほしいものだ。
原作を読んでいる方なら、私がこの話をいれた目的が見え見えだと思います。
引き続き原作6巻分に入っていきますので、よろしくお願いします。
感想、評価お待ちしております。
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第6巻
ep.48
では、どうぞ。
体育祭と中間テストを終え、着用が義務付けられたブレザーの存在がだんだんとありがたく感じ始める時期になった。
とはいえ、まだまだ寒さは本格的ではなく、今現在のように全校生徒が体育館に集まると空気がこもりがちになって心地が良くない。
そんな空気感の中、目の前の壇上では現生徒会から次期生徒会への引き継ぎ式が行われていた。
壇上の生徒会役員たちの中には、俺が知っている一之瀬の姿もある。
「現」会長である堀北兄からの簡素で義務的な挨拶を終え、次に「次期」生徒会長に既定路線で当選した南雲雅からの挨拶だ。
生徒会長が切り替わるのは厳密にいうといつなのかは知らないが、いちいち定義づけるのも面倒なので俺の脳内では次から変えることにします。
ポチッとな(切り替えるスイッチ)。
「現」生徒会長の南雲先輩が壇上に登り、挨拶を始める。
「改めまして、自己紹介をさせていただきます。この度、高度育成高等学校の生徒会長に就任することになりました、南雲雅です。これからどうぞよろしくお願いします」
そう言って頭を下げると、中規模の拍手が起こる。それは、特に2年生の方から大きく聞こえてきた。
頭を上げる。すると、纏っている雰囲気が一変した。
「早めではありますが、皆さんに私が掲げる公約を周知させていただきます」
先ほどまで見せていた控えめな姿勢ではなく、自らの公約を訴える姿には凄みがある。
その公約は、革新的なものだった。
会長を含めた全生徒会役員は、任期を在学中無期限とすること。
生徒会選挙制度と人数制限を撤廃し、いつ何時でも受け入れられる体制を作ること。勿論、除名の規約も作ること。
「ここで宣言させていただきます。私は生徒会長としての活動を通して……これまで生徒会が守ってきた、こうあるべきという学校の姿を壊していくつもりです。近々大革命を起こすと約束します。実力のある生徒はとことん上に。反対に、実力のない生徒はとことん下に。この学校を真の実力主義の学校に変えていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします」
力強い宣言に、体育館はしんと静まりかえる。しかし直後、やはり2年生の方から拍手喝采が巻き起こり、反対に3年生の方にはあまり元気がない。
上級生同士でも、色々とせめぎ合いがあったんだろう。
「現」会長の言う大革命が成功したら、綾小路には色々と生きづらい学校になるかもしれないな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
10月中旬。
Dクラスの教室内には緊張の糸が張り詰めていた。
といっても、1学期中間テストのような世界が終わりそうな空気ではない。程よい緊張感。2学期の中間テストともなれば、Dクラス全体として成長したということだろう。
俺たちは、その2学期中間テストの結果の発表を待っていた。
「揃いもそろって真剣な顔つきだな。だが、赤点を取った者には覚悟を決めてもらうぞ。では、点数を発表する」
例によって、茶柱先生が黒板に全員の点数を貼り出す。
「全教科平均して40点以上がボーダーと思ってもらって結構だ。だが、この点数には体育祭での活躍で得た点数も加算されている。結果として満点を超えた者もいたが、100点として扱っている」
体育祭で点数が加算されたのは須藤や三宅など。逆に外村は、学年ワースト10の1人となってしまったので点数が引かれている。
ちなみに俺は全部ポイントを選んだ。個人競技では2位が3回、3位が1回だったので、合わせてちょうど1万ポイント。
点数が貼り出され、全員のテスト結果が白日のもとにさらされる。
「うわっ!まじかよ!」
貼り出される表は、点数の高い順に並んでいる。その一番下にあったのは、山内春樹の名前。その横にその点数。幸いなことに赤点のラインは上回っているものの、すれすれだ。
その上に池、井の頭、外村と続いていく。
恐らくこの教室のほとんどは、須藤が最下位だと踏んでいただろう。
しかし、須藤の名前が載っていたのは下から12番目。
「一気に自己記録更新!平均60までもあとすこしだぜ!」
「その点数で騒がない。今回は体育祭で稼いだ分もあるのだから。みっともないわよ」
「お、おう……」
騒ぐ須藤を一瞬で落ち着ける堀北。既に調教済みかよ。怖い。
堀北は休み返上で須藤に教えていたと聞く。その効果は抜群だったようだ。
ちなみに余談だが、三宅は16位、長谷部は17位と試験をクリア。苦手な文系科目でも、得点率は50パーセントほど取っていた。
「見ての通り、赤点による退学者はゼロだ。無難に乗り越えたな」
言いながら腕を組み、教室全体を見渡す茶柱先生。
「私が着任して過去3年間、この時期までにDクラスから退学者が出なかった年はなかった。よくやった」
普段茶柱先生が生徒を褒めるなんてことは滅多にない。その意外さから、数人の生徒はむず痒そうにしていた。
しかし同時に、茶柱先生(この学校の場合茶柱先生に限らずだが)はこれで終わる人ではないということを、わずか7ヶ月ほどの学校生活でいたいほど理解している。
案の定、何か話に続きがあるのか、教壇を降りて教室全体を歩き回る。そして平田の横で足を止めた。
「平田。この学校には慣れたか?」
「はい。設備には文句のつけようがありませんし、友達もたくさんできて、充実した学校生活が送れています」
「一度のミスで身を滅ぼすかもしれないリスクに不安は感じないか?」
「その都度、全員で乗り切っていくつもりです」
クラスの優等生、リーダーとして100点満点の回答だ。
茶柱先生は教壇に戻る。仕切り直し、とでも言いたげに、「さて」と言ってから連絡事項を告げ始める。
「お前たちも分かっていると思うが、来週、期末テストへ向けて8科目の問題が出される小テストを実施する」
「げ、中間終わったばっかりなのに!?」
勉強が不得意な池が頭を抱える。
「嘆きたくなるのもわかるが安心しろ。まず小テストは全100問の100点満点だが、その全てが中学レベルの問題だ。要は基礎の習得状況を確認する試験。0点だろうと100点だろうと取って構わない」
「おお!まじすか!」
安直な反応を示す山内に、「だが」と釘をさすように続けた。
「これが期末テストに大きく影響を及ぼすことも同時に伝えておく」
「影響?なんだよそれ。もっと分かりやすく言ってくれ」
須藤が言う。茶柱先生、いや、どちらかといえば学校全体のクセだろう。直接は言わず、遠回しな言い方で暗示し生徒にヒントを与える。
「お前に分かるよう説明できるといいんだがな須藤。まず前提として、その小テストの結果に基づいて、クラス内の誰かと2人1組のペアを組んでもらう」
「ペア、ですか?」
想定外の言葉に平田が疑問を呈する。
噛み砕くと、次のような内容だった。
・試験は8科目の各100点満点。
・ペア合計で、各科目60点以上取れていなければ赤点となり、ペアの2人は退学。
・ペア合計で、全科目合わせてボーダーを下回れば赤点となり、ペアの2人は退学。例年、ボーダーは700点前後。
・ペア決定の方法は、ペアの発表後に発表する。
「決定後って、最下位と一緒になったら最悪じゃねえか」
「うげ、健に屈辱受けた!絶対次挽回してやる!」
「無理すんなよ。口だけだろお前は」
山内と須藤のそんなやりとりが聞こえてくる。
須藤の動力源は堀北。そしてそれが結果に繋がっていることはさっき証明されたため、須藤の発言は説得力がある。
「そしてもう一つ。お前たちには違う側面からも試験に挑んでもらう」
「違う側面?」
「そうだ。次の期末テストは、通称ペーパーシャッフルとも呼ばれる。これは試験の問題をお前たち自身に作成してもらい、それを3つのクラスのどれかに割り当てるというものだ。問題は各科目50問の、8科目計400問。問題が割り当てられたクラスと、自クラスの総合点を比べ、勝ったクラスが負けたクラスから50ポイントを得る」
その後の説明で、問題を割り当てるクラスは、小テスト直前に指名すること。指名先が被った場合、くじ引きによって調節すること。直接対決の場合は100ポイント移動することなどが付け加えられた。
「てか、滅茶苦茶な引っ掛けとか出されたら無理っすよ俺ら!」
「そこは安心していい。提出する問題は学校で審査することになっている。学習指導要領を超えるなど、悪質な問題はその都度修正が指示されるだろう。それを繰り返すことによって、試験に公正さをもたらす。分かったか?」
「うーん……まあ、なんとか」
その説明を受けた瞬間、俺はノートにシャーペンを走らせ始めた。
「とはいえ、油断できないことはお前たちも理解しているだろう。このペーパーシャッフルでは、毎年1組か2組の退学者を出している。その殆どがDクラスだ。脅しではなく事実だ。以上が小テストと期末テストの説明となる。あとはお前たちで考えることだ」
そう言い残し、茶柱先生は教室を出た。
「作戦会議よ綾小路くん。平田くんたちを呼んできてもらえるかしら」
「了解」
ガタっという椅子の音で、綾小路が席を立ったのがわかる。
「あなたは……既に始めているようね」
「まあ、先に終わらせておいた方が修正もしやすいだろ。1ヶ月の猶予はあるが、悠長にしてる余裕はない」
俺のノートには今の5分で作り上げた2問の地理の問題が書かれていた。
期末試験の8科目は国語、数学、英語、化学、物理、現代社会、世界史、地理。問題作成班の負担は軽くない。
「そうね。中間テストの1位だもの。どうせあなたは問題作成に深く関わることになるわ。そのまま続けて」
「はいはい」
中間テストではきっちり見直し、全部満点を獲得することができた。まあ堀北もそれは同じだが。
学習指導要領を超えない範囲で、且つ出来るだけ難しく。
例えば数学なら、ややっこしい数字にして計算をかなり煩雑にさせれば点数は削れる。だが、露骨すぎると学校側によって恐らく訂正される。証明問題をずらりと並べれば3割解き切らずにタイムオーバーさせることもできそうだが、難解な証明は出題数が限定されるだろう。
だが、初めから妥協するのも得策ではない。だから早いうちから「超難問」と言われるくらいの問題を作成し、学校側に提出してどの程度なら許容されるのかを見極める必要がある。
特にクラス内に爆弾を抱えるDクラスでは。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「遅いんですけど。今まで何やってたわけ」
「すぐに始めるわ。部活がある人もいるでしょうし」
「うわ無視。謝罪もないし」
小言を言う軽井沢。
作戦会議には、二学期最初にも集まった5人、綾小路、堀北、軽井沢、平田、俺に加え、櫛田と須藤が参加していた。
場所は、校舎隣接で生徒からも人気が高いカフェパレット。俺が一人で問題作成の続きをやっているうちに参加者から場所、時間までぜーんぶ決まり、「あ、これ俺いらないパターンかな?」と思って帰宅しようとしたところで堀北に止められた。
「それじゃあ、まずは来週の小テストのことから話しましょうか」
「あまり気にしなくていいんじゃないかな?立て続けの勉強はみんなの負担も大きいだろうし。成績には影響しないとも言ってたしね」
「小テストに関しては、私は無理に勉強させようとは思ってないわ。でも、単に点数を取ること以外に何か意味があるはずよ。茶柱先生の言っていた通り、小テストの結果が期末テストに影響を及ぼしてくる」
「ペアの決定には法則がある、ってことかな?」
小テストの結果に基づいて、と先生は言っていた。つまり、ペアの決定方法には何かしらの規則性がある。堀北はそう言いたいのだろう。
「点数が近い同士でペア、とか?」
「正解不正解が似てるとかもあんじゃね?」
話しについて行っている軽井沢と、若干ついていけずに綾小路に質問しながら険しい顔をしていた須藤が言う。
「どの可能性も否定できないわね」
ここまでの話に少し疑問を感じたのか、平田が堀北に言う。
「ちょっと気になることがあるんだけど、いいかな」
「何かしら。どんな意見でもあると助かるわ」
「法則性の存在がちょっと疑問なんだ。例年同じ試験をやってるなら、上級生に聞けば教えてくれそうだよね。わざわざ学校側が隠すことじゃないと思うんだ」
これまでやってきた特別試験で「上級生に聞く」というカードを切れなかったのは、舞台が無人島や船の上だったからだ。学校にいる今なら、聞くことも可能かもしれない。
櫛田もそれに同調するように頷いた。
「あなたはどう思うかしら」
突如として、堀北から話が振られてしまう。おかげで何か言わないといけない空気になってしまった。勘弁してくれよぉ……
「あー……なんというか、学校側は隠してるんじゃなくて、いう必要がないってことじゃないのか。毎年毎年全クラスが法則性を見抜いて試験受けてるとも考えづらい。なのに、例年退学者が1組か2組しかいないんだろ」
「え?それっておかしくない?」
俺の発言に軽井沢が反応を示した。
「話が見えてきたよ。つまり、法則性を見抜けなくても、大量の退学者が出るような深刻な影響は出ないようになっている、ってことかな」
「正解よ」
「だめだわかんねえ。どういうことだ?」
ついに須藤がギブアップ。俺に顔を向けて説明を求めてきた。
「もし法則性があるとして、それを見抜けなかったら普通どうなる?」
「そりゃ、やばいだろ」
「退学者はかなりの数になるだろうな。なのに、茶柱先生の説明によれば退学者は1組か2組だ」
「あ?おかしくねーかそれ」
「だから今、その話になってるんだ」
須藤にもご理解いただけたようだ。
「平田くんの言う通り、法則性を見抜けなくても深刻な影響は出ない。そう考えると……ペアの法則は、『高得点者と低得点者から順に組んでいく』。おそらくそれで間違いないわ」
この話し合いを持つ前から堀北はたどり着いていたであろう結論に、いまたどり着いた。そう考えると全ての辻褄が合うし、異論は出ない。
「なるほどね。でもそれって平均点くらいの人が一番危ないんじゃない?」
「そうね。でも、そこは正面から実力をつけてかかる他ないと思うわ」
平均点くらいが危ない、か……あ。
「ちょっといいか」
「何かしら」
「平均点くらいの成績で、得意不得意も被ってたらまずいんじゃないか」
名前を出すことは避けたが、三宅と長谷部。あの2人が組むのはちょっとまずい気もする。軽く笑えるレベルで傾向が似ているのだ。
「……そうね。その配慮も必要になるわ。全員のカバーはおそらく無理でしょうけど、できる限りその組み合わせは避ける。得意科目と不得意科目の確認、お願いできるかしら」
「分かったよ」
「任せて」
こういうのには平田と櫛田が向いている。多分大丈夫だろう。
……いまふたりの名前出さなかったことで、後悔しないといいんだけどな。
「それが確認できたら、私たちは次の段階に行くことができるわ。指名するクラスだけれど、狙うべきはCクラスよ」
俺の心配をよそに、話し合いは次のフェーズに移行していった。
「それには賛成だよ。でも、AもBも多分そこをついてくる。最悪のパターンになることも予想されるんじゃないかな」
AクラスとDクラスの直接対決にでもなったら、かなり厳しい戦いになるだろう。
「でも、やはり無理をする理由はないと思うわ。各クラスにどれほどの学力差があるかはわからないけれど、Cを指名して、くじ引きで争うことになっても他のクラスがCを叩いてくれることに期待しましょう」
まあ、堀北の言う案が堅実だろう。平田のいう可能性を危惧したとしても、それでBクラスを狙って冒険する理由にはならない。
そしておそらく、Aクラスと直接対決することにはならないと思う。
いまAクラスは坂柳の政権下にある。葛城派も潰れたわけじゃないだろうが、かなり弱体化しているだろう。この試験は坂柳が仕切ると考えると、まず間違いなくBクラスを指名してくるだろうからな。
「それにしても……随分と静かね須藤くん。こういうとき、あなたは大体口を挟んでくると思っていたけれど」
「俺が分かるレベルじゃねえし。うるさかったら邪魔だろ?」
須藤のそんな常識的な発言に、堀北は驚きを隠せない。
「んだよ、なんか変だったかよ」
「変じゃなかったから驚いているのよ……なんともいえない気分だわ」
確かにおとなしかったな、須藤。ただ、周りもその反応は結構ひどいと思うんだけど。まあいいか。今までの須藤を見ていれば、途中で話に変に介入して乱されると考えられてても文句は言えないだろう。
「まあ一つ言えんのは、いきなりAになれるわけでもねえし、目の前の相手を一個一個潰してくって考えたらわかりやすいぜ」
「なるほど、そういう面もあるかもしれないね。もし今回Cクラスに勝てれば、僕らは逆転できるかもしれないところまで来てるしね」
そう。現時点でCクラスは492ポイント、Dクラスは312ポイント。もしCクラスと直接対決になって勝利するか、Dクラスがどちらにも勝利し、Cクラスがどちらにも敗北した場合、DクラスはCクラスのポイントを逆転し、クラスが昇格するのだ。
「まじかよ!」
「うん」
「頑張らないとねっ」
もしかしたら平田は、この事実を言うのは終盤にしようと決めていたのかもしれないな。須藤はもちろん、みんなのモチベーションを上げるために。
全員で気合を入れ直し、その場は解散となった。
さて俺も帰るか、とカバンを持って席を立つ瞬間、堀北に声をかけられる。
「速野くん、あとで話があるわ。外で待っててもらえるかしら」
「話?何の?」
「その時に話すわ」
ここで話すつもりはないらしい。俺は首肯するほかなく、言われた通りに外のベンチに座って堀北の到着を待つ。
数分後、店のドアが開き、堀北が出てきた。
「歩きながら話すわ。寄り道はしないでしょう?」
「まあ。まっすぐ帰るつもりだったが」
なんか、入学したての頃にこれと同じようなことがあった気がするな。
少し懐かしいことを思い出していると、堀北が話題を切り出す。
「あなたにいくつか頼みたいことがあるの。その前に、いくつか聞いてもいいかしら?」
「なんだよ」
「あの時……いえ、体育祭であなたは何をしたの?」
……こいつと綾小路がさっきの話し合いに少し遅れてきたのは、その間にこのことを聞いてたのか。
「綾小路は何をしたって言ってたんだ?」
「彼は龍園くんの携帯に、Cクラスの話し合いの録音データを送りつけたそうよ。だとするともう一つの方……足に大怪我を負わせる映像データは、あなたが櫛田さんに送ったものと見ていいのよね?」
なるほど……あいつ「も」か。
「ああ。俺が送った。櫛田が裏切り者ってのは知ってたし、お前のあの転倒も変だとは思ってたからな。龍園にポイントやるのも癪だったし」
俺はポイントが龍園たちの手に移らないようにするために映像を送ったが、綾小路には違う狙いがあるんだろう。
「それで、なんだよ頼みごとって」
「……その前に、一つあなたに話すことがあるわ。これは頼みごとの代わりの情報提供だと思ってもらって構わない。櫛田さんの過去、私が知っていることを話すわ」
「……過去?」
ニュアンスから、この学校に入る以前のこと、ということは分かるが。
「……なんでお前が知ってるんだよ」
「私が櫛田さんと初めて会ったのは、あなたも乗っていたあのバスの中……ではなかったのよ。櫛田さんは私と同じ中学校にいた。非常に特殊な学校だったし、こことは場所も離れているから、同じ中学出身がいるなんて、彼女は考えもしていなかったでしょうね」
「つまりその時に、櫛田がお前を嫌うことになる原因ができたってことか」
「恐らくは、ね。知っていると言っても、私も噂でしか聞いていないことだから、ことの真相は櫛田さん本人にしか分からないわ」
この学校以前に櫛田と接触があったとは。予想外だ。
「私たちの学年が卒業を間近に控えた2月、あるクラスが集団で欠席するという出来事があったのよ。ある女子生徒がもとで、クラスが崩壊するほどの事件が起こった」
「それが櫛田だったのか?」
「恐らくね。けれど、具体的にどのような方法でそんな事態になったのかは分からない。しばらくはいろんな噂が飛び交ったわ。黒板や机は誹謗中傷の嵐だとか。にも関わらず少し時間が経ったら、誰もそのことを話さなくなったのよ」
「学校側の火消しか」
「そう考えた方が自然ね」
櫛田なら、中学の時でも今と同じようにみんなから絶大な信頼を得ていただろう。そんな生徒が学級崩壊の引き金なんて、学校側は隠蔽するに決まっている。
「あなたはどう思う?このことは綾小路くんにも共有したけれど、あの場では『嘘』と『暴力』を駆使して崩壊させた、という話になったわ」
櫛田がクラスを崩壊させた方法か……
「俺も同じような感じだ。ただ、嘘だけを使ったとも思えないな。嘘はいずれ露呈する。机に誹謗中傷が書かれるような事態になるまで、誰も異を唱えないのは不自然だろ」
「……確かにそうね」
覚えのないことであれば否定する。それに、嘘はつけばつくほどに危なっかしさが増す。ついた嘘が一つでも嘘であると見抜かれた場合、他のものに関しても嘘ではないかと疑念が生じる。そうなれば、攻撃力は大幅ダウンだ。
「だから、ついた嘘を信じ込ませる何かがあった、と考えられるんだが、それが何かはさっぱりだ」
1クラス分もの大人数を崩壊させようなんて、考えたことあるわけがない。
「やはりしっくりくる結論は出ないわね……」
はっきりさせたければ、櫛田に聞くしかない。だが現状、そんなことできるはずがない。
「体育祭直後のやり取りのとき、彼女は私にはっきり告げたわ。どんな手を使っても、私をこの学校から追い出すと。過去を知る人間は絶対に排除するとね」
「……つまり、俺はそこに巻き込まれちまったわけだな?」
「そうなるわね。でも、あなたに責任を負わせないよう努力する。もちろん綾小路くんにもね。これはあくまで私と彼女の問題だもの。きちんと向き合って対話し、片付けなければいけないわ。これからDクラスが上に上がっていくためにも」
対話、か。
さっきは須藤に驚いたが、堀北の口から対話なんて言葉が出るのも十分驚きに値する。こいつなりに考えることがあったんだろう。
「そうか。なら俺は櫛田とお前のやり取りには口を出さない」
「そうしてもらえると助かるわ」
その後堀北の頼みごとを聞いた。簡単に言えば、期末テストの問題づくりを手伝って欲しいとのこと。俺に情報提供した理由がわかった。大変になりそうだな。
その後寮のエレベーターで堀北と別れ、部屋に戻った俺は早速問題づくりの続きに取りかかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
櫛田がどんな方法でクラスを崩壊させたのかは知らない。
だが、いまの櫛田の目的は単純だと思う。
要は、自分の過去の汚点を知られないこと。それによって、この学校でも前と同じようにみんなから信頼される生徒を演じ、充実した学校生活を送ること。
なら、櫛田の裏切りを止めるにはどうしたらいいか。
答えは簡単。
クラスを裏切ることによっては、櫛田に平穏は訪れ得ないということを示せばいいのだ。
主人公が長谷部と三宅がペアになることを危惧しないのは変だと思い、一応指摘させましたが、綾小路グループは結成されます。それまでの過程でかなりのご都合主義があると思いますが、ご了承ください。
それから試験科目の8科目のうち、原作では物理と現社について記述がありませんが、これは作者が勝手に追加しました。
できる限り無駄を省いたつもりですが、どうですかね……?お楽しみいただけたら幸いです。
感想、評価お待ちしております。
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ep.49
では、どうぞ。
2020/12/16、第10巻分との矛盾点を修正しました。申し訳ありません。
6時間目。授業開始のチャイムとともに、茶柱先生は教室を出て行ってしまった。
なんじゃらほいと思っていると、平田、そして俺の右斜め後ろの席の堀北が立ち上がり、教壇へ向かって行く。
「今日のホームルームは、明日の小テストに向けて話し合いをしたいんだ。茶柱先生に許可はもらってある。堀北さん、いいかな?」
平田がみんなの前でそう宣言した。
これまでは、全員の前に立って場を仕切るのは平田の専売特許に等しかったが、そこに堀北も加わった。堀北も、その能力の高さからクラス内での発言力は弱いわけではなかったが、これで名実ともに、という感じだろう。
「……話し合いを始める前に、過ぎたことだけれど一つ謝罪させてほしいの。私は体育祭で不甲斐ない結果を残してしまった。口では強いことを言いながら、結局何も残せなかったことを謝らせて」
そう言って、ゆっくりと頭を下げた。
周りは当然動揺を見せる。堀北なりのケジメというやつなのだろう。
確かに堀北は、体育祭では何も残すことができなかった。どころか、奪われる寸前だった。
しかし代わりに、得たものもある。頭をあげた堀北が、一瞬須藤に目配せしたのを俺は見逃さなかった。
「べ、べつに負けたのは堀北さんだけのせいじゃないし」
「そうだぜ鈴音。なんの役にも立たなかったやつもいるしな」
須藤は近くにいた山内を見ながら言った。
「結果から言うなら、ね。でも、体育祭において私に評価すべき点はほぼゼロ。これに変わりはないわ」
堀北が言っているのは、結果だけじゃなく、そこに至るまでの過程のことだろう。正確に言うと話し合いや練習の段階。自信ありげに前に出ていたにも関わらず、結果はとてもじゃないが褒められたものではなかった。そのことが堀北を謝罪へと突き動かしている。
自らの無力さを自覚し、それを通して成長した姿が、こうして平田とともに前に立っている堀北だ。
「けれど、謝罪は一旦ここで終わり。次の期末試験、クラス全員で協力して全力で挑みたいと思ってるわ」
「それは、そうなんだけどさ。具体的にどうするの?ペアの決め方とかまだ分かってないし……」
「ペアの決定方法はすでに分かったも同然よ。ある程度組み合わせを操作することもできるわ。平田くん」
「うん」
指示を受けた平田が、黒板にペアの決定方法を書き込む。
1位の人と最下位の人、2位の人と最下位から2番目の人、という順にペアが組まれる
「おおー!これが法則か!やったじゃん!」
「いえ、恐らくここまでは少なくない人がたどり着いている結論よ。問題はその次。法則の性質上、法則を見抜けなかったとしても比較的バランスの取れた組み合わせになるけれど、例外は起こりうる。例年、その例外が起こったペアが退学になっているのよ。そこで、今からイレギュラーを排除する方法を説明するわ」
堀北が黒板に10人の名前を記入する。
池、須藤、山内、井の頭、佐藤など、記入された数は合計10名。共通点は勉強が不得意という点だ。
「ここに書かれた10人は、小テストでは名前を書くだけで、あとは白紙で提出すればいいわ」
「それって、わざと0点を取るってこと?」
「ええ。先生は成績に影響はないと強調していたし、0点を取ってもデメリットは生じないわ。あなたたちを確実に上位成績者と組ませるための策よ。逆に成績上位者は絶対に85点以上、できれば90点以上を目指してもらう。それ以外の中間層20名も、基本的に半分ずつで上位下位に振り分け、上位には大体5、6割を、下位には1点を取ってもらう」
それを徹底すれば、ペアバランスがより確実になるだろう。
「ただ、中間層に関しては得意科目不得意科目の要素も絡めて考えるわ。平均点あたりのペアが不得意科目まで被ってしまうと危ないから」
俺が指摘した点もちゃんと反映してくれている。ひとまず安心だ。
平田もそれに同意を示しているため、クラスの誰も反対意見はないようだった。
「あなたもそれで異論はないかしら、高円寺くん」
唯一の特大イレギュラー、高円寺にも確認を取る。
「異論などないさ。愚問だよガール。試験内容も当然把握している」
「では、小テストでは確実に80点以上を取ると踏んでいていいのかしら」
「さあどうだろうねえ。それはテストの内容や難易度次第さ」
「あなたがもし意図的に低い点数を取るようなことがあったら、このシステムそのものが成り立たなくなるわ」
堀北の言う通り、これはクラス全員だからこそ取り組める内容だ。そこからはみ出すことも高円寺ならありうる、と思っても無理はない。
「じっくり検討しておこう、ガール」
適当なセリフを言って、高円寺は自前の手鏡に視線を移した。
それを見た堀北はこれ以上の追求は無駄だと考えたのか、ため息をついて教壇に戻り、補足説明を始めた。
まあ、堀北が懸念してるようなことは多分起きないと思う。小テストで低い点数を取ったところで、高円寺本人には何のメリットもないからだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
つつがなく小テストを終えたDクラス。
対決の構図は、DとC、AとBの直接対決であることはすでに発表されている。理想的な組み合わせだ。
そしてペアは、早くもテスト翌日に知らされた。
「それではこれより、期末テスト、ペーパーシャッフルのペアを発表する」
茶柱先生は小テストの点数が載った結果とともに、ペアが記載されている紙を黒板に貼り付けた。
上から順に目で追っていく。
平田と山内。堀北と須藤。櫛田と池。幸村と井の頭。綾小路と佐藤。
懸念していた長谷部と三宅も上手い具合にばらけ、三宅は佐倉と、長谷部は前園とペアだ。
ちなみに俺は軽井沢と組むことになった。
「高円寺くんも、今回は合わせてくれたようね」
斜め後ろから堀北のそんなつぶやきが聞こえた。
高円寺は沖谷とのペア。しっかりと点数を取った証拠だ。
「まああいつの場合は合わせたというよりいつも通りにって感じじゃないか」
「そうかもしれないわね。でも、上手くいったのは成果の一つよ」
堀北の言う通り。内容云々より、まずはペア結成がうまくいったことを素直に喜んでおこう。
「結果を見るに、お前たちの中にはペアの法則を理解していた者がいたようだな。今更不要だろうが、ペアの法則は点数の高い者と低い者が順に組んでいく、というものだ」
見事に法則を見抜いていた堀北にクラスの視線が集まった。
にしても佐藤と組んでるってことは、綾小路はしっかり点数取ったんだな。
「ここまでは予定通り、か」
「ええ。でも、期末テストで重要なのは高い点数を取ることよ。クラス全体の平均点を高めるために勉強会を開くわ」
そこから議題が勉強会の話に移る。
部活のことも考慮し、放課後に1部と2部に分けるという案が出た。午後4時から6時までの2時間が1部。午後8時から10時までの2時間が2部。教師役は堀北、平田、櫛田で、堀北が1部、平田が2部を担当し、櫛田は両方に参加して中間層に教える役に抜擢された。
「んだよ、鈴音が2部じゃねーのかよ」
そんな不満を漏らしたのは須藤だ。
まあ、堀北がいなくてやる気が出ないのは察するが……
「私がいなくてもしっかりやってもらわなくては困るわ。分かっているわよね?」
「……ああ、分かってんよ。ペアだしな。俺も頑張らねえと」
しっかりコントロールが効いている。
須藤の方は大丈夫そうだが、そうなると問題は池や山内、おしゃべり好きな女子の方が深刻かもあ。
と、堀北には言っておかなければならないことを思い出し、口を開く。
「先に断っておくが、俺に教える役は無理だからな。向いてないのもあるし、それ以上に問題作る時間がない」
「大丈夫よ。教える役についてあなたにかける負担は減らすわ。その代わり、かなりの難易度の問題を期待していいのよね?」
「……やれるだけはやる」
プレッシャーをかけられてしまった。大丈夫かなあ、俺……
まあ、タイムリミットはすぐそこだし、どのみちかなり頑張らないといけないんだが。
「……なあ、提案があるんだが」
「何かしら?珍しいわね、あなたから提案なんて」
「まあな……Bクラスと合同で勉強するのはどうだ?今回は敵対してないし、有効だと思うんだが」
「なるほど……いいかもしれないわね。確か、あなたは一之瀬さんの連絡先持ってたわよね?連絡を取ってくれるかしら」
以前の堀北なら、もしかしたら突っぱねていたかもしれないが、今回はスムーズに提案を受け入れた。
「分かった」
少し安堵感を覚えた俺は、一之瀬にメールを送ってから再び机に向かって問題作成を始めた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして放課後。
俺がさっさと教室を出ようとしていると、出入り口のドア付近で三宅に呼び止められた。
「速野、悪いんだがちょっといいか……?」
「ん、なんだよ」
三宅に案内され、机を見てみるとすぐに用事がわかった。
「この部分なんだが……ちょっと何がどうなってるかさっぱりでな……」
勉強の質問だ。科目は古文。かなりの回数線を引いた跡があり、何回もチャレンジしたことがうかがえる。
なるほど……
俺は解説する前にある行動に出た。
「長谷部、ちょっと」
「え、なに」
少し嫌な顔をされて俺のライフが1個減ったが、一応呼びかけには応じて来てくれた。
「三宅がこの部分わからないっていうから、一応お前にも解説しとこうと思ったんだ。余計なお世話だったら帰ってくれていい」
学力の傾向が笑えてくるくらい酷似している2人だ。片方がわからない問題はもう片方もわからない、なんてことはこの2人の場合ざらにある。
「あーそこ私もわかんなかったんだよね。解答読んでもさっぱり。どうなってるのこれ?」
どうやら長谷部を呼んだのは無駄ではなかったらしい。
ゆっくり丁寧にじっくりコトコト説明していく。一応二人とも合点がいったのか、説明を終えるとうんうん頷いていた。
「一応分かったけど、テスト本番その場で解けっていうのは無理って感じ」
「同意だ」
「解けないと思ったら捨てるのも手だ。後ろの問題の方が簡単だったり、解きやすかったりするのは珍しいことでもないからな」
テストで問題番号順に解け、なんて指示はない。例えばこの国語でも、多くの試験の場合は評論、随筆、古文、漢文という順番で番号がつけられているが、解く順番は様々だろう。
「それはそうなんだけどさー、それも無理なんだよね。この問題見ても、ただ難しいって感じるだけで、どれくらい難しいかはわかんないから捨てようにも捨てられないわけ」
結果時間ロスでタイムオーバー、というパターンか。
「そう考えると、堀北が言ってた得意不得意も考えて分けるっていうのは良かったかもしれないな。お前とペアにでもなってたら詰んでたぞ」
「そうなったら仲良く退学だね」
「そこまで仲良くしたくねえ」
確かに、その点は否めないな。ナイス俺。はっはっは。
と、冗談はここまでにして、一応忠告もしておこう。
「ただ、言っちゃ悪いが安心できるレベルじゃないぞ。大丈夫か?二人とも勉強会には参加しないんだろ?」
「多分ねー。私には向いてないし」
「俺も一人でやるつもりだったが……やっぱりまずいのか?」
三宅の問いに、俺は大いに頷いた。
ただ、長谷部の言う通り人には向いたやり方と向いていないやり方というものがある。向いていないやり方でやってしまうと、苦痛が増すだけで成績はかえって伸び悩んだりするものだ。
「俺個人としては、成績がいいやつが側にいる環境でやった方がいいと思うが、嫌なら無理強いはできないな」
平田や堀北、櫛田を除いて成績優秀で、かつ比較的時間に余裕がある人物か……
「速野は無理なのか」
「速野くんは問題作ってるんじゃなかったっけ。じゃあ無理でしょ」
「ああ。ただ、一人でやるやり方では試験クリアできそうにないと思ったら声をかけてくれ。あてがないこともない」
さっき言った条件に当てはまる人物を2人思いついた。まあ1人は高円寺だから除外するとして、必然的にもう一人に頼んでみることになる。
「あんまり気は進まないけど……考えといた方がいいかもね」
「みたいだな。わかった。ひとまずは一人でやってみる」
「頑張ってくれ」
こだわるべきはやり方ではなく、結果だ。二人ともそれには理解が及んでいるだろう。
俺としても退学者は出したくない。出来るだけ、だが。
二人のもとを離れ、俺は自分の机の方に戻り、まずは綾小路に話しかける。
「綾小路、ちょっと頼まれてほしいんだが」
「なんだよ。面倒ごとはいやだぞ」
「別に面倒なことじゃない。お前、バカンスの船の上で幸村と同室だったよな」
「……そうだが」
「ちょっと呼んできてくれないか」
俺は帰る支度をしている幸村を見ながら言う。
「……まあ、それくらいなら」
納得したようで、幸村に声をかけに行く綾小路。まあ、多少無理な頼みでも聞かせることはできなくはないんだけどな。
綾小路に連れられ、納得していなさそうな表情をしながらも幸村が来た。
「なんだ?話があるって聞いたんだが」
「ああ。堀北も聞いてくれ」
ノートになにやら書き込んでいる堀北にも目を向ける。
「私も?何かしら。手短に頼める?」
恐らく勉強会の準備があるのだろう。別に時間をかけるつもりはない。
前置きはなく、単刀直入に言う。
「二人に頼みたいんだが、俺の作った問題を解いてほしい」
クラストップレベルの頭脳を持つ堀北と幸村。これ以上の適任はいないだろう。
「……なるほど。私たちを難易度の指標にするということね。何点なら納得いくのかしら」
「そうだな……お前たちが解いて7割弱。これなら安全ラインだろ」
定期テストではほぼ満点を取り続けている二人。この二人で7割なら、Cクラスからは退学者が出てもおかしくないレベルだ。
「確かに勝率は高まるな。俺たちがいい点を取れば取るほど問題の質もよくなっていく」
「そうだな。だからかなり真剣に解いてくれ」
「分かってる。簡単に低い点数は取ったりしない」
「そりゃありがたい」
ひとまずこれでオーケーだ。アドバイスもくれると思う。
「いますでに作ってあるから、渡しとく。分量は実際の半分くらいだが」
そう言って二人に手渡すと、堀北は再び机に向かっていた。
「俺も帰っていいか」
「悪い、あとひとつ頼みたいことが……」
「注文が多いな……」
悪いって。だがお前にしか頼めない。
「勉強を教えてやってほしいやつらがいる」
「池や山内とか言わないよな?」
幸村の性格的にあの2人に教えるのはきついだろうな。
「違う。……長谷部と三宅だ」
高円寺を除いて、時間に比較的余裕があり、且つ成績優秀な人物。
1番の候補は幸村だ。
「え?あの2人の成績は悪くないんじゃないか?」
「総合点で言えば。ただ、得意科目不得意科目の差が激しすぎる。試してみたら分かると思うが、理系科目はいいんだが文系科目が壊滅的と言っていい。正直ギリギリだ」
あえて歯に衣着せぬ言い方をする。
「ペアをずらすだけでは手に負えなかった、ということ?」
問題が割と深刻だと察して、堀北も会話に戻ってくる。
「そういうことになる」
「それを知っているということは、あなたはあの2人と接点があるけど、教えられる時間が取れないから幸村くんに頼みこんだのね」
堀北の完璧な推理に静かに頷いた。
「まだやることが確定してるわけじゃない。あの2人が1人でやることに限界を感じたら声をかけてもらうことになってる」
一応、まだ未定であることも伝えておく。あとで文句を言われたらかなわないからな。
「分かった。引き受ける」
「……本当か?」
正直五分五分だろうと思っていた。受けてくれるにしても少し手のかかる交渉が必要かと考えていたが、幸村はすんなりと承諾した。
「ああ。俺とその2人との橋渡しはお前がやってくれるんだろ?」
「できる限り……でも、いいのか?頼んでおいてなんだが、こういう集まりとか、あんまり得意じゃないんじゃないか?」
「体育祭では何もできなかったから、俺も元々、何かできることはないかと思ってたんだ。協力しないと、この試験は乗り越えられない。学校で過ごしていくうちにどんどんその考えが強くなっていった」
これまでの生活で心境の変化があったのはなにも堀北に限ったことではないのだろう。須藤も、そして今の幸村も。もっと言えば俺にも変化が訪れている。今までの俺がここまで人のために行動するのは考えられない。いろんな人と接点を持ったからこそ、ということだろう。
まあ、みんな根幹は退学者を出すわけにはいかない、っていう考えからだろうが。
「一応準備はしておく。やることになったら声をかけてくれ」
「悪いな。助かる」
そう言って、幸村は自分の机へと戻っていった。
幸村が教えるなら、間違いなくあの2人の成績はアップするだろう。ひとまずは安心、というところだろうか。
幸村がこちらの会話を聞き取れなくなるくらい離れたところで、堀北が口を開いた。
「橋渡し役、あなたにお願いできるかしら。綾小路くん」
「……オレが?」
堀北に言われた瞬間、いやですよオーラを全開にして拒否する綾小路。
まあ、これは簡単には受け入れてもらえないだろう。面倒くさそうだし。
「コミュニティを広げておくのに越したことはないんじゃないか。別に俺も特別親しいってわけじゃないが、少なくとも一緒にいて悪い心地はしないだろう」
船上試験での貸しを使おうかと考えたが、もっと有用な使い道があるだろう。このタイミングはもったいない。
綾小路が間に入ってくれれば俺や堀北、果ては平田とも繋がるし、色々やりやすいだろう。
「はあ……分かった。それで俺は何をすれば……」
「とりあえず、あの3人をうまく管理してくれ。ついでにお前も勉強すればいい」
まあ、多分自動的に勉強せざるを得ない雰囲気になると思うが。
「まあ、やれるだけはやってみる」
「じゃあ正式に決まったら連絡する」
なんとか承諾させることはできた。綾小路はさっき、この勉強会が開かれるかどうかは未定であることを聞いているため、頭の中で「勉強会が開かれませんように」と願っていることだろう。
そんな綾小路の切実な願いが打ち砕かれたのは、早くもその翌日だったことをここに記しておく。頑張れよ綾小路。
綾小路グループを結成させるためにはこうするしかなかったんです……許して……
一応ペアは軽井沢にしましたが……やっぱり軽井沢は永遠に綾小路のモノですよね。
主人公が普通に主人公っぽくてなんか違和感(この文章意味不明)がある方もいらっしゃるかもしれませんが、今回はちょっと無理しました。次回からちゃんと元の主人公らしくなりますので、どうかご安心を。
感想、評価お待ちしております。
あ、あとクリスマスイブは藤野の誕生日だったんです。皆さん心の中で祝ってやってください。
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ep.50
では、どうぞ。
翌日の放課後。
俺の後ろでは綾小路が立ち上がり、幸村に声をかけに行っていた。多分三宅と長谷部の勉強会の話だろう。早速今日かららしい。
他方、俺も今日の1部の方の勉強会に同行することになっている。Bクラスとの合同での勉強会の話が一之瀬にオッケーされたため、言い出しっぺの俺はいくべきだろうとの判断だ。まあ言われなくても元から行くつもりだった。そのために合同勉強会なんて提案したんだしな。
「それにしても、あなたから合同での勉強を提案するなんて、おかしなこともあるものね」
勉強会の場所である図書館に移動中、隣を歩く堀北が訝しそうに聞いてくる。
「退学者を出したくない。これだけで理由にならないか」
「普通ならなるかもしれないわね。でも、今までのあなたの行動を見ていれば不審がるのが自然よ」
「まあ、そうかもな……」
そうこうしているうち、図書館に到着した。
ホームルーム終了後すぐに来たためか、席はまだ空いている。
図書館には、入口側が1年生の縄張り、という暗黙のルールがあるらしい。それに従い、全員が椅子に腰掛けた。
と、同時に堀北に声がかかる。
「堀北さん」
明るい表情で堀北に向き合うのは、Bクラスのリーダー的存在で、俺が勉強会を提案した人物、一之瀬帆波だ。
Bクラスの数人にも声をかけたらしく、一之瀬含めて9名いた。クラスの参加率は4分の1ってところか。
「ごめんなさい、こちらの勝手な要求で」
「ううん、こっちこそ、誘ってくれてありがとう。速野くんも」
「ん、ああ」
普通にお礼を言われただけだが、どうも堀北は釈然としていない様子だ。
「本当に助かるよー。協力して頑張ろうね。ばんばん頼っちゃっていいんだよね?」
「……お手柔らかにな」
一之瀬の少しおどけたような視線に、俺は静かに頷いた。
まあ、今日は自分の勉強だけで問題作成そのものをするつもりはない。教えられる余裕もできるだろう。俺に質問する奴がいれば、の話だが。俺、堀北、一之瀬の中で質問の優先順位は一之瀬>堀北>>>>>>>>>俺みたいな感じだろうからな。……あれ、誰も俺に聞かないんじゃね?
と、目から発汗しそうな悲しい想像はここまでにして、俺は鞄から問題集と紙の束を取り出す。俺は紙の束の方を取って一之瀬に手渡した。
「これ、みんなで共有してくれ」
「え?これって……速野くんが作った問題?」
「一応」
そう答えるが、一之瀬は少し申し訳なさそうな表情をしている。
「いいの?」
「ああ」
合同の勉強会が実現したらBクラスに解いてもらうつもりで作った問題だ。
「どれくらい解けるかデータ取りたくてな。各科目2問ずつくらいだから、できればいま30分くらいで解いてくれないか」
「オッケー。じゃあみんな、お願い」
渡した紙の束を、一之瀬がBクラスの参加メンバーに配って行く。全員に行き渡ると、一之瀬も含めて解き始めた。
一応Dクラスにも数人に配ったが、そっちにはいま解くことは求めなかった。Bクラスには今このタイミングでしか解説できないからな。
正確に言うと本当に俺が作ったかといえばちょっと違うが……
と、そんなことを考えていると、堀北が耳元に顔を近づけて来た。心の中でうおぅ!と叫んでしまったが、当の本人は至って真剣そうだ。
「……あなた、一之瀬さんに合同勉強会を依頼したとき、私の提案ということにしたわよね?」
「……なんでそうなる?」
「一之瀬さんのお礼の言い方、明らかに変だったわよ。最初に私のところに来て、あなたには付け足すようにしかお礼を言わなかったのは、提案者が私だとあなたが伝えたという理由以外に考えられない」
やっぱりさっき釈然としない表情をしてたのはこれが原因か……鋭い。先に了承を得ておくべきだったか。
ただ、一之瀬には聞こえないように声を小さくした配慮には感謝しないといけないな。
「……勝手に名前使ったのは悪いと思ってるが、この形の方が不自然じゃないだろ。その方が受け入れられやすいと思ったんだ」
そう弁明するが、堀北の疑惑の視線はおさまらない。
「……どうにも怪しいわね。何か企んでいるの?」
「俺が何を企むんだよ……さっきの理由で納得できないか?あと、ここで話すのは得策じゃないと思うぞ」
これを言われては、ここでは堀北も引き下がるしかない。俺が何か企んでいると堀北が踏んでいるなら、話を聞くにしても秘密裏に行う方がいいと判断するはずだ。
「……そうね」
なんとか話を終結させられた。
だが、これはその場しのぎの一手。あとで追及されまくるだろうが、俺はさっきの理由で押し通すつもりだ。一応筋は通ってるからな。
指定した30分が経過して、Bクラスの生徒が解くのを終えた。俺はそれを見て解答を手渡す。すると、口々に「あ、そういうことねー」や「なるほどー」などの小さい声が聞こえてきた。作問者はこういう声を聴くと嬉しいだろうなあと他人事のように思う。
俺が渡した問題は、難易度の高いものが揃っていた。アホみたいな超難問でもないが、簡単に解ける問題でもない。今回の期末テストのボーダーより少し高いレベルか。
「いやー、結構難しかったねー」
「私半分取れてないよ……」
「俺もだ」
まあ、期末テストの勉強は始まったばかりだし、今はそれくらいでもあまり問題はないだろう。
たまにくる質問に答え、俺自身もちゃんと勉強し、そこそこ有意義な時間を過ごして本日の勉強会は終了した。
勉強会そのものは終わったが、全員が全員帰るわけじゃない。残って勉強する者もいる。
堀北も残る組のようで、教科書類を片付ける様子はない。
「今日は2部にも出るのか、堀北」
「ええ、一応」
「そうか」
じゃあな、とだけ言い残して、俺は図書館を立ち去った。
学校にまだ用があったため、寮とは逆の方向に歩き出す。
その途中、綾小路とすれ違った。向こうから声をかけられる。
「速野。どうしたんだ?」
すでに時刻は午後6時を回っている。そんな時間に学校へ逆走していくやつを不思議に思うのは当然だろう。
「ちょっと忘れ物をな」
「そうなのか」
静かに頷いておく。
一応、今日の勉強会の様子も聞いておこう。
「そういえば、どうだったんだ。幸村の勉強会」
聞くと、その様子を思い出すようにして答えた。
「いや、今日は特に動きはなかった。中間テストの2人の解答から方法を練って、次から本格的に始めるらしい」
「ふーん……」
幸村は多分、2人の成績の偏り具合と、その偏り方が異常に似ていることにちょっと驚いただろう。俺もほんとに驚いたもん。
「うまくいきそうか?」
「どうかな。今はまだなんとも言えない。ただ、投げ出すほどではないと思う」
2人とも勉強に取り組む姿勢はある。その点は池や山内よりやりやすいだろう。そういえばあの2人さっき参加してなかったけど、2部に参加すんのかね。
これ以上確認したいこともないので、さっさと用事をすませるとするか。
「じゃあ、俺はこれで」
「ああ。明日な」
他愛ない会話が終わり、俺は目的地である学校の校舎へと足を進めた。
しっかし、仕事が多いな、今回は。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「だー終わったー!」
「静かに。大きな声を出すなと言ったはずよ。それから、明日もあることを忘れないで」
次の日の勉強会。池、山内、佐藤の赤点候補、そして意外にも綾小路が参戦していた。
「い、いいだろ少しくらい喜んだって。お疲れっ!」
そう言って、池と山内はそそくさと図書館を出て行った。勉強会終了直後に残らずに出ていくのは大体勉強が苦手な人だから困ったものである。
まあ、仕方ないことかもしれない。苦手なものを嫌な顔せずできる人は限られている。仕事なんかでもそうだろう。ノルマを達成したらさっさと帰るはずだ。……多分。俺未成年だから知らんけど。
「Dクラスって元気あるよねー。ちょっと分けて欲しいよ」
「悪い方向にね。落ち着きのあるBクラスが羨ましいわ」
他人の芝生は青いというのはよく言ったもので、無い物ねだりの性は誰もが持っているものなのだろう。
「じゃあみんな、さようなら。また明日ね」
「ええ、さようなら」
櫛田も、友達数人と一緒に図書館を出て行った。
今のところ動きはなし、か。だが、どのタイミングで攻めてくるかはわからない。
「俺も戻る。じゃあな」
「ええ。しっかりと問題を作っておいて」
「はいはい」
「じゃあね速野くん」
「……ああ」
手を振ってくる一之瀬には軽く会釈して、俺は図書室を出た。
前方には、先程退室した櫛田の友人の背中が見える。まあ、あんまり時間経ってないしな。
しかし、俺はあることに気づいた。
肝心の櫛田があの中にいない。
「……?」
あいつ1人だけ寄り道したのか、と思っていると、曲がり角のところに櫛田を見つけた。
「あ、速野くん」
俺が声をかけるより先に、櫛田が俺の名前を呼ぶ。
「もう帰るの?」
「ああ。お前は帰ったんじゃないのか」
「うん、ちょっとね」
ちょっと、か……
「そうか。じゃあ」
櫛田から目線を外し、歩き出す。
しかしその瞬間、虫の知らせが俺の足を止めた。
「げ……」
そして俺はゆっくりと回れ右。寮ではなく図書館の方にUターンした。
「どうしたの?」
「いや、その……使ってた参考書一式と筆箱を置き忘れてしまってな……」
「え?あはは、速野くんって意外にドジなんだね」
「割とこういうの多いぞ俺は」
最近良くなってたと思ってたんだけどなあ……まだまだ注意が足りないらしい。
「じゃあ、またすれ違うかもだね」
「……たしかにそうだな……まあ、とりあえず行ってくる」
「うん」
そう言い残して、歩き出す。図書室への道すがら、今日来ていた一之瀬以外のBクラスの生徒とすれ違った。
この時は特に気にせず、俺は図書館に入った。
最初に目に入ったのは、手前に立ち尽くしている堀北でも綾小路でも、まだ勉強に勤しんでいる他の生徒でもない。
いつになく重い雰囲気を持って立っている一之瀬だった。それを見て俺まで立ち尽くしてしまう。
しかし、少し経つと一之瀬が帰り支度を始めたのが見えた。
当然、入り口付近に立っている俺とすれ違うことになる。
「じゃあね速野くん」
「……ああ」
一之瀬が立ち去ったあとも、彼女が見せた一面の影響でその場には妙な空気が漂っている。
う、うわー、超入りづれえ……
「……」
しかし参考書類を放置するわけにもいかず、意を決してさっき座っていた机に向かった。
「何をしてるの?」
当然といえば当然だが、堀北に声をかけられる。
「あー……忘れ物をだな……」
予想通り参考書と筆箱が机にあったので、それを取ってカバンに入れる。
「はあ……くれぐれもテストで今みたいなミスはしないようにして」
「分かってるよ……ところで、一之瀬と何の話してたんだ。様子変だったが」
一応ダメ元で聞いてみることにした。
「あなたは聞いても聞かなくても良かった話よ」
やはり説明する気はなさそうだ。まあ、堀北の中で俺の信頼度は低そうだからな。
「なあ、櫛田への対応はどうするつもりだ。前は考えがあるような言い方をしてたが」
この2人は以前それについて話し合ったらしい。これは俺も話聞かなきゃいけないパターンか。
「色々なことを考えたわ。もしこの学校に私がいなければ、彼女はどうなっていたか。きっと誰からも信頼される、欠点のない生徒のまま卒業を迎えていたでしょうね。もちろん、私に責任はないわ。こればかりは不運としか言いようがないもの。でも私は彼女の未来を一つ摘み取ってしまった。そういう意味で、彼女は特別なのよ」
櫛田へに対処法、か。正直、根本的な解決法はさっぱり思いつかない。
「一つ提案があるんだが、いいか」
そう前置きした綾小路の提案は、一之瀬に間に入ってもらい、解決を図るというものだった。
「1対1で話して説得しようとしても現実的に無理だ。誰かに間に立ってもらおうとしてもDクラスじゃ成立しない」
「そうね。でもそれは一之瀬さんでも同じことよ。確かに、全ての生徒の中で一番可能性が高いのは一之瀬さんかもしれない。けれどこれは私と櫛田さんの問題なのよ」
根本を言えばそうかもしれないが、櫛田がクラスを裏切っている以上それほど問題は小さくない気がする。
何はともあれ、忘れ物を取るという元々の目的を達した俺はその場を離れることにした。
「俺は戻る。今からお前がやることに俺はいるべきじゃないだろ」
根拠はない。だが察した。
櫛田が待っている人物は堀北なのだろうと。
俺の言葉に対する返事は聞こえなかったが、気にせずに図書館を出た。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
珍しく俺が空気を読み、図書館を出た後。寮を目指してまっすぐ歩く。
その時、後ろから突然肩を叩かれた。
「ん……?」
「今から帰り?」
振り向いて目に入ったのは藤野の姿。小さく手をひらひらと振っている。
「ああ、そうだが。お前は?」
「教室に残って問題づくりの手伝い。よかったら一緒に帰ろう?」
「……いいけど」
藤野の誘いを承諾し、一緒に歩き出す。藤野に合わせるため、さっきより歩幅は小さく、スピードは遅い。
日の入り直前の空はオレンジと水色が混ざり、まだ冬ではないとはいえ肌寒さを感じる。
「順調?」
寮への道のりも半分を超えたかというところで、藤野が突然そんなことを問いかけてきた。
「……」
即答できない質問だ。一瞬黙り込んでしまう。
「……まあ、なんとかな。お前はどうなんだ」
「私もまあまあかなあ。お互い頑張らないとね」
「そうだな」
Bクラスと合同で勉強して、その後にAクラスの生徒の検討を祈るなんて変な話ではあるが、こと藤野に限ってはそういう意識は少し薄い。
……藤野には渡しておくか。
俺は歩きながら、バッグの中から紙を取り出す。
「なあ、これ解いてみてくれ」
「?これって速野くんの?」
「期末テストの問題の候補だ」
「え、いいの?こんなの……」
藤野も一之瀬と同じように遠慮した態度を取る。
「ああ。お前がどれくらい解けるか参考にさせてくれ」
「……うん、分かった。解いたら渡しに行くね」
「頼む」
藤野は問題を受け取って自分のカバンの中に入れた。
あとは誰に渡すべきか……いや、これくらいでいいか。あまり増えても面倒くさい。それに、これ以上協力してくれそうな成績優秀者も思いつかない。平田あたりは喜んで受けてくれそうだが、幸村や堀北に比べると学力に不足点がある。
そんなことを考えていたとき、突然でっかい欠伸が出た。
「ふああ〜ぁ………」
そりゃもう特大。涙が溢れてきたので袖で拭う。
「睡眠不足?」
「ああ、ちょっとな……」
昨日は夜11時くらいまで堀北とチャットで問題について話し合い、その後2時まで問題を作っていた。最近寝るのが1時か2時なのが当たり前になりつつある。授業中に寝たら堀北に殺害されてしまうので頑張って起き、睡眠時間がガリガリ削られていたのは確かだ。休み時間にちょっとずつ寝ろと言う人もいるかもしれないが、授業終了3分前に急激に意識が覚醒し始める謎現象に見舞われてそれもかなっていない。
俺はあまり夜更かしをしたことがないのでそのせいもあるだろう。寝転がることさえできれば基本的に寝られない場所はないんだけどな。
「勉強疲れかな?」
「多分そんな感じだ。問題づくりもしてるしな……」
「あー、Dクラスは当然速野くんが作るよね……」
気の毒そうな表情の藤野の隣でもう一発小さめの欠伸をかます。
「ちょっとは息抜きした方がいいと思うよ。体調崩したら元も子もないから」
「それはそうなんだけどな……この休日はちょっと寝るか……」
今思いつく息抜きといったら寝ること以外に思いつかない。バスケは1人でも楽しいが疲れるので逆効果だ。
「寝る、のもいいと思うけどさ……」
「ん……?」
少し歯切れの悪い言い方の藤野。首肯で言葉の続きを催促する。
「その、土曜日か日曜日、ぐっすり寝られたあとでいいからさ……どこか遊びに行かない?」
意表を突かれ、感じていた眠気がサーっと引いていくのが分かった。
「遊び、って……どこに」
「ど、どこかは、分かんないけど……例えば、ほら。カラオケとか」
「やめた方がいい。俺歌える歌ほぼないし、あってもお前知らないと思う」
もっといえば藤野が歌う歌も知らない可能性が高い。音楽とか普段聞かないしな……というか2人でカラオケって……歌詞飛ぶわ絶対。
「うーん……じゃあ映画、とか?」
「映画か……」
カラオケや普通の遊びと違って体力使わない。チョイスとしては悪くない。
「いいかもしれないな……ってもういく前提?」
「あ、もちろん速野くんが嫌ならもうこれ以上は何も言えないけど……」
自分の心に聞いてみても、嫌という返事は全くない。というか、そんなこと言われたら断れなくなっちゃうじゃないですか……。
「……いや、ではない。分かった。じゃあ映画行くか」
「う、うんっ。無理してない、よね?」
「してどうすんだよ。一応俺個人としては息抜き目的なんだから」
大前提を忘れてはいけない。それを聞いて少し安心したのか、藤野の表情が和らぐ。
「土曜日と日曜日、どっちがいい?」
「あー……土曜日で。元々出かけようとは思ってたからな」
「え……もしかして予定あったの?」
うーん、ちょっと言い方間違えたか。
「違う違う。約束とかじゃなくて、土曜日に食材切れるから買い出しに行く予定だったんだ。それもついでにできると思っただけだ」
「あー、よかったあ。無理させちゃったのかと……」
「だからそんなことしないって」
先約があればよほどのことがない限りそっちを優先させる。後からできた予定でキャンセルされるとか悲しすぎるからな。俺の優先順位どんだけ低いんだよ。……まあ、誘うやついないからその悲しささえも想像することしかできないんだけど。
「じゃあ、土曜日に映画でいいんだろ」
「うん。詳しいことはあとでね」
「ああ」
ちょうどひと段落したところで、寮のエレベーターが俺の階に到着した。
「じゃあね」
「ああ。また」
軽く挨拶をすませると、スーッと静かな音を立ててエレベーターのドアが閉まる。
自分の部屋に向かって歩きながら、努めて心を落ち着けた考えた。
人前だったため変にテンションを上げることは避けるように頑張ったが……週末に誰かと2人で出かけるなんて、実は人生で初めてのことを経験するんじゃないのか、これ。
……今週末ってなんの映画やってんだろう。
櫛田は主人公が裏切りに勘付いていることを知らない設定なので、あの場に主人公はいるべきではないなと判断しました。櫛田が許すとも思えませんでしたし。
気になったことがあれば、小さなことでもどんどん質問してください。お待ちしております。
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ep.51
では、どうぞ。
ピリリリリリ……
「んん……くぁぁ……」
ベッドの上で伸びをすると、固まっていた体がほぐされてバキバキバキ、という音が鳴り響く。
ひとまず携帯からの目覚ましのメロディを止め、時刻を確認。すでに午後0時を回っている。世間ではランチタイムの時間だ。
「……こんなに寝たの久しぶりだな」
昨日床についたのが9時だったから……15時間くらい寝てるのか。どんだけ疲れてたんだよ俺は。
そんなに寝ててちゃんと問題作ってんのかゴラア、という声もあるかもしれないが、心配ご無用だ。昨日のうちに今日の分はやっておいた。これで土曜日、つまり今日は心置きなく爆睡した後に藤野と映画に行けるわけである。
映画かあ……行ったことがないわけじゃないが、行った経験は本当に数えるくらいしかない。映画より本読んでたからな。
とはいえ、決して俺は読書家ではない。その証拠にこの学校に入ってから本は2冊くらいしか読んでいない。ただ、国語の現代文という科目で見るなら、俺はかなりの数の評論や随筆を読んでいることになる。どれもこれも問題文に書かれている分だけだが。ちなみに読んだ2冊の本も、問題集に出題されていた作品で気になったものだったりする。
藤野との約束は14時から。
まだ2時間弱ある。それまでに昼飯を済ませて、数問の問題づくりをしておこう。
俺意識たっけー。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
約束の時間が迫ってきた。そろそろ部屋出た方がいいか。
集合場所は寮のロビー。今出たら3分前に着くだろう。適当な格好に着替え、学生証端末を持って部屋を出る。
適当な格好っていうのはあれだ、1学期に綾小路、櫛田、佐倉と出かた時とあんま変わらないやつだ。出かける機会が少な過ぎて外で着る服なんて2パターンくらいしかない。仕方ない。社会も悪いし俺も悪い。
ひとまず部屋を出る。
エレベーターホールには3台のエレベーターがあるのだが、その中の一番右に位置するエレベーターが下降してきていた。到着したのでそれに乗る。
「え」
「あっ……」
俺がボタンを押す前に下降してきていたということは、下の階の誰かが俺と同じようにボタンを押し、上の階にあったエレベーターが通りかかったか、上の階の誰かがエレベーターに乗ってこの階にきたか、またはその両方なんだが、ここでは2番目のパターンだ。
そしてそこに乗っていた人物。
「あはは……集合場所、エレベーターになっちゃったね」
「……そうだな」
ロビーで待ち合わせをしていたはずの藤野だった。
エレベーターでも油断はできない。下を向けば気分が悪くなる。少し上を向いたまま、エレベーター内での数秒を過ごした。
外に出ると、光量が多くなって隣を歩く藤野の姿が目に映る。
特別に着飾っているわけではない。
水色のスカートと、タックネックの黒いシャツの上に白いカーディガンを羽織っており、普段より大人しそうだが清涼感も醸し出す絶妙なコーディネートだった。
「アクセサリーとか、つけたりしないんだな」
気になったことをそのまま口にしてしまう。
だいぶ前、ポイントが支給されないとわかった直後、多クラスへの羨望の一つとして女子が「Aクラスはアクセ買いまくってる」と言っていた気がする。
「あ、うん。買ってなくて……あった方がいいかな?」
「いや、別に今のままで大丈夫だと思うぞ」
少し焦って早口でまくしたてるような言い方になってしまった。
「……ありがとね」
「は、はあ……」
変な偶然があった影響もあるだろうが、かなりペースが乱れている。
まあ1番の原因はどう考えても「二人で出かける」っていう行為自体だよな……小6くらいの俺に見せてやりたい。中2くらいの俺に見せたらちょっと殺されそうになる気がするからそっちはやらないけど。
と、そんなことを考えて気分を紛らわせながら映画館に向かう。たまにすれ違う人からの視線が痛い。まあ藤野を知っているにしても知らないにしても、この人たちの頭の中では「うわ、この女子かわいい!こんなかわいい人どんなカッコええ人と一緒にいるんやろぅわおガッカリー」っていうノ○スタイルみたいな掛け合いが行われているに違いない。
数分歩いて、映画館のあるケヤキモールに到着。
映画館の場所へ行くと、さまざまな映画が宣伝されていた。名前だけ知っているものもあれば、聞いたことすらない作品まで。
何を見るか決めていない状態で映画館に来る人は多くないだろう。事実、殆どの人は迷うことなくチケット購入の手続きに入っている。
「何みよっか?」
「あー……」
あちらこちらに表示されている広告を見ても、どれもこれも知らないタイトルばっかり。決めようにも決められない。
「お前は全部知ってるのか」
「全部は知らないけど、大体はわかるよ」
「ならお前が決めてくれるか。映画には疎くてな」
餅は餅屋というし、ここは藤野に決めてもらった方がいいだろう。
「いいよ。えっと……」
近くにあった、「ご自由にお取りください」と書いてあるパンフレットを手に取り、何が見たいかを考える藤野。
どうやら決まったらしく、パンフレットの真ん中あたりを指差して俺に見せてきた。必然的に身体が近づく。近いっすほんと。ライフ削りに来るのやめてね。変な汗かいちゃうから。
「これなんてどうかな?」
藤野が見せて来たのは、何やら受けの構えを取った俳優が前面に押し出されている作品。下のコマには2人が蹴りあっている描写もある。これは……アクション映画か?14時45分から上映開始と書かれている。
藤野が何を選ぶか予想していたわけじゃないが、意外といえば意外だ。
「わかった。じゃあそれ観るか……」
「うん。あと10分くらいは時間ありそうだから、何か買おうかな?」
「そうだな」
流石に映画館に来たのが初めてということはない。回数が異常に少ないのは間違いないが、映画観賞の最中にはポップコーンを頬張るという文化があるのは知っている。落としたりこぼしたりしても掃除が楽で、噛むときにも音が出ず隣の客に迷惑がかからない。ほんとよく考えたものだと思う。
俺はポップコーンとコーラを、藤野はキャラメルポップコーンのSサイズを購入し、映画館の暗い上映室へ足を踏み入れた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「面白かったね」
「そうだな」
映画はあまり見たことなかったが案外いける。最後らへんは文字通りスクリーンに噛り付いていた。うまく見せようと演出はしているんだろうが、それもこれも登場人物の俳優が超人的な運動能力を持っていなければ成り立たない。
アクション一つ一つを見ていて内容はイマイチ頭に入っていないが、それを補って有り余るインパクトはあった。概ね満足と言えるだろう。
ちなみにアニメとかでよくある「映画に一緒に来てた女友達が腕に抱きついて来た!」とかそういうイベントは発生しなかった。アクション映画だしそりゃそうだろうな。
「実は私もアクション映画ってあんまり見たことなかったんだよねー。映画館で見るのもいいかも」
「あれ、そうなのか」
てっきりアクション映画観慣れてるから選んだものと思ってたんだが……
「だって速野くん、ホラー映画とか観たかった?」
「……いや、アクションでよかった」
これは意外すぎるぞ……まさかのホラー映画好きとは。
俺はホラー系は苦手というわけではないが、観終わったあと疲れそうなのでアクション映画がちょうど良かった。なるほど、ここまで考えてたのか藤野は。帽子被ってないが脱帽だ。
ポップコーンの容器を側に設置されていたゴミ箱に入れ、覚えている範囲で互いに感想を言い合いながら映画館を出た。
あのシーン一番すごかったとか、突然でかい音出てびっくりしたとか。
ただ、俺があそこ絶対スタントマンだったと言うと微妙な顔をされてしまった。まあスタントマンだったのは特別重要でもないシーンだったので文句はないけど。問題は俺の話題づくり力の無さだ。他にもっと語るべきことあると思うんだけど思いつかないんだよなあ。
時刻は17時10分。日はだいぶ傾いていて、あと1時間もすれば完全に暗闇だろう。
だが、次の用事を達するために施設からは出ない。
もし今帰ったら、俺は今日の夕飯にありつけないのだ。
「そういえば速野くん、買い物あるんだよね。ついでに私も一緒に買い物していい?」
「ん、ああ、まあいいけど」
映画に行く日程を決めた時に買い物に行く予定があったと言ったのを覚えていたのだろう。まあ、いつも放課後にやってたことだ。最近はペーパーシャッフルテスト関連ででやることが多く、一緒に行ってはいなかったが。
自動ドアが開いて店内に入ると、やはりちょうどいい温度に調節されていた。
利用するのはいつもの無料コーナー。半年も続けてればそこにもう特別性はない。この学校に入ってから、逆の意味で金銭感覚がおかしくなってる気がする。
「なあ、普通に売られてるここの商品買ったことあるか?」
なんとなく気になったことを聞いてみる。
「うん、一応。ここ見つける前は普通に買ってたから。見つける前って言っても1回くらいだけどね」
「ふーん……」
「やっぱり普通のコーナーの方が品揃えいいし、美味しいことは美味しいよ」
まあそうだろうな。無料コーナーと差別化されてないと普通のコーナーの商品なんて売れるわけがない。みんな無料がいいわけで。だが、我慢さえできれば俺のように食費ゼロすら実現可能だ。
さて、頭を切り替えて今日の夕飯の献立を考えよう。
考えている間に、藤野はテキパキと必要な材料をカゴに入れて行く。
まあ、いつもの通りだ。俺はその場の気分でメニューを決めるが、藤野は事前に何を作るか、何を買うかを全て決めておく。
「……カレーでいいか」
ふとカレーのパッケージが目に入り、それで即決。そして4日後までのメニューをパッと決めた。まずはカレーに必要な材料を入れて、そのあとに今後数日間必要になるであろう材料を適当に入れて行く。どうせ無料だし。
俺が入れ終わる頃には、藤野が入れ終わって3、4分ほど経過していた。
「悪い、待たせた」
「ううん、大丈夫」
共にレジへ向かう。
並んでいないので時間はかからない。サッと会計は終わり、袋に詰めて外に出た。
「ちょっと肌寒いね。ジャンパー着ようっと」
今が10月下旬であることを忘れてはいけない。
カーディガンがあるとはいえ、藤野の格好はこの肌寒さに適しているとは言えない。バッグの中からジャンパーを取り出して羽織り、防寒を図っている。
「速野くんは寒くない?」
「少し。まあ寮まで我慢すればいいだろ」
実は寒さを我慢することには慣れている。分かって欲しいのは決して寒さが得意というわけではないということだ。
それに少しだけ肌寒い程度だ。余裕で我慢できる。ただ、出かけるときは防寒着も持って行った方がいいだろうな。そもそも今日以外出かける予定なんてないんだけどさ。
「楽しかったね」
「……まあ、そうな」
映画を観て、買い物をする。やったことはそれだけだが、こうも楽しめるものか。
「また今度、週末に一緒に出かけない?」
「……予定が合えば。テストが終わるまでは絶対無理だが」
「うんっ」
にこっと笑って頷く藤野。
そんな会話をしていると、気づけばエレベーター内での別れ際だった。
「じゃあ、また学校で」
「ああ。じゃあな」
それだけ言うと、ドアが閉まり、エレベーターが上昇して行く。
それを見てから、俺は自室に戻りすぐに夕飯の支度を始めた。
明日からまたちゃんと問題作らないとな……。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
藤野と映画を観に行った日から数日が経過したある日の放課後。
俺は幸村から答案を受け取るためにケヤキモールのカフェに向かっていた。
堀北からはさっき受け取った。難易度はどうだったか聞くと、採点してみれば分かると言われたので、そうさせてもらうことにする。
カフェに入ると、幸村たちの集団はすぐに目に入った。
なぜなら、そこには異様な存在感を放つCクラスの支配者、龍園がいたからだ。近づくにつれ、会話も聞こえるようになる。
「一体なんなんだ龍園。俺たちは忙しいんだ。用があるなら手短に済ませてくれ」
「別に用なんざねえよ。今日は挨拶だけだからな。だがお前たちに伝えとくぜ。近いうちにまた会おうってな」
「どう言う意味だ」
三宅が聞き返すが、それを全く意に介さず、龍園は取り巻きを連れて俺の横を通り過ぎた。
その瞬間目があった気がしたのは気のせいだろうか。
今来たばかりの俺はあまり状況がつかめていないが、はじめから店内にいた人たちは一件落着と捉えているらしく、次第に喫茶店らしい活気を取り戻していった。
その一方、俺の目的地である幸村たちのいるテーブルには、まだ一人Dクラスでない人物が残っている。
「ねえ、なんなのあんた。そこにいられると邪魔なんだけど」
長谷部がイライラしたような口調で責めるように言う。
「少しお待ちくださいね」
そして、俺はこの人物を知っている。
夏休みのバカンスで何かと関わりがあったCクラスの女子、椎名ひよりだ。
椎名はその場を立ち上がり、自分のバッグは置いて歩いて行く。どうやらコーヒーを入れているようだ。
「何あれ」
「さあ。知りたくもないな」
と、そこで幸村が俺の姿に気づき、目を向けてくる。
「速野。答案だよな?」
「ああ。回収しに来た」
「え、なにそれ」
情報量が少なく抽象的な会話に長谷部が突っ込んでくる。
「ただ、この話はちょっと後にした方が良さそうだな」
「ああ」
問題作成にも関わってくる事なので、椎名がいるこの場でのやり取りは得策とはいえない。
「あいつ誰か知ってるか?」
「Cクラスの椎名ひより。それ以上はなにも」
三宅の質問に端的に答える。
そこにコーヒーカップを持った椎名が戻ってきた。
「こちらでよければどうぞ」
「は?なんでくれるわけ」
「警戒なさらずとも、先ほどのことは見ていました。龍園くんが悪いのは一目瞭然です。これはCクラスとしてのお詫びと思ってください。砂糖の量は勝手ながら調節させていただきました」
「調節って……あれ美味しい」
「砂糖がかなり沈殿して残っていたので、そこから逆算しました」
「逆算って、そんなことできる!?」
「案外できますよ。こう見えて洞察力に優れてるんです」
自分で言うか、とは思うが、もし今の逆算というのが事実なら相当なものだな。
「これは……勉強をなさっているんですね」
「はあ、なんかペース崩れるなあ、この子……」
ペースが乱される感じは何度も経験したのでよく分かる。
「確か速野さん、ですね。お久しぶりです」
「……どうも」
かくいう俺も乱されてるんだけどね。
「もしかして私、スパイと思われてますか」
「そりゃそうだろ」
「そのようなことはしません。普段龍園くんとは距離を置いていますし」
「Cクラスの今までの行動を知ってて、信用する奴はいないと思うぞ」
俺は無人島試験でも椎名と龍園が何か話しているのを見ている。警戒するのは当然だ。
「そーそ。それにさっきは親しげに名前呼ばれてたじゃない?」
「無理を言って同行させてもらったんです。Dクラスに興味をもちまして。なんでも、Dクラスには正体を隠した策士がいるとか。無人島や船の上、体育祭でも大活躍だったそうです。ご存知ありません?」
龍園が探しているやつのことか。なら多分目の前の綾小路だと思うが、長谷部たちはそれを知るよしもない。
「知らないな。堀北じゃないか?」
「私も堀北さんしか浮かばないけど」
「違うそうです。ちなみに綾小路さんはよく堀北さんと一緒にいらっしゃるそうですね」
「席が隣だからな。他のやつよりは一緒にいる時間は長いかもしれない。最近はそうでもないが」
綾小路含めて誰一人嘘をついていない。椎名は現時点でこの事実を認める他ないだろう。
「なるほど、あくまでみなさんはそういう評価をされてるんですね」
「策士か何か知らないが、俺たちの邪魔をするのはやめろ」
いい加減勉強会に戻りたかった幸村が椎名に強く言う。
「そうですね……私のせいで勉強、できてないですもんね」
「申し訳ないがその通りだ。よく分からない話がしたいならテストが終わってからにしてくれ」
早々に話を片付ける幸村。
「本当にごめんなさい。また期末テストが終わったらお話ししましょう。それからでも遅くないですし」
大人しく帰ることを決めたらしい椎名が、カバンを取って席を立つ。
「コーヒーありがと。ご馳走さま」
「いえいえ、お気になさらず。さようなら」
全く、どこで誰に会うか分かったものではない。壁に耳あり障子に目あり、とは少し違うか。
にしても長谷部ってさっきまで椎名のこと邪険に扱ってなかったっけ。コーヒー一杯で人の怒りって静まるんだな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ふむ……こんなもんか」
堀北主催の勉強会の会場に戻った俺は、空いていた堀北の隣に座って幸村と堀北の答案を採点していた。
以前二人に渡した、俺自作の問題。幸村は7割弱、堀北は7割強を獲得していた。
「21問中16問正解。今やったらもうちょい点数上がるだろうな」
「そう」
反応うっす。いや別に濃い反応を期待してたわけじゃないんだが、もうちょっと自分の点数に興味持ってもいいと思うわけですよ。
と、普段ならそんな感じのことを思っていただろう。だが、今日の場合はまあそれもそうか、と感じた。
堀北は黙々と数学の問題を解いている。それもかなり高いレベルの問題だ。まさに鬼気迫るといった感じの集中力を見せている。
今までの堀北の取り組みが不真面目だったわけでは決してない。むしろ今までもよくやっていたと思うが、今のこの取り組みようはそれとは比較にならないレベルだ。
まあ、今は思いっきり集中させた方がいいだろう。クラスの平均点上昇にも繋がる。
堀北がそんな様子なので、必然的に教える役の比重は俺に重くなる。いつも堀北に質問していた奴も、今日に限っては俺のところに聞きに来ていた。いま変な質問したら殺されそうだしな。それよりは俺に聞いた方がマシということだろう。
「ふう……」
隣の堀北の方からため息が聞こえてくる。キリのいいところで休憩を挟むのだろう。
「あなた、何か私に話しかけなかった?」
「……」
いやお前どんだけ集中してたの。
「なんでもない、気のせいだろ。それよりお前の点数。21問中16問だったぞ」
俺なりの気遣いというやつだ。改めて点数を伝える。
「そう……あまりいい点数ではないわね。幸村くんはどうだったかしら」
「21問中15問。同じくらいだ」
「正直に言ってかなり難しかったわ。けれど改善の余地はありそうね。またお願いするわ」
「分かった」
俺も俺で勉強を進めているので、これより高い難易度の問題を作ることはできるはずだ。
そういえばこれは藤野にも渡してたな。あとで連絡しておくか。
藤野と堀北の学力は……多分堀北の方が少し上だと思う。幸村といい勝負くらいか。恐らく藤野も7割ほど取ってくるだろう。
この問題に関しては、作った時点での俺の本気だ。自分の実力を過信するわけではないが、今の時点でこれなら期末テスト本番は安心だろう。堀北や幸村なら、本来ペアの合計で越えるべき赤点ボーダーのほとんどを1人分の点数でクリアしてくれるはずだ。
「そう、明日、テストへ向けて最後の話し合いをしたいと思っているわ。やることを済ませた後に参加してくれるかしら」
「話し合いか……分かった」
俺は参加しておくべきだろう。
「綾小路くんには私から話を通しておくわ。あなたは幸村くんに声をかけてくれる?」
「幸村なら、綾小路にそのまま頼んだ方がいいと思うぞ」
綾小路はここ最近でかなりの時間を幸村と共有している。連絡先を交換している、なんてこともあるかもしれない。つまり決して俺がめんどくさいとか億劫だとかそういうわけではない。ここ重要な。
「問題づくりはどうなっているかしら」
「ほぼ終わってる。期間には間に合うだろ」
ちなみにいうと俺だけが作っているわけではない。これまでにも何回か話し合いが行われ、その時に堀北と幸村にも作って欲しいと頼んだ。ちゃんとしたレベルのものを作ってくれたので大丈夫だろう。
今のところ、テストに向けてのDクラスの取り組みは順調だ。もし今回Cクラスに勝つことができればクラスが昇格できるところまで来ている。堀北の気合がすごいのもそのためなのかもしれない。
ひとまず採点は終わったので、俺は自分のテスト勉強を進めるべくテキストを開く。堀北は再び数学の勉強へ身を投じていた。
デート回で1話作れればよかったんですが……ちょっと無理でした。
主人公は読書家ではないので椎名はヒロインから外れています。
皆様のおかげでついに評価バーが赤になりました。ありがとうございます。これからも引き続きこの作品をよろしくお願いします。
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ep.52
では、どうぞ。
そして翌日。
Bクラスとの合同勉強会を終えた。
普通なら勉強会が終わればすぐに帰宅するところだが、今日は一つ予定が入っている。
堀北の言っていた話し合いだ。
参加者は堀北、平田、綾小路、軽井沢、須藤、櫛田、幸村、そこに俺を加えた合計8人。妥当な構成と言えるだろう。
Bクラスとの勉強会も結構続いたな。
やる気がありつつも落ち着いているBクラスの姿勢は、Dクラスの生徒にもある程度のカンフル剤の役割を果たしただろう。勉強会の2回に1回くらいは問題を作ってBクラスに共有したが、そこまで負担にはならなかった。
夜8時過ぎ、全員がカラオケルームに集まる。
集合場所は軽井沢の意向らしい。誰かの部屋でいい気もしたが、部屋の大きさを考慮してのことなんだろうと勝手に片付けている。
「ねえ歌っていい?」
「ちょっと待って。今日は遊びにきてるわけじゃないのよ」
「でもカラオケ来て歌わないって変じゃない?」
「あなたがどうしてもというからカラオケにしたのよ。今あるドリンクとフードで我慢して」
軽井沢はカラオケに入ってすぐ、堀北が止めるのをガン無視でドリンクとスナックの注文を勝手知ったる様子でパッと済ませていた。軽井沢と櫛田と平田あたりは行き慣れてるんだろうな。
「じゃあ話し合い終わったらデュエットしようよ洋介くん」
「そうだね。息抜きにはいいと思う」
「私も賛成かな。打ち合わせはしっかりしなきゃだけど、歌うの久しぶりだし」
まあ、話し合いが終わった後なら好きにすればいい。俺は速やかに退出させてもらうことにしよう。
「堀北」
「ええ。じゃあ始めるわよ。まずは勉強会の成果だけれど、上々と言っていいわ。全員がある程度対応できるようになっているはずよ。ここにいる須藤くんも以前に比べて格段に成長した。まだ中学1年生レベルだけれどね」
「こんだけやって中1かよ……」
「マシな方よ。この前まで円周率も知らなかったのよ?」
「え?さすがに馬鹿すぎでしょ!?」
これには軽井沢もびっくり仰天である。円周率は小学校でも繰り返し繰り返しやる算数の基本だと思うんだが。
「うるせえよ軽井沢。お前だって知らねえんじゃねえの」
「いやいや3.14くらい知ってるから」
「もうやめてくれ。お前らの学力は大体見えた。大丈夫なのか堀北」
レベルの低い会話を聞いていられなくなったのか、幸村が言う。
「大丈夫よ。基礎学力はこれだけれど、テスト範囲に関してはある程度答えてくれる。赤点は取らないわ。あなたこそ、長谷部さんたちの方は大丈夫なのかしら」
「問題ない。綾小路が保証してくれるはずだ」
「ああ。これ以上ないやり方だったと思う」
俺はその場にいることがほぼなかったので知らないが、カフェで一度見たときにはコミュニケーションはうまくいっていたように見える。
「問題作成の方はどうなのかな」
平田が俺の方を向いて聞いて来た。
「大体煮詰まってきた」
「ペースは問題ないわ。十分間に合うはずよ。質に関しても保証する。私たちでも8割は難しいくらいのレベルよ」
「そんなむずいのかよ。こりゃ退学者出るかもな!」
Cクラスには因縁のある須藤が少し嬉しそうに言う。少し釘を刺しておこう。
「Cクラスの退学者より、まずはDクラスが勝つことが優先だ。勉強はやめるなよ」
「わあってるっつーの」
堀北の教育の賜物か。素直だ。1学期とかと別人。
「テストに向けてバッチリみたいだね。クラスの誰かが欠けるなんて絶対嫌だから、皆で頑張ろうね」
「……あのさぁ」
櫛田の前向きな言葉に対する軽井沢の反応。俺含めて、恐らくここにいるほぼ全員が予想外の反応だっただろう。柔らかかった空気が一気に張り詰める。
「なんかさっきから綺麗事じゃない?櫛田さんは頭いいからいいかも知んないけどさ、テストのたびにギリギリなこっちのことも考えてよ」
「そんな……私はただ、全員が無事に合格してほしいって思ってるだけで……」
「冷静になってくれるかしら軽井沢さん。今はテストに向けての話し合いよ。無駄なことで時間を取らないで」
「堀北さんは黙っててよ。ねえ櫛田さん、ほんとはバカな私たちのこと心の中で笑ってるんじゃないの?」
「そんなことしないよ私っ」
「だったら簡単に大丈夫とか言わないでよ。赤点とったら責任取れるわけ?」
意味不明な軽井沢の逆ギレ。周囲もどう反応していいかわからない。
そんな中俺の視線は……さっきから同じ人物に注がれていた。
その時、ビシャっ、という音がした。
音の方を向くと、びしょ濡れになった櫛田と、ジュースが入っていた空のコップを持った軽井沢が目に入る。
リアルタイムで見てなくても状況はわかる。軽井沢がコップの中身をかけたんだろうが……あいつが何がしたいのか今はよく分からん。
「軽井沢さん!今のはダメだよ。やっていいことと悪いことがある」
珍しく平田が少し大きな声を出した。
「だ、だって……私が悪いわけ?」
「あなたが全面的に悪いわ軽井沢さん。櫛田さんにはどこにも非はなかった」
「私は平気だから、みんな軽井沢さんを責めないであげて、ね?」
非常事態に、全員少し落ち着きがなくなってくる。かくいう俺も少し困惑していた。
「どう考えてもお前が悪いだろ軽井沢」
幸村も軽井沢を責め立てるようにして口を開く。
「あっそ。そうよね、櫛田さん人気者だもんね。速野くんはどっちの味方なわけ?」
ついに矛先が俺に向いた。
どう答えるのが正解か、一瞬考えてから言った。
「ん、ああ、まあとりあえず謝ったらどうだ」
ひとまず常識的な受け答えを行う。
何がしたいかはよく分からないが、ひとまず謝っとくのがいいだろう。
「速野くんのいう通りだよ軽井沢さん。櫛田さんに謝るべきだ」
「悪くないと思ってるのに謝らなきゃいけないわけ?」
「まずは口にすることだよ」
彼氏である平田に言われ、無言で立ち尽くす軽井沢。
「……ごめん」
平田の説得に折れるようにして、軽井沢が謝罪した。
「ううん、大丈夫だよ。私ももうちょっと軽井沢さんを理解した上で発言するべきだったなって」
「なんか、ほんとにごめん。冷静じゃなかったかも」
今の一瞬で頭が冷えたのか、何回か櫛田に謝る。なんとかその場がおさまり、平田は安心した様子だった。
空気が変わると、また新しい疑問が浮かんでくる。
「そういえば櫛田さん、替えのブレザーはあるの?明日大丈夫?」
平田が汚れた櫛田のブレザーを見ながら心配そうに言う。
「実は前にブレザー一着ダメにしちゃってて、ないんだよね……」
「だったら近くのクリーニング屋に持ってけばいいんじゃねえか。俺も部活とかで汚した服はそこに持ってくぜ。今から持ってって、明日朝イチで取りにいきゃ間に合うだろ」
部活をやっている須藤ならではの経験だ。まあ、俺も入学当日に持って行ったことあるんだけどね。味噌汁がかかったブレザー。あの時まじでびっくりしたし、その藤野との付き合いが今も続いていることはもっとびっくりしている。
「その、お詫びってわけじゃないんだけど、クリーニング代は私に出させてくれない?」
「いいよそんな、気にしなくて」
「でも、全部私が悪いから、それくらいはさせて」
こうして落とし所がつき、この謎の一連の騒動は収束した。
もしあいつの狙いがそれなら……これはちょっといただけないな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
テストまで残り3日を切り、今日は問題の最終提出日。
少し遅くまで残っていた俺は、誰もいないDクラスの教室を出て職員室に向かった。
今頃堀北と綾小路が問題の提出を行なっているだろう。その現場に行くのだ。
階段を降りる。その時、不気味な笑みを浮かべながら職員室の方から歩いてきた龍園とすれ違う。向こうも俺に気づいたらしく、目を向けてきた。
「職員室に行ってみろよ。面白えもんが見れるぜ」
「言われなくてもそうするところだ」
「クク、そりゃいい。楽しみだぜ、今回の試験はよぉ」
まともに相手をするだけ無駄なやつだ。それ以降、俺は龍園に目もくれず職員室に直行する。
教室を出て3分ほど経ち、到着。入口のドアの窓から中の様子を覗いてみる。大丈夫そうだ。
そう判断し、俺はドアを開けた。
「来たわね」
誰よりも早く、俺の来訪に堀北が反応した。
「時間通りだろ」
「6時30分00秒……イヤミなほどちょうどね」
先程堀北に6時30分に職員室に来いと言われたのだ。
「どういうことだ堀北」
まだ事態を飲み込めていない綾小路が驚いた様子で俺を見る。
「彼にも協力してもらっていたのよ」
その協力の内容を聞いた時には本当にびっくりした。
「まさか『どんな難易度でもいいから、初めの一週間で期末テストの問題全てを作れ』なんてな」
「……初めの一週間で?」
「最初にこいつが提出しに来た時は驚いたぞ」
こんなに早く問題を提出されたのは茶柱先生も初めてのことなんだろう。というかそもそも、クラス内に敵がいる状況が滅多にあることじゃないからな。
頼まれたのは、堀北が櫛田の話を俺にした時。その情報提供の交換条件がこれだ。初めは割りに合わないとは思ったが、有効な手ではあったので乗ることにした。
「もちろん、いくら彼でも初めの一週間で作った問題がCクラスに通用するものであるはずがない。そこで、わざと1問ありえない難易度の問題を入れるように言ったのよ」
堀北の作戦はこうだ。
最初に俺に全ての問題を適当に作らせ、提出。確実に審査に引っかかる問題があることで、完全な提出は完了しない。
その問題の審議中に誰が提出しに来ようと、そいつが出した問題は受理はされても審議には入らない。もし仮に俺が提出した問題の全てが審議をクリアした場合、問題の量が超過してしまうからだ。
問題の分量がどれだけであっても、審議が終了して結果が伝えられるのは提出から24時間後(休日を除く)らしい。
そして俺は毎日午後6時に問題を提出していた。もちろん、誰にも分からないように適当に理由をつけて校舎に戻って。
審議されていた問題の修正版と、新たな人物による問題の提出が同時にあった場合、前者が優先されるということを堀北は初日に先生に聞いていたらしい。毎日午後6時に提出し続けることで、誰かが問題を提出するタイミングを強制的になくしていたのだ。
そしてこの場合、その「誰か」とは言うまでもなく櫛田だ。
「本当は、他の誰かが提出して来ても保留にしてほしいといえばそれで良かったのだけれど……」
「私を信用できなかったのだろう」
茶柱先生が薄く笑って言う。
そういうことだ。要は確実な安心感が欲しかったのだ。制度上不可能であれば、校則でも変えない限りそれが可能になることはあり得ない。
最初はかなりきついことを予想していたが、適当でいいということで本当に適当に作ったので想定は下回った。数学の(1)に3+6とか。英語の(4)に「日本」を英語で書け、とか。そして理科の(12)に確実に審議に引っかかるであろう医師国家試験の最難問を突っ込んだり。問題作成というよりほぼ作業みたいなものだったので大変というより眠かったな。
「Dクラスの最終的な問題は、今私が持っているこれでいいんだな」
「そうです」
「櫛田が提出した分もあるが、審議にかけられないまま保留という形になるだろう。それで構わないな」
「はい」
というより、それが最高の形だ。
「お前らの狙い通り、ということだな。結果を楽しみにしておこうじゃないか」
「ええ。それでは、失礼します」
堀北がそういったのを合図に、俺たちは職員室をでる。
「黙っていてごめんなさい。騙すような形になってしまったわね」
「いや、それでいい。正直まったく気づいてなかった」
多分、綾小路の鼻をあかしたい、という気持ちも少しはあっただろう。今まで利用されてばっかりだったからな。
「それから、あなたにも。一つ黙っていることがあるのよ」
綾小路の次に、今度は俺に向けて謝って来た。
「そうなのか。ってことは、聞かせてくれるのか」
「あまりいい話ではないけれどね。櫛田さんと数学の点数で賭けをして、私が負けたら私と綾小路くんが自主退学。私が勝てば、これから私の邪魔をしないことを約束する。そんな話よ」
「……なるほどな」
なんであの日以降、堀北が目の色を変えて数学の勉強をしていたのか、その謎が解けた。
「……それ、勝算かなり低いだろ。大丈夫なのか」
龍園と繋がっている櫛田なら、模範解答を入手して満点を取ってくるに違いない。
「分からないわ。それでもやるしかない。ここで退学するわけにはいかないもの」
決心固いようだ。瞳には強い力が宿っている。
果たして、このままで大丈夫だろうか。
自身の退学もかかっている以上、綾小路が何もしないとは思えない。だが、それに期待してもいいのか。
「……現時点で、俺が一番安全圏にいるってことだな」
「そういうことになるわね。櫛田さんもあなたを警戒していないわけではないでしょうけど、危ない橋を渡る必要はない、ということでしょうね」
俺も賭けの対象に入れた場合、否が応でも俺に櫛田の秘密が知られることになる。俺が櫛田の秘密を知っている確証が本人にない以上、無駄な危険を冒すことはできない。
「……まあ、頑張ってくれ。できれば退学するなよ」
「ええ、もちろん。『絶対に』退学しないわ」
強気だなあ……ただ、やっぱり危険が高いことに間違いはない。
今ここでこの2人に退場されると後々不利になる。
……仕方ない、か。
「じゃあ、俺はちょっと用があるから先に帰る」
「ええ。さようなら」
「じゃあな」
「ああ」
俺は2人の元を離れ、誰もいないと思われる校舎内を放浪した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ふぅ……」
それから3日後のテスト当日。……といってももう終わったんだけどな。
全ての科目はつつがなく終了した。4時間目の数学の時間に、櫛田が「なんでっ……!」と声を漏らしてしまうハプニングが発生したりしたが、テストに全神経を集中させていた多くの生徒にとっては取るに足らない出来事だっただろう。
俺も大きなミスはなく、しっかりとテストを終えることができた。軽井沢がどれだけ点数を取ったかは知らないが、おそらく俺1人分の点数でもノルマはクリアできていると思う。
「速野くん、答え合わせを頼めるかしら」
「はいはい」
なんの科目かはいうまでもない。数学だ。
(1)から順に、互いの答えが合っているか確認していく。
難易度はかなり高かった。いつもの勉強量ならあまりいい点数は期待できなかっただろう。だが、問題を作成していく過程で俺が作ってみた問題とかなり似ている問題もいくつかあり、個人的にはそこまで解きにくい問題ではなかった。
そして最後の(50)。空間図形の応用問題。
「a=2、b=4、c=1で体積は29だ」
「……同じね。私とあなたが同じ間違いをしていない限り、満点と言っていいんでしょうね」
「そうだな」
それだけ言うと、堀北は櫛田の元に向かった。綾小路もついていくらしい。
満点なら、堀北の勝利だ。間違いない。
とりあえず、一山は超えたか。
「ねえ、速野くん」
一安心していると、目の前に軽井沢が現れた。
「なんだ」
「その、テストちょっと自信なくて……大丈夫かなって思って」
表情には、いつもと違って申し訳なさが現れている。こいつこんな顔もするんだな。あまり軽井沢のようなイケイケ現役女子高生タイプと話したことないから分からなかったが、いつももうちょっとチャラチャラしているイメージを持っていた(偏見)。
「自信ないってどれくらいの点数だと思うんだ」
「全科目30点はあると思うけど……半分取れてるか分かんない」
「なら大丈夫だ。俺の方は全部80点以上は取れてるはずだ」
それを告げると、軽井沢の表情に安心感が宿る。
「あ、そうなの?よかったー」
と、同時にいつもの軽い感じも戻ってきた。名前の通り軽井沢ですね。ははは。
「あっ、別に速野くんの学力を疑ってたわけじゃなくってー」
「別に気にしてない。不安になるのはもっともだ」
そう返すと、軽井沢はありがとねー、バイバーイと言ってその場を離れ、いつもつるんでいる友人の元に向かっていった。
試験は明日も残っている。今日もまた帰って勉強だな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
テスト終了から2日後。
クラス内は緊張に包まれていた。
「では、2学期期末テスト、ペーパーシャッフルの結果を発表する」
これまでも、テスト結果発表のときは緊張感が走っていた。しかし、今日のは段違いに強い。
理由は簡単。この結果次第では、Dクラスはついにクラスが昇格するかもしれないのだ。
茶柱先生がゆっくりと結果を張り出す。
1枚目の紙には、個人の成績とペア合計の成績。
そして2枚目に、各クラスの平均点が書かれてある。
Aクラス……70.39
Bクラス……69.75
Cクラス……46.91
Dクラス……61.27
「と、いうわけだ。よく試験を乗り越えたな」
「「「「「うおおおおおおおおーーー!!!」」」」」
平均点は15点離れている。文句なくDクラスの勝利だ。
「お前すげえぜ速野!平均46なんて、Cからは退学者出たんじゃねえか!?」
今まで散々Cクラスにコケにされてきた須藤がテンションを上げて俺に言ってくる。
「お前にとっては残念かもしれないがな須藤、今回の試験で退学者は出ていない。だが、Cクラスには明らかな勉強不足が見られた」
それゆえのこの平均点、ということだろう。
正直、2組くらい退学者出るかと思ってたが、学校側に修正受けたのが大きかったかもな。
「それにしても……今回はAクラスがかなり危なかったわね。いつもの平均点を知っているわけではないけれど……いつもここまでギリギリなのかしら」
「Bクラスの調子が良かったんじゃないか。合同勉強会、案外効いたのかもな」
「そうね……」
堀北はまだ少しストンと落ちていないようだ。
「にしてもあなたは……本当にペーパーテストが得意なのね」
堀北は黒板に貼られている成績一覧を見ながら少し呆れ気味に言った。
「褒められてると捉えていいのか」
「少なくとも貶してはいないわね。数学で同点だった以外は全て負けているもの」
俺は必死の勉強の末に数学で満点、それ以外の科目でも全て98点以上を獲得するという高得点を出していた。堀北も点数的にはほとんど変わりはないが、2、3点俺に出遅れている。総合点では10点ほどの差がつくという結果に落ち着いた。
「まあ、取り敢えずは良かったな。退学することはなくなって」
「……そうね」
まずはあまり余計なことは考えず、その事実を素直に喜んでおくべきだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その夜。夕飯も食い終わり、そろそろ歯磨いて寝るか、というところで、携帯に短い通知が鳴る。
そしてその直後、今度は電話が鳴った。
充電していた端末を取り、相手を確認する。
予想通り、「藤野麗那」と表示されていた。
「もしもし」
『ごめんねこんな時間に。今大丈夫?』
「ああ」
『10000ポイント、入れておいたよ』
「確認した」
電話を取る直前に、しっかりとこの目で見た。
『今回もありがとね』
「別に俺はいいんだが……かなり危ない橋渡ったな」
『まあ、ちょっとね』
今回のAクラスとBクラスの平均点が異様に縮まっていた秘密は、藤野の暗躍にあった。
「クラスの反応はどうだった」
『あまり表立った不満は感じなかったけど、坂柳さんになってもこんなにギリギリなのかな?っていう不信感には繋がったと思うよ』
「期待通りではある、ってことか」
『うん』
この期末テストが始まると同時に、俺は藤野にこんなことを頼まれていた。
「Bクラスと合同勉強会を開いて、問題集にあるような少し高い難易度の作ってBクラスに共有して欲しい」と。
なぜこんなことを頼んだか。
期末テストへ向けての勉強も佳境を迎えていた頃のこと。藤野から一通のメールが届いた。
そこには、「次の勉強会の時にこの問題も一緒に共有して欲しい」という文章と、かなりの高難易度の数学の問題がファイルとして添付されていた。
恐らくこれは、Aクラス側が作った問題のうち、1番目か2番目に難易度の高い問題だろう。解いてみたが、正解にたどり着くまでに結構時間がかかった。
この問題のBクラスの正解率はかなり低くなると思われる。逆に言えば、Bクラスがこれを正解すると、それはクラスの平均点にかなり大きく影響する。
藤野は過去のすべてのテストのクラス別平均点を調べ、2、3点なら大丈夫だという判断のもと、俺にその問題を共有させたのだろう。
あの時の藤野の「順調?」という言葉には、問題づくりや俺の勉強の進捗状況だけではなく、「Bクラスとの合同勉強会は順調か」という意味も含まれていたのだ。
『万が一負けても、今はクラスが変わることはないから。負けた方が影響は大きかったと思うけど、ギリギリだったらどっちでもよかったかな』
藤野の目的はクラスの統一。現状は坂柳派を崩壊させることだ。もしそれが出来たなら、藤野の目標達成も近づくだろう。
そのためには藤野のこの活動がバレていないことが前提だが……
「……バレてはいないのか。坂柳はキレ者だと聞くが」
『バレてはない、と思う。ただ、今回の結果を受けて坂柳さんがどう動くかはちょっと予想つかないかな』
「……取り敢えず、バレないようにしろよ。明るみに出たら元も子もないからな」
『うん。ありがと』
ここで話題は片付いた。俺は電話越しの藤野にじゃあな、と言って、通話を終了。後にはツー、ツーという電子音が流れた。
こっちもひと段落ついたか。
あとは……
ひとまず原作6巻分は終了。引き続き7巻分も執筆して公開いたしますので、よろしくお願いします。ただ、7巻分というよりは6巻の続きと捉えていただいた方が分かりやすいかと思われます。お楽しみに。
感想、評価お待ちしております。
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第7巻
ep.53
では、どうぞ。
あーたーらしーいーあーさがきたー。
ただ、その朝は希望ではないのがたまに傷だ。
「寒いな……」
端末で調べてみたが、今日は割と寒いらしい。一応覚悟はして部屋を出たのだが、現在進行形で寒さを体感中だ。
これからに備えて、マフラーやコートなどの防寒着を買い揃えておいた方がいいかもしれない。冬は何回も経験するわけだしな。
期末テストも終了し、生徒たちは一息つける頃だろう。「ほっと」一息という言葉に反し、ここ最近は非常に「コールド」である。そして今の俺のギャグも寒冷化に貢献したことだろう。
冬休みも近づき、生徒たちの間では休み中に何して遊ぶとか、そんな話もちらほら聞こえてくる。俺にとって少し驚きだったのは、綾小路もその輪の中に入っていたことだ。なんでも期末テストへ向けての勉強会のメンバーに佐倉を加えたメンツで友人グループを形成しているらしい。一応グループ結成のはじめのきっかけを作ったのは俺だと思うんだが、残念ながらそのグループに俺はいない。
俺と馬が合うらしい三宅との会話が減ったわけでもないし、綾小路とも会えば二言三言話したりはする。ただ、ものすごい疎外感を感じるのは気のせいではないだろう。
グループのメンバーからして、結束が強いわけではないであろうことは想像できる。各々の都合優先で、予定があった時だけ集まる、そんな感じの良い意味で適当なグループなんだろう。だから、その疎外感は壁ほど厚くはない。精々金網くらいだろう。
だが、金網でもなんでも、あるのとないのとでは環境は全然違う。金網があればそれは障害物だし、同じ網でも七輪があれば肉が焼ける。
冗談はさておき。
その領域に入ろうとすれば、フェンスを超える必要がある。
しかしそれは、他人の領域を土足で踏み荒らすことに等しい。俺はそんなことをするつもりはないし、そもそも勇気はない。
「あ、おはよう速野くん」
俺のぼっち感を一人語りしていたところで、背後から突然声をかけられた。
聞き覚えのある声。すぐに誰だか認識できる。
「……一之瀬か。おはよう」
「うん、おはよっ。ちょっと寒くなってきたねー」
一之瀬帆波。Bクラスのリーダー。明るい性格でクラスを鼓舞し、強いリーダーシップとカリスマ性でクラスをまとめ上げるだけでなく、Bクラスのブレインでもある。俺が知る限り欠点らしい欠点のない完璧に近い人間だ。
「そういえば、まだちゃんとお礼言えてなかったね。勉強会の件、ありがとう」
「俺じゃなくて堀北に言ってくれ。提案者はあいつだからな」
「でも速野くん、私たちのために結構な量の問題作ってくれたでしょ?それも含めてだよ。結果は負けちゃったけどね」
「差は1点なかっただろ。惜しかったな」
よくぬけぬけとこんなこと言えるもんだと自分でも思うが、こう言っておくしかない。
「一問、速野くんが作ってくれた問題と解き方がほとんど同じ問題があってびっくりしちゃったよ」
「え、そうなのか。そりゃ良かった」
十中八九藤野からの問題だろう。そのおかげでBクラスは平均点が少し上昇している。
「DクラスはCクラスのポイント逆転したんだよね。もしかしたら3学期はCクラスなんじゃない?おめでとう」
「まだ油断はできないんだけどな」
ただ、トラブルメーカーの須藤は大人しくなり、クラスも結束力を増していることで、3学期開始までの間にもう一度Cクラスに追い抜かれるなんてことにはならないだろう。
長いスパンで見るとそうとも限らなくなってくるが。それを防ぐためには、Dクラスにある病気を治す必要がある。
場合によっては切除も必要かもしれないが、俺はその方法を取ることに気は進まない。
と、それを考えるのはここまでにして、俺は別のことを一之瀬に言う。
「協力関係の話、堀北と話す機会を持った方がいいんじゃないか」
もし仮に俺たちがCクラスに上がれば、今まで通りの協力関係、というわけにもいかない気もする。
「私も思ってたんだよね。堀北さん、いつ時間とれるかな」
「それは本人に聞いてくれ」
あいつも基本的に暇だとは思うが、俺の関知するところではない。てか、あいつ普段何してんだろ。
そんな疑問に思い当たったところで、校舎に到着し、一之瀬とは別れた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
昼飯の時間。俺はいつも通り、自作の弁当(夕飯の残り)を広げて食べ始める。
後ろの席の綾小路は、例のグループで食べるのだろう。授業終了と同時に立って幸村や三宅のところへ向かっていった。
「綾小路はぼっちを脱却したらしいな」
「そのようね」
俺の斜め右の席で、俺と同じように弁当を食う堀北。
1人好きであることを自称する堀北は、綾小路に友達ができようが興味はないんだろうな。
「今度はあなたの方が哀れね」
「なんとでも言えよ。1人でも苦に思わない点ではお前も似たようなもんだろ」
「そうね。苦に思わないというより、好きなのだけれどね」
「そうですか……」
格が違うと言いたいらしい。
まあ確かになあ。人生の友達いない歴でいうと多分こいつの方が長いしな。堀北もこの学校に入って大きな心境の変化とともに成長もしたが、友達ができたかといえば多分できてないだろう。須藤は協力者。綾小路も多分違う。平田はただのクラスメイト。櫛田とは論外。藤野とはただの顔見知りだ。一之瀬あたりが一番こいつの友達に近いかもしれないな。
「お前普段何してるんだ」
「……聞いてどうするの?」
何気ない質問だったが、不審がらせてしまったようだ。まあ同じこと聞かれたら多分俺も同じような反応だから文句は言えないんだが。
「いや、その道のエキスパートに暇つぶし術の伝授を頼みたいなと」
「あなた聞く気ないでしょう」
睨まれてしまう。殺気が見えるのは気のせいか……?
「……聞かせてください」
「はあ……別に言うほどのことはしてないわよ。勉強か読書。あなたも似たようなものでしょう」
「俺はあまり読書はしないな」
俺の部屋にある文庫本は数冊だけ。日常的に読書をする習慣はない。
それに対し、堀北は学校で暇さえあれば本を読んでいるといっても過言ではないほどの読書家だ。
「図書館で借りたりしてるのか」
勉強会などでよく使う図書館。素人の俺でも分かるが、あそこの本の貯蔵量は半端ではない。
「それもあるけれど、書店で買うこともあるわね」
「ふーん」
やっぱり読書か。
俺は無趣味というわけじゃない。強いて言えばバスケなんがが俺の趣味というものに当てはまるだろう。だが、冷え込んでくるこの時期に、かじかんだ手でバスケをやろうとは思えない。温い室内でだらだらと暇を潰せる手段が欲しいのだ。
今度図書館で本を借りてみるのもいいかもしれない。読書家になろうかな。それとも独書家になろうかな。後者の方はすでになってる説もあるが。
ここまで話したところで昼食を食べ終わり、弁当箱をさっと片付ける。
堀北の方も食べ終わったらしく、趣味である読書に没頭していた。こういう時にやることに困らないのが羨ましい。
俺の方はというとやることもなかったので、バッグに入っている問題集の適当なページを開いて解き始めるのだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
放課後は買い物の時間である。
いつも待ち合わせていた場所で藤野と合流し、食品館へ向かう道のり。
「藤野」
「ん?なに?」
「お前も休日何してるんだ」
堀北にしたのと全く同じ質問を藤野に問いかける。
違った立場からの意見も参考になるだろう。
藤野は少し考えるような表情をしてから、一つ一つ思い出すように言っていく。
「うーん……友達と遊びに行くことが多いけど、それ以外は勉強とか読書とか、インターネットで動画も見たりするかな。あとお昼寝もするよ」
流石というべきか。友達と遊びにいくという答えが求められていないことをちゃんと分かってくれている。
「昼寝か……」
新しいキーワードだ。夜の睡眠に影響がない程度に2、30分、くらいならいいかもしれない。
昼寝といえば、スペイン語圏で広まる「シエスタ」なんかが有名だろう。現地に行ったことはあるわけないのでよく知らないが、俺はいいんじゃないかと思う。
そんなことを考えていると、目的地のスーパーにたどり着いた。
少しいつもとは違う道を通って無料コーナーに到着。藤野はあらかじめ決めたものを、俺はその場で夕飯のメニューを考えて、質のよくない無料の商品をカゴに入れていく。
ここまでの淀みのない手慣れた動き。学校で主夫力競わせたらかなり上位に食い込むなこれは。問題は俺に働く嫁がいないので主夫とは呼べないこと。別に悔しくない。専業主夫は夢じゃないしな。働いたら負けどころか世の中稼ぐが勝ちだろ。やはり俺の労働理論はまちがっていない。漢字じゃないところがミソだ。
会計を済ませ(0円だが)、買い物袋を持って外に出る。
俺たちが通ったあと、開き切った自動ドアが閉まり始める音がするが、直後にそれが止まり、再び開いた。誰かが俺たちの後に通ったということだ。
特に振り返ることはせずに歩き出す。
「……ねえ」
その途中、声を潜めて話しかける藤野。俺に聞こえるようにするためか、口を耳元に近づけて言ってきた。
「……やっぱり、つけられてるよね」
「……」
口では何も答えず、小さく頷く。
店の中でいつもと違う道を通り、遠回りして無料コーナーに行ったのはそれを確かめるため。尾行されてるっぽいことは気づいていたので、お互いに暗黙の了解みたいな感じでそのルートを歩いた。
放課後すぐにスーパーにいく人はそう多くない。娯楽施設の集まりは別の場所にあるため、俺と藤野が買い物に行く際は人の流れに逆らうことになる場合が多いのだ。尾行するということは同じことをしなければならないので、必然、そいつも人とは違う方向に歩くことになり、バレやすくなる。尾行自体は下手ではないんだろうが、俺と藤野の行き先が災いしたな。俺が普段通りに寮に直行していたら、尾行に気づくのがもう少し遅れたかもしれない。
「……誰か分かるか」
「……分からない。同学年だとは思うけど」
藤野が分からないのであればAクラスではないということだ。
「……そういえば、なんか噂になってたよ。Dクラスを裏で操って、いろんな試験で勝たせてる策士がいて、その人をCクラス、っていうか龍園くんが突き止めようとしてる、って」
「ふーん……」
まあ、その流れがあること自体は知っている。船上試験でも本人が堀北の後ろにいる黒幕を引きずり出してやるとか言ってたしな。
恐らくそれ関連だろう。この学校の生徒にストーカーやらかすアホはいない、と思いたい。店員にはヤバイのが1人いたが。
「その策士ってさ……速野くんのことじゃない?」
疑う、というより単純に疑問の表情で俺に聞いてきた。
「いや、俺は別にクラスを勝たせたことはないぞ」
「でも結果的にはそうなってるでしょ?」
「……まあ、ほとんどな……」
ポイントがかかった行事でDクラスが敗北したのは体育祭のみ。無人島試験でも船上試験でも、ペーパーシャッフルにおいてもDクラスは勝利を収めた。俺も0.5枚くらいは噛んでいるので、藤野の言うように俺が勝たせた、という表現もできなくはない。
「これからも尾行されるのか……」
「多分、そうなるんじゃないかな。私が声かけようか?」
言われて、藤野が声をかけた時の状況を少し考えてみる。
「……いや、何もしなくていい。そのうち終わるだろうし」
「?そうなんだ……」
そもそも藤野が声をかけたところで、尾行する人間が変わるだけだろう。
それに藤野はイマイチ腑に落ちていないようだが、俺には確信があった。
この尾行は終わりが見えないものじゃない。10日くらい我慢すれば解放される。
「Cクラスといえばさ、この前の話、聞いた?」
あまり深く考えない方がいいと思ったのだろうか。藤野が話題を変える。
「いや、なんだこの前の話って」
Cクラスに関連する話題のうち俺の耳にも入ってくるのは基本的に小言や文句ばかりだ。いい話はほとんど聞かない。
「期末テストの直前のタイミングで、全員のポストに一之瀬さんが不正にポイントを得ている可能性がある、って手紙を龍園くんが入れたらしいの」
「……やっぱり聞いたことないな」
「時間帯が時間帯だったから、速野くんは見てないかも」
俺が見ていない間に全部回収されたということだろう。まあそんな手紙を放置しておくわけにもいくまい。
ただ、ふと疑問に思ったことがある。
「なんで龍園って分かったんだ」
「その手紙に龍園くんの名前が書いてあったんだって」
名前が、か……
「また乱暴なやり方をする奴だな……」
「ほんとだよね。結局不正ではなかったらしいんだけど……」
「違ったのか」
まあ、ポイントの流れは学校側に筒抜けだ。不正にポイントを稼いで退学させられた前例もある。一之瀬がどれほどのポイントを所持しているかは知らないが、学校側が不正でないというならそうなんだろう。
問題はそこじゃない。
こんなことをやった人物、それが本当に龍園なのかどうか。手紙本体に龍園の名前が書かれていたから龍園がやった?判断するのは早計だろう。
一之瀬の所持ポイントを知ることができた可能性があり、こんなことをやってもおかしくない人物。俺はその候補を1人知っている。
「まあ不正じゃないなら良かったんじゃないか」
だが、ひとまずそんな返事で済ませておく。人目があるということと、単純に言う必要性を感じられないことから、藤野にその候補は告げない。俺自身憶測でしかないからな。
これ以降、俺と藤野がCクラスや尾行に関して何か口に出すことはなかった。
同時に、会話も止む。俺も藤野も沈黙は苦手じゃない方なので、気まずくなるなんて問題も特に起きず、寮に到着してその日は別れた。
部屋に入り、少し考える。
あの時……5ヶ月ほど前、登校時に、偶然にも綾小路と出くわしたあの朝。神崎が貼ってくれた須藤の暴力事件の目撃者探しの貼り紙を発見し、神崎本人、それに一之瀬にも遭遇した。
あの時、綾小路は一之瀬に事件に関する情報提供者へのポイントの払い方を教えていた。
あの当時は分からなかったが、今は俺も匿名の人物にポイントを送る方法を把握している。その手順の中で、自らの所持ポイントが表示される段階があるのだ。
つまりあの時一之瀬とほぼ密着状態にあった綾小路なら、その画面を見ていてもおかしくない。
もし仮に龍園の名前を勝手に使っても、龍園は否定したりしないだろう。これに関しては、あいつはそういう奴だ、としか言えないが、綾小路なら当然それを分かっているはずだ。
そして周りも、今までの龍園の行動から「龍園ならやりかねない」と考える。犯人は他にいて、そいつが龍園になすりつけたと考える人物は少ないだろう。
それらの状況全てを利用し、綾小路が全員の郵便受けに一之瀬が不正をしているかもしれないという旨の手紙を入れ、龍園がやったと全員に思わせた。完全な憶測だが、全ての辻褄が合っているのもまた事実だ。
もしこの仮説が当たっているとしよう。綾小路は一之瀬の所持ポイントを見ていて、それがとんでもない額だった、ということか。
俺も自分が高ポイント保持者であると自負しているが、藤野からの依頼料を除き、俺のポイントは人を騙して得たものだ。当然、騙した人からは二度と信用されない。信頼とか、そういった類のものを重視しそうな一之瀬がそんなやり方をするとは思えない。
それに、明白に違反ではないと結論が出ている。俺のやり方も合法といえば合法なのだが、俺とは違って真っ直ぐな意味での合法で、初めての特別試験が実施されるより前に大量のポイントを得る機会があったということだ。
まあ、俺が考えても結論は出ない。そもそも仮説が当たっているかどうかも分からないのだ。一之瀬に所持額を聞いて揺さぶってみるのも手だが、無用な警戒をされるのはよろしくないしな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
藤野と食料調達をした翌日の放課後。今日は特に用がないので寮に直行する。
昨日より少し冷え込みはおさまっていて、過ごしやすい気温だと言える。これくらいの日が続いて欲しいもんだが、そうも行かないんだろうな。それどころか、今後さらに冷え込んでいくに違いない。やっぱり次の週末、コートとかマフラーとか買いに行こう。
これからの寒さを考えて少し憂鬱になりながらも校舎を出る。
昨日と変わらぬ人通り。寮に帰る者と、遊びに行く者、部活に行く者が同じくらいの割合で混在している。
俺はその中の寮に帰る者の流れに乗って歩き出した。
流れに逆らわないのって大事だと思う。これが野球なら流し打ちでヒットが打てる。
頭の中で3塁線に2塁打(実は左打ち)を放つ光景を思い浮かべながら、正門までの直線の道に差し掛かったとき。
やはり来た。
今日もやはり尾行はついている。昨日と同じ人物だ。追いかけるターゲットが藤野ではなく、俺であることが確定した。いや、そんなことは初めから分かっていたのだが。ただ、尾行してるこいつも出来ることなら藤野を追いかけたかっただろうな、とは思う。それでもちゃんと尾行してもらわなきゃ困るけどな。
少し冗談めかしたことを考えつつ、尾行がちゃんとついて来ているのを確認。そして俺は通学路を外れて路地に入るために右に曲がった。
そこは薄暗い路地。日光があまり当たらないので空気が少し冷たい。ここは少し入り組んでいて、普段は誰も来ない場所だ。ちゃんとした道を把握している人は少ないだろう。というか、普通こんなところ行こうとは誰も思わない。だからこそいいのだ。それでもあまり道が汚れていないのは、清掃員の人が頑張ってくれている証拠か。
俺は頭の中に地図を思い浮かべながらゆっくりとスピードを緩めて歩き、右に曲がって、さらに左に曲がる。
そこからまっすぐ行くと、行き止まりに突き当たった。
「……」
あれ、ちゃんと地図覚えたはずなんだけどな……とかそんなんではない。元からこの行き止まりを目指していた。
ゆっくり歩いていたので、当然俺を尾行していた人物もここにたどり着くだろう。
足音が聞こえてきた。
そしていま、その姿が見える。
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ep.54
綾小路は軽井沢という武器を手に入れ、堀北は須藤という仲間を手に入れた。
じゃあ、俺はどうだ。
藤野?いや違う。協力関係にあるが、先に挙げた二つの例とはベクトルが異なる。
クラス内で動く場合、2人のように武器があれば相当有利に働く。
となればやはり、手に入れるしかないだろう。
自分の武器を。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「?どうしたの速野くん?」
「……ん、いや、少し考え事をな」
少し表情に出てしまっていたのか、俺の顔を隣の藤野が覗き込むようにして見てきた。
冬も本格的に迫ってきており、冷え込みはますます強さを増す。
俺は先週末に買ったコートを早速着て登下校を行なっていた。購入したのはベージュのモッズコート。何着か試着して、一番違和感のないものを買った。
藤野が尾行に気づいた日から8日が経過した。
8日が経ったということは、今日は藤野と買い物に行く日でもある。それもつつがなく終わり、今は帰り道だ。
相変わらず尾行は続いているが、なんかもう慣れてしまった。藤野も尾行を経験するのは3回目ということもあって気にしてはいないらしく、そのことを話題に出そうともしない。
と、そんな時、俺の携帯が一件のメールを受信した。
「ん……」
俺は少し立ち止まって携帯を見る。
「メール?」
「ああ」
大したことのないメールだ。これに関して気にする必要はない。端末の画面を消してポケットに入れなおし、歩き出す。
「そういえば、もうすぐクリスマスか……」
通り過ぎた木にライトアップ用のLEDライトが見えたので、思わず呟く。
「そう、だね……。ライトアップとか綺麗そうだよね」
藤野にもさっきのLEDライトは見えていたらしい。
この学校は一応、こういう季節感のあることもするのだ。5月には屋根より高い鯉のぼりがあったし、ハロウィンの時期なんかだとくり抜かれたかぼちゃがあったりした。多分生徒の精神衛生に配慮してのことだろう。環境が良すぎるので忘れがちだが、ここの生徒は自らが望んで入学したとはいえ、学校の敷地内に閉じ込められてる状態なわけだしな。
因みに俺にクリスマスの予定が入っているはずもなく、何度目かわからないホームアローン(家で1人)を経験するだろう。
つまり問題は家で何をするかに移って行くわけだが、何しようかな。ホーム・アローン(映画)でも見よっかな。前に観たのは確か小4くらいだったか、めっちゃ笑った記憶がある。あれ確かトランフ○大統領出てるんだよな。
「はぁ〜っ……」
そんなことを考えていると、隣で手のひらに息を吹きかけ、擦り合わせている藤野が目に入った。
「寒いねー……最近起きるの辛くって」
「布団から出られないのか」
「うん」
分かる。寝ている間に自らの体温で温められた布団は、この時期だとかなり気持ちいい。そんな中目覚ましがなったりすると軽く絶望すら感じるわけだが、まさか遅刻するわけにも行かないので目覚ましを駆使して毎朝頑張っている。俺の場合昼飯も用意する必要があるので、早い時間に目覚ましをセットしている。その代わり休日はグースカ寝るけど。
その目覚ましも端末の機能だ。音量最大にしてセットしてるが、寮の部屋は防音性が高いので壁ドンを食らうことはない。というか壁ドンしても音聞こえないだろうな。因みにこれが「壁ドン」の正しい使い方だったりする。今広まっている※ただしイケメンに限る的な意味での「壁ドン」は新しく作られた用法だ。
「……あれ?」
「ん、どうした」
「……さっきまでついてきてた人、いなくなってる……」
まだ寮までの道のりは半分まで行っていない。その状況で尾行が途切れるのは、普通に考えるとおかしな話だ。
「……よく分からんけど、いなくなったのに越したことはないんじゃないか」
アイドルか何かでもない限り、知らない誰かに追いかけられたいという人はいないだろう(アイドルでも多くはないと思うが)。いないならいないでその方がいいに決まっている。
「そうなんだけど……ちょっと不気味かな、って」
まあ不気味さは否めないな。
「……まあ、大丈夫だろ。通学路には監視カメラも多いしな」
「うん……」
大丈夫だ。藤野に何か被害が及ぶことは絶対にない。龍園がそんなことをしても何一つ得はないだろう。
これからのことを少し考えながら、冬の通学路を進んでいった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
先日、奇妙な事件が起こった。
龍園が突如としてDクラスに訪れ、高円寺を呼び出して黒幕かどうかを確かめるという事件。
一見事件性はないように見えるが、色々あったのだ。例えば。龍園が高円寺の手鏡を破壊したり。高円寺の手鏡はお役御免となってしまった。本人は気にする様子もなかったけどな。
にしても、高円寺のワードセンスは謎だ。
龍園はドラゴンボーイと名付けられていた。坂柳はそれを気に入ったらしく、2回ほどその呼び方で龍園を呼んだ。1回目で龍園が「次呼んだら殺すぜ」と言い、2回目に呼んだ瞬間に龍園が蹴りを加えようとしたのだ。その時は坂柳に同行していた橋本が間に入って坂柳を守ったので大事には至らなかったが、橋本は吹き飛ばされていた。これが事件その2だ。
堀北はあの場の雰囲気について行けていなかった。まあ、龍園に坂柳に高円寺という、1年の中でもトップクラスにクセが強いメンバーが集まってたからな。堀北も割とクセが強い方だとは思うが、あの3人ほどでは無い。
龍園も、まさか高円寺が黒幕なんて本気で思ったりはしていないだろう。ただ無いとも言い切れない可能性を潰しにいったか、あるいは別の目的があったと考えるのが自然だ。一応その時は現場にいたが、いまいちよくは分からなかった。
ただ、龍園は最後に「黒幕は大分絞れた」と言っていた。
その絞れた中に誰が入っているか、俺には知る由もない。龍園はしっかりと正解にたどり着けているのだろうか。
まあ、そこに行き着く前にちゃんと手順を踏んでもらわなきゃ困るけどな。
と、いうわけで今日のお勤めは終了し、帰り道だ。
多くの人々の望みを無視するかのように、寒さは加速していく。コートのポケットに手を入れ、中に忍ばせているカイロを握りながら歩いていた。
閉塞的な環境のためあまり実感が湧かないが、ここは東京だ。1月や2月になれば氷点下を下回ることも予想される。そうなると、今までより引きこもり願望が増すこと間違いなし。先が思いやられるな……
そんなことを考えながらも、しっかりと目的地に向かって足を進めていく。
だが、その目的地は部屋ではない。
一刻も早く家に帰りたいが、今日はそれよりも大事な用事が今から数分後に控えているのだ。
俺が向かうのは、以前俺を尾行している奴と遭遇した場所と同じ。
通学路から外れた路地にある行き止まり。
一歩一歩踏み出すごとに、空気の温度が下がっていく気がする。しかし進むのはやめない。そのまま右へ左へ曲がって自ら行き止まりへ。
そして、まだ姿を見せない俺を尾行していた人物「たち」に向かって声をかける。
「……さっきからなんなんだ。なんでついてくる」
その声に呼応するようにして、尾行者たちが曲がり角の方から姿を見せる。
1人、2人……そして4人目が出て来たところで、その流れは止まった。
そのうちのリーダー格が、いつも通り不気味な笑みを浮かべて言う。
「いつまでしらばっくれていられるか、楽しみだぜ」
「しらばっくれる?今あるのはお前らが俺をストーキングしていたという事実だけだろ」
龍園、石崎、伊吹、そして山田アルベルト。全員がCクラスの武闘派だ。
俺をずっと尾行していた小宮は、ここには来ていないらしい。
「このまま誤魔化しあいを続けるのも一興だがな、お互い疲れるだけだぜ」
「俺が何を誤魔化すって?」
高円寺の時とは明らかに雰囲気が違う。強い威圧を感じる。
「言うつもりはないようだな。なら望み通り、俺の方から言ってやるよ。鈴音の裏で動いてたのはお前なんだろ、速野」
それを聞いた瞬間、俺は心の中で安心し、同時に感心した。
やはり龍園もキレ者だと。
「……何を言いだすかと思えば、お前が必死に探してる奴のことか」
「ああそうさ。逃げようったってそうは行かないぜ」
俺の運動能力が特別いいわけでないことも知っているようだ。戦闘で俺に勝ち目はないことをわかった上で言っているらしい。
ここからの話の持って行き方を間違えるわけには行かない。
「……なら、答えあわせでもするか?今まで俺が何をしてきたか、それだけ自信を持って言い切ってるなら、当然理解してるんだろ」
「ククク、M気質が強いらしいな。しっかり虐めてやるから安心しろよ」
自分がやったことを暴かれるので、確かに捉えようによってはマゾヒストかもしれない。だが、誤解はきちんと解かなければ。
「俺はMじゃない。推理小説なんかでよくあるんじゃないか。俺を犯人にしたきゃ証拠を出せってやつだ」
「クク、望みとあらばな」
こう言う言い回しがこいつは好きだろう。あえてそう言ってやる。
龍園の表情は変わらず、不気味な笑みを浮かべたままだ。
そして、ゆっくりと口が開かれる。
「真鍋たちを使って軽井沢を虐めさせ、それをネタにまずは真鍋たちに俺らCクラスを裏切らせた。そして虐められた過去を必死で隠していた軽井沢を脅して、お前の支配下に置き、利用した。どうだ、これで満足か?」
綾小路が軽井沢を支配下に置いていたことには想像が及んでいたが、まさか軽井沢が過去に虐められていた過去を持ってるなんてな……頭の片隅にもなかった新事実だ。
Cクラスの真鍋について俺は何も知らないが、軽井沢が綾小路に降った時期から推測すると、真鍋たちが綾小路によって利用されたのも夏休みの無人島試験終了後の船の上での出来事だろう。
だが、これで綾小路が今まで何をして来たか、その全体像が薄っすらと見えてきた。
「……ああ、満足だ」
俺は嘘をつかず、素直にそう答えた。本当に満足した。これで十分だと。
しかし、その瞬間、龍園が笑い出した。
「クク、クハハハハ!なるほどなるほど、やっぱりそうかよ!おもしれえ奴だなあお前もよ!」
「ど、どうしたんですか龍園さん……」
突然の龍園の豹変ぶりに、そばにいる石崎が思わずそう言う。
しかし聞き入れる様子は全くない。龍園は今自分だけの世界にいるようだ。
「やっぱそう来なくちゃなあ。Xを見つけた瞬間がこんなつまらねえ訳あるかよ!こいつはXじゃねえ、黒幕は別にいるってことさ!」
「別に……?何言ってんの龍園。さっきこいつは認めたんじゃ……」
「話を聞いてなかったのか?こいつは答えあわせをするとは言ったが、自分が黒幕だとは一言も言ってねえんだよ!」
まさに龍園の言う通り。もちろん俺は黒幕なんかじゃない。
「じゃ、じゃあ、こいつは一体……」
「本人に聞いてみようじゃねえかよ。どうだ速野、この茶番はXの指示か?」
俺は何も答えない。
無反応でも、龍園は勝手に話始めてくれるだろう。その予想通り、龍園が続きを話し始める。
「んなわけねえよなあ。Xなら、俺が何を言った時にどう答えるかまで細かく指定するはずだ。お前のその受け答えがXの指示だとしたらあまりにも無造作が過ぎる」
確かに、あいつならそこまでするだろうな。
「じゃあ何なのよこいつは?私たちはまんまと騙されたってわけ?」
「舐めてんじゃねえよ伊吹。これは想定外じゃねえ。Xへ向けての最終ステップさ。本命の計画は別にある」
恐らく強がりなんかではない。本当にそうなのだろう。
こいつは初めから本気で俺のことを黒幕だとは思っていなかった。高円寺よりも強い威圧を感じたのは、高円寺よりは俺の方が確率が高いから。俺を本命だと思っているなら、もっとちゃんとした「舞台」を整えるはずだ。
「だがお前も中々やり手らしいな。こりゃ掘り出しもんだぜ。Xの前にいきのいい前菜と行こうじゃねえか」
龍園の中で俺は金魚のフンから前菜までには格上げされたらしい。光栄と言っていいのか分からないが、素直に受け取っておこうか。
「俺は元々少し怪しんでたんだ。Dクラスの黒幕は2人いるんじゃねえかとな。全ての動きがX1人のものだと考えるとどうもしっくり来ねえ。俺とXは考え方が似ている。だが、俺とは相容れない行動がいくつかあったのさ」
要するに勘ということか。だが実際当たっているのでバカにはできない。
「例えば体育祭の直後、メールは俺だけじゃなく、俺の横にいた櫛田にも送られてきた。俺なら一つ証拠を用意できたら、わざわざ自分の足で出向いてまでもう一つの証拠なんざ作らねえ。この時点で俺は、Xが予想外に慎重なヤツなのか、黒幕はもう1人いるかのどちらかだと考えたのさ」
「俺の前で櫛田のことを言ってもいいのか?」
「お前なら当然把握してんだろ」
もちろん把握している。
櫛田のことを龍園から聞いたと櫛田本人にバラし、龍園との協力関係を強制終了させる手もある。しかし、正直櫛田が龍園に勝てるとは思えない。この作戦はボツだ。
……そろそろこの対応の仕方も面倒になってきたな。折角この会話も録音して何かに利用してやろうかとも考えたが、龍園は気にしている様子はない。どころか、俺が録音していることも見越した上で話しているんだろう。これ以上続けてももはや意味はない。
もう俺の目的は果たせた。あとは退散の方向に持っていくか。
「で、そのもう1人が俺だと」
「そうさ。お前のことを尾行してた小宮からお前に怪しい動きがあるってのも聞いたが、俺は自分しか信じない。最後は俺の独断で今日のことを決めたのさ。どうやらそれは間違いじゃなかったらしい。こんな面白えヤツを見つけたんだからな」
そう言うと、龍園はいっそうその口角を釣り上げ、俺に近づいてくる。
「お前の目的を言い当ててやる。Xと軽井沢の関係を知ること、だろ?感謝しな、わざわざ言ってやったんだからな!」
やはりそれか。
龍園はクラスを暴力で支配したと聞いていた。だから今日、ここでそれが使われることも予想の範疇ではあったが……そっちは得意分野じゃないんだけどなあ……
俺の顔に向かって高速で振るわれる龍園の腕を、俺はすっと避けた。二発目三発目を喰らわないように距離を取る。
しかし、ここは行き止まり。加えて伊吹、石崎、アルベルトが俺の進行方向を塞いでいる。四方八方敵だらけ。1ミリたりとも俺に勝ち目はない。絶体絶命の大ピンチ。
だが、別に勝つ必要はないのだ。負けなければそれでいい。
「お前の運動神経は高くないと思ってたんだが、中々いい動きじゃねえか。ここに監視の目はない。沢山楽しもうぜ」
「それはやめた方がいいんじゃないかな」
まるで救世主のように、その声はここにいる5人に降りかかった。
「あ?」
イラついた様子で、龍園が声の方向に振り返る。
「あなたたちの行為、これ以上続けるなら今撮影してる映像を学校側に提出することになるよ。ただでさえDクラスに追い越されそうなのに、そんなことしてる場合なのかな?」
「んだと!?」
「黙ってろよ石崎。……俺が今楽しんでんだ。外野が邪魔してんじゃねえよ」
その救世主の言葉に激昂する石崎を止め、そう言い返す龍園。
「外野じゃないよ。速野くんは私の大切な友達だから。龍園くんたちが速野くんに続いて狭い路地に入って行ったって聞いたからまさかと思って来てみたけど……」
右手に携帯を持ち、龍園にも臆することなく話す少女。
そう、Aクラス、藤野麗那だ。
「おいおい、女に頼るのかよお前は。情けねえな」
「頼るも何も、偶然来たって言ってただろ。お前は高円寺に同じようなことしてるから噂になるのも当然だ。何にせよ、お前が今ここで俺に暴力を振り続けることに意味はない。もし続けるなら、まだ本命が残っていながら仕留めることも出来ず、お前は停学処分を受けて自分の楽しみを遠ざけることになるだろうな」
龍園は自らの楽しみを邪魔されるのを嫌う。
この言い回しなら恐らく諦めるだろう。龍園にとっての至高は俺ではなく、あくまでX(綾小路)なのだから。
「クク、やっぱり今日来たのは正解だったぜ。お陰でしっかりと舞台を整えられそうだ。お前がXと繋がってんならそいつに言っとけ。首を洗って待ってろってな」
「生憎だが俺は繋がりを持ってない」
少なくともいま、俺がこのことを綾小路に伝えるメリットは何もない。というよりデメリットしかない。
「まだ物足りねえが、楽しみはまだまだこれからだ。Xを潰し、Dクラスを葬ってやるよ」
捨て台詞に、そう力強く宣言してみせる龍園。
アルベルトと伊吹は無言で、石崎は舌打ちをしながらその場を立ち去っていった。
「ね、ねえ、大丈夫なの?」
藤野が心配そうに聞いてくる。
しかし、俺が心配することじゃない。
「大丈夫だろ」
龍園は黒幕探しに関して、自分から仕掛けているつもりになっているかもしれない。
そもそもそれが間違いなのだ。
さっき龍園から、X(綾小路)が軽井沢を利用して真鍋たちを裏切らせていたことを聞いて確信に変わった。綾小路は真鍋たちが龍園に裏切りを隠し通せないことも、いずれ龍園が軽井沢にたどり着くことも前提で動いていた。
そして恐らく、龍園がどんな方法を使って自分をおびき出してくるか、どのような形で決着をつけようとしてくるか。それも全て計算に入れ、その上で戦うつもりなんだろう。
おびき出す方法に関しては予測しかねるが、どのように決着をつけようとするかくらいは簡単に予想がつく。
さっきと同じ、振り切れた暴力だ。
相手の土俵で戦って龍園の心を折り、龍園との戦いを完全に終結させる。恐らくここまでが、真鍋たちを裏切らせた時点から描いていた綾小路のシナリオだろう。
全く末恐ろしい。利用できるもの全てを利用し尽くし、最後に勝つのはあいつ自身だ。俺の予想が当たっているなら言うに及ばず、当たっていなかったのなら、これよりもっと深いシナリオが用意されているということだ。ちょっとそれは怖くて考えたくない。
俺の方は暴力で勝てないから藤野に頼っていると言うのに。龍園の言う通り情けないのかもな。実力差は歴然か。
「もう……ちょっと怖かったよ。相対してみるとちょっとすごい雰囲気あるね、龍園くん」
「まあ……そうかもな」
理解はできる。存在感がとにかく濃い。藤野のいう雰囲気というのは恐らく、喧嘩慣れしているとか、そういった意味だと思うが、あれで頭の回転も半端ではないのだから驚かされる。
「やっぱり、Dクラスの策士は他にいるんだね」
藤野が来たのは、当たり前だが偶然ではない。
もし暴力沙汰に発展しそうな場合、俺が藤野に向けて空メールを送信し、現場に来た藤野がそれを止めるという手筈になっていた。そしてその協力を得るために事情を少しだけ明かした。
龍園の言っているDクラスの策士は本当に存在すること。そして俺はその動きを探るために行動したということ。
「そうだ。近々決着するんじゃないか」
「え、そうなの?」
「いつになるかは龍園が仕掛けるタイミング次第ではあるが、そう長引くこともないと思うぞ」
本命のプランがあるって言ってたしな。
まあ、結末は恐らく……あいつが負けるとは思えないな。
龍園との対決もそろそろ最終段階に入った。
俺の方も、そろそろシメに取り掛からせてもらうとするか。
ポケットから端末を取り出し、手打ちでメールアドレスを入力して一通のメールを送り、再びポケットの中にしまった。
出来るだけ臨場感出そうとしたんですが……難しすぎて。こんな文章でも楽しんでいただければ幸いです。
感想、評価お待ちしております。
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ep.55
では、どうぞ。
冬休みがやってきた。
学校がない。それだけで生徒たちの生活リズムは大きく変わるだろう。
もちろんちゃんとした生活ルーティンが完成している人ならば話は別だが、大半は俺のように昼近くまで眠りこけてるはずだ。
ところで先日、妙な噂を耳にした。
龍園がCクラスのリーダーを放棄した、と。
つまり、俺の予想通り綾小路が龍園をコテンパンにやってしまったということだ。多分終業式の放課後に。
まあ、結果以外にも裏でさまざまな駆け引きやらなんやらがあったんだろうが、俺にとって大事なのは「龍園が失脚した」という事実だけだ。お陰でことがよりスムーズに運ぶ。
俺はひとまず、Cクラス内の状況がどうなっているかを確認するためにある人物に電話をかけた。
時間は夜8時。問題はないはずだ。
手打ちで番号を入力し、端末を耳に当てる。
すると、数コールほどなったところで相手が出た。
「もしもし」
『……んだよ』
聞こえてくる嫌そうな声。
「機嫌が悪そうだな」
『悪いに決まってんだろ!お前のせいで……っ!』
「そりゃ濡れ衣だ。元はと言えばお前らの対策不足なんだからな。敵なんだし、そこを突くのはごく当たり前のことだ」
『っ……早く要件を言えよ!』
苛立っているのがわかる。相当俺のことが嫌いらしいな。まあ当然か。
「龍園がリーダーを降りたと聞いた。本当か?」
『……ああ。本当だ』
「お前らにはどう説明されてる?」
末端のこいつに説明されたことが本当である可能性は限りなく低いが、そこから得られるヒントもあるだろう。
『……龍園さんが石崎たちに暴力を振るおうとして、返り討ちにあった。本当にそれだけだ』
「なるほどな……」
綾小路に特攻したという事実は何も話されていない。嘘濃厚だな。
俺は龍園の性格を把握しているわけではない。全くもって理解不能な謎の男だ。だが、もし綾小路1人にフルボッコにされ、面目もプライドも丸つぶれになった場合、龍園は退学する道を選ぶものだと思っていた。だが、あいつはそれをしなかった。
案外往生際が悪い奴だったのか。
あるいは、ここにも綾小路が一枚噛んでいるのか。
「そりゃ気の毒に。まあ何にせよ、3学期からDクラスだな」
『……クソが……!もうやめてくれ!これ以上クラスを裏切るのはっ……』
やめてくれ、というのは、つまりもう脅すのをやめてくれということか。
「良心が痛む、か?何回も説明しただろ。全てはお前、いや、お前らに落ち度があるんだ」
『く……』
まあ、クラスを裏切り続けるのは辛いだろう。
自ら進んで裏切った櫛田と違って、こいつの場合俺に脅されたことによって裏切っている。色々思うこともあるはずだ。
「わかった。クラスの裏切りはやめさせる」
『ほ、本当か!?』
「ああ。ただ条件があるが」
タダでは返さない。
『な、なんだよ、条件って……』
「気構えるなよ。難しいことじゃない」
無理難題を叩きつけるつもりはない。
「口止め料。今50000ポイント払えるなら、もう俺はお前に脅しをかけるようなことはしないと約束する」
かなり譲歩した方だ。こいつに裏切りを続けさせるか、今ここでポイントを得ておくか、メリットデメリットを天秤にかけて決めた。
『ご、50000……そんなポイント、今すぐには無理だ……』
恐らく足りないんだろうな。こいつはあまり計画的に使うタイプじゃないだろうし。
「ないのか?なら分割して払ってもいい」
新たな道を示してやる。
そして、そこからさらにハードルを下げる。
「まあ、お前も持ってるポイントは少ないだろうからな。5000ポイントでもいいぞ。とにかく払えばそれでいい」
かなりの格安だ。この提示額にはこいつも驚いているだろう。
だがこれでいい。
『ご、5000……だな?それなら……』
5000ポイントで解放されるなら安いものだろうと判断したらしく、肯定のニュアンスの返事を返してくる。
「よし、じゃあ成立だな」
こいつを使うより、今ここで5000ポイントでも得た方がプラスだ。
もともとこうするつもりではあったしな。
期待通りの成果を得られ、俺は通話を終了した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Cクラスの裏切り者は、龍園の言っていた真鍋たちだけではない。
もう1人いる。
では、なぜその人物が裏切ることになったのか。
事の発端は、今から約半年前。
「……何だあいつら。どこ行くんだ?」
傷だらけの3人が、手当もせずにフラフラ歩いている。
不思議なのは、行き先が保健室じゃないということ。不思議に思って、少しついて行くことにした。
バレないように、後ろからその3人の姿を追う。まあ向こうは追跡者なんて気にしてる余裕もないくらい痛そうだが。
その3人は、なぜか校内でも割と有名なクラブの前で立ち止まった。
「……はあ?」
思わずそんな声を漏らしてしまう。いやまずは保健室行って手当しろよと。
ますます不可解に思い、俺もそれについて行く。すると3人は中に入っていった。俺はこの時点で端末のカメラを起動し、映像を録画し始めた。俺も店内に入る。
すると、すぐに会話が聞こえてきた。
「りゅ、龍園さん……い、言われた、通りに……で、でも、もしかしたら、見られたかも……」
「須藤を挑発して、な、殴りかかってくるときに……誰かが、いたような……」
そう訴える3人。須藤を挑発した?なるほど、だからこの有様なのか……
すると、後方から出てきた、ものすごいガタイの黒人の大男が、3人をしばき始めた。
「ぐあっ!がっ……!」
痛そう。須藤からのダメージも蓄積してるだろうから相当だな……泣きっ面に蜂というか、踏んだり蹴られたりというか。いや、この場合は踏まれたり蹴られたりか。
そんなどうでもいいことを考えつつ、しっかりとカメラを回す。面白いネタになりそうだ。
誰かは知らないが、この映像はうまく使わせてもらおう。
1学期に起こった須藤の暴力事件。俺が初めから須藤が嘘をついていないことを確信していたのはこの場面を見ていたが故だ。その上、俺は映像をしっかり記録している。俺が初めからこれを証拠として使って学校側に提出していれば、あんな面倒臭い手法を取らなくてもCクラス側の全面敗訴となっただろう。
綾小路の部屋に集まって作戦会議のようなことをしたあの日、櫛田に石崎、小宮、近藤の写真を見せてもらったときには少し笑いそうになってしまったのを必死で堪えたのを覚えている。
そして俺は、生徒会も交えて開かれた話し合いに参加。俺は堀北に強制的に参加させられた形だが、もし誰も手を上げなければ俺が名乗りを上げていた。
俺にとっての話し合いの目的はCクラスに嘘を認めさせることでも、佐倉の証拠能力を主張することでもなく、石崎、小宮、近藤の中で誰が一番しらばっくれるのが上手いかを観察して見極めることにあった。つまりは裏切り者に指名する人物の選定だ。クラスにバレずに少し長い間働いてもらう必要があるからな。そのためには必ず協議に参加する必要があった。
話し合いの間、ところどころで合いの手を入れつつ、じっくりとこの3人を観察した。
そして、決めた。
一番上手いのは小宮だ。
注目したポイントは、ほとんどの人間が持っている、嘘をつくときに出てしまう特徴的なクセだ。石崎は嘘をついているとき、瞬きの回数が異常に多くなる。近藤は貧乏ゆすりが目立った。
対して小宮にはそのようなクセが認められなかった。事実を話すときも嘘を話すときも、同じトーン、同じ雰囲気で話すことができている。嘘をつくのが上手いということだ。
そこから俺はターゲットを小宮にしぼって行動した。
話し合いの直後、石崎とぶつかったふりをして小宮のポケットに俺の端末を仕込んだ。
GPS機能を使って携帯の在り処を調べる際、携帯の場所表示が移動していれば、見つけにくく面倒臭い、と普通は思うだろう。あの時、俺がその位置情報が動いていることに対して「よかった」といったのは、小宮がまだ携帯を仕込まれたことに気づいていないか、気づいていたとしても放ったらかしているか、どちらにせよ小宮が手に持って移動していると確信できたからだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
借りている綾小路の端末から俺の端末に電話をかける。
音を頼りに探すわけじゃない。小宮が電話に出るはずだ。
『もしもし?』
声で確信する。小宮だ。
「あー、もしもし?いまその携帯、あなたが持ってるんですか?」
『あ?そうだけど』
「実はそれ、俺のなんですよ。今から取りに行きたいので、できればその場に止まっててくれません?」
『は?面倒くせえな』
「時間は取らせません。友達が一緒にいたら、先に行っててもらってください」
『分かったよ……早く来い』
「すいません。すぐに行きますんで」
そう言って、電話を切った。
どうやらうまく行きそうだ。綾小路の端末で俺の端末の位置情報を確認し、その場所へと向かう。
それとなく言った通り、石崎と近藤は先にどこかへ行ったようだ。これでここには俺と小宮だけという理想的な状況が完成した。
「な、お、お前さっきの!なんだよこんなところで!」
俺の姿に驚く小宮。まあ、携帯の持ち主を待ってたら敵がきたんだからな。その反応も自然だろう。
「俺がお前の持ってる携帯の持ち主だ。返してもらいに来たんだよ。悪かったな」
「あ、ああ……」
小宮が差し出した端末を、俺が受け取る。
それを手に取った直後、小宮がハッとしたように俺に聞いた。
「……ちょっと待て。お前、それどこで忘れたんだ?」
覚えのない端末が自分のポケットに入っていた。不審に思うのも当然か。
「気になるか?」
「早く言えよ!」
俺の語り口にどんどん苛立ちを増す小宮。
俺は隠さず、正直に答える。
「忘れたんじゃない。仕込んだんだよ。さっき石崎にぶつかったときに」
「は?何言って……」
驚いた表情を見せる小宮。
「お前と話し合う場所を設けたかったからな。だからこの一対一の状況を作り出した」
「話し合う?説得でもする気かよ。俺らを殴った須藤が悪いんだからそんなのに応じるわけねーだろ」
「そんなことする気は無い。お前らは聞く耳を持たないだろ?」
「だったら何なんだよ」
問われ、俺は無言で端末を操作し、ある映像を再生した。
もちろんこれは俺が先日撮影したクラブでの動画だ。この須藤の暴力事件がCクラスによって画策されたものであるという証拠、実質的な自白の音声が次々と流れていく。
「話し合い、してみる気になったか」
「お、お前……いつこんなものを」
「まあ、お前らの不注意だな」
陰が薄いことがここで役に立つとは思わなかった。みんなあの巨漢の黒人が石崎たちに鉄拳制裁してる場面に気を取られて、俺には気づくそぶりもなかったからな。
「今日の話し合い、覚えてるだろう。生徒会長は『場合によっては退学も視野に入れる』そうだ。この証拠映像が漏れたらお前らは退学になるだろうな」
「そ、そんな……」
退学の恐怖から、小宮はその場に膝をついてへたり込んでしまう。嘘をつくのは上手いが、その嘘が決定的にバレたら素直な反応するんだな。
「どうするかな。ここまで切り札として出し惜しんできたが、どうも旗色が悪そうなんでな。提出させてもらおうか」
「な、そ、それだけはっ……」
「別に特別なことでもない。有利な証拠があれば提出する。よく考えなくても、本来当たり前のことのはずだ」
逆に言えば、今まで提出してこなかった俺の行動の方が客観的に見れば怪異極まりないと言える。
「そこで話し合いだ。お前の選択によっては、退学は免れるかもな」
「ほ、本当か……?」
「ああ。そのためにこの場を設けた」
相手の心理を読み、会話を組み立てることも大切だ。こういった駆け引きの場面での会話の持って行き方は理解している。
「お、俺は何をすれば……」
交換条件。俺は初めから考えていたことを予定通りに伝える。
「そうだな。……まず、この映像を30万ポイントでお前が買う。今この場でだ」
「さ、30万!?そんなポイントあるわけないだろ!」
そりゃそうだろうな。あえて無理難題を突きつけた。それによって、より次に提示する選択肢を取りやすくするよう誘導する。
「まあ、取り得る選択肢はこれだけじゃない」
ここからが本命。俺が今まで証拠を証拠として提出しなかった理由だ。
「もう一つは、お前が俺の指示に従い、Cクラスの情報を流すことだ」
「な……そ、そんなこと」
「お前の努力次第では可能だ。俺がお前を話し合いの相手に選んだのは、他の2人より人を騙す能力に長けていると思ったからだ」
あのクラブでの場面を見る限り、龍園は恐怖政治によってCクラスを統一している。それに逆らってスパイ活動をしろというのはかなりの恐怖心が伴うだろう。
それでも、今まで示してきた選択肢よりは断然取りやすいはずだ。特にいま、こいつは焦っていて冷静な思考や判断ができず、逆に言えば一時の感情に流されやすい。
「選択権はお前にある。退学か裏切りか」
選択権があるといいながら、これは究極の二択だ。どちらを選んでも死路。心理学者レヴィン言う所の回避ー回避型のコンフリクトがこいつの中で起こっている。
しかし、考える余裕は与えない。
「く……わ、分かった。クラスの情報を、お前に流せばいいんだろ……」
「よく決断したな」
これでひとまず、俺の目的は完了だ。Cクラス内の情報が欲しい時に手に入る。
まあ、全て流させるつもりはない。ある程度長く利用するためには、こいつに罪の意識が芽生え過ぎないよう、要求する情報は重要度の低いものにする。
「くれぐれも嘘の情報を流したり、クラスのやつにバレたりしないようにしてくれよ」
「そ、そんなことしねえよ」
だろうな。余計なことをして追い詰められるのはこいつだ。
話し合い、という名の一方的な契約の締結会議も終了し、俺は小宮に背を向けて教室に戻る。端末探しに使った綾小路の携帯、返しとかないとな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
俺が小宮を利用したのは大きく分けて4回。
1回目は船上試験。Cクラスが全グループの優待者をつまびらかにした後、どのクラスを狙い撃ちするのかを質問し、Aクラスだという回答を得た。それで俺は藤野派の生徒と結び、あの計略を実行することができたのだ。
2回目は夏休み明け。俺はDクラスに裏切り者がいるかと質問して、いる、という回答を得た。そこで俺は裏切り者に対処するための行動を取った。
3回目は体育祭直前。龍園は堀北を狙い撃ちするつもりかという質問に対し、YESという回答を得た。それで俺は体育祭での堀北と、堀北と同じ組にいるCクラス女子の動きを注意して観察し、携帯を持ち込んで龍園が木下の足を破壊する場面を撮影した。
そして4回目が今回。龍園が俺に接触するように、小宮には俺が怪しいと龍園に伝える役割をしてもらった。結果それも上手くいき、軽井沢と綾小路について踏み込んだ情報を入手することができた。俺を尾行する人物が小宮だったのは好都合な偶然と見るべきだろう。
ざっとこんなもんだ。4回目に関しては結構動いてもらったが、それ以外は無駄をなくすためのプラスα的役割がほとんどだ。いてもいなくても結果はあまり変わらなかったと思う。
船上試験でCクラスがAクラスを狙い撃ちするという事実を知らなくても、あの時Aクラス側に送らせる名前に間違ったものを2つ追加することで対応は可能だった。裏切り者=櫛田というのは俺の中で予測していたシナリオの一つだったし、船上試験での龍園の言動を聞いていれば、堀北が狙われると予測することも不可能ではない。4回目に関しても、龍園は最終的には自分が俺に接触するべきだと判断したから接触した、とはっきり言った。
それに、龍園の注目を俺に向けさせる布石もいくつか打ってあった。その一つが体育祭のとき。龍園が木下の足を破壊した後、「木下は大丈夫か」と問うことで、あいつに俺のことを印象付けた。
まあ何が言いたいかというと、小宮の存在は無意味だったわけではないが、同じ裏切り者でも櫛田と比べると戦力の桁が違うということだ。
さらに言えば、今気にかけるべきはCクラスではない。
来学期からCクラスに上がる身としては、Bクラスの動向の方が気になる。余計な考え事、具体的にいうと小宮のことについての負担はカットしたい。
もう一つ。果たして、小宮の心情はそれで晴れるだろうか。
俺が小宮と交わした契約は、小宮が俺に情報を流す代わりに俺はあの映像を学校側に提出しないことを確約するものだった。つまり、小宮は俺に従っている間は自分の身が破滅することはないとある種の確信をもって生活できる。まあ裏切ることによって別の心配事が頭を駆け巡っていただろうが。
だが、その確信もなくなった今、あいつは恐らく不安に感じているはずだ。そして、あえてかなり緩い条件であいつを解放した。あんな条件で自分を解放して、もしかしたら自分の身に何かがあるんじゃないか。そんな不安を掻き立てるために。
今までの裏切りがバレるかもしれない恐怖と、俺が何かするかもしれない恐怖。その板挟みにあい、小宮は自由に羽を伸ばして行動することはできなくなるだろう。それは龍園が政権から降りた後の新Cクラスの結束力不足にもつながる。
と、ここまでつらつらと小宮を解放したメリットを並べ立てたが、もうCクラスの情報を期待することができないというデメリットが巨大であることもまた事実。今日の俺の判断が吉と出るか凶と出るか、今の時点で予測できるはずもない。
すでに外堀は埋めた。あとは最後の仕上げを残すのみ。
油断せず、最後の最後まで気を引き締めて臨まないとな。
伏線の該当箇所を探して読んでみると面白いかもしれません。ぜひご覧ください。
感想、評価お待ちしております。
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ep.56
では、どうぞ。
12月下旬、某日。
俺はいま、ある人物と待ち合わせをしている。
現在地は、寮を通り過ぎたところにあるバスケットコート。1学期、俺が始めて佐倉と話した場所だ。
少し懐かしいな。確かあのとき佐倉はアイドルとして自撮りをしていて、俺に見つかったことに焦って逃げようとして電柱に追突したんだっけ。そんな佐倉も、今では綾小路や長谷部たちのグループで一緒に行動していると聞いた。子供の巣立ちを見守る親鳥の心境ってこんな感じだろうな。いや違うか。
「うー、さむ……」
そんなどうでもいいことを考えて寒さを紛らわせようとしたが失敗だ。カイロを両手で持ってなんとか暖をとる。
もう完全に真冬だ。それに夜ともなればさらに温度が下がる。間違いなく気温は一桁だ。唯一の救いは風があまり強くないことか。
初雪はまだ観測されていないが、近々降るだろう、と天気のお姉さんは言っていた。ここ最近は、雪が降らない所謂グリーンクリスマスが続いていたが、ホワイトクリスマスも期待できるかもしれない。といっても中学の頃、俺にとって雪に関するいい思い出はなかったが。今年は綺麗な雪景色を素直に綺麗だと思たらいいなと考えている。
俺がここにきて5分ほど経過したころだろうか。外灯に照らされ、こちらに向かって歩いてくる人影が見える。
この距離ではまだ誰かお互いに判別することはできないが、だいたい誰かというのは見当がつく。
「……速野くん?なんでこんなところにいるの?」
本当に疑問に思っているような表情で、首を傾げて問いかけてくるその少女。
「実は人を待っててな」
「へえ、そっか」
いつもの笑顔で、俺の目の前に佇んでいた。
その少女は、俺の隣に立ったところで立ち止まる。
「私もここで待ち合わせなんだよね」
「……そうなのか」
それはまた、面白いことも起こるもんだな。同じ時刻、同じ場所で待ち合わせなんて。
まあ、ちょうどいい。始めるか。
「なあ、一つ相談していいか?」
隣に立つ少女に、そんなことを問いかける。
「相談?うん、いいよ」
承諾されたので、俺は早速話し始めた。
「実はいま、ちょっと厄介なことがクラスで起こっててな」
「え、どんな厄介ごとかな。ちょっと知らないかも」
「まあ、それでも不思議はない」
その厄介ごとはほんの僅かな人間しか知らない。
「体育祭、覚えてるよな」
「もちろんだよ。負けちゃったけど、あの時からクラス一丸で、って感じになったよね」
「そうだったな」
あそこがDクラスの一つのターニングポイントだ。堀北が一皮向け、須藤に心境の変化があった。現時点でクラスに必要不可欠であろう2人の成長は、Dクラスに確実に影響を及ぼしている。
「あの時、妙に堀北がCクラスから狙われてたの、分かったよな?」
「うん。少し可哀想だとは思ったけど……でも、堀北さんすごく優秀だから、マークされちゃっても仕方ないのかも」
「でも、変だろ。騎馬戦で集中攻撃食らうのはともかくとして、ランダムのはずの徒競走で、あいつは全部の出番でCクラスの陸上部2人とかち合った」
「運がなかった、ってことじゃない?本当にランダムだったんだし」
普通ならそう思うだろうな。だが……
「俺もそう思ってたけどな。どうもそうじゃないって話があるんだ」
「どういうことかな?」
そう聞き返された瞬間、俺は一拍おいて間を整える。
ここからが本丸だ。
「どうも、Dクラスの参加表がCクラスに流れてた、って話がある」
「……」
「そして、それを流したのが……」
目線を外さず、むしろより強めて、俺はその先の言葉を口にした。
「櫛田、お前らしい、っていう話があるんだよ」
核心の一言を告げても、櫛田の表情はあまり変わらない。
だが、しっかりと見ていればわかる。ほんの僅かだが、櫛田の纏う雰囲気が強張った。
「……やだな。どこから聞いたの?」
「ああ、別にどこからってわけじゃないんだがな」
小宮というツールを使ったにせよ、櫛田が裏切り者であるという真実を掴んだのは俺自身だ。
「だから、今日はその真偽を確かめようと思ってここにお前を呼んだんだ」
櫛田がここを通りかかったのは偶然じゃない。俺が呼び出した。いや、正確には櫛田が来ざるを得ないようにした。
「……じゃあ、あのメールって速野くんが送ったんだね」
「そうだ」
櫛田にメールを送る際、俺は体育祭の時に櫛田に龍園の暴力の映像を送ったときに使ったのと同じ匿名のフリーアドレスを使った。
わざわざいらぬ情報を交渉相手に与える必要はないからな。
「どこでこんな映像を手に入れたかは分からないけど、あれ、なんの映像なの?私覚えがなくって」
言い逃れができないように証拠映像も添付して送ったんだが、あくまでもシラを切るつもりか。案外肝が据わってるな。
まあ、いいだろう。どうせ結末は変わらない。
「本当に覚えがないか?」
「うん。ちょっと分からない」
「そうか……俺にはこれが、ペーパーシャッフルに使用する問題をお前が勝手に提出しようとしてる場面にしか見えないんだけどな」
送りつけたメールに添付されている映像を流しながら、徐々に徐々に、真実に迫っていく。
「違うよ。多分、先生に勉強の質問しに行った時じゃないかなあ」
映像の再生が終了した瞬間、思い出すようにして櫛田が言った。
「覚えがなかったんじゃないのか?」
「そうだけど、私が職員室に行くんだとしたらそれくらいしか理由が思いつかなくって」
「ふーん……」
なるほど確かに。それでも説明はつく。
櫛田が裏切っているという事前情報の色眼鏡を外してみれば、櫛田の言うように勉強の質問に行っているようにも見えなくはない。それに、Dクラスのほとんどは、俺の主張よりも櫛田の主張の方を信用する。櫛田の言うことは辻褄が合っているし、俺より櫛田が得ている信頼の方が莫大だからだ。つまりこれは証拠映像、及び櫛田をおびき出す釣り針にはなっても、しっかりとした「材料」にはならない。
「なるほど。……自分で認めて欲しいってのはあったんだけどな」
「認めるも何も、私は何もしてないよ?」
いつもの櫛田だ。そう言う顔をされると信じてやりたくなる、こいつが裏切っているなんて信じたくない、そう思う人間が何人いることか。
だが、俺はさらに強く踏み込む。
「……本当か?」
再度、疑いの目を向けて櫛田に確認を取る。
「うん。私、Dクラス好きだから。裏切るなんてできないよ」
あくまでもいつもの笑顔でそう答える。
ならば、と、俺はさらに踏み込んで行くことにした。
「そうか……つまり、これ以上は何も出て来ないんだな?」
そう言うと、再び櫛田の雰囲気が僅かに強張るのがわかった。
「……どういうこと、かな?」
「お前が裏切ったと思わせるようは証言やら証拠やらは、もう出て来ないんだな?」
「それは分かんないよ。他のクラスの人が混乱させるためにそんなことをいい出しちゃう、なんてこともあるかもしれないし。でも私は本当に裏切るなんてことはしてないよ。それを言い続けるだけだから。信じて、くれないかな?」
一歩詰め寄った櫛田は、懇願するような目で俺の顔を見つめてきた。
表情を変えずに、俺も櫛田の顔を見返す。
可愛い。
完璧な笑顔だ。
素直にそう思う。
そして何より……薄ら寒い。
「なら、これも頑張って否定してくれ」
俺は端末を取り出して操作し、「あるもの」を再生した。
少しくぐもってはいるが、聞き取れるには十分な解像度だ。
『先生。期末テストの問題を提出しに来ました』
端末から流れてくる流れてくるひとりの少女の声。
『わかった。受理しておこう』
『それから先生、一つお願いがあります』
『なんだ櫛田』
『この問題文と解答は絶対に漏らさないでください。それから、私以外の誰が提出しに来ても、受け取るだけで保留にしてくれませんか』
『どういう意図だ櫛田』
『問題文をすり替えようとす「もういい。やめて」
まだ再生の途中ではあるが、櫛田の声に応じて停止する。
「……最初から私が裏切り者だって証拠を持ってたんだね」
こういった流れで展開していけば、逃げ道が狭まると考えた。
事実、ここまでのやり取りの中で櫛田は自らで自らの首を絞め、もう言い逃れできないところに来てしまった。
もっとも、弁明なんてつもりもないみたいだけどな。櫛田の様子を見ていればわかる。
学校では見せない、異様な雰囲気。普段はくりくりとしている目は釣り上がり、怒気とも怨恨とも取れない、黒々しい、禍々しいオーラを纏った櫛田がそこにはいた。
なるほど……これが「裏切り者」の櫛田か。初顔合わせだ。
「もう隠す気は無いようだな」
「馬鹿にしないで」
人っていうのはこんなに豹変するものだったんだな。改めて目の当たりにすると少し驚いたが、努めて冷静に会話を進める。
「それで……何これ。どうやってこんなもの手に入れたの?監視カメラの映像にその録音なんて」
一瞬、こいつに答えを伝えてもいいかを考える。
……まあ、問題ないだろう。すでに終わったモノだ。
「これは学校の監視カメラの映像じゃない」
真実を告げるが、櫛田は呆然としている。
「……は?どういうこと?」
「俺が後から付けたものだ」
学校のルールに触れるようなことでもなければ、学校側が一個人である俺に監視カメラの映像なんて提供するわけがない。
体育祭の前、茶柱先生と接触した時。
俺はある頼みごとをした。
一つは、体育祭で成果が出なくても綾小路の身は保証すること。
そしてもう一つ。
茶柱先生に他言無用だとして頼んだこと。
「茶柱先生に頼んで、体育祭の話し合いが本格的に始まる前に教室に1台、監視カメラを設置する許可をもらった」
「……」
「殆どのやつは気づいてなかったみたいだけどな」
俺が知っている中で、監視カメラが一台増えていることに気づいていたのは綾小路だけだ。
あの時、天井を見て違和感を覚えていたのは俺の設置したカメラが原因だろう。
「そしたら面白いものが撮れた。午後8時、誰もいない教室に保管されてあったDクラスの参加表を写真に撮ってるお前の姿が」
もちろん、その映像もいまこの端末の中にデータとして残っている。
「茶柱先生は、平田が全員に参加表を写真に撮らないよう指示したのを聞いている。それを破って、しかも夜8時に一人で参加表の写真を撮りにいくなんて、裏切ろうとしている人間以外に考えられない。撮れた映像を茶柱先生に見せてお前が裏切り者であることを確認させた上で、今度はペーパーシャッフルの前に、職員室の茶柱先生のデスクだけが映るようにカメラを設置することと、櫛田と先生が接触している際に会話を録音し、その音声の提供を約束してもらった」
茶柱先生が上位クラスに上がることを心の中で熱望している以上、クラス内の裏切り者の問題は解決してもらいたいはず。そのため、俺の頼みは断らないという確信があった。
「それがこの映像と音声……ってことだね」
「そうだ」
つまり正確に言えば、初めから櫛田に逃げ道なんてなかった。俺にとってここでのやり取りの肝は他にある。
「期末テストで私に点数をわざと下げるよう言ってきたのもあんたってこと?」
櫛田が口にしたのは、綾小路が行なっていた櫛田退学計画につながるものだった。
「……半分はそうだ。だが、残りの半分に関しては俺じゃない」
「……どういう意味?」
やはり、櫛田は「あれ」を全て俺がやったことだと思っていたらしい。
事の発端は、期末テスト本番前、カラオケでテストに向けての話し合いが行われていた際に軽井沢が取った不可解な行動だ。
妙な言いがかりの上に、軽井沢が突然ジュースを櫛田にぶっかけたのだ。
その後、平田や周りの参加者の説得や、軽井沢が結局素直に謝ったこともあり丸く収まったが……全員に違和感を与えたに違いない。
しかも、あの時点ですでに綾小路と軽井沢が繋がっているかもしれないことを疑っていた俺からすれば、あの出来事は綾小路の差し金だと思わずにはいられない。
軽井沢があんなことをしても、櫛田は軽井沢のことを責めたりはしないだろう。そして平田は軽井沢にしっかりと謝らせた後、櫛田の心配をする。その流れで、櫛田の「ブレザーの枚数」を尋ねるのは自然なことだ。ここまでは全て予想できる範囲だ。
ブレザーの枚数が1枚だと分かれば、あとは簡単なことだ。体育の時間などに櫛田のブレザーにカンニングの材料を仕込むだけでいい。その可能性に気づいて、ある日の放課後に櫛田の机の周りをくまなく探したら、案の定、カンニングの材料と思しきものが複数仕込まれていた。
「俺はこの出来事の背景にいるもう1人の作戦を利用して、お前に点数を下げさせただけだ。もっとも、問題が変わっていたようだから意味はなかったが」
「もう1人……?」
「お前の身の回りにカンニングの材料を仕込んだのは俺じゃない」
俺はそれを利用させてもらっただけ。
俺はカンニングの材料の証拠写真をエサに、櫛田にこの写真を学校側に提出してカンニング疑惑を争うか、数学のテストでわざと3問間違えるかの二択を迫った。
櫛田は間違いなくCクラスから模範解答をもらっていたはず。その確認が取れれば余計に疑惑は深まる。尚且つ、カンニングは厳罰に処される。つまり退学を宣告される可能性だって低くはないということだ。
それらを加味すれば、櫛田に選択肢は残されていない。
俺の予想した通り、櫛田はわざと間違える方を選んだ。
堀北が満点だったのを見て同点の可能性を考えずに堀北の完全勝利を確信できたのは、櫛田が確実に数問間違えることを事前に知っていたからだ。
「これがどういうことか分かるか」
櫛田にここまでの状況を整理させる。
「……どういう意味」
「お前が堀北を追い出したがってるのと同じように、お前を本気で退学させようとしてる奴がいるってことだ」
つまり綾小路だ。
だがそれは言わない。櫛田には常に退学の危険にさらされていてもらう必要がある。
「今回は俺が偶然見つけたからいいが、もし誰も気づけなかったら、お前は本当に退学処分になっていたかもしれない」
「……何が言いたいの」
「この状況を放置してたらお前がこの学校に居られる時間はそう長くはないだろうな」
目の前に突きつけられる、「退学」の可能性。
「だから何が言いたいわけ!」
俺の言い回しにイライラしたのか、櫛田が珍しく激昂する。
そろそろ告げてもいいだろう。
「俺はお前を退学させる気は無い」
ここに櫛田を呼び出した目的の核心的な一言を、俺は口にした。
「……はあ?」
だが、櫛田はイマイチ呑み込めていないようだ。
「お前はDクラスから失うに惜しい。もっと役に立ってもらう」
「何その上から目線」
心底嫌そうな顔で俺を睨みつける櫛田。
「クラスの一員として、邪魔されるより役に立ってもらいたいと思うのは当然だろ。……まあ、俺が言いたいのはそういうことじゃ無い」
クラスの役に立ってもらいたいのは本心だ。
逆に言えば、それ以外には全く興味がない。
「お前が堀北を追い出したいなら、好きにすればいい。クラスのマイナスにならない限りでお前が何をしても、俺は干渉したりしない」
「……意味、わかんないんだけど」
「そのままの意味だ。俺は堀北の安否には微塵も興味がない。堀北の追い出しに関しては協力もしないが邪魔もしない」
少し驚いただろうか。恐らく堀北を退学させることを諦めろ、的なことを言われると予想していたんだろう。
だが堀北も言っていた通り、これは堀北と櫛田の2人の問題であって、俺の関知するところではない。
「……結局あんたは何が目的なわけ?さっさと言ったらどうなの?」
苛立ちを募らせる櫛田。やはり勘は良いらしいな。俺が櫛田をこんな場所に呼び出し、このような話をしている目的。恐らくそれを分かった上で俺に聞いている。
「話が早いな」
話の展開や組み立て方は、全部思い通りに行った。
今ならもう言っても大丈夫だ。
「俺はお前を退学させようとしてる奴からお前の安全を保障する。その代わりにお前は俺に協力してもらう」
先生に頼んで教室にカメラを仕掛けたこと、退学させようとしている綾小路からこいつを守ったこと。全ては「櫛田」という強力な手札を手に入れるためだった。
「……どうせ拒否権なんてないんでしょ」
「俺が言うのも変だが、お前にとっても悪い話じゃないと思うけどな」
「ふざけないで!……あんたみたいなのに利用されるなんて、嫌に決まってるでしょ」
まあ……心中は察する。俺が櫛田の立場でも、俺みたいな根暗な奴にマウント取られるのは耐え難いだろうな。
だが、それは俺の目的を取り下げる理由にはならない。
「あんたみたいなの、本当大っ嫌い」
「そうか……。別に好かれたいとは思ってない」
俺が構築しようとしている櫛田との関係は、一方的な利用する、されるの関係。好印象を抱かれることがプラスなのは間違いないが、たとえ嫌悪感を持たれていても特に影響はない。
藤野との協力関係とは全く別物。そこに「信頼」なんて言葉は存在せず、嫌悪感と不信感がドロドロと渦巻き、それを無理やり押さえつけて利用し、利用される禍々しい関係だ。
「それに、お前が俺を嫌悪してたのは、実はもっと前からだったんじゃないか」
「……どういうこと」
「いや、違うなら違うでいいんだけどな。……具体的には、1学期の最初にあったプール授業、お前はあの時すでに俺のことを気に入らない存在として認識してたんじゃないか」
「……」
……反応を見る限り、図星か。ようやくストンと落ちた。
ずっと納得がいっていなかったのだ。
俺と櫛田が誤ってプールに落ちた時、俺の腕を掴んでいた櫛田の右手が俺の左手と絡み合うなんて偶然が、果たして起こり得るのか。
「プール授業があったあの時点で、Dクラスの男子のほとんどは既にお前のミーハーみたいな感じだったからな。お前にプラスの感情を抱いていない者はほぼいなかった。ただし例外がいて、その例外が高円寺、綾小路、俺だった。そしてこの中では一番チョロそうな俺から落とそうとした、ってとこか」
常識で言えば「自意識過剰だし。キモい」と言われて終わりだろう。
しかしこいつの裏の性格を知った以上、そう推測したくもなる。
こいつはあまりにも表裏のギャップが激しすぎる。恐らく池や山内なんかにも好印象なんて微塵も抱いていないんだろう。だが、好印象を抱いているかのように見せかけることで全員と仲良くできる。俺には到底到達できないほどのコミュニケーション力。だがその反動として、心には血反吐を吐くようなストレスがかかってくることだろう。
やはり、櫛田は単純に凄い。語彙が乏しくて申し訳ないが、素直に凄い、とそう思った。
改めて櫛田の方に向きなおると、櫛田が俺に聞いてくる。
「……で、私を利用して何がしたいの」
「今はなんとも言えない。だが俺たちは3学期からCクラスに上がる。必然的に課題は見えてくるはずだ」
今度は追うだけでなく、追われる立場でもあるわけだ。今までとは違った戦い方も要求されるだろう。
Cクラスの新たな牽引役として誰が担当するかは分からないが、油断はできない。
必要に応じて櫛田を使い、有利な方向に持っていく。
クラスは勿論、何よりも俺自身の利益になるように。
はい、7巻分終了です。主人公が櫛田を手に入れました。
7.5巻分はまさか佐藤とのエピソードを書くわけにも行きませんので、また違ったエピソードを考えようと思ってます。
また、7.5巻分の執筆が終わった後、原作の新刊が出るまでの間はオリジナルエピソードを数話書く予定ですが、それと同時に今までの話の文章の大幅添削をしようと考えています。
何かアドバイスがあれば遠慮なくコメントや活動報告にお書きください。お待ちしてます。
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第7.5巻
ep.57
では、どうぞ。
世間、もとい、高度育成高等学校の敷地内もクリスマスカラーに染まってきた。
先々週くらいからだろうか。夜にベランダから外を眺めると、ライトアップされた景色が目に入るようになってきた。普通に綺麗なので少しの間眺めるのだが、数分後には寒くなって毛布にくるまっている。
こう言った景色を見ると、「今年もクリスマスかー。もうすぐ今年も終わりだな」とか思ったりする。クリスマスツリーやライトアップは、そういった一種のシンボル的な役割も果たしているのかもしれない。
ところで、クリスマスの元々の意味を知っているだろうか。
まあ知らない人はあまりいないだろう。クリスマスという行事はキリスト教の開祖、つまりイエスキリストの生誕祭である。
と言ってもキリシタンを除く日本人の中に、イエスキリストの生誕を本気で祝っている奴なんてほぼいない。学生ともなると、みんな友達と過ごしたり、恋人と過ごしたり、ぼっちで過ごしたりするわけである。
ただ、ここで言及しておきたいのはクリスマスというイベントが持つ本来的な意味に立ち返るべきだとかそうでないとか、そういう話ではない。
実はイエスキリストが誕生した日はクリスマス当日の12月25日でもなければ、その前日のクリスマスイブである24日でもない。つまり重要なのは、産まれた日と生誕を祝う日は別である、ということだ。キリストの誕生日は不明ということになっているらしいが、どちらにせよ、生誕を誕生日当日に祝うことに固執する必要はないと思う。
キリスト教に関連して、宗教改革の先駆けとなったルターは、信仰義認説という概念を唱えている。信仰義認説とは、キリスト者が神の御加護を賜れるかどうかは戒律を守っているかではなく、その人自身の神への信仰心の強さに左右されるという考え方だ。
俺は神さまを信じたりなどしてはいないが、重要なのはそこではない。
ルターの信仰義認説は、生誕祝いの例に置き換えることができる。重要なのは誕生日当日におめでとうを言うことでも、プレゼントを渡すことでもなく、その人に対してどれだけ祝福の気持ちを持っているかだ。
どことなく浮ついた雰囲気というのは、外に出かけていても感じられる。
はいそこ、「お前外でんのかよ」とか思った奴……いや、そ、その通りなんだけど傷つくからやめて。
それに今日は少し特殊な事情もある。直接出かけるのがいいと思ったわけですよ。
店内のどこにいても、有名な「ジングルベル〜♪」のミュージックが耳に入ってくる。たまにJ-POPのクリスマスソングらしきものも聞こえてくるが、普段聴かないのでのでよく分からない。
以前買ったイヤホンはほとんど英語のリスニング練習にしか使ってないしな……たまーに聞く音楽は変な曲ばっかだし。一般の高校生の間では有名どころであろう曲に関する知識はゼロに等しい。
別に音楽に興味がないわけではない。ただ単純に新しいジャンルに手を出していないから知識が増えないというだけのことだ。
周りを見渡しながら、店内をぶらぶら歩く。
殆どの商品は何かしらクリスマスに関連づけて販売されていた。
包装の色が赤や緑だったり、これから子供達に配るであろうプレゼントがたくさん入った袋を抱えているサンタが印刷されていたり。あの手この手を使って消費させようと商業戦略を展開している。
サンタはフィンランドにあるコルバトントリという名前の山にいるらしい。このコルバトントリは、日本語で言うと「耳の山」。子供達の願いがよく聞こえるようにというのが名付けの由来らしいが……本当に聞こえているのかどうかは甚だ疑問だ。
そもそもサンタって親だしな。俺がそれに気づいたのはなんと4歳。サンタって誰だろうと気になって、クリスマス当日の夜、ずっと寝たふりをして様子を伺っていた。子供なら途中で寝落ちしてしまうのがオチで、それが子供らしくかわいいエピソードになったりするわけだが、俺の場合はなんと成功してしまったのだ。あの時の父さんの慌てようは今でも覚えている。まさしく慌てん坊のサンタクロースである。
少し子供の時のことを思い出しつつ、店内を徘徊する。
時々だが、見覚えのある人ともすれ違う。Bクラスだったり、Cクラスだったり……Aクラスだったり。まあ全員名前は知らないんだけどな。Dクラスとすれ違わなかったのは幸いだ。
と、そんな時。俺はある商品のコーナーで足を止める。というよりは足が止まった、と言ったほうが正確か。
俺はそこに入っていき、その商品を見る。
「……いいかもな」
俺がいくつか用意していた条件にもちゃんと合致している。
あとは色か……
色々手にとって、どれがいいかを吟味する。
そんな時。
「何かお探しですか?」
そんな女性の声が聞こえてきた。
一瞬店員かと思ったが、それにしては聞こえてくる角度がおかしい。
声は俺の腕関節のあたりから聞こえてきた。つまり、声の主はかなり身長の小さい女の人。そしてどこか聞き覚えもあった。
俺はそれが誰かを知るために振り向く。
「……」
「おはようございます。体育祭の時の全体集会以来、でしょうか」
「……そうかもな。おはよう」
Aクラスの筆頭、坂柳有栖。
そしてその横には知らない人。黒髪で、持っている雰囲気は少し堀北に似ている気がしないでもない。
「今日はどうされましたか?」
「え……あー、ぶらぶらしていただけだが」
言っておくが、俺と坂柳が話すのはこれで二度目。先ほどの坂柳も言っていたように一度目は体育祭で体育館に全員が集まった時で、そこでは藤野も隣にいたし、俺はほとんど話さなかったので実質これが初めてのようなものだ。未だにまともなコミュ力を有していない俺に普通の受け答えを望むの方が無意味というものである。
「うふふ、そうですか」
「……」
俺かなりキョドッてるだろうなあ……それに明らかに嘘ついてるし。無意識のうちに頭を掻いていたり、瞬きの回数が多くなっていても不思議じゃない。
「……それで、お前は何してるんだ」
「私はこの真澄さんと一緒にお買い物を。あ、速野くんは真澄さんのことをご存知ありませんでしたか」
「まあ知らないけど……」
「これを期に関わりを持ってみてはいかがでしょう?」
「やめて。何をさせたいの……?」
その真澄さんとやらに速攻で断られてしまう。いやまあ、俺も坂柳の言う通りにする気はなかったからいいんだけど。どうでもいいけど真澄さんとマスオさんて言い間違えそうになるよな。
「ところで、今お時間よろしいですか」
坂柳からの突然の申し出。無意識のうちに警戒心を強める。
「……何かするのか?」
「ちょうどすぐそこにカフェがあるので、一緒にお茶でもしませんか?」
おお……坂柳ってこういう感じの奴なのか。
正直にいうとあまり気は乗らない。普通ならここで断るのだが……
……まあ、ちょうどいい機会か。
「分かった。あまり時間を取らないことを約束してくれ」
「ええ。分かりました」
早く終わらせる約束を取り付け、俺は坂柳とともにカフェに向かった。
マスオさん、間違えた真澄さんもついてくるそうです。
言い忘れていたが、坂柳も真澄さんも容姿のレベルは高い。特に坂柳は先天性疾患か何かで杖をついているため余計に人の目を引く。そのせいで俺は結構いづらい。
数十秒の移動後、坂柳の言っていたカフェテリアにたどり着く。
人気店なのだろうか。割と繁盛していた。
「席は……あそこが空いているようですね」
坂柳のエスコートに従い、席に着く。俺は入り口側、坂柳とマスオさんは奥側。……あれ、俺今マスオさんって言った?じゃあ訂正。真澄さん。
店員が持ってきたメニューを見て、注文するものを決める。
あー……こういう時、コーヒーや紅茶に関する知識がないと困る。普段無料の水とかしか飲んでないからこういう高尚なものに触れる機会がない。
まあいいか。まさかハズレはないだろう。
「お決めになりましたか」
「ん、ああ、一応」
俺がそう返すと、坂柳は隣の真澄さんに目配せした。そして真澄さんが店員を呼び、注文を取る。
前から思ってたが、ちょっと異常だろこれ。態度が柔化しているように見えるだけで、やっていることは今までの龍園とあまり変わらない。家臣を従える王様、エンプレスだ。
「速野くんとこういう機会を持てて光栄です。他クラスの生徒とはあまり関わり合いがないものですから」
「は、はあ、そうか。こちらこそ……」
まあ、こっちは他クラスどころかクラス内での関係も希薄だけどな。だがこれは言わない。言ったら俺のメンタルにダメージが来るだけだから。こういう自虐ネタは心の中だけに限る。
「でも、こういう風に声かければ関わりが持てるんじゃないか」
坂柳が本当に他クラスのやつと関わりたいと思っているなら、な。
「誰も彼もこのように声をかけるわけではありませんよ。私は以前からあなたに興味があったんです」
「……はい?」
一ミリたりともドキッとしない。そりゃあ、こんな挑戦的な表情でそんなこと言われたら「何言ってんだこいつ」ってなるでしょうよ。
「学力であなたの右に出るものはいないでしょう。ですがあなたはこの学園でその長所を活かしきれていない気がします」
「……」
「しかし、学力とは違う面で、あなたはクラスに貢献しようとしていますよね」
「それは……まあそうだな」
「そして、プライベートポイントにも大きなこだわりを持っている」
「……ああ」
「そしてそのこだわりは……私にはどうも、あなたの過去に何か因果があるのではないか、そのように思えてならないのです」
「……」
俺の過去、か。随分と話がジャンプしたな。
別に語るほどのことは何もない。
「話すような過去はない、とお考えでしょうか?」
「えっ……」
「ふふ、人を形成するきっかけとなる出来事は、案外何気なかったりするものですよ」
「……」
ふむ。
もしかしたら、と疑ってはいたが……
「そうだな……」
俺の過去にあった何気ないエピソード。
いくつかあるが……どういう風に話そうかな。
「あれは3年前くらいだったか。ニュースでやってたの、覚えてると思うんだが……そこそこ大きい企業が不正カルテルで信用を落とした事件、あっただろ」
思い出すようにして、俺は話し始める。
「そんなこともありましたね」
相槌を打つ坂柳。
「実はあの企業、俺の親の取引先でもあってな。ちょっと被害を受けたんだ」
「……そうだったんですね」
少し驚いた表情をしてみせる坂柳。隣にいる真澄さんは無表情を貫いている。
「その時の生活の状況は……まあ、今でも思い出したくないんだけどな。とにかくそれで、俺はお金、ここでいうポイントに大きなこだわりを持っているのかもしれない」
「へえ……そんなことが。少し嫌な話をさせてしまいましたね」
「いやいいさ」
ここで俺は一呼吸おき、注文した青い紅茶をひとすすり。
「速野くん、嘘は感心しませんよ」
「……は、何だって?」
坂柳から放たれた一言。
俺の動きが硬直する。
坂柳は攻撃的な笑みを浮かべながら種明かしを始めた。
「人は嘘をつくときに癖が出ます。初めに私があなたに声をかけたとき、あなたは瞬きの回数が増えていました。そして頭も掻いていた。嘘をつくときに出る癖としては典型的なものです。その癖が、私に過去の話をするときにも出ていましたよ」
「……こりゃ手強い」
やっぱり、しっかりと見抜いたか。
「ある人物からのアドバイスで、坂柳に揺さぶられたら嘘を吐けと言われたんだが……その言葉を意識しすぎたな」
「その人物とは、噂に聞くDクラスの策士ですか?」
「それについては何も言えないな。俺も噂は耳にするが、正体を知ってるわけでも、そもそも存在を認識したわけでもない。実はDクラスにも謎なんだよ」
こいつが綾小路の存在を嗅ぎつけているか分からない以上、何も言うことはできまい。それに他のDクラスの奴に質問しても、返答は同じだろう。以前幸村や三宅が答えたように。
「もしかしたら……そういう揺さぶりをかけられたことがあるやつなのかもな」
「……ふふ」
口元に浮かぶ挑戦的な笑み。
さて、坂柳は俺の言葉から何を汲み取ったのか。
恐らく俺のクセは坂柳だけではなく、現在進行形で俺のことを失望したような目で見ている隣の真澄さんにも見抜かれていただろう。その真澄さんのように「何こいつ。嘘もつけないただの無能じゃない」という認識で終わればいいんだが……
そこから数分は何の益体もない世間話が展開された。
益体がないと言っても、真澄さんの名字が神室だということがわかったのは大きな収穫だな。これからは「神室」と呼び捨てできることと、マスオさんと間違えないで済むようになったのは大きい。
そうこうしているうちに3人とも注文したものを食べ終わり、他の客の迷惑にならないよう早々に会計を済ませ、店を出る。
「今日は時間を取らせてしまってすみません。とても有意義な時間でした」
「そう言ってもらえると助かる」
先ほどの攻撃的な表情は鳴りを潜め、今はおだやかな表情を見せている坂柳。神室は相変わらず無表情だ。
「それでは、またの機会に。プレゼント、喜んでもらえるといいですね」
「……どうも」
坂柳の視線は、先ほどの店の方向に注がれていた。
いや、まあ、バレてるとは思ってたけども。
こんなタイミングで言われると驚くので遠慮して欲しかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「……で、結局なんだったわけアレ。私にはただ勉強ができるだけにしか見えないんだけど。嘘もまともに隠せてなかった」
少しイライラしていた。
私は坂柳から、速野を見かけたら知らせるように言われていた。
一緒にいたくもない坂柳に振り回された挙句、成果がこれだけなんて。
無駄だとは分かっているけれど、それでも文句をぶつけるのがささやかなストレス発散だ。
「ふふ。真澄さんには、彼はそう映りましたか」
私の不満をそこら辺に落ちている石ころと同じような態度で受け流し、その代わりに意味深な言葉を発する坂柳。
「……どういう意味?」
「たしかにあの対応をされたら、お世辞にも有能な人間とは判断できないでしょう。しかし彼は私の目に留まった人ですよ」
だから実力が高いに決まっている、と言いたいのだろう。一々自信家だ。
でも、こいつにはその自信を裏打ちするに十分なほどの実力がある。私にはどうすることもできないほどの実力の差が、私とこいつの間にはある。そうじゃなかったらこいつに振り回される生活なんてとっくに抜け出してる。
「私は彼にコールドリーディングを行いました。しかし彼は誘導されるどころか、私に対してコールドリーディングを仕返してきた」
言われて思い出す。
たしかに一度、会話の主導権が速野に移った場面があった。そこでのやり取りは……普段坂柳が行なっているものと酷似していた気がする。
「コールドリーディングは、相手がコールドリーディングされていると気づいた時点で効果を発揮しません。彼は初めからそれに気づき、対処した。だから私は無意味と判断して会話を打ち切ったんです」
「……でも、嘘を吐くのは下手だったじゃない」
「そう捉えても仕方ないかもしれませんね。速野くんはそういう風に振舞っていましたから。恐らく彼の狙いは、私をあなたと同じように混乱させることだったんでしょう。つまり私が最初に彼に声をかけた時点から、嘘をつくときに瞬きの回数が増えたのも頭を掻く癖も全てはフェイクだった、ということです」
「まさか……」
あの一瞬でそんな判断が……?
「……じゃあ、あんたに声をかけられたら嘘を吐くように言われたっていうのは……」
「私に嘘を指摘されてから彼が言った言葉のほとんどは出鱈目でしょう。不正カルテルなんて毎年のように起きていますから、嘘とも言い切れませんけどね。私たちを混乱させるために嘘とも本当とも取れないことを言った、と捉えるのが自然でしょう」
速野がそのことを喋っていた時、速野からは嘘っぽさがまるで感じられなかった。その前の意図的に作り出された癖を見せられていたから、余計に分からなかったのだろう。
「もちろん、彼がただの無能という可能性もわずかながらありますが……その時は、私の視界から勝手にフェードアウトしていくでしょう」
正直、私は未だに信じられない。
成績が良く、運動もそこそこできて、比較的有能だってことは知ってる。でも、あそこまで嘘を吐くのが上手いなんて……
「龍園くんは自滅、一之瀬さんも、既に攻略したも同然です。もし速野くんが私の期待通りなら……ふふふふ、メインディッシュを葬る前の、いい前菜になりそうですね」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まあ、多分ふつうに気づかれてるだろうなあ。
坂柳のコールドリーディングは熟練者の域だ。俺みたいに見よう見まねで初めて実践するひよっ子と比べられるものではないはず。ほぼ確実に目をつけられたな。
少しの時間対面して1対1で話していただけでも、坂柳の挑戦的で攻撃的な性格はよく伝わってきた。今頃面白そうだとか思ってるんだろうな。
隣の神室は自分の意思で動いているわけじゃなさそうだ。恐らく櫛田や軽井沢と同様、弱みを握られて動かされている。
弱みを握られている人間がこの他にもいるなら……坂柳派の結束は思っているほど強くないのかもしれない。まあ、俺が人に言えたことではないが。
少なくとも、結束の強さで言えば藤野たちに分があるのは間違いない。
ただ、坂柳の視界に俺が入った以上、藤野との協力関係は少し難しいものになる。といえ、俺にメリットがある以上やめる気は無い。
俺には楽しむとか遊ぶとか、そういう余裕はない。
坂柳を上回りたい、とかそんな気持ちもない。
俺の欲求は、そんなところには存在しない。
坂柳って書くの難しいっすね……少し勉強します。
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ep.58
新刊の発売日、出ましたね。4月25日。ツイッターで見たので定かではないですが。
新刊出るまではオリジナル書き続けますので、よろしくお願いします。
坂柳との奇妙な対談から1日が経過した。
今日は12月24日。
イヴだ。
今日も特に予定はない……
はずだったのだが。
朝7時過ぎ。俺は上着の上にコートを重ね、外に出た。
玄関のドアを開けた瞬間、凍てつくような寒さが体に刺さる。
「寒いなやっぱり……」
太陽の恩恵を受けきっていないこの時間では、このぐらいの寒さは当然か。
それに昨夜は雪も降っていた。結構積もっている。
エレベータを利用して1階に降り、寮の外へ。
そんな時、俺と並行して同じ方向に歩く者の姿があった。
向こうも俺に気づいたらしく、こちらに声をかけてくる。
「速野。久しぶりだな」
「……どうも」
元生徒会長、堀北学。
話すのは夏休みのあの時以来か。
「ちゃんと行くようだな」
「……行くって、別にただの散歩ですけど」
俺がいま向かっている行き先とその目的はあまり外に漏らしたくない。
「誤魔化さなくて構わん。綾小路に頼んでお前を呼び出したのは俺だ」
「……そういうことっすか」
いつからこんなパイプ作ってたんだ綾小路は。
それはそうと、この「密会」にこの人が加わるとなると、話題は必然と定まってくる。予想からは少し外れていた。
俺も元会長も言葉を交わすことなく、あらかじめ決められていた集合場所に向かう。
しかしそこには予想外の人物が居座っていた。
「……まさかこいつらか?俺に会わせたいっつーのは」
Cクラスのリーダー、いや、元リーダー、龍園翔。
あの噂とこの傷を見ると……隣にいる綾小路にはこっぴどくやられたらしいな。
「生徒会長とは随分仲がいいらしいな。鈴音にも役に立つことがあったか」
綾小路の場合、元会長が堀北に制裁加えようとしていた場面が会長との初対面だろう。
どういう巡り合わせかは分からないが……恐らく、一年の中で誰よりも早く元会長に遭遇してるのって俺なんだよな。あのハンカチなくしかけた事件。懐かしい。
「お前もいんのか。場違いだと思うがな」
「本当か龍園。俺は少なくともお前と同等以上だと見ている」
俺を見下すような言い方をする龍園だが、なぜか元会長にフォローされた。
どちらの実力が上か。そんなことにはあまり興味が湧かない。いや、もちろん上ならばそれに越したことはないのだが、いざ相対した時、より強い方が勝つとは限らない。勝負は時の運とはよく言ったもので、勝つか負けるかが決定づけられるのは地力以外の要素であることも少なくない。
「まあいい。龍園も協力者、という前提のもと話を進めさせてもらう」
「待て、誰が協力者だと?」
「少なくとも敵ではないことは保証する」
まあそれだけでマシだろう。龍園に目をつけられると色々と面倒だ。敵でないということなら邪魔はしてこないはず。
「綾小路。以前の交換条件は覚えているな」
「ああ。南雲雅を止める手伝いだろう」
「南雲?新任の生徒会長か」
「そうだ。そいつのやり方が気に入らないらしい」
そして元会長は、南雲派になびかないであろう者を生徒会に入れようとしていた。その誘いを受けたのが俺と、恐らく綾小路だったってところか。
「2年はすでに南雲に支配されてるから、協力してもらうなら1年しかいないわけだ。一つ教えてくれよ堀北。いつからこいつらに目をつけていた」
「綾小路の場合は入学してすぐだ。速野は入学から一月が経った頃だったか。そっちはだいぶ時間がかかったようだがな」
綾小路はたしか入試で全科目50点を取って目をつけられたんだったか。目立ちたくないならそんなことするなよ、と思うのだが、今ならなんでこいつがそんなことをしたのか、それが分かる気がしないでもない。
「クク、俺は過程を楽しむタイプなんだよ」
「にしては随分と派手にやられたものだな」
「はっ、ここで試してやってもいいぜ?」
「遠慮しておこう。そんなことに興味はない」
「ま、そうだろうな」
それで納得したかに見えた龍園だが、俺は龍園が足で雪を蹴り上げる動作をした瞬間に左に避け、なんとか回避。
その雪で元会長の視界が奪われた瞬間、龍園は右のフックを腹に叩き込もうとする。
しかしそれを完璧にガードした元会長。落ち着いて後方に下がり、二撃、三撃に備える。
「賢いだけのガリ勉野郎かと思えば、なかなかやるじゃねえか」
「遠慮する、と言ったんだがな」
「不服ならいつでも仕掛けてこいよ。それとも、後輩相手には反撃できないってか?」
誰彼構わず挑発していく龍園。綾小路に徹底的にやられた後もそれは変わっていないらしい。
「頼もしい仲間を得たようだな、綾小路」
「オレもいまそう思ってるところだ」
「まあいいさ。それなりに出来る奴だってことは認めてやんよ。堀北『先輩』」
この龍園の挑発は一生治らないかもしれないな……
そろそろこの空気にも飽きてきたので、俺も口を開く。
「あの、そろそろ話を前に進めませんか」
この中で堀北先輩に敬語を使っているのは俺だけだが、だからといって今更タメ口なんて聞く気にならない。
「そうだな」
先輩は一度俺の方を見て頷いてから、本題に移る。
「綾小路にやってもらいたいことは学校の秩序を守り、維持すること。そのための手段は問わない。生徒会長の座から引きずり下ろす、あるいは、行動を自粛させる。なんでも好きな方法でやればいい。3学期になれば、南雲の権力はより強大なものになっていくだろう」
「そんなに権力が強くなるのか。具体的にはどれほどだ?」
「もちろん全てを操る力はない。だが、お前たちも知っているだろうが、学校内で起こった問題は生徒会が対応にあたる」
これは恐らく1学期の終わりに起こった須藤の暴力事件のことを言っているんだろう。古い記憶ではない。
「そしてもう一つ。生徒会には、下級生の特別試験の一部を考案、決定する権利も与えられている。お前たちは今年、無人島でサバイバルを行ったが、あれは過去の生徒会の案を参考にしたものだ」
「そうだったんですか」
それは知らなかった。特別試験のアイデア出しか。
以前の星之宮先生の口調から考えると、無人島を使った特別試験は星之宮先生や茶柱先生の代にも行われたと思われる。その時の試験を参考にしたんだろうか。もちろん同じ内容ではないんだろうが……恐らくそこに茶柱先生のクラスは参加できなかった、ということか。
話の時間軸を現在に戻そう。
堀北先輩が危惧しているのは、新しい会長が今までの特別試験とは違ったものを作り出すこと。
南雲先輩は、特別試験を使って何かをする可能性がある。実質的に自分の支持者獲得のための特別試験、というものが行われるかもしれない。
「クソつまらねえ学園生活を楽しくしようとしてやってんだろ?歓迎してやれよ」
「それが正しい方法であればな。だがこれまで南雲は多くの退学者を出す手法を用いてきた。今年の2学年の退学者は17人、そのうち、少なくとも半数以上に南雲の関与があった」
17人か……かなりの人数だ。それだけの人数が退学してれば、いずれ南雲先輩に逆らう人物は消える。
「生徒会長の座についた今、その影響は1年生や3年生にも及ぶだろう。年度が変われば、新しい1年生にも飛び火する」
「合理的じゃねえか南雲は。無能な奴らが退学していくんだろ?」
「ルールを破った者を除き、誰1人欠けることなく卒業まで導いていくことが理想の教育者というものだろう」
「だったら堀北元会長様は、今まで1人の退学者も出してねえってのか?」
「あくまで理想の話だ。だが少なくともお前たち1年生からは退学者が出ていない。理想を追い求めるのも悪いことではない」
「だとよ。お前らはどう思ってんだ、その理想とやらをよ」
「理解はできるが、少なくともこの3人が追求するものではないな」
「クク、その通りだ」
龍園や綾小路の言っている通りだ。だがこの2人と全く同じ考えという訳ではない。
俺としては……そうだな。チェスより将棋、と言ったところか。
1人の退学者も出さず、卒業まで導く。今その理想を追い求めそうな者は、俺が知っている限り一之瀬くらいのものだ。
……だが、一之瀬は南雲派なんだよなあ。不思議なことに。
そんな時、やおら龍園が立ち上がる。
「俺はここで帰らせてもらうぜ。なかなか面白え話だったが、これ以上は時間の無駄だ。じゃあな」
生徒会のゴタゴタに興味はない、か。まあ南雲体制になったとしても、龍園が下に落ちることはないだろうしな。
「おい、これからずっと1人でいるつもりか?」
去っていく龍園の背中に、綾小路が尋ねる。
「ほっとけ。俺にはこれの方が元々性に合ってんだよ」
龍園は立ち止まることなく、そう答え、寮の方へ消えていった。
「綾小路。俺と堀北先輩が来る前に、龍園と何か話したのか」
「少しな」
やっぱりか。内容は聞いても答えてくれないのはわかっているのでこれ以上は聞かないが。
「お前がこの話を龍園に聞かせたのは、あいつを仲間に引き入れるためか?」
「無きにしも非ずだが……オレが1年生の争いには興味を持っていないことを分からせる目的の方が大きい」
なるほど……まあ、納得できない理由ではないな。
「お前はどうする速野。これから話す内容を知る人間はできる限り少なくしたい。呼び出しておいて悪いが、興味がないなら立ち去ってもらう」
鋭い目線で俺を見る堀北先輩。
そりゃそうだよな。協力しないけど話は聞くなんて虫のいいことが通じるとは思っていない。
正直どちらでも良かった。
協力することにもしないことにも、同価値のメリットとデメリットがある。少し考えて、俺は結論を出す。
「じゃあ、帰らせてもらいます。綾小路からすれば俺は邪魔なんじゃないですかね」
「そんなことはないが」
「だが誰かと協力なんて柄じゃないだろ、お前は」
堀北先輩と綾小路がこういう風に話せるのは、お互いの実力が五分五分だからこそで、それ故に協力関係も成り立つ。
そう考えた時、綾小路が自分と同等の実力だとは思っていないであろう俺と無理に足並みを揃えるより、1人でやらせてやった方が効率的かつ合理的だ。
「それじゃあ」
「いいのか」
「ああ」
龍園が立ち去った足跡をなぞるようにして、俺も寮に戻る。
これを機に生徒会とパイプを作ることもできるかもしれない。だが今はそれより優先度の高いことがある。
3学期は俺にとって、結構キツい時期になるかもしれないな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日付が変わるまであと2時間ほどという時刻だった。
今日はクリスマスイヴなわけだが……朝、綾小路たちと接触した以外はこれといって特別なことはしていない。あれから寮に戻った後、朝食と昼食を足して2で割った感じの時間帯にご飯を食べ、少し買い物に出て、暇だったので軽く勉強して、それで俺のクリスマスイヴは終わった。
来年は映画を観に行くのもいいかもしれないな。
夕飯を食べ終わったあと、ちょっとした作業を終え、さて寝るか、というところ。
部屋のインターホンが鳴った。
「……誰だこんな時間に」
心当たりはあるが……まさか。
「はい」
玄関に向かい、返事とともにドアから外を覗く。
「こ、こんばんはっ……」
「……佐倉?」
俺の心当たりとは違う人物の来訪だ。
ひとまずドアを開ける。
「……どうしたんだ急に」
「あ、あの、その……何回か電話したんだけど、電源が切れてる、って……」
「……悪い、充電切らしてた」
今日一日端末を充電することを失念していたせいで、今は起動すら出来ず、端末はベッドの上で電源プラグにつながれて充電中だ。少し悪いことしたな。
「それで、どうしたんだ」
改めて要件を尋ねる。
「え、えと、その……これっ」
少し恥ずかしそうに、ラッピングされた巾着型の小袋を手渡してきた。
「これは……」
「その、クリスマスプレゼント……最近速野くんと話せてなかったから……め、迷惑、だったかな?」
「いや、ありがとう。開けていいか」
「う、うんっ」
許可を得て、縛られているリボンを外して中身を確認する。
「これは……」
「く、クッキー、焼いたの。速野くん、何が欲しいかわからなかったから……」
種類はプレーンのクッキーと焦げ茶色のチョコクッキー。どちらも3つずつ入っていた。
俺はプレーンのクッキーを1つ、手にとって口に入れる。
サクサクといういい食感とともに広がる甘み。店で売られている製品のクッキーとも違ってオリジナリティのある味だ。
いや、美味いぞこれは。
「美味い」
「ほ、ほんと?」
「ああ。本当に」
確か佐倉も弁当自炊組だったか。グラドル+料理得意ってすごいシナジー効果。
「……そうだ。ちょっと待っ」
言いかけて、止まる。
わざわざプレゼント渡しに来てくれた相手にこんな仕打ちはないだろう。
「いや、寒いし中に入ってドア閉めて待っててくれないか?」
「え?う、うん……」
突然の俺の申し出に戸惑っている様子の佐倉。
俺はキッチンからあるものを取り出し、再び玄関に戻る。
「……お返しになるかは分からないが、食ってくれるか」
俺が持っていたのは、普段おかずを入れるのに使う皿……の上に乗せられたクッキーだ。
「えっ……い、いいの?」
「ああ」
佐倉はゆっくりとクッキーを手に取り、口に入れる。
作ったものを他人に食べてもらう瞬間って、緊張するんだな……さっき俺がクッキー食べてる間、不安そうな表情をしていた佐倉の気持ちがわかった。
こちらにもサクサクという咀嚼音が聞こえてくる。佐倉は一つを食べ終え、俺に目を向けて言った。
「……美味しい」
普段は見せないようなぱあっとした笑顔でそう言ってくれた。
「……そうか?ならよかった」
「すごいよ速野くん。料理、得意なんだ」
「得意というか、そうせざるを得なかったからな……」
両親が海外出張で一人暮らしだった、とかそういうわけでもない。
ただ、飯にありつくためには自分で作らないといけなかった。
あまりいい記憶じゃないが、その境遇のお陰で料理が出来るようになったのも事実だ。
「あ、あの、速野くん……」
「……ん、なんだ」
「そ、その、ちょっと話したいことが、あるんだけど……」
話したいこと?
なんだ。よくわからないが、聞くだけ聞いてみるか。
「……分かった。取り敢えず上がるか?」
クリスマスイヴに女子を部屋にあげるのは少し抵抗があるが、一応聞いてみる。
「い、いいの?」
「立ち話も変だろ。まあここで話したいんだったら無理に上がれとは言わないが……」
「じゃ、じゃあ……お邪魔します」
俺の申し出に応じ、佐倉が靴を脱いで部屋に上がる。
そういえば……誰かを部屋に入れたの、実はこれが初めてだな。しかも女子とか。
出来るだけ意識しないようにしながら、腰を下ろした佐倉に話しかける。
「それで、話っていうのは」
「あ、うん、えっと……」
佐倉の表情にはまだ迷いが見える。
だが、意を決したように俺に言う。
「大晦日、なんだけど……みんなで遊ばない?」
「……」
本当に急だったので、一瞬黙ってしまう。
ちょっと分からないことが多すぎる。一つずつ聴いていこう。
「……みんな、とは?」
「波瑠加ちゃんと、啓誠くんと、明人くん、清隆くん、それから私。実は明日も遊ぶ予定だったんだけど……清隆くんが都合つかなくって。その埋め合わせ、みたいな感じなの。どう、かな……?」
「……啓誠って誰だ」
「あっ、そっか。速野くんは聞いたことない、よね……幸村くんだよ。そう呼んでほしいって」
「ふーん……」
まあ多分色々事情があるんだろう。
にしても、この友人グループには名前で呼びあうという決まりでもあるんだろうか。以前綾小路も三宅のことを明人って言ってたような気がするが……
いや、今はそのことはいい。
「でも……そこ、俺が参加したらしらけるんじゃないか?」
1番の問題はそこだ。俺がいることによってグループに及ぼしてしまう影響。
佐倉が誘ってくれたとしても、俺は素直に頷けない。
「そ、そんなことないよ!……みんなたまに、速野くんもグループに入ればよかったのに、って言ってて、なんでって聞いたらこのグループが作られたのって速野くんがきっかけって聞いて……」
佐倉が身を乗り出して主張する。
……まあ、たしかにそういう一面はあるが。
「でも、それは今のお前たちには関係ないだろ」
「で、でも、速野くんもいた方が私は、楽しいと、思う、んだけど……」
自信がなくなってきてしまったのか、言葉尻が弱くなっていく。
「あー……」
いや、別に嫌なわけじゃないのだ。むしろその誘いは嬉しい。
ただ俺は、あのグループは他の友人グループより排他的な性質を持っていると思っている。そもそもがあまり他者と深い関わりを持たない人たちが集まってできたグループなのだから、そうなるのも自然だ。
俺がそこに参加することがいい結末を産むのかどうか、判断がつかない。最悪の場合、ニューイヤームードぶち壊しなんてこともありうるのだから。
「みんなも、速野くんが来たいって言ったら歓迎する、って言ってたから……その、どう、かな?」
「……」
……俺は歓迎されてるのか。
「……マジで?」
「本当、だよ」
こくりと頷く佐倉。
そりゃ……困った。
断る理由がなくなってしまった。
いや、そもそも断る理由なんて初めから存在していなかった。
なかったものを、わざわざ俺自身が作り出しただけ。
ここまでくると、俺の返事は定まっていた。
「……分かった」
そう言った瞬間、佐倉の表情が固まる。
「ほ、ほんとに……?」
「……俺が行って迷惑じゃないなら、ご一緒させてもらっていいか」
「も、もちろんっ!やったっ」
胸の前で小さくガッツポーズを作る佐倉。
「本当にいいんだな?」
「もちろんっ」
「……そうか」
佐倉はきっと純粋な厚意で俺を誘ってくれているのだろう。
ここ最近、神経をすり減らす出来事が多かった。龍園や櫛田、堀北先輩との接触、坂柳との対談。
厚意に無警戒にもたれかかってみるのもいいかもしれない。
細かい時間や場所などは佐倉を通じて知らせてもらう約束を取り付けた。
「それじゃあ……楽しみ、だね。大晦日」
「……そうだな。じゃあ、おやすみ」
「うん。おやすみなさい」
バタン、と玄関のドアが閉まり、佐倉は自室へと戻っていった。
誰かと遊びに行く、か。
それなりの人数で遊びに行くのは、夏休みのプール解放以来のことだ。あれだって元は藤野と2人の予定だったしな。
今年の大晦日も、どうせいつもと同じような1日になるんだろうと思っていたが……せっかくの機会だ。楽しむほかないだろう。
だんだん速野がリア充になってる……
感想、評価お待ちしております。
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ep.59
その、受験生でして……次回も気長に待っていてくだされば幸いです。
では、どうぞ。
展開に不都合が生じたので、一部修正しました。(10/21)
昨日はクリスマスだった。
つまり、今日はクリスマスの翌日。12月26日である。
今朝テレビを見ていると、クリスマス関連のCMや番組が一切なくなっていたのには少し吹き出しそうになってしまった。あれだけ早い段階からクリスマスクリスマス言ってたのに、今度は新年や正月関連のもの、具体的にいえば福袋などのCMが多く流れていた。恐らく新年明けた瞬間から「明けましておめでとうございます。今年も〜社をよろしくお願い申し上げます」みたいなCMで埋め尽くされるんだろう。同じ会社のものが何回も流れるもんだから、見せられてる側としてはかなり飽きる。いやまあ経営戦略上何回もやるのは当たり前のことではあるんだけどな。
さて、俺のクリスマスは……結構キツい1日だった。外を見れば遊んでる人が多数確認できるのに、俺といえばあんな過ごし方してたからな。ただ、今までのどの年のクリスマスよりも有意義だった、と言えるだろう。
……いや、俺がどう過ごしたかなんてどうでもいいことだ。
今はそれよりもやらないといけないことがある。
今日は比較的暖かい日だ。
時刻は午後2時。
「……そろそろ行くか」
そう自分に言い聞かせるようにして立ち上がり、持ち物を確認して部屋を出た。
外出はするが、遠出するわけではない。
エレベーターの移動が止まり、チン、という音とともにドアが開く。
誰も乗り合わせなかったのは都合がいいな。
そこから少し歩き、到着だ。
「……やっぱり少しためらいがあるな……」
目的地であるこの場所は、ある人物の部屋だ。
なんの変哲もないドアが、まるで重厚な城壁であるかのような感覚に陥る。
しかし、後回しにしてもいいことはない。
意を決して、俺はその部屋のインターホンを鳴らす。
その数秒後に、「はーい」という返事がドア越しに聞こえた。
俺はその声に呼応し、ドアに向かって話しかける。
「あー……俺だ。速野だ」
「えっ……速野くん?」
驚きが感じられる声色とともに、静かにドアが開けられる。
ひょこっと顔を出したその部屋の住人。
そう、Aクラスの藤野麗那である。
「悪いな、急に」
「大丈夫、だけど……えっと、どうしたの?」
突然の俺の来訪に少し戸惑っている様子だったが、雰囲気や表情を見るに別に嫌がられているわけではなさそうだ。
いやまあ俺に感じさせないだけで実際のところ藤野がどう感じているかなんて分かったもんじゃないが、もし藤野が内心嫌がってたとしてもその時は仕方ない。我慢してもらおう。俺が嫌がられていると感じられなかったんだからどうすることもできない。
……こんな意味不明な考えはやめだ。よし、言うぞ。
「あー……その、お前、イヴが誕生日だったよな」
言うと、少し驚いたような表情になる。
「覚えてて、くれたんだ……」
「そりゃ、まあな……」
忘れるわけはない。イヴが誕生日っていう時点で特徴的だし。それから……まあ、その他様々な要因も重なって、藤野の誕生日は俺の頭にしっかりインプットされていた。確か互いの誕生日を聞いたのは結構前のことだ。どんな会話の文脈でその話が出たのかは知らないが、少なくとも夏休みに入る前だったはず。こいつの誕生日がイヴと同日だということに少し驚いた覚えがある。
「あ、あのさ……取り敢えず、上がって話さない?」
そう言う藤野の表情からは、恥じらいとともに……少し不安感が受け取れた。
「……いいのか」
「うん」
比較的暖かい日だとは言ったが、それはここ数日の相対的評価であって寒いことに変わりはない。ありがたく入れてもらうことにしよう。
靴を脱いで部屋に上がる。藤野の部屋に入るのは2回目か。1回目は2学期中間テストのとき、藤野が過去問を持っているとかで一緒に解いたっけ。前回はテスト勉強という大義名分があったが、今回は完全に私用だ。緊張の度合いが前とは全然違う。
部屋はやはり暖かい。
藤野の部屋は物が多くなく、清潔感があり整然としている。世間一般で言うところの女子らしい部屋とは少し違うかもしれないが、殺風景というわけでもない絶妙なバランスだ。
ひとまず、俺の用事を済ませよう。俺は改めて藤野に向き直る。
「あー……さっきので気づいたとは思うんだが。取り敢えず……誕生日、おめでとう」
「う、うん。……ありがとう」
なぜか少し恥ずかしそうに頷く藤野。
「それで……まあ、一応プレゼントというか」
俺は持ってきていたバッグから、赤いリボンで装飾された箱を藤野に手渡す。
「これ……」
手渡された藤野は、その箱をしばしじっと見つめている。
「開けてくれ」
俺がそう促すと、藤野の手によってリボンが解かれ、箱が開封。
俺が藤野への誕生日プレゼントに選んだものは……
「わあ、マフラーだ」
箱の中身を目にした瞬間、藤野の表情が明るくなった。
これはあの日……坂柳と妙な対談があった日に購入したものだ。おそらく坂柳は藤野の誕生日がクリスマスイヴであることを知っていた上で、あの日俺が藤野への誕生日プレゼントを買うと推測してたんだろうな。それであんな言い方をしてきたんだろう。少し、いやかなり心臓跳ね上がった。
「寒い日もつけてなかったから、持ってないかと思ってな」
「うんっ。ありがとう。私水色好きなんだよね」
だろうとは思っていた。今もそうだが、以前この部屋に来た時も水色の配色が多い気がした。前に映画観に行ったときも服装は水色だったし、確か筆箱も水色だったはず。
嬉しそうにしているのを見ると、こちらとしてもあげた甲斐があったというもの。ひとまずは良かった。
「私てっきり、忘れられちゃってたのかと思って……実は最近ちょっと落ち込んでたんだよ?」
「それは……まあ、悪かった」
ただ、本当に忘れていたわけではない。元から今日渡す予定だったのだ。
「誕生日当日とその次の日は、いろんな人と遊んだりでお前も忙しいかと思ったんだ」
藤野の交友関係を深く知っているわけではないが、少なくとも友達が多いことは確かだ。誕生日当日は誕生日会とか開かれてそうだし、クリスマスにも予定が入ってるのはほぼ間違いない。そう考えた結果、俺がプレゼントを藤野に渡すベストなタイミングは今日だと言う結論に至った。
「考えててくれたんだね」
「……一応な」
俺なりの気遣いである。
ただなあ……当日に祝わないことをキリストとかルターとか言ってあの手この手で正当化したものの、祝われる本人にこんな思いをさせてしまっては本末転倒というものだ。
「……来年は、ちゃんと12月24日に渡す」
特に意味もなく、宣言しておく。
すると、予想外の答えが返ってきた。
「えへへ、ありがとう。来年もくれるんだ」
「……」
真意とは違う捉え方をされてしまったが……、まあ要はそういうことなので否定はしない。
「でも、マフラー、ありがとう。大切に使うね」
「そう言ってもらえると助かる」
これから1月……長ければ2月までマフラーは重宝されるだろう。もはや必需品と言ってもいいレベル。
誰かに誕生日プレゼントをあげたことなんて、これが初めてだ。小学校3、4年くらいまでは普通に仲のいい友達はいたが、そのときはまだ自分でプレゼントを用意して相手に渡すような年齢じゃない。
まあ……いい経験をしたかもな。
「それじゃあ……俺はそろそろ」
あまり長居しても悪いので、そろそろお暇することにする。
「うん。またね。マフラーありがと」
「……ああ」
手を振ってくれる藤野を見ながら、玄関に並べてある靴を履き、俺は寒い外の世界へと出て行った。
あ〜……………緊張した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
時刻は18時を回った頃。
あたりは暗くなり、昼に比べて肌寒さも増してきた(当たり前だが)。
俺はいま、寮から校舎へ向かう普段の通学路を制服で歩いている。
この時期に制服着てるやつなんて滅多にいないため仕方ないといえば仕方ないが、通りがかる人に奇異の視線を送られるのはいささか気分がよくない。人通りがあまり多くないことが唯一の救いか。
もう少し人のいない時間に移動するべきだった。人に見られるのはあまり好ましくないからな。
まあいいか。みんな俺のこと知らないだろうし。休み中でも制服着ることがある生徒会役員かなんかと勘違いしてくれるだろう。
そこから数分歩いて、校舎内に入る。
当たり前だが、冬休み中の、しかもこんな時間に校舎内に人は見られない。相変わらず適温に調節された廊下には俺の足音だけが反響する。
廊下の電気はまばらについていて、端末のライトをつかわなくても一応歩くことはできる。
8ヶ月近くも過ごしていれば、いやでも校舎は覚えられる。頭にインプットされたルートを迷わず歩き、俺は目的地である応接室にたどり着いた。
そこから指定された時間まで、端末をいじって暇を潰す。
この端末はスマホと言っていいんだろうが、やっぱり電池が続く限り最強のアイテムだと思うんだよな。いつでもどこでも暇を潰せる。情報収集は基本限りがないし、飽きたら適当に問題を検索して勉強でもすれば良い。しかもこの学校敷地内においては電波を心配する必要もない。
端末の右上に表示される時刻を小刻みに確認する。
『6:30』になったところで俺は応接室のドアを4回叩いた。
「入れ」
ドア越しにそんな指示が聞こえる。
「失礼します……」
入ると、そこには教師2名が座っていた。
教師のうち1人は茶柱先生だった。もう1人は知らない。学内でも会ったことのない職員だ。
「そこに座ってくれ」
「はい……」
指示の通り、俺は椅子に腰掛ける。
圧迫感があるな……血圧測定器かよ。
「あまり長くなっても意味はない。早速本題に入らせてもらう」
「はい」
俺としてもその方がありがたい。
ここからは引いた方が負けだろう。話の主導権を握るのが得策だ。
「すでに人数不足に対する学校側が提示した要件は満たされたはずです。『学習部』を部活として認めていただけますよね?」
部活動発足には、初期の入部者数が3人以上必要だった。だがそんな人数、俺に用意できるわけもない。いや、正確には用意する気もなかった。
俺が部活を作りたいと学校側に申し出たのは、「部活でプライベートポイントが入る」と知った直後だった。
部活とは何もスポーツだけじゃない。
この学校にはないが、将棋部や囲碁部なんかは対外試合や大会だってある。
「学習部」もそれは例外ではない。
「その前に再確認しておきたい。『学習部』の活動内容はなんだ?」
それまで口を開いていなかった茶柱先生が俺に問うてきた。
俺は頭の中に用意されていたことを淡々と述べる。
「文字通り、学習です。もちろん主となるのは勉学ですが、それにとどまる訳ではありません。知的好奇心を高めることは、社会において重要なことであると認識しています」
ここは適当にそれっぽいことを言っておけば良い。
サッカー部に入る目的はサッカーをすることだ。学習部を立ち上げる目的が学習することで何らおかしくはない。
そこで、数枚の資料を斜め読みしていた男性教師が、俺の方を見て言った。
「……分かった。速野知幸を部長とし、『学習部』の発足を認めよう」
よし、と心の中でうなづく。
「ありがとうございます」
ひとまずこれで部は発足された。
活動場所はどこだっていい。なんなら用意されなくたって構わない。自分の部屋で勉強するなら、それも学習部の活動の一環だ。いわば、俺がいる空間が活動場所だ。
「顧問は、私がつとめる」
あれ、そうなのか。てっきりもう一人の男性教師の方が顧問で、茶柱先生は俺の担任だからという理由で呼ばれたと思っていたのだが。どうやらこっちの男性教諭は部活動関連の担当なんだろう。
「……お願いします」
一応礼節として頭を下げておく。
まあ、どちらかといえばこれは好都合だ。
「これで学習部発足に関する話は終わりだ」
男性教諭がそう宣言し、机に広がっていた資料を片付け始める。
どうやらほんとうに話を終わらせる気らしい。
だが……俺にとっての本題はここからだ。
「次の話題に移らせてもらってよろしいですか」
「……次の話題?」
2人が手を止め、俺の方を見る。
「報酬の件です」
「……どういう意味だ?」
「この学校では、何らかの功績を残した者に報酬が支払われるものと記憶してますが」
要はプライベートポイントだ。
「定期テストでいい成績を残したからと言って、プライベートポイントは支払われない。だが、模試で今まで通りの成績を残すことができれば、支払われることはあるかもしれない」
ふむ。少し話を取り違えられたらしい。
この人は、俺が「学習部の活動は勉強なのだから、本番である定期試験で好成績を記録した時に報酬を受け取りたい」と主張していると思ったようだが、そんなことはしない。
「俺が言っているのは今までの模擬試験での成績です」
「なに?」
俺は規定人数に足りない状態での部の発足を認めてもらうために、部を申請した日、学校が指定する12月までに成績が返却される模試のすべてで「総合全国1位」を取り続けることを条件に設定した。
俺は必死の勉強の結果、ついにそれを達成し、部活発足の権利を獲得した。
ただし、その報酬だけで俺は満足していない。
「今までの成績に対する報酬は部活動の発足ということですでに支払われただろう」
「たしかにそれも報酬であることは否めません。しかしそれはポイントによる報酬が支払われないことにはならないはずです。申請時の話し合いの時も、ポイントによる報酬は否定されませんでしたし」
俺が「全ての模試で総合1位を取る」と言った時には、その場にいた全員に驚かれた。
そしてはっきりと覚えている。その時、誰一人ポイントの話には触れていなかった。
「今回の報酬はお前の念願だった部活の発足だ」
「でははっきりさせてください。この学校には様々なルールがあると聞いています。恐らく、『部活発足時の人数不足を補うのに必要なポイント』も言及があるんじゃないですか?そのポイントと、今までの全国模試の成績に対する報酬との差額分の報酬を受け取る権利はあるはずです。それに……いまこの場のいる誰も、ポイントの報酬は認めないとは断言してないですよね」
断言していないこと。それが肝心なのだ。
もし、発足時の人数の補完ルールがあるとしたら……
「……その通りだ速野。部活発足時の人数不足をポイントで補うルールは存在する」
やはり。
この学校の教師は、質問しない限り答えない。
だが逆に言えば、質問されれば答える義務がある。
「具体的に言うと、1人補うごとに25万ポイント。つまり今回の場合は50万ポイントだ」
50万ポイントか……予想より結構上を行ってたが、まあ問題はないだろう。
次の質問に移行する。
「では、俺が今回獲得できるポイントは、全国模試の成績で本来獲得できるポイントから50万ポイントだけ引いた分、ということになるんでしょうか。どのようにして報酬が決まるのかは分かりませんが、精査をお願いします。どのくらいで結果が出ますか?」
「お前の報酬がマイナスになることもあり得るが、その場合はどうする?」
「もちろん、払います」
当たり前だ。マイナスになったら払いません、なんて通るわけがない。
まあそれに、俺自身マイナスにはならないと確信している。
「待つ必要はない。お前の報酬の精査はすでに行われた」
今まで俺の要求に否定的なニュアンスで発言していた男性教師が口を開く。
「ポイントによる報酬の話は、本人が要求しない限り表には出てこなかっただろう」
「……そうですか」
この学校らしい。
最近何かと話題の過払金払い戻し請求みたいなものか。探らない限り決して表に出ない。探る以前に、まずはその可能性に気づく必要がある。
俺お金大好きで良かった。
「お前への報酬は今日中に支払われることになるだろう。額に関しては送金と同時に確認するということでいいな?」
「分かりました」
今日中というと、あと5時間半以内には振り込まれるのか。
どれほどの額か、楽しみだ。
他に何か聞いておくことや、ポイントを獲得できる隙がないか、頭の中で様々考えを巡らせる。
……今は特にはなし、か。
結論を出したところで緊張を解き、ふう、と一息ついた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ふぅーっ……」
「ゴホッ、ゴホッ……あの、タバコの煙苦手なんですやめてもらえますか」
「風下にいるからじゃないか?」
「そういうことじゃないでしょう……」
とは言いつつも、大人しく煙の行かないところに移動する。
話し合い(のようなもの)が終わり、俺は茶柱先生に屋上についてくるように言われた。
帰りたいのが本音だったが、教師の指示ということもあって一応従った。
「それで……なんの話ですか」
俺が聞くと、ふう、と煙を吐き出してから答えた。
「これも、ポイント稼ぎの一環か?」
「は……?え、まあ、そうですけど……」
「ふっ、正直だな」
「誤魔化す必要もないですし……違うと言ったら、納得してくれたんですかね」
そう答えると、茶柱先生は肩をすくめて微笑を浮かべた。
そしてもう一度口を開く。
「お前のポイント集めの目的はなんだ?」
「……はい?」
意図がわからず、反射的に聞き返してしまう。
「例えば今の質問を堀北にしたなら、あいつはすぐに『Aクラスに上がるため』と答えるだろう。だがお前は以前聞いたとき、Aクラスにこだわりは持っていないと答えた。なら、お前の目的はなんだ?」
……全く、そんなことを聞いて何になるんだろうか。
「そんな目的なんて大層なものはないですよ。金はいくらあっても困らない。それが真理じゃないですか」
そもそも金を稼いでどうするか、なんてことを考えて生きている人がこの世界にどれだけいるのかって話だ。
それに、さっき先生は堀北の例を持ち出してきたが、それならAクラスに上がるためにポイントを稼ぐと主張する人に、じゃあなぜAクラスを目指すのか?特権を得た暁に何をしたいのか?なんて問い方も出来るわけだ。そういった問答を繰り返していけば、最後には「では、何のために生きているのか?」という質問に行き着く。
しっかりとしたビジョン、目的を持って生きている人もいるだろう。だがそれはごく僅かだ。大多数の人間にとって、生存目的なんて興味の湧くものじゃない。そんなことは、物好きな哲学者が勝手に悩んで勝手に結論を出せばいいだけだ。
……とは言いつつ、俺も別に何の目的もなくポイントを集めているわけではない。
まあ、その目的ってのもかなり大それたもので、そのためには圧倒的にポイントが足りない……無論、2000万ポイントなんかで足りるわけはない。
というより、いくらあっても足りない。何億、何十億集めても実現できない可能性の方が高い。
それに、本気で実現したいと思ってるわけでもないしな。できなかったらできなかったで、卒業前に今まで貯めたポイントを馬鹿みたいに使うだけだ。
「俺は出来る限りポイントを集め続けます。何も問題はないでしょう?」
「私は初めから問題視はしていない。ただの個人的な疑問だ」
個人的な疑問、ね。
「じゃあ、もうこれで終わりでいいですか」
「ああ。引き止めて悪かったな」
「いえ……では」
軽く頭を下げて、まだ煙草を吸っている茶柱先生を置いて屋上を後にした。
まあ何にせよ、部活発足できて一安心だ。それに報酬も支払われるということで、全国模試でいい点を取ることがポイントにつながることも明確になった。ポイントの合計額とこれまでの成績表から、ポイント査定の基準をある程度割り出すことも可能だろう。
その夜。
俺の端末には、236000pt振り込まれていた。
部活に関しては完全な後付け設定&ご都合主義です。速野くらいの学力があればなーって思いながら書いてますよ。ポイント報酬は、全国トップならこれくらいもらえるんじゃないかなーって想像で書きました。
次回もオリジナルになると思います。8巻に大晦日と正月の話が書かれないことを望みます……
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番外編
ep.extra edition
今回はかなり長いです。速野がだんだんとリア充になっていく様子が描かれています。
では、どうぞ。
2021/01/17、微細な点の修正を行いました。
いよいよこの日がやってきた。
12月31日。大晦日。
今年最後の日。
そして、俺が遊びに出かける日だ。
長谷部、三宅、綾小路、佐倉、幸村。そして俺を合わせた6人で「パリピ」とやらをやる。
パリピとは何ぞや、と思ってやり取りをしていた佐倉に聞いてみると、どうやら「party people」の略称らしい。
結局どういう意味かは謎だが、取り敢えず皆で遊び倒すという認識でいいようだ。語感が頭悪そうだからあんま使わないようにしよう。
持ち物は端末のみのため、移動が非常に楽だ。適当に小さいバッグでも持って行こうかとも思ったが、入れるものが思いつかない。何も入ってない空のバッグを持ち歩くのも馬鹿馬鹿しいということで、手ぶらだ。
集合時間は昼12時、場所は寮のロビー。俺がきっかりその時間に行くと、既に長谷部と幸村が来ていた。
「おっ、来た来たともやん」
「は、と、ともやん?」
名前に「とも」がつくのはこの場に俺しかいないため長谷部が俺のことを言ったのはすぐに分かったが、ちょっと想定していない事態だった。
「あまり気にするな速野。こいつは人にあだ名をつけないと気が済まない。綾小路はきよぽんなんて呼ばれてる」
「因みにゆきむーはゆきむーだよ」
幸村だからゆきむーか……こういうのって自分で呼んでて恥ずかしくならないんだろうか。
「はあ……なんか、色々あるんだな。三宅はみやっちだったか?」
「当たりだ。よく知ってるな」
頷きながら意外そうな表情を浮かべる幸村に、俺は訳を説明する。
「長谷部と三宅が2人でいるところに何回か居合わせてるからな」
「そうなのか?」
「まあね〜。2学期の中間テストの時とか。みやっちと一緒に勉強見てもらったっけ」
そんなこともあったな。あの時は本当にびっくりした。得意不得意、間違いのパターンや思考回路まで酷似してるなんて。
「お、残り3人も来たみたいだな」
幸村がエレベーターの方を見て、手を上げながら言う。
その方向を見ると、三宅、それに綾小路と佐倉がエレベーターから降りてきたのが確認できた。
「悪いな遅れて」
「ご、ごめんね、私が忘れ物しちゃって……清隆くんも明人くんも待たせることになっちゃって」
「だいじょぶだいじょぶ。私も時間にタイトってわけじゃないしね」
そんな会話が繰り広げられる中、俺は綾小路の方を見て軽く会釈をする。向こうもそれに気づき、軽く手を上げて応えてくれた。
なんというか、こういう所謂「日常」の中で綾小路と会うのは久しぶりだな。相変わらず感情の起伏の少ない無機質な表情だ。でも様子を見る限りちゃんと打ち解けてるんだな。
ただ、ここにいる4人は綾小路がこの学校で何をしてきたのか欠片も把握していないのだろう。
責める気は全くない。てか多分俺も半分くらい分かってないし。それに綾小路が秘密を明かさないからと言ってこの「綾小路グループ」が潰れるわけでもない。
「綾小路グループ」は成員上排他的な面はあるが、グループ内はラフな関係らしい。遊びたいときに遊んで、遊びたくないときは自由に不参加を表明できる。それでグループ内の雰囲気が変になるということもない。友達ではあるが決して近づき過ぎず。「仲が良い」というより「気の置けない」グループと言った方がより正確だろう。
少し悪意を込めて言うと「都合のいいグループ」とも言えるかもしれない。
俺が勝手にあれこれ分析しているうち、そろそろ移動しようという話になった。
「じゃ、まずは歩きますか。いつまでもロビーにいても始まんないし」
「まずは昼飯か。みんな食ってないだろ?」
三宅の質問に、みんな首肯で答える。
「じゃあファストフードでいい?あんまり重いのもキツイと思うし」
「異議なしだ」
「それでいいぞ」
「さんせ」
俺も佐倉も頷き、全会一致で昼飯の場所が決定した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ともやんはファストフードとかあんまり食べなさそうだよね」
「その呼び方は継続なのか……まあ、初めてってわけじゃないんだが、ほとんどこういう店に来ないのは本当だ」
ファストフードということもあってものの数分で完食し終え、雑談タイム。
「確か三食自炊だったよな」
「一応そうだ」
「弁当作るのって面倒じゃないのか?俺はいつもコンビニと寮の食堂で済ませてるんだが」
「別にそれも悪くないと思うぞ。俺だって好き好んでやってるわけじゃない。ポイントの節約のためにやってるだけだ」
一食3〜500円ほどでまともな飯にはありつける。炊事に時間を取るかポイントを払うか、どちらを取るかは人によって様々だろう。
「スーパーに無料の食材があって、ポイント無しで作れちゃうんだよ」
自炊の話に、同じく学校には自作の弁当を持ってきている佐倉も乗っかる。
「俺も自炊だが、無料の食材はちょっとな……」
佐倉や俺に反論する形で幸村がそう呟いた。
「無料の食材は賞味期限が間近に迫ってたり、品質も低いモノがほとんどだからな。夏休み中のバカンスで体調を崩して以来、健康にはかなり気を使うようになったから、安全性を考えると手が出ない」
俺はそんなにデリケートな身体ではないから気にしてなかったが、幸村のように決して体が強いわけじゃない生徒もいる。無料の食材を遠ざけるのも理解できる話だ。
「無料っていうのは魅力だけど、あのコーナー種類少ないし、同じものばっかりになって飽きちゃうんだよねー。たまに使う分にはいいんだけど」
「細かく味付けを変えてみるのもいいと思うぞ。普段味の素を使ってるところを自分で一から調合してみたり」
「それ面倒じゃない?」
「だったら食材にポイントを使う他ない」
「やっぱそうよねー」
無料コーナーに限ったときの品揃えは悪いが、普通のスーパーとして見たときの品揃えはかなりいい。ちゃんとポイントさえ払えば何を作るにしても困ることはない。
「料理できないのみやっちだけみたいだね」
長谷部が茶化すように言う。
「経験がないんだよ……ただ、今の話聞いてると料理も練習した方がいいな」
「無理することはない。明人は他の5人と違って部活に入ってるんだ。放課後に料理もってなると疲労が溜まる」
いま綾小路が言った「部活」というワードに少し肩が跳ねる。本当に少しだったため気づかれてはいないだろう。
1月中旬、受験生の最初の関門である「大学入学共通テスト」が行われる。数年前までは全てマーク式の「大学入試センター試験」が行われていたが、国数英に記述試験が追加されて新制度に移行となった。
俺は同日に全く同じ試験を行う予備校を通して参加するつもりだ。当然高得点獲得、それによるプライベートポイント支給を狙う。
そのためここ最近は勉強漬け。今日のことが少しでも息抜きになればいいと思っている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この「パリピ」に参加して驚いたのは、佐倉と綾小路の様子だ。
1学期あれだけオドオドしていた佐倉が、このグループの中だとリラックスして笑っている。
そして綾小路が普通に遊んでいる。
両者ともに今までの関わり方がアレだったこともあるだろうが、2人の新たな一面を今更見た気がする。
「じゃあ、次どこ行く?」
「カラオケに一票」
「俺はお前とのカラオケにトラウマがあるんだが……」
幸村が引きつったような表情を浮かべる。
他のみんなは事情を知っているんだろうが、このグループに初参加の俺はそのトラウマの中身を知るわけもなく。
キョトンとしていると、綾小路がフォローに入ってくれた。
「以前カラオケに行った時、6つのうち1つのたこ焼きが激辛っていう商品を注文して、激辛を引き当てた人が歌うって罰ゲームをやったんだ。そこで啓誠は5回連続という数字を叩き出した」
「……強運の持ち主だな」
それはトラウマにもなる。
「速野、お前はカラオケ行ったりするのか?」
「いや全く。歌える歌も数曲くらいだ」
「数曲歌えるなら大丈夫だよ。私たちは知らない歌でも気にしないし」
すかさず長谷部からのフォローが入る。
にしても、カラオケか……
人生でも1、2度ほどしか経験がない。この学校に入ってからは、この前の期末テストの時の話し合いの会場としてカラオケ店に入ったものの、あの時は遊び目的で行ったわけじゃないから実質未経験だ。
「……まあ、別に俺も反対はしない」
「幸村もそれでいいか?」
「今度はお手柔らかに頼むぞ……ほんとに……」
深刻そうな表情をしながらも嫌というわけではなさそうだ。
全員のコンセンサスをもって、カラオケに行くことが決定した。昼食のトレイを片付け、ケヤキモール内のカラオケ店へと足を向ける。
「カラオケ、空いてるかな?」
移動中、俺の隣を歩く佐倉が言う。
「確かに。俺たちと同じ発想のグループは結構いるだろうな」
「あ、それは大丈夫。今調べたけど空き部屋ふたつあったから」
どうやら杞憂だったらしい。
「速野くんはどんな曲歌うの?」
「あー……割とマイナーなやつだ。多分知ってる人の方が少ないぞ」
俺は狭い範囲をどんどん掘り下げるタチだ。気に入った曲は何回も繰り返し聴くが、そのほかは全く知らない。知識は自然と偏る。メジャーなものに関しては、CMで流れてる曲だったらサビだけ分かるか分からないか程度。大人数のカラオケに一番向かないタイプだな。
ここで佐倉にも同じ質問を返すのが定石なんだろうが、敢えて聞かないことにする。カラオケに入ってからのお楽しみだ。個人的な意見だが佐倉は声質がいいので期待している。
カラオケに着き、長谷部と三宅がカウンターで受付を済ませた。
空いているとはいえ混雑が予測されるためか、保証時間は2時間半と短め。ただ値段はドリンクバー付きで750ポイントと良心的だ。
「じゃあ時間もないし早速歌うか」
指定された部屋に移動してすぐ、意外なことに三宅が積極的にマイクを持ち、タッチパネルを操作して選曲を始める。実は歌うの好きなのか。
そんな様子を眺めながら、俺はコップが重ねられた小さいカゴを持って立ち上がる。
「飲み物、取ってくるから希望を言ってくれ」
「おっ、気が利くねー。じゃあカルピスでお願い」
「あ、じゃあ私もカルピスで……」
「俺はコーラ頼めるか」
「俺はウーロン茶で頼む」
「オレはなんでもいい」
全員の希望を端末に入力しつつ、了解、と言って部屋を出た。
俺たちが案内された部屋は11番。店の奥の方にあるためドリンクサーバーまでの距離は遠い。
通り道に何個か部屋を通り過ぎるが、みんな盛り上がっているようだ。
「あれ、速野くん。ご無沙汰だねっ」
声のした方を振り向くと、ひらひらと手を振ってこちらに向かってくる一之瀬の姿が確認できた。
「速野くんもカラオケ来るんだねえ。ちょっと意外かも。あ、変な意味じゃなくてね?」
「イメージに合わないのは自覚してる。今日はまあ、特殊な事情でな……そっちはBクラスのメンバーで?」
「うん。年末の打ち上げでパーっとね。速野くんは綾小路くんとか、池くんとかと一緒?」
「綾小路は一緒だが、池も山内も須藤もいないぞ」
「あれ、そうなんだ」
夏休みに行ったプールの時も勉強会の時も池や山内は俺と一緒にいたため、一之瀬がその発想に行き着くのも自然なことだ。
逆に長谷部や三宅は浮かばないだろうな。俺との接点がわからないはずだ。
もちろん、俺も一之瀬が誰と遊んでるかなんて見当もつかないわけだが。
「あ、そういえば速野くんたちは3学期からCクラスなんだよね?おめでとうっ」
「ありがとう。Bクラスとの協力関係も大きかったと思ってる」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
そんな会話の合間に、俺はコップに次々とジュースを入れる。
一之瀬も俺と似たような用事らしい。まあドリンクサーバーの前に来る必要のある用事なんてこれくらいしかないが。俺と異なる点といえばコップではなくカップを3つほど持っている点か。
「結構大人数なんだね」
俺が持っていたコップの数を数えたようだ。
「大人数……といえば大人数か。6人だ」
「じゃあ2時間半保証だと物足りないんじゃない?」
6人で2時間半いっぱいいっぱい歌い尽くすとして、1人平均の持ち時間は25分。一曲4分ちょっとで計算すると1人当たり歌える曲は5、6曲がいいとこだ。
「俺はあんまり歌うつもりはないから他のメンバー次第だ。それに今日はカラオケだけじゃないから、何だかんだでいい具合の時間とも言える」
「わ、ポジティブだねー」
いいと思うよっ、と付け加える一之瀬。
「遊びでネガティブになっても仕方ないだろ」
「あはは、そりゃそっか」
俺は基本ネガティブシンキング寄りだが、常にネガティブな訳じゃない。
そんなやりとりをしながらも全員分の飲み物を入れ終わり、こぼれないように留意してボックスを持ち上げる。
「じゃあ、今日はお互い楽しもうね」
「ああ。じゃあな。来年もよろしく」
そう言うと、一之瀬はドリンクサーバーに向き直った。何を飲もうか悩んでるんだろう。
因みになんでもいいと言った綾小路には水を入れ、俺はコーンスープを飲むことにした。水を出された綾小路が「何か希望を言っておけばよかった……」と後悔していたと雰囲気から感じたのは気のせいだろうか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「口がヒリヒリする……」
「いやー、今日も見せてもらったよゆきむー」
カラオケに入る前に話に出た、激辛たこ焼きを当てたやつが歌うというゲームを決行し、幸村は4回のうち3回当たりを出した。幸村は多分なんかの呪いにかかってるんだろうな。
ちなみに残りの1回は長谷部が当てたのだが、幸村とは対照的に美味い美味いと言って食っていた。長谷部は辛いものを苦にしない、むしろ大好物なんだろう。
「速野くん、歌すごく上手だったよ」
「ああ。正直意外だったぞ」
「え、そうか」
「全然音程外してなかったしねー」
「まあ、音程はな……」
俺は音域が比較的広いと自覚している。地声は低い方だが、出そうと思えば高音も出せる。普段は全く使えない特技だが、今日に関しては俺の声帯に感謝だな。
「でも、それ以外はからっきしだぞ。ビブラートなんて出せない」
「そこは慣れるしかないだろ」
三宅はそう言うが、慣れるほどの回数カラオケに行くことはないと思う。つまり上手くなる必要もないのだが、やはり歌う以上は上手く歌いたいと思うのが必然だ。なんかいい方法ないかなー。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
カラオケを出た俺たち一行は、次の目的地を探しつつ店内をぶらぶら歩いていた。
やはり遊びに出ている生徒が多いようで、顔だけは知っている人とも何人かすれ違う。向こうは俺のことを知ってるかどうか怪しいので会釈はしないが。
そのうち、吹き抜けになっている広場のような場所に出た。
そこそこ人が集まっており、たまにチリンチリン、とハンドベルの音がする。
何より気になるのが、可動式のバスケットゴールがあることだ。
「なんだあれ?」
「福引じゃないか?」
「じゃあなんでバスケのゴールなんか……」
「さあ……」
とりあえず行ってみるかということになり、人混みの中に突入していく。
様子を見る限り、どうやら福引というのは間違いないらしい。
もう少し前の方へ進むと、「大晦日福引イベント開催中!」という案内板が張り出されていた。福引への参加資格は、今日、ケヤキモール内施設を1500ポイント以上分利用していること。
俺はファストフード店で650ポイント、カラオケで870ポイント使った。恐らく参加資格は全員満たしている。
「福引かあ。やってみる?」
条件を満たしているのだから、通常やらない手はない。
しかし、考えてみてほしい。いらないものを貰って持て余してしまい、行方不明になった挙句数ヶ月後にひょっこり出てきて「これいつ買ったんだっけ?つかこんなの買ったっけ?」となるときのことを。つまりやらない方がいい場合も存在する。
その案内板には福引の景品は書かれていなかったが、会社の名前が書かれていた。
「この会社は……スポーツ関係か」
なるほど、やたら体格のいい人が多いと思ったらそういう理由か。どうりでさっきから俺たちが場の雰囲気から浮いている感じがするはずだ。
俺の場合場に溶け込んでることの方が少ない気はするがそういう問題ではなく、綾小路グループ(+俺)という集団がこの場に似合っていないということを憂慮すべきなのだ。
にしても福引ということなら、あのバスケットゴールは景品の一つか?まあそうだとしても、いきなりゴール貰っても困る。俺は不参加を表明することにした。
「俺はいい。どうせ景品はスポーツ用品だろうからな」
「オレも遠慮しておく」
「うーん、あたしもいいかな」
次々に不参加を表明していく面々。最後まで迷っていたのは三宅だったが、結局全員が不参加ということでこの広場から離れることにした。
しかし、突然前を歩いていた長谷部が立ち止まる。ちょっとぶつかってしまった。
長谷部は俺との接触を全く気にしていない様子で、隣の柱を指差した。
「これ、さっきの福引の景品じゃない?」
見ると、たしかに。1等から6等まで、等数に見合った景品が表示されている。
その中で俺が注目したのは2等の景品。
2等の景品はAコースとBコースに分かれていた。
Aコースはランニングシューズ。2等という大当たりに見合ったなかなか豪華な代物だ。
そしてBコース。
景品の欄には「3ポイントチャレンジ!!」と書かれていた。
それで合点がいった。
「だからバスケのゴールがあったわけか……」
ゲームの内容はいたってシンプル。基準となる線の後ろからシュートを放ち、10秒の間に5本以上入れられたら景品を獲得できる。その景品も結構良さげで、敷地内のボウリング施設で、7人以下のグループ客2ゲーム無料券というものだった。
あのゴールは景品ではなく、このチャレンジにあたっての道具だったということだ。
「2等だから、そもそもチャレンジまで行く人が少なそうね」
「そうだな。2等なんていったら大当たりだ」
あの福引機には何等の球がいくつ入ってるかなんて知る由も無いが、福引なんていいところが3等だろう。ほとんどの人は5、6等のティッシュを貰って終わりだ。
母親と一緒に買い物に出かけて福引を何度か経験したことがあるが、俺は母親がティッシュ以上のものを貰っているのを見たことがない。
そろそろいいかと俺が思ったと同時に、同じことを考えたらしい幸村が長谷部に言う。
「もう行かないか?立ってても時間が過ぎるだけだ」
「ん、そだね」
その声に長谷部も応じ、再び歩き出す。
「ところで、ちょっと思いついたんだけどさー」
人差し指をピンと立て、所謂ドヤ顔でこちらを振り向く長谷部。
「次の行き先、ボウリング場なんていかがでしょう?」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
球が床と摩擦する音と、ピンが倒れる音。並んで置かれたボール。滑りやすい床。
長谷部の提案に全員が乗っかり、俺たちはボウリング場に到着した。
「このメンバーでボウリングは初めてだな」
「意外だな。行ったことなかったのか」
「盲点だったね。なんで今まで誰も思いつかなかったんだろう?」
もちろん俺がここに来るのは初めてだ。
ボウリングを最後にやったのは確か……小4だったか。確か今と同じくらいの人数だったと思うが……
あれ、誰と行ったんだっけ……俺は一人っ子だったから、俺、両親合わせても3人だ。つまりあとひと家族分の参加者がいたことになる。親戚ではなかったことだけははっきりと覚えている。だが、誰だったかまでは……よく覚えていない。
ま、いいか。覚えてないってことは、つまりは「そういうこと」なんだろう。無理に思い出そうとする必要はない。
少し経って、受付を済ませた長谷部と幸村が戻ってきた。
「1番レーンだってさー」
「わかった」
1番レーンはボウリング場の最奥にある。そこに向かって移動すると、上部に取り付けられているテレビ画面に今からプレーする俺たちの名前が表示されていた。
「そういえば、何ゲームできるんだ?」
「2ゲームだよ」
「そうか。ちょうどいいくらいだ」
物足りないわけでもなく、疲れるわけでもない運動量。
「いま何時?」
「えーっと……3時半だ」
「じゃあ、ボウリング終わる頃には夕飯の時間かな?」
「ボウリングってそんな時間かかるのか……?」
夕飯にいいくらいの時間と言ったら、今から3時間後の6時半前後くらいだが……
「それは知らないけど……でもほら、運動したらお腹空くし」
「……まあ、そうか」
夕飯食べる時間なんて俺も普段バラバラだ。「夕飯にちょうどいい時間」なんて具体的に示す方がおかしいか。
「あ、そうだ。こんなのどうだ?2ゲームの合計スコアの最下位が1位に夕飯奢るとか」
「お、みやっち自信あり?」
「最下位にならない自信はある」
そう言って胸を張る三宅。
ただ、俺としては遠慮したいところだな……正直、最下位にならない自信はない。少なくとも上位に入ることはできないだろう。俺は完全な初心者だ。
見ると、佐倉も少し不安そうな顔をしている。
「オレ含めて得意じゃないやつもいるかもしれないし、やめた方がいいんじゃないか?」
綾小路は反対の意を示した。その瞬間、少し嬉しそうな表情になる佐倉。本人は表に出さないよう努めたかもしれないが、俺から見ると分かりやすい変化だった。
そして綾小路はここでも「俺は普通の人間ですよ」アピールを忘れない。もちろん綾小路が本当にボウリングが苦手という可能性もあるが……ボウリングっていうのは要するに球を転がしてピンを多く倒した方が勝ちという簡単明瞭なゲームだ。どのようにボウリングの球に指を引っ掛け、どれくらいの強さで放り、どのコースを狙えばストライクが取れるのか、それら全てを分析して修正することができてしまいそうなのが綾小路だ。
「ん……そうだな。悪い、配慮が足りなかった」
「じゃ、普通にプレイってことで」
「ああ」
といった塩梅に落ち着き、全員1番レーンの席に座った。
名前を登録した順番に、投げる順序も決められている。幸村、綾小路、長谷部、俺、三宅、佐倉の順番だ。
まあ、取り敢えず一つ気になるのが……
「長谷部、お前……」
「いいじゃんいいじゃん」
登録されている俺の名前が「ともやん」になってる。
はあ……まあいいや。店員に言って変えてもらうのも馬鹿らしい。
「じゃあ早速、啓誠から投げてくれ」
「分かった」
自分に合うボウルを見つけ、位置について転がす。
ボウルは床を滑るようにしてピンに向かっていったが、少し右に逸れて、倒れたのは7本にとどまった。
「あー、くそっ」
「ドンマイドンマイ」
今度こそ、と意気込んで放った幸村だったが、今度は狙いすぎたのか、左側のガーターに行ってしまった。
「ああっ!」
「ありゃー残念」
「ドンマイだ」
「くっそ、次こそは……」
投げ終えた幸村が悔しそうな表情を浮かべつつ席に座った。
配置は3人ずつが対面して座っている形だ。俺は右側の椅子のの真ん中で、右隣には佐倉、左には綾小路が座っていた(今綾小路は投げに行っている)。俺の正面には幸村が座り、長谷部が綾小路と、三宅が佐倉とそれぞれ向かい合う形で座っている。
2回で8本倒した綾小路が隣に戻ってくる。
「みんな上手だね。ちょっと緊張するかも……ボウリングなんてほとんどやったことないし……」
「まあ、頑張ってくれ。それに俺も初めてみたいなもんだから心配しなくていいぞ」
俺自身ボウリングは全く得意ではないため佐倉に対してもこんな言い方しかできない。小4の時のボウリングでもてんでダメだった記憶がある。
「あ、あのさ速野くん」
会話が途切れたかと思いきや、再び俺に話を振る佐倉。
「その、は「速野、お前の番だぞ」
佐倉の発言を遮るようにして幸村が俺を呼んだ。もちろん幸村に佐倉の声が聞こえていたはずもなく、悪気はないんだろうが、ちょっと佐倉がかわいそうだ。
とはいえ、順番もあるので待たせるわけにはいかない。
「悪い、後でな」
「あ、う、うん……」
残念そうな表情の佐倉を残し、俺は位置についた。
結果、2回投げて1本しか倒せなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「まさかともやんが本当にボウリングほぼ初心者だったなんて」
「悪かったな……いいだろ別に」
「いやいや、貶してるわけじゃないって。1ゲーム目は置いとくとして、2ゲーム目からすごかったじゃない」
長谷部に置いとかれた1ゲーム目。俺はガーターを連発し、圧倒的最下位のスコアを叩き出した。だが、7回目くらいから段々どう投げればいいかコツを掴んできて、2ゲーム目は一気に2位に躍り出た。
ちなみに1ゲーム目のトップは長谷部、2ゲーム目のトップは三宅だ。
俺たちはいま、ボウリング施設を出てベンチに座って雑談している。
既に日の入りの時刻は過ぎており、完全に夜だ。
先日降った雪がまだ解けずに残っており、点灯している外灯の発光色と相まってなんとも言えない雰囲気を作り出していた。
空気は冷たいがほぼ無風のため、耐えられないほどの寒さではない。
「速野くん、やっぱりすごいね」
隣に座っている佐倉が俺を褒めてくれた。
「ありがとう。まあ、多分ビギナーズラックみたいなところもあるだろ。出来過ぎだ今回は」
受け答えをしていて自分でも思う。素直じゃねえなあ、俺。褒め言葉すら正面から受け取れないんだから。
でも、これに関しては仕方のないことだ。
「じゃあ、いい時間だし夕飯行こう」
「そうだな。どこ行く?」
「うーん……」
「お前はどうだ」と三宅に目線で問われるが、普段外食なんてしない俺がそんなこと答えられるはずもない。
「えと、お、お好み焼き、とか」
俺の横から、そんな自信なさげな声が聞こえる。
佐倉だ。
「お好み焼き、いいかも」
「ああ。賛成だ」
「いいんじゃないか」
俺も異存はない。にしても佐倉からお好み焼きという提案が出るとは……意外なチョイスだ。
自分の案が受諾されたのが嬉しいのか、雰囲気が明るい。
「好きなのか、お好み焼き」
「特別好きってわけじゃないけど……なんか思い浮かんだの」
「ふーん……」
思ったことを言える。数ヶ月前の佐倉からは想像もできない姿だ。
実を言うと、俺はお好み焼き初体験である。
そのため好き嫌い以前の問題だ。ただ、本当に嫌いな人は完成したお好み焼きがゲ○に見えるらしいとどこかで聞いたことがあるので、その気持ちが理解できない俺は多分生理的には大丈夫だろう。
座っていたベンチから立ち上がり、お好み焼き屋に向かってみんなで歩き出す。
俺は場所を知らないので、後ろからみんなの背中に遅れないようについて行く。
といっても俺は佐倉の歩幅に合わせており、他の4人とは3歩分くらい離れていた。
「あ、あの……さっきの続き、話していい?」
「ん?……ああ、あれか」
正直、ボウリングに夢中だったせいで今の今まで忘れてた。
「大事なことじゃ、ないんだけど……」
「お、おう……」
俺にとっては大事なことじゃない、という意味だろう。佐倉にとってどうかは知らない。
意を決したように、佐倉は口を開いた。
「そのっ、速野くんと藤野さんは、付き合ってたり、するのかな……?」
「……」
……1学期に池と山内にされた質問と同じじゃないのか、これ。いや、正確にはちょっと違うか。
「はあ……どこでそんなこと聞いたんだ」
「み、見ちゃったの」
「……見たって何を?」
「夏休みの船上試験の時……夜、速野くんに藤野さんが抱きついてるところ…」
「……」
あの時か……
須藤の時といい、佐倉はへんな光景の目撃者になりやすい呪いにでもかかっているらしい。
はあ、あれは何と説明すればいいのやら……てか説明なんてできねえよ。俺も何であんなことされたか分からないし。
「取り敢えず、答えはノーだ。俺と藤野は友人で、それ以上でも以下でもない」
まあ、利害関係者という別の繋がりはあるが、まさかここで言うわけにもいかないだろう。
「佐倉が見た光景は……何と説明していいか分からないが、取り敢えず何でもない。あの時は俺もびっくりしたくらいだ。あいつは人との距離が近いから、ああいう事もあるんじゃないか、多分」
これくらいの答えしか出てこない。まあ、あいつが誰彼構わず抱きつくとは思えないけどな……ひとまずこの場ではそういうことにしておくしかない。
「じゃ、じゃあ、私の考えすぎ、だったんだ……」
「そういうことだ」
どこかホッとしたような表情を浮かべる佐倉だが、「あなたもこっち側で良かったあ」とか思われてそうであんまり嬉しくない。
何にせよ、俺と藤野が恋仲にあるという事実はない。何度も言ってるが、大前提として俺と藤野じゃ人として不釣り合いだ。友人関係にあるだけでも奇跡に近いってのに。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「あー食べた食べた」
「結構ボリュームあるな……胃がもたれそうだ」
お好み焼き、めっちゃうまかったです。
野菜と肉と小麦の集合体を鉄板で焼いてその上に塗りたくるソース。このB級グルメ感がたまらん。満腹。少し食べすぎてしまったくらいだ。
「てか、速野って意外と食べるんだな」
「そうか?」
「身体細いし少食かと思ってたよ」
「普段あんまり食わないだけで、食おうと思えば食える。スピードは速くないけどな。まあ確かに、今日はちょっと食い過ぎた」
俺は多分、腹8分目になる量は少なく、満腹になる量が多いんだと思う。8部目と満腹の間隙が大きいため持久力がある。ちょっと腹が膨れてからが粘り強い。
腹一杯食いたくなるのは疲れてクタクタになったときぐらいだと思ってたが、今日に関しては場の雰囲気が俺の食べる手を止めさせなかった。運動もしてないのに腹一杯食べると少し健康に悪い気がしてくる。外が寒いってのもあるが最近運動してなかったし、学習部の模試終わったらちゃんと体動かさないとな。
「じゃあどうしよっか。解散する?」
時刻は午後8時30分になろうとしている。頃合いとしてはちょうどいいくらいだろう。
「こんな時間まで遊んだのは初めてだ」
「ほんとほんと。いいストレス発散になったって感じ」
「お前あんまりストレスなさそうだけど?」
「女の子にはいろいろあるのよ」
こうした少しの会話でも、付き合いの期間の差というものを感じる。
この5人は俺のことをグループのメンバー同然に扱ってくれている。それには感謝するが、やはりその努力だけでは透過できない壁がある。
「楽しかった、かな?」
隣を歩く佐倉が俺の表情を伺うようにして聞いてくる。
取り繕っても仕方がない。今日一日過ごした感想を素直に述べよう。
壁は感じる。
だが。
「ああ」
今日過ごした時間は楽しかったし、いい息抜きにもなった。
「こんな夜遅くまで遊び倒したのは初めてだったよ」
「じゃ、じゃあ、また次も誘っていい?」
「ああ。是非」
迷うことなく承諾した。
誘われた時に気がすすまなければ断ればいい。
とは言っても、まあ……
「ともやんチャット入ってたっけ?」
「いいや」
「じゃあ入りなよ。連絡する時とか便利だし」
「ん……ああ、そうだな。じゃあ誰か入れてくれるか」
確かグループへの招待は端末の連絡先を交換している者同士でしかできなかったはずだ。つまり俺を招待できるのは綾小路か佐倉ということになるが……
「オレがやろう」
綾小路が端末を操作すると、俺の端末にグループに招待されたという通知が届いた。
「参加、と」
グループ名はやっぱり「綾小路グループ」なのか。
「まさかグループのメンバーが増えるなんてな」
俺がグループに参加したのを端末で確認しながら幸村が呟いた。
「私は最初っからアリじゃないかって思ってたけどねー。クラスでのはぐれ者って立ち位置的に」
「そ、そうでございますか……」
はぐれ者って……いや、わかってるし事実なんだけどね。でも表現をオブラートとカプセルで二重に包んで欲しいときってあるじゃん?薬飲む時とか。
「じゃあ、ともやんは綾小路グループに参加ってことで」
「……そうなるな。じゃあ、色々と宜しく」
「ああ、宜しく」
「宜しくな」
どうやら、歓迎はされてるらしい。
まあそりゃそうか。ここまで遊んだのに今更突っぱねられたら俺の人間不信具合がさらに増加する。
「じゃあこれからともやんはみんなの事下の名前で呼んでね。あだ名でも可」
「え……」
「そういえばそうだったな」
「あー……マジで?」
「「マジで」」
「……ど、努力します」
まさかそんな決まりがあったとは……どうりで全員が全員お互いを名前で呼びあってるはずだ。そして長谷部、お前のそのニヨニヨした表情から次の展開が読めるぞ。
お前が次に出す指示はきっと……
「じゃあ今呼んでみよう」
「分かった、波瑠加」
「ぇ……」
やっぱり予測した通りだ。
こういうのは恥ずかしがれば恥ずかしがるほど周りのおちょくり具合が増していく。それを防ぐためには初めからおちょくる余地をなくしてしまえばいい。正しい先手必勝とはこういうことだ。
「ちぇ、つまんないの」
「お前割と考えが表情に出やすいぞ」
「え、ほんと?」
首肯で返す。事実俺の読みは当たったわけだしな。
「ポーカーフェイスは慣れといたほうがいいぞ。あやのk……んんっ、清隆あたりから指南を受けてみたらどうだ」
名前を言い直したところで、長谷b……波瑠加が再びニヨニヨとした表情に……こいつ……とっととポーカーフェイスに慣れろ。
「よし、めでたく知幸も参加したことだし、そろそろ帰るか」
「そうだな。時間もいい感じだ」
早速三宅が俺のことを名前で呼んだ。
名前で呼ばれたのが久しぶりすぎて、なんというか新鮮な感じだ。多分小4以来じゃないだろうか。あの頃は俺も普通に友達いたし。いたどころか、今振り返って客観的に見てみると裏のない櫛田の男子バージョンみたいな感じだったかもしれない。……ちょっと美化しすぎか。
ただ、あの頃は本当に毎日が楽しかった。
そう、「あの頃は」。逆に言えばそれ以降は地獄だったわけだが。まあそんなことはいい。
「悪い、先に帰っててくれ。トイレ行ってくる」
「あ、そうか。じゃあ、また来年」
「ああ」
明人と挨拶を交わす。
「ばいばいともやん」
「そのあだ名まだ使うのか……ああ、じゃあな」
波瑠加に続き、清隆、愛理、啓誠も手を振って来たので、こちらも振り返した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
佐倉から「大晦日に遊ばないか」と提案があった時は少し戸惑い、あまつさえ参加しない理由を探して断ろうとさえしていた。
だがそもそも、今日の遊び、俺にとってはメリットしかなかった。
息抜きができること。普通に楽しいこと。
そして俺にとって最大のメリットは……
清隆に近づけることだ。
あいつは櫛田を退学させようとしている。
俺は櫛田を利用しようとしている。
つまりあいつは俺にとって利害の対立した敵同士。
敵の腹を探るなら近づいてしまうのが一番いい。
今回の場合は、探るというよりは動きを封じ込めるといった意味合いの方が圧倒的に強いけどな。
そしておそらく、俺のこの行動は清隆にとって相当なストレス要因になるだろう。これもまた狙いの一つ。
まあそういうの抜きにしても、この時間は俺にとって楽しい時間だった。
……早いとこ名前呼びに慣れとかないとなあ。
結局リア充になり切れてない速野でした。
更新速度をさらに下げようと思います。申し訳ないのですが、正直なところ、受験勉強と執筆を両立できる気がしません……
受験を突破するまでは、息抜きで書く、くらいの感じになると思います。失踪はしません。ツイッターにて生存報告はいたしますので、今後もこの作品をよろしくお願いします。
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第8巻
ep.60
では、8巻分スタートです。
3学期が始まって2週間ほどが経った木曜日。
高度育成高等学校の全校生徒が、クラスごとに12台のバスに分かれて大移動していた。
バスでの席順は名字のあいうえお順で決められており、俺は平田の隣に座ってバスに揺られている。たまに勘違いされてないか心配になるが、俺の名前は「すみの」じゃなくて「はやの」だ。幸いまだ間違えて読まれたことはないが。
皆思い思いに移動時間を潰している。所持品に学校側からの制約は特になかったため、漫画やらスナック菓子やらを持ち込んでいる者が多い。トランプで遊んでるやつもいる。
こんな調子なので、バスの中はいささか騒がしい。隣の平田も通路を通して女子と喋っている。たまにこちらに意識を向けてくるが、俺は「気にするな」オーラを全力で放出することで対抗して無言を貫いていた。意識を向けるだけで話しかけてこないのは平田の俺への配慮だろう。流石と言ったところか。
俺はというと、間違っても乗り物酔いしないように車窓から景色を眺めて移動時間を潰している。景色といっても、バスは高速道路を走っていてさっきから何の代わり映えもないんだけど。
にしても、移動中に遊べるやつが羨ましい。俺がバスの中でトランプなんてやろうもんなら、トランプ中なのにリバースというUNO用語が繰り出される怪異な現象が起こりかねない。……おっと、こんなことを考えてると余計に悲劇が起こりやすくなってしまう。一旦頭をリセットし、思考も歯垢もクリアクリーンしなければ。
……親父ギャグなんて冬に言うもんじゃないと実感した。暖房あるのに寒い。てかダジャレぶちかましたの久しぶりだな。学習部の一大イベント「大学入試センター試験本番と同じ問題の模試」が終わったことで気分が軽くなってるんだろう。
テストの出来は上々。プライベートポイントも期待していいだろう。だいぶ前の一之瀬の話だと部活での戦績がクラスポイントにも反映されることがあるらしいから、こっそりクラスに貢献したり、なんてこともあるかもしれない。
それはそうと、さっきの文章の中に「まあ、仮に酔わなくてもトランプ一緒にやるやつなんていないんだが」という自虐ネタを挟まずに済むようになっているのは俺の成長の証だ。やろうと思えば俺の席の後ろの松下の隣に座っている明人とプレイはできる。そうなった場合ちょっと松下がかわいそうだが。
そんなどーでもいいことに思考を巡らせ、酔うことから必死に逃げている中、マナーモード設定している端末が震えた。メールだ。
差出人は……藤野か。正月の午前0時に所謂「あけおめメール」というやつをもらって以来だ。
俺と藤野はそこまでマメにメールする仲じゃない。今までも2週に1回くらいのペースだったし。それに話したいことは4日に1度の無料コーナーへの食材買い出しの際に話しているので、それで何も不都合はない。
ひとまず内容を確認する。
『どこに向かってると思う?』
シンプルにそれだけ書いてあった。
『分からん』
こちらもシンプルにそれだけ書いて返信する。
そう、俺たちはこのバスの行き先に関して、ほとんど説明を受けていない。
出発前、替えの体操服、ジャージ、少し厚めのコートを持参すること、特に下着などに関しては多めに持ってくることを強く推められただけ。そのため泊りがけであろうことは恐らくほぼ全員が予想しているはずだが、それ以外はさっぱりだ。
『特別試験、かな』
『多分な』
それも恐らく、この学校に在籍する者なら予測がついていることだろう。
一口に泊りがけとは言っても日数によってその性質は大きく異なってくる。実は日数に関しても全く説明がないのだが、多めの着替えを推奨された点から少なくとも3、4泊以上は覚悟しておいたほうがいい。
高度育成高等学校において、わざわざ学校から別の場所に移動し、それだけの日数をかける行事といえば、答えは自ずと絞られる。
そして特別試験といえば、藤野にとっては他の生徒とは別にもう一つ「特別」な意味がある。
『今回も何か動くのか』
『内容によるけど……多分そうなるかな』
藤野にとって特別試験は、葛城、坂柳両名から政権を奪う手段の一つだ。
現状「葛城下ろし」は成功し、現在は坂柳がAクラスの実権を握っている。だが期末テストでBクラスと点差がギリギリだったことでほんの少し微妙な空気が流れているらしい。
Aクラスがピンチであるということは、藤野にとってはチャンスでもある。
『できる範囲で協力はする』
『ありがと』
チャットはそこで途切れた。
何分後になるかは分からないが、茶柱先生から行事の説明があるはずだ。その時になれば再び藤野とのチャットが再開されることになるだろう。
取り敢えず、それまでは車窓一面に広がる単調な景色を鑑賞するとしよう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「盛り上がっているところ悪いが、静かにしろ」
長いトンネルをくぐり終えた瞬間、茶柱先生がバスガイド用の拡声器を使って俺たちに言いつけた。
このタイミングで一斉に説明を始めるという決め事があったんだろう。
「そろそろお前らも、このバスがどこに向かっているのか、お前たちがこれから何をさせられるのか、気になっている頃だろう。それを今から説明する」
そろそろっていうか最初から気になってんだけど。
「まさか、また無人島とか……?」
「安心しろ池。あれは特別試験の中でもかなり規模の大きいものだ。そう何度もやるほど、私たちも鬼ではない。だが、全員察しがついているであろう通り、お前たちには今から特別試験を行うことになっている。だが無人島に比べれば、生活そのものは簡単だ」
生活そのものは、ってことは、どこかで無人島試験よりも厳しい条件があるんだろうか。
「これからお前たちDクラスにやってもらう試験内容は……」
と、言いかけて、言葉を止める茶柱先生。
周りを見ると、みんな一様に誇らしい笑顔を浮かべていた。
「……すまなかった。これから『C』クラスの行う試験内容の説明を始める」
俺たちの1月時点のクラスポイントは412。龍園クラスは292。よってクラスが逆転し、俺たちがCクラス、龍園がDクラスとなった。
ちなみにBクラスは603、Aクラスは894。Bクラスの背中も見えている状態だ。
「これからお前たちをある林間学校へ案内する。恐らく1時間弱で着くだろう。説明がスムーズに進めば、それだけお前たちに与えられる『猶予』も大きくなる」
猶予。つまり試験について話し合う時間ということか。
「林間学校って普通夏じゃないんですか?」
「池、わたしがいま『猶予』と言った意味を理解していないのか」
怒る、というよりは少し愉快そうに言う茶柱先生。ツッコミを受けた池は「すんません」と軽く謝る。するとバスの中から「クスクス」という笑い声が聞こえてきた。
まあ確かに、林間学校といえば夏の暑い時期にやるイメージはあるが。
「今までお前たちに課してきた特別試験は全て学年、あるいはクラス単位でのものだった。しかし、今回の特別試験は学年を超えての交流を9泊10日の日程でこなしてもらう。試験の名前は『混合合宿』。口頭だけでは分かりづらい面もあるだろう。これから試験に関する資料を配布する」
バスの席の前から順々に資料が回されていく。
10数ページくらいの手元の資料をパラパラと眺めていると、途中途中で施設の写真と思われるものが目に入る。大浴場、食堂、教室などなど。何かスキー施設のようなものも目に入った。試験内容にウインタースポーツでも関わってくるのだろうか。
全員に行き渡ったところで、先生が説明を再開した。
「説明を続けるぞ。今回の試験は『成長』をテーマとしている。他学年との交流は、お前たちにさまざまな刺激を与え、『成長』を促すことだろう。それに加えて、普段慣れないものとの交流を通して、それへの対処や、人と円滑な関係を築けるかどうかを確認し、また学んでいくこともこの試験の大きな目的の1つだ」
あー……これはもしかしなくても俺の苦手分野なんじゃないか。
友人と呼べる存在ができたとは言え、俺のコミュ力が改善したかと言えば……多少なりともマシになったと自負はしているものの、まだまだヤバいレベルだ。
「この試験では、『大グループ』と『小グループ』の2つの括りのグループが存在する。合宿所となる林間学校に到着した後、お前たちは学年ごとに男女に分かれ、まず男女8つずつの小グループのメンバー決めを行なってもらう。小グループ決めのルールに関しては、いま配布した資料の5ページの上部にもれなく記載している」
周りからページをめくる音が一斉に聞こえてくる。
走行中の乗り物の中で下を向くと酔うので、俺は資料の方を持って自分の目線に合わせた。
・小グループとは、男女別に話し合いを持って作成された各学年8つずつのグループを言う。
・試験初日の指定時間内に小グループを作成し、担当の教師に報告すること。
・小グループは全員が納得する形で結成されなければならない。
・グループは最大10人までとする。
・1グループには、必ず2つ以上のクラスの生徒が属していなければならない。
・グループに1人ずつ『責任者』を選任すること。決定期限は試験2日目の朝食時間までとする。
「最大」10人となっているのは、退学者がいた場合の人数変動を考慮してのことだろう。俺たち1年生はまだ1人も退学者を出しておらず、強制的に10人ずつでグループを作ることになる。
ここまで聞いてると、9人を同じクラスで占めて、残り1人だけどっかから引っ張ってくるような策がいいように思われるが……多分そういうシステムにはなってないんだろうなあ。
「先生、『責任者』とはなんですか」
「『責任者』の存在は結果に大きく関与してくる。結果の説明と同時に責任者に関しても解説する。他にはないか?」
その問いに対して誰も手を上げないことを確認し、話を続ける。
「大グループの説明も、その下にもれなく記載してある。目を通しておけ」
・大グループとは、各学年8つずつの小グループから1つずつを組み合わせた、合計3つの小グループによって作られる集団をいう。
・小グループを作成後、試験初日の就寝時間までに大グループを作成し、担当の教師に報告すること。
・なお、2種類のグループ決めの話し合いに関して教師は一切の接触を持たない。
もれなく、とは言いながらも、書いてあることはこれだけだった。
「この小グループは非常に重要で、これから9泊10日の間、寝食をともにするメンバーとなる。また、朝食作りは大グループごとに持ち回りとなる。分担の組み合わせは自由だ。一応言っておくが、指定時間内に小グループを結成できない場合は、結成できなかったメンバー全員が退学処分となる」
最後の忠告で全員に緊張が走る。茶柱先生は「まあ、そんな間抜けなグループは今までないがな」と付け加えた。
「今まで敵だったやつと一緒に過ごすとか冗談キツイぜ」
「はじめに説明しただろう須藤。それがこの試験の根幹でもある。質問がなければ次に移らせてもらう。お前たちが一番気になっているであろう『結果』についてだ。資料9ページに記載してあるが、口頭でも説明を加える」
指定された9ページを開くと、大きく『結果及び基本報酬』と印字されていた。
「試験結果は、基本的に属している大グループの『平均点』によって決まる。そして全員の点数は、合宿最終日に行われるテストによって決する。詳しくは資料10ページに記載している」
・以下に大グループの基本報酬を記す。なお、この報酬によりポイントがマイナスになる場合、累積赤字として計上する。
1位〜4位
1位…プライベートポイント1万、クラスポイント3
2位…プライベートポイント5000、クラスポイント2
3位…プライベートポイント3000、クラスポイント1
4位…プライベートポイント1000
以上を、所属大グループのメンバー全員に支給する。
5位〜8位
5位…プライベートポイント2000
6位…プライベートポイント5000、クラスポイント2
7位…プライベートポイント1万、クラスポイント3
8位…プライベートポイント2万、クラスポイント5
以上を、所属大グループのメンバー全員から没収する。
プラスよりマイナスがでかいな……
「また、所属している小グループのクラスの数に応じて、1位から4位までのポイントに倍率がかかることになっている」
やはり。多クラスで組むメリットもしっかりと用意している。
倍率に関しても同じ10ページに書いてある。2クラスなら1倍、3クラスで2倍、4クラスで3倍。
なお、倍率に関しては全てプラスのみに作用し、マイナスに倍率がかけられることはないらしい。
「そしてこの順位だが、最終日に行われる『総合テスト』の平均点によってはじき出される。資料11ページを確認しろ」
以下の科目の試験を最終日に行い、平均点を算出する。
・道徳 ・精神鍛錬 ・規律 ・主体性
これはまた随分と抽象的な項目だ。
各項目に関して解説文があるにはあるが、ヒントになりそうなものは確認できない。現時点で考察する優先度は低そうだ。
「また、最下位になった大グループにはペナルティが課せられる」
「え、ペナルティってまさか……」
「そう、『退学』だ」
バスの中に一瞬の緊張が走る。
「だが大グループ全員が退学させられる訳ではない。ここで先程質問のあった『責任者』の制度が絡んでくる。退学するのは、学校の指定する平均点のボーダーを下回った小グループの責任者だ」
「責任者の選任方法はどのようなものですか?」
「小グループ内で話し合って決定する。それだけだ」
「んなもん、好き好んで責任者になる奴なんかいねーだろ?」
「メリットもある。責任者を務める生徒のクラスのグループ報酬が2倍になる仕組みだ」
2倍か。それなら確かにやる価値はある。
Cクラスから7人、他クラスから1人ずつ引き受け、4クラス構成のグループを作り、Cクラスが責任者を務め上げ、見事1位を獲得する。これを男女両方で達成したなら……
クラス合計でプライベートポイント84万、クラスポイント252が得られる計算になる。
もちろんこれは最高の想定だが、これだけのポイントが動けばクラス変動が起こるかもしれない。1年で言えば、これをDクラスがやった場合、俺たちCクラスはDクラスと入れ替わる可能性が非常に高い。
「また、退学になった責任者は、同じ小グループ内の人物1人を道連れにすることができる」
「はあ!?無茶苦茶じゃないですか!」
「安心しろ。道連れにすることができるのは平均点のボーダーを下回った原因であると学校側から認められた生徒のみだ。よほど質の悪いパフォーマンスをしない限りは対象にはならない」
当然の制約だろう。
ただ、道連れ制度なんて今までにないルールだ。特別試験の質というか、志向が変わっている気もする。
「それからもう一つ重要なことだが、退学者を出したクラスからは、退学者1人につきクラスポイント100ポイントを没収する。ただし、救済措置も存在する。課されたペナルティに加え、クラスポイント300、プライベートポイント計2000万を支払うことで退学を取り消すことができる。……が、お前たちにはまだ無理だろう」
グループの報酬が2倍になるが、退学、そしてクラスポイント、プライベートポイントの大幅減のリスクを負う。予想外にマイナス面が大きいな。責任者に関しては慎重な検討が必要になる。
退学取り消しのコストについては先生の言う通り無理だ。俺も常人よりポイントを多く保持しているとは思うが、退学を通告された生徒を救えるほどのポイントは持っていない。
俺は藤野にある頼みごとをして、再び茶柱先生の方に向き直る。
「さて、ここからはこの特別試験期間中に組まれている『スキー演習』に関する説明だ。これよりプリントを配布する」
「え、スキー?」
「これからお前たちが向かう林間学校には併設でスキー場がある。そこで1日約3時間、天候の許す範囲で、講師のもとでスキー演習を行う」
プリントが1枚ずつ、全員に行き渡る。
試験期間中、昼食後の13時から16時まではスキー場にてスキー演習を行う、と記載があった。
それを見て、車内からは「面白そう」とか「スキー1回やって見たかった」などの声が聞こえてくる。
「楽しむのは構わない。学校側もそういう意図でスキーの日程を組んだことは否定しないが、このスキーも今回の特別試験のテーマに沿って行われるテストの一環だ」
「つまり、スキーの実力によって報酬があるということですか?」
「そうだ。ただし、このスキー試験は先程伝えた項目とは独立したテストだ。テストは基本的に学年別の小グループ単位で行うが、『平均点』や総合順位には一切影響しない。報酬も違ったシステムで決定する」
「でも先生、報酬どこにも載ってなくないですか?」
確かに。プリントには「報酬を与える」とは書いてあるが、具体的な記載はどこにもない。
「スキー演習の具体的報酬はこの場では一切伝えない」
先生がそう言った瞬間、バス内に騒めきが起きる。
「え、な、なんでですか?」
「それを考えるのも試験のうちだ。が、安心しろ。スキー演習の結果でマイナス報酬となることはあっても退学の措置を取ることはない。ただ、スキーの報酬が小さいわけでは無い。考えてグループを組むことをお勧めする」
「試験内容はどのようなものですか?」
「タイムにより決定する。それだけだ」
これだけの材料で考えて組めと言われても、グループ決めに関しては「運動苦手なやつが固まらないようにしよう」くらいしか決められない気はするが。
だが、もし仮にスキー経験者がいたらかなり心強いんだが。
「また、バスを降りたら所持している電子機器類は全て没収だ。持ってきた遊び道具などは持ち込み自由だが、飲食物は持ち込めないため、全て到着までに処理しろ」
多くの生徒がその指示に悲鳴を挙げる。
俺は携帯は無くても特に困らない派だが、常に携帯が手元に無いと気が済まない人は少なくないんじゃないだろうか。
「こちらからの説明は以上だ。何か質問はあるか?」
すると、一番前の席の池が手を挙げる。
「先生!男女別って最初に聞きましたけど、具体的にどれくらい別々なんですか!?」
「林間学校は2棟あり、本棟は男子、分棟は女子が使用する。休み時間や放課後に無断で外に出るのは禁止だ。だが、昼食と夕食は男女合同でとることとなっている。また、スキー演習の時間は男女合同だ。それらの時間は男女の交流は自由だ。学校側から規制もしない」
「分かりました!」
声が明らかに弾んでいる。誰か目当ての人物でもいるんだろうか。
まあいいや。
とりあえず、俺の中での今回の試験の方針は固まった。スキーの報酬の細かい内容は確定してないため運要素もあるが、損をすることはないだろう。
隣の平田が仕切るために前に出ようと席を立った時、俺の端末が震える。
藤野からだ。「わかった」という件名とともに、以下の文面が送られてきた。
『報酬の説明がないってどう思う?』
『それを考えろってことなんだろう。スキーについて、また一つ頼んでいいか』
『なに?』
藤野に頼みごとを送ると、少し長めの間を置いて『了解』と返信があった。
取り敢えずこれでオッケーだ。
俺と同じような発想に至る奴は、おそらく複数人出てくるだろう。綾小路や龍園あたりは思いついていても不思議じゃない。他学年の中でも思い至る人物はゼロではないと思う。
まあ綾小路は思いついても行動に移さないだろうし、龍園は前線から退いてる。だがそれを抜きにしても、よっぽどのことがない限りあの2人にも対抗できる一つの自信が俺にはあった。
「取り敢えず、この中にスキーを本格的に習ったことがある人はいないかな?」
それに誰も手を挙げることはない。まあ野球やサッカーと違って環境がかなり特殊で、そうそう出来るスポーツでもないしな。
「分かった。経験者がいないのは残念だけど仕方がないね。もし習ってたけど手を挙げるのに気が引けたって人は、後でこっそり報告してくれても構わないから。じゃあ次に、この試験についてみんなの意見を聞かせてもらえるかな。どんなグループ決めで試験を乗り切るべきか」
「俺たちから7人出して、他から1人ずつ引っこ抜いて作ったらいいんじゃねえの?」
「確かにそれは理想だけど、他のクラスの人たちも絡んでくることだから簡単にはいかないと思う」
本格的に話し合いに入っていく。
そんな時、通知が来た。
堀北からだ。
『何か考えはないの?』
『綾小路に聞けよ』
『ゼロ回答だったわ』
まあそうだろうなあ。最近の綾小路は堀北を突き放し始めている。
別に俺も合宿のグループ分けに関して何か妙案が浮かんでるわけじゃないから、有効なアドバイスができるわけじゃないんだが。
『俺も今のところ特に思いついたことはない』
そう返信したところで、茶柱先生が再び話を始めた。
要約すると、報酬で得られたプライベートポイントをクラス内で均等に分け合うのは正しいことか否か、というものだった。
茶柱先生は分け合うことのデメリットを説明した。明らかに「分け合わない」方向に意見を誘導しようとしていた。
ポイントを分け合うことのメリットは俺も重々理解している。
それを踏まえて、俺は分け合わない方に賛成だ。
俺自身多くのポイントを所持しているというのも理由の一つだが、それ以外にも理由はある。
分け合うことが定着し切った場合、一部の生徒がやる気を出さなくなってしまう恐れがある。
ポイント獲得力のある生徒は「自分が頑張ってもどうせ40分の1しかポイントが入らない」、ポイント獲得力の低い生徒は「自分があんまり頑張らなくてもある程度ポイントが入ってくる」という風に。
ポイントを分け合えば不平等がなくなる?果たしてそうだろうか。この主張はポイント獲得力のない生徒の立場に立ってのことだろう。だがポイントを獲得できないのは自分の実力不足でしかない。実力に見合ったポイントを獲得して何が悪いのだろう。むしろ完璧に均等にすることこそ、頑張った者が不平等を感じる結果になりはしないだろうか。
俺は別に他者救済を否定しているわけじゃない。試験毎に報酬を分け合う必要性は無いと言ってるだけだ。ポイントを貸してくれと頼まれればよっぽど酷い理由じゃない限り貸すし、出してくれと頼まれれば出す。急を要する場合は俺もポイントを無理に出し惜しむことはしない。そしてクラスの殆どが同じ考えだろう。わざわざ報酬を分け合わなくても、その場その場で対応可能なのだ。
あまりにポイントを持ちすぎると使い込む生徒が出てくるかもしれない。が、それは注意喚起すればいいだけの話だ。それにポイント獲得力の高い生徒はポイントを無駄にしたりはしないだろう。
「取り敢えず、多数決を取ってもいいかな。ポイントを分け合うかどうか。分け合う方がいいという人手を上げて欲しい。もちろん後で意見が変わっても構わないから」
平田を筆頭にして、数人の手が挙がる。だが最終的な賛同者は両手の指で足りるほどの数しかいなかった。茶柱先生の説明を聞いた後だというのもあるだろう。
「ありがとう」
ひとまずこれでよかった。
「それで、どうするの平田くん?グループ分けのこと」
前の方に座っている女子が平田に言う。
「その前に、女子のリーダーを決めた方がいいと思う。携帯も没収されるし、男女に分かれるからアドバイスを送るタイミングもかなり限られてくるからね。だから堀北さん。お願いできるかな」
そう言うと、みんなの視線が堀北に集中する。
「分かったわ。何か相談事があったら私に言ってくれて構わないから。ただ、私だと相談しづらい人もいると思う。だから櫛田さん、私の補佐をお願いできないかしら」
ほう、ここで櫛田を起用するか。
堀北なりにもがいてるのが読み取れる。
「えっと、私でいい、のかな?」
「ええ。クラスで誰よりも信頼されているあなたが間違いなく適任よ」
「そ、そう、かな。うん、分かった。私でよければ協力するよっ」
「ありがとう。これでみんな相談しやすくなったと思うわ。どんな些細なことでも相談に乗るから、遠慮なく話して欲しい」
櫛田の裏の一面を知る奴からすれば櫛田ほど信頼できない奴もいないが、それを知らないクラスメイトは別だ。それに櫛田も自身の裏を知る者以外と敵対するつもりはないだろう。相談を持ちかけられたら親身になってくれるはずだ。
とにかく、これでクラスの男女の統率は取れそうだ。
まあ、この合宿で「クラス」の概念が通じるのか、それは甚だ疑問だが。
原作との変更点
・小グループの数が6から8になっている。それに伴い、人数にかかる倍率は消滅。
・スキー要素の追加。筆者はスキー全く経験したことがない(正確には幼稚園のころあるけど全く覚えてない)ので、描写がかなりおかしくなることが予測されます。許してください。
・7泊8日から9泊10日に日程が伸びている。これは単純にスキー要素が加わったことによる延長です。
取り敢えずこの3点でしょうか。
それでは、次話も首を長ーーーーーーーくしてお待ちください。
感想、評価お待ちしております。
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ep.61
バスの昇降口で電子機器類を回収された俺たちは、茶柱先生の指示に従ってバスから少し離れた場所で待機している。
バスは高速道路を降りたあと坂道を登り続けていた。その先にたどり着いたのがこの場所だ。標高は500mほどだろう。言うまでもなくめっちゃ寒い。両手はカイロの入っているジャージのポケットから出てこられず、身体は体温を上げようと必死で振動を続ける。
目の前には、林間学校の施設と思しき巨大なグラウンドと木造校舎が広がっていた。巨大とはいっても、全校生徒約480人を収容し、9泊10日で宿泊、そして授業をするとなるとこれくらいの規模は妥当だろう。
数分が経過し、普段関わりのない教師の先導に従って男女別々の施設に入っていく。
男子生徒が使用するのは本校舎と呼ばれる大きめの校舎。古臭い感じはするが清潔感のある環境だ。
校舎を歩くうちに、いくつかの教室を通り過ぎる。授業で使う教室だろう。見たところエアコンは設置されておらず、ポツンと置かれているストーブが暖房器具の役割を一手に引き受けているようだ。
そのうちに、俺たちは体育館に通された。
そこには数人の教師が待ち構えており、男子全員にクラス別で整列するよう指示が入る。
ざわついていた体育館内が静まった頃合いを見計らって、数人の教師の1人がマイクを持って話し始めた。
「これより先は、バスの中での一通りの説明を全員が理解したものとして進行する。ではこれから、小グループを作成する時間を設ける。学年別で最大10人の8つのグループを作成するように。大グループの作成時間は午後8時から設けてある。また、大小関わらず、グループ作成に関して教師側は一切関与しないことを伝えておく。以上だ」
説明終了と同時に列が解け、各自話し合いに入っていく。
こんな感じのことは体育祭の時にもあったな。その時は「紅白それぞれの組みの顔合わせ」という名目だった。あの時は龍園率いる元Cクラス(現Dクラス)が真っ先に動いたが、今回はどうやら違うクラスが動き出すようだ。
「僕たちAクラスは、この9人で1つの小グループを組みます。あと1人加われば規定の人数です。では、加入希望者を募ります」
確か……的場、だったか。そう言い放った。
「おいおい何勝手なことしてんだよ。お前らだけずりぃだろうが」
須藤がその9人を睨みつける。
「そうでしょうか。ルールを破っているわけではありませんし、こちらは2クラス分の倍率しか得られません。言うほど傲慢な手法ではないと思いますが。それにグループは8つ分あるのですから、皆さんも同じような構成にすればいいだけの話です」
「いや、でも……」
言葉に詰まる須藤。まあ的場の言うことに間違いはないからな。ただ、最後の説明には合点がいかない。倍率が低くていいと言えるのはクラスポイントトップであるAクラスだからであって、他のクラスも同じようにすればいいというのは理屈として成り立っているようで成り立っていない。
他のクラスの代表格の様子を観察してみるが、今決断する者は出ない様子だ。慎重に事を運ぼうとしている。
そんな中で、的場はこう付け加えた。
「残り5分。この間に僕らのグループに参加を決めた方には特別枠を用意しています」
「特別枠?」
「はい。このグループの責任者は葛城くんが務めますが、特別枠で加入した方には退学のリスクを一切負わせません。もちろん、わざとグループの足を引っ張るような行為をしたとしたら話は別ですが、純粋な実力不足は全て黙認します」
この説明で、一部の生徒の顔色が変わった。これまでの試験で自信が持てず、自らが退学する可能性を危惧している生徒達だ。
どの試験でも、ポイントを取れる生徒とそうでない生徒と2種類が存在する。クラスの作戦の中核を担ってポイントを稼ぎにいくのは前者の生徒。後者は出来るだけクラスのマイナスにならないように、そして何より自身の退学を確実に避けるために行動する。的場の言う特別枠は、この後者の生徒にとって渡りに船の提案というわけだ。
「ただし先ほども言った通り、この特別枠の有効期限は5分以内です。それを過ぎて参加を決めたとしたら、僕らが最下位を取った場合容赦なく道連れにします」
「だがそれだと、5分経てばAクラスの提案の価値はほぼ消滅する」
「そうだぜ。つかそんな約束信じれるかっつーの」
神崎と須藤がそう言うが、的場は毅然としている。
「どう解釈してもらっても構いませんが、僕らは絶対に折れませんよ」
それだけ言い残して、的場含むAクラスの9人は話し合いの輪から一歩、二歩と外れていく。
「無視でいいだろう。5分経てば向こうから話し合いに戻って来ざるを得ない」
「だな」
Bクラスの神崎、柴田はその方向で行くようだ。Dクラスはどうやら金田がリーダー的存在らしいが、そっちも同様の姿勢のようだ。
しかし我がクラスのリーダー・平田は違った。
「Aクラスの話、君たちはどう思う?」
平田は明人、啓誠、清隆、俺の4人衆に相談を持ちかけてきた。
「どう、と言われてもな……」
「僕は悪くない提案だと考えてるんだ。Cクラス全員がこの試験をクリアすることが、高ポイント獲得より重要な絶対条件だと思ってるからね。クラス昇格したばかりでいい雰囲気を失いたくないし、敵ではあるけど彼らはAクラス。最下位になるリスクは低いはずだよ。それにあのグループには運動が苦手な生徒も少ないから、小グループ単位でやるって言うスキーの方もそれなりの報酬を期待できると思う」
平田は安定を取る考えのようだ。
「問題は彼らが最後まで約束を守るつもりがあるかどうかだね。もし最下位になったら、約束を反故にして道連れにする可能性もないとは言えない」
平田の懸念はもっともだ。が、俺はその点あまり心配していない。
一年生男子全員の前で宣言した約束を反故にすれば、当然信頼を失う。
だがそれ自体よりも、仮に約束を反故にして道連れにしたとして、信頼を失うことに対してのメリットが少なすぎるのが大きなポイントだ。
もしここでBクラスのリーダー格である一之瀬や神崎の首がかかっていれば、信頼を失ってでもAクラスはやるかもしれない。だが今回Aクラスが道連れにできるのは、試験でポイントを稼げないと自覚している、決して有能とは言えない存在1人だけ。どう考えても悪手だし、今回の司令塔であろう坂柳がそうするとは思えない。
まあそれを言うなら、クラス数の倍率を取りに行かず、堅実に順位を確保しに行った今回のAクラスの戦略自体、噂に聞く坂柳らしさは感じないんだが。
「……確かに、ありかもしれない」
啓誠が呟く。その横で俺も首肯した。
清隆と明人に反応は見えないが、異議を唱える様子はない。
「ありがとう。でもAクラスの提案に乗るとして、課題はBクラスとDクラスの反応だね」
賛成の声が上がったとは言え、そう簡単に結論づけられるものではない。どう決断するにしても、何かしらの壁に突き当たる。
的場の宣言がなされてから3分ほど経過しただろうか。神崎と平田がDクラスのまとめ役である金田に呼ばれた。
それと同時に俺は「綾小路グループ」3人と少し距離を置いて立つ。それで3人から不思議がられることはない。大晦日に一緒に遊びに行って関係が深まったことは深まった。以降も放課後にこのグループで過ごす機会もあった。しかし俺だけ明らかに参加率が低い。まだ「綾小路グループ」に入りたてという現状を抜きにしても、だ。
このグループに不満があるわけではない。いや、むしろ俺がこんな風に勝手に振舞ってても誰も責めないし気まずくならないからこそ、不満がない関係たり得ていると言っていい。
そもそも俺にとって、この小グループ作成の話し合いにほとんど意味を持っていなかった。誰と組むか、始まる前から3割がた決まっている出来レースのようなものだからだ。そして俺はその出来レースに乗る必要がある。話し合いに参加することは俺にとってむしろマイナスになる可能性すらある。そのためこれ以上巻き込まれないよう、俺は話し合いの中心から出来るだけ距離を取った。
数分ぼーっと立ち尽くしていたが、同じように話し合いからは距離を保っているある男の様子がふと目に留まり、声をかけに行く。
「1人か」
「見りゃわかんだろ」
元Cクラスの前リーダー、今はDクラスのただの一般生徒、龍園翔だ。
「ほっといても、お前はいずれ話し合いの議題になるだろうな」
「羨ましいか?」
「まさか」
グループ構成がある程度固まり始めた段階で、龍園をどのグループが引き受けるかで揉めるだろう。要するに押し付け合いだ。龍園も分かっていてああいう受け答えをしている。
「ただ、随分と1人が板についてるな。石崎やアルベルトを侍らせてた時よりよっぽど自然体だ」
「ほっとけ。俺には元々こっちが性に合ってんだよ」
性に合っているというのは本当だろう。惨めさが滲み出ずにちゃんと孤高を貫けてるのは感心する。それはそれでひとつの才能だ。
「で、何の用だよ」
「別に用はない。暇だから話しかけただけだ」
「なら消えろ」
「不愉快にさせて悪かったな」
それに龍園が返答することはない。こちらも返答があるとは思っていなかったのですぐに背を向けて立ち去った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
話し合いは、俺が目を離している間に随分と進展があったらしい。
Aクラス9人で固めたグループには山内が参加することになり、一つ目のグループが完成。現在は仮グループを3つほど作って調整を図っているようだ。
仮グループはそれぞれ神崎、平田、金田を責任者に据え、その3人が所属するクラスから7人、残りの3クラスから1人ずつを持ってきたグループ。要するにこのグループが各クラスの「主力」ということになる。仮とはいえ各クラス人選はしっかりしており、運動の得意な生徒が固まらないようにしていた。Bクラスは神崎と柴田は別のグループになっており、Cクラスでは平田と須藤が別グループだ。
綾小路グループの3人は、話し合いを近くで見守りながらも今作られている仮グループには入っていないようだ。俺もここで変に誘われるのはマズイので、先ほどと同じように話し合いからは離れた位置にいた。
残りの4グループは、バランスの観点から極端なクラス構成にはしない方向で意見がまとまったらしい。一応こちらの方も仮グループを作成するようだ。そこにも関与せずに流れに身を任せていると、Aクラス3人、Bクラス2人、Dクラス2人のグループの中に俺が入っていた。ちなみにBクラスのうち1人は柴田だ。俺を見つけて声をかけてくる。
「よっ、久しぶり」
「そうだな。話すのは体育祭ぶりか」
まだどの仮グループに入るかが決まっていない人数は龍園を含めて3人。ひとまずまとまってきたものの……やはり最大の鬼門が待っていた。
龍園をどこが引き受けるか。
綾小路にけちょんけちょんにやられた事と、龍園の今後の姿勢を知っている俺や綾小路からすれば龍園は(少なくともこの試験では)何もしないと言い切れるが、事情を知らないその他の生徒からすれば龍園はタチの悪い爆弾でしかない。龍園がDクラスのリーダーを降りたことは学年全体に知れ渡っている。しかしほとんどの生徒は半信半疑という感じだ。
そんな中、一歩踏み出した生徒がいた。
「なあ、一つ提案があるんだが。今揉めてるのは龍園の所属グループなんだよな?だったら俺が龍園を引き受ける。代わりに俺がそのグループの責任者になってもいい」
前に出てそう発言したのは明人だ。
正直ちょっと驚いている。
「何企んでんだ?」
「別に。単にポイントを多く稼ぎたいだけだ」
それも理由の一つだろうが……どうも取ってつけたっぽい。恐らく明人はこのこう着状態を動かしたかったんだろう。
「最下位になったら、誰かを道連れにする気なんじゃないのか?」
「意図的な妨害をしなければそんなことはしないし、できないルールのはずだろ」
同じ仮グループメンバーからの反論も制す。
これでひとまず決定、だな。
龍園を明人が引き受けたことにより、浮動人員の2人の所属グループは自動的に俺たちのところに決まる。
こうして、長いようでそんなに長引かなかった1年生の小グループ決めが終了した。
俺はCクラスから1人だけになってしまったが、俺の場合そう気にすることでもない。なんとか知り合い程度の関係性の柴田がいるだけマシ。それにグループ全体を見ても問題児はいなさそうだ。このグループには取り立てて大きな問題は発生しないと見ていいだろう。
そういう意味で言えば、啓誠のグループは悲惨だな……
Bクラスはいいとして、まず高円寺が所属している。高円寺は実力面では申し分ないが、一緒にいると精神衛生上よろしくない。そして綾小路。あいつ単体では問題ないのだが、Dクラスから石崎と山田アルベルトが所属している。龍園の一件から何かと接しにくい関係性のはずだ。そして高円寺の姿勢を見て、沸点の低い石崎がいろんな意味でキレる可能性がある。何というか気の毒になってくるグループ構成だ。
と、あれこれ考えているところに、グループ結成完了を教師に報告しに行っていた柴田ではない方のBクラスの生徒が戻ってきた。
「じゃあ、取り敢えず10日間よろしくな。責任者、やりたい人がいなければ俺が引き受けるけど、それでいいか?」
「ああ、頼む」
「よろしく」
やはりというか、柴田が率先してまとめ役を引き受けてくれた。
「いいのか?そんな簡単に引き受けて」
同じBクラスの生徒が不安そうに柴田に声をかける。
「大丈夫だって。みんな真面目だし。他グループには申し訳ないけど、ちゃんとやれば最下位なんてことにはならないと思うぜ」
ポジティブな柴田だが、言っていることは俺と同感だ。このグループはかなりまともなグループであること、それは間違いない。顔の広い柴田が言ったことでより説得力のある説となった。
そこで柴田が神崎に呼ばれ、断りを入れてから一時的に退席する。
話題を振っていたまとめ役がいなくなると、当然話す空気でもなくなるわけで。普通ここは自己紹介でもしておくべきなんだろうが、まあそれは後ででもいいだろう。
同じグループに所属することになったAクラスの3人に目線を移す。
里中、宮平、太田。
全員坂柳派でも葛城派でもない、隠れた藤野派のメンバーだ。
藤野はバスの中でこの3人の顔と名前を俺に送り、「3人には固まって待機してもらうから、自然な流れで同じグループになってほしい」と頼んできた。
一応この3人には俺が藤野と繋がっていることは伝えていないらしいが、薄々勘付いているだろうと聞いた。
こんな事をする目的は、藤野によれば大きく分けて2つ。
ひとつ目は、この3人の能力や適性を把握しておく事。俺が藤野派の生徒を裏から動かすとなった時に、これらの情報は重要になるだろうとのことだ。
そしてもう一つ。
この3人が坂柳に取り込まれていないかどうかを見極めること。
この学校では誰が誰を裏切っているか分からない。この3人は初めから坂柳にも葛城にも懐疑的な考えで、藤野もこの3人のことは信頼しているらしいが、裏切っている可能性も排除しきれていない。
やはり坂柳の天性のカリスマというのは凄まじいらしい。実際に相対したことは2度ほどしかないが、上に立つものの風格ってやっぱりあるもんだな、と思った。確かにあれにあてられたら、萎縮して屈服してしまうのも分からないではない。
そしてその風格に見合う実力も、恐らくは持っている。言っちゃ悪いが、葛城や藤野とはレベルが違う。藤野はそれが分かって俺を頼ってるんだろうが……俺も坂柳に勝てるイメージなんて全くないんだけどなあ。
まあ、2つ目に関しては念には念を入れて、ということだろう。
そもそもこの3人が裏切っていたとしたら、その時点で藤野は終わる。それに、恐らく藤野が気づくだろう。同じ教室で過ごしていたからこそ分かる空気の変化があるはずだ。それを今まで感じていないということはこの3人が裏切っている可能性はかなり低い。
そしてそれを抜きにしても、藤野の人間観察力は並大抵のものではない。櫛田ほどではないにせよ、藤野にはそれを補って有り余る頭の回転の速さがある。
それよりも危険性があるのは、俺から藤野の隠れた派閥の存在が明らかになる流れだ。恐らく坂柳は俺と藤野の関係に違和感を覚えている。
ただ、それはまだ「根拠のない違和感」程度の段階だろう。それに、一応坂柳が俺を藤野のバックにいる人物として決定付けていいものか迷うような布石を打ってはいる。坂柳が藤野と俺の繋がりにたどり着くとしても、それはもう少しだけ先、具体的には学年末くらいになるだろう。少なくとも今回の試験で何か想定外の弊害が生じる危険性は高くない。
となると、俺が今回集中すべきは里中、宮平、太田の能力の見極め、そして未知数のスキー演習か。
久しぶりすぎて感覚忘れてますね……
これから1年生終了までにかけてオリジナル要素が多くなるので、頑張ってまとめあげていこうと思います。応援よろしくお願いします。
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ep.62
「もう少し時間がかかると思っていたが、意外に早くまとまったな」
1年生全体に行き渡るようにそう言ったのは、生徒会長の南雲雅だ。
上級生の方も、既に小グループの結成を全て終わらせたらしい。
「お前たち1年に提案がある。これからすぐに大グループを作らないか?」
「それは今日の8時からではないんですか?」
「夜決めるとしていたのは、小グループ結成にもっと時間がかかると踏んでいた学校側の配慮。だが全学年がこうして早く作業を終えたんだ。このまま大グループ結成までしてしまった方が時間の節約にもなるだろ?」
南雲先輩が提案を口にしてから、教師の動きが慌ただしい。これは今から大グループ結成を行うのは問題ないということと、学校側は大グループ結成がこんなに早まるとは考えていなかったことを意味している。
「構いませんよね?堀北先輩」
「ああ。こちらとしてもその方が都合がいい」
「決まりですね。大グループの結成方法ですけど、ドラフト会議みたいに1年の代表者が俺たち上級生を指名していくってのはどうすか?」
「1年生の持つ情報量は少ない。公平性に問題があるだろう」
「それは2年も3年も同じっすよ。どうだ1年、このやり方に不満はないか?」
俺たち1年には「ある」という答えが用意されていないことは理解した上で聞いているのだろう。
「いいえ、大丈夫です」
1年を代表して的場がそう答えた。
「そうか。じゃあ早速始めようか」
そう言うと、南雲先輩は自身の所属する小グループに戻っていった。そして上級生は16の小グループに分かりやすく別れた。
1年の各小グループのリーダー、すなわち責任者が前へ出る。しかし集まったのは7人。
「あとそこのグループだけだ。代表者を1人選べ」
指摘を受けたのは啓誠や清隆が所属する例の気の毒なグループだ。あのグループに率先して前に出ようとしそうな奴はいない。恐らく責任者がまだ決まってないんだろう。
が、少しして啓誠が手をあげて前に出た。
全員が揃って、指名を行う順番を決めるじゃんけんを行う。
俺の所属する小グループから代表で出た柴田はサッカー部に所属している。上級生ともある程度の接点はあるだろう。
対して俺はほぼ誰も知らない。
こういう情報戦で遅れを取るのは圧倒的に不利だ。今まではその都度平田や櫛田に頼ればいいか、くらいに考えていたが、それは甘い考えだったかもしれない。
じゃんけんで決まった順に、各々が上級生のグループを指名していく。注目株の1つである堀北兄の所属するグループは、じゃんけんで勝って1番手指名権を手に入れた的場のグループが指名した。生徒会長が所属するグループは、4番手指名である啓誠のグループが指名。2番手指名の平田や3番手指名の金田が生徒会長のグループを選ばなかったということは、生徒会長以外のメンツが微妙だということだろうか。
柴田が指名したグループのメンバーは1人も知らないのでなんとも言えない。が、最後から2番目の指名順だったので、あまり期待を大きく持ちすぎない方がいい。
「悪い悪い、じゃんけん負けちゃってさ」
「仕方ないって」
柴田の判断に文句をつける者はいないだろう。
「堀北先輩。偶然にも別々の大グループになったことですし、一つ勝負をしませんか」
そんな矢先、南雲生徒会長がそんな事を言った。
3年生からは呆れを含んだため息が漏れる。
「南雲、これで何度目だ。いい加減にしろ」
確かこの人は……藤巻、とかいう名前だったか。体育祭の時、紅組の総指揮を執っていた人だ。体躯はかなり大きく、体育会系の生徒だと思われる。
藤巻先輩の言葉から考えるに、生徒会長は今までにも堀北先輩に幾度となくこのような挑発を吹っかけてきたのだろう。それは先ほどの3年生のため息からも伺える。
「何か問題があるでしょうか?藤巻先輩。個人間での宣戦布告は、特段禁止されているわけでもないでしょう」
「今回は1年も含んだ大規模な試験だ。何よりこれは基本的なモラルの問題だ。書かれていなくてもやっていいことと悪いことがある」
「俺はそうは思いませんけどね。ルールを最大限活用するのもこの学校の醍醐味の一つのはずです」
「生徒会長になったからといって好き放題できるわけではない」
何やら言い争っているようだが、正直あまり興味がわかない。
冬休み中のあの時、俺が綾小路と同じように「南雲をなんとかしてほしい」という堀北先輩の頼みを聞いていたら話は別だが、俺はそれには関与しないと決めた。たとえこの2人が争ったとしても俺は傍観していてなんの問題もない。
それに、もしこの争いに俺の属する大グループが巻き込まれて最下位になったとしても、1年Cクラスから参加しているのは俺だけだ。そんなにダメージは大きくない。
ここまで俺に影響がないとなると、いよいよ聞くのが冗長なだけのやり取りだ。
「どちらのグループが高い平均点を取れるか、そしてスキーのタイムが上か、の勝負だな?ならば受けても構わない。だが、他のものを巻き込むのはやめろ。俺のグループだけでなく、他のグループも含めてだ」
「分かりました。どうやら勝負を望んでるのは俺だけのようですし、それぐらいの譲歩はしましょう。結果によるペナルティもいらないですよね?あくまでもお互いのプライドをかけた戦いということで」
と、南雲生徒会長の挑発はこんな具合に落ち着いた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
宿泊部屋割りは小グループごとに設定されていた。
指定された部屋に入ると、20畳ほどの広さに5つの2段ベッドが設置されていた。部屋自体が広いためスペースに余裕はある。
校舎同様少し古めの感じだ。
「ベッドの位置はどうするか。みんな希望あるか?」
「いや、特には。俺は余ったところでいい」
「俺も」
「じゃあ俺奥の上段使っていいか?」
こんな感じでスムーズに決まっていく。俺は手前から2番目の下段のベッドを使うことになった。
決まったベッドの周辺に各々荷物を置き、ひと段落したタイミングで、柴田がみんなに声をかけた。
「昼食時間まで余裕あるし、自己紹介でもしようぜ。俺は柴田。みんな知ってると思うけどこのグループの責任者だ。よろしくな」
「じゃあ次は俺が。里中だ。よろしく」
「太田だ。よろしく」
俺も乗り遅れないように……
「あー、速野だ。よろしく」
まあ、どうも俺は自分が思ってる以上に有名人らしいので知ってるとは思うけど。
ただこういった場面での自己紹介には、自分の名前を知ってもらうこと以外にも、「俺はあなたに対して取り敢えず表面上はオープンな感情です」ということを相手に示す意味もある。そういう意味で俺が入学初日に自己紹介に参加していない俺は高校生活のクラウチングスタートで完全に失敗しているわけだが、それにしてはよくやってる方だと自分では思う。中学時代とは比べ物にならない。
全員一通り自己紹介が終わると、柴田がある提案をした。
「グループ内交流も兼ねて一緒に昼飯食べないか?」
それを聞いて、少し考え込む様子を見せるのはA、Dクラスの6人だ。
昼食時間を使った情報交換を妨げようとしているんじゃないか、とか考えてるんだろう。多分違うと思うけどなあ。柴田の提案によって今日の昼食時間は情報交換を妨げられても、今日の夕飯以降もそうすることは絶対にできない。
だからそういうことを心配して参加を渋る必要はないのだが。
「悪い、先約があるんだ」
俺のように先約がある場合は別だ。
例のAクラスの3人を観察しなくてもいいのかという声も出るかもしれないが、その点は全く問題ない。
他にもDクラスの2人が俺と同じ理由で不参加を表明。結局昼飯は7人で行くことに決まった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
昼食の時間。今後はこの時間と夕食時間、それにスキー演習の時間のみ、男女間での交流が可能だ。こうして並べてみる分には女子との交流時間は思ったより長そうに見えるが、単純にそういう話でもないと俺は思っている。
まず食事時間だが、これは明らかに男女間で交流し、情報共有させることが学校側の目的だろう。
対して、スキーの時間は男女の交流が自由とはなっているものの……男女でレベルに差がほとんど出ない未経験者層を男女ひとまとめにして指導する、という目的の方が強く、情報交換は学校側もあまり想定していないんじゃないかと個人的には思っている。勿論、スキーがある程度できて余裕のある人は情報交換するのもアリだが、多くの人はなんとか滑りを習得しようとするのに手一杯のはずだ。
ひとまず受け取ったトレーを持って適当に目についた空席に座る。1人だがまあいいだろう。いつものことだ。そもそも柴田の提案を蹴ったのは俺だしな。
まあ、俺の「先約」は誰かと昼食を食べることじゃないんだけど。
「知幸、向かいの席いいか?」
1人で食う意志を固めていたところに現れたのは、綾小路清隆だ。
「いいけど。あと綾小路グループのメンバーといないときは普通に苗字呼びでいいぞ」
「いやいい」
「……あ、そう」
じゃいいや。俺もちゃんと清隆と呼ぶことにしよう。
というわけで相席したものの、お互いに口数が多い方ではないので特に会話もなく静かに食べ進める。
このまま無言でも苦痛ではないが、素直に気になっていることを質問することにした。
「ただ食べる相手がいなかったから俺のとこにきたのか?」
「ああ」
「啓誠は?同じグループだろ」
「校舎内を歩いて回ってたら昼食時間になったんだ」
別行動だったのか。
「お前のグループ、Cクラスからはお前1人だけだよな」
「そうだけど、それに関しては全く問題なしだ」
俺は自クラスとの結びつきが強くない。Cクラスが集まった平田のグループにいても、俺の居心地は今とあまり変化ないだろう。
「お前のグループは問題があまりなさそうで羨ましい」
「まあな。逆にそっちは悲惨そうだ」
「ずいぶんはっきり言うな……事実だが。ただ、オレより啓誠の方が心配だ。紆余曲折あって、結局啓誠が責任者になったんだ」
「あー……」
それはもうドンマイとしか言いようがない。恐らく啓誠も渋々リーダーを引き受けたんだろうが、いまそれを悔いているのが眼に浮かぶ。
「はうううぅぅ………」
俺も清隆も、そんな気の抜けたような声がした方向に自然と目がいく。
机に突っ伏している姿勢からみると、声の主は一之瀬らしかった。
「お疲れ一之瀬さん」
そこに話しかけてきたのは、俺の友人である藤野だ。そこから2人はこちらに気づくことなくおしゃべりを始めた。仲よさそうで何より。
「藤野はお前の友人だったか」
「ああ」
こいつと藤野との接点は、夏休みに一緒にプールに遊びにいった時だ。恐らくその一度だけ。それに接点とはいっても、その時にこの2人が話した様子はなかったから、今でもお互いに存在を認識している程度の関係だろう。
そんなこんなで食べ進めているうちに食器も全て空になり、俺は椅子を引いて立ち上がった。
「じゃあ、俺も校舎内見て回ろうかな」
「ああ、じゃあな」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
昼食時間から小一時間ほどが経ち、俺はグループの部屋に戻ってきた。
初日はスキー演習もなく、夕食時間までは自由が認められている。ただし食堂は利用禁止。つまりこの時間を使っての男女の交流は認められていない。
他にも2人ほどグループのメンバーが部屋におり、読書をしたりして適当に時間を潰している。他のメンバーはどこか他の小グループの部屋にでも遊びに行ってるんだろう。
俺は備え付けの丸椅子に座り、バスで配られた混合合宿の資料を眺めることにした。バスの中では車酔いしないことを優先していたため読み込みが不十分だ。
開いたページには、スキー演習について口頭での説明よりもう少し詳しい情報が載っていた。
スキー用具を借りる場所、スキー演習場までの行き方、道具の使い方に関する簡易的な説明などなど、把握しておかないとまずい情報も多い。
「なんで報酬発表しないんだか……」
一応その理由の予測はつけているが、3、4割ほどの自信しかない。俺はその可能性に賭けるが、クラス全員がそうする必要はない。リスクが高すぎる。
スキーの項目のページを読み終え、次に合宿の方の説明に目を通す。
朝の起床時間と就寝時間、風呂の時間、点呼を取るタイミング。起床直後の各グループの掃除場所など。責任者はこれを全て頭に入れておいた方がよさそうだ。
そして俺にとっての1番の収穫はこれだった。
「朝食は大グループ分を毎朝自分達で作る、か……」
これこそ口頭で説明しておくべきじゃねえのって疑問は置いとくとして、だ。そういうのもあるのか。それに分担などは自分たちで決める必要があるらしい。
「大グループ作成を8時からと設定してたのは、これを話し合う目的もあってのことなのかもな……」
さっき話し合う時間を取らなかったのは昼食時間が近づいてたから、ってところか。
資料に載っているとはいえ、読み込んでいない生徒はこれを把握できていないはず。学校側から後ほど周知があるだろう。
ただ、一応あとで事前に柴田に報告しておくことにした。朝食作りに関して、少し試したいこともあるしな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
朝食作りについて柴田に報告後、それならすぐに上級生達に言ったほうがいいということになり、柴田の先輩がいてすぐに声を掛けやすかった2年生を引き連れて3年生の部屋に向かっている。1年生からは柴田、俺、その他Dクラスから2人の計4人、2年生からは3人が出てきている。
余談だが、柴田は大グループ決めのとき、1巡目にこの2年生のグループを指名していた。先輩がいたから指名しやすかった、というのもあるかもしれない。
「ここだな」
「そうですね」
柴田が代表して部屋をノックする。
「なんだ。お前は確か、同じ大グループの一年生か」
「はい。柴田です。先輩方に少しお話があるのですが、少し時間をもらってもよろしいでしょうか」
普段はかなりフレンドリーな口調の柴田だが、先輩に対する口上は丁寧だ。
「2年生もいるようだな。分かった。入っていいぞ」
「失礼します」
柴田に続いてその他の生徒も軽く頭を下げつつ入室。椅子がないので床に適当に座れと言われ、俺は柴田の隣に陣取った。
部屋の作りはざっと見たところ俺たちとほぼ同じだ。部屋には6人の3年生。残り2、3人は違う部屋にいるんだろう。
恐らくこれから俺が話を引っ張っていくことになる。出来るだけ機嫌を損ねないようにしないとな。
「で、何の話だ」
「あ、それは速野から」
柴田から俺へバトンが回される。
少し体勢を整えてから、全体に聞こえるように説明を始める。
「1年の速野です。すでに知っている人もいるかもしれませんが、明日から最終日までの9日間、朝食は大グループごとに自分たちで作らなければならないそうです」
それを聞いてマニュアルを確認する人が多くいる。すでに知っていたのは5、6人ってところか。まあそんなもんかな。
「どうやらそうみたいだな」
「はい。把握していない人も多そうなので学校側から周知があるかと思われますが、念のための報告とともに、一足先に朝食作りの分担の話し合いを進めてしまおうということでここに来ました」
「なるほど、賢明な判断だ。いまは4人が別の部屋に行っていてこの場にいないが、そいつらにはあとで俺の口から伝えておこう」
「お願いします」
「ああ。で、あとは分担の話し合いだったな。朝食を作るのが9日間なら、学年別の小グループで3日分ずつ分担するのがセオリーだろう。恐らく学校側もそれを想定しているんじゃないかと俺は思っている」
「俺も同じです」
3年のグループの責任者と思われる生徒の説明にみんな納得する。
「速野、だったな。お前はどう思う」
この場の司会者的立ち位置にいる俺にも意見を求めてくる先輩。
「それに異存はありません。ですが……」
「なんだ。言いたいことがあるならはっきり言うことだ」
「……では。一つ提案があります。まずその前に一つ質問したいのですが、いまこの場にいる3年生の先輩方の中で、普段から料理に慣れ、週に3回以上自炊する方、料理が得意な方はどれくらいいますか」
俺がそう言うと、6人中2人が手を挙げた。責任者の先輩は手を挙げていない。
「2人ですか。分かりました。今この場にいる柴田以外の1年生と2年生の先輩は、みんな私が同じ質問をして手を挙げてくださった方達です。私の提案というのは、私を含め、料理が習慣化しているこの計8人で、9日間毎日の朝食を作るというものです」
「……ほう」
餅は餅屋。適材適所。
料理に慣れている者が朝食作りを担当すれば少なくとも不味いものはできないだろうし、慣れない者が担当するよりグループ全体の負担も少ないはずだ。
「だが、それでは不公平が生まれることになる。朝食作りをする者は、必然他の者より早く起きる必要がある。それに朝食後は休む暇なく次の課題が待っている」
「おっしゃる通りです。なのでそれを解消するため、『朝食を作らない者は作る者に後日プライベートポイントを支払う』という条件をつけさせてほしいのです。口約束では確実性がありませんから、教師の立会いのもとで確約するものとします」
「……なるほどな」
プライベートポイントという単語に何人かが分かりやすい反応を見せた。ポイントに困窮する下位クラスの生徒だろう。
「もしお前の提案に乗るとして、いくら支払えばいい」
「それは作る側でコンセンサスを取る必要があるかと。それにポイントが関わってくる話ですから、この場にいない人にも話しを通す必要はあると思います」
「ポイントの話はここにくる前にしてなかったのか」
「ポイントに釣られて料理をほとんどしたことがない人が手を挙げてしまった場合、この提案の意味が薄れますから」
この提案の魅力は大きく分けて2つ。1つは作る側がポイントを受け取れること。もう1つは、作らない側の睡眠時間が少し延び、料理がそこそこ上手い人の、少なくとも不味くない朝食にありつけること。
料理経験のない者が、ポイントに目が眩んで「自分は料理に慣れている」と虚偽申告した場合、2つ目の魅力が大きく削られてしまう。
「確かに、お前の話はこの場にいる人間のみならず、全員が納得しなければ成立しない。全員が集まったタイミングで話し合いを持ち、お前たちの部屋に報告しに行く。もし同意が得られなかった場合は、最初に言ったセオリー通り各学年が3日分ずつ分担する、ということで構わないな?」
「オッケーです」
こちらは俺ではなく柴田が返事をする。その隣で俺も頷いた。
「では、ひとまず解散にしようか」
「はい。ありがとうございます」
その言葉に促され、ゾロゾロと1、2年生が部屋を出た。
柴田は俺以外の1年生を先に部屋に返し、俺とともに2年生を見送る。
「協力ありがとうございました」
「いいさ。下級生に提案されてるってんで少し違和感はあったが、俺もCクラスでポイントには毎月困ってるからな。いい提案だと思うぞ」
「ありがとうございます」
柴田の部活の先輩からお褒めの言葉をいただく。
「じゃ、明日以降もよろしく頼むぜ、颯、速野」
「こちらこそっすよ先輩」
「お願いします」
「すげーじゃん速野。上級生相手に物怖じせず喋れるなんて。しかも初対面なんだろ?」
「いや、その言い方は正しくないかもしれない。俺の場合は相手が上級生で初対面だからこそ、だな」
「?どういうことだ?」
「俺は会話ができないわけじゃなくて、距離感を図るのが苦手なんだ。その点同級生は色んな関係性があって複雑だからコミュニケーションを取りづらい。でも歳が違って、しかも初対面だったら、思いっきり他人行儀に接していればいい」
要するに気楽に接することができるのだ。
距離感を図るまでもなく圧倒的な他人と、同様に圧倒的な身内的存在とは人並みのコミュニケーションを取ることができる。そのどちらにも当てはまらない微妙な立ち位置の人間、主に同級生にはコミュ障を遺憾なく発揮する。俺が友達をあまり作ることができない原因はこれだろう。
「はぇー、そんな考え方もあるんだな」
「いや、そんなたいそうなもんじゃないが……」
考えというより性質だ。
この学校で人とコミュニケーションを取れないことの不便さ、不利さを思い知ってから、自分なりに自分を分析していた。そして出た結論がこれだ。
だから同級生同士での結びつきである小グループ単位で行動せざるを得ないこの試験、俺には不向きな分野であることは間違いなさそうだ。
結果として俺の案は採用された。ポイントは、作らない側12人が1人あたり8000ポイント出し、それを作る側が8等分して12000ポイントずつ分け合うという形に決まった。
この内容は念書に書いて教師の承認ももらい、後で支払いをばっくれるなんてことはできないようにした。
一食あたりの値段はかなり割高だが、それでも払うってことはみんなよっぽど料理が苦手なのか、早起きするのが嫌なのか。
逆に作る側が12000ポイントでも受け入れたのは、ポイントに困ってる人が多いからなんだろう。
自炊する生徒が下位クラスに多い傾向はあるだろうな。この学校は水道料金、光熱費を考慮しなくていいから、自炊すればかなりポイントを抑えることができる。
食堂で唯一の無料メニュー、山菜定食が好きで毎日食ってるって言うなら話は別だが。
原作の動き見てるとどうも櫛田が退学するのが既定路線らしく、ちょっと困ってるんですよねぇ……
この作品は、原作の道筋をほとんど変えずにちょこちょこオリジナル要素を出していく、みたいな感じでやってるんですが、そろそろそれでは筋が通る話が作れなくなってきているかもしれません。
櫛田の進退、藤野と坂柳の戦い。大きく分けてこの2つは原作をかなり逸脱しなければ書けないような気がします。
頑張ります。
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ep.63
トントントントン。
これは俺が眠気を堪えながら包丁で野菜を切っている音。
何しろ時刻は朝の4時半。あくび出まくりで、なんの処置もせず玉ねぎ切ったときレベルの量の涙が目から溢れ出ている。
メニューは9日間通して全て質素な和食。日毎に多少の変化はあるが、料理の手間はそれほど変わらないだろう。
他の数グループも調理にかかっている。みんな学年別で別れているようで、料理に慣れている人、慣れていない人が混在している感じだ。全員が料理慣れしているこちらの方が圧倒的に手際がいい。
ところで、俺は一般の男子高校生で見れば料理ができる側に入るが、母数を「料理のできる男子高校生」に絞れば、俺の立ち位置は良くて下の上くらいだろう。現に一緒に調理している先輩はもれなく俺よりも上だ。早さが違う。そして1年Dクラスの2人の腕も中々。俺と同じくらいのレベルなのは、いまだし巻き卵を大量に作ってる2年の先輩か。それ以外は俺以上の料理の手腕を持っていると見ていい。
頼もしいぜまったく。明日からは起きる時間を30分遅らせても十分間に合うだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
朝食を作り終え、部屋に戻って少し時間を潰してから、大グループがある一つの教室に集合した。
朝食まではあと70分ほどの時間があるが、調理したものは施設内の設備でしっかりと保温してくれているらしい。
そこに見覚えのある教師が入ってくる。
「1年Aクラス担当の真嶋だ。これより50分間、各々の大グループに割り振られた区間の掃除の時間が設けられている。それぞれ25分間ずつ、はじめに外、次に校舎内の順だ。悪天候の場合は50分間校舎内の清掃を行う。また、今日からの授業はこの施設の先生方も担当することになる。失礼のない接し方を心がけるように。以上だ」
一応1日の流れは把握しているが、実際に過ごしてみるとなると中々のハードスケジュールであることを嫌でも体感する。
スキーで体力が尽きると明日の朝起きられない可能性がある。だからといってスキーで手を抜いていいとはならない。この時点での俺のスキーのレベルは素人となんら変わりないだろう。それどころかスキー演習1日目である今日の滑りは素人未満である可能性も高い。ちゃんと真剣に練習に励まなければ俺が損することになるかもしれない。その辺りの調整も必要になってくる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
掃除が終わってすぐ、俺たちの大グループは道場のような畳敷きの大部屋に通された。
この部屋にはもう1つの大グループも集まっていた。延べ60人弱がこの空間にいるわけだが、それでもまだ若干の余裕があるほどの広さを持っている。
ちなみにそのもう1つの大グループは平田の属するグループだ。
「おはよう速野くん」
「ん、ああ、おはよう」
その平田から朝の挨拶。当然の礼節として俺も返す。
「この合宿、思った以上に体力面が重要だね。かなりのハードスケジュールだ」
「そうだな」
俺と同じことを平田も感じていたらしい。
疲れを取るには早く寝る以外にない。恐らくこの合宿では夜に密会を持とうとする生徒が多くいるだろう。しかし俺としてはあまり推奨できない。寝不足は敵だ。特に毎朝朝食作りのために早朝5時前に起きることを強いられる俺にとっては。それに朝食作りを抜きにしてもこの合宿の朝は早い。是非とも密会は必要最低限にすることをお勧めする。どこから目線やねん。
「早く寝ることを心がけたほうがいいな」
「そうだね」
そこまで話したところで、担当教諭と思われる人物が全員の前に立つ。
「全員集まったな。今日から朝と夕方、ここで座禅をしてもらう」
座禅か。倫理の範囲である仏教について勉強した時にある程度のことは調べた。
鎌倉仏教において座禅を強く推したのは曹洞宗の道元と臨済宗の栄西。この二つは禅宗としてまとめられる。特に道元はひたすらに座禅することこそ解脱への道であるという只管打坐を説いた人物として有名である。臨済宗は当時としては珍しく権力側に保護を受けた宗派であることも覚えておくといい。だからどこから目線やねん。
ここで俺たちに、この建物(座禅堂というらしい)では立っている時も歩いている時も叉手を組むよう指導が入る。叉手とは握りこぶしにした右手を左手で包み、胸の前に持っていく手の組み方。流派によって「さしゅ」とも「しゃしゅ」とも読むと聞いたことがある。
「座禅とは、瞑想の一つだ。座禅といえば頭を真っ白にして行うものと思われることがあるがそうではない。目を閉じ、イメージをすることだ」
瞑想は優秀なアスリートの中にもメンタルトレーニングの一環として取り入れている人もいる。目を閉じて、勝利のイメージを高める。要はイメージトレーニングだ。他にも集中力向上やらなんやら様々な効果があるらしい。
そして座禅といえばあの足の形。あぐらを組んで両足を太ももに乗せる。これは結跏趺坐という座り方なのだが……
「あでででででっ……」
俺これできないんだよなあ。床が畳ということも重なって脚めっちゃ痛い。
「大丈夫?」
涼しい顔で結跏趺坐をこなしつつ、俺の悲鳴を聞いて心配する平田。こいつほんと何でもできるよなあ。
「今の段階で結跏趺坐ができない者は、片足だけを太ももに乗せる半跏趺坐で構わない。だが最終日の試験では、この結跏趺坐も採点の項目に入っている。しっかりと練習するように」
担当教諭の注意で、できない組からはため息が漏れた。
「……大丈夫ではなさそうだ」
残念ながら、この試験中に結跏趺坐をマスターできる未来が全く見えない。
半跏趺坐の姿勢を保ち、俺は初回の短めの座禅を終えた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
朝は座学。大学受験の学科試験の科目としての「倫理」とはまた違ったタイプの授業だった。ただそんなに難しい内容ではなさそうだ。
昼食を終え、いよいよその多くが謎に包まれたスキー演習の時間となる。
準備体操とスキー道具の準備は事前に終わらせておくように指示があった。
男子用のスキー板やストック、ブーツ、その他諸々の道具は全て1号館と呼ばれる巨大な倉庫に備えられており、授業前にこれらを準備しておく必要がある。
それらを全て持って移動となると結構重い。それに地面が雪なので普通より歩きにくいのも難点だ。
「俺スキーなんてやったことねえよ」
「俺もだ。でもポイントに影響するんだろ?」
当然多くの者はスキー初心者だ。学校側もそれは分かった上でやっているはず。
しかし中にはスキー上級者もいるかもしれない。
では、このスキー演習は本当にスキーが上手い人が得をするというだけなのか。それはそれで単純で分かりやすい。だがそれならわざわざ報酬内容を生徒に隠す理由がない。
俺は何かしらのひねりがあると思っている。ほとんどが初心者の中で、運良く経験者がいるグループ、クラスがただただ得をするような運任せのルール作りをこの学校がするとは思えない。
まあ、ただの考えすぎという可能性もあるが。
スキー場に着くと、責任者を先頭として小グループごとに一列に並ぶよう指示がとぶ。柴田がどこにいるか探すのに時間がかかり、俺は列の最後尾に並ぶことになった。
周囲を見てみると、全体的に高揚感というか、明るい雰囲気を感じ取ることができる。日程の説明を聞いた時から1番楽しみなイベントだったんだろう。
「ただ、やっぱウェア着てても寒いな……」
厚着だから施設に到着した時よりはまだマシだが、それでも寒いことに変わりはない。
そのまま数分が経過した頃。
「よし。全グループの集合が確認されたので、これよりスキー演習を始める」
教師の1人が拡声器を使用してアナウンスした。
「まずはじめに講師を務めていただく方々を紹介する。全部で35人。全員日本で有力な、尊敬すべきスキープレイヤーだ。まずはじめに……」
と、35人の講師の紹介が始まった。女性も数人いる。
道具から察するに、俺たちがやる種目はクロスカントリースキー。残念ながら日本ではメディアに取り上げられるほどの注目スポーツではなく、したがってその選手の認知度も低い。講師を知ってる人はほとんどいないだろう。
教師が名前を紹介して、講師の人が一礼し、生徒が拍手する、というのを35回繰り返し、およそ7分ほどで講師紹介は終わった。
そこから拡声器が講師に手渡される。
「高度育成高等学校の皆さん、こんにちは。武藤です。皆さんはこれから数日の間、スキー演習をやるということですが、おそらくスキーやったことないよ、って人がほとんどだと思います。ですが安心してください。スキーは危険も多い競技ですが、非常に楽しいスポーツです。楽しみながらスキーに打ち込めば、必ず滑ることができるようになるでしょうし、私たちが全力でサポートしてそうさせてみせます。ではこれから数日の間、よろしくお願いします」
非常に頼もしく力強い挨拶だった。
やはりプロ。一目見ただけでも持っている雰囲気が全く違うのが分かる。
拍手がおさまると、教師の指示に従って大グループごとに別れる。講師は1グループにつき2人。残り3人の講師にはまた別の役割があるらしい。
「じゃあみんな、並ばなくていいから適当に集まってくれ」
講師がそうアナウンスすると、散り散りだった大グループメンバーが講師の周りに集まってくる。
「全員集まったかな。さっき自己紹介したけど、35人もいたら覚えてないでしょ?なので改めて。僕は尾形です。よろしく」
「西原です。よろしく」
しゃべる担当は尾形って人らしい。
「じゃあ、準備体操はみんな済ませてるって先生に聞いてるから、もう早速始めようか。まずはブーツをスキー版に固定しよう」
生徒全員スキーブーツをすでに履いており、板に固定すればすぐにでも滑れる状態だ。
ブーツを板に固定する。字面は簡単そうだが、初心者にとってはこれが結構面倒な作業なのだ。
まずはブーツの裏の雪を落としきる。次いで板のレバーを上げ、留め金を外す。そこにできた窪みに、ブーツにある出っ張りをはめ、カチッと鳴るまでつま先を固定したまま踵を上げる。これで片足の固定完了。
この作業を全員行い、ひとまず全員ブーツを板に固定することができた。
「よし、全員できたね。この合宿でみんなに習得してもらうのは、スキーの中でも『クロスカントリースキー』という種目だ。名前は聞いたことあるんじゃないかな。このストックを使って雪をこいで進み、タイムを競う。みんなにはこれを小グループごとにリレー形式でやってもらう」
クロスカントリーのリレーか。まあ資料に載っていた道具やバス内での先生の言葉から予想していたいくつかのパターンの一つではあった。
「距離は約800メートル。スターターはブーツを板に固定する時間もタイムに入るから注意してほしい。それからもしも滑ることができない、危ないと判断された場合、その人の分は10分と計算してタイムを出すことになってるから、みんな頑張ってくれ」
800メートルで10分か。スキー初心者が10日足らずでどれくらいのタイムで滑れるようになるのかはわからないが、10分もあれば滑れる人との差別化はできているだろう。
と、そんなことを考えていたとき。
少しバランスを崩して倒れそうになってしまった。
「おっと……」
とっさにポールをついて転倒を防ぐ。
その光景を目にした尾形さんが、俺だけでなく全員に聞こえるように言う。
「おっと、大丈夫?立ってるときに板を平行にしちゃうとバランスがとりずらいから、非平行にしたほうがいいよ。この板を非平行にするのはスキーの基本だから、よく覚えておいてね」
非平行か。さっそく言われたとおりにやってみるが、確かに。さっきはスキー板を平行にしたまま立っていたが、こうすると確かにバランスがとりやすい。
「じゃあ、まずは軽く歩いてみよう。歩く時もさっき言ったように板を非平行にすることが重要で……」
ここから、本格的にスキーの練習が始まった。
~~~~~~~~~~
俺が想像してたよりみんなスキーがうまかった。
指導開始から2時間半ほどを経て、小グループ10人のうち、いまだにある程度の滑りを習得できていないのは俺とDクラスの日下の2人だけとなった。残りはみんな800メートルは遅くても7、8分で滑れるだろうというレベルまで達していた。
「速野も滑れないのか……正直意外だった。お前なんでもできそうなのに」
「どんな買いかぶり方だよ」
滑ることができないと判定された俺たちは、ほかの8人とは別の場所に行くよう指示された。
「……集まってるな。あそこか」
「多分そうだ」
日下とともにあるいてそこに向かうと、目測60人ほどの生徒が集まっていた。
男女比は4対6くらいか。おそらく全員俺たちと同様に滑れないと判断された生徒たちだろう。
とりあえず俺たちも集まっている輪の中に加わる。
「左から1年生、2年生、3年生と順に並ぶように」
教師からの指示が入る。
その通りに一番左に行くと、同学年の見知った顔がちらほら見える。その中にはさく……愛理の姿もあった。
愛理のほかにCクラスは……博士、山内、井の頭、松下。松下以外の4人はお世辞にも運動神経があまりいいとは言えないため予想のついたメンバーだが、松下もか。正直意外だ。
愛理が俺に気づいたらしく、こちらに駆け寄ってくる。
「と、知幸くんも滑れなかったの……?」
「ああ。恥ずかしながらそう判断されてしまってな」
「そんな、恥ずかしいなんてことないよ。私も滑れなかったから……」
「まあそれはそうなんだが」
言葉の綾というやつである。
俺が来たあと、一年生の並ぶ場所には追加で5人ほどの生徒が集まった。
教師たちは何かを話し合って確認した後、一年生全体に聞こえるようにアナウンスを始めた。
「全員集まったので、話をはじめさせてもらう。今ここにいる君たちは全員、講師からまだスキルが滑る段階にないと判断された者だ。これから君たちには3人の講師からスキーの基礎を徹底的に学んでもらう。技術が向上し、滑っても問題ないと講師に判断された場合、この『基礎コース』を離れ、小グループ単位での練習に戻ることになる。また、この『基礎コース』では一学年あたり1人の講師がつく」
余った3人の講師の役割ってのはこれか。
「ちなみに君たち以外の小グループメンバーたちは、現在本番同様のリレー形式によってタイム計測を行っている」
「えっ、初日にもタイム計測をするんですか?」
「そうだ。だが計測は初日に限らず毎日行い、その結果を公表する。結果に一喜一憂することは望ましくないが、このほうが君たちのモチベーションも上がるだろうとの考えのもとに行っている」
確かに。学校では中間テストや期末テストの結果を張り出すことがあるが、これは生徒のモチベーション向上を目的としていることが多い。それと同じようなことだ。
「また、不参加の君たちの分は自動的に10分がタイムとして計上される。最終日まで滑ることができなければかなりのハンデを背負うことになるだろう」
話によればスキーによる退学処分はないらしいが、その分クラスポイントやプライベートポイントのペナルティは大きいと予測しておくべきだろう。
「大丈夫かな……」
隣で話を聞いていた佐倉が不安そうにつぶやく。
「ついてるのはプロだからな。過剰に不安がることはない」
「そ、そうかな……」
「ああ」
多分。という言葉は付け加えなかった。ここは佐倉を少しでも安心させるのが正解だ。
「残り1時間半ほど時間はある。ひとまずはここで解散とするので、戻りたい人は速やかに片づけて施設に戻るように。だが、担当学年の講師の方に監督を依頼して練習に励むのも構わない。自由にしたまえ」
言い終わると、教師は前から立ち去って行った。
さて生徒の側だが、今の話を聞いてさっさと施設に戻ろうとする人がいるだろうか。練習して滑れるようにならなければきついペナルティが課される。いまは何が何でも練習時間を確保したいはずだ。
「練習、しないといけないよね……」
「俺はしたいけど、先生の言う通り自由なんだから帰ってもいいと思うぞ」
「う、ううん、やるよ、練習!」
「なら、もうみんな講師のところに集まってるみたいだし行くか」
「うん」
佐倉とともに、1年生担当のスキー講師のもとへ向かう。
おそらく1年生全員いる。帰った奴はいないだろう。
俺はすっと佐倉の隣を離れ、滑れる組がタイム計測をしている場所へ向かった。
さっきの先生の話が約5分、移動時間が約3分だったから、まだリレーが始まっても序盤のはず……
「ちょうどスタートか」
俺が現場に着いたのとほぼ同時に一番走者がスタートした。
動きはぎこちないが、やはり滑れると判断されただけはある。みんな初心者にしてはそこそこのペースで滑っていた。
そのまま最後の最後までレースを見守っていたのだが。
合わせて3人、ずば抜けて速い生徒がいた。
2人が男子で1人が女子。
男子の1人は高円寺。おそらくこの3人の中でも高円寺が一番速い。
ほか2人もかなりのものだ。間違いなく全員経験者だろう。速さもさることながら明らかに周りと動きが違う。
「……なるほど」
これは素人が合宿期間中にあの3人に勝てるようになるのは絶対に不可能だな。
まあ当たり前の話なんだけどな。素人が経験者に善戦するなんてアニメや漫画の世界でしかありえない。
手も足も出なければ歯も立たず、コテンパンにやられて終了。現実はこうだ。
俺が途中でいなくなったことに引っかかっていた佐倉には「トイレに行った帰りに腕時計をなくしたので探していた」と適当な嘘でごまかした。
ボロは出したくないので、スキーの描写はこんな風にのらりくらりと極力避けるようにします。
次投稿するときは大学生になってると思います。いろいろとよろしくお願いします。
ちなみに投稿をiPadからパソコンに変えました。
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ep.64
「ふーん、そんなことが」
「やっぱ高円寺くんってすごいね……」
スキー後の夕食時間。いつものメンバー6人で集まって食べているときに、啓誠が高円寺の「確実にAクラスで卒業する方法」について話し始めた。
どうやら所持しているプライベートポイントは卒業時に少し低いレートで現金化されるらしく、それに目を付けた高円寺は卒業間近の生徒からプライベートポイントを高いレートで買い取り、卒業後に自らの財産で支払うという手法をとることによって2000万ポイントを集めようとしていたらしいのだ。
この手法をとるために必要なのは破格の個人財産とその裏付け。
高円寺はかなりの金持ちで、数千万円を動かせる力はすでに持っている。そして高円寺は、高円寺コンツェルンという実家の会社のHPに次期社長として記載されており、裏付けもクリア。
この高校でこの2つを同時にクリアできる人物は高円寺を除き他にはいないだろう。
ただ、今回の件でその方法は使えなくなるそうだ。
どうやら責任者を決めるときにこういう話の展開になったらしいが……
「なんで昼言わなかったんだよ清隆」
「ん、いや、他意はないが」
「……あ、そう」
こいつの言うことあんまり真に受けたくないんだけど、でもどう意地悪な解釈しても「昼はたまたま言わなかっただけ」としか考えられないしなあ……
「でもさー、茶柱先生『ポイントは外部では使えない』とか言ってなかったっけ?入学式あとのホームルームで」
「そういえばそうだな……」
「もうちょっと正確には『卒業時にすべて回収。現金化はできない』みたいな文脈だった。まあどっちにせよ嘘だな。おそらく学年が上がってから撤回される、みたいなルールだったんだろ」
「だとしても嘘つく必要があるわけ?」
波瑠加の追及は続く。
「い、いや、俺もよくわからんけど。ただ無理やり理由付けするなら、1、2年生に対しては、卒業時にポイントが現金化されることを考えての勝負をしてほしくなかったってところか。逆に3年生になってから公開するのは、卒業間近の3年生が後輩にポイントを大量に譲渡することを防ぐためかもしれないな」
「なるほどー……」
まあ今深く考えても仕方のないことだ。この「現金化」に関するルールは学校の意図には反して全校生徒に伝わることになった。これを受けて何らかの改変が加えられるにしてもほったらかされるにしても、俺にはもうあまり関係のないことだ。
もし今回の件がないまま3年生になって現金化のルールが公開されていたなら、俺はすぐに高円寺に自分のポイントを買い取らせ、外部で確実に現金を受け取るための策を考えていただろうけど。
「ところで龍園はどうだ?」
話題が高円寺(問題児)から龍園(問題児)へと移っていく。
「今のところ不気味なくらい普通……いや、下手な生徒よりもよっぽど真面目に授業を受けてる。何か仕掛けようとするそぶりもない。あいつがクラスのリーダーを降りたってのは本当かもしれないな」
「へえ意外」
「まったくだ。何らかの形でひっかきまわしてくるかと思ってた」
「俺も一応その覚悟は持って引き受けたんだが、ちょっと拍子抜けだ」
「でも、何もないに越したことはないよね」
「もちろん。ただ油断はできない」
それはその通り。だが龍園にはだまっていてもらって、ぜひともそのまま平穏に試験を終わらせてほしいものだ。
「そういえば知幸、スキーは『基礎コース』なんだってな。意外だった」
啓誠が思い出したように俺に言った。
「あーそうそう。愛理から聞いて私もびっくりしたんだよ」
波瑠加もそれにつづいてくる。
「お前らもか……そんなに意外か?」
「お前運動できないわけじゃないだろ?てかお前らもってことはほかの奴からも言われたのか」
「同じ小グループのやつに言われたよ。でも別に運動できるからってスキーできるとは限らないだろ。俺の小学校ではクラスで1番運動できる奴が泳げなかったぞ」
その人も「俺泳げないんだよなー」って言ったらみんなから驚かれてたが。
「個別の競技と運動神経は関係しないわけじゃないが、そんなに参考にもならないと思うぞ。オレがいい例だ」
清隆は足がとてつもなく速いが、それが個別の競技となると話は別ってことだ。
まあこいつの場合何でもやったらやったですげえレベルまで行くと思うけどな。どうせ本気は出さないんだろうが。
「ていうかそもそも俺は清隆みたいに運動神経がとびぬけていいわけでもないぞ。スポーツに関しては普通くらいだ。だから余計にできない競技があっても不思議じゃないはずなんだが」
「そんなもんか」
「そんなもんだよ」
ひとまずみんな納得したらしい。
てかそもそも俺が滑れないことを自分で周りに納得させるってかなり変な話だけどな……
~~~~~~~~~~~
夕飯を食べ終わると綾小路グループは解散となったが、トイレに行くタイミングが被ったために俺と綾小路は今も一緒に歩いている。
すると、前方で妙な人だかりができているのが目に入った。
「悪い悪い、大丈夫か?」
「いえ、ご心配なく」
野次馬の視線の先には手を差し伸べる山内と地面に尻をつけている坂柳がいた。何が起きたのかを理解するのは容易だった。
坂柳は山内の手を取ろうとせず、杖と壁を使いながら自力で立ち上がった。山内に助けられるのは癪なんだろうか。
山内は少し戸惑いながらも差し伸べていた手を引っ込める。
「じゃあ、行くけど……?」
「ええ。ご心配なく」
そう言って坂柳は山内から目を切った。それを見届けた野次馬たちも興味をなくしてその場を離れていく。
「なんてーかさ、坂柳ちゃんって可愛いけどどんくさいとこあるよな」
おお、これは神経が図太いというべきか……明らかに聞こえる距離でこれ言う?しかも坂柳相手に。
山内の運命やいかに、と思いつつ俺も元野次馬の一人として立ち去ろうとしたが、なぜか坂柳が目を合わせてきたので無視するわけにもいかず。
「大丈夫か」
「はい。たかが一度転ばされただけ。たいしたことではありません」
「ああ、そうですか……」
口角は上がってるのに目が全く笑っていない坂柳が怖いのでそう答えるしかなかった。
「大丈夫ならよかった。俺はこれで」
「ええ。私もこれで失礼します」
そういえば坂柳のやつ、今日は神室と一緒にいなかったな。グループが違うのか。
「綾小路くん」
立ち去ったはずの坂柳の声が背後から聞こえ、呼ばれたわけでもない俺まで振り向いてしまう。
「落とし物ですよ」
「え、ああ、悪い。ありがとう」
「では、今度こそ失礼します」
俺も綾小路も軽く会釈をして、今度こそ坂柳と別れた。
「メモ用紙か」
「ああ」
「そういえばお前、前に坂柳から呼び出されたことあったよな」
ふと思い出したことをいう。
「そんなことあったか?」
「正確には神室から、だったか。でもどうせ坂柳からの指示で動いてたんだろ」
「ああ、体育祭のときか。別に大したことは言われてない。オレを警戒しているとかなんとか、宣戦布告、みたいな感じか」
「それは割と大したことだと思うが……」
「そうか?」
「なんにせよ目をつけられたってことか。多分お前の走力だけじゃなくてほかの面にも。どうせさっきのメモ用紙もお前の落とし物じゃなくて坂柳からの呼び出しの手紙とかなんだろ」
坂柳がどこで清隆の能力に感づいたかは知らないが、わざわざ呼び出しまでするとは。かなり面倒な目の付けられ方をしている。
そしてこんな呼び出し方をしたのは、俺というより周りへのカモフラージュだろう。体育祭のときは綾小路が元から目立っていたためそこまで気にならなかったが、大人数の前で綾小路を呼び出すようなことをすれば当然注目を集める。それに今回は何かと有名な坂柳本人から。
周りに綾小路の実力を知られないようにしつつ、綾小路を自分だけの玩具にしたい、とかそんなことを考えてるんだとしたら合点がいく。
「どうやらそうみたいだ」
メモ用紙を広げながら面倒くさそうに言う。
「まあ何か知らんけど頑張れよ」
「オレは頑張りたくないんだけどなあ……」
うん、気持ちはわかる。お前事なかれ主義だったもんね。
ほんと呼び出されたのが俺じゃなくて綾小路でよかった。
~~~~~~~~~~
「これから、お前たちには自己紹介をしてもらう。といってもただの自己紹介ではない。これは授業、そして試験の一環でもあることを覚えておくように。今日からこの授業では各々テーマに沿ったスピーチを行ってもらう。評価ポイントは『声量』『姿勢』『内容』『伝え方』となっている。まあ一口に自己紹介とはいっても、内容は学年ごとに少しずつ異なってくるがな」
3日目最初の授業は自己紹介スピーチか。
自己紹介と聞いて、俺は入学時のことを少し思い出す。Dクラスでは、入学初日に俺がトイレに行ったりハンカチを忘れたりしてウロチョロしている間に自己紹介が行われたと綾小路から聞いた。
もし俺があのとき自己紹介を行っているDクラスの教室にいたなら、どんな自己紹介をしただろうか。
王道をとるとすれば特技を言うことか。「バスケが好き」くらいのことは言っていたかもしれない。好きといえば勉強も好きなんだが、クラス初顔合わせの場で「好きなものは勉強です」なんてことを言うのはさすがに合わないだろう。
……いや、でもあの当時の俺なら言ってた可能性はあるぞ。今はこういった常識的な判断ができているが、以前は藤野をして「協調性がない」とはっきり言わしめるほどだったからな。
と、ここまで自己紹介から連想して入学時のことを思い出したが、入学時の自己紹介と今日行う自己紹介は全く質の違うものだ。入学時のそれは親睦を深めることを目的とするが、この授業のケースではいかに自己アピールができているか、という点が着目されるだろう。恐らく「勉強が好き」であるということを問題なく材料に使っていい場面のはずだ。
先ほど教師は学年ごとに少しずつ内容が異なってくると言っていたが、1年生は「入学してからこの学校で何を学んだか、そしてこれから何を学んでいきたいか」というテーマが設定された。ちなみに2、3年生は将来の目標とかそんな感じだ。
一通り説明を終えた教師は、俺たちに10分間スピーチの内容を考える時間を与えた。一人一人に紙も配られる。原稿を書くためのものだろう。
ただ、この紙にしゃべる言葉をそのまま書くのは得策ではないだろう。内容は箇条書きにして、スピーチ時に紙を見る回数は最小限に抑えるべきだ。これは恐らく「姿勢」の採点に影響するんじゃないだろうか。
「どんなことしゃべる?」
隣に座っていた柴田が俺に聞いてくる。
「迷ってる。今までに学んだことといっても、言葉にするのは難しい」
「だよなー」
大体この学校がやることというのはろくなことがない。この混合合宿もそう。夏休みのバカンスと見せかけた特別試験もそう。範囲が突然変更された中間テストや、4月の生徒を試す期間もそう。情報が足りないか、情報が出されても嘘が混じっていることだらけだ。
そういう意味では、俺たちは「出される情報がすべてとは限らないし、正確であるとも限らない」というのを学んだのかもしれない。
ならばこれから学んでいきたいことは、情報社会やらなんやらを絡めて「それらの情報を取捨選択する方法」とかそんな感じでいいだろう。
内容がある程度固まったので、時間をつぶすために窓の外を見てみる。
視線の先に広がるのはグラウンド。
といっても誰も使っておらず、周りの木のざわめきのみが聞こえてくる。
体育の時間に使うことが想定されているんだろう。が、俺たちはスキーをやっているためグラウンドを使った体育の授業は行われていない。
そういえば、スキー授業の「基礎コース」には藤野と同様に葛城にも坂柳にも賛同していない女子生徒の和田がいたな。和田は里中、宮平、太田と違って藤野派の背後に俺がいることを知っている。多分藤野派でも唯一なんじゃないだろうか。
というか俺と藤野が友人関係であることは隠してるわけじゃないし、和田以外のメンバーでも藤野にアドバイスしている他クラスの人間が俺なんじゃないかという疑いは間違いなくあるだろう。小グループが決まった時点からずっとそうだが、この3人からよくいぶかしげな視線を受けている。気がする。
なので疑いではなくほぼバレてると思っていい。藤野も多分感づいてるかもって言ってたし。
藤野が俺のことを伝えていないのは俺が動きやすくするための配慮ということだが、もういいんじゃないだろうか。このまま隠し通すことは絶対にできないし、なによりこれ以上は藤野の信頼に影響を与えかねない。
ちょうど今日の夕飯は藤野と食べることになっている。その場で話すことはできないから、どこか適当な場所を見つけて相談するとしよう。
~~~~~~~~~~
そしてやってきたスキー演習の時間。
俺たち基礎コース組は、その名の通り滑るための基礎を丁寧かつ徹底的に叩き込まれていた。
すでにコツをつかんでいる生徒が2人ほどみられる。この人たちは今日中に『演習コース』に移動となるだろう。
対する俺はというと……
「……滑れん」
ストックを使えば進むことは進む。しかし進行方向のコントロールが全くと言っていいほどできない。
左に曲がろうと思ってもそのまままっすぐしか行かなかったり、止まろうと思っても全く止まらなかったり。こけてひざを打ったり。まあとにかく端から見れば散々な有様なわけである。
「うぉっ!」
またこけた。
「いってー……」
雪に膝をぶつけてうずくまってしまった。この鈍い痛み、なんならもう慣れたまである。
「ちょっと、速野くん大丈夫?」
そんな俺に上から声がかかる。
振り向いてみると、声の主は意外や意外。松下だった。
「ああ……大丈夫だ」
「さっきからこけまくりだよ」
「まだコツが全くつかめてないんだ」
「でもいくら何でも転びすぎじゃない?」
「俺が下手なだけだろ」
松下に悪気はないんだろうけど、コケるコケる言われると俺に心理的ダメージが来るのでやめてほしい。
「私も滑れないんだけどねー……」
だろうな。だからここにいるわけで。口には出さないけど。
「ていうか速野くんが滑れないこと自体が意外なんだけど」
「よく言われるよ……」
これで何回目だろう。
「やっぱりみんなもそう思ってるんだ。速野くん何でもできそうなイメージあるからさ」
「それはよくわからない思い込みだな。勉強は得意だが、スポーツは別に得意って程でもないはずなんだけどな……」
俺がスポーツ面で唯一自信を持っているのは反射神経と瞬発力。これは体育祭でも実証されている。スタートダッシュの時点では、俺は神崎にも柴田にも負けていなかった。当然走力は普通のため後から追い抜かされるわけだが。
とはいっても瞬発力がスキーに役立つかといえばそうではなく。
「まあお互い頑張ろうよ」
「ああ。そうだな」
会話上はこれで打ち切られた形だが、戻る方向は一緒のため俺と松下は隣同士にいるわけである。
そういえば松下と会話するのはこれが初めてだ。……多分。少なくとも覚えている範囲では初めて。
松下は確か佐藤、篠原と3人で行動を共にすることが多かったはず。そしてこの4人の中では比較的成績がいい。3人で試験勉強する際には教える側に立つやつだろう。まあ比較的、というだけで、クラス内順位で言えば中の上程度だ。
俺が松下について持っている印象はこれくらいだ。仲がいいわけではないが、話しかけてくれたから悪印象を持たれてるわけではないんだろう。
頭の中で滑るためのイメージトレーニングをしつつ、自分が滑る順番を待つ。向こう側では演習コースの生徒たちが気持ちよさそうに滑っているのが確認できた。
俺も早くあそこで滑りたい。でもまだ滑れない。というか俺の滑りたい欲は抜きにして、タイム計測は小グループでのリレー形式だ。早く俺が「演習コース」に行かないと小グループのメンバーにも迷惑がかかる可能性がある。
まあでも、とにかく練習あるのみだ。
そしていよいよ俺の出番。
「じゃあ次の人、行こうか。体重移動を意識して」
「はい……」
言われたとおりに体重移動を意識してやってみるも……
「うーん、右側に体重が行き過ぎてるね。それに自分で気づいてないからコントロールを失ってるように感じてるんだ」
講師が俺の肩をつかみ、重心を真ん中に持ってくるイメージを伝えてくれる。
「ストックで地面を蹴った後は、こんな感じで右にも左にも偏らないようにするんだ」
「わかりました。次やってみます」
「うん。頑張って。じゃあ次の人ー」
講師さんごめんなさい、という気持ちしかわいてこない。なかなか上達しないのは講師としても歯がゆい思いだろう。
「難しいよね、スキーって……」
俺が元の場所に戻ってくると、愛理がそう言って話しかけてきた。
「全くだ。今のところ『演習コース』に行けるビジョンが見えない」
「うん……スキー板使うと、普段歩いてる時と全然違って……バランスが全然取れないんだよね」
「俺も同じだ。だからさっきから何回もこけてる」
「あ、そういえばさっきも……大丈夫?」
「なんとかな」
似たようなやり取りをさっきもした気がする……
「知幸くんは昨日ああ言ってくれたけど、私ほんとに大丈夫なのかな……」
愛理は、いや愛理に限らず『基礎コース』にいるほとんどすべての人間が、スイスイ滑っている自分をイメージすることができず、焦燥感を覚えている。
ただ、何事も初心者は「こんなの無理だ!!」と感じるだろう。
今は何事もなく乗れている自転車も、幼少期に練習した時には「こんなの乗れるわけない!」と泣き喚いた経験のある人は多いんではないだろうか。かくいう俺もその一人なわけだが、今現在では逆に自転車に乗れないという感覚が理解できないまでになっている。
同様の例で言えば掛け算九九なんかもそうだろう。子供のころはわけわからんかったのに、今では逆にわからないという感覚がわからない。
やり続けていればスキーもいずれそうなる。慣れていくにつれて、立っているときにバランスを崩してコケる感覚や、曲がりたい方向に曲がれないなんて感覚は思い出すのが難しくなっていく。
初心者でも、この合宿の数日間のうちにその領域に行く人は少なからずいるだろう。
「大丈夫だ。多分……昨日言った通り、講師はプロだからな」
とりあえずこう言っておくしかない。
今『基礎コース』にいる人の大半がコツをつかみ始めて『演習コース』に移動するのは、早ければ明日、少なくとも明々後日、ってところか。
ちなみに今日は前半ですでにコツをつかみ始めていた2人の生徒が『基礎コース』を卒業した。
ポイント現金化云々のルールを1、2年生に伝えなかった理由は原作に書いてなかったので勝手に考えました。
本当なら山内とぶつかった場面で坂柳が一之瀬のことについてペラペラしゃべりだしますが、この小説において速野もいる場面で話すのは少し不自然かなと思い、この形にしました。
重ね重ねお詫びいたします。ほんとに遅れてすみません。
これは自己責任といわれてしまえばそれまでなんですが、あまりにも投稿間隔が空いているため筆者も今までの自分の記述を正確に把握できていない場合があります。
設定矛盾などおかしな部分がありましたら、活動報告にそれ用のものを作っておきますので、是非とも指摘のご協力をよろしくお願いいたします。もちろん、筆者も自分の文章を読み直すなどして最善を尽くします。
常々言っている通り、いくら投稿間隔が空いたとしても絶対に逃亡はしません。これからもこの作品をよろしくお願いします。
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ep.65
ベッドで横になりながら考える。
今日の夕食時間にあった、藤野とのやり取り。
~回想in夕食時~
「お待たせ速野くん」
夕食のトレイを持ち俺の向かいの席に座ったのは、俺の友人であるAクラスの藤野である。
「……まあメインの話はあとで。まずは普通に食べよう」
バスの中でのやり取りで、5日目の夜に一緒に夕飯を食べることは決まっていた。
しかしただ一緒に夕飯を食べることが目的ではない。
夕食時間は1時間とられている。その間は教師からの規制はない。つまり制限時間内であれば女子が男子の生活スペースである本棟に立ち入っても問題にはならないわけだ。何しろこの食事スペース自体が本棟にあるしな。
つまりこの夕食時間、藤野は本棟の敷地内に立ち入ることができる。俺が本棟の敷地内に誰にも見つからないスペースを見つけることができれば、藤野の派閥に関する話もすることができる。5日目に夕食を一緒に取る時間を設けた本当の目的はそれだ。
「そだね。じゃあいただきます」
「いただきます」
ここで出る飯のメニューは全員固定だ。今日の夕飯は白飯、味噌汁、ハンバーグ、レタス多めのポテトサラダ。いかにもこういった合宿所で出そうなラインナップである。ただ量は決して多くはない。これだけだと物足りなさを感じる人もいるだろう。学校側もそれを見越してか、白飯と味噌汁はおかわり自由としている。
「それで、どんな感じだ?」
無難な質問で俺から会話を切り出す。
「うーん、私の小グループは今のところ特に問題なしかな。速野くんは?」
「こっちも小グループは平和だ」
ここで会話が一時途切れると同時に、お互いに顔を見合わせる。
「お互いに、小グループ以外では何かあった、ってことかな?」
「そうらしいな……俺の方は大グループ決めのときに、南雲会長が堀北先輩に勝負を申し込んでたことだ」
「あ、それ聞いたよ。確か内容は『どっちの大グループが上の順位をとるか』だったよね」
さすがに藤野ならその辺の情報は知ってるか。
「ああ」
「それに堀北先輩がだいぶ制限設けたって聞いたけど……」
そうなのだ。堀北先輩が出した勝負を受ける条件によって、南雲先輩は正々堂々と競わなければならなくなっている。そのためか、現時点では男子グループで特に何かが起こっている様子はない。
唯一の平和じゃないことですらもこの程度だ。
この試験、ハードスケジュールのため疲れはするが、それも想像を絶したものではない。正直これほど落ち着いた展開になるとは思っていなかった。
「思いつく限りで、平和じゃないことといえばそれくらいだな。そっちは何があったんだ」
藤野と違って、俺には異性グループの情報は流れてこない。まあ櫛田に聞けば教えてくれるだろうが、わざわざ直接会って聞くのも変だと思うので聞かない。
「気になることは2つかな」
2つあるのか。
女子の方は割と波風が立っているのだろうか。
「1つめが坂柳さん」
「坂柳?」
「Aクラスは、男子の方は自クラス9人とその他のクラス1人から取るって方針だったの。それは知ってるでしょ?」
「ああ。実際そうなってる」
「女子の方は自クラス8人、他クラス2人で構成してるの」
「他クラス2人ってのは、違うクラスからそれぞれ一人ずつってことか?」
「うん」
「そうなると1クラス入ってないのか」
「そう。そしてそれがBクラスなの」
「……変わってるな。Bクラスって、個人的に一番受け入れやすいクラスだと思うんだが」
「しかもその理由っていうのが、『一之瀬さんは信用できない』なんだよね」
「……ますますよくわからないな」
「小グループを偏った編成にするってことはバスの中で聞いてたけど、坂柳さんがBクラスを排除することは、寝耳に水の出来事だったからすごく焦ったよ。派閥の人たちは事前に聞いてたかもだけど……」
「ふーん……」
そりゃ確かに、そんなこと事前に知らされてなければふつうは驚くわな。
「坂柳さんは多分、一之瀬さんを標的にしてるんだと思う。小グループ決めの後も一之瀬さんを悪く言って回ってるから」
「なるほど……」
「私は一応一之瀬さんに声かけるようにはしてるんだけど……坂柳さんの件は、結構悩みの種になってるみたい」
自分の悪評がまかれるというのは、内容が本当だろうと嘘だろうと、それだけで精神的負担になる。
「でも、まさに悪評をまいてるAクラスに所属してるお前が声かけて、慰めても大丈夫なのか。お前が坂柳派に属してないとはいえ、一之瀬としては素直に受け取るかどうか」
「大丈夫。その辺わかってくれない一之瀬さんじゃないよ」
ああ、まあ確かに、物分かりいいからな一之瀬は。それに藤野もよく考えて、相手が不快にならないように接してるだろうし。
この辺は藤野がうまくやってくれるだろう。
「それで、もう一つは?」
「あ、うん、それなんだけどね。橘先輩のことで……」
橘先輩……前生徒会の書記か。
「その人がどうかしたのか」
「ちょっと様子がおかしいの。具体的に何がおかしいかはわからないんだけど……一之瀬さんと同じで辛そう、って感じかな。あと所属グループからも疎外されてる気はするなあ……」
「ハブられてるってことか」
「うん。そんなに露骨ではないんだけど……周りから見て違和感を感じる程度かな。でも悪意はあると思う」
はあ、なるほど。
「……橘先輩って、堀北先輩が会長だった前生徒会の書記だよね。その橘先輩の様子が変なのって、南雲会長と堀北先輩の勝負に何か関係あるのかな?」
橘先輩は堀北先輩を慕い、かなりの頻度で一緒に行動している。堀北先輩も書記として生徒会を回していた橘先輩に悪感情は抱いていないはず。藤野がそう考えるのも自然だが……
「勝負自体には関係ないだろ。他を巻き込まないって条件があるし」
周りを巻き込めば勝負は無意味になる。
「……『自体には』ってことは、それ以外のところには関係あるってこと?」
俺の言葉に疑問を抱いた藤野が聞き返してくる。鋭いなあ。
「まあつまり、勝負の範囲外での南雲会長の『いたずら』かもしれないってことだよ」
「いたずら??」
「簡潔に言うと……『橘茜を退学に追い込むこと』」
藤野は一瞬目を見開き、驚いた表情を見せる。
「条件をクリアすれば、ありえない話じゃない」
藤野は少しの時間思案したのち、納得したようだ。
「そして、生徒会には特別試験の一部を作成する権利も与えられてる」
これは12月下旬、清隆、龍園、堀北先輩、俺で集まった日に堀北先輩から聞いたものだ。
藤野はそれを聞いた瞬間、何か思いついたように顔をあげる。
「うん、そうらしいね……これは一之瀬さんから聞いたんだけど、責任者の制度も生徒会からの案で、道連れのルールも、責任者を退学させるためにグループメンバーがボイコットするのを防ぐための方策として、生徒会側から学校側に提案したものらしいよ」
「……なるほど。それはあくまでも仮定の一つだったんだが、事実だったか」
今までの退学者ルールとは志向が違うとは思うものの、ボイコットの対策の機能として、道連れの制度は合理的だと考えている。
しかしルール上、一人の生徒を道連れによって確実に退学させることは不可能ではない。
そしてこれを成功させるためにはいくつか条件がある。
ここからは全て俺の想像・空想の域を脱しないが、勝手に考えてみることにする。
まず必要なのは、橘先輩の属するAクラスを除く3年生全体の掌握。
これは、橘先輩を道連れの対象と学校側に認めさせるために「橘茜は、教師の目の届かないところでグループ内の他クラスの生徒に嫌がらせをしていた」と口裏を合わせるため。この施設にカメラの類は設置されてなかったから、物的証拠がなくても、学年全体から一斉に報告が上がれば、学校側としては認めざるを得ない。
次に、橘先輩の所属するグループの責任者が退学するリスクの除去。具体的に言えば、退学取り消しに必要な2000万プライベートポイントの肩代わりだ。それに加え、100クラスポイントが失われることへの補償のようなものもあるかもしれない。なんにせよ大量のプライベートポイントが必要になるが、南雲会長も大量のプライベートポイントを保有してそうだし、用意できない分は2年生からかき集めればいい。2年生全体を掌握してる南雲会長ならできないことじゃない。
それらに先ほどの藤野の情報を組み合わせると、南雲会長はこのような方法で橘先輩を退学させることを思いついてから、それに沿うように責任者と道連れのルールを追加した、ということになる。
もう一度言うが、これは俺の想像・空想だ。南雲会長がAクラス以外の3年生全体を味方につけてる証拠なんて俺は握ってないし、南雲会長が大量のポイントを保有してる証拠も、2年生からポイントを集めた証拠もない。これが愉快な妄想で終わる可能性も十分ある。
……が、生徒会が責任者と道連れのルールを作成したのが事実なら、俺の仮説が正しい可能性が高くなってくる。
そして仮説が正しければ、南雲会長は「目的のためならなにふり構わない」人物であることが明らかになる。
「まあ仮にそうだとして、そんなことくらい堀北先輩は気づきそうなもんだけどな」
「確かに。でも気づいたところで止める手立てなんてあるの……?」
この状況で橘先輩を救い出す方法か……
「……現実的な方法は思いつかないな。試験が始まった時点で詰みだろこれは。素直にペナルティ払って退学を取り消してもらうしかないんじゃないか」
ちなみに現実的でない方法というのは、橘先輩のグループの責任者をどうにかしてこちら側に引き入れることだ。ただその『どうにかして』の部分に関しては、「洗脳する」とか「精神を崩壊させる」とかどう考えても実現不可能なうえに、自分で言ってて恥ずかしくなるようなことしか思いつかない。
だがもしそれができる奴がいれば、わずかだが救いはある。
……清隆とかできそうだよなあ。というかあいつの場合、軽井沢っていう前例があるしな。
そうこうしているうちに俺も藤野も夕飯を完食。そして残された猶予は40分となった。
「……ずいぶん話し込んじまったな。そろそろ移動するか」
「あ、そうだね。時間もそんなにないし」
俺はこの数日間で探し出した、本棟にある全員からの死角へと藤野を案内する。
前置きがかなり長くなってしまったが、俺と藤野にとって本題はここからだ。
~回想終了~
と、大勢の耳があるあの場では、こんな感じで落ち着いた。
南雲会長の話は、俺の中であまり関心度は高くない。俺の想像が当たっていてもいなくても割とどうでもいいことだし、もし仮に当たっていたとしても、橘先輩の進退については興味がない。
俺が目を向けるべきことは別にある。
あのあと、全員の死角で藤野と話し合った結果、やはり藤野派の人間に、俺のことを話すことになった。
藤野も最近はそのほうがいいと思い始めていた、とのこと。合宿の後に時間を設けて話すらしい。
こちらの方は特に問題もなくすんなりと決まった。
俺としては、この話が終われば解散、という流れを想定していたんだが……
この話が片付いた後、藤野から少し、いやかなり驚くべき話をされた。
そこで伝えられたことは、正直言って頭の片隅にもなかったことだった。
俺はもともと坂柳派は結束が弱いと考えていた。
しかし藤野の話が事実だとすれば、坂柳派は、俺が考えていた以上に盤石ではないかもしれない。
~~~~~~~~~~
合宿6日目。スキー演習5日目。
当初は長く感じていた『混合合宿』も、日程的にはすでに折り返し地点を過ぎている。
ここでキーになってくるのは体力だ。
早寝早起きからの座禅、掃除。授業。そして午後のスキー演習。
体力に自信のない生徒たちがこんなことを毎日繰り返していれば、特別試験であるという緊張感も相まって、当然体が悲鳴を上げてくる。
もちろん俺もその一人。
昨日あたりから、急に足がプルプル震えだすなど筋肉痛の予兆が出始め、今日から本格的に来た感じだ。
まあ本格的とはいっても、足が動かせないほど痛いわけではない。力を入れるとちょっと痛むとか、重いとかそんなレベルだ。
とりあえず、寝るときに湿布を貼ることでなんとかするしかない。一応、昨日の段階でグループのメンバーには「少しルートビアみたいな匂いするけど我慢してくれ」と断っておいた。そしたら「ルートビア?」って疑問符満載の反応をされたわけだが。案外知名度低いのな、あの飲み物。好き嫌いが分かれるらしいが俺は好きではない。どうでもいいか。
もちろん、比較的体力のある生徒も、疲労がないかといえばそんなことはないわけで。就寝時間を過ぎればみんな一様にぐっすり寝ている。須藤とかめっちゃでかいいびきかいてそう。ひでぇ偏見。
そして今この時間は、混合合宿で体力が奪われる原因の大部分を占めているであろう、『スキー演習』が行われている。
最初はどうなることやらと思われた『基礎コース』の生徒たちも少しずつ、しかし確実にスキー技術の上達を見せていた。
俺ももちろん。あれだけ弱音を吐いていた愛理もだ。
そして意外だったのが、外村が昨日の時点で『基礎コース』から『演習コース』へと移動になったことだ。
昨日の授業時間の冒頭から急にコツをつかみ始め、終盤にはスムーズに滑ることができるようになっていた。全く人の成長とはわからないものである。
というか外村に関しては、このこと以上に驚くべき変化がこの合宿中にあった。
合宿前までは語尾に「~ござるなあ」とか変なのをつけていた。しかし今はどうかというと、びっくりするぐらい普通なのだ。
「ござるなあ」なんて語尾に受けるのはもちろん変だし、何ならウザいしキモイと思う。しかし今までその口調に慣れていたため、外村が普通の口調だと逆に違和感満載だ。
なんでも教師に矯正するよう迫られてのことらしいが……なんというか、物足りない。
一般社会的には今のほうがいいんだろう。でもやはり個性がなくなった感じがして、クラスメイトとしては複雑な思いである。
まあ外村の話はここまでにして。
予想していた通り、今日明日あたりで大部分の生徒が『演習コース』へと移動になるだろう。俺はまだもうちょいかかりそうなので早くても明日だが、愛理は今日あたり行けるはずだ。松下も今日か。井の頭と山内は俺と同じく明日かな。
このように、今日コースを移動できないにしても、明日までにはほぼ全員が移動するだろうというめどが立つまでになっている。滑ることもできなかった合宿序盤には想像すらできなかった状況だろう。
まだ数人がコツをつかめていないようだが、そんな生徒たちも最終的には滑れるようになるだろう。少なくとも最終日のタイム計測までには。
「じゃあ次、行こうかー」
俺の前に並んでいた松下が、講師の呼びかけと同時に滑り出す。
うん、やっぱり松下はしっかり滑れている。
バランスもとれているし、スピードもそこそこ。基礎が習得できている証拠だ。
「オッケー、じゃあ次の人」
そして俺の番。
ストックに力を入れ、体重移動を意識して……
「うん、だいぶ上達してきてるね。スキー板のコントロールをもう少し上手くできればさらにいいと思う。今はスキー板が踏ん張れずに動きが必要以上に大きくなってるから、そこを注意してみて」
「……わかりました」
雪は摩擦係数が小さいため滑りやすく、踏ん張り切れずに動きが大きくなってしまうことがある。それはつまり、せっかくストックで地面を蹴って生み出したエネルギーが、推進力にうまくつながっていないことを意味している。
「……ん?」
そんな感じで自己分析をしていたところ、あることに気づく。
白い雪の上に入っている、電車のレールのような二本のライン。
「これ……スキー板の跡……だよな」
もちろん、この場にスキー板の跡があるのは不思議ではない。しかし疑問なのは、それが向かっている方向だ。
宿泊施設側から見て、手前で練習しているのが『演習コース』。奥側を俺たち『基礎コース』組が使っている。そして『基礎コース』の生徒たちは奥側に向かって滑っている。自分の順番が来たら、10メートルほどのコースを滑り、そこから元のスタート地点まで戻って並びなおす、というのが一連の流れだ。そのため俺が今いる場所にできるスキー板の跡は、すべてスタート地点の方向にUターンしていないとおかしい。
しかしこのスキー板は、さらに奥のほうへ向かっている。
講師のものである可能性も考えたが、この跡は新しい方だ。先ほどから講師はコースを行き来しているだけだから、コースから外れているこの跡が講師のものである可能性はない。
「……まさか」
スタート地点の様子を確認して嫌な予感がした俺は、スキー板の跡をたどり、奥のほうへ向かって滑り降りる。
「……森の方向に続いてるな」
スキー場の両端は森で囲まれているのだが、スキー板の跡はその右側の森へと入っていっていた。
滑り降りた先で見つけたのは、想像していた通りの光景。
「……やっぱり」
「は、速野くん……?」
心底驚いたような声で俺の名前を呼んだのは、ストックを手放し、右足首を抑えて倒れている松下である。
「え、なんでここに……?」
「変なスキー板の跡を見つけたんでな。それでスタート位置確認したらお前が見当たらなかったから、跡をたどってきた」
まだ俺がこの場に来たことへの驚きが収まっていない様子だ。まあこんな状況になって、ただでさえ気が動転してるはず。頭の処理が追い付かないのも仕方のないことだ。
「足、ケガしたのか」
「う、うん、多分くじいたかも……」
右足首をさすりつつ答える松下。見た感じ木に激突してるから、その衝撃の影響だろう。
「ほかにケガした場所は?」
「今は右足以外はいたくないよ」
滑り降りて分かったが、ここは結構スピードが出る。その勢いそのままで木にぶつかってケガがこれだけなのは、かなり幸運だ。
「とりあえずスキー板は外したほうがいい」
「そ、そうだね……」
カチャカチャと音を立てながら松下の足からスキー板を外し、横に置いておく。
「歩けそうか?」
「多分無理……」
「だろうな。わかった」
となると……
「講師に言って保険医呼んできてもらうから、ここで待っててくれ」
「あ、うん……」
俺もスキー板を外し、ブーツで雪の坂を上って『基礎コース』の1年を指導している講師に松下のことを話す。
講師は驚きの表情を見せながらも、努めて冷静に俺に言う。
「わかった。すぐに保険医の先生に連絡を取るよ」
「ありがとうございます」
「君は練習に戻ってもいいけど……スキーボードはどこに?」
「ああ……現場に置いてきました」
「なら取りに行くついでに、先生が現場に到着するまで彼女のことを見てやってくれないか。2分くらいで着くはずだよ」
「わかりました」
まあ、ついでだしいいか。
話し終えると、講師はすぐにどこかに走っていった。保険医を呼ぶための連絡だろう。保険医は万一に備えて、そんなに遠くにはいないはずだ。
「保険医は2分ぐらいで着くらしい」
松下のもとに戻って開口一番そう言った。
「あ、ありがとう」
申し訳なさそうに、ボソッとそうつぶやく松下。
「なんでこうなった?お前は滑るコツつかめてたはずだろ」
『基礎コース』の中でも上手い方だった。少なくとも技術的には、このような惨状をまねくレベルではない。
「その、滑ってる途中で足攣っちゃって、それでコントロールできなくなって……」
「……なるほど」
それなら仕方ない……かもしれないな。
「奥の方ってどうなってるのかなー?」みたいな興味本位で行ったなら松下が悪いが、足が攣るのは事故だ。なのでもし今回の件に失態があるとすれば、それは松下ではなく、講師または教師だろう。
これだけの人数を一人で教えているために、ほかのことに気が回りづらいとはいえ、講師は生徒が誤って滑り降りてしまってケガしたのを、俺に言われないと気づけなかった。俺が気付かなければ恐らく点呼まで気づかれなかっただろう。これは講師側の落ち度。そしてこれだけの人数を一人で見る必要のある状況にしたのは、近くに監督員か何かを配置しなかった首脳部、つまり教師側の責任だ。
「……あれ?」
「ん、どうした。……お、来たみたいだな」
松下の疑問の声は、保健担当の星之宮先生と他数名の教師の到着によってかき消された。
「悪いわね速野くん、見てもらってて」
手を振りつつ、俺に声をかけてくる星之宮先生。
「いや……まあ乗り掛かった舟なんで」
実を言うとこの人のことはあんまり得意ではない。
夏休みの無人島特別試験においてこの人を利用させてもらったが、それ以来、この人から向けられて気分の良くない視線を感じることがある。まあそれ以前も苦手だったけど。「綾小路や茶柱先生への絡み方がウザい」ところとか、「櫛田っぽい」ところとか。
「ふーん、そっか。で、『基礎コース』の君がどうやってここに無傷でたどり着いたの?」
「……」
「あそこからここまでのコースって結構急な坂だよ?大丈夫だったの?」
……そう、俺が言ってるのはこの視線だ。
一見優しく包み込むようなのに、いつの間にか関節を極められているような、そんな感覚。
「星之宮先生、そろそろ……」
「あ、はーい。じゃあね速野くん☆」
答えに窮する俺だったが、付き添いの先生の言葉によって、星之宮先生の詰問から逃れることに成功したのである。
「君も気を付けて戻りなさい」
「……はい」
言われた俺はスキー板を手に持って、急な坂道を雪を踏みつつ戻っていく。
多分松下の疑問も、さっきの星之宮先生の質問と同じだったんだろうな。
そのあたりは敢えて考えないようにしつつ、今まで通り練習を続けた。
この作品の主人公は堀北と南雲の抗争にあまり関心を寄せていないので、原作でメインだった南雲の戦略はこのあたりでバラしてもいっかなーと思いました。
そして出ましたね、新たな伏線。
というわけで、次話にもご期待ください。
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ep.66
疲労がどれほどたまっていようとも、カリキュラムは滞ることなく進められていく。
筋肉痛の体を無理やり起こし、朝食づくりと座禅を終わらせ、現在施設清掃の時間を迎えている。
いまは室内清掃だが、あと15分もすれば外の清掃区域へと移動になる。
俺たちの小グループは、廊下とその周辺の窓ガラスの掃除を担当していた。
清掃範囲は広い。そのうえ拭くのに使用するのはモップではなく雑巾なので、よりいっそう体力の消耗が激しい。
「ふう……」
雑巾がけを1往復終え、息を整えるために少し休憩を入れる。
廊下長すぎ。マジできつい。片道20メートルくらいあるだろこれ。
ていうかまず何でモップじゃないんだよ。
一昔前の閉鎖的な男子校の中には、便器の掃除を素手でやらせるところがあったらしい。モップかける方が楽なのにわざわざ雑巾でやらせるのは、程度の差こそあれ、本質的にはそれと変わらない気がする。
俺がいくら嘆いたところで、何かが変わるわけでもないのだが。
「お疲れだな、速野」
「……柴田は元気そうだな」
「ま、それが取り柄だからな」
グループのリーダーである責任者が元気なのはいいことだ。
廊下沿いの教室では、啓誠が責任者を務めるグループが掃除をしているが、啓誠のようすは柴田とは対照的。合宿のハードスケジュールにより、疲労困憊しているのが一目でわかる。
俺が向こうのグループを見ているのに気づき、柴田もそこに視線をやる。
「っ、腰が……」
啓誠は苦しそうにその場にうずくまってしまう。
「何が腰が痛いだ。ちゃんとやれよ」
配慮も優しさもない乱暴な声をかけ、腕をつかんで強引に立ち上がらせたのはDクラスの石崎。
「わ、わかってる。わかってるから……手を放してくれ」
「ったく、情けねえ責任者だ。しっかりやれよな」
そう言い放ち、石崎はつかつかと自分の持ち場に戻っていった。
啓誠も掃除を再開しようとするが、その動きはぎこちない。
今のワンシーンを見ただけでもわかる。このグループは空中分解寸前であると。
ただ俺自身、このグループがこういう流れになることは想定していなかったわけではない。そのため心配はするもののそこまで大きな驚きはない。初日の時点で綾小路にも言ったが、このグループは構成からしてかなり悲惨だったからな。
石崎は荒れてるし、高円寺はそもそも掃除に参加すらしていない。さらに、ただでさえリーダー向きではない啓誠は、自分の体力不足に負い目を感じ、グループをうまく引っ張っていけていないようだ。
それだけではなく、誰一人石崎をなだめようとしないのも、このグループの惨状を現している。
先ほどのやり取りが耳に入っていないはずはないが、みんな聞こえないふりを決め込み、石崎と目が合わないように黙々と掃除に取り組んでいた。こういうのが常態化してる証拠でもある。
このままだとまずいことになる。それは恐らくグループメンバーを含め(高円寺を除く)、このグループの実情を知っている誰もが感じてることだろう。
だが、このような惨状を目にしても、他のグループへの手出しはできない。俺からできることは、精々心の中で啓誠にエールを送ってやることぐらいだ。
グループの問題はグループで解決してもらうしかない。混合合宿とはそういう試験だ。
「大変そうだな、向こうのグループ」
俺らのグループがかなり平和なだけに、余計そう感じるのかもな。
「あ、そういえば昨日の綾小路、すごかったよな!」
掃除に励む清隆の姿を見て、何かを思い出したように柴田が言った。
「……何がだ?」
「何って、決まってんじゃん!アレだよアレ!」
「……いや、決まってんじゃんとかアレとか言われてもわからないんだが」
「え、もしかしていなかったのか?」
「……いなかったってどこに?」
「あー、いなかったんだな……もったいない」
「いや……あの、まずは目的語をつけてしゃべってくれないか」
俺の頭の中には大量のはてなマークが次々と出現し、脳内を埋め尽くしていく。
いくら俺がコミュ障といえども、さすがに今のは向こうに原因がある。
さっきのやり取りだけで柴田のいわんとすることを理解できるのは、心理学などに恐ろしく精通した人物。具体的には「お主ぃぃ!」じゃない方のダイゴくらいのものだろう。
「あ、悪い、何言ってるかわからなかったよな……」
うん。全然わからんかった。
「ちょっと耳貸してくれ」
言われるまま、俺は左耳を柴田の口元に近づける。
「あんまでかい声では言えないんだけどさ、実は昨日大浴場で、誰のアソコが一番大きいかって話になったんだよ」
「……ああはい、アソコね」
さすがの俺でもカタカナで表記された「アソコ」が何を指すかぐらいはわかる。要するに「アソコ」とは「アソコ」ことであり、「アソコ」以外の何物でもない。
「みんなアルベルトのデカさにビビってたんだけど、それを高円寺が上回ったんだよ」
……ああ、それはなんか想像つくな。
「それでそのあと、龍園に乗せられて綾小路も見せる雰囲気になったんだけど」
龍園のやつ絶対私怨混じってるだろ。
「で、綾小路はその高円寺と同じぐらいだったんだよ!」
え、マジ?すげえなそれは。
清隆のはアルベルトよりもデカいってことだろ。
「へえ……」
「な、すごいだろ?その場にいなかったのもったいないなーマジで」
いやすごいとは思うけど別にその場にいたかったとは思わねえよ。なんで俺が他人のモノ見たいと思ってる前提なんだよ。見たくねえよ。
あーでも、周りの雰囲気が出来上がって、もはや見せるしかないことを悟って追い込まれている時の清隆の顔は、ちょっと見てみたかったかもしれない。
にしてもそうか。清隆と高円寺がツートップで、次点にアルベルトか。全部啓誠のグループのメンバーじゃん。今度からあのグループのこと大艦巨砲軍って呼ぼうかな。
いや、面白そうだけど名前長くて呼びにくいからやめとくか。命拾いしたな清隆。
ちなみになぜ俺がこの話を知らなかったかに関しては、その遊びが始まる前に大浴場を出たからだろう。早めに出てよかったー……
「なあ、そういえば昨日、スキーの1年の『基礎コース』で誰かケガしたって聞いたんだけど」
俺と同じく、雑巾がけをしていた太田が会話に混ざってくる。それによって話題がシモの話からスキーの話に入れ替わる。まさに霜から雪への入れ替わり。疲れた状態でボケるのはだめだなとおもいました。
「ああ。滑ってる途中で足がつって、コントロール失って森に突っ込んだらしい」
「マジかよ。超危ないな」
「木にぶつかった勢いで右足をケガしてた」
「確かケガしたのってCクラスの女子だっけ?」
「そうだ。だから結果に影響がないかちょっと心配ではあるんだが」
松下のその後の経過は聞いてないが、一時は歩けないほどに足を痛めてしまった。最悪スキーには参加できないかもしれない。そうなると気の毒なのは松下の小グループだ。
まあ、こればっかりは松下の回復力しだいだ。
「そういや、速野の方はどうなんだよ、スキー。大丈夫そうなのか?」
スキー演習のタイム計測の形式はリレーだから、グループで合わせることが重要になってくる。ちなみに日下は昨日の時点で『演習コース』に移動していた。
「多分今日にはそっちのコースに行けると思う。遅くなって悪かったな」
「いやいいさ。待ってるぜ」
「ああ」
一身上の都合でコース移動するのが遅くなったのは、自分でも本当に申し訳ないと思っている。
その代わりといってはなんだが、最後のリレーでは一生懸命グループに貢献する所存だ。
とりあえず今は掃除だ掃除。
~~~~~~~~~~
座学の授業を終え、スキー演習の時間がやってきた。
掃除時間に言った通り、授業が始まってから一時間ほどが経過したころ、俺は講師に太鼓判を押され、晴れて『基礎コース』を卒業し『演習コース』へ移動して練習していた。
『演習コース』で取り組む内容は『基礎コース』とは全く違う。
『基礎コース』では、講師が生徒につきっきりで基礎を教え込んでいる。
しかし『演習コース』は基本的に自主練習。もし何かコツなどを教えてほしい時には、個別的に講師に教えを乞う、という形をとっていた。
そして自主練習とはいっても、みんな好き勝手に滑っているわけではない。
明後日にある最後のタイム計測に向け、ほとんどの生徒は小グループで固まり、リレーの練習をしていた。
グループ一丸となってタイムを縮めるために試行錯誤しながら、時には講師の手も借りつつ、練習を重ねていく。
しかし、そのようなグループでの練習など目もくれず、颯爽とこの雪山を滑る生徒が一人。
そう、高円寺六助である。
高円寺のスキー技術は常人のそれをはるかに超えており、プロ講師ですら舌を巻くほど。
スピードはもちろん、コントロール、姿勢、どれをとっても文句のつけようがない。この学校でスキーが一番速く、上手いのは高円寺であるということは、もはや全員の共通認識だった。
ただし、高円寺は気まぐれで動く男だ。
高円寺の属するグループは啓誠が責任者を務めている。そのため最下位を取り、且つ平均点が最低ラインを下回ったとしても、啓誠と同じクラスである高円寺が道連れで退学する可能性は限りなくゼロに近い。
そのため、今はあれだけのものすごい技術を見せている高円寺だが、最終タイム計測でも同じように滑るかどうかはわからない。いや、そもそもタイム計測に参加するかすら怪しい。
ただ、今はほかのグループの心配をしている場合ではない。俺がコース移動を果たすのが遅かったせいで、このグループは未だにちゃんとしたリレーをできていない。
「速野、リレーの手順はわかるか?」
「一応資料には目を通したからな。ただ実際にやってみないと何とも言えない」
このリレーではバトンのようなものが存在しない。
次の走者は、コースとコースの間にある待機スペースで待機し、前の走者は次の走者にタッチして走者をチェンジする。
また前の走者は、コースを滑り切って待機スペースに入る前に止まり、スキー板を外してから次の走者にタッチしに行かなければならない。スキー板を外さないまま待機スペースに入ってしまったら、タイムが+15秒される。
把握しておくべきルールはこれくらいか。そのほか細かい禁止事項もあるが、普通に滑ってれば違反することはない。
「じゃあタッチのところだけやってみようぜ。特に速野は慣れてないだろうからさ」
「助かる。ただ、先に順番決めてからにしないか。今日も計測はするんだし、早めに決めた方がいい」
「確かにそうだ。ちなみに速野は何番めがいいんだ?」
「特に希望はないが……スターター以外ならどこでも」
「スターターはもう決まってるから大丈夫だ。こいつスキー板つけるのめっちゃ早いんだぜ」
「それは頼もしいな」
スターターはBクラスの生徒のようだった。
スキー演習初日の説明にもあったが、スターターはスタートの合図があってから、スキー板をブーツに固定して滑り出す。
これは恐らく、誰が最初にインコースをとるかで不公平が生じないようにするためだと思われる。
最初にインコースを確保できれば、レースを有利に進めることができる。
「じゃあ日下の次とかどうだ?7番滑走」
「7番か。わかった」
「みんなもそれでいいよな?」
異議を唱える者が出てこないのを確認し、柴田は満足顔になった。
「俺の次は誰だ?」
「えーっと、昨日の7番目だから……宮平だったよな」
「じゃ俺は日下からタッチされて、宮平につなげばいいわけだな」
「そういうことだ」
面子を確認したあと、すぐに練習に入った。
タッチは相手の右手首付近に軽く触れる程度。気持ち少しだけ押し出して、スタートの勢いをつけてやるような感じだ。講師にアドバイスをもらって、そこからいろいろと試して改良した結果、いまのこの形になったらしい。
中々いいと思う。少なくともこれならやる方も簡単だし、受ける方もスタートダッシュで調子が狂うようなことはない。
「こんな感じか」
「それで大丈夫だ。本番もその調子で頼む」
「わかった」
バトンタッチの方も何とかなりそうだ。
おおむね順調だな。
そしていよいよ、7日目のタイム計測を迎える。
タイム計測は毎日行われ、その結果は公表されているため、今までこのグループがどれくらいのタイムだったかは把握している。
最初は1時間20分ほどだったのが、昨日はついに1時間の大台を突破して、8グループ中3位にランクインしていた。全員がしっかり成長している証拠だ。
ちなみに計測は学年別、男女同時に行われ。その順番も日によってランダムだが、今日は1年生→2年生→3年生の順で計測していくとのことだ。
そんな調子で本番を迎え、滑り終えたのだが、レースについて特筆すべき点は、高円寺がちゃんと本気で滑っていたことと、その高円寺と俺の滑走順が被っていたこと、それにレースコースは割と滑りやすかったということ、あとタイム計測は滑ってる人以外はかなり暇な行事だったってことくらいだな。
自分の学年のレース以外の時間は練習が認められてるからまだいいが、自分のレースのときは指定のスペースでレースを見守らなければならない。つまり少なくとも40分以上は拘束されることになる。
「お前結構速くね?」
同じ『基礎コース』出身の日下が、少し驚いた表情で尋ねてきた。
「そうか?まあきっちり基礎仕込まれたからな」
「いや、それは俺も同じだけど……」
スピードを出すためには、速いスピードを恐れないことだ。
初心者だから恐れる気持ちもわかる。その恐怖心が腕の振りを委縮させる。それによってストックで地面を蹴る力が弱くなり、結果的にスピードが抑えられてしまう。
そんな恐怖心さえ克服してしまえば、さらにタイムは改善することだろう。
事実、高円寺やそのほかの経験者とみられる生徒は全員、ストックを思いっきり振って前に進んでいる。
「まあでも、俺たちからすればうれしい誤算だからいいけどさ。正直、Cクラスから出てるのがお前一人だからって、ちょっと手を抜いてるんじゃないかと疑ってたんだ」
なるほど確かに。日下の言うことも分からない話ではない。
混合合宿は、最終日の試験の平均点の順位で報酬が決まる。
当然、高ければ高いほど報酬も増える。逆に低いほど報酬は減り、5位以下はマイナス報酬だ。
そしてすべてのグループの報酬を総合したとき、できるだけ高い報酬を獲得したいと思ったなら、クラス全員が全力を注いで試験に取り組むことが最善というわけでもないのだ。
平田が責任者を務め、Cクラスが7人所属するグループが1位にランクインし、俺や山内が所属している、Cクラスが1人しかいない2つのグループがそれぞれ下位を取るのが理想だ。そうすればプラス報酬は大きくなり、マイナス報酬は小さくすることができる。
スキーの報酬は現時点で発表されていないが、もしも試験の報酬と同じような形をとっているとしたら、俺が手を抜いてこのグループの順位を落とすことは、クラスの報酬を増やすための有効な作戦の1つといえる。
しかし、これを実行するのはリスクが高すぎる。
「……それは心外だな。低い順位を取ればプライベートポイントを没収されるんだ。俺はそんな余裕があるほどポイント持ってないし、そういう手抜きを防止するための道連れのルールだろ?」
スキーは試験の順位に関係ないとはいえ、手を抜けば責任者に恨みを買う。それでもしグループが指定の平均点を割ったら、俺が退学させられるリスクが高まる。
ポイント持ってないってのは嘘だけど。
「確かに、そりゃそうだ。退学させられたら本末転倒だもんな」
「そういうことだ」
俺はこの試験、かなり一生懸命取り組んでいる。
もちろんスキーもだ。
というかスキーに関しては手を抜いていたどころか、むしろ一番一生懸命やったと断言できる。
「おーい2人とも、残り時間で練習しようぜー」
「ああ、今行く」
その一生懸命さが実るかどうかは、まだ公表されていない報酬の内容によるけどな。
主人公は風呂場にいなかった設定にしました。
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ep.67
そして迎えた、試験当日の朝。
長いようで短く、それでいてやはり長かった混合合宿も、今日で最終日となる。
今日は朝食づくりはあったものの、座禅はない。また掃除も免除される。朝食時間の30分後、大グループごとに軽く試験の説明があり、それが終わればすぐに試験開始となっていた。
「いよいよだな」
「やることはやったんだ。頑張って、一つでも高い順位を取ろうぜ」
「ああ。でも、なんか緊張するな……」
日下がそうつぶやいた通り、朝食会場には緊張感が漂っていた。
もしこの試験で最下位を取り、尚且つ平均点を割るようなことがあれば、自分は退学してしまう……そしてもしかしたら、自分が道連れにされてしまうかもしれない……そんな不安にさいなまれているのは、きっと1人や2人じゃないだろう。
ただ、俺の所属するこのグループに関して言えば、そのような不安は少ないといっていい。
俺たちはどこのグループよりも平和に、順調に合宿の日程をこなしてきた。その自信があるからだ。
もちろん俺にも緊張はある。しかし、これはどちらかと言えば適度な、心地の良い緊張感だ。
「昨日みんなで復習もしたし、大丈夫だって。な?」
「ああ、その通りだ」
今まで俺たちは、女子との交流が認められる昼食、夕食の時間にグループで集まって食べるということはしなかったが、昨日の夜だけは一緒に食べ、その後消灯時間まで試験の復習をした。
この施設に向かうバスの中で「道徳、精神鍛錬、規律、主体性の試験を最終日に行う」と説明は受けたものの、具体的な試験の内容はこの後の説明会まで発表されない。
ただ、座禅とスピーチは間違いなく試験に入る。そして道徳の授業も、おそらくは試験科目に入っているだろう。
この予測のもと、俺たちは「座禅」「スピーチ」「道徳の授業内容」の3つに絞って復習を行った。
成果は上々。俺自身も改めて内容を完璧に把握できたし、有意義な時間だったといえる。
あとは試験本番で結果を出すだけだ。
~~~~~~~~~~
朝食を済ませた俺たちは、部屋に戻って歯を磨き、指定された教室へ移動した。
すでに大グループの2年生は着席している。俺たちはその後ろに座った。
それから2分ほど後には3年生も到着し、それとほぼ同時に教師も教室に入ってきて、試験の説明が始まる。
「ではこれより、混合合宿最終日、試験内容の説明を始める。試験は学年ごとに分かれて行うものとする。大グループごとではないから、まずはそこを注意するように」
この試験中、大グループが関わっていたことと言えば、初日の大グループ作成のときと、朝食づくりの担当を決めたときくらいだ。
最終結果の順位には影響を与えるものの、大グループはかなり緩やかなくくりだったらしい。
「次に、具体的な試験科目を発表する。科目は3つ。『座禅』『スピーチ』『筆記試験』だ。筆記試験では、合宿中に行われた道徳の授業の内容が問われる。また、学年ごとに試験の順番が異なる。頭に叩き込んでおけ。1年生は座禅、筆記試験、スピーチの順番だ。2年生はスピーチ、座禅、筆記試験、3年生は筆記試験、スピーチ、座禅となっている。試験会場だが、座禅は全員共通で道場で行う。そのほかは大グループごとに分かれていて、筆記試験はこの教室、スピーチは1つ下の105教室だ。それぞれの会場で注意はされると思うが、会場を間違えないように気を付けることだ」
試験科目は予想がドンピシャで当たったな。
試験会場はメモに取って、忘れないようにしておく。
「最後に、スキーの最終タイム計測について少し説明を行う。3科目の試験終了は午前10時30分を予定しているが、2年生は11時30分からタイム計測を行うことになっている。その間、1年生と3年生は自由時間だ。13時から昼食時間とし、その後14時15分から1年生の、15時からは3年生のタイム計測だ。こちらに関しては放送による連絡もするが、頭の片隅に入れておくといいだろう」
ほう、そうなると2年生は大変だな。試験終了後、息つく暇もなくスキーとは。
そして俺たち1年は昼食の直後か。
計測の前に、軽く体操などをして体をあっためておいた方がいいな。
「質問はないな。では、諸君らの健闘を祈る」
~~~~~~~~~~
座禅の試験開始前、俺はトイレに来ていた。
実を言うと、説明会の途中から催してはいた。我慢しようかとも考えたが、かなりの集中力が必要な座禅にまでこの便意を持ち込むのは、さすがに危険すぎると判断した。急いで用を足し、試験会場へと向かう。
その道すがら、俺は偶然啓誠のグループに出くわした。
「知幸か。どうしたんだ一人で」
「ちょっとトイレにな」
啓誠の後ろにいるグループのメンバーを見て、俺は違和感を感じた。
以前掃除時間に見たときと、グループの雰囲気が全然違う。
あの時は完全にバラバラで、ガタガタだった。しかし今は、一つのグループとしてまとまりを持っているように見える(高円寺は除く)。
それに啓誠の雰囲気も若干和らいだように思える。
そして特に変化が大きいのは石崎だ。
常にグループから1歩2歩離れて動いていた石崎だが、今は輪の中に入っている。それに表情も、試験に向けての緊張感は見られるが、以前見たときにあった不機嫌さは感じられない。
どうやら、空中分解せずに持ちこたえたらしい。
いや、それどころか結束力は並みのグループより上のようにも見える(もちろん高円寺は除く)。
清隆が何かしたのか?
まあいずれにせよ、何とかなったならそれは喜ばしいことだ。
試験前に、不安要素が1つなくなった。
~~~~~~~~~~
座禅の会場である道場の前には、1年生男子総勢80名が集まっていた。
各グループの責任者が点呼を取り、教師に報告していく。
全員がそろったのを確認して、教師が説明を始めた。
「ではこれより、1年生男子の座禅の試験を行う。採点基準は大きく分けて2つ。道場に入ってからの作法、動作、そして座禅の姿勢だ。名前を呼ばれた者から道場に入り、指示に従って座禅を開始しろ。Aクラス、葛城康平。Cクラス、池寛治。Dクラス、石崎大地。Bクラス、……」
次々に名前が呼ばれていく。
今までの座禅とは環境が違うな。
これまでは大グループごとに行われ、どこに座るかも自分で決めることができた。しかし、この本番ではどこに座るか、だれが隣に来るかは、どのタイミングで自分の名前が呼ばれるかにかかってくる。
小グループごとに固まってやるものだと思っていた生徒たちには、少し動揺が見られた。
「Cクラス、速野知幸」
俺の名前が呼ばれたので、作法に従って道場に入る。
道場内には、採点に公平を期すためなのか、数台のカメラが設置されていた。声には出さないが少し驚いた。
しかし、驚きだの童謡だのの雑念は座禅を乱れさせる。
ただでさえ俺は結跏趺坐を習得できていない。これはもう体の構造上仕方のないものと考えるしかない。だが、そこからさらに姿勢まで乱れたりしたら大減点だ。
確か座禅をするとは、頭を真っ白にすることではなく、イメージをすることだと言ってたな……
じゃあ、スキーのイメトレでもするか。
「では、始め」
そこから約15分間、カメラの微々たる機械音すらも鮮明に聞こえるような、静寂の時間が流れた。
~~~~~~~~~~
続いては筆記試験。
道徳の授業内容を問うとのことだったが、そこまで難しい問題は出題されていない。
しっかりと復習した者ならば、少なくとも9割は堅い。恐らく満点も続出するだろう。
凡ミスがないか隅々までチェックし、しっかりと満点を取っておく。
そして最後が自己紹介スピーチ。
少し緊張して数か所詰まりかけたが、声はしっかり張ったし、内容も大丈夫のはず。まあ、及第点だな。
「ふぃー、終わったー……」
「お疲れ」
「おう。どうだった?」
「わかんねえけど、失敗はしなかったぜ」
「俺も多分大丈夫だ」
試験終了後の自由時間。部屋に戻った俺たちのグループは、互いにねぎらいの言葉をかけあいながら、ストーブの近くに集まって暖を取りつつ、のんびりまったり過ごしていた。
「あとはスキーだけか」
「そうだな。頑張ろうぜ」
「ああ」
俺はできるだけ体力を温存しておくために、ストーブを離れてベッドで横になった。
もちろん寝落ちすることのないよう、注意しながら。
少し藤閉じつつ、藤野から言われたことについて考える。
里中、宮平、太田の特性の把握。
まあ正直言って、この数日間でわかることなんて限られてる。
しかも今回、この3人は何かを企んで動いているわけじゃないからな。
里中はリーダーシップがあるわけじゃないが、物腰が柔らかく、だれとでも仲良くやれるタイプだろう。あと単純に顔面偏差値が高い。
宮平は、タイプ的には柴田と似ていて、割と積極的に話しかけていく傾向がある。相手の性格によって合う合わないは分かれそうだ。クラスカースト的には賑やかなグループに属しているタイプだな。
そしてこの里中と宮平の二人は、たまに俺に含みを持たせた目線を向けていた。俺には気づかれないようにしていたみたいだが。
恐らく、藤野の味方に付いている他クラスの生徒が俺だということに感づいているからだろう。
それに対し、残りの太田にはその気配が全くなかった。
太田はグループの輪には加わっているものの、物静かで口数が少なく、寡黙なタイプだ。ただしコミュニケーション能力は低くない。
まあ、俺の3人に対する評価はこんなもんだ。
もし藤野がこれ以上の分析を俺に期待していたとしたら、それは俺を過大評価し過ぎってことだな。
~~~~~~~~~~
そしていよいよやってきた、スキーの最終タイム計測。
当然ながら、生徒たちの表情から緊張感は抜けていない。「いよいよだなー」とか、「緊張するぜ……」などの話し声があちらこちらから聞こえてくる。
これが終われば、あとは結果発表を残すのみ。正真正銘最後の最後だ。
ちなみにだが、タイム計測は男女別のコースで同時に行われるため、女子はここから200mほど遠方で待機している。
「ではこれより、1年生の最後のタイム計測を行う。喜ばしいことに、全学年、男女ともに全員が昨日までに『基礎コース』を抜け、この計測に参加することが叶った」
おお、やっぱり全員『基礎コース』を卒業できたか。
やはりプロの講師の力はとんでもないってことだな。十日足らずで素人全員を滑れるようにするなんて。
……となると、松下も参加してるのか。
ここで無理して、怪我が悪化しなければいいが……
「ルールは各自把握していると思うので、説明しなおすことはしない。準備体操も事前に済ませるよう指示していたはずだ。なので早速計測に入る。全員小グループごとに、滑走順になって並べ」
そう指示が飛ぶと、各グループごとに集まり始め、やがて8つの列が完成する。
俺たちの隣には啓誠のグループが並んでおり、俺の横には、滑走順が同じである高円寺がいた。
相変わらず何を考えているかわからない、されど自信に満ちた薄笑いを浮かべている。
あと間近で見ると体感するが、こいつマジでデカいな。
身長もさることながら、レンタルのスキー用ウェアの上からでも、ボコボコとした筋肉が浮き出ているのがわかる。
筋骨隆々といえば須藤もそうだが、高円寺のは須藤とは質が違う。
須藤のはスポーツマンの筋肉。大して高円寺のは、スポーツマンというよりもボディビルダーのそれに近い気がする。もちろん、高円寺の運動神経は須藤をはるかに上回るんだろうけど。
……なんで俺は須藤と高円寺の肉体について頭を回してるんだ。疲れてんのか?疲れてんだろうな。
「では、スターターは前に出て、この赤いライン上に並ぶように」
先頭に並んだ8人の生徒が、指示の通りに整列する。その中には見知った顔も何人か確認できた。
よく見ると、赤いラインは直線ではなく、少しカーブしていた。
恐らく、インコースを中心とした円周の一部だろう。
こうすることによって、スターター全員のインコースまでの距離は等しくなり、道具をつけ、インコースにたどり着くのが一番早かった人がインコースを取ることができる。
位置により不公平が生まれないルールだ。
「では、私がこの赤い旗を下げたらスタートしろ」
今までよりいっそう強い緊張が全員に走る。
「いくぞ……スタート!」
コールと同時に一斉にガチャガチャと鳴る音。スターターが道具をつけ、コースへと駆ける。
「よっしゃ1位スタート!」
「くそ、5位か!頑張れ!」
生徒たちが整列している場所には、様々な声援が飛び交う。
他クラスの生徒を応援するなんて、この学校ではたぶん初めての経験なんじゃないだろうか。
まあでも、応援するのは当たり前か。
「報酬がかかってるしな……」
もちろん、すべてがポイントのためとは言わない。
チームワークというか、仲間意識のようなものが、この十日足らずの合宿のうちに芽生えていることも否定はしない。だが、もしこの合宿がなんの報酬もない、文字通り「タダ」の合宿だったら、他クラスのメンバー間でこのようなチームワークも生まれなかっただろう。
この学校の性質上、わざわざ他クラスと力を合わせる義理はないからな。
「お、順位一つ上がってるぞ!」
「よし、このままいけぇ!」
このような声援を送っていても、日付が変わればまた敵同士となる存在だ。
中途半端に芽生えた仲間意識が、この先変な方向に作用しないといいんだがな。
スタートから20分と少しが経過したころ、各チーム5番滑走者がスタートしていく。
始め4位スタートだった俺たちだが、順位を落とし、現在7位だ。
「……そろそろか」
少し体を温めるために、手首足首を動かしたりする。
……いや、正確には緊張を紛らわすため、だな。
6番滑走者が全員スタートしたのを見計らって、俺も待機スペースへと移動する。
なんの偶然か、ここでも隣になったのは高円寺だった。
運がいいのか悪いのか……いやよくはないか。
まあせっかくなので、一つ気になることを質問してみた。
「高円寺、一つ聞いていいか」
「何かな?スマートボーイ」
……いや、我慢しろ。突っ込むな。この変なあだ名に突っ込んだら負けだ。
「どうしてスキーは手を抜かないんだ?」
こいつは本当に気まぐれで動く。
水泳の初授業のとき、こいつは本気で泳いでいた。
しかし体育祭では「体調不良」といって全競技に不参加だった。
そしてこの合宿のスキーは本気。
「君ならば、答えは言わずともわかっていると思うのだがねえ。当然、ただの気まぐれさ。だが、ウィンタースポーツに興じる私は美しいだろう?」
「……まあ、そうかもしれないな」
美しいかはともかくとして、すごいのは間違いない。
まあ、結局気まぐれで動くってことだ、こいつは。聞くだけ無駄だったな。
「では、私からも一つ質問して構わないだろうか」
「……なんだよ」
こいつは自分に絶対の自信を持っているから、疑問を持ったとしても、勝手に答えを出して自己完結して終わりだと思っていたが。
そんな俺ののんきな考えを粉砕する言葉を、高円寺は投げかけてきた。
「君は、スキーの経験者だろう?」
……。
「……それは変だな。俺は最初、『基礎コース』でやってたんはずなんだけど?」
「残念ながら、君がどのような言葉を弄しようとも、私がそう思った以上、それが事実であることは揺るぎない」
……質問とか言いながら、これじゃ尋問じゃないかよ。いや、そもそも問いにすらなってない。
「それに、私だけじゃないさ。講師としてきているプロフェッショナルの方々の中にも、君が経験者であることに勘づいていた人物は1人や2人じゃないだろうねえ」
「……俺は今までも本気だったぞ?」
「私の目は誤魔化せないさ。君は必死で道化を演じてたようだが、滑りのリズム、オーラ、あれはビギナーのものではない。君は本気でやっていたというが、それは『本気で初心者のフリをしていた』ということだろう?」
はあ……参ったな。
「だが、今更このことを暴露されたところで、君にとっては痛くもかゆくもないのだろう?君は今から、文字通り『本気で』滑るのだからね。君は私に感謝こそすれ、恨む筋合いはないということさ」
おお……そこまでお見通しか。
さすが、船上試験で優待者を見破った観察眼、洞察力は化け物級だな。
感謝しろってのは、もっと早いタイミングで暴露することもできたんだぞってことか。
「俺が醜いか?」
「ふふ。安心したまえ。そんなことはないさ。いまこのように君に質問をしているのも、単なる私の気まぐれ。気を悪くしないでくれたまえ。そもそも私は君に対して『醜い』と思うほどの興味を抱いていない。それに、君のように欲望に忠実な人間は嫌いじゃないよ」
「……ああ、そりゃどうも」
「そろそろ私の出番のようだ。では健闘を祈るよ、スマートボーイ」
「ああ……そっちこそ頑張ってくれ」
そんな俺の言葉を、高円寺は右から左に聞き流しただろう。
「……はあ」
ものすごいスピードでスタートする高円寺を、俺は恨めしそうに見つめた。
なんか、ペース乱されちまったな。「気まぐれ」で高円寺に質問なんてするもんじゃなかった。
ただ、おかげ様で緊張は解けた。
「速野、頼む!」
先ほどと順位は変わらず、7位できた日下が俺の手に触れる。それと同時に俺は思いっきりストックで雪を蹴って、猛スピードでスタートした。
直後に、俺の数秒前に緩いスタートを切った1人を追い抜き、まずは6位。そして50mほど進んだところでもう1人を追い抜いて、順位を5位に上げた。
「は!?」
追い抜かれた生徒が驚愕の声を上げるが、そんなこと気にしてはいられない。
とにかく加速だ。
さらに風向を読み、できるだけ空気抵抗が小さくなるように姿勢を維持する。
そしてストックを思いっきり振りぬいてスピードを生み出し、前の滑走者を追い抜いていく。現在4位。
まさか、この学校に入ってスキーをやることになるなんてな。想像もしてなかった。
小学4年生のときまで、俺はスキーのクラブに入っていた。
そして中学3年生の時に、スキー場の近くに引っ越したから、もう一回スキーを始めた。
だから、こうして本気でスキーをやるのは10か月ぶりくらいだ。
スピードに乗って、次々と走者を追い抜いていくこの感じ。
まるで体育祭のときの清隆だ。
といっても、俺とそれ以外の間に、体育祭のときの周りと清隆ぐらいの差はない。
俺は経験者だから、早く滑れるコツを知ってるだけ。
そして速いスピードに恐怖を感じないだけ。
委縮せず、ストックを思いっきり振れるだけ。
ただそれだけのこと。
経験者の中では、俺は速くないどころか、かなり遅い方だ。
だが、例えば球技大会では、その球技の部活に入っている生徒は、たとえ控え選手でも活躍する。
それと同じことが、いまスキーで起こっているだけだ。
最後にもう一人追い抜いて、俺は順位を3位まで上げた。
待機スペースが見えてきたので、スキー板を八の字にしてスピードを緩め、次にスキー板を進行方向に向かって直角にして急停止させる。
「は、速野!? ちょ、おま、速すぎないか!?」
「次は頼んだぞ」
「え!? あ、お、おう!」
宮平は驚きを見せながらも、遅れまいとすぐにスタートした。
滑り終わった生徒は、邪魔にならないようにすぐにどかなければならない。
外したスキー板を持って、整列場所に戻る。
「……きっつ」
やっぱり、全力で800メートル滑るのはかなり疲れるな……特に腕の疲労が半端じゃない。
「お、おい、どうなってるんだ速野?」
「なんでそんなに速く滑れるのに、今までそうしなかったんだ?」
「ていうか、もしかしてお前、スキー経験者なのか?」
俺が戻ってくると、当然ながらグループのメンバーから質問攻めを受ける。
メンバー以外からも奇異の視線をたくさん浴びた。
多分こうなるだろうなーとは初日のバス車内でも思ってたけど、やっぱこんだけ注目されるの慣れてないんだよな。だからそんなにたくさん視線送ってくんなよ。溶けちゃうだろ。俺が。
体育祭のときの清隆の気持ちが少しわかった。
「あー……そこらへんは後で話すから、とりあえず今はレース見ようぜ」
「ま、まあそうだな……お、宮平が3位で戻ってきたぞ!」
「ほんとだ!頑張れー!」
その後、俺たちのグループはそのまま順位をキープし、3位でゴールした。
しかし、レースが終わってからも俺は視線を浴び続け、正直居心地はめちゃくちゃ悪かった。
だが、やるべきことは全力でやった。
高円寺の言う通り、最初は全力で初心者のフリをし、そして最後は全力で滑った。
あとは、もう運を天に任せることしかできない。
読者の皆様の中には、主人公がスキー経験者だと勘付かれていた方もいらっしゃったかもしれませんね……
文中でも言及している通り、体育祭の綾小路とほぼ同じような展開になりましたが、綾小路が純粋に堀北兄と対決したかっただけ(多分)なのに対し、この作品の主人公は、それとは全然違う理由でこんなことをしました。
では、また次話もお楽しみに!
お気に入り&感想&評価をくださると、作者はとってもに喜びます!ぜひよろしくお願いします!
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ep.68
この合宿中、全体集合の場では、常に緊張感が漂っていた。
しかしカリキュラムがすべて終了した今は、もうその糸は切れ、今度は10日間もの合宿による疲労感が体育館全体を包んでいた。
いよいよ運命の結果発表だ。
場所は本棟体育館。男子は距離的に近かったため先に集まり、その数分後に女子が集まった。
全員荷物を持って集合している。
「大丈夫だと思ってても、やっぱりいざ結果発表となると怖いな……」
「自信もっていいと思うぞ柴田。お前がまとめてくれたおかげでスムーズに試験が進んだんだ。ありがとう」
「あ、ああ。こちらこそ」
そういって、柴田と宮平が握手を交わした。
確かに。もし小グループができた最初のタイミングで、柴田が責任者として名乗りを上げていなかったら、大きな混乱は生まれないまでも、ここまで足並みがきれいに揃うことはなかっただろうな。
俺も柴田には感謝している。
俺が入ったのがこのグループでほんとによかった。
全員が集まったことが確認できたところで、初老の男性が前に出て、マイクを握った。
いよいよか。
「10日間の林間学校での生活、皆さんお疲れさまでした。この林間学校での特別試験は、数年に一度のペースで行われています。試験内容に違いはありますが、今回は、前回よりも評価の高い内容となりました。皆さんのチームワークの賜物でしょう」
この男性は、林間学校の施設内で何度か見かけたことがある。
ここを取り仕切っている人物なのだろう。
「発表する結果は主に2つ。スキーのタイム計測の報酬と試験の結果であることは、皆さんもご承知の通りでしょう。まず初めに、スキーの方から発表していきます」
そういうと、職員が生徒全員に行き渡るように、各列の先頭に人数分の資料を配布する。
「皆さんには諸事情により、スキーの報酬の基準が発表されていませんでした。この資料に、1つめの報酬の基準と、報酬の内容が書かれています」
俺にとっては、ここが一番緊張する瞬間だ。
心拍数は跳ね上がる。冬なのに、少し暑く感じてきた。
俺がわざわざ『基礎コース』に居座ったという行為は、意味のあることだったのか、それとも無駄だったのか。
「皆さんは、2日目に初めてあったスキー演習の時間から、1日も欠かさず、計9回のタイム計測を行ってきました。まずはそのタイムすべてを合計し、速い順に順位をつけていきました」
配られた資料にはこうある。
スキータイム計測 グループ報酬基準①
学年別、小グループごとに、計測した計9回のタイムを合計し、その合計値が少ない順に1位~8位まで順位をつける。
具体的な報酬の内容を以下に記す。
1位 プライベートポイント1万、クラスポイント5
2位 プライベートポイント5000、クラスポイント3
3位 プライベートポイント2000、クラスポイント1
4位 プライベートポイント1000
5位 報酬なし
以上を、所属グループのメンバー全員に支給する。
6位 プライベートポイント5000、クラスポイント2
7位 プライベートポイント7000、クラスポイント4
8位 プライベートポイント12000、クラスポイント6
以上を、所属グループのメンバー全員から没収する。
「え、最終日だけじゃないんですか!?」
多くの生徒は、その点に驚きを隠せない。
「はい。タイム計測は最初から最後まで、本番扱いだったということです」
「マジかよ……」
バスの中行われた、試験に関する説明の言い回しを思い出してみればわかる。
茶柱先生は「タイムにより算出する」としか言っていない。
多くの人は「最終日に合宿の試験が行われる」という説明につられて、「スキーに関しても、最終日のタイムで報酬が決まる」という先入観を抱いていたが、誰もそんなことは言っていないわけだ。
「では1年生の部から、この報酬基準に基づいた順位を発表します。なお、読み上げる際には、小グループの責任者の名前のみを読み上げます」
恐らく俺たちのグループは、この採点基準では、あまり高い順位はとれていないだろう。
「1位、幸村輝彦くんのグループ」
まあ、1位の予想はほとんど全員ついていただろう。
本気を出した高円寺の存在は、この上なく大きいということだ。正確なタイムはわからないが、あの速さなら800メートル1分台だろ多分。
名前を呼ばれた啓誠のグループだが、その反応は1位を取った割に微妙なものだった。
それもそうか。合宿で掃除すらせず、グループがまとまらない理由の一環である高円寺がスキーで活躍したという事実を、素直に喜ぶことはできないだろう。
「2位、葛城康平くんのグループ」
次いで呼ばれたのは、Aクラス9人が固まったグループだ。
Aクラスはこの1グループだけで、27ものクラスポイントを稼ぎだしたということだ。Aクラスの采配は的中したといっていい。
その後も次々に順位が発表されていく。
俺たちのグループは、6位という順位に終わった。
マイナス報酬だ。
「あー、やっぱりマイナス行っちゃったか……」
この順位に関しては、間違いなく俺のせいだ。
最初から俺が本気でやっていれば、少なくともマイナスなんてことにはならなかったはず。
「とりあえず、申し訳ない……」
「いや、いいんだよ。速野は速野で考えてやったことなんだ」
「悪いな」
グループのメンバーには、俺が最初に『基礎コース』にいた理由をすでに説明した。
柴田はそう言ってくれるが、もしこのグループが平均点を割るようなことがあれば……俺は間違いなく道連れ第一候補だろうな。スキーもそうだし、俺は座禅でも点数をしょっ引かれてるはずだ。
もちろん、試験で最下位をとるようなことはないとは思うが。ましてやこのグループなら、平均点のボーダーを割るなんてことは確実にないはずだ。
「では次に、この報酬基準に従った個人順位も発表します」
「こ、個人順位!?」
「そんなのがあるのか!?」
どんどん剥がされていく、スキー報酬のベール。
想像していたものと大きく異なるその姿に、生徒の多くは狼狽している。
これに関しては、さっきより一回り小さいサイズの資料が配布された。
スキータイム計測 個人報酬基準①
先ほど配布された資料に記載された報酬基準に則り、男女別、学年無差別で個人の順位をつける。
具体的な報酬の内容を以下に記す。
1位 プライベートポイント50万、クラスポイント15
2位 プライベートポイント30万、クラスポイント10
3位 プライベートポイント10万、クラスポイント5
4位 プライベートポイント5万、クラスポイント3
5位 プライベートポイント2万、クラスポイント1
以上を支給する。
ワースト3位 プライベートポイント3万、クラスポイント5
ワースト2位 プライベートポイント8万、クラスポイント10
ワースト1位 プライベートポイント10万、クラスポイント15
以上を没収する。
なるほど。プラスにしてもマイナスにしても、かなり高額な報酬だ。
「ここでは1位から5位までの生徒を発表します。1位、1年Cクラス、高円寺六助くん」
これに関しても、先ほどと同様驚きは全くない。
本人はそのつもりはないだろうが、今回は高円寺がかなりクラスに貢献した形となっている。
「堀北先輩、タイムをお互いに開示しましょうよ。どちらが速かったか。こっちは初日から最終日まで記録してますけど、そっちはどうですか?」
「俺も記録している。問題はない」
ああ、そういえば、こっちも勝負に含まれてたな。
にしても、初日から最終日までばっちり記録していたということは、2人とも、タイム計測は全て採点に含まれるって可能性を考慮してたってことか。
この辺りは、やはりさすがといったところだな。
「俺の勝ちのようだな、南雲」
堀北先輩が勝利を宣言すると、3年生の一部からは歓声が上がる。
「どうやら、スキーでは俺の負けのようですね。さすがです、堀北先輩」
言葉ではそういう南雲会長だが、表情からは悔しさが微塵も見て取れない。
それはポーカーフェイスが上手いからとかではなく、単に悔しくないからだろうけどな。
「以上で、始めの採点基準による順位の発表を終わります」
その言い回しに、多くの生徒は疑問を覚え、体育館中がざわつく。
「始めの」ということはつまり、次の採点基準があるということなのだから。
「続いての報酬基準を発表します。これに関しても資料を配布しますので、確認してください。こちらの方も、小グループと個人の2パターンの報酬がありますが、今度は2つの報酬が、表裏で1枚になって掲載されています」
資料が配られていくと、前の方から後ろの方へと、ざわめきの波が伝わっていく。
そして俺の手元に資料がきたとき。
「……っっしゃあっ」
思わず俺はガッツポーズをしてしまった。
「は、速野、お前すげえよ!」
「全部お前の読み通りじゃねえか!」
「よかった……マジで……」
資料にはこう書いてあった。
スキータイム計測 グループ報酬基準②
学年別、小グループごとに、最終日と初日のタイムを比較し、タイムの成長幅が大きい順に1位~8位まで順位をつける。
具体的な報酬の内容を以下に示す。
1位 プライベートポイント1万5000、クラスポイント9
2位 プライベートポイント1万、クラスポイント6
3位 プライベートポイント5000、クラスポイント3
4位 変動なし
以上を、所属グループのメンバー全員に支給する。
5位 プライベートポイント2000、クラスポイント1
6位 プライベートポイント8000、クラスポイント4
7位 プライベートポイント1万5000、クラスポイント7
8位 プライベートポイント2万、クラスポイント10
以上を、所属グループのメンバー全員から没収する。
スキータイム計測 個人報酬基準②
オモテ面の報酬基準に則り、男女別、学年無差別で個人の順位をつける。
具体的な報酬の内容を以下に示す。
1位 プライベートポイント100万、クラスポイント30
2位 プライベートポイント50万、クラスポイント15
3位 プライベートポイント25万、クラスポイント10
4位 プライベートポイント10万、クラスポイント5
5位 プライベートポイント5万、クラスポイント3
以上を支給する。
ワースト3位 プライベートポイント10万、クラスポイント10
ワースト2位 プライベートポイント20万、クラスポイント15
ワースト3位 プライベートポイント30万、クラスポイント25
以上を没収する。
「では、まずは1年男子小グループから発表していきます。1位は……柴田颯くんのグループ」
そう発表された瞬間、俺の前後から喜びの声が発せられる。
「よっしゃ!」
「完全にさっきのマイナス報酬チャラにだぜ!」
「マジですげえよ速野!」
「いや、だから提案者は俺じゃなくてだな……」
「関係ねえよそんなの!」
はあ……とりあえず、よかったよかった。
俺が賭けた可能性が、最高の形で実現した。
賭けに勝ったのだ。
「では次に、先ほどと同じく1位から5位の生徒を発表します。1位は……1年Cクラス、速野知幸くん」
俺のやっていたことが、完全に実った瞬間だった。
では、そもそもなんで俺が、知らされてもいない「タイム成長順」という順位付けの存在を予測することができたのか。
これも先ほどと同じ、バス車内での先生の説明がカギだ。
スキーについての茶柱先生の説明を要約すると、「スキー演習については、学校側も生徒が楽しむことを目的として日程を組んだ面はある。しかし、これもまた、今回の特別試験のテーマに沿って行われるテストの一環である。そして報酬はタイムにより決定する」となる。
ここから読み取れることは、スキーはエンタメ目的というだけではなく、通常試験と独立してはいるものの、特別試験のテーマに沿ったテストの一環ではあること。
最重要なのは「テストの一環」というところ……ではなく、「特別試験のテーマに沿った」という部分だ。
この部分から、スキーには特別試験のテーマに沿った採点基準が採用されているだろう、という予測がたつ。
そして今回の特別試験のテーマとは……「成長」だ。
これらすべてを組み合わせると、「スキー試験では、生徒たちのタイムの成長を見る」という文が浮かび上がってくる。
「テーマに沿って行われる試験」という言葉の意味を深く考える人はそう多くはいないだろう。試験はふつう、テーマに沿って行われるものなのだから。逆にテーマに沿っていない試験というのは変だ。だから多くの人は「まあ当たり前だよな」で流してしまうのだ。
恐らくだが学校側は、俺のように謎解きをしてほしかったわけではないだろう。純粋に生徒の成長度合いを見たかったはずだ。
しかし採点基準を公表してしまえば、恐らく全学年全クラスが、俺と同じようなことをするだろう。それではしっかりとした観測ができない。だから学校側はそれを防ぐために、採点基準を公表しなかった。
しかし、ここで一つ疑問が残る。
学校側にそのような狙いがあったのならば、どうして茶柱先生は「テーマに沿って行われる」なんて説明の仕方をしたのか。
少し頭が回る人なら、あのセリフによってこの程度のからくりに気づくことはできるはずだ。
少なくとも坂柳、南雲会長、堀北先輩あたりは気づいてもおかしくない。もしかしたら、それ以外にも気づく人が出てくるかもしれない。
そんな危険性がありながら、どうしてそんなことをしたのか。
……これは俺の勝手な予想だが、このセリフは学校側の方針ではなく、茶柱先生が勝手に繰り出した策略なのではないだろうか。
先ほどから言っているように、もし「テーマに沿って行われる」というセリフがあったなら、坂柳、南雲会長、堀北先輩がそろいもそろって気づかないのはおかしい。あの3人の頭脳はそんなレベルではないだろう。
対して、俺が仮に「テーマに沿って行われる」との説明を受けていなかったら、恐らくは気づけていない。
しかし実際はどうだ。
坂柳は恐らく気づいていない。さっきグループのメンバーに(念のため「テーマに沿って行われる」と説明があったことはぼかして)説明した時に見せた里中、宮平、太田の反応は、間違いないく初めて聞いた時のそれだった。
南雲会長も堀北先輩も、この結果を見る限り気づいてはいないらしい。気づいていたとすれば、俺が1位を取れるはずはない。
このおかしな状況を説明できる仮説は、ただ1つ。
あのセリフは俺にだけ伝えられていて、他には伝えられていなかった、という場合。
すなわち、「テーマに沿って行われる試験」という言い回しで説明が行われたのは、1年Cクラスだけだった、ということだ。
もちろん、茶柱先生もルールの穴をついてやったことだろう。
そうだとしても、これが非常に危険な綱渡りであることには違いない。
だが茶柱先生は、Aクラスに上がりたいがために、清隆に脅しをかけるような人物だ。そのくらいのリスクを冒していても何ら不思議じゃない。
もし俺の仮説が正しいとすれば、俺は今回、茶柱先生にうまく利用されたことになる。
だが、別にそこはどうでもいい。
利用されたのが気に入らないとか、そんな感情はない。
結果として、俺は100万ポイントを手にした。
利用されていようがいまいが、その事実さえあれば十分だ。
さて。
そういえば、俺が勝手に仮説を立てていたことがもう一つあったな。
堀北先輩と南雲会長の対決について。
そろそろその結果が出るころだ。
「では続いて、試験結果の大グループの順位を発表します。読み上げる際には、3年生グループの責任者のみを読み上げます。また、先に結果に触れることにはなりますが、男子全員、退学者を出さずに試験を乗り切ることができました。おめでとうございます」
そう発表されると同時に、男子からは安堵の声が漏れる。
「退学なしだってよ」
「ああ、よかった」
……いや、よくないんじゃないか。
なんでこの初老の男性は「男子」に限定した?
「では、まず男子総合1位は……3年Cクラス、二宮倉之助くんのグループです」
直後、先ほどと同じく、3年Aクラスの方から歓声が上がる。
それによって、この大グループは堀北先輩の属するグループであることがわかる。
つまり堀北先輩と南雲会長の勝負は、スキーでも試験でも、堀北先輩の勝ちだ。
「やったな堀北。勝ちだぜ」
その後、2位から8位までの順位が発表される。
そして南雲会長のいたグループは、2位という結果だった。
惜しくはあるが、負けは負けだ。この点は南雲会長も認めるしかない。
ちなみに、俺たちは4位という結果に終わった。
「こっちでも勝てませんでしたか。やっぱりさすがですね、堀北先輩」
そういいながらも、南雲会長の表情は、やはり全く悔しそうではない。
「お前の負けだな、南雲」
藤巻先輩が南雲会長に向かってそういい放つ。
「そうですかね。まだ発表は始まったばかりですよ」
「悪あがきはよせ。決着はついた」
「ええ、確かにつきました。男子の方は」
南雲会長がそう言った瞬間に、俺の仮説は確信に変わった。
「男子の方は?何を言ってる。女子は関係ない」
「ええ。関係ありませんよ。この勝負にはね」
気づくと、堀北先輩も深刻な顔をして、南雲会長を見つめている。
大多数の生徒たちは、そんなことに気づくこともなく、女子の上位グループ発表で盛り上がっている。
しかしそんな中、男性から、ある一言が告げられる。
「えー、大変残念なことではございますが……女子の方から、平均点のボーダーを割る小グループが、1つ出てしまいました」
やはり。
先ほどの発表のときに「男子」とわざわざ限定したのは、女子からは退学者が出ることが確定していたからだ。
さっきまでの喧騒はどこへやら。
体育館は一気に静まり返る。
「女子の最下位のグループは、3年Bクラス、猪狩桃子さんのグループです。そしてボーダーを割ってしまったグループは……」
大勢の生徒の緊張。
堀北先輩、藤巻先輩の不安。
そして南雲会長の怪しげな笑み。
「……同じく3年Bクラス、猪狩桃子さんの小グループです。これで混合合宿の結果発表を終わります」
「何をしたんだ南雲!」
発表の直後、藤巻先輩が南雲会長に詰め寄る。
もはやその後の流れを見なくてもわかる。
最下位を取り、且つボーダーを下回った猪狩グループ。
そのメンバーには十中八九、橘先輩が入っている。
そして責任者である猪狩先輩は、連帯責任の道連れとして、橘先輩を指名する。
ここまですべて、南雲会長の思惑通りだ。
涙を流す橘先輩。
その横にかけつけた堀北先輩の表情は、後悔に歪んでいく。
どうしてもっと早く報告しなかったんだと、そんなことを言っているのだろうか。
初めて見たな。あんなに感情を露にするあの人は。
「どうですか橘先輩。今の気持ちは。生徒会役員として会期を全うし、Aクラスでの卒業間近で退学していく今の気持ちは?そして堀北先輩もどうですか?きっと、今までにない苛立ちを感じてるんじゃないすか?」
さらに挑発するような言動を繰り広げる南雲会長。
「方針こそ違っていたが、俺はお前に信頼を寄せていた。だが、すべて俺の勘違いだったようだな」
「信頼は生まれていくものでもあるし、作ることのできるものでもあります。俺は生徒会に入って1年間、方針は違っても、あなたとの信頼関係を作り上げてきました。ですがきっと、あなたも俺のことを10割信頼していたわけではないでしょう。……しかし、たとえ疑ったとしても、全生徒の手本であり、見本である堀北先輩が、後輩である俺を先に裏切るわけにはいかない」
「たった一度の好奇心で、大きなものを失ったぞ、南雲」
「失ったんじゃなくこっちから捨てたんですよ。先輩とすべてを取っ払って勝負してほしいという俺の思いを、わかっていただくために」
……なるほど。
堀北先輩がこの策に関してなんの対策も取らなかったのは、取る必要がないと感じていたと同時に、プライドが邪魔して、取ることもできなかったのか。
いや、それでもできる限りは尽くしたんだろう。
しかし、南雲会長の悪意はそれを上回った。
「お前は橘が退学する前提で話を進めているようだが、勘違いするな」
「へえ、まさかあの大量のポイントを吐き出すんですか?この時期に。Aクラスの椅子を明け渡すお膳立てと同義ですよ?」
「これまで3年間、Aクラスがクラスとして機能できた理由を、クラスメイトはよく理解している」
「そうですか。ま、それもそれでいいんじゃないスかね」
そのやり取りを見届けて、俺はクラスのところに行く前に、教師の許可を取ってトイレに行った。
便意はなかったが、この後に予測されるクラスメイトからの質問攻めを避けるためだ。
俺はあの策略のことを、ただ一人、平田だけにはメールで伝えていた。
そうすればたとえ成功しても失敗しても、クラスメイトへの対応は全て、平田が上手くまとめあげてくれるだろうと踏んだからだ。
まあ、結果的に成功だったし、そのあたりは問題ないだろう。
最後に、各クラスのポイント変動だけ見て、この混合合宿の幕を閉じるとしよう。
Aクラス -13ポイント
Bクラス -11ポイント
Cクラス +59ポイント
Dクラス -23ポイント
正直主人公にポイントあげすぎかとも思ったんですが、船上試験では優待者に100万ポイント上げるって制度もあったし、まあいいやと思ってこうしました。後悔はしていない。
やっぱりこの程度のからくりなら、作中で挙げてる坂柳、南雲、堀北兄の3人は気づいてきますよね。
書いてる途中で気づかないのは不自然だなと思ったんで、最後は茶柱を悪者にして片付けました。見切り発車だとこういうことが結構起こります。
次は9巻分ですが、短い番外編も書くかもしれません。どちらにせよよろしくお願いします!
お気に入り登録、感想、評価をいただけると、作者が狂喜乱舞します!ぜひよろしくお願いします!
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第9巻
ep.69
9巻分です。
「へえ、軽井沢と平田、別れたのか」
Cクラスの教室に入ってすぐ、堀北からそんなビッグニュースを耳にした。
堀北の隣に座る清隆も、それを聞いて「へえ」と反応する。
興味あるんだかないんだか。
「どっちが振ったんだ?」
「どうやら軽井沢さんの方らしいわね。……というか、あなたたちは平田くんや軽井沢さんと関りがあるみたいだし、知っていたんじゃないの?」
「んなわけないだろ」
俺はもちろん知らなかったが、多分清隆は知ってただろうな。軽井沢が自分で言ってそう。
知ってるか堀北。清隆と軽井沢は、関わりのある人同士、なんて言葉じゃ片付かない、ただならぬ関係なんだぜ……
しかも、だ。最近の軽井沢の動きを注視してみると、若干清隆に惚れてる節がある。
清隆はそれに気づいてるのか知らないが。
そういえば、自分と軽井沢の関係が俺にバレてること、清隆は気づいてるんだろうか。
……気づかれるタイミングはなかったとは思うんだが、気づいてそうだよなあ……
というか清隆の場合、俺がこいつと軽井沢の関係に気づくことも勘定に入れて動いてそうだ。
にしてもそうか。軽井沢が振ったか。
平田の彼女、というのは一種のステータスでもあるはずだが、それを自ら投げ捨てるとは。そんなに清隆が好きなのか。
まあそこらへんはどうでもいいか。
平田は清隆と軽井沢の関係を知っていたのか、とかいろいろ疑問は浮かんでくるが、そういうのは野暮、あるいは下種の勘繰りというやつだ。
軽井沢の周りにできているギャラリーも、ちゃんと引き際をわきまえ、根掘り葉掘り聞き出そうとしているわけではない。
軽井沢本人は明るい様子で「私もステップアップしようかなと思ってー」的なことを言っている。
振られた平田も、引きずっている様子はない。
真っ先にバカ騒ぎしそうな池や須藤も、会話の様子をうかがっているだけで、何か口を挟もうとする様子はない。
なるほど。先日の合宿は確かに「成長」をもたらしたのかもな。
「よう平田ー。お前軽井沢に振られたんだってー?ドンマイドンマイ!」
そう思った矢先のこれである。ちょっとため息が出てしまった。
平田をからかうような言葉を発したのは、他でもない山内。
Dクラス改め、Cクラスの3バカの中でも、山内だけは未だに成長の兆しが見られない。
……いつになったら一皮むけてくれんのかねえ。
「おいどうしたんだよ。お前らも平田を慰めてやろうぜ。イケメンが振られるなんて貴重だぞ?」
「やめろよ春樹。んな悪趣味な」
山内の行き過ぎた行動を池が止めるという、なんとも斬新なやりとりが繰り広げられていた。
ほんと、いつまでもこのままだといずれ退学になるぞ、あいつ。
「ねえ、そういえば……一之瀬さんについて、何か知ってる?」
急に、堀北がそんなことを言い始める。
「最近、彼女に対する誹謗中傷のようなものが、ずいぶんと増えた気がするのだけど」
「そうだな。ここで口にするのは躊躇われるくらいのやつもある」
「そうなのか?」
疑問を口にする清隆のために、その誹謗中傷の内容を具体例をノートに書きだす。
『薬物乱用歴がある』『援助交際を行っていた過去がある』『窃盗、強盗などの経験がある』『暴力沙汰を起こしたことがある』
これがもし全部本当であれば、一之瀬はヤク中のクソビッチということになるわけだが……
「まあ見ての通り、嘘としか思えないようなのばかりだ」
「人気者への妬みひがみ、とかじゃないのか?それかBクラスを崩したいための誰かの策略とか」
そう聞いて、真っ先に思い浮かべるのは坂柳だ。
藤野の話によれば、坂柳は一之瀬をターゲットにしているということだし。
「ただ、噂を立てて流すだけなら、罪には問えないからな」
「そんなことはないわ。名誉棄損罪は内容の真偽を問わず、公然、不特定多数に摘示した場合に成立する。訴えることは可能よ」
「ここが実社会なら、それでも通用するだろうな」
「……なるほどね」
ここは実社会ではなく、学校内。しかもここは普通の学校とは違って、かなりの閉鎖空間だ。
全校生徒約480人が多数といえるかどうかは議論の余地があるが、少なくとも「不特定」ではない。
「それで、それに関して一之瀬はなんていってるんだ?」
「知らないわよ。そんなに頻繁に話す仲ではないもの。それに下手に踏み込めば、私たちがやったんじゃないかと思われるかもしれないわ」
「まあ確かに、傍観しておくのが一番賢い選択だな」
「速野くんはどうなの? あなたと仲のいい藤野さんは合宿中、一之瀬さんとかなり親しくしていたようだけど」
「合宿中に一之瀬がつらそうにしてるってのは聞いたけど、それ以外は何も」
「そう……。確かに、今思えば少し疲弊していたかも。ただ、たとえ綾小路くんの言う通り、これが一之瀬さんやBクラスを貶めるためのものだったとしても、とても弱すぎる一手だと思わない?」
堀北の言う通りだ。
一之瀬がこの学校で築き上げてきた信頼は、悪質な嘘で簡単に崩れるものではない。与えられるダメージはわずかだ。むしろやった側が惨めなだけだろう。
「なら、戦略ミスか」
「そうね。ただ、火のないところに煙は立たない、とも言うわ」
「一之瀬が薬物や強盗を行ったことがあると?」
「さすがに全部はないでしょうけど、何か1つくらいは、事実も含まれているんじゃないかしら」
俺もそう思う。
だとしたらその一之瀬の秘密とやらが、いったいどこからAクラスに……いや、坂柳に漏れたのかってことだが……
そこらへんは、ちょっと想像がつかない。
「ところで話は変わるけれど、あなたいま何ポイント持っているの?」
「は?そんなこと聞いてどうするんだよ」
「単純な興味よ。別に答えたくなければ答えなくてもいいわ」
「いや、まあ別にいいんだけどさ」
端末を開いて数字を確認する。
「あー……大体160万ポイントぐらいだな」
「予想はしていたけれど……改めて聞くとすごい額ね」
「まあ、博打に勝ったみたいな感じだからな……」
この場では160万ポイントと言ったが、本当の俺の所持ポイントは460万ほどだ。残りの300万は、船上試験の際に俺に発行された仮IDの中に未だに入っている。
「あなたがスキー経験者だったなんて、意外だわ」
「まあ、少しだけな。スキー始めて一週間ちょっとの素人には負けないくらいの実力はある」
「それで、なぜ平田くんが経験者を募ったときに名乗り出なかったの?」
「混乱を防ぐためだ。平田本人も、後からこっそり報告するんでもいいって言ってたし」
「嘘ね。どうせ彼にクラスへの説明を押し付けるためでしょう?」
「……」
……合ってます。その通りです。
「まああなたの性格に問題があるのは置いておくにしても、賢明ではあるわね。あなたより、彼が説明したほうが波風が立ちにくいのは間違いないもの」
「そういうことだ」
事実、俺がトイレに逃げ込んでいた間に、平田はあの質問攻めの場を完璧に抑えてみせた。やっぱり餅は餅屋。
「本当に……あなたたちは底が見えないわ」
堀北は複雑な表情を浮かべながら、俺と清隆を交互に見やった。
「いや、オレたちより高円寺の方がよっぽど底が見えないだろ」
「同感だな。あいつはちょっとレベルが違う」
清隆はそういうが、清隆&高円寺と俺の間には越えられない壁があると思う。
高円寺が清隆に劣っているとは思えないし、清隆が高円寺に及ばない部分があるなんて想像もつかない。しかし俺は高円寺にも清隆にも全く及んでいない。
「高円寺くん……そうね。彼がスキーを本気でやったのもうれしい誤算ね。どういう風の吹きまわしかしら」
「ほんとはわかってんだろ。気分だ気分。あいつの場合、理由はそれで片付く」
「……やはりそうよね」
高円寺のことは考えるだけ無駄。
これはもはやCクラス全員の共通認識だが……
そうも言ってられないタイミングが、いつか堀北には来るんだろうかね。
~~~~~~~~~~
「茶柱先生」
授業終了後のホームルームを終え、教室を出ていこうとする茶柱先生を呼び止めた。
「なんだ。何か用か?」
「少し話がしたいので、応接室でお時間いただけませんか。あそこなら、誰かに話を聞かれる心配もないでしょうし」
「……わかった。来い」
俺は茶柱先生の2歩ほど後ろを歩いてついていく。
応接室に到着し、出入り口の手前側の席には俺が、奥側に茶柱先生が腰を下ろした。
「それで、なんの話だ」
「以前話した、学習部の対外試合の件です。調べていただけましたか」
茶柱先生は学習部の顧問。こういった部活関連の調査は顧問の仕事だ。
「なんだその話か……ああ。指定の方面の高校のうち、『クイズ研究会』や『謎解き研究会』、『勉強部』など、頭脳系部活動を有する高校だったな?」
「はい」
「ここにリストアップしておいた。場所に関しては自分で参照しろ」
「わかりました。ありがとうございます」
ざっと見た感じ20校弱くらいか……
クイズ研究部、クイズ研究会、数学部、生物部、テスト対策部、クイズ同好会等々……いろいろあるのな。この学校にはクイズ研究会と生物部があったっけ。
「速野。なぜ部活を作ったことを全員に秘密にしている?」
資料を眺めている中、茶柱先生がそんな質問を俺によこした。
「俺が全国模試で結果を出して、学校からポイント貰うための部活ですから。1人のほうが楽なんですよ。それに秘密って言っても、周りに話してないだけで、別に隠してるわけじゃないですし」
出身地と同じようなことだ。別に隠しているわけじゃないが、自ら進んで話すことでもない。
もちろん藤野には話してる。
だが藤野以外に話す相手と言えば、堀北、それに綾小路グループの面々ぐらい。
そうなると、堀北や啓誠が入る流れになる可能性があるのだ。
勿論、あの二人のことが嫌なわけではない。だが入るとなると、それは正直面倒くさい。
「大した自信だな」
「まあ、それだけの勉強量はこなしてきたんで」
正確には、勉強とバスケぐらいしかやることがなかった、だが。
俺がそうなった背景も、この学校なら当然把握していることだろう。
「隠し事と言えば、先生の方が多いでしょう。俺がスキーであんな報酬得られたの、先生の優しい説明のおかげだと思ってるんですけどね」
「……まあいい。それで、いつ対外試合をやるつもりだ?」
あ、流された。
この反応を見るに、「茶柱先生が、学校側が指定していたものとは違った言い回しでバス内でのスキーの説明を行った」という俺の仮説は当たっていたらしい。
さっきの「その話か……」って反応もそれを裏付けている。先生は、俺がこの部屋でスキーの話をすると思い込んでいたんだろう。
本人的にあまり言われたくないことのようだし、ひとまず俺もスルーの方向で。
「細かい日程はまだ……ただ、2週間から1か月以内には、やることになると思います。決まればまた連絡しますんで」
「そうか。わかっているとは思うが、早めに報告しろ。相手の学校も、急だと受けてくれない可能性がある」
「善処はします。日程が期末テスト期間と被るかもしれない件に関しては、学校側から許可が出たんですか」
「ああ。『学習部』の性質や活動内容、それにお前の成績を総合的に判断したうえでの、学校側の特別な措置だ」
「それは感謝ですね」
ただ日程に関しては、相手側の期末テスト日程や、学校への道のり等々、いろんな要素が絡んでくる。
それらを加味して、ベストな日程と相手を組まないとな。
「ところで、対外試合を行う場合、こちらから相手校に出向くことになりますけど、送迎の方は先生にお願いできるんですよね?」
「ああ、それはこちらが行う。一応言っておくが、高度育成高等学校において、部活の対外試合では、顧問の他に監視員を複数名連れていく決まりになっている。他校の生徒との交流をさせないためだ。だが学習部は部員数が極端に少ないため、例外的に同行者は私だけになる」
「……そうですか」
「まあ、助っ人を十人くらい連れていくなら話は別だが、お前がそんなに人数を集められるわけはないだろう?」
なんかむかつく言い方だ。事実だけど。
集められないし、集める必要もない。
「助っ人は2人を予定してますけど」
「誰を呼ぶかは決まっているのか?」
「1人は決まってます。もう1人は要交渉です」
助っ人としての参加が決まっている一人より、交渉が必要なもう一人の方が重要だ。
「もしそのもう一人の参加が無理だとなった場合、この対外試合の意味がなくなるので、中止になりますね」
「……これだけ調べさせておいて、勝手な奴だなお前は」
「俺が勝手に作った部活だし、いいじゃないですか」
「まったく……」
やれやれ、という様子の茶柱先生。
仕方ないだろ。ほんとに無意味になっちまうんだから。
~~~~~~~~~~
進路指導室を出た俺は、荷物を回収しに教室へ戻る。
「……確か、ショッピングモールのイートインで集まってるんだったっけ」
綾小路グループの集まり。
普段あまり参加率の高くない俺だが、今日はなんとなくそこへ行ってみようという気になっていた。
「あ、やっほー速野くん」
教室への道すがら、すれ違った人物。
「ああ……どうも」
Bクラス担任、星之宮先生である。
「大金持ちになった気分はどうかしら?」
「そうですね、さいこーです」
「教師からの質問に真剣に答えないのは感心しないぞー?」
「はは……すいません」
思わず干からびた笑いが出てしまった。
あんまりこの人と関わりたくないんだよ。
多分俺がそう思ってることも見越したうえで、こうやって絡んできてるんだと思うけど。
「でもそっか。速野くんが大金持ちになったのって、別に今に始まったことじゃないもんねー?そりゃ無感動なわけだね」
「何を言ってるのか理解できませんけど、100万ポイントに感動しないほど、俺の金銭感覚は狂ってませんよ」
星之宮先生が言っているのは、十中八九船上試験のことだろう。
誰がどれだけのポイントを得たか、教師ならば当然把握している。
だが、それは保護されるべき個人情報だ。だからこそ、学校側は仮IDの発行などの策を講じている。
それをこんな公衆の面前で言ってしまう。こういうところに、この人の人間性が滲み出ているような気がする。
「サエちゃんと何話してたの?」
なんでこの人俺と茶柱先生がさっきまで会ってたこと知ってんだよ。見てたの?まあいいや。
「日本史談義ですよ。九州説と近畿説に分かれる邪馬台国の所在地に関して、楽浪郡までの航路や、卑弥呼の墓と言われる纏向遺跡と関連付けながらですね……」
「つれないなー。なんで嘘ばっかりつくの?先生悲しいよぉ……シクシク」
……ウザい。
ただ星之宮先生のウザさは、この人をそこら辺の粗大ゴミだと思うことでいくらか軽減はされる。
それよりも嫌だったのは、通りすがる生徒がこっちを変な目で見てくることだった。
早くどっか行ってくれよ、という目を先生に向けていると、ふと腕時計を見て、焦ったようにつぶやいた。
「あ、もう会議行かなきゃ。じゃあね速野くん、またねー」
おー!マジか!やっと解放される!サンキュー職員会議!
手をひらひらと振りながら、職員室の方へと歩いていく星之宮先生。
俺はそれを無言で見送った。
「……はぁぁ」
先生の姿が見えなくなった瞬間、思わず大きなため息が漏れてしまう。
話すだけでどっと体力が奪われる。もはや特殊能力の域だ。体育祭開幕直前とかに「星之宮先生とお話」の時間を設けたら、多分パフォーマンスが50パーセントくらいダウンするだろう。
やっとこさ教室に戻ってきた。
しかし、安心したのも束の間。
「あ、速野くん来た来た」
「……?」
教室に入るとすぐ、櫛田が俺の名前を呼びながら手を振っているのが見えた。
その微笑みの表情からは、善意しか感じ取ることができない。
櫛田は俺のことをそれはそれは猛烈に嫌っているはずだが、それをおくびにも出さないから恐ろしいったらありゃしない。
ったく、入学したての頃に櫛田のことを藤野と似てるとか言ったやつ誰だよ。俺だよ。
「……何か用か?」
俺の発する声は、どこかうんざりしている感が否めない。
いや、櫛田単体でも割と神経使うのに、今回は星之宮先生とのコンボだぞ。俺の知る限り、話してて疲れるランキングツートップ。普通にヤバイ。
「うん。でも、用があるのは私じゃなくてね」
「え?」
櫛田の隣に目を向けると、そこにいたのは意外や意外、ほとんど絡んだこともない松下だった。
「松下?」
「うん。じゃあ、頑張ってね」
「う、うん」
そう言い残し、櫛田は荷物を持って教室を出ていった。
……よく考えてみると、今のやり取り、非常にわけのわからないものだったぞ。
なんで櫛田が松下にエールなんか送るんだ。
松下は松下で、なんか緊張した面持ちだし。俺と話すのそんなに勇気いることなの?
櫛田が現場からいなくなってしまい、残されたのは向かい合っている俺と松下の2人。
どちらからも口を開くことがないため、非常に気まずい沈黙の時間が流れる。
……この沈黙は、俺がコミュ障ってこととは関係ないよな……?
そもそも呼び止められたのは俺。つまり俺に用があるのは松下。ならば会話を主導すべきは松下のはず。なのに沈黙が流れているのはどう考えても松下が悪い。
マジで何の用なんだろう。スキーのときに助けたお礼、くらいしか思い当たる節はない。
とっとと話してくんないかなーと思っていると、ようやく松下が口を開いた。
「その、スキーの件、ありがとう。ほんとに助かった」
「え、ああ。怪我は大丈夫なのか」
「うん。翌日にはもう治ってたし」
「そうか。それは何よりだ」
やっぱりこの件か。そりゃそうだ。
「それで、ってわけじゃないんだけど……連絡先、教えてくれない?」
「……はい?」
え、わからん。全くわからん。
「……なぜ?」
「その、お礼?みたいなのしたいから、連絡先知っておいた方が便利かなって思ったわけ。……ダメ?」
「……」
助けたお礼かあ。別に見返りを求めてやったわけじゃないんだが、何かしらの施しを受けられるなら喜んで受けたい。
それを抜きにしても、誰かと連絡先を交換するのはやぶさかではないし。
「あ、それとも、誰か付き合ってる人がいるからまずい、とか……?」
「……なんでそういう話になるんだ?」
「だって速野くん、藤野さんとすっごく仲いいじゃん?付き合ったりしてるのかなーって……たまにうわさも聞くし」
……ちょっと待った。俺と藤野が付き合ってるなんて噂があるのか?
今まで個人的な勘違いは何度かあったが、そんな噂があるなんていうのは初耳だ。
「それはない」
「そ、そうなんだ。じゃあ藤野さんとはただの友達ってこと?」
「ああ、そうだ」
どこかほっとしたような表情を浮かべる松下。
……ふむ。
「ただの」かどうかに関しては、ちょっと議論の余地があると思うけどな。いろんな意味で。
「で、連絡先だったな」
「交換してくれるの?」
「ああ。端末渡すから、そっちで登録しといてくれ」
「う、うん」
ポケットから端末を取り出し、手渡す。
「人に端末みられるの、抵抗ない?」
「別に。見られてまずいもんはないし」
ほんとはあるけど。
ポイントをため込んでる仮IDの中身見られるのはマジで困る。
簡単にはたどり着けないような場所に保存してあるから心配はしてないけど。
「終わったよ。ありがと」
「ああ」
返された端末を見てみると、連絡先一覧に「松下千秋」という項目が追加されていた。
「話変わるけどさ、その、今からパレットでお茶とか……どう?」
パレット。
というと「カフェパレット」のことだろう。
学校の校舎に併設されている、オサレな感じのカフェテリア。
行ったことないからよく知らないが、値段が高め、という以外の悪い評判は聞かない店だ。
「今からは無理だな。予定がある」
「あ……そっか。ごめん、急に誘って」
「いや、別にお前が謝ることじゃ……」
断ったのは俺なんだから、本来まず一言「悪いな」と言うべきはこっちだ。
「じゃあ、もう行っていいか」
「あ、うん。ごめん急に呼び止めて」
「いやいい。じゃあな」
「ま、またねー」
手を振ってくる松下に、俺も手を挙げて応え、そのまま教室を出ていった。
今回は「予定がある」と言って断ったが、もしも何も予定がなかったら、俺は松下の提案に乗っただろうか。
多分乗ってないだろうなあ。
主人公は平田と軽井沢が偽カップルだったことを知りませんが、綾小路と軽井沢の主従関係(?)は知っているので、こんな感じの理解になってます。
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ep.70
「あ、ともやんやっと来た」
「遅くなったな」
波瑠加の声に答えつつ、啓誠と清隆の間の椅子に腰かけた。
清隆はミルクコーヒーに口をつけており、啓誠は何やらノートにスラスラと書いていた。
恐らく、綾小路グループの期末テスト勉強会の計画だろう。
「あ、そうだ。ともやんはどう思う?さっきのアレ」
「……さっきのアレ?」
突然、波瑠加がそう聞いてきた。
俺にとっての「さっきのアレ」は星之宮先生のウザ絡みなんだが……こいつらはその場にいなかったから、そのことを指しているはずはない。
「なんの話だ」
「あれ、もしかして、見てなかったの?」
「……心当たりが全くないから、多分見てないんだと思うが」
「放課後になってすぐのアレだよ?」
「ああ、それなら間違いなく見てないな。俺ホームルーム終わってすぐトイレ行ったんだよ」
本当は茶柱先生といたけど。ここは適当にそう言っておいた。
「いやー実はね?放課後に坂柳さんが『山内くんと話がしたい』ってCクラスを訪ねてきたの」
「坂柳が山内に?」
まったくもって意味の分からない組み合わせだ。
あの二人、接点あったっけ?
……そういえば合宿所で、坂柳が山内とぶつかってコケた、ってのがあったな。
あの時の二人の様子を見る限り、多分あれが初顔合わせだろう。
「ほんとよ?私びっくりして写真撮っちゃったし」
「……あんまりそんなことしない方がいいぞ」
よくわからんけど、肖像権とかやばそうだし。
まあそう言いながら、俺もばっちり見るんですけどね。
「……本当だな」
波瑠加が俺に見せてきた端末の画面には、山内と、その右隣りに左手で杖を持っている坂柳が確かに写っていた。
「しかもね、その坂柳さんの様子が……その、なんていうか……山内くんのことが好き、みたいな感じで……」
少し顔を赤らめつつ、わけの分からないことを言い出す愛理。
「……はあ?」
坂柳が?山内を?
「……あり得ないだろ」
「だよねー、やっぱりともやんもそう思うでしょ。絶対演技だよアレ」
その時の状況を見ていないから演技云々はよくわからないが、少なくとも俺には坂柳が山内を好く、なんていう状況を思い浮かべることはできない。
さっきも言ったが、あの二人の唯一の接点は、合宿所で山内が坂柳をこけさせたことだ。あの場での山内の態度は割とクソだったし、あれで坂柳が山内に好印象を持つはずがない。
だとすれば、坂柳は何か別の目的があって山内に近づいたことになる。
普通に考えれば、その目的とはCクラスの情報を手に入れることだろう。
しかし、それにしては堂々とし過ぎている。
当然クラスは、山内がクラスのことを坂柳に漏らすんじゃないか、と警戒する。
そうなると、山内には重要な情報を言わないように……なんて対応も取られかねない。そうなればスパイは失敗だ。
……いや、そうやって山内をハブらせることで、クラスの足並みを乱すのが狙いか?
ただ問題は、山内は元からクラスの足並みを乱してきた方ってことなんだよな……
……あれ、ということはこれ、放置しても無問題?
さすがにそんなことはないか。クラスの動きが鈍るのはよろしくない。
まあ、本当に坂柳がCクラスをターゲットにしていれば、の話だが。
「あれ」
ここで、波瑠加が何かに気づいたように声を上げた。
その視線の先には、いま何かと話題の人物、一之瀬の姿があった。
男女合わせて8人とモール内を歩いている。
その8人は恐らく、誹謗中傷を受ける一之瀬を守る役目なのだろう。
取り巻きの生徒は全員、どこか表情が硬い。
対して一之瀬本人はどうかというと、いつも通り明るく振舞っている。
友達を見かければ立ち止まって声をかけ、少しの間おしゃべりをして別れる。
一之瀬の普段の姿を俺は知らないが、恐らくこんな感じなんだろう。
頑張って「普段通り」を演じているはずだ。
まったく、涙ぐましい努力である。
「いま、結構問題になってるよね」
「変な噂のこと、だよね……誰が言ってるのかわからないけど、ひどいよね……」
「そう?まあ確かに今回は度が過ぎた内容だとは思うけど、誰かの悪評がばらまかれるのって、特段珍しいことでもないのよ。特に人気のある女子はね」
「そうなの?」
「そうそう。例えば藤野さんとかもね。調子乗ってるとか、気取ってるとか」
俺の方に顔を向けつつそう言う波瑠加。
それは悪評というより、単なる悪口だな。
「そうなのか」
「だから愛理も、もうちょっと積極的な性格してたら、今頃そういう妬みとかすごかったと思うよ?」
なるほど。
まあ、恨んでいる奴の命を奪おうとする人間も中にはいるわけだし、悪口を言うことでとどまっているうちはまだいい方だろ。
「気にしないのが一番だって、多分本人もわかってると思うけど……っと、みやっちから電話だ」
鳴り出した携帯を操作し、この場にいるみんなに聞こえるようにスピーカーで電話に出た。
「もしもし?部活終わった?」
「終わるには終わったが、そっち行くのは遅れそうだ」
「え?なんで?」
「いや……ちょっと厄介なことになりそうなんだ」
「何よ厄介なことって。もうちょっとわかりやすく言ってよ」
「AクラスとBクラスが揉めてんだよ。喧嘩になったら止める必要あるだろ」
明人本人が何か厄介ごとに巻き込まれているというわけではないらしい。
にしてもそうか。AクラスとBクラスか。
「ほっとけばよくない?私たちに関係ないじゃん」
「明日は我が身、だろ。じゃあな」
そういって明人は通話を切った。
しかし、よくもまあこんな揉め事に関わろうとするもんだ。俺なら間違いなくスルーしてる。
そういうのを無視できない性格なんだろうか。
「ねえ愛理、きよぽん、あとともやんも。みやっちのこと探しに行かない?」
「え、で、でも、危なくないかな?」
「まーね。うちらも巻き込まれることになるかも」
「ええっ!?」
からかうような波瑠加の言葉に、愛理はおびえたような表情を見せた。
「冗談よ冗談。いざとなればみやっちが何とかしてくれるんじゃない?昔はワルだったらしいし」
「そ、そうなの?」
「ポロっと聞いただけだけどねー」
仮に巻き込まれたとしても、暴力沙汰は起こらないだろう。AクラスとBクラスだし。
「俺はパス」
「えー?」
「明人探すのに4人もいらないだろ。そんなことより、啓誠とお前らのテスト対策について話してた方がよっぽど有意義だと思ってな」
「さっきまで何もしてなかったくせにー」
「今からやるんだよ」
「まあ、それ言われちゃ、勉強でお世話になった私としては何も言えないけど」
「そういうことだ」
じゃ、行ってきまーす、と言い残して、波瑠加、愛理、清隆の3人は明人探しの旅へと出かけて行った。
3人の姿が見えなくなってから、俺は啓誠に声をかける。
「さて、あいつらにああいった手前、ほんとに話し合うとするか。今やってるのは日本史か?」
「やるんなら最初からこっちに混ざってほしかったんだけどな。ていうか、本当になんでいかなかったんだ?」
「いや、マジでさっき言った通りだよ」
俺がさっき言ったことに嘘はない。
言ってないことがあるだけだ。
揉めているのがAクラスとBクラス、というのを聞いた瞬間に、おおよそどんなやり取りがなされているのか想像がついた。
俺は一之瀬に関する噂の出所がAクラスであることを知っている。
恐らくBクラスはそれを突き止め、問い詰めてるってところだろう。
しかし、Aクラス側はとぼけようと思えばいくらでもとぼけられる。
例えばBクラス側が「誰からその噂を聞いたのかを徹底的に調べ上げたら、Aクラスの生徒にたどり着いた」と主張しても、Aクラス側は「自分も誰かから聞いたその噂を別の誰かに話しただけ」と言えばいい。それだけでBクラスはそれ以上なにも追及することはできなくなる。決定的な証拠は存在しないのだから。
この揉め事も、Bクラスが顔を赤くしてAクラスに迫り、Aクラスはそれをへらへらとやり過ごす、といった形で最終的に片付くだろう。
「とりあえず、まずは初期議会のあたりをまとめるか。その時の首相と政党、それに主要な政策から」
「そうだな。俺は日清戦争を基準にして覚えてるんだが……」
そこからは、俺と啓誠による楽しい日本史談義が始まった。
~~~~~~~~~~
金曜日。夜の7時を回ったころ。
俺はある人物の部屋の前に来ていた。
「あ、速野くん。もう来てたんだ」
そこに、エレベーターホールの方から歩いてきたのは藤野だ。
「ああ。悪いな、ここまでやってもらって」
「ううん、全然大丈夫」
言いながら、藤野はその部屋のインターホンを鳴らした。
数秒後、部屋の主が姿を現す。
「いらっしゃい二人とも。とりあえず上がって?」
その人物とは、他でもない、いま1年生間で最も話題になっている、一之瀬帆波その人だ。
「ありがとう一之瀬さん。お邪魔するね」
「悪いな。こんな時間に」
「大丈夫だよ」
……やっぱり、ちょっと疲れた顔してるな。
頑張って隠そうとしてるのは分かるが、隠しきれていない。
精神的ダメージは確実に蓄積していっている。
「適当に座って。お水かお茶しかないけど……」
「ああ、そんなことしなくても大丈夫だ。長居するつもりはない」
女子の部屋に来ているのだ。藤野はともかく、俺はできるだけ早く帰る必要がある。
「来て早々だが、本題に入りたい」
「あ、やっぱり話があるのは藤野さんじゃなくて、速野くんだったんだね」
「ああ。でも藤野が無関係ってわけじゃない」
一之瀬は、今から俺が何の話をしてくると考えているだろうか。
もし自身の噂についての話だと予想しているなら、それは大外れだ。
「12月、俺が変な部活を立ち上げたのは知ってるよな」
「え?あ、うん。『学習部』だっけ。部活の立ち上げには初期部員が3人必要なのに、この部には1人しかいないって言って、生徒会でかなり話題になってたんだよね」
そうだろうなあ。
ただ、今は部活の成り立ちの話はどうでもいいんだ。
「ああ。まあその話は置いとくとして、だ。実は今度、この学習部で対外試合をやろうと思ってる」
「対外試合?」
「ああ。学習部は、主に勉強を頑張る部活として学校側に登録してる。だから他の高校にある勉強系の部活や同好会、例えば生物部、物理部、クイズ研究会、謎解き研究会とかだな。そこらへんとタイアップして、クイズ大会的なものをやろうっていう話だ」
「へえ、そんな企画があるんだ……」
興味を示している様子だ。
悪くない反応だろう。
「その対外試合に、学習部の助っ人として出てもらいたいんだ」
驚いた表情を見せる一之瀬。
「え、私が?」
「そうだ」
茶柱先生に話した、対外試合に必要な2人の助っ人。
確定している一人は藤野。
交渉が必要なもう一人は、一之瀬だ。
「生徒会は他の部活との兼部を禁止してるが、助っ人なら問題ないはずだ。南雲会長も、生徒会に入っていながらサッカー部の練習に助っ人として混ざっていた」
「うん、そこは問題ないと思うんだけど……なんで私なの?」
やっぱり、そこは気になるか。
ちゃんとその理由も用意している。
「一番適任だと思うからだ。実を言うと、この対外試合の開催時期がテスト期間とバッティングする可能性があるんだが、テストにできるだけ影響が出ないように、かなり成績の高い生徒を選ぶ必要がある。それに加えて、俺とも藤野とも円滑なコミュニケーションが取れる人物。この2つの条件を満たせるのは、一之瀬しかいないんだ」
ここまで説明したところで、まずいな、と感じる。
このままだと、一之瀬のテストの点数を下げるための工作だと思われる可能性がある。
「もちろん、お前のテストの点数を下げることが目的じゃない。一応の配慮として、対外試合で使用する問題は、俺たちのテスト範囲の内容を多く含んだものにしてもらってる。もちろん相手もあることだから、全てってわけにはいかないけどな。テスト範囲じゃない部分の問題は全部俺が何とかするから、2人は特別なことは何もせず、テスト範囲の勉強だけしてくれればいい。とはいえ、対外試合当日の勉強時間がつぶれることにはなるが、その日をアウトプットの時間と考えれば、悪い話ではないと思う。なんなら、テストに向けて俺が全力で勉強のサポートをしてもいい。まあ、それは一之瀬には必要ないとは思うけど」
ここまでで、俺が潰すことのできる「断られる要因」は全て潰した。
あとは一之瀬本人の心情次第だが……
「私からもお願い、一之瀬さん」
それまで言葉を発していなかった藤野も、最後の一押しとばかりに懇願する。
そして、顔を上げる一之瀬。
決断したようだ。
「いいよ。わかった。私でよければ助っ人になるよ」
「本当か?」
「うん」
なんとか受けてくれた。
これでなんとか対外試合を組むことができる。
「よかった。マジで助かる。ありがとう」
「そんな。全然大丈夫だよ。でも本当に私なんかでいいの?」
「さっきも言ったろ。お前以外に適任がいない。ちなみに言うと、もし断られてたらこの対外試合は中止にするつもりだった」
「ええ!?大げさじゃない?」
「いや、まったく誇張してない。茶柱先生にもそう伝えてる」
こればっかりは本当に一之瀬じゃないとだめなのだ。
「本当にありがとね、一之瀬さん」
「ううん。対外試合、頑張ろうね」
「うん」
これでなんとか行けそうだ。
一之瀬の参加が確定した。
対外試合の当日、一之瀬がどれだけ精神的に参っていたとしても。
~~~~~~~~~~
あの後、一之瀬の部屋を出た俺と藤野は、寮の外に出て一服することにした。
俺は自販機でホットコーヒーとホットココアを購入。
そして、ホットココアの方を藤野に差し出した。
「ほれ」
「え?そんな、悪いよ」
「あの場をセッティングしてくれたお礼だ。てか、もう買っちまったのは戻せないし」
俺は藤野に頼んで、一之瀬に今日のことを連絡してもらった。
理由は単純。俺がやるよりも、藤野がやった方が一之瀬としても印象がいいだろうと思ったからだ。
「……じゃあ、ありがたく受け取るね」
「そうしてくれ」
ホットココアの容器はキャップがついているタイプの缶だ。
藤野はそのキャップを開け、ゴクゴクと飲み始めた。
「いつになるかな?対外試合の日程。できるだけ早く決めたいけど……」
「まあ、決定は遅くなるだろうな」
一之瀬や藤野は、俺と違って人気者。週末には当然予定が入る。しかも成績のいい二人のことだ。「一緒に勉強しよう」という誘いは何件もくるだろう。
早く日程を決めないと、この二人は誘われるたびに「空いてるかどうかわからない」というあいまいな返事をしなければならなくなってしまう。
それは非常に申し訳ない。
ただ、これに関しては俺にはどうすることもできない。
「そういえば速野くん大丈夫なの?こんな時間にコーヒーなんて。寝られなくならない?」
「大丈夫だろ。多分。まだ8時前だぞ。それに寝れないなら寝れないで、眠くなるまで勉強でもすればいい」
テスト勉強もそうだし、対外試合に向けての勉強もする必要がある。
勉強はいくらしてもし過ぎることはない。
「速野くんもしかして、寝られないときはいつもそうやって過ごしてるの?」
「まあ、基本的に寝られないってことはあんまないぞ。ただテストが近づくと、クラスのテスト対策を考える必要があるから、違う意味で寝られなくなるけどな」
「それだと授業中に眠くなるんじゃない?疲れもたまるし」
ああ、以前それでこいつにお世話になったことがあったっけ。
「授業中は大丈夫だ。寝落ちする前に起こしてくれる奴がいる」
「あ、そうなんだ」
ちなみにその起こしてくれるやつの名前は、堀北鈴音。
眠りそうになった人の腕にコンパスの針を突き刺し、強制的に目を覚まさせてくる習性がある。
幸いなことに、俺はまだ刺されたことはないが、俺が寝落ちしそうになった瞬間にコンパスを取り出す堀北を何度も見ている。
忘れもしない5月ごろ。腕を刺された清隆の「たうあ!?」という叫び声。思い出したらちょっと鳥肌立ってきた。
「そういえば、平田くんと軽井沢さん、別れたんだってね」
ぶるっと体を震わせる俺には気づかない様子で、藤野は話題を転換した。
「……なんだ、その話他クラスまで伝わってるのか」
「割と有名なカップルだったからねー。それこそ、Cクラスではかなり話題になったんじゃない?」
「週明けはな。2日前にはもう収まった。今では、その話を出す奴はもう時代遅れ扱いだよ」
山内が何度が話題に出しては、そのたびにクラス中から「その話古すぎ」という視線を向けられている。
ああ、山内といえば。
「そういえば最近、坂柳がよく山内と一緒にいるらしいんだが」
「あー、それね。最近ちょっとAクラスでも話題になってるよ」
頷く藤野。
しかし、すぐに少し困ったような表情になる。
「何がしたいかいまいちよくわからないんだよね……派閥の人にも何も言ってないらしいし」
当然ながら藤野も、坂柳が本気で山内を好いている可能性は全く考えていなかった。
そりゃそうだよな。
にしても、派閥のやつらにも何も言ってないのか。
派閥で統一された行動じゃなく、坂柳の単独行動ってことか?
「Cクラスのみんなは多分、山内くんがクラスの情報を坂柳さんに話しちゃう、っていうのを警戒してると思うんだけど……単純に山内くんを心の中で馬鹿にしたいだけ、っていう可能性もあるんじゃないかな」
思案顔でそう言う藤野。
俺も考えていた「山内だけをターゲットにしている可能性」の話か。
「まあ、確かにその可能性も否定はできないが」
「あ、単にパターンのじゃなくて、一応私なりに根拠もあるんだよね」
「……根拠?」
いまわかっている情報の中で、根拠になりうるものなんてなかったと思うんだが。
ともあれ、藤野の話に耳を傾けることにする。
「その……坂柳さんが山内くんと歩いてる時の、杖を持つ手が、ね」
「それがどうしたんだ?」
「ふつう、好印象を抱いてる人と一緒にいるときって、出来るだけその人との距離を遠ざけたくない、って思うでしょ?だからその人がいる場所とは逆の手で荷物を持つのが自然だよね」
つまりその人が右にいるなら左手で、左にいるなら右手で荷物を持つのがふつうってことか。
「でも坂柳さんは、山内くんがいる方向の手で杖をついてたんだよね。私が見たときは、2人の側から見て右に山内くん、左に坂柳さんがいたけど、坂柳さんは右手で杖をついてた。これって変だと思わない?」
「……そういえば」
俺が波瑠加に見せてもらった写真でも、確かにそうだった。
しかもあの写真では、藤野の話とは二人の立ち位置が逆だ。
にもかかわらず、坂柳は自分と山内の間に杖を配置した。つまり山内の立ち位置によって、わざわざ杖を持ち替えてるってことだ。
これはもう、坂柳は確信的にやっているとみて間違いないだろう。
坂柳は、これがハニートラップであることに気づいておらず、本当に自分が好かれていると思い込んでいる山内を見て、心の中で嘲笑っている。
「単なる偶然、って可能性もあるけど……」
「いや、多分それ偶然じゃないな」
「心当たりがあるの?」
「ああ。つまり坂柳は、山内を使ってCクラスをどうこうする、なんてことは考えてないってことか」
「私はそう感じたかな。もちろん、あくまでも可能性の一つってだけだから、Cクラスとしては警戒しておいて損はないと思うけどね」
「それはまあ、そうだな」
しかしそうなると、この坂柳の件に関して、どうでもよさがさらに増した。
単に坂柳が山内で遊んでるだけなら個人間の問題だし、俺が何か頭を回す必要のある事案じゃない。
俺には山内に警告してやる義理もない。
それにここ数日の様子を見るに、そもそも山内はそんな警告なんて聞く耳を持たないだろう。
「まあ山内のことは、俺はとりあえず静観だな。いま気にしておくべきは一之瀬の方だ」
「そう、だね。大丈夫かな、一之瀬さん……いつも通りに、って頑張ってるみたいだったけど、ちょっと疲れてる感じだったし」
俺と同じことを、藤野も感じていたらしい。
「明日か明後日、一之瀬さんの部屋に遊びに行こうかな」
「へえ、もうそんな間柄か」
「週末に二人きりで会うのは初めてだよ。でも多分、快諾してくれるんじゃないかな」
つまり、それほどまでに二人の友人関係は進展しているということ。
俺としては非常に助かる。
「じゃあ、そろそろ帰ろっか」
「ん、ああ、そうだな」
自販機の横にあるゴミ箱に空き缶を捨てて、俺と藤野は寮に戻った。
カフェインのせいで意識が覚醒し、結局寝られたのは夜の3時。
二度と夜にコーヒーは飲みません。
11.5巻の松下の動きを見て、口調や会話の内容など、多少の修正が入るかもしれません。ご了承ください。
UA20万ありがとうございます。他の方と比べると遅いペースですが、これからも完結までコツコツとやっていきたいと思います。
感想をくださると、非常に作者の励みになります。是非よろしくお願いいたします。
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ep.71
違和感なく落ち着いたんじゃないかと思うんですが……
『一之瀬帆波は犯罪者である』
ポストに投函されていた紙には、それだけが書かれてあった。
俺だけではなく、全員のポストに投函されていたようで、その紙の内容を読んだ生徒からは驚嘆の声が発せられていた。
ことが起こったのは、俺と藤野が一之瀬に交渉を持ちかけてから丸々1週間が経った、金曜日の放課後だった。
「これは……」
一緒に無料コーナーの食材調達に出かけ、寮まで一緒に帰ってきた藤野も、周りと同様、驚きを隠せていない。
一之瀬の噂は、週明けの時点で、もはや学内で知らない者はいないんじゃないか、というほどに広がっていた。
学校の掲示板にも、それ関連のスレッドが乱立。中には一之瀬の出身中学まで突き止めようとするものも見られた。
多くの人間が、一之瀬に関してあることないことくっちゃべっている。
そんな状況を一之瀬は、「無反応」という形で耐え続けた。
そしてそれは……実を結んだ。
潮目が変わったように感じたのは一昨日の水曜日。
噂として流れていた一之瀬の悪評の中に、「噂は全部でっち上げで、一之瀬は何もしてないんじゃないか」という論調が混じるようになった。
そこから徐々に、一之瀬に関する悪評を口にしにくい環境が形成されていった。
まさに、Bクラスにとっては理想的な流れだ。
これでこの一件は収束する。
みんながそう思い始めていた。
その矢先にこれだ。
「……」
俺は無言でその紙を見つめる。
いよいよ第二フェーズに移った、ってところか。
これまでは、援助交際やら暴力やら、悪事が不特定にささやかれていた。
だが、それがいま「犯罪」にまで絞られた。
まあ、概ね予想通りだ。
と、そこに張本人である一之瀬が来た。
駆け足だったところを見ると、誰かに連絡を受けて急いでここに来たんだろう。
友人から渡された紙を凝視する一之瀬。
周りには、心配そうな顔をしたBクラスの生徒と思われる一之瀬の友人たち。
いつの間にか、藤野も一之瀬のもとへと駆けよっていた。
「……これが、ポストに?」
「うん……ひどいことするよね……」
「もう先生に相談しようよ!帆波ちゃん、私、もうこんなの許せないよ!」
一之瀬があの文章を目にしたとき、今まで一之瀬のダメージをせき止めていた防波堤、いわば「仮面」が一瞬崩れた。
一之瀬の顔に明らかな動揺が走った。
それは注意していなければわからないほどわずかな時間だったが、Bクラスの友人たちは、本能的にそれを感じ取ったのだろう。
「大丈夫。私、これくらいのこと気にしないから」
どうやら一之瀬はまだ頑張るようだ。
「だ、ダメだよ。このままじゃ、どんどん悪いうわさが……」
普通に考えて、ここまでくれば、もはや黙っていることは得策ではない。
この事件が起こるまで、ことは一之瀬に有利に動いていた。
第三者目線から見た今回の一件を時系列順に整理すると、こうだ。
まず、一之瀬に対し悪意を持った何者か、まあ仮に犯人と呼ぶことにしよう。犯人が、噂を流し始めた。
一之瀬はそれを取るに足らないものと判断し、無視、無反応を決め込んだ。
それが功を奏し、一之瀬に関する噂のすべてはでっち上げなのではないかという論調になった。
その流れをみた犯人は機嫌を悪くし、ついに一線を越えた行動に出た。
ここで一之瀬が教師側に相談する決断をしたとしよう。
第三者的には「一度目は穏便に済ませようとした一之瀬も、二度目の今回は流石に看過できなかったんだろう。わかるわかる」というふうに、一之瀬寄りの心情になりやすい。
一度目にスルーを決め込んでいることで、「図星を言われたから過剰反応している」という論調も生まれづらくなる。
だが、一之瀬は相変わらず無反応を続けるという。
ここで無反応を続けることは、「本当に何かやましいことがあって、だから何もアクションを起こせないんじゃないか」という憶測が生まれることにつながる。
得策ではない、と言ったが、それどころかむしろ悪手とすらいえる。
そしてそれくらいのこと、一之瀬ならば理解できないはずがない。
まあとにかく、今は自分のやることに集中しないとな。
対外試合の日程も決まったことだし。
あとで藤野と一之瀬にも伝えておこう。
来週の日曜日。テスト本番の5日前だ。
~~~~~~~~~~
「明日15日には、予告の通り全科目の仮テストを行われるが、以前にも言った通り成績には一切影響がない。あくまでも自分たちの現在の実力を試し、可視化するため。そして来週木曜日に迫った期末テストに向けての予習だ。当然ながら全く同じ問題が出されることはないが、今回の仮テストは、本番と類似した問題も多い。真面目に取り組むことだ」
週明け、2月14日の月曜日、帰りのホームルームが終了した。
今日がバレンタインデーであるということは、俺でも知っている。
由来は確か……3世紀くらいのローマで、セントバレンタインとかいう司祭がぶっ殺された日が2月14日だったことらしいが……世間ではそんなこと関係なく、チョコを渡した貰ったで盛り上がっている。
ちなみに俺は親と櫛田からしかもらった経験がない。
まあ、櫛田は今朝、教室に入ってきた男子に片っ端からチョコあげてたからな。誰かがぼやいてたが、ある意味究極の義理チョコだ。
中学のころ、学年に一人くらいはいただろう。
同じクラスの男子全員に義理チョコを渡す櫛田のような女子。
中1のころ同じクラスにいて、渡されたことはあるが、その時は受け取りを拒否した。
普通に貰えばよかったなーと今では後悔している。
茶柱先生が出て行ってから数十秒後、平田がこちらに近づいて、声をかけられた。
「速野くん、今日はよろしくね」
「ん、ああ」
明日に控えた仮テスト、ひいては期末テスト本番に向けて、Cクラスでは教室にて勉強会が開かれることになっており、今日俺はこれに参加することになっていた。
まあ、そんなにたいそうなことをするわけではない。
自分の席に座って自分の勉強をし、たまに来る質問に答えるだけ。
頼まれた当初は少し迷ったが、夕飯をご馳走してくれるとの提案を受けた瞬間に参加を決めた。
俺のあまりの変わり身の早さに、平田は戸惑いの表情を浮かべていたが。
まずは理科の勉強に取り掛かろうと考え、理科の教科書、ノート、問題集を机の上に広げる。
その準備中、聞き逃せない会話がどこからか聞こえてきた。
「ねえ、今日一之瀬さん休みってほんと?」
「え、うそ、初めて聞いたよ」
「Bクラスの子も言ってたけど、ほんとらしいよ?」
「じゃあやっぱりあの噂が……」
「酷いもんね、あれ……」
……一之瀬が休み、か。
あの噂が関連しているのは間違いないだろうが……
体調不良か?
だとしたら恐らく、精神の病みが体調不良を招いたんだろう。
体調に関しては、対外試合までにしっかり直してもらわないと困る。
まあ、さすがに丸一週間も体調不良が続くとは思えないから、その心配は薄いか。
仮病、という可能性もなくはないが……一之瀬に限って、それはちょっと考えにくいか。
いや、今聞いた話が全部間違っていて、本当は学校に来てる、という可能性もゼロじゃない。
とにかく正確な情報がないのが現状だ。
「あの、速野くん、国語のここ、教えてほしいんだけど……」
「ん?あ、ああ、分かった。どの部分だ?」
「えっと……」
まあなんにせよ、今日の夜、一之瀬に関して藤野と話し合おう。
今はこいつに国語を教えないと。
~~~~~~~~~~
「……ああ、いま終わった」
『こんな遅くまで勉強会してたの?』
「いや、勉強会自体は7時に終わったんだが、そのあとに俺含めた4人で夕飯食いに行ってた。平田からの奢りで」
『あれ、は、速野くんが奢られる側?ていうか平田くん、4人分払ったの?』
「もともとそういう条件で勉強会に参加したからな。それに、向こうから提示してきた条件だし。俺以外の2人は自腹だぞ」
『あはは、そういうことかあ……』
電話の相手は藤野。
勉強会が終わったら電話を入れると連絡したのは俺だったが、ちょっと遅くなってしまったな。
時刻は現在、8時半に迫ろうとしている。
「それで、一之瀬に関してのことなんだが……」
『あ、それなんだけどさ、今から直接会えない?渡したいものもあるし』
「渡したいもの?」
『チョコだよー。わかってるくせにー』
……いや、なんとなくわかってたよ?
でも自分から言うのはちょっと気が引けるじゃん?恥ずかしいじゃん?ねえ?
「……で、どこで会うんだ?この時間だし、寮の外になると思うが」
『この前のベンチでいいんじゃないかな。あそこなら誰も通らないし』
「わかった。じゃあそこに向かう」
『オッケー。私もすぐ行くね』
通話を切り、端末をポケットにしまう。
目の前の机には、今日もらった3つのチョコレートが置かれていた。
それぞれ波瑠加、愛理、そして松下から。櫛田からのはもう食った。
波瑠加と愛理のは、勉強会後の夕飯から帰ってきたときにポストに入れられていた。チャットでその旨伝えられていたので、寮に入る時にポストから2つのチョコを受け取り、部屋に戻った。
先ほどから話に出ている夕飯には、平田、俺、松下、佐藤の4人で行ったのだが、松下からは、その夕飯からの帰り道で直接渡された。
「……行くか」
面倒なので着替えてないが、別にいいだろう。
端末と部屋のキー以外は何も持たず、約束のベンチへと向かう。
俺がベンチに到着してから一分と経たないうちに藤野も到着した。
なぜか藤野も制服姿だった。
「こんばんは。ごめんねわざわざ」
「いや、いい。ところでなんで制服なんだ」
「ああ、これね。私も図書館でクラスメイトと勉強してたから、そのままの流れで」
要するに、藤野もわざわざ着替えるのが面倒だったってことだろう。
俺と似たようなもんか。
「あ、もう早速渡しちゃうね。はい、バレンタインチョコレート」
「ああ、ありがとう」
藤野は持っていた紙袋からチョコの入った箱を取り出し、俺に手渡した。
シンプルなラッピングだが、箱は大きめの直方体だ。8個は入ってそうだな。
「とりあえず座ってチョコ食べながら話そ?私も持ってきたんだー」
そう言って藤野は先ほどの紙袋から、俺のより一回り小さめの箱を取り出し、さっと開封した。
「ごめんね、ちょっと上手く包装できなかったんだけど……」
「え?自分でやったのか?」
「うん。チョコも全部私の手作りだよ?」
「……マジか」
ちょっと驚いた。
中身も気になり、包装を解いて箱を開ける。
「……おお」
個数は俺の予想通り8個。
だが、種類は3つ。ホワイトチョコ3個、ミルクチョコ3個、ブラックチョコ2個。
手作りでここまでやるか……
俺はミルクチョコレートを一つつまみ、口に入れる。
「口に合うかな?」
「……うんま」
市販で売られていてもおかしくないレベルで、且つ市販とは違ったオリジナリティがある。
いや、マジで美味いなこれ。
今度ポイント払ってでも作ってもらおうかな。
「ほんと?よかったあ」
「すげえなお前」
「何回も味見して美味しかったから、あとは速野くんの口に合うかどうかだったけど……」
合わないはずがない。
「ちょっと予想以上に美味くてびっくりしてる」
「もう、嬉しいけど、そこまで絶賛されるとちょっと恥ずかしいよ……」
「恥ずかしがることじゃないぞ」
また一つ、今度はブラックチョコレートを口に入れ、やはり「うんま」と思う。
「夕飯、どこに食べに行ったの?」
「ピザだ」
「……ピザ?」
「ああ」
目を丸くして固まっている藤野。
いや、驚き過ぎだろ。
「そんなに意外か?」
「え?あ、うん」
「しかもこれ、実は俺の希望なんだ」
「さ、さらに意外だよ……速野くん、ピザ好きなの?」
「特別好きってわけじゃない。ただ、おごってもらえるって話だし、普段食べないものにしただけだ」
「あ、確かに。ピザなんて自分では作らないもんね」
「そういうことだ」
ちなみに、俺が「ピザを食べたい」と言った時の周りの反応も、大体藤野と似たような感じだった。
俺とピザという組み合わせには、相当な違和感があるらしいな。
「ピザかー。いいなー」
「Aクラスなら、いくらでも外食はできるんじゃないか?」
「ポイント的にはね。私は速野くんと買い物して自炊してるから、外食は全然しないんだよね」
「別に俺に合わせる必要はないぞ?」
「そんな、私がやりたいからそうしてるだけだよ。料理も好きだし、速野くんと買い物するのも、私の楽しみの一つだしね」
「……そうか」
「うん。だから今度、自分でピザ作ってみるよ」
「……マジで?」
行動力あるなあ。俺なら絶対そんな面倒なことはしない。
さて、閑話休題。
いつまでも夕飯事情について語り合っている場合でも、藤野の手作りチョコレートの美味さに感心してる場合でもない。チョコうめえ。
「そろそろ本題に入るか」
「あ、うん。そだね。一之瀬さんのことだけど、休んでるのは本当だよ」
「体調不良か?」
「多分そうだと思う。さっき電話した時、電話口でも咳込んでたから。あんまり長く話すのは悪いと思ってすぐに切っちゃったけど……」
賢明な判断だ。
「間違いなく、心理的ストレスが体調に響いてるな」
「そう、だよね……」
そして今現在、そんな一之瀬に追い打ちをかけるかの如く、事態は一之瀬にとって望ましくない方向に動いている。
一之瀬が再び沈黙を選んだこと、そして一之瀬が休んだらしいという話が逆効果となり、噂が再燃し始めた。
「体調だけでも、早く治ってほしいな……心のケアは、そう簡単にはできないだろうから……」
「……」
簡単にはできない、というより、現状では、心のケアに関しては一之瀬本人がそれを望んでいない可能性がある。
恐らくだが一之瀬はこの一週間、つまり金曜日まで、たとえ体調が治ったとしても、登校することはないだろう。
今日学校を休んだことで、誰とも会わない「気楽さ」を感じているはずだ。
今のままだと最悪、日曜日の対外試合への参加も断ってくる可能性がある。
もちろん、そんなことにならないように努力はするが。
「……体調が戻った、と判断したタイミングで、一度一之瀬の部屋を訪ねてみるか」
「速野くんと私で?」
「ああ。このままズルズル行くと、対外試合もそうだが、最悪テストすら休む可能性もある」
「……否定は、できないね」
俺が「一之瀬をなんとしても対外試合に引っ張り出したい」という利己的な考えで動いていることは、この際認めよう。
だが、対外試合への参加は、俺にとってはもちろん、一之瀬にとっても非常に利益のあることだ。これだけは確実なのだ。
「じゃあ、その日までは静観……ってことかな?」
「ああ。何かしてやりたい気持ちも理解できなくはないが、今はそっとしておくのが得策だ」
「……うん、私もそう思う」
これで、一之瀬の件に関する俺たちの当面の方針は「静観」という方向に定まった。
まあ当面と言っても、静観するのは明日、長くても明後日まで。
少なくとも72時間後までには、俺と藤野は一之瀬の部屋を訪ねることになるだろう。
「じゃあ、今日のところは終わりかな」
「ああ」
チョコレートの箱のふたを閉じ、手に持ってベンチから立ち上がる。
この話し合い中に、俺はすでに4つのチョコレートを平らげていた。食べすぎ?うるせー、マジで美味いんだから仕方がない。むしろ完食しなかった俺は褒められるべきだ。
「チョコ、美味かった。ありがとう」
「喜んでくれて私も嬉しいよ。これはホワイトデー、私も期待しちゃっていいかな?」
「……そうくるか」
からかうような笑顔を向けてくる藤野。
これは多分、ハンドメイドを求められてるんだよな……
「……まあ、頑張ってはみるが、あんまり過度な期待はしないでくれよ」
「あはは、ごめんごめん。そんな焦らなくって大丈夫だよ。頑張ってくれるだけで充分だから」
ポン、と背中をたたかれる。
……こうやって俺を振り回すのはやめてほしい。
「じゃあまたね」
「ああ、一之瀬について何かあったら、すぐに知らせてくれ」
「うん、オッケー」
~~~~~~~~~~
藤野との会談から3時間ほど後。
すでに日付は14日から15日に変わっている。
そんな深夜、俺はある人物と電話をしていた。
「それで、どうだった?」
『……あんたの言う通り、来た』
「誰が?」
『本当に知らないの?』
「ああ」
『……綾小路くんだよ』
電話の相手は……そう、櫛田桔梗。
俺にはもう愛想を振りまく必要がなくなったと判断しているためか、声のトーンは普段より数段低く、口調も普段と比べると粗い。
だが、普段の猫なで声で話されるより、俺としてはこっちの方が気持ちが楽だ。
「……へえ、そうか。清隆が」
驚いているように聞かせてはいるものの、来るとしたら清隆だろうな、とは思っていた。
『あんたが知らなかったとは思えないんだけど。じゃあなんでこんなこと……』
「一之瀬の噂を止めるには、これが最適な方法だからな。そして今それをやられるのは、俺にとっては望ましくない。だから先手を打っておいた。誰がやるか、なんてさして重要なことじゃない」
俺の思い描いた通りの展開にするためには、「この手」を使われることを、少なくとも木曜日までは封じる必要があった。
清隆が来たってことは、あいつはあいつで思い描く展開があるんだろうけど……ま、そんなことは俺には関係ないわな。
「それで、どうなった」
『言われた通り、精査するからって言って水曜日まで待ってもらった』
「十分だ。水曜日の……そうだな、放課後になったら、精査したものを清隆に伝えてやってくれ」
『それでいいの?』
「ああ」
『わかったよ』
素直でよろしい。
でも、裏では俺のことを相当恨んでいるに違いない。
俺を退学させたいとすら思っているだろう。
しかし、それはできない。
櫛田は俺に致命的な弱みを握られ過ぎた。俺を退学まで追い込んだら、自分のやってきたことがバラされる可能性がある。そうなれば、櫛田の楽しいスクールライフは終わりを告げる。
つまり俺には手を出せない。
ストレス溜まるだろうな、これは。
「おい」
『なに?』
「あんま溜め込むなよ。爆発しそうになったら俺にぶつけろ」
目的語のない文章だが、何が言いたいか、櫛田には通じるだろう。
『……何それ。全部あんたのせいなんだけど』
「ああ、そうだな」
『……馬鹿にしてるの?』
「いいや。ただ、ストレスが爆発してクラスに迷惑かけるより、俺一人にぶちまけた方がいいだろ。お前はクラスからの信頼を保ったままでいられるし……」
『あんたも、クラスから信頼されてる私を上から目線で使いたい、ってわけ』
「ああ、そうだ」
『否定しないの?』
「事実だからな」
『……ムカつく』
「そういうのも含めて、俺にぶちまけろ」
『あんたM?キモイよ?』
「そうだ、それでいい」
言われて気分のいい言葉じゃない。ただ、心理的ダメージはほとんどない。
俺がマゾヒストではないことは、俺自身がよくわかってるからだろう。的外れなディスを受けても、それが心に響くことはない。
これでもう、話したいことは話しつくした。
明日……いや、もう今日になるのか。
仮テストが控えている。これ以上の夜更かしはよくないだろう。
「じゃあ、手はず通りに頼むぞ」
そんな俺の呼びかけに返ってきたのは、了承の返事ではなく、うんざりしたような櫛田の溜息だった。
櫛田の心情も、まあ理解はできる。
しかし俺は気に留めず、遠慮なく通話を切った。
裏櫛田の口調ってこんなんでいいんですかね。
それはそうと、平田、松下、佐藤、速野のピザ夕食会編が丸々すっ飛ばされてますが、別枠でep.71.5という形で投稿します。ていうか元々はこのep.71に入れる予定だったので、その話もほとんど完成はしてるんですが、11.5巻の松下を見て急遽変更しました。
松下の性質を垣間見て驚かれた方、多いんじゃないでしょうか。
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ep.72
仮テストの難易度は、いままでのものと比べると高く設定されていた印象だ。
だが、テスト勉強をしっかりとやってきている生徒ならば、どれも対処可能なレベル。しかし、それまで勉強を怠けていた生徒には厳しいであろう問題が並んでいた。
個々人の努力不足を浮き彫りにするのには、適した難易度だったといえる。
俺はもちろんしっかりやっていた側の人間なので、堀北や啓誠あたりと同じく満点、あるいはそれに近い点数を取れているだろう。
正直言うと、最近の学校の試験には物足りない感がある。
学習部立ち上げ以降、俺は高1、高2レベルにはとどまらず、高3、および浪人生が受けるもの、その中でもさらに高難度の全国模試に挑戦する機会が急増した。
そして、その高難度模試に出題される問題の中でも、「捨て問」と呼ばれるものにも、毎回挑戦している。
受験で勝ち抜くためには解く必要のない、解くべきでない難易度の問題。
しかし、高額ポイントを獲得するためにはもぎ取る必要のある問題だ。
俺はそんな「捨て問」であっても、部分点で8割以上を獲得する訓練をしている。
そんなことばっかりやっていると、校内の高校1年生に向けて作られた問題の難易度が、とても低いと感じてしまうようになる。
これは感覚の麻痺だ。まあでも、それは決して悪いことじゃない。
それで点数が高くなることはあっても、低くなることはないわけだしな。
仮テスト翌日の水曜日。
俺と藤野は、一之瀬の体調不良は治ったと判断し、部屋を訪れることにした。
時刻は夜9時。異性のフロアに行き来できる時間を、すでに1時間過ぎている。
一之瀬の部屋のチャイムを鳴らす藤野。
10秒ほど待っても反応がなく、もう一度チャイムを鳴らすと同時に、今度は声も発した。
「一之瀬さん?藤野だよ。もし大丈夫だったら、出てくれないかな?」
「藤野、さん……?」
部屋の中から、力のない声が返ってくる。
「うん、私。速野くんもいるよ。お願い」
そこから数秒の時間をおいて、部屋のドアが開いた。
出てきた一之瀬はマスクをしている。顔色もあまりよくない。
「ごめんね、こんな時間に」
「あ、ううん、全然いいの。取り敢えず、二人とも上がる?」
「悪い、邪魔するぞ」
「ほんとにごめんね……」
部屋からは機械音が聞こえた。
そして、なんとなく湿度も高い。
「加湿器か」
「あ、うん。ごめんね」
「いや、謝ることじゃないだろ」
恐らく、風邪のウイルスが死滅しやすくするための策だろう。俺たちのような訪問客に風邪を移さないことにもつながる。
「体調は大丈夫?」
「うん、もう昨日のうちに熱は下がったよ。今は大事を取ってるだけだから」
「そっか。……あんまり無理しないでね」
「ありがと、藤野さん……」
熱は下がったが、まだ万全ではないらしい。ちょっと読みは外れたか。
俺は持っていたカバンから紙の束を取り出し、一之瀬に渡す。
「これは……?」
「昨日の仮テスト、コピーだが一応渡そうと思ってな。体調が完全に治ったときにでも解くといい」
「ありがとう。そうするね」
俺から受け取ったコピーを机に置いて、再び戻ってきた一之瀬。
「……俺ら以外の誰かと会ったか?」
「うん、病院には行ったよ。薬も貰ったし」
そういって、処方された薬の袋を見せてくる一之瀬。
俺が言いたいのはそういうことじゃなくてですね……
「学校のメンバーとはどうだ」
「あ……実は月曜日の夜、綾小路くんが来たんだよね」
「……そうなのか。てっきり誰とも会ってないかと」
「ここに来たのが夜10時くらいで、他の女子に見られたらまずそうだったからさ」
なるほど、わざと遅い時間に行って「人に見られるとまずいから」って部屋に入れてもらったわけか。随分強引に上がり込んだな、清隆。
……まあ、門限を過ぎて押しかけてる俺も、一之瀬からすれば似たようなものかもしれないが……
「悪いな、勉強会があって、どうしてもこの時間しかなかった」
「や、別に責めてるわけじゃないよ……今日来たのは多分、速野くんの対外試合のことだよね?」
「……やっぱ分かるよな」
一之瀬本人からこの話を出したのは、ある種の優しさだろう。
「まあそれもあるが、このままだと一之瀬、テストすら休む可能性もあると思ってな」
「……え?」
「この3日間、体調は悪かっただろうけど、人目に晒されなくて精神的には少し楽だった……違うか?」
噂のことを全く気にせず……とまではいかないだろうが、少なくとも不特定多数から好奇の目線をぶつけられることはなくなる。
少しギクッとした表情になったのがその証拠だ。
誤魔化しきれないと思ったのか、一之瀬は観念したように口を開く。
「にゃはは……お見通しだね」
「まあ、その手のことに関してはエリートだからな」
今でこそこれだけ多くの人と関りを持っている俺だが、それ以前はエリートぼっちの名をほしいままにしていた。
一人で過ごすことの辛さ、退屈さ、そして楽さは心得ている。
「このまま体調治っても、とりあえず金曜日までは休むといい。キリもいいしな」
「……仮病、ってこと?」
「病院にも行ってるから体調不良ってのは間違いないわけだし、風邪が長引いた、っていえば誰も咎めない。ただ、来週の月曜日からは登校することを勧める。クラスメイトも、お前が休んだままじゃ気が気じゃないだろうしな」
Bクラスの生徒のテストでのパフォーマンスが低下する可能性がある、と言外に伝える。
しかし、一之瀬は迷ったような表情をしている。
「今は心と体を休めろ。ただ一之瀬、頼む。対外試合には参加してくれ。これは俺のためでもあるし、お前のためでもある」
「……私のため?」
「ああ」
「気分転換になる、ってことかな?」
「……まあ、そうだな。『気分転換』だ」
一之瀬帆波という人間が、殻を破って、前に進んでいくために。
この対外試合というイベントは必要な工程だ。
少なくとも、俺と藤野はそう思っている。
「……速野くんがそこまで言うなら、分かった。参加するって約束するね」
「……悪いな」
「元々約束してたことだからさ。私こそごめんね、心配かけちゃって」
本気で申し訳なさそうに言う一之瀬。
……まあ、これで大丈夫か。
正直、一之瀬が体調崩して休むのは予定外だった。
正確には、一之瀬が休むこと自体は想定していたものの、その想定していた「休み」は体調不良によるものではなかった。
俺の予想していた展開は、精神的にやられた一之瀬に、俺と藤野が「休め」と進言して休ませる、というものだった。
だが、これでそのズレを調整できた。
オッケーだ。
「じゃあ、俺はそろそろ帰らないと。悪いな一之瀬、こんな時間に邪魔して」
「ううん、ほんとに大丈夫だから」
「藤野は帰らないのか?」
「うん。ちょっとね」
「……そうか」
玄関にいって靴を履き、ドアを開ける瞬間、二人の会話が耳に入ってくる。
「一之瀬さん、私夕飯作るよ。多分食べてないでしょ?」
「……にゃは、分かっちゃった?でもほんとにいいの?」
藤野がここを離れるのは、もっと遅い時間になりそうだ。
にしても、ほんと仲良くなったな、あの二人。
楽しそうに話す二人に目をやりつつ、俺は一之瀬の部屋を後にした。
~~~~~~~~~~
対外試合を3日後に控えた木曜日。
ホームルームが始まる10分ほど前に登校すると、Cクラスの教室内は話し声であふれていた。
テストに関して話し合ってるのか、と思いきや、どうもそうではないらしい。
「なんだこの騒ぎ」
近くにいる堀北に聞く。
「当然よ。Cクラスを混乱に陥れるための、新たな噂が流されたのだから」
「……なんだそれ」
「あなたも無関係ではないわ。それに彼もね」
「彼?」
そういって、堀北は隣に座る清隆に目を向ける。
こいつも巻き込まれたのか?
「で、どんな噂だ」
聞くと、堀北は自身の端末のメモ帳を見せてくる。
そこには、計5つのことが書かれていた。
・綾小路清隆は軽井沢恵に好意を寄せている。
・本堂遼太郎は肥満の女子にしか興味がない。
・速野知幸は櫛田桔梗を脅して交際を迫っている。
・篠原さつきは中学時代に売春をしていた。
・佐藤麻耶は小野寺かや乃を嫌っている。
「……おいおい」
思いっきりやり玉に挙げられてんじゃん、俺。
「クラスの掲示板に書き込まれていたことよ」
「へえ」
「一応聞いておくわね。これ、事実かしら」
「んなわけあるか」
ただ櫛田脅したのは本当だし、一応半分当たってるんだよなあ、これ。
「誰がやったのか分かるか?」
「普通に考えて、一之瀬さんの件と同一犯でしょうね」
「だよなあ」
このタイミングなら誰だってそう思う。
「篠原、お前売春してたのマジー?」
無神経にも、教室内全体に響き渡る大声でそう言ったのは山内だ。
「なっ、そ、そんなわけないでしょ!」
「じゃあその証拠見せてくれよ」
「しょ、証拠って……そんなのどう見せればいいのよ!」
悪魔の証明だな。まあ山内は面白がってるだけだと思うけど。
「あなたたち二人が事実でないというなら、ここに書かれていることは全て嘘、デタラメということ?」
「どうかな……山内みたいに、一人ひとり確かめるしかないんじゃないか?」
清隆が言う。
究極的にはそうだな。
聞かれた当人が正直に答えるかは別だが。
にしても、清隆と軽井沢という組み合わせ、これを思いつける人間はそう多くはいないんじゃないか?
まあそれを言うなら、俺と櫛田の組み合わせもそうなんだが。
「おい、やめろよ春樹!」
あまりの無神経さに耐えかね、池が山内の肩を掴み、やめさせようとする。
「な、なんだよ、いつも偉そうにしてる篠原に仕返しするチャンスじゃん」
「し、仕返しって……こんなの本当なわけないだろ!?」
「いや、分かんねーぜ。ああいうちょいブス女が、案外悪いことしたりしてんだって」
「おい!」
「ああそっか、池、お前篠原のこと好きだったもんな。だから認めたくな……」
「春樹!」
山内につかみかかる池。
「やめろお前ら」
その状況を見かねたのか、須藤が力ずくで二人を引きはがした。
「これでは悪循環ね」
「まったくだ」
ここで俺は自分の席を離れ、騒ぎが起こっている方へと足を向ける。
「どこへ行くの?」
堀北の声で、俺は足を止めた。
「篠原と本堂のところだよ」
「あなた、彼らとの関わりなんてなかったでしょう?」
「今まさに、関わりができただろ」
ともに根も葉もない噂を流された被害者同士、という関わり。十分に話しかける理由になる。
「……何をするの?」
どうやら、何か厄介ごとを起こすんじゃないかと疑われているらしい。
「別に、特別なことは何もしない」
それだけ言い残して、二人のいる場所へと向かう。
この二人に絞った意図は特にない。単に二人の席が近いからというだけだ。
「本堂、篠原、話がある」
「は、速野?」
先ほど山内は篠原をターゲットにしていたが、その矛先は本堂にも向いたらしく、動揺が収まっていないようすだ。
「……なに?」
「これ……酷いと思わないか?」
「お、思うわよ!」
「当然だろ!」
そりゃそうだ。
「……なら、学校側に報告しよう。名前出てる人全員に声をかけて」
「学校側に……?」
「ああ。要はチクるんだ。俺も、これはちょっと度が過ぎてると感じている。ホームルーム終わったら、茶柱先生に報告する」
「そ、そうね。それが一番いいかも……」
「で、でもよ、変に否定したら、事実だと思われるんじゃ……?」
「……それは黙ってても同じことだと思うぞ。事実だから何も言えずに黙ってるんじゃないか、と思われる。なら、せめて学校側に報告して、犯人が罰を受けることに期待したほうがいいだろ?」
本当じゃないかと思われるリスクは、どのようなレスポンスをしても避けられない。いわば埋没原価のようなものだ。
「……た、確かに、そうだな!」
「じゃあ二人とも協力してくれるってことでいいか?」
「当り前よ!」
「も、もちろんだ!」
「じゃあ、俺は清隆に声をかける。二人はそれ以外を頼む」
力強く頷く二人。それを確認して、俺は席に戻った。
「何を話していたの?」
「学校側に泣きつくことにした」
「……いいの?下手に騒いでも、いいことはないと思うけれど」
「どっちにしろ避けられないリスクだって言って納得させた。言った通り、特別なことじゃないだろ?被害者として、ごく普通の対抗策だ」
「……まあ、そうだけれど」
堀北も一応納得したらしい。
「ということで、清隆。お前も協力してくれないか?」
「どういうことなのかは分からないが、オレは事なかれ主義なんだ。目立つようなことはしたくない」
懐かしい。こいつの口から「事なかれ主義」なんて言葉聞いたの、いつぶりだ?
堀北も呆れたような表情をしている。
「少なくとも俺、本堂、篠原は参加する。性格的に佐藤も、あと多分櫛田も参加するだろ」
つまりこれで、噂に名前が出てくる8名のうち、過半数の5名の参加が見込まれていることになる。
こいつが本当に事なかれ主義かどうかは横に置いとくとして、清隆が目立ちたくないと言うのは本音だろう。
だが、この状況で参加しないことが、果たして目立たない選択肢なのかどうか。
「まあ、お前がどうしても嫌っていうなら、俺の口から皆にそう伝えておく。協力といっても、ホームルーム終了直後に茶柱先生に報告に行く俺たちについてきてもらうだけだから、一人欠けても大した影響はない。単に人数は多い方がいいってだけだからな」
助け舟を出しているようで、その実これは清隆を参加させるためのセリフだ。
ここで断ったら、参加メンバーに「清隆はどうしても参加したくないらしい」と伝えるぞ、と暗示している。
目立ちたくない清隆にとって、それは望ましくないことだ。
「……わかった。それだけでいいなら」
「オッケー、参加だな」
ここまで外堀を埋めれば、もはや清隆に断る理由はない。
まあ元々、こいつが断る理由なんて「面倒くさい」以外にはなかっただろうけど。
山内は再び篠原や本堂に話を振ろうとしていたが、それを平田が諫める。
「山内くん、こんなことはするべきじゃないよ。掲示板に書かれたからといって、それが事実とは限らないし、何よりクラスメイトを傷つけようとするのは間違ってると思う」
クラスのリーダー平田の声に、多くの生徒が賛同の意を示す。
旗色が悪くなったのを感じ取ったのか、そこで山内は暴走をやめた。
それと同時に、斜め後ろの堀北の席から携帯の通知音が聞こえてくる。
「神崎くんからね。……今日も一之瀬さんは休んでいるみたいね。それと、Bクラスの掲示板にも、噂が書き込まれていたそうよ」
それを聞いて、俺は端末でBクラス、そしてDクラスの掲示板に順番にログインした。
やはりこの2クラスの掲示板にも、俺たちCクラスと同じく5件の噂が書き込まれていた。
「Aクラスの掲示板だけ、なんの音沙汰もないな」
「ええ、ご丁寧にね。あなたたち二人とも、放課後時間を貰えないかしら?神崎くんと会うわ。一之瀬さんのことも気になるし、この噂への対応も話し合っておきたいの」
「そうだな」
俺のときとはうってかわって、清隆はすんなり同意した。
「あなたはどうなの?」
「……わかった」
面倒だとは思ったが、俺も一応、同意しておくことにした。
一之瀬の所属するBクラスが、今回の一連のことをどう把握しているのかを知れるかもしれない。
~~~~~~~~~~
茶柱先生への報告は、滞りなく済んだ。
結果的に、名前が出された8名全員が参加することになったこの報告会。話を進めたのは、発起人である俺だ。
まずは、掲示板に根も葉もない噂が書かれている事実を伝えた。
そして次に、考えうるリスクも伝えた。
放っておくと、無根拠な噂の応酬になって、収拾がつかなくなる可能性。ターゲットにされた生徒が精神を病み、不登校などになる可能性。
その場では例示としてこれだけを伝えたが、他にもリスクはたくさんある。学級崩壊を起こす可能性。校内で暴力行為が多発する可能性。他学年にも飛び火する可能性。
そしてここからは、学校側の不利益の話をした。
ターゲットにされた生徒は、精神的ダメージでテストでのパフォーマンスが低下する恐れがあり、「生徒の授業内容の習得状況を測る」というテストの趣旨にそぐわない、ということ。
それらをまとめて伝え、学校側に早期の対応を請願した。
茶柱先生は、「上に報告しておく」とだけ言い、俺たちに席に戻るよう指示した。
本当に対応してくれるのか不安になる返事だったが、まあ、多分大丈夫だろ……
現在は放課後。
神崎と話し合いを持つために、堀北、清隆、俺の3人で、集合場所であるケヤキモール南口付近へと移動していた。
「今朝、神崎くんからの連絡の内容を、あなたと綾小路くんには口頭で伝えたわよね」
俺が二人称で呼ばれていることから、堀北は俺だけに向かって話しかけていることが分かる。
「ああ」
「その時、一つ伝えていないことがあるの。いま伝えるわ」
「なんだよ」
意味不明だ。伝え忘れたなんてことはあり得ないから、意図的に今まで俺に隠していたんだろうけど……
「その前に、一つ確認させて。今回の一連の騒動……あなた、やはり何か裏で動いてるわよね?」
俺の目を見据え、そう言う堀北。
「……は?噂を流したのは俺だって言いたいのか?」
「わからないわ。でも、私たちの見えないところで何かをしようとしているのは確かでしょう。神崎くんから一つ、頼まれていたことがあったのよ。あなたとAクラスの藤野さんが、噂が流れ始めてから2度、一之瀬さんの部屋を訪ねている。これはどういうことなのか、あなた本人に確認してほしい、と」
「……」
なるほどそういうことか。
俺と藤野の来訪は、Bクラスの女子の誰かしらに目撃されてたってことか。それが神崎に報告され、いまに至るというわけだ。
まあ別に隠していたわけじゃないから、それも不思議な話ではない。
「藤野と一之瀬が、先月の合宿でかなり仲良くなったのは知ってるか?」
「ええ。藤野さんがかなり積極的に一之瀬さんに声をかけていたわ」
「藤野が一之瀬を複数回訪ねたのは、単に友人が心配だからだ。俺はそのオマケみたいなもんだ」
学習部のことは明かしたくないため、そういって誤魔化す。
だが、筋はしっかり通っている。
「……では、なぜあんなことをしたの?」
「あんなこと?」
「今朝の話よ」
「俺が茶柱先生に報告した話か?被害者としてはむしろ当たり前の対応だろ。お前もそれで納得してなかったか?」
「被害者としては普通でしょうけど、あなたがそれをやることが不自然なのよ。あなたは綾小路くんと似て、こういう面倒ごとには首を突っ込まない性格だったはずよ」
「そうだな。確かに面倒ごとは好きじゃないが、今回に関しては違う。デタラメな噂流されて、俺も怒ったんだよ。俺だって人の子なんだ。喜怒哀楽くらいある」
「……」
いや、お前の心情も分かるんだ、堀北。
確かに普段の俺なら、発起人なんて面倒な役職、自分から進んでやるわけはない。
そもそも、無根拠な噂を流されてムッとはしても、怒って学校側に報告、なんてこともしないだろう。一之瀬と同じく、噂が収まるのを待つはずだ。普段の俺なら。
「……そう。では、たった今メールで神崎くんにそう伝えておくわ」
「ああ、そうしてくれ」
俺も神崎の連絡先を持ってはいるが、元々連絡を受けたのは堀北だ。堀北が返すのが自然だろう。
とりあえず、これで話はひと段落だ。
ようやく、違うことに考えを回せる。
違うこと、とは……いまこの瞬間も、俺たち3人を尾行している人物。Aクラスの男子生徒、橋本正義について。
なんなんだあいつは。ストーカーか?だとしたら堀北狙い?
……自分で言っててクッソつまらない冗談だな。真面目に考えよう。
だが、考えても答えは出ない。
ストーカー目的でないとしたら、やはり情報収集か。
その点で言えば、俺にはストーキングされる理由はないし、されても困らない。
一之瀬と会っているところを見られても、「一之瀬を心配している」と言えばいいし、藤野と俺がそこそこ親しいことは割と知れ渡っているから、藤野と会っていても会話の内容さえ聞かれなければ無問題。
そもそも橋本にとって、俺は「勉強しかできないと思っていたら、スキーも割と上手かった生徒」どまりだ。
たとえ俺がスキー試験の採点方法を当て、一気に100万ポイントという大量ポイントを獲得したことに疑問を抱いたとしても、俺はその件について、Cクラスの「何者か」に助言を受けた、と吹聴している。橋本はその「何者か」が誰であるかに気を回しているだろう。以前からまことしやかに囁かれていた「特別試験で、Cクラスを裏で操る黒幕の存在」の噂と結び付けて。
つまり何が言いたいかというと、始めに言った通り、俺は尾行されても全く困らないということ。もし橋本のターゲットが俺であるなら、恐らく今日以降も尾行されると思うが、全部ほったらかしでいいだろう。
では、ターゲットが清隆だった場合はどうだろうか。
……それこそ放っておいていいな。
こいつなら、この尾行にも気づいてそうだし。もしこの尾行が望ましくないなら、多分勝手にどうにかするだろ。
つまりどっちにしろ、俺が何か気にするようなことでもない。
というわけで、橋本のことは放置することにした。
しばらく歩き、神崎と合流。
そして、神崎はすぐに俺に謝意を向けた。
「堀北からメールは受け取った。疑うような真似をして済まない」
「気にしなくていい。いま必要以上に神経質になるのも理解はできる」
神崎はこうして謝ってはいるが、俺に対する警戒を完全に解いたわけではないだろう。まあ心情的には当然のことだし、またそうするべきだ。
「一之瀬さん、もうこれで一週間休みが続いているわね。本人と連絡は取れているの?」
「反応は早くないが、問題なくとれている。風邪で体調を崩していると報告を受けた」
「担任の先生は何か言っていなかった?」
「似たようなものだ。風邪をひいて体調を崩した、としか言わない」
一之瀬本人がそう報告している以上、担任としてもそのまま伝えざるを得ない。
「速野は一之瀬と会っているんだよな?」
「ああ。昨日と先週の金曜日の2回な」
「目撃したクラスメイトからも、そう報告を受けている。様子はどうだった?」
「……元気はなかった。ただ、月曜日からは来ると思う」
それを聞いて、神崎は少し驚いたような表情になる。
「一之瀬本人がそう言っていたのか?」
「週明けには来るよう進言したんだ。一応頷いていた」
「……あまり無理はさせたくないんだが」
「お前たちに心配かけるくらいなら行かないだろ」
精神が不安定な状態のまま学校に行って、クラスを不安にさせるのは本末転倒だ。というのも、一之瀬はまず何よりも、クラスメイトに心配をかけたくないと考えているからだ。
一之瀬と藤野があれほど仲良くなったのも、それが理由の一つだろう。
Bクラスのリーダーである以上、自分は常に強くいなければならないと思っている。
しかし、他クラスである藤野になら、弱っている自分を見せることができる。
「そういえば、綾小路と速野は今日の噂の被害者だったな。学校側に報告したと聞いたが、本当か?」
「ああ。そっちはしてないのか」
「当然報告した。Dクラスも報告したそうだ」
「Dクラスが教師に?今までの彼らからは、あまり想像できないわね」
確かに。だが龍園独裁政権はもう過去の話だ。
合宿でのDクラスの様子なら、教師に泣きつくような対応も自然といえる。
「一之瀬さんは今日も学校をお休みされたようですね」
突然、背後からそんな声が聞こえた。
カツ、カツ、と杖が地面に接触する音。
坂柳と、その取り巻きの橋本、神室、鬼頭の計4人がこちらに近づいてきた。
ふむ。
ってことは橋本はいま、自分がさっきまで俺たちを尾行していたことがバレないよう、必死で演技してるわけか。
想像したらなんか面白くなってきた。
「来週の木曜日には期末テストが控えています。その日まで休む、というようなことになれば……大変なことになるかもしれませんね」
「坂柳……」
苦い表情でその集団をにらみつける神崎。
「Cクラスの方々と、いったい何のお話をされているのでしょう?」
「おまえには関係のない話だ」
「あまり歓迎されていないようですね、私たちは」
「歓迎されたければ、根も葉もない誹謗中傷をやめることだ」
「ふふ、いったい何の話でしょう?」
こうして実際に目にすることで確信する。
やはり坂柳は、自分が一之瀬の噂を流させている主犯であるということを隠すつもりはないらしい。
「どんな噂を流されようと、Bクラスの結束はゆるがない」
「そうですか。楽しみにしていますよ」
それだけ言って、4人はその場を立ち去った。
これだけのためにわざわざここまで足運んだのかよ。足が悪いとは思えないくらいアクティブだな、坂柳は。
「気にしないことね。すべて彼女の作戦よ」
「わかっている」
すでに立ち去って遠くなった坂柳の背中に、鋭い目線を注いでいる神崎。
確実に犯人と思われる奴が目の前にいたのに、止められない。
一之瀬を救ってやれない。
神崎は歯がゆい思いをしているだろう。
初めて1万文字越えました。ep.71.5は9巻分終了後に投稿します。
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ep.73
話中に出てくる問題、皆さんもぜひ解いてみてください。
※一之瀬と茶柱が登場する、ということ以外はほとんどよう実要素がありません。ご注意ください。
そして迎えた日曜日。
対外試合の当日である。
制服で校門付近に午前7時45分までに集合、ということに決まっていた。
かなり早めに設定されている集合時刻だが、理由は単純で、移動距離がそこそこ長いからだ。
往路は高速道路を使って、計2時間ほど車に揺られる。
復路では渋滞が予想されるという理由づけのもと、高速は使わずに下道で少し時間をかけて学校に戻る。寄り道がなければ、到着するころには午後5時を大きく回っているだろう。
俺は一応学習部部長であるため、少し早めの7時半に集合場所に到着していた。
2月の早朝。当然空気はかなり冷えている。
じっとしているとさらに寒く感じるため、そこらへんをウロチョロして体を温めながら、藤野と一之瀬、そして顧問の茶柱先生が来るのを待った。
7時40分を過ぎようかというころ、藤野と一之瀬がそろって到着した。
「おはよ、速野くん」
「ああ。おはよう。2人ともこんな早朝に悪いな」
「にゃは、大丈夫だよ。いつもこの時間には起きてるから」
一之瀬は明らかに本調子ではないものの、ひとまずは大丈夫そうでよかった。
藤野がヒーリングにかなり尽力したんだろう。
「そういってくれると助かる」
「すごい大きなカバンだね」
「いろいろ入ってるからな。ほら、簡単なものだが、朝食だ」
俺は持っていたビニール袋から、蓋がされた紙コップ1つずつを2人に渡した。
集合時間が早いということで、今日の朝食、昼食は俺が用意すると約束していた。
「これは……?」
「ビーフコンソメ。袋の中におにぎりも2個ずつあるが、それは車の中で渡す」
汁物は、揺れる車内で飲むと飛び散る可能性がある。外にいて、寒い今がスープを飲むタイミングとしては適当だ。
また、ここでおにぎりまで渡すと二人の両手がふさがってしまう。
蓋を開けて、飲み始める二人。
湯気が出ているから、まだ温かいはずだ。
「はあ、温まる……」
「これおいしいねっ。すっごい濃厚って感じだよ」
「それはよかった。ゴミはここに入れてくれ」
おにぎりが入っている袋とはまた別のビニール袋を広げ、二人が空になったコップと蓋を入れた。
それとほぼ同時に、こちらに白と青の軽自動車が走ってくるのが見えた。
後方を走っていた青の軽自動車が停止すると、運転席から顧問である茶柱先生が姿を現す。
「全員揃ってるな。すぐに出発する。早急に乗り込め」
「あの、白い方の車は何なんですか?」
「お前たちを監視するスタッフだ。こういった部活動の対外試合は、生徒がこの学校の敷地の外に出ることのできる例外の一つと認められている。だが現場ではもちろん、外部の人間との接触は禁止だ。今日お邪魔する町山高校にいる間、お前たちのことは、常に私を含め3人の人間が監視することになる」
「……なるほど」
須藤から、確かそんな話を聞いたことがあったっけ。
部活の練習試合のときには、トイレ行くにも飯を食べるにも、何をするにも監視役がついて回る。
まあ、「外部との接触は厳禁」という学校の方針なら当然か。
「こっちの運転は先生ですか」
「そうだ。不満か?」
「いや全く。お願いします」
俺が助手席に乗り込むと、残りの二人もそれに続いて、「お願いします」と告げて後部座席に乗り込んだ。
「到着は10時を予定している。途中、サービスエリアで15分間の休憩をはさむが、お前たちは原則、車外に出ることはできない。車中で休むように」
「サービスエリアで何か買ったりはできないんですか?」
「当然だ。必要なものは事前に準備しておくのが、部長として当たり前の仕事だろう?」
「……まあ、そうですね」
実際のところ、サービスエリアでの買い出しは不要だろう。
俺が持っているデカい鞄の中に、必要なものは全て入っている。
俺たち3人分の昼食はもちろん、水分、それに糖分補給用のチョコレートやキャンディなどの菓子も用意している。
当然、俺は酔い止めを30分前に服用済み。帰りの分もしっかりある。
「あの、茶柱先生、トイレに行きたくなった場合はどうしたらいいでしょうか?」
「その時は、スタッフの監視のもとに済ませてもらうことになる」
「わ、分かりました……」
質問した藤野は、若干引きつった表情でそう答えた。
ほんと厳重だな……
まあ、仕方ないことだ。
「車内で飲食してもいいですよね?」
この車は恐らく公用車だ。
部活の対外試合に生徒を引率するのに私物の乗用車を出すとは思えない。
何より、この車には灰皿がない。
ヘビースモーカーの茶柱先生なら、確実に灰皿つきの車を選ぶか、車内用灰皿を設置するはず。
そして公用車なら、混合合宿で使用された大型バスと同様、飲食しても問題はないはずだ。
「……構わないが、あまり汚すなよ」
「おにぎりなら大丈夫でしょう」
「好きにしろ」
顧問のお許しを頂いたので、二人に二つずつ、おにぎりを渡す。
二人はそれを「ありがとう」と言いながら受け取った。
「中身は何が入ってるの?」
「塩むすび、鮭フレーク、味噌、明太子のどれかだ」
それを聞いた一之瀬は、まず左手に持っていた方から開けて、食べていく。
「あ、味噌だ」
味噌が当たったらしい。
「食べ終わったら、ラップは4つまとめて俺に渡してくれ」
それだけ二人に伝えて、俺は前を向き、車窓からの景色を見やる。
あまり後ろを向き過ぎると、いくら酔い止めを飲んでいても酔ってしまうだろう。
俺の三半規管は、恐らく常人と比べてかなり発達している。
~~~~~~~~~~
高速道路を走り続け、45分ほどが経過したころ。
俺たちを乗せた軽自動車は、サービスエリアに停車した。
「先ほども言ったが、決して車の外には出るな。私は少し用を済ませてくる。トイレに行きたくなった者は、私に連絡するように」
そう言い残し、茶柱先生は車を出た。
それからすぐ、俺は端末を操作して、チャットを開く。
「二人の端末に茶柱先生の連絡先送っといたから、先生への連絡はそこからやってくれ」
「あ、ありがと。でも先生、用ってなんだろ?」
「タバコだろ。多分」
全くもって校則を破る気はないが、俺たちが制限されている権利をこうも見せびらかすように使われると、なんかちょっとイラっとくるものがある。
「速野くん、一つ聞いてもいいかな?」
「……ん?」
「どうしてこの部活を立ち上げたの?」
一之瀬が突然、そんなことを聞いてくる。
「やっぱり気になるか?」
「まあね。前にも言ったけど、生徒会でも話題になってたし」
そういえば、対外試合への助っ人参戦を依頼した時、そんなことを話していた。
「生徒会ではどんな感じで話されてたんだ?」
「『学習部』は、初期部員が速野くん一人だけなのに、学校側が発足を承認した部活だ、って。いままでに前例がないらしいんだ」
「どうして一人だけで発足できたのか、については?」
「ポイントを払ったんじゃないか、っていう声が多かったけど……学習部が発足した時の速野くんは、お世辞にもポイントに余裕があるとは言えなかったよね?」
「ああ。節約してたから、他のクラスメイトよりは多く持っていたが、発足人数を補えるほどのものじゃなかった」
正確には、これは嘘だ。
部活発足に必要な初期部員の人数は3人。1人補うごとに25万ポイントを要する。
つまり、俺が必要だったのは50万ポイント。
しかしあの当時、俺は佐倉の連絡先をネタに、既に退職した元家電量販店店員のおっさんから50万を騙し取っており、所持ポイントは60万ほどだった。
50万ポイントを払っても、10万ポイントは余る計算になる。
「じゃあどうやって……」
「教師側にある無理難題をふっかけた。俺がこれを達成できたら、部活を立ち上げさせてくれってな。学校側はそんなの不可能だと思ったのか、あっさりとその条件を呑んだ。その予測に反して、俺はその難題を突破できた」
「その難題って……?」
「それは想像に任せる」
全国模試で1位を取り続ける、なんてこと、言っても簡単には信じないだろう。
まあ、それこそが無理難題たるゆえん、ともいえる。
そこからしばらくして、茶柱先生が車に戻り、俺たちは対外試合の会場である町田高校へと再び出発した。
~~~~~~~~~~
「到着だ。全員荷物を持って、正面に見える玄関へ入れ」
茶柱先生は、なんだかんだで顧問をしっかりやってくれていると思う。
今の指示出しもそうだ。
それに高校のサーチ、対外試合の申し入れ、日程調整、運転。
クラス担任としての茶柱先生にはまだ不満が残るが、顧問としては90点をあげてもいいくらいだ。
おっと、随分と上から目線になってしまったな。
だが、俺が茶柱先生に感謝の念を抱いている、ということは紛れもない事実だ。
「今日の対外試合の相手は、町山高校クイズ研究会。会員は6人と聞いている。もちろん、その会員らと話すことはできない。この学校の職員ともだ。くれぐれも注意しろ」
「はい」
これと同様の注意は、対戦相手の方にも伝わっているだろう。
校則により、俺たち三人とはやりとりを行うことができない、と。
俺たちは話しかけられても無視するしかない。これは事前に伝えておかなければ、クイズ研究会のメンバーに不愉快な思いをさせてしまうことになる。
ここで少し、今回お邪魔する町山高校について、ざっと話しておこう。
町山高校。
国内有数の難関私立高校。進学実績は非常に優れ、共学校の中では日本一とも言われる。
高校生クイズや超難問コロッセ〇でも、毎年のように優秀な成績を収めている。
スポーツにおいては目立った実績はないものの、入学希望者の倍率は、毎年のように4倍を超えるという。
玄関で来客用のスリッパに履き替えると、一人のワイシャツ姿の男性が現れた。
口に出して挨拶はできないので、頭を下げることでその意を示す。
「おはようございます。高度育成高等学校学習部、顧問の茶柱と申します」
「ご丁寧にどうも。町山高校クイズ研究会、顧問の岩上です。会場は4階の講堂になりますので、私が案内します」
「感謝します」
そんな手短なやり取りを終えた茶柱先生は、行くぞ、と俺たちに目で伝えてきた。
それに従って、俺たちも歩き出す。
俺たちの後ろには、監視役として、黒スーツを身に着けた高度育成高等学校のスタッフ二名もついてきている。
岩上さんの背中についていく茶柱先生の後を歩く俺たち。
スリッパが床に接触するペタン、ペタンという音が廊下に鳴り響く。
俺たち3人は若干だが、ソワソワしていた。
自分たちの所属していない学校の校舎だから、というのもあるだろう。
だがそれ以上に、こういった所謂「普通の感じの学校の校舎」を懐かしく感じている、という面があるんじゃないだろうか。
こうしてみると、自分たちが普段、いかに恵まれた施設の中で過ごしているかを実感する。
完全空調設備が整っている俺たちとは違い、この学校の校舎では外気の冷たさが感じられる。
この学校にはエレベーターが設置されているようだが、生徒の使用は基本的に認められていないらしく、俺たちも階段で4階の講堂まで案内された。
「ここが講堂です」
扉を開けながら、岩上さんは言う。
「みんな、相手方が到着したぞ」
対戦相手である俺たちの到着を、会員に告げた。
自然、会員である6人の生徒の注目は俺たちに集まる。
……いや、「俺たち」では少し表現が不正確だな。
会員6名の男女比は4対2だが、男女関係なく、注目は俺を除いた藤野と一之瀬に集まっていた。
……まあ、それも自然なことだ。
この二人の容姿は、学校内でもトップクラスだからな。
特に年頃の男子なら、ガン見しても仕方がないというものだ。胸とかね!
その6人は、注がれる視線に居心地悪そうにしている藤野と一之瀬の様子を察したのか、ひとしきり二人を見尽くして満足したのかは分からないが、目線を二人から外し、講堂の前の方へと集まっていく。
「私たちはすでに準備を整えています。そちらが大丈夫でしたら、早速始めてしまおうと思うのですが……」
岩上さんの言葉通り、机はきれいに整理されており、前にはホワイトボード、それに早押し機のようなものもあった。準備満タンといった感じだ。
「我々としてはそれで構いません。お前たち、必要なものだけ出して、荷物はここに置いておけ」
茶柱先生の指示に従い、俺たちは壁際に自分たちの荷物を置いて、筆箱と糖分補給用の菓子だけ持って前に出た。
そして、早押し機の前に並ぶ。
「問読みや対戦形式、出題形式などは、全てこちらで決める、ということでよろしいですよね?」
「もちろんです。私たちはクイズに関しては全くの素人ですから、全てお任せします」
俺はこの対外試合に備え、ある程度クイズに関する知識を蓄えてきたが、それは付け焼刃のものだ。
ここの会員のクイズのレベルは全国区。恐らく比較になるレベルではない。
クイズ的な出題では絶対にかなわない。
俺たちのテスト範囲からの出題を、確実に取っていくしかない。
「では、まずは3対3の早押し対決、にしましょう。早押しで1番早かった人のみ回答権を得ます。その人が不正解した場合、そのチームはお手付きで、その問題の回答権を失います。注意してください。問題は全部で30問あります。クイズ研究会チームは、15問でメンバー入れ替えを行うこととします。頑張ってください」
淀みのないスムーズな流れで、ルール説明をこなす岩上さん。
こういうのに慣れてるんだろうな。
「では行きます。問題。まぐちがせ」
なんと、このタイミングで押された。
押したのはもちろん、クイズ研究会チーム。
「鰻の寝床」
ピンポンピンポンピンポーン、という正解のSEを鳴らす岩上さん。
藤野と一之瀬は口あんぐりである。
恐らく、どんな問題が読まれようとしていたかも、「鰻の寝床」とは一体何なのかもわかっていないだろう。
推測だが、問題文は「間口が狭く、奥行きが広い建物のことを、ある動物を用いてなんと例えられるでしょう」みたいな感じか。
クイズの世界では典型中の典型の問題。
まあ、これは仕方ない。
「二問目です。問題。心臓において、心房と心室の間にある弁」
今度は俺が押した。
この問題は、俺たちの「理科」のテスト範囲である心臓の構造の基本からの出題。
「……半月弁」
鳴り響く正解のSE。
しかし、藤野、一之瀬の両者は戸惑っている。
あまりに気になったのか、藤野が俺の肩に指先でちょんと触れて質問してくる。
「あ、あの、速野くん、心室から心房に血液が逆流しないためにある弁って、房室弁じゃなかったっけ……?」
藤野の言っていることは正しい。
血液は、全身から大静脈を通って右心房に流れ込む。そして「房室弁」と呼ばれる、心室から心房への血液の逆流を防ぐための弁をクリアし、血液は右心室に移動する。すると今度は「半月弁」を通り抜け、血液は肺動脈へと流れていく。
問題文で読まれていた、「心房と心室の間にある弁」だけを聞けば、答えは藤野の言う通り房室弁ということになる。
しかし、これはクイズなのだ。
「問題の読み手が不自然な抑揚のつけ方をしただろ?あれは、そのあとに『ですが』が入る合図だ」
問題文の続きはこうだ。
『~にある弁は房室弁ですが、心室と心臓外へつながる血管との間にある弁をなんというでしょう?』
ここまで予測したうえで、正解は「半月弁」となる。
「そういうことだったんだ……」
「まあ、初めてなら仕方ないことだ。どんどん慣れていけばいい」
気にするな、とは言ったものの、それは無理な話か。
初めの30問は、クイズの『常識』に全く対応できない二人が一度も早押しボタンを押すこともできず、24対6という圧倒的大差で俺たちが敗北した。
30問のうち、クイズ的出題は23問、俺たちのテスト範囲からの出題は7問あった。
つまりテスト範囲からの出題でさえ、俺たちは1問取り逃したことになる。
さすが、国内有数の難関私立高校といったところか。
~~~~~~~~~~
「次の問題は、ホワイトボードを使って回答する問題です。問題は全部で8問あります。早押し問題の場合、間違えたらお手付きで、その問題の回答権を失います。制限時間付き問題の場合は、間違えたら1点マイナスされますので、注意して取り組んでください」
早押しではないから、クイズ要素は若干ではあるが弱まると見ていい。
藤野と一之瀬にもチャンスはあるかもしれないな。
岩上さんがA5サイズの紙を裏返して配布する。
裏には問題が書かれている。合図があるまで裏返さないように、と注意喚起がなされた。
「第一問の制限時間は8分です。では、始め」
合図と同時に、一之瀬が問題用紙を裏返す。
「これは……数学の問題だね」
問題はこうだ。
『素数が無限に存在することを証明せよ。』
非常に短く、簡単明瞭な問題文。
それに反し、初見では解法は簡単に思いつかない。
「……難しいね」
「速野くん、分かる?」
「……たぶん」
「え、ほ、ほんとに?」
こういった類の証明問題には、ある一つのセオリーが存在する。
そして、それは俺たちのテスト範囲だ。
「授業でも習ったことだ。こういう問題は、大体背理法で解ける」
「あ、そっか、背理法かあ……取り敢えずやってみようよ」
「うん」
背理法とは、ある事象を証明するために、提示された事象が誤っていると仮定した場合に矛盾が生じることを示し、その事象が正しかったということを導き出す手法だ。
この問題の場合は、素数が有限個であると仮定し、その仮定の矛盾を示せばいい。
「素数がn個あると仮定して……そこからどうすればいいんだろ……」
「素数の性質を考えればいい」
「素数の性質って……1とその数以外に約数がない数、だよね?」
「ああ。言い方を変えると、素因数分解できない数、どんな素数で割っても余りが出る数、ってことだ」
「……あっ」
そこまでヒントを与えたとき、一之瀬の体が跳ねた。
まさにピーンときた、という感じだ。
「わかったか?」
「う、うん。素数が有限個って仮定したとき、素数全部をかけた数に1を足したら……それって素数だよね?」
相手側に聞こえないよう、声を潜めて藤野にそう伝える一之瀬。
ワンテンポ置いて、藤野が手を打った。
「……あ!そういうことだったんだ!」
「二人ともわかったみたいだな。あとは、数学のルールに従って解答を書き込めばいい」
完全に理解した俺たちは、残り時間20秒というタイムで証明を終了させた。
『素数がn個存在すると仮定し、小さい順にA1,A2,A3,…Anとする。最大の素数はAnである。
ここで、Xを「A1からAnまでの全ての素数をかけた数」と定義する。
このとき、X+1は、どのような素数で割っても1余る数、ということになる。
つまり、X+1は素数である。
しかし、X+1>Anであり、これはAnが最大の素数であるという仮定に矛盾する。
このことから、素数がn個存在するという仮定は誤りである。よって、素数は無限に存在する』
「両チームとも正解です」
「やったっ」
正解のSEが鳴らされると同時に、藤野と一之瀬がハイタッチ。
「速野くんも、ね?」
「……あ、おう」
そんな具合で、俺も求められるままに藤野、一之瀬とハイタッチを交わした。
しかし、さすがは町山高校。当然のように正解してくる。
当然、単純な学力も相当なレベルだろうが、この問題の場合、どこかで類題を見たことがある、というパターンもあり得る。
俺の場合はそうだ。11月ごろに受けた全国模試で、これの類題が出題された。そのため、見た瞬間にすぐに解法を思いつくことができた。
安心したのも束の間。十数秒後、次の問題が配られる。
「次の問題です。制限時間は1分30秒。では、始め」
告げられた制限時間の短さに少し驚きつつも、合図に従って問題用紙を裏返す。
『次の英文を和訳せよ。
He said that that that that that boy used in the sentence was wrong.』
「thatの用法の問題か……」
一応、俺たちのテスト範囲ではあるものの、文章がかなり特殊だ。
文中にthatが5つも連続して並んでいる。
「分かるものからやってみようよ。最初のthatはthat節のもので、最後のはboyにかかる指示語だよね?」
特殊な文章にもうろたえることなく、一之瀬が冷静に思考を組み立てていく。
「ああ。ここまでで、『彼は文中であの男の子が使った○○は間違っていると言った』だ」
「そういう訳になるよね……ってことは、最後から2番目のthatって、"that boy used~"にかかる関係代名詞かな?」
「そうだな。残るは2番目と3番目のthatだ。4番目のthatが関係代名詞ってことは、その直前にくるのは名詞のはずだから、3番目のthatは指示語でもないただの名詞ってことだ」
「じゃあ2番目は名詞の直前に来てることになるから……指示語のthat?」
「それで間違いないだろう」
5つすべてのthatの正体を暴きだした俺たちは、この問題の正解にたどり着く。
『彼は、文中であの男の子が使ったその"that"は間違いだと言った』
和訳してみればなんの変哲もない文章に見えるが、元の英文はかなり読みづらく書かれている。
指示語の用法である2つ目のthatは"the"で書いた方が分かりやすいし、3つ目のthatには本当ならダブルコーテーションマークがつくだろう。
読む側に全く配慮のない、かなり意地の悪い問題文だ。thatの基本用法の他に、英文の構造を分析する能力もかなり求められる。まあ、だからこそ問題になるんだろうけど。
意外だったのは、この問題を町山高校のメンバーが間違えていたこと。
恐らく、三番目のthatの正体が見抜けなかったんだろう。
三番目の訳し方さえわかればだいぶ楽だが、分からなければかなり厳しい。
この三番目のthatは問題のキーとなるワードであり、それでいて質の悪いことに、最も訳す難易度が高いのだ。
高難度の問題はまだまだ続き、俺たちの体力を奪っていく。
~~~~~~~~~~
時刻は午後1時40分。
昼食休憩を終え、午後の対戦が始まってから既に1時間弱が経過している。
俺たちも、そして町山高校の面々も、次々に出される高難度の問題に頭をフル回転させ、かなり疲弊している。
これまでの経過は……まあ、予想の通り。
今までに両チームが正解した問題数を数えているわけではないが、少なくとも俺たちがボロックソに負けているのは確かだ。
クイズの領域から逸れた高難度の問題に関しては、俺たちは恐らく町山高校よりも多く正解できているだろう。だがそれ以外の純粋なクイズでは、正解数は両手で足りるほど。
ここまでくると俺たちの中に「悔しい」という感情はない。
「いっそ清々しい」とはまさにこのことだ。
「では、これが本日最後の問題となります」
岩上さんがそう告げる。
本当のラストスパートだ。俺自身かなり疲れているが、最後の集中力を振り絞り、問読みに耳を傾ける。
「問題。皇朝十二銭のうち、最初に鋳造されたものは和同開珎ですが、s」
岩上さんが「最後に」と言いかけたこのタイミングで、藤野を除く5人が押した。
そしてボタンがついたのは……一之瀬だった。
「えっと……乾元大宝」
ピンポンピンポンピンポン、というSEが鳴らされ、それが正解であることが俺たちに知らされた。
一之瀬は「やった!」と歓喜し、藤野も自分のことのように喜んでいる。
それも無理はない。
一之瀬が「純粋なクイズ」で正解をもぎ取ったのは、この最終問題が初めてのことだったのだから。
「……すごいな。最後の最後で」
「たまたまだよ。日本史で習った範囲だったから」
前半はクイズにおいてほとんど何もできなかった一之瀬だが、後半では、正解が確定する押しポイントをだんだんと理解してきていた。
それでも一問も取ることができていなかったのは、押しポイントが分かっても単純に問題の答えが分からなかったこと、そして押すタイミングが町山高校のメンバーに比べてわずかに遅かったことが原因だ。
今の問題文で言えば、これまで一之瀬は、「最後の」の「さ」まで聞こえて初めて押していた。
しかし今回、一之瀬は「さ」が言いきられる前にボタンを押した。これは町山高校のメンバーの押しポイントと全く同じタイミングだ。
あとはもう誤差の範囲。誰が解答権を得るかは運しだいということになる。
そして、運を味方につけた一之瀬が正解した。
何はともあれ、これで対外試合の全日程は終了した。
別室にあった掃除用具を使って、参加したメンバー9人全員で講堂内を清掃。
その後支度を済ませ、謝辞として一礼してから、俺たちは講堂を後にした。
「二人とも、今日は助かった。ありがとう」
車に向かう道中、二人に礼を言った。
「そんなに改まらなくても大丈夫だよ」
「うんうん、ちゃんとテストの復習にもなったしね」
それは紛れもない事実だった。
俺の想像していたよりも、俺たちのテスト範囲からの出題は多かった。
「クイズは楽しかったか?」
「うーん、楽しむ余裕がなかったから……」
「……確かにそうだったな」
クイズといえばテレビ番組くらいでしか見たことがなかったであろう2人が、いきなりボス級と相対したらそうなるのも当然といえる。
「でも、気分転換にはなったよ。だから……ありがとう」
「……そうか」
……まだだな。
今は一時的に気分が誤魔化されているだけだ。
「克服」するためには、あと1つ、手を加える必要がある。
「帰りは高速は使わず下道から行くらしいから、長い時間車から出られなくなる。トイレとか大丈夫か?」
「私は大丈夫」
「私もさっきの休憩中に済ませたから」
「分かった。じゃあ先生、お願いします」
車が町山高校を出発し、目的地へと向かう。
疲労がたまっている俺たち3人は、それから間もなく、眠りに落ちた。
出てきた問題、正解できたでしょうか?
次話または次々話で9巻分は完結するかと思います。次はもっと早く出せるよう頑張ります……
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ep.74
「へえ、金曜日の放課後にそんなことが……」
大きな実りのあった対外試合の翌日、週明けの月曜日。
ついに一之瀬が学校へ登校してきた。
やはり昨日の「アレ」が効いたんだろう。
校舎内で一之瀬を直接見たわけではない。しかし、現在一年生の中で最も注目を浴びているといっても過言ではない一之瀬。情報は自然と耳に入ってくる。
とはいえ、だ。
それはあくまでBクラスにとっての重要事。
他クラスの生徒たちも注目していたとはいえ、一之瀬とテスト対策、どちらが大事かと言えばテスト対策に決まっている。
綾小路グループの面々は、昼食時間を利用して啓誠の机の周りに集まってテスト対策を行っていた。
俺と啓誠が共同で作った模擬テスト。前日の夜にそれぞれ自主的に取り組み、現在は採点をしていた。
そこに生まれた待ち時間中に、俺はメンバーから二つの興味深い話を聞いた。
金曜日の放課後、AクラスとDクラスの接触現場に、俺を除く綾小路グループのメンバーが居合わせたというのだ。
そこで軽く暴力沙汰があったらしい。Dクラスの椎名の制止によって大事には至らなかったそうだが。
一番引っかかったのは、最初に手を上げたのがAクラスの橋本だったということ。
「それおかしくないか。暴力事件起こしたら厄介なことくらい、橋本は理解してると思ってたけどな」
「なんでも、今度の生徒会長はちょっとの暴力沙汰なら大目に見てくれる、らしい」
「……どこ情報だよそれ」
「橋本が言ってたんだ」
「その橋本はどこからそんな話を聞いたんだ?」
「それは……さあ。でも、橋本が最初に手を出したから、大目に見るっていうのは本当の話だと思うぞ」
そうだろうな。だが俺が気にしてるのは話の真偽じゃない。
どうして橋本が、暴力沙汰に関する生徒会長の姿勢を知っているか。
話を聞く限り、金曜日の接触現場にいた者の中で、そのことを知っていたのは多くてもAクラスサイドの2人のみ。
とすれば、Aクラスのみが知っていた情報、と考えるのが自然だ。
そこから推測できることは……
「採点終わったぞ。今のところ全員バッチリだ。残された時間で仕上げていけば、問題なく試験は乗り越えられるはずだ」
「啓誠からのお墨付きなら、安心だな」
4人とも80点以上、綾小路にいたっては90点を取っていた。
十分な点数だ。
そのとき、突然教室のドアが激しく開かれた。
「おいみんな、大ニュースだ!」
池が興奮した様子でそう叫ぶ。
教室内は驚きつつも、池の言葉の続きを待った。
「Aクラスの連中がBクラスに乗り込んだらしいぞ!」
へえ、いよいよか。
登校してきた一之瀬に対する、坂柳の最後の仕上げ。
いつか来るとは思ってたが、登校初日か。
出鼻を挫くつもりだな。
「ついに来たようね」
堀北がそうつぶやき、教室を出ていく。
それに続き、須藤や平田などもAクラスが乗り込んだというBクラス教室へと向かっていった。
「俺も行ってくる」
「じゃあ俺も行く。愛理と波瑠加はここに残ってる方がいい。人数が多くても意味はないしな」
「はいはい。じゃあ私たちはここでゆっくりご飯食べてようよ」
言われなくてもそうします、といった対応だった。
「清隆と知幸はどうする?」
「オレは……一応見に行く。なにかできるとは思えないが」
清隆がそう答え、啓誠の視線が俺に向く。
「じゃあ、俺も行く」
当然だ。
ここ最近の、俺と藤野の「尽力」。
その成果を確認したい。
4人で教室を出て、Bクラス教室へと向かう。
すでに騒ぎは学年中に伝わっているらしく、廊下はざわざわとして、少し騒がしかった。
Bクラス教室に到着すると、喧騒はひと際大きくなる。
そこにできていた野次馬に俺たちも加わって、教室内の様子をうかがう。
「何しにきたんだよ、坂柳!」
教室の教壇付近に立っている坂柳に、柴田が詰め寄る。
「ふふ、私はBクラスの皆さんに救いの手を差し伸べに来ただけですよ?」
坂柳のそばにいる取り巻きは神室と橋本のみで、残りは全員自分を敵視している人物ばかり。
そんな完全なアウェイの状況も、坂柳はスリルとして楽しんでいる様子だ。
「どういう意味かな、坂柳さん」
教室の奥の方から、一之瀬が坂柳の前に姿を現した。
「ま、待てよ一之瀬!」
「そうだよ帆波ちゃん、行っちゃだめだよ!」
クラスメイトが止めに入る。
しかし一之瀬はその制止を「大丈夫だから」と断り、坂柳と対面する。
「本題に入る前に、まずは体調が回復されたこと、安心しました。期末テストに間に合ってよかったですね」
「うん、ありがとう」
坂柳としてはこういう話の仕方をするしかないわけだが、そもそも一之瀬の体調が崩れたのは坂柳が原因の大きな部分を占めている。Bクラスからすれば白々しいことこの上ないだろう。
「救いに、といったな坂柳。それは自分が噂の元凶だと認めるということか?」
「いいえ、噂を流したのは私ではありません」
「では、何をもって救うというんだ」
冷静に、しかし確かな怒りを持って坂柳を問い詰める神崎。
「以前、一之瀬さんが大量にプライベートポイントを所持しているという話が持ち上がりましたね。あの時は不正行為がなかったためすぐに鎮静化しましたが」
「それがどうした」
「これは私の想像ですが……一之瀬さんは、Bクラスの銀行役のようなものを担っているのではありませんか?」
「いったい何が言いたいんだ坂柳。どちらにしろ答えられることじゃない」
「ええ、ですので答えを求めているわけではありません。ですが、もし私の言う通りだとすれば……それは非常にリスクのあることだと思ったのです」
そこで言葉を切り、坂柳は一之瀬に視線をやる。
「どうですか、一之瀬さん?」
挑発的な声色。
それを受けた一之瀬は、体を坂柳ではなく、クラス全体に向けた。
そして開口一番、こう言い放った。
「みんな、ごめんなさい!」
頭を下げる一之瀬に、Bクラスの面々は動揺を見せる。
「な、なんで謝ってるんだよ一之瀬」
「柴田くん、一之瀬さんは懺悔をしようとしているのです。彼女の意思を尊重してあげましょう」
今から始まるショーを邪魔するな、とでも言いたげな坂柳。
「私、今までずっと、みんなに隠してきたことがあるの……」
「待て一之瀬、やめろ」
神崎の制止も、一之瀬を止めることはできない。
「ここ最近、私に関する変な噂が広がってたよね……もちろん、そのほとんどはでっち上げだよ」
全員が「ほとんど」という言葉に反応した。
つまり、全部が嘘ではない、ということ。
「でも……その中で一つだけ本当のことがあるの。それは先々週の金曜日、手紙に書かれてた、私が犯罪者だっていうはなし」
教室内も、そして大量の野次馬がいる廊下も、みるみるうちに静まり返っていく。
「そうでしたか。それは驚きました」
わざとらしいセリフを吐く坂柳。
「しかし、皆さん見当もついていないようです。教えてあげてください。あなたがどんな『罪』を犯したのか、この場にいる全員に」
坂柳のなんと愉快そうなことか。
すべて坂柳の想定通りにことは進んでいるといっていい。
「私は―――いま、ここで自分の過ちを告白します」
上機嫌な坂柳とは対照的に、場の空気は張り詰めたものになっている。
一之瀬の目には涙が浮かんでいた。
そして、口が開かれる。
「私の『罪』、それは――――万引きをしたこと」
ついに一之瀬が、自らの罪を明かす。
この決断をするまでに、想像を絶するような苦悩、恐怖、葛藤があったに違いない。
しかし、彼女はそれを乗り越えた。
その結晶を、要約した形で、ここに書き記すことにしよう。
一之瀬は母子家庭の3人暮らしで、家族構成は一之瀬、母、そして2つ下の妹。
働きながら、女手一つで2人の子を育てる母。
貧乏ではあるが、仲良く暮らしていたそうだ。
そんな母親が、一昨年の夏、過労で倒れた。
そのタイミングというのが、妹の誕生日の近くだった。
妹は、自身の家庭に余裕がないことを幼いころから理解し、我慢の生活を送ってきた。
そんな妹が初めて、誕生日プレゼントとして当時流行していたらしいヘアクリップを欲しがった。
だが、母親の入院により、それどころではなくなった。
妹は悲しみ、母親を怒鳴りつけた。しかし、泣き叫んでどうにかなる問題じゃない。
それを気の毒に思った一之瀬は、スーパーマーケットからそのヘアクリップを盗んだ。
そして、それを妹に誕生日プレゼントとして渡した。
そうとも知らず、妹はそれを見てたいそう喜んだ。
だが、後から襲い掛かってくる罪悪感に、一之瀬は心を締め付けられた。
そしてその万引き行為は、ほどなくして母親にバレることになった。
理由は単純。妹がそのヘアクリップをつけ、母親の見舞いに行ったから。
当然妹は、そのヘアクリップは一之瀬がくすねてきたものだなんて知る由もない。秘密にしておけと忠告してはいたものの、妹を責めるのは酷な話だ。
母親は怒り、妹からそのヘアクリップを取り上げた。そして安静を命じられていた病院を飛び出し、スーパーに行ってヘアクリップを返却、土下座して許しを乞うた。
その時初めて、一之瀬は自分がとんでもないことをやったと自覚した。
母親の必死さが伝わったのか、結局、店側が一之瀬を警察に突き出すことはなかった。
しかし、騒動は瞬く間に学校中に広がった。
学校に居場所がなくなった一之瀬は、その後卒業までの半年間、部屋に閉じこもる生活をつづけた。
そんな一之瀬の転機は、教師にこの学校を推薦されたこと。
誰も自分の罪を知らない。金もかからない。しかも、卒業したら好きなところに就職できる。
すべてをやり直すつもりで、一之瀬はここに入学してきた。
「……でも、結局はこうなっちゃった。やっぱり、自分の罪からは逃げられない、ってことなのかな」
自嘲気味に、ぽつりとそうつぶやいた。
「ごめんねみんな、こんな心の弱いリーダーで……」
「そんなことないぜ、一之瀬」
そばで話を聞いていた柴田。
「今の話を聞いて確信した。やっぱり一之瀬は良いやつなんだってさ」
「うん、私も。確かに帆波ちゃんは悪いことをしたけど―――」
カン、と甲高い音が突然鳴り、一之瀬への言葉を遮る。
「良いやつ?笑わせないでもらえますか。くだらない茶番ですね。どんな事情があろうと、万引きは万引き。あなたは『犯罪者』なんですよ」
「うん、その通りだよ」
「今、あなたがクラスメイトから預かっている大量のプライベートポイント、それも卒業間際に盗み取ってしまうのではありませんか?今のようにクラスメイトの同情を誘うやり方で」
気に入らない展開になったのか、少々落ち着きを失っている坂柳。
早口で、語気も多少粗くなっている。
「皆さんもお分かりになったでしょう。これが一之瀬帆波という人間です。はっきりと言っておきますが、彼女のような人物をリーダーに据えている限り、Bクラスに勝ち目はないでしょう。今この場でクラスのリーダーを降りる。そして預かっているプライベートポイントを生徒に返却する。それくらいのケジメを取ることくらい、してみせてはいかがですか?」
坂柳はBクラスの総意をもって一之瀬を降ろすことに限界を感じたのか、今度は一之瀬本人にゆさぶりをかけた。
まあ確かに、それは有効な手法だ。
いや、有効な手法「だった」。
今の一之瀬に、その手は通じない。
弱さをさらけ出す勇気を、弱さを受け入れる勇気を身に着けた一之瀬は、今まで以上に強い心を手に入れた。
その程度で動じるほど、一之瀬の心は弱くない。
この場にいる全員、一之瀬の言葉を待つ。
「確かに、私は万引きという罪を犯した。それに同情の余地はない」
「ええ、その通りです一之瀬さん」
「でも……」
ここで言葉を切った一之瀬。
一つ深呼吸。
そして、言い放つ。
「でも、これで私の懺悔は終わり!」
Bクラス全体に向けて。
そして、坂柳に向けて。
「私はこの罪を背負って、前に進んでいく。そう決めたから」
一瞬、一之瀬がこちらを見た気がした。
しかし、すぐに向き直る。
一之瀬の宣言を聞いた坂柳は、わざとらしく失笑して見せた。
「まさに厚顔無恥、ですね。その開き直り方、これが万引きをした悪人の態度でしょうか?」
「開き直り、かもしれないね。でも私は、もう自分の弱さからも、罪からも逃げない。覚悟は決めてる」
ここ数週間見ることのなかった、晴れ晴れとした表情の一之瀬。
「こんな私だけど……みんな、ついてきてくれる、かな……?」
クラスメイトにすべてをさらけ出した。
その勇気を、まずは素直に称えたいと思う。
そんな一之瀬に対する、クラスメイトの反応は……
「あったりまえじゃん!!」
「もちろんだよ!」
賛同、エール、あるいは声援。
張り詰めていた教室の空気が、温かい言葉によって埋め尽くされ、弛緩していく。
「どうすんの、坂柳」
坂柳の隣に立つ神室の声。
どうするの、とは言いながら、その言葉には「撤退したほうがいい」というニュアンスが含まれている。
「フフフフフ……」
坂柳の頭に、作戦失敗という文字がよぎる。そして不気味に笑い声をあげた。
「なるほど、Bクラスに対しては上手く丸め込みましたね。しかし、あなたの過去の犯罪が消えるわけではありません。これからもずっと、この話は広まり続けるでしょう」
「言ったはずだよ坂柳さん、私は自分の罪から逃げない、って」
「そうですか、では徹底的に……」
「はーい、皆ちゅうもーく」
その言葉は、坂柳の言葉を遮るようにして聞こえてきた。
声の主は、Bクラス担任の星之宮先生。
茶柱先生、南雲会長も一緒にいる。
「これはこれは……一年生同士の問題に、教師が介入するというのですか?」
「ああ、確かにこれは一年生同士の小競り合いだ。だがこの問題は、生徒間の問題、なんて範疇を超えてるのさ」
「……どういうことでしょう?」
その疑問には、茶柱先生が答えた。
「詳細は伏せるが、お前たち1年生の間で、無根拠な誹謗中傷の応酬が行われていることが明確に確認された。一部の生徒から被害の訴えも出ている。期末テストも近づいている今、噂の吹聴によってこれ以上風紀が乱れることを学校側は望まない。よって、これ以上の無意味な噂の吹聴を禁ずる。これを侵した者は、処罰の対象となる可能性があることも、合わせて告げておく」
「……なるほど、そういうことですか」
状況を察する坂柳。
一部の生徒からの訴えとは、俺たちCクラス、Bクラス、Dクラスが教師に泣きついた件だろう。
結果的に、あれが功を奏した形になった。
「学校側が重い腰を上げた、ということかしら」
いつの間にか俺の隣に立っていた堀北が言う。
「あの時、訴えておいてよかっただろ?」
「……結果論で言えば、そうなるわね」
そう呟くが、どこか納得のいっていない様子だ。
「一之瀬さん以外の噂……ほんとうに坂柳さんが流したものなのかしら?」
「は?いきなりどうしたんだよ」
「いえ……少し気になっただけ」
「……そうか」
へえ。
勘が鋭くなったな、堀北。
お前の疑問は当たっている。
一之瀬以外の噂を流したのは、坂柳じゃない。
かといって、俺でもない。
犯人は恐らく、この一件には本来何の関係もなかったはずの人物だろう。
「行きましょう。学校側が動いたのであれば、私たちの出る幕はありませんから」
そういって、坂柳、神室、橋本の3人がBクラスを後にする。
憎むべきAクラスの撃退に、教室が一度、大きく沸きあがった。
一件落着、だな。
~~~~~~~~~~
「ご無沙汰しております、速野くん」
Bクラスの一件が幕を閉じた日の放課後。
綾小路グループの集まりに向かうべく、歩を進めていた俺の目の前に現れたのは、坂柳、そして神室の二人だった。
「久しぶりだな」
「合宿の際にも顔を合わせることはありましたが、このような形でお会いするのは、クリスマス手前にご一緒させていただいたとき以来、でしょうか」
「そうなるな」
人形のような容姿。丁寧な口調。それに反する好戦的な表情。
「何か用か」
「ふふ、今回は随分とご活躍されたようですね」
急にそんなことを言う。
「今回?」
「誤魔化さなくても構いませんよ。私は喜んでいるのです。あなたは私の想定を超えた実力者なのですから」
「待て待て、聞き手を放置して話を勝手に進めるのは感心しないぞ」
「ええ、本当に想定外でした。あなたへの評価を改める必要がありそうです」
だめだ、俺の話なんか聞いちゃいない。
いや、違うか。
俺がとぼけようとしているのをわかってるから、こんな対応の仕方をしてるんだろう。
いくら話の腰を折ろうとしても無駄だと俺に思わせ、素直に話を聞かせることが坂柳の狙い。
「あなたが具体的に何をしたのか、そのすべてを私が知る術は現時点ではありません。ですが、今はそのようなことはどうでもいいのです。ふふふ、狙いとは異なりましたが、ある意味最高の結果に終わりました。いつかあなたと直接勝負をすることを、楽しみにしていますよ、速野知幸くん」
言いたいことだけ言って、坂柳と神室は立ち去った。
なんだそりゃ。
宣戦布告のつもりだろうか。
相変わらず一方通行だな、まったく。
相手の気持ちを推し量るということができないんだろうか。まあこれに関しては俺も人のこと言えないと思うけど。
以前も言った気がするが、俺は坂柳には恐らく勝てないし、勝ちたいとも思っていない。
勝ちたいと思ってるのは藤野だ。俺はそれに手を貸しているだけ。
だから、俺に照準を合わされても困る。
はぁ……試験前だってのに、余計な心配事が増えてしまった。
頼むからこの3日間くらい、テスト勉強だけに集中させてくれ。
原作での一之瀬とはまた違った開き直り方をしています。この小説の中の一之瀬は、過去を振り返らないのではなく、本当の意味で過去を「受け入れる」という形で立ち直らせました。
次話は9巻分最終話です。元々1話にまとめる予定だったものを2話に分割したので、7割くらいはすでに出来上がっています。なので割とすぐ出せると思います。
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ep.75
一之瀬は復活した。
それも、以前より精神的に強くなって帰ってきた。
藤野のヒーリングの効果は大きかっただろう。
対外試合に参加したことによる気分転換も、わずかだが効果はあったと言っていい。
だが、それだけか?
本当にそれだけで、一之瀬はあそこまで復活したのか?
違う。
あの日、何が起こっていたのか。
それを今、明かすことにしよう。
その前に、まずは前提条件から話す必要がある。
俺は冬休み中、藤野からこんな報告を受けていた。
坂柳が、一之瀬を攻撃するかもしれないこと。
そしてその攻撃材料は、一之瀬が「過去に万引きを行った」こと。
藤野は、一之瀬が引きずっている十字架が何なのか、冬休みの段階でその概形を知っていたのだ。
それを受け、俺は混合合宿の際に最初の布石を打った。
俺はバスの中で、藤野に一つの指示を出した。
『合宿中に、できるだけ一之瀬と親密になってくれ』
藤野はそれを見事にやってのけた。
結果として、二人は俺の予想以上に親密になった。
あそこまでの親友関係になったのは、藤野の「一之瀬と仲良くなりたい」という気持ちが本物だったからだろう。
俺の指示だけで動いていたなら、ここまで上手くいかなかったはずだ。
では、なんのために藤野を一之瀬に近づけたのか。
答えは、俺の企画する学習部の対外試合に、一之瀬を確実に参加させるため。
俺が一之瀬に対外試合の参加を頼んだ時、一之瀬の噂は学校内に蔓延し、一之瀬はダメージを負っていた。
しかし、一之瀬は一切の反応を示さず噂を無視し、噂が風化することを望んでいた。
つまり、一之瀬としては「噂による攻撃は自分には効いていない」とアピールする必要があった。
そのタイミングで持ち込まれた、俺からの頼み事。
俺は会話の中で、「噂のせいで精神的にきつく、参加は見送りたい」以外の、一之瀬が断る理由を全て潰した。
そして、残された不参加理由を、一之瀬は取ることができない。
あの場で一之瀬が参加を断ることはほぼ不可能だった。
あとは、ドタキャンの防止。
一之瀬が参加を表明した直後に、「一之瀬が不参加を表明していたら、対外試合そのものが中止になっていた」とプレッシャーを与え、一之瀬に「自分の都合だけでドタキャンするわけにはいかない」という印象を植え付けた。
そして俺と藤野は、間隔をあけつつも断続的に一之瀬と連絡を取った。
一之瀬の部屋を訪問したのもその一環だ。
Bクラスの生徒のように部屋に上がることを拒否されるリスクも当然あったが、約束事のある人物からの訪問であれば、そのリスクは幾分軽減される。
こうして外堀を埋めに埋め、一之瀬の対外試合への参加を確実なものとした。
では、一之瀬を外へ連れ出し、俺はいったい何をやろうとしていたのか。
話は20時間ほど前にさかのぼる。
それは、対外試合を終え、会場である町山高校を車で出発してから2時間ほど経過したころのことだった。
~~~~~~~~~~
「一之瀬さん、一之瀬さん」
藤野が、隣に座る一之瀬の体をゆすって起こそうとする。
「んん……藤野、さん……?」
目をこすって伸びをしつつ、一之瀬が目を覚ました。
「もう着きそうなの?」
「ああ。『目的地』にな」
「え?」
一之瀬がいぶかしげな表情をしているのが、後ろを振り向かずとも声色で分かる。
そこから少しの沈黙が流れたあと、突然一之瀬がはっとしたようにつぶやいた。
「……あれ?」
一之瀬の視線は、車窓からの景色に釘付けになっている。
「ここって……え?」
声色に焦りがありありと感じられる。
「藤野……さん?」
「……」
藤野は気の毒そうな表情を浮かべつつも、一之瀬の声を黙殺した。
「……速野、くん?」
「……」
俺は無表情のまま、一之瀬の声をやはり黙殺した。
「……な、なんで……」
声色に表れていた焦りは、いつしか恐怖に変わっていた。
「うそ……」
愕然とする一之瀬をよそに、茶柱先生の運転する車はとある建物の屋上駐車場へと進入していく。
「せ、先生!どういうことですか……!?」
「寄り道だ」
「寄り道って……!」
そう訴える一之瀬の声は、悲鳴に近いものがあった。
ここまで焦燥している一之瀬は初めて見るな。
車は駐車スペースに停車した。
「私は少し用を済ませてくる。例によって、お前たちは車中で休憩するように」
往路のサービスエリアでの休憩時とほとんど同じセリフを俺たちに残し、茶柱先生は席を外した。
当然、これらは打ち合わせ済みだ。
この場に一之瀬、藤野、俺の3人しかいない状況になったところで、俺は後ろに振り向き、一之瀬に話しかける。
「ここがどこか、一之瀬には聞くまでもないな」
「……なんで、速野くんが知ってるの……?」
「そのことは、今はさして重要じゃない。どんな経緯であれ、俺と藤野は、お前の犯した『罪』が何か、それを知ってる」
「……」
「まずは言語化してみろ。昨年の9月中旬、お前はどこで、なんのために、どんな『罪』を犯したのか」
「……」
一之瀬の目には大粒の涙が浮かんでいる。
しかし、口を開こうとはしなかった。
「お前は自分の罪を誰も知らないこの学校に身を置き、全てをやり直そうとした。罪を犯した弱い自分を内にしまって、強くあろうとした。だからお前は誰かに弱さを見せられない。今回お前はそこを坂柳に付け込まれた」
「……」
「その内にしまった弱さをさらけ出せ。吐き出してみろ。藤野と俺が全部受け止めてやる」
「……受け止めて、くれる……?」
「うん、そうだよ、一之瀬さん」
聞こえてくる嗚咽。
藤野がハンカチを差し出し、涙を拭かせた。
そして、ぽつり、ぽつりと一之瀬が語り始める。
「私……万引きしたの。去年の9月……このスーパーで」
いまこの車が停車しているスーパーマーケット。
この場所こそが、一之瀬帆波の犯行現場。
目を覚まして、車窓からの景色を見たときは、雷に打たれたような感覚だっただろう。
本来通るはずのない道。
しかしそこには、一年前まで当たり前のように見ていた光景が、確かに広がっていたのだから。
そして車がこのスーパーに入っていったとき、一之瀬の頭の中はまさに錯乱状態。
いまの一之瀬の心を揺さぶるのに、ここよりも最適な場所はないといえる。
一之瀬は、自らの罪の他に、なぜこのことが坂柳に知られたか、についても俺たちに語った。
生徒会に入る際、南雲生徒会長にだけはこのことを話した。
そして冬休みのある日、一之瀬は坂柳に「万引きを行っているクラスメイトについて相談がある」と持ちかけられたそうだ。
あとは坂柳お得意の心理誘導で、あれよあれよという間に自らの罪を坂柳に告白していた。
偶然とは思えない「万引き」というキーワード。
恐らく、南雲会長が坂柳に話したんだろう、と。
しかし、ここで一之瀬はかぶりを振り、言葉を続ける。
「……最低、だよね……」
と、自嘲するようにそうつぶやいた。
「どんな事情があっても……万引きなんて……」
後悔の念に苛まれている一之瀬。
慰めの言葉をかけるのは簡単だ。だがそれでは何にもならない。
必要なのは……一之瀬の心の変革だ。
「ああ、その通りだ」
だから、俺は否定してやらない。
「お前の言う通り、どんな事情があっても、万引きなんてするのはあまりに未熟、許されない行為だ」
「……そう、だよね。あの時の私は、どうかしてて……」
どうかしてて、か。
「違う。どうかしてたんじゃない。まるであの時の自分は本来の自分じゃない、みたいな言い方をしてるが、それはあまりにも的外れだ。万引きをやらかす心の弱さ、未熟さ、それは紛れもない『一之瀬帆波』の本質だ。自分じゃない何かに責任転嫁するな」
俺はあえて、一之瀬を追い込むように強い口調で話した。
「いや、実は頭では分かってるんだろ、一之瀬。お前以前堀北に『自分はそんなにできた人間じゃない』って言ったらしいな。でも、いま心を揺さぶられて出てきた言葉は、『自分じゃない何か』への責任転嫁だった。頭ではわかってても、心では受け止めきれていないってことだ」
人間、追い込まれたときに本音が出てくる。
「自分の弱さから逃げるな。逃げるなと言っても克服する必要はない。認めて、受け入れろ」
「受けいれる……?」
「そうだ。善人で頼りがいがあって優秀、しかし弱くて未熟な心の持ち主。それがお前だ。さっきから偉そうにしゃべってる俺だって、お前と同じかそれ以上に弱い心を持ってる」
当然のことだ。俺は弱い。
犯した『罪』の重さなら、万引きなどの比ではない。
「科された十字架を放置して今のままに留まり続けるか、背負って前に進むか、それはお前次第だ。そして、もし前に進みたいと思うなら……今、やるしかないと俺は思うけどな」
最後の最後で、判断を一之瀬自身に委ねた。
「……こんな弱い私を……みんなは認めてくれるのかな……?」
当然、拒絶される可能性だってあるわけだ。
相当の覚悟がいることなのは間違いない。
「……少なくとも、俺と藤野は、ありのままのお前を受け入れる」
これは、一之瀬帆波という人間が、自らの殻を破り、次の段階へ成長していくために必要なステップである。
そして、それをやるなら今しかない。
それを本人が理解し、決断した。
その瞬間だった。
~~~~~~~~~~
今回は、偶然に偶然が重なり、最高の形でことを運ぶことができた。
まず、一つ目の偶然。
ここ高度育成高等学校に、一之瀬と同じ中学出身の上級生がいたこと。
俺は混合合宿を終えた直後に、学校の掲示板にあるスレッドを作った。
内容は以下の通りだ。
『一之瀬帆波が通っていた中学校に関する情報提供募集(提供した情報によってはポイント支払いあり)』
一之瀬本人がこのスレッドを目にしたかは知らないが、恐らくBクラスの誰かの目には入っているだろう。恐らくかなりムカついただろうが、これは一学期の須藤の暴力事件の際、一之瀬本人が採用していた方法だ。
その時から一之瀬に関する噂は流れていたため、このスレッドは書き込み数、アクセス数ともにかなり伸びた。
だが、書き込みは信ぴょう性の薄いものばかり。書き込み主も冗談半分でやっている者がほとんどだろう。
そのため俺は、藤野に「一之瀬との会話の中で、出身地の話に持って行って、それを探ってほしい」と頼んだ。
スレッドには、具体的な中学校の名前の書き込みが計17件あった。
その17件のうち、藤野が持ち帰った一之瀬の出身地と合致したのは、1件のみだった。
俺はその書き込みを行った生徒と個人チャットでやりとりしたが、プライベートポイントの支払いは直接会って行った。
書き込み主は、3年Dクラスの男子生徒だった。
俺たちがつい最近までDクラスだったことを知っていたらしく、5万ものポイントをポンと出せることに驚愕していた様子だった。
まあ、そのことは今はいい。
話によれば、一之瀬は、その中学では成績優秀で美少女、運動もでき、快活で優しい性格というハイスペックぶりで、学年を越えて注目されていたらしい。
一之瀬の知名度が非常に高かったからこそ、その上級生も自分が一之瀬と同じ中学であるということを認識していたわけだ。
そして二つ目の偶然。
一之瀬が万引きを行った店の特定ができたこと。
活用したのは、とあるSNSアプリ。
アカウントのプロフィールに一之瀬と同じ中学の名前が書かれているものを探し出した。そしてそのアカウントの一昨年9月以降の書き込みの中に、一之瀬が起こした万引きについての記述がないかどうか、様々な検索ワードで探した。
「一之瀬」「帆波」「万引き」「休学」「高度育成高等学校」等々、試したワードの数は両手両足では足りないほどだ。
そしてそれらの書き込みから、奇跡的に、一之瀬が万引きをはたらいた店を割り出すことに成功した。
もちろん、俺一人では作業量的に無理があった。
そのため、ひとの手を借りた。
手伝ってくれたのは、Aクラスの藤野派の生徒のうち、期末テストに不安がない4名。
その中の一人が、店の特定にこぎつけた。
そして次に対外試合の相手探しを顧問である茶柱先生に依頼した。
ただ、どこでもよかったわけではない。対外試合の帰りに例のスーパーに寄るためには、高度育成高等学校とそのスーパーの延長線上にある高校を相手に指定する必要があった。
なので、俺はその方面に限定して相手高校を探してほしい、という条件を付けた。
それで選ばれたのが、超強豪の町山高校だったわけだ。
そして試合後、茶柱先生との打ち合わせの通り、あのスーパーマーケットへ行く。
いよいよ、メインイベントに向かうわけである。
あの時の俺は、かなり上から目線で偉そうに一之瀬に説教を行った。
これは会話の主導権をこちらが握り、ただでさえ罪悪感により受け身になっている一之瀬の態度を、さらに受け身にするため。
これによって、俺の言葉に対する批判的思考力が低下する。
そんな状態の一之瀬に、様々な言葉を投げかけて「弱さをさらけ出せ」と伝えた。
そしてその弱さを慰めるのではなく、逆に責め立てるような言い方をした。
一之瀬の心を、一度完全にぶっ壊すために。
そして俺と藤野は、心を壊した後に生まれた「弱さを持つ一之瀬」を受け入れた。
これによって「自分は弱くてもいいんだ」と思わせ、立ち直る勇気を与えた。
壊れた心は、完治すると元よりさらに強くなる。
結果はもう知っての通り。
坂柳の攻撃を無効化し、見事に退けることができた。
~~~~~~~~~~
俺はいま、ある人物を部屋に招いている。
「まだ?」
「もうちょい待ってろよ」
「遅いんだけど」
「悪かったな」
俺の知り合いに、普段からこんな言葉遣いをする奴はいない。
つまりこいつはいま、普段とは違う口調で話している。
そう、櫛田桔梗だ。
「水ある?」
「冷蔵庫から勝手に取って飲んでくれ」
「はあ……」
面倒くさそうに腰を上げ、俺の言った通りにする櫛田。
こんな櫛田、男子が見たらたまげるだろうなあ。
「ほら、出来たぞ。回鍋肉」
俺は櫛田を部屋に招き、夕飯を作っていた。
なんでこうなったかと言うと……ことの発端は先々週の金曜日。
俺は櫛田に一つの頼みごとをした。
それは「B、C、Dクラスの生徒の秘密のうち、誰でも知っているわけではないが、櫛田しか知らないというわけでもない、という程度のものを4つから5つずつリストアップしてほしい」というもの。
まあ、当然「何言ってんのあんた」って顔をされるわけだが。
俺の狙いは、この噂の件で学校を巻き込むこと。
あの時点では、被害者は一之瀬一人のみ。その一之瀬は被害を訴えていないため、学校側も動くことはなかった。
しかし、被害者が十何人にも増え、しかも全員が被害を訴えてきたら、どうだ。
テストが近い今、早急に手を打つ必要が出てくる。
そのためにはまず、被害者の数を増やす必要がある。
櫛田にあんなことを頼んだのはこのためだ。
だが、噂を流すことにはリスクが伴う。
当然俺はそのリスクを背負いたくない。
なので、誰かがやってくれることを期待した。
「リストアップ」までしか指示していなかったのはこのためだ。
ちなみに、その「誰か」に関しては清隆に期待した。
清隆は一之瀬の部屋を個人的に訪れるなど、この噂の件に関してアクティブだった。
なので、噂を止めるために何かしらの動きを見せると考えた。
俺の思いつく限り、噂を止めるのに一番有効な方法は、上記の方法で学校を巻き込むこと。
とすれば、この学年で最も生徒の情報に精通しているであろう櫛田に頼るのが筋だ。
そして、清隆も俺と同様、自分で噂を流すようなリスクを取るはずはない。
あいつの人脈など俺は知らないが、出来るだけこの件と関係ない人物にやらせるはずだ。
これでリスクを負うのは、櫛田と、そして俺の知らない誰か。
結果は俺の狙い通りになった。
これが最高の形ではあったものの、もしこの展開に持っていけなかったとしても、さして問題ではない。その時は単純に俺がリスクを負ってやればいいだけの話。
問題は、噂が広まるタイミング。
早すぎても遅すぎてもダメだ。理想は、木曜日に噂が流れ、金曜日に被害者が学校側に訴える、そして土日の2日間で学校側が対応策を固めて月曜日以降は噂に関して緘口令が敷かれる、というもの。
そのため、清隆が櫛田の部屋を訪れたのは先週の月曜日、バレンタインデーだったが、リストアップされた噂が清隆に渡ったのは木曜日の放課後。これは俺が櫛田に頼んでそうしてもらった。
Bクラスは噂に敏感になっている。すぐに掲示板の異変に気付き、一之瀬のこともあって、すぐさま学校側に相談するだろう。
Cクラスは、俺がそういった誘導の仕方をすれば問題ない。
問題はDクラス。あのままだったら恐らく、学校側に相談することすらしないだろう。
しかし、俺にはDクラスと一つの縁がある。
それが、小宮。
冬休み前まで俺の脅しに屈し、Dクラスのスパイのようなことをやっていた人物だ。
俺は小宮に、もし自分やDクラスに関する噂が流れたら、すぐに学校側に相談する流れになるよう誘導してくれ、と頼んでいた。
もちろん、スパイ契約は冬休み前までで俺が終わらせているので、本来であれば小宮が俺の頼みごとをタダで聞く義理はない。
なので、俺はタダではなく、小宮に貸しを一つ作らせる形で、この頼みごとを引き受けさせた。
これで、噂が流れたらすぐに被害者が学校側に訴えるという流れが完成した。
あとは、学校側の対応の早さ。
これに関しては俺の介入できる余地はほぼない。
「テストに望ましくない影響が出る恐れがある」と伝えて、できるだけ早めに対応させるよう誘導することくらいしかできなかった。
だが、結果的にはドンピシャのタイミングだった。
結果オーライだ。
これが、今回俺がやったことの全て。
随分派手に動いたが、俺が直接享受した利益はほとんどない。むしろ坂柳に変な目のつけられ方をしてしまった分、マイナスの方が大きかったともいえる。
で、櫛田に料理を振舞っている直接的な理由だが……櫛田が、秘密を暴露されて傷ついた生徒の慰めにつとめることに対する見返りだ。
つまり、櫛田自身にリスクがあるのは俺との契約上納得するしかないとしても、他人の傷までは契約の対象外だ、と主張してきたわけだ。
まあ、考え方によっちゃそうとも言えるか……ということで、現在進行形でこんなことになっているということである。
「……美味しい」
「へえ、素直にほめるのか」
「美味しくないって言ってほしかったの?いくらでも言ってあげるけど」
「そんなこと言ってないだろ」
ほんと、なんか生き生きとしてるなあ。一言ったら十返ってくる。
「ていうか、なんであんた今回こんなに動いたの?今回あんたに何かいいことあった?」
櫛田も同じようなことを感じていたらしく、そんな疑問を俺にぶつけてくる。
先ほど言った通り、俺が直接享受した利益はない。
しかし、直接でない利益ならばある。
それはすなわち、藤野派の隆盛である。
そもそも藤野派の生徒に利点がなければ、SNSから店の特定なんて面倒な作業をしてもらえるはずはない。
裏を返せば、藤野派の生徒には大きなメリットがあったからこそ、俺を手伝ったということ。
その藤野派の利点とは、坂柳のイメージダウン。
Aクラスの中には、坂柳の狂信的信者と言うべき生徒も多数存在する。
しかし、「葛城よりマシだから」「ほかに適性のある生徒がいないから」といった消極的な理由で坂柳派についている生徒が一定数いるのも事実だ。
そういった生徒は、一之瀬をつぶすこと自体には反対しないが、その手段として一之瀬の誹謗中傷を行うことには少なからず不安や不満を覚えた。
実力で潰すならばその限りではないが、精神的に追い込んで潰すことには罪悪感を覚える。
それでも、一之瀬をつぶせるなら、と黙認したはずだ。
だが、もしそれが失敗したらどうなるか。
罪悪感だけが残り、成果はゼロ。
生徒の不満が膨れ上がるのは当然の帰結だ。
そして坂柳派にしても葛城派にしても、クラスや派閥のことに関して不安がある場合、表向き中立の立場である藤野に相談する、という流れがAクラスには完成している。
これは、藤野が自分で第三の派閥を作ると決めてから、コツコツと地道に作り出してきた流れだ。
この流れで藤野派に入った生徒も少なくない。
今回、坂柳の方策について藤野に相談してきた坂柳派の生徒は計4人。
うち2人は、坂柳の作戦失敗を受け、藤野の派閥に入ったそうだ。
この件に関する、現時点で一番大きい俺の利益はこれだ。
厳密に言えば、これも俺の利益というより藤野の利益ではあるんだが。
「まあ、あるんだよ。いろいろと」
「言うつもりはない、ってこと?」
「ああ」
「ふーん、ま、いいけどさ」
そりゃそうだ。藤野の派閥のことを櫛田に明かす必要性はどこにもない。
だが櫛田なら、俺が言わなくても情報が入ってくるかもしれないな。
~~~~~~~~~~
坂柳と清隆の間には、何かがある。
その「何か」は全く分からない。
恐らく、単に目をつけられている、という以上のものがそこにはある。
清隆は、本来ならこの一連の件、一切何もせず静観することだってできたはず。
だが、坂柳がそうさせなかった。
恐らく、坂柳の言っていた「予想していた結果」とは、全てが清隆によって片付けられる、というものだったんだろう。
しかし、俺の大幅介入によって、結果は大きく変わってしまった、ってところか。
坂柳と清隆の間にある「何か」。
興味がないわけではない。
しかし同時に、知ってしまいたくない。そんな気持ちがあるのもまた、事実だった。
ということで、9巻分本編が完結です。
一之瀬は速野にチョコあげませんでした。一之瀬がどんな形で速野にお返しをするのか、また別の機会に書きたいと思います。
さて、綾小路が「過程の一つにすぎない」と言い切った例の噂を止める方法も、速野(つまり作者)にとっては最適解でした。このあたりに、速野が綾小路には及ばないこと、そして作者が衣笠先生には遠く及ばないことが表れています。
次話は10巻分……ではなく、少し時系列が戻り、ep.73で語られなかった、平田、速野、佐藤、松下によるピザパとその少し後の様子を描きます。
是非ともお楽しみに。
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ep.71.5
やっと書き終わりました。
これは、2月14日のバレンタインデー。
その日に開かれた勉強会の、その後のお話。
~~~~~~~~~~
「あー、これは授業で先生が強調してた内容だから、思い出せるはずだ。名詞の直前にきて、その名詞を修飾する品詞はなんだ?」
「えっと……形容詞?」
「そうだ。で、この4つの選択肢の単語は全て、lyで終わってる。lyで終わる単語にはどの品詞が多い?」
「……副詞と形容詞だっけ」
「そう、その2つだ。つまりこの問題は、lyで終わる4つの単語の中から形容詞を選択する問題だ。授業の内容を思い出してみろ。先生が言ってたはずだ」
「……あっ、もしかして"friendly"?」
「そう、正解だ。ちなみに、lyがつく単語の品詞を見分ける方法も授業内で説明されてたはずだ。覚えてるか?」
「えーっと……なんだっけ?」
「名詞にlyがついたら形容詞に、形容詞にlyがついたら副詞になる」
「ああっ、そういえば!」
「思い出したか?この問題は、センター試験でもよく出されてるものだ。品詞の見分けは文法問題の典型例と言っていい。期末テストでもこのパターンは出される可能性が高いから、覚えておいた方がいい」
「わかった。ありがと!」
「速野くん、こっちもお願い!数学なんだけど……」
「……ああ、どの単元だ?」
「これなんだけどさ、全然答え出なくって」
「……もうこれ答え出かかってるぞ」
「え、うそ?」
「見逃してるところがある。それさえ解けばきれいな形になる」
「どこー……?」
「三角比の基本的な公式思い出せ。基本中の基本、一番最初に習うやつだ」
「……あっ!」
「わかったか?」
「うん!これ足したら1になるんだよね?」
「そうそう。その式だとsinとcosが離れてるから分かりづらいな。式を簡単にする問題は、常にどこかに整理できる式がないか意識して解く必要がある」
「そっかー。ありがとう!」
こういった感じで質問者をさばいていく。
当初想定していたよりも、かなり忙しい役だ。
これまでのテストでも、何回かこういったチューター役を引き受けたことはあるが、ここまで忙しくなかった気がするんだけどなあ……
おかげで対外試合に向けての勉強がほとんどできていない。
他方、人に教えるということは、自分の理解度を高めることにもつながる。自学自習という意味では全くできていないが、アウトプットという観点で言えば、テスト勉強に関してはこれ以上ないくらい順調であるといえる。
質問に来る人の流れが途切れたところで、教室にチャイムが鳴り響いた。
「7時になったね。じゃあみんな、そろそろ切り上げようか。あんまり遅くなるのもまずいからね」
まとめ役である平田がそう宣言すると、はーい、という返事とともに、机の上の勉強道具を片付ける音や、「疲れたー」などの話声で教室が騒がしくなる。
俺も勉強道具をバッグに片付け、一つ大きく伸びをした後、平田のもとへと向かった。
「さて平田、本当に奢ってくれるのか?」
「ああ、もちろんだよ速野くん」
俺は今日、勉強会のチューター役を引き受ける見返りとして、平田に夕飯をごちそうになることになっていた。
「ただ、一つ頼みがあるんだ」
「……?」
「佐藤さんと松下さんも一緒に参加していいかな?」
これはまた……なんというかこう、陽キャラ度が恐ろしく高いメンバーだな……眩しすぎて俺焼け死ぬんじゃね?
まあでも、断る理由もないしな……
「……別にいいぞ」
「ありがとう。じゃあ二人の準備が終わるまで、少し外の廊下で待ってようか」
「ああ」
廊下の電気はついているものの、豆電球のように弱い光だ。完全消灯時刻が近いことを暗示させる。
「なんか悪いな。多分お前より圧倒的に金持ちなのに、おごってもらって」
「はは、確かに。でも、こういうポイントの使い方はとても有意義だと思う」
「……さすが」
俺のような守銭奴とは人徳が違うな。
「じゃあね平田くーん」
「また明日。仮テスト、頑張ろうね」
「うん!」
このようなやり取りが幾度となく繰り返される。
帰る生徒のほぼ全員が平田に声をかける。
一方で俺の方はというと、この勉強会で質問に答えた人にたまーに声をかけられるぐらい。
いやまあ、それでもありがたい話ではあるんだが。
少し前なら全スルーされてただろうしな。
「お待たせー」
「ごめんごめん、遅くなっちゃって」
「よし、これで揃ったね。じゃあ行こうか」
こうして平田、佐藤、松下、俺という、よくわからない4人の集団が出来上がった。
明らかに俺だけ浮いている。フライドポテトの中に虫が混入してるレベルだ。
「どこに行こうか。何か希望はある?」
「あ、速野くんに決めてもらおうよ。今日すごく頑張ってたし」
松下がそう提案してくる。
「いいのか?」
「佐藤さんが構わないなら、僕はいいよ。どうかな、佐藤さん?」
「あたしは全然いいよー。何食べたいっていうのもないしー」
……急にこういう展開になってもな。
俺も佐藤と同様、特段「これ食べたい」というものはない。
ただ、せっかくの機会だ。
ここは、普段自分では作らないようなものにするか。
そうなると……
「……ピザ、とか」
俺がそう言うと、3人は目を丸くして俺の方を見てきた。
「……なんだよ」
「いや、意外だなー、って思って」
「確かに。速野くんとピザって、あんまり結びつかないかも」
そう言ってからかうような視線を送ってくるが、ピザという提案そのものには乗り気のようで、「ピザ久しぶりー」など、テンション高めの佐藤と松下の会話が聞こえてきた。
「正直、僕もその提案は意外だと思ったよ。ピザ好きなの?」
「いや、特別好物ってわけでもないんだが、折角だし普段食べないものにしようと思っただけだ」
「なるほどね」
「ところで、あの二人にもお前が奢るのか?」
「一応その提案はしたんだけど、悪いから自分たちで払うって言ってくれたよ」
「……そりゃ助かったな。しっかし、こうなると奢ってもらってる俺が申し訳なくなってくるんだが」
「遠慮することはないよ。今日の勉強会での君の頑張りを見れば、悪く思う人はいないさ」
まあ確かに、俺結構頑張ってたよなあ、と自分でも思う。
学校を出て向かった先は、ピザを中心とした飲食店「シェイクス」。
メニューもそこそこ豊富で値段もリーズナブル(とはいえ今のCクラスには少々きつい)。平田曰く、結構な人気店らしい。
テスト前ということもあるのか、店内に混雑は見られず、すぐに4人用のテーブル席へ通される。
平田がこの集団の先頭を率いていたため、そのままの流れで奥側の席につく。
必然、俺は手前側になる。
「あたし奥座っていい?」
「あ、いいよ。じゃあ私が手前側だね」
こうして、俺の向かい側には松下が座ることになった。
「どうしようか。食べ放題にする?単品で頼むこともできるけど」
「単品で頼むのがいいだろ。自分たちのペースで食べられる」
「さんせー」
「私も単品がいいと思うな」
「じゃあ、そうしようか」
平田はテーブルの脇にある2つのメニューのうち一つを俺に渡し、もう一つは自分で持って、佐藤と何を頼むか相談し始めた。
これは、俺が松下とメニューを見るパターンか。
隣同士で見た方が見やすくね?という疑問を抱えつつも、松下にも見えるようにしてメニューを広げる。
「やっぱりメニュー豊富だねー」
「……結構この店くるのか?」
「四月に一回来たきりだよ。あの時は財布のひもがかなり緩かったからね」
「……ああ、確かに」
少しうんざりしたような乾いた笑いが出てしまった。
まあ、毎月十万貰えると思ってれば、大体の人はそうなる。
ただ、当時の佐藤や篠原が10万ポイントをほとんど使いきってヒーヒー言ってる中、松下がポイントに困っている様子はなかったと記憶している。
「速野くん何食べたい?」
「ん、あー……特に希望はないんだが、強いて言えばオーソドックスなピザがいいな。チーズやらケチャップやらがかかってる、イメージ通りのやつ」
「じゃあ、マルゲリータとか?」
松下がメニューのマルゲリータを指さす。
掲載されている画像を見ると、なるほど、俺のイメージにある程度近いものだった。
「そうだな。それで」
「うーん、私はどうしよっかな……あっ、エビコーンピザとかいいかも」
「じゃあその2つのハーフでいいか」
「うん」
量としては、4人で2枚がちょうどいいだろう。
俺、松下のペアで決めたハーフの一枚、平田、佐藤ペアで決めた一枚を4人で食べることになるはずだ。
「決まったかな?」
「ああ」
「じゃあ、僕が注文するよ」
「頼む」
平田に松下と決めたメニューを伝えると、平田はすぐにメニューが置かれていた場所の横にある店員呼び出しボタンを押した。
「平田君からも聞いたけど、改めて聞くね。速野くんは、スキーやってたんだよね?」
間髪入れず、松下が俺に話題を提供してくる。
「一応、経験者だ」
「どれくらいやってたの?」
「年数で言えば……3年半くらいだ」
「中学のとき?」
「まあ、一応」
嘘は言ってない。中3の後半はスキーやりまくってたし。
正確な時期を言えば、小2から小4までスキーのクラブチームで3年間、その後4年半のブランクを経て中3の半年間、これで合計3年半という感じだ。
「そうだったんだ。あんなに速いのも納得だよ」
「それはまあ、未経験者と比べたらな」
前にも言ったが、俺は経験者の中ではかなり遅い方だ。
それでも、未経験者に負けるレベルではない。
ただ、未経験者相手にちょっと無双したからって、それはなんの自慢にもならない。
「まあ一番の功労者は、あの採点基準を見抜いたやつだけどな」
「え、速野くんがやったんじゃないの?」
「いや、俺はある人からアドバイスを受けただけだ。本人の希望で名前は伏せるが。一応謝礼としてそいつに50万渡した」
今のこのセリフは、1から10まで真っ赤な嘘だ。
俺にアドバイスをした人物なんて存在しないし、誰にも50万は渡してない。
だが、この3人は俺のこの言葉を信じるだろう。
松下、佐藤には「誰のことだろう」という想像を与え、
そして平田には、「綾小路のことなんじゃないか」という盛大な勘違いを与える。
「堀北さんでもないの?」
「……堀北なら、そもそも伏せろとは言わないだろうな」
「あ、そっか」
「ま、誰がやったかは想像に任せる」
その「誰」なんて、実はいないんだけどな。
~~~~~~~~~~
「あー、食べた食べた」
満足そうな表情で腹をさする佐藤。
「ちょっと少ないかと思ったけど、十分な量だったね」
「ああ。それに美味かった。ご馳走様」
「喜んでくれてよかったよ」
俺の分の会計約1000ポイントを、平田は本当に奢ってくれた。
感謝感激雨あられである。
奢ってくれたことに関しては、だが。
「僕はちょっと本屋に寄りたいんだけど……」
「あ、あたしコンビニ行きたい」
平田と佐藤が、同時にそんな主張をしてきた。
「俺はまっすぐ寮に帰るが」
「私も寄りたいところはないかな」
「じゃあ、僕は佐藤さんと寄り道することにするよ。松下さんと速野くんは一緒に帰る、ってことでいいかな?」
平田の提案に、松下はうなずく。
「……わかった」
「じゃあ、ここで解散にしようか。明日の仮テスト、頑張ろうね」
「うん。じゃあバイバイ!」
「また明日ね」
「じゃあな」
平田と佐藤はまずは本屋に行くようで、その方向へ歩いて行った。
平田がこの時間に寄り道ってのも、なんか変だな。
教室では「遅くなるとまずい」とか言ってたのに。
……まあいいか。
「帰るか」
「うん」
帰宅組の俺たちは、寮に向けて歩き出す。
食事中、若干鬱陶しいくらいに俺に話を振ってきた松下だが、今は黙って俺の隣を歩いている。
いや、鬱陶しいとは言ったものの、別に話を振られたことが嫌なわけではない。
むしろありがたかったくらいだ。あれで場が気まずくならずに済んだ。
多分、平田ならもっと上手くやってただろうけど。
今日の平田はその役を松下に譲っていた印象だ。
「……?」
「あっ、ごめん」
松下の左手が、俺の右手にぶつかった。
すぐに手を引く松下。
なんで手がぶつかったのか。
さらに言えば、なんで手がぶつかるほど近い距離に、松下は歩いているのか。
……いや、もう大体わかってはいるんだ。
この後の展開もなんとなく読める。
ほら。言ってるそばからきたぞ。
「……あれ、どうした松下」
急に立ち止まった松下。
「速野くん」
「……なんだ」
「これ……貰ってくれる?」
そうして、松下から差し出されたモノ。
かわいらしいラッピングがなされ、サイズは手のひらに収まるくらい。
今日の日付は2月14日。
「……チョコレートか」
「……うん」
本命か、それともスキーの件での義理か。
いや、そこは恐らく大した問題じゃないんだろう。
「……ああ、ありがたく受け取る」
どのような意図があろうと、チョコがもらえるのはうれしいことだ。
「あ、あのさ」
「ん、なんだ」
「その……速野くんて、どんな子が好き……なの?」
……なるほど。
これはまた、ずいぶん踏み込んできたな。
さて、どう答えたものか。
「そうだな……取り敢えず、下心で近づいてくる奴は好きじゃないな」
そう言った瞬間、松下の顔が一瞬歪んだ。
しかしあくまで平常心を演じたいのか、すぐに元の表情に戻る。
「下心、っていうと……どういうことかな?」
「その人が好きなんじゃなくて、その人が持つ資産やらにほれ込んで近づいてくる奴ってことだ。美人局とか結婚詐欺とかそういうのだよ」
「あ、なるほど、そういうことなんだ……」
本来、この場面で望ましい回答の仕方ではないことは分かっている。
そのうえで、あえてこんな答え方をした。
松下が一生懸命作った雰囲気が台無しである。
そこから寮まで、俺たちの間には微妙な空気が流れ続けた。これは完全に俺のせいだ。
寮のエレベーターが俺の部屋の階に到着し、松下と別れる。
「じゃあな。チョコレートありがとう」
「あ、うん。また明日ね」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その夜。
俺はある人物に電話をかけた。
6コールほど間を置いて、その人物が電話に出る。
「もしもし」
「速野くん。もしかしたらかかってくるんじゃないかと思っていたんだ」
電話の相手は……そう、平田だ。
「こんな時間だし、単刀直入に聞くぞ。今日の一連の流れは全部、松下の『仕込み』ってことでいいんだよな」
言葉を濁すこともせず、ド直球に尋ねる。
一瞬の間の後、平田は静かに「その通りだよ」と呟いた。
平田が俺にチューター役を頼んできたこと。その礼として夕飯をご馳走になること。そしてその夕飯に松下と佐藤も同席すること。
その全ては、松下の描いたシナリオ通りだったというわけだ。
気づけるヒントはいくつかあった。
食事の席において、平田が話を回すのを抑えめにし、その代わりに松下がやたら俺に話しかけてきた。
そして帰り道、平田と佐藤が突然離脱した。これは恐らく、松下が俺と2人きりの場面でチョコを渡すためだろう。
「すまない。不愉快な思いをさせてしまった」
「いや、別にお前が謝ることじゃないだろ。松下は、頼む相手がお前なら断られないってのも計算に入れてそうしたんだろうし。それに、不愉快ってわけじゃない」
チョコはもらったし、飯もご馳走になった。
プラスはあってもマイナスは特にない。
「テストも近いから、あまりこういうことを言うべきタイミングじゃないとは思うけど……人が向ける好意には、真剣に向き合ってほしいんだ」
善人である平田らしいセリフだ。
恐らく松下は、平田に恋愛相談のような形で今回のことを仕組んだんだろう。
もちろん、平田の言うとおりにするつもりだ。
「……松下が本当に俺に好意を向けてるならな」
「え?」
「悪かったなこんな時間に。じゃあな」
「あ、ああ。おやすみなさい」
「おやすみ」
通話が終わり、端末を充電プラグにつなぐ。
平田は、俺の言っている意味が汲み取れなかったようだ。
ベッドに横になり、目を閉じて少し考える。
なぜ松下が急に俺に近づいてくるようになったのかが、全く分からない。
側から見れば、単純に「松下が俺にアプローチをしている」ようにしか映らないだろう。
だが、それは違う。
断言する。
松下は、俺に全く好意を抱いていない。
これは間違いない。
理屈じゃなく、直感だ。
では、なぜ松下は俺に近づいてくるのか。
スキーの時に助けたことに対する感謝、というには不自然すぎる。
俺が100万ポイント稼いだから、それ目当てか?
あるいは、坂柳が山内にやってるのと同じようなもので、俺をおちょくってるだけ?
「……分からん」
筋の通る説はいくつも思いつくが、どれもしっくりこない。
とりあえず、今日のところは眠りにつこう。
一つ確実なことは、これからも松下の謎のアプローチは続く、ということだ。
最初は単純に松下が速野に惚れる流れにしようと思ってたんですが、11.5巻を見てしまうと、どうもそういうわけにもいかなくなってしまいまして……
皆さんは松下が速野に近づいている理由、分かりますか?
一応松下の性格に照らし合わせたつもりなんですが……ぜひ予想してみてください。
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第10巻
ep.76
テスト勉強などでなかなか執筆する時間を作れず、ここまでの期間が空いてしまいました。
今回から原作10巻分の開幕となります。
1
「先生、今日が結果発表の日ですよね!?」
朝のホームルーム、茶柱先生が教室に入って来るや否や、池がそう叫んだ。
学年末試験から数日が経過した今日。その結果が公表される日だ。
「そう焦るな池。すぐに分かることだ。手ごたえはあったのか?」
試すような言い方で、茶柱先生が池に聞く。
「そ、そりゃまあ、やれるだけはやりましたけど……」
「そうか。須藤、お前はどうだ?」
池や山内とともに、毎回のように最下位を争っている須藤。
いや、争っているというのは少し誤りか。
今までのほとんどのテスト、ほとんどの科目で、須藤は学年最下位を取っていた。
つまり須藤は現状、赤点による退学の可能性が学年で最も高い人物だ。
本来、誰よりも不安に駆られているはず。
しかし今の須藤の態度からは、そのようなものは微塵も感じられない。
「……俺は自信あるぜ。絶対に退学にはならねえ」
「ほう」
それは根拠のない自信などではない。
須藤はこれまで、想い人である堀北とともに、確かな勉強量をこなしてきた。
その努力に裏打ちされた自信だった。
「さて、前置きはここまでだ。本題のテスト結果を発表しよう」
いよいよだ。全員息をのむ。
例のごとく、クラス全員の全科目の点数が載った大きい紙が黒板に貼り出される。
赤点ラインには赤ペンで線が引かれ、その線の下に名前がある者は即時退学となる。
「今回の退学者は―――なし。全員合格だ。おめでとう」
茶柱先生の口から朗報が告げられた。
その瞬間、教室が一度わっと盛り上がる。
「っしゃあ!……あっぶねえ……」
喜びと恐怖の感情を同時に発したのは池。
今回のクラス最下位だ。
とはいえ池の点数は各科目とも、赤点ラインから10点ほど余裕がある。やれるだけはやった、という池の言葉に嘘はなさそうだった。
「ははは、ギリギリだな池。俺なんて前日にちょっと勉強しただけだぜ?」
「嘘つけ、お前も必死こいて勉強してたじゃねえかよ」
「そうだっけ? ははは!」
余裕そうに池を茶化す山内だが、順位としては池の次。それに点数で見ると二人の間にほとんど差はない。
また、残念ながら、という表現が正しいかわからないが、山内もしっかり勉強していたことを俺は知っていた。よくもあれだけの嘘を平気でつけるものだ。ただ、あんな自然に嘘をつけるのはある意味才能ともいえる。入学当初から思ってはいたが。
テストのクラス内順位は、池、山内の上に本堂、佐藤、井の頭、と続いていく。
先ほど自信を見せていた須藤は井の頭の上。クラス内総合35位という結果だった。
これまで最下位の座をほしいままにしていたことを考慮すれば、大躍進だ。
「先生、他のクラスはどうなんですか」
「お前たちと同様、退学者は出ていない。ちなみに、お前たちの平均点はAクラス、Bクラスに次いで3位だ」
おおむね予想通り、順当な結果だな。
「あなたは全科目満点……ね。テスト時間中、半分以上寝ていた記憶があるけれど?」
嫌味のこもった口調で堀北が聞いてくる。
「遅くまで勉強してたせいで寝不足だったんだ。てか解答時間中によそ見すんなよ」
「解答時間中に爆睡していたあなたにだけは言われたくないわね」
はは、ごもっともで。
だが勉強のせいで寝不足だったのは本当のことだ。
ただし一つ嘘があるとすれば、俺の言った「勉強」とは期末テストの対策ではないということ。
やっていたのは大学入試の勉強だ。
テストがあったのは木曜日。その週の土日は、国公立大学の個別学力試験の実施日だった。
俺はそれを受けた。
いや、もちろん受験資格を持って受けたわけじゃないが。
センター試験のときと同様、学習部の部員として「同日模試」を受けたということだ。
受けたのは、文系で日本最難関と言われる大学の入試問題。
テスト期間中だったことや一之瀬の件もあったことで少し勉強不足ではったが、感触としては悪くない。自己採点した結果、所謂「捨て問」であろう難問も含め、致命的なミスは確認されなかった。センター試験と合わせて、合格ラインはかなり余裕を持って越せているはずだ。
今年はかなり難化していたらしく、かなり難しかったしめっちゃ疲れた。そのせいで月曜日に寝坊しそうになったのは別の話。
「堀北も点数伸びたんじゃないか? 特に英語。須藤に教えてるのがプラスに働いてるんだと思うぞ」
堀北は今回、俺、啓誠、高円寺に次ぐ4位。啓誠の調子が良かったことと、高円寺が普段より少し高めに点数を取っていることからこの順位に甘んじてはいるが、2位、3位も十分に狙える得点だ。
また、普段の堀北は英語で順位を落としていることが多いが、今回はしっかりと93点を取っている。
「そうね。その点に自覚がないわけではないわ」
意外にも素直に、須藤が自身にいい影響を与えていることを認めた。
ほんと、入学当初からは想像もつかないくらい丸くなったよなあ、こいつ。
「クラスの平均点を上げるためには、やはり下位組の底上げが急務ね」
「まあ、そうだな。希望を言えば、少なくとも全員半分以上は取れるようになってほしいところだ」
得点率4割台は須藤以下5名。須藤は全面的に堀北に任せていたからいいとして、残りの4名に関しては、勉強会においてチューター役だった俺にも責任がないわけじゃない。
来年度以降のテストでも、俺はチューター役を引き受けることになるだろう。もう少し頑張ってみる必要がありそうだ。
ただ、来年度は今とは少し事情が異なる部分もある。
それは、俺の所属する学習部に関してのこと。
俺は4月以降、学習部をフル稼働させることを決めている。
新入部員を募るとかではない。
今まで以上にハイペースで全国模試を受験するということだ。
学習部を発足してからいくつもの全国模試を受け、一つ分かったことがある。
それは、上の学年の試験で高得点を取ると、同学年の試験と比べて貰えるポイントが著しく増えるということだ。
そのため、来年度は高校3年生、および浪人生が受験する模擬試験を、文字通り見境なく受けるつもりだ。
一度日程を組んでみた結果、一番大変なのは11月。その1か月間、少なくとも土日は全て模試の受験に費やす必要があることが分かった。
まあ、仕方ないと割り切るしかない。そもそも俺の場合、土日に予定が入ること自体レア中のレアだしな。大した問題は生じないだろう。悲しい。
教室内の喧騒が落ち着いたところで、茶柱先生が再び口を開く。
「テストに関しては、よくやった、と言っておこう。だが、いつまでも楽しい話をしているわけにもいかない。お前たちも薄々感づいているだろうが、この後にはこの学年最後の特別試験が行われることになっている。試験開始日は3月8日だ」
「え、そ、そんなにすぐっすか!?」
3月8日というと、来週の月曜日。
期末テストが終わってからこのスパンで特別試験というのは、確かに急といえば急だ。池の言いたいことも分かる。
「気持ちは分かるが、スケジュール上やむを得ないことだ。お前たちも春休みを返上したくはないだろう?」
「そりゃそうっすけど……」
今までの経験上、特別試験はおおよそ1週間以上の期間をもって行われるからな。時間に余裕はないんだろう。
「みんな、とにかくこれが最後だ。今まで通り、力を合わせて乗り切ろう」
平田の力強い声に、クラス全体が頷いた。
そんな教室の様子を見た茶柱先生が、ふっと微笑む。
「お前たちなら、本当にこのまま3年間、退学者を出さずに卒業できるかもしれないな」
あまりクラスをほめたりすることのない茶柱先生。そんな先生からの賛辞の言葉を聞いて、生徒たちは少しうれしそうな表情になった。
「だが、決して気を抜かないことだ。当然、生易しいものではないからな」
一応の注意喚起が行われたが、少しばかり浮かれた雰囲気のまま朝のホームルームは終了した。
2
放課後。
迷わずに寮の自室に直帰することにする。
正直なところ、ここ最近いろいろなことをやって、疲れた。
自分自身、パワーはゴミだがスタミナがある方だとは思っていた。しかし今回の一連のことは、俺のキャパシティを少し超えてしまったようだ。
そのため、俺は今日と明日、完全休息日とすることを決めていた。
もちろん学校には行くが、それ以外は何もしない。昨日の時点で賞味期限の短い食材を使い切ったため、自炊もしない。綾小路グループの集まりにもいかない。放課後はただただ自室で寝たり、ボーっとしたり、テレビを見たり、寝たりして心身の回復に努める。
「ねむ……」
あくびによって出てしまった涙を拭きつつ、歩みを進める。
「おい」
今日の夕飯何食おうかな……
「おい、お前だお前」
そんな声とともに、誰かに肩を触られて止められる。
初めの「おい」が聞こえていなかったわけではないが、「俺じゃない俺じゃない」と自分に言い聞かせてスルーしようとした。
俺の帰宅を邪魔してきた犯人。
それは、この学校ならば誰もが知る人物。現生徒会長の南雲雅先輩だった。
その周りには数人の取り巻きもいる。
「……何でしょうか」
「お前、速野だよな?」
「はあ、そうですけど……」
南雲会長の突飛な行動に、周りの人たちも少し戸惑っている様子。
「ちょっと雅、どうしたの急に」
取り巻きの一人、茶髪の女子生徒が会長に尋ねる。
「速野だよ。合宿のとき、スキーで100万獲った奴さ」
「あ……そういえばなんか噂になってたっけ。ただ一人、採点方式を見抜いてたって」
「そうだ。速野、お前に少しだけ話がある。時間はあるな?」
ここで「ない」と言って立ち去ったらどうなるだろうか。
興味本位でそんなことを考えたが、少なくともいい方向に転ばないであろうことは明白なので、素直にうなずくことにした。
俺の首肯を確認した会長は、満足そうに微笑する。
「あまり時間を取るのもこっちの本意じゃないからな。単刀直入に聞く。お前はいつからあの採点方法を見抜いていた?」
南雲会長は、俺の視線を自分から逃すまいとしてくる。
表情は穏やかだが、それは表面上だけ。射抜くようなその鋭い眼光は「真実を言え」と語っている。
だが、俺が従来と返答を変えることはない。
「……もう会長の耳にも入ってるかもしれませんけど、俺はあるクラスメイトからアドバイスを受けただけなんで」
「ああ、お前がそう言い張ってるってのは知ってるさ。でも、どうにもキナ臭いんだよなあ」
そう言って、一層眼光を強める南雲会長。
やはり、というべきか。勘が鋭いな。
だがいくらその勘が当たっていたとしても、俺が認めるか、客観的な証拠があがることがなければ、それは憶測の域を出ない。
少しの間、俺と南雲会長との間でにらみ合いが続いた。
徐々に南雲会長から発せられる気迫が高まっていくのを感じる。
俺は目線はそのまま外さず、体だけ半歩後ずさった。
その様子を見た南雲会長が俺から目線を外し、ようやく場の空気が弛緩した。
「おっと、悪いな。怖がらせたか?」
「いや、えっと……」
「そんなつもりはなかったんだが、ついな。聞きたかったことはこれだけだ。時間を取らせて悪かったな」
「いえ……」
そう言って、取り巻きとともに俺のもとを離れていく。
先ほどの女子生徒が、俺の方を振り返って「ごめんね」と口パクで言ってきたので、俺はそれに軽く頭を下げて答えた。
「……はあ……」
ただでさえ疲れてるってのに、余計に疲労がたまってしまった。
だが、変な目のつけられ方をするのを避けるためには、ああするしか方法はなかった。
南雲会長は恐らく、自身の勘が当たっていることを前提に、俺が目をつけられないようなムーブメントをできるかどうかを、2段階に分けて試していた。
まず最初に、ポーカーフェイスができるかどうか。
これは当然「俺が何者かからアドバイスを受けた」という嘘をつき通せるか、ということを意味する。こちらは単純で、ひたすらポーカーフェイスを貫き通せばいいだけだ。
少し難しかったのは次。
それは、何でもない一般生徒としての振る舞いができるかどうかだ。
もし仮に、俺が南雲会長に睨まれた場面で何の反応も示さなかったら。それは一般的な生徒の反応とはかけ離れたものであり、不自然だ。
上級生、ましてや生徒会長に睨まれれば、たとえ何もやましいことがなかったとしても、下級生は委縮する。例えば目が泳いだり、俺のように後ずさったり。それが自然な反応だ。
これで南雲会長は、俺が本当に何者かにアドバイスをもらっただけの人間なのかどうか、疑いを強めることができない。
つまり、俺に目をつける客観的根拠がないわけだ。
俺がボロを出さなかったことで、南雲会長の中にあるであろうモヤモヤはそのまま。向こうからするとあまりいい気分じゃないだろう。
願わくば、そのまま俺を視界から外してほしい。
その方がお互いに余計な気を回さなくて済むし、いいことずくめのはずだ。
まあそのためにはまず、俺が目を付けられるような行為を慎まないとな。
何にせよ、今は休息をとるべき時だ。
部屋に戻ったら寝よう。
超久しぶりの投稿なのに、構成の関係上、ちょっと短めになってしまいました…
大学も春休みに入ったので、これから更新スピードを上げていけたらなと思っています。
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ep.77
1
Cクラスの教室内の雰囲気は明るい。
昨日予告のあった特別試験に向けて気を引き締める必要があるとはいえ、試験は一週間後。今からピリピリしていても仕方がない。
今なら、これくらいの緩さでも特に問題はないだろう。
朝のホームルームのチャイムと同時に、教室に茶柱先生が入ってくる。
そして生徒たちは、すぐに先生の違和感を察知した。
「あの、何かあったんすか、先生」
茶柱先生の様子は、昨日とは大違い。
非常に険しい表情、そして雰囲気を放っていた。
「———お前たちに、伝えなければならないことがある」
努めて冷静を装ってはいるが、喉の奥から絞り出されるようなその声から、俺は微かな動揺を感じ取った。
言葉を続ける茶柱先生。
「お前たち1年生は、決して生易しくないこの学校の課題を、順調に、脱落者を出さずにクリアしてきた。そう、順調すぎるほどに、な」
「順調すぎる、ですか……」
「先日の期末試験を終えても、本学年からは1人の退学者も出ていない。これはこの学校の歴史上、一度もなかったことだ」
正確には、一度須藤が退学の通告を受けてはいるが、俺、堀北、そして清隆によってそれは取り消されている。
「何か問題があるんでしょうか。この状況が学校側に何か不都合であるような言い方ですが」
俺の斜め後ろに座る堀北が発言する。
「退学者をできるだけ出さないことを理想とするのは、学校側としては当然だ。だがそれでも、予定と異なる、という点においては、お前の言う通り不都合であると言わざるを得ない」
どういうことだ。
無理やり解釈するとすれば、「退学者が少ないこと」は理想だが、「退学者がゼロであること」は問題である、ってところか。
「その事情を考慮し……特例措置として、今日、3月2日より、追加特別試験を行うことが急遽決定された」
突然の発表に、ざわめく教室内。
黒板には、3月2日、追加特別試験、と書き出される。
「この試験をクリアすることのできた者のみが、次の3月8日の試験へと進むことができる」
「は……はあ!? なんすかそれ! 退学者が出なかったからって追加で特別試験とか、ガキみたいじゃないっすか!」
そう叫ぶ池だが、茶柱先生は全て受け流した。
いや、流さざるを得なかった、というべきか。なぜなら池の言っていることは正論だからだ。
茶柱先生は先ほど「予定と異なる」という点で問題があるといった。
つまり学校側としては、先日の期末試験を終えた時点で何人かの退学者が出る予定だったということ。
その予定を立てたのは学校側なのだから、予定と異なる状況になったのは、単に学校側の見通しが甘かっただけの話だ。
よって問題があるとすれば、それは生徒ではなく学校側。すべては学校側の責任において解決すべき問題だ。
にもかかわらず、特別試験を生徒に課すことでそれを解決しようとしている。
非常に幼稚な態度であり、理不尽というほかない。
「不平不満を感じるのも理解はする。本来あるはずのなかった特別試験。生徒たちに負担をかけることになってしまった事態を、私を含め、教師一同は非常に重く受け止めている」
教師一同「は」という言い回し。
つまり、この特別試験の実施を決定したであろう、教師ではないこの学校の首脳陣はそう思っていないということか。
「先生、その追加特別試験はどんな内容なんですか」
全員が気になっていたであろう内容を、平田が質問する。
「今から説明を始めようと思っていたところだ。今回の試験は、学力や体力など、個人のスペックを求めるものではない。内容は至ってシンプル。そして退学率もクラスごとに3%未満と、決して高くない」
突如として出てきた、退学率という指標。
今までそんな指標を説明に用いたことなんてなかったのに、どうして急にそんなものを持ち出す必要があるのか。
そもそも3%と言っても、その分母が何なのかによって、数字が持つ意味は大きく変わってくる。
クラス内で退学者が出る確率が3%なのか。
自分が退学者になる確率が3%なのか。
「今回の追加特別試験の名称は———『クラス内投票』」
「クラス内、投票……」
なるほど、たしかに学力や体力はあまり関係なさそうだが……俺たちが何に票を投じればよいのか、名称だけでは見えてこない。
「お前たちには今日からの4日間で、クラスメイトに評価をつけてもらう。そして投票日である5日後の土曜日に、自分が最も高く評価したクラスメイト3名に『賞賛票』を投じ、逆に最も低く評価したクラスメイト3名に『批判票』を投じる。そしてもう一つ、他クラスの生徒へ『賞賛票』を一票投じる。もちろん、個人の投票先の秘密性は、学校側が絶対に保証する。試験の内容はそれだけだ」
「え……ほんとにそれだけ?」
「そうだ。それだけだ」
内容はシンプル。
となると、気になるのは結果に関してだが……
「投票の結果、獲得した賞賛票1票につき1点、批判票1票につきマイナス1点が計上される。点数を集計し、最も高い点数を取った者には、『プロテクトポイント』という新しい特別報酬が与えられる」
「プロテクト、ポイント?」
今まで聞いたことのない制度。必然、全員が興味を示す。
「これは、退学処分を受けた場合に、それを取り消すことのできる権利だ。ただし、他者への譲渡はできない」
「た、退学を取り消せる!? マジっすか!?」
「そうだ。考えようによっては、プライベートポイント2000万以上の価値がある」
これは……凄まじいな。
例えば、先の混合合宿においてプロテクトポイントを持つ者がいれば、そいつが所属したグループの邪魔をしまくって、責任者を退学に追い込むことも可能ということになる。
もちろん、その場合の対策もあるにはあるが、重要なのは、それほど大きなリスクのある作戦をとれるということだ。
そして、上位の報酬がこれほどのモノであるということは、下位のペナルティも、とてつもなく重いものであることが予想される。
「下位には、どのようなペナルティがあるんでしょうか……」
俺と同じ考えに至ったのだろう。平田が恐る恐るといった感じで質問する。
「すでに説明した通り、今回の追加特別試験は、『退学者が出ていない』という事態を解消するために行われるものだ」
つまり学校側としては、この追加特別試験で退学者を出す必要があるということ。
それを達成するために設定すべきペナルティは、非常に単純明快。
「クラス内で最も得点の低かった生徒1名は……退学処分とする」
多くの生徒が予想していたであろう内容。
分かってはいても、改めて突き付けられて、事態の重みを実感させられる。
茶柱先生も「退学処分」という言葉を絞り出すのに、少し時間がかかっていた。
先生としても、本当にこの試験に納得していないようだ。
そしてやはり、3%という数字が持つ意味は「自身が退学になる確率」だったか。
「そんな……ま、マジで言ってんすか?」
「そうだ。理不尽に思うかもしれないが、それは我々教師も同じことだ。だが、これは決定事項だ。どうあっても覆ることはない」
「つまり、来週には……この中の誰かが、確実にいなくなっている、ってことですか……?」
平田の悲痛な言葉。
退学になるのは誰なのか。
そんな視線が、教室内を錯綜する。
「そうだ。ある一つの方法を除いて、必ず誰か一人が犠牲になる」
その説明に、Cクラスは一斉に反応を示す。
「ひ、一つの方法!?」
「そんなのがあるんですか!?」
絶望の中にあったCクラスに、突如もたらされた希望の光。
だが、おそらくそれは……
「残念だが、お前たちの期待するような方法ではない。退学を回避する唯一の方法は極めて単純。プライベートポイントを支払うことだ」
「い、いくら支払うんですか……?」
「2000万ポイント。この額を出すことができれば、退学処分を無効にすることができる」
そうなるよな。
プライベートポイントで買えないモノはない。つまり、どうしても退学を回避したければ、「退学を取り消す権利」を買う必要がある。
だがもちろん、そんな資金力はCクラスにはない。
いまのCクラスで最も多くポイントを所持しているのは恐らく俺だが、それでも目標額の2割ほど。Cクラスの生徒全体のポイントを足しても、700万に届けばいい方だろう。
まあ、仮に俺を含めたCクラス40名分のポイントを合計して2000万に届いたとしても、俺はそれには出資しないけどな。
「2000万なんて……そんなの無理に決まってるじゃないっすか」
「そうだろうな。だが先ほど説明したように、これが学校に抗える唯一の方法だ。これ以外の方法は絶対に存在しないと断言する」
普段説明をあいまいにしがちな学校側が、ここまで「絶対」を強調してくるとは。
本当にこれ以外に方法はないんだろう。
逆に言うと、学校側はそこまでしてでも退学者を出したいってことだ。
「教卓に試験に関する資料を置いておくので、各自読み込むように。あとは、全てお前たちが決めることだ。これでホームルームを終了する」
茶柱先生が教室を出ると、途端に教室内では騒ぎが起こる。
「おいおいやばいってこの試験!」
「つかわけわかんねーよ! 票取れなかったら退学ってなんじゃそりゃ!?」
俺自身、この試験に関しては少々思うところがある。
前回の混合合宿の退学規定も、今までと少し毛色が違うな、と感じたが、それは南雲会長が試験の作成に大幅に介入していたことが要因だった。
しかしこの試験は、俺たち1年生だけの緊急の試験。生徒会が関わっているとは考えにくい。
とすれば、無人島試験や船上試験、ペーパーシャッフルといった試験を作成したのと同じ機関、集団により作成されているはずだ。
非常に違和感がある。
厳しくとも、合理性のあったこれまでの試験とは違う。あまりにも理不尽すぎるこの試験。
意思決定を行う組織のトップが変わった、としか思えないような変わりようだ。明らかにおかしい。
「綺麗に逃げ道が潰されているわね」
資料を読んでいる堀北がそう呟く。
「試験は退学者が決まるまで行われる、とあるわ。つまり、票を操作して全員同じ点数にする作戦は無駄ということね」
「そうだな。それにその作戦だと、他クラスからの賞賛票もコントロールする必要がある。そもそも現実的に不可能だ」
「そうね……」
万が一、いや億が一、他クラスからの賞賛票をコントロールできたとしても、こんどはクラス内の裏切りを防ぐ術がない。
仮に、誰が誰に賞賛票、および批判票を入れるか、事前に調整して決めておいたとしよう。
櫛田は堀北を退学させたいと思っている。このとき、調整によってもし俺が堀北に賞賛票を入れることになったとしたら、櫛田は俺に取引を持ちかけてくるだろう。
櫛田がもし池に賞賛票を入れる担当だったなら、櫛田は池の代わりに俺に賞賛票を入れる。そして、俺は堀北の代わりに池に賞賛票を入れる。
こうすると、堀北に入るはずだった賞賛票1つが俺に移動した形になる。結果として、櫛田と池の点数はそのまま、俺はプロテクトポイントを得て、堀北は退学する。
こういった形の取引が乱発するだろう。そして乱発すればするほど、誰がどのような取引を行ったかの特定は難しくなる。投票先の秘密は学校により保証されているため。どのような結果になろうと、「自分はちゃんと予定通りに投票した」と言い張れば、それで真実は闇の中だ。
先生も説明していたように、どのような策を弄しようとも無意味。巨額のプライベートポイントを支払うこと以外に退学を防ぐ方法はない。
「相変わらず醜いねえ、君たちは。今さらジタバタしていても、どうにもならないだろう?」
その声を聞いて、騒ぎが起こっていた教室内が一時的に静まる。
高円寺六助。
この特別試験にも動じることなく、いつも通りのデカい態度を貫いている。
そのような言動や態度が気に食わないのか、須藤が高円寺に突っかかる。
「は? テメエだって余裕ぶっこいてる場合かよ。無人島試験も体育祭も、テメエは一方的に棄権しただろうが。クラスに迷惑ばっかかけやがって。退学の第一候補だぜ、テメエは」
「何もわかっていないようだねえ。いいかいレッドへアー君、この試験は過去ではなく、未来を見据えて行うべきなのだよ。通常、クラスから退学者が出る場合には大きなペナルティが発生するだろう? しかし今回はそれがない。つまり、クラスのためを想えばこそ、未来を見据えて、最も不要である生徒をデリートするのに最適な試験というわけさ」
つまり、過去にどれだけの利益をもたらしたかではなく、未来にどれだけの利益をもたらす見込みがあるかで判断すべきということだ。
俺の考えと一致している。
「だから、テメエがその最も不要な生徒だっつんだよ!」
「いいや、それはないね。私は誰よりも優秀なのだから」
何のためらいもなく、そう言ってのける高円寺。
「例えば筆記試験、私は今回クラス内で3位という成績だったが、私が本気を出せば、そこのスマートボーイと同じく満点を取ることなど造作もない。身体能力の面でも、私が君を凌駕していることは明らかだろう?」
高円寺は一瞬だけ俺に目を向けた。
「だったらなんだってんだよ! 真面目にやってなきゃ意味ねえだろうが!」
「そうだね。だからこれからは心を入れ替えようじゃないか」
クラス全員が、その発言に驚く。
「……はっ、誰が信じるってんだよそんなの!」
当然、誰も信じない。この試験を乗り越えるためのハッタリであることは、誰の目にも明らかだ。
「確かに、私の発言を信じられないと思うだろう。だが私以外の、今後全く役に立つ見込みのない生徒はどうだ。秘めたポテンシャルのない生徒が、私のように、今後は役に立つような生徒になると言って、君たちはそれを信じられるというのかな?」
なるほど。
感情論を抜きにして考えれば、頑張らない生徒と、頑張っても結果が出ない生徒に何ら違いはない。
むしろ、頑張れば結果が出る余地のある高円寺の方が、潜在的な価値は高い。そう言いたいんだろう。
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえよ高円寺。俺はお前が不要だと思うぜ。それは変わらねえ」
「なら、それもまた自由さ。だが、その程度の判断力しかないのなら……いつまでもこのクラスは、落ちぶれた不良品のままだろうねえ」
「んだと!?」
売り言葉に買い言葉。
高円寺が余裕そうに挑発するような発言を繰り返し、須藤はそれを受けてますますヒートアップしていく。悪循環だ。
普段なら、このあたりで平田の仲裁が入るんだが……当の平田は、非常に困惑した表情で須藤と高円寺のやりとりを見ているだけで、何もしようとしない。いや、できない。
そんな時、堀北が席を立ち、須藤に近づいて行った。
「やめなさい須藤くん。これ以上無意味なやり取りを続けるつもり?」
突然の堀北の来訪に驚く須藤。
堀北が近づいてきていることに気づかないほど、頭に血が上っていたんだろう。
「いや、でもよ……」
「やめなさいと言っているでしょう」
「……わかった。わりい鈴音」
堀北には逆らえず、須藤は高円寺をにらみつつも自分の席に戻っていく。
「まあ、こうするしかないよな」
戻ってきた堀北に、清隆が声をかける。
「ええ。現状最も退学のリスクが低い平田くんが仲裁しようとしても、逆効果だもの」
あの場面で平田が「冷静に」なんて言っても、「お前は自分が安全だから冷静になれるんだろ」など、反発されるのは目に見えている。
それが分かっているため、平田は動けなかったのだろう。
今回の試験、平田の活躍は期待しない方がいいな。
「それにしても……厄介なことになったわ。自分たちの手で退学者を決めなければならないなんて……」
本気で困っている様子で、考え込む堀北。
元々堀北は、誰かを切り捨てることに躊躇いを持つような人間ではなかった。
しかし、学校から課される様々な課題の中で、自分一人でクラス間競争を勝ち抜くことは不可能であることを実感し、団結、協力の大切さを学んだはずだ。
その矢先にこれだ。非常に受け入れがたいものがあるだろう。
「でも……それでも、私は……」
「……堀北?」
その呟きは小さなもので、堀北の中にある迷いが読み取れた。
そりゃそうだ。迷って当然。独裁的な坂柳のAクラスや龍園のDクラスと違って、そこそこ民主的なB、Cクラスは、どのような結末を迎えるのかが全く読めない。
そんな先行きの不透明さが抱かせる不安は、登校時には明るかった教室の雰囲気を不穏なものへと変え、俺たちCクラスはその中で1日の授業を消化することを余儀なくされた。
……あれ、これ「完全休息日」とか言って休んでる場合じゃなくね?
2
放課後。
俺は、元々は参加する予定のなかった綾小路グループの集まりに、急遽参加していた。
場所はケヤキモール内にあるフードコートの一角。みんながコーヒーやミルクティーなどを注文して飲んでいる中、俺はウォーターサーバーの白湯を飲んでいた。
「ともやんなんで白湯なんか飲んでるの? なんか買えばいいのに。せっかく100万入ったんだからさー」
「いいんだよこれで。切り詰める生活が板についてるんだ」
「ふーん」
どうしてもコーヒーや紅茶の類が飲みたければ、部屋で飲めばいい話だ。
選り好みするほど舌は肥えていないので、店で出される200円ほどのコーヒーも、一杯数十円ほどのインスタントコーヒーも同じようにしか感じない。
これを金のかからない便利な舌と捉えるか、味の分からない残念な舌と捉えるかは人次第だが。
「にしても、嫌な展開になったな」
「ほんと。学校も何考えてんだかって感じ」
明人と波瑠加のやり取りを皮切りに、話題が今回の追加特別試験へと移っていく。
「クラス内で争わせる、っていうのが気に入らないな。他クラスと協力する必要のある試験は今までにもあったし、趣旨として理解できなくはない。けど、クラスメイトが敵、なんて試験は初めてだ」
啓誠の意見に、みんなもうなずく。
「本当にみんなが助かる方法って、ないのかな……」
不安そうにつぶやく愛理。
「ない、と思う。試験の説明のときに、あれほど『絶対』を強調されたことって、今までになかっただろ。資料にも、退学者が決まるまで試験は行われる、って書いてある。一度クラスから退学者を決めて、あとからそれをポイントを払って取り消す以外に方法はないってことだ」
この「退学者が決まるまで試験は行われる」という文言によって、退学者を出さないための全ての戦術が封じられている。
「俺たちにできるのは、自分たちの退学を防ぐことだけ、か」
「そうなるな。そこで提案なんだが、俺たちで票を入れ合うっていうのはどうだ?」
啓誠からの提案。
「それって、賞賛票を入れ合うってこと?」
「ああ。4人以上のグループでお互いに賞賛票を入れあえば、全員に3点ずつ入る。加えて、誰か一人をターゲットにして批判票を入れれば、そいつに6点のマイナスをつけられる。そうすれば、暫定的にだが、そいつとの間に9点の差をつけることができる」
「9点か……」
勝負を決定づけるほどのものではないが、決して小さくはない数字だ。
「……でも、こんなことしても、いいのかな……?」
「組織票になるのは、先生もクラスの奴らも承知の上だ。それに、恐らく俺たち以上の大グループも作られるだろうしな」
「だよねー……じゃあ、私たちも早めに誰かに声をかける、とか?」
「いや、それはやめた方がいい。俺たちは試験期間中、とにかく目立たず、事を荒立てないようにやり過ごす。大グループのターゲットにされることを避けるんだ」
それが得策だな。
何もせず、極力他のグループの視界に入らないようにする。
当然、賞賛票は入らないが、同時に批判票というリスクを大きく下げられる。
そのうえで、信頼できるこの6人で固まるのが確実だ。
もちろん、どこか他の大きなグループから誘われるようなことがあれば、一考の余地はある。だが、このグループのメンバーの性質上、そういった可能性は高くない。
「じゃあ、次は誰に批判票を入れるかだな」
「ああ、それに関してなんだが……朝の高円寺の話、どう思った?」
明人は元々、どこかでこの話題を出すつもりだったんだろう。タイミングを測ったように聞いてくる。
「実力のあるやつを残すべきだって話だったか。まあ一理あるが、俺はそれでも高円寺こそ退学させるべきだと思う。実力があるのは間違いないんだろうけど、あいつはクラスの輪を乱す」
「それに高円寺くんなら、退学になってもあんまり心が痛まないよね」
「確かに、それもあるな」
なるほど、心が痛まない、か。その視点はなかった。
「知幸はどう思う?」
「え? あー……どうだろう。俺は今のところ、高円寺には批判票を入れるつもりはないけど」
そう答えると、みんな意外そうな表情を見せる。
「え、ほんとに?」
波瑠加のつぶやきに頷く。
「理由を聞いてもいいか」
「ん、ああ。高円寺がクラスの輪を乱すってのは確かに事実だが、ここまでを振り返ると、あいつはクラスに迷惑をかけた以上に、貢献してもいるんじゃないかって思ってな。もちろん、本人にその気はないだろうけど」
俺はカバンから、一枚の紙とボールペンを出して、説明を試みる。
「まず無人島試験。一日目で高円寺はリタイアして、俺たちはマイナス30ポイントを受けた。だが、次の船上試験では、高円寺は自分のグループの優待者を的中させ、プラス50クラスポイントが入った」
この時点で、高円寺はプラス20クラスポイント分、クラスに貢献している。
「体育祭は全てを欠場。だが次のペーパーシャッフルでは、高円寺はいつもの定期試験と同じく高得点を取ってたし、スキー試験では個人報酬でプラス15のクラスポイントを勝ち取った」
先ほどの20に15を足して、35。
高円寺だけで35のクラスポイントを稼いでいることになる。
「高円寺の気まぐれは、これからのクラスにとってプラスに働く可能性が高い、と俺は思ってる」
「なるほど……」
数字という定量的なデータを示すことで、啓誠にも再考の余地が生まれる。
「それともう一つ」
「まだあるのか」
まだあるんです。
「この試験で重要なのは、自分のクラスにとって重要な人を退学させないことはもちろんだが、それだけじゃない。他クラスにとって退学してほしい人を残すことも、考え方の一つとして持つ必要があると思う」
俺たちは全員、他クラスの生徒への賞賛票を一票持っている。
この試験は、自クラスの視点だけでは不十分だ。
「高円寺は良くも悪くも規格外だ。でも、それは他クラスにとっても同じことだ。高円寺がいなくなることで、他クラスは幾分やりやすくなる。つまり、高円寺を退学させることが、他クラスへのメリットになり得る」
もちろん、高円寺を残すことによるデメリットも存在する。
自クラスだけでなく、他クラスのメリットデメリットも考慮し、どちらが上回るかは個々人の基準により異なるだろう。しかし、少なくとも俺は高円寺を残すことが得策だと踏んだ。
「うーん、なんかよくわからなくなってきた……」
「俺もだ。高円寺を残すべきかどうか……」
みんな俺の話を聞いて、高円寺に投票すべきかどうか迷い始めていた。
「いや、俺に合わせる必要はないぞ。それに、批判票の枠は3つある。高円寺以外の候補者をターゲットにして、2人目として高円寺に票を入れるんでもいいし」
「……そう、かもしれないな。ひとまず高円寺のことは保留にして、他を考えよう」
啓誠も、いま結論を出すのは無理だと判断したようだ。
「高円寺以外に退学の候補者って言ったら……池、山内、須藤あたりか?」
「そうだな」
すぐに思い浮かぶのはその3人だ。
ただ、最近の須藤の成長スピードには目を見張るものがある。
それを抜きにしても、須藤の身体能力はCクラスの大きな資源だ。体育祭でそれがよりはっきりした。退学させるわけにはいかない。
その後も話し合いは続いていったが、最終的な結論は後日に持ち越しとなった。
まあでも、俺たちの当面の方針はとにかく目立たないことだ。
結論を出すのに、そんなに焦る必要はないだろう。
高円寺って、実は自分が退学しないようにちゃんと計算して動いてますよね。あの場面で須藤と言い合ってなければ、多分もっと批判票を集めてたでしょうし。
もちろん退学を恐れていないのは事実なんでしょうけど、同時にこの学校で3年間を過ごすことにも価値を見出していそうな感じがします。
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ep.78
1
追加特別試験が発表された日の翌朝。
俺はいつもより20分ほど早く、自室を出発していた。
理由は、綾小路グループのチャットのやりとりにある。
「早めに登校して情報収集、か」
夜11時ごろだったか。
試験日まで、誰か一人が早めに登校して、教室で情報を集めるのはどうか、という提案が明人からあった。
既読をつけるのが早くない清隆を除いた全員が、すぐにそれに賛同し、今日のところは俺が当番になったという経緯だ。
悪くはないアイデアだ。ただ、正直なところ無駄足になる可能性は低くない。
さすがに、重要な情報を教室内で漏らすようなヘマをするとは思えない。
何か少しでも情報を得られたらラッキー、くらいの気持ちでいた方がいいだろう。
「……誰に票を入れるべきか」
賞賛票の方は、綾小路グループから3人入れることは決まっている。
批判票も、綾小路グループの中で高円寺以外の結論が出たらそれに従うつもりではある。だが、それ以外にも独自で投票先を絞っておく必要はある。
今までにクラスにほとんど貢献しておらず、そしてこれからも貢献するとは考えにくい、且つ、他と比べて劣る部分が目立つ生徒は、俺の中では4人ほどいる。
山内、井の頭、佐藤、そして愛理。
友人である愛理を除外すると、山内、井の頭、佐藤の3人だ。
このまま特に何も起こらなければ、この3人の中から選ぶことになるだろう。
ただ、誰が退学になる方がいいか、という個人的な印象と、誰が退学になりそうか、という客観的なリスクは別物だ。
例えば池、高円寺、須藤の退学リスクは高いが、俺はその3人は退学しない方がいいと考えている。
一方で、俺自身の退学のリスクは、正直言ってそんなに高くないとみている。
定期テストの勉強会では、そこそこ一生懸命働いているつもりだ。それに、何か悪目立ちした覚えもない。強いて言えば、無人島試験中に軽井沢の下着がなくなったとき、怒る篠原に一言二言反論はしたが、のちに犯人が伊吹だとわかって解決した。そのことで逆恨みはされていない……と思いたい。篠原も、勉強会では俺に何度か質問をよこしてきたし。
何より、直近のスキー試験の個人報酬で、俺は30のクラスポイントを獲得している。印象も決して悪くはないはずだ。
クラス内に友人が少ないとはいえ、俺がターゲットにされる可能性は高くないと思う。
もちろん、油断は禁物だが。
「あっ、確か君は……」
俺がエレベーターを降り、ロビーに出たのと同じタイミングで、隣のエレベーターから降りてきた人物が、俺を見て何か気づいた様子。
俺もその人に見覚えがあったので、軽く会釈をする。
「速野くん、だったっけ」
「はい……どうも」
一昨日、俺が南雲生徒会長に絡まれたときに、会長を取り巻いていた人物の一人。
去り際に俺に口パクで謝ってきた女子生徒だった。
「いやー、一昨日は急にごめんね。あいつにも悪気はなかったはずだからさ」
「いえ……」
あいつ、とは南雲会長のことか。
まあ、悪気はなかっただろうな。あったのは俺に対する興味だけだろう。
「にしても、朝早いねー」
「……え?」
やり取りは終わるかと思いきや、まだ続けるつもりのようだ。
俺には早朝に登校するというタスクがあるため、教室に向けて歩き出すと、この人も隣についてきた。
仕方なく会話を続ける。
「ああ、はあ。今日はたまたま」
「あ、そうなんだ。私も今日はなんか早く目が覚めちゃってねー」
興味ねえ、と思いつつも、口では「へー」と言っておく。
「そういえば君、私の名前知らなかったっけ」
「はい、まあ……知る機会なんてなかったですし」
付け加えれば、別に知りたいとも思ってないし。
「だよね。私は朝比奈なずな。まあ学年も違うし、そんなに関わることはないだろうけど、よろしくね」
「はい、よろしくお願いします……」
向こうは俺の名前を知ってるようだし、名乗らなくてもいいか。
「でさ、君、確かCクラスよね?」
……なんで知ってんだろう。
いや、まあいいか。
「そうですけど……」
「じゃあ、綾小路くんと仲良かったりする?」
突如出てきた清隆の名前。
困惑しつつも、事実を答える。
「割と仲はいい方だと思いますけど」
「そっか。ちょうどよかった。君に綾小路くんへの伝言を頼みたいんだけど、いいかな?」
「伝言、ですか」
正直面倒だが、ここで話を断って、それが南雲会長に伝わるとさらに面倒なことになる可能性もある。
ここは素直に頼まれておこう。
「すぐに教室で会いますし、構いませんよ」
「ありがとう。実は、帆波のことなんだけど……あ、帆波、で分かるかな?」
「一之瀬のことですか」
「そそ」
元の知名度の高さに加え、最近の騒動のこともあるので、ファーストネームであっても知らない人の方が少ないと思う。
「帆波って、クラスメイト思いだからさ。今回の試験のことで相当悩んでるのよね」
「まあ、想像はつきます」
平田と同じように、クラスメイトの誰かが退学する、なんて現実は受け入れられないだろう。
「それで、どういう結論を出したと思う?」
「退学者を出さないようにするなら、2000万払う以外に方法はないですよね」
「正解。でもBクラスだけじゃ、2000万ポイントには届かない。そこで帆波が頼ったのが雅……南雲生徒会長なの」
「そうですか。……まあ、妥当なんじゃないですか」
一年生で唯一、生徒会に所属しているからこそ使えるパイプ。
それを有効に使っている戦略だ。悪いものじゃない。
「承諾したんですか、会長は」
「二つ返事でね。あいつかなり持ってるから、金額の面だけ見れば、全然問題ないんだけどね」
「それ以外で問題がある、と」
「そ。まず、あいつと同じクラスの私としては、大量のポイントをポンと渡すことに疑問があるわけ。帆波自身に退学の危機があるならともかく、その可能性はゼロに近いでしょ? 私たちだって、これから特別試験を控えてる。そこでポイントが必要になるかもしれないじゃない?」
「それはまあ、そうですね」
朝比奈先輩は、一之瀬とかなり親しくしているんだろう。ただし、それは一之瀬個人に限った話。一之瀬のクラスメイトのために、一時的とはいえ大量のポイントを手放すのを素直に呑むことはできない。全くもって正しい感覚だ。
ところで、先ほど朝比奈先輩は「まず」と言った。
つまり、いま説明されたこと以外にも、まだ問題はあるということだ。
それから……と、先輩は口を開く。
「……あいつ、ポイントを貸す見返りとして、自分との交際を突き付けたの」
「……」
なんというか……反応しづらいな。
一之瀬は南雲会長にかなり好印象を抱いている。交際することに抵抗がなくてもあり得なくはないが……「問題」としてこの話をしているってことは、恐らくそうではないんだろう。
「私たちにとっても帆波にとっても、この取引はあんまりいいものじゃないのよね」
「そう、ですね……」
事情は分かった。
だが、この話を清隆に通しても、あいつが何か動くとは考えにくいんだけどな……
そもそも、この人と清隆の間には何のつながりがあるんだ。
わからないことが多いな。
「取り敢えず、伝えるだけ伝えます」
「うん、よろしく」
満足そうにうなずく朝比奈先輩。
「でも、あいつに何を期待してるんですか。問題があるのは分かりましたが、あいつになんとかできるような話じゃないと思いますけど」
「うーん、なんとなく、かな。あの子なら、何かやってくれそうな気がして」
「難しいんじゃないですか。そもそも一之瀬は他クラスですし」
「それはまあ、そうなんだけどね……」
それに、清隆が純粋に一之瀬を助けることを目的として動くとは思えない。
何かそれ以上の動機があれば、また話は変わってくるかもしれないが。
「じゃ、お願いね。あ、そうだ。私の連絡先教えようか」
「え?」
突然すぎる申し出。
どのように対応するのが正解かわからず、否定も肯定もできない。
「これも何かの縁だし、今回のお礼、ってことで。上級生とのパイプは作っておくもんだよ? 何か質問あったらいつでも聞いていいから。答えられる範囲で答えてあげる」
……なるほど、それはたしかに間違いない。
「あー、じゃあ、お願いします……」
この人は、南雲会長とかなり距離が近い生徒だ。
もし今の一連の流れが、全て南雲会長からの差し金だとしたら。
……いや、その線は薄いか。
俺と朝比奈先輩が全く同じタイミングで寮のロビーに到着したのは、間違いなく偶然だ。
それに、もし南雲会長が糸を引いているとしても、俺は下級生として純粋に気になることを、朝比奈先輩に聞けばいいだけだ。
というかそもそも、この学校の生徒会長様が、俺のためにわざわざこんな回りくどいことをしているかも、なんてかなり自意識過剰な発想だ。
あまり気にせず、素直な厚意として受け取るとしよう。
俺の連絡先の件数が、久しぶりに1つ増えた。
2
時はさかのぼり、3月1日、朝のホームルーム。
「私は今回の試験、葛城くんに退学していただきたいと考えています」
Aクラスの教室。
担当教諭の真嶋が追加特別試験の説明を終え、教室を出た途端、坂柳がクラス全員にそう告げた。
指名を受けた葛城。しかし、全く動じた様子はない。
彼は頭の切れる男だ。
説明の序盤の時点で、自らが標的にされることには考えが及んでいた。
ただ実をいうと、説明の直後に、ここまで大々的に宣告されたことには、内心少し驚きもあった。しかしすぐに得心し、自らの運命を受け入れるのだった。
「な、なんだよそれ! 卑怯だろそんなの!」
そう叫ぶのは、戸塚弥彦。
この学校が始まって以来、今でもずっと葛城を慕い続けている。
葛城が派閥争いに完敗し、クラスの第一線から退いた後も、変わらずに葛城についていっている。
親交を超え、もはや信仰ともいうべき域に達している。
「やめろ弥彦」
葛城は、そんな弥彦の叫びを一蹴する。
「で、でも……」
「やめろ。俺は受け入れている」
悔しそうに表情を歪める弥彦。
しかし彼自身、理解はしていた。
抵抗する術などないことを。
自分一人が声を上げてもどうにもならない。
自分以外に、表立って坂柳に反抗する生徒などいない。
そう思っていたのだが。
「ちょっとまって坂柳さん」
その声は、藤野麗奈のものだった。
クラスで最も影響力のある人間は、葛城から坂柳へと変遷していった。しかし、クラスで最も信頼のおかれている生徒は、入学以来ずっと変わることなく、藤野だ。
彼女は葛城の派閥ではないが、同時に坂柳の派閥でもない。
そのような所謂「中立派」は、藤野を含めて十人ほどいる。
しかし藤野個人としては、どちらかと言えば葛城の戦略に賛意を示すことが多かった。
そのことと、彼女の求心力の強さもあって、一時期は、葛城を支える補佐役のようなものを務めていたこともある。
だがそのときも、葛城の戦略に疑問点があれば、彼女は常にそれを葛城にぶつけていた。それは、派閥そのものからは距離を置き、派閥内にある同調圧力を受けない彼女だからこそ可能だったことだ。
特に無人島試験、葛城が龍園と結ぼうとしていた契約に、最後まで疑問を呈し続けていたのは彼女だった。
結局契約は結ばれ、自分が葛城に積極的に協力するのは無人島試験まで、と告げて、葛城と藤野は決裂した。
そんな藤野から上げられた声。
弥彦は、それに一縷の望みを託すことにした。
「何か疑問点でも?」
「どうして葛城くんなのか、理由を聞かせてくれないかな」
藤野を含めどちらにも属していない生徒はいつでも、坂柳や葛城などの「人」ではなく、「戦略」に従ってきた。
誰が提案した戦略であろうと、納得すれば従う。納得できなければ従わない。その姿勢は一貫していた。
「私を含め、多くの生徒は彼の退学を望み、彼はそれを受け入れている。これで十分ではありませんか? これ以上ない、円満な解決だと思いますよ」
「じゃあ聞き方を変えるね……どうして坂柳さんは、葛城くんの退学を望むの?」
「フフ、簡単なことです。組織にリーダーは二人も必要ありませんから」
「えっ? ……リーダー?」
「ええ。どちらかが退場するとなれば、より有能な方を残すのが順当。それに、かつて私と対峙した彼を切れば、士気も上がりますからね」
藤野は一瞬、考えこむ。
坂柳の言ったことに矛盾はない。
組織にリーダーは2人もいらないことも、葛城を消せば坂柳派の士気が上がることも、全て事実だ。
考えた末、自分の中で結論を出す。
「……そう、なんだね」
「ご納得いただけましたか?」
「……うん」
「そんな……!」
弥彦の託した望みは、一瞬で崩れ去った。
全員表情には出していないが、Aクラスの裏で存在している「藤野派」の生徒も、藤野の引き際の速さに少し驚いていた。
「では、挙手で決を採ってはっきりさせましょう。葛城くんの退学に、異論のない方は挙手を願います」
当初から坂柳に従っていた生徒は、すぐに手を上げる。
次に、少し坂柳に不満がありつつも、仕方がなく従っている生徒。
最後に、藤野など中立に立っている生徒。
最終的に、坂柳、弥彦、葛城を除く37名の手が上がった。
「では、決まりですね。あまり明るい話題ではありませんし、試験に関する話は、これで終わりにしましょう」
坂柳がそう締めくくると、生徒たちは全員、いつも通りの朝を過ごす。
弥彦だけは、まだ何ごとかわめいていたが、坂柳はそれを愉快そうに見ているだけだった。
「意外ね。藤野があんなに素直に引き下がるなんて」
近くにいた神室が、坂柳に話しかける。
「フフ、彼女は意外に、頭のいい人のようです」
「……どういう意味?」
「気づきませんでしたか?」
「は? 気づくって何に?」
坂柳が、こういった勿体ぶるような言い方をするのは珍しくない。
そのたびに、神室はそれに嫌悪感を示すわけだが。
藤野の物分かりの良さ、潔さを言っているのかと考えたが、それなら「頭がいい」なんて表現はしないはず。神室の頭の中で疑問が駆け巡る。
「真澄さんもまだまだですね。ずっと私の近くにいるあなたより、藤野さんの方が、よっぽど私のことを理解している」
「……こっちは別に、好きであんたの近くにいるわけじゃないんだけど」
発言の真意を言うつもりはないと悟り、神室は追及をあきらめた。
もっとも、神室の追及が実ったことなど、ただの一度もないのだが。
いずれにせよ、まだ試験は始まったばかりだ。
3
これが、試験の説明時にAクラスで起こっていた出来事……だそうだ。
追加特別試験2日目の放課後。俺は藤野とともに食材の買い出しに行き、藤野の誘いで寄り道したカフェで、この話を聞いていた。
それを受け、俺は今後の展望に関して、俺の考えを藤野に伝えた。
もしかしたら、坂柳攻略のチャンスが広がったかもしれない、と。
まあでも、それが実るのは恐らく、2年生に進級して以降になるだろう。
話すべきことを話し終え、話題はAクラスのことから離れていく。
「でも速野くん、災難だったね。休むどころか、試験が入っちゃうなんて」
「そうなんだよな……まあ、1日休みが取れただけよかった、と考えるしかない」
「疲れはとれたの?」
「一応な」
1日休むだけでも全然違う。俺の取った選択肢は間違っていなかった。
欲を言えば、あの日南雲会長に遭遇していなければな……もうちょっと気が休まっただろうし、今朝俺が朝比奈先輩から伝言を頼まれることもなかっただろう。
ちなみに、清隆への伝言役はしっかりと全うした。
清隆からは「なんでオレに?」と聞かれたが、そんなもんは知らんので「知らん」と答えた。
こっちが聞きたいくらいだっつーの。
「速野くん、水だけでいいの?」
ロイヤルミルクティーを飲んでいた藤野が、俺の手元に目を向けて言う。
「……やっぱ気になるか?」
確かに、開けたフードコートの一角で、何も頼まずに白湯を飲むのと、閉鎖空間であるカフェに来て、無料で出される水しか飲まないのは少し違う。
「何か頼んだ方がいいと思うけど……」
「……そうだな」
俺はメニューを見て、一番安いアメリカンコーヒーのホットを注文した。
「相変わらず、かなり節約してるんだね」
「まあな。いつ試験でポイントが必要になるかわからないし」
「……確かに」
もし2000万プライベートポイントがあれば、退学者を出さずに済むからな。
ポイントが用意できること。そして、「退学した方がいい」と言われるような、クラスのマイナス要因の生徒がいないこと。
この2つの条件を満たせば、そのクラスは退学者を出さないためにポイントを払うという意思決定をするだろう。
それによってそのクラスは、他クラスに比べ、一人分の人数アドバンテージを得ることになる。
例えば、無人島での試験。
あの時Aクラスは、坂柳の欠席によって、問答無用でマイナス30ポイントを受けた。どこかのクラスで退学者が出ていたら、欠席と同様にその分だけマイナスが計上されていた可能性もある。
しかし退学者がいなければ、そんな恐れはない。
あるいは、ペーパーシャッフルのように、クラス内でペアを組んで行う試験。
退学者が出たクラスには何らかの負担がかかるだろう。が、退学者がいなければそれもない。
もちろん、このケースはCクラスには当てはまらない。ポイントは足りないし、退学した方がいいマイナス要因の生徒もいる。
「速野くんは今回、どう動くの?」
「まあ……状況に応じて、って感じだな。大人しくしとけば、俺自身が退学になる危険性はそんなに高くないと思ってる」
「私も同感かな。速野くんのクラスへの貢献度、結構大きいもんね」
クラス外ではあるが、こうして藤野が客観的に言ってくれることで、俺も安心できる。
その後はいつも通り、他愛もない雑談に興じていたが、俺がコーヒーを飲み終えたところで藤野に帰宅を提案する。
「……そろそろ出るか。コーヒー飲み終わったし、要冷蔵のものもあるしな」
「あ、うん。そうしよっか」
カフェの店内は、過ごしやすいように暖かく保たれている。居心地はいいが、この空間に肉製品を長時間放置するのはよくない。
藤野と別れて部屋に戻り、片付けを済ませたあと、俺はある人物と連絡を取った。
「Cクラス内で、一波乱起きそうだな」
なんとしても、その混乱には巻き込まれないようにしなければ。
ただ……今回の場合、よりリスクが高いのは俺ではなく、あいつの方だが。
実はこのオリ主、今まで裏でこそこそやってきてますが、割と表立ってもクラスの役に立ってるんですよね。
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ep.79
文量としては多くありませんが、キリが良かったので、ここまでで区切ることにしました。
1
木曜日の朝。
俺が登校してくると、Cクラスの教室には、いつも通りの光景が広がっていた。
そう、いつも通りの。
まるで、昨日までみんなの頭を悩ませていた試験なんて、存在していなかったかのような。
楽しそうに雑談を行う生徒たち。
次に控える、この学年最後の特別試験について話しているグループも、中には見受けられた。
「……」
俺が席に座ろうとしたとき、清隆がこちらに目線を合わせてきた。
「……なんだ。顔にジャムか何かついてるか?」
「いや、別に」
清隆も、教室の雰囲気の変化には気づいている様子だ。
だが、俺たち綾小路グループの行動方針は、とにかく目立たないこと。
変化に気づいたとしても、それを大っぴらには言わないのが得策だ。
お互いそれは承知の上で、あんな頓珍漢な会話を行った。ジャムなんてついてたら自分で気づくわな、普通。
「はぁ……」
席に座り、一息つく。
それにしても……感心した。
大きなグループが形成され、「誰を退学させるのか」というターゲットが大多数に共有されただけで、クラスの雰囲気はここまで変わるのか。
聡い人間であれば、いや、よほど鈍感でなければ、クラスの雰囲気が昨日と全く違うことには気づく。
教室全体を見回すと、このCクラスの雰囲気に違和感を覚えている人が少なからず見受けられた。
誰が批判票のターゲットになったのか、知らされていない人たちだ。
まあ、その中でも須藤は全く気付いている様子がないが……あいつは単純に鈍感なだけだろう。
清隆は恐らく、大グループが形成された可能性にまで思い至っているだろうが、他の人たちはどうか。
先ほどから何度も、綾小路グループのチャットの通知が飛んでくる。
主に今日早めに登校する当番だった、啓誠からのものだ。教室の雰囲気に変化がある旨が書かれている。
どうやらしっかりと、この違和感を感じ取ったらしい。が、大グループに関する言及はなかった。
さて、この状況でどう対処するのか、見ものだな。
俺の後ろの席に座る、Cクラスのターゲットが。
2
放課後、綾小路グループの集まりを終え、俺は寮に帰宅していた。
清隆はやはり、大グループ形成の可能性に気づいていたようだ。はじめは啓誠の口からその話がメンバーに伝えられたが、のちにそれは、清隆が啓誠に個人チャットで話していたことによるものだったことが発覚した。
大グループが形成されたことに勘づいたなら、次は、誰がそのターゲットになっているかだ。
そのターゲットは、何を隠そう、綾小路清隆だ。
あの場では、清隆が自身に退学の危機が迫っていることに気づいているかどうか、その判断はできなかった。
もし気づいていたとしても、あいつなら「混乱を避けるため」とか言って、ギリギリまで、或いは最後まで伝えないだろう。
しかし、単純に綾小路が気付いていないだけかもしれない。
どちらの可能性も、現時点では捨てきれない。
「……まあ、何とかするだろ。知らんけど」
清隆なら、何らかの方法で絶対に退学を回避する。俺はその点において、清隆に絶大な信頼を置いていた。
それに、この試験の結果によっては、面白いことが分かるかもしれない。
その点についても、多少興味があった。
「……さて」
ここからは、Cクラスとは何の関係もない、大きく外れた行動だ。
言うなれば「仕事」のようなもんか。
俺は端末を起動させ、メッセージを送った。
相手は一年Bクラス、一之瀬帆波。
『朝比奈って先輩から話は聞いた。悩んでるなら、藤野あたりに相談してみたらどうだ』
そのメッセージには、すぐに既読がついた。
しかし、返信はこない。
まあ、そりゃそうか。急にこんなことを言われたら、どう返せばいいか悩むのは当然だ。
数分待っても返信が来る様子はないので、一旦端末の画面を消し、今日の夕食の準備に入ることにする。
そうして椅子から立ち上がろうとしたちょうどその時、端末から、電話の着信音が部屋に鳴り響いた。
もちろん、相手は一之瀬。
チャットの返信ではなく、通話という選択肢をとったようだ。
「もしもし」
『あ、速野くん、急にごめんね。いま大丈夫かな?』
「ああいや、こっちこそ、急にあんなメッセージ送って悪かったな」
『ううん、それは全然。でも、そのことでちょっと話したいことがあって。今から速野くんの部屋に行ってもいいかな?』
「え?」
……マジかよ。
いや、元々直接会って話すつもりではあったんだが、まさか一之瀬の方から言ってくるとは。
『あ、ごめん、迷惑だよね……』
「いや、悪い、そういうわけじゃないんだ。今からだったな。別にいいぞ」
『ほんと?』
「ああ」
『ありがとう……じゃあ、5分くらいで行くね』
「分かった」
その約束だけを取り付け、通話は終了した。
5分か……かなり微妙な時間だ。
時間がかかるようなら、先ほどやろうとしていた夕食の準備を進めようと思っていたが、5分では何もできない。
しかし、何もせずにいるには長い。
部屋を見回し、何かやることがないか探した結果、少々散らかっていた机の上を片づけた。
そうこうしているうちに5分ほどが経過し、部屋のインターホンが鳴る。
玄関に行くと、私服に着替えた一之瀬が立っていた。
「上がってくれ」
「ありがとう。お邪魔します」
「適当に座っててくれ。なんか出すから」
「そんな、お構いなく」
遠慮する一之瀬だが、大したものを出すつもりはない。というか買ってないので出せない。
何かを温める時間もない。
結局、棚にあったクッキーを数枚皿に出して、一之瀬の元へ持っていった。
「ありがとう」
こういう場合、飲み物ではなく食べ物が出されたら、客人はあまり口をつけない傾向にある。
夕飯が近い時間帯ということもあるし、恐らく一之瀬は、このクッキーを一枚も食べずに部屋を出るだろう。
「それで、話って?」
世間話をしているような時間はない。
単刀直入に、本題に入ることにする。
「あ……うん。朝比奈先輩から聞いたって……どこまで聞いたのか、教えてくれないかな?」
「どこまで……と言われてもな。一之瀬がBクラスから退学者を出さないために、南雲会長に不足分のポイントを借りる。その見返りとして、お前が南雲会長と付き合う、って話だったが」
「にゃはは、ほとんど全部知られちゃってるんだ……」
と、困ったように笑った。
俺は説明を付け加える。
「実をいうと、俺は朝比奈先輩から清隆への伝言を頼まれただけなんだよ」
「綾小路くんに……?」
「ああ、昨日の早朝に。だからこの話はあいつも知ってる」
清隆も知っている、というより、本来知り得なかったはずなのは俺の方だ。
それを朝比奈先輩から、偶然聞かされただけ。
「あいつからは何か言われたか?」
「綾小路くんから? ううん、特に何も……」
「そうか……」
清隆から動きはなし、か。
「なんで朝比奈先輩は、綾小路くんにこの話をしようと思ったんだろう……」
「清隆ならなんとかしてくれると思ったから、だそうだ。朝比奈先輩はこの取引を好ましく思っていないらしい」
頭の回転の速い一之瀬は、それを聞いてすぐに事情を理解したようだ。
「そうなんだ……じゃあ、速野くんを伝言役に頼んだのは、どうしてなのかな?」
「それは単なる偶然だ、と思うぞ。昨日の朝、早めに出なきゃいけない事情があったんだが、その時にたまたま登校時間が被ったんだ」
「あ、朝早く、だったんだ……そっか、それで……」
「……?」
「あっ、何でもないの。ごめんね」
手を振って、否定のジェスチャーをする一之瀬。
ちょっと何言ってるかわからないので、聞き流して話を進める。
「ちなみに、無利子なのか?」
「うん。3カ月以内に、借りた額をそのまま返済すること、っていう条件。明日いっぱいまでに、どうするか決めろ、って」
「その不足額は?」
「400万と少し、かな」
……なるほど。
「実は南雲先輩から、この取引は誰にも言うなって言われててね……せっかくのアドバイスなんだけど、藤野さんには相談できないんだ」
「……そうだったのか」
南雲先輩としては、この取引が大人数の耳に入ることは望ましく思っていないってことだ。
「となると、俺の口からも伏せておいた方がいいか」
「うん。お願いできるかな……?」
あまりに知っている人が多くなってしまうと、一之瀬が契約違反をしたとして、取引を反故にされる可能性もゼロではない。
「分かった」
この話の流出は、俺と清隆までで食い止めておくべきだろう。
清隆なら心配はいらないだろうが、あとで一応、メールでその旨伝えておくか。
「速野くんは……どう思う?」
「どう、というと?」
「私のこの戦略。もちろん、南雲先輩は尊敬する人だけど……ポイントの代わりに交際なんて……」
そこに、いつもの快活な一之瀬はいない。
いるのは、ジレンマに押しつぶされそうな、弱い女の子だけ。
先日の一件で、自分の弱さを受け入れた一之瀬。
そしていま、その弱さを俺に見せているのか。
「……まあ、ぶっとんだ話ではあるよな」
「そうだよね……でも、Bクラスの全員が生き残るためには、たぶん……」
「……そうだな。お前の戦略は間違ってない」
頭ではわかっていても、心が追い付いていない。
自分の身を犠牲にする勇気が持てない。
そんな様子だ。
……そろそろ、踏み込んでみるか。
「一之瀬」
「うん?」
「今から数分間のことは、誰にも言わず、墓場まで持っていくことを約束してくれ」
「は、墓場まで? うん、わかった……」
一之瀬は戸惑いを見せるが、これは決して大げさな表現じゃない。
絶対に外部に漏らしてくれるな、という俺の意思表示だ。
俺は充電プラグから端末を外して操作し、その画面を一之瀬に向ける。
それを目にした一之瀬は……
「……う、うそ、でしょ……?」
目は見開かれ、口はあんぐり。一之瀬の表情は「驚愕」の二文字に染まっていた。
まあ、当然だ。
見せているのは、ポイント残高の画面。
そこには、約500万もの数字が表示されているのだから。
「な、なんで、こんな……」
「それは想像に任せる。が、全て俺個人が所有し、自由に使えるポイントだ」
「……ごめん、ちょっと頭の整理が追い付かないや」
一之瀬も俺と同じように、大量のポイントを自らの端末に保有している。
しかしそれは額面だけ。所有ポイントのほとんどは、クラスメイトから預かっているだけのものだ。当然、一之瀬のポイント、とは言えない。
そんな一之瀬だからこそ分かる。
500万という数字が、いかに大きいか。
「これなら、不足ポイントを補うにも十分、だよな?」
「う、うん、それはもちろん、そうだけど……」
「もう一度聞かせてもらうが……不足ポイントはいくらだ? こんどは一の位まで具体的に」
「え、えっと、ちょっと待ってて……」
まだ戸惑いは残っている様子だが、俺の質問に答えるべく、自分の端末を操作して確認をとる。
「えっと、404万3019ポイント……だね」
「そうか。なら余裕だな。俺が不足分を貸し付けてやれる」
「ほ、ほんとに?」
この部分だけ聞けばかなりの好条件だが、本題はここからだ。
「ああ。ただ、俺とお前とじゃクラスが違う。敵同士だ。交際だとかそんなバカげた話はしないが、ポイント面での条件は、かなり厳しめのものをつけさせてもらう」
当然のことだ。
何度も言っているように、プライベートポイントはいつ必要になるかわからない。
Bクラスの不足分を補填しても、手元にはまだ80万弱残る。とはいえ、それをタダで貸すほど、俺はお人よしじゃない。
「何かな、その条件って……」
話の先を促す一之瀬。
「南雲会長との取引では、返済期間は3カ月だったな」
「う、うん」
「なら、俺が提示する条件は……」
一呼吸おいて、それを明かす。
「毎月の初めにBクラスに支給される全員のプライベートポイントを、3カ月間、全て俺に振り込むことだ」
かなりキツく、そしてあまりにも俺に有利すぎる条件。
一之瀬にとっても、俺の提示した条件は予想以上だったらしく、驚いたようすだ。
もし、いまのこの話を受けたら、Bクラスは、2年生に進級してから3カ月間、毎月のプライベートポイントがなくなってしまう。
対して俺は、元金から少なくとも100万ほど上乗せされた額が、3カ月後には入ってくるだろう。
普通なら、すぐに断られてもいいような、まったく釣り合いの取れていない話。
しかし、クラスメイトを守ることに固執しているいまの一之瀬なら、こんなアホらしい選択肢にさえも、検討の余地を与えてしまう。
「どうする、一之瀬」
俺はいま、かなり残酷な二択を迫っている。
南雲会長から借り、一之瀬自身を犠牲にするか。
俺から借り、クラスメイトを犠牲にするか。
一之瀬の中の葛藤が目に浮かぶようだ。
さて、どちらを選ぶのか。
「……なんてな」
悩む一之瀬の答えを待たずに、俺は冗談めかしてそう言った。
「……え?」
一之瀬の、間の抜けたような声。
「本気にしたか?」
「え……冗談、だったの?」
「冗談3割、本気7割ってところだな」
「そうだったんだ……え、本気7割?」
先ほどまで緊張していた空気が、このやり取りによって一気に弛緩していく。
「まあ、あれだ。俺なりの後押しだ。クラスメイトに3カ月間……いや、今月も含めたら4カ月か。そんな長い間、ゼロポイントで生活しろなんて言えないだろ、一之瀬は」
そう言うと、一之瀬は「その通り」と言わんばかりに、一度大きく頷いた。
「……うん。みんなは優しいから、ゼロポイントの生活も受け入れてくれると思う。でも……私が南雲先輩と付き合えば、皆がそんな苦労をする必要はなくなるもんね」
どこまでもクラスメイト思いで、そして見栄っ張りなところがある一之瀬だ。
激しい葛藤はありつつも、どちらの選択肢をとるか、腹は決まりかけていただろう。
「ああ、そうだな。でも結局、最後は一之瀬の気持ち次第だ」
俺ができるのは、友人としての後押しまで。
「うん、わかってるよ」
そう答える一之瀬の表情は、来た時よりも少し晴れ晴れとしているように感じた。
話もひと段落し、お互いに目的は達した。
一之瀬は帰り支度を始める。
「まあ、タイムリミットまではあと1日ある。それまで、ずっと考えるといいんじゃないか。ああ、俺と契約したくなったらいつでも言ってくれ」
「にゃはは、うん、ありがとう。少し元気出たかも」
「そうか……それはよかった」
俺の提示する契約内容は、一之瀬の中では完全に冗談として処理されているようだ。
「じゃあな。あ、さっきのことは……」
「うん、わかってる。秘密にしておくよ。……二人だけの」
ならよかった。
ドアが閉まり、一之瀬の姿が見えなくなる。
そして、訪れる静寂。
鍵を閉めるガチャッという音が、やけに部屋に響いた。
部屋に戻り、案の定手の付けられていなかったクッキーを、さっと片付ける。
「……夕飯作るか」
キッチンに立って、棚から米を適量取り出し、研ぎはじめる。
今日のメニューは、鶏肉のねぎま風炒めだ。
とりあえず、いまのところ問題はない。順調に、プラン通りにいっている。
あとはこのまま、「あいつら」がやるべきことをやってくるだけだ。
明日から少し予定があり、一時的に更新が滞りますが、今までのように数週間や1カ月空くようなことはありませんので、ご安心くだされば幸いです。
では、次回もお楽しみに!
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ep.80
前回の投稿から約2カ月、ですか……本当に申し訳ありません。
帰省したら更新できないことは目に見えていたため、その前に頑張って3連投したはいいものの、そこから中々再開のタイミングがつかめず、そのままズルズルと引き延ばしてしまいました。
ここからペースを戻していければと思いますので、お読みいただいている皆様、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
堀北、動きます。
1
試験4日目の金曜日。
午前中の授業を終え、昼休みをむかえた。
この時間は特に用事もなく、一人で昼飯をつつく。
いつも通りに昨夜の残り物で作った弁当を開封した、ちょうどその時。
俺の斜め後ろの席から、ガタッと椅子を引く音が聞こえた。
見ると、堀北が立ち上がり、教室を出ようとしているところだった。
「……どこ行くんだ堀北?」
堀北も普段は教室で昼食をとる。
この時間に堀北が教室を出るのは非常に珍しい。
一体どこに行こうというのか。
もちろん昼休み中に堀北がどこに行こうと勝手だが、俺が声をかけた理由はそれだけではない。
立ち上がった瞬間の堀北の表情。
いつにもまして硬く、緊張した面持ちだった。
「……それを知ってどうするつもり?」
「いや、別にどうもしないけど」
単純な興味だ。どうするも何もない。
「なら放っておいて」
そう言って、つかつかと歩いて行ってしまう。
残された俺は、堀北が出て行った教室後方の出入口を見つめるほかなかった。
「……」
なんというか……久しぶりだな、この感じ。
最近は鳴りを潜めていたが、入学当初の堀北はあんな感じで刺々しかった。
刺々しい方がいい、というわけでは断じてないが。なんとなく懐かしさを感じてしまった。
「速野くん」
堀北の姿を見届け、改めて弁当を食べ始めようとしたところ、今度はこちらが声をかけられた。
俺の机の前に、自身の昼食を持った松下が立っている。
「……どうした?」
「お昼ご飯、一緒にここで食べてもいいかな?」
そう言って、松下は近場の誰も座っていない椅子を引いてくる。
ここで、ってのは俺の机でってことか。
「ダメなことはないが……狭くね?」
松下のこの行動が、俺に対する「アプローチ」の一環であることぐらいは分かっている。
不気味なのは、ここまで積極的な行動を起こす松下が、俺への好意を持っていないという点だ。
俺は決して鈍い方ではない。むしろ敏感であるからこそ分かること。
好意を持っていない相手へのアプローチなんて、やってる方は苦痛だろうに。どうしてこんなことをしているのか。
「ううん、大丈夫だから」
「……まあ、そっちがいいなら」
「ありがと」
普通に断ってもいいんだが、松下が動く理由を探るためにはこうして接してみるのがいい。
先約などの諸事情がない限り、出来るだけ松下の話は断らないようにしている。
「いよいよ明日だね、投票」
「そうだな」
「誰に投票するか決めた?」
「あたりは付けてるが、はっきり決めたわけじゃない」
明日の気分で決めるか。あるいは今日、何かしらの動きがあるか。それによって、俺の批判票の投票先は変わる。
松下は、批判票の方は清隆に入れる予定だろう。大グループに参加しているため、少なくとも表向きはそのことに同意しているはずだ。
「賞賛票は速野くんに入れるよ、私」
「……マジで?」
「うん、もちろん」
「それはありがたい」
入れてくれるというなら素直に受け取っておこう。
しかしいまの発言が本当かウソか、それを確かめる術は俺にはない。投票先は学校が永久に秘匿する決まりだ。
話半分に聞いておいた方がいい。
「他クラスへの賞賛票はどうするの? 速野くんは、やっぱり藤野さん?」
言われて思い出す。
そういえば、自分が誰に入れるかに関しては全然考えてなかった。
「あー……決めてない。だから藤野に入れるとも限らない」
「へえ、そうなんだ」
意外そうな表情を見せる松下。
「普通に考えればあいつの場合、退学する可能性はほとんどないしな」
それどころか、プロテクトポイントを獲得する可能性すらある。
むしろAクラスでは筆頭候補だといっていい。
Aクラス内で藤野は人気がある。とはいえ、賞賛票の獲得数では恐らく坂柳には及ばない。
しかし藤野には坂柳と違って、他クラスからの賞賛票を獲得できる余地がある。クラス内での結果をひっくり返すには十分な数だ。
それを加味すると、退学するよりもプロテクトポイントを獲得する可能性の方が高いだろう。
「Dクラスはやっぱり、龍園くんだよね」
「……そうだな。この試験が始まった時点でほぼ確定的だっただろ」
龍園は、藤野とは真逆。
自クラスにも他クラスにも、ほとんど敵しかいない。まさに四面楚歌だ。
この試験ではそういう生徒が一番不利だ。
「でも龍園くんが抜けたDクラスって、あんまり怖くなくなるよね」
松下は少し考えるような表情でそう言った。
まったくその通りだ。
「ああ。だからそうなってくれると助かるんだけどな」
龍園がいなくなれば、他クラスとしてはかなりやりやすくなる。
今は大人しくしているが、いつか復帰するんじゃないかと思うと面倒だ。存在ごといなくなってくれれば、分かりやすくて非常に助かる。
ただし愉快犯的に誰かとの勝負を好むやつの中には、この展開を嫌がる人もいるかもしれない。龍園本人や、坂柳なんかもその部類だ。
そう考えていたところ、松下が困り顔になる。
「なんか……こんな話題ばっかりになっちゃうなあ」
松下としてはもっと明るい話題を俺と共有したかったのか、そんな声を漏らす。
「仕方ないことなんじゃないか。試験期間だし」
そう答えたが、別に試験期間に限ったことじゃない。
松下と俺の共通の話題は、イコールクラス共通の話題だ。必然、試験や授業中のことに限定される。
俺たち二人ならではの話題は本来存在しない。
あるとすれば、混合合宿でのスキーの一件。しかしそれに関することは、既にほとんど語りつくされた。今さら何か話すようなことなんて残っていない。
「そうかもね」
俺の心情を理解したのかは分からないが、松下はそうつぶやいた。
その後は特に話すこともなく、互いに無言のまま時間だけが経過していく。
昼休みが始まってから30分ほどが経過すると、昼食から教室に戻ってくるクラスメイトの姿がちらほら見え始める。
教室の座席の半分が埋まったころ、どこかに行っていた堀北も戻ってきた。
「……」
声をかけようかと思ったが、やめた。
教室を出たときにあった妙な緊張感は今は見られない。
何か吹っ切れた様子。覚悟を決め、どこか清々しささえ感じられた。
俺が実りのない不毛な昼食時間を過ごしている間、堀北は非常に有意義に時間を使っていたらしい。
どこで誰と何をしていたのか、それは皆目見当もつかないが、結構なことだ。
堀北がどう動き、それに伴って状況がどう変化するのか。
様子を見させてもらおう。
2
「予告していた通り、明日は土曜日だが、投票日となっている。遅刻、欠席等がないように。では、これでホームルームを終了する」
そう言って、茶柱先生が場を締める。
先生が、持ってきていた出席票などのファイルを教壇でトントンとまとめて教室を出ようとしたとき。
「みんな、少し時間を貰えるかしら」
立ち上がったのは堀北。
当然、クラス全員から注目を受ける。
茶柱先生も気になったようで、教室を出ようとしていた足を止める。
「どうしたのかな、堀北さん」
平田が反応を示した。
「明日の試験に関して。どうしても話しておかなければいけないことがあるの」
「試験に関して……?」
「ええ。だから、全員教室に残ってもらえるかしら」
帰り支度をしていたクラスメイト達も、そういわれては気になって手を止める。
「なんだよそれー。俺いまから寛治と遊びに行く約束あんだけどさー」
「遊ぶ約束? 随分と余裕があるのね。明日には自分が退学する可能性もあるのに」
「それは……もう何しても無駄だろうし、覚悟を決めたっていうか」
「そう。それはいい心がけだとは思うけれど、全員がそう割り切ることができているわけじゃないわ。これはクラス全員が聞かなければ意味のない話なのよ。協力してもらえる?」
堀北の呼びかけによって、教室内に異様な空気が流れる。
山内も、ここで無視して出ていくのは悪手だと理解しているのか、不満と焦りが混ざったような顔をしながらも、教室に残ることを決めたようだ。
それを確認して、堀北が話し始める。
「今日までの数日間、私なりにいろいろ考えたわ。この試験について。クラスの誰が残るべきで、誰が退学すべきなのか。そしてそれをどうやって導くのか」
「ちょっと待って堀北さん」
堀北の演説を制したのは平田。
「このクラスに退学すべき人なんていないよ」
「そうかしら」
「そうだよ。この40人、全員がこのクラスの大切な一員だ」
「私も好き好んで退学者を考えているわけじゃないわ。でも、この試験はそういう試験なのよ。明日になれば誰か一人が退学する。それに試験が発表されてから今まで、あなたは何もできなかった。それは、どうしようもないということを理解していたからではないの?」
「それは……」
平田もそれは理解している。
だからこそ、言葉に窮してしまう。
「話を続けさせてもらうわ」
その隙に、堀北が話を進める。
「私はずっと疑問に思っていたのよ。クラスの中で退学者を決めるのに、学校側から公式に話し合いの時間も設けられない。これでは、票のコントロールによって退学する生徒が決まってしまう。でも、これからのクラス間での競争を勝ち抜いていくのに、それは望ましくないことよ。もしかしたら優秀な生徒が退学になってしまうかもしれない。だからここで、私なりに考えた、このクラスで最も退学すべき生徒を名指しさせてもらう」
力強くそう言った。
なるほど、と思う。
昼休みの堀北の行動は、これにつながっていたのだ。
恐らく堀北は以前からこうすべきだとは思っていたが、一歩を踏み出す勇気がなかった。
しかし、昼休みの何らかの行動により、その勇気を得たわけだ。
「君にどのような心境の変化があったのかは分からないが、実に賢明な話だねえ。続けてくれたまえ」
そう言って堀北に乗っかったのは高円寺だ。
一方、平田は必死で流れを止めようとする。
「ちょ、ちょっと待って堀北さん」
「悪いけれど、今は私に話させて。きちんと理由は説明するわ」
「こんなのだめだよ。みんなを混乱させることにしかならない。僕は反対だ」
あくまで平田は認めようとしない。
しかし平田の旗色は悪い。
理路整然と話す堀北に対し、平田はなんの論理性もなくただ嫌だと言うだけ。これではまるで駄々っ子のようだ。
「意見を言う権利ぐらいあるだろ。まずは聞いてから反論しろよ」
須藤が堀北を擁護する声を上げる。
すると、高円寺もそれを後押しする。
「レッドへアー君の言う通りだねえ。わけの分からない理由で駄々をこねて、混乱を招いているのは君の方じゃないのかな?」
「そ、それは……」
再び言葉に詰まる平田。
「どうやら反論はないようだねえ。続けてくれたまえ」
「ええ。では言わせてもらうわ」
高円寺の言葉を受け、堀北は居直る。
そして、自分の席から教室前方の教壇へと移動した。
クラス全員に自分の話が伝わりやすくするためだろう。
ゆっくりと口を開く。
「私は今回の試験……山内くん、あなたを退学者に指名すべきと判断した」
ついに告げられた一人の名前。
「……は? ちょ、ちょっと待てよ! なんで俺なんだよ!」
名指しを受けた山内は当然反論する。
思えば、このような全体の場で、誰かが名指しされるようなことは初めてだ。
まあ、それも当然。クラスのほとんどの生徒はこの試験期間中、俺たち綾小路グループと同様に、目立たず、無難にやり過ごすことを心掛けていたはずだ。
「まずこの一年、あなたのクラスでの貢献度は極めて低いわ」
「は、そ、そんなことねえし!」
「あるわ。テストでは常に最下位争いよね」
「は、け、健だってそうだろ!」
学力という面で最初に名前が出されるのは、やはり須藤だ。
「それは以前までの話よ。彼は今回順位を大きく上げ、あなたよりも上位に立ったわ。それに、須藤くんの運動神経に目を見張るものがあるのは知っているでしょう」
「て、テストと運動だけで判断されるとかわけわかんねー! つ、つかよ、だったら寛治はどうなんだよ!」
次に、勉強や運動などでは山内と似たり寄ったりの池の名前が出てくる。
しかし堀北は、それも即座に否定する。
「学力と運動、という面で言えば、そうかもしれないわね。でも覚えているかしら。無人島で行われた特別試験、池くんのキャンプに関する知識がかなりクラスの助けになったわ。これからの学校生活でまた生きる場面が出てくるかもしれない」
覚えている。
川の水を飲料水として使う案や、焚火の起こし方。ああいった場面での池の活躍は見事だった。
「逆に聞くけれど、あなたが今までにクラスに何か貢献したことがあったかしら?」
「それは……で、でも、そんな奴たくさんいるだろ!」
「だから学力というわかりやすい基準を示したのよ。加えて、授業態度や遅刻欠席、日常生活での行動など、あなたを退学に指名する要因は多々あるわ」
「じゅ、授業態度と行動って、俺がなにかしたかよ!」
「そうね。直近で言えば先日、このクラスに事実無根の噂が流れたときかしら。あなたは1人、噂を面白がって騒ぎ、クラス内に混乱をきたした」
「あれは……」
「あの時は、いまあなたが名前を出した池くんに止められていたわね。その点でも、あなたと池くんの間には明確な差異が生じているのよ」
記憶に新しい出来事だ。
俺も堀北と同意見だ。池と山内との間に差が表れた出来事として、あれは強く印象づいている。
山内から名前を出された須藤と池は、非常に複雑な表情をしていた。
自分が堀北から名指しを受けなかったこと。しかし友人である山内が指名されたこと。そしてその山内が自分たちをやり玉にあげていること。
この3つを、心の中でどう整理していいかが分からないんだろう。
「じゃ、じゃあ高円寺はどうなんだよ! あいつもクラスに迷惑ばっかかけてんだろ! 俺はあいつみたいに試験をさぼったりしないぜ!」
山内はとにかく逃れようと、必死に誰かをやり玉にあげる。須藤、池ときて、次は高円寺だ。
「高円寺くんに迷惑をかけられているのは事実よ。でも、彼は確かな実力を持っている。少なくとも今回の試験で退学すべきではないわ」
「フッ、賢明な判断だよ」
高円寺はそう言って髪をかき上げ、いつものような不敵な笑みを浮かべる。当然と言わんばかりだ。
しかし、高円寺にもリスクはある。
それが分かっているからこそ、先ほどからこの堀北の演説に乗っかっているのだ。恐らく、堀北が自分を退学者に指名するはずがないということも想定済みだっただろう。
堀北は再び山内に向き直って、口を開く。
「そして山内くん、あなたにはいま、誰にも言えない後ろめたいことがあるはずよ」
「な、なんだよ。なんのことだよそれ……」
話題が切り替わったのを感じ取る。
「これは、私があなたを退学者に指名した決定的な理由でもあるのだけれど、ここで話してもいいかしら」
「だ、だから何だよそれ! 後ろめたいことなんかねえって!」
「そう、自分から話す気はないようね。なら、私から言わせてもらうわ。あなたは試験期間中、櫛田さんを使って、綾小路くんを退学させるためにクラスメイトに口利きをしていたわね?」
一気にざわめく教室。
クラスの半数以上の生徒は、清隆に批判票を集める計画について、櫛田から持ちかけられていた。しかし、櫛田のバックに山内がいたという事実は知らなかっただろう。
だが、堀北が告げた事実に最も驚いていたのは、綾小路グループのメンバー。
そして、平田だった。
「綾小路くんを、退学に……?」
彼らは、山内のことはおろか、清隆が退学の危機に瀕していたことも全く知らなかったのだ。
当然のことだ。綾小路グループのメンバーにこの話が伝われば、清隆にも瞬時に伝わる。
平田も、この計画を知れば猛反対していただろう。
「ええ。そうでしょう?」
堀北の呼びかけで、動揺を見せる多くの生徒。
それで平田も理解しただろう。
「そうか……それでみんな、あんなに落ち着いていたんだね……」
平田も教室の雰囲気の違和感には気づいていたようだ。
「ちょ、ちょっと待てって! 俺じゃないって!」
「では、誰がやったのかしら」
「し、知らねえけど……でも、綾小路に票を入れろって言われたんだよ!」
「誰から言われたの? あなたが主犯でないとしても、誰かから話を聞いたのは事実なんでしょう?」
「それは、だから、その……そう、寛治だ! 寛治に言われたんだよ!」
苦し紛れに池の名前を出した山内。
「は? いやいやいや、違うって……」
当然、池は否定する。
「では、あなたは誰から言われたの?」
「お、俺は……その、桔梗ちゃんに言われたんだよ。ある人が困ってるから、助けるために綾小路に票を入れてくれって……」
池が櫛田に言及し、櫛田の体が跳ねる。
「まさかあなたが主犯なの? 櫛田さん」
堀北の鋭いまなざしが櫛田を捉える。
「ち、違うの……私はただ、ある人に助けてほしいって頼まれて、それで……」
「そのある人、とは誰のことなの?」
「それは……」
櫛田は口をつぐむ。
だが、全員うっすらと理解はしたはずだ。
その「ある人」が山内であろうことを。
「一ついいか」
教室内に沈黙が流れる中、俺は挙手して発言した。
ここで俺が何かを発言するとは思っていなかったのか、堀北を含め、教室のほぼ全員が驚きを見せる。
「……何かしら」
「実は……それに関して、櫛田から相談を受けてた」
突然の告白に、ざわつく教室内。
「ちょっと待って。それは本当?」
「ああ。試験が発表されたその日に、電話で」
しっかりと通話記録も残っている。
「……頭の整理が追い付かないわ」
「ああ、俺もそうだった。相談を受けたときは山内の名前も清隆の名前も出されなかったし、なんで俺なんだって思ったよ。でも、いまになってやっと少し合点がいった」
「……どういうこと?」
「多分、櫛田自身にも罪悪感があったんだろ。清隆と仲のいい俺に伝えて、あわよくば、清隆が狙われていることに気付いてほしい、みたいな考えがあったんじゃないのか?」
顔を櫛田に向けてそう言ったが、本人は否定も肯定もしなかった。
俺はさらに続ける。
「あともう一つ。これは多分、話を持ちかけられたのが山内だったから、じゃないか」
「は、速野! だから俺じゃないんだって!」
「見苦しいよ。すでに君を除く全員が、君の仕業だと考えているんだ。今はスマートボーイのターンだ。邪魔しないでくれたまえ」
山内のわめきを高円寺が封殺した。
「それはどういうこと? 速野くん」
「つまり……この件に関して、山内がAクラスとつながりを持っていた、ってことだ」
俺がそう口にした瞬間、教室内の誰もが坂柳を思い浮かべたことだろう。
最近、山内と坂柳が頻繁に接触していることは全員知っている。
「ど、どういうことだよ春樹……お前まさか、坂柳ちゃんと……」
親友である池も、このような疑問を呈する。
「で、でたらめだ! どこにそんな証拠があるんだよ!」
「……確かに、決定的な証拠はないな。でも証言はある。『坂柳が山内を使って、Cクラスに何か仕掛けるかもしれない』って、藤野から忠告を受けた」
学年で、櫛田や一之瀬と肩を並べるほど信頼の厚い藤野。
当然、坂柳と藤野が裏で対立していることなど知る由もない。全員、Aクラスの中心人物の一人という理解だ。
そんな藤野からの証言。これはかなり効くだろう。
「山内から話を持ちかけられた段階で、多分櫛田は山内と坂柳のつながりにうっすら気づいていた。それで、その山内と同じく、Aクラスの生徒と強いつながりを持つ俺に相談してきた、ってとこじゃないか」
なぜ櫛田が相談相手に選んだのが、平田でもなく堀北でもなく、俺だったのかがこれで分かっただろう。
「あとは……怖かったんだろ。山内の裏に坂柳がいるんだとしたら、この話を断って坂柳を敵に回せば、自分が何かされるんじゃないか、って」
すると櫛田は、今度は小さく頷いた。
言うまでもなく、全肯定のサインだ。
この瞬間、櫛田は全てを認めたことになる。
山内が首謀者であることも。
「そ、そんな! 俺は……!」
山内は必死に弁明しようとするが、言葉は続かない。
「て、てか、Aクラスと繋がってるのって速野じゃんかよ! そっちはいいのかよ!」
「……」
おっと、今度は俺に飛び火してきた。
まあ確かに。そう言われればその通りなんだが。
しかし、ここは堀北が反論した。
「彼と藤野さんのつながりは入学直後からのものよ。その間、何か私たちのクラスに彼が悪影響をもたらしたことがあった? 成績は常に学年トップの上に、スキーの試験では15のクラスポイントをもたらしたわ。テスト前の勉強会で、彼の助けを借りた人も少なくはないはずよ。彼のクラスへの貢献度は非常に大きい。退学どころか、クラスに必要不可欠な存在よ」
ありがたいことに、堀北の中での俺の評価はかなり高かったようだ。
考えていた通り、実力ベースで見た場合の俺の退学リスクは低い。
再び、堀北が山内に向き直る。
「これではっきりしたわね。山内くん、あなたがこの件の主犯であるということが」
「ち、違うんだって!」
「速野くんの言った、あなたと坂柳さんがつながっているという話は私も知っていたわ。もしかしたら、あなたが喜んで協力する話もあったかもしれないわね。例えば彼女から交際の申し出でもあった、とか」
「うぐっ!」
山内の反応を見るに、図星らしい。
とは言っても、恐らくは山内がそう思っているだけ。思わせぶりなセリフの一つや二つでも言っておけば、山内は勝手に妄想を膨らませて勘違いするだろうからな。坂柳としても扱いやすかっただろう。
「クラスへの貢献度も低い。そのうえ、簡単にクラスを裏切ってしまう人。あなたが完全にAクラスの、いいえ、坂柳さんの手駒になってしまうのも時間の問題だったでしょうね。これが、あなたを退学者として指名する理由よ」
「なるほどねえ。自分の身を守るだけなら理解できないこともなかったが、このような下種な理由で敵であるAクラスに魂を売るとは、実に愚かな行為だ。堀北ガールの案に賛同しようじゃないか」
高円寺も全面的に乗っかる。
「春樹、お前……」
「ま、待てって寛治! 皆も! 俺は絶対裏切ってないんだって! 命にかけて!」
ここまで白日の下にさらされてしまっては、山内の言葉に重みはない。
命をかけると言っても、もう誰も信じないだろう。
「健! 何とか言ってくれよ!」
「……春樹……」
ここまで沈黙してきた須藤に泣きつく山内。
「俺は……やっぱ、春樹に退学してほしくねえよ……」
まずは友人として、素直な感情を吐露した。
「けど悪い……俺にはどうすることも、できねえ……!」
最終的に、須藤はそう判断した。
友人より、クラスを優先した。
非常に理性的な判断だ。
「決まりのようだねえ」
「ま、待てよ! あり得ねえし! つーか、馬鹿げてるって!」
「どう思ってくれても構わないわ。山内くんも、それ以外のみんなも。私のことが認められないなら、私に批判票を投じればいい。でも、私の考えは伝えた」
大々的に誰かを退学者に指名するのは、かなりのリスクを伴う。
その恐怖をはねのけ、ただならぬ覚悟を持って臨んだ堀北の、捨て身ともいえる一手だった。
「へっ、無駄だよ無駄! もうみんな、綾小路に入れるって約束してんだから! なあ!」
全方位から向けられる軽蔑の目をはらうようにして、山内はそう叫んだ。
しかし。
「……私……取り消す」
「え?」
うつむいていた櫛田が突如立ち上がって、言う。
「何も見えてなかった……綾小路くんに批判票を入れてって頼んで回ったの、全部取り消す!」
「そ、そんな! ひどいじゃんかよ! 約束破るなんて!」
「ひどいのは山内くんだよ……何か事情があって、Aクラスの子たちと協力してると思ってたのに……まさか、本当はこんなことだったなんて……!」
「な、だ、だからあれはでたらめだって! 信じてくれよお!」
その必死の訴えを素直に聞き入れる者は、もういない。
山内は、クラスで完全に孤立した。
これで、誰が退学するのか全くわからなくなった。
クラスメイトからすれば、櫛田の頼みだから清隆に批判票を入れようとしていただけ。櫛田がそれを取り消し、しかも背後にいたのが山内であることが発覚した以上、もはや清隆に票を入れる理由はなくなった。しかし、誰に批判票を入れるか決めあぐねていた人の中には、そのまま清隆に入れる者もいるかもしれない。
対して、山内にはかなりの数の批判票が入るだろう。仲のいい池や須藤を除けば、山内に批判票を入れない理由を見つける方が難しい状況になった。
堀北はどうだろうか。確かにリスクのある行動だったものの、結果として正義は最初から最後まで堀北にあった。評価が下がることはないだろう。
「私の話を加味した上で、誰に投票すべきか考えて。それでどんな結論に至っても……」
「……ダメだ」
堀北の発言を遮るようなその言葉。
誰が発した言葉なのかが分からず、教室を見渡す。
しかしそれはすぐに判明した。
直後に、平田が立ち上がったからだ。
「……何がダメだというの、平田くん」
「こんな形で、誰かを退学に追い込もうとすることだ」
「一体何を言っているの? この試験はそういう試験なのよ」
「ダメだ……僕は認めるわけにはいかないんだ。誰かに批判の矛先を誘導するなんてやり方は……」
その言葉は堀北だけでなく、自分に向けられているようでもあった。
「じゃあどうしろというの? 何かいい案があるなら聞かせてもらうわ」
「少なくとも、こんなやり方は最悪だ。絶対に容認するわけにはいかないんだ……」
「話にならないわ。あなたは―――」
ガンッ!
教室中に響く、無機質な音。
平田が、自らのこぶしを机に叩きつけた音だ。
その突然の音に、全員の心臓が跳ねあがった。
何よりこのようなことをあの平田がやったという事実を、頭の中で処理するのに時間がかかった。
対面する堀北も、一歩下がって話を聞いていた茶柱先生でさえも、動揺を隠せない。
「あ、あなた、何を……」
「僕は認めない……絶対に」
平田の裏ともいうべき場所に潜んでいた闇。それが表出した。
「……確かに今回の試験は非常に理不尽で、残酷なものだ。僕は未だに受け入れられずにいる。それでもどうにか黙認できる結末があるとすれば、それは誰にも操作を受けない、自然な形での投票だった」
「それは綺麗ごとよ。山内くんが櫛田さんに頼み込んで、櫛田さんが動いた時点で、実現し得ないことだわ」
「そうだ、それも最悪な行為だ。でも、こうして露骨にみんなに呼び掛けるのとは違う」
「いいえ、何も変わらないわ。私が今日ここで話をしなければ、山内くんによって誘導された投票の結果が出ていただけよ」
変わらないどころか、裏で動いて、自分は手を汚そうとしなかった山内の方がよほど悪質だという見方もできる。
「あなたの言う自然な投票を実現したかったなら、試験が発表された初日の時点で、山内くんの動きを止めるしかなかったのよ」
そんなことができるわけはなかった、と、「自然な投票」の不可能性を示した。
「……そうだね。もう取り返しはつかない」
堀北との会話の中で少しだけ正気を取り戻したのか、語気の粗さは解消されていた。
「だから僕は明日、堀北さんに批判票を投じることにするよ。望まない形を作り出した君を、僕は容認しない」
堀北との、明確な敵対の宣言。
やはり、まだ普段の冷静さとは程遠いようだ。感情だけで思考している。
いや、そうせざるを得ないのだ。
理詰めで考えていけば、平田は必ず自らの矛盾にぶつかってしまう。
そのため論理的な思考を捨て、感情で動くしかなくなっている。防衛機制のようなものだ。
「ええ。好きにして」
既に腹をくくっている堀北は、平田の言葉を正面から受け止めた。
「いいか堀北」
「はい。私の言いたいことは全て言い終えました」
「そうか」
それまで端から話を聞いているばかりだった茶柱先生が、ゆっくりと教卓へと戻り、口を開いた。
「今回の試験を非情だ、理不尽だと思う生徒がほとんどだろう。いや、今回だけじゃなく、今までにお前たちに課した試験も、学校からの嫌がらせのように思ったかもしれない。だが、ここは腐っても教育機関だ。全てのカリキュラムは、お前たちを成長させ、将来の日本の未来を担うのに十二分な能力を身に着けさせるように設計されている。追加、と銘打ったこの試験も例外ではない。社会に出れば、組織に不要な人間を切り落とさなければならない場面に出くわすだろう。そのことを頭に入れておけ。本来であれば、教師である私が口をはさむことではないが……敢えて言うならば、この話し合いは、非常に有意義な時間だったと考えている。全員よく考え、明日の投票に臨むことだ」
そう言い残し、茶柱先生は教室を後にした。
あとに残ったのは、総勢40名、一人も欠けることなく揃った1年Cクラスのメンバー。
静まりかえった教室。
居心地を悪くした山内が教室を飛び出していったのを皮切りに、一人、また一人と、教室を出て行った。
オリ主の干渉により、原作とは流れが少し異なっています。
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ep.81
たったいま、よう実2年生編2巻発売延期のニュースを目にしまして……非常に残念ですが、昨今の情勢から仕方ありませんね。
延期の間、私の拙作が皆さんのよう実ロスの軽減に少しでも役立てば幸いです。
1
「説明してもらえる? 櫛田さんから相談を受けたって」
放課後、カフェでの綾小路グループの集まりに参加した俺は、愛理、清隆を除くメンバーから追及を受けていた。
「落ち着けって……教室で言った以上のことは何もない。クラスで誰か一人を退学に追い込もうと頼み込まれた、って、それだけだ。山内の名前も、もちろん清隆の名前も出なかった。話を共有しなかったのは悪かったとは思うが、それは櫛田に秘密にしてくれって頼まれたからだ。クラスで大きな力を持つ櫛田を敵に回すことだけは避けたかったんだ」
櫛田の根回しの威力をもろに受けた人物が、俺の隣に座っている。
櫛田を敵に回していたらどうなっていたか、想像するのも恐ろしいというものだ。
「相談にはなんて答えたんだ?」
「個人的な考えは伝えた。クラス間競争のことを考えるなら、実力で判断したほうがいい、ってな。矛先が俺じゃないと嬉しい、とは言ったが。まさか、ターゲットが清隆だったなんてな……」
「ってことは、止めはしなかったんだな」
「無理やり止めるのも変だろうと思ったんだ。それに、徒党を組んで試験に臨もうとしていたのは、俺たちだって同じことだからな」
自分がそれをしているのに、櫛田を止めるのでは理屈が通らないということだ。
啓誠は何やら考え込んでいる様子だが、どこをとっても、俺の話に矛盾点は見つからないはずだ。
それもそのはず。
これは、初日に櫛田が山内に票の誘導を持ちかけられたことを俺に報告してきてから作り上げた、一つのシナリオだからだ。
清隆なら、何らかの方法で自らの退学の危機を悟り、そしてそれを拭おうとしてくる。
恐らくその情報源は軽井沢だろうが……いまはその話はいい。
退学を阻止する方策として、山内のやったことを全て晒す可能性が高いと踏んでいた。
そうなった場合、櫛田がクラスメイトから余計な不信感を持たれる恐れがあった。
それでは困るのだ。櫛田には俺の手札として動いてもらうために、常にクラスメイトから全幅の信頼を置かれる存在である必要がある。
そのために、先ほどのようなシナリオを作り上げ、櫛田は様々な方面から動きを制限され、山内の申し出を受けざるを得なかったんだ、という「被害者感」を演出した。
さらに話の中で、山内のAクラスとのつながりを出し、堀北の責める矛先を櫛田から逸らさせた。
俺があの場でわざわざ発言したのは、これが狙いだった。
それに、あの話は全てが嘘というわけでもない。事実も多く含まれている。
俺と櫛田が口裏を合わせてさえいれば、全てのつじつまが合うように作られた筋書きだ。
「いや、悪いな知幸。別に疑ってるわけじゃないんだが」
「別にいい。こっちこそ、目立たず騒がず、って方針だったのにあんなことして悪かった」
「あの場ではああするのが正解だったと思うぞ」
そう言って俺を擁護したのは、件の人物、清隆だった。
そんな清隆の様子に、明人がため息を漏らす。
「清隆、お前自分が退学になるところだったってのに、なんでそんな落ち着いていられるんだ」
「そう見えるか? 表情に出てないだけで、内心は不安でいっぱいだ。でも、こればかりは自分ではどうしようもないことだからな」
清隆はそう言うが、果たしてどうだろうかね。
昨夜、清隆が櫛田に電話をよこしたことは、櫛田からの報告で把握している。
櫛田曰く、清隆は自分が退学候補者であることを知っていた、と。
こいつがただ情報を入手するだけとは考えづらい。
それを利用し、すでに自分が退学を回避する策を打っているとみるべきだ。
その策の表出が、先ほどの堀北の演説だとしたら。
今のこいつのセリフの捉え方も、全然違ったものになってくる。
「実際のところ、清隆にはどれくらいの批判票が集まるんだろうな?」
「どうだろ? 堀北さんの話を聞いて、かなり減ったとは思うけど」
「それでも、池や須藤、それに本堂あたりの山内と仲のいいやつらは、入れてくると思った方がいい。多く見積もって7票くらいだな」
「女子の方はどうなんだ?」
「うーん……堀北さんは間違いなくきよぽんに賞賛票入れるんじゃない? あとは……正直わかんない。愛理はどう思う?」
「私は……佐藤さんと軽井沢さんは入れない、んじゃないかな」
「どうして?」
「えと、その、なんとなく、だから……」
「女の勘ってやつね」
「あてにはならないな」
バッサリと切り捨てる啓誠。
「そうでもないかもよ? 案外当たってると思うし。ほかならぬ愛理が言うんだから」
「ほかならぬ愛理ってどういうことだ? 佐藤はまだ分かるとしても、軽井沢は分からないだろ」
「いいからいいから。その二人は除外してオッケーってことで」
清隆と軽井沢が何らかの形でつながっていることを知っている俺としては、啓誠とは真逆だ。
なんでそこに佐藤が入ってくるのかが理解できない。
まあ、今はあまり考えなくてもいいか。あとで誰かに聞けばいい。
「まあ、いま名前が出た3人以外がきよぽんの名前を書く約束を律儀に守ったとしても、同時に山内くんの名前も書くんじゃない? 山内くん、あんまり好かれてないし」
「同感だ。山内の名前を書かない理由が見つからない状態だからな。それにその他大勢の生徒としては、取りえず退学候補者の名前を並べて書いておけば、自分は安全だ」
そう。それがこの試験の事実上の肝だ。
誰を退学させるか、ではなく、いかにして自分が退学にならないか。
裏を返せば、退学するのが誰であっても、自分でなければそれでいい。
退学するのが山内だろうが清隆だろうが、そんなものは些細な違いだ。
「私たちは誰に批判票を入れるべき?」
「そりゃ、山内だろ。そうすべきだ」
「1票はそうするとしても、他の2票はどうする?」
「山内の味方をする奴らに入れるか……もしくは、適当に散らすかだな」
「え、どうして?」
「退学者を山内一本に絞るためだ」
それもいい。
クラス内のどの生徒も、山内より退学すべきといえる人物ではない。
下手に池や須藤に票が集まってしまうと、この二人が退学になってしまう可能性もある。実際、この二人の点数は低くなるだろう。決して最下位にならないよう、注意して投票する必要がある。
そのため、例えば……そう、松下なんて、この場合の批判票の投票先として適任じゃないだろうか。
松下は今まで、非常に無難に学校生活を送っている。多くの賞賛票は入らないかもしれないが、同時に批判票もほとんど入らないだろう。退学リスクの低い生徒の1人だ。俺の批判票が1つ入ったからといって、進退に影響することはない。
「あとの二つは、わざわざグループで決めておかなくてもいいんじゃないか。投票するときにその場で考えればいい」
俺はそう提案した。
松下という具体的な人物まで考え付いたものの、まだ誰に票を入れるか決めたわけじゃない。
山内を切り捨てる、ということだけ共有しておけば、あとは個々人の好きにすればいい。
「そう……だな。無理に一致させる必要もないか」
「だね」
グループ内のコンセンサスが取れ、俺の提案通り、残り二つの批判票は自由枠ということになった。
その後はグループ内で誰が誰に賞賛票を入れるか、その票数と投票先の調整を行い、カフェを後にした。
2
カフェからの帰り道。
俺たちは、無表情でベンチに座り込んでいる平田を視界にとらえた。
「やっぱり、かなり精神的にこたえてるみたいだな」
誰の目にも、それは明らかだった。
今の平田がまとっている雰囲気には覚えがある。
無人島試験最終日の前日。ベースキャンプで火の手が上がったのはよく覚えている。
下着泥棒の件もあり、クラスメイトの間で罪の擦り付け合いが始まって収拾がつかなくなった。
その時の平田と似ている。
「少し、話してみる」
そう言って平田のいるベンチへ歩き出そうとしたのは、清隆だった。
「やめとけよ。いまはそっとしといた方がいいぞ」
「かもな。でも、ちょっと気になることがあるんだ。先に帰っててくれ。話すなら一人の方がいいと思う」
明人の制止には従わず、清隆は平田の元へ向かっていった。
「……なんだろ、気になることって。ともやん分かる?」
「分かるわけないだろ。でもそれとは別に、俺も少し気がかりな部分はある」
「え、なにそれ。聞かせてよ」
波瑠加が食いついてくる。
「もしかしたら、平田は自分に批判票を入れるように呼び掛けるんじゃないか、ってな」
そう言うと、全員一度驚きの表情を見せたが、すぐにどこか納得したような顔に変わった。
「なるほど、あり得るな」
「で、でも、そんなことになったら……」
愛理が心配そうにつぶやく。
「そんなに心配はいらない、というより、皆が同じ心配をするだろうな。もしこのクラスから平田がいなくなったら、と。だから多分、平田に批判票が集まることはないと思う」
啓誠の推理は恐らく正しい。
平田は間違いなく、クラスにとってなくてはならない生徒。本人が退学を望んでも、周囲がそれを望まない稀有な存在だ。
とはいえ、絶対ではない。現時点では。
今日の夜、そして明日になれば、その可能性は限りなくゼロに近くなっていることだろう。
先ほど、なぜか平田の姿をカメラで撮影していた清隆の尽力によって。
俺は清隆が平田の隣に腰掛けたところでそこから目を切り、4人に歩幅を合わせて歩く。
「あの……気にするほどのことじゃない、かもしれないけど……」
少しして、愛理が遠慮がちに発言した。
「堀北さんは、どうやって山内くんの件に気が付いたのかな、って思って」
……愛理はたまに鋭いところがある。
確かに、端から見れば不可解だ。
教室内の反応からして、堀北がこの件について知っていたのは完全に予定外のことだった。
話を共有する枠組みの中に、最初から堀北は入っていなかったということだ。
となると、正規のルートからの情報ではない。
「うーん、誰かは分かんないけど、きよぽんが退学になるのが嫌だった人が堀北さんに話したんじゃない?」
「となると、佐藤とかか?」
「さあ……?」
その可能性も否定はできないが、俺の考えは違う。
山内の件が堀北の耳に入ったのは恐らく、今日の昼休み。
先ほどの演説での口ぶりからして、堀北は元々山内が退学すべき存在だと結論付けていたはずだ。そこに山内とAクラス、坂柳がつながっているとの情報が舞い込み、自説の補強に使用した、ってところだろう。
ここからは俺の憶測にすぎないが、情報の流れは、恐らくこうだ。
まず、清隆を退学させるという話が軽井沢の耳に入る。
そして、軽井沢から清隆へと情報が渡る。
その後、山内が首謀者であるという話が櫛田から清隆へ伝えられた。
清隆はそれらの情報を、十中八九、堀北先輩に伝えたはずだ。
そして今日の昼休み、堀北兄から堀北妹へと話が伝わった。
短時間で堀北にあれほどの変化を与えられる人物は、堀北先輩しかいない、という何とも脆弱な根拠だ。
推測に推測を重ねているため、かなり精度の低い憶測になってはいるが、こう考えるとすべて綺麗に片付く。
気の毒ではあるが、この4人がその真実にたどり着くことは不可能だ。
3
日付が変わるまであと30分ほどというところ。
俺はある人物に呼び出しを受けていた。
本当はもっと早い時間に会う予定だったが、俺が頼んで時間を遅らせてもらった。
場所は、寮の奥にあるバスケットコート。
「悪い、待たせたな須藤」
「あ……ああ」
俺を呼び出した相手、須藤健は、バスケットボールを持ち、フリースローラインにたたずんでいた。
「……どうした?」
俺は呼び出された側。つまり、話があるのは須藤の方のはずだが、話始める様子が一向にない。
すると、須藤はドリブルをはじめ、綺麗なフォームでレイアップシュートを決めた。
速く、そして高い。
夏に一度須藤のプレーは見たが、さらに上達しているのが目に見えて分かる。
肌寒いこの時間、この場所でこれほどの動きができるということは、コンディションを整えればさらにいいプレーができるということだ。
やはり、こいつの身体能力は末恐ろしい。
すると突然、須藤はボールを俺にパスしてきた。
これは……シュートを打て、ってことか。
要求通り、俺はスリーポイントラインからシュートを放つ。
ボールは放物線を描き、ガツン、とリングに当たる。その後リングに2度、3度とバウンドし、最終的にはゴールが決まった。
「……綺麗な決まり方じゃなかったな」
「何言ってんだよ。十分だぜ」
「……そうか」
意外だった。
だっせー、とか、綺麗に決めろよ、とかそんな言葉をかけられるかと思っていたが。
これも成長、か。
少し感心していると、須藤は覇気なく、小さくつぶやいた。
「なあ……俺はどうすりゃいい」
「は?」
「決まってんだろ。明日の試験のことだよ」
ジャンプシュートを決めつつも、須藤の表情は困惑に染まっていた。
想い人である堀北は、山内を退学させたがっている。
しかし、自分は友人である山内を失いたくない。
その葛藤に苛まれている。
「……春樹の奴が悪いのは分かってんだ。でも、これでもダチだ。簡単に切り捨てるなんてできねえ。できねえけど……」
「気持ちの整理がつかない、か」
「……ああ」
須藤からパスを受け取り、スリーポイントシュートを放つ。
今度は綺麗にスパッとリングを通過した。
こいつの場合、自分がだれに投票したかは分からない仕組みだ、とか、みんな仲いいやつと固まって賞賛票書き合ってるはずだ、とか、そういった声かけは意味をなさないだろう。
山内への友情。そして堀北への恋心。誤魔化しのきかない、二つの矛盾した感情がぶつかっている。
山内を取れば、堀北を裏切ることになる。堀北を取れば、坂柳を追いかけてクラスを裏切った山内と同じ穴のムジナになる。
「残酷な言い方をするようだが……クラスのことを考えるなら、山内を切ってしまった方がいい、ってのは分かってるのか?」
「……ああ」
ならいい。十分だ。
せっかく頼られたんだ。
一応、答えは示しておこう。
「なあ須藤。もし山内がこの試験で生き残ったとして、山内はどうすると思う? 反省すると思うか?」
「……する、んじゃねえのか」
「一時的にはそういう素振りも見せるだろうな。だが、山内が坂柳とのつながりを絶つと思うか? 山内は坂柳にいいように利用されてるってのは、お前にも分かるはずだ。でも、山内はその現実を見ようとしない。坂柳は自分のことが好きだから近づいてるんだ、って呪いをかけるかのように自分に言い聞かせてる。そんなことしてたら、いずれまた同じようなことをやらかすと思わないか?」
「……」
須藤は答えない。
しかしこう思ったはずだ。
山内はまたやらかすかもしれない、と。
「あいつも別に、クラスに迷惑かけたいって思ってるわけじゃないだろうけど……女子が絡むと、優先順位がおかしくなっちまうんだよ、たぶん」
「そう……かもしれねえ」
「だからある意味、あいつも苦しんでるんだよ」
「……」
「山内を坂柳から引きはがして、呪縛から解放してやる。これも友人の仕事じゃないか、須藤」
「……」
「生き残らせることだけが全てじゃない、と俺は思う。お前と山内の友情が本物なら……決断すべきじゃないか」
変わらず、黙り込む須藤。
しかし、一呼吸ついて、意を決したように口を開いた。
「……かも、しれねえな」
須藤は、ついに決断した。
「あんがとよ、速野。なんとか気持ちの整理がつきそうだぜ」
「……そうか」
どこか晴れ晴れとした表情の須藤を見て……俺は少し、申し訳なく思った。
「っと、やべえやべえ。早く帰って寝ねえと、明日遅刻しちまうぜ。じゃあな速野」
「……ああ。また明日」
バスケットボールを右脇に抱え、須藤は寮へと走っていった。
「……俺も帰るか」
これ以上、このコートにいても何もすることはない。ただただ肌寒いだけだ。
「……やってることは、坂柳とあんま変わんないよなあ」
寮への道を歩きつつ、独り言をつぶやく。
須藤の葛藤は、理屈でどうにかできるものではなかった。
自分では誤魔化しきれない、いや、須藤にとっては誤魔化すわけにはいかない二つの感情、そしてその矛盾。
それを解消するためには、自身が誤魔化されたことに全く気付かないように、須藤を丸め込めばいい。
解決すべきは、須藤の内部の感情だけだ。客観的に見ればただの誤魔化しでも、須藤自身がそれに気づかず、納得してしまえばそれで解決だ。
以前の須藤であればこうはいかなかっただろう。
自分さえよければそれでいいとしか思っていなければ、山内が退学になってしまうのが嫌だ、という個人的な感情だけで動く。
しかし、今の須藤は違う。曲がりなりにも、相手の立場に立って物事を考えることができるようになっている。
須藤は山内のためを想えばこそ、山内の退学を受け入れられずにいた。
しかし、山内にとっての幸せは、この試験で退学してしまうことであると須藤に植え付ければ、そんな葛藤は消えてなくなる。
山内の退学が山内のためになるなら、堀北のこともクラスのことも綺麗に片が付く。
こうして須藤は、俺の用意した「山内の退学」を正当化する屁理屈をまんまと採用してしまった、というわけだ。
「呪い」だの「呪縛」だのとインパクトの強い言葉を使ったのも、須藤の心理を誘導しやすくするため。
ひどい言い方になるが、須藤レベルの思考力であればこれで十分だ。
それにしても、こんな形で須藤から相談を受けるとは思わなかったな。呼び出しの電話をもらった時はかなり驚いた。
相談相手に俺を選んだ理由は、間違いなくバスケだろう。
バスケを交えながら考えた方が、気持ちの整理もつきやすいと思ったんだろうな。
狙いは悪くない。
「……あと2年間、もつかねえ」
今のペースで須藤が成長を続ければ、今日の俺のまやかしにいずれ気づく時が来るだろう。
そして俺の口車に乗って友人を見捨ててしまった自分を責め、こんなことをした俺を恨むかもしれない。
その時が、高度育成高等学校の在学中でないことを祈るばかりだ。
超久々のバスケ要素。最近何かと持ち上げられがちな須藤を添えて。
須藤が他人の立場に立って考えられるようになったのは、堀北という他人のことを四六時中考えているからかもしれませんね。あると思います。
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ep.82
すみません、辻褄の合う展開を考えるのに少し時間を要しまして……
オリジナル要素の追加による調整は所々にありますが、描写としては、今回はほとんど原作通りに話が進んでいきます。
1
いよいよやってきた、投票日当日。
生徒たちには、いつも通りの時間に登校するよう指示が出されたが、平日の登校日とは異なり、朝のホームルームは行われなかった。
教室に全員がそろったところで、投票開始時間まで待機していろ、とだけ言い残し、茶柱先生は教室を出て行ってしまった。試験の準備があるそうだ。
投票開始時間は9時と聞かされた。それまであと30分残っている。
教室内に流れるのは、静寂……かと思っていたが、ボリュームは小さいながらも、意外にもそこかしこから話し声が耳に入ってくる。
俺の後ろの席に座る二人も、何やら会話をしているようだった。
「あなたは結局、何もしなかったの?」
「どういうことだ」
「自らが危険に晒されても、傍観者で居続けたのか。それを聞いているのよ」
「見ての通りだ。俺は何もしてない。むしろお前に助けられてる」
「……そう」
清隆の「何もしてない」が嘘だということは分かる。少なくともこいつは櫛田に接触している。
もちろん、俺がここでそれを堀北に告げることはないのだが。
ここでの高校生活が始まってから約一年が経つが、堀北はまだ清隆の隠れ蓑から脱却できていない。
もちろん、堀北も成長した。入学当初とは見違えるほどに。しかし、清隆のそれには遠く及んでいないだけのこと。
「みんな、少し僕の話を聞いてほしい」
突然、全員の前でそう言ったのは平田だ。
一晩経って、少し落ち着いたか。表面上はいつもの冷静な平田に見える。あくまでも表面上は、だ。
「まず、昨日の件。僕が堀北さんに批判票を入れると言ったことを、謝罪させてほしい。そして撤回する」
「……どういうこと?」
深々と頭を下げる平田。
堀北はひどく困惑している。
「君はクラスに必要な存在だと判断した。それだけのことだよ」
「……では、誰がこのクラスに不要な存在だと判断したの?」
問われた平田は、一度目を閉じ、覚悟を決めたように口を開いた。
「……僕さ。だからみんな、僕に批判票を入れてほしい」
……やっぱりそうか。
平田の様子から、なんとなく察していた人も多いだろう。
クラスの誰も切り捨てることができない。なら、自分がこの場から去ってしまう。
昨日のベンチでの平田は、そんなことを言い出しそうな空気があった。「平田が退学したがるかもしれない」という予想を告げていた綾小路グループのメンバーが、俺に視線を注いでいるのを感じる。
「そ、そんなことできないですっ!」
ざわつく教室の中、誰よりも大きな声でそう叫ぶ人物がいた。
確か、王美雨。
Dクラスの中では学力が高く、特に英語が得意という印象がある。櫛田と特に仲が良い。そして愛理ほどではないが、引っ込み思案。
俺が彼女に対してもっている印象はそれだけ。話したことがないのだから仕方がない。
消極的な王がこのような行動に出たことに、少し驚きを感じた。
「何を言い出すかと思えば……」
「堀北さん、聞いてほしい。そもそも、この試験がみんなにとって辛いものになっているのは、本来誰も退学になりたがるはずがないからだ。退学したくない人を無理矢理退学させる必要がある。昨日も言った通り、とても理不尽だよ。でも誰かが退学を希望するのなら、その限りじゃないよね」
「あまりにも馬鹿げた話だわ。それで素直にあなたに批判票を入れる生徒が出てくると思う?」
「出てくるよ。退学したいと言っている人が退学する。何も難しくないことだ」
理屈の上ではそうだ。
しかし、ことクラスの重要人物となれば話は変わってくる。
それも平田だ。すんなり行くはずはない。
「それだけじゃない。僕は昨日、冷静に話す堀北さんに対して感情的にあたってしまった。あの場面で冷静でいられないのは、僕の能力が足りないからなんだ。昨日、高円寺くんが言った通りだよ。みんなを混乱させてしまったのは僕が原因だ。その責任を取るよ」
平田の口から名前が出た高円寺だが、話を聞いているのかいないのか、いつも通りに手鏡で自分の顔を鑑賞していた。
「僕はこのクラスが大好きだ。でもそれだけに、同時に失望もしたよ、君たちには。僕はもう、このクラスにいたくなくなったんだ。僕を退学にして楽にさせてくれ」
いつもの口調から繰り出される、平田らしからぬセリフ。
「お、俺は平田に入れる! 平田のためにもさ!」
昨日で退学の筆頭候補となってしまった山内は、当然それに乗っかる。
これで再び状況がかき回された形になった。
ぐちゃぐちゃになってしまったCクラス。
そんな中、時計が9時を回るころ、茶柱先生が教室に入ってきた。
「お前たち、試験の準備が整った。名前を呼ばれた者から、別室に移動して投票してもらう」
さあ、運命の投票だ。
誰が退学になるのか、そして誰がプロテクトポイントを手にするのか。
2
全員の投票が終了した。
すでに結果は出ている。
あとは発表を待つだけだ。
ある者は普段通りの表情を、またある者は不安に駆られた表情を、それぞれ浮かべていた。
しかし、中でもひと際目立っていたのは、やはり山内だった。
貧乏ゆすりをしたり、しきりに制服のしわを伸ばしたり、ひどくせわしない様子だ。山内が動くたび、机やいすがガタッ、ギシッと音を立て、教室内に響く。
「落ちつかない様子だねえ。もうすでに君の退学は決まっているようなものだよ」
高円寺が煽るように山内に話しかける。
「は……なに言ってんだよ。俺は退学になんかならねえって」
「このクラスでは、かなりの生徒が批判票に君の名前を書いたはずさ」
「違うよ高円寺くん。退学するのは僕だ」
「無駄さ平田ボーイ。これをみたまえ」
高円寺はポケットから携帯を取り出し、近づいてきた平田に差し出した。
「これは……!?」
「昨夜、女子数人から回ってきたメッセージだよ。『明日、平田くんは自分を退学にしてくれっていうつもりだと思う。それでみんなにひどいことを言ったりするかもしれない。でも、それはきっと本心じゃない。信じて賞賛票を入れてあげて』とね。多くの生徒に届いているはずさ」
「そんな……」
平田の期待とは裏腹の結果だった。
俺には回ってこなかったが、当然俺が平田に批判票を入れるはずはない。
「君たちの期待は崩れ去ったようだねえ」
自席に戻り俯く平田と、クラスのほぼ全員の視線を一手に受ける山内。
「……違う、違うんだよ。ははっ、そうさ、退学するのは俺じゃないんだよ」
「見苦しいよ。諦めて、腹をくくった方がずっと利口だと思うねえ」
「ははっ、やっぱりお前も何も知らないじゃないか、高円寺」
今まで煽られていたことの仕返しのつもりだろうか、こんどは山内が高円寺を挑発するような口調で話し始めた。
「ほう?」
「投票は終わったし、もういいか、話しちゃっても……」
そう言って、やおら立ち上がる山内。
「てかさ、お前は知ってるんじゃないの? 速野」
「……は?」
突然名前を出され、少し驚いてしまった。
先ほどまで山内に注がれていた視線が、今度は俺に向かってくる。
「いや……俺は何も……」
本当に知らない。櫛田からも、藤野からも何も聞かされてはいない。
しかし、推測は立つ。このクラスにも、何人か察している人間もいるはずだ。
「お前もしかして……坂柳から賞賛票貰うつもりか?」
俺がそう言うと、山内はわざとらしく大きな声で笑った。
「はははっ、そう、そうなんだよ。俺はさ、坂柳ちゃんから賞賛票を貰う約束してるんだよ。それも20票もさ! だからさ、俺の点数はどんなに低くてもマイナス10点とかだろ? 他のやつがちゃんと俺の点数を上回れるのか、むしろそっちの方が心配だよ俺は」
やっぱりそうか。
そりゃ、藤野に話が伝わってるわけがない。坂柳を慕い、信奉している生徒の中でのみ共有されている話だろうからな。
もしその通りになれば、確かに山内が退学になることはないだろう。
「悪かったな健、寛治、心配かけて」
「え、あ、ああ……」
戸惑いつつもうなずく須藤と池。話の展開についていけないようだ。
隠していた奥の手を全員の前で明かし、山内は余裕を気取っていた。
しかし、その裏にある焦りや不安を、全く隠し切れていない。
「でも山内……その約束、ちゃんと形として残したのか?」
山内に問う。
ちゃんと証拠は残したのか、と。
「それは……」
「票をもらう約束をした時、坂柳にこんな感じのことをいわれたんじゃないのか? 自分の言葉を信じてほしい、信じられないなら、この話は無しだ、って」
「だ、だから、それは!」
様子を見る限り、図星らしい。
「やめてあげよう、スマートボーイ。彼が大丈夫だと言うなら、きっと大丈夫なんだろうさ」
「いや……」
「そ、そうさ! 大丈夫なんだよ!!」
「おい山内、廊下まで声が響いてきたぞ。静かにしろ」
そこに、書類を持った茶柱先生が教室に入ってきた。
教壇に向かい、席に着くよう全員に指示が飛ぶ。
いよいよ、結果発表だ。
「待たせたなお前たち。結果が確定したので、この場で発表する。まずは得点の上位を3位から発表していく」
ここで名前を呼ばれる上位陣は、大体予想がつく。
「3位……25点の平田洋介、お前だ」
「っ!」
名前を呼ばれた瞬間、平田は天を仰いだ。
あれほどの醜態をさらしたうえ、自ら退学を望んでも、この高得点、そして高順位。
平田への信頼はそれほどに強固だったということだ。
「2位は32点、櫛田桔梗」
それを聞き、櫛田はそっと胸をなでおろした。
かなりの高得点だ。本来なら1位になっていてもおかしくない得票数。
あのような形で山内の件に関わっていたことが、逆に同情を呼んだのだろう。
俺の立てた作戦の成功を意味している。
平田を上回ったのは、恐らくDクラスあたりの賞賛票が入ったからか。
「な、なあ、この二人がこの順位ってさ……一位は誰なんだよ」
そう、期待通りの高得点ではあるものの、この二人を抑えての1位がいるということだ。
大方の予想は、この二人がツートップ、あとは大体どんぐりの背比べ、というものだった。
それが大きく裏切られた。
「1位は……」
一瞬の間を作る茶柱先生。
「……35点の綾小路清隆、お前だ」
衝撃の結果に、教室内がざわつく。
「な、なんで!?」
本来なら清隆と退学を争うはずだった山内は、泡を食ったような顔をしている。
いや、山内だけじゃない。予想だにしなかった結果に、全員が全員衝撃を受けていた。
「あなた、何をしたの……?」
「言っただろ、オレは何もしてない」
なぜ清隆がこのような高得点を獲得できたのか。
その謎解きは簡単だ。
本来山内に入るはずだったAクラスからの賞賛票が、そのまま清隆にスライドしただけのこと。
つまり……
「そして、最下位はマイナス34点のお前だ、山内」
「ま、マイナス34点!?」
退学者は山内春樹。これで結果が確定した。
定期試験のときと同様、全員の得点が黒板に貼り出される。
山内に続き、マイナス20点で同率39位の須藤、池。
自分のスコアを確認すると、6点。9位という順位だった。
しかし、多くの人にとって、自分のスコアは関心事じゃないだろう。
全員、視線は山内に向いている。
「なんで! どうしてだよ! なんでこんな試験で退学しなきゃいけないんだよ!」
「どう言おうと自由だが、決定は覆らないぞ」
「俺は絶対認めねえよ! こんな、こんな試験で!」
必死に叫ぶ山内。
しかし、突き付けられた現実は変わらない。
「な、なあ速野! 助けてくれよ! 本当に俺は坂柳に賞賛票を貰うって約束してたんだって!」
必死な山内に気圧され、席を立って後ずさってしまう。
なぜ俺に泣きついてきたか、理由はなんとなく分かる。
今回の件にある程度深く関わっている者の中で、俺は唯一山内を直接的に非難していない。
俺ならわずかでも希望があると考えているんだろう。
「いや……無理だって」
「な、なんでだよ!!!」
近距離で大声で叫ばれ、思わず耳を塞いでしまう。
「口約束だけで証拠がないなら、無理だ……お前も理解してるだろ?」
「くそ、くそくそくそ!!!!」
せめて昨日の時点で相談をくれていれば、まだやりようはあった。
山内を使ってクラスに混乱を招いた、的な主張はできなくもないからな。少なくとも坂柳が大嘘を吐いたことは間違いないわけだし。それでCクラスに何らかの利益が出るかもしれない。
しかし、山内を助ける気があるかといえば、嘘になる。
俺も山内へ批判票を投じた1人だからな。
「山内、退室だ」
「嫌だ! 俺が退学なんてあり得ねえって!」
「現実を受け入れたまえ。君はこのクラスから不要と判断されたのだよ」
山内のいる俺の席に近付きつつ、そう言い捨てる高円寺。
「うるせえ! るっせえー!!」
「素直に認めて引き下がれば、潔いのだがねえ。君は最後の最後まで、救いようのない不良品……いや、廃棄物というわけか」
高円寺は、ひたすらに山内の神経を逆撫でするセリフを吐き続ける。
退学通告を受け、ただでさえ不安定な精神状態の山内。
それに加えてこのような言葉を浴びせられ続け、何かがプツン、と切れてしまったのだろう。
「あああ……ぁぁああああああ!!!」
目の前にあった俺の椅子を掴み、高円寺に向かって振り上げた。
「ちょっと……」
静観していた堀北もさすがに止めようとしたが、もう遅い。
火事場の馬鹿力というやつか。片手で軽々と持ち上げられた椅子が、高円寺に強く振り下ろされた。
しかし、高円寺はそれを何食わぬ顔でつかみ取った。
「なっ……!」
そして山内の胸ぐらを掴み、自分に引き寄せる。
「私に殺意を向けたんだ。覚悟はできているんだろうね?」
「高円寺」
このままではまずい、というところで、茶柱先生が高円寺に制止をかける。
それには逆らうことなく、高円寺は山内から手を離した。
「これ以上はやめておけ山内。……お前のためだ」
「うぅ……」
声にもならない声を出し、うなだれ、膝をつく。
「ぁぁああああ~!!」
全員の耳に響く大きな咆哮だけを残し、山内はこの学校を……実力至上主義の教室を去っていった。
3
「1位は……36点の坂柳、お前だ」
場所は変わり、Aクラスの教室内。
そこでも他クラスの例にもれず、特別試験の結果発表が行われていた。
「まさか私が選ばれるなんて思ってもみませんでした。ありがとうございます」
社交辞令のように、坂柳はそう言ってのけた。
「2位は33点、藤野だ。惜しかったな」
「あはは……はい」
担任の真嶋の言葉に、藤野は苦笑いを浮かべた。
数字を見れば確かに惜しいかもしれないが、その実、まったく惜しくもなんともないことを、藤野は理解していた。
「では最後に……最も得点の低かった生徒を発表する。すでに理解しているとは思うが、ここで名前を呼ばれた生徒は退学となる。直ちに教室を退出し、私とともに職員室に来てもらうことになる」
感情を入れることなく、淡々と事実を述べる真嶋。
「最下位は、マイナス36点……」
クラスのほぼ全員から批判票を受けた生徒。
「戸塚弥彦。お前だ」
告げられた一人の名前。
「な……どういうことだ!」
「そ、そんな……どうして……」
狼狽している葛城、戸塚の両名。
先日、坂柳はこう告げた。
葛城を退学させる、と。
しかし、ふたを開けてみればどうだ。
退学になったのは戸塚。
そして葛城はマイナス5点。高くはないが、退学になどなり得ない得点だった。
「何をした坂柳!? お前は俺を退学にすると言ったはずだ!」
らしくなく、激高する葛城。
「うふふ、そんなことも言いましたね。あれは嘘です」
笑顔で、悪びれることもなく、あっさりとそう告げた。
「実力ベースで見れば、戸塚くんが他のみなさんに比べて一歩劣ります。これは私だけの見解ではありませんよ。彼の得点を見ればおわかりでしょう?」
「くっ……」
現状、Aクラスの生徒の中で坂柳が投票先に影響を与えることのできる人間は、約半数の20名ほど。
しかし、戸塚の得点はマイナス36点。
坂柳に何も言われずとも、批判票の投票先としてほとんどの生徒が戸塚を選択したことが読み取れる。
「なぜこんな回りくどいマネをした……?」
「他クラスの持つ賞賛票が、戸塚くんに入ってしまうのを防ぐためですよ」
初日の時点で戸塚が退学宣告を受け、戸塚が他クラスに賞賛票を自分に入れるよう持ちかけ、それが通ってしまうリスクを避けたということだ。
他クラスとしても、Aクラスで一番実力が低いのは戸塚と認識している生徒が多い。そんな戸塚を残すことにメリットを感じて、票を入れる可能性もあった。
「戸塚……退出だ」
この特別試験が発表されたとき、いの一番に反論を行ったのは真嶋だった。
真嶋としても、それほどに受け入れがたい試験だった。
静かに退出を告げる声色にも、どこか悲痛さが感じられた。
「ぐっ……くそっ、くそっ……!」
退学になるのは葛城。自分ではない。
葛城が退学になるのは当然気に入らないが、同時にターゲットが自分でなかったことに安心もしていた。
ある種、高をくくっていた戸塚。
それが、一気にどん底に突き落とされた。
戸塚が姿を消した教室には、一瞬の静寂が流れる。
それを破ったのは葛城だ。つかつかと坂柳に詰め寄っていく。
坂柳に鋭い目線を向ける葛城だが、坂柳は全く意に介していないようすだ。
「言っておきますが葛城くん、私を恨むのは筋違いですよ。どんな形であれ、これがクラスの意思なのです。結果は受け止めていただかないと」
「……わかっている。だが、もう他の生徒を狙うような真似はするな……!」
「話が早くて助かります。やはりあなたを残したのは正解でしたね」
坂柳はそう言い残し、葛城の元を離れようとした。
しかし、急に立ち止まり、付け加えるようにして言った。
「これは余計なお世話かもしれませんが……彼女にお話を伺うことをお勧めしますよ、葛城くん」
「彼女……?」
「そこで苦悶の表情を浮かべている、藤野さんです」
葛城は、藤野に目を向ける。
同じく視線を傾けていた藤野と目が合った。
「……ちゃんと話そうと思ってたことだから。葛城くん、放課後、時間貰えないかな……?」
小さくつぶやくようにしてそう言った藤野。
要領を得ない葛城だが、静かにうなずいた。
4
全クラスの結果は、1階の掲示板に張り出されている。
Aクラス、戸塚弥彦。
Bクラス、退学者なし。
Cクラス、山内春樹。
Dクラスは、龍園翔……ではなく、真鍋志保。
「やっぱり、Aクラスは戸塚か。Bクラスは誰も退学せず、で……Dの真鍋って誰だ?」
聞いたことのない生徒だ。
しかし、龍園が退学にならなかったのは俺の予想通り……というより、戦略通りだった。
もちろん俺としては、龍園に退学になってもらう方がうれしかった。
しかし、そうもいかない事情があったのだ。
龍園はおそらく、俺が関与していることにはまだ気づいていない。
いや、俺がいてもいなくても、結果はあまり変わらなかったんじゃないだろうか。そういう意味では俺はほとんど関与していないともいえる。
だが、少なくとも俺は龍園の退学阻止に向けて行動し、結果が出た。
今回の「依頼主」も、きっとこれで満足だろう。
俺の仕事はこれで完了だ。
次回は10巻分最終話、種明かしパートとなります。
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ep.83
オリ主とオリキャラはどう動いていたのか、紐解いていきます。
1
今回、俺は本当に何もせずに静観するつもりでいた。それが、俺が生き残るための最良の方法だと考えたからだ。
その目論見は、初日にして一気に崩れ去ったわけだが。
まず最初に、櫛田からの報告。
正直面倒だな、と思ったが、櫛田の使い勝手が悪くなるのは困る。
まあこれはいい。
初日の夜、俺はもう一人からある連絡を受けていた。
その主とは……Dクラス、小宮。
俺がこの前の一之瀬の件で協力を依頼した、元俺のスパイだ。
俺はその協力を、小宮への借り1つということで承認させた。
その借りを、この試験で返せと言ってきた。
そして、こんなことを頼まれた。
「速野、龍園さんの退学を阻止してくれ!」
「……は?」
俺への貸しをこんなに早く消費するとは思っていなかったし、何よりその内容にも驚かされた。
Dクラスの生徒のほとんどが、龍園のことをよく思っていないはず。もちろん、Dクラスが勝ち上がっていくために龍園の存在が不可欠だと考える生徒もいるだろうが、まさか小宮がそっちの考えを持っているとは思っていなかった。
また、そもそもちょっと頼みごとの大きさに差がありすぎやしないかと思ったが、仕方ない。口約束ではあるが、契約内容に「頼み事は等価でなければならない」といった制約は設けなかったため、俺はそれを承諾するしかなかった。
実際のところ、解決策そのものはすぐに思いついた。
龍園は、Aクラスとの契約で大量のプライベートポイントを入手している。
そのプライベートポイントをBクラスに譲渡して、Bクラスが退学を取り消すのに必要な2000万ポイントの不足分を埋める。その代わりに、Bクラスが持つ他クラスへの賞賛票を全て龍園に集め、龍園の退学を阻止する。
要するに、ポイントで票を買う、ってことだ。
こうして書いてみると、戦略はシンプル。しかし、それに至るまでの戦術は簡単にはいかない。
まずそもそもの話として、龍園は退学を拒んでいないという。
このままでは、何も行動を起こすことなく、大人しく退学していくだろう、とのことだった。
むしろ退学を止めようとすれば、龍園はより意固地になって自ら退学を望むようになる、と。
そしてあいつは頭も切れる。恐らく上記の戦略も思いついているだろう。
そんな相手から、退学を止めようとしていることを悟られずに、溜め込んでいるプライベートポイントを回収する手段がなかった。
少なくとも、その役目は小宮には務まらない。
小宮はポーカーフェイスが上手い。だが、もし小宮がノコノコと龍園の元にポイントの回収に向かえば、龍園は勘ぐる。そして理解する。小宮は自分を退学させないために送り込まれた刺客ではないかと。
ポイントの回収役として適任なのは、龍園との関りが浅くなく、龍園を訪ねても門前払いを受ける可能性の低い生徒。且つ、龍園の退学を望んでいる生徒、または、龍園の退学を望んでるわけではないが、龍園の退学を防ぐ術はない、と頭で結論付けてしまっている生徒。
俺が小宮に戦略を話してしまった時点で、小宮はポイント回収役には不適任となる。
では、誰に任せるのがいいか。
俺はDクラスの生徒をほとんど把握していない。その生徒の選定は小宮に任せるしかなかった。
小宮によれば、龍園との関りが浅くない、と言える人物は4人。石崎、山田アルベルト、椎名、伊吹。
このうち、少なくとも石崎、山田、椎名は、龍園の退学を望んでいるわけではないらしい。伊吹に関しては微妙なところだそうだ。
ならば、と、俺はまずその4人にターゲットを絞った。
龍園をこのまま退学させてしまってもいいのかどうか。そして、退学を阻止する手段が思いつかなければ、他に誰かそれを考えてもらえるような人物に心当たりはないか。大きく分けてこの2つの疑問について、その4人に伝えるよう、小宮に指示を出した。
俺の1日目の動きはここまで。
そして2日目。
朝比奈先輩から一之瀬についての話を聞いた。
正直これは渡りに船だった。交渉材料に使える。だが、なかったらなかったでどうにかしていただろう。一之瀬が自分のクラスの退学者をどうするかで頭を悩ませているのは、想像に難くない。交渉の余地は大きい。
その日の昼食時間、俺は清隆を呼び出した。
場所は、人気のない特別棟。1学期、須藤が暴力事件を起こした現場付近だ。
「どうしたんだ急に。オレに話って」
要件は伝えずに来てもらったため、当然と言えば当然の反応だ。
「悪いな……まあとりあえず、一つ聞きたいことがある」
「なんだ」
「Dクラス、どうなると思う?」
「どう、というと?」
「誰が退学になるのか……って話だ」
「それは……やっぱり龍園じゃないのか。誰もがそう思ってる」
まあ、そうだな。
「お前はそれについてどう思ってる?」
「……どういう意味だ?」
またまた、分かってるくせに。
「龍園の退学を望んでるかどうか、それが聞きたい」
「……正直、どうとも思ってない。今は自分が退学にならないようにすることで頭がいっぱいだ」
なるほど、そう答えるか。
まあ、ここで正直な答えが返ってくるとは思ってない。
根拠はない、ただの勘だが……こいつは、龍園の退学を歓迎してないような気がしてるんだけどな。
まあ、それはさして重要なことじゃない。
いずれにせよ、清隆には巻き込まれてもらう。
清隆がそうせざるを得ない、魔法の言葉を口にする。
「話は変わるが……船上試験で、お前が俺に一つ借りを作ったの、覚えてるか」
優待者当ての特別試験で、SIMカードの入れ替え工作に協力を求められた。その時にできた、こいつへの貸しだ。
こいつなら今この瞬間に、俺の言いたいことが何か、全て理解しただろう。
龍園を助ける作業に協力してもらいたい、ということを。
「……お前は龍園を助けたいのか」
「いや、個人的には退学してくれた方がうれしいと思ってる。でも、諸事情でそうもいかなくなってな」
小宮の名前は出さない。出す必要もない。
「このことに協力するなら、一之瀬に関する情報を一つ、お前に流す」
「……一之瀬に関する情報?」
「お前、一之瀬と個人的な信頼関係を作ろうとしてるだろ。この前、一之瀬の噂が流れたとき、お前一之瀬の部屋を訪ねたらしいな」
一之瀬を味方につけたい理由は恐らく、南雲会長関連だろうな。
少なくとも、一之瀬に恩を売りたい、というような理由がなければ、こいつが自主的にあの件に関りを持つとは思えない。
さて、外堀は埋まった。
「……わかった。借りを返す」
「そうか。よかった」
そして予告通り、一之瀬に関する情報、つまり、朝比奈先輩に頼まれた伝言役を務めあげた。
一之瀬の対応。そして、南雲会長が一之瀬に対しどのような見返りを求めているか。
「この話を聞いて……いや、多分お前なら聞く前から、龍園を助ける戦略は思いついてるだろ」
「龍園のポイントを使って、Bクラスの賞賛票を龍園に集めさせる、ってことか」
さすが。大正解だ。
「これで龍園は助けられるし、お前も一之瀬に恩を売ることができる。悪い話じゃないだろう」
「……そうだな」
計画自体に不服はないだろう。
俺に使われているところが少し気に食わない、ってところか。俺といい堀北といい、こいつは基本的に誰かを裏で操る側だからな。
だが、それは我慢してもらうしかない。俺に貸しを作ったのは清隆なんだから。
「具体的にはどうするんだ?」
「ああ、一応、石崎あたりがお前のところに相談を持っていくよう仕向けてはある。でも、絶対ではないからな。お前からもよきように動いてくれ」
「よきように、って……」
いやだって正直、俺が考えるより、こいつに勝手に動いてもらった方が上手くいきやすいと思うんだよ。
「俺よりDクラスとのパイプはあるだろ。そいつらにそれとなく言う、とかな。ただ、その時にこの戦略のことは言わないでくれ」
「龍園に悟られないようにするため、か。あいつの退学の意思は固そうだったからな。悟られたらポイントを引き出せない可能性もある。そうしたほうがいい」
ほんとマジで話が早いなあ。
「次に一之瀬だな。龍園のポイントが回収できるより前に一之瀬が決断してしまったら、計画も台無しだ。そうならないように俺から動く」
「どうするんだ?」
「一之瀬が最後の最後まで悩むように仕向ける」
その戦略が、この次の日の放課後に一之瀬に連絡を取って行ったことだった。
俺なら不足ポイントを出してやれる、という話。
あの時は冗談めかして言ったが、それでも一度この話を聞けば、頭のどこかでチラついてしまう。
南雲会長と付き合うか否か、ということの他に、クラスメイトが本来受け取れるはずだったポイントを奪ってしまっていいのかどうか、という新たな葛藤が生まれる。
それに加えて、俺が帰り際に言った「タイムリミットまで悩むといい」という言葉。
これで、一之瀬は悩みに悩み、最後まで判断を保留するだろう。
一之瀬の悩みの種を増やすこと。それが狙いだった。
俺がやったのはここまで。
結果は成功だ。Bクラスから退学者は出ず、龍園の退学も阻止できた。代わりに退学となった真鍋とやらには、黙とうをささげておこう。
一応、清隆から経過報告は受けていた。
あいつは椎名に接触し、龍園のことをそれとなく伝えたらしい。そしてその日のうちに、石崎と伊吹が部屋に来て、龍園の退学を防ぐ策を教えてくれと言われたそうだ。
その場では計画のことは言わず、龍園の持つポイントを回収してこい、とだけ言って帰らせた。
そして伊吹がポイントの回収を行い、最終日に一之瀬に譲渡。代わりに一之瀬らBクラスから龍園への賞賛票の確約を行って、契約成立、というわけだ。
正直、清隆に協力を依頼することなく、全て俺自らが動くという手もあった。
しかし、龍園など、小宮以外のDクラスの人間に変な目のつけられ方をしたくなかった。
あいつらを相手取るのは清隆で充分。
俺はそれより、自分のクラスやAクラスのことに頭を使いたい。
2
現在時刻は夜の7時。
ちょうどいい夕飯時に、俺は台所で調理をしていた。
二人分の。
「もう少しでできる」
「うん、ありがとう。楽しみにしてるね」
俺の部屋にいるのは、藤野だった。
藤野はこの試験、だいぶ精神をすり減らしていた。
それを受け、今日の夕飯を俺が作ることで慰安をしようというわけだ。
ただ、傷心具合でいえば、藤野よりも平田の方がかなり大きいだろう。
もちろん見捨てたわけじゃない。ただ連絡がつかないのだから、現状俺にはどうすることもできない。
「できたぞ。ハンバーグ」
「うわ、美味しそう!」
いただきます、と手を合わせ、ハンバーグを口に運ぶ藤野。
そういえば、藤野の夕食の様子を見るのは、こいつと初めて学食で会ったとき以来のことだ。
相変わらず美味そうに食うなあ。
自分でも食べる。
うん、悪くない。
「それで、結局何点差だったんだ?」
「3点。坂柳さんが36点で、私が33点だったよ」
「へえ……すごいな」
いや、恐れ入った。
藤野は今回、自分がプロテクトポイントを獲得しないように動いた。
このクラスでプロテクトポイントを手にするのに最も相応しいのは坂柳。そのため試験期間中、葛城、戸塚、そして坂柳本人とそれに近しい人物を除いたAクラスの全員に、クラス内投票では坂柳を一位にするよう働きかけたのだ。
藤野の場合、クラス内だけではなく、他クラスからも比較的多くの賞賛票が集まることが予測される。
つまりこの働きかけの意味は、実質的に「自分にある程度批判票を入れろ」ということになる。
恐らく、藤野の動きとは別に坂柳も動いていただろう。
しかし坂柳としては、戸塚と違って藤野を退学に追い込みたくはないはずだ。葛城を残すということは、自分に従っているわけではなくても、有能であれば現時点で落とすつもりはないということ。
坂柳が指示した批判票の投票先の票数の大小関係は、戸塚>葛城>=藤野といった具合だろう。
それでも、坂柳と3点差の2位。
クラス外からどれほど多くの賞賛票が藤野に入ったかが伺える。
「葛城の点数は?」
「マイナス5点だよ」
「なるほど……」
試験が発表された当日。
坂柳が葛城をターゲットにすると宣告した時、藤野は坂柳の言い回しに微かな違和感を覚えていた。
それは、「組織にリーダーは2人も必要ない」という部分。
その違和感の正体は、坂柳が本当に葛城をリーダーとして見ているのか、というものだった。
たしかに、1つの組織に2人のリーダーが対立している構造は望ましくない。マネジメント的にも、一方に降りてもらうのが正しい。
しかし、もしも坂柳が、葛城を一つの駒としてしか見ていなかったとしたら。
それならば、葛城をクラスから排除する理由がない。リーダーでないなら、そこに対立は存在していないのだから。
ならなぜ坂柳はこの場で、このような宣言を行なっているのか。
そう考えた時、ある一つの仮説が立つ。
葛城派であり、且つ実力的にクラス内で一歩劣っている戸塚を、リスクを避けて確実に落とすためではないかと。
なぜあの一瞬で、藤野は坂柳の狙いを看破できたのか。
その答えはひどく単純。
藤野も、坂柳とほとんど同じようなことを考えていたからだ。
今回の試験が発表された時点で、藤野は心を鬼にし、戸塚を退学の第一候補とすることを決めていた。
その際、他クラスの票が戸塚に集まったら厄介であることも感じていた。それを解消するのに、坂柳の取った手法はうってつけのものだった。
だから藤野は、あの場では特に反論を行わず、葛城の犠牲に賛成したのだ。
もちろん、藤野は戸塚を退学させたかったわけではない。
誰も退学にならない手段があるなら、それに越したことはない。
しかし、そんな手段は存在しない。
ならば、退学しても、クラスにとって最も悪影響の少ない生徒に退学になってもらうしかない。
それが戸塚だったというわけだ。
もし坂柳が戸塚を落とそうとしているなら、自分と結論は一致している。
いや、もし坂柳が本当に葛城を落とそうとしているんだとしても、Aクラスには中立派という名の浮動票が多くある。
説得すれば、葛城を残すことも十分可能、という結論に至ったのだ。
そして、それを実際に実行した。
先程話に出た、坂柳を一位にする働きかけをすると同時に、葛城はAクラスに必要な存在だと思う、という自身の意見、そして先程予測した坂柳の狙いを伝えたそうだ。
その結果が、葛城のマイナス5点というスコアだ。
坂柳派のほとんどは、葛城に批判票を入れたが、逆に中立派の多くは賞賛票を入れた。
そして藤野の予想通り、坂柳は最初から戸塚のことを落とそうとしていた。
これら全てが総合され、葛城は残留、戸塚は退学、そして坂柳がプロテクトポイントを獲得するという、当初藤野が思い描いていた通りの結果となったわけだ。
とはいえ。
相当な葛藤があっただろう。
戸塚に対して申し訳ないという気持ちも強かったはず。
学校側はなぜこんな試験を課すのか。本当に全員が助かる手段はないのか。そんなことを何度も何度も考えたはず。
それら全てを押し殺すのに、精神的にかなり負荷がかかったらしい。
試験終了後の藤野は、目に見えて顔色が悪かった。
「ごちそうさま。美味しかった〜」
「それはよかった」
ただ、こうして俺の作った飯をガツガツとかきこむ藤野は、少しは元気を取り戻しているように感じた。
「今度は私が何か作るね」
「ん、そうか。楽しみにしとく」
藤野の腕前がいかほどか、期待しておこう。
誰かの手料理を食べるのは、一学期の堀北以来だな。
「ねえ、速野くん。今回Bクラスから退学者が出なくて、Dクラスでは龍園くんが残ったのって、私たちAクラスが龍園くんとの契約で払ってるポイントが鍵だったんだよね?」
「ああ」
「そっか。結果的にあの契約が、2つのクラスを救うことになったんだね」
「そうなるな」
藤野はその件について、俺が関わっていることは知っている。
しかし、清隆のことは知らない。
藤野の清隆に対する認識は、何故か坂柳に目をつけられている、謎めいた生徒、というものだった。
俺も、現時点では清隆について藤野に話すつもりはない。
清隆はCクラスの戦力。これについて話すことは、クラスの裏切りに繋がりかねない。
それぞれのクラスの利益は侵害しないこと。これはこの学校において、違うクラス同士の人間が友人関係でいるために必要なマナーだ。
「さて、ちょっと食器片付ける」
「あ、手伝うよ」
「じゃあ頼む」
2人で台所に立ち、2人分の食器と、使用した調理器具を一通り洗っていく。
台所は広くないため、2人で使うのは窮屈だが、俺も藤野もそこそこ細身だったことが功を奏し、作業に支障は出なかった。
作業が終わると、時計は20時15分をさしていた。
「じゃあ、私は部屋に戻るね。今日は本当にありがとう。すごくおいしかった」
「ああ。お疲れさん」
「うん。また週明けに」
扉が閉まり、しっかりと鍵をかける。
なんか、この前の櫛田といい、一つの行事が終わるごとに誰かに料理作るのが習慣みたいになってるな。
まあ、料理が嫌ってわけじゃないから別に構わないんだが。
「……やっぱり、気になるな」
心の中で呟いておけばいいものを、意味もなく声に出して言う。
何故、山内を吊るのに使われたのが清隆だったのか。
Dクラスの中でも目立たないから、といえばそれまでだ。
しかし今回のこの結末、見方を変えると、坂柳が清隆を退学から守ったとも取れる。
トップが変わったとしか思えないような、特別試験の性質の変化。
教師ですら難色を示す、理不尽な内容。
いろいろ調べた結果、この学校の理事長の名が坂柳であることを知った。
因果関係は全く分からない。
だが、この一連のことは果たして偶然か?
胸騒ぎのようなものを、はっきりと感じた。
10巻分が完結しました。
いやー、難しかった。原作の世界を壊さず、オリジナル要素を出すにはどうしたらいいか、非常に悩まされた巻でした。
オリ主の速野の影に隠れがちではありますが、藤野も中々にキレ者なんですよね。
そして前巻と同じく、速野のお料理コーナー。今回はハンバーグでした。身も蓋もないことを言うと、これ終わり方として非常に楽なんですよ。「料理」と「ヒロインと2人きり」という展開で空気を弛緩させられますし、ヒロインが帰った後の余韻を利用して、新たな波乱の予感も描写できます。
流石に3回連続同じ展開、というのもアレなので、次巻はもっと違う描写の仕方を考えますね。
というわけで、次巻、11巻分もなるべく早く更新していきたいと考えています。これからもこの作品を、どうぞよろしくお願いいたします。
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第11巻
ep.84
今回は、展開はほぼ完全に原作通りで、主人公のモノローグがほとんどを占めています。
『選抜種目試験』
〇試験日程
・3月8日
特別試験発表
対決クラス決定
・3月15日
相手クラスへ指定10種目の通知
・3月22日
試験日
〇試験詳細
・基本的な試験内容
各クラスより指定の数だけ選抜された種目で、対戦クラスと対決する。
・『司令塔』およびその役割
3月8日の放課後までに、各クラス1名ずつ、司令塔を選出する。
司令塔は、試験当日、種目に参加する生徒を指定する役割を持つ。
また、選抜された種目に直接参加をすることはできないが、全ての種目に関与を行うことができる。その関与の内容は各クラスの裁量によるが、最終的に学校側の承認によって決定する。
例)種目が仮に「じゃんけん3本勝負」の場合
司令塔の関与……任意のタイミングで、司令塔が一度だけ代わりにじゃんけんを行うことができる。
例2)種目が仮に「フットサル」の場合
司令塔の関与……任意のタイミングで、計3人まで交代できる。
・司令塔の関与の条件
関与の幅が大きすぎるときなどは、学校側が承認を見送る場合がある。注意して決定すること。
・対戦クラスの決定方法
対戦相手となるクラスは、3月8日の放課後、多目的室にて各クラスの司令塔4名によるくじ引きを行い、当たりを引いたクラスが対戦クラスを指名する。これにより、指名したクラスとされたクラス、そして余った2クラスという対決の組み合わせ2つが決定される。
・対決種目の決定
各クラスは、3月14日までに、対決する種目10種をリストアップする。リストアップされた10種目は、3月15日、相手クラスに通知される。ただし、一度学校側に申請した種目の変更、取り消しはできない。
そして、試験当日までに、リストアップした10種目から5種目にまで絞り込み、それを本命の対決種目として学校側に提出する。試験当日は、自クラスと相手クラスの合計10種目の中から、7種目を学校側がランダムで決定し対決を行う。この際、対決する種目は、各種目の対決時に1種目ずつ通知する。
・対決種目の条件
マイナー過ぎる種目や、複雑すぎるルール設定、日程上時間がかかりすぎる種目は採用を見送る場合がある。また、サッカーとPK対決など、同一種目として数えられる種目は行えない。そして、種目に参加する人数はリストアップする10種目全てで違っていなければならない。また、交代を含めて必要参加人数が10人を超える種目は各クラス2つまでしかリストアップできない。注意して決定すること。
・種目に参加する生徒の条件
参加に必要な人数は、交代も含めて各クラス1人~20人の間で決定すること。また、全ての生徒が既に種目に参加した場合を除き、異なる種目に同一の生徒を参加させることはできない。各クラスの生徒が1巡して初めて2回目の参加が可能となり、2巡して初めて3回目の参加が可能となる。注意して決定すること。
・試験中の注意
試験中、司令塔4名は多目的室に集まり、対決をリアルタイムで視聴する。参加生徒から司令塔へコンタクトを取ることはできない。司令塔は特殊なシステムを媒介し、参加生徒一名に関与の指示を行うことができる。
また、種目への参加生徒以外の生徒も、対決の様子をリアルタイムで知ることができる。応援などは基本的に制限を設けないが、種目の妨げになる行為は禁止とする。
〇勝敗
・勝利条件
7種目のうち、4種目以上の勝利でそのクラスの勝利とする。ただし、7種目終了より前の段階で一方のクラスが4勝を決めても、7種目を終えるまで試験は続行する。
・ポイントの変動
1種目の勝敗が決定するごとに、その種目の敗北クラスから勝利クラスに30クラスポイントが移動する。敗北クラスのポイントが不足していた場合、そのクラスのポイントはゼロとなり、不足分を学校側が補填する。ただし、その不足分は次のポイント増加の機会に相殺される。
また、勝利クラスには学校から30クラスポイントが付与される。
・勝利、敗北の際の司令塔
勝利したクラスの司令塔には、学校よりプライベートポイントが付与される。
敗北したクラスの司令塔は、退学とする。
1
「複雑だな……」
俺は小さくそうつぶやいた。
3月8日、月曜日、朝のホームルーム。
Cクラス総勢39人、誰一人欠けることなく「全員」がそろった教室で、1学年最後の特別試験、『選抜種目試験』の説明が執り行われていた。
茶柱先生の口頭説明を聞いただけではルールの7割も理解できなかった。
シンプルな設計だった先日の「クラス内投票」はうってかわって、非常に複雑、かつ難解な試験だ。
各クラスに一部ずつ配布されたという試験内容の資料に目を通すことで、ようやくその全貌が見えてきた。
学力、身体能力、その他の特技、連携、そして運。
それら全ての要素が絡み合った試験。
1学年の最後を締めくくるのにふさわしい試験内容と言える。
にしても、敗北した司令塔は退学処分か。相変わらず厳しい規定だ。
前回のクラス内投票でプロテクトポイントが付与されていなかったら、いったいどうなっていたか。想像するのも恐ろしい。
恐らく、クラス内投票のときよりもクラスは大きく混乱しただろう。
優秀な人物を司令塔に据えて敗北してしまった場合、そいつは退学。クラスにとって大きな人材を失うことになる。
それを恐れて、他の優秀とは言い難い生徒を司令塔に当てようにも、その生徒は実質、退学しに行くようなもの。やりたがるはずがない。
しかし、プロテクトポイントがあれば話は違う。
まあとにもかくにも、今日最低限やるべきことは司令塔の決定。
今日の放課後までに決めなければ、茶柱先生が適当に指名するとのこと。それだけは絶対に避ける必要があるため、迅速に決定しなければならない。
のだが……
「……相当堪えてるわね、彼」
そう呟く堀北の視線の先にいるのは、平田洋介。
本来であれば、真っ先に先頭に立って話し合いを進めているはずの存在だった。
しかし今は微動だにせず、ただ静かに目を伏せ、無言で着席して時間が過ぎ去るのを待っていた。
「私が話を進めるしかなさそうね」
そう言って堀北が立ち上がろうとしたとき。
池、須藤の二人が、こちらに……いや、清隆に近づいてきた。
「なあ。話し合う前に、確認したいことがあんだけどよ」
言葉にせずとも分かる。十中八九、先日の投票結果のことだろう。
須藤の持つ感情は、怒りではない。責め立てるとも少し違う、何とも形容しがたい複雑な表情を浮かべた須藤。
努めて冷静に言葉を発する。
「……ダチが消えたんだ。だからまだちゃんと受け止めきれてるわけじゃねーけど……春樹のヤツが退学になっちまったのは、俺の中ではわからない話じゃねーんだ」
須藤は一瞬こちらに視線を寄越した。
しかしすぐに向き直り、言葉を続ける。
わからない話じゃない、とは言いながらも、須藤は唇を噛んでいる。悔いの念はあるようだ。
「けどよ綾小路、納得いかねえのはお前の結果の方だぜ。なあ寛治」
「ま、まあ……多分、みんなよくわかってないと思うんだよ。なんで綾小路にあんなに賞賛票が入ったのかがさ」
口には出さずとも、池の言葉に共感するようにクラスの視線が清隆に集まっていく。
「それについては、私から説明するわ」
「ま、待てよ鈴音。俺は綾小路に説明させたいんだよ」
立ち上がる堀北を須藤が止める。
「気持ちはわかるけれど、それは恐らく無理なんじゃないかしら」
「無理……ってどういうことだよ?」
「彼自身にも、何が起こっていたのか理解が及んでいないはずだからよ」
「綾小路にも、分かってない……?」
「ええ。ただ説明すると言っても、私も当事者に直接話を聞いたわけじゃない。だからこれは推測の域を出ないけれど……簡単に言うと、全ては坂柳さんの戦略だったということよ。山内くんの退学も、綾小路くんの高得点も」
須藤だけでなくクラス全員に自身の声を行き渡らせるため、声のボリュームを上げる堀北。
「山内くんが最後に言っていたこと、覚えているかしら。坂柳さんたちAクラスから多くの賞賛票を貰う、という話。その賞賛票が山内くんには入らず、そのまま綾小路くんにスライドしたのよ」
「そりゃ、そうだろうけどよ。それが何で綾小路だったんだよ」
「それは恐らく、綾小路くんがクラス内でもあまり目立たない、普通の生徒だったからじゃないかしら。例えば幸村くんのように、何らかの能力に秀でている生徒を選んだら、山内くんが渋る可能性があったのは理解できるわよね?」
「あ、ああ……優秀なヤツを消したくはない、ってことだろ」
「ええ。そうやって選択肢を絞っていき、最終的に残った目立たない生徒の中から綾小路くんが偶然選ばれた。これで一連の流れは全て説明がつくわ」
堀北の説明で、ほとんどの生徒は納得のようすを見せた。
しかし池や須藤など、山内と仲が良かった生徒は、まだ苦い表情を浮かべている。
「なあ……今回の特別試験、オレが司令塔になっても構わないか?」
清隆は立ち上がり、そう言った。
「綾小路、お前……」
驚きを見せる須藤。
いや、須藤だけじゃない。それ以外にも驚いている生徒は多い。
敗北した司令塔には退学規定がある。そのためプロテクトポイントを持つ清隆が司令塔になる、という展開は多くの生徒が予想していたはずだ。
だから恐らくこの驚きは、清隆自らが進んで司令塔に立候補したことに対してのものだろう。
「堀北の言う通り、正直オレも突然のことに混乱してたんだ。でも、不信感を与えたのは事実だからな。それを司令塔になることで払しょくできるなら、そうしたい」
「いーじゃんそれ! 誰も退学にならなくて済むしさ」
池が賛意を見せる。その他の生徒も、多くの人は頷き、賛成の意を示していた。
しかし、そこに待ったをかけたのは篠原だった。
「や、ちょっと待ってよ。そりゃ綾小路くんが引き受けてくれるのは嬉しいんだけどさ……それって、なんか勝ちを捨てにいってる感じがしない? 綾小路くんは普通なんだしさ。もっといい人が立候補してくれるなら、そっちの方がいいと思うんだけど……」
誰かいる?と教室全体に呼び掛ける篠原。
しかし、立候補者は現れない。
当然と言えば当然の展開だ。誰もかれも、退学のリスクだけは負いたくない。ここでの立候補は自殺行為でしかない。
俺も今回は清隆が司令塔になるべきだと考えている。
それは、清隆が非常に高い実力を隠し持っているからではない。
プロテクトポイントの保持者だからだ。
つまりたとえ清隆以外のどんな生徒であったとしても、プロテクトポイントを持つ生徒が司令塔になった方がいい、というのが俺の考えだ。
確かに、優秀な生徒を司令塔に立てた方が、勝率は上がるように思える。
しかしそれは単純な能力だけを考えた話だ。
優秀だが、プロテクトポイントを持たない生徒が司令塔になった場合のことを考えてみる。
ふつうこの学校の生徒にとって、何よりも避けたいのは退学だ。負けたら退学になるかもしれない。そのプレッシャーの大きさは想像を絶する。そんな状況下で、冷静な判断力が問われる司令塔が務まるか。能力を十分に発揮できるか。
答えは否。
それに、負けたらその優秀な人材を失ってしまうのだ。もしクラスに残っていれば以後多大な利益を生み出していたであろう存在を。それはとてつもない損害だ。
退学を取り消す手段のない丸裸な状態で司令塔をやるのは、あまりにも危険すぎる。そのうえポテンシャルをしっかり発揮できないため、勝率も高くはない。リスクとリターンが釣り合っていない。
それより、プロテクトポイントを持つ生徒を司令塔に据え、安心して全力を出してもらうのがいい。
「やはり、私を含めて退学のリスクを避けたいのはみんな一緒ね。篠原さん、提案はありがたいけれど、他に立候補がいない現状では綾小路くんに頼むしかないわ。これで納得してくれるかしら?」
「……まあ、仕方ないよね。私も退学したくないし」
「ありがとう。あなたの心配はもっともだけれど、実際のところ、誰が司令塔でも大した影響はないはずよ。こちらで事前に綿密に打ち合わせを行えばある程度は応用が効くわ」
堀北のセリフに一部の生徒が納得した様子だが、これは恐らく清隆の司令塔を決定づけるためのブラフと見ていい。
司令塔の関与の内容は決められても、そのタイミングは、司令塔にしか判断できない。
資料の例にあるような、「参加生徒の交代」が関与だった場合、どのような試合展開で交代を行うかの判断は司令塔のみが行える。そこに必要なのは冷静な判断力、勝負勘だ。
それに試験中、司令塔は一か所に集まるという。相手の司令塔から話術で動揺を誘われるようなこともあるだろう。そういったことに動じない胆力も重要だ。
しかし、あえてそのことを指摘はしない。
そのまま放置し、結局司令塔は清隆にやってもらうということで話は決した。
2
放課後。
クラス内で、特別試験についての話し合いが始まる。
しかしその前に、司令塔による対戦クラス決めのくじ引きがある。
「司令塔になった者は、すぐに廊下に出るように。私と移動してもらう」
茶柱先生から指示が飛ばされる。
その後、真っ先に立ち上がったのは司令塔である清隆……ではなく、平田だった。
「ひ、平田くんっ!」
多くの生徒がその様子に唖然とする中、一人の女子生徒、王美雨が平田の名前を呼んで制止しようとする。
しかし、平田はそれを完全に無視。
荷物を持って教室を出ていく。そのまま帰宅してしまうのだろう。
「ごめんなさい、私……ちょっとトイレに行ってきます。すぐに戻りますからっ」
そう言って、平田に続いて王も教室を後にした。
トイレと言うが、平田を追いかける目的なのは確実だ。
しかし、恐らくは何の成果も得られないまま……いや、それどころかより絶望して戻ってくることになるだろう。
「おい清隆、早く行った方がいいんじゃねーの」
廊下に出ず、先ほどの一連の様子を見ていた清隆に声をかける。
茶柱先生が指示を出してから、少し時間が経ってしまっている。
「そうだな。悪いが、あとは頼んだ」
「ええ。もし当たりを引いたら、Dクラスを選んで」
「分かってるが、4分の1だからな。あまり過度な期待はしないでくれ」
そう言って清隆は出て行った。
当たりを引いたらDクラスを選ぶ。これにはクラス内のコンセンサスが取れていた。
総合力で上回るA、Bクラス。それより、学力などでは多少上回っており、且つ龍園も失脚してしまったDクラスを選んだ方が確実、という話だ。
龍園の機能していないDクラス。正直言って全く怖くない。
逆に言うと、龍園が復活でもすれば……一気に厄介なクラスとなる。
やっぱり退学させておくべきだったな。
仕方のないことではあったが。
「みんな、ルールの把握がまだしっかりとはできていないと思うわ。今日はまずそこを徹底する。それが終わってしっかりとスタートラインに立ってから、本格的な話し合いを始めましょう」
機能していない平田の代わりに教壇に立った堀北が、教室内の全員にそう告げた。
俺の方はルールの把握はできている。
そのため次のステップ、種目の設定に関して考えるが……これに関しては、清隆が持ち帰ってくる対決クラスによるところも大きい。
例えば、Bクラス相手に連携を要する種目は望ましくない。
Dクラス相手に格闘系の種目はよろしくない。
このように、各クラスの得意不得意を考慮に入れる必要があるからだ。
だがしかし、全クラスに共通的に通用する種目もある。
例えば須藤の身体能力。
体育祭でも明確になったように、須藤の総合的な身体能力に関しては、他クラスの生徒で右に出る者はいない。
スピードに関してはBクラスの柴田が対抗に上がるが、パワー面では一歩も二歩も劣る。
パワーに関してはDクラスの山田アルベルトが圧倒的だ。これに関しては須藤も敵わないだろうが、俊敏性は須藤に分がある。
スポーツ系の種目であれば、須藤個人の勝利は必至とみていい。
また先ほど出て行った王も、中国語テストであれば恐らく誰にも負けないだろう。
Cクラスは、総合力はそこまで高くない。しかし個々人に目を向ければ、案外粒はそろっている。
それをどのように種目決定に生かすか、だな。
ルールの把握に苦労しているクラスメイトを俯瞰しつつそんなことを考えていると、急に堀北が話し合いを中断し、端末を取り出した。
「たったいま綾小路くんから連絡がきたわ。対戦クラスは……Aクラス」
お世辞にも、朗報とは言えないものだった。
学年で一番の強敵との対戦。つまり、最も勝率の低い戦いを強いられるということだ。
「……マジ?」
「うそだろー……」
口々に不安、動揺が漏れ出る。
それを見た堀北は、パンパン、2回手をたたいて自身に注目を向けさせる。
「落ち着いて。確かにAクラスは強敵よ。けれど、戦う前から負けていてはどうにもならないわ。相手がどのクラスでもいまやれることを全力でやりましょう。そして今、それはルールの把握よ。中断してごめんなさい。質問を続けて」
堀北がそう告げると、またルールに関する質問が飛び交い始める。うまい具合に軌道修正したな。
落ち着くよう呼びかけた堀北だったが、自身もAクラスと聞いて多少の動揺はあっただろう。端末の画面を見た瞬間、表情が強張っていた。
しかしそれは表に出さず、平田が不在ながらもしっかりとクラスのリーダー役を全うしていた。
にしてもそうか、Aクラスか……
となると、坂柳か。
今回といい、前回のクラス内投票といい、一之瀬の件といい……坂柳を相手取るケースが多いな。
こちらとしてはあまり喜ばしくない展開だが、坂柳にとっては嬉しい出来事なんじゃないだろうか。
ずっと目をつけていた清隆と、司令塔として対決できる。
これで気が晴れて、清隆に対する好奇心が薄れるといいんだがな。
ところで、Aクラスには藤野もいるが、それは俺にとってはあまり関係ない。
戦いづらいなんてことはない。友人ではあるが、出場種目が被った場合は全力で叩かせてもらう。それだけだ。
結果的には、それが友人関係の持続にもつながるからな。
対戦相手も決まったところで、俺は頭の中でいくつか種目の候補を挙げる。
現時点で思いつけるだけで、ほぼ100%勝ちを拾えるであろう種目、勝負形式および関与方法は3つ。
明らかにこちらに分があるため、それらの種目がAクラス側に通知された場合、どれが本命の種目かが非常に分かりやすいだろう。
だがまったく問題はない。恐らくはそれでも勝てるからだ。
問題があるとすれば、種目への参加者だな。バスケでないことに須藤が納得するかどうか。
まあ、そこは追々考えていこう。
と、その前に。
俺は席を立ちあがり、教室の出入り口へと歩を進める。
それを目にした堀北は、当然それを見咎める。
「ちょっと、どこへ行くの?」
「……トイレだよ。すぐ戻る」
「……そう」
不服そうではあるが、トイレと言われてしまえば、堀北も止められない。我慢しすぎて教室でジョー、なんて事態は誰も望まないからな。
堀北のお墨付きをもらい、教室を出る。
するとすぐ、ある人物が目に入った。
Aクラスの生徒、橋本正義。
こいつとの間にかかわりがあるわけではないが、お互いに認識はしている。
俺は橋本……もとい、Aクラスからの偵察者に声をかける。
「盗み聞きか?」
単刀直入に、誤魔化すことなく尋ねる。
「おいおい、直球な質問だな、速野」
へらへらとしてそう言う橋本だが、肝心の問いには答えない。
もちろん俺も、ちゃんとした答えをもらえるとは初めから思っていないため、それ以上は何も言わない。
いま教室内でやってるのはルール確認。聞かれてもさほど悪影響はないからな。
橋本から目を切り、歩き出す俺。
そこに、今度は橋本から質問が飛んでくる。
「どこに行くんだ?」
「言わなくてもわかるだろ?」
「はは、まあな。何しに行く気だよ?」
「さあ、なんだろうな。お前と同じことかもしれない」
行き先、目的。その両方とも、あえてぼかして答えた。
しかし橋本は会話の流れで、それらを推定する。
「無駄だと思うぜ?」
「どうだろうな。案外そうでもないかもしれないぞ」
それだけ言って、俺は橋本の前を立ち去った。
「言わなくてもわかるだろ」そして「お前と同じことかもしれない」という俺のセリフに対する答え。
橋本は暗に、盗み聞きをしていることを認めたわけだ。
そしてこいつは、俺も自身と同じように、Aクラスに偵察に行くと思っているんだろう。
俺はAクラスに行くとも、盗み聞きをするとも言ってないのに。
まあそれはどうでもいい。さっきのやりとりは単なる言葉遊びだ。
結局俺は堀北に伝えた通り、どこにも寄り道せずにトイレに行き、普通に用を足して普通に教室に戻ってきた。
俺は最初から嘘など一つも吐いていない。堀北にトイレに行くと伝えたのは、マジでトイレに行きたかったからだ。茶柱先生が教室を出るちょっと前くらいから我慢していた。
ハンカチで手を拭きながら、ノコノコ歩いて戻ってきた俺を目にした橋本の表情が面白かった、ということだけ伝えておこう。
勝利したクラスの司令塔に支払われるプライベートポイントの額が原作には書かれてないんですが、どうなんでしょう。勝敗の数によって増減するんでしょうか。
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ep.85
1
「昨日の話し合いはどこまで進んだんだ?」
試験発表日の翌日の昼食時間。
今日は、この時間には特別試験に関する話し合いは行われない。そのため綾小路グループの面々で集まり、教室の端で昼食をとっていた。
つまり、俺と清隆の席の周辺だ。
堀北の席には明人が、俺の隣の席には波瑠加が。啓誠と愛理は椅子だけを持ってきて、それぞれ俺の席、俺の隣の席を間借りするような形で座っていた。
「堀北から聞いてないか?」
「ああ」
報告してないのかあいつ。優しくないな。
俺はそう思ったが、波瑠加は堀北の行動に理解を示す。
「それも無理ないかも……結局みんな、ルール把握するのに苦労してさ。昨日はそれだけで終わっちゃった」
「話し合いにもならなかったよ」
啓誠もうんざりしたような溜息をもらす。
まあ、こいつはルールを把握できていた側だろうからな。なんでこんなことをいつまでも、みたいに考えていても不思議ではない。
苦い表情で啓誠は言葉をつづける。
「それに対して、Aクラスは一歩も二歩も先に進んでる」
「そうなの?」
「昨日、話し合いが終わって廊下に出たとき……Aクラスの生徒が何人かいたんだ。たぶん、盗み聞きでもしてたんだろう」
「ほ、ほんとに……?」
「こっわ。もう仕掛けてきてるんだ、坂柳さん」
一種の恐怖のようなものを感じる愛理と波瑠加。
「知幸は見なかったか? 確かトイレに立ってただろ」
「ん、ああ、見たぞ。橋本がいたな」
明人の問いに素直に答える。
そのときは橋本以外にAクラスの影は見当たらなかった。俺が教室に戻ってから、偵察の人数が増えていたようだ。
「追い返さなかったのか?」
「誰かと待ち合わせてる、とか言われたら何も言い返せないからな。基本的に廊下は共用スペースなんだし。それに、今回はルールに関する話し合いしかしてなかったから、まあいいか、と思ってな」
「確かにそうだが……でも今日以降は、何か対策しないとまずいんじゃないか」
それはその通りだ。
昨日はルールの把握だけで終わってしまったが、逆に言うと昨日でルールはしっかりと浸透した。今日以降はいよいよ、勝つための戦略を考えていく段階になる。
そうなると、クラスの内情が関わってくる。誰がどのような性質を持っているのか。その情報を敵であるAクラスに知られてしまうのはまずい。
「対策もそうだけどさ、私たちもAクラスの情報を取りに行った方がいいんじゃない? Aクラスの教室に行くとか」
情報を守るばかりではなく、こちらからも仕掛けるべき、という波瑠加の提案。
「それができたらいいんだけどな……イメージだが、どんな種目にするとか、誰が出るとか、そこらへんの情報を知ってるのは、Aクラスの中でも一部だけなんじゃないのか?」
「あー、確かに。坂柳さん、下っ端にはほとんど何も伝えなさそう。独裁体制って感じ?」
「平たく言えばそうだな。だから多分、大人数での話し合いは行われてないと思う」
「そっかー……」
「逆にAクラスがそんなことしてたら、そこで流れてる情報は嘘がほとんどだと思った方がいい」
啓誠の言う通り、Aクラスの方針は坂柳からのトップダウン方式で決まるだろう。
今日の時点では何も知らされていないと思われる。
「でも、それは現時点での話だ。一週間後には、十種目を互いに知らせる。そのころには十個のうちどれが本命か、全部じゃないにしても、ある程度クラス内で共有されてるはずだ。狙うとしたらそこだ」
全員で話し合いを持つ俺たちCクラス、そしてBクラスとは違う。
そこがAクラスの強みでもあり、不安要素でもある。
「ともやん、藤野さんから情報取れたりしないの?」
波瑠加が聞いてくる。
Cクラスの中で数少ない、大っぴらにAクラスの人間と密なつながりを持っている俺。白羽の矢が立つのも当然か。
「ああ……あいつがそう簡単に情報漏らすとは思えないけどな。探ってるのに気づかれたら、逆に嘘を教えられる可能性もある」
「確かに……じゃあ、藤野個人のことは何か知らないのか? 得意分野とか」
「あいつの得意分野は……一言では言えないな。なんでもそつなくこなす、タイプとしては平田や櫛田と同じ感じだ。強いて言えば、バレーの経験者ではあったはずだ」
清隆には覚えがあるだろう。
夏休み中、プールに遊びに行った際、藤野のバレーのプレーは見ていたはず。
「思いつくのはそれくらい、だな」
「いや、重要な情報だ。これで何もなかった状態から一歩進むことができた」
満足そうにうなずく啓誠。
しかし、愛理の反応は少し違った。
「でも、その、よかったの? 知幸くん……これで藤野さんとの関係、悪くなったりしない?」
心配されてしまう。
まあ確かに、友人関係を利用してるようなもんだからな。
「大丈夫だろ、たぶん。そういうのは互いに許容しあってる。だから逆に、むこうにも俺の情報が流れてると思った方がいい」
知っている情報を利用したり、情報を探るだけなら、関係が悪化することはないだろう。
友人関係以外の「契約」の存在も相まって、そういったことには寛容的だ。
「たださっき言った通り、藤野から探ってもそれを鵜呑みにするのは危険すぎる。あいつの言ってることが嘘か本当か、検証する術がない」
コミュニケーション能力が高いということは、相手がどのような目的でこのやり取りを行っているかを理解する能力が高いということだ。
こちらが探っていることを悟られた時点で負けだ。そして悟られない自信はない。
「どうやって情報を取るか……」
俺の話を聞いて、藤野から情報を取る、という線は啓誠の中で薄まったようだ。
敵からの情報というのは基本的に信頼を置けない。
敵に関する情報のソースとして、ある程度信頼を置けるものがあるとすれば、それは2つ。
自分の味方か、敵の敵か。このどちらかしかない。
事情を知る俺からすれば、藤野はこのうちの「敵の敵」に近い存在ではあるが、啓誠たちがそれを知る由はない。交渉相手の選択肢から外すのも当然だ。
ただその代わりに、啓誠の中では、ある一人の顔が思い浮かんでいるだろうが……
それも見通しはよくない。あまり期待せずにいた方がいいだろう。
相手の情報を正確に盗み取ることは困難を極める。
情報戦をするなら、これとは違った角度から切り込む必要がある。
2
放課後。
Cクラスでは、今日も試験に向けての話し合いが行われる。
しかしホームルーム終了直後、平田は席を立った。
「ひ、平田くんっ!」
何人かの女子が、教室を出ていく平田の後を追いかけようとする。
市橋、園田、王など、今まで平田に助けられ、恩を感じているであろう女子生徒たち。
「待って」
しかし、教壇に立っていた堀北が、それを止める。
「気持ちは分かるけれど、これから話し合いなのよ。席に戻って」
「で、でも……」
「これ以上人数が減ってほしくないのよ。今は彼のことより、特別試験に気持ちを集中させて」
特別試験の話を出されては、無暗に飛び出していくこともできない。しぶしぶ、といった様子で、全員自分の席に戻った。
しかし諦めはつかないのか、平田の出て行った教室の扉を、しばらくのあいだ名残惜しむように見つめていた。
「あなたは参加してくれるのね、高円寺くん。てっきり、ほっぽりだそうとすると思っていたわ」
意外そうに言う堀北。
ほっぽりだす、ではなく「だそうとする」と言ったのは、決してそうはさせないという堀北の意地がこもっているのだろう。
それを知ってか知らずか、高円寺はいつもの調子で答える。
「フッフッフ、心外だねえ。私はCクラスの一員。当然参加するさ」
「てめえ、白々しいことを……!」
高円寺のセリフに露骨に苛立ちを見せる須藤。しかし、これは俺含めてクラス全員が思っていたことだった。
さらに高円寺は続ける。
「しかし、可能ならば話し合いはこの一回のみにしてほしいものだねえ。私は多忙なのだよ」
「それは難しい相談ね。この試験は非常に複雑なものよ。話し合いを重ねていくことが攻略への第一歩だもの」
どこまでも自分勝手な高円寺。しかし、堀北もそれに真っ向から反論する。
だが、それも高円寺には響かない。
「ならば、私の参加はこの1回のみになるねえ」
しびれを切らした須藤が高円寺に向かっていこうとするが、堀北が目線でそれを制すと、須藤は大人しく腰を下ろした。
「私としては、あなたが参加してくれるように働きかけていくだけよ」
きっぱりとそう言い切る堀北。
だが、恐らく無駄だろうな。高円寺は今日限りで、この話し合いに姿を現すことはないだろう。
「高円寺くんだけじゃない。全員に理解してもらいたいわ。この試験、一見少数精鋭での勝負になるように思える。けれどそうとは限らないわ。ルール上、一つの試験には20人まで参加させられる。相手がそのような大人数での種目を指定してくる可能性を考えると、クラスの中に誰一人として試験に無関係な人はいないわ。それをよく理解して」
学力や身体能力などで優れているとは言えない生徒もいる。
自分の出番がないのではないかと思い込んでいる生徒への、堀北からの喝のようなものだった。
「今日の話し合いには時間はかけないわ。やってもらいたいことは二つ。まず一つ目は、自分が得意だと思う種目、Aクラス相手でも勝つ自信がある種目を、明日の話し合いまでに各自考えて、私に報告して。個人競技、集団競技問わずね」
得意な分野の把握か。手順としては絶対に必要なことだ。
「でも、種目って学校側の承認が必要なんだろ? 基準が分からないとどうしようもないんじゃないか?」
「取り敢えず、いまそれは度外視して構わないわ。それを考えるのは今じゃない。どんな突拍子のないものでもいいの」
「それって、ゲームとかでもか?」
「もちろんよ。勝てる自信があるならば何でも構わない。ただし、その種目に多少覚えがあるだけで、勝つ自信がないなら、それを書くのは遠慮して。中途半端な実力では、確実に勝利をもぎ取ることができない。得意種目が思いつかない、という人は白紙回答でも構わないわ」
とにかく正直に答えて、と堀北が念を押す。
「なあ、それって堀北に直接言えばいいのか?」
回答方法に関する質問が堀北に飛ぶ。
「やってもらいたいことの二つ目が、それに関連するわ」
そう言うと、堀北は自身の端末を操作し、ある画面を教室全体に見せる。
「チャットアプリ……?」
「そう。入学時、端末に最初からインストールされていた機能。これを使うわ」
「でも俺、堀北の連絡先持ってないんだけど……」
それは当然の声だった。
クラス内で堀北の連絡先を知っているのは、俺、清隆、須藤と、恐らく櫛田もか。
正確には何とも言えないが、ほとんどのクラスメイトが堀北の連絡先を持っていないということは、少なくとも事実だ。
このチャットアプリは連絡先と連動している。
連絡先を知らなければ、個人宛にチャットでメッセージを送ることはできない。
「ええ。だからまずは個別ではなく、クラス全体のグループチャットを作ってほしい。これがやってもらいたいことの二つ目よ」
クラスのグループチャットの作成。これが堀北の提案だった。
Cクラスには今まで、クラスのチャットというものが存在していなかった。
1学期に池から聞いた話では、クラスメイトの多くが入っているグループはあるらしいが、それもクラス全体のチャット、というには参加率が低い。
1年経って今さらではあるが、新しい試みだった。
「櫛田さん、頼めるかしら」
「うん、わかった。新しくグループを作って、一応全員を招待しておくね」
櫛田は恐らくクラス全員の連絡先を持っているはず。こういったことには最適といえる人材だ。
少しして、ピロン、ピロンと端末の通知音がいくつも教室内に鳴り響く。
俺の端末にも来た。グループに招待されたという通知だ。
当然、『参加』をタップする。
参加人数はみるみるうちに20、30と増えていき、2分ほどが経つ頃には、クラスのほぼ全員が参加した状態となった。
「ありがとう櫛田さん。得意な種目が思いついたら、このグループチャットに報告して」
これで、一々堀北と直接交渉しなくても、各々の得意種目が堀北に伝わる。考えたな。
「それから今後、特別試験に関する重要な話し合いは、このグループチャットで行うことにしようと思っているわ」
「え、な、なんで?」
「幸村くんから指摘があったのよ。教室に集まって話していたら、盗み聞きされて不利になってしまう、とね。もちろん私も、その部分は懸念材料だった。その対策としての一手よ」
昼食の後、どのタイミングかは分からないが、啓誠は堀北に接触していたのか。
「教室に集まって口頭でのやり取りをしつつ、外部に漏れてはいけない重要な情報はチャットで話す。これで、盗み聞きは無効化できるわ」
出入り口の扉に目を向ける堀北。
俺の席からは視認できないが、恐らく今日も橋本あたりが俺たちの話を盗み聞きしてるんだろう。
いまの堀北の言葉は実質、Aクラスの偵察者に向けてのものだった。
「確かに、これなら大丈夫だな」
「携帯さえ見られなければ、Aクラスも何話してるかわかんねーもんな」
口々に得心の言葉を発するクラスメイト。
啓誠も納得顔で、この対策に文句はなさそうだった。
「話し合いは終わりのようだねえ。では、私はこれで失礼するとしよう」
そんな中、高円寺はそう宣言し、荷物をまとめて帰り支度を始めた。
すかさず堀北が制止を試みる。
「まって高円寺くん。あなたは少なくとも、今回の話し合いには参加する、と言った。ならばグループチャットへの加入、そして得意種目の報告、両方きっちりとやってもらうわ」
「しっかりとメンバーを見たまえ。私は参加しているだろう?」
グループチャットのメンバーの中には「高円寺六助」の名前もある。間違いなく参加しているようだ。
「では、得意種目の報告の方もきっちりやる、そう捉えていいのね」
「得意種目、ねえ」
堀北に詰められるような言い方をされても、高円寺は余裕のある笑みを崩さない。
「どんな種目でも、私に敵う者などいないさ」
当たり前のように、軽くそう言ってのけた。
「つまり、どんな種目でも、誰が相手でも、あなたは勝ちをもたらす。そう考えていいのね?」
これはある種の煽りだった。
もちろん、それが高円寺に通じているとは思えないが……
続けざまに堀北は口を開く。
「もしそれを約束してくれるなら、今後この話し合いには参加しなくても構わない。どんな種目でも勝てるというなら、話し合いは無意味だもの。けれど、もしそれで手を抜いたり、あるいは負けたりしたときには……これから先、あなたの発言が受け入れられることはないと思って。そして、次に前回のクラス内投票のような試験があったら、真っ先に名前を書かれるのはあなたよ」
脅し。
悪くないやり方ではある。
なんだかんだで高円寺は、自分が退学にならないよう計算して動いている。
つまりいかに高円寺とはいっても、退学は嫌だということ。ならば普通に考えて、この脅しは有効だ。
……しかし、そんな普通の考えは、高円寺という男には通じない。
そもそもこの脅しが効くような人間は、「どんな種目が来ても勝てる」なんて軽く答えたりはしない。
「一つアドバイスをしておこう、堀北ガール。そんな言葉では、この私を縛ることはできない。誰が相手でも勝てる、というのは疑いようのない明確な事実さ。しかしその能力を君やクラスのために使うかどうか、決めるのは私自身だ」
やはり、高円寺はどこまでも変わらない。
誰もこの男を制御できない。
俺たちはひたすら、こいつの「気まぐれ」が、クラスにとってのプラスに作用することを祈るしかないのだ。
「君のリクエストには全て答えた。では、失礼するよ」
それだけ言い残し、高円寺は退室してしまった。
得意種目は「全て」。ふざけた回答だが、堀北の出した課題はたしかにクリアしている。
そして、「話し合いへの参加」の達成に、試験に真面目に取り組むかどうかの保証は必要ない。恐らく高円寺はそう考えているんだろう。
「くそっ、なんだよあの野郎……バスケなら俺がぶっ潰してやるのによ……」
「落ち着きなさい須藤くん」
「け、けどよ……つか、よかったのかよあれで。あいつもう話し合いにこねーんじゃ……」
確実に来ないだろうな。
あいつは戦力としては数えられない。
だがそれはいつも通りだ。決してクラスの不安要素が増えたわけじゃない。
しかし、それが今の平田の状況と合わさって、いつも以上にクラスの雰囲気にマイナスに作用していた。
3
「なんだよ、こんな時間に呼び出して」
教室での話し合いが終わり、寮の自室に到着して1時間が経過したころ。
俺は堀北から呼び出しを受け、堀北の部屋を訪れていた。
「こんな時間、というほど遅くはないと思うけれど。都合が悪かったかしら」
「正直良くはないな。いまから夕飯の材料の買い出しに出るつもりだったんだよ」
「……なるほど、その空の手提げカバンは、買った食材を入れるためのものだったのね」
その通り。所謂マイバッグというやつだ。
「それは悪いことをしたわね。日を改めても構わないわよ?」
「いやいい。なるべくパッと済ませてくれ」
俺が日頃よく利用しているスーパーは、夜9時まで開いている。
流石にここに何時間も拘束されることはないだろう。
堀北は俺の要求に頷き、話を始める。
「来週までにリストアップする10種目、その中に必ず入れておきたいのが、少数精鋭でCクラスが確実に勝つことのできる種目よ」
「まあ、そりゃそうだな」
何かに突出した力を持つ人物なら、Aクラス相手でも凌駕できる。しかし、そのような人材を何人も用意することはできない。そのため、その種目に必要な人数が増えれば増えるほど、勝率が減ってしまう。それを防ぐために、少数の精鋭で挑む必要がある。
「その上でのキーとなる人物は、このクラスには少なくとも3人いると考えているわ。須藤くん、王さん、そしてあなたよ」
「須藤が身体能力、王が中国語、俺が学力か」
「ええ。だからその3人と、個別で話し合いを持ちたいと思っているのよ」
「で、今日が俺だったわけか」
「そういうこと」
恐らくは明日、明後日と、どちらかに須藤、どちらかに王が堀北に呼び出されるということだ。須藤は小躍りしそうだな……
雑談はここまでにして、早速本題に入るとしよう。
「それで、何が聞きたい?」
単刀直入に質問する。
「あなたの望む勝負形式、関与、そして最大何人までなら安全圏か、この3つね」
なるほどな……
最大何人まで安全圏か、というのは、「同じ人数の種目は複数リストアップできない」というこの試験のルールによるものだろう。安全圏の人数が多いほど、人数設定の自由度が高まり、ほかの種目に1対1を割当られる。
「数学検定なら、俺だけしか合格できないような階級を選んで、合格レベルに達した人数、って形式にすれば、正直何人でも行けるんだがな」
「……あなた、そんなことができるの?」
驚きの表情を浮かべる堀北。
恐らく「1級」や「準1級」といった階級が頭に浮かんでいるんだろう。
しかし、そう甘くはない。
「いや、思い付きで言っただけだ。実際は厳しい。まず1級は俺が解けないし、準1級は、Aクラスの中に解けるやつがいないとも限らない」
「……そう。あなたにも解けない物はあるのね」
どこか安堵の表情を浮かべる堀北。
「いや、当り前だろ……習ってない範囲はさすがに解けない」
limや∫、Σなどの記号の意味や、三角関数、複素数平面、指数関数、ベクトル、数列の概念など、いまでこそ理解しているが、知識がなければどうしようもないものはいくらでも存在する。
俺の守備範囲は高校まで。それ以上の知識を要する範囲には対応できないし、現時点ではする必要もないと考えていたが……最近はその考えも少し改めている。学習部で、何かの検定試験に合格すればポイントがもらえるかもしれないな。時間的コストを考えて、行けると思ったら勉強してみることにしよう。
しかし、いまは無理だ。
「それに今考えると、自分以外は誰にもできない種目ってのも、かなりのリスクではあるな。例えば王は中国語の他に、英語の成績もかなり優秀だ。そこに使えないってのは痛手だ」
「確かにそうね……」
もし英語の対決で王を使ってしまい、その後に中国語が選ばれてしまったら、誰も解けない。そのため、王を英語で使わけにはいかない。
それと同じで、俺にしか解けない種目を選ぶと、俺はそれ以外の学力系の種目に参加できなくなる。
自分の種目が選ばれる確率は70%。3つとも選ばれる確率は29.167%。これをどう捉えるかだ。
「……そこはもう、割り切るしかないんじゃないかしら。あなたたち3人に特化した種目が選ばれなければ、その時は運がなかったと考えるしかないわ」
なるほど。
堀北は「攻め」に出た。
「そうか。それでいいんだな」
「ええ」
「分かった」
ならば、遠慮なく要求させてもらおう。
「種目は……数学オリンピックレベル問題。必要人数は2人以下。本来は4時間半かけてやる問題を、分量を変えずに1時間の時間制限を設けて出題してもらう。それで、合計点の高い方の勝ちだ」
「1人じゃなくてもいいのね?」
「ああ」
「分かったわ。ありがとう」
3人以上にすると、負けるリスクが高まってしまう。
だが2人なら、たとえ俺以外の1人が0点だとしても、恐らく問題なく勝てるだろう。
「司令塔の関与はどうするの?」
「最小限に留めるのが得策だな。Aクラスでこの種目をクリアできるやつがいるとすれば、たぶん坂柳ぐらいなもんだろう。だからそうだな……連続して1分間、回答者に好きにアドバイス可能、とかな」
数学の回答には、論理性が求められる。
考え方、それに答えまで合っていても、記述に穴があれば満点はもらえない。
流石の坂柳も、貰える時間が1分間だけでは限界がある。影響を与えられても高々1、2点だろう。
「なるほど……分かったわ」
ノートにしっかりとメモを取る堀北。
俺から聞いた話だけでなく、その隣のページにも、何やらびっしりとメモが取られている。
このノートを軸にして考察していくつもりらしい。
それにしても、2日目にしてこの量か……堀北の気合の入りようが伝わる。
「じゃあ、もう行っていいか」
腕時計を見ると、時刻は6時半。閉店までまだ余裕はあるが、そろそろ買い出しに向かった方がいいころだ。
「十分よ。ありがとう。他に何か思いついたことがあれば、いつでも連絡してきて」
「ああ、分かった」
玄関で堀北と別れ、そのままの足でスーパーへと向かった。
4
スーパーの店内に人は少ない。
ここのスーパーは授業が終わってすぐ、午後4時から5時にかけて最もにぎわう。
校舎から寮に向けての道のりとは逆方向にあるため、授業が終わってからそのままスーパーに行く人が多いのだ。
閑散としたスーパーの無料コーナー。相変わらず粗末な品揃えの商品棚を眺めつつ、今日から4日間の夕飯のメニューを考える。
インスピレーションを求め、調味料を見たり、野菜を見たりとキョロキョロしていたその時。
「ぉ……っ!?」
心臓が跳ねた。
俺が目にしたのは、ほかでもない、覇気なく、暗く俯き、ゆっくりとした足取りで店内を徘徊している、平田洋介その人だった。
なんでこんな時間にこいつが……と一瞬思ったが、そんなに難しいことではない。
あいつなりに、人目を避ける方法を考えたんだろう。
誰かと会わないためには、部屋に篭っているのが一番いい。
しかし、当然ながら飯は食わないと生きていけない。
だから、敢えて人の少ないこの時間にここを訪れているってことだ。
さて、心拍数が落ち着いたところで、どう対処するかを考えなければ。
恐らく向こうは俺に気づいていない。そりゃ俯いて下ばっかり見てるんだから、俺の姿に気づくはずがない。
普通ならスルー一択だ。しかし今は状況が違う。
「……」
声、かけた方がいいよなあ……
ということで、平田に近づき、声をかける。
「おい」
「……」
俺の声を聞き取るには十分な距離のはずだが、平田は反応を見せず、歩みを止めない。
「おいって」
今度は声と同時に、肩を掴んで強引に俺に気づかせる。
さすがに今回は歩みを止め、俺の方を振り返る。
「……離してくれないか」
平田の第一声は、要件の確認ではなく、手を離せ、だった。
「ん、あ、ああ、悪い」
こうして平田と面と向かって話すのは、前回のテスト対策の勉強会の後にピザ食いに行ったとき以来だが……改めて、その時と今とでは全くの別人だと感じた。
言われた通りに手を離すと、平田はまた前へと歩き始めてしまった。
「おいまてって」
「……何かな。君はこんな風に誰かに話しかけるような人じゃなかったよね」
「嫌だったか?」
「ああ、嫌だよ……僕のことは放っておいてほしいんだ」
……なるほどな。
おそらく俺の関知しないところで、何度も何度もこうして声をかけられてきたんだろう。そしてそのたびに「放っておいてくれ」と答えているはず。
受け答えの仕方も、どこかうんざりした様子に見える。
「なら平田、全員に放っておかれるいい方法を教えてやろうか」
「……何かな」
「退学だよ」
外部から隔絶されたこの学校。
その外部に出てしまえば、クラスメイトにこうして声をかけられることもない。
「……それは」
「クラスに迷惑がかかるから簡単にはできない、か?」
平田は何も反応しない。
そんな平田に、俺はあえて厳しい言葉を投げつける。
「この現状で……お前がクラスの迷惑になってないとでも思ってるのか」
「っ!」
事実、平田のせいでクラスの雰囲気は悪い。それでもまだCクラスが機能停止に陥っていないのは、堀北の奮闘があるからだ。
「お前は何がしたいんだ」
改めて問いかける。
「……さっきから言ってるじゃないか。放っておいてほしいんだ」
「答えになってない。お前自身の欲望を聞いてるんだよ」
「1人になりたい……こう言えばいいかな」
「1人になって、その先はどうするんだよ? 言っとくが、このままの状態をキープできるなんて思わない方がいいぞ。塞ぎ込めば塞ぎ込むほど、負の連鎖は続く」
今はまだいい。理性が働いている。その間はまだ大丈夫だ。
だがこのままでは、いずれ完全に心が壊れるだろう。
「……君に一体、何がわかるって言うんだ……!」
語気を強める平田。
もちろん俺は何も分からない。
「さあ、俺には何も。ただ、分かってくれるやつはいるだろう」
「……誰のことかな」
「今お前が頭に思い浮かべた人物だよ」
俺にはその人物が誰か、確定させることはできない。
しかし推測はたつ。
前々から疑ってはいた。俺と平田の間にある程度の協力関係があるように、清隆との間にも、何かあるんじゃないかと。
夏休みの前後で、平田の清隆への接し方が妙に違っていた。
言語化はできないが……何かが違う。そんな違和感があった。
そしてもう一つ、軽井沢の存在。
軽井沢も平田とほぼ同じタイミングで、清隆と急接近した。
おそらく軽井沢を介して、平田と清隆はつながりを持っている。
「……結局君は、何が言いたいんだ」
具体的なことは言わない俺の言い方に、平田は露骨に苛立ちを募らせている。
「お前が腹に一物抱えてるのは見れば分かる。その抱えた物の中身を、誰かに話せ」
「……話して、何になるんだ」
「さあ、それはお前とその人次第だろ」
「……話にならないな。僕はもう疲れたんだよ。もう一度言うけど、放っておいてくれ。じゃないと……」
言葉を止める平田。
「……じゃないと、なんだよ」
俺はその続きを求める。
「……分かるよね?」
握り拳を作り、俺を強く睨みつける平田。
ああ、なるほど。
強硬手段に出るぞ、と、そう言いたいんだな。
だが、悪いな。その脅しは俺には通じない。
もちろん、俺が喧嘩慣れしてる、なんてことはない。
逆だ。
自分から暴力を振るったことはないが……振るわれたことなら、俺のカートに入っている米の粒の数ほどある。
だからもう、暴力を振るわれても「痛い」と思うだけだ。その痛みという感覚は、俺にとっては「暑い」とか「寒い」とか、そのレベルで当たり前のものになっている。
できることなら避けたい感覚。しかし、素手で与えられるダメージなんてたかが知れている。いくら平田がスポーツをやっているとはいえ、目的遂行の妨げになるレベルのものじゃない。
「……もういいかな。できるなら、二度と話しかけないでほしい」
俺を拒絶するセリフを吐き捨てて、平田はその場を立ち去る。
今度は呼び止めることなく、その様子を見届けた。
とりあえず、いま俺にできるのはこれだけだ。
どれほど響いたかは分からないが……。
だが取り敢えず、収穫はあった。
自身のことを理解し、現状を打開してくれるかもしれない、と平田が考えている人物。
清隆かもしれないし、それ以外かもしれない。だがいずれにせよ、その人物が少なくとも存在はすることがわかった。
これだけでも前進だ。
あとはその人物が、いかにして平田と接触し、解決に導くか。
絶望的に見えても、まだ芽は残されている。
平田と軽井沢が偽カップル、という真実にはいつまでも辿り着けないオリ主です。
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ep.86
なんか、月一更新みたいになってしまってますね……
今回は原作と展開に差異はあまりありません。
また、明日の朝には次話の投稿も行いたいと思います。
1
翌日の朝からの平田の様子は、さらに酷さを増していた。
いつもの通りに、王は平田に声をかけた。
それまでは無視するだけだった平田が、ついに王の声に反応した。
「もう放っておいてくれないか」
反応と言っても、拒絶反応だが。
「鬱陶しいんだ」
昨日の俺への対応と同じように、王に対しても明確な拒絶を行う。
今まで、平田に対しては努めて笑顔で接してきた王。ようやく自分に応答してくれたかと思いきや、あまりにも非情な対応をされ、泣きそうな顔になってしまっていた。
「ちょっと洋介くん、そんな言い方はないんじゃないの?」
平田の元交際相手、軽井沢も、見るに見かねて平田に声をかける。
「なれなれしく下の名前で呼ばないでくれるかな。君はもう僕とは何の関係もない赤の他人だよね」
「そ、それは……じゃあ平田くん、ちょっと言い過ぎじゃないの」
「君の普段の態度に比べれば、大きな違いはないよ」
「なっ……! あ、あたしはただ……」
「もう黙ってくれないかな。じゃないと……分かるよね?」
脅しのようなセリフ。
恐らく多くの人間には、平田の発言の意味するところは分からないだろう。
交際期間中に何かしら軽井沢の弱みを平田が握った、くらいの発想にしか至ることはできない。
しかし事情の一端を知る俺は、そして恐らくは清隆も、平田の発言が軽井沢の過去に関することだろう、と判断できる。
平田のセリフを受けた軽井沢の表情が、露骨に歪んだ。
「っ、何よ、あーもうウザい。知らないからね」
軽井沢にとっては絶対に知られたくないであろう秘密。これを盾に取られては引き下がるしかない。
まったく、見ていられないな。本気ですべてを拒絶し続けるつもりらしい。
昨夜は「希望はまだある」と考えたものの、このままでは、平田が退学という道を選ぶ未来もそう遠くないかもしれない。
今日も悪い雰囲気のまま、Cクラスは授業を消化。
放課後、特別試験へ向けての話し合いの時間となった。
すぐに平田、そして高円寺が席を立ち、それぞれ教室を出る。
女子生徒数人が席を立ち、それを追いかけようとする。その中には王もいた。
もちろん対象は高円寺ではなく、平田。
しかし……朝の光景がフラッシュバックしたのだろうか、その足が自身の席から動くことはなかった。
そのまま座り込んでしまう。
前に立つ堀北は、それでいい、というような表情をしていた。
しかし。
「あ、あの、私……用事があるので……」
一度座った王が、再び立ち上がった。
「平田くんを追うつもり?」
王は小さく頷いた。
「何度も言っているはずよ。今は彼より、特別試験に集中してほしいのよ」
「平田くんも……Cクラスの1人です」
「ええ。でもこれは優先順位の話なのよ。特別試験期間でなければ私も何も言わないわ。けれどそうじゃないでしょう。今は試験に向けて少しでも前進しなければならないのよ」
王は成績優秀。しかも「中国語」という種目設定において絶対に必要不可欠な存在だ。堀北も必死で止める。
「だからって……平田くんを放っておくのは違うと思いますっ!」
堀北の説得とは裏腹に、王はそう言って教室を飛び出していった。
「ちょっと……」
堀北も王がこのような行動に出るとは考えていなかったのか、王が出ていった教室の扉を見つめたまま教壇の前で立ち尽くす。
堀北はこの話し合いの要だ。王を連れ戻すためとはいえ、自らが教室を出ていくわけにはいかないとわかっているんだろう。
すると、俺の後ろから椅子を引く音が聞こえた。
「オレが行ってくる」
「ちょっと、あなたは……」
「話し合いに関しては全部任せる。司令塔とはいえ、オレはいてもいなくても変わらないだろ?」
「……じゃあ、頼めるかしら。早く戻ってきて」
堀北の指示に清隆は頷き、教室を出て行った。
正直清隆はこの場にいた方がいいと思うんだが……まあでもあいつの場合、女子に限れば、生徒の情報や実力は軽井沢から聞き出せるか。恐らく櫛田にも頼るだろう。櫛田には「清隆に聞かれたら遠慮なく情報を話してやれ」と指示している。
軽井沢と櫛田を総合すれば、このクラスの女子は恐らく網羅できる。本来であればここに平田が加わるはずなのだが……いまはそれができるような状況じゃない。
平田、王、清隆、そして高円寺の計4人を欠いたCクラスの話し合いだが、形の上では滞りなく進んでいった。
2
「……あれは……?」
木曜日の登校時間。
寮から学校への道のりで、すこし妙な光景を目にした。
俺の斜め前にいるのは、混合合宿の際に俺と同じ小グループに所属していたBクラスの生徒の1人。
そいつは遅刻の危険性なんてないこの時間帯に、なぜか早歩きをしていた。
朝に何か予定があるのか。
いま考えても答えは分からないか。
「おはよ、速野くん」
背後から声をかけられる。
それが誰か、振り向かずとも声でわかる。松下だ。
「ああ、おはよう」
答えがわからないといえば、松下の行動もなんだよな。
何度も言うように、松下が「俺への好意をアピールしようとしている」というのは流石にわかっている。
問題は、松下にはアピールするような「俺への好意」が存在しないということだ。
だから非常に気持ちが悪い。
お互いに腹を探り合っている状態のため、気疲れもする。この状態がすでに2ヶ月も続いている。
いい加減、すっきり片付けたい。遅くとも年度が変わる前には。
「平田くん、大丈夫かな」
松下の方から話題を振ってくる。
大丈夫か大丈夫じゃないかでいえば、間違いなく大丈夫じゃない。
「さあ……でも俺にはどうすることもできない」
「このまま試験を迎えたら……勝てるかな、Cクラス」
「厳しいだろうな」
相手は坂柳率いるAクラス。平田が機能していても、勝つ確率は高くない。平田が抜けている現状では尚更だ。
「速野くんは、どの種目に出るとか、堀北さんに言われた?」
「いや……俺に限らずまだみんな言われてないだろ。期限まで時間はあるし、慎重に決めたいんだろう」
「そっか」
本当はほぼ決まっているが、ここで言う必要はない。
いつぞやの櫛田のように、松下がCクラスを裏切らないという保証はない。
「お前は得意種目、なんて報告したんだ」
「私は白紙回答だよ」
「……そうなのか」
「Aクラスにも負けない、っていえるような種目はないかな」
まあ、それでも不思議じゃないか。
ほとんどが平均値、って感じのキャラだもんな、こいつは。
誰かさんと同じように、たぶんやればもっとできるんだろうけど。
「決まってないとはいってもさ、きっと学力系の種目には出るよね?」
「……たぶん、そうなるとは思うが」
「その……頑張ってね」
……こういうことするから、気疲れするんだよな。
「……ああ」
とはいえ、応援の言葉はそれとして素直に受け取っておこう。
3
「なあ、絶対抗議したほうがいいって!」
その日の昼食時間。
綾小路グループで集まり、どこで昼食を食べようか散策していたところで、少し異様な光景に遭遇した。
「でも、単なる偶然、って可能性はない?」
「それはないって。今日で3回目だぜ?」
珍しく声を荒らげる柴田と、それを諭すようにしている一之瀬。隣には神崎も立っている。
その光景に目を向けていると、向こうもこちらの集団に気づいたらしく、一之瀬が声をかけてきた。
「こんにちは。みんな今からお昼?」
特定の誰かではなく、全体に向けての呼びかけ。
俺や清隆、それに愛理を除けば、一之瀬と直接の関わりを持つ人物は綾小路グループにはいない。また愛理も強い結びつきとはいえない。
となると、応対すべきは俺か清隆。
清隆に目を向けると、任せる、と視線で言われたので、俺が一之瀬の問いに首肯で答える。
すると、次に一之瀬は相手を俺に絞って話しかけてきた。
「カフェの方かな?」
「具体的に決めてたわけじゃないけど……まあその方面だな」
「そうなんだ。偶然、私たちもなんだ。よかったら一緒にどうかな」
意外な誘いに驚く俺たち。
いや、正確には神崎も、少しギョッとしたような表情を浮かべている。
「一之瀬、どういうつもりだ?」
「どういうつもりって……対戦クラスじゃないんだし、問題はないと思うけど」
どうやら向こう側でもコンセンサスが取れていないらしい。
「それは、そうだが……」
「時間もないしさ。いこうよ」
神崎は渋々といった様子で引き下がり、いつもより少し大掛かりなランチタイムが決定した。
一之瀬の案内で、カフェに入店し、少し大きなテーブルに腰かけた。
グループを代表してやりとりを行っていた俺が、一之瀬の隣に座ることになる。
「ごめんね、急に誘っちゃって。私がご馳走するから遠慮しないで」
「おい一之瀬……」
神崎が怪訝そうな表情で一之瀬を止めようとする。
さっきからこの2人の足並みが揃ってないな。大丈夫か。
「いやいい。この前の試験の影響で、Bクラスの財布事情、結構キツいだろ。俺たちもそんなつもりで誘いに乗ったわけじゃないし、自分たちで出す」
俺の言葉に賛同する綾小路グループの面々。
「気にしないでいいのに……」
「言っただろ、そんなつもりじゃなかったって」
まあもし綾小路グループと一緒でなく、俺ひとりだったら、お言葉に甘えていたかもしれないが……
「それで……俺たちを誘ったのはどうしてなんだ?」
グループを代表して、啓誠が疑問を一之瀬にぶつける。
「あ、うん。さっきの柴田くんの話、聞こえてたよね? 変に誤解を与えるくらいなら、正直に話した方がいいかな、って思ったの」
「いいのか、話しても。Cクラスに内通者がいないとは限らない」
「そうだとしても、問題はないんじゃないかな。どっちみちここまで来ちゃったら、話すのが最善だと思うよ」
「……」
無言でうなずく神崎。
「あ、ごめんね。単刀直入に言うとね、Bクラスの生徒が、Dクラスから嫌がらせを受けてるみたいなの」
「嫌がらせ?」
「そうなんだよ。なんか無意味に絡んでくるってゆーかさ。あとは追い回されたりとか。中にはアルベルトのヤツに壁際まで無言で追い込まれて、かなり怖かったらしいぜ」
あの巨体にそんなことされたら、そりゃ怯むわな。
柴田の話を聞いて、俺は朝目撃した光景を思い出した。
あのときのBクラスのあいつは、もしかしたらDクラスの誰かから追い回されていたんじゃないか。
「なあ、もしかして……」
俺はそれを柴田に話す。
「多分そうだぜ。今朝同じような話を聞いたしな。ああいう感じの嫌がらせを、俺も含めて何人かが受けてるんだ」
「へえ……ぶえっくしょい!!!!」
突然、俺がかなりでかいくしゃみをぶちかました。
口の中から唾が飛び散らないよう、顔を後ろを向け、またブレザーの袖で抑えてエチケットはしたが、店中に響くほどの音の大きさだったので、こちらに注目があつまってしまう。
「あー……悪い」
「大丈夫? 風邪?」
「いや、体調は万全だ。……続けてくれ」
そう言ったが、全員まだ気になっている様子だ。
隣の一之瀬は、心配そうな、申し訳なさそうな……そして少し残念そうな表情を浮かべていた。
鼻がむずむずするのを感じながら、Bクラス3人の話を聞く。
「じゃあ続けさせてもらうが……Dクラスの一連の行動は、恐らく陽動作戦だろう。うちに心理的な負荷を与えて、試験本番のパフォーマンスを低下させるのが狙いだと考えている」
「こう言っちゃなんだけど……仕方のないことではあるんじゃないか。聞いた限りじゃ、暴力沙汰とか、校則に違反するようなことはしてないんだよな? Dクラスは、正面からぶつかってもBクラスには勝てないと思ってるだろうし、向こうとしても勝つための一手なんだと思うぞ」
啓誠が冷静に指摘する。
「その通りだ。これ以降も、校則に触れない程度の陽動は仕掛けてくるとみるべきだろう」
神崎も啓誠の分析に同意した。
校則に触れない程度に、相手を陽動する。これもある意味では正攻法だ。むしろやって当然、やられて当然の策ですらある。現に俺たちCクラスも、Aクラスから偵察のような行為を受けていた。
これが、現在Dクラスをまとめているであろう金田や石崎の指示ならまだいい。
だがもし……万が一龍園が背後にいるとしたら……単なる陽動作戦では収まらない、なんて可能性が非常に高い。
「っくしょぅぁっ!!!!」
そんなことを考えつつ、俺は再び大きいくしゃみをかました。
先ほどから、テーブルに備え付けられているティッシュを十枚ほど消費している。
再び集まる視線。痛い。
「本当に大丈夫か知幸」
「あ、ああ……」
本当に体調は悪くない。
こんなことになったのは、俺が店内に入り、この席に座ってからのことだ。
「悪い啓誠、ちょっと席変わってくれ」
ティッシュで鼻をかみつつ、啓誠に頼む。
「え? あ、ああ……」
突然の申し出に戸惑いを見せる啓誠。
啓誠以外にも、なんのために席交換なんて、と思われているだろうが、しっかりと意味はある。この行動のおかげで恐らく症状は治まるだろう。
席交換を済ませ、再び話に耳を傾ける。
「金田がこのような作戦を敢行するとは思えない」
「ってことは、石崎の指示か」
「だと思うけど、私たちのやることは変わらないよ。今まで通り、正面から戦って必ず勝つ。そうだよね?」
一之瀬の宣言に、神崎も柴田もうなずいた。
足並みがそろっていないように見えても、このあたりの方針は一致しているらしい。
「私たちは、こういう作戦には動じない。だからこそ、変な憶測をされたり、噂を流されたくないの」
「効いてると思われたら、向こうはより増長する、ってことか」
「うん」
「わかった。俺たちとしてもBクラスを敵に回したくはないからな。この件に関しては、これ以上不用意に発言したりしない」
俺に代わって一之瀬の隣に座る啓誠が告げた。
「ありがとう。あ、じゃあお昼ご飯にしよっか。もう時間の余裕もなくなっちゃったし」
気づけば昼食時間は残り30分ほど。のんびりしている時間はなさそうだ。
4
昼食を終えて一之瀬たちと別れ、教室へと帰る道中。
「やっぱり一之瀬さんって可愛いよねえ」
ため息交じりにそう言う波瑠加。
「ねえ、そう思うでしょゆきむー。ともやんから一之瀬さんの隣譲ってもらった時、顔赤くなってたの見逃してないからねー?」
「なってない」
「あはは、そんなムキにならなくていいって。女子の私でもそう思うんだからさ」
からかうように笑う。愛理も波瑠加の意見に同意のようだ。
「ともやんはアレ? 美少女の隣は藤野さんで慣れっこ、って感じ?」
俺が啓誠に一之瀬の隣の席を譲ったことを言っているようだ。
「いや、そんなんじゃねーよ。……一之瀬、香水つけてただろ」
「あ、やっぱりそうだよね。シトラス系かな?」
愛理がすかさず俺に同調した。続いて波瑠加もうんうんと頷く。
「香水と席を譲ったことと、何か関係があるの?」
俺の発言に脈絡を感じられなかったらしく、愛理が聞いてくる。
「たぶん、その香水が含んでる化学物質の一部が、俺の体質的に受け付けなかったんだろ。ショッピングモールの通路沿いに香水売ってるところ通ると、あんな感じでくしゃみと鼻水が止まらなくなることが時々ある」
一種のアレルギー症状だろう。実を言うと、子どものころからその兆候はあった。
そこで、一之瀬から一番遠い位置に座っていた啓誠に、席の交換を頼んだということだ。
恐らく一発目のくしゃみをしたときから、一之瀬は自分の香水が原因であることに気づいていただろう。だからこそのあの表情というわけだ。
「不便な体質だねー、それは」
「まったくだ」
とはいえ、全ての香水に対して、ってわけじゃない。
櫛田も香水をつけているが、櫛田に対してああいった症状が出たことはない。
「でも一之瀬さんって、香水つけるようなタイプだったのかな。それとも何か心境の変化でもあったとか?」
波瑠加は俺に顔を向けてきたので、手を広げて「知らない」ということをジェスチャーで伝える。
「他の三人はどう思う?」
今度は清隆、明人、啓誠に問う波瑠加。
「まず……香水なんてつけてたか?」
「え、うそでしょ、そこから?」
明人も、そして一之瀬の隣に座っていた啓誠も、香水に気づいていないようだった。清隆は無表情すぎてどっちかわからん。
「つけてたとしても、今日はたまたまそういう気分だったってだけじゃないのか?」
「はあ、男子ってホント……」
呆れる波瑠加だが、男子は基本的に香水には精通していないんだから容赦してやってほしい。俺もアレルギー症状が出ていなければ、一之瀬の香水には気づかなかっただろう。
まあ女子としては、そのあたりの無頓着さに呆れを感じるのかもしれないが。
「あっ、ゆきむーちょっとストップ」
「え? なん……」
突如呼び止めた波瑠加に聞き返そうとした啓誠が、目の前の光景を見て言葉を途切れさせる。
「あー、し、篠原」
「何よ」
「そ、その、日曜、なんだけど……」
そこにいたのは池と篠原の2人。
どうやら池が篠原を遊びに誘っている最中のようだ。
こういうのは気づかないふりをして素通りするのがいいと思うんだが、その場から動こうとしない波瑠加。声を潜めて会話を続ける。
「日曜って確か……ホワイトデーよね?」
「そういえばそうだな」
「ホワイトデーに遊びに誘うなんて……篠原さん、もしかして池くんにチョコ渡したのかな?」
「義理でなら、渡してそうだけどねー」
そこらへんの事情には疎いのでよく分からないが、池と篠原の関係が比較的親密であるということは、少なくとも事実らしい。
「そういえば……ともやん、最近松下さんと仲良さげだよね〜?」
波瑠加が俺をからかうような視線を向けてくる。
「ん……まあ、そうなるのか」
あえて否定はしなかった。わざわざここで松下の俺への好意の有無を話す必要はない。話が面倒な方向に向いてしまう。
側から見ているだけの人間なら、最近の俺と松下は親密であると判断しても不思議ではない。
「チョコ貰ったり?」
「したな」
「ふーん」
「……なんだよ」
「別に〜? ね、愛理」
「えぇっ!? いや、その……」
急に焦り出す愛理。
「でもさ、流石にともやんもそこまで鈍くはないでしょ?」
好意を寄せられていることに気付いていないはずはないだろう、と暗に言われる。
言葉は俺に向けたものだったが、波瑠加は明人と啓誠にも目を向けた。
「まあ……結構露骨だからな」
「混合合宿の後から急に、って感じだ。下世話かもしれないが……その、何かあったのか?」
2人とも、第三者として率直な印象を述べる。
正直こういう展開は気分の良いものではないが、松下の俺への接近に関して、完全な第三者目線からの意見を聞く機会はそうそうない。ここは活かす道を探すべきか。
「まあな……スキーの時に、ちょっと色々あったんだ」
「あ、そういえば2人とも最初は滑れないコースだったんだっけ。でも、ともやんは滑れないフリしてただけなんだよね?」
スキーの結果発表後の平田からの説明で、そこらへんは全員に周知されている。
「何があったのか気になるけど……もう昼休み終わるし、放課後に聞かせてもらうってことで」
気づけば授業開始10分前。池と篠原の姿も見えなくなっている。
「……お手柔らかにな」
今日、この機会に答えに近づきたいが……あまり期待は寄せないでおこう。
と、そんな心意気で放課後に臨んだわけだが……
結果はご想像の通り。
松下との絡みを洗いざらい白状させられて、いじり尽くされ、結果答えには一歩も近づくことはできなかった。
なぜ松下は、速野に近づいているのか……
一之瀬のシトラス系香水作戦は失敗に終わりました。
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ep.87
・Aクラスリストアップ10種目
『チェス』
必要人数1人 持ち時間1時間(切れ負け)
ルール…通常のチェスルールに準ずる。ただし41手目以降も持ち時間は増えない。
司令塔…任意のタイミングから持ち時間を使い最大30分間、指示を出すことが出来る。
『バドミントン』
必要人数2人 時間30分
ルール…通常のバドミントンルール(ダブルス)に準ずる。
司令塔…任意のタイミングで1度まで、サーブを移動することができる。
『囲碁』
必要人数3人 持ち時間1時間(切れ負け)
ルール…1対1を3局同時に行う。通常の囲碁ルールに準ずる。
司令塔…任意のタイミングで1手助言しても構わない。
『将棋』
必要人数5人 持ち時間1時間(切れ負け)
ルール…1対1を5局同時に行う。通常の将棋ルールに準ずる。
司令塔…任意のタイミングで1手打ちなおせる。
『バレーボール』
必要人数6人 時間制限10点先取3セット
ルール…通常のバレールールに準ずる
司令塔…任意のタイミングでメンバーを3人入れ替えること
『社会テスト』
必要人数7人 時間50分
ルール…1年度における地理歴史と公民の学習範囲内尾問題集を解き合計点で競う。
司令塔…1問だけ代わりに答えることが出来る。
『現代文テスト』
必要人数8人 時間50分
ルール…1年度における学習範囲内の問題集を解き合計点で競う。
司令塔…1問だけ代わりに答えることができる。
『英語テスト』
必要人数9人 時間50分
ルール…1年度における学習範囲内の問題集を解き合計点で競う。
司令塔…1問だけ代わりに答えることができる。
『数学テスト』
必要人数12人 時間50分
ルール…1年度における学習範囲内の問題集を解き合計点で競う。
司令塔…1問だけ代わりに答えることができる。
『ドッジボール』
必要人数18人 時間制限10分2セット
ルール…通常のドッジボールルールに準ずる。1勝1敗の場合はサドンデス。
司令塔…任意タイミングで、アウトになった選手を1人コートに戻すことができる。
・Cクラスリストアップ10種目
『タイピング技能』
必要人数1人 時間30分
ルール…タイピング技能『単語』『短文』『長文』の3つの科目で速さと正確性を競う
司令塔…試験中の気づいたミスを1か所だけ伝えても構わない
『数学オリンピック問題』
必要人数2人 時間1時間
ルール…数学オリンピックのレベルに準拠した問題を解き、2人の合計得点の高いクラスの勝利。
司令塔…任意のタイミングから持ち時間を使い最大1分間、解答者にアドバイスできる。
『走り幅跳び』
必要人数3人 時間30分
ルール…1対1を3回行い、2本先取。跳躍は1人3回で、最もいい記録を採用。ただし、2戦目は両クラス女子を選択しなければならない。
司令塔…1度だけ代わりに跳ぶことができる。
『水泳』
必要人数4人 時間30分
ルール…400メートルリレーで、タイムのいい方の勝利。
司令塔…相手の泳順を自由に指定できる。
『バスケット』
必要人数5人 時間制限20分(10分2回)
ルール…通常のバスケットボールに準ずる
司令塔…任意のタイミングでメンバーを1人まで入れ替えてもよい。
『弓道』
必要人数6人 時間40分
ルール…勝ち抜き戦で、相手クラスの参加者全員に勝ったクラスの勝利。
司令塔…相手の射手の順番を自由に指定できる。
『鬼ごっこ』
必要人数8人 時間制限8分×2セット
ルール…逃走者8人、鬼4人で、全員を捕まえるまでのタイムを競う。
司令塔…任意のタイミングで連続1分間、自クラスの鬼として、交代して参加できる。
『中国語検定準1級』
必要人数9人 時間1時間
ルール…合格レベルに達した生徒の多いクラスの勝利。同数の場合、最も高い得点を取った生徒のクラスの勝利。
司令塔…1問だけ代わりに解くことができる。
『野球』
必要人数10人 時間30分
ルール…各ポジション+指名打者。1回表裏のサドンデス形式。
司令塔…任意のタイミングで相手打者に申告敬遠を行える。
『サッカー』
必要人数11人 時間20分
ルール…通常のサッカーのルールに準ずる。ただしロスタイムはなし。同点の場合はPKによるサドンデス。
司令塔…任意のタイミングで4人まで交代できる。
1
「なるほど……やはり、あなたはかなり警戒されているようね」
月曜日の朝。
Aクラスによりリストアップされた10種目を見て、堀北がそうつぶやいた。
「というと?」
「勉強系の種目は、どれも参加人数が多めに設定されている。あなたが参加した場合に、出来るだけその影響力を軽減するためでしょうね」
「ああ、そういうことか……」
とすれば、どうやら俺の得意科目は数学らしい、という情報はAクラス内で共有されていたと考えられる。数学の参加人数が他と比べて少し多いのが証拠だ。
情報源は恐らく藤野だろう。
「だが、参加人数が多めなのは、ある種自信の表れでもあるんだろうな」
「そうね。総合学力なら負けない、という自信。中々厳しい戦いを強いられそうね……」
どれだけ頑張っても、あと1週間で総合学力をAクラスに追いつかせることはできない。俺たちにできるのは、少数の科目に絞って人員を割き、勝ちを拾うこと。それは同時に、リストアップされた種目のうち、1、2種目は捨てる必要があるということでもある。
「……」
それにしても……気になるな。
Aクラスがリストアップしてきた、『チェス』という種目。
この中では、司令塔の関与の度合いが圧倒的に強い。
1時間切れ負け、司令塔が30分関与可能ということは、実質的に試合の最大半分が司令塔によって進められることになる。
坂柳から清隆への果たし状……という風にも受け取れる。
もしくは、チェスは確定、と思わせて本命から目を背けさせる狙いか……いや、その線は薄い。坂柳とチェスの組み合わせは、以前耳にしたことがある。
それに、坂柳のあの気質。恐らく、目を付けた清隆との対決をチェスで行い、白黒つけるのが狙いだろう。チェスだけに。こんなところでブラフを仕掛けるとは考えにくい。
目を付けた相手には、全力を出させ、そのうえで叩く。それが坂柳だ……と、俺は思っている。
「スポーツ系はドッジボール、バレーボール、バドミントンの3つ……思ったよりも多かったわね。バドミントンはともかく、ドッジボールとバレーボールは、選ばれたら2周目に入ってもおかしくない人数設定だわ」
バレーボールは交代要員含めて9人、ドッジボールはなんと18人だ。
「当然、10種目全てに私たちは全力を注がなければならない。言うのは簡単だけれど、かなり難易度の高いことよ」
自分たちのクラスの5種目、それぞれに誰が参加するのかは既に把握しているとしても、相手のリストアップした10種目のうち、どの5種目が「本命」なのかは当日まで分からない。
相手の10種目のうち、どの種目が、いくつ、どのような順番で試験で採用されるか。その場合の数はなんと36090通りにも及ぶ。もちろんすべてを検討するわけではないが、それを考慮してもどれほど多くの事象に頭を回さなければならないかが、この数字に表れている。
「なあ堀北。俺たちもAクラスの情報を取りに行くべきじゃないか」
先日の綾小路グループと同じように、啓誠が堀北に告げる。
「お前の言う通り、10種目全部を網羅するのは厳しすぎる」
「けれど、Aクラスが簡単に情報を流すとは思えないわ」
「そのうえでやるんだ。たとえ失敗しても、俺たちへの不利益はないはずだ。情報戦をすることは禁止されてないんだ」
「あなたの言うことも理解はするわ。でもいまは、相手の種目を受けての自分たちの戦力を確認するのを優先させて」
そう言って堀北は教室全体へ向き直り、チェス、囲碁、将棋の経験者を募った。
清隆はチェスに覚えがあるらしいと聞き……先ほどの俺の予想は、確信へと変わりつつあった。
2
「少しいいかしら」
「……ん?」
昼食時間。綾小路グループと過ごそうと席を立ったとき、堀北に呼び止められた。
「あなたの意見を採用して、この10種目にしたけれど……何が狙い?」
「ああ、その話か……」
俺は先日、堀北に連絡を取り、リストアップする10種目に少し茶々を入れさせてもらった。
「簡単に言えば、情報戦だな」
「情報戦? 確かに、10種目のリストアップには、ブラフの種目を仕込むとか、そういう側面はあるけれど……」
「もちろん、これで終わりじゃない。少し仕掛ける。Cクラスの勝率を上げるために」
情報戦は、何も相手の種目を探るだけがやり方ではない。
相手に、自クラスの本命の種目を悟られないこと。間違った種目を本命と思わせること。戦力を見誤らせること。これらも立派な情報戦だ。
「……具体的には何をするの?」
「それは今夜メールで伝えるから、部屋で読んでくれ」
「……分かったわ」
堀北に限って可能性はかなり低いが、万が一端末を盗み見られることを警戒しての措置だ。
俺の言葉に納得し、その場を離れた堀北は、今度は啓誠に呼び出され、そっちへ向かっていった。
清隆も含めて、3人でどこかへ行ってしまう。
「……今日の昼食は、グループでは食べないのか」
そう考えたが、明人、波瑠加、愛理の3人が一緒にいるのを見つけ、そちらへ合流する。
「ゆきむーたち、何しに行ったの? 堀北さん何か言ってた?」
「いや、何も聞いてないが……たぶん、朝に啓誠が言ってた、Aクラスの情報を取る、ってのに関することじゃないか」
「そうか。じゃあ、2人には悪いが先に食べ始めるか」
「そうだねー。いつ戻ってくるかわかんないし」
5分ほどで戻ってくるかもしれないし、10分、20分とかかるかもしれないが、先に食べ始めていてもあの二人から文句は出ないだろう。
4人で昼飯を広げ、食べ始める。
「次、体育だよね。やっぱり試験の練習になるのかな」
「多分、だろうな」
早朝や放課後は部活動の練習があるため、体育館は使用できない。体育の授業は、一般生徒が唯一気兼ねなく体育館を使える時間だ。これを利用しない手はない。
「でもさ、私たちのグループ、体育の時間中暇なんじゃない?」
清隆は司令塔。俺と啓誠は勉強系、明人は弓道、波瑠加も愛理も運動は得意ではない。
実を言うと、須藤にはかなり早い段階で「バスケに出てくれ」と頼まれたりしたが、勉強系に出てくれと堀北に頼まれた、と言うとすぐに引き下がった。冷やしそーめんレベルのあっさりさに少し驚いた。まあ、向こうもダメ元ではあったんだろうけど。
その面だけを見れば波瑠加の言うことも一理あるが、話はそう単純ではない。明人が反論する。
「だからって、サボるわけにもいかないだろ。一応、授業態度もクラスポイントに影響するんだぞ」
「ま、それはそうなんだけどさ」
「それに堀北も言ってただろ。人数の関係で、絶対に参加しなきゃならないってケースもあるんだ。ドッジボールの練習とか、できることはあるだろ」
「ドッジボールかあ。私苦手なのよねー」
明人のまっとうな指摘に、うんざりした様子の波瑠加。
愛理もドッジボールなんてとんでもない、といった感じだろう。
かなり失礼なことだが、ドッジボールで躍動する愛理を想像すると、あまりにも現実的じゃなさ過ぎて少し笑いそうになってしまう。
「教室とはいえ、どこで聞き耳立てられてるかわからないし、試験の話題はあんまり出さない方がいいと思うぞ」
「そうだな。話題を変えよう」
そのやり取りを皮切りに他愛もない雑談に興じていると、数分して、清隆と、少し不満顔の啓誠が教室に戻ってきた。
堀北との話し合いは上手くいかなかったようだ。
3
放課後。俺は部活へと向かう須藤に、廊下で声をかけた。
「ちょっといいか」
「おう、なんだよ速野」
俺は周囲を見渡し、近くにAクラスの生徒がいるかどうか、十分に注意して確認した。
そして声を少し潜め、須藤に言う。
「明日の夜9時半ごろ、寮のロビーに来てくれ」
「あ? ……なんでだよ」
「ここじゃ詳しくは言えない。頼む。試験に関することだ」
「……わあったよ。ただ、部活で疲れてるからよ。手短に頼むぜ」
「善処する」
恐らく、期待には沿えないだろう。部活後の須藤には少し酷なことを頼むつもりだ。
試験が終わったら、なんか奢ってやろうか。
「あ、速野くん」
須藤と別れて廊下を進んでいると、待ち合わせの相手、藤野がこちらに小さく手を振ってきた。
軽く会釈してそれに答える。
「じゃあ、いこっか。いつものスーパー」
「ああ」
先日、平田と遭遇した日は1人で買い物に行ったが、それはたまたま予定が合わなかっただけだ。試験が始まってからも、食材の買い出しを藤野と行うことを避けているわけではない。
会話の中での、特別試験に関する情報の探り合いはお互いに許容、というルールだ。ただ、お互いにガードが固く、探っても恐らくはほぼ無意味のため、形骸化しているルールではあるが。
「そういえば、俺が数学が得意って話は、クラスに共有したのか?」
「うん、坂柳さんに聞かれたから。速野くんも、私がバレー経験者だって話はしたでしょ?」
「まあな」
夏休みのプールに堀北は同行していたため、元々知っていたとは思うが。
藤野は成績もトップクラスだ。もしもバレーがダミーの種目だとしたら、恐らく勉強系に出てくるだろう。
各科目とも、学力のブレが非常に小さい藤野。若干ではあるが文系科目が得意、といった印象だ。これも堀北には話を通してある。
藤野が出てくるとしたら、バレーか文系科目だろう。
「うぉっ!」
「え、は、速野くん?」
校舎を出て少ししたところで、急に強い力で左腕を引っ張られた。
その犯人は他でもない、堀北鈴音である。
「なんだよ……脱臼したらどうする気だ」
「そこまで強くは引いてないわ。それに利き手と逆を引っ張ったから、勉学に問題はないはずよ」
「大ありだっつーの……で、何の用だよ」
「あなた、分かってるの? 藤野さんは敵なのよ?」
俺が藤野と行動を共にしていることが気に入らないらしい。
「ああ、分かってるよ。でも敵だからこそ、もしかしたら情報を得られるかもしれないだろ」
「それは、そうだけれど……リスクも大きいわ」
「承知の上だよ。細心の注意を払ってる。何ならお前が監視すればいい。ここにいるってことは、お前も食材の買い出しなんだろ?」
「……彼女が承諾するの?」
「するだろ、多分」
藤野が断る光景は思い浮かばない。
少しの間考え込む堀北。
「……いえ、やめておくわ。もう止めはしないけれど、くれぐれも注意して」
「分かってる」
そして、堀北は早歩きで俺、そして藤野の横を通り過ぎて行った。
賢明な判断だ。もしあそこで「ついていく」と答えていたら、全力で止めていたところだ。
Cクラスの情報を最も握っているのは、現在リーダーである堀北だ。
何も知らない人物から情報が漏れ出ることはない。逆説的に、多くを知る人物であるほど、情報が洩れるリスクが高い。
堀北はいわば、Cクラスのセキュリティホールなのである。
もちろん、堀北が簡単にボロを出すとは思わないが、リスク評価の上では堀北の危険度は相当高い。
「堀北さん、だよね。よかったの?」
「ああ。ボロを出すなって念を押されたよ」
「あはは、そっか」
冗談めかして笑う藤野。
引き続き、スーパーに向かって歩を進める。
4
日付が変わるギリギリの時間帯。
バスケットボールを持った俺は、タオルで汗を拭きつつ、寮の自室に帰ってきた。
ここ最近は、2日に1回ほどのペースでこのようなことを行っている。
試験に向けての勉強の息抜き……というわけではない。
いや、そういった側面も無きにしも非ずだが、それが主目的の行動ではない。
「さて……」
既に夕食は済ませているため、ここからシャワーを浴びて歯を磨き、寝る。
その前にまず、軽く作業を行ってから。
完了するまでには2,3時間かかるだろうが、人の手が必要なのは最初だけだ。あとは寝ている間に勝手に終了する。
端末を確認すると、堀北からの返信が来ていた。
取り敢えず、俺の提案に反対というわけではないらしい。まあ、だいぶ前から布石は打ってあったし、今さら反対されてもどうしようもないことではあるんだが。
付け加えて、電話しろ、と書いてあったので、とりあえず指示通りに電話をかける。
かなり遅い時間だが、意外にもすぐに出た。
「もしもし。電話しろって書いてあったからしたぞ」
『遅かったわね』
「時間の都合上な」
『そう……それで、順調なの?』
「ああ、今のところは。それに少なくとも観測範囲では、バレてる様子はない」
『ならいいわ。今後も秘密裏に続けて』
「ああ。要件はこれだけか」
『ええ。メールよりも時間がかからないと思ったから電話にしただけよ』
「そうだったか。じゃあ、こっちから一つ聞いていいか」
『何かしら』
「昼休み、啓誠と清隆と、3人で何か話してただろ。なんの話題だったんだ?」
『啓誠とは、幸村くんのことかしら』
「ん、ああ、それであってる」
そうか。公式的には啓誠の名前は幸村輝彦だったな。堀北が確認したのも至極まっとうな行為だ。
『幸村くんから、葛城くんを利用してAクラスの情報を探ろう、という提案があったのよ』
「……なるほど」
やっぱり、啓誠の案は葛城の利用だったか。
「で、お前はそれを蹴ったんだろ?」
『ええ。彼は納得していなかったみたいだけれどね』
あの不満顔は、確かに全然納得いってないだろうな。
葛城を利用する策は、たとえ実行に移してもほぼ確実に失敗に終わるだろう。
あいつが戸塚退学の件で坂柳に恨みを持っていることは事実だ。
しかしその恨みが、Aクラスの情報を敵にリークする、という方向に作用することはない。
葛城はこの試験、手を抜くことなく全力をもって戦うはずだ。
『それがどうかしたの?』
「いや、別にどうってことはない」
上記の理由で、俺が聞いててもその策には反対しただろうからな。堀北の決断に文句があろうはずはない。
「要件はこれだけだ。じゃあな」
『ええ。おやすみなさい』
通話が切れると同時に、俺は端末の充電を開始し、作業を始めた。
必要人数が被らないように10種目設定するの、難しいですね……結構悩みました。
オリ主の影響で、種目や人数の設定に若干の違いが出ています。
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ep.88
1
「ふぁー……」
寮のエレベーターを降りると同時にあふれ出すあくび。
ここ最近、少し睡眠時間を削って特別試験へ向けての対策を行っている。
勝つためにはやむを得ないことだ。そのため文句はない。
しかし、試験直前までこの状態ではさすがにまずい。この土日はしっかりと睡眠をとることにする。
「あ、おはよー速野くん!」
ロビーの自動ドアを通り過ぎたところで、後ろから名前を呼ばれた。
「……一之瀬か。ああ、おはよう」
「う、うん、おはよ」
第一声の威勢はよかったのに、俺の隣に来た途端、なぜか少しトーンダウンする一之瀬。そのことはあまり気に留めず、二人並んで学校へと歩を進める。
一之瀬との距離は1メートル弱。この距離にいて、気づいたことが一つある。
……今日はあの香水、つけてないんだな。
俺としては非常にありがたい。
まあ一之瀬にとっては俺のそんな心情など知る由もなく、単純につけ忘れたか、飽きたかのどちらかだろう。
どんな理由があるにせよ、くしゃみを連発せずに済むのはいいことだ。
一方的な感謝の気持ちをこめて一之瀬に視線を向けると、なぜか歩きながら深呼吸していた。
「……どうしたんだ、深呼吸なんてして」
「えっ!? あ、その、く、空気がおいしいなあーって、ね。にゃはは……」
一之瀬の言っていることもわからないではない。
3月中旬。春の足音が明確に聞こえ始める今日この頃。しかし登校時間、まだ8時を回っていない時刻の空気はひんやりとしていて、冬の名残も感じられる。
それを心地よく感じる人は少なくないだろう。
まあ一之瀬の反応からして、いまのは何かを誤魔化すための方便なんだろうが、結局一之瀬がなんで深呼吸をしていたのかは分からずじまいである。
一之瀬は話題の転換を図るため、俺に質問を飛ばしてくる。
「え、えーと、試験は順調?」
「ん、まあ、見える範囲で特に問題は起きてないが」
坂柳がなにかを仕掛けてきている様子はないが、それはあくまでも現時点、そして俺の観測範囲での話。
こちらが気付かないうちに布石が打たれている可能性も捨てられない。その場合はもう、相手が一枚上手だったと思うしかないだろう。
「そっちはどうなんだ。あれ以降、Dクラスからの嫌がらせはあったか?」
そう問うと、一之瀬の表情が少し曇る。
「実は……ひどくなってるんだよね」
「……本当か」
「うん。まだ暴力沙汰とかにはなってないんだけど……前よりも絡み方がきつくなってきてる」
「なるほどな」
「多分、昨日の10種目発表を基準にして、動きを強めるのが元々のDクラスの作戦だったんだと思う」
「陽動も継続して、あわよくば情報を、ってところか」
頷く一之瀬。
「そういえば、Dクラスのリストアップした10種目はどんな感じだったんだ?」
「ほとんどが格闘技系の種目。空手とか、柔道とか。だから正直、私たちも安全圏とは言えない状況だよ。ある程度こういう種目が来ることは予想してたけど、ここまで振り切った種目選択をしてくるなんて……」
「……」
それはまた随分と思い切ったな、Dクラスは。
「でも、これはプラスにも考えられる。ある程度切り替えることができるからね」
「……まあ確かに、そういう側面もあるな」
Dクラスの種目は格闘系、と、ある意味で簡単に片づけられる。
それに、空手や柔道なんてメジャーな競技であっても、通常、経験者はクラスで1人2人いればいい方。そんな格闘系種目を10種もひねり出したのだから、ほとんどは素人対素人の対決になることが予想される。
となれば、技術うんぬんではなく、純粋な体の強さがモノを言う。Dクラスの種目での対決はその方面に向いた生徒に任せて、残りの人員は自クラスの種目に集中できる。
こう考えれば、プラスの面もないことはない。
しかし、そう楽観視ばかりしてもいられないだろう。
一連の陽動作戦に、極端な種目選択。
前者はまだしも、後者のような作戦を、石崎や金田が選択する、いや、選択できるとは考えにくい。
このような強い判断力を要する作戦を実行できる、Dクラスの生徒。
頭の中でチラつく、龍園の影。
一之瀬は、そしてBクラスは、それを感じ取ることが出来ているか。
そして……試験当日、龍園が司令塔として登場する可能性に、思い当たっているかどうか。
もし、そのような事態に向けての準備ができていなければ……
Bクラスが食われる可能性も、十分にあるだろう。
2
「なんの動画見てるんだ、知幸」
「ん? ああいや、ちょっとな」
動画の再生を止め、声をかけてきた明人に向き直る。
「何か用か?」
「いや、大したことじゃない。今日はグループでの昼飯がないからな。個別でお前と食べようかと思って誘いに来た」
「ああ、そういうことか……」
素直に嬉しい誘いだ。当然、拒否する理由はどこにもない。
「構わないぞ。どこで食うにしても、俺は自前の弁当になるが、それでよければ」
「なら、学食でも行くか。あそこなら悪目立ちもしないだろ」
「分かった」
学食では、コンビニで買ったものを持ち込んで食べている生徒や、俺のように自前の弁当を用意して友人と食べている生徒もいる。今の俺たちにはもってこいのチョイスだ。
弁当を持って立ち上がり、明人とともに教室を出る。
「毎日弁当作るの、大変じゃないのか」
俺の手元の弁当を見て明人が言う。
「この弁当自体は別に大変ってことはない。夕飯の残りを詰め込むだけだからな。ただ、その夕飯づくりが億劫なことはある」
「なるほどな。確か、スーパーで無料の食材買ってるんだっけか」
「いつポイントが必要になるかわからないからな。当初から増えたとはいえ、俺たちの支給額は多いわけじゃない」
「まあ、それはそうだが……知幸に限っては、スキーの報酬で結構入ってきただろ。それでも続けられるメンタルがすげえと思うぜ。俺には真似できない」
「ドケチなんでな」
「はは……」
乾いた笑い声を発する明人。
いや、ふざけているようで、実際これは割と真理に近かったりする。
以前坂柳に言われた通り、俺はポイントに大きなこだわりを持っている。
恐らく異常と言ってもいいほど、俺は「カネ」というものに執着している。
「ドケチ」や「守銭奴」なんて言葉じゃ足りないくらいに。
「そういや、啓誠と清隆がどこに行ったか知ってるか?」
思い出したように明人が俺に言う。
「さあ……授業が終わった後、啓誠が清隆に声かけに来てたから、もしかしたら一緒にいるかもしれないが……どこにいるかまでは」
「そうか……」
俺があいまいな答えを返すと、考え込む様子を見せる明人。
「まあ廊下歩いてたら、偶然すれ違うこともあるんじゃないか」
「それもそうかもしれないな」
2人の居場所についてこれ以上は何もわからないだろうということで、話題は別のものへと転換していく。
明人には悪いが、いまのは嘘だ。この廊下を歩いていても、恐らくあの二人とすれ違うことはない。
あの二人はいま、人目のつかない場所にいて、葛城と交渉し、なんとかAクラスの情報を引き出そうとしている。啓誠は清隆に声をかけたとき、その用件の詳細を俺には悟られないよう、声を潜めて話していたが、表情や雰囲気、そしてわざわざ俺に隠そうとしたことからも推測できる。
清隆も同行している理由は恐らく、啓誠が少々強引に誘ったからだろう。
気の毒にも、全くもって無駄な労力であることをかけらも認識しないまま、啓誠は動いている。
しかし、俺にそれを止めることはできない。
葛城の篭絡が不可能である決定的な理由は、本来俺が知るはずのないものだからだ。
そうこうしているうちに、目的地である学食に到着した。
適当に二人分のまとまった空席を見つけ、立ち上がる用事のない俺が二人分の席取りを行う。
「じゃあ、注文してくる。先に食べ始めてていいぞ」
「ん、ああ。じゃあそうさせてもらう」
ただ、いつもの速度で食べ進めたら、明人が戻ってくる前に弁当箱は空になっているだろう。
少しペースを調整しよう。
3
ホームルームが終わり、放課後。
いつものように、平田は席を立ち、そそくさと帰宅しようとする。
それを止めたのは、堀北だった。
「待って平田くん」
堀北の呼びかけ。今の平田なら無視する可能性もあったが、声に反応して教室の入り口付近で立ち止まった。
「今回の試験、私はあなたに出番を与えるつもりは毛頭ない。けれどそれはCクラスの種目での話よ。今のあなたの状況を知ったAクラスが、大人数での種目を採用して、強制的にあなたを表舞台に立たせてくる可能性もある。そうなったとき、あなたはどうするの? 最低限の働きはしてくれるの? それとも、無気力に私たちの足を引っ張る?」
堀北の問いは重要だ。平田がある程度計算のできる働きをするか否かで、状況は大きく左右される。
正直言って、平田の状態がこのまま改善を見ず、尚且つAクラスが平田を強制的に引っ張り出す種目選択をしてきても、やりようはある。
すなわち、俺の出る「数学オリンピックレベル問題」に参加させればいい。
たとえ平田が0点だろうと、俺には勝てる自信がある。元々、俺以外の生徒が0点だとしても勝てる最大人数設定は何人か、という問いに対して出した答えが「2人」だからだ。このケースでは、それが平田であるというだけのこと。さしたる問題ではない。
しかし、それはこの種目が選ばれればの話だ。それに選ばれたとしても、順番が最後の方であったら、その前に参加人数が一周してその中に平田を参加させざるを得ない、という場合も十分にあり得る。
その点で、この試験における平田の姿勢はとても重要だ。
しかし、平田は口を開こうとはしなかった。
「……答えてはもらえないのね」
堀北の諦めの声とほぼ同時に、平田は向き直り、教室を出て行った。
「ま、待って! 平田くんっ!」
無言で立ち去る平田の後を追って、王も教室を出ていく。
それを見て、最近王の目付役のようになっている清隆も、教室を出て行った。
Cクラスで平田にあれほど積極的に関わろうとする生徒は、もはや王を措いて他にはいない。
王も、先日あれだけ明確な拒絶を受けた。普通ならその他大勢と同じように、しり込みしてもいいはず。しかし王は尚も平田に手を差し伸べようとする。
その様子が、どこか入学直後の櫛田と堀北の様子に重なった。
しかし、内実は大きく異なる。
あの時の櫛田は、堀北の懐を探るために近づいていた。
だが今の王はそのような裏などなく、純粋に平田が元通りになることを願って動いている。
そんな王を、堀北はもう止めなかった。
恐らく、王の役割が「中国語」で完全に固まっているからだろう。
「もう試験まで時間がないわ。私もまだ、彼が元に戻ることを諦めたわけじゃない。けれどこの試験に限っては、彼は完全に機能しないものとして扱わざるを得ない。それで構わないわよね?」
今の平田の状況を見て、堀北の発言に首を横に振る生徒は出てこなかった。
それは、今まで必死に平田に手を差し伸べてきた女子生徒たちも同様だった。
平田を完全に切り捨てる。
それが特別試験での最善策だと、仕方のないことなのだと誰もが理解していながらも、クラスの雰囲気はどうしようもなく悪化していく。
4
平田と王が教室を出て行って、40分ほどが経過したころ。
教室でのグループチャットを使っての話し合いは終わり、今日のところは解散となった。
何人かは教室に残って友人と雑談している様子だったが、当然その中に俺が入ることはなく、一人で寮へと向かう。
下駄箱で外履きに履き替えたちょうどその時、ポケットの中の端末がバイブレーションを起こした。
「……なんだ」
バイブレーションは1度で途切れたため、それが電話ではなく、メールかチャットの通知であると理解する。
校舎を出てから端末を確認すると、清隆からチャットのメッセージが届いていた。
「平田を探すのを手伝ってくれ……?」
要領を得なかった俺は、返信ではなく、清隆に電話をかける。数コール置いて、清隆は出た。
「おい、どういうことだあれは」
『メールは読んでくれたのか』
「ああ、読んだよ。その上で説明を求めてるんだ」
『読んで字の如くだ。あの後、寮のロビーで平田、王、高円寺の間でちょっとしたゴタゴタがあってな。平田はまだ外にいるはずだから、探すのを手伝ってくれ』
そのゴタゴタの内容を聞きたいところだが、電話口で説明することじゃないか。あとで聞けばいい。
「……構わないが、俺にも試験勉強がある。5時半までに見つからなければ、俺は諦めて帰るぞ」
『十分だ。頼む』
電話を切り、端末をポケットにしまう。
さて、平田の居場所か。
いまのあいつの行動原理は、とにかく人の目に触れないことだ。
とすると、通学路や、放課後に賑わう傾向のあるケヤキモール付近にはいないはず。
俺と出くわした経験から、食品スーパー付近にもいないだろう。
寮からの移動経路のうち、人通りの少ない場所といえば……まず思い浮かぶのは、通学路と真反対の位置にある、バスケットコートへと続く道。俺がよく利用している場所だ。
二度手間を防ぐために清隆に確認をとると、その場所は既に捜索済みで、平田はいなかったとのこと。
なら、通学路でもバスケットコートの方向でもない場所に絞って探すとするか。
俺は通学路を外れて、普通に生活をしていればあまり利用することのないであろう道を歩く。
数百メートルほど歩いただろうか。俺は反り立つ高い壁に行き当たった。
これは、高度育成高等学校の敷地の境界。つまり、この学校の最も外側だ。
普段利用する人なんてほとんどいないだろうに、しっかりと歩道、街灯が整備されている。
そして、一定間隔でベンチも設置されていた。
俺はその中に、腰掛けている人を一人見つけた。
「……」
間違いなさそうだな。
学校のマップから位置情報をコピーし、清隆に送信。
すぐに既読がつき、返信が来た。
謝辞、すぐに行く、そして、その場で待っていてくれ、と書いてあった。
「……マジかよ」
正直気は進まない。このまま帰りたいというのが本音だが。
平田と清隆の間で繰り広げられるやり取りが気にならないと言えば、嘘になる。
ただ、あの二人の間に俺が入っても大丈夫なのか、という疑問はある。
そこは清隆が何とかするのか。
いやまあ、単純に平田がどこかに立ち去らないか見張らせてるだけ、って可能性もあるか。
それならそれで、清隆が来た時点でありがたく帰らせてもらうだけだ。どっちにせよ、今はあいつが来るのを待つことにする。
数分して、清隆が到着。
会話はせず、アイコンタクトで最低限のやりとりを行い、2人で平田の元へと向かう。
俺は清隆の3歩ほど後ろを歩く。
「平田」
「綾小路くん……と、君もいるのか、速野くん」
「知幸には、お前を探すのを協力してもらってたんだ。平田、少し時間を貰えないか」
どうやら、俺を帰す気は清隆にはないらしい。
ここでのやり取りを見届けろ、ってことか。
もしそうなら、清隆は最初から俺に見せるために、わざわざ平田の捜索を俺に頼んだわけだ。
相変わらず回りくどいやり方をするもんだ。
「……君だけは、僕に何もしてこないと思ったんだけどね。正直いって、失望したよ」
「悪いな。本当に嫌なら、みーちゃんみたいにオレを突き飛ばすか?」
みーちゃん、とは、王の愛称だ。
平田が王を突き飛ばした。清隆の言っていた、寮でのゴタゴタの一端か。
精神的に、本当に限界が来てたんだろう。
スーパーの店内で見たときも酷かったが、そのときよりさらに顔色は悪いし、やつれている。
「時間、だったね。構わないよ。というよりもう、僕には逃げる気力なんて、残ってないからね……」
平田も、俺をこの場から排除しようとはしなかった。
平田の隣に清隆が腰掛け、その隣に俺が腰掛ける。
3人掛け用のベンチらしく、ジャストサイズだったのが、逆に少し気持ち悪かった。
「それで、話って何かな」
どこか諦めたように、清隆に促す平田。
「平田。……お前の話を聞かせてほしい」
「……っ!」
返ってきたのは、意外な言葉。
そして、平田にとっては強烈なインパクトを持った言葉だった。
「君は……君たちは、いったい、どこまで……」
力の入らない顔を思い切り強張らせ、驚愕しつつ俺と清隆を交互に見る平田。
「……想像はついてると思うけど……僕はいろんな人から声をかけられたよ。でも、みんな口をそろえて、僕は悪くないとか、あんなことをした山内くんが悪かったとか……そんなことばかりを言ってきた。みんな、僕を気遣ってのことなんだろうけど、正直言って、苦痛でしかなかったよ」
みんな、平田を気遣った。
しかし、平田は自身への気遣いなど望んではいなかった。
「……君で3人目なんだ、綾小路くん。僕に声をかけてきた人で、そんなことを言わなかったのは。一人は高円寺くん。それは君もみていたよね」
再び出てきた、先ほどのゴタゴタの話。
俺はその場にいなかったので、どのようなやり取りがあったのかは全く分からない。
だがもし高円寺が平田に声をかけたとしたら、励ましとか、そんな言葉を投げかけるはずがないことくらいは想像がつく。
「もう一人は……そこにいる、速野くんさ」
平田の口から出る俺の名前。
「……そうなのか」
清隆は当然、そのことを知らない。
「……速野くんはこう言ったんだ。僕が腹に抱えてるものを、誰かに吐き出せ、ってね。そしたら、君は僕の話を聞きたいと言ってきた。まるで示し合わせていたみたいに……」
平田はそう言うが、もちろん俺と清隆が示し合わせていた、なんて事実はない。
しかし、掴んでいた解決策の糸口は、同じようなものだったのだろう。
俺は口を開く。
「平田、お前、俺が声をかけたときに言ったよな。俺に何が分かるんだ、って。それは裏返せば、誰かに自分のことをわかってほしい、って欲求の発露だったんじゃないのか」
それはきっと、普段じゃ自分でも気づかない深層心理。
だが、本当に誰にも知られたくないことなら、そもそもその存在を相手に仄めかすような言葉遣いはしない。
「お前に何が分かる」というセリフは、相手への拒絶と同時に、心の奥深くから漏れ出たSOSのサインでもあるのだ。
「改めて言う。平田、お前の話を聞かせてくれ。お前はずっと、何を考えてたんだ」
清隆の顔は、平田を正面から捉える。
こちらからは、清隆の表情を見ることはできない。
しかし、それを見ている平田の目には……明確な恐怖が浮かんでいた。
そして少しずつ、言葉を紡ぎ始める。
「……中学のころ、昔からの親友がいじめの被害にあった、って話は、綾小路くんにはしたよね……?」
「ああ。杉村だったな」
「よく、覚えてるね……そう、そして僕はいじめのターゲットが自分になることを恐れて、彼に何もしてあげられなかった……」
普通の公立中学では、いじめはありがちな話ではあるかもしれない。
俺の中学でもいじめ自体は存在していた。俺もそのターゲットになったことはあったが、全く気にせずひたすら無視していたら、その連中は飽きたのか、ある日を境にピタリと止んだ。代わりに別の奴がいじめを受けたが、俺は何もしなかった。する余裕もなかった。
ただ、親しい友人がその被害にあうことは、自身が被害にあうこととは違った難しさがあるだろう。
「それが、今のお前の状態に関係しているのか」
「そう……ともいえるね。でも、この話には続きがあるんだ……」
段々と、平田の表情に苦しみが表れてくる。
「彼はそのいじめに耐えかねて……飛び降り自殺を図ったんだ」
平田が告げた衝撃の事実。
いじめによる自殺。メディアで取りざたされることはあるが、それは画面越し、或いは紙面越しの他人事だった。
まさか、こんな身近にその経験者がいたとは。
「図った、ってことは……」
「うん。一命はとりとめた。けど……今でも、彼の意識は回復しないままだよ」
所謂植物状態、というやつか。
「いじめを行った人たちを、僕は絶対に許せない。でもそれと同じくらい、何もしようとしなかった自分自身のことも許せないんだ」
「その罪の意識が、この学校でのお前の行動を動機づけていたのか」
「……確かに、その面もあるね。でも、正確には少し違う」
平田の話は、これで終わりではないってことか。
「思い出すだけでも、嫌な話なんだけどね……彼が自殺を図ってしまった後、次は僕のクラスメイトが、いじめのターゲットになったんだ」
いじめは人の命を奪いかねない。そのことが心に刻まれ、いじめはなくなると思うのが自然だ。
しかし、現実はそうではなかった。
「人間の底知れない、恐ろしい闇を見たよ。あんな悲惨なことがあっても、いじめがなくなることはなかった。それどころか、今までいじめに加担していなかった人まで、いじめを行うようになってしまった」
怒りに打ち震えるように、強く手を握りしめて話す平田。
だがそいつらの行動はある種、防衛本能ともいえるかもしれない。
傍観者のままでいて、いじめのターゲットにされるリスクを負うくらいなら、いじめの加害側になってしまった方がいい。そういう心理が働いたのだろう。
自殺者が出たのに、ではなく、自殺者が出たからこその帰結。もちろん、そうでない快楽要因もあるだろうが。
「絶対に止めなきゃだめだと思った。もう二度と、あんなことは起こさせてはいけない……。その一心で、僕はある行動をとったんだ」
ある行動、とぼかして表現されたもの。
俺には覚えがあった。
「……まさか」
思い出される先日の光景。
俺が声をかけた際に、最終手段として平田が頼ろうとしたもの。
「暴力による恐怖で、そのいじめの連鎖を断ち切ろうとしたんだ」
やはり、そういうことか。
俺もあの時に感じた。あれは単なる脅しじゃない。本気で暴力に訴えてくる人間、暴力を使いなれた人間の目をしていた。
「もちろん、僕は喧嘩自慢ってわけじゃない。でも人間、本気で暴力を使える人なんてそうはいない。一切の容赦なく拳をふるう僕に、逆らえる人はいなかったんだ。そして実際に、学校からいじめはなくなった」
いじめは、集団内のカーストの上位、下位、つまり不平等が存在することによって発生する。それを平田は、自分一人を上位に、そして下位にそれ以外の全員を平等に置くことで排除しようとした。
荒療治だが、「合理的な」解決方法の一つではある。
「でも結果的に、僕の学年は壊れてしまった。ただ学校に来て、授業を受けて、帰る。ここ最近の僕のような生活を、全員で1カ月ほど送り続けたんだ。その後、全クラスが1度全て解体され、再編。そして卒業まで、厳しい監視の目がつき続けた。このことは、僕の住んでる地域の間では、ちょっとした事件扱いされていたよ」
明らかにされた、平田の過去。
なぜ平田が、あそこまでの平和主義者になったのか。
それは、このクラスから誰も取り残させない、ということと同時に、二度とあのような方法は取らない、という強い反省、後悔の念から来たものだったわけだ。
「クラスが山内を排除しようとする動きが、お前の過去と重なって見えたんだな」
「うん……。僕はあの試験に関して、ずっと沈黙を貫いていたかったんだ。もしまたあの時のようなことが起こってしまったら……なら、いっそ僕は何も知らない方がいい。いや、知りたくなかったんだ」
あの時平田は、「唯一納得できる形は、自然な形での投票で結果を出すこと」と言っていた。
あの発言に嘘はないだろう。しかし正確じゃない。平田が本音で望んでいたことは、「平田自身が、自然な形で投票は行われたと思うことができる形で、投票の結果が出ること」だったのだ。
しかし、堀北によって全てが白日の下にさらされた。結果山内が排除された。
平田の希望は全て裏切られ、そして絶望を味わった。
「僕はやっぱりダメなんだよ……今まで必死にリーダーのような顔をしていたけど、いざというときに僕は責任を逃れようとしたんだ。挙句の果てに、僕はまた恐怖でクラスを支配しようとした……絶対にやってはいけないと、分かっていたはずなのに……」
声はだんだんと震え、かすれていく。
このような背景を持つ平田に、励ましの言葉など響くはずがなかった。
山内を守れなかったことに絶対的な絶望を味わっている平田に、「平田は悪くない」なんてことを言うんじゃあだめだ。
ましてや、山内が悪い、なんて言うのはもってのほか。山内を排除しようとするその姿勢こそが、平田をこんな状態にしてしまったのだから。
「山内が退学したのは、堀北のせいでも、オレのせいでもない」
「分かっているよ。君たちを責めたりはしない」
清隆は外見上、単に坂柳に利用されただけの人物だ。どうしようもない。
そして堀北は、これからCクラスが上に上がっていくために何が必要かを考え抜き、非常に大きなリスクを背負って行動した。責められるべきものじゃない。
「もちろん櫛田のせいでもないし、知幸のせいでもない。山内に批判票を入れた生徒の責任でもない」
「ああ、そうだね……」
櫛田は山内に、あるいはその背後にいた坂柳に利用されていた。そして俺は少し相談を受けただけ。
山内に批判票を入れたことも、あの時点では当たり前の選択だった。山内を退学に追い込んだのはその批判票ではあるが、責任があるかと言えばそうではない。
平田はいま、必死に理解しようとしている。山内が退学したのは、他でもない山内自身の責任でしかなかった、と。
いじめられ、自殺を図ったという杉村を山内と重ねて捉えている平田にとっては、この思考は相当つらいものだろう。山内に責任を負わせることは、平田にとっては杉村に責任を負わせることと同じようなものだからだ。
もちろん、杉村と山内では置かれた状況が異なる。しかし、大勢がひとりを排除しようとする、という図式こそを絶対的な悪と考えている平田にとっては、そんな違いは意味をなさない。
悪かったのは山内。あれはどうしようもなかった。避けられなかった結末だった。そう思おうとしているのだろう。
しかし。
「お前なんだ平田」
そんな平田に、清隆がかけた言葉。
「……え?」
意味が分からない、と平田が聞き返す。
「分からないか? なら何度でも言う。山内が退学したのは、平田。全てお前の責任だ」
「なっ……!」
冷たく言い放つ清隆。それを受ける平田の目には、再び恐怖の色が浮かぶ。
「どうして僕が……! 打てる手は打ったよ! でも、あの時点で山内くんを助ける術は……」
「だがBクラスの一之瀬は、退学者を出すことなく試験を乗り切った」
「そ、それは……Bクラスは、ポイントを積み立てていたからこそできたことだ。入学して1カ月でゼロポイントになってしまった僕たちには、そんなことは不可能だった!」
「なら、それも含めてお前の責任だ。ポイントを積み立てていなかったことも、ゼロポイントになったことも」
「そんな……」
理不尽に、強く平田を責め立てる清隆。
「全員を守りたい、誰の脱落も許せないと、思うだけならそれはお前の勝手だ。だがその姿勢をクラス全員に求めるなら、全責任を負う覚悟が必要だ。その程度の覚悟もないなら、そんな幻想を追い求めるなんてできないし、その資格もない。何も考えずに『金持ちになりたい』なんて嘯いているのと変わらない」
細かな違いはあれど、やっていることは俺が一之瀬に対してやったことと似たようなものだ。
所々に極論を織り交ぜ、話を大きくし、相手に重圧を与える。ショック療法に近い。
相手に吹っ切れさせるのに有効な手法だ。
だがこれは、それをやられた相手が、与えられた重圧に押しつぶされるような器じゃない、と信頼していなければとることのできない方法でもある。
「全員を守りたいなら、戦うしかない。先頭に立って、前に進むしかない。その過程でもし誰かが脱落してしまっても、それは受け入れるしかない。お前が逃げたり、立ち止まったりしたら、それこそより多くの人が脱落していく」
「……僕は、立ち止まることすら、許されないのかな……?」
「そうだ。だがどうしてもダメなときは、周りに頼ればいい。前を歩くってことは、孤独になるってことじゃない。お前がくじけそうになっても、いや、実際にくじけてしまっても、お前の後ろについてきている人たちが、お前に手を差し伸べるはずだ」
人が転んでしまった時、それに気づくのはそいつの前を歩く人間じゃない。
そいつの後ろにいて、そいつの姿を常に見ている人間だ。
前を行く人間には、後ろの人間の支えを受ける権利がある。
「こんな……こんな弱い僕が……前を歩いても、いいのかな……?」
「いいんだ。お前が前を歩いていくべきなんだ、平田」
今までの平田は、良くも悪くもクラスの「まとめ役」に過ぎなかった。
極端な話、たとえクラスが負けようとも、平穏無事であればそれでいい。平田が表面上クラスの勝利を標榜していたのは、それがクラスをまとめるのに有効な旗印だっただけのことだ。
勝利を目指すためにまとめるのではなく、まとめるために勝利を目指す。一見自己目的化しているようにも見えるが、平田にとっては筋の通った行動だった。
しかし、今日からは違う。
「今のお前なら、前を歩いても大丈夫だ」
「っ……ありがとうっ……ありがとう綾小路くん……!」
清隆がしきりに繰り返している「前を歩け」の言葉。
これが、平田を「まとめ役」から、真の意味での「リーダー」へと昇華させるだろう。
これからも退学者は出る。
そのたびにクラスが機能不全に陥っては、この学校で生き残ることはできない。
何があっても、クラスの動きが滞ることがないように、清隆は平田という「不良品」を改良し、完成されたパーツへと変化させようとしている。
それこそが、このクラスが生き残る道だと踏んでいるからだ。
恐らく、清隆に平田への慈悲などありはしない。
平田というパーツの価値の高さを見込んでいるからこそ、このようなことを行っているんだろう。
大粒の涙を流す平田。
隣で平田の方にそっと手を添える清隆。
俺はその光景を、外側から、少し冷めた感情で見つめていた。
悩みに悩んで、結局こんな感じでオリ主を同行させました。
原作とほぼ描写が一緒なのはお許しください……
また、次話も少し間が空くと思われます。申し訳ありません。レポートやらの諸事情で……
今しばらくお待ちいただければ幸いです。
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ep.89
1
翌日から、平田は見違えるようだった。
教室に入ってきて開口一番、全員に謝罪。そして、これまでひどい扱いをしてきた王にも謝った。
この変わりように、はじめは全員戸惑ったが、すぐに「以前の平田が帰ってきた」と歓喜した。
正確には、以前の平田よりいっそう精神的に強くなってはいるが。
ともかくこれで、平田はCクラスの不安要素などではなく、心強い戦力になった。
Aクラスも、平田の復活は当然嗅ぎつけているだろう。
もちろん、平田は復活しない、なんて希望的観測に基づいた作戦を、あの坂柳が練っていたとは考えられない。
こちらも平田の復活に浮かれることなく、今日という日に向けてしっかりと準備を重ねてきた。
3月22日月曜日。特別試験本番である。
ホームルームは既に終了し、清隆は多目的室へと移動した。
「あなたの戦略が功を奏するかどうかは、かなり重要よ」
「そうだな。でも、お前も成功すると思ったから反対しなかったんだろ」
「それはそうだけれど……」
まあ実際のところ、あまり心配はしていない。
「あの種目」に関しては、恐らく地力でもこちらが上回っている。
あとは、どの種目が選ばれるか、運を天に任せるほかない。
2
場所は変わって多目的室。
公平を期すためか、進行役の教師は、対決クラス以外のクラスの担任が務めていた。
そのため、Aクラス対Cクラスの対決の進行役は、星之宮と坂上である。
二人から試験に関する一通りの説明を終え、いよいよ、試験開始時刻だ。
目の前のモニターには、司令塔である綾小路を除いたCクラス総勢38人の顔写真、そしてCクラスが用意した10種目が表示されている。
「では、本命として提出する5種目を選択してください」
坂上がそう告げた。
Aクラスからは「チェス」「社会テスト」「現代文テスト」「英語テスト」「バドミントン」の5つが、Cクラスからは「タイピング技能」「数学オリンピック問題」「バスケット」「弓道」「中国語検定準1級」の5つが、それぞれ選択された。
「予告通り、ここからは完全なランダム抽選で7種目を決定していきます。選ばれた種目は中央の大モニターに表示されます」
坂上の言葉通り、合計10種が選択され終わった直後、モニターの画面が切り替わる。
そして選ばれた第1戦目の種目は……
『バスケットボール』
Cクラスが選択したバスケットボールだった。
この特別試験では、自クラスが選択した種目での負けは絶対に許されない。
つまり、自クラスの種目が選ばれることは有利であると同時に、プレッシャーがのしかかるということでもある。
「坂上先生、生徒間での私語は自由なのでしょうか?」
参加生徒の選択のカウントが始まってすぐ、坂柳が坂上に問う。
「特に決まりはありません。ご自由にどうぞ」
「ふふ、そうですか。つまり、舌戦を繰り広げる分には何も問題はないということですね」
「ええ。その通りです」
「うっわー、さっすが坂柳さん」
学校側としては、対戦クラスの司令塔同士での舌戦も、特別試験の要素のうちであるという方針だ。坂柳の行動に問題点は一切ない。
「やはり、Cクラスが持つアドバンテージを有効に活用してきましたね。速野くん、王さん、須藤くん、三宅くん。どの種目に誰が参加するか、私たちに手の内を知られたうえでも勝てる種目を選んできた、ということでしょうか」
学校側からのお墨付きを得た坂柳は、容赦なく綾小路に言葉を投げかける。
しかし、綾小路は反応を示さない。
「余計なことは話すな、と堀北さんに念を押されましたか?」
「そうだ」
「フフ、ダメですよ綾小路くん。あなたはいま、Cクラスの作戦指揮は堀北さんがとっている、という情報を私に与えてしまいました」
「いや、それは……」
こんな調子で嬉々として饒舌になる坂柳に対し、常にしどろもどろな綾小路。この場にいる教師の目から見ても、2人の間の力の差は明らかだった。
しかし、これは2人の暗黙のうちの戦略。教師に対して綾小路の実力を隠すためのものだ。坂柳は、わけあってそれに加担している。
そこからは一度会話を打ち切り、互いにメンバー選定を進めていく。
Aクラスは「町田浩二」「鳥羽茂」「神室真澄」「清水直樹」「鬼頭隼」の5人。
Cクラスは「牧田進」「池寛治」「本藤遼太郎」「小野寺かや乃」「南節也」の5人。
「概ね予想通りの人選ですね。私たちAクラスが入れ込んだバドミントンへ向けて、須藤くんをあえてメンバーに入れず、温存を図る。彼の身体能力はかなりのものですから、バスケット以外に活躍できる種目がいくつあってもおかしくありません」
もしもAクラスが5種目すべてを学力系で固めていたら、綾小路は迷わず須藤を投入するつもりだった。須藤の出番はスポーツ系種目のみのため、温存する必要がないからだ。
しかし、バドミントンが入ってきたことで、そうもいかなくなった。Aクラス側はそこまで見越して、学力系で全て固めるのではなく、スポーツ系種目であるバドミントンを入れたのだ。
「ふふ、Cクラスの狙いが透けて見えるようです。司令塔の関与である『任意のタイミングでメンバーを一人だけ入れ替えることが出来る』。試合展開を見て、須藤くんを投入するためのものですね。非常に推測は立てやすかったですよ」
Cクラス側は須藤を温存することで優位に立とうとしていたが、坂柳にその狙いを完璧に看破され、逆に後手後手に回ってしまっている。
「簡単に勝ちを拾うことはできないでしょう。しかし、チャンスはありそうですね。私たちは最初からベストメンバーで挑みますから」
その言葉通り、坂柳が選んだ5人は、Aクラスのバスケットボールにおけるベストメンバーだった。
須藤がいるとはいえ、Cクラスは楽な戦いをさせてもらえない。
中央のモニターには、試合会場である体育館の映像が映しだされている。
両クラスとも準備を終え、ついにティップオフ。
ここから司令塔ができることは、関与を除き、ただ観戦を行うことだけだ。
「そういえば、何やらCクラスの方でも戦略が繰り広げられていたようですね。狙いは……そうですね、Cクラスがバスケットを選ぶか、それとも走り幅跳びを選ぶかを迷わせる、といったところでしょうか」
観戦中の時間つぶしに、とでも言わんばかりに、坂柳は再び綾小路に舌戦を仕掛ける。
「ちょうど1週間前の月曜日、速野くんが行動を起こしていたようですね。翌日の夜9時半ごろに寮のロビーに来るよう、廊下で須藤くんに持ちかけていたのを、Aクラスの生徒が目撃していました」
綾小路は無反応を続ける。
「私は報告を受け、見張りを付けました。火曜日の夜9時半、寮のロビーに集合していたのは……須藤くん、速野くん、そして綾小路くん、あなたたち3人でしたね」
坂柳の言っていることは全て事実だった。
先週火曜の夜9時半、先ほどの3名が寮のロビーに集まり、そしてグラウンドに移動した。
「そこでやっていたのは、走り幅跳びの練習だったそうですね」
「……」
グラウンドの電灯は夜10時半まで点灯している。その時刻までであれば、学校側に許可さえ取れば、グラウンドを使用した練習を行うことが出来る。
当然、グラウンドでは秘密裏の練習を行うことはできないが、この練習に関しては完全な秘密でなくてもよかったのだ。
「あくまでも私たちを迷わせることが目的。完全に秘密にしてしまっては、この策の意味がありません。恐らく速野くんは、盗み聞きされてしまったのではなく、廊下にAクラスの生徒がいることを確認したうえで、わざと盗み聞き『させた』のでしょう。Aクラスにできるだけ悟られないように走り幅跳びの練習を行っている、ということが私たちに伝われば、当然、本命はバスケットではなく走り幅跳びなのではないか、という疑いが生じます。関与の内容や練習に参加していたメンバーも、Cクラスにとっては高い確率で勝ちを拾うことのできるものでしたから」
走り幅跳びの関与の内容は、一度だけ代わりに跳ぶことが出来る、というもの。
これはルールの穴をついた関与の設定だ。
スポーツ系の種目の場合、このような関与の仕方を設定すれば、男子と女子の間で明確な有利不利の差異が生まれる。ましてやAクラスの司令塔は坂柳。走り幅跳びなんてできるはずがない。
しかし、チェスや囲碁、将棋などのボードゲームにおいて、司令塔が一手指しなおせる、という関与が認められている以上、スポーツ系種目でもそのような関与が認められなければ整合が取れない。関与に関して男女間の違いを考慮する、というルール設定はなされていなかったからだ。
そして走り幅跳びが選ばれた場合、一人目に須藤が跳んで勝ち、二人目の女子のところで綾小路が関与し、Cクラスの女子の代わりに跳べば、確実に2勝を手にすることができ、Cクラスは確実にこの種目で勝利することができる。
このルールの穴をついた関与の設定。当然学校側も問題視したが、ここに手直しを行うと大幅なルール改正が必要となり、試験期間に収まらなくなってしまう可能性があるため、改善は行われなかった。
しかし、Cクラスは敢えて、一見勝率が100%に近いと思われる「走り幅跳び」を選択しなかった。
「Aクラスに、走り幅跳びの経験者がいないとは限りませんからね。いくら須藤くんの身体能力が高いとはいえ、走り幅跳びに関してはあくまで素人。経験者にも確実に勝てるかといえば疑問が残ります。そして、バスケを捨て、走り幅跳びを選んで負けてしまった場合、1敗以上にクラスにしこりを残すことになるでしょう。この試験を終え、2年生になってからも、このことを引きずりかねない。ならば、須藤くんの最も自信のある競技であるバスケで挑んでくる。そう結論付けました」
坂柳の完璧な推理。1から10まで全て当たっていた。綾小路としては返す言葉もなく、ただモニターを見つめることしかできなかった。
バスケの試合はひっ迫していた。
Cクラスの牧田進は、バスケ部に未所属でありながらも、スキルはかなりのものだ。チームのエースとして十分な役割を果たしている。
対するAクラスのエースは鬼頭。実力は牧田とほぼ互角。
この二人を中心とした攻防で試合は進んでいく。
須藤を投入するか否か、終始非常に悩む展開。
結局前半10分を折り返して、12対11。須藤は投入しなかったが、Cクラスが1点をリードして後半を迎える。
「面白い試合ですね。まさに一進一退、といったところでしょうか」
坂柳が言う。
たしかに、単純な点差や試合展開だけを見れば、両者の実力は互角に見えた。
しかしや綾小路は、ここで迷わず関与を行う。
須藤の投入。池とメンバーチェンジだ。
「ふふ、温存は諦めましたか」
「ここで勝ちを逃したら本末転倒だからな」
「妥当な判断だと思いますよ。こちらは変わらず行かせていただきます」
Aクラスは当然、ベストメンバーであるこの5人を変えることはない。
数分の休憩をはさみ、いよいよ運命の後半が始まった。
須藤のマークについたのは鬼頭。
しかし、須藤はすぐに違和感を察知する。
『テメエ、やっぱり前半は手ェ抜いてやがったな!?』
鬼頭の動きは前半のものと明らかに質が違う。
一見互角に見えた前半の戦いは、Aクラスによって演出されたもの。須藤を引っ張り出すための布石だった。
しかし、それには綾小路も須藤も感づいていた。だからこそ、綾小路は迷わずに須藤を投入し、須藤もほぼ互角の展開での投入に何の疑問も抱かなかった。
鬼頭の動きのキレは相当なものだが、やはり個人技では須藤が一枚も二枚も上だ。ドリブルで抜き去り、ゴールを決める。
『鬼頭! テメエ経験者だろ!』
『いや、俺たちは種目が発表されてからの1週間しか練習していない。お前は自分が思っている以上に大したことがない、ってことだ』
『んだと!』
煽りを受け、徐々に冷静さを欠いていく須藤。
それに対し、Aクラス側の動きはだんだんとよくなっていく。
後半開始から1分半が経過。須藤を投入したにも拘わらず、差は広がらない。
「フフ、あれは嘘ですよ。鬼頭くんは中学までバスケの経験者でした」
「あの動きは、間違いなくそうだろうな」
16対15。点差は前半終了時と変わらず1点。
「おや、あれは……」
モニターを見ていた坂柳が、ぽつりと声を漏らした。
そこには、Cクラスの本堂が、須藤に声をかけている光景が映し出されている。
一言二言かわし、須藤はうなずいてオフェンスへと上がっていく。
本堂の声かけにより、須藤はいくばくか冷静さを取り戻したようだ。
「ふふ、まだまだですよ。彼の心に隙間がある以上、私たちは執拗にそこを狙います」
ハーフラインを越え、ボールをキープする須藤。
ディフェンスは同じく鬼頭。
須藤が鬼頭を抜きにかかる。
それに対し、俊敏な動きで鬼頭はその前に立ちはだかる。
しかし次の瞬間、予想だにしていない動きが須藤から繰り出される。
『本堂!』
スリーポイントラインから、本堂にパス。
Cクラスのメンバーの中では一番動きが悪く、マークが甘めだったために完全にフリーだった本堂。
スリーポイントラインから数センチ後ろ。角度は左斜め45度。
とても綺麗とは言えないフォームから放たれたスリーポイントシュートは、スパッとリングを通過した。
スリーポイントシュート。Cクラスに3点が加わり、19対15となる。
『よっしゃあ! ナイス本堂!!』
『ああ!』
Aクラスからすれば、まったく予想外の出来事だった。動揺が収まらない中でのオフェンスは、須藤により簡単にカットされてしまう。
再び須藤対鬼頭の1on1。しかし、またしても須藤は本堂にパス。
先ほどと全く同じ位置から、まったく同じ軌道を描いてスリーポイントシュートが決まった。
『っしゃああ! このまま行くぜ本堂!』
須藤に対する挑発でAクラスに傾きかけていた流れは、いまの2つのプレーで完全にCクラスに戻ってきていた。
「マグレ……というわけではなさそうですね」
坂柳自身も、本堂という伏兵には驚きを隠せていなかった。
シュートフォームは素人そのものだったが、二回連続で決めた以上は、マグレではなく実力であると見るべきだ。
須藤の動きにも、段々と元の精細さが戻ってくる。そうなれば、鬼頭であっても須藤を止めることはできない。
『ちょっと熱くなっちまったけどよ、お前じゃ俺には勝てねえんだよ!』
『ぬぅっ!?』
Aクラスのディフェンスをぶっちぎり、豪快にダンクまで決めてしまった。
鬼頭の挑発も、須藤にはもう通じない。須藤もこの1年間で大きく成長したのだ。
じりじりと点差は開いていき、残り2分の段階で30対17。大勢はすでに決していた。
本堂がなぜ、二本連続でスリーポイントシュートを決めることができたのか。
その理由は単純。猛練習を重ねたからだ。
特別試験の発表があってから2週間もの間、本堂は左斜め45度からのスリーポイントシュートのみを、ひたすらに練習し続けた。そのほかの位置からのシュートや、ドリブル、パスなどは一切やらず、このシュートのみを、「速野の指導の下で」徹底的に練習した。
シュートを打つ時のゴール板とリングの景色、ジャンプの高さ、ゴールまでの距離、体の力の入れ具合などを、これでもかというほどに体に覚えこませた。
その結果、フリー且つあの角度からのシュートであれば、高い確率でゴールに沈められるようになった。
もちろん、元々シュートのセンスがあった本堂だからこそできた芸当だ。体育の授業でも、本堂はシュートの成功率だけは高かった。
坂柳が推理で看破した走り幅跳びは、速野によって仕掛けられたトラップ。「Cクラスが選ぶのは走り幅跳びか、それともバスケットか」の謎解きに坂柳の考えを集中させ、本堂という伏兵の可能性に気づかせないための罠だったのだ。
速野はAクラスがこれに気づいていないかどうか、細心の注意を払っていた。
練習場所であるバスケットコート周辺には監視カメラを仕掛けた。本堂との練習の様子を盗み見されていなかったかどうか、また逆にAクラスが監視カメラなどを仕掛けていなかったかを、その映像を見て入念にチェックしていた。
結果として、Aクラスは本堂のスリーポイントの練習に気づかず、今日を迎えてしまった。坂柳の推理は1から10まで正解だったが、その先にあった11以上の存在を感知できなかった。
そして10分が経過し、試合終了。最終スコア34対19で、Cクラスの勝利となった。
「認めざるを得ません。完敗です。まさか本堂くんがあれほどのシュート精度を持っていたとは、思いもよりませんでした。きっと試験期間中、猛練習を積んだのでしょう。それを見抜けなかったのは大きなミスでした。あれは堀北さんの策ですか? それとも……速野くんが関わっていたりするのでしょうか?」
負け惜しみ、というより、単純な興味で綾小路に聞く坂柳。
「悪いが答えられない」
「ふふ、そうですか。ならば仕方ありませんね」
表情や声音こそ穏やかだったが、坂柳の内心では速野に対する闘志が燃えたぎっていた。
もしも本堂のシュートが速野の差し金によるものであるなら……一之瀬の件と合わせて、二度も速野に不覚を取ったことになる。そのことが、坂柳のプライドにたまらなく障った。
しかし、今は特別試験中。常に冷静さを失ってはいけない、と自分に言い聞かせ、次の2戦目に備えて気分を落ち着かせた。
紆余曲折はあったものの、結果としてみればCクラスの圧勝という形で、1戦目は幕を閉じた。
いやー、筆が乗りました。やはり種明かしはいいものですね。間が開くかも、と言っておいて1日も経たずに完成してしまいました。
坂柳の頭脳レベルがあったからこそ、速野のトラップに引っかかった、ということですね。バスケットでも似たようなことがありまして、しっかりとしたスキルがなければ、フェイクを仕掛けられたことにすら気づかない、というものです。
面白い頭脳戦を書けていましたでしょうか……?
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ep.90
いや、ほんと、お待たせしました。
1
「マジかよ本堂のヤツ、スリーポイント2本連続で決めるなんて!」
「大活躍じゃん。 すごーい」
クラスメイトからは、本堂の活躍に対して称賛の声が上がっていた。
本堂はバスケが得意なのではなく、シュートが得意なだけだ。はっきり言って、それ以外の動きは並以下。
だがシュートだけは、本当に何故か正確性が高かった。須藤もバスケの授業中、「あいつシュートだけはよく入んだよな」と、何回も洩らしていた。
俺はそこに目をつけ、Aクラスにバレないよう、本堂を文字通りの「秘密兵器」にしようと思いついた。
どうせバスケは種目候補に入ってくる。自分が活躍できるチャンスとあって、本堂の説得も難しくはなかった。
2週間の練習ののち、あの距離、あの角度からなら10本中6、7本の割合で決められるまでになった。まさか本番で2連続決めるとは思ってもみなかったが。これに関しては嬉しい誤算だった。
夕方には勉強。夜は本堂のシュート練習。深夜に監視カメラの映像のダウンロード作業。休み時間にはその映像を早送りで視聴。非常に忙しい2週間だった。
「あなたの采配が見事にはまった、ということね」
「ああ、労も報われるってもんだよ。2本連続はちょっと出来過ぎだが」
Aクラスはこのバスケにおいて、しっかりと勝利を目指した布陣を組んできた。しかし、それでも須藤がいる限り、Cクラス有利は変わらない。そのため、この種目を落とすことはある意味では「想定内」だった。
しかし、本堂という伏兵によって、Aクラス、そして坂柳は、情報戦という「想定外」の面でCクラスに負けを喫した。
Aクラス、そして坂柳には、ただ負けるよりも大きな心理的ダメージが入っただろう。
「須藤の成長もみられた試合だったな」
「そうね。以前なら、本堂くんの言葉にも聞く耳を持たなかったでしょう」
クラス内投票に続き、須藤の成長が特別試験で発揮された。喜ばしいことだ。
2
続く2、3種目目はそれぞれ社会テスト、現代文テストとAクラスの提出種目が選ばれ、どちらも敗北を喫した。
4種目目は弓道。弓道部に所属する明人がAクラス全員を下し、見事にCクラスが勝利をもぎ取った。
5種目目は英語テスト。この時点での残り種目との兼ね合いで、Cクラスは平田、櫛田、啓誠など可能な限りの戦力をつぎ込んで挑んだが、惜しくも敗北した。
ここまででも、司令塔の二人がいる多目的室では様々な心理戦が繰り広げられていただろう。
しかしその様子は、教室内で待機しているだけの俺たちには知る由もない。
だが、互いに自クラスの指定した種目を落とさずにここまで来ているため、経過としては順調と言える。
「おい、なんかBクラスがピンチらしいぜ」
教室の誰かがそう言った。
聞き耳を立てていると、現在の状況は3勝2敗でDクラスのリード。だがBクラスにとってマズいのは、自らが提出した種目で敗北を喫しているところだ。
そしてさらに。
「龍園くんが、司令塔に……?」
驚愕の表情を浮かべる堀北。
やはり、そういう展開になったか。
「背水の陣を敷いてきたな」
「予測のつかなかった展開ね。プロテクトポイントを持つ生徒が司令塔になるものだと、誰もが思っていた」
その先入観も、龍園の作戦の一つではあるのだろう。
敗北すれば、司令塔は退学。だから、プロテクトポイントを持つ生徒が司令塔になるという、至極単純明快な理屈。
ただし、一度退学を決意し、退学を恐れていない龍園は唯一と言っていい例外だ。
なぜ龍園が再び表舞台に復帰したか、その心理を推し量ることはできない。だが恐らくあいつは、この試験の結末として自分が退学するなら、それでも一向にかまわないと思ってるんだろう。
開き直れる人間は強い。ましてや龍園だ。
Bクラスとしては非常に厳しい戦いだろうな。
だが、こちらも相手はAクラス。他クラスの戦いにいつまでも注目しているような余力はない。
6種目目。
選ばれたのは『数学オリンピック』
俺の出番だ。
「6種目目の『数学オリンピック問題』に指名されたのは、速野知幸、高円寺六助の2名です。指定の教室まで移動します。筆記用具を持参し、教室を出てください」
担当の教諭が俺と高円寺を呼ぶ。
指示通り、俺は机の上にあった筆箱のみを右手に持ち、席を立った。
高円寺も、ここで無駄に逆らうようなことはしないらしく、特に何も言わずに立ち上がった。
「本当に大丈夫なの?」
予めわかっていたことだが、高円寺は戦力として数えるわけにはいかないため、戦うのは実質俺一人。
堀北はやはり、そのことに不安が残っているようだ。
「ああ。……たぶん」
「ちょっと、たぶんじゃ困るわ」
「分かってるよ。やれるだけはやる」
俺としてもギリギリの判断だ。
本来は4時間ほどかけて解く問題量を、ボリュームや配点はそのまま、制限時間を1時間に縮めて解く。数学オリンピックに向けて訓練を積んだ生徒ではなく、一般の高校生を相手取って、だ。
Aクラスの中で最も高得点を取る可能性のある生徒は、司令塔である坂柳だった。しかし、司令塔の関与はできるだけ制限した。
この条件のもとなら、二人までなら相手できる、と俺は判断した。
これが正しいものだったのかは、終わってみなければわからない。
堀北と別れ、高円寺とともに担当教諭についていく。
案内された教室に入ると、既にAクラス側の二人は入室していた。
「……」
名前は分からないが、クラス内の話し合いではノーマークだった生徒だ。
Aクラスは、この種目を無理に取りに行くより、他の勉強系種目に高い学力の生徒をつぎ込んだ方がいいと判断したのだろう。有体に言えば「捨てた」ということだ。
いずれにせよ、俺のやることは変わらない。
普段使用されていない教室なのだろうか。教室にある座席は必要最低限の4つだけだった。後ろに下げられている机などもない。
余っていた二つの座席に俺と高円寺が座ると、教卓のそばに立っていた別の担当教諭が、試験に関する説明を始めた。
「それでは、各クラスの司令塔により選出された生徒がそろいましたので、問題用紙、および解答用紙を配布します。名前を記入するのは解答用紙のみで構いませんが、テスト終了後には問題用紙も回収しますので、注意してください。また、既に説明はあったと思いますが、問題用紙に収録されている問題量は、本来4時間ほどの時間をかけることを想定したものになっています。その点に注意して回答してください」
担当教諭は、丁寧にもこのような説明を付け加えた。
だがこれは恐らく、単なる親切心ではない。何らかの背景がある。
4時間余りのボリュームの問題を1時間で解く、などという種目の申請がなぜ通ったのか。よくよく考えればこれは非常に不自然なことだ。
だが俺は堀北に頼んで、種目の申請時に「大学受験においては、制限時間との兼ね合いで解くべき問題と捨てるべき問題の取捨選択の能力が求められる。これは受験だけでなく現実社会でも同様で、タスクの難易度を図る能力は社会生活において備えておくことが求められるものである」という説明を付け加えた。
正直この言い分が通るかは微妙だったが、結果としてこのようになっているのでよしとしよう。
先ほどの教師の説明の付け加えには、恐らくこのような背景があったと思われる。
「司令塔とのやり取りは、合計一分間まで、この端末を使用して可能となります。端末は各クラス司令塔からの指示で、Aクラスには吉田くんに、Cクラスには速野くんに配布します」
そう言って、担当教諭が机の端に端末を置く。
これで、舞台はそろった。
あとは俺が全力で、目の前にある問題を解くだけ。
「時間です。始めてください」
開始の合図と同時に、俺は教室の様子を映しているカメラに一度視線を向け、すぐさま問題に取り組んだ。
3
モニターに映る速野くんの目線が、一瞬だけこちらに向いた気がしました。
速野知幸くん。
私は彼に、未だに勝ったことがありません。
そもそも彼とは勝負をしているつもりはありませんでした。そのため、本来は勝ったも負けたもないはず。
しかし、気がついたら彼にしてやられている。
勝負が決した瞬間、誰に負けたのかすら判然としない。それも二度も続けて。「負け」という結果そのものももちろんですが、それ以上に腹立たしいことでした。
そして、今の彼の私への視線も、そういった私の心情を見透かした上での挑発、ということなのでしょう。
もちろん、正面から受けて立ちましょう。
この試験では、私は綾小路くんとの勝負を存分に楽しむつもりでした。邪魔をしてほしくないというのが本音ですが、問題はありません。問題があるとすれば、これまで彼に対して勝ち切ることができていない私の方。
また、Cクラスのもう一人の生徒は高円寺六助くん。私の見立てでは、速野くん、高円寺くんの学力に匹敵するような人員は、Aクラスにはいません。
そのため私は、他の種目に優秀な人員を採用する方が確実性が高いと判断し、初めからこの種目は「捨てる」ことを決めていました。
種目の勝敗は気にせず、私は速野くんと競うことができます。
司令塔の関与の内容上、司令塔である私と綾小路くんにも問題用紙が配布され、テスト開始時刻と同時に解きはじめます。
Cクラスの10種目が私たちAクラスに通達されたとき、「数学オリンピック」という種目を目にした瞬間、すぐに速野くんが出てくる種目だと察しがつきました。そしてインターネットを使用し、実際に過去に数学オリンピックで出題された問題を見ました。
難易度はかなりのもの。しかし全て、私に解けないほどのものではありませんでした。
目の前にある問題を見ても、その感想は変わりません。数学オリンピックの正規の時間制限であれば、全問正解もそう難しくはないでしょう。
1時間という時間制限の中であれば、私に解けるのは恐らく、多くとも。
いまはそれに全力を注ぐことにしましょう。
これは、横にいる綾小路くんとの対決でもありますしね。
4
解答時間が終了した。
オレは知幸から、事前に「やるのは答え合わせだけでいいから、解答時間中は全力で解いてくれ」と言われていたため、その通りにした。
結果、オレは制限時間中に3問中2問目の途中までを解き、知幸に自らの回答を送信した。
返信はなかった。そのため知幸と答えや解答方針が一致しているかどうかは分からないが、映像で見る限り、オレの回答を端末で受け取ってから手直しをした場面はなかったため、恐らく問題はなかったんだろう。
採点に10分ほどかかるようで、その間待機しているよう、坂上先生から指示が出された。
「どうでしたか綾小路くん。出来の方は」
暇つぶしの雑談、といった具合で、坂柳から話を振られる。
「時間内に2問目の途中まで解いて、要点だけを知幸に送った」
「そうでしたか。大体同じですね」
「そうか」
3問目も解答の方針までは立てられていたが、時間切れで答えを導き出すには至らなかった。
「私も2問目の途中まで解き、解答に使用する定理や公式などをまとめて送信しました。これで、吉田くんの点数が1点、あるいは2点でも上がってくれていればよいのですが……ところで、速野くんは何点でしょうか」
「それは分からないが、話を聞く限り、本人は満点を取るつもりだった」
それを聞いて、坂柳の表情が驚愕に染まる。
「満点……まさかとは思っていましたが、速野くんは本当に1人で勝つつもりだったのですね」
「そうだ」
「彼のペアに高円寺くんを選んだのは、この問題をクリアできるポテンシャルを持つ人間が高円寺くんしかいなかったこと、でしょうか」
「さあ、どう考えるのもお前の自由だ」
坂柳の推測は当たっている。
高円寺が真面目に課題に取り組むとは、Cクラスとしても考えていない。しかし、少なくともポテンシャルは持っている。
解く実力はあるが、やる気のない人物。そしてそもそも解くことのできない人物。これらの二者択一なら、この種目に必要なのは前者の方だ。
「この難易度の問題3問を、たったの1時間で全問正解なんて、可能なことなんでしょうか」
坂柳の感情はもっともだ。
知幸の言ったことは無謀。実際に数学オリンピックの問題を見たとき、そう思った。
オレ自身、全問正解すること自体は造作もない。しかし、それを1時間でやるのは不可能に近い。オレが司令塔ではなく回答に全力を注いでいたとしても、少なくとも1時間半以上はかかっていただろう。
しかし、恐らくそれができてしまうのだ、知幸には。
「採点の結果が出ました」
そして、坂上先生の口から結果が告げられる。
「点数は、1問につき7点の21点満点。個人の点数ではなく、2人の合計点で発表します。まずAクラス、合計6点」
お世辞にも高いとは言えない点数だった。
恐らく、この6点のほとんどは、司令塔である坂柳からの関与によるものだろう。
「そしてCクラス……合計21点。よって、第6種目はCクラスの勝利となります」
それを聞いて、坂柳に衝撃が走る。
高円寺が解答を記述している様子なかったため、恐らく0点。
つまり、この21点は全て知幸が獲得した点数。
知幸は宣言通り、満点をとった、ということになるわけだ。
「本当に、彼は満点を……」
Aクラスが敗北を喫したことよりも、知幸が満点を獲得したことの方が、坂柳にとってショックが大きいようだ。
「正直、オレも驚いた」
例えホワイトルーム生であっても、このような芸当が可能な人物はいないだろう。
数学オリンピックという土俵に関しては、現時点で、知幸はオレや坂柳のはるか上のレベルにいる、ということだ。
しかし、坂柳にとって「知幸に敗北した」という事実は変わらない。
それも、バスケから続いてこの試験で2度目の敗北だ。
ダメージは相当なものだろう。
努めて何とか保たれていた坂柳の冷静さが、この敗北で崩れかけている。
こちらとしては非常に都合がいい。
司令塔の判断力が鈍れば、こちら側の勝率が高まる。クラスの勝ちを優先するなら、このまま放置しておくべきだ。
しかし、そうはしない。
「言う必要のあることだとは思わなかったから言ってなかったが、知幸は数学オリンピック出場経験者だそうだ」
「……本当ですか?」
「ああ。本人がそう言っていた」
この点数の取り方を見ると、嘘ではなかったのだろう。
「私もその可能性を考えて、過去の数学オリンピックのメダリストを調べましたが……『速野知幸』という名前の人物は載っていなかったはずです」
「そうなのか」
「ええ……ですが、その代わりに『平沼知幸』という人物は掲載されていました。彼と名前が一致しているのが気にはなりましたが……そういうことだったのですね」
それは俺も知らなかった。あいつは元々「平沼」って苗字だったのか。両親が離婚した、ってところだろうか。
本人としても触れられたい話題ではないだろうし、こちらも触れたいわけじゃない。これ以上の詮索は控えることにする。
「なるほど、そういうことでしたか。彼は数学オリンピックのメダリストで、作問のクセや、点の取り方を熟知していた。もちろん、その土台にある彼の学力の高さは言うまでもないことですが……だからこそ、あのようなパフォーマンスが可能だった、ということですね」
「まあ、そうなるな」
学力に限った話であれば、恐らくオレ、坂柳、知幸の間に大した差はないだろう。全員、正解を導くことのできる「引き出し」は備わっている。
しかし数学オリンピックの熟練者である知幸の場合、その引き出しの中のどれを開ければいいのか、どこを探せばいいのかの判断が、オレたち2人とは比べ物にならないほど速い。
数学オリンピックの出題傾向、分野などから、瞬時に解法を判断する。これは学力そのものというより経験がモノを言う領分だ。
知幸との回答速度の差はそこだろう。
「そう、そうでしたか。ならば、仕方がありませんね」
自分に言い聞かせるようにそう言う坂柳。
「いけませんね。まだ1種目残っているというのに、少々冷静さを欠いていたようです」
坂柳の表情に、段々と元のゆとりが戻っていくのが分かる。
「お気遣いありがとうございます、綾小路くん。敵に塩を送られた形になってしまいましたね」
「いや、オレは……」
まあ、誤魔化しても無駄か。
知幸が数学オリンピックの手練れだったことを話し、坂柳に冷静さを取り戻させる。
坂柳が動揺したことに関してオレに責任があるわけでは全くないが、このような形で決着がついてしまっては、坂柳は納得しないだろう。
しっかりとした形で決着をつけ、これ限りで綺麗さっぱり片付く方がオレとしても都合がいい。結果として敵に塩を送ることになったとしても、それは大した問題ではない。
ともあれ、これで3勝3敗。紆余曲折はあったが、形だけ見れば互いの種目を順当に取り合って、イーブンということになる。
そして抽選によって最終戦に選ばれたのは……
『チェス』だ。
5
最終種目はチェス。
堀北が指名され、教室を出て行った。
チェスに覚えがあると言っていた清隆に、この1週間教わっていたんだろう。恐らく直接ではなく、ネット上のオンラインという形で。
どうでもいいが、俺はチェスなんてルールすら知らない。
ボードゲームで分かるのは将棋とオセロくらいのものだ。
ただ、チェスは将棋と少し似ているらしい。
教室には対局の様子が映し出されているし、端末で駒の動きを調べて、自分で勝手に次の手を考えたりしてみるか。
チェスの駒の種類は6種。最も強い駒はキングではなくクイーンか……将棋で言うと王に対する竜や馬みたいなもんか。
なるほどな。調べてみると、確かに将棋と似ているとはいいつつも、まったく違う面白さがありそうだ。
しかし、いま駒の動きを知っただけのヤツと、一週間とはいえチェスに触れた人物とではレベルの差は明らか。対局は堀北対橋本だが、二人とも、先ほどからこちらには思いつかないような有効な手を繰り出していく。
「……」
いくら考えても、二人を上回るような手は俺には思いつかないので、興味の対象を対局の様子から端末に移し、俺はチェスプロブレムをやり始めた。将棋で言う詰将棋だ。
端から見れば試験の最中にゲームをやりだすバカタレだが、対局の分析とでも言い訳すればいいだろう。それに教室内を見回しても、ほとんどのクラスメイトは俺と似たようなものだ。試験の勝敗に関して一定の緊張感はありつつも、対局の様子を見ても理解が出来ないため、ほとんどの人間は雑談に興じている。
チェスプロブレムの初級は、まったくの素人である俺にも解けるものばかり。たまに長考が必要だが、それでもほとんどの問題は30秒とかからずに解くことができる。
そのままチェスプロブレムに没頭しているうち、対局はどんどんと進んでおり、気づけば終盤。既に両クラスともに連続30分間に限定された司令塔の関与を発動し、それも互いに残り2分弱となっている。まさに佳境を迎えていた。
「これは……清隆の長考か」
俺に分かるのはこれだけ。盤面の状況で、どちらが有利でどちらが不利か、なんて判断は全くつかない。俺につくはずがないのだ。
しかし。
「……あれ、この盤面……確か」
見覚えがあったのだ。
俺は簡単なチェスプロブレムを解いた後、世の中にはどんな難しいチェスプロブレムが存在しているのかが気になり、調べたのだ。
確かその中に、酷似した盤面があったはずだ。
端末の検索履歴をいくつか遡り、そして見つけた。
「これか……」
考えても分かるわけがないので、すぐに解答が載っているページに進む。
そしてそれとほぼ時を同じくして、堀北が自陣の駒を動かした。
「……」
そして、この盤面にもまた見覚えがあった。
チェスプロブレムを解いていく中で、俺は「サクリファイス」という技があることを知った。
ボーン・サクリファイス、ルーク・サクリファイスなど、そもそもリスクの高いサクリファイスの中でも比較的リスクの低いもの。
クイーン・サクリファイスという、とてつもなくハイリスクなもの。
そしてこの盤面は、そのクイーン・サクリファイスが決定打となる盤面で紹介されていたものによく似ていた。
橋本が駒を動かす。
Aクラス陣営がとった戦法は、何を隠そう、そのクイーン・サクリファイス。
チェックメイト。
Cクラス側の勝ち目は完全についえた。
結果、堀北の投了でチェスは決着。
選抜種目試験、最終結果3勝4敗で、CクラスはAクラスに敗北を喫した。
6
「お疲れさん」
試験終了後、既に解散が告げられた教室にチェスの会場から戻ってきた堀北に声をかけた。
「ええ、あなたこそ。本当に一人で勝つなんてね」
「Aクラス側が、あの種目を本気で取りに来てたわけじゃなかったってのが大きい」
「けれど、満点だったんでしょう?」
「ああ、一応な」
数学オリンピックにはクセがある。この手の問題に慣れている人間と慣れていない人間とでは、同程度の学力を持つ者同士でも歴然の差が出る。
それは例え底が知れない清隆や坂柳、それに高円寺でも変わらない。
どんなにスペックの高い人間でも、いきなりバスケでNBA選手に勝てと言うのは不可能だろう。それと同じことだ。
数学オリンピックに限らずとも、同様のことが言える。
数検や英検にもクセはあるし、大学入試なんてその最たる例だ。大学ごと、作問者ごとに、どのようなアプローチで解けばより高い得点を獲得できるかは微妙に異なる。一定以上の学力をつけた後は、この「クセ」の見分けがカギを握る。
「そっちはどうだったんだ。チェス」
坂柳と清隆の空中戦を体感したであろう堀北。
その表情は、どこか複雑なものだった。
「正直、訳が分からなかったわ。私も彼にチェスを教わってから1週間だけれど……そんな素人でも分かるほどの次元の違いを、肌で感じたわ。あの二人の戦いはそれほどに高度なものだった。負けはしたけれど、私にはどうすることもできなかったわ。彼を責められる人間はいないでしょう」
「……そうか」
映像で見ていただけの俺ですら感じるほどだ。当人たちはより強くそう感じるだろう。
ただ……
「何か気になることでもあるの?」
「いや、いいんだ」
それだけ言って、俺はバッグを背負い、教室を出た。
気になることと言っても、何、そんなに大したことじゃない。
堀北が投了する2手前、司令塔の清隆が長考の末に打った一手。
それが、チェスプロブレムのサイトに載っていた手と性質の違うものだったというだけのこと。
だがサイトの作者も清隆も、チェスに関しては俺とは住む世界が違う。ほんの小一時間チェスプロブレムに触れただけの俺の疑問に、何か価値があるとは思えない。
何はともあれ、これで1学年最後の特別試験は終了した。
結果としては敗北。3勝4敗で、オレたちはクラスポイントを30減らすこととなった。
だがAクラスを相手に大健闘だったのは間違いないだろう。
たらればだが、7種目目にもしCクラス側の提出した種目がきていたら、勝利していた可能性も高い。
ちなみにだが、Bクラスは5勝2敗でDクラスに敗れたそうだ。
クラスポイントで、俺たちCクラスはDクラスに劣ることになる。
俺たちはDクラスで、龍園たちはCクラスで、それぞれ進級を迎えることになりそうだ。
まあ、とにかく今日はとっとと帰って寝よう。疲れた。
坂柳が速野にあのような負け方をして、そのままチェスに移ったら、綾小路に勝てない気がしたんですよね。そのあたりの展開をどうまとめるかに1カ月くらい頭を悩ませていました。
あまり綺麗な終わり方ではありませんが、これで原作11巻分は終了、ということになります。後日談などを書くとすれば、11.5巻分にまとめようと思います。
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第11.5巻
ep.91
.5巻の構成難しすぎる
1
「答辞。梅の香りに、春の息吹を感じるこの日、私たち3年生は、卒業を迎えます」
壇上から、卒業生代表の答辞がマイクを通して在校生全員に伝わる。
堀北学。
最終特別試験を見事クリアし、Aクラスのリーダー、そして卒業生の代表としてこの舞台に立っている。
特別試験においては、現生徒会長である南雲先輩から何らかの妨害を受けたと予測されるが、それをはねのけ、Aクラスで卒業することになった。
生徒会長とは言え、学年という壁はやはり大きかったか。個人の実力で見ればあの二人に大きな差はなさそうだが、3年Aクラスの牙城を崩すには至らなかったようだ。
俺と堀北学との関わりは、大して深くない。ただ、他の生徒と比較して薄いわけでもないだろう。
あの人から、生徒会へ勧誘されたことを思い出す。
俺を誘った目的は一つ。現南雲会長のストッパーとしての役割を俺に負わせること。
当然俺は断った。
そしてこの人が生徒会を引退した後、南雲会長を止める手伝いをしてくれと頼まれた。
だがそれも断った。その件に関しては龍園も話に加わっていたが、結局は清隆一人がその役目を受け負うことになった。
それ以降、清隆がどのように動いているかは分からない。だがまあ、あいつのことだ。「よきように」しているんだろう。
堀北先輩の期待通りに動いているとしても、そうでないにしても。
2
卒業式は、その全日程を滞りなく終了した。
この後は、卒業生、およびその保護者、そして高度育成高等学校の教員を交えて、謝恩会が開かれるらしい。
謝恩会の会場は体育館。そのすぐ外で、部活などでお世話になった先輩の出待ちをする者も少なくない。ただ、特に先輩とのかかわりを持たなかった在校生は、そのまま帰宅という者がほとんどだった。
あるあるだな。仲いい友達は部活やってて先輩と楽しそうにしてる中、自分は帰宅部で何もやってなかったから卒業式の日にぼっちで手持無沙汰になるパターン。俺はそんなことにはならなかったけどな。まあそもそも仲いい友達がいなかったからなんだが。
俺の所属する学習部の部員は俺一人。当然見送る先輩などいるはずがない。そのため俺も直帰するという選択肢を取ることはできるが、それは流石に気が引ける。せめて堀北先輩の見送りくらいはすることにしよう。
謝恩会は1時間ほどを予定していたはず。それまでに体育館前にいけば大丈夫だろう。
卒業式が終わった後、在校生は一度各々の教室に集められている。担任から軽く連絡事項を受け、その後は完全自由行動となっている。
謝恩会が終わるまでの間、時間をつぶす必要がある。
教室でボーっと待つのもいいが、俺は退屈しのぎに校舎内をふらつくことにした。
この学校の校舎は広い。俺も約1年間ここで過ごしてきたことになるわけだが、今までに行ったことのない場所なんていくらでもある。
今後校舎を使った特別試験がないとも限らないし、その予習だと思えば多少の意義も生まれる。
生徒は普段立ち寄らないような場所。
体育館前の喧騒はここには届かない。俺が地面を踏みしめる足音以外にあるのは静寂ばかり。
距離的には近いからこそ、まるで別世界に来てしまったかのような不思議な感覚に陥る。
同時に、どこか冒険心をくすぐられるような感じを受けた。
どのような用途で配置されているかもわからない教室。その多くはカーテンがかかっており、窓から中の様子を覗き見ることはできない。
そんな教室をひたすらに通過していき、15分ほどが経過したころだろうか。
頻繁に立ち寄るわけでもないが、かといって全く知らないというわけでもない、そんな場所にたどり着いた。
応接室。
直近では、学習部の対外試合について茶柱先生と話し合う際に使用した場所だ。
「……ここはいいか」
俺が求めているのは目新しい場所。応接室はそれには当てはまらない。
そう考え、引き返そうとしたその時。
「……?」
微かに廊下に響く1人分の足音が聞こえてきた。
この時間、この場所に、俺以外に誰かが一人でいる。
教職員は謝恩会に出席しているだろうから、生徒である可能性が高い。
妙に気になる。
俺に足音が聞こえているということは、恐らく向こうにも俺の足音が聞こえていたはずだ。
その「誰か」に不自然に思われないよう、俺はすぐ近くの階段を一度下りて、向こうの人間に俺の足音が聞こえなくなっても自然であるような状態にする。そして次に足音を立てず、気配を殺して一度降りた階段を上った。
そして踊り場の壁に隠れ、先ほど足音が聞こえた廊下の様子をうかがう。
「失礼します」
「……!?」
声だけで、それが誰なのかがすぐに分かった。
危なかった。
驚きのあまり音を立ててしまうところだった。
しかし恐らくは大丈夫なはず。
音は立てていないし、気配も殺した。足音のみで距離を測って相手の背後に回っていた上、視線は一切寄越さなかった。
その他諸々の条件を踏まえても、俺に気づく要素はない。
たとえ相手が、底の知れない「清隆」であったとしても。
そして何より今、清隆がそのまま応接室に入っていったのがその証拠。
卒業式が終わってから、あいつが教師に接触、あるいは呼び出されるようなことがなかったのは覚えている。つまりあいつが応接室に足を運んだのは、事前に予定されていたことの可能性が高い。
となれば、これはオフレコだろう。その様子を俺に見られていることに気づいていたとしたら、応接室を何食わぬ顔でスルーして、別の方向に行くか、あるいは偶然を装って俺に声をかけるかしていただろう。
……まあ、俺に気づいたうえで「問題ない」と判断している可能性も捨てきれないが。その時は大人しく認めるだけだ。こちらに何らやましいことはないのだから。俺は校舎をふらついていたら、たまたま応接室に入っていく清隆を目撃しただけ。
それより少し気になるのは、清隆一人で入室したこと。
応接室を使用するということは、誰かしら教師が関わっているはずだ。
「失礼します」と清隆は言っていたが、既に中に誰かがいたからと考えるのは早計だ。予め概ねの集合時間だけ決めておいた場合、自分が先か、それとも相手が先かが分からず、とりあえずの措置として発言した可能性もある。
10分ほど息をひそめて待っていると、再び足音が聞こえてきた。
今度は二人分の。
先ほどと同じように、そちらの方に視線を向けることはない。
しかし、そのうちの1人が誰なのかはすぐにわかった。
足音に混ざり、カツ、カツと、杖の音が聞こえてきたからだ。
坂柳だ。間違いない。
ほどなくして、応接室の扉をノックする音が聞こえてくる。
ノックの強さからして、同行者は教師、それも男性か。
「既に集まっているようだな」
聞き覚えのある声。Aクラス担任の真嶋先生だ。
そして「集まっているようだな」というセリフ。
応接室内にいる人物が清隆一人だけなら「集まっている」なんて日本語は使わない。つまり応接室内には少なくとも2人、清隆以外にも誰かがいることになる。
その人物が誰か、思い当たるとすれば、俺たちの担任であり、学習部顧問の茶柱先生。
茶柱先生は、清隆が実力を隠していることを知っている。
星之宮先生の様子を見る限り、全ての教師が清隆について知っているわけではない様子。しかし少なくとも茶柱先生は知っている。
そして何らかの形で清隆に脅しをかけ、実力を発揮させようとしていた。恐らくは清隆の進退に関わる手法で。
清隆が教師と密会を持つとすれば、茶柱先生が関わっている可能性は高いとみるべきだ。
だが、分からない。全く見えない。
茶柱先生と清隆、清隆と坂柳、坂柳と真嶋先生、真嶋先生と茶柱先生、というようにペアごとに分けて考えれば、その繋がりはまだ分からなくもない。だが、誰がこの4人を一直線につなげた?この密会の発起人は?いやそもそもの話、中にいたもう一人は本当に茶柱先生なのか?
そして、真嶋先生が謝恩会をわざわざ抜け出してまで顔を出す、この密会の内容は?
「……なんか、見ちゃまずいもん見たかもな」
何もかもが分からないことだらけ。
一つ推測できることがあるとすれば……俺が感じている、清隆と坂柳の裏にある何らかの繋がり。それがこの密会に関わっているであろうということだ。
どうにも匂う。
だが……果たして、俺が深追いをしてもいいことなのだろうか、これは。
3
あの後、足早に応接室を離れた俺は、これ以上校内を探索する気にもなれず、そのまま教室に戻った。
教室の様子を見ると、中には寮に帰った生徒もいるようだが、それでも多くの生徒は教室に残って、卒業生が謝恩会を終えるのを待機していた。
そして、その中には堀北の姿もあった。
椅子に腰かけつつ、声をかける。
「帰らないのな」
「……別に、あなたには関係のないことよ」
目をそらしてそう答える堀北。
「関係ないことはないだろ。多分目的は俺と一緒だろうしな」
「……どういうこと? あなたと兄さんの間に、あなたが出待ちをするほどの関わりはなかったと記憶しているけれど……」
「ああ、やっぱりお前は堀北先輩を待ってるのか」
ある意味、堀北が墓穴を掘った形。それに気づいた堀北がこちらをにらみつけてくる。
「そう睨むなって。別に言葉遊びがしたいわけじゃない。あの人とはお前の知らないところで色々とあったんだ」
「……そう。正直意外だわ。あなたと兄さんにつながりがあったなんて」
「まあな」
堀北は、その詳細を敢えて聞いてくることはしなかった。
俺は聞かれても答えないと踏んでいるんだろう。
確かに洗いざらいってわけにはいかないが、答えられる範囲のことは答えるけどなあ。
「でもまあ、色々あったとは言うものの、お前とは違って直接話しかけるほどの間柄でもないからな。俺は遠巻きから見るだけにとどめておくつもりだよ」
「私は……別に、兄さんと直接話すつもりはないわ」
「え、そうなのか」
「ええ。兄さんを慕う生徒はたくさんいるはず。1年生にも、2年生にもね。そこに私が入っていく隙はないわ」
「ふーん……」
個人的な考えを言えば、最後に会って1対1で話をした方がいいだろう。ただ、まさか無理やり引っ張って堀北先輩の前に突き出すわけにもいかない。
最後に決めるのは本人だ。本人が話したくないと言うなら、俺はそれを尊重するまでだ。
本当に「話したくない」なら。
「少しいいかしら」
「ん、なんだ」
「参考までに聞きたいのだけど。あなたは、この一年間のこのクラスをどう見る?」
教室を見渡しながら、そんな質問を飛ばしてくる。
「総括しろってことか」
「短くまとめると、そういうことになるわね」
難しい問いだな。
そもそも俺が総括をするような立場にあるかという疑問は、この際放っておこう。問いの前提を崩しても無意味だ。
1年間を頭の中で振り返りつつ、言葉を紡いでいく。
「……まず間違いなく、全体として成長してるだろうな。去年の5月を起点として、停滞している生徒はほとんどいない。程度の差はあれ、ほぼ全員何らかの形で成長を見せてる」
定期試験や特別試験の中で活躍できている、できていないは関係ない。比較対象は他人ではなく、過去の自分。
クラス内投票の際、俺が批判票を入れる候補に挙げた佐藤、井の頭、そして愛理も例に漏れない。活躍はできていないかもしれないが、成長していることだけは間違いない。
もちろん、俺自身もだ。
「特に顕著なのは須藤、そして堀北、お前だと思う。体育祭以降のDクラスの躍進の原動力は、間違いなくお前ら2人の大きな成長だろう」
一度完全な挫折を味わった二人。一之瀬のときもそうだったが、一度壊れ、そして再び戻ってきたものは強い。
そういった意味では、平田の今後の成長にも期待がかかるところだ。
「ただ、他クラスも同じように成長してる。昨年5月との比較でポイントを最も伸ばしているのは俺たちだが、実際のところ、清隆一人の暗躍によるところも大きい。クラス全体としての成長って意味じゃ、数字だけを見ての過大評価は禁物だな」
特に無人島試験での清隆の動きは、Dクラスの窮地を救った。
船上試験でも、あのグループを勝利に導いたのは清隆だ。
夏休み前、茶柱先生が清隆に何らかの圧力をかけて、力を発揮せざるを得ない状況にした。もしそれがなければ、今のこのクラスはなかったかもしれない。
「まあ、こんなところだ」
総括といっても、このようなありきたりなことしか言えない。もちろん清隆の動きを多少知っている分、それを踏まえた分析については他の生徒よりもできる。だがこれくらいのことは、俺に言われずとも堀北もわかっているだろう。
「それで、成長を見せていない生徒とは、誰のことかしら」
お前のやることなんてお見通しだ、とでも言わんばかりの鋭い視線でこちらを捉える堀北。
「……耳ざといな」
まあ、指摘されてしまえば言うほかあるまい。
「ほとんど」ということは、全員がそうというわけではない。
「……櫛田だよ」
声を潜め、堀北以外に聞こえないように、その生徒の名を口にした。
いま櫛田本人は席を外しているようだが、他の生徒であっても聞かれるのはまずいからな。
櫛田は未だに自身の過去に囚われ、そこから抜け出せないでいる。元々のポテンシャルの高さで試験では活躍できているが、入学時から成長できているかといえば、俺は首を縦に振ることはできない。
俺はそこを利用させてもらってるわけだが……
それを受けた堀北は何を思っただろうか。いずれにせよ、堀北の表情は微塵も変わることはなかった。
「そう。ありがとう、参考にさせてもらうわ」
「お、おう。そうか……」
特に反論することなく、素直に俺の言葉を受け取った。
……やっぱり慣れないな。こいつがこんな素直な反応を示すのは。
なぜ俺が櫛田にこのような評価を下したのか、その思考回路まで恐らく堀北は分かっているだろう。
そのうえで、こう考えているはず。櫛田を過去から解き放ち、このクラスが躍進するためのピースへと成長させるためには、どうしたらいいか。
それは答えの出ない問いだ。
櫛田は、自分の過去を知る人物が同じ空間にいることが許せない。櫛田のこの認識が変わらない限り、過去を知る人物か、もしくは櫛田本人のどちらかがその空間から消えること以外に解決策はない。
櫛田を利用したい俺からすれば、現状維持のままで構わない。だが堀北はそれを望まないだろう。
この課題に堀北がどう取り組んでいくのか、どのような結論を出すのか。非常に見ものだ。
4
60分を予定していた謝恩会は、校内放送にて30分の延長がなされることが告知された。
合計90分間の謝恩会がそろそろ終わろうかという時刻になり、卒業生を待っていた生徒がぞろぞろと教室を出始める。
俺と堀北の目的の人物は同じのため、自然と一緒に教室を出ることになる。
目的地である体育館前に着くと、やはり卒業生を待つ在校生でごった返していた。
「すごい人ね」
「まあ、こんなもんじゃないか」
中学の卒業式もこれくらいの盛況だったと記憶している。
もちろん、俺とは無縁の人だかりだったわけだが。
ちなみに俺と堀北は、在校生の集団からは少し離れたところに立っていた。
堀北先輩は恐らく注目の的。人の集まり具合を見れば、わざわざ近づかなくても分かるだろうという判断だ。
だが、俺たちのような生徒は少数派。そのため、こちら側に向かってくる人影があれば目に付く。
校舎の方から、清隆がこちらの方に近づいてきた。堀北の横に立っている俺に気づき、手を上げてきたので、俺も軽い会釈で応える。
「やっぱり来たんだな」
合流すると同時に、堀北にそう話しかける清隆。
「……いけないかしら」
「いや、そんなことはない。むしろ見直したくらいだ」
「見直す? 妙な言いまわしをするのね」
「別に他意はない。ただ、以前のお前ならこの場には来られなかったんじゃないかと思ってな」
そのようなやり取りを横目に、俺は堀北ではなく、清隆の方に意識を注いでいた。もちろん、悟られないようにではあるが。
応接室で、いったい何をしていたのか。
こいつから聞き出すことは、恐らく叶わないだろう。
「お、出てくるみたいだぞ」
待機すること数分、体育館の扉が開き、中から卒業生が出てきた。
在校生の集団は一気に盛り上がりを見せる。
目当ての卒業生に近づいていき、様々なことを語り合っている。中には感極まって、涙を流している者も。
もちろん、そうでない卒業生もいる。後輩たちと接点を持ってこなかった者は、誰からも話しかけられることなく、一人でその場を後にしていた。去年の俺とまったく同じだ。心が痛むと同時に、親近感を感じる。
このように陽と陰の側面が如実に現れている中、元生徒会長・堀北学は……圧倒的に前者の人間だった。
「堀北先輩も出てきたよ。本当に行かなくていいのか」
「……ええ」
「今を逃したら、余計に行きづらくなるぞ」
「分かってるわ、そんなこと……」
俺と清隆が交互に話しかけるが、堀北の足が動くことはなかった。
直接話すつもりはない、と啖呵を切ってはいたが……いざ来てみると、話したいという欲求との葛藤は避けられないようだ。
そうこうしているうちに、堀北先輩の周りには、他の卒業生よりひと際大きな輪が出来上がっていた。
輪の中には、2年生はもちろん、どこで接点を持ったのか、1年生の姿も予想外に多く見られた。
駆け寄ってくる後輩たちに、柔らかな表情で応えていく堀北先輩。
この学校で生徒会長として、そしてよき先輩として、或いは堀北学という一人の人間として勝ち取ってきた人望、信頼。その結実と言っていい。
「……あんな顔の堀北先輩は初めて見たな」
一学期の間、俺はあの人に勝手に鉄仮面のようなイメージを抱いていた。しかし混合合宿、そして今回と、あの人の人間らしい一面を見られたような気がする。
それが見られたら、俺としてはもう十分だ。
「帰るのか?」
帰ろうとしている俺に気づいた清隆が問うてくる。
「ああ。元々この光景さえ見られれば満足だったからな」
「そうか。じゃあな」
別れの挨拶をしてくれる清隆に対し、堀北は無視。というより、俺がその場から離れたことに気づいてすらいないようだった。
俺のことなど眼中にない。いま堀北の視線が捉えているのは、堀北先輩だけなんだろう。
5
清隆、堀北と別れてからは、教室に戻って荷物を取り、そのまままっすぐ帰路についた。
昼食を済ませてからさっと部屋の掃除をし、2時間ほど勉強したあとに昼寝をした。しかしアラームをかけなかったため寝過ぎてしまい、目を覚ましたときには夜の8時半をまわっていた。
「……失敗した」
在校生は明日も午前中だけではあるが学校がある。
これだけ長い時間昼寝をしてしまっては、夜寝られるかどうか。つか昼寝じゃねーなこれ。いまもう夜だし。
まあ仕方がない。いずれにせよ今やるべきことは飯だ。
冷蔵庫には今日が消費期限の鶏肉がある。今日は唐揚げだな。
と、思っていたのだが。
「醤油がねえ……」
なんとも間が悪い。醤油の残量は、だいたい寿司三巻くらいつけたらもうなくなるくらいしかない。これでは足りない。
諦めて別メニューにする、などという選択肢はなかった。俺の脳も舌も腹も「唐揚げぇぇぇええ!!」と叫んでいる。口からも叫びそうだ。嘘だが。
適当に考えついたメニューだが、想像以上に今の食欲にドストライクだったらしい。
ということで、こんな時間ではあるが買いに出ることに。
こればかりは仕方がない。何が悪いかといえばたぶん唐揚げが悪い。まったく罪な揚げ物だ。
醤油は無料コーナーにはなかったため、一般のコーナーにて購入。これで唐揚げが作れる、とルンルン気分で寮に帰ろうとしたとき。
「あれは……」
ショッピングモールの方から、堀北先輩が出てくるのが見えた。
何故か一人で。
不思議に思って見ていると、向こうがこちらに気づいたらしく、進行方向をわざわざ変えて歩いてきた。
「あ……どうも」
声が聞こえるほどの距離に近づいたとき、軽く会釈をする。
「買い物か」
「え? あ、まあそんなもんです」
「……醤油だけとは、珍しい買い物だな」
「醤油切らしてたの忘れてまして……」
「そうか」
醤油を使わない料理を作ればいいんじゃ、なんて疑問が湧きそうなもんだが、それ以上は踏み込んでこなかった。
「堀北先輩は、なんで1人なんですか。モールから出てきたってことは、打ち上げか何かに参加してたんじゃ……」
「そうだが、後輩たちには先に帰ってもらった。お前たちは明日も学校があるだろう。あまり遅くなるわけにはいかないからな」
「じゃあ、ひとりで何を?」
「施設を見ていた」
「施設を……」
「俺にも、思い出にふけることくらいはある」
「はあ……」
思い出にふける、か。この施設に思い出があるのか。
正直なところ、この人がここらへんの施設を利用する光景はあまり思い浮かばない。
が、この人も息抜きくらいはするだろう。それは人間として当然のこと。堀北先輩を鉄仮面なんて思ってた俺が言うのも変だが。
大抵の人間、まあ特に日本人だが、何食わぬ顔して意外とやることやってるもんだ。
「そういえば、橘先輩はどうしたんですか」
「今日は別行動だ。常に一緒にいるわけではない」
「ああ、そうなんですか……」
もちろんそれはわかってるが、この人とエンカウントすると、だいたい半分くらいの割合で橘先輩もセットってイメージがある。
「俺はもう少しここにいる。お前も早く帰るといい」
「あ、ああ、はい。それじゃあ……」
また、と言いかけて、はたと思いとどまる。
そうだ、この人は卒業した。
つまり、「また今度」はないのだ。
「先輩、いつ学校出るんですか」
「1週間後、31日の正午過ぎだ。それがどうかしたか」
「そうですか……」
月末か。意外に余裕持ってるんだな。
「それじゃあ堀北先輩、ひとつ頼みがあるんですが」
「なんだ」
「帰るまでに、堀北と……妹と会ってやってくれませんか」
「鈴音と……?」
「そうです」
非常に不躾であることは十分わかっている。その上で、口にする価値のある頼みだ。
外灯の明かりは届いているが、堀北先輩の表情をしっかりとうかがうことは叶わない。
「お前から、まさかそんなことを頼まれるとはな」
「意外ですか」
「ある意味では意外だが……少し考えてみれば、またある意味ではお前らしいともいえる」
「……」
この人はほんとに、どこまで……
「お前に言われるまでもない。俺は会う気でいる。あとは、鈴音の心持ち次第だ」
「はあ……」
つまり、堀北が会おうと思えば、会える状態にあるってことか……
「……なるほど、誰か……いやまあたぶん清隆なんでしょうけど、堀北に伝言を?」
「そうだ。俺が帰る時刻に、校門の前で待つ、とな」
やっぱりそうか。
それなら、これ以上俺がここでやることはないな。
「そうでしたか。すみません、余計なことでしたね」
一応の礼儀として謝罪する。
「構わない。だが悪いと思っているなら、ひとつ質問に答えてもらいたい」
「……なんでしょう」
堀北先輩は眼鏡の位置を直し、俺を観察するように見て、言った。
「お前がクラスポイントより、プライベートポイント本位で動いていることは明らかだ。だがプライベートポイントを集めた先に、お前は何を見ている?」
……なんだ、その質問。
「普通に考えれば、2000万ポイント集めてクラス移動の資格を得る、って結論に至りそうなものですけど」
「それならそれで構わない。それがお前の本当の答えならな」
「……」
いや、違う。
当然俺はAクラスなんて興味はない。
興味があるとすれば……そうだな、俺らしくもないが、『人間』か。
そういえば以前、茶柱先生にもほとんど同じようなことを聞かれたな。
あの時は適当にはぐらかしたが……今回は、少し真面目に答えよう。
こう言ってはなんだが、卒業祝の代わり、とでもしておこうか。
「端的に言えば……たちの悪い逆恨みですよ」
「……逆恨みだと?」
「はい」
「……要領をえないな」
「まあ、でしょうね」
これで分かったらこええよ。
俺の発言の真意を看破できる人間は、恐らくこの学校の中にはいない。……と、そう思いたい。
「……贖罪とはいっても、俺に言えるのはここまでです」
「そうか。十分だ」
要領をえない、と言った堀北先輩だったが、どこか満足顔だった。
底が知れない堀北先輩だからこそ、不安になる。どこまで読まれているのかと。
……まあ、もう俺にはどうしようもないか。
「じゃあ、俺はそろそろ戻ります」
「ああ、そうするといい」
「はい。またいつか」
これだけの器を持った人だ。恐らくそう遠くない将来、社会で名前を上げることになるだろう。
俺はそれを蚊帳の外から見る、って感じになるだろうな。
その時になって、俺がちゃんとした社会生活を送れていれば、の話だが。
次はもうちょい短い間隔で投稿したいです……
絶対エタらないことだけは約束します。
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ep.92
11.5巻分の2話目です。ちょい文量多めです。
「あの件」が片付きます。
1
修了式、そして帰りのホームルームが終わり、俺たち在校生も、1年間の学事を全て終えることとなった。
4月4日までの期間は春休みとなる。
「ねえ、この後どっかいかない?」
教室の一角に綾小路グループで集まる中、波瑠加がそう提案する。
「どこか行きたいところがあるのか?」
「ここ、ってところは別にないけど。でも今日で学校終わったし、パーっと打ち上げってことで」
「いいんじゃないか。俺は大丈夫だ」
最初に賛成の声をあげたのは啓誠。
「オレもいいぞ」
「私も、大丈夫だよ」
清隆、愛理も続けて参加を表明する。
「明人は、部活の打ち上げとかはないのか」
「それは昨日やったからな。今日は特に予定はない」
「そうだったか」
式の直後が一番気分が乗りやすいだろうからな。急ぎでなくとも、昨日打ち上げを敢行するグループは少なくない。
「ともやんは?」
この中で唯一、参加の可否を明らかにしていない俺に波瑠加が問うてくる。
「ああ、悪い。今日はちょっと用事がな」
「え、ほんと?」
「嘘ついてどうすんだ」
とは言うが、波瑠加以外も驚いたような表情をしているのを見ると、俺に対する認識は全員一貫して四六時中暇人、って感じらしい。まあ暇かはともかくとして、四六時中予定がない、ってのは間違いじゃない。
ただし、今日は例外だ。
「んー、まあ仕方ないか。今日はもう帰るの?」
「そのつもりだ。ただ、その代わり、ってわけではないんだが」
俺はここで言葉を止め、自分の鞄の中をあさる。
そして取り出したものを、波瑠加と愛理に手渡した。
「ほら、これだ」
「これもしかして……」
「お返しだ。ホワイトデー付近は特別試験で忙しくて、用意できなかったからな」
バレンタインデーに女が男にチョコレートを渡す、という文化は日本限定。ホワイトデーに関しては存在自体が日本にのみ、とのこと。由緒のかけらもない、言ってしまえば製菓業界が旗を振る商業イベントでしかないわけだが、返礼を渡すこと自体は至極真っ当だ。
二人には同じチョコレートのクッキーを焼いた。寮にある電子レンジの性能ギリギリだったが、食ってみたら普通に美味かったので問題はないだろう。
問題があるとすれば、一結びにされた透明なビニール袋、というクソとしか言いようのないラッピングくらいだが……その点について二人が気にしている様子はない。
「すご。ありがとう」
「わ、私もありがとう」
「まあ……礼節としてな」
昼食後のデザートにでもしよう、と話し合っている二人を眺めつつ、この後の行動を考える。
「もしかして、お前の用事って……」
そんな中、明人が何かを察したように俺を見る。
「ん、ああ……多分合ってる」
俺の今日の用事とは、今のこの二人と同じく、バレンタインデーに俺がチョコを受け取った人物全員へのお返しを渡すことである。明人が予想を立てたのは恐らくこっちだろう。
しかし、俺の用事はそれともう一つ。
2
「……ほい」
「わあ、ありがとう速野くん。開けてもいい?」
「ああ、お好きにどうぞ」
教室で綾小路グループと別れた俺は、ショッピングモールのフードコートにて藤野と落ち合い、昼食を取っていた。
そして、良きタイミングで藤野にお返しを渡した。
「これは……マフィンかな?」
「……ご名答」
「へえ、速野くん、お菓子も作れるんだ」
「んなわけないだろ。レシピ調べて真似しただけだ」
俺の料理スキルが有効なのは、基本的に三度の飯のみ。そのため、先ほど波瑠加と愛理に渡したクッキーもレシピの見よう見まねだが、カテゴリーが全く違うとはいえ料理は料理だ。完全な料理素人に比べれば、手際は格段に違うだろう。
「そうだったんだ。ありがと」
「まあ、手作りには手作りで返した方がいいかと思ってな」
そのため、チョコを貰いはしたが、手作りではなく市販のものだった櫛田と松下には、同じく市販のものを返すことにしている。我ながら面倒な性格をしてるもんだ。
「あはは。すぐにでも食べたいけど、これは持ち帰って部屋でゆっくり食べることにするよ」
「ああ、それがいい」
マフィンは、ここでは用意できない紅茶やコーヒーとよく合う。より美味しく味わうためにも、自室で食べるのが最善だろう。
それに、藤野はこの後友人と遊びの予定があるそうだ。そんなにゆっくりまったりしている時間はない。昼食の時間を俺に割いてもらっただけありがたいと思うべきだ。
そのため、こちらもインターバルなしで行くことにする。
「それで、試験後のAクラスの様子はどうだ」
俺の質問を聞いた藤野は、一瞬固まるが、すぐに元の柔和な表情に戻る。
俺のいうAクラスとはつまり、坂柳陣営のことである。
そのため厳密にいえばAクラス全体のことを指しているわけではない。
藤野はそれらを理解した上で、俺の質問に答える。
「少し動揺はあったけど、形の上では勝ちだったから。大崩れはしてないよ」
「……まあ、そんなもんか」
どこに耳があるか分からない。言葉を慎重に選んで会話を行う。
「ただ坂柳さん、試験が終わった後により好戦的な雰囲気になってた気がするなあ」
「たぶん、バスケの件だろうな。油断してたわけじゃないだろうが、Cクラスがあんなことを仕掛けるとは思ってなかったんだろ」
あのバスケの仕掛けで、俺は坂柳の冷静さを奪うように仕向けた。
それはあの特別試験中だけでなく、今後の学校生活も含めた話だ。
基本的に無闇に誰かに目をつけられるようなことは嫌だが、それに見合うリターンがあれば別の話だ。
俺は坂柳がより俺に気を回すように、誘導した。
そしてそれは相対的に見て、坂柳がクラスに配っていた気を減らすことにつながる。少ないながらもその分隙も増える。
これらは全て、藤野たち中立派のための動きだ。
「あれは見事にやられたーって感じだったよ。あれと同じようなことを私たちの選抜した種目でされてたら、多分うちは負けてたかも」
「無理だよ。バスケだからできた仕掛けだ」
本来であればこんなボロを出しかねない危険な会話、わざわざこんな公衆の面前でする意味はない。
しかし、だからこそいい。さっき偶然を装って俺たちの近くに陣取った、Aクラス坂柳派にわざと聞かせるための会話だ。これによって、俺たちは自分たちの存在に気づいていない、と思わせることができる。
バスケの件が俺の仕業だとバレても問題はない。どちらにせよ既に坂柳に目をつけられている。
そしてこんなところにAクラスの坂柳派がいるということは、やはり藤野への監視の目が強まっている。そして坂柳派は坂柳派でも、元々は葛城派だったのが、葛城の勢力弱体化以降に坂柳派についた「外様」とでも言えるような生徒をスパイに起用しているところも、坂柳らしいといえばらしい。
ターゲットはおそらく俺ではないだろう。俺と藤野は向かい合って座っているが、あいつらが陣取ったのは藤野の背後の席、つまり俺から見た正面だ。これは俺ではなく藤野にバレないようにしている証拠といえる。
Aクラスの裏に存在する藤野派の動きを、坂柳が嗅ぎつけたか。あるいは前々から勘づいていて、ついに具体的な行動に出たか。
いずれにせよ問題はない。
「じゃあ、私はそろそろ約束の時間だから、出よっか」
「ん、ああ、そうだな」
帰り支度をして立ち上がり、トレイを返却口に持っていく。その道中で、藤野は先ほどのAクラスの生徒に声をかけていた。
後ろを取られていた藤野だが、恐らくスパイの存在には気付いていたんだろう。
その上で、普通に仲良さそうに話している。
お互いに内心では少なからず腹の探り合いをしているんだろうが、少なくとも坂柳派との表立った対立はない、それどころか非常に友好な関係を持っているということだ。
派閥間対立なんて、クラス内は殺伐としてただろうに、一体どんだけの人徳があるんだよ藤野には。
3
藤野と別れた後、櫛田にチョコレートのお返しを渡し、気がつけば時刻は日没を過ぎていた。
本日最大のイベントの時が近づいている。
今俺がいる場所は、敷地内のとあるベンチ。ここで俺は待ち合わせをしている。
その相手は何を隠そう、クラスメイトの松下である。
俺がバレンタインのお返しを渡す必要のある人物は、松下で最後だ。
クラスメイトである松下に、単にチョコを渡すだけなら、波瑠加や愛理のように教室で渡せばいい話。
そうせず、わざわざ人目のつかないこの場所に松下を呼んだのには、しっかりとした理由がある。
俺は今日、終わらせる。
謎に包まれていた松下の行動を、今日限りで終わらせるのだ。
全く好意を抱いてもいない俺になぜ近づき、まるで好意を抱いているかのように接してきたのか。
俺一人で考えても答えには行きつかない。
ならば、本人に直接確認するしかない。
もちろん、松下がそう簡単に認めるわけはない。こちらも会話をコントロールして、なんとか誘導する必要がある。
風に揺れる木と、俺の鼻息以外に音がなかったこの空間に、控えめな靴音が聞こえてくる。
いよいよ、始まりだ。
「あ、速野くん」
「……悪いな、こんなところに呼び出して」
「ううん、全然。こっちこそ、待たせた?」
「いやそんなに」
松下が到着した。出会い頭のありきたりな挨拶を軽く済ませる。
一瞬の間合いの後、松下はすぐに口を開いた。
「えっと……何かな、話って」
「……すまんがちょっと待っててくれ」
「?」
持ってきていた鞄からチョコを取り出しつつ、考える。
混合合宿以降の、松下が積極的に俺に接してくるようになった期間、松下は俺との雑談を好んでいた。いや、実際に好んでいたかどうかは分からないが、会えばまずは取り敢えず雑談、といった具合だった。
しかし、今日はいきなり本題を言うように促してきた。
自覚的であるか否かは分からないが、どうやら松下の気持ちは急いているようだ。
「これ、バレンタインにもらったやつのお返しだ」
「え、いいの?」
「ああ。市販だが、もらってくれるか」
「う、うん、もちろん。ありがとう」
「……ああ」
俺からチョコを受け取った松下は、包装を傷つけないよう、丁寧に扱って自身の持つ鞄にしまった。
そして、また沈黙が流れる。
口を開いてそれを破ったのは、俺だった。
「今日は……まあ、お前に言いたいことがあってな」
「う、うん」
松下の目をまっすぐ見据え、話す。
「こう、今更な気がするかもしれないが……混合合宿以降、よく話しかけてくるようになったよな」
「……うん」
「最初は確か、俺がスキー場で助けたやつのお礼をしたい、って話だったっけか」
「うん、そうだったね」
「……恥ずかしながら、めちゃくちゃ戸惑ったんだよ」
「え、どうして?」
「これは別に、全くもって文句ってわけじゃないんだが……話しかけてくれるのはいいんだが、元々の目的だったはずのお礼ってのが中々来なかったからな……」
「……」
沈黙、というより絶句といった方が正しいか。確かにこちらが礼を受ける立場とはいえ、「お礼が中々来ない」なんて言うのはいささか図々しい行為だ。
しかし、「お礼が中々来ない」というのは何も「早くしろ」と言っているわけではない。言葉を続ける。
「ただ、考えていくうちに段々と分かってきたんだ。実はお礼ってのはさして重要じゃなくて、本当に大事なのは話す時間そのものだったんじゃないか、ってな。俺の盛大な勘違いだったら否定してくれ、松下」
そう問いかけるが、松下は動かない。肯定もしないが否定もしなかった。
本来、こんなことを本人を前にして確認するなんて野暮もいいとこだ。しかしこと松下相手の場合は、そうではない。
「そんな中で、俺が一つ確信に至ったことがあったんだ」
「……それは、何?」
松下の表情。ポーカーフェイスを貫いているが、まだまだと言わざるを得ない。隠しきれない期待が、松下から溢れている。
「お前は……その、俺のことを……」
恐らく、松下は自らの勝利を確信している。
松下の行動理由は一向に分からないが、行動目的は分かる。
それは恐らく、端的にいえば、俺に告白させること。
「俺のことを、微塵も好きなんかじゃないってことだ」
だから、俺はそれを盛大に裏切ってやる。
「……え?」
あまりに予想外のセリフに、松下は面食らい、固まっている。
「え、えっと、どういうこと……?」
「別に、いま言ったまんまだよ。お前は俺相手に恋愛感情なんかこれっぽっちも持っていない。違うか」
「……」
改めて問いかけるが、松下は俯いたまま、微動だにしない。
恐らく、気持ちを落ち着けて、冷静さを取り戻そうとしているんだろう。
この展開は予想外ではあるだろうが、おそらく最悪の事態として想像していなかったわけではないだろう。それなりのシミュレーションもしてきているはず。
落ち着いたのか、松下がこちらを見て言葉を発する。
「……ううん、違う、違うよ」
「違うのか」
「うん。私は……私は! 速野くんのことが……好き、なの!」
周囲に人がいれば、間違いなく何事かと振り向くほどの声量だ。しかし、ここには人はこない。俺がそういう場所を指定したからだ。
にしても、そうか。思ったよりも素直に口にしたな。
松下は常に俺への偽の好意を匂わせつつも、直接言葉にして何かを言うことは絶対になかった。
しかし、それが失敗したと見るや、すぐさま切り替えて直接口にする選択肢をとった。悪くない選択だろう。そこそこ頭は回るようだ。
「そうなのか」
「うん。本当だよ! なのに、なんであんなこと言うの……?」
「じゃあ聞いてもいいか」
「な、なに……?」
「お前が俺のことを好きってのが本当なら、それは素直に嬉しい。ただ、それはいつからだ。いつから俺に好意を抱いてるんだ」
「そ、それは、スキー場で助けてもらったときからだよ……」
これだ。
俺はこの言質がほしかった。
俺への好意が嘘である、ということを松下に認めさせるのは、元々至難の業だ。言動、行動に何かしらの齟齬があったとしても、それらは大体が「照れ隠しだった」みたいな言い訳で片付けられてしまう。
しかし恋愛において、たとえ照れ隠しであっても嘘をつくとは思えないものの一つが、その人への好意を自覚したタイミングだ。本当に照れ隠しであれば、嘘をつくのではなく、そもそも教えない、という選択をするだろう。
しかし、松下はそうしなかった。
俺が質問を飛ばしてから答えるまでに迷いが見られなかったのは、それが用意していた答えだったからだろう。
さらに言えば、恐らく「教えない」と答えることで、ただでさえ好意そのものを疑っている俺に、余計な不信感を植え付けることを嫌った、とも考えられるな。
「……そうだったか」
「……うん、そうだよ。だから、あんなこと言わないでよ……」
松下がもし本当に俺に好意を抱いているんだとしたら、これまでの松下の言動に不自然な点はない。
実際、松下が俺に好意を抱いたキッカケとして、スキー場の件は十分にその役割を果たす。
しかし、それが嘘だということに関して、俺はかなり大きな自信を持っている。
「なら松下、お前はなんで、俺と同じように『滑れないフリ』をして、基礎コースに入ったんだ」
「……!?」
やっぱり、ここまで読まれてることは流石に想定外だったようだな。明らかに動揺が大きくなってる。
「ど、どうして、そんなこと」
「俺が経験者だからだ。だから分かるんだよ。素人のフリした経験者の動きは。ましてや、俺自身も同じことをしてたんだからな」
「そ、そんなことしてないよ、私」
「俺の勘以外にも根拠はある。あのスキー場の基礎コース周辺の構造は、スタート地点からゆったりとした下り坂になって、ゴール地点にかけて再び上り坂になっていく、鍋蓋の裏みたいな感じになっていた。たぶん、お前みたいに誤って転落する生徒が出ないようにするためだろうな」
傾斜の関係で、ゴール地点付近でスキー板は勝手に失速するようになっている。
「ゴール地点の後ろのあの傾斜を、あのスキー板の跡を残して登っていくには、しっかりとした技術が必要なんだよ」
ゴール地点からスタート地点に戻る際には、先程の下り坂は上り坂へと変化する。そこでも坂を登る必要があるわけだが、生徒たちはストックを必要以上に強くついて無理やり登ったり、スキー板を外して歩いて登ったりしていた。初心者にはそのような登り方しかできないのだ。
その上、スタート地点の傾斜はゴール地点よりも緩やかになっている。登る難易度はゴール地点の方が格段に高い。
それを松下は登ったのだ。
「それに、お前の怪我の具合も不自然だった。運が良かったと言えば、まあ確かにそれまでなんだが……ゴール地点の後ろの下り坂は結構スピードが出る。基礎コースで滑り続けてたお前が、あのスピードを殺すほどのブレーキをかける術なんてあるわけがないのに、森に突っ込んで怪我があんだけってのは、ちょっと軽すぎる」
松下は誤って滑り落ちたのではなく、意図的に滑り降りたのだ。
そして木にぶつかる直前でブレーキをかけて、怪我が重くならないようにした。
足が攣ったなんて真っ赤な嘘だ。
「どうしてそんなことをしたか。俺が答える。俺にあの現場に駆けつけてもらうためだろ?」
「……」
「そのためにお前はスキーの時間中、常に俺の一つ前に並び続けたんだ」
当時は特に疑問に思うことはなかったが、今にして思えば、あれは自身の異変に気づかせるための戦略だったということだ。
「つまり、スキー場で助けた時から、っていうさっきのお前の話は大嘘だ。お前はそれよりもっと以前から、なんらかの理由で俺に目をつけ、スキーを利用して、『自身が俺に好意を抱いても不思議ではない状況』を作り出したってことだろ。そして、そんな嘘をつく必要があった理由は簡単だ。それがきっかけとして一番合理的で、『もしかしたら俺に好意があるんじゃないか』という思考に俺を誘導しやすかったからだ」
口をつぐむ松下。
「ただ、それが嘘だと分かってしまえば、好意そのものの根本も崩れる」
「……」
「さっきと同じことをもう一度言うが……何か間違ってたら、否定しろよ」
そう問いかけても、松下は口を開こうとしなかった。
実の所、今の俺の話にはハッタリが多分に含まれている。
松下がスキーにおいて俺と同様に滑れないフリをしていた、という話の根拠として、スキー版の跡やら経験者だから分かる動きやらと根拠を述べたはみたが、当時はそんなもの意識して見ていなかったし、覚えているわけがない。したがってこれらは判断材料ではない。
しかし。
滑る際に松下が俺の前に並び続けていたこと。
本当にあの坂を誤って滑り落ちたら、あんな程度の怪我では済まないこと。
そして、松下の後ろにいた俺が気づかないほど、スムーズにゴール地点の坂を登って行ったであろうこと。
これらの事項から、先程の俺の話は十分に推測可能だ。
「……はぁ」
ずっと沈黙を守っていた松下が、息をつく。
「ここまで完璧に読まれるとは、思ってなかったよ」
諦め、そして降参の意図が、声色から読み取れる。
「じゃあ、今の俺の話は……」
「うん……全部速野くんの言った通り。1から10までね」
「やっぱりそうか」
松下はもう一度ため息をつき、先ほど松下の到着を待っている時に、俺が座っていたベンチに腰掛けた。
「聞いてもいい?」
「なんだ」
「いつから気づいてたの?」
「お前が俺に微塵も好意を抱いていない、ってことに関しては、最初からだ」
「そうだったんだ……それにも何か根拠があったりする?」
「いや、それは完全に俺の勘だ」
そう、勘だ。それ以上でも以下でもない。
同じような人間を……それも松下よりもはるかにレベルの高いものを何人も何人も見てきたからこそ養われた、俺の勘だ。
「……じゃあ、最初から私に勝ち目はなかったんだね」
「これを勝負と捉えるなら、まあそうなるかもしれないな」
松下と警戒心なく会話をするのは、随分久しぶりだ。スキー場以来か。
「ただ、一つ全く分からないのは、お前がなんでこんなことをしたのか、ってことだ。好きでもない相手にあんな接し方するのは、ストレス以外の何物でもないだろうに」
実を言うと、櫛田にチョコを渡してこんな遅い時間になってしまったのは、このことについてあいつに意見を聞いていたからだ。
もしかしたら松下も、櫛田には何かしら話してるんじゃないか、と考えた。そうでなくとも、こと対人コミュニケーションに関して誰よりも高い能力を持つ櫛田なら、何かしら答えに辿り着けるのでは、と期待もしていた。
しかしアテは外れ、結局答えには辿り着かなかった。
「速野くんは……なんていうか、私の理想に一番近かったんだよ。結構イケメンだし、学力は十分すぎるほど高いし。それに学力だけじゃなくて、ちゃんと思考力も持ってる。運動もそこそこできる。コミュ力はアレだけど……」
「アレって……いや、否定はしないが」
「でも、それも入学当初と比べれば成長してると思うし。それに恋人の一人でもできたら劇的に変わるかもしれない。将来性の塊だよ。だから、そういう相手に自分を意識させるための練習、っていうのが答えかな」
「……お前、さらっともの凄いこと言うな。つまりあれか、俺は将来に向けての練習台だった、ってことか」
「申し訳ないけど、そういうことになるね」
「……そすか」
あまりにもすんなりと言うので、それ以外に言葉が出なかった。
「でもああやって接していくうちに、好きって感情が生まれてくるんじゃないか、とは思ってたよ。元々理想に一番近かったわけだし。結局、そんなことはなかったけど」
一度バレたら潔いというかなんというか……もうちょい悪びれてくんねーかな松下さんよ。それともあれか、全部見破られたことへの憂さ晴らしか。
「もし仮に、俺がお前の戦略にハマって告白してたら、どうしてたんだ」
「それはもちろん、オッケーする予定だったよ。流石にあそこまでやっておいて告白はダメ、ってなったら、間違いなく私に悪評が立つし、速野くんにも申し訳ないしね」
その申し訳なさ、もう少し早い段階で感じて欲しかったんですけどねえ。
「正直、ここまで完璧にバレるとは思ってなかったけど……でも、どこかでこうなることを期待してなかった、といえば嘘になるかも」
「……どういうことだ?」
「私の行動をここまで見破った速野くん。これ、クラスの人たちが知ったらどう思うかな」
「……なるほどそういうことか」
クラスにおいては俺は、成績はいいが、ただそれだけ、といった感じで通っている。
ゴミレベルのコミュ力で、当然ながら恋愛経験なんてあるはずがない。松下のような女子に言い寄られれば、一瞬でコロっと落とされる。ましてや松下の行動の裏を読むことなんて到底できやしない。
俺のことをそのように思っているであろうクラスメイトが、今日この場の出来事を知ったら、強烈な違和感を覚えるだろう。
「強がりみたいに聞こえるかもしれないけど、私としては、正直どっちでもよかったんだよ。速野くんを落とすことに成功すれば、私の自信につながる。今みたいに全部を見破られて失敗しても……速野くんの本当の実力が見られる、と思ってたから」
「その割に、さっきはかなり焦ってた感じだったが」
「そ、それは……流石に、ここまでとは思ってなかったし」
「ああ、そう」
松下を動揺させたのも作戦の一つだ。途中まで上手くいったと思わせておいて、そこから突き落とす。この落差で、大きな衝撃を松下に与え、動揺を誘う。
心理戦では常套手段だ。
ただ、成功しても失敗してもどっちでもよかったと言うなら、はじめから勝ち目がなかったのは松下ではなく俺の方だな。
とにもかくにも、これで俺の長きにわたる疑問は解消した。
答えはかなりエグいものだったが、どちらにせよいい話が聞けるとは思っていなかったので、そこはまあよしとしよう。全然よくないけど。
「でも、よかったの? 私に実力を悟らせずにやり過ごすなんて、速野くんなら簡単にできそうだと思ったんだけど」
「お前な、好かれてもない奴からあんな接し方されるの、想像以上のストレスだぞ」
一年前の堀北の気持ちがよく分かった。確かにあれは拒絶したくなる。気分が悪くて仕方がない。
それに、あまり思い出したくないことも思い出すし。
この観察眼だって、養いたくて養ったわけじゃない。
「ていうか、実力を隠してたってこと、あっさり認めるんだ」
「普段からそう努めてるのは、事実だからな」
これに関しては最初から加味している。
「もし私が言いふらしたら、どうするつもり?」
「そんなことしないだろ。お前にメリットがないどころか、デメリットがデカすぎる」
松下があまりにも悪びれていないせいで矮小化されてる気がするが、実際のところこいつがやったのはかなりえげつない行為だ。思春期の多感な時期、軽くトラウマになっていてもおかしくはない。
俺のことを言いふらすということはつまり、そんな自分の行為についても言いふらすということ。そんなことをすれば、世紀の性悪女として一躍有名人だ。
そんな愚行はしないだろう、こいつは。
「俺からも聞きたいんだが……俺が実力を隠してたって、いつから気づいてたんだ」
今度はこちらから質問を飛ばす。
「明確にいつから、っていうのは分からないよ。学校生活の中でだんだん疑いが強くなっていった、って言い方が正しいと思う。だから、速野くんと同じ『勘』って言い方もできるかな」
「そうか……」
「でも強いていえば、無人島の特別試験のときだね」
「……なんかやったっけ」
「軽井沢さんの下着が盗まれた、って事件があったじゃない。あの時に、荒ぶる篠原さんを言いくるめたとき。勉強がもの凄いできるっていうのは知ってたけど、ああいうこともできるんだ、って思ったよ」
「ああ、あれか……」
荒ぶる篠原って……確かに的確な表現ではある。
ただ、確かこいつ篠原と仲良かったよな。親しい友人相手にそんな言い方するとは。
心の中では下に見ているのか、あるいは実は俺が知らないだけで、これが普通の友人関係なのか。
まあいいかどっちでも。
「それで松下、お前さっき、俺の本当の実力が見られるかもしれない、とか言ってたけど……いま実際に見て、どうするんだ。それとも、単なる興味本位だったのか」
興味本位だけでこんなに回りくどいことをできるんだとしたら、それはそれで恐ろしい行動力だが……
「興味本位っていうのも、あるにはあるんだけど……それ以上に、もし速野くんが高い実力を持ってるんだとしたら、私たちのクラスは、もしかしたら上に行けるんじゃないか、って思うようになったの」
松下の口から出てきたのは、クラスの浮上だった
なんとも意外なことを言い出した。
「お前はAクラスだのなんだのに、あまり興味を持ってないイメージだったんだが」
「最初の頃はね。この学校に入学した理由も、なんとなく、家族から離れて自分だけで生活してみたい、っていうのが強かったし。それに、私たちにAクラスへの望みが極端に薄いと考えてたから、っていうのもあるの」
まあ確かになあ。5月にいきなり0ポイントになってしまえば、Aクラスに対してそこまで熱意のない生徒は早々に諦めるだろう。このクラスは無理だと。
「でも、それは別にAクラスに行きたくない、っていうことじゃないから。私だって行けるなら行きたいよ。将来を有利な方向に持っていきたいし。そして、もしかしたらそれが叶うかもしれない、って人材が見つかったら、興味を持たずにいられないのは当然だよ」
「……まあ、そうかもしれないな」
それに振り回される側はあまりいい気はしないが。
ともかく、松下がAクラスへの熱意を持っていることは伝わった。しかしまだ抽象的な話しか聞けていない。
「それで、具体的には?」
「速野くんが、私じゃ足元にも及ばないぐらいの実力者、っていうことは、今回の件で十分理解したつもり。だけど一応私も、普段は実力を隠して、あまり目立たないように生活してる」
「ああ、それはそうだろうな」
こんなことを企てること自体、そこそこしっかりとした頭脳を持っていなければできないことだ。
また、松下が俺に好意を抱いていない、ということ以外、俺は松下の行動に関して、推測は立てられても、最後まで確信を持つことはできなかった。つまり尻尾を見せなかったということ。
それに第三者からみれば、松下は俺に好意を抱いている、という風に間違いなく映っていただろう。櫛田の目も誤魔化せたほどだ。十分といえる。
これらを加味しても、松下が学校内でも有能な部類に入るであろうことは、間違いないだろう。櫛田、平田クラスに比べるとやはり見劣りはするが、それでも少なくとも上位20%くらいには入ってくるんじゃないだろうか。
そしてそれは、松下が普段の学校生活では全く見せていない一面でもある。
「だから私は、速野くんの力になれると思ってる。本当は表立って思いっきり行動してくれるのが一番いいけど、そこまでは求めない。だからAクラスを目指すために、私と一緒に行動してくれないかな」
要するに、内容的に違いはあっても、去年5月の堀北と似たようなもん、ということか。
「……一緒に行動する、ってのはどういうことだ」
「基本的に、速野くんが出した指示を聞いて私が動く、と捉えてくれていいよ。さっきも言ったけど、私じゃ速野くんを動かすなんて絶対に無理だから、対等な関係ってわけにはいかないことも理解してる」
「……なるほどな」
さらっと話を聞く限りでは、俺の方にデメリットはないように思える。
松下がこんなことを言うなんてあまりにも意外すぎるが、別に悪い話ではない。
しかし、話はそう単純じゃない。
「松下」
「なに?」
「悪いがいまの時点では、お前の話に乗っかることはできない」
実質的な拒否。
しかし松下は特に焦った様子もなく、努めて冷静に会話を続ける。
「理由を聞いてもいい?」
「まず、お前は俺に対して絶望的なまでに信用がないこと、これを理解してるか?」
「それは……うん、そうだよね」
あんなことをされた直後で、簡単に信用しろという方が無理な話だろう。松下は俺の信用を自分からかなぐり捨てたのだ。
「信用できないやつには指示はできないし、もちろん指示にも従えない。単純な話だ」
こいつは自分の指示に従う、という信用。これが持てないやつに指示を出すなんてあまりにも危険すぎる。
そういう意味では、櫛田には一定の信用があるといえる。
「それともう一つ、俺が表立って行動してない理由を単に『目立ちたくないから』と理解してるみたいだが、全然違うからな」
さっきこいつが言った、そこまでは求めない、というセリフ。
完全に理解不足から来ている。
その点を指摘すると、松下は少し考えた後に言う。
「……たしかに、そうだね。もしそれだけが理由だったら、試験でも手を抜いてるし、スキー試験でも、あんなことするわけがないよね」
「そういうことだ」
こちらが最後まで言わずとも、理解してくれたようだ。
「でも速野くん、さっき『いまの時点では』って言ったよね。それってつまり、まずは信用を獲得しろ、ってこと?」
「……まあ、どう捉えても構わない」
「……そう。じゃあ、頑張るね」
こういった言い方をすれば引き下がると思ってたんだが、俺の想定以上に松下の本気度は高いらしい。
目立たないことを第一とした学校生活に、飽きがきてたりするんだろうか。
正直なところ、初めのうちは松下をどうにか利用してこっちの駒にできないか、と考えてはいたのだ。
しかしこいつの動機があまりにもアレだったので、流石にキツいと判断したんだが……まさか向こうのほうから申し出てくるなんてな。
「……そろそろ時間も遅いな」
「そうだね。帰ろうか」
「ああ」
俺が最初に歩き出すと、松下はカバンを持ってベンチから立ち上がり、こちらの一歩後ろについた。
「あ、そうだ。4月以降なんだけど、私が告ってフラれたってことにしておくね。恋人は無理だけど、まずは友だちからお願い、って言われたって感じで。そしたら私たちが話してても不自然じゃなくなるでしょ?」
「ん……じゃあ、それで頼む」
「オッケー」
たぶんそれが一番楽に片付くだろう。特に異論はなかった。
警戒心を解いた上での松下との会話は……まあ、思っていたより悪くなかった、と言っておく。もちろん気を許したわけではないが、それはまた別の話だ。
展開が少し違えば、もっとすんなり「良好な関係」を築けていたかもしれないな。
そんな仮定に意味はないのだが。
スキーの場面での伏線の張り方があまりにも雑で甘すぎたのが、大きな反省点の一つですね。あの場面でオリ主の松下に対する疑念の描写ができていれば、もっと綺麗にまとめられたと思います。
原作と違い、松下は実力者の疑いを綾小路ではなくオリ主にかけています。はからずも、オリ主は綾小路の隠れ蓑のような役割を果たしていることになりますね。
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ep.93
1か月以内に更新できた……
1
朝……いや、時刻的には昼の方が近いか。
ベッドから起きると、端末に合計3件の通知が入っているのを確認した。
そのうち2件はプライベートポイントの振り込み。
1件目が28万ポイント、2件目が26万ポイント。
それぞれセンター試験、そして二次試験の同日模試の結果を受け、その成績に合わせて俺に振り込まれたポイントだ。
実は結構心待ちにしていたことだったりする。
しかし実際に貰ってしまえば、まあこんなもんか、という感じだ。
感覚的には幼少期にお年玉貰うときに似てる。額の桁が違うけど。
とはいえ、よくもらった方だろ。
恐らく前回からの予想通り、受験の学年の差によるプレミアム的なものはついてるんだろうけど。
てことはつまり、来年以降は獲得ポイントが減ると予想されるわけか……なんか、そう考えると十分とはいえない数字って気もするが、まあいいか。これ以上は仕方がない。
学習部が正式に立ち上げられてから、約3ヶ月が経過したことになる。俺はその間、先程の2つと合わせて合計6つの模試を受験した。
その中で、振り込まれるポイントの量の基準に関して分かったことがいくつかある。
ひとつ目の基準は、当然だが点数、偏差値と順位。だがこの基準は、単科目ではなく、複数科目の総合点、偏差値、順位の方を見ているであろうということ。
一つの科目だけで高得点を取り、その他の科目でわざと手を抜いて受けたとき、ポイントが振り込まれなかったのが根拠だ。
次に受験人数。その模試の規模が大きいほど、高得点を取ったときに獲得できるポイントが多い。
最後に母集団のレベル。一口に全国模試といっても、その難易度はピンキリだ。難易度が高い模試ほど受験者の母集団レベルは高くなり、獲得できるポイントも高い。
その他にもあるかもしれないが、俺に振り込まれるポイントの査定にこの3つの基準が使われていることは、少なくとも確かだ。
まあ下二つに関してはある程度予想はできていたから、センター試験と二次試験はかなり気合入れて挑んだが……
閑話休題。
最後の1件の通知は、清隆からのメッセージだった。
「今日の10時から、ケヤキモールのカフェで一之瀬と堀北を交えて会えないか……」
受信時刻は8時半ごろ。
このメンツが一堂に会するということは、何らかの話し合いが行われるのか。その中に俺が入っているというのは、それなりの評価を受けているってことで素直に喜んでおこう。
ただ、残念なお知らせがある。
現在時刻が11時ちょうど。もしかしなくても圧倒的に遅刻である。
春休み期間中も昼夜逆転はしないよう気を付けてはいるが、どうしても夜更かしをしてしまうもんだ。今日の就寝時間は午前3時。別に遊んでたわけじゃないから許してほしい。
さて、実際問題どうするかな。
準備と移動を今からどれだけ急いでも、到着するのは11時20分ごろになるだろう。話し合い開始から1時間半近くが経過することになる。
そのころには、話し合いも既に煮詰まっているはず。そこに何の話も聞いていない新顔が出向いても、説明の手間などが増え、はっきり言って邪魔になるだけ。堀北あたりには「要らんわお前」みたいな感じで睨まれてもおかしくはない。
ただ、それはこちらの一方的な想像に過ぎない。どんな状況にも対応できるよう、一応準備して向かうことにする。
拒まれないならそのままそこにいればいいし、今さらいらないと言われたら、買い物やらなんやらして帰ればいい。休みに入ってから部屋出るのも久しぶりだし、外の空気を吸うのも悪くない。
清隆にその旨をメッセージで伝え、すぐに準備を整え部屋を出る。
その道中で、清隆から「分かった」という返信をもらった。
拒まれなかったことにひとまず安心し、カフェまでの道のりを急ぐ。
モール内に入り、息を整えてからカフェに入店。
3人の姿はすぐに見つかった。
「悪い、ついさっき起きたばっかりでな」
「ううん、私の方こそ、急に呼んじゃったりしてごめんね」
「ちょっと、夜更かしの癖がつく前に直しなさい。新学期が始まってから遅刻したら承知しないわよ」
「あ、ああ、うん、はい」
2人とも真逆の対応をどうもありがとう。
それぞれがそれぞれの特徴を際立たせる。これがシナジー効果ってやつか。違うか。
「けれど、来たタイミングはちょうどいいわ。座って」
「ん、ああ」
堀北に促されるまま、空いていた一之瀬の隣の椅子に腰掛ける。
「では、一之瀬さん。一つあなたに伝えておきたいことがあるの」
その堀北の発言で、この状況と先ほどの堀北の「タイミングはちょうどいい」という言葉の意味を理解するに至る。
このメンバーで話し合うネタと言えば、限られている。
まずは先の特別試験のレポート。どのような戦略で臨み、どのような戦略で挑まれたかを報告しあう。俺がここに着く前に、恐らくこちらの方は済んだのだろう。
そしてそれを受けて、もう一つが……
「単刀直入に言うわ。来年度以降は、このクラス間の協力関係を撤廃させてもらいたい」
「……そっか。やっぱり、そんな話が出るんじゃないかって思ってたよ」
この場にいる4人は、俺たちとBクラスが協力関係を結ぶに至るきっかけになったメンバーでもある。
となれば、その撤廃を話し合うときにもこのメンバーで、というのは不思議な話じゃない。
「今回の特別試験や、それ以前、特に体育祭の後からの状況を踏まえて判断したわ。Aクラスに上がるため、3年生に進級するまでに最低でもBクラス。そしてポイント面でも、Aクラスを狙えるような位置につけることを目標にする。その過程で、この協力関係がしがらみになってしまうリスクが非常に高いわ」
そもそも、当時の俺たちと一之瀬のクラスが協力関係を結べた理由は、様々な意味でお互いが敵対関係になかったからだ。ポイント面でも実力面でも圧倒的に差があり、BクラスにとってDクラスは脅威になり得なかった。
しかし、この一年で状況は大きく変わった。
俺たちは、Bクラスを明確に「敵」と捉えることができるまでになった。
それは協力関係の根底が覆ることを意味している。
「……そう、だね。確かにそうかもしれない」
「賛同してくれるかしら」
「うん。もっとポイントが詰まったときでいいんじゃないか、って言おうとしたんだけどね。でも堀北さんの目標を聞いたら、そんなこと言えないなって思って」
それもそうだろう。
さっきの堀北のセリフは、一之瀬に対して「明確に敵対する」と言っているようなもの。心に余裕を持ってはいられない。
「二人とも、同意見なのかな」
一之瀬の問いに、俺も清隆も首肯で返答する。
事前に示し合わせていたわけではない。
だがこの状況なら、遅かれ早かれ協力関係の撤廃は必至だ。関係の撤廃に反論する材料は持ち合わせていない。
俺たちの返事を確認して、一之瀬は一度ふっと息を吐いた。
「じゃあ、これから私たちは敵同士、ってことだね」
「ええ、そうね。今までありがとう、一之瀬さん」
「こちらこそだよ」
どちらからともなく差し出された手は、テーブルの上で固く結ばれる。
外から見れば、まるで和平交渉が成立したかのように見えるが、実際は真逆。堀北が宣戦布告をしたに過ぎない。
それがこのような空気で終えられるのは、ひとえにこの協力関係が健全なものであったがゆえ、ということだろうか。
2
話し合うべきことを話し終え、その後は雑談もなくスムーズに解散となった。
なった、のだが。
俺はなぜか一之瀬に呼び止められ、ここに残ることになった。
まあ別に、今日は夜まで用事はないから一向にかまわないんだが。
「それで、俺に何か話があるのか」
あまり時間を浪費するのも好きではないので、ここは時間を置かずに一之瀬に問う。
「あ、うん。それなんだけどね……」
「……」
先ほど堀北と対峙していた時とは、明らかに雰囲気が違う。
さっきは一本芯が通っていた。なんかこう、ピシッて感じだった。
今も背中はピンとして、姿勢自体はいい。
しかし、どこか弱弱しい。
「その前に、お昼ご飯、一緒にどうかな」
「……へ?」
あまりに予想外の誘いに、少し呆けた声が出てしまった。
「まだちょっと早いけど、さっき起きたばかりってことは、まだ何も食べてないんだよね?」
来店直後にちょろっと言っただけのセリフを、正確に覚えていたらしい。
「ああ。だからこの後、モールのどこかで昼飯食べる予定だったが……」
「私もそのつもりだったからさ。どうかな?」
「……」
んー、まあ断る理由ないしな。
今日は一人で食べたいってわけでもない。
「別にいいぞ」
「よかった。ありがとう」
「それから、俺が奢る」
「えっ、そんな……」
「部活のことの口止め料とでも思ってくれ」
もちろん、一之瀬がわざと漏らすことはないだろうけど。
ただあのままだと昼飯奢るとか言い出しそうだったし。
そんなことになったらちょっと藤野に怒られそうだ。
「……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
「ああ、そうしろそうしろ。……正直助かっただろ?」
「にゃはは、まあね」
残額がいくらあるかは知らないが、清隆と堀北にも奢ったようだし、余裕はないだろうからな。
その後、カフェを出た俺たちは、近場のファストフード店で軽めの昼食を済ませた。
3
「おいおい冗談だろこれ……」
「うわー、これは……」
サッと昼を食べ終え、モールを出ようと出口の自動ドアに来た俺と一之瀬。
俺たちを待ち受けていたものは。
「まさに土砂降り、って感じだね……」
「食ってる時から雨音は聞こえてたけど、こんなに降ってたのか……」
雨粒によって、少し視界が悪くなっているほどの激しい雨だ。
困ったなこれは。
「速野くん、傘は持ってきてないの?」
「天気予報なんて見る間もなく、部屋飛び出したからな」
モール内で妙に傘持ってる人が多いと思ったら、そういうことか。午後からは激しい雨、と天気予報で予想されていたようだ。
「どうしようもないな……」
天気予報曰く、明日の朝まで降り続くらしい。夜にかけて勢いは弱まるそうだが、それでも強めの雨だそうだ。
つまり何をするにしても、寮に帰る必要がある以上は傘が絶対になくてはならない。
仕方ないか……。
「お前は傘持ってるみたいだし、先帰ってくれ。傘レンタルしてくる」
時間を取らせるのも悪いと思い、そう提案する。
しかし一之瀬は首を横に振った。
「ううん、ここで待ってるよ」
「いや、でも……」
そんなことしなくても、と言いかけて、やめる。
そういえば昼飯誘われたとき、「その前に」って言ってたっけか……
つまり、これから何かしらの用事が俺にあるってことか。
「わかった。じゃあちょっと時間もらうぞ」
「うん」
気持ち早歩きで傘のレンタル場所に向かい、往復5分ほどで一之瀬の元に戻ってくる。
「悪いな」
「ううん。じゃあ出ようか」
「ああ」
二重の自動ドアを通り抜け、外に出る。
やっぱりもの凄い雨だ。量もそうだが雨粒の大きさも半端じゃない。
雨が傘に当たる音がかなり大きい。
そしてそれは、こんなところに支障をきたす。
「……と、……めだ……」
「は? なんだって?」
何言ってるのか分からなかったので聞き返す。
そう、まともに会話ができないのだ。
俺に一之瀬の声が聞こえないのなら、当然一之瀬にも俺の声は聞こえない。
耳に手を当てて聞き返してきた。
これはもう仕方がないな。
思いっきり息を吸って……
「雨音が強くて何言ってるかわかんねえ!」
「そうだね! 速野くんの大声初めて聞いた気がするー! ちなみにさっきは『ほんと、すごい雨だね』って言ったんだよー!」
「ああ、そうだったのかー! あと俺普通に大声出すぞー! 痛い時とか! あと無人島で毛虫が手の上に乗っかってきた時とか!」
「え!? そんなことがあったの!?」
なんてシュールな光景だ。超至近距離なのに大声で会話。
このまま続けてたら、寮に着く頃には喉が潰れててもおかしくない。
お互いそれを悟ったのか、寮までは無言で歩みを進めた。
そして、やっとのことで到着。
「着いた……」
「いやー、長く感じたね」
「まったくだ……」
ケヤキモールから寮。距離は大して遠くないが、とんでもない疲労感だ。
建物内に入ると、ロビーの床のスムーズな素材と、雨で湿った靴の裏が擦れ、キュッキュッと2人分の音が響く。
濡れているのは靴の裏だけでなく、中もだった。
靴下まで雨水が染み込んで、非常に気持ちが悪い。
水溜りは踏まないように注意していたが、努力虚しくこの有様だ。
早く部屋に戻ってその処理をしたい、というのが本音だが……
「それで……俺に話があるんだったよな」
「……うん。本当は帰り道で話すつもりだったんだけど……」
「まあ、あんな状況じゃ無理だわな……」
これは無理があると理解するのに、そう時間はかからなかっただろう。
「で……どうしたいんだ。俺としては、別にいまここでもいいんだが」
「流石にここはちょっとね」
だろうな。流石に冗談だ。
「なら、日を改めるか」
「ううん、それは速野くんに悪いから……その、もしよかったら……私の部屋に来てくれないかな」
「……」
様子からしてあまり他人に聞かれたくない話のようだし、場所としては妥当っちゃ妥当か……
ただ別の問題がある気がするんですが。
「……構わないが。お前はいいのか」
「私は大丈夫。話を聞いてもらうんだしね」
……まあ本人が言うなら、いいか。
「わかった。ただその前に、着替えとか、色々やっといた方がいいことがお互いにあるだろうし、一旦解散してから……そうだな、2時半に行っていいか」
「オッケー。じゃあその時間に」
「ああ。また」
4
「お邪魔します……」
「うん、入って入って」
その後、びしょ濡れになった靴の水分を取るために紙を詰めたり、軽くシャワーを浴びたりしているうちに、あっという間に約束の時間になった。
「サンダルに靴下……」
一之瀬は俺の足元を見て、微妙な表情を浮かべる。
待て。変なのは認めるが、これには弁解の余地というものがあってだな。
「……あれ以外に靴なかったんだよ。かといって人の部屋に素足で入るのもな、と思って……」
「あ、いや違うよ。あんまり見ない組み合わせだなって思っただけだよ」
「自覚はある」
「にゃはは……」
緊急措置だ。それに靴なんて地面と足の接触防いでくれりゃそれでいいんだよそれで。
にしても、やっぱり女子の部屋と男子の部屋は雰囲気が全然違うな。
以前一之瀬の部屋を訪れたのは……もう1ヶ月前になるのか。あの時は藤野も一緒だったっけ。
俺の気付く範囲では、その時と部屋の様子は変わっていないようだ。
「よかったらこれに座って」
「ん、ああ、助かる」
クッションを差し出され、それを尻の下に置く。
一之瀬も、ベッドも備え付けの椅子も使わず、俺と同じく床にクッションを置いて座った。
「何か飲む?」
「いや、部屋出る前に飲んできた」
「そっか」
そう答えたものの、一之瀬は常温の水をコップ2つに入れ、1つをこちらに差し出した。
それを受け取り、こぼさないよう気をつけながら足元に置く。
そしてしばらくの間、沈黙が流れる。
「……」
俺からは何も言わず、一之瀬の言葉を待つ。
迷ってるのか。いや、様子を見る限り、俺に何かを言うこと自体は決めているようだったが……
などと色々思案しているところで、一之瀬はゆっくりと口を開いた。
「どう、思うかな。今回の私たちの結果……」
「どう思うって?」
「……速野くんの率直な感想を聞きたいんだ」
ようやく明らかにされた要件。
「……感想も何も、俺には感想を持つための材料が足りない」
俺が知っているのは仮定の一部と、5対2で龍園のクラスが圧勝したという結果だけ。
それだけでは、「残念だったな」以外は何も語ることはできない。
「まあさっき二人には説明しただろうけど……悪いが、もう一度話してくれるか」
「そう、だね。わかった」
そこから、龍園率いるDクラスがどのような戦略を打ってきたのか、それを聞かされた。
試験当日、Bクラスから数人の体調不良が出たこと。そして、恐らくはBクラスの選抜種目の情報が漏れていたこと。
二度手間だろうに、丁寧に説明してくれた。
「なるほどな。……やっぱり、ただの陽動じゃすまなかったか」
陽動は陽動でも、それは作戦の序の口に過ぎなかった。
陽動は、Bクラスの生徒に隙を作るため。
そしてその隙に付け込んで端末を盗み見て、種目の情報を取る。同様に、何かしら体調不良を催すような薬品をBクラスの生徒に摂取させた。もちろん証拠はないが、状況から見てほぼ間違いないだろうな。
龍園らしいといえばらしい、無茶苦茶な戦略だ。リスクが高すぎる。最悪の場合は自分一人が全部を背負うつもりではあったんだろうけど。
「やっぱり、って……速野くん、予想してたの?」
「振り切った種目選択をしてきたって話を聞いた時点で、龍園の再登板は多少は疑ってた。……いや、お前も可能性は感じてたんじゃないのか。そのうえで『あり得ない』と自分の中で勝手に結論付けていた。違うか」
極端な種目選択にきな臭さを感じないほど、一之瀬は頭の回らない人間じゃない。
そこまで感づいたうえで、無視した。いまの一之瀬なら、こっちの方がよっぽど納得できる流れだ。
「確かに、龍園の再来を考えるのは精神衛生上よくないからな。ただもしそうだとすれば、今回の敗因の大きな部分を占めるのは、龍園の影を見て見ぬふりをしたその甘さ、だと俺は思うぞ」
「にゃはは……分かっちゃうんだ」
「あの時、期待に沿えなくて悪かったな」
俺がそう言うと、苦笑だった一之瀬の表情が急激に強張る。
「……そこまでも、分かるんだね」
一之瀬の口から俺にDクラスの種目選択の話をしたとき。
一之瀬は俺がその話を聞いて「龍園の影」について言及し、逃げてしまっている自分を、龍園に向き合わせてくれることを期待したのだ。
「あのとき何も言わなかったのは、俺自身確証があるわけじゃなかったからだ。言っても、無駄に混乱を招くだけになる可能性も高かった」
「そんな、そのことについて責める気は毛頭ないよ。むしろ感謝してる。私たちはこのままじゃダメだって、改めて実感した。いい機会になったと思う」
「龍園たちを訴える気は?」
「今のところない、かな」
「それでいいのか。陽動はまだしも、流石に薬使うのはアウトだろ」
「うん。それでも」
「……そうか」
「うん。この失敗は次に活かす。そう決めたから」
こちらとすれば、訴えてくれた方が都合いいんだけどな。同じ手を防ぐ意味でも。
話し終えると、一之瀬は水を一気に飲み干し、空になったコップは机の上に置いた。
「話してみて、改めて分かったよ」
「……何がだ」
ここで、一之瀬のスイッチが切り替わったのを感じる。
声色や挙動、雰囲気が、先ほどとは違っている。
「……やっぱり速野くんは……勉強だけじゃなかったんだね」
唐突にそんなことを言い出す一之瀬。
「……どういうことだ。急に何言ってるんだ?」
当然こう問い返すしかない。
しかしどうやら、俺のこの対応を一之瀬は想定済みだったらしい。ほとんど間を開けずに言葉が出てくる。
「学力は高いけど、クラスの作戦とか、そういったことを考えるのはあまり得意じゃない、っていう人もいるでしょ?」
「ああ、いるな」
うちのクラスでいえば啓誠、それから王なんかがそれに当てはまる。
もちろん2人とも思考力は高いが、堀北には遠く及ばない。
その逆が龍園か。
いや、もちろん龍園も真面目にやれば点数は取れるんだろうが……
「最初は、速野くんもそういうタイプだと思ってた。学力がものすごく高いのは知ってたけど、特別試験で名前が出るのは、いつも堀北さんと平田くんだったから……ううん、違うかな。そう『思わされてた』んだよね、きっと」
頭の中を整理しつつ、一之瀬はゆっくりと言葉を紡いでいく。
「異常に高い学力。にも拘わらず、特別試験ではあまり名前が出ない。それで私たちはずっと、速野くんは学力の人、だとばかり思わされてきた。でもそれは全部、速野くんの作戦。あえて学力だけを見せることで、それ以上はないと思わせる……つまり速野くんは『二重底』を作っていた」
「……」
そうか。
その結論に達したか。
もしかしたら、最初から一之瀬の本題はこれだったのかもしれない。
「そう考えたら、色んなことが繋がってくる。船上試験、速野くんの特殊グループのポイントの動きが変だったのも、速野くんがスキーで大量のポイントを獲得したのも……それに聞いたよ、綾小路くんから。追加特別試験のとき、Dクラスからポイントを融通するように動いてたのも、速野くんだったって……」
「……」
は?
あいつ……一体どういうつもりだ。
俺は、お前が一之瀬に対して恩を売るために……
いや……まさか。
そういうことか。
「……どう考えるのも自由だ」
「……どうして速野くんは、私には実力を隠さなかったの? やりようはいくらでもあったはずだよね……?」
「……」
確かにそうだ。
一之瀬の万引きのときも、藤野のためではあったが、俺が一之瀬と直接関わらない方法はあっただろう。
なんなら、藤野1人でも事足りていたかもしれない。
なら、なぜ俺は動いたのか。
「何回も何回も、速野くんに助けられて……さっきの龍園くんの話も、私、無意識のうちに速野くんを頼ってて……このままじゃ、私は……」
「……」
追い詰められたような、震えた声だ。
さて、どう答えたものか。
今更知らないふりをするわけにもいかないし、する気もない。
考える。
俺は何を思っていたのか。
「……分からないな。自分でも。ただ、お前に対する意識が変わったのは、お前が万引きしたって話を聞いてからだ」
「……あのことが?」
「ああ」
一之瀬にとっての、過去の汚点。
それを受け入れ、飲み下して立っているのが、いまの一之瀬だ。
「一之瀬。……俺は、お前と同じなんだ」
「え……?」
何を言ってるのか分からない、という表情だ。
非常に困惑しているのがわかる。
「あれよあれよと理由づけをして、人のものを奪った。内にそういう弱さを持ってる」
自らの不幸な境遇に言い訳をして、高価なヘアピンを奪った。
俺も同じだ。
自らの不幸な境遇に言い訳をして、人のものを奪った。
「……速野くんも、万引きを……?」
「いや、万引きじゃない」
あれは普通に売られてるもんでもないからな。
当然、社会通念上の話として、売り物でないとしても奪ってはいけないとされる。
ただ俺は……それを奪っても、罪悪感を欠片も感じなかった。
それは今でも同じだ。俺はそれを奪った自分を、悪いと思ったことは一度もない。
悪いのは俺じゃない。
奪っておきながら、俺は心からそう思ってしまえる。
「だから……見たかったのかもしれないな。俺とは違ってその弱さを克服して、真っ直ぐに歩くお前の姿を」
考えながら話していて、俺の中で今思い至った結論だが、自分の中でも想像以上にしっくり来るものだった。
「弱さを、克服……?」
「そうだ」
前と言っていることが違う、と思ったのかもしれない。
確かに違う。だが、本質は変わってない。
これは地続きのものだ。
「一之瀬。一つ頼みがある」
視線が泳いでいる一之瀬。
心なしか震えている肩を右手で掴んで、こちらを向かせた。
目が合う。
その大きな瞳は、揺れている。
「以前言ったよな。俺は弱いお前を受け入れる、と」
「う、うん……」
「それは今でも変わらない。クラスメイトでも藤野でも……俺でも、頼ってしまえばいい。ただ……」
一度言葉を切る。
言葉の続きを待つ一之瀬。
俺は右手を、掴んでいた一之瀬の肩から離す。
そして、口にする。
ただ、もしできることならば。
「強くなってくれ。俺の支えなしで」
大きな瞳が、さらに大きく見開かれる。
助けてほしければ助ける。自らの発言の筋くらいは通すつもりだ。
ただ、できればそうしてほしくない。
俺なんかの助けは借りないでほしい。
「次の一年間、たぶん……いや、ほぼ確実に、今年度以上に激しい争いになるだろう。……頑張ってくれるか」
それまで黙って聞いていた一之瀬。
「もう、助けてはくれないの……?」
「そうは言ってない。だができれば、したくない。一之瀬が本当の意味で強くなったとき、恐らく俺は邪魔な存在になる」
「そんな……」
成長を促す相手ではなく、成長を阻害する相手になってしまう。
そんな確かな予感があった。
「ただ……そうだな。たまに話は聞かせてくれ。お前がどうなりたくて、どんな選択をしたのか。クラスの事情もあるだろうし、話せる範囲で構わない」
ここまできて、Bクラスの事情を探るとか、そんな下らない裏はない。
あるのは純粋な興味本位……そして、少しの裏。
「お前の生き様を、見せてくれないか」
一之瀬の目を真っ直ぐ見て、伝える。
そんな俺の言葉を受けた一之瀬。
一度目を閉じ、間を開けてから、言った。
「……分かった。頑張るよ、私」
「……ありがとう」
一之瀬が本当の意味で強くなるときは来るのか。
来るとしたら来年か、あるいは卒業の時か。それともそれ以降か。
はたまた、強くなることはできずに、終えてしまうか。
どんな道を進んだとしても……それは一之瀬が紡いだ物語だ。
俺はただ、その様を見届けることしかしない。
一之瀬が自ら、自分の『芽』を潰す選択をしない限り。
一之瀬とのシリアス担当を綾小路からオリ主に入れ替えました。
似たような展開に見えますが、綾小路が一之瀬に求めたことと、オリ主が一之瀬に求めたことはかなり性質が違うもの……だと思われます。
私の読解力ではそうなってます、少なくとも。
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ep.94
1
高度育成高等学校の敷地内は、監視カメラで溢れている。
校舎内はもちろんのこと、娯楽施設も例外ではない。
これはもちろん、生徒の不正や、生徒間の揉め事の監視を目的としていることは言うまでもない。
もちろん、死角はあるにはある。
例えば、清隆と堀北先輩が一悶着を起こした寮の裏側。
また、龍園の差金により、須藤と石崎たちが揉め事を起こした特別棟の一角。
各施設のトイレや寮の自室なんかも、一応死角に入るか。
厄介ごとが起こるのは、常にこのような監視カメラの死角になっている場所だ。
ただし、何か学校側にはバレたくない行動を起こす時に、それらの場所が絶対安全かといえば、決してそうではない。
その場で何をしたか、は確かに記録されない。
しかし、その場に誰がいたか、は解析すれば把握することができる。
つまり、たとえ死角であっても、監査カメラから完璧に逃れられるわけではない。
ただ、生徒は本来そちらの方を考慮する必要はない。
その場に誰がいたか、だけでは、生徒が何か不正を犯したりした証拠にはならないからだ。
しかし、時と場合によっては、それだけでは不十分なこともある。
「いきなりどうしたんだ知幸。こんなところに呼び出して」
そんなことを考えながら木に背中を預けていると、目的の人物が到着したようだ。
いつも通り、何を考えているのか分からない表情でこちらに近づいてくる。
クラスメイト、そして友人の清隆だ。
一之瀬と色々話したのが昨日。
そして今日は、清隆と色々話すことがある。
「いきなりなのはそっちだろ。昨日一之瀬から話聞いてびっくりしたぞ」
「……ああ、あの話か」
出会い頭に、少し毒づかせてもらう。
俺が何のことを言っているのか、清隆は瞬時に理解したらしい。
追加特別試験について。
あの件での一之瀬救済の発起人は、俺だった。
そのことは一之瀬には隠し、清隆が全てやったことにして、こいつに一之瀬へ恩を売らせる。そんなシナリオを予定していた。
しかし清隆は一之瀬に、俺がやった、と本当のことを告げていた。
これでは事前の話と食い違う。
「一之瀬は俺に任せる、ってメッセージだと理解してよかったんだな?」
それに頷く清隆。
「ああ。伊吹から一之瀬にポイントを譲渡する現場に立ち会ったとき、はっきり感じた。一之瀬はオレより、お前の方に信を置いてる」
「……」
俺に信を置いている、か。
そうなのかね。
「それなら、今から一之瀬に近づくために関係を再構築するより、お前に任せた方が効率的だと考えた。何かまずかったか」
清隆の語る理由は、概ね予想していた通りではあった。
「それ自体は全くまずくはないけどな……それならそうと事前に言えよ」
俺が文句を言いたかったのはこの点だ。
もしあの時、俺がその意図を理解していなかったら、「たまに話は聞かせてくれ」なんてことは言わなかった。
あれで関係を繋ぎ止めることができたからいいものの……
「いや、それはマジですまなかった。言うタイミングがなくてな」
「結構危ない橋渡ったぞ」
「ああ。気をつける」
「貸し一つな」
「……」
黙り込む清隆だが、この要求は当然の権利だ。
そもそも清隆が一之瀬を繋ぎ止めておきたいのは、対南雲生徒会長のため……たぶん。
俺は堀北先輩を交えての話し合いには参加したものの、作戦そのものへの参加は拒否した以上、本来なら関係のないことだ。
それを、わざわざこいつに都合のいいように対処した。
その対価は受け取らないとな。
「……分かった」
やれやれという感を出しつつも、伝え忘れは自分に非があると考えているのか、清隆は俺の要求を了承した。
「よし。……なら、それはすぐに返してもらおうか」
そう言うと、いつも無表情の清隆が少し驚いて見せる。
「……いいのか、こんなにすぐに使って。お前はこういうの、保留にしておくタイプだと思ってたんだが」
まあ確かに、大体の場合はそうだな。
ただ、保留するにしても考えなしにやるわけじゃない。
「必要に応じてだ。何でもかんでもってことはない」
今回のように、相手にやらせたいことが既にある場合は、惜しむことなく使わせてもらう。
「まあ難しいことじゃない。この場で、数分あれば終わる」
そう付け加えた。
一見したところ、ここで貸しを使ってしまうにはもったいないとも思われる条件を提示した。
訝しむような表情の清隆。
「……なんだ」
どんな内容がくると踏んでいるんだろうか。
こいつなら、あるいは正解の予想をしているかもしれない。
だとしても関係はない。
これは貸し借りの精算だ。
どんなことがあるにせよ、正直に答えてもらいたいところだ。
「卒業式の直後、まあ謝恩会の最中だな。お前、応接室で何してたんだ?」
疑問をぶつけると同時に、清隆をよく観察する。
体の動き方、表情、呼吸のテンポ、何から何まで、こいつから出される情報全てを見逃さないように、注意深く。
「……」
しかし、分からない。
平時となんら変化がない。
ここまでくると、相当訓練されているとしか考えられない。
こいつの挙動から何かを読み取るのは、やはり不可能ということか。
そう判断し、いったん観察は諦め、言葉を続ける。
「校舎を散歩してたら、たまたま目にしたんだ。応接室を使うってことは、教師が絡んでるんだろ? お前が入ったとき、中にはもう誰かいたのか、それとも後から誰か来たのか。それは誰か、その誰かと何を話してたのか。答えてくれ」
俺が知りたいのは、あの時応接室であった出来事全てだ。
質問の内容を受け、清隆がゆっくりと口を開く。
「あの時、何かを感じたが……まさかそれが人の気配で、しかも知幸だったなんてな。姿は確認できなかったぞ」
……なるほど、まず応接室にいたことは認めるんだな。
「視線送ったら勘付かれそうだったから、見えない位置に隠れて音だけ聞いてたんだ。そしたらお前の声だったもんだから……あの時はかなり驚いた」
「……そうか」
さて、こいつはなんと答えるのか。
「ただの進路相談、って言ったら、信じるか?」
進路相談って……そうきたか。
素直に答える気はないようだ。
「まあ、生徒と教師がやることといえば、まず浮かぶのはそれだな。ただ納得はしないぞ。あの時は謝恩会の真っ最中。そこに絡んでくる教師は、わざわざ謝恩会を抜け出してきたことになる。進路相談が大事じゃないとは言わないが、謝恩会より優先することじゃない」
進路相談が嘘なんてことは分かりきったことだ。
こいつも、俺がそう判断すると分かった上で言っただろう。
俺がどのような否定の仕方をするかを見て、こちらが応接室の件に関する材料をどれだけ持っているかを測る。恐らくはこれが目的だ。
ただ、まさかこいつも、こんなんで逃れられるとは思ってないだろう。
観念したようすで口を開く。
「……結論が出るまで口外するなって言われてるから、断片的なことしか言えないんだが……試験のことについてだ」
「試験? というと……最後の特別試験のことか」
「ああ。それについてちょっと、気になることがあったんだ」
あの試験のことに関して、気になること……。
……偶然か、あるいはこれもこいつの狙い通りか。いや、恐らくこれに関しては偶然だろう。
俺もチェスのあの場面については、少し気になる点がある。
清隆がそのことを想定して言っているかは分からないが。
「なるほど、確かにその用事なら、学期が終わる前に早く整理しておきたいお前の心情も、試験に関することと言われて、謝恩会の出席時間を削る教師の心情も……まあ、ギリギリ理解できないことはない」
それでも、謝恩会が終わった後でよくない? という疑問はついて回るが。
ただ少なくとも、進路相談よりは優先順位が高いことだ。
ひとまずはこの前提に立って、話を進めていくことにするか。
「てことは、応接室でお前と話したのは……お前と坂柳の対戦の進行役として多目的室にいた、星之宮先生か、坂上先生?」
「2人ともだ。ちなみに誰が入ってきた云々の話だが、応接室に入ったのはオレが最初で、2人は後から入ってきた」
「……なるほど」
どうやら、これが清隆の言い分らしい。
嘘は確定だな。
なら、これでチェックメイトだ。
「じゃあ、お前が入った約10分後に応接室に来た、坂柳と真嶋先生は一体なんなんだ」
「……」
微かだが、はっきりと感じ取った。
こいつの感情の揺れを。
俺は先程の質問の内容に、一つのハッタリを混ぜ込んだ。
後から誰か来たのか、という言葉を入れることで、清隆は、俺は清隆が入っていくのを見た直後にその場を離れた、と勘違いした。
その後の様子を知っているなら、そんなことを疑問に感じたりはしないからな。
「あの時真嶋先生は『既に集まっているようだな』と言っていた。応接室にいたのがお前一人だったら、集まっている、なんて言葉は使わないだろ。あの時点で応接室には、お前を含めて確実に複数人いた。つまりお前が入ったときは……」
「わかった、降参だ」
俺の言葉を遮り、清隆が言う。
「……嘘ついたってことだな」
「誤魔化そうとしたのは謝る」
「困るな清隆。よりによって借りの精算で」
はあ、とため息を吐く清隆。
「……まいったな。正直、お前を舐めてた」
清隆が相手だ。この程度の保険はかけて当然だ。
……いや、違うか。
清隆は当然、俺がこのような保険をかけている可能性にも思い至っていたはず。
しかし俺を観察して、それはないと確信してしまったんだろう。
清隆がそう考えてしまうように、挙動をコントロールした結果だ。
こいつのポーカーフェイスもかなりのものだが、そこら辺は俺も得意分野だ。
清隆はそこら辺の俺の力量を見誤っていたのだろう。
いや、そんなことはいいんだ。
「俺への認識なんてどうでもいい。それより、早く質問に対する答えをだな」
「ダメだ」
「……は?」
今度は誤魔化すことなく……真っ向から回答を拒絶した。
「いや、答えを」
「お前は関わるな。借りを返せというなら、別の形で返す」
いつもと雰囲気が違うな。
……こんな清隆は初めて見る。
「その内容を制限する権利は、お前にはないだろ」
「それでもだ」
「関わるなと言っても、あの光景を見た時点で俺はもう関わってる。お前はそれを防ぐべきだった」
「そうかもしれないな。だが、これ以上は踏み込ませない」
「……どうしても言うつもりはないんだな」
自分のことに関する、絶対的な防衛ライン。
それは俺の中にも存在するものだ。
だから、何ふり構わず拒絶するのも理解できる。
「はぁ……分かった。じゃあここではもう、これ以上は何も言わない」
「そうしてくれると助かる」
無理だったか。
この流れなら引き出せると思ったんだが……
こいつがここまで意固地になるとは。想定外だった。
まあ、珍しいものが見られたと思っておくか。
じゃあそろそろ。
「さて、今日呼び出した要件なんだが」
「……いまのは要件じゃなかったのか?」
まだあるのか、とでも言いたげだ。
「じゃないことはないが……どちらかと言えばついでだな」
「ついで……」
お前の領域に「ついで」で土足で踏み込む形になったのは悪いと思ってるよ。
「これで終わりだったら、電話か、もしくは部屋で聞けばいいだろ。わざわざこんな変な場所に、直接出向いてもらったのにはちゃんと理由がある」
「いや、これで終わりとは思ってなかったが……じゃあなんだ、要件って」
続きを促す清隆。
「大きく分けて二つだ。まず一つ目は……櫛田のことについて」
「……あの件か」
「ああ」
清隆は、櫛田が俺に利用されていることを知っている。
理由は単純だ。俺が全部話したからに他ならない。
話したタイミングは……そう、堀北先輩を交えての話し合いがあった日。
龍園が帰り、俺が寮に戻り……その後のことだ。
俺はあのあと、自室には戻らず、1階のロビーで清隆が戻ってくるのを待っていた。
そして、櫛田のことに関して話し合いを行った。
もちろん、清隆が軽井沢を使ってやったことを全て看破し、清隆が櫛田を退学に追い込もうとしたことを認めさせたうえで。
そして、こう持ちかけた。
1年が終わるまで櫛田を利用し、利用価値があると判断できたら、櫛田を退学に追い込む考えを改めろ、と。
元々は、本当に清隆と敵対して櫛田の退学を阻止しようと考えていた。
綾小路グループに入ったのも、最初は清隆の動きを探るためだったしな。
だがそんな方法より、清隆をこちらに抱き込んだ方がはるかに確実性が高い。
「で、どうだ。かなり有用だろ、あれは」
あの話し合いから1年修了まで、清隆は大きく分けて2度、櫛田を利用した。
1度目は一之瀬の件のとき。
学内に一之瀬以外の噂を拡散し、学校側が動かざるを得ない状況に持ち込んだ。
2度目は追加特別試験のとき。
自身の退学について、櫛田から話を聞き、自身の危険を察知することができた。
これらのことは、別に清隆から報告を受けたわけじゃない。櫛田の口から知ったことだ。
1度目のときに櫛田が、清隆が来ることを俺が事前に知ってたんじゃないか、と疑っていたが……それについて事前に知っていたわけではない、というのも、もし櫛田を訪ねるとしたら清隆なんじゃないか、と予想を立てていたのも、全て嘘偽りのないことだ。
1度目はまあともかくとして。
2度目については、清隆にとっても大きい出来事だったんじゃないだろうか。
「……そうだな。あいつは使える」
「なら……」
「ああ。お前の言う通り、こっちから退学に追い込むようなことはしない」
と、いうことだった。
「よかったああああ……」
安心して少し力が抜け、膝に手をついてしまう。
「……そんな反応されるとは思ってなかったんだが」
「いや、だってお前敵に回したくないし……」
清隆は、この学校で二番目に敵に回したくない人物だ。
俺とは恐らくレベルが違い過ぎる上に、まだまだ全く底が知れない。
ちなみに一番は藤野だ。
「お前のコントロール下にあれば、櫛田も不用意な真似はしないだろう」
「ああ。ちゃんと手綱は握っとくよ」
櫛田は恐らく清隆も退学させたがってるだろうが……それすらもやめるよう、後から言っておこうか。
あいつが聞き入れるかは別としてだが。
「それを抜きにしても、前とは少し考えが変わった。櫛田の扱いについては、もうオレが何か首を突っ込むことじゃない、と思ってる」
「……どういう意味だ?」
「表向きの櫛田の扱いは、堀北に一任しようと思ってな」
「堀北に……」
らしいというべきか、らしくないというべきか……。
その心を伺い知ることはできないが……。
なんにせよ、しばらくは櫛田のことを安心して使うことができそうだ。
「それで、二つ目の要件ってなんなんだ?」
櫛田についての話を終え、そう聞いてくる。
俺としても、そうしたいのは山々なんだが……。
「ああ、悪いが少し待ってくれ。まだ必要不可欠なものが揃ってない」
「必要不可欠なもの?」
「ああ」
そして、それを揃えるためには、この場所から移動する必要がある。
「ついてきてくれ」
いまいち要領を得ないんだろう。俺の行動について、疑問に思っている様子の清隆。
しかし、一応のこと素直についてきた。
集合した場所から、歩いて数分。
木の幹や植え込みをまたぎ、目的地に到着した。
俺の言った、必要不可欠なもの。
その『人物』は、事前の取り決め通り、一人でベンチに腰かけて、俺たちを待っていた。
2
解散した後は、昨日レンタルした傘を返却し、寮に戻った。
上着をハンガーにかけ、持っていた鞄を机に置いたところで、端末に着信が入る。
「誰からだ……?」
さっき別れた清隆か、それとも藤野か……。
しかし、画面に表示されていた名前は、そのどちらでもなかった。
「……堀北?」
なんで堀北が……?
まあでも、無視するわけにもいかないし……
「……もしもし?」
『今時間はある?』
「ないことはない。ただ昼飯作ろうとしてた」
『そう。かけ直した方がいいかしら』
「いやいい。飯作りながらでいいなら聞くぞ」
『……わかったわ』
若干不満そうだが、かけ直して余計に時間をかけるよりはいいと思ったのか、了承した。
端末を台所の端に置き、スピーカーモードに設定。
和風のパスタでも作るか、なんて考えながら、堀北の話に耳を傾ける。
『昨日、あなたと一之瀬さんと別れた後、綾小路くんと少し話したのよ』
「すぐに帰ったわけじゃなかったのか」
『ええ、少し事情があってね。その流れで、こういう取引をしたの。学校のテストで、私が指定した科目で綾小路くんに勝ったら、彼は今後、出し惜しむことなく本気を出す、と』
「いや待て待て。その流れって片付けられても……なんでそんな話に」
堀北は要旨だけパッと説明し、通話の時間短縮を図ったのかもしれないが……。
表舞台に立つことを嫌う清隆がそんな話を受けるなんて、俺からすれば結構な大ごとだ。
それまでの過程を省略されれば、当然気になる。
『まず、彼はAクラスを目指す、と言っていたのよ』
「……マジで? なんで?」
さっきから驚きの連続だ。
『考え方が変わった、とのことよ。実際のところは分からないけれどね』
「まあ……あいつの言動は本当か嘘か分からないものばっかだからなあ。自身の心情に関わることについては特に……」
堀北が納得するような答えを言わなかったのも、それはそうだろうなという感じだ。
『ええ。ただ動機がどんなものであるにせよ、彼にその気持ちが芽生えたのは吉報よ。だから動機如何に関しては、この際目をつぶるとして……問題はここから。彼は、春先から全力でやると、変な噂が学校全体で立つからそれは避けたい、と言ってきた』
「……あいつ、結構自信家だな」
いやもちろん、あいつが相当高いレベルで優秀ってことは間違いないが。
それ、思ってたとしても自分で言う?
いや、客観的に考えた場合の結論がそれってことか……。
『だから彼の全力が、本当にそんなことを気にする必要のあるレベルのものなのかを試す必要がある。それで、最初に言った取引が成立したのよ』
「……なるほどな。それでお前に負けたら、噂が立つレベルではないとみなし、春先から安心して全力でやってもらうってことか」
『そういうことよ』
「大筋は分かった。ただ、なんでわざわざ俺にそんなことを伝えるんだ」
沸騰した水道水に塩とパスタを入れつつ問う。
そんなもん、二人の間で内密にしておくことだろうに。
『……もし仮に私が負けたとき、彼の言うことをなんでも一つ聞き入れる、という条件を提示してきた』
「……なんでもか」
なるほどつまりあんなことやこんなこと……はなさそうだなあ。なんと言っても安心安全の組み合わせ、清隆&堀北だ。ブランディングされてるレベル。
ただそうだとしても、そんなもん堀北が二つ返事で受け入れたとは考えにくいし……。
勝つ自信がないのか、とか煽られて、断れない流れになったんだろうな。多分。いや絶対そうだ。目に浮かぶ。てか多分堀北相手なら誰でもそうすると思う。
『そんな事態を招くわけにはいかない。そこで、私に数学を教えてほしいのよ』
「……」
一瞬、思考が停止する。
マジかよ。
真っ先に思いついて、真っ先に切り捨てた可能性だったのに……。
「……俺が?」
『ええ』
「なんで。勝つ自信があるから受けたんじゃないのか」
『もちろん負けるつもりはない。けれど、念には念よ。彼は、同世代で相手になるヤツはほとんどいない、と言っていたわ。そして、その“ほとんど”の例外の一つが、あなたの学力だ、とも』
「……だから俺に伝えてきたのか」
『ええ』
理解できた。
ただ……。
「なあ、それ清隆に誘導されてるんじゃないのか。向こうが俺の話を出してきたんなら、俺を頼って科目を数学に指定するの、多分予想されてると思うんだが。それでいいのか」
一応特別試験のときに、数学オリンピック問題であいつより多くの問題を解き明かしたからな。
少なくとも数学に関しては、あいつより優っている部分が俺にはある。
『承知の上よ。私の最も得意な科目は数学だから。彼に誘導されていたとしても、それで構わない。それに、この条件で勝つことができれば、彼をより言い訳の効かない立場に立たせることができる』
勝つ自信をしっかりと持っている堀北はそう言い切る。
いや、ただなあ……。
俺が1時間弱であの問題を解ききることができたのは、数学オリンピックの訓練を積んでいたから。
恐らくそんなことはしたこともないであろう清隆が、1時間で2問目を解き終える寸前まで行くことができた。
これ、俺の中ではかなりヤバイことなんだが……。
……まあいいか。
「……お前がそれでいいなら、俺からは何も」
『助かるわ』
「あと、初めに断っておくが……前にも言った通り、俺の守備範囲は高校までだからな。大学とか、それ以上の範囲は教えるの無理だぞ」
『さすがにそこまでは要求しないわ』
「ああ、それならいい」
お互いに納得できる内容。
ここで話がひと段落したように見えるが、まだ終わっていない。
「それで、まさか無償で手伝え、なんて言わないよな。俺だって自分の勉強があって、それを削るんだぞ」
時間はタダじゃない。
クラスのテスト対策とかなら、貢献の一環として勤める。しかし今回は堀北個人の依頼だ。謝礼を受け取る権利くらいはあるだろう。
『ポイントが欲しいの? あなたはもう十分すぎるくらい貯めていると思うけれど』
「俺がポイントを貯めこんでることが、お前が俺の労働に対してなにもしなくていい理由になるのか?」
やわらか銀行の会長さんだって、きっと給料は貰ってるぞ。
『……いくら支払えばいいのかしら』
ちゃんと謝礼をする気になったか。
ならよし。
ただ、こいつはさっきから少し勘違いしていることがある。
「別にポイントそのものを要求してるわけじゃないぞ」
『……』
電話口で「うざこいつ」って感じの目をしている堀北が、かなり容易に想像できる。
だが事実として俺は「ポイントを払え」なんてことは一言も言っていない。
要求しているのは対価。その形態はポイント以外にも様々だ。
『じゃあ何?』
「その勝負が終わるまで、週に一回飯奢ってくれ。ただし、好きなタイミングで好きなものを食わせてもらうぞ」
ここ最近、勉強量が増えている。
すると必然的に疲れも溜まる。
そんな中で、料理するのを億劫に感じることが少し増えてきたのだ。
週一であっても、自炊しなくて済むようになればかなり楽になる。
『……わかったわ。それでいいのね』
「ああ」
堀北の方も、この条件で文句はないようだった。
「で、いつから始める? 日時言ってくれれば融通するぞ」
この春休みも、基本的に俺に予定はない。
寝るか飯か勉強かバスケのいずれかをやっているだけだ。
『それは考えておくわ。少し待ってて』
「わかった」
そこで通話は終わった。
それと同時にパスタも茹で終わったので、フライパンを用意して味つけをしていく。
作業をしながら、少し考える。
「……清隆の全開か」
正直、興味あるな。
クラスメイト……特に綾小路グループのメンバーには、どう説明するのか、とか。
3
日は傾き、外はだんだんと薄暗くなってきている。
そんな、夕方と夜の境目くらいの時間。
インターホンが鳴る。
来客だ。
確認せずとも、誰かは分かる。
施錠を解き、ドアを開けた。
「おお。来たか」
「うん」
藤野だ。
今日、この時間くらいに部屋に来てもいいか、と事前に連絡があった。
要件も、大体予想はつく。
「誕生日おめでとう、速野くん」
「……ああ、ありがとう」
今日、3月27日は、俺の16歳のバースデーである。
しっかりと覚えていてくれたようだ。
「上がるか」
「あ、うん。でも長居すると速野くんに悪いから、玄関でいいよ」
「分かった」
藤野を中に入れ、ドアを閉める。
「勉強中だった?」
「ん、まあな」
「大学範囲の数学に手を出してるんだっけ。私にはちょっと追いつけない世界だよ」
「この学校に入ってなければ、多分こんなことやってなかっただろうな……」
特に考えなしに言った自分のセリフ。
だがそれで、ふと考え込んでしまう。
「……どうかしたの?」
「ん、いや、俺がこの学校に入ってなかったら、どうなってたかな、と」
あの時、担任の教師から勧められなくとも、恐らく俺はこの学校を受験していただろう。
ただ、もし不合格だったとしたら。
俺がこの学校の受験に向けて万全の態勢を整えられたのは、ある種幸運なことだった。
もしも……。
「……!」
と、ここまで考えたところで、一つの可能性に思い当たる。
まさか、この学校は……。
「いや、でも……」
あまりにも、俺の常識から外れたものだ。
「ど、どうしたの?」
「……ああ、悪い。何でもない」
気づかないうちに、少し思考に没頭してしまっていたようだ。
一人でうんうん唸っていて、挙動不審のかなり怪しいやつに見えただろう。
「今考えても、あんまり意味のないことだな」
「意味ない、かなあ? 私はちょっと気になるよ。自分がこの学校に入ってなかったら、って」
今の俺のセリフはダブルミーニングだ。
藤野はそのうちの片方の意味で解釈して、そんな返答をした。
もう片方の意味は……藤野には知る由もないことだ。
「まあ、気になるといえば気になるが……」
「どうなってたと思う?」
「……言語化難しすぎるだろ」
何もかもが違うのだ。
全く違う画像を見せられて「間違い探しをしましょう」と言われているのに近い。何をどう言ったらいいのやら、皆目見当もつかない。
「あはは、確かに。言えって言われたら私もできないかも。でも少なくとも、私はこの学校に入れて良かったと思ってるよ。普通じゃ体験できないような、いろんなことをさせてもらってる」
「……無人島とかな」
個人的にはあまりいい思い出はないが、貴重な体験であることは確かだ。
「それに何より、いろんな人に出会えたしね」
「……」
藤野はそう言って微笑みながら、こちらに目を向ける。
「……そうか」
「うん。あ、そうだ」
突然思い出したようにそう言って、右手に持っていた紙袋をこちらに手渡してくる。
「はい、これ。プレゼント」
「おお……ありがとう。今開けてもいいか?」
「うん、もちろん」
少し小さめの紙袋に入っていたものは。
「……アイマスク?」
「うん。正直、何を買おうかかなり迷ったんだよね……靴とか洋服とか考えたんだけど、好みもサイズもちょっと分からなくて。でも、最近速野くん忙しそうだったから、これでぐっすり寝て休んでほしいなって」
「……なるほど」
それでアイマスクか……思いもよらない角度からのプレゼントだ。
「……早速今日から使ってみる。ありがとう」
「どういたしまして。気に入ってくれるといいなあ」
一度も使ったことないからな。少し楽しみだ。
「じゃあ、そろそろ戻るね」
「ああ。気をつけてな」
「うん。エレベーターに乗るだけだけどね」
「はは……確かに」
軽い冗談をはさみながら、藤野がドアを開けて外に出る。
そしてエレベーターホールに向かって歩き出す……ことはなかった。
なぜかその場で立ち止まっている。
「……どうした」
「……突然、なんだけどさ。速野くんは、ボウリングってどう思う?」
「……??」
本当に突然で、黙り込んでしまった。
発音的に、娯楽の方のボウリングのことではあるんだろうが……
どう思う、って……質問の仕方として少し違和感がある。
藤野が何を聞きたがっているのかが分からない。
「どう思う、って言われても……年末に行ったが、普通に楽しかったぞ」
「……そっか。ごめんね、変なこと聞いて」
「……いや、別にいいんだが」
一体何だったんだ。
「ごめん。じゃあね速野くん。あ、そうだ。明後日くらいに食材の買い足し行こうよ」
「ん、分かった。また連絡してくれ」
「うん」
藤野がドアから手を離し、そのまま閉まる。
ドア越しではあるが、藤野から発されたであろう足音も聞こえてきた。
鍵をかけ、居間に戻る。
「……え、マジで何なんだ」
誕生日を祝ってくれたことと、プレゼントは素直に嬉しいが。
最後のボウリングの件が非常に引っかかる。
ボウリングに、何か嫌な思い出でもあるのか。
この質問の意味は、いったい……?
4
速野と別れた後、まっすぐ部屋に戻った藤野。
シワになるといけない上着をハンガーにかけると、そのままベッドに身を投げた。
「……やっぱり、そっか」
白い天井を見つめながら、そっとつぶやく。
刹那、反射的に目を閉じてしまう。
全灯にしてつけている部屋の電気の光が、直接目に入ってしまった。
それを防ぐため、右前腕で両目を覆う。
速野にプレゼントしたアイマスクがあればな、なんて、冗談交じりに考える。
そして最後に速野にした質問に関して、思い返す。
「……仕方のないこと、なのかな」
速野のあの反応も。
そして、藤野の抑えきれない『感情』も。
抱くべきではない。
抱くのは筋違い。
抱きたくない。
それでも、抱いてしまう。
速野に対しての、強い『感情』。
憎しみ。
11.5巻分、これにて終了です。
綾小路と坂柳について深く事情を知らないオリ主は、綾小路が櫛田から「黒幕が山内である」ということを聞き出したことを、綾小路が自身の退学を阻止するための最大の鍵だった、と勘違いしています。そしてその勘違いを、綾小路はあたたか~い目で見ている、という構図ですね。
応接室の件では綾小路から一本取ったオリ主ですが……綾小路を完全に超える日は来るのでしょうか。
そして、11.5巻分が終了したということはつまり……
『実力至上主義の学校に数人追加したらどうなるのか。』1年生編が完結いたしました!!パチパチパチ!クラップクラップ!
今確認してみたら、初投稿日が2017/08/27……この作品を始めてから3年半弱が経過してるんですね。
絶対にエタらない、というのを心に決めて書き続けていましたが、何とかここまでは来ることができました。
これは偏に、高いも低いも合わせて評価をつけてくださったり、感想を書いていただいた読者の皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
そして何より、飽きることのない面白いストーリーの原作を書いてくださった衣笠彰梧先生。この場を借りて勝手に感謝させていただきます!あざす!どうかこのままこの二次創作を黙認し続けておくんなまし……
今後についてですが、当然ながら、2年生編も執筆するつもりでいます。というか絶対書きます。
しかしながら、原作の展開があまりにも面白く、かつ複雑で、この先どうなるかが全く読めないので、もう少し巻が進んで、原作の方向性が見えてきたら、筆を取ろうと思います。
そのため誠に勝手ながら、それまでは「休載」という形をとらせていただきます。楽しみにしていただいている読者の皆様、申し訳ありません。
ですが先ほども書いた通り、絶対にエタりません!
2年生編が進んでいけば、どこかのタイミングで必ず帰ってきます。
それまで、しばしお待ちいただければと思っております。
……というのは、この二次創作の「進行」についての話です。
Twitterの方でぼそっとつぶやきましたが、現在この作品を大幅にリメイクしております。
この作品でも、1巻分の序盤の序盤、ごくわずかな範囲でリメイクを行っておりますが、それをさらにリメイクしています。
それを新たにリメイクバージョンとして投稿する……ということも考えています。
このサイトに投稿するか、別サイトにするか、あるいは両方で行うか、はまだ決めていませんが……そちらの方も、楽しみにお待ちいただければと考えています。
長くなってしまいましたが、これで後書きの方を終わらせていただきます。改めて、ここまでお読みいただいた皆様、本当にありがとうございました。これからもこの作品を、そして何より原作「ようこそ実力至上主義の教室へ」をよろしくお願いします!
あれ、これほぼ活動報告に書くべき内容じゃね?
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